鬼滅の波紋 On Every Street (ヨマザル)
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You and Your Friend

 ふと、数年前に老師トンペティから受けた予言を思い出した。

 

 古からの死臭漂う密室で……

 幼子が門を開く時! 

 鎖で繋がれた若き獅子を未来へ解き放つため! 

 おのが自身はその傷を燃やし! 

 しかる後に残酷なる死を迎えるであろう……!! 

 

 予言を思い出すたびに腹の底から湧き上がる冷たい感覚が、その予言が確実に起こることを『心ではなく体の底から』確信させていた。

 だが、今更くよくよしても仕方がないことだ。ウィル・A・ツェペリは頭を振り、自分の死の運命を頭から追い出した。覚悟ならとっくにできている。それに、たとえその『残酷なる死』が避けえぬ自分の運命だとしても、『その日』は今日ではないだろう。

 今は、意識を目の前に集中させるべき時だ。

 

 ツェペリの目の前には、長髪の男が一人、立っていた。

 ストレイツォ。それがその男の名前だ。

 仙道を学ぶ若手のホープだ。

 

「行きますっ!」

 降り積もる雪をものともせず、ストレイツォは軽やかな動きでツェペリの周囲を舞った。

 ストレイツォはそのフットワークに定評がある。

 素早い動きからの鋭い蹴りは、ツェペリにとっても脅威であった。

 

 ツェペリはかかとを上げ、いわゆる猫足立ちの構えをとった。

 ストレイツォの鋭い飛び込みに対抗するためだ。

 

「Durryaaxtuッ!」

 

 ストレイツォが叫び、雪を蹴った。

 蹴った雪が、まるで氷の刃のように尖り、ツェペリを襲うっ! 

 さらに蹴った足をぐるりと回転させ、ストレイツォは追撃の飛び蹴りを放つっ! 

 氷の刃と跳び蹴りの二段構えの攻撃ッ! 

 

 ツェペリは跳んだッ! 

「おりゃぁっ!」

 

 空中で氷の刃に触れ、波紋を流すっ! 

 流したのは、ストレイツォが氷の刃に込めた波紋とは真逆の波動を持つ波紋だ。

 

 パウッ! 

 

 相反するエネルギーが流された氷の刃は、一瞬で溶け、湯となった。

 その湯を手にすくい、ストレイツォに向けて放つっ! 

 そのまま拳を突き入れるッ! 

 

 二人の攻撃が交錯するっ! 

 

「ぐぉおおっ」

 

 命中したのは、ツェペリの拳であった。

 ストレイツォはあおむけに寝転がり、ゲホゲホとあえいだ。

「……ツェペリさん。さ……さすがです」

 

「いや、さすがストレイツォだな。あの足さばき、蹴った雪を武器に使う発想と波紋の力……感服した」

「いえ、負けたのは私ですから」

「では、納得してくれたかね」

「はい……もう引き留めは致しませぬ。お気をつけて……」

「うむ……」

 ツェペリはうなずき、ストレイツォを背後に残し山を登って行った。

 

◆◆

 

 高所に登るにつれ涼しい風が強く吹く。その風が、強烈な日差しに焼かれた肌をほんの一瞬冷やした。

 空を見上げるとチベットの鮮烈な蒼い天が目に染みた。ツェペリは気分がよくなり、天に向かってにこやかに笑った。

 高所ゆえの乾いた寒冷で薄い空気によって、自分の吐いた息があっという間にまるで雲のように白くなった。

 

 ツェペリがこの地に初めてたどり着いてすぐの時は、ほんのチョッピリ動くだけでも息が切れ、ただ日々の暮らしを営むのも難しかったものだ。だが今では、修行を積み、少しづつ肺を鍛えて行くことで、この険しい山をも息も乱さずに駆け上ることが難なくできるようになっていた。

 波紋の修行を始めて8年。未だ修行を終えていない未熟な身なれども、『周天の法門』と呼ばれる一部の高弟にしか伝授されない特殊な秘儀を一通り収めることもできた。

 

 ツェペリは自分の拳を握りしめた。……厳しい修練によって磨いたこの拳を、老師は目の前の山脈の岩になぞらえて褒めてくださった。このちっぽけな拳を、幾万年、幾億年の年月を重ね、この厳しい気候に鍛えられ、そして高い山脈となった偉大な岩々に匹敵するとまで言ってくださったのだ。そしてついに老師トンペティから、独り立ちして外の世界へ出る許可を得たのだ。

 

 今日はその、旅立ちの日であった。

 

 これからは外の世界にもまれながら、武者修行をして腕を磨いていくことになる。望めば、弟子を得て後輩の育成に当たることも出来る。この身一つで世界を回り、武者修行を続け、そして次代の若者に技を伝えていく。それは名誉なことだし、さぞ楽しいことだろう。

 

 元気で希望に満ちた若者に囲まれる自分。厳しい修行と、笑い声に満ちた和やかな会話……

 だがそれは今の自分のやるべきことではない。ツェペリは頭を振って、一瞬心に宿った甘い誘惑を断ち切った。

 自分に課せられた使命は、よくわかっている。『呪われた石仮面を見つけ、葬り去ること』だ。

 

 気が付けば、山の頂に到達していた。

 ツェペリは用意してきた綱を取り出し、山頂のとがった岩に巻きつけた。そして反対の端を持つと、慎重に綱を張った状態を保ったまま尾根を下り、別の岩に巻き付ける。

 綱には5色の色で染められた小旗が沢山つけられている。その旗には、蛇がのたうったように曲がりくねった梵字が書きつけられている。チベットの旗、タンチョだ。

 風がタンチョをはためかせる。地元の言い伝えによると、この旗が風にたなびくたびにありがたいお経を読んだのと同じ功徳があるのだそうだ。

 ツェペリ自身はキリスト教徒だから、実はそんな話を心から信じているわけではない。ただ、旅立ちを見送ってくれる知り合いが安心するだろうから、やってみたのだ。

 

 山頂から下を見下ろし、足元を流れるヌー川の上流を確認する。チベット山脈の雪解け水が流れ落ちるヌー川は、空と同じほどに蒼く見える。その川沿いに延びる道の上に、仲間の修行僧たちの姿が見えた。空気が正常だからであろう、遠く離れた彼らの姿が、服装のひだの数さえもが、よく見えた。

 ツェペリの仲間はみな、じっと両手を合わせている。旅の無事を祈ってくれているようだ。さきほど手を合わせた、ストレイツォの姿も見える。

 

 ツェペリの隣に立っていた男が、肩をすくめた。今日はずっと、一言も話さずツェペリのそばにいてくれた男だ。

「名残惜しいがこうしていてもキリが無いな。行こうか、ツェペリさん」

「ああ……しかし本当にいいのか。私の旅に付き合ってくれて」

「なに、俺もヨンメイヤが耳にした話というのは気になったからな。それに波紋戦士としての修行の相手としても不足なしだ」

「そうだな」

 

 ツェペリは少し前に波紋の修行僧ヨンメイヤから聞いた話を思い出した。

 ヨンメイヤは波紋戦士ではない。だが人々を病から救うために、医療として波紋・仙道を修めている男だ。

 実は彼は、ツェぺリに波紋法を初めて見せてくれた男である。その縁で、しばらく一緒に暮らしたことさえもある。

 信用できる男だった。

 そのヨンソメイヤが言うには、半月ほど前、彼が開いている薬局に不思議な病状の船乗りが担ぎ込まれたのだという。男はまるで獣のような風貌をしていて、血を欲しがり、太陽の光を恐れ……治療のために波紋を流すと、苦悶の声を上げて消滅してしまったのだという。

 それはまさにツェペリが追う『石仮面の吸血鬼』の特徴そのものであった。

 

 その船乗りがやってきたのが、はるか極東の日いづる国、日本だという……

 

 日本

 長い間国を閉じていた神秘の国

 サムライと呼ばれる騎士が支配する戦士の国

 

 ツェペリの心の奥に眠らせていた、神秘と冒険を愛する心がチリリと疼いた。

 

「では一緒に行くかダイア―さん。『日本』へ」

「オウッ!」

 二人はズタ袋を担ぎ、ヌー川に向かって急斜面を駆け下りて行った。

 

◆◆

 

「よくも母ちゃん……父ちゃんをッ」

 年端も行かぬ少女が叫んだ。そしてゴシゴシとマブタを拭き、あふれる涙をぬぐった。

 すると、涙で埃が落ちたところと、そうでないところで肌の色が斑になった。鴬色をした少女の着物はボロボロ、頬もげっそり落ちている。足は小刻みに震え、骨と皮ばかりの細さだ。今にも倒れそうなほど衰弱しているのが、一目でわかる。だがボサボサの髪をひっつめたその顔つきには、強い決意が浮かんでいた。

「母ちゃんだけじゃない。お前はッ、む、む……村のモンをわっ……笑いながら殺しやがった。ぜってぇ許さねぇッ」

 少女は震え声で言うと懐から白鞘の短刀を取り出した。

「この刀はなぁッ! おらの……機織りの村に代々伝わる銘刀だッ。小さいけど『下弦の鬼』を10体も滅してきたんだッ。お前なんてぇ……」

 構えたその短刀は、切っ先が小刻みに震えている……

 

 闇の中からヒヒヒッと笑い声がした。

「おおっ、村って言うと5日前のアレか。機織りどもの村かぁ。まぁだ生き残りがいたのかよぉ」

「逃がさないッ」

「ひゃはっっ、そうだ。ようやくお前の顔と匂いで思い出したぞ。お前の家族をよぉ。お前にようく似てたなぁ……」

 闇の声は『耐えきれない』というように大笑いした。

「いいねぇ……ちょうど美味しいお菓子が食べたかったんだぁ…………まずかったからなぁっ、お前の母ちゃんは……臭かったなぁ。口にしたとき、耐えきれなくて吐くかと思ったぞぉ。お前の父ちゃんも、筋張っていて旨くなかった……お前はどうかなぁ? 口直しにはなッるッかぁッなぁ?」

 

「ウォォォォォッ」

 少女は泣きながら手にした短刀を投げるッ

 その投げ方は意外なほど様になっていた。短刀は勢いよく鬼の潜む闇に向かって飛んでいくッ! 

 

 だが

「なぁんだ、これは……」

 鬼はへらへらと笑いながら、よけることもなく短刀を正面から受けた。

「こんなもの、なぁんの意味もないぞぉ」

 ジャリっ。

 鬼が影から姿を現した。

「ひぎぎぎぎっ」

 闇から現れたのは、青白い肌をしたちっぽけな鬼であった。背丈は少女とほぼ同じくらいか。つるんとした頭部。それに、小指ほどの小さな無数の腕がまるでネックレスのように首の周りを覆っている

 その小さな手が、小鬼の額に刺さった少女の短刀を引き抜いた。短刀が与えた傷は、一瞬にして再びふさがった。

「これ、本当に銘刀なのかぁ? まぁ未熟者の手にかかっちゃあどんな銘刀もゴミみたいなもんかぁ」

 小鬼はいとも簡単に短刀を折り、背後に放り投げた。

 

 ヒィッ

 少女が震えだした。

「くッ、来るなよぉ……」

 

「ダメだねぇ……」

 小鬼はそういうと、もう一歩踏み出した。

 

 その時、うつむいていた少女の目が光った。

(今だッ)

 少女は後ろ手に隠し持っていた綱を、思いっきり引っ張った。

 

 すると、小鬼の足元が急に崩れた。短刀を投げたのはただのおとり、本命はこの落とし穴であったのだ。

「おおっ」

 小鬼の姿が穴の中に消える。

「きっさぁ、まぁぁぁッヨグモッ!!!」

「どうだッ! 馬鹿野郎。このままとどめを刺してやるぞッ」

 勝ち誇った少女が穴の淵に駆け寄る。

 

 と

 

「危ないッ」

 ようやく駆け付けた鱗滝が、横から少女に飛びついた。渾身の力を込めて、少女を穴の淵から全力で引き戻す。

 

 ザシュッ!

 空気を裂く音がした。見ると穴から青白い手が一本、飛び出している。その指先のカギ爪が光った。そして、少女めがけて振り下ろされるッ! 

 

「させるかッ」

 鱗滝は腰に差した日輪刀を引き抜き、カギ爪を斬り飛ばした。

 

「!ッ」

 鬼にとっては落とし穴などなんてこともなかったのだ。

 だまされたと知った少女の顔が青ざめ、肩が震えだす。

 鱗滝は少女の肩を軽くたたき、背後に隠した。

「良く立ち向かった。後は任せろ……そして遅れてすまぬ……」

 

 落とし穴から鬼が這い出てきた。

「クククッもう少しであのガキの絶望にゆがむ顔を拝めたのになぁ。鬼狩り、いいところで邪魔しやがって。許さないよ」

 

「許さない? それはこっちのセリフじゃ」

 

「おっ、俺の首は切れねぇぞ。こ、この腕達が刀を抑えるからなッ」

 そういいながら小鬼が襲い掛かってきた。なかなかのスピードだ。産屋敷の仕事に関連する里を単独で襲い、幾人かの未熟な隊士を倒したというのは、ウソではないかもしれない。

 

 だが当代の水柱である鱗滝を相手するには、それでもまだ役不足であった。

 鱗滝はギリギリまで小鬼を引き付け、身をかわしざま刀を振るう。

 鱗滝のまとう隊服の袖を小鬼の爪が裂いた。肌が浅く斬られ鮮血が舞う。

 

 小鬼の首に鱗滝の刀が迫る。

 

「ひぃぃぃ」

 小鬼の目が丸まくなった。首に生えた無数の『手』を伸ばし、必死に刀をつかみ止めようとする。

 鱗滝は構わず刀を振りぬくッ! 

 日輪刀はあっさりと小鬼の『手』達を斬り落とした。

 そして小鬼の首に食い込んでいく。

 だがその時……

 

(むっ……殺気ッ!)

