アサルトリリィ Blade of Faith (木朗)
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プロローグ

 「リリィ」

 

 儚くも美しく戦う、戦場に咲く花。

 

 半世紀前、突如として人類の前に現れ破壊の限りを尽くした正体不明の侵略者、ヒュージ。

 彼らに唯一対抗できる特別な力を持つ少女達のことを、畏敬の念を込めて人々はそう呼んだ。

 

 ある者は理想を。

 ある者は羨望を。

 ある者は名誉を。

 

 そして、ある者は平和を願い、対ヒュージ兵装「CHARM」を手に戦場を駆る。

 

 いつ終わるとも知れない、命懸けの過酷な日々。

 

 ーー故に、いつかはこんな日が訪れるかもしれないと、覚悟していたつもりだった。

 

 その実、()()()()()()()()であったことを、少女は最悪の形で思い知らされることになる。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「ん……うぅ…」

 

 少しずつ意識が覚醒していく中、最初に少女の五感が感じ取ったものは、むせ返るような血の匂いだった。

 

 手のひらから感じるドロリとした生暖かい感覚に違和感を覚え、ゆっくりと目を開く。

 すると目の前には、自分を守るように覆いかぶさった七人の少女の亡骸があった。

 

 「み、みんな、何があったの…?起きて…!しっかりしてぇ…っ!!」

 

 もはや無駄だとわかっていても、倒れた少女達の体を揺さぶり、声をかけ続けてしまうのは、この受け入れ難い現実に対するせめてもの抵抗か。

 

 当然、泣き叫ぶように絞り出した問に答えてくれる者は誰も居なかった。

 

 しかし、そんな少女とは対照的に。

 倒れた彼女達は、目を背けたくなる程の凄惨な傷跡を負っているというのに、その表情はやけに穏やかで、まるで一片の悔いもないとでも言いたげだった。

 

 「…お姉、様…?」

 

 ふと気づく。

 

 倒れた少女達の中に、自分が姉と呼び慕う、一人の少女が居ないことに。

 

 「どこですか…?…お姉、さまぁ……っ」

 

 せめて。どうかせめて、彼女だけは。

 

 体は既にボロボロで、少し動かすだけでも全身に激痛が走る。

 

 それでも前へ進む。

 

 仲間を喪い、これまでに経験したこともないような深い絶望に飲み込まれそうになりながらも、微かに除く光を求め、懸命に前へと手を伸ばす。ーーその直後。

 

 ぐちゃり。

 

 と、生々しい水音が、少女の耳を打った。

 

 「………ぁ…?」

 

 最初は、大きな果実が地面にぶつかって弾けたかのように見えた。落ちたその物体を中心として、赤黒い果汁を辺り一面に撒き散らしている。

 当然だが、そんな大きな果実などこの世に存在するはずはない。

 

 そして、その潰れた物体こそが、自分の探していた()()()そのものであったと気付くのに、数秒の時間を要した。

 

 「〜〜〜〜ッッ!!!」

 

 その瞬間、少女の心は完全に折れた。

 

耐え難い恐怖と吐き気に、声にならない叫びを上げる。

 

 大好きだった、煌びやで美しい金髪は、血にまみれ地面にべったりと張り付き、気高く常に前を見据えていた美しい双眸は、力なく開かれ虚空を見つめていた。スラリと伸びた美しい手足も、本来ならありえない方向へ曲がってしまっている。

 掛け替えのない想い人の変わり果てた姿を目の当たりにし、少女は堪えきれなくなって、胃の中身を余すことなく地べたにぶちまけた。

 

 「げほ……っ!…ぁっ、はぁ……ぇあ……」

 

 ーーなぜ。どうして。こんなことに。

 

 空っぽになった頭の中に、意味の無い自問自答が反響した。

 

 「………さい………」

 

 その時、声が聞こえた。

 

 消え入りそうなか細い声で、何かを伝えようとしていた。

 

 彼女はまだ、生きている。

 

 「お姉様……お姉、ざまぁ…………っ!」

 

 血と泥と吐瀉物にまみれながらも、懸命に這いつくばって彼女の元へと向かう。

 

 たとえ助からずとも、彼女の最期の言葉だけは聞き逃すまいと、ようやく彼女の元へとたどり着き耳を傾ける。

 

 「…し…て…」

 

 そして。ようやくはっきりと彼女の声が聞き取れたところで、少女は見た。

 真上から除く、自分と胸に抱いた彼女を覆い尽くす程の巨大なヒュージの影を。

 

 「ごめん……なさい…。……ゆる………して……」

 

 そして、少女の意識はそこで途絶えた。

 

 

 その日、百合ケ丘女学院が介する一つの小隊(レギオン)『LGゲル』が、たった一人のリリィを残し壊滅。残された少女は、以後数ヶ月前線に戻ることは無かった。

 

 あまりにも唐突で。あまりにも凄惨なその事件は、長きに渡るリリィとヒュージの血に塗れた歴史の一つとして、新たなページに刻まれた。



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#1「転校」

 私立折坂女子高等学校。

 

 東京地区の下町に位置する、所謂ごくありふれた私立の女子校である。

 

 九月初頭。まだ蒸し暑い校舎の中は、夏休みを終え一月半ぶりに登校した生徒達の再会を喜ぶ声で満ちていた。

 

 その中でも、特に生徒達のざわめきが大きい二年B組。

 

 その理由は、教壇の手前からぺこりと頭を下げる、本来はここにいる筈のない一人の女子生徒の存在によるものだった。

 

 ふわりとした鳶色のボブカットに、翡翠色の瞳。左右の顬の辺りにワンポイントとしてあしらわれた赤いリボンが特徴的な少女だ。

 

 どこか控えめで、それでいて穏やかな笑顔は、さり気ない気品と親しみやすさを同時に感じさせる。

 

 「今日からお世話になります、小此木瑠流(おこのぎ るる)です。不束者ですが、よろしくお願いします」

 

 「ご挨拶ありがとう、小此木さん」

 

 「………」

 

 「みなさん。昨日お伝えした通り、小此木さんはリリィ不在のこの地区において、特別駐在リリィとして折坂女子に派遣、転校されて来ました。普段の任務や急な出撃要請で不在の時もあると思いますが、全ては私たち市民をヒュージの魔の手から守る為…。できる限りのサポートをしてあげください」

 

 「「はーい」」

 

 このクラスの担任、志崎吉野(しざき よしの)の呼び掛けに快く返事をする女子生徒たち。

 

 リリィは本来、軍事系特殊学校としてリリィの管理、育成を行う「ガーデン」飛ばれる教育機関に在籍する。

 

 人類防衛の要であるリリィを育成すると共に、常に戦いと隣合わせの彼女達に不可侵の癒しの場を提供する目的があるのだが、瑠流はそんなガーデンの一つである百合ケ丘女学院を半年前にとある事情により退学していた。

 そんな彼女の新しい居場所となったのが、この折坂女子である。

 

 「…さて、小此木さん?」

 

 ぼんやりと教室を見渡していた瑠流の肩に、そっと手を置き語りかける志崎。

 

 「これで今日からあなたも私の受け持つ生徒の一人。私にはあなた達リリィの様な戦う力や専門知識はないけれど、一人の教師として、あなたの相談に乗ってあげることくらいはできるわ。…何かあったらいつでも言って頂戴。力不足かもしれないけど、できる限りの事をさせてもらうから」

 

 最初は、気の強そうな目付きの、どちらかというと怖そうな人だという印象を覚えていたのだが、そう言って語りかける彼女の顔は、慈愛の心に満ちており、正しく教育者としてのそれであった。

 

 ーーひょっとしたら、自分の過去について何か聞かされているのかもしれない。

 

 一瞬そんな風に思いはしたものの、いずれにせよ自分を気にかけてくれての言葉であった事は間違いないであろうし、それ自体は素直に嬉しかった。

 

 微笑みながら、素直に礼の言葉を返す。

 

 「…はい。ありがとうございます、志崎先生」

 

 「どういたしまして。ではこれにてホームルームは終了。…みんな、自由にしていいわよ」

 

 「?」

 

 最初はなんの事かと思ったが、その言葉を聞いた次の瞬間、ガタガタガタ!と激しく椅子のこすれる音が鳴り響く。

 

 「きゃ…!一体何!?」

 

 突然の事態にたじろいでいる間にも、凄まじい勢いで駆けつけてきたクラスメイト達にあっという間に包囲されてしまう。

 

 「わあー!凄ーい!ホンモノのリリィだぁ!その後ろに下げてるのがCHARMなの?」

 「小此木さんってあの百合ケ丘から来たんでしょ!やっぱりお昼休みは生徒全員でお茶会とかするの!?」

 「学校の中に足湯とかエステとかプライベートビーチがあるって本当!?」

 「やっぱりやっぱり、全校生徒「なんとかですわ〜」とかっていうの!?」

 「ねぇねぇ!!ぶっちゃけリリィってどれくらい稼げるの!!?」

 

 「えぇっと…?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される質問のオンパレードに半ばパニックに陥ってしまう瑠流。

 脇にいた志崎へ視線で助けを求めると、呆れたように笑いながら答えた。

 

 「ふふ、ごめんなさいね。この地区にはリリィは滅多に来ないから、みんな貴女に興味津々みたいなの。…ほらみんな!そんなに一気に質問しては小此木さんが困ってしまうでしょう?質問があるなら、順番に」

 

 「「え〜!?」」

 

 志崎の発言にぶうたれる生徒たち。

 そんな、以前の学校とはあまりにもかけ離れた雰囲気に圧倒されてしまう。

 

 「と、とりあえず…」

 

 それでも、律儀な瑠流はせめて何か答えを返さねばと頭をひねり。

 

 「足湯は、あったかなぁ…?」

 

 ようやっと絞り出した答えに、何故か「お〜…!」と歓声と拍手が巻き起こり、初日のホームルームは無事に終了した。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 いくつかの走り書きが書かれたメモを片手に、瑠流は廊下を進んでいた。

 

 「西校舎一階廊下の、一番奥…。ここかな?」

 

 目指すのは、リリィである瑠流に控え室として貸し与えられた第二準備室だ。

 校舎の端にあるという事もあるのだろうが、進むにつれて人の気配は殆ど感じられなくなっている。元々あまり使われなくなっていたという教室を突貫工事で改修したとの事だったので、普段から人が出入りするような場所では無いのだろう。

 

 しばらく進むと、丸っこい手描きの文字で「リリィ控え室♡」と書かれた紙が雑に貼り付けられているプレートが見えた。

 

 どうやら目的地に到着したようだ。しかし、数回ノックをしてみても返事が帰ってくる様子がない。

 

 「鍵は…空いてる。失礼します」

 

 丁寧に引き戸を開く。明かりはついてるが、どうにも人の気配が感じられない。

 机の上に置かれたマグカップからほんのりと湯気が立っているところを見ると、先程まで誰かが居たことは間違いないようだが…。

 

 (それにしても、すごい設備。とても急ごしらえで作ったとは思えない)

 

 ざっと見渡した限りでは、教室二つ分をぶち抜いて繋げたような広さだった。第一がなく、第二準備室だけあったのはおそらくそういうことだろう。

 とはいえ、室内の半分ほどは何やら難しそうな機材やコンピュータが所狭しと並べられており、あまり広々とした印象はない。

 百合ケ丘在籍時代に訪れた、工廠科生徒の工房にもあった機材に似たものもあり、CHARMの調整などもどうやらここで行うようだ。

 

 (ーーこれは?)

 

 そんな中、いやに存在感を放つ一つの物体が瑠流の目に止まった。

 

 (これは…CHARM?)

 

 それは、部屋の最奥部の台座に置かれた、長さ一メートル程の幅広の剣のようなものだった。

 

 わざわざ剣の()()()()()と形容したのは、その物体が放つ独特の存在感が明らかに普通のそれではなかったためだ。

 

 刃と柄を隔てる鍔はなく、全体を通して一つの黒い金属の塊の様な、不思議な形の剣だった。

 特に目立った装飾はないが、随所に走る赤く発光したラインが何とも不気味な雰囲気を漂わせている。

 

 (CHARMにしては小ぶりだし、特に目立った変形機構も見つからない…。でもなんというか、凄く禍々しい?というか。それにコアクリスタルも真っ黒……)

 

 コアクリスタルはCHARMのマギ制御機能の要となる水晶状のパーツの事だ。本来は美しい輝きを放っているはずだが、その黒剣の収まっているコアクリスタルはまるで深い闇の如く真っ黒く塗りつぶされていた。

 

 ある種の怖いもの見たさのような感覚で、なんとなしに手を伸ばした。ーーその時。

 

 「そ、それに触っちゃ、ダメ…!!」

 

 「え…?」

 

 突如聞こえてきて制止の声に思わず手を引っ込めようとするが、既に指先は触れてしまっていた。

 次の瞬間、触れた指先を通して、ぞわりとした得体の知れない感覚が瑠流の体を駆け抜けた。

 

 「きゃ…!?」

 

 瑠流が短い悲鳴をあげた途端に、バチィッ!と激しい火花を散らして弾きとんだそれは、乾いた金属音を響かせ床に転がる。

 

 言い知れぬ不快感に思わず自分の手を見やる。 どうやら特に目立った外傷は無さそうだ。

 

 (なに、今の…?)

 

 「だ、大丈夫ですか…!?怪我は…」

 

 慌てて駆け寄ってきた先程の声の主は、おそらく瑠流と同年代くらいの少々小柄な少女だった。

 

 青みがった緩いカールの巻いた髪をツインテールで結わえている。

 つり目がちだが、ぱっちりと開かれた大きな目も相まって、まるでお人形のような可愛らしさを感じさせる。

 

 尻もちを着いた瑠流を心配そうに覗き込みながらこちらに手を伸ばした。

 

 「大丈夫です。ありがとう」

 

 そんな少女の手を取りゆっくりと立ち上がる。

 瑠流の体に大きな異常が見当たらない事を確認したその少女は、ほっと胸をなで下ろしたあと、慌ててぺこりと頭を下げた。

 

 「す、すみません…!普段は鍵を閉めているんですけど、お茶を買いに行くちょっとの間だけだと思って、つい…」

 

 「気にしないでください。元はと言えば、勝手に触った私の方が悪いんだもの。こちらこそごめんなさい…」

 

 そもそも、人がいないからと言って勝手に物色を始めたのは自分の方であり彼女に非はない。

 

 「い、いえ…!この時間帯にリリィの方がいらっしゃる事は事前に聞いていましたし、何より来客直前までお茶を切らしていたことに気が付かなかった私の方が悪かったんです…!ごめんなさい…!ごめんなさい…!」

 

 それでも構わず謝罪を続ける少女。このままでは堂々巡りである。

 そう思った瑠流は、多少強引にでも話題を切り替えることにした。

 

 「えぇっと。それはさておき、あなたは?」

 

 「ご、ごめんなさい…。到着とご挨拶が遅れてしまって…」

 

 慌てて鞄から何かのケース取り出すと、慣れない手つきでカードのようなもの……名刺を取り出し、おずおずと瑠流の前に差し出す。

 

 「今日からお世話になります。わ、私は、株式会社アリス・テクノ CHARM開発部リリィ課所属、有栖川仁乃(ありすがわ にの)と申します。よ、よろしく、お願いしますっ」



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#2「対面」

 瑠流は先程出会った少女、有栖川仁乃に案内され、控え室に備え付けられていた椅子に腰掛けていた。

 

 教室の半分はCHARM関連の機材で埋め尽くされているが、カーテンで仕切られたもう半分のエリアは休憩スペースとなっているらしい。

 

 白を基調とした丸テーブルと椅子にソファ。清潔感のある木製の食器棚に、簡易のキッチンまで備わっている。

 

 花瓶でも持ってきて花を生けたら見栄えも大分良くなるかもしれない、などとぼんやり考えて事をしていると、覚束無い足取りでお茶とお茶請けを運んでくる仁乃の姿が目に映った。

 

 「すみません…。こういったことにはあまり慣れていなくて……」

 

 そう言って、困った様に笑いながら瑠流の前にお茶を差し出す。

 

 「ありがとう」と短くお礼を返すと、仁乃は手に持っていたトレイで気恥しそうに顔を覆うと、瑠流の向かい側の席に腰を下ろした。

 

 そんな仁乃の小動物の様な一連の仕草に、瑠流の表情も思わず緩む。

 

 「…そういえば、まだ名前を名乗っていませんでした。今日から折坂女子に派遣されてきました、小此木瑠流です。よろしくお願いします」

 

 「は、はい。存じ上げて、いますっ」

 

 簡単に名前を名乗ると、若干前のめりに返事をする仁乃。

 

 「小此木瑠流さん。…名門と名高い、あの百合ケ丘女学院の元二年生で、高等部からの編入組であるにも関わらずレギオンリーダーを務め、数々の戦場で実績を残してきた実力者。希少レアスキルである『カリスマ』の持ち主で、後方支援、戦術指揮に置いては並み居るリリィの中でも頭一つ抜けている、とか…」

 

 「噂に尾ひれの着いた過大評価ですよ。一度は前線から退いた身ですし…今はもう、左手の握力も殆ど失ってしまいました」

 

 言いながら、仁乃が淹れてくれた紅茶に口をつける瑠流。

 

 気の毒そうな顔を浮かべた仁乃の視線は、ソーサーを持った瑠流の左手に向けられていた。よく見ると、力を込めにくいのか小刻みに震えているのがわかる。

 

 ーー今からおよそ半年前。瑠流はとある戦闘により全身に大怪我を負い、後遺症として左手の握力を殆ど失っていた。

 

 術後のリハビリにより日常生活を問題なく送れる程度には回復していたが、左手で武器を握る事は出来なくなっていた。

 

 常に人員不足が問題視されているリリィにおいて、全盛期の年齢である瑠流が前線を退く事になったのは一重にこの後遺症が原因……という事になっている。

 

 「お、お気持ち、お察しします…。左手の負傷さえなければ、未だに前線でご活躍されていたと思いますし……」

 

 「………それは、どうでしょうか」

 

 そこまで言ったところで一瞬言葉を止め、憂いに満ちた表情で視線を落とす。

 

 「私は元から、そんな大した人間ではないんです。それに私のレアスキルは、『カリスマ』は、そんなに素敵なものではありませんから…」

 

 ぽつりと、自嘲気味にそう呟いた。

 仁乃は何となく、その言葉は目の前のこの自分に対してでは無く、まるで自らの戒めに自分自身に言い聞かせているように感じた。

 

 「あ、あの…?」

 

 先程までの穏やかな雰囲気とは違う、思い詰めた様な表情に、違和感を覚える仁乃。

 

「…なんでもありません。ただの独り言ですよ」

 

 そんな彼女の心配した様子を察したのか、落としていた視線を再び仁乃の方に向け、気を取り直すようにコホンと軽く咳き込む仕草をすると、また普段の穏やかな微笑みを浮かべて言った。

 

 「それにしても、随分私の事に詳しいんですね?なんだか少し照れちゃいます…」

 

 この話は終わり、と言わんばかりに笑顔を崩さずに話題をすり替える瑠流。

 

 瑠流としては、この話題についてはこれ以上触れて欲しくはなかったし、初対面の相手に対して過去の暗い話で雰囲気を悪くすることは避けたかった。

 

 そんな瑠流の気持ちを汲んでか、仁乃もこの話題についてこれ以上言及することは無かった。

 

 「…アーセナルとして、CHARMの調整を任されるリリィの事を把握しておくのは、当たり前の事、ですから。……………でも、その、さ、最初にオーダーを貰った時は驚きました。…てっきり、中、遠距離に重きを置いた支援型のCHARMをご要望かと思って、事前に構想を練っていたんですけど…」

 

 何か他に話題はないかと、普段は使わない分野の脳をフル回転させ、何とか別の話題を絞り出す仁乃。

 

 「…ひょっとして、まだ出来上がっていませんか?」

 

 「い、いえ…っ!元から開発部の方で設計していたピッタリのCHARMがあったので、そちらをチューニングしてあります…!今はOSの最終調整中ですが、もう数十分ほどで調整は完了します…!」

 

 「そうですか。ありがとうございます」

 

 「い、いえ…」

 

 「………」

 

 「………」

 

 しばしの沈黙。

 

 何となく察しは着いていたのだが、仁乃はあまりお喋りが得意というわけでも無さそうだ。

 少し目線を伏せ、チビチビと紅茶に口をつけては、またこちらの様子を伺い、そしてまた紅茶に……。

 

 数回繰り返したところで全て飲み干してしまったのか、カップを置き、やはりオドオドした様子でこちらを伺っていた。

 

 そんな仁乃の様子を微笑ましく思いながら、瑠流は言った。

 

 「ふふっ。折角ですから、今後のブリーフィングでもしましょうか。共に協力する仲間として、まずはお互いの認識を併せておかないといけませんし。…お茶のおかわりでも頂きながら、ね?」

 

 空っぽになった仁乃のカップを一瞥しながら笑いかける瑠流。

 

 気を遣うつもりの相手に返って気を遣わせていた事に気づいた仁乃は、恥ずかしそうに笑いながら答えた。

 

 「は、はいっ。よろしく、お願いします…!」




読んでいただいた方(そんな人居るのか…?)ありがとうございます!
次回は説明回です。


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#3「経緯」

長めの解説回&CHARMお披露目回です。
展開が遅くてかたじけない…。


 事の発端は、この折坂町において、ヒュージ被害対策の思わぬ盲点が明るみになった事であった。

 

 折坂町は東京地区の中心地からほんの少しだけ外れた場所に位置し、立地的に二校の有力ガーデンに挟まれるような場所にある。

 

 また、ケイブの発生を抑制するエリアディフェンスも稼働していることもあり、政府もこの地区についてのヒュージ対策をあまり重要視していなかった。

 

 そんな矢先、安全区域と思われていたこの町で、遂にヒュージの攻撃による負傷者が出てしまったのだ。

 

 二校のガーデンに近いとは言ったものの、実際はその二校の国定守備範囲の丁度境界線が重なるような、まさに盲点とも言える様な座標の上にあったのである。

 

 当時近隣の港に現れたギガント級ヒュージの討伐のため、その二校が大規模な共同作戦を敷いたのだが、多くのリリィが出払った事で内地の守りが薄くなり、飛行型のミドル級ヒュージの攻撃を受けてしまうに至った。

 追加の調査では、同じような条件に該当する居住地が全国に僅かながらも点在している事が判明してしまう。

 

 とはいえ、それらの地域に出没するヒュージは、いずれもスモール級、ミドル級が大多数。通常兵器による打倒がギリギリ可能なのも事実だ。

 政府にとっても、近隣のガーデンにとっても、万年人員不足に陥っているリリィ達をわざわざこの町に割く余裕はない。

 とはいえ、負傷者が出た以上何らかの対策は立てなければならない。

 

 そこで政府は特例として、本来はガーデンではない一般の学校に仮設ガーデンを設置し、少数のリリィを派遣する『特別駐在リリィ制度』の施行を検討した。

 

 しかし、今までリリィを受け入れたことのない学校に仮設ガーデンを設置するには、資金面や設備面、あらゆる要素において不安が多く、計画は難航していた。そこへ支援を申し出たのが、「株式会社アリステクノ」である。

 

 近年、世界的な医療機器メーカーとして名を馳せていたアリステクノは、新社長への世代交代を皮切りに「傷ついた人々を救う為に培ってきた技術を、今こそ人々を守る為に活用すべし」として、CHARM開発事業への進出を表明。

 その第一歩として、『特別駐在リリィ制度』への全面的なバックアップを申し出たのだ。

 

 アリステクノは既存の一流CHARMメーカーにも一歩も引けを取らない高い技術力を発揮し支援に尽力、サポート面の問題は一気に解消した。

 

 そんな紆余曲折を経て、瑠流は今日、この学校に派遣されるに至ったのである。

 

 

 

 ーーとまぁ、控え室にあったホワイトボードにこれまでの経緯をまとめつつ、瑠流と仁乃の二人は簡単なブリーフィングを行っていた。

 

 長時間喋る事に慣れていないのか、はふぅと疲れたようにため息を吐きながらぐったりした様子で席に着く仁乃。

 

 少しでも気分を変えようと、雑談がてら、瑠流が口を開いた。

 

 「アリステクノというと、あのキャッチコピーのついたCMが有名ですよね。『ふしぎなふしぎな、魔法みたいな科学力』でしたっけ?病院でもロゴマークが入った機材や測定器を見た事ありますよ。…まさかCHARMの開発までしてるとは思わなかったけれど」

 

 「一般で目に触れやすいのはそれらの医療機器なんかですね。他にも医療用ナノマシンや自動診察AI、介護用ロボテクスなど、様々な医療機器の開発を行っています」

 

 「…そういえば」

 

 描き連ねられたいくつかの単語を眺めながら、ふと思いついたように瑠流は言った。

 「貴方のお名前も"アリス"川でしたけど、もしかして…」

 

 「は、はい…。アリステクノは私達の祖父が立ち上げた「有栖川製作所」を前身に、父へと引き継がれて来た会社なんです」

 

 「すごい!じゃあ所謂、社長令嬢さんなんですね」

 

 「と、とんでもないです…!小さい頃から機械ばかりいじってきたので、そんな煌びやかな人間じゃありませんし…会社のことも、殆どお姉ちゃんに任せ切りで…」

 

 慌てて否定し、自嘲気味に呟く仁乃。

 彼女自身も、自分の立場と性格のギャップについては思うところがあるようだ。

 

 と、しばし会話をしていたところで、部屋の奥からピピッとアラームのような通知音が聞こえてくる。

 

 「あっ…。OSの稼働テストが完了したみたいです。よ、宜しければ、これからお出ししましょうか?」

 

 どうやら、瑠流の新しいCHARMの調整が完了したようだ。

 

 武器であると同時にマギを制御するデバイスでもあるCHARMは、ヒュージと戦うリリィにとって生命線である。

 それに、この町は比較的安全な区域ではあるがいつヒュージが現れるとも知れない。

 

 一応、百合ケ丘時代から使用していたCHARM「グングニル」を持参してはいるが、左手の自由が聞かない今、以前のように十分に力を発揮出来るかは不安が残る。

 可能であるなら、少しでも早く使用感を確かめてみたいところだ。

 

 「ええ。是非お願いします」

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「これが、私の新しいCHARM…」

 

 仁乃が運んできたそれは、正直のところ初見ではCHARMには見えなかった。

 

 卵を逆さまにした様な楕円形の手盾に、それと一体化した手甲。

 白いボディにメタリックレッドのラインが映える、まるで防具のようなCHARMだった。

 

 「ガントレット一体型の第三世代CHARM。名前は「ハンプティ・ダンプティ」です。ガントレット部分には握力補助機能も搭載しているので、普段よりも重いものを掴んだり出来ますよ」

 

 手甲を手にはめ軽く握ってみると、なるほど、自分の指の動きに連動して各関節部分が駆動し、掴む力をアシストしてくれているようだ。

 

 自分が力を加えて動かしている訳では無いため慣れは必要だろうが、訓練次第では使い勝手も良くなっていくだろう。

 

 「でも見たところ、攻撃の為の機構が備わっているようには見えませんが、これは防御用のCHARMなんですか?」

 

 「いえ、そんなことはありませんよ。盾に着いている、そこの取っ手を掴んでマギを注いでみてください」

 

 見ると、先端側の盾の上部分に、拳二つ分程の大きさのグリップの様なものが収納されている。

 仁乃に言われる通りグリップを掴み、そこにマギを挿入するとーーガシャコン!と格納されていたパーツが展開し、グリップが盾から離脱。

 先端から射出したワイヤーが収束し、瞬く間に淡い緑色の光を放つマギの刃を形成した。

 

 「H・D(ハンプティ・ダンプティ)は、本体である左腕の盾と、分離可能なロングソードからなる二機一対の第三世代CHARMです。ヒヒイロカネ社のトリグラフにも採用されているマギクラウドコントロールシステムを応用したもので、攻撃に特化したあちらと違い、攻撃と防御のバランスに重きを置いた機体になっています。…い、いかがでしょうか…?」

 

 瑠流は感覚を確かめるように右手のロングソードを軽く横薙ぎに振るった。

 

 ヒュンと風を切る子気味良い音を鳴らしながら軽くフリップした後、まるで騎士が鞘に剣を納めるかのように、どこか優雅に剣を収納した。

 

 「…綺麗」

 

 瑠流の洗練されたCHARM捌きについ見惚れてしまう仁乃。

 思わず感想が口から漏れ出てしまうが、当の本人には聞こえていなかったようで、内心で胸をなで下ろした。 

 

 「…とてもいい重量感です。重すぎず、軽すぎない。よく手に馴染みます」

 

 「そ、そうですか…!よかったぁ…」

 

 瑠流の感想を聞いた仁乃は、ほっとしたように胸を撫で下ろしたあとぱぁっと笑顔が綻んだ。

 自分の調整したCHARMが持ち主にちゃんと気に入ってもらえるのか、よっぽど心配だったのであろう。

 

 瑠流は、そんな仁乃の様子を見守りながらふと思いついた事を口にする。

 

 「それにしてもこのCHARM、随分変わった名前ですね。確か……マザーグースでしたっけ?」

 

 「は、はい。ただ、この子の場合は、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」がモチーフですね。この子だけじゃなくて、アリステクノのCHARMはみんな「アリス」に因んだ名前を拝借しているんですよ」

 

 「へえ、なんだか面白いですね。CHARMってみんな、昔の神話や伝承に因んだ名前が付けられるって聞いたことがありますけど、どうして童話から名前を取ってるんでしょう?」

 

 腕に装着していたCHARMを外しながら、何となく疑問を口にする瑠流。

 

 ーーと、次の瞬間。

 

 「よくぞ聞いてくださいましたっ!!」

 

 「ふぇ!?」

 

 突然声を張り上げ、ずずいと瑠流に迫る仁乃。

 

