ゼロの使い魔 ルートシエスタ (やまもとやま)
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1話 憂鬱な使い魔

 サイトがハルケギニアにやってきてから1か月が経過した。

 突如、地球とは異なる世界に飛ばされ、しかも偉い名家の娘の使い魔になったときには、頭がどうにかなりそうだったが、ようやく落ち着きを取り戻してきた。

 この世界を冷静に見ることができるようになった。

 

 冷静になると、この世界はくだらない世界だと思うようになった。

 

「ちっ、やってらんねえ」

 

 サイトは洗濯物を放り投げた。

 主から洗濯を頼まれて水場にやってきたが、井戸水はすぐに止まってしまう。止まるたびに、重たいてこを動かさなければならなかった。

 てこは重たく、全体重をかけてようやく動くほどだ。持ち上げるときは持てるすべての背筋力をつぎ込まなければならない。

 最初のうちは一生懸命やれていたが、最近はこの世界にも慣れてきたので、さぼり癖が付き始めていた。

 

「はあ、異世界に来てもすみっこ暮らしか……」

 

 サイトは芝生に大の字に転がるとため息をついた。

 魔法のある世界。ドラゴンの住む世界。

 一度はあこがれたゲームの世界だが、たった2週間でその魅力は色あせてしまった。

 

 異世界に魅力を覚えたのは、かっこいい勇者が主人公だったからだ。

 

 しかし現実は厳しい。

 かっこいい勇者でもなく、知的な魔法使いでもなく、待っていたのは雑用だった。

 ここからシンデレラストーリーが始まる気もしない。

 サイトはもう一度ため息をついた。そして、右手の甲を見つめた。

 

「契約のルーンか……奴隷契約の契約書みたいなもんだな」

 

 サイトは自虐的にそう言った。

 

 サイトはヴァリエールというここトリステインで有名な名家のお嬢様の使い魔になった。主の名前はルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエール。たいそうな名前だと思った。

 最初はときめきもあった。魔法使いの美少女の使い魔という境遇に胸が高鳴った。

 しかし、ふたを開けてみると、待っていたのは掃除、洗濯、馬の世話。

 

 使い魔になったと言っても、特別なことは何もない。

 少し前までは、魔法に圧倒され、ドラゴンに圧倒され新発見の毎日だったが、ドラゴンも3日連続で見ていると、普通の存在になった。魔法使いも特別な存在には見えなくなった。

 あらゆる景色が地球のそれとあまり違わなくなった。

 

 すると、悪いところが目立ち始めた。

 この世界には身分制度があるようで、魔法も使えない、特別な仕事もできないサイトは最底辺の「平民」に属することになる。

 だから、ここの住民は総じてサイトに冷たかった。

 

 ここトリステイン魔法学院は将来有望なメイジ見習いが集まっている。

 生徒の半分はやんごとなき家のボンボンで、平民に対する風当たりは相当に厳しかった。

 まともに口をきいてもらえないばかりか、まるで汚物を見るような目で見られる。

 

 サイトの主もまた同じような目を向けて来た。

 ルイズはグリフィンやドラゴンを使い魔にすることを期待していた。しかし、いざ使い魔として現れたのがサイトだった。

 ただの平民が使い魔になるというのは前代未聞の珍事だったようである。

 期待が大きい分、落胆も大きかったようで、ルイズはしばらく落ち込んでいた。

 

 ようやく立ち直ったかと思うと、サイトにたいしての風当たりはとても強かった。

 

 掃除、洗濯、馬の世話などの雑用を一方的に押し付けられた。

 寝床は床に馬用の藁が敷き詰められたもの。

 食事は最低限。しかも夕食のみの1日1食。少食は世界を救うというが、サイトには不満だった。

 

 とはいえ、そうした物理的なペナルティを押し付けられるだけならまだマシだ。

 奴隷労働の毎日でも、精神的な支えがあれば耐えられる。

 

 しかし、ルイズはむしろ精神的な部分で最も厳しかった。

 この世界のことをろくに教えてくれないどころか、まともに口をきいてすらくれない。

 

 イエローモンキーだのなんだのぼろくそに誹謗中傷されるならマシだ。

 

 そんなものよりも、徹底的な不愛想、無視が一番苦しい。

 

 サイトはそのことをこの世界に来てよくわかった。

 異世界に来てしまったというだけでも不安なのに、毎日、無視され、誰も助けてくれない。そんな状況では、精神がおかしくなる。

 

 しかし、サイトがまだこうして冷静に過ごすことができているのは、支えてくれる人たちがいたからだ。

 もし、本当にすべての人がサイトに冷たければ、サイトの精神は壊れていたに違いない。

 

 サイトはこの世界に来て、どの世界にも優しい人はいるということを知った。

 

 サイトを支えてくれる人。一人はコルベール先生だ。

 コルベール先生はサイトのために、仕事が終わった後に、この世界のことを色々と教えてくれた。

 コルベールは魔法学院の教員として働くほか、魔法研究室で研究の仕事もしている。

 毎月、研究内容をトリステイン王室に報告しなければならないので、教員として仕事した後も3時間以上も研究室にこもって研究をしている。

 しかし、サイトがここにやってきてからは、その時間を削って、サイトのために個人授業をしてくれた。

 

 コルベール先生の授業のおかげで、サイトはこの世界のことをだいたい掴むことができた。

 魔法の種類や詠唱方法から、この世界に生息する生き物のことも多く知ることができた。

 サイトはコルベールから10冊以上も本を授かった。最近は、掃除や洗濯をさぼって、本を読むのが日課になっていた。

 コルベールはサイトの一番の支えになった。

 

 もう一人、サイトを支えてくれている重要人物がいる。

 

「シエスタの手伝いに行くか」

 

 サイトはそう言って、未完了の洗濯物のほうに目を向けた。

 主であるルイズの命令は絶対だ。しかし、サイトはこう思った。

 

 どれだけ一生懸命頑張ってもお礼の言葉すらもらえない洗濯よりも、シエスタの手伝いをしたほうがいい。

 

「よし、行くか」

 

 サイトは洗濯をさぼって、シエスタの手伝いに行くことにした。

 シエスタこそ、今日までサイトを支えてくれた女神だった。



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2、女神の微笑み

 サイトがシエスタと出会ったのは、ハルケギニアにやってきて3日後のことだった。

 ルイズの使い魔としてこの地にやってきて3日後、サイトは強烈なホームシックに襲われたことがあった。

 

 あんなに嫌っていた父親や母親のことが妙に恋しくなって、自然と涙が出た。

 サイトは暗がりで身を丸めて、一人その悲しみを感じていた。

 

 そのとき、シエスタは偶然サイトを発見した。

 

「どうかされましたか?」

「え?」

 

 サイトが顔を上げると、そこにはとても温かい表情の少女がいた。暗がりの中なのに、とても明るく見えたのを今でも覚えている。

 どこか懐かしい雰囲気のある少女だった。

 

「あなた、ひょっとしてミスヴァリエールの使い魔になったヒラガサイトさんではないですか?」

「え、ああ、まあ」

 

 サイトはそう言うと、目をそらした。この世界の貴族たちは冷たい。だから、サイトも意図的に関わりを避けようとした。

 しかし、シエスタは

 

「今日は少し冷えます。どうぞ、こちらへいらしてください」

「え、いやでも……」

「どうぞ、遠慮なさらず」

 

 シエスタはそう言って、自分の部屋に案内してくれた。

 地球にいたころでも、サイトは自分と同世代の少女に部屋に招かれたことはない。

 しかし、シエスタはサイトを毛嫌いするどころか、献身的に助けてくれた。

 シエスタはサイトのために料理をし、ルイズから与えられた雑用を手伝ってくれ、話し相手にもなってくれた。

 

 サイトにはそれが疑問だった。

 サイトはシエスタに尋ねた。

 

「君はどうしてそんなに優しくしてくれるんだ? おれは平民なのに」

「私も平民ですし。それに困った人を助けるのは当然のことですから」

 

 シエスタはそう言ってほほ笑んだ。

 サイトにはシエスタの優しさが沁みた。もし、自分が勇者であったなら、命を賭けて守りたいと思った。

 

 シエスタの優しさがあったから、偉そうな貴族たちに無視されても、こうして前向きに1か月を生きることができた。

 孤独に心が折れそうになっても、シエスタがいてくれたから、サイトは前を向くことができた。

 

 サイトはそんなシエスタのために生きたいと思うようになった。

 

 シエスタはトリステイン魔法学院でメイドとして働いている。ここから推定350キロ以上離れたタルブという村から住み込みで働きに来ているのだという。

 シエスタはメイドとして働いているので、メイジでも貴族でもない。サイトと同じ身分だった。

 それだけに、シエスタも苦労しているようである。

 

 サイトが貴族から冷たくされるのと同様に、シエスタも貴族のめちゃくちゃに振り回されていた。

 サイトがシエスタの働く売店を訪れると、シエスタは申し訳なさそうに頭を下げていた。

 

「あのさぁ、このハーブティー、以前と味が違うんだけど、どうなってんだい?」

「まことに申し訳ありません。ただちに淹れ直します」

「淹れ直しで済むと思ってるのか? 僕の貴重な時間を奪っておいて」

 

 傲慢な男子生徒がクレームをつけ、シエスタが対応しているところだった。

 男子生徒はむちゃくちゃを言いながら、バラの花を口にくわえた。ずいぶんとキザな男だった。

 

「大変申し訳ありませんでした」

「それに、このまずいハーブティーを一口飲まされたんだ。わかるかい? この僕がお前のようなゴミ平民に苦痛を与えられたんだ。わかってるのかい? 僕のお父様に知れたら、君は処刑だよ?」

「本当に申し訳ありません。どうかお許しください」

 

 見たところ、いいところのボンボンがむちゃくちゃな言いがかりをつけているだけだった。いわば、モンスタークレーマーだ。

 しかし、身分差があるので、シエスタはむちゃくちゃとわかっていても、頭を下げるほかなかった。

 

「そうだな、許してほしければ、いますぐ脱げ」

「え?」

「えじゃないよ。脱げと言ったんだ。全裸で公然の前で、私は罪深い愚かな平民ですと反省の弁を述べるんだよ」

 

 男子生徒はさらにむちゃくちゃなことを言い始めた。ここまで来たら、さすがにセクハラだ。

 しかし、この世界にはそんな概念はない。貴族は平民を殺しても罪に問われない。

 

 サイトはコルベールから法律書を授かっていたので、サイトもこの世界の法律の知識が少しだけあった。

 本当に、貴族は平民を殺しても罪には問われないのだ。

 

 もっとも、トリステイン魔法学院には、「身分の差に基づくいかなる差別も禁じる」「傷害行為はその身分にかかわらず禁じる」という規則がある。

 しかし、あくまでも規則。法律という秩序の最高峰は、貴族は平民を殺しても、強姦しても罪に問われない。

 

 だから、シエスタは逆らえなかった。

 

「わ、わかりました」

 

 シエスタは悲しみと羞恥の表情を浮かべながらそう答えた。その目には涙が浮かんでいた。

 それを見ていたサイトの目には怒りの炎が灯った。

 

 サイトはシエスタと男子生徒の間に割って入った。

 

「おいてめえ」

 

 サイトは男子生徒をにらみつけた。

 

「おや、君はたしかミスヴァリエールの使い魔の平民。そんな目を僕に向けてどういうつもりかね?」

「喧嘩売ってんだよ。わからねえのか?」

「喧嘩? 平民の君が僕に?」

 

 男子生徒はおかしそうに笑った。

 

「僕が貴族とわかっての言葉かね?」

「ああ、貴族かなんか知らねえが、こっちはそんな身分のない世界から来たもんでね」

「なんという愚かな平民か」

「平民だろうが何だろうがどうでもいいんだよ。あのな、茶の味が気に入らないからって女の子に言いがかりつけるやつは平民以下、馬の糞以下のゴミなんだよ」

 

 サイトは怒りに任せて言った。

 それに対して、男子生徒はやれやれと言った表情を作った。

 

「どうやら、君は自分の立ち位置がわかっていないようだ。ミスヴァリエールから貴族に対する振舞いを教えてもらわなかったのかね?」

「あいにく、主はおれを犬としか思ってないみたいなんでな」

「良かろう」

 

 男子生徒はバラの花を手に取った。

 

「貴族の情けだ。僕が君に貴族に対する振舞い方というやつを教えてやろう」

「そいつはいい。ぜひ、教えてくれ」

「まずは地べたに頭をつけるんだ。そして、涙ながらにこう言うんだ。『申し訳ありません、ギーシュ・ド・グラモン様。私は愚かな平民です。あなたの下僕になるからどうかお許しください』とな」

 

 男子生徒はサディスティックな表情でそう言った。その後、すぐに男子生徒は自分の持っているバラの花に息を吹きかけた。

 すると、花びらの一部が鋭い棘に変化し、サイトの目に襲い掛かった。

 

 それは紛れもなく魔法だった。攻撃を受けたのは目だったが、どこか全身が脱力して立っていられなくなった。

 サイトは目を抑えて、先ほどギーシュが言ったように地べたに頭をつける形になった。

 

「サイトさん!」

 

 シエスタは腰を下ろして、サイトの背中に手を置いた。

 

「ふむ、平民にはそれがお似合いだ」

 

 ギーシュはそう言って得意げに笑った。

 サイトは目に突き刺さった棘を取り除くと、ギーシュを見上げた。

 

「てめぇ……」

「その目はまだわかっていないようだね。今度はどんな仕打ちを受けたいのかね?」

 

 サイトは立ち上がろうとしたが、魔法の力なのか、体が痺れて来た。まったく動くことができなくなった。

 サイトの様子を見て、シエスタはギーシュに懇願した。

 

「お願いします。もうやめてください。すべての責任は私が取りますので」

「そうだ、それでいいのだ。では、当初の予定通りだ」

「わかりました……」

「待て……」

 

 サイトは痺れた体を叱咤激励して立ち上がると、ギーシュの前に立った。

 

「まだ僕に歯向かうのかね? まったく聞き分けのない平民だ。これだから、平民というのは始末に置けない」

 

 ギーシュは飽きれたようにそう言った。

 そんなギーシュをサイトは力強くにらみつけた。全身が麻痺する中、怒りの感情がサイトの体を支えていた。

 シエスタはそんなサイトの肩を支えていたわった。

 

「サイトさん、無理しないでください」

「ありがとう。でも、心配するな。おれは問題ねえ。いや、むしろ今までで最高に気持ちが高ぶっている」

 

 サイトはシエスタの優しさがうれしかった。この世界に来て、自分に優しさをくれる人が少なかっただけに身に染みた。

 その優しさに応えなければならないという思いが、サイトに大きな力を与えた。

 

 サイトは一歩前に出た。

 

「じゃあ、おれも平民の挨拶ってやつを教えてやるよ」

 

 サイトはそう言うと、体の痺れを振り払い、全力で右の拳を振るった。

 

 麻痺しているとは思えないほどの鋭い拳だった。

 それはキザなギーシュの顔面をしたたかに捉えた。

 サイトの怒りのこもった拳は魔法の一撃にも劣らない威力を発揮した。

 

 ギーシュは後ろによろめいて転倒した。

 ギーシュの表情からは一瞬で余裕が消え失せた。

 

 ギーシュは顔を押さえながら立ち上がると、不気味に笑った。

 

「はははは。驚いたな、平民の拳を受けるなんて前代未聞だ……」

 

 ギーシュの笑みには怒りがこもっていた。

 

「どうやら、本気でわからせなければならないようだな」

「はっ、何をわからせるんだ? 貴族だか何だか知らねえが、調子に乗ってんじゃねえぞ」

 

 サイトは再び、拳を構えた。先ほどの一撃で、自分の拳が十分通用することがわかった。サイトの戦意も自然と高まった。

 

「教えてやろう、平民の無力さ、貴族の力」

 

 ギーシュはいつものヘラヘラした表情から真顔になった。

 ギーシュは真顔でバラの花を振るった。

 

 サイトは貴族の力を身を持って知ることになる。

 

 ギーシュは土系統の魔法の中でもランクの高い「ワルキューレ召喚」を行った。

 

 土系統三大魔法「ゴーレム召喚」「アースクエイク」「メタルバースト」のうち、ゴーレム召喚の一部分に当たるのが「ワルキューレ召喚」だ。

 ギーシュはワルキューレを召喚すると、サイトへの攻撃を命じた。

 

 ワルキューレの一撃。

 

 鉄の拳がサイトの腹に撃ち込まれた。

 

 サイトはこれまでに感じたことのない強い衝撃を覚えた。

 

 喧嘩好きのヤンキーの一撃ではない。

 自転車に突っ込まれたものとも違う。

 

 それはちょうど車と激突したような衝撃。

 

 サイトは売店の外へと転がり落ちた。

 

「サイトさん!」

 

 一瞬、シエスタの悲壮な声が耳に届いたが、そのあとは何も考えられなかった。意識が遠のいていくのがわかった。



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3話 命がけの決闘

 夢うつつの中、サイトはこの地にやってくるまでのことを回想していた。

 

 学校が嫌になった。

 親の束縛が嫌だった。

 自暴自棄になったサイトは感情的に家出をした。

 

 あてもなく都心をさまよい、やがて日が落ちた。

 最寄り駅にはホームレスたちが寝床を求めて集まっていた。

 サイトは彼らを横目に見ながら通りに抜けた。彼らは自分の明日の姿のかもしれないと思うと、みじめな気分になった。

 

 しかし、今すぐ家に帰る気にはなれなかった。

 勢いよく家を飛び出した手前、戻るのはプライドが許せなかった。

 そんなふうに思いながら、サイトはプラットホームをさまよっていた。

 

 その時、サイトの目の前に謎の光が現れた。

 

 その光は蛍光灯の光でも月明かりでもなかった。明らかに異様なものだった。

 サイトは興味にそそのかされて、恐る恐る手を伸ばした。

 

「なんか危険な気がする」

 

 寸前のところでサイトは手を止めた。このまま光に触れると、大変なことになるような予感がした。

 

「……」

 

 サイトはしばらく謎の光とにらめっこをした。

 この光からは危険なものを感じる。

 

 しかし。

 

 このまま、ここをふらついていても物事が好転することがないのも事実だった。

 このままでは、自分もホームレスの一人。いや、それにすらなれる気がしない。ホームレスとして生きていくことは簡単なことではないはずだ。

 

 すると、サイトにとって、この光は自分の向かうべき場所そのものだった。

 振り返っても居場所はない。

 ならば、この光に自分のすべてを託そう。

 

 サイトはそう思い、光に飛び込んだ。

 

 光に包まれたサイトは濁流に流されるかのように呑み込まれた。

 

 気が付くと、そこはハルケギニアだった。

 わからない言葉を話す少女が目の前にいた。

 

 ブロンドの髪をした明らかに日本人離れした少女だった。

 

 その少女と使い魔として契約した。

 すると、言葉がわかるようになった。

 

 サイトの新しい人生はそうして始まった。

 しかし、この世界でもうまくいかなかった。

 

 平民として見下され、疎まれ、居場所はどこにもない。

 結局、サイトはホームシックになった。嫌っていた父親が恋しくなった。

 

 涙が出た。思えば、人生で初めて流した寂しさの涙だった。

 

 そんなサイトのもとに現れたのはシエスタだった。

 シエスタはすべてを失って孤独に打ちひしがれたサイトの心に光を与えた。

 

 サイトは目の前でほほ笑むシエスタに向けてつぶやいた。

 

「もしおれが生まれ変わって……そして、偉大なナイトとして君ともう一度巡り合えたなら……」

 

 サイトは少し間を置いてから言った。

 

「命がけで君を守るナイトでありたい。おれの心を癒してくれたようにおれも君を守りたい」

 

 その言葉を伝えると、目の前のシエスタは消えてなくなった。

 朦朧とした意識が現実に戻ってきた。

 

 痛みはなかった。体が激痛で悲鳴を上げているはずなのに、サイトはとても心地よかった。

 ゆらゆらとサイトは立ち上がった。

 

「もうよしたまえ」

 

 サイトが声のほうに顔を向けると、そこにはバラを加えたギーシュの姿が見えた。

 

「君の無礼はこの子が償ってくれると言っているんだ。ありがたくその情けを受けるんだ」

「……」

 

 サイトは隣にいるシエスタのほうに目を向けた。

 シエスタはサイトのほうに心配そうな目を向けていた。

 

「これでよくわかっただろう。これに懲りたら、二度と貴族に歯向かわないことだ」

「……」

「では、行こうか」

 

 ギーシュはそう言うと、シエスタについて来るように促した。

 

「待て……」

 

 サイトは低い声で言った。その声は小さかったが迫力を感じさせた。

 ギーシュは足を止めてちらりとサイトのほうを振り返った。

 

「参ったな、まだわからないというのかね?」

「シエスタから離れろ」

「一度死なないとわからないというのかね?」

「おれはまだ負けてねえ」

「本当にしつこい平民だ。まあ、その根性だけは称賛してやってもいいかな」

 

 ギーシュはそう言いながらも、余裕の笑みで構えていた。

 サイトはそんなギーシュにゆらゆらと近づいた。体は楽だったが、足腰は震えていた。体に蓄積していたダメージは少なくないらしい。

 それでも、サイトは拳を握り締め踏み込んだ。

 

「哀れな平民だ。無駄な争いが一体何を産むというのか」

 

 ギーシュはバラを小さく振ると、後ろに控えさせていたワルキューレが前方に出て来た。

 

 ワルキューレが軽く小突くだけでサイトの体は脆く崩れ去った。

 

「平民は頭を下げて奴隷のように生きればいいものを。それが平民の生きる道だ。そのように教わらなかったのかね……」

「……」

 

 サイトは不死身のゾンビのように立ち上がった。

 

「もう本当によしたまえ。君の抵抗には何の意味もない」

 

 そのとき、ギーシュの知り合いと思われる生徒が幾人か寄ってきた。

 

「おい、ギーシュ。何をやってるんだ」

「あー、すまない。心配させてしまったか」

「あれ、こいつ。ルイズの使い魔じゃなかったか? なんだよ、使い魔をいじめてたのか?」

「そうじゃないよ。貴族へのふるまいを少々教育させてやっていたのさ。ルイズがきちんとしつけていなかったようなのでな」

「あいつ、ボロボロじゃねえか。あんまり弱い者いじめはするなよ。貴族としてみっともない」

「そうだな。茶番もここいらにして、午後の授業に向けて予習するとしよう」

「おい、お前。大丈夫か?」

 

 ギーシュの同級生の一人がサイトに駆け寄った。心配しているように見えるが、見下した態度ということはすぐにわかった。

 

「お前平民なんだからわきまえて過ごせよな」

「嫌だね」

「は?」

 

 サイトはぼそりと言うと、再び、ギーシュをにらみつけた。

 

「おい、キザ野郎。まだ勝負はついてねえぞ、逃げんじゃねえよ」

 

 サイトはあくまでも勝負を続行させようとした。誰の目にも優劣は明らかだったが、サイトの闘志は燃えていた。

 

「やれやれ呆れてものも言えない。さすがの僕も降参だ。わかった、こうしよう」

 

 ギーシュはそう言うと、両手を上げた。

 

「君は勇敢にも貴族に立ち向かい、僕を打ち負かした。そういうことにしてあげるよ。それで君の自尊心が救われるなら構わない。寛大な僕の好意に感謝するんだな」

 

 ギーシュは自ら負けを認めた。しかし、それは実質勝利宣言のようなものだった。

 

「これでいいだろう? 君もいつまでもそんなところに立っていると死んでしまうぞ。医務室に行って治療を受けるんだ」

 

 ギーシュは完全に戦闘を放棄していた。サイトがどれだけ闘志を燃やしても勝負はとっくについていた。

 サイトがどれだけ歯向かっても、ただただサイトが無様な醜態をさらすだけだった。

 

 しかし、それでもサイトはギーシュに向けて拳を振るった。

 その拳はあっさりとワルキューレの拳に跳ね返された。

 

 ちょうど打ちどころが悪かったのか、サイトの顔面から少なくない量の血が噴き出した。

 

「サイトさん!」

 

 シエスタは反射的にサイトのもとに向かった。

 

「おい、ギーシュ。もうやめとけ」

「今のは正当防衛だ。もう僕に戦う意思なんてないさ。あの平民がしつこいから仕方なくだね」

 

 サイトはシエスタに支えられながらその場に座り込んだ。

 

「ありがとうございます。私のためにここまで戦ってくれて。おかげで、私は救われました。だからもうやめてください」

「……」

 

 シエスタにそう言われると、握り締めた拳を解かざるを得なかった。

 

「医務室は近くです。そこまで歩けますか?」

「ああ……」

 

 サイトはそう言いながら涙を流した。

 その涙は、痛みや苦しみからもたらされたものではなく、己の無力さによるものだった。

 自分の愛する女を守れない無力さがサイトに涙をもたらした。

 

 そのとき、甲高い声が近くで轟いた。

 

「ちょっとどういうこと?」

 

 この争いの場に割って入ってきたのはサイトの主であるルイズだった。

 ルイズは傷だらけでぐったりしているサイトを見て、近づいてきた。

 ルイズは鋭い目でサイトを見下ろした。

 

 ルイズの第一声はサイトを心配する言葉ではなかった。

 

「なにその怪我は? 一体何をしたのよ?」

 

 サイトがそれに答えないでいると、ギーシュが寄ってきて代わりに説明した。

 

「すまないね、ルイズ。君の使い魔を傷つけてしまったのは他でもない僕だ」

「はあ? なんでそんなこと」

「君の使い魔が貴族である僕に対して無礼を働いたから制裁をしたんだ。同じ貴族である君なら、僕の正当性を理解できるだろう?」

「……」

 

 ルイズは肯定も否定もしなかったが、否定しなかったところに、貴族制度のゆかりが広いことがうかがわれた。

 

「ともかく命に別状はない。薬草の費用ぐらいは僕が持つよ」

「まったく……」

 

 ルイズは一応納得したのか、もう一度サイトを見下ろした。

 

「あのね、あんたは私の使い魔なのよ。私に勝手におかしなことをするんじゃないわよ。わかった?」

 

 ルイズはサイトを心配することなく、ただただ強く言い聞かせるだけだった。

 サイトはそんなルイズに鋭い視線を向けた。

 

「なに? なんか言いたいことあるの?」

「おれは負けてねえ」

「はあ?」

 

 サイトはシエスタの手を解いて立ち上がった。

 そして、静かな気迫のこもった表情でルイズに近づいた。

 

「な、なによ?」

「おれは絶対負けねえ。貴族なんかにはな」

「わけわからないわ」

 

 サイトはいつの間にかたくさん集まった取り巻きたちを順に見渡した。

 15人ほどの生徒がこの場に集まっていた。彼らはみな貴族で、おおむねすべての者がサイトを見下すように見物していた。

 

 サイトは周りを見ながら大きな声で言った。

 

「てめえら、全員聞け!」

 

 サイトは額の血をぬぐって声を張り上げた。

 

「おれは絶対に貴族には媚びねえ。たとえ殺されるとしてもな。てめえらがどんだけでかい態度取ろうが、おれは絶対に頭を下げねえからな。馬鹿にしたけりゃしろ。おれだっててめえらを馬鹿にしてやる!」

 

 言いたいだけ言うと、サイトはギーシュのほうに目を向けた。

 

「ギーシュ。おれはお前をもう一度ぶん殴る。それで死ぬなら死んでもいい。てめえを絶対に許さねえ」

「……」

 

 ギーシュはこれまでにない気迫をサイトから感じていた。ギーシュの締まりのない表情が真顔に変化した。

 

「ふむ、1つ聞かせてくれないか。僕を殴れるなら死んでもいいと言ったが、君は死が怖くないのかね?」

「怖いよ。怖いに決まってるだろ」

「ならばなぜ、死を覚悟してまで僕に歯向かう? 仮に僕を殴ったとしても、何も得るものはないだろうに」

「あるさ」

 

 サイトはそう言うと、両手の拳を握り締めた。

 

「お前の言う通り、おれはただの平民。なんの力もねえ雑魚だ。だからよ、せめて心ぐらいはナイトでありたい。それだけだ。てめえのようなボンボンには一生わからねえだろうがな」

 

 サイトはそう言うと一歩前に出た。

 サイトは思えばこれまで逃げ続けて来た。ここにたどり着いたのも現実から逃げた結果だった。

 しかし、いまは逃げるわけにはいかなかった。ここで逃げたら、すべてが終わりだと思った。

 

 ギーシュはサイトのその言葉から何かを感じ取ったようだった。

 

「なるほど。君のその言葉には感銘したよ。僕も魔法衛士を目指す身。君のその姿勢は魔法衛士のあるべき心そのものなのかもしれないな。ならば、君の決心を邪険に扱うわけにはいかないな」

 

 ギーシュはそう言うと、バラの花を振り、ワルキューレを追加で2体召喚した。

 

「君の強き心に敬意を示して、全力で立ち向かわなければならんな」

 

 サイトの前に3体のワルキューレが立ちはだかる形になった。その間にルイズが割って入った。

 

「何なのよ、あんたたちは。まだやり合うっていうの? 馬鹿げてるわ」

「ルイズ、ここで止めたら、彼の騎士の精神を侮辱することになってしまうよ」

「そんなの関係ないわよ」

 

 ルイズはそう言うと、サイトのほうを見て言った。

 

「主の命令よ。やめなさい」

「嫌だね」

「何ですって?」

「あのさ、お前にとってもいいことだろ。おれが死ねば、お前は新しい使い魔を手に入れられるんだからよ」

「……」

 

 ルイズは黙り込んだ。その通りだったが、このままサイトが死ぬことを望むほど非情にはなれなかった。

 

「グリフィンかドラゴンか。好きなやつを選べよ。おれはお前の夢を邪魔する気なんてさらさらねえからよ」

 

 サイトはそう言いながらルイズの隣を通り抜けた。

 サイトはワルキューレの先に立つギーシュ一点に全神経を集中した。

 

「サイト、このまま僕に向かっても勝ち目はないだろう。貴族の情けだ。君に1つチャンスを与えよう」

 

 ギーシュはそう言うと、バラの花を振るい、何やら魔法を唱えた。

 すると、ギーシュの手には何やら剣が1本現れた。

 

「見事なものだろう? 僕は錬金魔道士。このぐらいお手の物だ」

 

 ギーシュは生み出した剣を軽く放った。その剣は魔法の力を受けて勢いよく回転し、やがて、サイトの目の前の地面に突き刺さった。

 サイトはその剣を見下ろした。

 

「これは……」

 

 サイトにはその剣に見覚えがあった。

 

「それはカタナという。伝説によると、サムライという異世界の騎士が使ったとされる武器だ。錬金魔道士として興味を持っていてね、それで自分なりに再現してみたのだ」

 

 ギーシュはそのように説明した。

 それはまぎれもなく、日本刀だった。

 日本刀がこの地にあるということは、地球とハルケギニアは昔から何かのやり取りがあったということになる。

 

「サムライは命を賭け、愛する者を守ったという。魔法衛士を目指す僕もまたそうでありたいと思っている。君も同じ気持ちなら、サムライとして僕に向かってくるがいい」

「サムライか……」

 

 サイトはゆっくりと手を上げ、日本刀に近づけた。

 

「サイトさん……」

 

 シエスタはサイトの伸ばそうとした手を制止した。

 

「お願いです、もうやめてください」

「……」

「もう十分ですから」

 

 シエスタは最後までサイトの身を案じてくれた。その言葉がサイトにはうれしかった。その言葉が聞けたなら、もう死んでもいいと思った。

 同時に、その言葉を守るのがサムライの使命と考えた。

 

「ありがとう、シエスタ。君と出会えたことがおれの人生最大の幸運だ」

「……サイトさん」

「おれは君を守るサムライであると誓う。たとえ誰が相手でもおれは君を守る」

 

 サイトはそう言うと、日本刀を握り締めた。

 

 その瞬間、手の甲のルーンが鋭い光を放った。

 



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4、ガンダールヴ

 サイトは走馬灯のようなものを見ていた。

 色々な情報が脳に入ってきては出ていくような感じだった。

 入ってくる情報はそのほとんどが悲しみに満ちていた。

 

 一人の男が愛する人の亡骸を抱きしめていた。

 その男の顔は鬼のように威厳があり、その体つきはたくましかった。歴史に名を遺すようなサムライの風格があった。

 その鬼のようなサムライが悲しみに打ちひしがれていた。

 

 愛する人を守れなかったという己の無力さがサイトにも伝わってきた。

 胸が強烈に痛んだ。こんなに苦しい気持ちになったのは初めてのことだった。

 

 サイトはその男のそうした感情と同時に、その男が持つ剣術の心得までをも吸収していた。

 その男は悲しみをそっと胸の奥に閉じ込め、ゆっくりと日本刀を引き抜いた。

 

 目の前に、仇がいる。

 男は鬼の形相で剣を両手持ち上段に構えた。それが男の流派だったようである。

 

 サイトはその男の心得をすべて引き継いでいた。

 体が自然と動いた。

 男の心にとりつかれたように、サイトの表情が変化した。目が赤く輝き、異様なオーラを放ち始めた。

 

 周囲で見ていた者たちもみな異様さを感じていた。

 

「お、おい、あの平民様子がおかしいぞ。まるで人が変わったみたいだ」

 

 これまでサイトを馬鹿にしていた者たちも、いまは恐ろしい鬼を見るように怯えを感じ始めていた。

 

 サイトは握り締めた日本刀を上段に構えた。そのフォームは一流のサムライのそれと同じだった。さらに光り輝くルーンが血のように真っ赤に染まった。その輝きはサイトの全身を包み込んだ。

 

「う……」

 

 ギーシュの顔からは一瞬で血の気が引いた。自然と体が震え始めた。サイトの放つ気迫は人間離れしていた。

 

 誰もサイトには近づけなかった。

 ルイズとシエスタもただサイトを見ていることしかできなかった。

 

 サイトはゆっくりと前に足を運んだ。

 サイトが踏み出した地面の草花が一瞬で消え去った。明らかに異常な魔力に満たされていた。

 

「ワルキューレ!」

 

 ギーシュは狼狽した面持ちでワルキューレを前線に出すと、サイトに向かわせた。

 

 しかし。

 

 目にも留まらぬ居合一閃。

 

 サイトの一太刀が3体のワルキューレをまとめて両断した。

 両断された断面からはまるで血のようなものが溢れた。それは悲しみや憎悪に満ちた何かだった。

 

 ワルキューレはその悲しみか憎悪なる何かに呑み込まれ消滅してしまった。

 

「な、なんだ今の剣は……」

 

 周囲の者はさらなる畏怖を感じた。

 サイトは平民であり、魔法が使えないはずだ。しかし、サイトが繰り出した一撃はまぎれもなく魔法だった。

 

 サイトの一撃の破壊力に、ギーシュは完全に打ちのめされていた。

 

「ま、参った。僕の負けだ」

 

 そう言うギーシュに対して、サイトは容赦なく距離を詰めた。サイトの目は鬼のように鋭く、そして赤い眼光を放っていた。それは殺意に満ちた目だった。

 

「お、おい、聞いているのか?」

「……」

「ぼ、僕を殺すというのか?」

 

 サイトはそのおとおりだと言わんばかりに、ギーシュの近くに到達すると、ゆっくりと日本刀を上段に構えた。

 

「お、おい、誰か止めろよ。ギーシュが殺されちまうぞ」

「止めろって、ど、どうやって?」

 

 もはや誰も止めることはできなかった。サイトは鬼と化しており、ギーシュを斬るべき仇だと認識していた。

 

「た、頼む。助けてくれ。僕が悪かった」

 

 ギーシュの命乞いもサイトには届かなかった。

 サイトはギーシュにめがけて、日本刀を振り下ろそうとした。

 

 ギーシュは死を覚悟して目を閉じた。

 

 その時、突然の介入。

 

 シエスタはサイトの背中を抱きしめて言った。

 

「サイトさん、ダメです」

「……」

 

 サイトは振り下ろそうとした日本刀を止めた。

 最愛の人の声が男の狂気に安らぎを与えた。

 サイトの脳裏にとりついていた男の呪縛は、成仏するかのようにスッと消え去っていった。

 男の持っていた妖刀は粉々に砕け散り、鬼の形相は消えた。

 

 男は天を仰ぐと、そのまま安らかな光に包まれて消えてなくなった。

 

 サイトも意識を取り戻した。

 

「おれはいったい何を……」

 

 正気を取り戻したサイトは全身に激痛を覚え、そのまま意識が遠のいた。

 

「サイトさん!」

 

 シエスタの声が遠くに聞こえる中、サイトの意識は沈んでいった。

 

 ◇◇◇

 

 トリステイン魔法学院の学院長のオールドオスマンは王室に提出する定期報告書を面倒くさそうに執筆していた。

 オスマンはトリステイン魔法学院が創立されたときから、この地で教鞭を振るっている。トリステイン魔法学院の歴史は130年にも及ぶから、オスマンの年齢もそれに相応する。

 オスマンはところどころ記憶を無くしており、自分の年齢も良く覚えていなかった。

 オスマンは机の上で木の実を齧っていた使い魔のモートソグニルを自分の手のひらに乗せた。

 

「まったく退屈であるな、モートソグニルや」

 

 モートソグニルはネズミである。しかし、ただのネズミではなく、高い知性と高い魔力を秘めている。オスマンに仕えて100年以上が経過している。

 モートソグニルも歳を取ったが、見た目には可愛らしいネズミであった。

 

「しかし、今回はいつも通り空白というわけではない。2年生のサモンサーヴァントがあったからな。とはいえじゃ……ワシの秘書のミスロングビルが優秀ゆえ、ワシが眠っている間にすべてやってくれていたようじゃ。これでは、ワシの仕事は何もないではないか。ワシはますますボケてしまうではないか」

 

 オスマンはそう言いながら、懐からキセルを取り出してくわえた。

 

「ワシの楽しみはこんなことしかないわい。モートソグニルや、火をつけてくれるか」

 

 オスマンがそう言うと、モートソグニルはしっぽから小さな炎を発生させ、それをオスマンのキセルに点火させた。

 

「うむ、今日も実に心地よい。さて、仕事も片付いたことじゃ。マルトーシェフの特別ランチに舌鼓と行こうか」

 

 オスマンがそう言って席を立とうとしたところで、学院長室がノックされた。

 

「入りたまえ」

「失礼します、オールドオスマン学院長」

「おー、ミスロングビルか。今日も実に美しいの。モートソグニル、いつもの確認を頼む」

 

 何やらオスマンの指示を受けたモートソグニルはそのまま姿を透明にした。モートソグニルはさまざまな魔力を扱えるネズミであり、自らの姿を透明にすることもできた。

 ロングビルはオスマンの秘書として学院で働いている。大変な美人であったということで、オスマンが直々に任命していた。

 

「オールドオスマン学院長、大変なことがあったようでして、報告させていただきます」

「大変なことじゃ? すべては小事じゃ」

「生徒同士で喧嘩があったようで、一人が意識不明の重体になったということです。話によると、ミスタグラモンとミスヴァリエールの使い魔であるヒラガサイトの間でいざこざがあったようです」

「意識不明の重体? かー、この平和な学院でなんでそんなことが起こるんじゃ」

「詳しいことはわかりませんが、使い魔のヒラガサイトが負傷したという話です」

「グラモン家のドラ息子か。まったく、我が学院の格を落としおって。して、ミスヴァリエールの使い魔は助かりそうなのか?」

「一刻を争う状況ということです」

「まったく学院内で傷害事件があったなどと王室に報告したら、ますます学院のイメージが悪くなってしまうわ」

 

 オスマンはキセルを吹かせた。

 

「わかった。ともかくミスヴァリエールの使い魔の回復に全力を注ぐように。あとでワシも確認しよう」

「お願いします」

 

 ロングビルはていねいに頭を下げると、学院長室を後にした。

 ロングビルがいなくなったのを確認すると、オスマンは手のひらに戻ってきていたモートソグニルに尋ねた。

 

「さて、どうじゃった?」

「チューチュー」

 

 透明状態から戻ったモートソグニルは何やら報告した。

 

「ほう白か。うーむ、ワシとしてはミスロングビルは黒が似合うんじゃないかと思うのじゃが……いでっ」

 

 突然、オスマンの上に投石。

 オスマンは頭を押さえてうずくまった。

 落下してきた石はやがて1枚の紙に変化した。これも魔法の力だった。

 

 紙には「次やったら、セクハラ行為を王室に報告します。 ロングビルより」と書かれていた。

 オスマンはモートソグニルを透明にして、ロングビルのスカートの下に忍ばせたが、残念ながらばれていたようであった。

 

「かー、ミスロングビルは秘書としての自覚がなっとらんようじゃ。いでっいででで」

 

 今度は小さな石がいくつも落石してきて、オスマンは再び頭を抱えた。



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5、ルイズとシエスタ

 サイトとギーシュの戦いはサイトの勝利に終わった。

 刀を握り締めたサイトは突如一流の魔法剣士に豹変した。ギーシュの召喚したゴーレムをいとも簡単に両断してしまった。

 魔法学院の生徒たちはその光景を見ていたから、サイトへの評価も変わったようである。

 

 しかし、そのサイトは大変な痛手を受けており、すぐに治療が行われた。

 学院に駐屯している治癒魔道士がサイトの治療に当たった。その治癒魔道士は老齢だが、熟練の魔道士だった。

 治癒魔道士は魔法の力で配合した薬を使ってサイトを治療した。

 地球では、点滴を用いて患者の血液に薬品を送り込むが、治癒魔道士は魔法の力でサイトの皮膚よりその内部に浸透させた。

 

 サイトは4か所を肋骨、傷も深く動脈を破損していた。

 しかし、魔法の薬品の力は絶大で、わずかな時間の間にサイトの傷は癒えていった。

 治癒魔道士が今回使った秘薬は自然治癒力を100倍以上に高める高価なものだった。

 

 治癒魔道士は治療にかかった秘薬の費用をサイトの主人であるルイズに請求した。

 

「まったく自分の使い魔を瀕死状態にさせるなど実にけしからん。おぬしはヴァリエールの娘なのじゃろう? 家の名誉に傷がつくことであるぞ」

「はい、申し訳ありません」

 

 ルイズは申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「しかし、ヴァリエールの者で良かったわい。とりっぱぐれがないからの」

 

 治癒魔道士は笑った。

 

「それで、使い魔の具合はどうなのでしょう?」

「もう問題ないわい。そのうち目を覚ますじゃろう。ワシの役目はこれで終わりじゃ。あとはお前さんが面倒を見てやんな。ほれ、目が覚めたら、この瓶の水を飲ませてやんな」

 

 治癒魔道士はルイズに魔法の水瓶を渡すと、そのまま差っていった。

 ルイズはそのままサイトが眠っている病室の中に入った。

 