 考える間もなく鱗滝の体が反応した。

 

 鱗滝は小鬼の首から刀を引き抜くと、殺気が発せられた方向へ小鬼を蹴りだした。

 そして自分は蹴りだした反動を利用して体勢を変える。

 鱗滝に蹴り飛ばされた小鬼は、たたらを踏んで2,3歩ヨロヨロと進み……

 突然、腰のあたりから血しぶきを上げた。

 ずりっ

 血に染まった下半身を残し、小鬼の上半身が地に倒れる。

 一撃の間に、上半身と下半身が両断されていたのだ。

「あっ……」

 地に臥せた小鬼はビクンビクンと体を震えさせている。

 小鬼の下半身がパタンと倒れ、上半身に折り重なる。

 小鬼の体の下から黒い血が広がっていく。

 

「ギャギャギャッッ!」

 そして、小鬼の体を踏み越すようにして黒い影がとびかかってきた。

 巨大な狒々(ヒヒ)の体を持つ面妖な鬼だ。

 鱗滝は刀を回し、狒々鬼のカギ爪をギリギリのところで受け止めた。

 束を持つ手が衝撃でしびれる。

 つばぜり合いの格好になった。

 

(チィッ)

 鱗滝は心の中で舌打ちした。

 小鬼とは比較にならぬスピードとパワーであった。小鬼など雑魚であり、本命の敵はこっちだったのだ。

 この村を壊滅に追いやったのは、あの貧弱な小鬼ではなく、目の前の狒々鬼の仕業に違いなかった。

 徐々に押し込められていく。

 気配に気が付かなかったのは、うかつだった。

 先ほど浅く斬られた右腕に力が入りきらない。このままでは押し込まれてしまう。

 

 ならば

 

 鱗滝は一瞬肩の力を抜いた。つられて一瞬、狒々鬼の態勢が前のめりになる。そのごくわずかなスキを見逃さず、鱗滝は狒々鬼の足を払い、蹴り飛ばした。

「グゲェェェツ」

 狒々鬼が吠えた。空中で回転し、四つん這いになって着地した。そして、再度鱗滝に向かって突進してくる。

 全くダメージを受けたそぶりはなかった。

 だがほんの僅か、鱗滝に準備する『間』が与えられていた。

 ほんの一瞬、一呼吸するだけの『間』が。

 

 ヒュゥゥゥ

 鱗滝は息を吸い込む。

 一息ごとにまるで水面のように精神が静まり、集中力が増していく。

 そして高まった集中力が鱗滝の体の芯から戦う力を引き出していく。

 それが水の呼吸だ。

 鱗滝はさらに呼吸を続けて力を溜め、高まった集中力を刃先に集中させていく。

 

 いつの間にか、狒々鬼は鱗滝の目前まで迫っていた。

 口を大きく開き、乱杭歯を鱗滝へ見せつける。

 

「水の呼吸、参ノ型 流流舞い(りゅうりゅうまい)ッ」

 鱗滝が叫ぶ。

 

 狒々鬼が噛みついてくる。

 鱗滝はその牙を流れるような足さばきで躱しつつ、一撃を入れる。

 攻撃は浅く、鬼の首には届かない。

 だがそれでいいのだ。

 狒々鬼が急停止し、鱗滝めがけて蹴りを放った。

 その動きの拍子に合わせ、水流のごとく流れるように足を運び、狒々鬼の攻撃を避ける、同時に斬撃を放つ。

 そうやって第三撃、第四撃、鱗滝は狒々鬼の攻撃を避けつつ、その時に攻撃可能な箇所に斬撃を加え、斬り刻んでいった。

 攻撃を避けることを優先しているため、一撃、一撃は致命傷にはならない。だが攻撃を重ねることで、敵に隙が生まれるのだ。

 鱗滝は攻撃を続け、そして第十撃目で狒々鬼の首を飛ばすことに成功した。

 首を飛ばされた狒々鬼は、音もなく崩れ落ちた。そしてその体から白い煙のようなものが立ち上り、徐々に消えていく……

 回復力の高い鬼とはいえど、首を日輪刀で落とされては回復できない。鱗滝は刀をしまった。

「ふぅ……今の敵は中々の歯ごたえだったな」

 

 まだ未熟……

 

 自分の師匠の声が聞こえた気がして、鱗滝は苦笑した。

 確かに師匠なら……天才とうたわれた先代の水柱ならば、まったく苦戦しなかっただろう。

 

 まだ修行が足りない。

 いや……

(自分の剣は今が最高到達点で、師匠が到達した高みには到達しないかもしれない)

 鱗滝はふっと脳裏に浮かんだそんな嫌な思いを慌てて打ち消した。

 そして狒々鬼の横に膝を突き、見分を始める。

 

 と、ある奇妙なことが目についた。鬼の顔の側面、こめかみから顎の下まで、『一定の間隔で穴が穿たれている』のだ。

(むぅ……面妖な。こ奴の顔の側面の傷はなぜ回復されないのだ?)

 

 鱗滝は手を伸ばし、狒々鬼の顔の穴に触れた。

 

 と

 

 不意に、狒々鬼の目が再び見開かれた。

「貴様、許さんぞッ」

 狒々鬼が叫んだ。

 叫んだ口から、何かが鱗滝の顔面に飛んでくる。

 舌を槍のように硬化させた攻撃だ。

 

 とっさに体をそらし、その一撃を避ける。

 同時に狒々鬼の頭を蹴り飛ばす。

 

 宙に舞った鬼の首から、何かが血管が伸びる。

 血管が本体へ向かって伸びていく。

 

 鱗滝は唖然とした。

 鬼の弱点は首。どんな鬼でも日輪刀で首を落とされては再生できないはずだ……

 

 だが現実に、目の前の狒々鬼は首を切ったにもかかわらず復活しようとしている。鱗滝の目の前で首から伸びた血管が本体に潜り込む。

 再び鬼の首と体が結合する。

「よっ……よくも、貴様ッ」

 鬼が再び立ち上がる。

 鱗滝が切り落とした他の部位もいつの間にか結合していた。

「ゆるさん。バリバリと喰ってやるッ! 貴様のあったけぇ血をまき散らしッ、骨を砕いて中の髄液をじゅるじゅるとすすってやるぜぇぇッ」

 復活した鬼が再び襲い掛かるッ

 だが、その傷口からは煙が出ており、目も虚ろだ。完全に復活したわけではないらしい。

 動きもどこかぎこち無い。

 

 ならば……

 鱗滝は剣を頭上に高く掲げた。

 防御を捨て、電光石火の初太刀に全身全霊をかけ、一撃のもとに敵を斬り伏せるという薩摩の剛剣『示現流(じげんりゅう)。守りを捨てて敵を倒すことだけに特化した恐るべき剣術だ。

 その剛剣に水の呼吸を組み合わせた技、それが、次に放つ一撃必殺の技だ。そして、鱗滝の名の由来となった技でもあった。

「捌ノ型 滝壷(たきつぼ)逆鱗ッッッ」

 

 一刀両断ッ! 

 

 鬼はまるで唐竹を割ったように真っ二つに両断された。

 

 追撃ッ

 鱗滝は飛んだ。両腕を交差させ、一気に開く。

「壱の型 水面切りッ」

 縦に両断した頭部を、今度は横に両断するッ

 

『ガッ……』

 4分割された鬼の頭が沸騰していく。

 

 そして再び復活することなく、今度こそ完全に消滅した。

 

「ふぅ……面妖な……」

 鱗滝は戦慄した。強大な生命力を誇る鬼に唯一対抗する手段が、日輪刀で首を切り落とすこと。これまで一度たりとも、首を落とされた鬼が復活することはなかったのだ。

 もし日輪刀さえ効かない鬼がもっと現れたら……

 

 鬼の顔の側面に穿たれていた穴が、どうしても気になっていた。もしやあの傷が、鬼が首を切られてもなお復活しかけた理由かも知れぬ。あるいは、鬼の棟梁、鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)の気まぐれによって改造された跡なのかも知れぬ。

 注意深く調べる必要がある。

 

 その時、鱗滝の脳裏に浮かび上がってくる人物がいた。

 先代の水柱で、鱗滝の師匠でもある男だ。

 “ふん。臆したか……”

 脳裏に現れた師匠が、鼻で笑う

(しかし師匠、これはゆゆしき事態ですぞ)

 “ふん……ヌシの修行が甘いからじゃ。ヌシが日輪刀の力を存分に引き出しておれば、こんな事態にはならぬは”

(師匠、確かに私は柱としては未熟者ですが、では柱にもとどかぬ一般隊士がこの鬼に出くわしたらどうするのですか)

 “腕を磨けばいい。一般隊士だろうが、強く刀を振るわねばならん”

(師匠……)

 

 鱗滝は頭を振り、心の中で繰り広げられた今は亡き師匠との対話を打ち切った。

 

 刀をしまう鱗滝に向かって、隠(かくし)と呼ばれる後処理部隊の面々が駆け寄ってきた。

「鱗滝さまっ」

「あぁ、後始末ご苦労様です……こやつ、不思議な敵であった。なにとぞご注意のほどを」

「承知ですッ」

 

 隠の面々は細心の注意を払い鬼の遺留品を集め、調べた後焼き払っていく。

「鱗滝さま、この鬼はまだかろうじて生きているようです」

 隠の一人が、狒々鬼に両断された小鬼を指さした。

「ほう」

「ですが、再生もままならぬようです。藤の木で作った檻に押し込め、藤襲山に送ろうかと思います」

「わかった。そうしろ」

 鱗滝は、小鬼には目もくれずに了承した。

 

 そのとき、背後から語り掛けられた。

「アイツ、殺さねぇのかよ」

 先ほど間一髪で助けた少女の声だ。

 

「君か……」

 

「なんでだよぉッ!! あんな奴の命を救ってどうすんだよぅ」

 少女は怒鳴った。

「イヤ……助けたわけではない。ア奴は藤の花の牢獄に閉じ込め、若き鬼殺隊士の練習台になる運命よ」

「アタシはツ! 今ッ! アイツの命が消えるのを見たいんだよっ」

「落ち着け」

「落ち着けるかッ! あっ、アイツは村を……知り合いも、友だちも、ばぁば、父っちゃ、母っちゃッ! 生まれたばっかの赤ん坊までを……」

「よせっ、奴はまだ危険だ。うかつに近づけばお主まで殺されるぞ」

 鳴きながら手鬼に向かって突撃しようとする少女を、鱗滝は抱き留めた。

 鱗滝の腕の中で、少女が暴れ、震える。

「気持ちはわかる。だが手ごろな強さの鬼を捕獲可能な状態で捕まえることは難しいのでの。奴はこの先鬼殺隊がより強くなるための捨て石にさせてくれ」

 

「なんでっ グゥッッ」

 少女は鱗滝を振りほどくと、地面に崩れ落ち、嗚咽した。

 

 鱗滝は黙って少女に頭を下げた。彼女の気持ちはよくわかる。だが……

 

「水柱様ッ」

 隠の一人が駆け寄ってきた。懐から小さな包みを取り出し、鱗滝に手渡す。

「狒々鬼の衣服の中からこれを見つけましたッ」

 

「ふむ」

 隠から受け取った品を確認して、鱗滝はうなり声をあげた。

 それは、小さな目付のついた緑色のきんちゃく袋であった。布地はしっかりと織られ、緑鮮やかできれいな袋であった。

 固く閉じられていたその袋をそっと開けると、志波彦神【しわひこのかみ】と書かれた札があった。裏面をめくると六壁神社 【むつかべじんじゃ】との銘が入れられている。

 狒々鬼が日輪刀で首を斬られても復活した理由は、絶対に調べなければならない。

 この地に行けば、何かわかるのだろうか。

(ふむ……はなはだ心伴い手がかりではあるが、行ってみるか……この六壁神社に)

 こうして鱗滝は、六壁神社が鎮座する東北地方のムラ、『杜王荘』に向かうことを決めたのであった。



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The Bug

 ギィ……

 

 鉄張りの船体がきしむ音がした。

 塩の結晶が雪のように窓枠にこびりついていた。その奥に大海原が広がり、水平線上には美しい山が見える。山頂は白く、左右に広がる山裾は完璧に均斉がとれた格好で水平線まですっと伸びている。

『ほう、これが噂に聞く富士山か、美しいのう』

 窓にしがみつくようにして外を見ていたウィル・A・ツェペリは、感嘆の声を上げた。

 

『だがまだ港にはつかぬ。あと2日は船を出れんぞ。我らが行くのはさらに北の地だからな』

 

 ツェペリの背後から不機嫌そうな声がした。

 振り返ると、狭い船室の天井にさかさまにぶら下がった男がいた。

 ツェペリの十年以来の親友、ダイアーだ。

 ダイア―は船室の中で体がなまらないように、部屋の中で宙づりになって鍛錬をしていた。朝から頭を下にしたまま腹筋運動をしたり、スクワットをしたり延々と体を鍛えている。

 ダイア―が吊られている床の上には、吹き出た汗が水たまりのようにたまっていた。

 ツェペリはその様子をチラリと見て、また窓に顔を押し付けた。

 

『わかっている。だがワシは元々世界を旅することを夢見てきた男。神秘の国日本の霊山を拝む機会を逃す訳にはいかぬ』

 

 そう言って、ツェペリは熱心に富士山を見続けていた。

 

 

◆◆

 

 石段は長い年月を経て中央がへこんでいる。昼間の熱で溶けた雪がそこにたまり、夜の寒さで凍り付く。氷の上には風に吹かれた雪が積もっており、ちょっとでも気を抜くと簡単に滑ってしまう。こんな急階段の途中で足を踏み外したら、下までまっしぐらだ。

 妙 ―鱗滝が小鬼から助けた少女― は一歩一歩必死に階段を上っていった。村が壊滅し行き場もない彼女は、鬼への復讐のために、鱗滝の旅に勝手についてきたのだ。 前を行く鱗滝が時折足を止め、妙が追いつくのを待ってくれている。だが妙にはそれ自体が―鱗滝の足を止めさせていることが―我慢ならなかった。

 余計な口を利かず、息を切らせ、必死に足を運んで急な石段をひたすら上る。その先に目指す神社はあった。

 

 上がり切った先の光景を見て、妙はがっかりした。よくある普通の神社だったからだ。

 

「ねぇ。結局ここ、ただの神社じゃない?」

「そうだな。だがもう少し調べたい」

 鱗滝はそう言うと、地面に這いつくばり神社の境内を舐めるようにしながら熱心に調べ始めた。

 妙はため息をついた。境内をぶらつき、何か気になるようなものがないか見てみる。だが何度見ても、普通の神社にしか見えなかった。

 それから2時間ほどして、鱗滝が探索をやめ立ち上がった。

 

 妙はとっくに探索をあきらめ、木刀の素振りをしていた。鱗滝が立ち上がったのを見て木刀をおろし、手ぬぐいで汗と手のひらに染み出た血を拭った。まだ刀を振りなれていないため、少し長く刀を振ると手のひらから出血してしまうのだ。そして再び、素振りを再開する。

 

 鱗滝は妙の素振りをじっと見ている。

 妙のホホが赤くなる。自分の素振りがひどいものであることは、自覚していたのだ。

 

「しっかり握って、振り続けなさい」

 鱗滝が言った。

「握りに気を付け、一振り、一振りをおろそかにせず振っていけば、やがて束が手になじむ」

 実際のところ、鱗滝は妙の技が少しづつ習熟していることに、大変満足していた。剣の道は一息には極められない。少しづつ進むしかないのだが、妙は一歩一歩、着実に前進していた。

 いまのままでも、すでにある程度なら剣をふるえている。

 

 鱗滝の言葉に、妙はコクリとうなずいた。そしてさらに何度か素振りをしたところで、突然手を止めた。

 目の前の藪から、とつぜん何人もの男達が姿を現したからだ。

 

 男たちは獣の毛皮で作った肩掛けをまとい、背中に猟銃を背負っていた。

 きっとマタギと呼ばれる男たちだ。聞くところによると彼らは深山に入り、兎や鹿、クマなどを狩うことを生業としているらしい。

 妙は手にした棒をそっと下におろした。

 すっと鱗滝が妙の前に立った。

 マタギ達がにやっと笑う。

 

「我らは北に向かって旅をするもの……途中でこのお社を見つけたので入ってみたのだが。もしや、ここはお主らの管理するお社であったか?」

 マタギ達は黙ったままだ。だがその笑みはいっそう大きくなった。

 マタギ達はニタニタした笑みを顔に張り付けたままのっそり動き、鱗滝と妙の周りを囲んだ。そして二人に“ついてこい”と手真似をした。

 二人がいくら話しかけても、ただ笑うだけだ。

 

 やむを得ない。

 鱗滝と妙はマタギ達に囲まれたまま山の中に入った。

 山中にはうっすらと分かる細い道がつけられていた。その道をどんどんと進んでいく。かなりの速足だ。妙はすぐに息が切れ始めた。

 マタギ達は妙の様子を見ても足を止めようとはしてくれなかった。そして、二人がどんなに話し始めてもただニタニタと笑っているだけだ。

 

 どれほどこの森の中を歩いたのだろうか。二人がすっかり方向感覚をなくしたころ、不意に山の中の開けた場所に出た。広場の中心には小さなあばら家が立っていた。

 

 二人が広場に入ると、あばら家の戸がガラッと開いた。

 戸を開けたのは、大柄な壮年の男であった。鱗滝より頭一つ分は背が高い大男だ。

 ほっとしたことに、大男は二人にちゃんと話しかけてくれた。

 

「おぉ……こんなところまで来てくれて悪いっす。せまっ苦しいところだがちょっと中に入っちゃあくれませんか。お茶ぐらいは出すっスから」

 

