ハリー・ポッターと黒い魔法使いの孫 (あんぱんくん)
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第一章〜ハリー・ポッターと賢者の石〜
#000 黒い魔法使いの孫娘


どこをみているのかわからない、きみのわるいこ。

よくみんなからいわれることば。

だってしょうがない、いまならわかる。

ボクのみているけしきとみんなのみているけしき。

それは、あまりにもちがったものだった。



 飛び交う罵声、狂騒、悲鳴。

 一九八八年 五月三十一日。

 その日、イギリスの片田舎にひっそり立つ小さな孤児院は、阿鼻叫喚の渦の只中にあった。

 

「被害者の救出は」

 

「ほぼ完了しました。被害者の説明だと中にまだ孤児が一名。でも無理です! 突入するには火勢が強過ぎる!!」

 

 返ってきた言葉を受け、防火服を纏った男は曇天に蒼焔を噴き上げる建物を振り返る。

 こんな事は初めてだった。

 ────煙の出ない火事(・・・・・・・)なんて

 

「おい、早く火を止めろ! 消防士は何やってんだ!」

 

「救急車の到着はまだ!? 何人か息してないわよ!」

 

 口々に叫ぶ野次馬達も、本当は分かっている。

 消防士がどんなに放水しようが、救急車が来ようが、ここは既に手遅れだと。

 だってそれはそうだ。

 目の前の景色を轟々と包んでいく青黒い炎(・・・・)

 地獄の業火の如き灼熱は、まるで意思を持つかのようにうねり、人を絡め取ろうとすらする。

 明らかな超常現象。日常に潜む非日常。

 どうせ何をしたって、その勢いを止める事など普通の人間には出来やしない。

 とはいえ、それでも行動しなくてはならないのが彼らなのだ。

 

「救急車が来るには、時間が掛かりすぎる。一班は負傷者を乗せて麓の病院まで。二班は野次馬を追い返せ。ここも危ないかも知れない。三班は炎が届かない範囲から放水を継続しろ。これ以上の被害を出すな!」

 

 男の指示を受け、異常現象を前に戸惑っていた部下達がやっとこさ動き出す。

 元々、こういう修羅場での動きは身体に染みついているのだ 。

 それぞれがそれぞれの役割に集中し始めるのを見て、普段は比較的めんどくさがりの男も、この時ばかりは訓練を欠かさなくて良かったと本気で思った。

 野次馬を半ば強引に追い返し、放水を続けること三十分。

 

「駄目です! 被害範囲は広がりませんが、火の勢いは一向に収まりません!」

 

「おかしくないですか? 還元炎でもないのに、火は青いし煙は出ない。水をいくら掛けても効果が無いなんて……」

 

 そんな事を言われても困る。

 男とて、こんなのは初めてなのだ。

 そして現状がどうしようもないのであれば、自分達はセオリー通りに動くしかない。

 

(とはいえ、このままずっとってワケにもいかないし。さて、どうするか)

 

 そんな時だった。

 

「おい、なんだあれ?」

 

 部下の一人が、明後日の方向を指差し胡乱な声を上げる。

 連られて同じ方角を見ると、地平線の向こうから幾つもの小さな何かが、高速で此方を目指し、飛んでくるのが分かった。

 凄まじい速度で移動しているのだろう。

 豆粒程の大きさだったそれらは、あっという間にその形が何なのか視認出来るようになる。

 

「……箒?」

 

 思わず、零れる言葉。

 

 目がどうにかなってしまったのだろうか。

 そう考えて、首を横に振る。

 幾ら目が悪かろうが、この距離で見紛う筈もない。

 確かに空を切り裂くように飛んで来るのは無数の箒、そして、それに股がった人だった。

 青い焔を上げる建物へ次々突っ込んでいく、無数の魔女達。

 

 物語に出てくる魔女や魔法使いが、絵本から飛び出して助けに来た。

 

 そんな空想が脳裏に浮かぶほど、現実感の無い光景。

 

「……」

 

 暫くして、轟々と燃え盛る建物が嘘のように鎮火。

 中から無傷の孤児が連れ出されるのを見た後も、呆然自失といった体で、部下と男はその場から動けなかった。

 

「班長、あれ見ました?」

 

 部下がポツリと言った。

 男は煙草に火をつけ、大きく煙を吐いて答えた。

 

「……何を?」

 

「いえ、なんでもないんです……」

 

 報告書をどう纏めるか。

 脳のキャパを超えた男は、そっちの方面に思考をシフトさせる事にした。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 イギリスという国は、グレートブリテン島のイングランド、ウェールズ、スコットランド、及びアイルランド島北東部の北アイルランドの四つの国で構成されている連合王国だ。

 よってその正式名称は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国。

 長ったらしく、チープな名前だといつも思う。

 もっとシンプルに単純に、そして格好の良い名称はなかったのか。

 そんな下らない事を目の前の檻、正確にはその向こうにボクは語りかけた。

 

「はは、嘆かわしいな我が孫よ。名称に囚われて本質を見失うのは凡人、青二才の特権だ。残念ながら、私の血筋も百年の年月で馬鹿になったらしい」

 

「小難しい言葉で話を濁さないでよ。どうせそっちだって、よく分かってないんでしょ?」

 

 檻から返って来る嗄れ声にそう吐き捨てると、檻越しに笑い声が響き渡る。

 ジメジメとした湿気と憂鬱になる檻の群れ。

 ここはかのヌルメンガード城にして、現ブタ箱だ。

 飛行機で、アメリカからはるばるオーストリアにまで旅立つこと、約十二時間と少し。

 旅先にてフクロウから渡された手紙が、気が進まないボクを原点へと舞い戻らせた。

 

「ふぁあ……それにしても、お前と会うのは久しぶりだな。2年ぶりか?」

 

 檻の中で欠伸を噛み殺し、年老いた翁はそう呟く。

 

「正確には、1年と2ヶ月ぶりだね」

 

「そうか。もうそんなに。はは、どうにも檻の中だと時間の概念が雑になる」

 

「いい加減に歳なんでしょ。ボケても尻を拭いてくれる相手はいるの、爺様?」

 

「小娘がほざきよるわ。その相手がいなきゃ、お前がここにいるわけないだろうが」

 

 それもそうだ、とボクは頷く。

 さて、ここまでの会話で分かっただろう。

 目の前にいる、小汚くかつ大変口の悪いクソジジイは、血の繋がったボクの祖父だ。

 メルム・ヴォーティガン・グリンデルバルド。

 ボクの名前だ。ゴツゴツしていて、女の子には向かない冴えない名。

 とはいえ名前というのは、案外バカに出来ない。

 その名一つで、これまで各国を追い出され続けているボク自身が言うんだから、本当だ。

 

「それで? 今度はどこを追い出された。前回はロシア。その前はフランスだったっけか」

 

 本当に小憎たらしい老害だ。

 孫であるボクの苦労も、恨み言を交えた手紙で知っている筈なのに、その原因たる張本人はどこ吹く風。

 まったくもって腹が立つ。

 とはいえ、その事に関しては諦めがついている。

 今日来訪した理由も、ブチ切れて本人に直接死の呪文をかけに来た、とかではない。

 

「今回は別件だよ。実は最近、しつこくフクロウ便が連投されてさ……ま、その話は悪い内容ではなかったんだけれど。七年くらい、自由に動くことが出来なくなっちゃうんだ。爺様は行きがけの駄賃。ほっといたら気づかない内に死にそうだし、挨拶だけでもしとこうかなって」

 

「ほ、そりゃめでたい。この偉大で寛容なオーストリア以外に、欧州でそんな所がまだ残ってたのか?」

 

「喜ばしいことにね。それと爺様のいう偉大で寛容なオーストリアも、十二時間以上はボクの滞在を許してくれないよ」

 

「……いくら私の孫娘とはいえ、女一人でフラフラしてるのは気にはなっていたんだ。良かったな」

 

 ボクの恨み言を、サラッと流す爺様。

 意外にも、自分の孫が世界中を旅し続けているのを気にする常識はあるらしい。

 笑っている姿は数見れど、喜んでいる姿は見たことがなかったから新鮮だった。

 

「それと、今回ここに来るまでに掛かった飛行機代なんだけど……」

 

「馬鹿め。この小汚いジジイが、財布の一つでも持ってると思ったのか?」

 

 まぁ持ってるとは、ボクも夢にも思っていないが。

 ただ間違っても、胸を張って自分で言う事ではない。

 

「大体、姿現しくらい出来るんだろう? 飛行機代なんて要らん。魔法使いなら魔法を使え、魔法を」

 

「……あれ使うと、酔っちゃうから嫌だ」

 

「未熟者め。それでも私の孫か」

 

 良い子の皆さんは知っているだろうか。

 姿現しするには、そもそも使用許可試験に合格しなければならない。しかも、十七歳以上の魔法使いのみ。

 分りやすく説明すると、マグルの自動車運転免許みたいなものだ。

 つまり我が祖父は、自分の孫娘に向かってバス賃が無いなら無免許運転をしろ、と無茶を言っている。

 悲しいことに、孫の年齢を忘れてしまったらしい。

 

「まぁいい。金の件なら、お前の保護者的な存在がいただろう。名前は確か……サラマンダーみたいな名前だった気がするが」

 

「ニュート・スキャマンダーさんね。どうしたの、ホントにボケちゃった?」

 

「興味のない男の名前は覚えるに値せんのだ。抱いた女の名前なら幾らでも覚えてるんだが」

 

「抱く? バブバブしてるの?」

 

「……そうだよ、バブバブしてるんだ。今は、その認識でいい」

 

 この話は、お前にはまだ早かったか。 

 笑う爺様の目は、どこか生暖かい。

 お前はお子様だなと告げる視線から、ボクは顔を逸らす。

 

「とにかくだ。こんな文無しの爺にたからず、アイツからせしめればいいだろう? 稀代の悪党を、一度は捕縛した英雄様だぞ。金には困ってない筈だ」

 

「冗談よしてよ。今でさえ迷惑かけてるのに、さらに迷惑掛けろっての?」

 

「貰うものは貰ってるんだろ?」

 

 そう言って翁は、ボクの肩にちょこんと乗っているニフラーを指さす。

 スキャマンダーさんは、基本的にはお人よしだ。

 爺様が遺した本や書類の宝庫に、イギリスに寄った時の一時的な住処まで提供してくれる。

 何より孤児院を焼かれて、行き場のなかったボクを引き取ってくれた。

 誕生日プレゼントに、魔法動物(ニフラー)を送ってくるのはどうかと思うが。

 

「何を馬鹿なことを。ニフラーは良いプレゼントだ。使いようによっちゃ、なんでも出来るからな」

 

「人のペットで良からぬ事を考えないでくれないかな。確かに便利だけども」

 

 まったく、こんな可愛い生物まで悪事に利用しようとか、我が祖父ながらイカレている。

 

「そうは言いつつ、お前が一番悪事に利用しそうだが……ま、私の考えが時代に合ってないのは確かだろうさ。それより、お前にしては珍しいな孫よ。良し悪しはともかく、お前は一箇所に留まるよりも、転々と雲のように旅を続ける方が性に合ってる気がするが?」

 

 確かにそれは当たっている。ボクとしても正直、残念でならないのだ。

 若い年齢での旅に苦労はあったけれど、毎日は面白かった。

 何のしがらみもない立場。難しいことを考えることもなくただ旅を続ける。

 

 そんな根無し草のような生活は思いの外、ボクの性に合っていたらしい。

 

 イギリスで、自分達と暮らせばいい。

 スキャマンダーさんはそう言ってくれたけれど、そもそも彼にもお孫さんがいて、彼ら家族の時間を邪魔したくもなかった。

 そして今回の手紙の内容は、そんなボクの心を動かすくらいには魅力的な提案だったのだ。

 

「学校だよ、学校。一回は行ってみたかったんだ」

 

「学校? お前がか」

 

 呆れたように爺様が天を仰ぐ。

 

「そうだよ。ボクは未成年の魔法使いだから、七年間はその学校に行かなきゃならないんだって」

 

「……お前が学校ねぇ。確かにそんな歳だものな。この鼻ったれが杖を持って魔術を習う。そう考えると何とも感慨深い。場所は? ボーバトン? ダームストラング?」

 

 爺様が厭世的な目をキラキラさせて聞いて来るが、どれもハズレだ。

 ボクが首を横に振るのを見て、怪訝そうに眉を顰める爺様。

 

「ダームストラングには行かんのか?」

 

「……爺様のやらかしで一族出禁でしょ。招待状すら来ないよ」

 

 かつてボクの祖父であるゲラート・グリンデルバルドは、ダームストラング専門学校の生徒であった。

 しかし歪んだ闇の実験を繰り返し、他の生徒を攻撃して致命傷を負わせたことにより、放校処分を受けている。

 そもそも爺様は、虐殺、洗脳、演説、監禁、拷問、国外逃亡と何でもありのテロリストだ。

 盛大にかました爪痕は、一世紀を経て未だに色濃く残っている。

 ”例のあの人”が現れるまで、史上最悪の闇の魔法使いの名を欲しいままにしていた、と聞けばその凄まじさが分かるだろうか。

 

 他にも、彼の犯罪行為に対して国際的な捜査網が組まれ、その進捗が”日刊予言者新聞”や”ニューヨーク・ゴースト”といった大手の新聞で連日報じられたらしい。

 お陰でグリンデルバルドの名前を背負ってるだけで、色んな国から厄種扱いだ。

 

「まさかイルヴァーモーニーか? マサチューセッツは良い」

 

 マサチューセッツ……アメリカときたか。

 あそこに魔法使い専門の学校があるとは知らなかった。

 流石は世界を巡って暴動を煽った魔法使い、知識量が違う。

 ボク自身、ボーバトンとダームストラングともう一つしか知らなかった。

 

「違うんだよねぇ、これが」

 

 勿体ぶられ段々と苛立ってきたのか、爺様は貧乏ゆすりを始める。

 初対面の人間には、今のボクの顔は無表情としてしか映らないだろうが、血縁者たる爺様には内心ニヤつく孫の様子が手に取るように分かるのだろう。

 まぁボクとて口寂しいのを我慢しているのだから、苛立たないで欲しいが。

 ロリポップが恋しい。

 爺様に子供扱いされる為、絶対に目の前ではやらないが。

 

「もっと近いよ。それにさっき話してたじゃないか」

 

「何だと?」

 

 流石に解ったらしい。

 まさか、とグリンデルバルド翁は絶句する。

 

「……ホグワーツ、なのか」

 

「はい、正解」

 

 オッドアイの瞳が険しく細められる。

 

「この名に恨みを抱えている奴はごまんといる。お前が一番理解していると思っていたが?」

 

「イギリス以外は、でしょ。やめなよ、本当の関心事はそこじゃない筈だ。本音を違う言葉で上塗りするのは、詐欺師の悪い癖だね」

 

 ボクは口の端を吊り上げる。

 爺様といえば、呆れを抑えきれないといった様子でため息を吐いていた。

 

「分かっていてそこにしたのか?」

 

「仕方ないでしょ。来なきゃ、どこまでも追っかけるって書いてあったし」

 

 あのフクロウ便は、本当にしつこかった。

 仮住まいの家には、いつでも手紙がぎっしり。

 外に観光に行こうものなら、フクロウが群れで追っかけてくる。

 辟易して野宿すれば、日が出るよりも先にフクロウが落とす手紙によって目が覚める始末。

 もう一生分の手紙とフクロウを見た気がする。

 

「狂気的なラブコールだな」

 

「本当にね。こっちはこっちで静かに楽しんでるんだから、ほっといてほしいものだけれど」

 

「奴は私に負い目がある。一人寂しくフラフラしてる私の孫を見て、いても立ってもいられなかったのだろうさ」

 

「昔、爺様とあんなにやり合ったのに?」

 

「やり合ったのにだ」

 

 うんうん、と頷く爺様。

 爺達の確執には、余人には入り込めない雰囲気がある。

 結果として落とし所が決まっているのなら、ボクも言うことはない。

 他間の争いに巻き込まれることがないのは、なんであれ幸福なことだ。

 ただ正直に言うと、救いの手を伸べるならもっと早くにして欲しかった。

 具体的には、師匠に二年間みっちりしごかれる前とか。

 それでなければ、イギリスを出て最初に行った国を追い出される前とか。

 

 今のボクは、一人でも十分に自活出来る。

 何よりも、各国をフラフラしてる生き方が好きになってしまった。

 このままでは、健全な社会復帰が出来るか悩ましい。

 

「良い機会ではないか。出来なかった筈の青春だぞ。私も学生時代の頃は、ブイブイ言わしていたものだ」

 

「言わしすぎてクビになったけどね」

 

「我が孫よ。若さとは過ちの連続だ。人はそれを糧に日々成長していく。間違いは悪いことではないのだ」

 

 間違いは悪いことではない。

 ごもっともな発言だが、間違いを正さずに悪い方向へと成長していった果てが、この檻の中だ。

 それを、本当に理解しているのだろうか。

 ボクがじっと睨んでいると、照れたように咳払いをするグリンデルバルド翁。

 

「ゴホンッ! ……ま、お前を学校に呼べたのも、十数年前に現れたヴォルデモートのお陰だな。私の名前のインパクトが薄れた。半世紀も経てば当然だが」

 

 流石は、世紀末テロ爺。

 イギリスの魔法使いが恐怖する名前すら、躊躇なし。

 すっと、ボクの方に手を差し出してくる。

 

「学校なら必要な物を指定されたろう。手紙を出せ。偉大な闇の魔法使い様が見てやろう」

 

 爺様の良い点は、口は悪いが、自分が認めた人間には優しいところだ。

 ちなみに見下すと、虫けらみたいな扱いをしてくる。

 羊皮紙の封筒をポケットから取り出し、爺様に渡す。

 

「普段着のローブは三着か。女の子なんだから、お前は七着持っていけ。三角帽と冬用マント……バグショット大叔母のお古で構わんだろう。安全手袋は何気に大事だから、しっかりした物を。名前は書いておけ。お前の性格上、面倒臭がって書かない可能性大だからな」

 

「えぇ……所有物にはキツい呪いをかけてるから、別にいいんだけど」

 

「馬鹿め。失くした場合、持ち主に返ってこないだろう」

 

 もっともな正論に、ムスッとしながらもボクは頷く。

 やはり口では敵いっこない。

 ゲラート・グリンデルバルドという男は、魔法使いというより詐欺師に近い。

 

「教科書は流石だな。著者は、それなりに良い物を書く奴ばかりだ。ただ”闇の力 護身術入門”……これいるのか? 許されざる呪文には、対抗魔法なんぞない。闇の魔法には闇の魔法で返すしかないんだが。校風的に、闇の魔法をそこまで教えるとも思えん」

 

「武装解除呪文とか失神呪文で対処するんでしょ。闇の魔法には闇の魔法で返そうなんて野蛮な考え方する人、そんなにいないと思う」

 

 つまらなそうなため息が返って来る。

 孫に野蛮人扱いされたことにご立腹のようだが、そもそも野蛮人だからここにぶち込まれているのを忘れないで欲しい。

 

「ダイアゴン横丁か。彼処で腕の良い杖職人はオリバンダーだな。杖ならグレゴロビッチだと私は思うがね」

 

「それは難しいんじゃないかな」

 

 グレゴロビッチ老とは、爺様が強盗紛いの手でニワトコの杖を奪い取った相手の筈だ。

 控えめに言って合わせる顏がない。

 最悪、杖を買うどころか、杖を向けられて殺し合いになりかねない。

 

「それより可愛い孫が入学したんだ。何かくれてもいいんじゃないかな。せっかく入学したんだし、お祝いしてちょうだいよ。この際、お金じゃなくても良いからさ」

 

「カネ、カネ、カネ、とさもしいことを抜かすな孫よ。こういうのは、祝う気持ちが大事なんだ……と、そうだな」

 

 パチン、と指をならすグリンデルバルド翁。

 先程まで何もなかったその手には、不可思議なアクセサリーが握られていた。

 △の銀細工の中に○の銀細工が嵌まっている。

 そして、その○を両断するように、杖の形をした銀細工が溶接されていた。

 

「なにこれ……」

 

「言わずもがなプレゼントだ。孫よ」

 

 というか魔法使えたんだ。

 相変わらず底が知れない爺様に少しゾッとしたが、今は入学を祝ってくれているらしいし、ボクはありがたく受けとることにする。

 

「ありがとね」

 

「アクセサリーは、ホグワーツの組分けの儀に着けていくといいさ」

 

 くっくっくと嗤う爺様は、マグルの絵本に出てくる魔法使いみたいに汚いし、不気味だった。

 腐っても闇の魔法使い、その貫禄は半世紀近くたってなお衰えることはないのである。

 取り敢えず元気みたいだし、プレゼントも貰った。

 ならば、ボクもこれ以上用はない。

 

「もう行くね。今度、お返しにお土産でも買ってこようかと思ってるけど、何が良い?」

 

「バーディー・ボッツの百味ビーンズをよろしく頼む」

 

 はて? 百味ビーンズって、鼻くそ味とか犬のよだれ味とかのあれか。

 まさか、爺様がゲテモノ好きだったとは。

 

「過去の夢想だ、孫よ。別にゲテモノ好きというわけじゃない。昔、友人と食ったきり、久しく口にしてないからな。はは、ゲロ味を引き当てた時の奴の顔は、今世紀最大の傑作だった」

 

 カラカラ笑う翁。

 手持ち無沙汰になったボクは、無意識に自分の右眼を撫でる。

 それを見た爺様が、僅かに眉を顰めた。

 

「えーと、何?」

 

「……いや。また年が変わる頃に来るがいい。土産話もちゃんと仕入れて来い。というか、その前に進級出来るのか? ホグワーツは、成績が不良だと留年する。素行が不良だとそのまま退学だ」

 

 恐るべし、ホグワーツ魔法魔術学校。

 まさかの救済措置なしとは。

 これは心に留めて置かないと。退学とか洒落にならん。

 

「……誰にもの言ってるのやら。上手くやって見せるよ」

 

 咄嗟に返したボクの軽口に、爺様は口元を緩める。

 

「イギリスは久方ぶりの平穏で、どいつも脳みそのネジが緩んでやがる。締め直してやれ、我が孫よ」

 

 言われるまでもない。

 鍛えてくれた師匠のお陰で、少なくとも”闇の魔術に対する防衛術の授業”で負ける心配はない。

 ……ちなみに魔法薬とかは心配だ。

 

「向こうに着いたらどうする気だ。イギリスは初めてだろう。当てはあるのか?」

 

「そこは心配なし。スキャマンダーさんと向こうで合流するんだ。魔法動物の世話があるから、そんなには構ってくれないらしいんだけど。そう考えると、殆ど一人でイギリス観光になるかもなあ。ま、”騎士バス”があるし、移動には困らないでしょ」

 

 正式名称、夜の騎士(ナイト)バス。

 またの名を、迷子の魔法使いのお助けバス。

 どんなド田舎でも、杖を上げるだけで来てくれる。

 

「ふむ。移動の目途が立っているなら、私も言うことはない」

 

 それは良かった。

 これ以上話が長引くと、後ろに立っている監視官から何を言われるか分かったものじゃない。

 

「話は終わったか? 001番、時間だ」

 

 案の定、急かすように肩を叩かれる。

 まぁ問題ない。大体、話したいことは終わった。

 威圧的に後ろに立っている看守さんに頭を下げ、ボクは出口に爪先を向ける。

 

「土産、くれぐれもな」

 

 分かっているから、同じことを何度も繰り返すのはやめて欲しい。

 老人は忘れっぽいかもだけど、ボクは花の十一歳なのだ。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 独房から出て歩くこと十数分。

 何人もの警備隊の人達とすれ違いになるが目すら合わない。

 当然だ、彼らはボクがどういう血筋の者かよく知っている。

 無視は寂しいけれど、こんなのは慣れっこだ。

 

「にしても、なんというか……」

 

 ここは、あまりにも死の匂いが濃い。

 目には見えない魂の燃えカス達。

 仮にそんなものが存在するのなら、今ここを練り歩いているボクを、決して歓迎はしていないのだろう。

 ゴーストとかそういうはっきりとしたものではなく、淀んだ情念が体に絡みついてくるのが分かる。

 

「まったく……血に呪うなんて馬鹿馬鹿しい」

 

 目の前には、圧迫感を与える筒のような廊下が広がっている。

 途中に牢屋はおろか窓も無い。

 一番奥のドアが、このブタ箱から出る唯一の手段なのだろう。

 若かりし頃の祖父が為した悪行、その数々の集大成が”ヌルメンガード城”。

 かつてこの城が正常に機能していた時、この場所から出て来る者は、例外なく死体袋に詰められていたという。

 その恨みが、血族であるボクまで蝕もうとしているのだろうか。

 深く暗い淀みは、何かが蠢いているように見えて仕方ない。

 興味はないが不快だ。

 懐からロリポップを取り出し、口に咥える。

 

「学校生活とか初めての経験だ。まだ先の話なのになんだかワクワクするなぁ」

 

 ドアを開けて、視界一杯に広がる霧に包まれた景色。

 霞みを目一杯吸い込みながら、ボクは背を伸ばす。

 数時間ぶりの外の空気は、やっぱり獣臭くなくて美味かった。

 

 





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#001 ダイアゴン横丁

買い物は楽しい。最高の精神安定剤だ。

物が潤うと、気持ちに余裕が出る。

そして、失ったモノを忘れられる。

一時(ひととき)の間でも、それはボクの救いだった。



 

 爺様との愉快痛快な面談の後、日帰りでオーストリアから麗しのドーセットへ帰ったボクを待っていたのは、スキャマンダーさんが育てる魔法動物の世話の日々だった。

 一見忙しいように見える日々だが、基本的に餌やり以外の世話はスキャマンダーさんとその助手がやる為、案外暇で時間がゆったり過ぎていく。

 それでも暇な時間の合間に、ちょこちょことイギリス観光に精を出していれば、一ヶ月などあっという間に過ぎ去るものだった。

 

「お世話になりました」

 

 出立の日の夜、ポーペンティナ夫人を散々からかったボクは、飛んでくる失神呪文をかわしつつ、スキャマンダーさんと共に家を出た。

 後は簡単だ。路上で座り、杖を掲げればいい。

 そして、バスが何処からともなく現れるのを気長に待つ。

 ここ一ヶ月、毎日のようにやった流れだ。

 

「とはいえ、待つのは苦手なんだけれど」

 

「何を言ってるんだい。僕なんて君の見送りを終えたら、チャイニーズ・ファイヤーボール種みたいに真っ赤になったティナを宥めなければならないんだよ?」

 

 後ろのベンチに行儀良く腰を掛けた老人が、うんざりとした調子で呟いた。

 

 ニュート・スキャマンダー氏である。

 

 牢屋にぶち込まれている何処かのクソ爺と違い、博識聡明で温厚な人物だ。

 ボクに世界への旅を提案して、その視野を広めてくれた人物でもある。

 

「にしても普通、電線に引っ掛かっているコートをディメンターと勘違いなんてしないと思うよ」

 

 電線に引っ掛かっているコートに驚き、ひっくり返ったポーペンティナ夫人を思い出して苦笑。

 スキャマンダーさんは、沈黙。

 普段は好奇心に満ち溢れてるキラキラとした目も、今回ばかりはこの後の惨事を考えているのか、濁っていた。

 

「子供だから、しょうがない部分はある。だが、ティナをからかうのはやめて欲しい。彼女、昔から思い込みが激しくて、冗談と本当の区別つかないんだ」

 

「危ない兆候だね。ボケてきたんじゃない? あ、でも大丈夫か。スキャマンダーさんは、動物の世話には慣れてるから」

 

 たまらない、と老人は天を仰ぐ。

 

「魔法生物の世話が一匹増えるだけだって? 素敵な話だ」

 

「ジョークだよ、ジョーク。本気にしたら負け」

 

「だとしたら、ジョークというのは実に下品だね」

 

 スキャマンダーさんは、たまに毒舌だ。

 その点も含め、大好きなのだけど。

 

「面白いからいいじゃん」

 

「そりゃ愉快だろうさ。やるだけやって、全部尻拭いはこっちにさせるんだから。昔の僕を兄がどういう目で見ていたのか。それがようやく分かった。なぁ、君は女の子だろう? もう少しお淑やかにしてもいいと僕は思うんだ」

 

「前向きに考えておくよ……あ、来た来た」

 

 キキーっと目の前に停まった、三階建てのバス。

 ヘッドライトが顔に浴びせられ、少し眩しい。

 ボクが目を細める中、紫の制服を着た青年がバスから飛び降りてきた。

 間抜けそうな面構えの彼の名は、スタン・シャンパイク。

 このバスの車掌である。

 

「”夜の騎士《ナイト》バス”がお迎えに来ました。迷子の魔法使い、魔女達の緊急お助けバスです。杖腕を掲げれば、イギリス国内のどこでも参上いたします。ご乗車ください。そうすれば、どこなりとお望みの場所までお連れします。私は、スタン・シャンパイク。車掌として……ってまたおめえさんかよ。ここんところ毎日じゃねぇか。見飽きたぜ」

 

 地面に座り込んでいるボクを視認し、スタンは顔を顰める。自然と口調もくだけたものになった。

 まぁ何度も世話になってるし、向こうもいい加減ウンザリなのかもしれない。

 

「ドーセットって聞いた時から、嫌ぁな予感はしてたんだよ。こんな夜中にふらふら歩きやがって。おめえさんぐれぇの幼女が大好きな狼男を、俺はよぅく知ってるんだがねぇ。バスの代わりに呼んできてやろうかぁ、メルム」

 

 恐らく彼が言っているのは、人攫いのフェンリールのことだろう。

 悪いことをしたら、フェンリールに売ってしまうよ。

 それを聞いた子供達が震え上がるぐらいには、彼の悪名は知れ渡っている。

 

「余計なお世話だよ。スタン、行先はロンドン。乗車賃はえっと……11シックルだよね?」

 

「熱いココアも欲しいなら、13シックル。湯たんぽと歯ブラシが欲しければ、15シックルだ。もう片方のしょげた爺さんも含めて、とっとと払いやがれ」

 

 乗車賃は、マグルの通貨制で換算すると3ポンドとちょっと。

 安いのか高いのか分からない金額である。

 ちなみに魔法界の貨幣は、ガリオン、シックル、クヌートの三種類があり、1ガリオン(金貨)は17シックル(銀貨)、1シックル(銀貨)は29クヌート(銅貨)にあたる。

 

「はい」

 

 バスを待っている間に、すっかり体が冷えていた。

 早く乗りたい。

 彼にスキャマンダーさんのも含めた、合計26シックルを差し出す。

 ふんだくるように銀貨を受け取ると、スタンはへらりと笑った。

 

「今度は何しにロンドンへ? 前回は、漏れ鍋で酔っ払いどもと騒いでたよなぁ。その前は、ノクターン横丁で妙な雑草を買いに行ってた……」

 

 軽口に付き合う義理はない。

 耳の痛い話なら尚更だ。

 トランクをバスに引っ張り上げようとするスタンを置いて、ボクはとっととスキャマンダーさんと一緒に乗車する。

 

「相変わらず、いい感じだ」

 

 マグルのバスと違って席はない。真鍮製の寝台が六個並んでいるだけだ。

 乗客は奥の方に寝ている小さい魔法使い以外にいない。

 多分、酔っぱらいか何かなのだろう。

 運転席のすぐ後ろのベッドに横になると、眠気がすぐに襲ってくる。

 だが、

 

「むにゃむにゃ……ばんざーい! 生き残った男の子……むにゃ……ホグワーツのダンブルドア……」

 

 寝言がうるさい。

 うとうとしていたのに、これじゃ台無しだ。

 

「うるせぇだろぉ、そいつ」

 

 遅れて入ってきたスタンが、うんざりしたように言った。

 

「彼は?」

 

「ディーダラス・ディグル。十一年前の”例のあの人”が倒れた日、喜びのあまりにケント州で流れ星をどしゃ降らせたぁ。どうせあの話聞いて、ネジ吹っ切れたんだろぉな」

 

 トランクをベッドの下に叩き込んだスタンは、乱暴にココアを入れ始める。

 

(雑だなぁ。一応車掌なんだから、もう少し愛嬌を出せばいいのに)

 

 しかし、それよりも気になる単語があったので、ボクはむっくり起き上がる。

 

「あの話って?」

 

「ん、知らねぇのか? 今年、ホグワーツ魔法魔術学校に、かの生き残った男の子ことアリー・ポッターが入学するんだと。漏れ鍋の連中は、それ聞いて大喜びってワケさ」

 

 アリー・ポッター? 新種の蟻だろうか。

 男の子で蟻というのは初めて聞いた。

 スキャマンダーさんが、ボクの耳元でボソッと囁く。

 

「ハリー・ポッターのことだよ。そこの彼が舌ったらずなせいで、聞こえなかっただろうけれどね」

 

 聞いた事がある名前だ。

 確か、”例のあの人”を打ち倒した赤ん坊だったか。

 イギリス魔法界では半ば神格化されている存在で、ボクも十回くらい名前を聞いた。

 まさか同い年とは思わなかったけれども。

 

「ってことは、彼とボクは同級生になるのか。うわ、嫌だなぁ」

 

「あん? どうして同級生なんだよ……ってまさか、おめえさんもホグワーツに行くのか?」

 

 ボクが頷いて見せると、スタンは大爆笑をかました。

 腹がよじれんばかりの大笑いに、少しイラッとしないでもない。

 どうせボクにはダームストラングがお似合いだ。

 

「御愁傷様ぁ。きっとご学友のアリー・ポッター様は、バリバリの温室育ちだぁ。何でも思い通りにいくって素面で考えてるガキだろうぜぇ」

 

 彼の言う通りである。

 ここ十年、ハリー・ポッターの名前に対するイギリスの魔法使いの反応は、正直言って異常だ。

 少なくともここ十年で生まれた子供達は、ヴォルデモートとハリー・ポッターの名前を刷り込まれて育ってきている。

 ハリー・ポッターに関する本を、ボクも何冊かフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で見かけた事があった。

 何はともあれ、幼少期からそんなにチヤホヤされていたら、マトモな人格形成は出来まい。

 

「それにしてもメルム! おめえさん、もうそんな年だったかよ! おぉいアーン、聞いたか!」

 

 分厚い眼鏡をかけた年輩の魔法使いが運転席からひょっこり顔を出す。

 彼はアーニー・プラング、このお助けバスの運転手だ。

 このバスを一月使用してみて分かったが、彼の運転の腕は絶望的。

 魔法が存在していなかったら、このデカブツで軽く百人は轢き殺しているだろう。

 

「なんだよ、スタン。こっちはこれから運転だってのに」

 

「後ろ向いてても前向いてても、おめえさんの運転の腕が変わる事はあんめぇよ。それよりも聞けよ! メルムの奴ぁ、あのホグワーツに行くんだと!」

 

 途端に、アーニはクスクス笑い出す。

 

「お転婆かまして、春にゃドーセット行きのバスに乗せてるビジョンが見えらぁな」

 

 殺人バスの癖に、随分な口を叩く。

 ボクの退学が早いか、彼の運転免許が剥奪される方が早いか、それを賭けてみてもいいんだぞ。

 とはいえボクも、そのビジョンは浮かぶので賭けに自信はない。

 最悪、自己紹介と同時に帰り用の列車のキップを渡される可能性もあるわけだし。

 隣でスキャマンダーさんも頷いている。

 

「良いかい、メルム? 僕はホグワーツには迎えにいかないからね。面倒臭いし」

 

 酷い言い草だ。

 まるでいらない子みたいな扱い。

 ボクは涙ぐむも、これはスキャマンダーさんなりの激励だと即座に脳内変換。

 ポジティブに生きるのは人生の秘訣だ。

 

「ハリー・ポッター! 私は貴方の事を! ……むにゃむにゃ」

 

 突然の大声に、肩をビクッと震わせたスタンが舌打ちをする。

 

「出せよ、アーン。とっとと酔っ払いを送り届けてえ。寝言は五月蝿くて敵わねぇ。そうだろ?」

 

 同感とばかりに、アーニーがアクセルを全力で踏み込む。

 

 バーン! 

 

 瞬間、轟音と共にスキャマンダーさんの小柄な体が、ブラッジャーみたくこっちに勢いよく飛んできた。

 それを何とかキャッチして、ボクはスタンが座っている膝掛け椅子に掴まり、衝撃に備える。

 

「こ、この運転手は……今すぐ、免許証を、魔法省に、返還すべき、だ……!」

 

 ぜぇぜぇとスキャマンダーさんが呻く。

 まったく同感だ。

 どうしたら、こんなに歩道に乗り上げることが出来るのやら。

 転げるようにバスが走るせいで、大きな音が連続で響き、車内の小物が右へ左へと滑っていく。

 運転席を覗き込めば、アーニーが滅茶苦茶にハンドルを切っているのが見え、更に心細くなる。

 

 対してこっちは慣れっこなのだろう。

 車内の惨状を気にすることなく、スタンは窓から外を愉快そうに眺めていた。

 

「アーン。ウェールズまではどれくれえだ?」

 

「1時間と60分少しだ」

 

「アーン。そりゃあ人間の常識だと、2時間って言うんだぁ。覚えとけぇ」

 

「馬鹿野郎、意味が伝われば問題ねぇさ……んで、その次はアバーガブニー。ウェールズに着いたら、3階にいるマダム・マーシーを起こしといてくれ」

 

 十分もすると速度が安定してきたのか、車内の揺れが収まってきた。

 ようやく一安心。ベッドに横になったボクも、スタンに倣って外を眺める。

 

「いつ見てもクレイジーな光景だ。よくマグルに気づかれないものだよね」

 

 麻薬中毒者の如き運転だろうと、絶対に衝突しない理由がそこにあった。

 街灯、郵便ポスト、ゴミ箱、民家がバスが近づくと、勝手に向こうが飛び退いて道を空ける。

 バスが通りすぎると元の位置に戻っていくそれらを横目に、スタンがケラケラ笑った。

 

「ちゃーんと聞いてねぇし、ちゃーんと見てもいねえ。なーんもひとーっつも気づかねぇ。マグルってのは幸せだ。そうは思わねぇか、メルムよぉ」

 

 ボクは頷いた。

 確かに、こんなものが国内を毎日爆走しているのを知らないのは幸せだ。

 なんとも言えない気分になり、ボクがロリポップを咥えようとすると、スキャマンダーさんがそれをひったくる。

 

「このイカれた夜行バスで、棒つき飴をしゃぶろうなんて何を考えてるんだい? 棒付き飴を喉に詰まらせたくないだろう」

 

 本当に、面倒みの良い人だ。

 お節介とも言えるが。

 

「────ふぁあぁ」

 

 暫くして背伸びと欠伸を一つ。

 行く手のベンチやビルが、身をよじって道を譲る光景を眺めていたものの、摩訶不思議な状況にも数分で飽きが来る。

 もしかしたら、最初から興味など無かったのかもしれない。

 ボクは寝巻きに着替えて、布団の中に潜る。

 

「スキャマンダーさん、ボクはもう寝る。ダイアゴン横丁に着いたら起こして」

 

 ベッドから飛び出たトランク。

 それらに盛大に足を掬われたスキャマンダーさんから、ウンともイイエともつかない呻き声が返ってきたのを確認して、ボクは目を閉じた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 闇の中に、私はいる。

 

『────、どうして────んだ?』

 

 目の前に何かが蹲っている。

 

『早く────お前の────も────だろうに────こうなったのは────のせいだ』

 

 嘲るような声はノイズが走っていて酷く不鮮明だ。

 

『何度も────だろう! ────ボクは────ないって!!』

 

 私自身も何を言っているか分からない。

 

『お前は──に──』

 

 ガラガラと音がする。

 酷く寒い。

 

 蹲っていた『何か』が起き上がる。

 

『────っっ!』

 

 不自然に強張る身体。

 しかし奇妙なことに、私の中身は冷めている。

 

『やめて! いやだ!!! ──どうして!?』

 

 冷たい手が私の頭を固定する。

 一切に向けられる”杖”が目の前にある。

 

 身体は必死にもがいているが意味はない。

 

 やがて放たれる、無数の閃光。

 やっぱり、何の感慨も持てずにいる私。

 

『────けれ────を恨め、────を呪え、────を憎め』

 

 最期に聴こえたのは、そんな言葉(呪詛)だった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ……き……さい

 

 ん? 

 

 ……起き……さい

 

 どこからか声が聞こえる。うるさい……

 

「起きなさい! メルム!!」

 

 肩を揺さぶられて、羽布団の中でボクは重い目蓋を開けた。

 

「んぅ……にゃに……?」

 

「にゃに? じゃないよ。よくこんな騒々しい車内で、ぐっすり眠れるね。あと数分で『漏れ鍋』に着くぞ。ほら、もう寝巻きから着替えないと。バスから出よう」

 

 慌てて、普段着に着替え始める。

 寝巻きでの外出は、ボクも流石に嫌だ。

 

「ん?」

 

 スキャマンダーさんの白シャツが茶色く汚れている。

 ココアの香りも若干匂ってきた。

 

「スタン・シャンパイクだよ。彼のお陰で、ティナが選んでくれた洋服が台無しだ。ユニコーンみたいで、カッコイイって言ってくれたのに……」

 

 ボクがココアを頼んでいたのを思い出したスタンは、持ってきたは良いが転んだ。

 悲惨なのは、熱々のココアがスキャマンダーさんにぶっかかった事だ。

 残念でならない。

 

 バーン!!! 

 

 着替えが終わると同時に、ジャスト到着。

 スキャマンダーさんが急かすので、急停車したバスから急いで降りる。

 

「服の件はすまねぇな、旦那」

 

 多少の罪悪感はあったのか、一人でトランクを引きずり出してきたスタンが謝る。

 

「……別に構わないよ。片手間で何とかなるしね」

 

 少しだけ表情を和らげたスキャマンダーさんが、腰から抜いた杖を振る。

 

 バチン! 

 

 小気味良い音と共に汚れた白シャツが、途端に新品の輝きを取り戻した。

 

「無言呪文。便利だよね、それ」

 

「君はアラスターのお陰で、呪文の覚えだけは同年代の誰よりも優れている。その使用方法は感心しないがね……その点も含めて、ホグワーツではちゃんと習いなさい。僕には出来なかったことだから」

 

 最後の一言だけ、遠い目をして呟くスキャマンダーさん。

 そういえば、彼も彼で学生当時は不真面目だったらしく、退学処分になっていた。

 人生色々だ。

 こんな好々爺でも、現役時代は全盛期の爺様と渡り合ったと聞く。

 爺様自身も、ダンブルドア以外にこんなに苦しめられた魔法使いはいない、と笑っていたっけ。

 

「さて、私はここまでだ。”漏れ鍋”は泊まったことがあるね? 今まで旅ばかりしていた君は、そこら辺の勝手は分かっていると思う。心配はしてない」

 

「まぁね」

 

「それと今使っている杖は、オリバンダー老から杖を購入した際に廃棄しなさい。どうせ盗難物だろう。持ち主が探しているとも思えないが、念には念をだ」

 

「はぁい」

 

 なんとも驚いたことに、ボクの杖の入手方法までご存知だった。

 良識ある人々よ、責めないで欲しい。

 幼い少女が生きていくためには仕方ない事だったのだ。

 というか大事な杖を盗られる方が馬鹿という話で、ボクに非はないと信じる。

 

「では、ここでさよならだ。次に会えるのはクリスマスかな。君の成長を楽しみにしているよ。それじゃ、また会おう」

 

 バチン!! 

 鞭を鳴らす音が聞こえ、老人の姿が夜の闇にフッと消える。

 

「行っちゃった……」

 

 恐らく、これから家の掃除洗濯食器洗いをするのだろう。

 ポーペンティナ夫人に怒鳴られながら。

 そんな状況、ボクだったら布団を被って寝る。

 一家の大黒柱の悲しい性だ。

 

「って、こっちもか」

 

 ボクが振り返ると、夜の騎士バスも闇夜に姿を消していた。

 挨拶も寄越さないとは、まったくけしからん。

 

「お久しぶりですな、メルム嬢」

 

 目の前のパブから、ランプ片手に歯の抜けた老人が現れる。

 彼はトム。

 この『漏れ鍋』の亭主だ。

 ダイアゴン横丁で泊まる時は、毎回彼のお世話になっている。

 

「こんばんは、トム。毎度の事ながらタイミングいいね」

 

「そりゃあもう。いつも到着のお時間を、ポーペンティナ夫人より言付かっておりますゆえ」

 

 やれびっくり、長年の謎が解けた。

 やっぱりスキャマンダー夫婦は、お人好しで良い人達だ。

 

「どうぞ、こちらへ」

 

 トランクを抱えたボクは、トムの後をついていく。

 階段を上がって直ぐの部屋をトムが開け、そのまま荷物を放り出して、寝心地良さそうなベッドにダイミング。

 ふわふわで柔らかい。どっかの糞バスとは大違いだ。

 

「長旅でお疲れでしょう。お早めにお休みになられますよう。何かご用がございましたら、どうぞいつでもご遠慮なく」

 

 ベッドを堪能しているボクを見て、嬉しそうに笑ったトムは一礼して出ていった。

 

「ふわぁ……このベッドは欲しいなあ」

 

 良い素材を使っている。

 素晴らしい寝心地だ。

 

「う……」

 

 やはりバスのベッドでは、良い睡眠を取れていなかったらしい。

 直ぐに眠気が襲ってくる。

 

「一眠りしたら……学用品買いに行かなくちゃだ……」

 

 今度は、夢を見ることもない。

 ボクは安心して、日の出までぐっすり眠ったのだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「見知らぬ者よ、入るがいい♪ 欲の報いを知るがよい♪ 奪うばかりで稼がぬものは、やがてはつけを払うべし♪」

 

 陽の光にぱちくりしながら、鼻唄混じりにロリポップを口に咥える。

 手にしたバッグは、金貨ですっかりパンパンになっていた。

 久々の大金に、抑揚のない心も躍る。

 

 今、ボクが出てきたのはグリンゴッツ魔法銀行。

 魔法界における唯一の銀行であり、小鬼が所有・経営をしている。

 そして唄にある通り、銀行の堅牢さは半端ではない。

 創業以来、グリンゴッツは鉄壁の称号を欲しいままにしていた。

 

「にしても、あのトロッコは酷い。胃の中のもの、全部ぶちまけそうになった」

 

 金庫は、地下奥深くにある。

 そこまでトロッコで行くのだが、速度や振動が良心的ではない。

 乗った時の心境は、絶叫マシーンのそれと酷似している。

 あれはそう、マグルの街に遊びに出かけた時に遭遇した、じぇっとこーすたーだったか。

 皆して悲鳴を上げているのに、どこか楽しそうだったのを覚えている。

 

「さて、お金は手に入った。次はどこに行こうかな?」

 

 そんなことを言っているけれど、ボクの行き先は最初から決まっている。

 

「やっぱり杖でしょ」

 

 杖がなければ、魔法使いを名乗れはしない。

 今まで本当に入用な時は、そこら辺の相手から奪っていたが、どうにもしっくりこない。

 爺様に手紙で相談したところ、忠誠心というやつだそうだ。

 棒切れが使い手を選ぶとは、つくづく魔法界は不思議だ。

 忠誠心のない杖を強引に捩じ伏せてたのは、ボクにとって苦い思い出である。

 

「ようやく、唯一無二の杖が手に入る。ワクワクするね」

 

 忠誠心という言葉は、ボクの心をくすぐる。

 杖に忠誠を誓われた魔法使い。最高な響きだ。

 

「寒い寒い」

 

 冷え性も考えものだ。

 こういう時は、爺様のお下がりのコートを羽織るに限る。

 背が低いので、ちんちくりんに見えるのはご愛嬌。

 まだ季節が秋にも入っていないのは、気にしないこととする。

 

「っと多分、これ……だよね……」

 

 杖の店を探すこと十数分。

 方向音痴のボクにしては、早く見つけた方だろう。

 扉には剥がれかかった金の文字で、”オリバンダーの店”と書かれている。

 これのお陰で、思いの外見つけやすかった。

 中に入ると、奥の方でチリンチリンと鈴の音が鳴り響く。

 

「うわぁ……」

 

 掃除が行き届いていないのか、薄暗い店内は埃っぽい。

 この店は、紀元前から現代まで続いている化石ものだ。

 それよりも異様なのは、天井近くまで整然と積み重ねられた、何千という細長い箱の山。

 箱の一つ一つには、杖が仕舞ってあるのだろう。

 彼処まで積み上げて崩れないのは、もはや芸術的ですらある。

 

「いらっしゃいませ」

 

 かけられる声に、ビクッと肩が跳ねる。

 いつの間に現れたのか、店の内装に気を取られているボクの前に、一人の老人が立っていた。

 心拍数の上がった心臓を落ち着けつつ、ボクは軽くお辞儀をする。

 

「杖を買いに来た者です。中々合うの見つからないと思いますが、よろしくお願いします」

 

 淡い色の目が、眼鏡越しに此方を探るような光を放つ。

 瞬きをしない銀色の目は、正直ボクの好みではない。

 

「では利き腕を。採寸のために、拝見致しますゆえ。杖腕はどちらかな?」

 

「両利きだけど……まぁ右でいいか」

 

 ボクが右腕を出すと、オリバンダー翁がポケットから巻尺を取り出した。

 ひとりでに動き始めた巻き尺が、蛇のようにボクの身体に絡みつく。

 肩から指先、手首から肘、膝から脇の下、頭の周り、と寸法を取っていく。

 

「芯には、ドラゴン、一角獣、不死鳥など様々な生物の部位を使っております。そして、それらは皆同じではない。それぞれ個性があるのじゃから、杖にも個性が芽生える。想いが宿る。ゆえに、オリバンダーの杖に一つとして同じ物はないのじゃ」

 

 そんな話を聞いていると、計り終った筈の巻尺が顔に近付いてくる。

 杖を振るのに、鼻の穴のサイズも関係しているとは奥深い。

 鼻の穴のサイズを測ろうとする巻き尺を、ボクは口から出したロリポップで軽く払う。

 

「……くっついちゃった」

 

 ロリポップがベッタリとくっついた巻き尺は、哀れにも地に落ちる。

 バレたらマズい。

 そう判断したボクは、巻き尺を蹴り飛ばし、店の隅に追いやる。

 幸いにも、オリバンダー翁は杖探しに没頭していた。

 棚の間を飛び回っていて、気づいていない。

 

「さ、これを振ってごらんなさい。サンザシにバジリスクの角、28センチ。良質でしなりがよい。ただし、持ち主を選びがち」

 

 戻ってきたオリバンダー翁の手には、無骨なフォルムの杖。

 杖を振った途端に、積み重なった箱が音を立てて崩れていく。

 

「あぁっ! いかんいかん……サクラに不死鳥の尾羽、35センチ。古風で華やか」

 

 確かに、古風で華やかだ。

 今度は崩れた箱に花が咲いた。

 取り出し口に生えた花のせいで、杖を取り出しにくくなる。

 オリバンダー翁の顔が渋いものになった。

 

「むぅ……これでもダメか。次にいこう。楓にヌンドゥの猛毒袋の皮、34センチ。しなりは良いが、獰猛で凶悪」

 

 なんだそれは、とボクは絶句する。

 ヌンドゥは、魔法使い殺しで有名な怪物だ。

 非常に強力なモンスターで、熟練した魔法使いでも百人以下なら接触を避ける。

 特筆すべきは、その猛毒の吐息だ。

 村一つを滅ぼした記録がある。

 

「よくもまあ、そんなのを芯にしようと思いましたね……」

 

「若気の至りじゃよ。これから、貴女もきっと経験するじゃろう。人の好奇心には、底がない」

 

 好奇心で片付けていい話でもないと思うが。

 ボクは肩を竦めた。

 

「気をつけて。持ち主を気に入らないと、毒を抽出して手を爛れさせてしまうでな」

 

「おいおい、マジか」

 

 杖に伸ばしかけていた手を、ボクは引っ込めた。

 爺さんがワクワクとする中、商品として成立してない杖を怖々と見つめる。

 

「……これ、試さなきゃダメ?」

 

「ダメじゃ」

 

 杖の前で十分思案した結果、泣く泣くボクは杖を振った。

 

「痛っ!」

 

 最悪、ヌンドゥの毒だ。

 手がヒリヒリする。

 オリバンダー老人は、杖の暴発で吹っ飛んでいた。

 慌てたボクは、思わず杖を巻き尺の元へと投げつける。

 

「面白い客じゃの! え? 久々に腕がなるわい……必ずピッタリ合うのをお探ししますでな」

 

 ずれ落ちた眼鏡をかけ直し、嬉々として戻ってきた老人の迫力には、凄まじいものがあった。

 無論、職人魂から来るものであることは、ボクも理解してはいるのだが、それでもドン引き不可避である。

 ギラギラ光る爺さんの目は、気味が悪い。

 やはりこの手の職人は、どこかイカれてる。

 

「なんでも良いんですけど。もっと変わり種の奴ありますか? どれもしっくりこないんで」

 

 ボクの掌に軟膏を塗りながら、オリバンダー翁は思案する素振りを見せる。

 

「むぅ。確かに、マトモな杖は貴女に合わないかもしれんのう」

 

「ちょっと、それどういう意味?」

 

「仕方ない。あんまり表に出すべきではないのじゃが、これしかあるまい」

 

「ねぇ、人の話聞いてる?」

 

 ボクの非難を全力で聞き流し、オリバンダー翁が杖を探しに奥に消えること数分。

 そうして彼が持ってきたのは、柄に黒い狼が彫られた青黒い杖だった。

 

「ギンヨウボダイジュと死神犬(グリム)の尾、25センチ。不吉で悲劇を魅せる。流れ物じゃな」

 

「素材が不吉すぎる……あと、流れ物って何?」

 

「かつて、偉大な魔法使いが手にしていた杖じゃよ。一昔前に、私の元に流れてきましてな」

 

「はえぇ、これがねぇ」

 

 触るのも恐ろしいのか、投げるように寄越される杖。

 何がそこまで恐ろしいのか知らないが、そんなに恐ろしい物を客に売るな。

 そう声を大にして言いたい。

 

「クレーム対策の為、初めに言っておこうかの。こいつは私の手元にきてから、今まで三人の魔法使いを殺しておる」

 

「……それ、本当に大丈夫なの?」

 

 持ち主を殺す杖など、各国を旅してきたボクですら聞いたこともない。

 だがそう言われてみると、不思議とこの青黒い杖が不吉な何かを抱えているように見える。

 

「杖を振ると見えるらしいんじゃな、己の結末がのう。真偽は定かではないが、持ち主の最後はどれも発狂の末の自殺。そして、杖はいつもここに帰ってくる。何度も何度も。真に仕えるべき主君を探す為に」

 

 なんだ、そんな事か。

 それを聞いて、ボクは胸を撫で下ろす。

 変におどろおどろしく言うが、そう怖い話でもない。

 未来なんてのが素敵に明るく輝いていた試しなどない。

 結末なんてものは、生き物である限り死一択なのだから、その過程に四苦八苦する方が馬鹿らしい。

 

「ま、面白そうではあるな」

 

 投げ渡された杖を見つめる。

 未来を見せる杖。

 それはある意味、グリンデルバルドの杖として一番相応しいのかもしれない。

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 その日、ふらりと店に訪れた少女。

 

 彼女の印象を一言で表すならば、現実味がない妖精。

 後ろに束ねた、透き通るような銀の長髪。

 無機質な翡翠の瞳、感情をあまり感じさせない色白の端正な顔。

 人間離れした容姿は、絵本の中から妖精が飛び出したと言われた方がしっくりとくる。

 そんな美貌の持ち主だった。

 

(変わった娘さんじゃ。今まで訪れた誰とも違う雰囲気を纏っておる)

 

 オリバンダー翁は、色々な子供を古くから見てきた。

 環境ゆえに達観した視点を持つ子供。

 勇敢で正義感に溢れる子供。

 純血の恩恵に授かり、裕福に育った子供。

 挙げればキリがない。

 

 そして、そんな観察眼ですら、目の前のニフラーを肩に乗っけている少女の事は分からなかった。

 何処か遠い所を見つめている、そんな奇妙な目力を持つ魔法使い。

 

「さぁ、どうぞ杖を試してください」

 

 だからこそ、気になる。

 今まで出会ったことのないタイプの少女と、今まで使い手を死に導いてきた杖。

 この二つの巡り合わせが、何を引き起こすのか。

 それは杖職人として、何がなんでも見たかった。

 

「んじゃ、やるか」

 

 杖の前で散々唸っていた彼女も、ようやっとやる気になったようである。

 運命に身を委ねるように、目を瞑って杖を一振り。

 

「……!」

 

 幸いにして、今度は爆発することも花が咲くことも、風が吹き荒れることもなかった。

 

 煌々と照らされる店内。

 黄金の煌めきは、優しく店の隅々までを照らしていく。

 神秘的な光景だった。

 杖が、彼女という主を祝福しているようにすら見えた。

 

「長年、この職に携わってきたものだが……こんなことは初めてじゃ」

 

「……という事は失敗か。ボクは気に入ったんだけど」

 

 心配そうに、少女が此方を覗き込んで来る。

 否、とオリバンダー翁は首を振る。

 今まで、この杖を試した人間は、そんな普通の顔はしなかった。

 まるで何かに怯えるように、顔は青ざめ手は震えていたものだ。

 

「……お嬢さんには、その……何かが見えたりしましたかな?」

 

「あぁ。結末がどうこう言ってた? 別にいつも通りだったけど」

 

 拍子抜けと言わんばかりの返答に、流石のオリバンダー翁も口ごもる。

 

「ふむ。その杖を手にした者達は、己の死を見たと絶望するものでな。何もなかったのなら、それで良いのじゃが」

 

「はは、悲劇は嫌だなあ。ほら、人って何かと喜劇の方が好きだし。それだけの話だと思うよ」

 

 杖を弄ぶ少女が、はぐらかすように笑った。

 なるほど、と老人は納得する。

 そういう意味でも、やはり彼女は適性があったのかもしれない。

 

「これ気に入ったよ。おいくらかな?」

 

「30ガリオンじゃな」

 

「……高くない?」

 

「一級品だからの」

 

 仕方がない、と肩を落としバッグから金貨を取り出す少女を、老人は微笑みながら見つめている。

 何しろ、疫病神の杖をお払い箱に出来たのだ。

 素材分も無事回収、珍しいものまで見れた。

 顔が緩むのも仕方がない。

 

 チリンチリン…………

 

(しかし、本当に不思議じゃ。100年越しに、元の血筋の者へと回帰するか……)

 

 ドアの向こうに消える後ろ姿を見送り、オリバンダー老はそう独りごちる。

 流れ物とはいえ、その杖がどこから来たか、そのルーツくらいは調べてある。

 今、訪れた少女が何者であるかも。

 ここのところ、頻繁に横丁に訪れている美少女。

 その名を聞いた時は驚いたものだが、周囲の反応にはもっと驚いた。

 

 ────爺さん、なに驚いてんだ? そこまで変な名前でもねぇだろうよ

 

 時代だった。

 かつては世界に冠した闇の魔法使いですら、時の流れには勝てない。

 未だに、革命の爪痕を深く残している欧州ならばまだしも、この国は()の魔の手から逃れている。

 イギリスで最強の闇の魔法使いといえば、10年前に最盛期を誇ったヴォルデモート卿なのだ。

 

「かの血族が安寧に過ごすには、もはやこの国を頼る以外ないのかもしれんのう」

 

 オリバンダー老は、前の持ち主を”偉大な魔法使い”と呼称した。

 やったことの善悪はともかく、確かに偉大なことだ。

 歴史上、類を見ない規模の大革命。

 その暗い偉業は、ヴォルデモート卿ですら遠く及ばないとオリバンダー老は今でも思っている。

 

 ニワトコの杖。最強の杖。宿命の杖。

 

 かの魔法使いがそれを手に入れるまで、数多の人々を血に染めてきた杖が、何を隠そうあの杖だ。

 

(最初、杖を見た時は腰を抜かすかと思ったわい)

 

 オリバンダー老は杖の造り手であり、また達人でもある。

 名刀を打つ刀鍛冶がそうであるように、彼もその杖を見れば、大抵のことは分かる。

 その杖が何をしてきたのかも。

 まるで、歴戦の兵士が使い込んだ逸品であるかのようだった。

 それまでに杖が行ってきた凄惨な時間に、背筋が凍ったのを今でも覚えている。

 僅か十数年。

 その短期間で、あの杖はどれほどの命を奪い、人を破滅に導いたのか。

 

「何はともあれ、時代は変わったということかの。どうか今度こそ、平和な時代に遣い手を導いてやって欲しいものじゃ」

 

 窓から見える活発な人の行き交いを眺めて、オリバンダー老はポツリと呟いたのだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「……なんか、ぼったくられた気がしなくもないけど」

 

 オリバンダー翁に、馬鹿高い杖を売りつけられたボク。

 しかし悲しいかな。

 残念ながら、それに拘泥していられる程の猶予はない。

 この後も、予定は山積みなのだ。

 学校に必要な物を買い終えるべく、ボクは一人寂しく店を回っていく。

 

 フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店では教科書を。

 薬問屋では必要な材料を。

 高級箒店では、ニンバス2000が売っていたので買おうとするも、私生活でそれほど箒を使わない事に気がつき、断念。

 無駄な買い物をしないのは、長らく旅を続けてきた貧乏性のせいだ。

 まぁ一年生は箒の所持自体許されていないし、これで良かったのだろう。

 

「それにしても、平穏だなぁ」

 

 教科書を買い求める先々では、名前を書く必要のある場所が多々あった。

 石の一つでも投げられるかと思ったが、結果は意外にもノーリアクション。

 グリンデルバルドの名を見て、動揺する者はあまりいなかった。

 その傾向は若い者に顕著で、今までも外国で少なからずそういうことはあったが、大体十人に五人は顔を顰めていた。

 

 ボクの故郷である片田舎では差別が未だに残っていたが、イギリスの中心街はそうでもないらしい。

 国の中心に近づくにつれて、老若男女全てが他の人間と接するように対応してくれる。

 この名一つで迫害されてきたボクにとって、初めての出来事だった。

 

「本当にいい国だよ。最初からイギリスを出ず、ひっそり過ごしておけば良かったとさえ思う」

 

 とはいえ、ひっそり影のように過ごしている自分を想像出来ないのも事実。

 各国を回る旅は、大変ではあったが楽しい思いもさせて貰った。

 悪い事ばかりではない。

 

「やあ、君もホグワーツかい?」

 

 そんなボクの和やかな気分は、長く続かなかった。

 ぶち壊しにしたのは、マダム・マルキンの洋装店で声をかけてきた男の子。

 

「そうだけど、何か用?」

 

 同い年だと推測出来る背格好と童顔。

 金髪に貴族用のローブを纏って、見るからに偉そうな男の子だ。

 

「いや? なんか妙な害獣が肩に乗っかってるから、教えてあげようと思ってね」

 

 人のペットを害獣扱いとは。まったく不愉快極まる。

 ナンパのつもりなのだとしたら、センスがないにも程があろう。

 

「ご親切にどうも。こいつはペットなんだよね」

 

「ペット!」

 

 耳障りな甲高い声で、そう一言。

 此方の神経を疑ってます、と顔にありありと浮かんでいる。

 

「ニフラーをペットにするなんて聞いたことがないけど。まぁ君がそう言うなら、そうなんだろうね」

 

 鼻で笑われた。

 この金髪を嫌な奴として、即座に自分の頭に叩き込む。

 

「服装を見るに中々の家の出だろ君。パーキンソン家?」

 

「さぁね。高貴な家柄でないのだけは確かだけど」

 

 気取った言い方が、一々癇に障る。

 他人の家柄には興味がないボクは、金髪を軽口で適当にあしらうと、ずんぐり魔女が用意した踏み台の上に立った。

 眼鏡をかけた男の子が、隣で居心地悪そうに丈を合わせて貰っている。

 

「そういえば君の両親はどうしたんだい? 見かけないけど」

 

 ボクと話しても無駄だと思ったのだろう。

 金髪は、元々話していたらしい眼鏡の彼に矛先を変えた。

 

「……死んだよ」

 

 詳しく話す気になれないらしく、ぽつりと眼鏡の彼はそれだけ言った。

 唐突に飛び出てくる、特大級の地雷。

 聞かれたのが彼で良かった。

 きっとボクは、そこまであっさりとは言えないだろうから。

 そして、金髪は強者だった。

 

「おや、ごめんなさい」

 

 謝っているような気配は、微塵も感じられない。

 その無神経さは、ある意味大物だ。

 

「じゃあ君は、自分が純血かどうか分からないワケだ」

 

「じゅ、純血?」

 

 目を白黒させている所を見るに、眼鏡の彼はマグルの出身だろうか。

 血の問題は、魔法界とは切っても切れない問題である。

 マグル出身者でもなければ、純血という単語を知らずに育つのは難しい。

 ふと親切心が沸き、ボクは説明を入れる。

 

「家系の中にマグル、もしくはマグル生まれが一人もいないことだね。殆どの家系にはマグルの血が入っている。聖28一族でもない限り。だから気にすることないよ」

 

「は、マグル!」

 

 金髪は大げさに鼻を鳴らし、ぺらぺらと話し始める。

 

「連中は入学させるべきじゃないと僕は思うよ。そう思わないか? 連中は、僕らと同じじゃないんだ。僕らのやり方がわかるような育ち方をしていない。手紙をもらうまで、ホグワーツの事を聞いたこともなかった。そんな奴もいるんだ。考えられないことだよ。入学は、昔から魔法使いだけに限ると思うね」

 

 ふむ。いわゆる純血思想というやつだな。

 外国を回っている時も、度々こういう類の人間がいた。

 彼らの共通点は、一族の血の濃さへの異常なまでの拘り。

 古臭い上に、この上なく馬鹿らしい。

 金髪の場合は、純血思想の親から刷り込まれたのだろう。

 中身がない、借り物の思想だ。

 

「穢れた血や半純血には反吐が出るね。連中は、己の血に誇りを持っていないのさ。そうだろう? 僕だったら恥ずかしくて外に出られないね。君、家族の姓は?」

 

「……」

 

 採寸が終わった眼鏡の彼は、答えることなくフェードアウトしていく。

 ボクも金髪に名前を聞かれたが、言っても面白い事になりそうもない。

 外行き用のヴォーティガンの名を使った。

 その結果、再び鼻で笑われる事になったのはご愛嬌だ。

 

 

 

 ──────……

 

 

「やれやれ、参ったよ。自分の家系が、純血かどうかなんて気にしたこともなかった」

 

 ”漏れ鍋”に帰ってきたボクは、採寸であった不愉快な話を最近知り合った森番の大男にしていた。

 

「メルムはそれでええ。純血思想を声高に口にする奴は、どいつもこいつも頭が腐っちょる。おまえさんの思想が歪むところは見たくねえ」

 

「安心してよ。旅先のアメリカでも差別問題はあったから。白人と黒人問題さ。実に下らないと思ってるよ」

 

 ボクと話している大男は、名をハグリッドという。

 ”漏れ鍋”でよく酔っ払っており、その介抱を何回かしたことで仲良くなった。

 巨人の血が入っているらしく、身長が2メートルを有に超えている。

 強面な顔だが、優しくてとても性格の良い人である。

 

「穢れた血、血を裏切る者。どうしてマグル生まれっちゅうだけで、そこまで同族を差別出来る? 魔法族なんぞ、マグルの血を受け入れなければ、とっくの昔に絶滅危惧種だ。寧ろ、マグルの血が入ってない魔法使いの方が希少だろうが。ええ加減、自分達がマイノリティだっちゅうことに、奴らは気づいた方がええ!」

 

「純血。要は近親相姦を繰り返して、無理矢理一族を存続させただけ。血が濃くなって、先天的異常を持つ子供が生まれる可能性が高い。今の魔法界で、純血を存続させる事自体がかなりリスキーだもんね」

 

「そういう直接的な表現はあんま好かんが。概ねその通りだ。まぁバカでもキチガイでも血が尊ければ、それなりに良い生活が望めるっちゅうのは、羨ましい話だがな」

 

「ボクより明け透けに言うじゃんか……あ、頼んでたバタービールとファイア・ウィスキー来たよ」

 

 ”漏れ鍋”の主人から渡されたバタービールは、割りと好きな味つけだ。

 口の中で蕩けだす甘味。

 若干アルコールが効いているのか、ほどよく酸っぱくて美味しい。

 

「これ当たりだね。美味しい」

 

「……メルムよう。酒はやめてくれるとありがたいんだが。俺は、ダンブルドアの使いで来とる。これからウチの生徒になる未成年と飲酒した。そんな事がバレたら、あのお方になんて言われるか分からん」

 

「大丈夫。これノンアルコールだから」

 

「お。なら心配いらんか」

 

 笑ったハグリッドが、運ばれてきたファイア・ウィスキーを乾杯もなしに、ガブガブ飲み干す。

 本当は少量のアルコールが入っているのだが、誤差の範囲内だ。

 少なくとも、これでは酔っ払わない。

 

「ぷはぁ……純血純血と煩かった子供は、恐らくマルフォイ家のモンだろうな。俺も窓越しに見ちょったが、あの気取った面構えには見覚えがある」

 

「聖28一族じゃん。もしかしてレア物だったり?」

 

「価値観っちゅうのによるな」

 

 確かにそうだ。

 純血をありがたがる彼のような魔法使いもいれば、ボクのように興味すらない魔法使いもいる。

 人間というのは複雑だ。

 そう言えば、とハグリッドが顎に手をやる。

 

「話に出てきた眼鏡の少年の事だがな。ありゃあハリー・ポッターだぞ。外でお目付け役をしていたのが俺だから間違いねぇ」

 

「普通の子だったね。普通過ぎる。ちょっと雰囲気が暗いくらかったし。もっとこう……偉そうなの想像してた」

 

「マルフォイ家のようにか?」

 

「まぁ」

 

 あの純真無垢そうな顔を、ボクは思い出す。

 もし爺様があの子を見たら、カモがネギしょって鍋まで抱えてきた、と笑うことだろう。

 

「生まれが特殊だからな。誤解されるのも仕方ねぇが……小さい頃のハリーは、そりゃあちっちゃくて可愛くてな……それを、あの最悪の大マグルのダーズリーどもめ。ダンブルドアもダンブルドアだ。一体全体、どうしてあんな最低のマグル一家なんぞに……そもそも話がこんがらがっちまったのは、10年前のあの日から……」

 

 鼻の穴をデカくしながら喋り続けようとする森番を、ボクは手で制する。

 

「待った。その話は長くなりそうだ。遠慮しとこうかな」

 

「なんだ。聞きたくねぇんか?」

 

 うん、とボクは頷く。

 長い話は御免だし、それは本人から聞くべき内容だろう。

 

「……そうだな。こりゃあハリー個人の話だ。ハリーのおらん所で、これから同じ寮になるかもしれん子に言うべき話じゃねぇわな」

 

 それに、酒が不味くなる。

 新たに運ばれてきたファイア・ウィスキーの蓋を開けて、ハグリッドはそう吐き捨てた。

 

「……まぁ話はかなり戻るけど、根強いものだね。差別ってやつは」

 

「人間である以上、差別する奴はどうしても一定数おる。重要なのは、それに負けんっちゅうこった」

 

「それもそうだね」

 

 今まで出会ってきた魔法使いの中には、差別主義者も多かった。

 人を見るだけで怒声を上げたり、石を投げてくる。

 向こうに悪いことなんざ、ボクはこれっぽっちもしてないのに。

 

「……」

 

 ジョッキに注がれるファイア・ウィスキー。

 縁まで満たされたそれを飲み干すハグリッドを眺めていたら、ふと彼がポツリと呟いた。

 

「なぁメルムよ。あんたは良い魔女になる」

 

「急にどうしたの?」

 

「世の中にゃ、どうしょうもない悪党っちゅうのがおる。環境が原因にせよ。人間関係から来る歪みにせよ。悪の道に走ってしまった魔法使いを、俺ぁごまんと見てきた。だから、これだけは言わせてくれ」

 

 ────グリンデルバルドの名に負けるなよ

 

 その言葉は、不思議と温かった。

 やはり、彼は良い魔法使いである。

 

「おお。気づいたら、もうジョッキが空っぽだわい」

 

 最後の一滴は、ボトルのまま飲み干された。

 カラカラと笑ったハグリッドは、これでおしまい、と席を立ち上がる。

 

「メルム、ホグワーツで待っとるぞ」

 

 ボクをまっすぐに見下ろし、ハグリッドはにこやかにそう言った。

 

 

 




ハグリッドとオリバンダーの言葉に違和感が生じた為、修正しました!
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#002 汽車の旅

幻視が視界を通り過ぎる、なんてことのない白昼夢。

それは起こるであろう当然の結末。

運命は絶対で、偶然なんて言葉は存在しない。あるのは必然だけ。

天啓は気紛れに現れて、私の心を掻き乱す。

それが何分後なのか、何時間後なのか、それとも何十年後なのか。

未来はいつも決まっていた。私はいつも知る事が出来た。

でもそれだけで、この先必ず起こる必然に何かが出来ることはない。

もうよくは覚えていないけれど、家族(私達)が迎えた結末もきっと。



 

 人混みは嫌いだ。

 どれくらい嫌いかというと、人ゴミに変換できるくらいには嫌いだ。

 ほら、肩がぶつかった。

 おまけとばかりに、足も踏まれる。

 いたいけな少女であるボクへの無礼、絶対に許さない。

 とうの本人は、直ぐに駅の雑踏に紛れて見えなくなったが。

 

「クソ、国際機密保持法はどうなってるんだ。これだけマグルが集まる駅に特急を作るなんてさ。魔法族の秘密を守る気あるのかな」

 

「仕方ない。今は共存の時代なんだ。それに極東の国に、こんな言葉があるらしいよ。木を隠すのなら森の中」

 

 そう言って肩を竦めるのは、スキャマンダーさん。

 結局、ボクの見送りに来ることを決めたようだった。

 色々旅をしてきて大人になったつもりではあるけれど、やっぱりスキャマンダーさんから見れば、ボクはまだまだ子供らしい。

 

「ちゃんと荷物は持ったかい? 忘れ物届けるのは嫌だよ」

 

「わかってるよ。トランクの中に、鍋、教科書、ペット、服。全部ある」

 

 お陰で、トランクが滅茶苦茶重い。

 ひ弱な女の子であるボクが、なんでこんなに荷物を持たなければならないのか。

 端から見ても、荷物がぎっしり詰まったトランクを引き摺る女の子の姿は、哀愁が漂っていることだろう。

 満足そうに頷いていたスキャマンダーさんが、ハッとしてボクに聞いてくる。

 

「杖はちゃんとトランクに入れたかい?」

 

 おっと、ボクとしたことが。

 杖をトランクに入れず、ポケットに入れたままなのを忘れていた。

 

「一番重要なのものだろうに……肌身離さず身につけるのは大事だが、ホグワーツの荷物検査で引っかかる。気をつけなさい」

 

 呆れた声が背中に刺さる。

 少しのうっかりは仕方ない。

 生まれてこの方、学校など行ったことがないんだから。

 肩に乗せていたニフラーが、慰めるようにくちばしで頬をつついてくる。

 

「ボクの味方はお前だけだよ、ゴールディ。いや本当に」

 

 二フラーを撫でながら、ボクは手元の紙に目をやる。

 書かれているのは、特急列車への案内図だ。

 何かの柱の絵と、キングス・クロス駅の9と……4分の3番線という言葉。

 ワケがわからない。9番線まではわかる。

 だが、4分の3番線とはなんのことだろうか。

 中途半端過ぎやしないだろうか。

 

「……」

 

 メモを書いたのは、ポーペンティナ夫人だ。

 口下手なのは分かっていたが、これは酷い。

 もはや悪意を感じる。

 ひょっとしなくても、先日のディメンタードッキリのお返しだろうか。 

 もしそうなら大成功だ。

 ボクは大いに困っている。

 

「着いてきて正解だったね。ティナはいつも言葉足らずで説明足らずなんだから。ほら、ここだよ」

 

 9番線と10番線の間にある柵の前で、スキャマンダーさんが立ち止まる。

 

「僕が見送れるのはここまでだ。執筆した原本の提出期限が迫っていてね。汽車が出発する時間には、とても間に合わない。それに私も人ゴミは嫌いなんだ。特に魔法使いのはね」

 

「そうなんだ。ここまでの見送ってくれただけでも十分だよ。ありがと、スキャマンダーさん」

 

 別れは、簡潔にあっさりと。

 ボクにひらひらと手を振って、スキャマンダーさんは元来た道を引き返していった。

 

「んじゃ、行きますか」

 

 うーんと大きく背伸びをして、体を解す。

 ロリポップを咥えこんで、ボクはさりげなく柵に寄りかかった。

 

「っとと」

 

 見た目と反し、支える物がない。

 次の瞬間、当然のように体が硬い金属の障壁を通り抜けていた。

 思わずたたらを踏んで目を上げる。

 

(へぇ、これが。思ったより賑わってる)

 

 煙を吐く紅色の汽車の”ホグワーツ特急”が、目の前に堂々たる姿で鎮座している。

 煙の下のホームでは、魔法使いや魔女達が子供との別れを惜しみつつ、汽車に乗せる姿がちらほら見えた。

 放し飼いにされているのか、猫やらフクロウやらの姿をそこら中で見かける。

 正直、フクロウのホーホー鳴く声が喧しい。

 手紙のトラウマがあるから尚更だ。

 ……というか、誰もボクのように魔法生物を持ち込んだりはしていないようだ。

 

「もしかしたら学校で浮いちゃうかもな……いや、そうでもないのか」

 

 視界の端で、ドレッドヘアの黒人の少年が大きい蜘蛛を箱から出したのを見て、ボクはホッとする。

 あんなのに比べたら、ニフラーなんて可愛いものだ。

 

(昔から蜘蛛は苦手なんだよなぁ)

 

 とにもかくにも、時間が無いので手早く荷物をしまうことにする。

 汽車に乗り込み、ボクは後尾車両を目指す。

 先頭の二、三両はもう生徒で一杯になっていた。

 窓から身を乗り出して家族と話したり、席の取り合いで喧嘩したりで騒々しい。

 トランクを引き摺りながら、満員に近いコンパートメントを通り過ぎたボクは、ほとんど誰もいない車両を見つけて荷物を叩き込む。

 勿論、車内販売の菓子類を買う金を懐に捩じ込むのも忘れない。

 そのまま返す足で、誰もいないコンパートメントを探しながら通路を歩いた。

 

「見つかんない……」

 

 思わずゲッソリする。

 どのコンパートメントも満員だった。

 汽車に乗るのが遅すぎたらしい。

 途中で見つけたマルフォイと相席するべきだったか。

 

「いや、無理だなぁ」

 

 偉そうなマルフォイもそうだが、取り巻きっぽいデブやノッポとも気は合いそうにない。

 十一歳という年齢を差し引いても、彼らは頭の回転が早いようには見えなかったし、純血主義が鼻についた。

 そもそも彼らは知っているのだろうか。

 もはや真の意味で、純血の一族というものが存在しないことに。

 

 時代は大きく変わった。

 純血主義を増長させた爺様が倒れて、はや半世紀以上。

 いとこ婚などの近親婚が、精神虚弱や病弱な者を生み出すという話が広く知られ、マグル生まれとの婚約を認める流れが出来た。

 

 大河の流れには、何者も逆らえない。

 恋愛結婚や妥協による半純血との婚姻で、どうしたって混血が増えていく。

 それでも一部の純血一族は、家系図からそれらを勘当し嘘で塗り固めて、自らの純血を主張している。

 その涙ぐましい努力の結晶が、何も知らない彼らだ。

 

(ま、詳しく調べないとわからない話だ。知らないのはしょうがないけどね……)

 

 純血なんて思想で腹は膨れない。

 この事を認めて、何とも多くの人間がマグル生まれと交わった。

 取り残された老害達は、その事実から目を反らし、静かに歴史の波に消えていった。

 未来の先取りは感性を失うが、過去の執着はその人間の時すら止めてしまうらしい。

 

「おっと。ここが一番後ろか」

 

 そんなことを考えている内に、最後尾の席まで来てしまった。

 ありがたいことに、一番後ろなだけあって誰もいない。

 良かった。

 四人一部屋の席を見たときは、内心焦ったのだ。

 知らない人間と同席なんて、人見知りを発揮させて気まずい思いをするだけである。

 最後の旅くらいは、一人で静かに過ごしたい。

 

「ふぅ……」

 

 椅子に座って一息つく。ようやっと椅子に座れた。

 ここに来るまで立ちっぱなしだったし、こんなに人の多い所を立て続けに移動したのも初めてだった。

 特にすることも無いので、窓の外の風景に意識を向ける。

 やたらと子供の多い家族が目に入った。

 子供達一人一人に、母親らしき人物が別れのキスをしている。

 

「……いいなぁ」

 

 家族の記憶は朧気だ。

 その中でも、父親と母親の記憶にロクなものはない。

 だから、少しだけ羨ましかった。

 警笛が鳴り、汽車が滑り出した。

 母親が子供達に手を振る。

 傍らにいる女の子が、半べそで汽車を追いかけてくる。

 その姿を何とはなしに眺めていたが、やがて目を逸らして本を開く。

 

「ま、無いものねだりをしても仕方がない」

 

 無いものは無い。

 ボクも感傷に浸るタチではない。

 汽車が速度を増し、静かな時間が始まる。

 

「……」

 

 凄い暇だ。

 望んだ事とはいえ、一人旅している時と何も状況が変わっていない。

 他のコンパートメントからは、楽し気な笑い声がさっそく聞こえてくる。

 仲良くなるのが早くないか? 

 

(さ、寂しくなんてないんだからね!)

 

 空の相席に向かって、ボクは胸を張った。

 空笑いが、静かな部屋に木霊する。

 ……新発見だ。

 人ってのはいてもムカつくが、いなくてもムカつく。

 ボクが肩を竦めたその時、コンパートメントのドアがガラリと開かれた。

 

「失礼。ここの席良いかしら?」

 

 本を小脇に抱えた、勝気そうな女の子。

 ぼさぼさになった栗色の長髪に、前歯が少し大きいのが目につく。

 まるで、リスみたいな女の子だ。

 ちなみに彼女の名誉の為に言うと、顔は整った方だろう。

 

「……いいよ。一人は寂しいって、丁度思っていたからね」

 

 来てしまったものはしょうがない。

 特に理由がないのに、追い返すのも違うと思うし。

 社交辞令を口にしながら、ボクは向かいの席へと促す。

 

「ぼ、僕もいいかな……?」

 

「ん?」

 

 この女の子の他に、もう一人客人がいたようだ。

 彼女の背後に目をやると、おどおどした男の子が立っているのが見える。

 堂々と入ってきた女の子と違い、こっちは視線がキョロキョロとしているし、やけに緊張していた。

 正直、これ以上人数は増えて欲しくなかったが、流石に可哀想なので頷いておく。

 

「あ、ありがとう」

 

 気が弱そうな男の子だ。

 不思議なことに、何処かで見たような気もする。

 孤児院でよく泣いていた子に雰囲気が似ているからかな。

 正面の女の子が、自己紹介を始める。

 

「私はハーマイオニー・グレンジャー。この子はネビル・ロングボトム。今年の新入生よ」

 

(……あぁ、彼が)

 

 道理で、どこかで見た顔だと思ったわけである。

 いつだったか、闇祓い(オーラー)である師匠に見せられた写真の中に、彼の両親が写っていたのを思い出した。

 確か、ヴォルデモートの配下に拷問された魔法使い夫婦の名は、ロングボトム。

 優秀な”闇祓い(オーラー)”だったらしい。

 

「ヒキガエルを見なかった? 彼、ここに来るまでにペットに逃げられちゃったらしくて」

 

 ハーマイオニーの言葉に、ボクの表情筋が固まる。

 言葉通りに受け取るならば、彼はヒキガエルよりもトロいということになる。

 

「あの……ごめんね。あいつ、僕から逃げてばかりなんだ」

 

 メソメソ泣きだすネビルに、ボクは軽くショックを受ける。

 こんなんで大丈夫なのだろうか。主に学校生活。

 ボクの脳裏に、マルフォイに虐められて泣くネビルの姿が否応なしに浮かんでくる。

 

「ペットを失くしたら大変よ。同じコンパートメントのよしみで、あなたも一緒に探してくれない?」

 

「……申し訳ないんだけど、慣れない長旅で疲れてるし遠慮したいかな」

 

 無難な回答。

 ペット探しを拒否でき、自分が疲れているという事も伝えることが出来る完璧な回答。

 長旅が慣れないという嘘はご愛嬌だ。

 しかし────

 

「うっ……うっうっ……ぐずっ……トレバー…………」

 

 ネビルのメソメソが酷くなった。これはマズい。

 案の定というか、ハーマイオニーが縋るような目つきでボクを見てくる。

 

「ねぇ、お願いよ。とても困ってるの。疲れているのは分かるわ。ほんの少しで良いから協力してほしいの」

 

 これは参った。

 ここまで懇願されて断るのは、流石に外聞が悪い。

 泣いている子を見捨てても心は痛まないが、それだと薄情な女の子という立ち位置になってしまう。

 泣く子には勝てない、とボクは諦めた。

 

「わかったよ。探すから、蛇口みたいに涙を垂れ流しにしている彼を静かにさせて。彼の泣き声は、ボクの精神衛生上よろしくないから」

 

 しょうがない。

 面倒臭い事は、手っ取り早く済ませてしまおう。

 まったく、ゆっくり百味ビーンズでも食べながら景色を楽しもうと思ってたのに、なんでこうなるのだろうか。

 

「じゃ、ネビルはコンパートメントをお願い。私は荷物置き場を見て来るわ」

 

 泣き止みこそしたものの、未だにしゃくりあげるネビルを連れて、ハーマイオニーが席を立ち上がる。

 何をしているのだろう。

 まさかとは思うが、ヒキガエルを探す為に汽車の中をくまなく調べる気だろうか。

 

(そんな面倒なことをする気はないかな)

 

 ボクは、懐から買ったばかりの杖を取り出す。

 この状況は、新しい杖の調整にうってつけだ。

 ハーマイオニーが訝し気に眉を顰めた。

 

「あら魔法を使うの? ヒキガエルを探す呪文なんて、教科書を全部暗記したけど、何処にもなかったわよ」

 

 教科書を全部暗記? 何かの冗談だろうか。

 教科書なんて、買った日からトランクに詰めっぱなしで開いてすらない。

 保存状態最高の新品だ。

 隣でネビルも唖然としている。

 多分、彼もボクと同じ心境なのだろう。

 ハーマイオニーがペラペラと喋り出した。

 

「私も練習のつもりで簡単な呪文を試してみたの。勿論、全部上手くいったわ。あ、言い忘れていたけど。私の家族に魔法使いは誰もいないの! 我が家から魔法使いが出たって両親とも大喜びしてね」

 

「……ネビル、ヒキガエルの名前は?」

 

 マシンガントークが長くなりそうなので、いったん無視。

 スキャマンダーさんに自作の本の話を振った時と同じ匂いがする。

 恐らくボクの判断は間違っていない。

 あの長話に付き合わされて、貴重な時間を無駄にしたのは苦い思い出だ。

 

「トレバーだよ。お婆ちゃんが思い出し玉と一緒に買ってくれたんだ」

 

「そう。なら……アクシオ! ヒキガエルのトレバーよ、来い!」

 

 ボクが使ったのは、単純な呼び寄せ呪文。

 ヒキガエルの、は一応保険だ。

 人間のトレバーが来たら、洒落にならない。

 呪文は無事成功したようで、十数秒後、ちゃんとヒキガエルのトレバーがふわふわと飛んできた。

 

「あ、トレバー!」

 

 ベチャ……! 

 閉めっぱなしにしていたせいで、ドアに激突する哀れなトレバーが立てた音だ。

 慌ててネビルがドアの外に出ていくのを横目に、ハーマイオニーが言う。

 

「今のは呼び寄せ呪文よね。あなた四年生だったの?」

 

「いや、一年だけど。なんで?」

 

「呼び寄せ呪文は、四年生の『呪文学』で習う魔法よ。まさか……もう四年生の教科書まで先取りして?」

 

 その言葉に、ボクは逆に驚かされた。

 呼び寄せ呪文くらい、魔法使いの一般家庭なら必須の魔法だろう。

 これが、マグル生まれとの感覚の違いか。

 

「そういえば、あなたの名前を聞いていなかったわね」

 

「聞かれなかったしね。ボクの名前はメルム。さっきも言った通り、同じ新入生だよ。寮が同じになったら、君たちにはお世話になるかも」

 

 どうせ入学式になればわかる事だが、それまで下の名はなるべく伏せたい。

 ボクだって汽車の中でくらい、友達は欲しい。

 

「よろしく、メルム。あなたは何処の寮が良いの? 私は断然グリフィンドールだわ。色んな人に聞いたけど、そこが一番良いみたい。勇猛果敢な騎士道を重視するらしくて、意志が強くて勇敢な生徒が多く集まる傾向にあるって聞いたわ。何より、あのダンブルドア校長もグリフィンドール出身らしいの」

 

 騎士道か。一番縁の無い言葉だな。

 昔から正々堂々と戦うタイプじゃない。

 囲み討ちこそしないが、無手の相手に背後から石でタコ殴りとかは、平気でさせて貰う。

 勝てば良いのだ、勝てば。

 ということでグリフィンドール寮は、ボクの気質に合わない。

 そもそもダンブルドア出身の寮ってだけで、何となく気が引ける。

 

「ボクはレイブンクローかな。知性を尊ぶ寮って聞くから。学力が重視される傾向が高いのは不安だけど」

 

「知性を重視するのは、良い事だと思うし……あ。でも聞いたところだと、同じ寮内で成績が元でイジメが起きたりするらしいわね。成績至上主義で、プライドが高い人が多いの。頭が良すぎてクセの強い人も沢山いるみたい」

 

「へぇ……色々あるんだね」

 

 なんでだろうか。

 長所に対し、短所が致命的過ぎる気がする。

 ちなみに偏見だが、残りのハッフルパフは個性がなく、スリザリンは小狡いという印象がある。

 選択肢に、救いが無さすぎる。

 まぁ完璧なものなどない、と言われればそれまでだが。

 隣のネビルも心なしか震えていた。

 

「僕、グリフィンドールが良い。僕の両親はグリフィンドールだったんだ。婆ちゃんも当然、僕がグリフィンドールになると思ってる。スリザリンなんかに入ったら僕……きっと勘当されちゃうよ」

 

 十数年前に色々やらかした死喰い人(デスイーター)

 彼らを最も多く輩出した寮は、確かスリザリンだったと聞いている。

 親の仇の寮に入る事ほど屈辱的なことはないだろう。

 

 

 ──────……

 

 

 それから汽車の外の景色を楽しんだり、ハーマイオニーのマグルの世界の話を聞いて時間を潰していると、通路でガチャガチャと何かを運ぶ音が聞こえてきた。

 

「車内販売よ。何かいりませんか?」

 

 えくぼのおばさんが、ドアを開けて顔を覗かせる。

 もうそんな時間か。

 腕時計を見ると十二時を過ぎていた。お昼時である。

 ボクも小腹が空いていたから、ちょうど良かった。

 

「僕は良いかな。婆ちゃんが作ってくれたお弁当あるし……ほら、これ」

 

「ネビル、それは”思い出し玉”だよ。ご飯じゃない」

 

 ネビルのポッケから出てきたのは、弁当ではなく大きなガラス玉だった。

 ”思い出し玉”。白い煙が詰まったような、不思議な魔法道具。

 忘れている事があると中の煙が赤くなり、持ち主が何かを忘れていることを思い出させてくれる代物である。

 世間一般の認識では、認知症が進んだ老人が買うものだ。

 

 ポーペンティナ夫人が持っていた玉を、影でチンパン玉と呼んでいたのは良い思い出だ。

 

「ねぇ、それって忘れている事を思い出させる道具だよ。忘れた内容を思い出させる道具じゃない。ネビルのお婆さんってピントがズレてるよね」

 

 おぉ、なんという事だ。

 ネビルがグスングスンと泣き始めてしまった。

 ボクがチラリと前を見ると、ハーマイオニーは肩を竦めている。

 言葉にこそしないが、同じ意見のようだった。

 

「もう泣かないでよ……しょうがない。ちょうどボクもお腹減ってたし、昼ごはん一緒に買ってあげるから。ほら、何が良い?」

 

「百味ビーンズ、蛙チョコレート、カボチャジュース、大鍋ケーキ、ドルーブルーの風船ガム、カボチャパイ、杖型甘草あめ……ええとそれから」

 

「……遠慮って言葉知ってる?」

 

 でも、この体型を維持しているのなら当たり前か。

 ポンポンとネビルのお腹を叩いて、ボクは納得する。

 最後に残された可愛い孫だ。

 きっと両親がいない分、そこだけはお婆ちゃんも甘やかしてしまったのだろう。

 そう言えば、爺様から祖母の話は聞いたことがない。

 ボクとしては、あのテロ爺と子供を作った酔狂な祖母の顔を見てみたい。

 

「まぁいいや。すいません、じゃあそれでお願いします」

 

 

 結果的に、ネビルの菓子だけでガリオン金貨が二枚も無くなった。

 菓子でガリオンまで使ったのは人生初である。

 隣で大鍋ケーキを口一杯に頬張るネビルを、ボクは恨みがましい目で見た。

 

「ふぁに。ろうかした?」

 

「いや? 美味しそうに食べるなぁって」

 

 もぐもぐ口に入れながら喋るな。行儀が悪い。

 だが不思議な事に、幸せそうな顔でケーキを食べるネビルを見ていると、なんかほっこりする。

 恐る恐る蛙チョコレートの包みをほどきながら、ハーマイオニーが聞いてくる。

 

「この蛙チョコレートって……まさか本物のカエルじゃないわよね?」

 

 その言葉に、ネビルとボクは顔を見合わせて笑った。

 そうか。

 ボクらには一般のお菓子でも、マグルの世界に住む彼女には初めて尽くしなのだ。

 

「蛙チョコレートは、カエルの形をしたチョコだよ。マグルの世界にも動物を型取った菓子類があるでしょ? あれだよ。マグルのお菓子と違うのは、動く写真付きと」

 

「ひゃっ!?」

 

「カエルが動くこと。うん、遅かったか」

 

 ハーマイオニーの手から飛び出したチョコカエルが、開けっ放しだったコンパートメントのドアから外に出ていく。

 テーブルの端で腹を出して寝そべっていたゴールディもそれを追いかけて出ていってしまった。

 慣れないチョコを食べて、お腹壊さなければいいけど。

 

「ねぇ、今のってニフラーじゃない? 良く婆ちゃんが駆除してるのを見るんだけど」

 

「ペットだよ。良い子なんだ」

 

「魔法生物をペットにするのは禁止されてるわよ?」

 

 大丈夫だ。

 裏でスキャマンダーさんがホグワーツに話を通している。

 その事を話すと、ハーマイオニーは何も言わなくなった。

 

「それよりもさ、実はこの蛙チョコレートってホワイトバージョンがあるの知ってた?」

 

「そうなの。何味?」

 

「ボクも食べたことないから分かんない。かなりレアなんだ。けど、ホグワーツなら売ってるんだって。大量のチョコカエルを飛び跳ねさせて、普通のカエルを避けながら白のカエルを捕まえるっていう遊びが流行ってるらしいよ」

 

「面白そうね、それ!」

 

 ハーマイオニーとの話が盛り上がろうとした、その時。

 

「ねぇ、この人って誰かな? 僕、この人のは一枚も持ってないや」

 

 蛙チョコレートを纏めて五匹ほど口に詰め込みながら、ネビルが一枚のカードを出してくる。

 ボクは一端お喋りを止めて、そのカードを覗いた。

 

(うわぁ……)

 

 ふてぶてしく佇む男性の写真だ。

 美形で金髪の巻き毛が特徴的な男を見て、ボクは思わず顔を強張らせる。

 ゴドリックの谷に遊びに行った時、見かけたことがある写真。

 バチルダさんの家に飾ってあるのを見て印象に深く残ってたから、見間違えはありえない。

 

「えぇと名前は、ゲラート・グリンデルバルド……待って! 何処かで見た記憶が……」

 

 ポケットの中で、ボクはアクセサリーを握り締める。

 うーんうーんと唸るハーマイオニーが、席に積んでいた本の中から一冊を取って、テーブルに広げた。

 

「多分、この人ね」

 

 今日は、何かの厄日だろうか。

 ”黒魔術の栄枯盛衰”と書かれた本の見開きいっぱいに、ボクの祖父の事が書かれていた。

 

 しかも、闇祓い(オーラー)を焼き殺している最中の動く写真付きで。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あれはそう、いつだったか。

 多分、覚えている中なら最古の方に位置するであろう重箱の隅だ。

 ボクの麗しの家族が纏めてヴァルハラ行きになり、引き取り先の孤児院まで丸焼けになったあの時。

 およそ、大抵の人が持つ幸せを根こそぎ奪われたボクは、隻眼の男に手を引かれてブタ箱に連れてこられた。

 

「ここから先は、一人で行け。良いな?」

 

 鋭く目を細めた男の言葉に従い、筒状の渡り廊下、その最奥の分厚い扉を開ける。

 ツンとする刺激臭が、ボクの鼻腔をくすぐる。

 

「はは、誰かと思えば。ようやく来たのか」

 

 暗い暗い独房の中で胡座をかいたソイツは、ずっと私を待っていたと言った。

 

「……闇祓いのおっさんから聞いたよ。すっごい悪いことしたから、こんな掃き溜めにぶち込まれたんだって。気分はどう?」

 

 掠れた笑い声が返ってくる。

 

「良いように見えるか? それなら癒者に眼を見てもらえ」

 

 落窪んだ瞳、されど眼光はギラギラと。

 元は囚人服であったボロ布をマントのように纏った老人。

 正直、子供のボクから見ても、見る影もないと言った具合だ。

 それでも、

 

(なんだろ……この人、凄く怖い……)

 

 実年齢以上に老けている筈の老人から立ち上る妖気。

 闇に覆われて尚、ドス黒いヒトの形をした何か。

 知らず知らずの内に、膝が震える。

 

「おじいちゃんは、その……一体何をしてこんな所に?」

 

 おや、と翁は口の端を歪める。

 

「ここに連れてこられる前に聞かなかったのか?」

 

「残念なだけど、重要なことは何一つ。でも、おじいちゃんがボクの最後のケツエンシャってことは、教えて貰ったよ」

 

「ふん。お前のツレは随分不親切な奴だな」

 

 今にして思えば当たり前のことだ。

 家族をいっぺんに亡くした子供に、誰が言えるだろうか。

 お前に残された家族は人殺しで、本に載るほどのろくでなしだと。

 悪いがボクには無理だ。

 誰だって嫌われ役はしたくない。

 

「ふ、別に隠すことでもあるまい。私は世界を相手に戦っただけだ。他の人間より、手段を選ばなかったってだけでね」

 

「分かりづらい。もっと簡単に」

 

 はぁ、とため息をついて翁は頭に手をやる。

 

「人殺しだよ、人殺し。こんな見るからに陰気臭い不衛生な場所にぶち込まれて、最低限度の生活すら受けられない状況下で、それ以外に何がある」

 

 ふぅん、と納得。

 人殺しは悪いことだ。それくらいは分かる。

 だって家族を問答無用で皆殺しにされたボクは、こんなにも困ってるんだから、そりゃあ悪いことだろう。

 

「へぇ、いっぱい殺したの。何人?」

 

「お前は、今まで自分が息をした回数を覚えているのか?」

 

 欠伸混じりの返事に思わず苦笑。

 これは酷い。

 どうしようもないクソ野郎じゃないか。

 最後の最後に残ったのが、人を殺して罪悪感の欠片も感じない爺さんとは、いよいよボクの人生も救いがない。

 

「なんでまたそんな」

 

「うーんそうだなぁ。気に食わなかったから殺したこともあったし、言うことを聞かなかったから殺したこともあった。私の目的には邪魔だったからな。パリでは住居の手続きが手間で、手っ取り早く裕福な家庭を皆殺しにしたこともあった……まぁその、なんだ。一言で表すと色々だ、色々」

 

 僅か六歳の子供に、ここまで雑に自分の罪状を読み上げる奴もそうはいまい。

 まぁでも、家族を失ってからずっと腫れ物扱いだったボクを憐れむでも避けるでもなく、対等に接してくれたのは彼だけだったりもする。

 うん、こういうのは嫌いじゃない。

 

「おじいちゃんのこと、気に入ったよ。やっぱりボクの家系は、ロクデナシばっかりみたいだ」

 

 言葉と裏腹に無表情を貫くボクを見て、老人はニヤリと笑う。

 

「当たり前だ。悪党の血は受け継がれる。それこそ癌細胞みたいにな。息子もそうだった────そして、お前も」

 

 灰色のオッドアイが、ボクを覗き込む。

 途端に謎の不快感。胃をまさぐられる感覚。

 

「かははは! 道理で何処かで見た事のある瞳をしていると思った。突然、家族を奪われた理不尽への憤怒……そうかそうか。自分と違って、家族を持つ子供達がそうも羨ましくあるか。自分にはもう手に入らない、そんな諦観も散見される……が臆病者だな。ひたすらに事実から目を逸らしている……自分が惨めに思われることが何よりも嫌い。下に思われることはもっと嫌い。孤児院の連中のような偽善には反吐が出る。いっそのこと、業務として割り切って自分を扱って欲しいと? 生意気なガキだ。誰に似たんだかな」

 

 ぶわり、と自分の髪が逆立つのがわかる。

 人の心を暴くのは最高の自慰行為だろうが、やられる方は溜まったものじゃない。

 翁がニンマリと嗤う。

 

「ほう。いっちょ前に怒っているのか。だが、やはりまだガキだな。殺意も憎悪も甘い。しかしまぁ……その何とも混沌とした破壊衝動は賞賛に値する。お前のそれは、家族を奪われた理不尽に対する憤怒ですらないな。我が孫ながらイカれている」

 

 その言葉に驚いたボクは、意図的に暴走させていた魔法力の矛を収める。

 流石は腐っても血の繋がる家族。

 孫の考えている事などお見通しというわけだ。

 

「何を驚くことがある。閉じてない心を読むなど造作もない。無論、それを意のままに操ることもな」

 

 そう囁く彼の顔は、残忍そのものだった。

 恐らくだが、その力を利用して散々悪事を働いたのだろう。

 子供のボクですら、何個も思いつくくらいだ。

 目の前の爺が悪用しないわけがない。

 そして、それを理解すると共に自然と湧き出る質問が一つ。

 

「ねぇ、どうして檻から出ないの?」

 

「ん?」

 

 これじゃあ、出たくても出れないだろ。

 そう言って翁は、両手に着いている枷を掲げる。

 

「この枷は避雷針みたいなものでな。このヌルメンガード全体と繋がっていて、常に私から魔法力を吸い上げている。お陰様でこの様。私には築き上げた栄光(ガラクタ)だけを抱えて、寂しく死んで欲しいんだとよ」

 

 分かりやすい嘘を吐くものだ。周囲に満ち満ちた魔法力を見ればわかる。

 彼の膨大な魔法力はその枷に収まってなどいない。

 そう告げると、翁は渋い顔をした。

 

「そうか。やはりヴォーティガンの血だな。お前には”これ”すら見えるか」

 

「うん。だから取り繕っても無駄だよ。どうせ隠すことでもないんでしょ。本当の理由を教えてよ」

 

 途端に、場が静かになった。

 その沈黙が理解出来ず、ボクは老人を見る。

 少し考え込んでいるのか、顔を顰めて目を瞑っていた。

 

 ────牢獄からどうして出ていかないのか

 

 彼自身、その理由が明確に分かっておらず、言葉を探しているような様子だった。

 

「……疲れたとも違う。かといって、ここを抜け出してどうしたいわけでもない。迫り来る老いも、私は愛おしい。不老不死なんぞ興味もない」

 

 いざ考えてみると難しいものだ。

 そう翁は呵呵大笑しつつ、己の思考に一つの結論を下した。

 

「うん、そうだ。寂しいからかもしれんな。自分の築き上げたものが風化していくのを見るのは」

 

 老人は、壁に刻まれた文字をそっと撫でる。

 

 ────より大いなる善の為に

 

 まだボクは幼く、その意味は理解出来なかった。

 理解出来たのは、彼にとって大きな意味のある言葉だという事だけ。

 愛おしげに細められる瞳が、それを物語っている。

 

「……それにしても賢しい娘だ。その齢で、魔法力の何たるかを理解するか」

 

 大抵の奴は、それすら理解せずに生を終えるのにな。

 ポツリと零す翁に、ボクは肩を竦める。

 

「皆、こんなもんでしょ?」

 

「馬鹿め。一般の魔法使いを、最初(ハナ)から心が欠けているお前と一緒にするな。普通は、己の力を他人で試したりはしない」

 

 なんでもお見通しなんだ。

 まったく、年寄りはこれだから嫌いだ。

 隠し事なんて出来やしない。

 

 そう、ボクにとって魔法力は最も身近な存在だった。

 

 矛であり盾であった。

 これで脅せば大抵の奴は黙った。

 振るえば振るうほど、隅々まで理解出来た。

 そもそも考えてもみてほしい。

 どこの世界に、己の武器である牙や爪を振るわない獣がいるというのだろう。

 どんな小さな獣でも、己の個性や利点を活かして生きている。

 

「通常、ヒトはヒトにそこまで薄情になれない。目の前を見てみろ。結局のところ、人でなしで鬼畜族の血を引くお前の末路はここだよ」

 

 突き刺すような言葉に、ボクは改めて目の前の檻を見る。

 栄華の搾りカス、悪党の忘れ形見、世界を震撼させた闇の魔法使いの血族。

 ボクを表す言葉の何と多いことか。

 そのクセに結末は一つだと、糞爺は吐き捨てるのだ。

 動いても、何も変わらなかった。

 失うものは、とても大きかった。

 気力も削がれてしまった。

 そして、もうやり直せない自分の人生。

 

 率直に言って、そんなのはゴメンだ。

 どうせ死ぬなら、好きな事を好きなだけやって、そして笑って死にたい。

 そんなボクを生暖かい目で見ていた老人は、会話の終わりに一つの決断を下すこととなる。

 