 「小此木さんは、そもそもCHARMが何故神話に因んだ名前を取っているのか、知っていますか?」

 

 「え、えぇと、なんだったかしら?どこかで聞いた事はあったような気はするんですけど…」

 

 仁乃の先程までとはまるで別人のような勢いに、思わずたじろいでしまう瑠流。

 

 「なら!!私が説明、しますねっ!!」

 

 「え!?あ、はい…」

 

 瑠流の了承を得るや否や、先程までの大人しい雰囲気がまるで嘘のように消え去り、瞳をキラキラと輝かせながら喋りだす仁乃。

 

 「まず最初に、CHARMのモチーフが民話や神話などに因んでいるのは、様々な逸話を持つ神々や武器に準えた名を付けそのCHARMを定義する事で、無意識下で性能をイメージし易くなりCHARMのマギ効率を向上させることが出来る為とされています!しかしながら、知名度の高いポピュラーな神々の名前は他のメーカーが既に多く選定してしまっていて選択肢は狭まる一方。新参である私達アリステクノは、既存のルールに従わない独自のブランドを確立させる必要がありました。ーーそこで!我々開発部はとある仮説を立てたんです!」

 

 「ええっと……」

 

 「何も神話という体系に当てはまらずとも、より世間に浸透していて存在をイメージしやすく、そして神秘性の高い存在であれば充分に代替が効くのではないか、と!そこで私達が着目したのが「童話」や「御伽噺」です!!リリィ達十代の女の子により馴染み深いそれらの登場人物をモチーフとして用いれば、今までのCHARMと同等、あるいは全く違った性能を引き出すことが出来るはず!!そして血の滲む様な研究開発の末生まれたのが、我社の誇るこの「アリスシリーズ」なんです!これぞまさに発想の転換!!コロンブスの卵的発想!!既存のレールに乗っ取るのではなく、得たい結論から逆算して考え新たな道を模索する事こそが科学の原点なのです!!確かに、私達アリステクノはCHARM開発分野では新参者ですが、だからこそ先人たちと違った角度からのアプローチで業界に新たな風を吹き込む事がより今後の業界の発展に繋がっていくと信じているのです!!」

 

 「あ、あの…」

 

 「この子の他にも、現場指揮に特化した「ハート・クイーン」、取り回しを重視した前衛向きの「クロック・ラビット」、後方支援と錯乱を得意とする「マッド・ハッター」なども現在設計中です!宜しければカタログやお試し用の検証機をお貸しすることも出来ますよ…!」

 

 「と、とりあえず!一旦落ち着きましょうか?」

 

 鼻息を荒らげながら興奮した様子でまくし立てる仁乃。

 突然の豹変と怒涛のCHARM語りから来るあまりの情報量に瑠流も脳の処理が追いついていないのか、仁乃の肩に手を置いてたしなめる。

 

 「ご、ごめんなさい…!私ったら、つい……!」

 

 すると、ハッと我に返った仁乃は、自らの暴走を省みてか謝罪する。

 自覚があるのか、はたまた過去に似たような()()()()を経験しているのか。

 先程までの勢いはすっかりなりを潜め、申し訳なさそうに眉を八の字にしている。

 

 そんなしゅんとした様子の仁乃に、瑠流は微笑みかけた。

 

 「いいえ、大丈夫ですよ。あなたがどれだけ真剣にCHARMに向き合っているのか……それがよく伝わってきたから。お話、聞けてよかったです。ありがとう」

 

 「小此木さん…。あ、ありがとう…ございます…」

 

 まるで聖母と見紛う様な優しい笑顔だった。

 自分を真正面から見据える真っ直ぐな瞳は、その言葉が決して謙遜などでは無いことを仁乃に直感させる。

 

 その淑女然とした佇まいに、仁乃は彼女が元いた百合ケ丘女学院が名門と呼ばれる所以を感じ取った。

 

 「瑠流でいいですよ」

 

 「…え?」

 

 「呼び方です。いつまでも苗字同士で呼び会うのも、なんだかよそよそしいですから。私の事は名前で呼んでください。それで私からも名前で呼ばせて欲しいです。……ダメですか?」

 

 「そ、そんな…!是非お願いします…!その……えぇっと…」

 

 控えめな上目遣いでそう提案する瑠流。

 恐縮した様子で了承した仁乃は、言い出しづらそうに数回まごついた後、やっとの思いで言葉を絞り出した。

 

 「瑠流、さん……」

 

 「はい。よろしくお願いしますね、仁乃ちゃん」

 

 「あ、えと…えへへ…。家族以外と名前で呼び合うなんて、初めてで、何だか照れくさい、です……」

 

 そう言って小さく微笑み合う二人の少女。

 そんな二人の間には、先程までの気まずい雰囲気はすっかり無くなっていた。

 普段人見知りの激しい仁乃も、瑠流が放つ()()()()()()()()()()()()()を感じ取っていた。

 

 ーーこの人となら、上手くやって行けるかもしれない。

 

 珍しく前向きに先を考えている自分に気付き、思わず小さな笑顔が零れた。

 

 「ところで、ちょっと気になったんですけど…。さっきの"あれ"もアリステクノが開発中のCHARMだったりするのかしら?」

 

 話に花を咲かせていたそんな折に、ふと思い出した瑠流が言う。

 視線は部屋の最奥部、先程の黒剣へと注がれていた。

 

 「いえ、その…あれは……」

 

 てっきり、先程のようなお得意のCHARM語りが始まるかとも思ったが、少し困ったように歯切れの悪く仁乃。

 

 「…私達があれに付けた名は「ジャバウォック」。私達が作ったものではなくて、曰く付きの拾い物というか、研究対象というか…。正直、あれが本当にCHARMなのかも、私達には分からないんです」

 

 「…わからない?」

 

 「はい」と肯定の言葉を返した後、ゆっくりと黒剣へと歩み寄る仁乃。

 

 「使用者に莫大な力を与える代償として、()()()()()()()()()呪われたCHARM。…単なる医療機器メーカーであった私達アリステクノが、CHARM開発事業に踏み切った本当の原因でもあります」

 




お気に入り登録、ご感想など、大変励みになっております。

自分はアサルトリリィの中でも特にCHARMへの関心が強くて、オリジナルCHARMとメーカーまで妄想してしまいました…。

独自解釈や独自理論多めですが、そこは多目に見てくだされば凝縮です。


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#4「会敵」

英数の表記を全角にしました^^(割とどうでもいい告知)


 「呪われたCHARM、ですか。あまり穏やかじゃないですね」

 

 仁乃の口から語られた何とも物騒な単語に、思わず眉をひそめる瑠流。

 

 「…このCHARMについては、またの機会にでも。あまり楽しい内容のお話ではありませんから…」

 

 話題を振られた仁乃の方も、この件についてはあまり乗り気では無いのか、少なくともCHARMに着いて熱く語っていた先程までの熱量はなく、困ったように眉を八の字にしながら言った。

 

 「それはさておき、明日以降の予定についてですが、明日にはお姉ちゃんがーー」

 

 閑話休題とばかりに、今後の予定について口を開こうとしたその時。

 

 「……!!」

 

 突然、校内放送用のスピーカーからサイレンの音が鳴り響く。

 否応にも緊張感を駆り立てるその不快な音声は、リリィである彼女にとっては聞き慣れたヒュージの出現を知らせるものだ。

 

 「ヒュージ反応…!?そんな、初日でいきなり現れるなんて…!」

 

 突然の緊急事態に狼狽していると、傍らに置いていた仁乃の端末に着信が入った。

 震える携帯端末の画面には、「お姉ちゃん」の文字が表示されている。

 

 『もしもし?瑠流ちゃん、仁乃ちゃん。二人とも校内にいるかしら?』

 

 スピーカーにした仁乃のケータイ端末から聞こえてきたのは、この状況には全くもって相応しくない、何とものんびりした声音の女性の声だった。

 緊張感もなにもあったものではないが、しかし瑠流は、その独特な声音には聞き覚えがあった。

 

 「小此木瑠流、既に到着しております。…その声はもしかして、部長ですか?」

 

 『は~いそうです♪私がアリステクノCHARM開発部部長、有栖川仁愛(ひとえ)です。お久しぶりね、小此木瑠流ちゃん』

 

 電話口の向こうで、脳天気な自己紹介を繰り広げるその女性は、他ならぬ瑠流の上司であった。

 面接の時に一度顔を合わせただけであったが、そのマイペースさと、何よりその肩書きと不相応な外見と年齢が非常に印象に残っていた。

 

 「お、お姉ちゃん…!もしかして、もうヒュージが…!?」

 

 仁乃の口ぶりからして、どうやら彼女は仁乃の姉の様だ。

 よく考えれば二人の姓は同じ有栖川。寧ろ今まで気づかなかったのが不思議なくらいだが、それほどまでにこの姉妹の雰囲気はかけ離れていた。

 

 …少し思考が逸れたが、事態はそれどころでは無い。

 先のブリーフィングでも話していた通り、エリアディフェンスが稼働するこの地域では、比較的ヒュージの出現は少ない筈なのだが…。

 

 『どうやら旧市街地の方でケイブが発生したみたいで、そこからギガント級が現れたみたいなの~。そっちは現地のリリィが対応に当たってくれているのだけど、お陰でスモール級とミドル級を数体撃ち漏らしちゃったみたい。そのヒュージがこちらに向かっているんですって』

 

 あくまでのんびりとした口調を崩さず、仁愛は説明を続ける。

 

 『と言うわけで、記念すべき私達の初仕事よ〜!既に防衛隊の皆さんが対応に当たっているから、合流してきて頂戴ね。それじゃあ、頑張っていきましょー』

 

 「えいえいおー」となんとも気の抜ける掛け声をあげながら電話越しに指示を出す仁愛。

 

 「あ、あの…。随分余裕なんですね…」

 

 『大丈夫よ~。たかだか数体のヒュージに後れを取るようなお粗末なCHARMは作ってないもの。必要以上に慌てることはないない♪』

 

 この余裕が単なる脳天気なのか、はたまた多少の事態には動じない度量の大きさ故なのか。

 その答えはわからないが、いずれにせよ、現地に赴きヒュージと戦うのは他ならぬ瑠流自身だ。

 ハンプティ・ダンプティを左腕に装着し、改めて気を引き締めなおす瑠流。

 

 『ーーそれに、こっちには腕の立つリリィが()()もいるんだもの、負けっこないわ』

 

 「………え?」

 

 仁愛の発言の真意が分からず、思わず聞き返してしまう瑠流。

 

 『あら?仁乃ちゃん、もしかしてまだ言ってなかったの?』

 

 特別駐在リリィは、この折坂町に派遣されているリリィは自分一人だけだったはず。

 しばし逡巡するが、瑠々の後方から聞こえてくる重厚な金属音が瑠流の思考を遮断する。

 

 『うちの仁乃ちゃんも、こう見えて立派なリリィなのよ~。経験値はまだまだ瑠流ちゃんには及ばないけどね』

 

 「お姉ちゃん…。ハードル…上げないでよ…」

 

 振り向いた先に居たのは、いつもの困ったような表情を浮かべた仁乃であった。

 

 しかし、その手には小柄な体躯とはあまりに不釣り合いな、大柄な大剣を携えていた。

 いや、果たしてそれを剣と言っていいのか。まるでムカデの胴体のように、紫と桃色の刃が交互に連結したその奇妙な刀身は、まるで巨大な(のこぎり)の様にも見える。

 

 そして何より、その大剣の柄の上部には、美しく輝くコアクリスタルが確かにはめ込まれていた。

 つまりそれは、あの大剣がCHARMであり、それを手にする仁乃もまたリリィである事を証明していた。

 

 「仁乃ちゃんも……リリィだったんですね…」

 

 「ご、ごめんなさい…。色々お話するので精一杯になって……お伝えするタイミングを逃してしまって……」

 

 仁乃の性格から考えて、別に隠していたわけではないのだろう。

 伝えられていなかった事について申し訳なさそうに謝罪する彼女からは、嘘の匂いは感じられない。

 

 「け、けど、足手まといにならないように、頑張り、ます……っ」

 

 せめて戦闘では役に立とうと、意気込みを口にする仁乃。ーーしかし。

 

 「………」

 

 目線を伏せ、何かを思い悩むように瞑目したまま沈黙してしまう瑠流。

 よく見ると、周りからは聞こえないほどの小さな声で、なにか独り言を呟いているようだった。

 

 「…あの、瑠流、さん…?」

 

 「………なんでもありません。急いで出撃しましょう」

 

 仁乃が心配そうに顔を覗き込むが、その表情を確認する間もなく素早く踵を返し、準備室の出口へと向かった。

 

 「あ…は、はい…」

 

 そんな瑠流の態度に違和感を覚えながらも、足早に教室を後にした彼女の背中を追い掛けた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 仁愛の指示に従い、折坂町の南西に位置する住宅街付近へと駆けつけた瑠流達。

 しばらく進むと、道路から住宅街へ繋がる入口に当たる場所で、数体のスモール級と一体のミドル級。そして、それに応戦している防衛隊員達を視界に捉えた。

 

 「目標のヒュージを発見。…直ちに迎え撃ちます!」

 

 「る、瑠流さん…っ。私も… !」

 

 「…その必要はありません 」

 

 敵を視認するや否や強襲を仕掛けようとする瑠流。

 仁乃もすかさず後に続こうとするが、先をゆく瑠流が左手でそれを制した。 

 

 「私一人で相手をします。仁乃ちゃんは下がってて下さい」

 

 「え、それって……。あ!瑠流さん!」

 

 瑠流の言っている意図を掴めず聞き返そうとするが、仁乃が言い終わるよりも早く、CHARMを引き抜きながらヒュージの方へと飛び出す瑠流。

 

 「遅れてすみません。…ここは私が引き受けます」

 

 ヒュージと防衛隊員の間に挟まるような位置に着地すると、穏やかな笑みを浮かべながら背後のいる隊長と思しき男性に退避を促す。

 

 「あなたは、リリィの…!…どうかお気をつけて。ご武運を」

 

 声を掛けられた隊員は、全てを察した様子で素早く敬礼すると、背後の隊員たちを伴い迅速に撤退を開始した。

 

 「さてと、それではーー」

 

 退避していく自衛隊員たちを見送りながら、ちらと視線を外した次の瞬間。それを隙と見たか、一番近くにいた一体のスモール級ヒュージが、鋭い牙をむき出しながら瑠流へと飛び掛かった。

 

 「CHYUA!」

 

 「あ、危ない!」

 

 よそ見をしたままの瑠流に、思わず叫び声を上げる仁乃。しかしーー

 

 「…JYU!?」

 

 そんなヒュージには一瞥もくれず、左手の盾で攻撃を受け止める瑠流。

 ヒュージも負けじと顎に一層の力を込めるが、頑強なハンプティ・ダンプティの盾がそれを許さない。

 受け止めた盾に力を込め攻撃を弾き返すと、姿勢を崩したヒュージの胴体を一閃のもと斬り伏せた。

 

 「あまり被害は広げたくはありません。…なるべく早く終わらせますよ?」

 



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#5「そして、少女は少女と出会った」

ある意味、ここまでがプロローグ。



 そこから先は、まさに一瞬の出来事だった。

 

 「JUA…!」

 

 一閃され、真っ二つになったスモール級ヒュージが床に転がるのも待たず、右手のCHARMをシューティングモードへと変形させる瑠流。

 手近なヒュージに数発の光弾を浴びせながら身をかがめ素早く距離を詰めると、素早くブレードを展開し下段から上段へと一気に斬り上げた。

 

 「GUAAAA……!」

 

 「モードの切り替え速度も、特に問題ありませんね。盾が本体と聞いていたので、威力の程はどうかと思いましたが…」

 

 続けざまに周りのスモール級達が次々と飛び掛る。しかし瑠流はその攻撃全てを盾でいなしながら、生じた隙を突き次々と斬り伏せていく。

 

 「どうやら、杞憂だったようですね」

 

 その淀みなく華麗なCHARM裁きは、闘っていると言うより、まるで優雅な舞を踊っているようだ。

 

 「す、すごい…。あの数のヒュージをあっという間に…」

 

 後から慌てて加勢に向かおうとした仁乃も、もはや入り込む余地はない程だった。

 

 特に仁乃を驚かせたのは、瑠流の周辺被害への配慮だ。

 

 瑠流はこの戦闘において、ヒュージ達の攻撃を躱すのではなく全て"受け止めている"。

 

 いくらスモール級と言えど、ヒュージ細胞により活性化された身体から繰り出される攻撃は、コンクリート程度であれば容易に穴を開ける程の威力を有する。

 それらを躱さず、敢えて受け流すことで、周辺への被害を最低限に抑えているのだ。

 

 現に瑠流の周辺は、近くのブロック塀から地面のアスファルトに至るまで、ヒビの一つも入っていない。

 

 勿論、防御性能に優れたハンプティ・ダンプティだからこそ出来る芸当なのだろうが、それにしても実践で使用するのは今日が初めて。

 そんなCHARMをいきなりそのレベルまで使用出来るのは、彼女の経験の成せる技である。

 

 (あれだけの数を相手にしながらそんな余裕まであるなんて…。私には到底真似出来ない…)

 

 瞬く間に周囲のスモール級達を薙ぎ倒し、残るはリーダー格と思われるミドル級一体だけが残された。

 全体的にずんぐりとしたシルエットの、強靭そうな太い両腕を持ったヒュージだ。

 

 「…あと一体」

 

 味方を全滅させられ狼狽するミドル級。その隙を逃さず前方に盾を構えながら一気に間合いへ踏み込む。

 

 「J、JAAAAAAA!!!」

 

 ヒュージの発達した両腕が、まるで巨大な棍棒の様に横薙ぎに振るわれる。この攻撃も躱さず盾で受け止めるが。

 

 「…!!」

 

 予想を上回る衝撃に、吹き飛ばされる直前に咄嗟に回転し衝撃を逃がす。

 受け止めた左腕にまだ痺れが残っている。サイズは確かにミドル級だが、攻撃に関してはラージ級相当の威力を有しているようだ。

 

 ーーとなると、迂闊に盾で攻撃を受けるのは少々危険か。

 

 『あらあら…。相手の方も中々の力自慢が現れたようね。なればこそ、ハンプティ・ダンプティの真骨頂よ』

 

 そこへ、まるで瑠流の考えを読んでいたかの様なタイミングで耳元の通信用インカムに仁愛の音声届いた。

 

 『瑠流ちゃん。ロングソードを盾に収納した状態で、そのまま二機とも起動してみて頂戴?』

 

 「…はい。こうですか?」

 

 相手の間合いに入らない様に注意しつつ距離をとると、仁愛に言われた通り剣を収納した後マギを注ぎ込む。

 すると、左手の装甲が素早く展開し、瑠流の全身を覆い尽くすほど巨大なマギを伴った装甲へと姿を変えた。

 

 『ハンプティ・ダンプティの第三形態、タワーシールドモードよ。全ての出力を防御性能の向上に割いているから、ラージ級の攻撃を食らったってビクともしないわ♪』

 

 「これは、すごいですね…。…っとと」

 

 などと感心していると、突如左腕に重量を感じ、よろめきそうになる所を咄嗟に踏ん張った。

 軽くシールドを振るうと、明らかに重量が増している事がわかる。

 

 『あ、それと、防御力強化のためにマギエネルギーで質量を増強してるから気をつけてね~』

 

 「質量って…。マギでそんなことまで出来るんですか?」

 

 『うふふっ。化学の力ってすごいしょう♪』

 

 (そういう問題でしょうか…)

 

 「…CHYUAAAAA!!」

 

 すると、追撃を加えようと腕を振り上げながらこちらへと駆け出してくるミドル級。

 瑠流が後退したのを見てこちらにも分があると踏んだのか、その動きに先程までの焦りは感じられない。

 腕の届く範囲へと飛び込んできたミドル級がその勢いのまま豪腕を振るう。

 

 「……そこっ!!」

 

 しかし、砕かれたのは瑠流の華奢な体ではなかった。

 ミドル級の拳に最も威力が乗るインパクトの瞬間、瑠流の渾身の盾付きがヒュージの拳と真正面からぶつかり合う。

 強大な質量と質量の衝突に、ミドル級ヒュージの拳が鈍い音と血を撒き散らしながら砕け散る。

 

 「……JYU???」

 

 攻撃を繰り出したミドル級も、全く想定し得なかった衝撃に一瞬遅れて絶叫を上げた。

 

 「G、GUJYAAAAA!!!??」

 

 「…痛がってる余裕、あるんですか?」

 

 ヒュージの体勢が崩れたその隙に素早くシールドを格納すると、ガラ空きになったその胴体へ居合切りの如く高速の斬撃を見舞った。

 

 「……ッ!!」

 

 悲鳴を上げる暇もなく胴体から真っ二つにされヒュージが音を立てて崩れ落ちる。

 ヒュージの絶命を確認すると、ふうと短いため息を吐き剣に着いた青い体液を払った。

 

 「…目標の沈黙を確認。これより帰投します」

 

 ◆ ◆ ◆ ◆

 

 『お疲れ様でした〜。さすが元百合ケ丘のリリィね。初めてとは思えない素晴らしいCHARM捌きだったわ~』

 

 任務完了を告げる瑠々に労いの言葉を掛ける仁愛。

 

 「ありがとうございます。ですが、ここまで被害を抑えられたのは、このCHARMにお陰だと思います」

 

 『あらあら、謙遜しちゃって~。でも、そうね。仁乃ちゃんと二人で作り上げた、私達の秘蔵っ子だもの。そこまで言って貰えると鼻が高いわ』

 

 自作したCHARMを褒められ、機嫌よく答える。

 しかし、正直瑠流としては謙遜で言ったつもりなどは毛頭ない。

 確かに既存のCHARMでもこの程度の相手であれば圧倒できる自信はあるが、ここまで周囲への被害を抑える事が出来たのは、H・D(ハンプティ・ダンプティ)の性能によるところが大きいのも事実だ。

 

 『前線で味方の盾となり仲間を守る、勇気あるリリィの為の力…。これからも存分に振るって頂戴?それじゃあ、直接会えるのを楽しみにしてるわ〜』

 

 「はい、ありがとうございました」

 

 そう言って無線を切る瑠流。

 しかし、その表情はどこか、喉の奥に小骨が刺さったような、イマイチ釈然としない様子である。

 

 (…ちょっと、高性能過ぎる気もしますけどね)

 

 使用感では、アリステクノのCHARMはまさに一級品と言っていいだろう。

 それこそ、業界を牽引する「メイカーズ」のCHARM達と比べても引けを取らない出来だ。

 

 …だからこそ、新規開拓メーカーであるはずのアリステクノがここまでのスペックを誇るCHARMを生み出せたという事実に、どうしても違和感を覚えてしまう。

 最大手医療機器メーカーとしてのノウハウと、企業努力の賜物、と言ってしまえばそれまでなのだが。

 

 (やはりあの、『呪われたCHARM』というのが関係しているのでしょうか…?)

 

 どうしても、先程の仁乃の口から語られた単語が脳裏を過ぎる。とはいえ、人類側の戦力が増強されること自体は至って有難い話だ。

 件のCHARMについては、後日仁愛に確認すればいいだろう。

 そう簡単に結論付け疑問を振り切ったところで。

 

 「あ、あの…っ!瑠流さんっ」

 

 「…仁乃ちゃん」

 

 振り返った先に居たのは仁乃だった。

 結局まともに出番がなかった大柄なCHARMを手に持て余しながら、いつもの困ったような表情を浮かべている。

 

 「さ、さっきの戦い、凄かったです。私、本当に出る幕がありませんでした…。で、ですが、ヒュージとの戦闘は何があるか、わかりません…。次の出撃の時は、私も一緒に…」

 

 「………」

 

 仁乃が精一杯に絞り出した提案も、瑠流は一言も言葉を返さず黙ってその場を後にする。

 

 「あ……ま、待ってください…!」

 

 そんな瑠流の態度に、さしもの引っ込み思案な仁乃も呼び止める。

 

 「どうしたんですか瑠流さん…。さっきから、その、様子が…」

 

 初対面の頃と比べ、瑠流の態度がおかしいのは明らかだ。

 少なくとも、準備室で自己紹介を済ませ、ブリーフィングを行っていたところまでは友好的な関係を築けていたはずだ。

 今までの会話と自分の発現を振り返ってみても、彼女の機嫌を大きく損ねてしまうようなものは見当たらない。

 

 思い当たる節があるとすれば、仁乃がリリィである事を知ってからの、あの不自然な沈黙。

 

 回答を待ちながらも思考を巡らす仁乃へ、瑠流が答えた。

 

 「…すみませんが、お互いの為にも過度な干渉はよしませんか?」

 

 「え…?」

 

 「私、リリィの方とはあまり親しくならないようにしているので。勿論、必要であれば協力は仰ぎます。ですが基本は私一人でも結構です」

 

 瑠流の口から紡がれた、明確過ぎるほどの拒絶の言葉。

 ショックで思わず言葉を詰まらせる仁乃。

 

 「あ、その…。私、何か気に触ってしまうような事、しましたか…?」

 

 「いえ、何も。あなたにはこれっぽっちの落ち度もありませんよ。ただ私がそう決めている、というだけの話ですから」

 

 そう言い放つ瑠流の瞳は、まるで凪いだ海原のように平坦で、何の感情の色も感じさせない無機質なものだった。

 視線は確かに仁乃に向けられてはいるものの、まるでここでは無いどこか別の場所を見つめているようだ。

 

 「そんな……。わ、私…っ。瑠流さんとなら仲良くなれそうだなって、お、思えたのに……」

 

 「…何故そう思えたのですか?それは本当に、あなたの本心からですか?」

 

 「え…?」

 

 瑠流の質問の意味がわからず、思わず聞き返す。

 

 「私のレアスキルは知ってますよね?」

 

 『カリスマ』。

 

 先の自己紹介の際にも触れられた、瑠流の持つレアスキルだ。

 

 ヒュージの発する負のマギエネルギーを正のマギエネルギーへと変換し、自分と味方へと供給する事で、能力、士気を高揚させる浄化の力。

 

 しかし、この『カリスマ』には、もう一つの特性があると噂されている。

 

 「貴方は私の事を"仲良くなれそうだ"と、少なからず好意的に捉えてくれていたようですが。……貴方は単に、私の『カリスマ』に惹かれただけなのではないですか?」

 

 それは、"稀有なる統率力により人心を掌握し支配する魅了の力"。本人の意思に関係なく、他人の心を惹き付け虜にする、というものだ。

 

 実のところ、このもう一つの特性については確かな根拠がなく、あくまで噂の域を出ない。

 ただ、このレアスキルを持つ者は、みな一様に様々なリリィを率い、導いてきた。

 

 『カリスマ』の持つ力がそうさせるのか、もしくはそういった魅力を持つものが『カリスマ』に目覚めるのか。

 

 いずれにせよ、確固たる証拠がある訳ではなく噂の域を出ないが、カリスマ持ちに出会った事のあるリリィ達の間では根強く信じられている。

 

 「貴方の抱いているその好意が、本当に貴方の本心から来るものだと、証明出来ますか?」

 

 当然、この問いに明確な答えなどある筈はない。

 元の根拠からして不確かである事もそうだが、そもそも人の感情の出処なんて形のないものを証明しようも無いのだ。

 

 故に、否定も出来ない。

 

 言わばこれは、仁乃を言いくるめるための"意地悪"だ。

 

 「そ、そんなの……わたしには……」

 

 言葉に詰まり、いっぱいいっぱになってしまった仁乃の瞳から大粒の涙が零れる。

 やり場のない感情をぶつけるように、CHARMを握りしめた両手に力が篭もる。

 

 「…っ」

 

 目線を伏せ、肩を震わせながら啜り泣く仁乃を目の当たりにし、ほんの一瞬、瑠流の中の良心がチクリと痛んだ。

 

 (…迷ってはダメ)

 

 しかし、瑠々の記憶に残る過去の記憶が、その小さな迷いを塗りつぶす。

 

 あの日から、瑠流の脳裏に焼き付いて離れない、その記憶。

 惨たらしい凄惨な傷を負いながらも自分を庇い死んでいった、かつての仲間達の安らかな死顔。

 

 「…とにかく、私にあまり構わないでください」

 

 最後にそう言い放つと、仁乃には一瞥もくれず踵を返した。

 もはやその動きには、先程までの迷いはなかった。

 

 

 

 

 ーー私はもう、誰かと共に戦ったりなんてしない。してはいけない。

 

 この力が、もう誰も殺してしまわないように。

 

 また失って、辛い思いをするくらいなら。

 

 私にはもう、仲間なんてーー。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 そんな瑠流の薄暗い決意を吹き飛ばすように。

 

 チャリンチャリーンと。どこか間の抜けたベルの音が鳴り響いた。

 

 「おーい。危なーい」

 

 「…は?」

 

 少し遅れてから聞こえてきた、本来なら有り得ない筈の第三者の声。

 

 突然脳内に飛び込んできた異物に脳の処理が追いつかず、思考が停止した次の瞬間。

 

 キキーッ!!

 

 ガン!!

 

 住宅街の横道から飛び出してきたママチャリが、瑠流の華奢な体に衝突した。

 

 「…う゛っ」

 

 CHARMを起動したままにしていたお陰か、咄嗟に作動したマギ障壁によって致命傷には至らなかったが。

まるでギャグ漫画の様に山なりに吹き飛ばされた瑠流が、そのまま硬いアスファルトへと迎え入れられる。

 

 「きゃーー!?瑠流さーーん!!」

 

 突然の事態に、思わず悲鳴を上げる仁乃。

 

 地に伏したままの瑠流の耳元に、先程の第三者の呟きが聞こえてきた。

 

 「あちゃあ…。だから危ないって言ったのに」

 

 (…いや、今のはどう聞いても自転車が突っ込んでくるテンションの「危なーい」ではなかったですよね…?)

