holoearth chronicles ALTシリーズ (桃kan)
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ソラから落ちた少女
ソラから堕ちた少女


ーーーなんで、なんでなんだよぉ……

 

 落ちる。ただ落ちていく。

 背に携えた自慢の翼は身体を突き破らんとする風に押し負け、惨めにその白を揺らしていた。

まるで今のボクの心を映しているみたいに、押し流されるように弱々しくか細い音を立てていた。

 

 突然の出来事で頭が回っていない。ただ分かっているのは、突然『自分のいるべき場所』から突き落とされたこと。そして守られたこと。

 

 本当はボクが、ボクが頑張らなきゃいけなかったんだ。なのに……また守られてしまった。

 

 そうなっちゃうとさ、思ってしまうじゃんか? もうダメだって。

もう『ダメだ』って受け入れちゃって良いのかな? 受け入れて、流されて、考えるのをやめてその方がきっと楽だもん。

 虚に開いていた少しずつ閉じ始め、諦めを受け入れようとする。

 ぽかんと開かれた口も、そこからは何も音を発することはない。

 もう……サヨナラ、かな。

 でも、薄れ始めた視界に”ソレ”が映ったから……

 力を失っていた瞳に、脚に、そして翼が熱くなるのを感じた。

 小さくなっていく”その色”がどこか悲しそうに見えたから……

「……絶対に」

 吐き出した言葉に熱が篭った。そうだ、ずっとこうしてきたじゃないか。前を向かってガムシャラで、どれだけ心無いことを言われても進んできたじゃないか。

 だからボクはいつだってこう言うんだ。

 

「諦めてなんて……やるもんか!

 

 

 眼下には広大な緑の大地。それを分け隔て、まるで抱き締めるように水の黒が地平線の水平線の彼方まで大きくその腕を広げていた。そして人々が生活を営む街、それらを繋ぐ道が延々と続いていく。言うまでもなく、なんの変哲もないセカイの姿がそこにはあった。

 

 しかしその中にあって違和感を覚えさせるものがある。

 言い表すのであればそれは『剣』とでも形容すれば良いのだろうか。大地に突き立つそれはこのセカイの何よりも大きく、天にある陽まで届くのではないかと思うほど高く、その存在を顕にしていた。どのような担い手であればそれを手にし自由に振りかざすことができるのであろう。

 

 その疑問を沢山の学者や探究者が解決しようとしてきたはずだ。しかし現在に至るまで、それを解明できた人が現れたことはない。

 

 そんなことを考えながら白銀の髪の、背に翼を携えた少女は皮肉っぽく口角を吊り上げた。

 

「だって、“降りちゃダメだ”って言われてるんだから、調べようもないもんね」

 

 少女の言葉通り、彼女たちのいる場所からでは完全に理解する術はないのである。そう。彼女たちの住む大地は緑の大地の遥か上空にあったのだ。

 

 彼女たちは自らの住むその地を『浮遊島』となんとも味気ない名で呼んでいた。

 

 そこでは背に翼を携えた者たちと自身の体を竜に変化させることのできる種族、そしてそれらを統べるいと尊き黒の種族が共存している。

 種族の区別こそあれど、それが差別の対象となるようなことはなく、それぞれの種族が互いを補い合いながら生活を営み、目立ったトラブルなどは見られない。

 

 ただ一つだけ、守らなければならない戒律がある。

 

 “決して、下界の者と接触してはならない”

 

 それが『浮遊島』の唯一のルールであった。しかしそれ以外は全てが自由。ありとあらゆる恩恵を与えられ、全ての苦難から解放され満たされている。

 

 ここはそんな場所。まさに天の御国と呼んで差し支えない地なのである。

 

 だからこそこの浮遊島に住む人々は下界にどのような種族がいてどのような生活を営んでいるかなど知りもしないし、興味を持つこともない。

 

 しかし少女は自分たちの現状に首を傾げる。

 

 なぜこの浮遊島と言う箱庭の中に居続けなくてはいけないのか?

 なぜ自由に大地に降りたってはいけないのか?

 なぜ下界の人と会ってはいけないのか?

 

 しかしそうは考えても少女はそれを口にすることはない。

 

 この少女、天音かなたにとってもやはりこの浮遊島での暮らしは満たされたものなのだから。

 

 ただ下界のことが頭の片隅にチラつく度に彼女は一人、この浮遊島で『剣』を一番美しく眺めることの出来るこの庭園にやってきて、ぼんやりとすることにしているのだ。

 

 しかしそんなゆったりとした時間は、あっさり終わりを告げる。

 

「行ってみてーですね」

 不意に、かなたに投げかけられた声。振り向くとそこにはよく知ったオレンジ色の女性の姿。

 

「ん、どうしたの? 一体何?」

 

 かなたはこう思った。また言い出したと。このオレンジ色がこんな声色で喋る時は大体面倒な事になるのだと。

 

「下の世界」

「え?」

「下の世界! 行きたくねーです?」

 

 その突拍子もない言葉にかなたはあんぐりと口を大きく開き、快活に言い放つオレンジ色に釘付けになった。

 

「下の世界って…正気なの? あそこに関わるのはダメだって昔っからの」

「そんなのはどーだっていいんですよ。私が見たい、それだけでジューブンじゃないのではないでしょうか?」

「私が見たいって…ねえ、ココ!」

 

 続く言葉が喉元で痞え、何も言えなくなる。何を言っても無駄、この表情をしている時の彼女を止めることなんて出来ない。

荒唐無稽に聞こえる事でも、いつも彼女の行動は周囲の人たちを楽しませてきたのだ。

 

 それを知っているからこそ彼女は何も言えなくなった。そして同時に「ほんと、羨ましいよ」

 

 そう一言、目の前のあまりに眩しい色に気付かれないようにつぶやいた。

 

 それが憧れからの言葉であると、そう理解しながら。

 

 

「ねぇ、行ってみたくねーですかー?」

 ココの明るい声がかなたに投げかけられる。彼女は「そうだね」と返すが、その声はどこか歯切れが悪い。

 

 そう。頭の片隅にはこの島の戒律があった。

 もしこれをやぶったらどうなるのか? それを考えるだけで、怖くて仕方がない。

 

 しかし目の前の彼女は、桐生ココは何も恐れている様子はない。

 むしろそれすら楽しみであるかのような表情を見せている。

 

 この浮遊島において、桐生ココという人物は目立つ存在であった。彼女の出自が竜人の大家であるというだけでも畏敬の念を向けられ、敬遠されるのだが誰からも悪感情を抱かれることはおろか、好意ばかりを抱かれている珍しい竜人であった。

 

 周囲の人を惹きつける容姿、思慮深い性格、そして快活な喋りくちと分け隔てなく人と接する態度。そして彼女の裏表のなさが真に人を惹きつけていたのだろう。

 

 しかしココへの好意を口にする者の全てが、口を揃えていうことがある。

 “何故桐生ココは『彼女』を側に置くのか?”と。

 “腰巾着のように、くっ付いていて気に食わない”と。

 “何の才能も力もないくせに、自分が偉くなったつもりなのか”と。

 

 そう言われていることは、かなた自身も知っていた。無論謂れもないことばかりだと捨ておけば良いものなのだが、心のどこかにかなた自身にも考えるところがあった。

 他人と、ココと自分自身を比べても仕方がない。背丈や容姿、性格が違うように、得意な事や苦手なものなどは互いに違う。そう頭で理解をしていてもどうしても負い目を感じてしまう、ココと自分を比べてしまうのだ。

 そんな負い目を感じたくない。どうにかしなくてはいけないと、様々に行動を起こすのだから常に裏目になり、周囲からさらに心ない言葉をかけられる始末。

 

 今日はそんな鬱々とした気持ちを忘れるためにこの場所にやってきたのに、あとからやってきたのにココのその言葉にまた動揺した。

 

 戒律を破ってでも、自分の興味を探求するココ。

 憧れはあっても、一歩を踏み出せずにいるかなた。

 

 器の違いをまざまざと見せつけられたような気がしてならないかなたであった。

 

 しかし大事な友人が自分と同じように考えてくれているという事は、かなたを励ますには十分な事であった。

 だから彼女の表情は自然と緩み、笑顔が浮かんでいたのだ。

 

「そう、だね! うん、そうだよ! 下の世界、ボクも行ってみたい!」

「さすがかなたん! そう言ってくれると思ってましたよお」

「とにかく準備しないとね。そうと決まれば一旦家に帰ろっか?」

 

 ココの人懐っこい笑顔に、ホッと心を撫で下ろすかなた。

 

「何だかボク、すっごく楽しみになってきたよ!」

 

 この時はただ下界に対する期待に胸を躍らせる二人だった。

 

 次にここにやってきた時にはそれとは相反する思いを抱いていることを、彼女たちは知る由もなかった。



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変容する日常

-ーーなんかさ、全部おんなじになれば、みーんな幸せなんじゃない? そうそう、みんな眷属になればいいんだよ。

 

 

 

 きっかけはとある少女の、この一言だった。

 

 

 

 浮遊島を統べる、闇の種族の令嬢の呟いた言葉。

 

 それは浮遊島の執政を取り仕切る会議の場で発せられた言葉であった。普段であれば聞き流される内容であったはずだが、その日だけはそれが大きく取り上げられた。

 

 

 

 

 

 しかしそれは穏やかなものではなく、罵声が飛び交い、建設的な話が為されたとは到底言えるものではなかった。

 

 

 

 

 

 ある者はこう言った。『為政者がこの世界の全てを欲している』と。

 

 苛立つ者はこう返した。『何をバカバカしいことを! であれば受け入れない者は殲滅するとでも言うのか?』と。

 

 別の者は更にこう続けた。『その通りだ。自分たちの意に沿わぬ者にこの浮遊島にいる資格はない。打ち倒してしまえ!』と。

 

 

 

 いずれにしてもその一言がその場を空転させたことは言うまでもない。そしてそれはすぐさま多くの人々の間で広まり、市井は狂乱に包まれ、それに呼応するモノ、嫌悪するモノ、遠巻きに面白がるモノが現れ始め、浮遊島の情勢は混迷を極めていた。

 

 

 

 しかし下界へ降りようと決心したかなたたちにとっては瑣末ごとに過ぎなかった。

 

 ただ徐々に周囲の人々が持ち出してくる話題に物騒な内容が見え隠れしてきた時、流石にまずいと考えたのだろう。二人は再び展望橋に集まり、今後の作戦を練ることにした。

 

 

 

「ホント、とっぴょーしもねぇですよ」

 

 深くため息を吐きながらぼんやりと遠くを見つめるココ。自宅で何か揉め事でもあったのだろうか、普段疲れを感じさせない彼女の表情が今日は少し辛そうに感じられる。

 

 

 

「うん、そうだけど……でも世間で言われてるみたいな物騒な意味じゃなかったって言うのは分かってるよね?」

 

 そう。二人と会議を空転させてしまったとは言え、黒の種族の令嬢とかなたたちは親しい間柄である。

 

 

 

だからこそ彼女が何か邪な考えから周囲を混乱させているわけではないと重々理解しているし、きっと深い意味はなかったんだろうと、そう思っていた。

 

 

 

 しかし実際に状況が拗れに拗れ、爆発一歩手前まで来ていることも事実。そして目の前のココの表情もずっと晴れないままだ。

 

 

 

 居心地の悪さに、かなたはポツリと「でもさ、“みんな同じように”って理想的だよね」と呟く。これは間を持たせるための、特に意味のない言葉だったが、ココは何かを感じたのだろう。かなたにとって返すように「何言ってんのかなたん!』と強い口調のココ。

 

 

 

「わたしやかなたんみたいに、種族も違えば、向き不向きも違う! 完全に一緒なんてできねーですよ!」と、少し語気を強めるココに思わずかなたは萎縮してしまう。

 

 

 

「それは……」

 

「わたしがちょっとあー何やってんだ! って思ってるのは、そこにいた大人たちに対してですよ。一体何してんねーんって!」

 

 

 

 たしかにその通りだと、何も言葉を発せなくなるかなた。

 

 言葉の綺麗さに目を覆われてしまっているが、完全に同じになることなどできようはずがない。言葉一つにこれだけ振り回されてしまうのかと、気恥ずかしさを感じる彼女に、ココは笑みを浮かべてこう続けた。

 

 

 

「しょうがないですねー。でもそんな優しいとこ、嫌いではないです」

 

「そ、そうゆう事じゃないと思うけど……でもこの状況じゃすぐに下に降りるのはやめておいた方がいいかなぁ?」

 

「んーたしかに……いきなりわたしたち二人がいなくなったら騒ぎになるし」

 

「こんな時だから、ボクたちのこと変に利用されちゃうんじゃないかな?」

 

「あー、もうちょっと考えて欲しかったですよ、トワさま!」

 

「まぁまぁ、トワが、悪いわけじゃ……どうしたのココ?」

 

 

 

 刹那、ココが言葉を返すよりも早く、轟音と共に鋭い光が駆け抜ける。

 

 それは明らかに良い事を想起させるものではないと言うことは明白だろう。

 

 

 

「なんで、煙まで……?」

 

「これは、やばいのでは?」

 

 

 

 そしてこの日が浮遊島との別れの日になると言う事を、まだ二人は知らないままであった。

 

 

 

 

 

 

 

「これ、何?」

 

 その光景を目にし、かなたは思わず言葉を失ってしまった。しかし街の光景など、広がる情景は何も変わらない。

 

 

 

「何で、何でみんな止まってるの?」

 

 先ほどの轟音にまさかと思い街中に戻ってきたかなたとココであったが、街の状況を見て胸を撫で下ろすと同時に別の違和感に苛まれることとなる。何かが破壊されているわけでも誰かが怪我をしているわけでもない。ただかなたの呟き通り街中の人々が動きを止め、『止まった』状態になっているのだ。

 

 

 

「ねぇ、ココ……? これって」

 

「……アクマのイタズラってやつですか?」

 

 絞り出すようにココが呟く。

 

 

 

 『魅了』

 

 

 

 浮遊島を統べる黒の種族の力には、相手を思い通りにするものがあった。それを駆使すれば人々を動かなくすることは出来ないことではない。しかしそれは対個人に対しては有効であっても、ここまで多人数が影響を受けている状態になどこれまで考えられるものではなかった。そしてそれを使うことの出来る人間がこんな事をするはずがないと言う確信めいたものもココにはあった。

 

 

 

「でもこんな事出来るのなんて……でもそんなことするわけない! きっとないよ!」

 

  かなたもココと同じような疑念を抱きつつも、それは間違いであると自分に言い聞かせるように彼女は呟く。だが心に抱いてしまったものをそう簡単に拭うことは出来ない。彼女の心の内を示すように身体は小刻みに震えていた。かなたの態度にココも感じるところがあったのであろう、慈しみの笑みを浮かべながら彼女はかなたの肩に手を置き、こう続ける。

 

 

 

「そう、ですよね。絶対にありませんよ」

 

 それも自分自身に言い聞かせるように呟いた言葉であった。

 

 

 

 しかし次の瞬間に彼女たちの考えは打ち崩されることになる。

 

刹那、展望橋まで轟いたのと同じ轟音が轟くと同時に空には暗雲が立ち込め、その中心から“巨大な何か”が街の中心をめがけ降りてきたのだ。

 

 

 

 その光景を食い入るように見つめていた二人であったが、それに心当たりがあるのだろう、『あれって……』声を上げるココ。

 

 

 

「やっぱり……あのバカパパは!」

 

 空から降りてきたものは神々しい光を放つ、まさに龍と呼ばれるべき存在。側から見ていても大きな力を持っていると感じさせる威圧感があった。

 

 

 

 そしてそれを迎え撃つように、浮遊島の中心から徐々に三叉の何かが形作られていく。

 

 

 

 それは二人には馴染み深い者が持っていたものだ。

 

 

 

「トワ……トワだ!」

 

 かなたが声を上げる。

 

 かなたの目に写っていたのは以前『眷属に作ってもらった』と見せびらかされた三叉槍そのものであったが、今は空を泳ぐ龍を穿つことが出来るほどにその姿を巨大に変貌させている。

 

 

 

 それはこの浮遊島を統べる黒の種族の令嬢、『常闇トワ』のモノに間違いはなかった。

 

 

 

 これまでに見たことのない光景に絶句したまま空の龍、そして地の三叉槍を見つめ震えるかなた。その震えは知らないものを目にした時の同様ではなく、完全に大きな力への恐怖からのものであった。しかし動かないままでは空と地の二つがぶつかり合うのは必至。そしてこの状況の中でこれらの間に割って入ることが出来るのは一人しかない。

 

 

 

「……いくしかありませんね」

 

 

 

 それを理解しているのであろう。ココは静かに、そして覚悟を持って呟く。

 

 

 

「そうだよ、絶対なんかがあったんだから! 早く止めに行こう!」

 

「ダメですよ」

 

「え?」

 

「行くのは、わたしだけです」

 

 

 

 その身体を竜に変異させそう告げるココにかなたは何か言いたそうに彼女に視線を向ける。

 

 何故? いつも一緒にいたのに、あそこにいるのは自分の友人でもあるのに。自分も行けば何かの役に立つことが出来るはずだ。そう淡い期待が脳裏を過るが、姿の変わっていくココを見て、それが甘い考えであると喉元まできた言葉を飲み込んでしまった。

 

 

 

「わたしじゃなきゃ、きっとだめなんですよ」

 

 それは悲しそうに、かなたの耳には聞こえた。

 

 

 

 竜の姿へと変貌を遂げたココの声は地響きを感じさせるほどに低く重い。ケツイを感じさせるその響きに、やはりかなた自身は「自分も行く」とは簡単には言えずにいた。

 

 

 

「でも……ボクは」

 

 拳を握りしめ俯くかなた。彼女の体が掴み上げられ宙に浮く。巨大になったココにとって、今のかなたは掌に収まるほどに小さい。

 

 

 

「ねぇ、ココ! 何でボクのこと掴み上げるの? ねぇ!」

 

「ちょーっと早いけど、先に行っておいてください。パパもトワ様もわたしが止めて、すーぐに追いつきますから」

 

「ちょ! ねぇココ!」

 

「ダイジョーブです。すぐにまた、下の世界であいましょー……ね!」

 

 

 

 次の瞬間、さながら玉を投げるように展望橋の遥か遠くめがけ放り投げるココ。普通の者であれば投げられた衝撃と風圧で気絶したまま地に打ち付けられるであろうが、この浮遊島の高さとかなたの強靭があれば十分に目を覚ますことが出来るだろうと踏んでのことであろう。さすがに手荒であったかと考えもしたが、言葉で説得するにはあまりに限られたこの状況でその行動はココにとっては大切な友人を守るには最善の手段であったのだろう。

 

 

 

 この時点でココにも、空と地で向かい合う巨大を無傷で止める事が出来るとは考えていなかったのだろう。しかしかなたを手荒に扱ってまで我を通したからには成果をつかまなくてはいけない。

 

 

 

「さぁて、バカパパも……トワ様も」

 

 

 

 背に携えた翼をはためかせ、ゆっくりと宙に浮きながら再びココが呟く。

 

 彼女らしく冷静に、そしてはっきりと、全ての理想をやってのけるようにこう言い放った。

 

 

 

「おきてくださいねー……なんて、言ってる場合じゃないかもしれないですね!」



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はじまり

 

 彼女の耳に届くのは、身体が空を切っていく音のみ。

 

「……ッ」

 

 彼女の肌が感じるのは、瀑布のような風の鋭さのみ。

 

 これまでに感じたことのない圧力でかなたはようやく目を覚ました。

 

「……ぃき、が……」

 

 声が音にならない。

 音にしようと必死に身体を捩るが、自身にのし掛かってくる空気の圧がそれを阻んでいる。混乱する頭を必死に働かせながらどうか流れていく風景で自分の置かれた状況を把握していく。

 

 かなたが覚えているのは竜へと姿を変えたココに掴み上げられるところまで。

それが一瞬気を失った瞬間に視界にココの姿はなく、彼女の身体は空の中にあった。

 

 彼女の側には空、浮かぶ小島、そして彼女の視界が最も大きく捉える事が出来るのは、先ほどまで自分がいたはずの浮遊島。

 

 しかし普段から巨大だと思っていた浮遊島は徐々に小さくなり、彼女自身が下へ下へと落ちていっている事をありありと示している。

 

 そう。この時かなたはココによって浮遊島の中心から外へと遠く放り投げられたという事を改めて実感したのだ。

 

「んで……ココ……」

 

 この状況にあって自分が落ちていることよりもかなたの頭を過ぎったのは、自分の姿を変えてまで自分を災禍から遠ざけようとしたココのことであった。おそらくココ自身はどんなに最悪のケースに陥ったといても上手く立ち回ってくれるだろう。

 しかしかなた自身はどうか。

 ココのように竜の姿に変異して戦う事は間違いなく出来ない。やはりそんな自分はココにとっての足手纏いではないかと。だから自分を街から遠ざけたのだかと、力不足だから一緒に街で巻き起こっている事件を解決しようと言ってくれなかったのではないかと、そればかりが彼女の頭を占めていく。

 

 しかし更に小さくなっていく浮遊島を目にしながら、彼女の中には別に感情が湧き上がっていった。

 

「い……み、ないのに……一緒じゃ、ないと…………意味ない、のに!」

 

 そう。彼女にとって下界への憧れは大きなものだった。それは『友人と共に経験し、笑い合う』という光景があってこそ初めて意味のあることだった。それなのに今自分だけ災禍から逃げ出すように島の外にやってきている事がかなたの心を苛んでいく。そして遠くなっていく浮遊島を目にしながら、もはや自分の翼の羽ばたきではあそこまで戻る事は叶わないと更に落胆していく。

 

「ココ……ココォ!」

 

 何度も友人の叫び、刻み込むように忘れることのないように繰り返す。そして遠ざかる自らの故郷に手を伸ばす。しかし彼女の手は頼りなく空を切るばかりで、何も掴む事は出来ない。

 

 

「一緒じゃないと……意味ないんだよ! ねぇ、ココぉ!」

 

 もう一度、掠れていく声で友人の名を呼ぶ。その音は大気に押しつぶされ、受取手のないままに掻き消えていく。

 

 ただ天音かなたは風と共に、ゆっくりとその身を下界へ落としていった。それが彼女にとっての変化の始まり。

 彼女が、『ケツイ』を胸に、全てを取り戻すための旅路の始まりであった。

 

 

 

 

 この日、小さな変化が生じた。

 セカイに、小さな亀裂が走った。

 

 誰かが言った。

 

 自分たちは幾重にも折り重なった物の中の、その一つの面を見ているだけだと。

 そしてどんなセカイでも、誰もが追い求めるのは『幸せ』な結末であると。

 

 

 そしてこれから語るのは、ひとつの可能性の物語。

 

 ひとりだけで、辿り着く『どこか』に意味はない。

 大切な誰かと一緒でなくては、面白くない。

 

 これは幾人もの少女が、それぞれの『完全で、完璧なセカイ』を追い求める物語。

 

 幾重にもある、ほんの一つのセカイの可能性の物語。

 



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守り人

 どれだけ声をあげても、背に携えた翼をはためかせても、決してそこに戻る事は叶わない。ただ視界では最早捉えることの出来なくなってしまった自らの故郷を睨みつけながら、ついぞ少女は何も出来ず、地上は目前に迫っていた。

 

 降りたったその場所は、深い森の偶然にも切り開かれた場所であった。そんな場所だからこそ何者の影も見えず、落ちてきた彼女も目立たなかったのだろう。それだけは好都合だったと彼女は胸をんでおろしつつ、翼をはためかせ、ゆっくりと地面に足をつける。

 

「……」

 地に足をつけ、ようやく実感が彼女の中を駆け巡る。そして大気に押しつぶされ続けた身体も抗い続けていた翼もそして叫び続けた喉も、全ての痛みがありありとこれが、今自分が見ているものが現実であると告げていた。

 

 自分は下界にやってきた。

 

 憧れて、いつかは踏みしめたいと思っていた地上に立った。

 

 しかし今の彼女の、天音かなたの心の中には、地上に対する特別な感情はなかった。

 確か憧れ続けた場所にやってきた。今彼女の目が捉えているのは、今まで見たことのないほどの高い木々と先も見えないほどの大地。浮遊島にいたときには数十分で地の果てまで辿りついてしまったが、ここではその果てが見えない。それを考えれば下界に来た事を喜べていたかもしれない。だが自分が今ここにいるのは全くの偶然であり、半ば逃げてきたと言っても過言ではなかった。

 

 そして彼女の心を占めていたのは、浮遊島と残してきた友人たちを憂う気持ち、そしてすぐにでも故郷に戻らなくてはいけないという思いだった。

 

「すぐにでも、帰らないと……」

 

 しかし戻るべき場所は空の彼方。彼女の目では捉えることの出来ないほどに小さくなってしまっている。無論、自らの翼をどう駆使しても浮遊島の点在する高度までは到達することは出来ない。帰還の困難さとあまりに遠くまで来てしまった事を示している。

 

 しかしそんな中でもいつもと変わらないものもそこにはあった。

 

「……やっぱり”アレ”だけは見えるんだ」

 かなたの言葉通り大地に突き立つこの世界の象徴だけは、『剣』だけはその存在をしてしていた。

 

 まるで途方にくれた人を導くように、今日も透明な蒼を宿しながら。

 

 どれだけ歩けど視界に入るのは木々の隊列。

 それらは歩みを進めて行くほどに鬱蒼とした様をより濃く露わにしている。これでは方向感覚を失って、迷ってしまうかもしれない。そう考えていたかなたであったが、空の遠くに見える『剣』が辛うじてかなたの行く道を示していた。

 

 地上に降り立ちまず最初にかなたが考えついたのは、『剣の麓まで向かってみる』というものだった。

 

 この世界で一番高い建造物である『剣』の、上層からであれば、きっと浮遊島のを見つけることもできるはずだ。登る事が出来るのか出来ないのかは今は二の次。なかば行き当たりばったりの行動だが、下界に頼りのないかなたにとって、それだけが手がかりだった。

 

 しかし慣れない移動に、最初は「急いで浮遊島に戻らなくては!」と息巻いていたかなたも、辟易した表情を見せ始めていた。身体的に辛いわけではない。むしろ下界に降りてから、妙に身体が軽いとさえ思っている彼女であったが、変わらない景色の中を進んで行くのは精神的には辛いものがあった。

 

「どこまで続くんだよー! もー!」

 

地面に降り立って早数時間、ついにかなたは足を止める。彼女は視線を宙に泳がせながら、続けて呟く。

 

「森も抜けられないし、『アレ』にも全然近づいている感じでもないし……どうしたらいいんだよぉ」

 

 しかし『剣』以外に寄る辺があるわけではない。このまま進み続けるしかないからこそ彼女は進み続けるしかなかった。

 

「ココもトワも……大丈夫なのかな?」

 マイナスな言葉が口を吐く度に、思い出されるのは浮遊島の事。

そして何故街の人たちが動かなくなってしまっていたのか? ココの父が感情を露わにしていた理由は? トワが何故ココの父に敵対していたのか? 考え出せば尽きない疑問に、頭を悩ませ難しい表情を浮かべるかなた。そして頭を悩ませるものの中で一番大きなものはやはり大切な友人のとった行動についてであった。

 

 ココのとった行動の意味、それはもちろんかなたも理解している。しかし頭で分かっていても、他の部分が納得をしていない。それがモヤモヤと彼女の中で留まり続けている。そしてこんな感情を抱えたままではいけないという事も理解していた。だからと言ってだらだらと考え込んでいても足が重くなって行くだけという事も事実。

 

「とりあえず、落ち込んでたって仕方がないんだから!」

 パンと自らの頬を叩き、気を取り直して足を進めていこうとするかなた。

 

「ーーーえ?」

 

 しかし足を動かそうとした刹那、肌を叩いた甲高いものとは別の音がかなたの足元に響く。

 

「……動くな」

 おそらく木々のどこかにいるのであろう。頭上からかなたに向かい、中性的な伸びのある音が投げつけられた。一瞬なのが起こったのかかなたには理解できなかったが、自身の足元に突き刺さる矢を見れば何が起こったかは想像にたやすい。しかし突然の窮地に身体が頭に追いつかないだろう、突き刺さる矢から離れようと足を動かすかなた。

 

「そこの翼人モドキ、動くなと言った」

 

 二度目。先ほどと同じようにかなたの足元に矢が射抜かれる。

 

「え、っと……いや、ボクは……ッ!」

 

 三度目。『いつでもこの矢で身体を撃ち抜く事が出来る』と示すように、同じ場所を射抜かれた矢についにかなたは言葉を失う。

 

「良い子ね。そのまま私の言う事、ちゃんと聞いてね?」

「……わ、わかりましたから! 何もしませんから!」

「口を閉じて。手をあげてこっちに振り向きなさい。あぁ、顔は上げちゃダメだよ?」

「……」

 頭上からの声に指示されるまま手をあげゆっくりと振り向く。それに従い続ける事以外に敵意がない事をあらわす術がない事を、かなたはこの短いやり取りの中で痛い度に思い知らされていた。その従順さに

 

「簡潔に聞きます。何の用向きでこの森にやってきた? 今はもういない翼人のフリまでして」

「ちが! ヨクジン? っていうのがよく分かんないですけど、私はただ島から落ちちゃっただけで……」

 

 かなたが言い終わらないうちに、地が音をたてる。おそらく何かが木の上から飛び降りてきたのだろう、そしてそれは間違いなく声の主だ。

 

「シマ? まさか、本当に翼人なの?」

 

「ホントに翼人? ホントに?」

 

 木から降り立った人物の声からは、先までの殺気は一切感じられない。ただ興味津々にかなたの周りをまわりながら彼女を観察している。かなたはと言えば、『こちらを見るな』と言われてしまったせいで、未だに声の主の姿を見とめるに至っていない。しかしこのまま俯いてばかりいても意味がないと考えを巡らせて行く。

 

「あのー、って痛っ! 羽根をつままないで!」

「あぁ、ごめん! 作り物かなぁって思ったから」

「だから本物ですって……」

 

 背にある翼を強引に引っ張られ声をあげるかなたに、これまでとは違う、少し高い声色が返される。そこでようやく声の主が女性であるという事を認識したかなたは驚きのあまりに顔を上げた。

 

「……綺麗」

「お世辞を言ったって、何にも出ないよ?」

 

 思わず口から溢れていた賛美の言葉。それほどまでに目の前に現れた女性を、かなたは美しいと思った。後ろに束ねられた金砂の髪。活動的な様を表す小麦色の肌。そしてスラリと伸びた手足は先ほど強靭な矢を放ったとは思えないほどに、触れるだけで折れてしまいそうなほど華奢に見える。

 そして何よりかなたの目を魅きつけたのは、陽の光を思わせる、熱情の籠もった瞳の橙。意志の強さと優しさを感じさせるそれに、かなたはやはり賛美の言葉を呟かずにはいられなかった。

 

「あ、えっと……ボクは」

「それにしても」

「え?」

「それにしても、本当に翼人に会えるなんて……私のあばあちゃんが、すごく小さな頃にこの大地からいなくなったんだって言っていたけれど」

 

 女性の言葉はどこか遥か昔の事を語っているように、かなたには感じられた。見た目だけで考えれば、おそらく自分と年齢は変わらないだろうと考えていただけに違和感を拭えない。とりあえず話を進めようと咳払いをしつつ、自分の置かれた状況を話すことにした。

 

「さっきも言いましたけど、ボクは島から落ちちゃって……」 

「それ!」

 

 ピンと人差し指をたて、女性がかなたを制する。かなたとしては自分の言いたいことがなかなか伝えられないこと焦り始めていた。

 

「おばあちゃんも言ってたし、古い伝承にもあった。空に浮かぶ、大地からは見えない島のこと。まさか本当にそこから来たの?」

「だからそうだって言ってるじゃないですか! 先を急いでるんです、早く島に帰らないと……」

「帰る? 方法知ってるの?」

 女性は髪をかき上げながら、「島に登る方法は古文書にも書いていなかった」と付け加える。考えもしていないところで手がかりをなくしてしまったことにため息をつきながらも、そもそもの目的地である『剣』に視線を向けるかなた。

 

「とりあえず、『アレ』の下まで行こうと思ってます。何も分からなくても、動かないわけにはいきませんから」

「……」

「とにかく、もう良いですよね? ボクは急ぎますからもう行きますよ?」

 

 女性の返答を待たずにあげていた手を下ろし歩き始める。

 

「やめといた方がいいよ」

「ーーーッ!」

 

 女性の言葉はかなたの張り詰めていた糸を切るには十分な言葉であった。

 

「何なんだよ、さっきから! 身も知らない人がボクの邪魔しないで! 早く帰らなきゃ……ココもみんなも手遅れになるんだ!」

 

 頭の中で自分に対する叱責が駆け巡って行く。自分は何を失礼な事を言っているのだと。下界に降りてきてから気持ちばかりが焦っていた。そんなことは言い訳にならないと理解しながらも、吐き出した言葉を止めることは出来なかった。

 

 一瞬、かなたの言葉にビクリと体を震わせたが、「意地悪で言ったわけじゃない。とりあえず落ち着きなよ」優しく囁くように女性は呟く。

 

「……」

 女性の反応に毒気を抜かれ、そして自分に対する気恥ずかしさから何も言えなくなってしまうかなた。それすら慈しむように優しい声で女性は続ける。

 

「確かに『翼人』がアレのそばに行けば何か起こるかもしれないけど……何の策もなく行っても、ヒト族に利用されるだけだよ」

「利用? それにヒト族って……?」

「説明してあげる。とりあえず、ついておいでよ」

「……」

 

 そう言って女性はかなたの肩に手を置き、「こっちだよ」と誘導しようとしてくる。彼女の言葉にも、そして行動にも理解が追いつかないかなたはただ呆然と彼女にしたがって行くのだが、あぁと声をあげて女性がかなたの方を見つめた。

 

「名前も知らないのにいきなりついて来いなんて失礼だったね」

 

 かなたに右手を差し出しながら女性は続ける。

 

「ーーーフレア、不知火フレア。私の名前。よろしくね、えーっと……」

「かなたです。ボクは、天音かなたです」

 



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遠方より臨む

「どうぞ。お茶でも淹れようか?」

 

 更に森を進んだ場所にフレアの住む集落はあった。

 集落と呼ぶにはそこは整然としており、自分が浮遊島で過ごしていた街と何ら変わらないとかなたには感じられていた。そして何より、すれ違う人たちが皆フレアと同じように優しくこちらに笑みかけてくる。

 

「いえ、別に……」

 

 しかしフレアや街の人たちの優しさも、今のかなたは素直に受け入れられずにいた。

 彼女の気持ちはここにはなく、遥か遠くの浮遊島にあり、焦らずにはいられなかったのだ。フレアに招かれるまま彼女の自宅へと向かい、促されるまま椅子に腰掛けてはいるが、すぐにでも『剣』に向けて出発したいという思いが彼女を掻き立てていた。

 

「そんなに焦ってちゃさ、しんどくなっちゃうよ?」

 

 言葉と共に差し出されたカップは、それと同じくらいに暖かさを湛えている。その暖かさを身体の中に取り込めばどれだけ気持ちも安らぐだろうか。そんな想像をしながらもかなたは、それに口をつけられない。今、心にゆとりを持ってしまったら、自分はどうなってしまうだろう。感情が溢れ出してどうにかなってしまうという事は想像に難くなかった。

 

 それを察したのか、フレアはなるほどと呟きつつ、かなたの前に腰掛ける。

 

「言ったよね? 説明してあげるって」

「そう、そうですよ! 利用されるって何ですか? あの『剣』があるところに一体何があるんですか?」

 

 二人を隔てる机にドンと手をつき、かなたが一方的に捲し立てる。彼女にしてみれば、それらを聞くためにわざわざここに足を運んだのだ。少しでも浮遊島に戻る術に近づかなくてはいけないと言う焦りが、態度に表れてしまっているのであろう。

 

 しかし対するフレアは気圧されることはなく、キシキシと音をたてていたカップに口をつけ、軽く嘆息しながらかなたを見た。

 

「結構、強引だね」

 表情は決してかなたの態度を咎めるものではない。しかしフレアの返答は頭に血の上ったかなたにとって、自分を省みるのには十分なものであった。

 

 目下、かなたの目的は浮遊島に帰還することである。だが現状心当たりは何もない。『剣』の麓まで行けばどうにかなると言う想像も、彼女の勝手な想像だ。そんな中でフレアという存在は何の頼りもないかなたにとって心強いものである。しかし同時に初対面の人間になぜここまで良くしてくれるのか疑問にも思っていた。

 

「とりあえず落ち着きなよ。お茶もあったかい内に飲みなね?」

 

 自身も再度カップに口をつけつつ、和かにそう促すフレア。彼女の言葉にかなたも「乱暴にしてすいません」と謝罪しつつ、フレアに習って紅茶を口に運ぶ。強いがどこかやさしい甘さが口の中に広がり心が綻んでしまいそうになる。

 

「本当に、乱暴にしてすいませんでした。なんていうか、突然島から投げ出されて、どうしたらいいか分からなくなくて……」

「いいよいいよ。急に知らないところに来ちゃったら、冷静じゃいられないもんね?」

「そうですね。心当たりも何のに先ばっかり急いじゃってて……」

 

 フレアの表情が少し固くなる。

「じゃぁそうだね……気になってると思うから、あの建物とその麓にあるもののことについて話そうか?」

 

 彼女自身もかなたを強引に引っ張ってきてしまったことに負い目のようなものを感じているのだろう。神妙な面持ちのまま彼女は続ける。

 

「あそこは『ウェスタ』。白亜の石壁が守る、ヒト族の大都市。そしてこのセカイで『異界』に繋がった唯一の街、だね」

「い、異界? そんな、御伽噺みたいな事を」

 

 かなたの返答に「そう思うよね。でも本当なんだよ」とフレアは答える。

 

「ヒト族と私たちはねもう何百年も……うんと気の遠くなるくらい、『ウェスタ』を取り合ってるんだよ。別のセカイに繋がるあの場所を、自分たちのものにするためにね」

 

 そう呟いたフレアの表情には陰りが見えた。それは紛れもない事実であると、疑うことも出来ないほどにものだと示すように。それが幾年月も続いてきた、悲しい出来事であると告げるように。

 

 

 

 

 『ウェスタ』

 この大陸における、ヒト族の最大都市のひとつ。『剣』を中心に白亜の石壁が円環に築かれ、円環の中にはその地を統べる王族と貴族が、その外周にはヒト族の市民たちが営みを送っている。

 ただ他の都市と違いウェスタには、その都市の象徴たる『剣』の存在があった。それは古代よりそこにある、失われた文明の遺産。

 

 フレアの一族に伝わる古文書曰く、そこではヒト族・エルフ・翼人・竜人、そして黒の種族の数多の種族が共にあった。

 

 長い年月の中で共に過ごしていたはずの間に、種族が争い起こった。

 『剣を始めとした古代文明の所有権』を巡っての争いであった。

 すぐ終わるかに思われたが、日を追うごとに戦火を広げ、ついにはこの大陸全土を覆い尽くすものとなった。長きに渡る戦いの中で全ての種族が疲弊し始めた頃、突如として翼人と竜人そして黒の種族がこの大地から姿を消してしまった。古文書によれば姿を消した種族は『空に浮かぶ大地』を創造しウェスタから逃れたとされている。そしてその種族の中にこそ、『剣』を担う者たちがおり、彼らがそこを離れてしまったが故に『剣』は機能を失ってしまったとされている。

 

 

 結果として、戦いの火種はなくなったはずだった。

 

 

 しかしヒト族とエルフの争いは続いた。最早その戦いの本質は見失われ、ウェスタを取り合うということに終始してしまったのだ。結果として数で勝るヒト族がエルフをウェスタより追い出し、エルフは辺境の森の中へと居を移すこととなった。

 

 その後数百年、『剣』はその機能を回復しないまま現在に至る。

 

「正直エルフの中には『ウェスタを奪還するんだー』なんて言っているお歴々も多いの。大半はそんなことどーでも良いよって人たちばかりなんだけど、それでもお歴々は発言力が強いからさ」

 

 フレアのどこか人ごとのような発言に、彼女自身はウェスタとそれをかけての争いについて思うところは無いという風に見える。しかし彼女の話を押し黙って聞いていたかなたには納得できない部分が多かった。

 

「それは……でもそこでボクがウェスタに行って、なんで利用されるってことになるんですか?」

「ヒト族の中にはさ、『剣』の機能を復活させたいって思う人がいると思うんだよ」

 

 フレアは「多分エルフの中にもいると思うけど」と付け足しながらかなたの表情を窺う。ここまで口にしてしまえばフレアの言葉が示唆している内容も、かなたにも自然と理解することができた。

 

「じゃぁ今ボクが行っても……」

「もしかすると、良いように使われちゃうだけかもね。でもここにいても君を利用しようって人が現れるかもしれない」

「じゃぁ何を、どうすれば良いの……?」

 

 フレアが語った過去の内容、そして現在のウェスタの状況を聞き、かなたはさらに頭を悩ませることとなってしまう。

 

「別に、困らせるためにこんな話をしたわけじゃないよ?」

 

 しかし状況を整理しておくのは重要だよフレアは一度席を立ち、キッチンへと足を運んだ。

 

「何か考えがあるんですか?」

 

 姿の見えないフレアに対してかなたの言葉はどこかすがるような音にフレアには聞こえたのだろう。キッチンから顔を出しながら、「そんな弱気な声出さないでよ」と苦笑しつつポットを手にテーブルに戻ってきた。そしてカップには再び琥珀色が注がれ、暖かな湯気が天井に向かっていとも簡単に立ち昇っていく。

 

 “浮遊島にも、こんな風に簡単に帰ることができれば良かったのに”

 

 立ち昇っていくそれを目に、ぼんやりと考えているとカップを置く音と共にフレアは呟く。

 

「考えってほどでもないけどさ。君の目的はあの『剣や古代文明』じゃなくて、ソラに帰ることなんでしょ?」

「そう、ですけど……」

「なら協力してあげる」

 

 彼女の呟きにかなたの反応は数瞬遅れる。否、遅れたのではなく正常に判断ができなかったのだ。

 ここに来てからフレアの口から語られたのは、背に翼を携えた自分がウェスタに行けば何か良からぬことに利用されるのでは無いかということであった。そしてエルフの街に留まっていても同じことになるのは目に見えて明らか。そんな中でフレアが自分への助力を申し出てきた。これはどう判断するべきなのか、かなたは考えあぐねいていたのだ。

 

「信じられない?」

「……はい。正直に言います。信用できません……」

「うん、それはそう。私も君の立場なら同じことを思うよ。ただね……」

「ーーーただ?」

「私にもあるんだよ。あの街に、ウェスタに行く目的。正直街のみんなと一緒じゃさ、いろんな柵があって動きづらいんだよね」

「つまり、お互いを利用しようってことですか?」

「うん、その通りだね。私も君を利用する。だから君も私を利用しなよ」

 その表情に、その言葉の強さに押し流されるような感覚を覚えるがかなたであったが、彼女の言葉をそのままに受け取るならば、とりあえず安全にウェスタに行き着くことができるはずだ。そこまでの間にフレアという人物が信用に足るのかを見極めれば良い。そうでなければすぐに逃げ出せば良い。冷めてしまったであろうカップに口をつける。カップを満たしていた琥珀色はその熱を完全い失ってしまっていたが、不安を飲み込むにはちょうど良い。かなたは一気にカップの中身を飲み干し、フレアへと視線を戻す。

 

「分かりました。えっと……」

 考えてみれば出会ってからここまで、かなたからフレアを名で呼んではいなかった。ここから協力関係となるのだから、ずっと名を呼ばないわけにはいかない。友人関係では無いのだから馴れ馴れしくすることはできないと、様々なことが駆け巡っているのだろう。かなたは言葉に詰まったまま、フレアを正面から見据えるしか出来なかった。

 

「フレア、で良いよ? 私はかなた……うん。かなたちゃんって呼ぼうかな?」

 

 フレアはニコリとした笑顔を作り、かなたに手を差し出す。

 

「えぇ、わかりました。じゃぁボクは、フレア……せん、パイ?」

「何よ、センパイって」

「あれ、何だろ……すごくこの呼び方が自然な気がしたんですけど」

「まぁ好きに呼んでくれたら良いよ」

 

 その呼び方がなぜ自然に思えたのか、なぜフレアの誘いに乗ってしまったのか、この時の彼女はすぐに答えを出すことは出来なかった。ただ彼女にとって口では信用できないと言っていても、下界に降りてきて初めて出会い、そして親身になってくれるフレアに対し、悪い感情は決して抱くことは出来なかった。

 

 ただ突然自分の口から出た言葉に気恥ずかしさを感じたことは言うまでもない。それから逃れるために彼女に問いかける。

 

「えと、とりあえず……一つだけ、教えてください」

「あぁ、もしかして私がウェスタに行きたい理由?」

 

 言葉少なに問われたフレアは「そういえば何も言っていなかったよね?」と返す。

 

「そうだね……会わなくちゃいけない人が、いるからかな?」

 

 遠くを見つめる彼女の瞳はどこか寂しさと懐かしさを湛えていた。

 そこから読み取れる感情は一体なんであるのか、やはり今のかなたにはそれを名付ける言葉が浮かばずにいたのであった。

 



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御旗のもとに

「うぅ、寒いねぇ」

 

 白銀の髪を夜風にらしながら女性が一人、寒々とした空の下ぼんやりと呟く。頭上に瞬く星々はそれぞれに優しくそして鮮烈に煌めき、彼女の目を楽しませていた。

 

 そして少し視線を南にずらすと、ソラに向かい存在感を露わにする自らの故郷のシンボル。

 

「どこでも見えるのって良いね。団長、すごく嬉しくなっちゃうよ」

 

 表情を崩しながら自らを『団長』と呼称する女性が息を吐く。その度に白い息が中を舞っていく。

 

「かなり遠くまで来ちゃった気がしてたけど……それでも見えるんだからすごいよね」

 

 ここは彼女の故郷、ウェスタより北に2日の距離の場所。年中雪のちらつく、人が生活を送るには厳しい場所である。しかしそんな過酷な地域にもヒト族の生活圏は広がっており、様々な困りごとがウェスタまでもたらされてくる。

 

 今回の困りごとは『ソラから突如として絵本でしか見たことないような、ドラゴンが落ちてきて暴れている』というもの。

 

 『一体何を言っているのか、寝ぼけているのか?』その依頼が騎士団に入った時、全ての騎士団員がそう思ったことは言うまでもない。

 無論この女性も同じように考え、とりあえずは先遣隊を派遣し状況を見守るという結論に至ったのだが、ウェスタを統治する王族たちからお達しがあった。

 

 『ソラからの来客を丁重にウェスタに連れ帰れ』

 

 あまりに唐突な指示である。そもそも連れ帰れということは、意思疎通が出来るということなのか? 王族たちはソラからの飛来物に対し何か知見を持っているのか? きっと何か裏がある。大半の騎士団員がそう考えた。

 

 しかし彼らを統べる団長は一言、「今、困っている人がいるんだよね?」と呟き、北方遠征への準備を整えていた。その言葉、そしてその姿勢に感銘を受け、団員たちは早急に準備を整え、3日かかる道程を2日に短縮しこの地までやってきた。

 

 そんな彼らを団長である彼女も誇らしく思う。それぞれに考えること違えど、皆が一様に『騎士団の旗の下に、思いを一つに出来る』と今回のことで再認識することができたからだ。それだけでも今回の遠征は実りのあるモノであったと彼女は心の底から思いながら再びソラを眺めた。

 

 刹那、氷塊を割る轟音と共に、耳を擘く叫び声が彼女のいる雪原に響き渡る。

 

 音の方角に目をやる。そこには黒々とした翼を広げ、長い首で天を貫かんと怒号を上げるドラゴンの姿。御伽噺の中であった姿そのままに、今自分たちの目の前に現れたのだ。

 

「し、白銀団長! 対象を発見しました!」

 

 一人の団員の声に、彼女は大きく頷き視線を鋭くする。自身の側においていたメイスを握りしめ、駆け寄ってくる団員たちに向かって彼女はドラゴンとは正反対の、優しい言葉で呟いた。

 

「うん、ありがとね。もし怪我した人がいたら、その人らを連れて、みんなは下がってて」

「し、しかし……あのようなもの、団長だけでは!」

「良いんだよ。みんなはちゃんと自分の身を守ってね」

 

 メイスを握る手を固く、ドラゴンに向かい彼女は歩き始める。

 背後からは静止を促す団員たちの声が聞こえてくるが、彼らに向き直って彼女が言葉を返すことはない。ただ真っ直ぐにドラゴンを見つめ、彼女はこう続けた。

 

「こうゆう時くらい、団長らしいところ見せなきゃ、ただの仮装のお姉さんになっちゃうからね」

 

 団員たちからは彼女の表情は見て取れない。しかしその背は女性とは思えないほどに大きく、そして安心感を与えていた。

 

 皆が同じように思ったであろう、『団長ならば、白銀ノエルであれば……』と。

 

 それを示すように、怒号をあげていたはずのドラゴンが突然叫び声を止め、足元の彼女に視線を向けていた。大きさはあまりに違う。簡単に踏み潰すことのできるであろうその人間に対し、ドラゴンはどこか慎重にその様子を伺っていた。

 

 しかし彼らの団長は、白銀ノエルは歩みを止めない。一歩一歩地の感触を確かめるように足を動かし、ドラゴンの間合いへとやってきた彼女は、団員たちとと同じようにドラゴンに語りかけた。

 

「さぁ、なーにをそんなにいきり立ってるのか知らないけど」

 

 そして手にしたメイスを一閃、空を斬るようにようにフリ下ろした後、こう告げた。

 

「ちょっと、静かにしよっか。ねぇ、ドラゴンさん?」

 

 

 

 

 白銀ノエルとは一体どう言った人物か?

 それはおそらく彼女とどう言った関係であるかによって、出てくる言葉は大きく変わってくるはずだ。

 

 しかし彼女を知る全員が同じように口にするものがある。

 

 『あまり優しく、そしてあまりにも強い』

 

 常に彼女は他者を慈しむ。口では『自分が一番なんだよ。団長は自己顕示欲が強い方だしね』と口癖のように言うが、言葉とは裏腹に行動は常に他者を思いやってのものが多い。だが『強さ』こそ重要な指標であると考えている騎士団において、優しいだけでは誰もついてはこない。

 

 しかしそんなことを心配するまでもなく、白銀ノエルは強者であった。騎士団の団長を冠するほどの力をその身に宿していた。

 

 『ただ毎日剣を振ってただけだし、守りたいものがあるなら頑張るのは普通でしょー?』

 

 さも簡単なことのように語っているが、日々努力を怠らないからこそ強さを身につけることが出来たのだろう。彼女の強さの秘密は『幼少期に起きた何か』に起因するものであるとも噂されるが、白銀ノエルと言う人物を知る人たちにとって、過去のことなど瑣末ごとに過ぎないと誰もが口を揃えて言う。

 

 それほどまでに白銀ノエルは人を惹きつけているのだ。

 だからこそ彼女について行こう、付き従おうとする者も多いのだ。

 

「しかし、あんな化物相手にいくら白銀団長でも……」

 

 ノエルの背を見送る団員たちの中からポツリと誰かが呟く。おそらく新米の団員だろう、他の団員たちにその声が届いた瞬間、口々に彼を叱責していく。

 

「貴様、白銀団長の何を知っているのだ!」

「ノエル団長に任せておけば良いのだ。我らが行けば足手まといよ」

「まぁまぁ。新米なのだから理解していないのは仕方ないだろう」

「いかに新米と言っても、あれは団長に対する侮辱であろうよ!」

「そうさな、新入り! これが終わったらキチンと団長に謝罪するのだぞ!」

 

 騎士団の面々からの言葉に怯みながらも、彼らのどこか能天気な雰囲気に新米団員は声を荒げた。

 

「な、何を悠長なことを……皆さんは団長が心配ではないのですか!」

 

 新米団員からすればそれは当たり前の疑問であった。ノエルの前に立ち塞がるのは、自分たちの大きさをゆうに5倍は超えるであろう怪物。騎士団全員でかかったとしても全滅してしまうかもしれないのに、それにたった一人で向かい合うなど愚かとしか言いようがない。

 

「貴様こそ、団長を愚弄するなよ」

「我らが側にいては団長の枷となるだけだ」

 

 ノエルは『自分だけで良い』と言った。

 団員たちは『邪魔をするな』と言った。

 それは団長に対する信頼という言葉では説明することはできない。彼らの言葉はさらに新米団員を困惑させていった。

 

 そんな中に一人の団員が思い出したように呟く。

 

「そうか、貴様は団長の戦っている姿を見るのは初めてだったのだな」

「え、えぇ。訓練はご一緒していますが実戦は初めてでして」

 

 新米団員のその言葉に「それなら無理もないな」と皆が口を揃える。そして団員の一人が新米団員へと近づき、ニヤリと笑みを浮かべながらこう続けた。

 

「まぁ見れば理解出来るさ。あの人がウェスタ最強の、『戦乙女』と呼ばれる理由がな」

 



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氷のような、アナタの心も

「……何を怯えてるの?」

 

 言葉が白の軌跡を残して、宙を舞っていく。

 彼女の浮かべた表情には驕りはなく、ただ普段と変わらない笑顔をたたえながら、白銀ノエルは自分と相対するドラゴンはに問いかけていた。

 

 対してドラゴンはどうか。離れたところから見守る騎士団員たちの目から見ても、彼のドラゴンが冷静とは到底思えなかったに違いない。明らかに正気を失っているのか視線は覚束ず、真っ直ぐにノエルを捉えることが出来ていない。

 

「怖いんなら帰んな。そうすりゃ団長も何もしなくて済むからさ」

 

 構えを解きながら彼女は再び優しくドラゴンに語りかける。しかし彼女の声に呼応するようにドラゴンが怒声をあげ、その手がノエルに迫る。それはまるで瀑布のようにノエルを逃さんと覆いかぶさっていった。

 

 しかしその手がノエルの身体をとらえることはない。

 

 刹那、風切りと共に巌を打つ音が雪原に響き渡る。その衝撃は離れた場所で両者を見守る団員たちにも伝わり、そのふるわれた力の大きさをしてしていた。団員の中にも、これでは流石のノエルも打ち負けたかもしれない。想像したに違いない。

 

 しかし彼らの耳に届いたのはドラゴンの苦痛に満ちた声であった。

 

「ホントにやるの? 出来ればやりたくないんだけどな」

 

 ドラゴンの手はノエルのメイスの突きの一点によって押し留められる。

 正気ではないドラゴンの表情は苦悶と怒りに満ちていく。まさか小さな人間が本気ではなかったとしても自分の攻撃をメイスを突き出しただけで簡単に止めてしまったのだ。こんな状況は彼のドラゴンにもそして団員たちにもこの状況は想像もしなかだろう。そしてその光景を見守っていた団員たちは歓声を上げる。

 

 しかしその中でノエルだけがどこか不満げにしている。そして少し考え込んだあと、こう呟いた。

 

「んードラゴンさん、やっぱり戦いたくないんだよね? なら、団長が……助けちゃる!」

 

 彼女は納得したように頷きながらメイスを横なぎに振るい手を押し除ける。押し退けられた上体を崩すドラゴン。その隙をノエルは見逃さず更に間合いを詰め、一気にドラゴンの背後をとる。

 

「ちょっと、みんなー! ちょーっと、揺れるかもしんないから構えといてねー」

 

 自分の身体をゆうに5倍の大きさを持つ巨体を前に、能天気な声を響かせるノエル。

 

「ーーーッ!」

 

 そして次の瞬間、彼女を中心に風が巻き起こる。

 

 ドラゴンの巨体は見目麗しい女性によって簡単に掴み上げられ、遠心力を利用し、はるか上方に投げ上げられてしまった。

 

 

 瞬きの間にその戦いに決着がついた。

 戦いを見守っていた団員全員がもう思っただろう。

 

 ドラゴンの手を払い除けた瞬間、ノエルは常人では考えられない速度でドラゴンの背後に移動していた。これには戦いを見守っていた団員たちも呆気に取られるばかりであったが、次の瞬間身を硬くする。

 

 理由は簡単である。ノエルの、彼らの団長の瞳に力が宿っていたからだ。

 どれだけ言葉は軽く聞こえようが、彼女の目を見ればそれに嘘がないということが理解できる。

 

 ノエルを中心に周囲の空気を飲み込んでいくかの如く風が逆巻く。彼女はドラゴンの尾を掴みあげ、振り回し始めたのだ。それはさながら、子供がオモチャを振り回すように軽々と行われる違和感のある光景に、新米の団員が溢した。

 

「おい……なんだよ、あれは」

 

 絞り出した言葉であった。あまりに抽象的な言葉であった。おそらく口でそれを語るのは簡単である。しかしあまりの荒唐無稽さに言葉にしてしまっては嘘臭くなってしまうと考えたのだろう。だからこそ言葉少なになってしまう。

 

「新入り、あれが団長だよ」

「あぁ、あれが我らが愛する団長よ!」

 

 他の団員たちも同じように考えていたのだろう。言葉の裏に『すぐに慣れる』と聞こえてくるように新米の団員にが感じられた。

 しかしその言葉が全て物語っている。どんな相手であっても、どれだけ強大であっても簡単に打ち倒す。

 

 それこそが白銀ノエル。それこそがウェスタ最強にして、「戦乙女」の二つ名を冠する騎士なのである。

 

 

「よーし、いっけぇ!」

 

 刹那、逆巻く風が一気に上方へと塊となって打ち上げられる。この場にある最大の質量であるドラゴンがノエルの気の抜けた声と共に宙へと放り投げられる。おそらくドラゴンはノエルに振り回されたことにより、失神した状態にあるのだろう。グッタリと浮かび上がり、ソラに止まることなく落下し地面に激突する。地が割れる音が響き渡り、氷塊が粒子となり周囲に立ち込めていく。

 

 轟音の後には静寂だけが残った。ただ星の光を受けて光を放つ氷の粒子が、その場に立つ彼女だけを彩っていく。その姿は神話の中の凛々しさと美しさを兼ね備えた、神を撃ち倒した英雄そのものであった。

 

 

「おーいみんなー、大丈夫ー?」

 

 団員たちに手を振るノエル。その姿からは自分より大きな生物を放り投げたと後とは思えないほど、余裕の表情を見せていた。彼女の声、そして態度に団員たちは歓声をあげた。緊張したままノエルとドラゴンの戦いを見守っていた彼らも、警戒を解いてしまって戦勝ムードになっている。

 

「団員さんたちー、まだ気を抜いちゃいけないよ。誰かー、ドラゴンさんの様子見に行ってくれるかなぁ?」

 

 喝を入れるには少し気の抜けたノエルの声。しかしそれは団員たちの緩んだ気持ちを引き締めるには十分であった。ノエルの声を号令にして、各自自分たちの持ち場に戻っていく団員たち。

 

「おい、行くぞ。新入り!」

「わ、分かりました!」

 

 一人の団員が数人を引き連れてドラゴンの落下していったであろう地点に駆けて行く。走っていく団員たちの後ろ姿を見送りながら、ノエルは先ほどまでの戦いを反芻する。彼女の手のひらにはドラゴンの尾を掴んだ確かな感触が残っていた。

 

「んー、やっぱりなんか変な感じなんだよなぁ」

「何かおかしなところでも?」

「ん、やっぱりあのドラゴンさん……自棄になって暴れてる感じ……いやそうじゃない、『なんかに操られてる』感じがしたんだよなぁ」

「それは一体?」

 

 そばを通りがかっていた団員のひとりが心配そうに問いかけたのに、ノエルはどう答えるべきか頭を捻る。彼女自身もなんとも説明するべきか見当もついていない状態であった。彼女が難しい表情を浮かべた瞬間、ドラゴンの様子を確認しに向かっていた団員が戻ってきた。

 

「だ、団長!」

「どしたの? ドラゴンさんどうだった?」

「い、いえ! とにかく、とにかくお越しください!」

 

 明らかに異常な状態であるということ短いやり取りの中で感じ取ったノエルは、声をかけた団員に「ありがとう」と言葉を返して足早にドラゴンの落ちた地点へと向かう。

 おそらくドラゴンは気を失っているはず。だとするなら、団員は一体何を焦っていたろうか。皆目見当がつかないままドラゴンの作った大穴を滑り降り、目に入ってきた光景にノエルは絶句した。

 

「うぇえ! こ、これ……ドラゴンさん?」

 

 ノエルの問いに、その場に居合わせた団員たちが一様に頷く。彼らも最初にそれを目にした時、同じような反応を示したのだろう。ノエルの慌てぶりは皆理解できるものであった。

 

 そこには確かにドラゴンがいた。正確には『ドラゴンであったと思しき存在』がいた。そう。そこにはドラゴンの外皮と同じように明るい橙の髪をした女性が気を失っていたのだ。

 

「ど、ドラゴンさんが……女の子になっちまったぁ?」

 



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古より続く、美しき国

 

 誰もが口を揃えてこう語る。

 

 『美しく、太古の神聖さを残した国である』と。

 

 樹木や花々は季節ごとに装いを変え、肌に触れる空気は多様な色彩を感じさせる。

 

 その国はヤマト。

 ヒトとカミ、そしてアヤカシが共に生きる大地。そこに一際人々の集まる、大都市がある。

 

「動いた……」

 

 視線を向けるのは西方のソラ。暖かくなり始めた風にその白髪を揺らしながら、少女の凛とした響きが波のように広がっていく。自身の吐き出した言葉の意味を反芻し深くため息をついた後、眼下に広がる桜の海と人々営む街に視線を送った。

 

「やっぱり良いよね……」

 少し靄がかった月の光に照らされ桃の色に彩らるミヤコ、キョウノミヤコ。

 ヤマトの政の中心にして『オオカミ』を祀る地。その街の奥、街を貫く大路の奥にこのヤマトを統べ、そして守り続けてきた『オオカミ』を祀る社があった。

 

 彼女はその社の最上階、祭事を執り行う場所からそれを眺めそう呟いた。

 

 この街、この国では多くの種族が交流し、営みを続けている。確かに小さなイザコザは毎日のようにあるが、それも良い刺激になって、同じような日々などありはしない。

 そんな街を彼女は愛し、そして守りたいと思っていた。

 

 しかしそれに不穏な影を落としたのは西方から感じ取った『何か』であった。

 

「シラカミ」

 

 不意に呼ぶ声がし、『シラカミ』は視線を向ける。

 

 そこには厳格な表情を浮かべる黒衣の女性の姿。頭にある黒い耳をピクピクと震わせながら、「一体何をしているの?」とまるで子に物事を教える親のように語りかける。

 

「おーミオー! なんだいなんだい、そんな神妙な顔しないでおくれよ!」

 対してシラカミはコロコロと鈴のような声で返す。

 ニコリと子供のような表情に、『ミオ』と呼ばれた女性も思わず嘆息しながら彼女に近づき、耳元で囁きかけるよに言った。

 

「……はぁ、ちょっとフブキ! 今はまだ執務の時間なんだよ? 誰かに聞かれでもしたらウチたちのイメージがさ」

「大丈夫ですよー。ちゃんと人払いしてるし、おかしな目は全部潰してますぅー」

「……」

「怒んないでよぉ。ねぇ、ミオぉ~」

「……はぁ。ホントウチは甘々ですよ」

 

 そう返すシラカミにミオは再び嘆息しつつ、彼女に湯呑みを手渡した。それに「ありがと」と礼を言い、シラカミフブキは再びソラに視線を戻すシ。

 

「で、どうしたの? なんか態度が変だけど?」

 

 彼女の後ろで同じようソラを見上げつつ、ミオが問いかける。彼女は一緒んシラカミの浮かべた難しい表情を見逃さなかったのだろう。あえて回り道をせずに、その真っ直ぐとした疑問をぶつける。

 

「ん? なんでもないよぉ……勘違いかもしれないし」

「……」

 

 はぐらかすことは許さない。ミオの浮かべた表情に思わずフブキは言葉を失ってしまった。しかしどう話したら良いものか考え込んでいるのだろう、ミオの方を見つめたままフブキはたじろいでしまっている。

 

「良いよ。ゆっくり話なね」

 その声は優しく、まるで母の言葉のようにフブキには思えた。自分の一人で考え込んでしまう癖を見越しての言葉だろうと理解し、ようやく彼女は口を開いた。

 

「西方のソラに揺らぎがあったんだよ。あの『遺物』のある大陸の方ね」

「遺物……あの『剣』のこと?」

「そうそう。『コイツ』と同じ、『可能性を具現化する』……あの厄介さんだね」

 

 フブキの言葉に耳を逆立たせ頭上を見上げるミオ。

 ヤマトは太古から寸断されることなく文明が受け継がれている。その遥か太古からあるとされる『剣』と、そして見上げた先にある、淡い蒼を放つ『それ』のことはミオ自身も社に保管される古文書で読んだことがあった。

 

 曰く、可能性を具現化するモノ

 曰く、異界へと繋がる門の役割を持つモノ

 曰く、このセカイの全てを司る機能を有したモノ

 

 古文書にはそう書かれていた。しかしその機能を使うことの出来る種族は太古の昔にこの大地を離れ、もう戻ってくることはないとも古文書には記されていたし、事実自分たちの側にある『それ』も、そんな力の片鱗は感じさせない。

 古文書を読み終えたミオの感想は、「よく出来た御伽噺だな」とそんなあっけないものだった。

 

 しかしフブキが、自称ではあるがこの街を守護する『シラカミの巫女』たる彼女がそう言ったのだ。それは世迷言でもなく、真実に近しいモノだろうとミオには感じられた。今の力を制限された自分よりも、彼女の感覚は信用に足るものであったのだろう。

 

「それ、まずいんじゃないの?」

「んー……」

 

 ミオの問いに少し考え込むフブキ。

 

「どうだろね。何とも言えない……けど」

 

 揺らいだと言っても、大事になることはないかもしれない。しかしその言葉は沸きらない。フブキ自身もどう言葉にすれば良いのか皆目見当がついていないのだろう。それでも彼女は絞り出すように声を出した。

 

「これさ、何かが始まる合図なのかもしれないってことかな……」

「まさか……」

 

 フブキの言葉に再び古文書の一節を思い出すミオ。

 

 『異界の門が開く時、それは新たなる開闢の合図』

 

 もしフブキの言ったように何かが西方で起ころうとしているのならば、このヤマトにも何かしらの影響があるかもしれないと、警戒をあらわにするミオ。

 

「でもわかんないよねぇ。でも何だか今回は……」

「フブキ……」

 わざと空元気を見せつフブキにどう声をかけるべきか分からないままミオは彼女を見つめた。フブキ自身も自分の言葉がミオを不安にさせているということを理解しているからこそ、次の言葉に迷ってしまっている。

 

 二人の間に沈黙が流れていく。夜は刻々とその帳を下ろし、月は頂に差し掛かろうと存在感をその歩みを進めていた。

 

 どれくらいの時間が立っただろう。

 ミオの差し出した湯飲みもすっかり冷めきり、暖かさはもう残っていない。それほどに長い時間、二人は言葉を交わさずに黙りこくっていた。

 

 そんな二人の間に、一陣の風が通りずぎる。それが運んできた桜の花弁とヒトビトの話し声に気づかされ、思わず二人は笑みを浮かべる。

 

「そうだよ、難しく考えることはないんだ」

「うん。ウチたちはヤマトを守るだけ、だもんね?」

 

 笑顔を交わしつつ、一体何に悩んでいたんだと自分たちの行動を省みる二人。

 為すべきことは単純。しかし多くのものが見えるからこそ、ありとあらゆる心配事が浮かんでくる。いつでも考えをクリアにしていかなくては何も守ることができないんだとそうミオは呟きつつ、「お茶、入れ直そか?」とフブキの湯呑みを手に奥へと入っていこうとした。

 

 その背に、フブキはまや難しい顔をして言った。

 

「いずれにしても、今はミヤコを『アレ』が騒がせてるからね。覚悟、しないといけないよ」

 

 そう。これだけは確認しておかなくてはいけない、備えておかなくてはいけないのだと彼女は続ける。

 

「そう、だね……ウチも準備は怠らないよ」

 振り返ることはなく、ミオはそう返し更に奥へと入っていった。

 

 それを最後まで見送り、大きくため息をついて再び視線をソラに戻すフブキ。

 

 月は完全に頂へと昇り詰め、世の全てに微笑みかけるように優しい光を振りまく。その優しさに抱かれながら彼女は目を閉じ、いつか聞いた唄を思い出していた。

 

「終わらない物語……いつの日にか、きっと……」

 

 それはいつか聴いた『トキワタリノウタ』

 

「そらちゃん、また会えるのかな……あれ? 『そらちゃん』って誰のことだっけ?」

 

 それは記憶の片隅にある、会ったことのない……しかし会ったことのある少女が口ずさんでいた唄だった。

 



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ふたりの約束

 遥か遠くにそびえる剣は未だに遠い。それが鎮座するウェスタまでの道程をフードを目深に被った少女が二人、急ぎ足で進んでいく。

 

「思ってたより、遠いんですね」

 

 透き通る蒼を見上げながらそう呟く少女が一人。名前を天音かなた。ソラから落ち、そしてソラへと帰らんとする少女。

 

「そうそう。あんなに鯱鉾ばってちゃすぐに疲れちゃうからね」

 

 一人は不知火フレア。ハーフエルフの末裔にして“守り人”の二つ名を持つ女性。見た目はまだ幼さを残しているように見えるが、もう二百年の長きに渡りこの大地を見守ってきた人物である。

そのフレアの言葉に「確かに、本当にその通りですね」と返しながら歩く速度はそのままに先へと進んでいく。

 

 今彼女たちがいる場所は、フレアの村のある森から3日ほど進んだ街道。森を出てきてからかなりの道のりを消化したはずではあるが、それでもまだまだ先は長いとかなたには感じられた。しかしそれに飽きなかったのも、フレアの存在があったからだろうと彼女は素直に感じていた。

 

 先のフレアの言葉にもあった通り、きっとこの道のりはかなた一人では耐え切れるものではなかっただろう。根を上げることはしないが、気を張りすぎていつかは倒れていたかもしれない。そんな彼女にとって、旅の同行者の存在はありがたいものだった。

 

「でもフレアさん。ホントによかったんですか?」

 

 不意にかなたがフレアに尋ねる。

 

「ん? 何のこと?」

「村の人たち、すっごい心配してましたけど……」

 

 そう。それは村から出ていこうとした時のこと。

 村のほぼ全員がフレアが出ていくことを必死に止めていたのだ。

 

 『考え直せ』『お前がいく必要はない』『もっと自分のことを考えろ』

 

 それは言葉は悪いが、かなたが浮遊島で感じていた『島を出たものは禁忌である』というものからはほど遠く、心の底から心配してのものだったようにかなたには思えていた。それをあっさりと振り切ってフレアは足早に村を出て行き自分もそれに倣ったは良いが、どうにもそれが彼女の中で引っかかったままでいた。

 

 しかしフレアはかなたの問いを特に気に留める様子もなく、じっと前を見据えている。

 

「あぁ、良いよ別に。村の人とはもう飽きるくらいに一緒にいたんだよ?  そろそろ潮時かなぁなんて思ってたんだよね」

 

 フレアは確かに笑みを見せていた。

 しかし瞳はどこか悲しい色を湛えている。そして「それにかなたちゃんがいなきゃ、私は森を出るって決心出来なかったし」と小さく呟いた。

 

 その言葉の意味がいまいち理解できないかなたではあったが、ここまでの道程でフレアの人となりは掴めてきたように思えていた。

 

「そういえば聴いていなかったですけど、フレアさんの会いたい人って……」

 

 ならばと、かなたが尋ねる。ずっと気になっていたのだ。あれだけヒト族を警戒していたフレアが、ヒト族の大都市に自分から行こうとする理由が。それがたった一人のヒトのためということにも驚きを隠せないし、どこか好奇心のようなものが彼女の中に芽生えていた。

 

 しかしこれは間違いであったと、すぐにかなたは後悔することになる。

 

 刹那、はたと足を止め、かなたに視線を向けるフレア。

 

「……」

 

 獲物を仕留める狩人の眼。かなたにはそう感じられた。そして同時に先の質問は簡単に自分が触れて良いものではなかったということも理解できた。

 そう、村にいたときにフレアが言っていたのだ。『互いを利用すれば良い』と。それは詰まるところ、自分たちは協力関係であって仲間になったわけではない。だからこそ一定の距離感を持って接しなくてはいけなかったのだ。

 

 向けられた視線に背筋が凍る。寒いわけでもないのに小刻みに身体は震えていく。怯えて声も出せなくなってしまいそうになる。

 

 フレアに正面から見据えられ、視線を外すこともできずに立ち尽くすかなたであったが、不意に気付いたことがあった。

 表情が村のことを話した時と同じく、少し寂しそうだった。そして決して態度に見えるほどに、彼女が怒りを覚えていないということも伝わってきた。そう考え至った瞬間、深く頭を下げるかなた。

 

「ご、ごめんなさい! デリカシーなかったです」

 

 その様子を目にし少し考え込んだ後、嘆息しつつフレアは視線を遠く、『剣』に向ける。

 

「ん、まぁ話しても良いか」

 

 フレアは「君が悪いやつじゃないって分かってるから話すんだからね」と念押ししながら、少しかなたの先の方を歩きながら話し始めた。

 

「昔……ホント、気が遠くなるくらい昔にさ、約束した人がいるんだ」

「それって、村を出る前に言っていた大事な人のことですか?」

「うん、そうだね。お人好しで、誰よりも優しい人だったあの人のこと……大好きだった。愛して、いたんだ」

 

 淡い恋を思い出すように、彼女は続けた。

 透明な蒼が陽の光を受け、セカイに自らの色を滲ませていく。

 

 それはフレアの心を映すように、深い深い藍色を落とし始めていた。

 

 

 先を歩くフレアの表情を見とめることができず、かなたは彼女の後をついていくことしか出来なかった。そうしてどれくらい歩いただろうか。気付けば二人は少し街道から外れ始めていた。

 

「村を出る前に話したでしょ? ヒト族と私たちの戦いのこと……」

 

 

 日も陰りはじめ影の中に深い藍色が滲み始める。

 確かに村にいた時、フレアからも村の人たちからもヒト族との諍いについては聞いていた。それがいかに凄惨なものであったかも理解出来たし、フレアは『まだウェスタを自分たちのものにしようとする同族がいると思う』と話してはいたが、かなたと交流を持ったほぼ全てのエルフたちが戦いを悔いてウェスタに近付こうとしていないことも理解出来た。

 

 

「あの人はヒト族の騎士でね……とっても強かった。正直私も敵わないくらいに強い人だったんだ」

「……」 

「私もさ、ヒトは悪い奴らだって教えられて、憎くて、ウェスタを取り返すんだーなんて言ってたんだよね」

 

 

 あの頃は若かったなと、冗談のように語るフレアの口調は懐かしいものを思い出すように優しくあった。

 

 

「でもあの人と会ってさ。何度も争ったけど、そんな気持ちがどっかに吹き飛んじゃうくらいあの人のこと、好きになったんだ」

「フレアさん、その人って……」

「うん、私が心の底から大好きになった唯一の人。あの人なしには生きていけないって、そう思っちゃうくらいの人」

 

 

 少しずつその音に悲しみが滲んでくる。声に少しばかりの陰りが見え始め、無理をさせてしまっているとかなたは感じていた。しかし自分にはフレアの言葉をやめさせる権利はない。彼女はそう思ったのだろう。押し黙り、フレアの言葉を聞き続けていた。

 

 

「でもさ、あの人はいなくなっちゃった。あの戦いで……いなくなったんだよ」

 

 その戦いではヒト族にもエルフにも大きな被害が出た。それこそエルフは種としての存続が危ぶまれる程にその数を少なくし、ヒト族は自分たちの生活を維持することができないほどに衰退して行った。それほどの戦いの中で、何事もなく無事でいられることなど奇跡に等しい。

 

 

 そして例に漏れずフレアも、そして彼女の愛したヒト族の騎士も窮地に陥ってしまった。

 

 

「正直その時のことってよく覚えてないんだ。あの人と一緒にいて、大きな爆発があって……あぁ、これダメだ終わりだなって思ったんだけどさ。私じゃなくてあの人が……」

「ご、ごめんなさい……その! ボク、辛いことを言わせるつもりじゃ」

「気にしてないよ。もう、これでもかってくらいに泣いちゃった。それこそもう涙が枯れ果てるくらいに」

 

 

 もう二百年も前の話だからとフレアは笑って言うが、今も彼女の心の傷は痛んでいる。努めて明るく話そうとするその声色は、かなたにはあまりに痛々しく聞こえた。

 

 

「でさ、ここからは本当に信じてもらえない話かもしれないんだけど……」

 

 

 そしてフレアは深く息を吸い込んで話し始めた。

 これまで誰にも語ることのなかった話、ずっと心の奥で留めおいた話を。

 



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蝶が舞う

 それは夢のような出来事だったとフレアは言う。戦いがようやく終わった戦場で騎士の亡骸を抱きしめ悲しみに暮れるフレアに、一人の少女が声をかけた。

 

 『その騎士のこと、本当に大事なのです?』

 

 直接音が鼓膜を叩いたわけではない。何かが頭に直接語りかけてくる感覚。

 

 視界が涙でぼやけてまともに声の主をはっきりと見とめることはできなかったが、確かにそこには少女がいた。

 面立ちは幼く、埃っぽい風に翠色の頭を揺らしながら、緋色の瞳が楽しげにフレアを見据えている。

 まるで新しいオモチャを見つけたような、いたずら好きな子供の印象をフレアは覚えていた。

 

「あんな戦場に子供が一人でいるなんて夢じゃないかって思ったんだ」

 小高い丘の上でフレアは静かに語り始めた。

 時折強く吹く風に髪を揺らしながら、声をさらわれながら。

 

 それでも彼女は話し続けた。

 そしてかなたは、ただ押し黙って聞くことしか出来なかったのだ。

 

 

 

 

 周囲に広がるのが見るも無残な屍の山。至るところから痛みに耐える呻き声と肉の焼け焦げた臭いが立ち込めてくる。そんな場所に小さな子供がいるなどと認めることができようはずもない。

 しかし息を引き取った騎士を目の前に、フレアは正常ではなかったのかもしれない。

 ただ叫ぶように、「いつまでも……いつ迄も一緒にいたかったんだ!」と叫ぶしか出来なかった。

 だがその声は少女に届いたのだろうか。フレアの叫び声に少女は感情を見せず、ただ緋色の瞳を大きく見開いて彼女を見据える。品定めをするようにじっくりと、彼女の抱き抱える騎士とを交互に見比べる。

 

 そして何かを感じ取ったのだろう、小さく頷き一方的に話続けた。

 

 

 『良いのです。ならその騎士の魂、ソラに還さないでおいてあげます。刻が満ちて、新しく魂が出番を迎えるまでそのままにしておいてあげる』

 

 『魂のカタチはどんなことがあっても変わらないのです』

 

 『生まれ変わればまた……』

 

 『でも本当にノエ……うぅん。その騎士、本当に凄いのですね』

 

 『正直びっくりしちゃったのです。ただのヒトが、『死』っていう書き換えられないはずのものを書き換えるなんて』

 

 『あぁ、言っている意味が分かんないですよね?』

 

 『本来はね、ここで死を迎えるのは貴女だったんですよ』

 

 『でもその騎士が全部を請け負った。全部引っくるめて、自分が被っちゃったんですよ』

 

 『そんな凄いのを見せられたらね、ちょっとるしあだって、気まぐれを起こしちゃっても良いのです』

 

 『あぁ、もう一つ』

 

 『貴女はもう簡単に死ぬことはできないのです』

 

 『あの騎士が『貴女の死』を書き換えた影響で、貴女は自分から死を選ぶことができなくなってしまった。もしかするとどんな怪我を負っても、何を失っても生き続けるかもしれないのです』

 

 『ん? 自分のことなんてどうでも良いですか?』

 

 『この騎士がまた、生きてくれるならそれで良い……ですか』

 

 『面白くない。結局その騎士のことばかりなんて』

 

 『あぁ。じゃぁ最後にもう一つだけ教えてあげるのです』

 

 『あの騎士がしたことはね、『貴女を死なせない』だなんて、単純なものじゃないのです』

 

 『物事は全部、一つの決められた結果に収束していく。その騎士は『貴女の死を否定した』代償に、どれだけ生まれ変わりを果たしても同じ時までしか生きられない。更に先に進むことは出来ないのです』

 

 『そして貴女は生き続ける。どうなってもずっと……生き続けてしまう!』

 

 『……良い……うん、すっごく良い! すっごく悲劇的で良いのです!」

 

 『まぁでも、それも貴女が『きちんと返せば』終わっちゃうんですけどね』

 

 『それをどうするのか、それは貴女に任せるのですよ』

 

 『その刻が来るまで、せいぜい悩んでください。 ね、エルフさんの守り人さん?』

 

 『まぁ……もしかすると、また今日みたいにるしあも気まぐれを起こすかもしれませんから、ね?』

 

 

 

 一頻り話終わった頃には陽の光が夜へと向かい、顔を隠し始める。

 

「そんな、夢物語みたいなこと……」

 不意にかなたの口から言葉が溢れていた。

 フレアの口から出たあまりに荒唐無稽な話に、彼女はそう呟かずにはいられなかったのだろう。しかし「そうだよね、そう思うよね」と苦笑いを浮かべるフレア。

 

「不思議と信じることができたんだ。それにさ……あの人がホントにいたんだよ。会った時の姿そのままで」

 それは数年前、森に侵攻してきたヒト族の斥候をウェスタに連れ返した時のこと。

 ウェスタの城門前で斥候をヒト族の騎士団に引き渡した際、ズラリと並ぶ騎士団員の中にその人はいたとフレアは言う。

 

「絶対に間違いないって私の全部がそう言ってたんだ。あの銀色の髪も、真剣な顔してるくせに優しいとこが滲み出てるのとか……間違いなく、あの人だった。その時思ったんだ。あの子の言ってたことはホントなんだって」

「えっと、フレアさん?」

「かなたちゃん。分かるでしょ? 私がウェスタに行きたい理由」

 

 振り返った笑顔はあまりに悲しい。

 

「もうすぐあの人は、一度この世を去った時と同じ年齢になる……はずなんだ」

 

 そしてその美しい声すら、悲哀を孕んでいる。

 

「私はね、あの人を死なせないためにウェスタに行くんだ……そして自分を終わらせに行くんだよ」

 流れてきた雲が大きな影を作り、ソラを見上げるフレアの表情も隠してしまう。ただ表情を見とめることは出来なくても、彼女の語ったのは心の底からの願いである。それだけはかなたにも理解できた。

 しかしソラに浮かぶ雲の流れを止めることができないように、今のかなたにフレアの思いを止める権利はない。

 

 それほどまでにフレアの言葉はかなたの心に深く、深く突き刺さったのだった。

 



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旅の歌

「ほら、もうあんなに大きく見えてるよ! もうすぐ着くからね?」

 

 柔らかい声は楽しげに投げかけられるが、受取手は黙したまま。

 それに乾いた笑いを見せながら、騎士団の団長である白銀ノエルは眼前で存在感を露わにする故郷の象徴を眺めていた。

 

 ウェスタに向かって、騎士の一団が街道を進んでいく。

 北での一件を解決した白銀聖騎士団の一行は支援の任務を終え、ウェスタへの帰路の途上にあった。

 

 ドラゴンが暴れ回ったことにで物的被害はあれど、人的なものが皆無だったことが幸いしたのだろう。想定よりも早く街の復興は軌道に乗ったことから、騎士団は予定よりも早い期間につくことが出来た。

 

 そして騎士団の護衛する馬車の中、騎士団の団長である白銀ノエルは必死にとある女性に話しかけている。

 

「……」

 

 しかし女性は何も返さず、ただ沈黙するのみ。押し黙ったまま、じっとノエルのことだけを見据えていた。

 

「なぁ、ドラゴンさん。ちょっとは団長と話しない?」

 

 幾度目になるかノエルが女性に、元々ドラゴンであった橙の髪の女性にもう一度話しかける。

 ほんわかとしたノエルの声すら馬車の中では大声になってしまう。その中で、外から日々響いてくる車輪の鈍い音だけが二人の間にはのし掛かっていた。

 

「んー。これじゃ団長、一人喋りじゃないかぁ」

 

 眉をへの字に曲げながら、馬車の背もたれに身体を預けるノエル。その仕草はドラゴンと相対していた時とはあまりに違い、何処か幼さを感じさせた。

 

「別に団長、貴女を叱ろうなんて思ってないよ? 街とかの建物とかは壊れちゃったけど、誰か怪我したってこともないみたいだし」

「……」

「また今度、ちゃんとごめんなさいすればさ。それでいいと思うんだわ」

 

 ノエルの言葉に何か感じ入ることがあったのだろうか。ようやく橙の髪の女性が口を開いた。

 

「アナタ」

「ん、どしたの?」

「アナタ、ほかのヒト族の人と違いますね」

 

 それは興味からの言葉であったのだろうか。女性の言葉の真意を上手くつかめないまま、ノエルはまた笑う。

 

「んー、よく言われるかも。団長ちょーっと変だって言われること多いんだよね」

 自分ではそんなことはないと思うんだけどと付け足しつつ、苦笑いを見せる彼女に、女性は少し焦ったような表情を見せた。

 

「そう言う意味で言った訳じゃないんですけど……そう言えば名前、聞いてなかったですね」

「ん? うん、白銀ノエル。みんな団長とか色々呼んでるれるけど、好きに呼んでよ、ドラゴンさん?」

「シロガネ……ノエル。あ、私は」

 

 ノエルに対し、女性が名乗ろうと少し身を乗り出した瞬間馬車が止まり、外から声がかけられる。その声に「ありがと」と声を返しながらノエルは女性に呟いた。

 

「あ、着いたね。一応決まりだから城下の中に入るけど、おっきくならないようにしてね?」

 

 これは彼女なりの皮肉のようなものだったのだろう。これまで話しかけられていたノエルがこんなことを言うとは考えていなかった橙の髪の女性は少し驚きながらも、自身も笑みを浮かべて返した。

 

「流石にそんなクレイジーなことしませんよ。それに私もここが目的地でしたし」

 

 そうして馬車の外に視線を向けながら彼女はそれに視線を向けた。

 途上にノエルが見据えていたキラキラした視線とは違い、憎いものを見つめるように『剣』を睨みつけていた。

 

 

 

 『剣を抱く街 ウェスタ』

 

 西方の中心にして、ヒト族最大の都市。

 古代文明の遺産である『剣』とそれを守るように築かれた白亜の石壁が円環に広がっている。円環の中ではウェスタを代々統べる王家とそれに連なる者たちが。そして外には一般の市民たちが生活を営んでいる。

 

 文化、政治の中心が集まるそこでは、多くのものが行き交う。他の大陸から寄せられた工芸品、食品など多種多様なものがあるが、その中で最も目を引いたのは、今馬車から降りてきた手枷をされたこの女性だろう。

 

「ドラゴンさん、なんか目立っちゃってるね」

「まぁこの角がありますし、仕方がないのでは?」

 

 ドラゴンさんと呼ばれた橙の髪の女性は、自分に集まる視線など意に介することもなく白銀ノエルにアッサリと言葉を返した。

「まぁ、みんな物珍しいだけだよ。気にすることなんかぁない」

 

 対するノエルも、どこかあっけらかんとしている。このような態度で接していたからだろうか。橙の髪の女性も微笑みを見せ始めていた。

 

 彼女たちの馬車が停まった場所も街の中心から少し離れた、騎士団の宿営が集まる場所とは言っても市民たちの往来はある。

頭に角を生やした女性が手枷をされていると言うのは、側から見ても違和感を覚えるものだろう。

 

「とりあえずぼぉっとしとくわけにもいかないし、ウチの騎士団の本部にでも行こうか? 今のまんまじゃドラゴンさんも窮屈でしょ?」

「そうですね。正直これ、壊しちゃいそうで怖いですよ」

 

 女性の一言に思わず声をあげて笑うノエル。街に着いた直後の皮肉に対する意趣返しという訳ではないが、女性もノエルの反応にはこれまでにない程にニヤリと笑みを作った。

 

「白銀団長!」

 後ろからの声に、二人はくいっと意識を引っ張られる。団員の一人が血相を変えて駆け寄ってきた姿を見た目、ノエルは落ち着くように諭した。

 

「ん、どうかした? もしかしてドラゴンさんの受け入れ準備もう終わったのかな」

「い、いえ……それが!」

 

 やってきた団員に優しく声をかけるノエルであったが、団員は落ち着くどころか更に慌てふためいている。何かがおかしいと感じ取ったノエルであったが、すぐにその疑問が解消されることとなる。

 

「白銀団長、そちらがソラからのお客人ですか?」

 

 ノエルの表情が曇り、声を投げつけた主を睨み付ける。彼女の突然の変化に橙の髪の女性も声のした方に顔を向けた。

 軽装の白銀聖騎士団とは対照的に、華やかな装飾に彩られた甲冑に身を包んだ6名の騎士たちを従えて、何処か偉ぶった男性が一人、蓄えた顎髭を撫でながらノエルに声をかける。彼の視線は明らかにノエルたち、白銀聖騎士団を下に見るようなものであった。

 

「月華聖騎士団……王家お抱えのルーナイトと執政官殿がわざわざ何用でしょうか?」

 

 言葉は丁寧であったがその響きは浮かべた表情と同じく、あまりに冷たい。団員たちもノエルの雰囲気が変わったことを感じ取り、ルーナイトとのやりとりを遠巻きながら注視しているが、執政官の男性はそれにも気付いていないのか偉そうな口調のままで続けた。

 

「姫からの勅命です。貴女と、そちらの方をお連れしろと仰せつかっております」

「はぁ、わかりました。後ほどお伺いするようにします」

「いえ、今すぐにと言われております。疾く準備を……」

 

 刹那、冷たかったノエルの表情が更に冷ややかなものになっていく。それに呼応するように団員たちもルーナイトたちの周囲を取り囲み、今にも詰め寄らんとしている。一方取り囲まれたルーナイトたちは執政官を守るように前に出て団員たちに相対していたが、執政官は白銀聖騎士団の変わりように完全に怯んでしまっている。

 

「執政官殿……ドラゴンさんも長旅で疲れとるんよね。少しくらい落ち着く時間あっても、いいじゃろ?」

 

 有無を言わせないノエルの言葉。その言葉には執政官を守るようにノエルの前に立ちはだかったルーナイトたちも怖気付いてしまったのか、彼女と視線を交わさないように俯きがちになる。そして一人が執政官に何かを耳打ちするやいなや、彼は「そ、そうだな! そうしよう」と賛同する。

 

「し、承知した。いずれにしても早く城に来られるように!」

 

 執政官はそう言い捨てると、ルーナイトたちに隠れながら団員たちの囲いを抜けて行こうと歩き始める。団員たちも執政官の無様な様子を見とめ、素直に道を開けて彼らの去っていくのを止めることはしなかった。

 

「みんなごめんよ」とノエルが言った。ルーナイトたちが去り、緊迫した状況から脱することが出来たからだろう、団員たちのホッとした表情にノエルが頭を下げる。「団長がちょっと怒っちまったから……」

 

 周囲から

「団長に非などありはしません!」

「我らの団長は世界一!」

「怒っていても美しい」

 だのと団員たちの賞賛が聞こえてくる。思わず顔を赤くしながら、「みんな、お世辞はやめてよぉ」と言うノエルに橙の髪の女性も思わず団員たちと同じように賞賛の言葉を呟く。

 

「アナタ、やっぱり凄いですね」

「まぁねぇ! つよつよの白銀聖騎士団団長様ですから!」

 

 更に顔を赤くしたノエル。

 次は気恥ずかしさで言葉を詰まらせるかと思われたが、すぐに気を取り直した。

 そして「ドラゴンさん、迷惑かけてごめんね? とりあえずちょっと休んだらお城に行こうね。さすがにワガママ姫様を待たせんのも後がしんどいし……」と橙の髪の女性に喋りかけた。

 

 女性もその言葉に同意し、一度首を縦に降った。すると同時にノエルがあっと声を上げる。彼女は「ごめん! さっきお名前教えてもらうの遮っちゃったよね?」と苦笑いを浮かべて橙の髪の女性に尋ねる。

 

 彼女は「気にしていない」と笑顔で返し咳払い一つ、ドラゴンからその姿に変わってから初めてヒトに自らの名を名乗った。

 

「あぁ、すいません。私、ココです。桐生ココです」

「ココちゃんか……うん、いいね。ココちゃん!」

「えっと、ノエル……パイセン……?」

「んぁ? パイセンっちゅうのは、先輩ってこと?」

「おかしいですねぇ。なんだかアナタを見た時からそう言うのが自然な気がしたんです」

 

 それは別のところで彼女の親友が、とあるエルフに対して覚えた感情と同じものであった。

 

「ま、好きに呼んでよ。さぁ、とりあえずウチの本部に行きますか?」

 

 遠く離れた空の下ではそれは分からない。

 

 しかし確実に、離れ離れになっていた友人たちの再会は近づいていた。

 

 そして、その再会がウェスタを中心とした災難の始まりとは、この時誰も知る由もなかったのだった。

 



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ある姫のための幻想曲

 ウェスタを守る白亜の石壁はあまりに高い。その中心に突き立つ『剣』を外敵の侵入から守るように、堅牢な様を見る者に与えている。

 

 その内部に唯一足を踏み入れることのできる城門を抜け、ノエルとココは自分たちを呼び出したという『姫』の元に向かっていた。石壁の中に立ち並ぶ華やかな街並みをキョロキョロと見渡しながら、「ずいぶんお金が掛かってそうな家ばかりですね」とココがノエルに話しかけていた。

 

「そりゃ貴族さんたちのおうちばっかりだからね」ノエルが返す。

 ココはなんとなくノエルの表情を見つめてしまう。騎士団の面々や外の人たちと話していた時のような朗らかな印象は感じられない。その雰囲気はまさに、自らが掲げる『白銀聖騎士団』の団長のそれであり、ココにはそれが頼もしく思えた。

 

「なるほど」

「そうそう。でもなぁ、貴族さんたちは石壁の中に籠もってばっかりなんだよねぇ。それじゃ体にも心に良くないってね」

「まぁでも、外は怖いもんですよ」

「でもね、外に出るのはいいもんだよ。知らない事を知れて、聞いたことのない話を聞けて……本当に良いもんだ」

 

 その言葉に、ココは自分の親友の事を思い出していた。

 自らが投げ飛ばしてしまった親友。彼女もいつもの展望橋でノエルと同じ事を呟いていた。ちょうど自分の頭上にある『剣』を見つめしながら憧れを口にしていた。

 

 ココはそんな彼女を、親友を憎からず思っていた。

 人見知りで、色々考え込む癖に、やることはいつだって大胆不敵。そんな彼女を頼もしいと思っていたのだ。だからこそいつも応援をしたい、コイツとならばセカイの果てまでだって突き進んでいくことが出来ると思っていたのだ。

 

 しかし蓋を開けてみればどうか? 自分は親友を問題から遠ざけ一人にしてしまった。そして自分自身も何も解決することはできず、自らも大きな力で島の外に追いやられてしまった。

 

 そこからの記憶はすっぽりと抜け落ちている。次に意識が戻ったのは目の前にいるこの女性に投げ飛ばされている時であった。そして白銀聖騎士団に捕まり、ウェスタに来るまでに彼女の頭を擡げていたのは、自らの親友がどうなったのかという事であった。

 間違いなく無事であるということは理解している。背に携えた翼で空を駆けて、どうにか地には降り立ったはずだ。だがそこからどうなったのか。自分と同じように何かに捕まっているのではないかとそんな心配ばかりが頭を過ぎる。

 

 しかしどれほど考えても答えは出せず、『無事であるならば彼女もきっと『剣』を目指してくるはず』と期待し、ノエルたちのいう事に従ってきた。

 

 そう、親友を信じて待つしかココには出来なかった。

 

「で、ココちゃんは空のお散歩してたんかなぁ?」突拍子もない言葉がノエルから投げかけられる。

 

 ココが彼女を見やると「眉間にシワが寄ってるよ?」とニコリとするノエル。それに毒気を抜かれたココも彼女につられるように笑みを浮かべてしまう。

 

「うんうん、やっぱり女の子は笑顔が一番だよ」というノエルに感謝しつつ、二人は眼前に見えてきた城に、まさに入ろうとしていた。 

 

 

 足を踏み入れた城の中は街中と違い、ココとノエルに厳しい視線を送る者たちで溢れてた。

 ココが視線の方を睨みつけると、決まってそこには目線を逸らす偉ぶった面々。数人だけならば仕方がないと納得できようものだが、同じような対応にココも辟易し始めていた。

 しかし決して怒ることはない。自分と姿の違うものが突然目の前に現れたのだ。拒否や嘲は当然の反応であると言える。そう自分に言い聞かせていたのだが、突然投げかけられたのは「まぁ、ああゆう人たちはまだまだお子ちゃまだからさ」このノエルの一言である。

 

 何故ここまで他種族に対し寛容になれるのか、どこか達観しているようにも見えるこの人の考えが読めない。ココは「何でヒト以外の種族がいるってことにビックリしないんですか?」とノエルに尋ねる。

 

 自らが住んでいた浮遊島には親友である天使、竜人、そしてアクマと呼ばれる種族がいた。だからこそノエルたちのような『ただのヒト』がいる事に対する驚きはなかったが、逆の立場になってみれば驚いたり、城の中ですれ違う貴族たちのように汚らわしいものを見るような視線を送るのが普通のはずだ。

 ノエルをはじめ騎士団の面々、そして壁の外に住む人たちも、ココに対する視線が物珍しいものを見るモノであっても、城の中の者たちのように『否定』を表に出す者はいなかった。

 

 だからこそ不思議だったのだ。

 こんなにも簡単に自分のような『異物』を受け入れることのできるノエルが。

 

 しかしノエルはココの問いに「色んな種族がいるのは当たり前じゃない?」と不思議そうにココに逆に問いかける。

 

 逆に問いかけが返ってくるとは思っていなかったココは少し言葉を濁しながらも「違うってことは……知らないってやっぱり怖いことじゃないですか?」とノエルに返す。

 

「あぁ、確かにそうかもね。知らないってことは怖いことかも」

「なら……」

「でもさ、知れば怖くなくなるよ? 自分で動けばさ、知らないことは『知ってること』になるんだよ?」

 

 それはあまりに極端な話である。そこまでの行動力をすべてのヒトが有しているわけではない。そう考えるココをよそにノエルは話を続ける。

 

「東の方にはさ、オニさんとかカミサマがいるって聞いたことあっからさ。もしかしてココちゃんもそのカミサマなんじゃないかなーなんて、団長思ってたんだけど?」

 

「カミサマって、流石にそれはないですよ」

「でもこうやってココちゃんと話をしてさ、ココちゃんのこと知ることができた。ココちゃんもきっと、団長たちと何も変わんないんだろうなって。あーえっと、纏まってないなぁ……つまりさ」

 

 彼女はニコリとしながら続ける。

 

「つまり団長が何を言いたいかっちゅうと、自分と違うからって変な見方するのはおかしいってこと!」

 

 それは真っ直ぐな言葉だった。決して取り繕う事をしない、真っ直ぐな言葉。

 だからこそそれはココに響いたのだろう。目尻に熱いものが溜まっていく感覚を覚えながら、彼女はノエルから視線を逸らす。

 

「おりょ? なんか団長変なこと言っちまったかな?」

「いえ、違うんです……うん、違うんですよ」

 

 ココは思う。

 全ての人が彼女のように、ノエルのような心持ちであれば良いのにと。

 

 しかしそれはあまりに理想的なことだとも理解しているからこそ、彼女は自分の運命に感謝をした。

 

「やっぱり貴女は……凄い人です」

 

「だ、だからお世辞なんて言っても何も出ないって!」

 

 出来るならば、この可愛らしい騎士に不幸が降りかからないようにとココは願った。

 親友に、かなたに再会する事を一番に望んで入るが、一つくらい別の望みを持っても良いだろうと、そう自分に言い聞かせて。

 

 

 城の中を進んでいくココとノエル。ウェスタの中で『剣』に次ぐ巨大な建築物である城は、目的に場所まで簡単には至らせてはくれない。その間自分たちの身の上話をしながら歩いてきた二人であったが、ノエルが不意に「あぁ、でもさぁ。団長もね、乱暴な時期ってあったんよ。それこそ自分たちと違えば傷つけていいんダァなんて思ってたりね?」と呟く。

 一体何のことだろうか。あまりにノエルらしかなぬ発言に、首を傾げながらココは彼女の声に耳を傾けた。

 

「ウェスタを南に一週間くらい行ったところに深い大きな森があるんだけど、そこはエルフさんたちのテリトリーでね。昔おバカやった人が、エルフさんに連れてこられてたなぁ」

「へぇ。エルフ……ですか」

 

 ココにも覚えがある。かなたと共に目を通していた古文書の中にあった、『地上に残った種族』のこと。呼び名は知らなかったが、ヒト族よりも長命である代償として繁殖能力が低く、種としては終焉を迎えようとしてい者たちの事を。

 

 確かに身近に自分たちとは別の種族がいれば、明らかに違う自分を簡単に受け入れることはできるだろう。それにそのきっかけになることが何であったのか、興味がないといえば嘘になる。少しの後ろめたさを感じつつココはノエルに尋ねてしまっていた「そのエルフがどうしたんですか?」

 

 言葉はしっかりとノエルの耳に届いたのだろう。ゆっくりと瞳を閉じ瞼の裏にその像を描き出すように、思い出すようにノエルは呟く。

 

「なんか上手く言えないんだけどさ。そのエルフの人、すっごく綺麗だったんだ。何だか一目見ただけで何もできなくなっちゃうくらいに……あぁ、団長じゃ説明できないのが歯痒いなぁ」

 

「それは……」

 

 恋……いや、愛のような感情ではないか、と喉元まで出かかった言葉をグッと押し留めるココ。

 

 その事実を他人が軽々しく口にしてはならないと、彼女はそう思っているのだろう。だからこそそこから先の言葉を口にする事が出来なくなった。

 

 ココの何とも言えない表情を目にし、ノエルは申し訳なそうに笑みを浮かべた。

「あぁ、ごめん。惚気ちゃって」

「いいんですよ」とココが返した頃、ようやく二人は目的の部屋まで到着していた。

 

 目的に部屋は白を基調とした城の中とは少し違う雰囲気を醸し出している。ココの目にはまるで砂糖菓子をこれでもかと言うくらいにかき集めたように甘々しく感じられた。

 

 そこでもう一つ、ココはノエルに対して疑問に思っていた事を問いかける。

「パイセン。私たちを呼んでる『姫』って何のことなんですか?」

 

 ノエルは少し難しい表情を浮かべ「んー会った方が速いんだけどなぁ」と呟きつつ、どう説明したものかと思案している。

 

「そうだね、あの姫さんは……ワガママだけど聡明で、誰もが好きになっちまう。そんな子かな」

「何だかすごく良く分からない感じです?」

「そう、だね。まぁココちゃんも会ってみなよ」

 

 ルーナイトさんたちもみんな、姫さんの事は慕ってるんだよと付け足しつつ、ノエルは目の前の扉を軽くノックする。

 

 中から響くのは立ち込める雰囲気に違わぬ、綿菓子のような優しい響き。

 

「の、ノエルパイセン? これ……」

「ココちゃん、一応相手はこの国の王族さんだからね」

 

 そう言ったノエルは頭を垂れつつ、扉を開く。ココもそれに倣いノエルに続く。

 

 二人が入っていったと同時に何かモコモコとした物体が部屋から出ていったような気がしたそして扉が閉まると同時に再び声が響く。

 

「おーおせぇのらよ、ノエルちゃ団長!」

 

 ノエルは感情を出さずに「申し訳ないです、姫」と一言。部屋に入るまでのほんわかとした雰囲気はそこにはなく、騎士団の長としての厳格なものがそこにはあった。

そのギャップにも目を白黒させてしまうココであったが、「……ソラから降りてきたドラゴンなのら?」という自身の上から投げかけられる声にさらに頭を混乱させられてしまう。

 

「え、えぇ。そう、ですけど」

「かっけーのら! すげーのら!」

「の、ノエルパイセン……」

 

 思わずノエルに助けを求めるココ。しかしノエルはココの方には向かず、笑いを堪えていた。この様子に今ノエルを頼る事は出来ないと思ったのか、ココは顔をあげ声の主を見やる。

 

 桃色の髪は光を受け輝きを放っている。

 幼く見える輪郭も、ふんわりとした笑顔を際立たせ、どこまでも優しい様をこちらに示している。

 

 あぁ、これはダメだ。もう……溶かされてしまう。ココのそんな心持ちであったに違いない。しかしそれら全てを一纏めにし、ココは万感の思いを込めて目の前の、甘い甘い少女に向けて呟いていた。

 

「や、やべえ。ゲボかわ!」

 



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姫はかく語りき

 ココとノエルが入った部屋の中。

 白を基調とした明るく清潔な雰囲気の中に、所々に華やかな色が差し込まれ、目を楽しませる。

 まるで楽しいものを目一杯に詰め込んだ玩具箱のような部屋の中で部屋の主の髪色と同じ可愛らしい桃色のソファに深く腰掛けながら、件の姫は声を上げる。

 

「んなー」

 

 聞きようによっては間抜けにも聞こえる声。しかし彼女を知るものにとっては当たり前のものになるなり過ぎているせいか、指摘するものはほとんどいない。

 

 しかしこの状況に慣れていないものが一人、ニヤける顔を必死に留めていた。

 

「えと……これは?」

「あーいいのらー。ふかふかなのらー」ココが言った。「えと、何でお姫様は私の膝の上に座ってらっしゃるんですか?

「別にいいのらよー。ココちゃもいやじゃねーでしょ?」ココの身体に自分の身体を預けながら甘えるような声を出す姫に、ココは何も言えなくなってしまった。

 

 この部屋に入り、そして姫の姿を目にしてからというもの、ココは調子が狂ってしまったようだった。姫を目にした瞬間、その愛くるしさにドロドロに溶かされてしまったような、骨抜きにされてしまったような感覚だったのだろう。

 

 この国を統べる王家の姫、姫森ルーナとはそういう人物だ。彼女の前ではどんな者であって今のココと同じようになってしまう。

 

 部屋に入った直後、姫に促されるままソファに腰掛けたココもまさか自分の膝の上に彼女が乗ってくるとは思わず、目を白黒させていた。おそらくココは今正常な判断をすることが出来なくなってしまっているのだろう。

 

 その中で一人だけ、じっと押し黙って状況を見守っていた騎士だけがまともであった。

 

「……姫?」

 街中でココと話していた時とは全く違う、冷静な響きが姫に投げかけられる。

 

「ふかふかーすげーいいのらー」

「ルーナ姫? そろそろ本題に……」

「あーもうちょっと待つのらよー」

「……そちらの方も困っていらっしゃるようですよ?」

「何なのらよー、せっかく夢心地だったのにー」

 

 ブーと口を口を鳴らしながらノエルに向けらた視線は甘えるようなものであった「もうちょっと待ってくれてもいいのら?」

「甘えても待ちませんよ。そろそろ本題に入ってください」ノエルから返されたのは冷ややかな視線だった。

 

 これは分が悪いと考えたのだろう。ルーナは標的を変えて再び甘えた声を出す。

「なーココちゃもこれでいいのら?」

「わ、わたしは別に……」

 

「ーーー知らないよ?」

 言い淀むココと甘えるルーナをノエルがじっと見つめる。磨かれた鋭い視線でココとルーナの間を引き剥がすように、射抜いていく。射抜かれた先から恐怖が漏れてしまうかのような感覚を覚えながら、出かかった言葉をココは飲み込んでいた。

 

「怒っちゃっても知らないよ? ねぇルーナ姫?」

 直接言葉をぶつけられた訳ではないココですらどう反応すればいいのか分からなくなってしまっている。

 

 終ぞルーナの口から出たのは「……ごめんなのら」の一言。

 

 しかしこれはこの状況においては最も効果的な一言であろう。

 

「す、すいません、ノエルパイセン!」

 

 ルーナに倣いながら、ココもノエルに詫びの言葉を口にする。「別にココちゃんが謝る必要、ないと思うけど」とフォローを入れるノエルだったが、自分の言葉を反芻し大人気なさを感じたのだろう、深くため息を吐くノエル。

 

「もう執事さんもいないし普通に喋っちゃうけどさ……ルーナ姫? 一体何の用なん?」

 

 口調は完全に元に戻り、砕けたものになっている。彼女なりに二人に気を使っての態度だった。

 

 

「えー用がないと呼んじゃダメのら?」

 

 ノエルに話の主導権を握られているのが面白くなかったのだろう。茶化すように呟くルーナ。

 しかし次の瞬間彼女の表情は氷つく。そうさせたのは言わずもがな、一層に冷ややかさを増したノエルの視線。

 

 相対する敵を殲滅戦とする戦士の視線に耐性のないルーナは、自身の立場も忘れて先ほどよりも深く頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい。ちょっと出来心で……」

 

 彼女を示す特徴的な語尾がなくなってしまっている。今度は本当に反省してくれたのだろうと思いながらノエルは「一応さ、ココちゃんはお客さんだよね? ついさっきウェスタに着いたばっかりで疲れてっからさ」と、まるで子供を諭す親のようにノエルがルーナに語りかける。

 

 そんな態度を取られては最早自分が主導権を握る事は出来ないとルーナは悟った。

 「と、とりあえず説明するけどさ」ルーナが言う。「ノエルちゃ団長はわかっていると思うのらけど……」

 

 視線ははっきりとココを捉えており、言わんとしていることははっきりしていた。

 

「私ですか?」

「そうなのら。一度会ってみたかったのら」

 

 そして部屋の天井を、否。ソラを指差しルーナは続ける。

 

「ソラに、見えないソラの島に住むヒトに会ってみたかったのらよ」

 

 ウェスタのヒトが知らない事実を、当たり前のように告げたのだった。

 

 

 ルーナの口にした『見えないソラの島』と言う言葉にココは言葉をなくし、ノエルは首を傾げる。

 

「えっと、ソラの島? それって何かの例えじゃなかったん? ホントに……ホントにソラに島があんの?」

 

 きっと『ソラの島』とは東方のどこかの国のことだろう。外交的な問題があって直接その国の名前を出す事は出来ないなどの事情があるのであろうと、ノエルはそんな風に考えていた。

 

 しかし「ノエルちゃ団長、何を寝ぼけてるのら?」とココの膝から立ち上がり、不思議そうに顔を歪めるノエルに、天井を指差しながらルーナは言った。

 

「丁度上にあるのらよ。こっちからじゃ見えねぇけど」

 

 更に困惑の色を深めるノエル。だがそんな事を気にもかけず、ルーナは話を進めていく。

 

「すげー昔の話らしいのらけど、元々このウェスタはヒト族でもエルフ族のものでもなくて、別の種族のモンだったのら」ルーナは講義をするかの如く、語り始める。押し黙って彼女の話に耳を傾けるココは俯いており、その表情と感情を読み取る事は出来ない。

 

「そんな魔法みたいなことある? いくらなんでも……」

「このセカイにはカミ様も、ヨーカイもいるのら。不思議なことに溢れてるのら。だから何が起きたって不思議じゃねーのら」

「そりゃ、そうだけど……えぇ? 団長の通ってた学び舎ではそんなこと教えてくれなかったけど、えぇ? ダメだ、混乱してきた」

「それに、ソラのやつは魔法じゃなくて古代の技術のらよ。ね? ココちゃ?」

 

 そして二人から視線を向けられたココは相変わらず口を閉ざしたままであった。煮え切らない態度に不満げな態度見せるルーナ。ココから返ってくる言葉はない。

 

「ルーナが知ってるのは、ウェスタを支配していたいくつかの種族たちがソラに居を移したことくらいのら。で、ソラの島に住んでんのは、ココちゃみたいな種族のらよね?」ココを指差し尋ねた。

 

 もう黙ったままではいられない、ココはそう思った。ここまではノエルがルーナの言う事を理解できていないと言うところが目立っていたからこそ、何も語らずにいることができた。しかし直接話すように促されてしまっては何も言わない訳にはいかない。ウェスタへの道のりの途上では想像していなかったおかしな事態に、ココは憂鬱な気持ちを抱えていた。

 

「……確かにそうです」とココはうなずき、「確かに私はソラの島に住んでましたし、私以外の種族と共に生活をしていました」と窓の外を見つめながら言った。

 

「いやーやっぱホントだったのら! これ、すげーのら! 色々話聞きてーのら!」ルーナははしゃぎながらココの手をとる。自分の想像通りだったことが痛く嬉しかったのだろう。

 

「待ってよ、ルーナ姫」ノエルがストップをかけて尋ねる「なんで姫はそんなこと知ってるんさ?」

 

 それは当然の疑問であった。

 ノエルが口にしていた通り、ウェスタでは『東にはカミとアヤカシとヒトが営みを送っている』とは教えられるが、ソラに島があるなど聞いたこともないことであった。それをこの国の姫であるルーナが当たり前のように知っていると言う事実は、ノエルにおかしな勘ぐりをさせてしまう。

 

 『ココを、ソラの島にいるヒトを利用し、何かを企んでいるのでは?』

 

 そう思えてしかたなかったノエルであったが、ルーナから返ってきたのは思いの外、あっさりした答えだった。

 

「あぁ、自分でもお城のご本とか読んだりしたけど、大体は教えてもらったのらよ」ルーナは部屋の扉の方に視線を向ける。

 

 それはため息と共に部屋に戻ってきた。

 

「姫様……軽々しく他人に私の事を言うものではありませんよ」

 

 おそらくそれはこの部屋の中で一番異質なものであっただろう。ただの牛のぬいぐるみが、声を発していたのだから。

 

 

 突然話し始めた牛のぬいぐるみに目を白黒させるノエルに、ルーナが「ちょっと見てて面白いのら」と茶化すように言う。

 

 城に、ルーナの部屋に入ってきてからと言うもの、驚かされてばかりのノエル。普段の彼女であれば大抵のことには動じる事なく、笑みを作りながら対応を進める。ココと初めて相対した雪原での事を思い出せばそれは想像に難くないだろう。自身より大きな敵であっても、相手より自分が優れている部分を探し、冷静に対処する。ほんわかとした雰囲気がそうは感じさせていないが、実のところ戦いにおいては強かさを兼ね備えているのが白銀ノエルなのである。

 

 しかし想定していない事態が起こった時に彼女が決まって口にするのは、「何これ? なんで喋ってるの?」少し気の抜けた言葉である。

 

「まぁ、それが普通の反応なのら」

 自分もそうだったのらと暢気に言うルーナに「ルーナ姫、このヒト、一体何なの?」と再び問いかけるノエル。

 

「ウチの『執事い』なのら」

「確かに服装は執事さんの格好してるけど……」

「どこからどう見ても、牛のぬいぐるみにしか見えません」

 

 しげしげと見つめる二人の視線に居心地を悪く感じたのか。咳払いをしつつようやく件のぬいぐるみが声を発した。

 

「ノエル団長は初めましてではないですが、声を出してご挨拶差し上げるのは初めてですね。わたしはルーナ姫様の執事でございます」

 

 『執事い』と呼ばれたぬいぐるみはペコリと頭を下げる。その一挙手一投足が可愛らしく感じられ、疑心暗鬼に陥りかけていたノエルも少し心にゆとりのようなものが芽生えかけていた。何よりぬいぐるみから発せられた、透き通る優しい声が彼女たちを安心させたのだった。

 

「何かおしゃべりの発音が団長と似てて、シンパシー感じるなぁ」

「それはそれは。姫様がわがままを言ってしまったようで、誠に申し訳ございませんでした、ノエル団長」

「いやいや、こりゃどうも。別に大した事してないけど、団長の方がお姉さんだからね。ちょっとは頑張らねぇとね?」

 そう胸を張るノエルの表情からは完全に先ほどまでの驚きは消え、誇らしささえ感じさせる。『執事い』は「日頃からノエル団長には街のために尽力くださり、感謝しかございません」と改めて頭を下げる。そして顔を上げたそのままに次はココの方に視線を向ける。

 

「そして、どうぞお越しくださいました、ソラからお越しの御方」

「どうも……」

 

 『執事い』の事を素直に受け入れたノエルとは裏腹に、どうしても目の前のぬいぐるみにどうにも違和感を覚えてしまうココ。

 

 彼女にはこう思えて仕方がなかったのだ。

 

 

 この形容し難い存在が、浮遊島の異変と何かつながっているのではないかと。

 

 ココには理解できたのだ。この『執事い』が古代文明の残滓であると言う事を。そしてこうも都合よく必要であろうピースが揃うと言う事はこうも考えられた。

 

 自分たちは誰かの思惑に乗ってしまっているのではないかと。

 

 そう思ってしまうと気になってしまうのは離れ離れになってしまった親友の存在。

 

「かなたん……私は」

 

 その声は部屋に誰にも聞き取れないほどに小さく、そして消えていった。

 



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今日も一人、羊は幸せな夢を見る

「わたくし、ルーナ姫様の執事の任を仰せつかっております。本来は名などないのですが……姫様からは『執事い』と呼ばれております」

「そうなのら。伸縮自在、サイズフリーのすげーやつなのら!」

 

 うやうやしく頭を下げる牛のぬいぐるみ。その動きの一つ一つに思わずため息を漏らしながら「かわいいねぇ」とうっとりするノエルとは対照的に、表情に影が刺し始めるココ。

 

 彼女の頭の中は『なぜヒト族が、古代文明の残滓を使えているのか?』と言う疑問が頭をよぎっていく。

 そして時を同じくして自分の故郷で起こった不可解な状況。結局父と友人を止めることもできず、自分も親友と同じく地上に落とされる羽目になってしまった。

 

 あまりにも出来すぎている。こんなに状況が噛み合うことなど、あって良い訳がない。

 意識があったせいか、ココはどうしてもこの『執事い』というぬいぐるみに、素直に耳を傾けることが出来なかった。

 

 ぬいぐるみはココの様子を一瞥した後咳払い一つ、聴き取りやすい透き通った声で話し始めた。

 

「ソラの方がお考えの通り、わたしは過ぎ去りし文明の残したものにございます」

「……やっぱり」ココは奥歯を噛みしめながら、ぬいぐるみを睨み付けていた。そして自分の頭の中が読まれていたことにも苛立ちを露わにしてしまう。

 

 ココの苛立ちをよそに『執事い』は「姫様、ここからはわたしがお話ししてもいいでしょうか?」とルーナに問いかける。彼女は一言、「おーかまわないのら」と返して自分は先ほどまでココと腰掛けていたソファに身を投げ出した。

 

 彼女の仕草に「姫、はしたないですよ」と小言を言いつつ、あえて自分に疑念の目を向けるココの足元まで歩を進め、自らの事を説明し始める。

 

「わたしはルーナ姫様が起こしてくださいました。それから身の回りのお世話をさせていただいております」

「へぇ、団長よくわかんねぇけど、これってなんかすごい事なんかな?」

「やーそうでもないのら。ちょちょーっとやったらどうにかなったのら」

「いえいえ、通常のヒト族に私を起こすことなど出来ませんよ。ヒト族にとって、わたしはただの置き物にすぎないはずだったのですから。それを姫様は意味のあるものとしてくださいました。それを成し得るほどに、姫様が聡明であらせられるということです」

「おめぇ、褒めても何にもでねぇのらよ?」

「褒めてはおりません。当然のことを言ったまでです」

 

 さも簡単なことのように話しているがポツポツと自身の事を話す『執事い』の話を聞くに、ルーナが語るほど容易なこととは思えないノエル。そして同時に『執事い』が心底ルーナに対し敬意を払っていることも伝わってきた。

 その点は安心できることであったが、次に『執事い』から語られた言葉がココとノエルの表情を曇らせた。

 

「お二人とも、疑問に思いませんか? わたしのような存在のことを」

「し、『執事い』? 何を言ってるのら?」ルーナは声を上げる。彼女もまさかこのぬいぐるみからそのような言葉が出るとは思っていなかった。そしてその言葉の直接的な意図を三人は読み取れない。ヒトであれば動きや視線の揺らぎから感情を読みとれようものだが、ぬいぐるみの樹脂で作られた瞳からは何も読み取ることが出来ない。

 

「わたしには役目があります」

 

 

 しかしぬいぐるみは話し続ける。

 

 

「かつて、そして今ウェスタに住む者たちに、『あること』を告げる役目があるのです」

 

 口伝で物語を伝える吟遊詩人のように。

 語り口はただ優しく、ただ軽やかに、淀みなく話し続ける。

 

『開闢の刻来たれり。其はセカイをツナグモノともコワスモノともなる。諸人はソラノネに耳を傾けよ』

 

 

「何? 何のことなん? 団長、意味わかんねぇんだけど?」

「……ソラノネってなんのことですか?」

 

 しかしぬいぐるみは答えない。決めれた音を出す機械のように、速度を変えずに話す。

 

 ただ声色だけが揺れていた。

 

 ただ樹脂の瞳でココを見つめていた。

 

 

「わたしはただ伝えるだけのモノ。そしてわたしが起きる時、すなわち『アレ』の目覚めの時でもあるのです……」

「あれ? それって……」

「そうです、『剣』が起きようとしています」

「……」

「『剣』って、ふぇ? あんな大っきいもんが起きる?」

「なんかこれ、ヤベェのら?」

 

 

 にわかに三人がざわつき始め、部屋の中に喧騒が訪れる。

 その音にかき消されるように、小さく、先ほどのココが親友のことを思って呟いたように、ぬいぐるみが呟く。

 

「ようやく会えたね……ココち」

 

 決して聞き取られることはない。

 

 ただ『彼女』はそう言えるだけで満足であったのだった。

 

 

 

 

『なんかこれ、ヤベェのら?』

『いや、団長たちの方が聞きたいんだけど!』

『起きる……『剣』が起きる。それはやっぱり私たちが落ちてきたから? でも……』

 

 虚空に浮かぶ四角から聞こえるその声に、彼女は笑みを浮かべていた。

 どんなに時間が経っても変わらない。それこそ生まれ変わったとしても、変わらないその表情に彼女は笑みを浮かべずにはいられなかった。

 

 四角の中では三人の女性が神妙な表情を浮かべて話をしている。彼女たちの常識の外からの話をしてしまったのだから仕方がないだろう。その光景を目にし、彼女も悪いことをしてしまったと思っていた。

 

「……」

 

 それでも、不謹慎だと分かっていても、彼女は思わずにはいられなかった。

 

「いいなぁ」

 

 言葉が漏れた。

 

 確かに、自分の声は三人に届いている。

 確かに、自分の思いは届けられている。

 確かに、自分の役目を果たすことは出来ている。

 

 しかしそれだけなのだ。自分という存在は全く認識されていない。『執事い』というモノを介してでしか、彼女たちと触れ合うことは出来ない。

 

「そこに行きたいよ」

 

 声に悲哀がにじむ。

 否、確かにそこには喜びもないまぜになっている。

 

 彼女にとって、目の前の人たちは一度別れてしまった人たちだった。

 気の遠くなる程昔、共に時間を過ごした友人たちだった。

 

 しかし自分は使命を帯び、ここに囚われた。

 それはセカイを『閉じる』為に必要なことだった。自分一人だけが『変わることの出来ない』呪縛に囚われるが、それでも他の人たちは、大事な人たちは守られ、明日はずっと続いていく。

 

 彼女はそれだで良かった。

 

 それが彼女の、幸せな夢のだったのだ。

 

 

 しかし長い年月の中で、彼女の中に思いが募っていく。

 誰かが笑顔を浮かべるたびに、誰かが泣きそうに顔を歪めた時に、胸が苦しくなった。

 

 何故自分はここに居続けなくてはいけないのだろうと。

 何故こんなことを受け入れてしまったんだろうと。

 

 納得して始めたはずのことは、知らないうちに後悔へと変わり、彼女の中で溢れ始めていた。

 

 そして今、遠く離れた風景を映すその四角の中に、一度離れてしまった友人たちがいる。

 

 最早彼女の思いは限界を迎えようとしていた。

 

「わた……も……緒に……いよ。いっしょに、いたいよぉ……」

 

 再び言葉を吐き出す。自分の名前が言葉にならないほどに、瞳からは大粒の涙が溢れ始めていた。

 

 

 一人、幸せな夢を見続けていた『その場所』で、彼女は泣くことしかなかった。

 

 このセカイの、凡ての望みを叶えることのできるその場所で、彼女はただ、泣くことしかできなかった。

 

 ただ、泣くことしか出来なかった。

 



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カレイドスコープ

 ノエルら三人が城で困惑をしていたまさにその時。城よりさらに南、整備された街道を女性二人が進んでいく。

 

 一人は視線を上にあげ、傾きかけた陽に向かい笑顔を浮かべている。

 それとは対照的に暗い表情を浮かべ歩いているのは天音かなた。数日前に共に歩く女性から聞かされた、『今回の旅の目的』について、彼女は後ろ暗い気持ちを感じていたのだ。

 

「いやぉ、遠いねえ。こんなに遠いもんだったかなぁ」

「……」

 

 女性の、フレアの問いにかなたは答えない。むしろその声がかなたの耳には届いていないのだろう。

 

 ここ数日のかなたはもっぱらこんな様子のまま、うまくコミュニケーションが取れないままでいた。

 

 『自分を終わらせる為にウェスタに行く』

 

 その言葉がかなたの中で数日経ってもなお、重くのしかかっている。

 

 それでも根気強くフレアはかなたに話しかけ続けていた。

 

「かなたちゃんはこんなに歩くの初めて?」フレアが振り返るながら尋ねる。

 

「そう、ですね。初めてかもです。正直島は本当にちっちゃくて、1日歩き通せば果ての果てまでついちゃうような所でしたから。でもちっちゃくても色んな人達がいて、色んなものがあって、格好いいけどボクだけには弱いとこを見せてくれる友達やほんっっとうに優しい友達がいて、それなりに楽しくやってたんですよ」

「そうなんだ。」

「だから、ボクにとっては……」かなたは口籠もりながらも恐る恐る答えた。「だからボクにとっては、すごく大事な場所なんです」

「そっか。じゃあ早く帰らなきゃね」

 

 フレアの言葉にビクリとかなたの身体が跳ねる。「でもそうしちゃうと」とまた俯いてしまうかなたに仕方がないなという表情でフレアが手を差し出した。

 

「今日はもう休もうか?」

「え? でもまだ日も高いし……」

 いくら陽が傾き始めたとは言っても、まだまだそれが顔を隠してしまうには十分な時間がある。言わずもがな、フレアの言葉はかなたに気を使ってのものであった。

 

「もう少しでウェスタに着くしさ。そこからはどうなるかも分からないから、作戦会議でしようよ」

 少し離れた場所を指差すフレアは、「ちょうどそこに宿場町もあるみたいだしさ」と言った。

 

「は、はい……」

「気にしないでいいよ。それにさ……なんだかゴメンね。変に気を使わせちゃってるみたいで」

 

 フレアは申し訳なさそうにかなたに返すと先に歩いて行った。

 

 その後ろ姿に決意めいたものを感じ、かなたは何も言えなくなる。

 

 ただ置いていかれまいと、その知念だけを持って彼女も足を進めて行った。

 

 北の空に蒼白い光が佇んでいる。それは冴えた夜に煌々と輝く月のように、存在をありありと示していた。

 

 それはこの大陸の象徴にして、このセカイにおける最も異質と呼べるもの。

ただ皆が見たままに『剣』と呼称されるそれを目にしながら、今日幾度目かとなるため息をつく少女。

 

「何してんだよ、ボクは」

 

 立ち寄ったのは宿場町。街に唯一の宿屋の窓から『剣』に視線を向けてかなたは呟く。

 天音かなたはただソラに帰りたいだけであった。その目的を果たす為には何の犠牲も厭わない、そう考えていたのだ。しかし数日ではあるが不知火フレアと共に過ごし、彼女のことを知っていく度に最初に抱いていた感情とは別の感情が生まれてきていた。

 

 今でもかなたの頭の中で鮮明に思い出されるある言葉がある。

 

 『自分を終わらせる為にウェスタに行く』

 

 その言葉と共に語られたあの夢が真実であれば、本当にフレアの命は尽きてしまう。

 

「そんなの、あっちゃいけないよ」

 

 彼女の中に葛藤がある。ウェスタに急ぎはしたい。しかしそこに着けばフレアは終わりに向かって加速してしまう。フレアは赤の他人だ。そう思って切り捨ててしまえば簡単のはずなのだ。

 

「ボク、どうしたいんだよ……」

 

 しかし最早かなたの中でフレアは他人ではなくなってしまった。ただそれだけで動けなくなってしまう。

 

 悶々とどうすれば良いのかと頭を抱えた時であった。

 

 

 

「なーにしてるの?」

 

 

 

 明るい、よく通る声が部屋に響いた。

 

「……え?」

 

 かなた一人であったはずの部屋の中で、彼女の聞いたことのない声が響いた。

 

 悩みすぎると、ヒトは気が狂ってしまうのだろうか。一人であったはず部屋に響き渡ったもう一つの声は、かなたの頭を混乱させるには十分であった。

 しかし突然の出来事が起こった時、ヒトが取ることの出来るのは沈黙だけのようだ。

 

 存外、大声を上げてしかるべき状況だった。しかしそうしなかったのは耳に届いたその響きが、小気味よく聞こえたのも理由のひとつだったのかもしれない。

 

 振り返った先には少女の姿があった。響き渡ったソプラノの響きはどこか甘々しく、しかしハッキリと耳に届いてくる。

 そして長く伸ばされたフレアのものよりもすこし明るい金砂の髪も、感情豊かな翠の瞳も、整った顔立ちも、全てが彼女が『麗しい宝石を詰め込んだ』ヒトであるとありありと示していた。

 

「……ッと」

 

 何かを話さなくてはいけない。窓の外に向いていた身体を室内に向けなおし、少女を正面から見つめながら言葉を探すが「えっと……あの」かなたの中で言葉が纏まらない。

 動く度に様々な表情を見せる彼女に目を奪われていたのも理由であるかもしれない。しかしそんなかなたを意に介することもなく、少女はニコリと笑みを浮かべて話し続ける。

 

「そーんなショボンとした顔して、なーにしてるの?」

「いや、ボクは……」

 

 先ほどまでの表情を見られていたのだろうか、口ごもるかなたに「また落ち込んでたんでしょ? ホント、かなたんはそんなとこあるよね」

普段から会っているように少女は話す。

 

「またちっさいことであれこれ考えてたんでしょ?」

 

 そこでかなたが声をあげた。

 

「……ちっさい事じゃ、ない。分かったようなこと言わないでよ! そんな簡単に決められたら苦労しないんだよ。ただ、帰りたいだけだったのに……あの人、『自分を終わらせに行く』って言ったんだよ? そんなの手助けできるわけないじゃないか!」

 

 これまで悶々と考え続けてきたことを一気に吐露するように、自身で押し留めようとしても言葉が止まらなかった。出会って数日にも関わらず、かなたにとってフレアは大事な存在になっていたのだ。だからこそ、後ろ向き感情から動く彼女に賛同することはできない。

 

 言葉にしてようやく、かなたはそれを理解できた。

 

 感情を露わにするかなたに、少女はやはり顔色を変えることなく話し続ける。

 

「自分のしたいようにすればいいじゃん」

 

 彼女は「私だったらそうするけどね」と続けて部屋に設置されたベッドに腰掛ける。

 

「だからそう出来たら苦労しないんだよ!」

「それさ、ふーたんにぶつけたの?」

「フレアさんには、こんなこと……」

「だよね? 言ってないんだよね? でもさふーたんは自分のやりたいようにしてるよ?」

 

 腰掛けていたベッドから立ち上がり、かなたの横にまで歩み寄ってきた彼女は「今悩んでるんでしょ? 困ってるんでしょ? なら言わなきゃ。それでさ、自分のしたいようにすればいいの」と再び笑顔を向けてくる。

 

 

「止められなよ、誰も。誰もかなたんのこと、止められないよ?」

「……でも、このままウェスタに行っちゃったらさ」

「行ってから考えればいいじゃん。それにさ……」

 

 そこまで言いかけて、少女は突然言葉を止め何やら考え込み「これ以上はダメか」とそう呟き笑顔を作った。

 

 

 

 ポツリ「そっか、これ以上はダメなんだね」と呟く少女はクルリと部屋の中心に歩み出しながら何やら思案している。少女の言葉も、行動の意味も全く理解することができず、かなたはただただ彼女を見続けることしか出来ない。

 

 少女はかなたの様子に「まぁしょうがないよね」と一言。軽くため息をつきながら「もう少しここにいたかったけど、仕方ないか」と言って部屋の外に出ようとドアノブを握ってこう続けた。

 

「あ、ふーたんにもよろしく伝えといてね。それと……」

「ちょ、まだ何にも!」

 そう。かなたからは何も話せていない。ただ自分の気持ちを吐露したというだけで何もすることが出来ていないのだ。少女が一体誰なのか。そしてなぜフレアや自分のことを知っているように話しているのか。それすら聞くことが出来ていないのである。

 

 しかしかなたのことを気にすることもせず、少女はあくまでマイペースに「また、いっしょに遊ぼうね」と返し、ドアの外へと消えていった。

 

「ちょ、まっ……て」

 

 なぜ去っていく少女をそのままにしてしまったのか、頭を悩ませながらすぐにドアを開け放ち外を確認するかなたであったが、すでにそこには影も形もない。否、数秒の間で姿を消すことができるほど外の廊下も短いわけではない。だからこそ彼女はこう思わずにはいられなかった。

 

「なん、だったの……もしかして夢、だった?」

 

 

 しかし彼女が仕切りに呟いていた『やりたいようにやれ』という言葉が残った。

 

 そして自分の言葉を否定するように、少女の存在が夢ではなく現実にいたのだと思えて仕方がなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、今回も部外者だなぁ」

 

 闇の中、少女だけが照らされる。

 

 少女はつまらなさそうに呟きながら、歩みを止めることはしない。

 

 ただ自身の目の前に幾重にも枝分かれしていく『道』をぼんやりと眺めていた。

 

 そんな彼女がふと、苛立ったような表情を作った。

 

「……何よ、どうするか冷や冷やしたって。何もしなくて良かったって?」

 

 少女は「私を暴れん坊みたいに言わないでよ」と虚空に向かって返しながら足を止め、考え込むように頬を摩った。

 

「そうですよー。私はただの気まぐれ屋さんですよーだ! でもさ、大事な後輩にアドバイスあげるくらい良いじゃない?」

 

 フフンと胸をはる少女であったが、その表情はすぐに変わってしまう。

 

「んーそのチンニュウシャってバカにしてる? 難しい漢字を言われても分かんないって」

 

 まるで『見えない誰か』と話す少女は、続けてかけられた言葉に少し神妙な表情をつくった。

 

「わたしたちが下手に関わっちゃうとそれが『本当』になっちゃうからさ」

 

 そう。それはあくまで『観測者』として好まざる行為だ。

 それが『真』になってしまっては、『次の物語』が生まれなくなってしまうと彼女は常に考え続けている。色んな可能性があってもいいよねと少女は続けながら、『頭の中のもう一人の自分』に向かってこう続けた。

 

「だから」

 

 その一歩一歩を噛み締めるように、大事にしながら少女は振り返らずに進む。

 

「もう少し色んなとこに、気が済むまで歩いて行ってみよっかな」

 

 

 

 観測者は一人、歩みを進めていく。彼女の進み道はまだ何も結実していない不確定な道。

 それは言わんや可能性に溢れたものであり、燦々と光を放つ星のようであると彼女には感じられた。

 

 そして時折その『可能性』の光に吸い寄せられるようにそこに降り立っては、気まぐれに言葉を残す。

 それがセカイにどのような影響を及ぼすのか彼女も知らない。ただ言うまでもなく、彼女の影響と言うものはそのセカイを変革させてしまうものと言っても過言ではなかった。

 

 だからこそ彼女は積極的にはセカイに触れ合わない。

 

 しかし彼女はそれで満足していた。

 

 ただ彼女は楽しいのだ。自身の目に映る『幾多の可能性という名の物語』を見続けることが楽しいのだ。

 

 何の変哲もない少女がスタァになるまでの物語。

 故郷を逐われ、それでも前を向き突き進んでいく物語。

 一度夢を掴み、挫折を味わってもなお常に最前線を目指す物語。

 全ての事象、全ての次元の出会いを記録し続ける機械人形の物語。

 

 そして、『全てのセカイに存在し、全てを繋ぐ少女』の物語。

 

 

 

 だがそう簡単に彼女が歩みを止めることはない。

 彼女自身も『ある目的』を持って、ありとあらゆる可能性を渡り歩いているのだ。目に映る光り輝く可能性達に後ろ髪を引かれても、歩みを止めることはない。

 

 しかし彼女が「あぁ、でもちょっともう少し見てたい気もするなぁ」と呟きながら、そのセカイを食い入るように見つめていた。すると彼女が少し不満げに声を上げる。

 

「……いいじゃん、これも気まぐれだよ」

 

 そう言ってどこからともなく現れた椅子に腰掛けながら先ほどまで話しかけていた、翼に背を携えた少女を、天音かなたの姿を見遣る。

 

「なんかさ……気になっちゃうんだよ」

 

 もう自分の姿は認識できていないのだろう、困惑したままこちらを探すかなたを見ながら彼女はこう独りごちた。

 

「何を選ぶの? 何がしたいの? ねぇ……かなたんはそのセカイをどうしたい?」

 

 彼女は呟きながら、頬杖をつく。

 うっとりと愛おしいものを見つめるように、彼女はため息をついた。

 

 苦難の中を突き進む少女の姿は、こんなにも儚くそして心を震わせるモノなのだと。

 

 彼女は自分だけに与えられたその場所で、それを眺め続けていた。

 

 ただ、見守り続けていた。

 



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カノジョの魔法の杖

「……ここが」

 

 遥か頭上高く、蒼の光を秘めた『それ』が存在を露わにしている。

 

「ここだね」

 

 同行者であるフレアの言葉に上手な返答も思い浮かばず、かなたは遥か上を見上げていた。

 

「……」

 

 どれくらい眺めていただろう。とうに首は痛くなり顔を上げるもの苦になり始めている。しかしかなたはそれでも『それ』から視線を外すことができずにいた。

 

「ウェスタ。剣を抱く街。ここに、きっと……」

 

 浮遊島から落ちてしまってから数日、思い悩みながらもどうにかここまでやってきたという達成感とともに、果たしてこれからどうすればいいのかと感情がかなたの中に渦巻いていた。

 

 島に還る手立てはわからない。それでも漫然と時間を無駄にする訳にもいかず、島でもずっと目に留まっていた『剣』を目指した。それが正解だったのかは分からないが、ここまでの道程でフレアから聞かされた『剣』のことを聞けば期待することは出来るだろう。だが同時に聞かされていたフレアのウェスタに行く理由が彼女の足を鈍らせていたことはいうもまでもない。

 

 しかしあの夜に出会った少女の言葉が重かったかなたの足を少し軽くした。

 思い悩むことは誰にでも出来る。悩むのであれば、とことん突き進んでからでいいではないか。

 

 そう思うことが出来たからこそ、数日遅れながらもどうにか『剣』の麓まで来ることが出来た二人であったが「でもまぁ、どうやって入るかだよなぁ……ここまでは隠し倒せたけど、私もハーフエルフだから警戒されるしなぁ」というフレアの呟き通りウェスタの城門から少し離れた平原で彼女達は立ち尽くしていた。

 

 ヒト族とエルフが表立った戦いをしなくなって長い年月が経ったと言っても、両者の間には未だに確執が存在している。

 そんなエルフが簡単にヒト族のテリトリーに入っていけようはずもない。それに加えてエルフの同行者がこの大地にもういない『翼人』であるならば、騒ぎになることは間違いない。出来る限り穏便に『剣』まで到達したかっただけに、おかしな騒ぎを起こしたくはないというのが二人の共通した考えであった。

 

 しかし離れた場所からでも分かるとおり、ウェスタの守りは硬い。

 たった二人ではあるが隠れて侵入することは不可能に近いであろうということを、拠点の守りに詳しくないかなたでも想像に容易かった。

 

「正直手詰まり? みたいなところありますよね」

 

 そう呟きつつ草原に寝転がるかなた。綻んだその表情にクスリと笑みを浮かべながら、彼女の隣に腰を下ろすフレア。

 

「とにかく夜を待とうか? こっそり中に入れるかもしれないし……」

 

 もしかすると夜になれば警備も薄くなる部分が見つかるかもしれない。

 

「そうですね、それまではゆっくりしちゃいましょうか」などと気の抜けた言葉をかなたが投げ出した瞬間であった。

 

 

「ーーーその必要ないよ!」

 

 草原に甘い声が響く。流れる風に負けることのない、まるで砂糖菓子のような声。

 

 かなたとフレア以外影も形もなかったそこに、一人の少女が現れた。

 

 まるで、『魔法』を使ったかのように、それは突然姿を現したのだった。

 

 

 

 

 草原に響いた甘い声。

 

「ーーーッ!」

 

 それが二人の耳に届いた瞬間、フレアの身体が跳ねる。

 彼女の隣で座していたかなたにも信じられない光景であったが、瞬きの間にフレアは宙に翻りながら背に携えていた弓を引き絞り声の主に放っていた。

 

 だが番られた矢はない。否、確かに引き絞られた弓は『ソレ』を放っていた。目に見えない力が『矢』となり、向かっていったのだ。

 

「なになに戦隊モノ? すごいウケるんだけどー!」

 

 しかしフレアの放った『力』は届かない。嬉々とした声と共に、頂にある陽の光よりも目に煩い煌めきが瀑布の如くその侵攻を阻む。それを見越したように、二の矢三の矢がフレアの弓から爆ぜる。

 

 だが返ってきたのは「ねぇえぇー! そんなのやめてってぇ!」と薄ら笑い。フレアから放たれた矢はいとも簡単に阻まれてしまったのだ。

 

 ここまでは数瞬の攻防。側から見ていたかなたで強者のやり取りであると理解できる。しかし突然の状況に彼女の頭は着いていっていないというのが正直なところであろう。困惑した表情を浮かべフレアと、そして突然現れた声の主を交互に見比べていた。

 

「……女の子?」

 

 正面から声の主を目にし、かなたの口から出てきた言葉はそのシンプルなものであった。

 声を聞けば間違いなく年端も行かない可憐な少女であるということは想像に難くない。紫の衣服に身を包んだ体躯は小柄で自分よりも身長は低いだろうと見て取れた。先程までのフレアとの攻防の相手だとは考えもつかない。だが事実彼女を取り巻くその力はあっさりとフレアの攻撃を退けた。それだけでただの少女ではないと結論付けるのは無理筋であったかもしれない。

 

 しかし自身の隣にいるフレアの厳しい表情が、かなたにこう考えさせていた。目の前の少女は只者ではないと。自分も気を抜いてはいけないと。

 

 警戒を露わにしたまま「魔女……なんでここに居る?」と尋ねるフレア。それに拗ねた表情を浮かべて『魔女』と呼ばれた少女が答える。

 

「うわぁ冷た! 知らない仲じゃないんだしさー、挨拶くらいしようよ」

「貴女からそんな言葉が出るなんて……雹でも降るかしら?」

「ん? 何それ?」

「……」

 フレアの皮肉を理解していないのだろう、ぼんやりと尋ねる『魔女』に思わずため息を漏らすフレア。言葉の意味をどう説明するかと思案するフレアに「別にそんなこと考え込まなくてもいいじゃーん」と魔女はまた続けた。

 

「ちなみにそこの天使さん、ついてこれてないけど?」

 

 魔女はフレアの横に座ったままのかなたを指差す。

 

 突然の指名に「えっと、ボクはだ、だいじょーぶです」と素っ気ない言葉でしか返すことが出来ないかなた。その反応がフレアを不安にさせたのだろう、焦ったようにかなたに視線を向ける触れ合い。

 

「ゴメン、かなたちゃん! 置いてけぼりにしちゃって」

 

 フレアの声にぴくりと眉根を上げ「もしかしてその娘、アマネ?」と尋ねる魔女。

 

「え? はい、そうですけど」

 

 刹那、眉をしかめる魔女。「……あぁ、マジか。このタイミングなのかぁ」と独りごちながらかなたとフレアを交互に見る。

 しかしそれにも飽きたのだろう。視線を上に向けながら「エルフ……いや、フレアちゃん。ちょっとこれマジでさ、冗談抜きで着いてきてよ」とフレアに投げかけていた。

 

「だからそんな暇は……なに、なんでそんな顔してるのって! ちょっと待って!」

「『あの子』の言ってたことが本当になる。その準備をしないと……」

 

 フレアの返答も聞かずに、ブツブツと歩き始める魔女。

 

「勝手に話を進めないで! まだ着いていくとは……ちょっと、シオン!」

 

 名を呼ばれても全く反応を見せない。一体何が彼女をそうさせているのか理解できないまま、フレアは少し憤りながらも彼女の後を追いかけた。

 

「えっとー、おいてかないでー」

 

 そしてかなたもまた二人に続くように草原を駆けていく。

 

 今日まで目指してきたウェスタを、『剣』を背に、流されるままに歩みを進めるしか今の彼女には出来なかった。

 

 

 かなたとフレアの前に突如として現れた少女、『シオン』は足早に草原を進んでいく。

 後ろから着いていくフレアからの静止の声も耳に届いていないのか、ぶつぶつと呟く彼女は、先ほどまでの姿相応の無邪気さは感じられない。

 

 その姿に「確かに、これは魔女って言われるくらいの雰囲気を醸し出してるよな」と独りごちながら二人の後に続く。だが、はたと『シオン』が歩みを止め、「ねぇ、二人とも……」といいながら後方を向く。

 

「ど、どうしたの?」

 

 フレアの声に、彼女が向けてきたのは相変わらずの神妙な表情。何か重要なことを口にするのかと二人は身構えたが

 

「歩くの面倒! もーいや!」

 

 その声に思いがけず「は?」と素っ頓狂な声をあげるフレア。一方かなたは『シオン』のコロコロと変わる表情についていくことが出来ていない。完全に主導権を『シオン』に握られた中、彼女が頭上に手を上げ、再びブツブツと二人にわからない言葉を呟く。

 

「えーっと、これで」

 刹那、光の粒子が『シオン』の掌から溢れ、周囲に広がっていく。それは瞬く間に二人すら包み込んでいく。

 

「もうパパーっとうちに行っちゃおうか?」

 

 何もない草原から一体どこにいくのというのか全く理解できないまま、光の眩さに目を眩ませ固く目蓋を閉じてしまう。

 

「……まさか、こんな魔法も使えたんだ」

 しかし一息の間も開けることなく呟かれたフレアの言葉に恐る恐る瞼を開けるかなた。

 

「なに? ソラに、戻ってきた?」

 突然のことに驚きの声上げながら辺りを見回し、浮遊島に帰ってきたのかと一瞬期待に胸を震わせる。しかし視界に広がるソラの青は見覚えのあるものではあるが、それでも自分の親しんだものではない。

 

 落胆をしつつも、改めて自分たちが突然降り立った場所をじっくりと見回す。

 

 所々に紫の色をあしらった、なんとも女の子らしい部屋。そう。何の変哲もない部屋なのだ。しかし最初にかなたの目に入ってきた通り、まるで『ソラ』の中に浮かんでいるかのような、ソラの一区画に自身に必要なものだけを浮かべたようなそんな場所であった。

 

 形容し難いその場所で「まぁ座りなよ」と椅子を二つ示しながら、自身も仰々しソファに腰掛けるシオン。

 しかしフレアはそれを無視して彼女に尋ねる。

 

「シオン……何のつもり?」

「もぉ、そんなに怒んないでよ。フレアちゃん」

「そんなんじゃないよ。普段気まぐれな貴女が何のつもりで私たちに接触してきたのか。それを知りたいんだ」

 

 淡々と、しかしキッパリとした言葉で問いただすフレアにたじろぐシオン。ソファに深く腰掛け考え込みながら「んーそうだね、確かに言わないままここに連れてきちゃったしなぁ……まぁシオンが用あるのはその子。天使ちゃんに用があるの」とかなたを指差しながらフレアにそう返した。

 

「ぼ、ボク?」

 



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空に在る小さな部屋から

 かなたを指差すシオンの表情からは無邪気さは感じられない。

 

「そうそう、天使ちゃん。貴女に伝えないといけない言葉があるのよ」

 

 

 シオンの言葉をうまく理解することが出来ないまま、かなたは不可解な表情を見せながら「初めて会ったのに、ボクのこと前から知ってたみたいな……」と呟く。それと同時に彼女の中にふと、思い浮かんだ先日の少女との出会いが頭を過った。

 

 対するシオンは「初対面? あぁ、『今の』天使ちゃんはそういう認識なんだね?」と納得したように声をあげた。

 

「そうですよ、初めて会って……あれ? 何だろう」

 

 再びかなたの頭に『あの少女の言葉』が響いてくる。

 

「天使ちゃんは会ってるはずだよ? 自分は知らないのに、自分のことを知っている人に」

「えっと……」

 

 シオンの言った通り、『あの少女』は確かにかなたのことも、そしてその場にはいなかったフレアのことも知っていた。

 

「でも、それが……それに何の関係が……」

 

 そう。それは自分が頭の中で作り出した妄想かもしれない。そしてシオンの言葉に変にこじ付けをしているだけなのかもしれない。そう思い込むことで平静を保とうとしていたかなたに、ため息を吐きつつ「あぁ、そっか。『そこ』を理解してないと今から言うこともピンと来ないかもだけどさ」と少し低い声で答えるシオン。突然の声色の変化に戸惑ってかなたは後退ってしまうが、横から伸びてきたフレアの手に支えられる。

 

「かなたちゃん、大丈夫? シオン、いい加減にしてくれない?」

「もぉー! シオンに怒ることないじゃん! これでも優しくしてるのにさあ……」

 

 そう言いつつも確かに「性急すぎた」とかなたに詫びるシオンであったが、言葉ほどの反省は態度からは見られない。むしろ不服そうな様子を前面に出しつつ、彼女はかなたにこう告げた。

 

 

「上で、待ってるってさ。あ、これは羊からの伝言だよ」

 

 

 彼女との出会いから完全に調子を崩されてしまっているかなたは、続け様のそのセリフにまた頭が正常に働かないでいた。それでも働かないそれで強引にその言葉を咀嚼しながら、

 

「羊? 何を……それに上って?」

 

 彼女が音に出来たのは最低限の問いかけだった。

 

 ズキリと頭が痛む。不可解な言葉の連続に処理が追いつていないのか、それとも自分でも知らない内に『何か』に気付こうとしているのか、かなた本人にもそれは分からない。

 しかしかなたを困惑させた当の本人は悪びれることなく「上は上。想像つくでしょ?」と素っ気ない言葉で返す。これには横で話を聞いていたフレアもはっきりと怒りをシオンに向ける。

 それは先ほどまでとは明らかに違う、不機嫌から来るものではない純粋な怒り。のらりくらりと躱していたシオンもさすがにやりすぎたと感じたのだろう。今度は申し訳なさそうに「なんか、ごめん。ちょっとイラついちゃった」と頭を下げるシオン。気にしていないと言葉を返しつつ、かなた自身は少しでも早くシオンの言った意味を理解しなくてはいけないと考えていたのだが、間髪入れずに更に混乱の一言が彼女に降りかかる。

 

「それとさ。天使ちゃん、帰らなくてもいいっぽいよ?」

「は?」

「あっちの方から勝手に来てくれるみたいよ?」

 

 言葉少なく、否それ以上に語ることができないシオンに、想像を巡らせる二人。しかし矢継ぎ早に不可解な言葉をぶつけられたかなたはすぐに答えを導き出すことが出来ず頭を抱えてしまう。

 

 しかし傍観者のままであったフレアが恐る恐るそれを口にする。

 

「勝手に来るって……シオン、それって!」

「あ、意味わかってくれた?」

 

 ニコリと微笑む彼女は「自分から直接それを言えない決まりなんだ」と付け加えつつ、視線を遥か上空に向ける。

 まるで見上げた虚空に何かが存在しているかのように。

 

「それって、『ソラの島が落ちてくる』ってことじゃないの?」

 

 その言葉に、まるで槌で殴られたような衝撃をかなたは覚えた。

 理屈は彼女にも理解出来る。宙に浮いた花が風に煽られて舞い上がりそして舞い落ちるように、それが落ちていくことは至極当たり前のことである。

 

 しかしフレアの言い放ったその言葉は、かなたにとってはあまりに浮世離れした言葉に聞こえた。

 生まれてからずっとその島で過ごしていた彼女のとって、それが『ソラから落ちる』と言われても簡単に受け入れられるものではなかった。

 

 混乱するかなたを尻目に、面白そうに目を御開きながら「さっすがフレアちゃん!」とシオンが賞賛の声を上げる。

 

「……」

 対するフレアはそれに言葉を返さず、じっとシオンを睨み付ける。これまでであればその視線にビクつくシオンであったが、それにも慣れたのであろう。今はどこ吹く風と言わんばかりの表情で、ズンとソファに深く腰をおろしている。

 シオンの態度にため息をつきつつ「かなたちゃん、大丈夫?」と声をかけるフレア。それに作り笑いを浮かべるかなたは辿々しくシオンに尋ねた。

 

「それ……何か根拠があって言ってるんですか?」

「んーそこにいた本人が一番わかると思うんだけどなぁ。でも分かるよ、天使ちゃんの気持ち。信じられないよね? 自分の住んでいた場所が落ちて来るなんて急に言われてもさ」

「そうに決まってるじゃないですか! 落ちて来るって、そんなのあり得ないよ!」

「でもさ、あるでしょ?」

「あるって……」

「あるでしょ? 心当たりがさ」

 

 シオンが何を言いたいのか、かなたには理解が出来なかった。

 

「何があったんじゃない? 天使ちゃんが落ちて来ちゃう前にさ。普段となんか違うなーってこと」

 

 否、理解をしたくなかったのだ。

 自分がココに逃された時に島で起こっていた異変。自分とココ、そしてもう一人の友人であるトワとココの父を残して全てが停まってしまっていたあの状況と島が落ちると言うことが繋がっているならば、シオンの話は違和感なく飲み込むことが出来る。

 

 しかしかなたにとって、やはりその事実は度し難いものであった。

 

「それは……でもそんなの」

 

 再び視線を視線を下に向けてしまうかなた。しかしどこを向いても彼女の周りには空の青がしつこく纏わり付き、それが事実に近いと言うことをありありと示してくる。そのかなたの様子に「ちょっと混乱ばっかさせて本当に悪いんだけどさ……もう一個あんのよね」とシオンが続ける。

 

「落ちて来るってのも大変だけどさー。今のウェスタを取り巻く状況を考えたら、それだけじゃ済まないと思わない?」

 

 その言葉に驚きの表情を見せるフレア。

 

「まさか……ヒト族はそれをウェスタへの侵攻だって考えるってこと?」

 

 努めて冷静に言葉を発しているが、表情には緊張の色が滲み出している。おそらく自身で呟いた言葉に想像してしまったのだろう。島が落ちてしまった際のウェスタの被害大きさを。そしてヒト族の怒りの矛先がどこに向くのかと言うことを。

 

 最早かなたとフレアも笑っていられる状況ではなくなってしまっていた。

 

「そそ、いーじゃん! 冴えてんじゃんフレアちゃん!」

「笑ってる場合! とにかく知らせるとかしないと……」

「だいじょーぶ。そっちは羊がやってるからさ」

「さっきから羊って……それに上で待ってるってどういう事?」

「上よ上。一番上。そこで待ってるってさ」

「それ、『剣』の上って事?」

「あー、フレアちゃんマジいいよ! 愛してる!」

 

 会話を進めていくフレアとシオンを尻目に、考えが纏まらないままかなたは独言る。

 

「何だよ。一体何なんだよ……助けてよ、ココ」

 

 未だ再会の叶わぬ親友に対し、普段は決して口にしない弱気を吐露してしまう。

 

 ただ彼女を取り巻く空の青だけは相変わらず、何も変わらずに同じ色を湛えていた。

 



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終わるセカイのための行進

 時はノエルたち三人が浮遊島について話をしていた時まで巻き戻る。

 三人の話は『剣』が起きるとことによって一体何が起こるのかと言うことに話は終始していたが、話が進まない状況に執事いは「もう一つ、お話をしておきましょう」ため息と共に声をあげた。

 

 三人の視線が一気に集まると同時に執事いは咳払い一つ、一際真剣な声で答えた。

 

「『剣』が起きれば、本来そこにあるべきモノは還るべき場所に帰る。磁力で引かれるように、元の場所に戻っていくのです」

 

 それだけでは十分に解釈できなかったのだろう。ノエルとココは不思議そうに「どう言う意味ですか?」と執事いに尋ねるが、それから返ってくる言葉はない。ただ「直接的には申し上げられないのですが、このような急を要することはないはずなのです」と深く頭を下げるその様子を目にし、二人は更に頭を悩ませることとなる。

 

 しかしそんな中で押し黙って執事いの話を聞いていたルーナが神妙な声を上げる。

 

「……マジなのら」

 

 ふんわりとした彼女からは想像できないほどに真剣な眼差しが執事いへと注がれている。「さすがはルーナ姫様です」と口にする執事いに「なんでもっと早く話してくれなかったのら?」と不服そうな声を上げる彼女。そのやりとりを見とめながら、ココはあまりに都合が良すぎると、疑いの視線を執事いに向ける。そしてノエルは彼女らの話についていくことができず、困惑したっ表情を浮かべていた。

 

「ルーナ姫、なんか知ってんの? ココちゃんも、どしたんさ?」

「ノエルちゃ団長。多分の話だけど……執事いはこう言いたいのら? 『ココちゃの住んでた島が落ちて来る』って」

 