 サイトの治療が完了したということを聞いて、ルイズはすぐに病室に向かったのだが、そんなルイズより早く病室に来ている者があった。

 ルイズが病室に入ると、サイトに付き添っていたシエスタは立ち上がり頭を下げた。

 

「お邪魔しております、ミスヴァリエール」

「あんた確かあのときの……」

 

 ルイズにとって、シエスタは赤の他人だ。ルイズがトリステイン魔法学院に入学するのと同じくしてシエスタもここにやってきていた。

 つまり、二人は同期であり1年以上も学院内で生活していることになる。しかし、ルイズはシエスタとはろくに会話をしたことがなかった。せいぜい、売店でやり取りをしたことがあるかどうかだった。

 

「シエスタと申します」

「どうも」

 

 ルイズは不愛想に答えた。シエスタが平民というのもあったが、それ以上にシエスタへの嫌悪感が沸いた。その理由はルイズ自身もよくわからなかった。

 

 サイトはベッドの上で眠っていた。まだ意識を取り戻してはいなかったが、呼吸は落ち着いていて、はたから見ていても命に別状はなさそうだった。

 

「サイトさん、まだ目を覚まされないのです。もう3日以上も眠り続けておられるのです」

 

 シエスタは心配そうな表情を浮かべながら、サイトの手を握り締めた。

 

「サイトさん、早く目覚めてください」

「……」

 

 ルイズはサイトの手を握り締めるシエスタを見下ろした。見ているだけでとても不快な気分になった。

 自分の使い魔に馴れ馴れしく触れているからなのか、もっと別の理由なのか、ルイズ自身もよくわからなかった。

 

「ちょっとどいてくれる?」

「あ、はい、すみません」

 

 シエスタは慌てて椅子から立ち上がると、ルイズに差し出した。しかし、ルイズはシエスタが座っていた椅子には座りたくなかった。

 ルイズはサイトのそばに腰を下ろすと、不満げな目を向けた。

 

「まったく、あんたは世話のかかる使い魔よ」

 

 ルイズはシエスタと違い優しい声をかけることはなかった。

 

「何の役にも立たないくせに問題行動は起こすんだから。これじゃ暴れん坊のインプを使い魔にしたのと変わらないわ。いえ、それ以下だわ」

 

 ルイズはまだ意識を取り戻さないサイトに対して、さんざんの言葉をかけた。

 それを見ていたシエスタはルイズの隣に腰を下ろした。

 

「それは違います、ミスヴァリエール」

「は?」

「サイトさんはとても優しく正義心に溢れる立派なナイトです。私にはわかるのです」

「……ふん、メイドの分際で私に意見するつもり?」

「申し訳ありません。ですが、それだけは訂正させてください。サイトさんは立派なナイトです」

 

 シエスタは強い目でルイズを見返した。

 貴族と平民では大きな身分差がある。本来、シエスタは貴族に意見することはできない身だ。

 しかし、シエスタはこれだけは譲れないという強い意志でルイズに意見した。

 

 その強い思いがルイズにも伝わった。だから、ルイズもこれ以上シエスタを咎めることができなかった。

 シエスタが示した強い思いの原点は、サイトを愛する想いだった。しかし、ルイズにはその感情をまだ理解することができなかった。

 

 とはいえ、シエスタがサイトを偉大なナイトであると称したのにも一理ある。

 サイトがギーシュの用意した刀を握り締めたとたん、サイトは豹変した。

 ルイズにもそれはわかった。

 もしかしたら、サイトは本当に名の通ったナイトなのかもしれない。

 

 それを確かめるためにはサイトが目覚めるのを待つほかなかった。

 サイトはなかなか目を覚まさなかった。ルイズがここにやってきて1時間が経過したが、まだサイトは眠り続けていた。

 ルイズは待ちくたびれた様子になったが、シエスタはジーっとサイトの寝顔を見つめていた。その集中力はいつまでも変わらなかった。

 

 その時、病室を訪れる者がいた。

 

「はあはあ、くたびれた……この歳になると、ちょっと走るのもしんどいよ」

 

 息を切らしながらやってきたのはルイズの担任教師でもあるコルベールだった。

 ルイズは立ち上がってコルベールに会釈した。

 

「コルベール先生、出張でトリステイン王室に出られていたのではなかったのですか?」

「君の使い魔のサイト君が怪我をしたと伝令を受け取ってね、慌てて帰ってきたんだよ。教師たる者、教え子の問題が最優先。馬を走らせ帰ってきたわけだ」

 

 コルベールはまだ収まらない鼓動の中、汗をぬぐった。

 

「サイト君の様子は?」

「まだ目を覚ましてはいませんが、命に別状はないそうです」

「そうか……」

 

 コルベールはサイトの様子をその目で確かめた。

 

「しかし何があったのかね? ずいぶんと大きな怪我に見えるが」

「えっとそれは……」

 

 ルイズは口ごもった。ギーシュと喧嘩したなどと言うと、また色々面倒なことになりそうだったので正直には言いづらかった。

 しかし、嘘を言ってもいずればれること。ルイズは素直に白状した。

 

「ギーシュと喧嘩したそうです。平民だと馬鹿にされて逆上したのだと思います」

 

 ルイズはそう言ったが、シエスタはすぐに介入した。

 

「いえ、そうではありません。サイトさんは私を助けようとしてかばってくれたのです」

 

 シエスタはそれからより詳しい事情をコルベールに話した。

 コルベールもトリステイン魔法学院の教師、つまりは貴族の身分である。しかし、コルベールは身分に関係なく誰にもフレンドリーに接した。

 

「なるほど、そんなことが。それならば、ギーシュ君に問題があるな」

 

 コルベールははっきり言った。

 

「新王政が発足して身分制度はなくなったんだ。もはやトリステインに貴族も平民もない」

 

 コルベールは力説した。

 

 ここトリステインでは、新学期が始まるころアンリエッタがトリステインの女王として即位した。

 アンリエッタはいくつかの公約を掲げており、それらの公約は即位と同時に有効になった。

 

 アンリエッタの公約はトリステイン王政の左派のものが広く継承されており、グローバル経済、自由経済を軸に人種差別の廃絶などに関して大きく法改正するものだった。

 それゆえ、アンリエッタの公約は右派から猛反発を受けるものになった。

 これまでの法律では、貴族が平民を雇う際には、その賃金を雇い主が自由に決めて良かった。貴族を雇う際には1日あたり新金貨50枚の支払いが義務付けられているが、平民にはそういうものがなかった。

 アンリエッタ即位によって、平民を雇う際も新金貨50枚を最低限の日当として支払わなければならなくなった。

 シエスタもその恩恵を受けて、いまは新金貨58枚を受け取って生活している。

 

 アンリエッタの公約には平民と貴族の法的平等があり、法的には平民と貴族の差は完全になくなった。

 しかし、法的にそうなっても、人々の中に植え付けられた風習は簡単には変わらなかった。

 今でも平民を差別する名残があった。

 

 コルベールはいわゆる左派であり、何年も前から貴族と平民の法的平等を訴えていた。

 

「ルイズ君」

「はい」

「君もサイト君の面倒をきちんと見てあげなければいけない。使い魔の問題は主人の問題でもあるのだからな」

「私はちゃんと面倒見ています。私が授業を受けている間に使い魔が勝手をやったんです」

「そうかな、サイト君からいくつか相談を受けていたよ。非人道的な仕打ちを受けていると」

「それは……」

「ともかくこれを機に、もっとサイト君の身になってあげるんだ。わかったね?」

「はい」

 

 ルイズは頭を下げた。

 続いて、病室に一匹のふくろうが飛んでやってきた。

 ふくろうは病室の扉の前でホーホーと鳴き声を上げた。

 

「伝令か。ちょっと待ってくれ」

 

 コルベールは扉を開けて、ふくろうを自分の腕にとめた。

 

「ホーホーホーホー」

「学院長がすぐ来るようにと? わかった。すぐに行こう」

 

 コルベールはふくろうの言葉を理解することができた。これも魔法である。

 ふくろうは用件を伝えるとどこかへ飛び去って行った。

 

 このふくろうはトリステインに生息する悪魔の一種であり、特殊な音波を操ることができる。

 古来から伝令に使用されてきた。

 特殊な音波を使い分けることで、秘密裏に情報を受け渡すことができる。伝えたい相手にだけ聞こえる音波を使うことで、周りにスパイがいてもその情報を理解することができない。

 先ほどのふくろうもコルベールにだけわかる音波で伝言を伝えていた。

 

「僕はこれから学院長室に行かなければならない。ルイズ君はサイト君が目を覚ますまでそばにいてあげなさい」

「わかりました」

 

 コルベールは学院長室に向けて走った。

 



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6、虚無の使い魔

 コルベールは学院長室の扉をノックした。

 

「入りたまえ」

「失礼します、オールドオスマン学院長」

 

 コルベールは手で扉を開けるとていねいに会釈した。それから、手で扉を閉めた。メイジは普通こうした所作には魔法を使う。この学院は平和だが、場合によっては魔法のトラップが仕掛けられていることもあるので、メイジはムーブ魔法を用いて扉に手を触れずに開ける。しかし、コルベールはかたくなに日常生活において、魔法を使うのを拒絶していた。

 

「ご苦労だったな、コルベール先生」

「仕事の途中で引き返してきまして申し訳ありませんでした」

「君の教え子が問題を起こしたとあっては仕方がない。君は生徒想いの立派な先生だからの」

「恐縮です」

「ミスヴァリエールの使い魔のサイト君じゃったか。特に命に別状はないと聞いていたが、様子はどうじゃった?」

「命に別状はないという話は僕も聞きましたが、まだ意識が戻っていないので安心できません」

「うーむ、仮にもうちに多額の寄付金を授けてくれているヴァリエール家の使い魔が亡くなったとなれば、伝統のトリステイン魔法学院も傾いてしまうからの」

 

 オスマンはそう言って書類のまとめられたファイルを1つ取り上げた。

 その書類には2年生のサモンサーヴァントの結果が書かれていた。魔法学院で行われたサモンサーヴァントの結果はすべてトリステイン王室に報告しなければならないことになっている。

 コルベールはその報告のために王室に出張に出ていたところでもあった。

 

「損失はそれだけではない。ミスヴァリエールの使い魔のルーン……」

 

 オスマンはルイズのサモンサーヴァントの結果に目を通した。そこには、召喚された使い魔に刻まれたルーンが記されていた。

 

「話を聞くところによると、ミスヴァリエールの使い魔は剣を手に取ったとき、そのルーンが反応したということじゃ。コルベール先生、これはやはり間違いないと見て良いじゃろうか?」

「私も現場を見たわけではありませんが、かつて始祖ブリミルの操った使い魔と同じルーンかつその効能も酷似しているとすれば、十分な状況証拠です」

「うーむ、我が魔法学院から虚無の使い手が現れたとなると、ブリミル以来の奇跡」

 

 オスマンは苦い顔をした。喜ばしいことと言うよりは困ったことだと言わんばかりの顔だった。

 

「コルベール先生、ミスヴァリエールにはそのことについて話したのかね?」

「いえ、まだ話していません。王室に報告して、アンリエッタ女王の指示を待つつもりでしたので」

「王室には報告したのかね?」

「いえ、その手前で事態を聞いて舞い戻ってきたのです。申し訳ありません」

 

 コルベールは頭を下げた。

 

「ならば不幸中の幸いであるな」

「それは?」

「いや、王室にこのルーンを報告するのは避けようかと考えておってな」

 

 コルベールはオスマンの意図をすぐに理解した。

 

「それはつまり、偽りの報告を王室にするということですか? しかし、それはあまりに危険すぎます」

「まあ、ワシもコルベール先生も処刑台にかけられても文句は言えんな。しかし、虚無の使い手が現れたことを王室に報告したらどうなると思う?」

「……非常にまずいことになると思います」

 

 コルベールはさらに付け足した。

 

「いま王室は左派が強いですが、過激な右派が王室近辺で色々な陰謀を画策していると聞きます。右派はゲルマニアとの休戦協定解除を公約に掲げているほか、アルビオンのレコンキスタを影で支援しています。間違いなく、右派は虚無を利用しようとするでしょう」

「うむ、ワシもそこを心配しておってな。まあ、右派にはワシの古くからの友人もおるので、あまり悪くは言えんのじゃが、連中の思想はワシも好かん」

「ミスヴァリエールが虚無の使い手と分かれば、右派はもちろん、あらゆる犯罪組織も手を出して来ることが予想されます。私もこのことは内密にするほうがいいと考えます」

「では、ワシの共犯者になってくれるかね?」

「なりましょう。それがトリステインの平和につながると思います」

 

 コルベールは迷うことなく決断した。

 

「しかし、本人には伝えておいたほうが良いとワシは思うのじゃが、コルベール先生はどう思う?」

「そうですね。本人が無自覚でいるほうが危険な気もします」

「しかし懸念もある。ミスヴァリエールの人格を疑うわけではないが、虚無の力を知ったとき、その力を良からぬことに利用しようと考えるのではないかとな」

「その心配には及びません。ミスヴァリエールは思いやりのあり、義に忠実で誰よりも世界平和を望む立派なメイジの卵。この私が確信を持って申し上げます」

 

 コルベールは強い目でそのことを訴えた。

 オスマンはうなずいた。

 

「コルベール先生がそう言うなら間違いないじゃろう。しかし、使い魔のほうはどうじゃろうか?」

「同じです。サイト君もまた平和を愛する立派な騎士の卵です」

「よろしい。では、使い魔の傷が癒えたら、ワシのほうから直接彼らに伝えよう。ひとまずは、使い魔の回復を待とう。コルベール先生は引き続き、彼らの面倒を見てやってくれ」

「わかりました」

 

  ◇◇◇

 

 どんよりとした薄暗い霧が漂っている。

 ここは深い森の中だった。

 

 サイトはそんな場所をさまよっていた。

 周囲から不気味な声が聞こえてくる。木々がささやいているようだった。

 

「お前が向かうその先は地獄だ。お前はもはや呪われた身。その呪縛波永遠に消えることはない。もがき苦しむがいい。くくくく」

 

 サイトは声のほうに目を向けた。そこには真っ赤な眼光を放つ悪魔の目があった。一本の邪悪な木にその目が浮かび上がっていた。

 

「おれは呪われているのか?」

「自覚していないか。自分の手を見てみるがよい」

「……」

 

 サイトは自分の手の甲を見つめた。刻まれたルーンからはどす黒い闇が漏れ出ていた。

 

「お前は暗黒の騎士として選ばれたのだ。この世界に混沌をもたらすことになるだろう」

「……」

 

 サイトはそのルーンをにらみつけた。

 

「違う」

「違うだと?」

「これは呪いじゃない。いや、呪いでも構わない」

「何が言いたい?」

「守るべきものを守れるならそれでいい。守るべきもののためならどんな呪いも受ける。人を斬ることになってもな」

 

 サイトはそう言いながら、一人の大切な人のことを想っていた。

 

「愚かな騎士よ。お前に大切なものを守ることなどできぬわ。その力は破壊の力。お前は守るべきそのものまでをも斬ることになるのだ」

 

 サイトは顔を上げて、目の前の悪魔をにらみつけた。

 

「おれは絶対に守る。それができないなら、自らを斬る覚悟だ」

「むむ……その目……かつてこの私を封じ込めた魔道士ブリミルの使い魔と同じもの。貴様、いったい何者だ?」

「平賀才人。ただの冴えない高校生だ」

「くくくく、面白い。貴様とはいずれ相まみえることになりそうだな。くくくく」

 

 サイトはその笑い声を聞きながら、視界が反転していくのを感じた。

 平衡感覚がなくなったサイトは手を伸ばし、愛する守るべきものの名前を呼んだ。

 

「シエスタ……」

 

 サイトのそのつぶやきを聞いたシエスタは顔を上げた。

 

「サイトさん、いま私の名前を?」

 

 シエスタはサイトの手を握り締めて、サイトの顔を覗き込んだ。

 サイトは目をゆっくりと開いた。

 その視界にシエスタの姿が映ると、サイトはもう一度名前を呼んだ。

 

「シエスタ……」

「そうです、私です。私のことがわかるのですね?」

 

 サイトはうなずいた。

 

「良かったです。ずっと待っていました、この時を」

 

 サイトは目を覚ました。シエスタが自分の手を握り締めてくれているのがわかった。そのぬくもりがとても心地よかった。

 これまで、女性に手を握り締めてもらう経験がなかったから、サイトにとっては初めて受け取る力だった。

 目を覚ましたばかりだったが、体の力がみるみる戻っていくようだった。

 

「具合はどうですか?」

「ああ、大丈夫だ」

 

 サイトはそう言うと、一気に体を起こした。怪我の痛みをわずかに感じたが、特に問題はなかった。

 

「サイトさん、無理はなさらないでください」

「大丈夫だよ。それより、あれからおれはどうなったんだ? 刀を握り締めてから記憶がないんだ」

「あれからサイトさんはとても長い間眠りにつかれていました。丸3日もの間です」

「3日……そんなに長い間眠っていたのか」

 

 サイトはその時間の経過を認識していなかった。

 

「ですから無理をなさらないで。楽な姿勢でいてください」

「ああ、すまないな」

 

 シエスタはサイトのために徹底的に尽くしてくれた。その気持ちだけで、サイトのケガは癒えていくようであった。

 

 そんな二人の様子を後ろで見ていたルイズは妙に腹立たしさを覚えて仕方なかった。

 我慢の限界に達したので、ルイズは立ち上がり、二人の間に割って入った。

 

「あんた邪魔、どいて」

「あ、すみません」

 

 ルイズにそう言われて、シエスタは名残惜しそうにサイトの手を離して席を立った。

 ルイズはしばらくシエスタが握っていたサイトの手を見ていた。ルイズはどうしてシエスタに嫌悪感を覚えてしまうのか自分でもわからなかった。

 

 ルイズはシエスタの座っていた椅子にはかたくなに座らず、その場に腰を下ろした。

 

「ったく迷惑ばかりかける使い魔で困ったものだわ」

 

 ルイズはシエスタと違い、開口一番から文句を吐き出した。

 

「悪かったよ」

 

 サイトは素直に謝った。ギーシュと対峙しているときは怒りがこみあげてきていたし、貴族に対する嫌悪感もあったが、いまはギーシュへの恨みも貴族への嫌悪もなかった。シエスタのぬくもりを得たからか、とても心が穏やかだった。

 しかし、ルイズの表情は穏やかではなかった。

 

「謝って済む話とでも思ってんの?」

「おれはこの世界のことは何もわからねえ。おれはどうなるんだ?」

「そんなの私にもわかるわけないでしょうが。ただ、使い魔の責任は主人の責任。私が退学になるかもしれないわけよ。わかってんの?」

「わ、悪かった」

「ふん」

 

 ひとまず、ルイズは不満を述べるのをそこまでにした。

 

「で、なんで私に黙ってたわけ?」

「黙ってたって?」

「私、あんたが剣術を使いこなせるなんて聞いてないんだけど」

「は?」

「とぼけんじゃないわよ。あんた、ギーシュの剣を振るったじゃないの」

「は、なんのことだよ」

「なに? 覚えてないっていうの?」

 

 サイトはしばらく思案した後、うなずいた。

 

「覚えてねえ。刀を握った瞬間までは覚えてるが、そのあと目の前が眩しくなって……それきりだ」

 

 サイトは刀を握り締め、ギーシュの繰り出したワルキューレを両断した。並大抵の剣士では成せない剣さばきだった。

 しかし、サイトにはその記憶がなかった。

 

「なら、これのせいかしら」

 

 ルイズはサイトの手首をつかんで、ルーンを見つめた。

 

「使い魔のルーン。使い魔に魔法の力が刻まれているのよ。それがようやく発揮されたってところかしら」

 

 コントラクトサーヴァントによって使い魔と契約すると一様にルーンが刻まれる。

 それは契約した主の持つ魔力特性の一部を反映したものであり、使い魔はそれにより野生の姿では発揮できない力を発揮できるようになる。

 しばらく、サイトには何のとりえもないと考えられてきたが、剣術が使えるという特性が備わっていたのかもしれない。

 

 しかし、ルイズには剣術の心得はない。使い魔の特性は主人に似ると言われているが、まったく似つかない性質だった。

 

 ややあって、コルベールが病室に戻ってきた。サイトが目を覚ましたということを知り無邪気に喜んだ。

 

「おー、良かったな、サイト君。心配したよ」

「ご迷惑かけて申し訳ありませんでした、コルベール先生」

「具合は大丈夫なのかね?」

「はい、傷口はふさがってますし、少し胸のあたりが痛むぐらいです」

 

 サイトはすでに立って歩けそうなほど元気になっていた。驚異的な回復力だった。魔法の力かあるいはシエスタの力か、サイトは後者のほうが大きいように自覚していた。

 シエスタの力によって特に心の傷が回復していた。

 シエスタがいてくれれば、貴族にバカにされても構わないと思えるようになっていた。誰かに冷たくされても孤独感も覚えなかった。

 サイトにとってシエスタは癒しの女神だった。

 



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7、微熱の訪問

 サイトの病状が回復するまでの間、ルイズはサイトの看病のために付き添う形になった。コルベールからの命令だったので従わざるを得なかった。

 看病すると言っても、サイトは目覚めたその日から食事が摂れるほど元気だったので、実質やることは何もなかった。

 さらにルイズを暇にさせたのが、シエスタだった。

 

 シエスタはほぼ24時間サイトのそばに付き添って、あらゆる世話を焼いた。食事の用意まで、身の回りの世話、話し相手に至るまで、そのすべてを行った。

 結果、ルイズは蚊帳の外となった。

 

 本来なら、それは喜ばしいことだった。

 シエスタが使い魔の世話をしてくれるのだから、自分の時間を自由に使える。サイトに手間がかからないのだから、その時間を使って勉強することもできた。

 実際、ルイズは魔導書を読み勉強するつもりで、本を何冊も持ち込んでいた。

 

 しかし、読書にまったく集中できなかった。

 目の前では、シエスタとサイトが楽しそうに談笑している。その光景を見せられるルイズにとっては気が散って仕方なかった。

 ルイズはそれを無視して魔導書に集中しようとしたが、二人が楽しそうに会話をする声が文字の上にかぶさってきてどうしても集中できなかった。

 

 ある日、ルイズはイライラが抑えられなくなり、シエスタとサイトの談笑に割り込んだ。

 

「ちょっと、あんたたちさ、うるさいんだけど。いい加減にしてくれないかしら」

「あ、申し訳ありませんでした。つい夢中になってしまって」

 

 シエスタはそう言って頭を下げたが、それでもルイズのイライラは収まらなかった。どうしてここまで二人のことが気が散るのかルイズにもわからなかった。

 シエスタもサイトも平民だ。平民のやり取りなんていつものルイズだったら余裕で見過ごすことができる。

 しかし、ルイズはどうしても二人のやり取りだけは無視できなかった。

 

「シエスタって言ったっけ、あんた」

「はい」

「あんた、メイドなんだから仕事があるんじゃないの?」

「サイトさんが元気になるまでの間、しばらく仕事のお休みをいただいたんです。ちょうど、オールドオスマン学院長が許可をくださったので」

 

 オスマンが許可をしたのなら、ルイズも反論することはできなかった。

 

「もう元気みたいだからいいわよ。さっさと仕事に戻りなさいよ」

「いいえ、医術師の先生たちが完解したとおっしゃるまでサイトさんの看病をさせていただきます。もしものことがあれば取り返しがつきませんから」

「……」

 

 ルイズはシエスタから強い意志を感じ取った。平民なのに、貴族であるルイズを上から圧倒するような重圧だった。

 

「それではサイトさん、ミスヴァリエールの読書の邪魔にならないように少し外に出ましょう。火の光を浴びることも大切ですから」

 

 シエスタは押し車を用意した。

 

「そうだな。悪かったな、ルイズ。邪魔して」

「ちょっと待った!」

 

 ルイズは二人を制止した。

 

「なんだよ、おれたちがいないほうが集中できるだろ。見舞いに来てくれたやつ、マリコルヌと言ったか、そいつがお前、魔法の成績が芳しくないと言ってたぜ。なら、集中して勉強しろよ」

「うるさいわね。筆記の成績は学年2位なの」

 

 ルイズはコンプレックスを付かれて強烈に反論した。

 

 サイトは首を傾げた。いつものルイズとはあらゆる反応が違っていた。

 これまでのルイズは自分のことを犬か猫のように見ていた。いや、犬や猫だって主人に可愛がってもらえている。サイトの場合、完全に無視されていた。

 しかし、なぜか異様にこちらに絡んでくるようになっていた。サイトもその理由がよくわからなかった。

 

「ともかく先生の許可なく外に出ちゃダメ。いいから、そこで静かにしてなさい」

 

 ルイズは強い口調でそう言うと、鼻を鳴らして読書に戻った。それでもまだイライラは収まらなかった。いったいどうしてしまったのだろう。ルイズは自問自答した。

 

 ◇◇◇

 

 ギーシュとの一戦で、生徒たちのサイトを見る目も変わった。

 色々な生徒がサイトの見舞いにやってくるようになった。

 肝心のギーシュだが、一旦実家のグラモン家に帰ったそうである。見舞いに来てくれたマリコルヌの話によると、グラモン家の主、すなわちギーシュの父親に厳しく説教されているのだという。

 

 マリコルヌはガラガラ声の小太りの少年で、サイトとは気が合って、連日見舞いにやってきてそれなりに親しくなった。

 ほかにも色々な者が見舞いに来てくれたが、その中でもサイトの意識に強く残ったのはキュルケだった。

 

 キュルケ・ツェルプストー。

 

 火炎魔術の大国「ゲルマニア」から留学してきた優秀な越境組の一人で、学院内で一番の巨乳……ついては美貌の持ち主だった。

 アカデミーへの進学を決めている優秀な3年生やアンロック魔術の腕前を競う大会で優勝した優秀な2年生などさまざまな相手と交際していると噂が立っているが、サイトの剣術を見たことから、キュルケはサイトに好意を寄せるようになったらしく、サイトの病室をたびたび訪れた。

 

 キュルケはサイトに恍惚の態度で近づいた。

 

「サイト、具合は良くって?」

「あ、ああ」

 

 サイトは目のやり場に困り顔をそむけた。

 

「そう、それは良かったわ。なら、今夜私の部屋にいらして。あなたをもっと元気にしてあげるわ」

 

 キュルケはストレートに誘ってきた。そういうことに慣れていないサイトはどぎまぎした。断り切れず、しかしストレートに肯定もできずにいると、シエスタが二人の間に入った。

 

「申し訳ありませんがミスツェルプストー。サイトさんは病人なのです。またの機会、いいえ、このままお引き取り願いますか?」

 

 キュルケは口を緩めてシエスタを見下ろした。長身でスタイルのいいキュルケは勝ち誇ったように余裕のある表情でシエスタに尋ねた。

 

「あなたがサイトの恋人なのかしら?」

「私はシエスタと言います。サイトさんのお世話をさせていただいております」

 

 シエスタは肯定はしなかったが、否定もまたしなかった。シエスタは強い目で下からキュルケの圧を跳ね返そうとした。

 

「ふーん、でもあなたのようなどこの馬の骨かわからぬ小娘にサイトはもったいないわ」

 

 キュルケはそう言うと、恍惚に髪に触れた。

 

「サイトの剣さばき、あれはまるでガリア東薔薇騎士団のエース、バッソ・カステルモール様のよう。いえ、それ以上の可能性を秘めていたわ。目にも留まらぬ一太刀。でも私の目にはたしかに留まったわ」

 

 キュルケはそう言うと、サイトに顔を近づけた。

 

「ねえ、教えてくださる? サイトはどこで騎士を務めておられたの?」

「いや、騎士なんて。おれは剣も握ったことないし……」

 

 サイトは正直に答えたが、キュルケはサイトが実力を隠したと思ったようであった。

 

「鷹は自分の爪を隠すと言いますものね。でも、少しぐらい素敵なところを見せてくれてもいいでしょ」

 

 キュルケがもう一度顔を近づけたところで、シエスタは二人の間に割って入った。

 

「サイトさん、お薬の時間です。というわけで、ミスツェルプストー、今日のところはお引き取り願いますか?」

 

 シエスタは思った以上に強引で、貴族のキュルケにも負けていなかった。

 

「ただの平民の小娘と思いきや、あなたもなかなか曲者ね。でも、そのほうが恋は燃えるというもの。いいわ、余計楽しくなってきたわ」

 

 キュルケはそう言って笑った。

 

「また来るわ。サイト、そのときはあなたのその心を虜にしてあげるわね」

 

 キュルケは余裕の表情でそう言うと、去っていった。負けるはずがないと思い込んでいるようで、シエスタのような必死さを表に出さなかった。

 シエスタはキュルケを強敵と認識したようであった。シエスタはキュルケが去っていく姿をいつまでもにらみつけていた。

 

 しかし、シエスタ以上にいら立ちを覚えていたのはルイズだった。最後の最後まで蚊帳の外なのが気に入らなかった。ルイズは本で自分のいら立つ表情を隠した。

 



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8、虚無の継承者

 サイトは退院した。

 ギーシュとの決闘の直後は生死をさまようほどの状態だったが、魔法の施しもあり、サイトは完全回復した。

 この回復にはシエスタの力も大きかった。サイトは誰よりもそのことを実感していた。

 

 退院して間もなく、ルイズとサイトは学院長室にやってきた。

 今回の騒動のけじめをつけるため、学院長オスマンから直々に処分を言い渡されることになるのかと思うと、ルイズはため息をつかざるを得なかった。

 

 ルイズは魔法衛士を志すため、ヴァリエール領をはるかに超えて、ここトリステイン魔法学院にやってきていた。

 魔法の成績は上がらなかったが、それでもルイズは夢を叶えるために今でも努力を続けている。そんな矢先に、使い魔の暴力事件。ただでさえ、学業成績に悩みがあるのに、ルイズにとっては追い打ちをかけるような惨事だった。

 

 ルイズは学院長室の扉に手を伸ばしてしばらくためらった。またため息がこぼれた。

 

「はあ……退学になったらと思うと憂鬱だわ……」

「なんでお前がクビになるんだよ? 暴力事件を起こしたのはおれだろ?」

 

 今回の暴力事件の当人であるサイトはルイズと違い、サバサバしていた。

 

「使い魔の責任は主の責任なのよ。過去にはそういう事件で退学になった生徒が何人もいるのよ」

「ふーん、まあでもクビになると決まったわけじゃねえんだし、学院長とやらの話を聞いてみようぜ」

 

 ルイズに代わり、サイトが扉を叩いた。

 

「すみません、入っていいですか?」

「入りたまえ」

 

 許可が下りたので、サイトは軽く扉を押した。厳めしい扉だったが、思いもよらず簡単に開いた。

 

「失礼します、オールドオスマン学院長」

 

 ルイズはそう言うと、ていねいにおじぎをした。ルイズと言えども、学院長の前ではひれ伏さなければならないようだった。サイトも合わせておじぎをした。

 

「こちらへ来たまえ」

 

 ルイズはもう一度おじぎをしてオスマンの前に向かった。

 オスマンは険しい表情を浮かべることなく、どちらかというとニコニコ微笑んでいるようだった。

 サイトはオスマンから壮年の魔道士という感じの迫力を感じた。地球には、このような迫力を持つ老人はほとんどいないから、思わず崇めてしまいそうになった。

 

「えー、まずはサイト君。調子のほうはどうかね?」

 

 オスマンは穏やかな表情でサイトに尋ねた。

 

「あ、はい。おかげさまで元気になりました」

「そうか。それは良かった」

 

 オスマンはそう言うと、近くにいた使い魔のモートソグニルを手に乗せた。

 

「モートソグニルやあちらの棚から例のものを取ってきてくれるか?」

 

 指令を受けたモートソグニルはオスマンの手のひらから飛び降り、机の上からも飛び降りて例の書類のある棚を登り始めた。

 サイトは一生懸命なモートソグニルの冒険をながめていた。ただのネズミのようだが、人間の言葉を理解していて、地球の某アニメのようだと思った。

 

 特にそれには興味を示さなかったルイズはオスマンに尋ねた。

 

「オールドオスマン学院長、私は退学になってしまうのでしょうか?」

「ほほ、多額の寄付金をもらっているヴァリエール家の者をクビにしたとなると、ワシの首のほうが飛んでしまうわい」

 

 オスマンはそう言うと、少し真面目な表情を作った。

 

「今日は少し確かめたいことがあってな、特にサイト君にな。病み上がりで申し訳ないと思ったが、一刻も早く確かめておきたくてな」

「確かめたいことですか?」

「うむ」

 

 オスマンはモートソグニルが持ってきた1枚の巻物を手に取ると、ゆっくりと広げた。

 

「ミスヴァリエールは始祖ブリミルについてはもう勉強したかな?」

「始祖ブリミル様のことならば、勉強するまでもなく熟知しております」

「サイト君はどうかな? 始祖ブリミルについては勉強したかな?」

「えーっと、トリステインの英雄かなんかで魔術の体系を作った偉い人みたいなことはコルベール先生から聞いてます」

「うむ、勉強熱心で感心なことじゃ。サイト君の話したとおり、始祖ブリミルはトリスタニアに魔術を伝えた原初のメイジと言われている。しかし、問題はここからじゃ」

 

 オスマンは巻物にていねいに目を通しながら話した。

 

「始祖ブリミルが我々に伝えた「魔法の4系統基本法則」。ミスヴァリエールも習ったと思うが、「すべての魔法現象は火、水、土、風の4つの象限を持つ平面で説明できる」というものじゃ」

 

 ルイズはうなずいた。それは誰しもが最初に習う最も基本的な魔法の基本定理である。

 

「しかし、この4系統では説明できない不思議な魔法群がある。虚無じゃ」

「虚無?」

「虚無については知っているかね?」

「もちろん、聞いたことはあります。魔法アカデミーにも専用の研究機関がありますし。ですが、そのようなものは実在せず、だいたいの怪奇現象は風系統の魔法の作用で説明できると聞いておりますが」

「うむ、まあそうじゃな。虚無なんてもはやまともに信じる者はおらん。ワシもそんないかがわしいものがあるとは思っておらんかった」

 

 サイトはやり取りを聞きながら、虚無は地球で言うところの幽霊みたいなものだと認識した。霊的な何かだの、死者の魂だの地球でも色々言われるが、科学がそれを突き止めたことはない。虚無もまた、魔法の原理では説明できないということなのだろう。

 

「しかしな、虚無など存在しないと頭から否定できない事実がいくつかあるのじゃ。信頼性は低いが、歴史書の中には、始祖ブリミルが伝えた真の魔法系統は平面ではなく立体であったとされておる」

「立体ですか?」

 

 ルイズからしてみると、それは不思議なことだった。魔法を学び始めて、すべての魔法は火、水、土、風の4つの象限を持つ平面で表記するものというのが当たり前になっていた。

 

「うむ、虚無とは通常の魔法とまったく異なる次元で生じている魔法の総称」

「ですが、あくまでも信頼性の低い歴史書の表現なのでしょう?」

「そう、本来なら金儲けのために作り話を書いた阿呆な著者だと一蹴してもよいのじゃが、同時に記録に残っている不思議な使い魔のルーンがある」

 

 それから、オスマンはサイトのほうに顔を向けた。

 

「サイト君、ルーンを見せてもらっていいかな?」

「はい、これですよね」

 

 サイトは自分の右の手の甲に刻まれたルーンをオスマンに見せた。

 

「うむ、間違いない。ミスヴァリエールもこれを見たまえ。始祖ブリミルが使い魔に刻んだルーンが歴史書に記されておる」

 

 オスマンは巻物の一端に記されていたルーンを二人に示した。

 

 サイトの甲に刻まれているルーンと始祖ブリミルが使い魔に刻んだルーンは寸分たがわず同じだった。

 

「まったく一緒だぜ」

 

 サイトは何度も確かめて同じであると確認した。

 

「そう、これらのルーンはまったく同じ。こんな偶然があるじゃろうか? このような不可解なルーンは歴史上存在しない。少なくともワシは見たことがない。数百万のルーンを確認してきたワシが言うのじゃ、間違いない」

 

 100歳を超えるとされるオスマンが言うのだから、たしかに間違いはないのだろう。

 

「しかし、まぎれもなくサイト君の手に刻まれたルーンはブリミルの使い魔と同じもの。それが意味することはただ1つ」

 

 オスマンは真面目な顔でルイズを見た。

 

「ミスヴァリエール、おぬしは虚無の継承者じゃ」

「私が虚無の?」

 

 突然そんなことを言われても、どう反応していいかわからなかった。

 

「コルベール先生からも話を聞いておる。ミスヴァリエールは真面目で勉強熱心であると。事実、筆記試験の成績はトップクラス。ところが、魔法になるとさっぱりであると」

 

 言われて、ルイズは恥ずかしそうに顔を赤らめた。ルイズは基本的な魔法も習得できず、周囲から馬鹿にされていた。

 

「その理由はもしかしたら虚無にあるのかもしれん。ワシも虚無など見たこともないから、どういう作用が魔法の習得を邪魔しているのかはわからぬが。ともかく、ミスヴァリエールよ、おぬしは虚無を引き継いでいる可能性がある。そのことだけは伝えておかなければならぬと思ってな」

 

 オスマンは長話で疲れたように椅子にもたれかかって息をついた。

 

「オールドオスマン学院長、申し訳ありませんが、私には虚無というものが存在するとはとうてい思えないのですが」

「それならば、百聞は一見に如かず。確かめてみようじゃないか」

 

 オスマンはそう言うと、立ち上がり、窓から外を見やった。

 

「今日はいい天気じゃ。外に出よう」

 

 オスマンがそう言うので、二人は黙ってうなずいた。

 

 ◇◇◇

 

 トリステイン魔法学院はさまざまな魔法の実習を行うため、広大な敷地を備えている。

 風系統や火系統の魔法は特に危険で、それらを学ぶためには広い敷地が必要だった。

 オスマンはルイズとサイトを連れて、火系統の魔法を練習する岩の積みあがった荒れ地に降りて来た。

 

「今日3年生は野外学習に出ておる。ここを使った授業は入っておらん。ちょうどよい」

 

 オスマンは広々とした荒れ地を見渡した。遠くに粉々に砕かれた岩がまとめられていた。火系統の魔法に精通すれば、巨大な岩も粉砕できる。

 

「あの、これから何をするのですか?」

「虚無を見ようというわけじゃ。話を聞くところによると、サイト君は剣を手に持ったとたん、尋常ではない力に目覚めたと聞いておる。ならば、見てみようではないか」

 

 オスマンはそう言うと、ルイズとサイトから距離を取って向かい合った。

 

「では、サイト君に剣を授けよう。いでよ!」

 

 オスマンは立派な杖を振るった。100歳を超えるという老人とは思えないほど腰の入った杖さばきだった。

 杖から魔力が放出され、立派な剣が現れ、それは空中から垂直に落下し、サイトの眼前に突き刺さった。

 

「……」

 

 サイトは目の前に現れた剣を見つめたあと、オスマンのほうに目を向けた。

 

「これであそこにある岩をぶった切れということですか?」

「ほほ、あんな石風情では虚無に対抗できまい。サイト君の相手は他ならずワシがしよう」

「え?」

「むろん、ワシはこのように老いぼれ。なので、ワシの使い魔のモートソグニルにサイト君の相手を任せるとしようかな」

「えーっと……」

 

 サイトは首を傾げた。

 モートソグニルはネズミ。距離を取ると、目にも入らないほど小さくてちっぽけだった。

 あのようなネズミとどう戦えというのだろうか。

 

「安心せい。モートソグニルはこれまでワシの危機を幾度となく救ってくれた。虚無を図るには申し分ない相手よ」

 

 オスマンはそう言うと、モートソグニルを前に出した。

 だが、その姿は小さく、とても戦える存在とは見えない。

 

「モートソグニルや、その甚大なる力を解放せよ」

 

 オスマンがそう言うと、モートソグニルは可愛い顔をこわばらせて、体を震わせた。

 

 直後。

 

 モートソグニルの体は約100倍に巨大化した。

 

 見下ろしていたサイトの視線は空に向かった。ルイズも目を見開いて見上げていた。

 

 可愛かったモートソグニルは姿かたちもなくなり、目の前には獰猛な悪魔がいて、サイトとルイズを見下ろした。

 

「ま、まじかよ……」

 

 色々な魔法を見てきて、サイトももはや多少のことでは驚かなくなっていたが、これには驚かざるを得なかった。

 使い魔にはこのような力があるのかと感心させられた。

 

 同時に、それならば自分にも大きな力があるのかもしれないという自信もこみあげて来た。

 

「いいかな、サイト君。我がモートソグニルが相手で不満はないかね?」

「不満どころか、うれしいですよ。ようやくファンタジーの世界らしくなってきたんで」

 

 サイトはモートソグニルからそれほど恐怖は覚えなかった。オスマンの使い魔だから安全だろうというのもあったが、目の前の剣を握れば、たとえ6mを超える巨大な鼠でも倒せるような気がした。

 

「いくぜ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいって。無謀よ、何考えてんのよ」

 

 ルイズは冷静にサイトを制止した。普通に考えてあんな巨大なものに勝てるはずがない。

 しかし、サイトは勝てる気でいた。

 

「大丈夫だよ、お前虚無とかいうすげえやつの使い手なんだろ? ならその使い魔だってなんかすげえ力ぐらいあるだろ」

「いやだから、虚無は実在が確認されてる系統じゃないのよ」

 

 ルイズは謙虚だった。自分がそんな特殊な存在ではないと思い込んでいた。魔法の成績が悪いのも、自分の努力不足だと考えていた。

 

「なら確認してみようぜ。この剣を握ればわかるだろ」

 

 サイトはそう言うと、両手を天に向けて、それから剣に手をやった。

 サイトの右手のルーンが光り輝いた。



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9、虚無の剣、ガンダールヴ

 剣を握り締めた瞬間、サイトの脳が覚醒した。これまで使って来なかった部分が燃え上がるように熱くなっているようだった。

 眠気が吹っ飛び、色々な情報がフラッシュバックされた。

 

「これは……?」

 

 サイトは心の中に浮かび上がってきたさまざまな光景と対峙していた。

 

「お前は……?」

 

 サイトの目の前には一人の男が立っていて、サイトのほうを見ていた。眩しい光のせいで男の顔は確認できない。しかし、口元は笑っているように見えた。

 

「ガンダールヴ、その力に溺れるな、決してな。そして、守れ、愛する者を」

 

 男はサイトにそのように言った。最後に一言付け加えた。

 

「命に代えても絶対にだ」

 

 サイトはその言葉を受けて、無意識のうちに力ずよくうなずいた。

 