「甚だ遺憾だが、お前はスキャマンダーに預けることにする。精々、その腐った人格を矯正してもらえ」

 

 ブタ箱にぶち込まれるのは、一人で十分だ。

 疲れたように告げた老人は、ここではないどこか遠くを見つめていた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「これは誰なの?」

 

「……闇の魔法使いの王様だよ。例のあの人の前の時代のね」

 

 可愛い可愛いネビルの問いに、写真の御仁の身内として最低限の知識を、彼に与える。

 だが、十一歳のロングボトム少年は殆ど興味がないらしい。

 ふぅん、と新たにカエルチョコを数匹纏めて口に放り込むだけ。

 

(……せめて自分が始めた話にくらい、耳を傾ける努力はしてもいいと思うんだけど)

 

 しかし、ネビルのコミニュケーション能力の無さを悠長に嘆いてもいられない。

 何故なら、その隣の教えたがりが教科書を淡々と朗読し始めたからだ。

 

「ゲラート・グリンデルバルドとは、70年以上前に大陸を跨いで活動していた闇の魔法使い。二十世紀初頭に流星の如く現れた彼は、史上最悪とされただけあって、その所業は前代未聞の一言に尽きる」

 

「……」

 

「魔法族によるマグル支配の思想を持っていた彼は、マグルから身を隠して生きるという”国際魔法使い機密保持法”の破棄を目標に掲げていた。その目標は、当時の魔法使いにとっては非常に魅惑的であり、志を同じくした魔法族と共に、彼はあらゆる魔法界を相手に世界規模の大反乱を起こした。これが俗に言う、”ゲラート・グリンデルバルドの反乱”と呼ばれるものの概要である……絵に描いたようなテロリストね」

 

 ……うん、わかった。

 わかったから、身内の黒歴史を公開するのはやめて欲しい。

 さっきから本が、闇祓いの断末魔を壊れたレコードみたく再生し続けて、普通に怖い。

 

「高い理想と能力を兼ね備えていた彼は、目的の為ならいかなる犠牲も厭わなかった。中でもヨーロッパの各魔法界に何度も壊滅的な打撃を与え、大量虐殺を引き起こした大事件の数々は、未だに世界中の魔法界から注目を集めている。法を無視した革命を遂行する為、彼とその部下達は複数の殺人を含む、数え切れないほどの犯罪行為を実行した」

 

 その内容は、もはやご飯を食べている時にする話じゃなかった。

 ボクらはまだ子供なんだから、歴史の勉強などせず、庭小人の駆除冒険譚や空飛ぶ車で行く家族旅行の話でもしてればいいと思う。

 そんなボクの心の叫びが伝わったのか、ハーマイオニーの朗読がピタリと止まる。

 

「どうしたの、ハーマイオニー」

 

「……いえ、気になった文章があってね。ここの文よ……犯罪の規模やその危険性を鑑みるに、闇の魔法使い最凶の座は、”例のあの人”ではなくグリンデルバルドのものだったって」

 

 どうせ、イギリス魔法界以外の声だろう。

 ”例のあの人”が大暴れしたのは、主にイギリス魔法界。

 その点、爺様は世界を股に掛けていた。

 さぞかし悪名の高さも桁違いだろう。

 なんなら今では、イギリスでの知名度よりも、ロシアとかパリでの知名度の方が高いかもしれない。

 ネビルの方を見ると、知名度など知ったことか、とばかりにカエルチョコを飲み込み一言。

 

「強かったのかなあ」

 

「そりゃあ強いに決まってる。やりたいようにやって、ムカつく連中を殺し続けて。それが出来るくらいに強かった魔法使いなんて、そういやしないよ」

 

「そうね。グリンデルバルドが関わった事件を、”世界魔法大戦”なんて本に綴っている著者もいるくらいだもの。強力な闇の魔法使いだった事に、間違いはないと思うわ……でも、そんな彼にも終わりは訪れた。ダンブルドア校長先生よ。ほら、そのカードにも」

 

 カードの説明欄には、『1945年、立ち上がったアルバス・ダンブルドアと伝説的な決闘を繰り広げ、打ち倒された闇の魔法使い』、そう短く綴られていた。

 

「……たったこれだけ?」

 

「当時は色々あったんだろうけど。なんせ70年前の事だしね」

 

 まったくもってその通りだ。

 伝説的な決闘も、時代を覆っていた恐怖も、決して時間には勝てやしない。

 恐怖は次第に薄れるし、テロの傷跡だってマグルの復興で跡形もなく消されていく。

 

 ────寂しいからかもしれんな。自分の築き上げたものが風化していくのを見るのは

 

 いつか、そうポツリと零した魔法使いがいた。

 そんな彼は、時代の変化に己のイデオロギーが呑み込まれる様を見たくなくて、今も檻の中だ。

 

(ま、それで良いと思うけど)

 

 あの時代を生き抜いた魔法使いがどう思うかは知らないが、お陰でボクはこうして堂々と学校にも通える。

 何十年も前の事を昨日の事のように思い出すようでは、何かとやりづらい世の中なのだ。

 

 

 




魔力を魔法力に修正


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#003 入学式

魔法使いは己に流れる血に抗えない。

勿論、紡いできた歴史にも。

だから、そこにはきっと意味がある。



 

 短いようで長かった汽車の旅も、ネビルが数多の菓子を平らげる頃には終了。

 なんと喜ぶべきことに、あの重い荷物は学校まで屋敷しもべが届けてくれるらしい。

 ガッツポーズするくらいには、高揚していたボクの気分。

 しかしそれも長続きはせず、森番のハグリッドが先導するボートに揺られる頃には、ドン底だった。

 

「最悪……文明人なら飛行機を使おうよ、飛行機を」

 

 船酔いからくる猛烈な吐き気を堪え、水面を覗けば麗しの水中人(マーピープル)の悪戯っぽい目。

 

 お世辞にも可愛いとは言い難い顔。吐き気はさらに加速。

 クソッタレが。

 人魚なら人魚らしく、美形で現れて欲しい。

 

「あらあら、結構好かれてるみたいじゃない。お似合いだわ」

 

 同舟した女の子が、何か言っている。

 残念ながら船酔いでグロッキーなボクは、それに構っていられるほど精神的余裕がない。

 

「……うっ……うっ……」

 

「ちょっと! 吐くなら、湖にしてよね。汚物と一緒に船旅なんて御免だわ」

 

 よし、決めた。

 入学初日で気が引けるけど、この子の顔面に胃の中身ぶちまけてやる。

 胃はムカムカし続けるだろうが、気分はスッキリする筈だ。

 

「パンジー、船酔いしてるみたいだから絡むのは止してやりな。綺麗な女の子を苛めたって、あんたのブルドッグみたいな顔は良くならないんだからねえ」

 

「は? それどういう意味よ!」

 

「諦めろってことさね」

 

 優しい同級生の登場に、ボクは歓喜する。

 ハスキーボイスで毒を吐いた女の子が、私の背を摩ってくれる。

 

(……やけに大きな手だな。ゴツゴツしてるし)

 

「女の子なら、素手で白黒つけるべきだよ。そうは思わないかい?」

 

 振り返ると、ローブを纏った鉄塊がいた。

 正確には、鉄塊のような少女だ。

 

「ミリセント・ブルストロードだよ。よろしくね、ちっちゃい子」

 

 息を飲んで固まるボクに、差し出される手。

 それは少女の手と言うには、あまりにも武骨すぎた。

 肉体もそこいらの少年達と比べて、大きく、ぶ厚く、見るからに重い。

 マルフォイの取り巻きであるクラッブとゴイルを合体させて、滅茶苦茶にトレーニングさせたような体躯。

 厳しい鍛錬を感じさせる柔道耳。

 鉄塊のような全身から、彼女の荒々しさが伝わってくる。

 

「う、うん。メルムだよ……よろしく」

 

 おずおずと差し出された手を握るも、彼女は握り返してこない。

 訝しんで顔を上げると、ミリセントは困ったように苦笑していた。

 

「私は握力が強過ぎてね。握手すると、相手が手を痛めちまうのさね……だから申し訳ないけど、これで許してちょうだいな」

 

 どんな握力だろうか。

 凄まじい娘が同級生になってしまった。

 そうこうしているうちに、一年を乗せた船団はそびえ立つ巨大な城の崖下に到着する。

 

「頭、下げぇ!」

 

 ハグリッドの野太い声に従い、頭を下げて蔦のカーテンを避ければ、そこはもう城の真下。

 着くなり、ボロ船から慌てて飛び出したボクは、地下の船着場に降りる。

 岩と小石がジャリジャリと鳴らす音は、何故だか知らないが非常に懐かしい。

 

「ちょっとメルム……今、大丈夫?」

 

「ん?」

 

 誰かと思えば、ネビルだった。

 そんなに焦った顔をして、一体どうしたというんだろう。

 

「あのさ……ぐすっ……ばだ、トレバーが居なぐなっぢゃったんだ……」

 

「もうペット変えたら?」

 

 城に到着し、ハグリッドから一年生の案内を引き継いだのは、副校長らしき女魔法使いだった。

 見るからに厳格そうな顔つき。

 不正など生ゴミよりも嫌いそうな彼女は、ミネルバ・マクゴナガルと名乗った。

 

「これより新入生の歓迎会が始まりますが、大広間の席に着く前に、皆さんの入る寮を決めなくてはなりません。しかるに────」

 

 ドゴンッ! とマクゴナガル先生の説明を遮るように響く轟音。

 一拍置いて落下してきたのは、マルフォイの子分。

 しかも、デブの方だ。

 落下の衝撃で、ボクの足元が震える。

 ギラリと光る眼鏡。

 肩を怒らせたマクゴナガル先生は、倒れたクラッブに近づいてため息を吐いた。

 

「これはこれはまぁ……一体、どういう事なのですか」

 

「……」

 

 応えはない。

 そりゃあそうだ。奴は完全に気絶している。

 代わりに先生の質問に答えたのは、拳を振り抜いた形で止まっていたミリセントだった。

 

「私が彼を殴りました。彼がバカにしてきたので……だからその、申し訳ないです」

 

「……貴女は?」

 

 ぬぅっと目の前に現れた、鍛え抜かれた肉体。

 子供の中でも抜きん出た身体を見て、さしものマクゴナガル先生も呆気に取られていた。

 

(うん。その反応になるよね。1年生の身体付きじゃないもん)

 

「ミリセント・ブルストロードです、先生。そこで伸びている彼は、ビンセント・クラッブって言います。彼、酷いんです。私のことを、まるでオークだって。自分だってトロールみたいな図体しているくせに」

 

「そうなのですか? ミスター・クラッブ」

 

 混乱の極みだったのか、マクゴナガル先生は気絶したままの彼に、再び問い掛ける

 返事の代わりに、ばびっという音が鳴った。

 ボクは少しだけ、このクラッブという少年を見直す。

 まさか先生の質問に対して、放屁で答えるとは。

 中々出来ることじゃない。

 

「誰が屁で答えろと言いましたか、ミスター・クラッブ!」

 

 鼻を摘んだマクゴナガル先生が、デブを足で小突く。

 やはり、反応はない。

 今は何を言っても無駄だ。

 それを理解したマクゴナガル先生は、呆れた様子で肩を落とした。

 

「ミス・ブルストロード。組み分けの儀が終わり次第、貴女の処遇を寮監に委ねます。食事が終わっても残るように」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 その後、マクゴナガル先生は組み分けの儀式についての説明を終えると、クラッブを医務室に連れていく為、足早に退出してしまった。

 話は大体、ハーマイオニーが言っていた事と同じだ。

 ホグワーツ魔法魔術学校には、まず四つの寮がある。

 創立者の名前にちなんだ、グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。

 生徒はそれぞれの寮に分かれて卒業まで生活し、同学年で同寮の生徒たちを一つのクラスとして、授業を行う。

 

 そして、生徒達の学生生活を左右する寮の選択は、組み分け帽子とやらが担当するらしい。

 この帽子がくせ者で、四人の創設者によって知恵を吹き込まれたらしく、帽子のくせに意志がある。

 生徒の性格や希望を取り入れた上で、寮決めを行うのだとか。

 生徒が組分け帽子を被ると、彼らの望む徳目や希望を取り入れた帽子が、四寮から最適の寮を宣言するという。

 

 またこの学校には、寮対抗杯というシステムが存在しており、生徒の態度が良ければ得点を追加し、悪ければ減点をする。

 己の行動が、そのまま寮全体を左右するという事に他ならない。

 

 簡単に言うと連帯責任って奴だ。

 

 ハーマイオニーが得意そうに話していた事だが、これはイギリスのパブリックスクールにはよく見られることであるらしい。

 得点っていう、わかりやすい尺度によって教育を楽にするためだとは思うが、何とも面倒くさい話だ。

 

「ねぇメルム。僕らはどの寮に決まるんだろ……」

 

 話す人もいないのか、ちょこちょこと寄ってきたネビルがボクに話しかけてくる。

 どうせ、組み分けの儀式の準備を終えるまで暇ではあるのだし、会話に付き合って暇を潰すのもいいかもしれない。

 

「前にも話したと思うけど、ボクはレイブンクローかな。スリザリンは純血主義が強そうだし、ハッフルパフは肌に合わないからパス。グリフィンドールの騎士道もよく分からないし。そういうネビルは、どの寮に入りたいの?」

 

「ぼ、僕はスリザリンでなきゃどこでも良いかな……スリザリンだけは嫌だ。うん……スリザリンだけは、ダメなんだ」

 

 頑なに言い張るな。

 思い詰めるように、ヒキガエルを握り締めるネビルの姿は、悲壮感すら感じられる。

 あと、トレバーが飼い主を好きにならない理由がようやく分かった。

 ペットへの接し方が絶望的に下手だ。

 

「ふぅん。スリザリンが嫌なんだ? 君は」

 

 む、この声は。

 断りもなく会話に割り込んできた無礼者を、ちらりとボクは見る。

 そこには予想通り、先ほど腰巾着をダウンされたマルフォイがいた。

 

「君は見たことがあるな。ロングボトム家の子だろう。ご両親は元気?」

 

 暫くイギリス魔法界を離れていた為、そこら辺の事情に疎かったボクには、ただの無神経な社交辞令に聞こえたがどうにも違うらしい。

 なんとネビルが、可愛らしい丸々の顔を真っ赤にさせて、マルフォイを睨みつけている。

 

「君のご両親は、とっても優秀な闇払いだったらしいねぇ。父上から聞いたよ。確か、例のあの人を追っかけ回している内に、石につまづいて頭を打ってバカになってしまったって」

 

 ベラベラ喋るマルフォイ少年。

 彼の背後では、もう一人の腰巾着であるゴイルが拳をポキポキと鳴らしている。

 反撃されてもノープロブレムって感じだ。

 

(凄いなあ。よくもここまで人の癇に障る発言がポンポン出てくるもんだ。こいつの頭の中を見てみたい)

 

 服屋の時もそうだが、人を煽る能力がカンストしているとしか思えない。

 

「グリフィンドールらしい、天晴れな最後じゃないか。聞いた所だと、二人とも窓ガラスに向けてこう言うらしいね。あなたはだあれ? わたしはだあれ? ここはどこーって。まったく栄誉の負傷じゃないか」

 

 ドッと、彼の周りのお嬢様やご子息が爆笑する。

 お育ちは所作を取り繕えるが、その品性までは隠し通せない。残念無念。

 

(まぁボクには関係ないし、やらせとこ)

 

 このガキどもは終わってる。品もない。

 正直ぶっ潰してやりたいし、荒事は大好きだ。

 だが、入学早々な上に周りの目もある。

 参戦した結果、ボクが危ない奴だ、という認識をされる方が大損である。

 鼻息荒く、ネビルがゴイルへと一歩踏み出していく。

 おぉ、完全にやる気だ。

 

 ────さ、行きますよ

 

 爆発したネビルとゴイルが衝突する一瞬手前、厳しい声がした。

 誰かと思えば、マクゴナガル先生の再登場である。

 どうやら、厄介事の匂いを敏感に察知したらしい。

 眼鏡の奥からの鋭い視線が、ボク達を舐めるように見回した。

 流石に先生の前でやらかす気はないのか、一触即発の空気が緩む。

 

「……命拾いしたね」

 

 そう言ってマルフォイ少年は、ゴイルを引き連れそそくさと生徒の群れの中に消えていった。

 その様子をギラリとした眼鏡で追いつつ、ここで追求する気はないのか、マクゴナガル先生はマントを翻した。

 

「組み分けの儀式がまもなく始まります。さぁ一列になって。ついてきて下さい」

 

 ボク達が通されたのは、大広間だった。

 その広大さには、お屋敷育ちのご息女ご子息達をも感嘆させるものらしい。

 あちこちから息を呑む気配が伝わってくる。

 

 宙に浮いた何千の蝋燭に照らされるようにして、存在感を放つ四つの長テーブル。

 そこには、金色の皿やゴブレットが置かれており、肩に乗っているゴールディが目を輝かせた。

 ニフラーとしては、たまらないものがあるらしい。

 

(……多いな)

 

 何百人もの上級生達。

 既に、それぞれの寮らしき長テーブルに座した彼らは、一様に此方を見ていた。

 その顔は蝋燭に照らされ、まるで青いランタンを想起させる。

 新入生のボク達は、まるで出来の悪い見世物だ。

 緊張感からため息を吐いて、上座である教師用の五つ目のテーブルに、ボクは視線を向ける。

 

「あれが、アルバス・ダンブルドア……」

 

 キラキラしたブルーの瞳、半月型の眼鏡、その長い鼻は少なくとも二回は折れ曲がっている。

 髭と髪の長さ、そして皺の深さはその歳を想像させるに難くない。

 まったく、どこぞのボロ雑巾と大違いである。

 よほど良い歳の取り方をしているらしい。

 あまりジロジロ見るのもおかしな話なので、ボクはさっと視線を天井へと逃す。

 

「うわぁ……!」

 

 感動のあまり、思わず声が出た。

 それくらい天井に掛けられた魔法は素晴らしく、何とも綺麗だったのだ。

 旅の中、やむなく草原で野宿した頭上に広がっていた景色そのもの。

 天井一面に広がる満天の星空は、城を透かして空が見えると錯覚するくらい見事な出来だった。

 

「〜〜〜〜♪」

 

「〜〜〜♪ 〜〜〜♪」

 

「ん?」

 

 これはどうしたことだろうか。

 いつの間にか目の前に四本足の椅子が置かれ、その上に古ぼけたとんがり帽子が用意されている。

 おまけに鍔のへりの部分が口のように裂けて、寮への賛歌まで歌っている。

 どうやら天井の光景に見とれている内に、組み分けの儀式は結構進められてしまったらしい。

 

「ABC順に名前を呼ばれたら、椅子に座って帽子を被りなさい……アボット、ハンナ!!」

 

 ここでの組み分けとは、あの古帽子を頭に被って決めるようだ。

 記念すべき一人目である金髪のおさげの少女が、緊張しつつ椅子に座り帽子を被る。

 深々と被ったせいか、女の子は目元まで隠れてしまった。随分と大きい帽子だ。

 

「ハッフルパフ!!」

 

 一瞬の沈黙の後、帽子の一声。

 右側のテーブルから、爆発するような歓声が上がる。

 

「フィネガン、シェーマス!」

 

「グリフィンドール!!」

 

「グレンジャー、ハーマイオニー!」

 

「グリフィンドール!!」

 

 マクゴナガル先生の呼ぶ声に従い、粛々と進められていく組み分けの儀式。

 ハーマイオニーは念願のグリフィンドールになったようだ。

 歓声が聞こえる。

 どうやらあの寮は、騎士道だけでなくお節介焼きも受け入れる心の広い寮らしい。

 

「さて」

 

 アルファベット順に行けば、ボクの番は次かその次ってところだろう。

 そっと爺様から貰ったアクセサリーを、ボクは首元に着ける。

 

「……ぐ、グリンデルバルド、メルム!」

 

 お呼びが掛かった。

 乙女らしく静々と、しかし堂々とボクは椅子の前に向かう。

 椅子の前では、困惑したような顔のマクゴナガル先生が、帽子を手にしてボクをじっと見つめていた。

 

(ほ、こっちじゃ珍しい反応だね)

 

 畏怖の視線。強ばった顔。見慣れた表情。

 あれは知っている目だ。

 ボクのことはともかくとして、祖父が仕出かしてきたことは確実に。

 見たところ、マクゴナガル先生はご年配の方だ。

 彼女が知っていても、別段に不思議な話ではない。

 それよりも────

 

(参ったな。ちらほら気づいてる奴もいる)

 

 上級生達が座る長テーブルの席から、明らかに友好的ではない視線が無数に飛んできている。

 数こそ比較的少ないが、この反応は流石に心が折れそうだ。

 悪い噂というのが日を跨がずに回るのを、ボクは今まで嫌というほど経験している。

 そして大抵、後でその事実を知った輩の方がタチが悪いという事も。

 

(……イライラするなあ)

 

 言うまでもなく、ボクとゲラート・グリンデルバルドとかいう大悪党は、血が繋がっているだけでまったくの別物だ。

 ヒトには、それぞれ個性がある。

 多少似通う事はあれど、まったく同じになるということはありえない。

 それは当然の話で、異論を挟む余地などない。

 だというのに皆、口々にこう言うのだ。

 

 ────あの大悪党の孫娘だ。火種は消さないと、再び大きな災禍を招く事となるぞ! 

 

 ────どの面下げて街を歩いているのかしら。私の祖母は、あのキチガイに殺されたのよ!? 

 

 ────聞いたぞ、お前のこと。マグルも魔法使いも無差別に殺して回ったテロリストの孫なんだろう。俺が排除してやる! 

 

 酷い話だ。

 ボクが一人なのに対して、向こうは数が多すぎる。

 所詮はグリンデルバルド。悪党の孫。どこまでいってもマイノリティでしかない。

 何よりも苛立たしいのは、本来は爺様が背負うべき業を、何の関係もないボクが背負っていることだ。

 まったく理不尽な話だと思う。

 

「先生、帽子を被せて戴いてもよろしいでしょうか」

 

「っ……えぇ」

 

 カポッと、どデカい組み分け帽子が被せられる。

 視界を封じられるのは不快だが、我慢しよう。

 どうせ見えていても、気分が良くなることはないのだから。

 それを証明するかのように、新入生はおろか上級生達も皆、借りてきた猫のように静かになっている。

 

「まったく、そんなに他人が気になるもんかな。理解出来ないね」

 

 小声でそう毒づきながら、ボクは深々と椅子に座る。

 そう、このクソ帽子による実に不快な心の中での対談が待っているなど露程も思わず。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「……ぐ、グリンデルバルド、メルム!!」

 

 とうとうこの日が来た。来てしまった。

 和やかな雰囲気で各教諭が顔を綻ばせる中、アルバス・ダンブルドアは一人だけ笑いもせずに俯く。

 勿論、今さらダンブルドアの中にグリンデルバルドの血族に対する凝りはないと言っていい。

 七十年も前の話だ。自分は鮮明に覚えてこそいるが、大抵の魔法使いの記憶には埃が被っている。

 そう信じて疑わなかった。

 

(……これほどの時が経ってもか)

 

 ダンブルドアの笑みを躊躇わせていたのは、グリンデルバルドへの凝りなどではない。

 彼女の登場へ、皆の見せる露骨なまでの好奇心であった。

 ダンブルドアは、これからその感情が嫌悪、そして悪意にすら変わることを知っている。

 

(ゲラート、これがお主がしてきたことの業なのじゃな)

 

 例年通りの豪華で楽しげな雰囲気の中、細い緊張の糸が張り詰めている。

 

 やはり、虐げられてきた者達の恨みは根強い。

 

 ただ、それは加害者側も同じこと。

 グリンデルバルドの血族も、”黒い魔法使い”の敗北から七十年にも渡って虐げられてきた。

 老人は、メルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドの凡その遍歴を知っている。

 

 まず六歳の頃、彼女は両親と妹を、闇の魔法使いによる襲撃によって亡くしている。引き取り手は無し。自動的にマグルの孤児施設へと入院。

 

 続いて七歳の頃、なけなしの施設まで火事によって炎上。出火の原因は、通常の炎ではなく、現場には色濃い闇の魔法の痕跡が遺されていた。

 

 その後、ニュート・スキャマンダーが彼女の保護者として指名され、当時、少女と交流があったアラスター・ムーディが指導役として名乗りを挙げる。

 幼い少女は、自ら望んで現役の闇祓いに混ざり、過酷な自衛の訓練を二年間続けていく事となる。

 

 やがて九歳の誕生日を迎えたある日、少女は各国を転々とする事を決意、放浪の旅に出た。

 あまりにも、不幸な出来事が重なった末の行動であり、スキャマンダー一家も止める事が躊躇われたのだという。

 

(理不尽極まりない話じゃ。そこまでの不幸を、彼女が背負わねばならん道理もあるまい。グリンデルバルドの災禍は、ゲラート一人のもの。血族は関係ないじゃろうに)

 

 とはいえ、良くも悪くも魔法使いにとって血とは重要なものだ。

 その証拠に、本校の入学許可を彼女に出した事によって生じた猛抗議は、凄まじかった。

 連日の対処に終われ、寝不足の目をしばたたきながら、ダンブルドアは夜空の映る天井を見上げる。

 

 ────ダンブルドア。どうして、こうなる前にもっと早く手を打たんかった

 

 ────儂の預かり知らぬ事じゃった。彼奴に子がいるなど、知りようもなかった。実に巧妙に隠されておったのじゃよ

 

 ────戯言を。仮にそれが事実だとしよう。だが、少なくともあの1家の事件はあんたの所にも報告が行った筈だ。しかし、頑なにあんたは動かなかった

 

 ────……無論、孤児院に生き残りがおる事は把握しておったとも

 

 ────その孤児院も燃えて跡形も失くなったがな……魔法力の暴走だ。そんな風になるまで虐げられたあの子の気持ちを考えると、儂はやりきれん。人間として見られない悔しさが、あんたに分かるか? 

 

 ────これを聴け……焼き出せグリンデルバルド♪ テロリストの一族は皆殺し♪ 因果はやがては返ってくる♪ 燃やせや燃やせ♪ こんな醜い歌を、他のガキ共が鼻歌交じりに歌っておったんだ! 何度も! あやつに石を投げつけながらな! 

 

 ────それは……

 

 ────両親も、妹も、住むべき場所さえ奪われたあやつが、なんでこんな目に合わなけりゃならない! 

 

 唇をわなわなと震わしながら、そう叫んだ闇祓い(オーラー)アラスター・ムーディを思い出す。

 恐らくその光景は、歴戦の闇祓いがかつて目にした、どんな戦場の凄惨さとも違ったものだったのだろう。

 メルム・グリンデルバルドがイギリスを発った日、まるで見届けたかのように、アラスターは闇祓いの一線から退いた。

 

 ────綱渡りをするにも、もう歳だ。ケリをつけるにゃ良い機会だと思ったのだ。別に、コイツ(闇祓い)が誇れる稼業というわけでもないしな

 

 そう言い残して。

 ヴォーティガン一家襲撃事件の発端は、闇祓い達によって追い詰められた死喰い人(デス・イーター)の残党による凶行だったと聞く。

 犯人達の供述は、『かつて闇の魔法使いの頂点に君臨した男の一族。我が君を復活させる秘術を、必ずや知っていると思った』である。

 

 正気の沙汰ではない。幼子を拷問にかけ殺した凶行からもそれは伺える。

 癒者の見立てでは、長年の逃亡生活による精神の磨耗と診断された。

 

 事態の顛末を聞かされたアラスターは憔悴した。

 当時、彼は死喰い人狩りの主導者だった。

 自分が不必要に死喰い人(デス・イーター)を追い詰め過ぎた結果、何の罪も無い彼女の家族を殺したのだと悟ったのだろう。

 

 カッ、カッ、カッ。

 

 大理石を歩む音が、どよめきの中でもハッキリ分かる。

 堂々と散歩でもするかのように、椅子へと向かうのは小柄な少女。

 透き通るような銀の長髪、無機質な翡翠の瞳。

 感情をあまり感じさせない色白の端正な顔。

 

「……」

 

 あぁ! あぁ!! 

 性別こそ違うが、見る者をハッとさせる美貌も独特の威圧感も、在りし日の奴と瓜二つだ。

 最もダンブルドアが注視したのは、少女の首にぶら下がる”彼”を象徴するアクセサリーだった。

 三角形の中に、丸と一本の縦線が入ったあの造りは”彼”の血族である事を、如実に語っている。

 

 三つの角は、”死”から身を隠すマントを。

 

 丸い円は、”死”を辱める石を。

 

 そして縦線は、”死”から賜った最強の杖を。

 

 在りし日の野望、夢見た理想、亡くした者。

 それらがいっぺんに脳裏を掠め、胸いっぱいになる。

 若き魔法使いの愚かさに振り回された人々がいた。代償はあまりにも大きかった。

 静かに大魔法使い(ダンブルドア)は、首を横に振る。

 

(それは風化した過去の遺物じゃ。過ぎ去った淡い夢に過ぎん)

 

 ゲラート・グリンデルバルドが投獄されてから、七十年もの月日が経った。

 若かりし頃の、あの滾るような野心も長過ぎた年月に流されてしまった。

 おまけに失ったモノを取り戻そうにも、時がお互いに経ち過ぎている。

 

「もはや君の為そうとした夢を、真の意味で理解している者が何人残っているのやら」

 

 忘れられかけているイデオロギー、激動の歴史、連綿と紡がれていく鮮血。

 それでも、畏れは受け継がれていく。

 今を生きていかねばならない少女の苦しみを、知るべくもなく。

 

「ビックリ箱を開けるような心境じゃが。じっくりと見守らせてもらおうかの」

 

 人生も、物事も、時には単純に捉えて生きていく事が大切だ。

 少なくともそれは、全てに決着が着いたあの日から今に掛けて学べた、数少ない教訓であった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

『不思議なものだ。遥か昔に置き去りにされた、ダンブルドアとグリンデルバルドの因縁。それが、こんな所で再び芽吹くとは。この血筋の者だけは来る事がないと思いつつ、それでも私は君が来たことに驚きを感じてはいないよ。ようこそ、ホグワーツへ』

 

 耳の中というよりは、心に語り掛けてくる組み分け帽子の仰々しい挨拶に、ボクは苦笑いする。

 組み分けというのは、中々どうして面白い。

 寮決めには、どうやら生徒の思想や資質だけではなく、その者の持つ血筋まで見るらしい。

 この学校は、案外血を重視する傾向なのだろうか。

 

『そこは安心したまえ。私は、サラザールのような選民思想は持ち合わせてなどいない。血は重要でこそあるが、魔術を習う者、その資格の有無を判断する材料とは成り得ないのだよ』

 

 組み分け帽子の話を纏めると、血筋そのものに意味はないらしい。

 マグルであろうが、魔法族であろうが、巨人族であろうが、一定の魔法力を持つと判断された者にだけしか、そもそも招待状は届かないという。

 

『誤解しているようだが。私が見るのは全てなのだよ、フロイライン。その身に流れる血から才能を見出し、心を眺めて資質を探り当てる。君のように、偶に分かりづらい子がいるのが頭痛の種だが』

 

(へぇ、帽子にも頭痛ってあるんだ意外)

 

 さり気なく、ボクの事を問題児扱いしたことは流す。

 恐らく問題児になる事は間違いないからだ。

 とはいえ、それだけで端的に寮決めをされても困る。

 

(厳正な判断を求めるよ。まぁボクの行きたい寮は分かっているだろうし、簡単だと思うけど)

 

『ふむふむ。もちろん君の望みも理解しているとも。その身に満ちている魔法力。溢れんばかりにある才能。君が思っている通り、君はレイブンクローの資質を十二分に持ち合わせている。そして自覚は無いかもしれないが、自分より強大な者へ媚びず、立ち向かうという気高さはグリフィンドール向きでもあるのだ────しかし、どうにも困ったことに、それらの才能を他者の為に振るおうという、意思や思いやりが一欠片もない』

 

(当然でしょ。それがどうかした?)

 

 魔法とは、魔法力とは、自衛の手段だ。

 持っていなければ搾取される。今までスクイブが、各国でそうやって差別されるのを腐るほど見てきた。

 牙は研がねば使えない。

 持たざる者は、ただ死んでいく。

 そう教えられた。

 だから、己の力を他人の為に振るうという発想自体、ボクにとって新鮮なものだった。

 

(弱者を助けるヒーローなんて、今どき流行らないでしょ)

 

 博愛精神ですら、利害関係が複雑に絡んでいる時代なのだ。

 純度100%の施しの精神なんてものが、本当に存在するとは思えない。

 ヒトがそこまで綺麗なものだとは、ボクは到底信じられない。

 

『そう。君は酷く狡猾で、他者との共感性に著しく欠けている側面がある。誇りや勇猛さに意味を見出さず、どんな手を使ってでも成果を出せば良いという悪辣さがあるのだ。しかもそんな醜い己の性も、冷静に俯瞰して尚良しとしている。違うかね?』

 

(……ハズレではないかな。イイ線いってる)

 

 こうまで自分の内側を(あげつら)われたのは、爺様と初めて会った時以来かもしれない。

 中々どうして、組み分けという儀式も馬鹿にできない。

 マグルでいうところの性格診断(エゴグラム)だ。それもかなり精度の高い。

 

『どうするかね。グリフィンドールであれば、その気高さを。スリザリンであれば、その狡猾さを。どちらにせよ、偉大なる道が開ける事は間違いない』

 

(……は? ハッフルパフとレイブンクローはどこ行ったの)

 

 ボクは、レイブンクローが良いのだ。

 今、組み分け帽子が挙げた選択肢に、レイブンクローは存在しない。

 組み分け帽子お勧めのグリフィンドールだが、個人的に言わせて貰えば、気高さなんて持っていても腹の足しにはならない。

 寧ろ、今までの人生でどれだけプライドを捨てられるかが生き残る秘訣だったので、そもそも必要としていない。

 泥水を啜ってでも生き残った方が勝者だ。

 狡猾さに至っては、個人的に小ズルいという可愛い評価のままでいたい。

 

『そうか。それでだが、私としては君のその性格は酷くある寮に向いていると思うのだ』

 

 ……ちょっと待とうか。良くない流れだ。

 

(ねぇ、ここは普通にレイブンクローって叫ぶところじゃないの?)

 

『そうかね。君はそう思うのかね。君がそう思うのなら、そうかもしれないな。ちなみに、私はそうは思わない』

 

(失礼なことを言わせて貰うけど。組み分け帽子さん、まったく人の話聞いてないよね。耳ちゃんと付いてる? あ、付いてないか)

 

『本当に失礼だな……ゴホン!! 残念ながら、寮の組み分けは性質の似た者同士を切磋琢磨させられるよう、ふるい分けする側面も持ち合わせている。まったくの無関係というわけではないのだよ』

 

 さっき、レイブンクローの資質は十二分にあるって言っていた気がするが、それはどうしたのだろう。

 組み分け帽子にも認知症があるのかもしれない。ありえる話だ。

 この帽子は学校設立当初からあるらしいし、相当な年月が経っている。

 

(まぁそのことは置いといて。そもそも組み分けは、性格云々の話じゃないでしょ。判定基準には、生徒の意向を慮ったものになるって聞いてるよ)

 

『そんな時代もあった。若かったのだ、あの頃は。今は気に入らない奴を、ドンドン希望とまったく別の寮にぶち込む事にしている。さぁスリザリンが良いかね? あるいはスリザリン? どうしてもというならスリザリンにするが』

 

 なんと、まさかのスリザリン一択。

 とうとう、グリフィンドールすら無くなった。

 この学校の寮は、いつから一つになったのだろうか。

 今の今まで散々酷い目に合ってきたんだから、せめて寮決めの時くらい、自分の好きな寮に入りたかったのだが。

 

(つくづく不幸だ。いや……それは爺様の血を受け継いで生を受けたその日からか)

 

『それは違うぞ。ゲラート・グリンデルバルドの孫よ。君の不幸の原点は、そこではない筈だ』

 

 組み分け帽子の戯言に、珍しく私の表情筋が歪んだ。

 

(……お前に何が分かる。古帽子如きが)

 

『君は、自分の中の恐るべき力に気づいていない。君の不幸は、グリンデルバルドの名によって理不尽を被ってきた現実ではない。その現実を作り出したエネルギーに気づいていないことこそが、不幸なのだ。よく考えてみたまえよ。この広い欧州列強を相手に、かの魔法使いはたった一人で何十年も戦ったのだぞ』

 

 それは偉大なことなのだろうが、生憎なことにボクはそれを求めていない。

 ただ適度にスリリングで、刺激のある日常を謳歌したいだけの少女なのだ。

 

『ふむ。適度にスリリングで、刺激のある日常か。それは約束しよう。まぁ、君には見えているのだろうがね。ならば、私は君の見えていない未来を予言しよう。君が様々な困難を乗り越えた暁には、誰よりも偉大な魔法使いになれるだろう、と』

 

(様々な困難なんて、求めていないんだけど)

 

『その立場上、君を利用したり杖を振り翳す者も多くなるだろうが、あえて言おう。強者たれ、と! 君がどう運命に立ち向かって、成長していくのか。今から非常に楽しみだよ』

 

 待って欲しい。

 ボクの名前はグリンデルバルドだ。テロリストの孫だ。

 

(ただでさえ評判の悪い寮なんでしょ? そんな所にぶち込まれたら、絶対に危ない奴だって勘違いされちゃうんだけど)

 

『それは勘違いではない……さて。この寮ならば、必ずやその狡猾さと実力を以て、君は真の強者たりえるだろう。よって』

 

(友達出来なくなっちゃ)

 

「────スリザリン!!!」

 

「あーあ」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 意外と思われるかもしれないが、あの後ボクはあっさりと組み分けへの判定を受け入れ、不本意ながらスリザリンのテーブル席に着くこととなった。

 組み分け帽子には色々言ってやりたい事があったが、誠に残念なことに組み分けをするのはボクだけではない。

 ボクの後にも、続々と組み分けという名の処刑待ちをしている新入生がいる。

 

 かのハリー・ポッターもその一人だ。

 

「ポッター・ハリー!!」

 

「……グリフィンドールッ!!!」

 

「「「うおおお! やったぁ!!」」」

 

 少しの間、考え込んでいた組み分け帽子が、高らかに宣言する。

 それと同時に、スリザリンを除いた三寮のテーブルから溢れんばかりの拍手が鳴り響いた。

 ハリー・ポッターは、”例のあの人”を退けた英雄だ。

 騎士道を重んずるグリフィンドールに彼が入るのは、当然といえば当然の采配だった。

 

「ハリー・ポッターだ! ウチの寮が戴いた!」

 

 似たような顔をした赤毛の二人など、椅子の上で小躍りしている。

 あちこちから湧き出る、嬉しそうな声。

 

(これひょっとしなくても、ボクの寮以外の全部の寮が祝福してない?)

 

 その人気っぷりに、思わずボクはため息をついた。

 羨ましい限りである。

 ボクのスリザリン行きが決まった時など、酷かった。

 拍手も疎らで、先輩も新入生も微妙な顔をしたものだ。

 というか

 

(うん。どう考えても警戒されてるよね)

 

 どうやらボクの名前に心当たりのあった優しい先輩方が、ありがたい伝説(ウワサ)を浸透させてくれていたようだった。

 お陰様で、ボクの後に組み分けを終えて右隣に座ってくれた少年もいたのだが、唐突に物凄くシャイになったらしく一言も喋ろうとしない。

 不思議なことに、視線すら向けないのだ。

 前方も、その隣も、皆揃って照れ屋さんらしい。

 他の皆は、楽しそうに自分がどのような血統かをお披露目したり、両親や祖父母の職業を出汁にマウントを取り合っている中、静かに天井を見上げるか俯いている。

 

(歓迎するフリくらいしてよ……)

 

 向こうはイギリス魔法界の救世主、此方は世界を股にかけた大悪党の孫娘。望むべくもない。残念無念。

 まるで勇者と魔王だ。

 同じ有名人で、こうも扱いが違うとなんか情けなくすらある。

 

「スリザリンに英雄を取られずに済んだ!」

 

「ナイスだ、グリフィンドール!!!」

 

 名指しで呼ばれるあたり、ボクの寮は大した嫌われようだ。

 並々ならぬシンパシーを感じる。

 嫌われ者のグリンデルバルドが、嫌われ者のスリザリンに入るのも皮肉なもんだ。

 

「はぁ……」

 

 改めてとんでもない所にぶち込まれた、とため息を吐く。

 下品で下世話なくせに皆揃って、プライドだけは山より高い。

 ボクの想像の十倍以上、純血思想が酷いのだ。

 純血狂いという言葉も、あながち間違ってはいなさそうである。

 

(念の為、グリンデルバルドの血族関係だけでも調べておいて良かったよ……あ、でも話す相手がいないから関係ないのか)

 

 マルフォイとの邂逅の後、自分の血筋に興味を覚えたボクは家系を独自に調べていた。

 結果、グリンデルバルド一族も純血ではある。

 懸念があるとすれば祖母の血筋だ。

 残念なことに、祖母の性であるヴォーティガンの名は古すぎたのか、辿る事は出来なかった。

 まぁ爺様の掲げたイデオロギーからして、マグルと契るのは絶対にありえないから心配してないが。

 

「君の一族の名は聞いたことがないな。本当に純血なのかい?」

 

「も、もちろんだよマルフォイ。僕の家は、3代続く名家で純血なんだ!」

 

 マルフォイの、実に楽しそうな会話が聞こえてくる。

 純血とは、かくも素晴らしいものであるらしい。

 誰も彼もが間の抜けた顔を揃えて、胸を張っている。

 

(血筋なんて、それこそ付加価値でしかないと思うんだけど)

 

 彼らは、このまま歪んだ思想を胸に抱いて、大人に成長していくのだろうか。

 ナンセンスとしか言い様がない。

 昔の爺様は、こういう連中の痒い所をくすぐって好き放題やっていたようだが、ボクはそこまで器用になれそうもない。

 力とは、誇りとは、自分の手で掴み取らなければ、意味がない。

 

(でも、血筋も無いよりかはある方がマシか。ペットとかも血統書付きの方が高く売れるし)

 

 思想を旗として掲げる趣味はないものの、それで学校生活に支障をきたすのは御免だ。

 純血という免罪符で楽に過ごせるなら、それに越したことはないのかもしれない。

 そんなことをボクが考えていると、ぬっとゴーストが目の前のテーブル席から唐突に姿を現した。

 

「うわっ……」

 

 予想だにしない所からの登場に、思わずボクの声がひっくり返る。

 虚ろな目、げっそりした顔、銀色の液体まみれの服。

 この銀色の液体は、もしかしなくても血だろうか。

 並みいるゴースト達の中でも、かなりグロテスクな部類に入る彼は、何故か空いているボクの隣にスっと座る。

 

「名誉あるスリザリンへようこそ、大君の血族よ。傲慢な竜が如き立ち振る舞いもそうだが、特筆に値するのはその血だ。多くの者達が、時代の波に晒され血を薄くしていく中、貴様の鮮烈は色褪せるどころか、更に輝きを増している。お会い出来て光栄だ、ヴォーティガン」

 

 差し出される手。

 仕方ないので渋々その手を取ると、ゴースト独特のなんとも言えない感覚が、ボクを襲ってくる。

 とても楽しそうに笑う彼には悪いが、正直隣に座らないで欲しい。

 心無しか他の寮生達との距離が、物理的にも更に開く。

 

「それにしても、面白い娘だ。ゲラート・グリンデルバルドとアルバス・ダンブルドアとの因縁を知らぬわけもあるまいに、世界に数多ある学校の中から、わざわざ此処を学び舎として選ぶとは。いやはや、肝が座っているというか何というか」

 

 仕方ないだろう。

 イルヴァーモーニーは、飛行機から降りる前にアメリカ魔法界によってシャットアウト。

 ボーバトンは校風が合わない。

 ダームストラングは知って通り、グリンデルバルドの血族は出禁だ。

 まったくマーリンの髭。

 

 この学校とてそうだ。

 ダンブルドア校長が特権を使って、無理やりボクの名前を捩じ込んだ、とスキャマンダーさんが言っていた。

 いわゆるコネ入学という奴である。

 

(ねぇ爺様、檻の中で気づいてる? 貴方が素敵で楽しい世界旅行を愉快痛快に楽しんだ結果、皺寄せが全部こっちに来てるって)

 

 分かるわけないか。

 物理的にも、常識的な面でも、爺様とは距離が開きすぎている。

 

「貴方はその……えっと?」

 

「血みどろ男爵、そう呼んでくれ」

 

 見たまんまだ、それ。

 

「学ぶものをば選ぼうぞ。祖先が純血ならば良し。スリザリンの教育方針だ。とはいえ今の時代、純血だけを選ぶというにも限度がある。純血が必ずしもその叡智に結びつくかというと、甚だ疑しいしな。貴様がこの寮のことをどう思っているかは知らないが、半純血やマグル生まれの子息達がその資質を見抜かれて入る中、今スリザリンはその本質が剥き出しになっている状態だ。つまりは」

 

 ────俊敏狡猾なスリザリン。

 

 そう呟く彼は、どことなく不満げで、少し誇らしげだった。

 

「俊敏狡猾ってなんか嫌な響きじゃないですか? 叡智とか勇気とか、他の寮はもっと入りたくなる言葉を使っている気がしないでもないですけど」

 

「勇気や叡智は、その場になって初めて発揮されるものだ。そもそも争いにならぬよう、我々は狡猾に立ち回る。頭を働かせ、才能を駆使してな。血なまぐさい場にあって、初めて発揮される才能など馬鹿げている」

 

 なるほど、そういう考え方もあったのか。

 血みどろ男爵の容姿と真逆の正論に、目から鱗が落ちる思いでボクはうんうんと頷く。

 

「私は貴様の血にも語りかけているぞ、ヴォーティガン。我らは、狡猾でなければならない。血が血がと騒ぐだけの馬鹿が多くはなったが、本質はそこにあるのだ。寮の得点を稼げ。学校の規則は破っても良いが、バレるようなヘマは打つな。我らスリザリンは、六年もの間、寮杯を他の寮の手から守ってここまできている。これは他の新入生諸君にも言えることだが、寮憑きのゴーストとして、これまで繋いできた先輩達の努力が水の泡になるのは、どうにも忍びない。精々魔術の腕を磨き、その頭を働かせて如何に寮に貢献出来るか熟考して欲しいものだ」

 

 それでは。

 そう言ってまた現れた時と同じように、テーブルの中へと消えていく血みどろ男爵。

 ある程度自由にしても良いが、リスクリターンはちゃんと考えて賢く生きろということだ。まさに狡猾。

 

「流石はグリンデルバルド。来て早々、寮憑きに目をつけられたかい」

 

 肩を叩かれ、そんな言葉が浴びせられる。

 後ろを振り返ると、そこにはいつかの鉄塊がいた。

 

「ブルストロード……さん」

 

「やぁだねぇ。ミリセントってお呼びよ」

 

 フランクに話しかけてきたのはミリセント・ブルストロードだった。

 意外といえば意外。

 彼女はブルストロード家。

 純血であり、聖28一族だった筈。

 てっきりボクは、彼女もパーキンソン達の純血談義に参加していると思っていた。

 

「新入生歓迎会は楽しめてるかい?」

 

「残念ながら」

 

「だと思ったよ、シケたツラしてる。ま、そういうのは他にも何人か見受けられるがねえ」

 

 組み分けが終わり、新入生歓迎会へと流れが移行していく中、左隣の席に腰を掛けたミリセントは、ぐるりと周りを見渡して笑った。

 

「スリザリンは皆、高貴な一族の出だ。少なくとも、表ではそうなってる。だけどそんなワケはない。数が少ないから、純血はレアなのさね。この中に出自を偽ったマグル生まれが何人いるやら」

 

「君も血に固執するタイプ?」

 

「んにゃ、ここだけの話だがそれほど興味はないねぇ。純血が、いざという時にクソの役にも立たないことを有難いことに知ってる。私は、いつだって実力主義なんだ」

 

 拳を掲げて、ミリセントは豪語する。

 見たまんま彼女は戦闘気質らしい。

 純血主義に拘らない辺り、少しは見込みのある奴が来たかもだ。

 

「あんたはどうなんだい。グリンデルバルドといえば、純血主義の急先鋒だった。旧家の連中なら皆知ってる」

 

「70年前の話だよ。少なくとも、ボクは純血に価値を見出せない。そういう意味じゃ、実力主義なのかもね」

 

 ミリセントは、特に気分を害する事もなくガハハと笑った。

 彼女も純血だろうに。

 そんな意味を込めて見つめると、ミリセントは肩を竦める。

 

「今のご時世、血筋なんてのは結婚する時やお茶会の時にしか役に立たないのさね。そして、私はどっちにも興味がない。身体を動かすのが好きなんでねぇ」

 

「そんなもんかね?」

 

「そんなもんさね」

 

 言いたい事を言って満足したのか、ミリセントは貪るように料理を口に運ぶ。

 美味そうに食べるものだ。

 各国を回ったせいでボクの舌は肥え、既に故郷の味は口に合わなくなっていた。

 濃い味付けよりもボクは、あっさりとした料理の方が好きなのだ。

 その点、日本は良かった。様々な味がある。

 特に寿司なんて大好きだ。胃がもたれるまで食べられる。

 

「ダンブルドア校長は良い奴だ。皆は毛嫌いしているけど、私は好きだね。ちゃんと腹が減っているこっちに気を使って、長話を省略してくれたのは評価に値する」

 

「あれね。些か適当が過ぎるとは思うけど」

 

 ボクとしては、校長の長話というのは経験が無い為、聞いてみたい気もあったが。

 とはいえ、あまり実のない話を聞いていても苦痛だから、やはりあれで良かったのかもしれない。

 

「そういや、あんたはいつにも増して喋らないね。ノット」

 

 ローストビーフを、フォークで豪快に食いちぎったミリセントは、ボクの右隣に座っている男の子に話しかける。

 筋張ってひょろりとした子だ。

 ボクの背が低い事を除いても、同年代としては背の高い方だろう。

 

「……馬鹿言うなよ。世界を股をかけた闇の魔法使いの孫娘が怖いだけだから。影のようにひっそりとしているだけだから」

 

「しょうもない嘘をつくんじゃないよ。どうせ、いつものあがり症だろう? 可愛い子の隣に座ったは良いが、何を話していいか分からない。そう顔に書いてあるさね」

 

「そういうことは、分かっていても口に出さないんだよ。沈黙はガリオンってパパに教わらなかったか? 俺ならもう少し慎重に行くよ。人付き合いも、食事の仕方も」

 

 どうやら隣に座った彼は、本当にシャイなだけだったらしい。

 グリンデルバルドの名に怯えている様子もなかった。

 強いて言うなら、口が悪いことが彼の欠点である。

 

「こいつは、セオドール・ノット。家の付き合いで、昔から仲良くやってる腐れ縁さ。欠点は、あがり症と……あー箒に乗れないことかね」

 

「乗れないんじゃねぇよ。飛ばないだけ」

 

「はっは! おまけに強がりだった! 家の屋根より上はダメって、前に泣き言を抜かしてたのは忘れてないよ」

 

「空耳だろ。柔道のし過ぎで、聴覚がイカれちまったのさ」

 

 どうでもいいが、ボクを挟んで会話をしないで欲しい。

 唾が料理に飛び散ってしまう。

 

「君のことはなんて呼べば良い?」

 

「どっちでも。友好的に行くなら、セオドール」

 

「じゃあ、セオドールって呼ぼうかな。ところで、君はグリンデルバルドの名が怖くないの?」

 

 そう言うと、彼は呆気に取られたような顔で一瞬黙り込む。

 そして次の瞬間、笑いだした。

 

「怖い? 念の為に言っておくけど、さっきのは冗談。別に、俺からすれば君は同年代によくいる背の低い女の子だよ」

 

「でも、ボクの祖父は闇の魔法使いだよ?」

 

「それこそよくある話さ。他の寮と比べて、多くの闇の魔法使いを輩出するのが緑の蛇(スリザリン)。石を投げれば、闇の魔法使いに当たる」

 

 試しに投げてみれば? 

 そう言って、セオドールがニンマリ笑う。

 彼は、随分イイ性格をしているようだった。

 

「他の皆は違う意見らしいけど?」

 

「シャイなのさ。だって怖いはずがない。皆のご存知マルフォイ三人衆だって、父親は揃って死喰い人(デス・イーター)だ。特に傑作なのはマルフォイのパパさ。”例のあの人”の財布だったって。俺の父さんが言ってた」

 

「ん? でもその話で行くと」

 

「流石に気づいたか。俺の父さんも元死喰い人(デス・イーター)。”例のあの人”のパシリをしてた。お陰で君の爺さんと同様に、ダンブルドアに尻を追っかけ回される羽目なったらしいけど。仲良くしようぜ」

 

 声を潜めて囁くセオドールは、悪い顔をしていた。

 中々どうして悪くない。

 彼らに出会えたことは今日一の幸運な出来事だろう。

 

「良いね。二人とは仲良く出来そうだ」

 

「だろう?」

 

「そうでなくっちゃねぇ」

 

 後に、教諭達の優秀な頭脳を散々に悩ませる、問題児の三人組が結成された瞬間だった。

 

 

 

 








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#004 蛇の寮

孤児院を焼き出されたあの日、隻眼のおっさんから写真を貰った。

男の人と女の人に挟まれる、女の子二人。

私達家族の写真、もう二度と元には戻らない水の零れたお盆。

それでもやっぱり、私は何も感じなかった。



 

 それは、皆それぞれが腹を満たし、食後のデザートも食べ終えた時だった。

 

「エヘン────全員よく食べ、よく飲んだことじゃろう。それでは皆の腹も膨れたところで、二言、三言」

 

 そう告げて、ダンブルドア校長が立ち上がる。

 歓迎会がお開きになるのだろう。

 ここからは、校長が規則への注意と一年間を通しての大まかなスケジュールを発表する流れとなる。

 

「新学期を迎えるにあたり、いくつかお知らせがある。一年生に注意しておくが、校内にある森に入ってはいかんぞ?これは上級生にも、何人かの生徒たちに特に注意しておく」

 

 ダンブルドアはキラキラした目を、ポッターの組み分けの際に小躍りしていた二人組に向けている。

 どうやら、彼らは問題児らしかった。

 

「きっと、禁じられた森のことだな」

 

 セオドールが苦笑しながら呟く。

 

「禁じられた森って?」

 

「父さん曰く、檻のない動物園。狼男やケンタウルス、その他諸々の危険な魔法生物がわんさかいるらしい。でも、ホグワーツの校庭の一部なんだって」

 

「まったく、愉快な校庭もあったもんさね。そこで実習なんてする羽目になった日にゃ、荷物を纏めて実家に帰らせて貰うよ」

 

ため息混じりに、ミリセントがボヤいた。

まったく同感だ。

ボクとしても、狼男とは出来ればお近づきになりたくないし。

 ケンタウルスに、後ろから矢を射られながら森の中を走り回るのは、文明的じゃない。

 

「それと管理人のフィルチさんから、授業の合間に廊下で魔法を使わないように、との注意があった。また、今学期は2週目にクィディッチの予選があるからの。寮のチームに参加したい人は、マダム・フーチに連絡を忘れぬように」

 

クィディッチか。

観戦するのは良いが、疲れる競技なのでプレイはしたくない。

尚、一年生は予選対象外だとミリセントに教えられ、ボクの心配は杞憂に終わることとなる。

 

「そして最後じゃが、4階の右にある廊下には近づかんように生徒には警告しておく。とても痛くて世にも恐ろしい死に方をしたくない人は、じゃがの」

 

 その言葉に何人かが笑い声を上げたが、その数は驚くほど少なかった。

 上級生など、殆どの人が顰め面をしている。

 

「どう思う? この話」

 

「よくある文言さね。気にしなくていい」

 

 肩を竦めたミリセントの言葉に、セオドールが眉をひそめる。

 

「いや多分、行かない方が賢明だろうな。あの校長、冗談ぽく言ってたけど、割と言葉通りになりそうな予感がする」

 

「確かにね。恐ろしい死を迎えるっていうのは、ボクも嘘じゃないと思う」

 

 ダンブルドア校長は冗談めかして言っていたが、目が笑っていなかった。

 大人がああいう目をする場合、大抵ロクな事が起きないことをボクは知っている。

 

「てか、生徒が死にそうになるようなモンを校内に入れるなよ。危険だっていう割にはその説明もないしよ」

 

「そう言われれば不自然だね。何か特別な理由でもあるのかも」

 

「私達の命よりも特別な理由か。さぞかし大層なもんなんだろうねぇ。そんで大体そういうのは、知った時にはもう遅いっていうオチさね」

 

 満腹になった腹を撫でながら、ミリセントが愚痴を零す。

 ダンブルドアといえば、杖を巧みに使ってリボンを宙に浮かし、歌詞らしきものを描き出していた。

 

「では、寝る前に校歌を歌いましょう!」

 

 学校中が大声でうなる。

 教師陣の何人かは、顔を強ばらせてさえいた。

 

 ホグワーツ♪ ホグワーツ♪ 

 

 ホグホグ♪ ワツワツ ♪ ホグワーツ♪ 

 

 教えて♪ どうぞ♪ 僕たちに♪ 

 

 老いても♪ ハゲても♪ 青二才でも♪ 

 

 頭にゃ何とか詰め込める♪ 

 

 おもしろいものを詰め込める♪ 

 

 今はからっぽ♪ 空気詰め♪ 

 

 死んだハエやら ♪ がらくた詰め♪ 

 

 教えて♪ 価値のあるものを♪ 

 

 教えて♪ 忘れてしまったものを♪ 

 

 ベストをつくせば♪ あとはお任せ♪ 

 

 学べよ脳みそ♪ 腐るまで♪ 

 

「酷ぇ歌詞だな。これが校歌だって? ダンブルドアは魔法も権威も一流だが、作曲のセンスはないらしい。教会の賛美歌の方がまだマシだ」

 

「何もかも一流の魔法使いなんて、早々いやしないのさね。例のあの人だって性格に問題があった」

 

 ミリセントとセオドールは歌いもせずに二人で校歌の酷さに文句を言い合っている。

 歌詞だけ決まっているらしいこの歌。セオドールの言う通り酷い歌だが、生徒達は思い思いに好きなメロディで口ずさんでいる。

 ちなみにボクは、アメリカの軍歌である「ジョニーが凱旋するとき」だ。

 意外だと思うかもしれないが、他の寮はともかくとしてスリザリン生は、結構マーチのメロディを口ずさんでいる者が多い。

 だからボクもこの曲を選択したのだ。

二人と違ってボクはまだこの浮いた寮に溶け込むことを諦めてなどいない。

 

「趣味の悪いコンサートだねぇ。グリフィンドールの連中なんて葬送行進曲を歌ってるよ」

 

「ウチのマーチ好きの馬鹿どもより、よっぽどイカしてるさ」

 

「そういえば”例のあの人”もマーチ好きだったのかい? あんたのパパに聞いてごらんよ。どうせ同じのを合唱してたんだろうからさ」

 

「残念ながら、その推測はハズレだ。俺の父さんが好きだったのは、”亡き王女のためのパヴァーヌ”だよ。ちなみに、闇の帝王が歌っているとこは一度も見たことないって」

 

 歌っていたら歌っていたで不気味だろう。

 鼻歌を口ずさみながら、人を殺し回っている闇の魔法使いなど狂気しか感じない。

 ボクは、ヴォルデモートが歌を好きじゃなかったことに大いに感謝した。

 

 ちなみに、やはりというか歌い終えるのはバラバラで、ワースト一位を飾ったのは葬送行進曲を熱唱していた赤毛の二人組だった。

 ダンブルドアは、律儀にもそれに合わせて最後の何小節かを魔法の杖で指揮。

 二人が歌い終わった時には、それはもう誰にも負けない拍手をして、「ああ、音楽とは何にも勝る魔法じゃ!」と感激の涙を流した。

 

「感ここに極まれりって感じだったね」

 

「どんな精神状態になったらあれで泣けるのかね? 素敵な魔法だよ、まったく」

 

「何せ葬送行進曲だ。ダンブルドアはもうお歳だし、お迎えが来たって勘違いしたんだろ」

 

 就寝時間の為、監督生に引率されながらボク達は階段を下ってゆく。

 どうやらスリザリンの寮は玄関ホールから地下牢を下り、湖の方向へ進んだ先にあるらしかった。

 

「なんか気味悪いね。これって地下牢でしょ。ヌルメンガードを思い出すよ」

 

「ヌルメンガードって、ゲラート・グリンデルバルドを閉じ込めている監獄だろ? 流石に孫娘ともなると、牢屋に行き慣れてると見えるね。ところでアズカバンの経験は?」

 

「ないよ、ありがたいことにね。それとボクに言わせれば、ここは監獄にしてはまだ快適だよ。爺様の独房はランプがなくて真っ暗だし、コケやカビも生えてた」

 

「……たまんねぇなそりゃ。俺達の牢屋は、先輩方が過ごしやすいように改築してくれてると良いんだがね」

 

 セオドールとボクが軽口を叩き合っていると、ミリセントがウンザリと呟く。

 

「こんな酷い場所に寮を構えてるのは私らだけさね。グリフィンドールは1番高い塔、ハッフルパフは城のキッチン近く、レイブンクローは西側の塔。ウチの寮の長所は見た感じ、寮に戻る時に階段を上らなくていいことくらいだねぇ」

 

 確かにミリセントの体格なら階段を上るのは苦労するだろう。

 筋肉は脂肪よりも重いと聞いた事がある。

 ボクがそんなことを考えていると、地下牢の奥の湿ったむき出しの石が並ぶ壁の前で先頭の監督生が立ち止まった。

 

「そういえば、合言葉はなんだっけ。誰か知ってる?」

 

「まだ教えて貰ってないな。まぁ監督生にお任せだろう。引率の先生みたいなもんだし」

 

 ボクらがコソコソ言い合っていると、監督生がすぅっと息を大きく吸って大きく叫んだ。

 

「高貴なる血筋!」

 

 途端に、壁に隠された石の扉がするすると開き、談話室に入ることが可能になる。

 ちなみに、ここでは基本的に合言葉が寮の鍵となるらしい。

 寮の扉を開けた監督生がくるりと振り返る。

 

「おめでとう! 私は監督生のジェマ・ファーレイ、スリザリン寮に心から歓迎するわ。談話室は見ての通り地下牢の隠された入り口の奥よ。よく見れば分かると思うけど、談話室の窓はホグワーツ湖の水中に面しているわ。よく巨大イカが水を吐きながら通りすぎていくし、時にはもっと面白い生物を見れるわ。神秘的な沈没船といった趣でみんな気に入ってるのよ」

 

 確かに監督生に連れられて入った談話室の雰囲気は悪くなかった。

 スリザリンの談話室は細長く天井の低い地下室で、丸い緑がかったランプが天井から鎖で吊るしてある。

 壁と天井は荒削りの石造りで、暖炉や談話室においてある椅子も彫刻が施されており、そのレトロな風情はボクの好みと合致していた。

 談話室の窓を見れば、監督生の言葉の通りにホグワーツ湖の水中に面しているらしく、ちょうど巨大イカの触手らしき影が見えた。

 

「談話室に入る合言葉は、2週間ごとに変わるわ。だから掲示板に気を配ること。他の寮の生徒を連れてきてはいけないし、合言葉を教えるのも禁止。談話室には7世紀以上も部外者が立ち入っていないのよ」

 

 大した歴史だ。

 部外者の定義をどこまで広げるかにもよるが、他の寮の友達を呼ぶことは容易ではなさそうだった。

 ネビルやハーマイオニーとは、授業や休み時間にしか話せないことになる。窮屈極まりない。

 

「さて。スリザリンについて知っておくべきことが幾つかと、忘れるべきことが幾つかあります。まずは誤解を解いておきましょう。もしかするとスリザリン寮に関する噂を聞いたことがあるかもしれないわね。たとえば、全員闇の魔術にのめり込んでいるとか、ひいおじいさんが有名な魔法使いでないと口をきいてもらえないとか、その手のやつよ」

 

「でも、ライバルの寮が言うことを信じればいいってものでもないでしょう。確かに、スリザリンが闇の魔法使いを出したことは否定しないけど、それは他の三つの寮だって同じこと。他の寮はそれを認めないだけなの。それに、伝統的に代々魔法使いの家系の生徒を多く取ってきたのも本当だけど、最近では片親がマグルという生徒も大勢いるのよ」

 

「……穢れた血か。嘆かわしいね」

 

 解説を始める監督生ジェマ・ファーレイに、近くにいたマルフォイがボソッと毒づいた。

 ジェマ先輩は幼さの残る端正な顔で苦笑する。

 

「その言葉は、なるべく外では使わないようにね。スネイプ先生が怒るから……えぇと、これから彼に習う生徒は意外に思うかもしれないけれど、スネイプ先生はそういう差別発言は大嫌いな人です。気をつけてね」

 

 スネイプ先生とは、恐らく魔法薬学の先生だろう。

 ねっとりした黒髪、鉤鼻、土気色の顔をした彼が、ターバンをつけた先生と話し込んでいたのを思い出す。

 

「それじゃ、他の三つの寮があまり触れたがらない、あまり知られていない事実を教えてあげる。まずスリザリン生は他の生徒から尊敬されているわ。その最も足るものの一つに我が寮の卒業生にマーリンがいるわ。そう、かのマーリン。史上最も有名な魔法使いが!」

 

 熱く拳を握ってジェマ先輩は話を続ける。

 

「マーリンは、知識の全てをこの寮で学んだのよ。マーリンの足跡に続きたいと思わない? それともかの輝かしい元ハッフルパフ生、自動泡立ち布巾の発明家であるエグランティーヌ・パフェットのお古の机に座ったほうがマシかしら? 確かに、闇の魔法にまつわる評判のせいで尊敬の中には恐怖が混じっていることは否めない。でも私達は悪人ではないわ。私達は紋章と同じ蛇なの。洗練されていて、強くて、そして誤解されやすい」

 

「誤解って?」

 

 ボクが疑問の声を上げると、ジェマ先輩は少し息を飲んだ後、直ぐにニッコリと笑う。

 

「スリザリンは仲間の面倒を見るけど、これはレイブンクローだったら考えられないことね。連中は信じられないようなガリ勉集団というだけでなく、自分の成績を良くするために互いを蹴落とすことで知られているわ。逆に、スリザリンでは皆兄弟よ。ホグワーツの廊下では不用心な生徒を驚かせるようなことも起きるけど、スリザリンが仲間なら安心して校内を歩き回れるわ。私たちからすれば、貴女が蛇になったということは私たちの一員になったということね、グリンデルバルド」

 

 どうやらハーマイオニーの話は本当だったらしい。

 レイブンクローに行ったら行ったで、ボクが苦労するのは想像に難くなかった。

 それなら、まだ息を飲みつつも他の新入生と同じく優しく接しようとしてくれる先輩がいるスリザリンの方が良い。

 なんやかんやで、気の合う仲間もできた事だし。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その後、スリザリンについての伝統と格式を二十分ほどで語り終えたジェマ先輩の指示により、女の子は女子寮に続くドアから、男の子は男子寮に続くドアからそれぞれの部屋に入った。

 

「うわぁ……スリザリンは金の掛け方がスゴいな」

 

 スリザリン寮の寝室は、なんというか豪華絢爛そのものだった。

 アンティークの四本柱のベッドは緑の絹の掛け布がついており、ベッドカバーには銀色の糸の刺繍が為されていて、かなりオシャレだ。

 ちなみに天井からは銀のランタンが吊り下げられている。

 

「窓に打ち寄せる湖の水音を聞くと、とても落ち着くって話だが……どうにも山育ちの私が慣れるのには時間が掛かりそうだねぇ」

 

 ミリセントがそうボヤく中、ボクは壁を覆っているタペストリーに目を奪われていた。

 有名なスリザリン生の冒険を描いたものだろうか。

 髭の生えた老人の上にはマーリンと書かれている。

 

「それじゃあ始めようかい。夜のお遊びを」

 

 ニヤッと笑ったミリセントがトランプを配り始める。

 

「何やるの。まさかババ抜きじゃないよね?」

 

「まさか! ポーカーさね。マグルのお遊びだが、これが中々どうして辞められない」

 

 なるほど、それならボクも良く知っている。

 各国を回っていたボクは血筋柄、マトモな宿に泊まることが出来ない事が良くあった。

 そういう時は、大抵ガラの悪い宿で一夜を過ごす事になるのだが、そんな所でおいそれと眠る事など出来やしない。

 決まって夜が明けるまで、同じく札付きのワル達と何事かをして遊んだものだ。

 そして遊びの大半は、少なくない金を賭けたポーカーだったのである。

 

「他にも知らない奴の為に一応説明を入れさせて貰うよ。コイツは心理戦を特徴とするゲームさね。プレイヤー達は5枚の札で手役を作って役の強さを競う。ギャンブルとしてプレイする場合は現金をチップに交換し、勝って獲得したチップが収入になる。ここまでは良いかい?」

 

 興味のある素振りを示したパンジー・パーキンソンやダフネ・グリーングラスを相手に、ミリセントがゲームの説明をしながらカードを切る。

 ルールはテキサス・ホールデム。少々特殊だが、まぁ出来ないことはないだろう。

 最初に二枚のカードを配られ、その後に五枚の共通カードと言われるカードが場に開かれる。

 そしてプレイヤーは、手持ちの二枚と共通カードの五枚を合わせた七枚の内、五枚で役を作るというものだ。

 

「運と実力の要素は五分五分。ラッキーガールが全てを手にする。どうだい?」

 

「マグルのお遊びねぇ……まぁ良いわ、やりましょっか」

 

「なんかこういうの初めてだから凄くワクワクするよ!」

 

 興味を隠しきれないパンジー、ウキウキするダフネ、哀れなり。

 ミリセントは実力と運は五分五分と騙ったが、何度も繰り返しやった事があるボクは分かる。

 あれは運要素もあるが、それよりも遥かに経験と実力がものを言うゲームだ。

 初心者などネギを背負ったカモみたいなものだろう。

 

「端のベットで寝るアイルランド人はご注意を。油断すると、有り金を全部スっちまう」

 

 ボクの耳にそう囁くミリセントは非常に悪い顔をしていた。

 根こそぎ持っていくつもりなのだろう。

 

 

 ──────……

 

 

「またもパンジービリっけつ! こうなりゃ勝ちは頂きさあ! へへっ!!」

 

 結論から言うとボクの予想は大当たり。

 テキサス・ホールデムは考え抜いた末に結論を出す、頭脳ゲームなのだ。

 その点、彼女は驚くほどこのゲームに合っていなかったのだろう。

 自分の手札が少しでも強いと感じると、彼女は大体オールインした。

 もう一人の初心者ダフネなどは、それにビビってしまいすぐさまフォールドしてしまうが、それでは生計(たっき)の道が成り立たない。

 ボクもミリセントもその点、よく分かっていた。

 自らが強い役を作っていたところで、それでオールインばかりしていては相手に降りられてしまいお話にならない。

 こういう場合は、まずはレイズなどで少しでも掛け金を吊り上げることが先決。

 そして相手が熱くなり、十分に掛け金も吊り上がったところでオールインをし、ボクらは全てを攫っていく。

 頂上決戦はいつもボクとミリセントであった。

 

「勝負!」

 

 パンジーまたもやオールイン。無謀なり。

 ちなみに、場に出てるカードは(ハート)A(エース)K(キング)Q(クイーン)

 

「ホントかいパンジー? 良い手の筈ないぞ、ハッタリかますない」

 

「数には強い自信があるのよね。私はスリーカード、Q(クイーン)のね。あんた達は?」

 

「んじゃ私もオールイン。A(エース)のスリカードさね。ご愁傷さま」

 

 えっ!? と呟いたっきり、パンジーは沈黙した。

 驚いたことに、たった一日で彼女は優しいご両親から貰った潤沢な生活費を、賭け金として溶かしてしまったのだ。

 

「オールインね。ちなみにボクはこれ」

 

 手札は、(ハート)の10とJ(ジャック)。ロイヤルフラッシュである。一種類のスーツで最も数位の高い五枚だった。

 

「ミリセントも良い手だったけど。でも勝ちを確信するのは甘いよ」

 

「かーッ参ったねこりゃ! 闇の魔法使いの孫娘は運にも恵まれているってことかい!」

 

 クスクス笑い合うボクとミリセント。

 どちらにせよ、ボクら二人の軍資金は初心者達(カモネギ)のお陰で、かなり潤っていた。

 笑いが止まらないというやつだろう。

 

「そういえば、みんなグリンゴッツのこと聞いた?」

 

 そんな風に切り出したのは、尻込みしていたお陰で被害総額が少なかったダフネだった。

 

「なんのこと?」

 

「日刊預言者新聞にベタベタ出てるアレだね。誰かが特別警戒金庫を荒らそうとしたらしい。ふてぇ輩が居たもんさね」

 

 パンジーが一枚の紙切れを懐から取り出した。

 日刊預言者新聞の切り抜きだった。

 

「大ニュースね、捕まらなかったのよ。グリンゴッツに忍び込むなんて、きっと闇の魔法使いに決まってるわ。それも強い力を持った」

 

「でも何にも盗ってかなかったって聞いたけどね、私は」

 

「そう! そこが妙な話なのよ」

 

 戦々恐々と語り合う三人にボクはため息を吐く。

 別に妙な話でもあるまい。

 何も盗って行かなかったということは、答えは一つしかない。

 荒らされた金庫には何も無かったのだろう。

 盗る物がなければ金庫など用無しに決まっている。

 

「ゴールディ」

 

 ボクはペットのニフラーであるゴールディを呼び出し、勝ち取った金を投げ渡す。

 ゴールディはこれ幸いと、そのお腹の中に軍資金をありったけ詰め込んだ。

 

「可愛いね。やっぱり飼うなら二フラーだよ」

 

「私はその感性だけは同意しかねるね」

 

 当たり前だ。

 ミリセントのような巨体が二フラーを飼ったらきっと握り潰してしまう。

 彼女には今飼っているふてぶてしい猫がお似合いだった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 翌日、ボクは怒号を上げるミリセントとセオドールに率いられて三人で教室へと向かっていた。

 

「急げ急げ!!!遅刻だぞッッ!!!」

 

「メルムや、もっと早く走りな!」

 

「わかってる。頑張って走ってるよ」

 

 この学校を作った人間はまさしく天才だったのだろう。それも狂気の方向に振り切れた、だ。

 建てられて千年の歴史があるホグワーツ城は、もはや意思に近いものを持っており、城内の構造をコロコロと変えてくる。

 

「クソッタレが! なんで扉の癖に開かない扉があるんだよ! 階段も生き物みてぇに動くしよ!」

 

 その例がセオドールの叫びに出てきた扉や階段だ。

 丁寧にお願いしないと開かない扉や正確に一定の場所をくすぐらないと開かない扉、扉に見えるだけの固い壁。

 百四十二もある階段は、広い壮大な階段や狭いガタガタの階段、金曜日にはいつもと違う所に繋がる階段など色々存在し、その全てが動き続けていた。

 

「ア──ッ! …………ァァァ……」

 

「セオドール!?」

 

 たった今、真ん中で二段消える階段の罠にかかりセオドールが、下の階の闇に消えた。

 これはジャンプしなければならない階段だ。

 ジェマ先輩があれだけ言っていたのに、彼は寝ぼけていて聞いていなかったらしい。

 

「……これで眠気も覚めたかな?」

 

「バカ言ってんじゃないよメルム。頭を打って強制睡眠さ」

 

 そんな風に軽口を言い合うボクらに階段の底から、恨めしげな声が響いてくる。

 

「おぉぉい二人とも助けてくれよー……足が動かねぇんだよ……痛てぇ……痛てぇよキリストさんよお!!!」

 

 切実な叫びだった。

 怪我の箇所を直接見てはいないが、恐らく折れたのだろう。

 しかし、不意に階段から落下して浮遊魔法も無しに命があるのは、中々幸運なことである。

 

「泣き言なんか聞きたかないね! 自分で何とかしな!」

 

「そこで待っててね。あとでマダム・ポンフリーを呼ぶから。それまでお祈りしてて」

 

 そう言ってボクとミリセントは尊い犠牲から目を逸らし、再び走り出す。

 

「置いてくのかよ!?何とかしてくれよ!!この人でなし!!!」

 

 後ろから追いかけてくる悲しげな声に涙を隠せない。

 悲しいことに、ボクらには彼を助けに行くことが出来ないのだ。

 何故なら、これからグリフィンドールの寮監マクゴナガル教諭が教える変身術の授業がある。

 今でさえ遅れ気味なのに、話を聞いてなかった馬鹿に構っている余裕などある筈もなかったのだ。

 

 

 

「残念ながら二人共遅刻ですよ。初回なので減点はしませんが、以後気をつけるように」

 

 結果は無慈悲だった。

 不思議なことにボクら以外の誰もが既に着席をしていて教科書を開く中、下された遅刻の二文字。

 ボクらの親友セオドールの犠牲は、たった今無駄になったということだろう。

 

「まだミスター・ノットが来ていませんが……スリザリンの生徒は誰かミスター・ノットの所在を知りませんか? いくら新入生の遅刻が多いとはいえ、これは遅すぎます!」

 

 怒り心頭のマクゴナガル先生に、ボクはおずおずと手を挙げる。

 

「先生、そのなんていうか……セオドールは待っても来れないと思います」

 

「どういうことでしょうか、ミス・グリンデルバルド?」

 

「彼、真ん中が二段消える階段のトラップに引っかかっちゃって……足を折って今、動けないんです」

 

「まぁそれは……」

 

 呆れたように頭に手をやり絶句するマクゴナガル先生。

 ショックで言葉も出ないようで、メガネが激しく光っている。

 

「まさか、貴女達は怪我をしたミスター・ノットを医務室まで運んで……それで遅れたのですか?」

 

「ん?それは……むぐッ!?」

 

「はい、その通りです先生」

 

 否の言葉を言おうとしたミリセントの口を手で塞いだボクは、目を僅かに伏せて首肯する。

 途端に険しかったマクゴナガル先生の顔が、滅多に見せないであろう微笑みへと変わっていった。

 

「まぁまぁそれは……貴女達2人に1点ずつ上げましょう。その友情にです」

 

 良し。さすがはグリフィンドール寮、友情お助け話は覿面だ。

 あわや遅刻でのマイナス評価を、点数追加まで漕ぎ着けたのだ。上々といったところだろう。

 

「なんてこった……逆転勝利さね」

 

「沈黙はガリオンだよミリセント。良い勉強になったね」

 

 ちなみに、セオドールのことはこの教室に来る途中に出会ったミセス・ノリスに早口で告げている。

 猫に助けを求めるのは筋違いだという声が上がるかもしれないが、ボクの目的はミセス・ノリスのボスだ。

 今頃は駆けつけた管理人のフィルチが救出して嫌味を言いながらも、マダム・ポンフリーの元へと運んでいることだろう。

 彼は嫌味ったらしいが、仕事は誰よりも真面目にする事をボクは知っていた。

 

「さて先程も言いましたが。変身術はホグワーツで学ぶ魔法の中で、最も複雑で危険なものの一つです。いい加減な態度で私の授業を受ける生徒は出てってもらいますし、二度とクラスには入れません。元から警告しておきます」

 

 厳格で聡明なマクゴナガル先生は優しいことに、遅れたボクらの為にお説教をもう一度聞かせてくれるらしい。

 とはいえ確かに変身術は危険なものばかりだ。これくらいの警告はあって然るべきだろう。

 それから先生は机を豚に変えて、また元に戻してみせた。

 大変に難しい魔術である。

 ボクも人を豚に変えたことがあるが、先生がやってみせたのは無機物から有機物への変換だ。

 有機物から有機物への変換より余程難しい。

 初めて見る高等技術に、スリザリンの生徒達は感激した。

 恐らくだが、変身術そのものにワクワクしているのだろう。

 

「なんで魔法使いになってまでノートを取らなきゃいけないのかねぇ」

 

「頑張ってよミリセント。君が書かなきゃ変身術だけ、セオドールは初回からつまづきっ放しだよ」

 

 複雑なノートを採らされてボヤくミリセントに、配られたマッチ棒を渡しながらボクは励ます。

 

「アンタはそもそもなんでノートを取ってないんだい?」

 

「基礎中の基礎で体に馴染んでるから」

 

「ふーん? そんなもんなのかねぇ」

 

 訝しげだったミリセントの視線も、その後のマッチ棒を針に変身させる練習で驚きへと変わった。

 授業が終わるまでに僅かでも変身させることが出来る者がいない中、あっさりとボクはマッチを銀の針に変えたからだった。

 

「ミス・グリンデルバルドの針を見てみなさい! これは素晴らしいものです!! スリザリンに3点!!」

 

 針を掲げたマクゴナガル先生はそう興奮していた。

 ボクのマッチ棒がどんなに銀色で、どんなに尖っているかを見せたあと、サプライズとして先生が猫へと変身して授業は終わった。

 再び点数をゲット出来たし、初回としてはよく出来た方であるとボクは満足した。

 

 

「ミス・ブルストロード。そう言えば貴女はミスター・クラッブを殴り飛ばした件で私に呼び出されていた事を忘れていましたね?」

 

「あ!いやその先生それは……」

 

「食事の後、私とスネイプ先生はあそこで三時間は待ちぼうけを食らっていました」

 

「すみません……」

 

「なりません!罰としてスリザリンに五点減点!スネイプ先生からも許可は取ってあります。これからは注意なさい」

 

 

 ミリセント、それはあんまりだよ。

 

 

 




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#005 魔法薬学の主

幼い時に誰かに聞いた、遥かに昔の御伽噺。

四人の魔法使いと偽りの神の戦いのお話。

何処にでもある英雄譚、終わりもハッピーエンドでなんの面白みもない。

でもそれは幼い私の心を確かに震わした。

そして願わくばもう一度。



「ったくよーお前ら友達甲斐のない奴らだぜ、まったくよ」

 

 セオドールはなんと、次の授業である魔法薬学の授業には復活していた。

 恐るべき回復力にボクとミリセントは戦いた。

 

「……骨折ってそんなに短期間で治るものなの?」

 

「信ずるものは救われん。パウロの言った通りさ。礼拝は欠かさずにしておくもんだよな」

 

「その割には足折ってたけど?」

 

「あーそれはあれだ。多分、献金皿への寄付が足りなかったんだろ」

 

 そう言って彼は大笑いした。

 ヘマした先程は、あれだけ泣き叫んでいた癖に元気になったものだ。

 一時の失敗でクヨクヨするボクからすれば、羨ましい事この上ない。

 ボクはミリセントの失態で水の泡となった得点をまだ気にしていた。

 

「まぁ真面目な話、マダム・ポンフリーの腕が良かったんだろ。杖を一振りで直ぐさ。それよりも聞いてくれよフィルチの野郎、足が折れてる俺を見てなんて言ったと思う? 足が折れたくらいでギャアギャア喚くな。足を引きずってでも授業へ行け、だってさ。ふざけた奴だよ」

 

 肩を竦めるセオドールは、怪我をしたことなど屁とも思っていないようだった。タフ過ぎる。

 ミリセントはセオドールの愚痴を聞いてガハハッと爆笑していた。

 

「そりゃ間違いないさね! アンタが怪我をした時のリアクションは芸人並みだからねえ! 足を折った時の泣き言と、昔遊んだ公園で膝を擦りむいた時の泣き言がまったく同じなのには私も驚いたよ!!」

 

「パターン化してるわけだ。道理で言い慣れてると思ったよ」

 

 二人でクスクス笑っていると、セオドールがムスッとしてそっぽを向く。

 流石にからかい過ぎたらしい。

 

「悪い悪い。あの後、私らもしっかりと遅刻したから許しておくれよ」

 

「何がしっかりと遅刻しただよ。悪い報告じゃねぇか」

 

「まぁまぁ。セオドールの事を説明したらお咎めなしだったから許してよ」

 

「そうさね! それにフィルチを呼んだのはメルムだよ? そこは感謝しときな」

 

「それなら許す」

 

 どうやら本気で怒ってはいなかったようで、セオドールはあっさりと態度を翻した。

 恨みがましくないのは彼の美点だった。

 

「見ろよ、アレを」

 

 ニヤニヤと笑った彼は左端の赤いネクタイを締めた生徒達を顎でさす。

 そういえば、魔法薬はスリザリンとグリフィンドールの合同授業だった。

 気になることといえば、その赤いネクタイを締めた連中はみんなこっちを凝視していることである。

 

「お前らは遅れ気味だったから知らないだろうけど、さっきまで凄かったんだぜ? 教室の前に行列が出来ててさ」

 

 今この教室はセオドールの言う通り、混沌と化していた。

 つま先立ちで、グリフィンドールの方をジロジロ見ているスリザリンの生徒達、逆にスリザリンの方をジロジロ見つめるグリフィンドールの生徒達。

 代々仲の悪いことで有名な二つの寮。合同授業だというのに寮で席が自然と分かれている辺り、それは顕著である。

 その二つの寮が見つめ合っている異常な状況だが、双方見ているのはあまりにも違った。

 

「見て見て」

 

「どこ?」

 

「ガタイの良い女とノッポの男に挟まれてる奴?」

 

「顔見た?」

 

「めっちゃ綺麗だけど無表情だね。やっぱり闇の魔法使いの血族は怖いよ」

 

 耳を済ませれば、囁き声が聞こえてくる。

 なるほど、そういうことか。

 

「今年の一年、その有名人のツートップが一堂に会してるんだ。そりゃこうもなるさね」

 

「ハリー・ポッターだよね。彼、有名人だ」

 

 ハリー・ポッター。生き残った男の子。

 稲妻のような傷痕があると聞いているが本当だろうか。

 闇の帝王。例のあの人。ヴォルデモート卿。

 以前、爺様に聞いたことがある。

 

 ────ねぇ爺様、聞きたいことがあるんだけど

 

 ────なんだ孫よ? そう畏まって。お前らしくもない

 

 ────イギリスの書物で読んだことあるんだけど、ヴォルデモートって爺様と同じくらいに強いんだって。本当? 

 

 ────それは嘘だな

 

 ────だよね。噂では赤ちゃんに負けたらしいし。やっぱり爺様の方が強いんじゃないかな

 

 そう言った時の爺様の顔は、まるでボクが太陽は西から出て東に沈むと言ったかのような酷い顔をしていた。

 

 ────はっはっはっ!!! 違う違う! 活動していた時代がそもそも別だから何とも言えないが、闇の帝王は私よりも強いぞ? それも全盛期の私よりも、な

 

 ────え、そうなの? 大したことないと思ってた

 

 ────馬鹿を言うな。俺も奴も国家機関(ガヴァメント)に追っかけられて何十年と生き延びていたんだぞ? まずマトモな魔法使いじゃそれは出来ない

 

 ────じゃあそんな強力な闇の魔法使いが、どうして赤ん坊に負けたの? 

 

 ────さぁな。そもそもその話自体、私は半信半疑だが……そうか赤ん坊か。なるほどなるほど。ならそういう結末も有り得なくはない

 

 ────1人で納得しないでよ。どういう事なの? 

 

 ────……親の愛は強しって奴だ

 

 今思うと、その時少しだけ爺様は憂うような表情をしていた。

 ボクにはその感情は何なのかよく分からなかったし、どうでも良かった。

 でも、爺様が負けを認めた魔法使いがダンブルドア以外にもいたというインパクトが強くてよく覚えている。

 そんな、ちょっぴり不思議でくだらない会話。

 

「お前もだぞ、黒い魔法使いの孫娘殿!」

 

 わしゃわしゃと頭を撫でてくるセオドールは何故か誇らしげだ。

 ミリセントも隣でウンウンと頷いている。

 

「うーん、グリンデルバルドの末裔と英雄ハリー・ポッターか。どちらが強いのか私ゃ見たくなってきたよ」

 

 なんとこの状況で、ミリセントは己の心に潜む戦闘の血を滾らせているらしい。

 率直に言ってやめて欲しい。

 決闘騒ぎをするには、イギリス魔法省は些か法が整い過ぎている。

 

「見ろよ、グリフィンドールの連中を。まるでエホバでも拝むみたいにメルムを見てる」

 

「やめてよ。目立つことは好きじゃない。クールにいこうクールに」

 

 ただでさえ同学年の中で浮いた立場なのだ。

 嫌がらせを受けることこそないが、少し避けられている感じもする。

 悲しい事に今やボクは、求心力だけでいえばマルフォイよりも下だ。

 この上、悪目立ちなど以ての外である。

 テンションを上げるセオドール達と対照的にボクは背を縮こまらせた、その時。

 

「お、来たぞ。我らが寮監のお出ましだ」

 

「ん?……あー噂通りだねぇありゃ」

 

 アルコール漬けの生物が浮いているガラス瓶が並べられた壁を這うように、その男は現れた。

 我らがスリザリンの寮監にして魔法薬学の教授である彼は、教卓に立つと生徒が揃っているのを確認し、出欠を取り始めた。

 

「なんか顔色悪いね、あの先生」

 

「ありゃ元々らしいぜ。セブルス・スネイプだ。よくスリザリン贔屓して、グリフィンドールの生徒から蛇蝎の如く嫌われている。クィディッチを何度も優勝に導いた敏腕監督としても有名」

 

「よく知ってるね」

 

「昨晩、子守唄代わりに先輩から叩き込まれたんだよ。背の高いお前はビーター向きだってね」

 

 苦笑するセオドール、恐らく二年になろうがチームに入る気など皆無だろう。

 だって彼は運動部というガラじゃない。

 身近な教会で賛美歌を聴きながら聖書を読んで育ったセオドールは、生粋の文化部だった。

 

「ふーむ。私にゃあの先生が、体育会系にはこれっぽっちも見えないけどねぇ。あの細い足なんざ払っただけで折れちまいそうさね」

 

「普通はあんなものだよミリセント。でも、確かに身体を動かすことは苦手そうだ」

 

 ロリポップをしゃぶりながらボクは同意する。

 教室の隅でクラスの人気者を眺めながら、本を読んでいる日陰者。

 そんな絵に書いたような陰気臭い男だった。

 

「ああさよう」

 

 神経を逆撫でする嫌な猫なで声。 

 

「ハリー・ポッター。われらが新しい────スターだね」

 

 誰にでも分かる敵意を剥き出しにして、スネイプ先生がポッターに嗤いかけた。

 一拍遅れて、近くの席から冷やかしにも似た笑い声が起こる。

 ドラコ・マルフォイだった。

 彼は、早々に英雄様がお気に召さなくなったらしい。

 そして、それは我らが寮監も同様。

 出欠を取り終えたスネイプ先生の目には、温かみがまるでない。

 例えるなら、虚ろで暗いトンネルのような目だ。

 

(ポッターも可哀想に。面倒なのに目を付けられたね)

 

 スネイプ先生は、ボクの名前には一切の反応を示さなかった。

 それは本来の彼は、人を名前や血筋で差別することが無い人間だということを示している。

 だというのに、ポッターの名前で一回止めた。それは彼に何かしらの含みがあると言っているようなものだった。

 

(怖いねぇ……個人的な恨みかな?)

 

 じゃないとあんな目は出来ない。

 あれは人を憎んでる目だ。

 何度もその視線に晒されたボクが言うんだから間違いない。

 例のあの人にやったようにポッターは、スネイプ先生のご家族を吹っ飛ばしでもしたのだろうか。

 そんなことをボクが考えていると、スネイプ先生が話し始めた。

 

「さて。このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と厳密な芸術を学ぶ」

 

 呟くような話し方なのに、一言も聞き漏らすまいと生徒達が静まる。

 彼はマクゴナガル先生と同じように、何もしなくともクラスを静かにさせる能力を持っているようだ。

 

「このクラスでは杖を振り回すようなバカげたことはやらん。そこで、これでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち昇る湯気、人の血管の中をはいめぐる液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえふたをする方法である。ただし、我輩がこれまでに教えてきたウスノロ達より、諸君がまだましであればの話だが」

 

 スネイプ先生の大演説にクラスの殆どが静まる中、後部座席にてボクらはコソコソとお喋りをしていた。

 

「聞いたか? 俺達の先輩、ウスノロだってよ」

 

「その理論でいくなら始めたての私たちはトロールさね」

 

「というか、魔法薬って将来何かの役に立つの?」

 

「さぁ?料理の仕方が上手くなるんじゃないか?鍋料理だけ」

 

 そんな特に意味の無い会話は「ポッター!」という先生の大声で中断された。

 スネイプ先生がポッターに今年の魔法薬学初になる質問を振ったのだ。

 

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」

 

(へぇ……案外スタンダードな質問だね。もっと意地の悪い問題出すかと思ってた)

 

 ポッターにだけ悪意丸出しのスネイプ先生なら、それぐらいやってもおかしくはない。

 とはいえ、それが分かるのも少数らしい。

 ボクはミリセントとセオドールの方をチラッと見たが、二人もなんの事かさっぱりという顔をしていた。

 そしてそれは彼らだけが例外という訳でもなく、クラスの大体はそんな感じの反応なので、これが通常なのだろう。

 しかしそんな困惑する生徒達の中、ビシッと手を高々と挙げる者が一人。

 

「ハーマイオニーか」

 

 あれだけ自信満々に挙げるのだ。

 もう正答が分かっていると見て良いだろう。

 流石、教科書を丸暗記する生徒は違う。

 

「分かりません」

 

「チッチッチッ……有名なだけではどうにもならんらしい」

 

 ハーマイオニーの手を無視したスネイプ先生は口元でせせら笑う。

 かなり陰湿だ。

 考えてみれば、初めての授業でいきなり問題を解けなど無理難題もいい所だ。

 

「なんかボク達の寮監は随分と性格がひん曲がった人だね」

 

「だなぁ……小物感甚だしい。絵に描いたような嫌な奴って感じだ。マグルの映画とかに出てきそうなくらいには」

 

 ボクとセオドールの意見が一致した所で、スネイプ先生がまた質問を重ねる。いい加減授業に入って欲しい。

 

「ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいといわれたら、どこを探すかね?」

 

「……!」

 

 今出されている二つの質問は、ありがたいことに魔法薬が苦手なボクにも分かるものだった。

 グリフィンドールの方を見ると、ハーマイオニーが先程よりも手を高く、椅子に座ったままで上げられる限界まで手を伸ばしている。

 ポッターにはベゾアール石が一体なんなのか見当もつかないようで顔を顰めていた。

 マルフォイ、クラップ、ゴイルの耳障りな笑い声がボクの耳を打つ。

 

「先生、ボク分かります」

 

 ボクはそっと手を挙げた。

 途端に鳴り止む笑い声。マクゴナガル先生が声を張り上げた時のようにクラスがシーンと静まる。

 

「ほう。グリンデルバルドには分かるのかね?」

 

「はい、先生」

 

 現在進行形で木のように手を上げ続けるハーマイオニーを無視していたスネイプ先生は、ここぞとばかりに暗い目を光らせる。

 ポッターを嬲る邪魔をされて少し不機嫌そうではあったが、そこは教師。

 言ってみろ、とスネイプ先生が心おおらかに許可してくれる。

 

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを混ぜると強力な眠り薬になります。ベゾアール石は山羊の胃から取り出される石のことで、万能な解毒薬であり大抵の毒物や薬には効果があります」

 

「ふむ。概ね正解だ。もう少し掘り下げるならば、アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを混ぜた睡眠薬は「生ける屍薬」とも呼ばれており、その強力な作用を物語っている。若干説明が足りないが初めてにしては上出来、大したものだ。スリザリンに5点……どうしたのかねグリンデルバルド?」

 

 魔法薬の先生からの褒め言葉。

 しかし、残念なことにボクはそれを聞く余裕がなかった。

 よっしゃ! とミリセントがボクの肩を叩いたことで、ひ弱なボクは顔を強かに机に打ち付けていたからだ。

 

「あぁッ!? すまないねぇ、メルム。嬉しくて力加減を間違えちまったよ」

 

「……痛い」

 

 ジンジン痛む鼻を押さえつけて前を見ると、残念なものを見るようなスネイプ先生の生暖かい視線と合う。

 なんかスッキリしないし納得もいかないボクだが、これで分かったこともあった。

 スネイプ先生はスリザリン贔屓だ。しかもかなり露骨な。

 ポッターのことはもちろん露骨に嫌っているが、他のグリフィンドールの生徒も発言権は無いに等しいことがハーマイオニーの事で証明されている。

 スリザリンが何度も寮杯を獲得するわけだ。

 ここまで露骨に贔屓する教師は少なくとも他にはいない。

 自分の寮ですら容赦なく減点しそうなマクゴナガル先生がいる中、スネイプ先生の存在はスリザリンにとって大きなアドバンテージとなっているのだろう。

 

「ではポッター、もう一つ聞こう。モンクスフードとウルフスベーンの違いは何だね?」

 

「……わかりません」

 

「グリンデルバルドとは大違いだな? え、ポッター。同じ有名人でもこうも違うらしい。勤勉は身を助けるぞ。これからはクラスに来る前に、教科書を開いて見ることをお勧めしよう。そうすれば、この繊細な学問を少しは理解出来る筈だ。無論、その首の上に乗っているのが帽子を乗せるだけの台でなければ、という前提の元に基づいた話だが」

 

 凄まじく辛辣な言葉である。

 仮にも生徒に対しての敵意全開なスネイプ先生の対応にボクはドン引き不可避だった。

 仕事に私情を挟んじゃダメだろうに。

 ちなみに今の質問だが、さっぱり分からない。

 そもそも何故、先の二つの質問に答えられたかと言えば本当に偶然の産物であった。

 生ける屍薬は、世間知らずの旅人の身ぐるみを剥がすのに度々使われているという話を聞いていたから知っていたし、ベゾアール石に至っては知らなきゃ命に関わる類の必需品なので知っていて当然だったのである。

 

「ハーマイオニーが分かっていると思いますから、彼女に質問してみてはどうでしょう?」

 

 意外とポッターは好戦的なようだ。無謀だが。

 挑発的な発言に生徒が数人笑い声を上げる。

 チラ、とハーマイオニーの方を見ると椅子から立ち上がり、天井に届かんばかりに手を伸ばしていた。まるで電柱のようだ。

 そして勿論、言い返されたスネイプ先生が愉快な気分になっているワケもない。

 

「座りたまえ」

 

 ピシャリとハーマイオニーに言うスネイプ先生の顔は、まるで極東の島国で見た般若の面ソックリであった。

 

「教えてやろう、ポッター。モンクスフードとウルフスベーンは同じ植物で、別名をアコナイトとも言うが、トリカブトのことだ。どうだ? 諸君、何故今のを全部ノートに書きとらんのだ?」

 

 クラスの全員がいっせいに羽根ペンと羊皮紙を取り出し、ノートを書き始めた。

 無論、ボクもである。

 隣でそれを珍しげに眺めているミリセントがボソッと呟く。

 

「授業ではノートを書きとらない主義だとばかり思ってたんだがねぇ」

 

「流石に不得意な教科をノート無しに乗り切ろうとは思わないよ。それに、あの先生の言う事は聞いていた方が良さそうだ」

 

 ノートを必死でとりながらセオドールもヘラリと笑って同意してくる。

 

「賛成。あの人の顔見ろよ。ユダに裏切られた時のキリストさんの顔にソックリだぜ」

 

「見たことあるの?」

 

「馬鹿言え、んなワケあるかよ。でもそう考えるとしっくりくるだろ? メルムの言う通り素直に従っておいた方が良いのさ」

 

 そう言う彼のノートには適当なデタラメが満載に書き殴られている。

 思い出してみればスネイプ先生が質問していた時、セオドールはボーッと壁の瓶を眺めていただけだった。話を聞いていなければ、書くことも出来無いだろう。

 とはいえ何事もポーズは大事だ。

 やっているフリだけでも印象はかなり変わる。

 これは大人の世界でも良く活用される便利な処世術だ。

 

「それとポッター、君の無礼な態度でグリフィンドールは1点減点」

 

 そして、スネイプ先生は嫌いな人間に対して驚くほど容赦が無かった。

 

 

 ──────……

 

 

 その後も魔法薬の授業中に、グリフィンドールの状況は良くなることはなかった。

 その中でも実習は特に酷かったと言える。

 生徒を二人ずつ組にして、おできを治す簡単な薬を調合させる実習。

 長い黒マントを翻しながら、スネイプ先生は生徒達が干イラクサを計り、蛇の牙を砕くのを見回っているのだが、これが中々に酷かった。

 

「おいおい参ったぜ。また注意を受けちまった。蛇の牙の欠片が2ミリ大きいんだってよ。どうにもみみっちいだけじゃなく、細かい事も気になるタチらしい」

 

 隣でクラッブと組んでいたセオドールが苦い顔で愚痴る。

 彼の班は酷かった。

 クラッブが隣でウンウン唸りながら教科書を読んでいるのだが、半分も理解しているか疑わしい。

 その上、大雑把なクラッブの調合により何度もスネイプ先生から注意を受けたことで、セオドールは実習のほぼ全てを受け持っている状態に陥ったのだ。

 

「そうだね。おまけにスリザリン内でも贔屓してるみたいだし」

 

 力の強過ぎるミリセントに蛇の牙を粉砕する仕事を任せ、干イラクサを計りながらボクも愚痴を零す。

 スネイプ先生はスリザリンの生徒の中でも、取り分けドラコ・マルフォイを気に入っているようだ。

 彼を除いて、スリザリンとグリフィンドールの生徒の殆どが何かしらの注意を受けている。

 一緒に組めたゴイルは幸福者だろう。

 そう思いながら、ボクはミリセントの襟を掴んで椅子の上に避難する。

 

「ふむ。マルフォイが角ナメクジを完璧に茹でたから、皆見るように……ッ!?」

 

 スネイプ先生の声に被せるようにして突如、地下牢いっぱいに強烈な緑色の煙が上がった。

 シューシューという大きな音と共に床に広がる液体。

 なんとネビルが、相方のグリフィンドール生の大鍋を溶かしてねじれた小さな塊にしてしまい、零れた薬が床を伝ったようだった。

 

「ふざけんなよ! まだ買ったばかりの靴だぞ畜生め。安全に実習もできないのかグリフィンドールの連中は!」

 

 悲鳴を上げたセオドールの靴には、無惨にも大きな焼け焦げ穴が空いていた。

 遅れてクラス中の生徒が椅子の上に避難していく。

 

「靴で良かったじゃん。見なよネビルの有様を」

 

 ボクが指を差した方向には、グッショリと薬を被って全身に真っ赤なおできが噴き出したネビルの姿があった。

 どうやら大鍋が割れた際に飛び散った薬に被弾したらしい。

 彼は全身に走る痛みに呻き声を上げていた。

 

「バカ者! 大方、大鍋を火から降ろさないうちに山嵐の針を入れたのだろう!」

 

 大声で叱責したスネイプ先生は、杖を一振りして零れた薬を取り除くと隣で呆然としているグリフィンドール生に、ネビルを医務室まで連れて行くように言いつける。

 おできが鼻にまで広がってシクシク泣き出す彼を見てセオドールが冷や汗を流した。

 

「危ねぇ危ねぇ。またマダム・ポンフリーの世話になる所だった……おいクラッブ! お前もしくじったらああいう風になるんだぞ。俺達のライフに関わる話だ。薬の調合しっかりな?」

 

 ウスノロのクラッブは分かったのか分かってないのか分からない顔つきでしきりに頷き返している。正直不安だ。

 スネイプ先生といえば、実習を無茶苦茶にされた怒りの鋒先をポッターに向けている。

 

「ポッター! 針を入れてはいけないとなぜ言わなかった? 彼が間違えれば、自分の方がよく見えると考えたのだろう。グリフィンドールはもう1点減点だ」

 

 もはや言い掛かりを通り越して、ただの八つ当たりだ。

 良く分からない理由で一点減点されたポッターは顔を真っ赤にして言い返そうとする。

 だが、それを隣にいた赤毛のグリフィンドール生が小突いて止めていた。

 

(……賢明な判断だね)

 

 あそこでポッターが言い返せば、口答えをしただのなんだの言ってさらにスネイプ先生は減点を喰らわしていただろう。

 スネイプ先生のやり口を見ていれば分かる。可哀想な話だが、ポッターは嵐のようなものだと諦めて泣き寝入りするしかない。

 

「はぁ……」

 

 色々と濃い一時間に、ボクは疲労の溜息を隠せない。

 この授業が終わったら、ハグリッドの居る山小屋に行こう。

 少しはこの膿んだ空気を何とか出来るかもしれない。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 その日、ハリー・ポッターはむしゃくしゃしていた。

 いや頭が混乱し滅入っていたと言うべきか。

 なんと最初の一週間で自分はグリフィンドールの点数を二点も減らしてしまったのだ。

 思えば新入生歓迎会の時からスネイプは自分のことを嫌っていると感じていた。

 だが、あれは間違いだったのだ。

 

「スネイプは僕のことを嫌ってるんじゃない。憎んでいるんだ」

 

 一体どうしてスネイプはあんなに自分のことを憎んでいるのだろうか。

 そうしょげていると、隣のロン・ウィーズリーが赤毛の頭を揺らしながら肩を叩く。

 

「元気出せよ。フレッドもジョージもスネイプにはしょっちゅう減点されるんだ」

 

 あの二人が減点されるのはスネイプに限った話ではないだろう。

 だが、親友が自分のことを励まそうとしてくれているのを知っているので、口を噤む。

 

「ねぇ一緒にハグリッドに会いに行っていい?」

 

 雰囲気を変えるように、うーんと背伸びをしてロンはあっけらかんと言う。

 

「そりゃあいい考えだよロン。行こうか」

 

 三時五分前に城を出て、二人は校庭を横切った。

 ハグリッドは「禁じられた森」の端にある木の小屋に住んでいる。

 森番と呼ばれる所以だ。

 彼の家に行くと戸口に石弓と防寒用長靴が置いてあった。

 そこまでは良い。だが隣にある小さな女の子用の靴は何なのだろうか。

 

「なぁハリー、この靴誰のだと思う?」

 

「ハグリッドのガールフレンド? まさかね」

 

 ハグリッドと短い間一緒にいたがガールフレンドが出来るような器用な人間では無かった筈だ。

 まぁハグリッドの彼女かどうかはさておき、来客中なのは確かで滅茶苦茶に戸を引っ掻く音とブーンと唸るような吠え声の合間に笑い声が響いてくる。

 ノックをしようかどうか二人で迷っていると、鈴のような綺麗な声が此方に向けられる。

 

「来客だよハグリッド。この時間ならハリー・ポッターと赤毛の子だね」

 

 なんで分かったのだろうか。

 ロンと二人でそっと顔を見合わせる。

 特別、音を忍ばせて来たわけでもない。

 とはいえ、ハリー達の来た方向はハグリッドの小屋の窓からは見えない筈なのだ。

 言い知れない不気味さを感じつつ、どうしたものかとハリーが迷っていると

 

「入ってきなよ。別に難しくて大事な話をしているわけじゃないし」

 

 感情を感じさせない幼い声。

 不思議と何処かで聞いたことのあるような気もする声だった。

 それは何処だっただろうか、とハリーが思考の渦に入ろうとするも、大きくなる犬の吠え声がそれをさせない。

 

「退がれ、ファング、退がれ」

 

 犬の吠え声にも負けない程の大声。

 そして、戸が少し開いて隙間からハグリッドの大きなひげモジャの顔が現れた。

 

「おぉ! 本当にメルムの言った通りハリー達か! よく来たよく来た。さ、中に入っちょくれ」

 

 ハグリッドは巨大な黒いボアーハウンド犬の首輪を押さえるのに苦労しながら、ハリー達を招き入れた。

 

「うわあ……! ここがハグリッドの森小屋なんだね」

 

 中は一部屋だけだった。

 ハムやキジが天井からぶら下がり、焚き火のかけられた銅のヤカンにはお湯が湧いている。

 

「くつろいでくれや」

 

 ハグリッドがファングを離すと、ファングは一直線でロンに飛びかかり、ロンの耳を舐め始めた。

 ハグリッドと同じように、ファングも見た目と違って全然怖さを感じない。

 

「彼はロン。ロナルド・ウィーズリーだよ。ボクの親友」

 

 ハグリッドは大きなティーポットに熱いお湯を注ぎ、ロックケーキを皿に乗せた。

 そしてロンのそばかすをチラッと見ながら苦笑する。

 

「ウィーズリー家の子かい。え? おまえさんの双子の兄貴たちを森から追っ払うのに、俺は人生の半分を費やしているようなもんだ。そうだろうメルムや」

 

 ハグリッドがそう声を掛ける方向にハリーは目を向ける。

 そういえば、ハグリッドの小屋にはもう一人来客がいたのだ。

 部屋の隅のとてつもなく大きなベッド。

 そこには小さな女の子が仰向けに足を組んで寝っ転がっていた。

 

「げっ……!」

 

 隣でロンが顔をしかめる。どうしたのだろうか。

 彼は少し怯えているようでもあった。

 ロンが小声で矢継ぎ早に言う。

 

「ハリー、君も知ってるだろう? 今年のホグワーツには、君以外にも有名人がもう1人入ったのさ。それもスリザリンに」

 

 スリザリンという言葉に、一瞬ドラコ・マルフォイのすかした顔が脳裏を過ぎる。

 ハリーは既にスリザリンに半ば拒否反応が出来つつあった。

 

「それでその有名人の名前が」

 

「グリンデルバルド」

 

 ロンの声を遮る涼し気な声。

 むっくりとハグリッドのベッドから起き上がった少女の声だ。

 少女の印象は一言で言うと現実味がない、だった。

 後ろにおろした透き通るような銀の長髪、無機質な翡翠の瞳と感情をあまり感じさせない色白の端正な顔。

 人間離れした容姿は、絵本の中から妖精が飛び出したと言われた方がしっくりとくる。

 

「久しぶり、になるのかな。また会えて嬉しいよポッター」

 

「え?」

 

 ハリーには見覚えがなかった。

 こんな可愛い娘と会ったら二度と忘れそうにないものなのだが。

 そうすると彼女は口元を緩める。

 

「まぁマルフォイを挟む形での話だったし、記憶に残らなくてもしょうがないね。覚えてないかな? ほら、マダム・マルキンの洋服屋で」

 

「……あぁ!」

 

 確かにいた。

 あの胸糞悪いマルフォイのせいですっかり記憶が汚染されていたが、確かにハリーは彼女と店を出る時に少し話をしている。

 

「思い出して貰えたようで何よりだよ。あの時は災難だったね。マルフォイの馬鹿に絡まれるのは、他の何よりも悲惨だ」

 

「スネイプに目をつけられるよりマシさ」

 

 ハリーがそう返すと、少女は小さく微笑んだ。

 大体無表情な彼女だが、よく見てみると些細な表情の変化が見られる。

 

「自己紹介がまだだったね。ボクはメルム。メルム・ヴォーティガン・グリンデルバルド。ボクがどういう意味で有名かは、そこの赤毛君に聞けばいいよ」

 

 その言葉にハリーがロンの方を見ると、彼は困ったような顔をする。

 本当に言っていいのかを躊躇うような表情だ。

 

「あー……そのなんて言えば良いのかな。有名なのはあの娘じゃなくて、お爺ちゃんの方なんだ」

 

「お爺ちゃんの方?」

 

「うーん、そうなんだけど」

 

 やはり本人を前にしてその親族の悪口を言うのは躊躇われるようだった。

 ロンがグズグズとしているのを見かねてか、メルムがあっけらかんと事実を告げる。

 

「ボクの祖父であるゲラート・グリンデルバルドは闇の魔法使いだったんだよ。それで悪いことを沢山した。例のあの人レベルでね」

 

「例のあの人って、ヴォルデモート?」

 

 その途端に、二人分の悲鳴が小屋に響く。

 ロンとハグリッドのものだ。二人にヴォルデモート関連の話題を振れば、そこら辺の女の子よりも繊細になる。

 だがその点メルムはしっかりしたもので、例のあの人の名前を聞いても、頷くだけで特に反応もない。

 

「一応言っておくと、ボクと爺様は血筋が繋がっているだけでまったく別の人間だよ。そこの赤毛君が分かってくれるとは思わないけどね」

 

「失礼な奴だな、僕は赤毛君じゃない! ロンだよ。ロナルド・ウィーズリー」

 

「なるほど、それじゃウィーズリー。君はボクを見た時、げっと言って顔を顰めたでしょ。それもかなり失礼な行為だと思うんだけど、その辺どう思う?」

 

「それは……悪かったけど」

 

「それじゃあ、これでお相子だね。よろしく、ウィーズリー」

 

 そう言って無理矢理ロンの手を握ってブンブン振るメルム。

 可愛らしい顔つきと違って、かなりズバズバ物事を言う子だ。

 ハーマイオニーと雰囲気が似ているが、メルムは確固たる芯を持って話しているだけで、そこまで悪い女の子ではないようにハリーは感じた。

 

「自己紹介は済んだか。なら俺の作ったケーキを食べちょくれや。折角用意したお茶も冷めちまうしな」

 

「それもそうだね」

 

 ハグリッドの言葉に、メルムは頷くとベッドからハリーの隣の席へ移動する。

 着席の瞬間、フワッと女の子特有の柔らかい匂いがして何故かハリーはドキドキしてしまった。

 グリフィンドールにいるハーマイオニーや他の女子達に比べて、メルムはなんというか佇まいが違う。落ち着いているのだ。

 

「ハグリッド、このロールケーキ硬いんだけど」

 

「俺の特製だからな! 顎が鍛えられてええだろう」

 

「そう言う問題じゃないんでしょハグリッド。味は普通に美味しいから尚更勿体ないよ」

 

 歯が折れるくらい硬いロールケーキにメルムが文句を言い、ハリーもそれに賛同する。

 メルムは外見からは想像も出来ない程、人当たりが良かった。

 話を合わせるのも聞くのも上手く、四人はしきりに学校生活のことを楽しく話し込む。

 

「あの猫だがな、ミセス・ノリスだ。いつかファングを引き合わせなくちゃなあ。俺が学校に行くとな、知っとるか? いつでもずっと俺をつけまわすんだ。どうしても追い払えん。フィルチの老いぼれがそうさせとるんだ」

 

「ミセス・ノリスってよく廊下を徘徊してるあの猫ちゃんだよね。ちょっと目つきが悪いのは飼い主に似たのかな。ほら、フィルチさんってアンデッドみたいじゃない」

 

「確かにそうだ! アイツ、いっつもヨレヨレの服を着て白髪まみれでさ。不潔だと思ってたけど、アンデッドなら僕も納得だね。まったくマーリンの髭!」

 

 最初はミセス・ノリスの話だったのに、何故か学校の管理人フィルチへの罵倒へと話題が変わる。

 確かにメルムとロンの言う通りだ。

 管理人のフィルチは、コスチュームかと思うくらいにはみすぼらしい格好をしている。

 あれで学校を掃除しているというのは何かの冗談だとハリーも常々思っていた。

 だが、ハリーが今回話したいことはフィルチを洗濯機に服ごと放り込むか否かの話ではないのだ。

 迂闊にもファングの頭を膝に載せたことで、自分の服がヨダレでダラダラになる中、ハリーはスネイプの授業のことを喋った。

 

「気にするな。スネイプは、生徒という生徒はみーんな嫌いなんだからな。あれはああいう生きもんだと思っとけ」

 

 ハグリッドの助言は、ハリーの欲しい答えではなかった。

 魔法薬学での仕打ちを未だに忘れられていなかったハリーは食い下がる。

 

「でも僕のこと、本当に憎んでいるみたい」

 

「馬鹿な! なんで憎まなきゃならん。スネイプは腐ってもホグワーツの教師だぞ。辞めたきゃ勝手に辞めとる」

 

 そう言いながらもハグリッドはまともにハリーの目を見なかった。

 少なくともハリーにはそう思えてならない。

 助けを求めるようにメルムの方を見ると、相変わらず無表情の彼女は少しだけ考え込んでいる様子だった。

 

「それはそうとロン。チャーリー兄貴はどうしとる? 俺は奴さんが気に入っとった。動物に掛けてはチャーリーの右に出るヤツは早々いないと俺は思っちょる」

 

 話題を変えるように、ハグリッドはロンへ家族の話題を振った。

 そして、それに食いついたのは意外にもメルムだった。

 

「何それ。ボクも気になる」

 

「あぁメルムもスキャマンダーのおっさんのとこに世話になっちょるって話だったな」

 

「そうなんだ! あ、チャーリーって僕のところの2番目の兄貴でさ。今はドラゴンの飼育をしていて」

 

「ほう! ドラゴンか! ありゃあ凄い生きもんだ。いやあ、奴さんの魔法動物の調教の腕は前々からな……」

 

 ロンがチャーリーのドラゴンの仕事のことを色々と話し、メルムとハグリッドが興味津々の様子で聞き入っている中、ハリーはティーポット・カバーの下から、一枚の紙切れを見つけた。

「日刊預言者新聞」の切り抜きだ。

 

「なになに? そこに何が入っていたかについては申し上げられません。詮索しない方がみなさんの身の為です、か。意味深だね」

 

 いつの間にか会話から抜け出してきたメルムが、横からハリーの持っている切り抜きを読み上げてうっそりと笑う。

 

「ハグリッド! グリンゴッツへの侵入があったのは僕の誕生日だよ! 僕達が彼処にいる間に起きたのかもしれない!」

 

 汽車の中でロンがグリンゴッツ強盗事件について話してくれたことを思い出し、ハリーは声を上げる。

 今度こそハグリッドはハリーから目を逸らし、ウーッと唸ってロールケーキをまた勧めてきた。

 

「いや、良いよハグリッド。歯が折れちゃう」

 

 ハリーといえばそれは受け取らず、再び記事を読み返したのだった。

 




ということで今回はハリーとメルムの初邂逅でした!感想お気に入り登録ドシドシお願いします!