 

 イマイチ緊張感に欠けるその声に、心の中で不満をぶつける瑠流。

 

 (え、ていうか、なんですかこれ?何が起きたんですか??自転車??なんで??なんでこのタイミングで??)

 

 「何があったか知んないけどさ。やっぱ、喧嘩はよくないよね」

 

 視界の前に差し出された手を取り見上げると、そこには一人の長髪の少女の姿があった。

 

 闇夜よりも黒いその髪は、穏やかな昼下がりの陽光を反射して、くっきりとそのシルエットを浮かび上がらせている。

 

 まるで、たった今、天空から地上に降り立ったかのような神々しい姿。ーーなどと一瞬錯覚するが、シチュエーションがシチュエーションなだけにそんな感想はあっという間にハジケとんだ。

 

 見た目だけはとても美しい少女だった。

 

 伸ばしっぱなしだが美しく艶のある黒い髪と、吸い込まれるような紫紺色の瞳はどこか優雅な上品さを感じさせる。

 装いは瑠流達と同じ、白いスカーフのあしらわれた黒いセーラー服を着込み。赤い大きめのスニーカー。頭上には無地のグレーのキャスケット帽を被っている。

 

  しかし、彼女の跨る安っぽいママチャリとその荷台に固定された出前用のおかもちが、その少女の美少女然とした雰囲気を見事に台無しにしていた。

 

 「な、なんなんですかあなた…?」

 

 「あたし?あたしの名前は花小金井鞘(はなこがねい さや)。歳は十六。体重はリンゴ一六〇個分。好物はハンバーガーと辛いもの全般。特技は自転車の外れたチェーンを治すことと、指の第一関節だけ曲げられることかな。…あ、あたしのことは鞘でいいよ」

 

 瑠流の問に、的外れな自己紹介を返すキャスケット帽の少女。もとい、鞘。

 

 そんな彼女のマイペース具合に呆気に取られ、一瞬言葉を失うも、気を取り直し言い放つ。

 

 「な、名前を聞いているんじゃありません!一体どうしてーー」

 

 「ちょい待ち」

 

 「!?」

 

 捲し立てようとする瑠流の言葉を遮ると、鞘は得意げに腕を組みながら口を開く。

 

 「『挨拶とは、人をして人たらしめる、人間関係のもっとも基本的行為である』。…相手が名前を名乗ったら、自分もちゃんと名乗り返す。それが礼儀ってものじゃない?」

 

 何やらよく分からない格言めいた言葉を引用しながらそう諭す鞘。

 

 言ってる事はあながち間違ってはいないのだが、少なくともこの場で一番礼儀を欠いているのは、人をママチャリで跳ね飛ばした自分を棚上げして説教している彼女自身だと思うのだが…。

 

 ただ何となく、言い返したら言い返したで余計面倒くさそうな事になりそうだったので、瑠流と仁乃は黙ってアイコンタクトを交わすと、とりあえず簡単な自己紹介を返した。

 

 「えっと…。私は、小此木瑠流と申します…」

 

 「あ、有栖川仁乃、です…」

 

 「小此木と有栖川ね。…ん、よろしく」

 反芻するように二人の名前を呟く鞘。

 

 さて。完全に会話のペースを持っていかれてしまったが、先程までヒュージが攻め入ってきていたこの場所に民間人が居ることは明らかに異常だ。居住まいをただし、改めてサヤへと質問する。

 

 「ところで花小金井さんはーー」

 

 「鞘、ね」

 

 「…"鞘さん"は、こんなところで一体何をしていたのですか?」

 

 「え、いや何って…どう見ても出前に決まってんじゃん。どこの世界におかもち担いでサイクリングに興じる奴がいるの」

 

 「…あのぅ、一応ここは避難区域だった訳ですし、お仕事中とはいえ避難して下さらないと困るのですが…」

 

 「……え?」

 

 「「え?」」

 

 「「「?????」」」

 

 仁乃の回答に疑問符を浮かべる鞘。

 

 どうにも会話が噛み合わず、なんとも言えないカオスな空気が一帯を包む。

 

 暫くして鞘が、「あっ」と何かに気付いたように声を上げると。

 

 「もしかしヒュージ警報出てた?」

 

 肯定の意を込め、コクコクと黙って頷く仁乃。

 

 すると、照れ隠しに右手で後頭部を掻きながら、わびれもなく鞘が答えた。

 

 「ごめん。昼寝してて気づかなかった」

 

 「ひ、昼寝!?」

 

 「どうりでおかしいと思ったよ。出前のラーメン持ってっても家に誰も居ないし。みんなとっくに避難してたんだね。いや、納得」

 

 「な、何を呑気な事を言ってるんですか!もしかしたら、ヒュージに襲われて命を落とすところだったかもしれないんですよ!?」

 

 あまりにも緊張感に欠ける回答に、思わず語気を強めて食って掛る瑠流。

 

 どれだけ警戒と対策を重ねても、ヒュージの襲撃による被害は毎日と言っていいほど発生している。

 

 だからこそ、その防衛の担い手である自分たちリリィは日夜鍛錬を重ね備えているというのに、あろう事かこの目の前の少女は、その脅威への警告を寝過ごしてしまったというのだ。怒るのも無理はない。

 

 しかし鞘は、詰め寄る瑠流に少しも気圧される様子はなく、寧ろ堂々とした様子で答えた。

 

 「大丈夫。あたし、こう見えて結構強いから。自分の身くらい自分で守れるよ」

 

 「意味がわかりません!…見たところ、貴方はリリィでもマディックでもないでしょう!」

 

 「うん。普通に一般人だよ」

 

 「だったら、その根拠のない自信は一体どこから来るんですか!」

 

 「別に、根拠なんかないよ。ただ、あたしがそう信じてるだけ」

 

 平坦な表情でそう答える鞘。そんな彼女の回答に、瑠流は思わず頭を抱えた。

 

 なまじ被害が少ない地域で過ごしてきたが故の、ある種の平和ボケから来る慢心なのか。

 少なくとも、これ以上自分から何かを言っても無駄な事だけはわかった気がした。

 

 「とにかく、次に警報があった時は真っ先に避難してください…。それでは」

 

 呆れと諦めから大きくため息を吐き出すと、最後に一言だけ付け足してその場を後にしようとする瑠流。

 

 しかし鞘は、そんな瑠流をおかもち片手に呼び止めた。

 

 「それよりさ、ラーメン食べようよ」

 

 「…はい?」

 

 鞘の突飛な提案に、意味がわからず思わず聞き返す瑠流。

 

 鞘は、そんな彼女の様子を気にもとめず、おかもちの蓋をスライドさせると、特別なラップで包まれた三人前のラーメンが顔をのぞかせた。

 

 「や、だからさ。食べようよ、ラーメン。届け先のおじいちゃんおばあちゃんもどっか行っちゃったし、伸びちゃったら勿体ないもん。せっかく三人前ある事だし」

 

 「け、結構です…!これから戻って報告書も書かなければ行けませんしーー」

 

 「まぁまぁ遠慮しない。"袖振り合うも多少は縁"って言うし」

 

 「それを言うなら"多生の縁"では……。って、あの、ちょ、は、離して下さい…!」

 

 断る瑠流の言葉を気にもとめずに、その手を取って無理やり連行する鞘。

 

 そんな二人を呆然と見つめながら、仁乃はぽつりと一言だけ呟いた。

 

 「え、なにこれは」

 

 三人前、という事は、少なくとも自分が除け者にされていた訳では無いのだろうが。

 

 とりあえず置いていかれるのは嫌だったので、二人の後について行く事にした。

 

 

 涙の後は、もうすっかり乾ききっていた。

 




えらいこと引っ張りましたが、こいつが主人公です。


※誤字修正助かります(誤字脱字多いマンなので)※


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#6「渦潮」

スマブラとTRPGが楽しすぎて投稿が遅れました。


 晴れ渡る青い空。そして白い雲。

 

 どこからともなく聞こえてくる子鳥のさえずりが心地いい、そんな昼下がりである。

 

 ヒュージの襲撃を退け安息を取り戻した折坂町。

 

 被害を殆ど出さずに事態が収束したこともあって、早々に避難指示を解除された町人たちが安堵の表情を浮かべながら続々と家路についている。

 

 そんな人々を眺めながら、三人の少女が公園のベンチに並んで腰掛けていた。

 

 何故か、ラーメンの入った大きな丼鉢を片手に。

 

 「いやあ、青空の下で食べるラーメンは格別だ」

 

 そう淡々と語りながら無表情でラーメンを啜り上げる、キャスケット帽を被った謎の出前少女、もとい花小金井鞘。

 

 そんな彼女とは対照的に、隣に並んで座っている小此木瑠流と有栖川仁乃の二人は、困惑と虚無が入り交じったような、なんとも言えない絶妙な表情で目の前の丼を見つめていた。

 

 (いや、すっごく伸びきっているんですが…)

 

 伸びるともったいないから、といって手渡された筈のラーメンは、既に、それはもう見るも無惨な程ブヨブヨに伸びきっていた。もっとも、出前をサボって昼寝をしていたというのだからそれも当然なのだろうが。

 

 スープに至ってはもはや麺に水気を吸収し尽くされており、見ていてもまったく食欲をそそられない。

 

 蓮華で僅かに残ったスープをすくい上げ口へ運ぶと、魚介をベースとした濃厚な味わいが口いっぱいに広がり、味はとても"美味しかった"事がわかる。こんな状況でさえなければと、ほんのちょっぴりだけ悔やんだ。

 

 「あたしさ」

 

 などと考えていると、隣に座っている鞘が箸でつまみ上げたナルトを見つめながら呟いた。

 

 「昔、ラーメンのナルトとメンマの名前を逆に覚えてたんだ」

 

 開幕一行で完全に興味を削がれる内容だったが、まだ続きがありそうだったのでとりあえず黙って続きを待つ事にする。

 

 「だって、名前からして意味わからないし、連想出来ないじゃん、見た目から。それでクラスメイトにバカにされてさ。その事に無性に腹が立って、名前の由来とか調べてみたんだ」

 

 聞きながら、ラーメンを啜る。

 当然ながら、不味い。

 

 「そしたら、どうやら昔鳴門海峡っとこがあったらしくて、そこで起こるでっかい渦潮が由来だったらしいんだ。今はヒュージの攻撃のせいで地形が変わっちゃって、もう見られなくなったらしいんだけど、図書館に映像資料が残っててさ。それが凄い迫力だったんだ」

 

 すくい上げた麺が、口元に運ぶまでもなく自らの重みで千切れ、ボトボトと丼に落下する。跳ね上がったスープが一滴頬に付着したが、無表情のままハンカチで拭った。

 

 瑠流は、このラーメンを作ったであろう料理人の事を思い、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。

 

 と同時に、本来自分が感じる必要のないこの罪悪感を不本意ながら背負わされてしまったという事実に、何となく腹が立ってきた。

 

 「幼いながらに思ったよ。一見なんの意味もなさそうなものにも、実はちゃんと意味があるんだなぁ、って」

 

 「…そうですか」

 

 思わず天を仰ぐ瑠流。

 

 それ以上の感想はなかった。精々、そうなんだ、くらいにしか思えなかった。

 

 (私は一体、何をしているんだろう…)

 

 ヒュージとの死闘を演じ、仁乃と衝突し、孤高に闘う決意を新たにしたその矢先での、ママチャリ衝突事件。

 

 その珍事に毒気を抜かれ、先程までのヒリついた空気は消え失せてしまっていた。

 

 真隣に座る仁乃とも、先程までのやり取りのせいで非常に気まずい。

 

 ちらりと横目に様子を伺ってみるが、その表情はやはり虚無で、虚空を見つめたままひたすら伸びきった麺を啜っていた。 

 

 「それはそれとして。アンタたち、新しく来たリリィの人だよね」

 

 こちらの複雑な心境もお構い無しに、話の脈絡を完全に無視して質問を投げかけてくる鞘。

 

 どうやら彼女は、超がつくほどのマイペースな人間のようだ。

 

 「ええ。その通りですけど…」

 

 先程までの雑学混じりの自分語りに一体何の意味があったのかは分からないままだが、永久に分からないままでもいい気がしたので、ここはもう言及しない事にした。

 

 「そっか。町を守ってくれてどうもありがとね。今までも防衛隊の人達が何とかしてくれてたけど、どうしても銃創とか残るし、補修作業とか大変だったから、ここまで被害が少ないのはほんと助かるよ」

 

 「ど、どういたしまして」

 

 意外なほど素直に礼を言う鞘に、正直面食らってしまう瑠流。

 目の前でぺこりと頭を下げる彼女からは悪意や敵意の類はまるで感じられず、それが心からのものである事が何となく理解できた。

 

 …だとしたら、やはり自転車で跳ね飛ばしたことをまず謝って欲しい気がしたが。

 

 「でもそれにしたって、さっきの発言はないと思う」

 

 そう言って下げていた頭を再び起こす鞘。

 

 「…私、何か変なことを言いましたか?」

 

 「いやほら言ってたじゃん。『私のカリスマが~』みたいな事。アンタがどれほどの人間かなんてあたしは知らないけど、その歳でさすがに自称カリスマ発言はちょっとイタすぎるというか…」

 

 「…は?」

 

 鞘の指摘に、思わずポカンとしてしまう瑠流。

 

 一瞬考え込んで、それが先程の仁乃との諍いの中での会話の事だと理解した。

 

 どこまで聞いていたのかは知らないが、恐らくレアスキル『カリスマ』と、人徳を意味する本来の意味でのカリスマとを混同してしまっているようだ。

 

 「いえ、あれは…」

 

 とりあえず、あらぬ誤解を招かぬよう訂正を入れようとするが。

 

 「や、恥ずかしがらなくていいよ。私も十二歳ぐらいまではよくそういう妄想してたから気持ちはわかる。でもさ、妄想と現実の分別はつけなきゃ。後輩の子も怖くて泣いてたじゃん」

 

 「…え!?」

 

 どうやら彼女の脳内裁判では既に『こいつはカワイソウな奴だ』という裁定が下っているようだ。

 

 瑠流が言い終わるのも待たず、生暖かい視線を向けながらこちらを聡そうとしている。…気がする。

 

 そんな彼女の一方的な態度に、さしもの瑠流も少しムッとした様子で抗議する。

 

 「あ、あれはそういう涙じゃないです。というか待ってください。どうして私がちょっと頭のおかしい子みたいな扱いを受けてるんですか?レアスキルですよ、レアスキル!」

 

 「『レア過ぎる』…?この人、この期に及んでまた自画自賛を……こわっ……」

 

 「ち、違います!リリィ一人一人に与えられる特殊能力の事ですよ!貴方もそれくらいはご存知でしょう!?」

 

 瑠流の発言に、顎に手を当て暫し考える素振りをーー

 

 「ちょっと何言ってるか分かんない」

 

 「なんで何言ってるか分からないんですか!?」

 

 したかと思えば、ノータイムで否定してきた。

 

 「そんな一般常識みたいに言われても…。あたしただのラーメン屋のバイトなんですけど」

 

 「事実として一般常識なんですよ!というか、さっきリリィについても知ってそうな口振りだったじゃないですか!?」

 

 「いや、そんな詳しくは知らないよ。めっちゃスカート短い衣装着ながらスピリチュアル的なパワーでデカい武器を振り回してる特殊部隊の人達ってぐらいの認識しかないし」

 

 「貴方の頭の中のリリィ観どうなってるんですか!?世の中の全リリィに謝罪して下さい!!」

 

 鞘は、まくし立てる瑠流を気にも留めず、芝居掛かった口調で言った。

 

 「貴方は単に、私のカリスマに惹かれただけなのではないですか?(キリッ)」

 

 「またその話掘り返すんですか!?というか痛々しいので効果音を口に出して言わないでください!こっちまで恥ずかしくなってきたじゃないですか!」

 

 「いやだから、アンタが恥ずかしい奴だって話をしてたんだけど」

 

 「だからそれはレアスキルが……!」

 

  「『レア過ぎる』…?この人、この期に及んでまた……」

 

 「嗚呼!!!」

 

 暖簾に腕押し。糠に釘。堂々巡りのエンドレス無限ループに陥り、瑠流のストレスも最早有頂天である。

 すっかり取り乱し思わず地団駄を踏みそうになるのをグッと堪えた。その時。 

 

 「…ぷっ。ふふっ」

 

 ふと、鈴を転がす様な、可愛らしい笑い声が響く。

 

 二人揃って声のする方に振り向くと、先程まで虚無顔でラーメンを啜っていたはずの仁乃が、可笑しそうに、少し控えめに笑っていた。

 

 「ご、ごめんなさい…!でも、ふふっ…!可笑しくって、つい…!」

 

 二人の視線に気がついた仁乃が慌てて口元を覆う。笑いを堪えるのに精一杯の様子だった。

 

 不覚をとられた瑠流も、慌てて居住まいをただし、軽く咳払いする。

 

 一方の鞘は、相も変わらず感情の読めない無表情のまま、力強くサムズアップして言った。

 

 「『女にとって、涙は最強の武器。笑顔は最高の化粧』。人間、なんだかんだ笑ってるのが一番だよね」

 

 ようやく落ち着いてきたのか、笑い過ぎて零れそうになっていた目元の涙拭いながら、仁乃が質問する。

 

 「あの、さっきから何度か引用してるその格言っぽいのは一体何なんですか?」

 

 「あぁ。あたしの唯一尊敬する、師匠の言葉だよ」

 

 「…師匠?」

 

 「うん。親がいないあたしを引き取ってくれて、今まで育ててくれたんだ。すっごい尊敬できる人だったよ」

 

 (…だった?)

 

  「さてと、あと笑ってないのはアンタだけだけど」

 

 そう言って、会話を一旦打ち切り瑠流の方に向き直る鞘。

 

 当の瑠流は、ある程度落ち着きを取り戻した様子で、僅かに残っていた残りのラーメンを完食すると、手を合わせ「ご馳走様でした」と言うと、ゆっくりと立ち上がった。

 

 「…では、私はこれで」

 

 鞘からは反省の色は微塵も感じられないが、リリィとして言うべきことは言ったつもりだ。

 

 それでも彼女が態度を改めるつもりがないなら、学校側に連絡を入れ然るべき立場の人間に注意をして貰えばいいだけだ。

 

 名前も聞いているし、制服を見る限り同じ学校の生徒なのだろう。担任の志崎にでも説明すれば、後は学校側対応するはずだ。

 

 何より、このまま彼女と一緒にいても、相手にペースを持っていかれたまま一方的に振り回される未来しか見えない。

 

 早々に立ち去るのが吉と考え、歩き出そうとした、その時。

 

 「とう」

 

 「きゃ…!?」

 

 不意に、体重を掛けていた瑠流の膝裏へ、鞘の緩いローキックがポコンと命中する。

 

 突如バランスを崩されつんのめってしまうが、辛うじて転倒を免れた瑠流は、振り返り鞘を睨みつけた。

 

 「いきなり何するんですか!?」

 

 一方、相対する鞘は微塵も詫びれる様子もなく堂々と言い放った。

 

 「いや、あたしの要件まだ済んでないんだけど」

 

 そう言うと、ゆっくりと立ち上がり真正面に立つと、警戒からか、壁を作るように無意識に前に構えていた瑠流の左手をがしっと掴んだ。

 

 「と、突然何を…!?」

 

 「いや、アンタ何となくつまらなそうな顔してたから、ほっとけないなと思って。…というわけで、アンタが顎外れるくらい大笑いする所を見るまでは一緒にいる事にするから」

 

 「そ、そんな勝手な…」

 無茶苦茶な宣言を言い放つ鞘の表情は、やはり情緒を読み取れない無表情のままだったが、こちらを見つめてくるその瞳はどこまでも真っ直ぐだ。

 

 言っていることはまったくもって滅茶苦茶だが、一点の曇りもないその美しい紫紺色の瞳に、瑠流は思わず見入ってしまいそうになる。

 

 「ほら、アンタも」

 

 「ひゃい…!?」

 

 鞘は、そのままベンチに座り込んでいた仁乃の手を掴んで引っ張りあげると、唖然とする二人の手を引いて歩き出した。

 

 「アンタたちさ、この辺越してきたばっかで、町のこととかまだあんまり知らないでしょ?折角だし案内したげるよ」

 

 「だから、結構ですってば…!」

 

 「いいから着いて来なよ。自分たちが守る町の事くらい、ちゃんと知っといた方がいいって」

 

 振り解こうと手に力を込めるが、不幸にも握りしめられているのは握力を失ってしまっている左手だ。

 

 瑠流は、諦めたように深いため息を吐き出すと、観念したのか、それ以上は抵抗すること無く鞘の後ろに続いて歩き出した。

 



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#7「誰がために」

たった一言頂いただけで、なんとか頑張れるもんですね。
覚えている方がいるかどうか分かりませんが、続きです。


 彼女に手を引かれるままに訪れたのは、折坂町の中心地に位置する商店街である。

 

 ガラス張りのアーケード内は、所狭しと様々な店舗が並んでいる。

 その傍らで、避難指示から解放された住民たちが、逃げ出す際に放り出してきた店先の片付けに精を出していた。

 

 「な、なんだか、大変そうですね…」

 

 そんな住人たちを心配そうに見つめながら、仁乃が呟く。

 

 「身支度する時間を待っちゃくれないからね、ヒュージは。被害も中途半端に小さいから、支援もあんまないし。…いくら東京地区って言っても、端っこの方にある下町オブ下町だから」

 

 アーケードを潜りながら、商店街の人々の表情を見つめる瑠流。

 

 今まで、リリィとして様々な被害地域を訪れてきた。そんな彼女だからこそ、その凄惨さをよく知っている。

 つい昨日まで、自分たちが暮らし、ありふれた日常の一部であった筈の町が、突如現れた驚異によって蹂躙されていく理不尽さ。

 

 落胆。諦観。あるいは、絶望しても何もおかしくない状況である。

 

 「……」

 

 しかし、この町の人々の面持ちや雰囲気に、不思議と暗い色はなかった。

 寧ろ、ところどころから笑い声さえ起こってた。

 ひび割れた大根を拾い上げながら「こりゃ今日の夕方もワケあり商品の大セールだねぇ」「普段より売上が出るんじゃないのかい?」…等と、冗談を飛ばしあっている程だ。

 そんな商店街の人々を見つめながら、瑠流はしばしの間瞑目する。

 

 「…私、少し手伝ってきます」

 

 「あ、瑠流さん!わ、私も行きますっ…!」

 

 町人たちに駆け寄って行く瑠流の後を慌てて追いかける仁乃。

 

 「ふうん」

 

 そんな彼女達を後ろから眺めながら、のろりとした足取りで鞘も二人の後ろに続いた。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「お土産、いっぱい貰っちゃいましたね」

 

 前が見えなくたってしまうほどの、抱えた紙袋に収まりきらないリンゴの山を抱えた仁乃が、困ったように笑う。

 

 片付けの手伝いを申し出た瑠流と仁乃が、そのお礼にと果物屋の店主に貰ったものだった。

 自主的に声を掛けてくれたことに余程気を良くしたのか、とてもでは無いが三人では食べきれないほどの量である。

 

 「そうですね。後で学校の控え室まで持っていきましょう。…腐ってしまう前に、食べ切れるかしら?」

 

 「加減とか知らないからね、うちのおばちゃん連中は。ま、どうしても食いきれないなら、学校のみんなにでも配ればいいよ…っと」

 

 そう言って鞘は、紙袋から一つこぼれ落ちそうになっていたリンゴを掴み取ると、その表面を袖で擦ってそのままひと齧り。

 

 「それにしても、あんたも物好きだね。わざわざ自分から、めんどくさい片付けなんか手伝ったりしてさ」 

 

 「市民を守るリリィとして、当然の事です。それにーー」

 

 そう短く返事をすると、前を歩いていた鞘の足がはたと止まった。

 

 「来たばかりでこんな事を言うのも変ですけど、私は好きです、この町。誰も下を向かず、懸命に今と向き合っている。ここの人達からは、そんな力強さみたいなものを感じます」

 

 「…なるほどね」

 

 すると、急に振り返り、ずいっと瑠流を覗き込むように顔を寄せる鞘。

 突然息がかかりそうな程の距離に顔を寄せられたこともあるが、よく見るとその整った顔立ちに、思わずドキリとしてしまう。

 

 「な、なんですか…?」

 

 「いいね。あんた。私も好きだよ、あんたみたいなやつ」

 

 「余計なお世話です。あなたに好かれたくて言った訳ではありませんから。ただの素直な感想です。…あと私、あなたが避難警告を無視した事、まだ怒ってますからね」

 

 「あっそう」

 

 釣れない瑠流の返しに、にへら、とした気の抜けた笑顔を返事をする鞘。

 まるで気にする様子もなく、そのまま前を向き直り歩き始めた。

 

 そんな彼女の背中を見つめながら、内心、「掴みどころのない人だ」と半ば呆れ混じりのため息をこぼしたところで。

 

 「あ、鞘ちゃん!もー!どこ行ってたの!」

 

 快活そうな、よく通る声がアーケード内に響いた。

 声のした方へ振り返ると、少し小柄な、初雪色の髪を後ろで二房に結わえた少女が、プンスカと頬をふくらませながら、こちらに駆け寄って来る。

 オーバーサイズのパーカーの下は、鞘達と同じ折坂女子の制服を来ており、恐らく彼女も同校の生徒なのであろう事がわかる。

 

 「おお、りっちゃん。ウェーイ」

 

 「ぅウェーイッ!!…じゃなくてねぇ!?」

 

 鞘がゆらりと掲げた手のひらに、元気よくハイタッチを交わしたかと思うと、すかさず全力のノリツッコミ。

 コロコロと表情の変わる、何とも元気そうな少女である。

 

 「どうせまた避難もしないで見回りに行ってたんでしょ!危ないってば!」

 

 「だいじょぶだいじょぶ。なんたってあたし、無敵だから」

 

 「また訳の分かんないコト言って!いつかほんとに怪我しても知らな………ん?」

 

 怒涛の如く鞘にまくし立てるその少女が、隣にいる見慣れない少女の存在に気づいたのか、言葉を止め、じっと二人の顔を見つめる。

 

 「ねぇねぇ鞘ちゃん…!もしかしてこの人達!」

 

 「そう、リリィ」

 

 「うわぁ〜!やっぱり!!」

 

 言うやいなや、目を輝かせながら二人の前に駆け寄ったその少女は、瑠流と仁乃、二人の手を取ると、よほど興奮しているのか、大袈裟にぶんぶん振り回しながら熱烈に握手する。

 

 「初めまして!私、伊勢崎 理玖(いせざき りく)!そこのラーメン屋の娘で、オリ女二年!鞘ちゃんとは親友同士なんだ!よろしくねっ!」

 

 「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 「さっきもヒュージをやっつけてくれたんでしょ!?いやーすごいなぁ!かっこいいなぁ!まさかこんな小さな町に二人も来てくれるなんて、感激だよ!」

 

 「そ、それはどうも」

 

 理玖のハイテンションぶりに思わず気圧される瑠流。

 今日はこんなことばかりだな、と内心で苦笑していると、理玖がハッと思いついたように、隣の鞘を一瞥しながら心配そうに覗き込んでくる。

 

 「…あ、それより、うちの鞘ちゃんが何か変なことしなかった!?この子、基本的にはいい子なんだけど、無神経というか図々しいというか、ちょっと人格バグってるとこあるから…」

 

 「…ちょっと待って。何その言い草。酷くない?あんまりじゃない?」

 

 さしもの鞘も、理玖の物言いに思うところがあったのか、不満げに口を挟む。

 

 「あんた、そんなんでよくあたしの事親友とか言えたね」

 

 「違うよ鞘ちゃん。親友同士だと思ってるからこそ言えるんだよ。出なきゃあなたみたいなめんどくさい子を親友だなんて言わないよ!」

 

 「遠慮なさすぎでしょ。でも、そういうとこも嫌いじゃないよ」

 

 「私も、鞘ちゃんのそういう細かいこと気にしない所、嫌いじゃないよ」

 

 「………」

 

 「………」

 

 「「えへへへへへへっ」」

 

 「あの、急に漫才始めるのやめてもらっていいですか?」

 

 肩を抱き合い微笑み合う二人に、堪えきれなくなって思わずツッコミを入れる瑠流。

 しかし、当の突っ込まれた理玖本人は、何故か嬉しそうに瑠流に笑顔を返した。

 

 「漫才じゃなくて、コメディって言って欲しいなぁ。やっぱり今のだとおふざけ感強すぎたかなぁ…。ふむふむ」

 

 いいながら、何故かその場で熱心にメモを取り出す雪節。

 何事がと困惑の表情のまま見つめていると。

 

 「いけませんよ理玖。初対面の人を困らせては」

 

 穏やかな、老年の男性の声。

 振り返ると、少し白髪の交じった髪に糸目の穏やかそうな面持ちの男性がこちらに向かって歩いてきていた。

 

 「おじいちゃん!」

 

 「あ、店長」

 

 鞘と理玖、二人がそれぞれ男性に呼びかける。

 

 「伊勢崎義之(よしゆき)です、初めまして。高山さんに聞きましたよ。先程、修繕作業手伝ってくださったようで」

 

 「高山さん…?」

 

 「…先程の八百屋さんですよ」

 

 聞き覚えのない名前に仁乃が小首を傾げていた所へ瑠流がそっと耳打ちする。

 人見知りが災いして、瑠流の後ろで黙々と作業していた仁乃は、名前を伺う機会を逃していたのだった。

 

 「私はここの商店会の会長をしておりましてね。どうか、商店街を代表してお礼を言わせてください。この町に来て頂いて、本当にありがとうございます。リリィの皆さん」

 

