江戸壊滅の危機!すい星激突&棟平藤兵衛危機一髪の巻 (とりなんこつ)
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江戸壊滅の危機!すい星激突&棟平藤兵衛危機一髪の巻

 花のお江戸は八百八町。

 そう口ずさんでウキウキと妾のいる茶店にでも足を延ばそうと思っていたが、ここしばらく江戸は不穏な空気に包まれていた。

 それもそのはず、空にはまるで竹ぼうきのような星が浮かんでいて、誰もが足を止めて空を見上げて、道行く人も早足である。

 

 転生者である儂こと棟平藤兵衛には、「あ、ハレー彗星や」という知識はある。

 だからといって、この時代にハレー彗星なんぞ観測できたんかいな? という情報はさっぱりだ。

 儂の知る天候の知識はふわっと浸透、拡散していたが、天文はさすがに専門外もいいところ。

 いまさら「あの彗星は云々」などと新たな知識を披露したところで、変人扱いされるのがオチだろう。

 

 仮に儂が伝馬町牢屋敷に囚われていたとして、夏目雅子扮する三蔵法師よろしく日蝕を利用して脱出するくらいの芸当は可能だろうが、幸い今のところ後ろに手が回ることなく暮らせている。つるかめつるかめ。

 

「のう、新右衛門よ」

 

「…ハッ、いかがいたしましたか?」

 

 返事がワンテンポ遅れている。豪胆な新右衛門をして、さすがに動揺しているようだ。

 まあ、この時代の人間にしてみれば空前絶後の天変地異だろうから致し方なかろう。

 公方様もこの異常気象に、有名な天文学者を招聘したと聞く。

 人心の乱れを慰撫する為政者の苦労を思えば、ほとほと頭が下がるというものだ。

 

 と、それはともかく、儂は改めて新右衛門へと問い掛ける。

 

「京屋の噂はどうじゃ?」

 

 すると新右衛門は真面目くさった顔で声を潜め、

 

「どうも人死にも出たらしく、だいぶきな臭くなっている様子」

 

「むう」

 

 京屋の主人とは、かつて『鉄漿(おはぐろ)なんぞ余計じゃ!』と意気投合した仲。

 されど、脱毛を推進しようとする儂の意見には真向に反対し、爾来、袂を分かったまま。

 

 池波先生の作品の中に、ご内儀の脇の毛を見て興奮する描写があったと思うが、無理! 儂には無理!

 というわけで蜂蜜とべっこう飴を使った脱毛ワックスを作って、儂の女たちに使わせているが概ね好評である。遊郭からも引き合いがあったのは予想外だった。遊女たちはムダ毛を石で擦り切ったり一本一本線香で焼くらしい。

 と、閑話休題。

 

「あまり阿漕な真似をせんで欲しいもんじゃが…」

 

 儂は深々と溜息をつく。

 彗星は凶兆の証というのは昔から言われており、新右衛門をして動揺しているのは先の通り。

 そんな江戸の人々の動揺につけ込んで、厄除けの札やら観音像やらを大量に売りさばいているらしい。庶民にしてみれば、文字通りの苦しい時の神頼みというやつだろう。

 しかし、さすがに人死にが出たとなれば御上も動かざるを得ない。

 間もなく彗星は通り過ぎて何事もない日常が戻ってくることを知る儂としては、京屋の場当たり的な商法には、同じ商人として渋い顔をすることしか出来ない。

 

 溜息をつきつつ、新右衛門と一緒に町辻で空を眺めていた儂だったが、ふと同じように空を眺める町人たちの中に知った顔を見つけた。

 

「あ、中村さん」

 

 儂は思わず呟く。

 

「…八丁堀の旦那は長崎へと出向かれているはずでは?」

 

「いや、そちらの中村様ではない」

 

 新右衛門の声に、ごにょごにょと言葉を濁す。

 

 儂が見つけたのは、いわゆる木枯らしな紋次郎の方だった。

 というか、この時代に渡世人なんぞいたっけ? という疑問はさておき、ボロボロのマントみたいな外套を着ているから、まず間違いないだろう。

 なんか編み笠や長楊枝を咥えてなかったのは気になったが、まあ基本的にあの人はこちらからちょっかいを出さなければ手を出してこない。

 

 『あっしには関係のないことでござんす』の決め台詞にあやかり、儂も『儂にも関係のないことでござんすよ』と心で呟き、これが今生の別れになることを祈る。

 

「大旦那様。そろそろお戻りになりませんと」

 

「む? そうじゃな」

 

 何時までも町人と一緒に突っ立っていても仕方ない。

 新右衛門に促され、儂は屋敷へと戻ったのだが―――。

 

 

 

 

 

 

―――屋敷に戻ったら、番頭が客人が来ていることを告げてきた。

 客人を通した座敷へ足を運べば、マツケンが待ち構えていた。

 

 …あの、アンタの常駐先はめ組では?

 なんでナチュラルに儂の屋敷に上がり込んで茶を啜っているんですかねえ…?