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#006 飛行訓練

子供の頃、よく小動物を虐めた。特に理由はない。

そして、それを見た施設の人はよく怒っていた。

お前がやっていることは悪いことなんだ、と。

だから、もう小動物は相手にしない。小動物に拘る理由も特にない。

だから。

どうせなら、虐めて皆が喜ぶような獲物(ヒト)を選ぶことにしよう。



 木曜日の朝っぱらから、オートミールを口に頬張ってボクらは飛行訓練を前に浮かれている寮の雰囲気について話し込んでいた。

 

「どいつもこいつもクィディッチの話しかしやがらねぇな。信じられるか? 朝食のメニューを聞いたら、箒の名前が返ってくるんだぜ。まったくどうかしてるよな」

 

「その最たるのがマルフォイさ。壊れたラジオみたいに同じことを繰り返し言ってる」

 

 朝方、スリザリンの談話室に貼られた掲示板はドラコ・マルフォイの機嫌をこれでもかというほど良くさせたらしい。

 掲示の内容は、無論初めての飛行訓練のことなのだが、そこはさほど重要ではない。

 彼にとって重要なのは、グリフィンドールとの合同授業という点であった。

 

「おーおー意気込んでるねぇ、ドラコ坊やは。自分の得意な科目が出てきてよっぽど嬉しいと見える」

 

「多分違うと思うよ。マルフォイの狙いはいつだってポッターさ。鼻持ちならない彼をこの教科でコテンパンにすること。それが目的だから、この有利な状況が嬉しいんじゃない?」

 

「歪んでるねぇ。今の今まで、マグルの親戚に育てられた飛行の初心者相手にマウントを取るつもりかよ。小物過ぎて涙が止まらねぇな」

 

 初めての飛行訓練に高揚するマルフォイやその他大勢と違って、高所恐怖症のセオドールは今の空気に対してシニカルだ。

 それもそうだろう。

 付き合いの長いミリセントによれば、彼は自分の屋敷の屋根の上ですらダメだという話だった。

 

「今度こそはアンタも箒って苦手分野を克服出来るんじゃないかい?持ち方と乗り方から習うらしいからねぇ」

 

 そう言ってガハハと笑うミリセントに対して、セオドールは渋い顔をするだけで、うんともすんとも言わない。

 言い返さない所を見ると本当に苦手にしているようだ。

 

「そういやメルムは飛行の方はどうなんだい?呪文系統は結構ずば抜けているけれど、箒の方もバッチリ?」

 

「箒かぁ。あんまり使わないかな、ボクは」

 

「お前も苦手なのか!同士よ!」

 

 ボクの返答に狂喜乱舞したのはセオドール。

 案外、彼は自分が箒に乗れないことを気にしているようだった。

 長らく旅をしていたせいで、ボクにはお貴族様の考えというものがよく分からないが、箒に乗れないことは大変にプライドが傷つくらしい。

 まったく。ボクは使わないと言っているだけで、乗れないとは一言も言っていない筈なのだが。

 

「大体どいつもこいつも煩いんだよ。今どき箒なんて乗れなくたって、煙突飛行粉(フルパウダー)一つでひとっ飛びさ」

 

「あれは発音を少しミスすると全然違うところに行っちゃうでしょ。不完全な代物だよ」

 

「そうさね。それに箒がありゃあ空中戦で大抵のことは出来る。そもそもそれが目的の箒さ。だから飛行訓練(……)なんじゃないかい?」

 

 確かにミリセントの言う通りだ。

 姿くらましも煙突飛行粉も移動には最適だろうが、空中に留まるという一点で箒の右に出るものはない。

 マグルの飛行機と新幹線を比べるようなもので、そもそもの畑が違う。

 

「それにしても、さっきからマルフォイの奴が煩いねぇ。三回も同じ自慢話をされると流石に耳が腐っちまうよ」

 

「どうせ大した腕はないんじゃないかな? ほら、彼の自慢話はいつもマグルのヘリコプターを躱したところで終わっちゃうしさ。話のレパトリーの少なさが、そのまま経験の浅さを物語ってるよ」

 

 ミリセントとマルフォイに対しての辛辣な意見を交わしつつ、朝食のオートミールをボクは口に運ぶ。

 話は変わるが、朝食の時間はボクにとって少し憂鬱な時間だった。

 その原因はふくろう便だ。

 

「またふくろう便か……朝食が不味くなる」

 

「アンタも本当にふくろうが嫌いだねぇ」

 

 それはそうだろう。

 ボクは旅先で、ずっと何十羽もの梟達に追いかけ回されていたのだ。

 それも朝も夜も問わずに。

 梟の鳴き声で意識が浮上し、手紙が顔に落ちて目が覚めるあの感覚は二度と味わいたくない。

 

「でも今回は良しとしようかな。マルフォイの自慢話が止まった」

 

「偉大なるパパとママからのお菓子の時間さね。奴のワシミミズクには、後で腹いっぱいミミズをご馳走してやるか」

 

 見るからに豪華そうなお菓子をテーブルに広げて、得意満面の笑みを浮かべるマルフォイ。

 ああいう所はまだお子様なのだろう。

 本人に言えばどうせ気を悪くするだろうが。

 

「過保護な親御さんに、感謝を申し上げたいよ。貴方達が甘やかしたお陰で、お宅のドラコお坊ちゃまは自慢話をするだけのクソつまらないボンクラに育ちましたって」

 

「言ったって気づきっこないさね。あそこの家は筋金入りだ。皮肉に気づかないどころか、下手すれば褒め言葉としてそのまま受け取っちまうよ」

 

「おい。マルフォイの話はもう良いだろう。ミリセントの言う通りさ。言ったって治りっこないし、何より飽きたよ。そんなことよりもさ、見ろよ、アレ。ロングボトムの受け取った風呂敷に包まれた玉。もしかしてアレ、思い出し玉じゃねぇか?」

 

 セオドールの指差す方を見ると、丁度ネビルが風呂敷から小さな玉を取り出したところだった。

 あの白い煙が詰まっているような玉は確かに思い出し玉だ。

 おかしな話である。ネビルはボクと一緒に汽車に乗っていた時には、既に思い出し玉を持っていた筈だったのだが。

 

(多分どっかに忘れてきちゃったんだろうな。勿体無い。思い出し玉も、本体が忘れられちゃうんじゃ役には立ちっこないだろうし)

 

 ネビルのお婆さんの苦労が透けて見えるようだ。

 忘れ者で食いしん坊。甘やかされて育った弊害なのだろう。

 やはり人間に必要なものは、適度にスリリングな環境であるとボクはつくづく実感する。

 

「あ……」

 

 そんなことをボクが思っていると、何を思ったのかマルフォイがネビル達のいるグリフィンドールの席へと向かっていく。

 控えめに言って嫌な予感しかしない。

 

「あん? どしたよメルム」

 

 突然、席から立ち上がるボクを訝しんだセオドールが声をあげる。

 その言葉に手を振り返し、ボクはマルフォイのところへと向かう。

 

「やぁロングボトム。グレンジャーの本の虫が仕入れた飛行のコツにしがみついていれば、後で箒にもしがみついていられるとでも思ったのかい?」

 

 案の定だ。マルフォイの奴め、グリフィンドールに良くない喧嘩の売り方をしている。

 偏執狂になる魔法を掛けられているわけでもないのに、あそこまで一つの物事を嫌悪するのも珍しい。

 彼にとってグリフィンドールとは、とことん目の上のタンコブらしい。

 

「マルフォイ……ッ」

 

「なんだい?ウスラトンカチのロングボトム君」

 

 ネビルがギリリと歯を食いしばる。

 入学式の小競り合い以来、ネビルはマルフォイに対して嫌悪を超えて憎悪すら抱くようになったのか、凄まじい形相で彼を睨んでいる。

 普通は同級生からこんな顔をされたら引くものだが、そこはマルフォイ。

 平然とネビルの持つ思い出し玉をひったくった。

 

「返せよマルフォイ、それはネビルのだぞ」

 

 その蛮行に立ち上がったのは、同じくグリフィンドール生のポッターとウィーズリーである。

 弾けるように立ち上がった彼らを見るに、二人ともマルフォイと喧嘩をする口実を探していたようだった。

 ボクも参戦して場を滅茶苦茶にしてやってもいいが、席を立ってわざわざこっちまで来たのに、悪者になってもしょうがない。

 

「ねぇマルフォイ」

 

「! ……なんのようだい? ヴォーティガン、いやグリンデルバルド」

 

 ボクが後ろから声をかけると、意外そうな顔でこっちの方を見てくるマルフォイ。

 そういえば、確かマルフォイとネビルの小競り合いの時もすぐ傍に居ただけで、ボクは殆ど彼と会話をしていない。

 ともなると、こうやって面と向かって話すのはマダム・マルキンの店以来ということになる。

 まぁ気後れは一切しないが。

 

「返してあげなよ。別に君にネビルが何かしたわけじゃないでしょ?」

 

「嫌だね。それよりも知ってるかい?コイツはロングボトムの婆さんが送ってきたバカ玉だ。こんなモノに頼らなくちゃいけないとは、ロングボトムも馬鹿な奴だ。そうは思わないかい?」

 

「別に。人それぞれ欠点があるなんて普通だし気になることでもないでしょ。君だって品性下劣っていう欠点があるじゃないか」

 

 そこでボクは一呼吸置いて、くすっと笑った。

 

「あぁ……でもそうだね。君が思い出し玉を使わなくちゃいけないほどに忘れっぽいなら話は別だ。もしかしたら、品性を思い出させてくれるかもよ?ほら」

 

 ボクはマルフォイの握った思い出し玉を指差す。

 なんとマルフォイの握った玉は、真っ赤に光っており彼が何かを忘れていることを教えていた。

 ウィーズリーが大声で笑いだし、ポッターがマルフォイを冷やかす。

 

「朝食を食べることでも忘れたのかいマルフォイ。見なよ、腰巾着のゴイルもクラッブもそれだけは忘れてないと思うけどね」

 

 ポッターの言う通り、マルフォイは朝食そっちのけでネビルにちょっかいを出したせいで、まだ朝食を食べていなかった。

 ちなみに、ゴイルとクラッブはご主人様そっちのけでオートミールをどれだけ食べれるか競走している。

 ポッターのジョークは大好評だったようで、他のグリフィンドール生もマルフォイを囃し立てる。大した嫌われようだ。

 マルフォイの紙のように白い顔が、ロブスターみたいに真っ赤になる。

 

「グリンデルバルドの孫だからって調子に乗るなよ。お前なんかボクのパパに頼めば、この学校からいつでも退学に出来るんだぞ」

 

「おいおい子供同士の喧嘩までパパに任せるの?たまには自分で何とかするところを見せておくれよ。それもできなきゃ、その減らず口は閉じていた方が賢明じゃあないかな?」

 

 グッと詰まるマルフォイ。

 本人も分かっているのだろう。

 いくらマルフォイの両親が親馬鹿でも、子供の喧嘩にまで口を出すことはないと。

 貴族だから外聞もあるだろうし、何よりマルフォイ自身のプライドが許さないはずだ。

 かといってマルフォイはボクを相手に喧嘩をする気もないらしい。

 所詮は口だけか。

 

「まったく、鼻持ちならない臆病で下劣な奴だな君は」

 

「……ッ!」

 

 新発見だ。

 残念なことに彼、忍耐力はあるらしい。

 此方を憎々し気に睨んでくるが、それ以上の事はやりそうにもない。

 

「一体どうしたのですか! この騒ぎは」

 

 言い合いにいち早く気づいたマクゴナガル先生がボク達の前にサッと現れた。

 いざこざを目ざとく見つけて来るのは、大体いつもこの先生だった。

 

「先生、マルフォイが僕の『思い出し玉』を取ったんです」

 

 ネビルがここぞとばかりに、マクゴナガル先生に告げ口をする。

 マルフォイも流石に分が悪いと思ったのだろう。

 しかめっ面で素早くテーブルに玉を戻した。

 

「口には気をつけろよグリンデルバルド。プライドを傷つけた代償はデカいからな」

 

「そっちこそ二度目はないよ。少しは頭を使って、良く考えてから行動することを覚えるんだね」

 

 捨て台詞を吐いたマルフォイは、未だに暴食を続けるゴイルとクラッブの頭を引っ叩いて朝食の席を後にする。

 なんともスッキリしない終わり方となってしまった。

 あれだけ煽れば手の一つや二つは出るかと思ったのだが、彼の度胸は想像以上に想像以下だった。

 

(ま、大広間で喧嘩をするなら口実が必要ってだけだし。どっちでもいいけど)

 

 忠告はした。守るか守らないかは彼次第だろう。

 分かりきった結果だけに、苦笑いしか出ないが。

 

「メルム……その、なんて言うか、ありがとう」

 

 席に戻ろうとしたボクに、おずおずと声を掛けてきたのはネビルだった。

 

「気にしないでよ。寮は違っちゃったけれど汽車で一緒に旅をした仲じゃない」

 

「ま、まぁそうだけれど」

 

 ネビルは、組み分け以来疎遠になった事に罪悪感でも抱いているのか気まずそうだった。

 お互いの所属している寮の関係上仕方のないことだとボクは割り切っているので、別に気にしなくてもいいのだが。

 

「おいメルム。飯が冷めちまうぞ、早く戻ろうぜ」

 

 肩に手を置いてそう告げたのは、セオドールだった。

 いつの間にこっちに来たのだろうか。横にはミリセントもいる。

 

「そうだね。戻ろっか」

 

 早く残りのご飯を食べなきゃだ。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ったくよー、焦らせんなよ本当に。ダンブルドアやスネイプの見てる前でおっぱじめるのかと思ったぜ俺はよ」

 

「冗談。流石に時と場所は選んで喧嘩するよ」

 

「いーや分かってないね。メルムはもうちっと静謐と安寧の意味を考えた方がいい」

 

 その日の午後三時半、飛行訓練の時間になってもセオドールの愚痴は続いていた。

 彼は教会育ちであるせいか驚くほどその手の面倒事を嫌っていた。

 死喰い人の息子が平和主義とはまったく世の中も変わっている。

 

「別に良いじゃん。セオドールもミリセントもあれくらい離れてたら迷惑はかかんなかっただろうし」

 

「後の事を考えろって言ってんのさね、馬鹿たれが。マルフォイ相手じゃ分が悪い。あっという間にスリザリンで孤立しちまうよ」

 

「んじゃ気にすることはないな。もう孤立気味なんだから」

 

「……そうだな。最近誰も話しかけてこなくなったもんな」

 

 三人分のため息がよく晴れた青空に溶けていく。

 入学式から数日経ってスリザリンの同級生達は、なるべくボクと関わらずに様子見をする、という方針で固めたようだった。

 ハブられているわけではないが、壁がある。

 そして、そんなボクと関わっている二人も変わり者扱いされているのだ。

 

「まったくボクらの未来は明るいじゃないか。なあ?」

 

「そうだな、静かに読書できるのはいいかもだ」

 

 少し風が強い。足元の草がサワサワと波立っているのが見なくても分かる。

 そのまま傾斜のある芝生を下り、校庭を横切って平坦な芝生を歩くこと十分。

 ボクらはマダム・フーチの不機嫌な顔を拝む羽目になった。

 

「何をボヤボヤしているんですか」

 

 開口一番のガミガミ、女の子の日だろうか。

 隣でセオドールが声を潜めて笑う。

 

「気にすんなよメルム。去年、先輩の誰かが飛行訓練中に禁じられた森の中に行っちまってさ。それ以来マダム・フーチはあんな感じらしいぜ」

 

「それ知ってるよ。ウィーズリー先輩達の事でしょ? この前、ハグリッドが言ってた」

 

 ホグワーツでの有名人は何もボクやポッターだけというわけでは無い。

 この学校には古くから根付く、悪名高い厄種ともいうべき四人がいるのだ。

 

 まず一人目が管理人のフィルチ。

 生徒を取り締まる役柄の上に、その気難しい性格も災いして生徒から蛇蝎の如く嫌われている。

 

 その次の二人目は人と言っていいのかは分からないが、ポルターガイストのピーブズ。

 これが酷い奴で、いつも城のどこかで大声を上げては騒ぎを起こし、物をひっくり返したり水浸しにしている。

 かく言うボクも、セオドールやミリセントと歩いている時に教科書をバラ撒かれたり、水をぶっかけられる災難に見舞われたことがある。

 噂によるとダンブルドア校長と血みどろ男爵の言うことは聞くらしい。

 

 そして、最後の二人が悪名高きフレッド&ジョージのウィーズリー兄弟だ。

 大の悪戯好きで教師・生徒からジョージと共に”悪戯大王”として広く認知され、日夜悪戯に励んでいる。

 また、教師たちを欺くほどの高度かつ精巧な魔法具を開発するなど、類稀な才能も有しているのだとか。

 その為に廊下や階段で糞爆弾が爆発したりするのは、十中八九彼らのせいだと言われている。

 

「みんな箒のそばに立って! さあ、早く!」

 

 ボクは自分の箒をチラ、と見下ろす。

 古ぼけた箒だ。小枝が何本かとんでもない方向に飛び出している。

 恐らくだが、高い所に行くと震えだしてしまうだろう。

 これなら自分で飛んだ方が、まだマシだ。

 

「右手を箒の上に突き出して。そして上がれ、と言う」

 

 短く刈り込んだ銀髪を風に靡かせ、鷹のような黄色の瞳をギラつかせたマダム・フーチが掛け声をかけた。

 

「上がれ!」

 

「上がれ!」

 

「上がれ!」

 

 言葉に合わせて全員が叫び、ボクの箒もフワリと手に吸い付いた。

 箒の乗り方なんぞ、それこそ旅をしている頃に腐るほど経験している。

 なにせ箒に乗らなければ、何時間も掛かる土地など幾らでもあったのだから。

 セオドールは煙突飛行粉(フルパウダー)を使えばいいと言ったが、そんなものは文明のある場所ならではの話。

 ド田舎に行ってしまえば、何の役にも立ちはしないことをボクは知っている。

 だというのに……

 

「セオドールはともかくとして……ミリセントまで何してるの?」

 

 上手く行った者はかなりの少数だったらしい。

 セオドールの箒はピクリとも動かず、本人は何処からか取り出した聖書の一節を諳んじている。

 神様に頼んだところで箒は浮きはしないだろうに、彼は神への祈りをやめない。

 ミリセントの箒もコロリと地面を転がるだけだった。

 彼女は早々に箒を手懐けることを諦め、なんとマグルのサッカー選手がボールにするように、箒を軽く蹴り上げて手に収めていた。

 

「ようは箒を手に取る練習さね。箒を浮かせる訓練じゃない。そうじゃないかい?セオドール」

 

「確かにそれもそうだな!」

 

 我が意を得たりとセオドールはパッと顔を輝かせた。

 ミリセントの苦し紛れの言いわけもそうだが、箒を屈んでただ持ち上げただけのセオドールは、流石に魔法使いとしてどうかとボクは思う。

 

「はい、皆さんよく出来ましたね!出来なかった子もこれから練習すれば問題はありません。重要なのは乗り手が怖がらないことですからね!」

 

 次に、マダム・フーチは箒の端から滑り落ちないように箒にまたがる方法をやってみせた後、生徒たちの列の間を回って箒の握り方を直した。

 なんとマルフォイはずっと間違った握り方をしていたらしく、先生に指摘されていた。

 

「あんだけ自慢してたのにそれかよ。口だけなのは両親そっくりだな」

 

 ボクの猿真似をして、漸くそれっぽく箒に跨ったセオドールの言葉だ。

 彼は、授業中は神様よりもボクを頼ることにしたらしい。

 セオドールが聖書の神様よりも、とりあえずはボクを信じてみようという気になったことにミリセントは驚いていた。

 

「さあ!私が笛を吹いたら地面を強く蹴ってください。箒はぐらつかないように押さえ、2メートルぐらい浮上してそれから少し前かがみになってすぐに降りてきてください、笛を吹いたらですよ!……1……2……の」

 

 先生の唇が笛に触れるようとしたその瞬間、

 

「おわああああああああああ!?」

 

 凄まじい叫び声の主は言わずもがな、ネビル・ロングボトムだった。

 初めての飛行訓練での緊張感、皆に置いて行かれる恐怖。

 その他諸々の要因はあるのだろうが、ともかくネビルは一足先にマグルの発射したミサイルの如く上空へと射出された。

 

「何をしてるのですかロングボトム!戻ってらっしゃい!」

 

「いったいどうやって!?それが出来たら苦労しないよ!!誰か助けてぇ!!」

 

 未だかつてないスリルに、パニックを起こしてしまったのだろう。

 マダム・フーチへの敬語も忘れたネビルは、暴れ柳の如く暴走する箒にしがみつくのが精一杯だ。

 あれではとても地面に着地など出来はしまい。

 それどころかネビルは四メートル、六メートル、十メートルとドンドン地表から離れていく。

 

「おいメルム見ろよ!彼、すごいテクニックだ。ビクトール・クラムって感じだぜ」

 

「馬鹿言わないでよ。どう見ても暴走してるじゃないか」

 

 セオドールの軽口にボクは呆れて肩をすくめた。

 スリザリン生とグリフィンドール生の悲鳴が綺麗な青空に木霊する。

 チラリとマダム・フーチを盗み見ると、初めての飛行訓練で死人が出るかもしれない事態に、上昇し続けるネビルと同じくらい顔を真っ青にしている。

 恐らくマダム・フーチのそれなりにある指導歴にも、ここまでの問題児はいなかったのだろう。

 

「あ、落ちた」

 

 それを言ったのはスリザリン生かグリフィンドール生か。

 ともかく気の抜けたような声の通り、とうとう箒から放り出されたネビルは凄まじい速さで地面へとキスするべく、落下を開始した。

 その距離およそ二十メートル。建物七階分の高さからの落下。

 あれでは助からないだろう。

 

「そんな時は」

 

 既に杖は引き抜いている。

 マルフォイならば放っておくが、仮にも友達を見捨てるのはボクにとっても寝覚めが悪い。

 だから────

 

動きよ、止まれ(アレスト・モメンタム)!」

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 ネビルが落ちた瞬間、情けない話だがハリーも彼が助かるとは思わなかった。

 マダム・フーチも慌てて杖を引き抜こうとはしていたが、元々杖とは無縁の飛行訓練の授業の先生。

 マクゴナガル先生辺りならば、ネビルが勝手に気球のように浮き出した辺りで冷静に止められたのだろうが、それを求めるのは流石に酷な話だった。

 もはや誰もネビルの窮地を救うことは出来ない。

 ロンの悲鳴を聞きながら、ハリーは目を瞑った。

 

動きよ、止まれ(アレスト・モメンタム)!」

 

 鈴のような声が響いた。

 目を開ければ急降下していた筈のネビルは、地表から約一メートル位の空中で止まっており、一拍おいて地面にドサリと投げ出される。

 慌ててネビルに駆け寄ったマダム・フーチは、ネビルの上にかがみ込んで脈を取った。

 心配したハーマイオニーが恐る恐るその背に声をかける。

 

「あの……先生?ネビルは大丈夫ですか?」

 

「えぇ。あの高度から落ちたというのに、かすり傷一つついていません。当の本人は気絶していて、命を拾ったありがたみを噛み締めるのは当分先でしょうがね」

 

 そう言って、重そうなネビルを背負ったマダム・フーチは他の生徒の方に向き直った。

 

「ヨイ、ショッ!……念の為、私がこの子を医務室に連れていきますから、その間誰も動いてはいけませんよ。箒もそのままにして置いておくように。さもないと、クィディッチの『ク』の字を言う前にホグワーツから出ていってもらいます」

 

 言うやいなや医務室へ向かって駆け出すマダム・フーチ。

 体重はかなりある筈のネビルだが、その重さを感じさせない軽やかな動きだ。

 やはり体育会系の先生は一味違う。

 

「あ、そうそう忘れていました」

 

 途中で一度止まると、マダム・フーチはスリザリン生達の方に向き直り、にこやかに笑った。

 

「見事ですミス・グリンデルバルド。貴女の魔法がなければ、ロングボトムは地面の染みになっていたでしょう。その機転にスリザリンへ二十点! 私にとっても危ない所を助けてもらいましたからね。ほんの僅かな感謝の気持ちです。それでは」

 

 それだけ言うと、最初以上の加速でマダム・フーチは校庭の向こうへと姿を消す。

 スリザリンの得点に文句を言うグリフィンドール生はいなかった。

 メルムが魔法を使わなければ、マダム・フーチの言う通りネビルは地面の染みになっていたであろうことは容易に想像出来る。

 マダム・フーチとしても、飛行訓練の授業中に死者を出そうものなら職を失っていたに違いない。

 寧ろ点数が少ないくらいだった。

 

「あいつの顔を見たか?あの大マヌケめ!」

 

 二人がもう声の届かないところまでいった途端にこれだ。

 大声で笑い出したのはマルフォイだった。

 一部を除いて他のスリザリンの生徒達も笑い出す。

 

「ロングボトムも可哀想に。このバカ玉を使えば、箒の使い方も思い出せたろうにね」

 

 マルフォイは、草むらから拾いだしたネビルの「思い出し玉」を高々と掲げる。

 今回は忘れていることがないらしく、白いままの玉はキラキラと陽に輝いた。

 いきなりの狼藉にパーバティ・パチルが咎める。

 

「やめてよ、マルフォイ!」

 

「へー、ロングボトムの肩を持つの?パーバディったら、まさかあなたがチビデブの泣き虫小僧に気があるなんて知らなかったわ!」

 

 冷やかすのはスリザリンの女の子、パンジー・パーキンソンだ。

 しかし近くにいたスリザリンの猛獣ことミリセント・ブルストロードに思いっきり頭を引っぱたかれて沈黙する。

 何故かミリセントは少し焦ったような顔をしていた。

 

「返せよ、マルフォイ!」

 

 ハリーは静かな声を出してマルフォイを威圧する。

 だがそこはマルフォイ、ニヤリと笑って箒に乗り飛び上がった。

 

「それじゃあ、ロングボトム自身に見つけさせようか。あの大マヌケが後で取りに来られるところに置いておくよ。そうだな……木の上なんてどうだい?」

 

「こっちに渡せったら!」

 

 上手に飛べると言ったのは確かに嘘ではなかったようで、マルフォイは樫の木の梢と同じ高さまで舞い上がる。

 浮いたまま挑発する彼の顔は、此処まで来られないだろうと高を括っていた。

 ドクンドクンと血が騒ぐ、ハリーは箒を掴んだ。

 

「ダメよハリー!フーチ先生が仰ったでしょう!?動いちゃいけないって!私達みんなが迷惑するのよ?」

 

「知ったもんか!今最優先なのはアイツの腐りきった馬鹿ヅラを引っぱたく!そうだろう?ロン!」

 

「モチのロンさ!やったれハリー!!」

 

 流石は親友。

 ハリーのやることに異論はなく、何ならいけ好かないクソ野郎をぶっ飛ばせとその背を押した。

 最早、ハリーを止める者はいない。

 ハーマイオニーの警告を無視してハリーが箒に跨ったその時

 

「二度目はない。そう言ったよな?」

 

 ────嬉しそうな声がした。

 

 スリザリン生の群れが自然と左右に分かれ、中からロリポップを咥えた銀髪の少女がゆるりと歩み出てくる。

 彼女の後ろにいたノッポの男の子が、やれやれと肩を竦めているのが見えた。

 

「何をする気か知らんけど、どうせやるなら面白く頼むぜ?」

 

「任せろ。マーリンも墓から飛び起きるとびっきりのを見せてやるよ」

 

 あのスリザリン生は、確かメルムといつも連んでいる男の子で名前はセオドール・ノットだったか。

 彼は憐れむような目で空を飛ぶマルフォイを眺めている。

 

「やぁグリンデルバルド。ご機嫌は如何かな?何か文句があるなら、此処まで取りに来いよ!」

 

「その必要は無い」

 

 ガリリッと口の中の飴を乱暴に噛み砕いて、彼女は笑った。

 歯を剥き出しにした獰猛な笑み。

 不吉な予感がしたハリーが声を上げようとしたが、もう遅かった。

 

縛れ(インカーセラス)!」

 

 驚くべき早さで振り抜かれた杖。

 高らかに唱えられた呪文は、正しくその姿を現した。

 射出されたのは、何の変哲もないロープ。

 本来なら、相手の身体を拘束するだけの何てことのない呪い。

 だが、それは地上での話だ。

 空中で箒に跨る人間にとってそれは、何よりも脅威となる。

 

「あぁ!?」

 

 空を飛ぶマルフォイに絡みついた縄はその身体の自由を奪い、箒から持ち主を吹き飛ばした。

 四メートル位の高さから受け身もなしに落ちたマルフォイだが、樫の木の近くで飛んでいたお陰か、木の枝々がクッション代わりにその衝撃を殺す。

 そして、木の枝や葉っぱを散々に散らして地面に叩きつけられたマルフォイは、草地にこぶが出来たように突っ伏した。

 箒の方を見れば、さらに高度を上げて「禁じられた森」の方へとゆらゆらと向かっていっている。

 メルムはというと、その間に呼び出し呪文を使い、マルフォイから思い出し玉を取り上げていた。

 

「これでネビルと同じだな。飛んでっちまった箒は後で取りに行けよ?マダム・フーチが怒る」

 

 見物人の何人かが笑った。

 マルフォイは起き上がろうとするものの、まだ呪いが効いているのか藻掻くだけだ。

 追い討ちをかけるように、メルムは杖をもう一振りする。

 

「まだ終わりじゃないぞ。興奮して漏らすなよ?身体浮上(レビコーパス)!」

 

 二度目の閃光が走る。

 見えない釣り鉤でくるぶしを引っ掛けられたように、マルフォイが縛られたまま逆さまに宙吊りになった。

 ローブが顔におおいかぶさり、痩せこけた青白い両足と白の綺麗なブリーフが剥き出しになる。

 

「こ、こ、こんな事をして……ち、父上がこのままだと黙っちゃいないぞ!!」

 

「それはもう聞き飽きた。せいぜい父上がここに助けに来てくれるのを祈ってな。そらよっと!」

 

唇の端を残忍につり上げて、メルムは杖をクイッと下に振った。

 箒のように逆さまのマルフォイが地面から離れていく。

 

「おーい観客(オーディエンス)が静かだな。せっかくマルフォイの立派なパンツが見れるってのに。ほら、もっと近くによって!はは、たっぷり見ていってくれよ」

 

 ケラケラと笑っているその顔は、相手の命を弄ぶ側の顔だった。

 唐突に起きた事態に混乱していた生徒達の何人かがそろそろと近づいてくる。

 この事態を面白がっているグリフィンドール生達だった。

 

「良いぞ、やっちまえグリンデルバルド!」

 

「そこの馬鹿には、僕のパパをマグルで能無しって貶されたんだ!」

 

「俺もだ。母親がマグル生まれだってのを馬鹿にされた!コイツの血がどれだけ高潔なものか、そいつのパンツの中身を晒してやれ!」

 

 上からロン、シェーマス、ディーンの順に声が上がる。

 マルフォイはグリフィンドール生から既に蛇蝎の如く嫌われていた。

 流石にスリザリン生からは囃し立てる声は出なかったものの、止める様子は無い。

 それどころか何人かは、マルフォイの無様な様子を意地悪く笑いながら見ている。

 どうやら彼は、どの寮も関係なしに純血以外の生徒から表で裏で散々に嫌われていたらしい。

 そしてなんとなくだが、ハリーはこの銀髪の少女がマルフォイなんか目じゃないほど、周到で残酷なことに気づいた。

 彼女は先生がいなくなった、この瞬間を待っていたのだ。

 マルフォイの取り巻きからの咎める声も、パフォーマンスとしてマルフォイをいたぶることで、他の沸き立ったグリフィンドール生達によって押さえ込まれている。

 ハーマイオニーですら、この異様な空気に呑み込まれて言葉を失っている様子だった。

 

「やめろよ。やり過ぎだ」

 

「ドラコを離せ」

 

 杖を操ってマルフォイを逆さ吊りにするメルム。

 彼女を中心にした輪から勇気ある一歩を踏み出し、吠えたのは意外にもクラッブとゴイルだった。

 

「おや。誰かと思えば、食いしん坊のお二人さんじゃないか。頭は悪いとは思っていたが、空気も読めなかったのか?」

 

「いいから離せよ。さもないと……」

 

 握り拳をポキポキッとを鳴らしながらクラッブが前に出る、メルムはクスリと笑った。

 

「さもないと、何だ?教科書も読めないウスノロに何が出来る?」

 

「このアマッ!ボコボコにしてやる!」

 

 短気は損気。少なくとも彼女は冷静さを欠いてどうにかなる相手ではない。

 だというのにクラッブは、拳を振り翳してメルムに向かって走り出した。

 

「そんなに返して欲しければ、返してやるよ。ほら!体よ、動け(モビリコーパス)!」

 

 メルムが杖を振ると、その動きに倣って逆さ吊りのままクラッブに向かってマルフォイが振り回される。

 前屈みになって突進していたクラッブは、突然のことに対応出来ずにマルフォイごと吹き飛ばされた。

 

「ちゃんと受け止めないとダメじゃないか。マルフォイが怪我をしたら、お前の責任だぞ?まったく大した家来達だ。ゴイルもそう思うだろう?」

 

 ゴイルといえば、クラッブとマルフォイの方を見向きもしなかった。

 顔をストーブのように真っ赤にして激怒した彼は、懐から取り出した杖をメルムへと向けている。

 周囲の生徒達から悲鳴が上がった。

 

「おや?杖のマズイ側がこっちを向いているが。これは一体全体どういうつもりかな」

 

「今の言葉、取り消せよグリンデルバルド。俺達はドラコの家来じゃない」

 

「嫌だと言ったら?」

 

 いつになく攻撃的な彼女。挑発的に微笑む口元。

 今のメルムは危険だ。無表情な彼女が珍しく感情を表に出している。

 ゴイルは顔を真っ赤にして杖を振り抜いた。

 

鼻呪い(ファーナンキュラス)!」

 

 杖から発射される呪い。

 それを首を傾けるだけで避けたメルムは、そのまま駆け寄りゴイルの顔に肘鉄を喰らわした。

 

「ぐっ……」

 

 よろけたゴイルは、鼻から血が吹き出る顔を片手で押さえながら、それでも杖を掲げて振り回した。

 無造作に振り回される杖、呪いが乱射されれば関係ない生徒に被害が出るだろう。かなり危険な行為だった。

 しかし、落ち着いた様子でメルムはその杖を持っている腕を掴むと

 

「大人しく、しろ」

 

 メリリッ!と人の身体から聞こえてはいけない音が発され、あまりの痛みにゴイルは腕を抱えて蹲る。

 彼女は、なんとゴイルの腕を関節の可動域とまったく逆の方向に捻りあげたのだ。

 

「グズッ……痛えッ……痛えよッ……!俺の腕が……ッ!」

 

「折ったわけでもあるまいし、ギャーギャー泣き喚くなよ。みっともない。男の子だろう?」

 

 周囲の生徒が目を背け、悲鳴を上げた。

 メルムの細い腕が、ゴイルの背後からヌルリと彼の首に絡みついたのだ。

 

「ぐっ……が……ぁ」

 

 背後からゴイルの首を左腕で締め上げたメルムは恐ろしく静かな声で呟く。

 

「よく聞け坊や。お前みたいなウスノロは、私がその気になれば杖の一振りで月まで吹っ飛ばせる。調子に乗るな」

 

 彼女はどこまでも徹底的だった。

 空いた右手に握られた杖の先端が、ゴイルの顎に食い込む。

 ゴイルがガクガクと震えた。

 彼特製のデカいズボンが、恐怖と酸欠から来る失禁であっという間にビショビショになる。

 

「おや、お漏らしかい。ちょっと興奮し過ぎたのかな?」

 

 ゴイルの首から腕を離したメルムは、その背中に蹴りを入れる。

 ドサリ……とそのまま前のめりに倒れたゴイルは、うつ伏せになったままピクリとも動かない。

 どうやら気絶してしまったようだった。

 

「凄いや、見てよハリー!彼女、杖も無しにゴイルに喧嘩で勝っちゃったぜ!」

 

 そんなメルムにロンは口笛を鳴らして喜んだが、ハリーはそこまで純粋に喜べはしなかった。

 確かにマルフォイ達がボコボコにされるのを見るのは楽しい。最高だ。

ハリーはそれを躊躇なく実行するメルムが少し恐ろしかった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 飛行訓練の帰りは一人だった。

 ケラケラ笑っていたセオドールは、ムスッとしたミリセントに引っ張られていった。

 しょうがない。何せマルフォイをボコボコにした後だ。

 すぐに仲良しこよしをしている所を見られたくないのだろう。

 何やかんやで彼女もスリザリン的だ。

 

「あーあ。はしゃぎ過ぎちゃったなぁ」

 

 ボクにしては随分甘い対応だったのだが、温室育ちの皆の前で公開処刑はやり過ぎたかもしれない。

 

「参ったなあ。興奮すると直ぐやり過ぎちゃう。悪い癖だね」

 

「そうじゃな。子供の喧嘩にしては、少しばかり度が過ぎておったかもしれんのう。ミス・グリンデルバルド」

 

「そうかなあ」

 

「そうじゃよ」

 

 やり過ぎだったのだろうか。

 歯向かってくる連中や難癖をつけてくる連中は、徹底的にやらないと後が痛い。

 何度もそれで酷い目に会ってきた。

 生温いやり方だと尾を引く。ああいう手合いはそれこそ蛇のようにしつこいのだ。

 そして、よりによってというタイミングで邪魔をしてくる。

 

「まぁでもあそこまでやれば十分かな。もうボクやネビルには突っかかって来ないでしょ」

 

「それは分からんぞ?ミスター・マルフォイにはお父上のルシウスがおるからの。アレが黙ってはおるまいて」

 

「ルシウス・マルフォイ?冗談でしょ。聖マンゴ送りにしたのならまだしも……っていつから隣にいました? 校長先生」

 

「少しばかり前からじゃよ」

 

 隣を見れば、慈愛に溢れたキラキラと輝くブルーの眼がボクを見つめている。

 いつの間に現れたのだろうか。

 爺様の天敵、アルバス・ダンブルドアその人がボクの隣を何食わぬ顔で歩いていた。

 

「ちょっとした散歩じゃよ。さすればその途中で面白いものが見れたものだから、ちょっとした寄り道をしたい気分になってしもうた。それに前々から君とは、少しばかり話をしてみたいと思っておったしのう」

 

「それはそれは……ボクは退学ですかね?」

 

 そこら辺は気になったのでボクが問うと、ダンブルドア校長は笑って首を横に振った。

 

「儂の散歩は秘密なのじゃよメルム。バレたらマクゴナガル先生が沸騰したヤカンのようになってしまうでな。じゃが、ああいう事はこれっきりにするのじゃよ。よいな?」

 

 なんと校長先生は、ボクの仕出かしたことを見て見ぬふりをしてくれるらしい。

 とはいえ釘を刺されてしまったので、渋々ながらもボクは頷くしかない。

 

「よろしい。人間、間違う事は悪いことではない。改めることが重要なのじゃ」

 

 ニッコリと笑ったダンブルドア校長からは、ボクの爺様に対する嫌悪も確執も感じられなかった。

 だからだろうか、ボクも少しばかり爺様の話を彼にしてみたくなった。

 

「爺様は言っていましたよ。アルバス・ダンブルドアは気のいい奴だった。そして悪巧みを何度もやったと」

 

「……それは耳の痛い話じゃな。奴とは色々あったからの」

 

「それでも後悔はしていないらしいです。今でも好きな魔法や好きな食べ物を覚えているくらいには」

 

 その言葉にダンブルドアは少しの間、黙り込む。

 風の音だけが支配する静かな野原を二人で歩き続ける。

 本当に今日は良い天気だ。夕焼けが眩しい。

 

「……過ぎ去った日々じゃよメルム。もう元には戻らん」

 

「そうですね。爺様もそう言っていました。そしてそれが辛いと」

 

 ダンブルドアは遠い目をして雲が疎らに散らばる空を見上げた。

 

「友と決別するのは悲しいことじゃ。そこにどんな理由があったとしても。真の友とは得難き故に」

 

「それでも切っても切れない縁がある。違いますか?」

 

「そうじゃな。こうして儂が君と話しているということは、そうなのじゃろう」

 

 言葉短く同意するダンブルドア校長が何を考えているかまではボクには分からない。

 きっと色々思い出しているのだろう。その全てが宝物であった青年時代を。

 結末はどうしようもなく捻れてしまった二人だが、それだけに言葉に出来ない何かが老人達にはあるのだろう。

 そうこうしている内に校舎の入口に辿り着く。

 

「そういえば、前からダンブルドアに会ったら伝えて欲しいとしつこく頼まれていた爺様からの伝言があります。今、思い出しました。聞きますか?」

 

「……」

 

 ダンブルドアは何も言わない。

 決定的となる己の決断を口に出すのが恐ろしいのだろうか。

 何歳になってもヒトとは過去から逃げられないらしい。

 だからボクが一押しすることにする。

 その為に、向こうもボクに声を掛けてきたのだろうから。

 

「アバーフォースの事で短気を起こして悪かった。私とお前では背負っているモノも違っただろうに、私の我儘に付き合わせてしまった。それとアリアナのことについてはお前の(・・・)気に病む(・・・・)ことは(・・・)何も無い(・・・・)、と」

 

 ハッとした表情でボクを見つめるダンブルドア。

 キラキラと輝くブルーの瞳を細めた老人は、そうかとだけ呟くと何かを堪えるように俯いてしまった。

 

「あ、それとこれは差し出がましい要求なんですけど、たまには爺様に会いに行ってやって下さい。百味ビーンズでも持って行ってやれば喜ぶと思います。ゲロ味を引き当てた時の校長先生の顔は見物だったらしいですから」

 

「……そうじゃな。お互い積もる話もあろう。どれ、今度機会を作って会いに行ってやるの良いかもしれんの」

 

 久々に耳クソ味を引き当てた奴の顔を見てみるのも悪くはない。

 そう言って前を向いたダンブルドア校長先生の顔は、今や雲一つない夕暮れの空のように清々しかった。

 

 

 

 




メルムの口調を一部改変しました。
設定忘れてたんですねこの時 


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#007 ハロウィン前編

出来損ないの私によそよそしかったお父さん。

私より出来がいい妹を贔屓するお母さん。

魂まですっからかんにされた二人。

全てが終わった後、奥の部屋に用意されていたケーキを見て、今日が私の誕生日だと思い出した。



 ◇◇◇◇◇◇

 

 結局、ルシウス・マルフォイが学校に乗り込んで来ることはなかった。

 ダンブルドア校長が水面下で何とか諌めてくれたらしい。

 とはいえ無傷なのかといわれればそうでもない。

 ジェマ先輩からお説教を喰らったのだ。

 

 ────やり過ぎよ。スリザリンでは皆兄弟。嫌いな人間とまで仲良くしろとは言わないけれど。話を聞く限り他にやりようが幾らでもあったわ

 

 ────どんなに嫌な奴でも、スリザリン生同士で助け合わなくちゃいけない事は沢山あるの。軽はずみな喧嘩はいざという時に第三者まで巻き込むものよ

 

 協調性なんてクソ喰らえだ、馴れ合いは好きじゃない。

 そう伝えたら、ジェマ先輩は肩を竦めてため息を吐いていた。

 お陰様で寮内での人間関係は悪い方に固定。

 我らが同胞たるスリザリン生は、ボクとの関わり方を”遠巻きに見る”で完全に決めたようだった。

 しかし、悪い事ばかりでもない。

 そんなボクは見ていて憐れだったらしく、見かねたセオドールやミリセントが、また連みだしてくれるようになった。

 

 他にも良い事が一つ。

 ポッターが飛行訓練の授業中に視察に来ていたマクゴナガル先生の目に止まって、百年ぶりの一年生シーカーに収まった。

 

「遅くなったけどシーカー就任おめでとうポッター。マクゴナガル先生からニンバス2000貰ったんだって? 凄いよね」

 

「ありがとうメルム。マクゴナガル先生も粋な計らいをしてくれたよ。素晴らしい箒さ!まぁマルフォイやクラッブが少しばかり五月蝿かったけど」

 

「あんなの蝿や蚊だよ。気にすることないと思う」

 

 あれ以来、ドラコ・マルフォイは一切ボクに近寄って来なくなった。

 他人の感情の機微に疎い彼でも、流石に嫌われている事が分かったのだろう。

 手酷く痛めつけてやった甲斐があるってもんだ。

 ポッターやウィーズリーへの嫌がらせは相変わらずだが、彼らも彼らでマクゴナガル先生から貰ったニンバス2000を見せびらかしたりしているので、どっちもどっちだろう。

 

「マルフォイはともかくとして、やっぱり運動と勉強を両立させるのは大分キツいよ。毎日たっぷり宿題がある上に、週3回の練習まである。お陰であっという間の1ヶ月さ」

 

「なら今日はお祝いだね。ハロウィンだから先生は宿題を出さないって前の授業で言ってたし」

 

 今日はハロウィンだ。

 今までは、祝うどころか気にしたことすらあんまり無かったけど、どんなものか楽しみだ。

 現在は、”妖精の呪文”の授業の帰りに一緒になったポッターやウィーズリー達と次のクラスに向かっている。

 ミリセントとセオドールは、ハロウィンくらいゆっくりすると言っておサボりの最中だった。

 最近は三人で授業を交互にサボるのをルーティンにしており、実習以外の座学は出席している人間がノートを取って、後で見せるという形にしている。

 三日くらい前に、ボクが禁じられた森の散歩に丸一日費やしたお陰で、今日は一人で出席する羽目に陥っていた。

 

「そういえばウィーズリーは最悪な機嫌だけど、何かあったの?」

 

「おーメルム!聞いてくれよ!あの長出っ歯ときたら!五月蝿くてしょうがないんだよ。何があったかと言うとさ……」

 

 ウィーズリーの話は実にくだらないものだった。

 浮遊呪文を上手く唱えられなかった彼に対して、小馬鹿にした口調でハーマイオニーが浮遊呪文の唱え方を教えたという。

 それっぽい理由ではあるが、何かと自分達のやる事に茶々を入れてくるハーマイオニーへの不満が爆発したようにしかみえない。

 

(ハーマイオニーもハーマイオニーだ。別に言っても無駄なんだからほっとけば良いのに)

 

 ウィーズリーとポッターがやや校則無視な傾向にあるのは恐らく治らない。

 これはネビルから聞いた話だが、彼らはネビルやハーマイオニーを引き連れて、なんと禁じられた四階の右側の廊下の部屋に入ったらしい。

 幻覚かそれとも夢を見ていたのかは分からないが、ネビルはそこで部屋いっぱいのデカさの犬を見たと言っていた。

 それも頭が三つもある犬を。

 可哀想に。ネビルはガクガク震えていた。

 

「レヴィオーサよ!レヴィオーサ!貴方のはレヴィオサァァァー!まったく大した優等生だよ。だから誰だってあいつには我慢出来ないんだ。まったく悪夢みたいなやつさ。メルムもそう思うだろう?」

 

 廊下の人混みを押し分けながら、ウィーズリーがボクに同意を求める。

 

「確かにちょっと我が強いところはあるけれども。まぁ探せば良いところはあるんじゃない?」

 

 流石にハーマイオニーとは付き合いが浅い為、決めつけて言うのは憚れる。

 彼女のクセが強いのは確かだが。

 そんなことを話していると、誰かがボクにぶつかり急いで追い越していった。

 

「……見たか?」

 

「ハーマイオニーだ。今の聞こえたみたい」

 

「泣いてたね」

 

 ジトーっとした目でウィーズリーを睨むと、少しバツの悪そうな顔をする。

 

「追いかけないのロメオ?」

 

「それ傑作。今からでも遅くない、ジュリエットを追いかけるんだロメオ」

 

「へ……へッ知るもんかい! 誰も友達がいないってことはとっくに気づいてるだろうさ」

 

 そういう割にウィーズリーの顔は若干引き攣っていて、自分の言ってしまったことを少しは気にしているようだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ハーマイオニーは次のクラスには出てこなかったし、その日の午後は一度も見かけなかった。

 突如として行方不明になった彼女だが、意外なことにその行先を知っていたのはミリセントだった。

 同じく学校をサボったセオドールやパンジー、ダフネをカモにして談話室でポーカーに興じていたミリセント。

 そんな彼女が催して地下牢の近くのトイレに行った時の出来事だった。

 ハロウィンのご馳走を口いっぱいに頬張りながら、ミリセントがその話をしてくれた。

 

「まったく、あの時ほどたまげたのは久しぶりさね!授業中のトイレに先客が居るってだけでも驚きなのに、力む声の代わりに泣き声が聞こえてくるときた!」

 

「ミリセント、そりゃきっと聞き間違えだ。いよいよもってあの”嘆きのマートル”が我らが地下牢のトイレにお引越ししたに違いねぇ」

 

「そう思うだろう?だから私も言ってやったのさ。『マートル!ここに引っ越されると、女子生徒達がトイレでクソをする度に憂鬱な気持ちになるからとっとと出ていけ!』って。そしたら凄い声で『一人にしてちょうだい!』って叫び声が返って来たのさ」

 

 聞き覚えのあるその声の持ち主が、グリフィンドールの出しゃばり優等生(ハーマイオニー)だと、ミリセントはすぐに気がついた。

 そして心優しき我が友は、何が理由で泣いているのかは知らないが彼女をそっとしておこうと別のトイレを使ったんだとか。

 

「珍しいな。お前なら背中を叩いてウジウジすんな!くらい言いそうなもんだが。どういう風の吹き回しだ?」

 

「男関連の面倒臭い匂いがしたのさね。ああいうのはカウンセリングに限る」

 

 なるほど、ミリセントは面倒事への嗅覚も野生並みらしい。

 セオドールが肩を竦めて笑った。

 

「もうグレンジャーのことはいいだろ。どうせ時間が解決する。それよりハロウィンだぜ。パーティの時くらい楽しい気分でいたい。違うか?」

 

「そうだね」

 

 いつもより飾りつけが派手な大広間を、ボクは見渡す。

 千匹ものコウモリが壁や天井などあちこちでで羽をバタつかせており、もう千匹がくり抜いたカボチャの中のロウソクの炎をチラつかせている。

 確かに、今までこんな凄いパーティは見たことがない。

 

(それにしても……)

 

 テーブルに広がるカボチャ料理の群れが目に入り、ボクはため息を吐いた。

 

「これ全部カボチャ料理にする必要あるのかな……」

 

「しょうがないだろ、ハロウィンなんだから」

 

 そういうものなのだろうか。

 カボチャジュースやカボチャグラタンは分かる。

 だけどカボチャスパゲティはやり過ぎだと思うのはボクだけなんだろうか。

 見渡す限り全てがカボチャ!カボチャ!カボチャ! 

 胸焼けしそうなしつこさである。

 

「でもこの皮ポテトは美味い」

 

「んだよバッチリ楽しんでんじゃねぇか」

 

 皿によそった皮ポテトをもにゅもにゅと咀嚼する。

 甘い、素晴らしい甘さだ。

 上手に揚げられているお陰で味もくどくない。

 ミリセントがパンプキンパイを差し出してきた。

 

「皮ポテトの後ならやっぱこれに決まりさね」

 

「ほう?」

 

 少々早いデザートだと思ったが、そこは数少ない友人の言葉。

 ボクはパンプキンパイを口に放り込む。

 ……うん、美味い。天才的な組み合わせである。

 バタービールがあれば尚のこと良し。

 ボクの満足そうな様子を見て、カボチャグラタンを頬張りながらセオドール達がグッと親指を立てた。

 

 ────そんな時だ

 

 青い顔をしたクィレル先生が、大広間に遅れて来たのは。

 

「と、トロールが……地下室に……!お、お知らせしなくてはと思って」

 

 そう言って騒動の種だけを残し、クィレル先生はバッタリと倒れて気を失ってしまう。

 一瞬場が静まり返った後、動揺した生徒達から一斉に悲鳴が上がった。

 驚くことに気の早い奴は席から立って逃げる準備までしている。

 

「……最低のジョークだ。並の頭にゃこいつは考えられない」

 

「むぐむぐ……ピーブズかな。まったくハロウィンの日に本物の怪物連れて来るなんてさ」

 

「あぁまったくだ。なぁメルム、トロールってのはどれくらいデカいんだっけねぇ?」

 

「種類にもよるから何とも。最大身長は4メートル、体重は1トンってところかな」

 

 スキャマンダーさんと一緒に魔法生物の世話をしていたから分かるが、野生のトロールは危険だ。 

 凶暴で破壊的、悪ければ生徒が何人か死ぬだろう。

 ワクワクした顔をしているミリセントには悪いが、戦うのはお勧めしない。

 ごほッごほッ!とセオドールがカボチャパイを喉に詰まらせて咳き込んだ。

 

「ちょっとした建物くらいあるじゃねぇか!メルム、お前こんな時によく食えるな!?」

 

「食事をこんな乱癡気騒ぎで邪魔されたくないもんで」

 

 カボチャグラタンをかっ込むボクを見て、セオドールは理解出来ないという顔をする。

 

「ミリセントもだ!デカさなんて聞いてどうする!?他に言うことないのか?」

 

「あーそうさねぇ。ま、こりゃ普通じゃないな」

 

「その頭、そんな言葉しか出ないのか!?」

 

 残念ながらミリセントは戦闘狂だ。

 感想を聞く方が間違っている。

 絶句したセオドールは他の人間を探そうとして、親しい仲間がボクら以外いないのを思い出したのか項垂れた。

 

「しっかしルートはどこだろうね。まさか正門?人間とそれ以外の区別はつけてくれなきゃ困るんだけど」

 

「まさか。それなら地下室に辿り着く前に分かる。そんなデカい城じゃないんだしな」

 

 セオドールの言う通りだ。

 ホグワーツは何重にも魔法がかけられているから、他所者が迷い込んだなら直ぐに分かる。

 それが見当もつかないということは、匿っていた魔法使いがいるという事に他ならない。

 

 

「し・ず・ま・れ・えッ!!!」

 

 

 未だかつて聞いたことのないような大声を張り上げたのは、事態を重く見たダンブルドア校長だった。

 目を怒らせ、杖から紫の爆竹を鳴らして強制的に混乱を鎮める。

 

「監督生よ。それぞれの寮の生徒達を率いて、比較的速やかに寮に戻るのじゃ。スネイプ先生、スプラウト先生、マクゴナガル先生、フリットウィック先生は道中の安全の確保を。ハグリッドとフィルチさんはトロールの探索をお願いしようかの」

 

 流石はダンブルドア校長、指示が的確で迷いがない。

 こういう場合、本来なら闇祓いを呼ぶのがセオリーなんだろうが、生憎魔法省は忙しい。

 絶対に初動が遅れて被害が出る。

 

「スリザリン生!私についてきなさい!」

 

 スリザリンの監督生であるジェマ先輩が生徒達を纏めるべく声を張り上げる。

 

「トロールにはなるべく出会いたくはないけど、出会ったら我々の団結力を見せる時ね!さぁ早く自寮に戻るわよ!」

 

 おっと馬鹿かな。

 トロールに出会いたくないという割には、一つ大事なことを忘れている。

 

「ジェマ先輩、ジェマ先輩」

 

「む。どうしたのかしらグリンデルバルド? 今から皆を連れて寮に……」

 

「寮には戻らない方が良いです」

 

 頭から?が浮かぶような顔をしている。

 監督生というからにはおツムは優秀な筈だが、気が動転しているのだろう。

 冷静を装っていても足が震えている。

 

「先輩、トロールが見つかったのは地下室なんですよ?そしてボク達の寮は地下牢です。このままじゃトロールと鉢合わせになります」

 

「あ……」

 

 顔が真っ青になったジェマ先輩に、近くにいたスネイプ先生が怒鳴りつける。

 

「冷静沈着のスリザリン生がそんなことでどうする!スリザリンの生徒達は今回限り、グリフィンドールの寮部屋を借りること!この件についてはマクゴナガル先生にも許可を貰っている、以上だ!」

 

 尻を蹴り上げるようなスネイプ先生の怒声に弾かれて、ジェマ先輩もスリザリン生も一斉に階段を上り始める。

 とてもではないが、グリフィンドールが嫌だと言える雰囲気では無い。

 ミリセントもセオドールも渋々とついていくようだ。

 

「とばっちりはごめんさね。こんな日に癒者の世話にはなりたくない」

 

「賛成。先生達が何とかするのをクソのついでに祈るしかねぇわな……ん?メルム、どうしたんだ?俺らは先に行ってるぞ」

 

 訝しむセオドールの声に手を振り返しながら、ボクは顎に手をやる。

 ボクも彼らのようにさっさと寮に戻りたいのだが、さっきから何か忘れていないか、と引っかかっているのだ。

 

「そう。なにか忘れてるような……あ、」

 

 ようやく思い出した。

 さらに愉快でなくなった状況にポンと手を叩く。

 

「ハーマイオニー、地下にいるじゃん」

 

 わすれもの(・・・・・)の内容は、ボクとしては思い出さない方が良い類のものだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あぁそうだろうねぇ、コレやアレや……そうそうソレも必要だよミセス・ノリスや」

 

 闇のような黒で統一された現代的な調度品。

 棚に並ぶ黒光りするフォルムや立てかけられた刀剣の数々。

 そしてそれらの中から必要な物を必要なだけ取り出しているのは、白髪混じりの偉丈夫であった。

 

「珍しいこったな。ソイツ(・・・)を出すのか? ソレを担いでいるあんたを見るのは、イギリス魔法省に登録されていない狼男が『禁じられた森』に侵入してきた時以来になるな」

 

「あん時は撃ったら粉になっちまったがね。今回は大物だ。そうはならないことを願うよ。まぁどっちにせよ獣狩りにはもってこいだ。そうだろう? ハグリッド」

 

 所狭しと並ぶ物騒な品々の中から、とびきりデカいブツを担いで男は笑った。

 彼の知識では、トロールはとても狂暴で、生半可な呪いでは分厚い肌に防がれてしまう。

 そして、何よりあの怪物は縄張りに侵入した者を絶対に見逃しはしない。

 

「本当にトロールを相手に、マグルの武器なんぞが通用すると思っちょるんか?」

 

「最強なのは杖だけかい? それは思い上がりも甚だしいというものだぞ……コイツならお前のおふくろだって撃ち殺して見せる」

 

 魔法より強い武器はないと思っているのが彼ら(魔法族)の欠点だ。

 そして、薄ら笑う男は自分の魔力の無さについて理解している。

 男は己の非力さを理解し、そして牙を研いできた。そう、己に出来るやり方で。

 

「象撃ち用だ、マグルは違う物を撃つらしいがね。正確に急所を撃てばドラゴンですらコイツの前には膝をつく」

 

 バレットM82。

 強力かつ長射程であるその対物ライフルは、実戦において約一キロメートル先の敵兵の身体を両断(・・)する威力を発揮した実例もあるほどだ。

 

 それ以外にもまだまだある。

 

 腰に巻き付けた敵の視界を奪う為のスタングレネードや、バックに入っている地上に敷設して起爆すると一基で広範囲に殺傷能力を発揮するクレイモア地雷。

 魔法使いではない非力な男は、厄介事に対してとにかく用心深かった。

 

「さぁ可愛い可愛いミセス・ノリスや。久しぶりのハンティングのお時間だ、楽しんでいこう」

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

「おえっ……汚れた靴下みたいな匂いがするよロン」

 

「違うよハリー。これは掃除をしたことがない公衆トイレの匂いに瓜二つさ。しかも100年もの」

 

 ハリーと一緒にクンクン鼻を使ったロンはうんざりとした表情でそう言う。

 酷い匂いだ、おまけにブァーブァーという豚のような鳴き声まで聞こえてくる。

 音からしても、もうそう遠くはない。

 

「トロールを招き入れるなんて、まったく脳ミソがどっかイカれてるよ」

 

「とっととハーマイオニーを回収して、グリフィンドールの寮に戻ろう」

 

 そう言ってハリーは杖を引き抜いた。

 幸いなことに、錯乱はしつつもクィレルの報告は間違ってはいなかった。

 トロールは地下から這い出でることもせずに、未だに周辺をウロウロしているらしい。

 怪物が歩くことで生じる地響きがここまで届いている。もしかすると階段の存在を知らないのかもだ。

 とはいえ、それが安心材料になるかというとそうではない。

 囚われのお姫様が地下にいる限り、ハリー達から出向かなければならないのだから。

 

「ハーマイオニーもどうして今日に限って地下室のトイレなんだ?あいつの性格なら泣くのは図書室だろ。本の虫がトイレで泣くなんてどうかしてるよ」

 

「ロンそれはあれだよ……あーそう。図書室は私語厳禁だ」

 

「盛大に泣き散らかしても文句を言われない場所を選んだワケだ。まったくマーリンの髭!」

 

 泣き言を言ってもしょうがないし、始まらない。

 結果的にハーマイオニーを泣かせて想像だにしない窮地に追いやったのは自分達だ。尻拭いはしなければならない。

 

「きゃあああああああああああッッッッ!!!!!!」

 

 凄まじい悲鳴がトイレから聞こえてくる。

 ハリー達も結構急いで駆けつけた方だが、遅かったようだ。

 ロンが薄暗い天井を仰いで大袈裟にため息をつく。

 

「参ったな。完全に出遅れた」

 

「野獣と美女って感じだね」

 

「聞いた事あるよそれ。映画?っていうんだっけ。パパが言ってた……あとハーマイオニーは美女なのかな」

 

 前歯が大きく、手入れをしないため乱れている縮れ毛な髪。

 魔法薬学の授業で毎回、鍋から発生する蒸気を吸って髪を膨らませるハーマイオニーは、確かに美人とは言い難い。

 だが今そんなことはどうでもいい話だ。

 

「どうする?野獣の方はなんでか知らないけどカンカンになってるけど」

 

「きっとハーマイオニーのキンキン声が気に触ったんだろ。でもまだ何とか出来る。悲鳴が聞こえているうちはね」

 

「確かに。生きてれば大抵のことは何とかなる」

 

「それ最高。君が言うと説得力が違うよハリー」

 

 いっせーのーせで地下室のトイレのドアを開ける二人。

 トイレの室内は笑えるぐらい悲惨だった。

 まず視界に入ったのは、洗面台を次々に薙ぎ倒しているトロール。

 墓石のような鈍い灰色の肌、岩石のようにゴツゴツのずんぐりした巨躯。禿げた頭は小さく、ココナッツがちょこんと載っているようだ。

 トロールは物凄い汚臭を放っていることから、先程から地下に漂う不快な匂いが、フィルチがトイレ掃除をサボった事によるものではないことも分かった。

 

 そして今一番重要なのは、奥の壁に張りついて縮み上がっているハーマイオニーである。

 

「こっちに引きつけろ!」

 

 無我夢中でロンにそう言うと、ハリーはそこらに散らばった蛇口を手当り次第に拾っては、力いっぱい壁に投げつける。

 甲高い金属音が連続して地下室のトイレに鳴り響く。

 トロールはハーマイオニーの一メートル手前で立ち止まると、いかにも鈍そうな目をぱちくりさせながら、首を傾げた。

 

「おーいウスノロッ!!」

 

 反対側から叫んだロンが金属パイプを槍投げのように投げつける。

 真っ直ぐ飛んでいった金属パイプは、幸か不幸かトロールの下腹部……恐らく金玉に当たって地面に落ちた。

 

「ぶぉぉおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!」

 

 驚いたことに急所は人間と同じだったようで、トロールは股間を片手で抑えて蹲る。

 

「ヒュー!流石は僕、狙いバッチシだね!!」

 

「さぁこっちに来るんだ。早く!!」

 

 トロールを大きく迂回してハリーはハーマイオニーの手を引っ張ってドアの方に避難しようとしたが、彼女は動けなかった。

 恐怖で口を開けたまま壁にぴったりと張り付いてしまったようだ。

 見たこともないほど血の気の引いた顔をしている。

 

「あぁ、もう!」

 

 いつまでもトロールが蹲っているわけがない。

 一刻を争う状況にハリーは、ハーマイオニーを背負って急いでロンの所へ駆け寄る。

 ハーマイオニーがやっとこさ口を開いた。

 

「ありがとう二人とも!貴方達が来なかったら今頃私どうなってたことか……」

 

「ヤバいぞハリー!!」

 

 ハリーの背後、つまりはトロールの方を警戒していたロンが悲鳴にも似た大声を上げる。

 恐る恐るハリーが振り向くのと、トロールがむくりと起き上がるのは同時だった。

 

燃えよ(インセンディオ)!」

 

 咄嗟の行動で早かったのは驚くことに腰を抜かしていたハーマイオニーだった。

 彼女はトロールが起き上がったと分かるや、ハリーに背負われながらも杖から呪いを放った。

 

「ぶぉぉぉぉッ?!」

 

 怪物が悲鳴を上げて顔を押さえる。

 火炎放射器のように杖から噴射された炎が、ハリーの髪とローブを若干焦がしつつ、トロールの顔へと直撃したのだ。

 燃え散る火花と充満する肉が焼けた嫌な匂い。

 ハリー達は、全力でトイレのドアへと向かう。

 

「熱いよ!髪が焦げちゃったじゃないかハーマイオニー!」

 

「また生えてくるわよ!」

 

「そうだぜハリー!棍棒でどつき回されて、ぐちゃぐちゃになるよりゃマシだろ!」

 

 多少のアクシデントはあったものの、ハーマイオニーのファインプレーのお陰で、とりあえずはトイレから脱出に成功出来た。

 しかし油断はできない。既に女子トイレのドアというドアは破壊され、トロールを閉じ込めることすら出来ない状態だった。

 息を整えて、再び走り出す。

 

 ────ぶぉぉぉぉッ!!! 

 

 豚のような鳴き声、だというのに生命の危機を感じさせるケダモノの声。

 直後に破砕音、どうやら人間用に作られたトイレの入口は怒り狂ったトロールには狭かったらしい。

 

「見ろよ!あいつカンカンだぜ!」

 

「そりゃそうさ!自分のプリティなフェイスがローストしたんだから、そりゃあ誰でもそうなるよ!」

 

 大声で叫び合いながら、三人は上へと通じる階段を探して廊下を爆走する。

 

「逃げれたのは良いけど!これからどうするんだい!?」

 

「そんなの決まってるわ!私達は逃げる、先生達に知らせる、以上!!」

 

「Oh!分かりやすくて良いね、それ!」

 

 ────ぶぉぉぉぉッッ!!! 

 

 それでも音は背後から徐々に近づいている。

 鳴き声の主はつい先ほど三人が通ってきた通路を進んでいるのか、軽い地響きを伴ったて重い足音が鳴り響いている。

 

「ヤバいぞ、きっとアイツ鼻が効くんだ。確実に僕たちを追ってきてる!上の階に逃げるのは無しだよロン!」

 

「冗談よせよハリー!じゃあどうするっていうのさ!?皆の命を守って僕ら三人はアイツの餌になれって?絵にはなるけどしまらない話だ!」

 

「違うよ!上の階に通じる階段、そこでヤツを迎え撃つんだ!」

 

 その言葉にロンの足がピタリと止まる。ちょうどそこは上の階に通じる曲がり角だった。

 そして呆気に取られた彼の顔からは、ありありとハリーの正気を疑っているのが見てとれた。

 

「いいかいハリー?アレはトロールなんだぜ?」

 

「うん」

 

「あー……もう一度言うよ?アレはトロールなんだ、トロールなんだよハリー。いつも相手しているおためごかしのマルフォイじゃない」

 

「うん」

 

 うんって……と絶句したロン。

 ハーマイオニーに至っては、何がなんだか分からないというような顔をしている。

 それだけハリーの言っている事は異常だった。

 ホグワーツに入りたての一年生、それがトロールを迎え撃つ。

 言葉にすれば美談だが、無謀極まりない。

 

「射程距離に関しては僕達の方が有利だよ。遮蔽物を使いながら先生達が来るまで呪文で牽制するくらいは出来る筈だ」

 

「おいおい冗談キツいぜ……ハグリッド並に太い棍棒でぶん殴られるのがオチだ」

 

「そうよ無謀すぎるわ。私の呪文だってさっきは効いたのはたまたまなのよ?トロールの皮膚は分厚くて半端な魔法は効かないって本に書いてあったわ」

 

 議論している暇はない。

 こうしている間にもトロールは確実にこっちを目指している。

 杖を抜いたハリーは一足先に階段の上へと駆け上がっていく。

 どちらにせよ、上の階に行かないことにはお話にならない。

 

「ほら早く!」

 

 急かされた二人も怪物の接近を知らせる大きな足音に、慌ててハリーの元へと走り寄った。

 そして階段を上りきった二人は、ハリーがそうしたように杖を抜いてその切っ先を階段下へと向ける。

 なんやかんや言いつつも覚悟は決まったらしい。

 

「よし! それじゃトロールが姿を見せた瞬間、三人で一斉に顔に向けて呪いを放つ。上手くいけばノックアウト、悪くても怯ますことは出来る筈だ」

 

「二人とも狙うなら目よ。皮膚は強くても粘膜面まで硬くない筈だから」

 

 階段下から獣臭い風が吹いてくる。

 恐怖のせいか、暗闇は呼吸をするかのように膨らんで見えた。

 濃厚な生き物の気配、次いで陰からのっそりと出てきた四メートルを超す体躯。

 その様子は解き放たれる寸前の檻のようで、ハリー達をぐちゃぐちゃにしようと鼻息を荒くしてる。

 

「見ろよハリー。アイツ笑ってやがるぜ」

 

「中々に愛嬌があるね……ブルストロードも笑ったらあんな感じかな」

 

 歯を剥き出しにしてハリー達をじっと見つめるトロール。

 威嚇でもなく怒りでもなく、怪物は笑っていた。

 人間を、魔法使いを完全にナメきっている。

 それを見たハーマイオニーがぼそりと呟いた。

 

「まるで人間みたい……」

 

 怪物は悠々と杖を向けるハリー達に近づいてくる。

 子供の魔法使いを何ら脅威として見なしていない動作だ。

 その距離、約五メートル。

 人間からすれば少し長いように見えるが、トロールが棍棒を振るって突進するには一息の距離。

 

 ────そんな時だった。

 

 かつん、と背後の廊下から足音が聞こえたのは。

 幽霊の足音でも耳にしたかのように、ビクリとトロールの肩が飛び上がる。

 

「やあ、さっきぶり。探したよ」

 

 鈴を鳴らしたような声が、ハリー達の背後から聞こえた。

 威圧感も何もない、ぼんやりとした女の子の声。

 しかしトロールの表情は劇的に変わった。

 余裕の笑みは掻き消え、焦りと緊張で歪んでいく。

 

「何をやってるの?」

 

 振り返った先にいたのは、メルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドだった。

 彼女は自然体そのままといった調子で、ハリー達の方に歩いてくる。 

 トロールの姿が見えていない筈もないが、警戒する様子はまったく見受けられない。

 

「ぶおぉ……ぶおおおおぉぉ……」

 

 トロールが怯えたように後ずさる。

 その視線は、獲物であるハリー達を通り越して、メルムただ一人を注視していた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 次の試練へと続く長い階段を半ばまで降りた辺りで、”彼”はある力を感じ取った。

 立ち止まり、顔を上げる。

 地層の分厚さを易々と通り抜け、それは確かに漂ってくる。

 足元から震えが伝わってくる。

 ”彼”は立ちすくんだ。

 この魔法力が意味するところを熟知していたが故に。

 

 ────”並ぶ者なきヴォーティガン”か……

 

 ”彼”は今までに二度、全てを失いかけたことがある。

 それも一度目は、予言に記された英雄の赤ん坊とは違う形で。

 まるで嘲笑うかの如く、遊び半分で甚振るかのように。

 

 ────……あの血筋が現れるという事は……再び、俺様の邪魔をしに……? 

 

 実際の所、その存在は一度として”彼”の前に現れてはいない。

 かの存在を示したのは、マルフォイ家の奥深くに隠されるようにして眠っていた古文書の中にある名前だけだ。

 しかし、いざ”彼”がその歴史を探ろうとした途端にそれはするりと手元を離れてしまう。

 凄まじい災禍だけを呼び込んで。

 

 ────ふん……

 

 ここにあるのは不安だけだろうか。

 彼は黒衣に包まれた己の胸に掌をあてた。

 答えは、否。

 薄っぺらな布の下の痩せた身体の奥深くから、震えがこみあがってくるのを感じる。

 

 ────プロセルピナ・ヴォーティガン……神を自称し、全ての魔法を使う闇の生き物の中で……尤もその叡智を穢し尽くした者、か

 

 一度として顕現することなく”彼”の栄光に影を落とした歴史の残穢(レムナント)

 けれども”彼”はどこかで、己がそれを待っていたことに気がついた。

 身体が歓喜で震える。

 

 ────急げクィリナス……アレはお前の手には負えないだろう……早く俺様も元の体を、取り戻さなければ……

 

 天井から垂れた水滴が、”彼”の禿頭からこめかみを伝って流れ落ちる。

 深く吐き出す息は白い。

 裸足の足先は下へ続く道の泥に塗れている。

 

 ────早く、早く、見つけるのだ……かの錬金術師が拵えた賢者の石を……

 

 かの”傲慢なる天”には、全盛期の”彼”が放つ闇の秘奥も運命論を捻じ曲げる呪いも通用しなかった。

 古文書に掛けられた呪いすらも”彼”が打ち破ることが出来なかったことからも、それは証明されている。

 

 ────グリンデルバルドも……厄介な者と契りを結んだものよ……

 

 己の抱えている畏れにも似た感情を抑えつけ、ようやく拳を解くと”彼”は再び歩きだした。

 

 

 




ハロウィン編は前から気にはなっていたので一から編集し直しました……


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#008 ハロウィン後編

怪物の本能は思い出す。

圧倒的な超常の力が全てを支配する時代を。

子鬼や巨人、竜すらも頭を垂れるしかない絶対的な強者を。



 

 

 不意に感じられた異質な気配。

 怪物は、三匹の獲物の後方にちいさな人影を視認する。

 何故か”その生き物”は目の前の獲物達と同じ衣を纏っていた。

 くるり、くるり、と。その御手の中で弄ばれる杖。

 長柄には死神犬の彫刻が施されている。

 

「……ぶおぅ?」

 

 良くも悪くもトロールが少女を視界に入れられたのはそこまでであった。

 気づけば怪物は、少女から顔ごと視線を逸らしていた。

 困惑、困惑、困惑。

 何故だろう、こんな事は初めてだ。

 こんな小さい生き物如きに、言いようのない恐怖を感じる。

 

「ぶぉぉ……っ」

 

 下げていた視界の端から、目の前の獲物達がジリジリと後方へと下がっていくのが見える。

 怪物は彼らを追わなかった。

 否、追えなかったという方が正しいか。

 

 何故なら、彼らの向かう先には……銀の少女がいるのだから。

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 夜の城の静けさを断続的に切り裂くのは、地響きのような足音。

 周囲の壁が大きく揺れ、踏まれた床は簡単に罅が入る。

 巨人とまではいかずとも、トロールもまた十分過ぎる怪物である事に疑いはない。

 

「おぉ……これはまた」

 

 デカい。滅茶苦茶デカい。

 確固たる存在感もそうだが、相手にもたらす圧迫感も桁違いだ。

 

「あれは山トロールじゃないか。4メートル越えなんて久々に見たよ」

 

 トロールは主に、川トロール、森トロール、山トロールの三種類の種族から構成され、その体色で大まかに分類出来る。

 川トロールの皮膚は紫色で主に橋の下に潜み、あらゆるものを食す。

 森トロールの皮膚は薄い緑色で、稀にざんばら髪が生えている者もいる。

 そして、山トロール。皮膚が薄い灰色のこの種類が最も大きい。

 無論、魔法使いとはいえ年端もいかない生徒が敵うわけもない。

 だというのにポッター達は無事、驚くべき事にトロールは幾つかの手傷まで負っていた。

 赤ん坊の頃から英雄と言われるだけのことはある。

 

「にしてもギリギリ間に合ったなあ」

 

 見た感じ、応戦一歩手前といった感じか。

 危ないところだった。

 彼らが戦うよりも、魔法生物相手ならボクが出っ張った方が話が良い。

 何故ならば

 

「ぶおぉぉ……」

 

 震えている。いや、怯えている。

 突然現れたボクという獲物を前にしても、怪物は威嚇するように吠えるだけ。

 その姿はまるで虚勢を張って甲高い声で鳴く小型犬のようだ。

 二つの目も、ボクを正視するのを躊躇ってあちこちをさ迷っている。

 昔からそうだったんだが、ボクはよく生き物に……というか魔法生物に怯えられることが多々ある。

 それも犬に吠えたてられる、というレベルのものではない。

 

(今飼っているゴールディーも懐くまで結構時間がかかったっけ)

 

 ボクの可愛らしい美貌がそうさせるのだろうが、まったく失礼な話である。

 しかし、ボクの怯えられっぷりも調教には良いらしい。

 お陰でスキャマンダーさんに、よく危険な魔法生物の飼育の手伝いをさせられた。

 

 ────ははは!メルム、君の将来は魔法生物飼育委員会で決まりだよ!

 

 適正があるのは認めようとも。

 ボクだって他人だったら同じことを言うだろうし。

 だが生憎、ボクがなりたいのは調教師ではなく闇祓いだった。

 そもそも魔法生物の飼育に必要なのは、適正ではなく熱意と愛情というのが個人的な見解である。

 

「何をしてるの?3人とも早くこっちに来なよ」

 

「う、うん」

 

 ポッター達は急変したトロールの様子が気になるようだが、いつまでもそこにいて貰っても困る。

 トロールが怯えているのはボクであり、彼らではないのだ。

 

「メ、メルム……どうしてここに?」

 

「いや、ミリセントからハーマイオニーが地下にいるって聞いたからさ。もしかしたら危ないかもって」

 

 目を潤ませてハーマイオニーが抱きついてきた。

 おーよしよし。

 怖かったねぇ、もう大丈夫だよぉ。

 

「ポッター達は先生を呼んできてよ。その間にこいつ、何とかしとくからさ」

 

「いや何とかって。何するつもり?」

 

 お、それ聞いちゃう?

 何も言わずにっこりと微笑むと、察したようにポッターは黙りこくった。

 一体何を想像したんだろうか、その顔は青ざめている。

 

(マルフォイに無茶苦茶やったせいかな?ポッターの中でボクが”怖い人カテゴリー”に入ってる気がする……)

 

 別に彼が想像するような事をする気はない。

 意外に思われるかもしれないが、生き物は好きな方なのだ。

 だからこそ、生き物から怯えられるってのが地味にショックだったりする。

 

「さて、と」

 

 怪物のしつけ方はよく知っている。

 基本的にこの手の奴は単純だ、上下関係を分からせてやればいい。

 圧をかけて近寄って、完全に怯ませたらそこで終了。

 後は先生方の到着を待つばかりだ。

 

 そんな事を思っているボクの真横を、凄まじいスピードで何かが通り抜けていった。

 

 ────ズゥン……ッッッ、!

 

「……ん?」

 

 駆け抜けた先をゆっくりと振り返って見ると、十数メートル先の壁にどでかい棍棒がめり込んでいる。

 あれま、これは一体全体どうしたことだろうか。

 今まさに先生を呼びに行こうとしたポッター達も、それを見て足を止めている。

 

「ぶおおおおおおおおおおおぉぉッッ!」

 

 猛々しい咆哮が鳴り響く。

 これはまずい。

 魔法生物の飼育を通じて分かった事なのだが、彼らのような魔法生物にも個性がある。

 ビビって逃げ出す奴、固まって動けなくなる奴、怯みはすれどもじっと睨みつけてくる奴。

 そういう意味では人間と同じだ。

 とはいえ、怯えている癖に反撃してくるケースは大体理由が決まっている。

 

(多分、誰かに飼われてたね。恐怖に屈することがないように、よく調教されてる)

 

 このトロールが誰かに連れてこられたのは分かっていたが、まさか調教済みとは。

 確かに優秀な個体だ。

 頑強な肉体、よく効く鼻、一つの獲物に対する執着心。

 トロール使いとしては垂涎ものだろう。

 

(こういうのが一番面倒なんだよなあ。トロールなんて昔は攻城兵器として運用されてたって話もあるくらいだし)

 

 ボクにとって救いなのは向こうの警戒心が強い事か。

 棍棒を投げつけてきたのは牽制。

 それはボク達から何かをしない限り、これ以上こっちには踏み込んでこないということだ。

 

「皆、ゆっくり前を向いたまま後ろに」

 

裂けよ(ディフィンド)!」

 

 言い終わる前に、ボクの斜め後ろから飛び出る呪い。

 おい誰だ、クソ勝手な事をした馬鹿野郎は……あぁハーマイオニーか。

 

「ぶおおおおお!!!」

 

 トロール哀れなり。

 ハーマイオニーの呪文のセンスは抜群だったらしく、弱点部位である目に彼女の呪いは炸裂した。

 トロールの皮膚は分厚くて半端な魔法は効かないが、剥き出しの目は例外である。

 ドラゴンや巨人にも共通する弱点部位であり、本で得た知識とはいえそれを咄嗟に有効活用出来るのは素晴らしい事だ。

 

 ────タイミングと空気さえ読めれば

 

 大事な目ん玉が潰れたトロールは、あっさりと恐慌状態に陥った。

 悲鳴を上げながら、あっちこっちにデカい身体をぶつけて暴れ出す。

 床も天井も砕けて土埃が舞った。

 

「「「うわああああああああっっ!!!」」」

 

 こうなったらもうダメだ。

 ポッターとウィーズリーを浮遊呪文で浮かせ、ハーマイオニーの首根っこを掴んでボクは走り出す。

 すぐ後ろの壁が冗談みたいな音を立てて粉砕された。

 クソトラブルメーカー共め。

 修繕費とか請求されたら払えるのか?主にウィーズリー。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あいつらは何をやっとるんだ」

 

 地下に続く別の階段から銃のスコープで覗く男は、白髪混じりの偉丈夫であった。

 男の名前はアーガス・フィルチ。

 ホグワーツ魔法魔術学校の管理人である。

 そんな彼がスコープ越しに見つめる先には、腕を無茶苦茶に振り回すトロールの姿。

 フィルチの隣で双眼鏡を覗いていた大男、ハグリッドは呆れたように首を横に振った。

 

「……聞いていた話とトロールの様子が随分違っちょるな。あそこまで激昂したのを見るのは初めてだ」

 

「校内の有様もな。おぉおぉ見ろ!あんなに床や天井がボロボロになって……」

 

 トロールの様子などどうでもいい、とフィルチは頭を抱えて嘆いた。

 現在、恐怖と痛みによってある種の錯乱状態に陥った怪物は、今まで見たこともないほど荒れ狂っていた。

 お陰様で何もかもがめちゃくちゃ。

 今朝磨き上げた手摺はひしゃげてるわ、埃一つなく拭き取った壁は粉砕されてるわ。

 一体、誰がこれらを修繕すると思っているのだろうか。

 

「ハグリッド。私はこの後休暇を取ろうと思うんだが、どうだろうか?」

 

「馬鹿言うんでねえ!校内の清掃や修繕は誰がすんだ!」

 

「私にやれってか!?1週間……いや1ヶ月はかかるぞ!ふざけやがって!絶対に休職する!こんなのは沢山だ!」

 

 校内の清掃は仕事だからやるとも。

 馬鹿なガキの後始末も文句はあるがやろうとも。

 だが、半壊した校舎の修繕までやらされるのは勘弁だ。

 魔法使いなのだから自分で直せ、もしくは大工にでも頼めばいい。

 トロールと同じく激昂状態になったフィルチの肩をハグリッドが優しく叩いた。

 

「フィルチよ、俺も今回の後始末は手伝っちゃる。だから機嫌直してくれ。な?」

 

「お前にそんな器用なことが出来るのか!?お前の小屋を建てたのだって私だろうが!金具だってすぐその馬鹿力でひしゃげさせるくせに!」

 

 ハグリッドの参戦はむしろ邪魔ですらある。

 瓦礫の撤去には使えるかもしれないが、修繕を任せる相手にはほど遠い。

 

「ダンブルドアに直訴する!絶対だ!私は休職を勝ち取ってみせる!」

 

「まぁそれはお前さんの権利だから、俺は何にも口は出すつもりはねぇけども。それよりも良いのか?こうしてる間にもトロールは校舎をぶっ壊してるぞ」

 

 ピタリ、とフィルチは黙り込んだ。

 瓦礫の飛び交う音は未だに続いている。

 獲物である生徒達はとっとと逃げ出したというのに、それにも気づいていない。

 目が潰れたのだから仕方のない話ではあるが、ひたすら迷惑だ。

 

「……音頭を取れハグリッド」

 

 土煙で見えにくいが、狙えなくはない。

 狼男襲撃の時は真夜中の禁じられた森だった。

 それに比べれば楽勝である。

 一瞬で集中状態に入ったフィルチは、レティクルの中央をトロールの腹部に合わせる。

 

 ────そしてトリガーを引いた。

 

 一拍遅れてズドンッッッ!!!と腹の底に響く銃声。トロールの腹部が破け、臓物を周囲に撒き散らした。

 キンッ……と薬莢の落ちる音に心地よさを感じながら、冷徹に次弾装填。

 

「ハートショット、ヒット。崩れ落ち、膝で一瞬止まる」

 

 隣で双眼鏡を覗き込みながらハグリッドによる標的の状況報告。

 距離、風向き、弾丸がどこに着弾するのか。

 それらをフィルチはサポートされずとも手に取るように分かるが、本人が観測手くらいはやらしてくれと泣きついてきた結果だ。

 

「ヘッドショット、エイム……」

 

 一発目は腹に当てたのはワザとだ。

 通常一キロ越えのショットが腹に当たればまず助からない。

 しかしそれは人間相手の話だ。

 怪物相手には念を入れる必要がある。

 致命傷を与えられ動きが止まったトロール。

 怪物にトドメを刺すべく狩人は、レティクルの中央をトロールの頭部へと合わせる。

 

 ────ファイア!

 

 ズドォンッッ!!と再度の銃声と消炎。トロールの頭が半分ほど砕け、廊下に倒れ込んだ。

 

「ヘッドショット……ヒット」

 

 フィルチは立ちあがり、ボルトを前後させると身を潜めていた階段から身を乗り出した。

 隣でむくりと寝そべった体勢から身を起こしたハグリッドが呆れた声を上げる。

 

「お前さん、やっぱりプロだな」

 

「褒めるなよハグリッド。校内のゴミ処理が得意なだけだ」

 

 満足げに銃を拭いたフィルチは、ハグリッドと共にトロールのもとに歩み寄った。

 倒れたトロールの周りには破壊された校舎の瓦礫が散乱し、生徒たちが避難した跡が残されていた。

 

「こんな事になると分かってたら、今日は城の掃除はしなかった」

 

 荒れ果てた一帯を眺めてフィルチは自嘲気味に言う。

 ハグリッドはというと、フィルチの嘆きなど聞きもせずにトロールの大きな鼻を物色していた。

 

「こいつぁ立派な鼻だな。匂いをかぎ分けるのにさぞ役立ったに違ぇねえ。お前さんもそう思うだろう?」

 

 フィルチは困惑しつつもとりあえず頷いた。

 トロールの鼻など微塵も興味なかったが、死体を観察するハグリッドはほんのり微笑みが浮かべており、その笑顔は何か怖いものがあったのだ。

 魔法生物好きもここまで行くと変態的である。

 

「ハグリッド!眺めるのも良いが場所を変えてしろ。デカブツをさっさと校外に持ってってくれ。片付けの邪魔だ」

 

 ハグリッドは大男なだけあって力仕事が得意だ。

 トロールの体を持ち運ぶくらいさほど難しいことではないだろう。

 ハグリッドはトロールの体を運び出しながら

 

「おいフィルチ。トロールを売っちまえば修繕費用が浮くかもしれねえな?」

 

「それはないな」

 

 フィルチは冷たく言った。

 

「このトロールを連れてきた奴に請求する」

 

「そりゃあいい!」

 

 ハグリッドが大声で笑った。

 すると声に反応したかのように、トロールが身体を小刻みに痙攣させる。

 腹部が破裂し頭部を吹っ飛ばされても、まだ辛うじて生きているらしい。

 まったく悪い冗談だ。

 

「凄まじい生命力だな……あぁトロールの処理は任せるぞ。鍋にするなり服にするなり好きにしてくれ。私は先生方に伝えなくちゃならないことがある」

 

「む?なんのこっちゃ」

 

 懐からからジッポーライタを取り出し、いつの間にか煙草を咥えていたフィルチは不気味に微笑んだ。

 

「ふふふ……さっきの生徒達の顔は全員確認済みだ。ダンブルドア校長にお仕置きの許可を。ついでに休暇の申請もな」

 

「多分だがそいつは望み薄だぞ」

 

 余計な言葉など何も聞こえない。

 フィルターをくわえ、煙草に火を灯して煙をくゆらせる。

 既に彼は、四人の問題児達にどのような罰則が下されるかについての妄想に耽っていた。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 ホグワーツのとある廊下。

 ぜぇぜぇと息を切らしながら壁を伝って歩いている少女がいた。

 それはボクこと、メルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドである。

 

「ふざけやがって、あのクソ馬鹿たれ共が」

 

 ポッター達は途中で安全な場所に置いてきた。

 まぁ大丈夫だろう。

 周囲一帯に物が壊れる音やトロールの唸り声が響いていたし、先生方もすぐに集まってくる。

 ちなみに、なぜ一緒に先生を待たなかったのかというと、説教されるのが目に見えていたからだ。

 寮にいるべきボク達が、一体どうしてトロールと対決する羽目になったのか。

 そんな事を一から説明するのは馬鹿らしい。

 罰則や説教などもっての外である。

 

「ったくそれにしても……どこだい?ここは」

 

 捕まりたくない一心で、階段を登ったり抜け道を使ったりしている内にすっかり迷ってしまった。

 とりあえずヒントはないか、と目の前の教室をボクはじっと観察する。

 ぶら下がっている室名札には”妖精の呪文”と書かれていた。

 なんと驚くべき事に、ボクは地下の階から四階まで走ってきたことになる。

 

「あ〜あ。ハロウィンパーティで楽しい日になる筈だったのに」

 

 カボチャだらけな事に思うところはあったが、まだまだ沢山食べたい料理があった。

 カボチャジュースだって飲みかけだった。

 年に一度のパーティを誰よりも楽しむ筈だったのにどうしてこうなったのだろうか。

 

「む……」

 

 おっと行き止まりだ。

 廊下の突き当たりにはドアがあり、それ以外のものは存在しない。

 やけに殺風景な光景だった。

 押して見ると鍵が掛かっており、中には入れない。

 

「そういえば、”禁じられた廊下”があるのは4階だったね」

 

 とても痛くて世にも恐ろしい死に方をしたくない人は、”禁じられた廊下”に近づくことなかれ。

 そんな事をダンブルドア校長が言っていたっけか。

 4階を走り回った感じ変な場所は特になかった。

 別にそんな意図を持って走っていたわけでもなかったが、消去法でいくと”何か”があるとすれば、この部屋の向こうという事になる。

 少しだけ好奇心が擽られた。

 

「ん〜?」

 

 入ろうか入るまいか。

 じっとドアの鍵と睨めっこすること数分、唐突にドアがガチャガチャと揺れ出した。

 誰かが中から出ようとしているようだ。

 

(やっば!)

 

 誰かは知らないが、こんな所にいるのがバレるのは体裁が悪い。

 幸い廊下全体は月明かりで影になっている。

 とりあえずボクは、小声で自分に目くらまし術をかけると廊下の隅っこにそろそろと移動した。

 同時にカチッと鍵が開き、バンッ!と音を立ててドアが勢いよく開く。

 漂ってくるトロールのものともまた違った獣臭い風。

 

「クソッ……」

 

「おい待てっ!!」

 

 呆気に取られるボクの前を、黒いマントを纏った者がスルスルと凄いスピードで駆け抜けていく。

 フワッとニンニクの匂いが撒き散らされる……否、それだけではない。

 

(うぇっ……これ死臭か?)