 そう言って、至極丁寧に頭を下げる義之。

 それこそ、自分たちの父親程の年齢の男性に頭を下げられ少々恐縮するも、その誠意に満ちた立ち居振る舞いに瑠流も思わず背筋が伸びた。

 

 「こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます」

 

 「きょ、恐縮ですっ」

 

 「高山さんの仰られた通りだ。とても気持ちがいい、今どき珍しい若者だと。いやぁ、来てくださったのがあなた達で本当によかった」

 

 「おじいちゃんー。言動が一々ジジくさいよ」

 

 「ははは、実際じじいだからねぇ」

 

 さして気にする様子もなくそう言って笑うと、瑠流と仁乃の二人に向き直り、笑顔を向けて言った。

 

 「さて、お二人とも。もしお時間があるなら、少し見ていって欲しいものがあるのですが、少しお時間よろしいですか?」

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「ここは、劇場ですか?」

 

 義之に連れられてきたのは、一目でそれなりに年季が入ってるのが分かる、やや古ぼけた大衆劇場であった。

 今はほとんど使われていないのか、本来は開演予定の告知などが貼られているはずの掲示スペースには、数箇所のセロハンテープを剥がした後と、数個の画鋲が刺さりっぱなしになっているだけで、他には何も無い。

 

 「ええ、その通りです。…ここはね、この商店街の象徴で、誇りなんですよ」

 

 「誇り、ですか?」

 

 「ええ」

 

 正面入口の鍵を開け、義之の案内の元、中へと足を踏み入れる。

 今でも定期的に掃除に来ているのか、古臭さはあるが、荒れたような埃っぽさはあまりない。

 

 「ここでは昔、地域の劇団や地元の芸人さん達が集まって、毎日のようにステージを行っていましてね。当時は、それなりに栄えていたんですよ」

 

 受付の隣にあるガラスケースを撫でながら、懐かしそうに目を細める義之。

 その中には、何かのコンクールのトロフィーや幾つかの賞状など。当時の写真などが飾られており、当時の活気を感じさせてくれる。

 

 「…瑠流さん。道中でこの商店街を見てきて、何か感じるところはありませんでしたか?」

 

 かつての栄光の証に目を向けたまま、瑠流に問いかける。

 

 「…そうですね。皆さん笑顔で、明るくて、とても活気がある印象でした」

 

 「…そうですか」

 

 瑠流の回答に相槌を打つと、少し寂しそうに笑いながら、義之は言葉を続けた。

 

 「あれはね、瑠流さん。言ってしまえば、ただの"強がり"なんですよ」

 

 「…え?」

 

 「昔、この商店街は、ヒュージの攻撃によって手酷い被害を被りましてね。それこそ、私の昔の店も壊され、並んでいたお店も半壊状態でした」

 

 「それは…お気の毒でした」

 

 「いえいえ。でもそんな中で、この劇場だけは、傷一つ残らず被害を免れたのですよ。一度はここら一帯を放棄する話も出ましたが、それでもこの劇場が、私たちを見守ってくれている気がしましてね。これまで諦めずにやってこれたんです。いつか必ず、毎日がお祭りの様だったあの時の活気を取り戻したい、とね」

 

 言葉を続けながら、義之は立てかけてあった写真立てを手に取り、写真の中に写っている一人の女性の顔を愛おしそうに指で撫でた。

 

 「…綺麗な方ですね」

 

 「おじいちゃんの娘で、私のお母さんなんだ。名女優って、結構な評判だったんだよ」

 

 自分の事のように得意げに胸を張る理玖。

 

 言われてみると、理玖と同じ雪色の髪とその顔立ちには、彼女の面影が感じられた。

 隣には、彼女と歳の近い男性と当時の義之と思われる男性も一緒に写っている。

 

 「…でも今はもう居ない。地方のお仕事の最中に、逃げ遅れて、ヒュージに襲われて…それっきり」

 

 「理玖さん…」

 

 「情けは無用だよ。このご時世、珍しい事じゃない。みんな何かしら失ってて、辛くて、悲しくてさ。…それでも残ったものを守るために、俯いてる暇なんかないんだよ。だからみんな笑うんだ。「負けるもんか〜!」…ってね」

 

 むんっ、と力こぶを作る動作を動作を交えて照れくさそうに笑う理玖。

 

 「私の夢は、私自身もいつか女優になって、ここに帰ってくること!そして、おじいちゃんやお父さんが復興したこの劇場で、お客さんいっぱいの前でお芝居することなんだ!…その時は二人も呼んであげるからね!」

 

 先程取っていたメモも、その夢の為のものなのだろう。

 気丈に笑ってみせる理玖の笑顔は、目がくらむほどに眩しかった。

  逆境の中にこそ希望を見出す、先程の商店街の人々と同じ、輝きを称えていた。

 

 「…ええ、楽しみにしています」

 

 瑠流はその輝きを直視出来なくて、笑顔を作るふりをして、目を細めた。

 

 彼女にそんな気はないと分かっていても、今の自分の心の内を指摘されたような気になって、それ以上何も言えなくなってしまった。

 

 ("残ったもの"を守るため、か。…じゃあ、たった一人で残された私は、一体何のために戦えばいいのでしょうか?)

 

 胸の内に問い返すも、当然答える声はない。

 脳裏をよぎるのは、あの日に見た、仲間たちの穏やかな死に顔と、変わり果てた姉の姿だけだった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「あ、話終わった?」

 

 「…何やってるんですか鞘さん」

 

 劇場の入口から外に出ると、入口前の階段に腰掛けた鞘が、何やら得体の知れないおもちゃの様なものを回転させて遊んでいた。

 

 「知らない?ハンドスピナー。昔日本でめちゃくちゃ流行ってたらしいよ」

 

 「知ってるわけないでしょう…。楽しいんですか、それ?」

 

 「楽しい楽しくないじゃない。ハンドスピナーってのは、ただ感じるものなんだよ…」

 

 「はぁ…」

 

 何が面白いのか、挟んだ指の間で回転するその珍妙な玩具をうっとりとした表情で眺める鞘。

 そのまま、瑠流に問いかける。

 

 「んで、どう?来てよかったでしょ?ここ」

 

 「それは…そうですね」

 

 「…なーんか、まだモヤってるね。あんた」

 

 「………」

 

 戦いを放棄するつもりは無い。自分に課せられた責任。守るべきもの達の存在。その重さは十分理解しているつもりだ。だからこそ、またリリィとして戻ってきたのだから。

 

 だが、()()が全てではない。内に秘めた、瑠流の心の底に根付く感情は。戦う理由は。もっと薄暗い、決して褒められたものではなかった。

 

 瑠流にはそれが分かっていた。だからこそ、後ろめたいのだ。

 

 「…瑠流さん」

 

 か細い、しかし以前よりほんの少し力強い声で、仁乃が話しかける。

 

 「私なんかに、どこまで出来るか分からないけど…。私は、この人達のために戦いたいです。だ、だから私、勝手について行きます。いつか貴方に、仲間として認めて貰えるように…!」

 

 彼女の癖なのか、スカートをキュッと握りしめて、意を決した面持ちで口を開いた。

 逸らしそうになる視線を必死で堪えて、真っ直ぐに瑠流を見据えていた。

 

 「…それがあなたの出した答えなら、私に否定する権利はありませんね」

 

 その眼差しに、まだ少し頼りなくも、確かな意志の強さを感じた瑠流は、不承不承にその言葉を受け止めた。

 

 「は、はいっ」

 

 前途は多難。

 

 しかし、小さな手応えを感じた仁乃の声は、ほんの少しだけ弾んでいた。

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

【幕間】

 

 「じゃあ折角だし、家に寄ってってよ!ラーメンの一杯でもご馳走するからさー。どうせ鞘ちゃんが配達し損ねた伸びきった麺しか食べてないんでしょ?」

 

 帰路につきながら、元気いっぱいにそう提案する理玖。

 

 「ええっと…食べ切れるかな…」

 

 「じゃあ小盛にしたげるよ!」

 

 お腹を擦りながらお腹の許容量を心配する仁乃に、後ろから飛びつく理玖。

 

 「あ、ありがとうございますっ」

 

 その時だった。

 

 振り返った仁乃の、控えめな小動物スマイルを間近で目撃した理玖の心に、ときめきの稲妻が駆け抜けた。

 

 (か、かわぁ…あっ!!…アッッッ!?!?)

 

 「…?」

 

 背後からただならぬ気配を感じて背筋がぞくりとするが、鋼の自制心で平静を取り戻した理玖は一瞬で気配を収めた。

 

 「…仁乃ちゃんとは、これからも是非とも仲良くしたいな」

 

 「あ、はい。ありがとうございます…」

 

 特に気にとめず、再び歩き出したところで。

 

 「ここです。さ、どうぞ」

 

 義之がそう言って扉を開き中に招き入れると、慣れた様子で鞘と理玖が店内へと入っていく。

 

 その時、ふと瑠流と仁乃の二人の目に、珍妙な文字が目に止まった。

 一歩引いて、二人揃って上を見上げる。

 入口の上に立て掛けられていた木製の立派な看板には、惚れ惚れするような達筆でこう書かれていた。

 

 【元祖!イタリアンラーメン寿司 吉野家】

 

 「………」

 

 「………」

 

 ((いや、どれ?))

 

 図らずも、二人の心が一つになった瞬間であった。

 

 

 



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#8「新しい彼女の日常」

 夢を見ていた。多分、随分前のことだったと思う。

 雪がしんしんと降りしきる寒空の下、焚き火を挟んで、あたしと、向かい側にはキャスケット帽を被った一人の壮年の女性が、毛布にくるまっている。

 

 『いいかい。これはね、約束だよ。アンタが人間であり続けるための約束』

 

 手馴れた手つきで薪を日の中に放り込んでいく。

 時折聞こえてくる、木の爆ぜるパキッとした音や、伝わってくる柔らかな火の熱がとても心地よかった。

 

 『人と出会ったら、必ず挨拶をすること。困っている人が居たら、必ず手を差し伸べてあげること。寂しそうにしている人が居れば、一緒にご飯を食べてあげること』

 

 一つ一つ念を押すように、ゆっくりと、しかし力強く言い聞かせる。

 

 『何があっても、この三つだけは絶対に守んな。そうすりゃあ、きっと大丈夫』

 

 彼女の言葉の一つ一つが、焚き火の日の熱と同化するように体の隅々まで染み渡っていく。

 

 これは多分、ほんとに忘れちゃいけないやつだ。

 

 目を閉じて、心と体を研ぎ澄ませ、なんかこう……自分の心の芯みたいな部分に、じっくりと刻み込んでいく。

 

 『アンタがそうあり続ける限り、アンタは歴とした人間だよ』

 

 そっから先は覚えてない。多分寝落ちした。

 

 哲学やら何やら、むずかしい話が苦手なあたしにとって、その言葉はあまりにもわかり易すぎる『道標』になった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「う゛ぁ゛っ」

 

 「あぁやっと起きた!ほんとどういう神経してんのぉ!!?」

 

 けたたましいサイレンの音。人々の悲鳴。激しく上下に揺さぶられる感覚。

 それらの全力で安眠を妨げてくる要素が三つ折り重なってようやく花小金井鞘の重たい瞼が開かれた。

 

 サイレンと同時に聞こえてくる避難誘導音声を聞くに、またヒュージが出現していたであろう事が分かる。

 寝ぼけ眼を擦り、トレードマークのキャスケット帽のズレをなおすと、自分を背負ってくれている親友、伊勢崎理玖の後頭部に顔を埋める。

 

 「おはよーりっちゃん。悪いんだけどさ、もうちょい安全運転でお願い。揉みしだきたいくらい柔らかいシートだけどこうも揺らされたら乗り心地最悪かも。……あ、ってかシャンプー変えた?すごいいい匂い」

 

 「避難警告出てるのにてくてく歩いて動けるわけないでしょがこのおバカさんめ!!どんだけ揺さぶっても起きないし、私じゃなかったら置き去りにしてるよホント!?あとシャンプーは変えた!こないだ雑誌で定盛ちゃんが紹介してたやつ!」

 「へー。あとで商品名メールして?」

 「OK!!!!」

 

 慌ただしい周りの雰囲気などお構い無しに軽口を叩く親友に、半ばヤケクソ気味に返答する理玖。

 

 警報が鳴ったのは突然のことだった。

 第二準備室に入り浸り昼休みを終え、何百年も昔の短歌の読解についてうんたらかんたら述べている教師の声を聞き流し、四限目特有の地獄のような睡魔に耐えていた矢先の警報。

 

 理玖の様な常人の感性を持っていれば眠気などは一瞬で吹き飛んでしまうものだが、彼女に関してはそうでも無いようだった。

 

 「それにしても本日も惚れ惚れするようなツッコミだね。ヒュージ居なくなったらあたしと一緒にM-1獲ろうよ。賞金使って叙〇苑で焼肉食おう」

 「M-1って何あと叙々〇って何!?焼肉は食べたいかもしれないけど!」

 「OK」

 

 そこまで言うと、理玖の背中から飛び降りた鞘は、避難場所とは反対方向、ヒュージ達が出現したと思われる市街地エリアの方へと駆け出していく。

 

 「わっとと……。ってかどこ行くつもりなの!?」

 

 「ちょっと様子見てくるよ。気になるし」

 

 「はい!?なに馬鹿な事言ってんの!?いいから戻って!!」

 

 しかし、理玖の制止の声も何処吹く風。

 無理やり腕を掴もうとしても、風に舞う柳の葉の如くするりと躱されてしまう。

 

 「だいじょぶだいじょぶ」

 

 それでも、心配そうに縋り付く親友を落ち着かせるためだろうか。

 力強く親指を立てながら、不敵な笑みと共に答えた。

 

 「なんたってあたしは、"無敵"だからね」

 

 ◆ ◆ ◆

 

 一方こちらは、折坂町南西に位置する市街地へと続く大通りだ。

 

 「……はぁ!」

 

 避難は既に完了しているのか人の気配はほとんどなく、CHARMとヒュージの凶爪がぶつかり合う音、そして二人の少女の声が響いていた。

 折坂女子、もといアリステクノが介するリリィ。小此木瑠流と有栖川仁乃の両名だ。

 

 対峙するは、背後にある人々の営みを破壊せんとする未知の侵略者、人類の敵、ヒュージ。

 

 「仁乃ちゃん!そっちお願いします!」

 

 別方向から迫る一体のスモール級ヒュージを仁乃に任せ、目の前の複数の元へ踏み込む瑠流。

 自慢の盾でその攻撃を次々と受け流し、ヒュージを一刃の元に切り伏せていく。

 

 「あ、え、はいっ……!」

 

 一方で、瑠流のフォローに徹していた仁乃は慌てた様子で手元のCHARMをシューティングモードに切り替え、迎撃を試みる。しかし。

 

 「……あ」

 

 変形の際の衝撃で手元が狂ったか、重心を崩し思わず躓きそうになる仁乃。

 その一瞬の遅れが仇となり、遅れて放たれた弾丸はヒュージが通った後の空間を無意味に通過する羽目に。

 

 「くっ……!」

 「す、すみません!わたし…!」

 

 目の前のヒュージを切り伏せ、即座にUターンし通過したスモール級の背中を追う。

 振り向きざまに目にいっぱいの涙を貯めた仁乃が一瞬視界に移るが、反応している余裕はない。

 

 「(間に合う…!けど、ある程度の周辺被害は覚悟した方がいいかもしれませんね)」

 

 瑠流の持つCHARM、『ハンプティ・ダンプティ』は前衛での近接戦闘に重きを置いたCHARMだ。シューティングモードの精度は遠距離型のものよりも若干劣る。

 数発打ち込めば難なく撃退できるであろうが、ヒュージを挟んだ反対側にある焼肉屋の店主には、後程謝罪に伺う必要がありそうだ。

 

 意を決し、引き金に力を込めようとしたその時。

 

 「ダイナミック☆エントリー」

 

 「!?」

 

 よくわからない掛け声と共に、突然飛び出して来た人影が、そのヒュージに見事な飛び蹴りを浴びせていた。

 別ベクトルからの急な衝撃によりバランスを崩したヒュージは、そのまま地面に衝突する。

 

 「鞘さん!?」

 

 ヒュージを蹴り飛ばし、およそ女子高生とは思えない身のこなしで見事な五点着地を決めたその人影は、瑠流もよくご存知の同校の問題児、花小金井鞘だった。

 

 「CHUAAAAAAAA!!」

 

 怒声とともに起き上がるヒュージ。

 

 「そんなバカな……!ガ〇先生直伝のほとばしる青春のキックが通用しない…!!──って当たり前か、CHARMしか効かないんだし。ははウケる」

 

 ヒュージはリリィのみが扱うことの出来る武器、CHARMでしか打倒できない。

 いくら高所からの飛び降りにより位置エネルギーを上乗せしていたとしても、通常の人間の力では傷一つつけることは叶わないのだ。

 

 「SYA!!」

 

 いくら言葉の通じない異形の存在とはいえ、余裕綽々な彼女の態度に何か感じるところがあったのだろう。

 目の前でヘラヘラしている少女の顔面に一撃を入れようと爪を振るうが。

 

 「あらよっと」

 

 当たらない。次々と繰り出されるヒュージの攻撃を、ヒラリと身を翻し交わしていく鞘。

 

 「ピッチャービビってるー。へいへいへい」

 「GYUUU………ッ!!!」

 

 出す攻撃出す攻撃が次々と躱され頭に血が上ったか、ヒュージの動きはみるみる正確さを失っていく。まさに鞘の思う壷だった。

 

 「そんなキレんなし。カルシウム足りてないんじゃないの?煮干し食べる?口開けて、はいアーン」

 

 「SHAAA!!」

 

 「ばかめ、それは残像だ」

 

 「!?」

 

 ……それにしても、少々煽り過ぎの感があるが。

 

 「いや何やってるんですか貴女はぁ!?」

 

 「おー、瑠流に二乃じゃん。ごっきー☆」

 

 怒声とともに駆け寄ってきた瑠流、仁乃の両名に、謎の挨拶を交わす鞘。

 

 「その身の毛もよだつような挨拶は一体なんですか?」

 

 「ごきげんようのフランク版。流行らせようかと思って」

 

 「……絶対流行らないと思います」

 

 ゲンナリした様子でため息を吐くと、そのまま顔色一つ変えずにCHARMを振るい、目の前のスモール級にとどめを刺した。

 

 「GYA…!?」

 

 「……対象の絶命を確認。帰投します」

 

 耳に取り付けたインカムに任務完了の一報を入れると、これまた緊張感の欠けるふわりとした声音が返ってきた。

 

 『ご苦労さま〜。お紅茶入れて待ってるわね』

 

 仁乃の姉にして、瑠流達特別駐在リリィの上司にあたる有栖川仁愛だ。

 

 「仁愛ちゃん。あたしアールグレイがいい」

 『あら、鞘ちゃんも居るの?気をつけて帰ってくるのよ〜』

 「はーい」

 

 無遠慮に顔を近づけ勝手なリクエストと共に応答する鞘。そして、それを慣れた様子で受け答えする仁愛。

 

 「はい皆さん本日もお疲れ様。それじゃ、被害状況確認したらとっとこ帰r──」

 

 その場を勝手に取り仕切り、解散の号令をかける前に、瑠流のゲンコツが鞘頭頂部に他は叩き落とされた。

 

 「あいったー!!!」

 

 「何回言ったら分かるんですか!!!!!ヒュージと戦うのはリリィの仕事なんですよ!!!!お願いですから一般人は大人しく守られててください!!!!!」

 

 そう。先程の仁愛の慣れた応答からもわかるように、今回のような事は今に始まった事ではなかった。

 

 瑠流が折坂町に着任してから早一ヶ月。決まって折坂町周辺にヒュージが現れた際は、毎回のように彼女が横槍を入れてくるのだ。

 

 流石にラージ級以上の相手が出現している際は遠方で見かける程度だったり、直接戦闘には介入してこないが、それでも本来守るべき市民が戦場をスタコラ駆け回っている様子は正直気が気ではないのだが。

 

 「やだ」

 

 「即答!?」

 

 それでも、再三の注意も意に介さず毎度の如く彼女は現れた。

 いつもの、この世の全てを舐め腐った様な笑顔と共に。

 

 「あの……。だったら鞘さんもリリィになってくれませんか…?鞘さんが仲間になってくれたらとっても心強いんじゃないかな……って。それに……」

 

 そこまで言って、すとんと視線を落とす仁乃。すると、一つ、また一つと仁乃の足元に涙の落ちた後が増えていく。

 

 「わたし、また足を引っ張ってしまって、わたしみたいな役立たずなんかより、きっと鞘さんが居てくれた方が……」

 

 「なに、仁乃?アンタ、またなんか失敗しちゃったの?」

 

 「……」

 

 コクコクと何度もうなづいて仁乃は答える。

 声に出すと、きっと泣き出してしまっていただろうことは、傍目に見ていた瑠流にも容易に分かった。

 

 鞘が、そんな彼女の様子を見兼ねてか、俯く彼女の肩に無遠慮に手を回す。

 

 「ま、あんま気にしない方がいいよ。『失敗は成功の素だが、行き過ぎた自己嫌悪はその素を食い潰す』。あたしの師匠が言ってたよ」

 

 「で、でも…」

 

 「それに、ちょっとやそっとの失敗じゃ、あいつは見捨てたりなんかしないんじゃない?」

 

 目線でパスを送られ、思わず小さくため息をこぼす瑠流。

 なんと言葉を掛けるべきか、しばし逡巡している間にも、バチリバチリと下手くそなウインクで合図を送ってくる。

 

 「……私も、初陣の時は恐怖で足が竦んで上級生に迷惑を掛けたこともありますから。みんなが通る道、だと思いますよ」

 

 「瑠流さん……!!」

 

 「優しいじゃん?」

 

 「……昔自分がして貰った事を返しているだけです」

 

 鞘の鬱陶しいアイコンタクトに観念したように慰めの言葉を掛ける。

 メンタルが憔悴しきった仁乃には、その言葉だけで充分効果てきめんであった。

 

 「ゔ、ゔゔゔゔゔゔぅ〜…!!」

 

 「あはは。ガチ泣きじゃん」

 

 「こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛〜!!」

 

 感情が抑えきれなくなったのか、幼子のように泣き崩れてしまう仁乃。

 鞘はそんな彼女をあやす様に、肩を抱いたままぐしぐしと頭を撫で回した。

 

 「ま、あたしスキラー数値めちゃくちゃしょぼいから、どっちみち変わってやることは出来ないけど。だからさ。世界の平和とか人類の未来とか、その辺のことはアンタらに任せるからさ。あたしはあたしのやり方でこの町を守るよ。それ以上の事はしないし、無茶もしない。それでいいでしょ?瑠流」

 

 「……」

 

 いつもとは違う、少し爽やかな笑顔だった。

 嫌味ではなく、彼女の信念と自分たちへの信頼が入り交じった、好意的な笑顔。

 

 瑠流も、それに応えるように穏やかな笑顔で言った。

 

 「それとこれとは話が別です」

 

 「ですよねー」

 

 「なんかいい話でまとめようとしてますけど、貴女にはまだまだ言いたい事が沢山あるんですからね?」

 

 「ですよねー!」

 

 ぐずったままの仁乃の手を引き、ぶうぶう文句を垂れる鞘を引きずりながら苦言を呈し、帰路に着く。

 

 「あら?」

 

 すると、ポケットに入れていた携帯端末にメールの着信が入る。

 画面に表示された送り主の名前は伊勢崎理玖だった。

 

 『今日もお疲れ様!さっき避難警告解除されたよ〜!!ありがとうね!ラーメン作って待ってるからこの後うちの店に集合ね!!』

 

 「……本当に、しょうがない人達ですね」

 

 折り畳んだ携帯端末をポケットにしまい、再び歩き出す。

 

 いつの間にか、この慌ただしく、騒がしい毎日が小此木瑠流の新しい日常になっていたのだった。

 



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#9「ジャバウォック」

合同誌の原稿入稿終わったのでこっからペース上げてくぜ〜。



「おかえりなさ〜い。みんな、ご苦労様♪」

 

 ヒュージ討伐を終え、折坂女子のリリィ控え室へと戻ってきた一同。

 そんな彼女らを最初に迎えたのは、妙に間延びした一人の女性......いや、”女性”と大人扱いするには少々幼い印象を覚える声だった。

 

「ただいまぁ。お姉ちゃん」

 

 最初に返事をした仁乃の声に、部屋の奥のモニター室から腰掛けていた回転椅子ごとこちらに振り返る人影。

 ニパッとした笑顔と共にこちらに手を振るのは、仁乃の実姉、有栖川仁愛(ありすがわひとえ)である。

 

「おかえり仁乃ちゃん。いいこ、いいこ♪」

「恥ずかしいよ、お姉ちゃん......」

 

 ぱたぱたと仁乃に駆け寄り背伸びをしながらその頭を優しく撫でる仁愛。......なのだが、姉である彼女の方が明らかに身長が低く、傍目にはどちらが姉なのか分からないであろう。

 口調こそ何となく年上の女性らしいものであるが、その声質はどう見ても幼女(ロリ)。

 仁乃と同じく、濃紺のふわふわした長髪を大きな三つ編みに纏め、前髪には花柄の可愛らしいヘアピン、スーツ姿の上から着丈の大きな白衣を羽織っているその姿は、おママごと中の幼子のようにしか見えなかった。

 

「CV小倉〇って感じ。ロリ博士とか、マンガやアニメの中だけの概念だと思ってた」

「あの、突然訳の分からない独り言を言わないでください。怖いので」

 

 理解不能な独り言を呟く鞘に思わずツッコミを入れる瑠流。

 彼女が初めて対面した時も大層驚いたものだが、このどう大きく見積っても中学生そこそこにしか見えない女性こそが、瑠流達特別駐在リリィを束ねるアリステクノCHARM開発部の部長であり、歴とした二十七歳の成人女性でもある。

 

「ごめんなさいねぇ。歳が離れてることもあって、どうしても甘やかしちゃうのよ〜。あ、そうだわ!折角だから瑠流ちゃんも......」

「私はまた次の機会にという事で。とりあえず今日の報告を書き上げてしまいますね」

 

 今度は隣の瑠流の頭に手を伸ばそうとする仁愛。しかし瑠流はそれを笑顔でひょいと交わすと、椅子に腰掛け書類を広げ始める。

 

「あらそう?残念ねぇ......」

「ねね、あたしは?仁愛ちゃんあたしは?」

「それじゃお紅茶入れてあげるわね〜」

「無視?マジで?ちょ、え、マジで?」

 

 不服そうにプクッと頬を膨らませる仁愛に鞘が便乗しようと声を掛けるが軽いにスルー。

 それでも食い下がる鞘に、メッ!と人差し指を立て子供に言い聞かせるように言う。

 

「鞘ちゃんはまた警告無視したのでいいこじゃありません!よって紅茶もありません!」

「えぇ......。泣きそ......」

 

 あえなく失敗。ちっとも泣きそうではなかったが、不服そうにこれまた頬を膨らませた。

 

「ごっきー☆みんなご苦労さまー!ラーメンお待ちDo!!」

 

 しばらくすると、控え室の扉が勢いよく開かれる。元気な挨拶と濃厚なスープの匂いを引き連れ、理玖が教室へとやってきたのだ。

 

「......その挨拶、ほんとに普及し始めてるんですね」

「うん!瑠流ちゃんの転校からこっち、オリ女は密かにお嬢様ブームなのさ!......でもまぁ、みんな一般の出だからノリと勢いでアレンジしてるけどね」

「個人的にはその挨拶、カサカサ動く某黒い害虫を彷彿とさせるので、ちょっと......」

「そっかなー?私的には可愛いと思うんだけど」

 

 瑠流の指摘に対しても、あははと笑って返す理玖。そんな彼女のもとに遠慮気味な足取りで仁乃が近づく。

 

「こんにちは理玖先輩。ラ、ラーメン、あ、ありがとうございます......」

「......うん!いいってことよ!」

 

 たどたどしくお礼の言葉を返す仁乃に、理玖はほんの一瞬間を置くと、元気いっぱいのサムズアップを添えて返す。そんな彼女のリアクションに、仁乃が恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。

 

(ヒ〜〜〜〜〜〜!?!?可愛すぎる〜〜〜!!天使か!?天使が顕現している!?!?!?うおおおおおおおおお今すぐ抱き寄せて私も頭なでなでさせて貰いたいッ!!!!!でもいきなりそんなことしたらドン引かれちゃうしまずはゆっくり距離を詰めて行かないと!!焦るなよ私焦るなよ......!!!!静まれ、静まれ......ッッッ!!!!)