 鱗滝は肩をすくめ、大男に促されるままあばら家に入った。妙もその後に続く。

 あばら家の中は乾燥して、温かかった。申し訳程度の土間の奥に、ムシロを敷いた6畳ほどの狭い空間があった。部屋の隅にはクマの毛皮や鉈、猟銃、その他雑多なものが積み上げらえている。部屋の中央には小さな囲炉裏がしつられてあり、火にかけられたヤカンから湯気が吹いていた。

 大男は土間で雪を落とし、一足先に部屋に戻ると部屋の隅から湯呑を3つ、取り出した。囲炉裏にくべられたヤカンを降ろし、中の液体を湯呑にそそぎ、まず妙に渡した。

 湯呑の熱が、かじかんだ妙の指を温めた。

「ありがとうございます」

 

「あっついから、気を付けて飲んでください」

 男は思いのほかやさしい、どことなくとぼけた口調で妙を気遣った。

 

 妙は少しドキッとしながら湯呑を口に近づけた。すーっとした香りが鼻を抜ける。

 

「クロモジって知っています? あの爪楊枝の材料にする木っス。この辺じゃぁ、そいつを煎じて茶にするんすよ」

 中々いけるっしょ。

 男は妙が茶を飲み干すのを待って、もう一杯、たっぷりと妙の持つ湯飲みにお茶を注いでくれた。だがその途中でうっかりヤカンの中の湯を自分の指にかけてしまい、男は大声を上げて指をしゃぶった。少しおっちょこちょいな男のようだ。

 

 さて……男は姿勢を改め、自分のことをノリスケだと自己紹介した。

「姓を言うのはカンベンしてくれッス。この件は家の長老たちには内緒なんで、ちょっと言いたくないんすよ」

 

「ワシは鱗滝左近次、こちらの娘は妙だ」

 鱗滝の声は固い。警戒を緩めていないのだ。その証拠に、渡されたクロモジ茶に口をつけるそぶりさえ見せない。

 

「始めまして」

 ヘラっとした口調で話しかける男を、鱗滝は冷めた目でにらみつけた。

 

「ワシらに何の用だ?」

「アンタに力を貸してほしいんすヨ」

「力を? お見受けしたところ、貴殿はすでになかなかのお力をお持ちのようですが」

 このあたりのモノを束ねる有力者とお見受けしますが……鱗滝の言葉を、ノリスケは手を振って止めた。

「いやいや、俺らはこんな辺境の地にへばりついてかろうじて生きているだけの一族っす。アンタみたいなおっかない人たちとは違うッすよ……鬼殺隊のおかた」

「……鬼殺隊をご存じで」

 

「まぁ、山に暮らしていれば 色々聞きたくないことも耳に入ってくるっすよ」

 耳をふさいでいてもね。ノリスケは悲し気に笑った。

「本題に戻りましょう。鬼殺隊は『鬼』ッつーヤツを狩っている人たちのことだと聞いているッス。で、あんたは鬼殺隊のなかでもけっこー偉い人だ。違いますか?」

 

「ワシなど偉くもなんともないが、鬼殺隊の働きについてはいかにも……」

 

「やっぱりそうかッ。いや助かった。鬼殺隊のお方ぁ、アンタたちに相談してぇことがあるんすよ〰」

 ノリスケの声が明るくなった。

 バンッ と、ノリスケはぶしつけに鱗滝の肩をたたいた。

「いや、ちょうど困っていた時にアンタたちが来てくれたのは本当にらっきぃッス」

 そういうと、ノリスケは自分たちの問題をまくしたてた。

 

「俺たちの生業はマタギ、クマ撃ちっす。俺らは先祖代々クマを撃っては薬を作ったり肉や毛皮を売ったり、代々まぁまぁ愉快にやってました……でも最近山をうろつくクマの奴の様子がおかしいんすよ。それだけじゃねぇ、『奇妙な』事件が急に起きてるんす」

 そういうと、ノリスケは最近山々で起こった不思議なことを話し始めた。

 誰もいない神社の灯篭の灯がともったり、頻発する地震、雪崩、吹雪。

 深夜急に空が紅く染まったこと。

 極め付きは、この時期は冬眠しているハズのツキノワグマがなぜか外をうろつき、しかも群れを成して行動していること。その一部の群れが狂暴化して村を襲う事件が起こったこと。

 さらには、原因不明の失踪事件が何度も起こっているのだという。

 

「姿を消した原因がさっぱりわからないんすよ。被害者は全員、近くにいた連中がほんのちょっぴり目を離した瞬間に姿が消えて、それっきりです」

「ふむ……面妖な事件だな」

 

「そうっす。もうこのあたりの住民はみんな怖がっちまって、大変です。俺らも鉄砲持ってから、みんなから頼まれてね。このあたりの村の見張りで大忙しっすよ」

 ノリスケは頭をかいた。

「理由は解んねぇっすよ。でも最近この『六壁神社』の周りの土地を買うって奴らが何度も来て、うるせぇんすよ。で、断ったらこうなったと。俺が思うに、その『商人』どもがあやしいぃんす。俺は疑っているんすよ。その『商人』どもがなんかしてこのあたりに悪さを働いてるんじゃないかって」

 

「なるほど、でアンタたちは我らに何をしてほしいのだね」

 

「アンタたちに俺を『雇って』欲しいんすよ。そうしないと関所を超えて『蝦夷地』に入れねえんでね」

「蝦夷地?」

「奴らは蝦夷地の『函館』に本店があるんす。こうやって考えているだけじゃどうしようもねぇっすからね。奴らを直接問いただそうかと……」

「この者たちをみんな連れてか?」

「いや、仲間にゃこのあたりの村を守る仕事を続けてもらうッすよ。行くのは俺一人っす」

「……いいだろうノリスケ。函館に行ってみるか。今までの話を聞くに、ワシが『探している』ものの手がかりも函館で見つかりそうである」

 

「話が早えッす」

 ノリスケはにやっと笑って鱗滝に向かって右手を差し出した。

「妙さんも、よろしくなぁ」

 

 なんだ。この人もついてくるということか? 

 妙は戸惑いながらノリスケと握手した。その手はゴツゴツしていたが、なんだか温かかった。

 

 

◆◆

 

『なんだぁこの国はッ! 遠路はるばるやってきたっていうのに、自由に動けるのはこのちっぽけな町の中のみ。しかも、どこに行くにも日本政府の了解と、お目付の役人の動向が無ければ許されんとはッ! 我らのことを犯罪者扱いしおって』

 ダイア―がイライラと言った。

 

『そう言うな。まずは情報収集に行くぞ』

 ツェペリはアタリをあちこち見まわした。

 

 二人の背後を、お目付け役の侍(国王付きの騎士のようなものらしい)が無表情でついてくる。大真面目な顔こそしているが、侍はそれは奇妙な髪形をしていた。頭頂部をそり上げ、後頭部にそり残した髪を結わえてその頭にちょこんと載せているのだ。初めて見たときは吹き出しそうになった。だがその腰に二本差している刀の切れ味を知っていたので、吹き出すのを必死に我慢したものだ。

 

 二人のお目付け役と同じような髪形をした男たちが、この街にはたくさん歩いていた。ハコダテ。それがこの港街の名だ。

 

 ツェペリもこれまでの半生で世界各国をめぐってきたが、ハコダテ(あるいは日本ではどこもそうなのか)は他とは本当に違う港であった。道行く人は皆小柄な『日本人』だ。男も女もキモノと呼ばれる体の前で閉じ合わせ、派手な色を使ったロープのような服を着、足先が二つに割れた白や黒色の靴下だけをはいて道を歩いている。

 その道は、これまた良く掃き清められている、板がかぶせられている道の中央の排水溝までもが、すこぶるきれいだ。噂に聞く古きローマ帝国時代の街道もカクヤというほどに手入れが行き届いている。

 風が吹くと幽かに匂うこの香りは、『ショウユ』という調味料の匂いらしい。『ショウユ』を観させてもらったが、見た目はあの『恐るべき食の未発達地帯:イギリス』のソース、『ウスターソース』にそっくりだ。イギリス人ときたら、まぁまぁ広い国の中でたった一つのソースしかもっていない恐るべき味音痴の人間どもだ。ということは……

 美食の国イタリア育ちのツェペリは、恐るべき想像をして思わず体が震えた。

 

 道の両側には1-2階建ての木造の家屋が並ぶ。屋根の上には頭サイズの石が並べられている。(大風で屋根が飛ぶのを防いでいるのだろうと、ツェペリは想像した)

 知らないところを歩くのは旅のだいご味だ。ツェペリはニコニコしていた。

 一方のダイア―はまだブツブツと文句を言っている。ツェペリはダイア―を黙らせようと、強引にその肩に手を回し、肩を組んで歩きだした。

 

『なぁダイア―。楽しみだのう……』

『何を悠長なことを言っている?』

『こういう港町には、かならずゴロツキどもの巣くう酒場があるはずよ。まずはそこに行き、裏社会と渡りをつければ何とかなろう』

『はっ、そんな酒場が本当にあるのか? あるとして、我らのような外国人がそんな場を見つけられるのか?』

『ダイア―よ。わかっていないのぉ……』

『なんだと?』

 

『だからここよ。ここで情報を集め、裏社会への道筋を探すッ』

 

 そう言うと、ツェペリはダイアーの肩をなれなれしくたたいた。

 そして肩を組み、目にした中で一番派手な暖簾が下がった店の敷居をくぐる。

 入ってすぐのところは、屋根があるだけで床も貼られていない小さな庭のような空間であった。隅には薄暗い紙製のランタンが掲げられ、周囲をぼんやりと照らしていた。二人が店に入ると、すぐに目の前の薄紙製の大きな窓が音もなく開き、中から美しく着飾った女性が二人、膝をついた姿勢で顔を出した。濃厚な日本の香料の香りが、その奥から漂っていた。

 

 タイアーの目が、落ち着か投げにキョロキョロと動いた。

『なっ、なんだと。オイ、まて。こっ、ここは』

 

『そうじゃ『麗しいご令嬢たちがいる店』よ』

『ちょとまて、なぜそうなる?』

『なぜなら、ここが我らガイジンと裏社会へのたった一つ合法的に許されている接点だからよ』

『ほっ、ほんとうか?』

『うるさいのぉ、いくぞ。ダイアー。おお、美しいお嬢さんッ!!』

「♡♡♡♡♡ッ!」

『まっ、マテ。ツェペリッ。う、うぉぉぉおおっ!!』

「♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥」

『うぉ……うッ……』

『……うるさい男じゃのぅ……』

 

 二人(ダイアーは目を白黒させていたが)は美女をわきに侍らせて、彼女たちとの会話や歌、舞いを愛で、そして異国の酒や食べ物を腹いっぱい堪能した。美しい着物を着ていい香りのする『ゲイシャ』に促されるまま『サケ』と呼ばれる日本製のすきっとしたワインや、『ショウチュウ』と呼ばれるやはりすきっとしたブランデーを楽しみ、あっという間に酔ってしまった。

 ほっとしたことに、『ショウユ』をつけていただく『サシミ』と呼ばれる日本料理はイタリア料理に慣れたツェペリの舌にも、本当に美味と感じられた。(だが、魚がほとんどとれない中央アジア出身のダイア―は、まったく『サシミ』に手を付けなかったが)

 

 二人のお目付け役の侍は、はじめのころこそどんちゃん騒ぎする二人から離れ、二人の様子を冷めた目で見ていた。だがすぐに『ゲイシャ』たちに囲まれ、無理やり大量の酒を飲まされ、すっかり出来上がった様子であった。

 

 そのお目付け役の様子を確認してから、ツェペリはゲイシャの一人一人に、町のうわさを聞いて回った。

 その結果、いくつか気になる話が聞けた。

 徘徊する幽霊の噂、この函館の地まで戦乱が来るかもしれないこと、最近町を荒らす強盗団の話、近くの貿易商を営む店が突然焼け落ちた話など……

 興味深かった。一つ一つ調べていけば、何か石仮面につながる話が出てくるかもしれない。

 

 そうやってツェペリは密やかに情報収集を行い、同時に、深夜遅く酔いつぶれるまでどんちゃん騒ぎを繰り広げたのであった。

 

 

◆◆

 

 そして丑三つ時。

 寝静まった遊郭の広間で、ツェペリはむっくり起き上がった。

 しばらく周囲に気を配っているとやがてスリスリ……と衣擦れの音が部屋の外から聞こえてきた。衣擦れの音はツェペリたちがいる部屋の前で止まる。そして障子の端がそっと開かれた。

『異人様……こちらでござんす』

 まめ衣(まめきぬ)という名の芸者が、障子の隙間から顔を出した。

 

 まめ衣は障子の隙間から細い手を差し込み、チョイチョイ……と手招きした。ツェペリはそうっと立ち上がると、静かに障子をあけ廊下に出た。

 

 『出てきてくださって、ありがとうございます。ずいぶん飲まれていましたので、少し心配しました』

 『なに、途中からサケの代わりにこっそり水を飲んでおったのでな』

 『あらまぁ、なかなか食わせ物のお客様でありんす……でも、だからこそ頼りにさせてくださいまし……こちらへ……ああ、ここの床はふむ場所を間違えると大きな音がします。妾がふんだところをよく見て、その上に足をのせて進んでおくれなさい』

 『承知した……』

 『では、こちらへ』

 

 そう言って、まめ衣はツェペリを連れて妓館の薄暗い廊下を進んでいった。

 先のどんちゃん騒ぎの中で、ツェペリが見せた『ちょっとした手品』が気になったまめ衣が、『相談事がある』と言ってツェペリを呼びだしたのだった。

 

 薄暗い、香の立ち込める妓館の廊下を右に折れ、下に下り、左に進み……あちこち歩いた末に、まめ衣は粗末な馬小屋の前で足を止めた。

『……ここでありんす』

 まめ衣のつたない英語にうなずいて見せ、ツェペリは馬小屋の中に入っていった。さすが日本。そこは西欧の一等地とさほど変わらない、機能的な馬小屋だった。

 そこに血だらけの若者が一人しゃがみこんでいた。下を向き、苦し気にあえいでいる。

 まめ衣がツェペリの袖をつかんだ。

『異人様、駒三郎さまを助けて』

『任せておきなさい。美しいお嬢さんよ』

 ツェペリは慇懃に会釈すると、そっとまめ衣の手をはずした。そして若者の服をはだけ、傷を改めた。おそらくは刀傷なのだろう。適切に手当てはされているようではあったが、傷は深かった。このままほっておけば、おそらく後2、3日の命だろう。

 

 ツェペリは"奇妙な呼吸"を始めた。

 コォォォォォオオ──────

 

 すると、ツェペリの手がぼんやりと光りだした。温かみのあるオレンジ色の光だ。その光る手をそっと若者の傷口に当てる。

 すると、オレンジ色の光がツェペリの手から若者の傷口に向かって伸び、傷口に入り込んでいく……ツェペリは15分ほどそのまま若者の傷口に手を当て、じっとした後で立ち上がった。

 まめ衣が若者の傷口をそっと拭う。すると傷口はすっかりふさがり、血が止まっていた。真っ青だった若者の肌にもほんのりと赤みがさしている。

 苦しそうだった若者の呼吸も、いつのまにか落ち着いた寝息に代わっていた。

 

『異人さまっ、これは?』

『だいぶ深い刀傷であったが、もう大丈夫だろう……がんじょうな若者だのう』

 ツェペリはにこりと笑った。そしてガラリと口調を変える。

『で、そろそろ出てこんかいな。そこのお人よ』

 そう言って部屋の片隅の衝立を指さした。

 

『へぇ……わかっていたのか』

 衝立の奥から流ちょうな英語の応えが返ってきた。ぱたんと衝立が倒れる。その背後には、どっかりと座っている男がいた。黒髪をオールバックにまとめた、鋭い殺気を放つ男だ。

 そそくさと、まめ衣が男の横に移動する。

 

『初めまして。ウィル・A・ツェペリ殿。俺の名は……シシオだ』

 まだ若い。20歳ぐらいだろうか。

『駒三郎の命を取り戻してもらって、礼を言う』

 そういうと、シシオはぐっと立ち上がり駒三郎を蹴り飛ばした。

「起きろ」

 

