名門メジロ家とトレーナーのマックイーンをめぐる騒動記 (響恭也)
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それは一枚の号外から始まった

「大変だよーーー!!」

 トレーナー室のドアを蹴り破らんばかりの勢いでトウカイテイオーが駆けこんできた。

 手には何やらチラシのようなものが握りしめられている。

 

「ふぁっ!?」

 等々に現れた闖入者の姿に俺の膝の上に座っていた我が愛バ、メジロマックイーンが悲鳴のような声を上げた。

 

「って、キミ達なにやってんのさーーーーーーー!!!」

 俺たちのあまりの姿に別の意味でテイオーが叫ぶ。

 その騒ぎに近くを通りかかっていたウマ娘たちがドア周辺に集まりつつあった。

 

「って、テイオー、ドアを閉めてくださいまし!」

 慌てたマックイーンの言葉にもテイオーは耳を貸そうとしない。俺たちの手元には温泉旅館のパンフレットが開かれていた。

「うっさいゴマかすなああ! マックイーン、なに抜け駆けしてんのー!」

「はあああああ? ウマ娘が担当トレーナーさんと親交を深めて何が悪いんですの!」

 俺の膝から立ち上がると、テイオーとゼロ距離でにらみ合うマックイーン。俺はひとまずヤジウマ娘たちを締め出すためにトレーナー室のドアを閉めた。

 

「うにょおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 そして背後から聞こえてくるマックイーンのよくわからない悲鳴に思わず振り向く。

「号外!」と記されたそのビラにはとんでもないことが書かれていた。

 

「メジロマックイーン婚約!?」

 

「ついにやったなマックイーン!」

「何のことですの!? こんな、こんな……」

 

 

 テイオーが駆け込んでくる前から廊下が騒がしいとは思っていた。だが、このトレセン学園では年若い少女たちが闊歩する環境である以上、ある程度の騒がしさは普通のことである。

 だがこう言ったゴシップが先に流れていたのであれば、テイオーが騒ぎ出すのとほぼ同時にドアの前に人だかりができるのも仕方ない。

 

「っていうかマックイーン! 婚約ってどういうことだよ!」

「ええええええ!? わたくしとトレーナーさんはまだ、そこまでお話は進んでいませんわ!」

 まだってことは進める意思はあるのか。まあ、いまさらだなと心の中でツッコミをとどめる。

 

 トゥインクルシリーズを駆け抜けた3年間、マックイーンとまさに寝食を共にするほどの間柄で、勝利を求めて戦ってきた。なんなら寮にいる時間よりもトレーナー室にいる時間の方が長かったくらいだ。

 

 だれよりも近しい他人、背中を預けて戦う戦友、そして同じ目標を掲げて歩むパートナー。レースを引退後、ウマ娘と結ばれるトレーナーは多かった。

 そしてかくいう自分も、マックイーンに差され追い込まれ、なし崩し的ではあるが彼女の想いを受け取った、つもりでいた。

 それはURAファイナルの長距離部門の初代チャンピオンになった日の晩のことだった。

 

「なあ、マックイーン。この記事なんだけどさ」

 最初はそれこそ彼女がメジロ家の権力を使って外堀でも埋めに来たかと思ったが…‥記事の内容は俺の心をへし折ってそのまま場外までかっ飛ばされた気分になるものだった。ビッグ・フライ! メジロサン!

 記事の中ではマックイーンの相手として、どこぞの名門家の御曹司の名前が挙がっていたからだ。

 

「ぐぬぬぬぬぬう」「うぬぬぬぬぬぬぬうううう」

 睨みあう二人に号外を差し出す。テイオー自身もおそらく見出しだけを見て俺と同じことを考えていたのだろう。記事の内容を理解すると唖然としていた。

 テイオーはまだいい。マックイーンはその白皙の顔に朱を巡らせると、吠えた。

 

「お・ば・あ・さ・まあああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 サイレンススズカも顔色を変えそうな見事なスタートダッシュだった。一歩、二歩、三歩目にはトップスピードに乗り、ふわっと重力を無視したかのような優雅な足取りで宙を舞う。

 エルコンドルパサーが弟子入りを志願してきそうな見事なドロップキックでドアは吹き飛び、耳をそばだてていたウマ娘たちが文字通り蹴散らされる。

 ドアの直撃を受けてめり込んだ壁からべりりりとはがれるように落下したのはメジロ家の遠縁のウマ娘、マックイーンとよく似た風貌の問題児であるゴールドシップだった。

 

 春の天皇賞の第四コーナーを駆け抜けたときよりもスピードが出ているのではないかと思われる勢いでマックイーンは走り去る。

 騒ぎを聞きつけて駆けつけたシンボリルドルフがあまりの惨状に顔をしかめていた。

 

「メディック! メディーーーーーーック!!」

 阿鼻叫喚のトレーナー室前で何やら察したテイオーがゴールドシップの後頭部にズガンと足を振り下ろす。

 床に亀裂が入る勢いで踏みしめられた足の下にはゴールドシップはいなかった。

 

「ウマなのにタヌキ寝入りがうまいってさすがの曲者だね、ゴールドシップ」

「へへん。計算通りだったんだがなあ。まさかマックイーンがあの技を繰り出してくるとは……」

 

 何やらよくわからないやり取りを始めたので、とりあえずテイオーを小脇に抱え、ゴールドシップの耳を思い切りつかむ。

「あれ、ちょっと、トレーナー! ボクのことをお持ち帰りするの? ねえ、ちょっとまって! うまぴょいするには心の準備がああ!」

「いてててててててててててててててててて!!!」

 戯言をほざくテイオーの口には極太の人参をねじ込み、フルパワーでゴールドシップのっ身をつかんで歩きだす。

 向かう先は……マックイーンの実家、メジロ家の方だ。

 蹄鉄は今付けていないはずのマックイーンの足跡は学園の外に向かい、すぐ隣にあるメジロ邸へと続いていた。

 




誤字修正と文章が飛んでいたところの修正を実施しました。
6/21 1:00


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強襲のマックイーン

やりすぎたか?
だが後悔はしていない。


 邸宅の門扉は派手に歪んで人が通れるくらいの隙間が空いていた。真ん中に両足がそろった形で凹みがあり、そこから放射状にゆがみができている。

 

「ほえー、さすがだなあ」

 ゴールドシップはその惨事の跡を見てニヤリと笑みを浮かべていた。

「うんうん、ふごいよね」

 人参をかじりながらテイオーがのんきにのたまう。

 本来この門の前にはガードが立っているはずだった。格闘術を修めた屈強のウマ娘が最低でも二人。

 

「メジロ流格闘術の後継者だからなあ」

 え、なにそれ?