 

 ......ちなみに、仁乃に話しかけられてからサムズアップアップを返すまでのほんの一瞬の間では、理玖の頭の中は上記の様な感じになっていたのであった。

 

 他愛のないやり取りを続けながら、テーブルの上に人数分のラーメンと......仁愛の入れた紅茶が並べられていく。

 

「......ラーメンと紅茶って、正直どうなんでしょう」

「完全にダブルブッキングしちゃったね......。だって鞘ちゃん、何も言ってくれないから」

 

 そんな二人を見ながら、外れたところから見ていた仁乃がおずおずとした様子で提案する。

 

「紅茶は後にしますか?ラーメンは伸びちゃうので......」

「あらあら、でもお紅茶もう入れちゃったわよ?」

「「「.........」」」

 

 卓上に並べられた、あまりにもミスマッチ過ぎる食の異文化交流に困惑を見せる一同。

 しかし鞘は、特に疑問に思うこともなく、電話越しに希望したアールグレイの入ったカップに口を付けると、すぐさま隣のラーメンを啜り上げた。

 

「ぅんーまいっ!(テーレッテレー♪)」

 

 と、一言。

 わざわざ携帯電話の着メロを使って効果音を演出した事に対しては特に誰もツッコミを入れることなかったが、一同顔を合わせて頷くと、半信半疑ながらも同じように紅茶を一口飲んだ後にラーメンを啜りそして......。

 

「「「まっず!!!」」」

 

◆ ◆ ◆

 

 さて。結局ラーメン間食後に淹れ直される羽目になった紅茶とクッキーを齧りながらしばしの休憩時間に入る。

 とはいえ、瑠流は本日の報告書の作成、仁愛と仁乃は奥の部屋てCHARMの調整を行っており、理玖はそれを見学している。

 暇を持て余しているのは鞘一人であった。

 

「ねえ瑠流。背中めちゃくちゃ痒いんだけど、ちょっとかいてくんない?このままじゃ気が狂いそう」

「すいません今手が離せないので後にしてください」

「なにさ、あたしの気が狂って暴れ回ってもいいって言うの!?この人でなし!」

「すいません今手が離せないので後にしてください」

「ダメだこりゃ。所定の行動を取らないと同じこと繰り返し続けるロープレのモブみたいになってる。......どっかに孫の手代わりになるもんないかな」

 

 観念して一人で部屋の物色を開始する鞘。

 そんな彼女はさておいて、ようやく報告書を書き上げると、それをそのまま仁愛の方へと持っていく。

 

「報告書が出来ましたのでお目通し下さい」

「ご苦労さま〜。私と仁乃ちゃんはまだやる事があるから、みんなは先に帰っていいわよ?」

 

 いいながら、カタカタとキーボードを叩き難しそうな数値が並んだ画面とにらめっこしている仁愛。こうしてみるとやはりちゃんとした社会人なのだと改めて実感する。

 そんな彼女をしばらく見つめていると、画面の中に見覚えのある文字を発見する。

 

「......『ジャバウォック』」

 

 折坂女子転校初日に仁乃の口から語られた、”呪われたCHARM”の名前。確か、アリスの物語の中で伝承として語られている怪物の名前であったか。

 その名前からも察するにあまり人体に対しては良いものでは無いであろう事は想像にかたくない。

 

「あら。瑠流ちゃん、気になるの?」

「それはまぁ、私達の部屋の奥にでかでかと置いてあるものですし、呪われたCHARM......なんて聞かされたものですから」

「呪われたCHARMかぁ。仁乃ちゃんも面白い例えをするのね〜。まあ実の所私達にも、あれが本当にCHARMなのかも分からないのだけど」

「そういえば、仁乃ちゃんも前に同じことを言っていましたね」

「そう。これは単なる拾い物で誰が作ったのかも分からない危険な代物。けれど人類の今後を決めかねない希望でもあるのよ。その謎を解き明かすのが、私達はアリステクノに与えられたもう一つの使命でもある」

 

 珍しく真剣な面持ちでそう語る仁愛。

 

「ご存知かとは思うけど、私達アリステクノは元々医療機器メーカー。CHARMの製造なんかは専門外だったの。けど、私のお父さんの代──三十年前に、視察に赴いた戦場で偶然発見したの。身元不明のご遺体が握りしめていたところをね」

「え......?」

「瑠流ちゃんはあのCHARMに触れた事があるのよね?」

「はい。軽く指先で、ちょっとだけ......」

 

 その言葉を聞いて、先日ジャバウォックに触れてしまった際の記憶がフラッシュバックする。

 触れた際に指先を通して伝わってきた鋭い痛みと得体の知れない違和感。

 今思い出しても、指差しが少しひりつく様な錯覚に襲われる。

 

「解析を進めて分かったことなんだけど、このCHARMには独自のエネルギー循環システムが搭載されているのよ。通常のCHARMを遥かに凌駕した性能の代償として、使用者の身体に大量の負のマギを逆流させる、極めて危険なもの。この間瑠流ちゃんが感じた違和感は、恐らくその特性ね」

「あの時に感じた電流みたいなものは、負のマギだったということですね......」

 

 顔を青くしながらジャバウォックに触れた指を撫でる瑠流。

 そんな彼女の様子を察して、穏やかに微笑みながら仁愛が答える。

 

「ほんの数秒触れただけなら人体に大した影響はないから安心して大丈夫よぉ♪。......ただし長時間使い続ければ、ジャバウォックから注ぎ込まれる大量の負のマギに身体が汚染されて──」

 

 軽く触れただけでも、思わず手を払い除けてしまうほどの痛みだった。

 そんな痛みに耐え続けジャバウォックを握り閉めていたそのリリィがどうなったか。

 想像するだけでもおぞましい。

 

「一体誰が何の目的でそんなものを......」

「それを解き明かすのが、私達のお仕事!なんせこのCHARMは、”この地上では存在しない”物質で構成されているんだもの」

「そ、そんなことが有り得るんですか......?」

「信じられないお話だけどね〜。秘密裏に色んなCHARMメーカーや研究機関に協力を要請してるけど、未だ構造については謎が多いのよ。......下手に大々的にプロジェクトを進めても、G.E.H.E.N.A.みたいな悪い人達に悪用されかねないし......」

 

 G.E.H.E.N.A.とは、ヒュージ研究における多国籍企業のグループ名である。

 表向きではヒュージ打倒のために組織された研究機関ということになっているが、裏では半強制的な人体実験や強化リリィの違法な改造など、何かと黒い噂の絶えない胡散臭い組織である。直接の関わりがない瑠流ですら嫌な噂を何度も耳にしたことがある。

 

「というか、そんな重要なことを一介のリリィである私に話してもよかったのでしょうか......?」

 

 今の話が本当であれば、ジャバウォックの存在は相当重要な企業秘密であるはずだ。

 それをわざわざ一リリィに過ぎない自分に話してしまっていいのか。素朴な疑問であった。

 

「う〜ん。本当は良くないんだけど、瑠流ちゃんとも無関係な話ではないからねぇ」

「というと?」

「瑠流ちゃんの使っているCHARM『ハンプティ・ダンプティ』には、ジャバウォックの因子が組み込まれているからよ」

「ええ!?」

 

 思わず驚きの声を上げる瑠流。

 

「言ったでしょう、ジャバウォックは人類の希望でもあるって。不明な点はまだまだ多いけど、言わばこれは人類の化学を超えた叡智の塊。平和利用に用いれば、今までのCHARMを遥かに凌駕した代物が作れるかもしれない。制作段階で分かったんだけど、ジャバウォックの因子を継いだCHARMには、”物理法則を上書きして特殊な作用を起こす”ユニークスキルを付与出来るみたいなのね。瑠流ちゃんのCHARMは『質量操作』かしら」

 

 確かに、ハンプティ・ダンプティのもつシールドモードの特性は明らかに常軌を逸した力だ。

 レアスキルのような、物理法則を無視した超常現象とはまた違う、異能の力。

 

 「その第一段階として作られたのが瑠流ちゃんの持つ 『ハンプティ・ダンプティ』。仁乃ちゃんの持つ『チェシャ・キャット』。そして、現在の鋭意開発中の『グリフォン』。これら三機がアリステクノの誇る『MODEL_J』シリーズなの!すごいでしょう?」

 

 そう言って笑う仁愛だが、自分が命を預けているCHARMの元が、そんな得体の知れない存在であったと聞かされ、正直内心はあまり穏やかではなかった。

 

(とはいえ、これで少しは合点がいきましたね)

 

 瑠流が以前から抱いていた疑問。アリステクノがCHARMメーカーとして急成長を見せた理由の一端を聞き、ようやく腑に落ちた。

 とはいえ、正体不明の物体を解析し自社のテクノロジーの活用する技術力は紛れもなくアリステクノの実力ではあるのだが。

 しかし、そんな瑠流の不安を読み取ってか、仁愛が補足するように付け加える。

 

「あ、副作用は心配しなくていいわ!もちろん、人類が使用してもいいように改良に改良を重ねているし、政府の関連機関や、かの有名な天津重工のお墨付きも頂いているから」

「その点は心配していません。二人が悪い事を企んでいるようには見えませんから。でも、正直驚きました。そんなSFみたいな話が実在しているなんて」

「同感......と言いたいところだけれど、マギやヒュージなんてものが実在性しているのだもの。宇宙人が作ったCHARMがあっても、おかしくないんじゃない?」

「そう......かも知れませんね」

「それになにより、そう考えた方がロマンがあるじゃない!?」

「あはは......そうですね......」

 

 そう言って目をキラキラと輝かせ子供のようにはしゃぐ姿は、先日のCHARMについて熱く語る仁乃の姿を彷彿とさせる。

 性格はあまり似ているとは言い難いが、やはり二人は姉妹なのだと改めて認識する。

 と、その直後。仁愛が先程まで操作していたパソコンから「ビー!」とアラートが鳴り響く。画面いっぱいには『エラー』の文字がびっしりと表示されていた。

 

「ジャバウォックに繋いでいた解析用ケーブルの回線が切れた!?一体何が──」

「あぁ、やっといい感じの棒見つけた。......あれ、どしたの二人とも、大騒ぎして」

 

 脳天気な声とともに現れたのは、鞘だった。

 

 ......”ジャバウォックを鷲掴みにして、まるで孫の手のように背中を掻きながら"。

 

「「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!?!?」」

「うわびっくりした。どしたの二人とも。楳図か〇おのホラー漫画みたいな驚き方しtあいったーー!!」

 

 言い終わる前に、瑠流が渾身の手刀を鞘の右手首にお見舞する。

 鞘の手から離れたジャバウォックが床に落下し、金属音を響かせる。

 

「ちょ、いきなりなにすんのさ......」

「それはこっちの台詞ですよ!『触るな』って注意書きがあったでしょう!?本当にあなたって人は!!」

「ひぇ......。ごめんなさい......」

 

 そう言って不服そうに文句を垂れる鞘。

 立ち上がった仁愛が血相を変えて彼女に駆け寄る。

 

「大丈夫鞘ちゃん!身体とか痛くない!?どこか異常はない!?」

「え、普通に大丈夫だけど......」

 

 鞘の身体の各所に触れ確かめるが、確かに目立った異常は無さそうだ。

 無事を確認し、ほっと胸をを撫で下ろす仁愛。

 

「......目立った異常はないみたいですね。触れてた時間が短かったのでしょうか」

「何にせよ、よかったわぁ......。次からはもっと厳重に保管しないとダメね!要請してた追加の設備、早く届かないかしら......」

 

 そう言って、ジャバウォックに直接触れないように器具を用いて台座に収めると、鍵をかけ厳重に保管する。

 

「とりあえず鞘ちゃんはメディカルチェックね!はい、着いてきて!」

「???」

 

 そのまま鞘の腕を引っ張り保健室へと連行する仁愛。

 一方の鞘は、未だに事態を飲み込めていないのか、頭に疑問符を浮かべたまま大人しく連れられて行った。

 

(......それにしてもあの様子、私の時と随分違うような)

 

 廊下を歩く二人の背中を見送りながら、僅かな疑問を抱く瑠流。

 

(まぁ、あの様子なら大丈夫でしょう)

 

 多少の心配は残るが、何となく彼女なら大丈夫かもしれないと、根拠はないが心のどこかでは思ってしまっている自分がいた。



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#10「十字架」

投稿ペース上げるって言ったじゃないですか!!!
この嘘つき!!!!


「……歓迎パーティ、ですか?」

「そのとーり!楽しそうでしょ!?」

 

 本日の授業を終え、帰り支度を進めていた瑠流の元へとやってきたのは、隣のクラスからやってきた理玖だった。

 ホームルーム終了の号令と同時に現れ先程のやり取りを始めると、瑠流の机の上にチラシのようなものを広げ始める。ポップなイラストや可愛らしい文字達によって彩られた、イベントの告知の様だ。

 

「『オリ女×商店街合同!秋の折坂大文化祭!』……」

「こないだの自治会でおじいちゃんが企画してくれたんだ。瑠流ちゃん達がここに来て一ヶ月が経つわけだけど、守られてばかりの私たちにも何かお返しが出来ないかなぁって」

 

 受け取ったチラシを見てみると、どうやら商店街と折坂女子とが協合して、様々なイベントを行うようだ。

 校内を解放しての展示スペースや講堂での出し物。商店街でも様々なイベントを行うらしい。もはや、文化祭という枠には収まらない地域の一大イベントである。

 理玖の提案は、そこで行われる閉会式にて瑠流と仁乃、二人のリリィに感謝状を送りたい、という事だった。

 

「丁度オリ女の文化祭の時期も近かったし、せっかくだからド派手にやっちゃおうってことで!これぞ地域密着型の我が校の成せる技ってもんよ!……ねね、どうかなぁ?」

「お気持ちは勿論嬉しいですけど、わざわざ私達の為にここまでして下さらなくても……」

 

 瑠流は、リリィが市民を護るのは当然の義務であると考えている。申し出はもちろん有難いが、彼女達に支払われる報酬はその守るべき市民達の血税から捻出されているのだ。

 お礼なら既に十分受け取っているし、正直恐縮してしまうところもあるのだが。

 

「いいのよ。歓迎パーティとかただの建前だし、みんな理由つけて騒ぎたいだけなのだから。遠慮することは無いわ」

 

 そう言いながら現れたのは、瑠流の担任の志崎吉野だ。

 シュッと姿勢の伸びた背筋と長い黒髪のポニーテールが美しい、そして切れ長の目元とアンダーフレームのメガネがまさに"イケてる女教師"といった風である。

 

「ごっきー!吉野ちゃん!」

「ちゃん付けすな」

 

 気安く話しかける理玖に、手にした日誌で制裁のチョップを加える吉野。「あぃてっ」と小さく声を漏らしながら頭をさする理玖も、笑顔を崩さず、まるでじゃれあっているようにも見える。

 

「お二人は仲がいいんですね」

「吉野ちゃんも折坂出身で、オリ女のOGでもあるんだよ。昔うちでバイトしてたし、幼なじみなんだ!」

 

 そう得意気に語る理玖。しかし、当の吉野は不服そうな表情のままだ。

 

「だからって、先生をちゃん付けしていい理由にはならないわね。年上への敬意が足りない。内申点下げとくから」

「お、鬼か……?」

 

 いとも容易く行われるえげつない行為(職権乱用)を前に、膝から崩れ落ちる理玖。これみよがしに手元の手帳に何かをメモしていた吉野だが、理玖からは見えない角度……瑠流からはバッチリ見えていた。メモに書かれた内容が内申点の減点などではなく、へにゃっとした可愛い絵柄のクマの落書きだということが。

 

「ふふっ……」

 

「……ところで、伊勢崎さん。最近、その、……幸範さんはご健勝かしら?」

「え、お父さん?まぁ元気っちゃあ元気だけど……」

 

 自分から質問しておいて、どうにも歯切れの悪い様子の吉野。そんな彼女の様子に何かに勘づいた理玖が、ニヤリ、と口元を歪めると、彼女のそばに擦り寄り肘で小突きながら。

 

 「そこまで気になるなら、いつでもウチに来ればいいのに~!……心配しなくても、お父さんはまだフリーだよ」

「な……!?」

 

 理玖の発言に慌てふためく吉野。

 

「べ、別にそんなつもりで聞いたじゃ訳ないわ……!!それに、生徒の父親に、そそそんな、浮ついた感情を抱くなんて……!!」

「私そこまで言ってないんだけどなぁ」

 

 誰に向けたものなのか、べらべらと早口で言い訳めいた言葉を口走り明らかに動揺する。

 普段の凛とした彼女とは程遠いそのリアクションに、"そういった話題"とはおおよそ縁遠い瑠流ですら気づき、理玖に耳打ちする。

 

「(志崎先生ってもしかして……)」

「(うん。うちのお父さんに気があるみたい。ウチでバイトしてた頃からだから、もう七、八年ぐらい前からかなぁ。お父さんはまっったく気づいてないけど)」

「(色々複雑なんですね……)」

「(そうでもないよ。吉野ちゃんいい子だし、ちっちゃい頃からお姉ちゃんみたいに思ってたからさ。私としては新しいお母さんになって貰っても全然いいんだけど、何せあんな感じだから、中々進展しないんだよねぇ)」

 

 この手の話題は何かとデリケートになりがちだが、当事者の娘である理玖自身は寧ろ乗り気なくらいであった。

 これも、地域との関連性が深い学校ならではのことなのだろうか……などと一瞬思ったりもするが、「そんなことはないな」と即時自分の中の常識が否定する。本当に、この学校に来てからというものの自分の今までの価値観が覆されるような事ばかりだ。

 何はともあれ、目の前で小学生のように初心なリアクションをとる成人女性を微笑ましく見守っていると、非常識の擬人化のような少女。花小金井鞘が勢いよく扉を開き、登場とともにこう口走った。

 

「よっ、恋愛クソザコ教師ィ」

 

 スパーン!

 ……と、彼女の頭にクリーンヒットした学級名簿の音が、放課後の教室に響いた。

 

◆ ◆ ◆

 

「話が盛大に逸れてしまったけれど、どうかしら? 感謝状の件、引き受けてくれると私としても嬉しいのだけど」

 

 さて。頭に大きなたんこぶを作り、地面に直に正座させられている不届き者と、鞘を追いかけて後からやってきた仁乃の二名を加え、話題は歓迎会の件へと戻される。

 鞘に制裁を加えた事でいつもの調子を取り戻したのか、先程までの稚拙さはなかった。

 あくまで、生徒に寄り添う教師として、答えを出しあぐねている瑠流に優しく微笑む。

 未だ引っかかる部分はあるが、ここまで言われれば、断る方が逆に失礼というものだろう。

 

「……わかりました。喜んでお受け致します」

「バンザーイ!」

「ぜんざーい」

 

 やっと出た瑠流の了承の返事に、諸手を挙げて喜ぶ理玖と、それに便乗してくだらない駄洒落を口走る鞘。

 「しょうもな……」と脇から眺めていた仁乃も思わず口に出そうになるが、既のところで口を塞ぎあわててしゃがみ込んだ。

 そんな彼女に、これまたテンションが上がりきった満点の笑顔で理玖が話しかける。

 

「仁乃ちゃんはどう?いいかなぁ?」

「は、はい。瑠流さんが出られるなら、是非」

「おけーーぃ!!」

 

 正直、ろくな戦果もなく、且つ人前があまり得意ではない仁乃はあまり乗り気ではなかったのだが、こうも嬉しそうに迫られてはさすがに断る訳にもいかず、自身の押しの弱さを心の中で呪うばかりだ。

 

「じゃあ早速だけど、今週の土曜空いてる?色々段取りとか詰めておきたいんだけど!」

「今週の土曜ですか?でしたら──」

 

 言いかけて、言葉に詰まる瑠流。

 何かに気づいたのか、眉をひそめそのまま俯いてしまう。

 

「……」

「どしたん?何かあった?」

 

 そんな彼女の様子に違和感を覚え、話しかける鞘。

 

「……いえ、すみません。その日は別に用事があって。その次の日の日曜でしたら構いませんよ」

「そっかー。折角だし集会に参加してもらいたかったけど、用事があるなら仕方ないね……。うん、じゃあ日曜日で!」

「はい。お願いします」

 

 しかし、顔を上げ返事を返した瑠流の表情が、あまりにもいつも通りで。

 鞘は、そこが寧ろ不自然に思えて仕方なかったからだ。

 

「……」

 

 地べたに正座させられ、下から見上げるように見ていた彼女だからこそ気づくことが出来た。

 顔を伏せていた瑠流が、唇を噛み締め、とても悲しそうな顔をしていた事を。

 

◆ ◆ ◆

 

「……」

 

 来る土曜日。瑠流は、花束と、様々なお菓子が詰め込まれたバスケットを手に、一人電車に揺られていた。

 トンネルをくぐり抜けると、目の前に広がるのは一面の大海原。爽やかな景観とは対照的に、それを見つめる瑠流の表情は冴えない

 目的地『鎌倉駅』で下車すると、改札を通り目的値へ向かう。

 途中、改札前で護衛の任についている自衛官に敬礼を送られた。制服が変わっても、どうやら自分の顔を覚えていたようだ。

 ヒュージの襲撃により、人が撤退し閑散とした市街地をくぐり抜け、小高い丘の上に立つ荘厳な校舎を見上げる。

 リリィの聖地。『聖学』と謳われる日本屈指の名門校。百合ケ丘女学院だ。

 

◆ ◆ ◆

 

 通告許可書を開示し、目立たぬよう人目の着く場所は避けながら真っ直ぐ目的地へと向かう。

 たどり着いた場所は、墓地。百合ケ丘女学院内にある、戦死したリリィ達を英霊として祀る神聖な場所。

 静かに歩みを進め、寄り添うように立てられた八つの墓標の前に訪れると、それぞれに別々の花とお菓子を供えていく。

 

「みんな、待たせてごめんね」

 

 小さく、優しく、ぽつりと呟く彼女の姿は、折坂町で見せる彼女のどの表情とも違っていて。

 優しいようでいて、しかし力のない、儚げな微笑みを称えていた。

 

「ごきげんよう。やっぱり来てたのね、瑠流」

 

 穏やかで、しかし不思議とよく通る不思議な声音。振り返った先にいたのは、美しい銀髪を揺らし静かに微笑む一人の少女。

 百合ケ丘において、委員会、学級会などの政治を司る、三席存在する生徒会長『オルトリンデ』代行を務める秦祀である。

 

「彼女達の月命日、欠かさず来ていたものね。……いつもは始発で来て、みんなが起きる前に帰ってしまっていたから、中々会う機会はなかったけれどね」

「……おひさしぶりです、オルトリンデ代行。お元気そうで何よりです」

「祀でいいわよ。昔みたいに」

「……」

 

 かつての級友へ親しげに微笑む祀。しかし当の瑠流は、尚も無言のまま振り返り、墓標周りの清掃を開始してしまう。

 

「聞いたわ。東京の方でリリィとして復帰したって。正直、少し嬉しかった。ほんの少しでも、前に進む気になったのかもって」

「……」

 

 黙って作業を続ける瑠流の隣に立って手伝う祀。

 

「これだけは言わせて。……貴女は何も悪くない。あまり自分を、責めないで」

 

 そう言って、俯く彼女の顔を覗き込み微笑む祀。

 本人が自ら語ることは無いが、彼女もまた、最愛の妹(シルト)をなくした身。そんな彼女だからこそ、言葉は重みを持つ。彼女は、間違いなく理解者だ。差し伸べられた手を掴めば、きっと救いになってくれるだろう。しかし。

 

(……その手を取る資格は、私にはない)

 

 瑠流はただ、寂しげに笑って「ありがとう」と返すだけだった。

 

(今の瑠流は、あの時の夢結みたい。……この子にも必要なんだわ。夢結にとっての、梨璃さんのような子が)

 

 何とかしたいと思いつつも、瑠流はもはや別のガーデンのリリィ。自分がしてやれることは、あまりない。その事があまりにも歯がゆかった。故に祀は、とある提案を持ち掛けてみることにした。

 

「ねえ、瑠流。貴女さえよかったら、また百合ケ丘に──」

「私は反対よ」

 

 しかし、そんな彼女の言葉を遮るように、一人の少女声が響いた。

 

「今の貴女では、足を引っ張るだけだわ。……ここでも、他所のガーデンでもね」

「……嶺亜様」

 

 花束を手に、ゆっくりとこちらに向かってくるその少女。膝下まで伸びる亜麻色の二房の三つ編みが特徴的などことなく文学少女めいた知的な雰囲気を纏っている。

 幼げに見える顔立ちだが、その瞳の奥からは確かな意志の強さを感じさせる。

 彼女の名は、假屋崎嶺亜。瑠流と擬似姉妹契約を結んでいたとある少女と、生前親交のあった三年生だ。瑠流とも勿論面識がある。

 彼女もまた、ここに眠る一人のリリィの墓参りに訪れたようだ。持ってきた花束を供え、手を合わせる。

 

「……私はまだ、貴女を許した訳じゃないわ」

 

 祈りを終え、瑠流とは目も合わせようとせずに、淡々と口にする嶺亜。

 

「あの子は、千閃は、あんな所で終わる子じゃなかった。己の宿命に真っ向から立ち向かう、努力家で、真っ直ぐな、尊敬出来る子だった。一度は懐を分かった私だけれど、いつか戦場で共に戦える日が来ると信じていた」

「……」

 

 瑠流は黙って彼女の言葉を受け止めていた。

 自分にはその責任があると感じていたからだ。

 

「けど、そんなあの子が、自分の命とを天秤に掛け、貴女の命を選んだ。……貴女にその価値があるだなんて、私には思えない……! 悔しかったら、反論の一つでもしてみなさいよ!!」

 

 今度は明確な敵意と共に、射抜くような視線で瑠流を睨みつける嶺亜。しかし。

 

「……その通りですね」

「は?」

 

 ひどく。ひどく冷めた表情で。声音で。瑠流が返したのは肯定の言葉だった。

 

「死ねばよかったのは、私の方です」

「……ッ! この……っ!!」

 

 激情のままに、瑠流の胸ぐらを掴み殴りかかろうとする嶺亜。

 咄嗟に傍にいた祀がその手を掴み、彼女を抑えに掛かった。

 

「嶺亜さん、やめてください!!」

「本当に……本っ当に腹が立つ……!!! こんなウジウジした弱虫の為なんかに、あの子が命を散らしたのかと思うと……! 心の底から、腹が立ってしょうがない!!」

 

 静止する祀の声も聞かず、瑠流の襟元を掴んだその手を決して緩めない。

 俯く瑠流の身体を激しく揺らしながら、詰め寄った。

 

「貴女、ポジションをBZからAZに変更したそうね。先日の戦闘履歴を見させて貰ったわ。元々後方支援だった貴方が、負傷というハンディキャップを背負っても尚先頭に立とうするのは何故!?」

「……」

「回避や牽制ではなく、敢えて"攻撃を受ける"役割に身を置いたのは何故!? 今はまだ小型の敵が相手だからいいにしても、もし大型と対峙しなければならなくなった時、貴女どうするつもり!?」

「……貴女には関係のない話です」

「言う気がないなら当てて上げましょうか? ……死にたいんでしょう、貴女」

「……」

「図星か……!」

 

 その沈黙を肯定と受け取ったか。瑠流を地面に激しく突き飛ばす嶺亜。

 

「いい加減に目を覚ましなさいよ……!! あの子が命懸けで守ったあんたの命を、粗末にするような真似だけは死んでも許さない!! あんたの命は、あんただけのものじゃない! あんたを守って死んだ、そこにいる八人分の命を、まるごと背負っていかなければならないの! それなのに、貴女は──」

「私は……」

 

 目にいっぱいの涙を溜めて激昂する嶺亜を前にしても、瑠流の態度は変わらなかった。

 全てを諦めたような、あの冷めた瞳で、ただ静かに、こう返した。

 

「……私は、みんなと一緒に逝きたかった」

「───────ッ!!!!!」

 

 今度こそ完全に怒りに火がついた嶺亜が、再び瑠流に掴みかかろうと拳を振り上げる。

 あわてて祀が背後から羽交い締めにして嶺亜の静止を試みるも、収まる様子はまるでなかった。

 その涙が、自分が姐と呼び慕う彼女の為のものだと分かっていたから。誇張でもなんでもなく、瑠流は彼女になら殺されても構わないと本気でそう思えた。

 ……瑠流のそんな考えこそが、嶺亜の怒りの原因だとも知りもしないで。

 

「もういい! もういいからやめて嶺亜さん!」

「離しなさいオルトリンデ代行! こんなやつ一度引っぱたいてやらないと気が済まない!! そうすればこの子も目を覚ますでしょ!?」

「ここは戦場で散っていったリリィ達が休まる神聖な場ですよ! そこでこんな……!」

「今の情けないこの子をみたら、あの子だってこうするわよ!!」

「ちくわ大明神」

「だからって、瑠流を殴ったって何も変わらない……!お願いですから、お互いにこれ以上傷つこうとしない……で……?」

 

「……」

 

「……」

 

((……誰だ今の?))