 ルーナはソファから立ち上がりながら「元々ソラへと旅立った島は、『剣』と共にあった』って、古文書には書いてたのら」と続ける。そして「それが元に戻るって、そんな簡単なことじゃねえのら」とも付け加えて、顔を青くする。

 

「こりゃ、本当にヤバいのら」

「え? なん、え?」

 

 ルーナの説明にやはりピンと来ていないのだろう。ぼんやりとした声を出すノエル。

 

「パイセン、島が落ちてきちゃったら……わたしが落ちちゃった時とは比べもんになんねぇくらいに被害が出ますよ」

「んな……」

 

 ココの助け舟に一気にノエルの表情にも影が差す。そして彼女は北の街で見た光景を思い出していた。

 ソラから落ちてしまったココによって北の街は半壊状態となってしまっていた。それよりも大きな質量がこのウェスタめがけて落下してくるともなれば、どれほどの被害になるかは想像できなくとも、この街にいる人々が無事で済むわけがない。あまりに浮世離れしている話ではあったが、ソラから落ちて来たココ。そしてあまりに都合よく現れてこの話をし始めた執事いの存在は、それが紛れもない真実であると告げていた。

 

「んなー! マズいのら! とにかくすぐに動くしかねぇのら!」

「そうだよ。ホント、早く街のみんなを避難させるか何かしないと……」

 

 口々に発言はしているが、ルーナとノエルも共にウェスタへの懸念について口にする。いくら荒唐無稽な話だとはいえ目の前の『ソラの島に住んでいた者』が現れたからには動かずにはいられないのだろう。

 そしてウェスタとは無関係であるココも、二人の焦った様子と自分のことを重ね合わせていた。

 

「……こりゃ、帰るなんて言ってる場合じゃなくなってきちゃいましたよ」

 

 そも自分の故郷が崩壊してしまう可能性があるのだ。それを捨て置くわけにもいかない。そして残して来た街の人たちも心配ではあるが、ココにとって今一番確認しなくてはいけないことは別にあった。

 

「ちょっと、いいですか?」

「……」

 

 それは応えることなく、ココの前に歩み出ていた。

 感情を見せない樹脂の瞳で、ただ真っ直ぐに彼女を見つめていた。

 

 

 

「アナタ……やっぱりただのぬいぐるみじゃないんじゃないですか?」ココが静かに呟く。

 

 ソラの島が落ちてくることへの対策を話し合うルーナとノエルから少し距離を置き、彼女と執事いが向かい合っている。このぬいぐるみが声をあげてからと言うもの、ココはどうしてもそれに対する不信感を拭きれずにいた。否、それを不信感と言う名で呼んでいいかどうかも彼女は確信を持てずにいる。その身が無機質の塊でせいで感情が読み取れないのは仕方がないことであろう。

 

 しかしココに違和感を覚えさせたのはその『声』であった。

 時折それから聞こえてくる音がどこか揺れている。それは起こり得る厄災に恐怖するものではなく、自分たちに対しての憂いを含んでいた。口にした通り『来る厄災を伝えるために作られた』というには、それはあまりに人間味に溢れすぎているとココには感じられた。

 

「先ほどもお話しした通り、私はあなた達に厄災を……」

「それはもう聴きました。他にも、あるんじゃないですか?」

 

 ピシャリと言い放つココに、一瞬言葉を濁す執事いは焦りながら

 

「……めは……わためは!」

 

 不意に溢れた言葉は、それの本来の言葉で呟かれた。

 

「待ってた。気が遠くなるくらい、待ってた……」

「やっぱり、アナタ……まだ隠し事してますね?」

 

 潤んでいく声に、言い放った言葉ほど不信感を次第に覚えなくなっていく。それと同時に執事いに対して同情のような思いが募っていくのをココは感じていた。

 しかし次の瞬間には声色は元に戻り、こう続ける。

 

「……わたしのことなど、瑣末ごとです。気にしないでください。ただ……」

 

 もう一度それは真っ直ぐにココを見据えて呟く。

 

「アナタにも見えていたはずです。兆しが見えていたはずです」

 

 

 執事いに言われずとも、西方大陸に落ちて来てからと言うもの、ココはずっとそれについては考えていた。

 動きを止めてしまった街の人々、そして相対していた友人と自分の父。なぜそんな構図になってしまったのか、それについてずっと頭を悩ませていた。それも執事いの言葉に得心がいった。

 

「トワ様……だからみんなを停めてたんだ」

 

 そう。皆を止めていた力は間違いなく、島を統べるトワによるものであろう。

 『島が落ちてしまう』と言う現実を知るまでは、その不可解な行動の意味を理解できずにいたが、今ならばそれも薄らとではあるがココにも理解ができた。

 本来未曾有の危機が来ると分かっていれば、そこから逃げると言うのが必定と言うものである。しかし浮遊島に住む大半の人たちは頑なに『島の外に出てはならない』と言う戒律を盲目的に守っているような人たちだった。そんな人たちに逃げるように促しても足並みが揃わず、混乱するだけであろう。だからこそ『逃す』のではなく『その場に留まっても、被害が出ないように守る』ことを彼女は選んだのではないか。

 

 自分が悪役になっても、最善の策を取ろうとしたのではないか。勝手な想像ではあるが、ココにはそう思えて仕方がなかった。

 

 そして向かい合っていた父と友人の様子を思い出せば「あのバカパパ! きっと他の人の話、聞いてなかったんだ!」自分の父の普段からの様子を見ればそう思い至るのは容易だった。

 

 それと同時にもう一つの疑問がココの中で表出し始める。

 

「どうしたらの止められるんですか?」

 

 そう。今ルーナ とノエルは『島が落ちる』と言う想定で話を進めている。そしてトワのしようとしていたことを想像するならば、『島を落とさない』方法も間違いなく存在するはずなのだ。 

 

「先程申し上げましたよ」

「さっき……ソラノネを聴けだのなんだのって……まさか」

 

 執事いの言葉を反芻しながら、ココの頭には『ある人物』の顔が浮かんでいた。

 

「アナタは知っているでしょう? アナタの側にいつもあった、『ソラ』を」

 

 それは彼女の、一番大事な親友の、困ったような笑顔であった。

 



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霧は立ち込める

 再び時間は進み、シオンの自室での邂逅に舞い戻る。

 茫然と頭を抱えるかなたに視線を向けるシオンは先ほどまでと変わらずソファに深く腰を下ろしたまま二人に話しかける。

 

「正直こっちもさ、困っちゃうのよ」

 

 彼女はあっけらかんとした口調のまま「もしこのまま事が進んじゃったらシオンの仕事が増えちゃうしさ。あの手の仕事は気分が悪くてしたくないんだよね」言葉を濁しながらではあるが起こり得る凄惨たる状況について語っていた。それは彼女なりに気を使ったものだったのであろう。

 

「だからさ、できれば天使ちゃんにどうにかして欲しいんだよね」

 

 その態度を変えないまま彼女はニコリと笑みを作る。

 

「どうにかって……」無理難題を投げかけるシオンに対して、思わず顔をあげて反論を試みるが言葉に詰まるかなた。

「そんなの無茶……」一方フレアも同じように、一瞬言葉を濁したが、不意に何かに思い至ったのだろう、神妙な面持ちのままこう続けた。

 

「そうか、そうでもないんだ……かなたちゃんなら、出来るかもしれないんだ」

「ふ、フレアさん?」

 

 フレアの言葉の意味を理解することが出来ず、目を丸くして彼女を見つめるかなた。

 

「それ、どう言う意味……」そこまで言いかけてかなたが言葉を止める。彼女もフレアと同様の結論に行き着いたのだろう。フレアは頷きながら「『剣』の力を使えば、どうにかなるかもしれない」と端的に告げた。

 

「そんなの……いや、可能性はある。出来るかもしれないんだ」

 

 浮遊島を始めとした古代文明を作ったのは、翼人・竜人そしてアクマのいずれかの種族。そしてエルフに伝わる古文書にはそれらの種族がウェスタから離れたが故に、『剣』は機能を失ったとあった。可能性は万に一つかもしれない。しかし翼人であるかなたならば、『剣』の機能を起こすことができるかもしれない

 

「そのためにはやっぱり、『剣』の上に行くしかないね」

 フレアの提案にかなたは頷き、シオンの部屋からでも高くそびえる『剣』に視線を送った。

 

「わかりました、とにかく行くしかないですね」

 

 そこには何が待つかも知れない。それでも進んでいくしかなかった。どれだけ迷ってもそれだけは変わらない。確実に、一歩を踏み締めていくしか彼女には出来なかったのだ。

 

 二人のやり取りを見やり、シオンはどこか羨ましさのようなものを感じていた。

 かつて、このセカイのことを何も理解していない時は、彼女自身も同じように暗闇の中を突き進んでいたように思う。別に何かの使命感から『セカイの真の部分に触れたい』と思っていたわけではない。ただ自分が魔法を使うことが出来て、たまたまそれが彼女の性に合っていたと言うだけだ。

 しかし知れば知るほどに枷は増える。自らが動いてしまってはバランスが崩れてしまう。それがハッキリと見えるようになっていた。

 

 『二人とも、ごめんね』内心そう思わずにはいられなかった。

 本当なら自分も助力を申し出ないといけないのだが、そうすることが出来ない自分に歯痒さも感じていた。

 

「あれ関連にはシオンも干渉出来ないからさ。申し訳ないけど、ウェスタから直接上がるしかないよ」

 

 だから憎まれ役になってでも、二人を奮起するしかない。ニヤリと笑みを作りながらパチンと指をならす。それと同時に眩い光が三人を包み、その身体を元いた草原へと送り届ける。

 

「……何回見ても、すごい」

 

 小さく驚嘆するかなたにフレアは「とにかく急ごう。もう時間もないよ」と促しながら先を歩いていこうとする。

 

「じゃ、また会おうね」シオンがそう口にし、ひらひらと手を振っていた。

 

「ホント、言うだけ言って何もしないって……」

 

 シオンの声に振り返りながら不満を漏らすフレア。しかしシオンの表情とこれまでの言葉を思いだし得心ように続ける。「そっか、そう言うことだったのか」

 

「そゆことにしといて。もうこれ以上はさ……」

「ありがとうシオン。私はもう、迷いもなくなったからさ」

「……そっか。フレアちゃん……決めちゃったんだね?」

「うん、そうだね……これで最後になるかもだらか、なんか色々ありがとね」

 

 気恥ずかしそうに、悲しそうにそう呟くフレアから一瞬顔を背け「こ、こっちこそ……ありがと」とシオンが返す。これまで幾度となくやり取りを交わしてきた二人だからこそ、この短いやり取りで理解しあえるのだろう。かなたにはそれが少し羨ましく思うことが出来た。それと共に、フレアが長い時間をかけてウェスタにいくこと、思い人に会うことを選んだのだと納得することが出来た。

 

「よし、じゃぁ行こうか?」

「はい!」

 

 そして再びウェスタを見据え歩みを進めようとする二人に、シオンがもう一度声をかける。

 

「あぁ、天使ちゃん!」

「天使じゃなくて、かなたって呼んでください」と流石にちょっと恥ずかしいですよと付け加えながら、歯に噛んだ笑みを浮かべる。

 

「じゃあかなたちゃん……頑張んなね」

「はい……ぜったい、止めてみせます」

「何もできんけど、無事を祈ってるからね」

 

 それはシオンにできる最大限の応援だったのであろう。二人はそれに笑顔で返し、『剣』に向かって歩み始めた。

 

 そして始まる。

 

 ウェスタを、『剣』をめぐる半日にも満たない争いが、今ここに始まろうとしていた。

 



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街は踊る

 

「なんだって言うんですか」

 

 硬い壁に跳ね返され、喧々とココの声が反響していく。

 茫然と呟かれたその声は誰かに受け取られる事もなく、音をなしては消えていく。それはなんの生産性もない言葉だった。ただ事実だけを認識するためだけの言葉だった。

 

「ココちゃん……落ち着いて。今騒いだって何にも出来ないから」冷静にそう呟くノエルはココの隣で膝を抱える。淡々としたその物言いにココは言いようのない恐れのようなものを感じていた。

 

 そう。考えるまでもなくこの女性は、白銀ノエルは怒っている。

 しかしその怒りの矛先が何に向かっているのか、それがココには分からなかった。

 

「パイセン」ココはぼそっと呟いた。それは不意に口からこぼれ落ちていたものだったのだろう。ハッとした表情を浮かべる彼女は思わず口を塞ぐ。しかしココの仕草に反応することもなく、ノエルはポツリと呟いた。

 

「団長さ、正直びっくりしたんだあんなこと考える人がいるだなんて……思いもしなかった」

 

 本来はルーナの部屋からすぐに飛び出し、ウェスタを守るために動かなくてはいけないはずであったが、今は何も出来ずにここに閉じ込められている。それは『ある人物』による策略によるものであった。突然のことであったため、対処が遅れなすすべがなかったのだから仕方がないのかも知れない。

 

「でもさ……」と付け加えるノエル。彼女の口からこぼれ落ちた言葉は、この数日でココが一度も聞いたことのないほどに、感情に満ちていた。

 

 そう。彼女には許せなかったのだ。故郷の、ウェスタの危機に何も出来ない自分が。

 

 そして何よりも「なんも出来なかった団長が、一番ダメなやつだ……」そう言いながノエルは再び顔を伏せた。

 

 ただ今はジッと時が来るのを待つために、息を潜めるのだった。

 

 

 

 

 城内は騒がしく、激しく人が行き交っている。

 口々にこれから来たる厄災に対する備えについて語ってはいるが、必ずと言っていいほどに言葉の枕に『エルフからの攻撃』と言う不可解な言葉が混じっていた。

 

「執政官のおっちゃん」

 

 その喧騒を横目に見ながら、自室でルーナは目の前の人物に対し苛立ちを隠さない。

 

「何でしょう、ルーナ姫様?」ルーナの言葉に自らの顎髭を撫でつつ、彼は薄ら笑いで応えた。それはウェスタを治める姫であるルーナに対し、あまりにも不遜な態度であろう。しかしそれを言い咎めるものはおろか、彼に口出しできる人間も今ここにはいない。

 

「しかし、本当にいいタイミングでしたよ。貴女様とソラからのお客人、そしてあの忌々しい団長殿が一堂に介してくださって、こちらとしては何の労もなく動くことが出来ました。」

 

 彼は「すべてがこちらの思う通りにならないと言うのも面白い。それに……」と呟きつつ、ルーナの足元に佇む『執事い』に視線を向けながら更にいやらしく笑みを浮かべた。

 

「こんな事して、タダで済むと思ってるんか?」

「いえいえ、咎める者は誰もいないと思いますよ?」

「そりゃこれからヒト族が得られる結果が分かってりゃ、いねーと思うのらけど」

 

 それは突然の出来事であった。

 浮遊島が落下するかもと言う報を知らせようとノエルが動こうとした際に、突如としてルーナイトを伴った執政官がルーナの部屋に突入してきた。そして瞬く間にノエルとココは拘束され、彼の都合の良いように情報が統制されてしまった。

 

『ソラからエルフの侵攻がある。それを未然に防ぎ、一挙にこの大陸を我らヒト族の手中に治めるのだ』

 

 その号令が城内に沸き立ち、ルーナの部屋の外では戦いのための準備が整えられようとしていた。侵略の後、ヒト族の勢力圏が広がっていけば、管理官の語った嘘が露呈したとしてもそれを咎めることは誰にも出来ないだろう。

 

「でしょう? ウェスタを、ソラの島を手にし、それを元に全大陸を我らヒト族のものとする。これを誰に否定できましょうか」

 

 それはあまりに嫌らしい笑みであった。それにハッキリとした嫌悪を示しながら、ルーナは「浅はかなやつのら」と声を潜める事なく、言葉と態度で示した。その態度が気に召さなかったのか、執政官の自身の顎髭を撫でる手がぴたり止まり、ジロリとルーナを見据えた。

 

「もういっぺん言って欲しいのら? 浅はかすぎるのら。セカイを大局的に見る力、やっぱりおっちゃんにはなかったのら。そんな短慮な奴にこの国の内政を任せていたかと思うと、悲しくなってきちまう」

 しかし臆することはなく、彼女はそう続ける。まさにそれこそルーナが姫たる所以を露わした、堂の入った言葉であった。

 

 だが状況は変わらない。

 

「アナタが認めずとも、全てがヒト族のものとなれば人民は私を受け入れるでしょう!」

 

 一瞬彼女の言葉に対して変わった執政官の顔色も、ルーナが鳥籠の鳥であると考えれば可愛いものに思えたのだろう。彼は再びその嫌らしい笑みを浮かべ、そう言い放つのだった。

 

 

 執政官の物言いはルーナの、そして『執事い』の表情を曇らせるには十分なものであった。

 

「ーーーそんな勝手な事を」

 

 押し黙って二人のやり取りを見守っていた執事いは思わず声を上げてしまう。執政官はそれを聞き、「もはや止めることは出来ませんよ。動き始めれば後は『終わり』まで突き進む。それがヒト族の卑しくも純粋な部分でしょう」と物知り顔で語った。

 

「さて、そろそろ教えてくださっても良いのではないですか? 『剣』を、古代の遺産を制御する方法を。貴方ならご存知なのでしょう?」

「ヒト族に、アナタのような輩に伝えるモノはございません」

「執事い、言う必要ねーのら。こんな奴に知識の一片でもやったらダメのらよ」

 

 そこで「ほう。そんな事を言いますか」と声がした。執政官の今までにない戯けたような声が部屋の中に響いたのだ。

「な、なんなのら?」とルーナが堪えきれずに答える。彼女の足元で執政官を見上げていた執事いも、その変わり様に怖気の様な感情を覚えていた。

 

「なればソラからの客人に、あの方に協力いただくこととしましょう。どれだけあの方の力が我々より強かろうと、人さえ積めば抑えはことなど造作もない」

 

「ソラからの客人? ココち……」

 執事いの不意に出た言葉は何も取り繕われていない、少女然とした響きで部屋に響いた。先刻ノエルとともにどこかに連れて行かれてしまったココがどうなってしまったのか、執事いはおろかルーナですら聞かされてはいない。手荒なことはしないだろうが、今にも浮遊島が落ちてこようこの状況ならば、執政官たちが自分以外の手がかりであるココをどう扱うのか想像も出来ない。

 

「さあ、如何かな?」執政官の偉そうな言葉が再び押し付けられる。

「卑怯にも、ほどがありますよ」執事いは悔しそうに答えて、その小さい手にグッと力を込めた。だがそれが誰かに見舞われることはなかった。

 

 執事いのその態度を大層気に入った様子で「ヒトとはそうやって生きながらえてきた種族なのですよ」と満面の笑みで執政官は続ける。「もう時間はありませんよ? 早く教えていただけませんと、外の騎士たちに指示を出さなくてはいけなくなる」

 

 そのあまりに醜悪だと、ルーナは静かに執政官を睨みつける。

「くせーやつのら……」

 

 その物言いに当然執政官は怒りを顕にしようとしたが、普段の柔らかな面差しと全く違うルーナに彼は反射的に言葉を返すことが出来ない。たとえ出来たとしても子供の様な、乱暴なものになってしまうと考えたのだろう。

 

「姫様……そのような事、言うものではありません。はしたないですよ」

 

 彼はわざとらしくため息をつきつつ、大人然とした態度でそう続けながらルーナから視線を外す。これ以上彼女と会話をしてしまえば主導権を握られてしまうと彼は想像してしまったのだろう。だからこそあえて標的を執事いに定めていた。

 

「さて、教えていただけるだろうか?」

「分かり、ました……しかし、忠告します」

 

 執事いの声から怒りの感情が消え、それは淡々と語り始めた。『危機を伝える機能』としての役割を果たすための、一切の感情を排した言葉でこう続ける。

「『ソラ』がまだ此処に現れていない今、何の準備もなく『起こせば』もう後戻りは出来ませんよ?」

 

 その警告を鼻で笑いながら執政官は執事いの話に耳を傾けた。彼にとっては全ての行動に対し勝算の様なものがあったのだろう。それを後悔することになることも知らずに彼は不敵な笑みを浮かべていた。

 

 部屋に差し込む陽の光に深い色が混ざり始める。

 セカイは徐々に眠りの時を迎えようと、せめてヒトの醜さを覆い隠そうと、帳を落とし始めていた。

 



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ウェスタ狂騒曲

 東へと影が伸びて行く。橙のセカイの中にゆっくりと、ゆっくりと伸びて行く。建物の影、人の影、そして『剣』の影。まるですべてが帰るべき場所へと帰って行くように長く伸びて行く。

 

 しかし穏やかな空気が流れるはずの時間帯にあって、街は異様な雰囲気に包まれていた。

 

「おかしい……」

 

 慌ただしく動き回る街の人たちを横目に、フードを目深に被りフレアが呟く。出来る限り大通りを避けフレアとかなたは一路壁門を目指して進んでいた。

 

「街の様子が慌ただしい……」

 

 ウェスタは活気溢れる街だ。それは遠く離れたエルフの森に住むフレアも知るとことである。多くの物、人が行き交う西方で最も発展した街であるが、夜も更ければ相応の静寂が街に平穏をもたらすはずだと彼女はそう理解していた。

 

 だが今のウェスタの街には何やら物騒な雰囲気が街を包んでいるように彼女には感じられた。

 

「それって、もう島のことが伝わってるってことじゃ?」不意に隣を歩くかなたが呟く。しかし素直にそうであると、フレアは賛成することは出来ず沈黙したまま歩みを進めていた。

 

「……どうだろう? 島が落ちてくるって知ってたら……」

 フレアはグッと言葉を押し留める。もし巨大なものが空から落ちてくると知れれば、人々は混乱してより混迷を極めるはずだ。かつてヒト族とエルフの戦争をその身で体験した彼女だからこそ、ヒトやエルフが追い詰められた時に見せる醜悪さを理解していた。それとはあまりに違う街の様相に、『まだ人々には何も知らされていない』と彼女は結論づけていた。

 

 だがシオンの口にしていた通り、島が落ちてくるということは否定する事も出来ない事実なのだろう。

 

「とにかく今は進むしかない、か」と独りごちるフレアに、「はい……」とかなたは言葉少なく答え、二人は静かに壁門へと急いだ。

 

 

 壁門へと近づいて行くに従い、混乱した様子の人々の数は増えて行く。彼ら彼女らは口々に各々の推測を語っているが、その中の大半は自分の保身に対する心配ばかりであった。何も気にしなくても聞こえてきてしまうその言葉たちに、フレアとかなたは辟易しながら先を急いていだ。

 

「数日前から、兵隊の様子がおかしいみたいだね……」

 

 人々が共通して口にしていたのは街の騎士団の慌ただしさだった。

 街を守る騎士団の一つが北から帰って来て以降、何かを探すように街中を駆けずり回っている。普段の彼ららしからぬ行動だ。彼らの長である団長がいればこんな配慮のない行動はしないはずだと、そう口にしていた。そしてもう一つ彼女たちの耳には違和感のある言葉が耳をついた。

 

「大っきい……ソラから落ちて来た?」

 

 それはあまりに要領の得ない話であった。断片的に聞こえて来たのは『巨大なもの』『ソラから落ちて来た』『御伽噺に出てくる怪物』というワード。何も知らないウェエスタの街の人々であれば、その荒唐無稽さに頭を悩ませても無理はないだろう。

 

 しかしかなたには彼らの口にする『それ』が何であるか、直感的に理解出来ていた。

 

「……まさか、ココ? なんで?」

 

 不意に口にした友人の名前。心のどこかであり得ないと思っていた、そう信じていた。

 しかし友人の名を耳にし、それが夢ではなく現実なのだと実感し始めていた。

 

「やっぱり、シオンさんの言ってたこと……本当なんだ」

 

 島が落ちてくる。

 

 魔法使いの語った、厄災がここに現実になろうとしていた。

 

 

 街の人々の声に思わずその足を止めてしまうかなた。思いがけず思い出してしまった、離れ離れになる直前の友人の表情を思い出しながら彼女の中にはなんとも言えない感情が渦巻いていた。

 

 ココに限って万が一などあり得るはずがない。しかし彼女が騎士団に捕まったと聞かされては心配するなという方が無理がある。

 

 だがこのままここに留まっていては、かなた自身もココの二の舞になってしまうだろう。今のフレアにとってかなたの呟いた『ココ』とどういった関係にあるかは分からないが「かなたちゃん……多分一つの場所に留まってちゃ危ないから」と先に進むように促す。

 

 フレアに感謝の念を覚えながら、軽く縦に頷いて再び足を動かし始めた。しかし進めば進むほどに通りに人は溢れ、身を隠しながら進んでいくのも難しくなって行く。

「ちょっと、まずいかもなぁ」と独りごちるフレアの表情にも焦りの色が見え隠れしている。そうして大通りを避け裏道を進んで行こうとした瞬間、「ーーーッ! ストップ!」声を潜めながらも強制力のある声と共に強い力でかなたの腕が引かれる。

 

 腕の痛みに顔をしかめるかなたであったが、すぐにフレアの行動の意味を理解できた。

 

 二人の視線の先に現れたのは、全身に鎧を着込んだ数人の騎士の姿。肩には彼らの所属する団の証でもある剣を模したマークがあしらわれている。そんな彼らは明らかに怪しい行動をとるかなたとフレアを不審に思ったのだろう、「そこの二人、待て!」と棘のある声を投げかけ二人の前に近づいて行く。

 

「何やらこそこそと……」そう言いつつジロリとかなたを見据え、そしてフレアに視線を移した瞬間、その表情は驚愕と怒りに似たものに染まり、目深に被っていたフレアのフードを強引に引き剥がした。

 

「貴様、いつぞやのエルフ!」

「私はハーフエルフで……まぁいいけどさ。なに? 正直ヒト族なんておんなじ顔に見えるから覚えてないけど……前に会った?」

「何を! かつて相対したこの白銀聖騎士団の旗印を忘れたか!」

 

 怒声をぶつけられるフレアは一瞬不満げに声を漏らしたが、すぐに表情は冷静になりながら挑発するように言葉を続ける。そして騎士の語ったその騎士団の名前に眉根をピクリと反応させるのをかなたは見落としてはいなかった。

 

「副長! こんなところで油を売っている場合ではありません。ノエル団長殿を捜索するのもありますが、今は街の人を落ち着かせませんと!」

 

 しかしかなたの疑問はもう一人の騎士のその言葉によってかき消されてしまう。

 

「待て!」

「なんだエルフ! 貴様の相手をしている場合ではないのだ!」

「アナタたちの団長が、一体……一体どうしたの!」

「どうしたもこうしたもない! 数日前、ソラからの客人を伴われて城に向かわれたから帰ってこんのだ!」

「帰ってこないって……あなた達は一体何してたの!」

「き、貴様に言われずとも我々こそ歯痒いわ! 騎士をの名乗っておきながら団長殿がいないだけこの体たらく……許せるものではないだろう!」

「なら、早く城に行けばいいじゃないか!」フレアは、騎士団の面々が目の前にいるのも憚らず、断定気味に言う。

「そんなこと、分かっておる! しかし……」騎士は言葉に詰まりながら視線を泳がせる。彼らにも『団長』のいる場所が分かっているが混乱し始めた街の状況を捨て置くわけにもいかず、手を拱いていたのだ。

 

「副長! ですから早く行きましょう!」

「あ、あぁ、エルフ! 今日のところは見逃してやる。ありがたく思え!」

 

 一方的にそう言い捨て、白銀聖騎士団の面々は再び大通りの、人混みの中に消えていった。

 

「……」

 

 その後ろ姿を見送るフレアの表情を、かなたはこれまでの旅の道程で何度も目にして来た。

 

「フレアさん……」

 

 そう。この表情は、フレアが『ウェスタにいる思い人』に思いを寄せる時に見せる、哀しそうなそして優しさに満ちた表情だった。そしてもう一つ、思い人を心配する様子も今の表情からは窺い知ることが出来る。

 

 きっと今すぐにでもその人を探しに行きたいのだろう。そうならばかなたがフレアを止めることは出来ない。せめて励ましの言葉を持って送り出してあげようと考えていたかなたであったが「かなたちゃん、とにかくあそこに急ごう……」と呟くフレアに思いがけず目を丸くしてしまう。

 

「良いんですか? あの人たちの言ってた団長さんってもしかして……」

「いいんだ……あの人たちは大丈夫だよ。でもさ、かなたちゃんは気になってるんでしょ?」

「気になるって……」

「あの人たちの言っていた『ソラからのお客さん』のこと。きっとそれって……」

「大丈夫ですよ」

 

 間髪入れずにかなたはそう返した。確かに心配する気持ちが全くないと言えば嘘になる。

 しかしかなた自身は信じているのだ。常に隣にいたからこそ、どんな時でも真っ直ぐな姿勢で前を剥き続ける彼女を知っているからこそ。

 

「ボクのトモダチは絶対に大丈夫ですから」

 

 そうハッキリと言ってのけられる自信があった。

 

 そして目の前に高い、高い壁門がそびえ立つ。ここに足を踏み入れれば最後、決して戻ることは叶わないとそう告げるように、橙と黒に染まりかけたそれがそこには聳え立っていた。

 



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騎士たちの混乱

 彼女達の眼前には、市街と貴族街を隔て、円環に連なる白亜の壁。ここを、そしてその少し先にそびえ立つ『剣』を目指して来た彼女達、かなたとフレアにとってそれはあまりに大きなものに感じられた。

 

 深くため息を吐くかなたの瞳は一瞬、何かを達成したかのように潤む。しかし次の瞬間にそこに差し込まれるのは困惑した色。

 

 ここまで至って彼女の脳裏に過ぎったのは、『これからどうすればいいのか?』という素朴な疑問だった。

 

「シオンは上を目指せって言ってたね……」

 

 かなたの不安そうな表情を見とめながら、同じように視線を『剣』に向けるフレア。彼女自身もここからは未知の領域なのであろう。声に少しばかりの緊張が滲んでいた。

 

「案外よじ登ったりだとか?」

「そうですね……って無茶でしょ! ちょ……フレアさん?」突然何を言うのかとフレアに問いかけるかなたの表情からは先ほどの不安に塗れた色は消え失せていた。それはフレアなりの冗談のつもりだったのだろう。気を使わせてしまったことに悪いと思いつつも「ありがとうございます」と返し、かなたはもう一度天高くそびえる『剣』に視線を向ける。

 

「一応あの子も魔法使い。そんな力技でどうこうなんて……」

 

 自分たちでは『剣』はおろか白亜の壁すら登ることは出来ないだろうとフレアは右手を自身の頬を当てる。さすがのフレアもこの状況を打破する手立ては簡単に思い浮かばないのだろう。ここまで難しい表情を浮かべる彼女を見たことがないなと、ぼんやりと思えていたかなた。

 

「剣の根っこ……」

 

 不意にその言葉がかなたの口をついた。

 

「剣の根っこまで行ってみましょう!」

 

 同時に彼女の頭に浮かんでくるのは、蒼白く輝く台座の上に置かれた円形の何か。

 

「きっとそこから上に、『剣』を起こすことの出来る場所に行けるはずです!」

 

 理由を問われてもどう答えて良いのかわからない。しかしそれが『剣』を制御する場所なのだと確信できた。

 

「でもあそこはヒト族のお城のはずだけど……なんかわかるの?」

「なんか変な感じがします。多分そこにある……」

 

 強く否定することもできた。しかしかなたの物言いはフレアにこう思わせたのだ。

 

 『古文書に書かれていた通り、本当に『ウェスタを去った種族』だから、『剣』や古代文明のことがわかるのではないか』

 

 そう考えた瞬間に、彼女の心は決まった。そして、そこに近く手立ても同時にハッキリと浮かんでいた。

 

「あぁ、行く……いや行こう! ちょっとリスキーだけど、さっきの人達に上手く話せば……」

「さっきの人たちって?」

 

 フレアが何に行き着いたのか、かなたは素っ頓狂な声をあげながら首を傾げる。先ほどのハッキリといた物言いからは考えらえないとぼけた声にクスクスと笑うフレア。

 

「あの人たちだよ。あの騎士団さん」

 

 そう言いつつ、フレアは人垣の遠くで慌ただしく動く数人の騎士に視線を向けるのだった。

 

 

 

 夜も更け、人々が寝静まるであろう時間になり始めていた。『剣』の頂に向け、顔を出した月は少しずつその存在を露わにしていく。まるで「この世は貴様のものではない」と月は告げるようにゆっくりと、自らを『剣』の遥か上空にまで至らせようとしていたのだ。

 

 そう。そもそも皆が静まり返るはずの時間帯なのだ。しかし今宵はそうではない。

 

 それは街に流布された噂が原因であった。

 

 『もうすぐソラからエルフの攻撃がある』

 

 人々はその真偽もわからず、唯一頼ることのできる騎士団の団長も行方が知れない状況にあり混乱していた。本来であれば市民の安全を一番に考え行動するのが、かの騎士団が普段行うはずのことである。しかし団長が行方不明になってしまった今、そうと分かっていても団長の安否を気遣うあまりに彼らは迅速な行動ができないままでいた。

 

 しかしそれを『とある女性』が嗜めたことにより、状況は変化し始めた。

 それをありありと示すように、壁の中と外とを行き来できる唯一の門、そこは人で溢れかえっていた。

 

「し、執政官どの?」

 

 それは白亜の壁の中の、ルーナ達王族の居城にまで届いていたのだろう。城の外を一望することが出来るバルコニーに歩みでながら執政官と呼ばれた男性は難しい顔をしていた。そこで警備に立っていた兵士も、突然執政官が現れたことに驚きを隠せず上ずった声をあげて姿勢を正した。

 

 否、それだけではない。バルコニーのすぐ側に、自分の使える姫とそれを護る騎士達の姿を見とめたからこそ、彼は余計に身を硬くしていたのだ。

 

「どうしたのだ、慌ただしい!」

「な、なぜか外の住人たちが壁門の中に入ろうとしているようです、おそらく……直に門も突破され、城に詰めかけることになるかと」

「そ、そと? 外の住人だと?」

 

 執政官自身もそうなる可能性は織り込み済みであった。しかしここまで大規模になるとは想像もしていなかったのだろう、額に汗しながら喧騒に耳を傾けていると、兵士がこう続けた。

 

「自分たちを守れと、そう言って押しかけておるのです! それを『奴ら』が」

「待て、まさか……」

「そうです、奴らが……白銀聖騎士団が!」

 

 執政官が自身の目を凝らして見据えた先、深い青の鎧に身を包んだ騎士達の姿。それを見とめた瞬間に彼の顔がどんどん歪んでいく。そして誰にぶつけるでもなく「忌々しい……団長不在でも此処まで忌々しいか、あの騎士団は!」と怒声がバルコニーから城中に響き渡った。

 

「と、とにかく! はやく対処しませんと!」

 

 声は一瞬震えたように聞こえたが、姿勢は崩さないまま兵士が答える。それを一瞥し何か思うところがあったのだろうか。執政官は少しの沈黙の後、ニヤリといやらしく笑みを浮かべた。

 

 

「……良い、捨ておけ」

 

 静かに、声を潜めながら彼は呟く。

 

「な……それでは市民達が!」

 

 兵士には執政官の言っている意味が理解できなかった。否、言葉をそのまま受け止めれば良いのだと分かりはしたが、それでも兵士には理解をして良いものではないと感じられた。

 

「執政官殿、それはあまりに」

 

 しかし彼が相対しているのは執政官。この国の摂政のような役割を持つ彼に、一介の兵士が口答えをしようものならどうなるかは想像に容易かった。だからこそ兵士は口を噤んでしまった。そして兵士の様子にさらにいやらしく口元を歪ませる執政官は彼の方に手を置き彼にだけ聞こえるように、側にいる姫達には聞こえないようにこう呟く。

 

「良いのだ。直に力が手に入れば……」

 

 それはあまりに私欲に塗れたものだと、後にこの兵士は振り返る。

 とても一国の摂政のセリフとは思えないその物言いに、彼はただ身を震わせるしかできなかった。

 

 

「この街の住人など、見放してしまっても構わんだろう?」

 

 

 

 眼前にそびえる壁門を目の前に、とある騎士がため息を吐く。

 彼は自身が所属する白銀聖騎士団の団員であり、団長不在時には騎士団を指揮する役割を担っていた。

 

 そんな彼が眼前に広がる白亜の壁と、その前に殺到する市民を見つながらさらに深いため息をついた。

 

「ただ場を混乱させる様な行為……本当にこんなことをして意味があるのか?」

 

 本来彼らの使命は『ウェスタの平穏を保つこと』にある。

 だが今彼の目の前で繰り広げられている混乱は、言ってしまえば自分たちが起こしているものに他ならなかった。しかしそれも頭上に突如として現れた『島』を目にすれば致し方ないことであった。

 

 それは突然、なんに前触れもなく現れた。ソラの星々を、月を覆い隠すようにそれは現れたのだ。

 

 『まるで御伽噺に描かれる風景ではないか』

 

 呑気にそう考えた者もいるだろう。しかし大半の市民達の頭を占めたのは『恐怖』という感情であった。そうなってしまえば市街が混乱の坩堝なるのは時間の問題であった。

 

 慌て騒ぎ出す者、混乱に乗じて悪事を働く者、ただ神に祈りを捧げる者。窮地に陥った時、ヒトは自らの心の内を曝け出すというが、それらは一様に醜い光景であると見る者に思わせた。

 

 そして彼ら白銀聖騎士団も同時に窮地に追いやられていた。

 

 この危機的状況において、彼らの団長の不在。

 平時から彼女の意思を持って行動している彼らにとってその不在はあまりに大きく、次の行動すら決めかねていた。その結果騎士団の統率は乱れ、収集のつかない状況となってしまっていた。

 

 それを変えたのは、騎士団に接触を図った女性が原因であった。

 

「意味はあるよ」

 

 人だかりの中、その騎士の背後からその声が響く。

 突然の呼び声、しかし騎士は動じることはせずゆっくりと振り返り声の主を見とめた。

 

「……エルフ」

 

 そこにはフードを目深に被った一人の女性。彼が先刻裏通りで出会った褐色のハーフエルフがそこに佇んでいた。

 

「正確にはハーフエルフね。で、壁の外の人たちは?」少し不機嫌な声でそう問いかける彼女に厳しい視線を向ける騎士はまたため息を吐く。異種族であるエルフが自分たちよりもヒト族のことを気にかけるこの状況がどうしようもなく情けないと彼は考えていたのだ。

 

「あぁ、団員総出で誘導をしている」

「多分このままだと……明け方には『落ちて』きちゃう。出来る限り急いでね」

 

 そう言いつつ、彼女は視線を頭上の、刻々と存在感を露わにしている『それ』に向けた。

 

「しかし城の連中は何をしているのだ! 頭上にあんなものがあるのに……」

 

 彼女に対する負い目、そして明らかに危険とわかるそれを目の前に苛立ちを隠すことができない騎士。彼の行き場のない怒りの感情に「普通なら、どうにかしないとって思うよね」と返した。そして彼女は「多分だけどさ」と付け加えつつこう続ける。

 

 

「あれを脅威とは思っていないんだよ。むしろ福音だなんて思っている人もいるんじゃない?」

「しかし……明らかに落ちてきているぞ!」

「だからあの城にあんなものを『操れる』って思ってる人がいるんだよ」

「何を、馬鹿なことを……」

 

 頭上の『島』はウェスタの街を覆い隠すほどの大きさがある。それを操る事など出来ようはずがない。仮に出来たとしても、被害が出ないなど到底彼には思えなかった。

 

「一体、なにを考えているのだ、中の連中は!」

「とりあえずさ! 時間がない今、ウェスタから離れるのは限界がある。一番確実にみんなを守ろうと思ったら、剣の下に、城の側まで行って隠れる場所を探すしかないよ。それにさ……」

 

 彼女は騎士に視線を向け、ニコリと笑みを作る。

 

「城にさえ行き着ければ、貴方たちの目的も達せられるんじゃない?」

「確かに。城の中にさえ入ることができれば団長どのをお探し出来る」

 

 彼女の言葉は意地悪なものであったが、間違いなくそれこそ彼らの取るべき最善手であった。市民を守り、彼らの団長を見つける。そして団長さえ戻って来ればこの状況を打破することが出来る。

 

 彼らは信じて疑わないのだ。

 

「団長殿が、ノエル団長がいれば……」

 

 そう呟く騎士にみえないよう笑みを作り、再びフードを目深にかぶるエルフは「……さて、私は行くよ」と言い残し、人混みの中に消えていこうとする。

 

「待て、ハーフエルフ!」騎士はその後ろ姿を止めようと大声を上げる。しかしそれは市民たちの喧騒に簡単にかき消されてしまうが、彼女の耳に届かせるには十分だったのだろう、寸でで彼女は振り返った。

 

 彼女の顔に張り付いていた表情はどこか物憂げだと、騎士には感じられた。

 

 その時の彼女の表情の意味を、その騎士はすぐに知ることになる。

 

 それが誰に対する、どんな感情であったのか、今の彼には全く想像もできないものであった。

 

「……何?」

 

 物憂げな彼女の返答に、一瞬口を噤んでしまう騎士。

 

「貴様、一体何が目的だ?」しかし彼はそれを聞かずにはいられなかった。

 

 本来正式な取り交わしは為されていないが、長くヒト族とエルフの間には戦いが続いているが、半ば休戦の状態になっていた。少なからず互いに対し悪感情を抱いていても不思議はないものだが、目の前のエルフはそんなことを全く気にかける様子もなく、騎士たちに接触を試みてきた。

 彼らも団長不在の中、少しでも場を好転させることが出来るのであればと賛同したが、冷静になればなるほどその不可解さに首を傾げないわけにはいかなかった。

 

「目的って、それ今更聞く?」

「貴様が現れたタイミングはあまりに都合が良すぎる。それに……」

 

 そしてもう一つ、この騎士には大きな疑問があった。

 

「身も知らないハーフエルフが『貴方達の団長なら言うだろうってこと』を言ってのけたのが理解できないってこと?」

「……」

 

 その沈黙はまさに肯定であった。

 そう、あまりに似過ぎていた。むしろ彼らの団長である白銀ノエルであれば言うであろうことを、彼女は言ってのけたのだ。

 

 『ねぇみんな、困ってるヒトがいるんしょ。なんで動かないの? 今動かないで、いつ動くの?』

 

 きっと白銀ノエルであればこう言うはずだ。

 

「図星かな?」

 

 ハーフエルフが口にしたのはノエルが口でするであろうものよりも辛辣なものであったが、それは彼女と言う人物を知らなければ口にできないものであった。

 

「そうだ……貴様が言ったことは団長殿が我々に常に仰られていることだ」

 

 正直騎士らしからぬ、甘いことだと騎士は断じる。

 

「だが、我々はそんな彼女を信頼しているのだ。ウェスタを治める王や貴族達にではなく、白銀ノエルというヒトに、我らは剣を捧げたのだ」

 

 彼の口元には笑みが浮かぶ。それは本来の騎士然としたものではないかもしれない。しかし彼らにとって、白銀聖騎士団の団員にとっては『白銀ノエルの意思』こそが絶対であり、そして同時にその威光に頼ってしまっているのだろう。

 

 騎士のその言葉に少しため息をつきながら再びソラを見上げるハーフエルフ。

 

「ホント、変わらないんだな……」

 

 ポツリ、そう呟く。

 

「私もだよ」

 

 もう一度、次は深く、噛み締めるように言葉を紡ぐ。

 

「そんなあの人だから、好きになったんだ……そんなノエちゃんだから、大好きになったんだよ」

 

「貴様は……」

 

 彼女の浮かべた表情は『恋』を語るにはあまりに重く、長い間積み重ねられた思いを感じさせた。だからこそ彼は何言えなくなっていた。彼女が自分たちの団長の名を知っている理由も問い質さなくてはいけなかったはずだが、それすら忘れてしまうほどに騎士は彼女の表情に見入ってしまっていた。

 

 しかし次の瞬間、壁門からこれまでにないほどの声が上がる。それと同時に人垣を掻き分け、別の騎士が二人の側に駆け寄ってきた。

 

「副長殿! 壁門が開きました、突入できます!」

「あ、よし……分かった。くれぐれも市民が混乱せんよう注意するのだ!」

 

 やってきた騎士にそう返す副長と呼ばれた騎士が一瞬ハーフエルフから視線を外した「じゃあね。生きてたらまた会おう」の言葉と共にハーフエルフの姿はそこからいなくなっていた。

 

「……」

 

 まるで夢でも見ていたのだろうか。

 しかし彼の耳に残った彼女の言葉が、先ほどまでのやりとりが現実であると言うことを告げている。

 

 だからこそ、彼は動かなくてはいけない。

 彼女たちの団長が口にしている通り『守るべき人々のために、常に最善を尽くす』と、その一念を持って。

 

 

「全軍、市民を守りながら中に入り、そのまま城に向かうぞ! まずは市民達のための駐留場所を確保し、その後に団長殿の捜索に入る!」

 



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希望と栄光の島

 白亜の壁が開かれてからいくばくかの時間が経過した頃、ノエルとココの囚われていた場所にも喧騒が届いた。

 

「来た、かな?」

 

 下を向き、ジッとしていたノエルもついに顔を上げ、物音の響いてくる方を見遣りながら呟く。

 

「えっと、何がです?」ノエルの言葉の意味を理解する事が出来ずに、彼女に視線を向けながらとぼけた声を出すココに、ノエルは笑みを浮かべなら立ち上がる。そして自分たちが押し込められた部屋の唯一の出入り口を前まで足を進めた。

 

「ココちゃん」

「は、はい……」

「ちょっとうるさくしちゃうけど我慢して、ね!」

「ヒッ!」

 

 刹那、轟音と共に自分たちと外界を隔てていた鉄塊が紙屑のようにひしゃげ外に飛び去った。

 

「な……え?」

 状況を言葉で言い表そうとするのは簡単である。だがそれを許容する事が出来るかどうかは全く別であると、この時のココの頭を占めていたのはそんなおかしな考えだった。

 

 ノエルの振り上げた拳が目の前の扉をはじき飛ばした。しかし彼女の拳も、そして腕もそれを為し得るにはあまりにもか細く、そして可憐であった。だからこそ彼女は目の前で起こったその光景を現実とは受け入れられなかった。

 

 しかし自分の目に、そして喉に感じる埃っぽさが、それを現実であると告げていた。それと同時に恐怖という感情がココの中で沸き起こってきたのだ。

 

 やはり、この女騎士はヒト族の枠に収まる者ではない。間違いなく、自分の知る中で随一の力を有した存在であると。

 

 そう思わずにはいられなかった。

 

「ん? なんでそんな顔してんの?」

「な、なんで最初からそうしなかったんですか?」

「あぁ、それは……やっぱり乱暴なのはダメでしょ?」

 

 そう言いつつ、外の様子を窺うノエル。そのアンバランスさが彼女を彼女たらしめているものなのかもしれない。ココには自分をその言葉で納得させるしか出来なかった。そうしなければきっと、ここから先ノエルについていく事は出来ないと直感していたのかもしれない。

 

「ん、とりあえず外に出よう」みんなと合流しようかと付け加えつつ、先に部屋を出ていくノエル。

「は、はい!」

 

 彼女の後に続き、ココも部屋を出ながら周囲を見やる。

 

 ルーナの部屋からこの部屋に押し込められるまでに周囲を窺った限りでは、そちらこちらに警備の目があった。そして部屋の前にも屈強な兵士が立っていたはずなのだが今はそれも皆無。

 

 間違いなく不慮の事態が発生したのだと思わせる雰囲気に、身を固くしながら二人は城の城門まで一気に駆け抜けてた。

 

 すでに城門前には市民が大挙し、今まさにそれが開け放たれた瞬間であった。しかし彼らは無秩序にではなく、何かに先導されながら城門の中へと歩みを進めていた。

 その光景に「みんな、やっぱり団長の気持ち分かってくれとったんだ」とホッと胸を撫で下ろすノエル。その声を聞き逃さなかったのだろう、市民を先導していた騎士の中の一人がノエルとココの側に駆け寄る。

 

「団長殿、ご心配しておりました!」

 

 駆け寄った騎士も、ようやくノエルたちを見つける事が出来てホッとしたのだろう。少し声が上擦ルガ、どうにか佇まいを正しノエルの言葉を待つ。

 

「ん、ありがとね。それで街の人たちはみんな城の方に来る事が出来てる?」

「正直迷いました。あんなものがソラから迫っている中、城に逃げ込むべきかどうか」

「……まぁそうなるよね」

「島、落ちて来てる」

 

 本来であれば街の外に逃げ出してもおかしくはない。しかし刻々とその大きさを露わにする島の様子を見れば、どれだけ遠くに逃げればいいのかは想像もつかない。

 逆に城の、『剣』の真下であれば、それが遮蔽物となる上、古代文明に遺産としてそこに残るそれならば強度は問題ないはずだ。しかしその確証のない想定を正であると結論づけるのは勇気のいる決断であったとノエルは感じていた。

 

「ですが、ある協力者の助言により城の、『剣』の下が最も安全であろうということと……それが一番市民たちを混乱させない事であろうと結論づける事が出来ました故、誘導してきた次第でございます」

 

 そう言って騎士は悔しそうに顔を歪めた。

 自分たちでは決めきる事が出来なかったことを叱責するように、そして助言に甘えてしまったことを悔いるように。

 

 視線をソラの、降りかかる脅威に向けたのだった。

 

 すぐに視線を二人に戻しながら、騎士はシミジミと「しかし、お二方がご無事でよかった」と口にする。

 この状況は未だに気を抜くことは出来ない。だがこの騎士の、白銀聖騎士団の面々が最も気に病んでいた事の一つは解消されたのだから少しばかり表情をゆるめるても無理はないだろう。

 

「心配かけちゃったね。ホントにみんな、よくやってくれたね」

 自分が不在の中でよくやってくれたと顔を綻ばせつつ、ノエルが騎士に労いの言葉をかける。しかしノエルからの言葉に「勿体ない言葉でございます」と殊勝な態度を見せるがその表情はすぐに曇ってしまう。

 

「ですが正直我々だけでは……本当に、先刻現れた者の助力が大きかったと思われます」

「そういえばさっきも助言って……一体誰が?」

「はい、それが」

 

 ノエルからの問いかけに、騎士はノエルとココが城に囚われてから自分たちの身に起こったことを簡潔に説明し始めた。

 街中に流布されたありえないような噂、それを肯定するように頭上にその姿を現した、ソラを覆う島。そして団長不在の自分たちを叱咤した一人のハーフエルフの存在のこと。

 

「ハーフエルフ……それって」

「えぇ、長い金砂の髪。陽に焼けた肌、そして炉を思わせる橙の瞳のハーフエルフでございます。以前、エルフの森に侵入した輩の引き渡しに参った者と……だ、団長殿!」

 

 彼には何が起こったのかわからなかった。間違いなく今までノエルが目の前にいたはずなのだ。しかし瞬きもしない内彼女は自分の視界の中から消えていた。

 

 ノエルは騎士の言葉を最後まで待たず人のごった返した中に駆け寄り、顔を右往左往させながら何かを探している。

 彼女の中に一体どんな感情が沸き起こったのか、それはノエル自身にも理解が出来ないと言った様子であったが、その感情に名前をつけるよりも先に彼女の身体は動いていた。何よりも『探さなければ』いけないと、そう思ったのだ。

 

「パイセン!」ココは突然走り出したノエルの背中に駆け寄り声をかける。

 

「どこ……どこに行ったの?」

 

 ココの声に反応することもなく、何かを探すその表情は必死の形相のまま。

 

「パイ、セン?」

 

 ノエルのこれまでに見たことのない様子に思わず絶句してしまうココ。

 ココの中の白銀ノエルは、どこまでの冷静な騎士であった。屈強さと可憐さを合わせ持ったアンバランスな存在であれど、簡単に心を見出されることはない。そう考えていただけに今の彼女の行動はあまりに不可解なものであった。

 

 しかし次の瞬間ノエルは我に帰ったのか、背後のココの方に向き直る。

 

「ううん、ごめん。自分のことばっか考えてちゃいけねぇんだ……団長は、『みんなの』団長なんだから」

 

 そうして不意に、騎士がしたのと同じように彼女は頭上の島をジッと睨みつけた。

 

「パイセン、なんか……無理してねぇですか?」

 

 ココの心配そうな言葉にも「そんなことないよ」と返すが、視線はやはり迫る脅威を睨んだまま。それがどれくらい続いただろう、城門からの喧騒も少しは和らいだ頃、ノエルはココに視線も戻す。

 

「ココちゃん、団長行ってくるよ」

「行くって」

「島、止めないと」

「そんな、無理ですよ! 確かにパイセンはヒト族の中じゃかなり強いですけど……それでもあんなモンを止めるなんて無茶が過ぎます!」

「そうゆうのじゃないんだ」ノエルは笑顔のまま続ける。きっとこの気持ちは簡単に理解されないだろうとノエルは内心思いながら言わずにはいられなかった。

 

「強いとかさ、弱いとかじゃない。団長はさ、この街が好きなんよ。この街で生まれて、育って、そんであの人と出会ったこの街が大好きなんよ。好きだから守りたい。何も出来ないかもせんけど、何かしなきゃ……気が済まないんよ」

「パイセン……」ココはどう言ったら良いか分からなくなってしまう。

「これさ、団長の自分勝手だっちゅうことは重々理解しとる。でも、こん我が儘だけは何がなんでも突き通すよ。そんで、街を守るんだ」

 

 最後にもう一度ニコリと笑みを浮かべてノエルはいつの間にか整列していた騎士達の方に歩みを進める。その隊列の中から一人、騎士がやってきて、彼女に武器を手渡した。彼女の手に馴染んだ、よく使い古されたメイスを手に何度かそれを下に振り回し感触を確かめる。

 

 そうして「よし」という声と共に視線をまっすぐ、騎士団に向けてよく通る声で話し始めた。

 

「みんな! どうなるかわかんねぇから、何時でも逃げられるように退路を確保しておくように! 団長は、ちょっとアレを止めてくっからさ!」

 

 それはあまりに短い言葉であった。そして彼女自身もそう告げると踵を返し、城内へと歩みを進めていってしまった。

 

 彼女の言葉に、そしてその後ろ姿に騎士達の返答は「応」の乱れのない一声のみ。

 その言葉だけで彼らは団結し、そして様々な状況を想定し、各々やるべきことへと戻っていった。

 

 まるで敵わない。ココにはそう思えて仕方がなかった。

 彼女自身、落ちてくる故郷を目の前にし、何かをしなければいけないという焦りはあった。しかしその結果を受け入れてしまっている自分も少なからずあった。ただ仕方がないのだとそう思い込むようにしていた。

 

 だが目の前の騎士は、白銀ノエルと彼女に付き従う騎士団はどうだ。

 彼らはまだ何も諦めていない。心のどこかに諦めがあったとしても、ノエルの一言で団結し、そして最善を尽くそうと必死に動いている。

 

 それに引き合え自分はと、気恥ずかしさに俯き加減でいると足元に見えた人の影に顔を上げる。

 

「桐生殿」それは先ほどまでノエルと共に話をしていた騎士であった。

「はい」

「行ってあげてください」

「わ、わたしで良いんですか? わたしはあなた達とは……」

「いえ、むしろ我々がついていっては本当に団長殿の足手纏いだ」

 

 そう口にした騎士はあまりに悔しそうに腕を震わせる。本来ならば、自分のようなウェスタと関係のないものに任せたいことではないだろう。しかし彼が言った通り、白銀聖騎士団の面々が着いていっても力不足であることは明白であった。

 

「お願い申し上げます! 団長を、見守ってあげてください」

 

 深く頭を下げる騎士。

 その行動に返すべき言葉は、もう決まっている。しかし、それでも簡単に踏ん切りを付けることができないまま言葉に詰まるココ。しかし不意に視線の端に通ったモノにハッとさせられた。

 

 それは白い鳥の羽ばたく軌跡。

 数日前に離れてしまった最も親しい友人の背に携えられたそれと同じ、白の翼。

 

 島が落ちるということは故郷に何らかの被害が及ぶだけではなく、もしかすると既にこの街にやって来ているかもしれない友人も被害を被るかもしれないのだ。

 

 そう思い至った瞬間、ココの口からは自然と

 

「……わかりました」

 

 という言葉がこぼれ落ちていた。

 

「ご武運を。団長殿を、よろしくお願いします!」

 

 自分の不意の言葉、そして騎士のその返答。ここまで後押しされてはもはや逃げることも出来ない。ココは城内へと歩いて行ったノエルの後を全速力で追いかけた。

 存外そこまで時間は経過していなかったためか、すぐにノエルの後ろ姿を見つけたココは、息を弾ませたまま彼女を呼び止める。

 

「パイセン! ノエルパイセン!」

「ココちゃん……着いてきちゃったの?」

「もちろん! 貴女に着いていけるの、わたしくらいです」

 

 ニヤリと笑みを浮かべるココに、吹き出しながらカラカラと笑うノエル。

 緊張の色は緩んでしまったのか、そこから少しの間声をあげた彼女は笑っていた。

 

 少しは自分が来た甲斐があったと胸をなで下ろすココ。とりあえず城の中に入って来たは良いがこれからどうするべきか、彼女には見当も着いていない。

 

「で、どうします?」素直にノエルにそう尋ねるココに、彼女は「まずはルーナ姫んとこに戻ろう……っても、多分もういないだろうね」と一言返した。

 

「あのおっちゃんと『剣と島』を操作することのできる場所に行ってるってことですね?」

 

 そう。部屋に軟禁される前のことを思い出せば管理官の男性がルーナと『執事い』を伴って、古代の力を呼び起こそうとするのは容易に考えることができた。しかし肝心なその場所がわからないことには動きようがない。

 

「そうそう。だからちょっと、色々聞いて回らないと、ね?」

 

 そしてまたノエルは城の奥へと足を進め始めた。向かう先は人の気配がする方向。

 きっとそこに、目的のものがあると確信した彼女の足並みは全く迷いを感じさせるものはないのであった。



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異界へと続く塔

 城門が開かれ、幾ばくかの時が経っていた。

 慌てふためいていた市民たちも騎士団の誘導で少しは落ち着きを取り戻したのだろう。所々に笑顔や笑い声が聞こえる。

 

「じゃあそろそろ……」

「そうですね、もう街の人たちも大丈夫でしょう」

 

 街の人々、そしてそれを取りまとめる騎士団の様子を見とめ、二人は一路城の内部へ侵入する。

 

 きっと城内は兵士でごった返し、街中でやっていたように隠れながら進むしかないかと二人は考えていた。

 

「なんか、明らかにおかしい……人が全然いないなんて」

 

 フレアが呟いた言葉通り貴族はおろか警備の兵士が全くいない。まるで自分たちを奥へと誘うかのようになその雰囲気に身を固くしながらかなた。

 

 彼女に視線を送りながら「ま、進むしかないってことかな。じゃぁ行こうか!」と答えるフレアは一気に駆け出して行った。それに慌てながらかなたはそれに続く。

 

 遠くになり始めた市民たちの声を背に二人は走る。城の奥を、剣の突き立つ根本を目指し駆け抜けていく。

 明確な頼りがあるわけではない。ただ彼女の、天音かなたが感じるままに彼女たちは足を動かし続けていた。

 

「多分、そっちです」

 

 目深に被っていたフードをグイと払い除け、前方を指差すかなた。額には薄らと汗が滲み、肩は外界の空気を取り入れようと必死に上下に動いていた。

 

「なんかドンドン奥に進んでるけど大丈夫?」

 

 一方、彼女の隣を進むフレアには一切息の乱れを感じさせない。

 

「分かんないです!」

「……いいよ、そう言うの嫌いじゃない!」

 

 愉快そうに声をあげ、さらに奥へ奥へと二人は進んでいく。

 調子よく進んでいたかなたであったが、さすがに疲れが見え始めたのか少しペースが落ち始める。その根性なしの足に必死に無理を打ち回転させる。

 

「なん、でだろう……動悸が止まんない」

 

 身体に負担を掛けている行為を行なっているのだ、それは致し方ないであろう。確かに吐く息は重く、そして肺は焼けつくように熱くなっている。しかしかなたの胸を高ならせているものはもっと別にある。

 

 直感があった。この先にはきっと、セカイを変える何かがあると。

 その確信が自分の胸を叩き、焦がれさせ、追い求めさせているのだ。元々それが『自分のため』に準備された、かけがえのないものであると感じさせていたのだ。

 

 しかしそう思い耽った瞬間、気が緩んでしまったのだろう。

 

「かなたちゃん! ストップ!」

 

 フレアの声が耳に届かなければきっと、彼女はそれに気づくことが出来なかっただろう。

 

「貴様ら!」

 

 薄暗い、明かりも少ない廊下の奥。白の鎧に身を包んだ一人の騎士を。

 

「な……!」

 

 そして伸びてくる大声を上げた騎士の手に、咄嗟に動くことが出来ずに身を竦めるかなた。

 

「何故ここ……っ!」

 

 しかし騎士の手がかなたを掴むことはなく、そしてその声が最後まで続くことはなかった。

 代わりに響いたのは鎧の鉄を撃つ鈍い音。

 

「ーーーッ! やっぱりこのまま進んで問題ないみたいだね!」

 

 その光景を見ていたかなた自身も、一体何が起こったのかうまく理解ができていなかったのだろう。

 ただ瞬きの間に騎士の頭部をフレアの右脚が叩き昏倒させた。その華奢な体躯からは想像もできない衝撃とその動きに思わず息を飲んで見まもるかなた。

 

「相対する者同士でなくて本当によかった」不意に溢れたかなたの言葉にクスクスと笑うフレアは「っと、まだ安心するのは早いかもね」と返して、廊下の奥を睨む。

 

 鎧のひしゃげる音を聞きつけたのであろう、廊下の奥からは騎士たちが警戒した様子でこちらに歩んできている。

 

 フレアの言葉通り、そのまま進んで問題はなかった。

 

 しかしこのまま進むということは、ヒト族の騎士たちとの戦闘を避けることが出来ない。

 

 かなたはそれを今、ありありと見せつけられていた。

 

 

 

 足音は複数。仄暗い廊下は見通が悪く、具体的な人数をつかむことはできない。

 ただその音がハッキリと示していることはかなたでも理解が出来る。

 

 その音は明らかに動揺を隠せていなかった。全く整然とした様子を感じさせない音は、何か不慮の事態が起こってしまっていることをありありと告げていた。

 

 

 しかしその状況はこちらにとっては僥倖であった。

 フレアはよしと頷きながら「かなたちゃんはこのまま私の後ろに。絶対に前に出ないようにしてね」と小さく一言。

唐突なその言葉に慌てながらも「は、はい……」と返すかなたの声を聞き、笑みを浮かべるフレア。

 

 そしてかなたがしっかりと自身の後ろに移動した瞬間、フレアのその身体は前方へと爆ぜる。

 まるで弾き出された弾丸のように、一瞬の軌跡を残して彼女の身体は迫りくる騎士たちに向かっていた。

 

「な、なぜエルフが!」

 

 一人

 

「止めろ! 其奴だけは止めるのだ!」

 

 二人

 

「あぁ、なぜ次から次に!」

 

 三人

 

 捉えたのは三人の騎士。豪華絢爛な鎧に身を包んだ騎士たちだ。彼らの身なりなど、彼女には関係ない。 

 

 “ただ目の前の敵対者を撃ち抜く”

 

 ただその一念を持って、フレアは背に掛けていた弓の弦を引き絞っていた。

 

「ッ!」

 

 息が漏れる。

 それと同時にゴォいう音が続けて三つ、鋭くかなたの耳を劈いた。

 

「なん? 何を撃ち出したの?」

 

 そう。フレアの弓に番えられたものは何もなかった。しかし確実に何かが彼女の弓から放たれた。

 昼にシオンと相対した時にも同じ光景を見たはずであるのに、やはり浮世離れしたそれにかなたは頭を混乱させられる。

 

「ダメだ、止められん! 誰かそいつ……」

 しかし言葉を最後まで口にすることが出来ずに倒れ伏す騎士が示すように。

 

「これではさっきの二の舞だぞ!」

 ひしゃげる鉄の音と彼らの呻き声が示すように。

 

 フレアの力が、この場にいる誰よりも強大なモノであると示していた。

 

「ひ、ヒィイィ! なぜだ……なぜ化け物じみた者が次から次に!」

 そして逃げ果せようとする者にも再度弓から放たれた力を射掛け、瞬く間に戦いを終えたフレア。

 

「これで、最後かな?」

 

 かなたの方を向きながらニコリとして見せる彼女からは全く疲れた様子は感じられない。

 森を出てくる時から薄らと感じるものはあった。

 それがシオンと相対した時初めてそれを目の当たりにしそして今、瞬時に地震よりも大柄な騎士を三人も打ち倒した様をみて、それは確信へと変わっていた。

 

 その余裕を感じさせる様はかなたにこう呟かせた。「すごい、やっぱり……この人」

 かなたの呟きにまた笑みを浮かべながら「ヒト族の騎士も弱くなったのかな? いや、外の騎士団は全然そんな風には見えなかったし……とここが此処がどうやら目的地なのかな?」と返しながら、自身の目の前の大きな扉に視線を送るフレア。

 

 

「中、入りましょう」

 

 不審にその扉を見つめるフレアを尻目に、そう呟くかなた。そうすることが自然だと、その扉を見とめた瞬間彼女にはそう思えた。そしてその中にあるものが何であるのか、言葉には出来ないが薄らと感じ取っている様子で彼女は歩を進めた。

 

 扉の内部には一際大きな空間が広がっていた。

 何か絢爛な装飾がなされているわけでも、会合を行うような機能が設けられているわけではないように見える。

 

 何のためにここが準備されたのか、それの成り立ちを知らないかなたからすれば全く理解することはできないが、ただ視線を奥に向けるとボォっと光る何かがそこにはあった。

 

「これ、知ってる……」

 

 光を放つそれの前に歩み出てそれをマジマジと見つめる。

 そこには円形を象った陣の中心に置かれた台座。そして台座の上に据えられた円形の何か。中心も円形にくりぬかれており、何か円盤のような意匠をしたそれが光を放つ大元であった。

 

「これ、『剣』と同じ光だ……」

 

 光を放つ円盤に手を伸ばしかなたは、「これ、動く……」と言った。

 

「やっぱり合ってたのかもしれないね。かなたちゃんなら、ソラの島のヒトならって」

「さすがにこんなの、出来すぎてる気がしますけど」

「それでも、出来るんならやらなくちゃね?」

「そうですね……自分のやりたいこと、やるべきこと、しなくちゃ……」

 

「かなたちゃん」台座を挟んで真向かいに立ちながらフレアがかなたの名を呼ぶ。

 

「一応さ、此処まではそんなにヒト族の兵士はいなかったし、私一人でどうにかなる相手ばっかりだったけど、此処からは何が出てくるか分かんない」

 

 ここまでのフレアの力は明らかにヒト族の騎士のそれを遥かに凌駕していた。彼女の速度には騎士たちは反応することも出来ず瞬時に倒れ伏すか、逃げようとしてもそれも叶わない状況であった。

 

 そんな彼女であっても、ここから先の状況は読めないという。フレアがそう口にするということは危惧すべき何かがあるということであった。

 

「……はい」フレアの緊張はかなたにも伝染したのだろう、上擦った声で答えた。

 

 フレアは苦笑しながらかなたを見やる。強張っていたのは自分であったはずなのに、かなたの様子を見ていると自分がどうにかしなければという気持ちの方が上回ったのだろう。フレアの中にあった緊張は和らいでいた。

 

「私は何があっても君を上まで連れて行く。だから君は……君は絶対に、止まらずに進み続けるんだ」

 

 だからこそ、厳しいと思われるこの台詞も淀みなく口にすることが出来た。

 

「私が傷つこうがどうなろうが、かなたちゃんは上を目指し続けるんだ」

「わかり、ました……」

 

 その言葉と覚悟は深くかなたに突き刺さったのだろう。緊張した表情はそのままであったが、彼女の声はどこか落ち着きを取り戻していた。

 

「よし、じゃぁ行こうか」

「……はい」

 

 そうして台座に据えられた円盤に触れるかなた。刹那、彼女たちの立っていた円陣が蒼く光を称え、直上にその光を昇らせた。

 

「これ、上に登れる?」そのかなたの呟きと共に円陣はゆっくりと上に、上にと高度を上げていく。そして二人を乗せたまま円陣は光の中を上へと進んでいく。そして明らかにそれは城の高さを超え、さらに上へと高度を上げて行った。

 

「すごく上まで昇るんですね」そう口にするが、実のところは外の光景も見ることが出来ない中では感覚に頼るしかない。身体に伸し掛かる空に羽ばたく時と同じ圧を思い出すかなた。

「そうだね。なんか信じられないや」フレアも同じように感じているのだろう、かなたの言葉に同意しながらしげしげと台座と足元の円陣を見つめている。

 

 刹那、二人の視界が一気に開ける。

 それはシオンの部屋で目にした光景よりも遥かに高い、おおよそヒトやエルフの力では到底到達することの出来ない高度にまで円陣は至っていた。

 

「ソラだ……ソラに、帰って来た」

「すごい……」

 

 足元には遥か遠くまでその存在を露わにしていたはずの白亜の壁、そして人々が生活を営む市街。それが砂粒ほどの大きさにしか視認することが出来ないほどの高さに至った二人は、それぞれに違った反応を見せていた。

 

 かなたにとってはよく見知った、当たり前の風景。

 しかしフレアにとっては、あまりに鮮烈に見えるそれに「ほんと、すごい……」とただ感嘆の言葉を漏らす以外に出来ることはなかった。

 

 そして円陣はまだまだ高みへと昇り続ける。

 

 永き間、誰も到達し得なかった『異界への門を開く』ことのできる場所へ、それを扱える唯一の者を連れて進み続けた。



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閉じた円環の開く時

 円陣は静かに終着点へと到達する。

 そこはただ、がらんとしたした廊下であった。全体が薄らと蒼の光を称えており、そこが間違いなく『剣』の中であるということを示している。眼下に臨むウェスタの街、そして廊下を見渡すフレア。

 

「ここ、『剣』の……どこなんだろ?」

 

 表情は慎重な様子であったが、声までは初めてたどり着いた高みに興奮を隠せていない様子であった。

 

 かなたもフレアと同じようにぐるりと周囲を一瞥するが、このソラの中の風景をも慣れていることもあるのだろう「まだ上があるみたいですから……多分鍔のところ?」と冷静に答えてみせた。

 

「そんな上まで来たんだ。なんか、もういよいよ訳が分かんないね」

「でもきっと、この先に何があるはず……」

 

 刹那、二人の耳に床を叩く鈍い音と共に女性の怒鳴り声が届く。廊下に反響してひどく聞き取りづらくなってはいるが、喧々と耳に刺さるような、しかし印象に残る声。

 

 フレアには全く心当たりのないものであったがかなたは次の瞬間、その音の方へ駆け出していた。

 

「待って! かなたちゃん!」

 

 フレアの声は間違いなく届いているはずだった。かなた自身も慎重に動かなくては、この忠告を受け止めなくてはいけないということは重々理解していたのだ。

 

 それでも足は止まらない。頭よりも先に身体が動いてしまった。

 

「この声、これ……!」

 

 かなたにはハッキリと覚えがあった。それは彼女にとって、一番の友人のもの。

 

 気にかけ続けていた、一番親しい友人の声であった。

 

 

 

 

 

 

 

 古くからウェスタの王族伝えられる古文書曰く、その扉の先には『異界へと繋がる力』がおさめられている。

 

 

 曰く、それはこのセカイを統べる力ともなり、それはこの世すべての願いを叶える力ともなり得る。

 

 

 だがその力は破滅しか呼ばない。大きすぎる力は、どんな聡明な者が担い手になったとしても、担い手を狂わせてしまうのは自明の理である。

 

 それを理解していたからこそ古代文明の作り手はそれらを封印し、そしてそれがこのセカイにとって最善の選択であると確信してウェスタから立ち去った。

 

 そして遥か未来、その力を誤りなく使うことの出来る者が現れることを願い、力を『剣』という象徴として残したのだ。

 

 しかしそれは同時に、愚かな考えを持つ者も多く残すことになった。

 

 

「さぁ、この先に全てを統べる場があるのだろう? 早く開きたまえ!」

 

 扉を前に、執政官がヒステリーに声を上げる。

 苛立ちにまみれたその表情からはハッキリとした焦りが伝わってくる。

 

 ここに至るまでの道程で、伴っていた騎士たちから城門が開け放たれ、外の騎士団がやって来たことを告げられた。もしそれが事実であるならば、かの騎士はどんな手を使ってでも自分の元に至り、計画を阻止してくるはずだ。

 

 ここまで来て止められる訳にはいかない。

 だからこそ、声を荒げてでも彼は執事いに扉を開けさせようとした。

 

「いや、です……」という小さい返答と共にそれはそっぽを向く。しかしそれに決まって彼は反論し、ここまでの道を開いてこさせた。

 

「ならば島は落ち、人々は死ぬのだろう。わたしは一向に構わんがね!」

 

 ビクリと身体を震わせる執事い。それがあまりに痛ましかったのだろう、ずっと黙ったままであったルーナがついに声をあげた。

 

「おっちゃん……アンタホントに何考えてるのら!」

 

 それでも国の中枢を担う人物なのか、それでもヒト族を統べる者の一人なのかと、彼女は嫌悪を露わにしながら執政官の前まで詰め寄る。

 

 

 だが大の大人と年端もいかない少女では体格の差はあまりに大きい。ルーナの語気に一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐにいやらしく笑みを浮かべる。

 

「兵の大半は城の、この剣の下に避難させるよう指示しております。そして島を落としたのはエルフの策略だという噂も既に流布している今! そうそうなってしまった今! 島が落ちても、落ちなくても……まぁここからは分かるでしょう?」

 

 島が落ちれば、復讐という大義名分を持ってエルフを駆逐できる。

 島が落ちずとも、降りかかる火の粉を払い除ける正当防衛という名目でエルフに攻勢を仕掛けることが出来る。

 

 どんな結果になろうと、ヒト族が得をすることは変わりない。

 

「ホント……本当のクソやろーのら! こんな奴に、こんな奴に良いようにされて……」

 

 あまりに下衆なその考えにルーナはこれまでにないほど声を荒げていた。しかし今の彼女に味方をする者はここにはいない。彼女を守り支えるはずであったルーナイトすら、執政官の言いなりになってしまっている。

 

 自分ではこの状況を変えることは出来ない。

 

 

 何も出来ずに待つしかないかと諦めが彼女の頭を占めようとしていた。

 

 

 

「勝手な事を言うな!」

 

 

 

 しかしいつでも状況を打開する者は、遅れて現れる。

 

 

「そんな勝手なこと、ぜったいに許さんよ!」

 

 

 それは決して格好の良い登場ではなかった。

 

 額の汗もそのままに、大きく肩で息をしながら彼女はその場に現れた。

 

 

「ーーーし」

「ノエルちゃ団長!」

 

 

 自分が救うのだと、彼女はようやく『自身の運命の場所』に現れた。

 

 

 

 その場にいる全ての者の視線がノエルに集まる。彼女の登場に樹脂の瞳を喜びの色を滲ませる執事にノエルは「執事いさん、そんなヤツに教えてやる必要ねぇよ」と声を上げた。

 

「パ、パイセン……早すぎ」ココもきれる息を制しながら必死に声を出す様子を見れば、彼女たちのここまでの道程は余りに速いものだったのであろう。明らかに彼女たちの状況は芳しいものではない。彼女たちの登場はその場にいる騎士たちを萎縮させるには十分であった。

 

 彼らが今相対しているのはウェスタにおける最強の騎士。並の騎士であれば物の数ではない。しかし今の執政官にとっては力の強さなど無意味であったのだろう、先ほどまでと同じように嫌らしい笑みを浮かべる。

 

「そう言いますがね、団長殿。貴女はこの状況を理解しておられるのか?」

「……何が言いたいんさ?」正面から執政官を睨みつけながらノエルが問いかける。

「このまま放っておいても街は終わりだぞ。街を守るべき団長殿がそれで良いのか?」とノエルに声をかけた。

 

 それはノエルにとっては痛い言葉であった。執政官の言った通り街を守る者として今だけは執政官の言う通り、島を掌握する力をすぐに手にして危機を回避することが最善手のはずだ。だがそれは同時に執政官にその力を委ねる言うことも同義である。執政官が口にしたものはノエル最大の弱みであったかもしれあい。しかし彼女はそれであってもあえてこう言い放った。

 

「わかっとる! 団長は馬鹿かもしんないけど、それくらいは分かる!」

「ならば今は私に言うことに従えば良い! 騎士は騎士らしく、目上の者にしたがっておけば良いのだ!」

「でもな、執政官さん。アンタに従うって言うことは、ヒト以外のものを全部諦めろって言ってんのとおんなじだ!」

「それの何が悪い?」

「自分たちだけの為に他の、生きてる誰かを傷付けるんか? こんな事して何になるっちゅうんよ! このセカイに生きてんのはヒトだけじゃないんよ!」

「それは綺麗事だぞ、団長殿! より広大な領地を望んで、ヒト族の繁栄を願い行動して何がいけない!」

「それでも」ノエルが下を向く。「それでも、誰かを傷つけて良いことにはなんねぇ! 誰かを傷つけて、犠牲にして手に入れたもんを、アンタはこの先の人達に誇れるんか?」

 

 ノエルの言葉に執政官は目を丸くして彼女を眺める。

 白銀ノエルの口にしたのは、ただ守りたい、未来の者たちに恥ずかしくない生き方をしたいと言うあまりに理想論じみたものだった。そして執政官は、自分の方がよりヒト族の、未来を見据えて行動をしていると言う自負があったのだろう。

 

「誰にどう思われる? 知ったことか!」呆れたようにため息を吐き、彼女に切って返した。

 

「パイセン、こいつに何言っても無駄です! とにかくコイツら抑えて島を止めないと!」膠着する二人の会話を見兼ね、ココが間に入る。

 

 しかしそれと同時に「やっぱり……!」ココたちの背後から上擦った声が響く。

 

「……ッ」

 随分久しぶりに聞くその声に後ろを振り返りながらココは自身の目頭が熱くなるのを感じていた。

 

 ずっと気にかけていた。

 どうなってしまったのか。怪我をしていないかと、ずっと心配をしていた。

 

「やっぱり、そうだ。ココ……ココ!」

「かな、たん?」

 

 その名を口にした途端、彼女の頬を熱いものが伝っていく。会えると信じていた、それでも不安で仕方がなかった。だが一目彼女を見てその箍が外れたのであろう、大粒の涙がココの頬を濡らしていった。

 

「……来た」

 

 そしてもう一人、声を震わせる者がいた。

 

「執事い? どうしたのら?」

「ようやく、会えた」

 

 嗚咽を堪えながら、それは自分の中の感情の全てを込めて呟いた。

 

「……『ソラ』が、来てくれた」

 



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花のような君に

 執事いの呟きが一瞬の静寂を生む。そして視線が執事いの視線の先にいる一人に集まった瞬間、執政官はこれまでにない怒声を騎士たちに言い放った。

 

「総員、そこな娘を確保せよ! 其奴こそ我らが繁栄の鍵だ!」

 

 彼はかなたを指差す。それを見とめ、騎士たちは携えていた各々の獲物に手をかけつつ、かなたにジリジリと詰め寄ろうとしていた。突然のことに驚きの表情を浮かべるかなたであったが、それも数瞬の間に彼らを警戒する厳しいものに変わっていた。

 

 遅れてやって来たかなたにもこの状況を見れば、どうなっているのかは薄っらではあるが理解はできた。

 偉そうに騎士たちに指示を出す顎髭の男性とその傍で震える牛のぬいぐるみ。それを睨みつける女騎士と親しい友人、そして騎士たちに制され動くに動くことの出来ない可憐な姫。

 

「無理やり『剣』を起こして、力を手に入れるつもりなの?」

 

 かなたのその一言はまさに執政官の考えを言い当てていた。当然初めて自分の目の前に現れた少女に考えを言い当てられたことに恥ずかしさと憤りを感じ彼は騎士たちを急かすように声をあげた。

 しかし彼の声は同じタイミングでその場に響き渡った甲高い声によってかき消される。

 

「オメェら! 一体誰に仕えてるのら! いい加減目覚ますのら!」

 

 騎士たちに監視されたルーナがようやく声をあげた。

 現れた少女が何者かはわからない。しかしココの視線を見れば悪い人間ではない。むしろ執事いの呟きを信じるのであれば彼女を管理官の手元に置いてはいけない。だからこそこのタイミングで彼女は騎士たちに、ルーナイトたちを諭すようにそう言い放った。

 

「し、しかし……」言葉の通りに騎士の一人は煮えきらない様子を見せる。それに同調するものも見られるが、「い、いまは執政官殿に従うのだ! そうしなければ」と言う一人の声にさらに動揺したようにみえる。

 

 本来であれば統制の取れた騎士隊であると思われる彼らは、ルーナの一声で完全にそれを失ってしまっていた。

 

「なんでもいい! とにかくその娘を捕まえろ!」

 業を煮やし再び管理官が声を上げ、かなたにを取り囲もうとする騎士たち。

 

 しかし烏合の衆である彼らには付け入る隙が大き過ぎた。

 

「かなたちゃん! 伏せて!」

 

 床を軽快に叩く音、それに続きかなたの背後からフレアの声が響く。

 

 それは騎士たちの感知の範囲外から声。そして次の瞬間彼らの視線に飛び込んできたのはマントを身に纏った、金砂の髪を揺らし美しい女性の飛び掛かる姿であった。

 

「ーーーッ!」

 

 飛び上がった一息の内に五射。

 何も番われていない弦が音をたてる度、かなたを取り囲もうとしていた騎士たちが呻き声と共に倒れ伏していく。残るはルーナを守る騎士が二人、そして管理官のみ。しかし騎士たちの位置からでは管理官とフレアの間に入ることは難しい。

 

 着地と共に管理官との距離を一気に詰めんとさらに速度を上げるフレア。金の軌跡を描きながらあと二十歩、あと十歩と近くいていく。そして再び弓を構え、最後の一射を放たんと力を込める。

 

「これで、トドメ……ッ!」

 

 しかし弦が音をたてることはおろか、執政官の無様な声が響き渡ることはない。

 

「もう、ダメだよ?」

「あ、貴女は……」

 

 代わりに響いたのは弓を必死に押し留めようとする騎士の声。 

 

「これ以上は……団長が言えた義理じゃねぇけど、これ以上はやり過ぎだよ」

 

 白銀の騎士が、金の射手を押しとどめ、相対する音がその場を支配したのだった。

 

 煌々と月明かりがセカイを照らす。自身以外のものへの視線の全てを奪うように煩く、自らを夜の支配者たらしめている。

 

 しかし今この場において、主役は夜の支配者ではない。彼の受けて争う、2人の戦士であった。

 

 金と銀が肉薄する。同時に飛び散る火の花は互いに手にした得物を打つけ合う音よりも早く、この場にあるどんな音よりも鮮烈にこの場を支配した。

 

「ーーー!」

 ノエルの手にしていた戦鎚が上方に去なされる。

 体幹を振らすことなくノエルの背後にいる管理官に向けて再びフレアは弓を構える。

 

「させない、って!」

 

 弓を構えた先には既に戦鎚の先が存在を露わにしていた。去なされ、バランスを崩したはずのノエルの戦鎚は意思を持ったかのように寄り戻され、そして弓の進行を阻んだのだ。

 

「だからこれ以上はダメって、言ってんじゃんか!」

 

 このまま弓を構えていては戦鎚の衝撃を一身に受けることは必至。フレアは強引に身体を捩り、戦鎚の進路の斜め下に自身を滑り込ませる。

 

「ーーーーーーぁ」

 言うまでもなくそれは受け身も考えない体重移動である。激しく身体を床に叩きつけながら、それでも再び強引に身体を起こし、彼女は正面からノエルを見据えた。

 

 その場にいる全員が、突然繰り広げられたその戦いに魅入られていた。

 それはあまりに常軌を逸している。まるで神話に現れる英雄たちの戦いではないかと思わせるほどに、その一瞬の攻防は彼らの心を魅了した。

 

 互いに十数歩の間合いを取り、視線を交わすノエルとフレア。

 

 言葉を交わすよりも先に、互いに力を打つけ合ってしまった。

 フレアからすれば、こんなつもりではなかったはずだ。ただ優しく声をかけて自分はいなくなりたいとそう思っていた。それを示すように苦悶の表情が彼女からは見て取れた。

 

「何で止める? そいつは街の人にも、それにアナタにも危害を加えようとしたんじゃないの?」

 

 肩で息をしながら声を上げるフレア。

 かなたが先に行ってしまった後、遠くから様子を伺っていたから状況は理解できていた。だからこそ、ノエルのとった行動の意味が理解できないフレアはそう言わずにはいられなかった。

 

 しかしノエルはさも簡単に「決まってる。この人らも、団長の守るべき人たちだから」と切って返した。

 

 その言葉はフレアにとって何よりも痛い言葉であった。

 

 刹那、フレアの身体が爆ぜる。駆けても数秒は掛かるであろう距離を瞬きの間に詰めた彼女はノエルの間合いに入らんと手にしていた弓を棒のように振りかざした。

 

 それはこれまでの自身の戦い方の全てを否定する、あまりに愚かな行為であった。

 

 頭に血が上った。それで済めば簡単なものであるが、今彼女が相対しているのは自身をも上回る力を示してきた騎士。言うまでもなくその愚直はあっさり手にしていた戦鎚に弾かれてしまう。

 

 茫然と弾かれた自身の獲物の軌跡を追うフレア。その明らかな隙をノエルが見過ごすはずはなかった。

 

「……やっぱり」

 

 腕を取る。

 この場にやってきて五人もの騎士を行動不能に陥れたその腕を。

 触れれば明かりにか細く、すぐにでも折れてしまうのではないかと思えるその腕をノエルは掴んでいた。

 

「……やっぱり、アナタだ! ねぇ、えっと……前に会ったことあるよね? アナタにずっとさ、ずっと会いたかったんよ!」

「えっと……」

 

 ズイと顔を近づけ、興奮を隠しきれない様子でノエルは矢継ぎ早に続ける。赤らんだその顔は今まで彼女たちが戦っていたことなどまるで嘘であったかのような雰囲気すら感じさせた。

 

 周囲の者からすれば、あまりの変わりように拍子抜けしどうしたらいいかと手をこまねくに違いない。事実、間に入れずにそれを見ていたココやかなたも、二人の様子に何とも言えない気持ちになっていた。

 

 ただ一人だけ、動く事の出来る者がいた。

 

「この、人を馬鹿にしよって! 忌々しい……忌々しい!」

 

 その声と共に、ナイフの切っ先が二人に迫る。

 声の主は執政官であった。自らは何もしようとせず、ただ人に指示を出していた彼が自ら動いた。それは戦いの基本を全くと言っていいほど理解していない動き。しかし普段ならば簡単に避ける事のできるフレアとノエルも、お互いに気を取られており動きが遅れてしまう。

 

「フレアさん!」

「パイセン!」

 

 かなた、そしてココが声を上げたのはまさに切っ先突き出しながら二人にぶつかった瞬間であった。

 

 次の瞬間、管理官の身体は先ほどまで自身がいた場所に吹き飛ばされた。否、『蹴り』飛ばされた。

 

「はは、よかった……『また』、ちゃんと守れたよ」

 

 しかしそれはあまりに遅く、口籠もった声が扉の前に響き渡る。

 

 ただ床に溢れた赤だけが、何が起こったのかを指し示していた。

 

 

 

「……ノエ、ちゃん?」

 

 震えた声でフレアがその名前を呼ぶ。

 動揺に塗れたその声に、クスリと笑いながらノエルは小さく呟いた。

 

 

「あぁ、やっぱりだ。団長……そっか、思い出した」

 

 

 

 ノエルの中に確証はなかった。ただ一目見たときから心を奪われ、忘れられないだけだと、そう思い込んでいた。

 

 それが今触れる事の出来る距離まで近づいて、直近にフレアの瞳を、その体温を身体で感じ取った時、彼女は『今のノエル』になる前の、かつての自分と目の前にいる自身の愛した人のこと、全てを思い出した。

 

「ひさし、ぶり……だね。フレ、ア」

 そして呻き声ともにフレアに寄りかかりながら、ノエルは正面に倒れ伏してしまう。

 

「ノエちゃん、ノエちゃん!」

 

 悲痛な叫びを上げるフレアの声をよそに、扉の前では管理官はケラケラと大声をあげ笑った。

 

「……ったぞ! ついに、ついに忌々しいこの女を!」

 ノエルを傷つけた切っ先を手に、執政官の声色は彼女に対する怨嗟がにじみ出ていた。

 これまで彼が傷付けられたと感じてきた尊厳をその凶行にて全て返したとでも言いたいのだろう。蹴り飛ばされた痛みを感じつつも、彼は憚る事なく笑い続けた。

 

「このッ!」

「この馬鹿たれがぁ!」

 

 その声は同時に響いた。

 かなたとココ、二人が同時に執政官に駆け寄り、手加減なく、勢いよく、彼の身体を床に叩きつける。執政官は短く呻き声を上げた。

 

「な、何をする! 私は、私はただ!」苦悶に満ちた表情の執政官にココはさらに力を強める。

「何したんか分かってんですか!」

「何が悪い、何がいけない? そうだ……貴様らを、羽虫をどう扱おうが私の自由だろう。虫けらは虫けららしくしたがっておれ!」

 手にしていたナイフを乱暴に振り回し管理官はそう続ける。

 

「な……何を!」

 執政官の言い分に言葉を失うかなたであったが、ココはその物言いに彼を掴み上げる。

 

「バカ言ってんじゃねえ!」そして床に叩きつけた。

 

 身体が跳ねるほどの衝撃を受け、彼は呻き声を上げ続けながらその場にのたうち回りながらココに対する恨み言を口にしているようだが、もはやそれも音にはなっていないほどにか細い。

 

 次の瞬間、ルーナが声を上げる。

 

「オメェら! 今すぐそいつをふん縛るのら!」呻く執政官を指差しながら彼女は横に控えていた騎士二人に指示を出す。騎士二人もこの状況ではルーナ に従う他なかったのだろう。小走りに執政官に近づくと、彼をうつ伏せにしたまま、両の手を縛り上げる。

 

 最初はジタバタと掠れ声を上げていた執政官も、身体の痛みと逆転の目はないと気づいたのだろう、次第にグッタリと動かなくなってしまった。

 

 そうしてようやく場に静寂が戻る。否、たった一人だけが大粒の涙をこぼし音がその静寂をより一層濃いものにしていた。

 

「ノエ、ちゃん……」

 

 必死にノエルの傷口を手で押さえるが、溢れた赤は一向に止まる気配を見せない。フレアはその手指を真っ赤に染め上げながら小さく、小さく祈るように押さえ続けるしかできない。

 

「パイセン……」

 自身の横でダラリと身体を寝そべらせる執政官のそばに転がる切っ先を恨めしく睨み、それを蹴飛ばすココ。正直ここには信じられなかったのだ。ノエルがこんなにも簡単に傷付いてしまったと言うことが。

 

 彼女ほど力があれば、こんなノロマなヒト族など簡単に一蹴できたはずだ。しかしそれを忘れてしまうほどのことが、その時のノエルには起こっていたのだろう。

 

「……」

「私が返せば……力を返せば」

 

 

 その光景を見れば、答えは簡単であった。

 

 

「そうか。パイセン……その人だったんですね」

 

 ココが思い出していたのは、城に入る前のノエルの横顔。一度だけ目にした事のあるエルフの話をしていた時の、うっとりしたあの表情であった。

 

 恋や愛はヒトを強くする。それと同時にヒトを愚かにするほどのめり込ませるものだ。

 

「フレアさん……」

 

 彼女の横でそう呟いたかなたのことを思うと、きっと自分も同じようになってしまう。

 そんな確信めいたものを同時に感じながら視線を一瞬外に移した瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは見知った光景であった。

 

「かなたん! 外!」思わず声を上げるココ。

 

「外って……」それに促されるようにかなたも視線を外に向ける。

 

 それはかなたにとっても見知ったものであった。

 

「……島が、もうあんなに近くに!」

 

 迫っていたのは、彼女たちの故郷。ゴツゴツとした岩肌あまりに近く、細部まで見通せるほどにまで近づいていた。

 最早一刻も猶予もない。それを見とめた瞬間かなたはフレアに駆け寄りる。

 

「フレアさん、立ってください。このままじゃ!」

 

 しかし彼女の声にフレアが反応することはない。

 

「……ノエちゃん……」

 

 虚にそう繰り返すフレアからは、先ほどまでの勇ましさは感じられなかった。

 

「とにかくどうにかしないと……島を、止めないと……」

 

 今フレアを無理に奮い立たせることはできない。しかしこのまま何もしないままでいても、きっと降りかかってくるのは更なる悲劇だけだ。

 

「……ここ」

 不意にかなたの目にそれが入る。最初から、ここにきた時から分かっていた。そこにこそ、自分が追い求めてきたものがあると言うことが。

 

 彼女が見上げた先には大きな扉。

 閉ざされて幾年月が経過したのだろう硬く閉ざされたそれは古めかしく、明らかにその中に何かひめられたものがあるように感じさせた。

 

「ここに、あるの?」

 

 そう呟き扉の前まで歩みを進め、それに触れようと手を伸ばすかなた。

 

「開くの?」

 

 その声は柔らかく、しかしハッキリとかなたに静止を呼びかけるようにかけられた。 

 

 押し黙っていたもう一つの鍵が、ようやくその口を開こうとしていた。

 



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こんなにも美しい世界で

 その声は事の重大さを伝えるにはあまりに柔らかい。

 緊張感のかけるその声に一瞬頭がクラリとするかなたであったが、目の前に迫る自身の故郷を目にし、それをどうにかしなければいけないと言う思いが勝っていた。

 

「……」牛のぬいぐるみの言葉に応えず、かなたは扉に触れようと手を伸ばす。

 

「ーーーかなたん、ホントに開くの?」

 その声に再びかなたの手が止まる。視線をそのまま下に落とし、牛のぬいぐるみを見やるがどうしても言葉がなかなか出てこない。

 

「君もだ……」

 ようやく彼女の口から出たのはこの一言。

 

「君も、ボクに会ったことあるの?」

 同じような感覚を以前にも覚えたことがある。それはフレアがウェスタを目指す理由を聞いた時、本当にこのまま進んでいいものかと考えあぐねいていた時に現れた金髪の少女の出会った時のこと。

 

 あの時は、現実逃避したいがために自分が作り出した幻想であろうとかなたは考えていた。

 だがこの牛のぬいぐるみ、否、『その先にいる彼女』は自分のことを知っている。あの金髪の少女と同じように、自分のことを深く知っているように感じたのだ。

 

「島を止める為に『剣』を起こせば、かなたんはもうここには戻って来れんくなるかもしれんよ?」

 

 心臓が早鐘を打ち、口が乾き始めるる。薄々感づいてはいた。何かを望めば大事なものを手放さなくてはいけないと言うことは。御伽噺みたいに何も犠牲にせずに、全てが思うままになるだなんてあり得ないと分かっていた。

 

「それでもいいの?」

 

 それを、このぬいぐるみはハッキリとかなたに認識させてくる。

 そして小さく「わたしが、そうだったから……」と呟く彼女は、最早無機質な外殻に収まらない感情をかなたに感じさせていた。

 

 しかし彼女に聞かれずとも、既にかなたの心は決まっていた。

 かなたはそのまま振り返り、自分の背後にいるであろう一番の友人の名を呼んだ。

 

「ココ!」

 

 あったのはいつもの優しい、人懐っこい笑顔。

 

「行くんか? かなたん?」

 

 それをこちらに向けながら、彼女は言葉少なくかなたに返した。十全に語り尽くさなくても、それだけで互いを理解し合えている事の表れであろう。かなたも「ん」と首を縦に振り、それに応えた。

 

 そして、ココがこの後に言うであろう言葉も、かなたには分かっていた。

 

「じぁしゃあないですねぇ、私もいっちょ……」

「ココはさ! フレアさんたちを下に連れて帰ってあげて」

 

 それはココの言葉を遮るように、彼女の思考を中断させるようにピシャリと言い放たれた。

 

「あーすいません、もう一回。もう一回言ってくれませんか?」

「フレアさんたちを下に連れて帰ってあげて。ボクが、島をどうにかするから」

 

 かなたは有無を言わさず、ココに同じ言葉を言い放つ。どこか投げやりに思えるかなたの物言いに、ココは苛立ちを見せながら彼女に近づき「何言ってるんですか?」と厳しい言葉をかけた。

 

 その言葉に動じることなく、彼女の手に触れながらかなたは優しく呟く。

 

「フレアさんたちを任せられるの、ココしかいないよ。だからお願い。ボクは……ボクが絶対、島を止めてみせるから」

 

 しかしかなたの手は彼女の言葉とは全く違う様相を見せている。ココがはっきりと分かるほどにその手は震え、落ち着かない様子であった。しかしそんな状態であっても自分がどうにかすると言い切るかなたに、これ以上ココは何も言えなくなってしまっていた。

 

「本気なんか?」だからこそもう一度最低限の言葉で、ココはかなたに尋ねた。

 

 そしてかなたも深く頷き、ニコリと笑って見せた。それが強がりだとココには簡単に看破することが出来たが、それを追求するにはあまりに無粋である。

 

「分かりましたよ! さっさとこの人たちを下に連れて帰ります!」

 

 ココはそう言いながら嘆息しつつ、頼りなく手をダランと下ろし、そして改めてかなたに向き直る。

 

 次の瞬間ココは、かなたの腕を引き寄せ、自らの腕の中にその小さな身体を治めた。小刻みに震えているその身体を優しく抱きしめ、小さく、かなただけに聞こえるようにこう呟く。

 

「先に行くなんて、許しませんからね?」

「うん、分かってる……ありがとね、ココ」

 

 それはほんの数十秒にも満たない時間であった。それでも互いに感じた暖かさだけは残る。それを確かに感じながら互いに背を向ける。

 

 かなたは扉へ。

 ココはフレアたちに元へ。

 

 それぞれにやるべきことは心にしっかり刻み込んでいた。

 

 

 しかしそれでも、どれだけ覚悟しようと心残りはある。

 

「……あぁ、何で行かせちゃったんだろ」

 

 不意にかなたの口から言葉が漏れる。

 本心を言うのであれば、ココとは一緒にいたかった。誰よりも彼女がそばにいてくれればどんな困難にぶち当たっても心を奮い立たせることができる。しかしそれはココに依存している証である。

 

 ずっとかなたは思っていた。依存するのではなく、並び立ちたいと。支えられるだけではなく、自分もココを支えたいのだと。

 

「ボクだって……いや、ボクじゃなきゃ出来ないこともきっとあるんだ」

 そっと扉に触れる。力も加えずただ手を添えたそれは淡い蒼の光で応えた。

 

「良いの?」視線を下に向けるとそこにはまだ牛のぬいぐるみが留まっていた。本当なら「何でまだいるんだ?」と問いただすところであるが、不思議と彼女がここにいることが当然のようにかなたには感じられた。そして問いかけにも素直に返すことが出来た。

 

「良いんだよ……うん、これが一番いいんだ」

「それ、何だかすっごくかなたんぽいね」

「君の知ってるボクも、こんな感じだった?」

「そうだね、わたしの……うぅん、わための知ってるかなたんは……」

 

 彼女は少し考え込むような仕草を見せるが、すぐに柔らかい声で「ぜったい、何があっても諦めない。そんな強い女の子だったよ」と返した。

 

「それでね、今日改めて確信したよ。かなたんはやっぱりとっても、とぉっても強い子だって!」

 

 彼女の真っ直ぐな言葉が少し気恥ずかしく、それを誤魔化すようにかなたはカラカラと笑う。

 そしてゆっくりと、噛み締めるように呟きながら力を込める。少しずつ、前に力を押し出し、そして扉を開いていった。

 

「さぁ、行こうか?」

 

 

 頭上に迫る自身の故郷、そして近くにいるルーナや騎士たちを交互に見ながら彼女は深くため息をつく。

 この人数をその姿で引きずっていくのは無理がある。その上側から見ても明らかに重傷とわかるノエルを、悠長に運んでいる暇はなかった。

 

「……やるしかない、ですね!」

 

 刹那ココの頬に、脚に、腕に赤い鱗が表出し始める。そして瞬く間に自身の身体を竜へと変異させ、巨大になりくその拳を乱暴に壁に打ち付ける。

 彼女にとっては一か八かの行動であったのだろう、苦痛に顔を歪めながらも壁を打ち崩す。『剣』の中からゴウと音をたてて空気が流れていくの必死に押しとどめながら、自分よりも小さいルーナたちに向けてココは翼を広げて言い放つ。

 

「ルーナたんはノエルパイセンとその人掴んで背中に乗ってください! 他の人たちはー、とにかく腕とか尻尾とかちゃんと掴んで落ちねーように!」

 

 フレアの腕を掴み、ココの背中によじ登るルーナ 。そしてそれに倣うようにして騎士たちも負傷した仲間と捕縛された管理官を伴い、各々ココの腕を掴んでいく。

 

「ココちゃ、急ぐのら! 絶対ノエルちゃ団長を助けるのら!」

 

 叫ぶ彼女の声は憂いを含みながらも、芯の通った響きをしていた。

 起こり得る結末を真っ向から否定するように。

 

 そして竜は飛び立つ。

 決して逃げるためではなく、準備を整えるために。友人と共にいるために。

 

 

 しかし無情にも、ソラの島は刻一刻と地表を目指していた。

 

 

 重く閉ざされていたはずの扉は存外に、簡単に開かれた。

 そこには何もなかった。ただ『剣』と同じ淡い蒼の輝きに満たされた空間の中に、ポツンと何かがあった。

 

 歩数にすれば数十歩。その道程を淡々と歩を進めようやくそれが何かのかを視認することが出来た。

 

「あれ……登ってきた時の台座に似てる」

 台座、そしてその上に据えられた円盤。それはここに到達する前に目にしたものと全く同じものだった。形は何も変わりはない。しかしそれの放つ光は眩く、これが探し続けてきたものであると、かなたは直感していた。 

 

「これに触れたら……」

 

 もう手を伸ばせば指が触れる距離。たったそれだけであるのに、扉を開けて歩んできた距離よりも明らかに小さな動きであるのに、かなたにはそれがあまりに遠く感じられた。

 

「ハハハ、何迷ってるんだよボクは」自嘲気味にかなたが呟く。独り言のように呟いた

「無理ないよ……わためだってそうだったから」かなたの言葉に後ろからついて行っていた牛のぬいぐるみは、まるで昨日の出来事のように自身のことを振り返る。

 

「これに触れたらさ、どうなるのかな?」

「わかんない……わための時は、この上から動けなくなってた」

 

 わためはそう言って俯いてしまう。もしかするとそれは彼女にとって思い出したくない記憶であったのかもしれない。そして同時にかなたの頭にはシオンからの言葉が思い出されていた。

 

「そっか、『上で待ってる羊』って君のことなんだ」

 

 『上で待っている羊』は全知全能の力を持っていると、そうかなたは思っていた。

 だがそれは身勝手な思い込みであったと、改めてそう思えて思う。そんな力を持っているのなら、こんな苦しそうな声を出すはずがない。

 

 気の遠くなるくらいの長い時間を彼女は『剣』の上で過ごしてきたのだろう。そう思った瞬間「ごめんね……待たせちゃって」かなたの口からそう漏れた。

 

 かなたの声にハッと顔を上げながら「いいんだよ。だって……だって、またみんなに会えたから……一度はさよならしたみんなと、また会えたから!」潤んだ声で答えるわため。

 

 その言葉があまりに悲しかった。そしてあまりにも優しかった。

 もうこれ以上、彼女に寂しい思いをさせることはできない。そして今にも落ちゆく島と、ウェスタをそのままにしていくことはできない。

 

「……やるんだ」

 

 もう、かなたの心は決まっていた。

 

「ボクが……守るんだ!」左手を前に差し出しながら叫ぶ。

 かなたの視界の全てが光に包まれる。しかしその光は目を刺すような、目に痛いものではなく、優しく包み込み、そして上方へと登っていく。

 

「……何、誰?」

 

 その光の先に、影が一つ現れる。

 長い茶色の髪を翻しながらゆっくり、ゆっくりとした歩みでかなたとわための前に降りてくる。

 

『久しぶり? それとも、今のかなたちゃんは初めましてかな?』

 

 軽やかな、そして優しい声であった。そしてその人物もかなたのことを既に知っているのであろう。久しぶりに会う友達にするように軽く声をかけた。

 

「誰なの……違う、そうじゃない」

 

 その姿を見とめ、かなたの中に一つの言葉が浮かんでいた。

 

「あなたが、『ソラ』なんだ」

 

 

 

 

『何だかかなたちゃんに呼び捨てにされるのって、新鮮な気持ちだなぁ』

 

 光の先から現れた少女、『ソラ』はかなたに笑いかけながら、かなたとわための前に降り立つ。

 茶色の長い髪、深い藍の瞳、そして青を散りばめた衣服はどこにでもいるような少女であるように感じられる。しかしこの少女の発する声は、耳にするヒトの心を掴む。

 例に漏れず、かなたも『ソラ』の声を耳にし、魅入られたような心持ちになっていた。

 

「何だか、すごく不思議な気分です」

 かなたのどこか気の抜けたよう言葉に『ソラ』はクスクスと笑う。「やっぱりかなたちゃんはかなたちゃんだね」

 

 ひとりしきり笑った後、『ソラ』は「って、世間話をしにきたわけじゃないんだよね?」と少し真面目な表情を浮かべる。

その急な変わりようにかなたは言葉を詰まらせてしまうが、首を縦に振り「そうだ。ボクはここに遊びに来た訳じゃないんだ」と自分に言い聞かせるように呟いた。

 

 そして真剣な眼差しを『ソラ』に向けてかなたは尋ねる。

「あなたが、叶えてくれるんですか?」

 

 かなたの言葉に少し複雑そうに『ソラ』は顔を歪める。きっとどう伝えればいいのか、彼女自身も考えあぐねいているのだろう、蒼の光が『ソラ』の動揺を隠すようにその眩さをさらに強めていった。

 

 

 沈黙が三人の間に横たわる。ただそれは決して嫌なものではなく、不思議と心地の良いものにかなたには感じられた。彼女にとってそれは優しい沈黙であった。

 

 しかし始まったものに必ず終わりが来る。

 

 優しい、どこまでも優しい声色で『ソラ』はその沈黙を破った。

 

 

『ねぇ、前にも聞いたけどさ……かなたちゃんはどうしたい? どこに行きたい?』

 

 

「……わかりません」

 

 『ソラ』の問いかけに静かに答える。

 

「いつだって誰かに引っ張ってもらってました」

 

 穏やかであったその手は、言葉を発する事に小刻みに震える。

 

「ココにも、トワにも……ボクはみんなに依存してた」

 

 頬に熱いものが伝う中、それでも言葉を止めることが出来ずにただ彼女は話し続けた。

 

 

「何処に行くかだって、何をしたいかだって、きっと、ボクが一人で決めたことなんて……なかったかもしれない」

 

 決壊した心が止められないように、決して言葉が止まることはなかった。

 

「でもさ、でも……それじゃ嫌なんだ!」

 

 しかしそれは絶望からの言葉ではない。

 

「ちょっとでもなにか、できる事があるならやりたいんだ……諦めたくないんだ!」

 

 グイと服の袖で自身の頬を、目元を拭い、かなたは一層真剣な視線を『ソラ』に向ける。

 

 

「ボクは、諦めたくないんだ!」

 

 ずっと、それはずっと心に秘めていた言葉であった。

 

「ねぇ……ウェスタを、島を助けてよ。これだけでいいから……これだけでいいから叶えてよ!」

 

 

 一気に言葉を吐き出し、肩で息をするかなた。

 彼女の吐き出した思いを正面から受け、『ソラ』は、彼女たちのために現れた時と同じ笑みを浮かべる。

 

 

 

『違うよ』

 

『叶えるのはあなた』

 

『他の誰かじゃなくて、誰かのおかげで叶えられるんじゃなくて、あなたが叶えるの』

 

『頑張って……また、一緒に歌おうよ』

 

 

 そして『ソラ』は再び台座の上の円盤に触れるようにかなたを促す。

 きっともう一度触れれば、何かが起こる。そんな確信を落ちながら、再びかなたは円盤に触れた。 

 

「何で?」

 

 しかし、何かが変わることはない。

 

「……止まらない」

 

 力が溢れ出ることもなければ、外から聞こえる島の落下する音が止んだわけでもない。

 

「何が足りないって言うんだ……出来るんじゃ、出来るんじゃなかったの?」

 

 ただ『まだ必要なものが揃っていない』とありありと表していた。

 

「何でだよ!」

 

 叫び声を上げ、台座に拳を打ち付けるかなた。

 悔しさに打ち震える中、その苛立ちを何処にぶつければいいのか分からずに彼女は何度も、何度もその拳を台座に打ちつけ続けた。 

 

 その光景を痛ましく思いながらも何も出来ず、口を噤んでいたわため。

 彼女の時はそうではなかったのだろう。自分も知らない状況に頭を悩ませていると、不意に何か感じるものがあったのだろう、視線を自身の足元に向けながら呟く。

 

「『剣』とは別の力が動いてる……これは?」

 

 一瞬、彼女には見えたのは『白銀の光』。 

 蒼の光すらを包み込んでいく優しい光。

 

「これ……かなたん! 下から、なんか来る!」

 

 それは、一人の騎士の『捧げ得る全て』をかけた祈りが起こした奇跡の光であった。

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そして、物語は新たに生まれ変わる。

 それは半ば落下する形で地表に降り立った。その身を竜に変異させたココは、自身に乗ったルーナやノエルたちに衝撃が加わらないよ、その巨体で全てを受け止めるように地面に滑り込んでいく。いかに竜の外皮であっても、遥か上空からの落下に無傷とはいかなかったのであろう、くぐもった声で痛みに耐える。

 

「ココちゃ! 大丈夫なのら?」心配そうにルーナが声をかける。自身の顔に添えられた彼女の手は暖かく、硬い外皮が解されるような錯覚を覚えたが、その心地良さに身を委ねては動けなくなることが目に見えていた。

 

「み、みんな重すぎですよ!」ルーナに心配をかけまいと、わざと冗談を返すココ。実のところ彼女の身体も限界に近い疲労感を覚えていた。

 

 しかし視線を上に移せば、刻一刻と地表との距離を縮め続ける島と一層眩さを増した『剣』の光。

 もう一刻の猶予もない。ココは上空を睨みつつそう確信していた。

 

「ルーナイトのみんな、とにかく医者を探してくるのら! おっちゃんを縛って逃さねーように。あとは市街の状況収集、必要があるなら市民の避難誘導! みんな急ぐのら!」

 

 『剣』から連れ帰ってきたルーナイトたちにテキパキと指示を出していくルーナを見とめ、ココは痙攣する翼を奮い立たせる。

「ルーナたん、わたしは戻ります!」

 背から降りたノエルのことも心配ではあるが、これ以上彼女がここで出来ることはない。何よりココには一番の友人と約束があった。

 

「行けるのら? あの高さはいくら身軽になったココちゃでも……」

「やるっきゃないですよ。あそこにはダチがいるんで、ね!」

 ルーナが言葉を言い切る前にココはそう告げて、翼を上下に動かす。羽ばたきによって巻き起こされた砂埃はルーナたちの視界を奪い、そして一気に風は上空へ流れていった。

 

 視界はすぐに晴れ、周囲には騎士たちの喧騒が響く。

 ルーナはただ一人、小さくなりゆく竜の背を見つめながら小さく呟いた。

 

「ココちゃ……頑張るのら」

 

 せめて、無事であってくれと祈りながら。

 

 

 

 ココは旋回しながら再び上空を目指す。途中で力尽きる可能性が頭の片隅でもたげ始めるが、最早そんなことに頭の容量を使っていられる余裕も彼女には残っていなかった。

 

 自身が上空へと進む度、ギシギシと身体が痛む。

 自身がソラに近づく度、島との距離が縮まる。

 

「島、止まってませんよ! 何してんの、かなたん!」

 

 状況の変わらない島と、自身の不甲斐なさを嘆くように叫び声を上げるココ。それでも決して翼を休めることなく、上へ上へと飛び上がっていく。

 

 高速で流れていく景色の中、ただ『剣』を睨み、進み続けていたココの視界の隅に何かが写る。いつもなら見過ごしてしまう些細なものであったはずのものが、この時だけはあまりに気になってしまった。

 

 

「ーーーアレは、何?」

 

 それは緑の蝶。

 小さい、小さい緑の、紫の『蝶』であった。

 

 

 

 

 

 吹き荒んでいく風の音は弔いの鐘のように耳にまとわりつく。フレアはノエルを正面から抱き抱え、必死に彼女の背に受けた傷口を押さえ続けていた。ノエルの中から溢れ出し続ける赤を必死に押し留めようとジッとしていた。時折嗚咽を漏らしながら後悔を口にする。

 

「ノエちゃん、わたしなんか……なんでよ」

 

 そんな言葉は無意味であると理解していた。

 それでも何かを口にせずにはいられなかった。

 

 騎士たちが騒がしくなり始まる中、ふと、フレアは背に触れる手の感触を覚えた。

 

「ま……た、そんな顔」

 くぐもった声で、途切れ途切れに呟くのはノエルの声であった。彼女は必死に息を吐きながら、努めて平然な様子を取り繕うと笑みを浮かべる。

 

「ノエちゃん? 大丈夫なの?」

「だいじょうぶ」

 

 その言葉とは裏腹に、ノエルの顔からは血の気がなくなり、青白いものになっていく。もう終わりの時が近いと、その色がありありと示していた。

 

 それでもノエルは気丈に、こう続ける。

 

「団長は、だいじょうぶだよ」

 

 フレアの頬に両の手を添え、ノエルは慈しみ深い笑みを見せる。

 

 その言葉に、その笑顔に何も言えなくなった。

 フレアはただ、その瞳から大粒の涙を流しながら、その言葉に頷くことしか出来なかった。

 

「綺麗な顔が、台無しだよ……あぁそっか。泣かしてるの、団長なんだね」

「喋んないで! すぐに、すぐにお医者様が来るってお姫様も言ってたから!」

 言葉を発する度に苦悶の表情を浮かべるノエルに、きつく言葉を放ちながら休むように訴えるフレア。

 

 ノエルは少し上空を見やり「……ゴメンよ、それは出来ないや」と一言返す。

 

「何言って……」

「あぁ、でも……勇気、くれないかな?」

 

 そう呟き、ノエルがフレアに顔を寄せる。

 言葉を発することも忘れ、フレアはただそれを受け入れた。

 

 ただ少し触れるようにノエルは自身の唇をフレアのそれに重ね合わせた。

 一瞬の触れ合い。ただ少し触れ合っただけでもその熱と感触を感じるものであった。

 

 

 ノエルはエヘヘと恥ずかしそうに笑った。

 

 

「さ、行かなきゃ……」

 

 フレアの手を解き、よろよろとした足のりで立ち上がるノエル。力が抜けてされるがままになっていたフレアもようやく正気を取り戻し声を上げる。

 

「……ねぇ何処行くの? ……ノエちゃん!」

「……守るよ」

 

 その身は満身創痍であった。それでもノエルは笑みを浮かべ続ける。

 

「あん時、約束したっしょ? 団長が、フレアを守っちゃるって……」

 

 風が流れた。砂埃を運ぶその風は彼女たちの投げ交わした音を攫い遠くへ、遠くへと押し流していく。

 

「ねぇ……だからさ、もういっぺん力貸してよ」

 

 それは誰に投げかけられた言葉なのだろう。

 

 上空に、虚空に手を伸ばしながらノエルは続ける。

 

「団長に、みんなを……」

 

 それは遥か昔に彼女が叶えた願いと同じものであった。

 

 

 そう。ノエルの望みはただ一つであった。

 

 

「フレアを、守らせてよ!」

 

 

 

『いいのです。ならアナタの『今』を引き換えに……『覆すための力』を貸してあげる!』

 

 小さく、死を司る者はほくそ笑む。

 

 

 

 その望みは光の柱となり、ノエルを、そしてウェスタの全てを包み込んでいった。

 

 

 

 

「かなたん! 下からなんかくる!」

 

 蒼の光に染まる空間に、わための声が響き渡る。その音からはこれまでの柔らかいものは感じられない。ただはっきりと困惑した様子がはっきりと聞き取れた。

 

「何かって……」

 

 台座に拳を打ちつけ、項垂れていたかなたもその声に顔を上げる。

 

 同じくして、かなたにも確かに感じたのだ。

 

「何、これ……ねぇ!」

 

 天へ立ち昇る力の奔流。

 しかしただ押し上げてくるような乱暴なものではなく、どこまでも優しい白銀の光が力の波となって空間全てを包んでいく。

 

「わため! これ、一体なんなの?」

「わかんない、こんなの、わためも見たことない!」

「でも……これなら!」

 

 自然と、かなたの手が台座の円盤に触れる。最初のように、『ソラ』に促された訳ではない。ただそうすることが自然だとかなた思えた。

 

 しかし激昂の末に打ちつけた拳には血が滲み、手を広げるだけでも苦痛に顔が歪んでしまう。

 

「やれ……」

 

 それでもそれに触れて、かなたは強く念じる。

 

「やるんだ……」

 

 出来ることが願うだけならば、誰よりも強く激しく祈りを捧げる。

 

 

『ほら、ノエルちゃんも頑張ってくれてるよ?』

 

 『ソラ』の声が優しく響く。

 

「……動け、動け……」

 

 それでも後一歩が足りない。

 瞳を閉じて強く願っても、手から血が流れ出るほど力を込めても、『救う』力が溢れ出ることはない。

 

 

 何がいけない。

 何が足りない。

 

 自分じゃダメなのか……もう、ダメなのか?

 

 否定したはずの諦めが彼女の中に溢れ始めようとしていた。

 

 

 

 

『ほらぁ、またそんなこと考えてる』

 

『そら先輩に言われたでしょ? 叶えるのはかなたんだよって』

 

『大丈夫。かなたんならさ……絶対に、できるよ』

 

 

 

 

 いつか耳にした、少し高く子供ぽい声。

 ウェスタへの途上、迷いの中にあった時に背を押してくれた声だ。

 

 

 それに後押しされるように、再びかなたが声を上げる。

 

 

「動けえぇえええええぇ!」

 

 

 そしてその叫びに呼応するように、溢れ出した蒼の光はかなたたちを、そして『剣』を包む。

 

 ついに、『閉ざされていた異界の門』と『かつての力』はここに開かれた。

 

 

 

 夢を見ている感覚であった。

 拳から台座に流れ落ちる血の赤ですら気にならないほどの幸福な感覚に、かなたはその瞳を閉じて身を委ねていた。

 

 島の展望橋で、大切な友人と共に遥か彼方の風景を臨む。そして見たことのない物や会ったことのない人に思いを馳せる。それはそんな幸福感に似ていた。

 

 だがその幸福も、自分の作り出した逃避場所であった。

 優しい、最後の逃げ場所だった。

 

 進み始めたのならば止まってはいけない。

 ゆっくりでも良い、その歩みだけは止めてはいけない。

 

 声が聞こえた。大丈夫、かなたんならできるよ、とまた声が聞こえた。背中を押しれくれた少女の声だ。

 

「ひら、いた?」

 

 閉じていた瞳を、かなたはゆっくりと開く。

 視界全てを覆い尽くす蒼の光。

 決して煩くなく、優しく包み込んでくるそれに、かなたはそっと上を見上げいた。

 

 ぼんやりとではあるが、確信があった。

 光の向かう先には、瞬さの向こう側きっと、『別のセカイ』が広がっているのだと。

 

「かなたん、見て? 蒼の光が……光が、全部包んでく! すごいよ、かなたん!」

 

 足元から潤んだ音がかなたの耳に届く。

 

「わため……君はこれからどうなるの?」

 

 そう。これまでかなたもぼんやりとしか認識していなかったが、『剣』が動くということはきっと、わための置かれた状況にも変化があるということである。少ない会話の中で彼女が『剣』に囚われているのではないかと想像していたかなたにとって、助力をしてくれたわための状況が好転するということは彼女にとっても嬉しいことであった。

 

「あれ? わため?」

 

 わためと喜びを分かち合おうと視線を下に落とす。

 しかしそこにかなたの見知った牛のぬいぐるみはいない。むしろそこには何もなかった。

 

 突然姿を消してしまったわための姿を探し、視線を右往させる。

 

「待ってた……」

 

 不意に頭上から声が聞こえる。

 先ほどから耳に優しく響いていた柔らかい声。

 

「わため? それが君の」

 

 そこには声に違わぬ、優しげな少女の姿。ふんわりとした金髪に藍色の瞳。きっと笑えば花が咲いたように華やかなのだろうと想像できる彼女の顔は今、涙に溢れていた。

 

 わためは何かを見つけて涙を流していた。

 そしてそれは自分の背を押してくれた『あの少女』であると、かなたにもすぐ認識することが出来た。

 

 少女は周囲の眩しさ目を細め、わために手を振っている。無邪気さと、どこか危なっかしさを孕んだ笑顔で。

 

「待ってた。ずっと……『アナタ』が戻ってきてくれるの、ずっと……待ってたんだよぉ」

 

 もちろん言葉の意味はわからない。ただ自分の背中を押してくれた少女に告げている言葉ということは理解できた。

 きっと、自分が知らない物語があったんだろう。そして涙を拭いもせず、わためが少女の方に向かって駆けて行った。母親に駆け寄る子供のように一心不乱に、走って行った。

 

 その光景に羨ましさと感謝を覚えつつ、かなたはこう呟いた。

 

「ありがとう、わため。結局、ちゃんとお礼も言えなかったな」

 

 そう言葉にして、ゆっくりと周りを見やる。

 かなたのいるこの空間だけは蒼の光に包まれ他の色が差し込む余地はない。しかしそこから遥か遠くに臨む、東のソラには少しずつ橙が顔を見せ始める。刻限は夜と朝の境目にあった。

 

 その風景の中に、かなたは自身の故郷を見た。あわや衝突寸前まで迫っていた島は、ウェスタを目前に動きを止め、そしてその身を本来あるべき高みへと戻していった。

 

「……よかった、無事だ。もう大丈夫だ」

 

 そう口にした刹那、拳に感じた痛みと共にかなたの身体が震え始める。

 

「……あれ?」

 

 声も同じように震え始める。 

 

「なん、で? なんでだよぉ。なんで怖いんだだよぉ」

 

 叫ぶように吐き出した言葉と共に、かなたはその場に蹲り身を固くした。

 

 ここから先、一体何が起こるのか。かなたには何も想像できていなかった。ただウェスタと、島を救うためにがむしゃらに突き進んできた。しかしこの先のことなど何も考えていなかったのだ。

 

 もしかするとわためのように、自分も『剣』に囚われるかもしれない。

 それこそ孤独の中を、気の遠くなる程の年月を過ごさなくければいけないかもしれない。

 

 一人は怖い。

 一人は耐えられない。

 孤独はきっと、自分の身体を蝕んでいくだろう。

 

 それを想像すると震えはさらに勢いを増していた。

 

 

「……ココ」

 

 口に馴染んだその名を呟く。

 そうすると不思議と彼女を捕らえて離さなかった恐怖が薄れていく。

 

「あぁ、そっか。ボク……きっと大丈夫だ」

 

 大切な人の名を呼べる内はきっと大丈夫だと、その思い出だけで自分はどこでだってやっていけると、かなたの中にそんな確信が芽生え始めていた。

 

 だからこそ、最後は笑顔でいよう。

 誰に聞き届けられるわけでもなく、彼女は和かに笑顔を作った。

 

「みんな……バイバイだね。サヨナラ、ココ……」

 

 

 力の奔流が渦になり、逆巻き、ソラへと舞い上がっていく。

 その力はかなたの身体を上方へと押し上げていく。

 

 まるでそれは落ちていく感覚に似ていた。

 

 そう感じながら、彼女は硬く閉じていた瞳をそっと開く。

 

 

 数日前も、同じ感覚を憶えた。あれは島から落ちてしまった時、悔しさと不安で胸が押しつぶされそうになりながら、必死に踠いて声を上げたことを覚えている。

 

 確かに、今も不安がないと言えば嘘になる。しかし少しずつ遠くに離れていくウェスタの街並みが、彼女に勇気を与えていた。

 

 何もできないと思っていた自分が、何かの役に立てた。

 

 その事実だけで、かなたはこれから先に待つどんな苦難にも正面から向き合える。

 

「ボク、きっと一人でも大丈夫だ……」

 

 そう、自分に言い聞かせるように小さく呟いた。

 

 

 

 

「何言ってんだ! このバカかなた!」

 

 

 

 幻聴だろうか。

 蒼の光の中に、親しい友人の声が響く。

 

「コ、コ……? まさか」

 

 声が響いた方向に目を凝らす。

 小さく気づくことすら難しかったそれは少しずつはっきりと像を結び始める。

 

「一人でなんて、行かせんません……!」

 

 否、それは決して幻視などではない。

 悲鳴を上げ続ける翼を幾度となくはためかせ、彼女がここに戻ってきた。

 

「先に行くなって、約束してんじゃねぇかぁ!」

 

 白銀の光に背を支えられ桐生ココが約束通り、この場に戻ってきたのだ。

 

 

「コ、コ? ココ!」

「行くんなら、一緒に行くんだ! なぁ……かなた!」

 

 必死にかなたに手を伸ばすココ。

 しかし彼女の手は簡単には届かない。上空からの風に負け、大きく広げることが叶わない。

 

「いいの? また、みんなと、ココと一緒にいたいって……思っていいの?」

 かなたの瞳からウェスタに向かい、ポツリポツリと涙が溢れ始める。

 

「良いに決まってる! だから!」

 

 叫びながらココが叫ぶ。

 

「みんなと……ココと一緒にいたいよ!」

 

 そしてようやくかなたも小さく、その手をココに向けて差し出した。

 

「なら、ちゃんと……手ェ伸ばせぇ!」

 

 

 

 

 白むソラに人々の歓声が響き渡る。

 目の前まで迫っていた脅威は去り、彼らとウェスタの街が無事であることを喜び合っている。

 

 

 たった一夜のことであったとは言え、死と隣り合わせの状況にあって、街の人々の心身には大きな影響があったのだろう。今はそれから解放され、あちらこちらに笑顔が溢れている。

 

 

 人々が笑顔いる中ルーナは一人、『剣』を見やりながら呟く。

「『剣より天に昇る柱、其は異界へと繋がる橋となる』そう書いてあったのらけど……」

 

 しかし街を救うために引き換えとなった存在があることを、彼女だけは認識していた。 

 

 言葉を交わさなかったが背中に翼を携えた少女と、そしてココのおかげできっと街は守られた。それをありがたくも思い、そして申し訳なさも同時に彼女の中に鬩ぎ合っていた。

 

 何かを救うためには、何かを得るためには相応の代償が必要となる。それは十分に理解している。

 

 しかし分かっているならばどうにか出来たはずだと、ルーナは悔しさを噛みしめながらキツく唇を結び、恨めしく『剣』を睨んだ。

 

 それでも、『剣』から放たれるその美しさを彼女は否定することは出来なかった。

 

「……綺麗なのら。本当に、綺麗なのら」

 

 うっとりと光を見つめながら、不意にルーナの脳裏にある叫びが思い出される。それは間違いなく、この光を打ち立てたものの一つであったが、『剣』の美しさにそれを忘れてしまっていた。

 

「ノエルちゃ団長は……どうなったのら?」

 

 蒼の光によって島が上空に押し返される前、ルーナは確かに耳にし、目にしていた。ノエルの叫び声と、彼女の周囲に現れた白銀の光を。

 

 あの時のノエルは間違いなく満身創痍であった。

 そんな彼女が決死の覚悟で何かを成し遂げたのだとしたら、きっとその身は無事ではないだろう。

 

 見知ったノエルの姿を探しながら右往左往するルーナの視界の中に、緑にそして紫に色を変え行く無数の蝶がうるさく飛び回っている。

それに煩わしさを感じつつもルーナはどうにか彼女を、嗚咽を漏らしながら蹲るフレアを見つけた。

 

「……」

 

 しかしその姿ははじめて見た時のあの勇敢な様は見て取れない。ルーナイトを一瞬のうちに昏倒させた弓の使い手とは思えないその様子に、どう声をかけるべきか思案しながらルーナは一歩ずつ彼女に歩み寄る。

 

 蹲る彼女の腕の中には、よく見知った銀髪。

 一瞬最悪の結末がルーナの頭を過り顔を歪ませるが、腕の中のものが何かを認識した時にはその不安は吹き飛んでいた。

 むしろ、なぜここにそれがいるのかという疑問が、彼女の頭を占めていた。

 

「エルフのねーちゃん、その子は?」

 

 フレアに声をかけながら彼女の腕に抱いたものを見やる。そこには銀髪の赤ん坊がいた。その赤ん坊はフレアの瞳から溢れる涙を必死に拭おうと手を伸ばしながら、声にならない声をあげている。

 

 

「ノエちゃんだよ……」

 

 小さく、フレアが呟く。

 

「また、守ってくれた」

 

 言葉が溢れる度に止めどなく涙が溢れ、赤ん坊の伸ばした手を濡らしていく。

 

「ホント、なんで……」

「わからねぇのら?」

「わからないよ……分かりたく、ないよ!」

「ノエルちゃ団長、あん時叫んでたのら? ねーちゃんを守らせろって、言ってた」

 

 そしてあの時、ルーナの耳にも届いていた。

 

 『アナタの『今』を引き換えに……『覆すための力』を貸してあげる』

 

 彼女の目に見えない何かがノエルに力を貸したというのならば、この結末は不思議ではない。その代償が『これから』の時間ではなく、『これまで』のノエルの人生というのが些かご都合主義であるかもしれないが、このセカイにはアヤカシも、そしてカミサマだって存在しているのだ。こんな御伽噺のような結末があっても良い。

 

「本当に、ノエルちゃ団長らしいのらよ」

 

 しかし同時にルーナはこうも思っていた。きっと、『街を守る』という思いだけではこんな結果にはならなかっただろう。

 

 きっと、ノエルがその思いを成就させることが出来たのはきっと……

 

「ねーちゃん、愛されてるのら」

 

 命をかけても良いと思えるほど思いを寄せる存在があったからこそ、ノエルは成し遂げた。その尊さに溜息をつきながら、ルーナはフレアの腕に抱かれるノエルの短い髪に触れながら微笑みを浮かべる。

 

 そしてルーナの言葉にハッとした表情を浮かべ、そして未だに彼女の頬を拭おうとするノエルの方を見るフレア。

 

 フレアはようやく腕の中のノエルに「ノエちゃん……わたしは」と涙に濡れながらも笑顔を作る。

 

「私も、愛してるよ……ノエちゃん」

 

 

 その言葉の意味を、腕の中に抱かれたノエルが理解するのには時間がかかるだろう。理解することができるようになるまできっと守り続けようと、フレアはそう決意しながらもう一度強く、強くノエルを抱きしめた。

 

 

 そしてフレアはようやく視線を上げ、『剣』を見やる。

 

 

「……かなたちゃん」

 

 

 『剣』に残った、共に旅をした友人の名を呼ぶ。

 きっと無事でいて欲しいと、幸福でいて欲しいとそう願いながら。

 

 

 

 

「なぁ、かなたん」

「なに?」

 

「いや、やっぱり良いです」

「なんだよ、気になるじゃないか」

 

「面白いですね」

 

「セカイは、やっぱり面白いです」

 

「そう、だね」

 

「ボクもそう思ってた」

 

「きっとまだまだ面白いもんは沢山あるはずです」

「……だね。だったら」

 

「あぁ、じゃあ」

「そうだね」

 

「一緒に、行こうか?」

「一緒に行きましょう!」

 

 

 

holoearth chronicles ALT

ソラから落ちた少女

Fin.



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異伝ヤマト騒乱記
JOYRIDE


 今日も、どこまでも青い空が広がっている。

 

 夏は誰のための季節だろう。

 頭上から煩く熱を浴びせかけてくる彼女の季節か。

 それともあたしの耳を掻き毟ってくる彼らのものなのか。

 

「何言ってんだ、おかしくなったか?」

 

 誰に聞かれているわけでもないのに、あたしは独りごちながら炎天下の下家路を急いで行く。とにかく家に帰ったら冷蔵庫に入っている、キンキンに冷えたお茶で喉を潤すんだと心に決めながら。

 この季節になると決まって思い出すのは『あの時』のことだ。

 その時までは何にも考えずに、毎日過ごしていたように思う。

 父ちゃんと母ちゃん、ねーちゃんと弟と過ごす毎日は本当に満たされていてそれが幸せなんだろうななんて、漠然と思っていた。

 

「……あ、そう言えば」

 額に滲む汗を拭いながら、見えてきた三叉路を前にあたしの口からはそんな言葉が溢れていた。

 そう、丁度ここであたしは出会ったんだ。

「確か『飽きてない?』だったかなぁ」

 そんな風に気安く話しかけてきた『アイツ』がいたから、あたしはきっと巡り合ったんだと思う。

 

 なんか良い機会だったから思い出してみようかな。

 あたしが自分のことを、名前で呼ばなくなったあの夏のことを。

 あたしが出会った、『友人』たちのことを。

 

 

 holoearth chronicles ALT:異伝ヤマト騒乱記

 

 

「うーあーつーいー!」

 燦々とお日様の照りつける通学路で独りごちていた。

 そんな事を口にしたって涼しくなるわけでもないのに、口からはそんな諦めに似た言葉がこぼれ落ちていた。

 あぁ、これは所謂様式美というヤツっすな、そんな事を思い始めたのはいつの頃だっただろうか。歳の割には大人びているねなんて周りの大人たちに言われていたから、少し調子に乗っていた頃にそう考えていたのかもしれない。

 でもそんな諦めを口にしていても、この季節がすごく好きなことに変わりはない。

 煩く散らばる燦々とした陽の光も。

 青々と、風に揺られる緑の波も。

 そして耳を擘く愛を伝える声も。

 それら全てが愛おしくて、その刹那的で、そしていつまでも続いて欲しいって思う生命の謳歌にずっと虜になっていた。

 でも、そんなことに言ったって、この暑さから逃れることはできない。

「でもーうがぁ~! やっぱ暑いよぉ」

 カバンに放り込んでいたペットボトルの口を捻り、もう完全に温くなっている液体で喉を潤していく。

「くはぁ! 温くてもうめぇ!」

 そんな歓喜に似た声を上げると、自然と視線がソラに向かう。

 そこには高く、白く伸びていくソラの支配者の姿。これもまさにこの季節の風物詩みたく思ってしまう。

「……あぁ、すげぇ」

 そう口にしながら、こんな事を思ってしまった。

 『この雲は、どこから来たんだろう。もしかすると、ココとは違う場所から来たのかな』

「行けるんなら、行ってみたいなぁ……なんて! 何言ってんすか」

 そんな事を口にしたからかもしれない。

 

「じゃあさぁ、連れてってあげようか?」

 

 そんな気安い声が響いた。

 いつからそこにいたんだろう、この炎天下には相応しくない、飄々とした笑顔を浮かべたまま、ソイツはそこに立っていた。

 

「ねぇ、スバルちゃん。行ってみたいでしょ?」

 ただピコピコと頭の上の可愛らしい耳を動かしながら、ソイツは私にそう続けた。

 

「ねぇ、スバルちゃん。興味あるでしょ?」

 ソイツは気安く声をかけてくる。

 まるで教室に入ってきた友達に声をかけるみたいに。ソイツはふんわりと優しい笑みを浮かべて、声をかけてきたんだ。

 でもソイツにどう反応したいいか分からず口をパクパクとさせていると、優しかった笑顔は途端に悪戯に歪んでいく。

 

「どうしたの? そんなとぼけた顔して」

 挑発的な声色でソイツはニヤリと声を上げた。言うまでもなくその声に少しイラッとしてしまったのは言うまでもない。

「いや、っていうか誰だよお前?」

「まぁまぁ。ぼくの事は別に良いじゃん」

「よくねーよ! 何言ってんだお前!」

 勢いに任せて言い放った言葉に、ソイツは大声を上げながら笑った。

 かんかん照りの空の下で小気味よく響き渡るソイツの声は、ソラを行き交う彼らのモノよりも優しく聞こえたけれど、私の……大空スバルの中には腹立たしさが残った。

 

「ほんっと、あー! やっぱりスバルちゃんは何処にいたってスバルちゃんなんだなぁ」

「さっきからな意味わかんねぇこと言って……」

 また厳しい言葉が自分の口を吐こうとした時、一瞬目の前が暗くなる。

 太陽の熱にやられたのだろうか。さすがに不味いかと思いながら頼りなく右手を前の方に伸ばす。

「す、スバルちゃん? 大丈夫?」

 そう言ってソイツがスバルの手に触れた時、見えた気がしたんだ。

 一つの画面を見ながら笑い合ったり、感想を言い合ったりしているスバルと、そしてソイツの姿が。まるでそれは気心の知れた友達みたいな、そんな雰囲気を感じさせるくらいに仲の良さが伝わってきた。

「あれ、なんかスバル、お前の事……」

「気のせいだよ」

 スバルの言葉をピシャリとその一言で終わらせるソイツ。

 今、ソイツの表情はこれまでの掴み所のない笑顔ではなく、少し冷たい印象を感じさせた。だからかもしれない、言葉を遮られたら強引にでも最後まで言おうとするスバルが、言葉を詰まらせたのは。

 

「ここにいるスバルちゃんは、ぼくの事知らないはずだよ」

「は?」

 

 ソイツは小さく「まだ、会うべきじゃなかったんだから」と続けて、自らの紫の尻尾をバタバタと大きく動かしながらそっぽを向いた。一体その尻尾はどんな感情をしめてしているんだろう。正直生き物に詳しくないスバルのは分からない。でも、きっと何か不愉快な感情を抱いているっていうのは理解できた。

 

「でもさ、『あっち』で呼んでるみたいなんだよね。どうにか出来るの、多分スバルちゃんだけだからさ」

「いやいやいや! ちょっとは人の話を……」

 そしてスバルのツッコミ、もとい文句を最後まで言わせてくれることもなく、スバルの意識は黒一色に染まっていった。

 それが一夏の冒険の始まりになるだなんて気付くこともなく、ただスバルは意識を手放してしまったのだった。

 

 

 

 

 視界が真っ暗になる。

 さっきまで嫌なくらいスバルに笑顔を向けてきていたあのうるさい太陽は何処かに消え失せ、まるでソラを厚い雲が覆ったみたいに、しとしとと雨が音をたてていた。

 

「あ、やっほー元気にしてる?」

 

 さっきの気安い声が響く。ぼんやりとする目を細めて、必死に声の方を睨むように見つめる。見えたのは妖しく紫に光る瞳を潤ませた女の子が1人。

 正直自分で言ってて、少しむず痒い気もしたけど、ソイツの様子を見ると語りかける先がスバルじゃないって分かったからか、少し身構えてソイツの一人語りに耳を傾けた。

 

「ま、これはぼくの独り言だからさ、構えないで聞いてよ」

 

「そうそう。ぼくはね、『この物語の登場猫』じゃないよ」

 

「みんなと一緒なのかな? んーどうだろう」

 

「あ、もちろん『お話の中にいるぼく』もいるけどね」

 

「今回ばっかりはそうだなー。ストーリーテラーみたいなモノだって思っておいてもらえればいいかな」

 

「ねぇ……みんな」

 

「みんなはさ、ここまで話を見てきておかしいなって思わなかった? なんかすごくご都合主義だなぁって思わなかった?」

 

「なんで、かなたちゃんたちの住んでたソラの島が落ちようとしていたんだろう?」

 

「なんで、わためちゃんは『剣』に囚われてたんだろう?」

 

「なんで、ただの人間のはずのノエルちゃんが、ドラゴンであるココちゃんを打ち負かしちゃうくらい強かったんだろう?」

 

「考えてみればたくさんおかしいなって思うことがあるよね」

 

「でもさ、全部じゃないけど、きっとこれから分かると思うよ」

 

「その答えを見つけ出してくれるのはきっと、1人しかいないんだ」

 

「どんな時だってそうなんだ」

 

「物語を動かすことができるのは、『なんの力もない、ただの人間』なんだから」

 

「さ、ぼくからのお話はここまで」

 

「一緒に……あぁ、ごめん。そろそろ行かなきゃころさんが怒っちゃうや」

 

「じゃ、また会おうね」

 



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HELTER SKELTER

 さっきまでこの身体を包んでいたのは蒸せ返るくらいの暑さのはずだった。

 

 太陽の熱が身体を焦がして、喉が水を欲して、炎天下の中、必死に家路を急いでいた。

 

 ハッキリ言おう。

 今あたしを、大空スバルを包んでいるのはそれとは全く正反対の空気。

 寒さが身体に突き刺さり、しとしとと雨が全てを濡らす、全く見知らぬ路地裏の光景だった。

 

「って、そんなモノローグみたいなこと言ってる場合じゃねー!」

 

 なんて大きな声をあげるけど、それを受け取ってくれる人は誰もいない。ただ、自分の音が路地に反響して、音の像をぼやかしていく。

 

 まるでそれ自体が元からなかったと錯覚させるように。

 

「マジで、いや……どうなってんの?」

 

 もう一度、そう言葉を投げ出す。

 

 でもやっぱりそれに返ってくる言葉はなくて。

 

 心細さと寒さで震える身体を必死に抑えながら、暗がりに泥むこの路地を、スバルはおそるおそる進むしかなかったんだ。

 

 

 holoearth chronicles ALT:異伝ヤマト騒乱記

 episode:2  HELTER SKELTER

 

 

「いやいや、おかしいだろうが!」

 

 目の前に広がるその光景を見とめて、ビシリと腕を横に放り出しながら口をついたのはこの言葉だった。

咄嗟に出る言葉って、どうしたって普段から使っているものになってしまう。

結構乱暴に言葉を吐き出したなぁなんて、頭では冷静に考えている一方で、スバルの意識はこの不可解な光景をどうにか飲み込もうと必死になっていた。

 

 脇を抜けていく風が肌寒い。頭上には重い鉛色をした雲からしとしとと雨が降り注いでいた。

 

 そこまでなら理解できる。天気が悪い日だってあるよなーって、ゲリラ豪雨かぁ大変だなぁって、あっけらかんと笑い飛ばしてやれば済む話だ。

 でも目線を少し下げた時に目に入ってくるものをどう言い表したらいいのか、スバルには全然分かんなかった。

 

 厚い雲にの色と同じように、泥むグレーの建物たち。間違いなく自分が住んでいた周りにはなかっと、背の高いビル。そしてそれに絡みつくように鬱蒼とした草木が、無機質なコンクリートにおどろおどろしさを与えていた。

 

 ダメだ。

 考えすぎて頭が痛くなってきた。

 

「あ、あれだ!」

 

 だからいつか見た漫画のワンシーンみたく、パンと頬を手で叩いてみた。

 

「スバル、夢見てんだわ!」

 

 肌を叩いた耳を刺す声と共に、自分の声が路地のビルに反響していく。でもその音もソラから降り注いできた雨の水音にかき消されてしまう。

 

 ビリビリと、叩いた頬が少し痛い。

 あぁ、そうだ。スバル、ちゃんと正気じゃないか。あまりのことに狂っちゃったのかなぁなんて思っちゃったよ。

 

 そうそう。顔を上げれば雨の粒が叩いた肌に優しく……ってイテぇ!

 

「……って良いわけねぇ!」

 

 思わず唸るように声を上げてしまった。

 多分母ちゃんに見られたら絶対に怒られちゃうような、女の子らしくない行動だったかもしれないけど、それでもスバルは叫ばずにはいられなかった。

 

 でもそこから堰を切ったみたいに感情が溢れ出した。

 

「どうすんだ! どうすんだよぉ?」

 

 自分でも分かった。

 やっぱりスバルは動揺してるよ。何がなんなのか分かんなくなってるよ。頭真っ白になっちゃってるよ。

 

「なんでこんなことになってんの? なんで……訳わかんねぇっすよ!」

 その場に蹲って身体を丸めて、自分の身に降りかかってくる全てを拒絶しようと硬く目を閉じた。でも降り注ぐ雨は執拗にスバルの身体を濡らして、これがお前の現実なんだって、逃げられないんだって見せつけてくる。

 

 きっと、漫画の主人公だったらこんな時胸をときめかせるんだろう。見知らぬセカイに心を踊らせて冒険に飛び込んでいくんだろう。

 

 でも、スバルは違うよ。

 

 スバルはただの、普通の女の子なんだから……そんなん、無理だよぉ。

 

 

 

 それからどれくらいひざをかかえてうずくまってたろう。身震いする感覚を覚えながら、ゆっくり顔を上げる。やっぱり、夢じゃないんだなぁと、そう実感してしまうと、なんだか心がスッと軽くなったような気がした。

 ま、こうなっちまったもんはしょうがない! 今スバルが出来ることはここが何処なんかを知る事と、早くうちに帰ることなんだ。

 

「とにかく……誰かいないか探すかぁ!」

 

 口から出たのは空元気な言葉はだった。でもさ、よく言うじゃんか。『落ち込んだら声出せよ』って。

 切り替えの速さだけは自分で自分を褒めてやりてえなぁとニヨニヨしてしまう。まぁ知らない場所でもどうにかなる! すぐにどうこうなっちゃうわけでもないだろうとタカを括って、とりあえず路地の先を目指して歩いていくことにした。

 

「この街の感じ、なんか知ってるような気がするんだよなぁ」

 キョロキョロと立ち並ぶ建物を見ながら口から溢れた独り言は、いつにも増して大きく聞こえる。

 きっとよくある街の風景なんだろうなとは思ってた。ただ間違いなくスバルの家の周りにはこんな荒んだ様子のビル街なんてまずないし、それに素人目にもわかるくらいに、なんの修繕もされずに放置されていた様子が建物からは感じた。まるで少しの揺れでも起これば倒壊してしまうんじゃないかって思ってしまうくらいに、大きなヒビみたいなものも見えていた。

 

「と、とにかく……広い場所に出ないと」

 

 言葉にしちゃうと背筋を冷たいものが這っていったような気がした。

 おんなじタイミングで頭の片隅には、ビルが崩れていってその下敷きになっちゃうスバルの姿が過ぎってしまったんだけど「バカばか! 何おかしなこと考えてんだよ!」と、自分を奮い立たせて、少し足早に路地を駆けていく。

 

 少し勢いを増し始めた雨が肌に痛い。

 服が水気を含んで肌に張り付いて煩わしい。

 視界が潤み始めてまともに前を見る事が出来ない。

 

 それでも、必死になって足を動かした。

 一回でも足を止めてしまったら、きっとスバルはまた立ち上がれなくなっちゃうって。そうゆう実感がやっぱりあったから、だからそれを少しでもかき消したいからスバルは脚を動かし続けるしかなかった。

 

「……ッ、はぁ……はぁ」

 どれだけ時間が経ったんだろう。ようやく見えてきた路地の切れ目、きっと開けた場所が目に入り、正直ホッとした。ようやくちょっとは安心できる。ようやく脚を投げ出して休む事が出来そうだーって期待が顔を見せ始める。

 

 でも、そんなに上手くいかない。

 スバルの期待通りばっかりに、世の中は転がっていかないんだ。

 

 

 それは本当に、路地から顔を出そうとしたその瞬間だった。

 風が弾ける音がした。

 

 部活の時によく耳にする、低いタックルで誰かを前のめりに押し倒そうとしてくる時の、あの感覚に似たものが大きさを何倍にも増してこっちに突っ込んでくる。そんな気がした。

 

 進もうとしていた脚が止まったと同時にビルの外壁を崩す衝撃と音がスバルの鼓膜と肌を揺らしてくる。思わず息を飲んで一体なんなのかと、目を凝らしてそれを見た。

 

「……いやいや、いやいやいやいや! なんだよそれ!」

 

 なんて言い表して良いのか、本当に訳が分かんなかった。

 

 ただ振り返ってきたそれは本当に大きい。スバルの背の三倍くらい大きな黒い物体がジロリとこっちを見つめていた。

 

 まるで品定めするみたいに、ジッとこっちを見つめていたんだ。

 

 一瞬、息が止まった。

 それにジロリと睨みつけるその視線が、喉を握り潰してくるみたいに息苦しさを感じさせた。

 

 スバルがアタフタしている間にもその黒いヤツはこっちに這いずるように近付いてきていた。

 

 怖い。一体何なのか分からない目の前の物体が怖い。スバルの頭に鐘があるとしたらきっと、今それはけたたましい音をたててると思う。

 

 今すぐ逃げなきゃ……きっとさっきの突進はスバルを狙ったもののはずだ。

 早く走らなきゃ……ちょっとでも遠くに。そうじゃないとすぐにあれの餌食になっちゃう。

 

 考えれば考えるほど身体が萎縮していく。かくなっちゃった身体は、頭からの命令を拒否している。でもそうだよ。さっきも自分に言い聞かせたじゃないか。

 

「なんか変なモンまで出てきたんだけど!」

 

 頭の中のけたたましさを掻き消すくらいに、お腹の底から声をあげる。途端にスッと身体のかたさが消えていく。今なら……動ける! 次の瞬間、右前方に飛び込むみたいに身体を放り出していた。部活で選手たちがやっていた、前転しながら受け身をとるやつ。スバルの肩が地面を捉えたのと同時に、スバルが今までいた場所に黒いヤツの腕みたいなものが横に振り回されてた。

 

 正直ヒヤッとしたよ。何にもしないままでそこにいたらきっと、今足元に転がっているビルの外壁とおんなじみたいになってたかもしれないんだから。

 でも、うん! 大丈夫だ!

 

「っでェ、容赦ねぇ! ってきっとスバルの言葉を通じてねぇ!」

 

 もう一回、お腹の底から声を出す。するとどうだろう、口元がニタリと歪んでいくのがわかった。もうビビってない。とにかく訳がわかんないんだから逃げるに越したことはない。

 受け身で立ち上がるのそのまま、黒いヤツの様子を見ずに大通りの向こう側に向かって一気に走っていった。そこに逃げ場があるわけでもないけど、少しでも離れないといけない。その一念だけがスバルの脚に鞭を打ち続けた。

 

 でも、様子を見なくても黒いヤツがスバルの後を追って来ているのは手にとるように分かった。ソイツが這いずり回って追いかけてくる音は嫌でもスバルの耳に届いて来た。

 もしかすると境界線の見えないソイツは、もうスバルのことを掴んでいるのかもしれない。

 さっきまでは軽快に動いていたはずの脚も何だか重くなって来たように感じる。怖さが身体を鈍らせているんじゃなくて、もしかしたらあの黒いヤツと視線を交わした瞬間から?

 

「……マジで、いよいよヤバい……ってまだ走れんだろ、スバルは!」

 

 息も絶え絶えに、思わず諦めの言葉を口にしまいそうになる。それでも必死に自分を奮い立たせて前に進もうとするけど、自分でもはっきり分かるくらいに身体は重くなって、ついには足が縺れて前のめりに倒れ込んでしまった。

 

「ッ!」

 

 咄嗟についた掌に、じんわりと痛みが広がっていく。

 そしてその痛いのも忘れちゃうくらいの、黒いヤツの突撃がスバルを……

 

「……れ? なんともない?」

 

 何ともなかった。いやいやいや! それはいけないだろ、高まった気分も一気に冷めるわ!

 やるって決めたんなら最後までやりなさいよって、そういえばスバルの言葉ってきっとアイツは分かんないんだろうから、無理もないのか。でもすごい勢いでスバルを追いかけて来ていたアイツが、絶好のタイミングを逃すなんてことも考えられない。少し身体を起こして振り向き、黒いヤツの様子を伺おうとする。

 

 でもそこに、さっきまでいた黒いヤツはいなかった。

 

「何してんの、スバル?」

 その代わりにそこには、そこには女の子が立っていた。

 帰り道に会った、あの猫耳の面白いヤツと同じように、気安い声でスバルの名前を呼ぶその子の瞳の色は、掛けられたメガネのレンズ越しにも優しい色にあふれいた。

 だからかもしれない。

 いや、それも言い訳なのかな。

 

「ファ?」

 今日何度目になるだろう、素っ頓狂な声がスバルの口から漏れていく。

 それを抑えられないくらいに、この女の子を一目見てからスバルの心は少し軽くなってたんだ。

 

 声は優しくって、浸ってしまいたくなるくらいに甘かった。

 こんなこと考えたくないけど、スバルとは全然性質の違う、ウィスパーボイスとでも言ったらいいんだろうか。それがスバルの耳に残っていた。

 

「どうしたの、スバル……」

 

 甘い声でまた囁かれた。黒い奴と対峙していた時に感じたのとはまた別の、ゾクリとした感覚が背中を駆け巡って行った。しかし目の前の女の子に悟られるのはどこか気が引けて、スバルは自分でもわかるくらいに強がった表情を作っていた。

 そして立ち上がろうと地面に両の手をつき力を込めようとしたけど、上手に力は入らない。前に突っ伏してしまった時に、やっぱり掌に怪我を負ったんだろう。まだ確認はしていないけれど、間違いなく血は出ちゃっていると思う。

 

 どうしようかと途方にくれかけた瞬間、スバルの目の前に小さな手が差し出された。

 

「あんた……」

 スバルの声に女の子は「ほら、早く立ちなよ」とニコリと笑みを浮かべる。

 差し出された手を見とめ、ようやくスバルはその女の子のことをじっくり見ることができた。

 髪はスバルよりもちょっと長いくらい。でもその黒髪はすごく綺麗に手入れされてて、滴る雨だって、宝石に見えるくらいに艶やかだった。でもそれ以上に魅入ってしまったのは、その瞳だった。

 まるで煌々と照る月みたいな、優しさと鮮烈さを合わせ持った瞳。思わず生唾を呑み込んでしまう。それくらいその瞳と、そして声を聞いているとおかしな気持ちになってしまいそうになる。

 そんな彼女に手を引かれて、スバルは痛む手足を庇いながら立ち上がった。

 

「あぁ、良かった。怪我は、大したことないみたいだね」

 優しくひいたスバルの手を触りながら、女の子はホッとした様子でまたスバルに笑いかけた。

 多分デジャブってこうゆうことを言うんだろう。数時間前に家までの帰り道で出会った、あの猫耳の女の事を思い出しながら、立ち上がったスバルが女の子の背後を見る。

 

 そこにはまた信じられない光景が広がっていた。 

 

「……あんた」

 さっきとは違う、疑問ではなく恐れから言葉が出た。そこにはさっきまでスバルを追いかけ回していた黒いヤツがいた。半分になって。真っ二つにされて、そこに転がっていた。でも中身が飛び散っているわけでも、血を撒き散らしているわけでもない。ただ今にも消えそうにゆらゆらと漂うよう、でも確かにそこにあった。

 

 そうだ。この女の子は見た目通りの女の子じゃないんだ。

 スバルや普通の人間が敵いそうもない異形でも一掃してしまうこの女の子に、スバルは恐怖を覚えてしまったんだ。

 

「さ、行こう? 早く動かないと他のに捕捉されちゃうから」

「あんた、誰だ?」

 思わず引かれる腕に反発しながら、スバルの口からは自分でも分かるくらいに棘のある言葉を女の子に投げつけていた。

 

「誰って……あぁ、そっか。君は『ボクのこと』知らないスバルなんだ」

「知ら、ない?」

 

 普通は起こるはずのスバルの物言いに、女の子はそんな物をお首にも出さずに、ただ納得したように頷いた。この女の子も、そしてあの猫耳の女も、一体何を知っているんだろう。

 さっきの黒いヤツに対する疑問だって何も解消していないのに、次から次へとよくわかん事ばっかり起こって、スバルの頭は限界を迎えようとしていた。

 

 そう。スバル結構我慢してたんだよ?