「よし、その調子だ。頑張れよ、ヒラガサイト、虚無の騎士」

 

 男はそう言うと消えてなくなった。そして、視界が戻ってきた。はっとなって前を見ると、巨大化したモートソグニルが右手を天に挙げていた。

 

「サイト!」

 

 後ろからルイズの大きな声が聞こえた。サイトは不思議に思ってちらりと後ろを振り返った。

 

「お前、いまおれの名前を呼んだか?」

「は? 何言ってんのよ、そんなことより大丈夫なの? あんた、ギーシュと喧嘩したとき剣を持ったらおかしくなったんでしょ」

 

 サイトは手に取った剣の感触を確かめた。

 

「心配ねえ、頭は正常だよ。ちゃんと使い魔の使命は果たせそうだよ」

 

 サイトはそう言うと、モートソグニルをにらみつけた。

 

「使い魔の使命、主を守ることだっけかな。その任務果たさせてもらうよ」

 

 サイトは剣を構えた。

 剣を握った経験などなかったが、剣の使い方が手に取るようにわかった。体もとても軽かった。

 右手のルーンの輝きがサイトに摩訶不思議な力を与えているようだった。

 

 オスマンはサイトのルーンの輝きを見て口元を緩めた。

 

「まぎれもない虚無の輝きじゃ。問題はその力。善か悪か。モートソグニルや、とくとガンダールヴの本質を引き出すのじゃ」

 

 オスマンの命令を受けたモートソグニルは右手にいかずちを発生させた。電気が弾ける大きな音がとどろいた。

 ルイズはその迫力に目を背けた。

 だが、サイトは堂々とそのいかずちを見ていた。ルイズは手で覆った隙間からサイトの姿を見た。

 凛々しく剣を構えたサイトの姿は他の何者でもない剣士の姿だった。

 ルイズはその光景に似たある光景を思い出した。

 

 あれは今から10年ほど前のこと。

 親に反抗して家出したルイズはとある森の中で荒くれのゴブリンに囲まれた。

 ゴブリンはルイズを生け捕りにしようとゆっくりと近づいてきた。

 ルイズは恐怖で動くことができなくなった。もうダメだと思った。

 

 そのとき、ルイズの前にいかずちが舞い降りた。

 

 舞い降りたいかずちは見事な杖裁きでゴブリンたちを電撃でなぎ倒した。体が麻痺したゴブリンたちは動けなくなり、その場に崩れ落ちた。

 

 いかずちは凛々しい目で恐怖してその場に頓挫するルイズに手を差し伸べた。

 

「ルイズ、戻ろう。君のお父様とお母様には僕のほうから頭を下げるよ、さあ」

「……」

 

 ルイズは凛々しく美しい男の手に取った。

 

「ワルド……どうしてここがわかったの?」

「偶然さ。でも無我夢中で走り回って探した。間に合ってよかった」

 

 良く見ると、その凛々しい男の髪は乱れ、息も上がっていた。自分のために本当に探し回ってくれていたのだとわかってルイズはうれしくてたまらなかった。

 その男の名はワルド。

 トリステインを代表する魔法衛士にて、王室の守護隊を束ねる隊長でもある。

 

 ルイズはワルドに初恋をし、それからずっと長い間ワルドのことを想い続けて来た。

 目の前にいるサイトがちょうどワルドの姿に重なった。

 

 ワルドのように背は高くない。体つきも未熟だ。しかし、自分のことを守ろうとするその心はワルドのそれと同じだった。

 ルイズはサイトからこれまでに感じたことのない頼もしさを覚えた。

 

 モートソグニルはいかずちを帯びた右手をサイトめがけて叩きつけた。

 手加減のない本気の攻撃だった。

 

 サイトはタイミングよく剣を振るった。

 素人とは思えない目にも留まらぬ剣捌きだった。明らかに特殊な力がサイトの力を高めていた。

 サイトが振るった剣からは炎の波動が直進した。

 その波動がモートソグニルの攻撃を跳ね返し、その巨体を後ろに転倒させた。

 

 サイトは自分で自分の剣捌きに驚いた。

 

「なんて力だ……これがおれの力だってのか?」

 

 論より証拠。モートソグニルはたしかにサイトの一撃で後ろに転倒した。ハイイログマなんて目じゃないほどに巨大で力強いモートソグニルが転倒したのだから、人間離れした力が身についていることは間違いなかった。

 

 しかし、モートソグニルはすぐに立ち上がり、今度は両手を胸の前で合わせた。今度は禍々しい漆黒の球体が生み出された。

 それはまぎれもなく人間をいや、獰猛な獣をも殺傷する力を持っていた。

 

「本気で殺しに来てるじゃねえか。なら、こっちも手加減しねえぜ」

 

 サイトは再び剣を構えた。ルイズはひるんでしまって動くことができなくなっていたが、サイトは勇敢にモートソグニルに向かって飛び掛かっていった。

 ルイズは今までのサイトのイメージを払拭した。もはや、目の前にいるのはただの平民ではない。

 

 サイトは鋭くステップを踏むと、力強く大地を蹴った。

 サイトの体は数メートルにわたって浮かび上がった。その跳躍力はトップアスリートのそれの比ではなかった。サイトはみるみる大地から遠ざかり、モートソグニルと同じ高さに到達した。

 

「行くぜ、おらあああああああ!」

 

 サイトは空中で剣を構えた。サイトを聖なる光が包み込んだ。

 

 サイトの光の一太刀が放たれた。

 

 その輝きはモートソグニルをしたたかに斬りつけた。

 モートソグニルの体が両断されるのが見えた。

 両断されたモートソグニルからはおびただしい魔力が放出し、そのまま巨体は蒸発した。

 

 地上に残ったのはもとの小さなモートソグニルだった。

 

「ほほ、想像以上の力。じゃが、安心した。その力に悪しき色はない。聖なる力そのものじゃ」

 

 オスマンは納得したようにそう言うと、ゆっくりとモートソグニルに歩み寄った。

 

「大丈夫か、モートソグニル」

 

 モートソグニルは特にダメージを受けていないようで、そのままオスマンの肩に飛び乗った。

 

 サイトは戦いが終わったことを確認すると、剣を地面に突き刺して、剣から手を離した。

 すると、サイトの手のルーンから放たれていた光が消滅した。

 その瞬間、信じられないほどの疲労感が襲ってきた。立っていられなくなり、サイトはその場に膝をついた。

 

「サイト!」

 

 ルイズは立ち上がると、サイトのもとに駆け寄って肩に手を置いた。

 

「大丈夫?」

「ああ、体に力は入らねえが大丈夫だ」

 

 サイトは肩に置かれたルイズの手の感触を感じていた。いつもの冷酷なものとは違い、本当に自分のことを心配してくれているということがよくわかる温かさだった。

 その温かさがあれば、サイトは容易に立ち上がることができた。

 

「うむ、見事な剣捌きであった」

 

 ◇◇◇

 

 その後、オスマンとサイトとルイズは中庭のベンチに腰を下ろした。

 

「ふう、疲れたのう。そこの者、温かい飲み物を持ってきてくれるか、あとモートソグニルにもビスケットを1つ」

「かしこまりました。サイトさんはいつものやつでよろしいですか?」

 

 注文を受け取ったシエスタはサイトにそのように尋ねた。

 

「ああ、Aセットを頼むよ」

「かしこまりました」

 

 シエスタはそう言うと、温かい微笑みをサイトに振りまいてから売店のほうに戻っていった。

 

「なにAセットって?」

 

 ルイズが横目でサイトのほうを見ながら尋ねた。

 

「ああ、ゲルマニアハーブティーとタルトタタンのことをAセットで伝わるんだぜ」

 

 サイトはそのように説明した。魔法学院生活歴1年のルイズよりサイトのほうがこの売店のメニューに詳しかった。

 ルイズはあまりここの中庭を利用しないから、そんな造語には詳しくなかった。

 ルイズはサイトがこの中庭をよく利用しているということが少し不快だった。良く利用するということはつまるところシエスタとよく面会しているということだ。

 ルイズはシエスタがサイトにだけ特別な愛嬌を振りまいていることを認識していて、シエスタのことを自分の使い魔をつけ狙う泥棒猫のように考えるようになっていた。

 

 注文の品が届いたところで、オスマンは改めて二人に虚無のことについて話した。

 

「さて、改めて話そう。サイト君のあの力、あれは4系統のいずれでもない魔力からもたらされた力であった。間違いなく、虚無の力と考えて間違いないであろう」

「おれも間違いないと思います。おれはこれまで一度も剣なんて使ったことがないんです。でも、剣を握った瞬間に剣の使い方が手に取るようにわかるようになったんです」

「ふむ、始祖ブリミルが使った使い魔の騎士も同じだったという記録がある。ならば、サイト君もその力を継承したのかもしれんな」

「でも信じられません、私が虚無の力を持っているだなんて」

 

 ルイズは今でも半信半疑だった。それもそのはず、虚無の力を実際に発揮したのはサイトであり、ルイズはただそのルーンをサイトに刻んだだけだった。自分が実際に発揮した力ではなかったので実感に乏しかった。

 

「しかし、間違いない。ミスヴァリエール、おぬしは間違いなく虚無の継承者。誇りを持ちなさい」

「はい」

 

 オスマンにそう言われると、ルイズも誇らしく思うことができた。

 

「さて、虚無という大きな力を手に入れたのだから、二人ともさぞ周囲にその力を自慢して回りたいことじゃろう。しかし、ワシから君たちにお願いしたいことがある」

 

 オスマンはお茶を一口飲んでから続けた。

 

「おぬしたちが虚無の力を手に入れたこと、周りの者には秘密にしておいてほしいんじゃ」

 

 オスマンの提案にルイズとサイトは同時にうなずいた。オスマンの意図はすでにわかっていた。

 

「この国にはあちこちに荒くれものが目を光らせておる。虚無の力があると知れると、そやつらは間違いなくおぬしたちの前に現れ利用しようとするであろう。ワシは平和を望む身。どうだろうか、この願い聞いていただけるであろうか?」

「もちろんです。おれもこの力を争いのために使う気はありません」

 

 サイトは堂々と主張した。虚無の力を解放したとき、サイトはそこに現れた男と約束をしていた。

 その力に溺れるな。愛する者を守るためだけにその力を使えと。

 

 サイトはその男の力を継承するにあたり、その意思も継承したかった。それにサイトもまた平和を愛する日本国民としての自覚がある。剣を悪しきのために使う気はなかった。

 

「私も約束いたします。私の将来の夢は魔法衛士になり、トリスタニアを平和な国にすることです。決して悪のためにその力は使いません」

「ありがとう、二人とも。いや、当然の道理かもしれんな。虚無は使い手を選び継承される。おぬしたちのその篤い心が虚無を呼び込んだのかもしれん」

 

 オスマンは二人の心を見て、虚無は最もふさわしい者たちに引き継がれたのだということを悟った。

 



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10、異変

 サイトは虚無の力を持つ「ガンダールヴ」と呼ばれる偉大な使い魔ということが判明した。

 ハルケギニアに来て疎まれる日々が続いていたが、一転サイトは選ばれし剣士になった。

 

 ガンダールヴになるためには、剣を持つだけで良かった。

 剣を握れば、これまで一度も剣を振るったことがなくてもその道100年、いやそれ以上の達人になることができる。

 

 サイトの早太刀は目にも留まらなかった。

 まばたきをする間もなく、アレックスの剣は弾かれ、さらにはその剣は折れぬ曲がらぬとされた魔法物質で造られているにも関わらず、刃先がきれいに両断された。

 

「アレックスが負けた? 魔法衛士隊から推薦を受けているわが校最大の剣の達人が負けたというのか?」

 

 サイトは周囲がどよめく中、剣を背中に収めた。

 

 サイトはいま剣の試合を申し込まれ、一戦交えているところだった。

 サイトに剣の試合を申し込んだのはトリステイン魔法学院の3年生、ゲルマニアから越境してきた金の卵だった。

 アレックスはトリステイン魔法学院の1位、2位を争う魔法の実力者であり、魔法と剣術を融合させた魔法剣術は素晴らしく、トリステインの魔法衛士隊から推薦を受けるほどの実力者だった。

 アレックス自体はゲルマニアに戻って、国に尽くす身になると決めているようだが、その実力は十分に世界レベルだった。

 

 だが、サイトはそのアレックスを一撃で仕留めた。魔法を使わない剣だけの試合という前提ではあったが、アレックスの剣はサイトにまったく通用しなかった。

 

「ば、馬鹿な。こ、こんなことが現実にあるはずが……」

 

 アレックスはしりもちをついたまま、わなわなと体を震わせた。

 

「何なら、魔法ありのほうが良かったか?」

 

 サイトは余裕の表情で見下ろした。

 

「ぐ……」

 

 アレックスにとっては屈辱。しかし、サイトにとっては周囲からは大きな尊敬を受ける結果になった。

 

 それ以降、サイトはさまざまな女の子から声をかけられ、求愛されることになった。特にキュルケからは激しく求められた。

 

 しかし、サイトは誰にもなびかなかった。サイトはこの力で得た名誉には浸らないつもりだった。

 この力は真に愛する者を守るための力。サイトはその思いを一日たりとも忘れずに生きていくつもりだった。

 

 そんなことがあってから、サイトの生活に大きな変化が起こった。

 

 第一の変化、それはサイトがいつもの朝を迎えたときのことだった。

 

「ルイズ、洗濯物はどれだ?」

 

 サイトはいつものようにルイズの雑用に精を出すべく、洗濯物があるかどうかを尋ねた。

 いつもなら、無言でほっぽり出して行くルイズだったが、その日は違っていた。

 

「洗濯はいいから」

「え、なんで?」

「何でもいいでしょ。自分でやるから。あんたは部屋の掃除、馬の世話。いつもよりちゃんとやりなさい。わかった?」

「はあ」

 

 ルイズは恥ずかしそうにそう言うと、授業のために部屋を出て行った。

 

「なんか嫌われちまったな」

 

 サイトは自分が嫌われたのだと思った。ここ最近、あちこちに引っ張りだこだったのが理由かと推測した。

 特にキュルケに再三部屋に呼ばれたのが影響したのかもしれない。

 話によると、ルイズとキュルケは犬猿の仲で、二人の間だけでなく、ヴァリエール家とツェルプストー家は歴史的に争いが絶えないのだという。

 両家を巡る戦は100を超え、殺し合いは日常茶飯事だった。

 最近は戦争こそ起こっていないが、両家ともさまざまなビジネスをしているが、それを巡って裁判や嫌がらせが絶えないのだという。

 

 とはいえ、洗濯をしなくても良くなったので、サイトにとっては自由な時間が増えていい側面もあった。

 サイトはその時間の多くをシエスタの仕事の手伝いや図書館での勉強に充てた。

 

 サイトが虚無の使い魔であることは関係者以外には口外していない。しかし、選ばれた力を持ったのなら、その力を正しく使いたかった。

 

 サイトは授業でだれもいない図書館ににやってくると、本を物色した。

 トリステイン魔法学院にある図書館はかなり大きい。1万冊を超える書物が2フロアに渡ってぎっしりと敷き詰められていた。

 

 サイトはここしばらくガンダールヴに関する書物を勉強していた。

 始祖ブリミルが使ったとされるガンダールヴについて知ることは、自分のあるべき姿を探すのと同じ意味があった。

 

「ん……?」

 

 図書館は休み時間や放課後になると多くの人でにぎわうが、午前中は誰もいないのが普通だったが、今日は先着があった。

 

 少女が一人、椅子に腰かけて静かに本を読んでいた。

 

「あ、君、たしかタバサって言う子だったっけ。いつもキュルケと一緒にいる子だよね」

 

 サイトはタバサのもとにやってきた。

 

「2年生はいま授業じゃないのか? 出なくていいのか?」

「……」

 

 タバサは何もしゃべらなかった。話しかけたことに気づいていないかのように、本をめくるばかりだった。

 キュルケから、タバサはおとなしいということは聞いていたが、おとなしいというより、周りに関心がないような雰囲気だった。

 

 サイトも邪魔してはいけないと思ってそこから離れた。世の中にはそういう子もいるだろう。

 

 図書館の勉強に飽きたら、サイトはシエスタの売店の手伝いをした。

 

「いつもすみません、サイトさん」

「気にするな。シエスタにはいつも世話になってるからな」

 

 サイトにとって、シエスタと過ごす時間が一番楽しかった。だから、サイトは毎日必ずシエスタのもとに顔を出した。

 シエスタはいつも優しくサイトを迎えてくれた。サイトはシエスタの笑顔を見るたびに幸せを感じることができた。

 

 サイトは何度もシエスタのところに顔を出しているので、他のスタッフとも顔見知りになっていた。

 

「よう、我らの剣。今日も元気がいいな」

「今日も失礼しています、マルトーさん」

 

 サイトはシェフのマルトーに頭を下げた。

 マルトーもシエスタと同じく貴族ではなく、平民としてトリステイン魔法学院で働いている。

 とはいえ、マルトーは平民の中でも特殊である。長らく、トリステイン王室の人気レストランで腕を振るい、その腕が認められてトリステイン魔法学院の厨房を任されるようになっていた。

 そんなマルトーにとって、サイトは自分と重なるところがあるようであった。

 サイトもマルトーは良き先輩として多くを学んでいた。

 

「マルトーさんは平民だと聞いています。この身分社会でどうしてこれほどまで出世できたのですか?」

「平民だろうとなんだろうと腕がありゃ成り上がれる。お前も己を信じて剣を振るえば、平民だとしても魔法衛士にだってなれるさ」

 

 マルトーはそう言って胸を張った。

 マルトーも昔は貴族から厳しい扱いを受けていたのだという。

 最初に出店したレストランはすぐに人気が出たが、しばらくして貴族の嫌がらせを受けて、店をたたむことになったのだという。

 その時は結婚したばかりで、家族を路頭に迷わせてしまったという責任感から自殺も考えたという。

 しかし、マルトーは愛する奥方の励ましを受けて、不死鳥のようによみがえった。

 

 幾度となく続いた貴族の嫌がらせにもめげずにマルトーは不死鳥のように立ち上がり続けた。

 すると、これまで嫌がらせをしていた貴族の中からマルトーを評価する者が出て来たという。

 

「男はな、愛する者のためなら何だってできる。サイト、お前も心の底から愛することのできる人を見つけることだ。そうすれば、お前もおれのようになれるさ」

「愛する者か……」

 

 サイトはそう言いながらもすでに自分が愛する人のことを知っていた。

 愛する者はサイトの近くにいてくれる。

 愛する者のためなら、命も賭けることができると思えた。

 

「ところでサイトよ。お前は剣士なのだろう」

「うーん、まあそういうことになっているのかな」

「だったら、もっといい剣を持ったらどうだ? その剣は学院から借りているものなんだろう?」

 

 サイトは剣士でも何でもなかった。ルイズの使い魔になったことで、剣術を身に着けたが、サイト自身は剣の心得などなかった。

 

「でも剣は高いからなぁ」

 

 この世界では、剣は新金貨1000枚以上が相場だった。

 そんなお金を平民が手に入れるのは難しい。なので、サイトはトリステイン魔法学院から剣を借りていた。

 

 そんなとき、マルトーのやり取りを聞いていたシエスタがサイトの隣にやってきた。

 

「サイトさん、よろしければ私が剣をプレゼントしてさしあげますわ」

 

 シエスタはそのように持ち掛けた。

 

「いやでも悪いよ。すげえ高いんだぜ、剣は」

 

 この世界の剣は鍛冶職人が魔法の触媒を丁寧に鍛錬して、場合によっては数年かけて仕上げる。

 簡易的な剣では、実戦に耐えないからだ。

 ダイヤを打ち砕く魔術が存在するこの魔法の世界で、剣を使うには、同じく魔法の力が必要だった。

 

 魔石も使用した剣はいずれも新金貨1000枚以上。平民の年収が飛ぶほど高価なものだった。

 

「いえ、ぜひプレゼントさせてください。私、サイトさんには本当に色々な意味で守っていただいています。このままでは、申し訳が立たないのです」

 

 シエスタはそのように主張した。

 サイトは悪いとは思ったが、剣がほしいという気持ちは大きかった。

 

 フレイムタン、ライトニングソード、クレイモアなどなど、サイトが本で見たところによると、この世界には男の子が憧れる剣がたくさんあった。

 買ってもらえるならそれ以上に嬉しいことはなかった。

 

 サイトは逡巡したが、シエスタの世話になることになった。

 

「悪いな、シエスタ」

「いいのです。では、さっそく買いに行きましょう」

 

 シエスタは何の負担も感じていない様子だった。シエスタにとっては、サイトがすべてだった。サイトがシエスタに感じているように、シエスタもまたサイトのために命も賭けているようであった。

 



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11、因縁の再会

 シエスタは遠方のタルブの村から、トリステイン魔法学院まで馬でやってきた。

 ここトリステインでは、10歳を過ぎたころから乗馬を学ぶのが当たり前で、かよわいシエスタでも、いっぱしの馬乗りだった。

 

 トリステイン魔法学院では、生徒一人一人および、従業員に馬が一頭割り当てられている。シエスタもここで働くようになったころから、愛馬を授かっていた。

 ハルケギニアには、炎を纏った馬や、闇の力を放つ馬など、さまざまな馬がいる。これらの特別な馬を乗りこなせる者は、ハルケギニア全体を見渡しても数は限られる。

 

 シエスタは当然そうした馬ではなく、普通の馬に乗る。

 シエスタは牧場から愛馬を連れだした。

 

「これがシエスタの愛馬か」

「はい、夢ウララちゃんです」

 

 シエスタの愛馬は夢ウララと名付けられていた。

 シエスタは夢ウララにまたがると、サイトに指示を出した。

 

「サイトさん、私の後ろにどうぞ」

「普通にまたがっても大丈夫か?」

「ええ、体を前に倒して、どうぞ私の体にもたれかかってください」

 

 サイトは乗馬の経験がほとんどない。一応、コルベールの授業の一環で、仔馬にまたがってまったり遊んだことはあるが、夢ウララはもう成熟した立派な馬だった。

 サイトはシエスタの後ろにまたがると、初めての感覚にバランスを乱した。

 

 乗馬は簡単ではないと聞くが、実際にやってみるとただまたがっているだけでも体が左右に揺れた。

 

「うおっ、なんかすげえ不安定だ」

「私にしっかりと掴まっていてください」

「こんな感じでも大丈夫か?」

「ええ、でももっとしっかりと掴まっていたほうがいいかもしれません。どうぞ、遠慮なさらず」

 

 シエスタは快くそう言った。

 

「わ、悪いな、なんかべったりくっついてるみたいになっちまって」

「いいえ、遠慮なさらず。途中で落下してしまっては大けがになりますから」

 

 シエスタは特に嫌がるそぶりを見せず、それどころか嬉しそうにしていた。

 

 二人を乗せた夢ウララはゆっくりと走り出した。

 

 ◇◇◇

 

 夢ウララは時速40キロ超で走った。

 体が上下左右に揺れて、サイトは何度も落っこちそうになったが、シエスタの体がちょうどいい命綱になってくれた。

 シエスタはかよわい少女だが、こうして掴まっていると、盤石の大きな柱のような安心感があった。

 10分もすると、サイトも要領を掴んできて、シエスタに掴まっていることが前提だが、ようやく周りの景色を見る余裕が生まれて来た。

 

 トリステイン魔法学院を抜けると、小さな森が幾度となく続いた。ほとんどがあぜ道で人工的に舗装されたような道路はない。

 時折、レンガ造りのカラフルな建物が散見された。風車のようなものを見ることもできた。

 ヨーロッパの田舎風景のようで、サイトはその景色に感動した。

 

「サイトさんの住んでいた世界とはやはり違いますか?」

「いや、でもおれの住んでた世界のヨーロッパのほうに似ているかもな。さすがに東京の都市とはまったく別物だけど」

 

 ただ、サイトには自然意識のまったくない東京の都会風景より、こうした田舎風景のほうが親愛感があった。

 

「トリステインというところはずっとこんな田舎なのか?」

「トリステイン王室の城下町などは人の流れが途絶えないほどの都会ですよ。このあたりは開発が制限されているんです」

「そうだったのか」

「トリステインは平和な都ですが、貴族間の領土争いは昔から熾烈なものがあります。タルブの村もゲルマニアやガリアの富豪に多くの土地を買いたたかれてしまっていて、先住民のほうがよそ者扱いなんですよ」

「大変だな、そりゃ」

 

 金持ちがあらゆる場所を買い占めていく。どの世界でも人の行うことは同じようだった。

 

「私も地元で働くつもりだったのですが、まともな働き口はありません。よその貴族は若い女性を性奴隷として契約させるんです。それを拒んだらひどい嫌がらせを受けます。ですから、もう私の故郷はよその国のものなんです」

 

 シエスタがトリステイン魔法学院まで働きに来ている事情が何となく理解できた。

 

「一応、私の夢はタルブの村を取り戻すことなんです。私一人ではどうすることもできないかもしれませんが、おじいちゃんの意志を受け継ぎたいのです」

「おじいちゃんがいるのか?」

「昨年亡くなってしまいましたが、私のために色々と力になってくれた立派な祖父でした」

 

 シエスタは懐かしそうに祖父のことを思い出した。

 

「おじいちゃんもサイトさんと同じように別の世界から来たと言っていたんです。みんな冗談半分で聞いていましたが、もしかしたらサイトさんと同じ世界から来たのかもしれません」

「本当か?」

「ええ、機会があれば、サイトさんも一度タルブの村にお越しください。私が招待しますので」

「ああ、行ってみたいな。シエスタの故郷」

 

 サイトはどことなくシエスタが自分と同じ流れを持っているような気がしていた。もしかしたら、シエスタは祖父の代から地球の遺伝子を引き継いでいたのかもしれない。

 

 ◇◇◇

 

 峠を越えて、トリステイン魔法学院からはるばる1時間半。

 シエスタとサイトを乗せた夢ウララは東トリステインの町にやってきた。

 

 ここはゲルマニア国境へ続く貿易の要衝として栄えた町である。

 遠くに高山を望むこともできる。まだ暖かい時期だが、その山は雪をかぶっていた。

 

 香辛料と魔石の貿易で栄えており、道にはたくさんの馬車が渋滞を作っていた。彼らは魔石や香辛料を売るためにゲルマニアからやってきている。

 トリスタニアとゲルマニアは歴史的に見ても、戦争を繰り返しているが、ここ最近は互恵関係が強まっていて、この東トリステインは二国間の互恵関係を象徴していた。

 

 魔石の多くは鍛冶職人に取引される。

 そのため、この町は武器のメッカでもある。

 有名な錬金魔術師を数多く輩出している。

 

 夢ウララは裏路地に出た。表路地は貿易に勤しむ馬車が溢れかえっていて、交通料を支払わなければならないので、一般人は裏路地を進むのが普通だった。

 白い壁の建物が軒根を連ねる風流な景観だった。

 

「なんかすげえ町だな」

「このあたりはトリスタニアでもかなり栄えています。グラモン家の治める町なんです」

「グラモン……七光のギーシュが偉そうにしていたのはそのためか」

 

 少し前、サイトとギーシュは喧嘩を繰り広げたが、そのギーシュが所属しているのがグラモン家である。

 もともと、グラモン家は偉大な錬金魔術師を輩出する名家であり、ギーシュの父親はトリスタニアでは指5本に入る錬金魔術師だった。

 そんな偉大な父親からギーシュみたいな子供が生まれたのは実に不思議なことに思えた。

 

 シエスタは夢ウララを牧場に預けた。

 駐車場に車を停めるのと同じように料金が発生する。

 

 馬を預けると、二人は並んで町を歩いた。

 人でにぎわう街の中枢には、大きなレストランから薬草売り場などさまざまなお店が並んでいた。

 サイトはどこかヨーロッパ旅行をしているような気分だった。

 シエスタのような可愛い女性を連れて町を歩くなんて、地球にいたころは一度もないことだった。それがこんな美しい異世界の町で実現したのだから、それはとても貴重な体験だった。

 

「あ、ここですね。グラモン家が経営するお店です」

 

 二人は小さな武器屋の前にやってきた。

 

「なんか小さなお店だな」

「そのぶん、量産ではない立派な武器が揃っていると思います。見てみましょう」

 

 量産されていない武器となれば、それだけ割高になるが、シエスタはあえてサイトに立派な剣をプレゼントするつもりだった。

 サイトは扉を開けて中を覗いた。

 

 店内に客の姿は見えなかった。

 

「おや、客か。ようこそ、グラモン・フランベルジュ店へ……って、お前は!」

「あー、お前は!」

 

 サイトと店員は顔を合わせるなり、お互いに驚きをあらわにした。

 店員をしていたのは、サイトのにっくき天敵ギーシュであった。

 ギーシュとの戦いの後、サイトは生死の境をさまよった。それだけ、ギーシュは忘れたくても忘れられない男だった。

 

 ギーシュはあの後、父親に不埒な結果が知れ渡り、父親から厳しくしつけられ、しばらく魔法学院を休学していた。

 

「こんなところでまた会うことになるとはな」

 

 サイトはギーシュをにらみつけた。

 

「おいおい、そんな怖い顔をするなよ。あのときのことは水に流そうではないか。僕も十分に反省している」

 

 ギーシュはそう言うと、例によって薔薇の花を口にくわえた。あまり反省しているそぶりはなさそうだった。

 

「まあいいや、で、なんで店のバイトなんてやってんだ?」

「バイトとは失敬な。僕は偉大な錬金術師として魔法衛士を志す身だよ。偉大な武器に身近に触れて勉強しているのだよ」

「魔法学院はやめるのか?」

「まさか、しばらく休学しているだけだよ。来月には戻るさ」

「ちぇっ、戻って来るのかよ」

「そう言うな。あの時のことは忘れて仲良くしようではないか。君があれほどの偉大な剣士とは僕も知らなかったのでな」

 

 ギーシュは調子のいいことを言った。父親のしつけ効果が出ているようで、前回みたいなあからさまに平民を馬鹿にするそぶりはなかった。

 

「そちらのレディもこの前はすまなかったね。僕の未熟な過ちをどうか許してほしい」

「いえ、私は気にしていませんので、お気になさらず」

「おお、なんという優しいレディか。僕は君のような美しい女性を手荒に扱ってしまった過去を消し去ってしまいたい」

 

 ギーシュはそんなことを言いながら、シエスタに大げさに媚びを売った。

 

「おい、ナンパ野郎。シエスタには手を出すな。だいたい、お前には恋人がいるんだろ。モンモロパンジーとかいう」

「モンモランシーだ。そんなことより、どうして君がそのことを知っているんだ?」

「マリコルヌがお前の秘密をすべて教えてくれたよ。お前、恋人がいるくせに下級生にも手を出してるらしいな」

「はははは、なんのことかな。マリコルヌはホラを風に乗せるタチの悪い少年だ。鵜呑みにしてはいけないよ」

 

 ギーシュはそう言ってごまかした。

 

「僕はモンモランシー一筋。そう神に誓ったのさ」

 

 ギーシュは開き直って薔薇を加えた。

 

「ところで君たち、僕の武器を買いに来たのかい?」

「アホ、学生見習いのお前の武器なんて買うかよ。立派な錬金術師が造った剣を買いに来たんだよ」

「君はわかっていないな。将来、僕が大魔道士になったときに後悔するぞ。あのとき、偉大なるギーシュ・ド・グラモンの武器を買っていればよかったと」

 

 ギーシュは自信満々にそう言った。

 

「いいだろう。そこまで言うなら、お前の造った剣とやらと偉大な錬金術師が造った武器を見比べてやるよ」

「良かろう。グラモン家の名を継承した僕の素晴らしいコレクションの数々をとくと見せてやるよ」

 

 ギーシュはそう言うと、店の奥から立派なケースを抱えて持ってきた。

 

「まずはこちらを見たまえ」

 

 ギーシュが自信満々にケースを開くと、サイトの顔に強い冷気が降りかかってきて、思わず目を閉じた。

 

「なんだこりゃ?」

「僕が趣味で作ったアイスブランドさ。氷の魔石を緻密に組み合わせ、スクエア級の錬金魔法でていねいにていねいに鍛錬した自信作さ」

 

 ギーシュはそう言うと、胸を張った。

 

「こ、こりゃあすげえぞ。ゲームの世界にあるみたいな剣だ……」

 

 サイトは目を輝かせた。

 目の前に現れた武器は刃先が約80センチ程度の騎士剣だった。片手で扱う剣だが、その特徴は、刃がいてついた冷気を放っていることだった。

 

「斬るものすべてを凍らせる。巨大なビヒモスでさえも氷漬けにしてしまうのさ」

「これ、お前が造ったのか?」

「もちろんさ、僕の才能にひれ伏すがいい」

 

 くやしいが、サイトはひれ伏したくなった。この剣を振るってみたいという強い衝動を抑えられなかった。

 

「ギーシュ……おれはお前のことをただの気障な野郎だと思っていたが、すげえやつだったんだな」

「ふははははは、ようやく気付いたか。僕の才能にかかればこのような魔剣を造ることなど造作もないことなのだよ」

 

 ギーシュはさらに胸を張った。ずいぶんと心地よさそうな表情だった。

 ところが……。

 

「坊ちゃん、ダメだよ。親父さんの作品を勝手に持ち出しちゃ。それは非売品だよ」

 

 店の奥から出て来たこの店の主と思われる者があっさりと種も仕掛けも明かしてしまった。

 

「おじさん、なんてことを」

「え? ともかくそのアイスブランドは親父さんから授かってるものだから、もとの場所に戻しておいてよ。来週には王室に納品しなくちゃいけないんだ」

 

 どうやら、見栄を張るために、父親が造った魔剣を自分の手柄にしようとする計画だったらしい。その計画はあっさりと打ち砕かれた。

 

「やはり、お前は最低最悪のキザ野郎だ」

「待ってくれ、僕はまだ学生。その才能が開花するのはこれからなんだ」

 

 シエスタは二人のやり取りを見ていて、クスッと苦笑した。



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12、デルフリンガー

「改めて、僕のコレクションだ」

 

 ギーシュは今度こそ自作した剣をいくつか持ってきた。

 ろくでもないナマクラがやってくるのかと思ったが、それなりに様になった剣がいくつも並んだ。

 

「これ、お前が造ったのか?」

「正真正銘、僕のコレクションだ」

 

 ギーシュは薔薇の花をくわえて、胸を張った。

 まだ学生の身でこれだけの武器を造れるあたり、ギーシュには錬金魔道士の才能があるのかもしれない。

 しかし、先ほどの魔剣アイスブランドを見た後だと、相対的にギーシュの武器は地味に見えた。

 

 サイトはいくつかの剣を手に取って、使い心地を確かめた。剣を手に握り締めるたびに、ガンダールヴのルーンが光り輝いた。

 そのルーンの魔力がサイトにその剣の実力を教えてくれた。

 

「これは脆いな。すぐ折れちまうぞ」

「バカな、僕が丹精を込めて錬成したものだぞ。そう簡単に折れてたまるか」

「ここが急所だ」

 

 サイトは刃先のある部分に左手の人差し指を当てた。

 ガンダールヴとして覚醒している間、サイトは色々な魔法を使うことができた。

 サイトが指先から波動を送ると、その剣は無残にも砕けてしまった。

 

「あああああ、なんてことを」

「な、造りが甘いんだよ。実戦でこんなことになっちゃ、戦争に負けちまうぜ」

「弁償しろ、僕が120時間かけて造り上げた傑作だったんだぞ」

「弁償だぁ? 欠陥商品を売り物にしないようにしてやったんだ。感謝するのが筋じゃないのか?」

「それは認めよう。だが、この店では新金貨50枚で売りに出しているんだ。だから金を払え」

「だからさ、売りに出したあと苦情が出て店の信用が堕ちるのを阻止してやったんだから逆に感謝しろって」

 

 二人のやり取りを見ていたシエスタは懐から金貨の袋を取り出した。

 

「お二人とも、争わないでください。私が弁償いたしますので」

「おお、さすがは神聖なる女神、こんな野蛮な使い魔とは違い、世の道理をわかってらっしゃる」

 

 ギーシュはそう言うと、シエスタの肩に手を置いた。

 

「おい、ギーシュ。お前の家は金持ちなんだろ。ケチケチするなよ」

「金の問題ではない。芸術家が自らの作品の対価を受け取るという様式美の問題さ」

 

 ギーシュは自分の造った武器が金貨50枚で売れたことに快感を覚えているようだった。

 シエスタから金貨50枚を受け取ったギーシュは涙を流して喜んだ。

 

「おお、我が夢の1つが叶ったよ。僕は錬金魔道士として自らの作品が認められたのだ」

「ナマクラを押し売りしといてよく言うぜ。わ、悪いな、シエスタ」

「いいんです。それよりもサイトさんのほしいものをおっしゃってください」

 

 シエスタに言われて、サイトはギーシュのコレクションを眺めた。

 見た目はそれなりに見えるが、どれもこれもすぐに折れてしまいそうなナマクラばかりだった。

 

「ギーシュ」

「なんだね? 何でも好きなものを選びたまえ」

「お前のコレクションはもういいから、ちゃんとしたプロが造った武器を持ってきてくれねえか」

「な、なに?」

 

 ギーシュはその言葉に強いショックを受けたようで、その場に崩れ落ちた。

 地面にはギーシュの使い魔であるジャイアントモール「ヴェルダンデ」が退屈そうにしていた。

 

「おお、我が愛しのヴェルダンデよ。芸術魂を侮辱されること以上に辛いことはないよな」

 

 ギーシュはヴェルダンデを愛する恋人のように抱きしめてそう言った。

 しかし、ギーシュの切り替えはとても早かった。

 

「いや、しかし、天才錬金魔道士シュペー卿もその才能が認められるまでに30年以上かかったと言われている。大器晩成こそが天才の道」

 

 ギーシュはそう言うと、薔薇をくわえて再び胸を張った。

 

「サイト、いずれ僕の才能が開花した暁には、最強の剣の前に跪かせてやるから楽しみにしていたまえ」

「やっぱお前は変なやつだな」

 

 ◇◇◇

 

 ギーシュに代わって、店の主がおすすめの武器をいくつか持ってきた。

 

「こっちがモーニングスターです。うまく扱うには鍛錬が必要ですが、火系統の魔石がふんだんに使われていますので、戦場では大活躍できますよ」

「こ、これがあの有名なモーニングスターか」

 

 サイトは好奇心に駆り立てられて、モーニングスターを手に取った。

 ルーンが輝くと、サイトはその使い方を完全に把握した。

 

「すげえ、これにしようかな。シエスタ、いいか?」

「はい。こちら、おいくらですか?」

 

 シエスタは笑顔で店の主に尋ねた。

 

「そちら、偉大な錬金魔道士シュペー卿が1年以上かけて丁寧に造り上げたフレイム・ウェア・モーニングスター。世界に1つだけの超レア武器になっておりますが、大出血サービスで今なら、新金貨85000枚」

「85000枚……?」

 

 先ほどまで笑顔だったシエスタの目が丸くなった。シエスタの想定とは桁が1つ違っていた。

 

「も、申し訳ありません、サイトさん。お金が足りないようです」

「いやいや、さすがに85000枚のやつを買ってもらうつもりはないよ。気にするな。でも、欲しかったな……」

 

 サイトは渋々、モーニングスターを手放した。

 

「おやじさん、もう少し安いやつをお願いできますか?」

「安いのねぇ、うちは基本的にブランド品しか扱ってないんだよね。一番安いのでも20000金貨以上だよ」

「それは入る店を間違えちまったな……」

 

 新聞配達のアルバイトの日当を受け取った少年が高級中華料理屋に入ったようなものだったらしい。

 

「サイト、やはり僕のコレクションにするか?」

 

 店の奥からギーシュが顔を出した。

 

「アホ、お前の武器なら、木の棒のほうがマシだ」

 

 ギーシュの趣味の雑貨を買っても仕方なかったので、店を変えることにした。

 高級店ではなく、チェーン店のような量産武器ならば、それなりのものでも安く買える。

 

「そいじゃ、シエスタ。他の店に行こうぜ」

「申し訳ありませんでした、サイトさん」

 

 二人がきびすを返したとき、店の主が声をかけた。

 

「ちょっと待った。ちょっとちょっと」

「え?」

「いやね、うちもなかなか客が来なくて、商売あがったりなのよ。やってきた客から金を取らずには返せねえのさ」

「金なら払っただろ。ガラクタに50金貨も」

「まあ、聞きなさい。君たちの予算はいくらかね?」

 

 サイトはシエスタのほうに顔を向けた。

 

「6000金貨しかございませんけど」

 

 シエスタはそう言ったが、平民が6000枚の新金貨を得るのは簡単なことではなかった。

 

「わかりました。では、うちの店に古くから伝わる妖刀でよろしければお譲りしますが、どうでしょう?」

「妖刀?」

「ええ、見たところ、あなた相当腕の立つ剣士だ。あなたならその妖刀を使いこなすことができるかもしれねえ」

 

 主は神妙な顔でそう言った。

 そう言われると興味があった。

 

「見せてもらっていいですか?」

「わかりました。少々お待ちください」

 

 主はそう言うと笑いながら店の奥に引っ込んだ。

 

「坊ちゃん、ちょっと芝居に協力してくんな」

「芝居? 何をするんです?」

 

 ギーシュは自分のコレクションをうっとりと眺めているところだった。

 

「あのガラクタを最強の妖刀として売りつけようと思いましてね。取り分は坊ちゃんに半分差し上げます。坊ちゃん、親父さんからお小遣いを0にされて困っているんでしょう?」

 

 主は声をひそめた。

 

「ふむ、それは面白い」

 

 ギーシュはそう言うと、立ち上がった。

 

「しかし、あの出来損ないのインテリジェンスソード、我々の思い通りに振舞ってくれますかね」

「そこはアドリブで何とかしよう。いやいや、あのガラクタは場所を取るだけでさっぱり売れず困り果ててたんだ。それが金貨6000枚に代わるならこの上ない儲けだ」

 

 主はそう言うと、倉庫の奥で誇りをかぶっていたケースを取り出してきた。

 

「ったく、入れ物だけは立派なんだから。親父は心底大事にしてたらしいけど、こんな出来損ないのインテリジェンスソードのどこが良かったのだろうか」

 

 主はそう言いながら、立派なケースを取り出してきた。ケースは立派だが、埃をかぶっていた。ずいぶんと長い間放置されているものだった。

 

「坊ちゃん、ちっときれいにしてくれるか?」

「お安いご用で」

 

 ギーシュが薔薇を小さく振ると、渦巻き状の風が発生して、ケースのからめとった。

 ギーシュは埃を取り込んだうずまきを窓から店外に追い出した。

 

 きれいになったそのケースは見た目には立派な輝きを放った。

 

「準備オッケー」

 