「ッ!」

 シシオは、ついさきほどまで気絶していた駒三郎を片手で締め上げる。駒三郎の足が宙に浮いた。

 

 駒三郎の目が開いた。そして目の前にシシオがいることに気が付き、その目がおよぐ……

 

「駒……このお方を例の場所に案内してやれ。お前の命を救っていただいた恩人だ。礼を逸せぬように、丁寧にな」

 

 片手で首を締め上げられたまま、駒三郎がカクカクとうなずく。

 

 シシオは駒三郎を壁にポンと投げつけると、再びツェペリの方を見た。右手が刀の束に向かってピクリと動く。眉間にしわを寄せる。

 そして、恐ろしいまでの殺気がシシオから発せられた。

 

『……』

 ツェペリはすっと下がり、シシオの殺気をいなした。

 

「へぇ……」

 シシオが嗤う。

『アンタ、面白いじゃあないか。名前を覚えとくぜ。いつかアンタと一緒に暴れられるといいな』

 流ちょうな英語でそういうと、シシオは馬小屋を出て行った。

 

 男が出て行ってから数十分後、ツェペリは握りしめていた拳を解いた。その手は汗でびっしょりになっていた。

 

 

◆◆

 

 翌晩

 あきれるダイアー(とお目付け役の侍) をむりやりいざなって、ツェペリは翌日もそのままどんちゃん遊びを続けた。

 

 そしてまた女郎部屋で眠りについた。

 

 再び女郎屋で目を覚ましたツェペリが階下におりると、女郎屋の入り口に二頭立ての馬車が止まっていた。駒三郎が手引きしたものだ。ツェペリは馬車に入ると、床板を外し座席の下に潜り込んだ。そこには、人ひとりかろうじて入れるほどの隠れ場所があった。

 駒三郎は余計な口は利かず、ツェペリが手ハズ通り隠れ場に身をひそめると、すぐさま馬車を出発させた。

 その後関所らしきところで簡単な取り調べを受けた後、馬車は町の外に出る。

 頃合いを見て、ツェペリは隠れ家から顔を出した。

 

「これからお連れする場所には、血に飢えた我らの元仲間たちがいます」

 ツェペリに向かって、駒三郎が日本語で言った。駒三郎の隣にはべっていたまめ衣が、それをツェペリが理解できるように英語に訳していく。

 

「我らがそこに封じました」

『ほう……どういうことかな?』

「長い話になります。あれは、そうですね。半年前になります。俺たちは“とある理由”によって、仙台藩にいました」

 駒三郎がぶるっと身を震わせた。

「戊辰戦争の直前のことです。俺たちは新政府軍として仙台藩との交渉の任に当たる使節団の護衛をしていました。そのとき『奇妙』な噂を聞きました。みちのくのさらに奥、北海道の地に生ける屍……つまり『屍生人』がいるというのです」

『ほぅ……』

「もちろん俺たちはその話を笑い飛ばしました。だがシシオ殿がその話に興味をひかれましてね……で、函館を探索に行ったんです。その時には幕府軍が最後の砦として函館の地を要塞化しているという話も耳にしていました。だから、密偵を出すことにしました。この地を調べれば『奇妙な噂』の真偽も確かめられるし、『敵』の動向もわかる、一石二鳥って奴です」

 

 その後シシオは、手筈通り密偵を侵入させた。

 そして探索拠点として砦を建てさせた。

 

 だが、その砦が『屍生人』の群れに襲われ、密偵たちは駒三郎を除いて全員惨殺されたのだと言う。

 

 駒三郎は『屍生人』に襲われたとき、偶然飛んできた木片のあたり、砦の外に落ちた。幸運なことに、駒三郎が落ちた先は馬小屋であった。

 

 板葺きの屋根を突き破り、まぐさに突っ込んだおかげで、駒三郎は致命的な損傷をうけずにすんだのだ。だが落下した衝撃は大きく、気を失った。

 その結果、『屍生人』の目から逃れ、生き延びることが出来たのであった。

 

 シシオは逃げ帰ってきた駒三郎をねぎらうでもなく、すぐさま砦に案内させた。

 

 そこでシシオが見たのは、かつての仲間たちが『屍生人』となって襲い掛かってくる姿であった。

 

「その時は……シシオ殿と側近の方々が夜じゅう奮闘して、『屍生人』と戦ってくれました。そして、夜明け前になると『屍生人』どもはみな大慌てで砦の陰に逃げていきました……逃げ切れなかった奴らは、太陽の光に焼かれて灰になりました……一晩中戦ったシシオ殿たちは、その場で大の字になって眠られました」

 

『ほう……』

 

「で、起きていた俺たちがまた、砦に入ろうとしたんです……でもダメでした。日のささない建物の中には『屍生人』どもがまだ潜んでいて、中に入り込んだ俺たちの仲間の一人が殺られました」

 

『だろうな』

 

「そして暗くなったら、また砦からぞろぞろ出てきやがるんです。それをシシオ殿達がまた止めて……キリがなかったです」

 

「そんな時に道案内に連れてきていたその地の長老の一人が、『屍生人』には藤の花の匂いがキク……と聞いたと言い出しましてね。それで試しに藤の花や、藤でつくったお香を砦の周りを囲む堀の中に撒いてみました……そうしたら、次の夜にまた出てきた『屍生人』どもは、堀を超えて出れなかったのです。で、今は堀の中に香炉を置いて、そして藤のお香を焚いて砦をいぶし続けています……」

 

 

 ツェペリは身震いした。藤の花のくだりを除けば、それはまさに、石仮面をかぶった吸血鬼や、吸血鬼が作り出した『屍生人』の所業に近かったからだ。

 そして、数人の手練れとともに生身で『それ』に対抗したシシオという男は、驚異的であった。

 

 

 さらにしばらく走った後、馬車が止まった。

「つきました」

 

 馬車の扉を開ける。

 

『ッ!』

 

 その瞬間、濃厚な藤の花の香がツェペリの鼻に香った。そしてその中に血の匂いが混じっている……

 

「お前たちはここにいるんじゃっ!」

 

 ツェペリは二人にそういい捨てると、馬車から飛び出た。血の匂いのするほうに向かってまっすぐ走る。

 目の前に堀があった。その穴に藤の花からとった香が立ち込めている。

 ツェペリはひとっ飛びで堀を飛びこえ、足を止めた。

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

 目の前に刀を下げた男が一人立っていた。

 その周囲に無数のヒトが倒れている。

 足元には倒れた人々の血がプールのようにたまっている。

 男がツェペリの方を向いた。

 ……面妖な面をかぶっている……

 

 目の前にいるのは、血まみれの木製の仮面の男だ。

 石仮面ではない、だがここは木と紙の国……

 

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

『貴様っ』

 ツェペリは波紋を込めた足に力を籠め、地面をけり上げた。

 波紋を帯びた土くれが、"仮面の男"を襲う。

 

 ツェペリは同時に、"仮面の男"の足元に向かってスライディングをかける。

 

 "仮面の男"は体を地面に対して平行にして、ツェペリが蹴り飛ばした土くれをよけた。体を回転させ、地面ぎりぎりを飛び込んでくるツェペリに向かって刀を振るうッ

 

『くッ』

 ツェペリは、今度は血だまりを蹴飛ばした。

 波紋が入った血の礫が、仮面をかぶった男に跳ぶっ! 

 

 

◆◆

 

 ゴオッ

 

 強烈な攻撃を受け、鱗滝は吹っ飛ばされた。

 

『奇妙』だった。『珍妙な帽子をかぶった西洋人』が投げつけてきた血で負傷したのだ。液体のはずの血が弾丸と化して鱗滝の体に食い込んだのだ。もし身にまとっていたのが防御力が高い『隊服』でなかったら、今の一撃で致命傷を受けていたかもしれない。

 

(なんだこれは……血気術かッ?)

 

 弱い鬼の爪程度なら容易に防ぐことができるほどの防御力を誇る『隊服』を突き破るとは、侮れない威力だ。

 

 立ち上がろうとした鱗滝は、自分の体がしびれているのに気が付き、戦慄した。

 慌てて全集中の呼吸を行い、大量に吸い込んだ酸素を全身に送りこむ。そして血管の一本一本にまで気を送り込み、しびれの影響から体を回復させる。

 それまでの動きを、鱗滝はほとんど一呼吸つくまでの間でやってのけた。

 

 体の自由を取り戻すと同時に、すぐさま流れるような足運びで『西洋人』の追撃をかわす。

 そしてかわしざまに刀を水平に薙いだ。

 放ったのは、水の呼吸 壱ノ型と称される水面斬り(みなもぎり)という名の技だ。

 

 幾多の鬼を屠ってきたこの技を、『西洋人』は奇妙なアクロバティックに体を逸らすことで避けた。

 『西洋人』が地面に手をついた。

 鋭い蹴りが鱗滝を襲うッ。

 

 その足が赤く発光しているのを見て取った鱗滝は、ガードしようとしていた手を降ろし、体をねじって宙に飛んだ。

 「陸ノ型(ろくのかた)、ねじれ渦(ねじれうず)……昇ッ」

 体をひねって回転した速度を利用して、高く飛び上がる技だ。宙を舞い、立ち木を強くけって水平に飛ぶ。

 そして『西洋人』と距離を取り直した。

 

 強敵だ。

 全力を尽くす必要がある。

 

 ヒュゥゥゥッ

 

 鱗滝は深く独特なリズムをきざみながら深く、早く呼吸を続けた。

 一呼吸、一呼吸ごとに肺から大量の酸素が取り込まれ、体の細胞が目を覚ましていく。体の奥から力と熱がしみだしてくる感覚だ。一方で、呼吸するたびに水面のように静かに精神がさえていく。

 それが水の呼吸だ。

 

 と、鱗滝は自分と呼応する形で、目の前の『西洋人』もまた『奇妙』な呼吸を行っているのに気が付いた。

 

 コォォォォォオオ──────

 

 『西洋人』が一呼吸するたびにその体に力がみなぎってくるのがはっきりと感じられる。『西洋人』の呼吸方法は、鬼殺隊の剣士が使う呼吸と似てはいる。だが明らかに違う呼吸、違う力だ。

 『西洋人』は背中に差していた棒を引き抜くと手慣れた風に構えた。その棒に『西洋人』の呼吸が生み出した『力』が伝わっていくのが感じられる。

 

 相手は、一呼吸ごとにどんどん力を増している。長引けば不利かもしれない。

 懐に飛び込み、一気に蹴りをつけるべきか。

 

 そう考え、鱗滝が構えを変えた瞬間、逆に『西洋人』が飛び込んできた。

 直前まで、『西洋人』は膝を伸ばした、前に進むことなど決して出来ない姿勢をとっていた。なのに『西洋人』は飛び上がり、驚異的な速度で鱗滝に突っ込んでくる。

 

 だが鱗滝も幾多の鬼と戦い続けた歴戦の剣士。人の能力・予想を超えた動きを見せる敵とは戦いなれている。

 瞬時に腰を落とし、迎撃の姿勢をとる。

 

「漆ノ型 雫波紋突き(しちのかた しずくはもんづき)……」

 

 水の呼吸 最速の突き技だ。

 突き出した切っ先と鍔が空気を押し出し、前方に空気の塊による【波紋】を作り出す。

 

(男が振り下ろしてきた棒をはじき、逆に突きをくらわしてやる)

 そう考えた鱗滝の日輪刀と、『西洋人』の棒が激突し、すれ違う……

 

 互いの武器がぶつかった瞬間

 強い衝撃が互いの持ち手を襲うッ

 

「クウッ」

『!ッ』

 

 弾き飛ばされる二人。

(なんだ今のは? だがもう一度だッ)

 とっさに体勢を立て直し、二人は再び互いに向き合った。

 

 その時、タァーンッという音がして、二人のちょうど中間点の土が突然爆ぜた。

 ピストルによる狙撃だ。ということにはすぐ気が付いた。

 二人はさらに一歩後ろに飛びのき、地に伏せた。

 土煙の立った角度から狙撃方向を推定し、睨みつける。

 

 果たしてその方向に、人影が二つあった。

 

『……お二人、そこまでにしないっスか?』

 驚くことに、それは海外の言葉であった。そしてとぼけた口調で現れたのは、仙台地方のマタギのリーダー。ノリスケであった。

 ノリスケの背後には妙の姿も見える。あれほど鱗滝がついてくるなといったのに、無理やりついてきたのだ。

 

「おぬし、異人の言葉が話せるのか」

 鱗滝は驚いた。なぜ山奥に住むマタギの男が、はるか海の向こう側に住む偉人の言葉を話せるのか。

(こ奴、やはり信用できぬところがあるな……)

 

「ちょっと齧っただけですがねぇ」

 ノリスケはボリボリと頭をかいた。

 

「そうか、おぬしは伊達藩のものか。伊達藩は討幕の志を捨てず、密かにに異国と交易して力を蓄えているという噂があったが……その噂は真実であったか」

 

「いえいえ、俺はただのマタギっすよ」

 

「……そういうことにしておく」

 不敵に笑うノリスケを観察しつつ、鱗滝はゆっくり立ち上がった。



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When It Comes to You

 ここで話を、鱗滝とツェペリが出会う2日前に戻す。

 

 妙、ノリスケ、鱗滝の3人は無事に関所での取り調べを終え、函館の街を探索していた。鬼殺隊の看板のおかげか、取り調べは驚くほどスムースだった。関所ではほかの旅人が荷物をすべてほどいて一つ、一つ詳細に見分されているのに、妙たちはただ名前と出身地を聞かれただけだ。当然荷物もノーチェックで関所を抜けることができた。

 

 杜王荘にやって来た商人たちがノリスケに教えた店は、すぐに見つかった。

 その店は、妙の目には中々の大店(おおだな)に見えた。間口は大きく、妙と同じ年ぐらいの丁稚が2名、店の前を掃いたり、奥にあった商品を前のほうに並べなおしたり、忙しく立ち働いていた。どうも呉服を取り扱っている店のようだ。

 

 その生い立ちから織物には一言ある妙は、店の中に入ってみたくてたまらなかった。だがすんでのところで自分が来ている服が毎朝毎晩のけいこでボロボロであることを思い出し、ため息をついてあきらめた。それに、(毎晩素振りしているために)血豆でいっぱいの両手から、呉服の上に万が一にも血が垂れでもしたら、それは大ごとになってしまう。

 妙はほぼ無一文の身だし、鱗滝もノリスケもそれほど裕福な感じはしない。高価な反物を弁償することなど、とてもできやしないだろう。

 そんな妙の気持ちに気が付かない様子でノリスケは目を輝かせて店に突撃し、大声をあげて奥にいた番頭を呼び寄せた。

 

 番頭は妙と同じくらい小柄ででっぷりと太った初老の人物であった。三人を見て口角を上げ、にまぁっと笑みを作る。だが背の低い妙には、その目の奥がまったく笑っていないことがはっきりと見えている。

「これは、これは、遠方から来られたお客人……どこから来られましたかな」

 番頭は三人の服装にちらっと眼を走らせてから尋ねた。

 

「失礼ながら、手前ども商品にご興味を持っていただけるようなお方々とも思えないのですが、どのような御用むきで当店に参られたのでしょうか」

「そうっすねぇ……まぁオタクで熊の毛皮を扱うことに興味がおありなら、商売の話もできるっすけどねぇ」

「クマの毛皮ですか……そうですね、手前どもでは取り扱っておりませぬが、そういった品を扱う店は知っております。ではそちらを紹介させていただきましょうか」

「いやいや、この店に顔を出させていただいたのは、クマの毛皮の取引のためじゃぁないんすよ。実は、このお店にかかわりがあるとおっしゃられる商人の方がウチの山を2、3も買いたいと、こうおっしゃっているので、ここは一つ直接お店に出向いてお話をせにゃぁ……と、そういう話でしてね」