 でもさ、その我慢をこの女の子は……

 

「とにかく行こう。傘もないのに、雨の中はさすがに寒いでしょ?」

「いや、ずぶ濡れのアンタに言われても!」

 

 いや、ツッコマずにはいられなかったんだよ、ホントにさ。



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AMBER①

 あのツッコミは正直納得いっていない。

 ホント、見たまんまそのまんまのことを口にしてしまった、なんのひねりもない事しか言えなかった自分自身を叱責しながら、突然現れた女の子に誘導されるままスバルは着いて行っていた。

 

 それにしても誰かがそばにいるってことはこんなにも安心できるものだったなんて、スバルは知らなかった。見知らぬ街に放り出されて、訳の分かんないまま当てもなく歩いてきたんだから当然なのかもしれないけれど、それでもこの女の子の存在は本当にありがたかった。

 

 たとえそれが素性の分からないヒトだったとしても、本当にありがたいものだったんだ。

 

 女の子はずっと笑顔のまま、スバルに色々と話しかけてくれてる。

 きっとスバルを不安な気持ちにさせないように気を使ってくれているんだろう。表情に違わず、優しいヒトなんだろうなって印象を感じさせた。

 

 スバルよりも少し長いくらいの黒髪。すごく艶やかで、角度によっては同性のスバルでも見惚れちゃうくらいに色っぽさみたいなものを感じるんだけど、それよりどうしても気になることがスバルにはあった。

 

「ねぇ、寒くないの?」

 なんか母ちゃんみたいでお節介なこと言ってるなぁとスバルも思う。でもそんなお腹を丸出しにしてちゃ冷えちゃうんじゃね? しかもこの雨の下だぜ? って考えてしまうと、そう尋ねずにはいられなくなっていた。

スバルのおずおずとした声に「あぁ、そんな事ないよ」なんて呟きながら、女の子は少し思案する。

 

「でもこれってロボ子の標準装備だしねぇ。それに寒いとかロボだしあんまり分かんないや」

 返ってきたのはあっさりとしたそんな言葉。なんだか色々と不可解なものもあったけど、これ以上考えるのはやめにすることにした。……あぁ、なんだかカッケー脚してるなぁくらいに思っとこう。

 

「もぉ~そんなに警戒しなくてもいいじゃないか」

 でもスバルのそんな感情をこの女の子、『ロボ子』はブウと頬を膨らませてこちらを見てくる。一瞬、『かわいいなぁ』なんて言葉が頭をよぎったけど、ここはそれを口にしないのが正解だろう。

 

「いや、無理があるだろ!」

 とりあえずシンプルにツッコミを入れて、スバルは『ロボ子』の数歩前を歩いていく。まぁ少し赤くなっている顔を見られないためだったんだけど、彼女は勘違いしてくれたみたいに「まぁそうだよね、いきなりこんな場所に来たんだんだもね」と答えた。

 

 それを耳にして、スバルに中にはなんか確信みたいなものがもてた。

 

「アンタ、あの猫耳のこと知ってるんスか?」

 

 直感みたいなモンだった。このヒトはきっとあの猫耳のことを、あの紫のふんわりした女の子のことを知っているって、そう直感したんだ。

 

「知ってるも何も、『おかゆ』は……ん、やっぱり何にもない」

「言いかけてやめんなって!」

 やっぱり覚えがある。その『おかゆ』って言葉。それがどうしても気になる。すぐに聞かないとって、気持ちが逸ってしまう。でも何かを言いかけて『ロボ子』は途中で言葉を止めて、誤魔化すように笑みを見せた。だから少しキツい言葉で追い討ちをかけてしまった。自分を助けてくれたヒトになんてことを口にしてしまったんだろうと、自分の言葉に後悔する。

 

 それでも、『ロボ子』は笑顔を向けて「ぼくが勝手に言っていい事じゃないからさ」って答えて、スバルを追い越して少し前を歩いて行った。

 

「一体、なんだってんだ……」

 

 そう呟いても、結局今のスバルにできるのは、このヒトに着いて行くことだけだった。

 でも後になって思い出すんだ。このヒトが口にしていたその言葉は、何よりも大事なことだったんだって。

 

 

 どれくらい歩いたのか、正直スバルには分かんなくなっていた。

 ただ歩いている感覚で、この街はかなりきちんと区画整備をされたところなんだなってことだけはわかった。それも一朝一夕で出来るものではなくて、かなり昔からそれがなされているみたいだ。

ちょうど学校の歴史の授業で習った、昔首都だった街に似た作りをしていた。

 

 間違いなく、『この街』に来てから一番歩いたと思う。でもきっとこの疲労は歩いたせいだけじゃないってことだけはスバルには分かっていた。

 ずっと降り止まないこの雨のせいなのかもしれない。全然景色の変わらないこの街並みのせいなのかしれない。

 

 だけど色んなものがスバルの呼吸を浅くしていく。あの黒いヤツに追われていた時とは別の焦りみたいな感情が、スバルの頭の中を占めていったんだ。

 

「っと、滑るから気をつけてね」

 不意に『ロボ子』がスバルにそう声をかける。

 見ると地下に繋がっている階段の前で、彼女は笑みを浮かべていた。まるで地下鉄のホームに降りていくみたいな、秘密基地に入っていくみたいな階段の前。さっきまで頭を占めていた不安みたいなものが、ワクワクと好奇心がかき消していく感覚を覚えた。こればっかりは抑えられるモンじゃないよ。待ってるのがどんなやばい状況だったとしても、飛び込まなきゃ状況なんか変わんないんだから。

 

 そんなことを考えながら、『ロボ子』に促されるまま、一歩一歩とその階段を降っていく。階段の隅に見える水晶みたいな欠けら蒼白く輝いて足元を照らしてくれているから苦労することなく降りていくことが出来た。

 

「……にしても」

「ここにはぼく以外いないのか?」

「……なんでわかったんスか?」

「顔に書いてるよ。ほんと、スバルは嘘つくのとか、取り繕うの苦手だよね」

「たしかに、みんなにそう言われる……」

 

 『ロボ子』の言うとおり、スバルはそんなに嘘は上手じゃない。嘘とかで自分を飾ったり塗りするくらいなら、ありのままでぶつかってやれって言うのがスバルの信条だ。

 でもそれは普段から一緒にいる学校の友達とか、家族なら知っていることのはずだ。

 それをこの人は、まるでスバルをずっと知っているみたいに言いのけた。ずっと拭えないおかしな感覚も相まって、頭はさらに混乱してしまっていた。

 

 多分階下に三階分くらいは降りていったと思う。もうここには全くと言って良いほど外の音は届いてこないくらい地下に落ちたところに、ポツンとドアがあった。

 

 まるでドラマでみた、如何わしいお店の入り口みたいじゃないかと、また興奮気味に考えていると「寒かったろうからはやく入ろう」と『ロボ子』は手早くドアノブを捻り、躊躇することなくそれを開け放った。

 

「さ、スバル」

「はい……」

 

 先に部屋の中に足を踏み入れていた『ロボ子』は先ほどまでと同様に、気安い笑顔でこちらに微笑みかける。その笑顔に促されるまま、スバルは彼女の後に続くことにした。

 

 今は何よりも、少し落ち着いて腰をおろしたい。

 その気持ちにこれ以上蓋をすることはできなかったんだ。

 

 その部屋は外とは違う、ゆったりとした空間だった。橙色の淡い光が目に優しくて、ぼんやりとしながら見渡すそこはずっと前から知っているような気がした。

「ここ……」

 ポツリと呟き、スバルは口を噤んでしまった。またさっきまでとおんなじ感覚だ。

身も知らない場所なのに、ずっと前からここを知っているような感覚。きっと気のせいなのにスバルの頭からそれが全然離れていってくれない。

 

「いらっしゃい……ぼくのお部屋にようこそ」

 不意に声がかけられる。声の主は部屋の中から心配そうにこっちを見つめていた。

 どうも調子が出ない。でもやはり疲弊したこの身体には休息が必要みたいだ。コクリと『ロボ子』の言葉に頷き、指し示されたソファに腰をかけた。

 流石にここまで来ちゃうと警戒心よりも疲れの方が表に出てきているみたいで、それ以上のことを考えずにスバルはソファに身を投げ出す。ふんわりと優しい感触がスバルの身体を包んでくれる。それに安堵を覚えたからだろうか。不意に「なんか、あったかいなぁ」って言葉がこぼれ落ちていた。

 

 きっとここに至るまで気を張っていたんだろうな。だから知らない場所なのにこんなに力が抜けちゃってるんだ。

 そう振り返りながらぼんやりと部屋を眺めていると、スバルの視界の外から『ロボ子』が声をかけてきた。

 

「よーし! 久しぶりのお客様だから、張り切っておもてなししちゃうよ? ……あぁ、久しぶりって、ここに来たことあるのはころもくらいかぁ」

 

 ころも?

 

 その名前の主が誰かは分からなかったけど、やっぱり聞き覚えのある名前だった。やっぱりこの違和感をどうにかしないと落ち着かない。そう思いながら身体を起こして『ロボ子』を探すけど、彼女は別の部屋に行ってしまったみたいだ。仕方がないと、そのまま立ち上がり、しげしげと部屋の中を観察する。

 

 少し背伸びした女の子の部屋とでも言えば良いのだろうか。揃えられた調度品は年季の入ったアンティーク。下手に触っちゃうと傷つけちゃいそうな気がする。そんなシックな雰囲気に柔らかさを与えているのは、色んなところにぬいぐるみだ。誰かをデフォルメしたキャラクターなんだろうか。何体ものぬいぐるみが空間に可愛らしさを加えていた。

 

「……」

 

 立ち上がって正面からそのぬいぐるみたちを見る。

 やっぱり見覚えがある。そのぬいぐるみ一体一体がとっても大事な人たちだったような気がして、その中のピンク色のぬいぐるみに触れようと手を伸ばした時はたとスバルの手が止まって、そのぬいぐるみの奥に隠すように置いてあった写真たてに釘付けになった。

 

「……なんでだ」

 

 ピンクの、桜色の髪をした女の子のぬいぐるみを倒さないように慎重にその写真たてを手に取り、まじまじとそれを見つめる。

 

「覚えてない。こんなの……でも、知ってる」

 それはどこかのビルの一室だろうか、そこにクラスひとつ分の数くらいの女の子が並んで映る集合写真だった。なんだかアニメみたいな獣耳とか角とか、お姫様までいる、クスッと笑ってしまうようなおかしな集合写真。ただそこに写っている人はみんな、笑顔だった。こんな写真撮った覚えもないのにそこにはスバルもいて、みんなと同じように笑顔を浮かべている。

 

「スバル……この人たちのこと知ってる?」

 

 静かにそう呟いていた。そしてそれは間違っていないって、それが確信になってスバルの中を占めていったんだ。

 

「そんな事ないよ」 

 後ろから聞こえる優しい声に、スバルは写真たてを持ったまま振り返った。きっとスバルの独り言をずっと聴いていたんだろう。彼女はニコリとこちらに笑みを向けて両の手にトレーを持ってそこに立っていた。

 笑顔に言葉を詰まらせるスバルを他所に、『ロボ子』は淀みない所作でさっきまでスバルの座っていたソファの前に置かれていたテーブルにトレーを運んでいく。そこから立ち上る湯気がゆらゆらと琥珀色に染められた部屋の中に広がっていた。きっと温かいお茶を入れてくれたんだろう。感謝を覚えつつもスバルはかけられた言葉の意味が分かんなくて、自分でも分かるくらいに不可解な表情を浮かべていたと思う。

 

「その人たちは、『今』のスバルが知っている人たちじゃないよ」

 多分初めてかもしれない。こんなに直接的に『今』のスバルと、この人の知っているスバルについて区別されたのは。

 言うまでもなくその言葉に顔を顰めながら、スバルはもう一回写真に目をやる。

 

「でも……そう、こいつ! この猫耳は!」

 写真のスバルの丁度上に写る、紫の猫耳の女の子を指差しながら尋ねる。そもそもコイツとあったからこの街に来ちまったんだ。絶対に何か知ってるはずなんだ。

 スバルの追求に『ロボ子』は納得したように頷いて「やっぱり『おかゆ』だったんだ」と呟く。すごく寂しそうなその呟きにまたスバルは言葉が詰まってしまった。一体この人はどんな気持ちでこの写真を飾っていたんだろうと考えると、何も言えなくなっってしまった。

 

「でもね、スバル……『今』の君はこの人たちとは他人なんだよ。会うはずじゃない、ただの他人なんだ」

 その猫耳の女の子とぼくはもう会っちゃったから別かもしれないけどねと続けながら、彼女はこっちに歩み寄って写真たてに手を伸ばす。

 スバルは彼女の為すがままに写真たてを手渡して一歩後ろに下がってしまった。別に気をされたとか、そんなんじゃない。

 ただ少しずつ、自分の気持ちが抑えられなくなり始めていたから……少しでも落ち着かないとって思ったから彼女と距離を取ったんだ。

 

「きっと、『今』の君はまだ、この人たちには出会うべきじゃない君なんだよ」

 

 まただ。また言った。

 

「アンタ……」

 

 手が、身体が震え始める。これは多分……

 

「だから気にしないで。きっと、ぼくが君の本来いるべき場所に……」

「あー! わけわからん!」

 もう我慢の限界だった。何かに当たることもできないから、自分でもびっくりするくらいに大声を出していた。

 ただきっとこれ以上言わせちゃいけない。自分の事なんかよりも、目の前で悲しそうな笑顔を浮かべているこの人のことをどうにかしてやらないといけないって、その感情だけでスバルは声を上げていた。

 

「うん、いいんだよ。分からなくてもいい。それが……」

「そうゆうのが納得いかねぇって言ってんだ! なんだよそれ? 分からなくて良いって言ってるくせになんでそんな寂しそうな顔してんだ!」

「だって、本当に『今』のスバルには……」

「『今』ってなんだよ! なんか知ってるんならちゃんと話したら良いじゃんか? そんなに苦しそうな顔するっていうことはなんか困ってるんだろ?」

「スバル……」

「そんな強がってんじゃねぇ! 困ってんなら頼れよ……いまスバルしか助けてやれないんならスバルを頼れよ!」

 

 もう完全にタガが外れてしまっていた。

 でも間違いなく、この時スバルは選んだんだと思う。

 

 傍観者じゃなくて、当事者として、この物語に関わることをスバルは選んだんだ。言葉がテーブルから立ち上る湯気みたいにあっさり消えて。記憶にも残らなければ良いのに。ビックリした表情を浮かべる『ロボ子』を目の前に、スバルはすごく気まずかった。

 考えても見てよ?

 初対面のやつにいきなり刺々しい言葉を投げつけられたらさ、呆気に取られた後のヒトの反応はきっと激昂以外にはあり得ないと思う。

 

 スバルも結構キツい言葉を言っちゃったんだ。何を言われても仕方がない。

 身を固くして彼女からの言葉を待っていると、意外にも彼女から返ってきたのは笑い声だった。嬉しそうな、懐かしむような笑い声だった。

 

「ハハハ! そうだよね、やっぱりそうだったよ。スバルは、そういう女の子だったよね」

 それは嘲っているわけではなく、ある種の信頼みたいなものをスバルは感じていた。自分から言い出しといてなんだけど、ストレートにそんな感情を向けられると気恥ずかしく感じてしまう。

 

「いや、でもまぁどこまで力になれるか分かんないけど……」

 そう一言断っておいて、彼女が準備してくれたお茶を手に取りそれに口をつける。喉を通り過ぎていく温かさと一緒に、不安みたいなものも一緒に流れていくみたいな気がした。まぁ実際には何にも解決してないんだけどね。

 

 スバルがお茶を飲んでいる間、『ロボ子』は邪魔をせずにこちらをニコリと笑って見つめてくれていた。

 まじまじと見つめられると居心地が悪い気もする。出来ればスバルがこうしている間にも話をしてほしいもんだけど。

 

「ねぇスバル。聞いていい?」

 スバルはうなずいた。都合の良いことに彼女はそう続けながら大事そうに写真を胸に抱いている。にしてもこのお茶、変に落ち着く。前からずっと知っているような、そんな気がした。

 



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AMBER②

「やっと言ってくれる気になった?」

 『ロボ子』の浮かべた表情は憂いみたいなものを感じさせた。

 

「君はさ、ぼくが、『起こり得る可能性の全て』を記録してるって言ったら、信じてくれる?」

 多分思考が停止するって言うのはこうゆうことなんだろうと思う。目を丸くしてスバルが彼女を見つめていると、神妙に告げた。

「……今そこに写っている君はさ、『別の可能性』のスバルだよ」

「……別の、可能性?」

 スバルはあんまり見たことないけど、漫画とかアニメにはそんな設定? みたいなものがあるらしい。でも自分の身にそんなことが起こって、はいそうですかって受け入れられるほどスバルは柔軟じゃない。

 きっと混乱するスバルにもイメージしやすいように考えてくれたんだろう、難しい顔をしながら彼女はスバルの方を向いた。

「例えばスバルが、炎天下の中で水を飲もうとしたとするよね? でも、お家まで我慢していた可能性もある。それによって生じる感情も、その後の選択も変わってくるはずなんだ。それがヒトの数……うぅん、生きているモノの数だけあれば、その変化はすごく大きなモノになるのは分かるかな?」

「う、うん。分かる? 気はする」

「まぁ全部を理解する必要なんてないんだ。そうだな……」

 『ロボ子』の琥珀の瞳に、熱が篭った気がした。

 

「たくさんの物語があって、ぼくはそれを全部観測して、記録してる。それくらいの理解でいいかな」

 

 そうまとめてくれたけど、やっぱりスバルには理解が出来なかった。

 自分のいないセカイのことを観測できて、そして記録できているって……つまりはそれはカミサマみたいなもんなんじゃないのかって、そう思えてしまったんだ。

 

 でもカミサマみたいなことを言っていても、スバルには目の前にいるこのヒトがそんな風には見えなかった。

「でもアンタ、普通の女の子じゃ……」

 多分声に怪訝な感情が篭ってしまったんだろう。『ロボ子』が静かにスバルに方に歩み寄ってくる。

「これでも?」

 彼女は自分の右の二の腕あたりを掴み、強引に引っ張った。

「ちょ……!」

 思わず声が漏れたのと同時に、スバルはその光景から目を背けてしまう。最後に視界に映ったのは、そ彼女の身体が反動で翻っているシルエット。琥珀に染まった部屋に、歪になってしまった彼女のシルエットがぼんやりと浮かび上がっていた。

 きっと痛ましい光景がそこには広がっているに違いない。この琥珀色の中に、赤黒いモノが広がっているだろう。しかしスバルの想像とは裏腹に、彼女の口からは痛みに耐える吐息も、零れ落ちる水音も聞こえてこない。

 

「スバル、大丈夫だよ。こっち見なよ」

 その声にスバルはおそるおそる目を開いた。

「大丈夫。血なんか出てないからさ。だってぼくは……」

「なんで、血も出てないんだ? 腕を捥いだのに……」

 完全におんなじタイミングで同じことを口にしていた。そう。言葉の通りだった。

 彼女は自分の左手に、もぎ取った右腕を持ちながらこちらに微笑みかけていた。そこからは決して血が落ちることもなく、ただ無機質なものとしてそこにあった。

 ダメだ、また思考が追いつかなくなっていく。グラグラと頭を揺らされたような感覚を覚えながら、スバルの頭にはある言葉が浮かんでいた。

 

 これじゃぁまるでこのヒト、『ロボ子』は……

 

「ぼくはロボットだよ」

 

 ガチリと、自身の右腕を本来あるべき場所に戻しながら、彼女は当たり前のように笑顔を向けた。

 

「パパが作ってくれた、高性能ロボットだよ」

「ロボット……ロボ、子……先輩?」

「ーーーッ!」

 

 その言葉が口から出た時、ようやく痞えていたものが取れたような気がした。口馴染みの良い、言い慣れた言葉のように思えたんだ。

 その代わりに、ロボ子先輩は言葉を詰まらせてこちらから視線を外して黙りこくってしまう。ただ『先輩』と言う言葉がそんなにも大事な言葉だったんだろうか。どうしたら良いか分かんなくて「なんかゴメン」と呟いて、彼女の様子を窺った。

 

「あぁ、ダメだ。なんか感傷的になっちゃってるよ」

 ホロメンに、しかもスバルに会っちゃったからだなぁとポツリと一言、彼女は懐かしむような視線をこちらに向けてきた。

 『ホロメン』って一体なんだろう。きっとあの集合写真に写ったヒトたちのことだとは思う。でもさっきみたいな、ロボ子先輩を『先輩』と呼んだ時みたいな感覚はスバルの中には芽生えなかった。

 

「スバルのせいで思い出しちゃったじゃんか」

「なんか、ゴメン」

 同じ言葉がスバルの口をついたけど、「謝んないでよ」と呟いて彼女はまた笑みを浮かべた。

 

「……ありがとスバル。なんだかすごく嬉しくなっちゃったよ」

「何すか、それ」

「あぁ、うん。じゃぁ一息つけたと思うから、そろそろ行こうか?」

 

 それにコクリと頷いた。正直状況は何もつかめないまま、不安になったのは言うまでもないと思うんだけど。

 琥珀に色付く優しい部屋を名残惜しく思いながら、スバルはロボ子先輩に続いて部屋を後にすることになった。ついさっき地下に降りて行ったはずなのに、ずいぶん長い間ロボ子先輩の部屋にいた気がしてしょうがない。だって、視界に入ってくる外の明かりがうるさくスバルを差してくるような気がしたからかもしれないけれど、何だか不安な気持ちになってしまったのは言うまでもないかもしれないけれど。

 ただ雨は地下に降りる前と同じように勢いは弱いけどずっと、しとしとと振り続けていた。

 

「この街に来てから……見てないなぁ、太陽」

 そんな独り言も雨の音にかき消されてロボ子先輩には届かない。別に聞いて欲しいわけじゃない。ただ何かを言わないと気が済まないってだけ。大通りに差し掛かったあたりでロボ子先輩が尋ねてきた。

 

「ねぇスバル。散らばってるクリスタルに見覚えない?」

「全然、ないけど……」

 

 この大通りもそうだけど、最初にこの街にきた時もロボ子先輩の部屋に降りるための階段でも、蒼白い小さな結晶があちらこちらにあった。正直スバルはあんなのに覚えはなかった。この街にある当たり前のものなのかなくらいに考えていたから、突然ロボ子先輩にそう尋ねられてほとんど素の反応をしてしまった。するとロボ子先輩がスバルの方を向きながら難しい顔をした。

 

「そっか。本当に君は、『そらちゃんが、自分を犠牲にすることを選んだセカイ』のスバルなんだね」

 まただ。分からないけど、覚えもないけれど、すごく耳に引っかかる名前だ。ロボ子先輩の口にした『そら』って名前が、変にスバルの心を掻き毟ってくるような気がする。きっと今、複雑な気持ちが顔に出てしまっていると思う。

 

 ロボ子先輩は少し慌てて、スバルの肩に手を置いた。そして「ゴメン! スバルにそんな顔をさせるために『そらちゃん』の名前を出したわけじゃないんだ。ただ、あの娘はさ……ぼくにとってもスバルにとっても、きっと大事なヒトなんだよ。それで、間違いなくぼくにとっては、本当に大事なヒトなんだ」

 

 彼女の浮かべた笑顔はなんか痛いのに耐えるみたいな、そんな辛そうな表情だった。それがまるで部活で選手がよくやっているタックルみたく重くスバルの身体に響いた。頭がくらりとしてしまう。

 

 スバルの様子を気にしながらも、大事なことに気づいたようにロボ子先輩が「なるほど。だから一回ここに来なきゃいけなかったのか……」と呟いた。そして「直接あそこに行くには、ズレ過ぎてるんだ」とも言いながら、再び前を向いて目的の場所へと足を進めていく。

 

「スバル。今から言うことをちゃんと覚えておいて?」

 

 そしてまた、こちらに顔を向けないまま、ロボ子先輩がスバルに告げる。

 

「きっと君は今から『見覚えのあるヒトたち』にたくさん会うと思うんだ。それこそ、ぼくみたいなヒトにさ。でもさ、そのヒトたちは初めて会うヒトたちなんだからさ。だから今の君がどう感じるのかを大事にしてほしい」

「そんなの、当たり前じゃ……」

「うぅん、引っ張られちゃうよ。ヒトは、そのヒトが思った以上に、『記憶』や『思い』に引っ張られちゃうものだからさ」

 

 確かにそうだと、スバルに思えた。ここに来てからも、頭にフラッシュバックする映像にずっと頭を悩まされて続けている。でもなんだかロボ子先輩のこの一言に、すごく助けられた気がした。

 

 ゆっくりと、鬱陶しい雨を拭いながらスバルは先を歩くロボ子先輩について行った。

 



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AMBER③

 大通りをそのまま進んでいくと、スバルたちは大きな交差点にでた。いわゆるスクランブル交差点って呼ばれるものなのかもしれない。スバルは霧みたいに細かな雨に濡れた顔を袖でグイと拭いながら周囲を見渡した。スバルの場合は、ヒビだらけの高いビルの頭をぼんやり眺めるしか出来なかったんだけど。いくら眺めたってその建物に新しい発見があるわけでもなかった。いやいや、何回おんなじ事を自問自答してるんだよスバルは。疲れちゃうくらい考えて、結局何にも思い浮かばなかったんだから、今更何かあるはずないじゃんか。

 正面を向き、スバルは前に立つロボ子先輩に視線を向ける。ロボ子先輩もさっきまでのスバルと同じで、ごく自然に交差点の先にある、一際大きなビルを見つめていた。影のある表情に少し怖さを感じて、スバルは声をかけていた。

 

「あぁ、ごめん。そろそろ来るんじゃないかなって思っててさ」

 表情は相変わらず、ほにゃっとした優しい笑顔だ。でも顔を背けた時の視線は全然違う。暖かだった琥珀の瞳がまるで冷え切ったみたいに感情を感じさせないんだ。

 

「来るって言うのは……あの黒いヤツのこと?」

 直感的に思い浮かんだ、あのぼんやとした影のことをスバルは口にしていた。ロボ子先輩はコクリと頷きながらこう続けた。

「そうだね。あぁ、でも先にクリスタルのこと、話さなきゃいけなかったよ」

 相変わらずロボ子先輩の瞳は冷えたまま。正直怖さすら感じてしまう。

「でも、ここに来る間にも見たけど、あのクリスタル、当たり前みたいに色んなところにあったよ? あれが特別なもんだって、スバルには思えないけど」

 スバルのほとんど素の言葉に、ロボ子先輩はまた頷いた。さっきと違ったのは、視線の先にある蒼白い光を、今度は慈しむように眺めていたんだ。

 

「このクリスタルはね、『思いを叶えるモノ』だよ」

「思いを叶えるって……お願い事、なんでも叶えられるってこと?」

 またも出てしまった突拍子もない言葉に厳しかったロボ子先輩の表情も少しずつ和らいでいくみたいに見えた。

「ハハハ、まぁそんなものって考えてもいいかもね」

 そんなものあったら、みんなが欲しがる。アニメに出てくる『魔法の道具』じゃないか。スバルだってそんなものがあったら喉から手が出るくらい欲しいよ。

 

「そんなに甘くないでしょ。絶対になんか裏があるよね?」

「……さすが、よく分かったね」

 静かにそう言って、ロボ子先輩は止めていた足をゆっくりと動かし始める。スバルもその後に続きながら「ねぇ、やっぱり何かあったってこと?」と尋ねてみるけど彼女は何も答えない。そのまま彼女は歩き続けて、一際大きなビルの前で立ち止まった。 

 

「でも、使えるものはもういない。もう使えないって示すために壊したんだよ」

「だったらもうあっても無駄ってことなの? でも動いてるみたいに光ってるけど……」

 何を言っているか分からなかったんだ。スバルが見ていた通り、あちらこちらにあるクリスタルは力を示すように光り輝いている。だから『使えない』って言葉をスバルは信じることが出来なかった。

 

「そうだね。そうかもしれない。理由は分からないけどさ、あれが動いてくれたからぼくのお願いは叶ったのかもしれないしね」

 

 少しはにかんだ笑顔でそう応えた彼女は今度はしっかりとこちらに身体を向けた。

「ねぇ、スバル。お願いがあるんだ」

 雨に濡れた黒髪をかき上げるロボ子先輩は申し訳なさそうに呟いた。

「君にしか出来ないって、ぼくはそう思ってる」

 でも言葉は確信に満ちていたみたいにスバルには感じられた。なんだか圧みたいなものを感じた。

「……なに、ですか?」

 かすれたような声でしか、ロボ子先輩に言葉を返せなかった。拒否を許さない彼女の言葉にビクつきながらも、スバルはそう尋ねた。ただそう言っていても、何のことかはうっすらと分かっていたんだけど。

 でもロボ子先輩はスバルの問いに答えず、視線は高いビルを睨みつけたままだった。一体何が彼女の視線を釘付けにしているのだろうか。それだけは分からなくて、スバルも同じように高いビルを見やるけど、何にも見つけることはできない。

 

 ただロボ子先輩はそれを見つめて「……きた」とボソリと呟いた。

 

 言葉には良くない感情がはっきりと感じ取れた。小雨の降る気持ちの良くない空に無機質なビルの頭がくっきりと見えていたはずなのに、少しずつ、少しずつ黒いモヤがその手、身体を伸ばしていた。

「ねぇスバル。あれなんだよ。ぼくたちがどうしても離れることが出来ないモノ。生きていれば誰しもが囚われて足掻いていくけどどうしようもないモノ。でもあれは際限なく大きくなっちゃうモノなんだ。それで大きくなりすぎたアレに、ぼくらは……」

 まるでこれまでうちに溜め続けた思いを吐露するようにロボ子先輩は早い口調で話す。そうやって少しずつ、はっきりとそれがスバルの視界の中で像を結び始めた。

 

「なんだ……」

 信じられない。いや、正直想像はしてたんだ。あの黒いヤツがやってくるんじゃないかって。想像していたんだ。

 

「なんだこれぇ!」

 でもそれはスバルの想像を大きく超えていた。それはまるでビルを飲み込むみたいに徐々に存在を露わにしていた。町を一人で歩いていた時に遭遇したヤツとは全然違う、まるで怪獣みたいな大きさのヤツが何体もそこにいたんだ。

 

「ロボ子、先輩……あれ、結局なんなの?」

「クリスタルを『壊す』ことになった原因……」

「原因って? いや、あんなのがいたらクリスタルどころか何もかもぶっ壊れちゃうよ? こんなの、どうしようもないじゃんか!」

 目の前が真っ赤になったみたいに、自分の頭が沸騰していくのが分かった。あんなの普通のヒトにどうこう出来るわ毛ないのに、それなのにロボ子先輩の視線はあれには怯えていない。ただ憎しみを孕んだ視線で黒いヤツらを睨み付けている。

 

「ーーーッ! スバル、伏せて!」

 彼女の声がスバルの鼓膜を叩くのと同時に、ビルに寄りかかるようにしていた黒いヤツの一体がこちらに手を伸ばす。それとほとんど同時に伸びてくる影に駆けながらロボ子先輩の身体が動き、軽やかに宙返りしながら、すらりと伸びた脚がそれを文字通り一蹴してしまう。いや、斬り裂いたって言う方が正しいかもしれない。取り残された黒いヤツの手を見れば、そう理解するのは簡単だった。

 

「大丈夫。『まだ』やれるみたいだ」

 そう言いながら、まる靴を合わせるように爪先をトントンと鳴らすロボ子先輩。その仕草に、これ迄感情を感じさせなかった黒いヤツらも、赤々とした眼のような明かりを各々灯し、こちらを見やっていた。

 

「ロボ子、先輩?」

 普通ならここで安心するかもしれない。でも脚を気にする彼女の様子を見れば、何かしらの問題を抱えているってことも想像に容易かった。だからスバルも不安を隠せなくて、彼女の様子を窺った。

 

「ねえ、スバル……」

「何? 怪我したの?」

「さっきのさ……さっきのお願い事。言ってもいい?」

 

 うんと、そう頷く事しか出来なかった。多分緊急事態のはずである今、スバルに対して何かお願いがあるってことはただ事じゃない。こんな悲しい声色の彼女を放っておくことなんて、スバルには出来なかった。

 

 でも、正直予想していなかったんだ。

 

「スバル。あれを止めて欲しいんだ」

 

 こんなことを言われるなんて全然、予想してなかったんだよ。

 

 頭が真っ白になってしまうって言うのはこう言うことなのかもしれない。小雨の降りしきる中射干玉の黒髪をかき上げて、ロボ子先輩はスバルに振り向きながら笑顔を見せた。少し悲しそうな、申し訳なさそうな笑顔は、見ているこっちがキュッと心が締め付けられるような気がして仕方がなかった。

 そんな彼女の背後には、さらにその大きさを増していく黒いヤツらが存在を露わにしていく。それに意識を持っていかれながら、ロボ子先輩の口にした『あれを止めて欲しい』と言う言葉があまりに浮世離れしすぎてて、頭はさらに混乱してしまって、言葉はこんな風にしか出てこなかった。

 

「……ふぇ?」

「あれに突撃しろー! ってことじゃないよ? そんなことさせられないよ」

 ロボ子先輩は黒いヤツらを一瞥してから、首を一度だけ振った。

「……きっと後一回なのかな? 多分、ここから誰かを他のところに送り出してあげることが出来るのは。だからさ、しっかりと伝えておきたいんだよ。きっと、ぼくが誰かに会えるのは最後だと思うからさ」

 それは同時にスバルにとっても、ロボ子先輩とこうやって話すことのできる最後だっていうことだって、うっすら理解できた。でもそんなんは認めたくない。でもそう言われちゃうとスバル自身、何にも言えなくなってしまう。そしてそう口にするまでもきっと相当の覚悟をして言葉を選んだんだってわかるから、グッと口を噤んだ。

 黒いヤツらはこちらのことを我関せずと、ウネウネと蠢いていく。それは鉛色のソラを覆い尽くしていくように、大きく広がっていく。

 

 絶望ってものが現実に現れるなら、きっとこんな色をしているだろう。どうしたらいい、ほんとに、ほんとにわかんないよ。

 

 スバルは静かにヤツらを睨みつけるロボ子先輩の横顔を見た。でもその表情から読み取れたのは怖れじゃなく希望。

「きっとスバルじゃなきゃ……君じゃなきゃ『違う未来』は紡げない」

 そう言って、ロボ子先輩は優しく、ニカっと笑っていった。

 

「だからお願い。あれを……『始まり』から止めて欲しい。きっとスバルじゃなきゃ、みんなを繋げない。スバルじゃなきゃ、みんなは一緒にはなれないんだよ。だから無茶苦茶言ってるのは分かってるけど、それでもお願い……あれを、『ケガレ』を止めて欲しい」

 

 どう応えていいのか分からないまま、それでも何かを言わなきゃいけない。

 

 一回、瞳を閉じてこれまでのことを思い浮かべる。ずっと助けられてばっかりの恥かしい自分が結局何が出来るのかわかんないけど、それでもスバルはこう言うしか、「うん、頑張る」と言うしかないって思った。

 

「ロボ! ……これ、なんだ!?」

 でもそれを言いかけた瞬間、自分の身体はクリスタルの湛える光と同じ光を放っていた。

「あぁ、もう時間か……じゃぁね、スバル」

 名残惜しそうにロボ子先輩は片手を上げて、またニカっと笑みを見せる。

 もう我慢できなかった。強がって、それで終わりにしようと思ったけど、もう我慢できなかったんだ。

 

「ねぇ、スバルに何が出来んの? なんも出来ないのに……それにロボ子先輩! そいつら、そんなにたくさん!」

 そう指差した先にある黒いヤツらは無数に姿を現し、今にもこっちにつっこんでこようとしている。

「ぼくは、大丈夫だよ」

 それでも彼女は笑顔を崩さなかった。それどころか不安に塗れるスバルの心を解きほぐそうとしてくれている。

 

「またスバルに会えて、ぼく、ホントに嬉しかった……ありがとね、スバル」

「ねぇ、ロボ子先輩!」

「ぼくたちの……うぅん、『みんな』のこと、頼んだよ」

 

 手を伸ばしてもロボ子先輩には届かず、虚空をきる。まるでスバルには何にもできないんだぞって示すみたいに、何にも触れることはできないまま。

 

 そしてこの街に来た時みたく、スバルの目の前は真っ暗になった。

 

 これが新しい旅の始まりになるなんて考えもせずに、またスバルは無力にも意識を手放してしまった。

 

 光が消えていく。さっきまで蒼白く清浄な光を放っていたクリスタルはその役目を終えたみたいに、息を吹きかけたようにかき消えていた。

 それと同時にぼくの前で蠢くだけだった『ケガレ』は叫び声をあげた。実際それが音を放ったわけではないけど、雄叫びをあげるみたくその身体が爆ぜて、ぼくの頭上に覆いかぶさってくる。

 

「……フッ」

 短く息を吐いて、両の脚に力を込める。そのまま前方に、身体を伸ばした『ケガレ』の影響の及ばない範囲まで駆け出していく。でもそう簡単には『ケガレ』から逃れることはできない。ぼくの進行方向には小さな『ケガレ』がぼくに向かって突貫を仕掛けてきていた。

「ーーぐーーーッ!」

 バチリと、頭の中で火花が弾け飛ぶ感覚。全速力の脚に急制動をかけてタイミングをずらす。『ケガレ』にそんなものが通用するとは思わない……いや、いける! ぼくが進む速度に合わせて伸ばしていた『ケガレ』の手は虚空をきり、そのまま地面に大穴を開ける。ぶつかればさすがにロボットのこの身体も粉々になっちゃうかもしれない。背筋を伝う嫌な気配がその想像は間違いないものだって告げている。

 

 でもそこで立ち止まってはいられない。次から次に現れる『ケガレ』とその猛攻を右へ左へと避けつつ、反撃の糸口を探し続ける。でもそれは途切れることなんてなくて、ぼくの体力が削られていく一方だった。

 

「ハハハ。さすがに、多すぎだったかな」

 必死に息を制しながら、もう視界の全部を覆ってしまった『ケガレ』に向かって、強気なセリフを口にする。そう口にしないと心はすぐに折れちゃいそうな気がしていた。

 

「……でも!」

 グッと、お腹の底から声をあげて、また駆け出す。

 

「あんな事、お願いしちゃったんだ……」

 本当はあんなこと言いたくなかった。でも彼女じゃなきゃ、『大空スバルでないと行けない場所』があった。『スバルじゃないと出来ない』ことがあった。だから言うしかなかったんだ。重荷を背負わせることになるってことは理解していたけど、ぼくは……いや、『ぼくら』はスバルに頼るしかなかったんだ。

 

「ぼくが諦めちゃ、絶対にダメだ!」

 駆け出した勢いをそのままに一気に飛び上がる。視線の先には小型の『ケガレ』。多分あれを一蹴することが出来れば一旦の退路は確保することが出来るはずだ。

 

「じゃ……まだぁ!」

 側から見ればヒーローのキックみたく、上空からの飛び蹴りで目の前の『ケガレ』を真っ二つにし、その先を見据える。視界には『ケガレ』の黒はもう見えない。

 このまま走れ。走って、走って、行けるところまで逃げるんだ! 着地と共によろつく脚を制して安全地帯まで駆け抜けていこうとする。

 でも、思い違いをしていた。

 

「ーーーッ!」

 ぼくに、ここから逃げる術はもうなかったんだ。

 

「ぁーーー」

 一瞬の出来事だった。

 それはぼくの耳に水が弾ける音が届いた瞬間、前に進んでいたはずのぼくの身体に横からの衝撃が見舞われた。完全に視界の外からの一撃。鞭みたいに、しなった大型の『ケガレ』の腕が横薙ぎにぼくの身体を打った。庇った腕がひしゃげて、まるで紙細工みたいに弾け飛ぶ。さっき腕をスバルに外してみせた自分を恨めしく思いながら、両の足で踏ん張って衝撃を受け止める。

 自分の状況を確かめようと顔を上げる。自分が進もうとしていた先にはさっきは姿を見せていなかった『ケガレ』の山。多分あのまま進んでいたらきっと致命傷を負っていたに違いないと言うのは想像に容易かった。

 ぼくは足を止めて、じっと山のように積み上がっていく『ケガレ』を見据える。

 もう、ダメかもしれない。一瞬そんな弱気が頭をかすめていく。

 

「でも……うぅん。ぼく、信じてるよ。スバル」

 まだ諦めない。でも他のヒトにはきっと弱音に聞こえるかもしれないけど、少しでも勇気を出すために送り出した彼女の名前を口にして、力を振り絞って立ち上がる。

 そしてぼくは隔絶されたこの街でヒトリ、そう呟いてまた駆け出す。

 

「君がまたセカイを繋げてくれるって、信じてるから」



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DRIFTER①

カチカチ。こんとろーらーを手に、古めかしいてれびに向かって今日も白上はご機嫌である!

「今日ソラ高く~キツネの耳も高々に~世はこともなし~」

 そんなお歌が出ちゃうくらいに、白上はご機嫌だ。てれびに映る、黄色いあんにゃろうはため息が出ちゃうくらい可愛くて、ついつい時間を忘れて没頭してしまう。今遊んでいるのは、最近ウツシヨから流れ着いてきたてれびげーむ、可愛い動物たちを競い合わせて一番を目指すげーむだ。

 

「そしてそして今日も今日とてシラカミは~、遊びに興じるのである~! あぁ、ホントに可愛いなぁ、こんにゃろう!」

 てれびの中で駆け回るそれにうっとりしながら独りごちる。

 最近はこうしている時間が何よりも至福の時間なのです。愛おしいけどちょっと煩わしい下界の喧騒から離れて、住処である本殿でこうぐでぇーっとしている。

 

 あぁ、ホントに白上は幸せなキツネである。

 

 そんな時である、白上の頭のお耳がビビビと何かをでんぱを受信したのです。いやまぁ冗談なんだけど、でもなんだから『兆し』みたいなものを感じて、視線をソラへ向けた。

 

「なんなんですか~もぉ!」

 シラカミの御山も十分に高い。そして白上の居るこの本殿だって、下界に比べればすごく高い場所にあるんだけど、さらにその上を天に瞬くそれを見ていると、知らないうちにこう言葉がこぼれ落ちていた。

 

「……『むつらぼし』」

 セカイは違えど、天に瞬く星の名は同じ。でもカクリヨでは別の呼び名もあったはずだけど何だったっけ? 

 

「なんだろう? すごく気になる……」

 これは良いことの『兆し』なのか、それとも悪いものなのか、正直今の白上には判断がつかない。でも今ソラで眩い光を放つその光はきっと白上にとっても、このセカイにとっても大事なものなんだってそう思えた。

 

「まぁこれは、探してみるしかないんだろうなぁ~……おろ? みおーんのとこのシキガミじゃないですか?」

 

 白上がぼんやりとしいたからだろうか、普段なら本殿に入ってくれば気付くのに今の今まで気がつかなかった。現れた黒いフヨフヨした毛玉は何かを言いたげにこちらを見つめている。

 

「何用だ! なんて言わなくても大体分かるんだよなぁ」

 

 デデン! とどこからそんな擬音が聞こえてくるみたいそう声を上げてみるけど、式神から何か反応があるわけではない。まぁ仕方がないのである。まぁこの子も白上を呼びにきたんだろうから、とりあえず行くことにしましょう。

 

 グググと身体を伸ばしつつ、もう一度ソラを眺める。

 

「ホントもう、騒がしくなったよ……ホントに」

 今このソラで最も存在感を露わにしているその光を恨めしく思いながら、白上はそう呟いていた。

 

 そう。あれは8年前のこと。西のソラに蒼の光が立ち昇った。それは扉が開かれた証。二度と開かれることはないはずだった、異界への門が開かれた。一人の……うぅん、『二人』の女の子の力で、扉が開かれたんだ。

 

 そして、このセカイに多くの『ケガレ』が表出するようになってしまった。

 扉を開け放った先、確かに祝福はあった。でもそれを覆い隠すほどの絶望に似た何かも、そこにはあったんだ。

 

 holoearth chronicles ALT:異伝ヤマト騒乱記

 episode 4:DRIFTER

 

 これからするお話は、今は昔……なんてものではきっとない。でももしかしたらヒトの身であれば、ずいぶん昔だって感じるかもしれませんなぁ。

 このセカイ、白上たちのセカイには不可思議なことがたくさんあ流。

 たとえば、カミサマとヒトやアヤカシが共に生活を送っていたりとか、ソラに浮かぶシマがあったりとか、遥か南方に曰く付きの海賊ときかい? って言う便利道具を操るヒトたちが争っているの海域があったりとか。あとは……まぁ色々あると言うことにしておきましょう。うん、なんで不思議だって分かるかって? 白上の場合はウツシヨから流れてくるてれびとかまんがだったりからそうゆう情報を得ているのです。白上にとっては普通のことでも、ウツシヨのヒトたちにとっては不思議なことでしょ?

 まぁ白上の住むこのヤマトは幸いにも大きな争いはなく、ミヤコにある『大神木』と、それを遥か昔から守り続けている『オオカミ』を祀りながら手に手をとって生活を送っていました。しかしそんな風に上手く噛み合わないのが世の常と言いましょうか、他のところは上手くいっていませんでした。

 

 『西の大剣』

 

 ヤマトの、キョウノミヤコにある『大神木』と対をなすモノ。

 云く、異界とこのセカイを繋ぐ門。

 云く、どんな願いでも叶える力を与える大源。

 

 西の方の大陸ではそれを巡ってずいぶんと長い間争っていたらしい。ここ200年くらいは表立った戦いもなかったんだけど、事が起こったのは今からちょうど8年前。ソラの島が『西の大剣』のある、ウェスタって街に落ちそうになる事件があった。何故ソラの島が落ちようとしていたのか、それは今もって謎のままになっているんだけど、それを利用して他の種族を滅ぼそうとするヒト族がいたらしい。でもそんな悪夢のような出来事はどうにか未然に防がれた。ソラの島が落ちるのを防いで、そして遥か昔にその機能を止めてしまった『西の大剣』を起こしたのは二人の女の子だったらしい。

 

 一人は、ヒト族の騎士。御伽噺に出てくる英雄のように弱きを助け強きを挫くを地でいくような女の子。街のために戦い続けて、最後の最後は自らを白銀の光に変えて大剣を起こしたんだとか。

 そしてもう一人。実は白上はこっちの方が泥臭くて好みだったりする。あぁ、もちろん騎士の女の子のことも大好きだからね。ここだけは勘違いしないように。

 

 もう一人は背に翼を携えた女の子。名前に『ソラ』を持つ女の子。詳細はウェスタのヒトたちに伏せられているせいで分からないことも多いんだけど、彼女が鍵になってこのセカイとカクリヨの扉を開いた。

 

 ソラの島を、ウェスタを救ったんだ。彼女たちの活躍はすごいと白上も思う。でもね、同時に思うのは『ただ開く』だけじゃダメなんだってこと。一つの異界の門が開いてから、もう一つの出口ある『大神木』も反応して、良いモノもあるけど、それをもって余りあるくらい悪いモノものも流れ着き始めていたんだから。

 

「はーい、ふぶき姉! お待たせしました!」

「ふー! んじゃあ、いただきまーす!」

 

 おっ、ちょうど白上の大好物が来たので一旦お話はおしまい。

 ごはんを食べる時は集中しなきゃいけませんからね!



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DRIFTER②

 セカイは大きな、すんごく大きな器。

 ヒトやカミサマ、アヤカシやその他たくさんの存在の『思い』を受けて、セカイはその姿を変えていく。言うなればセカイっていうのは鏡みたいなモノなのかもしれない。

 

 なら『良くないモノ』が多く表出しているのは、何を意味しているんだと思う? でもそれを言葉してしまったらさらに悪循環に陥ってしまうって、白上は思うのです。

 

 げに感情や思いというものは恐ろしいものである。

 

 ならばならばと、そうゆう考えに一旦蓋をするために! 白上は目の前のコヤツに目を向けるわけです。

 

 白い湯気と共に鼻腔をくすぐってくるのは、お出汁の香り。でもまだ手を付けちゃいけない。まずはこの麗しい見た目を楽しまなければいけません。琥珀色に輝く汁はなんて美しいことなのでしょう。その身体でうどんを優しく包み込んでいるではありませんか。そして何よりも目を惹くのはこのお揚げ! ミゾレ食堂自慢の大きな大きなお揚げさん! 甘~い出汁をいっぱい吸い込んで、色づいたそれが少しずつうどんの汁に変化を加えている。

 

「いっただきまーす~!」

 

 もう小難しいことはなし! ズズズと汁を口に含むと、もう白上のお口の中はパラダイスな訳です。

 磯の香り、大豆の旨味、さっき振りかけた七味の少しピリリとしたアクセント。もうそれら全てがこう告げているわけです。

 

 『白上優勝~大勝利~!』

 

 何が優勝なんだって話ですが、おい待て待てと! まだ主役が残ってんじゃいって話です。

「さぁて……行きますか」

 少し意気込んで琥珀の中に箸で分け入り、その主役をズズッと引き上げる。薄らと絹色がかったお姿を見やると、その熱さがこちらにも伝わってくるくらい。ほとんどヤケド覚悟で勢い良く、飛び込むみたいに勢いよくそれを啜ってやります。しっかりコシの入った麺を噛む度に小麦の旨味が口いっぱいに広がって、食欲も汗もすごい勢いで出てくる。

 

 さぁ、では……もうお一人の主役をば~! と、汁を吸い込んで重くなったお揚げさんを箸で摘もうとした時です。白上のお耳がビビンと何かを受信します。調理場を見やると可愛いあの子が浮かべるのは少し驚いたような、怯えたような表情。

 

 あぁ、来ちゃいましたか。まぁしょうがないですな。口いっぱいに啜ったうどんを噛み締めながら、なんって言い訳しようかなぁと考えていると戸の開く音と共に綺麗な、柔らかい声がお耳に入ってきた。

 

「ちょっとフブキ! なんですぐ来ないの?」

 これでも必死に怒気を込めているんでしょう。声の主は白上の席にドンと手をつきながらこちらを見下ろしてきます。でもその恨めしそうな目も可愛いんだよなぁ……ってとりあえずなんか答えないと。

 

「ほんはほほいっはっへはぁ! はははへってはひからはへなひっへひうひゃん?」

「ちゃんと飲み込んでから喋りなさい!」

「ックック……ぷはぁ!」

 まるでお母さんみたくにこちらを叱り付ける彼女の言葉に従って、湯呑みに入ったお茶で一気にお腹の中にうどんたちを流し込みます。白上がそうしてる間も、こちらをちゃんと待っていてくれるところがこの子の可愛いところなんだよなぁ……もう少し意地悪しちゃお。

 

「そんなこと言ったって腹が減っては力が出ないって言うじゃんか? それにミヤコに出る前にはやっぱり、ミゾレ食堂のきつねうどんっていうのがお約束じゃんかぁ!」

 

 言ってやりましたよ。えぇ、もうこれでもかって言うくらいの勝ち誇った表情で言ってやりました。何より本当のことですしー、かくいう白上はこの『キョウノミヤコ』に向かう際には必ずこのミゾレ食堂に立ち寄るのを習慣としているわけですから、そこのところはご理解いただきたいところ。

 

 まぁおかしな興奮と充足感のようなものが白上を包む中、薄らと瞳を開いてやると目に入ってきたの二つの表情。

 一つはお店の可愛い店主様の呆れ果てた顔。もう一つはうぐぐと言葉を詰まらせてこちらを恨めしそうに見つめている来訪者のモノ。

 どちらも同じように可愛らしいなあと思ってニヨニヨしていると来訪者が口を開いた。

 

「じゃなくて! いや、たしかに気持ちは分かるけど……それよりもさ!」

「そんなに焦ってるってことは、ミオも見た?」

 白上の言葉に突然の来訪者である彼女、大神ミオが驚きのあまりに目を見開く。きっと白上のことだからもう少しこの状況を楽しんでから本題に入るんだろうと予想していたんでしょう。あっさりと本題に入った白上に驚きながらも、グッと息を飲んでミオは静かに話し始めた。

 

「フブキにも見えた? うちは数日前くらいから気になってたんだけど昨日どうしようもないくらい気になって……でシキガミにお願いしてフブキのところに行ってもらったんだけど」

「そうだねーすんごい焦りようだったもんねぇ」

「そ、そりゃそうでしょ! 八年前の、『西の大剣』が起きた時と同じ揺らぎだったんだよ? びっくりしないわけないじゃない!」

 それは白上も感じていた。八年前に、このヤマトからでも観測できるほどの力の奔流がソラへと柱を作り、それは今もなお眩い光を放っている。それと同じものがこのヤマトの真上で、一瞬だけでも感じられたんだ。ミオが心配がるのも頷ける。

 

 だからっていうわけではないけど、少し冗談っぽくこう言った。

「たかーいおーおきいおそらのもっととおくー! むつにならぶはてんのほしー!」

 バカにしているわけではない。ただ心に鬱積した不安みたいなものを少しでも軽くしてあげる事が出来ればって思って歌うみたく冗談めかす。

 ミオはフッと笑顔を浮かべながら言った。

「むつらぼし……そっか、フブキにはそれが見えたんだ」

「みおーんは違うの?」

 ミオは首を振りながら一旦白上の前に腰掛けて、そうだね、と言った。そして、うちには、と前置きして続ける。

「うちには『ソラ』と『ぼうしゅく』を『探し出して守れ』って言葉だった。ねぇフブキ……分かんないんだけど、でもうちたちにとって、すごい大事なものなんじゃないかって思うんだ。なんでかは分からないけど」

 

 ぼんやり電波を受信した白上と違い、ミオが感じ取ったものは少し鮮明になっているみたいだ。さすがはヤマトが誇る『オオカミ』の神子の一人だ。その直感力たるや、白上も脱帽してしまいますよ。

 それより何よりミオの言った事、白上の感じた事、大体意味は同じだったけど少し引っかかるものもある。

 

「やっぱりかぁ、ん~意味深だなぁ」

 一体何を守ればいいだろう? それよりもそんなものが白上たちの近くにあるとも思えない。考え込むほどに声が低くなってくるなぁ、怖いなぁなんて思っているとため息をつきながらミオが言った。

 

「……まぁそのことについて考えるのは後にして。ちょっと厄介な事件があったみたいだからフブキを探してたんだ。とりあえず、行こう!」

「うぃー、了解でございますぅ」

 そう返事をして、丼に残った汁とうどんを一気にお腹に流し込んで、ポンとお腹を叩く。クスクスと調理場から笑い声が聞こえるけど……まぁ今は言及せずにおきましょう。

 

 こんな風に見える景色が変われば、違う考えも浮かぶはず。

 

 ちょうどこの丼みたいに、汁まで飲み干せば違う味わいが感じられるようにね。



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DRIFTER③

 街の暗がりはまるで虚のように全部を飲み込んでいく。それはどんな感情でも受け止めて、優しく隠してくれるもののはずだった。

 それと同じくらいに、夜は良くない感情を露わにしてしまう。誰にも見られていないんだと、咎める者はいないんだとそう言っているような気が、白上はするのです。

 

 一瞬どちらかに偏ることはあったとしてもすぐに天秤はすぐに釣り合い、丁度良いバランスで平穏な時はずっと続いていた。やっぱり悲劇も喜劇もいいバランスじゃないと意味がありませんから。

 多分それが変わったのは八年前から。正確に言えば『悲劇に寄り始めた』って言った方がいいかもしれないね。

 

 我が物顔で跋扈するのは『ケガレ』の群れ。生きるもの全ての悪感情や、悪い噂が実像を得たモノ。それはさらに生きる者の不安を煽り、より強い力を得ていく。詰まるところ、生きている何者かがいればそれは消えることはない。

 だからバランスは大事なのです。それが崩れてはどうしようもなくなるのです。

 

 まぁそれをどうにかする、『ケガレバライ』をするのは白上やミオの役目なわけです。

 

「っしょいと!」

 携えた刀を横薙ぎに、こちらに手を伸ばしてくる『ケガレ』の進路を塞ぐようにそれを振るう。『ケガレ』に感情はない。ただ止められたから方向を変えるっていう反射的な行動しか取らない。でもそれはこちらも理解しているから、戦いやすいんですなぁ。

 

「残念そっちはいけません!」

 一瞬身を翻した『ケガレ』の正面に周り込み逆袈裟に、深く自分の体を沈み込ませて斬りあげる。ここでようやく完全に『ケガレ』が動きを止めた。

 

「じゃあみおーん! あとよろしく!」

「もー! いっつもそんなんでぇ!」

 ブツブツと言っていながらも、もう準備は出来ているのでしょう。小さく祝詞を口にした途端ミオの拳を炎が包み、まるで縦に切り裂くようにそれが振るい、一気に『ケガレ』を燃やし尽くした。その炎は『ケガレ』を消し去るのではなく優しく包むように見える。まぁ『ケガレ』自体害のあるものだけれど、その発生を咎める事は出来ない。それを否定してしまってはまた『ケガレ』を生んでしまうことになるから……白上が刀を納めながらぼんやりしていると、手をはらいながらミオが声をかけて来た。

 

「お疲れ様、フブキ」

「いやいや、ミオこそお疲れ様』

「しっかし! 本当にくたびれますなぁ~」

 ミオの労いの言葉に、顔を綻ばせながら思わず緩んだ声を出してしまう。

「なんでこんなことになってるんだろう……」

「さっきミゾレ食堂でミオが言ってたんじゃん。西の大剣が起きてから、こっちのケガレも活発になり始めた。でもさぁ、毎日毎日ケガレバライなんてしんどい事この上ないよぉ」

「まぁこのセカイの、『もう一つ門』がある場所だしね。でもさすがにここまでになると……」

「ちょっと度が過ぎてる感じ?」

 何の気なしに呟いた言葉だったけど、ミオは言葉に何か感じるところがあったみたいだ。言いたげな表情をしながらミオが尋ねてくる。

「裏で何かが手を引いている気がするんだけど、フブキはどう思う?」

 

 その問いに、今の白上は答えを持ち合わせていない。確かに白上も、ミオとおんなじ違和感を覚えてはいるんだけど、どうにもそれを言語化できない。それを言語化しちゃうと取り返しがつかなくなるような気さえてしている。

 だから白上はこう答えるしかなかった。

 

「ん~いや、どうなんだろう……白上にも分からないや」

 

 ミオを不安にさせるってわかってても、こう言うしかなたったのです。

 

 白上の回答に表情を曇らせるミオは、少し考え込みながらこう答えた。

「そうか……困ったなぁ。ちょっとでも何かわかればいいんだけど」

 

 ミオのその言葉に白上のお耳がピクリと反応します。

 そうそう。そういえばミオには話していなんだったなと思い返しながら、「あぁ、それなら……」と口走ると、暗かったミオの表情にお日様がさしたみたく明るくなった。

 

「傾向? みたいなものは掴めてきたかな」

「傾向っていうと?」

「そう。『ケガレ』が出没しやすい場所とそうじゃない場所とかね」

 別にこの数年間、漫然とケガレを祓って来たわけではないと、フフンと胸を張りながら答える白上。

「それってどうゆうこと! 勿体ぶらずに教えて!」

 いつもの「はいはい」くらいの冷めた反応を期待していたんですが、返って来たのは想像とは別のものでした。まぁ特別なものでもないので粛々と話すことにしようと、少し離れた木陰に落ちていた木の枝を手に、地面にキョウノミヤコを中心としてた、『ケガレ』が頻繁に発生している街の位置関係を示していく。

「みおーんはさ、なんか気付いたことない? ケガレが発生しやすい場所の特徴とかさ」

「ん~ヒトがたくさんいる場所とか、あとは……古戦場とかかな?」

 うん、ミオの感覚と白上の感覚はやはりずれていない。ヒトに関わらず、感情を持っている者がたくさん集まる場所や、暗い感情が渦巻く場所に発生しやすいっていうのはその通りだと白上も思っている。地面にザッと書き出した地図に、補足を加えていくと、ミオも白上の言いたいことに気が付いたのでしょう。目を見開きながら、こちらを見つめて来ます。

 

 とりあえず状況の整理が出来たので「じゃぁ纏めるけど」と前置きし、学校の先生のように話してみます。

「ミヤコの中でも、それに近隣の街でも『ケガレ』の報告や祓ってくれ依頼は沢山来てるけどさ、一箇所だけ依頼のない区域があるじゃない?」

「……オオエヤマだ。オオエヤマ周辺ではなんの報告もない!」

「ざっつらい! いいねぇみおーん、冴えてるよ!」

 ビシリと親指を上げてサムズアップでミオの回答に花丸をあげんとばかりに声をあげる。最初はエヘヘと恥ずかしそうな表情を見せていたミオも、自分の言葉を反芻してまた表情を曇らせてしまう。

 まぁ無理もないかもしれないけど……

 

「でもあそこには……」

 きっとミオの頭には『あの子』が浮かんでいることでしょう。紅い目をしたあの子のことが。

「まぁ……うん。あそこは特別な場所だからっていうのもあるけど、可能性があるなら潰しとかなきゃさ?」

「それって……もしかするとまたあの子と戦わないといけないかもしれないってこと?」

 ミオにとってはそれが一番懸念しなくてはいけないところでしょう。正直白上だって嫌だなって思うところではある。でも心配をする役目はミオに任せて、白上だけはそれに向き合わないといけない。

 まぁこれもバランスですよ。毎回白上がこうはできないから、その時がもちろんミオに頼るんだけど、そうじゃない時は白上がしっかりせねばね!

 

「戦い……あり得るなぁ。つえーんだよなぁ、あの子は」

 以前の戦いを思い返しながら、ポロっと白上の口からこぼれた言葉にミオは苦笑いを浮かべる。おろ? なんか思っていたのと違う反応をしてくれるじゃないの。まぁ笑顔出ることは良きこと良きこと。

 

「はぁ、なんだか気が重いなぁ」

「じゃぁとりあえずミゾレ食堂に戻ってご飯の続きだーよ!」

「はいはい、わかりましたよ」

 

 いずれにしても、腹が減っては戦はできぬが世の心理。落ち込んだときにはお腹いっぱいになって忘れようってね!

 

 と、そう思っていたのは間違いじゃなかった。

 白上は……うぅん、私はすぐにそれを実感することになる。

 

 だって、ずっと待ち望んでたヒトが、私たちの前に現れてくれたんだから。

 

 →NEXT EPISODE

 

 戦う事以外を選べなかった。

 それを後悔しながら、それでも話を聞いてもらいたいから刃を交える。それは意味のない事だって分かっているのに、そうするしかなかった。

 

 でもそれを止めてくれたヒトがいた。

 そのヒト知った今だからこそ言えるけど、彼女はそんな風には見えなかった。もちろん、それは悪い意味じゃない。

 身体からは儚さではなく、活きいきとした様に溢れていた。

 笑顔に辛そうな陰りはなく、まるでお日様みたいだった。

 

 でも、あの時うちたちの前に現れたあの子はまるで天使みたいで……

 あぁ、でもそんな事言ったら怒っちゃうかもな。でもさ、本当にそう思えたんだ。

 

 だってあの子が、スバルがいたからうちたちは救われたんだって。

 

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 episode 5:DRESSED LIKE AN ANGEL



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DRESSED LIKE AN ANGEL①

 オオエヤマ。キョウノミヤコから少し離れた、北西に位置する自然豊かな荘厳な山。

 かつてはヒトの設えたお寺があったみたいだけど時を経るごとに忘れ去られて、今はそれも廃れてしまって、簡単に分け入ることは難しい場所になっている。

 

 でも以前、うちとフブキはそこに足を踏み入れたことがあった。あの時は確か……でも、それもこっちの勘違いだったから、あの子には悪いことをしたなぁと素直に思っている。それくらい久しぶりにこのオオエヤマに来たわけだけど、そこはミヤコと違う、特有の空気が満ち満ちていた。

 

「ちょっと、肌寒いなぁ」

 そう呟いて、息を吐いて手を温める。

 見上げると境内への入り口である山門は夜の支配者を頭上に冠し、これでもかと言わんばかりにその存在を露わにしている。全く誰も立ち寄らないからこそ、その聖域然とした様をありありと感じさせているんだろうなとうちには思えた。

 

「静かだけど……なんだろう、肌がビリビリする」

「いいじゃない緊張感! 白上は楽しくて仕方ないけどねぇ~」

 うちの緊張した声とは対照的に、フブキの声はどこかお気楽というかなんというか……きっとうちの緊張をほぐそうとしてくれているんだろうって分かるから無碍には出来ない。むしろ感謝しちゃうんだけど、それを口にすると調子に乗るからなぁ。

 

「はいはい」

 だからさっぱりと、遇らうみたいにそう返しておいた。

「あぁん、みおーん! 冷たいよぉ」

「……でもちょっと冗談言ってる場合じゃなくなってきたね」

「そう、だね」

「多分向こうにはこっちが石段を登ってるって伝わっているはずだよ。今回はどう出てくるか……」

 ふと視線を山門に視線を向けた瞬間、うちとフブキは同時に息を飲んだ。うちたちの視界に突然姿を見せたその影はこちらを一瞥し、すぐに境内へと踵を返していた。

 

「……噂をすれば」

「……だね」

 あまりに出来すぎたタイミングだ。でもあの子らしいと言えばらしいのかもしれない。

「あがってこい、って事だよね?」

「罠って感じは……しないね。あの子はそんなに器用じゃない」

 フブキは悪戯に笑顔を浮かべてそう返してきた。

「ん、そうそう。そうゆう素直なところは可愛いんだよなぁ」

「お呼ばれしてるんだから行こうか?」

 フブキはうちの肩を叩いてそう言って、先に石段を歩いて行く。帰る事も出来ないんだ。もう……やるしかないよね。

 

 境内と石段を隔てるように立つ門に、先を歩いていたフブキが足を踏み入れた瞬間、地を蹴り上げる音がうちの鼓膜を叩いた。

 

「ーーーフブキ!」

 一目見ただけでわかる。見覚えのある巨体、鎧兜に身を包んだ巨体だ。うちが声を発した時にはもう既に遅かった。それはフブキを弾け飛ばさんとまるで放たれた弾丸みたく、突進していたんだ。

 

「ッて!」

 衝突の瞬間、フブキの口篭った声が耳に届いた。同時にうちの頭をフブキの身体が無残に地面に叩きつけられる光景が浮かんでしまう。でも現実は想像とは全然違った。確か彼女の身体は鎧兜の突進に弾き飛ばされたんだけど、その身体はまるでお月様の軌道を描くみたいにクルりと宙を舞い、そして身体を丸めたまま身軽に地に両の手と足をつけた。その身のこなしはさながら猫……いや野生の動物そのものだった。

 

「い……ってぃじゃろがい!」

 突然の事に気持ちが昂っているのだろう、普段は発さないような棘のある声を灰色の鎧兜にぶつけるフブキ。でもソイツは何も答えずに、姿勢を正しながらフブキを見やった。ゆうに二倍は以上のあるその体格さに思わず声を失ってしまったけど、うちはフブキのそばに駆け寄った。離れて見ていたうちでもわかるくらいの衝撃だったんだ、さすがのフブキももしかしたらどこかを痛めているかもしれない。

 

「怪我は?」

 そう尋ねるとフブキは真っ赤な舌を少し出して悪戯っ子みたく笑みを見せる。

 

「だいじょーぶ! 手がじーんとするくらい」

 手をひらひらとさせながらそう続けたけど、見せてくれた掌は少し赤く腫れている。やっぱり相当の力を込めての攻撃だったんだろう。うちならフブキみたいな咄嗟の判断は難しかったかもしれないと思うと背筋が少し寒くなる。それを助長させるみたいに、その巨体は抜かずに携えていた刀を抜きさる。ジャランと、全く手入れのされていない音が耳に痛い。けどその光景も『二度目』になれば慣れたもの。深く深呼吸してフブキに手を差し出す。「ありがと」と短く返して彼女はうちの手を取り、真っ直ぐ立ち上がって灰色の巨体を二人で睨みつける。

 

「でも、流石にびっくりドッキリだねー」

「うん、明らかにこっちに敵対する行動だった……」

 

 前にここに来た時はもう少し慎重だったはずだ。あの時も同じような夜の暗がりから現れた灰色の鎧兜は武士然と間合いをきちんと読み、うちたちの隙をつくようにキレのある動きを見せていた。でも今のその動きはまるで……「なんかおかしい。まるで焦ってる、感じ?」頭で考えていた事がついつい口に出てしまう。でも素直にそう感じ取れた。だってその動きからははっきりとした焦りが感じられたから。

 

「それ、案外正解かも……」

 同時に鈴の音を鳴らすようにフブキが刀を抜く。まるで戦いの最中の音とは思えないその軽やかさに呆気にとられたけど、それよりもうちにはフブキの言葉の方が気になっていた。

 

「え?」

「焦ってるっていうの、アイツ……とにかく事を済ませたいみたい見える」

「それってもしかして、うちたちをあの子に会わせたくないってこと?」

「うん、多分そう」

 

 刹那、再び鎧兜はその身体を深く沈め、突進の体勢を作る。一閃必中そんな言葉が似合いそうなそんな構えだ。

 つまり、『そうゆうこと』なんだろう。

 

「さぁ、来る! 構えてミオ!」

 フブキに言われるまま、うちも拳を固めた。

 もう逃られない、できればやりたくなかった戦いの火蓋が、ここに落とされようとしていた。



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DRESSED LIKE AN ANGEL②

 鈍く月明かりを受ける刀が、光の軌跡を残して奔る。

 ゴォと音をたてて空を斬り、うちたちを真っ二つにしようと迫りくる。

 

「そうは、行きませんってね!」

 楽しげにそう言いながら、剛の一撃を難なくいなしていくフブキ。『前の』戦いの時はあえてそれを受けずに、飛び跳ねるように避けていたけど、今回は正面からいなして見せている。さすが白上の巫女だと感心するとともに、まともに喰らってしまえば身体はバラバラにされてしまうんじゃないかって冷や冷やもしてしまう。でもうちのそんな不安をあっさりと払拭してしまうくらいに、フブキのキレは凄まじいものがあった。

 

「ーーーはいはいはい!」

 上段からの一撃をいなせば脇を目掛け二撃。横薙ぎの一閃を躱せば、首元への突き、そして返した手での頭部への連撃。

 きっと普通の生き物なら、これまでに見舞われた攻撃で倒れ伏しているはずだけど、目の前の鎧兜は全く怯まず、より激しく刀を振り回し続ける。

 

「……ッと!」

 今度は攻撃をいなすのではなく正面から受ける。境内に足を踏み入れた時の不意打ちとは違う、鎧兜の一撃を利用して一旦間合いをとる。

 フブキと鎧兜の剣戟に見惚れてしまっていたうちも、咄嗟にフブキの方に駆け寄り声をかける。フブキが顔を上げてニコッと笑顔を見せる。それに合わせてうちも笑みを作って手を差し出した。どうやらうちたちの想像はあってくれていたみたいだ。フブキは手を差し出したうちの手を取り、小さく呟いた。

 

「やっぱり、この子たち焦ってるよ」

 確かにその一撃一撃は激しい。それは前に戦った時よりも激しいものだった。しかし同時に、繰り出す一つ一つに流麗さは感じられない。ただ叩きつけ、一撃で終わらせようとする剣筋にうちは思ってしまった。

 鎧兜には表情はない。でもその動きは明らかに焦りで精細さを失ってしまっている。

 だったら、無理やりにでもこの鎧兜を『止めて』、あの子を引きずり出して話を聞いてやれば良い!

 

「ならーーーこっちは!」

 二人同時に地を蹴り駆けていく。一瞬目配せをして何をするべきなのか、察することは出来たと思う。後は……上手く出来るかだ!

 

 一気に間合いを詰めるうちたちに、鎧兜は興奮気味に肩を上下させる。しかしそれでもここまでフブキとのやり取りで自分の速度ではうちたちにはついていけないと実感したんだろう、ジッとこちらを睨みつけるようにこちらを見据えている。

 

 刀の届く間合いに入るまで後十数歩、まだ動かない。

 後十歩、鎧兜の刀を持つ手に力が籠る。

 後六歩、来る!

 

「みお、お願い!」

 フブキのよく通る声と同時に、彼女に向け、渾身の一閃を繰り出す。今度は正面から受けるんじゃなくて、飛び込んで懐から一気に渾身の力を込めて、鎧兜の得物を叩き上げる。上方にいなされた鎧兜の刀は頼りを失い、その身体は完全にガラ空きだ。

 

 やるなら……今だ!

 

「……ろっこん、せいじょう!」

 本来なら『この類の力』はフブキの専売特許だけど、うちの爪と鎧兜の刀じゃ相性が悪すぎる。だからこそここはうちがその役目を請け負うしかない。

 

「きゅうきゅう! にょち……噛んだぁ! あぁもう全部まとめてぇ!」

 だから一気に決めるんだ! 脚に何かが乗り移ったように力が籠る。そしてぐるりと回転する力を利用し鎧兜の胴目掛けて、言葉と一緒に回し蹴りを繰り出した。 

 

「氷仙顎(こおりのきっく)!」

 手応えはない。鎧兜は文字通り伽藍堂の器にすぎないんだ。ただの鉄の塊を衝撃を加えたにすぎないんだから、ヒトやアヤカシを打った時みたいな生々しい感覚があるわけがない。でもそんな事、うちたちが求めているわけではない。そうだ、うちはこの子たちを『止めるために』この蹴りを打ったんだから。

 回転する力と自分の体重を十分に乗せて見舞った回し蹴り。鎧兜はとっさにうちの方に視線を向け、うちの姿と衝撃を当時に情報として感じ取ったんだと思う。でもそれを大したことはないと笑うみたいに、鎧兜が鳴いたような気がした。でも一瞬遅れてうちの『呪』は奔る。ガンッと鉄を打つ音に続いて、その表面を凍りつく音が鎧兜の身体中を奔っていった。

 

 『氷仙顎(こおりのきっく)』

 

 うちがよく使う炎の力を剋する力。正直得意というわけではないけど、この鎧兜を止めるには十分の力はあるはずだ。それを示すように激しい動きで攻め立てていたそれは徐々に動きを鈍いものにし、それが氷煙をたてる頃には完全に動きを止めてしまった。しかし動きを止めても尚、鎧兜の鋭い視線はうちを捉えたまま。うちへの怒りを湛えたその鈍い光に一瞬尻尾がビクリと反応してしまったけれど、そばにいたフブキの声で不安はどこかに吹き飛んでいた。

 

「ないーす! みおーん!」

 うちの蹴りが入る瞬間に飛び去り、数歩間合いをとっていたんだろう。後ろから駆けてくる音が耳に響く。

「フブキ、手加減しなきゃダメだからね!」とうちは言った。

 それに「おうさー!」と気安い一言が返ってくる。別にうちらはこの鎧兜を打ち負かしたいわけではない。動きを封じるくらいで十分だ。でもうちの『呪』だけではそれを為すには足りない。

 

「だから……」

 うちもフブキと入れ替わるように飛び退く。それと同時にフブキの手にした刀に、白の力が集まっていく。

 

「止まればこっちの……」

 白の力が刀の鋭い形を変貌させていく。まるで戦鎚のように無骨に、でもそれは槌と呼ぶにはあまりにおかしな形をしていた。大地に根をはる竹の子のような形状をしたそれを鎧兜の巨体に見舞い、叩き伏せようと振りかぶった。

 

「もんじゃろがーい!」その言葉に続いて鎧兜のひしゃげる音「ーーーっテェ!」ではなく、フブキの呻き声と地を滑る音だった。

「フブキ……フブキ!」

 一瞬の出来事にうちも気が動転してしまったんだろうか。鎧兜の状況を確認せずに、弾き飛ばされグッタリと身体を横たえているフブキの方に駆け寄る。境内の石畳は土と違ってなんの保護もされていないんだから、もしかすると目も当てられないくらいの怪我を負っているかもしれない。最悪の状況が頭を一瞬過ぎったけど、でもそれは杞憂みたいだった。

 

「あ~! 決め技くらいちゃんとやらせんのが戦隊モノのお約束でしょうがぁ!」

 もう数歩で手が届くというところで彼女はガバッと身体を起こし、プンプンと大声をあげた。『センタイモノ?』って言うのがよくわからないけれど、聞こえる声色はさっきまでと変わらず元気そうだ。

 

「フブキ、大丈夫なの? あんなに吹っ飛んだのに……」

「ん、なんとか集まってくれてた眷属さんたちに助けてもらえたからさ……でも」

 エヘヘと笑ったフブキだったけど、その視線は少し厳しくなり鎧兜が倒れ伏している場所に注がれている。

 

 その視線が、うちは怖かった。だって、視線が向けられたってことは、そこに『あの子』がいるってことだから。

 

「シラカミ。それにオオカミだったか……そりゃカルマとシラヌイじゃ太刀打ち出来んわけだ」

 声が響く。それが合図かのように雲に隠れ陰っていた月が顔を見せ、この地の主人を照らし出す。主人と呼ぶにはその声の主はあまりに可憐で、か弱く見えた。

 でもうちたちは知っている。

 この子は、この場にいる誰よりも強者であるってことを。それをうちたちは身をもって知っているんだ。



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DRESSED LIKE AN ANGEL③

 あまりに小さい影だった。それはあまりに小さくて可憐で、うちたちの視線を奪うには十分すぎる美しさだった。

 月よりも煌々とその瞳は赤く輝いてこちらを見据えている。まるで周囲の熱を全て吸い尽くしていくように、その色は一層深い色を滲ませていた。

 

 正直に言おう。うちは見惚れていた。聞き惚れていた。その美しい容貌と、その涼やかな声の虜になってしまっていた。

 うちは完全に、この鬼に心底惚れてしまっていたんだ。それは決して色恋沙汰とかそんなものではないけれど、目の前の彼女が絶対的な存在だって、うちには思えてしまう。

 

 今の、『ここにいる』うちにとって、『百鬼あやめ』と言う鬼はそんな存在だった。

 

「……ナキリ」

 不意に彼女の名前がうちの口をついた。でも何を話したらいいのか分からなくて言葉に詰まる。それが気恥ずかしく感じてしまって、思わず顔を伏せてしまう。はっきりしないうちにフブキは、「ミオ……ちゃんとして」と言って、子供を見るような母親の瞳でうちを見た。うちが、「う、うん……大丈夫だよ」と答えると、フブキはコクリと頷き、視線を百鬼あやめに視線を向けた。

 顔を上げて視線を定め、うちは一歩前に歩み出る。百鬼あやめは自分の足元に寝転ぶ鎧兜を覗き込みながら、優しげな笑みを浮かべて何か話しかけていた。しかしその右手は腰に据えた刀の柄に添えたまま。いつでもそれを鞘から抜き去り、うちたちを斬り捨てることが出来るんだと言うことをありありと示していた。そして鎧兜から二つの『力』が抜けていったのを見送った百鬼あやめは、嘆息したあと、ジロリとうちたちを睨みつけた。

「ホント、とことん来るタイミングが悪い」

 うちは訝しげな表情と共に投げ付けられた言葉に眉を顰めた。正直涙が出そうなぐらいに心に響くものがあった。

「突然の無礼をお許しいただきたい」

 深く頭を下げて言うと、ナキリは一瞬押し黙って、バツが悪そうに刀に据えた手とは逆の手で頬を掻いてた。

「今日は確かめなきゃいけない事があって来たんだ。だからお願い……話を」

「むり」

「はぁ? ちょ、何言ってるんですか?」口を挟まずにいたフブキが声を上げた。

 フブキの声に一層眉を顰めて百鬼はこう続ける。

「シラカミもよく聞くんだ。余は今は何も聞きたくないよ」

 声の音は軽やかだけど、重々しい響きだってうちにか感じられた。でも怖気付いてばかりはいられない。うちは上ずった声で、「ナキリ! この間みたいに疑って来たわけじゃないんだ! ただ状況を知りたーーーッ!」と、途中まで言いかけて言葉が止まってしまう。

 視線は矢となり、瞳は弓となり、うちを射殺さんと鋭く引き絞られる。

「むりって言った。今、ちょっと余はオコなんだ。それに突然何の約束もなしにきた無礼者たちの話なんか聞く気分にはなれないよ」

 キッパリとそう言い切った百鬼の声は拒否を許さないと告げていた。しかし「ーーーでも」と、思いついたように彼女は続ける。

「昔から言うじゃない……言うことを聞かせたいなら、力尽くでって?」

「何、言ってるの? 力尽くって……」

 

 うちは何を言っているんだ。そんなこと、ナキリに聞かなくても分かるじゃないか。

 

 『言いたいことがあるなら、無理やりにでも聞かせてみせろ。相手を傷付けてでも、自分が本気だって見せてみろ』

 

 きっと彼女が言いたいのはそう言うことのはずなんだ。でもそれを認めたくないうちがいる。

 

 だってこの子が、百鬼あやめが本当は優しい子だって、うちは十分に理解しているから。

 前に一度戦った時は誤解があったけど、今回は事情を聞きに来ただけなんだ。話し合えば絶対に分かり合えるはずだ。今、月が雲に隠れて彼女の表情は見えないけど……少し声色はなぜか『楽しそう』に聞こえた。そしてその声色のまま「そのままの意味だよ」と答える。

「余は何も聞きたくない。そっちは話を聞いてほしい」

 隠れていた月が顔を出し、彼女の表情をさらけ出す。ひどく嬉しそうに笑みを浮かべながら、彼女は言った。うちたちは沈黙したままでいると、ナキリの表情から笑みはなくなり、ジロリとうちを睨みつけた。

 

「どっちも我を通したいんなら、やることは一つ。戦って無理やりきかせればいいんだよ」

 薄らと分かっていても、明確に言葉にされてはどうしようもない。うちは何も言えないままナキリを見ていた。

「もう少し穏やかにはいかないもんですかねぇ?」

 うちの状況を見兼ねたフブキが助け舟を出すようにナキリに声をかける。でもその声に少しも反応せず、うちから視線を外さずにいたの方を見ていたナキリはため息をついた。

 そして視線を更に鋭いものにして、「おかしかろうと何だろうと!」と語気を強めて叫ぶ。ナキリは腰に携えていた二振りの刀を抜き去り、一方の切っ先をうちたちに向けながら続ける。

 

「ただでは聞いてあげない。余は……余の思う通りに、やらせてもらう!」

 

 両の手の刀を掲げ、こちらを睨みつけるナキリ。すぐに間合いを詰めてこないのはきっとうちたちが構えるのを待っているんだろう。それは彼女の最後の優しさだったのかもしれないけれど、でもうちには納得できない。戦うことだって、うちはまだ何にも納得出来てないんだ。それに本気になったナキリをうちたちがどうこうできるなんてあり得ない。そう思ってしまうと身体の震えが止まらなくなる。

 

 震える身体を必死に押し留めていると、「あらら~マジですか。なんでこんなにもノリノリなんですか、この子?」と、フブキがアハハと笑いながら立ち上がってうちの横に歩み寄ってくる。

「フブキ! そんな呑気な……」

「呑気じゃないよ……」

「……フブキ」

 ふとフブキの手元に視線を下ろすと、同じように震えている。

「ミオも分かってるでしょ? ナキリの強さは」

「それは」

「正直この間は手を抜かれて。今回どうなるか……想像しただけで怖いよ。それにやっぱりナキリは、ミオのことしか見てないみたいだしね」

 震える手で自らの刀に手をかけて、フブキはそう告げる。

「それって……」

 正直フブキの言っている意味が理解できなかった。

「さぁ、くるよ!」

 フブキが刀を抜いたのを見とめ、赤の軌跡が境内の石畳を駆ける。

「ーーーッシ!」

 横薙ぎに一閃、流れるように刀が奔る。

「だぁ!」

「やっぱ、つよ!」

 どうにかその一撃を受け、ナキリを見とめる。その細腕から繰り出されたとは思えないほどの衝撃に頭がくらくらとしてしまうけど、それに浸っている余裕はもうない。

「無駄口はそこまでだよ……さぁ、思う存分やりあおうじゃないか!」

 

 例えるなら、それは不機嫌なカミサマに捧げる舞だ。くるり、くるりと見目麗しく舞うその様は目を楽しませて、姿を隠隠したカミサマも顔を出してしまうんじゃないかってうちは思う。

 

 でも手にした採物が違うだけでこんなにもその様相は大きく変容してしまう。

 

 軽やかに鳴り響くのは鈴の音ではなく、鉄の打つかり合う爆ぜた音に。

 規則正しい息遣いは、張り詰め荒々しいものに。

 面差しは、より鋭く。

 

 その一合一合が命の奪い合いなんだ。

 だからこんなにも、心を奪われてしまうんだ。

 

 ぶつかり合う。それは火花を上げながら踊るように。まるで演舞のように。

 二刀を手にし、笑みを浮かべるのはナキリ。その笑みの裏に目の前の敵を切り捨てんとする、その意思がハッキリと伝わってくる。片やうちたちは二人。うちの爪と、フブキの刀で持ってそれに相対する。数の利はうちたちにある。でもそれでも覆すことの出来ない戦力差がナキリとの間にはあった。

 

 普通に歩くだけなら、およそ十余の距離。その間合いは瞬きの間になく詰められる。『ケガレ』の緩慢な動きとは違う、稲光を思い起こさせる速度。でも本当に警戒するべきは、恐怖するべきは速さじゃない。そこから横薙ぎに振るわれる一閃だ。

 

 刹那、火花を散らして刃が打ち交わされる。

「ッ!」

 ナキリの一閃を受けるフブキ。さっき弾き飛ばされた時もそうだったけど、その表情に余裕はない。

「どうした、どうしたぁ!」

 それを意に介さず、両の手の刀を遠慮なくフブキに打ち込んでいく。本来なら両の手で一刀を支えるフブキの方が力の面では有利のはずなのに、その前提が完全に覆されているけど……どうにか詰めの一手だけは退けることが出来ている。同時にフブキも防戦を強いられているってことだし、うちだって何も出来てないってことだ。何かが変わるとすれば、どちらかがの気が緩んだ瞬間だろう。

 きっとそれはナキリにも分かっていることだろう。肉薄していたナキリが後方へ飛び退き、「こないだはそんなもんじゃなかったはずでしょ? もっと本気見せなよ!」と、声を荒げた。なんて安い挑発なんだろう。でも極限状態のうちたちにはその言葉は、釣り球みたく感じられた。

 

「くぅ、こんのぉ!」

 ここまでの防戦を覆さんと疾走するフブキの身体、それに応ずるように左に持った得物で突きを繰り出すナキリ。

 真正面に突き出される切っ先を避るならば死角となる右側方。逆袈裟に斬り上げで逆転の一手を狙わんと更に身を屈めてナキリの懐へと突入していくフブキ。

 

 でも『死角』が出来ているのはフブキも同じだった。

 

「ーーーフブキ!」

 うちが言葉を放った次の瞬間、ナキリの右に携えた銀の殺意が月に照らされる。

「これッ!」

 もうフブキは刀を抜く体勢に入っている。さっきまでのナキリの速度を考えれば、ここからそれを避けるのはどう足掻いたって無理だ。

 なら……うちとナキリたちの間合いは全速力で駆けても三秒。殺意が振り下ろされるまでには数瞬足りない。

 うちが……やるしかないんだ。

 バチリと、うちの中で力が弾ける。言霊もない、無茶苦茶な力の行使だ。きっとこの攻防が終わる頃にはうちの身体はボロボロだろう。それでもそんなのは関係ない。今をどうにかするために両脚と、そして左の腕が炎を漲らせ地を弾く。最短距離を突き進む。

 

「間に、あえ!」

 銀の軌跡が奔り、炎が境内の石畳を覆っていく。

 うちはただ左腕に感じる痛みがはしることだけを望みながら、それを伸ばすしかなかった。



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DRESSED LIKE AN ANGEL④

 左腕に走る痛みに、うちが感じていたのは焦りよりも安堵だった。

 かたく閉じていた瞳をおそるおそる開くと、流れ落ちるうちの赤と、申し訳なさそうにこっちを見上げるフブキの姿が目に入った。ナキリにつけられた小さな刀傷と石畳を転がって擦り傷は見とめられるけど、それ以外に大きな外傷は見つける事はできない。

 

「さすが、だな」

 声に導かれるまま顔を上げる。そこにはひどく嬉しそうに顔を歪ませる鬼の笑顔。

「……さすがオオカミだ。間に合うなんて」

 

 もう一度、彼女の口から称賛がうちに送られる。正直うちだって間に合うとは思っていなかった。でもどうにかしないとって一心で走ったからどうにか出来たってだけだ。

 

「……ッ、いた」

 でも次第に安堵よりも痛みが上回ってくる。纏った炎のおかげでどうにかかすり傷程度で済んだけど、左腕を伝って石畳を汚す赤が、ついに自分も戦いに手を出してしまったんだっていう事をありありと示してくるんだ。

 

「なんで戦うの? うちたちは話を聞きに来ただけって言ってるのに!」

 もう何度目なんだろう。自分でもしつこいって分かっている。それでも戦わなくてもいい方法がないかと声をあげた。

 

「何度も言わせるな!」

 右の刀を一旦引くのに合わせて後ろへ飛び退き、ジロリとうちを睨み付けてこう続ける。

「甘い事ばかり言って……オオカミ、何をしに来たんだ!」

 投げつけられたのはうちの優柔不断さを指摘する一言。最早賽は投げられてるっていうのに、いつまでも同じ事を言っているうちに、さすがにナキリも苛立ちを隠すことが出来なくなっていた。

 

「でも」

「でも、じゃない!」

 

 間合いが詰まる。瞬きの間に届かなかったはずの刀が、うちの左脇目がけて横薙ぎに振るわれる。

「でーーーッ!」

 

 それを見とめた瞬間にうちも後ろに跳ぶ。でも完璧に避けきる事は出来なかったんだろう、お腹のあたりがじんわりと熱を持ったみたいに熱くなってくる。それを好機と見たんだろう。更に深く鋭く踏み込み、右上段から容赦のない追撃が振り下される。

 

「やりたく、ないのに!」そう言い放った瞬間、うちの両腕に炎が宿る。でもそれは強風に煽られればすぐに消えてしまうそうなくらいに、弱々しい炎だ。眩い華が再び飛び散り、境内に一瞬の光を放つ。迫っていた刀を押し除け、もう一度うちは声をあげた。

 

「……それでもうちは戦いたくない!」

「それでも、やらなきゃ何にも始まらん!」

 でも、何度押し除けてもナキリの連撃は止まらない。それはまるで洪水みたく容赦無く叩きつけてくる。

「オオカミ! ヤマトの神子である貴様なら、それくらい理解しているだろう!」

「それでも、傷付けたく、ないんだ……」

「まだ、そんな口を叩けるならーーー」

 銀の閃光がより速度を、力を込めて繰り出される。後のことを全く考えずに繰り出された右上方からの渾身の袈裟斬り。そう言っても過言じゃない。それまでの刀の進撃を去なし続けてきたうちだったけど、この一撃にはきっと耐えきれない。『今』のままでは。

 

「オオカミ、貴様とはこれでおしまいだ!」

 口にされた明確な一言に怖気を感じながら、それでも諦めきれなかった。

「うちは……」

 ギリリと奥歯を噛みしめながら、爪をたてる。刹那、弱々しかったうちの炎の赤が意志を持ったみたいに鋭い形を作っていく。それはもう獲物を刺し穿つための、動けなくするためのカタチだ。

 そう。うちは自分を守るために、言葉とは全然違う行動に出てしまっていた。

「誰も傷付けたくないんだ!」

 

 斬。

 

 生き物の命を刈り取る、殺意を込めた一撃。刀を弾くように、引っ掻き上げるようにうちは爪を下から上に振り上げる。きっとこれを無事に受けることが出来る者はいないだろう。自分でも制御の効かない一撃だった。

 でも、例外はある。

 

「さす、がだ!」

 金属のひしゃげる音に続いて、ナキリの呻き声に似た声がもれる。

 そう。受け止めた。渾身の一刀を繰り出して上体を崩していたにも関わらず、ナキリはうちの一撃を受け止めた。でもうちの一撃の勢いを殺しきれなかったんだろう。

 

「ーーークッ」

 ナキリの身体が宙を舞う。うちの爪の圧力は彼女を弾き飛ばした。決死の一撃も結局は大きく間合いを作る程度の物にしかならなかった。

 でもナキリの表情はさっきとは違う、嬉々とした笑顔を浮かべていた。

「本当に、厄介だ。あぁ、でも、楽しいよ……余は、楽しいよ、オオカミ!」

 

「さすがはヤマトの神子だよ! こんなにも心が躍る戦いは、そう味わえるもんじゃない!」

 ナキリはこちらに嬉々とこっちを見ていた。まるで全力を打つけられるオモチャに出会った子どもみたいな機嫌のよいその様子は、うちの背筋を凍らせる。

 今のうちの、うちたちの状況を言い表すなら、『満身創痍』って言葉が相応しいだろう。うちもフブキもそれくらいに疲弊している。対してナキリはどうだ? その笑顔からは全く疲れは見えない。それどころかようやく火がついてきたって言っても過言じゃないくらいの様子でこっちを見ていた。

 でもどうしたんだろう、途端にその表情は曇っていく。

 

「どうしたの、カルマ?」

 さっきまで鎧兜に入っていた力がナキリの周りを飛び回っている。何かを報告するように慌ただしく動き回るその様子に、更に顔を曇らせていた。

 

「あぁ、『また』出たんだ……」と、つまらなさそうな声だ。

「フブキ、これって」

「ん、多分近くで『ケガレ』が出てるんだと思う。白上の耳もヤツらの悪い電波をビンビン受信してますよ。でもこんなにハッキリ感じるのは初めてかも」

 確かにフブキの言う通りだ。多分ナキリとの戦いで感覚が鋭敏になっているせいもあるかもしれないけれど、ここまで強く感じることなんて今までになかった。

「オオカミ、それにシラカミも。『また』出たみたいだから、余はそっちに行くよ」

 ナキリは手にしていた刀を鞘に納めて、深くため息をつきながら一瞬視線を外す。

「やっぱり、ナキリは『ケガレ』とは関係なかったってことでいいんだよね?」

 うちがそう言った時、もうそんな事はどうでもいいよ、とナキリの呆れた声が聞こえてきた。それでもしつこく口にする。

「ハッキリ言って! 関係ないんだよね? ナキリは、『ケガレ』とは関係ないんだよね?」

「もうそれでいいよ。でもさ……」

 ナキリはそう呟いた後、ようやくこっちに視線を戻した。

「でも、これじゃ収まりがつかないから……」

 そして納めた刀を再び抜いて、「次で、『最後』にするよ」と、にこやかに続ける。

「ワォ、これ本気も本気じゃないですか。さすがにこれはただじゃすまなさそうだなぁ」

 うちの後ろから声がする。フブキはイタタと苦い表情をした後、うちの横に並んでニカっと微笑んだ。

「フブキ……」

 でも今のうちは笑う気にはなれない。だって、誤解だって分かったんならもう戦い必要なんてないんだ。今更傷つけることなんてないはずないって思うと、また身体が竦んで動けなくなってしまう。

「どうにか、出来ないのかな」

 未だにそんな不甲斐ないことを言っているうちに、フブキは、もうそろそろ覚悟決めなよ、と少し冷たく言った。そして、でもなぁと苦笑いを受けべて続ける。

「ミオが応えてあげなきゃナキリはいつまでも独りぼっちだよ? それでもいいのかい、みおーん?」

「……良いわけないよ。そんなの良いわけない!」

 そう言って、拳を固めてうちは正面からナキリを見据えた。さっきナキリの刀を受けた時の傷が少し痛んだけど、後一撃くらいならどうにかなるはずだ。

 うちとフブキは無言で頷き合い、構えをとった。うちたちの動きに一層笑みを浮かべてナキリは深く深く腰を落とす。まるで獰猛な動物が獲物を狩殺す時の姿勢だ。そこに最早自分を守ろうだなんて考えが砂の一粒ほどもないんだろう。後はその両手に持った殺意をどううちたちに打つけるかだ。

 

 ほとんど時間も経っていないはずなのに、この時間がひどく長く感じられた。

 ドッ、ドッと自分の胸を打つ鼓動の音が手にとる様に分かる。それこそ隣にいるフブキにも聞こえてしまうんじゃないかって思うくらいに、心臓が早鐘を打っていた。

 

 そして存外あっさりと、口火は切られた。

 

「……受け切って、見せろ!」

 

 疾走する赤の軌跡。それを真っ向から受ける黒と白が持ち合うる全てを賭けて、相対しようと力を込めた。

 

 

 でも、生命を削り合う音が境内に響く事はなかった。

 

「ーーーッ!」

「な……!」

「これ……は?」

 

 代わりに、三者三様の呟きが漏れる。突然現れたその光景に駆け出していた身体が止まって、その場にいる誰もが釘付けになってしまう。だってそれは、『八年前』のあの光と一緒だったから。

 

「『大神木』が、鳴いてる? なんで……?」

 何言ってるんだ、そんなの言わなくても分かるじゃないか。大神木が、『扉』が音をたてるとき……それは来訪者がやってくる時でしかないんだから。

 

「ミオ、なんか来る!」

 フブキがそう言った刹那、境内がより強い光に包まれる。

 それに声もなく見入ってしまう。光だけじゃない。『誰か』がそこにいた。フブキでも、ナキリでも、うちでもない……別の誰かがそこに顕れたんだ。でも眩む視界の中でその『誰か』の像をすぐに結びつける事は出来ない。少なともうちとフブキにはそれは叶わなかった。でもナキリだけはそれをすぐに見とめることが出来たんだろう。

「ッ!」

 驚きと怒りがない混ぜになったような声をあげるナキリ。そして続いて声が響いて、そしてその姿がハッキリと見えてくる。

 

「…‥てぇってロボ子せんぱ……あれ?」

 

 よく通る、快活な声だった。そしてその姿にうちは……

 

 うちは、天使の姿を見たんだ。



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spellbound①

 まるで深い、深い森を歩いているような感覚。いや、底のない水の中を沈んでいるような気持ちって言ったほうがいいのかもしれない……何カッコつけて言ってんだ。結局はどう言葉を取り繕ったって一緒だ。

 

 頼りもなく、流されてしまっている。結局のところはそういうことじゃないかな。

 

 頭に募るのは後悔ばかり。

 でもそれを打つけるところはなくて、また頭の中をグチャグチャにかき乱されていく。

 

 ねぇ、ロボ子先輩。

 どうして初めて会ったスバルに、優しくしてくれたの? 

 貴女は一体何を期待して、スバルを送り出したの? 最後に見せたあの悲しそうな笑顔は何だったの?

 何で、スバルに望みを託したの?

 

 いくら考えたってスバルには分からない事ばっかりだ。

 

 でもさ、思ったんだよ。

 やるしかない……スバルが、やらなきゃいけないんだって。

 

 それが呪縛にもなっているのにも気付かず、この闇の中でもがいた。

 

 そして見えた淡い蒼色にスバルは手を伸ばしたんだ。

 それこそ魔法に魅せられたみたいに、それに吸い寄せられるように、スバルは手を伸ばしたんだ。

 

 

 holoearth chronicles ALT:異伝ヤマト騒乱記

 episode 6:spellbound

 

 

 水の中を潜っていたみたいに息苦しい。高いところから突き落とされたみたいな、ヒュっとするようなとする感覚を覚えて、目を開けた。

 スバルの視界一杯に広がったのはさっきまでいた荒れ果てた街並みではなく、月明かりに照らされたお寺の境内と、三人の女の子だった。でもスバルの見知った姿形じゃない。頭に可愛らしい耳や、鋭いツノをつけた和服っぽい衣服を身に纏った女の子だ。こう見ると、あの紫の猫の女の子に似てる気がする。

 

 頭では色々思うことがあったけど、真っ先にスバルの口をついたのは「なんだこれ、どこだよここ!」と、巻き込まれ主人公みたいな、チープなセリフだった。スバルの声に女の子たちはすごくビックリした様子でこっちを見ているけど、そんなのはお構いなしだ。

 

「お寺? なんだここ、まじわからん! 唐突すぎてツッコミきれねぇ!」

 頭に手をやって考えて込んでみたって、答えもなんにも出てこない。むしろ良くない考えが頭をよぎって更に困惑しちゃうだけだ。帽子を落としちゃうくらいに自棄になって声はあげちゃったけど、とりあえず声を出してスッキリできた。さすがに不審がられているだろうなと思いながら視線をあげると、真っ先に入ってきたのは鬼の女の子の苦虫を噛み潰したような表情だった。

 

 その鬼の女の子がスバルに向ける視線からは、ハッキリと怒っているって言うのが伝わってくる。そのまま彼女は絞り出すようにこう尋ねてきた。

 

「……なんの真似だ」

「え?」もちろん、スバルの頭にははてなマークが浮かぶ。

「何の真似だ? ニンゲンさままで連れ出して…・・・そこまでやるとはさすがに思わなかったぞ。自分たちが守るべき同胞すら利用して、貴様たちは一体何を考えているんだ」

「いや、うちたちは……え?」

「今この状況でもしらばっくれる事が出来るなんてな。さすがに余も我慢の限界だよ」

 

 鬼の女の子はスバルの後ろにいる、黒と白の獣耳の女の子にきつい視線を向けながらそう言い放った。突然の言葉に彼女たちも驚きと悲しみがない混ぜになった表情をしている。何だか、一方的に言われたまんまで気分が良くない。

「何、勝手なこと……」スバルが口を挟もうと声を上げた。

 それと同時に、白い女の子がスバルの前に歩み出て、「みおーん、その子を保護! もう今は何を言っても無駄!」

 黒の子は戸惑いながらも、うん、と頷いてスバルの横に駆け寄ってくる。一瞬、どうなってんだ、ちゃんと説明しろよ、と思ったけれど、そんな場合じゃない、一触即発の状態なんだっていうことに気づき、もう一度鬼の子を見やった。

 

 沸々と怒りを滾らせている。そしてまもなく、その箍は外れてしまった。

 

「そこまでして『ケガレ』を呼び出したいのか? こんなことに一体何の意味があるって言うんだ? 余には、余には貴様たちが全くと言っていいほど理解できない!」

 この子は心の底からそう思っている。スバルは素直にそう思った。きっと何も知らないスバルだから冷静に見れたのかもしれないけれど白と黒の女の子たちが、鬼の女の子の言葉にビクリと身体を震わせ視線を少し下げた。でも黒の女の子だけは必死に返す言葉を考えていた。

 

 そして意を決して顔を上げて、黒の女の子が鬼の女の子に言った。

 

「待って、ナキリ! 話を」

 鬼の女の子はその声に視線を向けることもなく、飛んできたもう一つの力の塊に視線を向けて、言った。

「……あぁ、分かったよシラヌイ。余はもう行くよ」

 ザリッと境内の石畳が音を立てる。鬼の女の子は少し離れて見えるお寺の方に向きながらそう言って歩み出していく。後ろ姿には凶暴な雰囲気が漂っていた。それでもここを逃したら話を聞いてもらうことはできないって思ったんだろう、黒い子は再度声をあげる。

「待って! まだ話が」

「ーーーオオカミ」

 でももう遅かった。鬼の女の子は半身になってこちらを睨みつけてこう呟いた。

 

「これ以上、余を怒らせるな」

 その声色はソラの月より冴えて、刃みたいにスバルたちに突き刺さった。

 

 鬼の女の子の言葉が決定打になった。そのままフイと顔を背けた彼女はそのままこっちを気にすることなく、足音もたてずにスバルたちの前から去っていった。

「……」

 重苦しい、嫌になる沈黙がスバルたちを包んでいく。さっきまで顔を出していた月でさえ、この場面の主役がいなくなった途端に、その役目を終えたとばかりに顔を隠し、重苦しい鈍い光で境内を照らしている。

 そんな時だ、茫然と鬼の女の子が去っていた方を見ながら黒の女の子が言った。

「なんでこうなっちゃったんだ?」

「あの……」

 

 そう口にしてみたけどかける言葉が見つからない。考えてみれば、スバルがここに出てくるまでどんなやりとりをしていたも知らないのに、偉そうなことを言うことは出来ないなって考えていた。そのスバルの表情を見たからか、白の女の子がため息をつきながら、「でもまぁ、無事に済んで良かったよ」と、苦笑いを浮かべる。

「もう少しナキリとはうまく話ができると思っていたけど、向こうもかなり気がたってたみたいだしね。正直シラカミはホッとしていますよ」

 なんだか穏やかではないそのセリフに、怖気みたいなものを感じた。白の女の子『シラカミ』は、分かり難かったねと、補足する。

 

「あのまま最後の技を見舞われていたら、こんな傷じゃ済まなかったね。それこそ腕の一本はあげるくらいのつもりでいないと」

 

 ウッと、スバルの口から息が漏れた。その発言は穏やかじゃなさすぎるよ。確かにあの鬼の女の子は無傷だったけど、目の前の二人は斬られたような跡がスバルの目からでもハッキリ分かる。まるで本当に命のやりとりをしていたんじゃないか? いや、多分そうだったんだろう。それがきっとこの子たちの日常なんだ。でも、それを受け入れちゃったらスバルはきっとおかしくなる。スバルは大きい声で「あの~」とわざと空気の読めていない風に二人に聞いた。

 

「ちょ、ちょっとは話、聞いてくれません?」

「あぁ、ごめんね。急にこんなところに来たんだもんね。そりゃ君にとっては困ったもんだよね」

 正直その返答はありがたいと頷いた。そして『シラカミ』が淡々とこう言った。

「とりあえず、ミヤコに戻りますか」

 また知らない単語が出てきたけど、きっとそれは彼女たちの帰る場所なんだろう。

「とりあえず当初の目的は果たせたしね。ナキリが『ケガレ』と関係ないっていうのは分かったし、何よりこのままじゃ丸一日ミヤコを空っぽにしちゃうことになるからね。それんに君も疲れたでしょ……っていうかすんごいずぶ濡れじゃん! 一体何処にいたんだい」

 捲し立てるみたいに喋る『シラカミ』にどう返していいか分からなくなるスバルに、『シラカミ』は続けた。

「まぁ式神さんたちに力を借りれば、ピョーンとひとっ飛びでミヤコには帰れるからね。とりあえずここから降りて、その後のことは考えようか」

 そう提案する『シラカミ』に頷くスバル。でももう一人の女の子はあの鬼の女の子が去っていった方をジッと見つめたまま「ナキリ……」と一言だけ呟いていた。

 

 何だかそれがひどく寂しそうに聞こえたんだ。



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spellbound②

 黒の女の子はずっと名残惜しそうな表情を浮かべている。きっと鬼の女の子が最後に言った言葉を否定しながらも、強く出れない自分に必死になっているようだった。

 そんな彼女に、『シラカミ』は言った。

 

「ミオ、行くよ?」

「う、うん……」と、その声に何処か気の抜けた声に聞こえた。

「ミオ。気持ちは分かるけど、もう少ししっかりしな」

 

 黒の女の子、『ミオ』は困ったように笑いながら、ごめん、と一言呟いてこっちに駆け寄ってきた。その足取りは少し重そうだったけど、それを見て『シラカミ』は頷いて少し先に見える境内の出口、下におりる石段を降っていった。その後ろにスバルたちも続いていく。まぁそうするしかなかったって言うのが本当のところだったけど、何だかこの『シラカミ』は信用できるなって、スバルの勘が言ってたんだ。それが正解だって示すみたいに、彼女はスバルのことを気にしてくれてるんだろう。スバルに色々と話しかけてくれた。

 

「ふむふむなるほど。つまり君は、よく分からん場所から、またまたよく分からん場所に飛ばされたんだと」

 うむむと眉間に縦皺を寄せながら冗談交じりに『シラカミ』は続ける。

「大雑把すぎるけど、まぁそうなりますね」

 何だかよく見てた映画の登場人物みたいな反応だなと、思いながらスバル同じように返した。

 初対面……でいいんだよな? なんだかこの感覚、似てるんだ。ロボ子先輩と話してた時の、初めて会うはずなのに、深くその人のことを知っているような感覚に。

 

 ロボ子先輩の言葉を借りるなら、『気のせい』なんだろう。言ってたじゃないか、これから『見覚えのあるヒトたち』にたくさん会うと思うって。だからスバルがどう感じるのかを大事にしてほしいって。

 

 だから思い込みに引っ張られないように、気を張って『シラカミ』に言葉を返した。

 

「んーミオはどう思う? みおーん?」と『シラカミ』が『ミオ』に尋ねた。

「……あ、ごめん。なんだっけ?」

「この子のこと話してたんじゃんか。さすがに恍け過ぎだって。少しくらいなら白上も大目に見ますけどね、そんな調子じゃ心配になっちゃうよ。ミオはヤマトの神子なんだから、そこのところはキッチリしないといけないよ」

 少し厳しい『シラカミ』の言葉にハッとしして、『ミオ』はスバルの顔をジッと見て申し訳なさそうに声を上げた。

「ご、ごめんね。こんなんじゃ、ダメなのに……」

 でもまだまだ気持ちはあの鬼の女の子のことで占められているんだろう。まぁあんな風に去っていっちゃったんだから、気にするなって言うのが無理があるよな。スバルもあの子の事、すごく気になるんだよな。

 スバルと『ミオ』があの鬼の女の子のことを考えているからだろうか。悶々とした雰囲気がスバルたち三人の間に漂った。そんな雰囲気をかき消すように、『シラカミ』が透き通った、明るい声で言った。

「あぁ、そうそう大事なこと聞いてなかった! あぁ、ソラから現れた君よ! そのお名前をお聞かせ願えるだろぉかぁ~と、こっちから名乗らないと失礼だね。わたしは白上フブキ、見ての通りのキツネだよん」

 

 ニコリと笑みを浮かべて可愛い小首を傾げる様は何だろう。すごく、可愛い。うん……やっぱり可愛い。そして『シラカミ』はスバルの後ろを指し示し、まるでアイドルを紹介するみたいに、自分の時よりももっとキラキラとした笑顔を見せた。

 

「んで、こっちの可愛いのが大神ミオ。ちょーキュートでしょ?」

 紹介された『ミオ』は照れた表情を浮かべながら頬を掻いた。そして、彼女は淀みない綺麗な声で優しく言った。

「よろしくね。いきなりよく分からない場所に来て不安かもしれないけど、何かあったら助けてあげられると思うから」

 

 あ、これ母ちゃんみたいな感じがする。なんかすごく家が恋しくなってきちゃったよ……

 

 『ミオ』さんの言葉に痺れてしまったスバルがぼんやりと二人の姿を見ていた。彼女たちの脚や腕には、鬼の女の子に負わされたのであろう刀傷が見て取れた。そこから溢れる赤は見れば見るほど痛々しい。でもそんなこと気にしていないように笑顔を見せてくれていた。

 

 そんな時、『シラカミ』さんがまたまた何処かで見た映画のように、わざとらしくこう言った。

「では麗しの君! お名前を聞かせていただけるだろうかぁ~?」

 

 片膝を付いて、まるでお姫様に愛をささやく騎士みたいに……あ、ダメだ。スバル、自分で言ってて恥ずかしくなってきた。まぁそんな感じのからかうような仕草で彼女はこちらに尋ねてきた。確かに、君と言われるのも何だかむず痒い気がしたので、正直渡りに船だって思った。

 スバルは咳払いをして気持ちを落ち着けて、「スバル。スバ……私は大空スバルです」と、できる限り丁寧に答えた。さすがに初対面の人に自分のことを『スバルは』って言うのは、少し恥ずかしかったから。

 何となく辿々しく酢やべったからだろうか。『シラカミ』さんは神妙な表情でスバルの事を見つめた後、何かを思いついたように、少しおどけて言った。

 

「む、むむむむむ~! こ、これはぁ~!」

 『ミオ』さんがその声に、どうしたのと、不思議そうに尋ねる。『シラカミ』さんはこう続けた。

 

「みおーん、多分この子だよ。うん……そうだ、間違いない! 白上のお耳には正解の『ぴんぽーん』って音がバッチリ聴こえまちゃいましたよ。いやぁ、本当にこんなことってあるんだなぁ」

 『シラカミ』さんはニコニコと、スバルに近づいてくる。

「フブキ、それってあの『お告げ』のこと?」と『ミオ』さんが『シラカミ』さんに聞いた。

 

 『シラカミ』さんは確信を持って首を縦に振って、間違いないよ、と言った。『ミオ』さんは『シラカミ』さんの言葉にしげしげとスバルの事を見つめてくる。何だか変な居心地の悪さを感じながら目線を外すと、『シラカミ』さんはスバルの手をとってこう続ける。

 

「『ソラ』っていうのはそのまま。そしてミオの見た『ぼうしゅく』と白上の聴いた『むつらぼし』。それにこの子の名前……間違いないよ、この子のことだったんだ!」

 

 あまりにキラキラした目で見つめられると言葉に詰まってしまう。そしてそのまま顔を近付けてきて「それにトニカクカワイイ! うん、イイね!」とスバルに抱きついてきた。

 

「わ、わ! てなんすか? ちょ、抱きつかないで!」

 バランスを崩しそうになりながらもどうにか踏ん張る。幸いもう石段も降りきったところまで来ていたから、転がり落ちるなんてことはなかったけど、それでも不意に抱きつかれるって言うのは心臓に良くない。しかも可愛い女の子がスバルの事を可愛いって言ってくれたのにも面食らってしまって、スバルの顔はきっと火が出ちゃうんじゃないかってくらいに熱くなってしまった。

「あははは、もうお気に入りになったみたいだね」と『ミオ』さんが言った。

「ちょ、み、ミオさん? 助けて!」

 スバルが助けを求めて『ミオ』さんにこう言ったけど、彼女はカラカラと声を上げて笑った。

「ん、三十分もすれば満足すると思うよ。まぁ動きにくいだろうけど、少しだけ辛抱してね」

 そう言ってまた、母ちゃんみたいな笑顔を向けてきた。もうさ、そんな風に笑われちゃうとスバルは何にも言えなくなっちゃうって。

 

 でも仕方がないから、とりあえず一旦はこう締め括っておこうかなと思う。

 

「なんなんだよぉ~もぉ!」

 



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PANACEA①

 目で見て理解できても、納得できない事って絶対あると思わない?

 

 そうだな……例えば試験のテスト返しの事とかを例に挙げてみよっか。結構頑張ってやったテスト勉強、寝不足の目をこすりながら頑張ったはずなのに、返ってきたテストの結果は目も当てられないものだった。そんな時って、『結果』としての点数を受け入れる事は出来るけど、これまでの『頑張り』を考えたら簡単に受け入れることなんか出来ないって思うんだ。けれど、後になってからいつも思うんだけどさ、この「なんなんだよー」「スバルはなにしてんだよー!」って気持ちが次に頑張る原動力になるんじゃないかなって、スバルは思っている。

 

 そういうコンプレックスとかさ、できない事を絶対やってやるんだっていう気持ちが、いつでもスバルを強くしてくれだんだって思うんだ。自己満足かもしれないけどさ、そう思った方が上手くいく気がしない? まぁ、それはスバルだけだよって言われたら仕方がないけど、そう考えて生きてた方が随分楽しい生活を送れるはずだよ。

 

 でもさ、この時ばっかりは目の前で起こっている状況が理解出来てはいても、はいそうですかって、じゃぁこうしようって、そう簡単に順応する事は出来ずにいた。考えてもみてよ、ロボ子先輩のいた街までは百歩譲って納得してた。でも次に飛ばされたのは、全く見も知らないお寺の境内。街中から何で急にそんな場所に行くんだよ、いきなりお話のジャンル変わりすぎだろ! ってツッコミを入れたいところだったけどさ、そんな余裕もないくらいにスバルは困惑してたんだ。

 

 そこにいたのはケモノ耳とツノを生やした女の子たちだった。スバルの学校の友達にはまずいない種類の子たちがいた。もちろん綺麗だし可愛い子たちだったよ? でもそれ以上に自分と違うその子たちに戸惑って、それにスバルがそこに現れる前にこの子たちがどんな事をしてたのかって考えたら……頭では理解できてたけど、ありえないって気持ちの方が強かったんだ。

 

 でもスバルはあの時ロボ子先輩にお願いされたんだ。『あれを……『始まり』から止めて欲しい。きっとスバルじゃなきゃ、みんなを繋げない。スバルじゃなきゃ、みんなは一緒にはなれないんだよ』って。その意味はやっぱりまだ分かんないけど、それでもここにやってきた意味は絶対あるはずなんだ。

 

 強がるなよって? 当たり前じゃん。スバル、強がってるよ。

 本当なら早く家に帰りたいって思ってるって言うのは、間違いない。でもさあんな顔してお願いされた事を放っておけるほど、スバルは薄情じゃない。そんなのに目を瞑って見て見ぬ振りするくらいなら、とことん当事者になって、やれるところまでやってやろうじゃないかってね。そんなカッコいい事言ってても、スバルに出来ることなんて限られてるんだろうけど。

 

 でもさ、それが全部のキッカケになってくれるってスバルは信じてるから。

 だから最後の最後まで突っ走ってやるんだ。

 

 

 境内と外界を隔てる石段を降りきることにはヘトヘトになっていた。

 ほとんど休む事なくここまで来たように思う。まぁロボ子先輩のところで少しは休めたけど、炎天下の下から小雨のチラつくロボ子先輩の街に行って、そして次はここにいる。暑くもなく寒くもないところだけど、これだけ気温差の違うところに行っちゃうと気持ちは問題なくても、身体の方はガタガタになってきてしうまう。

 

 でもクタクタになっている一番の原因はあの黒いヤツに追いかけられた事だろう。いると思っていなかったお化けみたいなのに突然追いかけられたらみんな疲れるに決まってると思う。緊張感半端なかったもんなぁ……後はフブキさんが、じゃぁ、式神さんでぴゅーんと行きますかぁ、って言った途端、光に包まれたと思ったら、よく分かんない定食屋さんの前にワープしていた事かな……いや、何でだよ!そう、そうツッコまずにはいられないかった。その瞬間理解してしまった。スバルは本当に、自分のセカイとは全く違うところに来ちゃったんだって。

 

「え、な……え⁉︎」

「フブキ! ミヤコに帰るって言ってたのに、何でまたここに」

「いやいやぁ、さすがに白上もヘトヘトだったからさぁ。ここで腹ごしらえがてら、少し休もうよ」

 

 そう言いつつフブキさんはそのお店の戸をガラリと開け、中に入っていった。ミオさんもため息を吐きながらその後に続いていくけど、これ、本当に入っていっていいのか? そう考えていると、お店の中から聴こえてきたのは明るい溌剌とした声。

 

「いらっしゃ、あ! フブキ姉にミオさん!」

 お店の外まで聞こえてくるその声に惹かれて、スバルもミオさんの後に続いていく。そうして見てみると、声の主、おそらくお店の店主であろうその子はその音に違わぬ可愛い女の子だった。やっぱりケモノ耳と、尻尾が九尾……九尾? い、いや、そこにはきっとツッコミ入れちゃいけない。またドツボに陥っちゃうよ。

 

「おいーす、きつねうどーん!」

 

 スバルの困惑をよそにフブキさんは当たり前のようにテーブルの前の丸い可愛らしい椅子に腰掛けて、ぐてーっとしながら声を上げた。その仕草にミオさんはまるで母ちゃんみたいに言う。

 

「もぅフブキ! お願いしますくらい言いなさいよ」

 石段の前で感じていた、ホームシックな気分を抱えていると、店長さんはコロコロと笑いながら「ははは、もうフブキ姉のこの感じには慣れちゃったんでいいですよ。ご無事で何よりでした。それより……」と、この子もすごく母ちゃんみがすごかった。やべぇ、スバル語彙力がなくなってるわ。どうにかしないと。

 

 そんなスバルに気付いてくれたミオさんはニコリとこっちを見ながら言った。

「あぁ、大空さん。遠慮せずに入ってきなよ」

「えっと、はい……」

 

 なんか色んな感情が混ぜこぜになって、今にもうわーって叫び出したくなってしまう気持ちをグッと抑えながら、出来る限り動揺を隠しながら重い足を引きずってお店の中に入っていった。

 お店の中は何だかロボ子先輩の部屋に似た、あったかい感じがした。それこそ本当に家に帰ってきたみたいな感覚を覚えたんだ。何だかフヨフヨとモニターみたいのが浮いて、メニューが照らし出されている気がするんだけど……ダメだ、もう盛り沢山すぎて頭がついていかない。

 

 するとテーブルにつかずにボンヤリと立っていたスバルに下の方から声が響く。

 

「わぁ、かっこいいお召し物ですね!」

 

 目線を下に向けると店長さんの笑顔。栗色のクリンとした柔らかそうな髪と同じような雰囲気も感じてしまう。

 

「いや、あはははは」

 だからか分からなかったけど、興味津々にこっちを見つめてくる彼女にスバルは何にも言えなくて、ついつい目線をそらしてしまった。ほんと、調子が出ねぇ。

 だからかもしれない。彼女の尋ねてきた一言に自分でも思ったよりも大きい声を上げて反応してしまったのは。

 

「もしかしてウツシヨの方ですか?」

 

 ほんと、なんか今日は振り回されてばっかりだ。



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PANACEA②

 お店の戸を開け放ったままっていうのもさすがに悪い気がして、スバルはその音のなる戸をゆっくりと閉めて、改めてお店の中を見やる。さっき感じた通り、優しい雰囲気って言ったらいいんだろうか。まるで琥珀色のようなほっこりした空気はそこには漂っている。そして目の前にはテーブルを囲むフブキさんとミオさんの姿。彼女たちの浮かべる笑顔から、ここは本当に落ち着ける場所なんだろうなって伝わってきた。

 スバルが辺りを観察する中、自分の問いかけの答えを待っているんだろう、店長さんがニコリとスバルに微笑みかける。

 

「ウツシヨ、って……」

 でもスバルにとって、彼女の問いかけに応える術がない。誤魔化すみたいに乾いた笑顔を浮かべていると、店長さんが助け舟を出してくれた。

 

「フブキ姉がよく遊んでるてれびげーむとか、読んでるまんがとかのあるところですよね?」

「テレビ……まんがぁ⁉︎」

 

 スバルの大声を出したせいで、店長さんは目を大きく見開いてビッックリしている。手で口を覆いながら、くぐもった「ごめん」を呟きながら、スバルは頭を下げた。その様子にニヨニヨと笑ったまま、フブキさんが言う。

 

「まぁスバルちゃん、座んなさいって。立ちっぱなしじゃ疲れるでしょ? それにさぁ~はよぉきつねうどんを作っておくれぇー。もうお腹もペコペコですよぉ」」

 

 フブキさんは自分の腰掛けた隣の椅子をポンポンと叩きながら、こちらに手招きしている。言葉の端にはうどんうどんって言ってるけど、余程好物なんだろうか。

 

「そうだよ。大空さんも疲れたでしょ?」

 ミオさんも同じようにスバルを手招きしてくれている。それに甘える形で、二人と同じテーブルについた。スバルにびっくりしていた店長さんも、ハハハと笑いながら小さな箱を手に取り、ミオさんに渡した。

 

「それ使ってください。なんだか、大変だったみたいですね」

「お、さすがだね。ではありがたく……」

 ミオさんはその箱の中を手早く開ける。スバルの座っているところからは中身全部は見えないけれど、手にした道具を見るにどうやら救急箱みたいなものなんだろう。異質なくらいに真っ白な包帯が、この優しい琥珀色の中では少し目に痛かった。

 

 ミオさんは手慣れた様子でフブキさんの傷を消毒しながら、包帯を巻いていく。

「イテテ、みおーん! もうちょうい優しくやってよ!」

「我慢しなさい! これでも丁寧にやっているつもりなんだから」

「うー、うちのみおーんは意地悪だヨォ」

 

 そのやり取りについついスバルは笑みを浮かべてしまう。見た目通りに可愛い人たちなんだなとか、本当に仲が良いんだなって思ってた最中、スバルの頭の片隅に変な映像が、スバルとフブキさんとミオさん、それにあの鬼の子が仲良く笑ってる絵が浮かんできた。何だろう……すごく大事なモノのような気がする。

 

「むむむ、どうしたのスバルちゃん?」

 

 少し難しい顔をしていたのか、スバルを心配するようにフブキさんが声をかけてくれる。

 

「いや、なんもないですけど」スバルはそう答えたけど、一度覚えた違和感はなかなか拭えるもんじゃない。

「なんか借りてきた猫って感じ。遠慮してますよーみたいな」

 

 フブキさん自身も何とも言えない面持ちのままミオさんに答えを求めるように視線を向ける。

「まぁ無理もないよ。いきなり訳のわからない場所に来ちゃったんだ。困惑するのは当然だけど……でもなんでだろね? うちもフブキの言う通りだって思うよ」

 

「だよね~なんかこう、もっとはっちゃけた感じって……あれ? なんでこんな事言ってるんだろう」

 ミオさんも、そうそう、と同意しながらやっぱり戸惑った表情を浮かべていた。

 スバル、知ってるよ。この感じ。

 

「それが自然な気がする、ってことですか?」自然とスバルの口からそう漏れていた。

「ん~そうなんだよ。実は最近よくそうゆうのがあってね。確かカクリヨではそんなのをデジャヴっていうんでしょ?」

 フブキさんはそう言ったけど、それは既視感じゃないってスバルに思えた。

 

 そうだ。間違いなく、ロボ子先輩と居た時に感じていた『この人たちの事、随分前から知っている』っていう確信に似た感覚だったんだ。

 

 

「デジャ……スバルにはよく分かんねぇっス」

 スバルはそう答えて、また乾いた笑いで誤魔化そうとする。内心その不可解な確信に頭をかき乱されていたけど。

 すると手当てを終えたのか、もう良いよと言ってミオさんがこっちに向く。フブキさんとスバルの言葉を反芻しているのだろう、少し難しい顔をしてこう答えた。

 

「ん~うちは……そうだね、大空さんは『ずっと会っていなかった友達』って気がするなぁ」

 

 初対面の人にこんなこと言うのも、馴れ馴れしいかもねと笑う彼女に、スバルはまた既視感を感じた。あぁ、ヤバい……どうしても出てきちまう。スバルが知らないはずの景色が、どうしても頭の中に浮かんできちまうよ。もうこればっかりが頭をグルグル回ってる。誰かに助けてもらいたいくらいだ。

 

 フブキさんはミオさんにお礼を言いながらミオさんの言葉に、確かにそうだね、と返していた。

「なんだかさ、あの時に似てるんだよ。ほら、前に……西の大剣が起きる少し前にさ、『そらちゃん』って子の話したじゃん?」

「それ!」

 

 フブキさんの言葉に思わずスバルの心臓が一気に早鐘を打った。

 

 まただ。またその名前だ。ロボ子先輩も言っていた、その『そら』って名前がスバルの中を掻き毟っていくような感覚を覚えていた。

 

「ん? スバルちゃんも『そらちゃん』のこと知ってるの? 白上は名前は思い出せても、それが誰だったか全然思い出せないんだけど」

 

 そう呟くフブキさん、そしてミオさんの表情はどこかスバルに似ていた。この人もきっと、この『そら』って名前に大切な何かを感じているんだろう。居心地の悪い沈黙がお店の中を支配していく。

 いやだ。この雰囲気……すごく嫌だ。

「あの! その『そらちゃん』って……」

 

「お、オオカミ様!」

 

 スバルが話を切り出そうとした瞬間、戸が引かれる音と共に焦りに染まった声がお店の中に響いた。

「オオカミ様……やはりコチラにおいででしたか」

 声の主は水色の袴と白衣を身に纏った、線の細い男性だった。肩で息をしていた彼だったけどミオさんを見つけた瞬間、安心したようにため息をもたす。その様子を見て、ミオさんは姿勢を正して答えた。

 

「どうされましたか……と聞く必要もないでしょうか」

 さっきまでの柔らかな表情が嘘みたいに、ミオさんの厳格な面持ちで男性に視線を向けていた。彼も学校の先生に指名された時の生徒みたく背をシャンとするけど、話す内容をまとめようと視線を右往左往させている。

 

「ミヤコの、カワラマチと……あとはデマチの方に何体も! 普通の術師では太刀打ちできません!」

 

 彼は息を荒げながら可能な限り簡潔に説明した。きっと急いで二人を探して色んなところを駆けずり回ってきたんだろう。焦っている理由が分からないスバルでも、その必死さは伝わってきた。

「はぁ、行くしかないか~ここから行くとなると……デマチが近いかなぁ」

「そんなに面倒くさがらないで。御役目はこなさなきゃさ」

 二人は立ち上がって伸びをしながらフブキさんは気怠そうに、ミオさんは本当に母ちゃんみたいに言葉を交わしている。スバルはどうしたらいいか正直分かんなくて、おしりと椅子がくっ付いちゃったみたいに動かなくなっていた。そんなスバルにミオさんが優しく微笑みかける。

 

「大空さんは、どうする? ここに残る?」

「スバルは……」

 改めて思う。何、戸惑ってばかりいてんだよって。

 確かにここにいた方が安全だ。それに二人に足手まといにもきっとならないだろう。でもさ、もうスバルの気持ちは決まってんだ。

 

「行きます……行かなきゃ、いけない気がするから」

 そうだ。ロボ子先輩に送り出された時からどうするかなんて決めてる。どんなことだ起こったって、前のめりに突っ込んでやるってもう決めていた。スバルも立ち上がって、出来る限り気を張って答えた。

 そして軽快に手を打ち鳴らし、フブキさんが続ける。

「うし、いいねぇ。んじゃ行きましょうか!」

 

 まるで、遊びにいく前の子どもみたいな笑顔で、そう続けたんだ。



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PANACEA③

 もういい加減、慣れちゃったかもしれない。

 お店を出てフブキさんの、「んじゃぴゅーんと行きますか」、の一言で、またスバルの視界はまた真っ白に包まれて、次に目を開けるとそこにはお店の周りとは全然違う、華やかな場所に出ていた。

 

「しかしデマチとカワラマチとは……またミヤコの真ん中の方に出てきましたなぁ」

 そこは大きな河沿いの繁華街だった。さっきのフブキさんの話からおそらくここがデマチって場所なんだと思う。ぼんぼりがほんのりと明かりが灯り、至る所から楽しそうな声が聞こえてきて、今がこの街の書き入れ時なんだろうって想像ができた。

 河はどうやら南北を縦にまっすぐと貫いている大きなものらしい。北の方に視線を向けると多分さっきまでスバルたちがいたであろう、お店のある山が見えた。ミオさんに聞いてみると間違ってないよって言っていたから、スバルの感覚も捨てたもんじゃない。

 

 スバルたちはそのまま川沿いを南に進んでいく。多分ここからは歩いて探すことになるんだろう。三人で連れ立って歩く中、ミオさんは辺りを見渡しながら言った。

 

「そうだね。正直あんまり良くない状況だよね。ミヤコに出る『ケガレ』って、力は弱くても数は多いからなぁ。それに至るところから気配がするから特定も難しいし」

 フブキさんはフムと頷きつつミオさんの言葉に考え込んでいた。

「オオエヤマの方では『ケガレ』の気配は最後の最後にしか感じなかった……」

 

 正直話に混じれないことに疎外感を覚えるけど、ミオさんの表情を見ると、何も知らない奴が変に首を突っ込んでいい話じゃないと思えた。

 

「多分あっちはナキリが全部処理してたから何もなかったんだよ……あぁ、ホント、ナキリには悪いことしたなぁ」

 ミオさんはしぶしぶ頷いた。

「やっぱり、戦う必要なんてなかったんだ。うちは本当にダメなやつだよ。もっと、うまくやらなきゃいけなかったって言うのにさ」

「それ言ったら白上も同罪ですよ。一人で抱え込んじゃだめだよ、ミオ?」

「でもあんなに怒らせてさ。どうしたら良いか分かんないよ」

 やっぱり難しそうな顔でフブキさんが言った。

「とりあえずさ、今は『ケガレ』をどうにかすることを考えようよ。それにすぐにまたナキリに会いにいくのも難しいって思うからさ。困ってる人がいるなら、まずは助ける。それが白上たちでしょ?」

 

 フブキさんはすぐにスバルに視線を向けて声に出さずに、ごめんね、と口を動かす。ちょっと生温い風が髪を揺らしていく。多分ここでしか聞けないと思ってスバルは尋ねた。

 

「あ、あの」

「ん、どしたん、スバルちゃん?」

「その、『ケガレ』ってなんすか?」

 多分これが一番大事で、一番知っておかないといけないことのはずだ。正直『ケガレ』っていうのが何なのか、想像は出来る。でもそれを目にするまでは明確に結論を出しちゃいけない気がして仕方がなかった。

 ちょうどデマチの三角州から、ずっと降って多分20分くらいは歩いた。デマチの方と違って、派手じゃないって言うか、歴史のある街並みが残る場所だなって思った。こんなにも繁華街と住宅街が近いってのも珍しいなぁなんて思っていると、ふと外灯も何もない通りが目に入った。

 

「『ケガレ』っていうのは……ッと!」

 フブキさんがちょうど言いかけたその瞬間、その暗がりから『何か』がスバルに手を伸ばしてきた。

 次の瞬間、キンと弾ける音と一緒に、鋭い風がスバルの髪を揺らした。スバルに迫っていた、見覚えのある『何か』を鋭利な切っ先が斬り裂いたんだ。

 

「説明不要! こいつらのことだ~よ!」

 そう言ってスバルと、通りからやってきた『何か』の間に割って入りながらフブキさんは刀をそれに向けた。

 

「コイツら……!」

 彼女に庇われながら、目を凝らしてそれを睨む。

 でもそんな必要なかった。ただ自分の想像通りだったんだと、スバルはそう思っていた。そしてそれをはっきりと認識するために、スバルは言葉にした。

「黒い、ヤツ……コイツが、そうだったんだ」

 

 その黒は自分の潜んだ暗闇よりも黒く、存在を露わにしていた。ジッと見ているとその像はハッキリとしてくる。一つじゃない、それこそ幾つもいる。それこそ路地を埋め尽くすくらいの黒いヤツらに、フブキさんは手を刀を横薙ぎに一気に駆けていく。黒の中を一気に斬り裂いていく白は、何だかマンガを読んでるみたいな気さえしてきた。

 

「びっくりするよね」

 スバルの隣でミオさんが呟いた。

 

「きっと大空さんはこんな物騒な事が日常茶飯事に起こっている所とは縁遠い所にいたんでしょ?」

 

 スバルはとなりでそう呟くミオさんに視線を向けた。でもミオさんはジッとフブキさんの様子を見守っている。様子がおかしくなればいつでも加勢に行くことがで出来るように拳を固めていた。

 

「確かに、そう……ですね」

 スバルはぼんやりと、家のことや自分を取り巻く状況のことを思い浮かべた。

 確かに、スバルの身の回りではこんな剣呑とした状況なんてほとんどなかった。時たまニュースから流れてくる凄惨な事件や、目を覆いたくなるくらいの国と国との戦いについてはもちろん知ってた。

 

 そう、『知ってた』だけだ。

 

 ずっと思ってた、そんな事は自分の身の回りには絶対起きるはずないって。心のどこかで『対岸の火事』だって、ずっとそう思ってた。正直、一番最初に黒いヤツに追いかけられた時だって、ロボ子先輩がスバルの目の前で黒い奴らを蹴飛ばしたあの時だって、スバルは映画やマンガを見ているような気がしてしょうがなかった。

 

 でも今、フブキさんが刀を揮って黒いヤツらを退けていくのを見て、同じ状況を一緒に見ている人がいて、初めてスバルはこれが自分の身に降りかかっていることなんだって実感できた。正直怖い。そうスバルの口からそう溢れた。

 

「当たり前だよ、うちも怖いよ。それにきっと、フブキだって怖いって思ってるよ」

 すぐには信じられなかった。でも、ミオさんの手の震えを見ればそれが少しずつ理解出来てきた。スバルは何て失礼なことを考えていたんだろう。そして何て愚かな勘違いをしていたんだろう。そもそも自分が危険にさらされているのに怖いって感情を抱かない人なんていない。もしそう思わないモノがいるとすれば、それはきっと感情のない無機質なモノだけだ。スバルはミオさんの横顔を見て思っていた、この人たちは本当に強い人たちなんだって。きっとそう思うまでにそんなに時間は掛からなかったはずだ。それこそ数分にも満たないくらいの時間。だけど、その時暗がりの中から声が響いた。

 

「これで、終わり!」

 フブキさんの声だった。路地を埋め尽くしていた『ケガレ』の群れは、スバルが見ていないうちに消え失せ、フブキさんが声と一緒に刀を振り下ろしたのを最後に、全部いなくなってしまった。スバルの隣にいたミオさんもホッとした表情を浮かべて、フブキさんの方に歩み寄り、労いの言葉をかけていた。スバルはと言うと、動くことが出来なかった。

 

 ただポロっと、こう言葉が漏れていた。

「すげぇ……」

 素直な感嘆の言葉だった。そんなスバルに刀を納めながらフブキさんがこっちにきて言った。

「さぁ、スバルちゃん。夜はまだまだこれからだよ。カワラマチまではまだまだ南に行かないといけないからさ。もう少しがんばろうか?」

 このセリフだけ聞くとひどくスパルタな気もする。でもついていくって言ったからには最後まで見届けないといけない。スバルに何が出来るのか、ハッキリ見極めないといけないんだ。

 

「はい、大丈夫です。怖いっすけど……多分大丈夫です」

 するとフブキさんが少しトーンを下げて声を出した。

「でも一個だけ、言っとかないといけないことがあったんだ。えっとね、絶対にさ、無理に白上たちの戦いに首を突っ込まなくて良いからね」

 

「それ、どうゆう意味?」

 早速の戦力外通告にガックリと肩を落としてしまうスバル。でもフブキさんは、あぁ勘違いしないで、とこう続けた。

 

「見てて分かったと思うけどさ、白上やミオ、それに『ケガレ』はスバルちゃんとは『違うモノ』だ。『違うモノ』同士だから白上たちは戦える。でも普通のヒトであるスバルちゃんは戦えない。白上たちもスバルちゃんに戦ってもらいたいとは思っていないよ」

 

 そう言って路地から身体を出し、グッとソラに向かってフブキさんは伸びをする。隣に走る河から吹いてくる風にその白い髪を揺らして彼女は続けた。

 

「白上は思うよ。スバルちゃんにしか出来ないことが絶対にあるって。だからさ、そんな顔しないで付き合ってほしいんだよね」

 

 なんて返せばいいんだろう。でも間違いなく『戦う』ってことだけはスバルの役目じゃないんだって分かった。

 じゃぁスバルがここに来た理由ってなんだ? 結局この夜は何にも分かんないまま時間だけが過ぎていったんだ。



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LOOKING GLASS①

 セカイと自分はまるで合わせ鏡みたいだって、なんかの本で読んだことがある。

 その言葉だけ聞いちゃうとさ、「何を気取ったこと言っちゃってんの?」だなんて、自分を知ってる人には言われちゃうんだろう。実際、スバルだってこんなことを言うタチのニンゲンではないって理解はしてるんだけどね。まあちょっとはかっこつけさせてよって言うのが本音のところなのである。あとこうゆう風にアンニュイな感じでスタートした方が、普段と違う……ギャップ? みたいなものがあって良いんじゃないかなって思ったわけだ。

 でも実際、自分の考え方とか心の持ちようで周りなんて随分と簡単に変わっていっちゃうよな。前向きになってみればポジティブな意見とか嬉しい発見が多くなるような気がするし、逆に後ろ向きなっちゃえば、本当に小さいこととかで落ち込んでそれが連鎖的に積み重なっていっちゃうような気がするんだ。

 だから気持ちって大事だよって言いたいんだけど、ゴメン。ここまで言っておいて何なんだけどさ、それだけじゃどうにもなんぇねことって絶対にあるよね。例えばそう……生まれ持った才能とか両親がどんなヒトかとか、考え出したら本当に色々などうしようもないモノってあると思うんだよね。

 それをどうにかしようって、ちょっとでも良くしていこうって思って行動することができれば、へこたれている現状よりも随分マシになっていく。そう思わない? スバルは間違いなくそう思っているんだ。だからちょっとでも前に、ちょっとで上を目指してとにかく出来ることをこないしていきたいって思っている。

 ここからのお話はそう、スバルは『ヤマト』に流れ着いてから少し経った頃のお話。何もかも慣れない日常だったけど、少しずつ肌に馴染んできて当たり前になってきていた。フブキさんのことを『フブキ先輩』って呼ぶようになった、ミオさんのことを『みおしゃ』って呼ぶようになった頃のお話だ。

 でもさ、呼び方が変わったからって何かが変化するモノでもないと思う。

 多分この頃のスバルはまだまだ『お客さん』って感じだった。

 まだ……ちゃんと仲間になることが出来ていなかったんだって、振り返ってみたらそう思うかな。

 

 

頭の上から容赦なく熱を浴びせかけてきていた太陽も、少しその勢いを弱め始めたころ。多分スバルがヤマトにやってきて一つの季節が終わったくらい時間が経ったと思う。いつまでも半袖だと寒そうだからなんて言ったミオしゃが、スバルにと袴を仕立ててくれたおかげで随分と過ごしやしくなっていた。ただこんな可愛らしい服、着たことなんてほとんどなかったから最初の頃はすごく動きにくかったんだけど、やっぱり慣れというものは恐ろしいモノで、知らないうちに順応してしまっていた。それとおんなじようにこの街ミヤコにも随分慣れた。

 スバルの目の前を忙しく動き回っているのは本当に様々なヒトたち。ミオしゃやフブキ先輩みたいにモフモフのケモノ耳と尻尾をしたヒトたちや、背中に翼を生やしたヒト、すげー巨大になっちゃうヒトや頭に角を生やしたヒトなんてのもいる。まあスバルにとっちゃ話す言葉とか肌の色の違いくらいにしか感じないから別にどうってことない。だって話してみればみんな何にも変わらない。

 個性、みたいなモンだろ。まあこうゆう性格が功を奏してっていたらいいのか、それともミオしゃやフブキ先輩のおかげって言っていいのか、本当に色んなヒトがスバルのことを気にかけてくれていた。

 

 例えばさ、「すばるー、おあよー!」って、こうゆう声だ。

 

 ちょうど今スバルたちは朝一番に発生した『ケガレ』を退治した帰りの途上だった。

 歩いているのはミヤコでも一番大きな通り。まっすぐに視線を上げると、『大神木』ってみんなが呼んでいるすげーデカい木……なのかな、それがとっても綺麗に見える通りだ。朝の時間帯ともなると学校に行くヒトや仕事に向かうヒトたちでごった返している。そんな中でもスバルたちの姿を見とめた大人のヒトたちは必ず何か一声をかけてくれる。まあミオしゃやフブキ先輩が有名だからっていうのもあるんだろうけど、みんながみんな笑顔を向けて話しかけてくれるっていうのは、この二人のひととなりがあるからこそだろう。

 

 で、スバルはというと……「おはよー」なんか子どもばっかりがすごい集まってくるようになっていた。

「呼び捨てにすんな! スバルちゃんかスバルさんか、あとはスバル姉ちゃんってって呼べよ! 一応スバルの方がお前らよりもお姉さんなんだからな?」

 

 今スバルの周りに集まっているのは多分小学生くらいの年齢の子どもたちだ。

 多分っていうのは前にミオしゃが「ヤマトっていうか、このセカイに住んでるヒトって、見た目と実年齢が噛み合っていないことが多いんだよねぇ」って言っていたから。この子たちは立ち振る舞いからして、子どもで間違いないと思う。そんな可愛くも憎たらしいヤツらはスバルの言った言葉に明からさまに戯ける様子を見せながらこう続ける。

 

「そんなんいったってなぁ」

「すばるはすばるだもんなぁ」

 おいぃぃ! なんだよ、スバルはスバルだもんって。あぁ、でも待てスバル。ここでいつもの調子で怒って見せるからコイツらも面白がるんだ。ここは落ち着いて、冷静な大人ってところを見せてやらないと。

 

「お前らぁ!」という声とともに、スバルは腕を振り上げていた。

 

 うん、全然我慢できませんでした。別に振り上げた手で何かをするわけではないけど、こうしてみた方が怒ってんだぞっていうのが身体全体で表すことが出来てると思うんだけど、逆にこれが良くなかったみたいだ。

「怒ると母ちゃんみてぇだ!」

「みたいだぁ!」

「スバルはまだ母ちゃんて年じゃねよ! リスぅぅぅ! オウガぁぁぁ! このやろぉ!」

 

 こんな感じでいっつもからかわれんだよなぁ。まぁ飽きないからいいんだけど。



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LOOKING GLASS②

 この齧歯類みたいなヒト懐っこい感じの女の子とこの角生やした緑色の服着た男の子を筆頭に、こんな調子で、通学鞄を背負った子どもたちに囲まれるて揉みくちゃにされていたスバル。

 そんなスバルは、少し離れて状況を見守っていたミオしゃの「もうそれくらいにしときなさいね」という声が聞こえた時には、女神様に助けられたような気がした。

 もちろん子どもたちも素直に従っていく様子は、まるで海を割った聖人の言葉のよう。少し大袈裟だったかもしれないけど、そんな心持ちだった。でもスバルの言葉とミオしゃの言葉でこんなに違うっていうのは納得できねぇ。

 

「ほらみんな! 早く行かないと遅れちゃうよ?」

 スバルもよく母ちゃんにそんなこと言われてたっけ。ミオしゃがそう言うと、子どもたちは元気に返事をして、こっちに手を振りながら足早に駆けていった。

 

「お疲れさま、スバル」

 そして労いの一言だ。なんでこんなに母性にあふれてんだろうかなんて考えつつ、スバルはニカっと笑みを浮かべた。

「いやあ、アイツら可愛いから別に疲れてないよ」

「それでもすっかり馴染んじゃったね」

「だねぇ。さすがスバルちゃん」

「いやいや、みんなスバルを面白がってるだけっすよ」

 

 まあオモチャにされてるような気がしないでもないけどと言いかけて、スバルはアイツらの走って行った方を見た。仲良くしてもらえてるだけでありがたいかな。

 

「どれくらいだったっけ?」

 不意にフブキ先輩が尋ねてきた。

「そうだね。スバルがヤマトに来て、丸3ヶ月ってとこかな。なんかあっという間だね」

 なんだ、スバルのことか。ビックリするじゃん。

 

「なんだか最近一日が短く感じるよ。それになんだか……」

「笑顔がふえた?」

「そうそう。フブキとスバルと一緒にいると、笑ってない時間の方が少ないよ」

「ヤマトの神子様も首っ丈ですなぁ」

「いやいや、それはフブキもでしょ?」

 

 この調子でニヤニヤと話を続けるミオしゃとフブキ先輩。絶対にスバルのことをからかってんだろうなと思ったけど、悪い気がしないっていうのも事実。

「ちょ、なんか小っ恥ずかしいなぁ」

 そんなことを言いながら、顔から火が出るくらいに恥ずかしかった。スバルは顔を俯きながら二人の少し前を歩いて、そのまま会話に耳を傾ける。

 

「でも正直三ヶ月前までは何もかもに必死で、笑う余裕なんてなかったもんね」

「ん~確かに。まあ白上たちは今、スバルちゃんがいるから笑顔になれてる。それでいいじゃないかぁ」

 

 だからそんな歯の浮くようなセリフ、本当に恥ずかしいからやめてくれよって心の中で思っていると自然と歩く足は速くなっていく。同時に感じたのは居心地の悪さと慣れたはずのこの袴の纏わりつく感じだ。

 

「……それもそうか」

 

 そしてミオしゃも噛み締めるみたいにそう呟くのが聞こえた。二人とも揶揄ってんのか? 普段と違う二人にドキマギしていると自然と足が止まってしまう。毛穴から一気に汗が噴き出すような嫌な感覚。それを見たフブキ先輩は「ゴメンゴメン。でも本心だからね」ってスバルの肩に手を置きながら謝ってくる。すると途端にフブキ先輩の声色が変わる。

 

「それとさ、ケガレの事だけど……白上たち、かなーり足元を疎かにしてた感じするんだよね」

 

 突然発せられた真剣な音に肩がビクリと跳ねる。数歩後ろを歩いていたミオしゃもスバルたちの横に並んでこう返した。

 

「うちも話そうと思ってたんだ。さすがフブキ。気づいてくれてて安心したよ。とりあえずうちのシキガミを放っておいたから、すぐに状況は掴めると思うけど……」

「ああ、みおーんもやってくれてたの? 実は白上も眷族さんたちにお願いしてあったんだよね」

 

 それなら話が早いと二人はまたコロコロと笑って歩き出す。一体なんのこと言ってんのかわかってないスバルだったけど、後ろからスバル先輩が押してくるから進むしかなかった。

 

「とりあえず今晩にでも、ちゃんと時間とって話しよっか」

 

 どうにもまだまだスバルは二人の事、理解できてないみたいだ。

 

 

 

 

 昼は賑やかなミヤコも夜に、そして裏道ともなればそこは『ケガレ』の楽園みたくなる。鞘に納めた刀を構え、駆けていくフブキ先輩が鋭く言い放つ。

 

「ーーーそこ!」

 

 全部を追う事は出来なかったけど斬り裂かれた『ケガレ』を見れば縦と横に二度、刀が振るわれたんだと思う。フブキ先輩はそれでも止まらず、返す刀でさらに奥で蠢く『ケガレ』に斬りかかる。この速さだけは何回見ても全然慣れる事はない。本当に笑っちゃうくらいに住んでるセカイが違うと思えた。

 でもフブキ先輩の刀だけでは、全てを捉える事は難しいみたいだ。彼女の繰り出す銀の軌跡をすり抜け、小さな『ケガレ』が一体、スバルたちに向かって突出してくる。

 

「ッ! スバル、避けて!」

 

 ミオしゃの叫びに、おう、と一声。右に身体を逸らすと、行き場を失った『ケガレ』は声は発さないけど明らかに動揺した動きを見せた。

 

「こっちは大丈夫! 行け、ミオしゃ!」

「ーーーっけえ!」

 

 そこにミオしゃの爪が弧を描き、見舞われる。ただの爪じゃない、炎を纏ったそれは衝突の瞬間に眩い光を放ち、あっという間に『ケガレ』を燃やし尽くしていく。

 その様子を見て思わず「さすがにこれは、怖いな」って言葉がこぼれた。おっと、こんなの聞かれたらさすがに怒られちゃう。

 

「はぁ? そんな風に言う?」

 

 案の定スバルの声はミオしゃに届いちゃったみたい。でも引っ込みがつかないからスバルは言った。

 

「ミオしゃ、やっぱ容赦ねぇなって」

「だからヒトを見境ないみたいに言うなぁ!」

 

 そうは言ってみたけど、後ろにミオしゃがいなきゃスバルは間違いなく『ケガレ』に襲われていただろうって思う。今朝の意趣返しをしたつもりだったけど少しバツが悪くなっちゃったので、すぐにごめんって謝ったのは言わなくてもきっと分かってもらえると思う。

 ここ最近はずっとこんな調子で『ケガレバライ』にスバルも同行している。と言っても、スバルが出来ることなって、現れた『ケガレ』の数を数えたりとか、二人の死角から迫るのを注意してあげることくらいしか出来ないんだけど。

 それでも「見ておいてくれるヒトがいるってだけで全然違うんだよ」と言うのがフブキ先輩の言。スバルに気を使ってのものだとは思うけど、ちょっとでも役に立ててるんなら……まあいいか。

「よし、おつとめ終了!」

 

 少し考え事をしていたからだろうか。いつの間にかフブキ先輩は最後の『ケガレ』を斬り伏せ、刀を鞘に戻していた。小さく鳴った鍔の音が戦いを終えた合図みたく聞こえた。

 

「あちゃ~もうガタが来たかなぁ。此間手入れしてもらったばっかりなのに」

「まあここのところおつとめ多いししょうがないよ」

「でも本当に戦いやすくなった~」

「うん、やっぱりやりやすくなったね。『ケガレ』みたいな群体とやり合うは骨が折れるから俯瞰して見れるヒトがいると全然違うよね」

「そう言うわけで、今日もあんがとね。スバルちゃん」

 

 さっきの苦い顔はどこに行ったってツッコんでやりたかったけど悪い気はしない。

 

「んなこと言ったってなんも出ねっすよ」

 

 でも今朝みたく真っ赤になる顔を見られたくなくてスバルはスッと顔を逸らしたけど、それが良くなかったんだろう。ニヤニヤと笑みを浮かべながらフブキ先輩がスバルの方を覗き込む。

 

「ふふふ~ういヤツよノォ」

 

 どこかの悪代官かよ! 思わず声を上げそうになるのをグッと抑えて尋ねることにした。

 

「で、今朝言ってた話さないといけないって言ってたことってなんですか?」

 

 スバルがそう言うと、フブキ先輩は表情を変える。今まで見たことのない、神妙な顔で左手を自分の頬にあて、どう話をしようかと思案している様子で虚空を見つめていた。



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LOOKING GLASS③

 少し考え込んだ後、フブキ先輩は絞り出すように話し始めた。

「あぁ、実はね……」

 

 慎重に、道筋を間違わないように言葉を選ぶフブキ先輩。ミオしゃは彼女が何を話したいかはもう分かってるんだろう、彼女の言葉に肯いている。彼女は険しい表情のまま通りの北を指差し、こう言葉を結んだ。

 

「『ケガレ』が溢れ出ている場所はここから少し北、聖域だったはずの場所」

 

 フブキ先輩のゆびさした方向を見た。

「それってアタゴヤマ? メチャクチャ近いじゃん!」

 

 山々に囲まれたミヤコの中で一番クッキリとその様子を見せる山。ヤマトに住むヒトたちの中では、ミヤコの大神木に次いで信仰を集めている場所だって聞いたことがある。

 

「そこになんで『ケガレ』が?」

「うちも正直それが不思議だったんだ。でも、少し考えれば分かることだったなって、正直後悔しているよ」

 

 なんで少し考えれば分かることなんだろう。ミオしゃの言葉に面くらっていると、難しい顔をしたままのフブキ先輩が助け舟を出してくれた。 

「前にも言ったけど、『ケガレ』っていうのは言い伝えや悪い噂、生きているモノの悪感情がカタチを為すものなんだけど、当然生き物がたくさんいるところには出やすいっていうのは、分かってるよね?」

 

 ヤマトに来てからのことを思い出していた。ケガレと遭遇するのはいつもヒトの多い場所から少し外れた裏道とかだった。逆にあんまりヒトのいないところには現れにくいって体感があった。スバルは頷いた。

 

「だからミヤコにはたくさんの『ケガレ』が出てきちゃうって話ですよね?」

 ミオしゃはフブキ先輩に代わってそのまま続ける。

「うちらはてっきり、ミヤコの中に『ケガレ』の本体みたいなのがあるって思ってたんだ。ミヤコの瘴気が濃すぎるから見つからないってそう思ってた。でも実際はそうじゃなかった。禍いを避けるイワレを持つはずのあそこが、アタゴヤマがそんな風なっちゃってたなんて」

 ミオしゃの顔は曇ったまま、でもハッキリとそう言った。

 

 ヒトからの信仰には色んな種類がある。

 そもそもアタゴヤマのイワレっていうのは火を防ぐものだった。それが八年前に西の大陸で『大剣』が起きてから、『ケガレ』が現れ始めてからは少し意味合いが変わってきたらしい。

 

 それこそ、『何もかもから守ってくれ、自分だけでもいいから守ってくれ』っていう思い集まり始めたんだ。

 

「本来アタゴヤマは清浄な場所なんだ。でも……」

「色んなモノが禍いを、『ケガレ』を不安に思う気持ちを受けすぎて、反転してしまった……って考えるのが自然なのかもって、うちは思うな」

 二人は深くため息をついた。それは、どんな思いでも度を越したらいけないってことを示しているのかもしれない。

 スバルは本当に何にも言えなくなっていた。だって、アタゴヤマみたいな信仰の対象がそうなっちゃうって事は、ヤマトを守るミオしゃやフブキ先輩もそうなっちゃう可能性があるって事なんじゃないだろうか。

 

 そう思うと本当に怖かった。怖くて仕方がなかったんだ。でも結局のところ、スバルたちが認識しなければいけない事実は一つだ。

 

「考えもしていなかったところに、『ケガレ』を束ねるものがあったってこと……か」

 

 そして当たり前のことだけど、そこが『ケガレ』の大元ってわけではない。

 

 『ケガレ』は決して消えない。ヒトが、生き物が生き続けている限り、それが消えることなんて、絶対にないんだ。

 

 それにどう折り合いをつけていくかが大事なんだって、飲み込めたのは随分後になってからだったけど。

 スバルの投げた言葉に受取り手はいない。ミオしゃもフブキ先輩も同じように困った顔を見せていた。

 

「でも分かったんなら早く行かないと……」

 てっきり二人もスバルと同じことを考えてくれていると思っていた。でも実際はそうじゃないみたい。フブキ先輩は苦い顔のまま首を横に振る。

「それがそうもいかないんだよね」

 悔しそうな声が漏れた。それと同時にスバルにも、フブキ先輩が何を言おうとしているかうっすら分かってきた。

「眷属さんたちにさ、アタゴヤマの様子を見に行ってもらったんだ」

 身体がブルブルと震える。嫌な汗が止まらない。

 

「実はアタゴヤマに目星をつけたのはここ数日の話じゃないんだ。念には念をと思ってちゃんと情報収集をしようと思って色んな角度から調べてた。それで最後、御山の本殿の調査で結構たくさんの眷属さんたちにお願いして見に行ってもらったんだ。でもさ、どの眷属さんも帰ってこなかった……うぅん、『そのままの姿』では帰ってこなかったって言ったほうが正しいかもしれない」

 

「待ってよ、フブキ先輩……それって!」

「うん、眷属さんたち『ケガレ』になって帰ってきた。さっき祓ったのの中にもいた、ね」

 

 もしかしたらって思ってた。

 いつもなら、『ケガレ』を察知すればすぐにでも駆けつける二人が、これだけ動くことを渋っている。それだけ何か重大なことがあるんだとは想像していたけど、今回ばっかりはスバルの斜め上をいっていた。それに目の前で斬り捨てたのが自分の眷属だって分かってたんなら、フブキ先輩の心の中は今どんな感情が渦巻いてるんだろう。

 きっと、スバルには分からないし、分かったふりなんで出来ない。

 

 必死に頭を働かせてこれからのことを想像してみるけど、出てくるのはマイナスなイメージばっかり。それに拍車をかけるみたいにまたフブキ先輩が、あとさ、と低い声で続けた。

 

「今の白上たちじゃきっと、アタゴヤマに在る『ケガレ』には敵わないと思う」

「……え?」

「言葉の通り。多分今のままじゃ負けるよ」

 

 フブキ先輩は、「ミオも分かってるでしょ?」とスバルの後ろの方で様子を見守っていたミオしゃに話を振る。その言葉にはちょっとでも冗談が混じってんだろう、なんて淡い想像を抱きながらミオしゃに振り向くけど、やっぱりミオしゃも同じ。フブキ先輩と同じ表情をしていた。

 

「そ、そんな事ないよね? なぁ、ミオしゃ?」

 藁にもすがるっていうのはこういう気持ちを言うんだろう。でもスバルの気持ちは届かない。

「フブキの言う通りだよ」

 辿々しく、ミオしゃは続けた。

「うちの式神にも様子を見に行ってもらったんだ。幸いうちの子たちは無事に帰ってきたけど、あそこにある『ケガレ』はこれまでの比じゃない。多分うちとフブキが一斉にかかっても、よくて封じる事が出来るか……」