 主はニコニコ微笑んで、サイトの前に立派なケースを置いた。

 

「お待たせしました。これが伝家の宝剣、デルフリンガーです」

「デルフリンガー?」

 

 主がケースを開くと、そこには宝剣、デルフリンガーが顔を出した。

 

「……」

「……」

 

 サイトもシエスタもそれを見て意気を消沈させた。

 現れたデルフリンガーはとても地味なナマクラのような剣だった。

 

 茶色の刃先は見るからに、何も斬れそうにない。これではギーシュのガラクタのほうがはるかにマシと言えた。

 

「これがデルフリンガー? 妖刀?」

 

 サイトは妖刀村正のようなものを想像していたのだが、デルフリンガーは妖刀の風格の対極にあるような見た目だった。

 

「ふふふふ、たしかに見た目には地味。しかし、この剣は長くトリステインに伝わる宝剣なのですよ」

 

 主はそう言ったが、一応それは真実だった。

 この店はトリスタニアが創立したころからある老舗で、もともとこのあたりは始祖ブリミルがトリスタニア独立のために駐屯し、諸外国のメイジと戦っていたという歴史がある。

 町を歩くと、いくつも始祖ブリミルの像を見つけることができる。

 始祖ブリミルがこの地にいた時から、この店は存在していたのだ。その時代から長く受け継がれてきたのがデルフリンガーだった。

 

「ある言い伝えによると、デルフリンガーは始祖ブリミルの使い魔が扱った魔剣であり、ブリミルがこの店にデルフリンガーを封印したと言われているのです」

「ふーん、こんなぼろい剣がねえ」

 

 それは見るからにぼろい。しかし、言い方を変えると歴史を感じさせる武器だった。

 サイトはどこかその剣に魅力を感じていた。

 

「手に取ってみてもいいですか?」

「どうぞ」

 

 言われて、サイトはデルフリンガーに手を伸ばした。

 サイトの手が触れると同時に、手のルーンが反応した。ルーンからあふれた光はこれまでとは少し勝手の違うものだった。

 



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13、選ばれし者

 サイトがデルフリンガーを握り締めると、ルーンからは白い輝きではなく、どす黒い光が溢れ出た。

 

「な、なんだ?」

 

 このような光は初めてだった。明らかにデルフリンガーの特異性にルーンが反応していた。

 

「おお、なんか妖刀っぽくなった?」

 

 主は妖刀と偽ってサイトにデルフリンガーを提示したのだが、いざ握ってみると、あふれ出る禍々しい光によって、妖刀の風格を漂わせ始めた。嘘から出た真のようになった。

 

「ん、この光は……? ブリミルか?」

 

 誰かが何かをささやいた。

 

「しかし、なんでブリミルが? あいつはとうの昔にくたばっちまったはずだが」

 

 デルフリンガーが言った。

 

「なんだ、剣がしゃべってるのか?」

 

 サイトは握り締めたデルフリンガーを見つめた。

 

「なんだ、ブリミルじゃねえのか。そりゃそうだよな。しかし驚いたぜ、虚無の屍術でブリミルがよみがえったのかと思ったが、連中もいまの時代には生きてやしねえもんな」

 

 デルフリンガーは目覚めたばかりでペラペラと独り言のようなことをしゃべった。

 

「やっぱりそうだ。おい、シエスタ。剣がしゃべったぞ。どうなってんだ?」

「えーっと、これはインテリジェンスソードでは?」

「インテリジェンスソード?」

「はい、魔剣の一種で、私の祖父も似たようなものを大事にしていました。魔法の力によって剣が人格を持つようになるんです」

「そんな剣もあるのか」

 

 サイトもインテリジェンスソードを見るのは初めてだった。この世界では、決して珍しいものではなかったが、サイトにはとても斬新に映った。

 

「おーい、お前。おれの言葉がわかるか?」

「なんだか独特のなまりだな。お前さんがおれの新しい使い手か?」

「おれは平賀サイトだ。お前はデルフリンガーか?」

「いかにも、おれがデルフリンガーだ。サイトと言ったか。あんた何者だ? 久々に感じたぜ、虚無の光」

 

 デルフリンガーは「虚無」という単語を使った。

 サイトは虚無のことを口外しないようにしているので、ごまかすことにした。

 

「おれは火炎魔術の使い手だぜ。そんなことより、お前すげえな。しゃべる剣なんておれ、初めて見たよ」

「インテリジェンスソードが珍しいとはとんだ田舎もんだな。で、そんな田舎もんがどうしておれの使い手になったのかね?」

「いや、まだ使い手と決まったわけじゃねえ。これからお前を買うかどうか決めるところなんだよ」

「おれを買うだぁ? おれはいつから売り物になっちまったんだ?」

 

 デルフリンガーは不満げに店の主に尋ねた。

 

「デルフ、それは喜ぶべきところだぞ。お前は剣なんだ。こんな店の倉庫で眠っているよりも剣士のもとで戦うのが本分だろ?」

「確かにそれもそうだな。おれは剣。剣は眠るものじゃねえ」

「そうだ。だから、これからは彼のもとで存分に活躍するといい。聞くところによると、彼は凄腕の剣士だそうだ。良かったじゃないか、デルフ」

 

 店の主はそう言ってデルフリンガーをおだてた。倉庫で眠る在庫が金貨6000枚に変わるかもしれないのだから、主も一生懸命にデルフリンガーにおべっかを使った。

 

「デルフ、お前はブリミルも認めた最強の剣。世界最高の名剣。おれも別れは悲しいが、かわいい子には旅をさせるべきと言うだろ。お別れだ、デルフ」

 

 主はウソ泣きを交えて迫真の演技をした。

 

「そうか。おれもついに旅立ちの日を迎えたわけか。思えば、ずいぶんと長い間何もしていなかったな。おかげで、この世界のことはほとんど忘れちまった。己の肉体も精神もすっかりさび付いちまったみてえだ」

 

 デルフリンガーはそう言うと、サイトのほうに顔を向けた。デルフリンガーの顔がどこにあるのかは誰にもわからない。

 

「サイト、おれの名はデルフリンガー。かつてブリミルの魔力によって造られた魔剣さ。切れ味は保障する。おれを使って損はさせねえぜ」

「そんな大げさな剣にも見えんけどな……」

 

 サイトは首を傾げた。インテリジェンスソードというところに興味を持つことはできたものの、純粋に剣として見たら、ただのナマクラにしか見えなかった。

 サイトはデルフリンガーを選ぶべきかどうかを自問自答した。

 

 たしかに剣として見るとイマイチな感じがする。

 けれど、しゃべる剣というのは面白そうだ。

 

 迷いに迷ったが、最後は己の魂の呼応に任せることにした。

 サイトの魂はデルフリンガーをパートナーとして迎え入れることに肯定的だった。

 

「よし、決めた。お前に決めた! おれ、デルフリンガーに決めたよ」

「おお、本当かね?」

 

 店の主は歓喜した。ガラクタが6000枚を稼ぎ出してくれた。これでしばらく店は閉店せずに済む。

 

「まいどあり。新金貨6000枚になります」

「シエスタ、本当にいいのか?」

「ええ、お任せください。サイトさんが選んだ剣。きっとサイトさんのことも守ってくれることでしょう」

 

 シエスタはサイトのために新金貨6000枚を献上した。

 

 ◇◇◇

 

 正式にデルフリンガーはサイトのものになった。

 店を出ると、サイトは改めて、デルフリンガーを握り締めた。

 

 先ほどはガンダールヴのルーンからどす黒い光が放たれたが、改めて握り締めると、美しい輝きを放つようになった。

 

「デルフリンガーと呼べばいいのか?」

「おれは昔からデルフの愛称で通ってる。デルフと呼んでくれ」

「デルフはいつからしゃべるようになったんだ?」

「はて、いつだったかな。ずいぶんと昔のことだからな。正式な時代は覚えてねえ。だが、おれはブリミルってやつに魂を込められたのさ」

 

 デルフリンガーの主張が本当のことだとすると、それはすごいことだった。

 トリスタニアの創立に関わった歴史上もっとも偉大なメイジ「ブリミル」によって生み出されたインテリジェンスソードとなれば、歴史的な価値がある。

 しかし、あくまでもそれはデルフリンガーの自称に過ぎず、公式にはブリミルがデルフリンガーという武器を造った記録はなかった。

 

 それゆえ、店の主もデルフリンガーをお荷物のように抱えることになった。

 当初はブリミルの遺産として、トリステイン城に献上して金儲けしようとしたらしいが、そんな歴史的記録はないとして、ブリミルの遺産とは認められなかった。

 

 ブリミルの遺産は現時点で6点が認められており、いずれもトリステイン城で厳重に保管されている。

 特に禁断の魔術を記録したとされる「ブリミルの祈祷書」はトリステインの国王でさえも、触れることは許されていなかった。

 

 デルフリンガーがもしブリミルの遺産であるとすれば、何人も触れることが許されない危険な武器になるのかもしれない。

 

「ブリミルってのはすごいメイジってことになってるんだぜ。デルフがそんなすごいメイジに造られたとはとうてい思えねえんだけどな」

「失礼な相棒だぜ。おれはこう見えても100の大いなる魔法が封じ込められた魔剣だぜ。世界の滅亡にも繁栄にもつながる最強の魔法さ」

「だったら、その1つぐらい試してみたいんだが」

「そうだな。例えば……ん、あれ? 思い出せねえや……」

 

 おれにはすごい魔法があると言いながらも、思い出せないと主張した。それでは、誰もデルフリンガーがブリミルの遺産とは認めないだろう。

 

「やっぱ、お前の思い違いじゃないのか?」

「そう言われると、そうかもしれないと思い始めた。おれはおれのことがわからなくなっちまった」

 

 デルフリンガーは自分で言ったことを自分で訝り始めた。

 

「まあいいや、細かいことは気にするな。旅をしていれば、そのうち思い出すこともあるだろう。そん時にまだ話してやるよ」

 

 デルフリンガーは軽い性格だった。

 

「ところで、相棒よ。サイトと言ったか」

「ああ」

「あんたは腕の立つ剣士だと聞いたが、いまはどこで何をしてるんだ?」

「いまは学校で雑用をしている」

「雑用だぁ?」

「ああ、それにおれは異世界からやってきた身でな。この世界のことは良く知らねえんだよ」

「異世界とは、またぶっ飛んだ武勇伝を持っているな、気に入ったぜ。これからよろしく頼むぜ、相棒よ」

 

 おそらく、サイトもまた「異世界から来た」ということを誰かに言っても信用してもらえないだろう。

 そういう意味で、デルフリンガーとサイトは似た境遇に立たされた身だった。



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14、予定不和

 トリスタニアは、今年度に女王に即位したばかりのアンリエッタが治める大国である。

 アンリエッタ政権が始まって約2か月が経過した。

 ようやく、アンリエッタ即位を記念するパレードが開催される算段がついた。

 

 国王は即位すると、トリスタニア各地でパレードを開き、新しい国王の姿を民に披露するのが通例だった。

 本来ならもっと早くパレードが始まる予定だったが、いくつか大きな問題が立て続けに起こったために、予定が遅れてしまった。

 

 大きな問題の1つが、アルビオンの反乱である。

 かねてから、アルビオンは反政府軍がウェールズ政権に対して圧力をかけていたが、反政府軍レコンキスタが本格的にウェールズ政権に宣戦布告して、アルビオンの実権を一方的に宣言した。

 アルビオン最大の友好国トリスタニアはこれを受けて、ウェールズ政権を支持する表明を出し、内戦の鎮圧をはかっていた。

 しかし、この鎮圧作戦は難航し、長期戦の様相を呈し始めた。

 

 次の問題点は、ガリア王国がガリア王権の王位を空位とする声明を発表した。

 ガリアも複雑な事情を抱えており、かねてから王位継承者を巡って対立が後を絶たなかった。

 トリスタニアはガリアの政治安定のために、支援に乗り出すことを決めていた。

 

 こうした国際情勢が激化する中で、パレードどころではなかった。

 しかし、アルビオン問題が泥沼化し、ガリア王国の問題にロマリア皇国が介入することを表明したことで、トリスタニアの政治に少しの余裕が生まれた。ようやくパレードを始めることができるようになった。

 

 パレードはトリスタニア中を巡り、7日間に渡って開催される。

 この7日間は民にとって喜ばしい休暇となった。

 

「では、アンリエッタ女王のパレード期間中、トリステイン魔法学院を休校とする」

 

 オスマンは嬉しそうにその決定を下した。

 

「いやいや、ワシもようやくこれでゆっくりと休暇を送ることができるわい。存命中に女王陛下の姿を拝めるか心配じゃったが、何とかなりそうで良かったわい」

 

 オスマンは生徒たち以上に休暇を喜んでいた。

 

「して、ミスロングビルや、休暇はいかがお過ごしかな?」

 

 オスマンはそう言いながら、パチンと指を鳴らした。すると、オスマンの肩に乗っかっていたモートソグニルが透明になった。

 

「私はタルブの村で休暇を過ごす予定です。知り合いに誘われましたので」

「ほうほうタルブか。あそこは自然豊かで食べ物もおいしくて良いところよのうぅ。ワシも温泉に浸かってゆっくりしたいもんじゃ」

 

 オスマンはそう言いながらニコニコとほほ笑んだ。

 

「ワシもミスロングビルに同行しようかの。ワシと一緒に温泉にいかがなんつーてね……」

 

 オスマンは冗談っぽくそう言って笑った。

 

「オスマン学院長、あなたの狙いはすべてお見通しですよ」

 

 ロングビルはそう言うと、目を閉じて指を鳴らした。

 すると、どこかでネズミの鳴き声がとどろいた。

 

 ロングビルはモートソグニルを魔法の力で捉えると、尻尾を手でつかんで宙づりにした。

 

「オスマン学院長、こんなところにネズミがはい回っておりました。いったいどこから入ってきたのでしょうね?」

「はて、どこから来たのじゃろうかな。ワシは知らんぞい」

 

 オスマンはとぼけた。

 

「モートソグニル、正直に白状なさい。誰に命令されて、私のスカートの中に侵入したの?」

「チューチュー」

「言えないの? あなたのためにとってもおいしいものを用意したんだけど」

 

 そう言うと、ロングビルはモートソグニルの大好物であるトカゲの干物を取り出した。ロングビルはモートソグニルの世話も担当していたので、モートソグニルの扱いも手慣れていた。

 モートソグニルはあっさりとオスマンを裏切った。

 

「チューチュー」

「そう、あなたの主が。ろくでもない主を持ってあなたも大変ね」

 

 それから、ロングビルはオスマンのほうをにらみつけた。しかし、口元は笑っていた。

 

「こ、この薄情者。いったい何年ワシの使い魔をしていると思っとるんじゃ」

 

 オスマンは狼狽して、自分の使い魔を非難した。

 

「オスマン学院長、使い魔のやったことは主の責任でしたよね」

「いや、それはその、えーっと、あれじゃ」

 

 ロングビルはあれこれ言い訳するオスマンの机の上に山積みの書類を置いた。

 

「それではこちらの書類すべてに目を通してくださいね、休暇返上でよろしくお願いしますね」

「ま、待て、それは秘書の仕事であろうが」

「何か?」

 

 ロングビルは釘をさすようにオスマンをにらみつけた。

 

「にゃ、にゃんでもありましぇん」

 

 オスマンは渋々頭を下げた。

 

「ええい、パンツの1つや2つで文句を言うとは、最近の若いもんには老人に対するいたわりもないのか! いで、いでででで」

 

 オスマンの上に落石。オスマンはそのまま丸くなって頭を押さえた。

 

 ◇◇◇

 

 アンリエッタのパレードが始まるということで、トリステイン魔法学院でもその話題で盛り上がっていた。

 サイトはこの日もシエスタの店を手伝うために、中庭の売店にやって来ていた。

 いつもはシエスタと二人きりの時間を過ごすことが多かったが、デルフリンガーを持つようになってからは、デルフリンガーも一緒について来るようになった。

 

「へー、女王のパレードか。なんか面白そうだな」

「七日に渡って、トリスタニアを巡られるんです。その間、魔法学院もお休みになるんですよ」

「シエスタも休みになるのか?」

「まだ詳しい話は聞いてませんが、おそらくそうだと思います」

 

 そんなことを言っていると、ちょうどマルトーがシエスタに新しい勤務表を渡すために店を訪れた。

 

「シエスタ、勤務内容変更になったから、確認しといてくれ」

「ありがとうございます、確認します」

「おっ、我らの剣も来ているのか。サイト、お前も休みになるんだろ。せっかくの長期休暇だ。故郷に戻って両親に顔を見せてやんな」

「それができたらいいんですけどね」

 

 サイトは日本国からやってきた身。帰りたくても、帰り方はわからなかった。

 

「シエスタは実家に戻るのか?」

「ええ、せっかくのお休みですので、戻ろうと思います。サイトさんは何か予定は?」

「まあ、おれはルイズの使い魔だからな。あいつしだいだな」

 

 ルイズヴァリエールというトリスタニアでは有名な名家のお嬢様。仮にルイズが帰省するなら、サイトもその立派な名家にお邪魔することになるかもしれない。

 しかし、ルイズは使い魔がサイトだったことを嘆いていた。家族にそのことは話せないと悲しんでいた。それならば、サイトはここに残ることになるかもしれない。

 

「そうですよね。サイトさんはミスヴァリエールの使い魔……仕方ないですよね」

 

 シエスタはもし機会があればサイトと一緒にタルブに戻ろうと考えていたが、シエスタにはその権限はなかった。

 

「あの、サイトさん。もし、予定が空いていればでよろしいのですが、サイトさんをタルブの村にご招待したいと思うのです」

「本当か? それは嬉しいぜ」

「いえ、でもサイトさんはミスヴァリエールの使い魔。ミスヴァリエールのお許しをいただいてからでないと……」

「あいつはただおれを雑用扱いしてるだけだぜ、気にすんなよ」

 

 サイトは堅苦しい名家で過ごすより、シエスタと共に過ごせるほうに魅力を感じていた。

 

「シエスタ、おれタルブの村に行ってみたい。ぜひ、連れてってくれ」

「え、ええ、それはうれしいですけど、けれどミスヴァリエールの許可をいただいてからでないと」

「たぶん、大丈夫だと思うぜ。おれを使い魔にしたことを嘆いてたからな」

 

 サイトはルイズには煙たがられているものとばかり考えていた。だから、わざわざ許可なんて取らなくても問題ないと思っていた。

 しかし、現実は違っていた。

 

 授業が終わって、ルイズが戻って来ると、ルイズは開口一番でサイトに言った。

 

「明日から休暇。あんたも聞いてるでしょ?」

「ああ、女王のパレードなんだってな」

「明日、朝一で家に戻るから、準備しときなさいよ」

「え? 戻るっておれも?」

「当たり前でしょ。あんた、私の使い魔なんだから」

 

 サイトはルイズのその言葉に違和感を覚えた。「絶対について来るな」などと言われると想定していたのだが、まったく逆で、ルイズはサイトについて来るように言った。

 

「おれ、予定があるんだけど」

「はあ? 予定ってなによ? なに使い魔が勝手に予定組んでるのよ」

「予定ぐらい立てるだろ、誰だって」

「一応聞くわ。なんの予定?」

「シエスタがタルブに帰省するんで、おれもついていくって話が決まったんだよ。パレードで女王様がちょうどタルブのほうにもやってくるらしいんでさ」

 

 サイトは悪びれもなくそう言った。シエスタと何をしようが、そんなことは自分の勝手で、ルイズには関係のないことだと考えていた。

 しかし、どうもルイズの反応はそうではなかったようである。ルイズは目を細めてサイトをにらみつけた。

 

「あの女……」

 

 ルイズはサイトとシエスタがそれなりに近い距離にあることを薄々感じ取っていたが、ここまで積極的にアプローチしているとは思ってもみなかった。

 ルイズは前からシエスタのことを不快に思っていたが、このままサイトがシエスタについていったら、不快という感情では片づけられそうもなかった。

 ルイズはサイトとシエスタのその新婚旅行みたいな計画を認められなかった。

 

「だったら、その予定は破棄なさい」

「破棄? なんでだよ?」

「なんでもくそもないわよ。あんたは私の使い魔なんだから、私についてくるのが筋でしょうが」

「いやでも、おれが使い魔なんて両親には知られたくないって言ってたろ」

「そりゃ……でもしょうがないでしょ。そうなっちゃったもんはなっちゃったんだから。ともかく明日、朝一で戻るから。いいわね? わかったわね?」

「わ、わかったよ。ったく、勝手なやつだな」

「それはこっちのセリフよ。ったく、使い魔のくせに勝手なことばっかり」

 

 ルイズはイライラを抑えられないまま窓辺に向かうと、外の景色を眺めた。

 自分でもどうしてそこまでムキになっているのかわからなかった。しかし、シエスタにサイトを取られてしまうことだけは阻止したかった。

 



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15、仲たがい

 翌朝、言われていたとおり、サイトはルイズについて帰省することになった。

 帰省先は、トリスタニアを代表する金持ちの名家「ヴァリエール家」

 

 ちょっと楽しみでもあったが、自分の扱いがどうなるかサイトは少し不安に感じていた。

 サイトのイメージでは、こういう金持ち名家は堅苦しい風習とかマナーとかがあって、必要以上に気を遣うものという感じだった。

 

「行くわよ、忘れ物はない?」

「ちっとは置いてけよ、荷物」

 

 サイトの荷物はデルフリンガーしかない。それよりもルイズの荷物が山ほどで、それを運ぶのはサイトの仕事だった。

 

「ダメよ。帰省中も勉強するんだから」

「筆記の勉強ばかりじゃなく、ちっとは実技のほうを何とかすりゃいいのに」

「なんか言った?」

「いいえ、何でもありません」

 

 サイトはあまりルイズを怒らせないように、黙ってたくさんの荷物を抱え上げた。

 ヴァリエール家までは、ここから150キロ以上の遠方。

 歩いていくわけにはいかないので、当然馬を使う。

 

「出たな、じゃじゃ馬」

 

 サイトはルイズの馬と対面した。サイトはルイズから馬の世話を頼まれていたからルイズの馬とはよく顔を合わせていた。

 馬は飼い主に似るという言葉がハルケギニアにはあるようだが、まさしくルイズの馬はルイズにそっくりだった。

 見た目は気品の高そうな馬。しかし、実際は人を平気で蹴飛ばすじゃじゃ馬だった。

 機嫌を損ねるとバックキックが飛んでくる。サイトはこれまでに何度も蹴飛ばされていた。

 

 それに引き換え、シエスタの馬はおとなしくて優しい。

 本当に飼い主に似るのだなとサイトは実感した。

 

「サンダーエクスプレス。馬車用意してもらったから重たくなるけど頑張ってね」

 

 ルイズはそう言って愛馬を撫でた。サンダーエクスプレス。たいそうな名前をつけたものだと思いながら、サイトは横眼で二人の様子を見た。

 

「こうして見てると、どっちも可愛いもんなんだがなぁ」

 

 サイトはつくづく思った。

 

「サイト、あんたちゃんと世話してたでしょうね? 餌を忘れたりしてない? 言われたエサの配合は守った?」

「ああ、牧場のおじさんが頑張ってくれたよ。おれは蹴飛ばされる役割でな」

「あんたがちゃんとしないから蹴飛ばされるのよ。馬は賢いのよ。一流の人間を蹴飛ばしたりしないわ。ね、サンダーエクスプレス」

「蹴飛ばすのはお前の馬だけだよ」

 

 サイトは暇なときに色々な馬と戯れていたが、一方的に蹴飛ばして来る馬はサンダーエクスプレスだけだった。

 

「ところで、なんでサンダーエクスプレスって名前なんだ?」

「私のあこがれの人がつけてくれたのよ。サンダーエクスプレス。素敵な名前でしょ」

 

 ルイズはそう言いながら、そのあこがれの人のことでも思い出したのか、嬉しそうに笑った。

 

 サイトはあこがれの人が少し気になった。

 

 ◇◇◇

 

 サイトとルイズを乗せた小さな馬車は、サンダーエクスプレスに引かれ走り出した。

 馬車と言っても屋根のない簡易的なものである。しかし、ルイズの荷物を積むには十分なスペースがあった。

 

「おー、はえーな、サンダーエクスプレス」

 

 サイトはいかずちのように走るサンダーエクスプレスの走りっぷりに感心した。

 この馬は風系統の魔力を持ったエレメンタルホースの一種である。ルイズがトリステイン魔法学院に入学したときに憧れのメイジにゆずってもらったのだという。

 ルイズはどこか乙女のような様子で憧れのメイジのことを話していたから、相当惚れこんでいる様子であった。

 

 別に自分の主が誰に憧れようが関係ないことだが、どうしても気になったので、サイトはその憧れのメイジについて尋ねてみた。

 しかし、ルイズは事前に予想できたような返答をした。

 

「あんたには関係ないのよ」

 

 ルイズはそう言って、それ以上は語らなかった。しかし、そのメイジのことを思い出すたびに、ツンツンした顔が丸くなるのがわかった。サイトはいずれ突き止めたいと思った。

 

「サイト、家につくまでに私の考えた設定を覚えてもらうわ。ちゃんと書いて来たから」

「設定? なんだよそれ」

「平民を召喚したなんて、家族に言いにくいでしょ。特にエレオノールお姉様にはね……絶対馬鹿にするもの」

「ルイズには姉がいるのか?」

「ともかく、それ相応の使い魔ということにしたいから、これ覚える。10秒以内」

 

 ルイズはそう言うと、サイトに何枚かの紙を押し付けた。

 サイトはその紙に目を通した。

 

「……」

 

 設定1 使い魔はトリスタニアを渡り歩くさすらいの騎士。

 設定2 使い魔は寡黙でクールで剣の達人。

 設定3 使い魔は礼儀正しく、常に主のもとに跪き、主の命に忠実に従う。

 設定4 使い魔は知的。

 設定5 紳士で正義感が強く、主のためなら命をも投げ出すほど勇敢。

 

 ほかにも色々な設定が書かれていた。ガンダールヴの力によって剣の達人にはなれたが、その他の設定はすべてサイトの真逆の性質を表していた。

 

「おい、ルイズ。お前、遠まわしにおれのことを馬鹿にしてるだろ。全部、おれの真逆の性格じゃねえかよ」

「当たり前でしょ。誰があんたのことなんか好きになるもんですか。まあ、その設定を全部守れるなら、少しは評価してあげてもいいわね」

「すげえむかついた」

 

 サイトはそう言うと紙を丸めた。

 

「何するのよ」

「あいにく、この使い魔は知性のかけらもないので文字が読めないでございますです」

 

 サイトは皮肉にそう言った。

 

「はあ、やっぱりこれだから」

 

 ルイズは飽きれたようにサイトから目を背けた。その様子を見るところによると、ルイズはいまサイトと心の中の誰かを比べていた。

 憧れのメイジとサイトのことを比較して、その雲泥の差に呆れたのだろう。

 サイトはそれがくやしかった。別にルイズのことで腹を立てても仕方がなかったのだが、胸のイライラが治まってくれなかった。

 

「おれが嫌なんだったら憧れのメイジ様に新しい使い魔をプレゼントしてもらえよ。おれもせいせいするぜ」

「そうね、そうしてもらいたいところだわ。でも、あんたが路頭に迷うから、使い魔としていさせてあげてるんじゃないの。私の慈悲に少しは感謝してもらいたいところだわ」

「はっ、何が慈悲だよ。そんな堕天使みてえな慈悲、ありがたくもねえんだよ。天使の慈悲を持つシエスタとは大違いだぜ」

 

 サイトがシエスタの名前を出したので、ルイズも熱くなった。

 

「だったら、あのメイドと仲良く野垂れ死にすればいいわ」

「あーあ、やっぱシエスタと一緒にタルブの村に行けばよかったぜ」

「ふん」

「……」

 

 二人は結局仲たがいになり、顔を背け合った。

 それから、ルイズはどうして自分がこれほど熱くなっているのだろうかと冷静に考えた。

 

 サイトは平民の使い魔。見るからにダサくて頼りない。おまけに他の女にデレデレとしている。

 そんなサイトに比べ、ルイズの中にいる憧れのメイジは素晴らしかった。凛々しくて、ルイズに一途で、すべてにおいてサイトより立派。

 しかし、なぜか、あこがれのメイジのことを思い出しても、そこにサイトの姿が入り込んでくる。ただの平民だと切り捨てることができないほど、サイトの存在感は大きくなっていた。

 

 サイトもまたなぜルイズのことで熱くなっているのだろうかと考えた。

 ルイズの言うことなんて、「わかりました」とか「かしこまりました」と言って片付けておけばいい。

 サイトにはシエスタがいる。優しくて美しくて心が清らかなシエスタがいれば、ルイズのことはわがままな主とでも考えておけばいい。

 しかし、そのようには思えなかった。シエスタに好意を持っているのは間違いない。けれど、ルイズのことがなかなか頭から離れてくれなかった。

 

 二人が黙り込んでいる間にも、サンダーエクスプレスは歩みを進めた。

 サイトの背中で眠っていたデルフリンガーが柄から顔を出した。

 

「おい、相棒。痴話喧嘩が過ぎるぜ。うるさくて起きちまったよ」

「おう、デルフ。相変わらず寝坊助だな、お前は」

「おれは剣だぜ。いざというときに切れ味が悪けりゃどうしようもねえだろ。だから、よく寝て魔力を高めてるのさ」

「戦のときに寝てちゃ、意味ねえだろ」

「ところで相棒よ。あのメイドの女かこっちのブロンドのお嬢様か、相棒はどっちが本命なんだね?」

 

 デルフはサイトの耳元でささやいた。

 

「そんなもんシエスタに決まってんだろ。誰がこんなわがまま貴族のお嬢様を選ぶかよ」

 

 サイトはそう言ったが、それは本心ではない言葉だった。

 

「なるほどね、だが、男ならそれでいい。おれもちと覚えてるぜ。始祖ブリミルもその使い魔も女癖が悪かった。4人、いや5人は愛人がいて毎日痴話喧嘩してたぜ。使い魔と女の取り合いをしているときもあったな」

「昔のことを思い出したのか?」

「痴話喧嘩してるところだけな」

「どうでもいいことばっか思い出しやがんのな、お前」

 

 デルフリンガーは自称だが、始祖ブリミルによって造られた魔剣ということになっている。

 しかし、ほとんどの記憶を忘れていて、いまやただの寂れた剣に過ぎなかった。

 

「しかし、このあたりはちっと見覚えがあるな。あの木もこの木もだ」

「木なんてどこでも生えてるだろ」

「そりゃあ、そうだがな。おっ、懐かしいにおいもするぜ。このにおいも懐かしいぜ」

「お前、においもわかんのかよ」

 

 なかなか良くできたインテリジェンスソードであった。

 

「うるさい剣ね、まったく。ちょっと読書するから黙らせときなさいよ」

 

 ルイズは文句を言いながら本を広げた。

 しかし、サイトはその命令に背いた。

 

「おい、見ろ、デルフ。牧場があるぞ。たくさんの牛がいるぞ。ヤッホー、おーい!」

 

 サイトはそう言ってはしゃぎ声をあげた。

 

「やっぱ牛はいいよな。どこぞの貧乳のわがままお嬢様よりずっと可愛げがあるぜ」

 

 サイトは遠まわしにルイズの悪口を言った。

 

「誰がわがままお嬢様よ」

 

 ルイズは反射的に反応していた。

 

「なんだよ? お前のことだなんて一言も言ってないだろ。そうか、ってことは自分で貧乳だと認めてるんだな。だよな、どこぞの立派なメイジ様も貧乳より巨乳のほうがいいって言うだろうしな。ぐふっ……」

 

 サイトがみなまで言う前に、ルイズはサイトの頭を数冊の本で叩きつけた。

 

 ◇◇◇

 

 サンダーエクスプレスの速足もあって、昼ごろにはヴァリエール領に入ることができた。しかし、ルイズの家まではまだまだ遠い。

 ヴァリエール領は1つの国と言えるほどの広さがあった。

 

 ヴァリエール領には風流な商業街がいくつかあり、その1つが見えて来た。

 青々とした自然景色に商店が点々としていた。このあたりはルイズの庭と言ってもよかった。あまりの広大な庭である。

 

「お腹空いたわね。サンダーエクスプレス、少し休憩しましょ」

 

 ルイズがそう言うと、サンダーエクスプレスは減速して、小さな牧場の前に止まった。

 それに気づいた牧場の主が出て来た。

 

「これはこれはルイズお嬢様。ようこそおいでくださいました」

「こんにちは、小父様。姫様のパレード期間中ですので、帰省してまいりました」

 

 ルイズはていねいにそう言うと、頭を下げた。

 

「そうでございましたか。実は昨日の今時分、エレオノール様もここに参られました。きっとエレオノール様もいまごろはお帰りになっていますことでしょう」

「ぐ……やっぱ帰ってきてたか、エレオノールお姉様……」

 

 ルイズは姉に苦手意識があるのか、嫌そうな顔をした。

 

「しばらく休憩していってください。十分なおもてなしはできませんが」

「お邪魔します」

 

 ルイズはそう言うと、サイトを放って馬車を降りた。

 

「おい、ルイズ、待てよ。おれは?」

「あんたはその辺の牧草でも食べたら? あんた牛のほうがいいんでしょ。せいぜい、どこかの牛と素敵な結婚式でも上げて来なさいよ」

 

 ルイズは仕返しができるチャンスに優越感に浸っていた。サイトにそう言うと、不敵に笑った。

 サイトは金を持ってきていないし、腹もかなり減っていた。喉も乾いていた。

 

「なに、おなかが空いたの? だったら四つん這いになってシッポでも振ってみなさいよ」

「ぐ、こいつ……」

 

 そんなことできるかと思ったが、空腹があるのと、牧場の先から肉が焼けるよいにおいがしてきたので、サイトはプライドを曲げることにした。

 

「お、お願いします」

 

 サイトは四つん這いになって頭を下げた。

 

「仕方ないわね、そこまでするなら、エサの1つでもあげるわ。ついてきなさいよ。四つん這いでね」

 

 サイトは心の中で思った。

 

 結婚相手にするなら、馬のほうが絶対マシだと。

 

 サイトは横眼でサンダーエクスプレスを見た。

 サンダーエクスプレスは珍獣でも見るような目、でサイトを見ていた。

 



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16、エレオノール

 サイトとルイズを乗せた馬車はようやくルイズの家にたどり着いた。

 ここまでたった一人で走り続けたサンダーエクスプレスだったが、まだまだ疲れたそぶりはなかった。たいした馬だった。

 

 実家に帰ってきたと言っても、サイトの感覚とはかけ離れている。

 ルイズの実家、すなわちヴァリエールの本家は巨大な屋敷をいくつも持っている。

 

 まるで湖のような大きな池に、まるで山のような森をあり、それ1つで1つの町と言えそうなほど広大な敷地だった。

 

「ここがおまえん家か? でけえな……」

 

 サイトは大きな屋敷を見上げて、その大きさに圧倒された。

 

「いいこと、私が指示するまで何もしゃべらないこと。あと、私の命令には従う。わかったわね?」

 

 ルイズはサイトに釘を刺すように言った。

 

「わかったよ」

「わかりました、ご主人様。もう一度」

「へいへい。わかりました、ご主人様」

 

 ルイズは見栄っ張りで、自分の使い魔を優秀な剣士として家族に紹介する魂胆だった。

 サイトは偽るのが嫌だったが、優秀な剣士を演じておくほうが得策と考えた。

 

 ヴァリエール家はかなり厳格な由緒ある名家ということである。ならば、無能であるよりも、それなりの剣士として通したほうがいいと考えた。

 

「えーっと、なんだったっけ、設定」

「道中にちゃんと覚えておきなさいって言ったでしょうが、まったく」

 

 ルイズはそう言って、くしゃくしゃになった紙をサイトの手に叩きつけるように渡した。

 

 設定1 使い魔はトリスタニアを渡り歩くさすらいの騎士。

 設定2 使い魔は寡黙でクールで剣の達人。

 設定3 使い魔は礼儀正しく、常に主のもとに跪き、主の命に忠実に従う。

 設定4 使い魔は知的。

 設定5 紳士で正義感が強く、主のためなら命をも投げ出すほど勇敢。

 

 相変わらず、自分とは真逆の男の存在がかかれている。ただし、がんヴァ―ルヴの力があるから、剣の達人ということだけはごまかすことができるだろう。

 しかし、ルイズは自分の家族にも、自分が虚無の使い手であることを示さないつもりだった。

 

 ヴァリエールの娘が虚無の力を持っているということが知れれば知れるほど、それを付け狙う者を助長してしまう。ルイズは自分の家族を巻き込みたくなかった。

 そこで、ルイズは風系統の性質が芽生えて、風系統の魔法剣が使えるさすらいの剣士を使い魔にしたということで家族には説明するつもりだった。

 

「じゃあ、行くわよ」

 

 サンダーエクスプレスはヴァリエールの門をくぐった。ここから、先はやんごとなき者たちの巣窟。サイトも少し緊張した。

 

 ◇◇◇

 

「これはこれはルイズお嬢様、お帰りなさいませ」

「爺、久しぶり」

 

 老齢だが、立派な杖を持ったメイジがルイズを迎えた。

 爺と呼ばれたメイジはルイズの顔を見たことで、そのしわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにして喜んだ。

 

「爺はうれしい限りですぞ。あと何度ルイズお嬢様の顔を拝めることやらと。ありがたやありがたや」

 

 爺は心底ルイズを大切にしている。はたから見てもよくわかった。

 

「おーい、お前たち。ルイズお嬢様がお帰りになられたぞ」

 

 爺がそう言うと、ヴァリエール家の兵士が数人やってきた。

 いずれも背中に大きな剣を抱えていて、身長180センチ台のたくましい男たちばかりだった。サイトとはくらべものにならないほど戦う男の体つきだった。

 

「はっ、ルイズお嬢様。お帰りなさいませ」

 

 兵士らはシャンと整列すると、ていねいに挨拶した。

 

「馬をお願い」

「かしこまりました」

 

 ルイズの一言で、屈強な男たちは馬を牧場に預ける仕事に取り掛かった。

 ルイズはまるで女王様そのものだった。

 

 強そうな兵士も立派なメイジも、あらゆる者がルイズの前にひれ伏し、ルイズの命令に絶対服従だった。

 

 サイトはなるほどと思った。

 なぜ、貴族が傲慢になるのかその理由を悟ることができた。

 

 幼いころから、周囲にこれだけ大切にされ、どんな時も自分の命令がすべてまかり通る世界に生きてきたら、傲慢にもなるだろう。

 ルイズもそうした世界に生きて来たのだろう。

 それが貴族の人格の本質だった。

 

「ルイズお嬢様、ただちに部屋を用意します。しばらくお休みください」

「そうするわ」

「ところで……」

 

 爺の目はルイズの後ろに控えているサイトに目を向けた。不思議なものを見るような目だった。

 

「こちらの少年はどちら様でございましょう?」

「あー、これは私の使い魔」

「使い魔? 彼が?」

「こう見えても、優秀な剣士なのよ。いかずちのごとき太刀を操ることができるのよ」

「この少年が……」

 

 爺は立派な自分の髭を触った。爺の目はサイトを歓迎するものではなかった。

 

「わかりました。では、使い魔の方も一緒にどうぞ。部屋を用意いたします」

「どうも」

 

 爺の態度が豹変した。先ほどまで、ルイズに会えたことを喜んでいたが、突然テンションが落ちた。

 悪く思われているのがまじまじとわかったので、サイトも少し居心地が悪かった。

 

 それでも一応、サイトはルイズに連れられて、ヴァリエール本家に足を踏み入れた。

 

「お帰りなさいませ、ルイズお嬢様」

 

 今度は、数人のメイドによるお出迎え。つくづく、ルイズは女王様のようだった。

 

「ルイズお嬢様、お飲み物は何になされますか?」

「ウンディーネハーブティー」

「かしこまりました。こちらのお部屋で少々お待ちください」

 

 メイドもまたルイズの命令には絶対服従だった。

 ルイズとサイトはとてつもなく広い客間に通された。

 

 目の前にはとてつもない値がしそうなソファーや机が置かれている。絨毯も立派なもので、足をつけるのが悪い気分になるほどだった。

 

「それではこちらにおかけください。お付きの方はこちらに」

 

 メイドは二人に席を用意すると、ていねいにお辞儀して部屋を後にした。

 

 サイトは圧倒的な広間を落ち着きなく見渡した。天上には立派なシャンデリアがあった。

 

「キョロキョロするんじゃないわよ、立派な剣士って設定なんだから、ジッとしてなさいよ」

「ちぇっ」

 

 サイトはそう言いながら、前を見た。

 それにしても、落ち着かない場所だった。高級というのもよし悪しだった。こうも広い部屋だと、居心地が逆に悪かった。

 

 しばらくして、一人の女性が客間にやってきた。

 メイドがハーブティーを持ってきたのかと思ったら、そうではなかった。

 

 やってきた女性は美しい金髪のメガネをかけた美女だった。

 一見美人に見えるが、よく見ると、ルイズに似た男勝りな目つきが気になって、女性としての温かみをまったく感じさせなかった。

 

「ルイズ、おかえり」

「え、エレオノールお姉様! あ、ありがとうございます」

 

 ルイズは金髪の美人を見るなり、スッと立ち上がった。

 苦手意識を持っているのか、ルイズの背中は萎縮していた。先ほどの爺やメイドらに対する態度とはまったく違っていた。

 

「爺から聞いたわ。サモンサーヴァントで剣士を召喚したって」

 

 エレオノールはサイトの前にやってきて、椅子に腰かけるサイトを見下ろした。その目は明らかにサイトを軽んじている感じだった。

 そういう目で見られることにサイトは慣れっこだったので、馬鹿にされても目をそらしたりはしなかった。

 

「あなたがルイズの使い魔?」

「そうです」

「優秀な剣士と聞いているけど、そうなの?」

「おれはさすらいの身。それ以下でもそれ以上でもありません」

 

 サイトはちょっとカッコつけてそう言ってみたが、自分にはまったく似つかないセリフだった。

 

 優秀な剣士とは程遠い見た目。体つきもヒョロヒョロと剣を振るうことができるとも思えない。

 歴戦の雰囲気も感じられない。

 エレオノールはサイトを無能だと考えたようだった。

 

「ルイズ、もうこの剣士とコントラクトしたの?」

「は、はい」

「だったらそろそろ潮時のようね。ちょうどいいタイミングじゃないの、魔法学院をやめる」

 

 エレオノールはルイズにそう言った。すると、ルイズの顔がキッとこわばった。

 エレオノールに相当な苦手意識があるようだったが、ルイズは抵抗するように言った。

 