 

 チーズや生ゴミが腐った臭いも微かに混じっている。

 色々な匂いが撒き散らされ、スラム街のような臭気を漂わせる廊下。

 そういう匂いに慣れている人間じゃなければ吐いていたこと間違いなしだ。

 

 しかし、これでまだ終わりではない。

 

 次いでドアの向こうから、ドサリと黒い影が此方に倒れ込むように出てきた。

 

「クソッ……離さんか!……この馬鹿犬めッ!……このッ……」

 

 何とびっくりだ。

 この声はスネイプ先生のものである。

 

「追わなければ……離せッ!……この……!」

 

 出てきたスネイプ先生は何やらもがいていた。

 夜のせいでここからはよく見えないが、彼の脚を黒い何かが引っ張っているのが分かる。

 

「────切り裂け(セクタムセンプラ)!」

 

 何の呪いだろうか。

 スネイプ先生の杖から閃光が走り、つんざくような悲鳴が上がった。

 スネイプ先生の脚を引っ張っていた黒い影がドアの向こうへと引っ込む。

 ちなみにドアの向こうは、月明かりがよく照らしてくれていた。

 つまりは、彼の脚に噛み付いていた何かがよく見える。

 

(嘘だろ、おい)

 

 その光景にボクは驚いて言葉を失った。

 デカい、犬だ。

 ドアの向こう……床から天井までの空間、全部がその犬で埋まっている。

 頭が三つ、血走った三組のギョロ目。

 なるほど、ネビルは嘘を言っていなかったらしい。

 

(こりゃケルベロスだ。なんでこんなのが城内に……)

 

 地の果てにいる爺様へ。

 ホグワーツのハロウィンは刺激的です。

 この学校ではお化けの仮装をするのではなく、トロールやケルベロスなどを放し飼いにするようです。

 改めてボクは、この学校に入学した事を後悔しそうになっていた。

 

「吾輩は餌ではないぞ!噛みつく相手くらい選べ、扉よくっつけ(コロポータス)!」

 

 閉錠魔法を使ったのだろう。

 ドアがひとりでに閉じ、ガチャリと鍵の閉まる音が静かな廊下に鳴り響く。

 スネイプ先生はガウンを膝までたくし上げて、傷の確認をしている。

 

「忌々しいクソ犬め!」

 

 おぉ、なんとも惨い光景だ。

 スネイプ先生の片方の脚はズタズタになって血だらけだった。

 しかし我が寮監は見かけと違い、打たれ強いタイプらしい。

 魔法で軽く応急処置をするとスネイプ先生は立ち上がる。

 

「ハグリッドの奴も珍妙な生き物を”石の守り”に使いおって。3つの頭に同時に注意するなど出来るものか!」

 

(甚だ同意だね。ご愁傷さまスネイプ先生)

 

 頭から湯気が出そうなほど怒り狂ったスネイプ先生が、足を引きずってボクの前を通り過ぎていく。

 終始、彼は近くで息を潜めるボクに気づくことはなかった。

 

「……行ったな」

 

 足音がだんだんと遠くなっていく。

 スネイプ先生が確実にここから離れた事を確認して、目くらまし術を解いたボクは安堵から座り込んだ。

 今日はもう嫌というほど色々あった。

 ハーマイオニーの泣きみそ、トロールの侵入、部屋から飛び出たケルベロス。

 まったくどれか1つだけでも悪夢だってのに、それが全部大集合ときた。

 

「きっと今日はよく眠れるよ。間違いないね」

 

 そろそろ寮に戻らないと不審に思われる。

 くだらない事を慰めに呟いて、ボクは立ち上がった。

 

 そして、チラリと塞がったドアに目を向ける。

 

 疲労のせいか。

 ボクの好奇心が、ムクリと首をもたげていた。

 これ以上何もしたくはない、何もしたくはないのだが。

 

「……ちょっとだけ」

 

 ちょっとだけだ。

 三頭犬なんてどうとでもなる、音楽を聞かせれば一発だ。

 口笛でも吹いてやればいい。

 ボクが気になっているのはその先────犬の足元にあった仕掛け扉だ。

 あの向こうには一体、何があるのだろう。

 

(抑えろボク。これ以上面倒事を増やす気か)

 

 でも見たい。

 ぶっちゃけ開けちゃいたい。

 やめろと言われればやりたくなる。

 

 ────スネイプ先生の行先は恐らく医務室だ、もうここには戻って来ない。

 

(てことはスネイプ先生が悪いよな。つまり……うん。ボクは悪くない)

 

 自制心をねじ伏せ、脳内で責任転嫁完了。

 さぁ夜中の大冒険の始まりだ。

 杖を取り出したボクが鍵を叩こうとした瞬間、

 

「その扉を開けてはいかんぞ?メルムよ」

 

 ここで聞こえる筈のない声に、ボクはギョッとした。

 前にもこんなことがあったなぁ……と半ば確信を持ちながらカクカクと後ろを振り向く。

 

 そこにはやっぱり────慈愛に溢れたキラキラと輝くブルーの眼。

 

「……神出鬼没ってよく言われません?」

 

「そうさのう。儂の散歩中、君によく出くわすとは思うがの」

 

「いつからここに?」

 

「お主が来るよりもずっと前からじゃよ」

 

 マジか、全然気づかなかったぞ。

 ダンブルドア校長は杖を一振りして二つの椅子を出すと、その一つに腰掛けてため息を吐いた。

 

「見事な目くらまし術じゃ。怪我に気を取られているとはいえ、まさかスネイプ先生が気づかないほどの熟練度を誇るとは」

 

「あははは……指導役が優秀だったものでして」

 

「アラスターの奴には、今度会ったら一言言っておかねばならぬの」

 

 促されるままにボクは、ダンブルドア校長の対面の席に腰掛ける。

 なんとも気まずい空気だ。

 前回もやらかした後に遭遇しているし、当然といえば当然なのだが。

 

「さてメルムよ。お主には2つほど話したい事があるのじゃ。どちらから話そうかの」

 

「どちらからでも。お好きな方からどうぞ」

 

 どうせ校長の発言を遮る権利は生徒にはない。

 後ろめたい所を見られたボクは尚のこと。

 ではお主の言葉に甘えるとしよう、とダンブルドア校長がにっこり微笑んだ。

 

「先ほどお主はミス・グレンジャーのことを助けに行こうとしたのう。何故か理由を教えて貰えるかね」

 

 予想の斜め上な質問にボクは目をパチクリさせる。

 

「えーと……彼女のことを誰も知らないようでしたので」

 

「先生や監督生に相談しようとは?」

 

「グリフィンドール生の助けを監督生に?あの状況では言えませんよ。寮監の方もハーマイオニーのことを嫌っているから頼りにはなりませんし」

 

 現にトロールを探そうともせず、こんな変な場所に潜って犬に噛まれている。

 控えめにいって教師失格ではなかろうか。

 

「ふむ。お主は1つ勘違いをしておる。ただの好悪で生徒を見捨てるほど、彼は落ちぶれてはおらんよ」

 

 断言するダンブルドア校長。

 そのブルーの瞳をボクはじっと見つめ返す。

 

「何かの?」

 

「魔法薬学の授業で、スネイプ先生がハリー・ポッターにしている仕打ちはご存知ですよね」

 

 ダンブルドア校長は額に手をやった。

 どうやら知っているらしい。

 カマを掛けてみただけだが、なんとなくそっちの事情もこの校長なら知っている気がしたのだ。

 

「ポッターに対して、スネイプ先生は本気で憎悪を抱いている。それが授業態度に出ている時点で、教師としての信用は無いに等しいです」

 

「物事には仕方のないこともある。複雑な事情が絡む話じゃ、儂からは詳しい事は話せん。そして訂正を1つ。彼が憎んでおるのはハリーではない。もはやどうしようもない己の過去じゃ」

 

 ダンブルドア校長の瞳は、何故か少し悲しげに揺れていた。

 

「メルムよ、これだけは言わせておくれ。セブルス・スネイプの魂は、君や周りが思っておるほど穢れてはおらん」

 

「……校長先生がそこまで仰るのなら、そうなんでしょう」

 

 ダンブルドア校長は、何故かスネイプ先生のことを買っているようだった。

 彼がそこまでの信頼を得られるような何かを持っているとは到底思えないが、これ以上食い下がっても仕方のない話なのでボクは一旦引き下がることにする。

 

「さて、話したいことの半分はこれで済んだかのう」

 

「半分、ですか」

 

「なに、もう半分もさほど長くなる話ではない。お主にささやかな約束事をして欲しいだけじゃ。今日、この4階でお主が見た事を誰にも話さぬ、と」

 

「それは、この部屋の中にいる獣についてですか?それとも今日のスネイプ先生の行動について?」

 

「両方じゃ」

 

 彼には個人的な頼みで動いて貰っておるんでの。

 そう呟いて、ダンブルドア校長は部屋のドアに視線を向けた。

 未だにドアの向こうからは、獣のような荒い息遣いが聞こえてきている。

 

「この部屋の向こうには何が?」

 

「見た通りのものじゃ」

 

 なるほど。詳しく説明する気はなしと。

 どうとも取れる発言にボクはムスッとする。 

 お願いする分際で随分な態度だ。

 

「老婆心からじゃよ。部屋の中には、若人にはちと誘惑の強い代物が隠されておるのでな」

 

「誘惑の強い代物?」

 

「さよう。意地の悪い、愚者への誘いじゃよ」

 

 ダンブルドア校長は憂鬱そうにため息を吐いた。

 奇しくもその様子は、過去の話を語り終えた後の爺様によく似ている。

 

「先ほどフィルチさんから、トロールを処理したと報告があった。地下はもう安全じゃろう。生徒たちはさっき中断したパーティーの続きを寮に戻ってやっておる。行っておいで」

 

 

 

 

 



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#009 みぞの鏡

かのゲラート・グリンデルバルドは、獄中にて実に興味深い著書を出している。

『魔法使いの定義』、そう題名された本には既存の魔法使いの常識を覆す内容が記されていた。

曰く、魔法を使う素質に血筋は関係なく、高度な知性ある生き物全てが持っている感情にこそ、その壮大な可能性は秘められている、と。

無論、その話には何の根拠も検証もない。

荒唐無稽な内容に賛否両論が入り乱れ、血を重んじる純血の貴族達によって禁書として扱われるようになったその本。

そもそも何故、マグルを憎んでいるとまで言われたほどの差別主義者が後世になってこんなものを書くようになったのか。

その謎は今も解けていない。



 クリスマス休暇を翌日に迎えたある日。

 明日の朝一番の汽車で帰る予定のミリセント・ブルストロードは、セオドール・ノットと共に談話室で荷物を纏めていた。

 

「そういやさ、メルムってこういう休みの日って何してんのかね?」

 

「何さ藪から棒に」

 

 いやさ、と一旦手を止めたセオドールが口篭る。

 

「今日とかもそうだけど、あいつ度々ふっといなくなって、半日くらい帰ってこない日があるじゃん。まぁ主に休日なんだけどさ」

 

「確かに。休暇前のお別れぐらいさせて欲しかったが。まぁ女の子には秘密の1つや2つあるくらいがミステリアスで丁度良いのさね」

 

 そんなもんかと納得した様子のセオドールは再び荷物を纏める作業に戻る。

 

「やれやれ最近はロクなことが無かった」

 

「まったくだねぇノット。マルフォイの馬鹿が懲りずにメルムにちょっかいをかけたのも、私としては最悪の出来事の1つさね」

 

「あぁアレか……」

 

 簡単にいうと、クリスマス休暇が間近となりマルフォイ坊ちゃんが再びやらかしたのである。

 先週、スネイプ教授がクリスマスに寮に残る生徒のリストを作った時のことだ。

 リストに名前を書いたのはメルム以外に誰もいなかった。

 それはまだ良い。

 本人も気にしてなどいなかったし、彼女の家族が何かしらの事情でいないことはミリセントもセオドールもうっすらと気づいてはいた。

 

 ────かわいそうに。帰る家も家族も無くて、クリスマスなのにホグワーツに居残る子がいるんだね

 

 そんな中、マルフォイは止めようとするゴイルやクラッブを無視して、メルムにちゃんとした家族が居ないことを嘲ったのである。

 あっという間だった。

 マルフォイの気障っぽいプラチナブロンドの髪を掴んだメルムは、その何も入っていないであろう空っぽの頭を机に思いっきり叩きつけた。

 

 ────マルフォイ。お前の両親は悲しむかな?お前が死んだら

 

 飛行訓練の悪夢の再来だ、メルムの杖はしっかりとマルフォイの首に食いこんでいた。

 咄嗟にスネイプ教授が妨害呪文をメルムに放たなければ、確実に何かしらの報復行為を彼女は行っていたであろう。

 

「生徒に呪いを放つ寮監も寮監だけど。察知してアレを避けるのもバケモンだよな」

 

「確かにねぇ」

 

 スネイプ教授の放った妨害呪文は結局不発だった。

 完全なる死角からの不意打ちにも関わらず、メルムはまるで最初から分かっていたかのように、呪いを紙一重で避けたのだ。

 顎に手をやり天井を見上げるミリセント。

 

「もしかしたら本格的な格闘術は齧ってるかもだ」

 

「……マジで?」

 

「あぁ、マジさね」

 

 メルムが誰かを徹底的に攻撃したのは、あの飛行訓練の一回こっきりだった。

 しかし、印象に深く残る一回でもある。

 まず、人数的に不利な状況下でのメルムの立ち回り。

 同い年にしては驚くほど冷静だった。

 普通ならあぁはいかない。喧嘩慣れしている証拠だ。

 

(あの動きは高度な訓練をしてなきゃ身につかない)

 

 それに男子であるセオドールやマルフォイは知らないが、スリザリンの女子生徒は全員知っている。

 ミリセントほどではないが、メルムも小柄な体躯の割に意外と筋肉がついている方であることを。

 

(私と身体の鍛え方がそもそも違う……もっと実践的な状況で身体が動くように鍛えているねぇ、あの身体は)

 

 だからこそのあの動き。

 とはいえそれでも普通なら体格で勝り、性別も違う男子を相手に肉弾戦になっては女子が敵うべくもない。

 

 ────だが勝った。

 

 それは純粋に戦闘行為における心構えが違ったからだとミリセントは考えている。

 

(よく父様が言ってたっけねぇ。初手から自分のフルスピードを叩き込めって)

 

 自分よりも体格やスペックが高い相手と戦う事など格闘技でも実践でもままある話だ。

 そんな時はどうするか? 

 答えは、相手のボルテージが上がり切っていない間に自分の全力を叩き込むこと、だ。

 スポーツでも格闘技でも最も重要なのは試合の立ち上がりである。

 早々に相手の出鼻をくじいてしまえば、格付けは済み此方に一気に流れを呼び込める、と前に父親が言っていた。

 

「でも、それって玄人の考え方なんだがねぇ……」

 

 それを何故あの少女が知り、また実践しているのか。

 我が友ながら謎が多すぎる。

 

「まぁ何はともあれクリスマスだ。一時じゃあるが、私もあんたもこの忌々しい学校から解放されて、麗しの実家に帰れるのはいいことだ。休日は楽しまないとねぇノット」

 

「お前は楽しい休暇だろうさミリセント、ドMのお前にゃあの親父のキッつい訓練も極楽に思えるんだろうよ。こちとら教会で朝から夜までお祈りさ。帰ってくる頃にゃ聖書1冊分を丸暗記してるかもな」

 

 荷物を纏め終えて、ため息を吐く。

 家系が特殊だと、その子孫も苦労する。親には逆らえないのが子供の悲しい性であった。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

「今日はクリスマスか……」

 

 一人ぼっちで過ごすクリスマス。実にいつも通りの年内行事。

 冬休みに学校に残る奇特なスリザリン生はボク以外にはおらず、現在この広い談話室をボクが独り占めしている状態だった。

 でも寂しくはない。

 この誰もいない休日は、ボクとしてもいつもよりかは自由に動けるから。

 

「というわけで始めますか。休日の日課」

 

 学校が休みの日は、日が昇る前に起きだし、準備運動を終えたら走り込み。

 まずは学校の周りを五周、ぶっちゃけこの時点で大分キツい。

 広大な城の周りを走り込むのは、大人でも結構辛い筈だ。

 

「でも体を温めるにはちょうど良いんだよね」

 

 十二月も半ばになると湖はカチコチに凍りついて、城が雪まみれになる事も多々ある。

 暖炉がある談話室や大広間と違って、外は身を切るような風が吹雪いているのだ。

 白い霧のような息を吐きながら、走り終えたボクは糖分を補給する為にロリポップを頬張る。

 ちなみに師匠のアラスター・ムーディ曰く、元々ボクの基礎体力は同世代の子供達のそれと比べて高いんだとか。

 ホグワーツ入学前に再会した時も、動体視力や反射神経に空間把握能力、それらがずば抜けていると褒めてくれた。

 

「はぁ……つぎつぎ」

 

 小休憩した後は、禁じられた森に移動。

 この森の中は実に複雑な地形となっており、起伏が激しい。

 坂が急なのは当たり前、木々が入り組んで鬱蒼とした森の中はすぐに方向感覚を狂わしてくる。

 時には危険な魔法生物に追っかけ回される羽目になることも。

 ケンタウルス達に槍や弓矢を向けられることなどザラだ。

 禁じられた森の守護者を気取る彼らは、森の侵入者に対して問答無用である。

 とはいえ、それでもアクロマンチュラの巣にぶち当たった時ほど最悪ではない。

 

「あの時は割と命の危機を感じたよ。熊より大きい蜘蛛なんて悪い冗談だ」

 

 ただでさえ苦手な蜘蛛。

 しかも、木の葉の上にうじゃうじゃしている細かい蜘蛛とはモノが違う。

 馬車馬のような、八つ目八本脚の黒々とした毛むくじゃらの巨大な蜘蛛だ。

 おまけに彼らは魔力を持たない普通の蜘蛛とは対照的に、狼のように社会的な動物であり、百匹以上の群れで行動する。

 それが人を襲う本能を持っているのだ。たまらない。

 訓練の一環になるかと思ったボクは、アクロマンチュラの群れを魔法で撃退しながら校舎を目指す羽目になった。

 

「当分、カシャカシャって音は聞きたくないかな」

 

 そんなことを愚痴りつつも、昼前には自分で決めた森のルートを踏破する。

 森番であるハグリッド以外には滅多に人が入り込まない森なので、道らしい道はなく獣道さながらではあるが、それでもボク自身の足でもって安全を確認したルートだ。身体が覚えている。

 

「さてと。日課も終えたし、お風呂に入ったらご飯たーべよっと」

 

 うーんと背伸びをしたボクは、取り敢えずやる事はやったので校舎に戻ることにした。

 入浴し身体を清めて昼食を食べ終えたら、疲れを癒す為に暖炉の前で寝っ転がり三時間の昼寝。

 何故自分のベッドで寝ないかというと、ふっかふかの絨毯や炎が勢いよく燃える暖炉の前で寝る心地良さを知ってしまったからに他ならない。

 率直にいってしまえば、少し冷える自分の部屋のベッドで寝るよりもずっと気持ちよく寝れる。

 

「……ふぁ〜あ……良く寝た」

 

 適当な時間に起きた後は、飽きるまでひたすら借りてきた本を読み漁る。

 暖かい談話室で小難しい本と睨めっこは、幸いなことに嫌いじゃない。

 

「魔法省もそうだけど。大きい施設は資料が揃ってるから良いよね」

 

 暖炉に一番近いという理由でボク専用と化した広いテーブルには、図書室から借りてきた本が山のように積んである。

 不真面目でノートも取らないボクが冬休みにこんなことをしていると知ったら、ミリセントやセオドールは口を半開きすること請け合いだ。

 ボクは積み上げられた本の上で、腹を出して寝ているペットの二フラーを撫でる。

 

「ゴールディ、お前のお陰で本来なら読めない本も読める。ありがとうね」

 

 図書室の奥には閲覧禁止の棚、通称”禁書の棚”がある。

 先生の許可証がなければ、持ち出しはおろか閲覧することも出来ないその本棚には、魔法省直々に指定した発禁本や生徒達が閲覧するには危険な本が所狭しと並んでいるという。

 

 ────本物の文化はいつだって迫害される。

 

 思考の自由を縛った所で、四角四面の馬鹿が量産されるだけだ。

 自由な思考と博識な頭脳にこそ想像力は宿るというのに……とまぁ愚痴はそこまでにしておこう。

 今回、ボクがこっそりゴールディに持ち出して貰った本は”魔法使いの定義”と”最も邪悪なる魔術の驚異について”だ。

 特にこの”魔法使いの定義”は、爺様が著者なだけあってよく出来ている。

 少し引っかかったのは、マグルの世界の超能力者であるユリ・ゲラーすらも引き合いに出して、古来から存在する魔法族のルーツを探る彼の本気ぶりだ。

 何せ、爺様が掲げてきたであろう純血魔法使いの痒い所を擽るイデオロギーを、この本では完全に否定している。

 恐らくこの本が発禁本に指定されたのも、著者が理由というよりかは書かれている内容に寄るところが大きい。

 今の魔法界の構造上、あまりにも不都合なのだ。

 

「確かに楽しんで読めるけど……これを読んだ人はさぞビックリしただろうなぁ」

 

 元々、真実に嘘を混ぜた話で人を惹きつけるのは、詐欺師たるゲラート・グリンデルバルドの専売特許。

 しかし、この本には根拠や検証といった部分があまりにも少なく、殆どが憶測や推論で成り立っている。

 

 ────まるで神話を読んでいるようだ。

 

 そして、だからこそ読んだ人々の心を捉えて離さない。

 もしかしたら……という空想を掻き立てるのが絶妙に上手いのだ。

 一通り読み終えたボクは、パタンと本を閉じる。

 

「いやぁ楽しいね。くだらない学業にさえ目を瞑ればここは天国だよ。何せ古今東西の発禁本を実質、自由に閲覧できるんだから。疲れたら六・七年生の教科書で気分転換もできるし」

 

 折角の冬休みだ。

 有用に使わなければ、わざわざ学校に残ってじっとしている事すら馬鹿らしく思えてくる。

 

「それに今日は他のお楽しみもある事だし。悪くはないかな」

 

 席からぴょんと飛び上がったボクは昨日、校内で発見した気になる物の元へと向かうことに決めた。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 本来、火急の案件の時にしか開かれない開かずの会議室。

 しかし現在、その場には大勢の魔女と魔法使いがいた。

 皆それぞれが魔女や魔法使いにふさわしく、ひっきりなしに早口でおしゃべりをしている。

 そんな中、初老の女性が口を開いた。

 

「静粛に、静粛に。黙らせ呪文を使わせるつもりですか?……結構、臨時総会を開催します。今回は魔法大臣コーネリウス・ファッジに変わりまして私、魔法法執行部部長アメリア・ボーンズが主催を務めさせて戴きます。若輩者ですがどうぞよろしくお願い致します」

 

 ぺこりと行儀よく頭を下げる仕草一つ見ても彼女の所作は清廉としていて隙がない。

 最近の若い魔法使いが忘れてしまったかけがえのないものの一つだ。

 そして、そんな彼女は偏見なく公平な判断をする人物ということで知られている。

 

「さて、これほど大勢がお集まりくださったことを嬉しく思います。魔法界はここ何年にも渡って平和に暮らしてきました。”第1次魔法戦争”から約10年。あの残酷な時代から平和を知る世代が育ちつつあることを喜ばしく思います」

 

 しかし、とボーンズは続ける。

 

「ここ1年の間に、我々イギリス魔法省は水面下にて発生する幾つもの不穏な動きを確認致しました。手元の資料をご覧下さい。まず、世界各地に存在する様々な魔法生物達の活動がこれまでに類を見ないほど活発化しております」

 

 配られた書類の一枚目には、ここ数ヶ月に起きた各地での魔法生物達の異変が事細かに記されていた。

 ハンガリーにいた山トロールが群れを成して欧州を横断中。

背中に竜の刺青を入れた巨人の大群が巨船を引いてギリシャの海を歩き回る。

ペルーに生息していたペルー・バイパースーツ種が一斉に飛び立った……などと大事件のてんこ盛り。

 地下四階にある魔法生物規制管理部は、徹夜を何回する羽目になったのやら。

 

「えー……この書類に書かれているのは、10年前に例のあの人に加担した闇の勢力も多々含まれております」

 

 ボーンズの後を引き継いだのは、二年前にアラスター・ムーディに変わり新しく闇払い局長に就任した男だった。

 

「それだけではありません。ここ最近はナリを潜めていますが、8月から9月にかけて頻発した純血の貴族の方々を狙った連続殺人事件も迷宮入りとなり、最近の情勢は非常に芳しくないと言えるでしょう。現在、我々はかつて闇の勢力に組した狼男達の動向を探りつつ、何らかの動きがあるまで静観するしかないのが現状です」

 

 魔法省の弱気な姿勢に辺りから一斉に罵声が浴びせられる。

 仕方のない話だ、と総会の末席に座っているルシウス・マルフォイはため息をついた。

 現状イギリス魔法省内で起きた事件は迷宮入り、動き出している魔法生物に関してもイギリスの外で起きた事件である以上、他国の魔法省の管轄だった。

 如何に怪しくとも、他国に口出ししてまで調査を進めるには圧倒的に材料が足りない。

 警戒しようとも先手が取れないのだ。

 

「やれやれ、図体がデカい組織も考えものだな。火急の時に限って動きが鈍い」

 

 ルシウスの隣で笑うのはコーバン・ヤックスリーだ。

 魔法省の権力争いに度々加担してきた彼もまた、この総会の末席に呼ばれていたのである。

 

「部屋を出ようかルシウス。どうせこの後は野次や罵声が飛び交うだけで何の進展もない。もうこの席に座っていても旨みは無いよ」

 

「……では、お言葉に甘えさせて戴きましょうか」

 

 促されるままに席を立つ。

 かつて死喰い人としてはルシウスよりも低い立ち位置だったヤックスリー。

 彼はこの十年で魔法省での地位を確立し、今や表の立場はマルフォイ家よりも上にまでなっていた。

 騒がしい会議室を出た二人は、廊下を歩きながら彼らにしか分からない内緒話(・・・)を始める。

 

「最後の被害者はジャグゾン、その前はエイブリー。彼らは全員何かしらの拷問を受けたあとがあった。魔法省の愚図共は単なる純血貴族を狙った凶行としか考えていないが……ルシウス、お前なら分かると思うが狙いは我々(死喰い人)だ」

 

「それは幾らなんでも話が飛躍し過ぎだと思いますが……まぁ少なくとも、ただのネジが外れた通り魔ではないでしょうな。犯人はその場にいた人間を尽く始末している。顔を見た者は1人として逃さない、生まれたての赤子も含めて。修羅場に慣れている証拠ですな。容赦がない」

 

「あのお方が突如いなくなってから10年。ようやく後ろめたい経歴が過去のものとして扱われ始めている矢先にコレだ」

 

「過去のものとして?おかしな話ですなヤックスリー卿。私の耳には未だに貴方の黒い噂が入ってくるのですがね? 政治に口出しをしてまで吸う甘い汁は大層美味なのでしょうな」

 

 ルシウスの吐いた毒に、ムッとするヤックスリー。

 この男を捜査をしていた闇払い達や政敵が不審な死を遂げるのは有名な話だ。

 そして、それらの事件は瞬く間に迷宮入りとなる。

 ヤックスリーが魔法省でも上の人間と密接な関係にあるというのは間違いない。

 

「何事もクリーンにはいかないものさ。少しの濁りはどの場にも必要だ。生き物が生きていく為にはね」

 

「少しの、ねえ」

 

「……ルシウス、お前とて例外じゃないだろう。でなければあのウィーズリーに尻を追っかけ回されて、ボージンの店に通い詰めにはならない筈だ」

 

 つまらなそうに鼻を鳴らすヤックスリーに、ルシウスは語気を強める。

 

「勘違いして貰っては困るが。神に誓って息子が産まれてから、私は人の生き死にを左右する事柄には関わってはいない。君と違って」

 

「……今さら善人ヅラかね?」

 

「どうですかな。慈善事業に精を出した覚えはありませんが。とはいえ個人的にはその台詞のチョイスは鼻につく」

 

 己の私利私欲の為、あっさりと子供まで殺せるこの下衆に同族と思われていた事は恥と言ってよかった。

 昔からそうだったが、ルシウスは”例のあの人”が率いる下品で粗野な他の死喰い人達とは気が合わない。

 頭を働かせず、面倒なら殺せば済む。

 そうやって短慮を起こす輩のせいで何度アズカバンに送りかけられたことか。

 

「悪かったよ。身内の葬式にこう何遍も呼び出されると、どうにも気が滅入ってしまってね」

 

「ほう、貴方がそんなにも仲間思いであったとは意外ですな。闇の帝王が身を隠した際、いの一番に日和った人間の中には貴方の姿もあったと記憶しているのですがねえ」

 

 ルシウスが本気でイラついているのが分かったのだろう、ヤックスリーは肩を竦めておどけた。

 

「カリカリするのはよせ。私が言いたいのはだ。天秤を動かそうとしている者がいる。そしてお前には息子やナルシッサがいる。身辺には充分に気を配っておいた方が良いということだ。人間、守る物があると何かと動き辛くなるからな」

 

「その御心遣いだけ受け取っておきましょう。幸いなことに、ナルシッサもドラコも私の足枷となるほど愚鈍ではない。貴方こそ背中に気をつけた方がよろしいのでは?闇の帝王がいなくなってからは、随分と”安全な貴族の遊び”をしているようだが、自分だけは絶対に死なないというその自信が隙となる。まぁ十代にありがちな誇大妄想ですが、私は、世の中の仕組みがそんなに甘くできているとは、とても思えないのでね」

 

 人の命の心配するということは、裏を返せばまだ自分は大丈夫だとタカをくくっているという事に他ならない。

 そんな彼の驕りをルシウスは痛烈に皮肉った。

 

「……そうかね。なら好きにするといい」

 

 ピクリと眉を動かしたヤックスリー、しかし意外にも彼はそれ以上言い返すことはしなかった。

 此方に手を振って簡単な別れの挨拶を済ませると、ヤックスリーは姿くらましをしてルシウスの前から姿を消した。

 消えた残滓を憎々しげに見やったルシウスは、重いため息を吐く。

 

「娑婆で息をしている死喰い人(デス・イーター)の大半は、私や貴方も含めて保身ばかり考えるしょうもない小悪党ばかりだ。今さら誰が殺されようと関係はない。どうせあの御方が舞い戻れば私達は全員皆殺しだ」

 

 ルシウスは右腕を覆っているローブを捲る。

 少し前まで掠れ消えそうであった闇の印がまた濃くなっていた。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 その日、ハリーは浮かれていたのだろう。

 

 何せ、今まで生きてきた中でも最高のクリスマスだ。

 ハグリッドからは梟の声がする粗削りな木の横笛。

 ウィーズリー家からはウィーズリー家特製セーター。

 ハーマイオニーもちゃんと忘れずに蛙チョコを贈ってくれていた。

 今の今まで、クリスマスプレゼントを貰った事など無いに等しかったハリーは天にも昇る思いだったのである。

 

「はぁっ……はぁっ……ッ!!」

 

 そんなハリーは現在、真夜中の校内でフィルチに追っかけ回され、絶賛疾走中。

 持ち出したランプはひっくり返してしまった拍子に灯りが消えてしまい、使い物にならない。

 お陰で真っ暗な視界の中、出来るだけ息を殺しながら走るという器用なことをする羽目になっている。

 ちなみに、ハリーがこんな行動に出てしまったのにはちゃんと理由があった。

 

 ────君のお父さんが亡くなる前にこれを私に預けた。君に返す時が来たようだ。上手に扱いなさい、メリークリスマス

 

 名前も分からない誰かからのクリスマスプレゼント。

 纏った者の姿を隠す透明マント。父の形見。

 このマントを着ていれば、ホグワーツ中を自由に歩ける。

 そんなバカなことを考えてしまったのがそもそもの始まりだったのである。

 

「先生、誰かが夜中にも歩き回っていたら直接先生にお知らせするんでしたよねぇ。誰かが図書館に、しかも閲覧禁止の所にいました」

 

「閲覧禁止の棚?それならまだ遠くまで行ってはいまい。捕まえられる」

 

 直ぐ近くから聞こえてくる憎らしいフィルチの声。

 最悪な事に、いつの間にかスネイプの猫なで声まで追加されていた。

 彼らが前方の角を曲がって、こちらにやってくるのが足音で分かったハリーは血の気が引く。

 もちろんハリーの姿は見えないはずだが、如何せん狭い廊下だ。

 もっと近づいてくればハリーにまともにぶつかってしまう。

 そう、透明マントはハリーの身体そのものを消してくれるわけではない。

 

(頼むからこっちに気づかないでくれよ……)

 

 ハリーはできるだけ静かに後ずさりした。

 左手のドアが少し開いていたので、それが最後の望みの綱。

 息を殺し、ドアを動かさないようにして、ハリーは隙間からそっと滑り込む。

 

「……ふぅ……」

 

 危なかった。危機一髪だった。

 数秒後、ハリーはやっと自分が今隠れている部屋を見回す余裕が出来る。

 

「何だろう……ここ」

 

 昔使われていた教室のような部屋だった。

 机と椅子が黒い影のように壁際に積み上げられ、ゴミ箱も逆さにして置いてある。

 フィルチやスネイプの足音も聞こえなくなり、落ち着きを取り戻しつつあったハリーは、息を潜めながらも透明マントをバサッと脱ぎ捨てた。

 極度の緊張と全力疾走したせいで、いい加減暑苦しかったのだ。

 

「……」

 

 部屋の中は、どこまでも広いようで狭い。

 何より異様なのは、部屋の端にある大きな鏡だった。

 それは、天井まで届くような背の高い見事な鏡で、金の装飾豊かな枠には二本の鈎爪状の脚がついている。

 そして……

 

「ッ!?」

 

 遅ればせながらハリーは、この部屋に自分以外の人間がいることに気がついた。

 鏡。その正面の椅子に跨った女の子がロリポップを咥えながら、ぼうっと鏡を見つめている。

 その背中は魂が抜けているかのように力が篭っていない。

 

「えーと……メルム?」

 

「……どうしたポッター、こんな夜更けに。お前も冬休みはひとりぼっちか?」

 

 ハリーに向けられる目はどこか濁っている。

 鈴のように良く通る声も、今は少し擦れていた。

 改めて見回すと部屋の中は真っ暗だった。

 窓から外の景色を一切遮断するように覆う無骨なカーテン。

 闇に包まれた部屋は、まるで呼吸をするかのようにその質量を膨らませている。

 

「何を見てるの?」

 

「私の望みだよ。未来でもある」

 

 意味が分からない。

 だが、彼女はそれ以上説明する気はないらしく、再び視線を鏡へと戻す。

 正直に言うと、部屋の不気味な雰囲気も相まって今のメルムはどこか近寄りがたかった。

 

「望みというモノは酷く曖昧だ。目先の物欲や恋慕、上昇欲に野心、挙げればキリがない。幾つもの願いを人という生き物は常に秘めている。その中で最も強い望みとは何か。多くの人間は薄っぺらい欲望を己の本当の望みと錯覚している、心の奥底ではまったく違うものを欲しているのにな。ヒトの心は複雑なものだと実感させてくれる良い例だよ」

 

 いよいよおかしい。

 いつもの彼女とはどこか違う気がする。そもそもこんなにハキハキとした口調だっただろうか。

 なんとも説明し辛い。だが今の彼女からは嫌な感じがするのだ。

 一体今、目の前で鏡を眺めている少女はなんなのか。

 空気が生ぬるい。

 息苦しさを覚えたハリーは、部屋の端までいって窓を開ける。

 けれど新鮮な空気が室内に流れることはなく、滔々と夜空に朧月が浮かぶだけだ。

 

「どうした? お前もこっちに来ればいい。魔法省でも滅多に見れない骨董品だ。実に珍しいものだぞ、これは」

 

「いや、僕は……」

 

「いいから、こい」

 

 力の籠った言葉に、誘われるように体がフラフラと動いた。

 

「なんだって言うのさ……もう」

 

 言われた通りにメルムの傍らに立つハリー。

 恐る恐る横から鏡を覗き込むが、別段変わったものは映っていない。

 どんな恐ろしいものが映っているかと思いきや、いつものパジャマ姿の自分が映っているだけだ。

 確かに夜中に鏡に映った自分の姿は不気味ではあるが、それだけの話である。

 困惑したハリーの様子に満足そうに頷いたメルムは、むくりと席を立ち上がると顎で鏡の方を指す。座って見ろということだ。

 

「……え?」

 

 席に座った途端に、鏡の中の景色がガラリと変わった。

 先程までハリーしか映っていなかった鏡の中には現在、少なくとも十人くらいの人が映っている。

 慌てて肩越しに後ろを振り返ってみた……誰もいない。

 皆、透明なのだろうか? それとも、この部屋には透明の人が沢山いて、この鏡は透明でも映る仕掛けなんだろうか? 

 

「驚くのも無理はないか。上に刻まれた文字を見るといい。賢ければ、この鏡が何を映しているのか直ぐに分かる」

 

 鏡の上に刻まれた文字を指さしメルムは口の端だけで笑った。

 

 ────すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ

 

 ハリーはもう一度鏡を覗き込んで見た。

 すぐ後ろに立っている女性が、ハリーに微笑みかけ手を振っている。

 とても綺麗な女性だった。

 深みがかかった赤い髪で、ハリーと形がそっくりな瞳は明るい翡翠色をしている。つまり瞳の色すらもハリーと同じだった。

 

「……ママ?」

 

 ハリーはその女の人が泣いているのに気づいた。

 微笑みながら、泣いている。

 痩せて背の高い黒髪の男性が傍にいて、腕を回して女性の肩を抱いていた。

 その男の人は、メガネをかけていて髪がクシャクシャだ。

 そしてハリー同様に後ろの毛が立っている。

 

「……パパ、なの?」

 

 後ろに手を伸ばしてみても空を掴むばかりだった。

 もし本当に二人がそこにいるのなら、こんな傍にいるのだから触れることが出来る筈だ。

 なのに、何の手応えもなかった。

 女の人も他の人達も、鏡の中にしかいなかった。

 

「『私は貴方の顔ではなく、貴方の心の望みを写す』。なるほど、お前の望みは失われた家族と共にいる自分か。なんとも分かりやすい悲劇だな、これは」

 

 メルムの言葉に、ようやくハリーは上に刻まれた文字が鏡写しになっていることに気がついた。

 

「鏡とは古来から境だった。日常と異界を繋ぐ通路として。鏡の歴史は意外にもかなり古い。鏡を使った魔術の歴史も。これはその応用だよ。それこそ鏡がない時代は、湖や川の水面を代用していたという話もあるくらいだし、こんな趣味の悪い物が実存していたとしてもおかしな話じゃあない。つまりそれだけ重要なのさ。己の姿を映すという事は」

 

 ぞくぞくした。メルムの話に。

 鏡に映った、この世ならざる者達に。

 それと同時にハリーは暖かい気持ちにもなった。

 この鏡に映るのは今はもう戻っては来ない人達だ。

 それを映し出すことで仮初とはいえ、ハリーは顔も覚えていない家族と再会出来た。

 

「なるほど……望みを映す鏡。この鏡は見た人を幸福にしてくれる鏡なんだね」

 

 ポッター家の人々がハリーに笑いかけ、手を振っている。

 ハリーは貪るように皆を見つめ、両手をピッタリと鏡に押しつける。

 恥ずかしい話だが、鏡の中に入り込み皆に触れたいとさえ思った。

 そんなハリーの姿を眺めていたメルムは、実に的外れな発言だと失笑する。

 

「幸福にしてくれる鏡?違うよ、これは自分がどれだけ不幸か確認する為のおまじないだ」

 

「……どういうこと?」

 

 こんな素晴らしい鏡を、メルムはまるで溝で這いずり回る鼠を見るかのような目をして眺めている。

 どうしてこの銀の少女が、そこまでこの鏡を嫌悪しているのか理由が分からないハリーは首を傾げた。

 

「簡単な話さ。幸福か不幸かを形にして外から見ないと安心出来ない時点で、この鏡の虜になった者達は幸せなんかじゃあない」

 

 うんざりしたようにメルムは、バリボリバリリッッ!! と口に咥えたロリポップを噛み砕く。

 なんとなく気まずくなった空気。

 ハリーは話題を変えようと、鏡とは違う話を振る。

 

「そういえばメルムはいっつもその棒飴をしゃぶっているよね。よほど好きなんだね」

 

「……いいや。別にこれが好きなわけじゃない」

 

「ならどうして?」

 

「妹が買ってきてくれたんだ」

 

 メルムは少し寂しげに微笑む。

 遠くを見つめるような、もう帰らない列車を見送るような、そんな顔だ。

 

「昔の話だよ。妹に比べて不出来で魔力の制御が覚束無い私は、滅多に外に連れ出しては貰えなかった。そんな私を可哀想に思ったんだろうな。妹が一緒に食べようと言って、よくお菓子をお裾分けしてくれた。それがこのロリポップだった。それ以来、これをよく買っている」

 

 意外だった。

 どこかぼんやりとしていて、しかしスイッチが入ると手がつけられないのがメルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドという少女だ。

 まさに自由奔放。心の何処かでハリーはメルムが一人っ子であると疑いもしなかった。

 

「優しい妹さんだね。その子も来年か再来年にはホグワーツに入学するのかい?」

 

「それはないな。妹は死んでしまったから」

 

「……え?」

 

 予想もしなかった返答にハリーは凍りつく。

 

死喰い人(デスイーター)に殺されたのさ。私がちょうど6歳の誕生日を迎えた日だった。あれだけ厳しかった両親もあっさりと殺された。生き残ったのは私だけだった」

 

 そういえば、ハリーはこの少女から家族の話を聞いたことは一回もなかった。

 てっきりハリーに気を使ってくれているとばかり思っていたのだ。

 クリスマスなのに家にも帰らず学校に居る。

 その意味を深く考えもせず、自身が馬鹿な質問をしてしまったことに遅まきながら気づく。

 

「ちょッ……え?……ごめん、無神経な話を振っちゃって」

 

 若干どもりながら謝るハリーに、気にするなとメルムは笑った。

 

「皆、何かしらナイーブな過去を持っている。お前だって両親をヴォルデモートに殺されているだろう」

 

「そりゃそうだけど……」

 

 何せ身内が死んだ話だ。

 話を振った側としては気が気ではない。

 とにかく、と話を切り上げるようにメルムは言う。

 

「鏡が見せるのは心の一番奥底にある一番強い望みだ。それ以上でもそれ以下でもない。お前は家族を知らないから、家族に囲まれた自分を見る。私だって例外じゃない。誰だってそうなる。しかし困ったことに、これは知識や真実を示してくれるものではない」

 

 パジャマの襟を掴まれてハリーは無理矢理席から退かされる。

 どかり、と代わりに席に座ったメルムが鏡を眺めながら話を続けた。

 

「分かるか?ぬか喜びのような幸福だけを与えて、都合の悪い現実から目を逸らさせるのがこの鏡だ。こういうのは見るだけで人に害を与える。夢に耽って、現実から逃避するのは破滅の始まりなんだ」

 

 それっきりメルムは黙りこくってしまう。

 もっともらしいことを言いつつも、鏡を独占するその姿は鏡の中の光景にハリー以上の執着を抱いていることに他ならない。

 頭では分かっていても、鏡から離れることが出来ない。そんな様子が退廃的で気味が悪かった。

 

「ねぇメルム。君には、鏡の中に何が見えているの?」

 

「……見たいか?」

 

 ハリーの問いに、メルムはニィと口の端を歪めた。

 此方にスっと伸ばされる小さな手。何か嫌な予感がした。

 潤んだ暗い瞳が、ハリーを見ている。

 

「いや……やっぱり遠慮しておくよ」

 

 咄嗟にその言葉を絞り出せたのは僥倖だった。

 誰だって見え透いている地雷を踏み抜こうとは思わない。

 メルムに背を向けると、ハリーは元来た道を引き返すべくドアの方へと爪先を向ける。

 いつものハリーならば、きっと鏡の中に映る家族達を飽きずにずっと眺めていただろう。

 だが、眼前の少女の放っている異様な雰囲気がハリーの熱を冷めさせていた。

 

「帰るのか?」

 

「うん。僕はもう寝るよ」

 

 そうハリーが答えると、目を閉じたメルムがふっ、と息を漏らす。

 それはまるで何かのスイッチを切り替えたようだった。

 彼女は目を開き、ハリーをまっすぐに見つめる。

 

「言うのが遅れちゃったけど。メリークリスマス、ポッター。今日は話せて楽しかったかな」

 

「……うん、そうだね。メリークリスマス、メルム。僕も楽しかったよ」

 

「まぁボクが言えた義理じゃないけど、あんまり夜更かしも校則違反もしないようにしないとね。皆に怒られちゃうからさ」

 

 クスクスと笑うメルム。

 柔らかめの口調にぼんやりとした雰囲気。

 それは至っていつものメルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドだった。

 

「おやすみポッター。夜も遅いから、帰る時には気をつけてね」

 

「分かった、帰りは透明マントを使うよ。それじゃおやすみ」

 

 別れの挨拶も早々に、透明マントを被って部屋を後にする。

 寮へ帰る足取りは自然と早くなった。

 先生に見つかったりフィルチに追っかけ回されたりする可能性もあったがハリーは気にしなかった。

 

 それだけハリーはあの異様な部屋から……いやメルムから、なるべく早く遠ざかりたかったのだ。

 

 

 

 ──────……

 

 

 

「ボクには何が見えている、か」

 

 ポッターが去り際に投げかけていった言葉を反芻し、ボクはドアから鏡へと視線を戻す。

 

 鏡の前には、ボクの姿が映っている。

 

 その周りには瞳から光が消えた男女が無数に倒れており、彼らが事切れているのは一目瞭然だ。

 青黒い業火に照らされた、幾つもの骸が転がる凄惨な光景。

 その中心で鏡の中のボクは、杖を振り回し未だに何かと戦っている。

 ふと、鏡の端でそれを見守る少女の姿を見つけて、現実のボクはふっと笑った。

 

「君はいつも笑ってくれないよね、ルシア」

 

 鏡の端に映り込んだ、髪と瞳の色以外はボクと瓜二つの女の子。

 快活によく笑っていた彼女の顔は、今はとても曇っていて物凄く悲しそうだった。

 

「しょうがないじゃないか。これがボクの望みなんだから。鏡の中と違うのは、君が居ないことくらいだ」

 

 鏡の中の少女は必死で首を横に振って、鏡を眺めているボクに何かを訴えかけている。

 だが、その声が届くことはない。鏡に映っている少女は幻想なのだから当然だ。

 本物の彼女は灰になってゴドリックの谷の墓の下。どうしようもない現実。残念無念。

 

「こんなことは間違っているし、誰も幸せにはならない。もし今でも君が生きていれば、そう言ってこの不甲斐ない姉を叱ってくれたんだろうか」

 

 そして二人で楽しく好きな国々を旅して毎日を過ごす。

 一つの棒飴を取り合いながら、それでも最後には笑って半分こに分け合って。

 そんな未来があったとでも? 

 

「本当に残念だけれど、そうはならなかった。そうはならなかったんだよルシア」

 

 私のせいで君は死んで、愚かな私はひとりぼっちで孤独に生きている。

 IFの話はどこまでいっても夢物語、鏡の中の話でしかない。

 如何に夢想しようとも、どうしようもない現実は日常に横たわっているのだ。

 

「冬休みで話す相手がいなかったからかな?ムシの良い夢を見てみたいと思って来たけど、そんなに良いものでもないね。未練が再確認出来ただけだ」

 

 席を立ち上がり、新たに取り出したロリポップをボクは咥える。

 

 ────幼い頃から右目には未来が映っていた。

 

 妹が死ぬのも両親が死ぬのも知っていた。私が一人取り残されるのも。

 知っていても、どうにもならなかった。

 だから未来に期待はしないし、さしたる希望もない。

 だって確定している未来に突き進むだけの人生なんて、河原に転がる石ころと変わらない。

 全てはno fate、必然、まったく悪い冗談だ。

 

「さてと。ボクも帰るかな。子供はもう寝る時間だし」

 

もうここに来ることはない。

 近くにいる誰か(・・)にそう聞こえるように言って、ボクは部屋を後にするのだった。

 

 

 

 




感想に誤字報告いつもありがとうございます( ◜ᴗ◝)و
今のところ亀更新となっていますがなるべく早く話数を増やせるように頑張って行きます!


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#010 禁じられた森

視える未来に興味はない。

終着地点を塗り変えてもつまらない。

私が執着しているもの。

それは、いつだって取り返しのつかないモノ(過去)だった。



 二年前の話だ。

 

 その日は、月に一度の模擬戦を訓練の内容に含めたお陰で、いつもよりも辛い訓練となった。

 とはいえ、精々が気分を悪くして胃が空っぽになるか、模擬戦で軽傷を負う程度のもの。自分から言わせればまだまだ甘い。

 そんな事を考えながら、訓練終わりにアラスター・ムーディが局長室で溜まった書類の整理をしていると、一人の男が入って来た。

 肩幅が広く、大柄なスキンヘッドの黒人。

 片耳に金のイヤリングをしているエキゾチックな風貌をしている男の名前は、キングズリー・シャックルボルト。

 ムーディが信を置く優秀な闇祓い(オーラー)の一人だ。

 

「どうしたキングズリー、飲みの誘いなら断るぞ。こっちは若手のお前と違ってまだまだ仕事があるのでな」

 

「そんなに時間は取らせないから安心して欲しい。メルムのことだ」

 

「あの馬鹿弟子か。奴が何かしでかしたか?」

 

「……ムーディ局長。貴方はあの娘をどうするつもりだ? 私は、彼女に訓練を辞めるよう言うべきだと思うのだがね」

 

 またその話か、とムーディは嘆息する。

 骨の髄まで仕事人間で堅物な彼は、ムーディが年端もいかない少女を闇祓いの訓練に参加させていることに、前から異議を唱えていた。

 

「何だ。儂の見込んだ娘が、これしきのおままごとについてこれない愚物だとでも?」

 

 確かに、普通のそこら辺にいる子供ならそうだ。

 泣き叫んで、もう二度とこんな事は御免だと言うだろう。

 何せムーディ自らが主導するこの訓練は、現役闇祓い(オーラー)ですら嘔吐するほどには過酷なものなのだから。

 キングズリーは首を横に振る。

 

「そういう話ではない。率直に言わせて貰えば、貴方はあの可愛らしい娘を怪物に育て上げようとしている。いい加減に真実に目を向けても良い頃合いだろう。貴方が彼女に教えているのは人殺しの方法だ」

 

 苦虫を噛み潰したような顔でそう吐き捨てるキングズリー。

 彼の気持ちも分からないでもない。

 現在、訓練に特別参加させている少女の年齢は僅か八歳。

 まだまだ遊びたい盛りで、それこそ花を摘んでいてもおかしくない年齢だ。

 親と子ほど離れた年齢の彼からすれば、やはり可哀想に思えてくるのだろう。

 

「人殺し、か……」

 

 ムーディは、孤児院で初めてメルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドを見た時を思い出す。

 

 訪れた孤児院は今まで見てきた中でもトップクラスに劣悪な環境下だった。

 イギリスの片田舎にある親から棄てられた子供達の終着駅、ギスギスとした雰囲気。

 誰も彼もが自分は独りだと理解しているのだろう、孤独な顔をしていた。

 そんな掃き溜めの端の端にあるゴミ捨て場、そこに打ち捨てられたように転がるボロ雑巾。

 それがメルムだった。

 

 ────あーあ、幸せになりたいなぁ。この世で、一番。そうすれば誰にも見下されずに済むのに

 

 孤児同士の喧嘩なのか、ボロボロで痣だらけの少女は静かに、声もあげず泣いていた。

 誰にも助けて貰えない、と身に染みて判っていたのだろう。

 子供が唯一縋れるであろう家族も、もはやいない。

 ただ、自分の人生はどうしてこんな事になったのだろう、と。

 独り静かに、壊れていた。

 

(あれは反則だ……あんなものを見てしまっては)

 

 何を恨むでもなく、自分が弱いせいだと受け入れて。

 あんな風に涙を流す子供はそういない。

 その時、ムーディは決めたのだ。

 ただ辛いだけの人生。

 何一つ良いことのなかったあの少女に、生まれてきて良かったと胸を張れる誇りを与えてやろう。

 独りでも生き残る力を授けてやろう。

 そう、思ってしまったのだ。

 

(そんな思い上がりが、儂の間違いだったのかもしれんな)

 

 燃え上がる孤児院、蒼黒の劫火を纏って背を震わせる少女。

 多少、魔法力の使い方と魔法を教えただけの筈だった。

 しかし生半可な知識が、ヒトには過ぎた天賦の才を暴走させた。

 感情的な少女はそれを上手く扱いきれず、またひとりぼっちになってしまった。

 そうなっては是非もない。

 

「キングズリーよ。たとえ人殺しの方法だろうが、それでも儂はあの子に力の使い方を教えてやらねばならん」

 

 無論、理由はそれだけではない。

 ムクムクとこの才を伸ばしてみたいという欲が出た。

 膨大な魔法力、一を聞いて十を知る利発さ、誰よりも強くなりたいという上昇志向、与えられたモノ以上を求め実行し続ける探究心。

 

 叩けば伸びる、今までの誰よりも。

 

 長年、闇祓い(オーラー)達を育て上げてきた勘がそう囁いていた。

 あの娘ならば未だ自分が見たことのない景色を見せてくれると。

 

「力の使い方、か……恥ずかしながら、私は彼女を怖いと思った。前々から言ってきたことだが、あの娘の訓練への死に物狂いな姿勢は勤勉を通り越している。もはやあれは執着や執念といった類のものだ」

 

 あえて感情を表に出さないようにキングズリーは淡々と話す。

 確かに訓練時のメルムは、ときたま戦場で感じるような濃密な殺気を纏っていることがある。

 小さな子供が発するとは、とても思えない気迫。

 他の闇祓い達が戸惑うのも無理はない。

 

「それに今回の模擬戦で気づいたことだが。模擬戦ですら彼女は死ぬ覚悟で戦っている。確実に相手を殺すべく杖を振るい、見透かしたように防御の全ては紙一重。一歩間違えれば致命傷を負うような攻撃すら、回避を最小限に抑えてその分、相手を多く殺す効率的な戦い方だ。幾ら魔術の才が秀でていようとも、これは中々出来ない」

 

 実戦形式とはいえ、やはり模擬戦。

 どこまでいっても命のやり取りではない。

 だからこそ厳しく訓練された闇祓いですら、どこか気の緩みが出てしまうものだ。

 メルムにはそれがない。

 

「あの娘の頭の中には極限の死の仮定が渦巻いている。そう思えてならないのだ……」

 

 ムーディもキングズリーも、第一次魔法戦争を生き抜いた歴戦の闇祓いだ。

 戦場にて凶悪な死喰い人達と命のやり取りをした経験は、そこらの魔法使いよりも豊富である。

 そして、だからこそ敏感になるのだ。

 あの歳に似つかわしくない獰猛な殺気や効率化された殺し方に。

 

「ムーディ局長は力の使い方を教えると言ったが。私はあの娘が真に力の使い方を知った時、何が起こるのか恐ろしくて堪らない……」

 

 そう言ってキングズリーはぶるり、と背を震わせた。

 ムーディも気づいてはいる。

 メルムの訓練に対する飽くなき向上心、その根底にある感情が決して清らかなものでないことには。

 彼女の瞳の奥では、常に怨嗟の炎が燃え盛っているのを知っている。

 

「あの娘を怪物に育て上げようとしていると先ほどは表現したが、あれは間違いだ。貴方は眠っている怪物を起こそうとしている。制御出来る自信もないのに、だ」

 

「ならばどうする。ここで放逐でもするのか?大した理由も無いのに?それこそ無責任というものだろうが……不安定な子供がいるのならば、大人が自身の背中を見せてしっかりと正しい道へと導く。お前にも儂はそうやって接してきた筈だ」

 

 諭すようなムーディの声音に、キングズリーは息を詰まらせる。

 数多くの闇祓いを育て上げ、第一次魔法戦争においては捕らえた死喰い人(デスイーター)でアズカバンの半分を埋めたとまで言われるアラスター・ムーディ。

 彼は戦いの過程で家族を殺されたが、決してその復讐に目が眩んで死喰い人を殺し回るような事はしなかった。

 口さがない魔法省の役人は、ムーディのことをキチガイだと陰口を叩くが、同僚である彼らはムーディの事を理性的な魔法使いであると評価している。

 そして、キングズリーもそんな背中を見てきた一人であったのだ。

 

「……分かった。貴方がそこまで言うのならば、私ももうこの話は今後一切しない。時間を取らせてすまなかった」

 

「気にするな。訓練で疲れてるんだろう。しっかりと寝て、くだらんことはとっとと忘れろ。明日も訓練はあるんだからな」

 

 それで会話は終わった。

 ガチャリ……バタン、とキングズリーの退室する音が室内に虚ろに響く。

 仕事も出来るが、こういう物分りが良いのも彼の美点だった。

 軽く目眩がして、ムーディは額に手を当てる。

 

「……儂とて分かっておるわ。自分の育てている魔法使いがどれほどの大器なのかは」

 

 目覚めさせてはならない才能であった。

 膨大な魔法力や高い魔法のセンス、貪欲な知識の吸収力。

 それだけなら、ムーディとてこうも頭を抱えたりはしない。

 

 一番の問題は、その生来の気質であろう容赦の無さだった。

 

 恐らくだがメルムは実戦になれば躊躇うことなく相手を殺せる。

 それもまた恐ろしい異才であることに違いない。

 

「あの馬鹿弟子には人の良心が欠けておる」

 

 キングズリーの報告では、闇祓い達からの評価は概ね良いものばかりだ。

 人懐っこく、可愛らしい幼い娘。

 ムーディの秘蔵っ子であることを鼻にもかけず、ひたすらに人の何倍も努力する姿勢は、見る者の心を打つ。

 一方で、メルムは市街にて暴力沙汰を何回か起こしていた。

 

「先月だけでも三件か……世話の焼ける奴だ」

 

 救いなのは、どの件も相手側に非がある事だろうか。

 大体は相手の子供が先にメルム本人を侮辱したり、家族の事を揶揄い、その末の返り討ちだ。

 ここがミソなのだが、喧嘩において彼女は訓練で習得した杖による魔法や魔法力を使ったことは一回もない。

 とはいえ、どれも子供の喧嘩には似つかわしくない内容ばかりだ。

 ある時は背後から拾った石で相手の頭をかち割り、またある時は真っ向から体術を使って相手の手足を捻り折っている。

『十七歳未満の者の周囲での魔法行為を嗅ぎ出す呪文』を意識してのことだろう。

 お陰でメルムの喧嘩沙汰は、何とかムーディ個人が知るだけに留まっており、魔法省では預かり知らないことになっている。

 

「魔法を使わない限り、大事にならずに個人間の喧嘩で済むと理解しておるか。まったく利発というか狡猾というか」

 

 自分に優しくしてくれる者とは非常に親しくする反面、一度敵と認識した者には一切の容赦なく手を下す。

 絶望的なまでに他人に興味が無いのだろう。

 興味のない相手なら幾らでも親切に出来るし、傷つけることも出来る。

 人としてどうかしているとしか言いようがなかった。

 

「それでも儂は……」

 

 見てみたいのだ、あの才の行き着く先を。

 そんな言葉を飲み込んだムーディ。

 彼は、脳裏に浮かんだ馬鹿な考えを振り切るように、再び仕事に没頭するのだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 クリスマス休暇が終わるとホグワーツには生徒達が戻ってきた。

 人気がなかった寮にも活気が戻り、しばらくは何事もなく日々が過ぎ去る。

 最近、専らの話題はクィディッチだ。

 グリフィンドールのチームが、スリザリンに続いてハッフルパフまで撃破したのである。

 この朗報にグリフィンドール寮は湧き上がり、スリザリン寮は落胆を隠せずにいた。

 クィディッチの寮対抗試合の成績は、寮の得点として加味される。

 ポッターというJOKERを手に入れたグリフィンドール寮は、その勢いに乗って寮杯にまで手が届く所まできていたのだ。

 今日までは、だが。

 

「おーい聞いたぞ?マルフォイの馬鹿共々やられたな」

 

「あー……40点減点喰らったアレだよね。分かってる」

 

 セオドールの呑気な声に応じ、ボクは死んだ魚のような目で大きな砂時計を見上げた。

 この時計は掲示板がわりに寮の得点を記録している。

 スリザリン寮の得点を見ると、ただでさえあまり旗色の良くなかったボクの寮の得点が四十点ほど少なくなっているのが分かった。

 

「深夜に校舎を出歩いたところを先生に見つかっちゃったんだよね……ごめんよ」

 

「別に良いさ。いつも得点を稼いでくれてるし、これで釣り合い取れたようなもんだろ。言い訳もしないしな。まぁそれでも40点はデカいが」

 

 だよね、とボクはため息を吐く。

 別に同じ寮の生徒達に気まずいとか申し訳ないとかは思わない。

 だが、自分の稼いできた点数が一夜にして水の泡となったのは中々心にくるものがあった。

 

「ていうかセオドールの言い方だと、まるで言い訳した馬鹿がいるみたいだけど……マルフォイかな?」

 

「ピンポーン、大正解。なんと驚いたことに、『ハリー・ポッターがドラゴンを連れて天文台の塔に現れる、それを現行犯で捕まえる為だった!』ときた。マクゴナガルも今回ばかりは、聖マンゴにマルフォイを叩き込むか迷っただろうな」

 

 ちなみにそんなボクらの願う、マルフォイにとって最悪の未来が訪れることはなかった。

 その理由は、グリフィンドール寮の得点にある。

 

「一晩でグリフィンドール寮も150の減点かあ」

 

「あぁ。ドラゴンなんて嘘っぱちで、マルフォイに一杯食わせる為にベッドから誘き出したのまでは良かったのにな。仕掛け人が見つかったら本末転倒だ」

 

 現在、学校全体で広まっている噂がある。

 何人かの馬鹿な一年生達と一緒になって、ポッターがスリザリン生を罠に掛けようとして自爆した、という内容だ。

 大体の生徒にとっては青天の霹靂以外の何物でもない。

 しかし真相を知っているボクとしては、話がデカくならなくて本当に良かったとホッとしていたりもする。

 

(まぁ先生達も、本当にドラゴンを飼おうなんて考えている危険人物がまさか校内にいるとは思わないだろうしね)

 

 元はといえば、ボクの麗しき友人であるハグリッドの血迷った行動が事の発端である。

 なんと彼は、ドラゴンを飼うという長年の夢を遂に実行に移してしまったのだ。

 しかも数あるドラゴンの中でも、特に凶暴で有名なノルウェー・リッジバック種というお墨付き。

 

 ────メルム、ほーら見ろ!ノーバートはちゃあんとママが分かっとる!ええ子だあ!今日からここがお前の家だぞぉ! 

 

 ────本気で言ってるの?ここ木造建築だよね。火災保険入ってる? 

 

 幸いにも見せて貰ったドラゴンは、卵から孵ったばかりの状態であり危険ではあるが脅威とまではいかなかった。

 その時に無理矢理でも良いから処分でも放逐でもしたなら、ここまで大事にはならなかっただろう。

 ボクの大きな間違いは、まだハグリッドを良識ある大人だと信じていたことだ。

 まさかドラゴンを飼い続けるなど夢にも思わなかったボクは、出来るだけ早く手放すようにハグリッドに言い含めて、帰ってしまったのだ。

 二週間後に森番の小屋を訪れた時の絶望を、ボクは今も忘れられない。

 

 ────……なんで処分してないの? 

 

 ────処分?何を言うちょるかメルム!そんなの可哀想じゃろうが! 

 

 絶句した。言葉にならない感覚は久しぶりだった。

 小屋の外に座り込んでいる大型ボアハウンド犬のファング。

 可哀想に、ファングの尻尾には包帯が巻かれていた。

 ハグリッドの小屋といえば、凄まじい速度で成長したノーバートによって今にも破裂しそうである。

 

 ────どうするつもりなの。こんなに大きくなっちゃって

 

 ────大丈夫。大丈夫だメルムや。ノーバートは優しい子だ……痛ッッ!?……あーよしよし怖くないからなぁママちゃんでちゅよー

 

 限界だった。

 ブーツを噛まれて、それでも赤ちゃん言葉で怪物に囁く大男にも。遊びに来たのに、寒さに震えながら小屋にすら入れないで窓越しに話している現状にも。

 ボクは思考を放棄することにした。

 

 ────あー……小屋が吹き飛んで、ハグリッドもファングもドラゴンの胃の中に入るまでボクは待った方がいい? 

 

 ────心配するな。もうハリー達が、ルーマニアでドラゴンの研究をしちょるチャーリーに連絡を取った……グズッ……グズッ……ノーバートは奴さんに預けることにした! 

 

 ノーバートとの別れに咽び泣くハグリッド。

 バーン!と尻尾でもぶつけたのか音を立てて震える窓。

 何もかもが正気じゃなかった。

 

 ────そか。無事に成功するといいね。朗報を期待してるよ

 

 ────んにゃ、お前さんにもやって貰う事がある。そうハーマイオニーが言っちょった

 

 ────……は?なんて? 

 

 そこで聞かされたのが、今回の騒動の原因となった計画だ。

 ドラゴンをポッターの透明マントで隠し、真夜中の天文台の塔にてチャーリー達にこっそり引き渡すという滅茶苦茶な計画。

 

 まず、どうやって小さな家ほどもあるドラゴンを透明マントに隠し、あまつさえ持ち運ぶのか。

 

 そもそも巡回中のフィルチや先生達にバレずに立ち回れるのか。

 

 この件を詳細まで知っており、恐らく妨害してくるであろうマルフォイをどうするのか。

 

 課題は山積みであり、十中八九大失敗する泥舟にボクは目を覆った。

 とはいえ、ボクに課せられた使命は簡単だった。

 それは、巨大な赤ちゃんドラゴンを持ち運べる大きさに縮小する事である。

 

 ────縮め(レデュシオ)! 

 

 ────凄いわね……これ上級生で習う縮小呪文じゃない。もう先取りしているの? 

 

 ────そんな感じかな。ほら行くよハーマイオニー、ポッター。マルフォイは多分大丈夫だと思う。マクゴナガル先生にチクったから。巡回中の先生達もそっちに掛かりっきりで忙しくなるだろうしね

 

 ────メルム、今回ばかりは君がいてくれて本当に助かったよ

 

 そう。マルフォイの馬鹿をマクゴナガル先生にぶつけたまでは酷く順調だった。

 幸いにもポッターの透明マントは、三人全員をすっぽり覆い隠すほど大きいサイズだったし。

 問題となったのは帰りである。

 螺旋階段を降りた先で、フィルチが待ち構えていたのだ。

 

 ────さて、さて、さて。これは困ったことになりましたねぇ

 

 ドラゴンから解放された喜びと、マルフォイにマクゴナガル先生をぶつけられた喜び。

 ハイになっていたポッターとハーマイオニーは、透明マントとボクを置き去りにして滑るように降りたっきり帰ってこなかった。

 ちなみに、フィルチ管理人を密かに手配したのはボクである。

 これだけの騒動にボクを巻き込んでおいて、タダで済ませるわけが無いのだ。

 悪いがスリザリンの寮杯獲得の為にも、彼らにはここで散ってもらう。

 

 ────やれやれ。詰めが甘いよね二人ともさ。駄目だよ、最後まで気を抜いちゃ

 

 ────そうじゃなメルムよ。お主も悪知恵を働かせるなら、もう少し頭を捻らねばの? 

 

 ────……えぇ……なんでぇ……

 

 今まで校則違反は見逃されたが、今度はならず。

 人を呪わば穴二つ。

 いつも通り突如現れたダンブルドア校長によって、なんとボクは二十点を引かれ、罰則まで賜ったのであった。

 

「そういえばさ。なんでグリフィンドールは150点減点なの?ポッターとグレンジャーで50点ずつ失点だった筈だけど?」

 

 悲しき回想から戻ったボクは、隣で未だに砂時計を眺めているセオドールに聞く。

 ニヤリと彼は笑った。

 

「ポッター達の四方山話を本気にしたネビル・ロングボトムが夜中に出歩いちまってたのさ。可哀想なネビルは危険を知らせようと二人を探し、そしてマクゴナガルにとっ捕まった」

 

 五十点減点が三人分、よって百五十点減点。

 なるほど計算が合う。

 それにしても悲惨な話だ。

 真夜中の校内を歩き回るなど、あの怖がりにとっては相当大変だったに違いない。

 おまけにグリフィンドールの得点が最下位に落ちた原因を図らずも担ってしまった。

 昨日の夜、彼はずっと枕に顔を埋めて泣きじゃくっていたに違いない。

 

「メルムも罰則を受けるんだろ?今回のお題は何かな。廊下を雑巾掛け?それともフィルチの部屋でトロフィー洗い?何にせよ気になるとこじゃないか」

 

「他人事だと思って……」

 

「だって俺、良い子だもーん」

 

 そんなやり取りから何週間も立ち、試験一週間前を迎えたある日。

 あの事件に関わった人間全員が、罰則の事などすっぽり忘れてしまった頃に、それは知らされた。

 

 

 

 ────処罰は今夜十一時に行う。集合場所は玄関ホール。内容は禁じられた森の探索。詳細は同行する森番のハグリッドから直接聞かれたし

 

 

 

「はぁぁぁぁぁああああああああああああああああッッッ!!??」

 

 所詮、学生の罰則なんてこんなもんか。

 そうシラケていたボクから少し離れた席。

 そこからこの世の終わりかのような絶叫が聞こえてきたのであった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「はぁ……もう11時か。それじゃ行ってくるよ」

 

 夜十一時、一週間後に迫る試験への対策でミリセントとセオドールの三人で勉強していたボクは、二人に別れを告げた。

 ノートと睨めっこするのに飽きたのか、爆睡するミリセントからは当然の如く返事はない。

 代わりに、耳に羽根ペンを引っ掛けたセオドールが軽口を叩いてきた。

 

「おう。墓には何をお供えすればいい?」

 

「それならまず、骨を拾うところから始めなくっちゃね。くれぐれもマルフォイの骨と間違えないでよ。それとお供え物はファイア・ウィスキーだからね」

 

「チョイスが渋いねぇ、オッサンかよ」

 

 余計なお世話だ。

 教えた事が七割しか入らない馬鹿の頭を叩くと、ボクは談話室を抜けて玄関ホールへと向かう。

 禁じられた森は行き慣れているので気楽ではあるが、罰則を受けるという事実からくる憂鬱な気分は晴れない。

 それは玄関ホールへ向かう途中、マルフォイの奴に出くわしたことでさらに加速する。

 

「やぁ君も罰則かい?グリンデルバルド」

 

 そういえばボクは、マルフォイが処罰を受けることをすっかり忘れていた。

 彼は、待ち合わせしていた恋人でも見つけたかのように手を挙げて此方へと走ってくる。

 その素早さときたら、まるでボクの傍にガリオン金貨が落ちていたのかと思うほどだった。

 

「仲良しこよしのポッター達と一緒に、ドラゴンを天文台の塔に連れていく最中に見つかったんだろう?いい気味だ。君もこれからは分を弁えるという事を知った方がいい。父上は言っていたよ。君のような不良の生徒がスリザリンを腐らすってさ」

 

 ペラペラとボクの隣で囀るマルフォイ。

 本当に人の気分を逆撫でする天才だ。

 罰則を受ける前でさえなければ、今すぐにでも手足の一本や二本はへし折っている。

 というか、ボクはこの学校に来てから二度ほど彼の事を叩きのめしている筈なのだが、存外に強いメンタルをお持ちらしい。

 

「まだそんな事を言っているの。ボクがポッター達とドラゴンを連れて校内に?妄想もそこまで行くと狂気だよ」

 

「誤魔化したって無駄だぞ。僕は見たんだ!召使いのハグリッドがドラゴンの卵を孵しているところを!」

 

 マルフォイの甲高く叫ぶ声が、ボクの耳にキンキンと響く。

 どうやらポッターに一杯食わされたと噂されたのが、相当気に食わないらしい。

 ボクは肩を竦めて呆れた風を装った。

 

「夢でも見てたんじゃない?常識的に考えて有り得ないよ。第一、そのドラゴンは何処に行ったのさ。君の話が本当なら、今頃校舎は大火事になってボク達は何処かに避難する羽目になってるけど?」

 

「ボクはウィーズリーの手紙も見たんだ。ドラゴンはあのウィーズリー兄弟の関係者が引き取ってルーマニアで育てるって」

 

「ふーん、作り話としてはよく出来ているね。けどさ、そんな大きな怪物をどうやって持ち運ぶの?それも先生に見つからずに」

 

 マルフォイがグッと詰まる。

 前にポッター達から聞いた話だと、マルフォイは彼の持っている透明マントの存在を知らない。

 法律違反のドラゴンを引き渡す事実には辿り着いても、そのカラクリを解くことは出来ないのだ。

 

「ポッターにハメられたからって、妄想をさも現実のように話すのは滑稽だよ。それこそ君の父上にでも聞いてみるといいさ。僕の言っている事の方が正しいですよね?って」

 

 勿論、そんなことをすれば彼のお優しい父上は可愛い愛息子に聖マンゴで脳味噌の検査をお勧めするだろう。

 悔しそうに歯噛みするしかない彼を放って、ボクは早歩きで玄関ホールへと向かう。

 

「あ、いたいた。あれだあれ……って……」

 

 玄関ホールに到着したボクが真っ先に見た光景。

 それは先に到着していたらしいネビルが、フィルチさんから少し距離を取った場所に座り込んで、メソメソと泣いているというものだった。

 会話相手がフィルチさんしかいなかった彼は、今日一不幸だったに違いない。

 罰則について、ある事もない事も色々吹き込まれたネビルは相当怯えていた。

 

「やぁ、お久しぶりネビル。今回は災難だったね」

 

 俯いてメソメソしている彼に声を掛けると、ネビルは意外そうな顔をしてボクを仰ぎ見た。

 

「あれメルム?君も罰則を受けるの?」

 

「そうだよ。ボクも真夜中に校舎を歩き回ってて捕まっちゃってさ。ドジ踏んじゃったよ」

 

「そうなんだ!僕も同じだよ!」

 

 同族を見つけた、とばかりにネビルは顔をパッと明るくさせる。

 罰則を受ける彼には、同じ寮のポッターやハーマイオニーがいる筈だが、捕まった成り行きもあって内心複雑な気持ちなのだとか。

 まぁ同じ立場なら許せないよね。

 

「よし全員揃ったな。ついて来い」

 

 暫くしてポッターとハーマイオニーも到着し、今夜の生贄が全員揃ったのを確認したフィルチさんはランプを灯し、先に外を歩き始めた。

 

「規則を破る前に、よーく考えるようになったろうねぇ。どうかね?」

 

 意地の悪い目つきで、後ろをついてくるボク達にそう囁くフィルチさん。

 彼には悪いが、規則を破る事への抵抗はあんまりない。

 今回はヘマしたが、次はもっと用心しようと思うだけである。

 そんな不届き者がいるとも知らずに、フィルチさんはうっとりした口調で語り続ける。

 

「あぁ、そうだとも……私に言わせりゃ、しごいて痛い目を見せるのが一番の薬だよ。昔のような体罰が無くなって、まったく残念だ……手首を括って天井から数日吊るしたもんだ。今でも私の事務所に鎖は取ってあるがね……万一必要になった時に備えて、ピカピカに磨いてあるよぉ……」

 

 そこらの怪談の語り手よりも余程、雰囲気のある話し方だった。

 ネビルだけでなく、マルフォイやポッターの表情まで硬くなっている。

 そうやってフィルチさんの怪談話を聞きながら何分歩いたのか。

 真っ暗な校庭を一行が横切った時、ふと気になった事があったボクはフィルチさんへと問いかける。

 

「そういえばフィルチさん」

 

「うん?なんだい、グリンデルバルドのお嬢ちゃん」

 

 まさか此方から会話を振られるとは思ってなかったのだろう、フィルチさんは不思議そうな顔をする。

 

「アクロマンチュラと出くわした時は、どうすれば良いの?」

 

「……それはハグリッドに聞け」

 

 アクロマンチュラという単語にピクリと眉を動かしたフィルチさんは、それっきり黙ってしまう。

 他の皆は、ボクが何の事を言っているか分からないと困惑していた。

 当然といえば当然である。

 禁じられた森の奥深くまで踏み入った事がある人間でなければ通じない言葉なのだから。

 

(フレッド&ジョージ先輩も知っていたくらいだ。そりゃあ学校の管理人であるフィルチさんも入った事があるに決まってるよね)

 

 あの森に住まう怪物蜘蛛(アクロマンチュラ)。小山のように大きい親蜘蛛と馬並みにデカい無数の眷属達。

 面白半分で振ってみた話題だが、意外にも効果は抜群。

 アレに追っかけ回される恐怖はどうやら嫌味な管理人も経験していたらしい。

 

「フィルチか?急いでくれ。俺はもう出発したい」

 

 行く手から今回の元凶であるハグリッドの特徴的な大声が聞こえてくる。

 彼は、ファングをすぐ後ろに従えてヌゥッと暗闇の中から大股で現れた。

 大きな石弓を持ち、肩に矢筒を背負っている。

 さながらジャングルの奥に住む原住民といった出で立ちに、ポッターが感嘆の声を上げた。

 ボク? 勿論、ドン引きだ。

 巷ではワイルドな男がモテるらしいが、彼は些かワイルド過ぎる。

 

「それじゃあ夜明けに戻って来るよ。こいつらの体の残ってる部分だけ引き取りにねぇ」

 

 フィルチさんは嫌味たっぷりにそう言うと、城へと帰っていく。

 どうやら道案内人とはここでお別れのようだった。

 ランプが暗闇にゆらゆらと消えていく。

 

「まったくフィルチの奴。散々僕達を脅かして!もう一週間は顔を見たくないよ」

 

「あら、奇遇ねハリー。私もまったく同じことを思っていたわ」

 

 ポッターやハーマイオニーはクソ野郎のお帰りにご満悦である。

 無論、ボクも同じ気持ちだ。

 フィルチさんと一緒にいた方が楽しいと考える人間の方が少ない。

 それは、彼がいまだに独り身であるという事実によって証明されている。

 とはいえ、二人は重大な勘違いをしている。

 そう。友達のハグリッドと一緒なら禁じられた森の探索もピクニックになると考えているなら大間違いだ。

 

「俺と一緒だからって気を抜くんじゃないぞ二人とも。通常なら俺やファングがおれば、森の連中は手を出してこない。だが、今の森はどこかおかしい。用心しとくに越したことはねぇ。いざという時に自分を守れるのは自分だけだからな」

 

 そう、現在の森は普通じゃない。

 ボクもここ一、二週間の間、休日の日課をこなしていたから分かる。

 何故か知らないが、禁じられた森に住む魔法生物達が殺気立っているのだ。

 まるで何かに怯えるように。

 そんな森の異変を感じ取ったのか、マルフォイが掠れた声でハグリットへと訴えかける。

 

「僕は森に行かない」

 

「ホグワーツに残りたいのなら行かねばならん。悪いことをしたんじゃから、その償いをせにゃならん」

 

 言っていることは、なるほど。ぐうの音も出ない正論だ。

 だが、この場にいるその他被害者四人を前にして、よくそんな言葉が出るものだとボクは内心呆れ返った。

 何せ、ハグリッドがドラゴンを飼おうなどというとち狂った真似さえしなければ、ボクらもこんな夜の森の探索などする必要はなかったのだから。

 

(ハグリッドにはそこの所をよく考えて欲しいね。ボク達はともかくとして、これじゃネビルがあまりにも哀れだ)

 

 その後もマルフォイは、森に行くのは召使いのすることだとか、こんなことを父上が知ったらどうとか言っていたが、糠に釘。

 頑なに正論を吐くハグリッドには勝てない。

 最終的には、心の折れたマルフォイが視線を落としうなだれることで決着が着く。

 

「よーし。それじゃあ、よーく聞いちょくれ。なんせ俺達が今夜やろうとしていることは危険なんだ。みんな軽はずみなことをしちゃいかん。しばらくは俺について来ちょくれ」

 

 ハグリッドが先頭に立って、森のはずれまでやってきた。

 ランプを高く掲げ、ハグリッドは暗く生い茂った木々の奥へと消えていく細いな曲がりくねった獣道を指さした。

 森の中をのぞき込むと一陣の風がボクの髪を逆立てる。

 

「あそこを見ろ。地面に光ったものが見えるだろう。銀色の物だ。ありゃあ一角獣(ユニコーン)の血でな? 何者かに酷く傷つけられ一角獣(ユニコーン)が、この森の中にいる。今週になって2回目だ。水曜日に最初の死骸を見つけた。みんなでかわいそうなヤツを見つけ出すんだ。助からないなら、苦しまないようにしてやらねばならん」

 

 真っ暗でシーンとした森、木霊するハグリッドの声。

 真夜中の森が生み出す不気味な雰囲気は、ボクでさえ少しゾクッと来るものがある。

 目の前を見れば、ちょうど道が二手に分かれていた。

 全員で一箇所を探すのは非効率だ、とハグリッドはここで二組に分ける事を提案する。

 

「よーし!では二組に分かれて別々の道を行こう。そこら中血だらけだからな。一角獣(ユニコーン)は少なくとも昨日の夜からのたうち回っとる。組み分けに希望はあるか?」

 

「はい!僕はファングと一緒が良い!」

 

 ファングの長い牙をみて、マルフォイが早口でそう言った。

 ハグリッドは生暖かい目をして何も言わなかったが、ボクは知っている。

 ファングが部屋の隅に出てくるゴキブリにすらビビり倒すほどの見掛け倒しだという事を。

 

「そんじゃ、ハリーとハーマイオニーとメルムは俺と一緒に行こう。ネビルとドラコはファングと一緒に別の道だ。もし一角獣(ユニコーン)を見つけたら緑の光を打ち上げる。困った事があったら赤い光を打ち上げろ。みんなで助けに行く」

 

 じゃ、気をつけてな。

 ネビルとマルフォイとファングという、一ミリも役に立たなそうな地獄のメンツを結成させたハグリッドは、割と気軽にそう告げたのだった。

 

 

 

 

 




なんか多機能フォーム?というヤツにあった文章整形を全部の話に適用させてみました。
読みにくいとかあったらご報告ください。
この方がいいよっていう方も言ってくれると嬉しいです!


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#011 忍び寄る影

後世に語り継がれる大英雄ゴドリック・グリフィンドール。

ホグワーツを創設した四人の英傑達、その中でも彼の知名度は群を抜いているといってよいだろう。

ケンタウルス統一戦争の平定、グレート・ブリテンにおけるヴォーティガンの討伐、思想を巡ってのサラザール・スリザリンとの対立。

その英雄譚は壮絶の一言に尽き、どの時代にも英雄として名を馳せた魔法使いは多くいるものの、ここまでの人気を誇るのは”荒野の獅子(グリフィンドール)”を置いて他にいない。

そんな英雄の中の英雄として名を馳せた男は、実に謙虚だったのだろう。

彼は、己の成した偉業を誇る事はただの一度としてなく、共に時代を生きた仲間を守り抜いたことだけを晩年まで誇ったという。



 ハグリッドが二手に別れて、ユニコーンを追うという提案をしてから一時間。

 

「まったくさ。いい加減にして欲しいんだけど」

 

 ボクは不機嫌MAXだった。

 その理由は単純明快で、隣にいるマルフォイのクソ野郎のせいである。

 班分けからマルフォイ達と離れて三十分、森の上空に赤色の閃光が打ち上がった。

 その頃、ケンタウルスから最近の森の事情を聞いていたハグリッドとボクは急いで現場に急行。

 爆笑するマルフォイの隣で、ファングの腹に頭を隠したネビルを発見する事となる。

 

「あれだけ森には怯えていたクセに、人を驚かす余裕はあるんだね」

 

 原因はマルフォイの悪ふざけ。

 この糞馬鹿たれは、探索中にこっそりネビルの後ろに回って掴みかかるという悪趣味な遊びをしたらしい。

 当然、ビビリのネビルはパニックに陥って火花を打ち上げてしまう。なんとも分かりやすい結末だった。

 

「何か言いなよ。いっつも人の悪口を言う時は饒舌なクセにさ。それとも自分の都合が悪くなった時だけ喋れなくなっちゃう病気でもあるの?」

 

 黙りこくるマルフォイの隣で、気まずそうにファングの手綱を引くポッターが諌めてくる。

 

「まぁまぁメルムもそれくらいにしようよ。もう言ったってしょうがない話だし……それよりもこんなお喋りばっかしてたら、森に住む魔法生物達を刺激しちゃうかも」

 

 そんなことは知ったことではない。

 そう吐き捨てたボクは、現在マルフォイとポッターとファングから再構成された三人と一匹で、森の探索を行っていた。

 カンカンに怒ったハグリッドがネビルを引き取り、代わりにマルフォイの抑え役としてボクとポッターを指名した結果である。

 

「さっさと罰則を終わらせてこっちは寝たいっていうのに、くだらない茶々を入れてくれちゃってさ。どうするんだい?ハグリッドが一角獣(ユニコーン)の殺害犯を見つけるまで、この森の中にずっといるって言い出したら」

 

「それは悪夢だね……」

 

 ノーバートの一件以来、ハグリッドの評価は地に落ちた。

 別に嫌いになったわけではないが、大人としての信頼度はないに等しい。

 ボクは、マルフォイとポッターとファングと一緒にさらに森の奥へと向かった。

 だんだんと森の奥深くへ。三十分も歩いただろうか。

 

「多分、近いよ」

 

 血の滴りが濃くなっている。

 飛び散った血液が乾いていない事からも、一角獣(ユニコーン)との距離はそんなに離れていない筈だ。

 びっしりと生い茂げった木の根により、もはや道を辿るのも困難になってきていたので、ボクは内心ホッとする。

 

「……酷いことをするなぁ」

 

 そう憂い気に呟いたのはポッターだ。

 彼の視線の先にある木の根本には、大量の血が飛び散っている。

 確かに惨い。

 傷ついた哀れな生き物が、この辺りで苦しみのたうち回った様が目に浮かぶようだ。

 

「……」

 

 チラ、と後ろを見れば、マルフォイは下を向いて何も見ないようにしている。

 彼からすれば、一角獣(ユニコーン)がどうなろうが知った事ではなく、自分の身を案じることで精一杯なのだろう。

 仮にも女の子がいるという状況で、頼もしさや背を預けられる安心感が一切ないその姿は、実に情けない。

 まぁ口だけの温室育ちはこんなもんか。

 とはいえ、それでどうこう言うつもりはボクにはなく、互いに不干渉で言葉を発することもない。

 

「……ねぇ見て、あれ」

 

 樹齢何千年の樫の古木の枝が絡み合う、その向こうをポッターが指さした。

 開けた平地が見える。

 

 力尽きた一角獣(ユニコーン)の死骸も。

 

「やっと見つかったね」

 

 取り敢えずは帰る当てが出来たことに、ボクは安堵の息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 地面に純白に光輝くものがあった。

 メルムを先頭にして、ファングを引き連れたハリー達はさらに近づいていく。

 まさにユニコーンだった。死んでいた。

 ハリーはこんなに美しく、悲しいものを見たことがなかった。

 その長くしなやかな脚は、倒れたその場でバラリと投げ出され、その真珠色に輝くたてがみは暗い落ち葉の上に広がっている。

 

「酷い……誰がこんな事を……」

 

「さあね。誰だって良いじゃない。とっとと帰ろうよ」

 

 死んだ一角獣(ユニコーン)に近寄り、その身体を検分しながらメルムが言う。

 彼女はこの光景を前にして、何ら心が動かされることは無いらしい。

 寧ろ面倒事が終わってせいせいする、と顔に書いてあった。

 

「ふぅん……やっぱり獣に襲われた傷じゃないね。少なくとも咬傷じゃない」

 

「じゃあ何なのさ」

 

「魔法だよ」

 

 メルムはうっすらと嗤う。

 

「首の根元に刺創があった。先端の尖った鋭利な何かが、コイツの首に突き刺さったのさ。直接的な死因は、動脈を傷つけられた事による失血死」

 

 スラスラと流れるように告げられる一角獣(ユニコーン)の死亡診断。

 メルムは熱に浮かされたように続ける。

 

「間違いなく人間の仕業だよ。勿論、矢や槍を扱うケンタウルスっていう線もあるけど。可能性としては薄いかな。例えどんな理由があろうとも、彼らは一角獣を傷つけるような真似はしない。それがどれだけ罪深い事か分かっているからね」

 

 メルムの話は、理路整然としていて反論の隙がない。

 事実、ハリーもなるほど、と納得しかけた。

 だが、すんでのことろである疑問を覚える。

 

「ちょっと待ってよ。今の話じゃ、魔法かどうかなんて分からないじゃないか。刺し傷なら道具を使えば誰にでも出来るよ。それこそマグルでも」

 

「マグルがこの森で迷うことはありえない。結界が張られてるからね。仮に、何かのトラブルでマグルが遭難したとしても、2週間近くこの森をさ迷うことになる。絶対に死んじゃうよ。現役の闇祓い(オーラー)だって、そんな長期間この森で生き残れるか怪しいもんさ。それにね、ボクには分かるんだ。コイツの傷跡に濃密な魔力が残っているのが。そう、これは強力な闇の……」

 

 メルムはそこで、言葉を止めた。

 そして人差し指を口に当てて、しっと言う。

 

「何かいるよ、気をつけて」

 

 木々の向こうに、何かいた。

 尋常ではない気配に、自然と身体が緊張する。

 ずる、ずる、と暗い闇の中を何かが歩いているのが分かる。

 ゾッとした。

 それが、まったく音を立てずに木々をすり抜けているようにハリーには見えたから。

 

「ゆっくり……ゆっくり後ろに」

 

 声を押し殺したメルムがファングの口を塞ぎながら、後退する。

 目の前の気配から決して目を逸らさずに。

 

「何、あれ……人、なの?」

 

 自分で言っていて、ハリーは自信が無かった。

 普通の人間が、灯りも持たずに真っ暗な森を歩いて来れるだろうか? 

 草木を掻き分ける音も立てずに? 

 

「……っ!」

 

 月明かりに照らされて、ソレの正体が分かる。

 やはり人。人影だ。

 頭をフードにすっぽり包んだ何かは、とりあえず人の形をしていた。

 しかし、その事実から齎される安堵は限りなくゼロに近い。

 何故ならソレは、まるで獲物を漁る獣のように地面を這っていたからだ。

 あんなものがハグリッドやハーマイオニー、ましてやネビルである筈もない。

 そして彼ら以外の第三者が森に入る筈も、またなかった。

 ハリー、マルフォイ、ファングは金縛りにあったように立ちすむ。

 

「ははっ……ヤバいね、アレは」

 

 ハリー達を背に庇う形で前にいるメルムが小さく笑った。

 しかし、その声も微かに震えている。

 どうしようもなく恐ろしくなったハリーは、メルムの肩に手を置いた。

 

「何してるのさメルム。早く逃げようよ」

 

 もう一角獣(ユニコーン)の死体を見つけるだとか、殺害した犯人を捕まえるだとか言っている場合ではない。

 一刻も早く、この場から離れるのだ。速やかに。

 マントを着た人影は、幸いにもまだハリー達に気づいた様子はない。そのまま一角獣(ユニコーン)に近づき傍らに身を屈める。

 

「一体何を……?」

 

 最悪な事にその答えは直ぐに分かった。

 暫くしてある音が聞こえ始めたことによって。

 

 じゅるっっ……じゅるる……じゅるじゅるじゅるるるっっっ……

 

 まるで何かを啜るような不快な音。

 いやでも、一角獣(ユニコーン)の傷口から、その血を飲んでいる姿を想像してしまう。

 

「ひっ……うわああああああああああああぁぁぁッッッ!!!!」

 

 限界だったのだろう。

 マルフォイがつんざくような悲鳴を上げ、逃げ出した。

 ボディガード代わりのファングも。

 一人と一匹は、ハリーの後ろをここに来た時の三倍以上はあるスピードで駆け抜けていく。

 

「ちっ……使えないうえに腰抜けとは救いようがないね。ハグリッド達に知らせる光くらい、打ち上げてから逃げて欲しいもんだけど」

 

 舌打ちをしたメルムが、今はもう後ろ姿すら見えなくなったマルフォイへと毒を吐く。

 しかし今回ばかりはマルフォイのことをハリーも責められない。

 ハリーは逃げなかったのではなく、単に恐怖のあまり身動きが取れなかっただけだった。

 

「仕方ないなあ」

 

 真上に杖を掲げたメルムは連続して二回、光を空に打ち上げた。

 最初は緑、続いて赤。一角獣の発見と緊急事態を知らせる信号。

 慌ててハリーはメルムの杖腕を掴んで、小声で叫ぶ。

 

「何してるのさ、狂っちゃったの!?わざわざあのキチガイに居場所を知らせるような真似するなんて!」

 

「その心配はいらないよ。もうバレてるからね」

 

 ほら、とメルムが指さすその先。

 夜空に打ち上げられた月よりも眩い赤や緑の光に照らされて、フードに包まれた影が顔を上げているのがはっきりと分かる。

 ソイツが真正面からハリー達を直視しているのも。

 一角獣(ユニコーン)の血が、フードに隠れた顔から滴り落ちた。

 

「……っ……あぁ……」

 

 叫ぼうとしても、声が出ない。

 あまりの恐怖に声の出し方を忘れてしまったかのようだ。

 得体の知れない人影は、やおら立ち上がると、ゆっくりとこちらに向かって来る。

 じわじわとこちらを圧迫するように、にじり寄って来る。

 フードの人影が近づくにつれて大きくなる、ずるずるずる……という音。

 それがマントを引き摺る音だということに、ようやくハリーは気づいた。

 

「……ッ!?」

 

 今まで感じたことのないほどの激痛がハリーの頭を貫く。

 額の傷痕が燃えているようだった。

 目が眩み、ハリーはよろよろと近くの木へと倒れかかる。

 

「まったく不甲斐ない男ばっかりだ。ミリセントの方が余程肝が座っている」

 

 いつかのクリスマスの夜のように、メルムの口調がガラリと変わった。

 それだけではない。

 威嚇する獣のように、彼女の髪の毛は微かに逆立っていた。

 

「来るなら来いよ怪物。そんな雑魚をチマチマ殺しててもつまんなかっただろう」

 

 声の端々から危険な感情の高まりが察せられる。

 緊張感のある、針のような鋭さで迸っているピリピリとした空気。

 闇祓いならひと目で殺気と断じる剣呑な気配に、フードの人影もピタリ、と立ち止まった。

 

「……ヴォー……ティ……ガン……」

 

 暗闇にこぼれる不愉快な声。

 どうしてかは分からないが、ハリーには声の主が高揚しているように感じられた。

 

「軽々しく人の名前を口にするなよ」

 

 僅かに細められる翡翠の瞳。

 視界の端に、ハリーはチリチリッと輝く火花を見た。

 火花?いや、炎だ。

 いつの間にか、銀の少女の全身を薄い炎が包んでいる。

 青く、黒く、禍々しい炎だ。

 メルムが全身を大きく震わせると、長い髪やローブの裾から零れた炎は地面に落ちる。

 風に吹かれた落ち葉のように舞い散った炎は、驚いた事に煙一つ立ち昇らせる事無く、触れたものを等しく消滅させた。

 

「……悪魔の護り……やはり、な……」

 

 くくく、とそれを見たフードの人影が笑った。その時だった。

 カッ、カッ、カッ、という小さな蹄の音が後ろの方から聞こえてきた。

 早足で駆けてくる何かは、ハリーとメルムの真上をヒラリと飛び越え、フードの人影の前に立ち塞がる。

 

「ようやく姿を見せましたね。貴方を見つけるのは、難しかった」

 

 泰然自若とした、静かな声を放つのは一匹のケンタウルス。

 ロナンやベインではない。もっと若く見える。

 颯爽と現れたのは、明るい金髪に胴はプラチナブロンド、淡い金茶色のパロミノのケンタウルスだった。

 

「去りなさい。悪しき者よ」

 

 その左手には弓があり、こちらに突き出されている。

 半身になって、大きく後ろへ引かれた右手には矢が。

 狙いを定める矢の先端は、闇に佇むフードの人影に向けられている。

 

「……穢らわしい……半獣が……」

 

 忌々しげに吐き捨てられる言葉。

 同時に収縮する弓が空気を振動させた。

 射出された矢が凄まじいスピードでフードの人影へと着弾する。

 

「……ッ!」

 

 為す術なく、木立の奥へとフードの人影が吹き飛ばされる。

 その時、おかしな光景をハリーは見た。

 宙を舞うフードの人影が空中で掻き消えたのだ。

 イィィ……ンッッ……!という余韻が夜の闇に木霊する。

 

「……やっ、たの?」

 

 ハリーの問いに、いいえ、と首を横に振るケンタウルス。

 

「手応えがありませんでした。咄嗟に魔法を使ったのでしょう」

 

 そう答えるケンタウルスは、ハリーを観察している。

 信じられないほど青い目、まるでサファイアのようだ。

 その目が額の傷にじっと注がれている。

 

「君はポッター家の子だね?私の名はフィレンツェ。早くハグリッドところに戻った方がいい。いま、森は安全じゃない……特に君にはね」

 

 そこまで言うとフィレンツェと名乗ったケンタウルスは、ハリーの隣へと視線を移動させた。

 そして驚いたようにフィレンツェは目を見開く。

 

「なんということだ、君は……一体……」

 

 それは木の根に腰を降ろして寛いでいるメルムを見ての発言だった。

 一先ずの危機が去った現在、彼女に先ほどの危うい感じはなく、のほほんとした顔で手元の落ち葉を弄んでいる。

 青黒い炎を纏ってもない、あれは幻覚だったのだろうか? 

 戦くようにフィレンツェは続ける。

 

「似ている。恐ろしいほどに。君の事はロナンやベインから聞いてはいましたが、これほどとは……運命とはかくも数奇なものですね。まさかあの御方がヒトと交わるなど……」

 

「ボクを通して誰を見ているのか知らないけれど」

 

 手の中にある落ち葉をぐしゃぐしゃにしたメルムが口を歪める。

 

「ボクはその人(・・・)とは違うよ。人と話すならちゃんとその人個人を見て話すのが礼儀ってもんじゃないかな?それともケンタウルスの常識では違うの?」

 

 爛々と輝く翡翠の瞳。

 それは何もかも見透かしたような、そんな硬質な威圧感があった。

 だがフィレンツェがメルムに気圧されることはない。

 後ろに広がる森のような静謐さを保った彼は、静かに問い掛けるのみだ。

 

「……ならば貴女の名をお聞かせ下さいますか?」

 

「メルム・ヴォーティガン・グリンデルバルド。ホグワーツの1年生だよ」

 

 その答えにどれほどの意味があったのか。

 それはきっとフィレンツェにだけしか分からない。

 沈黙し俯いた彼はやがて顔を上げる。

 

「メルム……そうですか。”災厄”を自らの子の名に与うとは。人とはやはり愚かだ。しかし、これも時代という事なのでしょうね。我々も彼女も悠久の時を生きますが、人間のサイクルの速さには敵いません。寿命の差とは、多様性の差でもあるのです」

 

 ついてきなさい。

 そう告げたフィレンツェは、ハリー達を先導するように元来た道を引き返していく。

 

「二人とも一角獣(ユニコーン)の血が何に使われるかは知っていますか?」

 

「ううん。角と尾の毛とかを魔法薬の時間に使ったきりだよ」

 

「それはね? 一角獣(ユニコーン)を殺すなんて非情極まりないことだからなんです。これ以上失うものは何もない、しかも殺すことで自分の命の利益になる者だけが、そのような愚を犯す」

 

 密集した枝葉をかき分け、堂々と歩くフィレンツェ。

 彼は憤慨したように、馬のいななくような声をあげる。

 

一角獣(ユニコーン)の血は、例え死の淵にいる時だって命を永らえさせてくれる。でも恐ろしい代償を支払わなければならない。自らの命を救う為に、純粋で無防備の生物を殺害するのだから」

 

 なるほどね、とハリーの隣を歩いていたメルムが頷く。

 

「確かに得られる命は完全な命じゃない。一角獣(ユニコーン)の血を口にした魔法使いが呪われるのは有名な話だし」

 

「その通りです。かの生き物の血が唇に触れた瞬間から、その者は呪われた命を生きる。いわば生きながらの死の命なのです」

 

 フィレンツェの髪は月明かりで銀色の濃淡を作り出していた。

 ハリーはその髪を、後ろから見つめる。

 肩を竦めたメルムが呆れるように言った。

 

「言っていることは分かるよ。けれど一体、誰がそんなに必死に?永遠に呪われるんだったら、死んだ方がマシだと思うんだけど。違う?」

 

「その通り、しかし他の”何か”を飲むまでの間だけ、生き永らえれば良いとしたら?完全な力と強さを取り戻してくれる”何か”。決して死ぬことがなくなる”何か”……ポッター君、今この瞬間に学校に何が隠されているか知っていますか?」

 

 ハリーは、フィレンツェの言う”何か”に心当たりがあった。

 四階の一室に鎮座する三頭犬、その足元に隠された扉。

 ハーマイオニー達と見つけたニコラス・フラメルという人物。

 何人もの先生とダンブルドア校長が、叡智を尽くして尽くして護っているモノ。

 それは────

 

「賢者の石……そうか!命の水!」

 

「何それ。初耳なんだけど」

 

 突拍子もない単語に驚くメルム。

 だが、全ての点と点が繋がったハリーは彼女に構っている余裕はない。

 

「四階に隠されている物が賢者の石なら、確かに今夜の事は納得がいくよ!だけど一体誰が……?」

 

「力を取り戻す為に長い間待ち続けていたのが誰なのか。本当に思い浮かばないですか?命にしがみついて、チャンスを伺ってきたのは誰か?」

 

 ハリーは鉄の手で、突然心臓を鷲掴みにされたような気がした。

 木々のざわめきの中から、ハグリッドに会ったあの夜、初めて聞いた言葉が蘇ってきた。

 

 ────奴が死んだという者もおる。俺に言わせりゃクソ食らえだ。奴に人間らしさの欠片でも残っちょれば、死ぬこともあろうさ

 

「それじゃあ……僕達がさっき見たのはヴォル……」

 

「ハリー?……ハリー!!貴方大丈夫なの!?」

 

 残念ながら、ハリーの問いは道の向こうから駆けてきたハーマイオニーによって遮られた。

 まぁ彼女が遮らなくても、ハリーの質問にフィレンツェが答えたかどうかは謎だが。

 

「やぁハーマイオニー。ボクの事は心配はしてくれないのかい?それとも忘れちゃった?……あぁ返事はしなくていいよ。どっちか分かっても悲しいだけだから」

 

「ち、違うわよメルム!ちゃんとその……心配してたわ! でも貴女なら大丈夫だって思ってたわ!」

 

「何事も絶対は無いよ。まぁその言葉は素直に嬉しいけどね」

 

 この数時間で、かなり嫌味っぽくなったメルムがハーマイオニーとハグをしながら話している。

 少し遅れて、ハグリッドもハァハァ言いながら走って来た。

 

「おう!2人共無事だったか!本当に良かった!」

 

 ハリーはハグリッドに伝えるべき事を伝えた。

 

「ハグリッド、一角獣(ユニコーン)が死んでる。森の奥の開けた所にいたよ」

 

「そうか!ようやったぞ!ネビルとドラコは先に帰した。俺は奴さんを埋葬しに行く。ここまで来れば安全だから、皆で先に帰っちょくれ!」

 

 ハグリッドが一角獣(ユニコーン)を確かめに、急いで森の奥へ戻っていくのを見送ると、フィレンツェはハリーの肩に優しく手を置いた。

 

「ここで別れましょう。君達はもう安全だ。幸運を祈りますよ、ハリーポッター。ケンタウルスでさえも惑星の読みを間違えたことがある。今回もそうなりますように」

 

 労うようにハリーへと頭を下げたフィレンツェは、今度はメルムへと声を掛けた。

 

「メルム・グリンデルバルド、貴女は今このイギリスで何が起こっているのか分かりますか?」

 

「……知らないよそんなの。神様じゃないんだから分かるわけないじゃん」

 

 その返答を聞くと、フィレンツェは何が面白いのか、クスリと笑った。

 

「そうですね。貴女は神ではない。単なる魔法族という集団の1つの”個”に過ぎない。でもね?私は知っているんです。ただ1つの”個”が全てを支配していた時代を。”個の極地”ともいうべき生ける伝説が存在していた事実を」

 

 怯えるようにブルリと身体を震わせたフィレンツェは、両腕で己の体を掻き抱く。

 そんな彼の様子を、メルムは静かに見つめている。

 

「大陸という大陸の魔法生物達は皆、恐れています。同時に喜んでもいます。かの”傲慢なる天”の帰還を。トロールの角笛に導かれ、巨人の曳く巨舟に乗り、やがてはやって来る白い竜を」

 

 ────貴女はプロセルピナ・ヴォーティガンを知っていますか? 

 

 フィレンツェは森の奥深くへ、緩やかに走り去った。

 意味深に嗤うメルムと、ブルブルと震えるハリーを残して。

 

 

 

 



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#012 子羊達と狼

過去を追ってはならない。

未来も待ってはならない。

ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。



 暗い暗い闇の中で、私はゆらゆらと浮いている。

 意識は鮮明なのに、思考するにたるものがない。

 下を見る、底は暗く果てがない。

 どこもかしこも真っ暗だ。

 自分の周りにあるのが闇だけだと知って、どうしようもない閉塞感に押し潰されそうになる。

 ここはまるで海の中だ。

 ゴポリ……ゴポリ……と泡が立っては消えていく。

 そう、私は光すら届かないような深い海の中に浮かんでいる。

 裸で何も飾らないままで。

 それでもそこにある以上は獲得できるものがある。

 それは情報だ。

 

 ────検査は陽性、成功だ。素晴らしい

 

 ────血が薄まる可能性もあったが問題は無い。元々がどちらとも、その種族の頂点に立つ者の血だ。壁を乗り越えるポテンシャルはあったのだ

 

 高揚に震える声は低く、成人した男性のものだと分かる。

 それに応じるのは女性特有の澄んだ高い声だ。

 

 ────……ハイエルフと魔法族のハイブリッドね

 

 ────あぁ……しかしその試み自体は遥か昔から試みられてはいた。アーマー・ドゥガードの存在がその証拠だ。

 

 アーマー・ドゥガード……? 

 人の名前だろうか。

 彼らが何を言っているのか、さっぱり分からない。

 

 ────レストレンジ家の負の遺産よね。失敗したと聞いていたけど? 

 

 ────その通り。素材が足りない連中は、ハイエルフの代わりに屋敷しもべ妖精(ハウスエルフ)を検体として使用した。お陰でアーマー・ドゥガードは、魔法力がまったくない欠陥品としてこの世に生まれ落ちた

 

 ────スクイブ? 

 

 ────あぁそうとも。屋敷しもべ妖精(ハウスエルフ)自体、元々が遺伝子改良された種族だ。何をやろうが上手くはいかん

 

 ハイエルフ?遺伝子改良? 

 ワケの分からない単語が多すぎる……それにしても何故だろうか。

 話し合う二人の声は酷く懐かしく感じられ、郷愁に胸を掻き毟られるような気持ちになる。

 沈んだように、女性の声は翳った。

 

 ────サラザール・スリザリン……かの魔法使いはかくも素晴らしい魔法使いであると同時に、どうしようもなく人間として欠落していた研究者だったのでしょうね。あんな醜悪なモノを生み出すなんて

 

 ────それだけ怖かったのだろうよ、ハイエルフが

 

 嘲るように男の笑い声が響く。

 

 ────だけど、私達はそれを超える存在を生み出してしまった……この事をお義父様はご存知なの? 

 

 ────いいや、知らない。あの老害はヌルメンガードで己の罪と向き合う事に躍起になっている。何とも微笑ましい老後生活だよ

 

 (おど)けた様子の男の声に、女の声が甲高くなった。

 

 ────ならこの研究を貴方が続ける必要も無いじゃない! 

 

 ────何を怒っている。仕方の無い話だ。私の研究は、”R”の連中もえらく気にかけている。長年支援してくれているコーバンもいい加減、痺れを切らす頃合いだ。成果を出さなければ、お腹の子供諸共我々はカモメの餌にされるんだぞ? 