「レースで鍛え上げた脚力はすでに凶器だよね」

 え!? So what!?

「名門メジロ家だからな。ほれ、誘拐とかありうるじゃん」

 ゴールドシップ、略してゴルシがシレっととんでもないことを言う。

「マックイーン、レースのトレーニング終った後、よく庭でシャドーしてたよね」

 初耳ですが。

「ま、それもあんたとの時間を確保したいがためてやつだろ? この果報もーーーん」

 バシッとゴルシに背中を叩かれ前につんのめる。

「だよねー。免許皆伝をもらえたら、あのボディガードが付けなくて済むようになるって言ってたしねー。メジロ隠密隊だっけ?」

「あー、ちなみにだが、隠密隊の前でマックイーンに不埒なことをしてたら……」

 ゴルシは俺の肩にポンっと手を置いて首をゆっくりと横に振った。

 え? 俺どうなっちゃうの? テイオーはにっこりといつものお日様のような笑顔を浮かべながら、サムズアップした手を真横に動かした。いわゆる首を掻っ切るっていうしぐさだ。

 

「あれだよねー。いっそ誘拐されちゃえばいいのにねー。そんで、打ちひしがれるトレーナーをボクが慰めて……え、いやーん。焦っちゃだめだよお」

 何やら尻尾をパタパタさせてクネクネしはじめるテイオーの後頭部に目白と墨痕鮮やかに描かれた扇子を叩き込む。ちなみにマックイーンからもらったもので、骨は鉄製だ。

 ゴギンとなにか来てはいけないような音を立てて、テイオーの首が真横にかしぐ。

「おう、トレーナー。いいツッコミだな!」

 などと和やかな会話をしながらマックイーンがこじ開けた門扉の隙間から敷地内に入った。

 

「うわー、いつ来ても何考えてんだかわかんねー広さだな」

「普通にスプリントレースができるよね」

 侵入者を迎撃するスペースと言うことだろうか。まさかな?

 

 以前訪れたときは、このあたりで爺やさんが現れ、ウマ娘が引く人力車……バ車? に乗って本邸の前まで移動した。今回はどうしようもないのでてくてくと歩いている。

 

 そしてしばらく進むと……前方からビシバシッと何やら肉弾合い打つ音が聞こえてきた。

 

「ここを通しなさい!」

「お嬢様と言えどもノンアポで当主様にお会いすることはできません!」

「ならば問答無用! てやーーーーーー!」

「くっ! メジロ隠密隊のみなさーーーーーーん!」

 いつぞや訪問した時、門の前で出迎えてくれたガードのウマ娘がマックイーンの放った蹴りを避けつつ応援を呼ぶ。

 周囲から現れたメイド服を着たウマ娘たちがわずかな時間差をつけてマックイーンに襲い掛かる。

「お嬢様、失礼いたします」

 ドガガガガガガガガっと機関銃を乱射するかのような音があたりに響き、隠密隊の皆さんが吹き飛ばされる。

 

「うーん、何つーかあれだけ派手に蹴りを繰り出してもスカートの中身が見えねーのはあれか、お嬢マジックかね?」

「いっぺんいたずらでめくろうとしたらその先の記憶がないんだよ……」

 何やらハイライトの消えた目でテイオーが震えだす。

 予備の人参を口に捻じ込んで気つけを行うと、すぐに復帰した。

 

「はあああああああああああああああああああああ!!!」

 流れる様な旋風脚で集まってきたガードをなぎ倒す姿は、女神のように美しかった。

 

「女神ィ!? アレ修羅だよな?」

「ねえトレーナー。あんな野蛮なウマ娘は見捨ててボクに乗り換えない?」

 聞こえていたかは定かじゃないんだが、マックイーンに蹴り飛ばされたガードの警棒がゴルシとテイオーの眉間を直撃する。

 

「「ぬおおおおおおおおおおお!?」」

 そろって女子が上げてはいけないような悲鳴を上げてしゃがみ込む。

 

 くるっと振り返ったマックイーンと目が合う。両手で頬を押さえ、「まあ!」と言いたげな表情を浮かべた。

 

「トレーナーさん! わたくしを追いかけてきてくださいましたのね!」

「あたりまえだろう! 君がいなきゃ俺は!」

 マックイーンから捨てられたトレーナーと言う肩書でトレセン学園で生きていくのは無理だろうなあ。などと益体もないことを考える。

 

「うふ、うふふふふふ! おーーーーーーっほっほほほほほほほほほほほほほほ!!」

 マックイーンは艶やかな笑みを浮かべて舞い踊る。ターンを一つ決めるたびにウマ娘たちがはじけ飛んでいく。

 

「えー、アレが艶やか? トレーナー、ウマっ気で目が曇ってねえか?」

「笑みって言うか哄笑だよねあれ。なんかファンタジーの魔王がやってそうなの」

 ツッコミを入れた途端、再び警棒が飛来する。

「させるか!」

 同時に避けたと思ったら……ゴンッと鈍い音が聞こえた。

 互いにヘッドバッドを決めて地面でのたうち回るテイオーとゴルシ。

 