「……失礼ですが、どちらから来られた方でしょうか」

「杜王荘っす。旧伊達藩の……」

「さようでございますか、しかしながら……何のことやら」

「では『有定 和彦 (あるてい かずひこ)』『出石 恵心 (でいし えしん)』『上砂 和夢 (かみずな わむ)』『岩柱 三太(いわしら さんた)』……この名前に聞き及びはないっスか?」

「……」

「じゃぁ『大塒沢』、『泉松陵』……この辺りはどうっスか」

「はぁて……どうですかのぉ……」

「……覚えてないんスか」

「いやぁ………… そもそもお客様がたは、警察の方か何かで?」

 番頭がキッときつい目つきになった。

 その目が隊服を着ている鱗滝に止まる。

「手前どもも信用第一の商いをやっております。もしやあなた達が政府筋の方々……なのであれば当然喜んでお手伝いさせていただきますが、そうでなければお答えいたしかねますな」

 ノリスケの目つきが厳しくなった。腰をかがめて番頭に顔を近づける。

「もしもぉ〰〰しッ? お兄さんっ、こっち見るっすよぉ〰〰質問、ちゃんと聞いてから答えてますかぁ??? こっちは山を売るかどうかっつー商売の話をしているんスよッ! 商売のッ!」

「おっ、お客様ッ おやめくださいっ」

「だからぁっ、ちゃんと答えるっスよ〰〰」

 

 すると、いつの間にか席を外していた鱗滝が再び戻ってきた。妙齢の女性を一人、連れている。浅黄色の和服を着た、品のいい女性だ。

「ノリスケ、この方が協力してくれるそうだ……」

「おおっ! ありがてぇっス」

 

「なっ、お雪様っ! 何故ですか」

 番頭がくってかかる。

 

「羽……、おまえは黙っていなさいっ! この方は『鬼殺隊水柱』の鱗滝さまよ。この街が5年前に先代の水柱様に助けていただいたこと、まさかお忘れではないだろうね」

「なっ、あなたが今の水柱さまッ……申し訳ございませんでしたッ! 先代の水柱様はそれはそれは只者ではない気配を常に漂わせておられたので……」

「無理もない。先代に比べれば今だ不肖の身故 誤解されるのも無理はない……かな」

 仮面の裏側で、鱗滝は苦笑いをしていた。

 天才といわれた先代の水柱と比べられ、自分のことで『がっかりされる』ことには、もう慣れっこになっている。慣れたからと言って、みぞおちに重い石をのせられたかのような不快感・無力感を感じることは終わらないが。

 

 失言に気が付き、番頭の顔が耳まで真っ赤になった。

「……いえッ、とんでもございませんっ。私はただお客様の情報をおいそれと話すことが出来かねただけでして……そんなつもりで言った言葉ではなかったのですッ。お許しを……」

「わかっています。羽、もう黙りなさい。ここは私に任せてもう奥に戻っておくれ」

「はい……奥様」

 羽と呼ばれた番頭は、スゴスゴと奥に引っ込む。

 

 お雪はため息をついて番頭が姿を消すのを見守ってから、ゆっくりと口を開いた。

「大体の事情は鱗滝様から聞きました……お話ししましょう。ノリスケ様のおっしゃった名前 『有定 和彦』さま、『出石 恵心』さま、『上砂 和夢』さま、『岩柱 三太』さま、『大塒沢』さま、『泉松陵』さまは、すべてこの店のお客様です。ただ『有定』さま、『出石』さま、『上砂』さま にはお目にかかったことありませぬが」

「そうっすか」

「でも、ただのお客様です。いつも『光を通さない』密に編まれた反物をご所望されておりますが、金払いもよいですし、我々にとってはいいお客様でした」

「そうですか。どのあたりに住んでおられるか、場所をご存じですかな」

「えぇ、何度か注文の品をお届けに行っておりますから……函館は小さな町です。それほど遠くではございませんよ……」

 

◆◆

 

 お雪が教えてくれた住所には、なかなかこぎれいな屋敷が建っていた。だがまったく人の気配がない。三人は夜を待って再びその屋敷に行き、中に忍び込んだ。

 月明かりに照らされた庭は綺麗に世話がされているようであった。

 が、妙が屋敷に入った時だ。

 

「!?ッ」

 庭に置かれた灯篭が動いた……ような気がした。

 

 妙は庭の中央に広がる池の横に立つ灯篭をもう一度見た。裕福なお屋敷やそこそこの神社にならどこにあってもおかしくない、普通の灯篭に見える。

 だがさきほどちらっと見たとき、あの灯篭は松の木の後ろにあったような気がする。

 そして今は、松の木の横に立っている。

 

 自分が勘違いしただけか。

 

 妙は目をこすり、再び灯篭を見る。

 

「!?ッ」

 先ほどよりも灯篭と木の間隔が広がったように見える。

 

「!!!?ッ」

 間違いなかった。今灯篭は池にかかる橋の前に立っている。松の木からは2メートルは離れている場所だ。さっき見たときは確実にそこにはいなかった。

 妙は助けを求めて周囲を確認した。

 鱗滝はすでに屋敷にたどり着き、慎重に屋敷の扉を調べている。

 ノリスケが妙の近くにいて、屋敷の外の様子に聞き耳を立てていた。

「ノリさん……」

「なんスカ? 面白いもんでも見つけたっスかぁ?」

「あの灯篭……何か変なの? 動いているのよ」

「……へぇ。影が移動したりしたのを見間違えたってわけじゃあないんすね? どれ……」

 

 ノリスケは無造作に灯篭に近づく……すると……

「ウォッッ!」

 

 急にノリスケが転倒した。

 慌てて立ち上がろうとついた手が、なぜか『土の上』で滑り、再びひっくり返る。

 苦笑いして、ノリスケは上半身を上げて両膝立ちの姿勢になった。

 だが瞬時に再び『滑り』、顔面を地面に派手に打ち付けた。

 

「なんだこりゃッ。立てねぇっス」

「ノリさんッ。大丈夫ッ?」

「来るなっ!」

「でもっ」

「妙……そこから動かずに、小石をこっちに転がせないっスか……俺のところまで届くように……」

「はい……」

 

 なぜノリスケがそんなことを言ったのか真意を理解しないまま、妙は近くにあった玉石を拾い上げ、ころころとノリスケのほうへ転がした。

 玉石は土の上をコロコロと転がりながらノリスケのほうへ近づき……あと2メートルというところで急に速度を増した。

 妙は目を丸くした。

 玉石が『地面の上を滑って』いるのだ。

 

「チっ……やっぱりっすか。何故だかはわからんが、地面がツルツルっす。まるで引っ掛かりがねぇーっス」

 

「面様だな」

 二人の奇妙な様子に気が付き、鱗滝がやって来た。

「血鬼術か?」

 

「なんすか、そりゃぁ?」

「人をたらふく食った鬼のみが発揮することのできる、異能の力よ」

「ぞっとしないっすね……ツマリここに鬼がいるってんすか?」

「そんな気配はないがな」

「まぁ、なんにせよここから脱出しねぇとっスねぇ……幸いツルツルの範囲は狭いっす」

 

 ノリスケは苦心して帯を解くと、鱗滝に向かって投げた。

「たぶん二本の帯を結び付けりゃぁ、ツルツルの範囲から出られそうっす。申し訳ないっすけど鱗滝さんの帯を貸してくれないっすか?」

「……やむを得ないか」

 鱗滝は帯を解いて下帯一つの格好になった。自分の帯とノリスケの帯とをつないで、ノリスケに向かって投げる。

 

 妙はほほを染め、下帯姿の二人を凝視しないように少し離れた物陰に移動した。これでも嫁入り前の生娘なのだ。

 

 と……

 

「うおっ」

「げげげっッ! マジっすかッ」

「ノリスケッ! 距離をとれ、距離をッ!!」

「俺だって好きでやっているわけじゃあねぇっすよぉッ!」

 

 二人の叫び声が聞こえる。

 妙がオズオズと再び顔を出すと、そこには地面に倒れ、もつれあう二人の漢たちがいた。

 

「なっ、なにをやっているんですかっ!」

「ごっ、誤解っス。このおっさんが突然俺のほうに突進してきたんすッ!」

「違うわイッ。お前が帯を握ったとたん、俺のほうもツルツルになったんだッ!」

「なっ、なんだってぇぇ!!!」

「うっぷす……」

 二人の漢が叫び、動くたびに、さらに最悪な事態に突入していく。

 ツルツルなのは地面だけではなく、二人の肉体もまたツルツルになってきたのだ……

 

「……ちょっと、いやぁッ」

 妙はたまらず、しゃがみ込んで顔を覆った。

 

「妙、悪いが我慢してくれ……俺たちだって好きでこんなことをしているわけじゃあないんだ」

「助けてくれっス」

「……はい…………」

 

 ノリスケと鱗滝は大いに困惑しながらも、まずは刀と猟銃を外して妙へ向かって投げてよこした。間違って二人の体を傷つけてしまっては大変だからだ。

 

「うっ、うそだろぉ……」

 その間にノリスケの上着が脱げていく。

 そして鱗滝の仮面もずり落ちていく。思ったより童顔・紅顔の顔が現れた。

 

 妙にとっては初めて見る鱗滝の素顔だ。だが申し訳なくてまじまじと見ることが出来ない。

 目の前には、おのれの尊厳を守るために必死で下帯を抑える二人の泥まみれの漢がのたうち回っているのだ……

 

 ゴリッ……

 

 必死な二人の横に立つ石灯篭が、ゆっくりと回りだした。

 そしてその隙間から、岩でできた巨大な蟷螂の腕のようなものが5本飛び出した。

 5本の鎌が持ち上がり、二人に向かって狙いを定め……振り下ろされたッ! 

 

 まともに動けない二人は、その攻撃をまともに喰らうッ! 

「ガガッ……」

「グオォォッ!!」

 

 石灯篭鎌の直撃で、二人が吹き飛ぶっ! 

 

 ゴキュウッ

 石灯篭の隙間から、目が4つある蟷螂のような、カメラのような頭部が現れる。

 石灯篭の頭がキョロキョロと動き、二人を見つける。

 

「ウォッ!」

 石灯篭が二人を見た瞬間、二人の足元がまたツルツルになった。

 立ち上がりかけていた二人が、またすっころんだ。

 

 ぼしゅっ

 

 石灯篭の足元からタイヤが出てきた。

 タイヤが回り、石灯篭がゆっくりとノリスケに向かって動いていく……

 

「チっ……畜生ッ……」

 

「!? ッ」

 妙は立ち上がり、石灯篭の背後から石を投げつけた。

 すぐさま猟銃と刀を抱えて物陰に隠れる。

 隠れた瞬間に石に躓き、はでな音を立ててすっころぶ。

(しまった!)

 恐怖のあまり、心臓が破裂しそうなほどに鼓動する。

 パニックに陥った妙は身を縮ませ丸くなった。

 

 ゴリ……

 石灯篭がゆっくりと向きを変え背後を振りむく……

 

 そして、ゆっくりと鱗滝のほうを向いた。

 だが鱗滝は、妙が音を立てた方向とはまったく異なる位置にいる。

 

(どういうこと?)

 狐につままれたような気分で、妙は石を拾い池に向かって(石灯篭の死角だ)投げこんでみた。

 石灯篭はまったく反応せず、ゆっくりと鱗滝に向かって動き出す。

 

(もしかして、音が聞こえない……ってこと?)

 ドキドキしながら、妙はノリスケの猟銃を持ち上げた。

 猟銃の撃ち方はこの旅の途中でノリスケの手ほどきを受けていたので、覚えていた。

 猟銃を庭の木の股の間に固定し、ゆっくり、ゆっくり、丁寧に狙いをつけ……

 

「よせっ! 銃声を聞きつけて人が来るッ」

 鱗滝の声で、引き金から指を離した。

「妙ッ……ワシの刀を使え……日輪刀を……」

「日輪刀を……私が?」

「そうだ。奴の背後に回り、石灯篭の隙間の頭が出ている部分に突き刺せ。そのまま奴の頭を落とせ……」

「そ、そんなこと、私に……」

「できるッ! 毎日何百と素振りをしてきたことを思い出せ……落ち着いて、時間をかけて、刃筋を立てて押し込めッ」

「はいっ!」

 

 反射的に返事をしていた。

 妙は覚悟が決まらないままに、のろのろと日輪刀を鞘から抜いた。

 ゆっくり、ゆっくりと石灯篭の近くで刀を構える。

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 

(くっ……)

 

 もし失敗したらおしまいだ。

 

「ッ! ハァ──ッ!!」

 

 覚悟が決まらない。

 手が震えだす……

 いままで何百・何万と木刀を振ってきた。日輪刀は木刀よりも軽いと聞いていた。

 なのになぜ、こんなにも重く感じるのか……

 

(う……うぁぁぁ……)

 いちど、ゆっくりと日輪刀を石灯篭の隙間に近づける。

 ゆっくりと引く……

 

 と、石灯篭が止まった。

 

(しまったッ!)

 

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

 妙は気が付かぬままに月を背にしていた。

 だから月に照らされた妙の影が、石灯篭の目に見える場所に伸びていたのだ。

 石灯篭は音を聞き取ることが出来ない。だが視覚はある。石灯篭は背後に迫ってくる妙の影を見つけたのだ。

 

 ギギギ

 

 石灯篭が、ゆっくりと首を回し始めた。

 石の鎌もまたゆっくりと向きを変えた。

 鎌は石灯篭が振り向きおえる直前に一瞬とまり、そして妙に向かって振り下ろされたッ! 

 

「!?ッ」

 

 同時に妙は突きを放つッ! 

 日輪刀は狙い過たず、石灯篭の隙間に突き刺さり……そして糸が切れたかのように石灯篭の怪物が崩れ落ちた。

 大きな音を立て、石灯篭の岩積みが崩れる。不思議なことに崩れた岩はまるで乾いた砂の塊に強風が吹きつけたかのように、あっという間に割れ、崩れ、さらに細かく崩れ、崩壊し、そして風に吹かれて跡形もなくなった。

 

「はぁ──はぁ……」

 無事に石灯篭を倒した妙は、地面にぺたんとしゃがみ込んだ。さほど動いたわけでもないのにすっかり息が上がっている。酸欠で目がチカチカした。

「いったい何だったの? これは?」

 

「ただの灯篭に見えたが……『岩のような生物』が石灯篭に擬態したということか。そんな生物は聞いたこともないな。物の怪の類か? いや、やはり血鬼術によって生み出されたモノと考えたほうがいいか。なんにせよ、危ないところだった」

 妙の横に(いつの間にかもう一度洋服と仮面を身に着けた)鱗滝がいた。涼しい顔で妙をほめ、その手から日輪刀をそっと取り返す。

「よくやったな。確実に修行の成果が出ておるな……助かった。礼を言う」

 

 妙は何と言っていいかわからず、あいまいな笑みを浮かべた。

 

「立ちなさい」

「鱗滝さん、もう少し待ってください。実は腰が抜けて……」

「そうか……」

 鱗滝は妙のそばに腰を下ろした。

 

 その間にノリスケも照れ臭そうに身支度を直す。そしてこの屋敷に来た理由を思い起こし、一人屋敷の中に入っていった。

 

 と……

 

 ガタンッ! と大きな音が屋敷から聞こえた。

 そして悪態とともに、ノリスケが二階の窓から飛び出してきた。

 そのまま屋根を転がり地面にダイブ、地上で一回転して受け身をとる。

 

「ノリさんっ!」

「どうしたッ!」

「妙、鱗滝さん……二階に上がってすぐに、何かが凄い速さで襲ってきやがったっす……攻撃はギリギリ躱したんですけど……バランスを崩してしまって、このざまっス……気を付けてください。奴が来るっすよぉッ!!」

 

 ノリスケの警告とほぼ同時に、屋敷から何者かが襲い掛かってきた。

「?! ッ」

 鱗滝は妙から取り返した刀を抜き放った

 襲撃者の目前に飛び込み、日輪刀を抜き撃つッ! 