 最後の最後に言葉を濁す。きっと口にした言葉ほどの自信はないのだろう。

「ま、じか……」

 目を丸くしてスバルはミオしゃを見やった。今までにないくらいに頼りない姿に、スバルは言葉を失いかけていた。

「まぁむざむざ負けに行くつもりはありませんけどね!」

「ちょっとでも無事に帰ってこれるように準備してみるよ。幸いアイツらに効きそうな呪と、その媒介が編めそうだから」

 マンガで見たような蛮勇じゃない、それだけは確実にやってやるんだって、二人の表情は決意に満ちていた。

 だから、ちょっとでもスバルにも何かできたらって思ったんだ。戦うことのできないスバルだけど、何か二人の助けになることができないかってそう思った。

 

 その時だった。「……あの子は」頭の片隅に、あの子の顔が浮かんだのは。

 

「ん、どしたんスバルちゃん?」

「スバル?」

 心配そうにこっちを見つめる二人に、意を決してスバルは提案したんだ。

「あの『ナキリ』って子は頼れないんすか?」

 でも二人の顔は曇ったままだったけど。

 

「あぁ、やっぱ……そう考えつくよね」

「……」

 裏路地かた出て行って、フブキ先輩は困ったような顔を見せた。ミオしゃは悲しそうに顔を伏せている。二人の反応に戸惑いながら尋ねた。

 

「リスとか、オウガとか……それに街の人たちも言ってました。あのナキリって子、めちゃくちゃ強いんすよね? だったらあの子が手を貸してくれたら、負ける確率って減るんじゃないですか?」

 

 その言葉の通り、よく遊んでくれる子どもたちからも、そして街の人たちからも『ナキリ』の事は聞かされていた。普段はヒトの間には姿を見せる事はないけれど、もしもの時は助けてくれる鬼だと、とても優しい鬼なんだとみんなが言ってた。以前ミヤコで起こった神隠し事件の際に、フブキ先輩とミオしゃと戦うことになったらしいんだけど、二人を余裕で捌いて見せたんだとかと言うのも聞いたことがある。

 

 それに前に、ヤマトに初めて来た時、あの境内にいたあの子のことを思い出すと……きっとこっちの願いを無碍にはしないだろって、そう思えるんだ。これも、『そんな気がする』ってだけだけど。

 

「ん~どう思うかね、みおーん?」

 フブキ先輩は難しそうに表情を歪めてミオしゃに話を振った。

「うちは……実はさ、あれから何回も会いに行ったんだ。でもナキリは姿すら見せてくれなかった。それこそ本当に呆れられてるんじゃないかって思っちゃうくらいだったよ」

 努めて笑顔を作って話そうとはしていたけど、言葉尻はどこか寂しそうに聞こえる。時たまミヤコからミオしゃがどこかに出かけているのは気付いていたけど、オオエヤマに行ってたっていうのには知らなかった。それこそ数え切れないくらいに足を運んだんだろう。ミオしゃの潤んだ瞳を見れば、そう考え至るのは簡単だった。

「でも、このままじゃ……」

 みんな、無事に帰ってくることが出来ないって、その言葉が口をつきそうになるのを必死に抑えた。これを言ってしまったら、もっとミオしゃを傷つけることになっちゃう。それだけはどうしても避けたかった。

 フブキ先輩はスバルとミオしゃを交互に見た。そして何度目かになる深いため息をついた。

「とりあえずさ、一旦あの子のことは置いといてさ何か策を考えてみるよ。みおーんはさっき言ってた媒介の件、お願いね」

 ミオしゃは返事はせずこくんと頷いて、一足先にミヤコの社に向かって歩き始めていた。なんだか途中で無理やり話を終わらされた気がして仕方がない。今のままじゃ『ナキリ』に協力を仰ぐのは難しいって言うのは分かったけど、でも何もしないまま諦めちゃっていいのか? スバルにはそう思う事は出来なかった。

 

 なら、スバルがやる事は一つだけだ。決意を固めて、なら動くときは? と頭の中で作戦を練る。でもそんなスバルの考えはどうやらバレバレだったみたいだ。

 

「スバルちゃん」

「なんすか?」

 

 そう。このヒトにはきっと何も隠せないと思う。三人で一番後ろを歩いていたフブキ先輩が声をかけてくる。振り返り足を止めてしまったからだろう。ミオしゃとは距離ができて、声をはらないと細かくは聞こえないくらい。それで慎重に小声で、彼女は「くれぐれも言っておくけどね」と前置きして、グッとスバルに顔を寄せてこう続けた。

 

「勝手に動いちゃダメだよ?」

 

 同時にスバルの肩にフブキ先輩の手が置かれる。直接的な言葉ではなかったけれど、声と雰囲気で伝わってきたよ。『勝手にナキリのところに行くな』ってさ。さすがにこの瞬間だけはすごく怖くてさ、さっきのミオしゃみたいに、スバルも頷くだけしかできなかった。戦いのことなんだ、二人に任せときゃいいって、その時だけはそう言い聞かせたんだけどさ……やっぱ無理だ。

 

 

 

 それから少しだけ時間が経った頃。もう少しで日の光にお月様が負けちゃうであろう時間。それはまだ街が、住んでいるヒトビトが動き始める前の時間帯だ。

 ヒト通りのない大路に一人、スバルは遠くて形すら見えないオオエヤマの方角に視線を送る。

 

「行くしかねぇよ……スバルが、行くしかねぇ」

 

 そうだ。やらなきゃいけない。きっとスバルが……これをやらなきゃいけないんだ。



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Shut up And explode①

 『綺麗な薔薇には棘がある』って言葉。

 もうしつこいくらいに使い古された言葉、小説や映画、アニメや漫画とか、様々な創作物にお決まりになっているセリフの一つじゃないかな。

 

 正直スバルにはこの言い回しにうんざりしていたところがある。

 それを有難がってみんな使ってさ、思考停止しちゃってんじゃないかな。それってスゴくつまらないことだって思ったりもしてるんだよね。どんな時でも目新しいツッコミを、新しい言い回しを! って言うのを模索している……なんだ、スバルは芸人か何かか? まあ常にそう考えてんだよって事を考えてんだよってことだけ分かっておいてよ。

 

 存外にヒトってモノは咄嗟の出来事に出会ってしまうと普段から考えていることとか、普段からやっていることしか出来ないものらしい。考えてみれば、どんな状況にでも対応できるように、様々なケースを想定して、訓練をするもんなんだよな。部活とかでもどんな姿勢でタックルされてもいいようにとかを考えながら実践練習をしていたもんな。

 

 ヤマトに来てからのスバルにとっては全てが目新しいもので、全てが初めてのことばっかりだった。でも周りにいたみんながスバルに優しくしてくれたから、どうにかやってこれたんじゃないかなって思うよ。

 

 でもここから先は違う。ここからは本当に全く知らないとこなんだ。

 そしてスバルは実感することになる。その子を見て、あれだけチープだとか、芸がないとか言い続けてきていた言葉が、本当にその通りなんだって実感することになるんだ。

 

 『綺麗な薔薇には棘がある』

 だからこそ、触れる時は細心の注意をはらえよってさ。

 

 

 holoearth chronicles ALT 異伝ヤマト騒乱記

 episode 9: Shut up and explode

 

 

 

「ぐへ~! やっぱ慣れねぇなぁ」

 少しふらつく足元に悪態を吐きながら、スバルは周囲を確認する。視界を埋め尽くしているのは鬱蒼とした森、どこまでも森が広がっている。

 

「なんかミヤコの雰囲気と全然違うな」

 一番最初に抱いた感想はそれ。自然の中に分け入ると気持ちが落ち着くって言ってるヒトの気持ち、なんだか分かった気がするよ。なんて言うか、癒し成分が出てるみたいな……何言ってんだ、こんな時に現実逃避してるんじゃないよ。でもそんな中でもはっきりとこう感じたんだ。

 

「こっちの方が綺麗な感じがする……」

 

 ミヤコだって十分に綺麗だ。自然とヒトの営みが共存していて、住み心地がスゴく良いって思う。でもここは、オオエヤマは清浄なモノを感じた。触れちゃいけないモノみたいに感じた。その瞬間に頭を過ぎったんだ。気圧されてるって、この空気感にいつもの感じでいられなくなってるって。

 ヤマトにやってきて初めて訪れた場所を、降ってきた石段を眺めながら言葉を失っていると、クイと袴が引っ張られる。

 

「……あぁ、ごめん。ありがと」

 視線を下に向けると、そこにはミオしゃのシキガミ。ヤマトに来た頃に『何があっても身を守れるように』ってことで貸してもらってるヤツだ。コイツのおかげでミヤコから遠く離れたオオエヤマにも苦もなく来ることが出来たからスゴくありがたい。ただ、船酔いみたいになるこの感じさえどうにかなれば完璧なんだけど。

 でもコイツの顔を見たら少しだけ気が紛れたよ。

 

「とりあえず登ってみるか」

 石段の最初の一歩の足をかける。どうなるかなんて分かったもんじゃないけど、踏み出さないと何にも進まないってことだけは、ハッキリと分かっていた。

 

 ゆっくりと、ゆっくりとした歩みで石段を登っていく。遠くに見える山門の厳かさで、そこからが『聖域』みたいなモノなんだって、はっきりと示してくる。

 

 『お前は此処に来るべきじゃない』

 

 そう言われてる気がしてしょうがなかった。

 

「んなの、無理かどうかはスバルが決めんだよ」

 弱気になってくる気持ちを飲み込んで、キッと山門を睨んだ。白みゆく空に、黒々とした山門がくっきりと存在を露わにしている。

 

 そして一緒に見えてきたのは、山門の色によく似た黒い巨体。その厳しい立ち姿はまるで鎧兜を身に纏った武者みたいだった。

 

「なんだろ。なんで、動こうとしないんだ?」

 それが視界に入った瞬間、スバル一巻の終わり! もうおしまいだって覚悟したけど、鎧兜は何もしてこない。それどころかこちらを一瞥しすぐに山門の奥の方へとその身を隠してしまった。

 

「こえぇ! なんだよ、全く……」

 その後ろ姿を見送るスバルの口からこぼれたのはそんな一言だった。こんな自分の状況に、少し余裕があるのかって思ってしまう。あぁスバル、意外に大丈夫じゃん。ニヤつく口元を制しながら、数分も満たない内に石段を登りきった。

 

 視界に入ってきた境内には二つの影。

 一つはさっきの鎧兜。こっちをじろりと見つめながら微動だにしない。

 そしてもう一つの影は「何をしにきた」キッパリと、よく通る涼やかな声でそう言った。

 

 可愛い女の子だった。白んでいく空に似た、綺麗な髪をした小さな女の子だった。

 

「えっと、ナキリさん?」

 辿々しい言葉でそう話しかけていた。彼女の赤い瞳にジッと見つめられると、どう話していいか分かんなくなっていた。自分でも分かるくらいに言葉が覚束なくなってしまう。

 

 そんなスバルの戸惑いなど気にもしない様子でナキリは冷淡に呟く。

 

「ニンゲン様よ、余の質問に答えろ」

「あぁ、うん」

「一人で何をしにきた?」

「えっと、スバルは……」

 ナキリの視線に怯む。でも、折角聞いてくれてるんだ。チャンスじゃないか。

 

「フブキ先輩とミオしゃを助けて欲しいんだ」

 

 出来る限り簡潔に話す。でもナキリは厳しい表情をしたままだ。

 

「ヤマトで一番大きい『ケガレ』を見つけたんだ。でも三人だけじゃ……だから!」

 

 ナキリは深くため息をついた。

 

「知らん」

 

 冷淡な物言いに怖さを感じた。なんでこんなにもキッパリと言い捨てることができるんだろう。でもそれだけで引き下がる訳にはいかない。

 

「そ、そんな簡単に言うなよ!」

「そんなん知らん! 自分たちの了見に余のあり方を当て嵌めるな。余が為すべきことはアタゴを、此処に住むモノたちを守ることだけだ」

「そ……それじゃ他のヒトたちは知らんぷりかよ? そんなヤツじゃないって、ナキリはそんなヒドいヤツじゃないってみんな言ってた! ミヤコから連れ去られた子どものために頑張ってくれたんだって、みんな言ってたぞ!」

 一瞬キツイ視線が揺らいだ。ナキリが優しいヤツだっていうのはミヤコの子どもたちから聞かされていた。一気にまくしたてようしたけど、すぐにナキリはこう返した。

 

「元来ミヤコを、ヤマトを守ることは神子であるミ……オオカミたちの役割だ」

「だから役割とかそんなんじゃ!」

「それにこの間の件、余はまだ許してないぞ」

「謝りにきたミオしゃに姿も見せなかったくせに何言ってんだ!」

 

 その瞬間、悲しそうなミオしゃの顔が頭に浮かんでいた。だから声を荒げずにはいられなかったんだけど、ナキリはさらに怒りを表に出しながらこう言い放った。

 

「それでも、何度でも来ることこそが誠意だろう? それを今度はニンゲン様を寄越した。ヒトを馬鹿にしているにも程がある!」

「それはスバルが勝手にーーーッ!」

 

 その時、スバルの頭で火花が飛んだ。自分の考えのなさのせいで二人が卑下されるのが我慢ならなかったからだ。それと同時に別の考えが頭に浮かんでいた。きっとナキリはそう言って、スバルを怒らせたいんだろう。でも、ナキリに立場になってみればそう思うのは当然なんだ。だからスバルは、こっちから出来ることはこれしかないんだ。

 

「なぁ、頼むよ……」

 深く頭を下げて、続ける。

「スバルじゃ、なんも出来ねぇんだ。助けてあげられないんだ。なんも力もないから!」

 くぐもった声はナキリに届いただろうか。

「ミオしゃにも、フブキ先輩にも何もしてあげられないから……だから!」

「分かったよ……」

 確かに言葉が届いていた。嬉しさに下げていた顔を上げて彼女を見た次の瞬間、スバルの想像とは違う考えが浮かんでいた。

 

 ナキリは楽しそうな笑みを浮かべていた。そして腰に下げた一方の刀を抜き去り、スバルに向けた。

「その覚悟が本物であると、このナキリに見せてみろ!」

 

 向けられた切っ先の意味がすぐには理解出来ず、スバルはそのナキリの瞳と刀の切っ先を交互に見つめて、そして理解したんだ。

 

 あぁ、単純だ。ナキリが今ハッキリと言ったじゃないか。

 何も出来ないなんて言い訳だ。願いを持つなら、それ相応の覚悟があるって、それを示せってことだったんだ。



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Shut up And explode②

 白む空の下で、銀の軌跡が奔る。

 スバルは息を荒げながら必死にその軌跡を下に、横に避け続けた。いや、避けることが出来るように手を抜いてもらっている。

 

 これまでミオしゃの、フブキ先輩の戦う姿を嫌になるくらいに見続けてきた。それでどっちもスバルとは全然違う、スバルの常識の外の力を持った存在だって充分に理解してしていたけど、でも目の前の、この鬼の女の子はその更に上を簡単に飛び越えていた。

 

「どうしろってんだ!」

 声を荒げて誰に向けた訳でもない言葉が放り出す。文句ではなく、自分を鼓舞するためのその言葉。この先にどんな結末が待っているか分かんないけど、とにかく目の前に迫る狂気を避け続けるしかなかった。

 

 でも一息ごとに身体をは疲弊し、集中力は欠け始めていた。

「いッ!」

 布の裂ける鈍い音が耳に届いた瞬間、右足の脛のあたりがじんわりと熱くなっていく。目を向けなくても分かる。斬られた。擦り傷程度のものなのかもしれないけど、そう認識した途端頭を色んな感情が過ぎる。

 

 『怖い』

 『逃げたい』

 『誰か、助けてくれ』

 

 でもその感情を受け入れるのは簡単なんだ。逃げ道を作って、やらな言い訳をするのは簡単なんだよ。頭を過った弱気を拭い去るために、スバルはキュッと唇を結んで踊るように刀を振るうナキリを改めて見やった。

 

「なんだ、貴様も口だけなのか? それでよく、大見栄をきったな。ニンゲン様よ!」

 

 相変わらず、容赦のない言葉をぶつけてくるナキリ。

 

「それじゃ余には指一本も触れられないよ。どうする、なぁどうするんだ」

「ッしょう! でもホントに言う通りだよ!」

「でもまあ、普通のニンゲン様に比べれば充分に素質はある。そこは褒めてあげるよ」

「褒められたって……何も」

 

 刀を納めたナキリが、ジロリとこちらを見据えた。

 

「でもそれじゃ無理だ」

 何を言い出すんだ。もう何度も何度も言い続けられたことを、次は静かに言った。

 

「それじゃ足りない」

 次は言い聞かせるように。

 

「それじゃ届かない」

 次はハッキリと。

 

「それじゃ余には、『ケガレ』を滅することは叶わない」

 目の前で広がっている自らの状況を打破できないヤツには何にも出来ないんだって、言われているんだ。明らかに挑発だって分かっているのにスバルは声を荒げていた。

 

「―――るせぇ、うるせぇ! んな事、言われなくたって分かってんだよ! 分かって、るんだよ……」

 でも同時にナキリと言う通りなんだってそう実感している自分もいた。だからどんどん語気が弱くなってしまっていた。

 

「ならなんで戦おうとする? なんで埒外の物事に関わろうとする? おかしいと思わないのか?」

「それ、は……」

「もういいじゃないか。目を瞑ってしまって、何もしなくてもいい。もう余に任せておけ」

「……」

 グッとスバルは息をのんだ。酸欠寸前の頭がクラクラと痛い。

 

「ニンゲン様、無理するな。もう『ヤメて』いいんだよ」

 

 ナキリの提案はまるで飴みたいに甘くて、今のスバルにはありがたい言葉だった。

 

「―――だ」

 でもさ、違うよ。

「……嫌だ……」

 そうだ、スバルには約束があるんだ。

「嫌だ! ぜっったいに、それだけは聞けねぇんだ!」

 そうだ、スバルを突き動かしているのはあの約束だ。なんも出来ないって思い知らされたあの雨の街から抱えてきた自分に対する不満と一緒に、その言葉をスバルは橙がかったソラに吐き出した。

 

 ジリリと喉が痛む。息を吐き出す度に針をのんだみたいにジクジクした。 

 

「何言われてもいい。貶されたって、馬鹿にされたって別に構わない!」

 

 ナキリは目を丸くしてスバルのことを見ていた。初めて見る表情、怒りや笑み以外では初めてのものだった。そんな風に冷静に彼女を観察することが出来るのに、走り始めた激情は止まってくれない。

 

「それでもな……諦めろって、もうやめろって、他人から言われるのだけは絶対に違う!」

 全部が全部、そうだって自信を持って言える訳じゃない。誰かに影響されてやったこともないって言えないよ。でもこれだけは違う。きっかけは状況に流されたものだったかもしれないけど、立ち向かうことをスバルが選んだんだ。だからそれだけは譲らない。絶対に、妥協しちゃダメなんだ。

 

 スバルの声に気圧されていたナキリだったけど、すぐに正気を取り戻したのか、冷ややかだけど勢いのある言葉を放った。

 

「それはただの強がりだ!」

「そうだよ、強がりだよ!」

 

 間髪入れないスバルの返答に怯んだ表情を浮かべるナキリ。

「それって悪いことなのか? スバルはな、それでもどうにかしたいんだ!」

 端から見りゃ見苦しいことだって言うのももう理解してるんだ。

「少しでも、何かをしたいんだ!」

 目頭が熱くなってくる。勝手なことを言っているだけなのに。本当都合がいいにも程があるよ。

 

「自分がやれる事は、絶対に自分でやりたいんだよ!」

 でもそのおかげでスバルは最後まで自分の思っていることを言い切ることができたんだ。息が上がって苦しくて仕方がなかったけど、胸がすく思いがするのは気のせいじゃない。

「……」

 スバルの言葉を受け止めて、ナキリはまた静かにこっちを見据えている。まるで授業で教えてもらったことわざそのままに、ナキリは本当に冷静な表情でこっちを見ていた。

 

 でもほんの数秒後、火をつけたようにその表情はガラリと変わった。

 

「面白い……面白いよ!」

 さっきまでの静けさが嘘みたく、ナキリは饒舌になった。

 

「その覚悟、その意思、その言葉! やはりニンゲン様は面白いよ。一瞬一瞬でこんなにも沢山の色を見せてくれる。こんなにも余を楽しませてくれるのはやはりニンゲン様だけ……いや、ニンゲン様の中でもきっとお前様だけだ! あぁ、本当に嬉しくて仕方がないよ。こんなニンゲン様に出会わせてくれた……セカイの創造主がホントにいるなら感謝してもし足りないくらいだ」

 

 ナキリに中の熱が言葉を紡ぐ度に上がっているのが分かる。どんな窮地でも冷静な奴も怖いけど、ここまで感情を露わにしてくるヤツも同じくらいに怖いんだ。

 

「ーーーッ」

 自然と身体が萎縮していく。圧力のある言葉をぶつけらて、スバルの中の警戒心は完全に振り切っていた。そしてその考えは間違っていなかったんだ。

 ニヤリと口元を歪め、ナキリは鞘に納めた二刀を抜き去る。得物をやや下段に構え、視線をスバルに向けたまま彼女は続ける。

 

「でもな、さすがに余も、出来もしないことをやらせ続けるのは忍びない」

 その言葉はナキリなりの優しさの表れ。そしてスバルに対する賛辞の言葉のつもりなんだろう。その言葉を受け止めキュッと唇を結んだ後、スバルはこう返した。

 

「でも、スバルはぜってぇ負けねぇ」

 強がりだ。しかしそれだけで充分だった。

 

「いいよ。面白いじゃないか」

 満足げにナキリが微笑む。更に深く腰を落とし、更にこう続けた。

 

「だから余も、せめてもの情けだ!」

 言葉と共に、ナキリの身体が弾ける。瞬きをしている場合じゃない。きっと、目を離せば次はもう何も感じられなくなっているはずだから。

 

 赤の軌跡が境内を跳ねる。

 矢を思わせる俊敏な動きのまま、刀を振りかぶってナキリが声をあげた。

 

「これで」

 あぁ、ダメだ。右からの横薙ぎを避けても、続く突きは間違いなくスバルの胸を貫く。確信めいたものがスバルの脳裏をよぎった。

 

「終わりーーー!」

 案の定、横薙ぎを避けたスバルに迫る二撃目の突き。逸れることなく真っ直ぐにスバルの心臓に向かって軌道を描いた。

 

 あぁ、口だけになっちまった。なんか、カッコ悪いな。ギュッと目を閉じて、訪れる痛みに少しでも耐えようとスバルは身を固くした。

 

「ちぇーすとぉぉぉ!」

 

 でも、次にスバルの鼓膜を叩いたのは自分の呻き声じゃない。

 

 鈴を鳴らしたような軽やかな声と鉄と鉄がぶつかり合う、爆ぜた音だったんだ。



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Shut up And explode③

「ーーークッ!」

 ぶつかり合う鉄の音に続いて、ナキリの痛みに耐える声と地面を滑る音が同時にスバルの鼓膜をたたいた。

 

 絶体絶命のピンチに陥ったら、ヒーローが駆けつけてくれる。

 

 もう擦り切れるくらい使い古されたシナリオだ。でもうっすら目を開けながら心のどっかでそう願ってた。なんだか現金な話かもしれないけれどさ、そうだったらいいなって思ってたんだ。

 

「フブキ……先輩」

 瞼を開いて、その後ろ姿に声をかけた。でもフブキ先輩はこっちに顔を見せてはくれない。もしかして起こっているのかなって思ったけど、すぐに彼女は片手をあげてスバルの声に反応してくれた。

 

「ん~さすがナキリ。これでも渾身の一撃! ってヤツだったですけどねぇ」

 手に携えたトウモロコシ? みたいな槌をくるくると弄びながらフブキ先輩はカラカラと笑いながら続ける。その言葉通り、握った柄を伝って、赤々としたものが地面を汚していた。側から見てもその槌の力強さは目を見張るものがあったんだろう。でもそれを受けたナキリは短くうめき声を上げただけ。すぐに立ち上がってフブキ先輩を睨みつけていた。

 

「……シラカミ、か」

 

 なんだろう、ナキリの表情は少し悲しげだ。本当に期待していたモノがいなかったときの、少しガッカリした顔でフブキ先輩を見据えている。その変わりように首を傾げるスバルだったけど、別に考えるまでもなかった。その疑問はすぐになくなった。

 

「スバル、大丈夫?」

「ミオしゃ……」

 声の方向に振り向く。そこには想像通りの声の主。ミオしゃは肩で息をしながらスバルの方に駆け寄ってきていた。見ると境内の入り口、山門のところには厳しい鎧兜が転がっていた。まさかフブキ先輩は一瞬であの巨体を打ちまかし、そしてナキリに一撃を見舞ったのだろうか。そう考える以外に状況を説明することは出来なかったけど、ただただスバルは信じられなかった。

 

 でもそんなスバルの困惑を一蹴するように声が響く。

 

「オオカミまできたか」

 

 今なら分かる。この子、頑張って冷たい態度取ってるんだ。それもミオしゃにだけ。

 努めてその感情を崩さないようにしている。それを示すようにナキリの顔はすごく苦々しい表情をしていた。

 

「ナキ、うぅん……あやめ!」

 ナキリはその声に反応を示さない。

「う、うちは……」

 何も言えなくて、ミオしゃは言葉を詰まらせていた。スバルは側に立つミオしゃに何か言ってあげないとって思ったけど、何も出てこない。考えあぐねいているうちに、先にナキリが声を上げた。

 

「オオカミ、前にも言ったな。今のお前と話す事はないって。それにな、今、余はそのニンゲン様と大事なやり取りをしている最中なんだ。水を差すのはやめてもらおうか?」

 捲し立てるように投げつけられた言葉に、もうミオしゃは限界寸前だった。気を張ってここまでy経ってきたんだろうけど、こうなってしまってはもうどうしようもない。嫌な沈黙がまた境内を支配するんじゃないかって思った瞬間、一際通る声が響いた。

 

「ちょーっと、ストップ!」

 

 カツンと、鐘を鳴らしたみたい境内に甲高い音が広がる。背を見せていたフブキ先輩はこっちに振り返ってミオしゃを見てさらにこう続けた。

 

「ミオ、しっかりしな!」

 厳しい言葉だった。でもそう言い放っているフブキ先輩の表情はそんな素振りは一切見せず、いつも通りにニカっと笑っていた。そして再びナキリの方に向き直って話し始めた。

 

「ナキリ、ちょっと間に入らせてもらうよ?」

「……」

「ちょーっとさ、あんまりにハンデありすぎなんじゃない?」

「無粋なことを。それを分かってそのニンゲン様は余に挑んできているんだぞ!」

「わかるよ、その気持ち、白上たちだってわかるさ。スバルちゃんがどれだけ考えて、一人でここに来たのかくらいさ。むしろ白上は恥かしいんだよ。スバルちゃんにそうさせちゃってる自分が、本当に恥ずかしいんだよ」

 

 何言ってるんだよ。スバルが勝手にやってるだけなのに。フブキ先輩たちにそんなことを思わせたいって思っていなかった。スバルに出来ることはなんだって思った時に、『ナキリを呼びに来る』って事しか出来ないって思ったから一人でオオエヤマに来ただけなのに……なんて言っていいかわかんないよ。

 

 でもスバルに構わず二人は話し続ける。

 

「なら、貴様の行いはそれを台無しにするモノなんだぞ!」

 ナキリはそう言って声を荒げた。でもそれとは対照的にフブキ先輩は静かに続ける。 

「白上はね、『人の願いを叶えたい』んだ。スバルちゃんの願いを叶えたいんだよ」

 小さく「これは白上の我儘だけどさ」と付け加えて、一気に彼女は息を吐き、ゆっくりと吸い込んで叫んだ。

「スバルちゃんが頑張ってんだ。守るべきヒトの子を助けないで、何がカミサマだよ!」

「シラカミ……それは」

 

「そうだ、これは宣戦布告だよ」

 

 手にした槌は刀に姿を戻し、鋭い切先が現れる。それをナキリに向けて、フブキ先輩はさっきの、まるでヒーローみたくこう続けたんだ。

 

「愛おしいヒトの子の願いを叶えるために! 白上が、シラカミ神社の巫女代行、この白上フブキが……鬼のカミサマに宣戦布告する!」

 

 まるで子どもの相手をするように、刀を携えたのとは逆の手をクイとあげてフブキ先輩は続ける。

 

「まあ、かかっておいでよ、お嬢さん!」

 

 声高にそう告げて、白い、ヒトリのカミサマが鬼に刀を向けた。ここまで表立った宣戦布告、これまで受けたことがなかったんだろう。一瞬すごく驚いた表情を見せたナキリだったけど、すぐに不敵な笑みを浮かべ視線をフブキ先輩に向けていた。

 

「受けて立とうじゃ―――」

 でもその声は掻き消された。

「―――うちもだよ」

 

 優しい、けど芯の通った声でナキリの声は掻き消される。その瞬間、ナキリの表情は一転した。まるでいきなり外に放り出された子どもみたいな、寂しそうで心細そうな表情。

 ミオしゃはそう口にして、フブキ先輩の隣まで歩みを進めていく。一瞬見えた彼女の顔はさっきまでの頼りないのが嘘みたいに、すごく勇敢な顔をしていた。そこにはもう弱々しい彼女はいない。

 

「ミオちゃ、オオカミ! 貴様も邪魔するのか?」

「うちも、守りたいから」

 

 シンプルにそう告げてクルクルと手首を回してミオしゃがフブキ先輩に立ち並ぶのと同時に、ナキリは辿々しく声を漏らした。

「なん、で? なんで、余に意地悪するんだよぉ」

 目尻に涙を溜めながら吐き出した言葉は頼りない。さっきまでのミオしゃと完全に状況が入れ替わってしまったみたいだ。

 

「意地悪のつもりじゃない。きっと、今のまでうちじゃちゃんとあやめと話せないって、そう思うんだ」

 そう言って一瞬スバルの方に振り返ったミオしゃ。きっと後押しが欲しいんだろう、スバルは横たえていた身体を起して頷いて返した。

 

「ちゃんと話したいんだ。対等に話したいんだよ! でも、きっと思ってることぶつけなきゃ、今までのままじゃ何にも変わらないから……だからうちも、大神ミオを百鬼あやめにぶつける。うちを、わかってもらうんだ!」

 淀みなくそう口にしたミオしゃの手の平に、ぼんやりと炎が宿る。ミオしゃ本気なんだ。今まで誰かを傷つけるのをきっと快くは思っていないんだろうってスバルは思っていた。そのミオしゃが敢えてそれを選んだっていうのは、相当の覚悟が必要だったはずだ。

 そしてその衝撃はミオしゃ本人だけじゃなくて、それを受け取った側にも大きな戸惑いを与えていた。

 

「……」

 

 ナキリは何も言えずに、視線を右往左往させていた。それがどれくらい続いたろうか。きっと一分にもみたいない時間だったと思うんだけど、ひどく長い時間だってスバルには感じられた。でもそれだけでナキリは全部を飲み込んだんだ。自分の中にあった戸惑いや不満、そして恐れの全部を飲み込んで彼女はキッとキツい視線でスバルたちを見据えた。

 

「わかった」

 右に納めていた刀に手を添える。それに合わせてもう片方の柄を手に、同時にそれらを鞘から抜き去る。

 

「いいよ。お前たちの気持ちはわかった」

 

 夜でこそ映えるであろうその真っ赤な瞳は、陽の光が差し込み始めた境内の中でも怪しく光を湛えて、スバルたちをシッカリと捉えている。

「なら余は負けない……」

 宣言みたく思えた。

「負けてやらない。余も我を通す!」

 そしてナキリは心の中に溜まった鬱積を晴らすように、自分に言い聞かせるように叫び声を上げたんだ。

 

「余は、絶対に、負けてやらん!」



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Lay your Hands on me①

 いやだ、いやだ、いやだ!

 

 いっつも心の中ではそう思っていた。

 でも余には与えられた使命があって、やり続けないとヤマトに災いが降り掛かるって知っていた。

 

 でも嫌だったんだ。

 

 独りで戦い続けて、他の誰かを傷付ける。そして盲目的に守り続けることに何の意味があるんだってずっと思っていたんだから。

 

 確かに美談かもしれないよ。身を粉にして誰かのために尽くすっていうのはさ。でも独りでいる御山の空気はいっつも寒くて、カルマとシラヌイがいてくれても余の心にある寂しさは消えなかった。

 

 それが身に染みて感じるようになったのはきっと、あの子たちが余の前に現れたからだ。

 

 オオカミの神子と白上の媛巫女。

 

 あの子たちが余の前に現れてから、余の中に沸き起こった想いがある。いや、随分と前から積もっていった気持ちに気付いたんだ。

 

 それはさっきから言ってる事。余が『孤独』だっていうことだ。

 

 二人と関わった時、この気持ちが少しでも消えてくれるんじゃないかなって、そう思ってた。でも、蓋を開けてみれば何も変わらない。

 

 余はどこまでも孤独で、このオオエヤマを、ヤマトを守るために独りで生き続けなきゃいけなかったんだ。

 もちろんさ、何度も何度も二人は会いに来てくれたよ。でも、どうしても余の中にその先入観があるから、それを拭い去ることが出来ないから何も変わらなかったんだ。何も、変えられなかったんだよ。

 

 強引でも良い。誰かにこの扉を壊してもらいたかった。

 

 それを壊すには、余は雁字搦めになり過ぎていたから。それが最善だって気付いていても自分からは動くことが出来なかったから。

 

 こんな他のヒトに頼るようなこと、本当はしたくなかったんだ。だからさ、目の前にこのニンゲン様がヒトリでオオエヤマにやってきてくれた時、余は思ったんだ。

 

 このヒトならきっと、余を強引にでも引っ張っていってくれるんじゃないかなって。

 どこまでも引っ張っていってくれるんじゃないかなって、そう思えた。

 

 それでも最後の最後まで余は、自分から踏み出すべき最後の一歩を踏み出せずにいる。

 素直になれない余の、百鬼あやめの最後の抵抗みたく、乱暴に刀を抜いて三人にそれを向けたんだ。

 

 そして余は自らの愚行を後悔する。こんなに滑稽なヤツ、他にいないってさ。

 

 holoearth chronicles ALT:異伝ヤマト騒乱記

 episode 10:Lay your Hands on me

 

 あれだけ大見栄きったけどさ、やっぱりどうしても届かないモンってあるのかもしれない。

 スバルの目の前で繰り広げられている戦いは本当に、漫画やアニメに出てくるみたいな想像を遥かの超えた力のぶつかり合いだった。

 

 白の軌跡を線が描きながら、手にした刀で必死に銀の殺意を押し留めるフブキ先輩。後方から駆け寄り、一旦間合いを作るためにミオしゃは自らの爪に炎を走らせ、その銀を弾き飛ばしていた。

 

 でも一度弾き飛ばされただけではその銀は、ナキリは止まらない。銀の殺意は後方に飛ぶ反動を利用しクルリと宙返りをし、一切視線を外さず、着地とともに再び両の手に携えた刀の連撃を繰り出していた。

 

 フブキ先輩やミオしゃ刀と爪の冴えを線と呼ぶなら、ナキリの繰り出す連擊はまるで洪水だ。その切先が捉えたものはすべからく飲み込まんとするその力に、二人は焦りの表情を隠せずにいた。

 

「ミオしゃ……フブキ先輩!」

 

 スバルも声を上げるけど、その衝突の中に入ることも出来なくて、せめて一眼も見漏らさないぞって気持ちだけでその戦いを見守るしかなかった。

 

「ーーーッて、やっぱすごい!」

 声はケラケラと楽しそうに努めているが、言葉の端々から苦悶が聞いてとれるフブキ先輩。ミオしゃだって、必死な顔をしてナキリの猛追を受け止め続けている。

 

「どうした、そんなーーーものかぁ!」

 ナキリが放った声は二人に対する苛立ちをぶつけるみたいにも聞こえたけれど、なんだか違うものにも見えた。不満じゃなくて、渇望みたく見えたんだ。

 

 幾度目かのナキリと、フブキ先輩たちの衝突。徐々にフブキ先輩とミオしゃの表情には疲労と焦りがない混ぜになった表情が滲み出ていた。渾身の力を込め、爪を振るうミオしゃ。さすがに何度も同じようには出来なかったんだろう、ナキリは一旦後方に飛び去り、息を整えながらこちらを睨みつけている。

 

「やっぱり。数段上がる、よね」

「いよいよもってピーンチって感じですなかぁ!」

 開いた間合いを幸いと、息を整える二人。でもナキリもそれは一緒だ。こっちから見てもわかるくらい、深い息を吐いた後、次の瞬間ナキリは二人に肉薄し、横薙に銀の軌跡を奔らせていた。

 

「……やっぱり、強い」

 スバルはもう完全に三人の戦いに呑まれてしまっていた。それと同時にさっきまでスバルとナキリのやりとりは、まるで追いかけっこだったって思えて仕方がない。

 

「じゃぁ、スバルに何ができる」

 ポツリ。独り言が口から溢れた。

「出来ること……あぁ、出来ることあるよ」

 

 ヤマトに来てからずっと、スバルはそれだけに特化してきた。

 

 カミサマやアヤカシ、『ケガレ』なんかと渡り合っていくなんて、絶対にスバルには出来ない。

 なら何ができる? どうしたらいい? もう答えなんて出てるんだ。焦るな、今は焦る時じゃない。

 一瞬視線を外してしまったからだろう。状況は相変わらず、数の有利があるフブキ先輩たちの劣勢。二人の手足には刀傷が痛々しい。一方ナキリの方はただ息が上がっているだけで、なんの傷も見られないじゃない。

 

「ほんと、コイツすげぇよ」

 また素直な感嘆が溢れた。でもそれが気に食わなかったんだろう。ナキリはキッとスバルに視線を向けてこう言い放った。

 

「何してる? 何をとぼけた顔をしている?」

 これまで二人に向けられていた切先はスバルに向けられる。

 

「余はニンゲン様しか見てない。お前様が止まるんなら、もうおしまいだ」

 

 キツく放たれた言葉は深くスバルに突き刺さった。でもスバルには違う言葉に聞こえていたんだ。

 

 『やめないでよ』

 『置いていかないでよ』

 『ひとりにしないでよ』って。



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Lay your Hands on me②

 ナキリの放った挑発に、眉根を顰めているのが自分でも分かった。その声が寂しそうな、小さな女の子の声に聞こえても、スバルはこう返すしか出来なかった。

 

「見くびんなよ……」

 その返答にひどく嬉しそうに顔を歪めるナキリ。

 

「なら……見せてみろ!」

 一瞬だった。ほんの瞬きをした瞬間に、二十数歩も離れた場所にあったナキリの顔が、スバルのすぐ手の届く場所に現れた。ミオしゃも、フブキ先輩もその間にいたはずなのに誰も反応できずに、その事実を認識出来ていなくて、振り返りながら声をあげた。

 

「スバル!」

「スバルちゃん!」

「ッ!」

 

 二人の叫びと、スバルが息を止めて痛みに耐えたのはほとんど同時のことだった。

 

 あぁ、今度こそ本当にダメかもしれない。そう思った瞬間、スバルの袖を強引に何かが引っ張った。

 

「ーーー」

 腕が捥げちゃうんじゃないかってくらいの強い衝撃。自然と重心が下方向に持っていかれる。クラクラと歪む視界に襟元を掠めていく刀の軌跡。さっきのナキリの攻撃の焼き直しかよって思ってしまうくらいに出来すぎた光景だった。

 

「お、まえ!」

「フブキ、お願い!」

 

「任され、てぇ!」

 

 すぐに視線を下に落とすとここまで、オオエヤマまでスバルを運んでくれたミオしゃのシキガミが、必死な形相でスバルの袖を咥えていた。次の瞬間、バランスを崩して倒れ伏すスバルを滑り込んで受け止めてくれるミオしゃ。そしてまた刀を槌に変えて、ナキリにフルスイングを見舞うフブキ先輩の姿が見えた。

 

「無事かい、スバルちゃん?」ナキリを警戒してフブキ先輩は視線をナキリから逸らさず尋ねる。

「は、はい! 大丈夫です」内心冷や冷やしたって言葉じゃ治らないくらいに肝を冷やした。

「ちょっと瞬きしただけだってのに……この子がいないとヤバかったよ」

 

 スバルと地面の間に滑り込んだミオしゃはそう言いつつ、スバルを抱え起こす。ミオしゃの言う通り、コイツがいなけりゃスバルはいっかんのおわり。ホント、感謝しても仕切れない。ありがとなとミオしゃのシキガミに呟き立ち上がる。ここに来てからどれだけ転んだのか分からないくらい、服も身体もボロボロだ。でも不思議と口元には笑みが浮かんでいた。

 

「あぁ、不意をついたつもりだったのになぁ。でも、まだ! まだもっと速く出来る!」

 

 弾き飛ばされたことを苦にも思わず身体を起こし、ナキリが笑いながらそう叫んだ。見えた表情はこれでもかってくらいに楽しげな微笑み。狂ってるんじゃない、心底このやりとりを面白いって思ってる笑みだ。

 

「ギリギリですなぁ」

「ホントだよ。あやめ、やっぱり強すぎるね」

 

 同じようにボロボロな二人も、どこか楽しげだった。約束した遊びをこれでもかって楽しむような子どものような表情。持ってるモンが物騒なことこの上ないけどさ。

 

「やっぱり無策はただの無謀だなぁ。少しは戦略? みたいなのを立てないと……」

「フブキ、先輩」

 笑みの奥に、どうにか活路を見出そうと真剣に考えるフブキ先輩。

 

「そうだね。こっちには数の利がある。それを使わなきゃ損ってもんだよ」

「ミオしゃ……」

 冷静に状況を見つめながら、様々な可能性を想定し続けるミオしゃ。

 

「……うし」

 ならスバルは、『力のない、集団の中の弱点になるニンゲン』ならどうするべきなのか。

 

「やるか!」

 答えは出た。

 ならあとは、もう動くしかないだろ?

 

「……そうだ、それでいい……」

 子どもみたく、笑みを浮かべる。ここまで痛めつけられたらその笑顔もうっとおしく思えるのかな。でもスバルたちには全然そんな風には思えない。むしろちゃんと応えてやらなきゃって思えてならない。

 

 だってさコイツは、ナキリはきっと『一緒にいてくれるヒト』が欲しいだけなんだ。

 でも、自分の置かれた立場では素直に心を許すことができないから、力尽くでも言うことを聞かせて欲しいって、そう思ってるだけなんだ。

 

 ならさ、やるべきことは一つじゃん。

 

「見せてみろ! その意思が蛮勇でないと、このナキリに示してみせろ!」

 言葉を放つのと同時に、一気に境内をナキリが駆ける。

 刀は未だ構えずに、ただ駆け抜けることを意識したまるで動物のような構えだ。きっとナキリにはまだまだ余裕があるんだろう。でもミオしゃもフブキ先輩も、それにスバルだってもう限界だ。きっと次に想定外の事が起こっても対応できるほどの力は残っていない。

 

 だから次が、次の一瞬が決着の瞬間なんだって、そうゆう実感があった。

 

 そうだ。今ナキリを見て考えているこの時だって、一瞬のはずなのに……全力で駆け抜けてかかるのなんて数秒の間合いなのに……全部がまるで、遅くしたように感じられた。

 

 ナキリの掲げる刀はきっと左右からの横一文字。

 それを後方に避けたとしても追撃の一刀でおそらく終わる。上下に避けたってナキリの反応速度の前には敵わない。ならこっちが為すべきは『避ける』じゃない。

 

「ミオ!」

「うん!」

 甲高い声が響いた瞬間、スバルの中の速度が現実に追いついた。

 突出してくるナキリに対し、鞘を納め渾身の力を持ってそれを繰り出そうとするフブキ先輩。そしてその傍らには同じようにその両の手に炎を纏わせ、その時をジッと待っている。どっちもチラリとスバルの方を見てニコリと笑う。

 

 決まった。

「……ッけ!」

 走るなら、今だ。

 

 そう。これは作戦だなんて呼べるような代物じゃない。ナキリはずっと言っていたじゃないか。

 

 『力を示してみせろ』って。だからそれはナキリを打ちのめすとか、そんなんじゃない。今スバルが出来る最大限を見せることだったんだ。

 

 自分の中に火が灯ったみたいに熱くなっていく。

 小さな火が、吹けば飛ぶようなそれは一っきに速度をまし、スバルの脚を掻き立てていく。もっとだ、もっと速く動くんだって、後押ししてくるんだ。

 

 また、大きく空間が爆ぜた。

 ナキリの乱暴なまでの横一閃にミオしゃの爪が、フブキ先輩の居合が斬り結ばれる。

 

「……バル、ちゃん!」

「ーーーくッ」

 

 どちらも渾身。どちらもこれまでにない一撃なんだ。

 でも二人はこの後のことは何も考えていない。ただ一点、『ナキリの次の行動に移らせるのを遅れさせる』って一点だけに特化した攻撃。

 

 無論そんな捨て身の、全力の攻撃を受ければ、次の動きを想定していたナキリは体幹を崩し、後ろに倒れ込んでいく。

 

「行けぇ、スバル!」

 ミオしゃの声が届いた。

 

 今だ、行け! 熱の籠った身体を一気に働かせて、境内の石畳を蹴る。

 そして声と一緒に、スバルは目の前で倒れ込んでいくナキリに向かってこの手を伸ばした。



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Lay your Hands on me③

「と、どけぇぇぇええええ!」

 

 バチン。

 

 視界が真っ暗になる。昔、父ちゃんが寝る前に壁のスイッチで電気を消した時みたいな突然の暗転。

 

 なんだ、なんだ! なんだよこれ?

 訳のわからない光景にスバルの身体が弛緩していく。自分の内側からいきなりドス黒いモノが湧き出てきて、身体を縛り付けていくような感覚を覚えた。

 

 直感した。これが『ケガレ』なんだって。

 弱気、恐れ、怒り、悲しみ、驕り、前向きじゃない感情がカタチを持ったモノが『ケガレ』なんだって頭では分かっていたことだったけど、今この時初めて実感できた。

 

 『もうやめちまえよ』

 『スバルじゃなんも出来ないって』

 『そんなに強がって、自分を大きく見せんなよ』

 『自分が惨めになるだけだって、ホントは分かってんだろ?』

 

 スバルと同じ声で、さっきまで否定し続けてきた言葉が、塊になってスバルの頭を埋め尽くしてくる。

 

 あぁ、分かるよ。その気持ちスバルだって分かるよ……って違うな、自分の中に元々ある気持ちだからスッと理解できるんだ。

 

 でもさ、そんなの知らないよ。

 

 スバルは一瞬自分の中に沸き起こった弱きを飲み込んで、視界を覆った暗闇に否定の思いを叩きつける。

 

 だって、スバルの頭は動いてんだ。スバルの脚は前に出続けてんだ。だからこんなところで、諦めるわけにはいかない。

 スバルは、これまでヤマトで過ごしてきた時間を無駄にしたくない。

 

「いくんだ……」

 

 フブキ先輩が、ミオしゃが作ってくれたこのチャンスを無駄にしたくない。

 

「言わせない!」

 

 そうだ。他の誰にも、自分にだって絶対に言わせない。

 

「誰にも、諦めろなんて、言わせねぇ!」

 

 それでも進むたびに、視界に蔓延る黒を更に濃く上塗りしたような黒のベールが目の前を覆っていく。

 でもその黒の中に一つだけ、俯く真っ白な女の子の姿が見えたんだ。彼女は必死に顔を擦りながらこう呟いていた。

 

『嫌だ』

『もう、一人は嫌だよ』

『誰かと一緒にいたいよ』

 

「ーーーーーーッ!」

 

 なんだよ、ならさ……そんなに寂しい思いを抱えてんなら手を伸ばせよ。

 

「絶対に、スバルがその手を取ってやるから!」

 だからもう一度、力を込めてスバルは手を伸ばした。

 

「届け、届けぇぇぇ!」

 

 視界が晴れた。

 一瞬にも満たない暗闇の中の行進を終えて、再びナキリの表情が視界に入ってくる。

 

 信じなれない。

 

 ナキリに表情はそれを雄弁に語っていた。

 

 倒れ伏すナキリに覆い被さるようにスバルもその身体を横たえていた。まぁ勢い余ってナキリにボディプレスを見舞ったって言えば一番イメージ出来るかもしれない。もう腕も足も擦り傷だらけだよと内心思いながら身体を起こして彼女を見た時、そんな表情をナキリは浮かべていた。

 

「……なんで?」

 その声はこれまで彼女が発してきた言葉とは少し違う、子どもみたいな声だ。

 すぐに応えなきゃ、何か言ってあげなきゃって気持ちは逸るのに上手く言葉が出てこない。きっと全力で境内を駆けたからだろう、胸が早鐘を打って、上下する肩が酸素を求めて激しく動いていた。

 

「……んで」

「なに?」

「なんで、そんな……顔してんだよ」

 

 カタチになった言葉は少し乱暴だったかもしれない。それでも必死に息を整えながら無理に言葉にしたんだ。少しは大目に見て欲しい。

 スバルをジッと見つめていたナキリの表情は、驚きから少しずつその色を変えていく。

 

「……ってたんだよ」

 困惑って言えばいいんだろうか、不思議そうな色はそのままに彼女はこう続けた。

 

「一発でも、殴られるって、そう覚悟してたんだよ」

 途端にカッと顔が熱くなるのを感じた。これが流石に言ってやらないといけない。ジクジクと痛み出した脚を顧みることなく立ち上がって、ナキリに手を差し出す。

 

「んなことするわけ、ないだろ? ヒトを乱暴もんみたいに言うなよ!」

 そう言い切ってから、スバルはナキリに手を差し出した。「ヒトさまを平気で殴るようなヤツがこんな風にしたりしないだろ」と付け加えたのは少し恩着せがましかったかもしれない。

 

 するとホッと頬を緩め、ナキリが小さく呟いた。

 

「あぁそうか。そうだね……うん、そうだよ!」

 

 そう言ってふにゃっと柔らかく笑うナキリ。さっきまで殺気を滾らせて刀を振り回していた女の子とは思えないその雰囲気に、気を張っていたスバルも気持ちが柔らかくなったような気がする。

 

「ほら、立てってば」

 

「ありがとな、ニンゲン様……」そう言ってスバルの手を取ったナキリ。立ち上がった後、急に押し黙ってジッとスバルの手を見つめている。

 

「んだよ。どうかしたの?」

 小っ恥ずかしくなってつんけんにそう尋ねると、ズイこっちに顔を寄せてくる。

 

「ニンゲン様!」

「んあ? な、なんでしょうか?」

 

 勢いに気押されて、タジタジになってしまうスバル。

 

「余、ニンゲン様に名前聞いてなかった。教えてくれないか?」

 急に何だって思ったけど、そう言えば彼女に対してはちゃんと名乗った訳じゃなかった。えらく失礼な事をしてしまってるじゃん、そんなヒトによく協力してくれって頼んでたなスバル。

 

「あ、あぁ。スバルは……」言いかけて、一瞬言い淀む。何か普段通りだと子どもっぽいかもしれないけど、そのほうが『らしい』って思うからそのまま続けた。

 

「スバルは、大空スバルってんだけど……」

 

「ーーーオオカミ!」

「な、何!?」

 

 声の向けられた先はスバルの後方にいるであろうミオしゃ。浮かべた表情はこれまでにないくらいの満面の笑みで。なんか見惚れるってのと驚きが同時に来てしまってどんな顔をすればいいか分からずにいると、またナキリが声を上げた。

 

「手伝ってあげる」

「それ、それって!」

「このニンゲン様が……スバルちゃんがいるなら、余も手伝ってあげる!」

 声にさっきまでの棘は感じられない。それにミオしゃに話しかけた時の声だって、溌剌とした外見相応の優しいモノだった。さっきまでのナキリとは違いすぎて、正直スバルはこれが現実なのかなって疑ってしまうくらいのレベルだ。

 

 でもまぁ今はそれでも良いかななんて思ってる。だってさ、ギュッと握られたこの手は少し痛いんだから、夢じゃないってことに間違いはないんだから。



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Girl(s)①

 いつでも思い出す。

 『今の君がどう感じるのかを大事にして欲しい』って言葉。ヤマトに来る前にロボ子先輩に言われた言葉だ。正直さ、そんなん当たり前じゃんって、特別に気にしなくても大丈夫だって思っていた。

 

 でもさ、ふとした時に頭を過るんだよ。

 フブキ先輩がイジワルに笑った時に。

 ミオしゃが優しく慰めてくれた時に。

 あやめがそっと微笑んでくれた時に。

 

 そのホッとする絵の中に、ザザッと違うシーンがフラッシュバックする。

 スバルが見たことのないはずの光景が、優しい空気の中で四人でバカをしながら笑っている映像がどうしたってチラつくことが多くなっていた。

 

 それが余計にロボ子先輩の言葉がスバルの中で大きくなっていって、変な気持ちがスバルの中を覆っていく。

 スバルは、自分が経験したことのない『記憶』に引っ張られてるんじゃないかなって。

 仲良くしていた記憶があるから、『そうあるべき』なんだって心のどっかでそう思ってしまっているんじゃないかなって。

 

 そう思い始めたら何でもかんでも疑心暗鬼になっちゃうよね。見るモノみんな、都合の良いように作られた舞台装置みたいで、スバルはその上をピエロみたく踊っているだけなんじゃないかって、そう思っちゃうんだ。

 

 でも同時に思うんだ。『みんなと仲良くしていた記憶』があったって、今こうやって関係を持てているのは事実なんだ。だから不安に思うことは何にもないんだぞって。

 

 これがスバルがこの少しおかしな物語に巻き込まれて、思い至った一つの答えだったんだ。

 

 ……何だよ、カッコつけんなって?

 

 良いじゃん。一応スバルもさ、カッコつけなきゃいけない時が絶対にあるんだ。

 強がらないといけない時が絶対に来るんだから。

 

 これはその前の、忙しない日々を少しお休みした日の一幕だ。

 

 何の取り止めもない日々だったけどさ。多分、ヤマトにいた時で一番その日が輝いてた。

 

 今は、そう思うな。

 

 

 

 holoearth chronicles ALT:異伝ヤマト騒乱記

 episode 11:Girl(s)

 

 

 

 『一人で動いちゃダメって言ってたのに。そんな悪い子にはお仕置きです!』

 

 ミヤコにあるオオカミの社に帰ってきてすぐ、フブキ先輩から雷が落ちた。それは別に唐突にってこともなかった。オオエヤエマからの帰り道、戦っていた時とは全然違って、すごく神妙な表情をしていたから。スバルのことを心配して、せっかく忠告までしてくれたのにスバルがその気持ちをふいにしてしまったんだからスバルがその決定に対して文句を言えるはずもない。

 

 結局ミヤコに帰ってきてから丸々二日間、お仕置きという名の静養をさせられていたわけだ。

 

「あーしんどかった。ずーっと部屋の中っていうのも疲れちゃうって」

 伸びをしながら廊下で一人、そんな独り言を呟いていた。この二日間、部屋から一歩も出なかったせいか酷く身体が鈍っているように感じる。まぁ怪我の手当てとご飯の準備、それにお風呂のお世話だって全部社に勤めている神官さんたちがしてくれていたんだから無理もないよ。

 

 そして今日、目を覚ましたら「外出の禁を解かれましたよ」という神官さんたちの言葉とともに、スバルは半ば放り出されるように部屋の外に追いやられていた。

 

「きっと、鈍った身体をどうにかしろよってことかもしれないなぁ」

 追い出されたことに恨言の一つでも言ってやろうかなって思ったけど、きっとスバルに早く外に出て欲しい理由があるんだろうなって、神官さんたちの表情を見てれば薄々感じられた。

 

 そんな訳ですごく長い社の廊下を首を捻りながら、目的の場所に向かって歩いていく。足を進めるたびにギシギシと鳴る廊下の音が小君良い。

 昔、小さかった頃に行った田舎の親戚の家のことを思い出していると、何人かの神官さんたちとすれ違った。顔見知りのヒトも中にはいて、スバルを見つけると笑顔でこっちに会釈をしてくれている。スバルもそれに返していると、自然とスバルの顔にも笑顔が浮かんでいた。

 

 これってすごく大事なことなんだろうなって、スバルは思うよ。自分の中の『ケガレ』を知ったからこそ、それに触れたからこそ、余計に大事なモノなんだって思うようになった。

 

 きっと完全無欠に良いヒトなんていない。

 みんな少なからず後ろ暗い感情を抱いている。

 それにうまく折り合いをつけて、みんな生きているんだ。ちょっとでも笑顔でいたいって思いながら生きてるんだよ。

 

「……柄にもない事考えてるよな」

 少ししんみりしてしまった。パンと頬を張って、また歩き始めると目的の場所であろうところの入り口に、見知った二つの影が見える。

 

「ん? あれは……」

 目を凝らさなくてもわかる。穏やかな黒と朱色のコントラスト。そして柔らかい声がスバルの耳をこそばゆく揺らした。

 

「な~ミオちゃん」

「ちょ、あやめ! くっつきすぎ!」

 

 うん、正直に言おう。羨ましい。二日前の剣呑とした雰囲気が嘘みたいに、ナキリはミオしゃに甘えていた。

 

 ん? この場合スバルはどっちに対して羨ましいって思ってるんだろう……うん、細かいことは抜き! スバルはオラついた感じで二人に詰め寄った。

 

「おいおいなんだいお二人さん! えらく仲良しじゃないか?」

 どこのチンピラだよって絡みかたで二人にもたれ掛かったんだけど、ナキリもミオしゃも全然驚いた様子は見せない。それどころかにこりとこっちに顔を向けてこう返してきた。

 

「ん~だってミオちゃん、スバルちゃんよりもフカフカするんだもんなぁ」

「何その理由?」

「それよりスバル、怪我は大丈夫なの?」

 

 きっとスバルが近くにいることなんて二人にはお見通しだったんだろう。きっと部屋を出てすぐここに来ることも想定していたんだろうなって思っていると、部屋の中から少し低い声が響いた。

 

「これこれぇ、病み上がりなのにいきなりそんな大声出しちゃってこの子はぁ~」

 いつもと少しトーンが違う。怒ってる? いやそうじゃなくて、どこか芝居ががったその声の主の方にギギギと、身体を向けた。

 

「こ、こんちわ。フブキ先輩」

 

 あぁ多分、これまた怒られるやつなんだろうな。



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Girl(s)②

 場所はちょうどミオしゃが執務をこなす部屋の前。

 何か打ち合わせをしていたのだろうか、部屋の中に見える大きなテーブルの上にはミヤコを中心とした、ヤマトの地図が見て取れる。それよりも気にしないといけないのは目の前のこのお方だ。スバルの前に仁王立ちするフブキ先輩は爪先から頭のてっぺんまで、ジッとスバルのことを観察していった。

 

「ちょっとは反省できましたかね、お姫様?」

 途端に満面の笑みでこっちを見つめる彼女にスバルは一瞬言葉に詰まったけど、いつものことだと考えを改めてこう返した。

 

「ちょ、そんながらじゃないですって!」

 スバルの反応にふむと頷く。「まぁ反省してるみたいだね」と小さく呟くフブキ先輩。

 

「うん、まぁ良いでしょう。もう無茶したらダメだからね」

 そう続けて彼女は回れ右して部屋の中に戻って行こうとする。なんだかもっと怒られんのかなって覚悟していただけに、こうもあっさりにお小言が終わってしまうと拍子抜けだ。

 

「あー、そうそう。スバルちゃん?」

 一瞬間が空いた。ゆっくり、白い巫女様がサラリと話し始めた。

 

「とりあえずスバルちゃんは今日も反省ね。ナキリが仲間になったのはスバルちゃんのおかげだけど、一歩間違えば擦り傷じゃ済まなかったんだからね?」

 

 ゴクリと喉が鳴った。暑い訳でもないのに喉がカラカラになったような気がする。確かに、あの時ナキリの刀で胸を貫かれていたら、きっとスバルはこうやってた呑気に立っていないんだ。でも同時に隣でほんわか微笑むナキリの顔を見てたらどっか浮世離れした気持ちになってしまう。

 

「あ~そう、ですね。それはすいません。でもさすがにぼーっとしてるのも飽きましたよ」

「それにまだ本調子っ感じじゃないんでしょ?」

「うっ……」

 

 その追求には本当に言葉が詰まった。

 

「『ケガレ』にも触れ、いや……それは置いといて、色々あったんだからさ。注意しとくに越したことないよ」

 

 ギクリとした。フブキ先輩に分かったってことは、ここにいるみんなそれに気づいたってことなんだろう。自分の裡から出てきた『ケガレ』を見られてしまったことも恥ずかしいなって思ったのと同時に、それだけ『ケガレ』ってものには警戒しないといけないんだってことが、フブキ先輩の表情からは伝わってきた。

 

 そうなってくると、スバルから言えるのはこの一言だけだ。

 

「わかり、ました」

 

 そう言ってフブキ先輩の背中を見送ると、顔だけこっちに向けてフブキ先輩が笑った。

「うん、そうしてください。でもお部屋に籠ってなさいって訳じゃないからね」

「そうっすね」

「そだよ。でもスバルちゃんに怪我させたのは余だから、偉そうなことは言えないけど……」

「いや、ナキリが気にすることじゃ!」

 

 ミオしゃの横で落ち込むナキリになんて言えば良いのか分かんなかったけど、そこはさすがミオしゃだ。慰めるようにナキリにの肩を抱いた後、静かに「大丈夫だよ」と彼女に耳打ちした。

 

 あぁ、なんか安心できる光景だなって、穏やかな気持ちになった。

 

「わかりました。今日も一日静かにしてます。でも、一応今の状況だけ教えてもらえますよね?」

 スバルの問いかけに部屋の中から、「もっちろんだよー」とアッケラカンとした明るい声が響く。

 この二日間、本当に外の情報に触れてなかったんだ。さすがに情報をアップデートしないとついていくのは難しいよ。 

 ミオしゃの執務部屋に入って、地図を指し示しながらフブキ先輩がこの二日間に起こったことをまとめて話し始める。

 

 まぁ簡単にまとめると、スバルが部屋に篭ってたこの二日間、ミヤコでは不可解なことが頻発していた。それはもちろん『ケガレ』関連の事件。でもこれまでと少し様相は違っているようだ。

 

 相変わらず『ケガレ』は現れ続けている。ただこれまでみたいヒトに危害を加えることはなくなってきているらしい。危害を加えない代わりに、みんながみんな一つの場所に向かって集まっているんだ。

 

「やっぱり……みんな集まってんだ」

 

「そうです、そのとぉおーり! 『ケガレ』がみんなアタゴヤマに集まってるんだぁよぉ!」

 

 まるで体育祭の前の選手宣誓みたいにフブキ先輩は声を上げた。どうも芝居がかってる気がしてしょうがないスバルだったけど、それでも『ケガレ』が集まりつつあるっていうのにすごく引っかかってて、いつもみたくツッコミを入れられない。 

 

 すごく嫌な予感と一緒に、全く違う感覚がスバルの中をグチャグチャにしていく。

 

「てわけで! 乗り込むよ、アタゴヤマに」

「……」

「おろ? 案外驚かないのね?」

 不思議そうに首を傾げるフブキ先輩。スバルの対面に腰掛けているミオしゃとナキリも同じような表情でこっちを見ている。

 

「いや、これでも驚いてるんすけど……なんていうんだろ」

「スバル、もしかして『呼ばれてる』気がしてるの?」

 

 唐突にミオしゃが尋ねてくる。意味が分からない問いかけだ。でもそう言われると……「呼ばれてる、んじゃなくて、あれ?」頭ではクッキリと『それ』が浮かんでるのに、言葉にすることが出来ない。すごくもどかしい感じ。

 

「おんなじだ」

「……スバルちゃんもなんだ」

 

 ミオしゃとナキリはそう呟いて顔を見合わせた。

 

「スバルちゃん、ヤマトに来た時の、ミゾレ食堂で話した事覚えてるかい?」

 

 また唐突な問いかけだった。ヤマトに来た時? あの優しい雰囲気の食堂で話したことって……

 

「『そら』、『そら』先輩の事?」

 

 あれ? なんでスバル、『そら』の事を先輩って、言ってんだ? その瞬間、頭に浮かんだのはロボ子先輩の部屋で見た、あの写真立てに映る女の子たちの姿だった。

 右の方に映る、暗い茶髪の女の子。

 優しい笑みでこっちを見つめる、女の子の姿が浮かんで消えない。それは大事なもんなんだぞって示すように、頭から離れてくれないんだ。

 

「なんでだ? 誰……いや、ロボ子先輩もその名前呼んでた。じゃぁ『そら』先輩って誰だよ?」

 

 顔は思い出せても、どんなヒトだったかはすっぽりと抜け落ちたみたいに浮かんでこない。もう頭をつかすぎてオーバーヒート寸前。困惑するスバルに二人が声をかけた。

 

「知らないはずなのに、ずいぶん懐かしく感じるヒトみたいに思うんだよね?」

「そして、すごく大事なヒトだったって、そう思ってるんじゃない? ねぇスバル?」

 

 言ってることはすごく矛盾してる。でもそうとしか言い表せない、そんな靄がかった事しか思い出せないんだ。

 

「余もさ、知ってるんだけど、何でだかどんなヒトだったとか、そうゆうことが思い出せなくて困ってるんだよね」

 

 二人に続いてナキリも静かに呟いて不安そうにミオしゃを見つめた。廊下で見た時と同じように、ナキリの肩を抱くミオしゃに安心感を覚えていた。それを一緒に見ていたフブキ先輩がいった。

 

「丁度昨日の夜。『ケガレ』の動向を追って行ってる時……アタゴヤマの麓に着いたくらいの時にさ、三人同時にその『そら』ちゃんのことが頭を過ったんだよ」

「一緒にって」

「一応白上たちって、カミサマに類するモノだからさ。こうゆう直感は不思議と当たるんだ」

 

 この一言で何を言いたいかは大体理解できた。それを確かめたくてスバルは声を上げた。

 

「つまり、その直感ってアタゴヤマに何か重要なものがあるってことですか?」

 三人ともスバルの言葉に首を縦に振る。それが事の重大さを如実に現していた。

「『ケガレ』のこともあるし。ホント、もう休んでる場合じゃないなぁ」

 思わずため息を吐きながら言葉を漏らすスバル。

「そう! そして我々は可及的速やかにそこへ向かい、ことに当たらなければならないのだ!」

 

 冗談めかして言っても、表情の硬さは抜けてない。もしかしたらスバルが思ってる以上に状況は深刻なのかもしれない。



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Girl(s)③

 『決戦は三日後』

 

 ヤマトの、ミヤコの現状を考えれば、のうのうと過ごしている暇はもうなかった。フブキ先輩も言っていた通り、出来る限り速くアタゴヤマに向かわないといけない。

 でも何の準備もしないままにそこに向かうのはあまりにもあまりにも無策すぎる。そこで色んなバランスを鑑みて、アタゴヤマに攻め込むのを三日後となった。

 

「あーなんでこう会議みたいのって、こんなに疲れるんだろ」

 執務室を出て廊下で固まった身体を伸ばしながらスバルは独りごちた。

 体力的にまだまだ余裕がありそうだけど頭の疲れだけはどうしようもない。ちょっとでも回復しないとなぁって気持ちで深呼吸しながら階下の、社から街の外までつながる大路の風景を眺めた。

 

「……やっぱりか」

 誰にも聞こえないように小さく呟くと続いて深い溜息が漏れた。多分疲れてる理由って、会議に出てたからだけって訳でもないんだよ。間違いなく『これ』が一番スバルを疲れさせている。

 

「スバルちゃん!」

 溌剌とした可愛らしい声が窓の外を眺めていたスバルに投げかけられる。声って不思議だよな。トーンが少し違うだけで全く別の音に聞こえるんだから。

 スバルはミオしゃの執務室から出てきたのであろう、声の主に返答しようと思案しながら振り返ろうとしたけど、正直どう声をかけるべきか悩んでしまった。考えてみればオオエヤマでケンカしてからこっち、まともに喋ってないんだ。

 

「ナキ、あやめ殿?」

 いくらなんでもぎこちなさすぎだろ。口から溢れた言葉を戻すことも出来ないのにハッと手で口を覆うスバルにクスクスと笑いながらナキ、あやめ殿はいった。

 

「殿って何だよ? ちょっと硬いよスバルちゃん」

 それはこっちのセリフだとツッコんでやりたいくらいだ。それにしたっていきなり態度が変わりすぎてて困ってしまう。

 

「いや、だってさ。なんて呼べばいいか分かんねーじゃん」

「ミオちゃんみたいに呼び捨てでいいぞ? 余もその方が嬉しいし」

 ほにゃっと笑みを浮かべるあやめ。

 

「なんかオオエヤマでケンカしてた時とえらい違いだなぁ」

 また考えていることをそのまま言葉にしてしまった。流石にこれは失礼しいすぎたかも。

 

「ん? そんなに余は違う感じ?」

 首を傾げるあやめ。いや、そうゆうとことかだよ。

 

「あ……うん、違和感しかねーわ。ジェットコースターみてぇ」

 

 ヤマで刀を振っていたあやめと柔らかく笑みを浮かべるあやめ。同一人物なのはちゃんとわかってんだけどさと付け加えてアハハとスバルも笑ってみた。あやめはスバルにつられてクスクスと上品に笑った。

 

「ん~やっぱそうだよね。余もそう思うよ。正直大袈裟なくらいにやってるところはあるけど……スバルちゃんは今の余は嫌かな?」

「いや嫌とかじゃねーけど。むしろスバルは今のあやめの方が話しやすいからありがたいよ」

 

 これは本心。ケンカの最中のあやめもカッコいいけど、今の方がスバルは好きだよ。

 

「ならいいじゃない」

 

 あやめの返答はシンプルだった。姿相応の可憐な花みたいだなって、そう思っていると続けていった。

 

「余は楽しいのが好きだからさ、それにこんなの初めてだしな」

 あやめを包む雰囲気が優しくて、暖かさを増したような気がした。彼女も本心からそう思ってるんだろう。

 

「お前、思ったよりも面白いヤツだな」

「むーなんだよそれぇ!」

「いやいや、これでも褒めてんだよ」

 いいなって思った。こんな風に話せるなんてオオエヤマでは思っていなかったけど、どうにかなったんだなって今ようやく実感できたよ。まぁ他にも色々見つけちゃったんだけどさ。

 

 廊下の端の方に移動して少し話し込んだ。あやめはコロコロと笑いながらこの二日間にあったことを教えてくれた。オオエヤマの方はシラヌイとカルマって眷属に任せてきたこととか、ミヤコは騒がしいけどみんな楽しげで良い街だなとか、取り止めのない話だったけど、本当に楽しそうだった。この数分でだいぶん印象が変わったけど、それだけミヤコのことを気に入ってくれたんだと思うとスバルも嬉しくなってしまった。

 

「おーい、スバル」

 部屋の中からもう一つ声がした。ひょこっと引き戸から顔を覗かせるのはフワッとした黒髪だ。

 

「おうミオしゃ。ミオしゃもスバルのこと怒る感じ?」

 冗談めかして部屋から出てくるミオしゃにそう声をかけると、少しむくれながら「そんなことしないよ」と冗談を言い返してこなかったところを見ると、真剣な話をしたいみたい。

 

「もうフブキに怒られてお腹いっぱいでしょ? それに……」

 スバルの隣にいるあやめに微笑みかけながら、そう言うミオしゃ。ホント、母ちゃんみたいだ。

 

「うちは心配だっただけだしさ。それに、スバルには感謝こそすれ、怒ったりなんか出来ないよ」

 それはフブキもおんなじだけどねと付け加えるミオしゃ。もちろんスバルだってそれは理解してるよ。優しいからキッチリ怒ってくれてるってわかってる。自分が悪者になってもそうしてくれてることに感謝すらしてるよ。

 

「でもさ、ホントに心配かけたなって思うよ。ありがとね、ミオしゃ」

 スバルがそういうとミオしゃは顔を背けたけど、口の端は笑みを隠せていない。そうゆうとこが可愛いんだよなミオしゃは。顔を背けたのはほんの一瞬。すぐにこっちに向き直った。

 

「なかなかタイミングがなくてさ。これ、渡そうって思って」

 そうそう、ずっと気になってたんだよね。ミオしゃが執務をする部屋は極力簡素にしてるって前に言ってたんだけど、今日は机の上に置かれていたその包みはなんだか違和感を覚えた。その包みをスバルに差し出してくる。促されて包みを開けてみると中にはヤマトでは全然お目に叶っていなかったものが入っていた。

 

「これ、スバルがヤマトに来た時に着てた服をイメージして作ってみたんだ」

 中に入っていたのはリストバンド。確かに、ヤマトに来た時に右手に付けてたのと同じ水色と白のリストバンドだ。そっと触れてみるとなんかあったかい感じがする。

 

「いいじゃん! 何、どうしたの?」

「少し前から作ってたんだよ。ちゃんと大神木の守りも織ってるから、もしものことがあっても大丈夫だと思う。さすがにこの子に頼りきりっていうのも悪いしね」

 

 スバルの足元にフワッとした毛玉が姿を見せ、ミオしゃに飛びついた。ヤマトに来た時からミオしゃに預けてもらっているシキガミの一体だ。こいつのおかげで一人でオオエヤマに行くことも出来たし本当に危ない時は助けてもらった。

 

「そう、だな。色々お前のおかげで助かったよ」

 ミオしゃの胸に抱かれるシキガミの頭をそう撫でてやると、声は出さないけどくすぐったそうに目をパチクリとさせている。見た目通りに可愛いやつだ。

 

「この子にもかなり負担かけたからね」

 ミオしゃも優しい手つきでシキガミを撫でる。あぁそういえば大事なこと言ってなかった。

 

「……あんがとね、ミオしゃ」

「どういたしまして!」

 

 やっぱ笑顔っていいな。お礼を言ったそばからまた大事なものをもらった気分になる。

 するとスバルで話を聞いていたあやめがミオしゃの腕に抱きついてこういった。

 

「ミオちゃん~余にもなんか作ってよ!」

「今すぐには無理だよ。追々ね?」

 まるで仲の良い親子のやりとりを見てるみたいでホッコリする。そんなことを考えていると、「三人ともー、そろそろ会議の続きするよぉー」部屋の中から聞こえてくるフブキ先輩の声。

 

「はいはいー、じゃぁ戻るよ、あやめ。スバルも」

 ミオしゃはその声に応えて、執務室の戸を開けて中に入って行った。あやめもそれに続いていく。

 でもスバルの足はすぐには動かなかった。

 

「うん……すぐ行くよ」

 スバルはもう一度大路に視線を向ける。

「もう、昼間でも見えるようになってんだよな」

 今までは夜の暗がりの中をぼんやりと蠢くものとしか感じられなかった。

 

 でも今は違う。それはハッキリと動いていた。

 

 ヒトの中から、色んなところからそれは染み出して動き回っているのがハッキリ見えた。

 

 そう。『ケガレ』はどこにでもいる。

 どこにだって、存在しているんだ。



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Girl(s)④

 今後の話に一区切りついた。まあ状況と道筋が明確になったから随分余裕が出てきたみたいに思う。フブキ先輩の解散の声とともに溜息をつきながら、スバルは天井を見上げた。

 

「なんだい、やっぱりお疲れかい?」

 

 疲れた顔をブンブンと振って、正面に目をやった。長時間の話にもぜんぜんん疲れた様子を見せずにニコニコとするフブキ先輩の笑顔。すごいタフネスだな。

 

「そんなことないっすよ」

 視線を交わしながらそう言うと、フブキ先輩は微笑んだ。

 

「無理しなくてもいいんだよ。疲れてないなんてことないと思うんだよなぁ。だって、『視えて』るんでしょ?」

 

 その時ドキリと胸が跳ねて、口から「うっ」て声が漏れた。幸いミオしゃとあやめはもう執務室の外に出て行ってたからそれを聞いていたのはフブキ先輩だけ。スバルは顔を赤くして尋ねた。

 

「……なんでわかったんですか?」

 フブキ先輩は気付いてる。スバルの目にハッキリと『ケガレ』が見えるようになったことを。だからわざわざ二人きりになる状況を作って話を切り出してきたんだろうって思った。するとフブキ先輩は静かにいった。

 

「そっか。マズイな」そう小さく呟いて、そして難しい顔をしたまま続けた。

 

「スバルちゃん、かなり白上たちの側に寄って来ちゃってるのかもしれない。ウツシヨのヒトがこんなにも長い間カクリヨにいた記録なんて残ってないもんなぁ」

 正直フブキ先輩の言っている言葉の意味は全然理解できない。難しいからってわけじゃなくて、現実をみたくないっていうのが強いのかもしれない。視線を落として押し黙っているとフブキ先輩がいった。

 

「スバルちゃん、白上のお話聞いてもらっていいかな?」

 

 笑顔はない。ただ真剣な眼差しがズシリとスバルの肌に突き刺さる感じ。すぐに応えられなくて言葉を詰まらせていると先にフブキ先輩がいう。

 

「ゴメン……ホントにゴメンね」

 

 今までに聞いたこともないような、申し訳なさそうな声だった。その声に思わずスバルは弾けた。

 

「なんで、謝ってるんすか? なんでフブキ先輩が謝ってるんすか!」

 自分でも抑えられない劇場みたいなものが弾けて、大声をあげていた。フブキ先輩は頭をさせげて続ける。

 

「本当はさ、『ケガレ』をどうにかするとか、そんなのより先に君を、スバルちゃんをウツシヨヘ返してあげる方法を見つけてあげなきゃいけなかったんだよ」

 

 そう言われて目の前が真っ赤になった。この言葉が、どうしてもスバルにはマイナスなものに聞こえて仕方がない。

 

「スバル、そんな足手まといっすか?」

 

 自分の中に明確に浮かんだその答えを口にする。するとさっきのスバルみたくフブキ先輩が声をあげた。

 

「何言ってんだ! 足手まといなんてある訳ないだろ!」

 特徴のある優しい声が全然違う様相でスバルの鼓膜を、部屋中を揺らしていく。こんなに激しい感情を表に出すフブキ先輩は初めてだ。

 

「君がいたからなんだ」

 今にも消え入りそうな、自分の不甲斐なさを叱責するように彼女は続けた。

 

「ナキリが来てくれたのも、街のみんなが明るくなったのも、みんな君のおかげなんだよ。でも、君は白上たちに寄り過ぎちゃってる。『ケガレ』がハッキリ見え始めたのはその現れだよ。これが長く続けば、ウツシヨでのスバルちゃんの在り方を変えちゃうかもしれない。ウツシヨに帰れても、向こうのヒトからヒトとして認識されないかもしれないんだ」

 

 一気にそう言い切って肩で息をするフブキ先輩。あぁ、そうか。心配してくれてるんだ。

 

「あーよかった」

 その言葉とともに、深いため息が溢れた。 

 

「スバルちゃん?」

 きっと予想していなかったスバルの反応に、目をパチクリとさせるフブキ先輩。あまりにレアな光景に嬉しくなりながらスバルは続けた。

 

「スバル、足手まといじゃねぇんだって、なんかそれにホッとしちゃいました」

 正直に言おう。怖いに決まってる。ヒトじゃないものに寄って言ってるなんて言われて、平気で入れる奴なんてきっといないはずだ。

 

「フブキ先輩、スバルなら大丈夫ですよ。確証はないけど、なんか大丈夫だって……そんな気がします」

 

 そんな直感があった。何があっても大丈夫だって、おかしな感覚。普段ならどんどん落ちて行っちゃいそうな気持ちも、今は変に上向きになっている。

 

 スバルの余裕そうな表情にポカンとしていたフブキ先輩も、ジッとスバルを見つめていた。

 

「なんだよ、それ。あぁ、でも……なんでなろなぁ。スバルちゃんに言われると、本当に大丈夫だって気がしてきたよ」

 

 そう言ってまたにこりと笑みを見せてくれるフブキ先輩。そして立ち上がってスバルの腰掛けている椅子のところまで歩み寄ってくる。

 

 フブキ先輩は膝を着き、丁寧に頭を下げた。

 

「スバルちゃん、絶対に君を守るよ。だから君の、『大空スバル』の力を白上たちに貸して欲しい」

 真摯なその言葉に、答えることなんて決まっている。

 

「スバルが嫌って言う訳ないでしょ? もちろんやりますよ」

 

 伝えるべきはシンプルだった。『ケガレ』をどうにかする。今はそれだけでいいんだよ。あとこの事はそれから考えりゃいいんだ。



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Girl(s)⑤

 話し合いからあっさりと時間は過ぎて三日後の日暮れ時。フブキ先輩の「勝負に勝つにはまずお腹を膨らませないと!」の一言でスバルたちはミヤコを出て、ミゾレ食堂まで足を運んでいた。

 

 まあ運んでって言っても、ほとんど一瞬で着くんだから、そんな大仰なもんじゃないけど。

 

 ミゾレ食堂は相変わらず、ほんのり落ち着いた空気が流れていた。厨房から聞こえてくる女将さんの可愛らしい声も、ぼんやり浮かぶメニュー表も、最初にここに来た時と何にも変わっていない。変わらない良さがあるって言うのはこうゆうもんだよなって思いながら、女将さんが作ってくれたカツ丼を口に運んで行った。やっぱさ、こうゆう食べ慣れたもんが一番いいよ。

 

 食事も大体片付いたのはミゾレ食堂に来てから一時間以上経った頃。各々食事を終えて、注文した最後のきつねうどんを食べていたフブキ先輩がドンと、テーブルに丼を置いた。

 

「ふいー、満足満足! で、これが特別に編んだ依代かい?」

 

 ポンポンとまるで太鼓みたいにお腹を叩きながらミオしゃに尋ねるフブキ先輩。頷くミオしゃは懐に収めていたものを取り出して、自分の前においた。

 

 それはミオしゃが普段から身につけている髪留めに似てるけど、可愛らしい黄色じゃなくて、ぼんやりと蒼色を湛えてるって言えばいいんだろうか。

 

 すごく馴染み深い色をしている。

 

「これは大神木の枝と毀れた結晶を編んで作った特別性だね。コイツを『ケガレ』の中心に潜り込ませて、あとはうちが呪を奔らせれば……」

「結晶って、オオカミの秘宝じゃんか! じゃぁこれって、『シンキ』の域に達してるんじゃないの? いいの、そんなの使って?」

 

 ミオしゃの言葉を遮ってテーブルに手をつきながらフブキ先輩が立ち上がる。食器のぶつかる音がお店に響いた。あわわと慌てるフブキ先輩の顔はなんか可愛く見えたのは内緒にしておこう。

 

 ミオしゃはフブキ先輩からの問いに、顔色を変えずに答えた。

「それくらいしなきゃきっと『ケガレ』は止められないよ。出し惜しみして失敗してちゃ、しょうがないじゃん」

 

 一瞬フブキ先輩の顔に影が出来る。それくらいミオしゃが『シンキ』に使ったものは重要なものだったんだろう。そしてミオしゃの言葉は彼女も考えている事なんだろう。まるで百面相みたいにあーでもないこうでもないっていろんな表情をして最後、深く溜息を吐いてフブキ先輩がいった。

 

「ん~致し方ない、てやつかな」

「うん、まあ使わないに越した事はないけど、十分に準備に越した事はないよ」

 

 スバルは前に話していた「二人じゃ『ケガレ』を抑えられない」って話を思い出しながら、二人に頷いていた。今は心強い味方がいるもんな。

 

 でもそんな心強いはずの味方はぼんやりと、フヨフヨ浮かぶメニューをキラキラとした目でそれを見つめていた。

 

「で、ナキ……あやめはちゃんと話聞いてたのかなぁ?」

 フブキ先輩はため息をついた。

 

「んえ? なんだっけ?」

 

 キョトンとした表情でスバルたちを見るあやめ。全然悪気がなさそうなその表情にスバルとミオしゃもきっと、フブキ先輩と同じ表情をしていたに違いない。あやめを見てスバルはつい口を滑らせた。

 

「はぁ……大丈夫かよ」

「あー! ヒトの事馬鹿にしてるでしょ。余も怒っちゃうぞ?」

「はいはい、お話聞いてなかったあやめが良くないんだからね。反省してください」

「ご、ごめんなさい」

 

 ホント、このやりとりどこまでも家族っぽい。正直羨ましさみたいなのも感じながら、スバルはホッと胸を撫で下ろしていた。あの時、ひとりでオオエヤマに行ったのは無駄じゃなかった。心底そう思えたんだ。そうすると自然と、こう口にしていた。

 

「なんか、安心するんだよな……」

 フブキ先輩がいて、ミオしゃもあやめもいる。きっとコイツらとなら、アタゴヤマで待ってる『ケガレ』がどんなに強くても渡り合っていくことが出来るはずだ。不思議とそんな自信だけはあった。

「君がいたからだよ」

 それは誰に当てた言葉だったんだろう。フブキ先輩はニコニコとこっちを見ながらそう小さく呟いていた。でもなんだろう、それも絶対やれるって自信に繋がったんだ。

 

 そうだ。決戦はもうすぐそこまで迫ってる。

 

 

 

 名残惜しく思いながらミゾレ食堂を後にして、スバルたちは一路アタゴヤマを目指すことになった。またシキガミに協力してもらって一気に近くまでは行くことは出来るから体力面では問題ない。削られていくのは言うまでもなく精神的なものの方だった。

 

「っと、ここまでみたいだね」

 

 シキガミがはたと止まったのを感じて、周囲を確認する。オオエヤマの時は境内に続く山門の前にあっさりと到着したけど、毎回そんなに上手くはいかないって言うのが世の常。アタゴヤマに向かっていたスバルたちが降り立ったのはすごく大きい杉の前。

 小さな社が設けられた、切り開かれた場所だった。そんな場所だから少し歩くだけで、パッと街の、ミヤコの景色が一望できる。日も暮れて至る所から見える営みの灯りがスバルの目にはハッとするほど美しく見えた。

 

「あぁ。綺麗だな」

 やっぱスゴいもんを語彙力ってなくなるもんだよななんて、少しキザっぽいセリフを思い浮かべながら街の方を見つめた。

 

 思えばロボ子先輩のところにいた時も、ヤマトに来てからもこの暖かな光にずっと守られていたような気がする。なんか少し恥ずかしい気分だ。

 

「スバル、行くよ?」

 ぼんやりし過ぎたみたいだ。ミオしゃがそっとスバルに柔らかく声をかけてくれる。

「うん、今行くよ」

 

 そう返事して、先を歩いていく三人の背中を小走りになりながら追いかけていく。

 鬱蒼と生い茂る木々のせいで見通しも悪く、山頂の様子は全く分からない。でも『それ』が山頂にあるのはハッキリとわかった。

 

「……アタゴヤマか」

 そう。山頂には間違いなく、『ケガレ』が集まっている場所があるんだって。

 

 大きな杉の社から多分一時間くらい歩いたと思う。山頂に着く前に確認しておきたかった。少しだけ先を歩くフブキ先輩の背中に声をかける。少し息が上がっているんだろうか、聞こえてきたのは熱っぽい声。

 

「ん? どしたんだい、スバルちゃん?」

「なんかオオエヤマと全然空気が違いますね」

「そうだね。前にも言ったと思うけどさ、アタゴヤマ本来神聖な場所でね、昔から『ヒブセ』っていうイワレがあるんだ。それってすごくヒトビトの生活に根ざしたものなんだよ」

「生活に根ざしたものって?」

「書いて字の如くってね。火を防ぐ、そこから転じて禍を避けたいみたいな思いも集めてるんだと思うよ」

 

 成る程と得心がいった。

 ミヤコの街並みを見れば木造も多い。火事を防ぐって重大事項だ。ふむと頷いているとフブキ先輩が続けた。

 

「本来は禍を避けたいっていう純粋な思いのはずだったものが、どんどん翳っていくんだと思う。『自分だけでも助けてくれ』とか『他のヒトはどうでもいいから』とか、そんな気持ちが溢れていくんだ」

 

 仕方がないことだけどとフブキ先輩が付け加えながらカラカラと笑った。

 

「でもね、一番悪いのは……ここまでほったらかしにしてた白上たちだよ」

 柄にもなく、落ち込んだ声だ。

 

「そんなこと、誰が思うんすか」

「でもね、もっとこう出来たのになぁって考えちゃうんだよ。これでもヤマトを守るーなんていっちゃってる立場だからさ。今まで何してたんだよって感じかなぁ」

 

「でも今はアタゴヤマをどうにかしないと、もっと大っきい不安がヤマトを覆っていくじゃないっすか?」

 

 フブキ先輩は目を丸くして、次の瞬間ケラケラと笑った。

 

「ああ、そうだね。その通りだよ! 今はアタゴヤマに集まっているのをどうにかする。それが全部の解決にならなくても、一歩でも前に進まなきゃね」

 

 フブキ先輩がまた笑った。今度は穏やかな感じ。つられてスバルも笑ってしまう。話し込んでいたからだろう、ミオしゃとあやめのと距離が結構なものになってしまったんだけど、振り返りながらミオしゃがいった。

 

「二人とも! 話し込んでないで。もうそこなんだから」

「そうだぞー、なんか嫌な感じがバシバシ伝わってくるよ」

 

 あやめが視線を前に向ける。それに続いてスバルも視線を前にやるとそこにはオオエヤマの山門ほど厳しくはない、黒々とした門。本来外界と神聖な場所を隔てるために設けられていたモノが視界に入ってきたんだ。

 

「……行くか」

 そう呟いてミオしゃたちの背中に追いつき一緒に門をくぐり抜けようとした時だった。

 

「ーーーァ」

 

 短い呻き声と共に、山門の向こう側から伸びてきた何かがミオしゃの身体を貫いて引きずっていった。

 

「ミオしゃ!」

 山門の向こうにスゴい勢いで引き摺られていくミオしゃを掴もうと手を伸ばしたけど、何も掴めずに手が空を切る。

 

 分かってたのに油断してたんだ。ここが決戦の場所だってことを、スバルたちは甘く考えちゃってたんだ。



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MORNING AFTER①

 終わりなんて存外、すぐに訪れるものらしい。

 どんなに必死になったって、どんなに夢中になったって。

 それは簡単に訪れて、そして静かに終わっていく。

 

 でもその度に、終わりを実感する度に思う。

 きっとまだまだ何かできた事があるんだって。きっともっと上手にできたって。

 ポツリポツリと溜まって、途端に決壊してしまう。

 

 あぁ、もう戻れないんだ。

 あぁ、やり直しは出来ないんだ。

 あぁ、これが、後悔ってやつなんだ。

 

 まるで後悔は水みたいなもんだ。

 きっとそれがあるからヒトは失敗しないように慎重になるし、それに足を絡め取られて動けなくなってしまう。

 なんだかそう思えちゃうんだよ。

 

 燦々とお日様の照りつける通学路の上で額から流れる汗を拭うこともせずにソラを見上げて呟いた。

 

 カタチを持ったみたく、陽の光が押し寄せてくる。 

 ザワザワと音を立てる緑の音が鼓膜を叩いてくる。

 

 今この身体に感じる全部が、今覚えている感情が本物だって押し付けてきていた。

 

「でも、多分こんな時だったかな」

 

 ふいに思い出したように、また独り言が口から漏れた。

 そう。暑くて堪らなくて、どうしようもない時にそいつは気安く声をかけてきたんだ。

 

「あの雲はどっからきたんだろう。ココとは違う場所から来たのかな」

 

 前の自分を思い出しながら、あの時の言葉をそのまま口にした。でも背後から聞こえる声はないし、ピコピコ動く可愛らしい紫のアイツは姿形すら見せない。

 

「……そう何回もおんなじ事は起きねぇか」

 

 今でも思う。あれは夢なんじゃないかって。

 

 でもそうじゃない。それだけはハッキリと分かっている。

 

「な、そうだよな」

 

 大事な友達からもらった、最初で最後のプレゼントにニコリと笑みを浮かべて呟いた。

 

 あれは夢じゃなかった。

 

 間違いなくあの夏、あの場所にスバルはいたんだ。

 

 holoearth chronicles ALT:異伝ヤマト騒乱記

 episode 12:MORNING AFTER

 

 息を呑んでいる間にミオしゃと何かが闇の中に消えていく。山門に足を踏み入れた瞬間の出来事に、頭が追いつかなくて次の行動が取れない。

 

 ただミオしゃを掴もうとして放り出した手だけが空を切って呆然としてしまう。

 

 そんなスバルを他所に、地を蹴る音が響く。

 

「みおちゃん!」

 さっきのミオしゃみたく、瞬きが間に合わないくらいの速さであやめが駆け出していた。

 

「スバルちゃん!」

「分かった、フブキ先輩!」

 

 駆けていく赤の軌跡を追って、フブキ先輩の合図で山門をくぐり一気に走っていく。突然現れたものの正体は大体察しがつく。でもあんな動き、今まで見たこともないし、まさかミオしゃがあんなにも簡単に引っ張られていってしまうなんて想像も出来なかった。

 

 走り始めて数分が経過した頃だ。硬いものが空を斬る鋭い音が届いてきた。もう始まってしまっていると焦りを覚えつつ、ようやく開けた場所に出た瞬間、スバルたちの目の前に入ってきたのは暗闇の中で刀を振るあやめの姿。一瞬目がおかしくなったのかと思った。なんであやめは何もないところで刀を振り回してるんだって、本気で思ったんだ。

 

「これ、なんだ?」

 でもこのフブキ先輩の一言でスバルはそれに気付いて、そして絶句してしまった。あまりにも大きすぎて一眼で『それ』と認識できなかった。

 

 大きな、あんまりにも大きな『ケガレ』だった。

 この空間全部を覆い尽くすほどの巨体。

 その姿はロボ子先輩と一緒に見た、ビルを覆い隠すくらいに大きな『ケガレ』そのものだった。そしてあやめのすぐそばにはぐったりと地面に身体を横たえているミオしゃの姿。

 

「フブキちゃん、スバ……ちゃん! ミオちゃんを!」

 

 叫び声に近いあやめの声が響いてようやく正気を取り戻したスバルよりも速く、フブキ先輩が駆け出してミオしゃを抱き起す。暗い中でもハッキリと見えるくらいに苦々しい表情をしたフブキ先輩はすぐにミオしゃを抱き抱えてこっちに戻ってきた。

 

「ミオ、答えなくていいから。首振るだけでいいから! 大丈夫?」

 スバルの前にミオしゃの身体を横たえるフブキ先輩。ミオしゃの前に膝をついて様子を確認すると、身体中には引き摺られてできた擦り傷。そして脇腹からは赤々とした血がとめどなくなく溢れている。綺麗な布がないとかそんなこと言ってられる場合じゃかった。スバルは自分の袖の裾を強引にそこに押しやり、溢れ出る赤を必死に止めようと押さえつける。時折痛みに耐えるくぐもった声が耳に痛い。少しずつ赤く、重くなっていく袖が時間の経過を感じさせた。

 

「……い……ぶ」

「喋んな!今、血止めるから! だから……」 

 

 必死になって声を荒げるスバル。でもミオしゃに返す気力は残っていないのだろう。どんどん呼吸の感覚は短くなっていく。

 すぐにでもどうにかしないと! そればっかりが頭から離れないくせに、方法が思いつかない。でもミオしゃの事ばっかりに気を取られていたスバルは、大事なことを忘れていた。

 

「ーーーック!」

 重みに耐える声とジリりとなる地面の音でそれに気付かされたっていう方が正しいのかもしれない。あやめはずっと戦っていた。自分よりも何倍も、何十倍も大きな『ケガレ』の猛攻を、二本の刀だけで押し込めていた。普段ならきっともっと軽快に動くはずのその身体は、きっとスバルたちを守るって枷をつけられて十分には力を出せてなかった。

 

「スバルちゃん、ちょっと頼んだ!」

 声を放ったと同時にボールみたいに大地を蹴ってフブキ先輩があやめの側に駆け寄る。鞘から抜き去った刀を一閃、あやめを追い詰めていた『ケガレ』に見舞った。『ケガレ』が一瞬怯んだ瞬間、体勢を整えてあやめが追撃の一撃を見舞う。二刀を同時に叩きつける乱暴な一撃だ。でもそれが功を奏したんだろう。『ケガレ』と二人の間には一定の間合いが生まれる。

 

「フブキちゃん、コイツら!」

「予想できたのに……」

 

 息を整えながら叫ぶあやめに、悔しそうにフブキ先輩が返す。

 

「コイツ……いや、『コイツら』全然違う。ミヤコにいたのと全然違う!」

 

 そう『ケガレ』を睨みつけながらフブキ先輩が悔しげな表情を浮かべた。そして目の前にはまるで洪水みたく、全部を飲み込もうとする『ケガレ』の群れ。もう逃さない、逃げることは出来ないって笑いながら言うように、それはスバルたちの視界を覆っていった。

 

 目の前に迫ってくる『ケガレ』はソラすら覆い隠さんとする勢いで勢いを増していく。それは決して叫び声を上げる事はないけど、月の光に照らされて戦慄くように身体を震わせる様子は獲物を威嚇する怪物みたく感じられた。先の見えない黒を赤と白の軌跡は何度も何度も斬り裂く。でも何事もなかったように黒は元のカタチを取り戻して赤と白を捉えんと自身をは蔓延らせていく。

 二人になったことで幾分あやめとフブキ先輩も幾分戦いやすくはなったみたいだけど、それでも止め処なく溢れてくる『ケガレ』に徐々に体力を奪われていっている。ミオしゃの傷を抑えながら二人の戦っている様子を目にし、スバルが素直に感じたのは『これじゃダメだ』って言葉。きっとこのままでは二人が動きを鈍らせた瞬間に一巻の終わりだ。

 

「やっぱり、あれを止めるには……」

 

 スバルの脳裏に、ミゾレ食堂で目にしたあの『シンキ』が過ぎる。でもそれを使えるのはミオしゃだけだ。あれをどうこうすることはきっとフブキ先輩でも無理だろう。もし『ケガレ』がそれを見越して一番最初にミオしゃを狙ったんだとしたら、今のスバルたちにこの状況を覆す目をあるのか? 正直挽回の手段がスバルには思い浮かばなかった。



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MORNING AFTER②

 戦いは続いていく。

 ソラを覆い尽くそうと身体を大きく広げる『ケガレ』の群れは執拗にあやめやフブキ先輩の動きを止めようと、その身体を叩きつけている。なんの策もない、数で圧倒するまるで洪水みたいな攻撃だ。それでも数が多いと言うことはそれだけで力を発揮するもの。それは一つの動きだけで簡単に退路を塞いでしまうくらいに圧倒的だった。

 

「これ、ヤバイ!」

 その身体を大きく広げ、倒れ込むようにあやめたち進路を塞ぐ『ケガレ』の群れ。その一点を刀の切先で穿ち進路を確保しようとするフブキ先輩。でも大きく広がる『ケガレ』は斬り裂かれたそばから再生し、フブキ先輩の背後から獣みたく爪をたてて迫りくる。

 

「ふぶきちゃん! 前、頼んだ!」

 

 その声とともにあやめの二刀が『ケガレ』の爪を弾くと同時に根から断つ。銀と赤が跳ねる様はまるで舞踏のようだとフブキ先輩は思ったに違いない。後方を一瞥してすぐにこういった。

 

「あやめ、任せたよ!」

 

 これ以上に頼もしい味方はいないと、焦りの渦中にありながらもフブキ先輩は刀を握りしめる手に力を込め、眷属の力でその得物を戦鎚に変えながらこう呟いた。

 

「スバルちゃんがミオを守ってくれてる。今は白上たちがどうにかするしかないんだ」

 

 戦いは続いていく。

 破綻を間近にしながら、それでも足掻きながら二人は刀を振い続けていた。

 

 どうしようもない現実に、自然と傷口を押さえる手に力が入ってしまったんだろう。くぐもったミオしゃの声でそれに気付いたスバルは力を弱める。

 

「ミオしゃ、ゴメン! 痛かった……」

 

 声が詰まった。違う、音になろうとした瞬間に飲み込んでしまったんだ。

 痛みで叫び声をあげていてもおかしくない位の傷なのに、顔を顰めていてもおかしくないはずなのに、ミオしゃは笑っていた。

 

「だい、丈夫だよ、スバル。そんな、深くは……斬られてないから」

 今にも崩れそうな笑顔を必死に繕って、笑顔でスバルにそう言ったんだ。こんなに辛そうなのに、こんなに苦しそうなのにスバルを気遣って笑ってくれてるんだ。それが悔しくて、情けない。

 

「だから喋んなって! 斬られたんには変わりないんだぞ? 大丈夫な訳ないだろ!」

 

 気付いたら、優しくしてくれたミオしゃに八つ当たりするみたいにスバルは声をあげていた。思わず口元に手をやった瞬間、赤の生温かさと鉄の匂いで我に返ったんだ。そしてまたすぐに自分の袖をミオしゃ傷口にあてがってこう続ける。

 

「……ゴメン。スバルのこと、気に掛けて言ってくれたのに」

 

 自分が何も出来ないからとか、今はそんなん関係ない。ミオしゃの傷をどうにかすることを考えなきゃいけないんだ。でも溢れる血に、頭は掻き乱されていく。まともな考えが浮かんでこないんだ。

 

「スバル」

 それをまた優しい声が包んでくる。今度は自らの手をスバルの手の上に置いて、そう伝えてくる。

「ミオしゃ、もうすぐだ。もうすぐ止まるから、だから……」

 そう言うしかなかった。一心不乱に傷口を押さえながらそう言うしかスバルには出来なかったんだ。

「スバ、ル……ちょっと、手、どけて?」

 

 意味が分からなかった。血を止めようとする手を退かせようとするなんて正気じゃない。それだけでも信じられないのに、仰向けに横たえていた自分の身体を無理矢理に起こして、前のめりにうずくまろうとする。

 

「なぁ、何しようとしてんだ? なぁミオっ……」

「大丈夫だよ」

 

 その笑顔に気圧されてスバルは手を退けて、そして少しだけ身体を避けた。それに笑顔でありがとうって言って、顔を伏せてブツブツと小さな声で何かを呟くミオしゃ。

 やっぱり痛みでどうしようもないんだ。もう一度ミオしゃに近づこうとするけどそれと割り込むように、傷の周囲にミオしゃのシキガミが集まり始める。シキガミは周囲の水を集め、赤く汚れた彼女を洗い流す。

 それでも傷がどうこうなるわけじゃない。中身は無事でも派手に血が出てるんだから縫うなりしなきゃ……

 

「おい、ミオしゃ……まさか」

「叫んでも、一気に……やって。うちは、大丈夫だから」

 

 気付いた時には遅かった。シキガミたちが光の線みたくなった次の瞬間、ミオしゃの傷口をそれが結び目を作るみたいに駆け巡ってそこに蓋をしていく。

 

 ほとんど一瞬の出来事だったと思う。でもミオしゃが必死に声を出さないように痛みに耐えて蹲っていたのを見れば何をしたのかは一目瞭然だった。

 

 馬鹿げてるよ。痛みをどうにかするものもないのに無茶苦茶だ。自分の常識で考えられない光景に、スバルはただこう呟くしか出来なかった。

 

「ミオ、しゃ……」

 

 文句の一つでも言って欲しかった。

 何も出来ないくせにって。役立たずって。

 でもそんなことを一言も言わずにミオしゃはまた微笑みかけた。

 

「大丈、夫だよ。うちは、大丈夫だよ」

 そして顔を上げて彼女は続けた。

「行かなきゃ……うちが、行かなきゃ……」

 痛みで濡れていても、瞳だけは強さを湛えたままジッと戦うフブキ先輩とあやめの、二人の後ろ姿を見つめていたんだ。

 

 もう、混乱して頭がどうにかなっちまいそうだった。

 眼前では強大な『ケガレ』に刃を振るうあやめとフブキ先輩の姿。歯を食いしばりながらそれを見つめて、必死に立ち上がろうと足に力を込めるミオしゃ。

 

 でも足はガクガクと震えて、全く力が入っていない。そんなミオしゃにスバルが言ってあげられるのはこれだけだった。

 

「ミオしゃ、何してんだよ。今は、休まないと」

 ミオしゃの肩に手を置いてそう続ける。でも返ってきたのはさっきと同じ、優しい笑顔。

 

「う、ん……大丈夫だって。傷だって、ほら」

 そう言ってシキガミの力で無理矢理に閉じた傷口を示す。確かに血は止まってる。でもそんな簡単に痛みが消えるはずはない。現にミオしゃの呼吸は浅く、今にも倒れそうなくらいに顔の色は青い。

 こんなのただの強がりだ、無謀だよ。それで身体がおかしくなっちゃったらどうしようもないじゃないか。ただスバルは心配しているんだって伝えたいだけだった。それでもこの状況に焦って声が荒ぶる。

 

「何言ってんだよ! 無理矢理傷口をそんな風にしたって、血だってすげー出てたんだぞ? 今だって足元もフラついてんだぞ? 今はさーーー」

「無理だよ」

「何、言って……?」

「スバルは、動くななんて言われて、出来るの?」

 

 笑顔だけど、はっきりとした拒絶を感じた。ミオしゃの耳にはもうスバルの静止の言葉は届かないんだって伝わってきた。

 

「ミオしゃ……」

 その呟きも届かない。再び足に力を込めて、ようやく立ち上がったその姿は満身創痍って言葉があまりにピッタリくるくらいに朧げだ。

 

「うちがミヤコのみんなを、ヤマトを、守るんだ……!」

 それでも彼女の言い放つ言葉から力強さはなくならない。その瞳だってしっかりと光が灯っている。そして懐にしまっていた『シンキ』を手にグッと握り締め足を動かす。

 

「だか、ら……」

 一歩、引きずりながらまた一歩ゆっくりと足を進めるミオしゃ。もう止めたって縛ったって止まらない。少しずつ前に進む姿を目にし、スバルはそう確信した。

 それなら、スバルに今何が出来る? フブキ先輩やあやめみたいに『ケガレ』を抑え込む力のないスバルに、ミオしゃみたくどんなに傷付いても這いずってでも前に進む覚悟のないスバルに何が出来る?

 どうすれば三人を少しでも助けることが出来るんだよ。

 

「そうだ……」

 

 考えの纏まらない頭が導き出した答え。それはあまりにシンプルな、そして危険な賭けだった。

 

「力はなくても、走るくらいなら出来んだろ? なぁ大空スバル……」



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MORNING AFTER③

 うわ言のように「大丈夫」と言い続けていたミオしゃも、突然変わったスバルの声色に足を止めてこちらを向いた。彼女の表情は完全に体力も底をついた、疲れ切った顔をしている。

 

「ミオしゃ、大丈夫だよ」

「……え?」

 

 スバルの「大丈夫」の意味は理解出来ない。ミオしゃはそんな表情をしていた。振り返ったことで余計に体力を使ってしまったんだろう。ミオしゃの身体がよろけて前のめりに倒れ込みそうになるのを正面から支えて肩を貸し、あやめたちの戦っている場所から少し離れながらこう言った。

 

「大丈夫だよ。スバルが……スバルがやるからさ」

「何、言ってるの?」

 また同じ表情。そりゃ内容なんて言ってないも同然なんだ。わからないに決まってる。でも薄々ではあるけれどスバルの言葉の意図していることを察したんだろう。スバルに支えられてた腕に力が入って強張っていく。だから言ったんだ。

 

「その『シンキ』ってさ、別にミオしゃが『ケガレ』の中に突っ込まなきゃいけないってわけじゃないんだろ?」

 

 ミオしゃを広場の隅に座らせて、出来る限りの笑顔を浮かべてそう続けた。

 

「ーーーッ!」

 

 あぁ、気付いた。

 右手に大事に握り締めていた『シンキ』を今度は離さないように両の手で握りしめようとする。でもその手を取るとスバルでも解くことができるくらいに弱々しい。強引にミオしゃの手から『シンキ』を取り上げるのは存外難しいことではなかった。

 

「ミオしゃ。分かってるよな?」

 

 またニカッと笑みを浮かべる。徐々にミオしゃの表情に痛みとは別の感情が滲んでいく。

 

「ダメ! ぜったい……ダメ、だよ!」

「そこで座っといてよ。この『シンキ』はスバルがアレのとこに持っていくから」

 

 きっとその先はミオしゃにしか出来ないからさと付け加えて、取り上げた『シンキ』を落とさないようにギュッと握り込む。それが段々と熱を帯びていくのを感じていると、ミオしゃが声を荒げた。

 

「ヒトじゃその『シンキ』にも、『ケガレ』にも耐えれな、い! スバル!」

 

 きっとそうだろう。熱を帯びていく『シンキ』を手にしていれば、さらに濃い闇へと変貌していく『ケガレ』を目の前にしていれば、そう考えるのが自然だ。カミサマでもアヤカシでもないこの身体が、カミサマの作り出したイワレを使いこなすなんて無茶にも程がある。そんなことが出来たら、それこそご都合主義じゃないか。

 

「ミオしゃ、別にスバルがこれ使ってどうにかなんて、思ってないよ」

「……ィッ、じゃぁ早くそれを」

「でもさ、持って行くくらいは、出来るじゃん?」

 

 そう言った側から口が、喉が渇いていくのが分かった。次の瞬間、踵を返して地面を思いっきり蹴った。

 

「スバッ……ル!」

 

 背中から聞こえる、痛みに耐えるミオしゃの呼びかけに一瞬後ろ髪をひかれた。でも動き始めた足を止めることはもう出来ない。このチャンスを逃すわけにはいかない。弱気の自分を振り払うために、ちょっとでも自分を鼓舞するために視線を返さずにミオしゃにこう返して走っていく。

「スバルがやる。だからミオしゃ!」

 

 それ以上は必要ないと思った。一心不乱に自分が出来うる限りの速度で足を動かす。これも確信があったんだ。今ならきっとアイツらは、『ケガレ』たちはスバルのことなんか、ヒトのことなんか見てないって。

 

 スバルの予想通り、『ケガレ』の間近を走ってもコイツらはスバルに見向きもしない。

 当然だ。『同じモノ』を警戒する必要なんかないんだから。

 

 あんなに遠かったフブキ先輩の、あやめの背中に追いついて一気に追い抜いていく。ケガレの圧力を必死に受け止める二人の姿に申し訳なさを覚えながら、また叫ぶ。

 

「あやめ、ふぶき先輩! あと、任せた!」

「スバルちゃん!」

「スバル!」

 

 二人の表情は見てやれない。ただ早鐘を打つ鼓動を必死に押し留めてもう一度最後の強がりを口にした。

 多分二人に聞かせてあげられる最後の一言だったから、弱気じゃなくていつものスバルの言葉でこう言ったんだ。

 

「スバル、走んのだけは速いから!」



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MORNING AFTER④

 向かう先は『ケガレ』の中心。それがどこかっていうのはハッキリとは言えない。

 

 感覚的なモノだった。

 

 でも走ったその先に必ずそれがあるって確信があった。

 あと数メートル、あと、数歩。

 すぐ側まで迫っているはずのそのゴールを目前に、スバルの目の前は完全に真っ暗になった。

 

 まただ。また同じ感覚だ。

 

 あやめと戦った時の、スバルの中から『ケガレ』が溢れ出した時と同じ感覚なんだ。

 鼓動を打つ音が耳に鈍く響いて、肩が上下する回数がどんどん増えていく。背中から聞こえてくるあやめとフブキ先輩の声をそれらの音が覆っていっているんだ。

 

 まるでテレビの画面を耳を塞いで見ているっていいかな。

 それが正しいのかは分かんないけど、多分そんな感覚。

 

 突然暗闇の中に放り込まれて、全部が全部スバルから離れていってしまう。そして自分の内側から溢れ出す。『ケガレ』が手を伸ばして、スバルを絡め取ろうとしてくるんだ。

 

 『また来た』

 『いい加減、強情になるのやめろよ』

 『もう全部諦めちゃえよ』

 『なんで関係のないセカイのことをスバルが背負わなきゃいけないんだ?』

 『スバルじゃ誰も守れないって』

 『無理だよ、諦めようよ』

 『調子に乗んな。お前はただのニンゲンだ。みんなとは違うだろ』

 『醜い、暗い、『ケガレ』とおんなじだ。ヒトに頼ることしかできないニンゲンだろう?』

 『小さい、ただのニンゲンがセカイをどうこうできるはずがないんだから』

 『お前には、セカイは救えない』

 『大空スバルには、セカイは変えられない』

 

 頭に浮かぶ考えがカタチを持ったみたいにスバルの足を重くしていく。いや、違うか。スバルの思いが『ケガレ』ってカタチになって本当に纏わりついているんだ。お前の気持ちは分かるよって、一緒になろうよってそう言ってるみたいだった。

 

 『もう良いじゃんか』

 『分かってるんなら足を止めろよ』

 『出来ませんでしたって、誰かに泣きつきゃ良いじゃん』

 『後からさ、“もうちょっとだったのになー”って言えば完璧さ』

 『みんな弱い。お前も、弱くて良いんだ』

 『全部手放しちゃえよ』

 『カミサマでもないお前に、何ができる、自分を過大評価しすぎだ』

 『お前の中から『ケガレ』は生まれてる。その事実にちゃんと向き合えよ』

 『もう無理だ。もう何やったっておんなじなんだ!』

 『誰も救ってくれない』

 『どんなヒトだって、セカイは変えられない』

 

「あぁ、そう……だな」

 

 やめちゃおう、全部全部やめちゃおう。

 

 そう一言口にして、足を止めてしまえば楽になれる。そしてこの優しい停滞を受け入れてしまえばもう何も考えなくて済む。それってもしかするとさ、すごく幸福なことなのかもしれない。

 

「でもな……」

 

 グッと奥歯を噛み締めて、正面を向く。

 相変わらず視界には暗闇が広がっていて、背後からはその黒と同じ色の、『ケガレ』の手みたいにスバルに纏わりついてきていた。

 

「そういうのはな! もう、腹一杯なんだよ!」

 

 ブンと腕を振る。さっきまで嫌な温もりを残していた袖口が硬く重たくなっているのを感じた。

 

「知るか! 分かってやらない!」

 

 自分の中から溢れ出てきた言葉たちを『知らない!』と声を荒げて前に進む。

 

「変えるだの変えられないだの、うるせぇ!」

 

 何にも出来ないってことはもう随分前に理解している。

 ロボ子先輩がいなければ、ミオしゃたちがいなければ、きっとスバルはそれすら知らないガキのまんまだったと思う。それこそ何かを変えるだなんて大仰なこと、一人で出来るわけないんだ。

 

「それでもやるんだよ。自分が出来ること、やってやるんだ!」

 一個だけで良い。スバルじゃないと出来ないってことなんてないと思うから。だから出来ることを精一杯やるしかないんだ。

 大した距離もなかったはずなのに、長距離を走ったような疲労感。その時気付いた。場所なんてどこだって良かったんだ。それを引き寄せることが出来る場所だったら、それを使うのはどこでも良かったんだ。

 握り締めていた『シンキ』がさっきよりも熱を帯びていく。ここがゴールだって教えてくれていた。

 ゆっくりと足を止めて大きく息を吸う。

 

「……け……」

 

 ダメだ。喉がカラカラになってもう声が出ない。

 でもこれが最後だから……だから力を振り絞って叫んだんだ。

 

「やっちまえ、ミオしゃ!」

 

 喉から血が出るんじゃないかって思えるくらいの声を張り上げる。この暗闇の中で誰に届くんだろう。でもきっと届くと信じてお腹の底から声をあげた。

 それに呼応するように、『シンキ』が熱を帯びる。もう手にしてはいられない。そう思った瞬間、思わず手から『シンキ』が滑り落ちていった。

 

「ッ!」

 

 地に落ちる前に掴み取らないと。その一心で手を伸ばす。でもスバルの動きよりも早く、『シンキ』は地面へと落ち、シャンという音を立てた。そしてそれは同時に光を放って全てを包み込んでいった。

 

「この光……あの時と、おんなじ?」 

 蒼白い光が、全部を包み込んでいったんだ。

 

 そしてまた、スバルは意識を手放してしまった。

 

 あの時と同じように、また。



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MORNING AFTER⑤

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 まるで抑えつけてくる滝みたく思えていた『ケガレ』の猛攻は、目的を果たしたかのようにその腕を降ろし静かに、ただ静かに佇んでいた。

 

 どうしてそうなったのか、答えは明白だ。

 だって白上たちは目にしていたんだから。

 

 気丈に、心配かけまいといつもの明るい声で『ケガレ』に向かっていく彼女の姿、スバルちゃんの背中を目にしていたんだから。

 

 何も出来なかった。

 『ケガレ』の中心へと、全速力で駆けていったスバルちゃんの背を見送ることしか白上たちには出来なかったんだ。

 

「何が、カミサマだ……何が守るだよ」

 不意にこんな言葉が口からこぼれた。

 そう。あの時、オオエヤマであやめちゃんに放った一言。これはあやめちゃんを牽制するためじゃない。

 

 本当に、本当に心の底から白上が望んで、そうしたいそうありたいって思ったから口にしたんだ。でも結局何も出来ていない。

 

 これじゃ……カミサマ失格だ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「嘘だ……ねぇなんでヒトリで行くんだよ」

 駆け抜けていく後ろ姿に、そんな恨み言しか呟けない。そんな自分が不甲斐なくて、そんな自分が大嫌いで。

 

 でもこうも思っていた。

 なんて、なんてカッコいい後ろ姿なんだろうって。

 

 あぁ、このヒトについて来て何も間違いはなかったんだって、余は心の底からそう思っていたんだ。

 

 でも同時にスバルちゃんは守るべきヒトのヒトリなんだ。

 

「すぐに、すぐに余もそこに行くから!」

 

 言葉を吐き出すと同時に、渾身の力を込めて刀を振るった。

 

 無様でもいい。

 馬鹿にされたっていい。

 

 それでも余は、側に居続けたいんだ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ダメだ、ダメだよ……スバル」

 自分の不甲斐なが言葉になって、涙と一緒にこぼれ落ちた。

 なんでスバルの手を掴めなかったんだろう。なんで止めることができなかったんだろう。そんなことばかりが頭をグルグル回り始めていた。

 

 途端に幕が落ちたように、周囲が暗闇に包まれる。スバルが駆け抜けていったあと、まるで戦慄くように『ケガレ』が周囲全部を包み込み星灯りも通さない、暗闇へと変貌していた。

 

「これ……スバルを逃さないつもりなの?」

 

 『ケガレ』の行動を見ればそう考え至るのは当然だった。今までうち達を排除しようとしていたはずの『ケガレ』は、攻撃の手を緩め何もしてこないのだ。

 

「ミオ!」

 それを見るや刀を納め、フブキがうちのところまで駆け寄ってくる。あやめも同じようにしているけど、いつ『ケガレ』が襲ってきても良いように、刀を構えたまま硬い表情は崩さない。

 

「とりあえず……でも」

「ミオちゃん、フブキちゃん! 早くスバルちゃんを!」

「分かってる! 分かってるけど……」

 

 あやめの声に被せるように声を上げたフブキ。こんなに激情を露わにすることなんてほとんどない彼女が此処まで声を荒げるなんて。目を疑ったけど、そうなってしまう理由は明白だった。

 

「スバルちゃんの気配が感じられないんだ。下手に白上たちがあとに続いたら……」

 

 悔しそうに呟かれた一言に、あやめとうちは言葉をなくしてしまっていた。そうだ、なんでうちも気付かなかったんだろう。『ケガレ』がスバルを飲み込んで、そしてうちたちも覆ったあと、うちはスバルの気配を感じれなくなってしまっていた。

 

「……スバルちゃん」

 あやめも言われて初めて気が付いたんだろう。スバルが走り去った後を呆然と眺めてそう呟く。

 

「だから白上たちが下手に動いて、戦えなくなっちゃったらそれこそ最悪なんだよ」

 そう言ってフブキもあやめと同じようにスバルのいなくなった場所を睨みつけていた。とりあえず今持てる力を全部使えばうちたちの周りを覆っている『ケガレ』を払うことは可能だろう。それは同時にスバルを諦めるってことと一緒だった。でもこの後のことを考えればそうするのが最善の手段なのかもしれない。

 

「こんなの、こんなのないよ!」

 あやめが悔しそうに顔を歪める。口の端からうっすらと赤が滲む。うちもおんなじだ。おんなじくらいに悔しい。でもどうしようもないことだってあるんだ。それを受け入れるしかない。

 自分たちのい不甲斐なさに打ちひしがれて、落胆のため息を漏らした瞬間だった。

 

「ミオちゃん、聞こえる?」

 

 あやめがそういった。

 

「フブキ、これって?」

 

 確かにうちの耳も聞こえたんだ、必死に声をあげるあの声が。うちたちを救ってくれたあの声が。でも気配は全く感じられない。だからこの感覚を確かなものにしたくて、フブキの方に視線を向けた。

 

「すごいよ」

 

 一言、そう呟いてフブキは涙を流していた。

 

「やっぱり、あの子はすごい……」

 

 うちも同じ、うぅん……きっとあやめだって同じように思っている。そしてこれがスバルが作ってくれた大きなチャンスだってことうちには分かっていた。

 

「ごしんかいえい、あっきをはらい、きどうれいこうしぐうにしょうてつし……」

 

 だからこの詞を口にした。打ち消すんじゃなくて、遠ざけるんじゃなくて、理解できるように。

 

「キュウキュウニョリツリョウ!」

 

 それが別れの詞になるって分かりながら、うちは躊躇することなく口にしたんだ。



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MORNING AFTER⑥

 どれくらい逃げ続けただろう。陽のある内はビルの影に身体を潜めて、息を殺していた。夜になればどこからともなく現れる『ケガレ』から逃げ続けて、また消耗していく。

 

 スバルと別れてすぐ、ボクは左腕を失った。完全に自分の力を過信しすぎたことが原因だって思う。だからこそ出来る限り慎重に行動していたつもりだったんだ。でもそれにもついに終わりは訪れるみたいだ、まるで張り詰めていた糸がふいに切れてしまうように。

 

「……」

 

 声を出せないまま、どれくらいの時間が経過しただろう。陽が出たことで『ケガレ』が姿を見せなくなってから、ボクはずっと黙って体力の回復に努めていた。でも体力をどれだけ回復させたって戻す事出来ないものがある。

 

「そっか。脚、やられたんだ」

 そう独りごちて、本来そこにあるはずの物のカタチを思い浮かべる。左の足首、どんなカタチしてたっけ? あぁダメだ。ボンヤリしちゃってもう思い出すことも難しくなっちゃってる。確かここに逃げ込む前、左脚を掴まれた覚えがあるんだけど、多分その時に紙細工みたいに握りつぶされたんだろう。先の方がひしゃげた足首の成れの果てが目に痛い。

 

「もう……」

 もう、ダメだって、その言葉が喉を痞える。違う、これを口にしたら本当に終わってしまう。

 

「なんのために、笑って送り出したんだよ」

 

 この状態ではきっと次に『ケガレ』に遭遇すれば……そんなことを思っている間にソラに薄く広がっていたオレンジ色が消え失せた。同時にボクの周囲を『ケガレ』の塊が這いずり始める。

 

 

 あぁ、さっき否定したけど……ゴメン、スバル。ボク、もう……

 

 

 諦めが頭を過ぎってギュッと目を閉じようとした瞬間、視界の端を小さな光が灯る。

 もう輝くことがないと思っていた蒼い光。スバルを送り出したのを最後に輝きを失っていたそれが強い光を放ったんだ。一つ一つのカケラは小さくても、街中に散らばったカケラは一斉に光り輝き光で全てを覆っていった。

 

「これ、なんで?」

 目前に迫っていたはずのケガレはどこにいったのか、次に目を開けた瞬間に影もカタチもなくそれらは消え失せていた。

 

「消え、た」

 ただ目の前の事実を口にした。なんかすごく間抜けに感じる。

 

「そっか。『繋げて』くれたんだ」

 そうだよね。そうじゃないとあんなに多かった『ケガレ』が姿を潜めることはない。

 スバルがセカイを『繋げ』て、調和を取り戻してくれたから、こうなったんだ。

 

「ありがとう……スバル」

 どれくらいぶりにこんなに穏やかに星空を眺めることが出来たんだろう。久しぶりに訪れた平穏を噛み締めながら、ボクはゆっくりと目を閉じた。

 

 

 どれくらい寝転がっていたんだろう。ミオしゃから取り上げた『シンキ』の眩い蒼の光が包んですぐ、スバルの意識は途切れてしまった。目を開けて顔を左右に振ってもそこにあるのは真っ白な空間。それは時間の感覚も、疲労感すら麻痺させるような何もない場所だった。

 

「どこ、だ……ここ」

 ボソッと呟いて、不思議と確信が頭を過ぎった。

 

「あぁそっか。どこでもねぇんだ」

 深くため息を吐いて独りごちる。きっとこれは一瞬の夢みたいなもんんだんだろう。こうやって振り返るのにはちょうど良いかもしれない。ダランと手足を投げ出してボンヤリと上を眺めた。

 

「スバル、なんか出来たんか? 何も出来てないんじゃないのか?」

 正直どうだか分かんないんだ。結局ただ走って、ただ叫んだだけだったから。でも心残りはどうしてもある。きっとここから、この夢から覚めたら二度とミオしゃたちには会うことはできないって確信があったから。それだけが心残りで仕方がなかったんだ。

 

『ありがと、スバルちゃん』

 ふいにスバルの顔に影がかかる。表情豊かな声が全部を包んでくれるみたいに優しく響く。

 

「『わたし』が閉じたセカイをつなげてくれた、スバルちゃんだから出来たんんだよ」

「……分かんねぇけど、そういえば見たことある」

 

 目を凝らしてもそのヒトの顔がハッキリと見えない。

 

「そうだ。ロボ子先輩のとこにあった、写真たてに写ってたヒト……あれ?」

 なんでだろう。そのヒトだっていうのは思い出したのに、どうしても名前を呼ぶことが出来ない。呼ばなきゃいけないのに、言葉が喉に痞えてうまく喋れないんだ。でもそのヒトはスバルを咎めることなく、優しい声色でこう続けた。

 

「うん、きっとロボちも喜んでくれてるよ」

 本当にそうだろうか。上手くやれたかは全然わからないけど、でも、このヒトがそう言ってくれるんだったら間違いないか。あれ? なんでだろう。すごく、眠たくなってきた……もう目を開けてられないや。

 

 ゆっくりと瞼が閉じていく。それを見てそのヒトは微笑んでこういった。

 

「じゃあね。また会えるから……」

 

 あぁ、すごく幸福な言葉だ。

 

 だからスバルも、閉じていく意識の中で最後に、こう答えた。

 

「うん、じゃあまたね。そら……せんぱい」

 



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A Hundred Suns

 学校で友達たちと別れて、今日も家までの帰り道を一人で歩いている。

 

 本当なら誰かと一緒に帰りたいなって思うこの通学路も、今日はなぜだか一人で歩きたくなったから、部活をサボっちゃったってのは秘密の話だ。

 

 あれから季節は一巡りして、また暑い季節がやってきていた。

 ロボ子先輩に会って、ミオしゃたちと冒険したあの夏から一年が経とうとしていたんだ。

 

 なんだか時間の感覚がおかしくないかって? そりゃそうだよ。あの後、スバルが目を覚ました時、長い時間ヤマトにいたはずなのに、こっちに帰ってきたら数日しかたっていなかったんだから。まあ、今となっては訳の分かんない話だろうから深く考え込まないようにしているっているもの、これも当然の話。

 

「あっつ……」

 

 ソラを見上げながら、お決まりの一言。

 

「そりゃ夏だもんな。暑いに決まってんじゃん」

 お約束なんだけど、これを言わなきゃ気が済まないっていうのはどうしてもあるもんだよな。なんか変な気分だと額を伝う汗を拭ってまた足速に歩いていく。

 

「そういえば、こんな感じの時だったっけ?」

 

 そうだ。あの時もこんな風に汗を拭って歩いてる時に気になったんだ。

 

「アイツが突然現れて、ロボ子先輩に会って……」

 

 陽の光の眩さに目を細めながら、一面に広がる蒼を見上げた。

 

 ソラをいく大きな大きな入道雲は常にカタチを変えていく。見ていてすごく面白い光景だったけど、考えてみたら、こんな風にソラを眺めたのも随分と久しぶりだなって思った。そして同時にヤマトから帰ってきてから随分こんな風に落ち着いてソラを見てなかったことにも気づいたんだ。

 

「ミオしゃたち、あれからどうなったんだろう」

 

 何言ってんだよ。きっと無事に決まってる。でも心配すんなっていうのも無理じゃないかな? 最後あんな別れ方をしちゃたんだから。

 

 でもたまに思うんだ。あれはスバルの夢だったんじゃないかなって。スバルがガキだから見ちゃった妄想の産物なんじゃないかって。

 

「でも、違うよな?」

 

 そう言ってスバルは左の手首をみやる。

 

「これ、ずっと付けてたんだ。夢じゃなかったんだ」

 

 ミオしゃからもらった最初で最後のプレゼントを見てついつい笑っちゃった。これを付けてればきっとまた会えるんじゃないかな。そんな風に思えるんだ。でもさ、やっぱり今過ごしているありふれた幸せな毎日を過ごしていても、ふとした時にボンヤリとあの冒険した夏のことを考えるんだ。憧れの物語の主人公みたくなったあの夏のことを。 

 

 

「何? また退屈してんの、スバルちゃん?」

 

 

「ッ!」

 

 あの時とセリフは違う。ソイツの声が聞こえた気がした。

 でもあの時みたく振り返っても姿はない。でもきっとニンマリと優しい笑みを浮かべてるんだろうなって、想像できた。

 

 具体的に想像できちゃったそのシーンに思わず笑みを溢しながらまたスバルはソラを見上げる。あれ? なんでだろう、通り雨でも降ったのかな? 頬っぺたがなんだか濡れてる気がする。

 

「あぁ出来るならさ」

 

 それに気づいた瞬間、もうボロボロと崩れ落ちるみたいに言葉が、涙が止まらなくなっていた。

 

「また会いたいよ。みんなに……会いてぇよ」

 

 こう望むのはきっと、贅沢すぎるんだろう。父ちゃんと母ちゃん、ねーちゃんと弟が、家族が揃ってて、そして友達も沢山いるのに。やりたい事だってなんだってさせてもらっているのに。これ以上何かを望むなんて……なんて贅沢ものなんだろう。

 

 人目も憚らずに声をあげた。溢れた気持ちは止めようもなくて、子どもみたいにスバルは泣き声をあげていたんだ。そんな時だった、すごく聞き覚えのある声がスバルの名前を呼んだのは。

 

「ーーーバル!」

 視線の先にはそこには真っ黒の何か。涙でボンヤリとして像が結びつかないけど、スバルの方をジッと見つめる四本足の何かがいた。

 

「……んだ? イヌ、か?」

 

 でも聞き覚えがある声。

 

「スバル!」

「この声……み、ミオしゃぁ!?」

 

 存外、終わりっていうものはあっさり訪れる。

 それと同じように、きっと始まりだってふとした時に訪れるし、物語の続きだって同じように始まるものなんだ。

 

 あの日、セカイは『また』繋がった。

 だからこの関係は簡単に途切れることはない。

 

 ずっと、心から繋がりを望むんなら、きっと……いつまでも続いていくんだ。

 

 なぁ、みんなだってそう思うよね?

 

 holoearth chronicles ALT:異伝ヤマト騒乱記 ~Fin~



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holoearth wind
探偵は今日も一人、その事務所で彼女(希望)を待つ 1


 夢を見た。

 すごく短い夢だ。

 

 目の前に広がるのは果てしのない蒼色のソラ。何のしがらみも感じさせない、透き通った蒼のセカイだ。

 

 その中にいるわたしはきっと、異質なものなのだろう。

 

 浮かんでもいない、落ちてもいない。

 ただ出来ることはこの風景をこの目に捉え続けることだけだった。

 

 次の瞬間、わたしの身体をすり抜けていくように橙の外皮をしたドラゴンがソラを泳いでいく。突然の出来事にギョッとしてしまったけれど、『とある記録』が頭を過ぎった瞬間、わたしはそれを微笑んで見送っていた。

 

「相変わらず気持ちよさそうに泳ぐのね。本当に、気持ちよさそうに」

 

 不意にそんな言葉が口をついた。きっとみんなそうだと思うけど、あのヒトの自由に動く様にどれだけ勇気づけられてきたか。そう思うといつまでもその光景を眺めていたいって思ったんだ。

 

「でも、違うわたしは貴女を撃ち落とすんだ」

 こんなにも幸福そうに泳ぐ彼女を、別のわたしは大切な目的があったとは言え銃で打ち抜いていたのだ。ドラゴンを銃で撃ち落とす? 売れない三文小説じゃないのよって思うかもしれないけれど、事実は小説よりも奇なりっていうじゃない?

 

 でも今のわたしは違う。こうやって彼女の泳ぐ様を、なんの足枷もなくこうやって眺めることが出来るんだ。

 

「なんて幸福なことなんだろう」 

 そう独りごちた瞬間、次はわたしの傍を背に翼を携えた少女が飛び去っていく。橙のドラゴンに追いつき、本当に楽しそうに笑顔を浮かべていた。

 わたしは気付く。もう夢の終わりが近づいているんだってこと。

 そして、『彼女』が閉ざした扉が開いたってことを。

「あぁ、物語が動き出すのね」

 さぁ、もう目覚めの時間だ。

 昨日は多分遅くまで夜更かしをしていたから、きっと冴えない目覚めになるんだろうな。

 そんなことを考えながらわたしは、その時が来るその時までうっとりと彼女たちの後ろ姿を目におさめ続けた。

 

 ムクリとベットに横たえていた身体を起こす。昨日は夜更かしをしてしまったからだろう、思考がぼやけて仕方がない。声もなんだかガラガラだし、調子が悪い気がする。でもこれはわたしのせいじゃない、ゲームが面白すぎるせいだ。

 

 うん。きっとそうだ。

 

 そう言い聞かせてベットから這い出て一路、バスルームに向かうことにした。熱いシャワーを浴びて、ボンヤリした頭を叩き起こす。むしろこうしないと頭が冴えてこないんだ。

 

 こうするのがルーティーンになってどれくらい経っただろうか。

 今は遠き懐かしの我が故郷を離れて一人、突然ここにやって来たのはいつのことだったろうか。

 

「まあ、そんなこと気にしても仕方がないものね」

 

 忘れっぽい自分を自嘲しながら、バスルームの扉を開ける。一気に解き放たれた湯気をボンヤリと見つめて、私はこう独りごちていた。

 

「きっと、久しぶりにあの人たちの夢を見たせいだろうなぁ」

 

 知らないのに知っている人が出てくる夢。気高いドラゴンの夢。

 すごく心が躍るのに、どこか物悲しさを感じる夢だった。ずっと見続けたいのに、見れば見るほどに悲しくなってくるんだ。そんなことが頭に浮かんで離れなくて仕方がないんだ。

 

「あぁ、もう! ボンヤリするのはやめてお仕事の準備でもしますか」

 答えのないことを考え続けても埒が明かない。気持ちを切り替えるためにブンブンと頭を振って思考をクリアにしようとする。

 

 もちろん、飛び散った水滴にため息を漏らすのは当然の話なんだけどね。

 

 

「さて、今日も開店ですよっと」そう呟きつつ、ドアにかけたクローズの札をクルリと返す。

 

 我がお城、探偵屋と言う名の何でも屋さん。ここに開店である! とは言っても、我が事務所は今日も今日とて開店休業状態だ。ここを訪ねてくるヒトなって滅多にいない。いたとしても怪しさ満点のおかしな依頼ばっかりだ。

 この間はテレビで話題の超人ワンコが訪ねて来て、紫の猫を助けるためにとある組織との切った張ったの大騒動に巻き込まれたんだよね。

 

「うん、あれは凄く良い経験だった。シュラバってやつも見れたしね」

 その時のことを顧みつつ、お気に入りのコーヒーを淹れようと準備を進める。これもルーティーンみたいなものだから、所作に澱みはない。そんな自分にキヒヒと笑みを浮かべる。

 

「……うん、これはやっぱり違うわね」

 そう切り捨てているとお湯が沸いたみたいだ。準備したドリッパーに静かにお湯を注いでいく。ここで焦っちゃダメ。慎重になることが大事なのよ、アメ。そう言い聞かせつつお湯をそそぐと湯気と一緒に爽やかな香りが立ち昇ってきた。

 

「これだけは間違いない。うん、これだけはいつでも完璧」

 そう。このコーヒーの味だけは絶品だ。それは絶対変わらないものなんだ。

 

 でもね、不思議な夢を見た日って、絶対何かが起こるものなんだよね。

 

 ドリッパーから落ちて行く水滴を眺めつつ、ニンマリとしていた私の耳に物音が響いた。

 

「はぁ、やっぱり来るのよね」

 独りごちて物音がした方に向かう。場所は多分私のデスクの前くらいのはずだ。

 

 でも正直『知ってた』んだよね。

 彼女が、『希望』が今日ここに現れるって。

 

 あの夢はそれを知らせるものだったんだってね。

 

 

 でもさ、いくら知っているって言っても自分以外のヒトが突然部屋に現れたら、驚かないやつなんて絶対にいないと思わない? 例に漏れず、私もヒッと間抜けな声を上げていた。

 

「……ッ」

「なんでアナタが驚いてるのよ」

 私の声にビクリと身体を震わせる見知らぬその人に軽口を叩く。なんだかこうするのが凄く自然だななんて思えた。

 

 うん、でもこれは違う私の感情だ。

 これは私じゃなくて、『別の可能性』の私が感じているモノなんだ。

 

「さて、いらっしゃいませお客様。今ならワタクシ、ワトソン・アメリア特製、淹れたてのコーヒーをご準備できますわよ?」

 気分はさながらブリュワーだ。恭しくお辞儀なんてしてみればグッと絵にならない? しかし私の言葉に返答はない。おかしな沈黙だけが部屋の中に広がっていった。

 

「まぁ折角来たんだから飲んで行きなさい。お金なんて取らないから」

 ニカっと笑みを作って私は一路先ほどまでコーヒーの香りを楽しんでいたキッチンに引っ込んだ。

 正直に言うとさ、全然会話にならないこの状況にヒヤヒヤしていた。もう少し上手に出来ると思ったんだけどね。

 

「でも、そうね……あの子も緊張してるのかも」

 お客様用のカップを取り出し、もう一人分のコーヒーを淹れる準備をしながら現れたあの子をチラリと見た。

 身動きひとつせず、静かに私のデスクの前に棒立ちになっている。灰色のマントを目深に被っているからどんな容姿なのかは分からないけれど、さっき小さく聞こえた声を思い出すにきっと女の子なんだろう。身長私より高くてスタイルも……うん、気にしないようにことにしよう。

 

「ふふふ、なんだか面白くなってきたわね」

 

 先日の超人ワンコの巻き起こした事件で懲りたつもりだったけど、何やら事件の匂いがすると楽しくなってくるじゃない。言わずもがな、一番疲れたり、損をしたりするのはきっと私なんだろうけどね。

 そう考えちゃうと上機嫌になってきた。起き抜けのボンヤリした頭も、もう完全にお仕事モードに切り替わって、鼻歌なんて歌いながらカップを両手にデスクの方に戻ったんだけど、相変わらず彼女はボンヤリと立ち尽くしたまんま。

 

「立ってないでソファに掛ければ良かったのに」

 来客用に用意したソファの前に設置したテーブルにカップを置いて、笑みを浮かべる。でも思っていた通りの反応は返ってこない。こちらを一瞥して、小さく頷いてちょこんと腰掛けるだけだった。

 

「折角淹れたんだし温かいうちにどうぞ」

 カップを指し示してそう告げる。やっぱり反応は薄くて、マジマジとカップを見つめているだけ。

 

「はぁ、美味しいのになぁ」

 そう呟きつつデスクに手にしていたカップを置いて、椅子をひいた。正直今はすぐにでもカップに口を付けたくて仕方がないんだ。だってずいぶん我慢してるんだから。

 最初の一口はいつもどこか儀式めいているように思う。香りは間違いなく一級品。でも温度が低いだとか、注ぎ方がいつもと違うとかでそのお味は全然変わってくるのだ。この時ばかりは、きっと御空の向こうにいらしゃるであろうカミサマにお願いするような心境でゆっくりと、それを口に含んだ。

 

「うん、やっぱりこれだけは今日も完璧ね」

 自画自賛だよって? いいじゃない、上手くいったんだからそう思ったって。

 

「ほら、アナタも飲みなさい。まぁ私好みだからお気に召すかは分からないけれどね」

 

 そう続けて私は再びカップに口に運ぶ。すると彼女もようやくカップに口を付けてくれた。コーヒーを口に含んだ瞬間の「あっ」という声色を聞くに、きっと気に入ってくれたんだろう。思わず笑みが溢れたのは、うん見られてないわね。

 

 まぁこれからきっと慌ただしくなるんだ。少しくらいは、穏やかな時間と美味しく淹れらたコーヒーを楽しんでもいいわよね。



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探偵は今日も一人、その事務所で彼女(希望)を待つ 2

「さぁ本日はどんな御用でいらしたのかしら?」

 コーヒーで並々と満たされていたカップの底が見えた頃、少し意地悪に私は尋ねた。だって彼女、カップに口はつけるけど、一切私の問いかけに反応しないんだもの。少しは意地悪したっていいよね。

 ニンマリとしていく表情を抑えつつマントの君の動向を注視していたけど、やっぱり彼女はピクリともしない。それどころかこっちの反応を楽しんでるようですらある。

「なんだか少しムカつく」

 不意に言葉が漏れた。普段なら絶対にそんな言葉を口にはしないのに。今日の私はやっぱり少しおかしいみたいだ。

 だからだろう、じっくり待つ構えだったのに、立ち上がった私は彼女の側に歩み寄ってこう告げたのだ。

「はぁ。いいわ。あなたの考えはよーく分かった。ならここからが勝負よ。我慢比べだってあの子たちにも負けたことないんだから」

「……」

 なんでだろう、私の言葉にひどく驚いた様子で、彼女はこっち見つめてくる。

「何? 何かついてる?」

「……ぇ。びっくりして」

「何にビックリするのよ。あなたのお友達にはこんな勝気な女の子はいなかったのかしら?」

「違うんです。ただ……」

 そこまで言ってまたマントの君は口を噤んでしまった。

 

 あぁ、ひどく気に入らない。

 えぇ、本当に……心の底から気に入らないわ!