「ほっほっほ。お嬢様。おいたはいけませんなあ」

「おどきなさい!」

 いつの間にか現れた爺やさんがマックイーンと渡り合う。っていうかあの人は人間だよな。

「うらららららららららーー!」

 もはや残像が見える勢いで繰り出されるマックイーンの蹴りを難なくさばいていく。

 

「っちゃー、さすがのマックイーンも爺やさん相手だと分が悪いかあ」

「どういうことだ?」

「要するにマックイーンの格闘術は爺やさんから教わったわけだな、うん」

「なんだと!?」

「ちなみに、アタシがレース後のパフォーマンスでやってるドロップキックはマックイーン直伝なんだぜ」

 ドヤ顔で幾多のカメラを破壊してきた武勇伝を披露するゴルシ。

「ほう」

「素人が真似すると骨折するから気を付けろよ?」

「しねーよ!」

 と言うあたりで気づいた。テイオーが絡んできてない。背後から冷水を浴びせられたような気配がして振り向くと……。

 

「おやおや、久しいねえ。マックイーンのトレーナーさんや」

 にこやかな笑みを浮かべた老婦人、メジロの当主が俺の肩に手を乗せていた。



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対立

 がっちりとつかまれた手からは、俺の骨なんか簡単に砕いsてしまいそうな力が伝わってくる。

「トレーナーさん!」

 その状況を見てマックイーンは動きを止めた。

 

「騒がせすぎだよ、バカ娘。ま、来るって思ってたけどねえ」

 あきれたような口調で俺の肩から手を放す。そして付いてこいとばかりにひらりと手を振る。

 マックイーンは無言で俺の手を握ると、当主の跡に付き従って歩き出した。

 

 

「で、何用かい?」

 メジロ家当主の執務室。

 来客用のソファーセットで俺とマックイーンはメジロ家当主、家運を開いたと言われる伝説のウマ娘であるメジロアサマと向き合っていた。

 唐突な来訪にもかかわらず面会に応じてくれたのは

「これです!」

 全力で先ほど配布されていた号外を叩きつける。バーンとすごい音がするがテーブルはびくともしていない。

 ウマ娘向け強化素材で作られているらしい。

 

「ふん、何が不満だい? あんたはメジロを継がなきゃいけない。メジロの血をね」

 表情を変えずにメジロアサマは言い放つ。

「だからと言ってこれはあんまりですわ!」

「なにがだい? あんたはこれまで何不自由しない生活をして来た。それは誰のおかげだい!」

「それは……」

「言いにくいようなら代わりに言ってあげるよ。名門メジロ家のおかげさ。だからあんたはメジロを守る義務がある。そういうことだよ」

「だからと言ってこんなだまし討ちはひどすぎますわ!」

「じゃあ、事前に打診してたらあんたは受け入れるのかい? そんなわけはないね。駆け落ちでもたくらむに決まってるさ」

 

 さすが血がつながった祖母だ。マックイーンのことをよくわかっている。

 さらに、そのことを指摘してきたということは……逃げ道はもう何らかの形でふさいでいるのだろう。

 

「くっ……」

 図星を疲れたマックイーンが黙り込む」

 

「「それでも」」

 異口同音に放った言葉、その意味は正反対だろう。

 

「なんだい? 言ってみな。可愛い孫娘の頼みだ聞けることならなんだってかなえてやるさ。結婚相手以外はね」

「トレーナーさんの何がいけないのですか!」

「全部だ」

「はっ!?」

「あんたがあんだけ迫ってるのに、このヘタレ男は一切手出しをしない。これは男として不能なんじゃないのかい? え?」

 

「それは……」

 唐突にこっちに向いた矛先にうろたえる。彼女の気持ちを受け入れた「つもり」だったことを指摘された。

 俺の煮え切らない態度を非難されるのはわからんでもない。

 

「ふん、このときはあたしははらわたが煮えくり返ったよ!」

 ピッとリモコンを操作すると天井から大型のスクリーンがぶら下がっておりてきた。

 

「トレーナーさん……」

 画面に映るマックイーンは目を閉じて俺の方に顔を向けている。

 そして画面の中で彼女と向き合っているのは俺だ。っていうか何この隠し撮り?

 俺は彼女の肩に手を置き、徐々に顔が近づいていく。

 

「はわわわわわわわ!」

 マックイーンは顔を真っ赤にしているが、目は画面にくぎ付けだ。

 この後の結末も当事者だから知っているはずなのだが……。

 

 チュッと音がして画面の中の俺は彼女のおでこに口づけた。

「はふう……」

 何やら満足げなマックイーンの声が隣と画面の中からほぼ同時に聞こえてくる。

 

「くおのヘタレがあ!!」

 どこからともなく現れたゴルシが俺の後頭部にハリセンを炸裂させた。

「ぶべらっ!」

 ゴルシのツッコミに、周囲にいた人間すべてがうんうんと頷いている。

 

 いや、例外がいた。

「よかったあ……トレーナーはまだマックイーンに汚染されてなかったんだね」

 目を潤ませながらテーブルの下から這い出してきたテイオーが俺の膝の上によじ登ってくる。何このホラー。

 

「ふふふ、やっぱりボクのことが気になってマックイーンとは出来なかったんだね。わかるよ。だから、ボクが上書きしてア・ゲ・ふぎゃあ!」

 徐々に迫ってきていたテイオーの頭頂部にマックイーンがゴルシから分捕ったハリセンが叩きつけられた。

 

「と言うかだね。あんたに聞きたいんだが……」

「は、はひっ!」

 メジロアサマのガチギレ気味の声に返答の声が上ずる。

 

「あんたね、うちの孫のどこが不満なんだい? どこに出しても恥ずかしくないくらいかわいいのにヘタレな寸止めかまされてマックイーンに失礼だろ! あたしはね、ひ孫の結婚式を見るのが夢なんだよ!」

 

 実現しそうで怖い。と言うか、ひ孫と言う単語にマックイーンの頭からぷしゅーっと湯気が上がる。

 その様子を見てゴルシが「だめだこりゃ」と昭和の偉大なコメディアンのようなセリフを漏らした。

 