 

「おう、棟平屋、久しぶりだな」

 

 まるでマツケンサンバを4までフルで踊りきったような笑顔を向けられても。

 

「これはこれは徳田様、本日はいかがいたしました?」

 

 なのにこちらも笑顔で応対してしまう自分の商人のサガがくやしい!ビクンビクン!

 

「いや、ほとほと参っていてなあ」

 

 そういって徳田様が切り出したのは、儂が先ほど町辻で考えていた懸念と同じだった。

 果たして儂が徳田様の正体が暴れん坊将軍であること知っているのを、徳田様は把握しているのかどうか。如何にも市井の一般人としての語り口だったけれど。

 

「そこで、棟平屋。なんぞ知恵を貸してくれんか?」

 

「と仰せになりましてもなあ」

 

 儂は考え込む。

 一介の商人である儂に、どうやって人心を安定させろと?

 厄除けの札を売り出したりしても京屋の二番煎じにしかならんだろうし。

 まあ、徳田様も笑っているから、本気で頼むというより愚痴りに来ただけかも知れん。

 

 そんな風に考えるでもなしに考えていると、ボインな女中が儂のぶんの茶と茶菓子を持って座敷に入ってきた。

 前かがみでお盆を置くその胸元の膨らみを凝視しつつ、儂が声を投げたのは単なる思い付きだ。

 

「のう? おまえはなんぞいい考えはないか?」

 

「大旦那様、そんなご無体な…」

 

 モジモジする女中。胸のボインもモニュモニュとしている。

 されど、こういう仕草をするときのこやつは、何か言いたいことがある証拠。

 

「なに、戯れじゃ。怒らんから言ってごらん」

 

「…それでは」

 

 女中は覚悟を決めたようにボインに手を当てて息を吸い込むと、

 

「祭りをするというのはいかがでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 祭りというのは祖先の霊や神仏に対する感謝を表す儀式の事。

 空の凶兆に対し、神仏を祭り上げて対抗する。なるほど辻褄はあっている。

 しかし。

 

「…なんで儂がこんな格好を…?」

 

 純白の股引にサラシを巻いて、背中に棟平の屋号が書かれた法被。

 

「大旦那様が主催ゆえ、大旦那様が先頭に立つが自然かと」

 

 新右衛門、そんな正論聞きとうない!

 

「冗談はさておき、大旦那様の功徳は八百八町に広く響き渡っておりますれば」

 

 おまえが冗談をいうのはともかく、功徳? 悪評はさすがに嫌だけど、それって助平の間違いじゃないの?

 

「…大旦那さま。その、わたしも参加しなければ駄目なのでしょうか…?」

 

 そう訴えてきたのは例の女中で、儂と同じ祭りの格好。

 サラシをボインが持ち上げて眼福眼福。

 太腿も脛も儂特製の脱毛ワックスですべすべじゃあ!

 

「元を糺せばおまえの発案だからね。観念おし」

 

 にっこりと儂は笑う。

 この時代としては露出過多だろうけど、流れ星おりんも同じ格好をしていたから多少はね?

 

「うう…」

 

 恥じらう女中の姿もたまらんわい! 

 これから他の女中も同じ格好で外を歩かせるが、この江戸の男衆が新たな性癖に目覚めることを祈る。

 無論、女中どもに文句は言わせん。

 なんせ江戸には労働基準監督署は存在せんからのう!

 セクハラ上等! パワハラもし放題じゃ!

 

 そういうわけで、さっそく三社の神輿を繰り出して祭りが開始された。

 神輿の借り出しにあたり上様パゥワーが働いたらしいが、そこらへんは触らぬ神に祟りなし。

 

「わっしょい! わっしょい!」

 

 デカい団扇で扇ぎ、威勢よく大路を練り歩く。

 担ぎ手はウチの店の若い衆を総動員して、そこに徳田様の伝手で町火消の連中も加わってきた。

 もともと江戸っ子は祭りと花火が大好きだから、たちまち凄まじい盛り上がりを見せる。

 おかげで路地売りの出店の食い物やら縁起物やらが売れること売れること。

 発起人として、商売人として、美味しい思いをさせてもらわんとな、くくく。

 もちろん、普段より大幅値下げの原価ギリギリ出血大サービスだが、薄利多売も積もれば一財産になることを儂は知っている。

 

「どうやら町民たちも喜んでいるようでござる」

 

 新右衛門。報告するときくらいもっと嬉しそうな顔は出来んのか?