 

「ねぇお嬢さん。ズバリ言うわ。あなた、此処に探し物……じゃない、聞きたいことがあってきたんでしょう?」

 なんで知ってるのかって? そんなわけないじゃない、ただの当てずっぽうよ。そもそも探偵の事務所に来る人なんて大体が探し物、調べ物そんな類の依頼に決まってるんだから。

 でも正直確信みたいなものがあったと言うのが本音なのだ。

「それにね、私覚えがあるのよ。アナタのこと……うぅん、正確には『あなたたち』のこと」

「なんで……」

「それこそ初歩的なことなんでしょう、レディ?」

「初歩的って……辻褄合ってない」

「だよねぇ。まぁでも本当のことなのよ」

 そう言った私を、彼女はようやく目深に被っていたフードを取ってマジマジと私を見た。

「やっぱり。想像してた通り、可愛いお顔をしているのね」

 確かに整った容姿をしている。でも何よりも私の目を引いたのは彼女の瞳。妖しい色と、清浄な色を湛えたその二つの瞳が驚いた様子で私をマジマジと見つめていくるのだ。

「さっきも言ったけどね、覚えがあるのよ。ちょうどこの間も超人ワンコと麗しの紫猫と会って、ひどく懐かしい気持ちになったのよね。それに私の勘って意外に当たるものだからさ。だから私ははっきり言えるよ」

「……」

「私はあなたのことを知っている。そして、あなたは大事なことを尋ねにワトソン・アメリアを訪ねてきた、でしょ?」

 気持ちはさながら、推理で真犯人を言い当てた名探偵だ。フフンと鼻を鳴らす私を、彼女はようやく笑みを浮かべた。

「ほんと、あなたはやっぱり……」

 その笑みはどこか悔しそうにも見えたけど、そこは追求するべきではないなと私は思った。彼女は心を落ち着けようとしているんだろう、カップに残っていたコーヒーの残りをグイと煽り、強い瞳で私を見据えた。

「覚えていますか? あのセカイの事」

 うむ、なんともボンヤリした言葉だ。それを聞いた時の感想はそんなところ。

 薄々皆んな気付いているでしょう。

 私がいるセカイ以外にもたくさんのセカイがある。私たちが存在しないセカイもあれば、全然役割は違うことをしているセカイもきっとある。もしかすると私がアイドルをしているセカイなんていうのもあるかもしれないわね。

 だから明確に言ってもらわないと分からない。

「あのセカイ?」

 小首を傾げながらそう尋ねた。すると彼女は静かにそのセカイの名前を口にした。

「ホロアース」

「ホロ、アース……?」

 あぁ、やっぱりか。そもそも彼女を見た時からその確信があったんだから、今更驚くことなんてない。

 でも……「でもさ、アナタが本当に聞きたいのはそのセカイの事じゃないでしょ?」と問いかけると、ここに来てから一番の驚きに満ちた表情で私を見つめてきた。なんか恥ずかしいからやめてほし……うん、冗談はやめにしておこう。

 

 ここからはお仕事モードでお話しようかな。

 

 静かに息を吐いて真っ直ぐに彼女を見つめる。私の雰囲気が変わったのに気付いたのだろう、彼女の表情は覚悟したものへと変わっていた。

 なら、言っちゃおうかな。この名前を。

「『トキノソラ』」

 その名を口にした瞬間、彼女は驚きと戸惑いがない混ぜになった表情で大声を上げた。

「なんで、なんで『覚えて』るの!」

「うん? 残念だけど分からないよ。多分わかる人はこのセカイにはいないんじゃないかな」

「なら……」

「でも覚えているんじゃなくて『知っいてる』のよ」

 これはきっと、あの子たちと関わりを持っていた『恩恵』のようなものなのだろう。

 子供の寝物語に聞かせる御伽噺みたいな、そんな出会いを私は思い出していた。そしてそれに名前を連ねた彼女に、私はこう続けた。

「ねぇ、アナタ。セカイを秤にかけて絶望にも、希望にも偏らせることのできるアナタ……」

「そこまで、『知っている』んですか?」

「あなたは興味ない? セカイとセカイの繋がりを『閉じる』ことで守った女の子のこと。そしてもう一つの、向こう側のセカイの……その後のことをさ」

 

 折角だしお話を始めましょうか。

 これはここではないどこかの、一人の女の子が自らを犠牲にすることで紡がれた、幸せ『だった』はずのセカイの、その続きのお話だ。

 



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また、逢えたにぇ

 少女の目の前には悠然に広がる大地があった。地平の先まで広がったその平野には様々な畑と、そこで笑顔で農作業に励む人々の姿が見てとれる。一見すればそれは農村地帯でよくあるような、なんの変哲もない光景であろう。

 そんな中で真っ白な耳をピョコピョコとさせながら、草の上に寝転ぶ少女が一人。遮るものもない青空のもと、気持ちよさそうに身体を投げ出していた。

 

「気持ちいいぺこ~。こんな風に外でのんびりするのが一番ぺこな」

 

 側から聞けばなんとも不真面目な話ではあるが、彼女の姿を見ればそんなことは言えない。ダランと投げ出した手足、そして白を基調にした衣服は泥に汚れている。きっとくたびれる程に畑仕事に精を出したのだろう。周囲でそれを見守ってた人たちも、彼女を労う言葉をかけている。

 自分も頑張り、そして周りの人も同じように頑張って一つのことを成し遂げていく。目の前で積み上げられていく自分たちの成果物に感動を覚えつつ、彼女は横たえていた身体を起こしてゴシゴシと目元を拭った。

 

「あんた達、そんな事ばっかり言ってないで。まだまだ収穫は終わってねーぺこよ!」

 そう。彼女の言った通り、今日は彼女の住む国の人総出で畑の収穫にあたる日なのだ。この収穫が早く終われば終われば、その後に控える祭りを長く楽しむことが出来る。彼女の言葉に「わかってますよー」「じゃぁ休んでないで荷車に積んどいたのを街に運んできてくださいよー」と口々に声をかけている。

 

「うっせぇ! ちょっとくらい休んだって良いぺこじゃんか!」

 キツい口調で言ったつもりだろうが、彼女の声質ではどうしても面白おかしく聞こえてしまう。畑仕事に勤しんでいた人たちも和やかに笑みを浮かべていたが、そのうちの一人の「姫、早くしないと女王さまに叱られますよ」の一言に周囲がシンと静まる。

 

「そうだ。女王様がお待ちならば急がねば!」

「姫、早くそちらを運んでくださいねー」

「そうだそうだ。我らが女王をお待たせすることなど、ぺこランドの住民にあらず。疾く収穫を終えねば!」

 

 先ほどまでののほほんとした雰囲気が一変、皆まるでギアを一段階上げたように動きが速くなっていく。その変わりように目を丸くしていた彼女も少し考え込んだ後、深くため息をついて畑仕事に精を出す仲間達にこう声をかけた。

 

「じゃぁみんな、さぼんじゃぇぺこだよ? ぺこーらはコイツを運んでくるぺーこー!」

 彼女のその声に返ってきたのは応の一声。それを聞いた彼女の口元には笑みが溢れていた。

 

 ググっと背筋を伸ばし、彼女は一路収穫した食材を積んだ荷車へと向かう。それだけならば至極普通の畑の収穫風景。しかし積み込まれた収穫物はあまりに大きい。自身と同じ背丈ほどのニンジンを目の前に彼女は「今年は少し小さいぺこな」などと呟いてクッと荷台を引いた。ビクともしないと思われた荷台は悠々と車輪を回し、前へと進み始めた。

 

「しっかし! レディ一人にこんな大荷物運ばせるなんて、みんなひでー!」

 そう言いつつ、額に汗して荷車を引いているくと彼女の視線の隅に白いフヨフヨした影が映る。

 

「あんたたちも遊んでねーでちょっとは手伝うぺこ!」

 彼女は自身の目の前でうるさく飛び回るそれらに厳しい言葉を言い放つが、なんのことはないと白い影達はニコニコと飛び回るだけだった。彼らのその様子に、彼女は再度深くため息をつく。

 これ以上言っても仕方がない、助けてくれる時は助けてくれる。きっと今はその時ではないのだろう。

 そう言って視線を向けた先には堅牢な城壁に守られた王城。青空のもと悠々と存在感をみせるその姿にため息をつきながら彼女はゆっくりと歩き始めた。

 

「さて、さっさとマミーたちのとこにこれを持っていくぺこ! あんたたちーんちゃんとついてくるぺこー!」

 

 ニコニコと歩みを進める彼女と、彼女を守る何かはまた歩み始めた。

 そう。兎田ぺこらという少女と、彼女を守るモノたちの行進は始まったばかりなのだ。

 

 ただ始まりの合図のように、彼女の号令だけが青空に溶けていった。

 

 

 

 勢いよく荷車を引き始めたは良いものの、遠くに聳え立つ城のその麓まで運ばなければいけないと思うと、自然のぺこらの口からはため息が溢れていた。

 日常的にこの道を通っているぺこらでも正直辛いものがある。ただ歩くだけでも一苦労なのに、今日に至っては荷車に収穫した野菜まで積んでいる。これでくたびれないわけはないのだろうなと想像しながらも、送り出してくれた仲間の手前弱音は吐きたくないと考えを改めた。ちょっとくらい頑張った後に飲みお水が美味しんだなどと考えながら。

 

 ぺこらはグッと全身に力を込め、荷車を引いて、再び歩き始めた。

 歩みを進める度に脇を通り過ぎていく風が、まるで意志を持っているように彼女の髪先で遊び、彼女の周りを楽しげに飛び回っている。それは白い毛玉の群体だった。彼女と同じように頭にピョコピョコとした耳をつけているが、外見はぺこらのそれと全く違う。綿菓子に意志を持たせたようなふんわりとした佇まいだった。そして彼ら彼女らはぺこらの周囲で楽しげに跳ね回るだけ。

「人の髪で遊ぶなぺこ! デリカシーねーのぉ?」と喧々とした声を上げる。しかしぺこらの言葉を意に介さず、それらは止めるそぶりは見せない。げっそりと身を削られる感覚を覚えながら、ぺこらはまた深いため息をついたが歩みは止めなかった

 早くお城に帰ってシャワーでも浴びてベッドに身体を投げ出すんだ。今この身体に疲れを溜め込んでいるのはそれを一気に発散した時の爽快感を楽しむためだ。力強い足取りでズンズンと城に向かっていく。弱音はやめた。煩く思っていた白い綿菓子たちの踊りも今は楽しく思える。腕にはさらに力が篭った。そして笑みをこぼしながらぺこらは進む。

 

 騒がしくしながら道を進んでいく。軽やかだったぺこらの足にも少しずつ疲労が見え始めていた。気が逸っているのだろう、力の入りすぎた肩に辛さが見えた。そんなぺこらにを揶揄うように見ていた白い綿菓子たちも動きを緩め、心配そうに彼女のことを見つめていた。

 

「心配しなくっても良いっての。でも、あーちょっと疲れたぁ」

 

 彼ら彼女らの視線に気付き、そう返したぺこらは「まぁ良いタイミングだし」と呟きながら、荷車を安全に停める。転けてしまっては折角の収穫物が台無しだ。慎重になりながら荷車から手を離し、問題のないことを確認して荷台に腰掛ける。城に着く前に力尽きてしまっては本末転倒だと、心の中で自分に言い訳をしつつ、足元に視線を向ける。先ほどまでと同じように心配そうに彼女を見つめる白い綿菓子たちにフッと笑みを返す。

 

「だからそんな不安そうな顔するんじゃねーっての。ちょっと休憩するだけぺこ」

 

 綿菓子たちのつぶらな瞳の中にぺこらの笑顔が映った。「ちょっとじゃなく誰かが手伝いに来てくれるの、待ったら良いじゃん」と言ってくるように彼女には見えた。「今気付いたの? 草」「そうそう。ダラーっと楽しいことしようよ」「でも頑張れー」「そうだよー」色々な感情の波が流れ込んできたようにぺこらは感じた。

 

「うっせーぺこ。みんな頑張ってんのにぺこーらだけサボんのはちげーの」キッパリと言い切り、彼ら彼女らに少し休むようにと伝えるぺこら。彼女の言葉にまた彼ら彼女らが嬉しそうに飛び跳ねていることは言うまでもないだろう。

 

 歯に噛んだ笑みを見せ、少し顔を赤くしたあと、少し遠くを見つめる。

 荷台の周りには白い彼ら彼女らがいて、各々楽しげにしている。その中に離れた場所で一匹だけ身体を丸めて小さく蹲っていた。思わず大丈夫かと駆け寄りそうになったが、ぺこらはすぐに一歩踏み出せなかった。

 

「あ、あんた……なんでそんな真っ黒になってるぺこ?」そこには本来雪のように真っ白なその姿は見る影もない。

 

「なんでそんなに苦しそうにしてるぺこか!?」

 

 

 

 

 それは小さな、小さな毛玉のはずであった。両手の中に収まるほどの大きさのはずであった。

 

「どうしたぺこ? あんた、変だよ?」

 

 一歩、ぺこらはそれに近づく。心配そうに発せられた声には恐れが滲んでいた。これはいけないモノだと、きっと良くないモノなのだと直感しながら、それでも先ほどまで一緒に笑い合っていたそれを、そのままにはしておけなかったのだ。

 

「ねぇ、あんた……」

 もう一度、恐る恐るそれに声をかけるぺこら。本当ならばすぐにでも逃げ出したかった。事実彼女の周りで飛び跳ねていた白い毛玉たちもぺこらにすぐに逃げるように促している。しかし彼女はそれを選ばなかった。

 

「大丈夫。ぜったい、大丈夫」

 きっと彼ら彼女らのための言葉だった。同時にその言葉で自分すらも落ち着けようとしていた。

 勇敢とは言えない。手足は怯えに震え、表情は引き攣り、目尻には涙が溜まっているのだから。それでも頑としてそれを言葉にはしない。むしろ周囲のナカマたちを支えようとしている彼女の姿は、きっとその場にいる誰よりも英雄然としていた。

 

「あんた。何があったぺこ? ぺこーらに話して……」

 轟音と共にぺこらたちの目の前で稲光が走った。

 頭上には蒼天が広がっている。いきなり天気が変わることなんてあり得ない、とぺこらは思った。正しい認識だった。変わらず彼女の頭上には透き通る青空が広がっている。しかし事実、稲光と揺らぎは彼女たちの肌を揺らした。身を丸めていた黒の毛玉が、叫び声と自身の内に溜め込めなくなった力を一気に解放し、咆哮と共に周囲に立つ木々よりもその身体を巨大なモノにしていたのだ。まるで絵本に出てくる姿を変える怪人のように。目の前で起こった突然の事態に、いきなり物語の世界にでも引き込まれてしまったのか、と浮世離れした気持ちを抱いていたぺこらは、次の瞬間すぐにこれが現実だと実感させられた。

 

 稲光に目が眩み咄嗟に瞼を閉じたぺこら。彼女が次に目を開けた時、顔のすぐ側を黒い影が通過していく。腕だ。そう思い至るのに時間はかからなかった。先ほどの場所から一歩も動かず、巨大化した黒いそれは自身の身体からウネウネと何本もの腕を生やし、ぺこらを、そして元は同じ姿であった仲間たちを取り囲もうと大きく自身を広げていた。

 

「みんな、逃げるぺこ! とにかくバラバラに、早く!」のぺこらの一言に弾け飛ぶように白い影たちは四散していく。そしてぺこらも一気にその場から離れようと足に力を込めていた。

 

「きっと、バラバラに逃げるんなら……こっちに来る!」

 確信があった。事実それの目はジロリとぺこらを捉えたままだった。標的はもとより自分自身。その確信があったからこそ、自分に注意を引くようにわざと、ぺこらは大声で全員に指示を出した。しかし、皆が一様に彼女の指示に従えるわけではない。

 

 刹那、ぺこらを捉えていた黒の視線が、それのすぐ足元に向けられる。そこにはブルブルと身体を震わせる白い毛玉が数匹。

 

「あんたたちーーーッ」

 

 それを認めた瞬間、走り去ろうとしていた身体を反転させ、ぺこらは震える毛玉を守ろうと飛び出していた。

「バカだ」「逃げるべきだったのに」「少しくらいどうなったって良いだろう?」「お前の安全が確保できるならそいつも本望だ」様々な思いがぺこらの中で弾け飛ぶ。しかし「うっせぇ!」の一言でそれらを振り払い、ぺこらはグンと白い毛玉に手を伸ばした。無情にもそのタイミングは黒の剛腕と同じ。おそらくぺこらの肉体とその剛腕の衝突は避けられないだろう。おそらくその細い身体では衝撃には耐えられない。逃げ遂せることができた白い毛玉たちがギュッと目を閉じてその瞬間を目に収めるまいとした瞬間だった。

 

「本当に、変わんないねぇ」と何かが言った。「でも、そんな変わんないあんたに会えて……みこは嬉しいにぇ」



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また、逢えたにぇ 2

 身を固くして、自身の身体に降り掛かるであろう、衝撃に耐えようとしたぺこらであったが、そんな感覚は一向に見舞われない。むしろ毛玉を助けようと飛び込んだ時に出来たのであろう擦り傷がジンジンと彼女の身体に響いてきた頃、固く閉じていた目を開けた。

「……これ、何?」ぺこらの口からそう言葉が漏れるほどに、彼女はその状況を理解できてはいなかった。

 目の前に覆い被さるはずであった黒い毛玉の姿は影も形もなく、ただそこにはソラから舞い降りてきた桃色の光の柱があった。まるで大樹のようなそれは優しい木陰を作るようにぺこらと白い毛玉の頭上に枝を伸ばしていた。

「さくら……あれ、さくらって何ぺこ? なんでこんなに……」

 美しいのに悲しい色だ。光の柱の湛える桃色の光に、ぺこらはそんな感覚を覚えていた。そして正常になり始める彼女の周りに、一度は四散した毛玉たちが集まり始め、心配そうに彼女を見つめる。呆然としていてはいけない。気持ちを切り替えて立ち上がり、視線をそっと上に向けた。

「ヒトが、いるぺこ?」

 言葉の通り、その光の中にはおそらく誰かがいるのだろう。そして絶体絶命であった自分と毛玉を救ってくれた。しかしどうしても彼女の瞳は光の中にいる人物の像をはっきりと捉えることができない。鮮明な光の中にあるはずの声の主の様子だけは、ぼやけたままなのだ。

 困惑するぺこらに気付いていないだろう。光の中の声の主は潑剌と話し始めた。

「ひさしぶりだにぇうさだぁ。でも、こんなのにやられそうになるなんて、鈍ってんじゃねぇの?」

 その声はぺこらのことを知っているのだろうか。まるで久しぶりに会った旧交を温めるように話しかけている。

「何? なんだぺこ、お前。こっちからじゃアンタのこと、ちゃんと見えないんだけど!」

 明確に声の主を『知らない』と断じることも出来た。しかしそれを言葉にすることだけは、ぺこらには憚られた。声の主の表情は全く見えない。しかしその声色からは嬉しそうな様子が伝わってくるのだ。そんな彼女の感情に水を刺すことはぺこらには出来なかった。

「そっか。やっぱりみこのとこからじゃ、そこにはちゃんと繋がれないんだ。せっかくスバちゃんが完全に繋げてくれたのに……」

 少し悲しい色を滲ませたその声色に、ざわざわと心が乱されていく感覚を覚えた。しかしどう説明して良いのか分からずに、「なんぺこ? いったい何が言いてぇの?」とつっけんどんな言葉を声の主に返していた。しかしぺこらの足元に集まっていた白い毛玉たちは何かを告げるように必死な様子で飛び跳ねている。

「あんたたち、わかるの? なんか知ってるぺこ?」

 しかし彼ら彼女らの言葉を、ぺこらは理解できるわけではない。彼ら彼女らは、ぺこらが生まれた瞬間から常に共に在った。彼ら彼女らが知っていることをぺこらが知らないはずはない。さらに混乱しながら彼女は桃色の光を正面に捉えた。だがやはり何も思い浮かんでこない。首を傾げるぺこらを尻目に、光のなかの人物は悲しそうに笑みを浮かべてこう続けた。

「ありがと、のうさぎ……でもそっか。想像通りだったんだ」

 残念そうなその声にまた胸が痛む。だが彼女の言葉を待たずに声の主は言葉を続けた。

「ねぇうさだ。分かんなくていい。でもお願い」と静かに言った。

「聞いてほしいんだにぇ。大事なことだから……すごく、すごく大事なことだから」

 声の主は深く息を吐く。まるで期を見計らうかのように。慎重に言葉を選びながら、続けた。

「もうすぐ、セカイが終わっちゃう」

「はぁ?」 

 それは至極当然の反応であろう。

 唐突にセカイの終わりを告げられて、納得することが出来る者などそうはいない。例に漏れず、ぺこらも不可解な反応を示していた。

「何ぺこ? あんたおかしいんじゃねぇの?」そう結論づけて、そして助けてくれたことへのお礼を述べて早くここから立ち去ろう。城で母が、家族や仲間が待っているのだ。いつまでもこんなところにいることは出来ない。ぺこらが放置したままの荷車に戻ろうと足を進めかけた時だった。

「さっきの見てもそんなこと言えるの?」

 少し違う、さ気ほどまでの溌剌とした甘い声ではない。

 真剣さを感じさせる声色でそれは続けたのだ。

「あれは『ケガレ』。本来何処にでもあるモノ……うぅん、『はずだった』モノかな。あんなのうさだは見た事なかったんじゃねぇの?」

「そ、それは……確かにそうぺこだけど」

 声の主が『ケガレ』と呼んだものを、ぺこらはこれまで目にしたことはなかった。言い表すならばアレは『良くない感情』の塊だ。そして、今のぺこらにはそれを説明する言葉を見つけることは出来なかった。

 もう頭もショート寸前のぺこら。構わず声の主は話し続ける。

「セカイはたくさんある。なーんにもないせかい、たくさんの生き物が住んでいるセカイ。数えきれないくらいにセカイは存在してる」

「いろんな、セカイ……」

 突然言われて納得の出来るものではない。

 しかし目の前に現れて、仲間を変容させた『ケガレ』も、今対話している桃色の光の中にいるであろう人物も、今までぺこらの周りにはないものだった。それが『違うセカイ』がある、あの『ケガレ』は別のセカイから来たのではないかと推測すれば、事態を飲み込むことができる。しかし声の主の話はそれだけでは終わらない。

「でもね、全部繋がってなきゃいけないんだ。そうじゃないとバランスが崩れていく。どこかに幸せが偏ってちゃいけない。どこかに不運が留まってはいけない。でも、何処かのセカイが常に幸福であることを望んで、セカイを閉じたりしたら、バランスは崩れて、何処かに皺寄せがいっちゃう」

「バランス……」それは仕方がないことなのではないか。声の主の話を聞いてぺこらは素直にそう思った。自分の幸せを願うのは当然のこと。それこそ生き物が生き物たる由縁であるはずだ。この感情を否定することは誰であっても、きっとカミサマであっても出来ない。しかし同時に声の主が言っているのは、一個人の感情の話をしているのではないということも理解できた。

「わっかんねぇぺこ。幸せになりたいっていうのは当然じゃん? でも、あんたが言ってんの、そうゆうことじゃない気がする……」

「そうだにぇ。みんなが幸せなら……それに越したことない。でもね、そんな権利すら与えられないのは、間違ってるってみこは思う」声の主の苦しそうに、努めて冷静に答えた。

「あんた……」ぺこらはそう言って口を噤んだ。

 ほんの数秒の間、重い沈黙が流れた。しかし存外に簡単に声の主はまた話し始める。

「聞いてほしい。これから聞かせるのは、本当に、すごく大事な話だから」

 

 その前置きから、声の主は話し始める。

「何もないところに『希望』が目覚めた頃……」

「は? ちょっと、あんた?」

「概念が生まれて、『空間』が構築され、それをまとめるために『自然』が生まれた。そしてその時はまだ純粋に『在る』だけだったその場所に、『時間』が注がれて……」

「何ぺこ! 何話してるぺこ!」

「そこにいたヒトビトは自分達を作ったモノに願ったんだ。『知恵を授けてくれ』って」

「だから待つぺこ! いきなりなんの話してるぺこか?」

 きつい言葉で声の主を静止しようとするぺこら。突然語り始めたのはまるで御伽噺のような、関係のない話。とんでもない話の展開に頭を混乱させながらも話の筋を戻そうと試みるぺこらだったが、それでも声の主は話をやめない。

 それこそ寝物語に聞かせる、口にしなれたお話のように淀みのいない言葉で続けた。

「初めのうちはもちろん何事もなく、平穏な時間が流れた。でも……破綻は訪れる」

「破綻って……」

「何かが生まれたら絶対に思いがけない事象が起こる。知恵を授けられたヒトたちが、より良い生活を求めて『文明』を発展させた。そうすれば……」

「そりゃ、自然は壊されるぺこ」

「バランスが崩れちゃえば取り返しがつかない。だからヤツらは、最後に創った『カオス』に全てを委ねて、生み出された五つの概念にセカイを治めさせようとした」

「ヤツらって……あぁ、もう! ホント、訳わかんネェぺこだ!」

 声を上げるぺこらに「もうちょっとだから」と言って、また声の主は話し始めた。徐々に苦しそうな声色に変わるそれに、ぺこらはもう止めるように言うこともできないまま、話を聞き続けた。

「さっきも言った通り、ヤツらは自らそれを治めようとしなかった。自分達の代理を立てて、その子たちにどうにかさせようとした。もちろん、その子たちはセカイを延命させるためになんだってやるんだ。それこそ……」

「他のセカイを不幸にしてでも、ってことぺこか?」

「うん。よく分かったにぇ」

 褒められても全くうれしくはない。むしろその物悲しい声に、困惑と苛立ちを隠していられなくなっていたぺこらに、声の主はそっと続けた。

「それが全部のきっかけ。あのセカイの、ホロアース創造のお話」

「ホロ、アース?」

 これはこの桃色の光を最初に見た時と同じ感覚だ。胸がざわざわして、知らないはずなのに知っているような、そんな気持ちの悪い感覚。

「待つぺこ。今ぺこーらにこんな話するってことは、そのホロアース? って言うセカイは無事ってこと……じゃない。あんた最初に言ってた。『セカイが滅びかけてる』って。それってつまり……これが初めてじゃないんだ」

 ぺこらが黙る。気付いてしまった事実に言葉を失った。

 そして声色を変えずに、声の主はまた語り始める。

「ずっと前、ホロアースは滅びかけた。でも、それをどうにかしてくれたヒトがいるんだ」

「どうにかした、ヒト……」

「普通の女の子だった。ホントに、普通の女の子だったにぇ。みんなが集まるきっかけになってくれたあの子……キラキラしてて、みんなに頑張ろうって気持ちを分けてくれる、そんな女の子だった。その子がホロアースと他のセカイの繋がりを閉じることで、ホロアースを守った。あの時はそうするしかなかったんだ」

 押し黙って聞いていたぺこらの目に、少し違う色が滲む。悲しさだけではない、英雄の活躍を聞いた時のような心躍る感覚。二律背反の感情が彼女の中でグルグルと回っているような奇妙な感覚だった。

 ただ、それは『物語』としてなら受け入れられる。しかし……「でもさ、間違ってるって思わない?」まるでぺこらの気持ちを代弁するかのように、声の主は続けた。

「誰かが犠牲になって成り立つセカイなんて……何かの幸せのために蔑ろにされる誰かがいるなんて、みこは認めたくないよ」

 それは仕方がないことなのではないか。ぺこらは口が裂けても言えなかった。

 それを掛け替えのないものとして認めることが出来る自分と、納得することの出来ない自分がいる。そして声の主の悔しそうな声を聞いて安易なことを口にする事は出来ない。

 だってそれは諦めていない人の、熱の篭った声だったから。

 ぺこらは何も言えずにいると、「でもね、頑張ったんだ」と声の主は話を続ける。

「認められないヒトたちがいた。一人に背負わせるのは間違ってるって、元に戻して一から考えようって頑張ったヒトたちがいたんだ」確かに、沢山の人が集まって考えれば物事は好転するかもしれない。

「でも、失敗した」一瞬見えた希望も、その言葉にあっさりかき消される。

「みんな、助けてくれたみんな……ただじゃすまなかった」明言は避けているが、声の主の仲間がどんな結末を辿ったのかと言うことは、想像に容易かった。しかし間を置かずに話は続く。

「でもね、やられっぱなしじゃお椀なかったんだ。閉じられたホロアースの中で、最初の最後の概念は『あの子』に喰いつくされて、『時間』は、あの『おバカな海賊』が取り込んで一矢報いた。でも、二人ともあのままじゃいられなくなっちゃったけど。結局ホロアースは、セカイをまとめる『議会』の何席かが失われちゃった。閉じることで『完全な幸福で満たされるはずだった』セカイに綻びが生まれたんだ」

「綻びって……」

「野うさぎが『ケガレ』に取り憑かれたのもそうだにぇ。ここはホロアースに『一番近くて遠い異界』だから。ここでも『ケガレ』が現れ始めたってことは、もうホロアースはもう取り返しのつかないところまで来ちゃってる。これまでの揺り戻しが一気にホロアースに広がっていってるんだ」

 いきなり言われても、一体どうしろと言うのだ、と声を荒げたくなったが、自分の仲間の変容を見た後であれば、声の主の語ることも理解できた。

「ねぇ、兎田……お願いがあるんだ」

 先ほどまでの口調とは少し変わった、友達に語りかけるように言った。しかし歯切れが悪いのは、こんなことを頼んでもいいのかという遠慮のようなものがあるのだろうが、それを堪えながら続ける。

「ぺこーらは何もできねぇぺこだよ?」

 しかしぺこらはすぐにそう切り返す。声の主が話し始めてからずっとこう言うと決めていた。彼女は正直なその気持ちを続けた。

「もちろんすげーって思うぺこ。戦って、成果を掴み取るなんてそれこそ本当に英雄のお話ぺこだ。でもぺこらはそんなの出来ない! なんもできない。さっきも身体が震えて何にもできなかったのに……」と言ってズイと一歩桃色の光に近づく。そして、きっと視線をキツく声の主を睨みつけた。「ぺこらに何ができるって言うぺこか!」

「あぁ、やっぱり……うぅん、やっぱり会いに来てよかった」

「やっぱりって」

「違うにぇ。何にも出来ないって言うのに諦めなかった。あの時の、野うさぎを助けようとした兎田はカッコよかったにぇ。別にセカイを救ってくれとか、そんなお願いじゃないよ。ただ、傍に行ってあげてほしいんだにぇ」

「傍って?」

「ホロアースを、『閉じたセカイ』をどうにかしようって頑張ってる『おバカな海賊』の傍に行ってあげてほしい。それと、出来れば……」

 刹那、桃色の光が眩く周囲を照らす。

 

「そらちゃんを、助けてあげて」

 

 最後にその言葉を残して、彼女の視界は真白に染め上げられた。

 

「……あれ?」

 

「あんたたち、大丈夫ぺこか? どこも痛くねぇぺこ?」

 

「なんだったんだろ、あの桃色の光」

 

「女の子に見えた……けどぉぉぉぉぉぉ!」

 

「あ、ああああああれは何ぺこかぁ!」

 

「ソラに島ってどう言うことぺこ!?」

 

「それに、何ぺこ? あのでっかい剣!」



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不愉快なのら……

 橙に色づくセカイが徐々にその色を黒に染めていく。

 それに逆らうように、街は少しずつ光を湛え始める。目を刺すような光ではなく、郷愁の念を心に思い起こさせるようなそんな優しい光を、監視塔の上から眼下に眺めつつ、褐色のハーフエルフ、不知火フレアは一人今朝故郷から送られてきた手紙に目を通していた。

「しかし、久しぶりに手紙を送ってきたと思えば、ご老人たちも相変わらずみたい」

 書かれていた言葉に、時の流れを感じる。そこには『お前が旅立ってから十年』という文字。「……そっか。まだ十年しか経ってなかったんだっけ」

 ヒト族の諺に、十年ひと昔などという言葉があったように思う。エルフの森にいた時は、十年など瞬きの間に等しいものだと感じていた。しかしウェスタに居を移し、様々なヒトと関わって過ごしていると、時の流れを忘れてしまうほどだった。

 

 それも今、共に過ごしている『彼女』のおかげだろうと、フレアはそう思い起こしながら手紙を読み進めていく。

「たまには帰ってこいってねぇ。あの子の顔、見たいだけなんじゃないのかなぁ」

 クスクスと笑みを浮かべながら、一度だけ故郷に帰った時のことを思い出した。連れ帰った『彼女』を見た時の長老たちの驚いた表情といったら、筆舌に尽くし難いのがあった。それを思い出すと、『彼女』のおかげで全てが好転し始めたとも思えていた。

「でも、そっか……」

 同時に、フレアの頭にはもう一人、大事な人物の顔が浮かんでいた。ほんの少しだけだったが、共にウェスタを目指して旅をし、そしてこの街の危機を救った。一瞬の出来事ではあったが、彼女の記憶している人物の中で最も鮮烈で、最も優しかった人のことを。

 

「色々あったよ。君がここから旅立ってから……本当に、色んなことがあったよ」と、不意に呟いていた。大剣と、『彼女』が打ち立てた光の先に消えていった大事な友人。結果的にウェスタをを守った友人のことを思い、フレアはそう口にしてい。

 

「ねぇ、かなたちゃん……君は今、ココちゃん一緒にどこを飛んでいるの?」

 大剣の光の指す先を見つめながら、そう口にして、フレアはぼんやりとしていると「何? 前に話してた天使の話?」と背後から声がかかる。

 一瞬背筋が凍るような感覚に襲われるフレアであったが、すぐに警戒心もなく、スッと声の方に振り返った。そこにはとフレアに視線を向ける少女が一人。ピコピコと狐耳を揺らしながら、ニカッと笑みを浮かべて片手を上げて挨拶をしている。

 

「何よ。いるなら声掛けなよ。気配が読めないんだから」

「えへへー、これだけはししょーにも負けませんからねぇ」

「だからその呼び方もやめなって」

 いつものことだけどとそう付け加えながら、フレアはジッと現れた少女を観察する。思い返せば二年ほど前、東の大陸で騒ぎがあった頃に突然ウェスタに現れ、付き纏うようになってきた彼女は、自分のことを『ししょー』と呼び、慕ってきていた。

 

「まぁまぁ。まぁ用事も早く済んだんで、お散歩がてらししょーの姿を探してたんだよねぇ。まさかこんなセンチメンタルな感じで大剣を見てるなんて思ってもなかったけどね」

「一言余計だよ」

 ニヤリと笑みを浮かべた彼女に苦笑しながら、また大剣の光の先をフレアは見つめた。

 

「でもそうだね。ちょっとだけ、大切な友達のこと……思い出してたからさ」 

 

 

 フレアがぼんやりと光の先を見つめていると、フレアのことを『ししょー』と呼んだ少女は、彼女の隣に並び立ち、思い出すように言い始めた。

 

「落ちてくるソラの島。混乱の最中にウェスタを我がものにしようとする、悪者。それを全部まとめて守ったドラゴンと天使、そして戦乙女、だっけ。今やウェスタじゃお芝居にもなってるくらいに有名なお話だけど」

「そうだね。この間もお芝居が大盛況だったーって、劇場の支配人が言ってたっけ」

 にこやかにそう話をする劇場の支配人の事を思い出した。かつて騎士団の副団長にまで昇り詰めた男が、『あの人のことを伝え続けたい』と開いた劇場は、この十年で随分と有名になっていた。今やウェスタ一と言っても差し支えないほどになっていた。

「ホント、みんなから愛されてたんだよなぁ」

 不意に考えが言葉になった。きっと誰にも聞き取れないであろう小さな呟きだった。

「何? なんか言ったししょー?」

「あぁ、何にもないよ。また思い出してただけだから」

 そう言って苦笑いを浮かべながら、壁にかけていた外套に手をかけた。

「さて、もう待ってる時間だろうから、私は帰ることにするよ」外套を羽織ってフレアがそう告げると、「でもさ、みーんな知ってるお話のはずなのに、実際にその人たちを会ったことあるのって、ししょーとお姫様くらいだっけ?」どうもまだまだ話を続けたい様子で、少女が尋ねてくる。

 

「あとは……聖騎士団の数人くらいかな」そう言ってフレアは、どうだったろうか、と思い返していた。一眼見たことのある人は何人もいるだろうが、全員と話したことのある者は少女が言った通り、自分とかの姫様くらいだろう。

「ふーん」

「何よ、急に興味ないみたいに」フレアが肩をすくめる。

「ん、やっぱり核心には触れないんだなぁって思ってさ。いやはや、まだまだポルカもししょーの信頼を勝ち得ていないようなんでね。まぁこれから先も精進あるべしかなぁなんて思っているわけですよ、まる」

 フレアは回答に迷ってしまう。その沈黙がまだ語っていないものがあると表していると、彼女はまだ気づいていない。

「あぁ、そういえばお姫様から伝言。『久しぶりに顔見せるのらー』だってさ」と、ポルカは唐突にそう告げる。その声が耳に届いた時、不意にフレアは視線を遠くに向けた。浮遊島から伸びる影が東の平原に大きな影落としている。

「さて、もう帰ろっかな」

「あれ? お姫様のとこには行かなくていいの?」

「別に急ぎのお話はないんだからさ。とりあえず早く帰って晩の準備しないとさ」

 フレアはフッと笑みを作ってそう返した。思いがけない返答に目を丸くしてポルカが驚く。しかしすぐに元の表情に戻ってニヤリと続けた。

「へぇいいなぁ。じゃぁポルカもご相伴に預かりましょうかねぇ……っと、そういうわけにもいかない感じ?」ポルカが顔をしかめた。

「ポルカ」キツい視線を外に向ける彼女を嗜めるフレア。しかし唐突にポルカが警戒心を顕にしたのも無理はないとフレアも感じていた。

 ポルカの向けた視線の先、陽も水平線の向こうに顔を隠し、暗闇が視界いっぱいに広がったその中で、ぼんやりと少女が一人、そこにいた。それだけであればフレアとポルカが驚くことはないだろう。二人を戦かせたのは理由、それは現れた少女が監視塔の外にいるにも関わらず、同じ目線で彼女たちを見ていた、宙に浮かびながら彼女たちを見ていたからだ。

「ししょー。この子……」

「分かってるから。でも……」

 再びポルカを嗜め、フレアが続ける。

「今日は、突然の訪問が多いみたいだね」

 暗闇の中でも輝く星の輝きを思わせる、ふわりとした黒髪を靡かせた少女は二人を見据える。

 

 それは再びウェスタを戦火の報を知らせる先触れであることを、この時はまだ誰も知らなかった。

 

「お伝えしたいことがあって、参りました」



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不愉快なのら…… 2

 ゴウと吹き荒ぶ夜風の中、少女は呟く。声は決して夜風に攫われることなく、ただカタチを成したようにそれはハッキリとフレアとポルカに投げかけられた。

 唐突に現れた少女に、言葉を失ってしまうフレア。この十年でウェスタはかつてより繁栄した。それに合わせて街の防備は比べ物にならないくらいに強固なものになったはずなのだ。そして今フレアたちのいるこの監視塔は、王城に次ぐ厳重な警備の施された場所。そこに宙に浮いているからといっても、少女が一人で警備の目を掻い潜ることなど出来るはずがない。それが出来るとすれば、このウェスタにある古代技術と同等の力をもつ者くらいだろう。長く生きているフレアにもそんなものの心当たりは片手で数えられるほどしかない。それも全ては在るべき場所から動けないはずのものばかりだった。ならばこの状況をどう説明すればいいのか。フレアは考えが纏まらずにいた。

 

「お前、『クリス』か?」

 言葉の詰まるフレアを他所に、冷ややかな声で少女に問いかけるポルカ。フレアが視線を向けるとポルカは殺気を露わにし、すぐに「答えなって」と追い討ちをかける。「大体突然やってきて、伝えたいことがあるっていうのも不躾ってもんだよ。助けてもらう気満々じゃんか」

「……しは……」苦しそうな表情を浮かべた後、極力感情を見せないように少女はこう続けた。

 

「私は、『ウェスタの守人』にお伝えしたいことがあり、参りました」

「だからさぁ、まずはこっちの質問に答えなよ!」今にも少女に飛び付かんと身構えたポルカに「ポルカ、やめなさい」とフレアが口を開いた。ポルカを静止させるための、考えなしのセリフではない。ただフレアの中で答えが纏まったのだろう、困惑した面持ちではなく、子どもに語りかけるような柔らかく尋ねた。

「ねぇ、お嬢さん。寒空の下じゃ風邪ひくよ? こっちにきて少し話でもしようか?」

 その言葉とともにフレアは少女に手を差し出していた。

 よく見る光景だ。ポルカは手を差し出すフレアを見てそう思っていた。確かにフレアの、ヒトを慮ることの出来る部分は美徳だ。彼女自身もそれに惹かれて『ししょー』と呼び慕っている。しかしその性格がフレアの首を絞めることになるのではないかということをポルカは危惧していた。そして同時にこうも思っていた。もしフレアに危険が及ぶのであれば、自分がどうにかしてやればいいと。今はフレアの行動を止めることはしなくていいだろう。

「ちょ……あぁ、もう! お人好しすぎだよ」

 少し小言を口にし、ポルカは少女とフレアから少し離れ、部屋の出入り口から二人の様子を見守ることにした。

 少女は招かれるままフレアの手をとり、そして室内へと降り立った。寒空の下にいたせいか身体も冷え切っているんだろう。少し身震いをする彼女にフレアは羽織っていた外套を手渡し、椅子に腰掛けるように促した。

「ありがとう、ございます」少女はそう小さく呟き、示された椅子に腰掛けた。しかし未だその表情から緊張は拭い去れていない。少女にフレアは「ねぇ、貴女を起こしたヒトのこと、聞いていいかな?」と尋ねる。

 少女のひどく驚いた表情を見せるが、フレアは全く反応を示さず、「ねぇあのヒト、元気でやってるの?」と、ニコリと一言。

 先ほどまでのポルカの言葉ももちろんヒントになった。そしてわざわざ自分を訪ねてくる少女の反応から、『少女を起こした人物』について、見当がついているのだろう。決してはぐらかすことを許さないという意志がその笑顔からは伝わってきていた。

「あのお方はおっしゃっていました。『門を開くために、永き時を沈黙していた、彼女が動き出す』と。そしてそれを、『同族であり、親しい友人でもある守り人』に伝えるようにと」

「やっぱり……ずっと音沙汰ないと思ってたら……相当ピンチになってるんだ」

 

 フレアは「あの人の言う『彼女』っていうが誰のことか分かんないけどね」と呟く。

 それにしても素直に「助けてくれ」と言ってこないのは、あの人らしいとフレアはそう思っていた。何がなんでも自分の力でどうにかする。そんな気概を感じさせる佇まいを感じさせるかの人を頭に描きながら、思わずクスクスと笑い声を上げる。

「ししょー。大丈夫?」

 突然のフレアの笑い声に、思わず彼女の顔を覗き込むポルカ。

「ごめんごめん。あの人、相変わらず強がりさんなんだなって思ってさ」昔からそうだったなぁと呟きながらフレアは虚空を仰いだ。

 懐かしさを感じながら、頭の中で整理をつけていく。かの人がわざわざ自分に伝言を頼んだ意味。そして目の前にいる少女のことを。当然すぐにそれらを咀嚼することは出来なかった。それでも、なんとか区切りのようなものは付ける事ができた。一人で悶々と考えていても意味はないが、自分の向かうべき先はハッキリとした。あとはこのウェスタと、そして南方にある彼女の同胞との事情になってくるのだから、事の仔細を説明しないといけない。短いため息をついて少女に視線を戻しながらフレアは呟いた。

「まぁ……もう呑気にはしてられないってことか」

 少女はフレアの言葉の意味をすぐには理解できていなかった。しかし彼女の浮かべた表情の意味であれば、知っていた。それは覚悟したヒトのする表情だと。まるで明日の天気を気にするように呟いたフレアの言葉は、決して表情とは結びつかない。困惑を隠せないまま、しかし決められた筋道を通すように少女は続ける。

「私はあなたに伝えるためだけの先触れです。追って、使節団がウェスタを訪れるかと」

 少女はそう言って、深く頭を下げた。次の瞬間、少女の身体をゾクリ悪寒が走った。突き刺さるような、締め付けられるような感覚が彼女にまとわりついていた。

「なるほど」冷えた言葉が室内に響く。

「あの人、私だけじゃなくて、ウェスタも巻き込むつもり?」不快感を露わにしながらフレアは続けた。「ねぇ、答えてくれない?」

「いえ……その」フレアの変わりように少女は言葉を失う。言い訳を考える側から、フレアに対する恐怖に感情が上塗りされていって纏まろうとしていないのだ。カタカタと、腰掛けた椅子まで震えるほどに怯えた少女の姿に深くため息をついた後、彼女は踵を返し、部屋の出入り口へと一歩進み、そしてドアノブに手をかけた。

「ポルカ」声には先ほどの暗い感情はないが、神妙な響きで言う。

「あいよ、ししょー! やっちゃう?」

「王城に、お姫様のところに行くよ。使節団が来る前に話を終わらせる。だからさ、『あの子』にちょっと帰りが遅くなるて伝えに行ってくれない?」

 ポルカにとって予想外の発言だった。先ほどまで少女に示していた不快感から、きっとフレアはこの話を反故にすると思っていたのだ。こちらには決して徳などないのに、それを分かっていて飛び込もうとしているのかと、憤りを露わにする。

「ししょー! こんなの聞いてやる必要……」

「そういうわけにはいかないよ。確かに、ウェスタを巻き込むなんてことは許せない。それだけは、絶対にさせない」

 それだけは賛成だ。ポルカにとっても、ここが戦場になることだけは避けたいことであった。

「……でも」

 やはり続いてくる『でも』と言う言葉。

「友達は大事にするタチなんだ」

 ニコリと、フレアは気安い笑みを送る。こうされてしまってはポルカは何も言えなくなってしまう。してやられたと、悔しさで顔を歪めポルカにフレアは、「ゴメンね」と小さく言った。

「ホント、あんたって人は……」俯くポルカにを見とめ、ドアを開け放ち、「お嬢さん、ついてきてくれるかな?」と少女に話しかけるフレア。その声に辿々しく「……はい」と返し、少女はフレアの背を追って部屋を後にした。

 

 部屋に取り残されたポルカは一人、フレアからの頼まれごとを頭の中で反芻しながら未だ、顔を上げられずにいた。

 止めなくてはいけなかった。無理にでも少女を追い返すべきだったのだと、自分自身を叱責しながら、ついぞ口をついたのはフレアに対する恨み言であった。

 

「あんたが一番大事にしなきゃいけないのは、『あの子』だろうが……」



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不愉快なのら…… 3

 王城の会議室は空転していた。

 ウェスタの守人が唐突に王女への謁見願ったことからすぐ、ウェスタを守る軍人、政治家たちが大会議室に集められ、皆に状況が告げられていた。 

 直に南方の大陸で大きな戦が起こる。フレアが連れてきた少女がそれを伝えに来たと言う事実に、挙げられる意見は様々だった。

 ある者は言う。積極的に関わるべきではないと。先の混乱から10年。その期間でウェスタは他の国の比でないほどに栄えた。未だ発展の途上にある今、他の国の諍いに首を突っ込んではいけないと、そう強く提言した。

 一方で別の者は声を上げた。戦火に飛び込むべきだと。より急速な勢力の拡大を望むのであれば、支配地域を増やすに越したことはない。だからこそ、この南方の争いは好都合であると。

 様々な意見が飛び交う中、フレアの隣に立って会議の行く末を見守っていた少女は、言葉に出来ない感情に悩まされていた。

 これがヒトの業、ヒトの欲望かと。こんなにも醜いものをヒトは抱えているのかと、打ちひしがれたような感覚に苛まれていたが、一方で隣に佇むハーフエルフはまるで凪の日の海岸のように静かにそれを見守っていた。

「なんで……」

「ん、どうしたの?」

 突然の問いかけに声を詰まらせる少女。フレアも彼女の動揺に気付いたのだろう、ニコリと笑って「やっぱりさ、立場によって考えは違うんだよ。纏まってなく見えるけどさ、こう言うのはどんな意見でもしっかり出し尽くしとかないと後で後悔することになるんだ。まあ度が過ぎるのも問題ではあるけれどね」と小さく言った。

「そう言うものなのですか?」ヒトとあまり接したことのない少女は、その無駄な行動の意味を理解できずにそう問いかける。

「そうだね。きっと君には無駄に見えるでしょ? でもそれぞれの考えを知ることでお互いを『守る』ことに繋がるはずだからさ」

 その言葉は少女をハッとさせた。それは少女の存在意義そのものを示す言葉であったから。それと同時に少女の中でフレアという人物は手放しで信頼できる人物のなのだと実感させられた。

 しかし先ほどフレアの言った通り、議論は白熱し、歯止めが利かない状況になっている。だが焦った様子をお首にも見せないフレアは視線がふと視線を部屋の奥に移した。

 椅子に深く腰掛ける少女が一人、会議が始まってからと言うもの押し黙って、会議の状況を見守っていた。幼く見える輪郭には相応しくない厳しい視線を、話を進める者たちに向けている。本来は綿菓子のようにふわりと軽やかに感じさせる桃色の髪も、今は少女の不気味さを引き立てるものになっている。

 

 そして短くため息を吐いて彼女はようやく口を開いた。

「……みんな、ちっとは冷静に。今そんな議題について話してるわけじゃねぇ」

「しかしルーナ姫!」

「もうさっきから話が堂々巡りになってる。意見も出尽くしたんなら、次は国としての最善手を話し合うべきじゃねぇの? そしてその子の処遇についても考えなくちゃいけない。それに……」

 フレアの連れてきた少女を指差し、ルーナはまだ続ける。

「そんで、なんでねーちゃんのとこに直接行ったか? それも聞かなきゃいけない」

 キッパリとしたルーナの物言いに、これまで荒れに荒れていた議会はシンと静まり返る。その場にいる全員がルーナの口にした事を、心のどこかで気付いていた。しかし各々の抱える不安と立場から口を閉ざすことが出来なかったのだが、このタイミングでのルーナの言葉は、全員を冷静にさせるには十分であった。

 

 一旦静まった議会の中、ルーナの主導で話が進んでいく。

「南方の状況を簡単に説明して」

 ルーナは近くに控えていた書記官にそう告げる。指名された書記官は咳払いを一つ、よく通る声で皆に説明を始めた。

「南方は都市国家の乱立する地域にございます。それぞれが覇を競い合う戦火の地とも言えましょう。それが近年、ある一つの都市国家によってまとめられようとしております。ウェスタの大剣と同一のものと言い伝えられる『錨』を抱く都市国家、『サラーキア』によって」

 一気にそこまで言い、書記官はルーナに一礼し、再び後ろに控えた。静まり返ったままの議会に、ルーナは静かにこう告げる。

 

「この選択がウェスタの命運を左右するのは分かってもらえたと思う。だから慎重にならないといけない。立場とか利益とかそんなの抜きにして、『ウェスタのため』に意見を出し合うべきなんだ」

 

 ルーナは椅子に背を預け、少し疲れたようにフレアの方を見た。

 フレアは何も答えずに、ただじっと彼女と視線を交わす。言葉を交わさなくとも考えていることを共有しているように、じっと見つめ合っている。言葉で言い表せば少し色事に聞こえるようなものも、二人の退っ引きならない雰囲気の前ではそんな考えは霧散してしまう。二人の間に立つ少女はこの緊張感に気が触れる思いを抱えていた。

 

 一体いつまで続くのだ。もう、こんな空気には耐えられない。

 

 その場にいる皆がそう思い始めた頃、ルーナが口を開いた。

「まず、ねーちゃんの話を聞いていいのら? ねーちゃん、この状況をどう見るのら?」

 先ほどまでとは少し違う、少し砕けた口調で話すルーナに、一瞬目を丸くしたフレアであったが、ルーナの表情は真剣そのものである。決してはぐらかしたりはできないだろうと、フレアは「そうだなぁ」と答えた。

「正直全然分かんないや」フレアの回答に一瞬ザワつく議会の面々。隣にいる少女も気が気ではなかったが、フレアは構わず話し始める。 

「でもさ、南方の対立に、国を挙げて関わるべきではないって、私はそう思うよ。それだけは絶対だね」

 ハッキリそう告げると「も、守人さま! なぜそう言い切れるのですか!」と出席者の一人が声を上げる。数人が彼に同調するが、フレアはピシャリと言い放つ。

「うん、みんなの言いたいことはわかるよ。でもさ、絶対にやらなきゃいけないのは『ウェスタを守ること』なんだ。わざわざ火事場に飛び込む必要はないよね?」

 即答するフレアに皆が黙りこくる。しかしいつ南方からの侵攻があるか変わらないこの状況で、呑気にしていることはできないと言うのは全員の共通意識であろう。

 ではどうするべきか、全員が考えあぐねいている中、「でもさ、ウェスタに関係ない人が行くんなら、別にいいよね?」とフレアが続けた。

 まさか、そのような言葉が出てくるとは予想外だった。皆が一様に同じ表情でフレアを見つめている。言葉の意味することは理解できている。そしてそれを口にした彼女が考えている事も、薄らと全員が気付き始めていた。

 深くため息を吐いた。ルーナは小さい呻き声を上げて、考え込んだ後、探るように問いかけた。

「……省かずにちゃんと話すのら。ねーちゃんの悪い癖だよ」

 

 きょとんとフレアがルーナを見た。心底驚いていると言わんばかりの表情で彼女を見つめた後、気まずそうに自身の髪に触れて言う。

 

「ルーナ姫。私が、私が一人でサラーキアに行くよ」と静かに言ったフレアに「な、何をいっているのです守人殿!」と話を遮る声が一つ。肩に猛き少女と白銀の剣の意匠を背負った騎士が立ち上がった。

「貴女の、貴女様のお傍には『あの方』が……ッ」と途中まで言いかけて騎士がはたと言い淀む。

 

「ちょっと、黙るのら」この呟きに、気圧され、言葉を失ったのだ。

 

 無理もない、全員がそう思ったに違いない。騎士が言葉を発した次の瞬間、ルーナの厳しい視線が彼に向け口を開いていた。温厚なはずのルーナがここまで感情を露わにして他者を制したことなど、十年前の騒動以降ありはしなかった。それほどまでに騎士が口にしようとした言葉は、容易くルーナを激昂させたのだった。

「許されてから話すのら。今はねーちゃんに話を聞いてるから」

「ッ……申し訳、ございません」おずおずと椅子に座り込む騎士をよそに、フレアは気を取り直してルーナに向き直る。

「正直私情もあるよ。多分この子を起こしたのは私の古い友人だ。友人を助けるのに、理由なんかいらないよね? それに私一人が行ってもそれは『一介のハーフエルフ』が単独行動をとったって思われるし、ウェスタに迷惑はかけないはずだ」

「本気で、そう言ってるって考えていいのら?」

 ニコリとそう言い切るフレアの、そのさっぱりとした表情を見て、一瞬俯くルーナ。

「……不愉快なのら」

 その小さな呟きは誰に聞こえるものではなかった。ただ一人、フレアの隣にいる少女だけを除いて。

 

「……あー分かったのら」

 

 呆れたようにルーナが声を上げる。

 その場にいる皆が『守人の提案を了承したのだろう』と一様に思ったに違いない。事実頷く者、ガクリと肩を落とす者、反応は様々であった。しかしフレアの連れてきた少女だけは、先ほど聞こえた『不愉快なのら』という言葉の響きから、全く違うことを考えていた。そう。きっと目の前にいる姫は何にも納得をしていないと、不思議と確信していた。

 フレアは全員の様子を見とめ、「よし」と一言。改めてルーナに視線を向けて「じゃぁ私は出発の準備を……」と呟いた。

 

「ルーナイト、守人を拘束」小声でルーナが言う。

 

 次の瞬間、会議室の扉が開かれ、厳しい鎧を身に纏った数人の騎士が入って来る。そしてそのまま少女も一緒にフレアを取り囲んだ。

 無論突然の事態に元々会議室にいた面々は困惑する。その中で先ほどフレアに苦言を呈そうとした騎士が声を上げた。

 

「ルーナ姫! これはあまりにも!」

「うるせぇ!」

 

 間髪入れずに返されたその言葉に、もはや反論できるものはいない。ただ押し黙りルーナの言葉を待つしかできなかった。

「ルーナ姫。冗談……じゃないみたいだね」騎士に両脇を堅められながら、フレアが問いかける。

「趣味の悪い冗談、好きじゃねーのら」

「じゃぁなんでさ? こうするのが多分、ウェスタに一番迷惑かけない方法だよ。そのために犠牲になるのは少ない方がいいじゃない」

 

「……ねーちゃん、あんまりルーナのこと、怒らせないでほしい」

 

 冷えた声は更に場を凍りつかせる。フレアも押し黙り少し視線を下げた。普段の柔らかな雰囲気からは想像できない声色に、途中からやってきた騎士たちでさえ、困惑を隠せない。

 

 一瞬の沈黙の後、再びルーナ話し始めた。

 

「ねーちゃん。ルーナは後悔してる」

「後悔って……」

「あの時、十年前のあの騒動の時……」苦い表情を浮かべてルーナは続ける。

「あの時、ルーナは何にも出来なかった。あのおっちゃんに良いように使われて、結局ルーナは何にも出来なかった」

「でも、ルーナ姫! それは!」

「何遍も思った。ちゃんとしてればって。ルーナがちゃんとしてれば……きっとノエルちゃ団長は」

「ルーナ姫……」

 今にも泣きそうな表情を隠し、俯くにルーナに、フレアは何も答えることができずに、ただ彼女の言葉を待った。そして真っ赤な目をして話を続ける。

「でも結局ノエルちゃ団長に守ってもらって、ココちゃとあまねちゃが浮遊島が落ちるのを止めてくれた。でも二人はいなくなっちまった。なんも出来んかった……ルーナはお飾りの姫だったのら」

「それは違う。ねぇ聞いてよルーナ姫!」

「今度は、絶対に、ルーナがみんなを守るから……今度は絶対にルーナがみんなを守れる方法、絶対に思いつくから」

 じっとフレアを見据え、ルーナは呟く。

 

「少し、頭冷やしてくるのら」

 

 そしてその言葉を最後に、この会議は幕を落とすこととなった。

 何も決まらないまま。しかし確かに急速に歯車は回り始めたのだった。



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一刻を争うんだ

 様々な人と触れ合ってきた。エルフの長老や頼もしい騎士たち、融通は聞かないけれど真摯な政治家さんたち。そして優しくて頑張り屋のお姫様と突然現れて自分を『ししょー』と呼ぶ女の子や、いつもヒョコッと現れる魔女っ子。

 

 そして、一番大事な子。かけがえのない宝物。

 彼女、不知火フレアにとってこの十年間は何よりも色濃いものであったことは言うまでもない。

 様々な温もりに触れて今の自分があると、彼女はきっと胸を張って言うことができるだろう。そして私はなんて幸せなんだろうと呟くことができるだろう。

 大切なヒトが傍にいて、成長して行く姿をずっと見続けることができる。周りのヒトたちも助けてくれて、これから先、きっと不幸なことなんて絶対にありえないって、そう思い込んでいた。

 

 だが、それは唐突に現れた。南から、戦いの幕開けを告げる少女がやってきた。その瞬間、彼女の中に感情が芽生えた。自分がやらなければいけないと。自分が行って、その戦いを終わらせなければいけないと。

 何故その考えに至ったのかは、彼女自身ハッキリとしない部分があった。

 

 しかし、一つハッキリとしたものがある。それは、今度こそ自分が守る番なのだという確信。

 

 『守人』などと大仰な呼ばれ方をしているが、彼女は常に思っていた。『自分はこれまで何ひとつ守ることなんて出来ていない』と。

 ウェスタが危機に陥った時もそうであった。土壇場で彼女は動けなくなり、蹲ってしまった。そこに至るまでの大事を知っている者であれば、致し方ないと励ますだろう。だが彼女はそれを後悔していた。

 

「だから、焦っちゃったのかな」

 

 一人ベッドに腰掛けながら独りごちる。受け取る者のいないその言葉は刹那、部屋中に響き宙に消えて行った。

 ルーナ姫から謹慎を言い渡され、彼女お抱えの騎士団の面々に連れてこられたのは、謹慎をするにしてはあまりに豪華な部屋。来賓が止まるための部屋であった。ドアには見張りの騎士が立っているが、窓は簡単に開け放つことが出来る。その気になれば逃げることも容易であろうとフレアは考えつつ、思案を巡らせていた。

 

 もう少し上手く言うことが出来たはずだ。否、むしろ言わなくとも勝手にウェスタを離れることも出来たはずだった。

 

 しかしあえてそれを選ばなかった。

 ルーナ姫に自分一人で行く旨を伝えたのには、大事な訳があった。

 

「だって、勝手に私が出ていっちゃ『あの子』が私を探して寂しがるもんね」

 そう呟き、フレアは笑みを零す。自分の何よりも大事な宝がどう思うのか、そればかりが彼女の頭をもたげていた。しかし自分自身が南へ、戦火の地へ赴くという意志は変わることはない。

 

「多分、そろそろ気付いてきてくれる頃だと思うんだけど……」

 そう呟いてフレアは視線をそっと、窓の外に映した。もうセカイは夜の帷の中。燦々と星々が光り輝く時間になっている。先の会合からどれくらい経過したのだろうかと思った瞬間であった。

 

「……あら、先に君が来るんだ」

 

 フレアの顔に影が刺したと同時に、フレアはそう呟いた。

 そこには一人の少女の姿。

 暗闇の中でも輝く星の輝きを思わせる、ふわりとした黒髪を靡かせた少女が宙に浮きながら、申し訳なさそうにフレアを見つめていた。

 フレアの声に、一瞬身体を震わせた少女は正面からフレアを見遣り、辿々しい口調で呟く。

「すい、ません」

 それが彼女が口に出来る精一杯の言葉であったのだろう。フレアの置かれた状況に負い目を感じているからこそ、半端なことは言えない。申し訳なさからが彼女の口を鈍らせていた。

 どこか10年前の旅の途上、共に旅をした天使を思わせるような少女の表情に、思わず声を上げてフレアが笑う。突然のことに暗かった少女の表情も驚きに変わる。目尻に涙を溜めてフレアは「何謝ってのさ。そんなことより中に入りなよ」と窓を開け放ち、一層笑みを浮かべた。

 

 監視塔の時と同じように少女を部屋の中に招き、設られた椅子に腰掛けるように促すフレア。しかし降り立った窓のそばから決して動かず、少女は神妙な表情を浮かべたままだった。仕方がないと内心思いつつ、フレアが尋ねる。

 

「あの後どうなった?」

「……」

「ほら、黙ってちゃわかんないよ?」

 少し厳しかったかもしれない。そう思い手で口を覆ったフレアであったが、逆にそれが良かったのかもしれない。少女は簡潔に話し始めた。

 

「結論は何も出ておりません。会議はあのまま終了。姫君を残し、あの場にいた者は解散しました。私は会議の途中で声を上げられた騎士殿に伴われ、かの宿営に招かれまていました」

 おそらく少女を保護したのはかの騎士団だろう。今は劇場の支配人となった元副団長もそうだが、本当に彼らには頭が上がらないと感謝するフレア。

 

「そっか。ん、とにかく無事で安心した」

「しかし、私が考えなしに貴女に接触したためにこのような事態に……」

「そんなこと言わないでよ。友達の危険を伝えてくれたこと、本当に感謝してる」

 浮かべた笑みの意味を少女はきっと分かっていないのだろう、不可解な表情を浮かべてフレアを見る。フレアは構わずに話を続ける。

 

「……でも、これからどうするかだよなぁ」

 笑みを浮かべた次は神妙な表情になる。それを見て少女は自分との違いを思っていた。表情豊かな彼女を羨ましく見ていると、正面から笑い声が響く。

 

「あぁ、心配しなくても行かないなんて言わないよ。私は絶対に、サラーキアに行くから」

 それだけは決定事項だと言わんばかりに言い切るフレア。それを喜ぶ立場である少女だったが、あの会議の様子を思い出せば手放しでは喜べない。

 

「しかし、姫君は……」

「そうだね、やっぱりルーナ姫、怒ると怖いんだよなぁ。でも、うん。やっぱり行かなきゃ」

 

 会議でのルーナを振り返るフレアだったが先ほどと変わらないキッパリとした物言いでそう結論づける。そして「とりあえず……」と思い出すように話を続ける。

 

「基本的にあの人は、簡単に自分から助けなんて求めないんだ。自分でやれるところまでやって、絶対に活路を見出す、そんな人なんだよ」

 それは少女も理解していた。自分を起こした者はあまりに少しお茶目ではあるが高潔な精神の持ち主であると彼女も分かっていた。

 

「そんな人が助けを求めるてる。同族がどうとか置いといてさ、友達として助けないといけない」

 

 そしてフレアはまた笑みを見せた。

 

「それが友達ってもんだよ」

 

 おそらく一生涯、少女はその笑みを忘れないだろう。それほどまでにその笑顔は少女の中で、大きな意味を持つものになった。

 

 

 フレアの笑顔に言葉を失っていた少女であったが、フレアの「あっ」という言葉で我に返った。どれくらい呆けていたかは分からない。ただ内心少女は気が気ではなかった。一体次は何を言われるのだろう、何故こんなにもヒトの言葉に心を揺り動かされるのだろう。その理由が掴めずに、少女はただ困惑するしかなかった。

 

「名前」

「は、?」

「君。名前聞いてなかったよね」

 

 フレアは「自分のことを知ってるから、てっきり名乗り合ってるって気がしちゃってたよ」と苦笑いで誤魔化そうとする。確かに監視塔で出会って以降、互いに名乗ってはいない。少女も、自分を起こした人物から『ウェスタの守人』と言う二つ名と、外見的な特徴については聞き及んでいたが、その実フレアの名前は知らなかった。そう考えると、あまりに失礼なことをしてしまっていると少女は顔を赤らめ、どう挽回すべきかと思案を巡らせる。しかし簡単には出てくるものではなかった。

 

「私も名乗ってなかったもんね。ごめんよ。私は不知火フレア。ウェスタのみんなからは大体『守人』って呼ばれるけど、ちょっと厳しいからこの呼び方好きじゃないんだ」

「す、すいません!」

「いやいや、まぁ出来れば……フレアって名前で呼んで欲しいんだけどね」

 中には自分のことを全然違う呼び方をするヒトもいると付け加えるフレア。少女の頭にもその人物は存外にすぐに思い浮かんだ。

 そこの見えない、何かぼんやりとして像が掴めない、まるで雲のような……そして嵐のような激情をその身の内に隠したようなヒト。正直に言ってしまうと少女はフレアよりも、『彼女』のことが気になっていた。しかし今はあまり関係のないことだ。少女は気持ちを落ち着け、ゆっくり息を吐き出した後、静かに答えた。

 

「私は……アー」

「あのさぁ!」

 

 それは少女が名を発しようとしたのとほぼ同時。喧々とした鋭い音が部屋に響いた。そして次の瞬間、ゆっくりとドアが動く。

 少女はその光景に驚愕していた。

 なぜ大声を出す? ここは監視されている場所のはずだと。

 なぜ正面から入ってこれる? 先ほどまでドアの前には警備の騎士が立っていたはずだと。

 そそて何よりも、何故その人物は自分敵意を向けているのか? 思えば監視塔であった時から、彼女は自分に対して敵意を向け、そして

自分の正体を、自分が『クリス』であると看破していた。

 

 それらが少女の頭の中でグルグルと周り、言葉にできない動揺に変わっていった。少女の動揺などお構いなしに、ドアを開け放った人物、尾丸ポルカは冷えた声を再び少女にぶつける。

 

「呑気に自己紹介してる場合ですかぁ?」

「……ぁ」

「そもそもねぇ、アンタのせいで!」

 

 部屋の出入り口から足速に窓際まで歩み寄ってくるポルカ。狭い部屋の中では逃げ場もない。何よりポルカの勢いに気圧され、何もできずに身を固くする少女。もう掴みかかることの出来る距離まで詰め寄ろうとした時、小さなため息と共にフレアが言った。

 

「ダメだよ、ポルカ。それ以上は言っちゃダメ」

 その言葉に足を止め、フレアを睨み付けるように視線を向けるポルカ。

 

「でも、ししょー!」

 その表情は、何を甘いことを言っているんだと、とぼけたことを言うなと言わんばかりの表情であった。そんな表情を向けられても尚、フレアは静かに続ける。

 

「ダメ。この子も与えられた役割があって来たんだ。それに文句なんて言えない。それに名前も知らないままっていうのは、やっぱ嫌じゃん?」

 フレアは殺伐とした室内を洗い流すように、ゆっくりと静かに染み渡っていった。フレアがそう言ってしまってはポルカは何も言うことは出来ない。

 

 ただ監視塔の時のように、また静かに呟いた。

「……なんでそこまでお人好しになれんのかなぁ……」

 決して嘲の言葉ではなく、美徳を讃える言葉として、ポルカはそう呟いたのだった。



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一刻を争うんだ 2

 そう言ってポルカは顔をしかめ、「はいはい、じゃぁもう言いませんよ」と吐き捨てた。その反応にフレアは、「そんなに怒ることないのに」とどこか的外れな事を言う。

 もう怒る気にもなれなかった。そもそも怒っているつもりもなかった。その瞬間彼女は気が付いたのだろう。フレアがわざと素っ頓狂な事を言っていると。少し茶化すことで怯えてしまった少女の気持ちを少しでも和らげてやろうとしているのだと。

「ほんと、こんな時まで他所様に気を使うなよ」ボソリと呟き、ベッドの端にちょこんと腰掛けようとするポルカ。

「で、『あの子』に伝えてくれた?」フレアの声にびくりとポルカの身体が震える。「もしかして、言ってくれてないの?」 

「え、あーはい」

「なんだよ、歯切れ悪いね」一歩ポルカに近づいてフレアがズイと顔を寄せる。

「いや、なんて言うんでしょうか……ポルカ的にはぁ~ちょっとねぇ」

 気まずさから頬を掻きつつ、ポルカは視線を開け放ったままのドアに移す。その視線の動きにフレアは「あぁ、なるほど」と頷き、振り返って言った。

 

「ほら、入っておいでよ。一人でそんなところにいることないんだよ?」

 それがフレアに駆け寄ったのは声とほぼ同時だった。小さな銀髪の少女がフレアに正面から抱きつき、嗚咽を漏らしていた。

「ッと」

 身体がよろける程の衝撃ではない。しかしそれは十年の積み重ねを感じさせる重みだった。そしてその少女の発する熱と重さが愛おしくなり、フレアは片膝を付き、正面から少女を抱きしめた。

 

「母う……フレアぁ」

「かわいいお顔が台無しだよ、ノエル」

 駆け寄ってきた銀髪の少女、ノエルはフレアが無事であった事に安心したのだろう、彼女の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らしていた。

 

「ダメじゃない。こんな夜更けに外に出歩いたりしちゃ」

「だって、フレアいつまで待っても帰ってこんし、ポルカもなんだか怒ってるし……どうしたら良いかわかんなくて」

 瞳を潤ませそう続けるノエルの言葉を受けて、怪訝な表情でポルカを見るフレア。

「いや、違うんすよ。表に出さないようにしようとしてはいたんですけどねぇ」

 必死に取り繕おうとしているポルカであったが、それもフレアを心配してのことだろう。それも十分に理解出来ていたからこそ、フレアはそれ以上に追求することはなかった。ただ今は目の前の小さな温もりに心配をかけてしまった事を詫びなければならないと、フレアは慈しみ深い笑顔を浮かべた。「ノエル……心配かけてごめんね」

 

「うぅん。なんもなかったんなら、それでいい」

「それでもごめんね」

 そう言ってノエルの頭を撫でるフレア。側から見れば親子のやり取りのように見える柔らかな光景。しかし窓際に立ってそれを見ていた少女は違和感を覚えていた。

「も、守び、フレア、様……その方は」少女には見えていた。ノエルの中にある、少女ではない『別の何か』を。

 だがそれが何なのか、具体的に言葉にはできない。

 ただ少女の頭の中にある違和感をわかりながら、フレアはこう返した。

「うん、その話は少し後にしようか?」

 

 優しい笑みを浮かべてフレアがノエルの頭を撫でる。ひとしきり泣き腫らして疲れてしまったのだろう、ノエルはフレアの膝を枕に寝息を立てている。

 どれだけ心細い思いをさせたのだろうかノエルはまだ十歳程度の年齢の子どもだ。共に住むものが帰って来なければ不安にもなるだろう。そう思うと、ノエルに対して申し訳なさが大きくなっていった。

「すごく心配させちゃってたみたい……」フレアがボソッとこぼした。

「かわいい寝顔じゃないですか。いやーやっぱり子どもは笑顔でいてくれるのが一番ですからねぇ。それにししょーもちょっとが気が紛れたんじゃないですか? これは連れてきて大正解? ポルカお手柄?」

「ポルカ」

「いやぁ、はい……ごめんなさい。ホントは連れてくるつもりじゃなかったんですよ?」ポルカは必死に言い訳を考え、眉根を潜ませていた。「ただ、あんまりにも寂しそうな顔してたからなぁ」

「で、これからの話だけどさ……っても多分ポルカは大体のこと分かってるんでしょ?」

 ノエルを撫でる手を止め、ポルカに尋ねるフレア。

「あぁ、まぁ大体はね。でもさぁ、なんで閉じ込められるまで我を通すかなぁ」

 大袈裟にため息をついて「まぁいつものことなんだろうけど」と付け加える。

「だってあの時にはもう行くって決めてたからさ。でも、まぁ軟禁されるとは思ってなかったけどね」

 流石に参ったよと愛想笑いを浮かべるフレアにポルカはまたため息をつく。

「ほんとフレアはフレアだなぁ」

「何? 馬鹿にしてる?」

「してない、むしろほめてる」

 ふぅん、と答えるフレアに、ノエルが起きなように声を顰めて少し笑った後ポルカは「で、そこの『クリス』」と窓際で気まずそうに佇む少女をにた見つけた。

 

「……アンタはこの状況になったフレアをどうする?」

「わ、私は……」

「自分の行動の意味、ちゃんと理解してなかったの? 最近起きたって言うのはアンタを見てれば分かるよ。でもさ、こっちにくる前にフレアのこととか、ウェスタの状況を聞かされてんだろ? なら何も知りませんでしたなんて言い訳、出来ないよね?」

「そんなつもりは……でも、こんな事になるなんて」

「考えてなかったんならよっぽどタチが悪い。アンタも、アンタを起こしたって人も」

 一方的に責め立てられる少女の表情がさらに曇っていく。居た堪れない状況を見かねて「ポルカ」と静かに、しかし彼女を制するように言った。

「この子を責めても何もならないじゃない。むしろ責める事自体がお門違いだよ」

「何を言うかと思えば……フレアさ! ちょっとは自分の事……」苛立ちの矛先をフレアに向ける

「それにノエルが起きちゃうから」

 ノエルのことを盾にするのは少し気が引けた。そうしなければならないほどに、ポルカが激昂している理由が彼女には理解出来ていなかった。そもそもポルカという人物は人当たりが良い。ウェスタに現れてから日は浅いが、いつの間には街では知らない者がいないほどに有名で、かつそれを鼻にかけることはない。そんな彼女の変わりように、フレアは違和感を拭えなかったし、このままでは少女にとっても良くないと感じていた。フレアを、そしてノエルを交互に見つけ、言葉を無くすポルカ。そしてフレアはさらにこう続ける。

 

「今ここに閉じ込められてるのは、私が先走っちゃったからっていうのもある。でも、それくらい急がないといけない事態になってるってことは、理解してくれるよね? だから今はこの子の話をちゃんと聞きたいんだ」

「……」

 無言でフレアを見つめ、そして再度少女を正面から見据えた後、一層深いため息をつくポルカ。

 

「あぁ、もう! 分かりましたよ。じゃぁポルカは頭冷やしてくるから……その間に話終わらせといて!」

 そう言ってポルカは急足でドアを開け放ち、部屋の外に出ていく。まるで最初から彼女はいなかったかのように、部屋はシンと静まり返ってしまった。

 

 少女は気まずそうに肩を落とし、顔を伏せる。

 ポルカの口にしたことは考えていない訳ではなかった。何より与えられた使命を忠実に果たそうとしたのだから、文句を言われる筋合いはない。本来ならばそう考えるはずだった。そう考える以外の、無駄な機能はないはずだった。しかし今少女の中に沸き起こっている感情をどう説明すればいいのか、皆目見当もつかず少女はただ俯くしかなかった。

 

「ごめんね、騒がせちゃって」

 黙りこくる少女が居た堪れなくなったのだろう、フレアが声をかける。その声に幾分救われたのか、顔を上げ「いえ。きっと、私が悪いのです」と苦笑いで応えた。

「君は何も悪くないよ。まぁでも、そうだね……仕方がないことだって思うことは出来ないけどね」

 その回答に思わず目を丸くしてしまう少女。フレアから返ってきた言葉に、少女は更に居た堪れなくなってしまったのは言うまでもない。ポルカのように責め立ててくれればどれだけ楽だったとろうと思うと同時に、フレアがグッと堪えてくれているということも理解できた。

 だからこそこれ以上黙したままではいけないと思い至った。少女は「私が口にするのもおかしな話ですが」と前置きし、話し始める。

「フレア、様」

「そんな不安そうな顔しないでって。さっきも言ったけど、サラーキアに行くのは変わんないから。それにさ……塔でも言ったけど、もう呑気にしてられないはずなんだ。多分あの人が助けを求めてるってことは、もう事態は一刻を争うんだと思う。だからできる限り早く行きたいけど……」

「であれば、その方も……『白銀の戦乙女』もお連れすれば……」

 刹那、少女が言葉を詰まらせる。彼女を取り巻く環境が変わった訳ではない。部屋の温度も、そこにいる人も、先ほどまでと何も変わりない。

 唯一、フレアの瞳の冴えだけが違った。目線を逸らせば次の瞬間には、喉元を掻き切られる。簡単に自分の命など刈り取られてしまう。そう実感させるのに、フレアの漂わせた雰囲気は十分だった。

 しかしフレアの殺気は一瞬のうちに霧散し、慌てて言った。

「あぁ、ごめん。でもねさ私……ノエルがそう呼ばれるの嫌いなんだよ」

 言葉は柔和になっていたが、それでもその内に怒りを湛えたままなのだということを、少女は理解出来ていた。そして彼女が知り得ないものがあるのだろうと、ようやく理解できた。

「申し訳、ないです……」

 深く頭を下げる少女。どうにかフレアの怒りが収まることを望みながら、必死に深く頭を下げる。

 少女自身が考えるよりも必死だっただろう、「怖がらせちゃってごめんね」とフレアがため息と共に漏らす。

「ノエルに危険が及ばないってことが、私が最も望んでいることなんだ。だからノエルを連れて行くことは出来ない。でも一人にするっていうのもねぇ」

「あのお方は……」

「ポルカのこと? ん~多分一緒に来るっていうと思うからお願いできないし、お城の人に任せるのもこの子が萎縮しちゃうかならなぁ。まぁ、一番いいのは……」

 難しい顔をして視線を泳がせるが、部屋の隅に漂う何かを見つけた瞬間、目を丸くして驚嘆したように口を開いた。

「まさか……ここまでタイミングいいの?」

「フレア様?」

 フレアたちのいる部屋の中に紫の光が溢れ出す。眩い光が部屋に満たされた瞬間、柔らかな声が部屋中に響いた。

 

「……ッと。おぉ、さすがはシオンの魔法! ばっちりフレアちゃんがいるじゃーん!」



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一刻を争うんだ 3

 部屋の中心に現れた紫の光が収束し、一人の少女が姿を現す。

 見た目は見紛うことなく少女そのもの。しかし雰囲気はどこか悠然と、飄々としているようにすら感じられた。

「珍しいじゃない、シオン。まさかお城にまで来るなんて」驚きに目を丸くしていたフレアが尋ねる。

「ん、たまたまだよ。フレアちゃんたちの力を探してたら、ここに出てきたってだけ」

 アハハと笑うシオンはフレアとノエルのいるベッド方に歩み寄る。フレアの膝に頭を預けて眠るノエルの銀髪を撫でながら柔和に微笑んでフレアに言った。

「ん~ノエルちゃん、相変わらず可愛いねぇ」

「そりゃ、私の自慢の子ですから」

 顔を見合わせクスクスと二人は笑う。一頻り笑ったところで「あーやっぱフレアちゃん面白いわー」と呟いたシオンはふっと窓際に佇む少女に視線を向ける。

「私『クリス』見るの初めてなんだよね。まぁ動いてるってことは……なるほど。南の方で動きがあった?」

「あ……」

 少女には分からなかった。なぜここに現れる者全てが自分は『クリス』であると、神代の兵器であったと言うことを看破することができるのか。ヒトと何も変わらない外郭を持ってもなお、見破られてしまうのか。

 少女はまちゃ言葉につまり、シオンを見ることしかできなかった。しかしその動揺もシオンには筒抜けだったのだろう。

「ごめんごめん。『クリス』って呼ぶのは無粋だったね。名前を教えてよ」

 気安く右手を差し出して彼女は問いかける。

「私は紫咲シオンね」

「私は……私は、アーニャ。アーニャ・メルフィッサです」

 シオンの右手を自身の左手で優しく取る。

 思えばウェスタに来てから、手を差し伸べられてばかりだったと思いながら、その手の優しさを感じるアーニャ。彼女がそんなことを考えているとシオンが「じゃ、アーニャちゃんはちょっと待っててね?」とシオンの声。

「は、はい」

「フレアちゃん。私がここに来た理由だけどさ……」

「そうだよ。なんでこのタイミングで降りてきたの?」

 この十年の間、幾度となくシオンとフレアは会って来た。しかしそれは決まって彼女のソラの部屋に招かれてばかりであった。きっと何か制約みたいなものがあると想像していたフレアも、シオンの突然の訪問に驚きを隠せない。

「いやぁ、嫌な予感がしたって言うのが本音なところなんだよ」

「だからその理由を聞いてるんだけど」

「んー実はさ、最近知り合いの死神さんが偉く機嫌が悪いんだよね。仕事が増えたーとかこれからもっと増えるーだとか色々言っててさ」

 シオンの回答はフレアからすれば、何を惚けているのかと追求したくなる内容であった。

 だが同時に思い至った。これははぐらかしている訳でなく、全てを語ることは出来ないから、ぼやかしながら話しているのではないかと。

「死神って……」

「まぁシオンも色々付き合わせされててさぁ、正直もうクタクタだったんだよねぇ。んで、ウェスタで少し羽を伸ばそうかなぁって思ったんだけど、なんか慌ただしくなってるじゃん?」

「うん」

「で思ったのよ。困ってるんじゃないかなぁってさ」

「そうだけど……」

「あと、一個。伝えないといけないことも出来ちゃった」

 表情は真剣そのものだった。

「すごく嫌な予感するね……多分」

 フレアは息を呑み、ジッとシオンを見る。そして続けて言った。

「それってさ……十年前の、ソラの島が落ちようとしてた時と同じくらい危険な状況ってことなんじゃないの?」

 

 フレアの言葉に難しい顔をするシオン。

「んー多分フレアちゃんの想像以上にやばい、かな」

 そう返したシオンの声は普段の彼女の快活なモノと違い、重々しくなっていた。

「……何を知ってるの?」

 覚悟しなくてはならない。シオンの口調に緊張感を覚えたフレアは静かに尋ねた。

 シオンはアーニャを一瞥する。「ぼんやりしてたんだけどね、今アーニャちゃんを見て確信したよ」

 なぜここでアーニャの名前が出てくるのだろうか、アーニャ自身も驚いた表情でシオンを見つめる。

「アーニャちゃんが動いてる。つまり『古い力』が動いてるってことなんだよ」

 シオンの説明は端的だった。もちろん少ないその言葉から全てを理解することは難しい。しかしフレアには、十年前のウェスタでの騒動を経験した彼女には理解できた。

 

 『大剣』を創ったものと同等の力が働いている。もしくは、それ以上に大きな存在が動こうとしていると。

 

「アーニャちゃんは何か心当たりあったりする?」シオンがアーニャに問いかける。

「分かりません。正直以前のことは朧げで……」必死に考えている様子が彼女の表情から簡単に見てとれた。しかしこの回答から話が進まないと思い至ったのだろう、意を決したようにシオンが話し始めた。

「あぁ、ごめん。この際だからはっきり言うよ。『議会』が動いてる。正直相当やばいことが始まろうとしてる。死神さんを含めて、『神話』はみーんな自由気まま……あぁでも、『探偵さん』がいなくなって、みんなイライラしてるのか」

「何? それ一体何なの?『議会』とか『神話』とか何言ってるの?」

「……」

「シオン?」

「ごめん、それは詳しく言えない」

「ホント……そんなところは十年前と一緒じゃないか」

「ごめんよ。でも、きっとフレアちゃんが行かなきゃ話は好転しない」

「……はぁ、またそれなのか」

 ぼんやりと、かつてウェスタを目指して旅をした時の、使命感と不条理さに似たものが、今フレアの頭を混乱させている。ただ一つ、確認しなければいけないことがあった。

「ねぇシオン。ひとつだけ答えてよ」

「うん、なんなりと」

 フレアは「もう決めていることだけど」と前置きしながら尋ねる。「私が行けば、ノエルは無事に過ごせる?」

「……」

「どうなのかな?」

 フレアの問いにすぐに返答はない。受取手であるシオンは必死にフレアの言葉を肯定する材料を探しているのだろう、視線をあちらこちらに泳がせる。それから数分、シンと部屋の中が静まり返る。ただ聞こえるのは3人の息遣いとノエルの寝息のみ。

 深く考え込み、シオンは答えた。

「それは、うん。正直に答えるよ。多分、無理だと思う」

 どこか諦め気味に応えたシオンの回答に、やはりかとがっくりと肩を落とすフレアにシオンは続ける。

「フレアちゃん。君も聞いたんじゃないの? ノエルちゃんがどんな存在になったのか、そして君にどんな枷がかけられているのか」

「そっか、シオン……そこまで知ってるんだね」

「あの子は、あの可愛い『ネクロマンサー』とは、知らない仲じゃないからさ」

 シオンは続ける。因果の絡まりから抜け出した者は、セカイを変える鍵になると。そしてそれを野放しにするほど、セカイは優しくないと。しかし「でもさ」と静かに、しかし決意を込めてシオンは続けた。

「私がノエルちゃんを守るよ。そんでお願いがある」

「……何?」

「もうこんなバカみたいな話を終わらせてほしい。フレアちゃんなら……『きっかけ』を作れる君なら、きっとこのセカイを変えられるって……そう思うんだ」

 申し訳なさそうに視線を落とすシオン。

「シオン」

 怒りではなく、やわらかい笑顔を見せるフレア。

「守ってくれるんだね? ノエルのこと、絶対に守ってくれるんだよね?」

「うん、約束する。信じてほしい」

 その言葉に「安心した」と笑みをこぼす。そっと自身の膝で眠るノエルの頭を撫でながら、彼女はこう続ける。

「私はセカイとかはどうでもいい。変えるだとか、救うだとかさ、そんなのもどうでもいいん。ノエルが……この子が何事もなく過ごして、幸せになってくれればそれでいい」

 そしてかつて共に天使が告げたように、固い決意を胸に彼女はこう続けた。

「でもそれを邪魔しようとするモノがあるなら……絶対に行かなきゃ」



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まるで夢を見てるみたいぺこ

 ソラには月があった。

 煌々とした光は大地を、生き物の営みを静かに照らしている。それは誰もがイメージする原風景。少し懐かしさを覚えるであろう、幻想的で優しい風景だった。

 しかし景色の中に、違和感を覚えさせるものが視界を横切っていく。それはまるで羽を生やしたように、大きくその存在を露わにしながら、少女の視界を覆っていった。

 

「ははは。マジでこれ、なんぺこか?」

 そう呟いたのはとある国の姫、兎田ぺこらはそう独りごちながら、混乱する頭を必死に整えようとしていた。

 

 元々ぺこらは自分の住む城への帰路についていたところであった。その途上で唐突に真っ黒に染まった、名前のない自分の友人。それに襲われそうになった瞬間、自分を守ってくれた桃色の光と、その中にいるのであろう人物。そしてその人物に促されるままに、目を開けると自分はそこにいた。

 

 ソラに島の浮かぶ、きっと自分のいたセカイとは別の場所に、彼女はやってきていたのだ。

 

「なんだろ。おとぎ話でももうマシな展開のはずじゃねーの?」

 ぺこらのその呟きに、彼女の周りにいた同胞たちは一様に頷く。

 幸運であったのは、この同胞たちも一緒にこのセカイにやってきたことだろう。きっと一人であればこんなに落ち着いていることは出来ないはずだ。

 

「でもさ」しかし、内心ぺこらは戦々恐々としていた。

 

「だからこれって何ぺこ?」

 そう、落ち着いてなどいられない。

 なぜなら彼女は簀巻きによろしく、共にこのセカイにやってきた巨大なニンジンと共に縄で身動きを封じられていたからだ。この状況をうまく説明する言葉も浮かばないまま、ぺこらは自分を捕らえたものたちに視線を向ける。睨みつけるにはどこか警戒心を感じさせないその一団は、ぺこらのすぐそばで高らかに笑い声を上げていた。

 

「わははー、まさかこんなところで兎人を捕まえることが出来るとはなぁ」

「いや、ラプ? 捕まえたっていうよりも、助けてきてもらったっていうのが正しいんだけど?」

 そう。一番小さい、二本のツノを生やした少女を『ラプ』と呼んだ女性の言葉通り、ぺこらの登場は彼女らを救ったのだ。ぺこらの同胞と同じく黒に染まった何かに襲われかけていた最中、どこからともなくぺこらが現れ、それに黒に染まった何かは驚き四散していった。

 

「で、結局いろはが先手をとってあの子を縛り上げたわけだけどさ。正直助けてもらってありがとうって言うべきなのに、縛るのはどうかと思うんだけど?」

 この女性はこの状況に納得いっていない様子でそう呟いた。これはぺこらにとっては都合のいいことだろう。そこから崩していこうとぺこらが口を開こうとした瞬間、ツノの少女がヒステリーに声を上げた。

「うるさいやい! 今ふんじばってるんだから、捕まえたでいいの! 吾輩たちの勝ちでいいの! それとも何か、幹部は我輩に口答えする気かぁ」

 その言葉にウッと唸りながら、必死に言葉を探す女性。

「そんなつもりはないけどねぇ。でもケモミミの子なんて何人も会ってきたじゃない。それこそあの超人ワンコ様とか……」

「言うな!」と、弾くように叫ぶツノの少女。

「頼む、言わないでくれぇ。思い出したくないぃ!」

「あらら、こりゃトラウマですか」

 女性の声にまたビクリと身体を震わせるツノの少女。

 一体その『超人ワンコ様』という人物にどんなことをされたのだろうか。もちろん今のぺこらには、全くと言っていいほどそれは理解できない。

 そしてその事件が起こったことも、遠いセカイの話であると言うことも、今のぺこらは知らないまま、じっとその状況を見守るしかないのだった。

 

 ガタガタと震えるツノの少女に、アタフタする『幹部』と呼ばれた女性。

 そんな様子を見せられているぺこらとしては、今すぐにでもやめてほしいという気持ちでいっぱいだったのだが、ここで変に発言をしては、状況は更に混沌としていくことは目に見えていた。

 二人の姦しい様を見ていると「いやーここはなかなか面白い場所だねぇ。まさかおソラに島だなんてねぇ」と明るい声が聞こえてくる。

 暗がりから現れた桃色の髪。頭に可愛らしい獣耳を生やした人物はツノの少女の頭を慰めるように撫でる。

「せかいせーふくまであと一歩! ってところを邪魔された上に、すんごい技でこんな知らない場所に飛ばされたら、いやでも怖くなるよ。それにしてもさすがは『超人ワンコ』様だよねぇ」

「なんではかせはあのワンコ様を褒めてるのだぁ。あぁ、もう!」

 半ば投げやりになりながら、しかし本人もその『超人ワンコ』に『様』をつけている辺り、本当に怖い思いをしたのだろう。少し同情的になるぺこら。

 しかしぺこらを放置したまま、三人はまた話を進める。

「で、いろはと逆花叉は?」

「そうだ! しんじんとさむらいはいつになったら帰ってくるのだ?」

「うん、とりあえずは近くの探索をお願いしてるよ。下手に全員で動くよりも、脚の速い二人だったら、何かあっても逃げ切れるだろうし、何よりここは未知の場所だからねぇ。斥候になってもらえてありがたい限りだよ」

「うむ、確かにここは先ほどまで吾輩たちがいた場所とはとは全く違う。情報収集の指示を出すとはさすがははかせ! って、それって吾輩の仕事じゃないの?」

「いや、だってラプ、ずっと寝てたじゃない」

「まぁそれくらいは部下がやりますよーってことでいいじゃない?」

「う、うぅむ……」

 ツノの少女が言い淀む。

「ちょっと!」

 きっとこれ以上に好機は訪れないだろう。そう考え至ったぺこらはついに声を上げた。

「む、なんだ兎人?」

「そこのねーちゃん、さっき飛ばされたって言ってた。それにあんたここじゃない場所にいたって。もしかして、アンタらもぺこランドから来たぺこ?」

「ぺこランドぉ? なんだ、新しく開園した某夢の国の亜種か?」

 期待は一切なかったといえば嘘になる。同胞が近くにいたとしても、どうしても『一人で見知らぬ場所に来た』という心細さだけは拭い去ることができなかったからだ。

 しかしツノの少女の口から出てきたのは想像の斜め上をいく言葉。はたから見てもわかるほどに、ぺこらはガクリと肩を落とした。

「ラプ。もう少し行間を読みなって」幹部と呼ばれた女性は気の毒そうにぺこらを見て、少し怒り気味にツノの少女を叱りつけるように言う。

「そうだよぉ。この人、そんなこと尋ねてないよぉ?」

 はかせと呼ばれた少女は「もしかして、冗談のつもりで言ったの?」と付け加える。

 味方であるはずの二人から責められるツノの少女。思わず言葉に詰まり、そしてぺこらを見て自分の言葉が配慮のないものだったのか分かったのだろう。気まずそうにこう続けた。

「いや、あの……ごめん。吾輩、まさか落ち込むなんて思ってなくて」

「別にいいぺこ。なんか……うん、これが現実なんだなーってことはようやく飲み込めたぺこ。こっちこそごめんぺこ。なんだか雰囲気悪くしちまって」

 そう言って頭を垂れるぺこらに、またアタフタとした様子を見せるツノの少女。

 ついぞ彼女はこう口にした。

「いずれにしてもだ。兎人よ。貴様には我らが世界征服のための原動力となってもらう。具体的には……幹部?」

「え? もしかして、何も思い浮かんでない?」

「はぁ、とりあえず当座はこよたちの下働きでいいんじゃない?」

 はかせの言葉に「よしそれ採用!」とツノの少女は言う。そしてまるで宣言するかのように、こうソラに言い放ったのだった。

「とりあえず、我がholoXに新たなメンバーが加わった! しんじんとさむらいが戻ってきたら宴会するぞぃ!」

 

 

 そこからはまるで嵐のように時間が過ぎ去った。

 ツノの少女の宣言から少しの時間も経たず、三人に合流した刀を背に背負った少女と黒尽くめの少女。そこから始まった宴会は夜更けまで続き、騒がしく過ごした彼女たちは今、各々眠りこけている。

 頂から大地を照らしていた月も、少しずつ傾き始めた頃、深いため息と共にぺこらが呟いた。

「すげー騒がしかったぺこ」

 彼女の表情にも疲れが見える。見ず知らずの中に放り込まれたのだから致し方ないだろう。だが思ったほど嫌な気もしなかった。それはきっとこのholoXの面々が気を使ってくれていたからだとうと彼女は考えていた。

 しかしこのまま彼女たちと行動を共にして良いとはぺこらは思えなかった。

 頼りのない中で一人でいるのは心細いのは事実。いわゆる異世界というものに投げ出されてしまったのだ。心を許すことのできるものたちがいるということは稀有なことであろう。

 だが同時に思う。自分の事情に彼女たちを巻き込むべきではないと。

「……良いヤツらぺこ。まぁお人好しだけど」

 だからこそぺこらは一人で行くことにした。幸いにも宴会が始まる時に縄は解かれ、自由に動くことができる。口には出さないが少女たちへの感謝を胸に抱きつつ、この場から離れようと静かに立ち上がった。

「いやー楽しかったでござるなぁ。兎殿もそうでござろう?」

 不意に背後から声がかかる。突然のことに驚きながらも、聞こえたその声のふわりとした優しさに胸を撫で下ろしてこう問いかけた。

「アンタは寝てなかったぺこ?」

 声の方に視線を向けるぺこら。眠る面々の中で唯一、刀の少女だけがぺこらににこりと笑みを向ける。

「これでも、holoXの用心棒でござるからな」

 短くそう呟く彼女にぺこらは思わず息をのみ、マジマジと彼女を見つめる。

「……止めるつもりぺこ?」

「ん? そんなつもりござらんよ。まぁ、ありきたりな話しでござるが……」

 彼女はそのまま「昔話でござるが」と前置きして話始める。彼女たちholoXの面々が大仰にも『世界征服』などというものを目指してた理由を。言葉では物騒なことを言っているが、実のところ、決して悪の道に手を染めていないということを。

「あぁ、でもかざまは違うでござるよ? ラプ殿たちを守るためなら、汚れ仕事も厭わないでござる。でも……」

「……ッ」

 怖い。今、目の前にいる刀の少女が怖い。ぺこらは突然ぶつけられた刺さるような殺気に言葉を失った。そしてここからの言葉を間違えれば、視線を外せばきっとその刀で斬り刻まれるというのは想像に容易かった。

「貴方様がラプ殿に牙を剥くなら……」刹那、刀身がぬらりと姿を見せる。彼女の決意を表すように、暖かな火を受けながらそれは冴えた光をぺこらにぶつけた。

 きっと恐れに塗れた声色が返ってくるだろう。刀の少女は半ば脅してしまった自分を悔いた。しかしぺこらは口にしたのは少女が想像していたものとは少し違うものだった。

「アンタ、バカぺこ?」

「む? かざまはバカではないでござるが?」

「そんなことしねーぺこ。みくびってんじゃねーってぇの!」

 どこか不敵にそう言い切るぺこら。彼女をマジマジと見つめ、「うん、やっぱり兎殿は信用できるでござるな」と人懐こい笑顔に戻った。

「兎殿。かざまたちと、holoXと一緒にいれば良いのではござらんか?」

「ん~やっぱりいいぺこ。アンタたちにはアンタたちのやることがあるぺこ。きっと、きっとぺこらにもあるぺこ」

 少女の提案はぺこらにとっては耳心地の良いものだった、しかしぺこらの耳に残る『桃色の光の中にいた人物』の声が、どうしてもそれを良しとしなかった。

 だからこそキッパリとそう言い切り、ぺこらは少女に背中を向けて互いに声を掛け合った。

「アンタたちが無事に元の場所に戻れること、勝手に願っとくぺこ」

「兎殿のこれからに幸多からんことを、かざまも願っておくでござるよ」



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まるで夢を見てるみたいぺこ 2

 holoXの面々から離れてしばらくの間、延々と続く暗がりの中をぺこらは歩き続けていた。見ず知らずの大地に降り立って興奮と困惑を感じていた彼女であったが、先ほどまで共にいた面々はそんな彼女の緊張を解きほぐしてくれていた。

「なんかいい感じのねーちゃんたちだったぺこ」

 最後に話をした刀の少女のことを思い出し、ポツリと呟いた。最初は頼りなくも見えたが、きっと彼女たちは大丈夫だろうと思う。そしてそれよりも心配しなくてはいけないことは自分のことだろう。

 

「それにしてもさぁ、あんたたち! なんで助けてくれなかったぺこか?」

 そう口に出来るほどにぺこらはいつもの調子を取り戻していた。言葉は少し刺々しいものがあったが、口元には笑みが溢れる。ぺこらの言葉に彼女の周りを跳ね回っていたのうさぎたちは弁解するように身体を捩っているが、その必死な動きに思わず笑い声を上げるぺこら。

 

 一頻り笑った後、目尻に溜まった涙を拭って「ん~もしかするとアンタたち、他の人には見えてない?」と何の気なしの一言。

 次の瞬間、のうさぎたちの「ようやくわかったか」と各々呆れたような仕草を見せる。薄々ぺこら自身も気付いていたことではあったが言葉にすると実感というものが出てくる。「でも一緒にいてくれんのは、心強いぺこな」

 

 しかしここが、彼女の住む大地とは別の場所であるということは変わらない。

「ん~これからどうするかなってことぺこだけど……」

 遠くに見える大きな剣、そしてソラの島はどうしても視界に入ってくる。頼りがないのならば素直にそこにいくべきだと、頭をよぎった。

 

「……うん。とにかくあの大きな剣のとこまで行く……」

 

 理由は分からない。そして間違いなくそこに行けば事態は好転するという確信はある。しかしなぜだかそれとは逆方向に自分の足が動いている事に、今になって気付いた彼女は驚き、そして自分の意志が働かないことに驚きの表情を浮かべていた。

 

「……これ、何ぺこ?」

 

 『導かれている』

 

 その言葉を使えば、どこにでもある英雄譚のように見えるかもしれない。突然異世界にやってきた少女が、何かに導かれて物語が展開していく。そしてその登場人物に当てがわれたぺこらは、本人の意思とは関係なく、最初から筋道が決められているように、足を進める他なかった。

 

「気にいらない……ぺこだ」

 動き続ける足に、少しずつ麻痺していく自分の思考に、ぺこらは悪態をついた。

 ここまで来たなら自分を誘導している『何か』に一言文句を言ってやる。そう決意を胸に抱いて、辿々しかった足に力を込めて、一歩を踏み出そうとした。

 

 しかし次の瞬間、瞬きのうちに景色が一変する。

 

「なん、ぺこ?」

 

 闇夜の、薄寒い中にいたはずだった。決意を胸に一歩を踏み出したぺこらの視界いっぱいに広がったのは、春を思い起こさせる鮮やかな緑の空間。

 唐突な景色の変わりように言葉を無くすぺこら。

 

 そして彼女の耳に、何かが響いた。

 

 “初めまして、異界の姫君”

 

 そう解釈できる音であった。否、ぺこらにはそう聞こえるだけだったのかもしれない。ただどこまでも甘く、心を蕩かされそうになるその音に、彼女の思考は徐々におかしくなろうとしている。

 

「お初にお目にかかります」

「喋った? 女の人?」

「ヒトと形容されるのは如何程ぶりでしょうか」

「あんた、だれ……違う、『何』ぺこ?」

 言葉を交わしていく中、その確信がぺこらの中で芽生えた。

 良くないものではない。しかし、それが手放しに信用していいものではないと、そう感じさせた。

「あら、やはり“その眼”には見透かされますか」

「わけ、わかんねぇ」

 さらに警戒心を露わにするぺこら。しかし彼女の考えをよそに、甘い声は言葉を綴る。

 

「“電子の海を泳ぐ巫女”に誘われし、救世の姫君。まずはあなたに、ホロアースに息づく全てのものから祝福を贈りましょう。私はセレス・ファウナ。このホロアースを創世せし“議会”が一柱。ここまで申し上げれば、お分かりでしょう?」

 

 困惑の二文字がぺこらの頭を占めていく。

 唐突に変容した景色に、耳に絡まる甘々しい声に、彼女は正気でいられなくなってしまいそうになっていた。自然と自分の足元にいるであろう同胞たちに助けを求めようと、おもむろに視線を下げようとする。

 

「……アンタたち?」

 しかしそう言葉にするのだけが精一杯だった。必死に力を込めようとしても視線は動かず、真っ直ぐにその存在に目を向けてしまう。もはやこの予定調和から逃げ出すことはできないと、そう実感するのに多くの時間は掛からなかった。

 

「なんだろう。物語の中にいるみたいな……まるで夢を見てるみたい、ぺこ」

 こんなものは間違っている。一瞬その言葉がぺこらの頭をよぎる。しかし一気にそれは影も形もなくなり、全てがその女神のごとき存在に上書きされていった。目の前にいる、その存在は笑みを浮かべる。

 

 あぁ、ダメだ。もう、流されるしかない。

 ぺこらの抱くそんな諦めすら包み込むようにそれは「救世の姫君、貴女にお伝えしなければいけないことがございます」と続ける。

 

「……一体、何?」

「まずはお聞かせしましょうか。このセカイの置かれた状況を……」

 

 

 そのセカイは完成されていた。

 誰も不幸にはなることはない、誰もが幸福を享受するの事の出来る完成されたセカイであった。

 曰く、セカイの創生に関わった五つの色。五つの概念。

 『空間』『自然』『時間』『文明』そして『カオス』

 

 それらはより完璧なセカイを求め、もう一つの柱を求めた。

 求められたのは『普遍性と向上心』

 いつまでも変わる事のなく、より良き状況を求めるづける思い。

 

 そしてそれを司る者は創造主が創り出したのではなく、他のセカイから召喚された一人の少女だった。

 

 しかしそれを否定する者たちが存在した。一人に背をわせるなと、それが最善の選択ではないと真っ向から否定する者たちがいた。

 

 それが完璧になろうとしていたセカイに翳りを落とした。

 

 勃発した戦いの中で失われたのは『時間』

 喰いつくされたのは『空間』と『カオス』

 

 完成されていたセカイのバランスは、それを支える柱の存在が失われたことにより、崩壊の余儀なくされていた。

 

 それを保つために、最後に現れた柱はセカイを閉じることを選んだ。

 これ以上の悲しみを増やさないために、自己を犠牲にすることでそのセカイを守ることを選んだのだった。

 

「姫君……力をお貸し下さい」

 

 淀みなく話し続けていた番人は、静かにそう続ける。

 

「このセカイを、ホロアースのあるべきカタチを存続させるために……貴女のお力を、お貸し下さい」

 

 そのカタチが一体何なのか。

 あるべきカタチとは一体なんなのか。

 

 それが分からないまま、そして何も答えないまま、ぺこらは意識を手放した。

 

 それすらも予定調和であるように、彼女はまた違う場所へと追いやられていった。



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まるで夢を見てるみたいぺこ 3

「あぁ、吹き込んでくる潮風が気持ちいいぺこ」

 ぺこらはそう呟かずにはいられなかった。

 振り返ってみれば、この『ホロアース』という大地にやって来てからというもの忙しない時間を過ごしていたように思う。不思議と嫌なものはなかった。森の中で出会ったholoXの面々も、唐突に自分の前に現れた『自然の番人』と思しき力も、彼女は嫌な感情を抱かなかった。

 

 しかし、嫌悪を感じることと違和感を覚えることは全くの別問題である。事実彼女は拭い去れない違和感を抱えていた。

 

「どっちも嘘ついてるわけでもないはずなんぺこだよ……」

 桃色の光の中で必死に訴えていたあの声も、緑の大きな力で意志を伝えきた番人も、各々が口にする言葉は真摯な叫びに似ていた。だから助けたいと、何かしてあげたいと思うのは彼女の中では自然なことだった。

 

 ただ、なぜ話の順序が違うのか。それが抱いた違和感の正体であるいうことに気付くのに時間は掛からなかった。

「女の子が出てきた順番が違うんだ。気にすることない話なんだろうけど……でも大事なことな気がするぺこ」

 そう小さく呟いて、ぺこらは視線を下に落とす。自身のそばに集まる野うさぎたちの姿。彼ら彼女らは落ち着き払い意気揚々と遊んでいる。

 

「ねぇちょっと。アンタたち」

 声を顰めてぺこらは野うさぎたちに声をかける。一様に振り向く彼ら彼女らにぺこらはこう続けた。

「ねぇ、なんとかしてここから逃げ出すぺこ」

 ぐいと自身の身体を捩るぺこらに、難しい顔をする野うさぎたち。その反応に思わずぺこらは大声をあげてしまった。「ねぇ! ちゃんと聞いてるぺこか?」

 

「ちょーっとちょっと、うさぎちゃん! 何コソコソやってるのよ? 静かにしてなきゃダメじゃない」

 彫りの深い、ロマンスグレーの厳しい男性がピシャリと叱りつけるようにぺこらに言う。まるで先生のような物言いに言葉を詰まらせながら、ぺこらは「ご、ごめんなさいぺこ」と返した。

 

 だが内心納得いかない。そもそもなぜこんなことになっているのか、その原因を作ったのは、目の目にいる男性たちだからだ。

 

「……アルさん、ビビらせすぎだって」ロマンスグレーの男性に、言葉少なく忠告をする黒髪の男。ロマンスグレーの男性よりも歳若くは見えるが、その言葉の少なさはぺこらを威圧するには十分だったのだが、ピコピコと動く犬耳はそれすら中和している。

「いやいや、一応念には念をっていうでしょ? 気を抜いてちゃダメだよ、シエンくん」

「ってかこの子縛ったのシエンなのに今更じゃない?」

 ロマンスグレーの男性に同調するのは、幼い風貌の少年。空の星を思い出せるその瞳がどこか、ただならぬ雰囲気を感じさせた。

 

 そう。まるで先刻の焼き直しのように、ぺこらはこの三人に捕らえられている。あの緑の光の中で気を失った後、潮風の香りで目を覚ました彼女はすでにこの状態になっていたのだ。

 目の前に広がるのは広大な海と港町。そして今はぼんやりとしか見とめることが出来ないが、自身の住んでいた城よりも大きな船の『錨』のモニュメント。先刻、巨大な剣とソラに浮かぶ島を見た後の彼女にはさほど驚きもなかった……というのはいくらなんでも無理があった。

 

「場面展開が唐突すぎんですけど……三文小説ぺこか?」

 そう呟かずにはいられないほどに、ぺこらは脱力していた。その理由も、自分を捕らえた三人をみれば無理もない。

 

「いやぁ、まさか件のうさぎちゃんがこんなに簡単に見つかるとはなぁ」

「いやいや、それより姐さんの要望に答えられて良かったんじゃね?」

「そりゃそうだ! たんまり金貰って、今日はそのままロベルんとこで酒盛りだ!」

「いいねぇ」

「ひゅー! 最高!」

 

 所々に気になる言葉もあったが、終始子供のようにワイワイと騒ぐ三人。

 

 一体これからどうなっていくのか。それすら考えるのがバカらしくなるほどの姦しさに、彼女はもはや、こう呟かずにはいられなかった。

 

「……あぁ、こんなのってねぇぺこじゃん!」

 

 思わず叫んでしまったぺこらに少し驚く三人。少し同情的になりながらも、ロマンスグレーの男性はため息をこぼしつつ「だからうさぎちゃんさぁ、ご近所さんの迷惑だから静かにしてなきゃダメだよぉ?」と続ける。

 先ほどの言葉よりも少し棘の抜け落ちたような響きに、今ならばとぺこらは覚悟を決めた。

 

「一個だけ……」

「ん、何だい?」

「一個教えてほしいぺこ!」

 彼女にとっては意を決しての言葉だ。

 見た目でヒトを判断することなかれとは、常々周囲の大人に言われてきたことだった。だからこそ今までは押し黙って、彼らの様子を見守っていた。そこから推察するにこの男性たちは決して悪人というわけではない。むしろお人好しに分類されるヒトたちなのだろう。そう思い至ったからこそ、ぺこらは素直に尋ねることにした。

 

「ん、いいよ。こっちは別に人攫いってわけじゃないし」

「そうそう。こっちは楽しーく過ごしたいだけ」

「で、どうしたの?」

 深く息を吐いて、問いかける。

「なんでぺこーらがここに来るの、分かってたぺこか?」

 そう。あまりにタイミングが良すぎるのだ。自分がこの港町に移動してきたまさにそのタイミングで、彼らに捕まってしまった。そして何より重要であるのは、彼らが無作為ではなく『兎田ぺこら』をターゲットにしていたことだ。

 

「アンタら……なんでぺこーらのこと、知ってるの?」

 

 『このセカイに来て間もない自分を、なぜ知っているのか』

 

 その言葉が頭を過ったが、どうしても口をつかなかった。悪いヒトたちでないと確信できても、そこまで踏み込んで話をしていいとは彼女も思えていなかった。

 三人は目配せした後特に考え込む様子もなく、幼い容貌の男性が「あぁ、それはね……」と口を開こうとした瞬間だった。

「アステルさん! ちょっと待った!」

 黒髪の犬耳がぞわりと、離れて彼らを見ていたぺこらでもわかるほどに、逆立ったのだ。

 

「シエン……」

「待って。誰か近付いてきてる……」

 それがよほど驚くべきことだったのか、ぺこらには分からなかったが固くなっていく三人の表情を見れば、警戒しなくてはいけないと思い至るのはごく自然だった。そしてぺこらにも聞こえてきた。誰かの足音と、鼻歌のような響き。

 

 『ららいおーん』と少し間抜けに聞こえる音を耳にした瞬間、三人の空気が完全に凍りついたのをぺこらはハッキリと感じ取っていた。むしろここまで彼らを怯えさせる者が一体どういった存在なのか、彼女は呑気にもそこに興味を持ち始めていた。

 

「お、ちゃんとお使いできたみたいじゃん?」

 芯の通った声だ。やって来たのはその声に違わぬ、スマートな出立の女性。スラリと伸びた手足、キリッとした面立ちはクールさを、長いフワリとした髪からピョコピョコと見え隠れする頭についた獣耳と、温和な表情はアンバランスさと魅力をぺこらに感じさせた。

 

「あ」

「ね、姐さん……」

「こないだぶりです。言われた通りお姫様、連れて来ましたよ」

 恭しく、まるで目上の人物に接するように畏まった態度をとる三人。今までの子供っぽさはどこにいってしまったのか。この女性の何が、ここまで彼らを警戒させているのだろう。ぺこらにはすぐに理解できず、ただ三人と女性を交互に見やっていた。

 

「ん、確かに……」そんなぺこらをマジマジと女性が見つめ、得心がいったと呟く。

「な、何ぺこか?」

「ん……まぁこっちのことだから」

 そう付け加えて、彼女は自身の掌をぺこらに差し出して続ける。

 

「とりあえず……ようこそ、兎のお姫様。むさ苦しいとこで申し訳ないけど歓迎してあげるよ」



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まるで夢を見てるみたいぺこ 4

「アンタは? そ、それよりもここは一体どこぺこだ!?」

 

 不敵に笑みを浮かべた女性を目の前に、ぺこらの中で鬱積していたものが弾け飛ぶように溢れ出す。自分でも気付かない内に不安を抱えていたのだろう。女性に話しかけられた瞬間、胸の痞えが取れたようにぺこらは感じていた。

 だが余裕の笑みはすぐに消え、すぐに視線をぺこらから外して女性は立ち上がる。丁度影になって彼女がどんな表情をしているのか、ぺこらは読み取ることが出来ない。

「おまえら、説明してないの?」

 しかし表情が読み取れなくても十分に理解できる。女性のシンプルな言葉はこの場にいる全員を十分なほどに怯えさせた。

「あーあははは」

「ちが、えっと……」

「丁度ね、ちょーど説明しようと思ってたとこだったんですってば! だから怒らないでください、姐さん!」

 三者三様に反応を示すが、ロマンスグレーだけはどうにか言い訳を口にした。少し苦しい語り口に「ふーん、そう」と一言だけ返して女性は懐に手を忍ばせる。

「だ、だから姐さん!」

「ッ」

「……」

 きっとその瞬間終わりを覚悟したのだろう。ぺこらも瞼を固く閉じる。

 

「……あれ?」しかし誰かの悲鳴も、倒れ伏す音も聞こえてこない。訝しんで目を開けると女性は三人に何やら袋を差し出して、「とりあえず今回のお駄賃ね。んで、早く縄といてあげて?」と、また短く一言。

「はい!」

 ロマンスグレーがそれを受け取って返事をした瞬間、犬耳はそそくさとぺこらの背後に周り、彼女の拘束を解いて、「ほんとすまんでした」と呟く。さほどキツく縛られていた訳でもなかったぺこらも、申し訳なさそうにする犬耳に「気にすることねーぺこだ」と返して立ち上がった。素っ気なくしたのは意趣返しのつもりであろう。それが分かった犬耳も緊張が解けたように口元が柔らかくなった。

 

「じゃ、お姫様。ついて来てもらっていいかな?」

「分かったぺこだけど……どこいくぺこ?」

 女性はぺこらを出口に誘いながら「流石にこのむさっ苦しいところにいつもまでもっていうのもしんどいでしょ? 少し散歩してから俺の仕事場にでも行きますかね?」と笑みを見せる。そして同じ口調のまま「あぁ、そうそう」と三人に視線を向けて一言。

「ここまでしろとは言ってないから、今度お仕置きね?」

 ピシャリとそう言い切って、女性はぺこらの腕を引いて出口へと歩き出した。

「ささ、お姫様。こんなむさっ苦しいところから出ようじゃない」

 背後からは三人のなんとも便りのない声が聞こえてきたがグイと引っ張られるぺこらは視線を向けることが出来ずに、女性に従うしかなかった。

 ただやはり、悪い奴らではないのだと、それだけはハッキリ分かった。そして、やはりここが自分が最初に降り立った場所ではないと、目の前に横たわる光景を目にして理解することになった。

 

 それはキラキラと陽の光を受けた水面の眩しい海岸通。室内からでも分かるほどの潮の香りは、そこが海に面した場所なのだろうと想像に容易かったが、ここまで近くにあるとはぺこらも想像していなかった。

 何より彼女を驚かせたのは靄がかった先に見える、あまりに、あまりに大きな船の『錨』。それを支えるように長く大きく築かれた城壁、そして城壁のそばをぐるりと守るように軍艦は列をなし、その強固な様をありありと示していた。 

 

 その光景にぺこらは思わずにはいられなかった。

 戦いが始まろうとしている。それはいつ幕を落としてもおかしくない状態なのだと。

 

 

 身体の震えを抑えようと、何も言えずにジッとその光景を見つめるぺこら。その『錨』を、厳しい軍勢を目にし、不安そうな表情を浮かべた。 

「……」

「何? 緊張してるの?」

「そりゃそうぺこ。知らねー場所に来りゃ慎重にもなるぺこじゃん」

「そっか、ごめんごめん。あんな手荒な感じになると思ってなかったからさ」

「別にそれは気にしてねーぺこ。アイツら、見た目ほど悪いヤツじゃなかったし」

「正直にいうねぇ。まあアイツら結構厳ついもんね」

 ニヤリと話し続ける彼女に、ぺこらは少しだけ気が紛れたように感じた。

 そこから少し歩を進め、二人は波止場に設られた手すりに身体を預けながら、先ほどと同じように『錨』を見つめた。見れば見るほどに自分の内から、恐れに似た感情が溢れ出そうとしてくる。

 しかしそれを否定するように、『錨』の湛える蒼の光は清浄そのものだった。そのアンバランスさが、より恐怖を掻き立ててくるとぺこらは思っていた。

「なぁ、聞いていいぺこか?」静かにぺこらが呟く。

「うん、なんなりと」恭しく、まるで物語に出てくる騎士のように、ペコリと頭を下げる女性。

「ここはどこぺこか?」

「ここは“ウェヌス”。異世界を繋ぐ、扉たる“錨”を抱く街、“サラーキア”の姉妹都市……っても分かんないか?」

 そう言って指差した先には『錨』と、その街だった。

「見えるでしょ? あの対岸の街がサラーキアだよ」

「なんであそこ、あんなに物騒な感じなの?」

「そりゃ、もうすぐ戦争になるんじゃね? って状況だしね」

 まるで対岸の火事のことを話すような、他人事のような話のようにぺこらには感じられた。否、女性の語り口はワザとそう感じさせるようにすら思えた。だからこそぺこらの中に疑念が生まれる。

「アンタ……」

「ん?」

「アンタ、何を企んでいるぺこ?」

「ふぇ?」

「アンタ、多分ぺこーらがこの街に突然現れること知ってたんじゃないの? それでアイツらに迎えに行かせたんじゃないの? 何を知ってるぺこ……一体、アンタは何をするつもりぺこ?」

 ここに至って聞くことの出来なかった疑問を一気に捲し立てたぺこら。目を丸くしてぺこらのことを見つめた後、ひどく嬉しそうに「別にお姫様を食っちまうぞーとかじゃないよ?」と軽く一言で返した。

 

「だから、そんな冗談は……」

「あの国を落とす」先ほどと同じように、彼女は指差して続ける。

「え?」

「あの国を、サラーキアを落とす。それが私の目的、かな?」

「あ、あんたレジスタンスぅ!? やべーやつじゃん!」

 そう笑顔で言い切った彼女の表情に、なぜか寂しさを感じた。しかし言葉のインパクトから冗談のような反応しか返せなかったが、おそらく重々しい雰囲気を感じさせないために女性はあえてその言葉を選んだのだろう。慌てたように手をヒラヒラさせる彼女は、少し考え込んで「ごめんごめん、そうじゃなくって……」と続けた後、正面から『錨』を見つめてこう続けた。

「たださ……孤独を気取っちゃってる、頑張り屋さんな可愛いあの子を、あっと言わせたいだけなんだよね」

 そう口にした横顔はあまりに寂しそうに見えた。憂に富んだ瞳で『錨』の、きっとその先にある『あの子』を思い出しているのだろう。

「……」その横顔に何も言えずに彼女を見つめていると「ねぇ、お姫様」と、柔らかい声が耳に届く。

「手伝ってくれない? 別にヒトを傷つけたいとか、そんなんじゃない。ただ、無茶してるあの子を止めたいんだ」

 正面からぺこらを見据え、深く頭を下げる女性の姿に、ぺこらは少し考え込んだ。

 結局自分が何のためにここに来たのかは分かっていない。それどころか恐ろしい戦いに巻き込まれようとしている状況にある。ここは逃げるが勝ち。厄介ごとをわざわざ抱え込む必要などない。

 普通ならばそう考えるはずだった。

「アンタ、名前は?」

 しかし、それを彼女は許さず、首を垂れる彼女にそう尋ねていた。

「ん? ぼたん。獅白ぼたん。よろしく、お姫様」

 また笑みを浮かべて、自身の右手を差し出すぼたんに、ニヤリと笑みでぺこらは応え、そしてこう返した。

「ぺこーらは兎田ぺこらぺこ。そんなふうに呼んでんじゃねーぺこだ」

 



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私を、見てよ

 眼下に『錨』を、このセカイで唯一閉ざされたままの門を眺めつつ、少女が一人声を上げる。

 

「あぁ、退屈だー退屈だよぉ」

 

 ソラから降り注ぐ月明かりを受けながら、まるで陽の光のような暖かさを感じさせる髪を乱暴に振り乱す少女は、隣で同じように眼下に臨む『錨』を眺め、絵を描く淡い紫の瞳をした少女の周りをフワリと浮いている。

 

「ねぇ、退屈だってば~!」

 

 しかしもう一人の少女は何も答えない。否、耳に届いていないのだ。真剣に『錨』の光を、それの湛えた光の先にある『誰か』を思いながら、彼女は必死に手を動かし続けていた。

 集中するその横顔は可憐さと勇敢さが入り混じる。見惚れてしまいそうな真剣な眼差しに、なぜか少し寂しさを覚えた。

 

「……ィは退屈じゃないの?」

 最初は声にならなかった。普段ならしっかりと呼べるはずの彼女の名前を、今は何故だかはっきりと呼べない自分に腹ただしさを感じていると、手を止めて紫の瞳の少女が少し考え込むように頭上を眺めた。

 

「ん~どうだろう? まあ絵を描いてるだけで楽しいから、退屈なんてことはないけど……」

 明るい笑みを浮かべながらそう返すと、「意地悪だぁ~分かってて言ってるでしょ? もうすぐ下でヤッバイことが起きそうなのに、何にも出来ないなんて……」と顰めっ面で答える少女。

 

「止めてあげなきゃひどいことになるよ?」

 それを退屈というのはどこか言葉が間違っているように思うが、何も出来ない手持ち無沙汰に言葉も選べなかったのだろうと、同情しながら紫の瞳の少女はため息をつき、諭すように言った。

 

「まだアナタが介入するには条件が足りてないよ。あの人、まだ少しの力も使ってないでしょ?」

 『剣』のある地からやってくる、『あの人』を思いながら、紫の少女は答えた。

「……だけど、それでもこのままじゃ!」

「もう少しの辛抱だから。ね?」

 そう言いながら少女の頭を撫でる。まるで母親のようなその暖かい彼女に、甘えたくなる衝動を抑えながら「ねぇ、何でねねだけ仲間はずれなんだろ?」と少女は小さく問いかける。

 

 その問いにまた笑みを浮かべて「違うよ」と一言。そしてこう続けた。

 

「ねねち……アナタしか救えないんだよ。アナタじゃなきゃ、あの二人を止められないんだから……」

 

 

 

 

 それは一つの都市の全体が城塞にとなっていると言っても差し支えのないほどの堅牢さを露わにしていた。

 ウェスタより遥か南、フレアの故郷であるエルフの居住地を大きく通り過ぎ、さらに3週間の道程の先にその街はあった。

 

 街の名はウェヌス。 

 大陸の最南端にして、交易の要所。東方から海を越えてやってくる物はすべてその街を通過するという性質上、様々な種族が協力して生活を送る街となり、ウェスタとはまた違った様相を見せている。ヒト族の貴族の多くが居住するウェスタとは違い、営みに絢爛さはみられないが、そこは間違いなく人々の目を楽しませるもので溢れていた。

 

 しかし今この街には重たい空気が蔓延っていた。本来であれば人々の営みで活気付いているはずの市場には閑古鳥が泣き、シンと静まり返っていた。

 

 ここに至るまで、陸路でおおよそ一ヶ月。これまでの道程を振り返り、フレアは心配を紛らわすためにため息つく。もちろん彼女の心配事は一つ。ウェスタに残してきた彼女の宝、『ノエル』のこと。この十年の騒動において、自らを犠牲にしウェスタを救った『白銀の戦乙女 白銀ノエル』。彼女が力を使い果たした後に、その場に残ったのが今、ウェスタで共に過ごす『ノエル』であった。

 

 幾たびも彼女に救われ、そして生き永らえてきたフレアにとって、ノエルは何よりも大事にすべき宝になっていた。何よりも、彼女は『白銀ノエル』を、そして幼いノエルを愛していた。だからこそ彼女は動かなくてはいけなかった。

 

 最初にノエルと別れることになった時、『緑の蝶』に化身した何かはフレアにこう告げていた。

 

『物事は全部、一つの決められた結果に収束していく。その騎士は『貴女の死を否定した』代償に、どれだけ生まれ変わりを果たしても同じ時までしか生きられない。更に先に進むことは出来ないのです』と。

 

 だからこそアーニャが自分の前に現れた時、フレアは直感し、そしてノエルを残し遥か遠い南の大地にやってきたのだ。

 

 すべてはノエルが平和に過ごすため。

 すべてはノエルを厄災から遠ざけるため。

 すべてはノエルの定められた運命を変えるため。

 

 これまで彼女が口にしてきた「友達のため」という言葉は言い訳にすぎない。彼女の賭けられるすべてを持って、ノエルを守り通す。フレアはその一念のみで行動していた。

 しかしその彼女も、ウェヌスの状況をみて言葉を詰まらせていた。

 

「……」

 その光景は十年前、ウェスタでの騒動をフレアに思い出させる。あの時と違うのは混乱する人々がいないことだろう。戦火に見舞われると早々に知らせが走ったのだろう。街には人っ子一人見られない。

「まさにゴーストタウンって感じ?」

 フレアの言葉を代弁するように、隣を歩いていたポルカが問いかける。フレアは深く頷いて「なんかさ、きっとこの街には笑顔が溢れてるべきなんだって、そう思うんだよ」と悲しそうに呟いていた。

 

 本来はヒトの多くが行き交うこの大通りには、アーニャとフレア、そしてポルカの三人のみ。まるで廃墟のような物悲しさに、フレアがそう言ってしまうのも無理はないことだろう。

 

「まぁししょーの言いたいことは分かるかな。ここってさ、多分ホントは楽しい街なんだだよ」

「そうだね」

「まぁ解決したらさ、ノエルちゃん連れて遊びにきたらいいじゃん?」

 普段はおちゃらけた事ばかりをいうポルカが、おそらく自分の心配をしてくれてそう口にしたことに内心フレアは驚いていた。見方を変えれば不安を察せられるほどに表に出してしまっているということだろう。フレアは深く反省する。

 

「気を遣わせちゃってごめんね」

「気にすんなってーの」

 

 今はからからと笑うポルカに感謝をしつつ、フレアはアーニャの後についていく。

 海が近づいていた。そして彼女の目はこのセカイの、最後の門を捉えようとしていた。

 それにつれて、彼女たちの周囲も騒がしく、そして堅牢な壁に守られ始める。アーニャを先頭に、三人は先を急ぐ。奥に進んでいけば進んでいくほどに警備に立つ人員の数は増え、皆緊張した面持ちで彼女たちを見つめていた。

 一様に戦いのための装いに身を固め、いつ来るかも分からない戦闘に備えていた。

 

「こりゃ、剣呑としてますなぁ」

「騒がないの」

「へいへーい。でもやっぱすげーわ! よくこれだけの人、集めたもんだなぁ」

 言葉とは裏腹に、どこか楽しそうな笑みを浮かべるポルカを嗜めながら、フレアもその実同じことを考えていた。

 歩を進めるほどにビリビリと、肌に突き刺さってくる緊張感を覚えた。おそらく自分達の来訪が戦いの引き金になろうということはこの場にいる全員に知れ渡っているのだろう。彼らにとっては、ある種の停滞が一転することを考えれば歓迎されたものではないのかもしれない。

 しかし動き出さなくては、対抗しなくては滅ぼされるのだと、そう認識しているからこそ彼ら彼女らはここに集い、そして戦いの準備を進めているのだ。

「お二人とも、もうすぐ到着します」

 簡潔にアーニャが二人に声をかける。

 いくつもの検問を潜り、ようやく本営であろう建物が見えてきた頃には、この状況に辟易していた。

「それにしても、こんなにも警戒する必要あるの?」

「あの方曰く、こここそが『最終防衛線』と仰っていました。だからこそ生まれや種族に関係なく、同じ志を持ち、そして戦う意志のある者たちを募ったのだと」

「でも、それ……」

 そこまで呟き、言い淀むフレア。言葉を飲み込んでしまったのだ。

 通過してきた検問と周囲で訓練をしていた人員、そして急拵えではあるが駐屯地の広さから見れば、対岸にあるサラーキアを抑えるのは難しいことではないと想像に難くない。

 

 戦いにおいて数こそは絶対。簡単に覆せるものではないはずだ。

 しかしそうであってもアーニャを起こした人物はフレアに助力を願った。それが意味するところは一つだろう。

 

「そうです」

 押し黙ったフレアにアーニャは続ける。

「サラーキアの将は一騎当千の強者ばかり。正直に言えば、我々では太刀打ちできません」

 そう言い切れるほどに、サラーキアの保有する戦力はウェヌスのものと一線を画すのであろう。

「なるほど。まあでも、一騎当千っていうなら……」

 そう言ったフレアの頭に思い浮かんだのは、この先で待つであろう友人の姿。

 彼女の知る中ではその人物の右に出る者もそうそういないはずだ。しかし指揮官となれば話も変わってくるのだろうなと思いつつ、苦笑するフレアに「ねぇ、ししょー」とポルカの声。

「なに? どうしたの?」

「どうしてるかな、ノエルちゃん」

「大丈夫だよ」

 フレアのその物言いに不思議そうに首を傾げるポルカ。

「1番強い人に、シオンに任せてきたんだ。何があっても守ってくれるって」ニコリと笑うフレア。

「それなら、いいんだけどね……」

 きっとポルカの心配の意味を理解できていないのだろう。その笑みを痛く感じるポルカにアーニャが足と止める。

「お二人とも、着きました……」

「あら」

「おいおいおいいいい!」

 アーニャの言葉を待たずに、本営の中から一つの影が現れる。それは先頭に立つアーニャの、二倍の背丈はあろう大男だった。

 筋骨隆々と、その厳しさはまるで山のように。向けた視線は周囲を萎縮させるような鋭かった。

 

「おかえり。アーニャちゃん。それに……お久しぶりね。フレアちゃん」

 しかし声はその外見とは違う、落ち着いた女性然とした爽やかな音だった。

 そのギャップに口を開き驚きを隠せないポルカ。

 そして一人、ニヤリと笑みを浮かべてフレアだけはその人物に話しかけた。

 

「少し見ないうちに随分ムキムキになりましたね、アキさん?」

 



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私を、見てよ! 2

 白銀の髪を揺らしながら少女が一人、軽快に歩いていく。所作は丁寧に、背筋をピンと伸ばして歩みをすすめていくその姿は少女らしからぬ頼もしさがあった。

 

 彼女が通り過ぎていく商店の皆は笑顔で声をかけ、鎧兜に身を包んだ騎士たちですら、彼女の顔を見るやかしこまって挨拶をする。それは彼女の置かれた環境が、他の者から敬意をもって見られているのだろう。

 彼女自身は思っていた。

 自分には誇れるものはない。きっと周囲の人は、自分の育ての親が素晴らしい人物だから気を遣ってくれているのだと。

 しかし彼女は知らない。

 かつてこの街、ウェスタが危機に瀕した時、全てを守ったのが彼女自身であるということを。

 

 そして彼女を取り巻く人たちは彼女に、『白銀ノエル』という人物に、最大限の敬意をもっている。

 それと同時に、犠牲の末に今この街で『新たな人生』をスタートさせた『ノエル』の道を狭めないように注意しながら、彼女を見守っている。

 

「おぉ、ノエル! 今日も元気だな」

「ノエルちゃーん、これ持って帰りなさいな。守人様によろしくね」

 不意に声がかかる。ノエルが視線を向けると、馴染みの商店から手を振る夫婦の姿。それを皮切りに彼女の存在に気付いた大人たちは様々に声をかけてくる。

 

 街を救った。彼女を庇護する守人が街の人からの尊敬を集めている。

 それだけでは説明できないほどに、ノエルという存在は街の人から受け入れられているのだろう。忙しなく話しかけてくる街の人たちに嫌な顔を見せることなく、対応を続ける頃には陽の光は傾き、夕方に近づこうとしていた。

 

「……はぁ」

 両の手でどうにか抱えきれるほどの土産を持たされ、思わずため息をついてしまうノエル。

 好意はありがたいことだが、ここまでされると流石に皆に悪い気がしてしまう。子供ながらに難しいものだと思いながら、彼女は帰路の途中にある、露天の並びの切れ目にあるベンチを見かけた。ちょうどいいタイミングだと、腰を下ろそうとそこに向かった。

 

「よい、しょっと……」

 抱えていた荷物を下ろし、グイと身体を伸ばす。おかしな力が入っていたからだろう。伸ばした身体に心地の良い感触を味わっていると「お疲れみたいですね」という言葉がノエルの耳に届いた。

 

「いや、そんなことないです……」

 それは今までノエルが会ったことのない人物の声。穏やかな老婆の声だった。

 老婆はノエルが荷物を下ろした、ちょうどその隣に腰掛けている。普段であればニコニコと快活に言葉を返すむしろ驚くべきなのは、自分が荷物を置いたその瞬間まで『いなかった』のだ。

 

「なんで……」ノエルの言葉に緊張感が滲み出る。しかしそんなことを気にもとめずに老婆は穏やかな雰囲気のまま話し続ける。

「やっぱりフレアがいなくて寂しいですか?」

 突然老婆の口から出てきた自身の育ての親の名前に、目を見開きながら老婆を凝視した。

 赤い髪を束ね、にこりと笑う老婆。この時ようやく正面から捉えた老婆はウェスタではなかなか目にしない、異国の軍服を身に纏った姿だった。

「何でフレアのこと知ってるの、おばあちゃん?」

「あらぁ、レディにおばあちゃんだなんて! 失礼な子ですねぇ」

 右目に眼帯をつけ、自身の手に杖を携える老婆は左の緋色の瞳でノエルを見つめたまま冗談めかしてそう続ける。

「ふふふ。こうゆうやり取りも、なんだか久しぶりで嬉しいですよ」

「何だろ……」

「『知っている気がする』でしょ? 当然じゃないですか。“こことは違う世界”で船長たちは出会っているんですから」

 

 そう言われた瞬間、ノエルの脳裏を一つの名前が浮かぶ。

「……マリ」

 しかし頭に浮かんだ名前をどうしてもノエルは口に出来なかった。

 その名を呼ぶ前に、やってきた魔女の言葉に遮られ、ついぞ音になることはなかった。

 

「おーい、ノエっちゃーん」

「シオンちゃ……」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「まったく……帰る時は呼びなって言っといたのに」

 独りごちながら魔女、紫咲シオンが自ら宙に創った無数の魔法陣を跳ね回る。側から見れば遊んでいるようにも感じられるが、彼女の浮かべた少し焦った表情を見ればそう思う人間は少ないはずである。

 彼女は姿の見えなくなったノエルを探して、ウェスタの街中を飛び回っていた。

「まぁ正直いきなり保護者ヅラされても困るよね……」

 友人であるフレアにノエルを預けられてから四週間、彼女なりにノエルの保護者然としていたつもりであったが、まだまだ懐かれてはいないのか、あるいは自分に遠慮しているのか、簡単に答えを出すことは出来ないだけにヤキモキしていると、大通りに立ち並ぶ露天の切れ目に設られたベンチに探し人を見つけ、ホッと胸を撫で下ろすシオン。

 幾つかの魔法陣を階段状に創り出し「おーい、ノエっちゃーん」とその名を呼ぶ。あとはノエルを彼女の自宅まで連れ帰り、何か温かいものでも食べて寝かしつければ今日も一日が終わるだろとうと、そう考えていた。

 

 だがその安直な考えも、地に降り立ち、ノエルの隣にいる人物を、赤髪の老婆を視認した瞬間に掻き消えていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「な、んで?」

 

 すぐにノエルが自分に声をかけてきたのには気付いた。

 しかし隣の人物が誰かを理解していくにつれて、シオンの頭の中がかき乱されていく。否、それ以上にその光景を信用できなくなってしまうのだ。

 

「あら、久しぶりの再会なのにそんな顔して……相変わらずですね、シオンちゃん」

 聞き覚えのある声よりも、随分と落ち着き払った声。シオンが知っているものよりも数段重い声が耳に入ると同時に、彼女の掌から無意識に紫の光弾が駆けた。

 

「ーーー」

 目の前の老婆の何がそうさせたのかは、おそらくシオンにしか分からない。だが彼女の意に反して明らかに殺傷能力を秘めたそれはベンチのそばにいた老婆のみを射抜かんと光弾を投げつけた。無論、それの起こした轟音は周囲で露天を構えていた面々からは悲鳴やどよめきが響く。

 

「……って、安心したっていうのは不謹慎かな?」

 しかしそれで終わればどれだけ良かったかと、シオンは苦笑した。完全に老婆の胸を射抜いたと思っていた光弾は、ただ轟音をたてて別の魔法の力に掻き消された。

「あらら、みなさん驚いているじゃないですか」

「……」

 老婆のわざとらしい驚きに何も言えずにシオンは押し黙って彼女を睨みつける。見れば見るほどに、あり得てはいけないその現実に痛む頭を抱えていると、老婆は緊張感なく話し始めた。

 

「こんな手荒なことするなんて。ノエルに当たったらどうするつもりだったんですか?」

「そんなヘマするわけないじゃん。でもさ……」

 

 グッと、音になりかけた言葉が喉に詰まる。

 

「何でよ……」

 

 それを思い出せば、視界がボヤけ、今にも泣き出してしまいそうな心持ちになる。それは思い出したくはなかったかつての記憶。

 

「何でここにいるのよ! あの時……間違いなく私が……」

「えぇ、そうですね。あの時、シオンちゃんはおかしくなった船長を止めてくれた。それがあったからこんなにも時間がかかったんですよ」

 

 その瞬間、シオンの脳裏に浮かんだのは肘まで赤に塗れた自身の腕と、目の前に倒れ伏す老婆の若かりし頃の姿。吐き気を催しそうになりながらも彼女は老婆を睨み続ける。

 しかし構うことなく老婆は両の手を広げ続ける。

「でも、見てください。ここにいるでしょう?」

 

 まるで聖母のように慈しみ深く、笑顔をシオンに向けた。

「船長は、アナタの目の前に戻ってきたでしょう?」

 

 恐れを隠そうと身体が震えてしまう。胸の中に染み付いた後悔と怒りだけは隠しきれない。この小さい身体であれば当然だ、と思った。普段であれば飄々と不測の事態であっても対応できる自信はある。でもそれはありとあらゆる状況を加味して、どんな態度を取れば、どんな言葉を放てば相手がどう反応するのかを想定できていたからだ。

 

 だからあり得ないと思い込んでいるものが唐突に目の前に現れた時ほど、正気ではいられなくなる。シオンは自身の不甲斐なさに苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。

 

 しかし目下彼女が優先しなくてはいけないことは一つ。自身を中心に幾重の魔法陣を現しながら叫ぶように言った。

「ーーーッ! とにかく、ノエルちゃんからはなれーーー!」

 言い終わる前に横に動いた。身体を猫のように丸めて、力の限り横に飛ぶ。すると淡い青と緑の閃光が先ほどまで立っていた場所に大穴を作る音が響いた。あと少し飛び退くのが遅かったら、光に射抜かれていた。

 すぐにシオンは顔を上げ、頭上を睨みつけた。内心焦っていた。自分に気付かれずに魔力行使を出来る者など、このセカイの限られている。その嫌な予感が目の前に現実として現れてしまったのだと。

 

 夕闇に照らされてまるで翼を広げるが如く、女がそこに浮かんでいた。普段は柔和であろう翠色の瞳はシオンを鋭く捉え、腰まで届く髪は彼女から放たれる殺気に躍る。

 

 誰が最初に口にしただろう、『風舞う孔雀の乙女』の二つ名は、改めてこの女性に相応しいものだとシオンは思った。

 

「……やっぱこの人がいるなら、レイネもいるか。何? まだシオンが憎いの?」

「我が君の邪魔はさせません……二度と、あなたに奪わせない!」



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私を、見てよ! 3

 女の、レイネの形相が変わる。先のシオンと同様に自身の周囲に無数の魔法陣を浮かび上がらせ、叩きつけるようにそれらを放っていく。

「ィッ! あぁ、もう!」

 その衝撃にシオンが動く。

 幸いにも同じ体系から端を発した魔法であれば彼女が読み解けないわけはない。自身の身体に魔力を付与し、迫り来る衝撃の全てを避けていく。

 自らは攻撃せず、移動だけを続けるシオン。彼女のいた場所目掛けて迫り来るレイネの光弾であったが、シオンに当たることはなく、そして街を傷付けることもない。

 

「どこまでも、人を舐めて……」

 シオンは移動した場所全てに防御陣を展開し、街を守っていたのだ。十全に準備された状況であれば周囲の守りに気を使う事も出来ようが、レイネからの攻撃はシオンも予想していなかった。だからこそすぐにそれに対応し、かつ自分以外のものすらも守るというのは、レイネにとっては『自分は目の前の魔法使いに敵わない』とはっきり言われているようなものだったのだ。

 

「これでもねぇ、必死なんだよ!」

 大声で叫びながらシオンが周囲を見渡す。街の様子を、件の人物の隣にいるノエルの無事を。そしてここからどうすれば状況が好転するのか、必死に頭を動かし考え続けた。しかし同時にこれ以上に助っ人の現れるのではないかという危惧もあり、大きく対抗の手段を打てずにいた。

 

 戦いから離れ、二人の魔法使いを眺めていた老婆が呟く。

「……やはり、まだまだレイネさんではシオンちゃんには敵いませんか」

 その言葉に感情はなかった。ただ当然だと、経験値が違うのだとただ事実を再確認したような言葉に、ノエルが言う。

「ねぇ! やめさせてよ。こんなの……おかしいよ! あの鳥の人、すごく辛そうだよ?」

 辛いのに戦っている。きっと認めてもらいたいから戦っているのだと訴えかけるノエルの言葉に少し驚いた表情を浮かべたあと、ひどく嬉しそうな笑みを浮かべる老婆。

「あぁやっぱりアナタは優しい子ですね、ノエルは。そうですね……もちろん止めますよ。その代わりお願い、聞いてもらえますか?」

「……何?」

 怪訝な表情を浮かべてノエルが尋ねる。

 しかしそれは彼女にとって、心から望んでいるものだった。

「一緒にフレアのところに行きましょう?」

 

 それは魅力的な提案だった。

 ノエルを残して姿を消してしまったフレアを、何よりも大事な人の元に行けるのだ。それは本来なら手放しで賛成するべきことだろう。

 しかし同時にノエルの頭には別の考えも浮かんでいた。フレアが自分を置いていったのはなぜなのか。自分が邪魔だったのなら、きっとそれはハッキリ言ってくれるはずだ。だがフレアは何も言わずに行ってしまった。そこには何かメッセージがあるのではないかと、ノエルにはそう思えてならなかった。

 だから老婆の提案に首を縦に触れずに、ただ彼女の緋色の瞳を正面から見つめた。だがそれ以上に老婆は上手であろう。

 

「そうすればレイネさんも、それにシオンちゃんも傷つかなくて済みますよ?」

 

 その一言でノエルを動揺させるのに、そして言うことを聞かせるには十分だと知っていたのだ。

 チラリとぶつかり合う紫と青の閃光を一瞥する。

 シオンはこちらを仕切りに気にしているが、守りを固めることが出来た今、余裕が感じられる。一方相対するレイネはどうか。必死の形相で魔力弾をシオンに打ち出しているが、当たることはなく全てがかき消されているのを見れば、直に限界となるのは目に見えていた。そして彼女は決して止まらないと言うことも、その表情を見れば簡単に想像できた。

 

「わかった……」

「どうしました? ハッキリ言わないと分かりませんよ?」

「行く、よ。おばあちゃんと一緒に行く」

 悔しそうに言葉を返すノエルに、どこか満足気に顔を上げて、シオンとレイネを見た。

「シオンちゃん、ノエルのこと連れて行きますよ」

 ノエルの肩を抱き、大声でそう言い放った老婆に、厳しい視線と声で応える。

「船長ーーーダメ!」

 弾ける声に合わせて、シオンの周囲にさらに濃い紫の魔力が漲り、手を伸ばした。

 バチン、と肌と肌がぶつかり合う音が響く。刹那、老婆に掴み掛かろうとしていたシオンの手が、レイネの魔力の盾に遮られた。 

「やらせない!」

 しかしシオンが後退することはない。

 どれだけレイネが魔力を籠めようと、構うことなく自身の腕に魔力を激らせ、乱暴に振り回した。

「……邪魔、するなぁ!」

 紫の猛りに盾は最も簡単に打ち崩され、次の瞬間レイネの身体は激しく地に打ち付けられていた。それを見とめ、シオンは視線を老婆に移し、再び足に力を込めた。 

 

「さて、もうレイネさんは限界みたいですね」

 倒れるレイネに視線を向けることもなく老婆は言う。

「南までは少し遠いですから……早くここから離れてクルーズでも楽しみましょうか?」

 老婆は、カツンと手にした杖で地を打ち鳴らす。

「船長、させない! 絶対、ノエルちゃんを連れて行かせない!」

 

 一方のシオンも、あとは一気に突っ込めば老婆を止められるとタカを括り自らを光の矢と変えて、魔法陣を蹴り上げた。

 それは瞬きの間に老婆の元に到達するであろう、光の矢。しかし老婆に焦る様子はない。

 その代わりに、温和な声を虚空にこう言い放った。

 

「久しぶりの再会でしょう? 少しはしゃいでもいいですよ。ぐらさん!」

 

 

 老婆がその名を呼ぶ。

 いと貴き水底の主、と呼ぶにはあまりに幼い容貌の少女。しかしその顔に張り付いていたのは、ひどくウットリとした、どこか妖艶さを感じさせる表情。老婆の呼び声に応え、水面から飛び出すように現れたそれは、光の矢となって老婆を打ち倒そうとしていたシオンの身体を掴み、一気に地面に押さえ込んだ。

 

「ーーーッハ」

 

 シオンが短く息を吐く。突然の衝撃に息の循環が乱れ、追って背中に鈍痛が走る。

 現れた少女は蒼の瞳を爛々と輝かせる。そのままもう一度シオンの肩を揺すり持ち上げ、再び地面に彼女の身体を叩きつけた。

 

 興奮を隠しきれていない。

「あぁ、シオン! 愛しのシオン! やっとアナタのところに戻ってこれた!」

 幾年月もこの時を待っていたと、その表情は語っていた。

「ねぇ、なんで何も言ってくれないの? なんで……!」

 呪詛のように繰り返す少女は繰り返す。早く、早く自分の名前を呼べと。

 シオンは混乱する頭で必死に状況を把握しようと周囲を伺う。しかし視界いっぱいに映るその顔に考えがかき乱されていた。

 

「ぐら……がうる、ぐらぁ!」

「何よ、せっかく私が来たのに……ねぇ見てよ、私だけを……私を、見てよ!」

 

 ぐらの言葉、そして三度地面に乱暴に身体を打ちつけられ、満身創痍になるシオン。

 魔法使いとしての戦いを出来ていればこうにはなっていなかった。遠くから聞こえるノエルの声も、おびえに塗れていなかっただろう。

 最早勝敗は決していたのだ。動くことの出来ないシオンを地面に叩きつけ四度目、不思議そうに彼女を見つめたぐら。

 

「ねぇ……なんで何も言ってくれないの? 貴女はそんなもんじゃ!」

 そして苛立ちを露わにしたまま、再びその腕に力を込めた刹那、夕暮れに照らされていた二人に翳りが差す。

 シオンは驚愕していた。自分が気づかなかったことに。宙を征く海賊船の存在に、彼女は今に至るまで気が付かなかった。そして同時にその力は自分が関与できない、『大剣』を作った力と同質のものなのだと。

 

「……ぐら、はしゃぎすぎ」

 その声とともに、『形容し難い黒い何か』がぐらの腕を絡めとる。それは元からそこにあった古き神が如く、当たり前にぐらの腕の中からシオンを取り去り、地面に横たえた。

 

「……何で邪魔するの?」

「せっかくの再会なのにここで終わらせるつもり? それに船長からのクルーズのお誘いをいただいているのに、貴女だけ置いて、わたしたちだけで行っちゃうよ?」

「あぁ、もう! 分かった、分かりましたよ!」

 

 無理矢理自分を納得させ、シオンから離れるぐら。名残惜しそうに近くに倒れ伏していたレイネを傍に抱え、頭上に浮かぶ海賊船へと飛び去りこう続けた。

「シオン! サラーキアまで会いに来て! その時は……心ゆくまで愛し(コロシ)合いましょう!」

 そのまま気絶してもおかしくなかった。いくら稀代の魔法使いと言えど、幾たびも地面に打ちつけられた彼女の身体は脆い少女のものに過ぎないのだ。倒れ伏したままピクリとしなくとも不思議ではない。

 だがそれでもシオンは身体を起こし視線を海賊船に、そして現れた古き神に向ける。

 

「いなにす、まで……何で? 何で『神話』が関わってくる? それは了見が違うだろ!」

 痛みに声が掠れる。それでもシオンの言いたいことは伝わったのだろう。『いなにす』と呼ばれた古き神は静かにこう返した。

 

「魔女さま……もうそんなことを言っていられないって、アナタには分かっているでしょう?」

「分かってる……それでも、それは『このセカイ』を壊したシオンたちがどうにかしなきゃなんないことだろうが! なんで今更全部を巻き込もうとするんだ!」

 シオンの言葉に口を噤むいなにす。そして身体を起こした彼女が前のめりに立ちあがろうと力を込めた瞬間「三人とも、もう行きますよ」と頭上から老婆の声が響いた。

 行かれてはまずい。何より、その船が向かう先には戦火しかひろがていないはずだ。シオンは荒い息遣いのまま、膝をついて船を、老婆を睨みつける。

 

「……て、待て! 行かせるわけッーーー」

 しかし次の瞬間、「ごめんね。ーーーシオンちゃん」の声と共にシオンの身体は再び地面に押しつけられる。否、船から放たれた轟音と衝撃が彼女の身体に見舞われたのだ。

 何が起こったのか分からない、唯一動かせる首だけをあげ、夕暮れに泥む船に視線を向けらシオンの視界に入ったのは旧友の姿。

 

「あ……くあ?」

その小柄な身体には不釣り合いの重々しい銃身を頭上に向け、申し訳なさそうにシオンを見下ろしていた。

 

「何で? 何で、アンタまで?」

 本当に信じられない。シオンの頭を占めていたのはその感情だけだった。しかし構うことなく、船に乗り込んでいた老婆は「ではシオンちゃん、サラーキアでまた会いましょう。待っていますよ」とまるで待ち合わせをするように呟いて、背を向けた。

 

「何で……」

 去りゆく船に、倒れ伏すシオンはそう呟くことしかできなかった。

 自身の不甲斐なさに、彼女は自分の甘さを痛感させられることになったのだった。

 

「ごめん、フレアちゃん……ノエル、ちゃん……」



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月が、出てるぺこ

 海を隔て、ウェヌスの対岸にあるその街、サラーキアの外観は堅牢なる砦。しかしその中は港町然とした活気で溢れていた。

 

 それは戦いを目前に控えた街とは思えないほどに人々の笑顔に溢れていた。

 その笑顔からは『このサラーキアの安寧は永遠に続く』という安心感が伝わってくる。海を隔てただけでコレほどの違いになるのかと、街を歩くぺこらは思っていた。

 

 しかし何よりも少女の目を釘付けにしていたものがある。

 

「……すげぇ、ぺこ」

 

 それは『錨』

 サラーキアの象徴であり、曰く『最後に開かれるべき異界の門』

 

 対岸から目にしていたそれも十分に美しいとぺこらは思っていたが、より間近でそれ目にしてより一層惚れ惚れする感覚を覚えていた。

 

 ぼんやりとそれを眺めていると、人集りの中から「おーい、うさぎさん」と声がかかる。

「ほら、道草食ってないで行きますよ」

 視線を人集りに移すと、そこには仲間から『獅白』や『姐さん』と呼ばれていた女性。その声は雑踏の中でも小気味よくぺこらの鼓膜を叩いた。それにうんと返事をし、彼女はその後をついていった。

 

 堅牢な守りに固められたサラーキア。しかし存外に潜入するのは簡単だった。

 それもおそらくは協力者の助けがあってだろう。大きな路地を一望できる建物の一室に入っていくと、そこには窓の外をじっと見つめる赤毛の男の姿。

 

「場所取りありがとね、ロベルくん」

「姐さん、多分ここからならよく見えるんちゃうかなって思うんですけど」

 そこか聞き馴染みのない赤毛の男の言葉に、獅白は窓の外を見た。

「ん、バッチリだね」

 その言葉にぺこらも同じように窓の外を見る。

 何か集会の最中なのだろう、大きな広場にはサラーキアの住民が集まり、一人の女性の言葉に耳を傾けていた。

 

 色で示すならば青と白。涼やかな印象を感じさせる外見とは裏腹に、彼女がサラーキアの住民に向ける瞳には熱い炎が灯っていた。温和であろう口元からは厳しい言葉が発せられている。

 しかし、ただただその女性は美しかった。そして、雪のように儚げであった。

「……あれが」

「そう。あれがサラーキアの統治者……ってわけじゃないけどね」

「はぁ? じゃぁあの青色ねーちゃんはなんぺこか?」

 ハッキリとしない獅白の物言いに、苛立ちながらぺこらは視線を向ける。「ごめんごめん」と呟きつつ、少し考え込んで彼女はこう返した。

「サラーキアでは『雪の華』って呼ばれてる」

「雪の、華?」

「あの子にピッタリでしょ?」

 まるで友達のことを語るように楽し気な獅白の様子に、言わずもがなぺこらは混乱する。おそらく彼女ことが標的になるべき者なのだろうと、そう思っていただけに、獅白の反応はどう判断していいか困るものだった。

 

「姐さん、ちょっといけずやって」

 ぺこらの混乱を察してか、二人から離れて様子を見守っていた赤毛の男の言葉がちくりと獅白に刺さる。

 

「あぁ、ごめんごめん。あの子はね、詰まるところ執政官だよ」

「執政官……?」

「そう。本来サラーキアを治めるのは『女帝』。あの子はその代理人みたいなもん。そんで多分一番の信奉者なのかな?」

「それが、雪の華」

「そう。あれが私の目的。私が、殺したいほど好きなヒト」

「……アンタ」

 

 やはり違和感は消えない。

 こんなにもハッキリと『好き』と形容できる相手が彼女の標的となるのか。その理由がハッキリしないまま、『雪の華』が話す様子を押し黙って見続けていた。

 

 

 『雪の華』の演説はぺこらが想像していたほど長くなく、あまり負担に感じることもなかった。サラーキアの民衆もそう感じているのだろう。昼時の演説は訝しがられることもなく、話を終えた後には喝采が響いていた。

「あの『雪の華』ってヤツ……全然悪いヤツじゃねぇぺこだ」

 話を聞き終えたぺこらは頭に浮かんだその言葉を素直に口にした。事実、彼女が語っていたのは『いかにすれば国が良くなるのか、団結を強固なものに出来るのか、小さい都市国家だからこそ面と向かって議論する機会を持つべきだ』というものだった。外から見える強固な軍備に守られたものとは違って見えるその都市の様子に違和感を覚えずにはいられなかった。

 

「ん? 別に悪いヤツだって言った覚えないじゃん?」

「いやいや! こうゆう場合、親玉はやべーヤツって相場は決まってんじゃねぇの?」

「お伽噺の読みすぎだって。実際問題、本当に悪いヤツなんてこの世の中にはそうそういないよ?」

「だけど……じゃぁなんでこの国は他の国に攻めようとしてるぺこ?」

「それって、別に善悪が介在するところじゃないじゃん? 利益があるかどうか、そこが重要なんだからさ」

 キッパリとそう言った獅白は「まぁでも、中にはホンットーの悪人もいるかもだけどね」と付け加える。彼女の言葉は、素直に納得の出来るものだった。

 そこまで言って獅白は少し考え込み「これは私の個人的な意見だけどさ」と前置きして続ける。

「『雪の華』も、その先にいる『女帝』も、他を攻め滅ぼして、利益を得ることが目的じゃないって思う。それを利用してサラーキアに注目の目を集めたいんだって思うんだ」

「それ、なんの意味があるぺこ? わざわざそんなんしたら自分らが危険になるだけなのに……」

「ん、分かんない。でもそれにわざわざ付き合ってる『雪の華』は健気だって思うよ」

 そう笑顔で答える獅白に「なら……」と言いかけて、ぺこらが言葉を詰まらせる。

 

 なら、なぜ戦おうとする? どうして、『雪の華』のことに『殺したい』という言葉を口にしながら、そのまま『好き』と言えるのか?