 

 そう告げる男の声は冷静そのもので、女性のヒステリックには慣れた様子だ。

 女の声が激したものから、縋るようなものへと変わっていく。

 

 ────私は不安なのシェーン。元来のハイブリッドでは有り得ない1と1による完全なる融合体。これから産まれてくる子は、生物の完成型といっても過言じゃないわ

 

 ────まったくもってその通り!ならば何を怯える必要がある?魔法と科学によって初めて成された偉業だ。無能な純血の魔法族共は馬鹿にしていたが、マグルもこうして役に立つ。喜ばしい成果ではないか

 

 ────……貴方には人の心がないわ

 

 ポツリと呟かれる言葉。

 押し隠していた気持ちが、とうとう漏れ出た。

 そんな様子が伺えた。

 

 ────だが、そんな男だと分かってて結婚をしたんだろう?君もつくづく馬鹿な女だ

 

 ────愛ゆえによシェーン。私は今も自分の選択を間違っているとは思わないわ

 

 ────なら私に従え。私を愛しているというのなら

 

 ────いいえ。ノーよ。私は従順な下僕としてではなく、貴方の妻として隣に立っているのだから

 

 気圧されたように男は黙り込んだ。

 第三者である私からしても、女の声には並々ならぬ意思と覚悟と……そして愛があった。

 

 ────いい?貴方は子供を復讐の道具に使おうとしている。勿論、貴方の不遇は私が1番知っているつもり。でも、それは産まれてくる子達には関係のない話だわ

 

 ────……関係あるさ。このままでは、この子達もいずれ虐げられる。グリンデルバルドというだけで有望な未来が押し潰される。そんな理不尽、私には堪えられないッ! 

 

 バンッと机を叩くような激しい音。

 次いで、カツカツ……と足音が遠のいていく。

 男の方は、もう女性と話す気はないようだった。

 

 ────シェーン! 待って!! ……シェーン!!! 

 

 返答はない。生半可な言葉では彼を止められない。

 ゆえに次の言葉には、ただただ鋼の意思が込められていた。

 

 ────”災厄”の名と共に、歴史は再び蘇る。1000年の時を超えてな

 

 その瞬間、暗い暗い空間にあるものが灯る。

 

 それは光だ。

 

 決して穢される事のない輝きだ。

 暗がりに沈む夜の海を、黄昏の極光が引き裂いていく。

 爆発のような。

 津波のような。

 そんな膨大な光が一瞬、世界を走り抜ける。

 そして、

 

 

 ボクは、眠りの海から目覚めた。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 叫び声を上げながら、ベッドから跳ね起きる。

 傍らで心配そうにボクを見つめているのは、ミリセント・ブルストロード。

 男よりも頼もしき我が友だ。

 

「毎度の事ながら、凄いうなされようだったが……大丈夫かいメルム?」

 

「……まぁまぁかな」

 

 嘘だ。正真正銘の最悪な寝覚めだった。

 その証拠にボクは、全身びっしょりと汗を掻いていた。

 これは蒸し暑い夏の夜のせいだけではない。

 ワケの分からない恐怖が、今も鮮明に残っている。

 あの暗い暗い海の中を漂うのは恐ろしい孤独感に苛まれるのだ。

 舌打ちと共に布団を蹴りのけて、床に足をおろしたボクは、ベッドに腰をかけたまま目頭を押さえた。

 

「クッソ……あの森の探索からずっとこうだ」

 

「やっぱり先生達に抗議するべきじゃないかい?あれは罰則にしちゃあ重すぎる」

 

「それでこの素敵な悪夢を見なくなるのなら、是非ともそうするさ」

 

 ボクはベッドの下から旅行鞄を引き摺り出す。

 

「何だい?それは」

 

「見たら分かるでしょ。旅行鞄だよ旅行鞄。今年のクリスマスにスキャマンダーさんからプレゼントで貰ったんだ」

 

 ボクは箪笥から洋服や教科書類を取り出して、そのまま鞄に次々と放り込む。

 うん。やっぱりこの鞄は良いね。

 何でもかんでも入るし、その上鞄の重さ自体は変わらない。

 質量保存の法則なんてガン無視だ。

 

「旅行用鞄か。その割には結構詰め込んでいるみたいだが……全部入んのかい?それ」

 

「入るよ、この鞄には検知不可能拡大呪文が掛けられてるからね。しかも中はかなり大きく設定されているんだ。部屋1個分はあるんじゃないかな?」

 

「凄まじいねそりゃ……」

 

 呆れたように肩を竦めたミリセントは、そこでいやいやと首を振る。

 

「ってそうじゃないそうじゃない。お前さん、そんなにもの詰め込んでどうする気なのさ」

 

「どうする気って……明日の魔法史で試験も終わりだし、もう授業もないじゃないか。必要のないものは詰め込んじゃおうかなって」

 

 既に、あの禁じられた森の一件からもう一週間以上が経っている。

 その間、穏やかな日常を過ごせていたら良かったのだが、生憎なことに年に一度の学年末試験があったのだ。

 試験とその勉強ばかりでストレスが溜まる溜まる。

 

「特に魔法薬学は酷かった……」

 

「忘れ薬のやつか。重箱の隅をつつくような問題を出しやがって……しかもあの寮監、作り方を思い出そうとしている時に限って、後ろでまじまじと監視してくるから厄介さね。本当にぶっ飛ばそうかと思ったよ」

 

「ぶっ飛ばしてくれれば良かったのに。君なら一発KOさミリセント」

 

 腕をまくって鼻息を荒くするミリセントに、ボクはそっとため息をはく。

 ミリセントはニッと笑った。

 

「生憎、スネイプ教授は私の家族とも知り合いでねぇ。父親の顔に泥を塗る」

 

「だったら試験問題貰ってきてよ」

 

「ズルはしない主義さね。()るなら正々堂々と、だ」

 

 何とも羨ましい高潔な精神だ。

 ボクが思うに、彼女はスリザリンよりもよっぽどグリフィンドールの方が向いている。

 つくづく当てにならない組み分け帽子だ。

 

「そういや、実技試験は魔法薬学以外の出来は聞いてなかったね。他のはどうだったの?」

 

「可もなく不可もなく。少なくともメルムみたいに、教授にタップダンス踊らさせたりはしてないねぇ」

 

「そりゃ良かった」

 

 フリットウィック先生の出した呪文学の試験は、パイナップルを机の端から端までタップダンスさせるという奇抜なものだった。

 闇祓い直々にスパルタ教育を受けていたボクにとっては退屈極まる試験。

 調子に乗ったボクは、ちょっと遊び心を出してしまった。

 そう、パイナップルと一緒に、フリットウィック先生にもタップダンスを踊って貰ったのである。

 

(あれは面白かったなあ……フリットウィック先生、パイナップルと大きさそんなに変わらないんだもん)

 

 ちなみにフリットウィック先生の名誉の為に言うと、彼が持ってきたパイナップルは結構デカかった。

 

「それと、変身術の実技でメルムの作った嗅ぎたばこ入れ。マクゴナガルが使ってたってさ」

 

「あぁダイヤモンドで出来たアレか。あの人、意外と成金趣味なんだよね……」

 

 マクゴナガル先生の試験は、ネズミを嗅ぎタバコ入れに変えることだった。

 美しい箱は点数が高いと聞いたので、ダイヤモンドにしてみたのだが、それが良くなかった。

 試験が終わった後にマクゴナガル先生に呼び出されたボクは、この嗅ぎたばこ入れを譲ってくれ、とせがまれたのだ。

 マクゴナガル先生程の実力者なら、自分で作っても良さそうなものだが、どうやら法律で禁じられているらしい。生徒の試作品ならギリOKなんだとか。

 

「まぁ終わっちまった事はもう良い。そんなことよりも明日の魔法史の試験の勉強は良いのかい?折角起きたんだから、やったらどうなのさね。まだ1637年の狼人間の行動綱領や熱血漢エルフリックの反乱には目を通してないんだろう?」

 

「そんなもんに目を通す必要は無いよ。どうせ明日の試験は、”鍋が勝手に中身をかき混ぜる大鍋”を発明した風変わりな魔法使い達について、で決まりさ」

 

「よくもまぁ、そう自信を持って断言出来るねぇ」

 

「過去問通りだからね」

 

 筆記科目は、ジェマ先輩達の配ってくれた過去問をひたすらやっておけば受かる。

 魔法史なんてその最も足る教科だ。

 ここ5年ほど過去問を遡ったが、まったく同じ問題しか出ていない。

 

「ジェマ先輩には感謝だよ、ホントに」

 

 スリザリンは他の寮の生徒よりも団結力があることが幸いして、過去問が非常に集めやすかった。

 お陰で、ボク自身はそれらに一通り目を通して復習するだけで済んだのだ。

 では、何故ボクがこんなに試験勉強でストレスを抱えているのか? 

 それは勿論、怠け者のセオドール・ノットのせいに他ならない。

 彼に一から教える為、わざわざ最初から復習する必要があったのだ。

 

「セオドールは結局、魔法史を全部覚えきったの?」

 

「うんにゃ、奴さん正攻法でいくのは諦めたらしい。明日は”秘密兵器”の出番だってさ。嬉しそうな顔して、ゴイルやクラッブと一緒に服の袖改造してたよ。一体何に使うんだか」

 

「あぁ……リスキーだなぁもう」

 

 嗚呼、哀しきかな。教えたことがポンポン頭から抜けていくセオドール。

 彼は、実質一夜漬けでここまでの試験を乗り切ってきたが、とうとう魔法史の勉強を後回しにしてきたツケが回ってきたらしい。

 彼から一応、秘密兵器の内容については聞いていたが、本当にそれで切り抜けられるのかは五分五分だ。

 

「まぁ気にしてもしょうがないね。ボクの成績じゃないし」

 

 荷物を一通り詰め込んだ旅行鞄を、色々心配なセオドールの成績ごと投げ出して、再びベッドにダイビング。

 今度こそ夢を見ることもなく、安心してボクは日の出までぐっすり眠るのだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「はい。それでは試験終了です。羽根ペンを置いて答案用紙を巻きなさい」

 

 眠たそうなピンズ先生の間延びした声が、静かな教室に響き渡る。

 次いで、1週間続けた徹夜で死にかけた生徒達の安堵が教室を包む。

 

「ようやく終わった!!」

 

「な!もう当分は教科書見たくねぇよ」

 

「俺……単位落としたかも」

 

 最後の奴は、ご愁傷さまだ。

 無論、ボクはそんな心配もなく他の生徒達と同様に歓声を上げている。

 一週間後に試験の結果が発表されるまでは、素晴らしい自由な時間が待っているのだから当然だ。

 何よりもこの退屈で、つまんなくて、ひたすらキツかった勉強地獄から解放されたのはそれだけ喜ばしいことだった。

 

「はぁ……一年生は元気ですねぇ。皆さんも長い間、本当にお疲れ様でした……あ、それとミスターゴリラとミスターグラップホーン、そしてミスターノックはこの教室に残るように。袖の中身についてお話があります。それでは解散!」

 

「「「……はい」」」

 

 悟ったような顔で死刑宣告を受けたのはゴイル、クラッブ、セオドールだ。

 先程のミスターゴリラとはゴイルのことで、ミスターグラップホーンはクラッブ、そして野球に出てきそうな名前のミスターノックとは、セオドールのことだった。

 ホグワーツで唯一のゴースト教師であるビンズ先生は、生徒の名前を全く覚えていないのである。

 

 ……否、正確には間違って覚えている。

 

 ハーマイオニーのことをグラント、シェーマスのことをオッフラハーティ、パーバティの事はペニーフェザー、ハリーはパーキンズなどと間違えて覚えているのだ。

 もはや一文字足りとも合ってはいない。

 覚える気あるのだろうか本当に。

 

「馬鹿馬鹿しい。行くよメルム」

 

「試験後の罰則ご愁傷さま。今回のお題は何かな。廊下を雑巾掛け?それともボクの時みたいに禁じられた森の探索?何にせよ気になるとこじゃないか。ね、セオドール」

 

 待ってましたとばかりに、あの時の意趣返しをするボク。

 あの時とは、ボクが罰則が決まって項垂れている時に、彼が軽口を叩いてきた件だ。

 勿論、しっかり覚えていたとも。

 ボクはニッコリ微笑んで、パタンと教室のドアを閉じて校庭に向かう。

 

「あの女ぁぁぁ!からかったのを根に持っていやがった!」

 

 後ろで、怒声と机をひっくり返す音がしたが気にしない。

 これであの時のボクの気持ちも少しは分かってくれただろう。

 さんさんと陽の射す校庭に、ワッと繰り出した生徒の群れに加わって、ボクとミリセントも歩き出す。

 

「まったくメルムの言う通りだったねぇ。まさか一言一句変えることなく試験に出すとは……いやはや、あのゴーストには恐れ入ったよ」

 

「ふふん、過去問勝ちだよ。過去問を制するものは試験を制す、さ」

 

「そういや、私はセオドールから秘密兵器のカラクリを教えて貰ってないんだが。ありゃなんなんだい?」

 

「簡単な話だよ。過去問を縮小呪文で小さくして、袖の内側に貼り付ける。後は袖に切り込みを入れていつでも見れるようにする。テンプレだけど、バレにくいんだよね」

 

 とはいえ、ゴーストであるピンズ先生相手には無意味だったようだが。

 なんせ、セオドールやクラッブ達が隙を見つけて袖の内側を見ている時も、彼は宙に浮かびながらその様子をバッチリ凝視していた。

 足音をまったく立てず、文字通りの上下左右からの監視。

 おまけに彼は長年教師をやっているから、生徒がどんなカンニングをするのかも大体分かっている。もはや天然の要塞だ。

 彼らのカンニングは、失敗するべくして失敗したと言っていいだろう。

 

「試験の答え合わせするかい?」

 

「いいや、やめておく。今日は一夜漬けだったんだ。帰ってグッスリ眠らせてもらうよ。飯時にはちゃんと起こしてくれな」

 

「あいよ。それじゃボクは湖に大イカでも見に行こうかな」

 

「イカなんぞ談話室で幾らでも見れるだろうに」

 

「硝子越しと生は違うよ」

 

 そんなもんかね、とミリセントは首を捻りながら、踵を返して城へと戻っていく。

 それを見届けるとボクは、再び湖の方向へとぶらぶら歩き始めた。

 ミリセントには、ああは言ったものの本当の目的は違う。

 無論、この茹だるような暑さの中、談話室に籠るよりかは潮風に当たりたいという素朴な欲求もある。

 だが、そんなものもこれから起きる一夜の楽しみに比べれば、細やかなものだ。

 

「さぁてさて。こっから楽しくなるぞぉ」

 

 そう。

 ボクの目的は、今頃湖にいらっしゃるであろうグリフィンドール生の御三方に他ならないのだから。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 ウィーズリーの双子とリー・ジョーダンが暖かな浅瀬で、日向ぼっこをしている大イカの足をくすぐっている。

 現在、ハリーとロンとハーマイオニーの三人は湖の畔の木陰で寝転んでいた。

 

「ピンズ先生ったら思ってたよりずっと優しかったわ!1637年の狼人間の行動綱領とか、熱血漢エルフリックの反乱なんか勉強する必要なかったのね!ねぇ、ロンはなんて書いたの?」

 

「やめろよ、試験が終わったってのに。答え合わせなんか気分悪くなるだけさ」

 

 いつものように、ハーマイオニーが試験の答え合わせをしたがり、ロンが気だるげにそれを断る。

 最近の恒例行事だ。

 ハリーも答え合わせをするような気分では無い。

 ヴォルデモートが今にも襲ってくるかもしれない。そんな恐怖の中で、一体どうして試験の答え合わせなんぞができるようものか。

 

「ハリー、もっと嬉しそうな顔をしろよ。試験でどんなにしくじったって、結果が出るまでまだ1週間もあるんだ。今からあれこれ考えたってしょうがないだろ?」

 

 ロンが草の上に大の字になりながら、見当はずれなことを言ってくる。

 試験の悩みくらいなら、ここまでハリーもナーバスにはなったりしない。

 額を擦りながらハリーは言う。

 

「傷が……ずきずきする」

 

「前にもあったよな」

 

「一体これはどういうことなのか分かればいいのに。ずっと傷が疼くんだ。今までもこういうことはあったけど、こんなに続くのは初めてだ」

 

「マダム・ポンフリーのところに行った方がいいわ」

 

「僕は病気じゃない、きっと警告なんだ。なにか危険が迫ってる証拠なんだ」

 

 ロンはそれでも反応しない。何しろ暑すぎるのだ。

 

「ハリー、良いかい?リラックス。リラックスだよ友人。ハーマイオニーの言う通りだ。ダンブルドアがいる限り、”石”は無事だよ。スネイプがフラッフィーを突破する方法を見つけたっていう証拠はないし……ていうか、1回足を噛み切られそうになったんだぞ?すぐにまた同じことをやるわけないよ。それに、ハグリッドが口を割ってダンブルドアを裏切るなんてありえない。そんなことが起こるくらいなら、ネビルはとっくにクィディッチ世界選手権のイングランド代表選手になってるよ」

 

「それはどうかな」

 

 ハリー達の会話に割り込んでくる声。

 いつからそこにいたのだろうか。

 ハリーが振り向くと、木陰の傍にぼんやりとした顔をした女の子が立っていた。

 スリザリンの有名人、メルム・グリンデルバルドである。

 

「やぁメルム。フリットウィックをパイナップルと一緒に踊らせたって聞いたけど、あれ本当?」

 

「お久しぶりウィーズリー。フリットウィック先生のことなら本当だよ。というか色んな人から聞かれるけど、その話そんなに面白い?」

 

「勿論大爆笑さ。フリットウィックはどんな顔してた?」

 

「キョトンとしてたよ。あの顔は面白かったなあ。知ってるかい?あの人、自分が並べたパイナップルと殆ど身長変わらないんだよ?」

 

 メルムは、フリットウィック先生が如何にパイナップルと大きさが変わらないかを熱弁する。

 それを聞いたロンは腹を抱えてゲラゲラ笑った。

 メルムの馬鹿話もそれなりに面白かったが、ハリーとしては最初の発言が気になって仕方ない。

 

「ねぇメルム、フリットウィック先生の話はもう良いよ。それよりも僕が気になるのはさっきの言葉さ。あれはどういう意味だい?」

 

「ん?そのまんまの意味。面白い話を聞いたんだよね」

 

 彼女の話は、ハグリッドが飼っていたドラゴンであるノーバートの出処についての話だった。

 

「罰則を受けたあと、どうしても気になっちゃってさ。だって法律で禁じられているドラゴンの卵だよ?純血の一部の高級官僚が密かに買うならともかく、一介の森番のハグリッドが手に入れられるわけないじゃんか」

 

「確かに。それは僕も気になってたな。チャーリー兄さんも不思議がってたんだよ。ドラゴンの卵なんて夜の闇(ノクターン)横丁ですら売ってないのに、一体ハグリッドはどうやって手に入れたんだろうって」

 

 にまっとメルムが微笑む。

 

「なんとね。ハグリッドの話によると、偶然(・・)酒場で会った男と意気投合して、賭けの末に譲ってもらったらしい」

 

「冗談だろ?ドラゴンの卵だぜ。普通、持ち歩く魔法使いなんていないよ」

 

「その通り。ドラゴンを欲しがってるハグリッド、そこに偶然希少なドラゴンの卵を持っている男が現れた。しかもその男はね?ハグリッド曰く、フードを深く被ってた(・・・・・・・・・・)らしいよ」

 

 メルムは微笑んだまま、ハリーの方を向く。

 彼女が何が言いたいのか分かった。

 禁じられた森の奥で邂逅したフードの魔法使い。

 一角獣(ユニコーン)の生き血を啜って、復活の時を待ち望む”誰か”。

 

「まさかヴォルデモート……?」

 

 ポツリと零れた力ある名前。

 ロンが悲鳴を上げて、ハーマイオニーがビクッとする。

 笑みを引っ込めたメルムは肩を竦めた。

 

「さぁねえ、でも偶然が何回も重なればそれはもう必然と言えるよ。それにね?ハグリッドは言っちゃったんだってさ」

 

「……何を?」

 

 嫌な予感がする。

 

「例の四階に住んでるケルベロスの宥め方を」

 

 音楽を聞かせたらイチコロだってさ。

 そう言ってメルムはケラケラ笑う。

 冗談抜きでハリーは目眩がした。

 大方、欲しいドラゴンが手に入った上に、酒まで入ったので気が大きくなってしまったのだろう。嗚呼、迂闊すぎるハグリッド。

 思わずハリーは叫んだ。

 

「ハグリッドにドラゴンをくれた人は絶対スネイプだよ。スネイプはフラッフィーのなだめ方を聞き出したんだ。どうしよう!賢者の石が盗まれちゃう!」

 

「ちょっと待って。大事なこと忘れてない?この世で唯一人、”例のあの人”が恐れているのは誰?ダンブルドアよ。ダンブルドア先生がいる限りハリーは大丈夫。あなたには指一本触れさせやしないわよ」

 

 ハーマイオニーの言葉に一瞬、ホッとするハリー。

 しかし、それもメルムによって即座に否定された。

 

「ダンブルドア校長先生なら留守だよ。魔法省から緊急のふくろう便が来て、今はロンドンに出張中。帰るのは明日だってさ」

 

「ダンブルドアがいない……?この肝心な時に?」

 

 絶望的な状況にハリーは空を見上げた。

 眩しいほどの青空に、フクロウが手紙をくわえて学校の方に飛んでいくのが見える。

 

「……今夜だ」

 

 ハリーはボソリと呟いた。

 唐突な言葉に訝しんだロンが聞き返す。

 

「何だって?」

 

「スネイプが仕掛け扉を破るなら今夜だ。必要なことは全部わかったし、ダンブルドアも追い払ったし。スネイプが手紙を送ったんだ。ダンブルドア先生が顔を出したら、きっと魔法省はキョトンとするに違いない!」

 

「でも、私達に何ができるって……」

 

「あー、お話の最中悪いんだけど。ちょっと良いかい?」

 

 手を上げて発言の許可を求めたのはメルムだった。

 彼女は心底わけが分からないというような顔をして、ハリーに問いかける。

 

「そもそも、なんでスネイプ先生が賢者の石を狙ってることになってるの?あの人、腐ってもスリザリンの寮監だからよく知ってるけど。職務には忠実なタイプだよ」

 

「そりゃあ君はスリザリン生だからそういう風に見えているだけさ……まぁそんな事は良いんだ。スネイプがスリザリン贔屓しているのは今に始まった話じゃないし────証拠があるんだよ」

 

「証拠?」

 

 そうだ、とハリーは頷いた。

 

「ハロウィンの日を覚えているかい?トロールが現れた時、例の4階の部屋に侵入してスネイプはフラッフィーに足を噛みちぎられそうになっている」

 

「あぁ……あれね」

 

 何かを思い出すようにメルムは笑った。

 ハリーは更に言い募る。

 

「それだけじゃないんだ。賢者の石を手に入れるのを手伝えって、スネイプはクィレルを脅していたんだ。スネイプはフラッフィーを出し抜く方法を知ってるかって聞いていた」

 

「それはまたなんとも……」

 

 この話は、流石のメルムも予想外だったらしい。

 彼女は驚きと疑いの入り混じった目をハリーに向けていたが、暫くしてやっと口を開いた。

 

「もしそれが本当ならとんでもない事になるね。”石”を手に入れれば間違いなくヴォルデモートが戻ってくる……ポッターはどうする気なのかな?」

 

「”石”を探しに行く。今夜だ」

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 例の話の後、ポッター達三人組は早々に湖から暑苦しい校舎へと走っていった。

 やる事があると言っていたので、恐らくは今夜に向けて作戦を練ったり準備したりするのだろう。

 

「ここまでは予定通りか」

 

 ボクはそっと腕時計を見た。時刻は午後三時。

 あと十時間もすれば、今年一番の大事件が始まる。

 アルバス・ダンブルドアの加護が無い中、小さき英雄はどのようにして闇の帝王を退けるのか。

 はたまた何も出来ずに死んでいくのか。

 

 ────”未来”は、まだ見えない。

 

「こういう時、役に立たないんだよね」

 

 幾重にも張り巡らされた罠。

 それらを乗り越えた先にあるその深奥にて、彼は闇の帝王と対峙することになるのだろう。

 それは定められた戦い、根深い因縁の対決、彼自身の運命の象徴。

 

「だからこそ、見る価値がある」

 

 ボクは肩に登ってきたニフラーのゴールディをそっと撫でる。

 まさに今夜は運命の分岐点となるだろう。

 絶望の始まりか。はたまた新たな伝説の始まりか。

 どちらにせよ、恐らくその勝敗は、意志の力によってのみ果たされる。

 

「それに、ボクとしても良いとこ取りが出来るチャンスかもしれないしね」

 

 暗い笑顔が、太陽と一緒に湖に映り込む。

 その水鏡をブーツが粉々に砕いて、ボクは歩き出す。

 

 再び水面が静止した時、砕かれる前と同じ太陽が映っていたが、そこにはもう少女の暗い眼差しはなかった。

 

 




あと二話ほどで賢者の石編は完結しますね。
思ったよりも長くなっちゃったなぁ……



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#013 二つの顔を持つ男

あの日から、”死”という概念についてよく考えるようになった。

魂を引き抜かれた両親、冷たくなった妹。

言い方は悪いかもしれないが、家族はちゃんと死ねたのだろう。

でも、私は?心臓は動いていて、息もしていて。

なのに目に映る全てが、硝子を隔てた向こう側のようにしか感じられなくなった私。

そして、奇妙に現実感の無い世界で演技を続けるボクもまた、やはり死んでいるのだろうか?



 

 

 虫の知らせというか、何というか。

 不意に、居ても立っても居られなくなった私は、屋敷を抜け出し公園へと向かった。

 今思えば、幼いながらに感じていたのだろう。

 此方に近づいてくる巨大な気配に。

 

 ────其方から来るとは良い心掛けよ

 

 その少女は、夕暮れ時にひょっこりと現れた。

 涼やかな銀の髪に、宝石のような輝きを放つ紫の瞳。

 赤い陽光が、血液のように粘ついて全てを照らす公園。

 そのただ中にて、ごぉごぉごぉ……と青く、黒く、太陽よりも眩く燃えている悪魔。

 

 ────貴様には片割れがいる筈だが……まぁいい。屋敷から感じられる魔法力からして、貴様の血が一番濃いであろうしな

 

 レンズのような無機質なエメラルドで、少女は私を覗き込む。

 冷たい瞳だった。凡そ人の暖かみを何ら感じさせない、虫や地面の染みを眺めるようなそんな輝き。

 そして、悪魔の口元には微笑があった。

 

 ────精神的抑圧で心を揺さぶっている最中か。悪くはないがそれでは甘い。潜在的素質はピカイチなのだが、如何せん血が眠っておる……どれ

 

 頭へと伸ばされる手。不思議と抵抗する気が起きなかった。

 小さな掌に、視界が閉ざされる。

 途端に身体の奥底からほんのりと熱くなって、それは身を焼く業火へと変わった。

 

「……うあ……ぁぁぁぁぁ…………ぁぁっっ」

 

 まるで太陽の輝きが、身体の中の血を沸騰させているかのようだ。

 否、本当に身体が焼け爛れていっている。

 大気との断絶。凄まじい悪寒。

 皮膚は焼け焦げ、皮膚呼吸機能が失われていっているのが分かる。

 

 ────執念を保て。魔法力を練ろ。感情の赴くままに血を燃やせ

 

 怖い。無くなる。無くなってしまう。

 感覚が。視界が。私という存在が。

 じたばたと暴れ回っても、私を掴む小さな手はピクリとも動かない。

 どうして、なんで、嫌だ、怖い、死にたくない……死ね。

 

「っ……あ」

 

 殺してやる。壊してやる。潰してやる。引き裂いてやる。燃やしてやる。磔にしてやる。串刺しにしてやる。轢き殺してやる。斬り殺してやる……。

 様々な感情が一気にぶち上がって、ドス黒く染まる感覚。もはや言葉では言い表せない。

 膨れ上がった衝動に任せて、私の頭を掴む不遜な手を全力で握り込む。

 ジュゥウッッと、肉の焦げる匂いがした。

 

 ────素晴らしい……

 

 引っ込められる手。

 悪魔の白い手には、まるで鉄板を押しつけたかのように子供の掌状の焼け跡がついていた。

 見るからに痛々しい火傷、一生残るであろう傷跡。

 それはスルリと悪魔が撫でるだけで消えた。

 

 ────ハズレだった息子(・・)とは大違いだ。憤怒、憎悪、殺意、破壊衝動、どれをとっても人並み外れておる

 

 ふと、私は気がつく。

 先ほどまで、身体を覆っていた激しい悪寒が消えている。

 重度の火傷で爛れていた筈の全身は、負傷など最初から存在しなかったかのように、服も皮膚も何もかも焦げ跡一つなかった。

 しかし、先程までと違うことがある。

 

 ────ほう。素質もあったか。ますます良いな

 

 ごぉごぉごぉぉっっ……

 私の身体から青黒い焔が迸っている。

 煌々と。轟々と。私の感情をそのまま体現するかのような灼熱。

 悪魔は穏やかに語りかけてくる。

 

 ────覚えておけ。闇の魔術にとって、最も大切なのはその黒い感情の昂りだ

 

「感情の……昂り……?」

 

 そうだ、と頷く悪魔。

 燃え盛る互いの焔に照らされて、その顔がはっきりと浮かび上がる。

 恐ろしく綺麗な顔だった。

 無機質な……それでいて非現実的な魔の美貌。

 無意識うちに深く呼吸をする。

 息を呑む、という感覚はこの時が初めてだったのかもしれない。

 何かに見惚れる、感動するというのは。

 

 ────生き残れ。ひたすらに力を求めろ。渇望こそが最もシンプルにして必要な原動力だ。力がなければ生きる価値はない

 

 日没と共に見知らぬ少女は消えていた。

 初めからいなかったかのように、私の視界から消え去った。

 

 死喰い人によって私以外の家族が皆殺しにされたのは、その翌日の事である。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 湖から戻ったハリー達は、二手に分かれる事になった。

 部屋への侵入を事前に阻止または察知出来るなら、それに越したことはないからである。

 ハーマイオニーは職員室の外でスネイプを待ち伏せし、その跡を尾行する役目になった。

 勤勉家で有名な彼女なら、職員室の外をウロウロしていても先生を待っていると答えれば、さほど不自然には思われない。

 ハリーとロンは、四階の例の廊下にて侵入者が来ないか見張る事となった。

 

 しかし、三人の計画はあっさりと破綻する。

 

 まず、ハリーとロンによる四階の見張りは、偶然居合わせたマクゴナガル先生により阻止された。

 禁じられた廊下で二人を見つけた彼女は、顔から湯気が出そうなほどに激怒していた。

 

 ────こんな愚かしいことは許しません!もし、今後貴方達がこの辺りに近づいたと私の耳に入ったら、グリフィンドールは五十点減点します!えぇ、そうですとも。自分の寮でも減点します!! 

 

 おまけにハリー達が談話室に戻ると、職員室にて見張りをしている筈のハーマイオニーが何故か先に居て、申し訳なさそうな顔で二人を出迎えた。

 

「ハリー、ごめんなさい!」

 

「スネイプが出てきて、何してるって聞かれたの。勿論、フリットウィック先生を待ってるって言ったんだけれど、スネイプったらフリットウィック先生を呼びに行っちゃったの。だから私ずっと捕まっちゃってて……スネイプがどこに行ったのかわからないわ」

 

 もはや打つ手無しの状況。

 当初の予定通りにするしかない。

 

「もうこんな不毛な足踏みはやめにしよう。僕らが直接、賢者の石を手に入れる。良いね?」

 

 ハリーは二人を見つめた。

 

「今夜、ここを抜け出して”石”を何とか先に手に入れるんだ」

 

「それしかないかぁ……」

 

 気乗りしなさそうな様子でロンは肩を落とす。

 ハーマイオニーも首を横に振ってハリーの考えを否定した。

 

「駄目よ。マクゴナガル先生にもスネイプにも言われたでしょ?退校になっちゃうわ」

 

「ならどうするのさ。わからないのかい?もしスネイプが”石”を手に入れたら、ヴォルデモートが戻ってくる。あいつが全てを征服しようとしていた時、どんな有様だったか聞いてるだろう!退校どころかホグワーツそのものがなくなってしまうんだ!それともグリフィンドールが寮対抗杯を獲得しさえしたら、奴が君たちやその家族には手出しをしないとでも思っているのかい?」

 

 どうせ”石”を盗られてしまえば、そこでゲームオーバー。

 その前に先生に見つかって退校になっても同じだ。

 ハリーはダーズリー家に戻り、そこでヴォルデモートがやってくるのをじっと待つしかない。

 変わるのは、死ぬのが少し遅くなるくらいだ。

 

「今晩、僕は仕掛け扉を開ける。君達が来なかろうが、僕は行く。いいかい?僕の両親はヴォルデモートに殺されたんだ」

 

 鬼気迫るハリーの表情に、ロンがごくりと唾を飲む。

 納得してくれたようで、ハーマイオニーも消え入るような声で謝ってくる。

 こうして、三人一緒に”石”を奪取する為の退校を賭けた夜中の冒険が決定した。

 

「でもどうするって言うんだ?夜中はフィルチが彷徨いてる。さっきの僕らの行動で、他の先生も4階の廊下を重点的に警備する筈だ」

 

「それなんだよ問題は。こんな時に透明マントがあればいいんだけど、いつかのドラゴンの騒動の時に失くしちゃったんだ……」

 

 天文台のところでフィルチに捕まったのを最後に、透明マントは見ていない。

 フィルチに没収されているのか、はたまた誰かに使われているのか。

 どちらにせよ困ったことになった。そうハリーが肩を落とした時、視界の端を小さな何かが横切る。

 

「ん?……なんだ?」

 

 咄嗟にその首根っこを捕まえたハリーは、まじまじとその生き物を見る。

 カモノハシのような外見だ。長く突き出た鼻とくちばし、ふわふわした黒い体毛の可愛らしい生き物。

 ハーマイオニーが声を上げた。

 

「ニフラーだわ!」

 

「ニフラーだって?なんでこんなところにいるのさ」

 

 ハリーは己の抱き抱えたニフラーにもう一度目をやる。

 キラキラした瞳を向けてくる小動物の様子は非常に愛くるしい。

 

「きっとメルムのペットね。ゴールディって名前なの」

 

 メルムは普段、このペットと一緒にはいない。

 ニフラーの習性上、人間と行動すると何かと不便だからだ。

 彼らの習性として最も知られるのが、キラキラした金属類や宝石等の光り物に惹かれるという点である。

 単純な金銀財宝に限らず、光り輝いていれば全て対象に入るので、スプーンや金貨にまで手を出してしまう。

 成金や金持ちの多いスリザリンなら尚更のこと。

 とはいえこのペットは、メルムの”躾”によってそこら辺は割としっかりしている。

 故にゴールディは、お腹の袋からモソモソと一つのマントを取り出した。

 

 ────小柄な人間なら三人は包み込める大きさの透明マントを

 

「……全部見透かされてるってワケかい」

 

 天文台で失くした透明マント。

 このタイミングで返してくるとは。

 どこかであのぼんやりとした顔が微笑んでいる気がして、ハリーは苦笑した。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 それからの一日にも満たない時間は、ハリーの中で最も長く感じられたものだっただろう。

 

 何処からか話を聞きつけて、ハリー達の真夜中の冒険を止めようとしたネビル・ロングボトムの勇気。

 

 真夜中に侵入した部屋の隅で眠りこける、見上げる程に巨大な三頭犬(ケルベロス)

 

 仕掛けられた巨大な悪魔の罠や鍵鳥の群れ。

 

 魔法使いのチェスで発揮されたロンの才能と機転、そしてその身を賭した献身。

 

 何度も死ぬ思いをし、最後のスネイプが仕掛けたと思われる論理パズルの試練をハーマイオニーの頭脳で突破する。

 

「ハリー?”例のあの人”がスネイプと一緒にいたらどうするの?」

 

「そうだね。僕、一度は幸運だった。そうだろう?」

 

 ハリーは額の傷を人差し指でさす。

 傷はジクジクと鋭い痛みを放ち続けている。

 それどころか、進むにつれて痛みがどんどん酷くなっている始末だ。

 そして、だからこそ痛みを振り払うようにハリーはニヤッと笑った。

 

「だから二度目も幸運かもしれない」

 

 痩せ我慢はバレていた。

 唇を震わせたハーマイオニーが、ハリーに駆け寄り、両手で抱き付く。

 

「その幸運を祈ってるわ、気をつけてね」

 

 彼女はこれから道を引き返し、ロンと合流する。

 フクロウ小屋に行って、この事態をダンブルドアに知らせる手紙を出す為だ。

 流石にハリーも、ヴォルデモートやスネイプを自分だけでどうこう出来るとは思っていない。

 目的はダンブルドアが来るまでの時間稼ぎだ。

 

「それじゃ行くわね」

 

「うん。いってらっしゃい」

 

 踵を返して、紫の炎の中をまっすぐに進んでいくハーマイオニーを見送る。

 深呼吸したハリーは、小さな瓶を取り上げた。

 黒い炎の方に顔を向けて呟く。

 

「……行くぞ」

 

 小さな瓶を一気に飲み干す。

 まさに冷たい水が身体中を流れていくようだった。

 ハリーは瓶を置き、歩き始める。

 炎が身体をメラメラと舐めたが熱くはなかった。

 

「……」

 

 暫くの間、黒い炎しか見えない景色が続く。

 今のハリーは一人だ。親友のロンも心強いハーマイオニーも誰もいやしない。

 心細くて座り込みそうになるも、そんな自分をハリーは叱咤し、炎の中を突き進んでいく。

 

「……とうとう炎の向こう側に出た」

 

 そこは正真正銘、最後の部屋であった。

 また、ハリーの予想通り、既に誰かがそこにいた。

 しかし、それはスネイプではなかった────ヴォルデモートでさえなかった。

 

「貴方が……?」

 

「そう。私だ、ハリー・ポッター」

 

 そこに居たのは、ターバンに頭部を包んだ陰気な教師。

 闇の魔術の防衛術を担当するクィリナス・クィレル教授、その人だ。

 

「ポッター。君とはここで会えるかもしれないと思っていたよ」

 

 落ち着きを払った声。

 端正な顔に薄暗い笑みが浮かんでいる。

 そして、その顔はいつもと違い痙攣などしていない、堂々とした自信に満ち溢れるものだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 クィリナス・クィレルは落ち着いた様子で、ハリーと向き合っている。

 その大人びた様子は、普段の授業の時とまるで別人のように見えた。

 常にオドオドして、どもりが激しかった彼からは想像も出来ない。

 

「どうして……あなたが?……僕はスネイプだとばかり……」

 

「セブルスか?確かに、セブルスはまさにそんなタイプに見える。彼が育ち過ぎた蝙蝠みたいに飛び回ってくれたのが、とても役に立った」

 

 余裕のある口調でそう言うと、クィレルは笑みを浮かべてみせる。

 ハリーの目の前に立つ男は、以前見かけた時よりもずっと大きく見えた。

 向けられた笑みもどことなく冷たく無機的で、まるで精密な機械のような印象を受ける。

 

「でも、スネイプは僕を殺そうとした」

 

「いや?殺そうとしたのは私だ。あのクイディッチの試合で、君の友人の穢れた血(グレンジャー)がセブルスに火をつけようとして急いでいた時、ぶつかられてしまってね」

 

 忌々しげに細められるクィレルの瞳。

 

「それで君から目を離してしまったんだ。それさえなければもう少しで箒から落としてやれた……まぁそもそも君を救おうとして、セブルスが私の呪いを解く反対呪文を唱えてさえいなければ、もっと早く叩き落とせたんだがね」

 

「……スネイプは、僕を、救おうとしていた……?」

 

「その通り」

 

 クィレルは事も無げに答えた。

 

「彼が何故、次の試合で審判を買って出たと思うかね?私が二度と同じ事をしないようにだよ。どちらにせよ、そんな心配をする必要はなかったんだが。何せあの老獪なダンブルドアが見ている前では、私は何も出来ない……とはいえ随分と時間を無駄にしたものだよ」

 

 そこまで一息に言うと、クィレルはたまらないとばかりに笑った。

 いつもの甲高い震え声ではなく、鋭い嗤い。

 やがてピタリと笑いを止め、真顔になった彼は冷たく言い放った。

 

「どうせ今夜、私がお前を殺すのに」

 

 ハリーは戦慄にも似たおぞましさを覚え、クィレルを思わず睨みつける。

 

「貴方は、それでも生徒を預かる人間か……!」

 

「大義の為ならば仕方のない話なのだ。私の献身も、君の犠牲も。そう、古めかしく言うのなら────”より大いなる善の為に”」

 

 呪いのような謳い文句。

 パチン!とクィレルが指を鳴らす。

 縄がどこからともなく現れ、ハリーの体に固く巻きついた。

 

「ポッター、君は色んな事に首を突っ込みすぎる。生かしてはおけない。とはいえ君を始末するのは、この中々に面白い鏡を調べた後だがな」

 

 大人しくそこで待っておれ。

 そう言い捨てると、クィレルは後ろにある鏡に目を向けた。

 たった今ハリーも気づいた事だが、それは”みぞの鏡”だった。

 

「この鏡が石を見つける鍵なのだ。ダンブルドアならこういうものを考え付くだろうとは思った。しかし彼は今ロンドンだ。帰ってくる頃には、私は”賢者の石”を手に入れているし、ポッターは死んでいる」

 

 ハリーは縄を解こうともがいたが、結び目が硬い。

 ならば、何とかしてクィレルの注意を鏡から逸らさなくては。

 

「スネイプは僕のことをずっと憎んでた」

 

「あぁそうだ。全くその通りだ。お前の父親と彼はホグワーツの同窓だった。知らなかったか?互いに毛嫌いしていた。だが、お前を殺そうなんて思わないさ」

 

 奇妙な自信が篭った言葉だ。

 クィレルは、自分の父とスネイプの間に何があったのか知っているような口振りだった。

 

「それならあの日、教室で貴方は”誰”に脅されていたんですか!?僕は貴方が泣いているのを聞きました。てっきりスネイプが脅していたと思っていた」

 

「誰か、だと?」

 

 ハリーの質問に思わずといった調子でクィレルが笑った。

 まったく見当違いのことを真顔で語る者がおかしくてたまらないと言わんばかりに。

 

自分の親(・・・・)を葬った者(・・・・・)の声くらい覚えておいても良いと思うのだがね」

 

 ハリーの思考が一瞬、真っ白になった。

 その言葉の示す意味を理解し、冷や汗が吹き出し膝が笑う。

 

「それじゃあ……あの教室で、貴方は”あの人”と一緒にいたんですか」

 

「私の行く所、どこにでもあの方はいらっしゃる」

 

 揶揄するように言って、クィレルはハリーを見る。

 表情こそ変わらず穏やかではあったが、その瞳は背筋が凍るほどに冷え切っていた。

 低い声は静かに、しかし昂ぶりを隠せていない調子で話を続ける。

 

「世界旅行をしている時、あの方に初めて出会った。当時、私は愚かな若輩で善悪について馬鹿げた考えしか持っていなかった────ヴォルデモート卿は、私がいかに誤っているかを教えてくださった。善と悪が存在するのではなく、力と力を求めるには弱すぎる者とが存在するだけなのだと」

 

「それ以来、私はあの方の忠実な下僕となった。勿論、あの方を何度も失望させてしまった。過ちは簡単に許してはいただけない、グリンゴッツから石を盗みだすのに失敗した時はとてもご立腹だった。私を罰した。そして私をもっと間近で見張らないといけないと決心なさった」

 

 クィレルの声が次第に小さくなっていった。

 ハリーは、ダイアゴン横丁に行った時のことを思い出す。

 なんで今まで気が付かなかったのだろうか。

 ハリーはあの日、クィレルと会っている。何なら漏れ鍋で握手までしていた。

 

「さぁ、鏡には何が映る?────あぁ、見えるぞ。賢者の石を持つ私が……だがどうやって手に入れるッ!!!」

 

 ────その子を使え

 

 クィレルの問いに答えたのは全く別の声。

 奇妙な事に、その声はクィレル自身から出てくるようだった。

 言い知れない違和感にハリーの身体が緊張する。

 

「ここへ来い、ポッター!早くッ!」

 

 鬼気迫る様子で杖を手繰ったクィレルは、縛られたままのハリーを鏡の前まで無理矢理移動させた。

 それはいつかの飛行訓練の時に、メルムがマルフォイに使った呪文に酷似していた。

 

「鏡を見て何が見えるのかを言え!」

 

 ハリーは目を瞑って必死に思考を巡らせる。

 今、何よりも欲しいのは”石”だ。

 クィレルより先に賢者の石を見つけたい。

 鏡を見れば”石”を見つけた自分の姿が映るのは間違いない。

 ”石”がどこにあるか見えるのは良いが、クィレルに悟られないようにするにはどうすれば良いのだろうか。

 

「……ッ!」

 

 思い切ってハリーは目を開け、鏡の中の自分と向き合った。

 青白く怯えた少年の姿が目に入る。

 しかし次の瞬間、驚くべき事が起きた。

 なんと鏡の中の自分が笑いかけてきたのだ。

 鏡の中のハリーは、ポケットに手を突っ込み、血のように赤い石を取り出す。

 そしてウインクすると、またその石をポケットに入れた。

 途端に現実の自分のポケットの中にも、何か重いものが落ちる感触が生じる。

 

 意図せずして、ハリーは賢者の石を手に入れたのだった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「なるほどねぇ」

 

 呆れたような声が薄暗い一室に木霊する。

 そこは、うず高く積まれた本や骨董品が所狭しと犇めき合っている部屋だった。

 おどろおどろしい理由で寮には置けない曰く付きの品々。

 それらの蒐集品は、ボクが世界を旅しながら収集していたものだった。

 その量たるや想像以上で、ただの一学生が集めたとは到底信じては貰えないだろう。

 

「流石はダンブルドア校長。嫌らしい手を考えたもんだ」

 

 部屋の中央に僅かに空いたスペース。

 ポツンと座り込んだままボクは、古いオイルランプに照らされた壁を見ていた。

 オイルランプによって壁に映し出された映像には、”みぞの鏡”の前で縄に縛られたポッターが映っている。

 

「……恐らくだけど“使いたい者”ではなく、“見つけたい者”に賢者の石が渡るように仕組んでいるのかな」

 

 最後の部屋の”みぞの鏡”を用いた防衛魔法の出来に感嘆する。

 この魔法の素晴らしい所は、渡すターゲットを単純にする事で因果関係を明確にしている。

 何故なら、そういう場合の方が呪いは薄れないし、強固に働くからだ。

 

「カラクリは至極単純なんだけど、それだけに難しいんだよね。賢者の石の効能を知っていれば、誰でも欲に目が眩んで使ってみたくなる。だけどそんな人間には”石”を手に入れることは出来ない……まったく、人間の心理の裏を上手く突いているよ」

 

 ボクはランプを軽く揺らす。

 ズレる景色。壁の映像が鏡を覗き込むハリーから、その様子を見守っている人物……クィレル先生へと移り変わる。

 

「すっかり騙されたよ。まーさかクィレル先生が犯人だったとはね」

 

 いよいよターバンを解き、後頭部から第二の顔を露出させたクィレル先生。

 彼の頭の後ろに生えた第二の顔(ヴォルデモート)は凄まじい顔だった。

 蝋のように白い肌、ギラギラと血走った目、鼻腔は蛇のような裂け目になっている。

 

「本当に人間のお股から生まれてきたのか怪しいもんだ。まるでホラー映画だよ」

 

 なんとも醜い姿だ、そしてあまりにも生き汚い。

 赤ん坊に敗れ、肉体は消滅し、死喰い人共から見捨てられ、それでも哀れな凡俗を唆して復活を望む。

 自死や玉砕が美しいとは思わないが、その執着は醜いの一言に尽きる。

 

「何らかの闇の魔術で事実上の死からは逃れているのかな?これは。はぁ……赤ん坊の前に膝を着き、滅んだ事こそが運命だったのだとなんで諦め切れないのかねぇ」

 

 不老不死?くだらない。

 確かに、死とは無常だ。

 どんなに積み上げてもどんなに努力しても、時が来れば塵となる。

 しかし、だからといって終わりなき生を選ぶのは極端過ぎる。

 いつ終わるとも知れない生など、生き地獄と同じだろうに。

 

「名前を正しく呼ばないというのも考えものだよね……結局はヴォルデモートという名も正しくはなかったし。恐らく本来の発音はヴォルドゥモールかな?」

 

 それはフランス語で”死の飛翔”を意味する。

 そして、この言葉にはもう一つ意味があるのだ。

 

 ────それは……”死からの逃走”

 

 今世紀最悪と謳われた魔法使い。

 その余りにも俗な部分に呆れたボクは、ロリポップを咥えてため息を吐く。

 

「縁起担ぎもここまでくると感心するね。よほど”死”が怖いと見える」

 

 皮肉な話だ。

 恐らく誰よりも魔法の深淵に近づきながらも、その欲求は矮小。

 即ち────死にたくない。

 あれだけ人間を殺しておいて何とも身勝手な願望である。

 

「それにしてもつまんないなあ」

 

 折角、睡眠時間を削ってまで彼らの闘争に時間を割いているというのに、これじゃあんまりだ。

 一人は後頭部から生えた顔に主導権を取られてずっと後ろを向いているし。

 もう一人は縄で縛られて顔が真っ青。

 ボクはこんなものを見る為に透明マントを彼に返したワケじゃない。

 

「虐殺ショーなら過去の記憶で間に合ってるんだよね。ボクが見たいのは運命の削り合いだ」

 

 スっと懐の杖を、ボクは手繰る。

 

「少し、手助けをしてやるかね?」

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 そして同じ時、ハリーをがんじ絡めに縛っていた縄が突如として解けた。

 

 ────なッ……

 

 目の前の醜悪な顔が、驚愕に揺れた。

 次いで不快気に漏れる、僅かな舌打ち。

 

 ────やはり邪魔をしてきたか、忌々しい大君の血族め

 

 クィレルは後ろを向いている。

 話によれば、ヴォルデモートは喋るだけで精一杯の筈だ。

 決然とハリーは懐から杖を抜き出した。

 顔が低く唸る。

 

 ────馬鹿な真似はよせ。命を粗末にするな。俺様の側につけ。さもないとお前も、お前の両親と同じ目に合うぞ?2人とも命乞いをしながら死んでいった

 

「黙れよ、ゲス野郎」

 

 その声は、まるで落ち着いた大人の声だった。

 この状況で、傷だらけの体で、一年生が出す声とはとても思えない深い重い声だった。

 

 ────胸を打たれることよ。恐怖に震えもしない。そうだ小僧。お前の両親は勇敢だった。俺様はまず父親を殺した、勇敢に戦ったがね。

 

 くつくつと意地の悪い笑みで、その口を歪める。

 遂に堪えきれぬといった調子でヴォルデモートは囁いていた。

 

 ────しかし、お前の母親は死ぬ必要はなかった……母親はお前を守ろうとしたんだ……母親の死を無駄にしたくなかったら、さあ!”石”をよこせッ!!! 

 

 ハリーは目の前の胸糞悪い面をまっすぐ見据え、杖を向けた。

 ヴォルデモートの顔がたちまち凶悪な犯罪者に豹変する。

 冷徹で、残忍な殺人鬼の素顔が露わになった。

 

 ────……一度命拾いしたのを忘れたか? 

 

「殺し損ねたのはそっちだろ?」

 

 ハリーは、その顔に向けて唾を吐いた。

 ペチャッと後頭部の顔に張り付く唾液。

 同時に、さして短くも無いヴォルデモートの堪忍袋の緒が、遂に切れる。

 

 ────その愚か者を殺せェェッッッッ!!!!!! 

 

 ぐるり、とクィレルがハリーの方に勢い良く振り向いた。

 暗く虚ろな双眸がハリーの緑の瞳と交差する。

 そこには、怒りや警戒心といった感情すらなかった。

 それは、およそ機械的と思えるほどの冷たい殺意。

 

息絶えよ(アバダケダブラ)!」

 

 極限状況の中の一瞬は、ハリーの世界を限りなくスローにした。

 緑色の閃光が駆け抜けてくる。自分の命を奪う確実な一撃が。

 しかし、それは酷くゆっくりとしたものだ。

 首を傾け、それを避ける。

 そして、次はハリーの番だった。

 

鼻呪い(ファーナンキュラス)!」

 

 杖から放たれた光が、”死の呪い”を避けられ驚愕に歪んだクィレルの顔に直撃する。

 腫れ物で鼻が肥大化したクィレルは鬼のような形相で怒り狂った。

 

 ────殺せ!殺せ!愚か者め!始末してしまえッッ!!! 

 

「このガキ!殺してやる、殺してやるぞ!!身体中、呪いで切り刻んでやる!!!」

 

 火を吹くような呪いの言葉が、前の顔と後ろの顔から吐かれる。

 ハリーはぐるりと体を回し、次の呪いを放つ。

 それは飛行訓練の時、メルムがマルフォイを箒から叩き落とした呪文だった。

 

縛れ(インカーセラス)!」

 

解け(エマンシパレ)!」

 

 自身の体を縛るべく迫る縄の呪いを、クィレルは反対呪文で相殺する。

 腐っても教師、考えてみればクィレルは大人の魔法使いだ。

 知っている呪いの数がハリーとは桁違いなのである。

 

歯呪い(デンソージオ)!!!」

 

(ぬる)いわッ!!」

 

 ハリーの呪いを唱えることもなく、クィレルは杖を振って打ち消す。

 最初のクリーンヒットが奇跡なだけで、元々不利な戦いだった。

 あっという間にハリーは追い詰められる。

 

「手こずらせやがってこのガキッ!ガキッ!!ガキィッッ!!!死ねェッッッ!!!!」

 

「うあああ……ッッ!」

 

 興奮したままクィレルは、倒れるハリーの左腕を何度も何度も蹴り上げる。

 ボキリ!と生々しい音と共に、ハリーの腕が灼熱のように熱くなった。

 

「おや……左腕が折れたね?」

 

 途端に、クィレルの表情は穏やかで優しげな顔になる。

 普段ならばともかく、殺し合いの場でその顔はただただ不気味だ。

 そのままクィレルは、じりじりと身体を引きずって逃げようとするハリーへと歩を進める。

 

「観念しようか。怖いかね?なぁに心配はいらんよ。一人では寂しいだろうから、あの穢れた血や血を裏切る者の息子もすぐ後から行かせよう。そしたら地獄でも三人一緒だ。ふふふふふふふふふふ」

 

 クィレルの瞳は、嬉しそうにキラキラと輝いていた。

 その底知れぬ悍ましさ。身の毛もよだつ残酷さ。

 人はこうも容易く人を殺す悪鬼と成り果てる。

 

「さぁもう終わりにしようか。ポッター、君もお優しい御両親の元へと送ってやろう!」

 

 伸ばされる手。

 ハリーは、その手が自分の首を掴むのを感じた。

 途端に、針で刺すような鋭い痛みが額の傷痕を貫く。

 頭が二つに割れるかと思う程の激痛に、ハリーは悲鳴を上げて力を振り絞ってもがいた。

 

「あああああああああああぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」

 

 情けない悲鳴と共に、額の痛みが和らぐ。

 驚いたことに、クィレルはハリーの首から手を離していた。

 その手には、見る見るうちに火膨れで包まれる。

 後頭部のヴォルデモートが甲高く叫んだ。

 

 ────何をしているこの愚か者!早く殺せ! 

 

 クィレルは再び飛びかかり、ハリーの上にのしかかった。

 今度は両手をハリーの首にかけ、なりふり構わず殺そうとする。

 しかし結局、激しい苦痛で唸り声を上げるのはクィレルだった。

 

「ご主人様……奴を抑えていられません……手が……私の手が……」

 

 クィレルは、膝でハリーを地面に押さえつけてはいたが、真っ赤に焼けただれ皮がべろりと剥がれた掌に気を取られていて、力がまったく手に入っていない。

 訳が分からないが、転がり込んできた好機を逃す手はない。

 体を捻ったハリーは、クィレルの体勢を崩し、今度はその顔を全力で掴んだ。

 

「ッッぅううぐあああああああああぁぁぁッッッッ!!!!」

 

 どんどん焼けただれていくクィレルの顔。

 ハリーは悟った。

 クィレルは、自分の皮膚に触れることは出来ない。

 触れれば、酷い痛みに責め苛まれる。

 クィレルにしがみつき、痛みのあまり呪いをかけることが出来ない状態にする。それしか道はない。

 

「うぉぉぉッッ!!!!」

 

 獣のように咆哮しながら、ハリーは飛び起きてクィレルの腕を捕まえた。

 握り潰す気持ちで、力の限り強くクィレルの腕にしがみつく。

 額の痛みはますます酷くなった。

 でもその分の成果もあった。

 なんと固く握っていたクィレルの腕がもぎ取られていったのだ。

 

 でも、ハリーに出来たのはそこまでだった。

 

 全身から力が抜ける。

 クィレルの恐ろしい悲鳴も、ヴォルデモートの叫びも、徐々に遠くなっていく。

 そんな薄れゆくハリーの視界に最後に映ったのは、一匹のニフラーと────その腹から取り出される一つの旅行鞄だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




メルムの登場部分やクィレルの口調の部分に違和感を感じたために修正しました!


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#014 愛するということ

透き通るような海を見ると、吐き気がする。

まるで彼女の瞳のようだったから。



 勝者は、極度の緊張から解き放たれたことで意識を失っている。

 失神しているだけで、命に別状はない。

 

 クィレルは、崩れ落ちたように部屋の中心に倒れ込んでいた。

 意識も視界も白い。指先が凍えるようだ。

 寒い。とにかく寒い。

 彼の半身の皮膚は、魔法によって焼かれ続けている。

 

 その結果、大部分の皮膚呼吸機能を失った事で、深刻な体温の低下を引き起こしていた。

 

「よしよし、まだ生きているね。ポッターは、あー……トドメを刺す前に力尽きたか。やっぱり詰めが甘いなあ」

 

 そんな言葉に反応した彼は、倒れたまま首をムクリと上に上げる。

 そして薄れた視力は、そこにいるはずのない人間を映し出した。

 

 ボロボロの魔法使いを見下ろすのは、魔女だ。

 黒尽くめの服装に、銀の長髪を靡かせた幼い少女。

 

「メルム……ヴォーティガン……グリン、デルバルド……」

 

「はい。お呼びになられましたか、先生?」

 

 クィレルが瀕死の重体にも関わらず、それを特に気にする様子もなく、メルムは怪し気な笑みを浮かべて頷いた。

 

「これはまあ……手酷くやられた事で」

 

 そう言うメルムの瞳には、どこまでも無機質な輝きが灯っていた。

 

 彼女の愛くるしいその大きな翡翠の瞳は、瀕死のクィレルを道端の石か何かのように観察している。

 間違っても、大人でも吐き気を催すような大火傷を負った人間を見る目では無い。

 

 ましてや、クィレルは学校の先生であった男だ。

 普通なら、事情を知っていようが動揺の一つや二つはするだろう。

 

 にも関わらずメルムは冷静に、ともすればどこか無機質な瞳でクィレルを観察するのだった。

 

「君は……何故、ここに……」

 

 当然といえば当然の疑問に、メルムは小首を傾げてクィレルを見返した。

 次いで、幼い口元をゆっくりと開く。

 

「結末を見届けに」

 

「けつ、まつ……だと?」

 

 思えばメルム・グリンデルバルドとは変わった生徒だった。

 挙手をして質問に答えるなど、積極的に授業に取り組む姿勢はある癖に、いつも退屈そうにぼんやりと周りを眺めている子供だった。

 

 自分以外の人間を、まるで別の種族でも見るかのような目で見つめる彼女に、クィレルは薄気味悪さを感じたのを覚えている。

 

「気になったんです。かつて闇の帝王と恐れられた闇の魔法使いと、それに打ち勝った男の子。両者が十年の時を経て再び相見える時、一体運命はどちらに微笑むのか」

 

 結果は見ての通り、冴えないものだったんですが。

 感慨も何もなくそう呟いたメルムの目は、酷薄で冷徹だった。

 それは奇しくも、彼を見捨てて逃げ出したヴォルデモート卿の瞳と酷く似ていた。

 

 獣にも、魔法生物にも、マグルにも、魔法族にも、平等に向けられる無機質な感情。

 恐らく、彼女にとってそれら全ての価値は等しいのだ。

 

 ────即ち、全部どうでもいい存在。

 

「無様で無意味な最期だ。霞のような魂の成れの果てに唆され、11歳の少年に戦いを挑み、敗れて醜く死んでいく。結果として、先生は何も残せなかった」

 

「……貴様に……何が、分かる……!」

 

 侮蔑に激昂したクィレルは、メルムへと手を伸ばす。

 途端にであった。

 

 彼女を掴もうとした腕から、焼け焦げた肉がこぼれ落ちる。

 既に魔法による浸食は筋肉まで達しているのか、関節の曲がり方が中途半端だ。

 

「先生は仰られてましたよね。善と悪が存在するのではなく、力と、力を求めるには弱すぎるものとが存在するだけなのだと」

 

 揶揄するように言って、銀の少女は哀れな魔法使いを見た。

 表情こそ、相も変わらず笑みを浮かべてはいたが、先程まで無機質だった瞳には、今は嘲りの色が宿っている。

 

 それは、十代の小娘が浮かべるような表情には見えない。

 

「それは、ある種の真理を突いている。暴力、富、名声、権力。種類こそ色々とありますが、それらを突き詰めていけば”力”という言葉に帰結する」

 

 クィレルは答えない。答える気力もない。

 そんな自分に落胆するでもなく、淡々とメルムは話を続ける。

 

「身の程も知らず、昔から人は”力”を求める傾向にある。”力”は弱者を従わせられるから。特に逃れられぬ死や、大切なものを失う事を恐れる者を」

 

 その言葉に、クィレルはハッとする。

 闇の帝王に仕えることで、愚かで哀れな自分から脱却出来たと思っていた。

 

 しかし、違ったのかもしれない。

 ヴォルデモートに従った時点で、己は既に……。

 その結論に至った瞬間、クィレルは絶叫する。

 

「ぢがう! 私は……わたしは……力を、ぢがらを……もらっだ……つよい、人間になる力を!!!」

 

「ありえない。弱者は、一生弱者だ」

 

 魔女は、酷薄に嗤った。

 

「その証拠に、先生はヴォルデモートに(こうべ)を垂れたじゃないですか。自分の価値が低いから、簡単にヴォルデモートに魂を売り渡した。この有様が全てです。先生は何も為せず、この暗い部屋の中で死んでいく」

 

 クィレルは、もう殆どメルムの言葉を聞いていなかった。

 動かない体を引き摺り、芋虫が這うように彼女の方へ向かう。

 

「おお、ぉぉぉ……」

 

「1年間、先生には闇の魔術の防衛術でお世話になりました。冥土の土産と言ってはなんですが、最後の最後まで気づけなかったことを教えてあげましょう」

 

 力ある者は、無慈悲に告げる。

 

「クィリナス・クィレル。お前は力を求めるには、弱過ぎた」

 

 やがて這うことも出来なくなり、クィレルはその場に止まった。

 灰となり散りゆく肉体。

 

 やがて風に吹かれて、一人の男の理想が潰えた音が、暗い部屋に静かに響き渡ったのだった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 いつの間にか、周囲を囲む紫の炎は消え、部屋は闇に包まれていた。

 

 闇に慣れた私の視界は、目の前で灰になったクィレルの残骸をじっと見つめている。

 利用され尽くした末に見捨てられた無様な末路。

 

 若干の憐れみを覚えたが、仕方がない。

 結局、この扱いが強い者とそうでない者の差なのかもしれない。

 

「……さて」

 

 今回の首謀者であるクィレルは死んだというのに、今も何か妙な気配が満ちている。

 そこここの闇に何かが潜んでいるような、異質な気配。

 

 耳が痛いような静寂の中、ざわざわと闇の中にひしめき合う気配が私の骨を震わせる。

 冷や汗で湿った手を握り締め、私は闇へと声を掛けた。

 

「そこにいるんだろう。出て来いよ」

 

 私の目の前で、暗闇が悍ましく蠢いた。

 まるで一個の生命体が呼吸しているかのように。

 

 暗い部屋の空間にぬうっと現れたのは、闇を纏った顔のようなものだった。

 

 ────呼んだか? 

 

「初めまして、ヴォルデモート卿。息災で何より」

 

 ゴーストのように、半透明な首が宙に浮いている様は中々に滑稽であったが、私は知っている。

 

 その時代をこそ生きていなかったが、断片的に語られる伝説は、当時を生きた闇祓い達の恐怖は、私に語ってくる。

 

 数多の対立者達を悉く鏖殺し、”死の飛翔”とまで謳われたかの闇の魔法使いの”力”がどれほどのものなのかを。

 

 現に魂の絞りカスである筈の彼からは、禍々しい魔法力が感じられた。

 

 ────メルム・グリンデルバルドか。お前の事は、クィリナスから聞いておった

 

「それは光栄な事で。是非とも、クィレル先生にお礼を申し上げたい所だが、生憎と彼は死んでしまった」

 

 (おど)けた私が肩を竦めると、ヴォルデモートは高笑いした。

 

 ────クィリナスの死に、動揺すらしないか

 

 狂ったような笑い声に釣られて、私も思わず苦笑する。

 

「確かに、クィレル先生の死は勿体なかった。しかしそれだけだ。所詮は教師と生徒。親しくもない他人が死んだところで、人の心は動かない。3日後には忘れる。そもそもホイホイと操り人形になる奴が悪い」

 

 ────どこの国にも若くてバカな連中は多いが、この男はまた別格だった。クィリナスには、自分という人格がまるでなかった。囁くだけであっさりと自己を俺様に委ねたよ

 

 爺様はよく言っていた。

 人を従わせるのは何もそう難しいことではない、と。

 

 人間の”負”の意識につけ込むのだ。

 憎しみ、悲しみ、恨み、そんな負の部分が強ければ強いほど、自分を見失っている人間の魂は縛りやすい。

 

 ────まるで、低能な子供(ガキ)だ。欲や不満だけは山ほどある癖に、それだけの人間の抜け殻だ。心を操り、意のままに従わせるなど造作もない

 

 夢や希望、自分自身すら見失った人間は、闇に魅せられやすい。

 苛立ちや不安に戦くよりは、何かに身を委ねた方が楽だからだ。

 

 マグルでいうところの新興宗教がその手口だった。

 人の心の弱さに、魔法族も非魔法族もさしたる違いはない。

 

 クィレルはどこまでいっても、世の理の外へは抜け出せなかった。

 

 ────お前とてそうだぞ? グリンデルバルドの孫よ

 

「何だと?」

 

 闇の奥から響く声に、暗い愉悦が混じる。

 まるで、鼠を嬲る猫のような残酷さが、相手の感情に滲むのが分かった。

 

 次いで、懐かしい謎の不快感が私を襲う。

 胃をまさぐられる感覚には、嫌というほど覚えがあった。

 

 ────可哀想に。家族を喪っているのか。ほう、身寄りが亡くなった後は孤児院に? あそこでの生活は辛いものだな。俺様も経験がある。生産性も何も無い、屑共の掃き溜めだ……そうかそうか。自分は壊れた人でなし。世界は残酷で、神様は他の人々には微笑んでも、自分に微笑む事はない。そう諦めておる

 

「おい」

 

 ────自分以外の存在に期待はしないし、害を及ぼすなら叩き潰す。良いな。俺様とお前は、似た者同士のようだ。理不尽な世界を憎み、己以外の者に信を置くことも、心の底から興味を抱くことも決してない……いや、それは違うのか

 

「ちょっと待て」

 

 ヴォルデモートは冷嘲の響きを込めて嗤った。

 

 ────妹だけは、大切な存在だったと。

 

 瞬間、私の脳裏に明るい陽射しのような少女の笑顔が蘇る。

 

 その時、私の中に芽生えた得体の知れない感情は、最も馬鹿馬鹿しく、下らないモノだったのかもしれない。

 

 少なくとも、胸を締め付けるような、痛むような何かは、きっとそういうものだろう。

 嘲るような、見下すような瞳にカ──ッッと身体が熱くなる。

 

「……私の思い出に」

 

 限界まで見開かれた両の眼。視界が蒼黒に染まる。

 湧き上がる脳髄を焼くような衝動に任せて、私は声を震わした。

 

「欲に塗れた手で触るな、この死に損ないが」

 

 華のように激した感情は、そのまま燃え上がる焔となって眼前の闇を焼き払った。

 音ではない音が大気を震わせる。空間が歪む衝撃。この世ならざる存在の咆哮。

 

 ────はははははは! 

 

 蒼と黒による浄化の炎の中、それでもヴォルデモートは大笑いした。

 狂ったような笑い声が炎に呑み込まれてゆく。

 

 ────”怒り”がお前のトリガーか! お前は理性の(たが)が及ばぬ心の底に化け物を飼うておるのか!! 

 

 ごおおおおぉぉぉ……。 

 感情がそのまま滲み出たような激しい焔の波。

 

 烈火の先には、恐らく何も残らない。

 

 そう思わずにはいられない荒ぶる業火。

 しかし、魂だけとなった存在による薄ら寒い高笑いは止まらない。

 

 ────己の内なる感情に、歯止めすらかけられぬ下等生物め! お前はやはり何も為せやしない。何も出来やしない! 

 

 悽愴な魔法力を放散していた気配が遠のいていく。

 耳障りな残響だけを残して。

 

 ────あの日! 妹の屍を前に蹲ることしか出来なかったお前は変わらない!! 負け犬のまま死んでいくのだ!! はははははははははははははははははは!!! 

 

 怨気を纏った気配は既に遠い。

 彼岸(向こう)から此岸(こちら)へ干渉する手段がないように、また此岸(こちら)から何をやっても彼岸(向こう)には届かない。

 

 目の前で逆巻く闇の炎すら、今のヴォルデモート相手にはまったくの無意味である事に気づいて、私は歯噛みする。

 

「逃亡かよ……卑怯者が」

 

 情けない捨て台詞だ。

 ポッターとヴォルデモートの戦いはポッターの勝ちなのだろうが、私の方は惨敗だった。

 

「まったくもって忌々しい。が……まぁ良いか。本命は仕留められなかったが、慰め程度の財宝はあったわけだし」

 

 クィレルは死んだ。

 勇気ある少年も気絶している。

 

 様々な者が賢者の石を巡って激しく争った結果、この場に立っているのは、私ただ一人。

 

 緩やかな蒼の焔の中、ポッターの握り締められた掌から赤い石をそっと奪い取る。

 

「漁夫の利で悪いが、最後まで立っていた者が勝者なんでな。さして欲しくもないが、優勝賞品は戴くぞポッター」

 

 

 

「そのルールでいくと、君がその優勝賞品を受け取るのは些か性急というものじゃろう。のう? メルムよ」

 

 

 

 聞き覚えのあり過ぎる声に、ゆっくりと私は振り返った。

 

 振り返った先には、いっつも良い所で私を地獄へと突き落とす狸ジジイ。

 

 鼻の折れた老魔法使いアルバス・ダンブルドアが立っている。

 彼は、朗らかに私へと笑いかけた。

 

「こんにちは、メルム」

 

「……クソジジイ」

 

 咄嗟に舌打ちする。

 けれど、目の前に立つ老人は、私の失言をまったく意に介した様子はない。

 

 有難い事に子供の無礼は許してくれるらしい。

 何にせよ、これでハッキリした。

 

「やはり、全部が掌の上だったわけですか。今回の件は」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「はて? なんの事だか分からんのう」

 

 まるで何も知らないかのように首を傾げる狸に、私は嘆息した。

 

 爺様が良く言っていたっけか。

 アルバス・ダンブルドアは食わせ者だ、と。

 

 いくら何でもタイミングが良すぎる。

 これを偶然と片付けるほど、私の脳味噌は目出度くはない。

 

 私やポッターですら気づけた真実なのだ。

 策謀家だった爺様と渡り合ったダンブルドアが、クィレル先生の裏切りに気づかない筈がない。

 

「怖い人だ。クィレル先生の状況を知ってて、泳がせてましたね」

 

「メルムよ。人とは誰しも愚かになる時がある。今回の件は、ハリーや君達の勇気に助けられた」

 

 穏やかに告げられる言葉の白々しさに目眩がする。

 本当に誤魔化せると思っているのだろうか。この状況で。

 

 狡猾な老人の戯言に付き合う気は無い。

 私は、彼に聞きたい事があった。

 

「貴方は見捨てたんですか? クィレル先生の事を」

 

「それは……」

 

 直接的な表現に、ダンブルドアは口篭る。

 

 言い逃れは許さない。

 私はダンブルドアのブルーアイを真っ直ぐに見つめる。

 

 沈黙が舞い降りた。

 少しの逡巡の後、彼は重い口を開く。

 

「確かに儂は、クィリナスの抱えている”闇”に気づいておった」

 

 分かっていた事だが、言葉にされるとやはり落胆するものだ。

 この老人は故意にクィレル先生を死なせたということになる。

 

「貴方は……クィレル先生の凶行を放置して、ポッターに人殺しをさせた」

 

「君が儂を非難する気持ちも分かる。今回の件は、善悪が複雑に絡み合った難しい選択じゃった。何かを選ぶという事は、何かを切り捨てるということに他ならん。後悔のない選択肢など存在はしないのじゃ。人は完璧ではないゆえに」

 

 懊悩するように表情を沈める老魔法使いに、私はもはや白けていた。

 

 脳裏を過ぎったのは、私が問題を起こす度に相手に対して無様に地面に額を擦り付けていた隻眼の魔法使いの姿。

 

 下を守るべき者がこれではクィレル先生も浮かばれない。

 

「芝居は止めてください。聡明な貴方なら、裏を暴き一人で今回の件を処理出来た筈です。ドラゴンの件にしてもそう。ポッターが関わる件にだけ、貴方は酷く迂遠な手を使う」

 

 ダンブルドアは黙って私の言葉を待っている。

 私は、静かに事実を言った。

 

「貴方は切り捨てたんです、クィリナス・クィレルを。ハリー・ポッターへの試練にする為に」

 

「……その言葉には誤りがあるの。儂は自身の責務に従い、選択を行った。彼もまた、自らの信ずる者に従事する事を選択し、お互いにその結末を迎えた。ただ、それだけの話なのじゃから」

 

 そう告げるダンブルドアの青の瞳は揺るがない。

 爺様が負けるワケである。

 

 正義の味方という立ち位置で、悪辣な選択を躊躇なく行える者など誰が勝てよう。

 いや、それも違うのか。

 

「考えてみれば、貴方は別に正義を掲げているわけではありませんでしたね」

 

「その通りじゃ。多くの者は勘違いするが、儂が正義の旗を掲げた事は一度としてない。正義と悪の立ち位置は、流動的で誠に難しいからのう」

 

 にっこりと微笑むダンブルドア。

 いつもは偉大な老賢者といった立ち姿だったが、今は違う。

 

 言うなれば、精密機械のような無機質でどこか冷たい印象を受ける。

 

「人を導く立場もまたそうじゃ。教職についてから長い年月が経ったが、未だに悩む。魔法を覚え、広い世界へと出ていく生徒達に果たしてその価値があったのか、とな。生徒達が儂や他の先生達の教えた魔法を悪用し、ヴォルデモート卿のように多くの罪を重ねたらどうすれば良いのか。儂のしている事は、過去への償いという自己満足でしかなく、寧ろそういった悪行を手助けしてしまっているのではないのか、と」

 

 偉大な伝説の魔法使いは、私が思うに臆病な老人なのだろう。

 

 自分の所業一つにもこれだけの言い訳を用意している。

 己は間違っていると心のどこかで分かっている証拠だった。

 

 ────アルバス・ダンブルドアは聖人君子ではない、普通の人間だ。

 

 都合の悪い事からは逃げ出し、己の醜悪な部分からは目を背ける、そんな普通の人間。

 

 自身の呪いで、妹を死なせてしまったのではないかと慄き、その真偽が明らかになる事への恐れから、グリンデルバルドとの対決を避けていた臆病者。

 

 それこそが、この老人の本当の姿なのだろう。

 

「いつまで貴方は、そうやって心を閉ざして逃げ続けるつもりなのですか?」

 

「……”愛”が、人の目を曇らせ続ける限り」

 

 愛は人の目を曇らせるか。秀逸な謳い文句だ。

 私は手の中にある赤い石ころを、ダンブルドアに投げ渡す。

 

「優勝賞品は受け取って下さい。どうせ私が持っていてもしょうがないものですから」

 

 では、有難く。

 そう呟いたダンブルドアは受け取った石を懐に仕舞い込む。

 

「すまんの。ここまで来た君にとっては、完全に骨折り損になってしもうた」

 

「別に」

 

 私は掠れ声で答えた。

 

「私は、自分の人生を狂わした元凶の本当の顔(・・・・)が見れただけで満足ですから」

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 あれから直ぐにメルムは自寮へと帰っていった。

 ダンブルドアも、彼女との問答について考えている暇はなかった。

 

 まず負傷したハリーとロンを回収し、マダム・ポンフリーのいる医務室に運ばなければならなかったからだ。

 

 もちろんこんな真夜中に叩き起された彼女は、ダンブルドアの非常識に苦言を呈そうとしたが、ボロボロの二人を確認すると叱責の言葉を呑み込んでくれた。

 今頃は大慌てで治療に取り掛かっているだろう。

 

「職務に忠実なのは、彼女の美徳の一つじゃな」

 

 澄んだ夜空を、風が木々を揺らして渡っていった。

 現在、事後処理をひとまず終えたダンブルドアは、湖の畔で夜風に当たっている。

 

 いつも昼間なら生徒たちで賑わう夏の水場も、今は誰もいない。

 静かなものである。

 

「儂の本当の顔、か」

 

 ダンブルドアは夜風に銀の髭を戦がせながら、去り際にメルムが口にした言葉を反芻する。

 

 いつからだろうか。自分の悩みを打ち明けたり、相談したりすることが出来なくなったのは。

 

 周囲から偉大な魔法使いとして見られる事に拘り、外面の仮面でしか振る舞うことができなくなったのは。

 

「メルムよ、儂は恐ろしいのじゃよ。人と向き合うのが」

 

 ハリーの成長の為に用意した道筋だが、それを説明するならば、彼に己の暗さや冷酷さを知られてしまう。

 

 自分がどれだけ狡猾で危険な老人なのか、それを知った時の彼の反応を、ダンブルドアはとても恐れていた。

 

「この悩みも君になら話せたのか。のう? ゲラート」

 

 声は静かに闇の帳に消えていく。

 

 返事はない。一九四五年のあの日からずっとそうだ。

 思えば互いの道が違ってしまったのも自分の言葉が足りなかったからか。

 

 いつだってダンブルドアは臆病で、決定的な場面で心を閉ざした。

 皆は己のことを褒め讃えるが、そんな大層な存在ではない。

 

 見栄っ張りで、冷酷で、狡猾な、どこにでもいるちっぽけな人間だ。

 

 ────アリアナの事だってそうだ。

 

 ダンブルドアは、病気のアリアナを診る為にホグワーツを辞めようとした弟を説得し、自分が妹の面倒を見るという選択をした。

 

 遺された家族による自己犠牲の立派な美談。

 話を聞いた者は皆、ダンブルドアの事を賞賛した。

 

 しかしその選択は、”立派な家長の取るべき選択肢”だから選び取ったに過ぎず、弟が抱いていたような”家族を守りたい”という思いからでは決してなかったように思う。

 

「愚かな選択じゃった。家族はもとより儂自身の思いも無視した、歪な自己満足による行動。抑えられた欲求は爆発し、結果的にアリアナも……」

 

 最後の言葉は言うことすら憚られた。

 

 恐らく己が犯した最初にして、一番重い罪。

 己の身勝手さが招いた家族の崩壊。

 

 見えない傷は、未だに己の胸に。

 見える傷は、己の折れ曲がった鼻に。

 

「愛は目を曇らせる、か。もしかすると……儂はその意味すらも分かってはおらんのかもしれんのう」

 

 ダンブルドアは独り静かに感情に呑み込まれる。

 

 夜空に浮かぶ星に手を伸ばそうとするが、掴むことは出来ず。

 いつだって本当に欲しかったモノは、空に輝く星のように決して手に入りはしない。

 

 勿論、このごたごたした感情的な世界に、完全な答えなどないことは知っている。

 

 しかしこの瞬間だけは、明確な”答え”が知りたかった。

 

「ま、望むべくもない願いじゃがの」

 

 様々な思いを振り切るように、ダンブルドアは手を下ろした。

 

 感傷的な時間は終わりだ。

 願いだの過去だの考えても仕方がない。

 割り切っていい話でもないが、まだやるべき事がある。

 

 どれだけ苦悩したところで、間違い続けたところで、人は前に進まなければならない。

 

 だから、ダンブルドアは懐から取り出す。真紅に光り輝く”賢者の石”を。

 

 一連の騒動の原因を砕くことで、ひとまずは区切りをつけるために。

 

 しかし。

 

 

 

 

 ────よぉ。やっと見つけたぞ

 

 

「ッ!!」

 

 不意に感じられた異質な気配。

 

 ブンッ!! 

 振り向きざまに腕を一振り、途端に暗闇を白光が照らし出す。

 

 強烈な白い光に照らし出された”ソレ”は、目を細めるとダンブルドアに笑いかけた。

 

「こんにちは、ダンブルドア」

 

 長い白髪から飛び出す特徴的な尖った耳、宝石のような翡翠の瞳。

 病的なほどに肌は白く、緑色の長衣がはたはたと夜風に靡く。

 

 端正な顔をした小柄で風変わりな少女は、ある生徒(・・・・)によく似ていた。

 

「”石”を手にするのは、リドルの小童の方だと思っていたが……手駒が不足しているらしい。幼い一年生にしてやられるとは」

 

 つまらなそうな顔をしているが、その声音からは得もしれない喜色が滲み出ていた。

 

「とはいえ、貴様にも以前から直接会ってみたいと思っていたのだぞ? ”黒い魔法使い”を相手に勝利した男。如何ほどのものか」

 

 初対面であるにも関わらず、少女は親しげに話しかけてくる。

 ダンブルドアは警戒を解かない。緩められるわけがない。

 

 距離はダンブルドアから少し離れているにも関わらず、小柄な少女の体から溢れ出る膨大な魔法力をヒシヒシと感じる。

 

 目の前に傲然と佇むソレは、まさしくヒトの形をした嵐だった。

 

 そんなダンブルドアの警戒に、少女は鼻を鳴らす。

 

「警戒など無意味だ。ヒト族にしては中々やる方なんだろうが」

 

「君は……何者じゃ?」

 

「ゲラート・グリンデルバルドという男を覚えているか? かつて欧州を股にかけて暴れ回った男だ。あれも実は私の弟子でね。いや元弟子といった方がいいか」

 

 ダンブルドアの質問など、まるで耳に入っていないかのように少女は独白を続ける。

 

「いかに魔法の秘奥を教えたところで、使うものが愚鈍であればどうしようもない。ゲラート・グリンデルバルド、もう少し頭を使えなかったものか」

 

 僅かな不快。

 しかし、慰め程度の成果はあった。

 そう言って少女は、城の方を眺める。

 

「妖精魔法と未来予知の瞳。何より優秀過ぎる血統ゆえの圧倒的なポテンシャル。人間とハイエルフの血が混合されることによって、初めて成されるハイブリッド(ハーフエルフ)。ここからでも見える(・・・)くらいには育っているか。リドルの小童との接触や、奴の悪評故に血筋そのものが途絶えそうになるなど予想外はあったが、凡そ順調と言っていい」

 

「……質問に答えて貰えぬかの」

 

 会話の主導権を奪えない。

 面白くなさそうな顔をしている少女は、無機質でそして乾いているように感じた。

 

 圧倒的な退屈。何をしようがつまらないとその顔に書いてある。

 そして、ダンブルドアに対しての興味も薄過ぎる。

 

「ここで質問が来る致命的な頭の悪さに、腸が煮えくり返る思いだ。どうせ私はどこの誰で、何を目的にしているのか。どうしてホグワーツに入れたのか。そんなところだろう?」

 

 そんなものは一つの言葉で片付く、と少女の形をした災害は嗤った。

 

「ヴォーティガンだ。”プロセルピナ・ヴォーティガン”。これで理解が出来ぬようなら、端から会話の必要性を感じられない」

 

 それは知る者すらも少ない、力ある名前。

 ゆえにダンブルドアは訝しんだ。

 

「……儂の知識が間違いでなくば、それは千年前に存在した魔法使い(ハイエルフ)の名じゃ」

 

「だから、現時点で存在するのはありえないと?」

 

 ニヤニヤ笑う少女は、不思議とダンブルドアですら気圧される程の何かがある。

 

「不死身など珍しくもないわ。現に貴様の懐にある石の持ち主とて、六百年以上に渡って生き永らえている。この私が生きていても、何ら不思議ではあるまいよ」

 

「神話の中で、悪しき魔法使いはグリフィンドールの剣によって穿かれ、敗北したとあるがの?」

 

 その言葉に鼻白んだ少女は、ダンブルドアの背後にあるホグワーツ城を睨んだ。

 忌々しい記憶でも思い出しているのか、その表情は険しい。

 

「確かに油断していた。傲慢なる天に、獅子の剣は突き立った。結果として私は死にこそしなかったが、力の大半を削がれ、表舞台からは降りざるを得なくなった」

 

 古い書物に記された伝承の一節が、ダンブルドアの脳裏を過ぎる。

 

 荒野の獅子(グリフィンドール)湿地の蛇(スリザリン)も……否、太古の魔法使いの誰もが思い描く魔法の頂きには、神ではなく傲慢なる天(ヴォーティガン)がいたと。

 

「仮に、お主がその神話の神様だとしよう。目的はなんじゃ。お主を穿いたとされるグリフィンドールの剣かね?」

 

「今さら、あの棒切れをどうこうしようとは思ってはおらぬわ。目的は、貴様の持っている賢者の石よ。果たしていなかった”盟約”があってな」

 

「……悪いが、それは出来ぬ相談じゃな」

 

 すぅっと目を細め、ダンブルドアは莫大な魔法力を全身から立ち昇らせる。

 

 しかし、怪物の表情は変わらなかった。

 

 油断なく構える老魔法使いを前に、少女はその細い指を動かし、ゆっくりとその掌を向ける。

 

「なぁ、一つだけ質問をよいか?」

 

「何かの?」

 

「貴様らヒト族が口にする愛とは、本当に(・・・)そこまで(・・・・)美しいものか(・・・・・・)?」

 

 じっと此方を見つめる翡翠(エメラルド)の瞳。

 それは、此方の欺瞞を見透かしているような輝きをしていて、無性に落ち着かなくなる。

 

 ダンブルドアは、ゆっくりと唾を飲み込み言い放った。

 

「愛とは至上の魔法じゃよ。ヴォーティガン」

 

「それは恋人と家族、そのどちらの愛も選べなかった貴様の優柔不断にすり潰され、死んだ妹の末路と関係しておるのか?」

 

 揶揄うような声に、ダンブルドアの顔から表情が消える。

 

 いつの間にか懐から抜き放たれた手には一本の杖が。

 それは、かつて世界で最も邪悪とされる黒い魔法使い(グリンデルバルド)を下して得た最強の杖。

 

 そんなダンブルドアの変化を非常に好ましげな目で見つめ、ふむと少女の形をした化け物は一つ頷く。

 

「やはり愛よりも、憎悪の方が美しい」

 

 

 ────直後に激突があった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 空へと舞い上がる、大量の水飛沫。

 圧倒的な魔法力の激突は、実に静かなものだったといえるだろう。

 

 湖の端から端まで伝わった魔法力の衝撃波は、その水を真上へと打ち上げるだけで済んだのだから。

 

「他者愛と自己愛は区別がつかぬ」

 

 勝者の声が鳴り響く。

 巻き上げられた水が雨となって降り注ぐ中、無傷の少女はその手の中で赤い石を弄んでいた。

 

「強いて言うのならば、誰かを愛するには強さが必要だ。誰かと真に向き合う勇気も」

 

 ダンブルドアからの返答はない。

 彼は少女から少し離れた浜辺でうつ伏せに倒れていた。

 

 如何にダンブルドアが極まった魔法使いであろうが関係はない。

 

 タイムリミットのない個である少女には届かない。

 単純に格が違い過ぎる。嵐を前に剣を振り回すような愚かさの極み。

 

「誰かを愛するということは、その先にある後悔を覚悟するということだ。即ち強さとは、その先の後悔を受け止める勇気を持つことでもある」

 

 あくまで冷徹な声色に、憐れみが滲んだ。

 空気にその身を溶かしながら、少女は呟く。

 

「だから貴様はきっと────本当の意味で誰かを愛した事などない」

 

 

 

 




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#015 寮対抗杯の結果と一年の終わり

昔、師匠に言われた。

怒った時のお前の瞳は、海のように青かったって。



 賢者の石を巡っての攻防から一週間経った。

 例の事件以来、有難い事にボクはめっきりと悪夢を見なくなった。 お陰でこの一週間は安眠を貪ることが出来ている。

 やはり夢も見ずに昏睡出来るのは気持ちがいい。

 そんな事をぼんやり考えながら、ボクはむくりとベッドから起き上がる。

 部屋の隅では、友人であるミリセント・ブルストロードが朝の日課である腕立て伏せをしていた。

 

「ふぁーあ……おはよミリセント」

 

「むっ! ……ふっ! ……むっ! ……ふっ! ……おぉ、おはようさんメルム」

 

 滴る汗。光る筋肉。

 一年前も相当ヤバかったが、今は更にそのヤバさに磨きが掛かっている。

 獣のように進化していく彼女は、一体どこを目指しているのだろうか。

 まぁ少なくとも魔法使いではあるまい。

 

「そういや今日の学年末パーティー楽しみだねぇ。得点は全部計算が済んで、もちろんスリザリンの勝ち確。ハリー・ポッターが最後のクイディッチの試合に出られなかったから、グリフィンドールもレイブンクローにコテンパンにやられちまってたしねぇ」

 

「学年末パーティといえば、ポッターは出られるのかな? それにダンブルドア校長も」

 

「試験明けのアレか。どうだろうねぇ……大騒ぎになるくらいには2人とも酷い状態だったらしいし」

 

 ミリセントの言う通り、例の事件から一夜明けた翌日は学校中が上を下への大騒ぎだった。

 正に驚天動地の連続だったのである。

 まずクィリナス・クィレルの失踪を皮切りに、ハリー・ポッターの医務室への謎の入院、コチコチに固まった状態で発見されたネビル。

 そして何よりも、学校中の人間を驚かせたのはダンブルドア校長の大怪我の話だった。

 

 ────なんと、あのダンブルドア校長がボロボロの状態で発見されたのだ。

 

 一時は本当に危険な状態だったらしく、マダム・ポンフリーは彼を聖マンゴに送ることも考えていたくらいなんだとか。

 それを知ったマクゴナガル先生はご飯が喉も通らず、スネイプ先生などいつもの三倍以上に深いシワを額に作っていた。

 ハグリッドなど、ダンブルドアの大怪我とポッターの入院を聞いておいおいと泣き崩れてしまった。

 ドラゴンの卵に釣られ、フラッフィーの秘密をクィレルに迂闊に喋った自分のせいだ! と。自覚があるのは良い事である。

 大粒の涙でグッショリ濡れたファングは気の毒としか言いようがないが。

 

 各新聞社も大騒ぎだった。何せあのアルバス・ダンブルドアだ。数々の伝説を残してきた大魔法使いをそこまで追い詰められる者など、全盛期のヴォルデモート卿や爺様であるゲラート・グリンデルバルドくらいなもの。

 魔法界はここから先、暫くはその話題で持ち切りだろう。

 

(やれやれ……一応、世界の上位ランクに位置する怪物爺な筈なんだけれど。誰がやったんだか)

 

 恐らく、ヴォルデモートではない。

 あの怨霊には、それだけの力は残っていなかった。

 となれば、身を潜めていた第三者の線が濃厚。何れにしても普通じゃない。

 

(それに公には皆知らないことになってるけど、何故か大体の事情はもう出回ってるんだよね)

 

 噂の出所はよく分からない。分からないが予想はつく。

 入院しているポッターは物理的に無理。

 ならば、そこそこの傷で撤退した彼の友人であるウィーズリーやハーマイオニーだろう。

 そのお陰で一夜にして、大戦犯ハリー・ポッターはヒーローとなった。入院中のポッターは知らないだろうが、その掌返しは清々しさを通り越して薄ら寒い。

 傍から見てるボクですら人間不信に拍車がかかりそうだった。良くも悪くも、人とは印象に左右されやすい生き物である。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 大広間は、もう既に先に着いた生徒達でいっぱいだった。いつもと違う浮ついた空気は、パーティのご馳走と明日からの長期休暇への期待の為だろうか。スリザリン寮はその中でもトップクラスに浮ついていた。

 それは”穢れた血”の話や純血の馬鹿話で盛り上がる声が多いことからもよく分かる。マルフォイなどウィーズリー達を指さしてゲラゲラ笑っていた。

 彼らの気と態度が大きくなっている理由は言わずもがな。

 

 広間に飾られた緑と銀が彩る横断幕のせいである。

 上を見上げればなるほど、緑の蛇を描いた巨大な横断幕がテーブルの上空を無数に舞っている。

 全ての罰則を終え、最早何も気にすることなぞないと飯をかきこんでいるセオドール曰く、スリザリンが七年連続で寮対抗杯を獲得したお祝いらしい。

 

(悲しいなぁ……阿呆な身内のせいで自寮の勝利も素直に喜べないとはねぇ)

 

 とはいえ、勝利は勝利。別に欲していたわけではないが、寮杯はボクらの寮のもの。くれると言うなら貰っておこう。それに、年に一度の大御馳走だけあって種類も豊富、ボクの大好きな食べ物もちらほらある。どっちかと言うと、こっちの方がボク的には嬉しい。

 

(とっとと美味いご馳走を食べて、良い気分のままこの学校からおさらばしよ……あ、帰りに爺様へのお土産も買わなくちゃだ)

 

「おい……来たぞ……」

 

「あ……本当だ!」

 

 突然、ガヤガヤ騒がしかった大広間が突然シーンとなり、ヒソヒソと内緒話が始まる。

 

「ん?」

 

 いきなり大広間の空気が変わった事に気がついたボクは、顔を目の前の料理から皆の視線の向く方に移す。

 そして、納得した。

 何を隠そう、我らが英雄ハリー・ポッターのご登場だった。

 医務室から解放され、一人遅れて大広間に着いた彼はグリフィンドールのテーブルで、ウィーズリーとハーマイオニーの間に座る。

 

「ありゃー……いつか見た光景だね、これは」

 

 好奇心の余り、それぞれの寮の生徒達が席を立ち上がってポッターをガン見していた。

 初回の授業の時にボクもされたから分かる。意外と緊張するのだ、これが。

 とはいえそんなポッターへの好奇の視線も、計ったように現れたダンブルドア校長によって取り敢えずは静まる。

 まぁ彼らの興味が、ポッターから謎の大怪我をしたというダンブルドア校長へと移っただけなんだけどね。

 

「また一年が過ぎた」

 

 声高々に、そう宣言するダンブルドア校長。

 老人の右腕は包帯で巻かれて、少しだけ痛々しい。

 

「一同、ご馳走にかぶりつく前に老いぼれの戯言をお聞き願いたい。なんという一年じゃったろう……儂は散歩中に転んで腕を折り、その他にも何人もの生徒が医務室へと運ばれて、とうとう教師まで夜逃げしてしもうた。儂のささやかなる願いとしては、君達の頭が以前に比べて少し何かが詰まってくれておる事を願うのじゃ……しかし哀しきかな。新学年を迎える前に君達の頭がキレイサッパリ空っぽになる夏休みがやってくる……」

 

 開口一番に失礼なジジイだった。

 きっと学生の頭をザルか何かと勘違いしているに違いない。

 まぁ奥の方の席で校長達から見えないように、ご馳走を摘み食いしているゴイルやクラッブを見ると割と否定できないが。

 それにしてもクィレル先生の件の軽いこと軽いこと。

 ダンブルドア校長の怪我の件についての真偽はともかく、仮にも一教師が失踪したのだから、もう少し生徒達に詳しく説明しても良いと思うんだけれど……いやぁ、やっぱ無理か。

 

 君達を教えていたのが実は死喰い人で、何なら後頭部から例のあの人が生えてるバケモノで、挙句の果てに生徒を殺そうとして返り討ちに遭って、最期は骨も残らず灰になっちゃいました☆

 

 ……確かに、夜逃げという事にしとくのがベターでベストだった。

 そんな事を考えている内に、ダンブルドア校長がそれぞれの寮の最終成績を読み上げる。

 

「それでは、ここで寮対抗杯の表彰を行うことになっとる。点数は次の通りじゃ。4位のグリフィンドールは312点! 3位のハッフルパフは352点! 2位はレイブンクローで426点! ────そしてスリザリン452点。2位のレイブンクローを大きく離しての1位じゃな! 実に良く頑張った!」

 

 辺りの席から、嵐のような歓声と足を踏み鳴らす音が上がった。

 下品にもマルフォイがゴブレットでテーブルを叩いている。

 それ以外のメンツも、それぞれ喜びを全身で表していた。

 パンジーはミリセントと抱き合ってパグ犬みたいな声を出しているし、滅多に笑わないクールなダフネもニッコリ笑って席を立って拍手している。

 セオドールなどは、何故かクラッブとゴイルに胴上げされている。

 ジェマ先輩もフリント先輩辺りと肩を組んで踊っていた。

 

(滅茶苦茶はしゃいでるな……まぁ嬉しいもんは嬉しいよね)

 

 チラ、と横目で他の寮の生徒達を見ると、彼らは大して面白くもなさそうに、目の前の食事だけを見つめている。

 得点の事など、どうでもいいから早く飯を食わせろと顔に書いてあった。

 他寮からしてみれば、さぞ憤懣やるかたない光景なのだろうが、ここは我慢して貰おう。

 敗者は黙してただ下を向くのが礼儀だ。

 

「それにしてもグリフィンドールは312点か……例の150点減点がなければスリザリンは負けてたね」

 

「なぁに勝ちは勝ちさね」

 

 隣で泡を吹くパンジーを抱き締めているミリセントに声を掛けると、彼女はそう言ってガハハ! と笑った。

 確かに勝利は勝利。

 でも賢き蛇の諸君よ、忘れてないかい? 

 

 ────あの砂時計に、ここ最近の出来事が加算されていない事を。

 

 そんなボクの内心を代弁するかのように、狸爺が穏やかに言った。

 

「よし、よし、スリザリン。よくやった。しかし、つい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて」

 

 あー……これは悪い流れだ。

 部屋全体がシーンとなっている。

 流石にマズい雰囲気を感じたのか、スリザリン生たちの笑いが少し消えた。

 えへん! とダンブルドアが咳払いをする。

 

「駆け込みの点数をいくつか与えよう。えーと……そうそう、まず最初はロナルド・ウィズリー君。この何年か、ホグワーツで見ることが出来なかったような最高のチェスゲームを見せてくれたことを称え、グリフィンドールに50点を与える」

 

 グリフィンドールの歓声は、魔法をかけられた天井を吹き飛ばしかねないくらいだった。

 頭上の星がグラグラと揺れる。

 

 スリザリン寮の動揺は激しかった。

 クラッブとゴイルの二人など呆然として、胴上げしたセオドールを落としていた。

 マルフォイもゴブレットをテーブルに叩きつけるのをやめている。

 

「次にハーマイオニー・グレンジャー嬢に、火に囲まれながら冷静な論理を用いて対処したことを称え、グリフィンドールに50点を与える」

 

 ハーマイオニーが腕に顔を埋めたのが、遠くにいるボクから見ても分かった。

 きっと嬉し泣きをしているに違いない。

 

 意気消沈していくスリザリン生とは対照的に、グリフィンドール生はテーブルのあちこちで我を忘れて狂喜している。

 百点も増えたのだから当然だ。

 

 現在、スリザリンに届くまで後、四十点。

 そして、ボク達スリザリンにとっては悲しいことに、一番表彰されるべき主役がまだ残っている。

 

「3番目はハリー・ポッター君。その完璧な精神力と並外れた勇気を称え、グリフィンドールに70点を与える」

 

 まさに大歓声。

 耳をつんざく大騒音に、ボクは思わず耳を塞いだ。

 

 グリフィンドールの生徒達は、声が掠れるほど叫びながら大喜びしている。

 反対に、逆転負けしたスリザリンの寮は、最早お通夜状態。

 

(聞いてられない。レイブンクローやハッフルパフとか、もうご飯を食べ始めてんじゃないの?)

 

 流石にそんな事はなかったが、彼らの顔には、グリフィンドール贔屓はやめろと書いてある。

 

 そして、ダンブルドア校長によるグリフィンドール贔屓は、まだ終わらない。

 

「勇気にも色々ある」

 

 ダンブルドア校長は、ニッコリ微笑んだ。

 

「敵に立ち向かっていくのにも大いなる勇気がいる。しかし、味方の友人に立ち向かっていくのにも同じくらい勇気が必要じゃ……そこで儂はネビル・ロングボトム君に10点を与えたい」

 

 嗚呼、驚いて青白くなったネビルがみんなに抱きつかれ、人に埋もれて姿が見えなくなっていく。

 ポッター、ウィーズリー、ハーマイオニーも立ち上がって叫んでいた。

 

「…………」

 

 スリザリンといえば、空前絶後のオーバーキルに悲しむどころか、ダンブルドア校長のグリフィンドールに対する贔屓っぷりにドン引きすらしていた。

 それはそうだろう。スネイプ先生も真っ青の大贔屓だ。

 

(なーんでこういうことするかな、あのジジイは……これでグリフィンドールは492点か……年間で稼ぐ点数が300から400なのに、個人に50点はやりすぎでしょ)

 

 しかし、不思議なもんだ。

 ここまで明白(あからさま)に贔屓すればクレームの大嵐だろうに。

 スリザリンは純血の名家が多い、裕福な親もその数だけ多い。

 下手すれば、乗り込んで来る親もいるのではなかろうか。

 いや……考え過ぎかな? 

 

「ダンブルドアの老いぼれが……絶対に父上に言いつけてやる。僕の父上はこの学校の理事なんだぞ……目にものを見せてやる!」

 

「私の父の会社もホグワーツと懇意にしてたけど……こんな事をするならお父様に言いつけてやるわ! ホグワーツとの取引を解消して、ボーバトンかダームストラングと取引して貰う!」

 

 ……だよねーやっぱそうなるよねー。

 権力者の娘や息子を怒らせるとこうなるのだ。

 ひたすら甘やかされて育ってきたお嬢様やお坊ちゃま方に、常識は無いし、我慢の二文字は存在しない。

 スリザリンの怖いところが出てきたなぁ、とボクがぼんやり考えていたその時、ダンブルドア校長がゆっくりと口を開いた。

 

「真実の追及には意味がある」

 

 なんだ? とボクは顔を顰めた。

 隣のミリセントを見ると、肩を竦めて首を横に振っている。

 まだ何かあるのだろうか? あらかじめ計算しとけや、この狸爺が。

 

「敵に立ち向かっていくのにも確かに勇気がいる。しかし勇気ある者の背中を押し、その裏に隠された真実を見定めようとする姿勢もまた、非常に美しいものだと儂は思うのじゃ」

 

 ────故に、儂はメルム・グリンデルバルド嬢に40点を与える

 

「うぉっしゃあ!」

 

 再びぶち上がるスリザリンの大歓声。

 飛びかかってきたミリセントのせいで、ボクは椅子に座ったまま五メートルは横にスライドする。

 セオドール達も今度は胴上げではなく、喜びの舞を三人で踊っていた。

 マルフォイも再び、ゴブレットをテーブルに叩きつけ出す……なんかテーブルに恨みでもあるの? 