「お言葉ですが、エレオノールお姉様。私は魔法学院をやめるつもりはございません」

「相変わらずの強情。カトレアとは大違い。誰に似たのやら」

 

 お前だろとサイトは思わず口にしそうになったがやめた。

 エレオノールはどことなくルイズの性格に似ていた。

 

「ルイズ、あんたがみっともない成績をさらしていると、ヴァリエール家の名誉に傷がつくのよ。あなた、その意味がわかってるの?」

「お、お言葉ですが、エレオノールお嬢様。私はトリステイン魔法学院で2番目の成績でございます。筆記では……」

 

 最後に付け加えた一言にルイズの苦しさが現れていた。

 

「あんた、魔法もろくに使えないで、卒業後どうするつもり? いくら筆記が良くったって、アカデミーには入れないわよ」

「アカデミーに進学する予定はございません。私の夢は魔法衛士になることですから」

「まだそんなこと言ってるの。あきれた。お母様を悲しませるだけの親不孝な妹で困ったわ」

 

 エレオノールは遠慮なく言いたい放題をルイズにぶつけた。

 あまりルイズに同情したくはなかったが、さすがに少しはルイズに同情せざるを得なかった。

 

「ともかくあんたが魔法衛士になるなんて無理。だいたい、女が戦場に出る必要なんてないのよ」

「そんな昔の秩序で縛り付けないでください」

「だったら、戦場でどうする気? 敵に囲まれて、いまのあなたに何ができるの?」

「そ、それは……」

 

 ルイズは反論できなくなった。

 魔法衛士はトリスタニアの国防の要である。敵国の侵略を受けると、率先して戦う身。

 魔法を軍事的に扱うことができなければ、魔法衛士になることはできない。ましてや、ルイズは軍事的以前に、普通の魔法すらできなかった。

 

「無茶なことばかり言ってないで、もっとヴァリエール家のことを考えた行動をなさい。ワルド子爵も明日家を訪問されるわ。あんた、ワルド子爵の言うことなら聞くみたいだから、ちょうどいいわ。ワルド子爵に厳しく言いつけてもらいましょう」

「ワルド……」

 

 ルイズの表情が変わった。

 

「まあ、久しぶりに再会したんだから、あんまり対立するのも良くないわね。でも、ちゃんと考えときなさい、あんたはもう子供じゃないんだから」

「……」

 

 エレオノールは言いたいだけ言いまくると、そのまま金髪をなびかせながら、部屋を後にした。

 

 嵐の後には静けさが広がった。

 ルイズはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 

「今のがルイズの姉ちゃんか? なんか色々厳しそうな人だな」

 

 サイトはエレオノールからあまりいい印象を受けなかった。しかし、貴族なんてみんなそんなものなのだろうと思った。



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17、威厳

 ルイズとサイトはヴァリエール家の主――ルイズの父親と面会することになった。

 二人は控えていた客間からルイズの父親がいる書斎へと向かった。

 

 書斎の前にはメイドが立っていて、ルイズとサイトがやってきたのを確認すると、ルイズのほうに一礼した。

 

「ご苦労様でした、お嬢様。お父様がお待ちです」

 

 サイトもルイズも顔をこわばらせていた。

 

 ヴァリエール家の主。トリスタニアを支配しているというほど影響力のある存在。そんな人物に対して、サイトは使い魔として紹介されるのだ。サイトは嫌でも緊張した。

 ルイズも緊張していたから、実の娘でさえも頭が上がらない存在なのだろう。

 

 メイドがドアを開くのに合わせて、サイトはその先を覗き込んだ。

 書斎と言っても、そこは広々とした部屋だった。たくさんの本が収納された本棚が壁際にいくつも配置されていた。どの本も分厚く小難しそうだった。

 ルイズの父親はそんな本棚に囲まれた中で静かに仕事をしていた。

 

 メイドは一礼して部屋の中に入ると、ルイズの父親に声をかけた。

 

「旦那様、ルイズお嬢様がお見えでございます」

 

 メイドがそう言うと、ルイズの父親はすぐには反応せず、しばらく書類作業を継続してから筆を置いた。

 

「ルイズか?」

「はい」

 

 父親はそう言うと、立ち上がり、想像通りの厳格な顔を部屋の外に向けた。

 その顔には、ルイズとの再会を歓迎する色はなく、どこかのやくざのボスのような厳めしい顔つきだった。

 

 父親は堂々と歩いて書斎を出た。

 

「帰ったか、ルイズ」

「はい、ただいま帰省いたしましたところです」

 

 ルイズは使い慣れていない敬語で答えた。

 父親は続けて、サイトのほうに顔を向けた。

 

 鋭い視線でにらまれ、サイトは思わず背筋を凍らせた。その威圧感はギーシュなんかとは比べ物にならなかった。胸の鼓動が早くなった。

 サイトは強い心のサムライを演じるつもりだったが、とても演技が追いつかなかった。

 

 設定1 使い魔はトリスタニアを渡り歩くさすらいの騎士。

 設定2 使い魔は寡黙でクールで剣の達人。

 設定3 使い魔は礼儀正しく、常に主のもとに跪き、主の命に忠実に従う。

 設定4 使い魔は知的。

 設定5 紳士で正義感が強く、主のためなら命をも投げ出すほど勇敢。

 

 ルイズから言われていたあらゆる設定も頭から飛んでしまった。

 

 父親が何かを口にする前に、ルイズが説明した。

 

「お父様、こちらはヒラガ・サイトと申します。トリステインを渡り歩く剣士で、2年生のサモンサーヴァントの儀式にて、私の使い魔になりました」

 

 ルイズは見栄を張るように言った。

 

「使い魔……君がルイズの使い魔かね?」

 

 父親はサイトの目をまっすぐ見据えて言った。

 

「はい、そうでございます」

 

 サイトではなくルイズがそう答えると、父親はサイトに向けて言った。

 

「私は君に聞いているのだ。ヒラガ・サイト。君がルイズの使い魔なのかね?」

「は、はい」

 

 サイトはそう答えたが、声が震えていた。

 

「ルイズの使い魔。ルイズを守る者。すなわち、ルイズの命と同等の意味を持つ。君がその使い魔で間違いないのだね?」

「は、はい」

 

 サイトは圧倒されていたが、それでもまっすぐルイズの父親を見つめた。背は20センチ以上相手のほうが高く、体つきもサイトに比べて圧倒的にたくましかった。

 

「ルイズを守る意思。ルイズのために自らの命も捨てる。その意思と覚悟に嘘はないかね?」

 

 父親はそう尋ねて来た。

 

「嘘は……ございません」

 

 サイトは誘導されるような形でそう答えた。自分の意思による言葉ではなかった。

 しかし、その言葉が自分の魂から放たれた言葉であることは確信できた。

 ルイズは傲慢でわがままで一緒にいてもうんざりする。シエスタと比べたって、心からいつくしむことなどできない。けれど、サイトの魂はたしかにルイズのために命を捧げる覚悟をしていた。

 

「ふむ……」

 

 父親はサイトの言葉や症状から何か強いものを感じ取ったようで、手を顎髭にすえた。

 

「ヒラガ・サイトよ、ルイズは未熟で弱い。どうかルイズを守ってやってほしい。私の唯一の願いだ。その願い聞き入れてもらえるか?」

 

 サイトはうなずいて「必ず」と思いを届けた。

 

「ありがとう」

 

 父親は厳格な表情を朗らかな表情に緩めた。そんな表情でもまだ威厳を感じさせた。

 父親はそれからメイドのほうに顔を向けた。

 

「そこの、今日はヒラガ・サイト君を歓迎する晩餐の会を開きたいと思う。用意してくれ」

「かしこまりました」

 

 父親はそれからルイズのほうに顔を向けた。

 

「ルイズ、学園での話はその席で聞こう。ヒラガ・サイト君に部屋を案内してあげなさい」

「かしこまりました」

 

 ルイズはまるでメイドみたいに頭を下げた。

 

 ◇◇◇

 

 ルイズの家の3階は完全に空き部屋になっていて、そこは客人が泊まるスペースになっていた。

 主に、トリステイン城の要人や名の知れた貴族などが利用するため、どの個室も素晴らしい造りをしていた。

 藁の適当な布団が寝床になっていたサイトにとって、その一室はまったく落ち着けなかった。

 

「それではヒラガ・サイトさん、何か不便がございましたら何なりとお申し付けください」

 

 サイトの部屋を用意したメイドはそう言って微笑みかけた。ちょうどシエスタに似ているところがあった。

 メイドが部屋を後にした後も、サイトはしばらく部屋の中央に立ち尽くしていた。

 

「相棒、立ち尽くしてどうしたんだね?」

 

 デルフリンガーが背中から顔をのぞかせた。

 

「いや、ちょっと夢だったんだよな、こういうヨーロッパの屋敷に住むのが」

 

 サイトはそう言って、天井の立派なシャンデリアを見つめた。

 ヨーロッパの騎士の物語に出て来そうな貴族の屋敷。そこに騎士として呼ばれたわけである。キャリアは足りないかもしれないが、サイトはヴァリエールの者から立派な騎士と思われている。

 そんなファンタジーの夢が1つ叶って感動があった。

 

「しっかし、堅苦しい場所だね。おれはあんまり好かんぜ」

「デルフはブリミルの剣なんだろ? だったら、住み慣れてんじゃねえのか? 堅苦しい場所ってやつね」

「記憶に残ってる光景は荒れ果てた戦場ばかりだからね、こんな堅苦しい場所は初めて見る思いだぜ」

 

 デルフリンガーの記憶は曖昧なので、信ぴょう性は定かではない。

 しばらくして、サイトは立派な椅子に腰かけた。

 

「こりゃ、地球で買うと100万はするぜ」

 

 サイトは遠慮がちに腰を下ろした。

 

「でもいいな、王様になった気分だぜ」

「王様か。いずれはその地位に座るのが相棒の野望かね?」

「王様か……それはまったくおれらしくねえけどな」

 

 物語に出てくる王様は、あくどい王様だったり、裸の王様だったりとあまりイメージは良くない。それに、サイトの見たくれは王様の風格がまったく欠如していた。

 

「では相棒の望みは何かね?」

「おれの望みか……なんだろうな、考えたこともなかった」

 

 サイトは王様のようにふんぞり返ると、天井を見上げた。

 

 地球にいたころのことを思い起こした。

 何もかもが嫌になって家出した。

 行く当てはなかった。ちょうど、さすらいの騎士になったようなものだった。もっとも、そんなかっこいいものではない。どうせ家に泣いて逃げ帰るのが関の山のくだらない漂流旅だ。

 しかし、気が付くとハルケギニアにやってきた。そして、騎士になった。

 

 自分の行くあてはどこなのだろう?

 ルイズの使い魔としてこの立派な家で暮らすことなのか?

 それとも……もっと大きなことか?

 例えば、立派な騎士になること?

 あるいは、トリステインの王様になるような大それたこと?

 

 サイトにはまだ漠然としていた。自分の運命は自分の想像をはるかに超えて動いている。異世界に飛ばされ、使い魔になり、ガンダールヴになり、自分がどうなるかはまるで想像できない。

 サイトの導きはサイトの手に刻まれたルーンだけが知っているのかもしれない。

 

 でも、1つだけ確かなことがある。この力は金を儲けるためではないし、この屋敷で贅沢な暮らしをするためでもないこと。

 それはもっと小さなこと。愛するたった1つの何かを助けるだけ。ただそれだけのためにあるはずだ。

 

 サイトはこの力に対してそう誓った。

 

 そのとき、ドアがノックされた。

 

「はい」

 

 サイトがドアのほうに顔を向けると、そこには、ルイズの姉であるエレオノールが立っていた。

 メガネ越しに鋭い目をサイトのほうに向けていた。その金髪は父親ゆずりと見て間違いなかった。

 

「ヒラガ・サイトと言ったかしら、あなた」

「ええ、まあ」

「ナイトと聞いてるけど、本当なの?」

 

 エレオノールは訝る顔で尋ねて来た。エレオノールにはサイトが騎士には見えなかったようである。

 しかし、それには間違いがない。サイトはうなずいた。

 

「失礼だけど、あなたが剣を操ることができるとはとうてい思えない。さらに失礼だけど、ヴァリエール家の資産を狙うこそ泥じゃないかと思ってるわ。ルイズの使い魔というけど、サモンサーヴァントを利用した詐欺は世界中で問題になっているのよ。あなたがそうとは言わないけど、その可能性も否定できないわ」

「……よくわかりませんが、おれはこそ泥ではありません」

「そう……なら少し確かめてもいいかしら?」

 

 サイトはうなずいた。ルイズの父親はサイトのことをすぐに信用したようだが、エレオノールをはじめ一部の者はサイトに厳しい態度だった。むしろ、エレオノールの反応のほうが常識的なのかもしれない。

 

「私のことも名乗っておかないといけないわね。私はエレオノール。トリステイン魔法アカデミーの研究者よ。専門は風系統」

 

  よくわからなかったが、けっこう立派なメイジということなのだろう。

 

「風系統の中でも、特に私はルーンの解読および、ルーンのアンロックを専門にしているわ。あなたのコントラクト・ルーンを確認させてもらってもいい?」

 

 サイトは少しためらった。このルーンは他言無用のガンダールヴのものだ。ルーンの専門家に見せるとそれがばれるかもしれない。ルイズは家の者にも虚無のことは話さない方針でいる。

 

「見せてもらえるかしら?」

 

 もう一度尋ねられたので、サイトはうなずくしかなかった。

 サイトは手を指しだした。

 

「……不思議なルーンだわ」

 

 エレオノールはすぐにルーンの特別性に反応した。

 

「トゥリーズ、お願い」

 

 エレオノールが指をパチンと鳴らすと、空中に緑色のらせん光が現れた。そこから現れたのは……4枚の羽を持った小さな妖精だった。

 ルイズに酷似した髪型をしていて、つば広の帽子を身に着けた可愛い妖精だった。大きさは30センチぐらいだろうか。

 

「きゃはは、エレちゃん、おはよう」

 

 その妖精はひらひらと宙を舞うと、エレオノールの肩に腰を下ろした。

 サイトはぽかんと口を開けてその妖精を見ていた。

 

「きゃはは、なにこいつ、変なやつ、エレちゃん、なにこいつ?」

「妹の使い魔」

 

 エレオノールはそう言うと、指を突き上げた。すると、妖精はぴょんと跳ねて、エレオノールの頭の上で緑色の光に包まれた。

 

「シルフのトゥリーズよ。私の使い魔」

「使い魔……」

 

 サイトはとても珍しいものに思わず見とれてしまった。とはいえ、使い魔としてはトゥリーズのほうが常識的で、サイトのような人間がなるほうが異端児だった。

 

「トゥリーズ、このルーンの魔力構造の解析をお願いするわ」

「任せて、きゃはは」

 

 トゥリーズはずいぶんと陽気な少女らしい。エレオノールのような鋭さはなく、その顔は愛嬌に溢れていた。

 トゥリーズはサイトの手の前にやってくると、手を振るった。

 

「それっ!」

 

 トゥリーズの手からは緑色の光が現れ、サイトの手はその光に包まれた。



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13、アンリエッタ

 アンリエッタはパレードを前にして、憂鬱な表情を浮かべていた。

 国王であった父親が病に倒れてしまったため、アンリエッタはまだ少女の身でありながらも、王位を継承しなければならなかった。アンリエッタはルイズと同い年の17歳だった。

 

 あまりに早い王位継承に、アンリエッタは強い責任を感じていた。

 それでも、アンリエッタが女王になってから、17歳とは思えないほど精力的に政治を主導し、すでに5つの政策を実現させていた。

 それらの政策はおおむね好評で、新政権は順風満帆に始動していた。

 

 しかし、アンリエッタが左派についていたということもあり、右派からは強く非難される形になった。

 アンリエッタの父が右寄りであったため、アンリエッタ政権では急遽、トリステインは左派の外交に舵を切ることになった。

 

 アンリエッタの父は繰り返しアンリエッタに述べていたことがある。

 

「自分の信念を貫け。私のやっていたことをそのまま引き継ぐだけの王にはなるな」

 

 アンリエッタは父親のその言葉を肝に銘じて、左派思想を存分に展開した。

 結果、トリステインは右派と左派が激しく衝突することになった。

 

 アンリエッタがアルビオンのウェールズ政権を支援すると発表したときに、右派が各地でクーデターを起こした。

 新政権は順調にスタートしたように見えるが、争いの火種が増加したと言うこともできた。

 

 アンリエッタはため息をついた。

 

「女王、先ほどからずっとため息をついておられる」

「申し訳ありません」

 

 大臣に言われて、アンリエッタは姿勢を正した。

 まもなくパレードに出るために、アンリエッタは右腕の大臣と共に馬車に乗り込んでいた。

 

 立派な白馬がアンリエッタを乗せた馬車を引っ張って城の正門の前にやってきた。

 この馬はトリステインを代表する強力な魔力を秘めた魔物である。アンリエッタの愛馬でもある。

 

 白馬が正門の前に停止すると、控えていた立派な体躯をした貴族の一人が馬車に近づいた。

 

「女王陛下、まもなく門が開放されます」

「ワルド、すごい警護なのね」

 

 アンリエッタは窓を開いて外を覗き込んだ。

 

「ええ、女王陛下を守るため衛士総出で警護に当たります。どうかご安心を」

 

 ワルドと呼ばれた貴族はアンリエッタに忠誠を誓うように跪いた。

 門の前には、4頭の魔法衛士が馬に乗って前衛役を務めていた。その後ろにはトリステイン最強の魔法衛士たちが目を光らせていた。

 

「ルイズの家に戻るのではなかったの?」

「その予定でしたが、女王陛下に万が一にも危険があってはならぬと思いまして」

「ダメよ、ルイズに悪いわ。それにね、ワルド、聞きなさい」

「はい」

「愛する者の命は私の命よりもずっと重いのよ。あなたは立派な魔法衛士かもしれないけれど、男性としては真摯ではないわ」

 

 アンリエッタは17歳だったが、ワルドに強い口調にそう積極した。

 

 ワルドはいま魔法衛士の隊長を務めている。若いころから魔法の才能に恵まれ、18歳で魔法衛士になると、そのときからトリステインに忠実な模範のような兵士として信頼を集めていた。

 アンリエッタは物心ついたときから憧れの男性としてワルドを見ていた。

 しかし、ワルドはヴァリエール家から恩を受けていて、ルイズの父親からルイズの許嫁として認められていたため、アンリエッタは仕方なくワルドをあきらめた。

 

 それでも、ワルドはアンリエッタのために全力で任務をまっとうした。

 アンリエッタは幼少期はとてもやんちゃだったので、よく城を出ては危険な目に遭っていた。

 そんなとき、ワルドが颯爽と現れ、アンリエッタを助けた。

 

 アンリエッタが父親に叱られたときも、ワルドは優しくアンリエッタを慰めた。

 

 そんなこともあり、アンリエッタはワルドに甚大な信頼を寄せていた。それだけに、ワルドの幸せを望みたかった。

 

「女王陛下にそう言われてしまうと、ルイズに会いに行かなければなりませんね」

「そうなさい。あなたの部下は優秀です。私のことを守ってくださいます。あなたはルイズのもとへ」

「わかりました。その使命、喜んで頂戴いたします」

 

 ワルドはそう言うと、深くおじぎをして、近くにたたずんでいたグリフィンのほうに向かった。

 

「ルイズがうらやましいわ」

 

 アンリエッタはワルドの背中を見ながら、そのようにつぶやいた。

 

 ◇◇◇

 

 アンリエッタを乗せた場所はパレードに出発した。

 まずはトリステイン城の城下町を回り、続いて東トリステイン、そしてヴァリエール領、南トリステインと順に回る予定になっている。

 ルイズのところに向かうのは翌日の昼過ぎになる予定だ。

 

 アンリエッタは努めて笑顔で国民に顔を向けた。

 笑顔で手を振り、道を埋め尽くした大衆の声援に応えた。

 

 前衛する魔法衛士はアンリエッタとは打って変わって鋭い眼光で大衆を見やりながら馬を進めた。

 前衛を仕切るアニエスは特に鋭い眼光を持っていて、大勢いる国民一人一人に射貫くような視線を投げかけた。

 

「怪しい連中がいる。行け」

 

 アニエスはそう言って、背中を剣を引き抜いた。その立派な刃先からは見えざる魔力が放たれた。

 

 その魔力は人々のわずかな隙間をすり抜けると、怪しい動きをしていた男たちに飛び掛かった。

 

「うわっ!」

 

 見えざる魔力は赤く輝く狼に豹変し、男たちをなぎ倒した。

 警備隊がすぐにその場所に向かった。

 

「そこを動くな!」

「何をする? おれは何もしていないぞ」

「さっき隠したものを見せてみろ」

 

 警備隊はアニエスが放った狼によって無抵抗になっている男の懐から何枚かのメモ用紙を押収した。

 

 そのメモには、アンリエッタの暗殺計画が書かれていた。

 

「アルビオンレコンキスタのネズミどもだな。生きて帰れると思うな」

「くそ、なぜばれてしまったんだ?」

 

 暗殺計画に参加した男たちは解せない表情のまま警備隊に連行された。

 

 前衛のアニエスの目は使い魔の「フェンリル」によって魔眼になっていた。透視能力を備えているほか、わずかな不審な動きも逃さない。

 アニエス自体の強い警戒心と相まって、鉄壁の監視環境が形成されていた。

 

 ワルドもアニエスのその特性を知っていたから、アンリエッタ護衛の中心任務を与えていた。安心して任せることができた。

 

 ◇◇◇

 

 ワルドはアンリエッタの命を受けて、ヴァリエール家を急いでいた。

 ワルドの使い魔であるグリフィンは「空の王者」と呼ばれることもある。

 

 空中での運動性はドラゴンよりも高い。ワルドはグリフィンにまたがると、颯爽と滑空した。

 その姿は美しく凛々しくもあった。

 

 グリフィンは峠を上空から駆け抜けることができたので、馬に乗って進むよりも何倍も早く目的地にたどり着くことができた。

 

 ◇◇◇

 

 ちょうど昼下がりの剣道場に、サイトはデルフリンガーを構えて立っていた。

 

「つ、強い。こ、これがお嬢様の使い魔の力か……」

 

 ヴァリエール家が雇っている兵士らはサイトの実力を試すため、剣の試合を申し込んだ。

 サイトを快く思っていない爺が目論んだ計画だったようである。爺の想定では、サイトを一方的に叩きのめして「こんな軟弱ではルイズお嬢様を守れん。クビだ」と言う感じでサイトを追い出すつもりだったが、ヴァリエールの兵士らのほうが一方的に叩きのめされてしまった。

 

「ぐぐ……」

 

 その試合を見ていた爺は悔しそうな表情を浮かべた。

 サイトはその爺のほうを見て言った。

 

「こんなのを寄せ集めても、あなたの愛するルイズお嬢様を守れないんじゃないですか?」

「むぐぐぐぐ……」

 

 爺はさらに悔しそうな顔をした。

 

 その試合はルイズも見ていた。改めて、サイトの剣術の精度の高さを思い知った。

 ヴァリエール家が募集している兵士は無能というわけではない。

 魔法衛士になれるほどの腕はないにせよ、優秀な魔法剣士が多数志願して、その中でも一流の者だけがヴァリエール家の護衛兵士となる。

 サイトはそんな精鋭をいとも簡単に片づけてしまった。

 

 その剣の舞は素早く美しく完ぺき。ルイズは思わず、サイトをかっこいいと思ってしまっていた。

 サイトもヴァリエール家のやんごとなき連中に自分の実力を示して、気分が良くなっていた。

 

 そんなとき、一人の男が剣道場にやってきた。

 

「ここにルイズがいると聞いたが」

 

 つば広の帽子を身に着けた凛々しい男が剣道場に入っていた。

 すべての者がその方角に目を向けた。

 

「ワルド!」

 

 ルイズは男の名前を呼んだ。その顔は驚きと少しの羞恥心、そして乙女の恋心で満たされていた。

 

「やあ、ルイズ。久しく見ないうちに大きくなったね」

 

 ワルドはルイズを見つめると口元を緩めた。

 ルイズはワルドのもとに駆け寄ると、自分よりはるかに大きなワルドを見上げた。

 

「どうして? 昨日、帰れないと伝令がありましたのに」

「女王陛下の護衛任務の予定だったのだが、女王陛下から叱られてしまってね。愛する者をほったらかしにする男は最低だと」

 

 ワルドはそう言うと、ルイズを抱きしめて軽々しく抱きかかえてしまった。

 サイトはその光景を口をぽかんと開けて見ていた。

 

 いきなり女性を抱きかかえるなんて、セクハラだと叫ばれそうなものだが、ワルドがそうすると、まったくそんなふうには見えなかった。とても様になっていた。サイトが同じことをすると、3度は蹴られ、殴られるはずだ。

 

「ま、待って、ワルド。こんなところで恥ずかしい」

「どうしてだい? 僕たちが結婚することはみな知っていることだよ」

「そ、それはそうだけど……」

 

 ルイズは恥ずかしがりながらも、どことなく嬉しそうな表情、幸せそうな表情を隠せずにいた。

 爺はそんなワルドのもとにやってきた。

 

「ワルド子爵、お取込み中申し訳ありません。1つ聞いていただきたいことがあるのです」

「何でしょうか?」

「道場破りが現れたのです。ルイズお嬢様の使い魔を名乗っておりますが、実に怪しいです。もしかしたらスパイかもしれませぬ」

 

 爺はそのように声を潜めた。

 

「使い魔……そうか、ルイズもサモンサーヴァントを経験する年ごろか。して、使い魔は?」

「あやつでございます」

 

 爺が指さした。

 ワルドはまっすぐサイトを見つめた。

 

 サイトはワルドと目が合ったその瞬間から、何か邪悪なオーラを感じた。何かに対する強烈な殺意がにじみ出ていた。体が強く警戒した。

 

「ルイズ、ちょっと待っていてくれ」

「何をする気?」

 

 ルイズもワルドの表情から殺意のようなものを感じ取ったようである。

 

「挨拶だよ。彼は君の使い魔なのだろう?」

「え、ええ」

 

 ワルドは堂々と胸を張ってサイトの前にやってきた。

 

「君がルイズの使い魔かね?」

「ええ、そうですが、あなたは誰ですか?」

 

 サイトはデルフリンガーを収めると、歓迎しない語調で尋ねた。

 

「僕はワルド。トリステイン魔法衛士隊の隊長を務めている。同時にルイズの婚約者でもある」

「え、婚約?」

 

 サイトはその言葉の意味を理解できなかった。

 

「ルイズと結婚するんだ。つまり、君は私にとって妻の使い魔ということになる」

「……」

 

 ルイズが結婚。あまりに飛躍したワードに、サイトは愕然とした。驚きが大きかったので、逆に表情には出なかった。

 

「君の名前も聞いておこう」

「……ヒラガ・サイトです」

 

 サイトは動揺を隠すように冷静にそう答えた。

 

「仲良くしよう。いや、それだけではいけないな」

 

 ワルドはそう言うと、笑みを浮かべた。

 

「ルイズの使い魔になるということは、ルイズを守れる存在でなければならない。もし、君にその力がないなら、使い魔としてふさわしくないということになる。それならば、コントラクトサーヴァんの解呪も視野に入れる必要がある」

 

 ワルドは淡々と穏やかな口調でそう言ったが、それは「無能ならば、ルイズからさっさと離れろ」ということをはっきりと示していた。

 サイトは、単なる挑発ではなく、男からの挑戦状のように感じていた。

 

「君にルイズを守る力はあるのかね?」

「ええ、もちろん」

 

 サイトは見栄を張るようにそう言った。

 

「ルイズの婚約者と言いましたよね? あなたこそ、ルイズを守る力があるんですかね? 立派な肩書はあるみたいですが、実力を伴ってないんじゃハリボテと変わらないですよ」

 

 サイトは挑発するようにそう言った。本心の言葉ではなかった。自分の意思に反して挑発的な言葉が出て来た。ワルドへの特別な意識がサイトの言葉を作っていた。

 

「なるほど、君はルイズの使い魔としてだけではなく、一人の男として僕と立ち会いたいと考えているようだ。いいだろう」

 

 ワルドはそう言うと、両手を広げた。

 

「お互い力を合わせてルイズを守ることになるわけだ。互いに実力を知っておく必要がある」

 

 ワルドはそう言うと、背中を指して、サイトに剣を引き抜くように合図した。

 サイトは体を震わした。

 

 ルイズの婚約者と言って突然現れたキザ男を打ちのめすところをルイズに見せつけたいというサディスティックな感情。

 ワルドから感じる邪悪な力におびえる感情。

 男として負けるわけにはいかない一戦に臨むプレッシャー。

 

 色々なものがサイトを震わせた。

 その震えを力に変えて、サイトはデルフリンガーを引き抜いた。

 

「むむ……この禍々しい魔力はなんだ? 相棒、気をつけろ、あいつはやべえやつだぜ」

 

 デルフリンガーもワルドから何かを感じ取っていた。



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19、圧倒的

 サイトはワルドと対峙した。

 推定身長190センチ、強靭な肉体、鷹のように鋭い目つき。

 見た目からして、ワルドはこれまでに出会ってきたまがいものとはまったく違っていた。

 ちょっと魔法が使えるという理由で威張り散らしていた貴族の若造とは格がまったく違っていた。歴戦のメイジとわかる風格だった。

 

 加えて、サイトはワルドから妙にまがまがしいものを感じていた。

 トリステイン魔法衛士隊の隊長、ルイズの婚約者。本来なら、聖なる人物であるが、サイトは闇のオーラを感じ取っていた。

 サイトは今までにない緊張感でワルドと向かい合った。

 

 同時に、このワルドを圧倒して、自分の力を誇示することができれば、さぞ心地よいだろうという野心もあった。

 特に、ルイズの目の前で婚約者を打ち倒すことの快感。ルイズが恋焦がれる婚約者を圧倒したとなると、ルイズも自分のことを見直さざるを得なくなる。

 そして、内心自分のことを馬鹿にしているヴァリエール家の連中も、魔法衛士隊の隊長を圧倒したとなると、その態度を一変させることができる。

 

 この戦いは、サイトにとって最大のチャンスでもあった。

 

「では始めようか。好きに攻撃してくるがいい。私のことを殺す気で本気でかかってきなさい」

 

 ワルドはそう言うと、空中に十字架を描くように指を動かした。すると、そこからはレイピア剣が生まれた。

 レイピアは軽いが騎士剣としては非常に合理的な剣であると言える。

 

 特に魔法が存在する世界では、魔法の支援を受けて戦うから、無駄に重たい武器を振り回さなくても、致死量のダメージを相手に与えることができる。

 片手で容易に扱えるレイピアはメイジが扱う武器として最適化されたものだった。

 

 対するサイトはデルフリンガーを両手で握り締めた。

 デルフリンガーは大剣に分類される。両手で構えなければならないほどの重さである。

 しかし、ガンダールヴのルーンが輝けば、その剣は木の棒のような軽さになった。

 

「相棒、どうする? 真っ向勝負じゃ勝ち目がないように見えるが?」

「そうだな、フットワークで翻弄するか」

 

 ガンダールヴの光を受けたサイトの身体能力は爆発的に上がっている。サイトはガンダールヴの光を受けた状態での自分の身体能力をある程度調べていた。

 

 垂直跳びは推定230センチ、50m走は推定4コンマ5秒、スクワットは推定755キロ。

 

 いずれも人間離れしたものだ。これらはすべて魔法の力であり、この世界ではすべて合法的なものだった。

 この人間離れしたフットワークで翻弄して、相手に強力な魔法を使わせないようにするという作戦を立てた。

 

 サイトはこの世界で暮らす中で、すべての魔法は詠唱を必要とすることを理解していた。

 基本的な魔法でも0コンマ何秒かの詠唱を擁する。スクエアレベルの魔法は2秒以上の詠唱が必要ということも知っていた。

 フットワークで翻弄すれば、相手は的を得ることができなくなり、強力な魔法を封じ込めることができる。

 

「では、行きますよ。ワルドさん」

 

 サイトはそう言うと、地面を力強く蹴り上げた。

 並外れたステップインで、サイトは一気にワルドとの距離を詰めた。

 

 ヴァリエール家の兵士らはこのサイトの鋭いステップインについていけなかった。

 サイトは距離を詰めると、フェイントを交えつつ、右に回り込むような鋭いステップを踏んだ。

 

 視界から突然消えるような鋭いステップ。

 

 ワルドは真正面を向いたままだった。目で追いきれず、完全にサイトの姿を見失ったように見えた。

 しかし、普通ならば、サイトの姿を追って、顔を動かすはずだが、ワルドは落ち着いた様子で前を向いているだけだった。

 

「なんだ?」

 

 よくわからないが、敵は無反応。

 サイトはワルドの右側面からデルフリンガーをきらめかせた。

 目にも留まらぬ太刀でワルドを斬りつけた。

 

 殺す気で来いというから、サイトは全力でワルドを斬った。

 ワルドの肉体に刃が入る感触が如実に伝わってきた。サイトはそのままワルドを切り捨てた。

 

 あまりに手ごたえがなかった。ヴァリエール家の兵士のほうがずっと骨があるほどだった。

 サイトはこのとき、手加減をするべきだったと後悔した。手加減せずに斬りつけてしまったため、おそらくワルドは助からない。ガンダールヴの身から繰り出される太刀は大木も両断するほどなのだ。人を両断するのも容易なこと。

 あたりが血みどろになり、見物人に見せる光景ではなくなる。

 

 しかし……。

 

 斬られたワルドからは血が噴き出ることはなく、そのまま消滅するだけだった。

 

「え?」

 

 あっけない幕切れ。しかし、それはサイトの錯覚でしかなかった。

 

「これは驚いたな。これほどの鋭い踏み込みに一撃、僕の予想をはるかに上回るものだ。ぜひ、魔法衛士隊の兵士として推薦したいぐらいだ」

 

 サイトの背後でワルドの余裕のある声が響いた。

 振り返ると、そこには何事もなかったかのようなワルドの姿があった。

 

「バカな、たしかに斬ったはず」

「ああ、君が斬ったのは僕が造った分身だよ」

「分身?」

「僕は閃光の二つ名を授かっていてね、特に分身には自信があるんだ。ほうら、このような具合にね」

 

 ワルドがそう言うと、その場でワルドの姿が4つになった。

 それらの分身がどうすごいかというと、本物との差がまったくつかないほど精巧な分身だった。

 

「サイト君のディフェンステクニックはどうかな?」

 

 そう言うと、分身か本物かわからない1体のワルドがすさまじいスピードで踏み込んできた。

 

 レイピアによる刺し。

 

 サイトはそれを下から跳ね上げるようにいなした。

 

「うむ、剣術の基本は問題ないと見た。では、これはどうかな」

 

 ワルドは続けて、レイピアを同じように刺してきた。しかし、今度はそれに稲妻がまとっていて、サイトがデルフリンガーを構えるより速くサイトの体に到達した。

 

「ぐわぁ!」

 

 体に電撃がほとばしって、サイトは1メートルほど吹き飛ばされ、地面に転がった。

 すぐに起き上がろうとしたが、体の芯から痺れていて、手足が動かなかった。

 

「サイト君、戦場は待ってくれないよ。魔法衛士ならば、即座に麻痺を治癒し、立ち上がらなければ、敵は待ってくれないよ」

 

 見上げると、そこにはワルドの姿があった。

 

「情のある敵で助かったな、手を貸そう」

 

 ワルドはそう言うと、手を伸ばしてきた。だが、それは優しさによるものではなく、自分のほうが圧倒的に上であるということを誇示するものだった。

 サイトはその手を受け取らず、自力で立ち上がった。体は痺れていたが、根性で体を支えた。

 

「まだだ、まだ負けてねえ」

「うむ、なかなか立派な心構えだ。戦士というのはそうでなくてはならない。戦場では武器でも魔法でもなく、己の精神力が武器だからね」

 

 しかし、サイトの息は荒くなっていた。

 その後ろで爺がほくそえんでいた。一度はサイトに傷つけられた面目が、ワルドのおかげで回復していた。

 

 ワルドはルイズの婚約者。いわば、ヴァリエール家の力だ。爺には得意げな顔をする権利があった。

 しかし、当のルイズは違っていた。

 

 自分の婚約者が圧倒的な力を持っていることを頼もしく思うこともなく、ただただサイトのほうに心配そうな目を向けていた。

 

 背後でさまざまな者の視線がサイトに注目していたが、サイトはそんなことも知らずワルドに集中していた。

 

「ダメだ、相棒、勝てねえ。無理だ」

「何言ってんだ、デルフ。いきなり女々しくなりやがって」

「相棒、負けを認めるのも戦士のプライドだぜ。残念だが、今の相棒じゃあいつに触れることもできやしねえ。けた違いだ」

 

 デルフリンガーはそのように警告したが、サイトはもう引き返せないところまで覚悟を決めていた。

 このまま頭を下げたくなかった。

 

 理由は単純。かっこ悪いから。

 

 陳腐な理由だと笑われるかもしれないが、サイトはそのプライドを大事にした。

 

「勇敢なサイト君の心に敬意を示して、私が最近習得したばかりの魔法でとどめを刺そう」

 

 ワルドはそう言うと、レイピアを宙に放り投げた。

 それは空中で稲妻に変化した。それは不気味なほどに真っ赤な稲妻で、あんなものをもろに受けたら死ぬだろうとサイトは予感した。

 

 稲妻はハンマーの形になった。

 

「では……」

 

 ワルドはそう言うと、そのハンマーを振り下ろした。

 

「うわあああああああ!」

 

 避けることはできないと見たサイトは雄たけびを上げて、そのハンマーに向けてデルフリンガーを振るった。

 

 しかし、ハンマーはデルフリンガーもろともサイトを吹き飛ばしてしまった。サイトの手からデルフリンガーがはじけ飛んで、サイトはしたたかに地面に叩きつけられた。

 

「ぐ……」

 

 サイトは体を駆け巡ったいかずちに苦しみながらも、それ以上に、まったく敵わなかったという結果を苦しんだ。

 

「サイト!」

 

 ルイズはすぐにサイトのもとに駆け寄った。

 

「ちょっと、大丈夫なの?」

 

 サイトの体がひどく痙攣していた。ギーシュとの一戦以上に、大きなダメージを負っているように見えた。

 

「心配いらないよ、ルイズ。僕にとって、稲妻は生き物のようなもの。サイト君を殺すようには命令していない」

「でも……」

 

 ルイズはワルドとの再会を喜ぶよりも、ワルドの強さに感動するよりも、サイトの身を案じていた。

 

「サイト君を運ぼう。そこの者手伝ってくれ」

「はい」

 

 サイトはヴァリエール家が抱える病院へと運ばれた。

 サイトとワルドの対決は、ワルドの圧倒的勝利の形で終わった。

 

 ◇◇◇

 

 サイトにすぐ治療が行われた。

 ワルドが言っていたように、ワルドの放ったいかずちはサイトの生命機能に危害は加えていなかった。サイトの心肺機能にはまったく電気が走っていなかった。

 電撃で神経系が麻痺してしまっているが、そのうち意識が戻るだろうと診断された。

 

 ルイズはサイトが目を覚ますまで病院にとどまった。

 爺がワルドとの再会を喜ぶ場を提供してくれたが、それよりもサイトのほうを優先した。

 

「ルイズ、サイト君の様子はどうかね?」

 

 日が落ちた後、ワルドが病室を訪れた。

 

「ワルド。まだ目を覚まさないみたい」

「翌日には目を覚ますさ。心配しなくてもいい」

「でも……」

「ずいぶんとサイト君のことを大事に思っているのだね」

「そ、それは使い魔だから」

 

 ルイズはそう反発した。

 ワルドはルイズの隣に腰かけた。

 

「先ほどまでお父様と話していてね、僕たちの結婚を改めて歓迎してくれた。二人の意思が合えば、いつでも結婚式を開く準備をしていると。場合によっては今すぐにでも構わないと」

「今すぐって……私はまだ学生よ」

 

 ルイズはいまワルドとの結婚よりも、サイトの身のほうが気がかりだった。

 

「学生でも構わないじゃないか。愛する男女の意思があれば結婚はできる。ルイズは僕のことを愛してくれていないのかな?」

「そ、そうじゃないけど、今すぐなんて急すぎるわ」

 

 ルイズはそのようにごまかしたが、いまルイズは自分でも不思議なぐらいワルドを好意的には見れなくなっていた。

 

 最強の魔法衛士、ずっと憧れていた存在、命の恩人。

 ルイズにとって、ワルドは誰よりも愛することができる要素に満ち溢れていた。

 

 それなのに、そうして心が躍らないのだろうか。ずっとワルドのことを想い続けていたはずなのに、いまはその気分が消えていた。

 

「そうだな、君の意思を尊重しないで急いでしまって申し訳なかった」

「いえ」

「僕はルイズのことを愛しているよ。どこにいても君のことを想っている」

 

 ワルドはそんな素敵な置き土産を残して行ったが、その言葉もルイズの心に響くことはなかった。



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20、尊敬

 翌朝になって、サイトは目を覚ました。

 ほぼ丸一日の間眠っていたことになるが、ワルドの手加減が絶妙だったのか、体に影響はまったくなかった。

 サイトはいつもの朝を迎えるように目を覚ました。

 

「朝日が眩しい……」

 

 サイトは立派なカーテンの隙間から差し込んだ光をいつも以上に眩しく感じた。

 

「おう、相棒。目覚めたか、ずいぶん長く眠っていたから、心配で夜も眠れなかったぜ」

 

 言いながら、デルフリンガーは大きなあくびをした。

 デルフリンガーは剣なのに、眠るときは人間と同じように眠る。

 

「そんなに長く眠ってたのか?」

「おうよ、丸20年だ」

「20年? まさか?」

「もちろん、冗談だよ」

「バカみたいな冗談を言うなよ」

 

 言いながら、サイトは隣で椅子に座ったまま眠っていたルイズを見た。ルイズはまったく歳を取っていなかったから、せいぜい経過した時間は数日とわかった。

 丸一日眠ったことで、サイトの心も落ち着いていた。素直にワルドを尊敬できた。

 

「すげえ強かったな、ワルドさん」

 

 サイトはワルドを尊敬するように言った。

 

「なんでえ、相棒。負けたってのにずいぶんとさっぱりしてんのな」

「そうだな。あそこまで強いとな。尊敬に値するよ」

 

 サイトの手にはまだワルドとの戦いの感触が残っていた。

 魔法の詠唱は早く、魔法の精度は高く、すべての動作が素早く、何よりも冷静だった。

 力任せに剣を振り回すサイトを完全に翻弄した。

 

「あんなに強い貴族なら、ルイズの婚約者としても認められるよ。いや、おれが決める話じゃねえんだが。というよりも、ルイズにはもったいないぐらいだよな。いや、マジで強かった。二度と戦いたくねえ」