 

「ウギィィッッ!!」

 

 襲撃者が絶叫を上げた。

 そしてうなり声をあげながら壁を乗り越え、逃げていくッ! 

 

「チっ……浅かったか……」

 刀を鞘に納めながら、鱗滝は舌打ちした。

 襲撃者は思ったよりも素早かった。そのため首を狙った一撃が外れてしまったのだ。代わりに右腕を落とすのが精いっぱいであった。

 

 襲撃者の右腕が地面に転がっていた。その指先にはまるで牛の角のようなカギ爪がついており、一目で人間の腕ではないことがわかる。

 やがて日輪刀で切った断面から煙が出はじめ、徐々に燃え始めた。

「やはり鬼か……ほっておくわけにはいかんな」

 

「追うっすか?」

「あぁ……だがどこに行ったかわからぬ。妙、奴が逃げた方向を見ておらぬか」

「ごめんなさい……見えなかったです」

「そうか……」

 

 放っておいては一般人に危害がかかるかもしれぬ。厄介なことになったな。と鱗滝は考え込んだ。

 妙はどうしていいのかわからず、ぼうっと突っ立っていた。

 だがノリスケは、一人目を輝かせていた。

 

「簡単ッスよ。『ニオイ』をたどればいいじゃないっすか。ニオイをたどって、逃げたやつを追いかければ、俺たちが探している『奴ら』も見つけることもできるんじゃぁないっすかねぇ。一石二鳥っすよ」

「『ニオイ』? 何を言っているのだ? ノリスケ、おぬし猟犬のあてでもあるのか」

「犬? 何言っているんすか。こんなにプンプン腐った血の匂いがするのだから、猟犬なんていらないっしょ。ただ匂いのするほうに走っていくだけっすよ」

「なんだと? お前には鬼が逃げていった先が『ニオイ』でわかるというのか?」

「もちろんすよ。杜王荘の山奥でも、よく熊とかウサギとかのニオイを織って狩りをしたもんすよ……ホラホラ、いくら今はプンプン匂っているって言っても、半日もすればニオイなんてなくなってしまうっスよぉ……さっさと追うっス」

 

 ノリスケはそういうと、屋敷から飛び出し襲撃者が逃げたと思わしき方向をかぎ分け、走り出した。

 

◆◆

 

 鱗滝が砦に侵入してから数刻後、一等の馬車が砦の前に止まった。

 そして馬車から人影が現れた。その人物は乱暴に馬車の扉を閉め、全速力で砦に向かって走っていく。

 

 隠れてその様子を見ていたノリスケと妙は、相談の末、見知らぬ人影を追って砦に侵入することにしたのであった。

 

 そこで二人は、鱗滝と異人との一対一の激しい戦いを目にしたのであった。

 

 つまり、鬼の気配を感じた鱗滝がノリスケと妙を残して一人砦に入っていき……丁度砦に立てこもっていた鬼をあらかた退治したところで、運悪くツェペリと遭遇した。

 

 ……と、いうわけであった。



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Fade to Black

 鱗滝がピクリと右腕を揺らした瞬間、異人がヌルヌルとした動きで鱗滝の懐に入りこもうとした。

 それを嫌う鱗滝が軸足に体重をかけて左足を後ろに引き、体の向きを微調整しようとする。

 と、異人が瞬間的に速度を上げ、細かく動きながら鱗滝の左側から攻撃を仕掛けようとし……背後に飛びのいた。

 

 異人が速度を上げたと同時に、鱗滝の体裁きの速度も急上昇したからだ。

 下がる異人を追って、鱗滝が突きを放つ。

 

 その突きを異人はトンボを切って後方に跳び、躱す。

 同時に鱗滝の突きを右足の裏で受け止める。

 鋭く突き出された刀の切っ先がその足裏を、突き通せないッ

 

 ノリスケの目には、刀の切っ先が異人の足裏に触れた瞬間、まるで花火のように激しい光が発せられたように感じた。

 

 その隣にいる妙は、目にしているものが信じられず、ただただ驚いていた。

 戦う二人の足さばき、拳、剣の動き、信じられないほど早かった。どう動いているのか、妙にはほぼ認識することさえできない。

 

 二人は離れ、いつの間に近づき、そして急に速度を増して何か動いたかと思うと、また離れていく。

 

 二人が速度を増すと、妙には何をしているのかさっぱりわからなかった。

 妙とてこの一か月間、鱗滝の元で剣の修行に打ち込みながら旅をしていたのだ。そして鱗滝についていく旅の途中で、鬼殺隊士が使う『呼吸』のことも、(身に着けることはまだできなかったが)学んではいた。

 絶対に妙の剣の腕は上がっていた。先日など、あの奇妙な石灯篭の怪物の変則的な動きを追って、とどめを刺すこともできたのだ。

 もちろんまだ、本気で鱗滝が動くと、全くついていくことは出来ない。それでも一般人に比較すれば相当のところまで到達したつもりであったのに。

 それでも二人の動きはまったく追えなかった。

 

 それは、鱗滝が本気を出していることを意味していた。

 

 一方で、異人からほとばしる生気、よく日に焼けた肌、全力を出している風なのにまったく『人間並み』のパワーしか見せていないところ、そして日輪刀がかすったところから『普通に』赤い血が染み出ているところ(鬼ならば瞬時に傷が治っているか、斬られたところが煙を上げて蒸発しているはずだ)を見るに、異人が人間であることもわかっていた。

 

 目の前の異人が、『ただの人間』として、本気を出した鱗滝に『素手』で対抗できる腕前だということだ。

 

 妙は身震いした。今、目の前で繰り広げられている戦いがたまらなく恐ろしかった。

 

 と、妙の隣で唖然として戦いを見ていたノリスケが、猟銃を構えて引き金を引いた。

 狙いは過たず、弾丸は二人の中間地点に着弾した。地面が爆ぜる。

 

『……お二人、そこまでにしないっスか?』

 ノリスケは猟銃を構えた状態で立ち上がり、そういった。

 

◆◆

 

「お互いちょっと引いて、冷静になるっす」

 ノリスケは銃口に指をかけたまま、対峙する二人に警告した。

「人間同士、不毛な争いはやめるっすよ」

 

 異人と鱗滝は互いに顔を見合わせ、それぞれ一、二歩後ろに下がった。

 

「わかってくれてありがたいっス」

 ノリスケがほっとした顔で言った。

 ほんの一瞬、ノリスケの気が緩んだ。

 銃口が少し落ち、引き金にかかった指がわずかに緩む。

 

 異人は、その期を逃さなかった。

 

『パウッ!』

 奇妙な掛け声とともに、突然異人が宙を舞うッ! 

 ほぼノーモーションからの跳躍だ。

 異人はまるで体操選手のように空中で巧みに体をひねり、着地と同時に鱗滝へ襲い掛かったッ

 

 鱗滝は刀を八双に構えなおす。

 そして、不意を突いて襲い掛かってきた異人の攻撃を防ぐ。

 敵はどうやらまだ矛を収める気はないらしい。

 ならばこちらも戦って勝つだけだ。

 腰を落とし、低く構えなおす。

 

『だからぁっ! もうやめるッスよぉッ!』

 ノリスケが舌打ちして、鱗滝に向かって体当たりした。

 バランスを崩し、鱗滝は膝を地面についた。

 その隣に妙が駆け寄る。

 

『アンタもっス。ちょっとストォ──ップ! 話を聞けと言ってるんすヨッ!』

 ノリスケは両手を上げ、ゆっくりと異人に近づいていく。きれいな英語を駆使して話しかける。

『ちょっとアンタ。まずは落ち着くっすよ』

 

 異人はノリスケを睨みつけていた。

 吐き捨てるような口調でノリスケに返答する。

『……人殺しどもの話など聞かぬ』

 

『だから、それが誤解なんですって』

『この状況を見て、どう誤解するというんだ。彼らはお前たちが殺したのではないと?』

『いや……これはその、説明が中々難しいんすけどね』

 ノリスケがボリボリと頭をかき、アチコチに目を泳がせた。

『いいっすか、異人さん……俺の名はノリスケっす。こっちのかわいい子は妙。そしてこちらの仮面をかぶっている人が鱗滝さん』

 

 異人は胸を張って自分の名前を誇らしげに名乗った。

『……ツェペリだ』

 

『ツェペリさん。どこの出身すか?』

『イタリアだ』

『イタリア……そんな遠いところから、なぜこんなところに?』

『生涯をかけて探しているものがある……それがここにあるかもしれんからじゃ』

『探し物? 何を探しているんで』

『……まず貴方からの説明があるべきじゃろ。おぬし等ここで何をしていたのだ。ここで倒れている者たちは貴様らが殺ったのじゃろ』

 

 ノリスケが首をふった。

『ツェペリさん。そりゃあ誤解っすよ。こいつらもう人間じゃない。鬼っす。もう一度よく見てくださいよ。鱗滝さんに斬られたこいつ等の傷口を、よく見てください』

 

 ツェペリは胡散臭げに おに の体を再び眺めた。すると、ノリスケの言が正しそうな証拠が目に入った。

『おに? ……!? ッなんだ、彼らの体が消えていきおる。まるで沸騰した湯が蒸発していくように白煙を出してッ……』

(これが鬼? 確かに屍生人(ゾンビ)に似ている……か)

 

「ガッ……」

 白煙を上げて倒れていた鬼の一体がごろりと身をひねった。

 鬼は蒸発して亡くなっていく自分の体を絶望の目で眺め、顔を上げてツェペリたちを見上げた。その顔が憎しみでゆがみ、今にも噛みつきそうに口を大きく開いた。

 剥きだした歯には牙が見える。

「よっ、ヨグモッッ」

 鬼が吠えた。

 爪の生えた手をツェペリに向かって必死に伸ばす。

 その腕の肘から先が急速に伸び、ツェペリを襲うッ! 

 キラリと光ったカギ爪が、ツェペリの喉笛に向かって振り下ろされるッ。

 

『おおッとゥッ』

 ツェペリは身をねじってカギ爪をよける。

 そのまま体を回転させ、足を振り上げる。

 サッカーボールキックの要領で足を振り下ろし、カギ爪を真正面から蹴り上げたッ! 

 

 バシュッ! 

 

 蹴られた腕が大きな音を立て爆発する。

 次のステップで、ツェペリは一気に鬼との距離を詰めた。

 そして鬼の頭に回し蹴りをくらわす。

 

「あ……ッ」

 頭部に直接波紋を食らった鬼は、まともに言葉を出す間もなく一瞬にして蒸発した。

 

 その様子を確認して、ようやく得心がいった鱗滝は、そっと抜いた刀を鞘に納めなおした。

「おどろいたな。日輪刀もなしに素手で鬼を一撃で倒すとは」

 

 そしてノリスケに助けを求める。

「おぬし、異人の言葉がはなせるのだろう。今のはどうやったのか、ワシの代わりに尋ねてくれぬか」

 

「やれやれっすねぇ……」

 ノリスケは再びツェペリに話しかけた。

 

 鱗滝とツェペリは、ノリスケを通訳にして小一時間ほど情報交換した。

 途中で入口に待たせていた駒三郎とまめ衣を呼び寄せ、さらに話を聞く。

 ようやく話を飲み込んだ鱗滝とツェペリは、互いが敵ではないことをようやく認識した。

 そして、互いにふりかかった奇妙な運命に戦慄していた。

 

『で、この国には『鬼』が普通に生息しているということか』

『いやいや、さすがにそんなことはねぇ──ッすよ。こいつらはレアっすよレア。特殊な事情がない限り姿を見せねぇっす』

『では、こ奴らがここに巣くっていたのは特殊な事情があったということかな』

『そりゃあそうでしょうよ。なんてったって異人さんまでやってくるくらいだ』

『……石仮面がここにあった可能性があったからな』

『石仮面ねぇ……』

「かぶった人間を吸血鬼とやらに変える器物とはな。新たな鬼舞辻無惨が現れかねないということか……そんなものが異国から我が国に持ち込まれたかもしれぬとは……捨て置けぬな」

 ノリスケが鱗滝の言葉を翻訳する。その言葉を聞きツェペリは重々しくうなずいた。

『あれは人類すべての敵よ。ひとたび石仮面が作動したらどれほど善良な人間だろうとあっという間に凶悪な力を持つ悪鬼にかえるのじゃ』

 

「とにかく、我らはそれぞれ違う観点から探索を続け、この場所にたどり着いたということだ……この地で何が起こったのか、知る必要があるな」

 鱗滝はそういうと、少し前にやってきた駒三郎とまめ衣の前にしゃがみこんだ。二人はアタリの惨状をみて、ただただ腰を抜かしていた。

 

「主ら新政府のものであろう? 何故新政府軍のアジトの一つに鬼がいるのか説明してくれ」

 鱗滝の質問に、まめ衣が首を振った。

「妾は何も知らんす」

「……その通りだ。コイツはただ俺たちについてきてくれただけ」

「では、貴殿は知っているということだな?」

「……尋問か?」

「まさか、だがこの惨状だ。どうしても話してもらわねばなるまい」

 

 チッ 駒三郎は舌打ちをしてうつむいた。

「まず、彼女を開放しちゃあくれまいか。さっきも言ったがコイツは無関係だ」

「それはそうなのかもしれんが、この後すぐ彼女はシシオ殿の所に行こうとするのだろうが? まぁそれは構わんが、オナゴが一人で北海道の原野を行くのは危険だぞ。勧めぬ」

 

 チッ 駒三郎はまた舌打ちした。恨めし気にツェペリを睨みつける。

「なぁ異人さんよぉ。アンタどっちの見方だよ」

『ワシは誰の味方でも敵でもないわ。ワシが追っているのは吸血鬼。その情報が欲しいだけよ』

 

 そうかよ……駒三郎は観念してポツリ、ポツリと話し始めた。

「……そうだ。ここは政府軍の隠し砦さ。榎本武明と新選組の一派がこの地を最後の抵抗の地と決めているという情報があったからな。政府軍の俺たちも対抗して密かに隠し拠点を作っていたってわけよ。俺たちはこの地に潜んでひたすら情報収集と剣の腕を磨いていた。あの日までは」

「あの日?」

「ああ。始めはただ酒をこぼしただけだったのさ」

「?」

「その日は砦の連中と油揚げをつつきながら酒飲んでいたんだ。酒を飲んでいるときに、少し杯からこぼしちまった。で、新しい酒を注ごうとしてやぐらの外に出たんだ……酒蔵に行くには、いったん外に出なけりゃならなくてな……月がきれいな夜だったな……そして、俺がいい気分で酒を注いでいる時に不意に空が暗くなったんだ。一瞬だけな」

「続けろ」

「そうしたら、なにか寒気がした。で、酒を飲む気が急に失せてなぁ。俺はさっさとやぐらに戻ろうとしたんだ。その時にまた空が暗くなった……恥ずかしいことに、俺は暗闇の中で石につまづいて転んじまったんだ。酒を飲んでたせいもあって、地面に頭を打って気を失っちまった」

「気づいたら翌日の朝さ……まだ冬が来てなかったから一晩外にいても凍死しなかったが、こりゃ大目玉を食らうぞ! と思って大慌てで起きたのさ。それで急いでやぐらに行った……そこで……そこで俺が……俺が見たのは……」

 駒三郎はそこで口を閉じ、震え始めた。まめ衣がその背中に縋りつく。

「兄さん、話しなよ」

 ノリスケがポンポンと肩をたたいた。

「大丈夫だ、ここにいるお二人はそりゃあ強くってよォ。アンタを守ることなんざぁ造作もないってわけさ」

「……そこで見たのは血の海さ。血の海の中で仲間たちがみんな死んでいやがった。お、俺はすっかりブルって腹の中のモンをみんな吐いちまった。その時不意にぶん殴られたのさ。俺はぶっ飛ばされて櫓の壁にたたきつけられた。とんでもねぇ衝撃だった」