「とにもかくにもね、もう見てられないんだよ! あんたにこのまま任せてたらこの子は嫁ぎ遅れちまいかねん」

「うん、だからアタシが号外をばらまいたんだな。ちなみに、真っ先にテイオーの部屋に投函した」

「号外の監修はあたしだよ」

 ゴルシはメジロの遠縁にあたるとか聞いたことがある。マックイーンとも仲がいい。しかし当主とここまでツーカーとはさすがに知らなかった。

 

「どういうことですの!」

 マックイーンがゴルシにつかみかかる。目を吊り上げ、口はへの字になっていてまるで否かのヤンキーがガンつけしているような顔だ。

 クッソ可愛いな。

 

「で、だ。あんたはマックイーンをどうするつもりだったんだい?」

 肚は決まっている。視界の隅ではマックイーンがゴルシの関節をキメつつ、こちらに期待がこもった眼差しを向けてきていた。

「そんなの決まってるよ! トレーナーはマックイーンじゃなくてボクnぶめぎゃ!」

 割り込んできたテイオーはメジロアサマからえぐい角度の左フックを受けて撃沈した。

 

「俺は……これからもマックイーンと共に歩いていきたいと思っています」

 パアアアアアアとマックイーンの表情が輝く。

 その下でゴルシが苦悶の表情を浮かべて床をタップしている。

 

「遅いわタワケ!」

 俺の決意表明は、一言で切って捨てられた。



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条件

「どういうことですか!」

 マックイーンの顔からは、怒りがにじんでいる。綺麗に関節を極められたゴルシはビクンビクンと痙攣していた。

 俺はマックイーンに歩み寄るとそっとその手を取る。すかさず物陰から駆け寄ったメジロパーマーがゴルシを回収した。

 大逃げの第一人者にふさわしいスタートダッシュだった。

 

「ふん、そんなことはマックイーン、あんたが一番わかってるだろう? 三回だよ?」

 三回と言う言葉に若干の心当たりがあった。

 

「天皇賞春で、ライスシャワーに負けたとき」

 メジロアサマは親指を折りたたんだ。

「そ、それは……」

 

「天皇賞秋、この子は焦ってやらかしたとき」

 さらに人差し指が折りたたまれる。

 ゴール前の競り合いで、背後からの追い上げに焦ったマックイーンは、とある大ポカをやらかした。

 そう、何を血迷ったかヘッドスライディングをかましたのだ。

 最初は入着を認められたが、審判団の判定によって反則負けとの裁定が下ったとき、マックイーンにはしばらく、スタジアム観戦を禁止するペナルティが実家より課せられ、それに反抗して俺の寮の部屋に立てこもったことがあった。

 

「そして、有馬記念。油断したとは言わないよ。それでも負けは負けだね」

 あのレースはダイユウサクの大駆けにやられた。それでもこれまでのタイムを大幅に更新するレコードを樹立した彼女に、真っ先に拍手を送ったのはマックイーン自身だ。

 

「彼女の負けが許せないと?」

「違う。勝ち負けはレースの常だからね。全部のレースを勝つなんて土台無理なことさね。あたしの言いたいことはだね……」

 メジロアサマの顔が怒りにゆがんで行く。

 再び彼女はリモコンを操作した。

 

「こうまでされてもマックイーンにうまぴょい(隠語)できないこいつのヘタレっぷりにさ!」

 

 バスタオル一枚で俺に抱き着くマックイーンの姿にメイドさんたちが色めき立つ。

「女にここまでされてそれで手を出さないとかあんた(ぴー)ついてんのかい! さっきも言ったけどね! うちの孫のどこが不満なんだい! こんなきれいに育ってさらにレースでもあれだけの結果を残したんだよ。この子で不満ならあれかい?  シンボリルドルフでも連れて来いって言うのかい?」

「いや、ですから、俺はマックイーンだけです」

「ならなんでうまぴょい(隠語)しないんだ!」

「彼女を大事にしているからです」

「そんなきれいごとは聞きたくないね。手を出さないから大意地にしてるってのはあんたの言い草さ。この子の気持ちはどうなんだい? 女としてね、どれだけの屈辱だと思っているんだ!」

 周囲のメイドさん含め、メジロライアン、パーマーの二人もいつの間にか現れてうんうんと頷いている。

 

「おばあ様、それでもわたくしは」

「あんたが良くても、メジロが良くないんだよ。あんたを三度までソデにしたんだよ? わかってるのかい!」

「それでも、わたくしを受け入れてくださいました。この方以外とうまぴょい(隠語)するなんてできません!」

「わがままもいい加減にしな! あんたはメジロの結晶だ。その力を次世代に残す義務があるんだよ!」

「勝手なこと言わないでくださいまし!」

「勝手なこと言ってるのはあんただよ!」

 

 鼻先がくっつきそうな勢いでにらみ合う二人にだれも割り込めずにいた。

 

「そこまで!」

 いつの間にか二人の間に割り込んでいたのは、マックイーンに似た雰囲気を漂わせる男装のウマ娘だった。

 

「お母さま!」「ティターン!」

 

「母上、そもそも駆け落ちをやらかしたのはどなたでしたっけ?」

「ぐぬ!?」

「遠征先で父上に強引に迫って、しかもその時にわたしができたと自慢気に語ってくださったのはどなたでしたかねえ?」

 ティターンのセリフに撃沈し、目を白黒させるアサマ。

 

「お母さま!」

 マックイーンは目を輝かせて母親であるメジロティターンを見る。

「マックイーン、母上の言うことももっともだ。あなたが彼と添い遂げるならば、もう一つ実績を重ねなさい」

 

「なんだってやってやりますわ!」

「その言葉、二言はないね?」

「もちろんですわ!」

「なら、ゴールドカップを獲ってきなさい」

 

 ゴールドカップ。そこで沈んでいるウマ娘のことではなく、アスコットゴールドカップと言うことだろう。

 