 

「本当に良かったよ、1位を維持できて。同点なのは癪だけど」

 

「ヒヤヒヤさせられたもんだ」

 

 口々に交わされる喜びの言葉。スリザリン寮のテーブルから、先程の暗い雰囲気がさっぱりなくなっている。何なら、単独優勝が決まっていた最初よりも喜んでいた。

 

「さぁて、飾りつけをちょいと変えねばならんのう?」

 

 嵐のような喝采の中、ダンブルドアが手を叩く。

 次の瞬間、グリーンの垂れ幕に真紅が混ざり、銀色に金色が混ざる。

 そして、巨大なスリザリンの蛇の隣には、グリフィンドールのそびえ立つようなライオンが現れた。

 涙で前が見えなくなっているミリセントを横に退けたボクは、取り出したロリポップを苛立ち紛れにガジガジと齧る。

 これでグリフィンドールとスリザリンは同点優勝だ。

 単純なスリザリンの連中はちゃぶ台返しに飛び回るくらい喜んでいるが、忘れてはいけない。

 ダンブルドア校長のグリフィンドール贔屓が無ければ、単独優勝だった。

 

「本当に誤魔化すのが上手いよ。ダンブルドア校長は」

 

 あれだけの駆け込み得点は、どう言い繕っても無理がある。そもそもポッター達へ得点をやり過ぎなのだ。

 特別イベントで五十点や七十点などがホイホイやり取りされたら、日々の生活で一点や二点をちまちま稼いでいる意味が無い。

 

(ていうかネビルへの得点の理由なんて、もはや意味不明だし)

 

 明白なグリフィンドール贔屓は、絶対にスリザリンや他寮から文句が出る。

 それを見越して、スケープゴートに選ばれたのがボクなのだろう。

 本来なら同点優勝ですら文句が出てもおかしくはない状況だ。

 散々にグリフィンドールに点数を盛って、後からスリザリンにも同点になるように点数を盛る。

 単純だけど効果は抜群だ。

 その証拠に息巻いていた連中は皆ニコニコしている。

 不満など何一つ無いかのように。

 それどころか、ダンブルドア校長はスリザリンもちゃんと評価してくれている! なんて宣う奴までいる始末だ。

 

「やっぱ爺様の言う通り食わせものだね」

 

 壇上のダンブルドア校長と目が合う。

 少しボクが睨むと、お茶目にもウィンクが返って来た。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 オーストリア、元ヌルメンガード城。

 その最上階では、薄暗い牢屋に一人の老人が幽閉されている。

 彼の名はゲラート・グリンデルバルド。

 ヴォルデモート卿の出現まで、史上最強かつ最も危険とされた闇の魔法使いである。

 することも無い彼は暇を持て余し、部屋に唯一ある鉄格子から夜空に浮かぶ月を眺めていた。

 

「まったく暇だな。会話相手がいないと寂しいものだ……如何せん、私にも人の心が残っていたらしい」

 

 昔はうんざりするほどには、色んな人間を相手に”演説”をしたものだが、今は話す相手すらいない。もう人望があったのは昔の話なのだ、とこういう時には嫌でも実感する。

 何せ自分を慕う者の大半はウェンストンミンスター寺院の墓の下だ。

 今や、たまにフラリと寄ってくる孫娘の面会と飯を届けに来る看守くらいしか人との付き合いもない。

 そう────死を待つだけの老人に客人など訪れるはずもない。

 そのはずであった。

 

「なんとも落ちぶれたものよな、ゲラート」

 

 鈴のような可憐な声が響く。

 どこか歪な響きを感じさせられる声だ。

 その声が客人の来ないはずのグリンデルバルド翁の独房に響いていた。

 

「何の用だ、性悪女め」

 

「獄中見舞いだ。風の噂で貴様が牢屋にぶち込まれたと聞いてな」

 

 独房の中にゆらりと現れた影は、グリンデルバルド翁のいつも使っている萎びたベッドに腰掛けて笑う。

 

「かれこれ80年振りか、貴様に会うのは。見ない間に、随分とまぁ老けてしまったものよ」

 

 年老いた老人を見下ろす影はゆらゆらと揺れている。

 恐らくは笑っているのだろう。

 

「……その身体は?」

 

「ん、あぁこれか。墓土に骨を混ぜて練ったものだ。繋ぎに使っているだけよ。適性はない」

 

 嘘は言っていないだろう。

 影になって見えないが、その身体は身動ぎをする度に土の破片をポロポロと零している。

 限界が近い証拠だ。

 

「見舞い、ね。遅すぎないか。息子も孫娘も皆、お前よりも先に面会に来てくれているぞ。この薄情者めが」

 

「馬鹿に見せる顔などないわ。あの程度の俗物に負けやがって。下らんおままごとをさせる為に、私は貴様に魔術を教えたわけではないのだが?」

 

「耳の痛い話だ。孫娘にも最近、その事で愚痴を言われた」

 

 カラカラと笑い飛ばすグリンデルバルド翁。

 それをじっと見つめる影。

 

「どうした。言いたいことがあるなら言え」

 

「いや。変わったなと思ってな」

 

 一見褒め言葉のように聞こえる言葉だが、声からは喜びのような感情は一切感じられない。

 寧ろ焦れったく思っている。そんな声音だった。

 

「野心がない。あの頃の莫大な魔法力も。貴様は枯れてしまったのか?」

 

「もしかしたら、インドの僧みたく悟ったという解釈もあるぞ?」

 

「茶化すな愚か者」

 

 鼻を鳴らす影。

 不機嫌そうではあるが、それは昔からのことだ。

 今更ご機嫌取りをやるような仲でもなし、何より気にしないことが一番だと長い経験から知っている。

 ことり、と置かれた赤い石。

 

「”盟約”だ。貴様といつかの夜に結んだ”盟約”。それを果たしに来た」

 

「賢者の石か。あの老いぼれがよく渡したな」

 

「奪ったからな」

 

 その言葉にグリンデルバルド翁はピクリと眉を動かすが、それ以上の変化はない。

 真正面からこの化け物と激突したならば、どんなに優秀な魔法使いとて、万が一にも勝ち目はない。

 それをゲラート・グリンデルバルドはよく知っていた。

 

「……殺したのか?」

 

「まさか。今あの男を殺せば、貴様らヒト族に余計な混乱を招く。それは私の望むところではない。私は平和主義者なのでな」

 

 なんともタチの悪い平和主義者もいたものだ。

 いつだって彼女は、自分の手を下さず場を掻き乱しては、混乱の末に起きた騒動を手の届かない高みから嘲笑う。

 元々が長寿ゆえに退屈なのだろう。

 頼んでもいないのに、賢者の石をわざわざ渡しに来る気になったのも、恐らく悪巧みに自分を利用する為に違いない。

 面倒臭がりの癖に、暇潰しには全力を尽くす偽神の悪い癖だった。

 

「”盟約”か。わざわざご苦労な事だな。忘れてしまっても良かったというのに」

 

「それに関しては完全に此方の都合だがな。”盟約”がなければ、土塊に魂を仮止めする事も叶わん。何ならスリザリンの呪いのせいで、少々手間取ったくらいだ」

 

 かのホグワーツ城を創造した四人の英傑の内の一人、サラザール・スリザリンに纏わる伝承にこんなものがある。

 ”湿地の蛇”は”傲慢なる天”を討ち取った後、二度と厄災が起きぬよう島に祈りを捧げた、と。

 

「なるほど、運命に干渉する呪いか。お前でも解けないとは、かのスリザリンはよほど傑出した魔法使いだったようだな」

 

「魔法の使い方が嫌らしいだけよ。私はああいう手合いは昔から好かぬ」

 

 何はともあれ、それでも彼女はホグワーツを訪れ、賢者の石を奪ってこれた。

 どういう抜け穴を使ったかは知らないが、偉大なるサラザール・スリザリンの魔法でも、この傲慢なる天を止めることは出来なかったのだ。

 平和とは強者の気紛れで成り立っているという良い例である。

 ゴホン、と仕切り直すように咳払いをするグリンデルバルド翁。

 

「そういえばホグワーツには私の孫娘もいた筈なんだが、見なかったか?」

 

「あぁ。それなら一目見たぞ」

 

 にんまりと影の口の端が歪む。

 

「すくすくと成長(・・)しておった。やはり身を置く環境次第で、愚鈍もそれなりのモノにはなる」

 

 その瞬間、殺気と魔法力の奔流が吹き荒れた。

 本来、目に見えない筈のそれらは物理的な風となり、影の髪を靡かせる。月に反射して銀が輝く。

 

「……なんだ。存外、まだ枯れたわけではないらしい。私を(たばか)るなど相も変わらず人が悪いな」

 

「馬鹿にするな老害。勝手に人の心まで爺扱いしおって。私は死ぬまで現役だ」

 

「はは、確かにそうであろ。どれほどの年月が経とうとも受け継がれ、変わらないモノも実在する。1000年朽ちぬ黄金の煌めきのように」

 

 いや、そこまで綺麗なものでもないか。

 そう笑う影の皮肉に、グリンデルバルド翁も笑みを零す。

 

「お前の考えは分かっている。だから先に言っておくぞ。私が再び表舞台に立つかどうかを決めるのは、お前でもなければ私でもない(・・・・・)。これ以上、お前の趣味の悪いおままごとに孫娘を巻き込むつもりなら、私はレディファーストを反故することになる。悲しいがね」

 

「……本当に変わったな。予想外にも程があろう。貴様が孫のことを気にして、お節介を焼くとは」

 

「祖父として当然のことだ」

 

 短くも決意の篭った言葉に、影は暫し無言になる。

 純粋に驚いているのだろう。

 自分が血も涙もない鬼畜族だという自覚はグリンデルバルド翁にもあったが、ここまで驚かれると流石に心外だ。

 影は、納得がいかないのか言葉を重ねる。

 

「野心を胸に、ひたすら邁進するお前が好きだった。我欲で無辜の民を虐げて、己の同胞の血に塗れながら進むお前が好きだった……あの頃のお前は何処へ行った?」

 

 否定はできない。

 彼自身、歩んできた過去はひたすらに暗いゆえ。

 困惑した様子の影に、グリンデルバルド翁は珍しく寄り添うように語りかけた。

 

「人は変われるのさ。お前には無駄に思えるような歩みでも、人は何かを変える為に積み重ね続けているものなのだ」

 

「そういうものか?」

 

「そういうものなのさ」

 

 言いたいことは言い終えたし、向こうも聞きたいことは大体聞き終えたのだろう。

 二人の間に沈黙が降りる。

 

「……時間だ」

 

 そう言ってベッドから立ち上がる影。

 久しぶりだというのに、せっかちな奴である。

 

「人は変われる、か。なら証明して見せろ、グリンデルバルド。もしも私の思い描く結末とその瞳に映る未来が違うのならば、貴様らの評価を考え直してやってもよい」

 

 独房唯一の窓に足を向ける影に向かって、グリンデルバルド翁は声をかける。

 

「おい、神様」

 

「何か?」

 

 月に照らされる二人の間に、チリッとした歪な火花が散る。

 ギシギシと軋み出す周りの空気。

 グリンデルバルド翁は、ニッと笑った。

 

天辺(てっぺん)に立っているからって、あんまり人間(私達)をナメるなよ」

 

 宣戦布告とも取れるその言葉。

 ふふ、という小さな笑い声があった。

 

「私のやる事に文句があるのなら、この玉座から引き摺り下ろしてみせよ。あの四人のように。キング・アーサーのように」

 

 強い視線を背中に受けながらも、影は嘲りを交えてこう答えた。

 

「今を生きるヒト族にそれだけの力が残されておるのなら、それもまた面白かろうよ」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 試験の結果が発表された。

 先に言うとボクは二位だった。学年トップの座は、僅差でハーマイオニーに取られてしまった。

 一位と二位の差はたったの十点。魔法薬学が足を引っ張ったと個人的には思っている。

 スネイプ先生のスリザリンブーストをされても一位になれなかったのは中々に悔しい。

 ちなみに、ボクが教えたミリセントも上位二十位に入る好成績だった。

 セオドールも驚いた事に成績は中の上である。素の頭は良かったのだろう。

 

「意地悪でバカなゴイルやクラッブが退学になれば良かったのに」

 

 ハグリッドの湖を渡る船のせいで、グロッキーになっているボクを介護しながらネビルがそんなことを言った。

 

「うっぷ……おぇ……仕方ないよ……マルフォイの奴が何回も……徹夜で教えこんでたからね……うぷっ……」

 

「ままならないものよね」

 

 隣のハーマイオニーがよしよしとボクの背中を撫でながら、不満そうに口を尖らす。

 

「そういえば……うぷっ……ヒキガエルは見つかったのネビル?」

 

「あぁトレバーなら見つかったよ……トイレの隅にいたよ」

 

「次からフクロウか猫みたいな大きいの飼えば? あなたには向いてないわよ、カエルの世話」

 

「だね……」

 

 そうかなぁ? なんて呟きながらネビルはホグワーツ特急に乗り込む。

 酔いがようやく収まったボクは、車内販売でチョコレートを頼んだ。

 ハーマイオニーは教科書を開き、ネビルはトレバーを握りしめながら、ボクのチョコレートを物欲しそうに見つめている。

 

「そういえばさっき、ポッターが変な格好のおっさんに絡まれてたけれど。あれはなんだったの?」

 

「あぁ、あの人ね……ハリーの叔父さんらしいわよ」

 

「叔父さん? マグルじゃなかったっけ。なんでここまで来れたのかな?」

 

 ボクが仕方なくあげたチョコレートをモリモリ食べながら、ネビルが首を傾げる。

 

「なんか銀髪の小娘に無理矢理ここまで連れてこられたんですって」

 

「ふぅん……でもさ、マグルなのに良く生きてたね」

 

「ホグズヘッド・インで保護されてたらしいわよ。ずっと飲んだくれてたって」

 

 それはなんとも豪気なことだ、金もないだろうに。

 ボクがそう言うとハーマイオニーは肩を竦める。

 

「ポーカーで稼いでたらしいわ。あの人凄い強かったんですって。飲み代と宿泊代はそれでチャラ」

 

 賭け事なんて不潔だと言わんばかりに顔を顰めるハーマイオニー。

 ボクといえば今度会う機会があれば、ポッターの叔父さんとポーカー対決をしてみたくなった。

 ホグズヘッド・インにいたバーテンであるアバーフォースは、確か賭け事にはかなり強かった筈だ。

 生き馬の目を抜くほどには世知辛い魔法使いのバー。そこで賭け事で生計を立てるなど尋常ではない。

 ポッターの叔父さん……何者なのだろうか? 

 

 その後も喋ったり笑ったりしている内に、車窓の田園の緑が濃くなり小綺麗になっていく。

 ちらほらとマグルの町々が見えるようになる。キングズクロス駅が近づいている証拠だ。

 皆が魔法のマントを脱いで上着とコートに着替える中、ボクはお土産の百味ビーンズを買って外に出るのに備える。

 

「さて……また一人旅の日常に逆戻りだ」

 

 ボクの瞳には、まだ見ぬ未知の景色への憧憬の光が宿っている。

 そう。休みの期間中に訪れるであろう、ハラハラドキドキのスリルを胸に────自然とボクの口元には笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 




賢者の石編はこれで終わりです!次からは秘密の部屋編ですー


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#??? いつかあったかもしれない神の逸話

その剣を抜き放ちし者、其は真の勇気を示す者なり

しかして荒野の獅子(グリフィンドール)により導かれ、その真の力を解き放ちし者

其は真の慈しみをもって憎しみをも懐く、英雄の中の英雄なり




 

 

 その頃の暗黒時代に関して、世界の状態を正確に記述する事は不可能だろう。

 マグルのインターネットのようなものもなく、全ての情報が地理的な壁によって阻まれる。

 その事実に、マグルも魔法族も関係ない。

 とにかく九世紀は、そんな閉ざされた時代だった。

 

 ────しかし、古くからその地に住む彼らは覚えている

 

 ゴブリン、トロール、ケンタウルス、水中人。

 今や魔法生物として魔法族に虐げられ、あるいは迎合してその生を繋いで生きている彼らは、覚えている。

 かつて世界に冠した一つの最強の種族(エルフ)があったと。

 かつて魔法生物達によって支配されていた一つの時代があったと。

 

 古きその一族の名は、ヴォーティガン。

 

 並ぶ者なきヴォーティガン。恐るべきヴォーティガン。

 今日、旧支配者として極限られた書物にのみその名を記された者達。

 それぞれが悪辣な所業で、紀元前からその名を轟かせた一族ではあるが、その時代にとりわけ彼らの記憶に残る者がいるとすれば、それはたった1人の大王である

 

 彼女の名は、プロセルピナ・ヴォーティガン。

 

 一族の魔法に長ずる数名の寡頭政治に不満を抱き、粛清に粛清を重ね、最終的に己以外の同族を尽く滅ぼした者。

 長らく支配してきたローマ帝国に見切りをつけ、北西部のグレートブリテンに手を伸ばそうとした異端の魔法使い。

 その侵攻で北欧州一帯の魔法族の数を半減させた魔法史史上でも最悪の大量殺戮者。

 

 ローマ神話に”神”として名を連ねた一族の最後とは、一体どのようなものだったのだろうか。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 遥か過去、暗雲立ち込める空の下。

 その戦いに名はなくただ意味があり、故に歴史を紐解いたところで真実はヴェールの向こう。

 伝説として語り継ぐべきだった決闘。

 両者共に大軍団を背にした、壮烈を極めた死闘だった。

 紀元前より権勢を誇る威容の一族。

 その最後に名を連ねる者にして、”傲慢なる天”と名高き暴君との殺し合い。

 

 事の発端は、活発になったデーン人の侵攻を援護する形で、三世紀ぶりに古き一族の長がブリテン島への干渉を始めた事だった。

 

「うん。まぁなんというか……そうだな。奴がカレドニアの南から動き始めたら全てが終わるな」

 

 かつて故国の救済を願った強大な四人の魔法使い達がいた。

 アルフレッド大王によるブリテン島の統一から暫くの時が経ったとはいえ、未だに国土は疲弊しきっている。

 相次ぐ戦いにより荒廃している国土、何かに操られたかの如く侵攻を始めるデーン人達。

 

「打って出るぞ」

 

 グリフィンドールの一言に異を唱える者はいなかった。

 ”小鬼王”ラグヌック一世に依頼し、彼が特別製の剣を製作してもらった事は誰もが知っていた。

 その上、四人の魔法使い達は己の魔法の腕が至上のものとして疑いもしていなかった。

 何よりももう選択の余地は無い。

 ブリテン島は既に東も西も南もあの怪物に支配されてしまった。

 今こそ決戦を果たし、その身を葬らなければ自分達に未来などない。

 

 

 

 

 

「まったく……素晴らしい(くだらない)。その高潔(傲慢)精神(幼稚)性は人間ならではのものだな」

 

 

 

 高く澄み渡ったその声には、すべてを知り尽くした賢人のような威厳が備わっていた。

 だがその威厳は、それ以上の尊大さを併せ持ち、自分以外のすべてを見下しているような響きを伴っていた。

 

 結論からいえば、”傲慢なる天”という呼称は過大評価でもなんでもなく、単なる事実だったのだろう。

 

 真正面からの激突でハッフルパフは地に沈み、自ら挑んだ頭脳戦の末にレイブンクローは敗れた。

 闇の魔法を極め無敵とも呼べる力を誇るスリザリンも、怪物の本気を前に押し切られ一蹴された。

 

「おいおい。ちょっと見直してやった途端にこれか。やはりヒトは脆くて退屈だな」

 

 人にしては随分と尖った耳を風に靡かせ、幼さの残る口元を歪めた少女は、ゆるりとグリフィンドールの方を見下ろした。

 風に乗って届く声は、それだけで周囲に魔法力を撒き散らす。

 己の喉がゴクリと鳴るのを自覚して、グリフィンドールは自分が相対している者の強大さを改めて認識し直した。

 生まれながらに世界を見下ろす事を許された傲慢なる天。

 唯一そう在るべくして王冠を手に取る、偽りの神。

 

 目の前の少女はそういう存在だった。

 

「若輩共め。魔法使いとは魔力もそうだが、やはり1番は知識の総量が物をいう。生きてきた年数が違うのだから、貴様らが私に勝てる道理もあるまい」

 

 全てを捉えるような翡翠の瞳を視認した瞬間、グリフィンドールは顔ごと少女から目を逸らしていた。

 鼓動が跳ね上がり、剣の柄を握る手がブルブルと震える。

 まさに抗い難い畏怖心であった。

 視線を向けられるだけで、死を意識する。

 しかし、それでは話にならない。

 勇猛さとはその程度では折り曲げられたりはしない。

 故にグリフィンドールは、決然と此方を見つめる”死”を直視し、笑みを浮かべさえした。

 

「既に勝ったつもりか。全部終わったみたいな言い方をしやがって。俺はまだ立っているぞ」

 

 その反応、その言葉、何もかもが予想外だったのだろう。

 首を傾げた少女は、意味を吟味するように黙りこくった。

 

 やがて────ずん!! と。

 

 グリフィンドールの間合いを脅かすようにして、怪物の歩みが始まる。

 

「そちらこそ大言を吐くならば、この私を止めてみよ。デーン人共の侵攻はもはや世界の潮流そのものだ。だが私の歩みぐらいなら止められるだろう? それすらも押し返せないようなら失望するぞ」

 

 唇を噛み締めたゴドリックは、剣を抜き放ち構える。

 この時代は、まだ魔法界とマグル界が交流のあった時代である。

 決闘でマグルを相手に杖を使うのはフェアでないとして、グリフィンドールは剣も極めていた。

 しかしこれは魔法使い同士の戦いである。

 魔法使い同士の戦いで剣を抜く。

 その不可解に眉を寄せ、歩みを止めぬまま怪物は初めて笑った。

 

「良いぞ。その不可解、ちゃんと形にして私にぶつけて見せろ」

 

 そして直後に、暴君が配下に死刑を命ずるような、無慈悲かつ気軽な調子で攻撃が放たれた。

 

悪霊の火よ(ペスティス・インセンディウム)

 

 既に少女は杖に頼ることなく魔力を動かし、想像を現出させる境地へと達している。

 故に杖が抜かれる素振りはなく、ただ強力な闇の魔法がその場に吹き荒れた。

 爆発する魔力。炎で出来た巨大な蛇の顎が駆け抜ける。

 赤黒く燃え盛る灼熱の蛇は鎌首をもたげ、キメラにドラゴンと様々な煉獄の獣を生み出しながら、グリフィンドールへと突き進む。

 ヒト一人を容易く消し炭にさせて余りある強力な闇の魔法。

 

「おおおおぉぉ……ッッ!!!」

 

 剣閃一筋、それだけで全てを呑み込む筈の悪霊の火は、掠れたような声を出して宙に消える。

 流れるように続けての二撃目、相手の肩元に切っ先を据えた正眼からの刺突。

 少女の肩を狙った一撃は、地面に亀裂が走るほどの踏み込みから放たれた。

 

「先の3人と同じく悪くはない。だが甘いな。躊躇があれば死に追いつかれるぞ? 若輩────身体強化(パンクラチオン)

 

 剣での突きを紙一重で躱わしながらの蹴り。

 ごん!! という鈍い音と共に、グリフィンドールの身体が左に大きく傾いだ。

 凄まじい膂力だ。

 子供のような足から放たれたそれは、鎧の上からですら背骨に軋みを与える。

 

「……ッ」

 

 即座に体勢を利用した身体を倒しながらの逆袈裟。

 これも躱される。笑み混じりに。

 巨大な青の爆炎を己の手足のように振り回し、至近で少女は獣のように牙を剥き出した。

 

「超近距離での戦闘は苦手だとでも思ったか? 生憎、こういう運動(お遊び)はローマの闘技場で経験済みなんだよ」

 

 とはいってもグリフィンドールも負けてはいない。

 四方八方から繰り出される青焔の拳を杖と剣で危なげなく対処し、刃のような風を周囲に生み出して即座に切り込む。

 

「ふぅん」

 

 自然な仕草で少女は風の刃へと一歩踏み出した。

 同時に風の凶刃が雲散霧消する。

 

「ちょっとは面白くなってきたな」

 

「そうか? 俺は早くお前をぶっ殺して家に帰りたい!」

 

 轟音の炸裂。

 度重なる衝撃の負荷に耐えきれず足場が崩壊した。

 滑るようにして、お互いに距離を僅かに離す。

 そのまま睨み合いながら、グリフィンドールは吐き捨てるように呟いた。

 

「ったく……それだけの力を正しく使えば、多くの民を救えただろうに」

 

「馬鹿か。私の力は私の為だけのものだ。他の誰の為に使うつもりもない」

 

「傲慢だな」

 

「それが絶対者(ヴォーティガン)というものだ」

 

 言葉に力が伴っている事例で、ここまでタチが悪いものもそうはあるまい。

 敵う相手などこの世になく、刃向かった者は伝説として語り継がれるのみ。

 それは神に等しき存在であると、古き書物や魔法生物達も語っていたか。

 

「話は変わるが、魔法とは使用者本人のイメージと魔法力が絡む複雑な力だ。如何に想像を掻き立て、魔力を介して世界へと放出させるか。想像力こそが全てを変える」

 

 少女はおもむろに指先を天へと向けた。

 見上げるまでもない。

 開戦前は青く澄み渡っていた空も、今や大量に舞った土砂で覆われ真っ黒になっている。

 

「だから、こういう事もできる────黄金に変えよ(アウルム・ムータティオ)

 

 力のある言葉と共に、指から放たれた閃光が上空を貫き────瞬間、黒い空が黄金に塗り潰された。

 いや違う。

 上空に舞う幾千もの土埃が変わったのだ、金片に。

 

「おいおい……冗談よせよ」

 

 質量が変わった事で下降し始めた金片達は、さながら雪のようにゆっくりと地面へ降り注ぐ。

 自然の雄大な光景すら思うがままに塗り換えられる魔法力に、思わずグリフィンドールは感嘆して声を上げた。

 

「人の身では決して辿り着けない高み……これがヴォーティガンか」

 

「己が分を悟ったか? ならば死ね」

 

 少女の言葉に連動するように、幾万もの金片達がグリフィンドールの周りに渦巻く。

 単純な浮遊魔法ですらこの精度。

 真なる魔法使いとは、決して基本をおろそかにしない。

 そして、基本の中の基本を完全に御する事で、世界すらも歪めてしまうのだ。

 

「────再定義せよ(リー・ディフィニション)!!」

 

 そして、それはグリフィンドール達も同じだった。

 背後から流れるような英語の羅列があった。

 全体を先導するような力強さをもって放たれた魔法が、上空へと昇る。

 全てをあるべき形へと戻すべく。

 

「大いなる叡智を謳うだけはあったか。死に損ないめが、よく粘るわ」

 

 不発。何も起こらず。

 少女の思うままに歪められた景色は、更なる大きな力でもって明確に元の形に戻された。

 

「私の知識はともかく魔法力は貴方の足元にも及ばないでしょうね……ですがこの地に巻き散らかされた貴方の魔法力を利用すれば別です。これくらいは朝飯前ですよ」

 

 立つことすら難しいように思えたレイブンクロー。

 彼女はグリフィンドールが稼いだ時間を使い、既に今出来る応急処置を終えていた。

 

「馬鹿野郎、無茶すんじゃねぇ! ────だが、よくやったッ!!!」

 

 言葉と共にグリフィンドールは、少女の形をした怪物へと斬り掛かる。

 剣撃。甲冑に包まれた脚撃と打撃。

 更に杖で放つ高度な魔術をも混ぜた、文字通りグリフィンドールの全身を武器とした猛攻。

 この畳みかけには、次なる魔法を放とうしていた少女も耐えかね、大きく飛び退って後退する。

 敵を喰らい損ねた剣と魔法が、土と岩を粉砕し周囲に新たな粉塵をばら撒いた。

 一騎打ちを見守っていた巨人達が、興奮するように咆哮を上げ始める。

 

「……他者との繋がりに助けられたな。仲間というものは良いものだ。まぁ私はすっかり冷めてしまったんだがな、そういうのには」

 

 砂煙の中からゆらりと”傲慢なる天”が姿を顕す。

 一見無事なように見える彼女。

 だが、その左腕は焼き尽くされ、黒炭を思わせる色合いに変色していた。

 そして、それが再生される様子はない。

 ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、そしてサラザール・スリザリン。

 この三者の攻撃は、確実に彼女を追い詰めていたのだ。

 

「問おうプロセルピナ・ヴォーティガン、偉大なる”最後の大君”よ」

 

「何だ」

 

「何故、こんな事が出来た?」

 

 返ってきたのは無表情から滲み出る侮蔑。

 くだらなさそうに右指を鳴らして少女は答える。

 

「……魔法使いだからだ。塵のような貴様らとて、元を辿れば我らが同族である。ならば僅かにでも感じているだろうよ。民を選別し、国すらも支配し得る己の”力”の可能性を」

 

 片腕を灰色の空へと向けながら、少女は嗤う。

 

「我々には全てが与えられた。故に、何もかもが許される。この手は悉くの生命を摘み取り、この足は悉くの生命を踏みつける。そうあって然るべきなのだ」

 

 神の傲岸。神の不遜。いっそ清々しく。

 自らに非など一つたりともないと。

 

「偽神はそれでも笑う、か。ハッ……哀しいもんだな。300年前と違って、今のお前にそこまでの力はないだろうに。ローマ帝国の衰退がそれを証明している。この地に手を伸ばそうとしたのも、国土が疲弊している今なら簡単に乗っ取れると思ったからだろう」

 

「馬鹿め。私はただ戻ってきただけだ。真の意味で我らが始まった大地へと」

 

 少女は、べろりと舌を出して焼け焦げた己の腕を舐め上げた。

 

「貴様の言うボロ小屋に関してもさしたる問題ではない。やり直せば良い。同胞はまた集める。国ならまた作る。より堅牢により強力に名を変え形を変えてな。私という唯一があれば、そんなもの何度でも蘇るさ」

 

 多くの配下が死に、故国が己に背を向けて尚、一から作り直せばいいと宣うその傲慢。

 この暴君の言葉全てを、驕りに過ぎぬと断じるのは容易だが、長い年月を大陸の支配者として君臨してきたこの少女には何一つ届かないだろう。

 それでもグリフィンドールは言わずにはいられなかった。

 

「俺達も含めた地上の何もかもが互いに影響し合って生きている。決して神なんかじゃねぇんだよ」

 

「……語るべき事柄があるのなら、杖で述べ、杖で叫べ。それがしきたりだ」

 

 投げやりに吐き捨てられた言葉。

 翡翠の瞳が激情と共に碧色へと染まっていく。

 そして、ただでさえ強力な魔法力が更に倍以上に膨らんだ。

 

 しかし────臆することはない。

 

 ”最後の大君”。

 グリフィンドールは、先ほど彼女の事をそう呼称した。

 紀元前から続いてきた魔法使いの一族、その歴史に今こそ終止符を打つ。

 意志を言外に込めたその時、恐怖は置いてきたのだ。

 

「これからは、俺達の時代だ」

 

 低く屈み、柄を握り直す。

 肺の中の全てを吐き出す様な深呼吸をして目の前の獲物に狙いを定める。

 

 ────未来は死だ。何故、先に進む? 

 

 決まっている。

 守るモノさえ分かっていれば、大抵の事は何とかなるのが人間なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ならば儂も抗うとしよう。完璧に組み上げられた運命を打ち壊す、その瞬間の為に」

 

 

 

 

 

 ズドン……ッ

 堆く積もった瓦礫の隙間から放たれた黒い閃光の縄。

 機を伺い、今の今まで隠れていた湿地の蛇(スリザリン)が牙を剥く。

 背後からの完全なる不意打ち。

 

「な、ぁ……に……?」

 

 強力な闇の呪縛に、少女の身体が一瞬固まる。

 漏れ出たのは驚愕の呻き。

 常時ならばこうはいくまい。

 彼女の魔法探知能力は他と隔絶している。

 死んだ振りからの不意打ちなど即座に気づき、その上でどう動くか計算すらしていただろう。

 しかし、今回は違った。

 

 焦りだ。

 

 グリフィンドールの剣は、少女の身体を凪いだ。

 それは致命傷にならずとも確かに、死の足音を彼女に感じさせていたのだ。

 

「愚か者めが……よりにもよって私相手に闇の魔法で挑むか」

 

 歴史を決めた一瞬。

 傲慢なる天(ヴォーティガン)は己の真なる敵を忘我した。

 身体を蝕む闇の魔法などに目をくれず、彼だけを見据えていればまだ勝機はあったものを。

 否。傲慢であるが故に、それだけは出来なかったのだ。

 

「……ッ!」

 

 ────此方に意識を戻した時には最早遅い。

 既に、荒野の獅子は踵で大地を蹴りつけていた。

 仇敵へと己の牙を突き立てんが為に。

 

「お、」

 

 身体の自由は湿地の蛇によって封じられている。

 迎撃の魔法を構築しようとも、それは大空の鷲の干渉によって邪魔された。

 

「ッおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォッッッッッ!!!!!!!!!」

 

 身動きのとれない時間はわずか数秒。

 しかしそれだけあれば、剣は届く。

 それを理解した少女が放ったのは雄叫びだった。

 詰んだ盤面への嘆きではない。

 迫り来る死への恐怖でもない。

 

 ────それは尚も前に一歩進もうという、戦意ある咆哮だった

 

 

「狙うは、ヴォーティガンただ1人ッッ!!」

 

 ドバンッ!! と空気の震える音が炸裂した。

 銀色に鈍く光る剣が、少女の腹に深々と突き刺さり、その背中から飛び出る。

 

「小賢しい。本当に……小賢しいな……人間め……」

 

 数十の命を一息で奪う。

 そう謳われた怪物は、その言葉を最後に大地に身体を横たわらせる。

 小柄な体躯は一度大きく痙攣し、それっきり大陸の覇者は動くことをしなかった。

 

 

 これは千年前にこの星の何処かで起きた出来事。

 

 

 大陸を支配する偽りの神と叛逆者たる四人の偉大なる創設者達の壮大なる激突の果て。

 

 かくして敗者(ヴォーティガン)は歴史から消え去った

 






前に投稿したリメイクです(((o(*゚▽゚*)o)))
あれの出来だけがどうしても気になっちゃった


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第二章〜ハリー・ポッターと秘密の部屋〜
#016 小説家と依頼


一九九二年は一際印象に残る一年だった。

ボクはとある小説家と共にホグワーツの歴史的な闇へと挑んだ。

誰もが知り、誰もが見た事のない魔の部屋、”秘密の部屋”へ。



「ほえーこれはまた……」

 

 ”取材”と周りに嘘をついてお忍びで足を踏み入れた街は、男が今まで見た中でどこよりも裏の活気にあふれた町だった。

 奴隷商人や傭兵、娼婦、見世物小屋では密輸された魔法生物、浮浪者などの表を真っ当に歩けないような人種の闇鍋。

 それは、かつてイギリスにいた頃に何回か遊び歩いた夜の闇(ノクターン)横丁を彷彿とさせる。

 上を見上げれば、羊雲が疎らに散らばっている青い空にアスファルトを照らす陽光。

 今日も今日とて暖かな日が射す大通り、太陽はどんな場所でも平等に全てを照らす。

 梅雨入り前独特の湿り気の混じった生温い風が吹く季節は終わりを告げ、皮膚を焼くような熱風が頬を撫でていく。

 

「それにしても暑い……」

 

 例年通りと言うべきか今年の夏も茹だるような猛暑。

 連日最高気温を更新し続ける気温、寝惚け半分で見たテレビの天気予報は向こうー週間赤々としたマークで埋め尽くされていた。

 

「こと天気に関してはマグルの科学の方が上をいっていますね……予報バッチリ、雨が降る様子すらないとは」

 

 男はいわゆる魔法族であったが、職業柄かマグルの知識にも豊富で彼らの道具も積極的に取り入れていた。

 数ある魔法族の中でも、電気代を払っている酔狂な人間は自分くらいなものだろう。

 

「おにいさん。女の奴隷いらないかい? マグルなら若いのから子供まで。ちょっとお高いけど屋敷しもべ妖精(ハウスエルフ)もいるよ!」

 

「あのニンバスの新作の箒だよッ!! 今ならガリオン金貨四十枚!」

 

「オニさん、キモチイの一時間どウ? 口だけ銀貨2枚ネ。4枚は最後まであるヨ」

 

「おにぃちゃん、高そうなスーツ着とるなあ。酒でも恵んでくれんかね」

 

 まだ昼真っ只中なのに、交わされる言葉は世紀末。

 どいつもこいつも声をかけてくる奴は、ロクな人間じゃない。

 箒を売っていた男がニンバスの新作と言い張っていたブツなど、極東の島国で売っている竹箒だ。

 ちなみに娼婦には少しクラッと来た。銀貨4枚は少し微妙だが。

 昼でこの調子なら、夜は更に楽しめるだろう。

 安い酒屋でバタービールを買い、スナックやバーに洋服店が多く立ち並ぶ繁華街から一転して、日陰を求めて狭い路地を通り人通りのないほうへと向かう。

 

「金返せこの野郎!」

 

「し、知らねえッ! 俺は知らねぇよう……」

 

「とぼけんな! カモメの餌にされてぇか!」

 

 薄汚い老人を数人の集団が袋叩きにしている。

 つくづく世紀末な街だ。空気が澱んでいる。

 ため息を吐いた男は、散乱するゴミを避けつつ彼らを無視して歩き続ける。

 十分ほど歩いただろうか、路地の右端に一つの看板が見えた。

 

「……ここ、ですか」

 

 地下へと続く階段を降りる。

 ひび割れたコンクリートの床と壁面を所々に灯る蝋燭が淡く照らす。

 そして長細い廊下の突き当たりには外れかけた木戸があった。

 男は唾を飲み込んで深呼吸し、自分の荷物を持って宿の受付に向かう。

 両開きの粗末な木戸を開けると、ランプの赤橙色の明かりが全身を包んだ。

 思ったよりも荒れた様子はない。

 狭苦しい店内ではあるが、そこはささやかな酒場にもなっており片隅では、屋敷しもべ妖精がギターで悲しげな音楽を奏でている。

 ちびちびと杯に口をつけている客らしき人もちらほらと見えた。

 とはいえ温室育ちの男からすれば、あまり流行っている宿ではないように思える。

 

「すみません。誰かおられませんかね?」

 

 男が受付に声を掛けると、針金のようにやせ細った老人が宿帳をめくりながら、酒場の方からゆったりと歩いてくる。

 

「宿泊かね?」

 

「2日ほどですが。それと朝と夜の配膳は出ますかね?」

 

「あぁ。あんたにとっては幸いな事にね」

 

 老主人は皮肉気に男を一瞥すると、宿帳に羽ペンを走らせる。

 仕方ない。男のナルシストな性格も相まって、彼の格好はかなり派手だ。

 着ているスーツも、つけている時計も、背負っている鞄も、何もかもが高級だとひと目でわかる。

 ボロい宿屋を冷やかしに来たとでも思われているのだろう。

 

「お一人かい?」

 

「いえ。連れがここにいる筈です」

 

 男は店内を見回し、酒場の奥に人影を見つけて指をさす。

 老人はその人物を見ると、声のトーンを一オクターブ下げた。

 

「アンタ……まさか堅気じゃないのか。そのナリで?」

 

「さぁ? 私から言えるのは、人を身なりで判断するのは止した方が良い、としか」

 

 老人の言葉の意味は分からない。

 だが、ナメられないことは重要だ。特にこういう街では。

 取り敢えず、誤解をそのままにしておくことにした男は意味深な笑みを浮かべて奥の方へと向かう。

 埃を被った暗い赤色の絨毯、使われていない仄暗い暖炉。

 突き当たりの奥の壁には、ミヒャエル・ヴォルゲムートの”死の舞踏”が飾られている。

 その真下にある黒檀のテーブル席に腰を埋めているのは、小柄な人影だった。

 闇のような黒いローブをまとい、フードを深々と被って俯いている。

 そして首からぶら下げられるのは死の秘宝のアクセサリー。

 

「やぁ。お久しぶりですねミス・グリンデルバルド。元気にしていましたか?」

 

 グリンデルバルドと呼ばれたフードの魔法使いは、ふと気づいたように男に顔を向けるとゆったりとフードを脱いだ。

 

「ん、誰かな?」

 

 フードの下から出てきたのは、怪しげな格好からは想像もつかないほどの美少女だった。

 それこそまるで物語に出てくる妖精のような少女である。

 顔立ちは幼さを感じさせるが、ぼんやりとしたその表情は大人顔負けの女性らしさがある。

 まさに少女から女性へと変化しつつある十代特有の絶世の美少女だ。

 そして腰まで届くハーフアップにした銀の髪は、滑るような光沢を持っている。

 彼女の名前はメルム・ヴォーティガン・グリンデルバルド。

 どうやら仮眠を取っていたらしく、しょぼしょぼとした目を擦る彼女にギルデロイは笑いかける。

 

「私ですよ私。此方に来ると手紙で連絡したでしょう? 忘れるなんて酷いですよ」

 

「……その気障っぽいナリと自信満々の声はギルデロイか。まだくたばってなくて安心したよ」

 

 鈴の鳴るような高く澄んだ声に、男────ギルデロイ・ロックハートは苦笑する。

 気障っぽいとは言い様だ。

 自分は己の立場に相応しい格好をしているだけなのだが。

 メルムは起こされたせいか不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「まったく予定よりも君が遅いもんだから、少しばかり店内を綺麗にする(・・・・・)羽目になったよ」

 

「それはなんともまぁ……穏やかじゃありませんねぇ……」

 

 此方をコソコソ伺うような宿屋の老人の怯えたような目と、先程の問いの理由が分かった。

 どうせ、いつものゴタゴタだ。

 

「そんな嫌な顔をしないでよ。この街はゴミだらけさ。ゴミの1人や2人が消えても誰も気にしやしない」

 

「だと良いんですがね」

 

 ギルデロイは恐る恐る周りを見回すが、誰も視線を合わせることは無い。

 かといって此方の空気に萎縮するでもない。

 周りも似たり寄ったりというワケだ。

 脛に傷を負った者同士なら確かに誰も気にしない。

 

「良く無事に来られたね。ここ結構治安悪いのに」

 

「運は良い方でしてね。五体満足で物も盗られてない。今のところは。まぁそれでも温室育ち丸出しの私が夜なんか出歩けば、良くても服まで毟り取られるでしょうが」

 

「自慢する所? そこ」

 

 実際のところギルデロイが無事なのは、奇跡に近い。

 ギルデロイとしても身を守る術として杖は持っているが、そんなものは相手も勿論持っている。

 おまけに彼は忘却術以外はてんでお話にならない。

 そしてこの街は、彼のような男は”どうかケツを蹴って下さい”という紙を貼られて用水路に浮かんでも何ら不思議では無い場所なのだ。

 

「今さら私の弱さを論ったってしょうがない話でしょう。どうやったって鷲は獅子にはなれないんですから。それよりもどうなんです? 私のエスコートを断ってまで入学したホグワーツは」

 

 ポリポリと頭を掻いたメルムはしかめっ面で言う。

 

「あぁ……想像以上に刺激的だったよ。学校内じゃ悪魔の罠やケルベロスが閉じ込められている部屋があったり、ハロウィンには本物のトロールが暴れたり……あ、校庭じゃアクロマンチュラに追いかけられたこともあったっけな。まぁそれで、しまいには”亡霊”に取り憑かれた1人の教師が月まで吹っ飛んだ」

 

「ホグワーツの話ですよね? ダームストラングとかじゃなくて……そこまで荒れた学校でしたっけ?」

 

「知らなーい。ボクは事実をそのまま言っているだけだし」

 

 不貞腐れたようにロリポップを口に入れるとメルムは頭の後ろで腕を組んだ。

 どうやら一年前の彼女の選択は、ご機嫌な結果にはならなかったようだ。

 とはいえ、端から聞いている分には面白い話でもある。

 つまりギルデロイにとってはガリオンの成る木だ。

 とりあえず羊皮紙と自動手記羽ペンを出したギルデロイは、渋るメルムを何とか宥めて、この一年の間にホグワーツであった出来事を語って貰うことにした。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

「なるほどなるほど。それは災難でしたね、メルム」

 

 グラスに残っていた最後の酒を啜って話を終えたメルムに、それまで黙って耳を傾け、自動手記羽根ペンでメモを取らせていたギルデロイは労いの言葉を掛けた……テーブルに所狭しと並んだ瓶の列を呆然と眺めながら。

 三時間にも及ぶ冒険譚。

 それを語る間に、メルムは恐ろしい程のペースで酒を飲み干していた。

 ちなみにそれらはギルデロイの奢りである。

 

「はぁ〜……今、君に抱いているモヤモヤはきっと”嫉妬”だ。間違いない。なんせ今の”やり方”で安全かつ、がっぽりお金が儲かってるんだから」

 

「私は趣味が功じただけですよ。運が良かったんです」

 

「趣味と仕事が合致している人間は強いよ」

 

「間違いない」

 

 苦笑してギルデロイは二本目のバタービールの蓋を開ける。

 確かに好きな事が出来て、ついでに金が稼げるのは幸せだ。

 それが正しいかどうかはともかくとして。

 

「しかし、そうですか……まさか、あのクィレル君がねぇ」

 

「知り合いなの?」

 

「えぇまぁ……同い年で同じ寮だったというだけですがね」

 

 ギルデロイは当時を振り返るべく天井を仰いだ。

 入学時からクィリナス・クィレルという男は、神経質でおどおどしたところがあり、周りによくいじめられていたのを覚えている。

 しかし、そんな虐められっ子も最終的には優秀な成績を修めホグワーツでマグル学の教授となっていた。

 それだけでなく、闇の魔術の防衛術の理論やトロールなど他分野にも精通している秀才でもあり、間違いなくギルデロイの持っていないモノを持った一人だった筈だ。

 それがまさか死喰い人(デスイーター)にまで身を堕としていたとは。

 まさに”事実は小説よりも奇なり”である。

 しみったれた空気を切り替えるようにメルムがパンッ! と手を叩く。

 

「さて、下らない世間話はここまでにしようよ。手紙で言ってただろ? ボクに頼りたい事って何さ」

 

 あぁそう言えばそうだった。

 彼女の話にのめり込んですっかり忘れていた。

 本来の目的を思い出し、ギルデロイは懐から一枚の便箋を取り出す。

 

「これは?」

 

「見てのお楽しみですよ。差出人をご覧あれ」

 

 促されるままにメルムは手紙を裏っ返して、未だ眠そうな翡翠の瞳を僅かに細めた。

 差出人の欄に記された厳かな名前を彼女は呟く。

 

「────アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。誰かと思えば、うちの腹黒校長じゃんか。うーん……なになに? え、教師の依頼!?」

 

 にわかには信じ難い、と手紙を何度も見直しているメルムに、ギルデロイはふんすっと鼻を鳴らした。

 

「そうなんですよ! 何と! 私は今年1年の間、ホグワーツで闇の魔術の防衛術を担当させていただく事になりました!」

 

「ふぅん……で? 教師やったことあるの?」

 

 その内容から本物だと判断したのだろう。

 面白くなさそうに手紙をテーブルの上に放り出したメルムが問うてくる。

 ギルデロイはニッコリと満面の笑みを浮かべて答えた。

 

「もちろん無いですよ」

 

「……」

 

 あっけらかんとしたその言葉に、暫しメルムはギルデロイを見つめながら沈黙する。

 その瞳には真剣に懊悩する様が伝わってきた。

 

「……ちなみに闇の魔法の専門知識は?」

 

「本を書く過程で少々」

 

「へぇー君の本は小説ばっかりだった筈だけれど。その知識で生徒に実践的な授業をする事は出来るの?」

 

「教科書があるので、それに沿って教えていけば誤魔化すことは何とか……」

 

 尻すぼみになっていくギルデロイの声に色々察したのだろう。質問はそれ以上来なかった。

 チラッと前を見れば、メルムがため息を吐いて頭を抱えている。

 そうなるのも無理はない。彼女はギルデロイが口だけ野郎だという事を知る数少ない一人だった。

 こいつ大丈夫なのか? そんな懐疑的な視線を振り払うべくギルデロイは胸を張る。

 

「心配しないで! 私とて大人の魔法使いの端くれです! 世界を旅してきた経験と貴方の力で見事に生徒から喝采を受ける授業を披露して見せますとも!」

 

「……気のせいかな。今、さり気なくボクも巻き込まれてなかった? その予定に」

 

「えぇ勿論!」

 

 腕を組んだメルムに向けて、ニカッと歯を見せてギルデロイは笑った。

 

「嫌だ。断るよ」

 

「そこを何とか」

 

「絶対ダメ」

 

「お願いしますよ」

 

「冗談キツいよ。ボクはまだ2年生だよ? よしんば出来たとしても、君の見栄の為だけにそこまで労力を割く理由が思いつかない」

 

「お願いしますよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 この国ならば恥も外聞もない。

 ギルデロイはメルムに縋り付いて恥ずかしげもなく喚いた。

 

「あのダンブルドアの事です! あの方は私の詐欺に気づいている! 私に恥をかかせて、今までの所業を世間の明るみに出すつもりなんですよぉぉぉぉ!!」

 

「この詐欺師! そこまで気づいているなら何で受けちゃったのさ!」

 

 汚いゴミでも払うかのように、縋るギルデロイの腕を振り払ったメルム。

 元の席に座り直した彼は黒檀のテーブルに突っ伏し叫んだ。

 

「だってハリー・ポッターを教えられる機会なんて早々ないじゃないですかッ!! ハリー・ポッターですよ? 闇の帝王を退けた赤ん坊ですよ!? あの小さな英雄を教えたっていう箔がどうしても欲しかったんですぅぅ!!」

 

 感情も露わにギルデロイは、嗚咽と涙を撒き散らす。

 その訴えは、魂の底より沸きあがる慟哭であった。

 

「がっつり欲望丸出しじゃんか……まぁ生徒を導きたいなんて尊い答えは期待してなかったけど」

 

 参ったな。

 そう呟いて少女は深く席に身体を埋めた。

 

「ちなみに報酬は?」

 

「これまで私が書いた本を1式。私のサイン付き」

 

「それ、モチベーション上がると思ってる?」

 

 嘘です嘘です冗談ですよ! と慌ててギルデロイは鞄からある物を取り出す。

 それは一冊の本だった。

 色褪せた黒帯で綴じられており、カビでも生えてそうな古ぼけた本。

 恐る恐るその本を手に取ったメルムが呆れたような声を出した。

 

「ギルデロイ……なんで君がこれを? イギリスやフランスでもこれは重要な禁書扱いな筈だけれど。ホグワーツの”禁書の棚”にも無かったし」

 

「トランシルヴァニアに”取材”に行った時に偶然手に入りまして」

 

 パラパラとページを捲る音が、今や屋敷しもべ妖精の弾くギターの音だけとなった店内に響く。

 本に視線を落としたまま、メルムがいつもより若干低い声でギルデロイに質問してくる。

 

「読んだの? これ」

 

「チラッとだけ」

 

 ギルデロイが報酬として提示したのは、中世頃に制作されたとされる闇の魔術についての書籍だ。

 この本は、非常に邪悪な闇の魔術や忘れ去られた秘術について詳しく記述されており、その危険性から様々な国で禁書扱いになっている。

 内容は高度かつ悍まし過ぎるもので、本好きのギルデロイですら二ページでウンザリして読むのを止めた程だった。

 

「……困った事にどうやら本物みたいだ」

 

 暫く読み進め、やがてパタンと本を閉じたメルムはそう結論付ける。

 それはそうだろう。調べて分かった事だが、この本のカバーは本物の人皮だ。

 黒魔術の本の写しは数あれど、人皮を使ったような精巧な偽本なんて見たことがない。

 ギルデロイはニヤニヤ顔で問う。

 

「貴方が私の依頼を受けてくれれば、学年末にこの本をお渡ししましょう。さて、どうします?」

 

 ふむ、と少女は額に皺を寄せて目を閉じる。

 苦悩しているのだろう。

 己の我を通して利益を見送るか、それとも本を手に入れる為に一年間我慢してポンコツ教師のサポートするべきか。

 やがて大きく息を吐き出した後、メルムはゆっくりと瞼を開ける。

 

「……依頼はホグワーツでの闇の魔術に対する防衛術の補佐。君の化けの皮が剥がれないように陰ながら支援をする。それでいいよね?」

 

 端正なその顔には少しだけ不服の色。

 ニッコリと笑ったギルデロイはそんな彼女に右手を伸ばした。

 

「えぇ、引き受けてくれますか?」

 

 差し出されたギルデロイの右手。

 それを力強く握って、少女もニンマリと笑った。

 

「勿論────気は進まないけどね」

 

 

 

 

 

 

 




新章開幕です!
喜ばしい事にお気に入りも3000人越えました!皆ありがとう!
そして頼むから感想書いてクレメンス……モチベーション上がるので!


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#017 グリンデルバルドとダンブルドア

メルム。災厄。災い。

研究者だった父がボクに授けた名前の意味。

よく親は子供の名前に願いを込めてつけると言うけれど。

あの人は一体どういう願いを込めたのだろう? 



 

 アルバス・ダンブルドアは独り、供もつけずに薄暗い螺旋階段を上がっていた。

 空気はひどく冷え切っていて、黴臭い。

 

「此処を訪れるのは半世紀ぶりかの。何もかも色褪せておる」

 

 歴史を感じさせるとはこの事か。

 建築されて半世紀が経とうとしているヌルメンガード。

 罅割れた内壁、老朽化した石造りの階段、明かりはなく、あちこちの空いた穴から湿った風が入ってくる。

 ダンブルドアの記憶と同じなのは、そこには生々しい死の匂いがあるという事だけ。

 昔、この城の主は己のイデオロギーに反した者を己の牙城である、このヌルメンガート城に幽閉した。

 そして現在、この城はオーストリアの咎人を閉じ込める監獄として機能している。

 一体、何人の魔法使いがこの監獄で死を迎えたのだろうか? 

 咎人達の孤独による澱んだ空気は老体に堪える。

 

 ────本当に行くのか? 踏み出せるのか? 臆病者のお主に

 

「……踏み出すとも」

 

 過去からの逃避にも限度があろう。

 過去の行いから目を背け、現実に目を当てることも出来ない子供の時代は終わりにしても良い頃合いだ。

 生徒達を導く教師として、大人として、ダンブルドアは一歩踏み出さなければならない。

 

 天井の吹き抜けから陽の光が射す階段の最果てに、その独房はあった。

 

 格子の前に立てば、中でベッドに寝転がっていた老人がムクリと身体を起こす。

 彼の名はゲラート・グリンデルバルド。

 魔法史にその名を刻む最悪の闇の大魔法使い。

 国際魔法使い機密保持法の撤廃を掲げ、魔法使いが大手を振って日向を歩ける世界を夢見た革命家である。

 彼は視界にダンブルドアを認めると、訝しげに眉を顰める。

 

「誰だ。老人ホームなら他所を当たれ。ここは満員だ」

 

「久しく顔を合わせていない客人に対して、その態度はどうかと思うがのう。それとも自身を此処に閉じ込めた男の顔すら忘れてしまったのかね? ゲラートよ」

 

 ダンブルドアを見つめていた灰色の瞳が限界まで見開かれる。

 訝しげな表情が見る見るうちに驚愕に変わっていった。

 けれど、彼はすぐに取り繕うように笑みを浮かべる。

 

「……まさかお前が来てくれるとは。なんせ50年間ずっと放置だ。このまま死ぬまで会えないのかと思っていたぞ。なぁ? アルバス・ダンブルドア」

 

 そう告げる彼の全身からは、未だに獣を思わせる重厚な精気と並々ならぬ魔力が感じられた。

 顔は長年の幽閉生活でやつれ、金の巻き毛は髪の色が抜けて白髪になっている。

 しかし、その狼のような瞳は変わらず鋭く尖っていた。

 ダンブルドアは、階段の端に置いてあった椅子を格子の前に置いて座る。

 

「息災にしていたかね?」

 

「お陰様でな。昔は喫煙や過食で不摂生ばかりしていたが、今は獄中生活で痩せっぱなしだし禁煙も出来ている」

 

 グリンデルバルド翁は両腕にかけられた枷を持ち上げて肩を竦めた。

 

「知っておると思うが、君の孫娘をホグワーツに入学させた」

 

「あぁ、優秀だろう? 私の孫は」

 

「少し優秀過ぎて困っておるくらいじゃよ。あの齢にして既に動物もどき(アニメーガス)を習得しておった。魔法の知識も通常の学生のそれを軽く超えておる。欠点があるとすれば、少し好戦的なところかの? お主と同じで」

 

「はは! 我が孫のお転婆はホグワーツでも変わらんか!」

 

 何気ない孫娘の近況報告だが、グリンデルバルド翁はそれすらも嬉しいらしく肩をゆらゆらと揺らす。

 その姿は純粋に孫の成長を喜ぶ祖父のようであった。

 外見は変われど中身は変わらない古き友の姿は喜ばしい。

 

「メルムには私の過去の愚行のせいで散々な生活を送らせたからな。これで少しは楽しみを覚えてくれると良いのだが」

 

「ホグワーツでは友達も出来ておった。中々に社交的じゃよ。彼女は学業の成績も……」

 

 そこまで言ってダンブルドアは咳払いをした。

 どうにも逃げ癖がついているようだった。

 メルム・グリンデルバルドの話も良いが、本題はそれではない。

 そんな話をする前にグリンデルバルド翁とは話しておかなければならない事があるのだから。

 

「すまぬの。わしはどうにも世間話が苦手なようじゃ。飛ばして重要な本題に入っても構わんかね?」

 

「……もちろんだ、どういう重要な本題かな?」

 

 そう言いながらもグリンデルバルド翁は、半ばその内容が分かっているようだった。

 先程までの笑みを消して、硬い表情でダンブルドアを見つめている。

 

「────彼女からお主の伝言を聞いた。儂がお主に終ぞ聞けなかった”あの時の真実”を」

 

「……そうか。メルムはちゃんと伝えてくれたか」

 

 そっと目を伏せるグリンデルバルド翁。

 やがて顔を上げた彼は、真っ直ぐにダンブルドアのブルーアイを直視し口を開く。

 

「改めてもう一度言わせて貰おう。あの時はすまなかった。お前には守るべきものがあるというのに、革命の旗を掲げる事しか頭に無かった私はその事実から目を逸らした。それどころかお前の大切な者達を踏み躙って、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまった。若気の至りでは済まない過ちだ」

 

「……何故、あの時その言葉を言ってくれなんだ? どうして儂に何も言わずに逃げるようにして去ったのじゃ」

 

「怖かったのだよアルバス。私は恐ろしかった。アリアナ・ダンブルドアを殺した事がではない。お前の大切な者を奪ってしまった事がだ。そして、そんな私をお前がどんな目で見るのか。それがとても恐ろしかった」

 

 静かにそう言った後、グリンデルバルド翁は薄暗い天井を仰ぐ。

 彼が静かに見据える先にあるのは、かつての己の罪。

 

「此処に閉じ込められてから考える時間は腐るほどあった。過去を振り返る時間も。恐ろしい話だ。私には光に満ちた世界が、その確かな道筋が見えていた。この景色を他の人にも見てほしい。そんな気持ちで私は数多くの人間を地獄の底に叩き落としたのだ」

 

「それは……」

 

「狂気だ。狂気なのだよアルバス。あの時の私には、周囲の人間がまるで少し賢いだけの猿のようにしか見えなかった。彼らが私と同じ人間であると考えもしなかったのだ。まるで塵芥のように思い、そして事実そのように扱った」

 

 確かに全盛期のゲラート・グリンデルバルドは冷徹無比で悪辣そのものだった。

 己に逆らう者は洗脳するか部下に殺害させ、従う同士すらも蜥蜴の尾のように切り捨てる。

 彼の歩いた跡には、必ずといっていいほど無数の亡骸が散乱した。

 絶望を絶望で覆い、昨日の嘆きをさらに濃い今日の嘆きで満たしていく。

 その邪悪な姿は未だに欧州諸国の御伽噺で語られる程だ。

 

「ひもじいと笑いながら息絶えた子供もいた。我が子を背に庇い泣きながら死ぬ女もいた。恐ろしい事に何も感じることはなかった。此処に幽閉されるまでは」

 

「……」

 

「人には人の数だけ想いがあり、守るべき誰かや小さな理想がある。そんな単純な事も理解出来ない男が、この世界を救ってやるなどと驕ったのがそもそもの間違いなのだろう。魔法族の為、その輝く未来の為、そう謳っている私が一番何も見えていなかったのだから」

 

 この城に幽閉されてから半世紀、彼はずっと苦悩し続けていたのだろう。

 妹を殺めた事で友を苦しませてしまった事実、自分の夢見た理想の為に他者の命を浪費した事をずっと。

 幽閉される前には無かった、額に刻まれた深い皺がそれを物語っている。

 

 ────もう良いか

 

 ダンブルドアは不思議とそんな吹っ切れた気分になった。

 全てはあの日の過ちから始まった。

 しかし、もう良いのではないか。

 あの時失われた絆を紡ぎ直しても良いのではないだろうか。

 

 臆病者だった自分がメルムの一言で一歩踏み出せた(救われた)ように、彼も救われても良いのではないだろうか。

 

 穏やかに目を細めたダンブルドアは、格子の中に紙袋をスっと差し入れる。

 

「友よ。もう良い、もう良いのじゃ」

 

「アルバス……?」

 

「納得してこそ初めて受け入れられるのじゃ。受け入れてこそ初めて回復がある……辛かったじゃろう。独り孤独の檻の中、その苦悩と長年向き合っていることは。でも、もう良いじゃろう」

 

 彼は己の罪を受け止めて苦しむ事の出来る人間だった。

 死んでしまった者達はグリンデルバルドを許さないだろう。

 それは彼の罪であり、これから先一生をかけて向き合っていかなければならない事実だ。

 ならば、生きている自分だけでも彼を楽にしてやりたい。

 少なくともダンブルドアはそう思ったから、紙袋を差し出したのだ。

 

「百味ビーンズじゃ。昔、一緒によく食べたじゃろう。お互いに積もる話もあろう。今日は語り明かそうぞ」

 

「……私にその資格はない」

 

「1つ言っておこう。やり方こそ間違っておったが、お主が歩んだ道に余計な贅肉がなかった事は儂が一番知っておる。お主が持つ、世の理不尽の闇の中から同胞を助けたいという気持ちは本物じゃった。儂はそう信じておる」

 

 壁に書き込まれたイデオロギーをダンブルドアは見つめる。

 

 ────”より大いなる善の為に”

 

 思えば、これもグリンデルバルド翁にしてみれば枷だったのか。

 きっと彼はダンブルドアと共に掲げた旗を律儀に守ろうとしただけなのだ。

 あの短いながらも楽しい日々を嘘にすることが、彼には出来なかった。

 

「儂が止めるべきじゃった。過去の真実に囚われず、友が間違った道に進んでいるのならば一目散に駆けつけ止めるべきだったのじゃ。心の弱かった儂は保身ばかり考えて、真に大切な事を見失い君に罪を犯させ続けてしもうた。本当に申し訳なかった」

 

「何を……お前が謝る必要などない。寧ろ止めてくれた事に感謝すらしている」

 

 グリンデルバルド翁は格子の外に手を差し伸べようとするが、できない。

 とうとうダンブルドアは泣き始めるが、悟られまいとした。

 感情に飲み込まれた二人の間に無言の沈黙が降りる。

 お互いがお互いを見つめ合う。

 まるで瞳の奥に込められた思いを見透かそうとするかのように。

 先に現実に戻ったのはダンブルドアだった。

 

「儂はいい加減、この複雑かつ感情的な関係を終わらせたいと思っておる」

 

 その蒼の瞳には決意の色。

 ダンブルドアは改め囚人の方を向き直ると真剣な目をして告げる。

 

「ゲラート・グリンデルバルド。儂はお主を許す」

 

 そしてグリフィンドールらしい勇気を持って、まるで挑みかかるように最後の言葉を言った。

 

「だから、前のように百味ビーンズを取り合う仲に戻ってはくれんかね?」

 

 肩を震わせながらもグリンデルバルド翁は何も答えなかった。

 否、もはや言葉など必要はないという方が正しい。

 牢獄には不釣り合いな感情の滴を胸に、彼は紙袋の中から取り出したこんがり茶色のビーンを口に放り込む。

 

「……最近のビーンズはクソだな。耳くそ味な上に……涙の味までする」

 

 久々にむせ返る親友の姿が見れた事に、ダンブルドアはニコッと笑った。

 

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 

 此処二十年程で気づいた事だが、歳を取ると感情というものは些細な出来事では動かなくなる。

 若い頃に激動の日々を過ごしたグリンデルバルド翁ならば尚のこと。

 喜悦も、憤怒も、悲哀も、全ては遠い出来事のようで、今となっては懐かしさすら感じられるほどだ。

 しかし、目の前で百味ビーンズを口に含んでいる老人だけは、今の自分を喜悦させるのには充分過ぎるものだった。

 久方振りに感情を揺さぶられる。忘れかけていた生を思い出して心地が良い。

 

「それにしてもヴォルデモート卿か。まさか生きていたとはな。一体どういう絡繰りで生き延びたのやら」

 

「まったくじゃ。犯行後のポッター家は半壊しておった。凄まじいまでの威力の死の呪文じゃよ。あれが反射したのならば肉体すら塵になったはず……それでも彼奴は生きておった。力を失い、魂だけの霞のような状態ではあったが」

 

「驚くべき生命力……というよりは不死性だな。そこまでの不死性を付与する闇の魔術となると凡その見当は着く。人を人とも思わん悍ましい魔法だ」

 

 あえてグリンデルバルド翁はその名を口にしない。それくらいの分別はあった。

 凡そ魔法の歴史において、最も邪悪な発明とされている闇の魔術であるその魔法は、その名前を口に出すこと自体が強く禁じられている。

 実際、グリンデルバルド翁が目を通した高度な闇の魔術の蔵書の数々ですら、その魔法についての言及は避けられている節があった。

 

「奴が復活し、闇の帝王としての活動を再開するような事になれば、今のイギリス魔法界は根底からひっくり返ってしまうじゃろう。今の魔法省に奴の闇の暴力に抗える程の力はない。簡単に掌握され、その掌で弄ばれる暗黒時代へと逆戻りじゃ」

 

 そう語るダンブルドアの顔は昔よりも少し窶れたように見える。

 半分程に減った百味ビーンズの袋の中をまさぐりながらグリンデルバルド翁はニヤッと笑った。

 

「年月とは面白いものだ。月日が経てば、お前の命を脅かす者すら現れるか。半世紀も昔には想像も出来なかったことだ。しかも、それがあの青二才というのならば尚のことな」

 

「おや……お主もトム・リドルの事を知っておったのかね」

 

 少しだけな。

 そう呟くとグリンデルバルド翁は過去を見透かすように目を僅かに細める。

 才に溢れた少年だった。

 カリスマ性に富み、闇の魔法の知識に飢えていた。

 その中でも印象的なのは目だ。

 周囲の全てを憎んでいるような赤の瞳は今でもよく覚えている。

 

「あれは環境が生んだケダモノだ。純血主義を掲げてこそいるが、奴は魔法族とマグルの両方を憎んでいた」

 

「……儂も教師として導こうとはした。じゃが、どうにも力が及ばなかったようじゃ。君は奴をどう思うかの?」

 

「ああいう手合いは単純だ。まず色々なものを憎んでいる。理解出来ないのさ、人の善意や好意をな。世の中にそんな綺麗なものがあると思いもしない。故に対等な関係を築こうとするのではなく、支配的な態度を取る」

 

 昔のグリンデルバルド翁がそうだった。

 言葉とは分かり合う為のものではなく、調略し己に靡かせる為の武器でしかなかった。

 愛だの恋だのは感情を持つ人間ならではの一時的な病気で、永遠に続くなどと夢見るのは片腹痛いとすら思っていた。

 

「気をつけろアルバス。ヴォルデモートはなりふり構わず全てを巻き込んで吹き飛ばすぞ。昔の私のように。一番強いのは何も失うものがない人間だ。お前の話が本当ならば、奴は灯火のような命以外の全てを失った。過去の栄光や力を取り戻す為なら、それこそ屍の山すら築くだろう」

 

「分かっておる。分かっておるが、正直なところ策の練りようが無いというのが現状じゃ」

 

 苦悩の顔を浮かべるダンブルドアを見て、グリンデルバルド翁は呵呵大笑する。

 

「必要以上に考え過ぎる悪癖は変わらんな。頭を凝らすよりも考え無しに行動した方が良い結果を生み出す時もある」

 

「そう気楽に言うでない。儂が生み出す結果で被害を被るのは儂だけではないのじゃ。儂はもう己の短慮が引き起こした結果で嘆く人々を見たくはない。大切な者を失った事実から逃げるのは沢山じゃ」

 

「逃げるのではない、一度足を止めるのだよ。お前の速度では誰もついてはこれない。周囲を見渡すのだ。お前の周りにいる人々は、ただお前に守られるだけの弱い存在ではない。人間というのは理由などなくとも大切な人の為に戦える。特別な力などなくとも守りたい者の為なら、手を取り合って闇に立ち向かう気高き心を秘めているのだ」

 

 そうだ。闇の魔法使いゲラート・グリンデルバルドは、かつてそんな人間の善性に敗れた。

 アルバス・ダンブルドア一人ならば脅威ではあるが勝算はあっただろう。

 だが、彼の周りにいた人間が、世界最強の闇の魔法使いの勝算を零にしたのだ。

 

「驕るなアルバス・ダンブルドア。お前は所詮、たった一人のちっぽけな人間に過ぎん」

 

 その言葉に、ダンブルドアは目をゆっくり見開くと席から立ち上がり、それから独り言のように告げた。

 

「……儂は己の中の正義を貫いてきたつもりじゃ。じゃが正義とは他者の命を犠牲にするものではあるまい。ならば、儂の貫いたモノはなんだったのか……この歳になってもこうして迷う」

 

「おかしな事を。貫くべきは正義ではない。そんなものは立ち位置で幾らでも変わる不確かなものだ。真に貫くべきもの、貫かざるをえないもの。それは”生き様”であり”誇り”だ」

 

 グリンデルバルド翁は何もない掌から一本の杖を生み出すと、それを天へと向ける。

 

「杖は生き様や誇りに似ている。マグルを見ろ。そんなものが無くても彼らは立派に生きている。寧ろ無い方が楽かもしれない。マグルによる科学の光が世を照らすこの時代では。だがこうして我らは杖を持ち、魔法使いとして生きている。それは何故なのか」

 

「……」

 

「捨てられないものだからだよ。曲げられないものだからだ。それを失ってしまえば、我々は我々でなくなる。逆説的に、我々が我々である為には(誇り)を持つしかない」

 

 杖を置き、グリンデルバルド翁はダンブルドアの瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

「そのままでいい。己の生き様を貫け。後悔の無い選択肢など存在しない。ならば少しでも後悔の少ない方を選べ。己に嘘だけは吐くな」

 

「……お主の要望は昔から難解じゃな」

 

「愚かな振りはよせ。鏡と話す趣味はない」

 

 ダンブルドアは天井の吹き抜けの、更に先にある空を見上げる。

 降り注ぐ太陽の光で目を焼きながら、その瞳は雲を捉えた。

 

「ゲラート、お主には昔から聞こうと思っていた事がある。そもそもお主は何故、革命家を目指そうと思ったのじゃ?」

 

「はは、若者特有の愚かな妄執だよ。硬直したものが壊れて、時代がどう揺れ動くのかを見てみたかったのだ」

 

 ダンブルドアは呆れたように嘆息する。

 それを横目に、グリンデルバルド翁は楽しげに笑って、仰け反るように床に倒れ込んだ。

 

「アルバス、お前もある種の革命家なのだぞ? 私にはあんなやり方しか思いつかなんだが、お前なら出来る筈だ。未来ある若者達を導き、魔法界を救え。その心に正しい革命の火を灯せ。私達は時代の残党だ。しかし、だからこそ出来る事もある。善道を説き、一人でも多くの魔法使いを明るい未来へ連れて行ってやってくれ」

 

 明るい未来。

 我ながら具体性の欠片もない、漠然とした言葉だ。

 そもそも、そんなものが本当にあるのかも分からない。

 少なくとも、グリンデルバルド翁の掲げた魔法族にだけ優しい世界は違った。

 恐らくヴォルデモート卿の掲げる純血主義に支配される歪んだ世界も違うのだろう。

 人の幸せなど人の数だけ存在するのだから、正解など無いのかもしれない。

 しかし、だからといって諦めるのは早すぎる。

 

「そう。少なくともお前の抱える嘆きは、やるべき全てを行ってからするものだ。違うかね? アルバス・ダンブルドア校長先生」

 

 




感想大量に戴きありがとうございます泣
これからも頑張っていくので応援よろしくお願いいたします!


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#018 亡霊

いつも決まって夢を見る。

寝ている私を、お父さんとお母さんが撫でて微笑んでいる。

ただ、それだけのだけの夢。

くだらない感傷の生み出す幻想だ。

だって両親がそんな風に優しくしてくれた事など、一度としてなかったのだから。



 唐突な話だが、バーノン叔父さんがイカれた。

 ホグワーツから帰ってきたこの頃、本当にハリーはそう思っている。

 プリペット通り4番地。

 朝食の席で、今朝もまたいざこざが始まった。

 

「バーノン! また私に無断でギャンブルに行ったのね! 財布からお金が減っていたわよ!」

 

「ちょ、ちょっと借りていただけだよペチュニアや。ポーカーで勝ったらちゃんと返すつもりだった……まぁ珍しくダメだったんだが。そ、それでもどうにかなる! だからペチュニアや、あともう少し小遣い増やしてくれんか? どうかね?」

 

「バーノン! 最近の貴方は本当におかしいわよ! 自分が何を言ってるのか分かってるの!? 可愛いダドちゃんの今年の学費も入金したばかりで、今月は生活費がカツカツなのよ!?」

 

「おかしい……? なんという言い草だ! わしがこの家にしてきた貢献を忘れたのか!? 先月はその勝った金で豪華なディナーを食ったろう!! あの味を忘れたか!! それにわしの稼いだ金なんだから、いくらポーカーをやろうとも許される筈だ……ペチュニアや、違うかね?」

 

 ギャンブルが人をクズにするのだろうか。

 もしくは元々持っていたクズがギャンブルによって暴かれるのだろうか。

 長年連れ添った夫のこの所続く乱心に、もはやペチュニア叔母さんは感情を失った表情をしている。

 

「そうでしょうとも! 私のお金でもありますけれどね! ……ねぇ貴方、先月大儲けしたのは運が良かっただけなのよ。こんな生活続けてたら破産するわ。ダドちゃんの教育にも良くないし、もうやめて!」

 

「お前は何にも分かっとらん! 博打ってのはな、外れたら痛い目見るから面白いんだ!! それに今月にまだ入ったばっかりだ! 負けているとは言えん! ここから面白くなってくるんだ!」

 

 本当にどうしてしまったんだろうか? 

 普通の円満な家庭、家に並べられたトロフィー。疲れた午後に一杯の珈琲、それさえあれば問題は無い。

 そう豪語していた男が、一年ぶりに再会してみれば立派なクズギャンブラーの仲間入りだ。

 どうやらホグワーツ近くのホグズヘッド・インでの短いながらも濃厚な生活は、彼の人生観を粉々にしてしまったらしい。

 お陰で、ハリーへの八つ当たりや魔法に対する偏見は前よりもマシにはなった。

 しかし、罵声が飛び交う回数は明らかに多くなった。

 相も変わらずダーズリー家はギスギスしていて、ハリーの心休まる場所とはならない。

 まぁハリーは、その矛先が自分に向かなくなっただけでも十分ではあるのだが。

 

「なぁハリー、パパどうしちゃったんだよ。お前の学校に行ってからずっとああなんだぞ。お得意のま、魔法でも掛けたのか?」

 

 一年という期間で以前の二回りも横にも縦にもデカくなったダドリーが若干怯えながらハリーに囁く。

 ハリーは答える。

 

「冗談よせよ、あれは魔法じゃない。純粋な病気さ」

 

 キッチンの椅子の両脇からはみ出して垂れ下がる彼の尻。

 未だに彼は、一年前にハグリッドに豚の尻尾を生えさせられた恐怖で怯えているらしいが、心配する必要は無いと思う。もはや立派なブタだ。

 そのブタがハリーの返答に小声で食ってかかる。

 

「お、お前……パパの頭がパーになったっていうのか?」

 

「それ以外に何があるって言うのさ。会社から帰ってきては、速攻でウィスキー片手にカジノに出かけてるんだぞ。それも毎日。頭が変になったとしか思えないよ」

 

 言い返す言葉が見つからないのか、ダドリーは口をパクパクさせている。

 そりゃそうだ。会社の無い日ですら、朝から昼までをポーカーの研究にあてて、夜はその成果を試さんとばかりに出かけていく。

 もはや破落戸(ゴロツキ)の生活だった。

 ダーズリー家にとって不幸だったのは、バーノン叔父さんがやたら滅多にポーカーが強かったことだ。

 元々、バーノン叔父さんは名門スメルティングズ出身で会社でも社長まで出世した叩き上げ。

 胆大心小な彼は、運やツキを殆ど勘定に入れず相手の心理を推理し、駆け引きをする理性と才能があった。

 それがポーカーのゲーム性と本人の嗜好に上手く合致したのだろう。

 ペチュニア叔母さんやダドリーからしてみれば迷惑千万な話だが。

 最後のトーストが焼き上がった頃、バーノン叔父さんが重々しく咳払いをした。

 

「さて……みんなも知っての通り、今日は非常に大切な日だ」

 

 ハリーは自分の耳を疑って顔を上げた。

 実は、今日はハリーの十二歳の誕生日だった。

 

「今日こそ我が人生最大の商談が成立するかもしれん」

 

 特に失望もなく、ハリーは自分のトーストに顔を戻した。

 バーノン叔父さんの事だ、どうせあの馬鹿げた接待パーティーのことを言っているのだろう。

 この二週間、彼はポーカー以外はその事しか話さなかった。

 何を隠そう、どこかの金持ちの建築家が奥さんを連れて夕食にやってくる。

 バーノン叔父さんは、穴開けドリルを作っている会社に勤めており、今日の話の風向き次第では山のように注文が取れると踏んでいた。

 

「そこで、もう一度みんなで手順を復習しようと思う。8時に全員位置につく。ペチュニアや、お前はどの位置だね?」

 

「応接間で、お客様を丁寧にお迎えするよう待機しています」

 

「よしよし、ダドリーは?」

 

「ドアを開けて差し上げる。そして言うんだ。メイソンさん、奥様コートをお預かり致しましょうか?」

 

 ダドリーはバカみたいな作り笑いを浮かべてセリフを言った。

 ハリーはテーブルの下に潜り込んで大笑いするところを誰にも見られないようにした。

 

「……それで? 小僧、お前は?」

 

 咄嗟にハリーは普通の顔を装い、テーブルの下から出てきた。

 

「僕は自分の部屋にいて物音を立てない。いないふりをする」

 

「全くもってそうしろ」

 

 バーノン叔父さんの声に力がこもる。

 

「メイソンご夫妻はお前のことを何もご存知ないし、知らんままで良い。夕食が終わったらペチュニアや、お前はメイソン婦人をご案内して応接間に戻り、コーヒーを差し上げる。わしは話題をドリルの方に持っていく。運がよけりゃ”10時のニュース”が始まる前に商談成立で署名、捺印しておるな。明日の今頃は大金をはたいて買い物だ! 島に別荘でも買うとしよう!」

 

 そんな狸の皮算用な会話を聞き流しながら、密かにハリーはため息を吐いた。

 幾らハリーへの八つ当たりや魔法への偏見が薄まろうとも、自分の立ち位置がこの家の鼻摘み者である事には変わりない。

 悪いことはそれだけではない。

 悲しい事にホグワーツの親友の二人も、夏休みに入った途端に手紙すらよこさなくなった。

 魔法界から切り離されたような気持ちになったハリーは、気分転換の為に裏口から眩しく日が照らす庭に出る。

 

「ハッピー・バースデー、ハリー♪ ……ハッピー・バースデー、ハリー♪ ……」

 

 カードもプレゼントもない。

 夜にはキチガイ扱いされていないふりだ。

 親友だった筈のロンやハーマイオニーもハリーの誕生日まで忘れている。

 

「誕生日なんだろ? 良い事の1つや2つあっても良いじゃないか、神様のケチ」

 

 荒んだ気分でハリーは、どこまでも青い空にそう吐き捨てた。

 この数時間後、ハリーは勿論、ダーズリー家すら巻き込んだ壮絶な悲劇が起こる事など露とも知らずに。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 命は尊い。

 昔、孤児院でマザーが言っていた。

 リカバリーが効かず、金で買い戻せ無いもの。それが命。

 失った命は当然、戻らない。

 だから尊く、大切にしなさいと。

 

 ────しかし、本当にそうだろうか? 殺して良い命も中にはあるんじゃないのだろうか? 

 

「お嬢ちゃん、迷子になったんじゃなかろうね?」

 

 例えば、目の前の男がそうだ。

 小さく見るからに幼い少女(ボク)の前に立ち、彼は黄色い歯をむき出しにしてこっちを見ている。

 不潔な男だ。

 いつ洗ったのかもわからぬような不潔なシャツとズボン。

 伸び放題の髭と髪は脂ぎっており、まるでケダモノが服を着て歩いているよう。

 

「通してくれないかな? 少し急いでいるんだ。大事な買い物があるからね」

 

「買い物かい? 良いねぇ。だがねお嬢ちゃん? 小っちゃなガキが彷徨くには、ここら辺はちょっとばかり治安が悪い。だから俺も付き合ってやるって言ってんだ……」

 

 無論、買い物に付き合うだけですまないのは、爛々と輝く瞳とガマガエルのように歪んだ大きな口が雄弁に物語っている。

 周囲の人間を見れば似たりよったりの連中ばかりだ。

 向かい側の古ぼけた店の入口ではみすぼらしいなりの魔法使い二人が、薄暗がりの中からボク達を見て、何やらボソボソ言っている。

 少なくとも変態に絡まれたボクを助ける気がないのは明白だった。

 脛に傷がある者しかいない場所ならば、多少の悪戯は見て見ぬふりをされるのが世の常。

 男もそれを理解しているのか、ニヤニヤと笑いながらにじり寄ってくる。

 

「何を怖がっているんだい? 安心しなよ、怖いことするつもりなんてないさ」

 

 あー面倒臭い、イライラする。

 もういいや。やっちまうかコイツ。

 男から一歩身を引いたボクは、追いつける程度の速度で路地裏へと逃げ出す。

 

「へへへ、待ちなよ」

 

 角に入った途端、ボクは視線を左右に滑らせる。

 周囲に人気はない。

 近くに居酒屋でもあるのか、良い具合に騒音が路地裏にも漏れている。

 

(ちょっと雑だけど、これならいけるかな)

 

 相手は成人男性だ。

 未成年のボクは魔法を使ってはいけないし、真正面からの力技では勝てない。

 故に頭を少し捻った戦い方をしなくてはならなかった。

 少し遅れて、追いかけてきた男が路地裏に入ってくる。

 

「……こっちに来ないでよ。魔法警察を呼ぶよ」

 

「呼びたきゃ呼びなよ。魔法警察が来る前にさっさと終わらすからさあ……自慢じゃないがそっちの方は早いんだよ、俺」

 

「お願いだから来ないで……やめて……」

 

 重要なのは演技力だ。

 怯えるように見せかけて一歩だけ、ボクは後ずさる。

 興奮したように息を荒らげた男は二歩、三歩とその間に詰めてくる。

 

「へへへ、大丈夫大丈夫……路地のゴミ数えている間に終わるからさあ」

 

 表面上は恐怖に顔を歪ませながら、ボクは冷静に不幸な男を観察する。

 賢くもなければ魔力も平凡。

 おまけに欲に素直で、殺意に鈍感だ。

 人気の無い路地に誘い込まれたというのに、警戒する素振りも見せない。相手を小さい子供だと舐めきっている証拠だ。

 小さな鼠ですら猫に噛みつく事があるというのに。

 まさに救いようがない屑。残念無念。

 

(あと、一歩)

 

 タイミングとして最良なのは、思考が行動に出る一歩手前だ。

 絶妙なタイミングで相手に予想を裏切る動きをされると、人間の思考は一瞬止まってしまう。

 だから、逃げようと背を見せるボクは、敢えて襲いかからんとしている男に振り向いた。

 

「え?」

 

 困惑した男。緩む前傾の姿勢。

 予想通りの行動に、ボクは低い姿勢から鋭い蹴りを放つ。

 相手の臑を狙った不意打ちは呆気なく決まり、男はその大きな身体をドシン、と転倒させた。

 

「ぐ……っ!?」

 

 唐突な反撃に、男は何が起こったかも分からず激痛に足を押さえて身体を丸める。

 杖を抜こうとする余裕はない。人は不意に訪れる危機には案外、対応出来ないものだ。

 くぐもった苦悶の呻きをあげる男。

 すぐさま立ち上がったボクは、彼に近寄ると────虫を踏み潰すようにその首を踏み抜き、完全にその命を絶つ。

 

「これでよし、と」

 

 首の骨を踏み砕いたことを確信させる、己の足に残った鈍い感触。

 それに満足したボクはよしよしと頷く。

 派手な悲鳴が上がることも、噴水のように血が吹き出すこともない。

 静かなゴミ掃除は楽ではないが、その分だけ成功すると達成感があるものだ。

 

「ったく、魔法が使えれば楽なんだけどなあ……イギリスだと”匂い”が残っちゃうからね。まぁこれも訓練の一環だと思って我慢するしかないか」

 

 ────人の命は大切に。

 

 そんな当たり前すぎる道徳をボクは理解出来ない。

 だってそもそも人を殺したことに対する罪悪感も恐怖もないのだから。

 あるのは部屋の周りを飛ぶ蚊を潰したような達成感、些細な不愉快が解消されたことによる若干の安堵のみ。

 ボクにとって、他人の命とはその程度のものでしかない。

 

「さぁて。とっとと学校に必要な物買って漏れ鍋に帰ろっと」

 

 不愉快な人間を殺すことに抵抗を感じなくなったのはいつからだろう? 思い出そうにも記憶は霞のようにボンヤリとしている。

 だから考えるのをやめる。だってそんな事はどうでもいい。

 不愉快な人間はゴミと同じで、いるだけで不快だ。

 ゴミがあれば綺麗に掃除したくなるのは、文明人として当然の心理。

 ちなみにホグワーツにも勘に障るゴミが幾つかいるが、ボクはそれを見逃している。

 彼処で行った殺人を隠し通せる自信がないからだ。

 殺人は一応、イギリス魔法界という村社会のルールではいけないことだとされている。バレたらアズカバン行き。

 当然、ボクは爺様のように苔塗れで薄暗いブタ箱を好む趣味はない。

 殺せば世の中的にも精神的にもすっきりするだろうが、その結果として更にボクの生活環境が悪くなるならば少しの我慢はしよう。

 

「まぁ、嫌な奴と二度と会わないで済むというのは魅力的だし、いつか何かの拍子にうっかり殺っちゃうかもだけど」

 

 念の為、フードを目深に被ったボクは路地裏からそっと出る。

 先ほどの古ぼけた店の入口にいた魔法使い二人は、予想と違う結果に目をしぱしぱさせていた。

 それらを一切合切無視したボクは、”夜の闇(ノクターン)横丁”と書かれた門を潜る。

 風が強くなってきた。空を見上げれば一面の曇天で、まるで今にも泣き出しそうだ。

 

「今日の予報だと夜は嵐だったっけか」

 

 目指すは、このくねくね道の先にあるダイアゴン横丁。

 その中心に佇む純白の大理石の建物、グリンゴッツ銀行だ。

 金を降ろさなくては買い物も何も始まらない。

 早いところ、大量のガリオンで懐を満帆にしなければならないのだ。

 

「早めに買い物を済ませたら……そうだなあ。”漏れ鍋”で糖蜜ヌガーをツマミに、ファイアウィスキーを呑むのも乙なもんだね!」

 

 久方振りのショッピングの予定に、珍しくボクは浮かれていた。

 

 ────それこそ、数分前に生命活動を停止した男の事など既に頭から消えているくらいには。

 

「…………」

 

 だからだろうか。

 一連の騒動を影から見物していた男の存在に、ボクは最後まで気づかなかった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 雷鳴轟く嵐の夜。

 窓の外は雷光に照らされ酷いどしゃ降りの雨が反射する。

 埃が積もり、あちこちに蜘蛛の巣が張っている部屋。

 その中心にあるソファーに座っていた隻眼の男は、そんな外の風景を眺めてため息を吐いた。

 男の名は、アラスター・ムーディ。

 純血のスコットランド人魔法使いであり、”マッド・アイ”という二つ名とその強さで有名な元闇祓いである。

 

「嵐は嫌いだ。古傷が疼く」

 

 ざんざんと窓を打ちつける雨を見つめながら、ムーディは残った唯一の瞼を閉じる。

 思い返すのは過去。闇の帝王が席巻した、まさに嵐のような激動の時代。

 人はとかく暴力の恐怖に弱い。

 ヴォルデモート卿の時代は、まさに暴力の時代でもあった。

 多くの魔法使いが死ぬか、尊厳や誇りを投げ出し生きる事だけを目的とする中、彼は闇の帝王の恐怖へと立ち向かい、今日まで生き延びた。

 第一次魔法戦争時には実に様々な闇の魔法使いと激闘を繰り広げたものだ。

 ドロホフ、レストレンジ、マルシベール……数え上げればキリがない。

 それぞれが一癖も二癖もある上、中々に手強く凶悪な魔法使いだった。

 

「どうしようもない屑共だ。中でも記憶に残るのは……やはりというかヤツだな」

 

 欠けて歪な形となった己の鼻とぐるぐる回る義眼を撫でて、ムーディはうっそりと笑う。

 無数の闇の魔法使いたちでアズカバンの牢獄を埋め、史上最強の闇祓いとして名を馳せた彼は、ある闇の魔法使いとの死闘で鼻の一部と目を失っていた。

 

「エバン・ロジエール。こんな嵐の夜は、あのいけすかないニヤケ面を思い出す」

 

 エバン・ロジエール。

 魔法使いにしては珍しく杖無しの死喰い人だった。

 通常、役職も存在せずメンバーの得意分野に応じて、異なる役割を与えられているのが死喰い人。

 ヤツはその中でも戦闘員として活発に活動していた。

 ベラトリックス・レストレンジやアントニン・ドロホフも凄まじい闇の魔法使いではある。

 強力な魔法使いが幾人も彼らに挑んでは骸を晒した。

 しかし、率先して闇祓いを狩るようなイカれた戦闘狂はロジエールくらいなものだ。

 ヴォルデモート卿に殺されたという、マッキノン家、ボーン家、プルウェット家といった当時もっとも強力とされた魔法使いの一族。

 よく誤解されがちだが、彼らはどこまでいっても一般人でしかない。

 戦闘のプロである闇祓いには総合力でどうしても劣ってしまうのだ。

 闇祓いに求められるもの。それは魔法力は勿論のこと、体術、死地での機転、殺しのセンス、集団行動、など沢山ある。

 それらが一般より秀でて初めて闇祓いとなる資格が得られるのだ。

 そんな軍隊としても例えられるプロの戦闘集団を相手に、積極的に戦いを挑むなど狂気の沙汰以外の何物でもない。

 アントニン・ドロホフのような悪名高い死喰い人ですら、複数の闇祓いの相手は嫌がったくらいだ。

 思えば、自ら闇祓いと積極的に激突するエバン・ロジエールは、味方の死喰い人からすら恐れられていた節がある。

 恐怖という情も杖も持たないイカれた魔法使いを、数々の魔法使いは畏怖の念を込めてこう呼んだ。

 

 ────”無杖(むじょう)”と。

 

 当時、動乱の時代ゆえに、死喰い人の殺害はバーテミウス・クラウチ・シニアにより許可されていた。

 しかし、ムーディはなるべく相手を殺さず生け捕りにすることに重きを置いていた。

 正直なところ、ただ殺すよりも生け捕りにする方が何倍も難しい。

 実力差がある程度ないと出来ない芸当であり、危険な行為だ。

 それでも何故、それを心掛けていたかといえば自身も彼らと同じ修羅道に落ちない為。

 人を殺すという一線を越えたくはなかったのだ。

 

 しかしエバン・ロジエールはそんなムーディに信念を曲げさせ、その体の一部すら奪ってみせた。

 

「恐るべき闇の魔法使いよ。あの純粋な悪意の結晶。とてもではないが生け捕りなぞ出来はしなかった……」

 

 あの闇のような黒い外套とドス黒いシルクハットを、ムーディは今でも鮮明に思い出せる。

 卓越した殺人の手際や殺しに特化した闇の魔法も。

 死喰い人の中でも特に変わったあの男は、偏った純血主義も持たず生の渇望をただ死中に求めた。

 激突する度に、闇祓い達に何人も死人が出たものだ。

 そして、味方と敵の骸が増えれば増えるほどにヤツは笑みを深くした。

 

 ────悪足掻きはよせ、ロジエールよ。お前は既に1人だ。他の連中は皆、死ぬか儂らの縄についたぞ。大人しく投降するがいい! 

 

 ────悪足掻き、ねぇ? なーんにも分かってねぇな。こっちは頭数なんかハナからアテにしちゃいないんだよ。絶望的な状況であればあるほどに、ヒトの生は輝きを増す。あんたになら分かって貰えると思ってたんだがなぁ

 

 ”草攻杖(そうこうじょう)

 風にそよぐ草が、切れ目無く動く様から名付けられたイギリス最高位の闇祓い達による怒涛の波状攻撃。

 一人の目標に対して、数人が順番に一人ずつ間断なく呪いを繰り出す戦術。

 それでもエバン・ロジエールは七人もの闇祓いを道連れにし、最後はムーディの放った”悪霊の火”の中に消えた。

 戦場となったルックウッド邸は、その凄まじい戦闘によって跡形もなく焼け落ちた。

 それだけではない。その周囲すらも何十メートル四方にも渡って、黒焦げの焼け野原となった。

 ムーディの記憶の中でもトップクラスの凄まじい戦いであった。

 

「あの日も風の強い嵐の夜だったな。やはり、こういう夜は亡霊共が騒ぐ」

 

 下界で吹きすさぶ嵐。

 古ぼけた戸がギシギシと不気味に震動する。

 ヒューヒューという風の音は、まるで亡霊達が恨み言を言っているようだ。

 耳障りではあるが、それが連中の未練から来る叫びならいつまでも聞いていられる。

 

「好きなだけ吠えるがいい。どのみち儂やダンブルドアの目の黒いうちは、お前らの野望は現実化しないのだから」

 

 自分達がいなくなった後はわからないが、その時はもはやムーディには関係のないことだ。

 誰にも分からない未来など興味はない。

 よしんばヴォルデモート卿が復活したところで、ムーディは既に次世代の種を撒き終えている────それも特大の。

 いっそ才能の暴力といっても過言ではないあの少女が、闇の帝王にどう抗うのか。

 それ思い描くと若干愉快であり、ムーディは掠れた声で高笑いを始めたのだった。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 コーバン・ヤックスリーには長年連絡がつかない用心棒がいた。

 今現在、彼が失踪して凡そ十年ほど経つ。

 別にそれ自体は特に問題は無い。

 連絡がつかない理由は風の噂で耳にしているし、その壮絶な最期を聞いた時は、ここまで愚かな男だったか、と最早感心しながらも鼻で笑ったものだった。

 

 ……そう。問題なのは

 

 問題なのは、そんな用心棒がちっとも悪びれた様子もなくヤックスリー邸に十年ぶりに現れた事だ。

 

 

 嵐が吹き荒ぶ深夜。

 人間は勿論、草木も眠るような時間帯にヤックスリー邸の門を潜った者があった。

 複数のまったく違う鍵をかけた自慢の玄関。

 コーバン・ヤックスリーという男は今までの経歴上、色々な恨みを買っている。

 その為、館の顔とも言える玄関には、幾つもの防御魔法がかけられていた。

 勿論、簡単な解錠呪文など無効にする。

 だというのに、そんな館の鍵がゴトンゴトン……ガッチャリ!! という音と共に無情に外された。

 

「メメント・モリ」

 

 そんな言葉と共に、玄関の向こうから姿を現した人物を一言で表すとするならば、”黒ずくめの男”という言葉が一番しっくりくるだろう。

 闇のような黒の神父服に、足下まで伸びたドス黒いロングコート。

 濃厚な死の香りがする。

 夜の闇も相まって、まるで死神のようだ。

 

「……我を死から遠ざけよ」

 

 内心驚愕しながらも、出迎えたヤックスリーは表情だけは何とか取り繕って合言葉を返す。

 

 メメント・モリ……昔から”ある組織”で使われている符合だ。

 

 新興の闇の魔法使いからなる秘密結社。

 不死の知識の究明を目標とし、多くの謎をヴェールの向こうに隠した集団。

 その手は広く、同胞の死喰い人達ですら一部のメンバーはヤックスリーのように二足草鞋をやっていた。

 その合言葉を知っているという事実が、目の前の存在が幻覚や変身術で化けた類ではないと証明している。

 

「おや? 酷い顔をしてんなぁ。まるで亡霊でも見たような顔だぜ、ヤックスリーさんよ」

 

 目深に被った黒のシルクハットを人差し指で上げた男は、ヤックスリーに笑いかける。

 ざんばらの黒髪から覗く細い糸目は懐かしくも恐ろしい。

 苦虫を噛み潰したような顔を隠しもせず、ヤックスリーは静かな声で訊ねた。

 

「何故、今になって現れたのかね……ロジエール」

 

「なぁに地獄には大した遊び相手がいなかったもんでねぇ。寂しさの余りに戻ってきちまったよ」

 

 エバン・ロジエール。

 無杖の魔法使いと呼ばれたかの魔法使いの最期は有名だ。

 当時、幾つもの証言と関係者に持ち出された証拠により、ルックウッド邸が死喰い人によって”亡者”の製造に利用されている事を突き止めたアラスター・ムーディは、当時、魔法法執行部部長だったバーテミウス・クラウチ・シニアの許可の下、強引な家宅捜索に踏み切った。

 恐るべき事に、こじんまりとしたルックウッド邸は一個中隊規模の魔法警察に囲まれたらしい。

 鼠一匹逃げられなくなった包囲網、不幸にも館に居合わせたロジエールとその他の愉快な同胞達は徹底抗戦を決意。

 その全員が突入してきた最上級闇祓い達と戦闘になり、壮絶な死を遂げた。

 ロジエールも多くの闇祓いを屠り、アラスター・ムーディの片目と鼻の一部を奪うほど暴れ回ったが、多勢に無勢。

 最期は悪霊の火によって骨まで焼き尽くされた筈だ。

 

 だというのに今の彼からは、火傷の跡はおろか傷跡の一つも見つからない。

 

 十年前と何ら変わっていない姿のロジエールは、近くにあったソファーにどっかりと腰を下ろした。

 

「聞いたよ。死喰い人辞めたんだってなぁ。利口な判断だ」

 

「当たり前だろう。いつまでも難破船にしがみつくほど愚かじゃないさ」

 

「ははッ! ベラトリックスやクラウチに聞かれたら五体満足じゃ済まない発言だねぇ」

 

 ロジエールは翡翠の双眸を皮肉気に歪める。

 確かにそうだ。自分達より洗練された残酷さを見せてくれるリーダーに惹かれた乱暴者共は、かの闇の帝王に惜しみない忠誠を捧げていた。

 あの自己愛の化身のようなイカれた快楽殺人鬼の何処が良いのだろうか? 

 役人気質なヤックスリーからすれば、生まれながらの金持ちの考える事はよく分からない。

 

「私が死喰い人をやっていたのは、その方が美味い汁を吸えると分かっていたからだ。事実、あの時代に手に入れた人脈や魔法省のちょっとした裏事情は、今の地位を不動のものにしてくれている」

 

「あぁ。その点に関してはあんたの評価を上方修正しないとなぁ。俺っていう鬼札無しで、よもやここまで出来るとは夢にも思わなかった」

 

「ははは。それは勘違いだよロジエール。私が変わったのではなく、他が変わったのだ。平和な時代に生きようとする彼らは、殊更に杖を抜くのを躊躇う。大切な者を危険に晒すのを厭う。ヒトというのは予想以上に今ある平穏を維持したいものらしい」

 

 平穏な日常というのはある種の麻痺毒だ。

 闇の帝王の崩御から凡そ十年。

 多くの闇祓いや魔法省の役人の質は確実に下がった。どいつもこいつも甘ちゃんばかりになった。

 嘆かわしい。既存のモラルや人間関係のしがらみに囚われる魔法使いの何と多いことよ。

 

「クソみたいな平和ボケのお陰で、俺達みたいな人でなしはどの時代でも食いっぱぐれがない。ありがたいことだねぇ」

 

「その意見には賛成するが何事も限度がある」

 

 現魔法大臣であるコーネリウス・ファッジがまさにそれだ。

 これ以上なく無能かつ腰抜けで、とてもではないが魔法省を統べる器とはいえない。

 当時の有力な大臣候補であったバーテミウス・クラウチ・シニアの失脚や、アルバス・ダンブルドアの推薦の固辞などが重なった、いわば繰り上がり人事の産物。

 小心者で自己保身に走りやすく、権力欲も強いあの男が魔法大臣になったのは、イギリス魔法界にとって近年最大の不幸である。

 

「おかしな話さ。大臣という肩書きがなければただの愚か者に過ぎない男が、今の魔法省では稀に見る寛容な大人物として名が通っている。愚かな鳥はその巣までも汚す。ヘイウッドの言った通りだな」

 

「ははは、愚者の生は死より厭わしって感じだねぇ。よっぽど鬱憤が溜まっていると見える」

 

「その通り。あまりに愚かだと此方の想像もしない馬鹿をやらかすからな」

 

 ワームテールの一件で骨の髄に染み渡るほど理解させられた。

 約十年前、シリウス・ブラックに追い詰められた末に行われた偽装自殺。

 凡そ、十二人のマグルを巻き添えにして盛大に吹き飛ばした奴は、指一本を切り落として地下水路に逃げ込んだ。

 あの鼠のオツムに、そこまで機転を利かせられる中身があったのはヤックスリーにとって少々予想外ではあったが、それはまだ良い。

 想像の範疇ではあったし、当時の闇祓いは優秀で、姿を隠した鼠一匹を追跡して殺すなど朝飯前だったからだ。

 早々に見つかって奴は殺される。そう信じて疑わなかった。

 誤算だったのは、ファッジの阿呆さ加減がヤックスリーの予想の上をいったことだ。

 白昼堂々起きた大事件。目撃者のマグルは数知れず。

 あの馬鹿な大臣の容量の少ない脳味噌は、マグルの目から奴の偽装自殺をどう隠蔽するかでパンパンになってしまった。

 

 結果だけいうと、無実のシリウス・ブラックは不幸にもアズカバンにぶち込まれ、裏切り者のピーター・ペティクリューは死して英雄となった。

 

 なんとファッジは、起きた事件そのものをよく調べもせずに書類上でワームテールを死人にしてしまったのだ。(しかもマーリン勲章まで授与したらしい)。

 まさに無能の大盤振る舞いだ。あまりの馬鹿さ加減にヤックスリーは本気で頭痛を覚えた記憶がある。

 

(あの時は最悪だった。何もかもが思い通りにいかなかった。鼠一匹にあそこまで頭を悩ませる羽目になるとは)

 

 死喰い人であり、結社の一員でもあるワームテールは、ヤックスリーが結社と死喰い人の二足草鞋をやっていたことを知っている数少ない一人だ。

 ただでさえ口の軽い裏切り者、それも長年の親友でも保身の為に売るという折り紙付き。

 いつ爆発するか分からない爆弾のようなものだ。

 後ろめたい事があるヤックスリーとしては、彼を是が非でもこの世から消さなければならない。

 とはいえ闇祓いは動かない。否、動けない。死人を探すほど連中は暇ではないからだ。

 無論、ヤックスリーも結社の情報網を使ってワームテールを探索したが、初動が遅れたのが致命的で、その行方は杳として知れなかった。

 恐らく地下水路に潜ったままなのだろう、足跡や目撃情報が極端に少なかった。

 しかし、だからといってイギリス中の地下水路を探している時間もない。ヤックスリー自身も死喰い人の嫌疑でウィゼンガモット法廷への出廷が迫っていた。

 

 以降、機を逸したまま全ては有耶無耶になり、今にまで至る。

 

 お陰でヤックスリーは、自分の制御下にない所で事態が悪化していくことを殊更気にするようになった。

 

「まっこと人は疑り深くて小賢しいくらいが丁度良いな。平和ボケが過ぎるといざという時に使い物にならん」

 

 ソファーの上で寝転ぶように姿勢を崩したロジエールが、ニンマリと笑いかけてくる。

 

「そういえば、昼に夜の闇(ノクターン)横丁を彷徨いていたら面白い修羅場を見かけたねぇ」

 

「というと?」

 

「通りで薄汚ねぇ人攫いが十代前半の小娘を追っかけ回してたんだよ。勿論、周りはいつもの見て見ぬふりさ。当たり前だよなぁ? ああいう闇市場じゃ、隣の便器を覗き込まないのがマナーみたいなもんだし、そんなお人好しは少なくとも彼処にはいやしねぇ」

 

 夜の闇横丁は治安が悪いことで有名だ。

 闇の魔術に関する品物を売る店で溢れており、通りには脛に傷のある魔法使いが闊歩している。

 そんな場所なので、ロジエールの言うような幼い少女が彷徨くことは自体は稀だ。しかし、起きている事に然程の驚きはない。

 

「通常なら悪趣味な連中の玩具にされ、遠くない未来に骨粉になる運命だ。でも違ったんだろう?」

 

「あぁ。人攫いの男は下半身にオツムが付いているような馬鹿だった。普通、闇の売人だったら気がつく筈なんだがねぇ……あのガキ、良く知っている眼をしていた。人殺しを何も躊躇わない奴の眼だ。明らかに堅気じゃねぇ」

 

 ひっひっひっと喉を鳴らすロジエール。

 ヤックスリーはそんな彼を半信半疑の目で見つめる。

 

「ふぅん……まぁお前の勘は往々にして当たるからな」

 

「大当たりさ。なんとそのガキ、怯えるフリをして人目のない路地裏に男を誘導した。その気になれば撒けるだろうに、わざわざ逃げる速度まで落としてな。そして、獲物が路地裏に入り込んだ瞬間、あっという間に魔法も使わず素手で殺しちまった」

 

 その言葉にヤックスリーは僅かに目を細めた。

 短絡的に殺人を犯す割には、妙に手口が手馴れている(・・・・・・)

 人目のない路地裏に誘き出したやり口もそうだが、杖を使わない殺り方が殊更にそう思わせた。

 恐らく”匂い”を気にしてのことだろう。

 イギリス魔法省では未成年が魔法を使えば直ぐに分かってしまう。

 素手ならば、現行犯でもない限り追跡は困難だ。

 何故なら場所が場所なので、死体は直ぐに他の脛に傷のある者達によって隠蔽される。彼らは職業柄少しの綻びでも気にする。

 自らに非は無くとも、魔法警察の介入自体を嫌がるのだ。

 

「そのガキ、どんなガキだった?」

 

「透き通るような銀髪に、冷たい翡翠の瞳をしたおっかねぇガキさ。転がる死体を石ころか虫を見るみてぇな目で観察してた。ありゃあイカれてる」

 

 楽しそうにロジエールはげらげら笑っている。

 よっぽど気に入ったのだろう。彼は人を人とも思わないクズが大好物だった。

 とはいえヤックスリー自身も、その物騒な少女の容姿に過去の記憶を少々揺さぶられていた。

 

 ────姉と過ごす時間は大事か? 

 

 ────大事なのもそうだけど、楽しいよ! 

 

(まさか、な)

 

 いつも一緒にいた姉妹。

 翡翠の宝石に金の髪、土に投げ出された幼い体躯。

 鮮やかに脳裏に呼び起こされるそれを、ヤックスリーは頭を振る事で脳裏の隅へと追いやる。

 

「ロジエールよ。これからどうするつもりだ」

 

「それはこっちの台詞。言っておくけど、ここ数年内に闇の帝王(ヴォルデモート卿)は蘇るぜ。奴さん、復活を諦めてねぇ。力を着実に取り戻してきている。あの怨霊が再びイギリス魔法界を席巻するその時、あんたはどうなされるんで?」

 

「さてね。まぁ殺されはしないだろう。ルシウスや私のような立場の死喰い人は、一時的に地位を追われかねないだろうが……結局は杖や忠誠よりも金や利権が物を言う。抜け殻のような魔法省。神輿のような魔法大臣。それを動かすのに我々の力は必要不可欠だからな」

 

 やれやれとヤックスリーはため息を吐いた。

 どいつもこいつも間抜け面を下げて、平和を勝ち取ったとただ笑っている。

 今の魔法界が緩やかに死に向かっている事は何も変わらないというのに、水面下の危機に誰もが気付かず踊っている。

 

「”R”はなんと?」

 

「現状維持。大河は荒れども流るるままにせよ、これが結社の総意だ」

 

 ふぅん、とつまらなそうにソファーに横たわるロジエール。

 その視線は窓の外、吹き荒ぶ嵐夜へと向けられている。

 

「まずは全て嵐が過ぎてから、か」

 

 

 

 

 




感想の返信遅れてすみませんでした!
それと友達に勧められたのでメルムをアプリで作ってみました!
でもやっぱり普通の2次画像が良いよね泣


【挿絵表示】


嗜好品様に書いていただきました!!