 そう思いつつ、儂は受け取った竹筒の水で喉を潤し小休止。

 どれ、もう一度神輿を担ぐかと思って、何気なく巡らせた人波の向こう。

 

 

 

 商家の看板の影から、悦原市子がこちらを見ていた。

 

 

 

「…おい、新右衛門。あそこにいるおばさんが分かるか?」

 

「ハッ、いかがいたしました?」

 

「ちょいと気になる。おまえが張り付いてみてくれ」

 

「承知しました」

 

 言いおいて、新右衛門が人波に分け入っていった。

 残された儂は、その実、気が気ではない。

 最悪の予想が脳裏をよぎる。

 

 …いや、まさか。

 あれは単なる家政婦だ。きっとそうだ。

 

 そう思い、神輿を担ごうと近づく儂。

見れば女中たちも汗を流しながら担いでおり、珠の肌に弾ける汗がなんともエロい。

 おまけに担いだ衝撃で緩んだサラシを、顔を真っ赤にしながら押さえている様子なぞ、思わず腰を引いてしまうこと請け合いである。

 

 そんな女中の中に、背の高い女子が混じっていることに気づいた。

 黒い刺し子に、短い髪は江戸でも珍しいもので―――。

 

 

 

 

アイエエエエ!? ナンデ! リズム&暴力! ナンデ!?

 

 

 

 

 転瞬、「きょうへーい!」 というコールが儂の頭に鳴り響く。

 

 いや、それは和田違いじゃ! と自身に突っ込みつつ、儂の動揺っぷりは清水の舞台から飛び降りたが如し。

 

 こんな撲殺魔王がここにいるということは…!?

 

 

 

 

 内心でダラダラと冷や汗を流しつつ、儂は周囲に視線を巡らす。

 家政婦のおばさんの姿はなくなっていた。

 代わりに見えたのは、先日遭遇した紋次郎さん。

 

 

 ボロボロのマントを羽織って、手にはなんか長い旗竿を握っていて―――って、『先生』じゃねえか!

 必殺シリーズでも最強の呼び名も高い『先生』じゃねえか!

 

 

 愕然とする儂に向かって『先生』が走ってきたのには度肝を抜かれた。

 

 ええ!?

 儂、処されちゃうの?

 心当たりはないんだけれどありすぎる!

 

 万事休すと思われた儂の脳裏に浮かぶのは、おさよと藤太郎の姿。

 

 …いいや、死ねん! 儂は死ねんぞ!

 

 儂は全力で走り出す。

 神輿を追い越し、人波をかき分け全力疾走。

 

「大旦那さま!?」

 

「棟平屋さん!?」

 

 道行く町民が声を掛けてくるも、気にかけている余裕はない!

 走れ儂! 走れエロス! 止まるんじゃねえぞ…!

 

 走りながら背後を振り返れば、何やら担ぎ手だった連中や、火消しの連中も何人か走ってきている。

 その向こうから見る見る距離を縮めてくるのは『先生』。

 

 くそ、一斉に走り出したおかげで、『先生』が走っていること自体の不自然さがなくなっている。

 気付いても文字通り後の祭りじゃ! はは、笑えよ!

 

 死にたくない一心で、儂は走った。

 死に物狂いで、どこをどう走り回ったのか全然覚えておらん。

 

 精も魂も尽き果てて、儂はどうと道端に倒れ込む。

 そこは京屋の屋敷の門の前だったが、もはや儂の身体は一歩も前に進んではくれん。

 

 『先生』が旗竿を構えて迫ってくる。

 そのまま化鳥のような跳躍を見せて―――儂を飛び越えて飛んでいった先は京屋の門の中。

 

「え?」

 

 直後、

 

「ぎゃああああああああッ!」

 

 と屋敷の中から凄まじい悲鳴は響く。

 

 なんと。『先生』の始末の相手は儂じゃなく京屋だったの?

 疲労困憊の中で驚くやら拍子抜けするやら。

 

 あれ? でも逆にこれってヤバくない?

 だって、儂が京屋へ全力疾走しているの、たくさんの町民が見ているもの。

 

 となると、儂が下手人ってことに…!?

 

 あわわと泡喰って、ズリズリと這ってでも京屋の門から離れようとした儂の前に、更に驚愕すべき出来事が。

 空からスコーンと落ちてきた隕石が、京屋の屋敷を直撃。

 吹っ飛んだ門が、地面に倒れ込んでいた儂の頭の上を通過していったのは、不幸中の幸いか。

 

 

 

 

 

 

 間もなく空の箒星も去り、江戸の市井は安寧を得り。

 棟平藤兵衛の発案した祭りが凶星を追い払ったのだと江戸っ子は頷き合い、棟平屋の名声は更に高まったそうな。

 

 京屋の屋敷に隕石が落下した件についても、屋敷に向かう藤兵衛が多くの人々に目撃されていたが、『棟平屋の主人が身を呈して京屋を助けようとした』『棟平屋の主人が危急を知らせようと急いだが間に合わなかった』と広く巷間に流布されるに至る。

 本人の全く与り知らぬところで藤兵衛が積み重ねてきた功徳の成せる業だろう。

 

 なお、京屋本人は隕石の落下の衝撃で行方不明ということになり、他にも数人の関係者が行方不明扱いとして決着していた。

 

 いずれの内容も、全身筋肉痛で床につく藤兵衛は、見舞いに来た徳田新之助の口から伝え聞くことになる。

 

 

 

 

 

 

 そしてこれら一連の祭りは、のちの倒京=東京マラソンの始まりとして後世に伝えられたということです。(ナレーション:悦原市子)

 

 

 

 

 

 

 



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