 ヨーロッパの歴史あるレースの一つで、芝19ハロン210ヤード、おおよそ4000メートルで行われる、ヨーロッパ最強ステイヤーを決めると言っても過言ではないレースだ。

 

「それって……新婚旅行はイギリスと言うことですわね!」

 マックイーンの色ボケ思考に、ビシッと決めていたティターンがずるべしゃあッとコケる。

 

「あ、あえて伝えておきます。トレーナーの同行は認めますが、サポートメンバーとしてドーベルとライアンも同行させます。もちろん宿泊先の部屋は別ですからね」

 

「お母さま! それでは!」

「覚悟を決めたのは良いことです。というか、すでに既成事実があったなら認めていたんですけどね」

 いや普通逆だろ。

「わたくしがふがいないばかりに……」

「マックイーン、勝ち取りなさい。ヨーロッパで確固たる実績があれば、誰にも口出しはさせません。あなたにそれだけの力を付けさせたトレーナーならば、ね」

「はい、やってやりますわ!」

 

 えーっと、俺の意見はどこ?



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欧州へ

「はっちみー、はっちみー、はっちみー♪」

 マックイーンは上機嫌だ。耳がピンっと立ったまま左右に揺れ、尻尾がバシバシと俺の腰に当たる。

 彼女の尻尾が揺れるたびに当たる距離感と言うのはすなわち、ありていに言えば密着しているということだ。

 俺の左腕はマックイーンに抱きかかえられ、その平べった「ああん?」控えめな胸の感触がゴツンゴツ「ん?」ふにゅんふにゅんとしてきて俺のなけなしの理性を削り取っていく。

 

 成田空港の搭乗待合室はこれから海外に飛び立つ上極であふれていた。

 

「ふおおおおお! 人がいっぱいです!」

「だな、だな! すげーぜ!」

「ふるふる」

 テンション爆上がりのライアンとパーマーとは裏腹に、パーマーにガッツリしがみついてプルプルしているドーベル。

 メジロ家欧州遠征チームの面々はそれぞれに過ごしている。そして俺の後頭部に張り付くような視線。

 サングラスとマスクをした不審なウマ娘が俺を物陰からガン見している。人相はわからないが前髪がひと房真っ白なのが特徴的だ。

 

「許さない、許さない、ユルサナイユルサナイユルサナイユルルルルルr」

 通報すべきだろうか。

 などと背筋を震わせながら考えていると、またどこかで見たようなサングラスとマスクをしたウマ娘がテイ……じゃない、俺を凝視するウマ娘の首根っこをつかんで回収していった。

 というか、ここって搭乗券提示しなきゃ入れない場所のはずなんだがなあ。

 

 そんなやり取りの後、マックイーンを見ると、にこにこと笑みを浮かべながらどこかにハンドサインを送っていた。

 驚きの表情が出てしまったのか、俺を怪訝な目で見た後に一瞬能面のように表情を消して再びどこかに合図を送る。

 無表情のマックイーンは綺麗だな。けど笑ってくれてた方が可愛いな。などと思っていたらなぜかその場でくねくねと悶え始めた。

 

「もう! 人前ですよ?」

「ええ……?」

「そんな愛情のこもった眼差しは二人っきりの時だけにしてくださいまし。恥ずかしいですわ……」

「あー、うん、俺が思ってることが顔に出るてのはよくわかった」

「自重くださいませ!」

 そう言って笑うマックイーンはすごくきれいでかわいかった。

 なお、その思考も的確に読み取られ、マックイーンは首まで真っ赤になって沈む。

 

「はわわわわ! あれが都市伝説で聞くバカップルってやつですね!」

「おーおー、仲いいねー。パーマーもあんな彼氏がほしいぜ!」

「あああああの! レースに勝つまではうまぴょい(隠語)禁止とおばあさまから言われておりますので! ので!!」

 

「ふぇ!? え? だめですの!? でもだって事実上の婚約ではありませんか!」

 いやまて、アスコットゴールドカップは確かにグレーディングはGIIだけど歴史あるレースで、ステイヤーズミリオンにも組み込まれている。

 そう簡単に勝てるもんじゃない。

 

「マックイーン、俺は君の力を信じてる。けどね、レースに絶対はない」

「はっ! そうですわね。わたくしが間違っておりましたわ。あなた」

 その呼ばれ方に気づいて顔に血がのぼっていくのを自覚する。

 視界の片隅では、よく似た前髪のウマ娘二人が取っ組み合いをしていた。

 

「離して! 僕がトレーナーをマックイーンの魔の手から救うんだ!」

「やめろと言っている! メジロ家のサポートがなくなったらトレセン学園はどうなるんだ!」

「そんなのボクの知ったこっちゃないよ! ああ……ユルサナイユルサナイユルサナイユルルルルルr……ふんぎゃあ!」

 フルスイングした右ストレートがテイ……小柄なウマ娘の後頭部に突き刺さっている。

 どこかで見た顔はサングラスとマスクで隠れていたが、そのシャツにはこう書かれていた。

 

「生徒会長は今日も快調!」

 

 マックイーンの勝ち誇ったようなドヤ顔が可愛かった。

「ふふん、わたくしの大切な人に手を出そうとする輩はみんな地獄に落ちるといいのですわ」

 仮にだが、浮気とか疑われたら俺、死ぬのかな。

 

「ご安心くださいませ、その時は……あなたを殺してわたくしもすぐに後を追いますわ……そして来世でまたわたくしを見つけてくださいましね」

 

「ふえええええええ……」

 背後でドーベルとパーマーが抱き合って震えていた。

「これが伝説のヤンデレ……」

 ライアンは腕組みをしてこくこくと頷いている。なお膝がすごい勢いで震えていた。

 

 12時間のフライトは平穏無事に終わった。マックイーンのすすめで窓際に座ると、当然のようにその隣には彼女が座る。ベルト着用サインが消えたあとは俺の腕をつかんで離さなかった。