 

 そのチグハグな言葉と、達観した獅白の言葉に、黙ってぺこらは彼女の表情を見つめる。バツが悪くなっったのだろう、苦笑いを浮かべ、頬を掻きながら誤魔化すように獅白が言った。

 

「はい。無駄なお話はここまで。うさぎさんはここに来る前にお願いしといたこと、頼んだからね」獅白は赤毛の男に目配せする。サラーキアに潜入する前にぺこらは獅白から『ある頼まれごと』をされていた。その『頼まれごと』もぺこらにとっては良く分からないものであったが、巡り巡って世話になっているだけに、ただの穀潰しのままでいるわけもいかず、ぺこらはその依頼を承諾した。

「分かった、ぺこ」

 

 赤毛の男に促され、ぺこらは部屋を後にする。後ろ姿を見送った後、獅白は再び視線を『雪の華』の方に移した。

 

「ホントさ、気にしてることを言おうとしてくるんだもんな……」

 

 ぺこらの言いかけていた言葉は何だったのか。それは手に取るようにわかっていた。

 

 それは随分昔から彼女の中にあった言葉だ。

 

「自分の思い出の中に閉じ込めてでも、私だけのモンにしたいんだよ」

 それは自分に言い聞かせる決意ように。

 

「多分きっと、この気持ち……誰も分かんないからさ」



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月が、出てるぺこ 2

 部屋を出たぺこらは、赤髪の男に先導されてサラーキアからの脱出を急いでいた。

 

「分かった、とは言ってみたぺこだけど……」

 平和そのものであるが他の国に攻め込もうとしているサラーキアとウェヌスにある蜂起軍、そして獅白たちのことを考えると、腑に落ちないことが多すぎるようにぺこらは思っていた。何より部屋を出る前に獅白が口にしていた『サラーキアに注目の目を集めたい』と言う言葉が頭に引っかかっている。

 

「……ねぇアンタ?」

 自分よりも先を歩く赤髪の男、ロベルに恐る恐る声をかけた。

「どないかしました?」

 返ってきたのは気安い、耳心地の良い声だった。それにつられて彼女の口からは「アンタはどう思っているぺこ?」と明後日の方向に投げたような言葉がこぼれる。何をしているんだと自分を叱責するぺこらにまた返っていたのは優しい声だった。

「あぁ、獅白の姐さんのこと?」

 ぺこらの不安も理解してくれたのだろう、彼は誰も近くにいないことを確認して「ちょっとだけ話しましょか?」と提案した。

 これはぺこらにとってはいい機会だった。このホロアースという大地に来て以来、状況に流され続けていることに嫌気が差し始めていたのだ。このままではいざとなった時に何も決められない。そう思っていた彼女はズバリと聞くことにした。

「獅白は、アンタたちは何が目的ぺこか?」

「ん~姐さんの腹ん中は分からんけど、俺らは姐さんの手助けしたいってだけやで?」

 キッパリとそう言い切った赤髪に、思わず口をぽかんと開けて驚くぺこら。それが面白かったのか声を出して笑った後「俺らはな、ウェヌスに急に出来てもうた蜂起軍がホンマに嫌でさ」と真剣な面差しで話し始めた。

 

「もうすぐ戦いが始まるから準備せなアカン! ってみんな言うんよ。なんかすごい煽られてるのが嫌やってさ。んで何もせんかったら何もせんで周りからは白い目で見られる……そんなんが続くとさ嫌でも思わへん?」

「自分達が、ズレてるんじゃないかってこと?」

「そうそう。なんかホンマに嫌な気分やった。だから俺らは戦うんとかは絶対にせぇへん。自由気ままに適当に過ごしたれって思ってた訳なんよ」

 しかし男は「でも、周りはそれを許さへんのよ」と付け加える。

「周りがこう言ってるんやからそれに合わせろよって、空気読めよって言ってくるのよ。んで押し付けられるんは怠け者のレッテル。正味生きてかれへんようになってさぁ。しょうがないから心殺して蜂起軍に参加したりもしたりもしたよ」

 苦笑いを浮かべながら、男はまたぺこらの先を歩き始めた。努めて明るく話すその声を聞き漏らさないように、彼女も少し小走りになりながら後に続く。

「そしたら獅白の姐さんが言うんや。『それで面白いの?』ってさ。あの時はさすがにみんな荒れたわ。お前に何が分かるんやとか言うてな。んで殴り合いの大喧嘩になるんやけど、姐さんの強いのなんの。うちの店におった仲間連中全員ボコボコよ。いやーあれは痛かったよ。でな、姐さんが言ってくれたんや。『窮屈やったり退屈なんやったら、別の面白いこと、探しに行こか?』ってな」

 前を進む彼の表情を見てとることは出来なかったが、震える声からは楽しそうな様子が伝わってくる。そこで恨み節の一つでも出ないところが獅白の魅力なのだろう。少しだけ獅白のことが分かったような気がした。

「俺らはさ、姐さんにケツ叩いてもらってどうにか半人前になれてる。せやからあの人がやりたいってことは協力したるつもりやで」

 

 目の前には壁が迫っていた。そこを抜ければサラーキアを出て、内陸部に通じる丘陵地隊に出ることができる。それを目前に、赤髪の男は立ち止まり、振り返ってぺこらに言った。

「でもな、最近の姐さんはちょっとおかしいって思うんよ。なんかこう、追い詰められてる感じがする」

 その言葉も、そして表情も真剣なものだった。

 出会ったばかりのぺこらでも感じるものを、おそらく長く付き合いのある彼らが言うのだから、それは間違いないことなのだろう。

「……」

「まぁうさぎの姐さんも、獅白の姐さんに思うことあるんやろしさ。協力してもらえると俺らも嬉しいなって思ってます」

「分かってる……分かってるぺこだ」

 そう一言返して、ぺこらは男の脇をすり抜けていく。

「とりあえず、アンタらが誰も傷つけてねぇって言うなら、手伝ってやるぺこだよ」

 そう言って男の方に振り向くことをせず、ぺこらは足速にその場を離れていく。

 

「ありがとぉな」

 

 背中から聞こえてくるその言葉に少し気恥ずかしさを覚えながら、彼女は一路別の街に急ぐことにした。

 

 

 『協力者の元に行ってほしい。ウサギさんがここに来るっていうのは、その協力者が教えてくれたんだ』

 

 サラーキアに潜入する前、獅白からそう教えられていたぺこら。一路サラーキアを脱出し、内地を目指す。獅白が指定した街はサラーキアから北東に歩いて一日と少し街道を進んだ場所にある。誰にも気取られることなくことを済まさなければならないと言う指示のもとぺこらは一人街道を急いでいた。

 

「……っても一人で歩いてけって……」

 そう独りごちるぺこら。背には大きな荷物、そして手には方位磁石と地図。探検家然とした様子で街道を呆然と歩いていた。

 

「乗りもんくらい、貸してくれぺこだよ」

 思わずそう呟かざるをおえないほど、街道は果てまで続いている。まるで到達点の見えないそれにため息を吐きながら、安請け合いをした自分に後悔していた。

 ぺこらは「はぁ……まぁ行くぺこ」と呟き歩き始めた。そこで立ち止まったままでいないところこそ、彼女が彼女たる所以であろう。足取りは重いがどうにか進み続ける。

 

 しかし出発の時間が遅かったからだろう。とうに日は傾き始め、沈みゆく光が彼女の白い耳を橙色に染め始めていた。

「そっか、もう日暮れか」

 先ほどとは違う、疲れからではないため息が彼女の口から溢れる。

「とりあえず、火でも起すぺこか」

 不意に襲ってきた郷愁の念に心を攫われそうになりながら、彼女は背に担いだ荷物を降ろし、中を物色していく。入っていたのはこの道程の往復を考えても有り余るほどの食糧と野宿をするための装備。このまま逃げてしまっても当分は生きて行けるだろうと思えるほどの準備が荷物の中には入ってあった。

 

「……そっか」

 これを渡してきたロベルと、そして別れた時の獅白のことを頭に思い浮かべ得心がいった。そもそもウェヌスから直接件の街を目指しても良かったところを、わざわざサラーキアの街を、標的である『雪の華』の姿を見せたのには、獅白たちなりに理由があってのことだった。

 

 もし自分たちと志すところが違うのであれば、逃げることは否定しないと。

 そして自分たちが立ち向かおうとしているのは、物語に出てくるような『絶対悪』ではないのだと。

 

 それを教えるためにわざわざ自分にサラーキアの様子を見せたのだろう。

 そう思い至った時、彼女は「見くびってんじゃねーぺこだ」と、そう呟いていた。

 

「気ぃ使ってもらって悪いぺこだけど、ここで逃げてちゃぺこーらじゃねぇぺこだ」

 

 成り行きのままにここまでやってきてしまった。そうであっても、結局のところは自分の目で見て、自分で判断しなくては意味がない。

 

 今なら逃げると言う選択肢も取れる。しかしそうしなかったのは、ぺこらの頭にどうしても離れないものがあるからだ。

 

「あの顔……」

 

 『雪の華』を見つめていたあの横顔。獅白の苦しそうな表情は、接してきた彼女の頼もしさとはかけ離れた、弱々しい少女のように見えた。

 

「あんな顔されちゃさ、助けてやらねぇとって思うじゃん」

 

 直に夜が帷を落とす。

 

 ソラの頂を目指し、夜の王がその光を地に示さんとしていた。 

 

 

 夜の帷が下りた頃、ぼんやりと焚き火に目をやりながらぺこらが物思いに耽っていた。

 

「マミーたち、どうしてるんだろ」

 頭に浮かぶのは言わずもがな、故郷であるぺこランドに残してきた家族のこと。突然自分がいなくなってしまったのだから、きっと心配させているだろう。少しでも無事を伝える術があればいいのだがと考えながら、彼女は自分の周りで飛び跳ねる白い友人たちに声をかけた。

 

「ねぇ、アンタたちも寂しかったりするの?」

 途端にパタンと動きを止め、野うさぎたちが目を丸くしてぺこらを見た。全員が一様に同じ感情を秘めた瞳で彼女を正面から見据えた。

 

「……そりゃそっか」

 近くの野うさぎの頭を撫でつつ、そう呟く。

 

「そりゃぺこーらがこんだけ寂しいんだから、アンタたちも寂しいか」

 自分と同様にこちらのセカイに飛ばされた野うさぎもいるだろう。ぺこらが感じている寂しさを彼ら彼女らが感じないはずがない。事実ぺこらが尋ねるまで、それを表に出さずにぺこらの周りを賑やかしてくれていた。

 

 それに気付いたのと同時に、改めて野うさぎの存在をありがたく思うぺこらは「やっぱ帰りたいぺこだよね」と呟いた。

 

 ずっと言葉にしていなかった感情だった。そしてそれを音にしてしまえばどうしても寂しさに立ち向かわなくてがいけなくなってしまう。

 

 不意に浮かんだ悲しさを埋めるために、彼女は頭上を見上げる。

 

「あぁ。今日も月が、出てるぺこ」

 

 夜の静けさと、月の美しさだけはどのセカイでも変わることはない。それを思えば幾分気持ちが和らぎ、その美しさに感じ入ることが出来た。

 

「やっぱどこでも綺麗……ん?」

 

 それは蜜色の中に墨を落としたように少しずつ、少しずつ広がっていくようにぺこらには見えた。

 

「ねぇアンタたち! あれ、あれぇ!」

 それは徐々にぺこらに近づいていく。否、彼女にとっては『落ちて来ている』と言った方が正しいのかもしれない。そして落ちて来ているそれが『少女の姿』をしていると気付くのにそう時間は掛からなかった。

 

「お、親方ぁ! ソラから女の子がぁ! って、親方って誰ぺこだ?」

 刹那、野うさぎたちがぺこらの周りに集まり、その身体を支えるように重なり合っていく。

 

 ソラから落ちてくる質量を受け止めるのにどれだけの力が必要なのか、自分の細腕では受け止めきれないのではないか。さまざまな思いがぺこらの頭を駆け巡っていく。

 

 それらを一つの感情が、『この少女を受け止めなくてはいけない』という感情が上書きしていった。

 

「うわぁわ……は?」

 しかしぺこらの考えとは裏腹に、それはまるで羽のようにふわりと彼女の腕の中に収まった。

 長い紫の髪は月明かりを受けて、優しく輝きを秘め、端正な顔立ちをより一層際立たせている。

 

「……綺麗ぺこ。なんか」

 

 その美しさを形容する言葉を、ぺこらはこの言葉しか思い浮かばなかった。

 

「月のお姫様、みたいぺこ」



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月が、出てるぺこ 3

 窓の外には絢爛な街の様子が広がっている。

 煌びやかに変わりゆくネオンの色が眩しく、行き交う人々は刹那の華を咲かせる。ある者は幸福に満ち、またある者は絶望のどん底に落とされたような表情で街を行き交う。

 

 ここはフォルトナ。

 すべての愉悦と消魂を内包した異界。ホロアースに息づいた魂がその役割を終えた時、最後に行き着く場所とされている言わんや“魔界”と称される場所である。

 華やかな街の様子と違い、彼女が項垂れる部屋には暗く、重苦しい空気が横たわっていた。

 浅く椅子に腰掛け腕を前に組み、目を閉じて考え込む様子を見せるのはホロアース一の魔法使い、紫咲シオン。先の戦いで怪我を負い、彼女の頬には痛ましく治療した痕が見えていた。

 怪我が痛くないといえば嘘になる。しかしそれよりも彼女の頭の中を占めていたのは『後悔』という思いのみ。

 どれだけの敵が集まろうと対抗できる自信が彼女にはあった。それが『神話』に名を連ねる者であっても、シオンが自分の中に勝機を見出せると確信していたのだ。

 

 しかし結果は目も当てられないものだった。

 

 友人と交わした約束を守ることが出来なかった。そして何より、古き友人が目の前に現れたことがシオンを当惑させた。

「シオン様、大丈夫?」

 俯いていたシオンの耳に優しく甘い声が響く。

「せんせぇ……」

 顔を上げて声の主を見やる。そこにいたのは声に違わぬ、柔和な笑顔を浮かべる悪魔。

「どうにか出来るって思ってたんだ。誰が来たって絶対に負けないって思ってた。でも……船長が表に出てくるなんて思ってなかった……」

「そうね。さすがにちょこもびっくりしたわ」

 そう呟いて顔を伏せるシオンの肩に手を置くちょこ。その手にはハッキリとした恐れが伝わってきた。

 かつてシオンが船長に行ったことを思えば、そう思うのも仕方がない。彼女はシオンにとって大事な友人であった。そして彼女を終わらせらのもまた、シオンであった。

 船長が目の前に現れたということは、自分の罪をまざまざと見せつけられていると感じても致し方ない。

 そんな彼女に憐れみの念を抱くちょこ。

「ねぇ先生」違う声が響く。シオンのちょうど対面から発せられたそれは、嬉々としてちょこに尋ねる。声が快活そのものであるが、肌の色は生者のそれとは違う。すべての生気が赤々とした髪に吸い上げられているようにも見てとれる。

 

「これで私たちが関わっていい条件が整ったんじゃない?」

 カツンと、自分の目の前の盤面に並べた白と黒を動かしながら、嬉々として語る彼女にため息をつきながらちょこは答えた。

「オリーちゃん……そうね。でも、乗り気じゃない人がいるみたいよ」

 

 視線の先はオリーと呼ばれた少女のちょうど隣。黒の装束に身を包み、鋭い視線を外に向けながら、重い響きで「誰にも加勢しないですよ」とキッパリと答えた。

 その反応はちょこにとっては意外なものであった。

「あら? カリオペさんなら、日頃のストレス発散にちょうどいいって、大手を振っていくかと思ったのに?」

 そう問いかけると「でも」とちょこの言葉を遮るカリオペ。

「でも、あのクソトリも含めて、『神話』はこっちに任せてもらう」

 そう言い切って彼女は席を立つ。部屋の中には白と黒の駒が盤面を打つ甲高い音が響いた。

 

「ぐらちゃんといなにすを止めてくれるんなら……うん、全然楽になるよ」シオンが小さく呟く。

「シオン様、忘れてないわよね? 『最後に決める』のは私たちじゃないだから」

「分かってるよ」

 そう。異界にある彼女たちにとって、直接ホロアースの事象に関わることは出来ない。ただ彼女たちが出来るのは、助言を与え、道を開くことのみ。

「でもさ……背中を押すだけしか出来ないって、すごいタチが悪いよ」

 あまりにタチが悪いと、苦い表情を浮かべてシオンは窓の外に目をやった。

 

 外には騒がしく人が行き交っている。まるでシオンの心を掻き乱すように、いつまでも騒がしく鳴り続けていた。



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宝鐘海賊団出航せよ

 そこはおそらく蜂起軍の指令所の役割を果たしているところなのだろう。フレアとポルカが招かれた室内には厳しい兵士たちが慌ただしく動いていた。外で訓練をしていたものたち同様に、彼ら彼女らの浮かべた表情はどこまでも固い。その表情からは戦いに対する恐怖と覚悟が伝わってくるようだった。

 

 通された奥の部屋には何人が方を並べることができるかわからないほど強大な大机の上にフヨフヨと真四角の画面が浮かんでいる。そこには明らかに俯瞰的に撮影されたサラーキアの状況やウェヌスの兵士たちの訓練状況、そして注意すべき敵将の詳細などが映し出されている。明らかにそれはこの蜂起軍には過ぎた技術であろうと、フレアには思えた。何より文明の発展度としてはウェスタと変わりないはずのこのウェヌスでこのようなものが一般的に出回ることなどあり得ないとすら思えていた。

 

「……大剣の中と同じ力、なの?」

 不意に十年前大剣の中で見た光景を思い出し、フレアはそう呟いていた。

 

「やっぱりフレアちゃんは『これ』のこと知ってるみたいね」

 フレアの呟きに、大机の正面に掛けていた『アキロゼ』と呼ばれた男性が声をかけた。『アキロゼ』の前にフレア、ポルカが席につき、共にここにやってきたアーニャも、『アキロゼ』の隣に背を正して立っている。そして部屋の隅には目深にローブを被った女性が一人、じっとフレアを見つめながらちょこんと座っている。

 

 大机を囲む全員を一瞥し、フレアは「えぇ、一応」と答えた。

 

「大剣の中にあったのとおんなじだ。でもそれは外に持ち出せるものじゃなかったはずだ」

「それが目の前にあるのはやっぱりおかしい?」

「そりゃそうでしょ……言わないと分からないはずないと思いますけど?」

「そうだね。私も正直たまたまだったしなぁ」

「じゃぁやっぱり……」

「そうだよ。これはフレエアちゃんが言う『ウェスタの大剣』の中の力と同じものだね」

 ひどく嬉しそうに顔を歪めながら『アキロゼ』はニコニコと語り、部屋の隅にいたフードの女性に視線を向けた。クスクスとその巨大な体躯に似合わぬ可愛らしい声色で話す『アキロゼ』の姿にフレアが尋ねた。

 

「で、今のその姿も力を流用したものなの?」

 その問いかけに不思議そうな表情を浮かべて、すぐに「あぁ」と、パチンと指を鳴らした。

 

「そういえば、ずっと姿変えてたんだったよ」

 光が『アキロゼ』の周辺からはじけた瞬間、その姿は声に違わぬ、麗しい女性のものに変わってしまう。涼やかな葵の瞳が印象的な、美しいその容姿に、ずっと押し黙ったままだったポルカもその光景には「おぉ、すげぇ」とシンプルな感嘆の声を上げた。

 

「やっぱりその姿の方がいいと思うよ。ちゃんとアキさんって感じがする」

 フレアもそう続けて笑みを浮かべた。それにつられるようにアキロゼも笑顔を見せる。

 

「そうだろうとは思うけどさ、やっぱり厳つい方が軍隊を纏めるのには都合がいいんだよ」

 重く実感のこもった言葉でそういったアキロゼは深く椅子に腰掛け、改めてフレアを正面から見据える。

 

「来てくれてありがとうね、フレアちゃん」

「アキさん。昔話は後で十分出来ると思うからさ。取り敢えず話してくれない? わざわざここに私を呼んだ理由。それにこの状況のこともさ」

「いいよ。そうゆう直球なの嫌いじゃないから」

 

 そして変わらぬ笑みで彼女は話し続ける。

「話してあげる。今、このサラーキアを取り巻く状況がどうなってるのかを」

 

 

 アキ・ローゼンタール。

 『サラーキア解放戦線』、そして南方を統べるエルフの首魁。その身はハーフエルフではありながら、一族からの信頼を集め長にまで昇り詰めた人物。かつてウェスタにおけるヒト族とエルフの間に起こった戦いでもその頭角を現し、まさに南方の覇者と言っても差し支えないほどの人物である。その影には常に『天才』と呼び称される吸血鬼の姫君があったと言うことは多くの人が知るところであろう。

 その彼女が弱音を口にしている。フレアにとって、それは信じられない光景であった。

 

 一騎当千。 

 

 永き時を戦ってきたフレアにとっても、アキ・ローゼンタールという人物はそう形容するに相応しい人物だ。そんな彼女が口にするサラーキアの現状は、彼女の指揮する蜂起軍にとって芳しくないものばかりだった。

 

「……っていうのがサラーキアの状況かな」

 

 事が起こったのは今から八年前。ウェスタと同様に東方の『ヤマト』と呼ばれる場所で異界に通じる扉が開いた時のこと。それまでは交易都市として栄えていたサラーキアに『とある海賊旗』を携えた一団が現れてから状況が変わっていった。周辺の都市を傘下に治め、そして最後には姉妹都市であるこのウェヌスにまでその牙を伸ばそうとしている。

 

「とりあえずサラーキアが退っ引きにならない状況だってことは分かったよ……」

 それと同時に解せないという言葉がフレアの頭を過ぎる。話で聞いた通りであれば、サラーキアが周辺の都市を手中に治めるのに八年の時がかかるとは思えない。

 ただ、『ウェヌスを陥せない』と言うことであれば、十分にフレアも理解できた。

「それに……」

 アキロゼから視線を外し、ローブを目深に被った女性を見遣る。

 

「メルさん。お久しぶりです」

「こちらこそ。お久しぶりだね、フレアちゃん」

 深くローブの女性に深く頭を下げる。アキロゼもであったが、フレアにとってこれは二百年ぶりの再会であった。

「なるほど、アナタがいたからどうにかなってたってことですね」

 昔話に花を咲かせたいところではあったが、淡々と話を切り出すフレア。それにクスクスと笑いながらメルは続ける。

「買い被りすぎだよ。メルはシオンちゃんみたいに武闘派じゃないし、それにこっちに『直接の干渉』はできないよ。それに私の場合、力を使っちゃうと『あの子』みたいに動けなくなっちゃうし」

「あの子……って?」

 メルの言った『あの子』と言う言葉がどうしても耳に引っかかる。誰のことを指して言っているのかは分からない。しかし自分も知っているような人物である気がして仕方がなかった。

 

 そして黙りこくり考え込むフレアにアキロゼが続ける。

 

「一応はっきり言っておくんだけどさ。私たちはサラーキアが侵攻をやめてくれるっていうんならそれでいいの」

「そりゃそうなんでしょうけど……」

「ねぇフレアちゃん。笑わないで聞いてほしいんだけどさ……」

 

 アキロゼは「おばあちゃんみないなこと言っちゃうけどさ」と付け加えながら話し続ける。

 

「私たちは、エルフは終わりに向かっているよね?」

「……えぇ、森の長老たちも同じこと言ってました」

 フレアにもそれは分かっていた。そもそも十年前、ウェスタに旅立つフレアに長老たちがかけたのも「終わりに向かって、穏やかに暮らそう」という言葉だった。

 

「緩やかに終わりに向かっている私たちにとって、幸せな時間を邪魔されたくないの。でもさ、降り掛かる火の粉は払わなきゃいけない。平穏に過ごしたいのに戦うって、すごくチグハグだよね」

「……アキ、さん……」

 もう何も言えず、フレアは彼女から目を逸らすしか出来なかった。しかしそらしようのない現実は今まさに彼女たちに降り掛かろうとしていた。



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宝鐘海賊団出航せよ 2

 アキロゼの浮かべた悲しそうな笑みに一瞬彼女から目を逸らすフレア。それとほぼ同時に蜂起軍の司令室に慌ただしい声が響いた。

 

「ローゼンタール閣下!」

 見遣るとそこには肩で息をする兵士が一人。ひどく慌てた様子が表情と言葉遣いから滲み出ている。この慌てようが意味するところを、その場にいる全員がわざわざ聞かずとも自ずと理解していた。

 

「どうした?」

 次に声を発したのはアキロゼであった。再びその姿をほんの一瞬で厳めしい男性のものに変えるやいなや、思い声色で尋ねる。これには慌てふためく兵士も正気を取り戻し、必死に息を整えようとしている。

 

「……」

 兵士の息遣いが部屋に響く中、フレアの視線は彼ではなく、別のものに注がれていた。否、“それ”に釘付けになっていたと表す方が正しいのかもしれない。

 それは兵士と共に部屋に入ってきた。最初に見た時は長い髪の少女。瞬きの後に見えたのは褐色がかった梟。そして三度見たその姿は形容し難いヒトガタをなしていた。明らかに異質。フレアの脳裏にはその言葉が浮かぶ。しかし誰もそれに言及するどころか、『いないもの』のように扱う様子にフレアの頭はかき乱されていく。

 

「も、申し訳ありませんでした、ローゼンタール閣下」

「かまわない。で、動きがあった?」

 フレアの混乱をよそに息を整えたがアキロゼの正面に立ちキビキビと報告を始めた。

 

「サラーキアに潜伏中の斥候より入電。また、宿営上空に長方形の浮遊体が投影されています」

「浮遊体……攻撃ではないの?」

「はい、そこには何やら映像が投影されております。映像の場所はサラーキア中央、集会場の様子と推測。斥候からの情報によれば、今より『雪の華』が重大な発表を行うとのことです!」

 そこまで息継ぎなく言い切った兵士。それに「よく分かった」と答え、外の警備に戻るように促すアキロゼ。そしてそのまま少し考え込んだ後、「フレアちゃん」と彼女が名を呼んだ。

 

「なに? まずいことでも起きたの?」フレアの問いかけにアキロゼは苦い顔をしながら首を横に振って答えた。

「タイミングがいいのか悪いのか分かんないけどさ、お相手がどんな顔してるのか、一気に見られるかもしれないよ」

 その太腕が指差すままに、フレアたちは司令室の外に出る。先ほどまで響いていた兵士たちの声は聞こえない。ただ全員がソラを見つめていた。突然映し出された離れた場所の光景に、何も口にできずに狼狽えていたのだ。

 

 そしてそれはフレアたちも同様であった。

 ソラには司令室の中で見た、『大剣の内部にあったものと同じ力』で運用されているであろうものが浮かんでいる。そして映し出された場所の、サラーキアの熱狂すらも届かせていた。

 

「……すごい」

 あまりに鮮明に見えるその光景に、素直な感嘆の言葉がフレアの口から漏れる。隣に立っていたポルカも同様にジッとそれを見上げていたが、どうゆうわけか彼女が口を開くことはない。普段であれがはしゃぎもするだろうと思っていたフレアも、彼女の意外な反応に、どうにか兵士たちの雰囲気に飲まれずに済んだのかもしれない。

 

 しかしポルカの立つのとは逆側、すぐ横から「……なるほど、『錨』の力を使いこなす者がエルフの長以外にもいるとは……」と声が響いた。一体いつからそこに居たのか。外に一緒に出たはずはない。しかしまるでその声にはがいじめにされたようにフレアの視線は『それ』に注がれた。

 

 

 その場にいる全員がソラに浮かぶ映像に釘付けになる中、フレアだけが突然隣で話し始めた『それ』に視線を向けていた。しかし声が響いているにも関わらず誰もそれに関心を示さない。その声はまるでフレアにしか届いていないようですらあった。

 

「アナタ、一体何なの?」頭に浮かぶさ様々な疑問を飲み込んでフレアが問いかける。

「守人、貴方ならわかるはずです」

 フレアの問いかけには答えず、逆に尋ねる『それ』。言いたいことは分かった。きっと『大剣』の中のことを言っているんだろう。しかしハッキリしないその物言いが気に入らない。

 

「あれも『大剣』と同じってこと?」

「エルフの長には『吸血姫』の寵愛と、そしてこの『文明の守護者』の加護がある……あぁ、であれば彼の人に連なる『雪の華』が使えない訳はありませんね」

 

 一方的に話し続ける『それ』に「だから……」と思わず声を荒げようとしたその刹那、「ししょー」それはまるで現実に引き戻す救いの手のように、フレアの耳を叩いた。

 

「ポル、カ?」そこでようやくフレアは視線を反対方向に向けることが出来た。そして正面からポルカを見ると彼女はこう続けた。

「そいつの声、聞いちゃいけない」ハッキリとそう言った。

 感情を感じさせず、ただ事実だけを告げるハッキリとした物言いでポルカはまた言う。

「それはセカイからの甘言だ。その声を聞いたら惑わされることになる」

 決して『それ』に視線を向けず、ポルカは淡々とそう言い切ってソラを見つめ続けた。そしてそれにフレアがただ首を縦に振ることしか出来なかった。

 

「始まるようです!」

 兵士の一人が声を上げた。ソワソワとしていた一部の兵士たちも映像をジッと見遣った。

 

 映像は鮮明にサラーキアの様子を映し出す。捉えられているのはサラーキアの中央に位置する集会場の様子。そしてそこにごった返す民衆の姿が見てとれた。一様に赤いものを身に付け、そして羨望の眼差しを中央に注いでいた。

 

 そこに一つの足音が近付いていく。熱狂に包まれていた集会場はその音に皆息を飲み、まじまじとそれを見つめる。

 

 見目麗しい淡い青の長髪を靡かせながら中央に設られた壇上に登るのは一人の女性。

 本来であれば温和で優しい様子を見せるであろう琥珀色の眼差しは、厳しく周囲のものを捉えながらジロリと動いていた。その刺々しい仕草すら見るものを惹きつけ、美しいと思わせる。

 

『みなさん、ご機嫌よう』

 

 次に声が響く。瞳の色に違わぬ優しい響きの中に、芯の強さを感じさせる音だ。遥か遠くの映像にも関わらずそれはウェヌスの宿営地にも響き渡る。

 誰かが言った。「こんな可憐な娘が、あの『雪の華』なのか」と。そしてザワザワと兵士たちが口々に話し始める中、映像の中にいる『雪の華』は朗々と話し始めた。

 

「あの子、エルフ……違う、私たちと一緒?」押し黙っていたフレアがポツリと声を漏らした。

「私もそうだったよ」正面で同じように映像を見つめていたアキロゼが振り返りフレアに言った。

「あんな姿の同族、私は見たことない……」アキロゼにそう言いかけて、言葉を飲み込むフレア。そう言い切るのは早計であると、永く生きてきた自分でも知らない物事は存在するはずだという考えがその言葉を詰まらせた。

 押し黙ったフレアにニコリと笑みを浮かべてアキロゼが続ける。

「私たちが生まれるずっと前、最初のエルフにあんな姿のヒトがいたって言うのは、伝承に残ってるんだよ」

 そう言って視線をもう一度『雪の華』に戻す。

「ずっと身を潜めいていて、現れたのは二年前」

「二年……東の方にもウェスタと同じ光の柱が現れたのと同じ頃ってこと?」

「そうだよ。そこからサラーキアの侵攻が始まった。でもこの子ずっと言ってるのよ。自分はただの代理だって。皆が待ち望んだ者が来るまでの代わりに過ぎないって」

 

 アキロゼがそう言ったと同時に映像の中の『雪の華』が話を始めた。

 

『まず初めに。我々の目的がここに達せられたことをここにお伝えしておきましょう』

 

 『雪の華』の発した言葉に民衆が騒然とし始める。

 彼女の言葉を理解出来なずに近くの者に尋ねる者と理解し歓声を上げる者、そして感涙にふける者。反応は様々であったが、一様に『雪の華』の言葉に心を震わせたことは言うまでもない。

 

 その騒めきを右手を挙げ制し、彼女は続ける。

 

 『今日、このように場を設けたのはそれをお伝えするため、そして『我ら』の船出をここに宣言するためでもあります』

 

 朗々と、しかし確かな熱を感じさせるその言葉にその場にいる民衆はおろか、遠く離れたウェヌスでそれを見る蜂起軍の面々も飲み込まれていく。弁が立つという言葉だけで説明はつかない。皆にそう思わせるほどに『雪の華』の言葉は響いていた。

 

 『まずは感謝を申し上げます。きっと皆さんの中には彼の方の代理を、この雪花ラミィを認められない方も多いと思います』

 ふと、弱気ともとれる言葉でそう呟く『雪の華』。再び民衆の中に騒めきが起こる。

 

 『確かに、幾多の苦渋を舐めました。謂れのない言葉も吐きかけられました。それでも私は覚悟していたのです! 私はこの役目を彼の方に賜ったのだから、やらなければならないと。だからこそ、今日この日まで私は皆さんの前に立ち続けてきました……しかし、それも今日で終わりを迎えます! 永き時を待たせました。そして私も、永き時を待ちました』

 

 目を見開いた先に頭上を指差す。そこにはサラーキアの象徴たる『錨』。蒼く清浄な光を湛えた『錨』はラミィの言葉に呼応するように、眩く輝いた。

 

 その刹那、集会場の真上に大きな影が差す。言わずもがな、指を指すまではそこには何もなかった。

 

 しかし次の瞬間、それは現れたのだ。

 

 三つの帆をはためかせるソラを征く船が、巨大な海賊船がそこ現れたのだ。



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宝鐘海賊団出航せよ 3

 言うまでもなく、サラーキアの住民は突然の事態に一瞬だけ言葉を失った。もちろん、逃げようとする者もいた。しかしそれは集会場に集まった民衆の中のほんの一握りに過ぎなかった。

 

 そう、皆が知っていた。その海賊船の名を。そしてその船が掲げる旗の示す人物を。

 

 そしてそのどよめきの中で、芯の通った声でラミィが言った。

 

『戻られました。我らが戴く彼の方が……』

 

 次の瞬間、集会場を歓声が包んだ。ラミィが言葉を最初に発した時とは比べ物にならないほどの賛辞の言葉が宙を舞い、隙間なく音を埋め尽くしていく。

 

『さぁ、歓喜しなさい! 彼の方の、我らの戴く彼の方の凱旋を!』

 浮遊する海賊船を指差し、ラミィが続ける。最早民衆を、その場にいる全員の熱狂を止められるものは誰もいない。そう感じてしまうほどの熱が全てを支配していった。

 

 ラミィは最後に告げる。自らも手にした赤いバンダナを掲げ声高に叫んだ。

 

『幾星霜を重ねても決して潰えることのなかったその意志を示しなさい! そして……創造主の宝すら簒奪せしめんとする、意思を表すその旗を掲げ、そして彼の方の名を呼ぶのです!」

 

 そして彼の人は降り立った。

 

 静かに、周囲を埋め尽くす熱狂とは正反対に静かに、そして穏やかに。

 

 老婆の姿をした女性が、『宝鐘マリン』という『旗』が、サラーキアの地に降り立った。

 

 

 ソラを征く海賊船から降り立つ一つの影に、熱狂はさらに勢いを増す。その熱とは対照的に柔和な笑顔でそれを眺めながら、集会場の中心を、ラミィのいる壇上を老婆は目指す。

 速い歩みではない。右手に携えた杖を確実に身体を支えながらのその歩みに、民衆の高まっていた熱も徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。

 

 現れたその人物に失望しているからではない。

 

 ただこれから発せらるその声を決して聞き漏らすまいと皆が固唾を飲んで老婆が話す言葉を待った。

 

 おそらく一分にも満たない時間であっただろう。その場にいた誰もが、あまりに長い時間であったように感じたに違いない。しかし存外に早くその声は響いた。

 

「あらあら、賑やかだったのに。こんなおばあちゃんが出てきてがっかりしましたか?」

 

 その声に集会場がどよめく。もちろん民衆は口々に否定をするが、その様子がたまらなく面白かったのだろう、老婆は意地悪に笑みを浮かべて、ようやく辿り着いた壇上を見上げて笑みを浮かべる。

 

「船長、お待ちしておりました」

「えぇ、ありがとうね。ラミィさん」

 壇上から降り、自らの右手を差し出すラミィに笑いかけながらその手をとる老婆。手を引かれ、そして壇上に登った彼女はグルリと集会場の、集まった民衆たちを見つめて温和に微笑み言った。

 

「皆さん、お待たせしましたね。そして、お久しぶり。宝鐘マリンです」

 次の瞬間、集会場が歓声に包まれたことは言うまでもない。

 これまで以上のその音の雨に、マリンは少し戸惑った表情を浮かべたが、先ほどと変わらぬ穏やかさで話し始めた。

 

「色々とお待たせをしてしまってすいませんね。それにラミィさんもお疲れ様。こんな姿で恥ずかしいですけど、少しお話ししましょうか?」

 

 しかし思いついたように「でも無駄話をしたってさすがに皆さんも疲れたでしょう? だから今日は一言だけ、皆さんにお伝えしましょう」と続けるマリン。

 

「どうですか? 退屈していませんでしたか? まぁラミィさんがいたんですから刺激的な毎日だったんじゃないでしょうか?」

 意地悪にそう話すが、決して嘲りを含んだものではな私の言葉に、ラミィはおろか集会場にいる面々も声を上げて笑う。そしてひとしきり笑った後、彼女は続けた。

 

「みなさん、こんなおばあちゃんになりましたけど、ついてきてくれますか?」

 

 刹那、集会場に響くのは応の大号令。

 誰もがその意志を否定することはしない。

 

「なるほど。準備はいいということですね。それでは、行きましょうか?」

 マリンのその問いかけに、全員が息を呑み、そして弾けたように声は響いた。

 

「みなさん、出航!」

 

 高らかに響くは同意を示す「ヨーソロー!」の大音声。

 

 そして誰かが口にした。

 我らの船出だと。

 宝鐘海賊団出航せよと。



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幾千年前の亡霊

 ソラに映し出された映像を目の当たりにし、ウェヌスの蜂起軍は言葉を無くす。映像の向こうの熱狂に気圧され、同時に恐怖を覚え始めているのだ。

 

 この熱に打ち勝つことが出来るのか? 疑問符が彼ら彼女らの中に溢れ始めていた。

 

 兵士たちが恐れ慄く中、皆と同じように映像を見つめていたフレア。彼女自身はその熱にあてられることはなかった。彼女の生きていた永き時の間に、これの比にならないほどの憎悪という名の熱を肌に感じてきた。だからこそこの程度のものは彼女の琴線には触れない。

 

「これが、サラーキアの女帝……」

 何よりもフレアの関心を引いたのは目の前に映し出されていた老婆であった。

 

 初めて見た人物であることは間違いなかった。その柔和な笑みを、印象的なその赤い髪はそう簡単に忘れることなど出来ないはずだ。しかし覚えがある。何か心に刻み込まれたような感覚がフレアの心を駆り立てていく。

 

 『宝鐘マリン』と名乗ったその女性は、自分にとって大事な者であったという錯覚が頭を過っていた。

 

「ありゃりゃ、こりゃ想像してたよりヤバいとこまでいってるなぁ」

 

 頭を悩ませるフレアの横から呆れたような、困ったような声が響く。

「ポルカ? どうしたの?」彼女にしては珍しいと思いフレアが尋ねるとポルカは苦笑いを浮かべて答えた。

「気にしないでよ。こっちの話だから。でも……」

 一瞬、ポルカの表情から色が抜け落ちた、無感情な様子で小さく呟いた。

「ラミちゃんもいるんなら、これは腹括ってやらないと……ちょっと厳しいかな?」

 映像の中に映る雪の華を、まるで親しい友人のように呼ぶポルカに疑問を覚えたフレアであったがそれを吹き飛ばすように物音ともに、美しい声が響いた。

 

「嘘……」

「メルちゃん?」普段なら司令室の外び出てくることないメルに驚きを隠せず、とぼけた声を上げるアキロゼ。しかし彼女の声もメルの耳には届いていないのだろう、呆然と映像を見つめて呟いた。

 

「深海の主と古き神……『神話』が大っぴらに関わってくるなんて」

 映像に映ったのは二人の少女とも見てとれる

「シオンも言ってた。『神話』と『議会』って……」

 それはフレアがウェスタを旅立つ前にシオンから語られたその知らない言葉に、首を傾げるフレア。だが構わず彼女は続ける。

 

「そっか……『究明者』が、あの子達のバランスをとる人がいないんだ。だからみんな……」

「メルさん、はぐらかさないで! ちゃんと答えてください!」

「……ごめん。話せないよ」

「シオンもそうだったけど、それがそんなにも大事なことなの? 戦いが始まるかもしれないのに、もしかしてそれを止められるかもしれないのに……なんで話せないんですか?」

 メルの回答に声を荒げるフレア。しかし同時にこうも考えられた。シオンも同じように頑なに話せないと言い切っていた。そして考え至ったのだ、

 『神話』そして『議会』とはこのセカイにの根幹に関わるようなものなのではないかと。

 

「……一つだけ教えて下さい」

 

 だからフレアは尋ねた。

 

「アレは、本当はこの戦いに、このセカイに関わって良いものなの?」

 

 

 フレアの問いに首を横に振るメル。フードの奥に見える彼女の口元は口惜しそうに歪み、こう続けた。

「ヒトの営みの中に、『神話』も『議会』も、それに『私たち』も含めて、本来は直接関わっちゃいけない……そうゆうものなんだよ」

 そして彼女は「でも私たちの中でも、メルとシオンちゃんはだけは別。メルのことは置いといて、シオンちゃんはこのセカイから出た、初めて根源の力に触れた、唯一の魔法使いだから。セカイの外側に在って且つ、内側にも干渉出来る唯一のヒトだから」と続ける。

 メルの回答にどうしても違和感を拭い去ることが出来ずに、彼女と同じように口惜しい表情を浮かべるフレア。

「なんで、こんなことになってるの?」

 呟くようなその問いかける。そして「誰が、こんな風にしたの?」と続けるフレアにまた苦笑いを浮かべながるメル。

 そして彼女の口にした一言「もう、随分前から壊れてるんだ。このセカイは……」とフレアと同じように呟いた。

 

 壊れている。簡単な、あまりに簡潔なその言葉に、声を荒げたい衝動にフレアは駆り立てられる。しかしそれを思いとどまらせたのは、それを口にしたメルの今にも泣き出しそうな表情だった。

 

「それを『そらちゃん』が、このセカイを守るために『閉じて』くれたから……私たちはこうやって生きながらえているんだ。ほんと、とんだ悪者だよ、メルたちは」

 

 そう続けて顔を背けたメル。彼女の身体の震えを見れば、涙を必死に堪えようとしているのは想像に容易い。

 ここまでメルを追い込んでしまったことを申し訳なく思いながら、視線を下に移したフレアに、ふと以前に聞いた言葉が過ぎる。

「シオンも同じこと言ってた……」

 

 ウェスタを発つ前、フレアはシオンに聞かされていた。自分の想像以上にまずい状態になっているのだと。その時は浮遊島が落ちてきた時との比較だと思っていたが、これまでギリギリのところで成り立っていたこのセカイのバランスが完全に崩れてしまったということを示していれば話は変わってくる。そして何より気になったのは今メルが口にした、おそらく女性の名前のこと。

 

「『そら』って……」

 先ほど映像に映し出されていた『宝鐘マリン』という人物と同様に、大切な存在であったような錯覚が彼女の頭を過ぎる。そしていつもそれが輪郭を結ぶところまでは、像を思い浮かべるには至る。

 

「ダメだ、分かんない」

 

 だがそれは霞のように簡単に消え失せる。ありもしない記憶だと、全くの錯覚なのだと押し付けるようになくなってしまう。

 それがどうしても違和感を覚えさせた。もしかすると、『知らない』『錯覚だ』と感じていることこそが間違いなのかと疑ってしまうほどに、フレアの頭の中は混乱に満ちていたのだ。

 しかしそれを終わらせる報せはいつも唐突にやってくる。

 

「フ、フレア様! 上を見てください!」

 それは幼い、柔らかい声だった。

 フレアの少し前方、アキロゼの隣でサラーキアの映像を見ていたアーニャがそう叫んだのに引き寄せられ、顔を上げた彼女の視界には、信じられないものが映っていた。

 

「……待って、なんで?」

 約束したのだ、守ってくれると。だから完全に安心したわけではないが、ウェスタを離れてフレアがこの南の果てまでやって来た。

 

 しかし映像の中、彼女が守ると誓っていた銀の髪は光を湛え、風に揺れていた。

 

「なんであそこにノエルがいる?」

 老婆の影に隠れるように、彼女の最も大事な宝がそこには映し出されていたのだった。

 



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幾千年前の亡霊 2

 映像の中、熱狂する民衆に気圧されるノエルを心配そうに見つめるフレアは困惑に満ちていた。

 

 なぜあそこにノエルがいるのか?

 無理矢理連れてこられたのなら、ウェスタは一体どうなってしまったのか?

 

 残してきた者たちのことがフレアを苛む。そして心の奥に押し込んでいた後悔が溢れ出そうとした時、彼女の口を吐いたのは彼女の名前だった。

 

「シオン……一体どうしたんだよ」

 

 ウェスタで最も強い者は誰か?

 屈強なる白銀聖騎士団やルーナ姫を守るルーナイト、そしてウェスタの守人たるハーフエルフ。頭に浮かぶ強者は数多くおれど、おそらく皆が同じ名前を、『紫咲シオン』の名を口にするはずであろう。

 ウェスタ、否、この大陸における最も強き者と言われても差し支えないはずの彼女が守っていたはずの白銀ノエルが映像の中に、サラーキアにいる。それは詰まるところ、シオンが敗北してしまったことを暗に示していた。

 

「いくらシオンちゃんが強くても、『神話』が二人もいちゃ無茶だよ」

「……」

 メルの指差す二人の少女を目にし、口惜しくも言葉にならないフレア。

 普段冷静な彼女がここまで狼狽するとはきっと誰も思わないだろう。それを心配そうに隣で見つめるポルカも、流石にいつもの調子で明るく彼女を囃し立てることは出来なかった。

 

「……ししょー」

 しかし声を掛けないわけにはいかなかった。それはポルカの理想とする不知火フレアとは程遠い、こんな弱々しい姿を見守るために共にやって来たわけではない。彼女の見初めた不知火フレアという人物はこんなところでは立ち止まってはいけないのだ。

 フレアの肩に手を置き、少しとぼけたことを口にすればきっといつものように呆れた笑顔でこちらに振り返ってくれる。そう思いながらポルカがフレアの肩に手をかけようとした時だった。

 

「アレは生き餌ですよ」

 

 ポルカのちょうど向かい側で佇む赤茶色の影が小さく呟いたのは。

 

「……何、言ってる?」

 その声はまるで弾ける寸前の風船のような、緊迫感に満ちた音で響く。ポルカの立つ側とは逆方向に顔を向け声を発するフレアに、彼女の近くにいた者たちは息を飲んだ。まるで憤りを具現化したように、重々しい空気感を纏って放たれた言葉は、ソラに集中していた彼ら彼女らの視線を釘付けにするには容易かった。

 

「ししょー、聞いちゃダメだ……」

 努めて冷静に、フレアの肩に手を置いてそう話しかけるポルカ。しかしその激情は止むことはない。さらに怒気を湛えたまま、赤茶色の影を睨みつけるフレアに、それは再び呟く。

 

「白銀の戦乙女は貴女を呼び寄せるための餌です」

「ーーーッ!」その声が響いた刹那、フレアの身体がゆらりと動く。

 

「フレア!」

 怒号と共にポルカが両の手でフレアの肩を掴み、動きを止める。その細い身体にどれほどの怒りを溜め込んでいたのだろう、ポルカの腕に感じる衝撃はあまりに重々しく、今にもそれを離してしまいそうなほどであった。

 

「ごめん。でも……」一方フレアはポルカに顔を向けずそう呟きながら赤茶色の影を睨みつけたまま。そう口にはしているが、身体の力は全く抜けていない。ポルカの押しとどめるてがなければ、きっと今にも弓の如くその身体を赤茶色の影に突貫させているであろう。

 

 しかしそんなフレアたちをよそに、赤茶色の影は話し続ける。

「ハッキリ言いましょう。サラーキアの女帝の狙いは貴女です。もちろん白銀の戦乙女と、彼女の中で眠っているであろう『彼の方』も必要なものであることは間違いありません。女帝はそれを分かった上で、貴女を挑発するために白銀の戦乙女の姿を映して見せたのです」

 それは挑発などの意を持たない、ただ事実をだけをハッキリと述べるだけであった。

 

「狙いが私? それにノエルも……」

 

 赤茶色の影の言葉に怒りよりも困惑の方が大きくなっていく。

 

「えぇ、貴女は特異な存在だ。思い出しなさい。貴女と、そして彼女が何をしたのかを」

「何を? 私たちは……」

「貴女たちは解いたでしょう? このホロアースに関与できないはずであった『彼の方』を呼び起こし、そして因果の絡まりを解いて、あるべき結末を変えたのですから」

 今まで温度を感じさせなかった、無味無臭だった言葉に熱がこもったように感じられた。それは暗に取り返しのつかないことだったのだと言い表しているようにフレアには思えた。

 

「そんな、こと……」

「自覚すべきだ。貴女と、白銀の戦乙女はこのセカイにおける特異点だと。天使と竜が『大剣』を起こすよりも前に、『大神木』が主人を見つけ、あり得なかった目覚めを得るよりも先に、アナタたちは閉ざされていた扉を開いたのです。そしてそれは本来あるべきホロアースの辿るべき道筋を変えることに繋がったのですから」

 

 依然として強い言葉がフレアに浴びせかけられる。当然それが何を言いたいのか分かり始めていた。

 

「全部、私が……ノエちゃんがまた生まれてくれることを望んだから?」ポツリとそう呟いた瞬間、フレアの頬に暖かいモノが伝った。

 

 些細な、誰もが願うような望みがセカイを終わらせる。

 あまりに身勝手なその物言いに憤りを覚えないわけではない。しかしこの十年という時はフレアにとってはあまりに幸福すぎた。だから返す言葉も見つからず、思いが溢れて涙となったのだろう。

 

 涙を出任せにするフレアに「だからーーーッ!」と赤茶色の影は声を荒げる。だがそれに続く言葉はなく、それの吐く息だけがフレアの耳には届いていた。

 その声はフレアにしか届いていないはずであったのに、何がそれを押し止めたのだろう。「これ以上はさすがに意地悪になりますからやめましょうか」とだけ言葉が続いた。

 

 しかしそれで全てが終わったわけではない。赤茶色の影はフッと息を吐き出し言った。

「……いずれにしてもかつての戦いの残滓が、幾千年前の亡霊が、望みを果たそうとしている」

 そう。頭上に映し出された映像が示す通りサラーキアは侵略の狼煙を上げ、そしてノエルはサラーキアにいる。その事実だけは覆すことはできない。

 

「どうしますか、守人よ?」

「……」

 まるで突きつけるように言い放たれた言葉を受け、フレアは押し黙って考える。しかし数秒の間も置かず、彼女はそれに応えた。

 

「知らないよ……生き餌だとか、亡霊だとか……セカイが終わるだとか、そんなの知らない! でも……私はノエルのところに行く。お前の目論みなんかどうでもいい。私は、私の宝を取り戻しに行く」

 フレアはその言葉を最後に、前で映像を見るアキロゼの方に歩き去っていった。その後ろ姿は現実から逃げているようでも、自暴自棄でもない、ただ優しい様が伝わってくる。

 

「あぁ、そう仰ると思いました……」

 満足そうにそれを見送り、そして影は少女の姿をとって横を見つめる。

 

「これで、我らの望みは果たされる……ねぇ、そうでしょう?」

 その問いかけに誰も答えはしない。

 ただ言葉の先にいるヒトの、頭にある耳をピクピクとさせる様子を見とめ、少女は続けた。

 

「アナタ様もそれを見越して、共にいらっしゃったの……あぁ、やはり何も仰ってはくださいませんか」

 やはり返ってくる言葉はない。

 仕方がないとため息をつきつつ、少女は再びその姿を梟に変え、大きな翼を広げこう言い残し飛び去っていった。

 

「では、またいずれ。この“セカイが開いた後”にお会いしましょう」

 

 それは明確に告げていた。

 このセカイに、ホロアースに変化が訪れると。そしてそれを望んでいるのだろうと、はっきり告げていたのだった。

 

 フレアは前方に歩み出た後で、「アキさん、お話があります」と大きな背中に声をかける。その背中は周囲に集まってきていた部隊長であろう面々と難しい話をしていたが、フレアの声が届いてすぐ、各々が持ち場へと戻っていった。

 振り返ったアキロゼの表情は恐れや困惑は感じさせない。それは覚悟と達観した様を感じさせた。

 彼女は落ち着き払った声でフレアに応えた。

「……あぁ、なんだかひどく疲れた顔してるけど大丈夫?」眉間には深く皺が刻まれていたが、温和な声色でアキロゼが言う。

 

「もしかして、あの映像に気になるものでもあったの?」

「……」

 直感でそう言ったのだろうか。アキロゼの勘の良さに言葉を詰まらせながら、ただ首を縦に振るフレア。彼女が浮かべた表情と、そしてこの仕草に何かを感じ取ったのだろう、アキロゼの真剣な眼差しはさらに厳格なものになって尋ねる。

 

「もしかして、あそこに何か大事なものでもある?」

 まさに核心をつく言葉だった。しかし自ら口にしなくてもいいということはありがたいモノだと思いながら深く頭を下げる。

 

「……すいません、私にも引けない理由が出来ました。今すぐにでも、サラーキアに行かなくちゃいけません」

 助力に来たはずなのにすいませんと付け加えるフレアに歩み寄りハッキリとした声でアキロゼが言う。「顔上げなよ。可愛い顔が台無しだ」

「こんな時に、よく冗談言えますね」

「ん? これは本心だよ。でもまぁ……そうね、確かにこんな時には相応しくはないわよね」

 フレアは少しムッとした表情を浮かべ、からかわないでください、と怒ろうとしたが、すぐに彼女の言葉の意味がわかった。「すいません、何から何まで気を使わせて」

「でも、うん……そうだね。随分ダラダラしちゃったと思うし、そろそろ行こうか? もう後がないんだしね」

 

 アキロゼはニコリとそう続けて、先ほどまで自身の周りに集まっていた部隊長たちに目配せをした。

 次の瞬間、複数の部隊長の厳しい号令と共に演習場で、サラーキアの映像を見ていた兵士たちが駆け足で列をなしていく。それは五分も満たない時間で、大隊を構成する兵士たちが整然とした列を作っていた。

 それは全て統率者であるアキロゼの存在があってこそなのだろう。しかしその彼女を前にしても、兵士たちは浮かない様子を見せる。おそらく先ほどまでの絵異常に気圧されているのもあるのだろう。皆が一様に不安に塗れた表情を浮かべていた。

 

「聞いてほしい」

 兵士たちの様子を眺めつつ、重い声色でアキロゼが話し始める。

 

「以前にも言ったと思う。私は平穏に過ごしたいと。ただ気の置けない仲間と酒を飲んで日々を過ごしていたいと」

 それは常に口にしていた望みであった。出会った仲間たちと、ただ平穏に時を過ごしたい。種族の終焉が間近に迫る中、彼女の中にあったのはその些細な願いだった。

 

「でも、目の前に脅威が迫っている。これをみんなはどう思う?」

 映像が示す通り、サラーキアの軍は強大。そして彼らの『宝鐘マリン』の下に見せた彼らの熱気は蜂起軍を戦かせるに十分であった。 

 

「確かに敵は強大だ。間違いなくただでは済まないと思う」

 それを素直に認め、それでも尚アキロゼの視線は澱むことない。

 

「逃げてもいい。この土地を離れて、戦いから目を背けてもいい。でも……」

 そこで言葉を止め、深く頭を下げるアキロゼ。これまで雄々しく指示をすれど、頼み事をすることはなかったアキロゼの突然の行動に、兵士たちは声には出さないが困惑した表情を見せる。中には何故と呟く者さえいた。

 

 それらを見とめ、彼女は話し続ける。

 

「もし、私と心を同じくして、その手に矛を取ることを是とする者がいるならば、目の前に迫る侵略に立ち向かう意志を持つのなら……私に続いてほしい。強制はしない。アナタたちの思いに任せます」

 

 アキロゼは頭を下げ続ける。それは指揮官としては疑問を呈されるであろう行動であった。これ以上無意味な犠牲を出すことは出来ない。ただその一念だけで彼女はそう続けた。

 しかしそれは杞憂であった。

 兵士たちは口々に叫ぶ。「逃げ出す者はいない」「閣下の弱々しい姿は見たくない」と。ただアキロゼの思いを叶えるためだけではない。各々に求めるべき未来を掴むためだと声を上げた。

 

「……ありがとう。本当に、ありがとう……」

 

 彼ら彼女らの言葉に熱い感情を覚えながら、潤んだ声でそれに応えるアキロゼ。そして勇敢な声でもって彼女はついに幕を開いた。

 

「総員! 準備が整い次第、サラーキアに向かいます! ただでは終わらないってところを……見せつけてやりましょう!」

 

 最後の戦いの幕を、ついに彼女は開いたのだった。



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幾千年前の亡霊 3

 ウェヌスにサラーキアの映像が投影されたのとほぼ同じ頃、獅白からの依頼を受けたぺこらはサラーキアから内陸に一日半の距離にいた。

 

 最初は軽快だった足取りも少しずつ重くなっていく。それとは裏腹に軽くなっていく荷物が彼女の気持ちを焦らせていた。それは彼女の後ろに続く存在も一因の一つであったことは言うまでもない。

 

「まぁ無事だったのは良かったぺこだけどな」

 昨日の夜のことを思い出しながら、誰に向けるでもなくそう呟くぺこら。

 

 振り返った視線の先には静かに眠る少女が一人。ピクリともしないその様はどこか人形のような端正な顔立ちをしていた。

「ホント、すげぇ綺麗ぺこだ」

 長い紫の髪も、星屑のようにキラキラとした睫毛も、そしてすらりと伸びた手足も、それら全てが少女の魅力になっている。そんな彼女がどんな風に笑うのか、どんな声を聞かせてくれるのか、それを想像するのは楽しみで仕方がなかった。

 

「でもずっと起きない。どうしたんだろう」

 もう陽も頂を通り過ぎ、翳りを見せる時間帯にも関わらず、この少女は目を覚さない。しっかりと息をしているから心配することはないだろうが、当座の問題は違うところにあった。見も知らないヒトではあるが、少女を一人置いていくわけにもいかない。だがヒト一人を背負って運ぶには自分の体力は心許ない。しかも知らない街を目指しているのだから、その不安は限りなく大きいものに違いなかった。

 

 しかしそれは杞憂なことであった。「アンタたちがその子には触れてよかったぺこだよ」ぺこらは後に続いていた野うさぎたちに向かって笑顔を向ける。

 ぺこらんどからこのホロアースにやって来てからと言うもの、野うさぎたちがこのセカイのものに認知されたことも、干渉することも出来なかった。だと言うのにこの少女については触ることが出来るらしい。それもあって休憩を挟みながらであるが全員に抱えてもらいながらどうにかここまでやってくることが出来た。

 それに感謝をしつつも「変なとこ触んじゃねーぺこだぞ」と釘を刺すぺこら。それにニヤニヤとした笑みを返す野うさぎたちだったが、彼ら彼女らの表情はどこか浮かない。

「にしても、今日はなんでこんなに暑いぺこ? アンタらも大丈夫?」尋ねるぺこらも額に汗が見えていた。

 

 もうソラが翳って来てもおかしくない時間帯のはずなのに、肌に感じる熱は少しずつ増していくように感じられた。

 おかしいと思うべきだったのだ。その不可解さに。

 

 しかし最早疲れ始めた一向にこの状況を正常に判断することは難しかったのだろう。長い丘を越えた頃、ようやく目的の場所であろう街が目に入ってきた。

 

「着い、た? やったぺこじゃーん!」思わず街の入り口まで一気にかけていくぺこらと野うさぎたち。

 遠くから見た街は綺麗に整備された、機能美にあふれた街であると見てとれた。そこであればきっと冷たい水で喉を潤すことが出来る。疲れた体を休める事が出来るだろう。その一念からほぼ全力を出し切るように駆けていく。

 

「あれ?」最初は気のせいだと思った。しかし街に近づくにつれ、それが気のせいではないと、そう感じるようになっていった。

 

「……なんか変ぺこだ」そして街に入り口に着いた瞬間、その違和感はハッキリとしたものになった。

 そう。街の喧騒が全く聞こえてこないのだ。美しい街なのに、栄えている街であるはずなのに、そこには全くヒトの声が響いていないのだ。

 それはまるでウェヌスの様子と同じ。完全なゴーストタウンと化していた。

 

「どうしよ? なんで誰も……」アタフタと周囲を見渡すぺこら。

 ここに来れば仲間になるはずの人物と会う事ができると言われていた。しかしこんな街の様子では、彼女にはそうとは思えなかった。何より徐々に肌に感じる暑さに、辟易とし始めていたのだ。

 

「って暑いぺこなぁ。いくら天気が良いからって……はぁ?」そう呟き、視線を上げる。恨めしく輝く陽の光に文句でも言ってやろう。その程度の考えだったぺこらの視界に入ったもの、それは間違いなく『熱の源』であることは間違いなかった。

 

 しかしそれは太陽ではない。

 

「ひ、ひひひひひ火の玉? なんで? なんであんなにでっけーのが浮いてるぺこ?」

 

 それは彼女の視界いっぱいに広がる火球。そしてそれは今にも大地に落ちようとその高度を下げ続けている。

 

「考えてる場合じゃねぇ、逃げるぺこ!」混乱するよりも先に声をあげ、街の外に退避していくぺこらたち一行。

 

 その太陽の如き火球の中、彼女たちの様子を眺めながら一つの影がひどく嬉しそうに呟いていた。

 

「見せてください。貴女の『幸運』を」



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なんでぺこらの声が聞こえねぇぺこか!

 疲れ切った身体に鞭を打ち一心不乱に走るぺこらに、頭上にあった火球は徐々に高度を下げ近づいていく。

 

 ようやく辿り着いたはずの街はどこを見渡してももぬけの殻。

 きっとこの時間帯なら人が多く集まるであろう市場も、子供たちが遊んでいるであろう公園にもヒトの姿は全く見られない。その奇妙さも、この熱の塊が頭上に常にあることを考えれば無理もない、と感じられた。しかしそんな印象を感じるよりも先にとにかく走らなければいけない。そうでなければきっと自分の身体は焼け焦げるどころの騒ぎではすまないのだ。

 

「いやいやいや!」自分の不運を恨みながら、ぺこらが大声を上げる。

 しかしどれだけ恨み言を口にしても、頭上から落ちてくる火球を止めようもない。「ギャグじゃねぇんだから! あんなの避けられねぇぺこだから!」と再び大声で言った。「でも……走らなきゃ……」と小さく、覚悟を呟き正面を見やった。

 

「アンタたち! 絶対にその子落とすんじゃねぇぺこだよ?」

 自分の後ろから続々と着いてくる野うさぎたちにそう告げて、再び前を見やるぺこら。

 視線の先にはつい先ほど降りてきた丘が悠々とその姿を露わにしている。駆け降りた時は爽快感を覚えたものだが、再びこれを登ることを思うと、辟易したものを覚えるが目の前に迫る脅威にそんな事も言っていられない。

 

 むしろ今までが幸運だったと思うべきだったのだ。

 

 最初に捕まったのは彼女と同じく別のセカイからやってきた五人組。

 そしてウェヌスに辿り着いてからは三人組の男たち。

 

 全員が気の良い者たちだったからこそ、こうして無事でいられている。むしろ一歩間違えれば命を落としかねなかったのだ。もしかすると今追い詰めれているこの状況はそれの皺寄せと思っても仕方がなかった。

 

「ッ……へ?」走り続けるぺこらの頭に違和感が過ぎる。

「……こっちを目掛けてきてる?」

 大きすぎて錯覚を起こしているのかもしれないが、火球は自分に近づいてきているようにぺこらには感じられた。ジリジリと自分が逃げる場所をなくすように高度を下げるそれに、ぺこらはぼんやりと確信めいたものを感じていた。

 

「分からない、けど!」そう言うと同時に、力無く前に出していた脚に一気に力を込める。「アンタたち! その子のこと、任せたぺこ!」

 こう叫んだ瞬間、後に着いてきていた野うさぎたちを大きく引き離し、丘を駆け上りきったぺこらは一気に加速し、街を大きく離れていく。後ろから聞こえる野うさぎたちの心配する声を背に受ける。ここで彼ら彼女らに甘えて助けを乞うこともきっと出来るのだろう。

 しかしその選択は間違いなく間違いだ。そして何もかもを台無しにしてしまう選択だ。

 

 だからぺこらは口にする。強がりだと分かっていても、そう言って自分を奮い立たせなければいけなかった。

「ぺこーらがアイツを引きつける! とにかく……行けるとこまで、行くぺこ!」

 なぜ迫り来る火球を『アイツ』と形容したのだろう。より一層違和感を覚えながら、それを見ないふりをしてぺこらは駆けていく。

 

 ぺこらの予想通りに、火球は彼女に向かい更に勢いを増す。

 しかし迫り来るそれに対抗する手段など、今の彼女が持っているはずも無かった。

 

 迫り来る熱を背に、必死に足を動かすぺこら。

 想像していた通り、自分の進路に合わせて高度を落とす火球を見とめながら、彼女は安堵と焦りを同時に覚えていた。

 脅威が自分に迫ってきているのであれば、野うさぎや紫の髪の少女は無事であろう。しかし迫る火球に少しでも触れればきっと自分の身体は焼け焦げてなくなる。

 

 刻一刻と迫る火球は距離を詰めるごとにそれをありありと示していた。

「ック……」

 気持ちは逸る。足も前に前に出る。しかし息が続かない。普段であればこの程度の疾走、大したことではないはずのに、体力は既に底をつきかけている。

 どうして? どうすればいい。ぺこらは自分に問いかける。

 熱はぺこらの体力を徐々に奪っていく。

 それでも必死に足を動かす。前方の、何もない街道を睨み出来る限り遠くへ、もっと遠くへとそれだけを考えて前へ進む。

 

「ーーーッ!」

 

 刹那、ぺこらの足が絡れ、前方に倒れ込む。走らなければいけないと言う興奮が痛みを吹き飛ばしているのか、ただ地面についた膝と掌がじんわりと熱い。

 しかし火球は止まることなくその高度を落としていく。それは最早避けようのないほどにぺこらに近付いていた。

 

「もう、ダメ……」

 だが弱音を口にしても、少しでも前にと這いずるようにぺこらは進もうとする。彼女のお気に入りの白い服は見る影もない程に土に汚れる。

 

 ここで終わったとしても、それでも共に過ごした仲間だけは少しでも長い間、無事でいてほしい。

 

 その一心で進むぺこらの行動はきっと、悪あがきにも見えただろう。目を固く瞑りながらも、ジタバタと進むその様は『何か』を呼び起こした。

 

 否、その火球が形を露わにした時から、それはずっとぺこらたちを見つめていたのだろう。

 

「なに、ぺこ……これ?」

 

 色で表すのであればそれは黒。

 火球の赤で埋め尽くされていたぺこらの視界は吹き荒んだ黒の風が消しとばした。

 

 突如なくなってしまった熱に、身体を簡単に吹き飛ばしてしまうほどのその風に、目を細めて様子を見る。そして気がついた。何故ヒトの形をしたものがそこに浮いているのか。

 

 ぺこらの視界にぼんやりと映ったのは二つのヒトの形をした何か。

 炎から生まれたような熱を帯びた者と、死を可視化したような存在。その相反する二つが宙に浮きながら互いを睨みつけていた。 

 

 二つのヒトガタは眼下にいるぺこらを一瞥した後、再び睨みつけて話し始めた。

 

「へぇ、アナタが『守る』なんて」

「うるさい、クソドリ。そもそもイラついてるんだ。アンタもぐらも、それにいなにすだって勝手にしやがって!」

「ふーん、で?」

「……生意気言いやがって……口縫い付けてやろうか?」

「へぇそれは魅力的ね。じゃぁ一緒にアナタの手と私の手も縫い付けちゃう?」

「くたばれ!」

「いーやでーす!」

 

 再び炎と黒い風が周囲を埋め尽くす。風は質量を持ち逆巻き、炎はそれを飲み尽くさんと翼を広げる。

 それはヒトでは関与できない、まさに『神話』の戦いと呼ぶにふさわしい幕開けであった。

 

「じゃぁ楽しいデートを始めましょう?」

「騒ぐな、クソドリ!」



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なんでぺこらの声が聞こえねぇぺこか! 2

 黒と赤が衝突する。

 大気が震え、空間を揺るがす。

 その動き一つ一つがまるでこの世の始まりにような衝撃を観る者に与えていた。

 

 離れたところでその衝撃を目の当たりにしていた野うさぎは眠ったままの少女を守ろうと、壁のように集まり身体を丸める。きっと彼ら彼女らは今すぐにでもぺこらの元に駆けつけたかっただろう。しかし長に告げられた「その子のこと、頼んだ」と言う言葉が彼ら彼女らの気持ちを奮い立たせていた。

 そして同時にこうと思っていたのだ。

 自分達の長であれば、兎田ぺこらであればきっと全てを良い方向に導いてくれるはずだと。

 

「なに……これ?」

 しかし目の前で繰り広げられる御伽噺のような、『神話』に描かれた戦いにぺこらはボソリとそう呟いてその戦いを見つめていた。何もできずに、汚れた服をはたくこともせず、ただ戦いに魅入られていた。

 

 炎の翼を広げ、玩具にも見てとれる剣を掲げる盾に一閃、炎の刃を繰り出す少女が一人。

 名を小鳥遊キアラ。ホロアースの守護者たる五柱の一角。ヒトのカタチをとった不死鳥。

 それを正面から受け止め、その熱を切り裂くように自身の獲物を横薙ぎに振うのは黒の麗人。

 名を森カリオペ。キアラ同様の五柱の一角であり、ホロアースにおいて役目を終えた生命を次の場へと導く死神。

 生と死、背中合わせの性質を持つ二柱のぶつかり合いは言うまでもなく、『ヒトが関与できない』戦いであった。

 

「ーーーッ」

 カリオペの振りかざす鎌の冴えを線とするならば、キアラの広げる炎は正に洪水。空間全てを焼き尽くさんと燃え盛るその力に、カリオペは鬱陶しいという表情を隠さずに宙を飛び回る。

 

「何? なんで避けるの? 受け止めてよ、私の熱を。ねぇ……ねぇカリ!」

 素早く動き回るカリオペの動きを牽制するためか、煽って正常な判断をさせないようにするためか、狂ったように叫ぶキアラ。しかし放った言葉とは裏腹に、彼女の繰り出す炎は的確にカリオペの退路を塞ぎ、徐々に死地へと追い込もうとしていた。

 

「……あぁ、ホント」

 苛立つ瞳に熱が篭る。最初に鎌を振るって以降、キアラの炎を避け続ける彼女は短くそう呟いた後、短く息を吐いた。その間も炎は止まることなく、カリオペを攻め立てる。

 

「鬱陶しいって……」

 しかしその熱に目もくれず、頭上のキアラを睨み鎌を構えるカリオペ。火が黒を飲み込まんと大口を開いた刹那、黒の一閃が宙を駆る。

 

 目にしていた者は迫る炎の瀑布に目を背け、相対していた死神が無事ではすまないと、そう想像したに違いない。

 

「言ってんだよ……ッ!」

 しかしその声にその想像は簡単に打ち崩され、

「なぁ、このクソトリ!」

 黒の鎌は大きく弧を描き、逸れることなくキアラの、その胴体を捉えた。

 

 

「……ぁ」

 

 

 短い音は鮮烈に、ハッキリとその戦いを見守っていた全員に届いた。

 そして力なく地に落ちていくキアラの下半身に、間近で見ていたぺこらは思わず短い悲鳴をあげてそれじゃから目を背ける。

 

 しかしそれが地面を打つ鈍い音は彼女の耳には届かない。それどころか流れ落ちているであろう、血のたてる水音すら、響いてこないのだ。その代わりにカリオペの「ちょっとは血の気も引いたでしょ?」という問いかけに薄く目を開けてキアラの浮かんでいた場所に目をやるぺこら。

 そこに広がる光景を彼女は信じられなかった。

 

「……ぁは」短い笑い声の後に、ゴォと炎が舞い踊り、キアラを包む。

 上半身と下半身、分たれていたはずのキアラの身体を炎が包んだ次の瞬間、何事もなかったかのように元に戻り、そして楽しそうに声高に叫んだ。

「まぁだ、ぜんっぜん、足りない!」

「あぁ、だからアンタとはやり合いたくないんだ……やめどきが見つかんないから、さ!」

「えぇ飽きるまで続けましょうよ」

 

 その声とともに炎と黒い風の乱舞は再開される。

 

 二人は互いに口元に笑みを浮かべ続け、互いの得物をぶつけ合った。

 

「どうせ二人とも、死なないんだから!」

 

 

「アイツらなんぺこ? なんで笑いながら戦ってるぺこ?」

 

 目の前で繰り広げられる埒外の戦いに、ぺこらは身震いしながら、しかしその光景を見つめ続けていた。

 もしかするとこの戦いに呑まれていると言った方が正しいのかもしれない。

 

「アンタら! 止めるぺこ!」

 そう声をあげても目の前で互いを傷つけ合う、神の如き存在が止まることはない。何故戦いを止めようとしたのか、きっとぺこらには分からないだろう。

 

 ただ目の前で戦う二人の姿があまりに痛ましかったのだ。

 笑みを浮かべながら、時折泣きそうに顔を歪める二人に胸が痛んだのだ。

 

 しかし剣戟は止むことはなく、一合毎に大気を震わせ、恐怖がぺこらの感情の全てを掻き消していく。

 

「なんで……」

 ポツリ、彼女が呟く。何故と。どうしてなんだと。

「なんでぺこらの声が聞こえねぇぺこか!」

 張り上げる声に喉に痛みが走ろうが、構うことなくぺこらは叫んだ。

 

 それが徒労に終わろうとも、そうせずにはいられなかったのだった。

 

 黒の暴風をその身に受けながらキアラにもその声は聞こえていたのだろう、笑みの張り付いていた口元がギリリと歪む。だがその視線だけは決してカリオペから外れることはなかった。

 

 しかし一目見せた不穏な表情に、カリオペは鎌を掲げながらキアラに叫ぶ。

「あぁ言ってるけど?」

 瞬きの間に振り下ろされた得物はキアラの身体を縦に裂き、勢いをそのままに前蹴りを分たれゆくその胴体に見舞う。苦痛に顔を歪めた刹那、うっとりとした表情を浮かべていたキアラに、さらに苛立ちを覚えながら再びカリオペが叫んだ。

 

「なぁ、惚けてないで聞けよ!」

 まるで相手をされない子どものように駄々をこねているようにキアラには見えたのだろう。より一層の笑みを浮かべて「拗ねないでよ」と呟いた彼女は蹴りの勢いを去なすことなく正面から受けて、間合いを一気に広げる。

 

 それは十余歩の距離。キアラにとってそれは冷静に状況を確認するに十分な間合いであった。

 

「ねぇカリ。今、お姫様のこと言って何になるの?」

 ぺこらを一瞥し呟いたキアラの声は先ほどの熱を持った言葉ではなく、冷ややかに刺すものに変わっている。しかしそれに臆するカリオペではなかった。

「何言ってんだ? わざわざウェヌスの獅子に協力してやるなんて適当なこと言って、お姫様をここまで呼び寄せたのはアンタだろ?」

 キアラを睨みつけながら「それは私たちのやっていい範囲を超えてるんだ!」とそう続けながら手にした鎌を強く握りしめる。彼女の赤い瞳は単純な苛立ちを示しているわけでではなかった。

 しかしその言葉をぶつけられても尚、キアラは顔色を変えることなく尋ねる。

「ふーん。で、カリは結局何が言いたいわけ?」

「『神話』の戦いに、あの人たちを巻き込もうとするな!」

「でも放っておいたら、このセカイは何にも変わらないよ? 誰にも気付かれずに、歪んだまま何も選べないまま続くんだよ?」

「違うだろ。今はちゃんと選び取ろうとしているヒトがいるだろ? それの邪魔すんな」

 そこまで言い切り真剣な眼差しでキアラを見るカリオペ。しかしそれでもキアラは聞く耳を持たずという態度を変えない。

 

「あぁ、やっぱり分かり合えない?」

「そもそもそっちがこっちの話を聞くつもりないだろ?」

「……なら」

「だったら……」

 

 互いが互いの得物を掲げ、わざとらしく構えをとる。

 それは最早、次の一合を持ってこの戦いを終わらせると、その意志をありありと示していた。

 

「もう何にも考えないくて言いように私の腕の中で焼いてあげるわ!」

「細切れにして、もう何にもさせないように閉じ込める……ッ!」

 

 

 黒い風がソラを駆け、赤の炎が翼を広げる。

 その俊敏さで懐に入り込み、全力を持ってキアラを細切れにせんとするカリオペに対し、キアラは構えを崩し腕を広げ、あくまでその攻撃を受け止めようとしている。

 

「ーーーこのッ!」

「さぁ!」

 

 次に聞こえるのはどちらの悲鳴か、どちらの呻き声なのか。

 それを怯えながら見つめていた野うさぎたちは間違いなくそう思っていただろう。事実肉薄する瞬間の二人の形相は死地へ赴く者のそれに似ていた。

 

 無論、それはぺこらも同じであった。野うさぎが恐怖に震えるのと同様に、カチカチと彼女の歯が自然と音を立てる。これまで戦いとは縁遠い平和なセカイで人生を送っていた彼女にとって、剣呑としたこの状況に怯えるなという方が難しいだろう。

 

「やめろ……」

 

 しかし言葉を発することだけはやめなかった。

 二の足を踏み、逃げ出すであろうという場面で、ぺこらは声を上げ続ける。この痛ましい戦いを見続けたくない。その一心から喉を潰す覚悟で彼女は叫んだ。

 

「ーーーし、ね!」

 ついに懐に入り込み、その得物を逆袈裟に振り上げようとするカリオペ。その斬撃すらも押し込めようと一気にその翼を閉じるキアラ。

 

 肌を震わせる衝撃が周囲に響き渡ろうとした瞬間だった。

 

「やめろって」

 

 言葉は力を帯びる。これまで届くことのなかったぺこらの言葉が、戦う二人にも届くほどに力を示した。

 

「ーーー言ってるぺこ!」



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なんでぺこらの声が聞こえねぇぺこか! 3

「なん、だ?」

「……さっすが……」

 

 それは一瞬の出来事だったのだろう。斬り結ぼうとした刹那、聞こえてきた甲高い特徴のある声がまるで手足に絡むように二人の動きを阻害した。ほんの数瞬のことであったが、極限状態で刃を交えていた二人にとってはそれは大きな違和感となったのだろう。肉薄していた二人は一度大きく間合いを開け、一様にぺこらの方を見つめた。

 

「アンタら! 友達同士で何やってるぺこか? ちゃんと仲良くするぺこ!」

 離れた二人を見とめ、フンと息を吐きながそう叫ぶぺこら何を呑気なことを言っているんだと思うカリオペも、どうしてもぺこらの言葉を跳ね除けて戦いを続行する気にはなれない。

 

「……」

 ただどうしてもその声に従わなければならないと、そう思えて仕方がなかった。

「さすが、お姫様」

 一方キアラはそれを好意的に感じているのだろう。穏やかに微笑みながらそう呟いて、カリオペに視線を向けた。

「カリ?」

「何よ、クソドリ」

「こんなことになっちゃったけど、まだやる?」

「さすがにあんな風に言われちゃね。やる気にはなんないよ」

 その言葉と、その表情に拍子抜けしたのだろう。「そうね」とキアラが呟いた言葉に再びカリオペがこう返す。

「それに私は姫君を悲しませるためにここにきたわけじゃないんだから」

 それはキアラも同様であった。そして声をひそめて呟く。

「そうね。私だってあの人の悲しそうな顔、見たくないわ」

 ひどく満足そうな笑みを浮かべながら。

 

 

 手にしていた鎌を虚空に返し、カリオペは少し恥ずかしそうに笑った。

「あぁなんだろ。こんな風に諭されるなんて……」

 そう口にした表情はどこか晴れやかであった。

「あら? 肩の荷が降りたって感じかしら?」

 ほころんだカリオペの表情にキアラは意地悪く笑みを浮かべながら問いかける。

 

「あぁ姫君のおかげでね」責任感からずっと肩肘を張り、気疲れしたのだろう。キアラに対する言葉から刺々しさは感じられない。「でも、アンタにはこの後キッチリ分からせてやるから」

 ケラケラと笑いながら憎まれ口を叩くカリオペに小さくため息を吐きながら、キアラは視線を地上に落とす。無論視線の先には先ほど二人の戦いを止めたぺこらの姿があった。

 

「でもまさか……止められちゃうなんて」

「そうだな。やっぱり『切り拓けるヒト』なんだよ、この人たちは」

 キアラの呟きに答えるカリオペ。視線は遠く、何かを思い出すように懐かしむような眼差しで「それこそ、新しい地平線を切り拓けるくらいに、大事な存在なんだ」

 

 そのあまりに真っ直ぐな賛辞に驚きの表情を浮かべながらも「そうだね」とキアラは優しく微笑んだ。

 その笑みが何を示しているのか、一体なんの話をしているのだろうか。二人とは離れた地上でそれを見守るぺこらには分かりようもない。ただ二人が戦いをやめ、温和な笑みを浮かべていることに何よりも安堵していた。

 

「ねぇ、異世界のお姫様」

 胸を撫で下ろした次の瞬間、頭上から声がかかる。

 視線を上げた先、キアラと呼ばれた女性は穏やかに笑顔を向けながら話し始めた。

「危ない目にあわせてごめんなさい。あともう一つ。仲間にはなってあげられないわ」

 そう言い切るキアラに、ようやくここまでの筋書きを考えたのは彼女なのだと得心のいったぺこらは、怒るでもなく問いかける。 

 

「どうして、か……聞いていいぺこか?」

 ただ聞かなければならなかった。彼女たちの意思は分からない。ただハッキリと分かっているは『自分が試された』という事だけだった。

 

 ぺこらの真っ直ぐな問いかけに背筋を正し、ヒトならざる存在としての威厳を示しながらキアラは続ける。

 

「これはヒトの戦いだよ。それに『神話』は関与できない」

 

 他がどうであれ、その線だけは越えてはいけないのだと、キッパリと真剣な面持ちで語る。自分達の力はヒトの営みを簡単に壊すことができるのだと。

「もちろん、私たちが直接手を下すことも出来ないわけじゃない。でもそれじゃ今までと同じ。私たちじゃただセカイを延命させる結果しか産めない。でもね、アナタたちは違うの」

 

「わけ、わかんねーぺこだ」

 

 ぺこらの言葉に「そうかもね。いきなり言われても困っちゃうよね」とキアラは苦笑して続ける。

「カリもさっき言ったけど、アナタたちは『切り拓けるヒト』なんだ。物事を真っ直ぐ見て、自分で選択できるはずなんだ」

 

「そんなの、どうしたらいいか……」

 唐突なキアラの言葉にぺこらの表情が曇る。

 彼女にしてみれば、このホロアースにやってきてから、ヒトの思惑に流されてきてばかりだったのだ。そんな自分がキアラの言うように出来るのか、つゆとも思うこともできず、不安な眼差しでキアラを見つめた。

 しかしキアラはその不安を否定することもしない。ハッキリと「その時になればわかりますよ」と続け、また笑みを見せた。そしてふと視線を野うさぎの集まった場所に向けてこう言った。

「でももし判断に困ったら……アナタの側にいる『月明かり』が、きっと征く道を示してくれるわ。またね、お姫様」

 

 その刹那、燃え盛る炎が現れたと同時に、その熱の中に消えゆくキアラ。

「いや、月って? ちょっと!」

 その唐突さに自分が不安であったことも忘れ声を上げるぺこらであったが、その言葉の受取手は最早いない。

 そして最後に残ったもう一人の『神話』も自身の身体に風を纏わせ「ねぇ姫君」とぺこらに声をかけた。

「ねぇアンタたち、なんなの? ぺこらに何させてーの?」しかしその問いにカリオペは答えない。

「クソドリの言ったこと、思い出してほしい。それに本当にどうにもなんない時は助けてあげるよ。あの『優しいネクロマンサー』みたいにね」

 

 一方的な言葉であった。そして目を覆いたくなるほどの突風の中、その黒い姿は一瞬にして掻き消え、そこにはぺこらと野うさぎ、そして眠ったままの少女しか残っていない。

 

「消えちゃった……それに、何にも出来なかった」

 

 そう呟きながら、ぺこらは一人誰もいなくなった虚空を見つめ続ける。

 何もなしえなかったと悔いながら、ただぼんやりと泥むソラをぼんやりと眺めるしか出来なかった。

 

「でも……とりあえず早く帰るぺこ。ここに居たって何にもないんだから」

 ぼんやりとソラを眺めていたぺこらがそう呟き、ゆっくりと来た道を戻り始める。命の危機を脱することはできたが、後ろ髪を引かれて仕方がない。もちろんそれは自分の不甲斐なさのせいだ。それを爆発させることも出来ず、しかしワナワナと震えていく自分の身体を押さえ付けることが出来ずに彼女は歩き始めた。

 

 来た道をぼんやりと進んでいく。ただその足並みは往路よりも幾分か速さを増している。何かに急かされているような、そんな焦燥感を覚えていた。その理由がどうしても霞みがかったように掴み取ることは出来なかった。ただそればかりに気を取られてはいけないと、頭を振って余計な考えを振り払う。

 

 どれくらい歩いただろうか。陽は完全に顔を隠し、ソラには煌々と月があった。明かりのない街道では煩いほどに輝く星と月だけが頼りであったが、肌寒さだけはどうしても抗うことは出来なかった。

 

 そうしてようやく立ち止まり、ぺこらは後ろを振り返った。

「……アンタたち」

 ポツリと口を開く。ずっと喋らず、水分も摂っていない喉から出たのはひどく枯れた声。それを少し離れたところから着いて来ていた野うさぎたちは、彼女にだけ聞こえる音を発した。それはきっと彼女を心配する言葉だったのだろう。

 

「ごめん。勝手なことばっかりして。でも……何にも出来なかった」ぺこらは詫びながら俯く。

 

「結局みんなに無駄足踏ませちまったぺこな。あーなんでこんなことになってんだろ」とわざと明るく口にするぺこらであったが、それは野うさぎにとっては違和感のある声だった。

 

 そして次の一言はさらに野うさぎたちに違和感を与えた。

 

「ねぇ、このまま逃げちゃおうか?」

 そう言って、ケラケラと笑うぺこら。言葉だけは恐ろしく無責任な、全てを手放したような物言いだった。しかしそう口にした後の彼女の表情はそれを否定している。

 

「だって、こえーぺこじゃん。あんなの見せられた後でさ、さぁ次はヒト同士の戦争ですよなんて言われてもさ……」

 

 ぺこらの言葉に、野うさぎたちも先ほどまでの戦いを思い出し、その身体を震わせる。確かにぺこらの言う通り、何も出来かった不甲斐なさを思えば、そしてこれから訪れるであろう戦いのことを思えば、逃げ出したいと思う気持ちを否定は出来ない。だからこそ野うさぎたちは声を揃えて言う。

 

『逃げてもいい』『長が長らしくいられるならそれがいい』と。

 しかし同時にこうも言うのだ。

『でもそれでいいんですか?』『それで後悔はないんですか?』と。

 

 それらの言葉にビクリと頭の耳を震わせ、ぺこらは野うさぎたちを見やる。そして眠ったままの少女も一瞥し「そうぺこな……」と呟いてソラを見上げた。

「何が正しいとか、後悔はねーのとか、正直分かんねーぺこだよ。ただ怖いって、動けねーっていう気持ちばっかりで頭グチャグチャになっちゃう……」

 ぺこらはまた自嘲気味に口にした。それから「でも……」と静かに言った。

「それでもあの時……獅白たちのこと助けてやりてーよ。あんな悲しい顔して笑う子を放っておくことなんて、絶対できないぺこじゃん?」

 野うさぎたちは口を噤んで、じっとぺこらを見つめた。表情からは不安が溢れ、上げられた口元からは震えが感じられた。

 

「だから帰ろう、ウェヌスに。きっとぺこーらたちにも出来ることはあるはずだから」

 

 それは明らかに強がりだった。しかし野うさぎたちはその光景に安堵も感じていたのだ。

 自分たちの長はまだ折れてはいない、彼女が真っ直ぐに進むならば、それを助けていきたいと。

 

 ここに彼女は選んだ。

 状況に流されるのではなく、自ら選び取り、その戦いの幕を開いたのだった。



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天国なんて、あるのかな?

 夜風に、吐き出した息が流されていく。白く、ハッキリと形をなしたそれは瞬きのうちにどこかに消えていく。

 サラーキアの中心、錨が安置された塔の上に老婆が一人、水平線の向こうから徐々に顔を出し始める暖かな光を臨んでいた。

 サラーキアの女帝、宝鐘マリンは夜空の下、厳しい椅子に腰掛ける。細くなってしまったその身体には不釣り合いな重々しいその椅子が、彼女が見た目通りの年老いたか弱い女性であろうと言うことをありありと示している。しかし水平線を見つめる紅い瞳はその様を感じさせない。若々しい瞳の輝きでそれを見つめていた。

 

 蒼く清浄な光を湛えた光を自身の背に受けながら、マリンは一人幸せそうに声を上げる。

 

「もうすぐ日が昇る……存外に早いものですね」

 

 これ以上の贅沢はないとその表情は物語っていた。そして見目麗しい少女が、ノエルが膝の上で寝ているのだから、それはこの上ない幸福だろう。

 

 半ば強引にサラーキアに連れてきてしまったノエルには申し訳ないことをしてしまったと考えもした。しかしその思いを抱えてもなお、それを実行したのにはもちろん理由があった。

 

「最後の門を開くには、まだまだ因子が足りないですから」自分の背後にある蒼い光を覚えながら静かにそう呟く。

 

 ウェスタの大剣

 ヤマトの大神木

 それらは既に開かれた異界の門。

 それらが開かれたからこそマリンは最後の詰めのために表舞台に姿を表した。それと同時に『ケガレ』もまたこのホロアースに跋扈しはじめている。

 

 幸せで完成されていたはずのこのセカイに、汚泥を残すものが戻りはじめているのだ。

 それは楽園にとってはあってはならないこと。

 

 しかし彼女は同時にこう考えていた。

 楽園など存在しない。

 幸福を覚える者の裏には確かに苦痛に堪える者がいるように、そのバランスが保たれていなくてはいけないのだ。

 

 そして最後の門である、このサラーキアの錨が開かれれば、ようやく、正しい形に戻る。

 

 戻さなくてはならないと、彼女は決意していた。

 

 その決意を胸に抱いたのはいつの事だっただろうか。最早考えるのも苦痛になるほどの遥かに遠い過去であったことは間違いないだろう。

 普段ならばそんな瑣末なことを考えることすら無駄に思う彼女なのだが、今日ばかりはそう思えなくなってしまっている。

 それはこの銀髪の少女と、ノエルと再会したせいだろう。今は自身の膝で眠る彼女の寝顔を見れば見るほど、宝鐘マリンは思い知らされるのだ。

 過ぎ去ってしまった時間を。自身が時に置いていかれてしまったことを。

 

 そしてきっとこれはセカイ全てを敵に回す行為であると言うことを。

 

「きっとみんなに恨まれるでしょうけど……それでも、船長はやるって決めたんですよ」

 

 そう。遥か遠き過去に胸に秘めたその決意を果たすために、彼女はここまでやり通してきた。

 

「元に戻す。そして……取り戻す」

 

 

「ねぇ」

 マリンの膝で眠っていた、ノエルが目を開けて、そう呟いた。

「ノエル、おはよう。まだ起きるには早い時間ですよ」

 マリンはまるで母親然とした顔つきで言う。ノエルの頭を撫でる手つきも優しく穏やかな様子を感じさせた。

 ノエルは身動きをせずそれを受け入れていた。ただジッとマリンの表情を見つめ、見透かすように視線を向けている。

 

「ねぇ」

 ノエルの口からまた同じ言葉が聞こえる。先ほどとは少し違う、重い響きにグッと息を呑みながらそれを真っ直ぐ受け止めこう返した。

 

「あぁおはよう。何だか随分久しぶりですね」

 慈しみ深い笑顔は変わらない。しかしその言葉の向かう先は明らかにノエルに対するものでない。彼女の中にいる、別の何かへの言葉だった。

 

「ねぇ」

 ノエルの口から三度同じ言葉が聞こえ、大きく目を見開いた。

 

「本当に、これでいいの?」

「何がですか? ハッキリ言ってくれないとわかりませんよ」

「このまま進むの?」ノエルの瞳が穏やかな碧から緋色に変容していく。

「マリンは、それでいいの?」

「もちろんですよ。そのために、こんなおばあちゃんになってもやり続けてきたんですから」

 

 ノエルの鼻頭に、ちょんと人差し指が触れる。右手はノエルの頭を撫でたまま、もう一方の手が伸び、そのまま頬をゆっくり撫でた。その暖かさにノエルはグッと表情を歪め、今にも泣きそうな顔でマリンを見た。

 

「それじゃぁ……マリン一人だけが悪者になっちゃうよ」

 その言葉に思わずハッとしてノエルを見返し、すぐに温和な表情に戻る。

「なんで一人で抱え込むの? だって、マリン……すごく辛そうな顔してるよ」とそう言ったノエルは緋色の瞳を更に潤ませていた。

 

「ほら。泣かないで。何でアナタが泣いているんですか」

「でも……」

「船長は大丈夫ですから。絶対に、やり遂げますから」ニコリとしながらハッキリと言う。

「それにたくさんの人たちが船長の後ろをついてきてくれてるんです。今更船長の我儘で止めることなんて出来ないんですよ……ごめんなさい、ウソつきました。やめたくないんですよ船長は」

「どうゆうこと?」

 問いかけに「何だか話をして思い出せました」と呟いてマリンは話し始める。

 

「元々は意地みたいなものだったんだと思います。それでも船長は忘れられないんですよ。あの『歌声』を。あれを取り戻すためだったら、何だってやってやるって、あの時決意したんですよ」

「それがマリンが傷付いていい理由にはならないよ。誰かを傷つけていい理由には、ならないよ」

 その声にギクリとしながらそれでもマリンの表情が変わることはない。

「別に誰かを傷つけたいとか、喧嘩したいとかじゃないんですよ。船長だって、初めから仲良くできればどれだけ良かったかって思います……でもね、絶対に船長の気持ちを受け入れられない人はいるんです」

 そう言い切ってすぐ、マリンは視線を上に向けて小さい声で呟いた。

「船長は随分、このセカイから嫌われているみたいですから」

 

「そんなこと、ない……」

 歯切れ悪く答えるノエルに「無理しなくていいんですよ」と微笑むマリン。

「船長はね、それでも良いって思ってるんです。信じてくれる人がいて、叶えたい思いがちゃんと船長の中で燃え続けているうちは、船長は止まりませんから」

 それはどれほどまでに辛い決意なのだろうか。それを他者に想像することは決して出来ない。

「そんなの、悲しすぎるよ」

 だからこそノエルは涙を流すことしか出来なかった。否、ノエルの中にいる彼女は泣くことしか出来なったのだ。

「元々の在り方から逸脱してしまっていても、それでも船長は取り戻したいんですよ。自分がどれだけ変わっても、『あの人』を取り戻したいんですよ」

 そしてその緋色の瞳から溢れる涙を拭いながら、もう一度静かに優しくマリンは言った。

「分かってくれるでしょ。ねぇ、るしあ?」

 

 ノエルを介し言葉を紡ぐ少女、『るしあ』はくぐもりながら「分からない」と答えた。

 その返答はよほどマリンに強く響いたのだろう。撫でる手ははたと止まり、目を見開いてノエルの姿を見ていた。

 

「そう、ですか……そうですよね。るしあはこのセカイを守る側の……」

「違う! そうじゃない……マリンが悲しむところ、もう見たくないだけなんだ。本当なら、すぐにだってマリンを助けてあげたいのに……」

 

 まるで叫ぶようなるしあの言葉に、先ほどとは少し違う意味で驚きの表情を見せるマリンはすぐにまた笑みを見せた。

 なぜそんなに温和でいられるのか。どうして、とるしあは不思議に思う。どうして、自分とは遠いはずの存在のために、このセカイ全てからの責苦を受けようとするのだろうか。

 どのセカイでもきっと、自分の痛みを他人に押し付けようとする者の方が多いことは明らかだ。

 

 るしあの緋色の瞳が困惑に揺れている。しかしそれすら受け止めるようにマリンは笑顔を絶やさずに「ありがとう」と言ってみせた。「心配してくれてありがとう。あと、ずっとノエルを守ってくれて、本当にありがとう」

 

 うっ、と唸り声を上げてるしあが答える。なぜそこまで知っているんだと更に困惑した。

 

「ねぇるしあ……もう少しだけ、お話ししましょうか?」

 るしあの見せた困惑をよそに、マリンは話し始める。まるで懺悔室の中の哀れな人間のように、静かに、言った。

 

「るしあまで『他の可能性の船長たち』の在り方に沿わなくて良いんですよ」

「なん、で? ねぇ何でそんなこと言うの?」顔をぐっとマリンに近づけ、るしあが吠える。突然の声に驚かせたかもしれないと、るしあはすぐに後悔した。一歩マリンから離れ、改めて彼女に向かい合う。

 

「マリン、るしあは別に『他の可能性』とか関係ない。ただみんなが、みんなが笑ってくれてればそれで良かったんだ。それだけで、良かった……」言葉を紡ぐにつれ、嗚咽が混じる。それを必死に抑えながら話し続ける。

「でもあの風景を見てから、あれが頭から離れないんだ。るしあは会ったことないのに、るしあとみんなでワイワイ楽しくやってるあの風景が……離れないんだよぉ」

 

「それは『他の可能性の船長たち』のことですよ」そう問いかけるマリンの声はあまりに優しい。

「あの時、『あの人』がこのセカイを閉じた時にみんなで見たあの風景はきっと、きっと全然違う生まれ方をしたセカイの船長たちの姿だったんですよ。本当なら揃うはずがないみんながあそこにいて、だからあんなにも楽しそうに見えるんです。なんだか皮肉ですね。このセカイは『幸せに満ちたセカイ』のはずなのに、こっちの方が不幸せに満ちたセカイに思っちゃう」

 

「なら……だからみんなに!」

「でもね、それはそれなんですよ。あのセカイの在り方を、ここでも再現しなくてもいい。セカイにはそれぞれ、あるべき形があるんですから」

 そんなはずはないと、その言葉は偽りであるとるしあは疑わなかった。しかし言い切った後のマリンの表情はハッキリとそれを否定している。「マリン……るしあは、それでも……」苦しそうにしながらも何かを伝えようと再び口を開こうした。

「でも、あんな風になれたらって……船長もそう思います」

 

 しかしるしあの言葉を遮り恥ずかしそうに「だからもう一度言いますね。このセカイでは出会っていない人だったけど、とっても大切な友達を、ノエルを救ってくれてありがとう。でもね……このセカイは何も選べないんです。『幸せである』っていうことだけを義務付けられたセカイに、何の選択肢もない。だから船長は……ッ!」

 唐突にマリンの身体に、すとん、と心地の良い重さがのしかかる。一瞬どうしたのか分からなかった彼女にものしかかったものを見て、フッと笑みを浮かべた。

「あら、もう限界だったんですね。無理をさせてごめんね。るしあ、ノエル……」

 

 瞼を閉じ、身体を預けてくるノエルを正面から抱きとめ、その身体を抱きしめながら「アナタも本当に難儀な子ですね。でも……ありがとう」とマリンは静かに呟いていた。

 

 突然のるしあとの邂逅に驚きがなかったとは言えない。しかしそれ以上に突然の再会に対する嬉しさがそれを優ったのだろう。彼女の頬は上気し、少し冷静さを失っているようにも見えた。

 受け止めたノエルの身体を、自身のかけていた椅子に横たえ、肩にかけていたジャケットを彼女にかける。その一連の動作に淀みはない。流れるようにそれを終わらせ、マリンは椅子から離れてポツリポツリと呟いた。

「こんなにもみんなに迷惑をかけて……きっと船長はまともな死に方はできないでしょうね」

 ゆっくりと杖をつき、建物の端まで歩みを進めながら「でも勝手に『戻ってしまう』んですけどね」と独り言を呟く。

 それはかつての戦いで彼女が負った祝福(呪い)であった。

 

 かつての戦いで、彼女はホロアースにおける『議会』の一柱に泥をつけたどころか、それを打ち倒すに至った。きっと偶然に偶然が重なった末の、奇跡とも呼べる出来事であったことに間違いはない。

 

「こんな力、ただのヒト族が使えるわけもありませんからねぇ……」

 彼女は『時間』から解放された。その檻から解放され、このセカイが閉じて以降の、彼女が観測した過去の時間軸であれば行き来することが出来るようになっていた。彼女も口にした通り、それはヒト族の身で扱い切れるものではないのだ。

 

「どこに行くか選ぶことも出来ない。本当に、使えない道具ですよ」

 

 彼女は自分の意志で時間を渡ることは出来ない。

 そしてその力の呪いであろう。身体は追い続けるが自ら死ぬことを選べない。神殺しを為したが故に、宝鐘マリンはヒト族の身を持ちながら、精神はヒトならざる者へと昇華させてしまったのだ。

 その力があったからこそ、関係を繋ぐことが出来た人もいた。

 宝鐘海賊団の力を蓄え、『主のいない遺物』の地である、サラーキアをその手中に治めることが出来たのだ。それだけも彼女の計画が大きく前進したことはいうまでもない。

 

 しかし常に彼女は思う。

「あぁ、でももし死ねたなら……」

 そんなことは決して出来はしないと思いながら。

「天国なんて、あるのかな……」

 それでも彼女は求めずにはいられなかった。

 

「まあ、船長は天国なんていけないでしょうけど」

 苦笑してそう言い捨て、マリンは視線を水平線に移した。「……でも、まだ死ねませんけどね」

 

「ただの女の子に無茶を背負わせたこのセカイに、納得出来ていないだけなんですよ。でも……なんでろくに知りもしない女の子にために、こんなになるまで頑張っているんでしょうか」

 元々はたまたま居合わせたような関係だった。

 それはどこにでもいる少女だった。どこからともなく、何かに導かれて現れたその少女はたまたまこのセカイの核心に触れ、たまたま終わりに向かっていたこのセカイを救った。

 

 すべては偶然だ。しかし、だからこそマリンは思う。

 彼女が、そんな重荷を自ら背負う必要はないのだと。

 

「だから元に戻しましょう」

 それが彼女の大望。

「何もかもを全部、最初に戻しましょう」

 それが彼女を縛り付けるもの。

「だから……」

 それを為すのに、このセカイに足りなかった最後のピースは、ついに異界より呼び寄せられたのだから。

「早くここにおいで」

 そして、このセカイのもう一つの特異点たる存在も、もうすぐ彼女の前に現れるのだから。

「ぺこら……フレア……」



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これは、アナタたちが望んだ戦いでしょう?

 サラーキアに女帝が戻ったその日、奇しくもぺこらが『神話』の戦いを目の当たりにし自身の非力さを思い知らされた日の夜まで時間は巻き戻る。

 

 一路ウェヌスへと戻ることに決めたぺこら一行であったが、夜通し歩くことは流石に難しかったのだろう。前日と同様にテントを張り、一晩を過ごすことにしていた。

 風を遮ることのできる林を見つけたことも幸したのだろう、前日よりも手際良く寝床を二つ準備を整えたぺこらは、眠ったままの紫の髪の少女をそこに横たえた後、「なんか、今日は疲れたぺこだ……」と漏らしながら自身もその隣で瞼を閉じた。ものの数分で寝息を立てる彼女を見とめ、野うさぎたちも各々身体を寄せ丸まりながら眠りについていた。

 

 もう夜も深く、ソラには夜を支配する光が優しく地上を照らし始めた頃、ぺこらたちの野営に近づく姿が一つ。

 

 『さすがは姫君』

 

 夜の帷の中で、それは美しい光を放っていた。

 新緑を思い起こさせるその光は、暗闇の中であっても見るものの目をそばめさせるようなものではなく、途方もなく優しいものであった。寝息をたてるぺこらたちはその接近に気付くことなく、寝息をたて続けていた。

 

 『こちらが導かずとも、『神話』に近づくとは。いえ、あの方達が姫君の力に引き寄せられたのかもしれませんね。しかし……』

 

 ホロアースにおける『議会』が一角にして神々に作られし二番目の概念。『自然の番人』たるセレス・ファウナは慈しみ深い笑みを浮かべながらぺこらを見つめる。

 しかし彼女は降り立ったその場所から一歩も動くことなく、その場に立ったままになっている。ぺこらのそばにある何かを警戒するようにぺこらに近づこうとしないのだ。

 

 『意外でした。貴方様までもが降りてくるとは』

 

 そう言って浮かべた笑顔はこれまでの母性を感じさせる笑顔ではない。顔をひくつかせながら、どうにか口角を無理に吊り上げたその笑みはどこか不気味に見えた。

 それは明確に誰かに投げられた言葉。しかしその場にいる全員が眠りの中にある中で「いつまで寝たふりを続けるのですか?」とファウナは問いかける。

 

 その言葉に眉根を顰め、ぺこらたちの中にあった一つの影がムクリと身体を起こす。

 地上に降りて、一切開くことのなかったその瞼を開き、菫の瞳でギロリとファウナを睨みつけながら静かに立ち上がり、ぺこらたちを起こさないように注意しながらファウナに近付いていく。

 

「何を……」

 言葉を続けようとするが、ずっと言葉を発していなかったからだろう。言葉を詰まらせる。

 これまで眠ったままであった少女は、星の光を集めたように光り輝くその長髪を靡かせながら、神の如き存在たるファウナに相対した。

 

 先ほどまでは不愉快に顔を歪めていたファウナも、途端にひどく嬉しそうに笑みを浮かべた。

 『息災でございましたか? いえ、愚問でしたね。ソラを見上げれば貴方様がお変わりないのは分かりますのに……』と皮肉の一言。

 

 しかし少女はそれを正面から受けることはしない。

 

「この人に、何をさせたいの?」

 淡い、優しいはずの菫の瞳はまるで弓を思わせるほどに鋭く、ファウナを射抜くように睨みつけている。

 その鋭さを受け、笑みを浮かべていたファウナも表情を固くし、少女と同じように目を吊り上げた。

 

 『それはこちらのセリフですよ』

 響き渡ったのは冷ややかな音。

 

 寒空の肌に刺す冷ややかさににたその視線のままファウナは続ける。

 

 『先ほども言いましたよね? 貴方様までもが関わってくるなどとは、思いもしませんでした』

 それはヒトならざるものの放った、特異な力を秘めていたのだろうか。寝静まっていたはずの野うさぎたちは短い悲鳴をあげ、身震いしながら身を固める。

 

 しかし少女はその圧力に流されることなく、真っ直ぐとファウナを見つめる。

「……答えて」ファウナの言葉に、その冷たさを意に介することなく「この人に何をさせたいの?」と続けた。

 その問いかけに、何を当たり前のことを言っているのですかと、飽き飽きした表情でファウナは先ほどと同じ、冷ややかな音で返した。

 

 『ホロアースの存続』

 

 あっさりと自らの目的を告げたファウナに、少女は驚きながらも「やっぱり……」と呟く。おそらく少女の頭の中には、ファウナの最終目標をはっきりと見えたのだろう、憤りを覚えながらも得心がいったと表情は物語っていた。

 

 その様子がひどく嬉しかったのだろう、してやったりと言った表情を浮かべながら彼女は続ける。

 『これは凡てこのセカイのためなのです。このセカイの存続のために必要なことなのです』

 その物言いに言葉が飛び出そうになるのを必死に抑える少女。グッと自分を押しとどめながら、彼女は思っていた。

 

 もしかすると、彼女自身も被害者なのではないかと。

 もしかすると、『そう在るべき』という檻から抜け出すことが出来ずにもがいているのではないかと。

 

 ファウナが浮かべた表情は、このセカイを想って言葉を紡いだ彼女の微笑みはあまりに美しかったから。それこそ母が子に向ける純粋な愛を感じさせるような自然さがあったからだ。

 少女は固唾を飲み、ファウナをじっと見やる。そして改めて思い至った。彼女は正気だと。全てにおいて、純粋に『このセカイのため』を思い動いているのだ。

 

「本当に、それだけなの?」

 しかし一片の疑問が拭いきれない。少女はもう一度先ほどと同じ調子でファウナに問いかける。

 

 『それ以外に何があるのですか?』

 

 少女の問いかけを不思議そうに首を傾げた。やはりかと、そう思いもう一度問う。

 

「五つの席の半分がいなくなったのに、いまだにそれに固執しているの?」

 

 かつての戦いで失われたのは三つの席。

 最初と最後の概念は金髪の少女に喰いつくされた。それが故に全てのセカイから弾き出され、どこにも止まれない存在になってしまった。

 そしてもう一人、サラーキアの女帝たる宝鐘マリンが『時間の典獄』を撃ち落としたことで全てのバランスが崩れてしまった。しかしそれでも簡単にセカイが崩壊することはない。それは『ただの少女』によってホロアースが閉じられたことに起因することは言うまでもない。

 

 故にこのセカイは、セカイを作った神々が望んだ通り、『平和』を絵に描いたセカイが続いた。

 しかしヒビの入ったセカイが元に戻るなどあり得ない。それを防ぐために残った一角は『ホロアースに最も近い異界』から救世の姫君を呼び寄せ、そしてもう一方は最後のただ流されるままにヒトビトの営みを見守り続けている。

 

 首を傾げてファウナは『当たり前です』とピシャリとそう言い切る。声はあまりに澄んだ音で、少女の鼓膜を叩く。

 

 『それが我らの機能。我らの役割。我らの子の安寧を願うことこそ、我らの本望』

 それが当たり前であるように

 『それを、誰に否定できるのですか?』

 それが当然のあるべき姿であると彼女は続けた。

 

「……否定しない」

 しかし、その思いを理解することが出来ても、納得をすることは出来なかった。それは妄信であると、はっきり伝えるべきであったのかもしれない。

 少女とファウナ、同じく『セカイを見届ける者』として大きな隔りがあるのだと、実感しながら少女は「でも」と再び問いかける。

 

「そのために誰かを犠牲にするの? ようやく開かれたセカイを、また元に戻すの?」

 それがこのセカイが求めた答えなのではないのかと、少女はファウナに問いかける。

 『そんなことは望んでいません。望んでいるのはホロアースの安寧のみですから』

「安寧を、崩そうとしているのは誰?」

 『それはこのセカイの、愛する我が子達です。私には何もできません』

「違う。これは、これはアナタたちが望んだ戦いでしょう? 全部焼け野原にして、新たな席に誰かをつけて、また始めるつもり?」

 

 突きつけるように言い放つ少女は「そもそも根底から間違っているんだ」と怒りからではなく、諭すように言葉を紡いでいく。

 

「幸せにも不幸せにもバランスがある。それがどこかのセカイに偏っちゃいけない……誰もが幸せになる権利がある。そして、不幸になる可能性がある。それを操作しちゃいけないんだ!」と少女が答える。

 勢い任せに続けた言葉だった。単にファウナに対する違和感を指摘するためのものだけではなく、これまでこのセカイを眺め続けてきたが故の、心の底に鬱積したものの吐露に近かった。

 肩で息をする少女を見つめ、ファウナはまたニコリと微笑んでいた。なぜだと、どうして言葉を浴びせかけられても平然と笑っていられるのかと、少女の頭の中でその疑問がぐるぐると回っていく。

 

 『どうということはありません』

 

 ビリリと、少女の頭をその言葉が駆けた。冷たい風が彼女の脇を通り過ぎたせいだと思った。しかしそうではなかった。少女の怯えさせたのはファウナの言葉だった。

 静かにファウナが口にした言葉は、あまりに自分の考えとはかけ離れたものだったのだろう。鈍器で頭を殴られたように動揺を隠せない。

 

 『知らなければ、どうということはないでしょう?』キッパリと、もう一度ファウナが続けた。「誰も気が付いていなければ、それはないものと一緒ですよ』

 

「それは違う! それは……間違ってる!」そう口にしながら、少女もその意味自体は理解していた。「それでも、違うのに……」

 

 真っ向から否定の言葉を叫ぶことが出来ないのだろう、少女が視線を下に向け足元を見やっていた。頭上で煌めいていたはずのソラの星の光も、彼女の気持ちに引き寄せられるように翳りを見せていく。

 一方、ファウナは大きく両の手を広げて、慈しみ深く微笑む。

 

 『やはり考え方が根本は違うのですよ。でも私は……いえ、私たちはこのセカイを導く者。『このセカイの安寧』を望んでいるというところは共通していると思っていたのですが、いかがでしょうか?』

 

 ファウナは言って、少女に同意を求めるように小首を傾げた。そして暗に自分の提案を受け入れなさいと、無言の圧力をかけているようだった。甘やかされ、溶かされるような笑みと言葉に流されそううになるのを堪え、正面のファウナに意識を集中させた。

 気を抜けばすぐに力が抜けていくような感覚に襲われる。必死に頭を振って、目を細める。菫色の瞳が笑みを湛えるファウナを捉えた。その瞳の鋭さを気にも留めず、ファウナは言う。

 

 『慈しみと愛で包めば良いのです。安寧の中に我が子たちを置いて、生きるセカイを定めてあげることが何よりも幸せなことのはずなのですから』

 

 ピクリと少女の身体が跳ねた。「それじゃ、何も自立できないじゃない。それは、本当に愛なの?」それこそがずっと頭にあった違和感なのだとはっきりと理解できた。

 

 あぁ、これは絶対に埋めることの出来ない溝だと。そうありあり見せつけられた思いながら、そっと呟く。

 

「私は確かにソラからこのセカイを見守る者。何もしない、何もしてはいけない者。でも決してその在り様から目を逸らしはしないけど……でもその愛だけは否定しなきゃいけない!」

 菫の瞳に光が戻る。改めて拳を握り込み、明確に拒絶を口にした。少女の表情に最早迷いは何もなかった。

 だがそれすらもファウナは気に留めることはない。

 

 『しかしアナタがどれだけ全てのセカイの誤りを訴えたところで、私の愛で包まれたこのセカイの中では、それは無意味なものですよ』

 

 それは変わらぬ事実であると『セカイがそう簡単に変わることはない。違和感に気付くことの出来るものなど存在し得ないのです』とファウナは言う。

 そしてスッと少女の後ろの、寝息をたてるぺこらを指差し、こう続けた。

「異界の姫君にもきっと、彼女の目にも、それを見通す事は出来ませんよ」

 

 少女は顔を顰める。今更ファウナが何を言おうが驚くことはないが、実際に行動に移されると我慢は出来なくなってしまう。何より何も手を下さないと言っていたはずの彼女の言葉からは逸脱しているように思えて仕方がない。そう考えると彼女のあらゆる行動に疑念を抱き始めていた。なぜ自身を『見守る者』と称しながらヒトビトに関わろうとするのか。ファウナ自身箍が外れかけているのではないか。そしてこのホロアースが限界を迎えようとしているのと同様に、その大源である『自然の番人』たるファウナ自身にも限界が近づいているのではないか。

 

 ソラの明かりが翳る。

 大きな雲が月明かりを遮ぎっていた。少女の脇を過ぎていく風が時間の経過を感じさせる。

 今ファウナを心配している余裕はなかった。少女はファウナに背を向け、眠ったままのぺこらを見つめた。「うん、覚悟できたよ」そしてすぐにファウナの方へと向き直る。その表情には何の憂いもなくすっきりとしたものになっていた。

 しかしファウナはその変化に気づかない。

 

 『きっと、異界の姫君はこのセカイに安寧をもたらしてくれます』

 

 雲の広がるソラの下であっても影を作る事なく、ファウナ自身が輝きを湛え、そして宣言する。『そして、きっとこのセカイの守護する新たな席を担ってくれる』と。

 やはりそうだったのか。少女の頭の中のピースが全てパチリと嵌まった。

 壊れかけたセカイならば、それを支える新たな力を迎え入れればいい。

 

 このセカイの理に縛られない、異界の姫君

 『時間の典獄』を取り込んだサラーキアの女帝

 愛する者のために因果の糸を解いた白銀の戦乙女

 永き時の中で因果の特異点となったウェスタの守人

 そして、戦乙女の中に眠る死を司る者

 

 おそらく彼女たちの助力があればこのセカイの延命させる事は問題ないだろう。

 しかし少女は言う。「見くびりすぎている」ハッキリと、そう言い切る。

「番人、アナタはこの人を……うぅん。この人たち見くびりすぎているよ」

 少女の言葉に表情は崩さないものの、一瞬だけ瞳を鋭く光らせ、またニコリと笑みを作った。一瞬の圧力を気に留めず真っ直ぐとファウナを見据えながら、少女は変わらぬ調子で続ける。

「この人は、自分で決められる。誰かに言われたからやるんじゃない。自分の目で見て、自分で考えて決めてくれる」

 そして覚悟を決めた表情で「きっとアナタの思う通りにはならない。そして私はそれを最後まで見守るよ」と言い放った。

 頭上に既に明かりを遮る雲はない。そして誰もその往く道を邪魔することは出来ないと、そう示すように少女の名を表す『月』が燦々と地上に光をこぼした。

 宣言に似た少女の言葉に少し考え込んだ後、ファウナは先ほどまでと変わらない、慈しみ深い笑顔で『では、見させてもらいましょう。お互いに見届ける者同士、どんな結末を迎えるか楽しもうではありませんか』と応える。

 きっとその少女の言う通りにはならないと、余裕の笑みもそこからは感じられる。

「……」

 少女はファウナの返答に何も答えないまま、彼女を見つめたまま。最早交わす言葉はなかったのだろう。ファウナもそれを認め、自身のスカートの端をちょこんと摘み、恭しく頭を下げた。

 

 『では、またお会い出来ることを楽しみにしておりますわ。『月の姫』』

 

 最後のそう告げ、瞬きのうちにその姿を光の中へと消していった。

「……選択の時が近いんだ」

 最後までその光を見送り、ため息と共にそう呟く少女。

 

 そう。選択の時は間近に迫っている。このセカイを今のカタチのまま延命させるのか、それとも別の道を選ぶのか。

 まだ誰も、その結末を見通せるものはいなかった。



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貴女自身が確かめなさい

 夜が明け、ぺこらたち一行は足早にウェヌスへの帰路を急いでいた。

 陽が登った頃、寝床から起き上がったぺこら。彼女と同じタイミングで身体を起こした紫の髪の少女。彼女が起きたことでぺこらの憂も少しは解消できたのだろう。一行はすぐに身支度を整え、昨晩よりも早いペースで移動していた。

 しかしその道程でも紫の髪の少女がぺこらの言葉に答えることはなかった。何か事情があるのだろう。今は追求するよりも安全な場所に移動することを優先した。それも幸いしてか昼を過ぎる頃には、一行はウェヌスに帰り着いていた。

 

 人っ子一人いないウェヌスの街中であったが、事前に教えられた地図を頼りに辿り着いた獅白の根城は、ウェヌスの街の中心に位置する飲み屋であった。

 

「グハァ……もう歩けねー」

 ドサリと荷物を投げ出し、ぺこらは床に手足を投げ出している。それを横目に獅白は自身の机に置かれた銃器の手入れをしていた。ぺこらの前には紫の髪の少女がいた。肩で息をするぺこらを心配そうに見つめながら、彼女の額に浮かべた汗を拭っている。恭しく健気なその横顔に、数日の間に一体何があったのかと内心考えながらも、出来る限り注意を払って手を動かしている。

 

「でも無事に戻ってこれたじゃん」

 獅白の視線は銃に向いたまま、声をかける。物騒なものを手にしているはずなのに、声は穏やかにぺこらには聞こえた。

 

「ゴメン、一応行ってきたけど……」必死に息を整えようとしながらぺこらが言った。「協力してもらうこと、出来ないって言われちまった。ホントにゴメンぺこ」

 

 申し訳なさそうに呟くぺこらはそう言ったっきり、俯いてしまう。

 ぺこらにとっては嫌な沈黙が部屋中に響き渡っていく。一体どんな叱責を受けるのか、それとも呆れて何も言われないのか。いずれにしてもこのセカイに頼るところのないぺこらには怖いものであった。できれば少し怒られる程度であれば、とぺこらは思う。紫の髪の少女もぺこらの落ち込んだ表情にそわついた素振りを見せるが、獅白とぺこらの間には入るべきではないと思ったのだろう。ぺこらから離れ、部屋の隅に移動してじっと二人を見守った。

 

「無駄足踏ませちゃったみたいで悪かったね。実はついさっき、あの人から知らせが来たんだよ。あっちにはちゃんと文句は言っといたから、うさぎさんは気にしなくていいし、むしろこっちの方がゴメンだよ」

 少し顔を上げると、視線は変わらず銃に注がれているが口元に笑みが見える。ぺこらはホッと胸を撫で下ろした。

 しかし手にしていた銃を静かに起き、視線をぺこらに向けた瞬間、彼女の雰囲気が固くなるのをぺこらは見逃さなかった。

 

「それよりちょっとまずいことになったよ」

「何? どうしたの?」

「女帝が、サラーキアの主が帰ってきた」

 

 獅白の言葉は簡潔だった。そして先日までの彼女の言葉を、サラーキアの状況を思い出せば、その言葉が意味するところは自ずと理解出来るだろう。ぺこらは思わず立ち上がりながら、銃の並べられた獅白の机に近付き小さく呟いた。

 

「それって……つまりサラーキアが」と、そこで言葉に詰まる。

 ウェヌスへの帰路を急ぎながら、覚悟したつもりでいた。しかし迫り来る事実を口にしてしまうのがどうしても怖い。認めたくないという気持ちがどうしても表に出てきてしまう。

 

「サラーキアが動く」先に言葉にしたのは獅白だった。ため息をつき、腰掛けた椅子を回して宙を眺める。

「近いうち……うぅん。多分明日には蜂起軍とサラーキア軍がぶつかると思う。戦いが、始まるんだ」

 キッパリと獅白は言い切った。

 避けようもない。どうしようもない。鮮烈にその言葉はぺこらの耳に染み付いて離れなかった。

「戦いが、始まる……」

 

 獅白が根城にしている飲み屋は戦いを目前としているというのに、静まり返っていた。

 街の様子と同じく、そこには誰も見られない。その店の主である赤髪の男も、彼の店によく顔を見せる賑やかな三人組もそこにはいなかった。

 

 『お疲れさん。あとは私一人でやっからさ。みんなは自由にしていいよ』

 

 それは暗に『もうこの集まりは解散だ』ということを指し示していた。もちろん、集まっていた仲間たちは必死に食い下がり、手伝わせてくれと懇願したが、獅白はそれを許さず、全員を店から追い出す結果となってしまった。賑やかであったならず者たちの隠れ家からは一人、また一人と姿を消し、夜が明ける前には赤髪の男性のみが残っている状態になっていた。

 

 そしてすっかり陽は昇り、戦いの朝がやってくる。なんの特別なこともない。当たり前の一日と同じように始まったのだった。 

 店を出て、紫の髪の少女が一人、すぐ近くの波止場のベンチに腰掛けながら海を眺めていた。肌に触れる潮風に初めての感覚を覚えながら、時折ニヨニヨと楽しそうに笑みを浮かべる。だがその笑顔も顔をあげればすぐに難しいものに変わる。

 

 そう。目の前に映る『錨』が、サラーキアの様子が彼女を強張らせているのだ。いくらソラの果てから常に『錨』を見続けていたと言っても、間近にそれがあれば気圧されるのも無理はない。そしてサラーキアの周囲に集まる軍艦の厳しさは、きっと簡単に相対する者の戦意を失わせるだろう。

 

 怖さはある。しかし不思議と問題はないと思えるのは、

 

「おはようぺーこー。いなくなったから心配してたぺこだよ」

 

 きっと彼女の存在があるからだろう。そう少女は思いながら、声のする方に振り返った。

 軽快な靴音を鳴らしながら、ぺこらは少女の正面に立つ。声も軽やかに響いていたが、額に浮かぶ汗を見れば、必死に探し回ってくれたのだろうということは容易に読み取れた。

 

 ペコリと頭を下げ、腰掛けていたベンチのスペースを開けて、ぺこらに腰掛けるように促す。ぺこらもすぐに気付いたのだろう、「ありがとね」と返してベンチに腰掛けた。そしてしげしげと少女を見つめる。

 

「あんた、やっぱ喋んないぺこなぁ」

 

 ぺこらのその言葉にアワアワと取り乱す少女。

 もちろん喋ることが出来ないわけではない。むしろぺこらに伝えたいことは沢山あった。しかし自分が、『見届ける者』が積極的に彼女に言葉を投げかけていいかと言われると、どうしても首を傾げることになる。

 言葉とは少なからず、語り手の意志と力が込められる。それが強い思いであればあるほど、力を有したものであればあるほど、強制力を持って聴くものを従わせることも出来る。だから言葉を口にするのを憚り、曖昧に笑顔を浮かべた。

一方のぺこらは難しそうに微笑む少女に「じゃぁ勝手に喋るぺこだけど」と断り、視線をサラーキアに向けながら話し始めた。

 

「なんかさ、すぐそこに戦いが迫ってるって思わねぇぺこだね」

 そこには先ほどまでの快活さは感じられない。視線もどこか落ち込んでいるような、憂いを帯びた光を見せた。

 

「こんな綺麗で、こんなにも静かなのに……アイツ戦うの、怖くねぇぺこなのかな?」

 

 そう。どんなにその横顔が勇敢に見えても、ぺこらはただの女の子なのだ。特別な力も持たない、ただの女の子なのだ。そんな彼女が戦いの真っ只中にその身を置こうとしている。

 

 逃げたい。今すぐに逃げたいと思うのは無理もないだろう。

 なら、逃げましょう?出来ればそう言ってあげたい。少女はそう思った。

 

「ん? なんか言ったぺこ?」

 不意に口にしてしまったのだろうか。慌てながらブンブンと顔を横に振る少女にクスクスと笑いながら「あぁ、でも……そうぺこな」と続ける。

「……本当は逃げてーぺこだ。戦うだなんて、ぺこらはしたくねーぺこだよ」

 

 しかし呟く言葉を覆すように、柑子色の爽やかな色に熱が篭っていく。

 

「頑張ってるの見てたら手伝ってやりてぇじゃん? あぁ、もちろん人を傷付けんのとかは絶対に助けてやりたくねーけどね」

 

 未だ表情は怯えている。しかしそれをも飲み込みながらぺこらは声を上げる。

 

「だからさ、ぺこーらは行くぺこだ」

 

 最後にニカリと花が咲いたような笑顔を浮かべるがあっと口を覆って「でもアンタはぺこーらが勝手に連れてきたんだし、安全なとこに行くぺこだよ? ま、行く場所がないってんなら、絶対ぺこーらが守ってやるぺこだけど」と申し訳なさそうにそう言った。

 あぁ。それならばと、彼女が覚悟を持っているならばと少女もコクリと頷く。

「大丈夫」静かにそう言って正面からぺこらを見つめる。

 心の底からずっと彼女にかけたかった言葉を、ようやく口にした。

 

「ムーナが絶対、アナタを連れていくから……」

 

 それはソラの果てからセカイを見つめていた少女が、ずっとかけたかった言葉。本来であれば語ってはいけない言葉だった。声をかけるということは、それは能動的に関わることなのだから。

 しかしそんな苦悩をぺこらは知らない。ただ初めて耳にした少女の、ムーナの声に驚くことしか出来なかった。

 

「なんかテレくせーぺこじゃ、って! あんた喋れたぺこぉ?」



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貴女自身が確かめなさい 2

 ウェヌスの野営地に吹く風は冷たく、陽は燦々と地面を照らしているというのに肌に感じる気温は刺すように低い。部屋の中に籠り、暖を取りたい衝動をきっと皆が抱えているだろうこのソラの下で、戦いの準備を進める複数の影があった。アキロゼの宣言の後、すぐにサラーキアへの進軍の準備を始めた蜂起軍。進行状況から考えれば、あと数時間のうちに全軍出撃することが出来るだろう。兵士たちも戦いを目の前に興奮に満ちた様子に満ちている。

 

 そんな彼ら彼女らを横目に、フレアは矢倉の上にいた。ジッと対岸に見えるサラーキアの『錨』を見据えながら、複雑な表情を浮かべていた。

 無論、彼女の頭の中には戦いのことなどよりも、ノエルを心配する思いの方が優っていた。本当ならば蜂起軍の準備など待たずに、すぐにでもサラーキアに突貫を仕掛けたいとことであったが、それはアキロゼからきつく禁止され「フレアちゃんがいくら強かろうと、一人じゃ限界があるって理解しておいた方が良い」と釘を刺されていた。

 

 冷静に考えてみればアキロゼの言う通りだ。「確かに、シオンが負けたのに私一人で行ったって……」

 知り合いの色眼鏡で見ずとも、シオンはウェスタにおいて最も強い者であると言っても差し支えない。しかしその彼女が守っていたノエルがサラーキアにいるという事実は、シオンがサラーキアの女帝たちに敗北したということをハッキリと示していた。

 

「それなら、上手く立ち回らないと」

 

 過去の経験から考えれば、それは当然だった。十年前、大剣の中の戦いでそれを痛いほど思い知ったからこそ、アキロゼの忠告を受け入れ矢倉の上でジッと状況を見守っていた。

 不意に矢倉の縁に見知った姿を見つける。こんな緊急事態でも変わらないなと、内心羨ましさを覚えながらフレアが言う。

 

「何にも聞かないんだね?」

 その問いかけに「あーうん、そうだなー」と口籠もりながら矢倉の中に降り立つポルカ。ニカリと歯を見せて笑う彼女はやはり変わらない調子で冗談めかしながら答えた。

 

「今更だって。これでもししょーの事、結構知ってるつもりだよ?」

 確かにその通りだと、呆気にとられながらフレアは目を丸くした。

 考えてみればポルカと出会ったのは、ノエルとウェスタで住み始めてからすぐのことであった。ゆうに片手で数えられる数を超す年月を、およそ七年もの間親しく過ごしてきたのだ。それを思えば自身のことを理解してもらえていると言うのは当然と言えるのかもしれない。

 

「あーほんと。なんでもお見通しなのかな」

 そう呟いた時に、フレアはふと気が付いた。考えてみれば自分はポルカのことをよく知らないのではないかと。

 

 七年前の今と同じ季節、突然ポルカはウェスタにあらわれ、市中を騒然とさせた。

 見た目は大道芸人、もちろん彼女の見せる芸は見事の一言では言い表すことの出来ないものであったが、よりウェスタの人々を惹きつけたのは芸が終わった後の、騎士たちを相手にした大立ち回りだった。それについては勿論ポルカに非がある。彼女はウェスタの行政に届も出さず、気ままに芸を見せかつ人をかき集めていたのだ。人が集まり過ぎれば混乱が起こることは必然。怪我人の報告がされるようになってから、市中の騎士隊は彼女を見つけ次第拘束、そして届けを出すように伝えるよう指示を受けていた。

 

 しかし彼女を止めようとする騎士たちとの衝突すら、彼女は演目にして見せた。迫り来る騎士たちと華麗に退けた上に、彼らにこう言い放った。

 

「それがウェスタの騎士の実力ですかぁ? ちょっと拍子抜けだよねぇ~」

 

 それは間違いなく、ウェスタに対する宣戦布告であった。むしろそう汲み取ってもらって構わないと言わんばかりの発言であった。

 

「さぁ、皆々様お立ち会い! これからお届けしますは騎士たちと少女との大立ち回り。より強き者は……さぁ予想してみなよ!」

 

 ポルカの言葉にウェスタは大きく盛り上がった。

 街を平穏を守る白銀聖騎士団や姫直轄の月華聖騎士団(ルーナイト)、そしてポルカを捕らえ勇名を轟かせようとする傭兵たち。多くの者が彼女を探し始めたのだ。

 

 しかしその大立ち回りは不思議と剣呑とした雰囲気を感じさせなかった。ポルカを追いかける者、それを眺めるもの、そしてポルカ自身も笑顔だった。

 

 ソラの島墜落未遂の事件から、表面上は平穏を取り戻していたが街の人々の活気は元には戻りきっていなかった。それまで二百年の永きに渡って平和の中にあった人々にとって、あの事件はいつ平和がひっくり返るのか分からないのだということを認識するものになっていたのだ。

 

 そんな中でポルカの登場は不安を吹き飛ばした。確かにやり方は手荒だったかもしれない。だがこの強引さが落ち込んでいた人々を楽しませたということは言うまでもなかった。

 しかしいくら街の人々が楽しんでいるとはいえ、この状況を許して置けるほどウェスタの行政は呑気ではなかった。事態を収集させるために、ウェスタの行政は依頼をした。この町における最も勇名を轟かせる強者に。

 

 それは言うまでもなく、ウェスタの守人であった。

 

「そろそろ静かにしてもらっても良いかな?」

「……なら止めてみせなって!」

 

 そこから熾烈な戦いが繰り広げられたことは言うまでもない。

 その件があってからポルカはウェスタに居付き、フレアと行動を共にするようになっていた。自然とそうなってしまったからか、フレアも日を経る毎にそんなことを気にしなくなっていた。

 

 しかし事ここに至って、どうしても見過ごせないことがあった。

 何故ポルカは突然声をかけてきた、彼女の言葉を借りるなら『セカイからの甘言』に驚かなかったのか。どうしてアキロゼの使う力や、上空に現れた映像に感嘆の言葉を漏らしながら、当然のように受け入れていたのか。

 

 それがどうしても気になり不意に、「ポルカって不思議なやつだよね」と呟いていた。

 

 フレアの問いかけにギョッとした表情を見せながら「いやー今更? それにもうちょっと言い方ってもんがあるでしょ~」とケラケラと笑うポルカ。「もぉ、ポルカじゃなかったら怒ってるよ?」

 しかし気になってしまったものはしょうがない、視線を彼女に向け突然の無礼を詫びながらフレアは続ける。

 

「あぁごめん。なんだか急に気になってさ」

「それって、ポルカに興味なかったってこと?」

 わざとらしく落ち込んだ表情でフレアを見るポルカに「はいはい」と返しながら、少し考えて答えた。

「どんな人かなんて聞かなくてもさ、目の前のポルカが変わる訳じゃないって思ってたんだよ。でもさ、ここに着いてからのポルカ、ちょっと雰囲気が違うしさ」

 

「ん~そうだね」

 フレアの言葉は図星だったのだろうか、気まずさを表に出しながらポルカは「この件が終わったら、きちんと話するってことでいい?」と答えた。

 きっとそれはこの場から逃れるための言葉なのかもしれない。ここでそれを追求しても、きっとはぐらかされるのは目に見えてわかっている。

 だからこそフレアは仕方がないと笑みを浮かべ、視線をもう一度サラーキアに向ける。

 

「じゃぁ、すぐにノエルを助け出すよ!」

「合点承知!」

 眼下ではあと少しで出撃の準備を終えるであろう兵士たちの姿。ついに戦いが現実に起ころうとしていた。

 

「ちょっと待っててね……ノエル」



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なんも考えずに走るぺこ!

 サラーキアを目の前に、ウェヌスの蜂起軍が陣を固めていた。

 南方の地域各所から集められたその数はサラーキアの、宝鐘海賊団のおよそ三倍。サラーキアと内陸を繋ぐ唯一の橋は蜂起軍により抑えられ、街から逃げ出すことは出来ない。地の利、そして数の利でも蜂起軍に負けはあり得ない。側から見ればそう思うのは当然のことでろう。だがサラーキアを包囲する兵士たちの表情に余裕は感じられない。ここにいる全員が知っているのだ。絶対の優位は簡単に崩されると言うことを。

 

 たった五人。

 たった五人の人物が戦いに介入すれば、一気に数の優位は覆され、自分達は敗走することになってしまう。それを理解しているからこそ、緊張した面持ちでサラーキアを見つめている。

 しかし彼ら彼女らの瞳の中にあるのは怯えだけではなかった。

 

「みんな、怯えることはないよ。絶対にみんなを死なせはしないから」

 

 まるで理想的な言葉を口にしながら、隊列を前にサラーキアを見据える大きな背中。

 

 アキ・ローゼンタール。

 

 本来は可憐な姿をしたハーフエルフの女性ではあるが、『錨』の力をもって今はその姿を筋骨隆々とした男のものへと変異させている。その厳しさは兵士たちの心を落ち着けるに十分な頼もしさを持っていた。否。それは違う。例え姿が女性のままでも、兵士たちの信頼を彼女自身は集めている。ただ自らを変えてでも自分達に安堵をもたらそうとしてくれているとアキロゼを兵士たちは心の底から信じているのだ。

 その頼もしい背中の隣で、目深にフードを被ったメルは誰から見ても弱々しく見えた。もちろん今のアキロゼの姿の前では、どんな屈強な者でもか細く見えるだろう。しかしそれを抜きにしてもメル疲弊し、弱々しく見えた。

 

「アキちゃん、大丈夫?」アキロゼはメルの肩を支え声をかける。「無理しちゃダメからね?」

「大丈夫……」そう一言返すメルは息も絶え絶えに、苦しそうに笑みをアキロゼに送る。その微笑みを目にし、アキロゼも心が決まったのだろう。真剣な面差しで兵士たちに振り返り、重く響く声でこう告げた。

「全軍はここからは攻め込まないように。後の指示は夜空に任せる」

 もちろんその言葉は兵士たちの首を傾げさせた。全員が覚悟を持って進軍してきたはずであったのに、どこか肩透かしに感じるその言葉であったが、内心胸を撫で下ろす者は少なからずいた。

 

 しかしアキロゼの真意はそこではなかった。

 

 今にも倒れ伏すであろうメルに対しての気遣いからの言葉であることは、メル本人にもすぐに理解できた。それを悔しく感じながら「アキちゃん……うん、分かったよ」とポツリと呟く。それを気取られないようにメルは真剣な表情を見せた。

「この場はお任せください。全軍は指示があり次第すぐに動く事が出来るよう、準備を怠らないように!」

 言葉からは、肉体に見える弱々しさは見えてこない。そして兵士たちもメルの声に応と一斉に声を上げる。その気丈さと覚悟こそ、メルが信頼を集める所以だろう。

 それに満足しながらアキロゼは兵士とメルから離れ、離れた場所にいた三人に近づいていく。

 

「じゃぁ三人とも、準備はいい?」

「うん」

「はいよー」

「承知、致しました」

 

 フレアとポルカ、そしてアーニャは各々に、アキロゼの言葉に答える。満足そうな絵笑みを浮かべ、アキロゼは改めて「我儘を言ってごめん」と頭を下げながら続けた。

 

「出来る限りサラーキアの街を壊さないようにしたいんだ。まぁ街の人たちは避難しているだろうけど、それでも帰る場所がボロボロになっているのは悲しいからね」

 アキロゼの言うとおり、仮に兵士たちを動かし激突させれば、街は無事では済まない。

 だがこちらが兵を動かさなくとも、宝鐘海賊団が兵を動かさない保証はない。しかしアキロゼには、彼らは兵を動かさないという確信があった。これまで宝鐘海賊団が他の都市国家を陥落させた戦い方は物量で押し潰す戦い方ではなく、一騎当千の将による一点突破だった。だからこそ自信を持ってアキロゼは断言出来る。「きっとあの人たちも無用な血は流したくないはずなんだ」

 

 その確信を持った言葉に三人は頷く。

「誰か一人でも良い。あの『錨』のところまで行き着いて。そして……」

 視線をサラーキアに、『錨』に向けて、アキロゼは静かに呟いた。

「サラーキアの女帝を、止めよう」

 

 アキロゼの言葉の話は簡潔だった。

 目指すのは『錨』の真下、宝鐘海賊団の本拠地。斥候からの報告によれば、サラーキアの女帝は単身そこで誰かを待っているとのことだった。

 

 そして作戦も至って単純であった。

 アキロゼ、フレアとポルカ。そしてアーニャの蜂起軍の最大戦力である四人がサラーキアの四方から市街へ侵入し、『錨』を目指して進む。おそらく宝鐘海賊団自体も、サラーキア市街で動かすのは精鋭のみであろう。上手くそれを退けることが出来れば良し。もし出来なくとも、他の誰かが『錨』に行く着くことが出来れば良い。

 そのシンプルな説明に頷いた四人はそれぞれの侵入地点へ向かう前に身支度を整えることになった。

 フレアは一人、新しく巻き直した弓の持ち手の感触を確かめながら思い耽っていた。どれだけ気にしないふりをしていても、アキロゼの話にフレアの心の中がざわつき澱んでいく。

 そもそも一介の斥候が重要情報を簡単に掴めるのなのか。もしかすると情報を摑まされたのではないのかと疑問が浮かぶ。そして同時に彼女を初めて見た時のあの時の感情が、フレアの頭を占めていった。

 

 もしかすると、自分はサラーキアの女帝と会った事があるのではないかと。

 

「……何回おんなじこと考えてるんだ。そんなこと、きっとないんだ」

 頭に過った考えを一気に振り払う。深く息を吐いて、激しく動く動揺を抑え込もうとしていた。

「いやーびっくりだね」

 また気配が読めなかった。いつの間にかフレアの後ろにいたポルカがわざとらしく声を上げた。

「何? どうしたのさ、ポルカ?」

 怪訝な表情を浮かべながらポルカに視線を向けるフレア。「何か言いたいことでもあるの?」

 厳しいフレアの視線に苦笑を浮かべて「言葉の通りさ」とポルカは続ける。

 

「あのハーフエルフさん、存外にお人好しなんだなって事さ」

「お人好しって……」

「そのまんまの意味。戦う者としては甘すぎ。本来なら数で押しつぶせばいい。それにあの人言ったよね? “止めよう”って」

 

 そう言い放ったポルカの言葉には、嘲りのようなものは感じられない。ただ純粋に、心底理解出来ないといった調子で朗々と話していた。

 

 ポルカの言わんとしている事、それは詰まるところ『街の安全など気にせず、全軍で一気に攻め込めばいい』ということなのだろう。フレア自身もこれまでのヒト族との戦いから、占領戦を行うにあたってはそれが一番有効であることは理解している。しかし同時にアキロゼの口にした意向は尊重されるべきことであった。侵略の先に待つのは怨嗟の渦のみ。そしてそれは永劫にも続く枷になると、フレアは身に染みて知っていたのだから。

 

「みだりに壊して侵略する事が最善の道じゃない。私もそう思ってるよ」

 別段アキロゼの肩をもつわけではなかった。だがそれでアキロゼがお人好しと揶揄されるのは違う。フレアの言葉にポルカは「じゃぁサラーキアの女帝の件はどうなるのさ?」と帰す刀で問いかける。

 

「それは……」眉間に皺を寄せても、適切な言葉をフレアは見つけられない。ポルカの言う通りなのだ。アキロゼはあえて『止める』という言葉を選んだ。直接的な言葉ではなく、あえてどうとでも取れる言葉を選んだのだろう。

 

 フレア自身もそれを疑問に思わないわけではなかった。しかし頭に過った感情が彼女を苛む。それが彼女に訴えかけていた。本当にサラーキアの女帝は『殺さなくてはいけない』ほどの罪を犯しているのかと。

「正直分からない。多分アキさんも同じなんだよ……それに」

 曖昧な言葉のまま、それでもこれだけはとフレアは言う。

「それに、出来れば私はノエルに人が死ぬところを見せたくないんだ」

 本当ならば、それこそがフレアにとって絶対に死守しなくてはならない境界であった。

 しかしそれは果たせず、ノエルは今戦いの只中にいる。だからこそフレアは決意を持ってポルカを見据えこう続けた。

「もし、本当にサラーキアの女帝がやろうとしていることが間違っているとしたら。その時は私が……」

 

 ノエル自身を戦いからは遠ざけたかった。それが叶わない今、最悪の事態だけは避けないといけない。その一心からの言葉であった。だがどうしても最後の言葉が喉に詰まる。あの時、ソラに映し出された映像の中の、宝鐘マリンの姿と声が意志を鈍らせる。

 しかし、それはまやかしだ。自分自身が経験のしたことのないことなのだと、動揺する自分に改めて言い聞かせる。

 

 大事なものは既にハッキリしているではないか。

 

「終わらせるよ」

 

 澄んだ声でそう告げた。

「私が、終わらせる。サラーキアの女帝を殺してでも、止めてみせる」

 

 落ち着いた声でそう続けたフレアの表情は、最早動揺を感じさせない。ただ明確に守るべきものを見据えたものの、覚悟の表情がそこにはあった。

 

 それを目の当たりにし、驚きの表情をみせるや、次の瞬間にはニヤリと口元を吊り上げるポルカ。

「あぁ、だからホントにアンタは……」嬉しそうな表情にさすがのフレアも不信感を募らせていると、咳払いをしつつポルカが言った。

「ごめんごめん。でもそうだね……そっか」

「何よ、ハッキリ言いなって」

「あぁごめん。ちょっとビックリしたんだ。まさかそこまで覚悟出来てんだとは思ってなかった。改めて見直したよ」

 

「なんかすんごく馬鹿にされてる気がするんだけど」

 フレアの言葉に「そんな事ない。生きている人の中でポルカはフレアを一番認めてるよ」と返した。普段なら手放しの賞賛など送らない彼女が珍しい。目を丸くしているフレアにポルカはフッと息を吐いて続ける。

 

「でもね、ちゃんと確認しなきゃいけなかったんだ」

 そこには先ほどまでのおちゃらけた様子は全く見えない。ただ真剣な眼差しでフレアを見据える。

「アンタはそれくらいの覚悟で臨まなきゃいけない。迷うな。自分の目で見て、そしてちゃんと決めるんだ」

 一体ここまでポルカが必死になって何を伝えたかったのか、フレアには分かっていなかった。ただ覚悟を口にしていても、きっとサラーキアの女帝と相対すればそれが揺らぐと言いたいのだろう。彼女の忠告を受け止め、首を縦に振るフレアにばつが悪そうに右手で自身の頬を掻くポルカ。

 

「でもそうだな……あのハーフエルフさん、確かにお人好しなんだろうけど、それがあの人の魅力なんだね。ただ非情な人のために、こんな沢山のヒトが集まるはずないよ」

 

 必死に取り繕っているつもりなのだろう、そんな不器用さにフレアの顔から一瞬緊張が消える。

「そうだね。ただ強いだけじゃ、あんなに人を束ねられないよ」それはアキロゼの魅力のなせる技なのだろう。心底そう思いながら、大きな背中を見つめると思い出したようにポルカが呟く。

 

「それにあの吸血姫を最前線に出さないように気をつけてるし」

「メルさんがどうしたの?」

「あのヒトもすごいね」

「そりゃあのヒトはあぁ見えてもかなりの武闘派で」本人は否定していたけどとフレアは苦笑したが、呆れたようにポルカが言う。

「違うって」

 なぜ分かっていないのか、まるでそう問いかけるように言葉は紡がれる。

 

「ポルカが言いたいのはさ、“よく保ってるな”ってことさ」

 

 言葉の不吉さに緩んでいたフレアの表情も、再び厳しいものに変わっていた。そして「ハッキリ言って」と言うとポルカは嘆息しながら続けた。

「あのヒト、もうとっくに限界だよ? 多分こっちに関わりたか、力を与えすぎているか……」

「限界? それにこっちって、どうゆうこと?」

「分かってるんでしょ? あの魔女っ子に関わってるししょーなら。魔女っ子と吸血姫の違いがさ」

 

 唐突に出たシオンの名前に一瞬驚いたフレアであったが、不思議と何を言わんとしているのか理解できた。しかし上手くそれを言葉に出来ず黙りこくっていると、痺れを切らしたようにポルカが乱暴に叫んだ。

 

「……とにかくさ! ポルカ、アンタだけは絶対にあそこに、『錨』まで連れていくよ。その露払いくらいはこなしてみせるさ」

 

 そう口にしたポルカの口元は、また吊り上がっていた。

 その不気味さに、フレアは何も言えず、ただそう言って離れていくポルカの後ろ姿を見送るしか出来なかったのだった。

 

 歩き去るポルカの後ろ姿を見送りながら、フレアは感じたことのない奇妙さを感じていた。思えば彼女の言動の全ては、何もかもを見透かしているように思えて仕方がない。今すぐに問いたださないといけないと、ポルカの背を追おうと立ち上がりかけた。

 

「フレア様。少しだけ、よろしいですか?」

「ーーーあ、アーニャちゃん」足を進めようとした直前で横から響いた声に足が止まる。

「どうかした?」

「すいません。お急ぎでしたか?」

 そう問いかけるアーニャに、気にすることはないと頭を振るフレア。今すぐに尋ねなくてはいけないことでもないだろう。そもそもこの件が終わった後に全て話してくれると先ほど約束したのだから。フレアは自分を納得させ、アーニャを正面に捉える。

 

「大丈夫だよ。何か困りごとでもあった? 私でよければ聞くけど」

「いいえ。困り事などは特に。ただ……」

「ただ?」

「ただ、アナタ様に改めてお詫びをしなくてはいけないと思いまして」

 

 フレアは首を傾げた。アーニャが一体何の間違いをしたというのだろう。皆目見当のつかないことであったが、彼女の申し訳なさそうな表情を見ると、気にするな、の一言では済ますことは出来ないのも事実であった。

「話してみて」フレアはニコリと笑みを浮かべた。ウェスタでノエルと過ごしていた日々を思い出すように、小さな子どもに話しかけるように穏やかに言った。

 

「まあ私が解決してあげられるか、分かんないけどさ」

「ノエル様のことです……」

「ノエルの事? でもなんで?」

「きっと女帝が彼女に気付いたのも、私がきっとウェスタに向かったことを気取られたからだと思うのです。だからーーー」

「違うよ」

 アーニャの言葉を遮り、フレアが彼女の両肩に手を置く。「絶対にそれは違う。君のせいじゃない」

「しかし! ……しかし、私がアナタ様をこちらに連れ出さなければ、きっとノエル様は……」

「んーどうなんだろうね。でも結果は変わらなかったんじゃないかな」

 フレアがそう言った瞬間、アーニャの口から「は?」と、とぼけた声がこぼれ落ちる。それが面白かったのだろう、クスクスと笑いながらフレアは続けた。

 

「本当は戦いに巻き込みたくなかった。うん、それは事実さ。でもね、あの子があそこにいるって事は、シオンは何にも出来なかったって事なんだ。私より強いあの人が、手も足も出なかったんだったら……きっと私も何にも出来ていないよ」

 

「そんな、ことは……」そう言って言葉を詰まらせる。

 おそらくアーニャ自身もサラーキアの、宝鐘海賊団の将たちの力を目の当たりにしたことはあるのだろう。その力の強大さを思い出せば言い淀むのも無理はない。フレアはそう思いながら「無理しなくていいんだ」とまた微笑んだ。

 

「でもさ、逆にスッと気持ちが軽くなったよ」フレアが小さく呟く。

「なん、で、ですか?」アーニャは瞳に怪訝な色を滲ませて言う。

 フレアは心の中で反省する。あまりに言葉足らずだっただろうか。確かに困惑しても無理もないなと思い、しっかりと伝わるように思考を巡らせる。しかし存外自分でも考えが纏まっていないことに気付き、思わず苦笑しながら言った。

 

「ノエルをウェスタに置いてきたこと、正直後悔してたんだ。やっぱり姿が見えないのってすごく不安になるんだよ。どうしてるのかなとか、怪我なんてしてないよねとか、色々考えちゃうんだ」

 それにずっと後ろ髪を引かれていた。ずっと目の前の起こっている事に集中できていなかったことも事実だった。

「でもね、映ったあの中にノエルがいて、まあ確かに不安そうな顔してたけど、すっごく安心した自分がいるんだ」

 それは聞く者には違和感を覚える者であっただろう。しかしフレアはそれを是とした。他人に分かってもらう必要はなかった。ただ自分の中の決意が揺らがなければそれで良かったのだ。

「迎えに行くよ。ついでに、この問題もどうにかするよ」

 

 ひどく簡単に言ってのけたフレアの表情に、先ほどまでの憂いは感じられない。明確に自分のやるべきことが見えたのだとその表情は語っていた。しかしそれを間近でみていたアーニャにとって、フレアの回答は意味の分からないものだったのだろう。

 

「そんな、どうやって?」

 口にした彼女の言葉はあまりに辿々しく聞こえた。狼狽えるアーニャにフレアは「まあそうゆう反応になるよね」と苦笑した。

 

「サラーキアで起こってる事、全部どうにかするよ。ついでにみんなのことも助けれればいいかな」

「そんな……それはあまりに」

「不誠実って思う? でもそんなもんで良くないかな?」

 視線の先に再びサラーキアの『錨』を捉えたフレアは続ける。

「私はノエルが一番大事なんだよ。それであの子だけを守れればそれでいいの」

「それでは……他の皆さんは」

「もちろんどうにかするさ。でもさ私ね、そこまで器用じゃないんだよ。だから自分がやれることだけ。自分がやりたいことだけをやるって、そう決めたんだ」

 

 それは見方によっては独りよがりな言葉にも聞こえた。しかしその声を聞いているアーニャにとって、不思議と嫌に思わなかった。むしろ清々しいとさえ思えるその言葉に、彼女は押し黙って耳を傾けた。

 

「肝心なのは何を思うかじゃなくて、何を為すかなんだから」

 それはフレア自身にも言っているように聞こえる。どんな過程も全ては一つの結果に帰結する。やるべきことが明確だからこそ、フレアはそう言えるのだろう。

 それを素直に羨ましく思い、そして感じ入りながらアーニャは呟く。

 

「そうか……」その小さな呟きはフレアの耳には届かなかったのか、フレアはそのまま続けた。

 

「別に肩肘張ることないんだ。難しく考えることなんてないんだよ」

 しかし彼女の言葉は確実にアーニャの胸の中に響いた。

 

「……そうか。そうだったんだ……」

 

 押し黙っていた彼女の口から小さく言葉が溢れる。

「どうしたの?」

 突然のアーニャの呟きに違和感を覚えたフレアが問いかけても、すぐに彼女が答えることはない。ただその瞳には、確信が宿っていた。

 

「大丈夫です。ただ……」

 少しずつ、自分の中に湧き出た感情を言葉にしようとするアーニャ。しかしどうしてもそれをうまく言語化できないのだろう。苦しそうに顔を歪めるアーニャに「ただ?」と問いかける。

 その言葉が助け舟になったのだろう。アーニャの表情から固さは抜けていき、ふっと笑顔を浮かべてこう答えた。

 

「やるべきことが、ようやく分かったのです。私の、私の為すべきことが……」

 

 そしてその瞳にはフレア同様、なんの憂いも感じられなかった。ウェスタにやってきた頃の、無感情な様子はない。ただしっかりと光を宿した瞳には、頼もしさ以上のものを感じさせた。

 フレアは自身の右手を差し出しながら、「そっか。じゃぁもう止まってられないね」と言った。差し出された手の意味を最初は理解出来なかったアーニャだったが、自然とその手をとる。

 

「フレア様?」

「ん、とりあえず肩の力抜いてさ。気楽に行こうよ」とフレアはそう言った。「やるべきこと、ちゃんと見つけたみたいだね」

「えぇそうですね」

 アーニャはにこやかに笑みを浮かべていた。

 

「“人の往く道を切り拓く”それが『クリス』の役割ですから」

「でも、無理しないでね」

「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」

 

 アーニャの瞳に宿ったその光に、フレアは素直に頼もしいと思った。諦めや自暴自棄のようなおどろおどろしいものではなく、鮮やかな、初めて会った夜のソラを思い起こさせる光であった。「私は迷わずに、まっすぐ進めます」

 そう言葉を交わした刹那、アキロゼの声が大きく響いた。

 

「さぁみんな! そろそろ行こうか?」

 

 その言葉に全員が息を呑む。それは戦いの前に自身を鼓舞させる雄叫びではなく、ただ透き通った響きであった。

 そしてフレアは再びサラーキアを見つめる。

 自らの望みを果たすために、思いを形にするように、また小さく呟いたのだった。

 

「ノエちゃん……うぅん。今行くからね、ノエル」



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なんも考えずに走るぺこ! 2

 獅白たち一行がサラーキアの裏道を進んでいく。

 彼女たちの耳にも蜂起軍がサラーキアの直前で陣営をはったというのは届いていた。しかし彼女たちにとってはそれは瑣末なこと。蜂起軍が迫ったこの混乱の最中、サラーキアの女帝に最短距離で近づけばいい、と思った瞬間違和感がぺこらの頭の中に浮かんだ。サラーキアの女帝の前に立って何をすればいいのだろう。具体的に止める術など思いうかびもしなかった。ただ“行かなければいけない”という確信だけで彼女は獅白と共に進むと決めていた。

 

「ウサギさん、大丈夫かい?」

 前を歩く獅白が声をかける。

「あ、うん」

 ぺこらは動悸を抑えながら平静を装って答えた。「ちょっと息があがっちゃったけど、気にすることねーぺこ。アンタは平気っぽいね」

 

 獅白はニヤッと笑みを浮かべ視線を上に移した。ぺこらの言葉通り、別段獅白に疲れた様子は見えない。それはもちろん二人の後についてきていたムーナも同様であった。

 

「まあね。でももう街の中心だし、ここからはもっと静かに動かないと……」

 はたと獅白の言葉が、表情が固まる。見上げたソラに何かを見つけたのだろうか、視線はソラから街の中心である『錨』から外れ、街を貫く大路にに向かう。明らかに彼女の瞳から冷静さは消えている。

 

「どうした? なんかあったぺこ?」

 

 ぺこらは獅白の変化に思わず尋ねた。「なんかヤバいものでもあった?」正直な問いかけに、大路に気を取られていた獅白も思わず笑みを浮かべる。

 

「なんか気になってることでもあるんならそっちを優先するぺこだよ?」

「違うよ。実はね……最大の目的があっちから来てくれたみたいなんだ」獅白はそう言うと、再び大路の方を見つめた。

 

「それってつまり……よし、行くしかねぇぺこじゃん!」最初は言い淀んだが、最後にはハッキリとした口調でぺこらはそう言った。しかし彼女の言葉に獅白は首を縦には振らなかった。ぺこらの言葉に「違うよ」と首を横に振る。

 

「なんで? 一緒に行けばーーー」

「ここからは私一人。二人にはさ、サラーキアの女帝を頼みたいんだ」

 ぺこらの声を遮ったその言葉は、ハッキリとぺこらとムーナを突き放していた。しかしそれを簡単にぺこらは認められない。

 

「な、何言ってるぺこか? 今更……」

「ごめん。でもさ、分かってほしいんだ」

 次の瞬間、深く頭を下げる獅白。「アイツのところに行くのは私一人じゃなきゃいけない。もちろんウサギさんに協力してもらえれば早く終わるって言うのは分かってる。でもそれじゃダメなんだよ」

 彼女自身も、なぜその想いに囚われれいるのか理解し難いのだろう。俯いた表情は困惑に歪んでいた。

「それに」しかし自分の気持ちだけではないのだと彼女は続ける。

「多分だけど、私がサラーキアの女帝に言ってあげられることなんて、多分ないと思う。なんでだろうなぁ。きっとウサギさんなら出来る気がするんだ。そんな確信があるんだよ。うさぎさんが女帝のとこに行ってあげてほしい」

 

 獅白はそう言って「本当にごめん」と改めて頭を下げた。

 しかしそれはぺこらにとってはあまりに負担の大きなことであった。ぺこらは顔を強張らせて「だから、なん……」と口にしかける。

 

 刹那、押し黙ったままだったムーナの手がぺこらの肩に触れた。諭すように置かれたその温かい手にハッとさせられた。

 

 桃色の光にも、そして不死鳥と死神の如き者にも言われたのだ。

 

 『自分で選択できるはずだ』と、『救ってほしい』と。それがサラーキアの女帝であるのかはぺこらには分からない。しかしそれでもここで決断しなくてはいけないのだとそう思った。そして冷静に獅白の望みを心に留め、こう返した。

 

「って……あー! 分かった、やってやる。任せるぺこ! 絶対にぺこーらとこの子で女帝をどうにかして、んでアンタのとこ行ってやるぺこ!」

 それは強がりだろう。しかしこう答えることがきっと正解なのだとぺこらには思えた。

 そして獅白の浮かべた笑顔が、それが間違いでなかったと告げている。それは間違いなく、これまでぺこらは見た中で、最も美しい笑顔であった。

「あんがとね。ウサギさん」

 

 獅白と別れ、ぺこらとムーナは二人で裏路地を進む。獅白がいなくなった途端に心許なさが心を占めていく。本当は立ち止まってしまいたい。物騒なことに関わりたくない。ここは戦場で、いつ襲い掛かられても不思議ではないのだ。自然と緊張が身体を固くしていく。しかし立ち止まることも、止めることも出来ない。

「……」

 ぺこらが止まると言うことは、隣にいるムーナも行く宛を失ってしまうと言うことなのだ。そして獅白と“サラーキアの女帝をどうにかする"と、そう約束した。今更足踏みをすることは出来なかった。

 だからだろう。心配そうにぺこらを見つめるムーナに明るく「不安そうな顔すんなって? まあそうぺこな」と言ってみせた。

 

 もちろん不安だ。

 やめてしまいたい。

 会ったこともないサラーキアの女帝を止める義務など、自分にはないはずだ。

 

 しかし何度も頭に湧き上がるそんな気持ちを、その度に打ち捨てて彼女は続ける。

「でも、やるぺこだよ」

 全ては約束のためだ。それに流されるままでは癪に触る。だからこそ自分で選ぶために、ぺこらは災禍のど真ん中に飛び込むと決めた。それを憂うことはもうしないと、決意は固い。

 ハッキリとしたその言葉に、フッと口元を和らげるムーナ。心底ホッとしたのだろう。柔和な瞳の菫色は、裏路地に差し込むほのかな光のように優しい。その色はぺこらに故郷にある家族や友人たちを思い出させた。

 

「ちょっとうるっときちゃう。でもまあ良い土産話になりそうぺこ!」

 この小さな冒険譚を土産話にするために、必ず帰らなければいけない。気持ちを引き締め直す彼女の眼前に、開けた空間が映った。ここから先、『錨』を冠する建物まで身を隠せる場所はない。誰もいないことを祈りつつ、キッと視線するどく、ぺこらは自らに鞭を打つように言った。

「さぁもうすぐ着くぺこ。気合い入れ……」

 

 裏路地を出た瞬間であった。

 

「ーーーへぇ。まさか」

 

 カラカラとその声は甲高く、しかし苛むことなくぺこらとムーナの耳に届いた。

 『錨』を背に、二人の少女のカタチをした何かが、こちらを見つめている。それに言葉を無くし、ぺこらはボンヤリとそれを見つめた。

 

 三叉槍を携え、小柄な深い青の瞳の少女は嬉しそうに笑みを見せた。それを嗜めるように、落ち着いた黒の瞳の少女は、表情とは裏腹に驚きの響きを持って言った。

 

「まさか最初に見えるのが異界の姫君と月の姫とはね……まるで異世界の御伽噺だわ」

 

 突然の言葉に、ぺこらは咄嗟に言葉に出来なかった。その背後から心配そうにぺこらの肩を支えるムーナ。彼女の表情にも焦りの色が見えた。ここまでの状況を想定できていなかったのだろう。

 

「しっかり……」ぺこらにそう言うしか出来なかった。

 一人であれば声を上げて叫んでいただろう心持ちであったが、ムーナの存在があったからこそ持ち堪える事ができた。しかしうまく言葉を返す事ができない。「……あれ」だが、どうしても聞かなくてはいけなかった。

「あれ、『何』ぺこか?」

「落ち着いて」

 もう一度そう言ってぺこらを落ち着かせようと試みるムーナ。しかしもう少し言葉を選ぶべきだったと次の瞬間に思うことになる。

 ムーナの言葉に我を忘れ、ぺこらは悲鳴に似た音でこう言った。

 

「でも、あれ! ヒトのカタチにしてるけど、あれは『何』ぺこか?」

 

 柑子色の瞳には確かに、二つの少女の姿が写っている。しかしそのヒトガタに内包された力は、少女のものからは明らかに逸脱したものを秘めている。それを一眼見ただけで看破してみせたからこそ、ぺこらは正気を保てなくなっているのだ。

 しかしそれはその場にいる全員が予想だにしなかった事だったのだろう。深い青の瞳の少女は、一層嬉しそうに顔と歪める。

 

「へぇ、月の姫はともかく、一眼見ただけで見破られるんだ」

「普通は無理。あの人はこのセカイの理に縛られていない。だから分かるんだ」

「それだけじゃない、だろ? ……ふぅん、『番人』も噛んでるみたいだね」

「あら。じゃぁどうする?」

「いいじゃん、放っておけば。細かいことは抜き。ともかくシオンくらい、楽しませてくれそうだよ!」

「ぐら。少しは落ち着いたら? ウェスタから帰ってきてから飛ばし過ぎだよ」

「わかってるよ、いなにす。でも、あんな面白いもの目の前にしちゃったらさ……はしゃぐなってのが無理でしょ?」

 

 面白い玩具を見つけた。ぐらと呼ばれた少女は携えた三叉槍を弄び、品定めをするようにぺこらたちを睨みつけ、いなにすはその様子にため息をつく。

 はたから見れば姦しい少女のやり取り。最初に感じさせた身の毛もよだつ雰囲気との噛み合わなさに正常な判断ができずにいた。しかしどうにかギリギリで保てていたのは、背を支えてくれていたムーナの暖かさのおかげなのかもしれない。

ようやく気持ちを取り戻したぺこら。「ごめん、パニックになっちまって」とまだ言葉は辿々しいが、最初の慌てようからは幾許かマシになっていた。

 

「落ち着き、ましたか?」

「……それで、あれって」

 この感覚に似たものをぺこらは知っていた。つい先日に、同じ衝撃を受けたばかりだと振り返りながら呟く。それを頷きながらムーナはシンプルに「あれが『神話』です」と答えた。「まさか深海の主と古きカミが揃って待ち構えているなんて……」

「そっか。あのヒトたちが……」

 

 自分を試した不死鳥そして死神と同じ存在が目の前にいる。そしてその浮かべる表情を見れば、少女の、ぐらの言わんとすることは嫌でもぺこらにも理解出来た。

 

 再びぐらの口角がニヤリと吊り上がる。

「ねぇ姫君! シオンが来るまで……暇つぶしにーーーッ!」

「ーーー走れ!」

 

 それは唐突な響きだった。乱暴な口調ではあったが、優しさを感じさせる声が四人の間に突然放り込まれた。その声に引き寄せられるように全員の視線が音の放たれた場所に向かう。

 彼女らの上方、陽を背にそれはくっきりと影を落とす。影だけでもわかるほどにすらりとしたその腕は、手に携えていた弧状の何かを強く引き絞り、自由落下の最中にその標的を定める。

「そこのうさぎ! なんでもいいからとにかく走れ!」

 もう一度声が響く。

 ぺこらの視界にその姿がクッキリと映る。

 後ろに一括りにされた長い金砂の髪を風に靡かせながら、褐色の肌をした女性が一人、何も番われていない弓を引き絞り、ぐらを捉え、そしてそれは放たれた。

 ゾクリ。確かに奔る背筋の凍る感覚。

 目には見えない何かが光の速さで降りてくる。

 

「ダメ……」

 次の言葉が出るよりも早く、足は動いた。

「ーーー早く、早く!」

 もう考えてはいられなかった。

 ただ自分の背後にいたムーナの手を掴み、少しでもと一心で彼女は駆け出した。

「離れる! とにかく、なんも考えずに走るぺこ!」

 

 街の中心から轟音が響く。睨み合いを続けていた宝鐘海賊団、そして蜂起軍の面々に緊張が奔る。しかし全員が動くことを禁じられていた。兵士たちがぶつかり合えば、街は破壊され、後には怒りと悲しみしか残らない。それを理解していたのだ。

 否、実のところ、それは言い訳だ。

 彼ら彼女らが耳にした轟音は、まさに神の使いの吹き鳴らす喇叭のごとく、絶望でその心を塗りつぶした。自分達では、この戦いについてはいけないとそう思わせる音が兵士たちの耳を劈く。しかし目を覆いたくなるような自分達の不甲斐なさから目を逸らさずに、全員が待ち続けていた。

 これから始まる、少女たちの戦いの終結を。

 

 

「クリス、ですか。まさか私の相手がアナタとは」

 街の東から単身潜入したアーニャの前に、風を身に纏い、眼光鋭く彼女を見つめるのは“風舞う孔雀の乙女”。宝鐘海賊団にあって唯一、魔法という神秘に触れた者。パヴォリア・レイネ。

 風に靡く淡い色の髪をアーニャはただ美しいと思いながら眺めていた。

 そして同時に、目の前の人物と戦うことを、彼女は信じることが出来なかった。

 

「……」だから何も言葉にならなかった。ただ固唾を飲んで、その美しい銀髪を見つめた。ぼんやりとした表情が気に入らなかったのか、レイネは冷えた言葉のまま続ける。

「エルフの首魁を主に選んだのですね……しかし我が君に楯突くものに容赦はしません」

 

 レイネの言葉に、ぼんやりとしていたアーニャの表情が一変する。その表情は自分の感情を説明出来ない、曖昧な表情だった。

 だからかもしれない。レイネに「違います」と返した彼女はそっと虚空に視線を移し、吐き出すように言った。「私はまだ、何も選んでいません……」

 しかしそれはレイネを怒らせるには十分であった。

「何を……」刹那、レイネの纏う風に殺意が宿る。ありありと目の前の、アーニャに対する明確な敵意として、その風は鋭さを増していった。「この後に及んで……バカなことをッ!」

 

 

 街の中心から最も離れた場所。大海に面した西側から侵入するのは大きい、あまりに大きい背中。

 隠密行動などから端から行うつもりなどないのだろう。悠々と街の中心を、『錨』を目指し、蜂起軍の長たるアキ・ローゼンタールは歩みを進めていく。おそらくその姿を目にし、戦いを仕掛ける者はそういないだろう。それほどに、その立ち姿は強者であることをありありと示していた。

 だが例外は必ずしも存在する。

 

「遠路はるばる、ご苦労様でございます。ローゼンタール様」

 

 静かにアキロゼの行く道を遮ったのは『雪の華』。このサラーキアを実質的に治める者、雪花ラミィ。彼女を目の前にして、アキロゼは驚きの声をあげた。

 

「これはこれは。まさかこんなにも早くアナタに会えるなんて。それに光栄だよ。あの『雪の華』に名前を知られてるなんて」

「無論です。アナタたちのことは詳らかにしております」

「なるほど。で、どうする?」ラミィのキッパリとした物言いに、不敵な笑みを浮かべアキロゼが問いかける。

「もちろん、やることは決まっています。アナタを打ち倒し、我ら宝鐘海賊団に盾突く者がどうなるか、知らしめましょう」

 もちろん予想通りの言葉が返ってきた。だからこそ彼女も声高に叫ぶことが出来る。例え結末がわかっていようと、そう叫ばずにはいられなかった。

 

「良いでしょう。じゃぁ、やってみせなさい!」

 

 

 そして街の南方。既に二人の少女が向かい合っていた。

「あーらら。なんでなのかなぁ」一人はポルカ。まるで久しく会っていなかった友人に話をするように気安く、目の前に立ちはだかるメイドに話しかけた。

しかしメイドは、湊あくあの反応はつれない。「帰ってくれないかな?」そう一言返してポルカを睨みつけた。

 

「つれないなぁ。なんでそんな風に言うのかな?」

「じゃないとアナタ、死ぬよ?」ゴンと、地面に打ち付けるのはどこからともなく取り出された無数の武器に、ポルカは声を上げて感心した様子を見せる。「ほぉ。大きく出たもんだ。さすがあくたん。すげーすげー」

 びくりと、あくあの肩が震える。「……なんで、あてぃしの名前、知っているの?」

 

「知ってるよぉ! ポルカはなーんでも、知ってるよぉ?」そう答えるポルカに怪訝な視線を向けるあくあはそれ以上言葉を発さない。

 

 面白くない、ため息をつきながらポルカは諦めたように言った。

 