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#019 閉じられたプラットフォーム

ボクは生まれで人を差別する事は無い。

その人が起こした行為で区別をするのだ。



 その日はボクにとって厄日だった。

 

 思えば、朝一番からケチが付いていた時点で気づいておくべきだったのかもしれない。

 まず最初の災難は、何と言っても駅まで見送りに来てくれる筈のスキャマンダーさんが寝坊したことだろう。

 それを知らなかったボクは、遅刻寸前まで待ち、ギリギリの段階でキングズクロス駅へと”姿あらわし”をする羽目になる。

 更に不吉なのはその際、右足の靴紐がバラけたことだ。

 何度も完璧にやってのけた”姿あらわし”。慣れ始めが一番危ないとは言うが、割と得意分野なので失敗するとは思ってなかった。

 そして、キングズクロス駅改札恒例の人ゴミラッシュ。

 おっさん達の加齢臭に巻かれ、肩をぶつけられ、足を踏まれる。

 去年の回数は三回ほどだったが、今年はなんと十回という脅威の回数を叩き出した。

 

 なんとも言い難い漠然とした不安がボクの心の中に沸き起こる。

 これらの出来事は、今日が最悪の一日であるという予兆なのではないか? と。

 

「嫌な予感ほど当たっちゃうんだよなぁ」

 

 改めてボクは、目の前のが9番線と10番線の間にある柵を呆然と見上げる。

 9と4分の3番線、ホグワーツ特急が発着しているプラットフォームは、9番線と10番線の間の壁に隠れて位置している……筈なのだが。

 

「マジか。よりによって……」

 

 そこから先は言葉にならなかった。

 コンコン、と柵を叩く。

 やはり、魔法特有のすり抜ける感触はない。

 途方に暮れたボクは深く項垂れる。

 この一連の流れを十回は繰り返したと思う。

 しかし、何度叩いても柵に変化は無かった。

 残念ながら、やる気だけでは何事も回らないのが世の常なのだ。

 

「汽車は11時発だ。乗り遅れちゃったよメルム……どうしようこれ」

 

 どうしようだって? 知るか。なんならそりゃあボクの台詞だ。

 傍らから掛けられる声に目を向けると、そこにはボクと同じように呆然としている眼鏡の少年と赤毛の少年がいる。

 言わずもがな、イギリス一の有名人であるハリー・ポッターとその愉快な仲間のロナルド・ウィーズリーだった。

 ボクよりも先に壁に阻まれた友人達。実に顔を合わせるのは数ヶ月ぶりであり、どことなく懐かしい気さえする。

 でもなんでだろう? 

 不思議なことに、この再会にあんまり喜びの気持ちは湧かなかった。

 あぁそっか……ボクの学校での災難を運んでくるのは大体君達だったからだね。

 

「はぁ……ねぇポッター、なんか面白いこと言ってよ」

 

「唐突すぎるよ。おまけにフリが鬼畜だし」

 

 肩を竦めるポッターと欠伸をするウィーズリー。

 大体の面倒事の裏には彼らがいるといっても過言ではない。

 どうせこの閉じられたプラットフォームにも何かしらの形で関わっている筈だ。

 例えば、ウィーズリーの兄であるフレッド&ジョージ先輩による列車ジャックとか……止めておこう。

 あの二人なら如何にもやりそうなことだし、この予想が当たったとしても今のボクらに打開策はない。

 

「ねぇ、どうせならロンのパパとママを待とうよ。車の傍でさ」

 

「車……? そうだ!」

 

 瞳が希望を湛え、トレードマークの赤毛がビンッ! と逆立った。

 サッと過ぎる嫌な予感。そしてそれは見事に大当たり。

 

「汽車に乗れないなら、パパのフォード・アングリアで汽車を追っかければ良いんだよ! 空を飛べるあれならひとっ飛びさ!」

 

「待て待て待て待て、いやなんでそうなる」

 

 とんでもないビックリ理論にボクは言葉を失った。

 考え無しなのもここまで来ると、もはや呆れを通り越して感心すらしてしまう。

 空飛ぶフォード・アングリアに乗って自由気ままな旅といえば聞こえは良い。一度でもいいからボクもやってみたいとは思う。

 しかし、それは法に乗っ取った上でだ。

 車の扱いも分からないような彼らと乗るのは断じて御免被る。

 だって空飛ぶ車だ。確実に”未成年魔法使いの制限事項令”に引っかかる。

 リスクが大きすぎるのだ、マグルにバレたが最後、ホグワーツに到着して早々に荷物を纏める羽目になるのは想像に難くない。

 夜には、これだけ乗りたくて仕方がない汽車で逆戻りの憂き目に合うだろう。

 だというのに……

 

「良い考えだよロン! 空中散歩しながらの今年初登校! 派手にいこう!」

 

「そっか……行くか……行っちまうか!!!」

 

 絶望のドン底とばかりに顔を曇らせていた二人は、手を取り合って踊りそうなくらいにテンションを上げていた。

 一応こんなでも彼らは友人だ。

 駄目元でボクは、今にも走り出しそうな彼らに声を掛け、止めようとはする。

 

「止めときなよ。マグルに空を飛んでいるところを見られたら……」

 

「大丈夫だよ! 透明ブースターがある! そこら辺の対策はバッチリさ!」

 

 本当にそうだろうか。

 透明マントがそうであるように、強力な目くらまし術や眩惑の呪いをかけたりして透明化する器具を作ることはできる。

 しかし、その大体は長持ちしないのが相場だ。

 フォード・アングリアの速度がどれほどのものなのかは知らないが、少なくとも数時間では済まない時間を飛行する事になる。

 その間、透明ブースターとやらがしっかりと機能する保証はない。

 

 ボクはそう言おうとしたが、彼らは聞く耳持たずとばかりにもう走り出してしまっている。

 故にボクから言える言葉は一つだけ。

 

「どうなっても知らないよー」

 

 これが後に”空飛ぶフォード・アングリア騒動”と呼ばれる、ホグワーツに長らく語り継がれる大事件の幕開けだった。

 

 その結果はボクの予想すら越えたものとなる。

 バカ二人を乗せた車は、案の定、旅の道中で透明ブースターがイカれ、空飛ぶ姿を下界に曝け出した(ちなみにその様子は、約七人ものマグルに激写された)。

 それだけでも大変マズい状況だが、事件はまだ終わらない。

 余程のボロだったのか、不幸な事にウィーズリーのパパの車は最終的に飛行機能まで危うくなったのだ。

 ガタガタいうエンジン、墜落事故に怯える二人。

 それでもフォード・アングリアは学校まで意地で到着したらしい。

 しかし、到着地点を選ぶ余裕はなかったようで、二人を乗せたまま車は校庭の”暴れ柳”へと突っ込んだ。

 

 そして、無常にも乗り手に愛想を尽かしたフォード・アングリアはそのまま”禁じられた森”の中に消え、激突の衝撃でウィーズリーの杖はへし折れる事となる。

 

 その後の二人? 語る必要があるかい? 

 勿論、校内を彷徨いていたスネイプ先生に見つかったとも。

 そして校則違反の塊のような二人は、進学年早々に罰則を承った。

 まぁ自業自得だからね。しょうがないね。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 さて。話を柵の前に取り残されたボクのところにまで戻そうか。

 

 勇敢かつ無謀な二人が姿を消してから数分後、その頃にはボクの頭にもちゃんとこれからの打開策が浮かんでいた。

 無論、ポッター達のような豪快なものではない。

 少し変わった手ではあるものの、やること自体は単純明快といえる────即ち、”知り合いに助けを求める”だ。

 パチン、と指を鳴らす。

 ぐんにゃりと回る世界、屋敷しもべ妖精式の姿くらましである。

 これは不思議な事に”匂い”がつかないので、ボクは割と重宝している。

 

(そういえば、ホグワーツにこれで姿くらまし出来るか試してなかったなぁ……まぁ出来なかった時、どんな風にバラけるか怖いからやるつもりないけどさ)

 

 そんな事を考えている間に、あっという間に現地へと到着。

 着いたのはイギリス魔法界の大看板、ウェストミンスターのスコットランド・プレイスだ。

 ここには魔法省の外来者用入口である電話ボックスがある。

 

「前に来てから何年か経つけど、ここは変わんないね」

 

 早速、赤い電話ボックスの中に入ったボクはダイヤルを回す。

 肝心なのは数字だ。決められた順に回さなければ、このポンコツはうんともすんとも言わないのだ。

 遠くでウエストミンスター寺院の鐘の音が聞こえる。

 まったくもって、何もかもが旧時代的と言わざるを得ない。

 

「数字はえーと……”62442”だったっけ」

 

 魔法省本庁舎はロンドンの地下に設置されている。

 基本的に、在勤者には煙突飛行ネットワークによる通勤が許可されており、地下八階のアトリウムの壁際に設置されている暖炉から出入りをする者が大半だ。

 その点、外来者の手続きは少し面倒臭いものとなっている。

 手順はこうだ。

 

 ①:電話ボックスに入って、規定の数字に沿ってダイヤルを回す。

 ②:応対に出てくる女性が用件を尋ねて来るので用件を手短に伝える。

 ③:公衆電話のつり銭口から名前と用件が書かれた、四角い銀色のバッジが出てくるので、そのバッジをつける。

 

 バッジは魔法省への一時的な立ち入り許可証みたいなものだ。

 つけると電話ボックスの床が落ち、マグルのエレベーターのように地下八階にあるアトリウムまで輸送される。

 

「ありゃ……結構人が少ないな。まぁもうお昼だしね」

 

 地下八階に着くと、予想外にもエントランスホールのアトリウムは比較的に静かだった。

 思えばボクは朝と夜以外にアトリウムを通ったことがなかった。

 ここは出勤や退勤では大変に混雑するが、それ以外では存外こんなものなのかもしれない。

 

「ここも随分と綺麗になったもんだね」

 

 魔法使い、魔女、ケンタウルス、ゴブリン、屋敷しもべ妖精の共和を象徴する噴水”魔法族の和の泉”。

 ボクがいた頃のアトリウムは異なる部署同士の連絡に使われるふくろうの糞の所為で、とてもじゃないが見られたものではなかった。

 記憶と違い、綺麗に清掃された泉にボクは投げコインをする。

 特に意味はない。気紛れだ。

 ちなみに、この泉に投げ入れられたコインはすべて、聖マンゴ魔法疾患傷害病院に寄付されるとか。

 

「おやおや誰かと思えば……久しぶりだな。ミス・グリンデルバルド」

 

 噴水の向こうから声が掛けられる。

 声の方向に目を向けたボクは、そこにピーコックブルーのマントを着た無精髭の魔法使いの姿を見つける。

 彼の名はエリック・マンチ、この魔法省の守衛だ。

 

「やぁマンチ、実に数年振りだけど君の無精髭は全然変わってないね」

 

「糞だらけだった”魔法族の和の泉”やフサフサだった大臣の頭と違ってな」

 

 握手をしながらの軽口にお互い爆笑する。

 久々に彼と話すがやっぱり面白い男だ。ユーモアがあるというのは何よりの美点だと思う。

 

「別に尋問ってわけでもないんだろ? 面倒な手続きは省略するぜ」

 

「相変わらずの手抜きだなぁ。仕事しなよ」

 

「馬鹿言え。顔見知りのガキまで一々調べてられるか」

 

 本来ならマンチは、外来者に対してその腰に差している”潔白検査棒”で、身を隠す魔法や隠し持っている魔法具を調べたり、杖の検査と登録をしなければならない。

 しかし、面倒臭がりの彼は大体の身内は顔パスで済ませてしまう悪癖があった。勿論、ボクも例外ではない。

 

「まぁ怪しげな高官や純血の名家様なら、杖奪ってアナルの中まで調べるがね。お前もそうするか?」

 

「……有難い申し出だけど遠慮させて貰うよ」

 

「だろ? 俺だってガキの青っちろいケツの穴を押っ広げる趣味はねぇ。お堅い役所に長年勤め上げるコツは適度な手抜きと息抜きさ。ジジイの豆知識だ。覚えとけ」

 

 マンチと並んでそんな他愛もない話をしている内に、待っていた省内専用のエレベーターが到着する。

 ボクを先に乗り込ませ、後から乗り込んできた彼は好奇心の瞳でボクを見た。

 

「もう九月の頭だ。てっきり俺は、お前が学校に行っているとばかり思っていたが?」

 

「一悶着あってね」

 

「なんだ。やらかしてクビか?」

 

「違うってば。なんかホグワーツ特急列車のプラットフォームが閉じちゃってさ。お陰で列車に乗り遅れちゃった」

 

「そりゃ災難なこって」

 

 ブゥンという音と共にエレベーターが上昇を開始する。横揺れが酷い。

 目指すは地下二階にある魔法法執行部だ。

 闇祓い本部(Auror Headquarters)もそこにある。

 よく闇祓い(オーラー)というのは、独立した部門の一つと勘違いされがちだが、魔法法執行部お抱えの主要部局の一つに過ぎない。

 単に闇の魔法使いと魔女の逮捕を専門としているだけだ。

 

「用があるのはシャックルボルトの堅物か? 揉め事にはあいつが1番だ」

 

「ご明察。実際の所、お間抜けドーリッシュでも良かったんだけど。なんせ彼、権力ないから。こういう時に頼れる師匠ももう闇祓い引退していないし、上級闇祓いの彼を頼るしかないんだ。ボクとしてはちょっと苦手なタイプなんだけどね」

 

「大丈夫だ。向こうもそう思ってる……そら着いたぞ。行ってきな」

 

 ガラリと開くドア。

 エレベーターから出るのはボクだけだ。

 魔法省の一職員であるマンチも、ボクの用事に最後まで付き合うほど暇じゃない。

 手早くエレベーター越しに挨拶だけ済ませたボクは、闇の魔法使いの写真や地図、日刊予言者新聞の切り抜きなどが貼り付けられた廊下を突き進む。

 

「ただいまっと」

 

 突き当たりの奥の扉を開けば、そこには仕切られた小部屋の数々があった。

 闇祓いはそれぞれ小部屋を割り当てられており、大規模な捜査がない限りそこから出ることは基本ない。

 だからボクの挨拶が返ってくることもなかった。

 

「まったく昼時だっていうのに皆揃って大忙しだ。お給金もさぞ高いんだろうね」

 

 それが良いことだとは微塵たりとも思わないが。

 この部署が忙しいという事は、即ち今日もどこかで闇の魔法使いが元気にはしゃいでいる証だ。

 馬鹿の所為で積もる仕事や書類……飯のタネが向こうからやってくるのは喜ばしい。

 だが、その所為で飯を食う時間が無くなってしまっては本末転倒だ。

 

「とうちゃーく」

 

 部屋の持ち主の性格にあった面白みのない……ごほんごほん、質素な白い扉。

 扉の取っ手には、黒い文字でキングズリー・シャックルボルトと書かれた名札がぶら下がっている。

 

「さて久々の再会だ。一体、どんな顔をすることやら」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「珈琲ってのはどうしてこうも苦いのかなぁ」

 

 闇祓い本局。

 その端にある小部屋にて、そんな呑気な声が木霊する。

 室内の片隅にあるソファーは、部屋の主たるキングズリー・シャックルボルトが休憩の際、寛ぐために用意したものだ。

 しかし今現在、そのソファーには部屋の主でもない銀の少女が堂々と横たわっている。

 来客用にと用意されたカップに口を付ける少女……メルム・グリンデルバルドは珈琲の苦さに顔を顰めていた。

 

「人生の苦さって感じだ」

 

「不服なら紅茶を用意させて貰うが?」

 

 窓際の長椅子に腰掛けながらその様子を見ていたキングズリーは、そう言ってクスリと笑みを漏らした。

 カップを置いたメルムは、左手をひらひらと振ってその気遣いを辞退する。

 

「別に嫌いってワケじゃないよ。ただお子ちゃまのボクにはまだ口に合わないってだけで」

 

「それは申し訳ない事をした。これからは子供の来客も想定して、ココアとお菓子も用意しておこう」

 

「お菓子はロリポップでお願いね」

 

 そんな図々しい要求をしたメルムは、再度珈琲を一口啜る。

 今度は顔を顰めることなく、涼しい顔のまま飲めていた。

 キングズリーは辟易しつつも、しかめっ面で問いかける。

 

「それで? まさか口に合わない珈琲を飲みにきたわけじゃないんだろう?」

 

「そう焦るなってば。折角、可愛い女の子が顔を見せに来たんだ。もっと嬉しそうな顔しなよ。それとも女子との会話は苦手?」

 

 カップをテーブルに戻したメルムが笑いながら言った。

 残念ながら自惚れた発言ではない。

 ハーフアップにされた透き通るような銀の長髪、無機質な翡翠の瞳と感情をあまり感じさせない色白の端正な顔。

 人間離れした容姿は、絵本の中から妖精が飛び出したと言われた方がしっくりとくる。

 確かに彼女は、そんなヴィーラも真っ青な絶世の美貌の持ち主だった。

 とはいえ、それでキングズリーの心が動かされることはない。

 

「女子特有の長々と続く無意味な会話は嫌いではないが……如何せん君の考え無しなご学友の所為で、今日はいつも以上にどの部署も大忙しでね」

 

「へぇ! もうそっちまで情報が上がってるんだ?」

 

「勿論だ。ちなみに君が唐突に訪ねて来た理由にも察しはついている。列車に乗り遅れたんだろう?」

 

「ご明察。勘の良さは相変わらずだね」

 

 ホグワーツ特急列車の出入口が唐突に閉じた不具合によって、プラットフォームから出られなくなった保護者達からの通報は、既に百件を超えていた。

 また、列車を巡回している車内販売の鬼婆から乗り遅れた三人の名前のリストも魔法省に届けられている。

 その中にはメルム・グリンデルバルドの名前もあった。

 蓋を開けてみれば勘でも何でもない。単に確度の高い情報に基づく簡単な推理である。

 

「ホグワーツ城まで行きたいんだけど、何とか出来ない?」

 

「用意は出来ている……それにしても実に面倒な話だ。ポッター達はフォード・アングリアに乗って悠々と空の旅と洒落こんでいる。しかもその様子をマグルに見られてしまったとか」

 

 お陰で、魔法省の忘却術士は今回の騒動を鎮める為に徹夜を覚悟する羽目になったらしい。

 目撃者の割り出しや、その記憶の消去及び改変後の辻褄合わせは、うんざりするほど繊細で時間が掛かる行程なのである。

 それに、空飛ぶフォード・アングリアを運転しているのがアーサー・ウィーズリーの息子だった事も面倒事に拍車を掛けている。

 アーサーは、マグル製品不正使用取締局に勤めていた。

 

 ────なんと捕らえてみれば我が子なり

 

 笑い話にもならない。

 今頃、役所で尋問を受ける羽目になった彼の胃はストレスで穴だらけになっていることだろう。

 

「呆れた。案の定、透明ブースターがお釈迦になってるじゃん」

 

「いっそ悲劇的だ。彼らは考えを凝らしたつもりなのだろうが、所詮は子供の浅知恵。結果として問題がより複雑になっただけだ」

 

 そして、その複雑な問題を解決するのはまったく関係の無い魔法省の役人達だ。

 高給取りで秩序の番人といえば聞こえはいいが、要は馬鹿の仕出かした尻拭いをするのが仕事だ。

 今回巻き込まれた連中はさぞかし腹立たしい思いだろう。

 

「さて、本題に入ろうか。誠に遺憾ながら私は役目の為に存在する。もう少し余裕がある時に来てくれれば、昼飯でも奢ってやれるんだが」

 

「気にしなくて良いよ。これで今生の別れってワケでもないんだ。また今度の機会にでも」

 

「そう言ってくれると助かる」

 

 長椅子から立ち上がったキングズリーは、机上に散らかっている書類に視線を走らせる。

 幸いな事に、目的の物は直ぐに見つかった。

 積み上げられたファイルの一番上、そこに用意されていた(・・・・・・・)書類をメルムに投げ渡す。

 

「急拵えではあるが、この部屋の煙突飛行ネットワークを一時的にホグワーツ内に繋いでおいた。行き先は”ホグワーツ魔法魔術学校校長室の暖炉”。ダンブルドア校長には、その煙突飛行許可証を見せれば問題はない」

 

「いつもながら用意が良い奴だ。仕事が出来る男の人は好きだよ」

 

「それはどうも。私は素直に感謝の出来る女性が好きだがね」

 

「良いじゃんそれぐらい」

 

「親しき仲にも礼儀あり、だ」

 

 口では勝てないと悟ったのか、メルムはバツの悪い顔をする。

 部屋の端にある暖炉へと向かう彼女に、キングズリーは煙突飛行粉(フルパウダー)の入った鉢を渡した。

 受け取った鉢を見てメルムが眉を顰める。

 

「なんとも原始的だね」

 

「古き良き時代だよ。変わらなくて良い物もある。覚えておくことだ」

 

 メルムは皮肉っぽく口の端を上げるだけで何も言わない。

 その事について議論する気はないのだろう。

 彼女は、鉢からキラキラ光る粉をひとつまみ取り出すと、暖炉の火に近づき炎に粉をふりかける。

 ゴォッ!! という音と共に、炎はエメラルドグリーンに変わりメルムの背丈より高く燃え上がった。

 

「あぁ、そういえば言い忘れていた事があったっけか」

 

「何か?」

 

「────君、”変装”は向いてないよ」

 

 ふっと吐息をつくような笑みを漏らしたメルム。

 彼女の視線は、キングズリーを通り越してその後ろに向けられていた。

 見透かすような翡翠の瞳に、居心地の悪くなったキングズリーは身じろぎする。

 

「……何のことだか」

 

「ははッ! そういうことにしておくよ」

 

 苦虫を噛むキングズリーを見て、メルムは可笑しそうに吹き出した。

 

「それじゃあ、またどこかで」

 

 不意打ちを一発喰らわして満足したのだろう。

 メルムは魔法の炎の中に入り、「ホグワーツ魔法魔術学校校長室!」と叫ぶとフッと消えた。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 しばし、静寂が空間を満たす。

 まるで嵐が過ぎ去ったようだった。

 メルム・グリンデルバルドの相手をしていた時間は十数分あるかないか。

 だというのにキングズリーは、まるで長時間書類と向き合っていたかのような疲労を感じていた。

 

「……なーんで気づかれちゃったかねぇ」

 

 その口から漏れ出た声は、男性のものとは程遠い女性特有の高いもの。

 やがてキングズリーの背後、先程まで彼が腰掛けていた長椅子の影から小さなため息が聞こえる。

 そしてゆっくりとそこから姿を現したのは、スキンヘッドの男────本物のキングズリー・シャックルボルトだった。

 

「試験は不合格だ。メルムのような高度な魔法使いは、相手の魔力を見通す。”七変化”に頼りきりだった弊害が出たな」

 

「えぇ?! そんなの聞いてないわよ! 子供相手だから余裕だと思ったのに!」

 

 嵌められたとばかりに偽物が恨めしげに睨むが、本物はすました顔をして即座に正論をぶちかます。

 

「油断大敵! 子供相手でも舐めてかかるな、というムーディ元局長の言葉を真摯に受け止めなかった君が悪い」

 

「くっそー……一応、閉心術は使ってたのになあ」

 

 暗鬱に顔を歪める偽物のキングズリー、その長身の体は縮み始め不気味に扇動している。

 ポリポリと掻いている禿頭からは、赤い毛がだんだんと伸びてきていた。

 異性の変身から元の身体に戻るには、若干の時間を要する。

 その間に、偽物キングズリーは身に纏っているローブに向けて杖を一振り。いつも着ている女性用の服に戻す。

 本物のキングズリーは、元の姿に戻っていく偽物を眺めながらポツリと言った。

 

「自分の頭から髪が生えるのを見るのは、何とも言えない感覚だな」

 

「あんたの頭は生まれた時のまんまだものね。女の髪は命って言葉知ってる?」

 

「知ってはいる。理解は出来ないが」

 

 でしょうね、と呟いて偽物はくるりと回る。

 再び現れたのは、ピンク色のショートヘアの二十歳くらいの若い女性だった。

 彼女の名前はニンファドーラ・トンクス、闇祓い見習いである。

 

「あれがマッド・アイの愛弟子かぁ。あんたが唐突に試験だ! なんて言い出すから何かと思ったけど。単純に苦手だから顔を合わせたくなかったってワケだ」

 

「それは悪かったと思っている。私相手だと彼女は我儘でね。ああするのが1番だった」

 

 トンクスの刺々しい口調に、キングズリーが苦笑する。

 そのまま彼は、無言で杖を振りテーブルに置かれたカップを部屋の隅にあるキッチンに下げた。

 新しい二人分のカップをテーブルに置いたところで、再び彼は口開く。

 

「それで、君は彼女をどう見る?」

 

「うーん。普通の女の子……からは程遠いかな。それに同業の人達とも」

 

 メルム・グリンデルバルドは他の闇祓いとは明らかにどこか違っていた。

 ”アラスター・ムーディの最高傑作”と尊称され、誰にも真似出来ないような卓越した魔法の技量を誇る少女。

 表向きは朗らかだったが、心の奥底では何を考えているのかトンクスにも良く分からなかった。

 それでも仕草や行動からある程度分かることもある。

 

「一つ分かったのは酷く用心深いってことね」

 

 彼女は終始、利き手をローブの下に入れていた。

 恐らく、杖をいつでも取り出せるようにしていたのだろう。

 それに部屋に入った当初から、しっかりと閉心術を使って心を閉じていた。恐ろしいほどの警戒心である。

 

「あと、あの歳に似合わない杖ダコね。利き手でもないのにあんなにハッキリついてるなんて……何度も何度も杖を振り回さないとああはならないわ。体幹もしっかりしていて芯がブレてなかったし、今でも相当な自主練をしてるんじゃないのかな」

 

「……そうか」

 

 キングズリーは小さく息を吐くとカップの珈琲を一啜りする。

 彼がこんなに神妙な顔をしているのも珍しい。

 その真剣な目を見れば、本気で何かを悩んでいる事は明白だった。

 

「何がそんなに心配なのさ。女の子が自衛の手段を持つのは良い事じゃないか」

 

 キングズリーは頷かない。しかし否定もしなかった。

 押し黙るばかりでうんともすんとも言わない彼の態度に、流石のトンクスも不審に眉を寄せる。

 やがてキングズリーは、ゆっくりと重い口を開いた。

 

「自衛の手段か。それだけならば良いのだがな」

 

「どうゆう事?」

 

「我々の杖は、人を護る盾にもなれば────人を殺す矛にも成りうるということだ」

 

 そう言ってキングズリーは、一息に残りの珈琲を飲み干した。

 いつになく苦々しい顔だ。それが珈琲の所為なのか、はたまた別の理由から来るものなのか判断はつかない。

 

「なんだって言うのさ……本当にもう」

 

 ワケの分からない漠然とした不安。

 それを飲み込むかのように、トンクスもまた珈琲を呷ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




感想や挿絵など本当にありがとうございました!
モチベーションマジで上がるので、皆さんこれからもドシドシお願いします!


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#020 砕けたロリポップ

むかし、こーえんでいっしょにあそんでいたおとこのこにわらわれました。

なんでいっつもそんなにつらそうなかおしているの?と

わたしはなにをいわれているかわかりませんでした。



 まるで巨大な穴に渦を巻いて吸い込まれていくようだった。

 高速で回転しているのか、耳が聞こえなくなるかと思うほどの轟音がする。

 緑色の炎の渦で悪くなる気分、先ほど飲んだ珈琲が胃の中でチャプチャプ揺れる。

 

(あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"……こりゃ酷い……ウプッ……吐きそうだ)

 

 目を細めて見ると、輪郭のぼやけた暖炉が次々と目の前を通り過ぎ、その向こう側の部屋もチラッチラッと見えた。

 次第に回転の速度が落ちていく。

 何か硬いものが肘にぶつかったり、冷たい手で頬を打たれるような感じが多くなっていく。

 やがて唐突に回転が止まり、ボクの身体は暖炉から勢い良く放り出された。

 ドサッ……ゴロゴロッと暖炉の床を転がったものの、咄嗟に受身を取ったお陰でダメージは殆どない。

 

「クソッたれが。急拵えとは言っていたけど、これは流石に雑過ぎるよ。まともに繋がってないじゃないか」

 

 体に付いた炭や埃を払いながら何とか立ち上がったボクはじっくりと周囲を見渡す。

 そこはおかしな小さな物音で満ち溢れる、広くて美しい円形の部屋だった。

 紡錘形の華奢な足が付いたテーブルの上には奇妙な銀の道具が立ち並び、くるくる回りながらポッポと小さな煙を吐いている。

 壁には歴代校長先生の写真がかかっていたが、額縁の中でみんなスヤスヤと眠っている。

 

「チッ……死人は呑気で良いね」

 

 眠っている壁の校長先生達に毒づいたものの、それで何か変わるわけでもなし。残念無念。

 幸いにも部屋の様子からして目的地にはちゃんと到着出来たようだ。

 これでフランスだのアメリカだのの魔法学校に飛ばされていたら目も当てられない。

 

「ほほほ、派手な到着じゃから誰かと思えば……久しぶりじゃなメルム」

 

 声の方に視線を向けると、そこには大きな鉤爪脚の机に座り、背もたれの高い椅子に腰掛けた老人がいた。

 半月型の眼鏡をかけ、長い銀髪に長い白髭をたくわえる鼻の曲がった好々爺……アルバス・ダンブルドア校長である。

 

「お久しぶりです、校長先生。ご健勝で何より」

 

「休暇は楽しめたかね?」

 

「すこぶる休暇は楽しめましたよ。同じく登校日も楽しめたら良かったのですが」

 

 挨拶もそこそこにして、ボクは机に歩み寄った。

 早速、懐にあったキングズリーから受け取った書類をダンブルドア校長に差し出す。

 無造作に突っ込んであったせいでクシャクシャになった書類を見た校長は、憂鬱そうにため息を吐いた。

 

「次に書類やレポートを提出する時は、もう少しマシな形で届けて貰えると嬉しいの。提出された先生が不憫じゃ」

 

「急いでいたんです。大目に見てくださいよ」

 

 そのつもりじゃ、と呟いたダンブルドア校長は、書類を端から端まで丁寧に延ばすと、手早く判子を押して机の中に閉まった。

 そして明るいブルーの瞳で、全てを見通すような眼差しをボクに向ける。

 

「災難じゃったの。ホグワーツ特急列車のプラットフォームが閉じたとか」

 

「えぇ。校長先生の遠回しな嫌がらせかと思いましたよ」

 

「それはいらぬ心配じゃよ。1人の生徒に構ってやれるほど、校長職というのも暇ではないからの」

 

 それもそうか、とボクは申し訳程度の苦笑を浮かべる。

 ひょっとしたら賢者の石の件での仕返しかとも思っていたが、よくよく考えてみれば、そんなちんけなお遊びをするジジイでもない。

 

(うーん。そうなると犯人は誰だという事になるけれど……ま、どうでもいっか)

 

 校長の嫌がらせにせよ、はたまた第三者の妨害にせよ、ボクはこうしてここにいる。

 それだけで充分だった。

 

 ────その時である。

 

 奇妙なゲッゲッという音が聞こえ、ボクは思わず振り返った。

 扉の裏側に金色の止まり木があり、羽が半分抜けた七面鳥のようなヨボヨボの鳥が止まっていた。

 じっと見つめると、鳥はまたゲッゲッと声を上げながら哀れっぽい目でボクを見返してくる。

 

「おいおいマジか」

 

 白鳥大の真紅の鳥。金色の長い尾と鉤爪。

 今でこそ羽毛が抜けて哀れな七面鳥のような姿だが、間違いない。

 紛れもなく不死鳥(フェニックス)だった。

 

「各国を旅して回ったけど、不死鳥なんて初めて見たかも」

 

 なんせ不死鳥を飼いならすことは非常に難しい。

 スキャマンダーさんも、不死鳥を上手く飼いならした魔法使いは殆どいないって言っていた。

 驚きで目を見開くボクを見て、ダンブルドア校長が満足そうに頷く。

 

「フォークスと言うんじゃ。うっとりするような生き物じゃよ、不死鳥というのは。驚くほどの重い荷を運び、涙には癒しの力がある。そして……」

 

「そして死ぬ時が来ると炎となって燃え上がる。燃え上がったあと、灰の中から雛として蘇る事ができる、ですか?」

 

 ボクの言葉にダンブルドアはにっこりと微笑んだ。

 

「よく知っておるの。儂が魔法生物学の教諭なら君の寮に点数を入れておるところじゃ」

 

「それはどうも。それにしても元気がないですね。”燃焼日”が近いのでは?」

 

「恐らく年内じゃろう。早く済ませてしまうように、と何度も言い聞かせておるんじゃが。中々踏ん切りがつかんくての」

 

 そう。この鳥は驚くべき事に自らを再生する能力があった。

 不死鳥は、体が衰えると定期的に炎となって燃え上がり消える。そして再び燃え残った灰の中から雛となって蘇る。

 これが起こる日を”燃焼日”と呼び、この性質こそが不死鳥と名付けられる所以だった。

 

「さて。君と一緒に列車に乗り遅れた2人も、あと数時間もすれば学校に着くじゃろう。困った事になったわい」

 

 折れた鉤鼻をポリポリ掻きながら、ダンブルドアが今日の夕刊予言者新聞をくるくると広げた。

 

 ────”空飛ぶフォード・アングリア、いぶかるマグル”

 

 なんと一面の大見出し記事だった。

 それだけでも凄まじいのに、更にパンチが効いているのはその内容だ。

 何とか笑いを堪えながらもボクは必死に記事を読み上げる。

 

「ロンドンで二人のマグルが……ぶふッ……郵便局のタワーの上を中古のアングリアが飛んでいるのを見たと断言……ぶははっ! ……今日昼頃、ノーフォークのヘティ・ベイリス夫人は洗濯物を干している時……おほほほッ! ……ピープルズのアンダースフリート氏は警察に通報した……あはははははははっっ!!! あーもう我慢できない! だ、だってバ、バカ過ぎるもんっ! げほげほっ! はははは! しっかり記事になってんのもう最高っ! あはははっっ!!」

 

 笑いの堰が決壊しケラケラと笑い転げるボク。

 その様子をじっと眺めていたダンブルドアは、長い指の先を合わせ憂鬱そうにため息を吐く。

 

「……良いのう、子供は呑気で。大人からすれば笑いごとじゃないわい。マクゴナガル先生など顔がロブスターみたいになってしまっておる」

 

 しょうがない。

 あんな面白記事をぶっこまれたら誰だって大笑いするに決まっている。

 なんなら笑わない方が失礼だ。我慢しろという方がどうかしている。

 

「あははは……ん、んんっ……げふんげふんっ」

 

 とはいえ流石に笑い過ぎではあった。

 腹筋も痛くなってきたことだし、咳払いをしてボクは笑いを納める。

 

「まったく世知辛いの。少しは景気の良い話が聞きたいもんじゃ」

 

 そう言って新聞を丸めたダンブルドア校長が、やおら立ち上がるとボクの傍を通り過ぎ、窓のカーテンの開けた。

 窓の外はルビーのように真っ赤な空、まさに夕日が沈むところらしい。

 

「日が沈んで1時間もすれば組み分けの儀式じゃ。今の時間帯なら余裕をもって歓迎会の席に合流出来るじゃろう。折角の年に1度の祝いの席じゃ。お説教を受ける2人の分まで楽しんでおくれ」

 

「うーん、それも良いんですけど。あー、なんというかその……たった今、頼み事が一つ出来まして」

 

 なんと切り出すべきか。

 ボクは人差し指を顎にやって思案する。

 ダンブルドアがにこやかに微笑んだ。

 

「ほう。何か欲しいものでもあるのかね?」

 

 そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか? 

 少し恥ずかしいな。

 若干照れながらボクは金色の止まり木まで行き、床に散らばっている数枚の尾羽を手に取った。

 

「これください」

 

「……子供にタダでやるには少々お高い代物なんじゃがの」

 

 たちまちダンブルドア校長は表情を渋いものへと変える。

 それはそうだろう。”燃焼日”直前の尾羽根は不死鳥の落とす羽の中で最も魔力に満ちた逸品だ。

 無料でくれてやるには惜しすぎる代物だろう。

 とはいえボクも引き下がるつもりはさらさらない。

 

「どうせ使い道もないんでしょ? この立派な尾羽をゴミ箱行きにするくらいなら、価値の分かる人間が有効活用すると言っているんです」

 

「しかしのう……」

 

 当然、羽の秘める魔力について知っているであろうダンブルドア校長も粘る。

 飼い主である彼がここまで渋っているのは、単に値打ちのあるものだからではない。

 この羽は強力な魔法の品である為に、闇の魔術に使われる事も多々ある。

 恐らく、ダンブルドア校長はそのような事態を憂慮しているのだろう。

 

「ボクがこの尾羽で闇の品々を作るとでも? 想像力はもっと有意義な事に使った方が良いですよ」

 

「ならば誓ってくれるかのう? 悪い事には使わない、と」

 

「勿論。ご所望なら血の誓いでもしましょうか?」

 

 血の誓い。痛い過去を擽るお遊び。

 ダンブルドア校長は深く溜息を吐いて首を横に振った。

 

「……そこまでせんでよろしい」

 

「じゃ、これは貰っていきますよ」

 

 嬉々とした表情で、ボクは尾羽根達を懐に大事にしまい込む。

 レア物ゲットだ。今日の最悪な出来事が全部頭から吹き飛ぶくらいには嬉しい。

 今にも飛び跳ねそうなボクの様子に、ダンブルドア校長は肩を竦めた。

 

「フォークスの羽を貰って喜ぶのも結構じゃが。校長としては学校に戻って来た事にも少しは喜びを感じて欲しいのう」

 

「もちろん嬉しいですよ! 沢山の本があるし、魔法に必要な基礎を固め直してくれる先生もいる。こうして珍しい貰い物が手に入るのもグッド。まさに別天地(エルスウェア)です。何より、ある程度安全に飯が食えて睡眠がとれる。他じゃそうはいかない」

 

「それは何より」

 

 ダンブルドア校長はにっこりと微笑んで腕を振る。

 すると長机の後ろにある棚の上に置かれた古帽子が、ふわりと浮かんでその手に収まった。

 

「組み分け帽子ですか?」

 

「そうじゃよ。よく覚えておったの」

 

 当たり前だ。

 忘れるわけがない。忌々しいクソ帽子め。

 今でこそスリザリン寮も悪くないなと思えているが、組み分け当時はイラついてしょうがなかった。

 具体的に言うと、古帽子をズタズタに引き裂いてしまいたいぐらいにはカッカッしていた。

 ダンブルドアが見透かすようにブルーの瞳を細める。

 

「今はどうか知らぬが。当時の君は、自身の組み分けに不満を持っていたそうじゃの? メルムや」

 

「……まぁそうですね」

 

 本当に忌々しいクソ帽子だ。プライバシーなんてありゃしない。

 イラッとしたボクは、懐から取り出したロリポップを口に咥えた。

 舌で蕩ける甘さ。空きっ腹に糖分が沁み渡る。

 

「元々希望していた寮はどこだったのかね?」

 

「レイブンクローです。儚い夢でした。資質と実力自体は認められましたが、その力を他者に振るう思いやりがないと言われまして」

 

 まったく馬鹿げた話だ。

 施しの精神がなければ真面に寮も選べないらしい。

 憤慨するボクの傍らで、なるほどのう、とダンブルドア校長が納得したように頷いた。

 

「確かに君は、友人と認めた相手には対価(・・)を支払おうと行動する素振りがある。ロングボトム君の件然り、ハロウィンの夜の件然り。しかし一方で、無関係の人間や敵対する相手にはあまりにも容赦がない。マルフォイ君と君の関係はスネイプ先生からよく聞いておる」

 

「それが?」

 

「レイブンクローは孤高である事も重視しておる。個性の塊の群雄割拠と言い換えてもよい。衝突などザラじゃ。試験の際の壮絶な足の引っ張り合いはもはや伝統になっておる」

 

 何が言いたいのだ、このジジイは。

 不可解な話の流れにボクは眉を顰めた。

 まぁまぁとダンブルドアは宥めるように話を続ける。

 

「組み分け帽子は、君の他者への容赦の無さを恐れたのじゃよ。自寮で友人も出来ず一人になった時、周囲の人間からの悪意に対して君がどんな反応をするのか。もちろん苛烈な反撃に出るのは目に見えておる。不毛じゃ、まったくもって不毛じゃ。それでは旅に出ていた君をこの国に呼び戻した意味が無い」

 

「……」

 

「幸いにもスリザリン寮は仲間意識が強い。足の引っ張り合いも個性の違いでの軋轢も全てを呑み込む。それがスリザリンの良い所じゃ。連帯意識とも言う」

 

「なるほどねぇ」

 

 悔しい事にその通りだと言わざるを得ないだろう。

 レイブンクローの陰湿さは、ちらほらとボクの耳にも入ってきてはいる。

 下剤を試験前に盛ったり、ノートを破いたり、誤った試験の情報を故意に流したり。

 そんなしょっぱい連中と気が合うワケもない。

 スリザリン寮はボクの出自を知っても仲良くしようとしてくれる人達がいた。

 先輩達も過去問を惜しみなく後輩に譲渡してくれる人ばかりだし、普段は敵対しているマルフォイですら、その過去問をセオドール伝いにボクにちゃんと回してきた。

 

 ────ドンドン気に入らない奴は希望とまったく別の寮にぶち込む事にしている。さぁスリザリンが良いかね? あるいはスリザリン? どうしてもというならスリザリンにするが

 

(あんな事言ってたけど、組み分け自体はちゃんと考えてくれていたのかな)

 

 今は校長の指先でくるくると回る、歌って喋る古帽子。

 少しだけ、ほんの少しだけ。

 ちょびっとだけ、この古帽子のことを見直してやるかという気持ちになった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「あー良い貰いもんした!」

 

 エスカレーターのように滑らかに下の方へ動く螺旋階段を降り、ガーゴイルの石像が門番をする校長室を後にする。

 行き先は歓迎会の行われる大広間だ。

 荷物の方は問題はない。

 ボクの収集品や今年一年必要な学用品が全部入っている旅行鞄は、二フラー兼ペットであるゴールディの腹の中にしまってあるので気が向いた時に取り出せる。

 去年の終わりに考えついた方法だ。もっと早く思いつけば良かった。

 

「おぉ……」

 

 大広間に着くと、待ちきれない生徒達が既にちらほらと着席しているのが見える。

 ちなみにスリザリンのテーブル席に、ボクのお目当ての友人達はいなかった。

 代わりにいたのはボクの天敵である三馬鹿トリオだ。

 

(マルフォイは相も変わらずオールバックと。ダサいなぁ……アレが好きなパンジーの気が知れないよ)

 

 そんな事を思われているとは露ほども知らずに、ドラコ・マルフォイは偉そうに腕を組んで鼻歌を歌っている。

 その両隣でクラッブ&ゴイルが、涎を垂らしそうなバカ面で何も無いテーブルを見ていた。

 まるでお預けを食らった犬である。

 

「関わらんどこっと」

 

 彼らからなるべく離れた端の席にボクはコソッと座る。

 幸いにもマルフォイ達がこちらに気づいた様子はない。

 ただ若干失敗だったのは最前列の席になってしまった事か。

 教授達の席は真ん前で、恐らく組み分けの儀から一番近い特等席。

 目立つのはあんまり好きじゃない。

 

(今のところ周りは誰もいないし、知らない人が隣に座ったらどうしよう)

 

 少し憂鬱な気分になったボクは、テーブルの上にあるティーカップに口をつける。

 苦い。ここでも珈琲か。

 

「やれやれ。左右真ん前全部が新入生なのはご免被りたいんだけどね」

 

 ────ちなみにその心配は杞憂だった。

 

 目の前のカップを空にする頃には、目敏くボクの姿を見つけた友人達が続々と集結して来たのである。

 

「久しぶりだなメルム。列車に乗り遅れたんだって? 面白いことやってるな」

 

「お久しぶりセオドール。笑いに来たのかい?」

 

「まぁな」

 

 友人第一号、セオドール・ノットはニヤリと笑って左隣の席に腰掛ける。

 彼の首には相変わらずの十字架のアクセサリー。

 親の都合で信じてもいない神様に祈るのも大変だ。

 そんな事をぼんやりと思っていると、不意に右隣から熊の抱擁(ベアー・ハグ)

 言わずもがな、友人第二号のご登場だ。

 

「まったく列車ん中をどれだけ探したことか! お前さんがいないと学校生活の楽しみ半減さね! 次は一言あって欲しいもんだね!」

 

「ぐっ……まぁ良いじゃん、間に合ったんだからさ。終わりよければ全てよし。違うかい? ミリセント」

 

「そりゃーそうだが。でも心配なもんは心配さね」

 

 ミリセント・ブルストロード。

 久しぶりに再会した彼女は、また一回りデカくなっていた。

 しかもクラッブやゴイルのように、ただ太った訳ではない。

 横にも縦にも身体付きがゴツくなり、まるで冷蔵庫みたいな体格へと変貌を遂げていたのだ。

 組み手には自信のあるボクだけど、彼女は心底相手にしたくない。

 純粋にパワーが違う。

 

「そういやグリフィンドールの席に足りない人間がいると思わないか?」

 

 休暇中にあったくだらない思い出をそれぞれ語り尽くし、広間も次々と到着した生徒達で大体埋まる頃、暇を持て余した様子のセオドールがそんな事を言った。

 グリフィンドールの席を見ると、いっつも三人で連んでいるハーマイオニー・グレンジャーが対面の席にいるネビル・ロングボトムと何事かを深刻そうに話している。

 彼女の両隣は空いており、ウィーズリーとポッターの姿はない。

 

(あーららまだ着いてないのか。もしかして予想外のビッグトラブルにでも見舞われた?)

 

 教授席を見ると、ダンブルドア校長やマクゴナガル教授は席に座しているが、我らがスリザリン寮の寮監であるセブルス・スネイプ教授の姿も見えない。

 遅刻という線は無いだろう。スネイプ先生は時間に厳粛だった。

 恐らくだが、愚かにも車で飛んでくる二人を絶対に逮捕する為に校内を巡回しているのだろう。

 それこそ目を皿のようにして。まったく精が出ることだ。

 

「学生の間じゃ噂になってるぜ。”英雄”ハリー・ポッターがお供のウィーズリーと一緒に空飛ぶ車に乗って登校してきたって」

 

「空飛ぶ車ぁ? あぁ……”夕刊預言者新聞”のアレはあいつらだったのかい。ったく派手な事が好きだねぇグリフィンドール生は」

 

「まったくもってその通り。奴らは静謐さのありがたみをよく知るべきだね……お、始まるぜ」

 

 大広間の扉が開き、マクゴナガル教授に率いられた新入生が入ってくる。

 大広間に入ってきた新一年生の反応は様々だ。

 集まる視線に居心地悪そうにしていたり、天井に仕掛けられた夜空が見える魔法に気を取られたり、飛び交うゴーストに驚いたり。

 うん、なるほど。去年は見られる側で気分が悪かったが、見る側にたつと分かる。

 確かに見ている分には面白い。豪華な食事の余興としてこれ以上適切なものもないだろう。

 

 しかし、そんなものにまるで興味を示さない者も勿論存在する。

 

 ギュルルゥ……とお腹の鳴る音が響き渡る。

 音の出処であるミリセントが力のない声でボヤいた。

 

「新入生歓迎会なんてどうでもいいさね。腹が減った。とっととご飯を食べたいんだが」

 

「やったね。クラッブとゴイルも同じこと思ってるよ」

 

「あのトロール2人と一緒にされるのは不本意だねぇ」

 

 四本足の椅子の上に用意された組み分け帽子が寮への賛歌を歌い出す。

 今年の歌は去年と少しだけ内容が違った。

 斜め前にいたジェマ先輩が言うには、歌の内容は毎年少しずつ違うらしい。

 もしかして忘れているのかな? 

 適当過ぎる組み分け帽子に、ボクが呆れていると組み分けの儀式が始まった。

 

「クリービー・コリン!」

 

「グリフィンドール!」

 

 言い渡された寮の結果に、小柄な少年が嬉しそうな様子で帽子を脱ぐ。

 幸いにも彼は己の寮決めに満足がいっているようだ。何よりである。

 それはともかくとして、あの首にぶら下げたマグル製のカメラは何なのだろうか? 

 ボクと同じ事を思ったらしいセオドールが首を傾げる。

 

「なんでマグル製なんて使ってるんだ? 動かない写真なんて面白くないだろうに」

 

 そういう問題だろうか? 彼はいっつも少しズレている。

 まぁ確かに面白いか面白くないかで言ったら、面白くないだろう。

 しかし動かない写真というアナログさも悪くはない。

 画質の精度や色彩はマグル製の方が上だしね。

 

(にしてもマクゴナガル先生の顔が怖い怖い)

 

 ポッター達の件があってか、マクゴナガル先生は機嫌最悪といった様子で矢継ぎ早に生徒達の名前を呼んでいく。

 そりゃそうか。組み分けの儀式を終えても、マクゴナガル先生には自分の寮生へのお説教が残っている。

 下手したらご飯お預けだ。不機嫌にもなるだろう。

 

「カロー・フローラ!」

 

「スリザリン!」

 

「カロー・ヘスティア!」

 

「スリザリン!」

 

 スリザリン寮は、双子姉妹であろうクリソツのおチビさん達を取り敢えずゲット。

 茶髪のロングにブルーグレーの瞳の少女達が、ボクらのテーブルへてちてちと歩いてくる。

 なんと歩幅や歩き方まで同じだ。

 

「双子ってのは、何でこうもそっくりなんだろうね」

 

「カロー姉妹だ。今年の有望株。カロー家は聖28一族に連なる家で、昔からノット家やブルストロード家とも繋がりがある」

 

「そんなのはどうでもいいよ。競馬の馬じゃあるまいし。由緒正しい血統なんかに興味は無いね」

 

「だろうな。だからそんなお前に吉報だ。あいつら良い具合にぶっ飛んでるぜ、きっと気に入るさ」

 

 ニヤニヤとセオドールが悪そうな顔をしている。

 彼の言い様からして余程の問題児らしい。

 テスト勉強をサボって追い詰められ、その挙句にカンニングをする彼よりかはマシだと信じたい。

 

「それにしてもペース早いなぁ」

 

 今年の組み分けは、去年よりもスムーズに行われている印象だ。

 大体の生徒が帽子を被って三十秒もしない内に寮の名が告げられている。

 生徒を次々と捌いていく様は、まるでベルトコンベアのようで少し面白い。

 

(まぁ組み分けされる当人達は不安で仕方ないと思うけどね)

 

 己とまったく価値観の違う子供達と同じ寮に入れられたらどうする? 

 ホグワーツの生徒が学校に在籍する年数は七年。その大半を学校で過ごすことになる。

 寝食を共にする友人の一人も出来ない学校生活。控え目に言って悪夢だ。

 

「その点、ボクは君達みたいな友人が出来て本当に嬉しいよ」

 

「唐突になんだよ、気持ちわりぃな……」

 

 ボクが肩を組もうとすると、セオドールがドン引きながらそっと席を離した。

 照れ隠しだよね? ガチじゃないよね? 

 照れ屋さんな彼を席ごと定位置に戻すべく、無理矢理ボクは彼の椅子を引っ張る。

 

 ────そんな時だった。

 

 マクゴナガル先生の一年生の名前を呼ぶ声が一際大きく響く。

 

「ラブグッド・ルーナ!」

 

「ん?」

 

 何気無しに組み分けの方を見る────思考が一瞬停止した。

 金のプラチナゴールドの髪、どこかぼんやりと遠くを見据えた瞳、色白の端正な顔。

 ズキズキと頭が痛む。

 周囲の話し声がどこか遠くに聞こえる。

 

 ────姉さま、もっと笑おうよ! 

 

 過去に失った声が脳裏に響く。やめろ。

 あれは他人の空似だ。優しかったあの子なんかじゃあない。

 必死にそう心に言い聞かせても、トラウマにも似た過去はぽっかりと口を開けてボクを呑み込もうとする。

 

「はッ、はッ、はッ……」

 

 酷く寒い。

 脳内を引っ掻き回すように、フラッシュバックする思い出。

 マズイ、呼吸が若干安定しなくなってきた。

 激しくなる動悸、目眩でグラグラ揺れる視界。

 これ、マズい、何とかしないとっ……でもどうやって? 

 

「おい、メルム! しっかりしろ!!!」

 

 突如、バチン! と背中を思いっきり引っ叩かれる。

 いち早くボクの異常に気づいたセオドールによるものだ。

 内臓に響く強烈な衝撃に、乱れた息が一瞬止まった。

 そのままセオドールはボクを前かがみに座らせると、あやすように背を撫でる。

 

「よぉし良いぞ。ゆっくり息を吐け、んで止めろ。吸うことはあんま考えるな。深呼吸だ、深呼吸」

 

 この体勢だと胸で息を吸うことがしづらい。

 なるほど、自然と腹式呼吸をしやすくさせるのか。

 息を吐く時に何度も咽せてしまうものの、彼に言われた通りに深呼吸を続ける。

 

「すぅー……はー……はっ……すぅー……はぁ」

 

 数分もすると、大分呼吸が落ち着いてくる。

 まだ若干の息苦しさが残ってはいるが、これで一安心だろうか。

 険しい顔をしたままのセオドールが、ボクの懐からロリポップを取り出して口に突っ込んで来る。

 

「むが……ッ!?」

 

「今、ミリセントがマダム・ポンフリーを呼びに行ってる。お前は取り敢えず、あの人来るまで飴ちゃん舐めとけ。良いな?」

 

「むぐむぐ……はぁい」

 

 口に広がる甘みに顔が緩む。

 心做しか最悪だった気分も少し良くなってきた。

 そして落ち着いて来たお陰で周囲を見る余裕も出てくる。

 

(くそ……やったわー)

 

 斜め前にいたジェマ先輩が慌て過ぎてオロオロしていた。

 周りのテーブルに座るスリザリン生達も何事か? とザワついている。

 ムカつく事に、ゴイル&クラッブにマルフォイまでもが興味深げに席を立って、ボクの様子を伺っていた。

 教授陣も一部の人間はボクの異常に気づいたらしく、フリットウィック先生やダンブルドア校長が心配そうにこっちを見詰めている。

 

「レイブンクロー!!」

 

 バットタイミング。

 場違い感半端ない組み分け帽子の声が、ザワつく大広間に空虚に響き渡った。

 声の方を見ると、帽子を脱いだ金髪の女の子が不思議そうな顔をして、顔色の悪いボクを見下ろしている。

 

(あぁ……くそったれが。本当に似てやがるな)

 

 ミリセントに担がれてやってきたマダム・ポンフリーへ視線を逸らす。直視に耐えない。

 

 ボリボリバリリッ……

 

 口の中でロリポップが噛み砕ける音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




メルムの性格の設定にそって組み分けテストしてみたら凄い事になった笑
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#021 マンドレイクと失礼な後輩

秘密の部屋。封じられた部屋。

後継者を求める部屋の怪物は、今は静かに眠っている。

傅くに能う者が封印を解く事を夢見て。



 怒濤の如く面倒事が連続した歓迎会から一夜明けた翌日。

 ボクはセオドールやミリセントと雑談しつつ、城の外にあるという魔法植物の植えてある温室へと向かっていた。

 念の為に言うと脱走とかではない。

 本年度初の授業である薬草学は城外で行われるのだ。

 

「今日の朝食は凄かったね。吼えメールなんて初めて見たなぁ」

 

「あーアレか。ウィーズリーの奴、顔真っ青だったぜ。分かっていても吼えメールは心臓に悪いから」

 

「ありゃあ凄まじい怒声だったねぇ。耳がジンジンしてしょうがないったらありゃしない」

 

 ボクら三人の話題が何の事なのか気になる人もいるかもしれない。

 でも別に誰かに嬉々として聞かせるほど珍しい話でもない。

 馬鹿が馬鹿やって当然の報いを受けただけってことだ。

 今朝、朝食を食べに大広間に訪れた時の話である。

 突如、グリフィンドール寮のテーブル席で爆発が起きた……もちろん比喩だ。 

 でもそれくらいには衝撃的だったし、五月蠅かった。

 

 ────まったく車を盗み出すなんて何を考えているの! お前もハリーも下手を打てば死んでいたかもしれないのに!! 退校処分になっても当たり前です! 首を洗って待ってらっしゃい! 

 

 大広間いっぱいに響き渡る女性の怒鳴り声。

 なんと、今回の“空飛ぶフォード・アングリア騒動”を知ったウィーズリーのママが、吼えメールを作成して送り付けてきたのである。

 

 ────昨夜ダンブルドアからの手紙が来て、お父さまは恥ずかしさのあまりに庭で穴を掘り始めたのですよ! こんなことをする子に育てた覚えはありませんッッ!!! 

 

 吼えメールの事は知識にはあったものの、実物を見たのはあれが初めてだった。

 魔法で本物の百倍に拡張された怒声の凄まじいこと凄まじいこと。

 テーブルの上の皿やスプーンがガチャガチャ揺れ、天井からバラバラと埃が落ちてくる程だ。

 

 ────まったく愛想が尽きました! お父さまは役所で尋問を受けたのですよ! みーんなお前のせいです! 今度ちょっとでも規則を破ってごらんッ!! 家に引っ張って帰りますからねッッ!!! 

 

 言いたいことを言うだけ言うと、吼えメールは炎となって燃え上がり灰になった。

 不死鳥の寿命が尽きる時もあんな感じなのかもしれない。まぁ、あんな騒音兵器が灰の中から再生されても困るが。

 

「まるで津波の直撃を受けたみたいに真っ青な顔をして椅子にへばりついていたよな。自業自得とはいえ、流石に不憫だったぜ」

 

「へぇ。破戒神父にも慈悲はあったんだね」

 

「おいおい人聞き悪いこと言うなよ。俺はまだ見習いだぞ。殺しも酒も博打もやってる親父と一緒にしないでもらいたいね」

 

「カスかクズかの違いじゃん。似たようなもんでしょ?」

 

 まぁな、とセオドールが頭を掻いて照れたように笑う。

 何故だろう。今の会話の中に照れる要素は一欠片もなかったように思うが。

 やっぱりボクの友人はちょっとズレている。

 そんな事を思いながら野菜畑を横切ると、スプラウト先生の城である温室が見えてきた。その前にいるいつもよりも数の多い生徒達の姿も。

 今年のスケジュールは意外にもグリフィンドールとの合同授業が多い。

 今から行われる薬草学もそうだが、昼食後に控える闇の魔術に対する防衛術の授業も彼らと合同だった。

 

(嫌い合っている者同士仲良くやれってことかな? ボクはともかく、大抵の生徒は水と油の関係だし無駄だと思うけど)

 

 先生はまだ来ていないのか、温室の前でかなりの人数がお喋りをしながらたむろっている。

 

「お、噂をすればだね」

 

 右端の隅っこにウィーズリー、ポッター、ハーマイオニーの三人が縮こまっているのが見えた。

 ハーマイオニーこそいつも通りの顔であったが、残りの二人はまだ授業が始まってもいないというのに、実に辛気臭い顔をしている。

 ミリセントとセオドールから離れ、ボクは三人組へと近寄っていく。

 

「やぁ三馬鹿トリオ。元気にしてた?」

 

「お久しぶりねメルム。私は元気よ。私はね? それとこの二人と一緒にしないでもらえるかしら。少なくとも私は、車で空を飛ぶ旅がファンタジーの中でしか許されないって分別はつくもの」

 

 なじるような視線をポッターとウィーズリーに向けて辛辣な一言を放つハーマイオニー。

 相変わらず真面目な堅物だ。

 しかし忘れてはいけない。至極真っ当な事を述べている彼女もまた去年校則をちょくちょく破っていた一人である。 

 まぁ今回、彼らが破ったのは校則ではなく歴とした魔法界の法なのでレベルが違うかもしれないが。

 のろのろと顔を上げたウィーズリーがボソボソと言う。

 

「一体全体、君はどうやって学校に行ったの? 皆からの話だと、組み分けの儀の時にはもう到着してたらしいじゃないか。ふくろう便を出したところでそんな早くに着くとは思えないよ。どんな魔法を使ったんだい?」

 

「魔法なんて使ってないよ。お偉いさんとのコネを使って、魔法省の煙突飛行ネットワークを校長室に繋げただけ」

 

「そんな無茶苦茶な……まさか煙突飛行ネットワークを繋げるなんて……あれ各国の首脳会議や緊急事態でしか許可が下りないってのに」

 

 おや、博識なことで。

 そういえばウィーズリーのパパはマグル製品不正使用取締局局長だったか。

 魔法省の裏話には事欠かないだろう。

 ウィーズリーとのやり取りを聞いていたポッターが恨めし気にボクを見上げた。

 

「ジーザス! どうして僕らがいる時にそれを言ってくれなかったんだいメルム! お陰で車から落ちかけて僕は死にそうになったし、ロンは杖が折れちゃったよ!」

 

「だって聞かれなかったし。それに一応、ボクは君らを止めたよ? どうなっても知らないよとも言ったよね。ポッターはそろそろ人の話を聞かない癖を治した方がいいねぇ」

 

 完膚なきまでに論破されたポッターは、居た堪れなくなったのか再び項垂れるように地面へと視線を落とした。

 そんな彼の隣では、同じように俯いたウィーズリーが真っ二つに折れた自身の杖を擦っている。

 

「ウィーズリー、杖の具合はどうだい?」

 

「どうこうもないよ、見たまんまさ。よりによって大当たり。僕らの乗った車は、あそこにある当り返しする木にぶち当たったんだ」

 

 ウィーズリーが指した先には立派な巨木である”暴れ柳”があった。

 去年まで悠然と佇んでいた”暴れ柳”は、車の直撃をモロに喰らっただけあって相当ボロボロだった。なんと枝のあちこちに吊り包帯がしてある。

 

「折れたのが首じゃなくて良かったね。杖の回復を祈ってるよ」

 

「そんなクソみたいなもん祈らなくていいよ。どうせこの杖は御役御免さ……それよりも、そのお得意のコネとやらで無料で杖を作ってくれる杖職人を紹介してよ」

 

 そんな都合の良い知り合いいるわけないだろう。

 寧ろこっちが紹介してほしいくらいだ。

 そう告げると、ウィーズリーが奇声を上げながら折れかけた杖をブンブン振る。杖の裂け目から火花がパチパチと鳴った。

 

(日本で見た線香花火がこんな感じだったなぁ……ん?)

 

 ふと彼女の膝に置かれた読みかけの本が目に留まる。

 まだ新しい表紙に書かれた著者名はギルデロイ・ロックハート。

 

「”狼男との大いなる山歩き”、ねぇ」

 

 本の内容は、旅の道すがらに立ち寄った村で、作家で魔法戦士でもある主人公が一宿一飯の恩に報いるために狼男の退治の依頼を引き受け、魔の山へと向かうというものだ。

 魔の山にて群れを率いて猛威を振るう狼男達の首領。

 彼による一切無駄のない統率された動きにて翻弄される主人公達。

 読者を呑み込む物語の導入、中盤から最後までのスピード感とその重厚な内容は凄まじいの一言に尽きる。

 ちなみに何故ボクがギルデロイの本の内容を知っているかと言うと、それは買わされたからに他ならない。

 

(あの馬鹿、闇の魔術の防衛術の教科書をよりにもよって自分の小説一式に指定しやがったんだよね)

 

 商魂逞しいというかなんというか。

 そんな事をしなくても今ある印税だけで死ぬまで遊んで暮らせるほど稼いでいるというのに。

 まぁ仕方ない、ギルデロイは虚栄心の塊であるし。

 しかし、ボクが事態にいち早く気づいて指定した教科書をリストに潜り込ませたから良かったものの、彼はあの小説一式でどうやって授業をする気だったのだろうか。

 考えるのは止めよう。きっとろくでもない結末が待っている。

 現実が彼の小説のように必ずしもハッピーエンドを迎えるというわけではないのだから。

 そう、触れない方が良いこともあるのだ。

 ハーマイオニーが本を手に取って目をキラキラと輝かせる。

 

「ギルデロイ・ロックハート! 彼って素晴らしい人だわ! メルムもそうは思わない?」

 

「……うーん?」

 

 ギルデロイの人物像を知っているボクとしては難しい質問だ。

 ボクが答えあぐねていると、ハーマイオニーが捲し立てるように話を続ける。

 

「本にある数々の冒険譚だけじゃないわ! 勲三等マーリン勲章も授与して、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員でもあるのよ! リストにある教科書もほとんど彼が執筆しているし!」

 

「それは凄いねー」

 

 ボクの感情が入っていない棒読みにも、熱狂的なギルデロイ信者は気づく様子はない。

 

「本当に凄いわ! 彼の処女作”泣き妖怪バンシーとのナウな休日”は鮮烈なデビューを飾り、続く”グールお化けとのクールな散策”も大ヒット! 自分の活躍を記した数々の著作は、それまでの作法的に凝り固まっていた純正文学とは全く違う新しいジャンルを文芸界に作り出したのよ! それからそれから……」

 

 とめどなく流れ続けるハーマイオニーのギルデロイ自慢。

 しまった。どうやら彼女の地雷を踏んでしまったらしい。

 ボクは横で座り込むポッター達に視線で助けを求めるが、彼らも既にこの状態の彼女を何とかするのを諦めているらしく、肩を竦めて力なく首を横に振っていた。

 こうなった彼女は放っておくしかないようだ。

 

「物凄く勇敢な人だわ! メルムはもうこの本読んだかしら? 私だったら狼男に追い詰められて電話ボックスに逃げ込む羽目になったら冷静でいられないわ! それなのに彼ときたらクールにバサッと……素敵だわ!」

 

 その素敵な彼とやらが、仮にもし同じ状況になったら泡を吹いて失神するだけの口だけ野郎と知ったら、一体彼女はどんな顔をするのだろうか。

 

(あー早く来ないかなスプラウト先生)

 

 そんなボクの願いは意外にもすぐに叶えられた。

 ハーマイオニーの話に適当に相槌を打って聞き流していると、スプラウト先生のずんぐりむっくりとした小さな体が芝生を横切って大股で歩いてくるのが見えた。

 髪の毛がふわふわ風に靡き、その上に彼女のシンボルである継ぎ接ぎだらけの帽子が陽に当たって輝いている。

 救世主の御登場。しかしボクの口から出たのは呻き声だった。

 

「うわぁ……マジかぁ」

 

 隣に余計なオマケがついてきていた。

 風に靡くトルコ石色のローブに、金色に輝くブロンドの髪。

 そしてトルコ石色の帽子を完璧な位置に被った小説家兼詐欺師。

 ギルデロイ・ロックハートの姿が何故かスプラウト先生の隣にあった。

 

「やぁ、皆さん!」

 

 ギルデロイは集まっている生徒を見回して、こぼれるように笑いかけた。

 

「彼女が授業に遅れた事に文句を言ってはいけませんよ! スプラウト先生に暴れ柳の正しい治療法をお見せしていましてね! でも私の方が先生より薬草学の知識があるだなんて誤解されては困りますよ? たまたま私、旅の途中に”暴れ柳”というエキゾチックな植物に出会ったことがあるだけですからね!」

 

 スプラウト先生が遅れたのはギルデロイのせいらしい。

 ”暴れ柳”の修復も通りで雑なわけだ。

 スキャマンダーさんが包帯だらけのあの木を見たら、ビックリしてひっくり返るレベルである。

 

「みんな、今日は3号温室へ!!」

 

 その事をスプラウト先生も分かっているのだろう。

 彼女は普段の快活さはどこへやら、不機嫌さが見え見えだった。

 きっと昼休みにでも”暴れ柳”の修復のやり直しをするに違いない。本当にご苦労さまです。

 

「3号室だって!」

 

「マジか! どんなのかな?」

 

「今までの1号温室とはワケが違うらしいぜ。3号温室はもっと不思議で危険な植物が植わってるんだって!」

 

 興味津々の囁きが流れる中、スプラウト先生が大きな鍵をベルトから外しドアを開ける。

 天井からぶら下がった傘ほども大きさがある巨大な花の強烈な香りと、湿った土と肥料の臭いがボクの鼻を突く。臭い。

 

「さ、行こうよ」

 

 ボクはポッター達と一緒に中に入ろうとしたが、ロックハートの手がすっとポッターへと伸ばされる。

 

「ハリー! 君と話がしたかった! スプラウト先生、彼が少し遅れてもお気になさいませんね?」

 

 スプラウト先生のしかめっ面には、お気になさるとでっかく書かれている。

 ポッターも嫌そうな顔をしている。

 だというのに、どういうわけかギルデロイはそれをお許しいただけたと勘違いしたらしい。

 彼女の鼻先でピシャッとドアを閉めようとした。

 

「はいダメでーす」

 

 閉められそうになったドアにボクは足を挟み込んだ。

 予想外の邪魔に、ギルデロイがボクを不思議そうに見下ろす。

 

「どうしました? ……えぇとミス・グリンデルバルド」

 

 ほう、咄嗟に一生徒への呼び名に戻したね。偉いぞぉ。

 まぁそれくらい頭は回して貰わなければ困るが。

 ボクは彼に擦り寄って、ニッコリと笑いかける。

 

「ギルデロイ・ロックハート先生ですよね? 今年の闇の魔術の防衛術の!」

 

「え、えぇ……まぁ」

 

「お噂は兼ね兼ね! 色々な体験を為された先生の授業、とっても楽しみにしています!! ……ポッターと大切なお話があるんですよね? でも今はちょっと御遠慮いただけますか? ご存知の通り授業も遅れていますし。それに大切なお話なら尚のこと昼休みにでもゆっくりとした方が良いですよ?」

 

 ボクのとびっきりの笑顔にギルデロイが笑みが引き攣った。

 ボクと一緒に旅をしていた間柄だった彼は、ボクがこの笑顔を浮かべている時がどんな時だか知っている。

 それともローブ越しに彼に当てている杖のお陰だろうか? 

 まぁどっちでもいい。

 ”邪魔者は引っ込んでろ”というボクの遠回しな言葉は、彼に無事伝わったようだ。

 

「そ、それもそうですね! ハリー、話は後ほど昼休みにでもゆっくりしましょう!」

 

 お利口さんのギルデロイは、半ばハリーを突き飛ばすように温室の中に戻し、ドアの向こうへと急いで消えた。

 マルフォイと同じで逃げ足は早い。

 臆病者と小者の意外な共通点を見つけたボクは、はぁと溜息を漏らす。

 

「……ふむ」

 

 腕を組んでボクらのやり取りを見守っていたスプラウト先生。

 先程と違う点があるとすれば、それは表情だろう。

 不機嫌全開だった彼女の顔は、今や天井にぶら下がる巨大な花のような満面の笑みを讃えていた。

 

「ミス・グリンデルバルド! よくやりました! スリザリンに20点!」

 

 やったぁ。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「ったくマンドレイクには酷い目に遭わされた。声を聞いたら死ぬってなんだよ。ふざけんなよな」

 

「いや、先生の言うことをちゃんと聞いてなかったセオドールが悪いよ」

 

「それもそうだけどさー、普通マンドラゴラの植え替えなんか教えねぇよ。危ないだろあんなん」

 

 セオドールが昼食を掻き込みながらぶつくさ言う。

 あの後、スプラウト先生による講義が行われたのだが、彼はその時間の殆どを寝て過ごす羽目になった。

 薬草学の講義はマンドレイクの植え替えだったのだ。

 

 ────マンドレイク、別名でマンドラゴラ。

 

 これを使った回復薬の効能は一級品で、姿形を変えられたり呪いをかけられた者を元の姿に戻すことが出来る。

 欠点を上げるとすれば、この植物が頭に葉っぱの生えた酷く醜い男の赤ん坊の姿を模している事だろうか。少なくともボクはドン引きした。

 それともう一つ致命的な欠点。

 悲鳴だ。マンドレイクは人のように動き、引き抜くと悲鳴を上げる。

 引き抜かれた際の絶叫は命取りで、まともに聞いた人間は発狂して死んでしまうのはマグルですら知っている者が多い。

 だというのにセオドールは……

 

「せっかく耳当て支給されてたのに何で着けなかったの?」

 

「暑かったんだよ」

 

 これである。

 確かに温室は密閉された空間で、生徒の数も多く非常に暑苦しかった。

 だけどそんな事、マンドレイクの悲鳴を直に聞くリスクに比べればなんてことはない。

 悲鳴を聞いたら死ぬのだ。

 古来より死なないようにマンドレイクの収穫を行ってきた古の魔法使いの知恵と工夫。

 それをセオドールは一切合切無視したのである。

 

 ────よいしょぉーッッ!!!! 

 

 止める暇もなかった。

 皆が耳当てを着けて植え替えに臨む中、耳当てを着けることなく彼は徐にその手を伸ばし、マンドレイクの葉を鷲掴みにして掛け声と共に一気に引き抜いたのだ。

 マンドレイクがまだ苗で、本当に良かった。

 結果としてセオドールは死なずに済んだ。数時間、気絶はしたが。

 

「なぁ、そういえばさ。俺の隣のベッドでロングボトムが寝込んでたんだけど。なんか知ってる?」

 

「あぁ……君も気絶してたもんね」

 

 事態を引き起こした人間がそれを知らないとは。

 仕方の無いことだとはいえ、呆れてものが言えなくなったボクは嘆息した。

 

「なんかもなにも君のせいだよ。巻き込まれたんだ。こんな初っ端からつまづいてネビルも可哀想に。これで彼の魔法薬学の成績はガタ落ちだよ」

 

 そう。ネビルはセオドールの考えなしの行動に巻き込まれて犠牲になった。

 鈍臭い彼は皆よりも耳当てを着けるのが遅かったのだ。勿論、彼も医務室行きである。

 

「なんだよアイツも気絶したのか。ははッ、ウケる」

 

「ウケないよ」

 

 まったく悪気がないというのはタチが悪い。

 よくこれで神父見習いを堂々と公言出来るな。

 

「まぁメルムも負けず劣らずヤバかったけどねぇ」

 

 セオドールの隣でサンドウィッチを食べながらミリセントがボソリと呟く。

 む。何の話だろうか。ボクの授業態度は完璧だった筈だが。

 彼女の言っている意味が分からず、ボクはこてんと首を傾げる。

 

「どうゆうこと?」

 

「いや、どうゆうことって……分からないのかい?」

 

 分かりやすくミリセントが引いている。

 一体何だというのだろうか? 友達なのだからハッキリと言って欲しい。

 そう伝えると、彼女はボリボリと困ったように頭を掻いた。

 

「あーその……なんだろうねぇ。マンドレイクに猿轡を噛ませるってのはどうも」

 

 そんなにおかしな行動だっただろうか? スプラウト先生など逆に凄いって褒めてくれたくらいなのに。 

 マンドレイクの悲鳴は、その口から出て初めて脅威となる。

 だからボクは考えたのだ。

 なら悲鳴を上げる口を無理矢理塞いでしまえば、マンドレイクを無力化できるんじゃないか? と。

 結果は良好も良好。

 なんと、猿轡を噛ませたマンドレイクは怯えて暴れなくなったのだ。

 他の生徒達が土の中から出るのを嫌がったマンドレイクに蹴られたり殴られたりと散々な目に合わされる中、お陰でボクは比較的スムーズに植え替えを終える事が出来た。

 

「悲鳴を上げさせない為に猿轡を噛ませる……それってもう犯罪者の思考だと私は思うんだがねぇ」

 

「結果良ければ全て良し、だよ」

 

 スプラウト先生も白目を剥いて親指立てていたし。

 しかしミリセントは何が引っかかるのか、うーんと首を傾げたまんまだ。

 彼女には悪いが、ボクとしてもこの新発見の議論において引く気はない。

 昼食を終え、中庭に出たボクらがマンドレイクの植え替え方法についてあーでもないこーでもないと言い合いながら昼休みを過ごしていると、そこにおずおずと近づいてくる小さな二人組がいた。

 

「「ノット先輩、ミリセント先輩、お久しぶりですー」」

 

 二重に響く高音のビブラート。

 昨日組み分けの儀式の時にセオドールが話していた双子の一年生だ。

 議論するボクらから少し離れた所で爺みたいに日向ぼっこしていたセオドールが、彼女達にヒラヒラと手を振って挨拶を返す。

 

「おー、ヘスティアにフローラじゃねぇか。久しぶりだな、昼食はもう食ったのか?」

 

「「はい! めちゃくちゃ美味しかったです!」」

 

 二人揃ってのにっかり笑顔。眩しい。

 茶髪のロングにブルーグレーの瞳の少女達をセオドールがボクらに紹介する。

 

「こいつらが昨日話したカロー姉妹だ。右がヘスティア、左がフローラ」

 

「「よろしくお願いしますー!」」

 

 元気な挨拶。良いね。

 それにしても、何故この娘達は一言一句同じ言葉を同じタイミングで喋る事が出来るのだろうか? 

 フレッド&ジョージ先輩達もそうだが、以心伝心というレベルを超えている気がする。

 

「ミリセントは昔、会った事あるよな?」

 

「あぁ。親同士の食事会で顔を合わせたっきりだが……まぁインパクトが強かったし覚えているさね」

 

 ふむ。そうなると、この場で顔見知りじゃないのはボクだけという事になるのか。

 出来るだけにこやかに微笑んだボクは、カロー姉妹に手を差し出して自己紹介をする。

 

「初めまして。セオドールやミリセントと友達をやってるメルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドだよ。これからよろしくね」

 

「「昨日、食事会の時に真っ青になって過呼吸起こしてたちっちゃい先輩ですよね! よろしくお願いします!」」

 

 ……ん? なんだと? 

 失礼極まりない挨拶に一瞬、ボクの笑顔の仮面が剥がれ落ちそうになった。

 セオドールが慌てたように口を開く。

 

「馬鹿お前ら! やっぱりまだ思った事がそのまま口に出る癖治ってなかったのか! メルムはちっこいけど俺らの学年で誰よりも危ない奴なんだぞ! 口には気をつけろ!」

 

「んー? それはフォローになってないぞ間抜け」

 

 というかそんな風に思われてたのか、何気にショックだ。

 そして、カロー姉妹はセオドールの焦りなど微塵も気にする事なく、笑顔の引き攣ったボクの両手とそれぞれ握手をしてブンブン振り回す。

 

「「かのグリンデルバルドの末裔なんですよね! 私達もあの極悪人カロー兄妹の姪なんです! お揃いですねー!!」」

 

「う、うん、そうだね……」

 

 なるほど、悪意は無い。

 ボクは会って一分もしない内に、カロー姉妹の事を少し理解した。

 きっとコイツら何にも考えてないんだなって。確かにぶっ飛んでいる。

 

「まぁ見ての通りのアホだ。何にも考えず思った事を口にするから、純血の名家の食事会にもあんまり顔を見せない」

 

「てか顔を出させないのさね。親が恥をかくから」

 

 ミリセントとセオドールの言葉にボクは納得して頷いた。

 純血の名家の食事会とはただの食事会ではない。腹の探り合いでもある。

 そんな所にこの双子を連れていけば、どんな惨事が引き起こるか容易に想像が出来る。

 犬に繋がれたマンドラゴラ並みの危険物だ。

 ボクから手を離したカロー姉妹が二人にぷんすかと怒る。

 

「「もう! ノット先輩もミリセント先輩も酷いですよ! 私達はアホじゃないです! 魔法薬学のスネイプ先生にもさっき褒められたばっかりなんですから!」」

 

 ボクは戦慄した。

 あの容姿性格最悪ネチネチメンヘラのスネイプ先生が、初回の授業で生徒を褒める? しかもこの双子を? 

 流石に嘘だと言って欲しい。信じたくない。

 同じ心境だったのだろう。

 いっつもスネイプ先生に教科書の角で頭を叩かれているセオドールが、恐る恐るカロー姉妹に尋ねる。

 

「ちなみにどういう経緯で褒められたんだ?」

 

「「今日はおできを治す簡単な薬を調合する実習だったんですけど、何でか私達の班は”生ける屍の水薬”が出来ちゃって。それを見たスネイプ先生が褒めてくれたんですー」」

 

 一体どうしたらあの素材でそんなもんが出来上がるのだろうか。

 生ける屍の水薬とは、服用者を死んだような深い眠りに落とすので有名な魔法薬である。

 非常に強力で高度であり、ホグワーツでは六年目のNEWTレベルの魔法薬学の授業で扱われるくらいだ。

 ボクらも一年の時に同じ道を通ったから話の流れはある程度理解出来るものの、その薬が出来上がった謎は解明出来ない。

 内心首を捻りながらボクは彼女達に話の先を促す。

 

「それで、なんて褒められたの?」

 

「「見事だ。ただただ見事だ。どうやら君達の聡明な頭脳は、吾輩にも理解の及ばぬ領域に達しているらしい。吾輩が導くには少々荷が重い。吾輩よりも丁寧かつ英語をちゃんと君達に伝えられる人間を師と仰ぐ方がいいのではないのかね? って言ってくれました!」」

 

「それ褒められてないよ」

 

 どうやら我が寮監様の慧眼は鈍っていなかったようだ。

 しかも彼の発言から察するに、ちゃんとこの双子を危険人物認定している。

 しかし悲しいかな。スネイプ先生の遠回しな皮肉は、カロー姉妹にそのまま褒め言葉として受け取られてしまったようだ。

 スネイプ先生、本当にご愁傷様です。

 

 

 

 




皆さん感想ありがとうございます!
書いていただけるとモチベーションマジで上がりますね笑
これからもどうぞよろしく!


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#022 名教師ギルデロイ・ロックハート

昔、公園で遊んだ女の子達。

銀の髪と金の髪の綺麗な女の子達は姉妹だと言っていた。

金の髪の子は、穏やかで何処かぼんやりとした顔をしていた。

銀の髪の子は、いつも何かに怒っているような悲しい顔をしていた。

今頃、彼女達はどうしているのだろうか?今でも時々ふと考える。



「「あ、もう時間ですね! 名残惜しいですけど、これで失礼します! またお話しましょうねー!!」」

 

 割と時間にはしっかりしているらしい。

 授業の始まりを示すベルが鳴るまで十五分もあるというのに、カロー姉妹はトテトテとボクらの前から去っていった。

 

「嵐みたいな後輩達だったね」

 

「悪いヤツらではないんだけどなぁ……ちょっとアホ過ぎる。同じアホでもクラッブやゴイルとはまた違ったタイプなんだ」

 

 悲しそうにセオドールが肩を竦めた。

 ボクらとはまったく違う方を見ていたミリセントが笑いながら小声で話しかけてくる。

 

「後輩で苦労しているのは私達だけじゃないみたいさね。彼処をご覧よ」

 

 ミリセントの指した方向を見ると、そこには困った顔をしたポッター達三人トリオがいた。

 彼らが困っている理由は簡単に分かった。

 

「僕、あなたに会った事を証明したいんですッ!!」

 

 それはマグルのカメラを構えた薄茶色の髪をした小さな少年だった。

 昨日、組み分けでグリフィンドールに選ばれた一年生。

 名前は確かコリン・クリービーだったか。

 

「僕、あなたのことは何でも知ってます! 皆に聞きました! ”例のあの人”があなたを殺そうとしたのに生き残ったって! その時の戦いの傷跡が稲妻の形をとって今でもあなたの額にあるって!」

 

 クリービーは興奮に震えながら大きく息を吸い込むと、一気に言葉を続ける。

 

「同じ部屋の友達が、写真をちゃんとした薬で現像したら写真が動くって教えてくれたんです! あなたの友達に撮って貰えるなら、僕があなたと並んで立ってもいいですか? そしたら……そしたら……その写真にサインをしてくださいッ! お願いしますッ!!」

 

 なんとも熱烈なポッターファンだ。サインを頼まれた当の本人はかなり嫌そうな顔をしているが。

 魔法族の英雄というのも大変である。

 しかもそれだけでポッターの不幸は終わらない。

 いつの間にか、デカくて凶暴そうなクラップとゴイルを両脇に従えたマルフォイが、クリービーのすぐ後ろまで迫っていた。

 

「サイン入り写真だって? ポッター、君は自分のサイン入りの写真を配っているのかい?」

 

 マルフォイの痛烈な声が中庭に大きく響き渡る。

 彼は周りに群がっていた生徒たちに大声で呼びかけた。

 

「みんな並べよ! ハリー・ポッターがサイン写真を配るそうだ!」

 

 近くにいたスリザリンの五年生の一団が声を上げて笑う。

 怒って拳を握り締めるポッター。

 しかし悲しいかな。彼はもう問題を起こせない。

 その原因は何を隠そう”空飛ぶフォード・アングリア騒動”だ。

 ポッターが次に何かをやらかせば、ダンブルドアから三行半を突きつけられる。

 それを知ってか知らずか、マルフォイはまるで鼠を嬲る猫のような顔をして挑発を続けた。

 

「君のサイン入り写真を欲しがっている奴はもう1人いるんじゃないか? ウィーズリー! ポッターのサイン入り写真はきっと高いぞ! 売れば君の家一軒分よりも価値があるかもしれないなぁ?」

 

「黙れよマルフォイ!」

 

 怒ったウィーズリーがセロハンテープだらけの杖をサッと取り出す。

 まさに臨戦態勢といった様子だ。

 しかしまぁ、ボロボロの杖を抜かれた所でどうという事は無い。

 ただただ滑稽なだけだ。

 彼の杖がもっとしっかりした状態なら少しは格好もついただろうに。

 

「くっだらな」

 

 騒いでいる彼らにギルデロイが近づいていくのが見える。

 新たな騒動の予感。

 そういえば話したい事があるなら昼休みにでも話せと焚きつけたのはボクだったか。

 

(ちゃんと覚えてたってわけだ。ポッターも人気者で大変だね)

 

 時計を見ると授業開始まで十分を切っている。

 まったく昼休みだというのにロクに休めなかったな。

 そうため息を吐いたボクは、騒いでいるポッター達を興味深げに眺めているミリセントとセオドールの肩を引いて、その場を後にした。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

「いやー遅れてどうもすみませんね! ハリー君と大事な話をしていましてね!」

 

 ポッターを捕まえてさぞや色んな話をしたのだろう。

 彼を連れたギルデロイが現れたのは、教室にポッター以外の全員が到着してから十分も経った後だった。

 ギルデロイに解放されたポッターがよろよろと一番後ろの席まで行く。

 あの様子を見るに彼の昼休みは散々だったようだ。可哀想に。

 

「皆さん静粛に!」

 

 初回の授業に遅刻してきたアホが大きく咳払いをし、それまで騒いでいた生徒達がシンと静かになる。

 

「よろしい」

 

 偉そうに頷いたギルデロイは、ネビルの持っていた”トロールとのとろい旅”を取り上げ、ウインクしている自分自身の写真のついた表彰を高々と掲げる。

 

「私です」

 

 ギルデロイが写真とまったく同じのにっかり笑顔を浮かべた。

 

「ギルデロイ・ロックハート。勲3等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、そして”週刊魔女”5回連続のチャーミングスマイル賞を受賞……もっとも私はそんな話をするつもりではありませんよ? バンドンの泣き妖怪バンシーをスマイルで追い払ったわけじゃありませんしね!」

 

 何とも長い自己紹介だ。おまけにスベっている。

 良心のある少数の女子が笑ってこそいるものの、他の大多数の生徒はつまらなそうな顔を隠そうともしていない。

 己の渾身のギャグがイマイチな反応だったギルデロイは不満顔をしながら話を続けた。

 

「全員が私の本を全巻揃えたようだね? 大変よろしい。今日は最初にちょっとミニテストをやろうと思います……あぁ心配はいりませんよ! 君達がどのくらい私の本を読んでいるか、どのくらい覚えているかをチェックするだけですからね」

 

 配られるテストペーパー。

 一体これはなんなのだろうか。事前に打ち合わせした時にはこんなものを出すという報告は無かった筈だが。

 

(抜き打ちテスト? このボクに? 良い度胸じゃん)

 

 どんな闇の魔術の問題だろうが、ギルデロイの思いつく範囲内の問題なら満点を取る自信がある。

 だって知識を補充してるのボクだから。

 

「さぁてどんな問題が……ッ!?」

 

 三ページにも及ぶ裏表に続くテスト。

 その問題の内容に目を通したボクは息を呑んだ。

 

 1:ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何? 

 

 2:ギルデロイ・ロックハートの密かな大望は何? 

 

 3:現時点までのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、あなたは何が一番偉大だと思うか? 

 

 コイツやりやがった、とボクは思わず舌打ちをする。

 恐らくテストを作ろうと思いついたは良いものの、質問らしい質問を何にも思いつかなかったのだろう。

 なんとギルデロイは自伝の中から抜粋してテスト問題を作成したのだ。

 確かにギルデロイの小説はその全てが教科書としてリストに登録されている。

 教師としてのプライドや体面を度外視するならば、このテストは何ら問題ない。

 

(だとしてもやり過ぎだよ……これじゃあ私は馬鹿で無能で見栄っ張りの目立ちたがり屋ですって自白しているようなもんじゃん)

 

 周りを見回せば、グリフィンドール生もスリザリン生も皆して怪訝な顔をしていた。

 こいつ本当に大丈夫か? という疑問が透けて見えるようだ。

 憤りも露にボクは最後の質問を睨みつける。

 

 54:ギルデロイ・ロックハートの誕生日はいつで、理想的な贈り物は何? 

 

 知るかそんなもん。

 残念な事に人の誕生日に興味がないボクは、両親の誕生日すら覚えていなかった。

 

「……はい、それまでです!」

 

 大体の生徒達が数分で解き終わり眠りにつく中、ギルデロイの偉そうな声がすっかり静かになった教室内に虚しく響く。

 ちなみにテスト時間は脅威の三十分だった。そんなに書くことないだろうに、まったく実に阿呆らしい。

 答案を回収したギルデロイが、クラス全員の前でこれみよがしにパラパラと捲る。

 

「チッチッチ! 私の好きな色がライラック色だということを殆ど誰も覚えていないようだね……ミスター・ゴイル、君の回答では私は生まれてまだ4年しか経っていない事になりますよ? ミスター・クラッブも負けず劣らず酷い回答です。私の好きな昆虫はフンコロガシではありません……ミスター・ノット、私は誕生日に奴隷娼婦を貰っても反応に困ります。それとミスター・フィネガン! 君は私の本の何を見ていたのですか!? 私の好きな話が自慢話などとは! 失敬にも程がありますッ!!」

 

 シェーマス君、大正解。

 グリフィンドールの席から笑い声が上がる。

 ギルデロイといえば、空欄を取り敢えず埋めました的な解答用紙に悲痛な声を上げ続けている。

 それにしても面白い。答案内容からクラスメイト達の個性豊かな感性が伝わってくる。

 

(後で皆の解答用紙見せてもーらおっと)

 

 絶対爆笑間違いなしだ。

 夜に行われる憂鬱な授業の打ち合わせも、これで少しは楽しみになってくるというものである。

 

「ミス・グリンデルバルド」

 

 読み上げられ続ける珍回答に、ボクが肩を震わせながらロリポップを咥えたその時。

 じろり、と睨みつけながらギルデロイがボクの名前を呼んだ。

 

「何でしょうか? ロックハート先生」

 

「答案用紙が真っ白なんですが。これはどういう事ですかね?」

 

 どういう事ですかね? か。面白い質問だ。

 咥えたばかりのロリポップをゴリゴリッと噛み砕きながらボクはにんまりと笑った。

 

「不勉強で申し訳ありません。奇想天外なテスト内容に持ち合わせる答えが無かったんです」

 

「……だとしても先生の年齢くらい覚えておいて欲しかったです」

 

 言外に秘めたボクの怒りを感じたのだろう。

 ブルリと肩を震わせたギルデロイは、それ以上追求してこなかった。

 

(まったく、こっちの言うことを聞いてりゃ悪いようにはしないって言ってんのにさ。すーぐ調子乗るんだから)

 

 再び解答を読み上げ始めるギルデロイに呆れ果てながらボクはため息を吐く。

 まったくもって下らない時間だ。ボク以外の大半の生徒も同じ事を思っているだろう。

 その証拠にポッターやウィーズリーが貧乏揺すりをしている。

 だが、ギルデロイ信者にとってはそうでもないらしい。

 彼女達は目を輝かせながら自分の答案が読み上げられるのを今か今かと待っている。

 

「ハーマイオニー・グレンジャーは素晴らしいですね! まさか私の密かな大望を知っているとは! そうです! この世界から悪を追い払いロックハートブランドの整髪剤を売り出すこと。その通りです! よくできました!」

 

 馬鹿じゃないのか。

 世界から悪を追い払うのは良いとしても、ロックハートブランドの整髪剤を必要とする奴など世界広しといえどスネイプ先生くらいしかいないだろう。

 だというのに、ハーマイオニーはギルデロイの言葉にうっとりと聞き入っている。

 ギルデロイが壇上で両腕を広げた。

 

「それに唯一の満点です! ミス・ハーマイオニー・グレンジャーはどこにいますか?」

 

「ここにおります!」

 

 驚きで裏返った声と裏腹に震えながら挙げられる手。

 それをガシッと力強く両手で包み込んだギルデロイは、その瞳を嬉し涙で濡らしながら劇的に叫ぶ。

 

「ミス・グレンジャー! 貴女は聡明叡智な魔女です! 貴女こそ文学の何たるかを解し、これからの魔法界を担っていく才女である事を私は確信しています!! このような……このような歓喜の瞬間がありましょうかッ! 私は……私は……感動と感涙の中、たとえる言葉を見つけることが出来ないッッ!!! グリフィンドールに10点ッッッ!!!!」

 

「感無量でありますッ! ロックハート先生ッッ!!」

 

 まるで映画のワンシーンだ。

 安い狂気に侵食された空間を前に、ボクは欠伸を噛み殺す。

 彼は詐欺師兼小説家よりも新興宗教の教祖様の方が向いてるんじゃないだろうか。

 少なくともホグワーツの教師よりもずっと向いているように思える。

 

「先生ぇ、答案の読み上げはもう良いんでそろそろ授業始めて貰えますかねぇ? 僕らも暇じゃないんで」

 

 普段の二倍は意地悪な口調でそう言ったのはドラコ・マルフォイだった。

 どうやら穢れた血である彼女がちやほやされる事にお冠らしい。

 動機はどうあれ、その意見にはボクも賛成である。

 

「おっほん! ……そうですね。それでは始めましょうか。世にも恐ろしく奇妙な怪物、そして身を震わせるような闇の魔術から君達を守る栄誉ある講義を!」

 

 芝居がかった口調でそう告げたギルデロイは、机の後ろに屈み込むと覆いのかかった大きなガラスケースを持ち上げ、机の上に置いた。

 

「さあ、気をつけて! 魔法界の中で最も忌み嫌われる生き物と戦う術を授けるのが私の役目なのです! この教室で君達はこれまでにない恐ろしい存在を目の当たりにすることになるでしょう! 私から言える事は1つ……心を落ち着け、目の前にある恐怖と対話をするのです!!」

 

 一々仰々しい話し方をする奴だ。

 その中身はもう死んでいるのだから(・・・・・・・・・・・)、そこまで恐怖を煽らなくても良いだろうに。

 しかし効果は抜群だ。

 ポッター達は貧乏揺すりを止め、眠りの海に沈んでいた生徒達もその瞼をしっかりと開けている。

 

「さぁ、迷える仔羊達よ! 檻の中に封じられた恐怖をご覧あれ!!」

 

 パッと取り払われる覆い。

 ガラスケースの中にあったのは、曇天を押し込めて固めたような黒い霧の塊だった。

 魔法の泡で包み込まれたソレは、赤い核を持ち黒い靄をドロドロと放出し続けている。

 まさかこんなガチモンが出てくると思っていなかった生徒達が小さく悲鳴を上げた。

 

「先生……それは何ですか?」

 

 居眠りを誤魔化す為に積み上げた本の山。

 その脇から顔を覗かせたセオドールが恐る恐るギルデロイに質問をする。

 ギルデロイがニヤリと怪しく微笑んだ。

 

「さて、何だと思いますか?」

 

「いや分かんないから聞いてるんだけど……」

 

 質問に質問で返されたセオドールが不服そうな顔をする。

 他の生徒達もガラスケースの中のモノの正体に思い当たる節はないのか首を捻るばかりだ。

 まぁそれもそうだろう。

 まだ魔法使いがマグルから迫害を受けていたような大昔ならいざ知らず、魔法界とマグル界が分離されている今の時代にこれを目にする機会はまずないといっていい。

 ボクのコレクションの中でもかなりのレア物だ。誕生日にスキャマンダーさんに泣いて縋ったのは記憶に新しい。

 とはいえ、まったく知られていないというわけでもないらしい。

 答えは予想もしない意外なところから出た。

 

「ぼ、僕それ知ってます……お、オブスキュラスだ」

 

 午後になってようやく授業に復帰したネビルが、縮こまって震えながらそう言った。

 良く分かったな。

 てっきり誰も答えられないと思っていたボクは素直に感心した。

 ギルデロイも意外だったらしく、手品の種明かしを客にされたマジシャンのような顔をして拍手をする。

 

「正解です! ミスター・ロングボトムは博識ですね。グリフィンドールに10点!」

 

 途端にクラス全体がどよめいた。

 無理もない。

 ダンブルドアによる去年の追い込み得点を除けば、彼が自寮に初めて貢献した世紀の瞬間だった。

 しかし、ネビルはといえば点数を貰ってもあまり嬉しくなさそうだ。

 彼は顔を青くしながらガラスケースの中をじっと見詰めている。

 そして、その瞳はここではない何処か遠くを見ているようにも思えた。

 ふぅむ、とギルデロイが腕を組んで唸る。

 

「それにしても感心ですね。昔はともかく、今となっては成人してもその存在を知らずに生きている魔法使いがいるくらいなのに……ミスター・ネビル。君はオブスキュラスの知識をどこで手に入れたのかね? まぁ今のご時世だ。まさか実物を見たわけでもないんでしょうが……」

 

「……そのまさかです。子供の頃、偶に公園に遊びに来ていた女の子が……その……オブスキュリアルだったんです」

 

 その言葉にギルデロイがハッと息を呑んだ。

 道理でネビルが暗い表情をしているワケだ。ボクも思わず眉を顰める。

 オブスキュラスとは、ある特定の条件下(・・・・・・・・)に置かれた子供の体を蝕む闇の魔力だ。

 そして、その闇の魔力を発現した子供の事をオブスキュリアルと呼称する。

 その存在は色々な意味で危険であり、魔法省でもオブスキュリアルの出現を未然に防ぐ為、毎年のようにその出現率を報告させているくらいだ。

 ちなみに今のところ百年近く、イギリス魔法界ではオブスキュリアルの存在は確認されていない。まぁ書類上では、だが。

 今のイギリス魔法省はハッキリ言って腐敗しており、臭いものには蓋をするのが慣習となっている。未確認のオブスキュリアルが存在していたとしても何ら不思議では無い。

 

「ロックハート先生。さっきからネビルの言っている、オブスなんとかって何ですか? 今いち良く分からないんですけど」

 

 講義内容に興味が出てきたのだろう。

 挙手をしたポッターがギルデロイに話の先を促した。

 無論それだけではない。

 驚いた事に、いつの間にかクラス全体がギルデロイの一言一言に耳を傾けている。

 ギルデロイがぼんやりと全生徒を見渡した。どの顔もギルデロイの方を向いている。

 こんなに興味を示されるなどと夢にも思わなかったのだろう。

 ギルデロイが完全にまごついているのが、ボクには手に取るように分かった。

 

「あー、よろしい。では皆さん、教科書である”黒魔術の栄枯盛衰”を出して下さい」

 

 ”黒魔術の栄枯盛衰”。

 ボクがギルデロイに言って無理矢理リストに加えさせた本だ。

 この本には死喰い人の事や闇の印は勿論、ボクの爺様の話まで載っている。

 無論、それだけでなく闇の魔術についても浅く広くマイルドに書き記されており、値段は張るものの教科書としてはかなり質の高い一冊となっている。

 

「えー……いきなりオブスキュラスの話をしても、皆さんはちんぷんかんぷんでしょう。なので私が分かりやすく丁寧に説明します。よーく聞いていて下さいね?」

 

 芝居がかった口調でそう前置きしたギルデロイが流暢に話し出す。

 

「通常、魔法族の力は7歳までに目覚めます。しかし、我々の力は複雑かつ繊細なものであり、杖や専門知識なしにコントロールすることは極めて難しい。その為、あたかも水が小さく溢れ出すようにその力を漏出させ、周囲の生物・無生物に異変を与えます。これは君達の大体が経験している事でしょう。私も昔、家中のトイレットペーパーをサイン色紙に変えてしまった事があります」

 

 今度のジョークはスベらず、大体の生徒達が腹を抱えて笑った。

 その反応にギルデロイは満足そうな顔をして話を続ける。

 

「無論、自分の力を自覚してある程度我流で操る子供も極めて稀ながら存在はします。ですがそんな人間は100人に1人いるかいないか。大半の子供達はその力を満足にコントロール出来ず、無意識に周囲に放出して力の調整を行います……さて。ここで問題になってくるのが精神的・肉体的なストレスにより自己の魔法力を抑圧してしまうケースです……それでは教科書の28ページにある写真をご覧下さい」

 

 指定されたページを開くと、そこには体を不気味に振動させた幼い少女が、白目を剥きながら黒い暴風を纏っている写真が掲載されている。

 

「オブスキュラスとは抑圧された子供達の力の具現です。精神的あるいは身体的虐待などにより力が押さえつけられた結果、発症する闇の力であり……まぁ簡単に言ってしまうと病気みたいなものですね」

 

 ふむ。最初はどうなる事かと思ったけど、やれば出来るじゃないか。

 教師として振る舞う詐欺師の姿に、ボクは密かにほくそ笑む。

 ただ一つだけ良くない点を上げるとすれば、まだ説明の噛み砕き方が甘い。

 今でも充分分かりやすいっちゃ分かりやすいが、ウィーズリーやセオドールのような馬鹿には理解出来ないだろう。

 ぶっちゃけボクには関係のない話なので放っておくのもありだが、折角の良い流れだ。

 ギルデロイも頑張っているし、少しだけフォローを入れる事にしたボクは徐に手を上げて質問をする。

 

「何かね? ミス・グリンデルバルド」

 

「先生は精神的あるいは身体的虐待と仰っておられましたが、具体的にはどのようなケースがあるのでしょうか?」

 

 ギルデロイは難しそうな顔をして顎に手をやる。

 お願いだから分からないと言うのは止めて欲しい。 

 そんなんじゃ散々、オブスキュリアルについて教えたボクの立つ瀬がない。

 一頻り唸った末にようやく彼も思い出したのだろう。

 ニカッと笑みを浮かべたギルデロイが、ボクの質問に答える。

 

「そうですね……例えば両親がマグル生まれの魔法使いの場合、我々の常識には殆ど理解がありませんよね? そういった家庭の子供は、自分の力を意識して抑え込んでしまう事があります。他にも、運悪くマグル達のコミュニティーにその力が露見し、迫害を受けたショックで魔法力が子供の体に押し込められてしまう例もあると聞いたことがあります」

 

「なるほど。自己抑圧が継続されると、激しい感情やストレスによってその子供の中にオブスキュラスが宿る……そしてオブスキュリアルとは、このオブスキュラスを体内で発達させた幼い魔法使いや魔女を指しているのですね」

 

「その通りです、良く出来ました! スリザリンに10点!」

 

 依頼人の手助けもしつつ、自寮の点数も稼ぐ。

 実に良いマッチポンプだ。

 ニヤリと笑うボクにウィンクをしたギルデロイは、順調に講義を続けていく。

 

「オブスキュラスとは、暴力や苦痛に満ちた怒りなどから出現し、オブスキュリアルとなった魔法使いの体内から放出されます。図にもあるように、オブスキュリアルが体内のオブスキュラスを放つ際の様子は特徴的であり、瞳は白くなり、肉体は振動して歪められます」

 

 まるで恋敵を見るかのような目でボクを睨みながら、ハーマイオニーが天高く手を挙げる。

 

「どうぞ。ミス・グレンジャー」

 

「ありがとうございます……先生はオブスキュラスとは闇の力と仰っておられましたが、一体どのような被害を周囲に生み出すのでしょうか?」

 

「良い質問ですね! ……オブスキュラスは、主にオブスキュリアルの苦痛の源を攻撃します。ですが、その際に周りにも甚大な被害を与えるのです。皆さん、30ページを開いて下さい」

 

 今度の写真は複数枚あり、そこには大嵐でも通り過ぎたような荒廃した街並みが写っている。

 凄まじい荒れっぷりだ。

 アスファルトの地面は尽く割れ、街路樹は軒並み薙ぎ倒されている。

 

「これは1926年、イギリスの魔法使いで魔法生物学者であるニュート・スキャマンダー氏が、アメリカ合衆国のニューヨークで撮った写真であります。暴れ回ったオブスキュラスによって街の至る所が壊れていますね……さて、この写真からも分かるようにオブスキュラスとは、街一つを大混乱に陥れて破壊するだけの力を持っています。この写真が撮られた際には、何人ものマグルが巻き込まれて死亡しました……まぁ、この騒ぎを起こしたオブスキュリアルは成人した前代未聞の個体なので、一概にもこうなるとは言い切れませんが」

 

「先生! その言い方だと、まるでオブスキュリアルのまま成人する魔法使いが珍しいように聞こえるんですけど」

 

「その通りですミスター・ポッター。オブスキュリアルの持つ闇の力は憑依された当人の身体を蝕みます。その為、彼らは非常に短命です。通常、オブスキュラスに侵食された子どもは10歳を迎える前に死亡します」

 

 軽い気持ちで質問したであろうポッターが残酷な真実に絶句する。

 ギルデロイは机の上に置かれたガラスケースをポンと叩いた。

 

「また子どもが死ねば、オブスキュラスも共に消滅します。この標本は、ニュート・スキャマンダー氏の手によって宿主が死んだ後に保存された貴重なものです。この標本の元になったスーダンの少女は、僅か8歳という幼さでその生涯を閉じました。彼女は魔力を示した為に村から迫害を受け、オブスキュリアルとなったのです」

 

 シンと静まり返った教室内にギルデロイの張り上げた声が響く。

 

「しかし皆さん、安心召されよ! オブスキュリアルが頻繁に現れたのはもう中世の頃。つまりは昔の話なのです……とはいえ太古の昔にその存在があったのは純然足る事実であり、マグル界と魔法界が分け隔てられた要因の一つにもなるくらいには、オブスキュリアルの根絶が魔法族にとって重要な課題となっていたのも事実であります」

 

 話が締め括られたのと、終業のベルが鳴り響いたのは殆ど同時だった。

 長いようで短い、初めての講義の終わりの合図である。

 慣れない講義をやった事の疲れからか、己の肩を揉み解しながらギルデロイが、教科書を仕舞い出した生徒達に無慈悲に告げる。

 

「さて。この話を聞いた皆さんは、今の自分がどれだけ恵まれた環境にいるかよく分かりましたね? では宿題です。オブスキュラスとオブスキュリアル、その生態についてのレポートを次の授業の始まりまでに皆さんに提出して貰います。長さは指定しません……以上、解散!!」

 

 

 

 




感想沢山ありがとうございます!
筆が思ったよりも進んで早く書き上げられました!これからもよろしくお願いします!