 

 サイトは体に受けた電撃の感じを思い出すと、ワルドが味方であったことを頼もしく感じられた。

 

「あの貴族は魔法衛士の隊長らしいぜ。魔法衛士と言ったら伝統ある凄腕のメイジが集う軍隊だ。そりゃあ、いまの相棒じゃそのトップのメイジには敵わなくて当然よ」

「いまのおれか……しかし、勝てるようになる日が来るとはとうてい思えないな」

「相棒はまだ専門的に戦いを学んだことがないんだろ? なら、強くなるのはこれからよ。いまの相棒はまだセンス任せの剣でしかねえ。もっと場数を踏まねえとな」

 

 デルフリンガーは相変わらずぺちゃくちゃとしゃべった。

 大きな声で話すので、ルイズも目を覚ましたようだった。

 

「あ、目を覚ましてたの?」

「いまさっきな」

「そう」

 

 ルイズはホッと安堵の胸をなでおろした。しかし、次の瞬間、いつものツンツンした表情になった。

 

「まったく、ほんとにあんたはいつも迷惑ばかりかけるんだから。看病するのは私なんだからね、ちょっとはそういうところまで考えなさいよね」

「悪かったよ。でも、おれは一応被害者だぜ」

「まあ、たしかにワルドも大人気なかったとは思うけど、だいたいあんたが棄権すればよかったのよ。あんたがワルドに勝てるわけないんだから。ちょっと剣が使えるからって調子に乗るんじゃないわよ」

 

 ルイズはそう言って強く非難した。

 いつものサイトならいくつか言い返したかったが、いまのサイトは熱くならなかった。

 

「ルイズ、お前の言う通りだよ。正直、天狗になってた。剣を握れば、誰にでも勝てると舞い上がってた。上には上がいるってことは思い知らされたよ」

 

 サイトは素直に自分を反省することができた。本物の力を持つワルドだったからこそ、くやしいという気持ちもなくなり反省できた。

 

「そ、そう。いつもそう素直だといいけどね」

 

 ルイズはいつもと調子の違うサイトにやりにくさを覚えた。

 

「ルイズ、あのワルドさんの婚約者って話だったよな?」

「まあ、そうだけど、それが何よ?」

 

 ルイズは少し言葉につっかえた。

 ワルドと結婚するという事実、本来なら喜ばしいことのはずなのに、いまのルイズは少しその結婚に不安を覚えていた。だから、素直に言葉が出て来なかった。

 

「よくあんなすげえ貴族と婚約できたな。正直、お前にはもったいないぐらいだからよ」

「どういう意味? 私がろくでもない女だって言いたいわけ?」

「そうじゃねえって。でもすげえ強さだったからよ。あんな強い貴族なら他に相手がいなかったのかなと思ってよ」

 

 サイトはワルドのあの強さと風格があれば、世界中のどの女性もゲットできると思った。それがなぜルイズなのだろうかというのは自然な疑問と言えた。

 

「お父様が決めた結婚だからよ。許嫁ってやつよ」

「そうか。そりゃついてたな。あれ以上の男はどこを探しても存在しないと思うぜ」

 

 サイトはいま心からワルドのことを尊敬していた。

 サイトにとって、初めて尊敬できる大人との出会いだった。

 

 地球にいたころ、サイトは学校で出会ったどの教師にも尊敬の心を覚えることがなかった。尊敬どころか、かっこ悪いと考えていた。

 だから、サイトはこれまでずっと気の抜けた人生を歩んできた。

 

 しかし、本物に出会った。ワルドと剣を交えて、初めてそのような大人になりたいと思うようになった。

 

 ルイズよりも、サイトのほうがワルドに惚れていた。

 

 ◇◇◇

 

 ややあって、ワルドが病室にやってきた。

 サイトが目を覚ましたのを知って、ワルドは穏やかな笑みを浮かべた。

 

「サイト君、目を覚ましたか。よかったよ。しかし、申し訳なかったね、君をこのように傷つけてしまうのは不本意な結果だった。つまり、あの決闘は僕の負け」

 

 ワルドは不思議なことを言った。

 普通なら圧倒的にサイトの勝利したのだから、圧倒的勝利だ。しかし、ワルドは自ら負けを認めていた。

 その謙虚さがまたかっこよかった。

 

 サイトはベッドから起き上がると、ワルドの前で土下座をした。

 

「あの、ワルドさんにお願いがあります。おれを……弟子にしてくれませんか?」

「ん?」

「おれも強くなりたいと思ったんです。おれは一応ルイズの使い魔ですし、強くなって大切なものを守れる強さを手に入れたいんです」

 

 サイトは「大切なもの」と言った。それがルイズなのかそれ以外のものなのかは、サイトにもまだわかっていなかった。

 

「よろしくお願いします」

 

 サイトは生まれて初めて、人に頭を下げた。このように土下座をすること自体、人生で初めてだった。ずっと、こうして頭を下げることがかっこ悪いことだと思っていたが、そうではないことを悟った瞬間でもあった。

 

 すると、ワルドは笑みを浮かべて言った。

 

「そうだな、このままルイズの使い魔としてあるなら、命に換えてもルイズのことを守ってもらう必要がある。むろん、私もルイズのことを命をかけて守るが、より万全を期すなら、サイト君にも高みの騎士になってもらわないといけない」

 

 サイトは顔を上げた。

 

「良かろう、私が君にメイジの戦い方を教えてあげよう。君のその思いとセンスがあれば、私以上の戦士になれるだろう」

「よろしくお願いします!」

 

 サイトはワルドの弟子になれたことを心から喜んだ。

 二人のやり取りを見ていたルイズはどこか自分が蚊帳の外にいるような気分になった。

 ワルドもサイトも自分のために強くなろうとしてくれている。しかし、ワルドは自分のことを心から愛してくれているような気がしなかったし、サイトも自分以外の何かを守ろうとしているように思えた。

 

 ワルドは婚約者、サイトは使い魔。本来はどちらもルイズのためにある存在のはずが、いずれもルイズの蚊帳の外にいた。

 

 ◇◇◇

 

 今日は、アンリエッタ女王がヴァリエール家を訪れることになっていた。

 パレードに忙しいアンリエッタだが、ヴァリエール家を訪れることを楽しみにしていた。

 

 パレードは気を遣う。不特定多数の国民に対して顔を見せるというのは神経が磨り減ることだった。

 しかし、アンリエッタにとって、ルイズは幼馴染であり、気を遣わず接することができる親友だった。

 

 予定では、アンリエッタ一行はルイズの家で会食することになっている。約3時間、ルイズの家に滞在することになる。

 アンリエッタは久しぶりにルイズに会えることを楽しみにしていた。

 

 アンリエッタ一行を迎えるということで、ルイズの家では、忙しく会食の準備が進んでいた。

 サイトはワルドと共に護衛の任務にあたることになった。

 

 ルイズの家と言えども、女王陛下が時間を過ごすとなると、かなり警備が厳重になる。ヴァリエール家の兵士らも近くにならず者が暗躍していないかのパトロールに駆り出された。

 

 右派はアンリエッタの暗殺を宣言しており、警備を厳重にすることに越したことはなかった。

 

 ワルドはサイトを連れて、ヴァリエール家の周りをパトロールした。

 ワルドは戦士としての心得をサイトに話した。

 

「戦士にとって最も重要な心得は、正義の心だ」

「正義の心?」

「そうだ、正義とは自分の守るべき義に忠実にあること。サイト君の場合は、ルイズが正義そのものだ。使い魔にとっての正義とは、主の命令に忠実であること」

「なるほど。となると、おれは正義の心の無い使い魔だったかもしれません。ルイズにはよく反論してましたから」

「ははは、それは仕方がないことだよ。サイト君は人間。獣と同じようにはいかないさ。人間は命令に背くことができる。愛する国を裏切ることだってできる。自分の願望のために、ありとあらゆるものを腹黒く利用しようとする。それが人間の強さでもあり弱さでもあるんだ」

 

 サイトはワルドの言葉の1つ1つから重みを感じ取っていた。ワルドの言葉は学校の先生の説教とは比べ物にならないほどの重みがあった。

 

「サイト君は獣とは違う。主を裏切ることだってできる。誰か別の何かに忠誠を誓いたくもなる。ある意味、そうした悩みが人を強くする。本当に強い人間は意志の定まった狂戦士ではなく、常に迷いと葛藤と戦う弱き心を持つ者なんだ。私もこれまで多くの人を見て来た。迷いを持つ人間ほど厄介で強い。だから、サイト君もその迷いを捨て去ってしまってはいけない」

「……」

 

 ワルドの最後のその言葉だけ、サイトは暗黒に満ちた言葉のように感じた。

 

 ◇◇◇

 

 昼になり、アンリエッタ一行はヴァリエール家に到着した。

 サイトはワルドと共に、一行を迎える兵士として出向いた。

 サイトはこのときはじめてアンリエッタ女王を目にした。

 

 馬車から出て来たアンリエッタを見たサイトは、その美しさに目を奪われた。

 

「何やってる、サイト。敬礼だ。剣を胸に」

「あ、すみません」

 

 隣にいた兵士に注意されて、サイトは敬礼でアンリエッタの花道を作った。

 

 アンリエッタはその花道を進んだ。サイトはアンリエッタの横顔をずっと見ていた。

 美しさに惹かれただけではなく、同時に女王としての神々しさとは対極にある人間味にも惹かれていた。

 

 高貴な存在としての風格に交じる「年頃の女子高生の心」とでも表現できる心が混じっていて、サイトにはそれが強調された。

 

 アンリエッタはルイズの家に入ると、さっそくルイズと面会した。

 

「ルイズ!」

「女王陛下、お会いできて光栄でございます」

 

 ルイズは女王陛下を前にしてへりくだった。

 

「やめて、ルイズ。あなただけはそのようにしないで、お願い」

「ですが女王陛下……」

「お願い、女王の命令と思って」

 

 アンリエッタは跪いていたルイズの手を取って立たせた。

 

「わかりました、姫様。でも、女王になったのなら、女王らしくしなくちゃ」

「でも、ずっとそうしていると心がおかしくなりそうになるの」

 

 アンリエッタはルイズにそのように悩みを打ち明けた。このような悩みはルイズにしかこぼすことはできなかった。

 

「アンリエッタ女王、どうぞこちらの席へ」

 

 案内に言われて、アンリエッタは女王としての顔に戻った。



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21、戦乱のアルビオン

 パレード中のめでたい席だったが、アンリエッタの会食はどうしても政治の話で持ち切りになった。

 ヴァリエール家はアルビオンへの連絡地の1つであるから、特にアルビオン情勢にはすべての者が感心を寄せていた。

 

「女王陛下、アルビオン国内の内戦は激化の一途をたどっていると聞いております。このままではトリスタニアも無事では済まないことでしょう。この先、アルビオンとどう関わっていくのか、方針をお伺いしてもよろしいですか?」

 

 ルイズの父親はアンリエッタに尋ねた。ヴァリエール家の頭首ともなると、女王であるアンリエッタにも勝るとも劣らない地位だった。

 とはいえ、アンリエッタにパレード中に尋ねるようなことではなかったので、ルイズの母親が制止した。

 

「あなた、このような場でそのような話をするのはよろしくないですわ」

「そうだったな。申し訳ない、家を守る責任を抱えているゆえ、どうしても気になってしまった」

「いえ、アルビオンの問題はとても重要な問題ですから」

 

 アンリエッタはそう言って、ルイズの父親の質問に答えた。

 

「トリスタニアとしての姿勢はまだ議論の最中ですが、私は少なくともアルビオン政府を支持し続けるつもりです。反政府軍は反人道的な活動を続けていますし、ゲルマニアからも資金援助を受けています。もっとも、ゲルマニアは公式にはそのことを否定していますが」

「しかし、アルビオン政府の戦力は芳しくないと聞いています。政府が陥落すれば、いよいよその牙はトリスタニアに向かうことになりませんか?」

 

 ルイズの父親はそう言いながら、遠まわしに「おれは反政府軍を支持する。だから、方針を変えてくれ」という圧力をアンリエッタにかけていた。

 アンリエッタはその圧を感じていた。

 トリスタニア政府はトリスタニアの名家から資金援助を受けて成り立っているので、彼らの言動は尊重しなければならない立場だった。

 それに、ヴァリエール家はトリスタニアの大黒柱である。万が一にも陥落したり、アルビオン反政府軍に占領されるわけにはいかない。

 

 そんな重要なヴァリエール家の頭首の言葉を尊重しないわけにはいかなかった。

 さらには、相手はアンリエッタにとっては無二の親友であるルイズの父親である。

 ことさら、その言葉には重みがあった。

 

 しかし、アンリエッタはそれでもアルビオン政府を支援し続けるつもりだった。

 それは政治的な問題もあるが、背景には私的な思いもあった。

 

 アンリエッタが王女だったころ、加えて反政府軍がまだ攻勢を強めていなかったころ、アンリエッタはアルビオン政府の皇子であるウェールズと面会したことがあった。

 そのころ、アンリエッタはささやかな失恋の最中にあった。

 

 アンリエッタはひそかに魔法衛士隊長を務めるワルドに恋心を抱いていたが、ワルドはルイズの親友。アンリエッタはルイズのためを思い、ワルドへの思いを封印した。

 そのため、アンリエッタは気落ちした日々を送っていた。

 

 そんなときに、ウェールズと出会った。

 

「アンリエッタ王女、お会いできて光栄です」

 

 ウェールズはアンリエッタと同い年。いずれは国を引き継ぐことになるという立場も同じだった。

 

「こちらこそ、光栄です、ウェールズ皇子」

「堅い話はここまでにしよう。僕は昔から王族の所作は苦手でさ。こっちに景色のいいところがあるんだ。良かったら、一緒にどうかな?」

「はい、お願いします」

 

 ウェールズはアンリエッタと似ているところがあった。どちらも、積極的には王位を継承したくなかった。もっと自由にあちこちを旅したりするなど、自由を謳歌したいという思いを持っていた。

 しかし、王族に生まれた者の定め。その運命から逃げることはできなかった。

 

 そんな中、ウェールズのささやかな現実逃避は政府皇室から覗く湖の景色だった。

 

「まあ、とっても素敵な湖」

「トリスタニアの有名なラグドリアン湖に比べるとちっぽけだとは思うけど」

 

 二人は湖を見つめた。

 ウェールズは人の心情を察する能力に優れ、アンリエッタの笑顔が空元気であることをすぐに悟った。

 

「気分を落ち込んだときは、こうやって手を広げてみて」

「え?」

「いいから」

 

 ウェールズはそう言って微笑みかけた。

 

「この世界の大いなる存在がいつも僕たちのことを見守ってくれている。時には罰を与えることもあるけれどね。大いなる存在に誓うんだ。我が人生、持てる限りの博愛の精神で民に尽くしますと」

 

 ウェールズは見えざる何かをまっすぐ見つめていた。

 アンリエッタもその方向に目を向けた。

 何も見えなかったが、ウェールズの言葉の1つ1つがアンリエッタの心には良い影響をもたらした。

 

「どんなに辛いときでも大いなる者が力を貸してくれるよ。たとえ、地獄の底のように混沌としていても、僕たちの魂は時間をかけていつか安寧の地へ捧げられる」

 

 アンリエッタはウェールズの言葉で、心に光を得た。非現実的な宗教じみた内容だったが、アンリエッタにも大いなる者が見えるようになった。

 

 アンリエッタはそれからウェールズに好意を寄せるようになった。

 その好意がアンリエッタに頑なな決心をもたらした。

 

 本来、私情を政治に持ち込んではならない。アンリエッタもそのことはよくわかっていた。

 しかし、自分のウェールズへの思いがアルビオン政府支持の決断を支えていることは否定できないことだった。

 

 アンリエッタは自分の恋心のために、民を危険にさらしていることを自覚していたが、それでもその思いを断ち切れなかった。

 

 右派の言う通り、反政府軍を支持したほうが得策なのかもしれない。しかし、それはウェールズを裏切ることになる。

 

 民の安全と繁栄かウェールズへの恋心か。

 

 アンリエッタは女王としてではなく、一人の女性として厳しい選択を迫られていた。

 

「どうすれば……」

 

 会食を終えて、馬車に戻ったアンリエッタはかつてウェールズに教わった方法で手を広げて、大いなる者を見つめた。

 

「私はどうすればいいのでしょう?」

 

 そうつぶやくと、窓からルイズが顔をのぞかせた。

 

「姫様。私は姫様が創るトリスタニアを愛しています。何か力になれることがあればいつでもおっしゃってください」

「ルイズ……ありがとう」

 

 アンリエッタはルイズのその一言で、すべての迷いを断ち切った。

 

 やはりウェールズへの思いを優先しよう。

 アンリエッタは完全にアルビオンの同盟国であり続けることを決意した。

 

 ◇◇◇

 

 アルビオン政府はいま厳しい状況にあった。

 アルビオンはトリスタニアの東の地に浮かぶ大陸のことであり、アルビオンは居間から約15万年前に大地より浮かび上がったとされている。

 

 伝説によると、最愛の者を失った古の魔女が狂気にとりつかれ、虚無の魔法を開放。

 すると、大地のあらゆる物質が風魔の力に満たされ、大地からめくり取られ、上空へと舞い上がったとされる。

 

 その後、風系統の魔法に優れる者たちが、グリフィンやドラゴンを使い魔にし、アルビオンに上陸。そしてそこで住むようになった。

 アルビオンは風の恩恵をどこよりも受けることができる。

 

 風に封印された魔石が結晶化された「風石」は貴重な魔石の1つとされる。

 風が結晶化する条件は厳しく、どの国でもなかなか風石を採集することができなかった。

 

 ところがアルビオンでは雨が降るように、風石が蓄積するため、アルビオンは風石のメッカとなった。

 それだけに争いもし烈。風石がより多く積もる場所は、メイジらの間で奪い合いとなり、その結果、多くの血が流れた。

 

 アルビオンはもともとトリスタニアとゲルマニアが国土を主張し合う大陸だった。

 

 今から約50年前に、いまのウェールズの父親が「アルビオン皇国」としてアルビオンの完全独立を宣言。トリスタニアもアルビオン皇国を正式に認める形でようやく平和な時を迎えた。

 

 だが、それは長く続かなかった。アルビオン皇国を認めない「レコンキスタ」が立ち上がり、今ではその戦力はアルビオン皇国を超えている。

 こうなった背景には、トリスタニアの優柔不断がある。

 

 トリスタニアは平和を象徴する国家。他国に軍事的な支援を行うことには後ろ向きだった。

 そのため、アルビオン皇国の同盟国でありながら、支援は難民の保護程度であり、軍事的な介入はほとんどしなかった。

 

 そこをガリア王国やゲルマニアがつけ込んだ。ガリア王国は王政分離問題で今でこそアルビオンとは距離を取っているが、かつては積極的にドラゴンやグリフィンを派遣してレコンキスタを支援した。

 ゲルマニアもゲルマニアを代表する幻獣「サラマンダー」を積極的に派遣して、レコンキスタを支援した。

 

 こうして、レコンキスタは力を高め、アルビオン皇国を上回るようになった。

 いま過激な内戦が繰り広げられるまでになった。

 

 皇太子の地位を引き継いだウェールズはいま苦しんでいた。

 

「ウェールズ皇太子、西アルビオンの風石鉱山が完全にレコンキスタに占領されたという報告がありました」

「そうか……」

 

 ウェールズはいずれそうなるだろうという思いで、伝令の話を聞いていた。

 

「風石は我々の資金源。そこが陥落したとなると、皇室の陥落も間近。ウェールズ皇太子、どうか亡命をお考え下さい。アンリエッタ女王政権下のトリスタニアなら亡命を受け入れてくれるはずです」

「バカ……どうして、僕に国を見捨てることができようか」

 

 ウェールズはそう言って笑みを浮かべた。

 

「ウェールズ皇太子……」

「僕の命はアルビオンと共にある。最後まで誇りをかけて戦うつもりだ」

「我々も同じ気持ちです」

 

 ウェールズ政権の結束力は強い。レコンキスタはウェールズ周辺の要人を金で買収しようと試みていたようだが、誰も屈しなかった。

 彼らは国の終焉のその時までアルビオン皇国に魂を捧げるつもりだった。

 

 ウェールズは立ち上がると両手を広げた。

 

「大いなる者よ、僕の魂はアルビオンと共にあります」

 

 ウェールズはそう言うと、腰にあった剣を引き抜いた。

 

「我が身のすべてを賭けよう」



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22、女の意思

 アンリエッタのもとに、密書が届いたのは、パレードが終わってから5日後のことだった。

 その密書は公式に届けられたものではなく、ウェールズの使い魔がひそかにアンリエッタの部屋に忍び込んで、アンリエッタに直接渡したものだった。

 

 ウェールズの使い魔は、ケルベロスだ。特にアルビオンに古くから「眠れるケルベロス」として存在する特別な種類だった。

 それは普段、姿を見ることができない。警戒心が強く、透明になる性質がある。

 

 アンリエッタが一人になったところで、ウェールズの使い魔はその姿を現した。

 アンリエッタの目の前に突如、ケルベロスが姿を現した。アンリエッタの背丈と同じほどの小さなケルベロスだった。3つの顔を持っていて、それぞれが個性的な目つきをしていた。

 

 アンリエッタはウェールズの使い魔のことをよく知っていたので驚かなかった。

 

「ハルパール」

 

 アンリエッタはウェールズの使い魔の名前を呼んだ。

 

「アンリエッタ女王、このようなぶしつけな方法で面会することになって申し訳ない」

「ウェールズ皇太子の身に何かあったのですか?」

 

 アンリエッタは真顔で尋ねた。

 アルビオンはいま内戦の影響でほとんどの国と外交を閉ざしている。トリスタニアとは同盟国だが、ウェールズは今回の内戦が激化することを予想して、アンリエッタに迷惑をかけまいと自ら、トリスタニアとの外交筋を絶っていた。

 そのため、アルビオン政府とのやり取りは公式にはできなかった。

 

 トリスタニアにしてみても、右派はアルビオン政府と距離を置くようにと圧力をかけていたので、それを配慮してアルビオン政府と密接に連携するわけにはいかない事情があった。

 

 そんな事情の中で、ハルパールはアンリエッタに密書を渡した。

 

「主の命で手紙を届けに来た」

 

 アンリエッタはハルパールの右側の顔がくわえていた1枚の手紙を受け取った。

 アンリエッタはすぐにそれに目を通した。

 

 ◇◇◇

 

 アンリエッタ女王へ

 

 このような形でしか祝福できないことを許してほしい。

 女王即位おめでとう。

 君の強く、優しく、凛々しいその心があれば、トリスタニアは今よりもずっと美しく輝けるはずだ。

 

 トリスタニアの美しい自然も、立派な人々も、大いなる者の加護も、君の味方だ。

 

 だから、その思いのままに進むといい。僕もいつでも君のことを想っている。

 

 空を見上げてごらん。そこには君がいる。僕もいる。

 大いなる者が、この悠久の距離を縮めてくれる。

 

 僕も大いなる者に誓い、アルビオンを守りにくつもりだ。

 

 いつか、もう一度出会えたならば、僕はこの胸の内を告白しよう。

 

 ◇◇◇

 

 ウェールズの文言には、どこか焦りや悲壮感が漂っていた。

 平和な世界の中心で、安らかな心のままで書かれたものではなく、混沌と苦しみの中で書かれた文章のように読み取れた。

 

 アンリエッタはその手紙だけで、ウェールズの立場の危なさを理解した。内戦の激化が深刻ということは伝え聞いていたが、現場は本当に追い詰められているようだった。

 

 アンリエッタはいても経ってもいられなくなった。

 空を見上げると、いつもの美しい夜空が広がっていたが、そこにウェールズの姿がないように思えた。

 

 アンリエッタはすぐに机に向かうと、いま自分の思いを手紙に書きだした。

 考えることなく、心に浮かんでくる思いを文章にした。

 

「ハルパール、どうかウェールズにこれを届けてくれませんか?」

「申し訳ない、アンリエッタ女王。私はまもなく消え、この場所からいなくなります。私の実体はアルビオンにあるゆえ……」

「そうでしたか……」

 

 アンリエッタは息をついた。しかし、この手紙を絶対に届けなければならなかった。

 それは女王としての政治的なものではなく、個人的な恋文。そんなものを公式にウェールズのもとに届けることはできない。

 ひそかにウェールズに届けなければならなかった。

 

 しかし、アンリエッタには、ハルパールのような密書を届けることができるような使い魔はいなかった。

 アンリエッタの杖には、とある使い魔が封印されているが、それは密告者には向かないものだった。

 

「アンリエッタ女王、最後に主の伝言を。風は吹いている。君を後押しする勇気の風が」

 

 ハルパールはその言葉を残すと消え去ってしまった。

 

「風……」

 

 アンリエッタはこの恋文を届けてくれる唯一の人物のことを想い浮かべた。

 

 ◇◇◇

 

 ワルドはアンリエッタに呼ばれて部屋に向かった。

 

「お呼びでしょうか、女王陛下」

「どうぞ、お入りください」

 

 アンリエッタの許可を受けると、ワルドは手を使って丁寧にアンリエッタの部屋の扉を開いた。

 アンリエッタは椅子に腰かけて、窓越しに星空を見ていた。

 

 アンリエッタはワルドのほうを見ると微笑みかけた。ワルドは一礼した。

 

「用件をお伺いします」

 

 ワルドはアンリエッタのもとに跪いた。

 

「ワルド、聞いてください。これは女王の立場から、あなたに依頼する仕事ではありません」

「……?」

 

 ワルドは怪訝な顔を上げた。

 

「これはあなたが拾った1枚の文」

 

 アンリエッタはそう言うと、先ほど書き上げた1枚の封書を取り出した。

 

「宛名はウェールズ皇太子」

「……非公式の文書ということですか?」

「文書なんてものではありません。破り捨てたところでトリスタニアがどうなるというものではありません。ですが、私にとってはトリスタニアの命運よりずっと大切なもの。一国を治める者として不適切な言葉かもしれませんが、それはあなたがルイズに抱く思いと同じなのです」

「……」

 

 ワルドはアンリエッタの胸中を察してうなずいた。

 

「あなたもルイズのことを愛しているのでしょう?」

「彼女は一応許嫁ですから」

「一応? 一応なのですか? ルイズのことを心からは愛していないのですか?」

 

 アンリエッタは強気に問い詰めた。

 

「いえ、そういうことではございません」

「ごめんなさい、ワルド。あなたはトリスタニアを守る使命を持った身。その使命に忠実なことは素晴らしいことだと思います。でも、私は人が人としての感情を犠牲にしてでも使命に忠実になることは適切ではないと思っているのです」

 

 アンリエッタは空のほうに目を移した。

 

「ルイズのためなら、トリスタニアを捨てて外国に亡命する。ワルド、それが男としての使命ではないでしょうか?」

「……そうかもしれません」

「別にあなたを困らせるつもりはありません。でも、私も女王として以前に一人の人間。あなたがルイズを愛するように、私も人間として人を愛したいのです。それはわがままでしょうか?」

「いいえ、女王陛下のおっしゃる通りだと考えます」

「ありがとう。それにね、ワルド」

 

 アンリエッタは立ち上がった。

 

「ルイズは私の一番の親友。女王としてではなく、親友としてあなたに忠告します。ルイズを不幸にすることがあれば、私が許しません」

 

 アンリエッタはお節介な仲人のような態度でワルドに言い聞かせた。

 

「お約束します。私は命に代えてもルイズを幸せにしてみせます」

「そう、それなら安心したわ」

 

 アンリエッタはもう一度椅子に座った。それから自分の用意した手紙を見つめた。

 女王としてこれを破り捨てるか、女としてこの手紙をワルドに届けさせるか。アンリエッタは最後の最後まで逡巡したが、アンリエッタの本能が後者を選ばせた。

 

「お願い、ワルド。これをウェールズ皇太子に」

 

 ワルドは両手で丁寧にアンリエッタの手紙を受け取った。

 

「御意。女王陛下のその思い、このワルドが責任を持って届けさせていただきます」

「ありがとう、ワルド。それにごめんなさい、無茶なことを頼んでしまって」

「いいえ、これも魔法衛士としての当然の使命でございますから」

「ですが、アルビオンへ渡るあてはあるのですか? アルビオンはトリスタニアとの渡航をすべて止めているのです」

「風石の密売人ならいくらでもいます。彼らはもとから不正に両国を行き来しております。あてはいくらでもあります」

「ですが、気を付けてください。あまり無茶はしないように」

「お任せください」

 

 ワルドは自信を持ってアンリエッタの女としての命を受け取った。

 

 ◇◇◇

 

 アンリエッタの即位が終わったことで、トリステイン魔法学院も再開していた。

 ルイズらは久方ぶりに授業に出た。

 休みボケで身の入らない者も少なくない中、ルイズもその一人だった。

 

 実家に帰り1週間も暮らすと、実家ボケでなかなか授業に身が入らなかった。

 そんなルイズとは正反対に、サイトは魔法学院に戻ってからというもの、毎日、剣の訓練に余念がなかった。

 

 サイトはルイズが授業に出ている間、一人でデルフリンガーを振るった。

 

「踏み込んで、右」

 

 サイトはイメージしながら、鋭い太刀を繰り出した。

 

「相棒、毎日毎日ご苦労なこったね」

「ふう、だが一人で剣を振るっててもらちが開かない」

 

 サイトは汗をぬぐった。

 

「相棒、ワルドとか言ったか。あの貴族に本当についていくつもりなのかね?」

「ああ、ワルド師匠は本物だ」

「それはすごい惚れこみようだね。しかし、ちっと気になるな、おれは」

 

 デルフリンガーが言った。

 デルフリンガーはサイトと違って、冷静に物事を見ていた。

 サイトはワルドに憧れて、盲目的にワルドを信用しているが、デルフリンガーはワルドから感じた邪悪な力に引っかかっていた。

 あの邪悪な力は、少なくとも正義の心によるものではなかった。

 サイトも同じ力を感じていたが、ワルドへのあこがれから、そのことを忘れていた。

 

「しかし、相棒よ。あの貴族についていくってことは、魔法衛士とかいうやつを目指すってことだろ?」

「ああ、入隊試験を突破できれば、3級兵士になれるって話だ。ワルド師匠がおれならきっと突破できると言ってくれたしな」

「そうすると、この魔法学院ともおさらばってことだぜ。いいのかね? シエスタと言ったか、相棒の惚れたメイドの女」

「シエスタか。そうか、シエスタのことを忘れてた」

 

 サイトは今になってシエスタのことを思い出した。魔法学院を出ると、いつものようにシエスタに会えなくなる。

 シエスタはいま故郷であるタルブの村に帰っていて、明日魔法学院に復帰することになっていた。

 

「惚れた女のことを忘れるたぁ、相棒もどうかしてるぜ」

「別に忘れたわけじゃねえ。ちょっと意識がおろそかになってただけだよ」

 

 シエスタのことより、ワルドへのあこがれが先行していた。

 

「シエスタとも会えなくなるぜ、それでもいいのか?」

「大げさだな。一生の別れってわけでもないだろ」

「まあ、そうかもしれねえが。で、主人のことはどうするね?」

「ルイズのことか? あいつはどうせワルド師匠と結婚するんだ。なら、問題ないだろ」

「しかし相棒の主人、ここに戻って来るときも顔色が優れなかったんだよな。心からワルドってやつと結婚したいわけじゃないって顔だったぜ」

「そうだったか?」

 

 サイトはそのあたり無関心だった。



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23、アルビオンへ

 昼下がりのころ、ワルドはトリステイン魔法学院を訪れた。

 ワルドはアンリエッタから極秘任務を預かっていたが、その任務のついでにもう1つやりたいことがあったので、その目的を果たすために学院にやってきた。

 

 そのころ、サイトは昼食休憩を終えて、魔法の実習場で剣を振るっていた。トリステイン魔法学院にはいくつもの実習場があり、大規模な魔法を練習するスペースとして設けられている。

 特に魔法融合と呼ばれる実習では、数人のメイジが力を合わせて巨大な炎を発生させたりする。そうした魔法のために、広いスペースが設けられている。

 今日は風魔法の実習場では実習がなく、サイトは誰もいないスペースで剣を振るった。

 

 広いスペースで一人。あまりに場違いだったが、いまのサイトにはちょうどいいスペースだった。

 

「デルフ、この前の魔法剣を試すぜ」

「あれか。ちっとはコントロールできるようになったのかね?」

「いや、全然。しかしイメージトレーニングはやってきた」

 

 サイトはそう言うと、デルフリンガーを両手で構えて集中した。

 すると、サイトの手のルーンが青く輝き、周囲に風を発生させた。

 

「ワルドさん直伝の魔法剣だ。必ず習得したい」

 

 サイトはルイズの実家にいたころ、ワルドからいくつかの魔法を習得していた。その1つが「ライトニングハンマー」であった。

 ライトニングハンマーはワルドの得意魔法であり、風魔法が盛んなトリステインの軍の中でも広く用いられる魔法となっている。

 

 3つの風系統の魔法を組み合わせた「トライアングル」と呼ばれる魔法群であり、難度は高い。

 トリステイン魔法学院では、首席のタバサという生徒が操ることができるらしいが、それが操れるだけですでにトップクラスのメイジの証だという。

 

 サイトはそんな高等魔法ライトニングハンマーを操るために集中した。

 デルフリンガーの刃先にいかずちが集まってくると、徐々にサイトはデルフリンガーに重さを感じた。

 その重さは重力のように垂直方向だけでなく、あちこちに剣が暴れるように重さが発散した。

 そのため、サイトの手はガタガタと震えた。あちこちに魔力が暴走している証拠だった。それをピクリとも動かず操るのがワルドであったが、サイトはまだまだ不安定だった。

 

「相棒、手が震えてるぜ。大丈夫かね?」

「話しかけるな。集中力が途切れると魔力を逃がしちまう」

 

 サイトは真剣だった。わずかなバランスの崩れでも集めたいかずちを失ってしまう。

 しかし、サイトはその魔力を支えきれず、いかずちを逃してしまった。

 

 一度逃すと、いかずちは流れるように放電。あちこちにすさまじい閃光がほとばしった。

 

 360度に放電されたいかずちは地面に炸裂して、落雷のように大きな音を立てた。

 はっきり言って危なっかしくて、気楽に使えるような魔法ではなかった。

 このライトニングハンマーはうまく扱えなければ、周囲に無差別に放電してしまうため、素人では扱えない代物である。

 とはいえ、サイトはまだライトニングハンマーの練習を始めて数日。トライアングル系統の魔法を数日でものにできたら、誰も何年もかけて魔法を勉強しない。

 

「くそ、ダメだ。どうしてもコントロールしきれねえ」

 

 サイトは悔しそうにデルフリンガーを地面に突き刺した。

 そんな光景をワルドは遠くから見ていた。ワルドは口元に笑みを浮かべた。

 

「やあ、サイト君」

「ワルドさん」

 

 サイトはワルドが実習場に降りてくるのを見て、デルフリンガーを引き抜いて背中に収めた。

 

「練習熱心で感心だ」

「いえ、ルイズに雑用を頼まれて、なかなか練習できる時間が確保できない状態です。ところで、ワルドさんはルイズに会いに来たのですか?」

 

 サイトは尊敬のまなざしでワルドに向かい合った。サイトにとって、ワルドは人生の師そのものだった。信者と言えるほどに、ワルドを尊敬していた。

 

「まあね。昔の約束を果たすこともかねてね」

「約束? 許嫁のことですか?」

「ははは、まだ気が早いよ。ルイズはまだ学生だしね。約束というのはアルビオン旅行のことさ。ルイズが小さいころに約束していたのだが、情勢が不安定でなかなか機会が取れなかった」

「アルビオン」

 

 サイトは一応、アルビオンについてはコルベールなどから地理的なものを学んでいた。

 浮かぶ大陸であると聞いていたから、サイトも一度訪れてみたいと思っていた。

 

「どうかね? サイト君も一緒に来ないか?」

「え、いいんですか? 邪魔になりませんか?」

「別に新婚旅行というわけではない。それに、君もルイズの使い魔として、世界を広く知っておくべきだ。ぜひ、一緒に来たまえ」

「ぜひ、お願いします。空に浮かぶ国と聞いていたんで、ずっと行きたいと思っていたんです」

「そうか。ならばちょうどいいな」

 

 ワルドのもう1つの目的はルイズをアルビオンに連れて行くことだった。

 ルイズと約束したアルビオン旅行。その目的を果たすためにやってきたのだが、その目的を語るワルドの言葉には闇が込められていた。

 その闇を、デルフリンガーは気づいていたが、ワルドに心酔するサイトにはまったく見えなかった。

 

「では、サイト君、また後で。僕はオスマン学院長にも挨拶してくる」

「はい」

 

 サイトは笑みを浮かべてワルドを見送った。

 ワルドの姿が見えなくなったところで、デルフリンガーが顔を出した。

 

「相棒、聞いてくれるか?」

「どうした、デルフ。神妙な声を出して」

「相棒の信仰心に水を差すようで悪いんだが、あの貴族からはちっとやばいオーラを感じるんだよな。信用していいものかどうかと思うわけさ」

「そりゃそうだ。あれだけの強さを持ってるんだからよ。おれもやばいオーラが出せるような人間になりたいと思うぜ」

「いや、そういうことじゃねえ。他の人間とは違うオーラなんだよ。ありゃ悪党の放つオーラと同じだ。どうも気になるな」

「デルフは見る目がねえな。ワルドさんはチンピラみてえなやつとは一線を画す本物だ。男の勘がそう言ってる」

 

 サイトはあくまでもワルドを高く評価した。

 

「まあ、相棒がそう言うならしょうがねえな」

 

 デルフリンガーもそれ以上は介入しなかった。

 

 ◇◇◇

 

 オスマンとコルベールに挨拶した後、ワルドはルイズと部屋で会った。

 

「驚いたわ、突然来るんだもの」

 

 ルイズはワルドが来るとは思っていなかったので、すぐに着替えて最低限身を繕った。

 いつもはいい加減に部屋を散らかしているルイズだったが、ワルドがやってきたということで大慌てで片付けた。

 

「悪かった。手紙を書こうと思ったのだが、すぐにでも君に会いたくなってね」

「そんな」

 

 ルイズは恥ずかしそうに顔をそむけた。

 愛おしい婚約者。誰よりもかっこいい貴族。ルイズは今でもその気持ちを変えてはいなかったが、ほんの少しだけ以前とはワルドを見る目が変わっていた。

 それはサイトと出会ったことで変わったものだった。

 

 別にサイトはルイズにとって特別な存在ではない。あくまでも使い魔であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 しかし、サイトと出会ったことで、ルイズは心変わりしたこともあった。

 

 サイトは平民。しかし、その中で命をかけて貴族の封建社会に立ち向かっていた。ギーシュとの喧嘩はたかが喧嘩だったが、サイトは命をかけた。

 はたから見れば、ただの喧嘩で命を賭けるただの痛い平民かもしれない。

 しかし、ルイズにはそうは映らなかった。弱い立場に立たされながら、不屈の闘志を見せたサイトから、「勇気」の本質を感じた。

 あれから、ルイズは自分が貴族という身分に甘えていたことを悟った。

 

 それゆえか、サイトがメイドと仲良くなったり、犬猿の仲であるキュルケの誘いを受けることに激しく感情を動かされるようになった。

 たかが平民とは思えなくなっていた。それはもしかしたら、サイトを一人の異性として意識していたからなのかもしれない。

 

「ルイズ、覚えているかい。僕は君をアルビオンに連れて行くと約束したこと」

「ええ、私が7歳のころだったかしら」

 

 ルイズはそのときのことを思い起こした。

 あのときはちょうど姉であるエレオノールと大喧嘩したときのことだった。中庭で号泣していたところにワルドがやってきた。

 

「ルイズ、どうしたんだい?」

「何でもないわ。ほっといて」

 

 そのとき、ルイズは憧れのワルドを前にしても、意固地になっていた。憧れの相手に涙を見られたくないというのもあった。

 ルイズはワルドに背中を向けて涙をぬぐった。

 

 すると、ワルドは笛を取り出して、美しい音色を立てた。

 その音色は穏やかな旋律を奏でていて、ルイズの琴線に触れた。

 

 ルイズはしばらくワルドの旋律に心を預けていた。自然と心が穏やかになり、涙も目から掻き消えていった。

 

「このメロディはアルビオンに古くから伝わる遊牧歌の1つなんだ。もっとも、いまは完全に失われてしまったけどね。アルビオンの風そのものだ」

「アルビオン?」

「ああ、ルイズにだけ教えてあげよう。僕はアルビオンの先住民なんだ」

「トリステインじゃないの?」

「ああ」

 

 ワルドはそう言うとそよ風を感じながら、空を見上げた。

 

「僕は空の民。いまはもういなくなってしまったけどね」

「いなくなったの? どうして?」

「侵略者がやってきた。血のにおいを漂わせた醜いね。彼らは今でもアルビオンを占領して、正義を主張している」

「……」

 

 子供だったルイズにはワルドの言葉の意味を理解することはできなかった。

 その後、ワルドは笑ってルイズに言った。

 

「何があっても最後は許す心が大切だ。エレオノールもルイズを許すべきだし、ルイズもまたエレオノールを許してやるべきだ」

「許せないよ。お姉様は私の大切にしていた花の冠を壊しちゃったんだもん」

「そうだね。ルイズは被害者。エレオノールが悪いのかもしれない。でも、許してやってほしい。そうすれば、どんな悪人もいつかは聖なる風になる。ほら、心地よいそよ風のように」

 

 ルイズは自分の髪を揺らすそよ風に身を任せてみた。

 すると、エレオノールに対する憎悪も消えて行った。

 

「うん、わかった。許す」

「そうか、ルイズはえらいね。君のような美しい心を持つ者ばかりならば、この世界に邪悪な風も血生臭い風も吹かなかったかもしれないね」

 

 ワルドは最後にその言葉を風に乗せた。

 

 ルイズはあのときのことを思い出して、今一度ワルドの立派さを認識した。

 

「あなたは言った。許すことの大切さ。今の私にはよくわかる。許す心が平和を作るということ」

「そう言えば、そういう話をしていたね」

「でも、やっぱり人は感情に突き動かされてしまう。ワルドはそういうときでも、人を許す心をどうやって持ち続けるの?」

「そうだな……」

 

 ワルドは少し考えてから、

 

「風に吹かれることかな」

「風?」

「ああ、風はすべてを運ぶ。風に耳を傾ければすべてを教えてくれる」

 

 ワルドはそう言いながら、窓辺のほうまで歩いて行き、窓を開いた。ちょうど、心地よい風が部屋の中に入ってきた。

 ルイズはその風を受けて目を閉じた。

 