 

「おんぼろ櫓だったから、俺は壁をぶち抜いて外に飛ばされたんだ。それで助かった……俺をぶん殴った鬼が追っかけてきたんだ、それが日の光を浴びて解けちまった」

『それがあの怪我か』

「そうだ。俺はぶっ倒れた後でシシオ様に助けられた。実は砦の中にはまだ化け物がいたんだ。だが、シシオ様はとんでもねぇ剣の腕をお持ちだから、あっという間に、嬉しそうに、一匹を残して化け物どもをみんな退治しちまったよ」

『残った一匹はどうしたんじゃ?』

「シシオ様の命で、厳重に見張りをつけ地下牢に閉じ込めた。アンタに見せようと思ったのは、その残った一匹さ」

『その一匹が、何かのはずみで逃げ出した……と言いたいのか』

「そうだ」

 

 鱗滝は腕組みをして聞き入っていたが、やがて重々しい口調で告げた。

「お前の言が正しいのか確かめる必要があるな。鬼を閉じ込めていた地下牢に案内せい」

 

「了解だ」

 観念したのか、駒三郎は素直に一行を櫓の隅に連れて行った。

 

 櫓に近づくほどに、血のニオイや肉の腐ったニオイがどんどん強くなっていった。

 禍々しい空気に、妙は吐きそうになった。

 だが鱗滝たちから離れるのは危険だ。どんなに怖くても彼らについていくしかなかった。

 櫓を作っている木は カラカラに乾燥していたが、まだまだ丈夫そうではあった。

 少し周囲を回ると、櫓の入り口をふさぐ木製の扉が見えた。扉は特に傷んではおらず、だが大きく開け放たれている。

 鱗滝に合図され、妙とノリスケは手荷物から旅行用の小ぶりな提灯を取り出し、火をつけた。

 近くに落ちていた手ごろな棒を拾うと、その提灯を先端に結び付けた。

 そして棒の反対側を持ち、提灯をそっと入り口から差し込む。

 

 櫓の中は床にいたが貼られており、ひどく埃っぽいように見えたが、物陰に潜む敵などはいないようであった。

 

 一行は手ぬぐいなどで口元を追おうと、櫓の中に入っていった。

 駒三郎がへっぴり腰で櫓の隅にいき、そこの床板を外した。するとそこには厚さ10㎝はありそうな分厚い鉄板でできた蓋があった。

 ノリスケ、鱗滝、そしてツェペリの三人がかりで力を込めて蓋を開けると、そこには石造りの井戸が掘られていた。

 井戸を眺め、駒三郎が震え声で言った。

「この下だよ。シシオ様はバケモンを井戸に落とされた。それでこの鉄板で蓋をしたのさ」

 

「ふむ……」

 鱗滝は床に膝をつくと、アチコチを調べ始めた。

「いや……この痕跡はどうしたことだ?」

 ぶつぶつ言いながら、一人熱心に探索を続ける。

 

 その様子を見ていたほかの面々は、徐々に手持ち無沙汰になっていた。

 そうだ……

 とノリスケが頭を掻き、駒三郎を呼びつけた。

「駒三郎さんよぉ……イッコ教えてくれや……アンタたち大杜荘に来ていたんだよ。なぁ、少し前にアンタたち六壁神社周りの土地を買おうとしてただろ。どうしてだ?」

 ノリスケの質問に、駒三郎が苦虫を嚙み潰したような苦い表情で答えた。

「……タニマチのご意向だよ」

 

「タニマチ?」

 

 駒三郎は不貞腐れたようにうなずいた。

「そうだよ。あの事件が起こる少し前によぉ、シシオ様の所に来た商人がいたんだよ。すっげぇ太っ腹の商人様でよ。俺たち政府軍に自発的に協力してくれているのよ」

 

「その商人様は、もしかして妙齢のご婦人じゃあなかったっすか? 『お雪』っつー名前の」

 

「いや……いや確かに俺たちは『お雪様』にはたんと世話になった。アンタ達がお雪様を知っているとは思いもしなかったぜ…… だが土地の話にはお雪さんは絡んでねぇ。その話に絡んでいたのはあの店のご番頭殿だ。確か羽っつー名前だったか? よく覚えてねぇが」

「番頭さんね」

 妙は合点した。確かにあの必要以上に意地悪な番頭なら、主人の裏で余計な小遣い稼ぎなどを遊び感覚でやっていても不思議がないように思えた。

 

「……その商人様のところに、仙台藩の持っている神社の近くの土地が気に入ったっつーお客がいてよ。引退したらそこに家を建てて住みたいんだぁそうだ。で、俺たちが買いに行ったのよ」

「ソ奴は本当のことを言っておったのか」

 

 ハッ 駒三郎が首をふった。

「そんなわけあるか。デタラメもいいところだろうよ。だが俺らにしてみりゃあ軍資金をたっぷりくれるタニマチ殿のご要望よ。言うとおりにしてちょっとばかし喜ばせてやったところで、何も損はねぇ」

 

「そうっすか、それじゃあものの相談ってやつですが、その商人さんがつれてきたっつー売り手さんの所に連れてってくれねぇっすか? ちょいとお話ししたいことがあるっす」

 ノリスケが口をはさんだ。

 

「よしてくれ、そんなことをしたら、俺がシシオ様に殺されちまうッ」

 

 へぇ……そうっすか

 ノリスケは手にした火縄銃に弾を込めると、駒三郎の方に向けた。銃口を駒三郎のこめかみに押し付け、まるで『ちょっと散歩に行きますか?』とでも誘うかのようなのんびりした口調で警告した。

「考え直したほうがいいっすよぉ。後で死ぬほうが、今すぐ死ぬよりはいいんじゃないっスかねぇ」

 

 ヒィッ。駒三郎が息をのんだ。

 ノリスケは引き金に指をかけた。

「さてと、話してくれますか」

 

 と、背後からそっと近づいてきた鱗滝がノリスケの銃をひょいと持ち上げた。そして駒三郎の前にしゃがみこむ。

 

「駒三郎殿、主のことは決して口外せぬ。望むなら新しい名前も顔も、戸籍も、鬼殺隊が用意しよう。だから話してくれ」

 

「わっ、分かった」

 駒三郎が目をしばたき、うなずく。

「だ、だから俺の安全は保障して……ッ」

 

 そこまで話したところで、駒三郎が激しくむせた。

 むせた口から血が噴き出す。

「ゲポッ」

 駒三郎は真っ青な顔で隣を見た。隣で駒三郎にしがみついていたまめ衣と目が合う。

 まめ衣がニヤリと笑った。

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

「おっ、お前……なぜ」

「ダメヨお前さん。ペラペラ秘密をしゃべっちゃぁ」

 

 まめ衣は駒三郎の背中に手を回し、そうささやいた。

 奇妙なことに、その手は岩のように高質化して槍のようになっている。

 その『手槍』が駒三郎の背中に突き刺さっていた。

 

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

「ッ!?」

 鱗滝はトンボを打ってまめ衣から距離をとった。

 その足をまめ衣の一撃がかすめる。

 通常ならありえない攻撃だ。

 まめ衣は駒三郎を抱いた姿勢のまま一歩も動いていない。そして鱗滝はまめ衣から10Mは距離をとっていた。

 そうであるのに鱗滝の足をかすめたのは、まめ衣の”腕”だ。

 まめ衣の腕だけが、まるでゴムひものように伸びて鱗滝を襲ったのだ。

 

「貴様……鬼か?」

 鱗滝はそう問いかけ、すぐにその考えを打ち消した。

(いや、この者は日中に動いていた……ならば鬼のはずもない。ではこの面妖な能力はなんだ?)

 

「鬼ぃ? ああ、あの死にかけの生き物達のことねぇ」

 まめ衣はクスリと笑った。

 まめ衣は『だらん』と伸びた手を上下に動かした。すると、伸ばしたまめ衣の腕がまるで縄跳びの縄のように『ぐにゃり』と波打ちながら手元に戻ってきた。

 

「まっ……ま……」

 あえぐ駒三郎をまめ衣はいとおしいげに眺めた。

「あんさんは良い愛人でござんしたよ。駒三郎さま……」

「おっ、おれは……」

「フフフ……お気持ちはわかっております。もう何度も『一緒になろう』とおっしゃってくれましたからね。妾のような立場の者にはもったいないお言葉でありンした。とっても嬉しかったんですよ……」

 まめ衣はいとおし気に駒三郎の頭を掻き抱き、その額に唇をつけた。

 駒三郎の体がビクンッ。ビクンッと動き……その動きが徐々に弱くなり……

「駒三郎さま……妾も好いており申した」

 

 まめ衣はそう言うと、いともたやすく、ゆっくりと、駒三郎の首をねじ切った。



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Calling Elvis

「貴様……やはり鬼か……」

 鱗滝は腰の日輪刀の束に手をやり、ゆっくりとまめ衣の近くに近づいていく。

 まめ衣はキャハハッと笑った。

「おあいにく様。私は鬼舞辻の下僕に成り下がるほど愚かじゃァないわよ。たかだかニンゲンのフリークごときの風下に立つなんて……ねぇ。誇りが汚されるわ」

 

「へぇ……なんだかわからないっスけど、アンタ、スゴイ人みたいっすねぇ……でもコイツには勝てねぇっすよォ」

 ノリスケが銃をまめ衣に向けた。

「自慢するわけじゃあねえっすけど、オリャアこう見えて結構銃の腕前が良いんですわ。長年クマ撃ちしていますが、50M以内の珠を外したことねぇっす。クマでも、兎でもっス」

 

「へぇ」

「こいつはねぇ、スナイドル銃っていうんですよ。2年前にイギリス軍が正式採用したピカピカの最新型銃っス。それを何とか輸入して、自分でちょっと改造してパワーを上げましてね……世界一の銃だと思うっすよ……」

「へぇぇぇ〰〰っ」

「おおっと、そこからピクリとも動かないでくださいねぇ〰〰。姉ぇさんのへんてこな腕が伸びるより、俺の銃の弾丸のほうが早いっすからねぇ」

「……そりゃあ、ちょっと厄介ね。怖い怖い」

 

 まめ衣は肩をすくめ両手を上げた。

 笑みを絶やさないまま、にこやかに提案した。

「わかったわ。休戦しましょう。私は六壁神社の周りの土地には手を出さない。で、アンタたちは私たちへの追及をやめる。どう?」

 

「マジっすか」

「もちろん、本気よ」

「ならオレ個人は異存ないッすけどね。でもこのお方たちが納得するッすかねぇ」

 

 ツェペリと鱗滝は首をふった。

「納得は出来んな」

『同じく。貴様から聞きたいことがたっぷりあるからのォ』

 

 肩を並べた二人が大きく息を吐き、そしてそれぞれ異なるリズムで呼吸を刻みだす。

 コォォォォ ォ オ

 ヒュゥ ゥ ゥ

 ツェペリは拳を強く握りしめた。鱗滝は刀の束に手をかけ攻撃の構えをとった。

 

「最後にもう一度だけ言う。大人しく話をしてくれんか。さもなくば、お主を鬼の一派とみなし容赦はせん」

 

 鱗滝の警告をまめ衣は嗤った。

「ヒュウっ。怖いわねぇッ……でもメデたいわねぇ、私が一人でのこのことやってきたと思っているの?」

「⁉ッ」

 

 いつの間に現れたのか、まめ衣の背後に二人の大男が立っていた。

 

 ド ド ド ド ド ド ド ド ド ……

 ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……

 

 一人は2メートルを超えそうな巨大な体躯、横にも太い、筋肉の塊のような男だ。

 もう一人もそれに並ぶ長身であった。痩身で手足が人よりはるかに長い男だ。

 

 まめ衣は、ぱっと身をひるがえして宙を舞い手を伸ばす。

 その手がぬるんと伸びる。

 

「!?ッ」

 伸びた腕が三人の男の背後にいた妙をつかみ、引き寄せた。

 宙を舞ったまめ衣は男たちの背後に着地し、身を隠した。

 そしてまめ衣は必死に暴れる妙を片手で軽々と小脇に抱えて走り出した。驚くべき速度だ。

「鯨波ぃ、八ッ目ぇっ! 後は任せたわよっ」

「承知ッ」

 

 二人の男は、叫びながらツェペリと鱗滝に向かって走りだした。

 

 ノリスケが舌打ちしてまめ衣に向かって銃を構え、引き金に指をかけた。だがすぐに銃口をさげた。妙が盾になってまめ衣を撃つことができなかったのだ。

 ノリスケは銃をわきに抱え、走り出した。

 

「ギャワワワッ」

 大男たちが足を止め、ノリスケを捕まえようとする。

 

「うぉぉぉぉぉっ」

 ノリスケは姿勢を低くし、地面を滑るようにして大男の手を避けるッ

 

「止めさせんっ!」

 鱗滝とツェペリが大男をけん制するッ! 

 

「ギャガっ」

 大男たちは、ノリスケを捨て置いて鱗滝とツェペリのほうに構えた。

 

「ありがてぇっ」

 ノリスケは一旦背後をちらりと振り向いた。

 目が合った鱗滝とツェペリがうなずく。

 再び前を向くと、まめ衣が砦の外に止まっている馬車に取り付こうとしているところであった。

「待つっすよぉッ」

 ノリスケは叫んだ。

 

「うるさいわねぇッ」

 まめ衣は驚くべき身体能力を見せ、妙を抱えたまま跳躍した。砦の外に待つ馬車の前に着地し、すぐさま馬車に飛び乗る。

 

 馬車に待機していた御者が、目を丸くした。

「なっ、なんすかッ」

 

「アンタも逝きなっ」

 まめ衣は御者の顔面をカギ爪で引き裂き、馬車から蹴落とした。

 そして馬車を引いていた馬の一頭にまたがった。

 再びカギづめを一振りして、馬車と馬とをつないでいた綱を断ち切る。

 そして妙を小脇に抱えたまま、馬に鞭を入れた。

 

 ようやく馬車に追いついたノリスケも、残されていた馬に飛び乗り手綱をとった。

 馬に乗るのは得意中の得意だッ

 馬車をひく馬には鞍も鐙もついていない。背に人を乗せた経験も少なそうだ。とても乗りづらい裸馬だがノリスケには問題はない。

 

 ウマが走った痕跡は一目瞭然で、マタギのノリスケならば簡単に追跡できそうだ。

「妙さんよぉ、待ってるっすよぉ〰〰すぐにこのノリスケ君が助けてやっからなぁ」

 ノリスケは猟銃を肩にかけ直し、馬を走らせた。

 

 前方には森が広がっている。見通しはあまりよくないが、先行する馬が通った道は一目瞭然だった。足跡が沈んでいる深さ、歩幅などを見るに、まめ衣は馬に乗るのがうまくなさそうであった。

 

「これならすぐに追いつけそうっすねぇ」

 ノリスケは周囲に気を使いながら、まめ衣の残した後を追って馬を走らせた。

 果たして、前を行く馬はすぐに発見できた。

 ノリスケが予想したように、騎乗の腕は良くないようで、前の馬は遅かった。ノリスケとの距離がみるみる近づいてくる。

 

「よし……」

 ノリスケは両足で馬の胴体をはさんだ。揺れる馬上で両手を離して銃を構え、苦労して狙いをつける。

(射程に入った瞬間に撃つ……)

 

 と、背後から風が吹いた。風に乗って異臭が香る。

「!?ッ」

 ノリスケはとっさに片手で手綱を絞り、馬を斜め前方へ跳躍させた。

 すると右手に土煙が立った。そこは、もし馬の方向を変えていなかったら今頃ノリスケがいたはずの場所だ。

 ノリスケは大きな弧を描くように馬を走らせ、土煙が立った場所を確認する。

 

 すると、土煙の先に立っている人物が見えた。

 見覚えがあった。

 そこに立っていたのは、まめ衣に殺されたはずの御者だ。

 ノリスケは馬を走らせたまま猟銃を肩からおろした。両足で馬を構えた。

 御者は人間離れした表情でノリスケを見た。ペロリと自分の唇を舐めた舌がニョロニョロと伸びる。

 

 今だッ

 ノリスケは銃を構える。

 銃口の先に人の姿が見える。

 その瞬間ノリスケの腕が震えた。いくら銃の腕自慢とはいえノリスケは獣うちのマタギ、人を撃ったことはことなどない。

 

 その躊躇が命取りだ。

「ウげげげげっッ! 血ィチチチッッ。ぬるぬるであったけぇ血ィぃィをよこせぇぇ──―ッッ」

 御者は叫び、ものすごいスピードでとびかかってきた。

 間一髪ッ

 ノリスケは再び馬を跳躍させ、間一髪御者を避ける。

「ぎゃぎゃぎゃぎゃぁぁぁっ」

 何を言っているのかわからないが、御者は意味不明な声を上げながら立ち上がり、ノリスケを睨みつけた。

 その手足はズタズタになっている。

 猛スピードで踏み込むたびに、あまりの力で自分の足の骨を砕いてしまうのだ……

 

「なんなんすか〰〰」

 

「じじじぃぃしっッ……死ぃぃぃねぇぇぇッ」

 御者が大口を開けた。

 その口から涎が垂れ……再び飛びかかってきたッ! 