「うふ、うふふふふふ、にゅふふふふふふふ♪」

 上機嫌をウマ娘の形にしたら今のマックイーンになるのではないだろうか。そんな彼女は非常に可愛い。

 そして、空港でも感じたジトッと張り付くような視線が断続的に張り付いて、同時にマックイーンが視線を向けるとそれがなくなる。

 

 海外のレースを体験して、マックイーンはウマ娘として一段上のステージに上がる。その階段を一緒に上っていける。それが何よりもうれしかった。

 

 ロンドン、ヒースロー空港に降り立つ。乾燥して冷たい空気に異国へ来たのだと実感した。

 ロンドンは北緯51度にあり、札幌よりも北だ。夏場の北海道でのレースを想定していたが、それよりも寒さを感じる。

 初夏とはいえ、日本と比較すれば春先のような気候だった。

 

「勝負服の下に一枚追加した方がいいかも知れないな」

「うーん、それですと動きが妨げられませんでしょうか? わたくしとしてはウオームアップとストレッチを入念にすればカバーできると思うのですが……」

「そうだな。あとは現地で走ってみて……」

 マックイーンもここまでくると競争バとして頭が切り替わる。ピンクの靄がかかったような顔ではなく、俺が大好きな顔だ。そのまっすぐなまなざしに、俺はやられたんだと思う。

 

「やあ、奇遇だね!」

 そんな俺たちに声をかけてきた集団があった。

 トレセン学園の制服をまとった一団の先頭にはシンボリルドルフに首根っこをつかまれ、つま先が宙に浮いた状態でもふんぞり返る、トウカイテイオーの姿があった。

 



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追憶の秋

マックイーン視点


 トレーニングウェアに着替えてターフに立つ。日本とはまた違った空気と芝の感触を感じた。

 

「よし、とりあえず一周流してみようか。日本と芝の質が違うからな」

「ええ、わかりましたわ」

 

 あれからひと騒動があった。トレーナーさんの部屋に忍び込もうとするテイオーを会長さんが一晩で4回当身を喰らわせることになったり、なぜかゴールドカップに出ると言い出すテイオーを説得したり。

 

「トレーナー! ボクも一緒に走るよ!」

 なぜか学園のみんなと離れてこっちのトレーニングにくっついてくる。

 

「トレーナー君。すまないが……」

 会長はトレーナーさんに何かを渡していた。

 

「トレーナーさん。会長から何をもらったんですの?」

「ああ……使わないで済むようにしたいもんだが」

 その手にはスタンガンが握られていた。

 

「ねー、マックイーン。早く走ろうよー!」

 テイオーはいつも通りのお日様のような笑顔でわたくしを誘ってきます。

 彼女もまたウマ娘。新たなコースを見るとは知ってみたくて仕方がないのでしょう。

 

「はいはい、いま参りますわ」

 ランニングのペースで並んで走りだすと、

「よっし、競争だー!」

 テイオーはいきなりレースの時と同じようなペースで走り出すテイオーを追いかけて、わたくしもぐっと足に力を入れて走り出しました。

 

「ふふ、テイオーは変わりませんね」

「あったりまえさ! 無敵のテイオー様だぞ!」

 

 そんな彼女を見ていると、過去を思い出してしまいました。

 今と違って一人で、弱かったわたくしのことを。

 

 栄光のメジロ一族。レースで多くの実績を残し、最強の一族として知られていました。

 そんな中、わたくしはメジロアサマの孫、メジロティターンの子として生を受けました。

 

 ほかのメジロ一門の中でも優秀なライアン、パーマーとは姉妹のように育ちました。

 

 時は流れてわたくしたちはトレセン学園に入学しました。今までメジロ家の中でしかなかったわたくしの世界が一気に広がったときでもありました。

 

 そこは、あえて言うなら化け物の魔窟とでも言いましょうか。

 

 絶対的強者である、皇帝シンボリルドルフ。

 無敗のスーパーカーマルゼンスキー。

 女帝エアグルーヴ、葦毛の怪物オグリキャップ。

 

 そしてこの時点でわたくしの力は、ライアンにも及んでいなかったのです。

 

 ライアンは学内の模擬レースですぐに頭角を現しました。その体躯から繰り出されるパワーあふれる走りに皆が魅了されました。

 パーマーもそのスピードを生かし、中距離レースを逃げ勝つという、デビュー前のウマ娘としては考えられないような離れ業を演じて見せました。

 

 今となって思うことはわたくしの走りは晩成型と言うことだったのでしょう。考えれば、母であるティターンもそうでした。

 祖母も身体が弱いところがあった。そう考えるとわたくしは良くも悪くもメジロ直系の血をひいていたということなのでしょう。

 

 けれどその時はそんなことはわからなかった。自分が何者かもわからなかったのです。

 ライアン、パーマーは着々と実績を積み重ねる中で、焦りだけがわたくしの内心を焼き焦がしていた。そんな焦りはわたくしの歯車を狂わせ、模擬レースでもなかなか勝てず、選抜レースでは7位の惨敗。

 いろんな意味でどん底に落ちていました。

 

 そんな中、トレーナーさんとの出会いはわたくしのすべてが上向きました。あの時のご飯とスイーツの味は今でもわたくしの心の中の一番大事な部分を占めいています。

 歯車が合わなくて当然。彼がわたくしの歯車の一つだったのです。そうやって完成したわたくしは数々のレースを……と簡単にいけば美しかったのでしょうが、世の中そんなに甘くありません。

 故障に悩まされ、思うままに走れない日々が続いたのです。ダービーも出場できず、同期のアイネスフウジンが喝さいを浴びる姿を忸怩たる思いで見ていました。そのとき2着だったライアンの鬼気迫る表情は今でも忘れられません。笑顔の裏に燃え盛る激情の炎。日々穏やかな顔しか見せないライアンの本心を見た思いでした。

 

 

 そして、秋のシーズン、調子は上向いていましたが、勝って負けてを繰り返し、直前のレースでも痛恨のミスをして2着。菊花賞の出場は危ぶまれましたが、出場回避した方がおられ、何とか滑り込むことができました。