「あーあ。本当はのらりくらりやるつもりだったんだけどねぇ……うん、まぁしょうがないねぇ。とりあえず始めようか? さぁさぁ楽しい楽しいショーの開演だ……泣いてもしらねぇぞぉ?」



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私はクリス……ヒトを、守るモノ

 苛立ちをかき消すように、否、ひた隠しにするように、自身の身体に纏わせた風に魔力を込めるレイネ。鋭い視線をぶつけるように、敵意を持った風をアーニャに差し向ける。

「ッ、行きます……ッ」

 小さく息を吐き、身を屈めながらその風に応えるアーニャ。静かに、しかし殺気を讃えながら二人の戦いは始まった。

 

 ゴウと風が周囲を引き裂く。まるで爪のように、牙のように縦横無尽にアーニャ目掛けて飛び込んでくるその風が、さながら獣の動きといえよう。それに触れれば、普通のヒトの身ならば真っ二つになるであろうことは容易に容易いだろう。

 それが自然の力。魔力により大気を支配するレイネの有する特異な力なのである。

「……ッ!」

 どこから迫るとも知れない、風の鎌を飛び跳ねるようにアーニャは避ける。

 彼女の手にする得物は未だにその掌に現れることはない。ただ時を待つように、まるで舞踊を思い起こさせる軽やかさで全ての殺意を避け続ける。

 

 しかしレイネの風が瀑布とするならば、蝶の羽ばたきが如くアーニャの動きが飲み込まれるのは必定。風はまるで取り囲むようにアーニャを包囲し続け、その退路を奪い続ける。いわば決着は時間の問題である。

 当初のレイネはそう考えていた。自分の制圧力があれば、いかな強者であっても打ち勝つことが出来る。そう信じて疑わなかった。

 

 それは、レイネにとっては疑わしい光景であった。

 確実に自身の放った風はアーニャを追い詰めている。いかに俊敏であってもそれを超える速度で放つ自然の力を、ヒトガタが避け続けることなど不可能に等しい。

 

 しかし、目の前でそれは起こっている。

 全方位から繰り出される風の刃を、アーニャは全て躱し続けていた。

「……さすがはクリス、ということでしょうか」

 疑ったその光景を飲み込み、レイネが呟く。

 目の前のヒトガタへの評価を改めなければならないと自分を省みながら、それでも風に魔力を込め続けた。

 避けられるのならばより早く打ち出せばいい。檻は、風は最初からアーニャを取り囲んでいる。

 

 その慢心がいけなかった。

 

 幾度めかの風がアーニャの脇を薙いだ瞬間、

「ーーーはーーーッ!」

 短い声と共に、彼女の身体が鋭く跳ねた。

「ーーーー!」

 それはまさに瞬きの間の出来事であった。レイネが認識するよりも速く、アーニャの身体が爆ぜ、大きく開いた間合いがゼロに縮まる。

 言葉にならない動揺がレイネの頭を占めた。故に反応が、腕の送りが、回避のための体捌きが、全てが数瞬の遅れてしまう。

 

 それは戦いの場においては致命的な過ちである。

 油断をした者から、後れをとった者から散っていく。それが戦いにおける当然の在り方。

 

「ふーーーーー」

 再び短くアーニャが息を吐く。

 それはこの一打を以て終わらせようという決意。深く、鋭く踏み込まれた足で大地を蹴り上げながら一閃、それは繰り出される。

 

「ーーーシッ!」

 何の工夫もない、ただ拳を硬め、鋭く打ち出す。

 しかしその速度を見よ。

 カミの如き存在すらも見とめられない雷のように、その拳はレイネの腹部を捉えんと放たれた。

 

 

 クリス。

 それは“ウツシヨ”において数多の逸話を持つ剣。

 この剣は決してヒトを傷付けるにあらず。

 神の天啓を受けし造り手によって造り出される、まさに祝福の剣に他ならない。

 

 しかし、しかしそれはあくまで“ウツシヨ”と呼ばれる、異世界においての在り方である。

 

 であればこのホロアースにおけるクリスの在り方を提起するものは何か。

 

 それはクリス自身である彼女アーニャ・メルフィッサはおろか、今を生きる誰にも分からないだろう。

 それは彼女が造り出された遥か過去から現在に至る時間の中で虚になり、そして彼女を創り出した者たちが居なくなった後に忘れ去られてしまっていた。

 

 しかしそれが今、詳らかなろうとしている。

 奇しくもそれは、別の出会い方であれば友人同士になったであろう者との、命の取り合いの最中で明らかになろうとしていた。

 

 雷を思わせるアーニャの拳が空を打ち破っていく。その拳は確実にレイネの水月を穿つ軌道を描いていた。

 不意を突いた。決して防がれることはないであろう確信を持ち拳を突き出すアーニャ。

 

「ィッーーー!」

 

 しかし痛みに耐える言葉が漏れたのはレイネではなく、アーニャの口から溢れた。

 目で捉えられぬ速度で打ち出されたはずのアーニャの拳が、見えない何かに阻まれその細腕を傷付けていく。

「これは……」

 なぜ忘れていた。

 どうして簡単に懐に入ることが出来ると思った。

 今まで何に攻撃されていたのかを、どうしてアーニャは覚えていなかったのか。

 

「ーーーなるほど」

 苦悶に耐えるはずだった声ではなく、得心がいったという音だった。

 

「これがアナタの力ですか」

 素直な賞賛を口にしながら、レイネはアーニャを睨みつける。

 アーニャの拳を遮り、そして傷付けたのは大気の鎧。

 

 大気は当たり前のように彼女たちの周りに漂っている。

 そしてそれを攻撃に利用できるということは、守りに転用できることは道理。

 

 一矢報いようとしたアーニャにとって、それは頭の片隅にあれど、現実に起こらないとそう思い込んでいた。それを見とめた瞬間、互いに打ち合える間合いから一気にアーニャは後方へと飛び去る。その判断の速さに「素晴らしいものですね」と感嘆の言葉を述べながら彼女は続ける。

 

「しかし、アナタは私を見くびっているようですね」

 ズバリとレイネがアーニャの考えを見透かす。

 傷ついた自身の右腕とレイネを交互に見つめるアーニャは、自らの浅はかさを呪った。

 彼女の言う通りに、レイネの事を見くびっていたわけではない。ただ咄嗟の力の行使は出来はしないと思い込んでいたのだ。

 それも心外だと、レイネは苛立ちを募らせながらアーニャを睨む。

 

「……」

 とめどなく流れる鮮血が、それが現実であるとありありと示してくる。

 認めなくてはいけない。

 目の前に立ち塞がる魔法使いは、歴戦の勇士であると言う事を。

 間合いを開いても、周りにレイネの風が吹き荒れる中では避けるので精一杯。隙を付き間合いを詰めたとしても、風の鎧に妨げられ、決定打を与えられない。

 

 時間が経てば経つほど、アーニャの不利は明白であった。

 

「何を止まっているのです!」

 しかしレイネは考える余裕など与えることはしない。再び風に狂気を滲ませる。

 風は叫び声を上げ続ける。

 自らの主の思いに呼応するように。

 まだ終わらないと、その牙を見せびらかしながら、執拗に獲物を攻め立て続けた。



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私はクリス……ヒトを、守るモノ 2

 取り巻く大気が姿を再び牙に変え、敵意を孕んで襲い掛かる。

 もちろんその鋭さを感じ取れる者などいようはずがない。そのカタチを感じ取れる者などいようはずがないのだ。

 

 それは間違いなく倒すべき敵に、アーニャに迫り、その身体を貫こうとしていた。

 

「ーーーそもそも!」

 

 間合いにして二十余歩以上の距離。怒号を張り上げるレイネは先ほどまでと変わらずに厳しい視線を向ける。

「空手で挑むこと自体が、舐めているのです!」

「ッ!」

 そのはっきりとした物言いが耳に痛い。アーニャは顔をしかめて、レイナの猛攻を避け続けた。

 確かにいかに隠密行動であろうと、不慮の事態に対応するために、得物の一つ、持っておいて然るべきだ。しかしアーニャはどこからどう見ても徒手空拳でサラーキアに潜入している。そこから見える考えのなさがどうしてもレイネは許せずにいた。

 

 しかしその怒りは隙を作る。

 いかに全てを覆い尽くす大気を操作したとしても、それを繰るのはレイネ自身。感情任せの力の行使はそれを緩慢にさせ、アーニャを囲む檻に隙間を作る。

 

「ーーーッ」

 小さい身体が深く沈み込む。視線は前方、レイネを見据えその脚に力を込める。

 二十余歩の間合いを、瞬きの間に無にする突貫。

 阻む大気の鎧を諸共せずに、アーニャは再び拳を構え、懐へと入り込む。

 

「何度も同じことを……」

 先ほどは不意の出来事に気を取られた。次はそうはいかない。アーニャを刈るための風、そして自身を守るための大気の鎧を現し、最後の一歩を拒む。

 しかしそれでも疾走するアーニャの身体は止まらない。

 

「無駄です!」

 それに応ずるように、留めていた牙を放つレイネ。

「ッッ!」

 

 再度アーニャの口から苦悶の音が漏れる。おそらくヒトの目では視認できないであったはずの彼女の踏み込みは易々と看破され、それを示す無数の傷から溢れる鮮血が風に押し流される。そして以上の侵入を防ぐように、大気の鎧が展開される。 

 最早アーニャに退路もなく、進むことも出来ない。あとは風の蹂躙でその身を切り刻むのみ。レイネは自身の頭の中に描いた筋書きに納得しながら、目の前の少女を憐れむように見つめる。

 

 古代文明の残滓。ヒトのカタチ、そしてヒトと同じ“心”を与えられた少女。

 せめて“心”がなければ、武器としてだけ機能出来ていれば、この少女はどれだけ幸せだっただろうか。戦うことを義務付けられ、その無情に苛まれながら戦場を駆け抜けていく。それはあまりに不憫ではないか。魔力を込めるを緩めることはしない。

 

 ただ「もう、やめておしまいなさい」と小さく呟いた自分に驚きながらレイネは続ける。「……よく知りもしない者が、何をいうのか」

 

 しかし、それでもアーニャの踏み込みは止まらない。

 

「まだ、です!」

 少女然とした軽やかな声で叫ぶ。

 小さな拳を握り続け、少女は尚も踏み込む。

 

「やめろと、言っているのです!」

 その無様さがレイネをさらに怒らせる。勢いを増す風に気圧されながらも、更に強く拳を握った。

 

「ーーーさい……うるさい!」

 

 レイネの言葉に対する否定なのか。

 自分に対する叱咤なのか。

 それは誰にも分からない。ただ硬度を増したその拳は、彼女の真の名に違わぬ冴えを揺らめきを宿した。

 

「ならばーーー!」

「フッーーー!」

 

 遠い。あまりに遠い一歩。

 大気の鎧に阻まれ進むことが出来ず。退けば背に風の牙を見舞われ、戦うことはできなくなってしまう。そしてこのまま痛みに耐えていても、いずれ体力は尽き膝を折ることになる。

 

 戦力は圧倒的。そして最早相手が、レイネが冷静さを欠くことはあれど、手心を加えるつもりはないこともハッキリ分かっている。だからこそもう退くことが出来ないのだ。「でも……だから!」活路を見出すため、アーニャは奥歯を食い縛り、考える事をやめない。

 

 しかし無情にも終わりを告げる彼女の声は響く。

 

「さぁ、終わりにします!」

 目の前の少女を根絶やしにするために、更に捻れる。

 逆巻く風は最早礫のように、アーニャの全てを覆い尽くす。

 

 しかし、それこそ彼女が待ち望んでいた一縷の望み。

 

「そ、こ! です!」

 

 渾身の力も以っての最後の突貫。前に倒れ込むことなどお構いなしの、向こうみずな踏み込み。

 最も隙が生じるのは間違いなくトドメの瞬間。それを理解しているからこそ、アーニャは耐え続けた。

 そも彼女自身も理解していた。“不完全な力”しか使えない自分が普通に戦って、歴戦の魔法使いに勝つことの出来る道理などないのだと。

 

 だからこそ”一撃“なのだ。

 “一撃”のみで、相手の戦意の全てを削がなくてはいけなかった。

 

 次の瞬間、レイネの視界からアーニャの姿が消えた。

「ーーーッーーーーーーー!」

 

 追って襲い来る身体を揺らす衝撃にレイネの口から悲鳴にならない音が漏れる。

 咄嗟に前に突き出した腕がジワリと、痛みの速度を増す。

 斬られた。何に? 一体どうやって。風を越えられるはずなどあり得ない。

 動揺する瞳が状況を把握しようとグルリと動く。

 視界の外からの奇襲。それは彼女の視界から消えたはずのアーニャの踵であった。

 前方に転がるようにして身体を隠した状態からの不意の一撃。それの技を知らない者であれば、確実に蹴りを見舞われることは必至。

 

 それだけでアーニャの蹴りがレイネの大気の鎧を切り裂くには至らない。

 しかし事実レイネの腕にはヤイバによる裂傷が見える。だがそれも、ようやく認めたアーニャを見れば容易に理解できた。

 

 アーニャの足が、否、四肢がまるで鋭利な刃のように揺らめいている。

 ようやく空手で挑んできた理由がレイネにも理解できた。「なるほど。さすが、と、言って差し上げましょう」むしろ、アーニャにとって武器など元より必要ではなかったのだ。

 

 彼女が、アーニャ自身が武器なのだ。無駄なものなど、持つ必要はないほどに完成されているモノ。その四肢を自由に固めることも、刃のごとく研ぎ澄ますことも出来る。

 それこそがアーニャが持つ、“クリス”としての一側面。それは見る者を驚嘆させるだろう。

 

 しかし、それを理解した目の前の魔法使いに、それは無意味な最早通用しない。

「ですが、足りませんよ?」

 

「……ぁ」

 

 冷静な声。そして息を詰まらせる音が同時に響く。

 レイネの真横で受け身を取り、立ちあがろうとしたアーニャに見舞われる礫の嵐。それは一気に彼女の全身を打ち、再び大地に彼女の身体を横たえさせた。しかしその礫も、アーニャが倒れ込んだ瞬間、パタリと止んだ。

 全身に脱力感が重くのしかかる。礫の痛みに耐えていたからこそ、緊張感の抜けた身体ではどうしようもない。アーニャにとって、体勢を立て直す絶好の機会であるはずなのに、最早動くことすら出来ずにいる。

 それでも彼女はどうにしようともがいた。瞼だけは閉じず、どうにか次の一手を見出そうと視線を動かす。

 しかし状況は変わらない。そして魔法使いは声を上げる。

 冷ややかに、そして倒れ伏す好敵手を認めるように、こう言った。

 

「少し驚きましたけど、これで分かりましたよね? 今のアナタでは私には勝てないと」

 

 どうすればいい、冷えた声にアーニャが思う。

 決死の一撃は最も簡単に去なされ、自分は正面から倒れ伏した状況。これを挽回する手立てが、今の彼女にはどうしても浮かばなかった。

 

 すると頭上からレイネが「もう一度言います。アナタでは私に勝てない。もう、無駄なことはお辞めなさい」と言った。唐突な言葉に首を傾げるアーニャは、ジロリと目を丸くして彼女を見つめた。

 

「これ以上の戦いは無意味です。それとも無様を晒して、ローゼンタールの名誉まで傷つけたいのですか?」

 これは決して優しさではない。諦めろという最後通告だ。慎重に答えなければ次の瞬間には背中から切り刻まれる。そう確信させる声であった。

 

「私はーーーッ!」

 アーニャが声を発した刹那、背に重い衝撃が見舞われる。痛みに息を飲み、ジタバタと身体をよじろうとするが、背から何かに押さえつけられ、上手く動くことは叶わない。

 衝撃の正体は言わずもがな、レイネの踏み付けであった。「何を言おうとしたのです?」と無感情を顔に貼り付け言う。「無駄な話なら聞くつもりはありません」

 

 最早退路はない、と内心実感させられていた。奇襲にも失敗し、そして背中から踏み付けにされた自分は圧倒的不利。普通なら諦めてしまっても仕方がない状況。

 

 しかしそれを是としない。強情なまでに、起死回生の一手を探し続ける。それは薄れゆく意識の中、サラーキアに突入する前に見つめた表情たちが思い出されたからだ。

 

 アキロゼの頼もしい背中を、メルや兵士たちの不安に塗れながらも現実と向き合う真摯な表情を。

 そして、フレアがノエルに向けていた慈しみ深い微笑みを。

 それら全てに報いなくては終われない。その一念だけで彼女は思考を巡らせ続けた。

 

 痛みを与えても尚諦めの様子を見せないアーニャに、レイネはむすっと言う。

「これはそう……ローゼンタールの失策ですね。明らかに役者不足ですよ。あぁ、アナタ程度の者しかいないというのなら、蜂起軍自体がたかが知れていると言うことでしょうか? 確かに、これまでの体たらくを見れば、当然と言えば当然でしょう」

 

 口元を吊り上げるレイネ。これは明らかに挑発の意を含んでいた。これ以上この戦いに時間を割く気にはなれない。しかしどう言うわけか、アーニャから感じる不気味さが自らトドメ刺すことを躊躇わせていた。だからこそこの挑発に乗り、アーニャが激昂して自分に喰ってかかれば、流れのままにトドメをさせる。レイネは内心そう思っていた。

 

 しかしアーニャの反応は変わらない。「アキ、様を……他のみんなを悪く、言うな……」怒りもせず、ただ言葉を紡ぎ出すことに必死になっている。

 

「ではどうしますか? このままでは犬死でしょう。それとも時間稼ぎのつもりですか? それこそローゼンタールの名誉を汚すことになるのでは?」

「……その、通りですね」アーニャはボソリと言う。

 

「あぁ、ではアナタは蜂起軍の将たることを、ローゼンタールを護る“クリス”であることを放棄するのですね! であれば、最早ーーー」

 

「ーーー違う! それだけ絶対に、違う!」レイネが言い切るのを待たずに、アーニャが声を上げる。息も絶え絶えになりながら、それだけは否定しなくてはいけないと、否定を口にした。

 

 そう。これは彼女がひた隠しにしていた事実。

 そしてこのセカイが、ホロアースが閉じてしまったからこそ、彼女の在り方を提起する者がいなくなったからこそ、与えられた祝福(呪い)であった。

 

「確かに、アキ様は私を起こしてくださいました……しかし、私は決めあぐねいたのです……私は、主を決められずにいたのですから……」



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私はクリス……ヒトを、守るモノ 3

 アーニャの言葉に、レイネが眉根を顰める。

「では、アナタは主を定めないまま……不完全ままこの場に立っていると言うことですか?」

 

 彼女の言葉に違和感を覚えずにはいられなかった。

 確かに、ここまでの戦いはレイネの優勢であったことは明らかであった。しかしアーニャが見せる動きはレイネの想像を超え、身震いさせるほどの脅威であると認識させたことも事実。

 その彼女が不完全であるということは、戦ったレイネであるからこそ、信じることが出来ないことであった。

 レイネ自身も、長い魔術の研鑽の中で多くのことを知った。

 その中に“クリス”の伝承も確かに存在し、それは『手にした者を主人と定め、その者に大いなる力を与える』と読み取れるものが多かった。であれば、逆もまた然り。

 

 主人を定めてこそ、“クリス”は本来の力を発揮できる。

 

 だとするならば、今目の前で倒れ伏す少女のヒトガタはどれだけの力を発揮出来ていたのか。そしてその本領を発揮した時、どれほどの力を示したのか。想像するだけで薄寒さをレイネは感じていた。

「一体、何がしたいの?」

 レイネが呟く。自分でも気付かぬ内にこぼれ落ちた言葉にハッと口元を覆う。しかし言葉が返ることはない。それはハッキリと、倒れ伏すアーニャの耳にも届いていた。

 

「気付いたのです。必要、なかったのだと……」

 その言葉にレイネが目を見開く。

 

「やめなさい……」

「守人様に、フレア様に出逢い、多くのヒトの考えに触れて……気付いたのです」

「やめろと、言ったのです……」

「明確に主を定める必要はなかったのだと」

「やめろと言っている!」

 

 どうしても言わせてはいけない。彼女を押し込める足に力を加え、言葉を止めようとする。しかし少女の言葉は止まらない。

 

「わた、しは……私は、クリス! ……ヒトを守るモノ。誰か一人を護るのではない……私は、みんなを救いたいのです! ただ、それだけで、よかったのです。だから、私は……何だって護ってみせる」

 

 くぐもりながら、自分の内に留めていた言葉を言い放つアーニャ。

 きっとそれは誰もが思い描く希望のようなものだ。しかし現実は『全て』を護ることなど誰にも出来るはずがない。たった一人を護り続けることすら難しいのだ。それをやってのけるとこの少女は言ってのけた。

 

 その純粋さが憎らしい。

 その汚れのなさが妬ましい。

 だからこそ、止めなければいけない。

 

「そんな出来もしないことを……」自然と足に込める力がさらに強くなる。今はこの口を塞がなければ気が済まない。レイネの頭がその思いに支配されようとしていた。

 アーニャが叫ぶ。「ーーーッ、アナタは!」掠れる声で、息を詰まらせながら、それでも続ける。

「アナタはサラーキアの女帝の望みでも、そう言い切れるのですか?」

 刹那、まるで毒気が抜かれたように、ボンヤリとアーニャを見つめるレイネ。

 

「えぇそうですね」

 強張っていたレイネの肩から力が抜け笑顔が溢れた。

「ーーー」

 悪寒が痛みで火照っていたアーニャの身体に走る。いけないものを起こしてしまった。レイネの浮かべた笑顔と相反する感覚が頭を過ぎる。

 

 しかし未だにアーニャは動けない。否、動くことが出来ない。

 苦い表情を浮かべるアーニャにレイネはまた優しく告げる。

 

「ありがとう。アナタは、私が為すべきを思い出させれくれた。だから……」

 それは素直な感謝の言葉であった。

 次の瞬間、アーニャの身体が宙に浮く。

 風に巻き上げられ、強引に引き上げられていく。

 

「もう、終わりにしましょう?」ハッキリとした終わりを告げる言葉。聞くところが違えば甘い言葉に聞こえただろう。

 

「それでも、私は……」

 浮かぶ身体にどういか力を込めようと足掻くアーニャ。しかし周囲で徐々にレイネの風は息をすることすら許さないほどに圧力を増す。

 

「さようなら。哀れなクリス」

「っーーーく」

 

 一つの戦いに幕が降りようとしていた。

 

 しかし、それでは終わらないと、閃光が走る。

 敗北の果て、不退転の覚悟を以て“紫の閃光”が今、サラーキアに迫りつつあった。

 

 

 その光を誰が視認出来よう。

 サラーキアの遥か北、“大剣を抱く街”より放たれたその光は狙い澄ました狙撃手の一矢の如く、幕を降ろそうとしていたレイネとアーニャの間に突如として現れる。

 真昼であっても燦々と紫に輝く放つ光に、街を包囲していた蜂起軍が、宝鐘海賊団が、そしてレイネが息を呑んだ。

 

「……まさか」この光を行使できる人物を彼女は知っている。

 このホロアースに唯一“内から出た超越者”に行使することの出来る光。

 セカイの本質に触れた者だけが現すことの出来る光であると、魔法使いであれば誰でも知っていた。

 

「何故、なぜアナタがここにいるのでーーーえ?」

 そしてレイネは気が付く。

 アーニャは、落ち詰めたはずのあの少女はどこに行ったと。自らの起こした風にその身を拘束し、あとは喉元を掻き切るだけだった“クリス”はどこに行ったと。

 その答えは簡単であった。

 

「ーーーっと」

 

 紫の光が視界を眩ませる中、飄々とした声が軽やかに響く。

 声の主を睨みつけるように目を細めるレイネは喉元まで出掛かったその名前を音に出来ずにいた。

 忘れもしない、自分に無様を晒させた魔法使い。ホロアース随一の魔法使いがそこにはいた。

 

「ナイスタイミング、って感じ?」

 再び声が響いた。眩かった光にも慣れ、現れた敵を見据える。

 姿を見せたのは一人の少女であった。少女は風によって拘束されていたアーニャを抱き抱え、レイネに不敵な笑みを向けた。

 自身の中で猛る魔力を抑え、そして今にも爆ぜようとしている感情を殺し、ハッキリと睨みつけた。

 

「まさか……いえ、当然でしたね。アナタであれば、この場にやってこない道理はありませんでしたね。しかし、あのような無様な負けを晒しておきながらやって来れるとは。厚顔無恥とはこのことでしょうか?」

「うるさいってーの。そっちこそ私に負けといてそんなこと言えんのは流石だね」

「……強がりを」

 皮肉を口にするレイネにズバリと切り返す声の主に、言葉に抑えていた感情を滲ませながら、ようやくその名前を呼んだ。

 

「紫咲、シオン……」

 

「こないだぶり。結構派手にやってんじゃん」

 悠然と黒の外套をはためかせ、少女がその場に立つ。

 自身の頭上に冠した王の証は不退転の決意。

 ホロアース随一の魔法使い、紫咲シオンがニヤリと呟いた。

 

「遅くなったね」

 抱き抱えたアーニャを通りの隅に下ろしながら、笑みを浮かべるシオン。突然の彼女の登場に、未だに何が起こったのかを把握しきれていないアーニャは辿々しく言葉を紡ぐ。

「魔女、さま」

「そうじゃないでしょ?」

「シ……オン様」

「そうそう。お待たせしました。ちょっと待ってなね。すぐ終わらせるから」

 その言葉には見栄も何もなかった。

 ただ事実を告げるようなその言葉に、胸を撫で下ろしながら、振り返りゆくその姿を瞳に焼き付ける。外見だけではわからない。まるで、アキロゼの背を見つめた時の頼もしさを、アーニャは思い出していた。

 シオンの言葉を嘲りと理解したのだろう。レイネはさらに苛立ちを露わにする。

「……世迷言を。深海の主に傷を負わされたアナタに、勝てる未来はございませんよ」

 今にも放たれようと逆巻く風。きっとその狂気をぶつけられればタダでは済まないだろう。ありきたりな力に見えるが、確かにレイネの魔法には目を目を見張るものがある。

 しかしどうということはないと、シオンは肩をすくめる。

「言ってなよ……」

 そう一言だけ返し、幼い瞳がジロリとレイネを睨んだ。

「本気で行くからーーー覚悟しな!」

 

 それは覚悟の現れである。魔法使いが、一撃の元相対する者を終わらせるという覚悟の現れだ。

 ようやく一つの戦いは幕を下ろそうとしていた。

 しかし『錨』を巡る戦いはまだまだ続く。

 

 それはセカイの外より滲み出した、『ケガレ』を伴い、大きく広がり始めていた。



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これでもポルカ、神様だからさ

「なんで?」

 

 少女の口から失意に満ちた言葉が溢れる。

 

「なんで……なんでなんで、なんで!」

 

 同じ言葉何度も繰りな柄、手にした拳銃の引き金を引く。

 

「ッ!」

 魔力を帯び放たれた弾丸は確実に相対するものの身体を捉え、撃ち抜かれた。普通ならその一撃で終わるはずの攻防。銃器で撃ち抜かれた者が平然と歩き回るなど、天地がひっくり返ろうともあり得る話ではない。しかし幾度となく少女は引き金を引き続けた。

 

「なんで、なんで止まらないんだよぉ」

 その言葉が示す通り、“それ”が止まることはない。怯える少女を傍目に、相対する道化師はほくそ笑み、一歩一歩と少女に近付いていく。

 それは動き出せば止まることのない、髪の更新のように圧倒的な様を見せていた。

 

 

 

 相対するのはメイドと道化師。

 戦いの場にあって、彼女たちの装いはあまりにチグハグしている。

 

「さっきも言ったけど……」

 両の手に拳銃を携え、メイドが続ける。「怪我、させたくないんだよ」

 それはメイドの、湊あくあの優しさであった。表情とは裏腹に口にした大胆不敵な言葉は、聞く者によっては驕りに感じられるだろう。しかしそれは決して驕りからの言葉ではない。

 

 事実、“神話”に名を連ねる“深海の主”“古きカミ”を除けば、湊あくあという人物は、宝鐘海賊団における“最強”そのものであった。

 見た目こそメイド然としているが、最も長くサラーキアの女帝、宝鐘マリンと共に戦場を駆け抜け、数多の都市国家を陥落させた中心人物。魔力を伴い撃ち出される弾丸と、その銃裁きは隣に並び立つ者なしと言われるほどの勇名を轟かせる者。

 それが湊あくあなのである。

 

「んぁ? だからさぁ、無駄口叩いてないでかかっておいでって」

 しかしあくあの言葉を気に留める様子もなく、道化師はヘラヘラと笑う。「なーんですぐに来ないのかなぁ」

 

 道化師の飄々とした様子は最早気味が悪い。戦いという非日常に身を置いているにも関わらず、世間話をするように道化師はあくあに話しかけた。

 

「でさぁ、あくたんはポルカのこと、倒せるつもりでいる感じ?」

「……」

 

 なんという安い挑発だろう。あくあは視線を少しだけずらし、手にした得物を見遣った。

 そんなものを正面から受け取る必要はない。彼女が為すべきは“目の前の敵が宝鐘マリンに仇なす者なのか”を確認し、そして手を下すことなのだ。

 

「ふーん。そう」次の瞬間、二つの銃口がポルカに向けられる。

「ばいばい」

 

 その言葉とともに、乾いた衝撃音が二度、誰もいない通りに響き、そして消えていった。

 

「ーーーっあ……」

 

 弾いた音の先、倒れ伏すポルカの姿をしっかりと見とめたあくあは「あーぁ、終わりか」と呟き、“錨”の元に戻ろうと視線を上空に移した。

 

「本当、なんで無駄死にするんだろ」

 どこか虚しさを思わせる響きを残し、ゆっくりと歩を進めるあくあは尚も続ける。「早く船長のとことに……」刹那、はたと彼女の足が、言葉が止まる。

 

「ちょいーっとお待ちなお嬢さん! 何帰ろうとしてんだい?」

「なん、で?」

「なんでぇ! なんで生きてんのって言いたいんでしょ?」

 倒れ伏したはずのその身体は何事もなかったかのように、大袈裟に動き回っている。間違いなく見とめたはずだった。ぐるりと瞳を上に向け、膝から崩れ落ちた道化師をあくあは見たはずだった。しかし彼女はケラケラと笑い続ける。

 

「大丈夫かい? すんごい青い顔してるけど」

 冗談めかすようにあくあに声をかけるポルカ。先ほどの意趣返しのつもりだろう、挑発の意を込めながら彼女は続ける。

「ぼーっとしてないでさ。早くかかっておいで。そうじゃないとあくたんのこと無視して船長のところに行っちゃうよ?」

 

 視線はあくあに向けたまま、ポルカは蒼い光を湛える“錨”を指差す。刹那、身体中を這いずっていく怖気をあくあは感じていた。

 

「船長のこと……知ってる?」

「さぁ、どうでしょう? 言わせたいなら徹底的に痛めつけてみな?」

 ポルカのにやけた言葉に一瞬押し黙るあくあであったが、次の瞬間「何でもいい」と冷たく、そして無表情に言った。

 

「あら? それで本当ーーー」渇いた短い音が再度通りに響く。同時に重い音を立てて、前のめりに倒れ込むポルカを見とめ、あくあはこう続けた。

 

「すぐ喋らなくなるんだから、聞く必要ないよ」

 

 そも二人の間合いは広い。全力で駆けても数秒はかかるであろうその距離は、あくあ得物前では意味がなかった。

 あくあは倒れ伏した身体に、三度同じように弾丸を見舞う。三度目はない。そう自分に言い聞かせながら、彼女は嫌悪を拭って引き金を引いた。

 

「今度こそ……」

 この呟きも何度目だろう。しかし今度こそ相手を打ち倒した。そう確信し、あくあはポルカから視線を外した。

しかし次の瞬間、「だからさーそんなもんなの?」同じ気安い声が響く。

 

「……何? 一体、何なの?」

 

 おずおずと視線を戻しあくあが尋ねる。

 あり得ない、起こってはいけない。驚愕に歪む表情でポルカを見つめたあくあに、それがどうしたと言わんばかりにポルカは言う。

 

「さぁ、私は一体何者でしょうかぁー?」揶揄うように口モロを吊り上げるポルカ。ケラケラと声を上げたが、すぐにあくあの異変に気付いたのだろう。愉快そうな笑みは消え、真剣な面差しで話し始めた。

「もー、そんな怒んないでって」

「起こってなんかない。ただ……質問、ちゃんと答えて」

「おろ? 質問って何のことっすかぁ?」

「馬鹿にするな! あてぃしは何度も聞いてるよね、アナタは何者だって?」

 この形容し難い道化師とどう接すればいいのか、正直あくあは皆目見当もついてない。しかし一つだけはっきりと分かる事はあった。

 

「あなた……まるでこの世のモノじゃないみたい……」

 それはあり得ないと、あくあは自ら口にした言葉を否定する。

 確かにこの世にはカミもいればアヤカシもいる。それこそヒトなどでは足元にも及ばない力を有した者が数多存在しているのだ。だがそれらと同列に並べるには、目の前の道化師はあまりに人間然としすぎている。だからこそ、あくあは口を噤んだのだ。

 しかしポルカはあくあのその一言に目を丸くした。「いや、すげーな」それは素直な感嘆の言葉であった。「さすがだ……あぁ、やっぱあくたんはすげーよ」

「また馬鹿にして……」

 

 ギリリと奥歯を噛み締めるあくあに「違うって」とポルカは落ち着き払った声で言う。「フレアでも見抜けなかったのに、こんな短い時間で見抜くなんて、さすがの洞察力だよ」

 

 恭しくお辞儀をしながらアクアを褒め称えるその様子は、まるで子供を称賛するそれと同じように見えた。

 それがあまりに気に入らない。しかし下手に動くことはできない。既に自分の技を三度見舞いながら勝利を得られていないこの状況に、あくあは混乱していた。しかしそんな彼女にポルカは同じ調子で言った。

 

「でも足りないなぁ。それじゃまだ半端だよ。ポルカが“何か”を見破れないと……あくたん、結構ヤバいんじゃない?」

「何って……」

「本当は気付いてるんじゃない?」

 

 ニヤニヤと意味深な言葉を繰るポルカに、あくあは気が遠くなるような感覚を覚えた。これまでにも数え切れないほどの強敵と刃を交えてきた。しかしこれほどまでに困惑させられた事など未だかつてありはしなかった。

 しかしポルカが言っていることの意味が本当にあくあには理解出来ない。目の前にの道化師は頭に付いた獣耳を除けばヒトと何も変わらないのだ。むしろこのホロアースにおいては当たり前にいる人種の一つである。

 

 それを敢えて『自分が何かを見破ってみせろ』と言うポルカに、違和感しか持てずにいた。

 だからこそ咄嗟の事態に対処の方法が思いつかない。額に汗が滲み、焦りが露わにされていく。

 

「んー」

「なに、よ」

「うんわかった。じゃあこうしよう!」ポルカが両の手を叩く。パンと明るい音はそのままあたりに響き、続くポルカの声も華やかに感じさせた。

「ポルカは手を出さない。だからあくたん、やってみなよ」

「やってみろって、何を……」言い淀みながら尋ねるあくあ。どうしたか聞いてはいけないと言う思いに駆り立てられるが、声は止まらず口からこぼれていた。

 

 まずい、とあくあは思う。聞くべきではなかった。

 正面に立つポルカが「もう一回、ポルカのこと撃ってみな」トントンと自分の胸を叩いた。

 

「何、言ってるの」あくあの表情が歪む。「それ自分を殺せって言ってるんだよ? 気でも触れたんじゃないの?」

「何言ってんだよ。さっきっから、殺そうとしてたじゃん」ポルカはズバリとあくあに言葉をぶつける。

「でも、それは……」あくあが視線を下にずらす。自分がやっていたことを突きつけられ、言葉を詰まらせたようにぱくぱくと口を開くが何も音になることはない。

 

「言葉にされると怖いのかい? いやいや、甘えたこと言ってちゃいけないって。君はその拳銃でどんだけのヒトを終わらせてきた……ってそうか、あくたん“トドメ”はさしてないんだね」

 

 あくあの攻撃を省みて気付いたのか、ポンと手を叩いて嬉しそう怯えるあくあを見つめた。そして「あくたんの役目は制圧で、ケツを持つのは別の人ってことね」と納得したように言った。

 顔を上げ、目を丸くしてポルカを見るあくあは、そう言われるまで、その事実に初めて気付かされた。

 

「あ、あてぃしは……」途端に両の手に持った、自身の得物が重くなったように感じた。

「ん? 別にいいんだよ。きっと君にはそうしてほしくないヒトがいたってことなんだからさ。何かを自発的に殺めないってことは本当に理想的なことだよ。誰もが望んで、誰もが知らない内にそれに失敗してる。叶えることは出来ないんだ。でもさ……」スッと息を吸いポルカが続ける。「君は、“殺める”ってことに目を塞がれてるんだ。だから無意識的にも君はヒトを殺せないようになっている」

 

「そんなこと、出来るわけ……出来るわけないじゃない!」

「そうでもないんじゃないかな? “あれ”を使えば、意外にどうにかなるもんだよ。あれは元々、強い“願望を叶えるため”に造ったんだからさ」とあくあの言葉に答え、”錨”を指差す。

「なんで、あれが……」あくあは呆然とポルカの指差す方を見上げ言った。「それに、造ったってどういうことなの?」

 

 しかしあくあの問いかけにポルカは答えることなく、腕を正面に組んでクククと声を殺して笑う。「あぁ、ついつい口が滑っちゃうや。ダメだね、フレアの前ではこんなボロ出したことないのに」と言った。

「まぁいずれにしてもさ」

「……」

「いずれにしても、”殺す”覚悟のないあくたんには、絶対にポルカを殺し尽くす筋書きは絶対に描けないよ。それこそ、何度試行したって、絶対にあり得ない」有無を言わさずポルカは言い切る。その言葉に飲まれ、あくあは何も言えずに俯くしか出来なかった。



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これでもポルカ、神様だからさ 2

「でもさ、今ならいけるんじゃない?」

 

 あくあは、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。何が“いける”なのだろうか。ポルカの言葉は一体何を指し示しているのか、分からずにいた。しかし時間が経てば経つほど、それが理解できてしまう。代わりに胸の中から聞こえる音が速度を増していくように思えていた。

 

 殺せるだろうと、きっとそう言いたいのだ。

 先ほど自身の言葉を反故にするそれを、どうしてもあくあは受け入れられない。やはり気が触れたのかと言い出したくなる。

 

 だがそれも分かっているようにポルカはわざとらしく声を上げて笑う。

「もー察しが悪いなー」

 どこか教師然とした口調のまま、説明を始める。

「いいかい? 今までは認識すらしてなかった行為について、ポルカは今言及したわけ。つまり、君は“殺す”ってことを意識できるようになったんだ。意識できるようになったのなら、注視してくれるでしょ? だったら君はポルカの……違うな、“こっち側”の想像を超えてくれるはずだ。だからこれからの君には出来るかもしれないよ」

 

 ポルカの語った言葉に、あくあはさらに頭が掻き乱されていくように思えた。本当に、目の前のこの道化師が何を言っているのか分からない。しかしはっきりと明確なメッセージだけは伝わっていた。

 

「あてぃしがやれなきゃ、次は船長のところに行くんでしょ?」

 一瞬ピクリと眉根を上げるポルカだったが、その瞳からどんなことを考えているのか読み取るのは難しい。

 あくあの想定通りなら「だからかかってきなって!」の一言でも来るものかと思っていたが、そうではないようだ。ただニコニコと笑っている。

 

「なーんで、“そうだよ”って言わないんだろって思ってる?」

「なんで、わかるの?」

「あくたんさー、本当にわかりやすすぎでしょ。顔に出過ぎだよ」嗜めるようにポルカが言う。そしてため息まじりにこう続けた。

「さっきは船長のとこに行くって言ったけどさ、ポルカが船長のところに行ってもなーんにも始まりません。むしろ言っても意味がないのです」

「意味って……」 

「そう、意味だよ。これは“ヒト”の戦いでしょ? それに首突っ込むのはお門違いって、うわー! どの口が言ってんだーって話か。もうガッツリ関っちゃってるじゃないですか。うわー自己嫌悪だわぁ。まあでもね、船長のところに行くのは……そうだね、”特異点”と“お姫様たち”だけで十分だ」

 

 それは一体誰だとあくあは言いたかった。ポルカの口から出る言葉は訳の分からないものばかりで頭が痛くなる。虚言を口にして動揺させようとしているのか、それともこちらが理解できていないのか、いずれにしてもあくあは深く考え込み、動けずにいた。

 

 しかし刻一刻と時間は過ぎていく。街のどこかかで瓦礫が崩れるような音が響き、他にも戦いが行われていることを感じさせた。

「しょうがないなぁ」

 あくあの様子を見兼ね、嘆息しながら「言っとくけどね、あの人たちが船長に接触したら、多分今のままじゃいられななっちゃうよ? いいのかい? 帰る場所がなくなっても」と呆れたように呟くポルカ。

 

 次の瞬間、ポルカのすぐ横の、空気が爆ぜた。

「ーーー」

「おぉいいねぇ! ついにやる気になりましたか?」

 ニヤりとするポルカの目の前、その表情は明らかに今までとは違う。

「させない……絶対に!」

 それはハッキリとした意思を持って答えた。

 決して辿々しさはない、全てを切り裂くような物言いで湊あくあほ続けた。

「船長は、あてぃしが守るんだ!」

 

 笑みを浮かべていた口元が更に吊り上がり、歓喜を露わにする。あくあの示した意思を歓迎するように、まるで楽団の指揮者のように、大手を広げてポルカは高らかに歌い上げる。

 

 「そう、それ! それでいいんだ! もっと強い感情を示してみせろ! 何もかもを壊すみたいな、そんな気持ちをポルカにぶつけてみせろ!」

 ポルカの激情を動とするならば、あくあの感じさせる雰囲気は静。その瞳に湛えた火は間違いなく燃え盛り、目の前の敵を蹂躙せんとする意思を感じせた。

 

 しかしまだ足りないと、ポルカは叫ぶ。

 

「さぁおいでよあくたん! まだ足りないーーッ」

 次に弾けたのはポルカの足元。鋭い衝撃で穿たれた地面を見て、嬉しそうにポルカは笑った。

 幸いなのは、この一言であくあがやる気になったことだった。ポルカにとってもここで何者かと戦えるのは喜ばしいことである。自分の言葉だけで怯むようなようなニンゲンに、時間を割くこと自体がもったいなかったからだ。

 

 ポルカは身体を痙攣させた。恐れではない。それは間違いなく、歓喜からの震えだった。

「は、ハハハハハハ! もう聞く耳もないって感じ? いいよ、やっぱり最高だ!」

 勢いよく駆けてくるあくあがその言葉に応えることはない。ただ獲物は先ほどと変わらず、手に携えた拳銃のみ。わざわざ地の利を放棄することに意味はないだろう。一瞬そう思えたポルカであったが、それが杞憂だった。

 

「……スッ」

  短く、息を吐く音が聞こえる。いつの間にかあくあはポルカの右手を掴んでいた。少女前とした弱々しい力。少し力を加えれば振り解けそうなそれは、固められたように手首を掴み上げる。ポルカはそれでも何もしない。ただ流されるままに、あくあの動きを目に納め続けた。

 

 次の瞬間、腕は前方に強く引っ張られ体勢が崩れる。ポルカの懐に入ったあくあは片手の拳銃を彼女の右脇腹に押しやる。殴りつけるように乱暴に押し付けたそれの引き金を、彼女は迷うことなく引いた。

 

「ーーーぁ」

 

 肉の壁に遮られても響くのは、乾いた音が三度。

 それは身体の中身を掻き回すのに余りある圧力であろう。ビクンと大きく跳ねたポルカの身体はそのまま、力なく地に膝を付き三度前のめりに倒れ込んだ。

 

 間違いない。間違いなく、最後の瞬間までそれを見通した。

 次は絶対に起き上がることはないだろう。

 これまでなら避けられたと言い訳をすることも出来たが、今回は確実に銃を押し当て、こときれる瞬間を見守ったのだ。きっと間違いない。

 

「よし、船長のとこに、帰ろ」

 

  もうこの場所には、倒れ伏すそれと同じ空間を共有したくない。その一心から前に足を運ぼうとした瞬間だった。

 

「ーーーなーに言ってんだい?」快活に声が響いた。

 

「なん、で? 絶対に、絶対に終わったはずなのに……ちゃんと、最後までやったのに……」

 口からは譫言のようにブツブツと繰り返すあくあ。自分は狐にでもつままれたのだろうか。トドメを指したはずの敵が、また何事もなかったかのようにヘラヘラと笑っている。夢でも見ていると思いたいと、震える身体を抑えるために身を固くしている彼女に、ポルカは言う。

 

「これで終わり?」声は冷え切っている。そのまま彼女は続けた。

「バカ言っちゃいけない。まだまだ試行出来るはずだよ? さぁ試そうよ。蜂の巣にしてもいいし、喉笛を掻き切ったって構わない。でもさ、それで終わりだなんて、つまんねぇよ? それで終わりなら、やっぱり過大評価し過ぎてたのかなぁ、ねぇあくたん?」

 

  煽り立てるその言葉に身体の震えも忘れ、再びあくあが叫ぶ。

「なら……何回でも! 何回でもやってやる!」

  それは彼女とって地獄であるにも関わらず、それに踏み込んでいった。

 

 

 街中では雄々しい光の柱が天を突かんと存在を露わにしていた。

 遠方から飛来した紫の閃光。

 そして、強弓より放たれた力を受け、歓喜の叫びを上げる声。

 

 

 そしてもう一つ、街の中に響き渡る音があった。

 

「ほらぁ」

 

 ケラケラと口元を吊り上げながら、ポルカはあくあとの距離を詰めていく。

 

 何度拳銃からの圧力を見舞われ、吹き飛ばされても何事もなかったかのようにポルカは平然としていた。そしてその身体には一切の傷も見受けられない。まるでマジックだと、それを眺めている者は思ったかもしれない。しかしそれと相対するあくあはどうだ。引き金を幾度となく引いても、幾度となく相手を倒しても終わらない。彼女の脳裏には間違いなく、“絶望”の二文字がくっりりと浮かんでいた。

 

「なんで、どうして?」

 正面に構えていた拳銃を下ろしながらブツブツあくあが呟く。

「あちゃー、もう諦めちゃうの?」

 目を細め、我が事のように悔しそうな素振りを見せるポルカ。その仕草は明らかに撃ってこいと言わんばかりである。

 

「ーーーこのぉ!」

 下ろしていた右手を構え一射。

「このぉ!」

 そのまま逆の手に携えた得物の引き金を絞り、銃弾を撃ち出す。

「ーーーは」

 声と渇いた二撃はほぼ同時に響いた。眼窩、そして右眼球へと吸い込まれた銃弾の反動に、確かにポルカの身体が後ろに仰反る。しかし、その身体は後ろに倒れ込むことはない。そして赤々とした飛沫が噴き上がることもないのだ。

 

「なん、で……なんでぇ!」あくあは叫びならが、仰け反ったままのポルカと手にした得物を交互に見つめる。震える手は銃弾を撃ち込んだことを示していた。

 

「あははははは!」

 しかし変わらずに声は響いた。ゆっくりと姿勢を正すポルカの表情は恍惚としている。

「まーだまだいけるでしょ? まだ全部、こっちの観測内の行動だよ?それを超えられなきゃ、ポルカは止まんねぇぞぉ」 

 

 その言葉にあくあは後ずさる。表情からは冷静な様子は消え失せ、この状況を理解出来ず、困惑に瞳を潤ませていた。

 

「なんで? なんで殺せないの?」数歩下がりながらそう呟いたあくあに、ポルカはピクリと眉根を吊り上げる。

「ん? 何言ってんの?」

 

 次の瞬間、真顔になったポルカが呆れたように言った。

 

「君は何回もポルカを止めてるよ。それどころか君は何回も、ポルカを殺してるよ?」

 

 当然のことだろうと、なぜそんなことも分からないのだと、その視線はあくあに冷たい。

 視線にビクつきながらあくあは「そうだよ! そうだよ……吹っ飛ばしたのに……頭も、足もぉ!」と続ける。

 

「いやさぁ、それで怖がってるわけ。ダメだよ、あくたん?」

 ポカンとするポルカは自身の頭をコツンと叩いた。

「足でも、腕でも、それこそ頭だって、もちろん君は綺麗に吹き飛ばした。それはうん、間違いなく事実だよね。でもさっきから言ってるじゃん」とポルカは苦笑した。もうこれ以上は言わせないでくれと呆れ気味に、ぜーんぶ観測できてるんだからと、嘲った。

「ぜーんぜん失格だよ、それじゃあさ。せっかく認識を元に戻してやったんだ。これくらいでへこたれられると、すんごい困るんだけど」

「でも……」

「でもじゃねぇよ。もうさ、こっちだって何回も痛い目にあってんの」その言葉には先ほどまでの飄々とした様子は感じられなかった。「倍返しくらいにしないと、割が合わないよねぇ。やったらやられんだよって、それくらい覚悟してるでしょ?」

 

 それは最後通告のように、あくあの耳には聞こえた。

「……でも!」もうあくあには拳銃を打ち続けることしか出来なかった。

「さぁ、最後だよ。残った時間、存分に絶望しな!」

 

「でもさ、もうちょっと。もーちょっと楽しませてよ?」

 ポルカは努めて冷静に呟く。「まだ、まだあくたんはポルカの想像を超えられるでしょ?」

 

 浮かべた笑みが不気味で仕方がなかった。反射的に引き金に触れた指に力を加え、銃弾が撃ち出される。

 

「このぉ!」

  怯えながら打ち出された弾丸の行方を見ることもせず、すぐに身を背けるあくあ。しかしそれはしっかりとポルカの身体に見舞われた。短い呻き声がその証であったのだろう。怯えと驚きがない混ぜになった瞳で恐る恐るポルカを見たあくあであったが、次の瞬間表情は青ざめていく。

 

「ーーーあーなんだよ、おい」

  その冷えた声にまるで頭を直接揺さぶられたように、前後不覚になったような感覚があくあの中にまとわりつく。必死に心を落ち着けようと、肩で息をするが、その最中でもポルカはあくあに近付く事をやめはしない。

 

 どうしたらいい。どうすれば……どうやったら?

 しかしそれは最早幾度も考えた問いであった。今更振り絞ったところで、解決の糸口など見つけられようはずもない。

 

 ポルカは相変わらず、一歩一歩噛み締めるように歩を進めていた。表情には嬉々とした様子は感じられない。ただ少しでもあくあが抵抗しないかと、そう期待しながらの歩みであったことは言うまでもない。しかし怯えて口を噤み動かないままでいる彼女にヤキモキしたのだろう、怒声を伴い叫んだ。

 

「なんだよそれ?もう何回もおんなじやり方じゃんか。レパートリーがないって言ってんだろ? 同じようなことばっかりして、自分の意思ってもんがないのかよ? ちょっとはこっちの想像を超えるようなところ、見せてみせろって!」

 

 捲し立てるその言葉に、さらに身体を震わせるあくあ。このまま動けなくするのは本意ではない。

 ポルカは小さく「それでも、確実に殺してるのは……うん、そこだけは凄いな」とそう呟いた。

 もちろん、あくあはそれを聞き逃さなかった。

 

「じゃぁなんで? なんで動くのよ!」それは悲鳴混じりに、二人だけの通りに響いた。

 ポルカはもう表情を崩さない。ただ淡々とあくあの声を噛み締め、そして、言った。 

 

「そりゃさーーー」

  それは最初にこちらが問いかけたことのはずなのにと、内心ポルカは思っていたのだ。それをこちらが伝えては取り返しがつかないと、彼女本人も理解していたのだ。

 しかし彼女は告げる。

 

「これでもポルカ……神様だからさ」

 

 取るに足らない真実だと、そう吐き捨てるように。

「神、さま?」

 それはこのセカイでは形骸化した言葉であった。

 多くのイワレ、信仰を集めた者が『カミ』と呼ばれるようになる。もちろんあくあも、そう呼ばれる存在と相対した経験はあった。だが目の前の道化師はそれに収まらない。殺しても死なない。それこそまさに超越者のそれであろう。

 しかしもう答えを口にしたポルカは止まることはなかった。

 

「あ、意味分かんなくていいよ? だって関係ないことだもん。でもね、何度も言ってる通り、君がこっちの予想を超えてこなきゃポルカは絶対殺されない。観測出来るんなら、それの外にある可能性を引っ張ってきて、入れ替えるだけだからね。あーなんてチートなんでしょ。でも、あくたんはそんなチー……」

「……メ」ポツリと、声が漏れた。

「……はぁ?」明らかに不機嫌な声でそれに応えるポルカ。次の瞬間、堰を切ったように震えと共にあくあが叫んだ。

「い、や……嫌だイヤダイヤダ嫌だ! 来ないで、もう来ないで!」

 

  あくあは悔いた。一体自分は何と相対していたのだと。しかしその考えすら言葉にならない。ただ「嫌だ」と、壊れた人形のように繰り返した。

「……なんだよそれ。アンタ、それでも船長の仲間かよ」乱暴な言葉をぶつけるポルカ。しかし最早あくあに抵抗する勇気などはありはしない。  

 

「でも、でもぉ!」また同じ言葉を繰り返し、力の入らない身体で、慌てふためく。

「でもじゃねよ……あぁもう……なんだ、本当にもう終わりなの?」

「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! 助けて、ねぇ船長! ねぇ!」

 まるでそれは母に縋る子どものように見えただろう、そこには戦士の強さは感じられない。「残念だよ」と、鈍く光る“錨”と、そこにいるであろう人物を思いながら、ため息と共に静かにポルカは呟いた。

 

「あーぁ……後味わる」



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何も、喋らないでください!

「ーーーッシ!」

 

 その腕が空を切るごとに嵐が巻き起こる。厳めしいその体躯からは想像する事も出来ないほどに素速く、そして針を通すように正確に繰り出される拳の全てが一撃必殺。

 

 アキ・ローゼンタールはまさに一騎当千と言って差し支えないを実力を兼ね備えた戦士であり、長である。

 しかし彼女の必殺の拳は、そのことごとくがいなされている。

 

「あぁ、よく避ける!」

 悔しげに漏れる声。しかし巌のようなその表情はどこかウキウキとした様子を見せた。

「うちの兵士たちでもそんな身のこなしに者はいない。あぁ、馬鹿みたいな、あの時の戦いを思い出すよ!」

 アキロゼ自身、これまでの永い時の中で全ての力を出して戦うことが出来たのは、片手で数えることができる程度であったが、それもここ二百余年はなかったように思っていた。

 

 カミを打ち倒すヒト族の勇者がいた。

 アヤカシを繰り、大地を我がモノにしようとするエルフがいた。

 そして、そこには例外なく戦士たちの屍の山が積み上がっていた。

 

 それを思えば今の世の中は随分と平穏になったと思える。そして戦いがなくなるということは、“戦士”と呼ばれる者たちの存在意義というものを奪っていく。それがサラーキアの、宝鐘海賊団の侵略に歯止めをかけることができず、今日の興隆に繋がっていると考えると、あまりに悔しいと、アキロゼは同様に思っていた。

 しかしそれも致し方なしと、また思う。誰もが平和に恋焦がれる。心から欲し、そしてその中にあれば解けるようなその時間を謳歌するのだ。

 それもまたヒトの生きる方だ。それも愛すべき生き方だ。だからこそ、一方的な侵略を許してはいけない。守らなければならない。それが彼女の、アキ・ローゼンタールの定めた生き方であった。

 

 アキロゼは左拳を身体に引き寄せながら、流れるように右拳を繰り出す。繰り出す風は突風を伴い、離れた場所であってもその圧力を見舞わんと突き進む。しかしそれを舞うように避けるのは“雪の華”、雪花ラミィ。もう幾度となくその身を切り裂かんとする風を避け続けるラミィに全く疲れは見えない。冷たい視線でアキロゼを睨みつける。

 

「さす、が! さすが、“雪の華”だ。このサラーキアをまとめてるだけど事はある」

 ザッと音をたて間合いを開け、アキロゼは賞賛の言葉をラミィに送る。しかしラミィは笑みすら見せる事なく、感情を感じさせない瞳で彼女を見つめ、「ありがとうございます」と静かに返すがむすっとした表情をしていた。

 

「こちらも申し上げておきましょう」

「何よ」

「本来エルフにあるはずの魔力を一切使わず、それほどまでの力を行使できる。さすがは“文明の守護者”と“吸血姫の寵愛”をお受けになった方です」

「へぇ、そこまで見抜いてるんだ。それとも嗅ぎ回ったのかな?」

「先ほども申し上げました。あなた方のことは詳らかにしていると」

「なるほど。さすがは宝鐘海賊団、ってことにしとこうか」

 

 ニカリと歯を見せ笑うアキロゼに対し、ラミィは恭しく頭を下げながら尚も続ける。

 

「かつて戦火にあったエルフたちを纏め上げた手腕、そして今我ら宝鐘海賊団に対抗しうる戦士たちを集めるその求心力、敵ながら素晴らしいと思っておりました。さすがはアキ・ローゼンタール様でございます」そう言葉を結ぶかと思われた刹那、今まで無感情だった口元がニヤリと吊り上がりこう続ける。

「……しかし、思ったほどでしょうか」

 

「生意気ね!」ラミィの言葉に、一気に距離を詰め左拳を打ちだすアキロゼ。

 瞬きの間の疾走。きっと反応できないであろうそれをヒラリとラミィは躱す。

「なるほど……」そう小さく呟くラミィ。ここまで数分のやり取りの中で何を感じ取ったというのだろう。躱すと同時に一気に後ろに飛び去り、余裕を感じさせる声で言った。「なるほど、得心がいきました」

 佇まいを正し、冷ややかにラミィはこう続ける。

「“錨”からの加護が消えかけていますね。最早、その体を維持することで精一杯なのでしょう?」

 

 一瞬の沈黙が二人の間に横たわる。

 この沈黙ののち、焦ったアキロゼの表情が見られるだろう。鮮明に浮かび上がるその光景に、内心ほくそ笑みながらラミィはアキロゼの反応を待った。

 彼女、雪花ラミィにとっても、アキ・ローゼンタールという人物は特別な存在であった。

 自身と同じハーフエルフの身でありながら、全てのエルフから信頼も厚く、そしてこの南の地においてはヒト族との架け橋となって平穏な都市国家を築き上げてきた大人物。

 それがラミィの、アキロゼに対する印象であった。

 このヒトと一緒にいても、きっと充実した毎日を過ごすことが出来ていただろう。そう思う反面、そんな日々にはっきりと“否”を突きつけるラミィ。

 今彼女の中には、「あぁ、早く船長の元に帰ろう。そして、あのヒトがなす偉業に、少しでも貢献しなくては」という思いだけがあった。そう。彼女は遥か昔に出会っているのだ。いと貴き旗、神々の宝を簒奪する印。自らの全てを賭して支え続けたいと思える存在に。

 しかしどういう訳か、いつまで待ってもアキロゼが驚きの表情を浮かべることはない。ぼんやりとラミィの方を見つめ、ジッと動かずにいるだけなのだ。

 

「ローゼンタール様、もうお認めになってください」

 きっと数分程度の時間のはずだった。しかし先に沈黙に耐えきれなくなったのは、動揺させようと言葉を放ったラミィの側。彼女は努めて感情を気取られないように、平静を装って言葉を投げかけた。

 

 しかしアキロゼから返ってきたのは「ん? 何が?」というとぼけた言葉のみ。

 カッと頭の中が熱くなるのを感じながら、それでも極力それを表に出すことはしない。ラミィは嘆息して言った。

「アナタの力の根源は“錨”の―――」

「あぁ、そうゆうことね!」アキロゼは咄嗟に声を上げる。彼女はラミィの言葉の全てを聴き終わる前に「お嬢ちゃん、一つ勘違いしてるよ」と言った。突然の大声に喉を痛めたのか、少し咳払いしながら首元を手で抑える。

 アキロゼの視線は宙を、蒼の光を湛える“錨”に向けられる。何かを懐かしむような優しい笑みを浮かべている。

「確かに“錨”の加護って点で言えば……」と視線をラミィに戻す。

 

「えぇそうだね。私の、『錨』からの加護は消えかけてるよ」

 

 しかし焦りは微塵も感じられなかった。ラミィは想定が崩れたと、心中穏やかではない。しかしそれに気付きもせずに、アキロゼは朗々と続ける。

「私が“錨”の力を使えたのはメルちゃんのおかげ。あの子が自分のいるべき場所に帰れなくなるのを承知で、十分に自分のために力を使えなくなるのを承知で、私を助けてくれているから。でも一個勘違いをさせちゃってるね。私は“この姿になるため”にしか、“錨”の力は使っていないよ」アキロゼは先ほどと同じように真っ直ぐにラミィを、街全体を見回す。「詰まるところ、メルちゃんが貸してくれてるほとんどの力は、別のものを制御するために使ってるんだけど」

 

 アキロゼはそう言うとぐるぐると自身の肩を回し始めた。ずっと動かないままでいたのは窮屈だったのだろう。肩、肘、そして手首まで流れるように伸ばしていく。

 

「なるほど……しかし」押し黙っていたラミィが自分を落ち着かせようと息をはく。しかしもう余裕はその声からは感じられない。だが動揺する頭の中で、唯一確かだと思えることが彼女にはあった。

「“錨”の力を使いこなす我々に、アナタが勝てる道理はございません」と、その確信を口にした。

 

 それは間違いない事実であろう。

 それほどまでに“錨”の、古代の遺産の力は絶大なものだ。そしてサラーキアが、宝鐘海賊団が躍進を遂げた源泉はそこにあると言っても過言ではない。

 アキロゼ自身もそれは自覚しているのだろう。「確かにあの“願望機”の力はすごいよ」と、キッパリ認めた。

「であれば……」そのまま、“素直に降伏しなさい”と口にしようとするラミィ。

 だが目の前の人物が浮かべた表情がそれを口にさせない。代わりにアキロゼ自身が優しく続けた。

 

「“議会”の恩恵を介して、どんな願望でも叶えることが出来る。あれこそ魔法って、奇跡って呼んでも良いかもね」

「奇跡……」

 

 アキロゼの言葉に眉根を顰めるラミィ。あからさまに不機嫌な様子を見せる彼女に苦笑しながらアキロゼは“錨”を指差す。

 

「そうでしょ? 何の代償も払わずに願いを叶えるなんて、奇跡以外の何物でもないじゃない」

 掲げた指先を握り、まるで“錨”を握りつぶさんとばかりに拳を固めるアキロゼ。その視線はまるで、忌々しいものでも見つめるようであった。そしてハッキリと「気に食わないよね」と言った。

「過去のヒトが、あれを使えないようにした理由、今なら分かるよ。あれはヒトをダメにする。きっと使いこなすことの出来るヒトも、正しい事に使う事が出来るヒトもいるだろうけど、あんなモノがあっちゃ、ダメになるヒトの方が多くなる」

 

 その意見にはラミィも賛成だった。「そうです。あれは正しい主に使われてこそのモノなのです。だからこそ我らの船長が……」と言いかけ、グッと言葉を押しとどめた。気圧されてしまったのだ。拳を握りしめるアキロゼの姿に。そのまま押し黙り、彼女はアキロゼを見た。

 

 そう。言いかけて気付いたのだ。アキロゼ自身も、“錨”の主人になることが出来るからこそ、その力を行使することができていたのだ言うことに。

 

「でもさ、だからどうしたって思わない?」

「え」ラミィは不意を突かれ、とぼけた声を上げた。「何を、言いたいのです?」

「私は思ってる。本当にあんなモノ、このセカイに必要なのかなって」

「……それから齎される力を使うアナタが何を言うのです」

「アハ! 確かにその通りかも」アキロゼはバツが悪そうに声を上げた。

 

 自身の頬に手を当て、アキロゼがぶつぶつと小さく呟いている。ラミィの位置からでは内容の全てを聞き取ることは出来ないが、おそらくラミィにとっては都合の良い話ではないだろう、「今、アレを正しく使うことが出来るのは船長だけです」と言い切った。「これだけは決して揺らぎません」

 だが、それを笑ってアキロゼは受け流した。

 

「違う違う。アキロゼだって女帝さんが“錨”の主人になるって言うことを否定するつもりはないよ」

 その言葉に目を丸くして彼女を見つめたラミィは口を開く。「何を……」先ほどから口にしている同じ言葉に、自分が焦らされていることにラミィは薄々気付いていた。尚もアキロゼは続ける。

「アキロゼが言いたいのは、そもそもあれが必要なのかってこと。まぁ事実使ってる私が何言ってんだって話だけど」らきロゼは自嘲気味に答える。

「でも、それでも言うよ。本当にあんなモノ必要なの?」

 一瞬ラミィが息を呑んだ。それは、彼女の頭にも少なからずあった言葉だったからだ。

 

「特定のヒトしか使えないあの力が、結局このセカイを左右するだなんてさ、正直狂ってるって思うんだ」

「しかし、あるモノを有用に使うことこそ、“力を持つ者”の使命のはずです!」と言いながらアキロゼを伺うと、アキロゼは尚も首を横に振っていた。

「そんな使命、背負う必要なんか誰にもない。あんなものに頼らなくったって、私には……うぅん私たちには考える頭がある。歩き出す脚も、壁をぶん殴る腕もある。あんな奇跡(まやかし)になんて頼らなくても、みんなちゃんと出来るはずなんだ」

「それは……それは理想論です! 全てのヒトが出来るわけではないのです。それを正しく導くヒトが必要なはずなのです!」

「それが戦うってことなんだ。みんな、絶対に向き合わないといけないんだ!」

「そこまでして戦う理由は……理由は一体なんなのですか!」

 

「聞かないと分かんない?」

 改めて握り拳を作りアキロゼは叫ぶ。

 

「あるんだよ、意地ってやつが!」

 

 これは宣戦布告だと、彼女は続ける。

 

「貫かなきゃいけない、意地ってものがあるのよ!」

 

 そう。ここにはっきりと彼女は宣言した。“錨”の破棄を。その導きを徹底的にアキ・ローゼンタールは否定したのだった。



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何も、喋らないでください! 2

「ば……」

 目の前にある勇敢な表情に気圧され、三度ラミィは言葉を詰まらせていた。なぜこんなにも自信を持つ事ができるのか。それが不思議でならない。ただその言葉を聞いていると不思議に自分も彼女を、アキ・ローゼンタールという人物を信じたくなってくる。

 

「なにを、何をバカなことを……」

 

 呟きは誰にも届かない。目の前のアキロゼにも、決してその弱音が届くことはない。しかしそれを実際に口にし、そして音として聞けば少しだけ冷静になれた気がした。

 ラミィは思う。自分は既に選び取っているのだと。掲げた旗を、宝鐘マリンの為にこの命を使うのだと、彼女は決意しているのだと。臆することはない。目の前の壁がどんなに強大であろうとも、自分には“錨”の、宝鐘マリンの加護がある。だからこそラミィは視線をキツく、こう言ってのけた。

 

「えぇ、それは無駄な戦いです。勝つことの出来る通りなどない、無意なモノです」

「へえ、無駄っていうのね」

「えぇ、アナタに勝てる未来はない。先ほども言いましたが、それだけは変わりません」

 アキロゼの問いに淡々と応えるラミィに、呆れた表情を見せるアキロゼ。「無駄とかさ、そんなのどうでもいいんだけどね」

 パンと右の拳を自身の左の掌で受け止めてアキロゼが言った。

 

「アナタはなんで戦ってるのさ?」

「それは……」

 主導権を握ったと思っていた。しかし言葉一つでこれだけ動揺させられることに、ラミィは狼狽する。なぜこうも上手くいかないのか。それだけが彼女の頭を占めていく。考えがまとまらずに口を噤んだラミィに、アキロゼは口を歪めた。一向に話が進まないのはどういった訳なのか、とげんなりもした。しかしなぜか彼女に助け舟を出さなくては、きっかけを作ってやらなくてはと思ったのだ。

 

「アナタが戦うのは、サラーキアの女帝のためでしょう?」アキロゼが優しく問いかけた。

 その瞬間、音を立ててラミィは顔を上げた。グッと喉を鳴らし、この機会を逃すまいとゆっくりと思いを言葉にしていく。

「そうです。私の命はあの人のためにある。あの人に救われたこの命は、あの人のために使うと決めているのです」

 頭にはマリンの姿があった。何を弱気になっていたんだと自分を奮い立たせ、鋭くアキロゼを睨みつけた。

 そしてアキロゼも「おんなじだよ」とラミィの言葉に同意する。

 

「私も命かけてでも守りたいものがある。続けて行きたい生活があるの。別に何にも特別なことはない、平穏な生活だよ。気の置けない仲間と一緒に馬鹿みたいに騒いで、一緒に酒を酌み交わして飽きるまで呑んで……きっと喧嘩もすると思うよ。泣きもするだろうな……でもさ、それも『生きる』ってことなんだ。そんな当たり前の生活が、誰かに縛られるのなんて真っ平ごめんだよ。別にアナタたちのことを真っ向から否定するつもりなんて、勿論ないし、するべきじゃないって思う。でも『私たちの平穏』を奪うっていうのなら、話は別なんだ」

 

 どんなことがあっても、それだけは譲れないのだと、再び自身の右拳を天に掲げる。

 

「ーーーだから!」

 刹那、頂にあった陽が、光の柱となってアキロゼに降り注ぐ。

 それを身に受けた瞬間、筋骨隆々としていたその身体は女性然とした小柄な姿に変容する。そのあまりの変化にラミィの身体が震える。「……自分から、加護を振り払う?」どうにか言葉に詰まることなく状況を見つめるラミィ。震えが止まらなかった。側から見れば脅威とは感じないであろうアキロゼの姿が、ラミィにとってはあまりに怖気を覚えさせた。

 

 小柄な女性に背から、無造作にそれは天に向かっていきり立つ。

 

「この子は特別でね」

 アキロゼは突然苦しそうに息を吐いた。

「メルちゃんに力を借りて抑え込んでたモノだよ。使うにも制限時間があるし、多分使っちゃうと、私の身体は耐えられない……でも!」

 

 ニヤリと“それ”を天に掲げ、そして吠えた。「何発かなら……耐えられる!」

 

 “それ”は拳だった。

「さぁ、起きて……私の、拳!」

 

 しかし、ヒトの拳の大きさにあらず。巌に包まれ、厳めしい。それは“巨神の拳”と呼ぶに相応わしいモノであった。

 

「これが……」

 全身の毛穴が開いたような、怖気がラミィの身体を駆け巡っていく。

 そのあまりに大きい“拳”の存在感は、締め付けるような圧力を誇っている。あれをそれを見舞われればきっと四肢は弾け飛ぶ。そう想像するに容易かった。

 しかしそれを繰るはずのアキロゼの顔は徐々に青く、頼りないものになっていた。

「さぁ、ごめんだけどさ……これ使っちゃうと時間がないんだ」

 その言葉の意味するところをラミィはうまく理解できない。

「……」

 

 しかし今にも倒れ伏すであろうアキロゼの様子を見れば、やるべきことは明白であった。

 時間を稼げばいい。いかに強大な力を見せつけられても、当たらなければ意味がない。そしてラミィの与えられた“錨からの恩恵”は、それに適している。

 

「フフフ」

 筋書きを頭に描き、笑みが口元に浮かぶ。「始めましょうか……」とその手をアキロゼに差し伸べた。

 

「言われなくても……」アキロゼの身体が疾走する。「泣いたって、知らないから!」

「時間ですか……時間は、たっぷりありますよ」

「何を、言ってんだか!」その叫びと共にアキロゼの身体がラミィに肉薄する。しかし顕現させたその拳を振るうにはあまりに短すぎる距離。

 

 これでは十全に力を発揮することは出来はしない。速度は目を見張るものがあるが、それでも戦略を誤っている。ラミィは後ろに体重を動かしながら、そう考えていた。

 しかし、大きさにとらわれた、その思考こそ誤りなのだ。

 

「……な」

「小細工したって、無駄ぁ!」

 

 ただ近付き、そして拳を打ち出す。その“拳”はそれを為すための機構。それこそアキ・ローゼンタールの有する力。自分の生命を燃料として駆動する、『キカイ』と呼ばれる古代の残滓。

 

 巨大であった巌の拳は瞬きの内に圧縮され、ラミィとの間合いに合わせた大きさに変貌する。

「さぁーーーッ!」それをアキロゼは一息のうちに、コンパクトに、鋭く撃ち放つ。

「ーーーッ」

 

 予想していなかったその変容に、ハッとするラミィ。しかし動き始めた身体が極端に加速することなど出来ない。最早その衝撃を見舞われるであろう。しかしその表情に焦りは見えない。

 逆に顔を歪めたのはアキロゼであった。「まだ、笑っちゃって!」叫びと共に拳は確実にラミィの胴を射抜く軌道を描いた。

 

「ーーーグ」刹那、くぐもった声がラミィではなく、アキロゼの口から漏れる。おかしい。光の速さで打ち出すことの出来る“拳”が、どこか遅れているように感じられた。

「だけどーーー!」しかし違和感を振り払い、一気に腕を投げるように伸ばし切る。「ッけ!」

 

 しかしその“拳”は空を切った。

 

 これまでの戦いのように、あっさりとアキロゼの攻撃を避け続けてきたのと同様に軽やかに“拳”を避けたラミィはフッと息を吐き呟く。「素晴らしい」しかし彼女自身は気付いていなかった。

「さす……グぁ」言葉を結び終わる前に、腹部に衝撃が走り、疼くまる。確実に”拳”は避けたはずであった。しかし圧力が後から押し寄せたように、重い衝撃となりラミィの身体の中を掻き回すように苛む。

 

「これ、は……」目尻に涙を溜めながらアキロゼをみやるラミィ。アキロゼに変化はない。やはり刻一刻と顔色は悪くなっている。一体何が起こったのか。必死に息を整えながら思考を巡らせていると、アキロゼはラミィに言った。

 

「ちょっとズレちゃったね。小細工したみたいだけど、どう?アキロゼの“拳”は?」

 その“拳”は狙いをつければどこまでも喰らいつく。決して直接当たらなくとも、衝撃を見舞う。

 

 理を捻じ曲げる“拳”。それが故に代償は使用者の生命。

 繰り出せば一撃必殺、本来はそういったはずのものだった。

 

 しかしラミィに向け放たれたそれは、確実に衝撃を与えたものの、致命傷には至っていない。そのおかしさに首を捻りながらアキロゼは続けた。

 

「小細工がなかったら終わってたのに……どういう力なんだか」 

「……」 

「さぁまだ続けるんでしょ? おいでよお嬢ちゃん!」

「ーーー黙れ!」



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何も、喋らないでください! 3

 猛る声と元に、青の軌跡が地を跳ねる。

 攻防の最中には決して感情を露わにしていなかったラミィのその変わりように息を呑み、“拳”を正面にアキロゼは構えを取る。一切の隙も見られない拳闘の構えだ。

 

「ーーッーーー」

 肉薄の瞬間、ゆらりとラミィの身体がブレる。

 今まさに攻防が再開されようという距離で、真っ直ぐに“拳”を打ち出さんと前足を軸に体重を移動させていくアキロゼ。「なーーー」しかしその拳は彼女の意志に反し、打ち出されない。

 

「なるほど……ッ!」

 悔しげにそう叫びながら、それでも踏み込む足を止めない。

 

「これが、アナタの“恩恵”なのね!」

 頭に浮かんだままの言葉をアキロゼは口にした。確実に拳は振り上がり、まさに理想的な軌道を描いてラミィの急所を射抜かんとしている。

 

 しかし、“遅い”のだ。神速を思わせたアキロゼの“拳”はまるで凍らされたかのように、動きを鈍らせていた。

 

「ーーーッ!」

 繰り出すのは三度の衝撃。喉、胸部、鳩尾。確実に人体の急所を捉えた無駄のない動き。だが、それは女性然とした弱々しい力の打突だった。それは緊張状態にあったアキロゼには、挑発に思えたのだろう。一瞬呆然とラミィの動きを見送ったその呆気に取られた表情はすぐに怒りに歪む。

 

「……ぁ……から、どうしたぁ!」

「……」

 

 速度が落ちたといっても走り始めた拳が簡単に止まることはない。強い語気と共に四肢を弾け飛ばす衝撃が見舞われようとした瞬間だった。

 

「ッッァ……」

 短い呻き声と共に、膝をつく音が通りに響いた。「なん……どうし、て?」それはアキロゼの疼くまる声であった。いざ拳をぶつけんとしていたはずのその身体が突如弛緩し、麻痺していく。呼吸も浅く、不規則なものになっていった。何が起こったのか、理解はできている。しかし酸素の行き渡らない頭が、言葉を紡ぐことを拒否しているのだ。

 

「あまりに弱い。そう思ったのではないですか?」

 混乱するアキロゼを尻目に、ラミィが呟く。もう猛りも何もない、彼女の名の通り、清浄な花のように軽やかな響きで彼女は続けた。「ローゼンタール様、戦いに関してが猪突猛進が過ぎるようですね」

 

 アキロゼは唐突な蔑みにきょとんとした。そして必死に呼吸を整えようとする。「何が、言いたいのよ」と息も絶え絶えに尋ねた。

 ラミィは深くため息をつく。やはり自ら戦場に立つ者は、その思考に疎いのだと呆れた様子を見せる。「相手を圧倒的な火力で殲滅する力など、必要ないのです」と教えるように言った。

 アキロゼは薄らとラミィが何を言いたいのかを理解したのだろう。苦笑しつつ、「なるほど。頭を使え、ってことね」とシンプルに呟いた。

 

「相手が動けなくなるよう、そう導けばいい」

「自分で、制圧するんじゃなくて……ってことね。なる、ほど……」そこまで言って、グッと息を呑むアキロゼ。ようやく思い通りに息が通るようになったのだろう。聞きたいことではなかったが、「やっぱり、“時間の典獄”の一端か」と尋ねた。「いや、違うか。”典獄”の力っていう割には機能が限定的すぎる。あれは“時間の概念そのもの”だってメルちゃんは言ってた。じゃぁアナタに……アナタたちに力を分け与えているのは、女帝さんってことかな?」

 

「えぇ、その通り」ラミィはわざとらしく拍手をし、ズバリ言い当てたアキロゼに賞賛を贈る。そして頷く。「時は常に動くもの。過去へ、そして未来へ動き続けるもの。決して、止めることなど、叶わない」一呼吸置き、尚も続けた。「しかし、その動きを”遅くする”ことは出来る。私の力は、触れられるモノならば、それが何であっても“遅く”出来る。それが私の授かった恩恵。船長より与えられた、“一味の証”です」

 ハッキリと、そして一気にそれは言い尽くされた言葉に、アキロゼは額から汗を滲ませる。

 

「こりゃ……」想像よりも厄介だ。先ほどの力を思えばそう考えるのは自然だろう。前に立つ敵は美しいだけではない。認識を改めつつ、アキロゼは見栄を張ることなくこう呟いていた。

 

「ちょーっとやばいかなぁ」

 

 焦りを滲ませたアキロゼの呟きに、ラミィは不敵な笑みを浮かべ、また恭しく頭を下げた。

「先ほどは端ない姿をお見せし、失礼しました」

 ラミィの放つ雰囲気はどこか冷たく、周囲の温度を吸い上げているような感覚すらアキロゼに覚えさせた。

 焦りは間違いなくあった。しかし同時に形容し難い高揚がアキロゼの中を駆け巡る。敵は“錨”の、“時間の典獄”の恩恵を受けた人物。それにどう相対するべきか、必死に頭を回転させるだけ笑みを隠せずにいた。

 

「……いいじゃん」

 小さいアキロゼの呟きは確かにラミィの耳にも届いた。しかしそれの意味するところが分からず、彼女は深く息を吐いた。 

「ですが、これを使った以上、私も後には引けません。疾く終わらせます」と、アキロゼに対して手を差し伸べる。その様子は見る場所によってはダンスに誘う艶かしいものにも見てとれる。

 しかしアキロゼはその手を決して取らない。かぶりを振り、応える手の代わりに、背に携えた“拳”をもう一度高く天に掲げながら立ち上がり、そして声高に叫んだ。

 

「いいじゃん! 良いよ、それ! 最っ高じゃん!」

「な……」ラミィは立ち上がるアキロゼを、目を丸くして見た。明らかに不利であるはずのアキロゼはそんなことも微塵も感じさせない、スッキリとした表情をしている。「強がりを……」と逆に叫ぶ。「気でも狂れたのですか?」

「そんなのどうだって良いじゃん。ただ、圧倒的に不利な状況、嫌いじゃないってだけだよ」

 しかし“拳”の力を使ったためだろう。すぐに顔色は青くなり、呼吸も浅くなっていく。それでも、アキロゼは拳を前に構え、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「おいでよ、お嬢ちゃん! もうちょっと、付き合ってあげるから!」

 挑発するように手をクイと手前にやるアキロゼに、ラミィが少し表情を歪めた。アキロゼの言動を不本意と感じたようだったが、反面笑みも見える。「減らず口を!」その身体がまた疾走する。

「……ッ!」

 ザッと地を蹴る音とともに、アキロゼが半身になり鋭い視線でラミィを射抜く。しかし最早それに臆するラミィではない。相対するアキロゼの状態、そして自身が彼女に見舞った攻撃を鑑みれば、あと一度の攻撃だけで決着する。そう彼女は確信していた。

 それが彼女の、ラミィの気の緩みに繋がったのかと言われれば、それは違う。アキロゼが仕掛けてくるであろう攻撃を余さず想定しながら慎重に、そして迅速に駆けた。

 だがその想定は突き崩される。

 

「そこ!」

「ーーーなッ!」

 

 繰り出されたのはシンプルな生身の拳による一打。牽制のための刺すような、そしてしなやかな打撃である。もちろんラミィ自身もその牽制を予想しなかったわけではない。しかし彼女の予想を突き崩したのは、その拳のあまりに速さであった。

 何故という言葉がラミィの頭の中を駆ける。無理なはずだと、頭の中の自分が叫んでいるのだ。先に彼女に見舞った攻撃の余波はその身体に滞留しているはずだ。そして彼女の周りにある“それ”にも、力を伝播させたはずなのだ。しかし拳の速度はそれを一切感じさせない。

 牽制の拳を避けるラミィの表情に焦りが滲み始める。そしてアキロゼの言葉にハッとし、血の気が引いていく。

 

「確かに触れるんだもんね!」声を放っても、彼女の左拳は飛び続ける。そして「地面も、それに空気だって、肌に触れてるんだ!」とハッキリと続けた。

 

 アキロゼにとって、“遅くなる”ことなど、瑣末ごとでしかなかったのだ。”遅くなってしまう”のであれば、その影響を考え、それを上回るほどに速度で拳を打ち出せばいい。そして彼女の“拳”は理屈さえ分かれば、その理を正面から殴り飛ばすことに特化している。

 

 ラミィはアキロゼの言葉にまずいと思った。そして今この疾走を止めてしまっても、アキロゼの“拳”を正面から見舞われることは想像に容易かった。

 ラミィの顔が曇り、眉間に皺がよる。それを機にすることなく、「カラクリが分かれば……」打ち出していた左拳を引き戻しながら、腰を回転さ右足に、そして左足に重心を移動させ“拳”を前に突き出すために振りかぶる。

 

「な!」

「やってやれないことは……ない!」

 そして拳を前に放り投げるように「これで、終わりにするよ!」声高に叫んだ彼女の“拳”が光り輝く。「私の、この……拳で!」

 

 しかし光り輝くその“拳”が標的を捉えることはなかった。

 

「ッーーーぁ」

 

 短い呻き声を上げ、再びアキロゼの身体が前方向に倒れ伏す。

 ラミィの別の攻撃が見舞われたわけではない。突然倒れ伏したアキロゼに言葉を無くし、呆然とその姿を見つめ、何も言葉にできずにいた。そして思い至ることがあったのだろう、納得したように声を上げた。

 

「解せない、ものですね」

 決して自分の力でアキロゼを打ち倒したわけではない。これは完全にアキロゼの自滅であった。

 

「もう少し戦えていれば……もしアナタがまだ保てば、負けたのは私でした」

 光り輝く“拳”の明らかにアキロゼの生命そのものを動力にしていた。

 ラミィの言葉通り、もう少しだけアキロゼの力が保たれていれば、今倒れ伏しているのはラミィ自身だったに違いない。そう思うとまさに“時間”だけがこの戦いの大局を左右したと言っても過言ではなかった。

 

「……ッーーーハ……」

 

 倒れ伏し、虚な瞳でラミィを見やるアキロゼの呼吸は浅い。時折咳き込む彼女の口元には赤々としたものがその端正な顔を汚していく。痛ましくそれを見つめながらラミィは自然に呟いていた。

 

「ローゼンタール様、もうお辞めになってください」なぜそんなことを口走ったのか、ラミィ自身も分からなかったが、そもそも邪魔をしなければ何もかもを受け入れるつもりでいたのだ。蜂起軍が抵抗しないのであれば、サラーキアに迎え入れるのは当然であったと言えよう。

 

 アキロゼは残った力できつくラミィを睨みつけた後、「ありえ、ない……」と少ない言葉で、ハッキリとその提案を拒否した。

 

 しかし拒否を叩きつけられてもラミィは続ける。

「今降伏するのなら悪いようにはしませんよ」

「まっぴら、ごめんだよ」

 間を置かずに返ってきたアキロゼの言葉を飲み込み、それでもラミィは諦めず「アナタ一人の判断で、外にいる仲間たちも救われるのですよ?」と続けた。

 

「……」

 一瞬、アキロゼは沈黙する。しかしそれでも彼女の答えは変わらない。

 

「やっぱり、ごめんだよ。そんなの、受け入れられない」

 

「ーーー強がらないで! 虫に息のアナタに、選択の余地はないのです!」

 弾けるようにラミィの声が通りに響き、押し付けるように叫ぶ。アキロゼが少し黙る。気圧されたわけではない。ただ心を落ち着けるための沈黙であった。

 

 だがその後に続く言葉が音にならない。

 アキロゼも気付いているのだ。ここで自分が降伏すればきっと蜂起軍は、この南の地には平和が訪れるのは間違いないと。

 

「うん。あぁ……そうなんだ。きっとそれも正解なんでしょうね」そう呟き、それでも彼女は尚も続ける。「でも、それでも私は、違うと言ってあげるよ」

 

 震える腕で身体を起こしながら、「私が間違った選択なんてしたら、この先に生きていくヒトたちに顔向けできないよ……確かに平和になるんでしょうね。でもそれは支配を許容してこそのものでしょ? そんなの窮屈だよ、やってらんないよ」

 

「それが治世の当然の在り方でしょう? 何を子供のようなことを……」

「信じたいものはさ、自分で見つけるよ! でも今アナタの提案を受け入れたら、これから生きていくヒトたちが何も選べなくなる。それだけは、そんなことだけは絶対にさせないんだ!」と訴える。

 刹那、ビシャリという音をたて、アキロゼの口から血が溢れる。最早限界なのだ。それを痛ましく見つめ、ラミィは毒気を抜かれたように、諭すように言った。

 

「もうやめなさい。もはやアナタに、勝ち目はないです」

「勝ち目とか、そんなの関係ない!」

 溢れる赤に見向きもせず、震える身体を制し立ち上がり、「力があるから立つんじゃないんだ。責任があるから立つんじゃ、ない……」と今にも消え入りそうな声で続けた。

「では、何が?」

「何度も言わせないでよ」

 ようやく立ち上がり、そしてアキロゼは言った。もう枯れ果てる寸前の声で、自分に言い聞かせるように叫ぶ。

「ただ、意地があるのよ……意地があるのよ、私にはーーーッぁ!」

「もういいです」小さくそう呟き、立ち竦んでいたラミィが一気に間合いを詰め、細い指でアキロゼの首を掴み上げる。苦しそう瞼をきつく閉じるアキロゼをラミィは正面から見つめ、悔しそうに顔を歪める。そして「もう……もう何も、喋らないでください」と叫んだ。

 

 ここに一つの戦いが終わる。そして刻一刻と、その時は近づいていた。

 “錨”が、最後の異界の門が開かれる時が迫っていた。



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さぁ撃ってみなさい!

 突然投げつけられた声、そして光となった矢が起こした衝撃と轟音が“錨”を、彼女たちのいる大通りを真白に染め上げる。肌を震わせる衝撃をどうにか避けたぺこらたちは眩む視線の中、状況を把握しようと辺りを見回す。

 しかし轟音の放たれた中心は、何も変わりない。

 間違いなく、何もかもを打ち壊すような衝撃を感じたのだ。だがそこには、“光”の飛来した方向に手を掲げ、ニヤつく口元を必死に抑える小さな少女、そして冷静な表情のまま、少女の背を支える黒い少女だけ。

 訳の分からなさに苛立ちを覚えたのであろう、ぺこらはわっと声を上げた。

 

「何ぺこ! あの姉ちゃん一体なんなんだ?」

 

 頭に浮かんだ怒りをどこにぶつければ良いのか、自分たちと“神話”の間に割って入ってくれた、金砂の髪の女性にキツい視線を向けるぺこら。

 

「なん、ぺこ……」だが彼女の苛立ちは次の瞬間に、言葉を噤んだ。「なんでアンタが驚いてるの?」衝撃を放った本人が呆然とした表情をしている。むしろそれに恐怖すら感じているのだろう、離れた場所から分かるほどに顔を青くしていた。

 

「……ッ、なんで?」

 今すぐにでも走り出さなければならない衝動に駆られていた。今すぐにでも彼女の手助けをしなくてはいけないと、初めて会うヒトに対する感情とは到底思えないものがぺこらの中に浮かんでいた。

「なんでこんなに、助けてやらなきゃって思うぺこ……」

 その小さい呟きは誰に向けたものでもない。しかし彼女の側でそれを耳にしていたムーナだけは、辛そうな顔をしていた。

 今ぺこらの頭の中にある違和感の答えを、彼女は知っていたのだから。

 

 光の矢を放った者、そしてそれを退けた者は互いにその身体を震わせていた。

 

「あぁ、あぁぁぁぁぁ! そうか……そうだった! シオンじゃなくてもアンタがいた!」

 

 それは歓喜からの震え。

 まだ強者がいたのだと、その事実に感情を昂らせながらぐらが叫んだ。しかし光の矢を遮った彼女の左腕は痛ましく赤に染まっている。その姿を見れば、光の矢が彼女を仕留める一歩手前まで至っていたのは、想像に容易かった。だがそれを押しとどめたのは、彼女を支える黒い少女の存在であったのだろう。

 

 黒い少女、いなにすは慌てる様子を見せずに「ぐら。落ち着いて」と声をかける。しかし彼女自身も光の矢の衝撃に驚かされたのだろう。額に滲む汗を拭うことも忘れていた。

 

 努めて冷静に話を続けるいなにすに対し、ぐらはニヤリと笑みを浮かべて言う。

「何言ってるの? あんなの見せられて正気でいれるの?」

 その笑みは告げていた。お前もだろうと。お前も、同じ気持ちを感じているのだろうと。

「……えぇ、そうだね。確かにあんなもの見せられたら……アガっちゃうわね!」

 

「ーーーなんだ、あれ。それにあの二人も……」

 一方光の矢を放ったフレアは、困惑からその身体を震わせていた。

 確かに、彼女の放つ矢は、実体の矢を番えず、自身の内にある魔力を矢とし、撃ち出すモノだ。視認することの出来ない矢はこれまでの戦いでも戦況を優位に進めるのに一役を担っていたのは言うまでもない。

 

 しかし今彼女の放った光の矢は、これまで彼女が繰り出した力の比ではないモノだった。

 明らかにこの周辺を消し去るほどのあの衝撃が自分から繰り出されたことを、そしてそれをあっさりと受け流すことの出来ることに慄きながら、深く息を吐いたフレアは改めて“錨”を見据えた。

 

「もうちょっとであそこに行ける……ノエルが、待ってるんだ。立ち止まってなんていられない」

 そう呟き、光の矢を打ち出した時にチラリと見えた印象的な少女に叫んだ。

「うさぎ! とにかく走ってどこかに隠れてーーーッ!」

 だがそれから逃げおおせることは出来ない。まるで噛み付くように、飛びかかる影が一つ。ひどく嬉しそうに、がうる・ぐらは牙を露わに、フレアに組みついていた。

 

「ちょ!」

 携えていた弓を前に、フレアは迫り来る狂気を押し留める。

 飛びかかってくるその小さな体躯からは考えられないほどの圧力、そして腕力にブルブルと弓を支えるフレアの身体が震える。ガチガチと、噛み付くように鳴らされる牙の音に背筋が凍る。否、その怖気は矢を放つ直前にも感じていたものだった。視認すら出来るほどの大きな力、それが二つ。そしてその前には怯えるうさぎ耳の少女を目にした瞬間、自然と弓を構えていた。

 

 助けなくてはいけない。

 何故そう思ってしまったのか、弓を構えたフレにも皆目見当はついていなかった。ただ弱々しく見えたから助けようと思ったわけではない。それだけは確信していた。

 

 まるで解けない謎々を解いているような不快さが、フレアを震わせた。靄がかかって晴れることはない。サラーキアの女帝を、宝鐘マリンを初めて目にした時と同じ感覚だ。

 

 しかしそんなことは気にするなと、目の前に迫る脅威が声高に叫ぶ。

 少しでも気を緩めれば、きっとその白い牙が自分の喉元に噛み付くだろう。今は目の前のこの少女をどうにかしなければいけない。そして深く息を吐き、キッと正面を睨みつけた。

 

「……あぁすごい。さすが、特異点だ。那由多の業を取り込んだ者の放つ力……さすがだよ。あのシオンが気にかけるもの頷ける」

 

 小柄な少女、ぐらの言葉はやはりフレアにとって意味がわからない。何よりも突然出てきたシオンの名前が、フレアを不安にさせた。もしかすると目の前のこの少女が、シオンを打ち倒したのではないか。

 

「……シオンと、戦ったの?」くぐもりながらフレアが尋ねる。

「戦ったぁ? あれは戦っただなんて言わない!」

 それに弾けるように答えたぐらは、さらに腕に力を込める。

 

「前はもっと強かった。もっと尖ってた! でもあんなに腑抜けてさ……あぁでも大丈夫だよ。分からせてあげたんだから、次は最初っから本気で来るよ。そうでなきゃ、あのお子ちゃまを連れてきた意味ないし!」

「やっぱり、あなたたたちがノエルを!」

 

 刹那、押されるままであったフレアが持ち直し、逆に押しかけしていく。

 突然力を見せた彼女が、ひどく意外だったのだろう。同時に嬉しさも噛み締めながらぐらはまた声高に叫ぶ。

 

「だからさ、ねぇ特異点? 傷つけあって嬲りあって、心ゆくまで殺し合おう? 弱いものいじめは好きじゃないけどさ、でもアンタが相手ならそうでもないでしょ?」

 

 遊びいに誘う子供のような気安さでぐらは言った。

 

 もう彼女に対する怒りも感じない。ただこの短いやり取りの中で、どう手を尽くしてもまともな会話は成り立たないのだと思った。フレアは立ち眩むような感覚を覚えながら考える。

 口を動かそうとして、ぐっと押し黙った。今自分が感情を露わにして戦いに没頭すれば、“錨”に到達する前に力尽きるのは想像に容易い。

 

「アナタ達の相手なんてしてらんない!」

 

 優先すべきは“錨”への到達。そしてノエルの奪還。訳の分からない者の相手をしている暇はないと、どうにかぐらの腕を振り払い、“錨”へ向け駆け出そうとする。

 

「そんなこと言わないでよ! ねぇ!」嬉々とした声がフレアの耳に届いた。どうしたって逃さないと、囲うように狂気はジリジリとフレアに迫っていた。

 

 肉薄する二つの影を見つめながら、ぺこらはガタガタと身体を震わせていた。

 金砂の髪の女性に組み付いた、捕食者を思わせる身のこなしの少女。彼女がこれまで出会った中で、最も強い力を有しているであろうことはひと目見ただけでも分かる。

 だから離れていても分かる。あれはまずいと。このままでは取り返しがつかなくなってしまうと。

 

「やばい。あの姉ちゃんやばいよ……」

 そう呟く彼女の隣で、戦いの場に冷静な視線を送るムーナはぺこらに尋ねる。

 

「逃げますか?」

 ムーナのその呟きに、一瞬心がグラつく。逃げたいと本当は言いたいに決まっている。しかし「助けますか?」と間を置かずに呟かれたその言葉に、どうにか傾きかけたい天秤が釣り合った。

 

「……当たり前」奥歯を噛み締め、弱る心に喝を入れる。

「助けるに、決まってるぺこ!」走り出すのは存外に早かった。

 

 何も出来なくても、せめて少しだけでも力になりたいと、ぺこらはその一念で駆けて行った。

 



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さぁ撃ってみなさい! 2

 どれだけ振り払おうと絡みつく手が止まることはない。

 

「はっーーーはっーー」

 

 逃げ続けるフレアの息が徐々に熱を帯びていく。相対する少女の、ぐらのあまりにしつこさに辟易する余裕はない。少しでも気を抜けば捕まり、鋭利な牙の餌食になるだろう。その薄寒い想像に肝を冷やしながら、どうにか寸でのところで彼女の手から逃れ続けていた。

 

「なんで逃げんのさ? 戦うためにここに来たんでしょ? ねぇ……ねぇ!」

 

 一方、再びフレアに組みつこうとするぐらの表情は、まるで追いかけっこをする子どものように溌剌としている。だからこそ付け入る隙もあった。

 

「邪魔!」

 フレアが迫る右腕を弓でいなし、腰を回してぐらの脇腹に目がけ蹴りを見舞う。ぐらがグッと息を漏らしながら横方向に倒れ込む姿を確認し、一目散に間合いをとった。

 いつまでもこんな戦いを続けていられない。幸い今までの攻防で“錨”を背にすることが出来たフレアはこの戦いからどう脱するのかを考える。今の蹴りで少しでも考える余裕ができればよかった。しかし表情は見えないが、楽しげに放り出された「さ、すが!」という声は、彼女の蹴りに全く効果がなかったことをありありと示していた。

 

 もう強行するしかない。

 ぐらが起き上がるのを確認することなく踵を返し、“錨”に向け走り出すフレアが「なんてヤツーーーッく!」と呟いた次の瞬間、地面を崩す音とともに黒の触手が彼女の進行を阻んだ。

 

「……逃がしませんよ」

 これまで沈黙を貫いていた黒い少女、いなにすが古めかしい本を片手に、そう言った。

 

「まだ、私たちに付き合ってもらいます」

 

 フレアはといなにすを鋭く睨みつけ、「だから、そんなのには……」と言い放つ。次の瞬間、仰向けに倒れ込んでいた青い影が瞬きの間に飛び混んできた。

 

「ーーー待ちな、って!」

 

 ぐらに怒りはない。むしろ、嬉々とした口調で「まだまだ遊び足りないんだから」と首を傾げた。

 

「アンタ全然本気出してないじゃんか? 力を見せてみろって言ってんのにのらりくらり避け続けるばっかり……舐められたモンだよ! それに私たちから逃げられるだなんて、本気でそう思ってたの? それこそ、大間違いだってことだよ!」

 

 そのままフレアの肩を掴み、一気に後ろに放り投げた。引っくり返る視界に一瞬言葉を詰まらせながらも、放り投げられたまま姿勢を正し、難なく地面に着地するフレア。しかし再び“錨”の間に立ちはだかるぐらといなにすに「ホンット! なんなんだよ!」と口惜しそうに漏らす。

 

 フレアの言葉を聞いたぐらはまたケラケラと笑い、「そもそもさぁ」と続ける。「アンタは今すぐにでも“錨”のところに、あのお子ちゃまのところに行きたいんでしょうね? でもそろそろ分かったんじゃない? 私たちをどうにかしないとどこにも行けないってさ。ほんと、私たちにちょっかいかけちゃったのが運の尽きだよ特異点。私たちが異界の姫君に夢中になっている間に、静かにこの場を抜けていけばよかったんだ。でもまあ……アンタと姫君の関係を考えれば、手を出さないわけにはいかないよね?」

 

「何言ってるんだ? 誰かを助けるのに理由なんて……」

 

 どうしても歯切れ悪くしか答えられないフレアに肩をすくめ、「本当にそう思ってる? なんか違和感あったんじゃないの?」とぐらが言った。

 

「なんで……」

「このセカイはーーー」

 

 ぐらが話そうとした瞬間、いなにすが「ぐら! 話しちゃダメ!」と言葉を遮る。

 

 物静かに状況を見守っていたいなにすの突然の声にビクリとしながら「あーあーあー! 今そんな話はどうだっていいんだよ」と、ぐらは言い捨てて、またニヤリと笑みを浮かべる。

 

「ああ、とにかく! 今がそんなことどうでもいいんだよ」そしてその手に三叉槍を現しながら「シオンが来てくれるまでさぁ、もっと遊ぼうって! ねえ特異点?」と切っ先をフレアに向ける。

 

 そのニヤニヤとした笑みがどうしても気に食わなかった。鋭い視線をぐらに向けるフレアの拳はワナワナと震え、いつ放たれるとも分からない矢のように張り詰める。

 

「バカに……」

 しかし、弾ける寸前のその身体を押し留めるのは最早限界だったのだ。

「するな!」

 

 その突貫はフレアの言葉が耳に届くよりも速かった。

 事実はそうではない。ただその言葉にニヤリとさせられた次の瞬間、肉薄したフレアの姿に驚かされ、ぐらは動けずにいただけだった。だがどうと言うことはない、ぐらはそう思っていた。

 フレアの得物は弓と矢。わざわざ有利を捨てるなど、気が触れてしまったのだろう。しかしそうなってしまうほどに強い感情を向けられている。ぐらはそれがたまらなく嬉しくもあった。

 

「ーーーっっぐ!」

 次の瞬間、その甘い考えを後悔することになる。

 肉薄し、まず飛んできたのは脇腹への回し蹴り。鞭のようにしなやかに見舞われたその衝撃は、先に攻撃を加えられた箇所と全く同一の部分を射抜いた。大した痛みではないのだろう。しかし内臓を直接揺さぶるその一撃に身体は震え、立ち続けるための余力を奪い、次々に繰り出される追撃はその意識を刈り取ろうとしてく。

 

「ーーー、っーーー!」

 同時にフレアの表情も歪む。

 繰り出す蹴りに淀みはなかった。幾度も必殺の思いを乗せた思い一撃だった。だがどこまでも手応えがない。砂袋を叩くようにただ重く、ただ鈍い。

 しかし攻撃の手を緩めるわけにはいかなかった。

 この手を止めてしまえば、反撃が始まるだろう。きっとそれは自分を一撃のうちに沈めるのは容易いのだ。フレアはそう実感しながら、ぐらの小さい頭を正面から抱き抱えるように掴む。

 

「ーーーあ」

「ーーー、ーーー! ッ!」

 ほぼゼロ距離からの膝蹴り。腕を絞ると同時に腹部への三度、膝の衝撃を見舞う。

 そう。得物を見ただけで、相手の得手不得手を理解したつもりでいた。これはぐらにとって失策だった。言わずもがな、ぐらは「あ」と声をあげ、無惨にも膝をつきそのまま前に倒れ込んだ。

 

 たった数分間の攻防であった。

 そしてその手際の良さに「さすが、ですね」と、これまで傍観を決め込んでいたいなにすも思わず声を上げる。どこか他人事のように呟いた彼女だったがその実、意外だったのだろう。ここまでぐらが一方的にやられるのを見るのは初めてに等しかった。

 

 フレアは息を落ち着かせ、倒れ伏すぐらから離れて「あなたは……」と冷静な表情のいなにすに目をやりながら尋ねた。「あなたは、何もしないの?」邪魔をしてこないのかとハッキリと言った。

 

 いなにすは首を横に振る。

「私は戦うつもりはありません」と同じようにピシャリと言い切った。「私はぐらのお目付役ですから」

 

「なら、もうここは通してもらうよ。私は早く、あの“錨”のところに行くんだから」

 そう言って、歩き出そうとしたフレアを制し、いなにすは言う。

「何を言ってるんですか、特異点」

「何をって……もう終わったんだから……」と言いかけた瞬間、自分の足元にあるモノの雰囲気の変容にフレアは気づいた。

 

 自然と彼女の身体が後ろへ流れた。「その子はまだまだ、やるつもりみたいですよ?」この言葉と共に地面から伸びた三叉槍がフレアの髪を掠めた。

 

「なーーーーに?」

 

 おそらくあのまま前進していれば自分の脳天から三叉槍の鋒が生えていただろう。その恐怖と、咄嗟の事態にフレアの頭の中でけたたましく鐘が鳴り続ける。

 

 普通の兵士なら昏倒して、数時間は目を覚さないであろう衝撃を見舞ったはずだった。

 しかし倒れ伏したはずのがうる・ぐらは何もごともなかったように、最初と変わらない笑みを湛えたままグイと身体を起こして言った。

 

「ふぅ……あぁ良いねぇ。ビリビリ来たよ。それこそ少しだけ気絶しちゃうくらいにさ」

「お前たち、一体何なんだ?」

 

 フレアがそう呟くのも無理はないだろう。それほどまでにぐらの強度はこれまでフレアが出会ってきたどの戦士よりも高いものがあったからだ。

 しかしそんなことはどうだっていいと首を傾げながらぐらは続ける。

 

「ん? 私たちは“神話”だよ。でもどんな存在かだなんて、どうだって良いよね? アンタと私が戦っている。今はそれだけでいいし、それ以外はただの雑念だ!」



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さぁ撃ってみなさい! 3

 突き上げた三叉槍を支えに、起き上がったぐらは一層楽しげな笑みを浮かべる。しかし瞬きの間にその笑みは消え失せ、つまらなさそうにため息をついた。

 

「……でも、足らないなぁ。まだ本気じゃねないよね? ねぇ?」

 

 決めつけのセリフ。

 そして挑発の意を含んだ言葉にフレアはどう言い返すべきか分からずにいた。

 

 どうする、どうすると、自ら問い続けるその先に答えなど見つかりようもない。確かにこのままぐらたちの相手をして、侵入したうちの誰かが“錨”まで到達しサラーキアの女帝を、宝鐘マリンを打倒すればいいだけの話ではあるが、どうしてもその役目を自分がしなければいけないとフレアは思い込んでいた。

 

 宝鐘マリンのことが気になるからではない。マリンのそばには間違いなくノエルがいるはずなのだ。それはウェヌスで見た映像を見れば容易に考えつく。

 何とかして体力を削られずにここを切り抜けたい。ならどうする。何ができる。

 フレアは、震えたままこちらを見つめるウサギ耳の少女と菫色の瞳の少女を一瞥した。そう。彼女たちに押し付けていくことも出来はするだろう。フレアがちょっかいを出す前は、ぐらの視線はウサギ耳の少女に釘付けであった。自分がうまく逃げ果せれば、次の標的は彼女になるだろう。押し付けてしまえ、逃げてしまえという甘言がフレアの頭の中に充満していく。しかしその考えは何よりも最初に破棄すべき思考であった。

 

「こんなの……意味ないのに」

 強く頭を左右に振りながらフレアは呟く。そして改めてぐらといなにすに視線を向けて「何がしたいのよ、あなたたちは!」と叫んだ。

 フレアには心底理解出来なかったのだ。ぐら、そしていなにすの雰囲気はただ純粋に戦いを楽しんでいるように、遊んでいるように見える。そこに“錨”には誰も近付けさせないというような決意はまったく感じられない。それこそ瑣末ごとだというような雰囲気さえ感じさせた。

 

 そしてそれを示すように「当たり前じゃんか」というぐらの言葉に、フレアは愕然とする。

 

「この戦いに意味なんてないよ。こっちはただ遊ばせて欲しいだけさ。アメがいなくなってから……ずーっと、我慢してるんだ。だからわざわざ船長のとこにまで来た。誰か新しく対等に渡り合えるやつを探すためにね。それこそずーっと探してたんだ。だからさあ、ちょっとは応えてよ」

 

 ぐらが悲しそうな表情で、そう呟き視線が宙を泳いだ。

 

「そんなの……本当に私たちには関係ないじゃないか!」

 フレアに彼女を慮る余裕はなかった。弓を持つ手がワナワナと震え、苛立ちが露わになり始める。「私は、遊びに付き合ってる暇はないんだ」そう言って弓の弦に手を添えるフレアにぐらは、「でもそっかー付き合ってくれないんだなぁ」とツマラなさそうにぼんやりと言う。しかし言葉とは裏腹に今にも飛びかかってきそうな威圧感をフレアは感じた。次の瞬間には喉元に噛みつかれても、おかしくはなかった。

 

「あーぁ、ほんと、何だんだよぉ……」ポツリとぐらが言う。

「こんなおあずけ食らうなら、ちょっかいかけないほうがマシだったよ」としょんぼりした様子で続け、「あぁ、そうだ。それこそシオンが来るのを待ってればよかったのかな?」と首を傾げならがさらに続けた。

 

「それこそ……そう! “白銀の戦乙女”が十分に育つのを待っても良かったかなぁ」

 

 ぐらがそう言い終わった瞬間、無色の力が彼女の顔の横を掠め、遥か背後に大穴を開ける。それは乾いた笑いで一瞥し、改めてフレアの表情を見たぐらは驚愕した。そして同時に震えるほどの歓喜が彼女の中に沸き起こった。

 

「お前……誰を、巻き込むって?」

 

 弦を引き絞り、フレアが言う。二度と口を開かせまいとする意志を露わにしながら、ぐらに狙いを定める。

 

「そうだ、それだよ!」応ずるように三叉槍の鋒をフレアに向け、ぐらは嬉々と声を上げるのであった。

「やっぱりアンタが力を振るう鍵は、“白銀の戦乙女”……白銀ノエルだったんだ!」

 

 三叉槍を構え、フレアを嬉々と睨みつけるぐら。しかし徐々に笑みは消え、相対したフレアの異様さに思わず閉口してしまう。言葉数が少ないには変化はない。しかしフレアの感じさせるこの威圧感はなんだ。白銀ノエルの名を出した途端の変わりようにぐらの口角が吊り上がっていく。

 

「……なに? だんまり?」

 

 あえて挑発を口にして、この違和感の正体が確かなのかを見定める。

 だが、言葉が返ってくることはない。

 ただ、重い沈黙がこの一帯をひりつかせていく。

 ここまでの緊張感の中に身を置いたことなどこれであっただろうか。ぐらは全身から噴き出す汗すら心地良いと思った瞬間、フレアが冷たく言った。

 

「やるんでしょ?」キリキリと弦を引絞るフレアの表情は、放った言葉に似て冷たい。

 

 先ほどまで挑発を口にしていたぐらも、フレアからの突然の問い掛けに「あ?」と、とぼけた声を上げた。

 

「何? いきなり積極的じゃない。そりゃこっちもーーー」

「全力でやってあげる」

「あ? 何言って……」

「本気で相手してあげる。だからさっさと来なさいよ」

 

 ぐらの言葉を遮り、尚も厳しい視線をぐらにぶつけるフレア。

 その言葉は、ぐらを最高潮に引き上げるには十分だった。待っていたとばかりに頬を紅潮させ、携えた三叉槍を今一度力強く振り回して、ぐらは声高に叫んだ。

 

「いいよ、やっぱアンタ最高だ!」

 

 刹那、深い青を湛えていたぐらの三叉槍に朱色が滲み始める。合わせるように彼女の髪、そして左眼が真紅に染まった。まるで獲物の血を吸い上げたように、三叉槍と左眼は煌々と真紅に輝く。

 

 黙って見つめ続けていたいなにすも思うところがあったのだろう。「ぐら……」と静かに呟き、誰にも悟られぬよう、震える手を隠す。

 

 変容したぐらの姿、それは本気の表れである。

 決して目の前の敵を逃がさない。噛み付けば最後、事切れるまで放しはしないという意思の表れだ。彼女を見守り続けてきたいなにすにとって、正直意外だった。“神話”、そしてホロアース随一の魔法使いである紫咲シオン以外の者に対して、ぐらがその姿を見せることなど、いなにすにも予想出来ていなかった。

 

「それだけ特異点が、不知火フレアが背負わされた業が深いのか……」

 また静かに呟きフレアを見やるいなにす。

 

 そして小さく、「可哀想に……」と口にした瞬間、ぐらが叫んだ。

 

「……さあ!」

 より低く身を屈め、三叉槍を右手に掲げ、フレアの身体にその鋒を向ける。しかし構えたまま彼女は動こうとしない。あえて先手は譲ろうと、表情が雄弁に語っていた。

 

「撃ってみなさい! 特異点!」

「ーーー、!」

 

 光が奔る。

 弦の緊張からとけた音だけが響き、それが撃ち出されたことを示した。

 次の瞬間、続けてゴォという音がその場にいる全員の耳を擘く。

 カタチのなかったはずの光は“矢”となり、ぐらを射抜く姿をとる。

 

 全て数瞬の出来事。

 これを退けることが出来る者、それは光の速さの中に身を置く者だけだろう。誰も対抗出来ようはずがない。まさにフレアの射掛けた一矢は、一撃必中の魔弾そのものである。

 

 その光景を離れて見守っていたぺこらも、次に目を開けた時にはぐらは撃ち抜かれ、身体を横たえているだろうと考えていた。

 

「ーーーヒ、ーーーッ!」

 

 ざらりとした笑みが遅れて木霊する。

 

 誰もが想像した結末を否定するように赤と青の軌跡は宙を舞い、迫り来る光の矢に相対した。

 

「ホント、さいっっっっっっっこうだよ!」

 

 赤と青を湛えた三叉槍がくるりと回る。

 フレアの放った光の矢を受けるのかと思われたぐらであったが、一直線に飛ぶそれを軽やかに避け、三叉槍を振りかぶる。

 

「これで……!」

 そのまま乱暴に上空に向かい、光の矢をいなそうと、自らの得物を振るう。しかし最初の光の矢を辛くも防いだ彼女に、フレアの渾身の一矢が退けられようか。

 

 

 答えは否。

 

 

「ハっ! ハハハハハ!」

 ぐらの口から聞こえた笑い声と裏腹に、光の矢は三叉槍を、そして得物を手にした彼女の肌を焦がしていく。だが、ぐらの顔が痛みに曇ることはない。痛みこら離してもおかしくない三叉槍を強く握ったまま、鋭くフレアを睨みつけて言った。

 

「アンタすごいよ!」

 刹那、ガランと音をたてぐらの三叉槍が砕け散る。最早対抗する手立てはない。誰もがそう思ったに違いない。

 

「ーーーだから!」

 

 しかしぐらは、そしていなにすは違う。納得した表情のまま、それを目に収め続けている。

 砕けた三叉槍は地に落ちることなく宙に浮き、押しとどめていた光の矢を絡めとるように光り輝く。

 

「私の、全力も……受け取れ!」

 結ばれる声に連動するように、砕け散った三叉槍は光の矢の全てを取り込み、その鋒をフレアに改めた。

 

「ーーーッ!」

 

 最早瞬きをしている余裕すらない。

 意識するより先に、フレアの身体は斜め下方向に衝撃を避けようと動き始めていた。

 おそらく避けることは叶う。だがぐらが二の矢を準備していれば、一旦危機に瀕することになる。頭の中でこの後の筋書きを描くフレア。

 

「姉ちゃん!」

 しかし歴戦の勇士であるフレアでも、この展開は予想できなかっただろう。

 甲高い声をあげ、突然ぺこらが自身と迫り来る鋒の間に割って入ってきたのだ。

 

「うさぎーーー」

 

 何故飛び込んできた。震えていたはずなのに何故。なんでじっとしていられなかったのか。様々な言葉がフレアに浮かぶ。しかしそんなことを考えている余裕はなかった。「この!」自身の前に立つぺこらの手を強引に引き、光から庇うようにフレアはぺこらを抱きしめて隠すように身体を屈める。

 

「ッ!」

 思わず身を固くする二人。きっと痛みを感じるままなく、この光は自分たちを消し飛ばすだろう。諦めがフレアの脳裏を過った。しかしそれはノエルの笑顔に上書きされていく。

 

「……ノエル……」

 

 そう。諦めてはいけなかった。そこにいるであろう最愛の人のために、彼女は生きて『錨』にたどり着かなくてはいけなかった。閉じた瞳を再度見開き、迫り来る光と、ぐらを見やるフレア。

 

 しかし既に鼻先にまで迫っているであろうと考えていた光はそこにはない。

 

「な、に? これ?」

 

 

 そこあったのは紫の光。

 何処からともなく現れた炎の柱。

 そして、嵐の如く鋭い黒い風。

 それらが壁となり、光の侵攻をとどまらせていたのだ。

 

「……これ」

 

 突然現れた三つの柱に唖然とするフレア。これまで見たことのないその力に、彼女は腕の中にぺこらがいるのも忘れて身体を震わせる。しかしその力は間違いなく、ぐらのものと同じものだ。一眼見た時その確信が彼女の中に沸き起こっていた。

 

「ねえちゃん……無事、ぺこ?」

 

 フレアの腕の中で身体を硬くしていたぺこらがぼんやりと喋る。咄嗟に身体が弛緩したせいだろう、視線は覚束ない。キョロキョロと周囲を見渡し状況を理解したその後で、「ごめん。足引っ張ったぺこ」と頭を下げた。

 

「このバカ! 何も出来ないのに割って入ってきて。あのまま逃げとけばよかったのに……一体何がしたかったんだ? 何で見ず知らずの私のことなんか、助けようとしてるんだよ!」フレアは本気の眼差しで、「本当、どうかしてるよ。お前も、私も……」と言った。

 

 ぺこらは表情を暗くし、「……でも、そうぺこ。ごめん。」と申し訳なさそうに顔を伏せた。だがふと思い出したように再び辺りを見回し、「……ムーナは?」と言って立ち上がった。「あの子、無事ぺこか?」

 

「大丈夫、です」

 

 透き通る声はすぐに返ってきた。

 現れた三つの柱、その前で両手を掲げる菫色の髪の長い少女。辛そうに息を漏らしながら、彼女はぺこらにそう返してキッとぐらの方を睨んでいた。一方ぐらは焼け焦げた自身の腕を省みることなく、黙ったままこちらを見つめ続ける。

 

 否、割って入った三つの力を睨みつけていた。

 

「……まさか」沈黙を続けていたいなにすが目を丸くした。

「ーーー姫までは、月の姫までは分かる……」

 

 ぐらは、自らを納得させようと慎重に、しかし今にも爆発しかねない様子だ。

 

「正直びっくりした。アナタたちが出てくるなんて……」いなにすは静かに言った。

「本当に、随分久しぶりね。カリ。それにキアラも。多分……そう、アメがいなくなって振りじゃない?」

 

 次の瞬間、天高く立ち昇っていた炎はヒトの形を、女性のそれになり、そして黒い風は途端に斬り払われ、そこから一人の女性が姿を現す。一瞬にして消え去る。その手に得物を携え、姿を露わにした。

 

「随分マジになってるみたいだけど」風を斬り裂いた黒の死神、カリオペが言う。「どうしたのよ」

 

「それにしても随分久しぶりだね。元気、にはしてたみたいね」

 炎の権化、キアラは苦笑しながらそう言って、そのまま周囲を見渡した。ムーナ、そしてぺこらを一瞥した後、満足気に笑みを作り、再びぐらといなにすを見やる。

 

「……」

 ぐらは一言も発そうとしない。ただ気安く話しかけてくる二人をじっと黙ってこわばった目で見つめた。

 

「とりあえずさ。勝手をすんの、ここまでだよ?」

 喋らないぐらに違和感を持ちつつも、カリオペは手にした鎌を横に振りながら告げる。

 

 しかしぐらに代わるように、「ちょっと待ちなさい」といなにすが声を上げた。「いきなり出てくるなんてどうゆう風の吹き回しなの、カリ? こっちには関わっちゃダメだって言ってたのはアナタのはずだけど?」

 

 その言葉は落ち着いた響きであったものの、棘のある物言いだった。

「姫君と約束したからな。やばい時は助けるって」

 カリオペはいなにすに臆することなくハッキリと言い、やれやれと首を振る。

 

 

「これは、“ヒト”の戦いにちょっかいかけるわけじゃない。ここからはわたしら、“神話”のケンカだ!」

 

 

 快活なカリオペの隣でキアラはコロコロと笑みをこぼした。

 

「カリと共闘できるってだけで、私は嬉しいでけどね」とキアラは言い、意地悪にカリオペに微笑んだ。

 カリオペはため息をついて「そう言うわけみたいだけど、アンタらはどうなの?」と二人に尋ねる。

 相変わらず、ぐらが応えることはない。ただカリオペの言った“ケンカ”という言葉だけが、彼女の琴線に触れたのだろう。うずうずと落ち着かない様子を見せている。

 ならばと、それを見計らってカリオペが叫んだ。

「姫君!」

 視線はぐらといなにすに向けたまま、「ここは任せて。その人と一緒に“錨”に急いで!」と乱暴に叫んだ。そしてキアラもそれに頷き、「この先で選ばないといけないことがアナタたちにはあるから。だから急いで」と続ける。

 

 ぺこらは震える自分に腹が立っていた。数日前にも痛い目を見せられた弱気に、また囚われかけている。自分の心根の弱さに苛立ちを感じたが、それも二度目ともなればどうにか飲み込むことが出来る。自分の弱さに向き合いそして冷静になるために呼吸を整えた。

 

 そして「行くぺこ」と言った。「ここはアンタたちに任せるぺこ」

 

「いいね……そうこなくっちゃ」

 カリオペはこちらに顔を向けていない。しかしその声からは穏やかさが感じられた。

 

「“錨”まで、絶対に連れて行ってあげてね」とキアラが言い放った言葉に「分かってる。この人たちをを最後の扉まで導くのは私の役目だから」とムーナが応えた。

 

 肩で息をしていた彼女も、ようやく落ち着くことが出来たのだろう。淀みなくそう言うとぺこらの腕を引いて前に歩み始めた。しかしどうにも思うように足が前に出ていないようだ。

 

「うさぎ、いくぞ!」

 ぺこらの背をフレアが押した。ズンと勢いをつけるように、仲の良い仲間のようなやり取りにも見える。

 

「姉ちゃん……アンタ、あそこにいかなきゃいけない理由があるぺこ?」

「あの『錨』のとこには私の大事な人がいる」と言って、フレアは蒼く光る“錨”を見つめながら「取り戻さないといけない宝が、あそこにはあるんだ」と応えた。

 

「なら一緒に行くぺこ!」

 ぺこらが一気に前に送る足を速める。

「あぁ行こう!」

 それに遅れることなく、フレアも一気に速度を上げるのだった。



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どうして私たちを知っているんだ!

 サラーキアを目の前に、依然として宝鐘海賊団と蜂起軍の睨み合いは続いていた。

 

 アキロゼの予見通り、蜂起軍から攻めなければ宝鐘海賊団が動くことはなかった。むしろ動かないことを厳命されているような様子さえ見える彼らに、蜂起軍へと指示を出すメルは言いようのない違和感を覚えていた。

 

「……やっぱり、来て欲しいだけだったんだね」

 誰に向けるわけでもなく、メルは呟きサラーキアの中心、”錨”を見つめた。

 そう、彼女は知っていた。サラーキアの女帝、宝鐘マリンが何を欲しているのかを。

 そしてこのセカイを巻き込んででも、取り戻したいものを、彼女は知っていたのだ。

 

「こんなやり方しかなかったのかな」

 またポツリと呟き、メルは静かに顔を伏せた。

 

「ねぇ、マリンちゃん……」

 彼女の中に渦巻く感情を、この場にいる誰が理解出来よう。ただ既に戦いは始まってしまっている。

 アキロゼ、アーニャ、フレア、そしてポルカがサラーキアに潜入し、それほど時間は経過していない。しかし短い時間の間に、メルの留まった蜂起軍の駐屯地にも響くほどの衝撃が、眩い光がサラーキアから届いていた。

 

 その度に蜂起軍の兵士たちの表情は強張る。いよいよ戦いが目前に迫っていることを感じさせた。

 

「アキちゃん……」

 しかしそれでもメルは何も命じない。アキロゼの言葉を守り、兵士たちに待機を命じたままだ。しかしそれでは兵士たちが不安になるのも否定できない。

 

「夜空様。このままで良いのでしょうか?」

 ふとメルの側に控えていた副官が声をかけた。努めてハキハキと話してはいるが、言葉尻に不安が見え隠れしている。普段の彼であれば、命令を遵守し、無駄な動きを取らないはずだとメルは思い出しながら、「ダメだよ。我慢だよ」と返した。

 

「私たちが変に動いたら、サラーキアの人たちを刺激することになる。それが戦いに発展しちゃうかもしれないんだ。それは本意じゃない。アキちゃんだって、そう思ってるからみんなに待機を命じて行ったんだから」

「ですが……」

 

 言葉に詰まる副官を尻目に「不安を表に出しちゃダメだよ。みんなに指示する立場のヒトなら、毅然とした態度でいて」というメルの厳しい言葉を言い放つ。その言葉にハッとした表情を見せ、申し訳ございませんと頭を下げた。

 

 言うべきことをハッキリと言う。その指示は何の間違いもなく、そして的確である。

 

 それこそ“天才”との謳われる夜空メルの本領であった。

 軍師として、上に立つものとしての彼女の右に出るものはそう簡単に現れないだろう。そして戦士としての彼女も、“ホロアース随一の魔法使い”である紫咲シオンと勝るとも劣らない力を有している。その力の大半を、アキロゼの力を維持するために使っていると言っても、それは変わることのない事実であった。

 

 副官と話し終えたメルが再び視線を上げ、“錨”を臨む。

「アキちゃんーーーッ」

 しかし次の瞬間、言葉を詰まらせメルが膝をついた。

 突然のことに、先ほどまでの話をしていた副官も慌てながら「夜空様? どうされたのですか!」と声を上げる。

 

「ーーーなんで? どうして?」

 

 しかし副官の言葉が耳に届いていないのだろう、自分の身に起こった現象に違和感を覚えながら、「アキちゃんに力が送れない……」と呟いた。

 

 メルがアキロゼに貸していた力の大半、それはアキロゼの中に在る“生命を動力として、事象を覆す”力を抑止するために使われていた。本来そんな者を、ただのヒトが持てるものではない。しかしこれも、“ある少女”がホロアースを閉じてしまったが故に起きてしまった歪みなのだろう。

 

 あまりある力に翻弄されるアキロゼを不憫に思い、それを抑え込むためにメルは力を貸していたのだ。しかしアキロゼに力を送ることが出来ない。そして突然戻ってきた本来の力に、メルは戸惑いを隠せなかった。

 

「使っちゃダメだって……そう言っておいたのに!」

 

 その言葉が、戦場にあるアキロゼに届くことはない。しかし力の解放をありありと示すように、街の西側から、天を衝く光が立ち上っていた。

 それは生命の輝きのように鮮烈に、睨み合っていた兵士たち全員の視線を奪っていったのだった。

 

「アキちゃん……」

 喉元まで出かかった言葉を押し留め、メルがアキロゼのうち立てた光の柱を見やる。

 きっとその力を、“運命を覆す拳”を使わなければいけない敵と相対したのだろうと、そう納得しようと試みるが、どうしてもそれを飲み込めなかった。

 

「よ、夜空様」

「ご、ごめん……みんなは絶対に動かないで。あれはアキちゃんが力を使った証だから」

 必死に不安を隠そうとする副官の声が物語っていた。もしアキロゼがいなくなってしまえば、きっとこの南の地は更なる混乱に見舞われると。この地は独り立ちをするにはまだ十分に準備が整っていない。だからこそ彼女には力を使わないようにきつく言っておいた。

 

「……どうする」

 ふと弱音がメルの口からこぼれる。

 ハッとして口元を押さえたメルの言葉に、どうやら副官は気が付いていないのだろう、視線をずっと光の柱に向けたままだ。どうする。どうすればいい。このままではきっと、アキロゼは力尽きてしまう。それは絶対に避けるべきだ。しかし軍を動かすことは絶対に出来ない。仮に自分が一人でサラーキアに潜入している間に、蜂起軍の中に不慮の事態が起こればどうなる。ぐるぐると幾多の考えがメルの頭の中で渦巻いていった。

 

 

「マズイって、そう思ってるでしょ?」

 

 

 その声は響くように、蜂起軍の駐屯地に木霊した。喧々とした、しかしとても耳障りの良く不快感の感じない声だ。

「ーーー誰だ!」

 反応が遅れながらも、副官はメルを背に自らの腰に携えた得物に手を掛ける。声の主は、兵士で固められたこの駐屯地の中に入り込むことの出来る実力を持った人物のなのだろう。ざらりとした緊張感が彼を包んでいた。

 しかしそんな緊張も虚しく、再び声は響く。

 

 

「お久しぶり。吸血姫」それは副官の背後、メルの正面からの音だった。

 

 

「夜空様! 此奴は私がーーー」そう続け、身体を捻り振り返ろうと試みる副官。しかし咄嗟にその動きが止まった。

「なーーー」

 言葉を詰まらせ、副官が声の主を見やる。信じられなかった。あり得ないと、そう思ったのだ。

 

「頭から剣……なぜ、生きているのだ」

 

 そう。副官の言葉通り、その声の主の頭を横に貫通するように差し貫かれた剣の鋒が副官の目と鼻の先に迫っていた。そのまま振り返っていればきっとそれに貫かれていただろう。薄寒い感情を感じながら副官は鋒と、声の主に黙って目をやった。

 

「そうそう。いい子ね。静かにしておきなさいよ」

 声の主は最初に感じた通り、快活な物言いの少女。しかしその毒々しいまでの赤の髪をどう説明しよう。彼女の髪は赤々と輝いている、それこそ髪以外のもの全てを犠牲にして。

 

「貴様……まるで屍人ではーーーッ!」副官が口を開こうとした刹那、ズイと剣の鋒が彼の喉元に寄る。

「あん? 歩兵がしゃしゃり出ないでよ。自分で言う分には良いけど、人に言われるのは存外腹が立つんだよね」そう続けてジロリと副官を睨む少女。もはや口答えは出来ないと、副官は黙って手を挙げた。

「よし、良い子ね。別にあなたに危害を加えたいわけじゃないから。ただ、昔馴染みのお姫様に会いにきただけだし」

 

「オリーちゃん?」

「お久しぶりですね。でも、そんな悠長なこと言ってられないんじゃないですか?」

 簡潔にそう言い切り、ニコリと笑みを見せる。

 

 クレイジー・オリー。

 

 ホロアースに息づいた魂がその役割を終えた時、最後に行き着く場所とされている異界、フォルトナの住人であり、彼女もまたシオンやメルと同様に、ホロアースには関与してはいけないとされる、“見守る側”の人物である。

 しかしその彼女があえてこの場に姿を見せたのには理由がある。一体何が起こっているのか。メルが考えを巡らせていると、「私までが出張ってきた理由、分かるでしょ?」と静かに尋ね、神妙な表情を見せた。

 

 オリーの浮かべた表情を察するに、彼女自身出張ってくるのはつもりでは無かったことは伝わってくる。ここで冗談の一つでも言えようものなら良かったのだろうが、アキロゼが窮地に陥っているかもしれない状況でそんな事はしていられないが、意図せぬ同郷の者との再会に張り詰めていたメルの心は少しほぐれたのだろう、フッと笑みを浮かべて答えた。

 

「オリーちゃんがフォルトナから出てくる事態なんて、正直考えつかないよ。もしあったとしたら、それこそこの世の終わりの時じゃないの?」

 

「あはは。そんな事ないよ。ニンゲンはかくも面白く、そして愚か愚か。観ていてぜんぜーん飽きませんから」オリーは笑顔を見せながら「意外に暇な時は徘徊してるんですよ。それこそゾンビみたいに」と冗談で返す。

 

 クスクスと笑う二人であったが、副官としては何が起こっているのか分からないままであった。どうにメルに声をかけようと試みるが、どうしてもオリーへの警戒が拭えないのだろう、緊張した面持ちで黙りこくっていた。

 オリーは強張る副官の表情を笑う。「で、冗談はここまでにして……」口元には笑みをたたえたままだが、真剣な口調で続けた。

 

「メルさん、さっき言ってたのはあながち間違いじゃないよ。どれだけ先の手を読んでも、どれだけ対抗する手を考えても、結局導き出された答えは一つだった。まあ死んでるんだし、試行する時間は腐るほどあったってね。まあ実際にゾンビだし」

 

 ケラケラと笑う言葉の端々に、緊張を感じさせるオリー。

 それはメルが想像出来る、最悪の状況であることをありありと示していた。

 

「もうね、完全に箍が外れそうになってるんだ。これでも随分保ったほうだよ」

「そうかも、しれないね」

「“大剣”を天使が起こさなかったら、きっともっと速かったし、神木の主人が異界から呼び寄せられなかったら、きっと至る所で大惨事が起こってた。まあ良くも悪くも、最後の扉に殺到してるんでしょうね。良いものも、悪いものも」

 

 そう言葉を結んだオリーはおもむろに“錨”を見つめた。「厄災と祝福を同時にもたらす門とは、なんて皮肉なんだろうね」

 

 メルはそれにどう言葉を返すべきか分からなかった。ただ目の前に迫り来る事実だけはきちんと口にしないといけない。

 

「“ケガレ”が、このホロアースにも戻り始めてるんだ」と呟き、ポツリと「じゃあ、あの人はどうなるの?」と、このセカイを閉じた少女のことを思った。

 

 別の可能性の、自分達が集まるキッカケになってくれた少女のことを思い、メルは悲しくなった。結局、何にも出来なかった。見届ける者などと大仰な呼ばれ方はいたが、その実は何もなし得ていなかったのだと己を顧みる。

 

 複雑な表情のメルに思うところがあったのだろう。オリーはやれやれと首を傾げる。

「分かるでしょ? ここは、サラーキアは最早、感情の坩堝だよ。怒り哀しみ恐れ憐れみ負の感情がより集まってる。それが呼び水になって、一気に雪崩れ込んでくる」

「……そっか。それでさ、みんなこっちに来てるの?」

 

「死神は出張ってきてますね。ちょこせんせーは、あっちを守ってくれてます」とそう言ったが、「まあ、死神は友達とケンカするだけだって言ってますけど」とオリーは続けた。その物言いから察するに、おそらくシオンもこのサラーキアに迫っているのであろう。ならば自分も行動しなくてはならない。唇を噛み、これが間違いなく現実なのだと認識しながら彼女はまた“錨”を恨めしく睨んだ。

 

「踏ん切りつかないなら、連れて行ってあげましょうか?」

 不意にオリーの口からそんな言葉が溢れた。

「何? 一体どうしたのさ」メルの問い掛けにオリーは「あなたは長くこっちに留まりすぎたんですよ。そのせいで判断に迷ってる。こんな時くらい、自分に正直になったら良いのに。でも、決められないなら、やっぱり私が連れて行ってあげますよ」と、どこか押し付けがましく言った。

 

 きっとわざとだろう。そう思うと自然に笑みが溢れた。

 メルは「……うぅん、必要ない。だって私は、ずっと自分で選んできたんだもの」と言って、静かに息を吐いた。

 やるべき事は決まっている。彼女にとって優先すべきは、このセカイのこの後を支える人を救い出す事なのだ。

 そしてメルは副官に向かい、出来る限りの威厳を示しながら言う。

「アキちゃんの無事を確認してくる。みんなに絶対に動かないように伝えておいて! これは、お願いじゃなくて命令だから!」

 

 これまで他人に命令をしてこなかったメルから出た言葉に、副官は息を呑んだ。それほどまでに急を要する状況なのだと、そう理解するにはメルの変わりようは想像に容易かった。



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どうして私たちを知っているんだ! 2

 街の南方ではついに戦いが終わりを告げようとしていた。

 一直線に“錨”へとつながるその通りの至る所には破壊された後、そして血を撒き散らした跡が残る。きっと何も知らない者がその場を見れば、凄惨な殺戮が行われたのだろうと、そう考えるのは難しくない。

「あのさぁ。マジでもう何もしないつもり?」

 苛立ちを露わにポルカが尋ねていた。だがそれに相対する者は泣き腫らし、頼りなく視線を右往左往させながら、這いずるように彼女から逃げ続けていた。

 

「せん、ちょぉ……助けて、せんちょぉ!」

 

 それはきっと無様に見えただろう。そしてあまりに悲惨に見えただろう。

 しかしこの少女は先ほどまで幾度となく、手にした狂気をポルカに放ち続けていた。明確な殺意を持って、ポルカを打ち倒さんと自らの得物を振るい続けていたのだ。

 

 眉間を撃ち抜いた。

 胴を弾丸を打ち込んだ。

 身体全体を蜂の巣にした。

 喉笛を掻き斬った。

 四肢を斬り裂いた。

 首と体を切り離した。

 

 幾度となく、気が遠くなるほど、あくあはポルカを殺し尽くしたはずだった。

 

 しかし夥しい血がその場に吐き出されようと、けろりとした表情でポルカは佇んでいた。まるで全てがマジックだと、そう言わんばかりにステージに立つピエロのように戯けてみせる。

 

「嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だ! こんなの、あてぃし、こんなの知らない! 死なないヒトなんて、どうやって……」

 

 あくあはヒステリーに声を上げた次の瞬間、ウッと言葉を詰まらせた。

 

「そうそう。思い出した? 言ったじゃん。ポルカ、神様だってさ」

「神様って……神様って、なんだよぉ」

 恐れ慄きながらそう口にするあくあに、さすがのポルカも限界だったのだろう。今まで見せていた戯けた表情は一転、色のない冷めたものになる。

 

「神様は神様さ。それ以上でもそれ以下でもない。何期待してんだ?」

「だって! 神様は……」

「神様は何にもしねぇよ。ただ物知り顔で踏ん反り返ってるだけだってば」大袈裟に腕を広げ、まるで舞台の上で一人独白する俳優のように、いい加減学習しなよと、深い響きでそう言った。しかし彼女の長台詞はそれで終わらない。

 

「全知全能だとでも思ってた? なんでも思うままで、なんでもやりたい放題だって、そう思ってた? 違うちがーう!  なんでそんなに発想が貧困なんだい? 神様なんてね、いつでも蚊帳の外の詰まらない役目なんだよ。舞台の上では楽しそうな演目が続いているのに、自分はその中に入っていけない。目の前では楽しそうにみんながワイワイやってるのに、それを画面の外からしか見られないような、そんなつまんねぇ役割を押し付けられたピエロなの」

 

 それは見護る者の、さらに高次の者からの見え方なのかもしれない。声高に、そして悲痛に叫び、肩で息をするポルカに、涙を流すことも忘れ、ただその独白に聞き入ったあくあ。ポルカが何に悩んでいるのか分からない。ただポルカが何かに納得がいっていないということは分かった。そして、自分では到底ポルカに敵わないのだと、それを理解した。

 

「……」

 しかし敵わないからといって、ここでほおけている場合ではない。少しでもいいから遠くに逃げなくてはいけない。その確信が彼女を突き動かしていく。もっと、もっと遠くへとただフラつく足で立ちあがろうと、膝をついた。

「でも、もういい加減飽きたらさ」

「ーーーッた!」次の瞬間、あくあの身体がフワリと浮いた。まるで摘み上げられたかのように、簡単に宙に浮き視界が変わった。

 そこには変わらず感情を感じさせない瞳であくあを見やるポルカの姿。

 彼女はニヤリと口元だけを吊り上げ、そして言う。

 

「さぁ、おねんねしよっか。あくたん?」

 

 明確な終わりを、ハッキリと口にしたのだった。

 

「なーーーに?」

 自身の身体が宙に浮いている。普通ではあり得ない状況に、あくあの頭の中が冷えていった。

 どれだけ打ち倒そうとやり返すことなく、ケラケラと笑っていたポルカのこれまでとは違う表情に、逆に昂っていた感情が凪いでいく。

 

 そして理解した。目の前に居るこのヒトのカタチをした何かは、確かに超常の力の具現なのだと。

 そして確信した。目の前に居るその神そのものに人物から、もはや逃げおおせることは出来ないのだと。

 しかし、どうしても分からなかった。

 

「なん、で……そんなのが、ここにいるんだ」

 

 まるで吊るされたように、持ち上げられる身体。四肢が、そして首が締め付けられるように血の気を失っていく中、声を詰まらせながら、小さくあくあは呟いていた。本来ならば聞き流されるはずであったその言葉に感情のない瞳であくあを見ていたポルカに、一瞬色が戻る。そして噛み締めるように「あぁ、ようやくだ」と呟いた。

 

「ようやく、こっちの予測超えてきたね」

「よう、やく……って」

「絶対にそんなこと言わないって思ってた。何があっても泣いて逃げるだけだって思い込んでた。でも……あぁ、やっぱりヒトって面白いね」

 

 ポルカはフッと笑みを作る。しかしそれは一瞬のことであった。次の瞬間にはまた冷たい表情に戻る。しかし彼女の心は揺り動かされているのだろう。

 

「あくたん、船長のことどう思ってる?」と口にした彼女の声は少し上ずっていた。

 突然の問いかけであったが、あくあの中には明確な言葉があった。「船長は……仲間で、友達で……」言葉が喉を通る度、痛みを伴っていく。気恥ずかしさが棘になり、そして首の締め付けられる力が更に増しているからそう感じているだけであろう。

 

 ただ、もう決壊した堰を塞ぐことはもう出来なかった。

 

「一人でも、どうにか頑張ろうとする人だから……助けてあげたい、大事な……船長はあてぃしの、大事な人なんだ」

 

 そう呟いた瞬間に、再びあくあの大きな瞳から、一筋の涙が溢れた。

 

 依存しているだけではなかった。助けたかった。あくあ自身も気付いていなかった感情に、彼女は朗々と涙を流す。だがそれに気付いたとてもはや遅い。あくあの中にはその感情も芽生えていた。目の前の“神”が、拘束を緩めることは決してない。終わりが目前に迫っていると、そう確信していたからだ。

 

 しかしその覚悟とは裏腹に、最後の審判がすぐに降ることはない。

 訪れたのは身を裂く痛みではなく、穏やかなつぶやきだった。

 

「そう、それだよ。ポルカにもさ、そういう奴がいるんだ」

 ポルカの言葉は温かい。その調子で彼女は「なんも興味なかったこのセカイにさ、ようやくそういう奴を見つけたんだよ」と、慈しみ深く言った。

 

「どれだけ業を押し付けられても守りたい者を守り続けるあの人を、ポルカも守ってやりたくなったんだよ。フレアのことをさ、助けてぇって思ったんだよ」

 

 ポルカはそう結んで、深いため息をついた。そして「あぁ。らしくないなぁ」と少し視線を泳がせ、一度瞼を閉じて、そして改めてあくあを見据えて言った。「でも、うん……もう、終わりにしよっか?」

 

 既にその瞳は、あくあに対する興味を無くしている。 

 

「さよなら、あくたん」

 終わりと呼ぶには、それはあまりに寂しい音であった。しかし何よりもリアルな質感を伴って、締め上げられていく自身の首に、あくあはポルカの言葉に偽りがないのだと思い知らされた。

 

「ッーーー」

 

 最早あくあの瞳には視界を映す力も残っていない。息苦しさに瞼を閉じ、意識を手放そうとした瞬間だった。

 

「ダメだよ」

 

 聞きなれない声が、突如として二人の間に割って入ったのは。

 

「イオ……フィぃ? お前! なんで?」

 

「ねぇ。それ以上は、もうやっちゃダメだよ」

 

 春の風のような優しい声色だった。しかしその声があくあの耳に届いた次の瞬間に、吊り上げられた彼女の身体がドサリと地に落ちた。

 

「……ぇ?」

 

 手放しかけていた意識を取り戻し、うっすらと瞼を開けるあくあ。しかし突然聞こえた声の主はおろか、ポルカの姿もそこにはない。

 

「なんで? 誰も、いない……」

 

 そこにはただ、泣き腫らした一人の少女と、破壊し尽くされた通りの景色しか残っていなかった。

 



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どうして私たちを知っているんだ! 3

 ポルカがあくあの目の前から消え失せる少し前、フレアたちが宝鐘海賊団の本拠地に足を踏み入れた頃に時間は巻き戻る。フレアとムーナ、そしてぺこらは足早に建物の中を駆け抜けていた。

 

「はっーーーはっ、はっーーー」

 

 苦しそうな表情を浮かべるぺこら。吐く息は徐々に熱を帯びていく。今にも立ち止まりそうな様子で、それでも節目がちに走り続けていた。「うさぎ、大丈夫?」フレアが言う。

 

 ぺこらが額の汗を拭いながら視線を上げると、目の前のフレアには疲れた様子は見えない。一つも汗を滲ませてはいなかった。

 

「だい、丈夫ぺこ」

 

 辛そうに、しかし強がりをぺこらは口にする。

 

「無理するな。ちょっとくらいスピード遅くしてもいい。“錨”のところにまでたどり着いたら、何があるかわからないんだから」フレアは視線を前に向けたまま続けた。「だから、ちゃんと息を整えとくんだ」

 

 ぺこらは申し訳なさそうに、ムーナを見やる。彼女も若干ではあるが疲れたように見えるが、自分の比ではないように見えた。そしてフレアの言葉にも一理あると思った瞬間、前に送り続けていた足の速度を弱めた。

 

「ごめん、そうするぺこ」

「うん、無茶することないよ。この後いやでも無茶しなきゃいけないのかもしれないんだから」

「姉ちゃん、一個聞いて良いぺこ?」

「……何?」

「アンタ、“錨”のとこにいる女帝のこと、知ってるぺこ?」

 

 ぺこらにもそう問いかけた意味が分からなかった。他にも聞きたいことはあったはずだ。

 一体お前の目的はなんだ?

 なぜ“錨”に用があるんだ?

 “錨”のところにいる、大事な人とは誰のことだ?