「本当……風が何かを教えてくれているみたい」

「ああ、風は本当に大切なことを教えてくれる。この風はアルビオンからここまで旅してきた。きっとさまざまなことを知っているはずだよ」

「あなたはアルビオンから来たの?」

 

 ルイズは風に問いかけた。

 

「行ってみたい、アルビオンに。私、まだ一度もアルビオンの風に吹かれたことがないもの」

「ならば行こう。ルイズがアルビオンにやってきたとき、アルビオンに本当に素晴らしい風が吹く。そう、かつての美しい風が」

 

 ワルドはそう言うと、どこか冷たく口元を緩ませた。

 

「血なまぐさい邪悪な風をすべて追い払い、アルビオンはかつての栄光を取り戻すんだ」

 

 そのワルドの言葉を乗せた風は血なまぐさい風となり、ルイズの部屋の外へ抜けていった。

 



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24、心変わり

 ルイズとワルドのアルビオン旅行はトントン拍子に決まった。

 

 ワルドはルイズの父親と面会し、頼もしい男の態度でこう言った。

 

「ルイズのことは私が命がけで御守りします。どうかご安心ください」

 

 ワルドの態度は極めて真摯であり、他ならずルイズの父親がルイズの婚約者としてワルドを説得しただけあり、父親は完全にワルドを信頼していた。

 

「君がついていてくれるならば、ルイズも安心だ」

「ただ、アルビオンの治安の悪化は確かです。できる限り、安全なルートを手配するつもりです。アルビオンの信頼できる貿易商人がいます。彼の運営する飛行船ならきっと安心でしょう」

「アルビオンの貿易王……カスダード家の者だったか」

「ええ、ウェールズ政権を心の底から信頼する正義心の強い男です」

「わかった。よろしく頼むよ」

「アルビオンは風系統のメッカ。ルイズにとっても、きっと素晴らしい勉強になるでしょう」

「ところで使い魔のサイト君はどうするのかね?」

「彼も一緒に連れて行くつもりです。彼にとっても使い魔として知見を広めるチャンスだと思いますので」

「しかし、野暮ではないかね? せっかくの旅行だというのに」

 

 ワルドは小さく苦笑した。

 

「今回の旅行は婚前旅行とはまた別のものです」

「そうだったな。すまなかった。はははは」

 

 二人は陽気に笑った。

 

 ヴァリエール家の許可も取れたので、アルビオン旅行の障害は完全になくなった。

 ただ、ワルドも話したように、アルビオンはレコンキスタの勢力が拡大しており、治安悪化が深刻化している。そのことだけが懸念された。

 しかし、ワルドはそのことについては心配していなかった。

 

 ワルドは旅行の計画を完成させると、ルイズとサイトに伝えた。

 

「ラ・ロシェールの港から飛行船でアルビオン皇国に向かう。アルビオン4区はトリステインとの連絡地だからこのあたりはまだ治安がいい」

「ラ・ロシェール……たしかコルベール先生から聞いたことがあったな。トリステイン王国一の高地だって」

「うん、標高2000mの場所だからね。最もアルビオン皇国に近い場所さ」

 

 空に浮かぶ大陸アルビオンへの港町として、ラ・ロシェールは栄えている。

 もともと、ラ・ロシェールは貧民の町であったのだが、アルビオンに渡る飛行船が発明されると一転、トリステインナンバー3の大都会となった。

 飛行船ビジネスで富豪になった者は少なくなく、彼らは「アルビニスト」と呼ばれ、世界最高の成金一族として侮蔑的に言われることもある。

 

 ラ・ロシェールはトリスタニアから丸2日かかる距離にある。アルビオンでの滞在期間も含めて1週間以上の長旅になる。

 

「でもアルビオンへの渡航は禁止されているんでしょう? 飛行船は運休しているんじゃないの?」

 

 ルイズが疑問を呈した。

 

「ああ、公式にはすべて止まっている。しかし、一部の貿易船はまだ動いている。そこを利用させてもらう予定だよ」

 

 ワルドはトリステインの魔法衛士隊長。その身分があれば、非公式の飛行船を借りて、極秘にアルビオンに渡ることができた。

 公式の飛行船は厳格な荷物チェックがある。すると、ワルドのもう1つの目的であるアンリエッタから授かった手紙をウェールズに渡せなくなる。

 なので、非公式のルートは最も都合のいい方法だった。

 

「明朝に出発する。今夜はゆっくりと休んでくれ」

 

 ◇◇◇

 

 その夜、ルイズはなかなか寝付けず、ベッドの上から窓を開き、外の景色を見ていた。

 明日朝早いのでちゃんと眠る必要があるのに、どうしても眠ることができなかった。

 

 眠れない理由……それはワルドのことだった。

 

「どうしてかしら……」

 

 ルイズは胸に手を当てて悲しい顔をした。

 ワルドのことは尊敬している。きっと愛してもいる。ずっと昔からワルドに恋心を抱いてきた。その気持ちは今も変わらないはず。

 しかし、ワルドとアルビオン旅行だというのに、胸が高まらなかった。久しぶりにワルドに会ったときから、かつてのようなときめきを覚えられないままでいた。

 

「ワルドは素敵な人。私にとってもったいないほどのお方のはずなのに……」

 

 ルイズはどうしてもワルドを愛しきれなかった。ほんの少し前まで、ワルドのことを誰よりも愛していたはずなのに、いまはそうではなかった。

 

 ルイズはどうしても眠れなかったので、ベッドから出た。そして、サイトの寝床に目を向けた。

 そこにサイトの姿がなかった。

 トイレかと思ったが、しばらくしてもサイトが戻って来なかったので、ルイズは部屋を出て、サイトの身を探した。

 

 最近、サイトは女子生徒から何度も告白を受けている。この前も告白を受けたという話があった。

 どこかで女と会っているかもしれないと思うと、ルイズはそれが我慢ならなかったので、サイトのことを執拗に探した。

 

 探し回り、ようやくサイトの姿を見つけた。サイトは寮の屋上にいた。

 サイトは一人壁にもられて座り、2つの青い月を見つめていた。

 

「ちょっとサイト、こんなとこで何してんのよ」

「ルイズか? なんだよ、早く寝ろよ」

 

 サイトは月明かりに照らされた穏やかな顔を向けて来た。なぜかその顔に胸が高鳴った。

 

「それはこっちのセリフなんだけど」

「ちょっと手紙を書いててな。書き終わったら戻るよ」

「手紙?」

「ああ、二通な。ここを長く空けることになるからな」

「誰の手紙よ」

 

 ルイズはサイトの隣にやってくると、サイトと同じように腰かけた。すると、かつてワルドとそうしていたときのような安らぎや幸福感を覚えた。

 サイトはただの使い魔。それは頭でわかっているけれど、いまはワルドと一緒にいるとき以上に心が安らいだ。

 

「一つは故郷にかな。もしかしたら、おふくろか親父がやってくるかもしれないからさ。そのときのためにな」

「やってくるの?」

「来ないだろうな。でも万が一にと思ってさ」

 

 サイトはそう言いながら、言葉を選ぶように、紙に文字を記した。遠い故郷に思いをはせるサイトの顔は穏やかで無垢で透明感があった。

 

「なんか不思議だなって思う。親父のことなんて大嫌いだったのに、親父に手紙なんか書いてるんだから。ほんとにクソ親父だったのによ」

 

 サイトは父親のことをそう言いながらも、その言葉には無二の両親に対する愛情が込められていた。ルイズは自分が両親を愛する以上に強い愛情を持つサイトの羨望を覚えた。

 

「どんな人?」

「クソ親父だよ。酒飲んじゃ暴れまわって、おふくろがそれで心を病んじまってさ」

「そう」

「でも、おれの高校の学費を出してくれたのは親父だし、親父の金で飯食ってるし、なんだかんだおれのわがままにもそれなりに金も出してくれた。憎みたいけど憎みきれない。それがすげえ腹立たしいよ」

 

 ルイズはサイトの両親に会ってみたいと思った。

 

「よし、親父とおふくろにはこんなもんでいいだろ。あとは」

「それは誰の手紙」

「シエスタだよ」

 

 サイトは笑顔でそう答えた。しかし、ルイズには少し不快な言葉だった。

 サイトがシエスタを特別視していることはわかっていた。それがルイズには恨めしかった。

 

「物好きね、あんたも。あんな平民階級の家事手伝いのどこがいいんだか」

 

 ルイズは嫉妬を込めてシエスタを見下すように言った。

 サイトは特にそれを否定することなく、優しい口調で次のように言った。

 

「でもすげえ優しい。おれ、あんな優しい人に出会ったのは初めてだったからさ」

「……」

 

 サイトはルイズと違って大人気ない反応をしなかった。

 

「この国の風潮はわかってる。身分の高い者が偉い、お金持ちが偉い、出世することが偉いってんだろ。それはおれの住んでいた国でも同じだな。でも、おれはそんなものどうでもいい。そんなものよりずっと価値のあるものをおれは理解できた。他の誰がどう思おうが関係ねえ。おれだけが知っていればいい」

 

 サイトはそう言って、今はまだここにいないシエスタへの愛情を表現した。

 ルイズは負けたと思った。身分や財力を誇示することしかできない自分ではシエスタには勝てないことを悟った。

 けれど、それを正直に認められるほど、ルイズはまだ大人ではなかった。

 

「でもね言っとくけど、あんたは私の使い魔なんだからね。別にあんたが誰を好きになろうと自由だけど、私に尽くすのが最優先事項なんだからね。わかってるわね?」

「わかってるよ。お前のことは命を賭けても守るさ」

「……」

 

 ルイズは思わず、言葉を詰めた。堂々とそう言われると胸がときめいた。ワルドに同じ言葉を言われたときよりもずっと心が反応することがわかった。

 

「べ、別に命まで賭けなくてもいいけどさ。と、ともかく、つ、使い魔なんだからその自覚だけは忘れるんじゃないわよ」

 

 ルイズは自分の心の乱れを隠すように立ち上がると、サイトに背中を向けた。

 1つ息を吐いてからちらりと後ろを振り返った。

 そこには、ぼんやりと月を見つめるサイトの顔があった。その顔は少なくともルイズを見てはいなかった。サイトの目は月のはるか先にある思い人に向けられていた。

 

「私、ひょっとして……」

 

 ルイズはそれ以上の言葉を頭の中から完全にかき消した。

 

 ◇◇◇

 

 朝もやのかかる朝、ルイズとサイトはそろって部屋を出た。

 

「眠い……」

 

 ルイズもサイトもお互いに眠そうな顔のまま部屋をノロノロとした足取りで出て来た。

 サイトはシエスタへの手紙の文言を考えるために徹夜して、ルイズはなんとなく眠れずに徹夜していた。

 

 せっかくのアルビオン旅行というのに、スタートは悪かった。

 サイトは手紙をマルトーに渡すために、厨房に向かった。

 

 マルトーの朝は早い。すでに厨房ではスタッフによる仕込みが始まっていた。

 

「おう、我らが剣、どうした? 眠そうだな」

「すみません、マルトーシェフ。シエスタに伝言というか手紙を任せたくて」

「ああん? ラブレターか?」

「半分そんな感じです。しばらくここを離れるので、シエスタが戻ってきたら渡しておいてほしいんです」

「どこへ行くんだ?」

「ちょっと遠くへ」

 

 アルビオンへの渡航は全面禁止されているので、今回の旅行は表向きに人に話せるものではなかった。

 

「わかった。たしかにシエスタに渡しておくぜ。まあ、あいつも奥手だからな。でも、その気になれば人一倍気が強い子だ。そこいらの貴族風情には敵わないほどにな。シエスタを狙うんなら覚悟しとけよ」

 

 マルトーはそう言って笑った。

 

 その間、ルイズはワルドのもとに向かった。ワルドは教師らが寝泊まりしている寮を利用していた。

 ワルドは早朝から冴えた目をしていた。

 

「ルイズ、眠そうだな。昨夜は眠れなかったのか?」

「ええ、緊張してしまって」

「それならば、僕の相棒の上で休むといい。僕が護っているから」

 

 ワルドはそう言うと、ルイズの身を優しく抱き寄せた。

 しかし、ルイズはこれまでのような胸の高鳴りを感じなかった。ルイズの心はもうあのときから変わってしまっていた。

 



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25、キザな旅仲間

 いよいよ、約1週間にまたがるアルビオンへの大旅行も出発を迎えた。

 トリステインの最西の港町「ラ・ロシェール」からアルビオンへ入国し、もう一度ここまで戻って来る。直線距離にして約1000キロの往復。サイトの感覚からすると、大阪から東京を経て北海道まで向かうようなものだ。

 当然、飛行機も新幹線もない。自分の足で歩いて行かなければならない。

 もっとも、ここハルケギニアにもそれなりに優れた移動手段がある。

 

 馬。

 

 サイトはルイズの愛馬であるサンダーエクスプレスと向かい合った。

 たしかに、このサンダーエクスプレスは時速100キロ超で走ることができるから、1000キロの距離も半日だ。

 しかし、それは馬を乗りこなせたらという前提条件のもとにある。

 

 サイトはサンダーエクスプレスに話しかけた。

 

「おれな、乗馬の経験がねえんだ」

 

 サイトがそう言うと、サンダーエクスプレスは主のルイズに似ついた見下すような目を向けた。

 

「だから、お手柔らかに頼むぜ」

「ブルル」

 

 サンダーエクスプレスはサイトの言葉を否定するように、顔を背けると、後ろ足でサイトを蹴飛ばした。

 

「いきなり蹴飛ばすな。お前はルイズか?」

「ふん」

 

 サンダーエクスプレスはルイズそのままの態度を見せた。見れば見るほど、ルイズに見えた。ペットが飼い主に似るという言葉はハルケギニアでも通用することをサイトは悟った。

 サイトがサンダーエクスプレスの扱いに苦戦していると、ワルドが馬小屋に顔をのぞかせた。

 

「サイト君、準備はできたかね?」

「すみません、師匠。馬がそっぽを向いて相手をしてくれないのです」

 

 サイトは尊敬を込めて、ワルドを師匠と呼んだ。

 ワルドは面白そうに口元を緩めた。

 

「剣の腕前は一人前だが、乗馬のほうはからっきしか。なるほど、天才らしい気質だな」

「迷惑かけて申し訳ないです」

 

 サイトは肩を落とした。もともと、サイトは馬に乗ったこともなければ、剣を振るったこともない。あくまでも、ガンダールヴの力で剣術を身に着けているに過ぎなかった。

 

「心配無用だ。先ほど、協力者を申し出る者があってな。彼が協力してくれるだろう」

「協力者?」

 

 サイトが尋ねると、ちょうどワルドの後ろから見慣れた顔が現れた。

 続いて、バラの香りが漂ってきたので、目を閉じていても相手を確信することができた。

 

「フフフ、お困りのようだね。このギーシュ・ド・グラモンが君に慈愛の心を示そうではないか」

 

 ギーシュはそう言うと、大げさなパフォーマンスを見せた。

 

「ああ? なんでお前がここにいるんだ?」

「偶然さ。清々しい朝の日を浴びていたら、あこがれのワルド子爵が降臨された。話を聞くところによると、この情勢の中、アルビオンへ向かうと言うので、ぜひ僕もお供させてくださいと申し入れたところ、快く受け入れてくださったのだ」

「というわけだ。聞くところによると、彼はグラモン家の金の卵だそうだ」

「金の卵ねぇ……」

 

 サイトはギーシュのほうに目を向けた。ギーシュはそれらしく振舞っているが、金の卵というのは言いえて妙だった。サイトのイメージでは、ギーシュは名家のドラ息子だった。

 

「安心したまえ。僕の使い魔のヴェルダンデが君を目的地まで連れて行ってくれるさ」

 

 ギーシュの背中の後ろから使い魔のジャイアントモグラであるヴェルダンデが顔を出した。ジャイアントモグラそれほど高貴な使い魔ではないが、錬金魔道士の間では重宝するいぶし銀な使い魔であるという。かなり優秀な錬金術師も、ジャイアントモグラを使い魔にしているという話だった。

 

「こんなモグラに乗れるわけないだろ」

「ふふふ、このギーシュ・ド・グラモンを甘く見てもらっては困るな。僕たちはコントラクトサーヴァントで高貴なる絆を獲得したのだ。見るがいい、僕たちの絆の力を」

 

 ギーシュはそう言うと、口にくわえていたバラの花を手に取ると、華麗に振るった。

 次の瞬間、ヴェルダンデは赤い光に包まれた。光に呼応して、ヴェルダンデの目が獰猛に輝きだした。

 

 ジャイアントモグラはメガジャイアントモグラに変化した。

 ヴェルダンデは馬小屋の天井スレスレまで大きくなり、先ほどまでの可愛らしい表情はなくなり、獰猛なモンスターのそれになっていた。

 

「うおっ、変身したぞ」

「これがヴェルダンデの真の力さ。どんな大きな鉱脈も力強く掘り進むことができるのさ」

「おれたちは地獄に行くんじゃねえぞ。空の上に行くんだぜ」

「ヴェルダンデはそこいらの馬よりも速く走ることができる。ラ・ロシェールまでは1日あれば十分だ」

 

 巨大化したヴェルダンデはギーシュに忠実であり、さらにその戦闘能力は見るからに高そうだった。ギーシュは伊達に魔法衛士を目指しているわけではなかった。抜けたところもあるが、その気になれば、さまざまな魔法を使いこなすことができた。トリステイン魔法学院でも、ギーシュはなんだかんだ中の上の成績を収めていた。

 

「なかなかやるじゃねえか」

「そうだろう。ようやく僕の実力に気が付いたようだな」

 

 ギーシュは天狗になったように鼻を高くした。

 しかし、その直後に問題が発生した。

 

「がるがるるるるる」

 

 巨大化したヴェルダンデは馬小屋の時計についていた装飾品に反応して興奮し始めた。ジャイアントモグラは光物を察知する力に長け、光物を見つけると、興奮する作用があった。

 ちょうど、肉を前にした動物のように、ヴェルダンデは興奮した。

 

「わっ、コラ。ヴェルダンデ、こんなところで暴れちゃいかん」

 

 ギーシュは必死にヴェルダンデを抑えようとしたが、飼い主の制止がまったく利いていなかった。ヴェルダンデは壁に突進を繰り返し、大きなひび割れが入った。

 

「おい、サイト、止めてくれ」

「やっぱ、お前、トラブルメーカーだな」

 

 アルビオン旅行は第一歩からつまづく形になってしまった。先が思いやられる展開だった。

 

 ◇◇◇

 

 何とかヴェルダンデを外に出して、ギーシュのアクセサリーでご機嫌を取ると、ようやくおとなしくなってくれた。

 しかし、馬小屋の壁には大きなひび割れが入り、修理しなければならなかった。

 

「ミスタ―グラモン、困るよ。この小屋は先月改装したばかりなのに」

「も、申し訳ない。多額の寄付金に免じて許してくれたまえ」

 

 ギーシュは小屋の管理人で、親の七光を頼りに謝った。グラモン家は魔法学院に多額の寄付を行っているので、平民でしかない管理人も強く言えなかった。

 

「お前、錬金のスペシャリストなんだろ? だったらちょいちょいと直せないのか?」

 

 サイトがそう尋ねると、ギーシュは得意顔になって、バラの花を口にくわえた。

 

「君は何もわかってないな。魔法学院の建築はすべて、我がグラモン家が管轄する錬金魔術師連合の業により生み出されたもの。その精密な魔法構造は凡人にはとても理解できないものなのさ。見なさい、この等しく美しい曲線が織りなす見事な石材を。小さな石材1つにも精密な魔法が込められているのさ。おかげで魔法学院は決して燃えず、大地震でもびくともしない」

「こいつの突進一撃でひび割れたが?」

「フフフ、それぐらいヴィルダンデが力強いということさ。我ながら素晴らしい使い魔を従えたものだ」

 

 ギーシュは悪びれた様子がなくなり、再び鼻を高くした。たしかに、あの怪物の突進でひび割れだけで済んだのを見ても、建物の頑丈さは本物と見て間違いなかった。

 

「さあ、出発だ」

 

 ルイズを乗せてとっくに準備満帆だったワルドが声をかけた。

 ワルドはここハルケギニアでは最上位のモンスターである「グリフィン」を従えていた。

 ギーシュには悪いが、グリフィンはジャイアントモグラとは比べ物にならないほど高貴な存在だった。

 

 グリフィンは時速150キロで飛べるほか、優れた機動性を持ち、地上を走っても馬よりもずっと速い。

 巧みに風系統の魔法を使いこなすこともできる。

 魔法衛士の隊長であるワルドはあまつさえ、そのグリフィンを完全に操ることができ、その気になれば、国を1つ滅ぼすこともできると言われている。

 

 ワルドはルイズを後ろから抱えるようにグリフィンにまたがると、まっすぐ前を指さした。

 魔法学院の門の先には、青々とした美しい自然が広がっている。

 トリステイン魔法学院は東トリステインの中でも、都市部から切り離されたところにある。

 それにはいくつかの思惑がある。

 

 トリステイン魔法学院が興ったころ、トリステイン王国はまだ内戦が強く残っていた。優秀なメイジを育成する場所を都市部から切り離すことで、侵攻の的にならないようにしたというのが1つ。

 もう1つは陰謀論ではあるが、始祖ブリミルが「虚無」の研究を秘密裏に行うために、王室の介在を受けにくい場所を選んだという理由。

 

「ルイズ、しっかり掴まっているのだよ」

「ええ」

 

 ルイズは答えながら、後ろを振り返った。その目はワルドよりもその後ろにいるサイトの姿を最初に認識していた。

 



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26、ラ・ロシェール

 当初は、ルイズとワルドの新婚旅行のようなものだったアルビオン旅行だが、それにサイトがついていくことが決まれば、すぐさま、ギーシュまでついてくるという団体旅行になった。

 

 一行はラ・ロシェールの港町を目指して、トリステイン魔法学院のゲートをくぐった。

 ワルドはルイズを乗せ、使い魔のグリフィンと共に華麗に門をくぐったのに対して、サイトとギーシュは巨大化したヴェルダンデに乗って、どしどしと上下に揺れながら門をくぐった。

 

「おい、揺れすぎだ。もうちっと静かに歩けないのか?」

「何言ってるんだい、地上ではこうでも、荒れ地の続く鉱山の中では、ジャイアントモグラは最高の交通手段なのだよ」

 

 ギーシュはそう言ったが、ヴェルダンデが前進するたびに、体がガタガタ揺れて、サイトにとっては感覚がおかしくなりそうだった。ヴェルダンデは地上を移動するための存在ではないだけに、1日移動するとなると、体への負担はかなりのものだった。

 

「あのな、おれたちは穴掘りに行くんじゃねえんだぞ」

「ラ・ロシェールはもともと鉱脈の地。錬金魔道士のメッカだよ。ヴェルダンデはその地にふさわしいのだよ」

 

 ギーシュはそう言うと、例によってバラの花をくわえた。ギーシュは乗馬にも、ヴェルダンデの背中にも慣れているようで、揺られることに抵抗感を覚えていなかった。

 

「鉱山を切り開き、開拓された港町がラ・ロシェールさ。その開拓には、何を隠そう我がグラモン家が中心になったのさ。フフフ」

 

 ギーシュは自分の手柄のように誇らしげに胸を張った。すごいのは、ギーシュではなく先代までのグラモン家である。

 

「しかし、そのラ・ロシェールもいまや風の町になった。錬金魔道士よりも風魔道士を数多く輩出するようになるとはアルビオンとの貿易の影響は計り知れないな」

 

 鉱山の町も、アルビオンとの間で貿易が進むと、ラ・ロシェールの経済圏はアルビオンに渡航する飛空艇ビジネスにとって代わって行った。

 飛空艇はいずれも風魔道士の手によって行われるので、かつて泥だらけで炭鉱を掘り進んでいた労働者たちも、風石を反応させてエネルギーを抽出するクリーンな仕事をするようになった。

 だが、その仕事からあぶれた底辺労働者たちによって、治安の悪い地域も多く、そのあたりの酒屋などでは、連日暴行事件が起こっていた。

 

 そうした底辺労働者もいまやいい仕事を得ていた。

 それがアルビオンレコンキスタの傭兵業務だ。

 底辺労働者はトリステイン政府に反感を覚えている。なので、彼らは積極的に国を裏切ってレコンキスタの味方となり、各地で盗賊行為を働くようになった。

 

 そんな治安の悪い状況での旅行だが、今回はワルドという優秀なメイジもついているし、ワルドのコネで安全な飛空艇を用意することもできる。

 

 しばらくはトリステインののどかな自然道が続いた。

 その道を歩くグリフィンとジャイアントモグラの一行は周囲には異質に映った。

 道を行く歩行人たちは例外なく、グリフィンとジャイアントモグラのほうに目を向けた。

 

 このあたりは治安もいいから盗賊が歩くこともない。また、トリステインの魔法衛士が駐屯兵として各地の見守りについている。

 ワルドは近くに見えた施設を指出して行った。

 

「あそこが兵士らの駐屯地だよ。僕も入隊してすぐはあそこで任務をこなしていたんだ」

 

 ワルドが指さした先には、森に囲まれた駐屯兵の連絡所が連なっており、末端の魔法衛士らが配属されていた。

 ルイズはその方角を見つめた。

 

「こんな田舎にも駐屯地があるのね」

「ああ、よく近場の酒場で喧嘩が起こって、そのたびに駆り出されたものだ。行ってみると、喧嘩してたのは同業者だってことも珍しくなかった」

 

 ワルドは懐かしそうに当時のことを語った。

 

「もし、私が魔法衛士になったら、あそこで仕事をすることになるのかしら」

「どうかな。ああいう僻地に出されるのはノンキャリア組ばかり。名家出身の者はもっと立派なところで任務に当たれるんじゃないかな」

「でも、ヴァリエールの地位ってだけで特別扱いはされたくないわ。ワルドと同じように実力で前に進みたいもの」

「そうか。ルイズは立派だな。君の才能があれば、きっと立派な魔法衛士になれるさ」

 

 ワルドはそう言うと、優しくルイズの背中を抱きしめた。

 二人は仲良く会話をこなしたが、ルイズは何となく仲の良い友人程度の感覚で話していた。少し前まで、話すのも緊張していたが、いまは抱きしめられても、それほど大きなときめきを覚えなかった。

 

 ワルドらの後ろには、ヴェルダンデがついていた。ヴェルダンデはのそのそと歩いているが、一歩が大きいため、それなりのスピードが出ていた。歩くたびに上下に揺れたが、サイトもようやくその感覚に慣れて来た。

 

「なあ、サイト」

「あん?」

 

 ギーシュが珍しくシリアスな声を出した。

 

「君は実に幸運な平民だよ」

「何だよ急に」

「ルイズの使い魔になったというだけで、あのワルド子爵に面倒を見てもらえるのだから。すべてのメイジのあこがれであるワルド子爵から魔法を襲われるなんてこの上ない幸運だ。君はその意味を理解しているのかね?」

「まあな、たしかについてたよ。師匠は偉大なメイジだ」

「僕もいつか魔法衛士になって、ワルド子爵と同じ部隊でトリステインを守る仕事をしたい」

 

 ギーシュも心底ワルドに憧れているようだった。メイジを志すギーシュにとっても、ワルドという存在はあまりに大きい。神格化されるような存在だった。

 

「幸運と言えばルイズもだな。ヴァリエールの生まれというだけでワルド子爵と一緒になれるなんて、世の中不公平極まりない」

「お前もグラモン家生まれで十分恵まれてんだろ」

「むろん、グラモン家に生まれたことには感謝しているさ。しかし、二人が結婚するとヴァリエール家はますます力を持つ。我がグラモン家の存在感が一層低下することになってしまう」

 

 ギーシュは苦い顔をした。

 名家同士、交流もあればそれなりにライバル心もある。家同士の争いは歴史も深く、サイトにとっては想像もできないほど、その争いは複雑である。

 まだ国よりも、家が強かった時代、家同士は多くの戦争を繰り広げて来た。

 

 サイトも話として聞いたことがあった。

 例えば、キュルケ出身のゲルマニアは、ツェルプストー家が強く、ルイズのヴァリエール家とは長期にわたって戦争を繰り広げていた。

 しかも、その戦争の間にはたびたび、女性関係が絡んでおり、ツェルプストー家は数多くのヴァリエール家の婦人を寝取ってきた経緯がある。

 グラモン家も歴史が深いだけに、それなりの対立があったのかもしれない。

 

「ところでサイト。君はルイズとワルド子爵の結婚をどう見ているんだい?」

「どうって、いいんじゃねえの?」

「サイト、君は愚か者かね。たとえ、相手が偉大なるワルド子爵だとしても、男としてのプライドを感じないのかね?」

「どういうことだよ?」

「主人が自分ではない男と結婚するんだ。男として思うところはないのかね?」

「特にねえけど」

 

 サイトは淡々と答えた。サイトはワルドとルイズが結婚することを素直に祝福していた。

 別に、ルイズは恋人でも何でもない。ルイズを魅力的な女性と見ようと思えば見れなくもないが、それ以上の感情はなかった。

 

「サイト、君はそれでも男か? 例えば、我が愛しのヴェルダンデに仮に恋人ができたとしたら、僕はきっと悲しい気持ちになるだろう。僕の知らない遠くの世界に行ってしまうのだとね」

「モグラにそんな気持ちになるのか?」

「当たり前だ。それが使い魔と主の関係というものだ。それぐらい強い絆でつながっているのさ」

「でも、お前はあちこちの女に手を出してたじゃねえか」

「おほん、それはそれ、これはこれさ」

 

 ギーシュはごまかした。

 

 サイトは前をゆくワルドとルイズのほうに目を向けた。

 特に男として、ワルドに嫉妬する気持ちは湧き上がってこなかった。ルイズはあくまでも主であり、自分にとって特別な異性ではない。

 これまでには、ルイズを好意的に見ていたこともあったかもしれない。最近、時折自分に見せる優しさには何か惹き付けられることがあったのも事実だ。しかし、それが得罰な感情につながることがなかった。

 

 サイトが異性を思うと、一番最初に思い浮かんでくるのは、シエスタの優しい笑顔だった。

 自分が一番苦しかった時に、誰よりも自分のことを思ってくれていたのがシエスタだった。サイトにとって、シエスタが特別な存在なのかもしれない。

 

 しかし、シエスタも含めて、女性を手中にするのはまだ早いという思いがあった。

 いまの未熟な実力ではまだ誰も守れない。ルイズも、シエスタも守れない。

 サイトはいまワルドのように強い存在となり、守りたいものを守れる存在になりたかった。ワルドという強き者に巡り合えた。サイトはそのワルドと肩を並べられるほど偉大な剣士になりたいという気持ちを一番に考えていた。

 

 ◇◇◇

 

 日が暮れ始めたころ、一行はラ・ロシェールの地域に差し掛かった。

 幅の大きな整備された道が現れ、大きな看板がかかっており、「ウェルカム、ラ・ロシェール」と書かれていた。

 

 サイトが見上げた先に、巨大な鉱山が連なっていた。まだこの地に入る前から、鉱山は見えていたが、近くに来ると、よりその迫力を感じることができた。鉱山のあちこちから煙がもくもくと上がっているのが見えた。

 

「煙が上がってるのはなんだ?」

「ああ、炎石を採集してるのさ。たいていドロドロに溶けているから、そのまま固まるまで、斜面に流してるんだ」

 

 炎石も魔石の一種で、炎系統の魔法を使ううえで貴重な鉱物となる。炎石はゲルマニアの火山が最大の採集場であるが、ラ・ロシェールでも発掘されていた。

 炎石の採集は難しく、炎石を掘っていると、突然高温の溶けた炎石のしぶきがかかってきて、それで失明する労働者も少なくない。

 

 ラ・ロシェールは大きな町で鉱山のふもとまでは、ところどころにレンガ造りの家が散らばっていたが、鉱山のふもとにやってくると、より大きな建物が増え、たくさんの人の賑わいが聞こえて来た。

 このあたりまで来ると、ヴェルダンデが異質ではなくなった。

 大きな通りの隣には、ヴェルダンデに似た巨大なモグラが鉱物を引っ張って、荒々しい音を立てて進んでいた。

 

「あれもヴェルダンデの仲間か?」

「あれはヴィクトリアモグラだ。で、あれがヴェルダンデと同じ種族だな。あっちのはスペンダーモグラだ」

 

 ギーシュはモグラ系統の魔物に詳しかった。

 モグラが多いのは、鉱山で採集された鉱物をそのまま錬金魔道士の勤める工場や鍛冶場に届けるためだった。

 

「いいね、この鉱物の香り。錬金魔術師の胸が高まる」

「お前、魔法衛士か錬金魔道士かどっちが目標なんだ?」

「その2つの夢は矛盾しないさ。魔法衛士兼錬金魔道士ってやつだ。魔法衛士になった暁には、この地で仕事をしたいものだ」

 

 ギーシュが言うように、ラ・ロシェールは多様な鉱物が採れる錬金魔道士のメッカと言えた。

 サイトもファンタジーらしい町の様子に胸の高鳴りを覚えた。おそらく、あらゆる建物が魔法によって造られている。それらの1つ1つに感動を覚えた。

 しかし、これらはラ・ロシェールの顔の1つでしかない。

 目の前にある巨大な鉱山を越えた高地には、空に浮かぶ大陸「アルビオン」が広がっている。ここからは見えないが、その景色はさらにファンタジー色が強い。サイトはそのアルビオンを楽しみに、鉱山のはるか先にまざなしを向けた。

 



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26、守る仕事

 ラ・ロシェールはアルビオンに最も近い港町ということで、王都であるトリスタニアに負けないぐらいに栄えている。

 人口も多く、道は日暮れを迎えても人の行き来が途切れなかった。

 

 このあたりまで来ると、馬車よりもジャイアントモグラのほうが数多く道を行き交っている。ヴィルダンデもジャイアントモグラの群れに隠れて完全に目立たなくなった。

 ギーシュは後方につけていたジャイアントモグラに手を振って挨拶した。すると、そのモグラの主である貴族の男が手を振って答えた。

 ジャイアントモグラを使い魔にしている者は99%がギーシュと同じく錬金魔術を得意とするメイジである。そのため、ギーシュはラ・ロシェールの人々に強い親愛感を覚えた。

 

「サイト、この町でメイジとして働くのも乙だと思わないかね?」

「なんだよ、急に」

「ほら、ここのメイジはみな錬金のスペシャリスト。僕と馬が合うと思うんだ。そして、同じ志を持つ美しいお嬢様と恋に落ちて、手を取り合って、立派な錬成魔法工場を営むのさ」

 

 ギーシュは例によって薔薇の花をくわえて、ささやかな妄想ビジョンを語った。

 

「お前、モンモンラッシーとかいう子と付き合ってんじゃなかったのか?」

「モンモランシーだ。むろん、彼女のことを愛しているさ。しかし、彼女は水に咲く珊瑚、僕は大地に咲く薔薇。神はなんという非情な運命を用意したのだろう。僕たちは永遠に分かり合うことができないのだ」

「けっ、付き合ってらんねえぜ」

 

 サイトは一人で酔いしれているギーシュから目を背けた。

 ギーシュは小物だ。その心は立派な貴族には程遠い。しかし、ギーシュの顔は広く受けが良いため、学園でも1位、2位の人気を誇っていた。

 世の中見たくればかりだというのは地球もハルケギニアも変わらなかった。サイトは地球ではからっきしで、ハルケギニアに来てからはルイズの恩恵で剣が使えるようになって少しは周囲の目の色が変わったものの、基本的には冴えない少年の一人だった。

 薔薇の花をくわえているだけで女が寄ってくるギーシュに羨望を覚えるところがあった。

 

 しばらくゆくと、前をゆくグリフィンに搭乗するワルドが振り返り、左手を指さした。ギーシュとサイトは同時にそのほうを見た。

 

「おお、ここはラ・ロシェールで有名なミスタ―セピルマンの経営する宿「トレジャーロック」ではないか」

「なんかすげえ高級そうな宿だな」

 

 サイトは宿を見上げた。

 このあたりは小さな宿が密集する観光通りであるが、そのなかでひときわ目立っていた。

 宿の前には、剣を持った兵士が何人も徘徊していて、警備の目も厳しくなっていた。

 

 ワルドは警備の兵士に尋ねた。

 

「ミスタ―セピルマンはいるかね?」

「これはワルド様」

 

 兵士はしっかりと頭を下げて、ワルドに敬意を示した。

 

「主は炭鉱に出かけられております。レコンキスタのクーデターがあって、炭鉱労働者が30人以上犠牲になったようなのです」

「そうか、そんなことが」

「ですが、このあたりの治安は安定しております。ご利用ならば、ただちに部屋の用意をさせていただきます」

「2部屋頼めるかな?」

 

 ワルドは後ろにも客がいることを示した。

 

「了解しました」

 

 魔法衛士隊の隊長であるワルドの顔はどこでも有効だった。警備の兵士らはワルドの前にやってくると最敬礼した。

 

「ワルド隊長のお通りだ。道を作れ」

「ラジャー」

 

 兵士らはすぐにワルドのために花道を作った。

 

 ◇◇◇

 

 セピルマンはアルビオンの影響で成金になったアルビニストの一人で、アルビオン利権に預かれる前は、トリスタニアの商業組合の雇われメイジだった。

 一応貴族だが、下層貴族であった。

 セピルマンはロックとアンロックのスペシャリストであり、商業組合に所属しているときは、金持ち貴族のために金庫の管理を請け負っていた。

 

 ところが、若気の至りで、上級貴族に反抗的な態度を取ると、組合から放出された。

 やがてアルビオンに行きついて、得意のアンロックを用いた泥棒行為で食いつなぐ毎日を送っていた。

 そんなときに、アルビオンの貿易革命が起こり、アンロックとロックの魔法に長けるセピルマンは「世界一治安のいい宿」と称して、トレジャーロックを開店させた。

 どんな泥棒にも解除できないロック魔法の施錠により、上級貴族から愛され、他の宿の2倍の宿賃にも関わらず、爆発的な人気を誇った。

 

 現在も空き巣被害ゼロという安心安全の看板を掲げ続けていた。

 レコンキスタの反乱が過激になっても、財力を用いて警備兵士を雇い、うまく乗り切っていた。

 

 トレジャーロックはあらゆる魔法を通さない魔法物質で構築されている。セピルマンのロック魔法の集大成と言えた。

 ギーシュはそんな宿の壁の1つ1つに興味を持った。

 

「すごいと思わないか。この柔らかな材質でありながら、火をまるで通さないなんて、いったいどんな魔法がかけられているというのだろう。錬金のスペシャリストである僕でさえも、理解できない業だよ」

 

 ギーシュは錬金オタクの一面をむき出しにした。こうして見ると、勉強熱心な好少年に見えなくもなかった。

 そんなギーシュを置いて、サイトはワルドのもとに向かった。

 ワルドはルイズの肩を優しく抱き寄せていたが、ルイズの表情に緊張する面持ちはなかった。

 

「サイト君、疲れたかね?」

「ええ、ずっとモグラの上でしたので」

「いま部屋を用意してくれているようだ。ここのバルコニーからの眺めは素晴らしい。楽しみにしておくといい」

「はい」

 

 サイトはもう一度トレジャーロックの宿を見上げた。

 このあたりはトリスタニアに対して、標高700mに位置する。

 ラ・ロシェールにたどり着くまでに何度か緩やかな勾配を経験したが、それが積もりに積もって、700mにもなっていた。

 

 トレジャーロックのバルコニー側は切り立った崖になっており、見晴らしがいい。アルビオンの方角にも位置しているが、ここからアルビオンは見えない。しかし、アルビオンを行き来する飛行船を見ることはできるという。

 

 ワルドのコネもあって非常に良い部屋が2つ用意された。

 当然だが、1つはワルドとルイズが使い、もう1つはサイトとギーシュが使用することになる。

 

「な、な、なんという素晴らしい部屋なのか」

「おー」

 

 サイトとギーシュは部屋に入るなり、その広さと高級感に感嘆した。

 見るからに高そうな絨毯が敷かれていて、今まで経験したことのないような香りが漂っていた。

 

「このような素晴らしい部屋を望むと、建築魔道士の道も志したくなるな」

「世界一鉄壁のカギって話だけど、普通のカギだぜ」

 

 サイトは受け取ったカギを見つめた。昔ながらの立派なカギだったが、先端は小さなギザギザがついているだけで、特に鉄壁には見えなかった。

 

「わかってないな。ここだよ、ここ」

 

 ギーシュはカギの先端ではなく末端を示した。

 

「人の指紋を記憶するんだ。ロック魔法の最高峰の1つさ」

「へー」

「サイト、お前の指紋を記憶したんだから落とすなよ」

「わかってるよ」

 

 サイトはカギを懐に仕舞った。

 バルコニーの景色が良いということだったので、サイトはバルコニーのドアを開いた。

 バルコニーのドアもカギで施錠されている。すべてサイトの指紋を記憶したカギによってしか開くことができない。サイト以外の者がカギを使用しても認識されないようになっていた。

 1つのカギですべての施錠を行うので、非常に便利な魔法だった。

 

 バルコニーに出ると、強い風が吹きつけて来た。ちょうどアルビオンから吹き付けて来た風の通り道になっているようだった。

 宿の先には巨大な鉱山が広がっており、鉱山を穿つように視界が開けていて、その先には大空と低地の様子が見えた。例によって、ハルケギニアの青い月が2つ見えた。

 

「アルビオンは見えないな」

 

 アルビオンはここからまだ遠くであり、ちょうど鉱山に隠れているせいで見ることはできなかった。

 青い月を見ていると、故郷である地球が恋しくなる。この世界に来てから、ずっとその月は地球を連想させた。

 

「誰のことを思ってるんだ?」

「は?」

 

 サイトが横を向くと、いつの間にかギーシュがそこにいた。

 

「ごまかすなよ。さっきの目は誰かを思う目だろ。そう、愛する者を思う目だ」

 

 ギーシュは毎度おなじみ薔薇の花をくわえた。

 

「サイトは異界の地から来たのだろう? 思い人の一人ぐらいいただろう」

「そんなやついるわけねえだろ」

「いなかったというのかね。今まで何をしていたというのだね。男たるもの、愛する者を見つけ守るのが仕事だろうに」

「あいにく、おれの世界には戦争なんてねえんだよ。男なんてみな煙たがられるだけの存在だよ」

「それは実に想像しがたい世界だな。しかし、戦争がない世界とは、理想の世界ではないか。違うかね?」

「そうだな。理想の世界なのかもしれない。だから、みな生きる意味を見失って迷子になっちまったのかもな」

 

 サイトは地球に住んでいたころのことを思い出した。

 