 

 初めてのGIの大舞台。緊張と高揚感から体の震えが止まらなくなったとき、トレーナーさんがぎゅっと抱きしめてくださいました。

「大丈夫、俺は君を信じてる。だから君も俺を信じて全力で走ればいい」

「はい!」

 身体の震えは止まり、胸がどくどくと脈打って力が全身にみなぎる。

 

 ゲートでライアンと目が合った。「負けない!」という思いが互いに伝わってくる。

 しとしとと降る雨は勝負服を濡らし、芝は雨を含んで重い。ひりつくような空気の中、ゲートが開かれた。

 

 今までは周囲を見る余裕もあまりなく、ただ前だけを見て駆け抜けていた。けど、今日は違う。

 左後ろからライアンの燃える様な気合が伝わってくる。前を行くウマ娘の気迫がわかる。

 そして、トレーナー席で、声を張り上げる貴方の声も聞こえてくる。

 

「いけえええええええええええええええ!!」

 普段は穏やかで、大声を出すことのないトレーナーさんが、必死の形相でこぶしを握り。……わたくしだけに心を向けてくれている。

 

「メジロの名に懸けて……いきますわ!」

 脚に込めた力を開放する。ぽつぽつと当たっていた雨粒がまるでシャワーのように激しさを増す。けどそれは雨脚が強まったわけじゃなくて、わたくしが加速したから。

 

 第四コーナー。先頭を行く彼女の脇をするりとかわし、先頭に出る。

 

「はあああああああああああああああああああああ!!!」

 気合一閃踏み出した脚は止まらない。蹴りだした脚は一歩ごとに水柱を蹴立ててて突き進む。背後から追いすがるライアンの激情も何もかもを振り切ってひた走る。

 

 永遠に続くような一瞬の繰り返しの果て、わたくしはゴール版を先頭で駆け抜けた。

 

 初めての重賞勝利をGIレースで飾ることができた瞬間だった。

 

「おめでとう、マックイーン」

「ありがとうございます、ライアン」

「……次は負けないよ」

「それはわたくしのセリフですわ」

 ライアンの差し出す手を握る。全身全霊を持って走り、力を使い果たしていたのか、その手は少し震えていた。

 

 

「思えばいろんなレースを戦いましたが……天皇賞を買った時と同じ、いいえ、それ以上に思い出深いレースでしたわね」

「マックイーン、なーにひたってるのー! トレーナーが待ってるよ」

「ふふ、そうですわね」

「んじゃ勝負、先にトレーナーに抱き着いたほうが勝ち!」

「は? 何言ってますの?」

「いっけええええええ!」

「ニガサナイ」

 

 あとで聞いた話では、その差し脚があればいつぞやの有馬でも負けてなかったんだがなあとトレーナさんがぼやいていたそうだ。




あれ? 壊れてない

感想とか評価とかヨロシクオネガイシマス。


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桜色の風

ぶっ壊れ方が足りなかったようだ


 アスコットのトレセン学園の練習場を借りて現地の芝に足を慣らすためにマックイーンは走り込みを続けていた。

 日本のトレセン学園の面々はそれぞれ分かれて、有名な競技場を見学に出ている。

 

「こいつは私が責任をもって見張るので安心して調整してくれ」

 シンボリルドルフは簀巻きにしたテイオーを小脇に抱えてバスに乗りこんで行った。

 猿轡をかまされもがーむぐーと抗議の声を上げるが、何を言っているのかわからない。

 たぶんろくでもないことを叫んでいるんだろう。

 

「マックイーン、風が気持ちいいね!」

 ライアンが汗の粒を輝かせながらさわやかな笑みを浮かべる。

「そうですわね。思ったより空気が乾燥しているので気を付けませんと」

「やだ、少し顔がかさついてる……」

 ドーベルはバッグから取り出した化粧水を顔に塗りこんでいた。

 

「ばっきゅーーーーーん!!」

 パーマーは楽しそうにコースを爆走している。現地のウマ娘たちがポカーンとした顔で見ていた。

 何しろスタート直後からひたすらに全開。大逃げはいまでは絶滅危惧種と言われている。しかし、先年のサイレンススズカのレースは世界に衝撃を与えた。

 スタートダッシュから一度も先頭を譲らず駆け抜けた宝塚記念の走りっぷりは見事としか言いようがなく、当てられたマックイーンがパーマーと二人でオーバーワーク寸前まで走り続けるていた。

 

 結局向き不向きがあるとマックイーンに理解させた後はそういうこともなくなっった。

 

「なんであんなまねしたんだ?」

「だって……トレーナーさんがスズカさんに見とれていたので……」

「目を奪われたのは事実だけどな」

 言った瞬間顔をつかまれグイッと下を向かされた。その先には我が愛バたるメジロマックイーンの顔がアップになっている。

 それこそ鼻先が触れそうな至近距離だった。

 

「あなたはわたくしだけを見ていればいいのですわ!」

「はい」

 あまりのことに言葉が出ずに反射的に返答すると。目の前の顔が華でも咲いたかのようにほころんだ。

「よろしい」

 ちょっと気取って応えた後に、自分たちの距離、特に顔面付近の、に気づいて白皙の顔が真っ赤に染まる。

「はわわわわわ……」

 自分の行動を自覚して急に羞恥が込み上げたマックイーンはそのまま座り込んでしまった。

 

「トレーナーさん、一周まわってきますのでタイムの計測をお願いできますか?」

「任せろ」

「あー、んじゃあたしが並走するよ!」

「ああ、パーマー、頼む」

「うふふ、ではパーマー。全力で逃げてくださいませ。ブッ差して差し上げますわ」

「え、いや、あの……」

「うふふふふ、一瞬とはいえわたくしのトレーナーさんの目を奪ったサイレンススズカ。いつかコテンパンにしてくれますわ、うふ、うふふふふふふふふ。おーーーーーっほっほっほっほほ!!」