 

 ノリスケは冷や汗をかいた。

 目の前にいるのは正真正銘の化け物だ。

 対する自分はさっきまで一緒にいた鱗滝やツェペリのような人間離れをした技を持っているわけではない。

 だが……

 自分だって一人山に分け入り、幾多のクマを一対一で仕留めてきたマタギの棟梁だッ! 

 仕留めたクマの中には、悪魔のように巨大な人食い熊だっていたのだ。

「ウオォォォッ」

 ノリスケはかかとで馬を操りつつ、手にした猟銃を御者に向けた。

 もう躊躇はない。

「マタギのノリスケさんを、なめんなっすよぉ」

 

 ギリギリまで引き付け……引き金を引くッ

 

 バシュッ

 

◆◆

 

『ワシはあのデカブツに行くッ』

 ツェペリは鯨波と呼ばれていた巨大な体躯の男に向かっていった。

 

 鯨波は意味不明の叫び声をあげながら右手に巻いていた布を取り去った。

 すると真っ黒な鉄塊が現れた。

 右腕の代わりにそこにあったのは、真っ黒な砲台だ。

 

『⁉ッ』

 ツェペリはとっさに地面をけって急停止した。

 蹴飛ばした土は波紋を帯び、白い煙を吐きながら鯨波の目を襲うッ。

 

「アガォォォォゥッ!」

 同時に鯨波がかざした右手から、轟音を立てて砲弾が発射された。

 白煙が二人を覆いつくすッ! 

 

 一方の鱗滝は駆け抜けざまに上段斬りを放つッ

「グギョォッ」

 八ッ目は瞬時に四つん這いの姿勢になり、地を這うように飛んで鱗滝の初太刀をかわすッ

「バァッ」

 黒光りする両爪を顔の前で交差させた。

 そして右手の爪を地面に突き刺すッ。

 右手を支点に回転し、鱗滝の背中に向かって飛び込む。

 左手を構え、突き出すッ。

 

「くッ」

 迎撃できないと悟った鱗滝は、前方に跳躍した。

 

 その背中を追う八ッ目の左手がグイッと伸びた。

 鱗滝の背中をえぐるッ! 

「ムウッ」

「ケェッ! とどめだッ」

 八ツ目が躍り上がるように飛び跳ねた。

 引き抜いた右手を後方に伸ばし、胸を張った。まるで投げ槍を投げるような体制だ。

 その右手が振り下ろされ、恐ろしいほどの速さで鱗滝を襲うッ

 

「水の呼吸 六の型 ねじれ渦ッ」

 鱗滝は胴を中心に足と手を反対方向にねじった。

 そして、まるで限界までひねったゴムを急に手放したような勢いで回転した。

 背中に負った傷から、まるで火炎のように血潮が周囲に振りまかれるッ

 振り回した刀が八ツ目の爪をはじく。

 

 距離をとった二人は、改めてにらみ合う。

「……手が伸びるだと? だが貴様からは鬼が発する腐ったようなにおいがせぬ……人間のようだが、何者だ」

「フフフ……知りたいか? これはワシに取りつく『背後霊』が与えてくれた能力よ」

「背後霊?」

「そうよ。我が一族の最高の戦士に代々取りつく『背後霊』がわが手足を自在に伸ばし、しなやかな鞭と化す力を授けてくださっておるのだ」

「……つまり貴様は自由自在に手足を伸ばせるということじゃの」

「そうよ。いかに貴様が剣術の達人だとしても、しょせんは人の可動域の中でしか動けぬ。その理の外で動ける我にかなうわけがないわ」

 そういって八ツ目は無造作に左手を振った。

 まるで鞭のように高速の攻撃が鱗滝の体を切り裂く。

 

 鱗滝は冷や汗をかいた。あまりの速度に、まったく反応できなかったのだ。

 

「我が一撃、見えまい」

 八ツ目はクククッと笑った。

「鱗滝とやら、覚悟せい」

 

◆◆

 

 一方のツェペリ。

 白煙の中で、ツェペリは必死に五感を総動員して鯨波の動きを探っていた。

 鯨波はなにやら叫びながら右手に仕込んだ大砲を周囲に打ちまくっている。

 一撃でも食らったら致命傷だ。むやみに動くことはできなかった。

 と、白煙の向こうに鯨波の気配を感じた。

 ただならぬ殺気が、ツェペリをまっすぐに狙う。

(まずいっ)

 とっさに地面を回転し、鯨波の砲撃をかわす。

 至近距離での着弾の衝撃に空気が震える。

 

 鯨波は右手を上げて回転させた。

 

 カチャリ……という装弾音がツェペリの耳に聞こえた。

(一か八かッ)

 なんとか次の砲撃が始まる前に、鯨波の懐に潜り込むッ

『クラえぃッ』

 波紋を込めた掌底突きを鯨波に放つッ

 掌底から伝わる太陽のエネルギーッ。

 波紋のパワーが鯨波の体内で暴れるッ。

 

「ガッ⁉」

 ツェペリの攻撃をまともに受けた鯨波は、全身を硬直させた。

 後方に吹っ飛び、ドウっッと大きな音を立てて地に臥せた。

 

『よしっ』

 鯨波が意識を失ったことを確認したのち、ツェペリは鱗滝の救援に向かおうとした。

 

 がっ……

「グォォォオオッ!!」

 ツェペリの後方から咆哮が響いた。

 振り返ると、鯨波が両手をつき立ち上がろうとしている。

 

『なんじゃとっ』

 とどめが弱かったか? 

 立ち上がる前にもう一度一撃……

 

 だが、ツェペリが駆け寄ったその時ッ! 

 鯨波は目の前の地面に向かって大砲を放つッ

 

 爆風が鯨波とツェペリを襲うッ

 

「グヌヌヌッ」

『ウオォォォッ』

 

 砲弾によって吹き飛ばされた礫や土くれが、二人の体を撃つ。

 ツェペリはとっさに波紋を全身に張り巡らせて防御を試みた。

 だが溜めなしでとっさに放った波紋力では、全身防御には不足していた。

 少ない波紋でも土くれは防げた。

 だがとがった礫はツェペリの全身をえぐっていた。

(くっ。まだ修行不足か……まさか相打ちを狙ってくるとはな。動けぬ)

 血だらけのツェペリはがっくりと膝をついた。

(自爆か……しかし爆心により近く、波紋による防御もなかったア奴はワシよりも酷いけがのハズだ。まだ生きておるか……?)

 

 鯨波は仰向けに地面に横たわり、ピクリともしない。体の下の地面から、血が広がっていく……

 

 

 と、鯨波の指がピクリと動いた。

 さらに目が開く。

「ぶぉぅううううぅっ」

 意味をなさない方向を上げながら、鯨波が跳ね起きた。

 次の瞬間、全身から血を噴き出して再び倒れる。

 だがその腕はノロノロと動き、今度は膝を立ててゆっくり、ゆっくりと体を起こした。

 虚ろな目で周囲を見回す。

 

 ツェペリと視線が合った。

 ツェペリの見ている間に、鯨波の体の血がゆっくりと止まっていく。

「貴様……強いな。だが我が背後霊は、戦いの中ならば俺がどんな重傷を負おうと俺の命を守り、傷を治していく……貴様には俺は倒せん」

 鯨波が嗤い、右手の銃口をゆっくりとツェペリに向ける。

 激しい怪我のために、銃口は揺れていた。

 

 その揺れがゆっくり、ゆっくりとおさまっていく。

 

(クソッ、ワシの足よ。動け動け動けッ!)

 まだこんなところで死ぬわけにもいかぬ。

 

 鯨波が嗤う。

 

 ドガッ

 

 横から衝撃を受け、ツェペリは地面をゴロゴロと転がった。

 鯨波の砲弾が、それまでツェペリが座っていた地面をえぐる。

 もし突き飛ばされていなかったら確実にやられていたはずだ。

 

「貴様っ! 一対一の勝負に水を差すかッ」

 鯨波が吠えた。

 

「異人殿、大丈夫か?」

 ツェペリに飛び蹴りを入れ、間一髪で鯨波の砲弾から救ったのは鱗滝であった。

 

『助かったぞ、お侍ッ』

 ツェペリは手に持った土に波紋を籠め、鱗滝の背後に撒いた。

 その土を、二人を背後から襲おうとしていた八ッ目がもろに喰らう。

 

「ギュワワッ」

 八ッ目が喚いた。

 

『借りはすぐに返さんとなっ』

 ツェペリはウィンクした。

 そしてポンと鱗滝の肩をたたき波紋を流し込む。

 

「!? っ」

 鱗滝は驚愕した。

 満身創痍だったはずの体に力がみなぎっている。体が、刀が軽い。

「なんだっ、これは……血も止まっているぞッ。それにこの体の奥から湧き上がっている力は何だ? 異人殿、これはお主が?」

 

『そうじゃお侍、チョッピリだがアンタに波紋を与えた』

「?」

『波紋がおぬしの傷を治し、少しの間だがおぬしの力を増強させるはずじゃ』

「むぅ……異人殿が何を言っているのはトンとわからん。だが、お主が力を与えたくれたことはわかる。感謝する」

 

 鱗滝は再び上段に構えた。

 水の呼吸を保ったまま腹の底から奇声を上げる。

 その目前に、ツェペリが出た。

「?」

 ツェペリは相手を指さし、そして自分を指さした後で、再び相手をさした。そしてにやっと笑って鱗滝を指さし、再び相手を指さした。

 

「主が隙を作る……ということか、承知ッ」

 鱗滝がうなずき、拳を突き出した。

 

 ツェペリもチョンと鱗滝が出した拳に自分の拳を合わせる。

 そして……

『コォォォォオオオオッ』

 ツェペリは一瞬、自分の右腕に唇を押し当てた。

 次の瞬間ッ! ツェペリが八ッ目と鯨岡に向けて何かを吹き付けたッ

『喰らえッ波紋カッターッ!!』

 ツェペリが吹きかけたのは、波紋を籠め、高速回転させた自分の血だッ! 

 あの一瞬、ツェペリは歯で右腕の肌を破り、そこから波紋で血を絞り出した。

 絞り出した血を口に溜めさらに波紋を籠める。そして、歯の隙間から高圧で押し出したのだッ

 

 高圧の波紋カッターは八ッ目と鯨岡の体を切り刻むッ

 

 そこへ……

「全集中……水の呼吸ッ 弐ノ型・改 横水車ッ!」

 鱗滝が飛び出した。

 ツェペリが作ってくれた隙を信じ、体を大きくそらす。そして横方向に体全体を回転させるように、振り下ろすッ! 

 

 その回転力を加えた1撃が、八ッ目と鯨岡に命中した。

 

 鱗滝の攻撃をまともに喰らった二人が吹っ飛んだ。

 

 だが

 吹っ飛んだだけであった。

 斬れなかった。

 

 鱗滝は唖然として自分の腕を見ていた。

 斬れなかったのは当たり前であった。

 刀を持つ腕が『波紋の呼吸』のエネルギーに呼応して、小さく、小刻みに動いていたのだ。

 当然、刃が垂直に当たらない。刃筋が立てられないのだ。

 日本刀は凄まじい切れ味を誇るが、それは正しく使ってこそだ。刃筋を立てずに刀を使うとその切れ味は激減する。刀を痛めるだけだ。

 

 “くくくく……情けないのぉ……”

 鱗滝の脳裏に、先代水柱のあざ笑う声が聞こえはじめた。

 

 八ッ目と鯨岡はそれぞれ反対の方向に吹き飛ばされていた。

 ピクリ……

 二人がゆっくりと立ち上がる。

 再び鱗滝とツェペリを睨みつけ、吠える。

 

◆◆

 

「うぉぉぉぉっ!」

 ツェペリも大声を上げた。

 鯨岡のほうにまっすぐ走っていく。

 

 鯨岡は右手に仕込んだ砲身をツェペリに向け……

 急に、その砲身から黒い煙が立ち上った。

 オーバーヒートしたのか。

 

「ガワっ」

 あわてて砲身を振る鯨岡。

 

 そこにツェペリが駆け込むっ! 

 鯨岡は、右手の砲身をツェペリにたたきつけるっ

 

 その砲身の一撃を受け流し、ツェペリは鯨岡の懐に入り込んだ。

 鯨岡の左胸にそっと手を当てた。

 

「?!!! ッ」

 と、鯨岡がまるで雷に打たれたように硬直し、倒れた。

 

◆◆

 

 一方の鱗滝は、防御を完全に捨てた上段の構えをとり、八ッ目を待ち受けていた。

 

 八ッ目は地面に前腕の爪を打ち込み、まるで地面をひっかくようにギザギザの軌跡を描いて鱗滝に突進してくる。

 そのスピードはまるで豹や隼のように早いっ

 

 なぜかこのタイミングで、鱗滝の脳裏に師匠・先代水柱の声が聞こえ始めた。

 “やれやれだのぅ、左近次よ……自分の手が震えて刃筋がたてられんだとぉ……まさかここまで貴様がダメな奴だったとはな”

 “お師匠様……”

 “ほれ、心を落ち着かせよ。毛の一本まで集中して、体の震えをさっさと止めるがいい≫

 “お言葉ですが、そのような時間はないかと……”

 “くくく……出来ぬか。やはりお前はダメな奴だ……もういい、死んでしまえ”

 鱗滝の脳裏に現れた先代の水柱は鱗滝のふがいなさをなぶり、そして脳の表層から立ち去った。

 

 あの声を聴くと、いまだに腹の底に重い、嫌なものがたまっていく気がする。

 彼の声を思い出すだけで頭がしびれる。時には同様のあまり、技を失敗してしまう時さえあった。

 

 だが今は……

 今鱗滝が考えていることに、師匠のことは全く含まれていなかった。

 考えているのはただ『しかるべきタイミングで、刀を全力で振り下ろす』ことだけだ。

 目をつぶり、その場から全く動かず、ただ攻撃範囲に敵が入ってくるのを待ち構える。

 

 攻撃のみ。

 防御のことなどチリ一つも何も考えない……

 たとえ波紋の振動で刃筋が立たなくとも、刀が斬れなくとも、すべてをかけた全力の一撃をたたきつけるのみだ。

 

 心を落ち着け、気配を探る。

「今だッ」

 鱗滝は大きく一歩踏み込み、上段に構えた刀を全力で振り下ろしたッ

「全集中……水の呼吸ッ 捌ノ型 滝壺 大瀑布ッ!」



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