 その日を生きる目的などなかった。

 なんとなく生きていた。

 なんとなく始まる学校、なんとなく帰りつく自室。

 なんとなくテレビゲームをつけて、なんとなく寝転がり。

 気が付けば、その日が終わっていた。そして、明日も同じ日がやってくる。

 

 心はいつも迷子だった。

 

 けれど、気が付けば、とんでもない世界に紛れ込んでいた。

 

 魔法のある世界。ドラゴンの住む世界。

 使い魔という地位、魔法使いの主。

 

 しかし、そんなものはおまけだった。

 

 サイトがこの世界で得たものは先ほどギーシュが話していた「守る仕事」だった。

 

 使い魔として主を守る仕事。サイトは初めて強い責任を持って取り組むことができたものだった。

 しかし、まだ漠然としていることがある。

 

 使い魔として、主を守る仕事については心得た。

 

 しかし、ギーシュの言った「愛する者を守る仕事」については、まだ理解していなかった。

 サイトはまだ愛を知らなかった。これから理解できる日が来るのだろうか。

 

 そうこうしていると、部屋のドアがノックされた。

 このドアは魔法を完全に防ぎ、屈強な男の斧の一撃を跳ね返すだけの頑丈さを持っているが、同時にノック音がよく響くようにできていた。

 サイトはドアに備え付けられていた小さな穴からその先を見た。

 

 店の従業員を示す番号付きの帽子をかぶった男が立っていた。

 日本とは違い、ここは治安がそれなりに悪い。なので、あらかじめ確認してから対応するように言われていた。

 

 サイトはドアを開いた。

 

「お客様、失礼いたします」

 

 従業員は頭を下げると、サイトらに観光案内の宣伝をした。

 

「ただいま、ラ・ロシェール、魔導武器展示会が開催されております。世界中の錬金魔術師が手塩にかけた魔導武器が展示されているのです。よろしければ、お客様も訪れられてはいかがでしょうか?」

「なんと、魔導武器展示会。サイト、これは行くしかないな」

「そうだな」

 

 錬金魔術師の端くれであるギーシュだけでなく、剣士の端くれでもあるサイトも興味を持った。

 そうすると、先ほどまでサイトの背中で眠っていたデルフリンガーが覚醒した。

 

「おい、相棒。どういうことだね? おれを差し置いて他の剣に浮気しようってのか?」

「なんだよ、デルフ。起きてたのか?」

「ついさっきな。おれを差し置いて他の剣に浮気するたぁ、剣士の恥ってもんだぜ」

 

 デルフリンガーはそう言ったが、サイトにはそんな感覚はなかった。

 

「そうなのか?」

 

 サイトはギーシュに尋ねた。

 

「常識だろう。剣士にとって剣は女と同じ。一途に愛するのが剣士、ついては男の責任だよ」

「お前が言うと説得力が全然ねえぞ」

 

 ギーシュは堂々と二股をかけていたが、自分のことは完全に棚に上げていた。

 

「デルフ、安心しろ。ただの展示会だよ。それにデルフを知ってるインテリジェンスソードがあるかもしれねえぜ。お前、記憶がないんだろ?」

「なるほど、それもそうだな」

 

 デルフリンガーはすぐに納得した。

 

「しかし、勝手に外に出るのは危険だぜ」

「ワルド子爵がついてくれるなら問題ないだろう」

 

 ギーシュはそう言ったが、従業員が続けて言った。

 

「ワルド子爵は先ほど、ミスタ―セピルマンに面会するためお出かけになられましたよ。ご安心ください、展示会場の警備は万全ですので」

 

 たしかに炭鉱地区やアルビオン港のほうは治安が乱れているが、このあたりの観光地は比較的安全だった。

 

「なら行くか」

「おう」



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27、ブルー

 サイトとギーシュは魔導武器展示会に参加するために、トレジャーロックのロビーに出て来た。

 ロビーにはトレジャーロックの部屋を借りている客でそれなりに賑わっていた。

 

 ロビーにはポーカーや酒が楽しめるテーブルがあり、貴族らの談笑の場になっていた。こうしてみると、このあたりの治安の良さがうかがえた。

 そんなロビーの端にポツンと一人美しい少女がたたずんでいた。ルイズだった。

 

 ルイズは談笑の輪から離れて一人本を読んでいた。

 

「おーい、ルイズ。ルイズだろ?」

 

 サイトが声をかけると、ルイズは本をたたんで、そちらに目を向けた。その目は少し寂しそうだった。

 

「師匠と一緒じゃなかったのか?」

「しょうがないでしょ。お仕事の話だもの」

 

 ルイズはそう言うと、本をしまい込んで立ち上がった。ワルドはトレジャーロックの主であるセピルマンと面会するために宿を離れていた。

 ワルドとセピルマンには面識があり、ビジネスや政治の話も多くなるだろう。婚約者とはいえ、ルイズがついてきても迷惑になるだけだったので、ルイズは宿に残る選択をしていた。

 

「あんたたちこそ、どこへ行くつもりよ?」

「近くでなんかすげえメイジが造った武器が展示されてるらしいんだ。それを見に行くんだよ」

「ふーん」

「お前も来るか?」

 

 サイトがそのように誘うと、サイトの後ろでギーシュが続けて言った。

 

「こらこら、魔法の心得のない者にその誘いは悪意というものだよ」

「失礼ね。錬金の1つや2つぐらい私だって」

「そう言って何度、貴重な鉱物を爆発させて来たと思ってるんだ」

 

 ルイズにまったく魔法の心得がないことは、トリステイン魔法学院では有名なことだった。

 しかし、虚無のことを知っているサイトとルイズはその理由をよくわかっていた。しかし、そのことは内密にするという約束だったので、ルイズもムキにならず引いた。

 

「早く行こうぜ。遅くなったら師匠にも心配かけることになるしよ」

 

 サイトは宿の外を指さした。

 

 ◇◇◇

 

 セピルマンは場所に揺られながら、ようやく炭鉱のふもとまで降りて来た。

 ラ・ロシェールの炭鉱は豊かな資源の宝庫であり、魔石が豊富に眠っている。このあたりの鉱物がアルビオンになったとも言われており、ラ・ロシェールの経済力の多くを支えていた。

 炭鉱労働だけでは買い手がつかず、魔石の価格が下落するばかりで限界があったが、アルビオンが発展し、貿易が活発になると、働くだけ買い手がつくボーナス状態になった。

 

 そうしたアルビオン効果から、セピルマンなどの成金貴族が数多く生まれた。

 ワルドはちょうどセピルマンを迎えるように、グリフィンから降り、礼をした。

 

「ミスタ―セピルマン、お久しぶりです」

「ワルドか。来るならアポ取れってんだ」

 

 セピルマンはそう言いつつ、笑みを浮かべながら馬車を降りた。セピルマンは目つきの悪い男だった。

 

「申し訳ありません。急使を受けましたもので」

「この時期にか?」

「ええ、女王の個人的な命でございます」

「あの小娘か。まったく、ろくでもないやつが王座についたものだ。何が世界平和だ。何が富の再分配だ。おれたちの金を巻き上げようとしやがって」

 

 セピルマンは新たに女王になったアンリエッタに良い印象を持っていなかった。どこにでも、反アンリエッタはいるが、セピルマンはその一人だった。

 

「だが、喜ばしいこともある。あの小娘、ウェールズとできてるんだろ? ウェールズが陥落すれば、血迷って戦争すると抜かすだろうよ。戦争でまた儲かる」

「相変わらず抜け目がないことで」

「お前も化けの皮をはいだらどうだ? 心配するな。後ろの連中はみなお前の仲間だよ」

「そうですか」

 

 ワルドはセピルマンの後ろの側近らを順に見やった。

 

「ワルド、組合が期待してんだからちゃんとやれよ。ウェールズ暗殺の任務」

「そんな恐ろしい物言いはされないでいただきたいです。ウェールズ皇太子は不慮の事故で亡くなられるのです」

「そいつはきれいな暗殺者だな。でよ、もう1つ頼みがあんだよ」

「頼み?」

「別にどうでもいいことではあるが、ついでの機会だからな。今日、町に錬金魔道士が集まることになってんだ。おれたちにとって不都合なやつが一人いてな。ゴールドクロウという男なんだが」

 

 セピルマンは手を挙げた。すると、後ろの側近が何やら魔法を詠唱した。

 セピルマンの一枚の書類が手渡された。

 

「ゴールドクロウ。もと弁護士の貴族だ。いまはグラモン領で錬金魔道士をしてんだ」

「彼がどう問題なのですか?」

「魔石密輸の件さ。決定的証拠をつかんだとして、王室裁判所に提訴すると脅して来てんだ。いずればれるとは思ってたが、口封じできることに越したことはねえからな」

「……始末しろと?」

「わかってるだろ? いまや魔石密輸は年間200万金貨の利権。アルビオン再建にあたっても、それがあるかないかでは大違いだ」

 

 セピルマンはそう言って、口元を緩めた。

 

「やつの首はウェールズ亡き後、クロムウェルへの良い献上品になると思うぜ」

「……」

 

 ワルドは肯定も否定もせず、思案した。

 

「ワルド、お前の悪いところだ。いいか、きれいな正義なんて存在しねえ。それに、トリステインの民など、お前にとっては奪われた魂の生まれ変わりみてえなものだろ。ならば、あるべき姿に戻してやるのが正義ってもんだ」

 

 セピルマンがそう言うと、ついにワルドはうなずいた。

 

「わかりました」

「頼むぜ。いま世界に追い風が吹き始めてんだ。その風を止めるわけにはいかねえ」

 

 セピルマンはそう言いながら、怪しく笑みを浮かべた。

 

 ◇◇◇

 

 サイトとギーシュとルイズは魔導武器展示会の会場にやってきた。

 会場はラ・ロシェールの岩場を穿ってできた洒落た場所だった。

 

 洞窟住居の建築技術に長けるラ・ロシェールらしい優雅な場所だった。

 

「おー、すげえな。とても洞窟の中とは思えないぜ」

 

 サイトは会場をくぐって、中の広さに驚いた。あちこちで石が輝いていて、それが洞窟内を独特の雰囲気に包んでいた。

 

「ラ・ロシェールの技術もここまで来たか。これもすべては我がグラモン家の苦心の結果よ、ふふふふ」

 

 ギーシュは例によって薔薇をくわえて、自分の手柄のように誇った。

 

 展示会にはたくさんの人が訪れていた。

 ガラスに似た透き通ったケースの中に武器が展示してあった。

 

 炎をまとった剣。

 渦巻く風の剣。

 輝く聖なる剣。

 暗黒に満ちた闇の剣。

 自在に飛ぶヘブンズソード。

 

 地球には決して存在しない魔法の介在した武器が右から左に並んでいた。

 武器のフォルムや装飾にまでこだわって造られており、サイトはすべてに感動を覚えた。

 

「こ、この剣もすげえ」

 

 サイトは目を輝かせながら武器を見て回った。

 

「なんでえ。そんなによその剣が気になるかね?」

 

 サイトの背中ではデルフリンガーが不満そうに愚痴をもらした。

 サイトに続いて、ギーシュも感動していた。

 

「不安定な誘導性火炎石をこれほどまでに安定させるなんて、とても人の業によるものとは思えない。なあ、ヴィルダンデ」

「ぐーぐー」

 

 ギーシュの肩に乗っかっているヴェルダンデも興奮気味だった。

 

 そんな中、ルイズだけは立派に並んでいる武器の1つ1つに冷めた目を向けていた。

 別に、剣の魅力がわからないわけではないが、ルイズはいま別の考え事に意識が向いていた。

 

「おや、そこの方、ひょっとしてギーシュお坊ちゃんですか?」

 

 展示会を巡っていると、とあるメイジが声をかけてきた。

 

「これは、純金の貴公子こと、ミスターゴールドクロウではありませぬか」

 

 ギーシュは知り合いの貴族を見つけて、その場に跪いた。

 

「知り合いか?」

「ミスターゴールドクロウ。僕の尊敬する錬金魔道士さ」

「はじめまして、ゴールドクロウです。ギーシュお坊ちゃんの有人の方々、今後よろしくお願いいたします」

 

 ゴールドクロウは真摯な男で、サイトが平民かどうかなど気にすることもなく頭を下げた。

 

「よろしくお願いします」

 

 サイトは頭を下げた。

 

「ミスターゴールドクロウ、あなたの作品もお目にかかりたいのですが」

 

 ギーシュがそう尋ねると、ゴールドクロウは手を挙げた。

 すると、後ろから大きなケースを抱えた男が近づいてきた。

 

「世界初のお披露目です。私が40年の錬金人生の集大成として完成させたゴールド・ウィン・レイピアでございます」

 

 ゴールドクロウが示したのは、シンプルな黄金に輝くレイピアだった。

 色んな装飾品でごてごてしたものと違い、シンプルイズザベストを体現した美しい剣だった。

 

「う、美しい」

 

 サイトもギーシュもその剣に見とれた。その黄金の輝きは見るものすべてを釘付けにさせた。

 しかし、ルイズには、その黄金も響かなかった。

 

 気が付くと、ルイズはサイトらからはぐれて、会場の隅にいた。

 会場はいくつかの通路によっていくつもの部屋に複雑に分かれており、ルイズは自分がどこにいるのかもわからなくなっていた。

 

 ちょうど穿たれた窓から美しい月が見えたので、ルイズはそちらに目を移した。

 いまは人のにぎやかさより、厳かな月の光のほうがルイズの心にはマッチした。

 

 しばらくそうしていると、サイトがルイズのもとにやってきた。

 

「ルイズ、探したぞ」

「あれ、ギーシュは?」

「1番奥の部屋。おれも見に行きたかったが、お前がいなくなってたから探しに戻ってきたんだよ」

「だったら、私のことは気にせず見に行ってきなさいよ。私はここにいるから」

 

 ルイズはそう言うと、再び月に目を移した。

 ルイズの様子がいつもと違っていることに、サイトも気が付いた。

 

「何かあったのか?」

「別に」

「……」

「……」

 

 しばらく無言が続いたあと、サイトは壁にもたれかかって、展示会を回る人々の様子を眺めた。

 人々は途切れずにやってきて、展示物を見ては感嘆の声をあげた。

 この場では、それが適切な雰囲気だったが、ルイズはそれらから完全に切り離されていた。

 

 サイトもルイズと同じ側になった。無言でその場にとどまっていた。

 すると、ルイズが口を開いた。

 

「私……」

 

 サイトはルイズのほうに耳を傾けた。

 

「ワルドとの結婚、やめようと思うの」

「……」

 

 サイトはルイズの言葉を冷静に聞いていた。

 理由を尋ねるのは野暮だと思ったから尋ねなかった。

 

 ワルドは最高の貴族だ。結婚相手にこれ以上の者はいない。

 それに、ルイズにとっても、ワルドは憧れであり、昔から恋焦がれた相手。

 結婚できる機会があるなら、迷う必要のないことのように思えた。

 

 しかし、ルイズは明確に結婚に迷っていた。

 それがマリッジブルーのような症状なのかはわからないが、サイトはうなずいた。

 

「そうか」

 

 サイトはしばらくの無言の後、一言そうつぶやいた。

 

「それだけ?」

「いや……」

 

 こういうときに使い魔として適切な言葉のかけ方を、サイトは知らなかった。

 

「言い方を変えるわ」

 

 ルイズは向きなおって、サイトと同じように、展示会を回る人々のほうに目を移した。

 

「私、ワルドとは結婚しない」

 

 ルイズは確定的な言い方をした。

 

「結婚しない」

 

 ルイズはもう一度繰り返した。

 それから、ルイズはサイトの言葉を待つように黙り込んだ。

 

 サイトにはかけるべき言葉がわからなかった。

 それでも言葉を絞り出した。

 

「なんていうか、おれはお前の使い魔だから。お前がそう決めたなら、尊重するよ」

 

 サイトはそのように言った。それが適切だったかはわからなかった。

 

「尊重ね……あんたもワルドと結婚しないほうがいいと思ってるってこと?」

「そうじゃない。ワルドさんは立派な貴族だと思うよ。でも、ルイズが決めたことならしょうがないだろ。おれはただの使い魔だし」

 

 サイトは一度もルイズのほうには視線を向けなかった。ちょうど目の前を大柄な婦人が横切って行ったので、その様子を見ていた。

 

「私が決めたことを何でも肯定するの?」

「使い魔ってそういうもんじゃないのか?」

「じゃあ、私が死ねって言ったら死ぬの?」

「……」

 

 サイトはおのとき初めてルイズのほうに目を向けた。ルイズもサイトのほうを向いていた。

 そこにいたルイズは、いつもの気の強いルイズではなかった。熱心に魔法を学ぶルイズでもなかった。機嫌のよいルイズでもなかった。

 

 そのルイズはおとぎ話にしか出て来ないような、悩める少女の姿をしていた。

 その目は地球にいたころに、一度たりとも出会ったことのないものだった。

 ファンタジーの世界の、悩める王女様だけが見せるような不思議な目。

 

 サイトはその目に吸い込まれそうになった。

 サイトの心が高鳴った。

 

「死ぬよ」

 

 サイトは自然に出て来た言葉を紡いだ。

 ルイズはその言葉を聞いて、その異様な目に涙をためた。それは真の意味の恋する少女の目の輝きだった。

 

「じゃあ、命じるわ。絶対に聞きなさいよ」

 

 ルイズはそう言うと、緊張に震えながら、ある禁忌の言葉を紡ごうとした。

 

 わたしとけっこんして。

 

 何を言っているのだろう。

 ルイズも自分自身でどうしてそんな言葉を紡ごうとしたのかわからなかった。

 ワルドとサイトならば、どう考えてもワルドのほうが立派な存在ではないか。

 サイトはただの使い魔。

 

 そのはずだった。それがどこでどうして変わってしまったのか。

 

 しかし、ルイズの禁忌の言葉は封じ込められた。

 すべてをかき消す悲鳴が会場を包み込んだ。

 

 サイトはその悲鳴のほうに目を向けた。

 

 漆黒の何かが現れ、人々にいかずちの一撃を加えた。

 いかずちが弾け、何人もの人が地面に叩きつけられた。

 

 突然の襲撃者はサイトを見つけると、背筋が凍り付くような戦慄を投げかけて来た。

 サイトはとっさにデルフリンガーを握り締めた。

 

 サイトはとっさにルイズを守るように、ルイズの前に出ていた。

 



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28、未熟

 襲撃者は風が吹くかのように突然現れた。

 全身に黒装束をまとい、顔を確認することはできなかった。

 

 体躯が良く、身長はワルドと同じぐらいか。鋭い視線がいかずちのように輝いた。

 襲撃者は展示場に侵入してくると、あいさつ代わりに魔法を繰り出した。

 

 いかずち一閃が魔法剣を入れたショーケースを貫くと、魔法剣の刃までをも貫通した。

 ちょうど、安定していた刃の構造がバラバラになり、魔石が連鎖的に爆発して、あたりに巻き散った。

 来客の何人かが巻き込まれ、数人は目に魔石の破片を受けてその場にうずくまった。

 

 他の客は悲鳴を上げながらも、襲撃者に背中を向けて逃げ出した。

 しかし、襲撃者も無差別テロが目的だったようではなく、近くにいた客を無視して、展示場の奥へと向かった。

 

 襲撃者はキョロキョロとあたりを見渡して、その瞳にサイトとルイズの姿を捉えた。

 ちょうど、サイトとルイズの間に逃げまとう客が挟まっていて、襲撃者にとってはそれが邪魔だったようである。

 襲撃者は再びいかずちの一撃を繰り出した。

 何人かの客がいかずちを受けて、その場に崩れ落ちた。

 

 すぐに逃げ出すもの、体が震えてその場から動けなくなったものさまざまいたが、襲撃者に立ち向かおうとした者はただ一人しかいなかった。

 サイトは反射的にルイズをかばうように前に出ると、デルフリンガーを引き抜いて構えた。

 恐怖は感じなかった。

 

 守るべきものがある限り、ガンダールヴは自らの命より優先して使命をまっとうしなければならない。

 サイトは無意識のうちにその使命に駆り立てられていた。

 

 サイトがデルフリンガーを構えると、ようやくサイトの近くにいた客がサイトに声をかけた。

 

「君、ダメだ。殺される。逃げるんだ」

 

 しかし、サイトは首を横に振った。

 

「逃げるわけにはいかないんで」

「相手はメイジだ。勝てない」

「誰でも関係ない。おれは使い魔なんでね。それより、頼みを聞いてください。おれがここを食い止めます。その間に、ルイズ……後ろの女の子を安全な場所まで逃がしてください」

 

 サイトがそう言う間に、襲撃者が襲い掛かってきた。襲撃者の目的の1つがサイトを討つことだったようで、襲撃者はサイトを殺すのに最善の攻撃を繰り出した。

 

 見えざる風の一撃。エアーハンマー。

 

 古来より要人の暗殺に使用されてきたトライアングル魔法だ。

 ハンマーは目には見えないが、それは人間を殺すのに最も理にかなっている。触れるだけで、人の神経は動かなくなり、そのまま心肺停止に追い込まれる。

 

 しかし、サイトにはその攻撃が見えた。

 目に見えたのではなく、その力を感じることができた。

 

 サイトは飛んできたハンマーの急所にデルフリンガーを撃ち込んだ。

 魔法をかき消すデルフリンガーの一撃がエアーハンマーを打ち砕いた。

 

 エアーハンマー自体は魔力の塊である。それが打ち砕かれると、すさまじい音を立てて、あたりに電撃が放電された。

 人々はみな頭を抱えてうずくまった。目を開けていられないほどの衝撃と恐怖だった。ルイズもその場で動けなくなった。

 

 しかし、サイトだけは目の前の襲撃者をしっかりとにらみつけていた。

 

 エアーハンマーが通じなかったことで、襲撃者は手を変えてきた。手にいかずちの剣を作ると、人間離れしたステップで踏み込んできた。

 剣術の達人のような踏み込みだったが、サイトも達人のようにそれに対応して、敵の一閃を弾いた。

 

 ひるがえして、サイトも反撃に出た。

 襲撃者が予期せぬほどの鋭い反撃だった。

 

 サイトの放った剣を避けようとした襲撃者はサイトの剣をもろに右腕に受けた。

 サイトの本気の一撃は襲撃者の右腕を完全に斬り落としていた。

 

 しかし、その反撃を受けても、襲撃者は動じなかった。腕を失ったら普通うろたえるところであるが、その襲撃者は何事もなかったかのようにすぐに攻撃を繰り出してきた。

 

 襲撃者は至近距離でサイトにエアーハンマーを叩きつけた。トライアングル魔法ともなれば、詠唱に時間がかかるものだが、その襲撃者は0コンマいくらかの間に詠唱を完成させていた。

 

「ぐわぁ!」

 

 この攻撃には対応できなかった。サイトはその一撃を受けて、吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。

 意識が飛んで、しばらく何も考えられなくなった。

 それでも、無意識に、サイトはデルフリンガーだけは握り締め続けていた。立ち上がろうとしたが、足がまるで動かなかった。

 

 襲撃者はサイトから距離を取った。

 見ると、襲撃者が失った右腕からは血が一滴も滴っていなかった。代わりに、失われた右手からは電気が漏れ出ていた。

 人間ではなかった。誰かが生み出した分身の一種だと思われた。

 魔法に詳しい客がいて、それを目撃してつぶやいた。

 

「分身。ライトニングブリンクだ……風系統スクエア魔法の最高峰。トリステインでは魔法衛士のワルドしか使えないと聞いていたが、他にも使い手がいたのか」

 

 客の話では、これほどの分身を扱えるものは限られるという話だった。

 分身はサイトの一撃によって、みるみるうちに消滅していった。襲撃者はサイトの討伐以外に目的があったようであったが、誤算だったようで、そのまま消え去ってしまった。

 

 襲撃者が消えたことでようやく会場に静けさが戻ってきた。

 恐怖に固まっていた者たちもようやく動けるようになった。

 

 ルイズはすぐに床に倒れて体を震わせていたサイトのもとに駆け付けた。

 

「サイト!」

「……」

 

 サイトは何かを言おうとしたが、言葉が出て来なかった。体が麻痺していて、体もほとんど動かなかった。

 幸い、心肺機能は停止しておらず、サイトの意識は残っていた。

 

 エアーハンマーは人を一撃で絶命させる力がある。しかも至近距離でしたたかに打ち付けられたので、確実な一撃だった。

 それを受けてなおサイトにはまだ息があった。何か特別な力がサイトを守ったのかもしれない。

 

「誰か、誰か助けてください!」

 

 ルイズの必死の助けを聞いた客の中に医術の心得を持つ者はなかった。

 客らは困惑した様子であたりをうかがうばかりだった。

 

 このとき、ルイズは魔法が使えないコンプレックスを最も強く感じた。

 魔法が使えないことで同級生から馬鹿にされることもあったが、そのときはせいぜい怒りやくやしさを覚える程度だった。

 

 しかし、最も助けたい人が目の前にいて、助ける力がない。メイジなのに、何もできない。

 ルイズはその無力さに大粒の涙をこぼした。

 

 いま魔法が使えなくても、いずれ使えるようになればいい。

 

 そんな認識を持っていた自分の甘さを痛感した。いずれという言葉は通用しない。いまこの瞬間、治癒魔法が使えなければならなかった。

 

 ルイズが無力さに絶望していると、駆け足でギーシュと知人の錬金魔道士であるゴールドクロウがやってきた。

 

「ミスターゴールドクロウ、サイト……僕の友人が被害を受けたみたいです。何とかしてください」

 

 ゴールドクロウは元法律家の錬金魔道士であるが、治癒魔法にも心得があったので、すぐにサイトの治療に当たった。

 

「右腕のやけどがひどいな。しかし、心肺に問題はない」

 

 ゴールドクロウはそう言うと、やけどに治癒魔法をかけた。

 炎症を抑え、自然治癒力を高める治癒魔法の基本だったが、それはルイズには扱えない魔法だった。

 

「それにしても、このやけど……相当強力な魔法をまともに受けたと見える。それで命があるとは奇跡か」

 

 ゴールドクロウの見立てでは、命を失っていてもおかしくない一撃だった。しかし、サイトはたしかに生きていた。

 サイトはすぐに近くの病院に運ばれた。

 つい先ほどまでサイトが握り締めていたデルフリンガーはギーシュの手に渡った。

 

「ミスタデルフリンガーだったかな。幸い主人の命に別状はなかったようだよ。安心したまえ」

「なかなか機転の利くにいちゃんだな。おれはてっきりキザなだけのボンボンだと思ってたぜ」

「見くびってもらっちゃ困る。僕はグラモン家の血を引く偉大なるメイジだよ」

 

 ギーシュはこんなときでもキザに構えることを忘れなかった。

 デルフリンガーは先ほど受けたエアーハンマーの一撃のことを思い出していた。

 

「あの一撃……間違いなくやつの魔法だったな。しかし、理由がわからねえ。なぜ相棒を狙ってきたのか」

 

 デルフリンガーはある1つの疑問を口にした。

 

 ◇◇◇

 

 サイトの命に別状はなかった。

 しかし、せっかくのアルビオン旅行もこうなってしまうと中止にせざるを得なくなった。

 

 サイトは眠り薬を飲んで眠りについた。

 やけどはひどかったが、偉大なメイジの治療もあって、すでに良好に向かいつつあった。

 

 ルイズは医術師らが去った後も、サイトの様子を見守るために、病室に残った。

 

 ラ・ロシェールの病院は、つい最近大きな人事異動があった。

 女王であるアンリエッタの政策の1つに、「全国の病院に勤務する医術師の一部を政府が管理する」というものがある。

 右派からは「政府職権の乱用であり、自由経済の侮蔑だ」と批判があったが、現行の医術師が自由に仕事ができる状態だと、ラ・ロシェールのような戦地の病院に行きたがる医術師がいなかった。

 アンリエッタのその政策のおかげで、名のある優秀な医術師が3人もこの病院で働いていた。

 

 優れた治療の成果で、サイトは順調に回復に向かった。

 エアーハンマーは高密度の電撃を圧縮したものであり、場合によっては小さな魔力が結晶化して、それが末梢神経や毛細血管に刺さって、大きな後遺症につながる場合もあるという。

 しかし、優れた医術師らは、その小さな魔石のかけらを除去できる秘薬をすぐに調合してくれたので、サイトには大きな後遺症は残らなかった。

 

 あとはサイトが目覚めるのを待つだけだった。

 ルイズはサイトが目を覚ますまで、ずっとここにいるつもりだった。

 

 つい先ほどまでギーシュもいたが、ギーシュは襲撃された展示場の後始末の手伝いに出て行った。

 

 それからしばらくして、ワルドがやってきた。

 ワルドが病室にやってきても、ルイズはすぐにはワルドには気づかず、ルイズはサイトの手をずっと握り締めていた。

 

 ワルドはその光景をしばらく見つめた後、ルイズに話しかけた。

 

「ルイズ」

「ワルド」

 

 ルイズはサイトの手を離して立ち上がった。

 

「話は聞いたよ。サイト君がけがを負ったと」

「ごめんなさい、ワルド。私たちが勝手に外出したから」

「謝るのは僕のほうだ。君の婚約者だというのに、君を守ることができなかった」

 

 ワルドはそう言うと、サイトの様子をうかがった。闇夜に映ったワルドの瞳はどこか、襲撃者の瞳と同じ輝きを放っていた。

 

「しかし、サイト君はたいしたものだな。エアーハンマーを受けて生き永らえるとは。信じられないタフネスだ」

「そんな詳しいことまで話を聞いていたの?」

「あ、いや。テロリストが使う魔法の代名詞だからね」

 

 ワルドは少しごまかすように言った。

 ルイズはその不審な点に気づかなかったようである。

 

「旅行どころじゃなくなっちゃったわね」

「そうだな」

 

 ワルドは前を向いて窓越しに星空を見つめた。ちょうど流れ星が1つきらめいた。

 

「しかし、それでもアルビオンに行かなければならない」

「え、どうして?」

「すまない、極秘任務だから黙っていたのだが、実はアンリエッタ女王から伝令を頼まれていたんだ」

「姫様が?」

「ああ」

 

 ワルドはアンリエッタから受け取った手紙を差し出した。

 

「ウェールズ皇太子にこの手紙を届ける必要がある。僕の命に代えても成し遂げなければならない使命なんだ」

 

 ワルドは真剣な目で夜空を見据えて言った。

 その横顔を見ていると、やはり立派なメイジであると再認識させられる。

 しかし、それでもルイズはワルドとの結婚を決断できなかった。

 

 ◇◇◇

 

 それからさらに時間が経過し、ワルドがしばし病室を離れた直後のこと、サイトは目を覚ました。

 サイトの寝顔をずっと見ていたから、ルイズはすぐにそれに気づいた。

 

 ルイズは言葉をかけるよりも先にサイトの手を取った。

 サイトはその手のぬくもりを感じたとき、ふとシエスタのことを思い出した。ちょうど、シエスタと同じぬくもりだった。心から自分のことを思ってくれている人だけが放つぬくもり。

 だから、サイトはそこにいるのはルイズではなく、シエスタだと思った。

 

 サイトは確信したように言った。

 

「シエスタ、どうしてそこにいるんだ?」

「なに寝ぼけてんのよ」

 

 ルイズはそう言ったが、いつもより語調が柔らかかった。

 

「ルイズか? ルイズだったのか? なんだよ、びっくりさせるなよ」

「こっちのセリフよ。ったく、ケガばかり困った使い魔だわ」

 

 ルイズは無意識にそう言った。もっと優しい言葉をかけるつもりだったが、その言葉を取り出すことができなかった。

 

「でも、無事で良かった。あの黒いやつはどうなったんだ?」

「わからない。消えた」

「そうか……」

 

 サイトは普通にしゃべることができた。容態に大きな問題はなさそうだった。

 

「あいつ、本気でおれたちのことを殺しに来ていたな」

 

 サイトは襲撃者の鋭い視線を思い出した。いま思うと、よくあの瞳ににらみつけられて剣を構えることができた。

 いまになって、あの瞳に恐怖を覚えた。

 

「ダメだな。あんなことじゃお前のことを守ってやれねえよな」

 

 サイトは空元気に笑った。

 

「あんたが気を病む必要はないでしょ。悪いのはテロリストなんだから」

「平和なご時世ならテロリストのせいにしとけば良かった。でもいまは違う」

 

 サイトは守らなければならない。どんな理不尽な相手にも立ち向かわなければならない立場だった。

 

 いじめるやつが悪いという正論が通じない世界。いじめられ戦えないやつが悪いという理不尽を受け入れなければならない世界。

 

 たとえ、相手が悪人でも、主人を守り切れなければそれは正義とはみなされない立場。それが使い魔であり、ガンダールヴだった。

 

「あいつはマジでやばかった。あんな強いメイジがテロリストが山ほどいるのかと思うと、とてもいまのおれの力じゃやってけねえよ」

「もういいわよ。忘れなさいよ」

「忘れられるかよ。もう一度出会ったらどうするんだよ」

「そうそう出て来ないわよ。それにそのときは……」

 

 ルイズは言おうとしてその後の言葉をためらった。そのときはワルドが助けてくれると言おうとしたのだが、その言葉を口にしてはならないと思った。

 ワルドとの結婚をためらった身。都合のいいときだけ、ワルドの助けを借りるなんてそんな卑怯なことは言うわけにはいかなかった。

 

「ともかくもう忘れて。けが人なんだから治すことに専念しなさいよ」

「なあ、ルイズ」

 

 サイトは無の表情のままでルイズを見つめた。

 これまでに見たことのないサイトの表情だった。

 

「なによ?」

「あのときの話の続きだ」

「え?」

「ワルドさんと結婚しろ」

「は?」

 

 

 サイトはルイズのことをまっすぐ見据えてそう言った。その目に冗談はない。静かだが強い言葉だった。

 

「ワルドさんとの結婚をやめたいって話だったろ。でも、それはダメだ。結婚しろ」

 

 サイトは命令口調でもう一度言った。

 

「な、なんでいきなりそんなこと」

「おれじゃ守れない」

「……」

「情けないが、おれじゃお前を守れねえ。ワルドさんじゃなきゃ守れない」

 

 サイトのその言葉を受けたら、頭から反論することができなかった。

 

「もし、あのテロリストがルイズの命を狙っていたとすると、おれじゃ守れない。もしかしたら、お前が虚無の魔法の継承者であることをかぎつけて暗殺にやってきたのかもしれない。だとしたら、もうお前個人の問題では済まない」

「……」

「ワルドさんなら、あいつが襲ってきても確実に守ってくれる」

 

 サイトは世界のためにもそれがいいという言い回しをした。

 あの襲撃者が誰を何の目的で狙ったのかはわからない。しかし、もう一度ルイズの前に現れない保証はない。だからサイトはそう言った。それは正論だった。

 

 ルイズは椅子に座り直した。

 

「そうね。ワルドなら確実に守ってくれるかもしれないわね」

「ワルドさんなら間違いないよ」

「世界のためにもそれがいいわよね」

「ああ、世界のためにもな」

「世界のためなら、私の一生はどうでもいいわよね」

 

 ルイズがそう言うと、サイトはハッとなって口をつぐんだ。

 

「別に悪びれなくてもいいわよ。私だってトリステイン王国を愛する身。個人のわがままのためにトリステイン王国の不利益を背負う気はないわ。でも、本当にそれが正解なの? 私がワルドと結婚すれば、トリステイン王国は良くなるの?」

「そんなこと……おれにわかるわけないだろ」

 

 何が国のためなのか?

 真面目に学校に行って、テストで満点を取って、国のために働いて、たくさんの子孫を残して、それが国のため?

 もし、少し前までの日常に戻ったとき、日本のためになる生き方とはそんなことなのだろうか?

 

 何かが違うような気がした。

 単に、勉強が嫌だからという理由で否定しているのかもしれないが、自分が真面目に学校に行くと日本が良くなる気がしなかった。

 

「すまない。おれの決めることじゃなかったな」

「……」

「そんなに急いで結論を出すものでもないしな」

「結婚しない」

 

 サイトが急ぐなと言うと同時に、ルイズは即答した。しかも、決心したかのような切れのいい断言だった。

 ルイズはもう一度繰り返した。

 

「結婚しない」

 

 ルイズのその言葉は世界の何かを変えたかもしれない。

 

 

 

 ゼロの使い魔編終わり

 

 次回「アルビオン分裂編」

 

 アルビオン分裂編の執筆が進んでいます。公開までしばらくお待ちください。

 

 



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 おまけ 愛って知ってるかい?

 僕が最初に読んだライトノベルが本作のゼロの使い魔でした。

 それまで、僕が読んでいた小説は児童文学ばかりでした。簡単な漢字にもすべてふりがながついていて、「小川」といった簡単な漢字も「おがわ」とひらがなで書いてあるような小説です。

 

 動物と女の子が会話をすると言った平和な小説ですね。

 僕の世界はそんな誰も傷つかないお花畑の世界だったのです。

 

 そんな世界では、よこしまな思想は生まれません。

 そんな世界では、「人を好きになる」という意味は単にそれだけの意味なのです。

 だから、好きと嫌いはとても簡単なことでした。

 

 ゼロの使い魔に出会ってから、平和な世界ではない物語の世界を知るようになっていきました。

 本作品はちょうど、思春期のときに出会う感情の変化に正直な小説だったので、僕はちょうどいいときに、ちょうどメッセージが刺さる時期にこの作品を読んだので、ゼロの使い魔は僕の一番感動する小説になりました。

 

 ラブコメディでは、主人公が一度に複数の女の子を好きなります。

 きれいな世界に住んでいたら、一度に複数の人を好きになることはよこしまなこと。一途な愛以外は「愛」と言っちゃいけないということで、そういう感情は理解できなかったと思います。

 

 しかし、思春期になると誰しも、少なくとも一度に10人は好きな女の子ができると思います。

 僕はクラスだけで3人、ほかに合わせると8人の女の子に好意を寄せていて、そのうち一人でもという思いを持っていました。

 それはよこしまなことでしょうか?

 一度に複数の女性を好きになることは邪道でしょうか?

 

 もし、楽園にイヴという女の子しかいなかったら、おそらくは他に好意を寄せる女の子が出てくることはなかったと思います。

 神様が創った世界は、たくさんの女性がいる世界です。

 アダムとイヴだけの閉ざされた世界ではありません。

 SNSも発達して、クラスの女の子だけでなく、全国の女の子を見つけることができる時代です。

 そんな時代に、ただ一人の人だけを愛するなんて不可能だと思いませんか?

 

 僕は「愛」というのは、賞味期限の短いものだと思います。

 愛を担保するのは、そのときの感情だけです。

 永遠の愛を誓うその瞬間の愛は、3年後に離婚届にサインするそのときには消えてなくなってしまっています。

 でも、それが本物の愛。とけない氷のような消えない愛は現実的じゃない。

 

 だから、人を愛するという崇高な感情は、そのとき自分の命をかけた人だけが手に入れることができるもの。死んで終わりだから、愛は永遠になるんです。

 僕が本作品で「愛の哲学」を学んで、何が何でも自分なりの愛の哲学を完成させたかった。

 

 正義のヒーローのその後なんて見たくもないでしょう。

 命をかけて女の子を助けたその後が見たいですか?

 

 魔界村のその後が見たいですか?

 命をかけて姫様を助けて結ばれても、30年も生きていると、痴話喧嘩もするし、嫌になってしまうでしょう。

 

 ハッピーエンドはその後を詳細に描かないから美しいんです。その後がないから、愛がそのままで保存されるんです。その後の数十年に渡る後日談を見れば、愛のイメージも大きく変わってしまいます。

 

 愛というのは一瞬。はかないもの。ただその瞬間だけしか感じることのできないもの。

 それを虚しいとするか、貴重なもの、奇跡の花とするかは人それぞれ。

 

 科学的に突き詰めれば、人間はドーパミンに突き動かされるロボットです。

 ドーパミンは一瞬だけのエネルギー。一瞬だけの感動、興奮、集中です。

 

 人の一生もまた、宇宙単位では一瞬の瞬きなんです。

 僕たちは「一瞬の輝き」に対してあまりに無礼なのかもしれません。

 

 最後は結ばれてハッピーエンド。その後の50年の結婚生活を見なければそれでいい。でも、僕は想像できるだけの頭脳を持ってしまったから、それはもうハッピーエンドじゃない。

 

 本当のハッピーエンドってのは、大好きな二人が愛を知って、それから二度と巡り合わないこと。違いますか?

 結ばれた後の50年の、夫婦喧嘩が絶えず、老後の年金を心配するような結婚生活がハッピーエンドですか?

 

 一瞬の愛を認識した後、二度と会うことがない。それが私の考えるハッピーエンド。

 それはバッドエンドという人もいるかもしれない。

 しかし、私は愛を永遠にするただ1つ、唯一無二のハッピーエンドと考えます。

 

 ゼロの使い魔は素晴らしい作品です。しかし、エンディングは私の理想の真逆です。

 サイトはただ一人で帰るべきだったんです。一人で帰り20年後。結婚しているにせよ、独身にせよ、ふと思い出す人が唯一愛を永続化することに成功した概念です。

 

 そんな僕が「タイタニック」を愛する気持ちもわかるでしょう。

 タイタニックは、愛する人は他にいて、その人とは異なる人と結婚して、ただの一度も愛する人と出会うことができず、最後の時を迎える走馬灯の中でのみ巡り合うという、私の理想のハッピーエンドです。

 

 もし、あなたが学生時代に愛する人がいて、一度も声をかけることもできず、そのまま会うことがなくなり、それからずっと独身で暮らし、最後に孤独に死ぬ日が来たとします。

 その間、その子は他の誰かと結婚して、子供もいたとします。

 でも、あなたの中にはあのときのあの子の姿が保存されていて、あなたは最期にその人を想いだして死ぬんです。

 

 それが最も美しいハッピーエンドでなくて何だと言うのでしょう。

 それとも、学生時代の愛するあの子と結婚するシナリオが理想ですか?

 それからの50年の結婚生活が理想ですか?

 

 ドラえもんはのび太の未来を変えて、お嫁さんをジャイ子からしずかに変えてしまいました。

 私ははっきり言いたい。

 ドラえもんは悪魔だ。のび太から愛を奪った。のび太からハッピーエンドを奪った悪魔のタヌキだ。許されないタヌキだ。時間犯罪者だ。

 

 のび太にとって、愛したあの子と巡り合うことなく生きていき、死ぬ最後にその子を思い出す人生が一番良かったはずなんです。

 のび太にドラえもんなんていらなかった。粗大ごみのタヌキだ。

 

 僕は作者の身勝手なエゴイズムで偽りのハッピーエンドを押し付けられて犠牲者になっていった主人公たちを助けるために二次創作を始めたのです。



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