 

 一瞬入った雑音に、思わず思考停止する二人。

 理解不能。その一言に尽きた。何の脈絡もなく聞こえたそれに、思わず幻聴かと疑うが、二人の背後から現れたその存在が、それが事実である事を決定づけていた。

 そう。”巨大なちくわの着ぐるみ”に身を包んだ、素っ頓狂なその少女によって。

 

「???」

 

「???」

 

「「????????」」

 

 あまりにも場違いな”それ”の出現に、完全にフリーズする祀と嶺亜。

 一方で、アンニュイな表情のままこちらを見つめている妖怪巨大ちくわは、たった一言だけ問いかけた。

 

「知ってた?ちくわとかまぼこって、形が違うだけで中身はまったく同じものらしいよ」

 

 だからなんだ。

 

 図らずも、三人の心はひとつになった。



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#11「無責任ヒロイン」

 このへんからようやく書きたかった所まで来れたので、続けてよかったなぁの気持ちです。


 あの日。たった一人で生き残ってしまったあの日以来。私は毎日、死ぬ事を考えていた。

 

 担ぎ込まれた病院で目を覚ました時、あまりに現実味のない記憶だったから、最初は悪い夢か何かだと思っていた。けれど、身体中に負った夥しい数の傷と、どれだけ力を込めてもピクリとも動かない左手が、あれが悪夢などではなく、紛れもない現実であった事を否が応にも証明していた。

 

 「私が、殺した……」

 

 私の『カリスマ』が、みんなを駆り立てた。私一人のために、みんなが死ぬことなどなかったのに。私の力が彼女たちの心を惑わせたのだ。

 

 そう自覚した次の瞬間に、私は病室の窓から身を投げていた。

 

◆ ◆ ◆

 

 残念な事に、私は死ねなかった。

 

 病室が二階だったという事。落下地点にあった花壇がクッションになったという事。そもそも、決行場所が病院なので早急な応急処置がなされた事など。

 少し考えれば予想出来たような事だが、結局、無駄に病院側の手間を掛けただけに終わってしまった。

 

 次に目を覚ました時、そこにあったのは、大粒の涙を流しながら顔がしわくちゃになった両親の顔だった。

 故郷の福岡からわざわざ駆けつけてくれたらしい。長く一緒に暮らしていたが、ここまで取り乱した二人を見るのは初めてだった。

 

 自殺の件を咎められるかと思ったが、両親はただただ「よかった……よかった……」と、何も言わずに私の生存を喜び、そして何度も励ましてくれた。今更ながら、私はその時初めて、親の愛の大きさというものを実感した。

 

 ───────だからこそ、絶望した。

 

 私はこんなにも自分の事が嫌いなのに。

 

 今すぐにでも死にたいのに。

 

 私の愛する両親は、私の事をこんなにも愛している。

 

 私がもし自らの命を絶てば、両親は絶望するだろう。深い深い悲しみに囚われ、自らを責め、もしかしたら、立ち直れなくなってしまうかもしれない。……そんな事はあってはならなかった。

 

 死にたくても死ねない。

 

 生きなければならない。

 

 けれど、生きていたくない。

 

 理由が必要だった。私を愛している人達を比較的傷つけずに済み、納得させられる”前向きな死の理由”が。

 

『言う気がないなら当てて上げましょうか? ……死にたいんでしょう、貴女』

 

 その通りだ。

 

 だから私は、再びリリィになった。

 懸命にリハビリに励み、立ち直ったフリをして、名誉の殉死を遂げるために戦場に戻ってきた。

 

 復帰した私は、他のリリィとの干渉は極力避けるようにした。

 下手に戦場で協力者が増えてしまえば、生存率が上がってしまう。それに、またこのカリスマのせいで、同じ過ちを繰り返さないとも限らない。

 何より、いずれ死にゆく私に戦友など必要ない。……そう思っていた。

 

『それよりさ、ラーメン食べようよ』

 

『いいね。あんた。あたしも好きだよ、あんたみたいなやつ』

 

 まただ。

 

 いつもそうだ。

 

 彼女はいつも、こちらの都合などお構いく、人の間合いに土足でヅカヅカ踏み込んでくる。

 空気なんか読まず。自らの心のままに。あの、全てを小馬鹿にしたような軽薄な笑顔で。

 

 そんな彼女が、本当に───────。

 

 

 

 

 

 毎月欠かさず訪れていた、みんなの月命日。

 

 今月に限って”その日を忘れてしまっていた”のは……きっと、彼女のせいだ。

 

◆ ◆ ◆

 

「オル……オル……オルタナティブさんだっけ。大丈夫この人。めちゃくちゃキレ散らかしてるけど」

「オルトリンデです」

「カルシウム足りてないんじゃないの?ってか生徒指導とかも含めてそちらの仕事なんじゃないですかね、オルステッドさん」

「オルトリンデです」

「あー……あとこれ、一人じゃ脱げないんだよね。悪いんだけど、手伝ってくれないかな。オールナイトニッポンさん」

「オルトリンデです。あと代行です」

 

 突如二人の会話に割って入ってきた、ちくわ大明神こと花小金井鞘。

 目の前の珍現象が未だに飲み込めていないのか、虚無顔でただただ返答する祀に協力を仰ぎ、ようやく脱いだ着ぐるみをドカッと地面に放り投げた。……結局なんのために持ってきたのかは、相変わらず誰にも分からなかった。

 

「……誰よ貴方」

 

 そんな彼女を訝しげに眺めていた嶺亜が、質問する。突然の出来事に思わず呆気に取られていたようだが、どうやら怒りはまだ収まりきってはいないようだ。

 目を吊り上げ、鞘を睨みつけるその表情からは怒りの念が伝わってくる。

 しかし当の鞘はというと、相変わらずな緊張感にかけるへらへら笑顔のままでこう答えた。

 

「あたしぃ、花小金井鞘!花も恥じらう十六歳の女子高生です!よろしくね☆(一オク上げ)」

 

 バチーン☆と下手くそなウインクと共に繰り出される妙にぶりっ子した自己紹介。

 聖学たる百合ケ丘の神聖な学び舎にあまりに相応しくないその振る舞いは、徐々に静まりつつあった嶺亜の怒りを再び燃え上がらせるには十分であった。

 

「何よ貴女ふざけてるの!!??」

「ふざけてるよ!見ればわかるでしょうが!!」

「なんで逆ギレ!?」

 

 仲裁に来た筈の鞘までも逆上してしまい最早何が何だか。

 お互いに肩を掴み取っ組み合いになる両者を、祀と瑠流の二人は傍から呆然と眺めていた。

 

「いいかげんにして!! 私たちは今真面目な話をしてるのよ! ちょっとは空気を───────」

「うるせーーーッ!!!」

 

 しかし、突如その均衡は崩れ去った。

 激昂した鞘が、放りしてていたちくわ大明神の着ぐるみを抱えあげると、そのまま嶺亜の頭へズボッと叩き込んだ。

 

「もがー!!?」

「嶺亜さん!?」

 

 前後反対に被せられた着ぐるみのせいで実質簀巻き状態にされた嶺亜が、バランスを崩しその場に倒れ込んでしまう。

 立ち上がろうと脚をばたつかせるが、如何せん手が使えないため一向に立ち上がることは叶わず、ひたすら地面を蹴りただその場を回転するだけのその姿は、まるで出来損ないの玩具のようであった。

 

「もがもが!?もがーーーッ!!!?」

「『会話とは、お互いに言葉を交わし合う事。一方的な主張は会話にあらず』。私の師匠の言葉だ。少し頭を冷やすといいよ」

(この人、自分の行いが見えていないのかしら……?)

 

 どこまでも自分のことを棚上げにした鞘の発言に、思わず脳内で突っ込んでしまう祀。

 それはさておき、鞘は地面でもがき苦しむ嶺亜を放置したまま、さっきからずっと俯いたままの瑠流に話しかけた。

 

「やっほ」

「……つけて来たんですか?その格好で」

「ううん。こっち着いてから着替えた。通りすがりのピンクい髪にクローバー付けた女の子に手伝って貰って」

 

 答えながら、へたり込んでいた瑠流の隣……。瑠流が大切に思っているという”誰か達”の墓前でかがみ込むと、懐から取り出したちくわをお供えし、手を合わせ祈った。

 

「こんなものしかないけど堪忍ね」

「どうして貴女が……。誰のお墓か知らないでしょう」

「知らないけど、あんたの友達なんでしょ」

 

 瞑目し、静かに祈りを捧げる彼女の姿は、普段の破天荒な立ち居振る舞いとあまりにかけ離れていた。その真剣な横顔を、瑠流は黙って見つめていた。

 

「……あたしは基本的に、この世の生きとし生けるものは全て友達だと思ってる。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きてるからね」

 

 祈りを終えゆっくりと立ち上がると、背中越しに嶺亜へ話し掛ける。

 

「……けどまあ、何事にも限度はあるじゃん」

 

 振り返ると、祀の助けによって拘束を解かれた嶺亜がこちらを睨みつけていた。

 鞘は、少しも怯む様子を見せずにツカツカと彼女との距離を詰めると、鼻先が触れ合うほどの至近距離で彼女を睨みつけ言い放つ。

 

「あたしのダチ泣かしたら、ぶん殴るよ」

 

 しばしの沈黙。お互いにまったく視線を逸らさず、睨み合いが続く。

 対する嶺亜も、毅然とした態度で真正面からその視線を受け止めていた。……が、暫くすると、何か思うところがあったのか、瞑目し浅いため息を零すと、それ以上は何も言って来なかった。

 

「帰るよ」

「え、でも……」

「いいから」

 

 逡巡する瑠流の手を取り強引に立ち上がらせると、手を引きその場を後にする。

 しっかりと手を握ったまま、足早に前を歩く彼女の背中から、瑠流は何故か目が離せなかった。

 

◆ ◆ ◆

 

「……で、二時限目の時、校庭に野良犬が侵入してきて大騒ぎになっちゃって。まあその犬を餌付けしてたのあたしなんだけど」

 

 帰りの電車にて。二人は横座式のシートに並んで腰掛けらながら、他愛のない会話を繰り返していた。

 ……否。瑠流は先の出来事から一切口を聞かなかったので、鞘が一方的に下らない話を繰り広げているだけだったが。

 

「……あの」

「エッ。あ、はい」

 

 突如、瑠流は自らその沈黙を破った。

 浮かない表情で視線を落とし、目を合わせようとしないまま、ぽつりぽつりと話し出す。

 

「何があったか、聞かないんですか?」

 

 瑠流はてっきり、嶺亜との言い争いの原因、自分の過去について聞かれるものだと思っていたし、話す覚悟は出来ていた。

 この際、事情を知ってもらった方がそっとしておいてくれるのではないかという期待もあったが、自分から進んで話す気にもなれず葛藤していた。いっそ向こうから聞いてきてくれた方が楽だとすら思ったが、彼女の方から聞いてくる様子はまるでない。

 

「聞いて欲しいの?」

「……いえ」

「じゃあいいや。話したくなったら適当に話して」

 

 あっさりとそう返すと、そこで会話を打ち切る鞘。向かいの窓の外から流れる景色を二人でぼうっと眺めながら、暫く沈黙が続く。

 

 何がしたいのだろう。彼女は。

 

 お節介で助けてくれたのかと思えば、今度は一切の事情を聞こうともせず、いつも通りの他愛のない話をするばかり。何を考えているのか、本当にわからない。

 

 そんな事を考えていると。

 

「『自分の行動に迷った時は、一番大切な人の顔を思い出せ』」

「……え?」

「あたしの師匠の言葉だよ」

 

 窓の向こうの大海原を長めなが、鞘が独り言のように呟いた。

 

「その大切な人に胸を張って真正面から言える行動が、多分その人にとっての正解なんだと思う。少なくともあたしはそう思ってるし、今までもそうやって選んできた」

「……」

 

 きっと。彼女にとっての大切な人というのが、その『師匠』なのだろう。そしてそれこそが、彼女の行動原理。

 

 では、私にとっては?私の大切な人は、もうこの世を去ってしまった。他でもない、私のせいで。そんな私が”あの方”に思いを馳せることなど果たして───────。

 

「はい、この話は終わりね」

「きゃっ……!?」

 

 そう言って話を切ると、唐突に隣の瑠流の腕を掴み強引に引き寄せ、その側頭部を自らの膝の上に載せた。

 有り体に言うと、膝枕である。

 

「あの、突然何を……」

「寝なよ」

「けど……」

「いいから、寝なよ」

 

 立ち上がろうとするも、側頭部を手で強く押さえつけられていた為抵抗は無駄に終わった。上から押さえつけられているのだから、当然ではあるが。

 恥ずかしさで体温は上昇し、鏡がなくとも自身の顔が紅潮しているのが分かる。

 

 観念して暫く身を預けていると、一定のリズムを刻む車内の心地よい金属音と、いつの間にか優しい手つきに変わっていた鞘の柔らかな手が、凝り固まった彼女の心を徐々にほぐしていった。

 

 それから、瑠流が深い眠りに落ちるまで、そう時間は掛からなかった。

 

◆ ◆ ◆

 

 帰りの電車で眠ってから次に目を覚ました時、瑠流は折坂女子のリリィ控え室にあるソファに移されていた。恐らく鞘がここまで運んでくれたのだろう。部屋の鍵はちゃんと外から掛けられていた。しかし礼を言おうにも、本人の姿はもうなかった。

 

 日はもう暮れかかっており、カーテンの隙間からオレンジの夕陽が差し込んでいた。自分の記憶では、百合ケ丘を出たのはまだ昼前だったので、随分長いこと眠っていたようだ。

 

「こんなに熟睡したの、いつぶりでしょうか……」

 

 身を起こし、控え室の鍵をかけ、何となく校舎の中を歩く。

 普段生徒たちの喧騒で騒がしい校舎は、休日で人が少ないせいか静まり返っており、まるで別世界のようだった。

 

 辿り着いた屋上から、何となく眼下の町を眺めていた。

 かすかに聞こえる誰かの笑い声や子供の泣き声。車の排気音。風の音。───町の営みの音。

 

 数時間はそうしていたかもしれない。正確に時間は測っていなかったので分からないが、日が完全に暮れるまで、ただ町を眺めていた。

 

 暫くして。

 

「ごきげんよ。黄昏てるね〜」

「理玖さん。ごきげんよう」

 

 声の主は理玖だった。

 朗らかな、人懐こい笑顔を浮かべながら手を振ると、ゆっくりとした足取りで瑠流の隣にやってきた。

 

「鞘ちゃんと何かあったんでしょ。なんか、そんな顔してる」

「バレバレですか。もうちょっと、取り繕うのには自信があったんですけど、私もまだまだですね」

「あはは、しょうがないよ。あの子と関わった子は皆そうなの。いつの間にかペース掻き回されて、知らない間に自分を引きずり出されちゃうの。……あたしもそうだったなぁ」

 

 落下防止用の柵に身を預け頬杖をつきながら、過去に思いを馳せるようにしみじみと語る理玖。

 

「ぬふふ。友好の証にここは一つ、ヒミツの共有でもしちゃおうかなぁ。……実は私ね、ほんとは高校生になったら、リリィになる予定だったんだ」

「え、そうだったんですか?」

 

 リリィになる手段にはいくつかの方法があるが、その中でももっともポピュラーなのが、一定期間に実施される学校での身体測定だ。

 そこで高い素質を認められ、リリィになる者も多いのだが、まさか理玖にもその資質があったとは。

 

「中学の時の身体検査で、すきらー数値?だっけ。なんかあれが高かったらしくてね。どっかの企業団体の人が大金積んで、リリィにならないかって尋ねてきたの。もうびっくりしちゃって。けど私には、お母さんみたいな女優になるって夢があったから。……リリィご本人の前で言うのは気が引けちゃうけど、正直、嫌だった」

 

 少し申し訳なさそうに笑う理玖。

 実際、リリィへなるかどうかは自身の命にけど変わる事のため、本人の判断に委ねられているのも事実。決して強制ではない。

 

「けどそれって、所詮は私の我儘でしょ?リリィとして戦える人は限られてるし、私が自分のために夢を追いかけてる間にも、命を懸けて戦ってる人がいっぱいいるんだって思うと、断ったらダメなのかなって凄く悩んでて……」

 

 しかし、出会って間もない瑠流でも分かるほど、彼女が実直で優しい人物である事は分かっていた。

 選ばれたものとしてのしかかる責任と、夢との葛藤。彼女がどれだけ悩んだかは想像にかたくない。

 

 しかし、一瞬表情を曇らせたものの、またニパッと楽しそうに笑い、続きを話した。

 

「けど、そんな時出会ったのが、鞘ちゃんだったんだ」

「え?あの人って、昔からずっとこの町にいた訳じゃなかったんですか?」

「ううん。私が中三の頃にふら〜っと町に現れて、行倒れてた所をうちで拾ったんだ。……朝外に出た時、宅配ボックスに頭から突っ込んでたのを見た時は流石にドン引きしたよね」

「えぇ……」

「そっからはもう大変だったね〜……。まるで初めて遊園地に来た子供みたいに、あれは何だこれは何だってあちこち引っ張り回されて。そこに加えて、あの歯に衣着せぬ物言いでしょ?それはもう毎日大騒ぎだったよ〜……」

 

 そう言いながらも、話している彼女の表情はとても楽しげだった。

 

「進路で悩んじゃって、一人にして!って突き放しても、何度も何度も戻ってきて、『今のあんたは独りで居るべきじゃない』とか、『磯野〜、そんなことより野球しようぜ』とか言ってさ。説明も何も無いし、ていうか磯野って誰だよって感じだし、正直『こいつバカなのかな?』って思ってた」

(わかります)

「でもね、そんな鞘ちゃんを見てて思ったんだ。こんなにも自由で楽しそうに生きてる人ってほんとにいたんだって。私もちょっとくらいは、そんな風に生きてもいいのかなって。そのお陰で私は、ちゃんとお断りする事が出来た」

「……」

「鞘ちゃんはね、自分から何にも聞かないよ。ただ一緒に居て、笑ったり、泣いたり、怒ったりしてくれるだけ。当然それだけじゃ何の解決にもならないし、目の前の問題は、結局は自分で決着をつけるしかない。……けどあの子と一緒に居ると、”その問題に立ち向かう為の勇気”を貰える気がするんだ。そんなあの子だから、私は友達になりたいなって思った」

 

 瑠流は思った。

 

 ああそうか。この人もきっと、彼女に救われた人の一人なんだと。

 めちゃくちゃに見えて、それでも周りから人が居なくならないのは、彼女のそんな”自由さ”に救われてきた人達がいるならなのだと。

 

「瑠流ちゃんもさ、ホントはそうなんじゃないの?」

「私は───────」

 

 本当は分かっていた。私もまた、彼女に救われようとしている事を。

 いくら私自身が拒んでも、望まなくても、きっと意味は無い。

 だって彼女はいつだって、最初から人を救うつもりなどはないのだから。

 ただ彼女が”ありのままに生きてやりたい事をやっていたら、結果として周りが救われていた”だけなのだから。

 

 だとしたら、それはなんて『無責任なヒロイン』なのだろう。

 けれどそれこそが、あの『花小金井鞘』という少女なのだ。

 

「一度よ〜く考えてみてね! 曰く『周りが何をしても、何をされても、自分のことを幸せにしてあげられるのは自分だけ』らしいからさ! じゃね!」

 

 きっもその言葉も、理玖が彼女に掛けてもらった言葉なのだろう。

 駆けていく彼女の背中を、黙って手を振り見送った。

 

 

 わからない。

 

 わからない。

 

 わからない。

 

 私はどうすべきなのか。どうなりたいのか。どうしたいのか。

 

 目の前にあるかもしれない新しい幸福と、それを受け入れたくない罪悪感。自責の念。

 

 夜が開けるまで考えても、結局答えは出なかった。多分、独りでどれだけ考えても、一生答えにはたどり着けないだろう。

 

 だったら、私は───────。

 

◆ ◆ ◆

 

「カップラーメンに冷水を注いだら冷やし中華になるって聞いたから試しにやってみたんだけど、一向に麺が柔らかくならなくってさぁ」

「いやバカのするやつだよそれ!!!」

 

 翌日。折坂女子の二年A組。

 ホームルームが始まる前の教室で、鞘と理玖と数名のクラスメイト達が、席を囲みながら賑やかにじゃれあっていた。

 そこへ。

 

「あ……小此木さん!?」

「?」

 

 教室の扉が開き、現れたのは隣のクラスにいるはずの小此木瑠流だった。

 教室を見回し、こちらを見つけると、無駄のない足取りでこちらに近づいてくる。

 

「鞘さん」

 

 その声音。瞳。瑠流の所作から、鞘は”本気”を感じ取った。

 机の上に投げ出していた脚を下ろし立ち上がると、彼女の視線を真っ向から受け止める。

 

 そして瑠流は、しばらく間を置いた後、明確な意志を感じさせる凛とした声で、言った。

 

「私と……勝負してください」




 サブタイについてですが、花小金井鞘のキャラクターを決める上でテーマになったとある楽曲から拝借しております。
 アサルトリリィとは本当に1ミリも関係のない十年以上も前の曲ですが、もし良かったら探してみてください。

※流石に男性扱いはアレかなぁと思ったので、ヒロインにしました。


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#12「そして、少女達の戦いが幕を開ける」

 亀更新にも関わらず今まで読んできて下さったお優しい皆さん、本当にありがとうございました。
 この話以降を書くためにここまで書いてきたといっても過言ではありません。

 よろしくお願いします。


 秦祀は、百合ケ丘女学院校内のラウンジで紅茶を嗜んでいた。

 普段はオルトリンデ代行としての業務に忙殺されている彼女だが、今日はたまたま申請書類の数も少なく、処理に当てる予定だった時間がそのまま空いてしまい、いつか飲もうとしまっていた秘蔵の茶葉を取り出してきた。

 

「美味しい……」

 

 先日再開したかつての学友と飲む約束をしていたものだが、恐らく彼女がここに帰ってくることはないだろう。

 少しの罪悪感とともに封を開け、少しだけ残しておく事にした。

 

「ごきげんよう」

「ごきげんよう、嶺亜様」

 

 不機嫌そうな声音の挨拶とともに現れたのは、先日いざこざがあったばかりの三年生、假屋崎嶺亜だ。

 

「この間のちくわ……じゃなくて不審者の事、学院には報告していないそうじゃない。代理とはいえ、生徒の代表たる生徒会長(オルトリンデ)が情報隠匿なんかしていいのかしら」

「そういう嶺亜様こそ、誰にもお話しになっていない様じゃないですか?」

「……」

 

 こちらの指摘には黙りだ。恐らくだが、彼女にとっても先日のやりとりから思うところがあったのだろう。

 

「私は単に、彼女は不審者などではないと判断しただけです。百合ケ丘の仲間の、その友人を。拘束する理由はありませんから。それに──」

「それに?」

 

 先を促す嶺亜。カップに残った紅茶の水面に、自分の顔が映る。

 

「今の瑠流に必要なのはきっと、”私”ではなく”彼女”の様な人だと、そう思ったんです」

 

 少し晴れやかなようで、しかしほんの少しの寂しさを帯びていた自分の顔が、なんだか少し可笑しかった。

 

◆ ◆ ◆

 

「……ターゲットを補足。目的地に誘導します」

 

 小此木瑠流は、所定のポイントから”ターゲット”を見下ろしていた。

 こちらの視線に気づいたのか、今までその場で静止していたターゲットが機敏に動き出し、こちらから逃れようとしている。

 

「……」

 

 しかし、遮蔽物が一切ないフィールドでのその行為は無意味に等しい。

 ギリギリ対象に当たるか当たらないかという箇所に牽制攻撃を放ちつつ逃走ルートを絞り込み、徐々に端へ端へと追いやっていく。こうなってはもう袋のネズミだ。前方と左手を壁で塞がれ、後方からは威嚇射撃場。堪らず右手方向へと素早く方向転換を行った、その時!

 

「……今です!」

 

 右手に構えていたもう一方の本命の獲物で、対象を真正面から捉えた。そして───────

 

「わ…!瑠流さん、すごいです!」

「お〜!大したもんだねぇ」

「それほどでもありません」

 

 瑠流の鮮やかな手さばきに感嘆の声を上げ拍手を送るのは、後から覗き込んでいた理玖と仁乃の二人だ。

 彼女達の賞賛の声に得意げに答える瑠流が手にしているのは、ピンク色のプラスチックで作られたポイ。そして、もう片方の手に持っている安っぽいプラスチックの器には、赤や黒の色とりどりの金魚達が窮屈そうに泳いでいた。

 

 そう、金魚すくいである。

 

「今の洗練された手つき……素人のそれじゃあないね……!百合ケ丘のお嬢様が金魚すくいが得意だなんてちょっと以外だったかも」

「私は高等部の途中編入組なので、皆さんが想像している様なお嬢様ではないんです。実家も福岡にある普通の果物農家ですし、地元の夏祭りではよく父に連れられてましたので……」

「紅茶を淹れる姿がとても様になっていたので、てっきり名家のお嬢様だと思ってました……!」

「だとしたら、教える人が良かったんでしょうね。お茶の淹れ方はお姉様に教えて貰った事なので、そう言って貰えると嬉しいです」

「……」

 

 そう言って微笑む瑠流の顔を、仁乃はじっと見つめていた。

 視線に気づいた瑠流が仁乃に質問する。

 

「仁乃さん、どうしたんですか?」

「あ、いえ……。瑠流さんが自分の事をこんなにお話しして下さるの、初めて見るなって、思って」

「そうですね。そうだったかも知れません」

 

 自嘲気味に微笑む瑠流の表情からは、今までのような張り詰めた空気は、幾分か薄らいでいた。

 そんな彼女の小さな変化に気づいた仁乃が、釣られて微笑む。すると。

 

「あー、でもあっちはあっちで妙な事になってるねぇ」

 

 理玖が指さす方に視線を移すと、水槽の反対側の角に人だかりが出来ていた。

 数人のギャラリーを背中に、何やら大袈裟なモーションを取りながらポイを構える少女が一人。

 

「コォホォォォォォォ……」

 

 花小金井鞘だ。どこから音が出ているのかよく分からない呼吸音を発しながら、名目し左右の腕を旋回させている。さながら、どこぞの中国拳法か殺人拳の使い手のようにも見えるが、恐らく大した意味はないかと思われる。

 刹那、カッと目を見開き、奇声とともに両手に構えたポイを水槽へと叩き込む。

 

「ホォアタタタタタタタタタタタタタァ!!!!」

「す、すげぇ、なんて手さばきだ!早すぎて手の先が見えねぇ!」

「跳ね上げられた金魚が……宙を舞っていやがる!」

「こんなの人間じゃねぇ!」

 

 機関銃のごとく繰り出される神速の突き。鞘がポイを水面に叩きつける度に、金魚が次々と空中へと舞い上がり、傍らに置いていた受け皿へと落下していく。

 それはまるで、金魚すくいというよりは曲芸のようだ。

 

「……フッ。決まった」

 

 してやったり。とびきりのドヤ顔を浮かべながら金魚が山盛りになった皿を掲げる鞘。しかし。

 

「さあおばちゃん、金魚の数を数えてよ。まぁ数えるまでもなくあたしの圧勝だと思うけd」

「ゼロ匹だよ鞘ちゃん。ゼ・ロ」

「Why!? なぜ!?」

「いやね。あんな派手に水に突っ込んだら破れるに決まってるでしょ。最初に水面に突っ込んだ時から破れてたから。私の目は誤魔化せないよ」

 

 放り投げたポイを拾い上げると、確かに、一片の欠片も残さずポイに張り付いた紙ら全て水に攫われてしまったようだった。

 覗き込んだ穴の向こうから店主の女性、普段は商店街で八百屋を営む顔見知りの女性が挑発するようなにやけ面でこちらを眺めていた。

 

「解せぬ」

「というわけで”夏祭り三本勝負”の第一回戦は瑠流ちゃんの勝ちィ!拍手〜!」

 

 理玖が瑠流の手を取り高く掲げると、周りから歓声と拍手喝采が巻き起こり、鞘は膝から崩れ落ちた。

 しかし、立ち直りも異常に早いのか、すぐさま立ち上がり瑠流へと詰め寄る。

 

「じゃあ次の勝負ね。言っとくけどあたしゃまだ変身を二回残してるからね。全然本気とか出てないからね!」

「何言ってるのかよく分かりませんが負け惜しみを言っている事だけは解ります」

「はい?? 負けとか全然惜しんでませんが??」

 

 子供じみた反論をする鞘を尻目に、おずおずと質問する仁乃。

 

「あ、あのう。ところで、どうしてこんな事になってるんでしたっけ」

「あぁこれ?瑠流ちゃんがさ、鞘ちゃんと一騎打ちで勝負したいって言い出してさ。勝負のルールは鞘ちゃんが決めていいって言っちゃったもんだから……”こんな事”になっちゃった。負けて方が、何でも言う事を聞くってルールで」

「あ、なるほど。大体分かりました」

「仁乃ちゃんも慣れて来たねぇ」

 

 後輩の順応性の高さにしみじみと頷く理玖。

 

「……でも瑠流さんは、そもそも何故勝負をしたいと思ったんでしょうか?」

「うーん。多分、彼女なりにケジメをつけようとしてるんじゃないかな」

 

 仁乃の疑問に、少し間を置いて答える理玖。

 様子からして彼女も確信を得ていないようだった。

 

「ケジメ、ですか?それってどんな……」

「さぁね。全部私の想像だから、正直分からない。けど本人にとっては、とても大事な事なのかもね。あの時の瑠流ちゃん、とても真剣な目をしてたから」

「……そうなんですか」

 

 鞘と不毛なやりとりを続けている瑠流の顔を見つめる。

 物理的な距離は大して離れていない筈なのに、どうしてか、彼女の顔が少し遠くに離れて見えた。

 

「私にはそんな顔、見せてくれた事ないのにな……」

 

◆ ◆ ◆

 

「っしゃーい。あたしの勝ち」

「悔しいけど完敗ですね」

「はい、二戦目は鞘ちゃんの勝ち!……なんだけど」

「地味でしたね。型抜き」

 

 続く二戦目は、鞘が選択した型抜きタイムアタック。勝敗の結果は見事鞘の勝利に終わったのだが、少女二人が組み立て式の椅子と長机に並んで腰を下ろし、ピンでひたすら削り続ける絵面は地味の一言に尽きた。

 先程まで周りに集まっていたギャラリーも、理玖、仁乃の二人を残し、誰も居なくなっていた。

 

「実は私も成功したことないんですよね。型抜き」

「私もー。溝の形が細かい所になるとすぐバキッて崩れちゃうんだよね」

「あうっ」

 

 型抜きを見たのが初めてだったのか、興味本位で個人的に挑んでいた仁乃が小さな悲鳴をあげた。

 見ると、真ん中からバックリと、綺麗に割れてしまっていた。

 

「型抜きにはね、攻略法があるんだよ。貸してみ」

 

 仁乃から二つ目の型とピンを受け取る鞘。

 カリカリカリと、ピンの先端で少しずつ削っていく。

 

「まず、ピンで溝を少しずつ削って深くして……」

 

 カリカリカリカリ……。

 

「複雑な形状の場所は、外に自分で溝を掘っちゃって……」

 

 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ……。

 

「はい、出来た!」

((いやだから地味!!!))