「マックイーン、落ち着いて! そこにいるのはパーマーだよ!」

「逃げウマ娘はわたくしがプチッとつぶして差し上げます、おーっほほほほんがっふ、げほげほげほ」

 

 乾燥した空気を思い切りこんだのか、高笑いの途中でむせるマックイーンの背中をライアンがさする。

 そんな二人を尻目にパーマーはそろりそろりと距離を取っていった。

 

「位置について、用意、どーーーーん!」

 早口に告げるとパーマーが走り出す。

 

「うふふふふふふふふふ」

 それを追いかけるかのように満面の笑みでマックイーンが走り出し、なぜかライアンも一緒に走り出した。

 

「君も走ってくると良い」

「え……でも……」

「海外の芝を走った経験はきっと君にとってプラスになる」

「そう、ですね。行ってきます!」

 ためらいがちに走り出した3人を見ていたドーベルも、俺が促すとターフを蹴って走り出す。

 もともとが走るのが大好きなウマ娘だ。うずうずしていたのだろう。

 

「うふふふふ、おまちなさああああい!」

「ひいいいいいいいいいい!」

 パーマーの逃げは本物だ。その大逃げで有馬記念を制したことすらある。5バ身ほどのリードを保って必死に逃げを打つが、じりじりとスピードに乗るマックイーンが徐々に距離を詰めてくる。

 

「いいいいいあやあああああああああああああああ!」

 あんなに叫んで呼吸は乱れないのだろうか?

「おーーーーーっほほほほほほほほほほほほほほほ!」

 高笑いを上げつつじりじりと迫るマックイーン。その背後から2バ身ほど後をライアンが追走する。あとからスタートしたドーベルもライアンのやや後ろに付けていた。

 向こう正面に入る。この位置は俺とマックイーンが最も離れることになる。

 

 ピコンと電子音が胸元から聞こえた。ポケットに入れていたスマホの画面には送信者:シンボリルドルフと表示されている。

「すまない、テイオーを見失った」

 

 シンプルな一言に背筋に寒気が走る。唐突に視界が真っ暗になった。これはあれだ、ゴルシ直伝の麻袋か!?

 

「うふふふふ、つっかまーえた」

 無邪気な声が聞こえて腰のあたりに腕を回される感触があった。袋はやたらぴっちりとしていて身動きが取れない。そのまま担ぎ上げられる。

 

「トレーナーさん!」

 こちらの異変に気付いたマックイーンの声が聞こえる。

「あ、マックイーン。貰っていくねー」

「お待ちなさいテイオー!」

「やだよー。バイバーーーーイ!」

 身体にかかる加速度からテイオーが走り出したのがわかる。

 

「む、どきなよ」

「ここは通しません」

「どきなって言った!」

 どこかで聞いた声だ。

「通さないって言ったよ?」

「どっけえええええええええええええええ!!」

「うらららららららららーー!!」

 

 ガキンと金属音が聞こえる。蹄鉄同士がぶつかったような音だ。

 

「くっ、強い」

「うらららららららららーー!!」

 断続的に聞こえてくる音から蹴りの応酬が繰り広げられているようである。

 

「ってやめろ、やめないか!」

「あ、トレーナー、ちょっと待っててね。こいつ蹴散らしたらすぐにボクと……ポッ」

「トレーナーを放して!」

「やだ、ボクのだもん」

「お前のじゃねえ!」

「むー、素直じゃないなあ。けどそんなトレーナーも大好きだよ。うふ、うふふふふふふふふふふふふふフフフフフ」

 

「んー、仕方ない。手加減しないからね! うらららららー!」

「えっ、は、速い!?」

 ガシッと尻に衝撃を感じると、一瞬の浮遊感のあと俺はずざーっと地面を滑って、誰かに抱き留められた。

 

「トレーナーさん!」

 声からすると俺を受け止めてくれたのはマックイーンだとわかる。

 麻袋を脱がされ、背後を振り返るとそこには……ピンク色のチャイナドレスを着たハルウララがテイオーと向き合っていた。

 身体を小刻みに左右に振って時折牽制の蹴りを放つ。ダートで鍛え上げられたパワーは、どっしりと大地に根を張ったような安定感があり、上段中段下段と蹴りを出しても全く態勢が崩れない。

 

「ちぇっ、失敗か」

「会長から必ず捕まえるようにって言われてるからね。にがさない!」

「フフン、君の脚でボクについてこれないでしょ」

 テイオーは横っ飛びで1バ身ほど飛ぶと、そのまま走り出す。

 

「逃がさないって言った!」

 ウララは足に力をこめ、ダッシュしようとして……芝に足を取られてずるべしゃあと転ぶ。

 

「トレーナー、待っててね。必ずボクが救い出すからね!」

「ふふふふ、私から逃げられると思っているのか?」

「うぇっ!? カイチョー!?」

 熾烈な差し勝負は、ルドルフが勝利を納め、捕まったテイオーはお尻ぺんぺんの刑に処された。

 

「みぎゃー!」

「くくく、悪い子にはお仕置きだ……いいなこの感触」

「ひぃ!? やめてカイチョー!」

「ふふふふふふ、なに、大丈夫だ」

「それ絶対大丈夫じゃないや、アッー!」

 パシーンと音が鳴り響きニチャアと笑みを浮かべたルドルフの右手がテイオーのお尻に叩き込まれていた。

 

 その光景を見てぎゅっとしがみついて離れないマックイーンの肩に手を回しつつ、そういえばとコースの方を見ると……。

 

「え? え? え?」

 体育座りでぶつぶつと何かをつぶやくパーマーとライアンをドーベルが必死に励ましている。

 

「何があったんだ?」

「トレーナーさんが危ないと思って……ちょっと蹴散らしただけですわ」

 うん、絶対ちょっとじゃないね。俺はマックイーンをひょいッと抱き上げると、涙目でないかを訴えかけるドーベルのもとへと向かうのだった。




ハルウララの中国語表記は春麗と聞いてこのネタを思いつきました。



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