 

 聞きたいことは多くあったはずなのに、何故かそう問いかけていた。自然とそれを問うのが自然だと思ったからだ。

 

「何よ、その質問」

「わっかんねぇぺこ。なんでそんなの聞いてるのか、ぺこーらだってわっかんねぇぺこ!」

 そう言ってブンブンと頭を振るぺこら。その度に右往左往する白い耳がどこか頼りなく、少し面白く感じたのだろう。フレアは吹き出し、声を上げて笑った。

 

「あ、アンタ! こっちが真剣にやってんのに!」

「ごめんごめん。なんか変にツボに入っちゃってさ。で、なんだっけ? 女帝のことだっけ」

「……」

「ごめんって。怒らないでよ」フレアが拝むように両の手を合わせる。

「……あぁ、分かったぺこ! で、どうなの?」

「知らない。正直私は女帝のことなんて全然興味はないよ」

「そう、ぺこか……」

「でも」

 はたと足を止め、フレアが考え込む。突然の静止にぺこら、そしてムーナも首を捻って彼女の方を見やった。

 

「でも、知ってるような気がする」

 

「はぁ? それどうゆうことぺこ? もっと分かるように言いなって」

「ごめん。上手く言えない。ウェヌスでアイツの姿を見てからそんな気がずっとしてるんだ。間違いなく会ったことなんてないのに、なんだか知ってるみたいな……」

 

 そこまで言ってまた複雑そうにフレアは微笑む。

 

「でもね、私のやることは何にも変わらない。“錨”のとこまで行って、ノエルを助けて、そして……女帝を止めるよ」フレアがそう言って、階上を指差す。「さあ、もうすぐ着くよ」

「ノエル……」

 

 また聞き馴染みのある名前だとぺこらは思ったが、やはりどこか靄がかっていて明確なことは言えない。

 ぺこらの困惑を感じ取ったのだろう、押し黙ったままだったムーナがぺこらの肩に手を置き、「いいんです。でもその違和感を、忘れないで」とぺこらに聞こえるようにだけ呟いた。

「アンタ……」

 

 一瞬視線をムーナにやるぺこら。彼女の浮かべていた笑みに、また何も言えなくなっていると、「さあ、行くよ?」と響くフレアの声。

 

 視線の先には開け放たれた扉。間違いなくそこがゴールなのだろう。特別な様子を感じさせないその光景に、ぺこらはグッと空気を飲んだ。

 

そして「……わかんねーけど……うん。行くぺこ!」と声高に叫んで、一気に外へと足を進めていった。

 

 

「あぁいらっしゃい」

 

 

 そしてそこには確かに在った。

「遠路はるばるお疲れ様」

 柔和な笑顔を浮かべ、一人の老婆が、蒼い清浄な光を背にそこに佇んでいた。

 

 サラーキアの中心、天高く存在感を露わにする“錨”は仄かにゆらゆらと蒼い光を湛えていた。ソラの青は少しずつ泥み、一日の終わりに向けて刻一刻と進み始めている。

 

 老婆は背丈には似合わない、厳しい豪華な椅子に深く腰掛ている。柔和な笑顔で「遅かったですね」と口にするその声は重厚さが感じられた。しかし押し付けるような声色ではなく、彼女の声を聞いた者には自然に受け入れられるほど優しかった。

 

「あれが……」

 ぺこらが小さく呟く。それと同時に彼女の中に沸々と浮かび上がってきたのは、フレアを目にした時と同じ感情であった。

 

「知ってる……気がする」

「ノエル!」

 

 老婆の腰掛けた椅子の傍に毛布の掛けられた銀髪の少女も見てとれた。それを見つけた瞬間、弾ける感情を抑えられなかったフレアが声を上げた。しかし前に足が出なかったのは、ノエルが老婆の近くにいすぎた為だろう。自分がここから走ってもノエルを救い出すには間に合わない。逆にノエルを危険に晒してしまう。それが彼女を押しとどめいた。そしてフレアの中にも湧き上がっていたのだ。ぺこらと同じ、既視感が。

 

 混乱するぺこらとフレア。それをおかしそうに眺める老婆は自分からは何も言わない。あえて二人からの言葉を待つようにただ悠然と、手にしていた黄金の髑髏を撫でながらジッと待っていた。

 しかし次の声を発したのは二人ではなかった。

 

「サラーキアの女帝……いいえ、船長。アナタは、やっぱり」

 ムーナが三人の間に割って入り、泣き出しそうに老婆を見つめる。

 

「なんで、どうしてそこまでして……」

「ムーナさん。二人をここまで連れてきてくれてありがとう」

 老婆はそう言うと、よろつきながら立ち上がり、恭しく頭を下げた。

「お礼しか言えないけど、許してくれますか?」

 その姿はあまりに痛ましかった。これまでソラの遥か遠くからずっと見つめ続けてきたムーナ自身も、改めて老婆の積み上げてきた“時間の重さ”を思い、一瞬顔を伏せた。

 

「……だい、じょうぶぺこか?」

 

 後ろから心配する声が聞こえ、自身の手に、優しい温もりが触れる。それは小さく今にも消え入りそうな音、吹き飛びそうな温度だった。混乱しながらもぺこらが自分に気をかけてくれている。その事実を申し訳なく思いながら、そして触れられた熱に後押しされ、ムーナは正面を向く。

 

「……違います」

 はっきり言い切ったムーナは両腕を広げながら、「私はただお二人と一緒に来ただけです。そして、誰にもあなた達の選択を邪魔させないために、私はあそこから降りて来たのです」と、ソラに薄く影を見せるそれを指差し、よく通る声で言い切った。

 

 老婆の嬉しそうな笑みが響く。

 

「それでもお礼を言わせてください。アナタがぐらさんの本気から二人を守ってくれたところ、ちゃんと見てましたから。本当にありがとうね」 

「マリン、船長……アナタは」

 

 ムーナは老婆の、マリンの言葉に思わず手で口元を覆い、溢れそうになった言葉を押しとどめた。その背中は小刻みに跳ね、必死に嗚咽を堪えているように見える。それを見守っていた二人は何も言えなかった。しかし、このままで良いとも思えなかったのだ。

 

 先に動いたのはフレアであった。涙を堪えるムーナの肩を抱き寄せ、庇うように前に出る。

 

「マリン?」

 ぺこらはその名前を口にした。やはり懐かしく思える響きだ。

 言いようのない既視感に襲われる中、「……あぁ久しぶりに聞く響きですね」その笑みは一層に嬉しそうに、刻んだ皺がその感情を物語っていた。

 

 そして噛み締めるよにマリンは二人の名を呼ぶ。

 

「お久しぶり。ぺこら、フレア」

 

 悪戯な笑顔でそう告げると、マリンは再び椅子に腰掛け、隣で眠るノエルの頭を撫でた。

「なんで?」今にも飛び出しそうになるその身体を抑えながら、努めて冷静にフレアが言う。「どうして、私たちを知ってる? なんで、私たちの名前を知ってる?」

 

 しかしその問いかけはマリンにとっては無意味だったのだろう。

 

「なんでって、そりゃ知ってるからじゃないですか。事実を受け止めなさいな、フレア」とニヤリと返すマリンに、ついについにフレアが弾けた。

 

「はぐらかすな。どうして私たちを知ってるんだ! ちゃんと答えろよ!」

 



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私は、獅白ぼたんだよ

 風と光が騒がしく飛び交う。 

 シオンとレイネ。互いにセカイの神秘へと肉薄し、その力を行使する魔法使い同士の戦いは、今まさに終わりを迎えようとしていた。

 

「なんで……」

 掲げた手が震えていた。レイネは必死に光の圧力に対して負けじと、自身の力を行使し続けていた。

「なんで……」

 再び同じ言葉を呟く。目の前の魔法使い、紫咲シオンは余裕の表情を見せながら、縦横無尽に光弾を打ち出し続けている。手数は圧倒的にシオンが有利。だが度重なる魔力行使を行えば、自身の中にある魔力はそこを尽きてもおかしくないはずだ。しかし、シオンに疲れた様子は見えない。数えきれない程の魔力を打ち出してもなお、そして街が傷つかないように防御壁を展開してもなお、彼女の額には汗すら滲んでいたいのだ。

「なん、で……」

 三度、同じ響きが二人の間に横たわる。

 その言葉が示す通り、どうしようともレイネの力はシオンを傷つけるのは至らない。そして躍起になって彼女に攻撃を繰り出し続けていたことで、レイネの魔力はそこを尽きようとしていた。

 

「どうして、届かない……」

 

 ついぞレイネは前のめり蹲ってしまった。宿敵を目の前にして膝を折ってしまったのだ。彼女もその無様は理解しているのだう、影に隠れるその表情は苦虫を噛み潰したように辛いものになっている。しかし彼女の苦悶に満ちた表情の理由はそれだけではなかった。

 眩む視界の中、シオンを睨みつけながら「なぜ……本気で傷付けにこないのですか? アナタは、私を舐めている、のですか?」と口惜しそうに呟いた。

 

「何言ってんのさ。ちゃんとヤる気だったよ」

 

 普段の意地悪な表情ではなく、努めて真面目にシオンが応える。しかしこの結果だけ見ればレイネがそう考えるのは致し方ないだろう。

 自分も傷付けられず、そして相手も傷つけない。そしてレイネの魔力が底をつくように調節しながら戦っていた。そんなことが出来るのは、実力が数段上の者だけだ。ここまでの差を見せつけられれば、レイネがそう思い至るのに無理はなかった。しかしそれで納得していいわけではない。レイネはその一心で瞼を開け続けていた。摩耗し、意識が途切れるのをなんとか繋ぎ止めていたのはアーニャやシオンへの怒りでも、不甲斐ない自分の情けなさでもなく、ただ、“マリンの側に戻らなくてはいけない”と思う、その気持ちだけだった。

 

「私は……船長の元に」そう呟きつつ、レイネは“錨”に目をやろうと顔を上げる。しかしその視線を遮るように、黒の外套が立ちはだかり、苛立ちを孕んだ響きで言った。

 

「ねぇ。いつまでそこに籠るつもりなの?」

「……なにを」

「船長になんでもおっ被せてさ、なんでも船長が決めてくれるの? 船長はアンタのお母さんなの?」

 

 シオンはそう言い切り、レイネを見下ろす。

 

「ちが……」

 途端にレイネが声を詰まらせた。シオンの言葉は的を射ていたのだ。レイネ自身、そう言われるまで気付いていなかったのだろう。彼女はマリンに心酔しきっていた。それこそ生まれたばかりの子どもが、育ての親に対する全幅の信頼を置くように。

 

「もう依存するのはやめてあげな」

 シオンはそう言いながら、片膝を付いてレイネの頭を撫でた。「でも……」

「そろそろ独り立ちしなって」そう静かに言って、シオンは立ち上がってレイネの側から離れていった。

 あまりに無防備な背中だ。きっと最後に残った力を使えば、傷の一つくらいは負わせられるだろう。一瞬そんな考えがレイネの頭を過っていた。

 

 しかし、彼女には出来なかった。

 

「私は……船長……ごめんなさい」

 そしてレイネは瞼を閉じた。最早体力の限界だった彼女には、そうする他なかったのだろう。瞼を閉じ、そして穏やかな表情を見せて、彼女は力尽きた。

 

「ふぅ。久しぶりにマジになったよ。結構疲れるモンだなぁ」

 

 シオンはグッと伸びをしながら、”錨”の方を見つめた。言葉ほど疲れている様子を見せていないところを見るに、レイネの言葉通り本気ではなかったのは誰の目から見ても明らかであろう。そのまま深くため息を付いてこう続けた。

 

「このままがぐらのとこに行ってもいいけど……あっちはもう『神話』同士で始めてるみたいだし」と言ったは良いものの、ウェスタでのぐらの言葉を思い出し「まぁ覗きに行くくらいはしてもいいかなと」と、おかしそうに笑った。

 

 だがその微笑みは次の瞬間たち消え、真面目なものに変わる。

 

「ねぇ」

 視線をあげ、仄かに蒼に光る“錨”を睨み、シオンは続ける。

 

「またみんなを集めて、“五人”で集まってどうするつもりなの?」

 その響きは、哀しみに満ちた響きであった。

「ねぇ、船長……」

 

 

 大気が震える。力のぶつかり合いに、サラーキア一帯が恐怖を露わにしたように振動していた。

 炎は瀑布のように全てを染め上げ飲み込み、黒い風は炎の中に留まった生命の全てを刈り取るように鋭利な切っ先を突き立てていく。

 

「ハは、ハハハハハ!」

 それら全てを笑い飛ばし、飛び跳ねるのは一つの小さな影。

 赤に染まった瞳でそれらを射抜き、炎の先に在る使役者たちに向かって、その三叉槍を突き刺さんと放り投げ続けていた。

 幾度となく身体は焼け焦げ、幾度となく三叉槍の鋒は術者の身体を捉え、そして幾度となく彼女たちは各々にもつ殺意をぶつけ合った。

 しかし彼女たちの顔に張り付いて離れないのは笑顔。

 まるで子供の遊びだと言わんばかりに、楽しげに笑みを浮かべながら、彼女たちの生命のやり取りは続いていた。

 それは彼女たちを呼び表す言葉通り、まさに、“神話”に描かれた戦い、そのものであった。

 

「いいよ! やっぱり戦いはこうじゃなきゃいけない!」

 

 怒号にも似た響きでぐらが叫ぶ。繰り出す三叉槍の投擲は止むことなく、針の穴を通すように、自身を包み込む炎を破らんと、術者であるキアラに見舞い続ける。

 

「そりゃ、そうでしょ! アンタに対抗できるのなんて、私たちくらいだ!」カリオペが続けて叫び、手にした鎌で三叉槍の鋒を跳ね上げる。その得物に死角はない。

 

「でも、いつだってやめ時が見つかんないけどね」

 カリオペに守られるキアラはどこか恍惚とした表情を浮かべていたが、その力の冴えが乱れることはなかった。ぐらに破られた炎の壁を即座に修復し、徐々にその動き阻害せんとその包囲を狭めていた。

「そらそうでしょ!」ぐらの動きは敏捷だった。投擲していた三叉槍を乱暴に掴み、そのまま横に薙ぐ。そのまま炎の包囲を斬り飛ばした彼女は一気にキアラに肉薄する。

 瞬きも追いつかないその疾走。しかしキアラの表情に焦りは見えない。

 

 次の瞬間黒い鎌が存在を露わにし、「ーーーッ」ぐらの進行方向を塞ぐようその刃をたてる。

 

「やばーーー」

 

 危険を認識している。しかし突貫した身体が簡単に止まることはない。ぐらが焦りを滲ませた次の瞬間、それは唐突に姿を見せた。カリオペの鎌よりも黒い、そして大きい何かが三人の間に現れ、そして強引に三人の間合いを大きく広げんと弾けたのだ。

 

「……ッ」

「何もしないと思ったら……この子は!」

 

 衝撃に身構えながら間合いを広げる三人。全員の視線がその力を行使したであろう人物に注がれる。その人物、いなにすは冷静な表情のまま手をかかげ、安心したと短くため息を吐いていた。

 

「ってぇ! いなにす! 横槍入れてくるんならもうちょっと優しくやれ!」

「ぐら。楽しいのは分かるけど、もう少し落ち着いて」

 

 いなにすの言葉に、頭に血の昇っていたぐらも毒気を抜かれたようにハッと声をあげた後、「確かに、ちょっとらしくなかったわ」と三叉槍を地面に突き立て、深く深呼吸をする。

 突然止まった戦いに、普通なら気まずさを感じるところであったのだろうが、四人の間にそれはない。常に緊張感を持ちながら互いの動きを見守っていた。その中で不意にカリオペが声を上げる。

 

「……一個教えてくれない?」

「あぁ? 何よ?」

「アンタたちが船長に肩入れしている理由は何? そんなの暇つぶしにしかならないじゃないか?」

「まさにそれだよ。船長の周りにいたら何かしら面白いことがある。強い奴に出会えるからね」

「っていうのは、建前でしょ?」

「いなにす!」

 

 いなにすに怒りの視線を向けるぐら。しかし彼女がぐらに向ける視線ははぐらかすことを許さなかったのだろう。冷えた眼差しで見つめられたぐらは観念したと言わんばかりに、両手をあげた。

 

「正直に言うわ。あんな危ういの放っておけなかっただけだよ」

「なんだ。やっぱりか」

 その言葉に心底ホッとした様子のカリオペ。キアラも同じようにフッとため息をつきながら、そのやり取りを見守る。しかし「でもさあ、もうそんなのどうでも良いって、そう思わない?」のぐらの声に、ほころびかけていた緊張が再び四人の間に走った。

 

「アメがいないのは残念だけど……もう始めたんだから、簡単には終われないよ」

「ああ、それには賛成だ。別にこっちはセカイを救いに来たんじゃない」

「でも、なにもしないわけじゃ、ないよ?」

「……はぁ、ホントこの子たちは……」

 

 いなにすの言葉を最後に、再び沈黙が広がる。そして次の瞬間、再び空間が爆ぜた。まだまだ終わることのない“神話”同士の戦いは続いていくのであった。

「最初に言ったよな? ケンカ、しに来たんだって」

 カリオペが再び言う。これはケンカだと。セカイノ趨勢など何も関係ない、これは憂さを晴らすための、友人同士のただのケンカだと。

 その言葉にぐらは身を震わせながら、「いいねぇ。ああ本当にいいよ!」と賛美の言葉をカリオペに送る。だが受取手のカリオペはその反応を良しとはしない。苛立ちを露わにして言った。

 

「うるさいね。きゃんきゃん騒ぐな。ガキじゃあるまいし」

 もちろんこの言葉でぐらが止まるなどとはつゆほども思っていない。ただ、少しはぐらを諌めなければ、この後の戦いは目も当てられないほどに凄惨なものになるだろう。

 カリオペは頭によぎる最悪の結末に身震いしながら、「とにかく、ちゃっちゃと本気でやろう」と続けた。

 そう。どうなろうが構う事はない。ここまで自分を押し殺して、死神としての責務を果たしてきたのだ。少しくらい羽目を外してもいい。幸いに、この場に集う四人は互いに全力をぶつけ合っても簡単には壊れないのだから。

「ホント、良いストレス発散だよ! まどまだ楽しませてよ!」

 叫び、再び手にした三叉槍に力を込め、大きく振り回すぐら。

 おそらく次に響くのは、彼女の怒号と空間が軋みを上げる音だろう。残った三人が覚悟し身構え、各々の得物を掲げた。

 しかし響いたのは地を割る音でも、空間を裂く音でもない。

 

「チェーーーーーーーストぉ!」

 

 少女の、“紫の光”を纏った少女の蹴り一閃であった。



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私は、獅白ぼたんだよ 2

「んなぁ!」

「ーーーガッ!」

 

 ぐら、そして向かい合っていたカリオペを巻き込み、光は衝撃を伴って二人を吹き飛ばす。しかし不意のことであっても“神話”の名は伊達ではない。宙を舞い、一瞬のうちに体勢を立て直し、飛来した“紫の光”の主に視線を向けた。

 

「ふぅーさすが」

 キアラの口から感嘆の言葉が漏れる。

 地面を滑るように降り立った少女は未だに煌びやかな紫の光を纏い、立ちあがろうとするその姿はハッキリと“強者”であるということをありありと示している。

「ふぅ。意外にイケるもんじゃん」

 黒の外套を手ではたき、少しとぼけた声を上げる。その響きは少女然として、見せつけていた“強者”の風格を薄れさせていく。

 しかし、ここにいる皆が彼女のことを知っている。

 この人物は自分達に、“神話”もを凌駕し得る力を有した“強者”、紫咲シオンであると。

 

「……魔女様」

 

 いなにすの呟きにニヤリと笑みを見せたシオンが、自身が吹き飛ばした二人の方を向き、「なんだか結構勝手なことやってるみたいじゃん」と不敵に笑った。

 

「……シオン」

 カリオペもいなにすと同様に、淡々とした声色で彼女の名を呼ぶ。きっと予想していなかった訳ではなかったのだろう。だが同時に、わざわざ自分達の間に割って入ってくることはないだろうと、そうとも考えていた。理由は言うまでもない、自身の目の前で恍惚とした表情を浮かべるぐらを見れば、火を見るより明らかであった。

 

「……きた、きたきたきた来た! やっと来てくれた! ねぇシオーーーッ」

「……ッ!」

「わーお」

 

 皆一様に声を漏らした。ぐらの言葉が音になるよりも速く、シオンの指から弾き出された光弾がぐらの額を捉えたのだ。無論悶絶しながら疼くまるぐらに、シオンは少し冷めた響きで「騒いでんじゃねーっての」とつっけんどんに返した。

 だが冷たい表情は次の瞬間には、ケロリとシオンらしい少し意地悪なものに戻る。

 

「いやぁ、ウェスタではホント痛い目にあったよ。まじでシオン泣いちゃうくらい悔しくてさー」

 そう言いながら、四人に目をやるシオン。四人は品定めをされているような心持ちになったに違いない。しかし我関せずと彼女は続ける。

 

「ストレス発散がどうとうか、言ってたみたいだけどさ。私も混ぜてくんない? ってか、ウェスタのリベンジマッチさせてよ」

 カリオペ、いなにす、キアラ、そしてぐらを順に見据えた後、ニヤリと笑みを見せるシオン。その表情を目にし、ぐらが今にも飛び掛からんとしたのは言うまでもない。

 

「魔女様」

 だが、冷静なその声がぐらを押しとどめた。

「なによ、いなにす?」

「そんなことをやっていて良いのですか? 直にここには……」

「それはそれだって。それにアンタら、多分船長たちのことも言ってるんでしょ? それこそ私たちがどうこうしていいことじゃないし」

 一瞬言い淀んだシオンだったが、それでも臆せずに言葉を続ける。

「しんどいだろうけど、そうゆうのはフレアちゃんに任せることにしてるんだ」と言った後で、少し気まずそうに「正確に言えば、あそこに集まった五人にだけど」と付け加えた。

 

「私らが決めてあげていいもんじゃない」

 

「ならあなたは何をしたいの? 何をするために割って入ってきたの?」

 いなにすの言葉に被せるようにキアラが不機嫌に言う。彼女自身もいなにすと同様、シオンが割って入ってきた意味が理解できなかったのだ。むしろこんな無駄な戦いに、わざわざ労力を費やす必要がないと、彼女は言う。

 シオンはひどく意外そうな表情を浮かべ、そしてフッと笑みを浮かべて呟く。

「決まってんじゃん。アンタら外野のことぜーんぶ私が引き受けるためだよ」

 予想もしていなかった言葉、否、シオンがここに姿を表した時に口にした言葉を思い出せば納得出来た。ただその一直線な言葉にカリオペとキアラ、そしていなにすは目を丸くする。

 

 ぐらだけは違った。

 彼女だけはシオンの言葉にピンと耳を後ろに立てて、「へぇ、外野。外野ねぇ……」と呟き、そして「口の利き方、気をつけた方がいいんじゃないの?」と苛立ちを露わにした。

 明らかに纏う雰囲気が変わった。これまでのぐらには苛立ちはあっても、ただ純粋に戦いを楽しみたいという感情しかなかったはずだった。しかし今シオンに向けられる感情は、ハッキリとした敵意である。

 しかしシオンは躊躇わなかった。ぐらからの感情を無視して続ける。

「外野だろ? 何言ってんだ。私らも、アンタらもさ……でもストレス溜まるっしょ? だからさ……そのストレス、全部シオンが受け止めてあげるよ」

 そう言って満足したのだろう。視線を下にし、深く息を吐き出して顔をあげたシオンの表情にはもはや戯けたものは感じられない。ただ、そこには魔法使いとしての精悍なものがあった。

 一瞬呆気にとられたぐらであったが「あぁ……やっぱり最高だよ」と身体を震わせる。それは言わずもがな、ぐらがずっと求め続けてきたものだ。

「やっぱりシオンだ。シオンしかいない、シオンしか、この私の愛を受け止められない……だから!」

「かかってきな。もちろん全員でも構わない。アンタら全員、凹ましてやるからさ!」

 

 これは意味のない戦いだ。

 決して物語を動かすこともない、ただ満足を得るためのだけの戦いだ。しかし、だからこそ、輝くものがある。

 自分の持ちうる全てを投げ出して、まだまだ少女たちの“ケンカ”は続いていく。

 

 

 

 それはソラの何処かであった。

 果てしなく、どこまでも広がるソラ。その広大無辺に広がるこのセカイを見守るソラの何処かである。

 眼下にはホロアースの大地があった。人々が生活を営むかけがえのない大地である。地上から立ち昇るのは、“大剣”“神木“そして”錨“から出でる蒼の奔流。まるでソラを支えるようにすら見えるその光の柱はどこまでも清浄な光を湛えていた。

 

 セカイの全てを見通し、把握することの出来るこの風景は、まさに俯瞰風景、神の視点と言っても差し支えはないだろう。

 その青の世界の中に、到達にそれは現れた。二つの影が、ホロアースを見下ろす形で現れたのだ。

 一人は両の手に抱えていた厳しいイーゼルに、自分の胴ほどの長さもあろうキャンバスを置き、徐にそこに風景を描き始めた。動かす手に迷いは見えない。ただ幸福そうに、楽しそうに手を進めている。

 一方、もう一つの影は忌々しそうに“錨”の方角を見下ろす。しかし次の瞬間には、自身の中に溜まった感情を表に出すようにわざとらしく深いため息をついた。

「まさか」ボソリと呟く。ポルカは絵を書き進めるイオフィに声をかけた。

「あーほんと、まさかだよ」

 もう一度同じように呟くが、イオフィは笑みを浮かべるだけで何も口にはしない。それがひどく気に入らなかったのだろう。ポルカは自身の腰に手を当てて、また深いため息をついた。

「なんで出てくるかなぁ」喧々とポルカは苛立ちを隠さない。そしてより深い声色で「なんで“観測者”まで出張ってくるのかなぁ」と言った。

 

 “観測者”

 

 それは全てのセカイに唯一の個として存在するもの。

 ポルカがそう呼んだイオフィ以外には、廃墟にて総てを記録し続ける機械人形だけがそれに当てはまると言えよう。だがこの場で絵を描くその姿からは何も特別なものなど感じられない。ただ、一人の少女然とした少女がそこにいるだけだった。

 ポルカの言葉に、イオフィは笑みを浮かべながら「だよねぇ。正直イオフィもびっくりしてるよ」と返す。他人事のようなその発言に、ポルカは声を荒げることはしないが明からさまに不快感を露わにしている。

「そういうならなんで来たの? 記録し続けるだけの“観測者”がなんでさ?」

 

 ズバリとそう言ってポルカはイオフィを見遣った。

 彼女は自分と同じ、客席から舞台を、世界の在りようを見続けるだけの存在だ。ポルカは唐突に舞台から引き摺り下ろされた意趣返しに、意地悪にそう言ったが、イオフィは決して表情を崩すことはない。

 少し考えた後、イオフィは「だって、これじゃ不公平だからね」と彼女は難しい表情を見せる。「誰かが言ってたけど、外野がとやかく言ったって、結局変えることが出来るのは、当事者だけなんだ。ましてや、神様が関与しちゃいけないんだよ」

 ポルカは唸りながら言葉を選ぼうとする。

「分かってるよ」数多くの言葉が彼女の頭の中に巡っているのだろう。堪えきれない苛立ちに顔を歪めるポルカの横顔に、イオフィはキャンバスの上で踊る手を止めて、彼女を見やった。

「だよね。アナタは分かってる。それでも、あの舞台の上に立ちたかったんだよね? 立たなきゃいけなかったんだよね?」

 

 イオフィの言葉に目を丸くするポルカ。自分の行為を咎められこそすれ、肯定されるとはつゆとも思っていなかったいなかったのだろう。一瞬言葉を失った後、グッと奥歯を噛み締め、絞り出すように言った。

 

「分かってんだんだ。ホントはポルカが関わっちゃいけないって。それでも……自分が自分じゃなくなって分かってても、助けてーって思う人が出来ちゃったんだ」

 

 “錨”の側にいるであろう人物を思い口にしたその言葉は、悲しみを帯びたように響く。そんな仕草を見せられて、誰がこの人物を神だと思おうか。否、神とは存外に人然としたものなのかもしれない。

 そしてイオフィも同じように目尻に涙を溜めた。その感情は彼女自身にも覚えのあるものだったからだ。

 

「そっか。なら、イオフィにはなんも言えないよ。でも……」と静かにイオフィが言った。

 

「でも、せめて最後は見守ろうよ。あの五人が、どんな選択をするのか。このホロアースが、どうなるのかをさ」



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私は、獅白ぼたんだよ 3

 ぺこらとムーナ、そしてフレアが“錨”に到達しようとしていたまさにその時、ラミィはついにアキロゼに止めをささんとしていた。肩で息をする彼女に肉薄し、両の手でその首を掴み上げるラミィの表情は怒りに満ち満ちている。

 

「ぃ……んで……」

 首を締め上げられる痛み、呼吸が浅くなる窮屈さ。アキロゼもそれは理解できた。しかし考えを巡らせる頭までがぼんやりと靄がかってくるのは何故だ。

 だが考えるまでもなかった。先ほどまでありありとラミィの力を見せつけられてきたのだ。これはラミィの力の行使によるものなのだという結論に達した。そしてそれに帰結したとしても、最早アキロゼに対抗する手段は残されていないことも同時に実感した。

 

「……ぁーこれ、ちから、はいんないなぁ」

 その呟きが示す通り、必死に抗おうとする四肢は力無くダラリと投げ出されている。

 

 触れらられば、その物体の“時間”を遅らせる。

 最初に軽い掌底を見舞われた時も呼吸が上手くいかなかったが、それはすぐに治った。しかし今、力を行使したその手に常に触れられている今ならどうだ。最早アキロゼは自身の思考すらも遅くなっていることすら考えられないほどに、ラミィの力に翻弄されていた。

 

「さぁ終わりです。もう、終らせます」

 はっきりと口にしたラミィの言葉すら、ぼんやりとした響きすら聞こえないアキロゼ。しかしその表情には笑みが溢れていた。

 

「なぜ笑うのです?」

「……ぅだね、おかしい、よね」

「……答えなさい、何がおかしいのですか!」

 

 その不可解な笑みが気に入らない。声を荒げるラミィ、そしてアキロゼの首を締め上げる手の力が更に増し、一瞬顔を歪ませるアキロゼであったが、すぐにまた笑顔に戻る。

 

「あぁ、おかしいことなんて、なぁーんも、ないよ」

「なら何故? 諦めて自棄にでもなりましたか?」

「勘違い、してる。諦めてなんか、ない。意地もある。覚悟、も、してる……」

 

 アキロゼの視線が“錨”へ向かう。そして一層笑みを浮かべながら「でも、戦ってるのは、私だけじゃない」と最後を覚悟した、重い声色でそう言った。

 

「船長?」

 ラミィの表情が怒りから動揺の色にすり替わる。

 どうして、なぜ気付かなかったのだと、頭の中でも感情が右往左往しているのだろう。なんのために散らばって侵入路を塞いでいたのか。それは蜂起軍が分散し、少数で侵入してくるだろうと、マリンがそう想定していたからであった。しかしこの場を任された自分が戦いに夢中になり、その事も忘れていた。そしてアキロゼが“錨”に視線を向けた意味を考えれば、そこに辿り着いた者がいるのだということを想像するには容易かった。

 

「ーーーっ!」

 次の瞬間、ラミィの表情は再び怒りに塗りつぶされ、アキロゼの首をさらに締め上げていく。

「ぐ……ぁ」

 首に食い込むほどのその力はどこから出てくるのだろう。最早それすらぼんやりする中で、アキロゼはゆっくりと満足気に瞼を閉じた。

 

 後悔はもちろんある。やりたかったことも、やらなければいけなかったことも、きっと山のようにあるはずだ。しかし全力で戦い抜いてきた。手を抜いたことなど一度もなかった。その誇りがあるからこそ、彼女は穏やかでいられるのかもしれない。

 

 否、それも違う。アキロゼには確信があったのだ。

 

「ーーーもうやめなって」

 

 自分達の間に割って入る、この声が響くと確信していたからだ。

 

「誰?」一瞬呆気に取られ、ラミィが視線を向ける。ひょうしにアキロゼの首を掴んでいた手さえも離して、声の方に向いた。そして彼女の瞳が捉えた人物に、その感情はさらに困惑の色を滲ませる。

 そこに立っていたのは、まさに白の獅子と言っても過言でないほどに、美しく長い白髪を靡かせた女性であった。

 

「私? 私はね……」

 そして彼女は静かに、自分の名を告げた。

 

 

「私は、獅白ぼたんだよ」

 

 

 告げられた名前に、その姿にラミィは首を傾げる。

「……援軍?」

 最初に想起するのは蜂起軍からの援軍。しかし蜂起軍のことであれば詳らかにしている彼女の記憶の中に、目の前の人物はいなかったと思い返す。

 

「いえ、アナタのような人、蜂起軍にはいなかった……」

 

 その瞬間ラミィの頭に、戦いが始まる前にマリンと交わした会話が思い出された。

 

 あの時マリンは“来るべき人がいる”と言った。そして“貴方自身が確かめなさい”とも言っていた。

 

 きっと“錨”を目指し、マリンを狙ってやってくる者達のことを指しているのだと、その時のラミィは考えていた。しかし唐突に現れたその人物を目の当たりにして、マリンの言葉の意味が理解できたようにラミィは感じていた。

 

「でも……」

 グッと息を呑み込みながら続ける。

「アナタなんて、知らないのに……」

 言葉尻が澱んでしまう。真っ直ぐに見つめてくる視線に、顔が熱くなる。動悸が激しくなり、その視線から目を離したくなってしまう。それでも彼女を見るとことを、視線を外すことをできなくなってしまっていた。それほどまでに、ラミィは唐突に現れた獅白に夢中になってしまっていた。

 

 しかしラミィの考えていることも気にすることなく、獅白はサラリと「いいじゃん。んなことさ」と簡単に返した。そして獅白はラミィの足元に横たわるアキロゼを指差して言った。

 

「とりあえずその人さ、こっちに寄越しなよ」

 

「なぜ?」それしか言えなかった。関係ないと言いながらそう言う獅白に何も答えることが出来ない。なぜこんなにも翻弄されているのか、ラミィ自身も分からなくなってしまっている。しかし獅白はラミィの感情を意に会することない。

 

「別に私はそこの人助けたいわけじゃないんだけどね。ただ、アンタとの時間を邪魔されたくないからさ。早くよこしなって」と獅白が抑揚もなく言った。臆することなく、しかし押し付けるわけでもなく、「だからさ、早くその人こっちに寄越しなって」と三度目の言葉を投げた。

 

「その方がさ、こっちに集中できんでしょ?」と、無邪気な子どものような面も見せる。

「何ッーーー、!」

 

 ラミィが言葉に詰まり、目を丸くして息を飲んだ。瞬きをしたその一瞬で、獅白は横たわるアキロゼに近づき、その身体を抱き抱え、そして元の場所に戻っていた。

「ん、大丈夫みたいだね。ちゃんと息してる」獅白が言った。

「……アナタ、一体?」突然の出来事に、ラミィには何が起こったのかわかっていない。

「だからさ、んなことどうだっていいじゃんか」だが獅白は一貫して態度を変えない。

 抱き抱えたアキロゼを通りの端に寝かせ、改めて獅白はラミィに目を向けた。「さぁ、おいでよ! 今からのアンタの時間は、全部私のもんだ!」とニヤリと微笑む。

 

「何を、勝手なことを……ッ!」

 ラミィは口を噤み、獅白を見つめた。驚愕に震えた目はまじまじと獅白を捉え、この状況を信じられないと告げている。まるで獰猛な肉食獣が獲物に距離を詰める時の性急さと窮屈さに似ている。

 

「はい、二回目。な? もうちょっと真面目においでよ。そんなんじゃ私がアンタを倒しちゃうよ?」

 

 ピクリと、ラミィの眉が吊り上がる。「……決めた」

 刹那、獅白の警戒が一気に高まる。明らかにラミィの雰囲気が変わっていくのが分かった。

 

「アナタを、許さない……生かして、返さない!」

 ゾクリとするその響きに、獅白は弾けるような高揚感を覚えた。

 

「ああ、上等じゃんか!」

 それはようやく彼女を、らみぃの視線を独り占めに出来たという充足感から来るものだと、当の本人も気づいてはいなかった。

 

 ここに最後の戦いが始まろうとしていた。

 なんの意味もない。ただ、互いの存在を証明するだけの戦いが、始まろうとしていた。



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希望は消しちゃいけない

 このセカイにおいて、銃器の存在とは希有なものとは言い難い。

 

 ここサラーキアを中心とする都市国家の間では、銃を主武装とする軍は多い。

 彼の地を手中に治めている宝鐘海賊団自体も例に漏れず、特定の団員は銃を携帯し、もしもの場合に備えている。

 

 ではなぜ銃というものがこのセカイに、未だに騎士や貴族などの階級制度があるこの大地に広く浸透しているのか。

 

 それは“ウツシヨ”の存在が大きく関与している。

 

 “ウツシヨ”

 

 この世ならざる場所。東の国にある、とある巫女媛の言葉を借りるならば、“全てが始まったセカイ”と言い表される場所である。

 

 そこから流れ着くものは様々である。東の国の巫女媛が愛してやまない“てれびげーむ”や“まんが”などの娯楽の類や、日用品のようなものまで。まさに多種多様なものが流れ着き、このホロアースの営みの中に溶け込んでいる。

 

 だとすれば、“ヒトを殺めるモノ”がそこに含まれていても、自然なことであろう。そしてそれをどのようにして使うのかを簡単に理解してしまうのも、当然と言えるのかもしれない。

 

 しかし全てのヒトがそれを使うことは出来なかった。

 使うことのできる知識は備わっているのに、撃鉄を起こし、引き金を引くだけで殺意を撃ち出すことの出来るそれを、このホロアースの全てのヒトが使えるわけではなかった。

 

 銃を使うことが出来る者。それは“魔力”を持つ者のみに限定される。それもなんの系統にも寄ることなく、ただ“魔力”を撃ち出すこと、この単機能のみでしか“魔力”を使えないの者に限られていた。

 

 何故そのようになってしまったのか。その真の意味はまさに神のみぞ知ることなのであろう。

 そしてそれだけに磨きをかけ、この大地に勇名を轟かせたのは唯一一人のみ。

 

 その名は湊あくあ。

 宝鐘海賊団の誇る、最強と謳われる戦士。

 その戦いぶりたるやまさに戦神のごとく、どれだけ劣勢の戦いであっても、彼女の介入があれば一瞬のうちに戦況は傾くと言われ続けていた。

 

 しかしそこまでに自身の技を昇華させるためには、膨大な時間が必要であったことは言うまでもない。それは宝鐘海賊団の一味の全員が、理解している事実であった。

 

 無論、サラーキアを実質的に統治するラミィも、あくあの努力を目の当たりにしてきたことは言うまでもない。毎日の血の滲むような訓練、そしてマリンから受けた“恩恵”を、研鑽のためだけに、使い続けてきた彼女のことを、ラミィは常に認め続けてきたし、彼女と並ぶたつ使い手など現れることはないと、そう思い込んでいたのだ。

 

 しかし、今その思い込みは完全に打ち崩されている。

 

「……なんなの?」

 呟きに焦りが滲んでいた。おそらく使われている得物はあくあのそれと同一のものであろう。相対した敵が何を使おうが驚くことではないが、今この時にあって、ラミィは困惑を口にせずにはいられなかった。

 

 敵の体捌きはなんだ。

 この的確な射撃はなんだ。

 この女は、獅白ぼたんとは一体何なのだ。

 

 彼女の一挙一動は冴え、確実に自分を追い詰めていく。それはラミィの中に色濃く残る、あくあのものにも肉薄するほどの凄まじさを感じさせた。

 

 しかし違うのは、「っと! さすがさすが!」この微笑みと、快活な声であった。

 

 触れようとするラミィの手に触れないように避け続け、一瞬の隙を見つけては魔力を込めた弾丸を放つ。無論、空間の全ての自身の力を伝播させているラミィにそれが見舞われることはなく、当たることはまず持ってあり得ない。

 

「なんなの、この人、一体なんなの?」

 まるで戯れつくように攻撃を繰り出す獅白の様子に、違和感を拭いきれずにいた。どこかで同じように遊んだことがあるような、あり得ないそんな光景がありありと頭の中に浮かぶような感触をラミィは味わう。

「だから、さッ……そんなんじゃすぐに終わっちゃうって!」

「……」

 しかしされるがままではいられなかった。

 こうしている間にも、刻一刻とマリンの側には蜂起軍の手が迫っていることだろう。いくら今の状況が楽しかろうと、ラミィが優先すべきことは、一つだけだった。

 

「終わるのは、“アナタの方”よ!」

 

 獅白は何事かと、一瞬視線を周囲にやった。

 何も変化は見られない。目に見えて何か変わっているようには感じられないが、肌に纏わり付く違和感だけは拭えない。

 

「ーーー!、ッーーー」

 

 しかしその違和感は瞬時に獅白の周りを取り囲み、檻を作った。ここから先に進めば自分も、アキロゼのように息もままならなくなる。改めてアキロゼにとって、ラミィの戦闘スタイルは相性が悪かったのだろう。そしてよく善戦したと手放しの賛辞を送りたくなった。

 地を蹴ろうとしていた足を押しど止め、ジッと空間を見やる。なんの変哲もない、ただの空白があった。右に持っていた拳銃を掲げ、一撃撃ち込む。ラミィを狙ったものではない、ただの一撃。しかし放った弾丸は瞬きの間に障害物を射抜くことはなく、宙に留まっている。

 

「なるほど!」と叫んだ後に、次は左の手に収めた銃を撃ち出す。質量を伴ったその音は先の音よりも、重く、そして風を切る速度を増していた。その違いにニヤリと笑みを浮かべながら、「アンタの力、結構集中力いるみたいだね」と獅白は声を上げた。

 

 一瞬ラミィの顔に翳りが見える。しかしすぐにその表情には怒りが戻り、「言ってなさい」と空間を制するように腕を掲げる。

 まるで空間を限定していくように掌を絞る。

 ラミィの仕草に獅白は自らが思い描いていた推測が間違いではなかったと確信し、弾丸を放つ。都合十余発の衝撃が空間に撒き散らされる。相対するラミィの表情が苦く、そして必死なものへと変わった。

 

「この、バカ!」

 目が血走るのが容易に読み取れた。そして獅白は再び、自分の推測が正しいことを認識する。

 ラミィの力は間違いなく、“触れたものの時間を停滞させる”ものだ。だとすれば、彼女が通った道、触れたモノ、そして空間でさえ、彼女の支配下になっていなくてはおかしい。そうしない、いや、出来ないのには理由があるはずだと、獅白は考え至っていた。

 

「アンタは、“自分が故意的に触れたもの”でないと、力を使えない」静かに息を吐き、空になったマガジンを予備と入れ替える獅白。ジロリと停滞する弾丸たちを一瞥した後、ハッキリと「でも、数で圧されちゃヤバいっしょ?」と言った。

 

 その間にもラミィは自らの手を掲げ、飛来する弾丸を押しとどめ続けていた。獅白の言葉は図星であった。確かにラミィは力を行使するためには様々な条件がある。そしてここまでの動体を一挙に留めておくには相当の集中力を要する。ここに露払いがい入れば大した問題ではないのだろうが、この一対一の状況ではあまりに好ましくなかった。

 チラリと、ラミィの頭に戦いの結末が過ぎった。このまま弾丸の進行を留められず、余裕の笑みの獅白に、追撃を見舞われ終わる。その光景がありありと彼女の中で再生された。

 

「……ないで」認めるわけにはいかなかった、その結末を。

「舐めないで!」

 同じ響きがもう一度周囲を揺らす。それは怒気を伴い、確かな力の伝播を感じさせた。

「ーーーッ、すげぇ……」

 ラミィの力の伝播により、拘束から逃れようとしていた十余の弾丸は、完全に動きを止め、次の瞬間には力なく地に落ちた。獅白自身、まさかすべての弾丸が無力化されるとは思いもしていなかったのだろう。彼女は隠すことなく、感嘆の言葉を口にした。

 

「やっぱ、アンタすごいよ。でも……」

 刹那、ラミィの口元から、赤々としたものが溢れた。間違いなくそれは、自分の領分を大きく超えた力の行使だったのだ。無理に力を引き出したがために、その身に代償を負うこととなった。その結果が溢れ出した赤なのだ。

 

「さすがにさ、無理しすぎだって!」

 獅白は無慈悲にもマガジンのすげ替えた銃を掲げ、「もう、これで終わりにしようよ」と続けた。

 

 しかしそれは認められなかった。

 

「何回も、言わせ……ないで」ふらつく足元をどうにか制し、向けられた銃口を似た見つけながらラミィは言う。

 

「私を、舐めないで!」

 

 まだ戦いをやめないと、ありありと殺気を滲ませて、青の軌跡は大地を蹴った。

 

 迫り来るラミィの動きを捉えながら、ついに気が触れたか、と獅白は思っていた。どう考えてもラミィの突貫は愚策だとキッパリと切り捨てる。

 同時に何か裏があるのではないか、とそう考えるのも確かだ。マガジンを替えたばかりの拳銃のグリップ確かめるように握り、基本の姿勢を崩さずに迫る青の軌跡に銃口を向けた。

 

「ーーー! ッ」

 獅白の脳内に煙幕が渦巻くようなおかしな感覚が広がり、頭が回転しない。

 引き金引こうとしたはずの指が動かず、弛緩したように力が入らない。頭は動く命令をしているはずであるのに、身体が言うことを聞かない。まるで何かに固められたように重かった。

 

「やっぱ、アンタ!」

 キツい視線と共に、怒号が響く。

 先ほどまで弾丸を落とすために向いていた力の矛先が、自分を取り巻く空間に向いている。それは動きを留めるだけには収まらず、思考すら押さえつけるように伝播していた。

 まさか突然の疾走は自分を油断させるためのだったのか、と獅白の顔が歪む。これまで見せていた焦りさえもこの状況を作り出すための演技なのだとしたら、大きな思い違いをしていたと、彼女は後悔した。

 

 しかしラミィは「舐めないでって、言ったでしょ!」と依然口元から溢れる赤を押し留めながら強がりを口にした。その様子見を見れば、その身体は死に体に近づいているということは言うまでもないだろう。

 

「アンタ、マジで最高だ!」

 獅白はこれまでにないほどの笑みを浮かべ、ひどく嬉しそうに言った。自分に危害を加えようとしている者が近づいているというのに、自分は防御の姿勢を取ることも出来ないままであるというのに、あまりにおかしな反応だ。

 

「そんな減らず口!」

「そんなこと言わずにさ、もう少し遊ぼうよ」

 一瞬、ラミィが絶句し、息を詰まらせた。しかし彼女もすぐに正気に戻り右の手刀を掲げ、獅白の素っ首を目掛けそれを振り下ろそうとする。

 

「これで、トドメ!」

「だから、カラクリが分かればさーーー」

 

 獅白はあえて得物を打ち捨て、袖に隠し持っていたナイフの切っ先をラミィに向ける。

 ラミィからの攻撃を見舞われた瞬間がチャンスと確信していた。その瞬間に鋭い切っ先を突き立てれば勝てないだろうが、きっと負けることはないだろう、と。

 

「それでも、私の方が早い……」

「ウルセェ……ってね!」

 



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希望は消しちゃいけない 2

 次の瞬間には白と青の軌跡の間には赤々としたモノが広がるだろう。おそらくその場に傍観者が居るならば、きっとそう思ったに違いない。

 

 事実、二人の間には“赤”は姿を現した。

 そう。毒々しいまでの“赤”が、地の底から這い出るように、その場に現れたのだ。

 

「……ッ」

「何、これ?」

 

 突然の出現だった。

 “赤”はあまりに唐突。ただそれだけならば二人は気にせず、戦いを続けただろうが、二人は驚きのあまりに手を止めてしまった。否、物理的に止められてしまったのだ。

 “赤”はラミィの全力の力を行使した手刀を右手で受け、獅白の繰り出したナイフの切っ先に肩口で受け止める。

 

 そして一切顔色を変えないのだ。

 ケラケラと、血の気の引いた肌を見せびらかすように、割って入っていったのだ。

 

「……まさか!」獅白が呟く。「アンタが出てくんの、早すぎでしょ?」

 

 獅白の言葉にケラケラと一層楽しそうに笑みを浮かべながら“赤”は応えた。

 

「さすがは白の獅子! そしてさすがは『錨』の力! ゾンビじゃなかったらオリー、死んでたよ?」

 

ハッキリと超越者たるを見せつけながら、ただ楽しそうに声を上げて笑い続けたのだった。

 

 突如としてラミィと獅白の間に割って入ったオリーに、各々厳しい視線を向ける。

 獅白は不機嫌に、そして一矢報いんと肩口に突き刺したナイフを引き抜こうと試みるが、鋭い切っ先はオリーに突き刺さったまま、ガチりと固められたよう動くことはない。

 そしてラミィもどうにかオリーの拘束から抜け出そうと必死の形相を浮かべていた。

 

「誰? 一体、何が……」

 

 ラミィは呆然と声を上げた。どれだけ振り回そうと、その冷たい手を振り解けずないまま、どうすることも出来ないのだ。何よりも自分の力を伝播させたはずなのに、彼女が影響を受けている素振りは見えない。生き物であれば身体は弛緩し、困難になる呼吸に耄碌するはずなのだ。

 

「この人、生きていない?」

 そんなことはあり得ないと、心の底ではそう思いながら、それでもラミィはそう呟かずにはいられなかった。

 この土毛色の肌も、乾いた瞳も、全てがオリーが“死んでいる”と示していたのだ。だが、死んでいる者がこんな風に口を聞くことも、動くことも絶対にあり得ない。その固定観念が目の前のオリーの存在を認めようとしていなかった。表情に困惑と、恐れが溢れ出していく。

 

 恐れ慄くラミィを眺め、不服そうにオリーはため息を吐いた。

「言ってるじゃんか、ゾンビだって。もう少し理解が早いと思ってたんだけどなぁ」

 オリーがわざと力を緩め、二人への拘束を解いた。ラミィの言葉が彼女の琴線に触れたのだろうか、ニヤリと口元は歪めながら、重い声色で言った。

 

「ちょっとムカついたし、このまま二人とも、私がやっちゃおうか?」

 

「ッ!」

 ラミィは咄嗟に息を詰まらせ、後ろに一歩下がる。その音に惹かれるように、オリーが顔だけを動かしラミィを見つめる。戦いでは恐れを表に出した側から餌食になると言うことを示すように、オリーは頭に突き刺さっていた剣を引き抜こうと柄に手をかけた。しかしその刀身が露わになることはなかった。

 

「何? 邪魔するつもり?」オリーは自分の手を押しとどめた主に、獅白に視線を向けずに尋ねる。

「そうだよ。何先走ってんのさ?」

 

 背後から不機嫌を隠さずに獅白は続ける。もう取り繕う余裕はなかった。

 オリーを押し留める獅白の手が震える。オリーの細腕からは考えられない力に面食らうが、それでも表には出さずに獅白はジロリとオリーを見下ろした。

 気に入らない。オリーはそうとしか思えなかった。

 

「……何よ、こっちは侮辱されたからそれ相応の反応をしているつもりなんだけど?」

 キッパリとそう言いつつ手の力を緩め、獅白の方に向き直る。最早ラミィは脅威とも思っていないのだろう、無防備に背中を晒してオリーは言った。

 

「何か文句でもおありで?」

「ある。大ありだ」キッパリと獅白が続ける。

 

「コイツは、“雪の華”は私んだ」

 

 チラリとラミィを一瞥し、恥ずかしそうに視線を外す。これではまるで恋をする少女のようではないか。視線を送られたラミィも、突然獅白が見せた表情に一瞬ドキマギとしたが、それを遮るように獅白が言った。

「外野がしゃしゃり出てくんな」

 それは明らかな挑発だった。しかしこれだけは譲ることは出来ないという意思もハッキリと伝わってくる。獅白の物言いに、オリーは一層に口角を吊り上げ、楽しげに言った。

 

「ハッ! また面白いことーーー」

 

 しかしその言葉を遮る、柔らかい声が通りに響き、始まろうとしていた戦いを終わらせた。

 

「アキちゃん!」

 

 ここに出てくることのできないはずの夜空メルの存在が、この場の全ての視線を奪っていった。

 

 響いたメルの声に一瞬ギクリと顔を歪めた後、オリーは諦めたようにため息をついた。

「あーあ、追いついちゃったじゃん」そう呟いた彼女は獅白を一瞥し、「もうちょっとは遊べるかと思ったのに……」と口惜しそうに言った。

 

「夜空……メル」

 獅白の表情にも焦りが滲む。

「……吸血姫? あなたまで?」

 ラミィも突然のメルの登場に困惑しているのだろう。完全に警戒を解き、呆然とアキロゼに駆け寄るメルを見ていた。

 メルはアキロゼの前に膝をつき、グッタリとする彼女にそっと触れる。微かだが胸は動き、呼吸をしているのは感じ取れた。

 

「やっぱり……だからダメってあれほど言っておいたのに」と悔しそうに言った。そして間に合ったことに心底安心をしている様子でふと視線を泳がせ、静かに話し始めた。

 

「オリーちゃん。これ以上の勝手は、流石に許さないよ」

 柔らかい、しかし冷え冷えとした声でメルが言うと、二人の間に立つオリーの顔が強張る。

「越えちゃいけない領分があるんでしょ?」

 メルは立ち上がり、鋭い視線でオリーを見据える。

 

 「久々にホロアースに出てきたからって、ちょっとはしゃぎ過ぎなんじゃないかな? 何なら、メルがガス抜き、手伝ってあげるよ?」

 

「ーーーッ……冗談! 少しカラかっただけじゃないですか。死んでるのに、また死ぬような目に遭うのはゴメンですって」

 オリーは必死に取り繕いながら二人から離れ、メルのそばに歩み寄っていく。そして疼くまるアキロゼを抱き起こし、「それにメルさんが来るまでの間で、大体のこと分かりましたから」と続けた。

 

 オリーはラミィそして獅白をじっと見つめ、現れた時と同じ、余裕の笑みを見せた。確かに、あのまま戦っていればきっと二人ともただでは済まなかっただろう。ホッと胸を撫で下ろした次の瞬間、このままアキロゼを連れていかれたはいけないと、ラミィは思い至った。

 

「アナタたち、その人をーーー、ッ!」

 刹那、ラミィの視界を遮るように、獅白が身体を割り込ませ、彼女の両腕を掴み取る。

 

「何を?」両の手を封じられたラミィは短く声をあげる。それに被せるように獅白が声を上げる。

「アンタら!」

 それは背にしたメル、そしてオリーに向けられている。あえて得物を捨てそしてラミィに組み付いて「アンタらはその人連れてどっかに行け!」と、そう言い切った。

 

「へぇ。協力すればすぐに終わると思うんだけど? 助けてくれとは言わないのね」

 

 少し感心したように声をあげるオリー。

 しかし返ってきたのは「言うわけない! 私らの邪魔すんな!」という喧々とした言葉だった。

 一瞬ムスッとした顔をしたオリーであったが、獅白の背を見てどこか納得したように頷いた。

 

「うん。分かった。言う通りにしてあげる。まあ、アナタたちの戦いもそんなに長くならないはずだしね」

「言ってろ! それに……」獅白は一瞬くぐもり、それでも続ける。

 

「多分その人は必要な人だ! そんな人を、その希望は消しちゃいけないんだ!」

 オリーは黙ってもう一度獅白とラミィを見つめる。獅白のこの様子から推測するに、彼女も覚悟してこの戦いに臨んでいるのだろう。ならば、これ以上は無粋だと、呆れたように笑った。

 

「いくよ、メルさん」

 小さくそう呟いて、メルを見る。どこか不安げにラミィと獅白を見つめるメルであったが、優先しなければいけないのはアキロゼの救出である。すぐに気持ちを切り替え、精悍な眼差しで彼女はいった。

 

「……うん、早くアキちゃんを安全なところへ!」

 そのまま声もかけず、オリーとメルはアキロゼを抱えたまま街の外へと駆けていく。遠くなっていく足音を聞きつつ、獅白は笑みを作った。

 

「……さあ、邪魔者はいなくなったよ」

「何をしたいの?」

「言ったじゃんか」

 

 獅白は一呼吸あけ、静かに、真っ直ぐにラミィを見つめ「アンタは、私んだ。誰にも邪魔させないって」と言った。

 

 しかしそれを侮辱としかラミィは捉えられなかったのだろう。憤怒の表情を浮かべ、そして叫んだ。

 

「もうーーーその口を閉じて!」

「やってみろって!」

 

 止まっていた針が動き出すように、二人の戦いが再開される。

 最早この戦いを止められる者は、この“ホロアース”には存在しなかった。

 

「ねぇなんで止めなかったの?」

「あぁ止められるよ。きっと簡単に止められたはずだよ」

「ならなんで? あの二人、戦う必要ないのに……」

「だろうね。でも……止めていいのは私たちじゃない。止める権利、私たちにはないよ」

「じゃぁ、どうやって……」

「止めていいのは、あの子たちを本当に分かってあげられる人、お日様みたいに優しい人だけなんだよ」



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希望は消しちゃいけない 3

 フレアの厳しい言葉にも意を介することなく、マリンは変わらず笑みを浮かべている。

 怒り任せに叫んだフレアだったが、この噛み合わなさに違和感を覚えたことが幸いしたのだろう。猛っていた気持ちを落ち着ける事が出来た。ここで先走っては全てが台無しになってしまう。

 

 彼女は自分自身にそう言い聞かせていると、後ろにいたぺこらが、「姉ちゃん……」と辿々しく呟いた。

「どうしたの?」

 

 振り返ってぺこらに視線を向けるフレアは次の瞬間言葉を詰まらせた。「なんでそんなに顔青いのよ?」

 

「あれ、なんだぺこ?」

 ぺこらはおずおずと、笑ったままのマリンにを指差す。

「あれって……どうゆうことなの?」

「分かってるぺこ。アイツがヒトだっていうのは分かってる。何言ってんだって、そう言われても仕方ないって、そう思うぺこだけど……」

 

 早鐘を打つ自身の胸を抑えながら、もごもごと口ごもる。しかし喉元まで出かかる言葉の全てが適切でないような気がして仕方ないのだろう。それでも、慎重にぺこらは言った。

 

「でも、ヒトのカタチしてる“何か”にしか、ぺこーらには見えねー」

 

 フレアは、なるほどっそう言うことか、と思った。自分も感じていた違和の正体に少しは近づけそうな気がしていた。「つまり、何か“混じってる”って、そう言いたいの?」

 

「そう、それぺこ……もしかして、姉ちゃんのそう見える? これ、ぺこーらの勘違いじゃない?」

「私にはね、あの人がおばあちゃんにも、小さい子供にも、うさぎと同じくらいの若い人にも……色んな姿で見えるんだ。そんなの、あり得ないのに」

 

 フレアは、もう一度目を細めてマリンを見やる。

 マリンはやはり何も変わらずに笑みを浮かべていた。飄々としたその態度はどこか浮世離れした雰囲気を感じさせる。フレアとぺこらはブンブンと頭を振って、睨みつけるように彼女を見た。

 

 

 “まさか”

 

 

 不意に、その言葉が全員の頭に浮かぶ。音として鼓膜を叩くのではなく、直接頭に浮かび上がるように、その文字が広がった。

 

「なんだ? これ……」

 甘やかされるようなその響きに、フレアは頭を抑えて目を閉じた。

「……」ムーナは忌々しそうにその言葉が響くであろう地点に先駆けて目を向けている。

「知ってるぺこ。これ、ホロアースに来た時の……」

 

 ぺこらはそう振り返りながら、その言葉の主が現れるであろう場所に視線を送った。

 それはマリンとフレアたちが向かい合った、丁度中間の位置。フレアたちに背を向ける形で、それは現れた。

 暖かな碧を湛えた、まさに豊穣の女神然とした、その柔和な雰囲気で彼女、”自然の番人”セレス・ファウナは、忌むべき相手の前に姿を見せた。だが突然の来訪者にもマリンは顔色を変えることもない。

 最初から来ることを知っていたかのように、「あら、やはりぺこらに隠れてついてきていましたか」と、淡々と口にし立ち上がった。

 

 「ご機嫌よう、セレスさん。どれくらいぶりですか?」ゆっくりと頭を下げる。

 

 マリンが頭を上げるよりも早くファウナが声をあげる。

 

 “やはり、クロニーの力を取り込んでいる……しかしヒトの身でそれは”

 

 背を向けられたフレアたちからは彼女の表情を読み取ることは出来ないが、驚愕した様子であるということは手にとるように分かった。

 

 しかしマリンは、「分かりきった事を聞くなんておかしいですね」と、一瞬クスリと微笑む。次の瞬間、「出来ますよ。出来るに決まっています」と冷たく言い放った。

 

「前例があるでしょう? まぁ彼女の場合は『空間』と『カオス』を取り込んで、どのセカイのも留まれなくなったみたいですけど」

 

 そして昔のことを思い出すように、遠い目をしてマリンは続ける。

 

「あの人が、“はぁちゃま”が出来て、船長にできないわけないじゃないですか」

 

 それは自分と同様に、かつての戦いの果てに”議会“を取り込んだ、ある少女の成れの果ての姿についてであった。

 

 

「何言ってるぺこ? “はぁちゃま”って……あれ?」

 同じ感覚が脳裏を過ぎる。もう幾度目かになるその既視感に気持ち悪さを感じながら、ぺこらは片膝をついてしまった。しかし今度は明確にその像が結ばれる。

 長い金髪を靡かせた、笑顔の特徴的な少女。

 甘いソプラノの声と、強い意志を感じさせる翠の瞳がクッキリと浮かんだ。その知らない少女のことを考えると意識がどこかにどんでしまいそうな気がして、ぺこらは思わずきつく瞳を閉じた。

 

「うさぎ、しっかりしろ!」フレアは言いながら、疼くまるぺこらの肩に手を置く。手から伝わる震えが動揺をありありと感じさせた。

 無論フレアの頭にも、ぺこらと同じ人物の像が結んでいた。しかし同時に、背に翼を携えた友人のことが過ぎったせいか、ぺこらほどの動揺は感じていない。ウェスタを守るために必死に戦った彼女のことを思い出し、どうにか気を保つことが出来た。

 

「一体、これって……」

 しかしどうしても疑問は尽きない。小さく呟いて、フレアはマリンを、背を向けたままのファウナを見やる。

 

 “しかし、時間の典獄の力を人が扱うなどと……”

 

 ファウナも依然動揺していた。全員に伝わる彼女の声も、ハッキリと揺らぎに塗れている。しかし彼女の気持の移ろいなど、関係ないとマリンは淡々と答えた。

 

「それはそちらの了見でしょう? いいじゃないですか、そんなこともあるんですよ」

 マリンはカツンと杖を鳴らし、あっけらかんとした顔つきになりながら、視線を少し逸らす。視線の先の、ぺこらを心配そうに背を摩るムーナは思わず顔を引き攣らせて、ビクリと跳ねた。

 

「ねぇ、ムーナさんもそう思うでしょう?」と、マリンが視線の先のムーナに声をかける。

 

 それに応えるために立ち上がりながら、「私に……語れる言葉はないです」と、一瞬ムーナは言葉を詰まらせたが、「ただ、私はいつもアナタたちに驚かされてばかりいるだけです」と笑顔で答えた。これはきっと心の底からの思いなのだろう。彼女の声色は深く、周りの者に染み渡った。

 

 きっとムーナのその言葉がファウナに気付かせのだ。

 

 一度振り返りムーナを、そしてぺこらとフレアを見やり、ファウナは固唾を飲んだ。そして再度マリンに、そしてそのすぐ隣で眠るノエルを、交互に見つめて困惑したように言葉を濁す。

 

 “しかし……私が導かなくては、このホロアースは……”

 息を吐き出すのと同時に、がくりと肩を落とすファウナ。

 

 彼女にとってこのセカイに生きづくモノは我が子と同じ。導かなくてはいけないものだと感じていたし、それを義務とも思っていた。それが過干渉になっていることにも気付かず、そうあることを強いられていた。彼女に与えられた機能であり、ずっと変わらないと思っていた生き方だった。

 

 “私は、このホロアースを、愛で満たして……”

 ファウナがそう言いかけた瞬間、「この間の夜も言ったけど……」とムーナが言葉を遮る。

 

「ヒトは成長していくんだ。そしていつだってみんな自分で決められる。誰かに言われたからやるんじゃなくて、自分の目で見て考えて、自分で考えられるんだ」

 

 ムーナは淀みなくそう言い切り、自分の足元で疼くまるぺこらを、優しく見つめた。

 

「いつまでもこのセカイのヒトは赤ん坊じゃないんだから。その干渉は度が過ぎてるよ」

 

 ああ、そうか、とファウナの表情から力が抜け、そして諦めたようにため息をついた。

 

 “それでも、それでも私には、他の生き方は……ホロアースを存続させる事しか、出来ない”

 

 それはどこかに掻き消えてしまうほどにか弱く、そしてあっさりと風に流されていった。 

 

 しかしファウナの弱音は確かに全員に届いていた。

「そんなの……」

 フレアはワナワナと震える身体を制しゆっくりと立ち上がり、睨みつけるように「そんなのどうだっていい!」と叫んだ。

 

 “守人……ホロアースで生を受けたアナタまで”

 そう呟くファウナの響きは悲しげだ。しかしフレアの爆発した感情は簡単に止まるものでもない。

 

「アナタの使命がどうだとか、私たちには関係ない! それはありがたいことなのかもしれない、尊い事なのかもしれないけれど……そんな“枠”に私たちを押し込めるな!」

 

 走り出したモノが急に止まることが出来ないように、フレアも言葉を止めることは出来ない。しかし少しだけ語気を弱め、「その子の言った通りだ……」とムーナに振り返りながら呟く。

 

「誰かに決めてもらってここにいるわけじゃない! やらなきゃいけないことがあるから……だからここに来たんだ!」

 

 フレアはそう口にして、少しだけ目を閉じた。

 頭に思い付いたままの言葉ほど、明後日の方向に向かったモノはない。興奮はどうしても抑えることは出来ないからこそ、少しでも心を落ち着けようと努めた。

 

 もう一度瞼を開けノエルを一瞥してから、「そんなのは、愛じゃない。そんなのはただの欺瞞だよ」と静かに言った。

 

 刹那、ファウナの肩がビクリとしたことは言うまでもない。だが今のファウナにフレアに応じる言葉はなかった。ガックリと肩を落とし、視線を足下に向けて押し黙った。

 きっと彼女が障害になることはないだろう。その場にいる全員がそう確信した。フレアは時折震えるその背中を見ながら、少し言い過ぎたか、と思う。

 

「でも、もう構ってられない! サラーキアの女帝……いや、宝鐘マリン!」

「えぇなんですか、フレア?」

「教えろ。なんでノエルを巻き込んだ? こんな子供まで連れ出して、何をしたい?」

「えぇそうですね。アナタの疑問はごもっともです。でも、必要なことだったんですよ」

「だからそれがなんでかって聞いてるんだ。いい加減誤魔化すのはやめて!」

 

 フレアは語気を強くしながら、足音をたててマリンに近付き、ついに触れることの位置まで歩を進めた。

 

「もう、これ以上はぐらかさないで」

「えぇ。船長だって同じように考えてますよ。でもそれを答える前に……ここからは船長たちだけの『時間』です」

 

 カツンとマリンが杖で地面を突く。次の瞬間、彼女の背後から湧き起こった風がフレアの脇を、ぺこらたちを押し流さんと吹き荒んだ。その波に思わずフレアたちは瞼を閉じた。

 

「関係のないヒトたちはここから去りなさい」

 

 マリンはそう言って後、少しおかしそうに笑った。しかしすぐ感心したように「あら、やはり実態がある人はどうにも出来ないみたいですねぇ」と言った。マリンの言葉にハッとしながら、フレアとぺこらはきつく閉じた瞼を開けた。

 

「……ック!」

 そこには既にファウナの姿はない。そしてムーナが何かに充てられたのか顔を青くし、フラフラとその場に蹲った。

 

「アンタ、大丈夫?」

 音をたてて膝を付くムーナに、もはやぺこらも怯えてはいられなかったのだろう。心配そうに声をあげムーナの肩を抱いた。ムーナは心配をかけまいと、「大丈夫」と呟くがそれは今にも消え入りそうなほどにか細い。

 

「それよりも、今は……船長を」

 

 マリンはその言葉に頷き、「まあムーナさんならいいでしょう。さて、“見届ける者”の邪魔は入りませんね」と言った。フレアは何が言いたいのかその瞬間に分かった。彼女はグッと息を飲み乱暴にならないように気をつけながら、「なんでノエルを巻き込んだんだ? お前の目的は一体何なの?」と問いかけた。

 

「ーーー来て欲しかったから、ですかね」

 会話が止まる。

 息遣いだけが、凪いだ空間に響く。

「は?」

 最初に声をあげたのはぺこらだった。その一音で全てが十分だった。彼女は心底理解できないといった様子でマリンを見る。

 そしてマリンはようやく告げた。

 

「フレアとぺこら、ノエルにそして……るしあに、ここに来て欲しかったからですね」

 

 この不毛な戦いの意味を、ようやく彼女は言葉にしたのだった。



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アナタの目には見えているでしょう?

 ラミィと獅白の戦いは彼女たちの言葉通り、終わりが近付いていた。

 それはあっけないほどにアッサリと、ラミィの優勢で進んでいる。

 

 メルとオリーがアキロゼを連れ出そうした時、彼女はラミィたちの間に割って入り、その両の腕を掴んだ。間違いなくこの瞬間に、戦いの趨勢はラミィの側に傾いた。

 それまでラミィの力の及ぶ範囲には触れない、影響下に踏み込む際は彼女の気を逸らす用意をしていた獅白にとって、これは完全に失策と言えよう。

 

「はっ…さ、すが」

 距離を置き、そう呟いた獅白の表情にはこれまでの余裕は一切見えない。息をすることさえ必死になりながら、それでも口元の笑みを絶やすことはなかった。

 それがどうしてもラミィを困惑させた。

 間違いなく目の前の敵は死に体だ。間違いなく、自分は相手を追い詰めている。

 しかし何故こんなにも不安に駆り立てられるのだろうと、ラミィは内心気が気ではなかったのだ。どうしたって獅白には対抗する手立てなどないはずなのに、不安が積もり積もっていく。それが「なんなの? 何をしたいの?」という呟きに表れていた。

 

「そんなにボロボロになって、一体何がしたいの?」

 もう一度同じようにラミィが呟く。困惑に塗れた瞳は、徐々に恐怖に上書きされていくように潤んでいた。

 獅白はラミィの声に数テンポ遅れて、ヘラッと気安く微笑む。

 

「言ったじゃんか。アンタとの時間、誰にも邪魔させたくないんだよ」

 獅白は一貫してその物言いを崩さなかった。

 戦う以外に、関係を持つ方法が思い浮かばなかったのだ。

 戦う以外に、抱えた思いを伝える術を考えつけなかったのだ。

 

 獅白はそれらを飲み込んで、やはり笑い続ける。「私は、アンタと一緒の時間を共有したいだけなんだ」とそう言った。だが、他人にそれを理解してもらおうというには、あまりに言葉が足りなすぎる。例に漏れずラミィも、獅白の言葉を受け止めることは出来なかった。

 

「そんな冗談はいらない! 初めて会った人にそんなこと言われたくない!」

 

 当然の反応と言えよう。

 最早ラミィの頭の中にはマリンが言った、『自分の目で確かめろ』という言葉の意味を考える余裕すらない。それすらも放棄してしまいたくなるほどに困惑していたのだ。

 

 これ以上口をきいていると、自分が自分ではなくなる。

 これ以上その声を聞いていると、どこからか違う感情が湧き出てくる。

 それはラミィ自身の考えすら上書きしてしまうほどの、強いものだという実感があった。

 しかしラミィはそれら全てを無視し、「もう、いいです」と続けた。

 

「もう終らせます。そしてすぐに……船長の元に帰ります!」

 そう叫んだラミィは獅白を睨む。きっとまたのらりくらりとした言葉が返ってくるだろう。その時は有無を言わさず力を行使する。

 

 『遅くする』などと甘いことは言わない。

 

 彼女の時間を終わらせるという心算で、厳しい視線をぶつけた。

 

 だが、獅白から返ってきたのは「……おい」という、ひどく重い響きだった。

 

「今、他のやつの話なんてしてんなよ」

 時折詰まりながらも獅白はそう言い、折れかけていた膝に喝を入れる。グッと身体を逸らし、一瞬天を仰いだ彼女は絞り出すように「今は私だけを見てろよ」と静かに言った。

 

 獅白の言葉に、顔を赤くし視線を逸らすラミィ。目の前の女は忌むべき者のはずだ。それなのに、その言葉一つ一つにこんなにも心を奪われている。その声で甘やかされようものならどうなるか。そんな想像をしてしまった自分に嫌気が差しながらラミィは頭を横に振り、再びキツく獅白を睨みつけた。

 対する獅白には、最早ラミィを睨みつける力すら残っていない。

 

「でも、そうだね。確かにこのまんまじゃぁ……やばいよね」

 声に合わせて掲げようとする腕は、やはり重い。数秒をかけて持ち上げられた自身の右腕に自嘲しながら「そろそろ、ケリにしようか?」とそう言った。

 

 次の瞬間、青の軌跡が最後の疾走に入った。

 

「……終らせる」

「さぁおいでよ、ラミちゃん!」

 なんて小君良い響きなんだろうか。ラミィの耳にすんなりと入っていきた耳触りの良い言葉に足を止めかける。

 しかし言葉を蹴散らし、ラミィは叫んだ。

 

「ーーーッ その名を、呼ぶな!」

 自分が終わらせるのだと確かな殺意を持って、その腕を突き出した。

 

 

 ソラの何処か。ホロアースを俯瞰できるその場所で、ポルカはあからさまに絶望した表情を見せていた。

 

「ヤバい……」

 

 ワナワナと身体が震えている。自分が見落としていたことに気付かされ、ポルカは目尻にいっぱいの涙を溜めながら呟いていた。

 ラミィと獅白の戦いにポルカが気付いたのは、オリーがサラーキアに現れたその時だった。周囲の生気を全て吸い尽くしたような赤々とした髪が煌めいている。その傍らに、青と白の軌跡が踊っていた。

 嘘だ、と呟いたのは言うまでもない。確かにラミィの存在には気付いていた。それに気付いた上で、自分からは関わらないことをポルカは選んでいた。選択しなければ、何もかもが中途半端になると確信していた。

 ポルカにとってラミィは相対する敵に最も近い存在。それだけだった。

 しかしその場に獅白が、白い獅子然とした女性が目に入った瞬間、蓋をしていた感情が大口を開けてしまった。

 

「何でこんなに……」

 気付いてはいけなかった。大事なモノが増えればそれだけ守りたいものも、気にかけなればいけないことも増えていく。それでもポルカの中に宿った思いは暖かなものだった。

 

「そうか。アイツら多分、大事な友達なんだ……」

 

 ポルカは、あぁ、と肩を落としてふと上空を見た。何もない、橙に泥み始める中に、心細そうなに声を出してしまう。

 

「大丈夫だよ」

 

 すぐ側でキャンバスに熱中していたイオフィが手を止めた。

 イオフィはキャンバスからヒョコッと顔を見せた。幼さの残る容貌で柔らかく微笑む。ポルカを気に掛ける自然な笑みだった。

 ポルカは一瞬呆気に取られた表情を浮かべ、次の瞬間に怒りを滲ませた。イオフィにその感情を向けるのは間違いだと気付きながらも、声を荒げずにはいられなかった。

 

「でも、もう終わっちゃうじゃないか! あんなの、最低だ。ダチ同士で殺しあうなんて……最低だよ」

 肩で息をしながら一気に話し切ったポルカ。依然眼下ではラミィと獅白の戦いは進み、ついにそれは最後を迎えようとしていた。おそらく次が最後の衝突になるだろう。その確信がさらに彼女を落ち着かない様子にさせていた。

 

「大丈夫だよ」

 

 しかしイオフィは先ほどと同じように微笑んだ。それが痛く気に入らなかったのだろう。ポルカは「何言ってんだ? 大丈夫なわけねぇ……」と、きつく言い放とうとするが、グッと言葉を飲み込んだ。

 

 微笑んでいたイオフィが一瞬、真剣な表情でジッとポルカを見つめたのだ。菫色の瞳はポルカに何も言わせない程に強い力を示している。

 

 イオフィはすぐににっこりと微笑み、視線を“錨”に向け、「アナタだけじゃないでしょ?」と、呟く。「あの二人のこと、心配してるのはさ」と続けて、噛み締めるように彼女は“錨”に降り注いだ橙の流星に視線を向けた。

 

 

「ねぇ、ねねち?」

 

 

 最後の一撃を見舞おうとしていたラミィの腕がはたと止まり、突然自分達に降り注いだ“橙の流星”の暖かさにため息を吐く。

 何が起こっている。こんな不可解、本来であれば警戒しなくてはいけないもののはずなのに、その光に包まれた途端、ただ優しい気持ちに包まれて動けなくなっていた。

 それは獅白も同じだった。忍ばせていたナイフに伸ばしていた手を投げ出し、流星が降り立った地点をぼんやりと見つめる様子はラミィと変わらない。ただ、それが悪いものであるという確信だけがあった。

 

 “ダメ、だよ”

 

 降り立った流星の中、一人の少女がそっと呟いた。

 

 “命なんてかかけちゃダメだよ”

 

「誰だ?」

「アナタ……」

 流星の少女は華やかな笑顔を浮かべた。

 それにラミィと獅白はどこか浮世離れした感情で呟いていた。

 

「うん。ひさしぶりなんて、言っても分かんないか。でも、二人を止めにきたよ」

 

 翠の瞳は優しいまま、

「誰も死なせない……こんな戦い、終わらせにきた」

 そして二人の戦いの間に割って入っていった。



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アナタの目には見えているでしょう? 2

「何言ってるぺこ……でも、その名前……」

 

 ぺこらは頭を抱えながらまた膝をつく。また靄がかったような感覚に陥っていた。もちろんマリンの口にした名前は、この場にいるヒトのことを指しているのは理解できる。ただ、一人だけがどうしても分からない。

 

「誰ぺこ? “るしあ”って」

 何故か身体がぶるぶると震えていく。その震えが何を意味しているのか分からないまま、ぺこらはぎゅっと瞼を閉じて自身の震えを止めようと試みていた。

 

 一方フレアは一瞬表情を曇らせた後、すぐに佇まいを直してマリンを睨んでいた。もう決して揺らがない。その意志を示す瞳の強さに、相対するマリンは短く感嘆のため息を漏らす。一度だけ強く首を振りフレアが言った。

 

「何でもいい! そんなこと言って、誤魔化すな!」

「誤魔化すって、どうゆうことです?」

 マリンは怯えもせずに口を開いた。心底言葉の意味がわからないと思っていることが推測できる。

「ノエルを返せ! これ以上おかしなこと言うな!」

 フレアは一貫してそう言い続けていた。

 フレア自身、薄々気付いていたのだろう。これ以上時間を掛けてしまえばマリンの思う壺と。だからこそ、捲し立ててでも事を急がなくてはいけない。その一心で彼女は言葉を放っていた。

 しかしマリンは決して気圧されることはない。ただ、少し悲しそうに小首を傾げて言った。

 

「悲しいこと言わないでくださいよ。これでもまた五人で会いたかったんだっていう気持ちは、本物なんですよ?」

「何言って……」

 言葉に詰まるフレア。

 マリンが心の底からそう思っているということははっきりと伝わった。しかしそれを納得するには、互いに積み上げた想いに差がありすぎると、フレアは目眩を覚えた。同時に困惑させられてはいけないと、その確信が彼女の身体を律している。フレアは再び口を開こうとした。

「姉ちゃん、ダメだ……」唐突にぺこらが口を開いた。「きっと話通じねぇぺこ」と辿々しく、しかし確信を込めた声色でそう言って、フレアの服の袖を引っ張っていた。

 

「無駄って。何言ってーーー」

 

 矛先をぺこらに向けんと振り返るフレアが、ウッと言葉を詰まらせた。視線の先のぺこらの表情は有無を言わせないと言わんばかりに真剣そのものだ。フレアも正面から聞かなくてないけないと、そう思い押し黙った。

 

「姉ちゃんは、見えてねぇぺこ?」

「見えてないって……」

「“るしあ”って名前言われて初めて気付いたぺこ」

 

 フレアの服から手をどけ、ぺこらが指差す。

 

「あの子と、それに姉ちゃんの周りに“緑の蝶”? みたいなのも見えるぺこ。多分、“るしあ”と姉ちゃんたち、会ったことがあるんじゃねぇの?」

 

 その先にいるノエル、そしてフレアを交互に見てぺこらが言った。

 

「ーーーッ!」

 言葉を失い、ぺこらがしたようにフレアは自分を、そしてノエルを交互に見た。

 

「何で、“蝶”って……あの事はかなたちゃんにしか話してないのに……」

 

 頭に二百年前の戦いで出会った、“翠の少女”の存在を思い出す。その事を語ったのは後にも先にもウェスタに向かう途上の、十年前のあの時だけだった。今日初めて会った人が何故それを口に出来るのか分からず、「一体、何だんだよ」とフレアは呟いていた。

 

 するとこれまでジッと二人のことを見つめていたマリンが「さすがです」と口を開いた。

 

「さすが。やっぱりその眼は何もかもを詳らかにするんですね」

 そう続けたマリンは正面からぺこらに視線を突き刺す。心の奥底に触れようとするような、しかし優しい視線だった。

 

「あんた、一体何をしてぇの?」

 

 ぺこらはその視線に怯えて以前口調は辿々しいまま。しかし見開いた眼だけはマリンを捉え続けていた。もう何もかもを逃さないと、その瞳で捉えるつもりなのだろう。

 

 だがマリンはそれを飄々と躱し、もう一度静かに「そう。ようやく五人が揃ったんです」と言った。

 

「随分と時間をかけて、ようやくここまで辿り着いたんです。少しだけ、五人でいてもいいでしょう?」

「分かんない。一体、何がどうなってるぺこ?」

 マリンの寂しそうな呟きは、ぺこらをさらに困惑させる。数歩後退り、その場にへたり込んでしまうほどだった。

 

「五人って……そんなに大事なことなの?」ぺこらは顔を伏せる。「何でそんなにこだわるの?」と、一瞬マリンの紅い瞳の中に見えた思いを感じながら、頭を掻きむしった。

 正直今すぐにでもマリンに詰め寄り、声を荒げて追求するのが一番簡単な解決策だとは分かっていた。しかしそうするには自分はマリンのことを知らなすぎるとも思い、どうしても踏み切れずにいる。が、それではいけない。これも理由を言葉には出来ないが、どうしても理由を聞かないままマリンに詰め寄ってはいけないと、ぺこらは感じていた。

 

「落ち着いて」

 ムーナが声をかける。すぐには反応できずに辿々しく「うん……」としか応えられない。

「ちゃんと深呼吸してください。視野が狭くなってます」とムーナは優しく言って、ぺこらの背を摩る。その温もりに甘えながら言った。

「大丈夫じゃねーけど……でも、どうすればいいのか、分かんねーぺこだよ」

「ちゃんと見てあげてください」ぺこらの弱音を受け止めて、ムーナが口にした言葉は少し厳しくぺこらに聞こえた。しかし「あの人のこと、船長のこと、誤解せずに見てあげてください」と続けて言った彼女に、ぺこらはハッとしながら顔を上げる。

 

「誤解……」

 その言葉に、ぺこらは「誤解って、何ぺこ?」と尋ねる。

 

「あの人は悪者じゃない。ただ、盲目的になっているだけです。誰にも頼らずに、自分だけの力でここまでやってきた人だから……でも、もうあの人は摩耗しすぎてる。だから、アナタに……大事な友人であるアナタたちを頼っているんです」

 

「何、ぺこだよ。そんなの、急に頼られたって」

「だから決めてほしいんです。アナタが見て、あの人を助けるべきか、決めてほしいんです」

「決めるも何も……」ぺこらは口を噤み、再びマリンを見た。

 

 不意に二つのことが頭を過ぎる。

 一つはこのホロアースに来る前、“桃色の光の中にいた人物”から言われた言葉。彼女は確かに言っていた。

 

 “傍にいてあげてほしい”と。

 “『閉じたセカイ』をどうにかしようと頑張っている馬鹿な海賊の傍に行ってあげて”と。

 当初はその意味も全く理解していなかった。ただおかしな五人組と出会いファウナに導かれ、そして獅白たちと共にサラーキアをどうにかしようと足掻いた結果、ここまで辿り着いただけ。ただ流されてここにやってきただけなのだ。それでも歩みを止めなかったのは、“自分で選択しないといけない”という思いがあったからだった。だからキチンと目を見開け。風がぺこらの背を後押しするように脇を抜けていく。一歩踏み出せと声援を送っている。それに身を預けて一気に突き進むことができればどれだけ簡単だろう。しかしどうしてもそれが出来ない。

 

「だって、間違いでもしたら……全部台無しになっちゃう」

 それがもう一つの思いだった。

 ここに至るまで、多くの人がこの戦いに関わってきた。もし自分が選択を誤れば彼ら彼女らの努力を無為にしてしまう。それがどうしようもない恐怖をぺこらに与えていた。

 考えれば考えるほどに答えは見つけられない。先の見えない迷路に迷い込んでいくようで不安で動けなくなってしまう。このまま蹲ってしまえば、どれだけ楽になるだろう。そんなことも出来ないくせに、そればかりが頭を過ぎる。

 

「やっぱりアナタは怖がりだけど、とっても優しい人ですね」

 

 慈愛に満ちた声が、優しくぺこらの鼓膜を叩いた。顔を上げるとムーナが微笑んでいる。まるで優しい月明かりのような笑みにホッとした次の瞬間、ムーナはハッとして建物の入り口に視線を向ける。表情は緊張に満ちていた。

 

「……どうしたの?」とぺこらがムーナに尋ねる。

 ムーナはその縋るような瞳を見つめて、そして諦めたようにこう言った。

 

「ムーナ、やらなくちゃいけないことができたみたいです」

 

ぺこらは、自分の血の気が引いていくのが分かった。

「何で? 何処行くぺこ? アンタが居なくなったら、ぺこらどうしたら……どうしたらいいかも分かんねぇのに」

 縋るようにムーナの腕を抱いて、「お願い」と小さく呟く。「一緒にいてほしいぺこ……」

 

「誰かがそばにいてくれなきゃ……ぺこーらダメになっちまう。分かんねぇことばっかりなのに、何でか知っているような気がして……もう頭の中ぐちゃぐちゃぺこだ!」

 

 必死に訴えかける表情は今にも決壊しそうなほどに脆くなっているぺこらに、ムーナは自身の腕を抱くぺこらの手にそっと触れる。

「……聞いてください。大事なこと、話しますから」

 

 ぺこらはその言葉に幾度目になるか息を呑んだ。

「すいません。こんな事を押し付けてしまって」

 ムーナは申し訳なさそうに目線を背ける。

「……何が?」

 突然の謝罪にどうしたらいいかわからないぺこらはとぼけた声で尋ねていた。じゃぁ最後まで一緒にいてくれ、という言葉が続けて出かかったが、それを口元で押し込める。それはきっと出来ないことなのだと、それだけは確信できていた。

 

「でも、これはアナタが決めなくちゃいけない。このセカイの理に囚われないアナタが、決めなくちゃいけないことなんです。いえ……アナタと、そしてアナタの大事な人たちみんなで決めないといけないんです」

 

 そう言って視線を改めてぺこらに向け、ムーナは慈愛に満ちた表情を浮かべた。

 不安のままだ。それは何も変わらない。それでもどうにかするのだと、そう自分に言い聞かせてぺこらはキッとムーナを見返えそうとする。しかしどうしても真っ直ぐに立つことは出来ずに、またすぐに視線を下に向けた。それは間違いなく頼もしい様子はなかっただろう。弱々しい、庇護すべき存在そのものだっただろう。

 

「やっぱり……アナタで良かった」ムーナが言う。

「どうゆう、こと?」ぺこらは目を丸くしてムーナの顔を見た。自分の態度とムーナの言葉に、何の連関も感じられなかったからだ。

「確かに自分で決めるのは怖いです。怖くて、どうしようもなくて、立ち止まりたくなるのは仕方がないことなんです。それでも、何度も立ち止まってもアナタはずっと前を向いて歩いてきました。初めて“神話”と相対した時も、怖がりながらでも私を守ろうと走ってくれた。今だってあの人の、船長のことを真剣に考えているから悩んでいるんです。だから、そんなアナタで、優しいアナタで良かったって……本当に思います」

 

 ムーナは目を背けるぺこらの頬に手を添え、少し強引に自分の方に顔を向けさせるた。

 

「泣かないでなんて言いません。怖がらないでなんて、絶対に言いません。でも足を止めた分だけちゃんと、しっかり前に進んでほしいんです。悩んだらキチンと答えを出してほしいんです。アナタには、それが出来るから」

「でも、ぺこらは……」

 大粒の涙を目尻にためながらぺこらが言った。それを拭い、優しい口調のままムーナは「私はせめて、アナタの盾になる。アナタたちの邪魔をする者を退けます」と、そっと手をはなした。

 まるで大事なものが欠け落ちたような喪失感だった。ぺこらは頼りなく前のめりに倒れ込み、すぐに顔を上げる。そこにはもう優しい笑顔はない。ただ覚悟を決めた背中が見えた。少女然としているのに、あまりに頼もしい背中だった。

 

「ムーナ……」

「大丈夫です」

 ぺこらにムーナが答える。しかしもう先ほどまでのように抱きかかえてくれることはない。

 

代わりに彼女から渡されたのは「大丈夫。アナタの目には、見えているでしょう?」と言う優しい響き。

 

 そしてムーナは顔だけ振り返り続ける。「あの人の、一人でここまで頑張ってきたあの人の、心に抱えているものが、きっとアナタには見えている」とそう言って、足音を響かせていった。

 

 彼女を待つ戦場へと、歩を進めていった。



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アナタの目には見えているでしょう? 3

辛そうな息遣いだけが響いていた。困惑と恐怖で嗚咽を漏らしながら、少女が一人長い廊下を進んでいる。

 

「せん、ちょぉ……行かないと。早く船長にとこ、行かないと……」

 

 どうやって“神話たち”の戦いの中を潜ってきたのだろうか、メイド服に身を包んだ少女、湊あくあはそう呟く。自身の涙でボロボロになった顔を拭いながら、一歩一歩窮しながら進んでいく。それでも足を止めようとしなかったのは、マリンの元へと帰れば全てが解決すると思っていたからだ。しかしそれでも“神”との戦いで彼女が心に負った傷は見るに耐えない。

 

「せんちょぉ……あてぃし……」

 

 あくあは願うように同じ名前を呼び続ける。

 

「せんちょぉ……せんちょぉ」

 それはきっと母に縋る子どものような心持ちだったのだろう。それほどまでにあくあにとって、マリンと言う存在は大きなものだった。そして気が動転した時、どうしようもなく不安になった時、彼女の向かう先は一つだった。

 

 “錨”のある場所。それを見つめながら、柔和に微笑むマリンのことが心の底から愛おしく思っていた。

 そこに行きつきさえすれば、きっと優しい笑顔で頭を撫でてくれる。そう信じて疑わずに、あくあは歩く。どれほどの時間をかけての歩みだったのか、彼女はもうそれさえ気にならないほどに動揺している。

 

 しかし時間の経過は、違う感情をあくあに与えていた。

 耳に届く轟音、一瞬映った眩い光、それら全てが“錨”の周辺から発せられている。ごく少ない数の戦士がサラーキアに侵入したという話はラミィから聞かされていた。もしかすると既にマリンのところに辿り着き、事に及んでいるのかもしれない。

 

 あくあは早く進まなれけばいけないと言う感情と、また恐ろしい目に遭ってしまうのではないかという恐怖に心がバラバラになりかけていた。

 

 早くマリンに会いたい。

 この場所から逃げ出して、耳を塞ぎたい。

 相反する思いが鬩ぎ合って、足を鈍らせている。この思いを抱えたままで良いはずがなかったのだ。

 ついぞ立ち止まってしまうあくあ。しかし“錨”は、マリンはもう目と鼻の先にいるはずだ。止めてしまった足を重く感じながら、涙でぼやけたままだった目をグイと拭う。

 

 頑張ろう、と口に出そうとして視線を上げた次の瞬間、スッと血の気が引いていくのを感じた。

 そこには女性が一人、自身の進行を阻むように立っていた。

 最初に目に入ったのは菫色の長いしなやかな髪。一本一本が光を放っているような、うっとりする美しさがそこにはあった。白磁のようにくすみのない肌、そしてスラリと伸びた手足は、昔絵本の中で見た“女神”のようだとあくあに思わせた。

 

 

「行かせません」

 

 

 この声だ。スッと耳に入る、深みのある声はなんだ。

 押さえつけられているわけでもないのに、その声の通りにしなければならない。自然とそう思わせてくる、そんな声だった。

 しかし瞳はそうではない。髪と同じ、菫色の瞳が光に晒される度に金色に変容させ、確固たる意志を示していた。

 

「誰?」

 あくあは知っていた。彼女が感じさせる雰囲気と同じものを。これは間違いなく“神”と同じものだとそう確信しながらも、あくあは尋ねていた。

 

 だが返ってきたのは、「誰でも構わないじゃないですか」という、素気無いセリフだけ。

 

「アナタに恨みなんてありません。むしろアナタには同情しています……」と呟きつつ右手を掲げて「でも……」と続ける。

 

「今は、あの“五人”のための時間です。私も、そしてアナタも邪魔者なんです」

 

 刹那、鉛のように重い足取りだったあくあの身体が弾けた。

 

「うるさい、うるさいうるさいうるさい! もう、もう誰もあてぃしの邪魔するな!」

 

 

 ぺこらは蹲っていた。

 背にした彼女の様子にフレア自身も内心心細さを覚える。しかし自分まで呆然とすることは出来ない。

 

「そんなのどうだっていい!」

 口を吐いたのは、ここに辿り着いて幾度目かにもなる同じセリフ。レパートリーがないと言われてもおかしくない。だがそんなことは関係なかった。

「早くノエルを返せ! その子は私の宝なんだ!」見つめる視線に怒気を込めて、フレアはマリンを見やった。身体は強張り、落ち着きのない様子ではあるが、いつでも踏み出して間合いを詰めることの出来る隙のなさにマリンは感心していた。表情は覚束なく見えても、やはり骨の髄まで戦士としてのあり方が染み付いているのだろう。敵にしてこれほど厄介なものはないとマリンは思っていた。

 

「ねぇ、フレア」穏やかにマリンが言う。

「っ」

 マリンの声にフレアは顔を顰めた。なんて耳障りの良い響きなのだろう。彼女に呼びかけられる度、名前を口にしてもらえる度、彼女の中におかしな感情が芽生えていく。初めて会った人物であるのに、昔馴染みの友人のような、そんな気安い心持ちになっていくのだ。理屈では説明できない、それは感覚的なものだった。

 

「その声で……その声で私の名前を呼ぶな!」と強気に言ったが、実のところそれは自分を叱責する言葉だとフレアも気付いていた。

 

「これ以上私たちをまやかすな! 私はアナタとなんて会ったこともないのに……今日初めて会った人に、友達みたいに話しかけられたくない!」

 

 フレアは「気味が悪いとすら思う」と付け加えて、またマリンを睨みつける。

 しかし当のマリンはどこ吹く風とその視線を笑い飛ばし、「当然の反応ですね」とあっさり返した。「ただ、気付いてました?」

 

「気付いてるかって何を?」

「フレアがずっと、船長のことを“敵”って言えてないの、気付いていましたか? そう言えないのは、アナタの心に何か引っ掛かるモノあるからじゃないですか?」

 

 ギョッとし、これまでの自分の言葉を振り返るフレア。

 確かにその通りだった。

 直接手を下すとまで言っていたのに、一度だってマリンを“敵”と形容したことがない。むしろ無意識にその言葉を避けていたようにすら今では思ってしまう。

 

「なんで……私……」

 マジマジとマリンを見つめるフレアの表情に困惑が滲み出る。だが次の瞬間、焦りは掻き消える。

「そんなのに惑わされる必要なんて、最初からないんだ」

 

「あら? もう焦らないんですか?」

「言葉になんて、なんの意味もないよ。それに私がやらなきゃいけない事、もう決まってるんだから」

 焦りも恐怖もない。ただ純粋な目をしてフレアはマリンの傍らにいる少女に視線を向ける。きっともう起きているだろう。心配させないために黙り続けている少女に申し訳なさを覚えながら、フレアは言った。

 

「さっきも言ったけどさ……私は宝を、ノエルを守りたいだけなんだ。だからこれ以上、アナタの言葉に揺さぶられない」

 

 芯の通った響きからは、揺らがない意志を感じさせる。マリンはその言葉に満足そうにため息を吐き、「あぁ、やっぱりアナタは……」と声を漏らした。そして「でも、そうですね」と咳払いをしつつ、遙か頭上の蒼の光の終着点を見つめる。

 

「私にとってもこの子は、ノエルは宝なんですよ。何物にも変え難い、大事な友人なんですよ」が、少し自嘲気味に笑って「まぁ実際にこの子に会ったのはこの間が初めてだったんですけどね」と続けた。

 

「何? ますます、訳わかんないよ」

 揶揄われた? いやマリンは決して冗談を言っていない。確信を持ちながらそう問いかける。

「ねぇ。例えばの話をしましょうか、フレア?」これまでにない程に、深い響きだった。マリンは真剣な眼差しでフレアを見る。

 

「……良いよ。もうこうなったらとことんまで付き合ってあげる」フレアもその真剣さ止めることを諦め話すように促す。もう焦ることをやめたからか、彼女然としたにこやかな面持ちで答えた。

 そして、マリンは話し始める。

 

「このセカイとは別の世界があって、そこで船長たちは友達だったんです」

 まるで懐かしむように、しみじみとした口調で。

「そんなこと言ったら、アナタはどう思いますか?」

 浮かべたのは、まるで少女のようなあどけない表情だった。



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お前が希望の星なんだ!

 マリンがしみじみと語る。まるで子どもたちに御伽噺を聞かせるように、朗々と淀みなく話していた。

 

「ここではないどこか、でも間違いなくそこは、他の世界はあるんです」

「何言ってんの? そんなもの……」

 言いかけてフレアが口を噤む。

 エルフに伝わる古文書にも、実しやかに“他の世界”については触れられていた。それだけなら、昔の人の世迷言で片を付けられるのだが、フレアには別に心当たりがあったのだ。

 

 それは十年前、ウェスタで起こった戦いの時に目の当たりにしていた。

 

 落下寸前だったソラの島を止め“大剣”の力を解放した天使が、そしてその友人である橙のドラゴンと共に、蒼い光の先に消えていった時、確かにその背の向こうに違う世界が見えた。

 

 だから強く否定できなかった。それを否定するということは、友人が守ったウェスタを、これまでの十年間を否定するような気がしたからだ。

 

「心当たりあったんですね」

 フレアが口を噤んでいると、マリンは優しくいった。息を呑みながら少しだけ動揺したように顔を背けているフレアであったが、いつでも動くことができるように身体を開いていることにマリンは感心していた。そして少しの隙を見せないことに哀しさも覚えた。

 

「そうですね。間違いなくあるんですよ。こことは違うどこかが……」マリンが言う。

 

「……だから何?」

 フレアは今まであった困惑を消し去り、キッパリと言い切った。

 疑問を持っていないわけではない。しかしそれに雁字搦めにされていては何も好転しないと理解していた。そして彼女が優先すべきことは一つだった。

 

「それとノエルになんの関係がある? このセカイで生きてる私たちに、何の関係がある?」

 一瞬、マリンの表情が曇ったように見えた。

「……はぁ」

 このため息が意味するものは一体何なのだろう。マリンは少し考え込んだ後、「シオンちゃんはやっぱり。何も言ってないんですね」と問いかける。

 ドンと、まるで太鼓で叩かれたような震えが一瞬全身を駆け巡る。優しい響きのくせに、それは声を放つ毎に自分を叩く撥のようだと、そんな気持ちになった。

 

「なんでシオンなの?」

 フレアはそこでハッと思いついた。

「でも、確かにシオンにちゃんと話してって言ってもずっとはぐらかされてばっかりだった」

「あぁ。でしょうね」

「でしょうねって」

「あの子には制約がある。セカイの本質に触れために、それを選んだんですから」

「選んだって……だから何を」

「でも、やっぱりあの子はとってもすごい子ですよ。このセカイに生まれて、このセカイの本質に触れた唯一の魔法使いですもの。でも、どうしてもセカイの制約から逃れることは出来ない」

 

 フレアはキョトンとして、「制約って、それって一体」と首を傾げた。

 

「誰にも伝えられない。そして自分じゃ直接手を下せない。大いなる力に触れるために、彼女は傍観者になることを選んだんです」

 その瞬間、過去のシオンとのやり取りをフレアは思い出していた。振り返ればシオンが時折見せる苦しそうな表情がそれをつぶさに表しているではないか。フレアは知らず知らずのうちにシオンに負担をかけていたことに落胆と驚きを覚えた。

 

 しかし仮に伝えられても、シオンと同じ立場にない自分がどこまで理解できるかは分からない。何より、いつまでも仮定の話に時間を使ってはいられなかった。

 

「それでも、やっぱり私が優先するべきはそれじゃない」と答えるフレア。マリンはそれに満足そうに微笑みながら、「じゃぁ一旦この話はおしまいにして……」と続けた。

 

「ねぇフレア。船長を見た時どう思いました?」

「どうって……」

「どこかで見たことがある。そう思ったんじゃないですか?」

「それは、間違いなく気のせいだよ。私は、アナタに会ったことなんてない」

「でもうっすら頭に過ったんでしょ? それに船長の話を聞いて、もしかしたら船長の言ってたことは、“他の世界で、私たちが友達だった”っていうのは正しいことなんじゃって、そう思ったんじゃないですか? そして、他の世界は間違いなくあるって、確信できてたんじゃないですか?」

 

 

 ここから語るのは、始まりの一片。

 

 かつて、ホロアースを存続させるため“希望を司る者”に請われた、異世界より召喚された少女は、“歌”で数多の仲間を集めた。

 大陸を超え、海を渡り、時には地の底や星海の果てすらを旅をした彼女たちは、崩壊の原因を突き止める。それは皮肉にも“幸福なセカイを存続させる”という思いの跳ね返りであった。

 

 このセカイを幸福にのままに存続させようという機構。

 それはこのセカイから須く哀しみや悲劇を取り除く。そうなる可能性すらも摘み取っていく。そうして出来上がったセカイを、誰もが笑顔で迎え、誰もが謳歌した。

 

 しかしそれは永続するものではない。

 

 他の世界に押し流していった悪感情は次第に淀み、押し戻されるようにホロアースの“虚”に溜まり続ける。泥のように、決して解けないままに溜まり続けていく。そしてついに、それは“ケガレ”という形でセカイを侵食し始めたのだ。

 

 それが崩壊の理由。

 詰まる所、セカイを運営するシステム自体の限界であったと言えよう。

 崩壊を食い止めるため、そして新たなシステムを作り出すために、彼女たちは神の如き者どもに挑んだ。

 

 空間

 時間

 自然

 文明

 そしてカオス

 

 ホロアースを創生した“神”に創られた概念に矛を向けた。

 

 戦いに多くを語ることはない。

 結論だけ言ってしまえばシステムは変わることなく、異世界より召喚された少女が自らを差し出すことでシステムの延命を図り何もかもが平穏を取り戻した。しかしそれを認めらない仲間たちよって、神の如き者の大半が打ち倒されることとなる。

 そしてその戦いで神の如き者の一柱である“時間の典獄”を打倒した時、マリンは垣間見たのだ。

 

 蒼の光の中、話で聞くだけでは半信半疑であった別の世界。

 

 身近に争いはない。対岸の火事に思える出来事に時折心を痛めつつ日々を過ごす。それがその世界の当たり前だった。

 

 

「そこでね、船長たちは“アイドル”なんてものをしてるんですよ。笑っちゃいますよね」

 楽しそうに話すマリンを遮ることは出来なかった。フレアは押し黙って朗らかに話すマリンを見守る。

「たくさんのお友達がいて、苦しいことも悲しいことも……もちろん沢山ありますけど、それでも船長はその世界が美しいって思ったんです。あぁこんな幸福な世界があるんだって、すごく嬉しかったんですよ」

 ノエルの頭を撫でて視線を上に向ける。目尻から微かに輝くものが一筋落ちたのをフレアは見逃さなかった。

「今からでもさ、遅くないんじゃない?」

 不意にそう呟いていた。なぜそんなことを口にしたのか、フレア自身も分からない。ただマリンがあまりに悲しく見えたのだ。何かを言わなくてはいけない。彼女の言った通り“敵”であったとしても何か声をかけずにはいられなかった。

「もうやめようよ。アナタも思ってるんでしょ? こんな戦いに意味なんてない。誰かが血を流したって何も変わらないんだって」

「……えぇ、そうですね」

「ならーーー」

「でも!」

 今までにない、鋭い叫びが響く。決して怒気は感じられない。ただ明確なのは、“哀しみ”だけ。

 

「でもねフレア。このセカイは“あの人”のおかげで、今も成り立っているんですよ。あの人“だけ”を犠牲にして、このセカイは延命しているんです」

 

 一気に言葉を吐き出したマリンに何も言えず、気圧されて押し黙るフレアを尻目にマリンは続ける。

 

「一人だけが犠牲になって成り立っているこのセカイが……私は、許せないんですよ」

 

 マリンは再び正面に視線を向ける。瞳に篭っていたのは決意の火。

 

「“あの人”って、一体誰のこと?」

 問いかけるフレア。温和だった表情がここまで険しくなるのを全く理解できていなかった。

 

「“あの人”は違う世界で私たちを繋いでくれた人。そしてこのセカイを守ってくれている人」

 そしてマリンはその名を口にした。

 

「“そら”先輩がいたから、このセカイは続いているんです」

「“そら”……」

 その名を聞いた瞬間、フレアの脳裏に一つの影が浮かんだ。

 笑顔で手を振る柔和な笑顔を浮かべた、少し明るい茶髪の少女の姿が、くっきりと思い浮かんだのだった。



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お前が希望の星なんだ! 2

「“そら”……」

 

 その名はメルからも聞いていた。しかし今マリンからその名を聞いた瞬間、フレアの脳裏に一つの影が浮かんだ。柔和な笑顔で振り返る、茶髪の少女の姿がくっきりと思い浮かんだのだ。

 

「何で? ッ、頭、が……」

 マリン、そしてぺこらを見た時と同じ違和感がフレアの頭に霧のように広がっていく。どうしたってこの不可解さを拭うことが出来ない。

 フレアは数歩後ろに下がった。澱んでしまう頭を抑えながら、それでもマリンから視線を外さない。

 

「でも……違う。きっと大事な人なんだろうけど……」

 改めて首を振り、困惑を蹴飛ばすと、次の瞬間にはスッとした感覚を覚えた。

「そうだ、惑わされる必要ない」

 

 マリンはフレアを見つめたまま、カツンと杖をついた。吹いていた風が凪ぎ、静寂が訪れる。

 何を思っていたのだろう、マリンは少し複雑そうな表情を浮かべている。

 きっと彼女はフレアに言って欲しかったのだ。

 

 “助けるよ”と。

 

 その言葉が聞こえなかったことにマリンは落胆を隠せなかった。それと同時に「決して揺らがない」と口にした通り、フレアが迷いのない瞳をしていることに驚きを隠せなかった。

 

 だがすぐにマリンの表情はすぐに元に戻る。重々しい声で尚も話は続く。

 

「あの人が犠牲になって、ホロアースが存続している」と杖を弄び、再びそれで地を突いた。「でもね、強固だったこのセカイも崩れかけているんですよ」

「崩れるって……」

「このセカイを崩壊から救った、幸せを願って閉じ込めたあの人の思いは潰えないけれど……でも守られるはずのセカイが耐えきれなくなっているんです」

 

 フレアにはその言葉の意味がすぐに理解出来た。

 仮に本当に別の世界があったとしよう。もしかすると世界は数多あるのかもしれない。それらと、このセカイは隔絶されている状況なのだ。そしてそれを成し得ているのが“そらの思い”ということなのだろう。“そらの思いが潰えない”はずなのにセカイが耐えきれなくなっている。

 

 それはつまり、何らかの要因で“そら”の力が働かなくなってしまっているということだ。

 

 しかし一人の少女に重荷を背負わせすぎているのはフレアにとってもよい気分はしない。それを代弁するようにマリンは朗々と言った。

 

「船長はセカイがどうとか、そんなのはどうだっていいんです。ただ……あの頃のようにみんなで笑いながら憧れを語らいたかった。それだけなんです。でも、それが誰かの犠牲の上に成り立ってるなんて……本来はこのセカイに関係のない人が自分を犠牲にして成り立たせているなんて……船長は許せないんです」

 

 フレアは目を見開き、「そうか。だからアナタは……」と納得したように呟いた。

 

「アナタはその“そら”をどうにかしてあげたくて、こんなことやってるの?」

「ずっと、そう言ってるじゃないですか」

「それは多分正しいことだよ思う。私だってアナタの話を聞いたらおかしいって思うよ。でもその後はどうなるの? その人を解放されるのは良いことかもしれないけれど、何か取り返しのつかないことは起こらないの?」

 

 フレアの問いに、マリンが悩んだのは一瞬だった。既に飽きるくらいの時間を考え尽くしてここに至るのだから、今更取り繕うつもりはない。

 

「ほら……見てみなさい」

マリンは徐に虚空を指差す。それにつられるようにフレアも視線を上げた。

「なんだ、あれ? あの黒いの……」

 

 それは染み出すようにその姿を露わにしていた。暮れなずむソラにポツンと残る雲ではない。明らかに異質なモノがソラを裂き、大地の至る所にこぼれ落ちているではないか。目の当たりにした光景に絶句するフレアに蹲って考え込んでいたぺこらがポツリと「見たことある……」と続けた。

 

「うさぎ? あれのこと知ってるの?」

「あれ……『ケガレ』だぺこ」

 

 そう。ぺこらはそれを一度目にしたことがある。

 このセカイに降り立つ前、ぺこらんどで“ケガレ”に取り憑かれてしまった野うさぎを、彼女は目の当たりにしていた。その時はおかしな状況に目を回していたが、彼女の眼が見紛うはずはない。あれは良くないモノだとハッキリと分かった。

 

 ぺこらの反応が意外だったのだろう。

 目を丸くしながら「あらぺこら。”みこち”にでも聞いたんですか? 確かに、こっちにアナタを誘ったのはあの人ですものね」と意外そうに尋ねた。

「“みこち”って……」

 

 耳馴染みの良い名前がまたぺこらの頭を悩ませる。どう飲み込めば良いのか分からない状況に、彼女はまた顔を伏せて強く瞳を閉じた。

 しかしついに溢れ出した“ケガレ”は、みるみるうちにその黒で大地を染めていく。マリンもそれを眺めてため息を吐いて、「あれは受け入れなくてはいけないモノなんですよ。それを変に阻害してしまっていたから、このセカイはおかしくなった」とハッキリと二人に向けていった。

 その言葉に何も言い返せず口を噤む二人に、マリンは尚も続ける。

 

「そして“ケガレ”がこのセカイにあんなにもハッキリと現れている。抑え込んでいた分、洪水みたいに押し寄せている。もう……」

 諦めたような声色でマリンは、静かにその事実を告げたのだった。

 

「このセカイは、壊れかけている」

 

 マリンは零れ落ちる“ケガレ”に視線を向けて動こうとしない。ただ時折納得したように首を縦に振りながら、ジッとそれを見遣っていた。

 

「ああ。こんな状況でもどうにかしようと足掻く人たちがいる。やっぱりこのセカイの人も捨てたものではないですね。必死になって自分達の営みを守ろうとする。それは本当にかけがえの無いことですよ。それでも、ヒトの手に余るのかもしれない。ここまで放置していたんですから」

「知らなかったんだからしょうがないだろ?」

「勝手なことを言うなって言います? でもそうじゃいですか。このセカイを成り立たせるために、当たり前に犠牲を強いている。でもそれに誰も気付いていない。それはもう壊れてるってことじゃないですか?」

 

 その通りだ、何もいえない、とフレアは言いたかった。しかし受け入れてしまったら最後何も出来なくなってしまう。マリンの口にしたことが正しいと思えるからこそ、流れに身を任せてしまえと思えてくる。

 

 フレアは視線を少しずらし、マリンの横で座るノエルを見た。

 

「アナタの言うことも分かるけど、私は言ってあげるよ。うるせぇ! ってね」

 

「フレア?」

「アナタの言う通りなんだろうね。でもノエルが、みんなが笑っているセカイが壊れているなんて、私はそんなの認めない。確かに身勝手なのかもしれないけど、私は守るよ。大事な人のいるこのセカイを。誰に何を言われたって、私はノエルを守る」

「それは、うん……当然なことだと思いますよ」

 

 マリンは淡々とフレアの言葉に頷いた。奇しくもその言葉は彼女が呼び表される“守人”の在り方そのものであった。その揺らがなさはまさに英雄と呼んでも差し支えない。

 

「……そうだ。そうだったんだ。私は、大切な人と笑っていられる明日が欲しいんだ。だから……」

 

 最後にフレアは言葉尻を濁した。まだ答えは出ていないのだろう。どうしたいのかハッキリしないまま曖昧にしてしまう。

 

「フレア、簡単ですよ」

「どう言うこと?」

「アナタがこのセカイを今のまま通りに守りたいのなら、“コレ”にそれに見合った対価を生命を焚べれば良いんです」

 

 マリンはチラリと“錨”を見上げた後、少しだけ視線を宙に泳がせ、落ち着かない様子で杖を弄び、短く息を吐いた。次の瞬間には取り止めのさなは消え失せ、落ち着いた彼女がまた笑みを浮かべる。

 

「ねぇ、フレア。選びなさい」

「……」

「船長を、殺しなさい」

「何、お前……自分が何を言ってるのかわかってるの?」

 

 弾けそうになる身体を抑え、努めて冷静に話そうとするフレア。しかしマリンは笑みを湛えたまま続けた。

「他の誰でもない船長のことを殺して、この生命をコレに焚べなさい。そして願えばいい。このセカイに平穏が続けって。それを叶えるくらいの力がコレにはまだ残ってますし、それに船長だって、それくらいは頑張れますよ」

 

 むしろそれを望んでいるような物言いで話すマリン。しかし間髪入れずに「バカ言ってんじゃないよ!」とフレアの声が響く。

 

「何? バカなのあんた?」

「んぇ? いや、バカとは……いきなり辛辣じゃないですか」

「ぜーったいに、そんなこと、やんない!」

「でも、きっとこれがアナタの望む一番の方法ですよ?」

 

 ひどく意外そうに首を傾げるマリンに、再びフレアは「だからバカ言ってんじゃない!」ときつく言い放つ。思わずビクリと跳ねたマリンに、フレアは言う。

 

「アナタの言うそれは解決方法なんかじゃないよ。飽きるくらい考え尽くして、でももう考えるのが疲れて嫌になって、もうやめちゃおうって……そう思ってるだけだ。それは諦めと一緒だ!」

 

 フレア自身にも覚えがある感情であったからこそ、淀みなくそう告げることが出来たのだろう。

 しかし決して「私も同じだったから」とは口にはしない。それを口にしてしまえば、マリンの隣にいる少女を、負い目から育てていると思われかねないと思ったからだ。

 

「だから、一緒に考えよう」

「それは……」マリンは辿々しく、声を漏らした。

「さっきも言ったでしょう? トコトン付き合ってあげるって。何が一番良いのかをさ、私も一緒に考えるよ」

 フレアはそう言ってマリンに手を差し出してくる。マリンはその手を見て、本当に甘えて良いのかと思ってしまった。「でも」と動揺に塗れた声が漏れる。

 

 その瞬間だった。「ーー姉ちゃん」蹲ったままでいたぺこらの声が響いたのは。

 

「うさぎ……どうしたの?」

 背後に視線を向けるフレア。先ほどまでのぺこらの様子を考えれば、頼りない表情をしているだろうと思っていた。しかしそこにあったのは、何かを決意した人の瞳の輝きだった。

 そして彼女は静かに言った。自分が気付かされたことを、シッカリと刻み込むように言った。

 

「多分、その方法見つけたかもしれねーぺこ」

 



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お前が希望の星なんだ! 3

 マリンとフレアが“ケガレ”について話している中、ぺこらは一人蹲っている。

 守っていると思っていたムーナが去ってしまった。むしろ自分が支えられていたことに気付かされ、ぺこらは抱え切れない虚脱感を感じ何もできなくなっている。

 

 しかしソラから染み出した“ケガレ”は更に勢いを増し、地上を黒に染め上げていく。これ以上何もしないわけにはいかない。だが動こうにも何をどうしたらいいか分からない。

 

「どうしたらいいぺこ? 何が、ぺこらに何ができるぺこか?」

 考えれば考えるほどに弛緩していく自分の身体に、ぺこらはただただ顔を伏せるだけだった。

 

「どうしたら……」何度目かの弱気が口から零れる。もう感情の堰が決壊し、溢れ出す寸前だった。

 

「ぺこーらには、何にもできないぺこ」と言葉が漏れるところだった。

 

 “大丈夫”

 

 気のせいだ、とその声が瞬間そう思ったのは、言葉が漏れるその瞬間だった。しかし頭にクッキリとそれが浮かんだ。

 

「……ムーナ? 戻ってきてくれた?」

 “ごめんなさい”

 

 ぺこらの問いかけに返ってきたのは、申し訳なさそうな響きだった。

 ぺこらはムーナの苦しそうな言葉を考えながら、また不甲斐なくなる。あれだけ励まされたのに何時迄も動くことのできない自分はなんだ。今も心配そうに声をかけてくれているのに蹲ったままの自分はなんだと、叱責の言葉ばかりが頭を占める。

 

 “大丈夫です”

 ふと優しい言葉がまた頭に広がっていった。

 

「何、言ってるぺこ? 何も出来てねーのに……ぺこらは何にもできてねーのに!」

 “大丈夫です。立ち止まってもいい。悩んでもいいんです。でも必死に前に向こうとしているアナタのこと、みんなが支えてる”

 

 頭に浮かんだ言葉にハッとしながら、ぺこらは顔を上げた。思い浮かぶのはここに至るまでに関わってきた人たちの姿。今も、この“ケガレ”が跋扈していくこの大地に生きている彼ら彼女らの顔がハッキリと浮かぶ。

 

 ムーナの声が深く、染み入るように続いた。

 “目を見開いてください。その目で……”

 

 次の瞬間、ぺこらの柑子色の瞳が見開かれる。

 

 その瞳が見出すのは、物事全ての本質。そして今このセカイに起きている全ての事象を詳らかにする。彼女の瞳にはハッキリと見えていた。窮地に追いやられながらも、必死に立ち向かおうとしている人々の姿が。

 

 サラーキアの遥か北にある“大剣”を抱く大地では騎士たちが“ケガレ”に相対していた。

 人々の営みを守るため、武器を手にそれを退けようとしていた。ぺこらはその中に見知った五人の姿を見つける。それは彼女がホロアースにやってきた時に初めて言葉を交わした、仲間にしてやると言ってくれた少女たちだった。

 その中の一人、頭に角を生やした少女は不意に上空を見上げ、声高に叫んだ。

 

「何をしてるんだぁ! 兎人!」

 

 それは明らかにぺこらに向けた言葉であった。

「ラプ? 一体どうしたの?」隣にいる鷹の目の女性の静止も聴かず、あたかもそこにぺこらがいるように少女は続けた。

 

「我らの一員に加えてやったのにそんな体たらく、らしくないぞぉ!」

 

 彼女たちの邂逅は一晩の短いものであった。その短い時間で少女はぺこらという人物を見通したのだろう。少女の持つ名が示す通り、全てを確定的に見通す彼女自身もこのセカイにおける特別な存在だったのかもしれない。

 少女は視線をぺこらに合わせながら、悲しそうに「頑張れなんて言わん! 自分のできることをしろぉ!」と叫んだ。それに呼応して少女を守るように刀を振るっていた女性が続く。

 

「そうでござる、うさぎ殿! 何も大きなことを為さなくてもいいんでござる! 出来ることを、して欲しいでござる!」

 それは明確にぺこらの背を押し上げるものだった。言葉を投げかけられる度に心臓が早鐘を打つ。それは勇気を思い出させてくれる、光のようにぺこらには思えた。

 

「それでも聞いてくれ。きっと、きっとお前が希望の星なんだ。そこにいるお前たちだけが、みんなを救えるんだ!」

 

 少女が再び叫んだ瞬間、ぺこらの視界はまた別の場所を映し出していた。

 

 サラーキアの対岸、ウェヌスでも同じように自分達の街を守ろうと足掻く人々がいる。蜂起軍として駐屯地に残った者、そして彼らと袂を分けて獅白の仲間になっていた者たちが互いに協力して街を必死に守っていた。

 その中にもぺこらは見知った姿を見つける。そしてその視線に何人かが気付いたのだろう。

 

「気ぃ張るな。気楽にやっちまえ!」ロマンスグレーの男が叫ぶ。

「そうだ、軽ーくセカイを救っちまえ!」と背の低い男は怯えた様子を見せながも、それでも“ケガレ”の侵攻を押し留め、犬耳の男が必死にそれを支えている。

 

 そしてぺこらたちをサラーキアの中まで案内した赤髪の男が優しく微笑みながら言った。

 

「姐さん、アンタなら出来る。そんでそこにおる友達も助けたりぃや……」

 

 そしてサラーキアの大通り。最も多くの“ケガレ”が街を侵食していく中、ある一角だけがそれに侵されずに清浄を保っていた。倒れ伏すラミィと獅白。それを守るように、橙の結界を展開させて、一人の少女が苦悶の表情を浮かべる。ついぞその少女のことを獅白は思い出すことは出来なかった。しかし心の隙間にそっと入り込む優しい風のような彼女に、安堵すら覚えていた。

 

 力なく仰向けになった獅白が呟いた。

「……できるよ」

 

 蒼く光り輝く“錨”に視線を向けながら、彼女はポツリポツリと呟いた。きっと次に瞳を閉じれば意識は飛んでしまうだろう。その確信を覚えながら最後に瞳に焼き付けたいものを、隣で共に倒れ伏すラミィの頬に手を触れながら、安堵の表情で尚も続ける。

 

「……うさぎさんなら……絶対に、さ」

 

 そしてぺこらの視界は元に戻る。

 唐突にこのセカイの隅から隅までを見せられた彼女は動揺してはならないと、自らに言い聞かせる。しかし関わった人々が彼女に投げかけた言葉は、それを簡単に揺り動かすものだった。

 

 ああ、そうか。ぺこらは涙をためながらうなずいた。

 

「ほとんど話してないのにみんな……みんな」

 なぜこんなにも希望を託してもらえるのか、自分には何もできないんだと、自らへの叱責は止まない。ついに溢れる涙を止められないまま嗚咽するぺこらの頭に再び声が響く。

 

 “アナタは大丈夫です”

 

「でも……」

 “みんなアナタの在り方に惹かれて、アナタに希望を託している。それは重いことなのかもしれないけれど……アナタにはそれを束ねる力がある”

 

「力なんて、ねぇぺこだ……」

 “やりたいこと、すればいいんです”

「やりたいこと?」

 “えぇ。アナタのやりたいこと。やるべきだと思うこと。考えて考えて考え尽くして、やるんです”

「……」

 “そして、我儘かもしれないけど……”

「何?」

 “追いかけ続けさせてください。月がうさぎに憧れるなんて、御伽噺とは逆ですけど……”

 

 その響きを最後に、ぺこらの耳には何も返ってこなくなった。しかし物悲しさはない。多くの人から支えられている。その実感が少しだけ彼女の思いを前向きにさせた。

 

「ムー……アンタたち。あぁ、そっか……」

 柑子色の瞳が何かを捉えた。

 それはソラを、そして地上を這いずる“ケガレ”から伸びる、まるで植物の蔓のようにウネウネと伸びていく。違う。侵されているわけではない。“元に”戻ろうとしているだけなのだ。そのために必死に這いずっているのだ。

 ふとぺこらの頭に、ぺこらんどで“ケガレ”に染まった野うさぎのことが思い出される。あれは確かに苦しんでいた。でも、同時にそれの叫び声からは違う感情も読み取ることが出来た。あれは間違いなく、“歓喜”だ。

 

「アンタたち、行き場がなくなってどうしたらいいか分かんなかっただけなんだ」

 ぺこらの頭の中で何かが繋がった。

 

「みんなの中にもあるのに、無理矢理追い出されて……」

 そう。“ケガレ”はどこにでもいる。誰の中にも存在する。このセカイは“恒久の幸福”を生み出すために、“ケガレ”を外に追いやった。そしてぺこらは確信した。このセカイをどうにかする術が、間違いなくあることを。

 

「戻りたいだけなんだ。アンタたちも、ぺこーらたちの一部なんだ」

 



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みんなと、一緒なら

 立ち上がったぺこらの表情に今までの憂いはない。夕闇の中でも尚輝く柑子色の瞳が、秘めた意思の強さを彼女を見やる者に与えている。

 

「ーー分かったぺこ」

 

 ぺこらはフレアの隣に並び立ちながら、静かに言った。この小さな身体からここまでの存在感を露わに出来るとは。思わずフレアは小さな唸り声をあげる。

 

「もう弱気になるのは終わりぺこだ! 決める。決められる……!」

「うさぎ……お前」

「ぺこらは、ちゃんと決められるぺこ」

 

 そう続けたぺこらはようやく真正面からマリンを見た。最早困惑の色はそこにはない。幼く頼りなく見えていた面差しは一体どこに消えたのか。マリンは内心動揺しながらそれを気取られないよう努めて冷静に言った。

「どうしたんですか? いきなり元気になっちゃって。まあ船長もその方が嬉しいですけど」茶化したような声色で話すマリン。

 

 しかしぺこらは特別な反応を示さない。ただ「ーーばあちゃん」と言葉を返した。

 本来ならここで「誰がばあちゃんですか!」と切り返すところであろう。事実マリンも喉元まで出そうになっていたが、どうしても音に出来ない。あまりに真剣な声色に、大きく見開かれた瞳の強さに気圧されてしまったのだ。

 

 ぺこらは返ってこないマリンの言葉に、一旦静かに息を吐く。そして「答えて欲しいぺこ」とゆっくり問いかけた。

「なんですか?」

「アンタ、誰かを傷つけたいんじゃねーんでしょ?」

「もちろんです。そんな趣味ないですよ」

「本当に、この姉ちゃんとぺこーらと、そのチビちゃんとあと……そこの緑の女の子にここに集まって欲しかっただけなの?」

 

 マリンはぺこらに「えぇ」と答えて、視線を逸らした。無論それは出かかった焦りを隠すためだ。もちろんぺこらの言ったことこそ、マリンの望みそのものであったが、まさかノエルの中に眠る存在を、明確に言葉にされるとは思っていなかったのだ。取り繕うことは出来ない。押し黙り視線を外す以外に彼女に選択肢はなかった。

 

 一方ぺこらも話すことに必死になっているのだろう。マリンの顔色の変化に気づくことは出来ていない。顔を強ばらせながら、「アンタがあの“ケガレ”を操ってるってことはないよね?」と尋ねた。

 

 しかし「そんなの無理ですよ」すぐさまマリンの言葉が返ってくる。

 

「あれはそもそもよくない感情が募った“イワレ"なんです。誰の胸の内にもあるものなんですから、操るなんてこと誰にも出来ませんよ」

 ただマリンは「それを煽ったりして増幅することは出来るかもしれませんけど」と付け加えた。確かに、ヒトの内に宿っているものならばそれも可能だろう。側から聞いていたフレアもその言葉には納得した。そして同様にぺこらもうなずいたと同時に安堵の表情を浮かべて「そう、ぺこか……」と小さく呟く。

 

 ぺこらにとってそれが一番の気掛かりだった。もしマリンがそれを操る力を持っていれば、その時点でぺこらにとってマリンは確実に打ち倒さなくてはいけない敵になってしまう。それを回避出来たことは何よりも喜ばしいことであった。

 

 そしてもう一つ聞かなくてはいけないこともあった。

「アンタの目的は、その“そら”を救い出すことだけぺこ?」

「フレアにも言った通り。船長はこのセカイに囚われた『あの人』をどうにかしたいだけです」

「“そら”を救けたら……アンタはどうなるの?」

「さぁ?」

 唐突にとぼけた言葉を口にするマリン。思わずはぐらかすなと声を上げそうになるぺこらであったが間髪入れず「正直分かりませんね。でもそうですね……」と少し考え込んでマリンは続けた。

「もしあの人を助けた後、船長に時間が残されているなら……懐かしい山小屋にで隠居でもしましょうかね」

 

 マリンの言葉にぺこら、そしてフレアは言いようのない不安を覚えていた。

 自分にはもう時間がない。それを暗に指し示している彼女の物言いに、胸が締め付けられる思いがする。だからこそ直感した。

 

「姉ちゃん」ぺこらが静かにフレアに声をかける。

「うん……」フレア自身のその響きから何を言いたいのか察したのだろう。言葉少なに、しかし覚悟を持って彼女に向き直った。

「協力してやってもいいと思うぺこ……いや違う。ぺこーらはあのばあちゃんを助けてやりてーぺこだ」

 ぺこらの言葉に思わず目を丸くしてしまう。

 確かに自分も“トコトン付き合う”とは言ったが、ここまで明確助けるとは言えなかった。

 

「そう、なんだ……」

「姉ちゃんはどうするぺこ?」

「私は……うん。反対はしないし、むしろうさぎと同じ気持ちだと思う」そこまでいってフレアは「……でも」と言葉を濁した。

 

 この後に及んでどうして曖昧な態度を取るのか。ぺこらはフレアに対しキツい言葉を放ちそうになった。だがそんな気持ちも一瞬に消え去ってしまった。

 

「姉ちゃん……」

「ごめん。確認しないといけないことがあるから、もう少しだけ待っててくれる?」

 フレアはそのままマリンの目の前まで歩み出る。そしてジッと彼女を見つめた後に、「少しだけ、二人で話をさせてほしい」と呟いた。ぺこらには背を向けたフレアの表情も分からず、視線も何を捉えているのか見当もつかない。代わりにそれらを雄弁に語るように、マリンが慈しみ深く笑みを浮かべ、「えぇ……」と返して杖を前にやった。

 マリンがこちらに歩いてくる。ぺこらが緊張してそれを見つめる中、フレアはその場に膝をつき、すぐ隣のノエルの頭を撫でた。

 

「ねぇノエル」

 優しい響きだった。ぺこらはその音に、ぺこらんどの自分の母親を一瞬思い出し目頭が熱くなるのを感じた。

 しかしフレアの優しい声に、おずおずと毛布で顔を隠したまま、ノエルは彼女を直視しようとしない。少なからずノエルにも申し訳なさがあったのだろう。ノエルがここに連れてこられなければ、フレアが危険な目に遭うことも、あそこまで声を荒げることもなかったはずなのだ。いらぬ心配をかけてしまった。その申し訳なさから、すぐに返事が出来ずにいた。

 それも憎からず思ったのだろう、フレアはフッと笑みを浮かべて「ノエル。心配してたんだ。お顔、見せてよ」と言った。

 フレアの言った言葉にハっとした表情を浮かべるノエル。そしてまた悲しそうに顔を歪める。

 

「……ごめん」

「いいんだ。でも教えて」

 チラリとマリンの後ろ姿を見やって尋ねる。「ノエルはその人の言ってること、信じられる?」

 問いかけに一瞬目を丸くしたノエルだったが、フレアの優しい表情の中に真剣なものを感じ取ったのだろう「……うん」と短く返した。

「あの人、うぅん……マリンのこと、信じていいと思う」

「……分かった」

「いいの? おかあ……さん」

「いいんだ……違うな、きっとそうした方がいいんだ」

「ちょっと姉ちゃん!」

「どうしたの? そんなに大声出して」

「いやいや、自分で決めるんだぁってあれだけ言ってたのに、その子が良いよって言ったらすんなりおっけーぺこ?」

「何言ってんの? もちろん私だって自分で考えたよ。今の確認はこの子が自分の意思でその……マリンを信じてるのかを確認するためのものだよ」

「あぅ……」フレアの言葉に思わず言葉を詰まらせるぺこら。

「フレア、いじめちゃダメだよ?」それを嗜めるノエルを見ると、ようやくこれまでの緊張がほぐれたのだろう、少女然とした優しい笑みを浮かべていた。

 

「姉ちゃん容赦ねーぺこだ」

 しょげるぺこらの隣にようやく並び、マリンは三人のやり取りを聞いて微笑む。別の世界の自分達のふれあいに似たモノが目の前で行われている。それがマリンにとってはひどく嬉しかった。

 

「ふふふ」ニコリと笑みを浮かべたマリンの視線の先、そこには微笑ましい親子の姿があった。

「ほら。立って?」

「うん!」

 和かに自分の胸の中に飛び込んでくるノエルを抱き返して、満足げ微笑むフレア。

「うん、やっぱり可愛い……さすが私の自慢の宝物だ」

 

 守り続けてきたものの暖かさ、そして重みを感じ改めて彼女は思っていた。

 決してこの十年は、かつての“ノエル”に対する贖罪ではないと。そしてかつても、今も間違いなく一番愛している者はノエルであると、フレアはそれを噛み締めながらきつく彼女を抱きしめていた。

 

 ほんの短い時間であった。膝をついてノエルを抱きしめていたフレアが立ち上がり、もう一度マリンを見やる。「ねぇ、もう少しちだけ時間くれる?」とフレアは言った。そして、「随分不義理なことしてたからさ。ちゃんとお礼を言っておきたいんだ」と唐突に言い出した。

 

 ぺこらとノエルにとって、それが意味するのが何なのか正直全く分からない。だがマリンにとっては納得できるものがあったのだろう。「えぇ。存分に」と返して同じように笑った。

 

 微笑むマリンをぺこらが見つめる。穴が開くほど見つめてもやはり考えを見透かすことはできない。長い年月を過ごしてきたのだろう、刻み込まれた皺の一つ一つに物語があるようにぺこらには思えた。しかしいつまでも見つめられるのも居心地がいいものではない。マリンは苦笑して「ふう、やはりよる年並には勝てませんかね」とぺこらを見た。

 

「やっぱばあちゃんぺこじゃん……」

「ぺこら、おま……ふぅ、まあいいです。今日は放免にしてあげます。でもそうですね。あぁ、なんだかすごく幸せな気持ちですよ。ありがとうね、ぺこら」

「何言ってるぺこ。まだなんも始まってねーぺこだ」

 怪訝にマリンに応えるぺこらに、マリンはおかしそうにクスクスと笑って、「これが多分、船長がずーっと求めてたものだったんです」とそう言って、改めてフレアとノエルを見やっていた。



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みんなと、一緒なら 2

 ノエルの頭を撫でながら、慈しみ深い笑みを浮かべるフレア。

 

 ヒト族の成長は速い。両の腕に収まるほどに小さかった身体も、今ではそれに収まらないほどに大きくなっている。そして感じる重みがこの十年の歳月を感じさせた。

 

 この十年、本当に幸せだった。間違いなくノエルとウェスタで過ごした時間は、この二百余年の中で一番に輝きを放っていたと、フレアは胸を張って言うことが出来るだろう。そう振り返りながら、フレアはノエルを正面から見やり言った。

 

「一つだけ、いいかな?」

 突然の言葉に「何?」と、キョトンとした表情を浮かべるノエル。あどけない、守らなければと思える表情にフレアは言った。

 

「ありがとう。ずっとノエルのこと守ってくれて」

 

 本人に対し、それはおかしなセリフであろう。

 事実、ノエル自身も「え……?」と困惑した。しかし次の瞬間、ノエルの翠玉色の瞳が緋色に変容していく。困惑した色はさらにそれを濃いものにしていた。

 

 パクパクとノエルの姿をした“何か”が言葉を探す。しかし簡単にそれが音になることはなかった。

 

「いいよ。私がアナタにお礼を言いたいだけだから」

 フレアは尚もノエルの頭を撫で続ける。

「でもごめんね。私、アナタの名前もちゃんと知らなくて……」

 そう言って悲しそうに微笑んだ。

 

 それが堪らなく嫌だった。ノエルはフレアに手を伸ばしながら「フーたん、泣かないでよ」と頬を伝う涙を拭っていく。それでも溢れ出したものは止まらない。ただ朗々とフレアは涙を流しながら続けた。

 

「最初にノエちゃんを見送ったあの時からずっと、ずっと側にいてくれたアナタのこと、見て見ぬふりをしてた。十年前、ノエルを助けてくれた時だって、私は悲しくてアナタに何も言えなかったから……だからゴメン。それにありがとう」

 

 永き時の中で背合わせでいた二人がようやく向き合った瞬間だった。

 ノエルの中から見守り続けていたるしあにとって、フレアの言葉はあまりに重く、そして嬉しいモノであった。

 今湧き上がった感情をどうにか言葉にしたい。しかし話したい言葉が溢れて止まらない。

 るしあは、不器用に笑顔を浮かべフレアを見上げた。

 

「るしあこそゴメン……悲しい時に声もかけてあげられなくて。ずっと声をかけてあげたかったんだ。でもるしあはアナタたちと一度は離れちゃったから……でも今ので十分だよ、フーたん。これで十分、るしあは報われたから」

 

 緋色の瞳が涙に滲む。刹那溢れ出す大粒の涙に、ただフレアは彼女を抱きしめるしか出来なかった。これからどうなるかも分からない。ただこの意志だけは伝えなくてはいけない。その思いで、つまりながらもようやくこの言葉を紡ぐのだった。

 

「一緒にいよう。みんなで……ずっと一緒にいよう」

 

 抱きしめ合う三人の様子を見ていると、もうこのままでいいのであはないか。一瞬そう思ってしまうぺこら。もしかすると何もしないことも幸せの形のなのかもしれない。だが動き出したものを簡単に止めることができない。

 

 ぺこらは咳払い一つ、一歩前に出る。「さぁ、やるぺこ」その言葉に各々うなずいた。

 四人は目配せをし、“錨”を前に横に並ぶ。「あとはこの子に触れて、そして願えばいいんですけど……」とマリンの言葉にフレアとノエルは首を捻った。

 

「願うって、何を?」とフレアが尋ねる。

「えーっとそれは……」

 あははとマリンはあさっての方向を見ながら答えを探す。「おい、ぺこら? どうしたらいいの?」

 しかし何も見つからなかったんだろう、ヒソヒソとぺこらを助言を求めた。

 

「“ひらけ”で良いぺこだ」

 

「は? 何を?」マリンが首を傾げる。

「だから! “ひらけ”で良いぺこ! 何かが重要なんじゃない。それこそ扉でも、心でも……重要なのはちゃんと自分で見て、受け入れることぺこだから」

 

 そう言ってそっと自身の右手で“錨”に触れるぺこら。皆に率先して動く様子を目にして思わずマリンが「ふふふ」と声を顰めて笑った。

「何笑ってるぺこ! みんなで力合わせなきゃいけない時に!」

 ぺこらは思わず、からかうな、と怒って見せようとしたが、すぐにそれを押し留めた。「笑いながら泣くって……大丈夫ぺこか?」

「なんだかひどく懐かしくて……初めてなのに不思議ですね」

 マリンはグッと頬を拭いながら、満ち足りた表情で、「でも、あぁ……こんなに幸福なら、もっと一緒に過ごしたいですね」と少女のように笑った。

 

 その笑みに一瞬顔が赤くなったが、また立ち止まっていることも出来ない。一瞬言い淀んでからぺこらは「恥ずかしいこと言ってんじゃねーぺこ! んなの考えなくても、これが終わればいくらだって話聞いてやるぺこ! ほら、アンタたちも!」とフレアとノエルに視線を向けた。

「さぁノエル」

「うん!」

 そして四人、いや“五人”が“錨”に触れる。ほのかに“錨”が湛える蒼い光が勢いを増したように見てとれた。

 

「ありがとうみんな……」

 

 それは静かな呟きだった。

 

 ずっと顔を上に向けて呟くマリンに、今は誰も応えようとはしない。きっとその呟きが自分達“だけ”に対してではないと知っていただから。

 

 それは共に歩んできた宝鐘海賊団、そしてかつて共に神の如き者たちに戦いを挑んだ仲間たちへ向けられた言葉だったのだろう。

 

 彼女の一言は、全ての感情が内包されているほどの深みがあった。

 

「でもみんなと……みんなと、一緒なら絶対に開く」声に呼応するように、光が溢れ、全てを照らし始める。

 

 

 泥むソラにそれは大きな柱を作った。“大剣”、“神木”、そして“錨”から立ち昇った蒼き光の柱は瞬く間にソラをを覆っていた“何か”を打ち崩し高く、高く光を渡していく。

 

 

 その光景に五人は息を呑んで呟く。

 

「開いた、ぺこ?」ぺこらは呆気にとられながらずっと光の先を目で追う。

「多分……うぅん絶対そうだ」“錨”に触れる手とは逆の手でノエルの手を握ったフレアが徐に呟いた。

「すごく綺麗! ねぇフレア!」少し興奮したように強くフレアの手を握り返すノエル。

「あぁ、これで……また」そして、静かにるしあは声を潤ませながら言う。

 そして溢れ出した光が一体を包み込んだ瞬間、マリンは瞼を閉じた。

 

 

「今、迎えに行きますね……“そら”先輩」

 

 

 それは数千年間、彼女が抱き続けた望みそのものであった。

 

 

 

 ぐったりと倒れるあくあを廊下の隅に寝かせ、ムーナが呟く。

 

「開いた……」

 目の前の“錨”からソラへと立ち昇っていく蒼い光の柱は優しい光を湛えている。

 その光を目に、ムーナは涙を流していた。決して悲しいわけではない。苦しいわけでもない。しかし喜ばしい訳でもない。ただただその眩さに胸が締め付けられて、どうしようもなく涙を流していた。

 

「本当に……御伽噺と逆ですね。アナタはまた……先を歩いていくんですね」

 追い縋るように手を伸ばした。御伽噺であれば月に手を掲げるのは兎の方であろう。しかし逆に今そうしているのは自分であるという事実を改めて認識すると、胸に暖かなものが広がっていった。

 

「いつまでも……見つめていますから」

 それが彼女の口にできる精一杯の言葉だった。そして柔らかい笑みを作り、ムーナは続けた。

 

「また会いましょうね、ぺこら……みなさん」



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みんなと、一緒なら 3

「あれ? わたし……」

 

 少女の言葉が何もない空間に溶けていく。

 何もない、そして果てもないただ真白の空間に身体を横たえぼんやりとする彼女は、ゆっくりと自分が何をしていたか思い出そうとする。

 

 幸いに時間の感覚も、疲労感も麻痺させるようなこの空間に彼女を急かすモノはなかった。

 

 ハッとして身体を起こそうと力を入れる。だがずいぶん長い間寝ていたからだろう、動こうとする意思とは裏腹に身体は簡単に言うことをきかない。

 

 もう寝転んでしまおう。

 

 当然に過ぎる甘い考えに鞭を打ち、身体を起こした彼女は小さく呟いた。

 

「そうだ。すっごく久しぶりにかなたんに会って、それでスバちゃんと話をして……」

 

 そう口にして深くため息をついた。一瞬にも思える、しかしどうしようもなく長い時間を自分はここにいるのだと言うことを認識し、悲しさを覚えながら「楽しかったなぁ。また話出来て……」と続けた。

 そうしてまた彼女は身体を横たえた。

 

「なんだか、すごく眠いや」

 少女は「ずっと寝てばかりなのに、おかしいな」と、自嘲気味に笑う。

 自棄になっているのだろう。それがひどく気に入らなくて苛立ちを覚えた。しかしすぐにそんな怒りも消えていく。その感情に気を回せないほどに、意識が微睡始めていくのだ。

 

 このままもう意識を閉じてしまおう。眠るならせめて幸せな夢をと思いを馳せた。最初に浮かんだのは大切な友人の困り顔。

 

「きっとこれが家なら……えーちゃんが起こしに来てくれるんだろうなぁ」

 おかしい。頭の中で何かが叫んでいる。

 もう思い出せないくらいに摩耗していたはずの家族や友人たちのと記憶が今鮮明に思い出せるのだ。意味がないと考えないようにしていたはずのものが、少女の頭の中をグルグル巡っていく。

「みんな……元気かな?」

 そう呟いた瞬間、「あれ?」彼女の視界が水浸しになる。おかしい。何もない空間のはずなのに、ここだけ雨が降ったのか。否、彼女の目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。

 

「悲しくなって……なんでぇ」

 

 抑えていた感情が堰を切り、もはや留めようもない。

 時折嗚咽を漏らしながら少女は身体を丸め、必死にそれを抑えようとする。だがそれも満足には叶わない。

 泣いても解決しないと分かっているのだ。分かっているから何も思い出さないように、ただ“生きていた”だけだったのだ。目の前の現実、そしてかつて在った日常を思い出し、彼女はただ咽び泣いた。

 どれくらい泣いていただろう。瞼が熱く、腫れぼったく感じる。

 未だとめどなく流れる涙をそのままにしていると、遠くから声が聞こえた。

 

 “なーんで泣いてるんですか?”

 “そらちゃん、泣かないで。こっちまで悲しくなっちゃうよ……”

 

 在りはしない、居るはずのない友人たちの声が鼓膜を叩く。

「ーーえ?」少女は乱暴に身体を起こし、「はあとちゃん? わためぇ?」とその名を呼んだ。

 しかし真白の空間には自分以外の影はない。

「気のせいか……」

 ただポツンと、自分の言葉が宙に溶けていくだけであった。

 

 その不可解がどうしても気になって仕方がない。しかし事実この空間には何も見とめることはできない。だからこそ彼女は「なんだ……夢か」と結論付ける他なかった。

 

 “そら先輩、顔をあげてください”

 “そーうですよぉ! 可愛い顔が台無しじゃないですかあ”

 

 やはり夢ではない。また違う声が響いた瞬間、自身の頭上から鳥の羽のようなものが降り、そして巨大な何かが飛び去っていくのを感じた。

 

「かなたん? それにココちも……」

 また友人たちの名前を呼んで、巨大な何かが飛び去ったであろう遠くを見やる。決して何も像は結ばないが、「やっぱり、気のせいじゃないんだ」と確信を持って呟いた。

 

 ゆっくり立ち上がって、前に出る。

 しかしどうしようもないほどの果てのない空間に、また彼女は俯き、膝を折りそうになっていた。どれだけ歩いたところでどこにも辿り着けない。自分が選んだのは、“変わらないこと”で一つの世界を救うことだったのだ。だからこれは仕方がないことだ。

 

 だからもうやめてしまおう。全てを諦めて、何も考えずにいよう。

 瞼を閉じて、全てを切り離してしまえ。そう思った瞬間だった。

 

 “ねぇどうしたい?”

 

 次に響いたのはフワリとした、優しい声だ。

「ろぼち? でも、どうって……」

 

 “そらちゃんが今したいことは何?”

 

 今度はハッキリと聞こえた。言葉を交わすことが出来ている。思わず身体が弾けそうになる高揚を覚えたが、その熱もすぐに冷めていく。

「私がわがまま言って選んだのに……いいの?」

 

 そう。ここにいることは彼女が選んだことだった。自分一人が犠牲になれば全てが丸く収まる。仲間達に止められてもそれが最善の手段だと信じて疑わなかった。だからこそ我を通した自分が、また自らの望みを口にしていいとは到底思えないのだ。

 

 しかし響く声は続けた。“言って……”と。

 

「ここじゃないところに……みんなのところに帰りたいって、そう思っていいの?」

 喉が裂けそうな程に声を出した。思いを口にする度に止まりかけていた涙がまた溢れて、うまく言葉に出来ない。それがあまりに不甲斐なくて、少女は頭上を見上げて朗々と涙するしかなかった。

 しかしそれも、背後に現れた“桃色の光”を感じた時、はたと止まる。

 

 “ダメなわけ、ないにぇ”

 

「みこ……ち?」

 

 “みんな、そらちゃんの事待ってるから”

 

 そして背中を後押しするように、快活な声が響いた。

 “さぁ!行こ、そら!”

 

「スバ、ちゃん……」

 パンと背を叩き、少女が前を走っていく。それに引っ張られるように身体が動いた。

 一歩、また一歩と歩みゆく中、隣にいてくれた“桃色の光”が声を上げる。

 

 “ほら、迎えに来てくれたにぇ!”

 “桃色の光”が指差した先、唐突にそこに現れたのは大きな、大きな扉であった。その隙間から漏れ出してくる楽しそうな声に、少女の顔に笑みが戻っていた。

 

「うん……うん!」

 

 そして少女は走り出す。

 大きい、重い扉が更に開く音がこだました。

 そこには“ある五人”の姿があった。それを見た瞬間、少女は思った。

 また“五人”が扉を開けてくれたと。

 大きく踏み出す一歩を、飛び立つための大きな後押しをその力を与えに来てくれたんだと。

 

「ただいま……みんな」



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みんなと、一緒なら 4

 橙に染まる空が徐々に黒に染め上げられていく。

 その中に砂金のように燦々と星々が、月が空に彩りを与えていた。まるで今にもこぼれ落ちてきそうな気配を感じさせている。

 

 ついに最後の扉が開かれた。

 

 これまで幾多の主人を迎えながらも、その実誰にもその力の全てを与えてこなかった“錨”。それが今、フレアたち五人に呼応し、最後の扉を開けたのだ。それはつまり、このセカイの変革を意味していると言えよう。変わっていくことの期待と、そして物悲しさに、ソラからホロアースを俯瞰していたポルカはため息を漏らした。

 

 隣でキャンバスに筆を走らせ続けていたイオフィが一瞬手を止めて呟く。

 

「綺麗だね。ソラも……それにこの光も」

 

「そうだね。そう思うよ」

 ポルカは眉間に皺を寄せながら、頷いた。

「難しい顔してどうしたの? まぁ一日でこんなに色んなことが起こったら考えも纏まらないとは思うけどね。でもいつまでもここにもいられないんじゃない?」

「……あーそうなんだよねぇ! いつまでも凹んでられないってのはわかってんだよなぁ」

「でも、本当にお疲れ様だね」

 

 その微笑みにポルカは何も言い返すことが出来ない。不満をイオフィにぶつける意味はないからだ。

 ポルカは数歩前に踏み出し、ジッと“錨”から立ち昇る蒼い光を見つめた。そこにいるであろうフレアを思い、彼女は満足げに笑みを作った。

 

 守りたいと思っていた。助けたいと強く願っていた。できれば、自分だけのモノにしたかった。

 

 しかしそれも本意ではない。ただ笑っているフレアを見つめていたかっただけなのだと改めて考え至った瞬間、ポルカは視界が澄み渡っていく感覚を覚えた。

 

 色んなことが整理できた。

 そんなスッキリした表情を浮かべてポルカが言う。

 

「もう行くよ。このセカイは変わんねぇけど……でもちゃんと見届けなきゃいけないから」

「うん。わかった。」とイオフィは答えた。少し間を置いてから「そのうち会いに行くね」と続ける。様々に制約がある中でこれだけはできると確信が持てたのだろう。その笑顔に淀みはない。

「あんがと」

 恭しく首を垂れ、そして瞬きの間にその姿はソラの中に掻き消えていった。何も残さず、まるで元からセカイの一部であったように、当たり前に溶け込んでいった。

 

 それを見届け、イオフィはニコリと笑みを浮かべた後、グッと背筋を伸ばす。

「ンッー! ふぅ」

 固まっていた身体を動かすと頭が冴え渡るようなスッキリとしていく。ハッと息を吐き、描きかけのキャンバスを見つめながら、「さーて、もうちょっとかな?」と筆を取ろうと椅子に腰掛けようとした。

 

 

「全て、思い通りですか?」

 

 

 一人になったはずの空間に、優しい声色が響いた。

 声の方向に振り向くとそこにはよく見知った二つの影があった。

「あぁ、久しぶり二人とも」

 そこにのはホロアースに残された“議会”の二柱、ファウナとムメイの姿があった。ここは埒外の場所。そこに超越者たる二人が現れるのは至極同然のことであると言えよう。

 

 ムメイは久しぶりに見えるイオフィに笑顔を向けていたが、ファウナは違う。必死に憤りを隠しながら、彼女は言った。

 

「答えてください……全て、アナタが裏で糸を引いていたんじゃないんですか?」

 

 イオフィはなるほどと納得した。きっとファウナは怒りの向けどころが分からずに、ここにやってきたのだろうと。思えば彼女がこのホロアースに在る中で、最も永く人々の営みを見守り続けてきたのだから、感情を露わにするのはおかしいことではない。人々がどうなってしまうのか、悲劇に見舞われるのではないかという不安から、落ち着かない様子を見せているのだ。そして苛立ちを向ける先が自分と同じ側の、“観測者”たる者に向いてもそれは致し方ないことなのだろう。

 

「ホント、アナタは優しい人だ……」

 イオフィは二人に聞こえないようにそっと呟き笑みを浮かべた。次の瞬間ギッとファウナに強い視線を向けて言った。

 

「そんなわけないじゃんか?」

 

「何も出来ないよ、ただ見るだけ。イオフィは直接何もできないから」

 イオフィは描きかけのキャンバスを彼女たちに見せながら、「ただ、こうやって絵を描いてるだけだよ」と続けた。

 しかし面白くなかった。イオフィは自分の方にキャンバスを向けた後、そっと瞼を閉じて一瞬言葉をまとめる。

 

「でも、そうだね。一つだけ言わせてもらえるなら……自分の大事な人がずっと、ずーっと鳥籠に閉じ込められてるのってさ、それはすごく嫌なことだとイオフィは思うんだよね」

 

 おそらくそれはホロアースを見守り続けてきた彼女だからこそ言えるセリフだったのかもしれない。声を荒げようとしていたファウナもグッと言葉を詰まらせてしまった。

 

 だがそれで彼女の思いが解きほぐされるわけではない。

「セカイは、このセカイはどうなるのですか?」

 それが一番の不安であったのだ。

 セカイを“幸福のままに維持する”仕組みから解き放たれたホロアースがどうなるのか、それは誰にも分からない。その疑問をぶつけられたイオフィ自身も、そればかりは分からず口を噤んだ。

 

 気まずい沈黙が流れるかと思われた瞬間、「何もならないよ」とこれまで口を黙していたムメイが口を開いた。

 

「ムメイ?」

「きっと、何もならないよファウナ」

 そう。これまでムメイはこのセカイに積極的に関わることはなかった。それは責任放棄に取られかねない。しかし彼女は信じていたのだ。

 

 ヒトとヒトが作り出す可能性を。そしてこれから現れるであろう様々な次元の旅人たちによって、セカイが良い方向に進んでいくと。

 

 それがだからこそ行く末を見守り、それを受け入れようという態度を崩さなかった。それこそ彼女が人々に崇められた在り方を踏襲するのではなく、自ら考え、“文明の守護者”としての在りようを定めた結果であった。

 

 だからこそ彼女は胸を張っていう事が出来る。「このセカイは、きっと大丈夫だよ」と。

 

「でも……」

「月の姫にも、ムーナにも言われたんでしょう? このセカイの人々は、いつまでも手のかかる赤子じゃないのよ。いつまでもわたしたちが手を引いてあげる必要は、決してないわ」

 ムメイの言葉にハッとした表情を浮かべるファウナ。完全に自分の中にあった“セカイに対する依存”を見透かされ、何も言えなくなってしまっていた。

 

 それを見とめイオフィに申し訳なさそうな笑みを送ってすぐ、ムメイはファウナの手を取った。

 

「私たちも受け入れましょう。変わっていくこのセカイを」

 優しく両の手を自分の手で包み、ゆっくりとファウナの手を引いてその場を離れていく。

 

 イオフィはその後ろ姿は見えなくなるまでずっと、彼女たちを見送っていた。

 彼女たちにしてみれば、これまで守っていたものが一気に瓦解したのだから、その衝撃は自分では分からないだろう。そう結論しながら、彼女は一人残されたこの空間で「……行っちゃったか」と呟く。

 

 騒がしかった状況が一転し、静寂が横たわるこの空間に物悲しさを覚えながら、イオフィは椅子に改めて腰掛け、描きかけのキャンバスに視線を向けた。

 

「うん、なんだかすごく良い絵が描けそうだ!」

 

 人を思って描く絵がこんなにも良いものになるとは。イオフィはそう思いながら、一層の笑みを浮かべ筆を手にもう一度蒼い光の向かう先を見やり、穏やかに心に留め続けていた言葉を口にするのだった。

 

「おかえり。お姉ちゃん……」



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私は当分あの事務所にいるよ

 話を終えた頃にはお日様は頂上から少しだけ傾き、一日が終わり位近づいていることを教えてくれている。

 

 ふとあぁ、今日も依頼が来なかったなぁなって頭の中で考えながら、私は視線を正面に向けた。

 シンと静まり返った事務所の中、向かいのソファに腰掛けた“希望の君”は時折しゃくり上げながら、ずっと私の話を聞いてくれていた。きっと耳を覆いたくなるような内容もあっただろう、それでも最後まで聞ききってくれるところから、彼女の真面目さが窺い知れる。

 

 それにしたって、ありきたりな御伽噺だよね。

 でもなんだろう……話をしていてすごく懐かしい気持ちになった。久しぶりにあの四人に会いたいなぁって思いもしたかな。でもまぁあの四人なら近い内に私のことを見つけてくれそうな気もするし、もうしばらくはこのままでもいいかも。

 

「さぁ、ここまでが“トキノソラ”が閉じたセカイと、そのあとセカイのお話」

 そう続けて私はコーヒーの残りに口をつけた。

 もう完全に冷めきってしまっているコーヒーはお世辞にも美味しいなんて言えない。なんで温かいうちに飲み切らなかったのかなぁ。少しの後悔とこうなるまで集中して話していたんだなぁという気持ちがぐるぐると頭を回っていると、ふいに彼女と視線があった。

 

 泣き腫らした厚ぼったい瞼が目に痛い。なんだか私が泣かせたみたいで良い気分じゃないわね。

 

「……あ」

「なーに神妙な顔してるの?」

「だって、私が……ごめん、本当に……そら先輩」

 

 あぁ、そうゆうことか。なんだか納得してしまった。なんでそんな簡単なことに気づかなかったんだろう。彼女がその言葉を口にするまで、全く思い浮かびもしなかったよ。

 それと同時に私は少し安心もしていた。

 やっぱり全知全能の存在なんて存在しないんだと。

 物事の全てを記憶することなんて、何もかもを自由に操るなんて出来ないんだって。

 

 彼女がその証明にならない?

 だって、セカイを秤にかけて、“絶望”にも“希望”にも偏らせることのできる力を持っているはずのこの子が、子どもみたいにこんなに苦しんでいるんだもの。

 

「ホント、そうなってくると……あ」

 ふいに頭に浮かぶものがあった。それは知っていたものではなくて、まるで虫の知らせのように唐突に頭の片隅に現れたんだ。

 私はカップに残ったコーヒーを一気に呷り、音を立ててそれをテーブルの上に置いた。

 

「っと!」

 いけない。思わず力みすぎちゃったのかもしれないな。

 だってこんなことに気付いちゃったんだから、興奮すんなって方が無理でしょ? 私は懐を探って、お気に入りの懐中時計に目をやった。色々あったけど、手入れさえすればキチンと答えてくれるこの相棒には感謝してもし足りない。

 

「ん、良い時間ね」

 勢いよく膝を叩く。派手に音は鳴ったけど大して痛くはない。でもまぁ良い気つけになったよ。ちゃんとこれから起こることを受け入れる覚悟もできたしね。

「さぁ、行くよ?」

 私は立ち上がりながら、“希望の君”にも同じように促す。

「行くって……」

 彼女は恐る恐る尋ねてきた。

「一体どこに行くつもりなんですか?」

 ここで気の利いたセリフの一つでも言えれば格好いいんでしょうね。でもご生憎様。

 私はワトソン・アメリア。

 やりたいことしかしない女だ。だからどんなんシーンでも私は私に言いたいように、やりたいようにやらせてもらいますよ。

 

「レディ。とやかく言ってないで準備なさいな」

 

 

 外はまさに快晴の一言に尽きる。

 暑くもなくそれでいて寒くもない気候の街は、お散歩をするにはとってもいい日和じゃない。昔のコメディドラマに出てくるみたいな雑居ビル。その中にある一室が我が砦、我が探偵事務所。そこから飛び出せば広がっているのは、騒がしくも和やかなマーケットの喧騒だ。

 

 ここにやってきた頃は少しの物音だって煩わしく感じたりもしたけど、今となってはこれがなきゃ生活している感じが湧いてこない。

 本当に慣れって恐ろしいものよね。

 あ、今日も茶髪でポニーの女の子が足早に駆けていった。ということはもう学校も終わりの時間なんだろう。少しずつ人が多くなってく通りを住宅街の方に歩いていく。すると街一番の大型ディスプレイにパッと映し出された映像と音楽に、思わず私は口笛を吹いた。

 

「ん~今日もスイセイの歌は良いわねぇ」

 

 少し翳り始めた空の下、この後には星が空を彩ると思うと情感たっぷりの彼女の歌が、すごく壮大に聴こえてくる。まあ実際にすごく惹きつけられるんだから、そう思ったって仕方がない。ご機嫌に指揮者の真似なんかをしながら歩いている最中、辿々しい声が後に続いてくる。

 

「あの……」

「スイセイもいいけどやっぱりAZKi……あぁ! 選択肢多い!」

 

 ん? ああもちろんこれは意地悪ね。聴こえてないわけないじゃない。だってよく通る綺麗な声をしてるんだもの。でもね、残念だけどハッキリとしない言葉には反応しないって決めてるんだよね。

 

 さっきは誤魔化すために引き合いに出したけど、うん……やっぱりAZKiの声って凄く良いのよ。キャラクターがしっかりしてるから、何も歌っても自分のものに出来るんだから本当に凄い。何を聴いてもハズレなしだ。

 私はニヨニヨしながら彼女の先を歩く。ちょうどマーケットを出て住宅街に入ろうとしたところ。

 

「どこに! どこに、いくんですか?」

 今度はかなり強めの言葉が飛んだ。強い拘束力を持ったみたいな言葉に一瞬息を詰まらせたけど、なーに別に気にすることはない。だって私はこのプレッシャーと似たものを、それも四つも相手にしてきたんだから、今更物怖じすることなんでないんだ。

 

「あら? アナタが一番分かってるんじゃないの?」

 一度振り返り、目深にフードを被る彼女にそう言ってあげる。なんともおとぼけな、ひどく意外そうな表情をしていた。おっと、これに夢中になっているわけにはいかない。それに目的地はもうすぐそこだしね。

 

 私は咳払い一つ、極力抑揚を込めずに言った。

「この時間、このタイミング、ぜーんぶ覚えがあるはずでしょ?」

「……」

 黙りこくる彼女はまるで雨に濡れた子犬のよう。それでもその瞳は必死に何かを思い出そうとしている。強さを感じさせていた。これまで色々な苦難があったんだろう。それがきっとこの子を強くしているんだろう。

 

 でも、ここからどうなるかなぁ……。

 

「ほら。居たよ」

 そう言って立ち止まったのは、雑誌とかでもよく見るような、昔ながらの伝統的な家屋。ちょうどここからなら……うん、見えるね。

 

「覗いてみなよ。と言っても、アナタは“何があるか知っている”だろうけど」

 そう言って私は生垣の間から見える庭の景色を指差し、彼女に見るように促した。

 ハッキリと、彼女の顔が引き攣っているのがわかる。恐る恐る生垣から中を覗いた彼女の表情が、驚きと悲しみに歪んでいくのが手に取るように分かった。

 

 そう。そこには間違いなくあの人がいた。

 私たちの始まりの人、“ときのそら”がそこにはいたんだ。

「なん、で……? じゃぁ本当に?」

 その後に続く言葉は大体予想できた。でもあえて補足はしてやらない。その代わりと言ってはなんだけど、ここからはちゃんと名前を呼んであげよう。

 

「ねぇ“アイリス”」

 口にするとひどく懐かしさを感じた。あぁ、やっぱり良い名前だなんて……呑気にも私はそんなことを考えてしまった。

 

 風が吹いた。目深に被ったフードが風に押し上げられて驚愕に歪んだ、でも端正な容貌が露わになる。

 あぁ、やっぱりアイリスだ。確信していなかったわけじゃないけど、こうハッキリ確認できるとやはり心持ちというものは変わってくる。これで久しぶりと肩を叩ければいうことはないんだろうけど、彼女の様子を見るとそんなこと出来そうもない。

 

「……覚えてるの?」

 アイリスの問いかけに私は思わず肩をすくめた。

「だから覚えてないよ。知ってるんだって」

確か今朝も同じこと言ったっけな。そんなことを思っていると、視界の隅で目的の場面が訪れようとしていた。

 

「私にかまけてていいの? 見逃しちゃうよ?」

 

 私の声にハッとして、アイリスは生垣の向こうにいる“ときのそら”に視線を向けた。ちょうど端末に何か連絡が来たのだろう。映し出されたメッセージに怪訝な表情を浮かべた。でも恐る恐る画面に触れようと指を伸ばそうとしている。

 間違いなく、これが全ての始まりになるんだろう。そして私たちは二人とも、そのメッセージに“何と書かれているか”を知っている。

 

「ーーダ」

 

「だめ。動かないで!」

「でも!」

「何もしなくても良いんだよ。だって……ほら」

 止めたくなる衝動も分かる。だってこれが始まりなんだから。でもだからこそ私たちが、“外から来た存在”が関与しちゃいけない。だから私は何もしない。そして、アイリスにも何もさせない。グッと息を呑んで恨めしそうに私を見るアイリスに、再び視線を戻すように促す。その瞬間だった。

 

 “おーい、そらー?”

 “あ、えーちゃん! 今行くねー”

 

 その声が聞こえた刹那、“ときのそら”は端末を懐にしまって、足速に声の方に駆けていった。多分、うぅん。間違いなくここが運命の分かれ道。彼女が、“ときのそら”がホロアースの一部になるか否かの、その岐路になる場面だ。

 

 離れていく“ときのそら”の姿を見送りながら、内心私はホッとしていた。

 

「ほら。これでまた別の可能性が紡がれた……あの人が戻ってきたことで、摘まれていたモノが元に戻って、いろいろな可能性が芽吹く」

 もしかするとまた“同じ事”を繰り返すかもしれない。そう思えてもいたからだ。でもこの様子なら大丈夫だ。私は少し視線を上げて、さっきまで“ときのそら”がいた場所の真上を見やって言った。

「ほら、見えるでしょ?」

「……私、だ」

「そう。アナタ。一度目の目覚めのアナタだよ」

 

 そこにいたのは隣にいるアイリスと、なんら変わりない“アイリス”の姿。直感で口にしたけど、やっぱり“一度目に目覚めた”アイリスで間違いみたいだ。

「気付いてなかったでしょ? 全部がここから始まっている。絶望も、そして希望もここから始まってるんだよ」

 自分で言っていてなんだけど、少し違和感を覚えた。

 希望? 絶望? それって結局二つともおんなじものなんじゃないかって。うまく言葉で言い表せないのが歯痒いんだけど、どうしようもなく私にはそれらが同じもののように感じた。

 

 だからあの“アイリス”も、今私の隣にいるアイリスも何も変わらないんだ。

 多分そう、全部気持ちの向かう方向次第ってこと。あ、案外これが答えなのかも。

 そしてもう一つ、気付いたことがある。

 もしかするとここも幾重にも枝分かれした可能性の一つなんじゃないかしら。

 そもこの世界も、ホロアースだって、『アイツら』が創造したものから逸脱したものなんだ。ヒトの数だけ世界があって、枝分かれしたモノがあっていい。

 

 じゃぁ元の世界は一体何処なのか?

 それを見通せるのはきっと、そうきっと、あの傍若無人な最強アイドルくらいだろう。

 私は思わずニヤリを笑みを浮かべた後、グッと背を伸ばす。

 

「あぁ、これでようやくだ。よーやく肩の荷が降り立って感じ」

「さってと! じゃぁ私は事務所に帰りますかねぇ」

 

 私は生垣から離れてマーケットの方に歩き始める。でもそうだな。一つだけお節介を焼いておきましょうか。

 

「まぁ私は当分あの事務所にいるよ。また何かあったら遠慮なくお越しあそばせ」

 私はそう言って、どこかの探偵よろしく帽子をあげながら皮肉げに笑って見せる。

「……ありがとう、アメ」

 アイリスは憑き物が取れたよう、満足そうに笑っていた。

「あぁそうだ! 今回の報酬がてら、一個お願いしていい?」

 なんと言っても最近タダ働きが多いんだ。少しくらいは贅沢言ってやろう。

「何?」

「歌、聴かせてほしいな」

 新しい歌を。希望や絶望、そんなものには縛られない自由な歌を。

「そうだな。出来るなら……そっと隣に寄り添ってくれるような、そんな歌がいいな」

「えぇ、じゃぁ……」

 

 歌声が響く。聴き心地の良い声だ。

 多分新しい幕開けに本当にふさわしい、まるで朝焼けを思い起こさせるような、そんな歌。

 さぁ、この歌が終わったらまた歩き出そう。

 私たちが歩む度、さまざまな可能性が姿を表す。それらを程々に楽しみながら、やりたいことをやってい苦ことにしようじゃない。

 

 なんて……柄にもなくキザなことを考えつつ、私はニコリと笑うのだった。

 

 holoearth chronicles ALT: holoearth wind ~Fin~



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