 

 額の汗を拭いながら、飛行機の形に綺麗に抜かれた型を掲げる鞘。

 本人は満足気だったが、見ている方は正直ちっとも楽しくなかった。

 

「折角の三本勝負なんだから、もっと見応えあるやつにしてよ。つまんないなー」

「勝手にギャラリーになっといて何その言い草は。とにかく、勝ちは勝ちだからね。ラスト一本は私が頂くからね」

 

 兎にも角にも、これにて勝負は一勝一敗。最終的な勝敗の行方は、最後の種目へと託された。

 種目に関しては最初の金魚すくいを除き、敗者に選択権が与えられるルールだ。最終種目を決める権利は瑠流にある。

 しばらく考えた後、瑠流が決めた競技は。

 

「……では最後の勝負は、射的でお願いします」

 

◆ ◆ ◆

 

「おお、流石は現役リリィ。銃を構える姿が実に様になってる」

 

 最終対決の射的の出店にて、コルク銃を構えた瑠流が慎重に狙いを定めている。

 しかし、流石はリリィ。玩具などではなく本物の銃を扱い彼女の所作は、まるで歴戦のスナイパーのような安定感があった。

 ゆっくりと引き金を引き弾丸……もといコルクを放つが。

 

「あ!外れちゃった」

 

 放たれたコルクは虚しくターゲットの真横をすり抜ける。

 

「いえ。初段の射撃で、まず軌道の癖を見たんだと思います。その証拠に、ほら」

 

 一発目のミスをものともせず、落ち着いた所作でコルクを装填し、一発目よりも素早く、そして正確に、台に置かれていたぬいぐるみの脳天を捉えた。

 

「すごぉい!ど真ん中!」

「お見事です……!」

 

 与えられたコルクは五発。最初の射撃では当てる事は出来なかったが、続く三発目もなんなく標的を捉え地面に転がっていく。

 銃口にコルクを再装填し、銃を構えた、その時。

 

「お姉ちゃーん……。上手く当てらんないよー」

「なにやってるのよおバカ。ほら、お姉ちゃんに貸してみなさい!」

 

 恐らく小学校低学年くらいだろうか。仲睦まじい二人の姉妹が、同じく射的に夢中になっていた。

 その二人の様子が、瑠流の記憶のある部分にダブって見えた。

 

『何やってんのよおバカ。銃を構える時はもっと脇を締めて。腕だけじゃなくて、全身で固定して撃つのよ』

 

 脳内にふと、懐かしい少女の声が響く。

 思えば、射撃の仕方も”お姉様”に教えて貰ったものだった。

 

(お姉様に貰った言葉、余すことなく覚えてる。紅茶の淹れ方。お花の生け方。銃の構え方。戦場での心構え。……最期の言葉も)

 

 四発目も装填し、無意識的に行えるほど身体に刷り込んだ射撃フォームで的を撃ち抜く。

 

(受け入れるのが怖かった。ここで皆さんと過ごす毎日に、少しずつ幸せを感じつつあった自分を。あれだけ自己嫌悪に駆られて自死すら考えたクセに、また前向きになろうとしている自分が、滑稽で、とても醜く思えて。でも……)

 

 しかし、五発目のコルクを放ったその時。

 

「あっ」

「あちゃ〜!お嬢ちゃん残念だったね〜!でも景品は落とさなきゃ貰えないからね、ドンマイ!」

 

 瑠流が放ったコルクは確かに標的の真ん中を捉えたが、『特賞』と書かれたその小さな標的は、不自然なほど微動だにせずコルクを弾き返した。

 

「いやあれ絶対接着剤か何かで固定してたでしょ。ど真ん中だったじゃん!」

「理玖さん……!き、聞こえちゃいますよ」

 

 外野から異議申し立ての声を上げる理玖。しかし、店主は聞こえないフリをしたまま手元の新聞に目を落とした。向こうはあくまでシラを切り通すつもりのようだ。

 不自然ではあるが、確証もないのもまた事実。瑠流は黙って後ろに下がった。

 

「じゃあ次はあたしの番か」

 

 小銭を渡し、店主からコルク銃とコルクを受け取る鞘。受け取ったコルク銃を見つめたまま、店主に問いかけた。

 

「ねえおじさん」

「なんだい?」

「確認なんだけど、この銃を使って景品を落とせば景品が貰えるんだよね」

「え?あぁ、そうだよ」

「ふーん……」

 

 ぼんやりとそう返すと、おもむろに銃のノズル部分を鷲掴みにし、そして──。

 

「そぉい」

 

 ぶん投げた。

 

「え」

 ドンガラガッシャーン!!!

 

 ……と。店主がリアクションを取るのも待たず、鞘の手から放たれたコルク銃は水平に回転しながら凄まじい勢いで衝突し、薄いベニヤ板で組み立てられた雛壇を木っ端微塵に粉砕した。

 

「ちょ、え、ちょ、な、なんっ、何やってんのアンタァァァァァァァァァァァァァ」

「だから、銃を使って景品落としたんじゃん」

「”だから”じゃねぇよ頭湧いてんのかお前!!」

 

 鞘の所業に激昂する店主。隣で和気藹々と遊んでいた幼い姉妹も、抱き合いながら一歩引いたところでドン引きしていた。

 しかし、そんな事などお構い無しに射的台を乗り越え、散乱した景品の中から一つを拾い上げる。

 

「ていうかおじさん。特賞の裏側にテープ貼り付いてるよ。どういうこと?」

「え、いや、まぁ、それに関してはこちらが悪いし申し開きはないけども、だからってやっていい事とダメな事があるくない??」

「……景品貰える?」

「貰える訳ないだろ!言うに事欠いて!!」

「そんなぁ……トホホ」

「こっちの台詞だよもぉぉぉぉぉぉ!!弁償しろぉぉぉぉぉぉ!!」

「やだ」

 

 まったく詫びる様子のない鞘の前に慟哭する店主。騒ぎは次第に大きくなり、運営委員会の大人達まで集まってきてしまいカオスを極めていく。

 

「あわわわ」

「これは、勝負どころじゃなくなってきたね、瑠流ちゃ……?」

「…………ぷっ」

 

 理玖が隣りにいる瑠流に話しかけた時、小さく吹き出す音が聞こえた。

 

「ふふっ。くふぅっ……」

 

 しかし、堪えきれなくなったのか、徐々に大きくなっていき、そして。

 

「あはは、あっはははははははははははははははっ……!!」

 

 少女の大きな笑い声が、辺りにこだました。

 

「瑠流ちゃんが……」

「爆笑した……」

「だ、だって……!あはは、ふ、ふぐぅっ。可笑しくって……!ふ、ふふっ、あはは……!」

 

 お腹を抱え、目に涙をうかべ、未だかつて無いほど大袈裟に笑うその姿は、百合ケ丘からやって来たお嬢様でもなく。戦場で勇ましく戦う戦士でもなく。正しく年相応な女子高生の姿であった。

 

「……?」

 

 トントンと。笑い転げる瑠流の背中を何者かが叩く。振り返ったその先には、例の着ぐるみを着た鞘が、真顔で突っ立っていた。

 

「ちくわ大明神」

「エンッ!!!」

 

 まさかの追い打ちに、奇声を発しながらひっくり返る瑠流。

 そんな彼女たちを眺めながら、周囲の人々もまた、いつの間にか笑顔が溢れていた。

 

 その後も、瑠流は暫く笑い続けていた。

 

 本当に可笑しそうに。楽しそうに。

 

 今まで我慢してきた分を取り返すように。

 

◆ ◆ ◆

 

「結局、勝負はあたしの負けになっちゃったね。おかしーなぁ」

「おかしいのは貴女の方ですよね」

「ひっど」

「ふふっ」

 

 商店街を抜けた先にある小さな公園。

 初めて出逢い、共に伸びきったラーメンを啜ったあのベンチで、二人は並んで腰掛けていた。

 理玖と仁乃の二人は、『二人で話したい事があるだろう』という事で、二人で出店に回っていってしまった。

 射的での騒ぎの件は、店主側も不正を働いていたという事で何とか警察沙汰にはならなかった。

 もっとも、屋台の修理代や景品代については鞘のバイト代からきっちり抜かれる事にはなったのだが。

 

「……けど、やーーっと。笑わせられたね」

 

 瑠流に語り掛ける鞘の表情は、いつもと違って晴れやかだった。

 試合に負けて、勝負に勝った。

 なんとなく、そんな表情だった。

 

「そうですね。まんまとやられてしまいました。けど夏祭りの勝負は私の勝ち。約束通り、お願いを一つ聞いてもらいます」

「まぁ、可能なことなら」

 

 しかし約束は約束である。鞘も渋々承諾する。

 

「……えぇっと、その」

 

 ところが、ここに来て瑠流がどうにも歯切れが悪く、モジモジしながら言葉を詰まらせていた。

 黙って続きを待つ鞘。

 暫くして、瑠流が口を開いた。

 

「約束して欲しいんです。私の前から、絶対に居なくならないって」

 

 瑠流の言葉を聞いて、鞘は口を開けたままポカンとしていた。

 しばらく考えた素振りを見せると。

 

「……エッ。なにそれ告白?あたし同性愛の気はあんまりないんだけど、まぁ約束だし仕方な──」

「ち、違います!!友達として、ずっと一緒にいて欲しいって意味です!!」

「あぁ、そういう」

 

 あらぬ誤解に、真っ赤になりながらも慌てて否定する瑠流。

 大体の意味は把握した鞘が、得意げに答えた。

 

「言われなくても、元からそのつもりだし。ってかほんとにそんなのでいいの?もっとこう、『百万円寄越せ!』みたいなさ」

「用意出来ないでしょう。百万円なんか」

「例えばだよ。そんな抽象的なモノじゃなくて……」

「いいんです。今日のこれは、儀式みたいなものですから。ただキッカケが欲しかっただけなんです。新しい自分を受け入れて、前を向くための。勝敗なんて本当はどうでもよかった。それに、絶対なんて無いって事は、私が一番分かってますから」

 

 ”ずっと一緒に居る”。この約束も、生前のレギオンメンバー全員とも交わした約束だった。

 リリィは常に死と隣り合わせ。言葉では分かっていたつもりだったが、本当の意味では理解など出来ては居なかった。

 しかし、”理不尽”は突然やって来る。経験した自分だからこそ、この約束が絵空事だと言うことを誰よりも理解していた。

 

「それでも約束して欲しいんです。”絶対”に居なくならないって、貴女の口からちゃんと声に出して言って欲しい。少しでも私を安心させて欲しい。……ダメですか?」

 

 それは、どこまでも真面目で、融通の効かない彼女が見せた、初めてのワガママだった。

 

「……アンタ、意外とめんどくさい性格してるよね」

「はい。私、ホントは結構めんどくさいんです♪」

 

 だとしたら、断わる理由はあるまい。

 今までたくさん苦しんで、たくさん自分を責めてきたのだから、我慢した分報われるべきだ。

 

「うん、いいよ。約束する。なんたってあたしは、”無敵”だからね」

「ありがとうございます。鞘ちゃん」

 

 固く握手を結ぶ二人。

 日は傾きかけ、オレンジ色の日差しが二人を照らす。

 図らずも、初めて”お姉様”と約束を結んだその瞬間と、とてもよく似ていた。

 

(お姉様。私、また前を向きます。新しく出逢えた仲間たちと一緒に。いつか”向こうで”貴女に再び会えた時、胸を張ってお会い出来るように)

 

◆ ◆ ◆

 

「それじゃあ、理玖さん達と合流しましょうか。皆さんと一緒に周りたいところ、実はまだまだあるんです!」

「わかったってば〜。途端に元気になりすぎでしょもう……」

 

 夕日を背に、再び歩き出す二人。その表情に曇りはなく、とても晴れやかだ。しかし。

 

「?」

 

 隣を歩く鞘の足が、ふと止まった。

 疑問に思い、瑠流が振り返る。

 

「どうしたんですか鞘ちゃん。急に立ち止まって」

「やばい」

「え?」

「なんか、めちゃくちゃ嫌な感じがする」

 

 瑠流は自分の目を疑った。

 常に脱力した腑抜けた顔を浮かべていた鞘の表情が、みるみる強ばっているのが分かった。

 まるで、ただ事ではない何かを。得体の知れない何かを感じ取っているようで、思わず背筋に悪寒が走った。

 次の瞬間───────。

 

『繝溘ヤ繧ア繧ソ』

 

 その”声”を聞いた途端、瑠流は、まるで世界が止まったかのような錯覚に晒された。

 

 その存在はいつの間にかそこに”在った”。

 いつからそこに現れたのか。それとも初めからそこにいたのか。まるで瞬間移動でもしてきたかのように、当たり前のように、そこに在った。

 

「は?」

 

 体長はおよそ二メートル程。血のように赤く、鋭利な外殻に覆われた”ソレ”のシルエットは、人の様でも、獣の様でもあった。

 人間で言う顔に相当する部分は赤い外殻に覆われており、表情のようなものは一切読み取れない。

 

(ヒュージ?ミドル級?でも何故?警報は?エリアディフェンスは?何が起こっているの?)

 

 パニックに陥り、思考停止する瑠流。

 

 ”ソレ”は、剣のように研ぎ澄まされた鋭利な腕を振り上げ、そして。

 

「伏せろ!!!」

 

 耳を劈く爆音が響いた。

 

◆ ◆ ◆

 

(アイタタ……。なんだったんだ、さっきの)

 

 意識を取り戻しゆっくりと目を開ける鞘。

 視界が霞んでまだよく見えないが、そこに先程まで一緒にいた友人の顔があったことだけは分かった。

 

(瑠流じゃん。怪我は……ないみたい)

 

 徐々に鮮明になってきた視界で、彼女の無事と周辺を確認する。

 あたりは瓦礫で埋め尽くされており、公園から相当吹き飛ばされて来たことが分かった。

 

(ていうかどうしたんだろ。顔真っ青じゃん)

 

 目の前の瑠流は、目を見開き、青ざめた顔で、瞳を震わせながらこちらを見つめていた。

 あまりに酷い顔だったので冗談めかしてこう言った。

 

”ひっどい顔”

「ごぼっ」

 

 しかし、鞘の口から吐き出されたものは、言葉などではなかった。

 胃の粘液と血液とが入り交じった、粘っこく赤黒い血の塊だった。

 

「……?」

 

 垂直に吹き上がった血が、自由落下で自分の顔を濡らす。

 あまりに不快なそれを、右の手で拭い払おうとした時、鞘は気付いた。

 

(あれ、てかこれ)

 

「いや……そんな……やだぁ……!やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!」

 

(あたしの右半分、なくなってね?)

 

 鞘の右腕が、右脚が、なくなっていた。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」

 

 瑠流の悲痛な絶叫が、瓦礫の山に虚しく響く。

 

 

 

 

  ───ちっぽけな人間の覚悟など、この世界においては、何の意味もなさない。

 

 ”理不尽”は、突然やってくるから”理不尽”なのだ。




 ご意見ご感想、ゆるりとお待ちしております〜。


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番外編『Blade of Pride』上

こちらは、オリジナルリリィ合同様に寄稿させて頂いた本シリーズの前日譚に当たるお話です。

もう一人の主人公、小此木瑠流と、そのシュッツエンゲルになる一人のリリィの出会いの物語になります。
ここから先の物語を読んで頂くにあたって、ハーメルンの読者様にも是非瑠流の過去に触れていただきたいと思い、公開させて頂くことにしました。

いつもより少々長いですが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。


 リリィ。

 

 儚くも美しく戦う、戦場に咲く花。

 

 半世紀前、突如として人類の前に現れ、破壊の限りを尽くした正体不明の侵略者、ヒュージ。

 それらに唯一対抗できる特別な力を持つ少女達のことを、畏敬の念を込めて人々はそう呼んだ。

 

 ある者は理想を。

 ある者は羨望を。

 ある者は名誉を。

 

 そして、ある者は平和を願い、対ヒュージ兵装『CHARM』を手に戦場を駆る。

 人類の存亡。

 そんな過酷な命運を背負った少女達は、その瞳に一体何を──

 

「......ふんっ!」

  という見出しまで読んだところで、簡易の朝食として部屋に常備している栄養補助ゼリーを乱暴に吸い上げながら、朝食のお供として目を落としていた情報誌をゴミ箱へ叩き込んだ。

「上澄みばかり見て持て囃して、バッカみたい」

 忌々しげに吐き捨てると、窓際へと移動し部屋のカーテンを開ける。外はまだ薄暗く、立ち込める朝露が登りかけていた太陽を隠していた。

「……一人残らず、追い抜いてやるんだから。この私が」

 少女は一人、眉をひそめ朝日を睨め付ける。

 遥か上を往く、ここにはいない何者かを、その輝きに重ねながら。

 

 

「よっし。今日も一番乗りね」

 

 早朝四時半時。誰もいない屋外の演習場で大きく伸びをし深呼吸。朝露の湿った新鮮な空気が肺を満たし、残っていた眠気が洗い流されていく。 念入りなストレッチで身体を解した後、緩やかに走り出し徐々にペースを上げていく。……入学以来毎日欠かさず行っている、彼女のルーティーンである。

 飛火野千閃《とびひの せん》。それが彼女の名前だ。千の閃きと書いて”せん”と読む。なかなか初見では読んでもらえない難読名だが、彼女はそれなりに気に入っていた。

 さて。飛火野千閃は努力家である。しかし同様に、才能を持たざる者でもある。故に努力家になったとも言えるが。

 リリィの所属する戦闘単位『レギオン』にはヘッドライナーという概念が存在する。

 レギオン出撃時に編成されるそのレギオンの主力の九人。有り体に言えば、スポーツでいうスタメンである。

 千閃も前線での活躍を望んでいる事もあり、当然ヘッドライナー入りを目標に日々研鑽を積んでいる。しかし残念ながらその成果はまだ現れてはいない。

 昨年一年間はまともな戦績もなく、レギオン単位での作戦ではそもそも出撃させて貰えていない体たらくであった。どうしてそうなった、という理由に関しては後述するが、それでも彼女の心はまだ折れていなかった。

(上等よ。今年こそヘッドライナー入りを果たして、私の実力をこの全世界に思い知らせてやるんだから!)

 内心でそう意気込むと、土を蹴る足に一層の力を込める。

 今日は新学期が始まってから最初のミーティング。気持ちを新たに、今年こそ頂点に辿り着くべく彼女の心は燃え盛っていた。

 

 

「……ごめんなさい。私の聞き間違い? 今貴女の口から有り得ない言葉が飛び出したと思うのだけど」

 

「だ・か・ら。クビよクビ。You are fired 。明日からもう来なくていいから」

 

 ところがどっこい、現実というものはかくも非情なのである。

 ここは彼女の所属する、とあるレギオンの控え室。クビという言葉が正しいなら、所属していた、という言葉の方が正しいだろうか。

 ミーティング前に話があるという事でレギオンリーダーの呼び出しを受け「いよいよ私もヘッドライナー入りかしら〜♪」と意気揚々と訪れた矢先、告げられたのはまさかのリストラ宣言。あまりにもあんまりである。

 

「じゃ、そゆことで」

 

「ちょちょちょちょちょっと待ちなさいよ! そんないきなり言われても納得出来るわけないでしょ! 確かに去年は色々あって前線には立てなかったけど、対人訓練はレギオン内ではトップの成績だったし、前線にさえ立たせてくれれば……!」

 

「それよそれ。貴女をここに置いとけない理由」

 

 それでも必死に食い下がる千閃に、リーダーを務めるそのリリィ──假屋崎嶺亜《かりやざき れあ》はビシッと音が聞こえてきそうな勢いで、彼女の鼻っ柱に人差し指を突きつけた。

 

「確かに貴方の戦闘技術は大したものだわ。一体一の対人戦なら、貴方に勝てるニンゲンはそういない。そこは評価しているつもり」

 

「だったら──」

 

「相手が”人間”だったらね」

 

「……」

 

 嶺亜の含みを持たせた発言に言葉を詰まらせる千閃。正直のところ、その理由に心当たりはあった。

 

「私達はリリィよ。相手にするのはヒュージなの。戦闘技術はもちろん大事だけれど、それ以上にリリィとしての資質が求められる。……この意味が分かるわよね?」

 

「……レアスキルも使えない無能力者には務まらない、ってこと?」

 

『レアスキル』。リリィ達が持つマギの作用により、物理法則を超越した現象を起こす異能の力。

 時には敵を切り裂く刃となり、時には味方を守る盾にもなる。リリィの集団戦闘においては要となる要素。

 第一線で活躍する著名なリリィは、皆一様にしてこの力を行使し様々な戦績を収めてきた。

 しかし千閃には、その才能だけはからっきしなかった。

 どれだけ強く願おうと。どれだけ努力を重ねても。この一年、その才能が花開くことは無かったのである。

 千閃の自虐的な発言に浅いため息を漏らし、嶺亜は続ける。

 

「……別にそこまでは言ってないわ。レアスキルを持たなくても、一定の活躍を上げているリリィはいくらでもいる。そもそも、レアスキル所持者の方が多数を占めてる百合ケ丘の方が、ある意味特殊なのだし」

 

「だったら──」

 

「問題なのは、貴女が”AZ以外のポジションをやりたがらない”ってこと」

 

 レアスキルを持たないリリィという存在自体は決して珍しいものではない。それ以上の問題は、彼女のこだわりにこそあった。

 それは、レギオンの最前線のポジションであるAZ《アタッキングゾーン》以外のポジションを譲らないという事だ。

「AZはリリィの花形だし貴女の気持ちも分からないでもないわ。その為に相当努力も重ねてきたのもわかる。けどね、その分危険の伴うポジションでもあるわけ」

 直接ヒュージと切り結び攻撃の要となるAZには、戦闘能力に長けた実力のあるリリィが投入されるのが通常。それだけ危険な役どころだからだ。

 実際、ポジション別のリリィの死亡率を見てもAZがダントツである。ましてやここは『聖学』と謳われる名門百合ケ丘。作戦遂行に求められるハードルも当然高く、危険度もそれに比例してくる。

 彼女の判断は、一レギオンのリーダーとしては至極当然のものであった。

 それでも尚、千閃はAZ以外のポジションに着くことを良しとしなかった。後衛のポジションであれば出撃させてもいい、という申し出があった上でだ。

 

「レアスキルはおろかサブスキルも満足に使えない。スキラー数値も最低ライン。オマケにプライドばかり高くて協調性に欠ける。そんなリリィを好んで使いたいと思う? 賢い貴女なら、言わなくても分かると思うけど」

 

「だったら”あの女”はどうなのよ。折角持って生まれたレアスキルを使わないで、未だ最前線でバリバリやってらっしゃるようだけど?」

 

 しかし、何事にも例外というものがあるもので。たった一人だけ、その枠に収まらない存在に心当たりがあった。

 嶺亜も同様の心当たりがあったようだが、少し間を置いたあとでゆっくりと口を開く。

 

「それは彼女が特別だから。……少なくとも、私にとって貴女はそうじゃない」

 

 その言葉が決め手となった。

 歯の軋む音が聞こえてくるほど奥歯を噛み締めると、踵を返し強めの歩調で部屋の出口へと向かう。

 

「……短い間だったけど、世話になったわね。サヨナラ」

 

「そんなにAZに拘るなら、他のガーデンに移籍でもしたらどう?」

 

「ご忠告どうも!!」

 

 捨て台詞のようにそう吐き捨てると、力いっぱい叩きつけるようにドアを閉めた。

 

「ほんっと、意固地ね」

 

 カツカツと廊下を突き進む彼女の靴音には、ありったけの怒気が込められていた。少々の罪悪感はあるが、こればかりは致し方がない。お互いのためだ。

 と、結論づけたところで、足元が再びこちらに向かって来ていることに気づくと、次の瞬間には木片の砕け散る破壊音が鳴り響いた。

 戻ってきた千閃が、怒りの余り扉を蹴り破ってしまったのだ。

 

「この私というスーパーウルトラ超ド級大大大天才を失った事を後悔するといいわ!! 後になって泣きついて来ても知らないんだから、バーーーーッッッカ!!」

 

 子どものように言いたいことだけ言うと、肩をいからせその場を後にする千閃。

 残された、”ドアだったもの”の破片を見つめながら、嶺亜は独り言ちた。

 

「……あの子にドア破壊されたの、これで何回目かしらね」

 

 

(くそっ! くそっ! くそっ!)

 

 放課後。人が滅多に訪れない校舎裏の一角にて、千閃はトレーニングに明け暮れていた。

 背中に重りのタイヤを乗せたまま腕立て伏せ、というなんとも昭和チックなメニューであるが、本人曰くこの方が『根性』が鍛えられるそうだ。

 

(どいつもこいつも人の事をバカにして! 私の事何も理解してないじゃない! あーもうムカツク!)

 

 千閃は怒りに燃えていた。

 クビになった自分自身への不甲斐なさから、というのも勿論であるが、それ以上に彼女の心を掻き乱すのは、引き合いに出されたかの少女の存在のせいであった。

 普段のペースの軽く二、三倍はありそうな程の速度で、やけくそ気味に鍛錬に励んでいると。

 

「あら......。ごきげんよう」

 

「ゲッ!」

 

 突如聞こえた声の方に振り向くと、千閃は思わず声を上げてしまう。

 噂をすれば影がさす。なぜならその少女こそが、彼女が一方的に敵視している人物だったからだ。

 

「......ごきげんよう、白井さん」

 

「先客がいるとは思いませんでした。すみません」

 

 隠しきれなかった千閃の不遜な態度にも嫌な顔一つせず、礼儀正しく頭を下げるその少女。

 その動作に伴って揺れ動く黒髪は、今にも吸い込まれそうな程に美しく、彼女の纏う気品を何倍にも引き出していた。

 彼女の名は白井夢結。名門校たる百合ケ丘女学院において筆頭とされる実力者で、中等部時代からいくつもの戦場で名を残している。

 しかし千閃は、彼女の誠実な対応にも目もくれず、トレーニングを続けながらぶっきらぼうに返事をする。

 

「別に構わないわ。ま、天下の白井夢結様にしたら、底辺の落ちこぼれリリィの自主トレなんて見苦しくて見てられないと思うけど?」

 

「別に、そんな風には思いません。どんな立場でも、強く在ろうと努力する人を、笑う気にはなれませんから」

 

「……」

 

 千閃の嫌味ったらしい言葉に対しても真っ直ぐな視線でそう返す夢結。

 チクリと。千閃の心の奥の良心に痛みが走る。しかし千閃は一瞥もくれずに謝らない。......謝れないと言った方が正しいのかもしれない。

 感じた罪悪感よりも遥かに強い感情が、彼女の胸中を覆い尽くしていたからだ。

 

「……これで失礼します。どうやら、あまり歓迎されていないようですから。自主練、頑張ってください」

 

「どうも」

 

 そんな千閃の態度に何かを察したか、夢結は一言だけ励ましの言葉を付け加えると、静かにその場を後にした。

 徐々に足音は遠のいていき、一人だけになった校舎裏の一角には彼女の息遣いだけが静かに響く。

 と、次の瞬間。

 

「ア゛ア゛ア゛ーーーーッッッ!? おのれシライユユーーッ!! 私の最もいけ好かない女ッ!!」

 

 千閃は発狂した。それはもう見てられないくらいのキレ散らかし具合であった。

 背中に乗せたタイヤを腕立ての勢いで羽根飛ばし仰向けにひっくり返ると、駄々をこねる子どものように手をばたつかせながら衝動を爆散させる。

 

「過去のトラウマだか何だか知らないけど!? 強力なレアスキルに恵まれながらそれを使おうともしない!! それなのにAZとして多くの戦場で名を残してるときてる!! もうほんとなんなのよ!!」

 

 怒りのあまり、誰に向けた訳でもなく愚痴を口走る。

 思えば今日は散々な一日だ。十年に一度あるかないかの厄日だ。

 レギオンはクビになり、一方的に妬んでいる相手に哀れみの言葉をかけられ、プライドはズタボロ。

 口に出して発散しなければ、心がどうにかなりそうだった。

 

「……私には持ってないもの。全部、持ってる」

 

 悔しさで涙が目を伝う。そして、そんな自分のみっともなさで更に悲しくなってくる。

 袖で涙を拭い目を多い被せても、とめどなく涙は溢れてくる。無力感と自己嫌悪で彼女の心は支配されていく。

 

 悔しい。情けない。悔しい。許せない。悔しい。強くなりたい。悔しい。諦めたくない。

 

 悔しい! 悔しい! 悔しい! 悔しい!

  ──故に気づかなかった。こちらに向かってゆっくりと近づいてくる、一人分の足音に。

 

「あの〜」

 

「だったらせめて、性格くらい嫌な奴でありなさいよ!」

 

「あのぅ、すみませ〜ん」

 

「貴女に”ソレ”を言われて、私がどれだけ惨めになるかも知りもしないで…!」

 

「もしも〜し? すみませ〜ん?」

 

「誰か私を、認めなさいよぉーー?」

 

「あのーーっ!! ちょっとよかですかー!?」

 

「ひゃ!」

 

 耳元で爆音がして、ようやくその存在を認識する。

 ちょこんとしゃがみこんで、こちらの顔を覗き込んでいるのは一人の少女。

 新入生だろうか。鳶色のふわりとしたボブヘアの、あどけない柔和な笑顔を浮かべたなんとも能天気そんな少女である。

 

「よかったぁ。やっと気付いてくれたとねぇ。ええっと……ごきげんよぉ。挨拶、これであっとうと?」

 

「エッ。あ、うん。合ってんじゃない?」

 

 呆気に取られて思わず素に戻ってしまう千閃。

 訛り全開な口調と溢れ出るお花畑なオーラは、先程までのヒリついた空気とはあまりに場違いで、思わず気が抜けてしまう。

 と、目元に僅かに残った涙のあとを慌てて拭うと、ひとつの疑問が浮かんだ。

 

「……そういえばあなた、いつからそこに?」

 

「さっきからずっとおるっちゃけど」

 

「さっき?」

 

「はい。最初からずっと」

 

「......オ゛ア゛ア゛ーーーッッ!!??」

 

 千閃は発狂した。本日二回目であった。

 最初からというと、どこからだろうか。悔しさのあまり涙を流した所か?駄々を捏ね地べたでじたばたしていた所か?下手をすれば、白井夢結とのやり取りすら見られていた恐れすらある。

 真っ先に目の前の此奴の口を封じる必要がある。

 そう判断した千閃は、鍛え抜かれた肉体から繰り出される神速の貫手で彼女の両頬を掴むと、妙齢の女子高生とは思えないのドスの効いた低い声で言い聞かせた。

 

「忘れなさい。コンマ一秒でも早く...!」

 

「ふぁあい」

 

 しかし、当の本人は特に怯えた様子もなく、意外なほど呆気なく承諾する。

 千閃の手から解放され掴まれていた頬を二、三回摩ると、居住まいを正してこちらに向き直る。

 

「そげな事より、二年生の人やんね? 悪いっちゃけど、職員室の場所ば教えてくれません? 道に迷ってもうて……」

 

「職員室って……何を間違ったら職員室を目指して校舎裏に辿り着くのよ。バカじゃない?」

 

「あはは。いやあ、みっともなかー。友達にもよく言われるったい」

 

 千閃のつっけんどんな態度も意に介さず、ほわっとした笑顔で返すその少女。

 「あっ」と何かを思い出したような素振りを見せると、胸に手を当て優しく微笑みながら。

 

「そう言えば、名前ば名乗っとらんかったったい。うちの名前は小此木瑠流《おこのぎるる》。貴女のお名前は?」

 

「......飛火野千閃。ヨロシク」

 

「千閃さまやね。素敵な名前ったい。よろしくお願いします〜」

 

「……なんか調子狂うわね、貴女」

 

 彼女のマイペースぶりにすっかり毒気を抜かれた千閃。これまた変な奴と出会ってしまったものだ。と、心の中で独り言る。

 いつの間にか、流れた涙のあとは乾ききっていた。

 

 

 その日以来、小此木瑠流は千閃の自主練時に度々現れるようになった。

 

 『千閃さま〜。実家からメロンば届いたけん。休憩にせん?』

 

 『それはありがたいけどせめて切ってから持って来い』

 

 時には、差し入れなどを持参しては振る舞い。

 

 

 

 『四十一...。四十二...。たは〜! もう限界〜...』

 

 『貴女、リリィの癖に腕立て五十回も出来ないの? 私なんか連続五百回は出来ますけど?』

 

 『それは千閃さまが筋肉オバケなだけやと思......あいったー!』

 

 時には、千閃の自主練を一緒になって行っては筋力マウントを取られ。

 

 

 

 『千閃さま〜! 見んねこのリボン! 千閃さまの色違いやけん、可愛かろ?』

 

 『ま、まねっこすんじゃないわよ...! 別に可愛くないし...!』

 

 『(まねっこ......)』

 

 それでも、めげずに何度も現れては自分の後をついてくる彼女に、千閃はいつの間にか心を許し始めていたのであった。

 

 

 

 そんなとある日の放課後。瑠流は、いつものように自主練に明け暮れる千閃を、スポーツタオルを片手に見守っていた。

 

「はぁ!」

 

「......」

 

 CHARMの素振りをする千閃の、その太刀筋をじっくりと観察する。しばし黙考した後で瑠流はこう質問した。

 

「一つ疑問があるっちゃけど、千閃さまはなしてそんなにAZにこだわるん? そん実力ばあれば、BZでも上手く立ち回れるって思うっちゃが」

 

「あんたも、みんなと同じこと言うのね」

 

「あっ...! すみません、無神経な事を......!」

 

「別にいいわよ。今さらって感じだし」

 

 意図しない失言に慌てて口元を押さえる仕草をする瑠流。しかし、当の千閃自身はあまり気にした様子はなかった。

 そう言われる事には慣れていたし、今現在ではその程度で一々腹を立てる様な間柄ではなくなっていたから、というのもある。

 

「......約束なのよ。ある人との」

 

「約束?」

 

 ぽつりとそう呟く千閃に、瑠流が聞き返す。

 

「そ。子供の時、私を助けてくれたリリィのお姉さん」

 

 一回、また一回とCHARMを振りながら千閃は続ける。

 

「避難から逃げ遅れて孤立してた私を、危険を犯して助けてくれた恩人なの。......けどヒュージから逃げる途中、私が疲れて走れなくなって、あの人の手を離してしまった。そして、襲われそうになった私を庇って、リリィを続けられなくなるくらいの大怪我を追わせちゃった」

 

「......まだ小さかったんやし、仕方なか事やと思います」

 

「かもね。あの人も同じこと言ってた。気にするなって。けどそんなん無理。......その人は、当時のガーデンでも『稀代の天才AZ』って言われてた人なの。そんな素晴らしい人の未来を、私が壊したのよ」

 

 一層力強くCHARMを振り下ろすと、その手を一旦止めて、その刀身に映りこんだ己の顔をじっと見つめる。

 

「だから私は、あの人と同じAZに拘り続けるわ。誰に何を言われてもね」

 

「......それが千閃さまの強さの理由なんやね 」

 

「あんた、喧嘩売ってんの? 強いやつはレギオンをクビになったりしないわよ」

 

 不貞腐れたような顔でそう返す千閃に、しかし瑠流は真っ直ぐな視線で答えた。

 

「ううん、千閃さまは強かよ。......うちなんかより、何百倍も、何千倍も」

 

 そう言って、足元へ視線を落とす瑠流。

 そんな瑠流の態度が、いつもの彼女のそれとは大きく違い違和感を覚える。

 

「何を珍しく落ち込んでんのよ。......ま、あんたはレアスキルの覚醒もまだみたいだし、弱気になる気もわかるけどね。まだ先は長いんだし、私よりも気持ちが柔軟なんだから、気にしない方がいいわよ」

 

「......そ、そうやね。あはは......」

 

 千閃の励ましの言葉にも弱々しく返事する瑠流。反応の薄い彼女を見て短くため息を吐くと、傍らに立て掛けていた訓練用の木剣を投げ渡した。

 

「モヤモヤした時は、”これ”に限るわよ。ウジウジ悩むくらいなら、その気持ちを剣に乗っけて、振り切りなさい!」

 

「......はい。千閃さま」

 

「〜〜♪」

 

 それからまた数日後。自主練場へと赴く千閃の足取りは軽かった。いつの間にか、あの場での修練の時間は孤独なものでは無くなっていたのである。

 

「......おっ」

 

 すると、一階の渡り廊下に差し掛かったところで、中庭のベンチに腰を下ろした瑠流の後ろ姿を発見する。いつものように声を掛けようと近寄ろうとしたその時。

 

「ねぇ、あの子じゃないかしら? 小此木瑠流さん」

 

「ええ、勿論聞き及んでいるわ」

 

 聞き慣れた名前が聞こえ声の方に視線をやると、廊下の反対から瑠流を見つめる数名のリリィの姿があった。

 遠くから、まるで値踏みするように向けられた視線。千閃は慌てて柱の影に身を隠した。

 

「その才能を見出されて、福岡天神女子への進学が決まりそうなところをわざわざ引き抜いて来たんでしょう?流石は百合ケ丘の人脈ですわね」

 

「何せあの希少レアスキル『カリスマ』の所持者ですもの。オマケに戦闘技術においても玄人顔負けのセンスをお持ちだとか。是非ともうちのレギオンにも欲しいところですわ」

 

 千閃は自分の耳を疑った。自分が本人から聞いた話では、彼女はまだレアスキルの覚醒すらまだだった筈だ。戦闘訓練での動きも、素人同然の弱々しいものだった。

 ありえない。自分の記憶の中の彼女とあまりに違いすぎる。たがもし、彼女達の話が本当だとしたら。

 

(あの子が私に、嘘をついていたというの......?)

 

 耐え難い事実に、その場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。

 しかし、そんな彼女の心境などお構い無しに、少女たちの噂話は止まらなかった。

 

「あら、でも聞いたところによると、既にいくつものレギオンの勧誘を断っているそうよ?」

 

「その話でしたらワタクシもお伺いしましたわ! なんでも、とある二年生の方とよくご一緒していて、その方と同じレギオンに入りたいんじゃないか、とか!」

 

「でも、その二年生というのが……」

 

 周りの目を気にしているのか、三人の少女が身を寄せあい、声を潜める。

 聞こえては来なかったが、誰の名が語られたのかは想像にかたくなかった。

 

「まぁ、それはなんとも──」

 

「”不釣り合い”ですわね」

 

 

「千閃さま〜。ごきげんよう〜」

 

「……」

 

 瑠流は、いつものように用意した差し入れを手に持ちながら千閃の自主練場へとやってきていた。

 今日はどういう訳か、CHARMではなく練習試合用の木剣を両手に手に持ちながら、静かに立ち尽くしている。

 少々疑問に思いながらも、彼女の側へと駆け寄る瑠流。

 

「実家から果物ば届いたっちゃけん、レモンのはちみつ漬けば作ってきたとよ〜。休憩がてら、一緒に──」

 

 しかし次の瞬間、千閃は左手に持っていた木剣を矢の如き速度で瑠流に投げつけた。

 

(......ッ!?)

 

 ただならぬ気配を察した瑠流は即座にそれに反応。差し入れを右手で庇ったまま、左手で木剣をつかみ取る。

 

「......っ!」

 

 その一瞬で間合いを詰めた千閃が、身を屈めた低姿勢のまま彼女の胴体へ一閃。

 しかし瑠流は、瞬時に木剣を逆手に持ち替えその斬撃を受け止める。

 鍔迫り合いの接戦が続く中、千閃が静かに口を開いた。

 

「……私に何か、言う事あるんじゃない?」

 

「......」

 

 こちらの問いかけにも瑠流は答えない。かち合ったままの木剣に一層の力を込めると、僅かに瑠流が後ずさる。

 

「私なんか片手で十分って訳?」

 

 しかし瑠流は、木剣を持つ手の力を僅かに緩めると、傾かせた刃の流れに沿わせるように千閃の刃を受け流した。行き場をなくした自らの腕力に引っ張られ、外側に大きく体勢を崩される。

 

「......ちっ!」

 

 忌々しく舌打ちすると、軸足に大きく力を込め、その勢いのまま瑠流の脇腹に回し蹴りをお見舞する。

 

「......!」

 

 虚を突かれ、思わず右手に待っていた差し入れを投げ捨てると、脚に勢いが乗る直前に右の裏拳で迫り来る彼女の脚を叩き落とした。

 暫くの睨み合いの後、千閃は納得したように手にしていた木剣を投げ捨てた。

 

「......驚いた。あんた、ホントに強いんじゃない」

 

「ま、まぐれやよ......! 普段はこんなに上手く動けんばい......! 不思議やね〜...」

 

 あはは、と力なく笑う瑠流。

 まぐれ。それが謙虚なのか、それともこの場を誤魔化すための嘘か。いずれにせよ彼女のその言葉に苛立ちを覚える千閃。

 

「聞いたんだけど、貴女『カリスマ持ち』なんだって?」

 

「……なして、それを」

 

「凄いじゃない。数あるレアスキルの中でも、所持者の少ないとっても貴重なものなんでしょ?既に色んなレギオンから声が掛かってるとか」

 

「それはそうっちゃが……う、うちは千閃さまと一緒におる方が──」

 

 千閃に指摘され、明らかに狼狽える瑠流。しかし千閃は、そんな彼女の言葉を大声で遮った。

「いいご身分じゃない! ……引く手数多の天才新人様は、余裕があっていいわね」

 

「う、うち……そげなつもりで言うたんじゃ……」

 

 もはや、何を言われても聞く耳を持てなかった。

 ようやく出来た理解者だと思っていた。

 本当の意味での”仲間”が出来たと思っていた。

 もし彼女が受け入れてくれるのであれば、”妹”に迎えたい、などとも思ったりもした。

 けどそれは勘違いだったのだ。騙されているとも知らずに、一人で浮かれて、舞い上がって、あまりにも滑稽だった。惨めであった。

 そう思えば思うほど、負の感情が千閃の心を覆い尽くしていく。

 

「結局、貴女も”そっち側”だったってワケだ。才能もないくせに必死になって足掻いてる凡人を陰で笑ってたんでしょ!?」

 

「聞いて千閃さま! うちはほんとに、あなたの事が......」

 

「うるさい!! どっか行ってよ!!  ......あんたの顔なんか、二度と見たくない!! !! 」

 

 俯いていた顔を上げると、そこには目にいっぱいの涙を溜めた瑠流の姿があった。

 

「ごめん……なさい……」

 

 今にも消え入りそうな声でそう一言だけ言うと、瑠流はその場を立ち去った。

 

(ほんっと、サイアクだわ)

 

 地面に散乱していた瑠流の差し入れを片付けながら、千閃は心の中で静かに呟いた。

 

(……私って)

 




続きは後ほど。

ご感想などありましたら、是非是非お願い致します!


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番外編『Blade of Pride』下

続きです!


 一週間が経った。あれ以来、瑠流とは一度も会話をしていない。

 廊下ですれ違った際などに何度か声はかけられはしたものの、三回ほど無視をした頃から話しかけられなくなってしまった。

 風の噂に聞いた話では、どこかのレギオンの熱烈なアプローチに根負けして、加入したらしい。

 確か今日が最初の出撃の日だとか聞いたような気がする。

 

(ま、もう私には関係ない話だけどね)

 

 これはもう終わった話だ。彼女との関わりはもはや完全に絶たれた。

 元々相容れない二人だったのだ。優秀な彼女が、自分のような落ちこぼれと付き合っていても何の得もない。お互いにとって、最良の選択だったはずだ。

 そう自分に言い聞かせ、迷いを振り切るように、廊下を進む歩みを早める。そこへ。

 

(……やけに騒がしいわね)

 

 ラウンジの一部が妙に騒がしかった。

 そういえば、近隣で大型ヒュージが多数発生し有力なレギオンが出払っている、と聞いた。自分は戦力外なので、勿論呼ばれはしなかったが。

 

「何かあったのかしら......?」

 

 立ち止まり、話し声に耳を傾ける。

 

「ねぇねぇ聞いた? 今日鎌倉近郊に出撃したレギオンが、帰投中にラージ級ヒュージに強襲されたらしいわ。初出撃の新人が何人か取り残されてしまったそうよ......」

 

「えぇ!? 今日は外征で多くのリリイが出払ってるのに、誰が救援に行くのよ!? というか、その新人さん達って......」

 

「ええっと、確か一人聞き覚えのある名前があったわね。あの噂の新人の……」

 

「小此木瑠流さん」

 

 バキッ!

 

 ...と、突如木材を激しく打ち砕いたような破壊音がラウンジ内に響いた。その場に居合わせた全員が、その大きな音の発生源に振り返る。

 そこには、拳を打ち付け机を粉微塵に粉砕した千閃の姿があった。

 噂をしていた女生徒の方へ近づき、質問する。

 

「その話、詳しく聞かせなさいよ」

 

 

(みんなは無事逃げられたみたいやね。よかったぁ…)

 

 激しく息を切らせながら、大木に背中を預け腰を下ろす。

 意識を集中させると、周りにいくつかのヒュージの気配が感じられる。

 ガサガサと草木を揺らし、まるで何かを探して物色しているようだ。

 瑠流は絶対絶命であった。

 新メンバーでの初めての出撃。一年生を多く含んだ新たな編成ということもあり、大規模な難易度の高い出撃はあえて避け、鎌倉近辺の比較的難易度の低い任務を遂行していたはずだった。

 特に問題なく目標を討伐し、速やかに帰投を開始したその時だった。

 突如現れた、本来その場にいるはずの無い数体のラージ級ヒュージから奇襲を受け、レギオンが分断。

 移動慣れしていた二年生と一年生が分断されてしまう最悪の事態に陥っていた。

 皆がパニックに陥る中、何とか冷静さを保った瑠流が自らが囮となり他の一年生を逃がしたのだが。

 

(嘘ついたバチがあたったとかな......)

 

 見下ろしたその手に握られていた彼女のCHARM『グングニル』は、コアクリスタルを破壊され、ただの鉄の塊と貸していた。

 奇襲をかけてきたラージ級の内の一体が非常に攻撃力に富んだ個体であったようで、攻撃を受け止めた際に弾き飛ばされ、損傷してしまったのである。

 つまり、今の彼女にはヒュージに抗う術はなく、今ヒュージに見つかることは死に直結してしまうのだ。

 

(後はうちがしっかり生きて帰らんと……。そうじゃないと、千閃さまと仲直りする事もできんばい)

 

 ふと、仲違いした少女に思いを馳せたその時、悲しみに歪んだ彼女の顔がフラッシュバックする。

 生きて帰ったところで、今更彼女に合わせる顔がない。誤解とはいえ、彼女の心を深く傷付けてしまった。そんな自分に生きて帰る資格などあるのか。

 心を乱され、一瞬意識が散漫になったその時。

 

「!?」

 

 頭上に影が刺し、思わず顔を上げたその先には、樹木の頂上からこちらを見下ろすヒュージの姿があった。

 すると、突如そのヒュージがけたたましい不快な奇声を発する。恐らく味方を呼んだのだろう。

 辺りに散乱していた気配が、こちらに向かって集中していた。

 

「見つかった......!」

 

 ゾクリ、と背中に悪寒が走る。

 緊張から一瞬で喉が干上がっていくのが分かった。明確な『死』のイメージが、瑠流の脳内を埋め尽くす。

 隠れていた木の影から飛び出し、脱兎のごとく林を駆け抜ける。しかし、何もかもが遅かった。

 轟音ともに岩場から地面を突き破り現れたのは、先程瑠流のCHARMを砕いたラージ級ヒュージ。

 驚く暇もなく、その強靭な爪が瑠流の華奢な胴体へと振るわれる。

 

(不意ば突かれた……! 間に合わん!!)

 

 その時。

 

「何ぼーっとしてんのよ!」

 

 ガキィン!

 激しく金属のぶつかり合うような音が響く。恐怖のあまり閉じていた目を開くと、そこには、本来ここに居るはずのない、よく見知った背中がそこにあった。

 

「げほ……っ! ギリギリ、セーフ......!」

 

 美しく伸びた金の髪を靡かせ、ヒュージの前に立ち塞がったのは、愛用のダインスレイブを手にした千閃だった。

 

「いったいわねぇ...! なにすんの……よ!」

 

 ダインスレイブの刀身でヒュージの爪を弾き返すと、すかさず反撃に出る千閃。

 

「千閃さま!? なしてここに!?」

 

「聞いてなかったからよ!」

 

 ヒュージとの激しい打ち合いを続けながらも、千閃が答える。

 

「ねえ! あんたはなんで、私の味方になってくれたの!? 嘘ついてまで、どうして傍にいてくれたの!?」

 

「それは......」

 

 悠長にそんな事を話している場合では無いはずだ。目の前で命のやり取りが続いているのだから。

 彼女が何を考えていることは分からなかったが、少なくとも彼女が自分が答えることを望んでいる事だけは分かった。

 

「うち、リリィの才能があるって言われてここに来たけど、正直実感とか湧かなくて......」

 

 ぽつりぽつりと、秘めていた感情が少しずつ溢れているように、自分の感情を吐露する。

 

「なんの為に戦うんかわからんまま、ずっとふわふわしてた。そんな時、頑張ってる千閃さまを見て、うち、凄いなって思ったんよ。こんなに何かに情熱を注げることが。どんなに打ちのめされても、決して諦めないところが。この人はうちなんかよりずっと、心の強い人なんやって...! だから......!」

 

 言葉にすればするほど、感情は止まらなくなって、最後にはほとんど泣きじゃくってしまっていた。

 伝えたくても、伝えられなかった思いを、ようやく口にできた。

 色んな感情がごちゃ混ぜになって、今までこらえていた涙が溢れ出す。

 

「ほんとは分かってた! あんたが、人の事騙して嘲笑うような子じゃないって!」

 

 飛び掛るスモール級ヒュージ達を次々と切り伏せながら、千閃は続ける。

 

「けど、嘘つかれて、舞い上がってた自分が情けなくて! あんたより弱っちい自分がかっこ悪くて! ......私達は、一緒に居ない方がいいんだって! そう思ってた!」

 

 気持ちの丈をぶつける様に、CHARMを振るう。

 

「けど間違いだった! あんたはもう、私にとって大切な友達だったから! あんたがいないと、毎日つまんなくなってたから! だから......!!」

 

 横薙ぎにCHARMを振るい、スモール級二体を打ち倒す。

 残るはラージ級一体。狙いを定め、体の回転を乗せた渾身の一撃を放つ。

 

 「私が悪かった! ごめんなさい!  ......だから、一緒に帰るわよ、瑠流!!」

 

しかし、バキィ! と、鉄の砕ける音が虚しく鳴り響く。

 

「......折れたぁ!?」

 

 ヒュージの屈強な外殻に耐えきれず、ダインスレイフの刀身が砕かれてしまったのだ。

 瑠流を庇った初撃の際、ヒュージの攻撃をま正面から剣の腹で受け止めた際、損傷を受けていたのだろう。幅広の刀身のダインスレイフは、横からの衝撃に弱い。

 普段であればそのような無茶な使い方はしないが、焦りのあまり粗末な扱いをしてしまったようだ。自分の未熟さに思わず歯噛みする。

 しかしヒュージは悠長に反省の時間を待ってはくれない。

 横殴りに振るわれたヒュージの豪腕が、千閃の脇腹を打った。

 

「がっ……!?」

 

 肋が砕ける嫌な音が身体中に響く。凄まじい勢いで吹き飛ばされた千閃は、地面と激しく衝突し二、三回バウンドした後、グチャリとした生々しい感触に迎え入れられる。

 恐らく瑠流が切り伏せたのであろう、一体のラージ級の死体に突っ込んでしまったようだ。

 身体中に体液がまとわりつき不快感が半端ではないが、それがクッションになったお陰か、何とか一命を取り留めることが出来た。 

 

「おぇ...ぁ...!?」

 

 とはいえ、先の一撃で相当消耗してしまったようだ。内蔵が傷つき、喉の奥からせり上がってきた血反吐を吐き出す。

 顔を上げた視界の先では、今まさにラージ級ヒュージがその命を刈り取らんと、瑠流の元へと動き出していた。

 

「ま、待って......」

 

 何故自分は、こんなにも弱いのか。

 

(私に『縮地』があれば、あいつの懐に飛び込んで反撃する事が出来た……)

 

 悔しい。

 

(私に『ヘリオスフィア』があれば、結界を貼ってあの子を守る事が出来た……!)

 

 悔しい。

 

(私に『円環の御手』があれば、もう一本のCHARMであのヒュージを倒す事が出来た……!)

 

 悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。

 

「レアスキルが!  私に……力さえあれば……!!」

 

 悔しがってばかりだ。自分は。

 だが、一人で駄々を捏ねていたあの時とは違う。もっと強い、己の為ではない、誰かの為に湧き上がる感情。

 止まれない。

 止まるわけにはいかないのだ。

 今目の前で、守るべき存在が。守りたい命が奪われようとしている。黙って見ていることなど到底出来るはずがない。

 

(死んでも、あの子だけでも逃がす......!)

 

 再び立ち上がるべく、ヒュージの肉に埋もれた右腕を引き抜こうと力を込めたその時だった。

 手に硬い感触が当たったかと思うと、その金属から僅かにマギの流れを感じ取る。

 ブチブチとヒュージの筋繊維を引きちぎり、手に掴んだそれを抜き出す。

 

(これCHARM? ヒュージが飲み込んでいたの……?)

 

 見たことの無いCHARMだった。

 黒い金属に黄色く縁取られた細長い刀身は針のように鋭く尖り、随所に走る青白く発行したラインは得体の知れない不気味さを感じさせる。

 見たところシューティングモードへの変形機構は搭載されておらず、恐らく第一世代のCHARMであろう事はわかる。

 どういった代物かは分からないが、手に持った千閃は直観していた。こいつはまだ使える、と。

 

「……終わらせてたまるもんですか」

 

 ヒュージの死体から飛びだした骨をむしり取り

右の二の腕にそれを突き立てると、右手に嵌めた指輪にたっぷりと己の血を吸わせる。

 血と指輪を通じてCHARMにマギを注ぎ込む、略式の契約だ。起動が間に合うかは一か八か。しかし今は、この偶然の出会いに命を託すしかない。

 

「あぁ...ッ!?」

 

 突如、凄まじい激痛が右腕を通して全身を駆け巡る。まるで得体の知れない力の奔流が体の中を掻き回しているようだ。

 ひょっとしたら自分は何かとんでもない拾い物をしたのかもしれない。一抹の恐怖が、彼女を襲う。しかし。

 

「なんだって、いい......!」

 

 そんなものは、今歩みを止める理由にはならない。

 

「目の前のあいつをぶちのめす為の力を......私に寄越せ!!」

 

 何故なら彼女は。飛火野千閃は。

 

 諦めの悪さだけは、一級品だからだ。

 

「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 彼女の慟哭に共鳴するようにコアクリスタルが輝くと、激しい電流を撒き散らしながらCHARMが起動する。

 標的との距離はおよそ数十メートル。本来であれば、その切っ先が届くことはありえない。

 

「届け......」

 

 ありったけの力を込め、CHARMを構える。

 

「届け......!」

 

 必ず助ける。その想いが。彼女の意地が。

 

「届け......!!」

 

 剣となって、空を穿つ。

 

「届けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 叫びとともに渾身の力で刺突を繰り出す。激しい電流を伴った刀身が幾つもに分離し、まるで意志を持った生き物のように撓むと、雷撃の槍と化したその切っ先がヒュージの胴体を貫いた。

 ヒュージは断末魔を上げるまもなく、数回よろめいた後に力なく地に伏す。息を切らしながら、しばらく様子を伺うも、動き出す様子はない。

 危機は去ったのだ。

 

 「......どんなもん、よ」

 

 ヒュージが事切れるのを見送ると、安堵感からか凄まじい疲労感が訪れる。

 霞みゆく意識の中で自分の名を

呼ぶ少女の声を聴きながら、千閃はその場に倒れ込んだ。

 

 

「あぃたたた。あれ、ここは......?」

 

「あ、やっと目ぇ覚めた」

 

 ふと後頭部に柔らかい感触を感じ、目を覚ます。

 目の前には、優しげに微笑みながらこちらを見下ろす瑠流の顔があった。

 差し込む夕陽に照らされたその穏やかな笑顔は、まるで聖母と見紛う程の神々しさがあった。

 

「ヒュージは?」

 

「覚えとらんと? 千閃さまが一匹残らず倒してくれたけん。もう安全たい。今は救援待ちやよ」

 

「あぁ、そうだっけ。必死だったから、忘れてた......」

 

 上体を起こそうとするも、全く体に力が入らない。どうやら相当消耗してしまっているようだ。

 首だけを横に倒すと、先ほど拾った黒いCHARMが地面に突き立てられていた。

 さっきの電流が走ったような衝撃は一体何だったのか。そもそも、何故あの様なCHARMが、ヒュージの腹の中に収められていたのか。

 

(ま、なんだっていいか......)

 

 疑問は尽きないが、少なくとも今の自分ではどうにもできない事だ。

 今はまだもう少し、後頭部から感じるこの極上の感触に身を任せたい気分だった。

 

「こげな無茶して、生きた心地がせんかったばい。うちの事なんか、ほっとったらよかったのに」

 

「あんたがそういう事言う子だって知ってたから、余計ほっとけなかったのよ」

 

「……ふふっ」

 

「……あははは」

 

 そう言って笑い会う二人には、昨日までの険悪な空気は一切なかった。

 

「ねえ千閃さま。ちょっとお願いがあるけん。聞いてくれる?」

 

「……なに?」

 

 改まったように、瑠流がいう。

 

「あんね、うちを……千閃さまのシルトにしてくれませんか?」

 

 これまでの気の抜けた表情はとは違う、確かな意思の篭った眼差しであった。

 その普段の彼女とは違う真剣な眼差しに、思わず目を奪われてしまう。

 しばしの沈黙が続いた後、千閃が答えた。

 

「エッ。嫌だけど」

 

「なしてーーーーッ!?」

 

 まさかの拒否。

 

「い、今のは完全にオッケーの流やったとやろ!?」

 

「アンタが勝手に読み取った行間なんて知らないわよ。何勝手に一人で盛り上がってんのよ。恥ずかしいヤツ」

 

「ひどかーーーッ!?」

 

 夕日の差し込むロマンチックなロケーションと先程までのやり取りもあって、瑠流自身”いける”と踏んでの申し出であったが、見事に玉砕してしまった。

 頭を抱えて叫び出しす。彼女を見ながら可笑しそうに笑う千閃。

 

「ていうか、シルトより弱いシュッツエンゲルとかいくらなんでも笑えないでしょ。そんなの私のプライドが許さない。……だから、さ」

 

 横になりながら、半泣きになる彼女の頬に手を添え愛おしそうに撫でる。

 

「私はいつか。あんたよりも。あの白井夢結よりも。この学院の誰よりも強い『最強のリリィ』になる。......だからそれまでは、あんたは私の傍に居て私を支えなさい。私がアンタより強くなったら……私のシルトにしてやってもいいわよ」

 

 嘘をつかれたお返しとばかりに、子供のようにイタズラっぽく笑う千閃。その笑顔は、まるで憑き物が落ちたようだった。

 

「ぷっ……あははは! それ、上からなんか下からなんか、わからへんよ……!」

 

「文句あるならまたどっか行っちゃえば?」

 

「いいえ。文句なんかあらへんよ。よろしくお願いします。……お姉様」

 

「気が早いわよ、バーカ」

 

 穏やかな夕陽に照らされながら、互いに身を寄せ合うその姿は、まるで本当の『姉妹』のようであった。

 

 守護天使の誓いとも違う、彼女達だけの夕陽の誓い。

 

 この物語は、一人の落ちこぼれリリィが『雷帝』と呼ばれるまでの成長の物語。

 

 今日までの出来事は、そのプロローグ。

 

 二人の物語は、これから始まるのだ。



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