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#023 謎の声とファンレター

挫けそうになった時、よく妹に連れられて公園に遊びに行った。

そこで名前も思い出せない男の子と、何度も何度も日が落ちるまで遊んだ。

今では顔もボヤけて思い出せない温かい記憶。

あれは一体誰だったんだろう。



 闇の魔術の防衛術の授業が大成功を収めてから約一週間とちょっと。

 その期間のボクは、これからの授業スケジュールを組むことで手一杯だった。

 なんせ一教科とはいえ、一年生から七年生分の全てを網羅しなければならない。

 皆がのほほんと遊んでいる間、ボクは図書室や談話室で教科書と睨めっこだ。

 土日なんかはギルデロイにインプットした知識を教えなきゃならないので当然休み時間なんぞない。

 そんなボクの様子は傍から見ても異様だったらしく、友人達からは頭がどうにかなってしまったのか? という有難い質問を賜った。

 言い訳させて貰うと、大体の部分は闇祓いの訓練時代に授けられた知識で事足りたのだが、やはり魔法の専門学校なだけあって、そこまで掘り下げるのか? という箇所も多々あったりする。

 

「あ”ー頭が爆発しそうだよ……ったく君さ、学生時代に何やってたんだい? よく卒業出来たね」

 

 学生時代に習った事のほぼ全てを忘れていたギルデロイ・ロックハートはというと、ボクの気も知らないでニッコリと笑っている。

 

「暗記特化の短期決戦型だったんですよ。ほら……嫌な事は終わらせたら直ぐに忘れる感じのあれ」

 

「あーね。まぁそれを差し引いても、君の知識は忘却呪文を自分に掛けたんじゃないかって疑うレベルではあるけど」

 

「でも頭空っぽな分、飲み込みは早いから助かるでしょう?」

 

 自分で言うか。まぁその通りだけど。

 ボクにとって幸いだったのは、ギルデロイがゴイルやクラッブのようなアホンダラ野郎でなかったことだ。

 やはり小説家という知的な職業につくだけあって、ギルデロイの学習能力は低くはない。

 無論ハーマイオニーには劣るが、そこら辺の秀才並には集中力はあるし学習能力もある。

 恐らく本人の言う通り、学生時代はセオドールのような短期型暗記でテストを乗り切ってきたクチだろう。

 

「さて、と。今日までに一学期のスケジュールは大体組んだ。後は毎回の授業後の反省会だけで大丈夫だよね?」

 

「えぇ! お陰さまで授業もスムーズに進められそうです!」

 

 そうか。それは良かった。

 一先ず重要な課題はこれにて終了である。

 土日に開かれるミリセント主催のポーカー大会にも今日は出席出来そうだった。

 偉そうに椅子にふんぞり返るギルデロイの横にあったボトルを、ボクは無言で指さした。

 途端に彼はギョッと顔を顰める。

 

「え……飲むんですか?」

 

 それ以外に何がある。

 早く寄越せ、と手でジェスチャーすると、ギルデロイはため息を吐いてボトルを此方に投げ渡してくる。

 パシッと華麗にキャッチしたボクは、蓋をキュポッと開けて中身をぐびぐびと煽っていく。

 

「ぷはぁ……仕事終わりの”紅茶”は美味いねぇ」

 

「それは結構な事ですが。はぁ……でも良いんですかねぇ。学校でこんなもの呑んじゃって」

 

 少しの後ろめたさはあるのか、もう一つのボトルの蓋を開けながらギルデロイが珍しくマトモな事を言った。

 まぁ気にすることはない。

 現在、ボクらがいるのはギルデロイの教授室だ。

 そして、ここはただの教授室ではない。ボクが何重にも防音や盗聴防止の魔法を掛けている最強の密室である。

 ここで何が起きようが当事者以外の人間に知る術は無い。

 

「ギルデロイはこんな言葉を知ってるかな? ────バレなければ犯罪じゃない」

 

「まさに我々を体現したような言葉ですね」

 

「確かに!」

 

 ボトルを片手にギルデロイとボクは顔を見合わせて爆笑した。

 まったくもって末世だ。

 本当の悪党達はこうして何食わぬ顔で日々を過ごしている。

 もしボクが治安を司る人間なら、まず真っ先にボクらのような人間を逮捕しようとするだろう。

 

「しっかしこの部屋もまぁ……酷いね」

 

 壁を見れば、額入りされたギルデロイの写真。

 数え切れないほど飾ってあるそれらは、沢山の蝋燭に照らされて明るく輝いていた。

 クソ悪趣味である。

 

「ねぇ、自分の写真に囲まれて気持ち悪くないの?」

 

「何言ってるんですか。この世で一番イイ男に囲まれてるんですよ? 寧ろ高揚しますとも!」

 

 なるほど。ナルシストここに極まれりだ。

 どう生きたらそこまで自己愛が強くなるのだろうか。

 ボクはそんなに自分の事が好きじゃないから少し羨ましい。

 

「ボクだったら自分の写真よりも、もっと女性受けしそうな内装にするけどね。ほら、女子に大人気じゃんギルデロイはさ」

 

 ボクが冷やかし気味に言うと、ギルデロイは顔を顰めて首を横に振った。

 

「いや言っときますけどね。私、お子様には興味ありませんからね? そりゃあ世の中探せば幼い女生徒に手を出す卑劣漢も居るでしょうけれど」

 

 意外な反応だった。

 自己主張が激しく自惚れ屋の彼らしからぬ言動にボクは首を傾げる。

 

「君を慕って想いを募らせる女生徒が沢山いるんだよ? 前の授業の時なんて女子校に赴任した男性教諭みたいな感じになってたし。それでなくても君なら喜びのあまりに恋人の1人や2人作りそうなもんだと思ってたけれど」

 

「生徒に手を出したら捕まりますよ……まぁ確かに? 私も若い頃はそりゃあ派手に恋愛したものですよ。何せほら、顔が良いですから! ……でもね? 基本的に学生は収入がありません。金ばかりかかるんですよ。それに我儘だ。世界が自分中心に回っているって信じているタイプが多いんです」

 

「ほー。ギルデロイは包容力のある女性が良いんだ」

 

「うーん包容力ですか……それもありますけど、重要なのは会話の方ですかね。若い娘ってのは経験が浅いんです。2人きりの時の会話が絶望的につまらない。まぁ若い頃なんて誰しもそんなものでしょうが……というかそもそも授業中に、教室でぎゃあぎゃあ騒ぐようなお子様を前にして恋愛も糞もありませんよ」

 

 なるほど、中々に辛辣だがギルデロイの話も一理ある。

 人の本質は内面にある。

 若い頃の恋愛など外見や肩書きに左右される程度のものでしかないのだろう。

 

「それじゃあギルデロイはスプラウト先生やマクゴナガル先生みたいな女性が好みなんだ」

 

「いやいや発想が極端過ぎですよ。なんでよりによってその2人なんですか!? もうちょっとあるでしょう色々と」

 

「でもガキじゃないし年上ならではの包容力もあるよ?」

 

「片方は年上過ぎるし、もう片方は包容力というよりあれただの肉厚じゃないですか! そもそもあの人達、私が生徒の時から教授やってたんですよ!?」

 

 悲しいかな、ギルデロイには教師と教え子のシチュエーションはまだ早過ぎるようだった。

 まぁ一番悲しいのは、まったく知らない所でフラれた先生達なのだが。

 

「まぁそんな話は良いじゃないですか! 今日はこれから最高のイベントがあるんです!」

 

 ご機嫌良くニカッと白い歯を剥き出してギルデロイが笑った。

 唐突に告げられた不穏なワード。

 面倒事の予感がしたボクは若干眉を顰める。

 

「……イベント?」

 

「その通り! ほら! 8時まであと2分です! ぼちぼち来るんじゃありませんかね?」

 

 ギルデロイがそう言った時だった。

 コンコン……とノック音がした。

 

「おや、噂をすればだ! いたずら坊主のお出ましです。入りなさいハリー! さあ中へ!」

 

 ギルデロイの声に導かれ、そろーっと扉を開けて入ってきたのはポッターだった。

 何故か歯を食い縛った彼は、これから拷問でも受ける囚人のような酷い顔色をしている。

 

(なんでここにいるんだろ。ポッターってギルデロイのことは三頭犬並に嫌っていると思ってたんだけど)

 

 これまでに何度もギルデロイは説教と称してポッターに己の自慢話を聞かせており、その事に辟易とした彼からは何かと避けられていた筈だ。

 まさかいきなり心変わりしたという事もあるまい。

 一体何があったのだろうか。

 そんなボクの疑問に答えたのは、何故かポッターではなくギルデロイだった。

 

「車で”暴れ柳”に突っ込んだ件で彼は罰則を受けるんですよ。私のファンレターに返事を書くという光栄な罰を、ね」

 

 嬉しそうにギルデロイがウィンクをする。

 ポッターはといえば、ボクにだけ見えるようにオエッと吐く真似をしていた。

 

「ロックハートにきたファンレターに返事を書くなんて……最低だよ……」

 

 間違いない。

 ギルデロイのファンレターは、部屋の脇に積み上げられたダンボール箱の中にギッシリと詰まっている。

 これを捌くのは至難の業だろう。

 

「そういえばその件で罰則を受けるべき相方がいないね。ウィーズリーは何処に?」

 

「ロンはトロフィー・ルームでフィルチと2人きりで銀磨きだよ。おまけに魔法禁止だって」

 

 それもそれで悲惨だ。

 確かフィルチの部屋には銀杯が百個あった筈。

 ただでさえマグル式の磨き方は時間が掛かる。その上、退屈で体力も地味に消費する。

 きっと彼は一晩中銀杯を磨き続ける羽目になるだろう。

 

「メルムはなんでこんな所に?」

 

「ボクは授業でよく分からなかった所を聞きに来たんだよ。ロックハート先生は闇の魔術に対しての知識が深いらしいからね?」

 

 そう言ってボクがギルデロイをじっとりとした目で見ると、彼は気まずそうな顔をして頷くだけだった。

 まさかボクに次の授業のスケジュールを組んで貰っているなどとは口が裂けても言えないのだろう。露骨に話を逸らした。

 

「さ、さて! 無駄話はここでお終い! 何せファンレターは山ほどあるんです! 今日はハリー達に沢山働いて貰いますよ!」

 

「……は? なんて?」

 

 ボクの聞き間違いだろうか。

 今、このロクデナシはハリー”達”と言ってはいなかったか? 

 恐る恐るボクはギルデロイに聞き返す。

 

「すみません。まさかとは思いますけど、そのファンレターを書く人間の中にボクは入ってませんよね?」

 

「……ん?」

 

 不思議そうな顔をしてギルデロイが首を傾げる。

 まさかこの男、他の生徒の前ではボクが強く出られない事を利用して……。

 即座にギルデロイの企みを看破したボクは、慌てて荷物を纏めて逃げようとする。

 だがドアの前に立ちはだかり、その逃走経路を物理的に塞ぐ者がいた。

 

 ────何を隠そう、罰則を受けるハリー・ポッターその人である

 

 無言で此方を見つめる彼の顔は悪辣な笑みで歪んでおり、理不尽に指名された哀れな生贄を絶対に逃さないと言っている。

 

「ポッター……そこを退いてくれないかな」

 

「ん? どうして? だって先生に指名されたんだよ? まさか断るなんて言わないよね?」

 

 何を言っているのやら。

 こんなのは理不尽の極みだ。

 例えボクが強引にこの場から逃げ出しても、後で言い訳は幾らでも立つ。

 ボクがそう内心鼻で笑っていると、ポッターが口をパクパクさせ『ハーマイオニー』と伝えてきた。

 唐突に落とされた爆弾に一気に背筋が凍る。

 

(お前! それは卑怯だろうがッ!!)

 

 この二週間ちょっとでハーマイオニーはギルデロイのガチ信者になっていた。

 授業は完璧、知識は豊富、顔はイケメン、経歴は英雄。

 ボクのお陰で”理想のロックハート先生”を壊される事がなかった彼女は、茹で蛸みたいに顔を真っ赤にして彼に熱を上げている。

 ボクとギルデロイが夜中に二人っきりで話し合っていたなどと知れば、向こう一週間はジェラシーに塗れたダル絡みをしてくるのは間違いない。

 完全に逃げ道を塞がれたボクは怒りを噛み締めて苦笑いした。

 

「はははポッター、初めて知ったよ。君の性格がスリザリンにも向いているなんて」

 

「ははは、何を言ってるのか分からないなあ?」

 

 事実上の敗北宣言。

 苦し紛れに言った精一杯の皮肉も、自分以外の生贄をゲットしたポッターには効かなかった。

 

(ぢぐじょぅ……)

 

 ごめんミリセント。今日のポーカーはお預けだ。

 ガックリと崩れ落ちるボクを前にして、二人の鬼畜は溢れんばかりの笑みを讃えている。

 

 神よ、どうかこのロクデナシ二匹に天罰を。

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 蝋燭が燃えて、炎がだんだん低くなり、ボクを見つめているギルデロイの憎たらしい写真の顔の上で光が踊る。

 もう返事を書いた封筒の数は覚えていない。

 百を超えた辺りで数えることが馬鹿らしくなったのだ。

 ポッターと近況の話をして気を紛らわしてなかったら、とっくのとうに狂っていただろう。

 

「はぁ……なんでボクはこんなことやらされてんだろ」

 

 今頃、ボクはミリセント達と久々にポーカーでもやって騒いでいる筈だった。

 今日は休日というのもあってカモが揃い踏みだから稼ぎ時だと聞いて予定も早めていた。

 なのに現実のボクは、目の前に積み重なる手紙の山を隣に座るポッターと一緒になって処理している。

 

「ファンへのメッセージくらい自分で書いたらどうですか?」

 

「無理ですよ。1日で百通以上来るんです」

 

 ボクの小言ににべもなく言い放つギルデロイ。

 ひたすら書面と向き合っていたポッターが顔を上げて言う。

 

「それじゃこれまではどうしてたんですか?」

 

「ファンレターを貯めて、1週間事に小人達に処理させてましたね……おっとそんな顔をしない! 誠意がないわけじゃないんだハリー。ただ私はこれでも忙しいのだよ。ファンレターの返信、記者への対応、次回作の構想を練る為の現地へ旅行。そうなるとどうしても効率的に動かないといけないんです」

 

 確かに過去のギルデロイは、ボクと旅をしていた時も慌ただしく色々な事をハイピッチで進めていた。

 今回の件も、少ない日数で闇の防衛術の知識を詰め込めというボクの無茶な要望に文句なくついてきていた。

 小説を書く為の詐欺紛いな手口といい、抜けている所はあるもののギルデロイは割と効率重視なのかもしれない。

 そんな事を考えていたボクに、ポッターが手紙を書きながら話しかけてくる。

 

「そういえばさ。マルフォイがスリザリンのシーカーになったんだ。チーム全員の箒を”ニンバス2001”にする代わりにね。どう思う?」

 

「へぇーその話は初耳だね。まぁ選択肢の1つとしてはありっちゃありかな。我が寮のモットーは”勝つ為なら手段を選ぶな”だし。でもマルフォイをチームの心臓であるシーカーに選ぶのはナンセンスだと思うね」

 

 今年はまた随分な博打に出たものだ。

 全員の箒を最新型の”ニンバス2001”にする代わりとはいえ、新人(マルフォイ)をシーカーに据えるとは。

 いくらなんでもデメリットの方が大きい気がする。

 まぁボク自身、クィディッチに興味は無いし負けようが負けまいがどうでもいいのだが。

 

「あ、でもその話が本当ならマルフォイの奴、また自分の箒に面白い名前をつけるかもしれないなぁ」

 

「面白い名前? 何それ」

 

 ポッターの不思議そうな顔に、逆にボクは首を傾げた。

 この話は結構有名なので誰でも知ってる筈なのだが。

 あ、でも内容的にスリザリン生の身内ネタかもれしない。

 ボクは事の顛末を一から彼に説明する事にした。

 

「1年の頃にある事件が起きてね。その発端がマルフォイだったんだ。いや正確にはマルフォイが箒につけた名前かな? ……奴は自分の箒に名前をつける癖があるのさ」

 

「そうなんだ。でもそれって別に珍しい話でもないよ。ウッドとかもそうしてるし」

 

 箒に愛着が湧いて、ペットのように名前をつける魔法使いはそれなりにいる。

 それはボクも理解しているし偏見はない。

 問題なのはマルフォイのネーミングセンスだった。

 

「そうだね。箒に普通の名前をつけるだけなら問題はない……普通の名前ならね。あいつ、前使っていた箒にどんな名前をつけたか知ってるかい?」

 

 いいや、と首を横に振るポッター。

 可哀想に。知ればこれだけ面白い話もないだろう。

 

「”ナルシッサ”だよ。あいつ自分の母親の名前を箒につけたんだ」

 

「うぇ〜! 本当かい? それ」

 

 ポッターが顔を引き攣らせて苦笑いしている。

 そりゃそうだ。幾らなんでもマザコン過ぎる。

 

「困ったのはここからでね。なんと由来を知らなかったセオドールが爆笑しちゃったのさ。安っぽい名前だって言ってね。それで殴る蹴るの大喧嘩」

 

「うわ……そりゃあ災難だ」

 

「本当にね。まぁ見てる分には面白かったけど」

 

 知らなかったとはいえ、母親の名前を安っぽいと笑われたマルフォイは今までになく激怒した。

 クラッブやゴイルも珍しく怒って、三人に囲まれたセオドールはボコボコにされていた。

 その時ボクは何してたかって? 

 少し離れたところでミリセントと一緒に爆笑してたとも。

 

「そういえばさ。錯乱したウィーズリーが自分にナメクジの呪いをかけたって本当?」

 

「いや、錯乱の呪いをかけられたわけじゃないよ……マルフォイが酷い悪口をハーマイオニーに言ってね。それで怒ったロンがマルフォイにナメクジの呪いをかけようとしたんだけど逆噴射しちゃったんだ」

 

 さもありなん。

 あんな折れた棒切れで呪いをかけようとすればそうなるのは当然だ。

 ウィーズリーは、マルフォイに呪いをかける前に新しい杖を買うべきだったのだ。

 そうすれば胃がもたれるほどナメクジを吐かなくても済んだかもしれないのに。

 しかし、そこまでウィーズリーを怒らせる発言というのも地味に気になる。

 

「ちなみにマルフォイの奴はハーマイオニーにどんな悪口を?」

 

「”穢れた血”って言ったんだ。僕もハーマイオニーもマグル暮らしが長かったもんで、どれだけ酷い言葉なのかあんまりピンと来なかったけど。ロンや周りの人達が凄い怒っちゃってね」

 

「ははっそりゃあそうさ。またヤバい事を言ったもんだね」

 

 ────”穢れた血”。

 

 それはマグル生まれの者を差別する侮蔑の言葉だ。

 両親共に魔法使いじゃない者を指す最低の汚らわしい罵倒。

 自分の低能さを棚上げした”純血”しか価値がない魔法使いは、大体その手の言葉を吐く。

 まったく……そんな馬鹿だから爺様やヴォルデモートに良いように使われるのが分からないのだろうか?

 

「ポッター、覚えておくといいよ。魔法使いの中には”純血”を尊ぶ連中が一定数いるんだ。マルフォイのように純血の自分達が誰よりも偉い、なんて思い上がっている連中が昔からいる」

 

「ハグリッドから聞いたけど、酷い話だよね」

 

「うん。魔法族が絶滅しないように、マグルと結婚して血を絶やさなかった昔の人達の努力を無下にしていると思うよ。卑しい血なんて表現は歴史を知らない馬鹿の戯言だ」

 

 他にも、純血の魔法族でありながらマグルやマグル生まれを擁護または支持する者を指す”血を裏切る者”なんて蔑称もあったか。

 まったくよく考えるものだ。

 昔の魔法使いはよっぽど暇だったに違いない。

 ボクが内心そう呆れていると、ボトルを空にしたギルデロイが徐に立ち上がった。

 

「メルムの言う通りです。小金を持った馬鹿な差別主義者(レイシスト)の戯言ですよ。差別に屈せず魔法族と繋がってくれる彼らがいたからこそ、今日の魔法界は成り立っているんです」

 

 酒も入ってなのか、珍しくギルデロイの顔が笑い以外で歪んでいる。

 彼は手にしていたボトルを乱暴に、小綺麗なゴミ箱に投げつけた。

 

「人に悪意を持たれるのは嫌な感覚だ。彼らはそれを無自覚に他人にやっている。良いですか2人とも? 我々魔法族は自由なんです。ホグワーツ魔法魔術学校、その一角を収めるゴドリック・グリフィンドールが千年も前にそう決めました。魔法は我々の象徴であり! それを使う限りすべからく皆同胞なのだと! 羽ばたく翼を広げる権利はマグル生まれ関係なく全魔法族にあると!」

 

 おぉ。ギルデロイがマトモな事を言っている。

 彼は酒が入るとロマンチックな事を言っちゃう派なのだ。

 とはいえ、このままだと危険だ。

 酔いに任せていらないことまで口にする可能性がある。

 ボクは興奮してカッカッしてるギルデロイの酔いを冷まさせるべく、ある質問をする事にした。

 

「そういえばロックハート先生って奥さんがいらっしゃるんですか?」

 

「ハハハ! 何を言うのかねメルム! 私は独身だよ! 無論、私を独占したいと思う女性は星の数いるんだろうがね! しかし、私はこの世全ての女性を平等に愛さなければならない! 有名人というのも辛いものだよ! ハハハハハハ!!!」

 

「へーそうなんですか。じゃあこれは?」

 

 ボクはニヤニヤ笑いながら、手元にある一枚のファンレターを彼らに見えるように広げる。

 

 

 ”愛しの白馬の王子様へ”

 

 ホグワーツでの生活にご不便はありませんか? 

 勘違いした女学生にコナ掛けられてないか妻として私は心配です。

 私なら貴方を苦しめる者から解き放ってあげられるのにと、この本を読む度に胸が締めつけられます。杖から死の呪文が飛び出そうなくらいです……

 王子様はホグワーツへ行ってしまったけれど、安心してちょうだい♡いつでもどこにいようと何をしてようと貴方のこと見てるから♡

 最新作の『私はマジックだ』感動したわ! いつか迎えに来てくれるって信じてる♡♡

 

 ”貴方への恋に囚われたファン より、愛を込めて”

 

 

「うわぁ……熱烈なファンレターだね。良い具合に頭の中が茹だってるや」

 

 ストーカー染みた手紙の内容にポッターがドン引きする。

 次いで彼は、ゴソゴソと己の机の上に並ぶファンレターを漁り出した。

 

「そういえば僕もさっきそんなの見かけたんだよね。えぇと……あった。これだよこれ!」

 

 

 ”ギルデロイ・ロックハート、わたしを忘れないで。

 わたしは、あなたなしでは生きられない”

 

 

 血文字で書き殴られたファンレター。その宛先は不明だった。

 代わりにリスカ直後の腕を写した写真同封されている。

 魔法で傷口から血がドクドクと流れている様は、見ていて気分が悪くなった。

 

「こ、困りましたね! 一応、感想文な筈なのですが……殆ど本の内容について触れられてないファンレターばっかりです! まったくけしからん!」

 

 引き攣った笑みを浮かべたギルデロイが、手紙をパッと取り上げてゴミ箱に放り込む。

 流石に生徒の教育に良くないと気づいたのだろう。

 生徒の扱いには口煩いマクゴナガル先生が、ボク達にこんな手紙の返信をさせていたなどと知ったら大変である。

 そして証拠隠滅に必死な彼には悪いが、こんなものはまだまだある。

 手紙の山からまた一枚取り出したボクは、次弾を投下した。

 

 

 ”私に気づいてくださらない貴方様へ”

 

 貴方を先日のサイン会でお見かけしました。

 あの日、貴方は私に声をかけてくれると信じていましたが、気がついていただけなかった。

 やはり私は、貴方に気がついて頂けるような価値はない女なのでしょうか? 

 太っているから? それとも子持ちだから? 

 いいえ。関係ありませんわ! それでも私はetc……

 

 だからこの手紙はイニシャルで出します。

 

 この手紙を読んで、私からだと気がついて頂きたいのです! 

 あの場所に私がいたことを、あなたにだけは気がついて欲しいのです! 

 

 ”檻の中のM・W”

 

 

「M・Wって……まさか……」

 

 名前と内容に思い当たる節でもあったのか、ポッターが顔を若干青ざめさせる。

 もし、この手紙の差し出し人が知り合いだったのならばご愁傷様である。

 

(さて、休憩はもう良いかな。こんなもんさっさと終わらせてやる。ったく早くベッドでぐっすり寝たいよ)

 

 複雑そうな顔をしたポッターの肩にポンと手を置いたボクは、退屈なファンレターへのお返事を書く作業に戻る事にした。

 

「.....」

 

「......」

 

 暫くは静かな時間が過ぎた。

 

 少なくとも、目の前の仕事を捌くことに全力を出したボクにとってはそうだった。

 ポッターのあー! とか、う〜! とかの悲痛な呻きは無視。

 ギルデロイがポッターに語る嘘か本当か分からない自慢話は耳を素通りした。

 

(......よし、これは終わった......お次はグラディス・ガージョンか....)

 

 もう帰りたい、ギルデロイ殺す、そろそろ時間になりますように......そんな心の悲鳴と共に、右から左へとファンレターを捌いていくこと一時間と少し。

 

「うわぁぁッッ!! 何だってッッ!!!」

 

 唐突にポッターが大きな叫び声を上げた。

 

「......あッ! ヤバッ......!」

 

 最悪なタイミングだった。

 その時、ちょうどボクはインク瓶に羽ペンを浸していたのだ。

 ビクッと驚いたボクの手元が狂い、大量のインクが机に撒き散らされる。

 

「驚きましたか!? この本はなんと六か月連続ベストセラー入り新記録で......あがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!! 何やってるんですかメルムぅぅぅッッッ!!!!」

 

 したり顔で自慢話をしていたギルデロイが、顔を真っ赤にして絶叫する。

 申し訳ないとは思う。思うが、今のボクのせいか? 

 言い訳ではないが、凄まじい声だったのだ。

 間違っても耳元で出す声量ではない。

 

「あぁぁぁ......手紙が......私のファンレター達が....」

 

 ボクの机の惨状を見たギルデロイが崩れ落ちるように膝をつく。

 どうせファンの感想なんて見ないのだし、そこまで落ち込まなくてもいいじゃないか。

 なんか罪悪感湧くだろうが。

 

「先生! そんなことはどうでも良いんです!」

 

「え、そんなことって......ハリー? 元はと言えば君が....」

 

 これまたバッサリと切り捨てたものだ。

 あまりにも無責任かつ容赦の無い言葉に、ギルデロイは唖然としてポッターを見る。

 非難の視線を浴びる彼といえば、いまだに我を忘れて何事かを叫んでいた。

 

「今の声です! あの声です! 聞こえなかったんですか!?」

 

「えっ? どの声?」

 

「あれです! 今の声! ほらッ!! また言った!! 聞こえないんですか?! こんなに響いているのにッ!!」

 

 響いているのはお前の声だ、馬鹿野郎が。

 そんな心の声を押し隠しながら、ボクとギルデロイはこっそり顔を見合わせて小声で話始める。

 

(君のせいだぞギルデロイ。あんな変なファンレターの返事をこんなに長く書かせ続けるもんだから......どうするんだよ、ポッターが狂っちゃったじゃないか!)

 

(何を馬鹿な。ただの感想への返事ですよ? あれしきで狂われたらどうしようもありませんよ!)

 

(そんなの知るか! 折角書いた返事は軒並み今のでおじゃんだし......時間返せよ!)

 

(私に言わないで彼に言えば良いでしょうが! ......まぁ伝わるかどうかは分かりませんが....)

 

 確かにその通りだ。

 ポッターはボク達の事なんか忘れてしまったかのように、真剣な顔をして壁に耳をくっつけている。

 あの様子では話なんか通じないだろう。

 

(クソッたれ! あぁ......もう分かった! その事は良いよ。今はとっととポッターを言いくるめて医務室に運ぶのが先だ)

 

(嫌ですよ! そもそもマダム・ポンフリーになんて説明するんですか? ファンレターの返事を書く罰則を与えたら狂っちゃいました! とでも!?)

 

(だったらどうするんだよ!)

 

 取り出したハンカチで額の汗を拭ったギルデロイがニヤリと笑う。

 

(......私に良い考えがあります。とっととハリーにはここから出てって貰って、帰りの最中におかしくなったことにしましょう! 私達が一緒にいた時は普通だったって事にしましょう! そうしましょう!)

 

(ふむ......それしかないか。分かった。狂人の相手は任せるよ、詐欺師なんだから上手く言いくるめてね?)

 

(お任せあれ!)

 

 作戦会議終了。

 ギルデロイがいつものような暑苦しいニッコリ笑顔ではなく、人当たりの良い爽やかな笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「ははは、ハリー! 君、ちょっと疲れてるのかな? 少しとろとろしてきたんじゃないのかい? そろそろ休憩でも挟もうか? どうだね?」

 

「先生! でも声が!」

 

「声か....声は大変だ。分かります、分かりますよぉ......おやまぁ! こんな時間だぁ! 4時間近くここにいたのかぁ! 信じられませんねぇ? まるで矢のように時間が経ちましたよぉ!」

 

 壁に張りついて何かに耳を澄ますポッター。

 その腕をギルデロイはグイグイと引っ張って、半ば強引にドアの向こうへと追いやった。

 

「処罰を受ける時、いつもこんないい目に会うと期待してはいけないよ? それじゃお休みハリー。マクゴナガル先生によろしくどうぞ」

 

 ぼうっとしたポッターが部屋を出て行く。

 ギルデロイはその後ろ姿をにこやかに見送ると、ドアをバタンと静かに閉め、途端にダッシュでこっちに戻ってくる。

 狂人を相手にした緊張でか、彼の手は重い荷物を持った時のようにブルブル震えていた。

 よし、とボクは頷く。

 

「それでこそボクの仲間たるクソヤローだ」

 

 これで一安心だ。漸く一息つける。

 急に疲れが出てきたボクは、どっかり椅子に腰を下ろし机に肘をついた。

 

 ────ベチャッ......

 

 そして、ボクの白シャツの袖にライラック色のシミがついた。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 それは、古くから人によって”毒蛇の王”といわれていた。

 鮮やかな緑色の鱗を持ち、目視する者を即死させる瞳は黄色い。

 また獣は異常に強力な毒牙を持ち、そして狡賢な知恵を持っている。

 

 ────役目が来た......

 

 その獣は、常には住処に入り込んだ溝鼠などの獲物を狩っており、数年に一度だけ”禁じられた森”の奥深くに這い出ては狩りをする生活をこれまで繰り返してきた。

 威嚇してくる獰猛な獲物をせせら笑っては噛みちぎり、逃げゆく獲物の裏をかいて退路を塞ぎ引き裂いた。

 

 ────来るんだ......俺様の所へ......

 

 そんな森の王者は、久方ぶりに高揚していた。

 役目だ。役目が与えられたのだ。

 それがなければ、日常は形成されない。狩りの日々は疲労はないが退屈であった。

 そうだ。怪物は退屈していた。飽き飽きとしていたのだ。

 己は知性ある獣なのだ。同じ事を繰り返すだけの日々など耐えられはしない。

 

 ────血を寄越せ……血を......”後継者”に捧げる......”穢れた血”を......

 

 事が起こる。事が動く。

 獣は、分厚い緑の鱗に覆われた身体の奥深くから、震えが込み上がってくるのを感じていた。

 ほくそ笑む気分で牙を剥き、口角を吊り上げた......そう、獣は笑う事が出来た。

 

 ────開いたのだ......主の部屋が......

 

 霧を仰ぎ、それは呟いた。

 

 ────秘密の部屋は、開かれた! 

 

 

 獄は破られた。

 獣の中に封じられていた人を襲う”怪物”としての本能が目を覚ます。

 




更新と感想への返信、非常に遅れて申し訳ありません!

引越しやら新しい仕事への慣れやら色々ありまして......そして新しい仕事が、なんとYouTubeでの編集とカメラになりました。
この前のテレビの”笑ってこらえて”で紹介されました!

”ghost20”というチャンネル名でやっているので、良かったら登録&視聴の程、どうかよろしくお願いします泣
↓↓↓

https://m.youtube.com/channel/UClilXXst-6VQlmTC5HUFMeA

あ、あとこれからは通常の更新頻度に戻すので今後ともよろしくお願いします!

それとまた嗜好品様に挿絵を描いていただきました!!
載せるの遅れて申し訳ありません泣


【挿絵表示】




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#024 秘密の部屋は開かれたり

むかしのおはなしです。

あるかたいなかにおんなのこがおりました。

このよのものとはおもえないびぼう。

はかりしれないまりょくのさいかく。

そのかわり、おんなのこにはこころというものがありませんでした。



 

 校庭や城の中に湿った冷たい空気を撒き散らす十月がやってきた。

 校医のマダム・ポンフリーは、先生にも生徒にも急にかぜが流行しだして大忙し。

 体調不良から復帰してきたセオドール曰く、校医特製の”元気爆発薬”は効果抜群なのだとか。

 まぁその薬も万能というワケではなく、数時間は耳から煙を出し続けるという副作用があるのだけれど。

 モクモクと頭から煙を上げる彼の姿を思い返しながら、改めてボクは松明の松木に無様にぶら下がった猫を見詰めた。

 

「まぁたハロウィンかよぉ……」

 

 そう、今日は待ちに待ったハロウィンだった。

 去年は途中でトロールに台無しにされた分、今度こそは最後まで楽しんでやろう。

 そんな気持ちでいたボクにとって、目の前の光景はあまりにも惨いものだった。

 

 カッと見開かれた猫目、ダラりと下がった舌、逆だった全身の毛、木に巻きついている尻尾。

 

 管理人フィルチの飼い猫であるミセス・ノリスの変わり果てた姿である。

 廊下の薄暗さもあって割とホラーな光景は、道路で動物が車に轢殺された時と同じくらいの衝撃をボクに与えた。

 

「あー……ゲロ吐きそう……」

 

 つまり食欲なんてすぐにぶっ飛んだ。

 今年は例年になく豪華な仕様のパーティだと聞いたので、ボク自身凄くお腹を減らして楽しみにしてたのにこれは酷くないか? 

 まだ席に着いて皿の半分も食べてないんだぞ? 

 ダンブルドア校長が予約していた”がいこつ舞踏団”、すっごく楽しみにしてたんだぞ? 

 うーんこれは、少し催してパーティの最中にトイレに行ったボクが悪いのか? いや悪くない。

 悪いのは……

 

「お前だろ。こいつめ!」

 

 こんなひと目のある所で死にやがって、とボクは懐から取り出した杖で猫の額を小突く。

 

 生き物は皆、死んだらどうなるのだろうか? 

 そんな誰もが一回はぶち当たる疑問。真理。

 生命活動を終えたタンパク質の塊が、土の下で腐敗に任せていくばかりなのか。

 それとも魂は無事に天国へ向かい、彼らはそこで笑っているのか。

 まぁそんなもん死んだ者の事は死んだ者にしか分からないので考えるだけ無駄なのだ。

 生者にとっての疑問は、死後どうなったかではなく何故そうなったかであるべきだ。

 そんな事を現実逃避気味に考えながら、

 

「いのちっ♪ いのちっ♪ いのちっ♪ いのちっ♪ いのちっ♪」

 

 リズムに合わせて杖を突き出すも、杖先から伝わる感触はまるで石のよう。

 死後硬直か? ありえないだろう。

 皮や毛先まで硬くなるなんて聞いたことがないし。

 

「あ〜あ。フィルチさんこれ見たらすっごい悲しむだろうなぁ」

 

 もしかしたら寝込んでしまうかも。

 あの偏屈老人の猫に対する入れこみようを考えるにありえない話ではない。

 しかし、そんな彼には幸いな事が一つだけあった。というかボクが見つけた。

 

 ────多分だがミセス・ノリスは死んでいない

 

「……呪いによる仮死状態? ったくどういった呪われ方してんの? てか誰だよそもそも呪ったの」

 

 残念ながら被疑者候補は沢山いる。

 この猫とクソジジイのコンビによって痛い目に合っている生徒は多い。

 正直なところボクを含めた大多数の生徒は、あの意地の悪い爺さんに一回は天罰が当たってほしいと願っていた。

 なので教師陣以外の校内の生徒ほぼ全員が動機を持っているようなものだ。

 人の恨みなんて買わないに越したことはないという良い一例である。

 

「うーん? そもそもこれ本当に人間の仕業かな。違うでしょ」

 

 呪いの類なのは間違いないが、多分人間の仕業じゃない。断言しても良い。

 闇祓い(オーラー)見習い時代、ボクは闇の魔法や呪いに関して一通り叩き込まれている。

 お陰様で解呪の方はともかく、闇の魔法も呪いの知識も並の闇祓い(オーラー)よりかは自信がある。

 そんなボクが解呪の糸口はおろか、この猫がどんな呪いをかけられたかすら分からないのだ。

 

「……?」

 

 ふと上が気になったボクは一旦、猫を杖で小突くのを止めて、ミセス・ノリスがぶら下がっている松明────その更に上を見る。

 ぷぅん、と血と肉の腐った匂いが鼻についた。

 思わず舌打ちをする。

 

「うわ悪趣味」

 

 ”それ”は窓と窓の間の壁にべったりと塗りつけられていた。

 松明に照らされた高さ30センチほどの文字群。

 それらは真っ赤にちらちらと鈍い光を放っていて、ひと目で血文字と分かるものだった。

 

 ────”秘密の部屋は開かれたり”────

 

 ────”継承者の敵よ、気をつけよ”────

 

「はははは! 馬っ鹿じゃないの?」

 

 不覚にも最初に出たのはそんな言葉だった。

 だってそうだろう? 

 てっきりフィルチの恨み言かと思いきや、書かれていたのは犯行声明文にしたって意味不明な文章。

 書かれている文言からは、ミセス・ノリスがよく分からん儀式の生贄になったように見えなくもない。

 

「どっかの国の片田舎で見かけたエセ魔法族の儀式にこんなのがあった気がするな……」

 

 その連中は酷いもので大鍋や杖の代わりに、麻薬やら生贄やらで儀式を行っていた。

 まったく一体全体何を生成するんだか。

 ちなみにその解答は、相手がヤクがキマッてたせいで聞けなかった。

 

「まぁこっちも似たようなもんか」

 

 これを書いた何者かもおつむがキマッているのは間違いない。

 何せこの気味の悪い血文字は、一度書いて終わりではなく何度も何度も上から書きなぞっているような形跡がある。

 心の中に相当ワケわからないものを溜めこんでいる証拠だった。

 

「それにしても何でハロウィンの日にばっかり面倒事が起こるかなぁ……」

 

 前回はトロールが侵入してきた。

 今回はさほど死んでも困らない猫が呪われ、秘密の部屋? が開かれた。

 セキュリティどうなってるんだホグワーツ。

 これでイギリス国内では一番安全な場所というのだから笑わせる。

 

「まぁ取り敢えずは────」

 

 ミセス・ノリスの解呪は出来ない。

 頭のキマッてる犯人も分からない。

 現状は打つ手なしなのを再確認して、ボクの方針は決定した。

 

「────トイレ行くか」

 

 そして何事も無かったかのような顔をして、別ルートで大広間に戻って席に着く。

 おっと酷いなんて言い方はやめてほしい。

 如何せん、今この場にいるのはタイミングとして中々に良くない。

 騒ぎになってないところを見るにボクは第一発見者。

 第一発見者は良くない。何故なら凄く疑われるから。

 ”犯人がよく分からん時は、まず第一発見者を疑え”

 こんなアホらしい言葉が魔法警察の中では金言になっているくらいだ。

 

「がいこつ舞踏団の演奏、まだ始まってないよね?」

 

 それにボクの関心も大広間のパーティに戻りつつあった。

 何せ初めて見るのだ、がいこつ舞踏団。

 こんなスプラッタな場所にいても百害あって一利なし。

 仮死状態になったミセス・ノリスには悪いが、ボクはパーティを楽しませてもらう。

 どうせ放っておいたら、寮へ向かうルート的に他の不幸な第三者が見つけてくれるだろうし。

 

「にしても今回は珍しく役に立たなかったなこいつ」

 

 いっつも望んでもいない白昼夢(未来)を見せる右眼に、ボクはそっと触れる。

 こういう時は不思議と先回りするかのように”見せてくれる右眼”が今回は役に立たなかった。

 それも不安要素の一つである。

 

「何にせよとっととここを離れよう。ここにいる所は見られない方が良いしね」

 

 そう言って踵を返したボクの足はそこで止まる。

 既に遅かったのだ。

 僕の向かおうとした廊下の先には、三人の人影。

 大広間とはまったく真逆の方向からの登場に一瞬思考が麻痺する。

 

「あー、その……そこで何をしているのメルム?」

 

 ハリー・ポッター、ロナルド・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャー。

 グリフィンドールの三人組(名物トリオ)が、ボクの進路を妨害するように立っていた。

 

「……あーあ見つかっちゃったか」

 

 バツが悪くなったボクは、ちろっとベロを出してはにかむように笑った。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今見ている光景は悪い冗談だ、と誰かに言って欲しかった。

 いくらなんでも二年連続ハロウィンはキツい。

 しかしそんなハリーの願いも虚しく、目を擦って見ても薄暗い廊下の惨状は変わらなかった。

 

「あー、その……そこで何をしているのメルム?」

 

 自分でもびっくりするくらい小さな声が出た。

 それだけ目の前の状況が気味が悪かった。

 大きな床の水溜まり。

 松明の腕木に尻尾を絡ませてぶら下がっているミセス・ノリス。

 壁にデカデカと書き殴られた血文字。

 

「……あーあ見つかっちゃったか」

 

 何よりもそんな惨状の中ですら、平然と笑いかけてこれるメルムが一番不気味だった。

 なんで平然としていられるのだろう。

 普通はこう……もっと顔を青ざめさせたり顰めたりするものじゃないのか? 

 ちなみに暗がりの中、此方に手を振って近づいてくる彼女に恐怖の二文字は無い。慣れていると言わんばかりだった。

 それがハリーには凄く恐ろしく感じられた。

 

「メルム! これは一体全体何事なの!?」

 

 しかし、いつだって周りはそんなハリーの思いなど欠片たりともくんではくれない。

 青ざめた顔で壁の血文字を指さしたハーマイオニーがメルムへ問う。

 漸く血文字に気づいたのか、ロンがヒッと息を飲んだのが分かった。

 

「あ〜これね。気味が悪いよね。ボクも当分夢でうなされるかも」

 

 絶対嘘だ。

 ハリーは先程までのメルムを遠目で見ていたから分かる。

 ぶら下がった猫に同情するでもない。

 かといって気味の悪い血文字に嫌悪するでもない。

 ただ、感じるものはなにもないといった様子で、彼女は哀れな猫をじっと”観察”していた。

 

「メルム……その猫はどうしてそんな事に?」

 

「ボクに言われても。トイレに行こうと思って通りがかっただけだし」

 

 どうやらメルムはこの惨状を生み出した犯人ではないらしい。

 確かに犯行現場を見つかった人間がここまで落ち着いていられるとも思えないので、取り敢えずハリーは彼女の証言を信じることにした。

 

「ポッター達こそ、何でまたこんな時間にそこから出てきたのさ。パーティはとっくに始まってるけど?」

 

「あぁそれはね。”絶命日パーティ”だよ」

 

「”絶命日パーティ”? なにそれ。実は変な事やってて嘘をついてるんじゃないだろうねぇ。犯人は現場に戻ってくるって言うし……」

 

 現在一番怪しい人間のくせにこれだった。

 ハリー達としてもここで疑われては堪らない。

 ハーマイオニーが、訝しげな顔をするメルムに”絶命日パーティー”の説明を手早くした。

 

「……ゴーストが何百人もいたから、私達がそこにいたと証言してくれる筈よ」

 

「なるほどね。まぁ筋は通ってるか」

 

 ひとまず納得はしたらしいメルムと共に、廊下の隅へとハリー達は近づいていく。

 

「ねぇ、その……死んでるの?」

 

 恐る恐るハーマイオニーが、ぶら下がったままピクリとも動かない猫の様子を聞いた。

 

「あぁミセス・ノリスか。死んでないんじゃない? ボクもざっと調べただけだし何とも言えないけどさ」

 

 ホッとした様子でロンが笑った。

 

「本当かい!? ちっくしょーそりゃあ残念だ。フィルチの部屋に置物としてぶち込んでやろうと思ってたのに」

 

 彼のジョークはいつも冴えているが、今日は誰も笑わない。

 いくらなんでも不謹慎だった。

 ロンも自覚はあるらしく、少し気まずげに黙り込む。

 そんな彼を白い目で睨んだハーマイオニーが、壁を見上げて例の血文字を小声で読み上げる。

 

「秘密の部屋は開かれたり……継承者の敵よ、気をつけよ……? 何のことかしら」

 

 ハリーもさっぱり意味が分からなかった。

 メルムも同じようで肩を竦めて首を横に振っている。

 まぁ頭のおかしい奴のやる事なんて、健常な自分達に分かる筈もない。

 ハリーがそう思って血文字から目を逸らした時。

 

「ちょっと待って。何か思い出しそう」

 

 待ったをかけたのは、意外にも不謹慎発言のロンだった。

 どうやら彼の兄であるビル・ウィーズリーが、そんな話をしていたことがあるらしい。

 

「何だっけなぁ……確かホグワーツには呪われた部屋があるとか何とか……」

 

 皆からの注目を集めた途端に、ロンの声が尻すぼみになる。

 忘れてた事だが、ロンの情報はいつも尻切れトンボだった。

 呆れたように肩を竦めたメルムが大広間へと歩き出す。

 

「まぁそんな事はどうでも良いさ。それよりも早くここを離れようよ」

 

「どうして? 助けてあげるべきじゃないかな……」

 

「出来るわけないだろ。こんなあからさまな事件現場であれこれしてみなよ。どんな面倒事に巻き込まれるか分かったもんじゃない」

 

 その発言は酷薄だったが一理あった。

 誰だって面倒事はごめんだった。

 ロンなんか唸るのを止めて、もうメルムと一緒に廊下を歩き出している。

 

「ロン?」

 

「メルムの言う通りさ。ここにいる所を見られない方がいい。ミセス・ノリスにゃ悪いけど、こんな所見られたらフィルチにどんなイチャモンをつけられるか分かったもんじゃないぜ?」

 

 ロンの言葉にハリーはハッとした。

 あの偏屈な爺の事だ。ありえない話ではない。

 管理人のフィルチは、お世辞にもおツムはあまり良くはない。

 ハリー達が無実を訴えても、短絡的にその場にいたというだけで犯人扱いされてもおかしくはないのだ。

 そうでなくても、八つ当たり気味に罰則を科せられる可能性があった。

 

「そりゃマズいね! 早く動か、ない、と……」

 

 ようやくハリーが歩き始めた時には、もう遅かった。

 先に角を曲がろうとしたメルム達がピタリと立ち止まる。

 

「あーあ言わんこっちゃない……」

 

 メルムのボヤくような声と共に、遠い雷鳴のようなざわめきが聞こえた。

 まずい。ハロウィンパーティーが終わったのだ。

 何百人もの足音がすぐ近くまで来ていた。

 

「どうするの!?」

 

「どうするって……廊下の反対側から行くしかないでしょ」

 

 結果だけ言うとそれもダメだった。

 なんと大広間から移動してきた生徒達は、廊下の両側から上がってきたのだ。

 諦めたように肩を落としたメルムがシニカルに口を歪めた。

 

「まぁ君たちが来てくれて助かったよ。大広間にいた時間はミリセント達が証明してくれる。ここにいる時間も殆どは君達と一緒。取り敢えずボク()疑われないよね」

 

「え?」

 

 その言葉に違和感を覚えるも彼女に問うている暇はない。

 

「うわぁッ……何だこりゃ!!」

 

 廊下の惨状に気づいた生徒達が騒ぎ出したのだ。

 楽しげなさざめきは一転して、悲鳴へと変わっていく。

 気が早い連中は、ショッキングな光景を見ようと押し合い始めていた。

 その中で人垣を押しのけて、最前列に進みでた者がいる。

 ドラコ・マルフォイだった。

 彼は冷たい目に生気をみなぎらせ、声高に叫んだ。

 

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はお前達の番だぞ? ”穢れた血”め!」

 

 何かを言い返そうにも、生徒達から好奇の目に晒されたハリー達は廊下の隅で縮こまる事しか出来ない。

 それだけでも最悪だったが、もっと最悪な事が起きた。

 

「何だ! 何だ! こりゃ何事だ!?」

 

 マルフォイの大声に引き寄せられたに違いない。

 アーガス・フィルチが肩で人混みを押し分けてやってきたのだ。

 

「フィルチさん! これを見てください!」

 

 ぶら下がったままピクリともしない猫を指さして、満足そうにマルフォイはニヤッと笑う。嫌な笑みだった。

 フィルチはというと、マルフォイの指差す先────ミセス・ノリスを見た途端に恐怖のあまり手で顔を覆う。

 そして、金切り声で叫んだ。

 

「私の……私の猫だ! ミセス・ノリスに何が起こったというんだぁ!?」

 

 管理人からしてみれば災難極まりない話だった。

 床は水浸し、壁には濃く塗られた血文字。

 これだけでも掃除するのに何日掛かるか分からない。

 おまけに目に入れても痛くないほど可愛がっていた猫の変わり果てた姿だ。

 この時ばかりは、流石のハリーも彼に同情してしまった。

 

 しかしそんなハリーに、飛び出しそうな目を更に見開いたフィルチが掴みかかってくる。

 

「ハリー・ポッタァッ! お前だなッ! お前が私の猫を殺したんだなッ!!」

 

 憎悪の咆哮とはまさにこの事だった。

 その咆哮を真っ正面から受けながら、ハリーは困惑するしかない。

 

「え? 何で? 何で僕なんですか!? 犯人候補は他にもいるでしょう! メルムとか! メルムとか! メルムとかァッ!」

 

「とぼけるなッ! あの子を殺したのはお前だッ!!」

 

 決めつけてかかるにしても、これはない。

 先程の彼への同情など、あっという間に何処かへと吹っ飛んだ。

 しかし、頭がカーッとなったハリーが何か言うよりも先に、ロンの方が頭に来たのか激しい口調でフィルチを責め立てる。

 

「何でそんな風に断言出来るんですか!? まだ来たばっかりなのに!」

 

「そんなもん! あの壁の血文字を見りゃ分かる!!」

 

 唾を撒き散らしながら、フィルチは断言した。

 

「お前は知ってるんだ!! 私が……私が……」

 

 フィルチの顔が、苦しげに歪む。

 

「私が出来損ないの”スクイブ”だって知ってるんだッッ!!」

 

 その言葉を聞いた何人かの生徒が息を飲んだのが分かった。

 そして皆の視線がハリーに集まってくる。

 スクイブとやらが何の事かは分からなかったが、一気に自分への疑いが強まったのが肌で感じられた。

 良くない流れに、慌ててハリーは否定する。

 

「ぼ、僕、ミセスノリスに指1本触れていません! それにスクイブが何なのかも知りません!!」

 

「嘘をつくなッ!! お前は見ただろうッ! クイックスペルからきた手紙を見やがった!!」

 

 クイックスペルとは、数日前にフィルチの事務室で見たあの羊皮紙の束のことだろうか。

 

 ────クイックスペルは、全く新しい、誰にでもできる、すぐに効果が上がる、楽な学習コースです!!! 

 

 ────何百人という魔法使いや魔女が”クイックスペル学習法”に感謝しています!! 

 

 何であの軽く詐欺まがいな紙束がハリーを疑う材料になるのだろう? 

 ハリーにはまったく意味が分からなかった。

 

「アーガス!」

 

 人混みを掻き分けての鋭い一声。

 騒ぎを聞きつけたダンブルドアが、教授陣を連れて現場に到着したのだ。

 ダンブルドアは素早くハリー達の脇を通り抜け、ミセス・ノリスを松明の腕木から外した。

 

「アーガス一緒に来なさい。ミスター・ポッター、ミスター・ウィーズリー、ミス・グレンジャー、ミス・グリンデルバルド、君達もおいで」

 

 どんどん大きくなる騒動に、メルムやロンがこの場から離れたがった理由を、今更ながらにハリーは理解する。

 

「校長先生! 私の部屋が一番近いです! すぐ上です! どうぞご自由に!」

 

 得意げに、興奮した面持ちでダンブルドアに進言したのはロックハートだ。

 彼は、この非日常的騒動に酷くご満悦のようだった。

 

「ありがとうギルデロイ。それでは早速」

 

 人垣が無言のままぱっと左右に割れて、一行を通した。

 パシャッ! パシャッ!! 

 空気を読まずに、シャッター音と共に白い光が断続的にハリー達を照らす。

 

「ハリー! こっち見て! ピースだよッピースッ!!」

 

 ぶっちゃけ声を聞かなくても分かる。

 このシャッター音は、ハリーにお熱な一年生(クリービー)のカメラによるものだ。

 確かに今のハリーは映えるだろう。

 さながら事件を起こして護送される囚人並みには。

 

「お、良いね。綺麗に撮ってよ? 1年生君!」

 

 驚く事に、メルムはといえば満面の笑みを浮かべてピースをしている。

 完璧なカメラ目線に満面の笑顔だ。

 

「まぁ何も悪い事やってないしね。別に写真くらいは許してしんぜよう!」

 

 ……多分、彼女がこのホグワーツの中で一番肝が座っている。

 ドナドナされる牛のような気分で、ダンブルドアの後ろを歩きながらハリーは心底そう思った。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 明かりの消えたギルデロイの部屋に入ると、何やら壁面があたふたと動いていた。

 ボクが目をやると、写真の中のギルデロイが何人か、髪にカーラーを巻いたまま物陰に隠れていくのが見える。

 

「校長! どうぞこちらに! その哀れな猫ちゃんを!」

 

「そうさせて貰おうかの」

 

 本物のギルデロイが机のろうそくを灯し、無駄に磨きたてられた机にダンブルドア校長を誘った。

 ポッター達はというと、緊張した面持ちで目を見交わし、ろうそくの明かりが届かない所でぐったりと椅子に座り込んでいる。

 ゴトリ、と机の上に置かれる猫。

 それを長い指でそっとつついたり、刺激したりしながら、ダンブルドア校長がくまなく調べ始める。

 

「実におもしろ……いや面倒くさい事になりましたねぇ、ミス・グリンデルバルド」

 

「……まったくですよ。第一発見者でなければ、もっと気は楽だったんですが」

 

 皆から少し離れた場所に立っているボクに、ギルデロイが話し掛けてきた。

 ナイスタイミングである。

 現在、この場にいる他の教授陣はミセス・ノリスの事で大忙しだ。

 情報を共有するのは今しかない。

 ボクとギルデロイは、視線を交わさずにこっそり小声で話を始めた。

 

(で、どうなんです? あれ)

 

(とりあえず死んでない。死んでないんだけど……ったくどんな呪いをかけたんだろうね? 解呪の方法がまるで分からない)

 

(ほう……死んでない、と。なら”異形変身拷問”の線は?)

 

(まず無いね。だったらボクでも分かるし、ダンブルドア校長がとっくのとうに解呪しているよ)

 

 ボクはダンブルドア校長の方を顎でしゃくってみせた。

 相変わらず校長は、剥製になったばかりのような有様のミセス・ノリスを、目を凝らして観察している。

 

(ボクはともかく、ダンブルドア校長をあそこまで悩ませる呪いか。面白いね)

 

(確かに興味深いし面白いですけどね? その呪いが自分に掛けられたらと思うとゾッとしますよ。しかしまぁ……これで取り敢えず学生の線はないでしょうね)

 

(だろうね。仮にそんな生徒がいるならヴォルデモートに変わる才覚の持ち主って事になるよ)

 

(……)

 

 ボクがヴォルデモートの名前を口にした途端、ギルデロイが怯えた様に黙りこくる。

 いつもこれくらい静かなら、もう少し人付き合いも上手くいくだろうに。

 そう苦笑しつつボクは話を続ける。

 

(そういえば壁の血文字に妙な一言が書いてあったけど。あれが何か知ってる?)

 

(”秘密の部屋”、ですか?)

 

(そうそう)

 

(あー……それなら学生時代に聞いた事があるような……)

 

 ふむ、とギルデロイが顎に手を当てて首を捻った。

 同時に、壁のギルデロイの写真も本人に合わせて、一斉に同じ仕草をする。

 

(スリザリン絡みの話だった気がします。しかもかなり古い……確かホグワーツ創設時代の話でした)

 

(……1000年前ってこと? 1年生の頃に、”ホグワーツの歴史”には一通り目を通したけれど、そんな単語は見かけなかったよ)

 

(そうだと思いますよ。七不思議みたいなものだった筈です。密かに伝説好きの生徒達の間で盛り上がってましたから)

 

 そこまで話し合ってボクらは一旦、情報共有を終える。

 現状分かりそうな事はこれ以上ない。

 これ以上は無駄話になるし、何より少し疲れた。

 

「うっうっ……グズッ……ミセス……ノリス……おぉ……」

 

 フィルチさんの方を盗み見れば、彼は机の脇の椅子にガックリと座り込んでいる。

 よほどショックなのか、手で顔を覆ったままミセス・ノリスをまともに見ることさえ出来ていなかった。

 涙も枯れた彼の激しくしゃっくり上げる声だけが部屋内に響く。

 ちなみにこの葬式じみた重苦しい空気は、ダンブルドア校長によって猫の生存確認が為されるまでずっと続いた。

 

「さて、結論から言おうかの。ミセス・ノリスは仮死状態じゃ。石になっておる」

 

「やっぱり!! 私もそう思いました!!!」

 

 隣にいたギルデロイが、調子良くダンブルドア校長の発言に同調した。

 

「まず2年生にこんな事が出来る筈がありません! これは最も高度な闇の魔術をもってして初めて為せる悪行です!」

 

「ほう? それは些か根拠としては弱いですな。当人に呪う力が無くとも対象を石にする手段など幾らでもある。猫を魔法生物に襲わせるもよし、闇の魔法道具の実験台にするもよし……あぁ、劇毒の魔法薬を調合して飲ませる、という手もありますな」

 

 影の中から我が寮監のねっとりとした声がした。

 自寮の生徒もいるというのに、スネイプ先生は一言もボク達に有利な発言をしてくれない。

 彼はポッター絡みの話だと理性を失う病気にかかっている。

 

「そもそもパーティに出席していたグリンデルバルドはともかく、他3人はパーティに出席していない事が分かっています。この空白の時間は何なのか。そして連中は何故三階の廊下にいたのか? ……謎は深まるばかり、ですな」

 

 自分はそうは思わないとばかりに、スネイプ先生は口元を微かに歪めて冷笑していた。

 我が寮監は本当に良い性格をしている。

 慌ててポッター達が本日二度目となる”絶命日パーティ”の説明をするが、スネイプ先生は重箱の隅をつついて言葉巧みに三人を容赦なく追い詰め始めた。

 ギルデロイはというと自分の世界に入ってしまったらしく、これまでの自分が未然に防いだ殺人事件(嘘)を数えている真っ最中である。

 

(10代の生徒相手にガチで論破する陰険根暗教師や、役立たずで口だけの無能教師。何でこんな濃いメンツばかり集まるのかな? ホグワーツの教授陣って)

 

 混沌とした状況に呆れたボクがため息を吐くのと、焦燥に駆られたフィルチさんが叫ぶのは、ほぼ同時だった。

 

「そんなことはどうでもいい! 私の猫が石にされたんだッ! そこの小僧共に刑罰を受けさせなけりゃ収まらんッッ!!」

 

 たるんだ顔を真っ赤にし、フィルチさんがポッターを睨む。

 そんな彼の肩に馴れ馴れしく手を置いたのはギルデロイ・ロックハート。

 自分の世界から帰還したギルデロイはニッカリと笑って無責任な言葉を口にする。

 

「安心召されよフィルチ管理人! 非常によく似た事件をかつて私は体験した事があります! 次々と人々が襲われ石になった怪事件でした! もちろん私が解決しました! あなたの猫は治してあげられますぞ!」

 

 ベラベラベラベラと、よく口が回る奴だ。

 一欠片も自信など無いくせに、ここまで堂々と騙れるのは一種の才能ですらある。

 

「丁度、スプラウト先生がマンドレイクを手に入れられたと仰ってました! 成長したらすぐにでも、この猫ちゃんを蘇生させる薬を私が作りましょう! なぁに大丈夫! ”マンドレイク回復薬”なんて何百回作ったか分からないぐらいですよ!」

 

 おいおい。何言ってるんだこの野郎。

 ボクが教え込んだ知識をひけらかすのは構わないが、出来もしない事を口にするんじゃない。

 誰が尻拭いすると思ってるんだ。

 

「お伺いしますがね? この学校では、我輩が魔法薬の教授の筈だが?」

 

 スネイプ先生が調子づくギルデロイに冷たく言った。

 ゴホン、と咳払いを一つすると、ダンブルドア校長がゆったりと口を開く。

 

「概ねロックハート先生の言う通りじゃ。どのようにして石になったかは分からずとも、石から元の状態に戻すことは容易い。スプラウト先生には儂から話を通しておこう。薬の調合は……そうじゃの。ここは一先ずスネイプ先生に頼む事としよう。ロックハート先生、申し訳ないがそれでよろしいか?」

 

「えぇ構いませんとも! スネイプ先生、何か分からない事があればいつでもこの部屋に!」

 

 なるほど、とボクは頷いた。

 確かにダンブルドア校長は、ギルデロイが口だけの詐欺師な事に気づいている。

 泳がせている理由はギルデロイの言った通り、これまでの行いを何らかの形で世間にリークさせる為で確定。

 ダンブルドア校長が、ボクとギルデロイの関係に何処まで気がついているかは知らないが、その事実はボクを動き辛くさせる面倒なものだ。

 

(ったく。本に釣られといてなんだけど……慣れない依頼なんて受けるもんじゃないな)

 

 能天気な笑みを浮かべているギルデロイの顔を睨みつけたボクは、今更ながら諦めのため息を吐いた。

 

 




遅れました……一応生きてます
御要望なり何なりありましたらTwitterの方によろしくお願いします!
多分そっちの方がレスは早いです……
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#025 ホグワーツの歴史

気難しい幼女よ。

今は路地裏で泣き叫んでいるが、いずれは王国を支配するであろう。

血のついた顔、なんと情けない。

所構わず己の杖を振り回している。



 

 

 私は幼い頃から普通の人間と感性が違うと言われていた。

 自覚はある。

 ”預言者新聞”でどんな悲惨な事件を聞いても共感は出来ないし、泣いたり怒ったりしている他人を見ても勿体ない時間の使い方をしているな、としか思わない。

 

 私と違って、まともな良心や感性を持って生まれたらしい妹は「お姉ちゃんにはわからないか」とよく笑っていた。

 

 明るい良い子だったと思う。

 だってその言葉には、突き放すような嫌悪も忌避も無く、自分はこうならなくてよかったという安堵や優越感もない。

 だから私も、普通という概念自体曖昧なものだ、と笑って言い返したものだった。

 

 ────このインクの染みは何に見える? 

 

 ────死んだ人。首がない

 

 ────じゃあこれは? 

 

 ────犬。耳がちぎれてる

 

 ────……これは? 

 

 ────折られた手。杖を握ってる

 

 しかし、生まれつき身体的欠陥をもって産まれてくる人間がいるように、精神的な欠陥をもって生まれてくる人間というのは確かに存在する。

 妹がどんなに言葉を取り繕ってくれても、私はその事を幼いながらに理解していた。

 

 ────長女に行ったロールシャッハ・テストの結果は? 

 

 ────残虐な連想ばかりね……恐ろしく強い攻撃性だわ。明らかに異常よ

 

 ────ふむ。過剰なストレスをかけ続けているのが原因だろうか? いや……それを差し引いてもこれは天性のものだろうな。これなら、あの”黒い力”の発現も近いだろう

 

 今思うと、妹に優しい両親が私に対して冷たかったのも、そこら辺が関係していたのだろうか。

 まぁそれはともかくとして、”普通”というものがよく分からなかった私は、共同体のルールというやつに気を配る事となる。

 そして破らざるをえない場合は、必ず人気がないところで行った。

 

 ────もうやめなよお姉ちゃん。その子謝ってるじゃん

 

 ────こいつが始めたことだ。女なら勝てるって。自業自得だろ

 

 ────でも痛い痛いって言ってるよ? それにお父さん達に見られたらどうするの

 

 ────別にどうもしない。私は痛くないし親はここにいない。

 

 ────そういう問題じゃないよ。お姉ちゃんのそういうところ、ボク嫌い

 

 ────……分かったよ

 

 何度か聡い妹に見つかり咎められた事はあったものの、可愛い妹はそれを他の人間や両親に告げようとはしなかった。

 心のどこかでそういう所に感謝していたのか。

 我が強かった私も、彼女の言うことは比較的素直に聞けた。

 ルシア・グリンデルバルドはいわゆる家族の潤滑油だったのだろう。

 最後の最後まで肉親の情とやらはよく分からなかった私も、彼女のことは人間的に好いていた。両親は言わずもがなだ。

 明るい彼女のお陰で、私達家族は何とか回っていたように思う。

 

 でも私は知っていた。

 

 ────妹が保とうとした全ては薄氷の上の仮初に過ぎない事を。

 

 優しかった妹が死ぬのも分かっていたし、どうでもよかった両親が死より惨い結末を迎えるのも知っていた。

 私が何も出来ず変えられず、家と家族を亡くし孤児院に放り込まれることも。

 

 そうだ。だから私は……

 

 ────幸せになりたい。この世で1番に。誰にも邪魔する事の出来ないくらいの”力”でもって

 

 大丈夫。今度こそ失敗しない。

 

 だって私にはその全てが”視えて”いる。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 あの後、普通にボクらは開放された。

 全ては”疑わしきは罰せず”というダンブルドア校長の鶴の一声によるものである

 権力者とはかくも素晴らしいものだった。

 

「ゴシゴシ♪ ゴシゴシ♪ 綺麗に落ちろよ綺麗に落ちろ♪ フィルチも綺麗に地獄に落ちろ♪」

 

 だというのにあの事件から数日経った現在────ボクはミセス・ノリスが襲われた三階の廊下にて、壁を「ミセス・ゴシゴシの魔法万能汚れ落とし」でこすっている最中だった。

 別に慈善事業とかではない。ただの罰則である。

 

 驚くべき事に、罪状は”音を立てて息をした”だった。

 

 唐突に降り掛かった不幸に、さしものボクも一瞬思考が空白になったのを覚えている。

 ここ数日のフィルチさんが、猫が襲われた場所を亡霊のように行ったり来たりしていたのは知っていた。

 しかしまさか、こんな言いがかりじみた罰則を言いつけられるとは。

 

「この世に神はいないのか……」

 

 放課後の予定を塗り替えた憂鬱な罰則に絶望しながらご飯を食べていたボク。

 しかし神様はいたらしい。

 さめざめと涙を流し、罰則を手伝うとボクに進言した者がいたのだ。

 それはスリザリンの猛獣こと、ミリセント・ブルストロードだった。

 

 ────任せんさい! 

 

 そして、自分の胸をドラミングする友人の言葉を信じたボクは馬鹿だった。

 

「むん! むん! むぅん!」

 

 ゴリッ! ゴリゴリゴリリッッ! と壁をこするミリセント・ブルストロードの手元から、ポロポロと壁の表面が零れ落ちる。

 本人は壁の汚れを落としているつもりなのだろうが、それは間違いだ。力が強過ぎる。

 壁を削っているという方が表現としては正しいだろう。

 ボクは泣いた。

 ミリセントは常識人枠だが、友人同士の喧嘩を嘆いて二人共ボコボコにするパワータイプなのを忘れていたのだ。

 

「あーあ……どうすんだよあれ。壁がボロボロじゃん。だからミリセントにやらせるのは危ないって言ったんだよ」

 

 ボクの左隣でセオドール・ノットが気だるげに呟いた。

 まるで自分に任せてくれれば問題は起こらなかったと言いたげだ。笑えない冗談である。

 作業が始まってから数分もしない内に、彼は壁をこする手を止めて床に座り込んでいた。

 圧倒的な体力不足だった。

 

「メルムもメルムさ。しょうもない事で捕まんなよな。今回のレポート当番お前だろ? ちゃんと出来んのかよ」

 

 この小憎らしい顔と来たら……。

 以前ハーマイオニーが、ウィーズリーがレポートを見せてくれと煩いと愚痴を言っていたが、そんなもの可愛いものだ。

 まぁレポート当番制は、ボクが言い出した事だから文句を言ってもしょうがないのだが。

 

「セオドールこそ助っ人に来たんでしょ? 少しは手伝ってくれないかな」

 

「馬鹿言え。ミリセントに任せときゃすぐ終わるさ。どうせ言いがかりも甚だしい罰則なんだ。こんな出来でも誰も文句言わねぇよ。やりたい奴にやらせときゃ良い」

 

 確かにそうだ。壁の方ももはや修正は効くまい。

 ボクもセオドールと同じように座り込んだ。

 

「はぁ……あとどれくらいで終わるミリセント?」

 

「30分もあれば削り終えるさね!」

 

 削り終える、か。

 ボクと彼女の間で、少しばかりのすれ違いがあったことに今さら気がついてうなだれる。

 別に責めはしない。

 どうせあとで苦労するのはフィルチさんだ。精々後悔して貰おう。

 全てを諦め放置したボクの横で、のんべんだらりとしているセオドールが話をふってきた。

 

「そういやメルムは知ってるか? ”秘密の部屋”の話」

 

「何言ってるのさ。事件の当事者なんだから知ってるに決まってるだろ?」

 

 苦笑いしたセオドールがいやいやと首を横に振る。

 

「違げぇよ、そもそもの話さ。俺が言いたいのは、”秘密の部屋”とは何なのかって事だよ」

 

「む……それに関しては、ホグワーツ創設期のスリザリンに関わる話って事くらいしか知らない」

 

 途端にセオドールが怪訝な顔をした。

 

「あん? お前ならもっと知ってると思ったんだけどな」

 

「なんで?」

 

「ほら、メルムはグリンデルバルド家だろう? あの有名な魔法史家のバチルダ・バグショットとも血が繋がってる。そういうのには詳しいかと思ってたんだが」

 

「あー……」

 

 バチルダ・バグショット。

 ホグワーツ指定の教科書である『魔法史』の著者であり、また『ホグワーツの歴史』の著者でもある。

 ボクの祖父ゲラート・グリンデルバルドの大おばにあたる人物だった。

 ちなみに余談ではあるが、ポッターのペットである白梟のヘドウィグは、彼女の著書に登場する魔女から命名されていたりする。

 

「遠縁だから全く関係がなかったとは言わないけれど。個人的に苦手なんだよね。あの人話長いし」

 

「聞いてみてくれよ。俺も親父に手紙を出して結構詳しく知ってるつもりだけどよ。バチルダ・バグショットっていやあ、もう150歳は超えてる生きた化石だ。掘り出し物はあるかもだろ?」

 

「うーん……ビーンズ先生じゃダメ? あの人も一応魔法史家でしょ。ゴーストだけど」

 

「そりゃあそうだが……お前いっつもあいつの授業寝てるじゃねぇか」

 

 そうだった。

 ”自称”勤勉家のボクにしては珍しく、ビーンズ先生の授業の記憶が殆どない。

 つまりは寝ているからなのだが、それは仕方がないというものだった。

 同情の余地ありだと思う。

 

「だってあの人絶望的に授業つまんないじゃん」

 

「まぁな」

 

 そう。我が校唯一のゴースト教師であるビーンズ先生は、授業が死ぬほど下手くそなのだ。

 唯一面白いのは、先生が毎回黒板を通り抜けてクラスに現われることくらい。

 しわしわの骨董品のような先生がする授業は、しわしわの骨董品のようにつまらない。

 

「それにしても、何処の誰がやったか知らねぇけど大金星だよなあ」

 

「ミセス・ノリス?」

 

「あぁ。あの馬鹿猫がいないお陰で、授業サボり放題の夜中ほっつき歩き放題さ。まぁ猫好きの何人かは悲しんでるらしいがね。俺からすりゃこの先ずっとオブジェのまんまの方が助かる」

 

 ミセス・ノリスが石になったことで真っ先に喜んだのは、ウィーズリー先輩達を含む校内の悪ガキ共だ。

 なんやかんやで神出鬼没な上に鋭敏な嗅覚を使うミセス・ノリスには、かのイタズラ大王も手を焼いていた。

 そしてフィルチさん一人で校内巡回をするのにも限度がある。

 その監視網のガバさ加減は、毎回夜中に寮を抜け出して歩いてるボクが、絶対誰かと遭遇するレベルだった。

 誰が言い出したか知らないが、今なら好き放題夜中に出歩けるという言葉はあながち間違ってはいない。

 

「みんな危機感ってものがないよねぇ。ミセス・ノリスを石にしたへんてこりん野郎がほっつき歩いてたらどうするんだよ」

 

「知らね。運が悪かったと思って諦めんだろ」

 

「ふぅん、そんなもんか」

 

 自由に危険はつきもの。自分のケツは自分で拭け。

 そんなことも出来ないお子ちゃまなら自寮で大人しく寝ていろ。

 セオドール曰く、それが彼ら悪ガキの不文律らしい。

 

「うわっ!!何だこりゃ!!」

 

「ん?」

 

 向かい側で壁を黙々と削っていたミリセントが、野太い悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。

 ズシン!と廊下が微かに揺れる。

 

「おいおい大丈夫かよ……ってうわ!」

 

 ミリセントを引き起こそうと近寄ったセオドールも、何かに驚いて仰け反っている。

 まったく二人して何をもたついているのやら。

 ボクは立ち上がって、血文字の大分が削れた壁のすぐ脇にある窓に近づいていった。

 

「そこ!メルム!そこ!!」

 

 ミリセントが口をパクパクさせながら、上の窓ガラスを指さしている。

 見ると…………

 

「ギャァッ!!!!!」

 

 結論、ボクは三人の中で一番デカい悲鳴を上げる羽目になった。

 だってクモだ。

 20匹余りのクモが、ガラスの小さな割れ目からガザガザと先を争ってはい出そうとしていた。

 慌てたクモ達が全部1本の綱を上って行ったかのように、クモの糸が長い銀色の綱のように垂れ下がっている。

 

「クモがこんな風に行動するの俺初めて見たかも」

 

「私もさね。メルムはどう……ありゃ?メルム?一体全体どうしたんだい?」

 

 既にボクは、窓に寄ってクモの観察をする二人からかなりの距離を取っていた。

 セオドールが不思議そうな顔をして手招きする。

 

「どうしたんだよ。早くこっち来いよ。すげぇぞ」

 

「嫌だ」

 

「いやマジですげぇって!1回見た方が」

 

「嫌です」

 

「何をそんな頑なに……」

 

「嫌だから」

 

 あぁ、とミリセントが察したような顔をする。

 

「そういやお前さん、魔法薬学の実習でもクモの処理だけは私にやらせてたねぇ……嫌いなんかい?クモ」

 

「まぁ……うん」

 

 ボクは、窓にだけは目を向けないように気をつけながら頷く。

 昔からボクはクモが……苦手だった。すんごい嫌いだった。

 途端にセオドールが腹を抱えてゲラゲラ笑いだす。

 

「そりゃあ良いや!泣く子もさらに泣かせるメルム・グリンデルバルドがクモが怖いってのは笑えるぜ!これが怖いのか?ほれッ!!」

 

「やめろよ!洒落にならない!!」

 

 面白がってセオドールがクモを掲げて追っかけて来るのに対し、ボクは泡を食って右へ左へ駆け回る。

 本当に苦手なのだ。

 昔っから旅先のボロ宿屋をハシゴしていて、それなりに遭遇率が高かったのもボクのクモ嫌いに拍車をかけていた。

 だってあいつら気づいたら服についてたりするのだ。

 酷い時は、寝ている時に顔に……うぅ、昼に食べたブリトーが全部出そうだ……

 

「待てよぉ逃げんなよぉ!」

 

「やーめーろー!!」

 

 いつまでも続きそうな追いかけっこ。

 ボクに取っての地獄の時間は、唐突にセオドールが廊下にしゃがみ込んだことで幕を引いた。

 どうやら廊下に不自然な点を見つけたらしい。

 

「これ焼け焦げだ。こっちもあっちも。何だよこれ……」

 

 はたしてセオドールの言った通りだった。

 廊下にはイタズラ花火でも弾けたような、不自然な焼け焦げた跡が点々とあった。

 一つ一つがそれほど大きくない為、ボクも今の今までは気づけなかった。

 

「これって例の事件と何か関係があると思うか?」

 

「さぁ……普通じゃないことは確かだけど」

 

 普通じゃないといえば、あの時は廊下が水浸しになっていた。

 あれはそもそも何処から来た水だったのだろうか。

 その疑問にはミリセントが答えてくれた。

 

「たぶん”嘆きのマートル”さね」

 

 ”嘆きのマートル”は、ホグワーツではかなり有名な部類に入るゴーストだ。

 泣き虫で被害妄想が強く癇癪持ちな彼女は、生きている者どころか死んでいる者にまで避けられるともっぱらの評判だった。

 そしてこの廊下の端っこにあるトイレの入口。

 確かにここはマートルの縄張りだった。

 

「ふむふむ。水浸しの廊下、幾つもある焼け焦げた跡、クモの異常な行動……なるほどなるほど」

 

「な、なんか分かったのか?」

 

「うん!この事件は……」

 

「この事件は?」

 

 セオドールがゴクリと唾を飲む。

 ボクはトイレに掛けられていた”故障中”の板を放り投げてニッコリ笑った。

 

「ズバリ!迷宮入りだね!」

 

 どうでもいいしよく分からない。

 それがミセス・ノリスの石化事件におけるボクの結論だった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 ここ連日の図書館は、今までにない程の数の生徒達でごった返しているらしい。

 皆が皆、ある本を探してウロウロしているのだとか。

 もちろんギルデロイの本ではない。

 二週間は予約でいっぱいという人気を誇ったのは、まさかの”ホグワーツの歴史”だった。

 理由は単純明快。

 皆、”秘密の部屋”の伝説のことについて知りたいのだ。

 今や校内の生徒達の殆どが壁の血文字の真意を探ろうと躍起になっている。

 あのウィーズリー兄弟が図書館の片隅で議論しているのを見かけた時は、流石のボクも自分の目を疑ったものだ。

 

 ────だって古より伝わる伝説の部屋だぜ?

 

 ────すべてが奇妙!すべてが不思議!

 

 ────きっと何か途方もない物語があるに違いないだろ?

 

 ────ならば動かない方が失礼ってものさ!

 

 まったく……その熱意の半分でも学業に割けないものなのか。

 まぁそういうボクも”秘密の部屋”という単語には少しばかりの興味があった。

 千年前の人物なだけあって、ホグワーツ創設者達には何かと謎が多い。

 かの純血主義を唱えたサラザール・スリザリンもその一人。

 元々一年生の頃から、彼がどういう考えで純血主義などという極論に至ったのかは気になっていた。

 そして、”秘密の部屋”とは正しくそれを握る鍵に違いない。

 そうボクの勘がささやいていた。

 

(だからって図書館に籠って本漁りしてる余裕なんかないんだけどね……)

 

 現在も、ギルデロイとの今後の打ち合わせやら授業の反省会やらで、前ほどではないにしろボクは忙しい。

 あるかどうかも分からない伝説に時間を割く余裕はなかった。

 しかし、厄介事にまつわる情報というものは妙なもので、探す労力もなくたやすく集まってしまうものだった。

 なんとその”秘密の部屋伝説”の全容を容易に知る機会が飛び込んできたのである。

 

 ────それは夜遅くの談話室での出来事だった。

 

 その日もボクは、今後のギルデロイの授業の進展について頭を悩ませており、欠伸混じりに優秀な教科書である”黒魔術の栄枯盛衰”と睨めっこしていた。

 

「この時間まで勉学に励むとは感心だな、ミス・グリンデルバルド」

 

 そう言ってセブルス・スネイプ教授が声をかけてきたのは、ちょうど”国際魔法使い機密保持法”の章を読み進めていた頃だったか。

 今の今まで一度もなかった事態に、思わずボクは本から顔を上げて彼を見つめた。

 

「先生から声をかけてくるなんて珍しいですね。どうしました?」

 

「ちょっとした気紛れだ。少しだけ我輩の問答に付き合って貰えるかね」

 

「……喜んで」

 

 絶対に気紛れじゃない。

 彼がボクを問題児扱いしているのは知っている。

 なんせ彼のお気に入り(マルフォイ)を何回か散々にぶちのめしていた。

 まぁはい……正直言って、いつかはこうなるだろうなと思ってました。

 ボクの対面の席にスネイプ先生が音もなく腰を下ろす。

 

「さて。何から話をするべきか……そうだな。君は最近校内に蔓延る人騒がせな話題についてどう思うかね?」

 

「と言いますと……あぁ、”秘密の部屋”ですか?うーんそうですね。”秘密の部屋伝説”自体には、この学校に通う1生徒として興味は無くもないのですが。生憎とそれにかかずらっているほど暇でもないので」

 

「そのようだな」

 

 テーブルに積まれた本を横目で見たスネイプ先生が冷やかに笑った。

 その笑みはボクを少しだけ不安にさせる。

 内緒事を見透かすような視線はこの教授の十八番だった。

 やぶ蛇だったと内心舌打ちしたボクは、積まれた本達から気を逸らさせるために口を回す。

 

「皆の動揺は肌で感じています。中々にショッキングな光景でしたからね、あれは。おまけに犯人がいまだに見つかっていない。先生たちの何人かも非常に気を揉んでらっしゃるようで」

 

「まったく……たかが猫1匹が石化した程度だ。それだけで教授陣までもがありもしない影を探している。皆、想像力豊かで素晴らしいことだ」

 

「平和な日常に飽いてるから刺激を欲してるんでしょう。退屈な日々は心を蝕む毒ですからね」

 

 スネイプ先生はフンと不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「確かに不変は感情を鈍化させる。恐怖は人間の根源だ。それを追い求め、歴史を掘り返すこと事態を悪だと評するつもりはない。しかし決まって我々は、自分たちや世界の成り立ちに過小ないし過大評価をしがちなものだ。ありのままの歴史を受け止め直視することなどできはしない」

 

 なるほど。

 スネイプ先生のシニカルな論評にボクは思わずうなった。

 歴史を探ってもまともな真実に辿り着くことはない。

 だってその答えに正解を出す者など、もはやこの世にはいないのだから。

 歴史が常に間違った解釈をされるのならば、そこに費やされる時間は無益なものである。

 暗に彼はそう皮肉ったのだ。

 

「無論、それは君にも当てはまることだグリンデルバルド」

 

「え?」

 

 唐突に愚か者の仲間入りをさせられたことに、ボクは眉をひそめる。

 足を組み直したスネイプ先生がやれやれと息を吐く。

 

「己への評価が不当だと思うかね。ならば君は”純血主義”についてどう思う?」

 

「古き良き伝統の継承。純粋な魔法族同士による密な連携が紡いできた魔法族の歴史そのものです」

 

「そんな四角四面の回答を我輩が求めているとでも?聡明な魔女たる君ならば、我輩が何を聞きたいのかを真に理解しているはずだ。そうやって言辞を弄するべきではない」

 

 やれやれお見通しか。

 そっと息をつくとボクは手にしていた本を閉じ、スネイプ先生の瞳を真っすぐ見つめ返す。

 

「古臭くて貧しい人種主義(レイシズム)で、伝統や歴史に囚われるあまりに時流に乗り遅れた老害の思想。自分の低能さを棚上げにした、下品でプライドばかり高い人間を生み出している魔法界の腐った根っこです」

 

「辛辣だな。常々思っていたことだが、君は己の価値観にそぐわない物事に対して余りにも苛烈だ」

 

「ドラコ・マルフォイのことですか?彼を可愛がっている先生の前で言うのもなんですが、あれは愚物ですよ。外面だけは若くても、中身は人種主義に盲目な年寄りです」

 

 ボクの言葉にスネイプ先生は首を横に振る。

 

「それは違う。彼だけでなく、純血の家系をもつ生徒たち全てに言えることだが、彼らが掲げているのは貧しい貴族主義で、主義という言葉を冠するまで成熟してもいない。これは昨今の魔法族が純血主義の初期設定を読み誤っているからに他ならない」

 

 スネイプ先生は、淡々と己の寮の生徒にそんな評価を下す。

 いつもエコ贔屓ばかりしている彼はどこに行ってしまったのだろうか。

 そういえばボクは、今まで彼がマグル生まれだからといって人を差別しているところを見た事がなかった。

 それどころか寧ろそんな風潮を小馬鹿にすらしているように見えた。

 

「……マグル蔑視と純血主義はイコールでないと?だとしても”純血主義”の性質上、それが多分に含まれているのは事実だと思いますが」

 

 ボクの言葉にスネイプ先生は重々しく首を横に振る。

 

「まったく違う。言っただろう、初期設定を読み誤っているのだと。少なくとも我が寮の創設者たるサラザール・スリザリンに、そんな意図はなかった」

 

 ボクはその意味が分からず首を傾げる。

 純血主義とは、マグルはもちろん、マグル生まれの魔法族や彼らを擁護する魔法族を排除し、純血の魔法族が魔法界を支配すべきであるという人種主義的思想だとボクは解釈していたのだが、違うのだろうか。

 スネイプ先生は苦々しい顔をして、ボクの疑問に答える。

 

「魔法族は非魔法族と似ているようで違う生き物。そもそもこの思想は極々最近のものだ。あの時代には、今のように”国際魔法使い機密保持法”がなかった。今ほど非魔法族と魔法族の間に隔たりがなく、大きく一纏めにヒト族とされていたのだ」

 

「つまり棲み分けが出来ていなかったと?」

 

「正解だ。”醜いアヒルの子”というマグルの寓話は知っているかね。白鳥は白鳥の群れの中でしか生きられない。昔の魔法族はそれをよく理解してはいなかった」

 

「ふむ……」

 

 スネイプ先生の言いたいことはなんとなく理解できる。

 元々人間には、コミュニティから浮いた者を排除する傾向があるのだ。

 非魔法族では人種差別、魔法族ではマグル蔑視といった具合で、血に塗れた歴史はそういった類の話に事欠かない。

 スネイプ先生はボクが読み進めていた本を撫でる。

 

「”国際魔法使い機密保持法”が設立されるまでの歴史。それは我々魔法族の弾圧の歴史と言い替えてもいい。非魔法族と同じ世界を共有していた我らは、常にその脅威に晒され続けていた。今よりもだ」

 

「例えば魔女狩り、とか?」

 

「然り。宗教的な思惑や思想的な対立が絡み合い、その末に魔法族を揺るがす騒動が起きるのは無理からぬ話だった」

 

 15世紀以降、魔女と魔法使いへの迫害はヨーロッパ全土で急速に広まり、マグルとの関係に亀裂が生じ始めた。

 特に、1692年の”セーレム魔女裁判”はあまりにも決定的だった。

 この裁判では、多くの人々が魔法族非魔法族関係なく魔女であると糾弾され処刑された。

 この事態に慌てたのは国際魔法使い連盟。

 急激な時代の流れに翻弄された彼らは、長らく宙ぶらりんにさせたまんまだった同胞達の人権に直面することとなる。

 結果として、魔法界をマグルから守り全世界からその存在を隠す”国際機密保持法”が、約一年という異例のスピードで成立されたのである。

 

「つまるところ、非魔法族との関係性は砂上の楼閣であること甚だしく、いつか破綻する。そう確信していたスリザリンは、これ以上魔法使いのコミュニティに非魔法族が絡むのを防ぎたかった」

 

「ふむ……ボク達の力が、彼らにとって異端で決して相容れないものであることは理解しています。しかし、それでもスリザリンの思想は極端に過ぎるかと。マグルの中からも同胞は生まれるのですよ?」

 

 青いな、とスネイプ先生は微かに肩を揺らした。

 

「今でもそうだが、魔法族の欠点はその絶対数が致命的に少ない事だ。人数有利が取れぬ以上、魔法族は日陰に潜むしかない。無論、最初は彼ら(・・)も魔法族の数の少なさを危惧して足掻きはしたらしいがね」

 

「……それがホグワーツ魔法魔術学校の設立、ですか」

 

「然り。当時の魔法使い達は基本的に親から子への一子相伝。己の魔法を子に継がせ、より強い魔法力を持つ子孫を作り、子孫もそれを繰り返すというものだった」

 

 そして、その閉鎖的な魔法族の暗黙のルールに風穴を空けたのが、ホグワーツ魔法魔術学校だった。

 彼らはより多くの同胞に、己の魔法を授けるべく学校を開いたのだ。

 

「彼らが画期的な考えを持っていた優秀な魔法使いだったということに異論はない。だがそれだけではなかった筈だ。強力な魔法使いの数を増やし、ゆくゆくは非魔法族の立場に取って代わる。同胞を日陰から日の当たる場所に導くべく……さながら”より大いなる善の為に”といったところかね」

 

 この陰険教師は本当に良い性格をしている。

 スネイプ先生の冷笑から無言で目を逸らしつつ、ボクは話の先を促した。

 

「だけどそれは実現しなかった」

 

「然り。無駄ではなかったが足りなかったのだ」

 

 スネイプ先生曰く、彼らの働きかけによって然るべき魔法を習得した人間の数は急激に増加したらしい。

 しかし、それでも非魔法族を含めた人口の0.03%というなんとも寒々しいものだった。

 

「どれだけ個の力が強かろうと圧倒的な数の力には敵わない。数の力は多様性であり暴力だ。魔法族1人が新たな魔法を生み出し死んでいく間に、非魔法族100人が新しい科学を生み出し死んでいく」

 

 ボクが思うにスリザリンは焦ったのだろう。

 切れ者であるが故に、自分達のやっている事の結末が早々に見え透いてしまった。

 

「ある時点でスリザリンは方針を変えた。魔法教育は純粋に魔法族の家系にのみ与えるべきだ、と。マグルとの繋がりを持つマグル生まれの生徒を入学させることを嫌ったのだ」

 

「……なるほど」

 

 人の口に戸は立てられない。

 話したがりというのはどこにでもいるものだし、そうでなくともある日ポロッと言ってしまう恐れがある。

 そして魔法族の力は、非魔法族の社会秩序を破壊するのに十分な可能性を秘めている。

 戦争の道具や奴隷として利用される可能性が非常に高かったのは言うまでもないことだろう。

 

「魔法族の存在を非魔法族に察知されるリスクを侵すことを良しとせず、魔法族と非魔法族の完全な分裂を他の三人に促した。それが”純血主義”の始まり……そう仰るのですか?」

 

 だとすればその結果、意見の相違でスリザリンとグリフィンドールが激突したのは皮肉な話だ。

 グリフィンドールは魔法族の繁栄を夢想し、スリザリンは魔法族の未来を直視していた。

 

「我輩が思うに、サラザール・スリザリンとは先見の明が過ぎたが故に、当時の魔法使い達からすら疎まれた真の異端だったのであろう……後年、スリザリンとグリフィンドールは激しく激突した。その結果、スリザリンは学校を追われる事となり、以降彼がこの城に戻って来ることはなかった」

 

 スネイプ先生の言葉が重々しく響く。

 ボクは椅子に沈み込んで、天井にぶら下がる緑色のランプを見つめた。

 スネイプ先生は、ボクの表情の変化を見て取って言う。

 

「分かったかね。”純血主義”の本質が」

 

「偉大なるスリザリンは、マグルと魔法族を明確に区別し境界線を引こうとしただけ。その思想はお互いの種族を最大限尊重したものであり、そこに非魔法族を差別する意図はなかった。そこは理解できました」

 

「結構。今の魔法族はそこを履き違えた為に、汚れ切った旗(純血主義)を降ろせなくなっているからな。長い年月で歪められこそしたが本質はそこにあるのだ」

 

 ボクはなんとなくだが、これが今回の面接のキモなのだと直感する。

 その意図がどこにあるかまではわからないが、彼は正しくボクの中の常識の一つを破壊して塗り替えた。

 無論、今の話に確たる証拠はない。

 スネイプ先生が先に述べた通り、ボクたちはありのままの歴史を受け止め直視することなどできはしないのだから。

 ただでさえ歴史というものは時代の勝者によって、文献すらも都合よく塗り替えられていくものなのだし。

 しかし、ボクの中にあった魔法族の歴史に関する知識を手繰ってみると、スネイプ先生の言葉と見事に一致していたのも事実ではある。

 

(これはスネイプ先生の評価を上げなくちゃだね)

 

 いつもの侮蔑的なふるまいやポッターに対する態度から、ボクは彼が感情のコントロールが出来ない愚物だと侮っていた。

 その認識は我が校の生徒の共通の見解でもある。

 なんせ自寮の中ですら、彼のことを元死喰い人だと後ろ指さしている生徒がいるくらいだ。

 

(やれやれ。そういう簡単な物差しで測れるほど単純な人ではなさそうだ。わざわざダンブルドア校長が庇い立てするだけはある)

 

 そういえば、とボクはたった今思いついた質問を我が寮監に投げかけることにした。

 天井のランプからスネイプ先生へと視線を戻す。

 

「先ほど先生は問答とおっしゃられた。ならば今度はボクが質問する番ですよね」

 

「そうなるな」

 

 渋い顔をしてスネイプ先生が腕を組む。

 するだけならば一向にかまわない、という心の内が透けて見えるようだった。

 答えるか答えないかは質問次第ってわけか。

 とはいえ何事もやってみなければ始まらない。

 

「ありがとうございます。では────”秘密の部屋”と”スリザリンの継承者”とやらについてご教授願えませんか?」

 

「……必要な情報とは己の足で確かめ己の目と耳で見聞きするものだ。違うかね?」

 

「かもしれません。しかし転がり込んできた機会を不意にする、これはスリザリン生として適切ではないようにも思えまして」

 

 祖父同様に弁は立つようだな、とスネイプ先生は呟いた。

 どうやら合格らしい。

 意地の悪い彼にしては珍しく、再び歴史についての話を再開してくれる気になったようだった。

 

「先ほどまでの話は信頼できる文献から読み取れた、限りなく当時の真実に近い史実ともいうべきものだった。しかし、これからする話は神話や伝説といった類のものだ。何一つとして確証も根拠もない。それでも聞くかね?」

 

「構いません。どんなホラ話や御伽噺にも骨組みとなった事実があるはずですから」

 

 そう言ってボクはハッとした。

 神話や伝説と自ら言っておきながら、スネイプ先生の目に一瞬だけ微かな嫌悪と畏怖が見て取れたのだ。

 無論それらは、すぐにいつもの憮然とした表情に塗りつぶされる。

 だがその感情のさざ波は、ひょっとすると今から語られる話には単なる伝説以上の何かがあるのかもしれない、とボクに期待をさせるのに十分だった。

 スネイプ先生がコホンと咳払いする。

 

「さて。君はどうかは知らんが、我輩は聞き分けのない赤子と同程度にはこの類の話が苦手だ。出来るだけ簡潔にすまそう。まず”秘密の部屋”だったか……これは、スリザリンが他の創設者にも内密にして造った隠し部屋だ」

 

「隠し部屋、ですか?」

 

「然り。その部屋の中で何らかの怪物を飼い慣らしていたスリザリンは、それを使ってこの学校で学ぶに相応しかざる者を追放したという」

 

 妙な話だった。

 マグルを追放したいのならば、創設者の権限を用いて追い出せば済む話である。

 魔法使いのコミュニティから弾き出してしまえば、今よりも閉鎖的な当時の事だ。

 マグル生まれの魔法使いなど何もできなかったに違いない。

 ボクがそう言うと、スネイプ先生は微かに笑った。

 

「良い着眼点だ。だが、重要なことを忘れているな。ホグワーツの創設者は何もスリザリンだけではないのだ」

 

「つまり、スリザリンが独断で生徒を追い出そうとしてもそこに正当性がない限り、他の三人が黙っていなかった。そういう事ですか?」

 

「然り。現にスリザリンは他寮のマグル生まれを排除しようとして、何度か他三人と小競り合いを起こしている。これは文献にも残っている話だ」

 

 なるほど。

 サラザール・スリザリンとしてもグリフィンドール達との決定的な激突は避けたかったに違いない。

 思想は違えども、一度は同じ旗のもとに集まった同志なのだ。

 だからわざわざ隠し部屋に怪物を飼って、他の三人に知られないようマグル生まれの生徒を処分することにした。

 一応、話の筋は通っている。

 

「学校の方針が変わることはなかった。史実が示している通り、異端とされたスリザリンはホグワーツから追い出された。よほど歯痒い思いだったのだろうな。その時スリザリンは汚い四文字の言葉と一緒に、ホグワーツに信じられない忘れ物をしていった」

 

「それが部屋と怪物ですか?」

 

「然り。伝説によればスリザリンは怪物を”秘密の部屋”の中に密封し、この学校に彼の真の継承者が現れるその時まで、何人もその部屋を開けることができないようにしたという」

 

 ふむ、とボクは自分の顎に手をやって再び天井を見上げた。

 面白い物語だ。これは皆が部屋の証を求めて夜な夜な出歩くわけである。

 しかし悲しいかな。

 スリザリンが部屋どころか秘密の箒置き場さえ作った痕跡はないのである。

 与太話だといわれるのは物証が一つもないからに他ならない。

 妙に信憑性のある話なだけに残念だった。

 

「先生、秘密の部屋の概要は理解しました。継承者というのは?」

 

「遺志を継ぐものだ。”秘密の部屋”の封印を解き、その中の怪物を解き放つ資格を持つにたる者とされている。先に言っておくと、その馬鹿げた資格が何なのかは我輩にもわからん。今まで最高の学識ある魔法使いたちが、何度もこの学校を探索はしたものの部屋は見つからなかった。そのことから資格に必要なものが聡明な頭脳や強力な魔法力でないことは確かだな」

 

 そう言って冷笑するとスネイプ先生は席を立ちあがった。

 お帰りのようである。

 ふと談話室の時計を見れば、消灯時間まであと数分。

 随分話し込んでしまったようだった。

 

「今日はボクの手前勝手な探求心の為に、先生の貴重なお時間を奪ってしまい申し訳ありませんでした」

 

「気にするな。今日は魔法薬学の教授としてではなく、スリザリンの寮監として君の前に現れた。此方としても伝えたいことは概ね君に話せた、その事だけで我輩は満足している。後半の与太話も含めて、君がまた一つ物事に賢くなってくれれば、これほど幸いな事はない」

 

 席から立ち上がって寮の外まで見送ろうとするボクを手で制すと、スネイプ先生はそんな事を言った。

 彼がこんなに教師らしい誠実な態度を取っているのを見るのは初めてな気がする。

 いつもこれくらいの態度ならばもっと生徒も懐くだろうに。

 もったいない人だ、とボクは内心苦笑しつつ、スネイプ先生に最後の質問を投げかけた。

 

「先生、最後に1つ質問を。今日、この話をしようという貴方の気まぐれについてなのですが。ボクを今まで避けてきた(・・・・・・・・)貴方が、どうして今になって対話をしようと思ったのですか?」

 

 今まさにドアの外に消えようとしていたスネイプ先生がピタリと動きを止める。

 少しの間考えを巡らせると彼はやおら口を開いた。

 

「うむ。君はかくも若い。かつての魔法界の戦いがどれほど暗いものだったかを知らない。この世界は何人もの人が多大な犠牲を払って築き上げ、維持してきたものなのだ。今の”純血主義”を模した退廃的な風潮を嫌悪する君だからこそ、その真の成り立ちを知ってほしかった。この国に散々に辛酸を舐めさせられてきた君だからこそ」

 

「……私がヴォルデモートや祖父のようになるとでも?」

 

 明確な答えを返さずスネイプ先生は陰鬱に笑うだけだった。

 暗い瞳が私の内心を覗き込むように歪に光る。

 私はその瞳の力の強さに思わず顔を逸らす。

 彼は道理の分からぬ幼子を相手にしているかの如くゆったりと言葉を発した。

 

「孤独は辛いものだ。私も孤独だった。それが私を本当に暗いところまで追いやった。”先達”としての忠告と思ってくれたまえ」

 

「私は違います。孤独ではない」

 

「戯け。君────いやお前は少なくとも周りの人間に対して価値を見出していない。それを孤独と言わずなんという」

 

 先ほどの好意的な態度が幻のようだった。

 私はその言葉の真意を吸収しようとして、ふと脳裏に蘇る二つの声を聴いた。

 

 ────良いな。俺様とお前は似た者同士のようだ

 

 ────結局のところヒトでなしで鬼畜族の血を色濃く引くお前の末路はここだよ

 

 私は反射的に固く目を瞑った。

 私は認めない。

 あの憎悪と死の恐怖で凝り固まった魂の燃えカスと同じなどとは。

 己の信ずる覇道すら為せなかった無様な老害と同じなどとは。

 自己に埋没する私に、彼はやがて吐息をつくと静かに言った。

 

「君が真に”闇の帝王”や”黒い魔法使い”と自分は違うと叫ぶのならば、もう少し己の内面と向き合ってみることだ。手始めに……そうだな”シェーン・グリンデルバルド”、父君の墓参りに君は一回くらい行ってみるべきだな」

 

 私にとって意味のある言葉に、思わず意識が引き戻される。

 しかし目を開けると、セブルス・スネイプの姿はもうそこにはなかった。

 ただ、寮のシンボルを示す蛇が緑のランプと共に私を見下ろしているだけだった。

 

 



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#026 デート

右眼は正直だ、結果だけを見せてくれる。

左眼は嘘つきだ、全てを見せてくれない。

未来は決まっている、全てが。

現実は変わらない、何も。



 

 それは幼い頃の記憶。

 二つに割れた魔法族が血で血を洗う抗争の末期に産まれ落ちた私。

 魔法族として右も左も分からない幼子に、怪物としての生き方を強要したある魔法使いのお話。

 

 ────勘違いしているようだから教えてやろう

 

 ────別に我々の魔法は人を幸せにするだけのものでない。それだけなら、そもそも大昔から人を呪う魔法が存在するわけがない

 

「ふぅん」

 

 ────良いか? お前達のやるべき事はこのちっぽけな世界にて自己を超える為、人を呪い、研鑽し、成果を上げること、ただそれだけだ

 

「その過程でどんなに大勢の人間が死んだとしても?」

 

 幼いながらの純粋な疑問は、鼻で笑われた。

 

 ────当たり前だろう? 恐怖からこそ全てが生まれる。文化や教養、魔法や化学ですら恐怖があるからこそ発展していくのだ

 

 今はもう、この世の何処にもいない父との問答。

 しかし、その問答は今でも鮮明に覚えている。

 思えば清々しいほどのクズだった。

 

 他人は勿論、己の子すら自分のために犠牲とすることを大して躊躇わない人間のクズ。

 

 その癖、人の本質を見抜く洞察力と頭の回転の速さは桁違いで、修羅場を何度も切り抜けてきただけのことはある高い能力を持っていた。 

 

 ────お前とルシア。災厄と光輝、血を超えて掛け替えのない双子の絆

 

 ────私がそうした、そう仕向けた。そしてお前からその光が奪われた時、

 

 ────お前は一体どんな魔法使いに生まれ変わるんだろうな? 

 

 結果的に、父はその成果を見ることなく死んでいった。

 最も無惨な形での幕引きであった。

 

(最もそれすらも予見して動いていた節はあるけども)

 

 私の父を名乗る獣は、私と同じ……いやもっと優れた眼を持っていた。

 そんな予見者が己の末路を見据えられなかった筈もない。

 日陰者である事を是とし、それでも陽のあたる場所を夢見たろくでなし。

 自分に半分化け物の血が入っている事を誇りながらも、ヒトである事に執着し続ける己を嘆いていたあの男。

 

 父の灰色の瞳は、その最期にどんな未来を映し出したのだろうか。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 休日の中庭は人気スポットだ。

 ポカポカと当たる日差し、風通しの良さ、シンプルかつ洒落た造りはホグワーツの中でも屈指の人気を誇っている。

 故に土日の休日は、それなりの数の生徒がたむろしているのが常だが、今日はいつもの休日とは違った。

 なんと人っ子一人いない。

 

「そうか今日だったっか」

 

 本を片手にガランとした中庭を眺めたボクは、今年もその時期が来たかと唸った。

 つまりは毎年行われるクィディッチ寮対抗戦である。

 ホグワーツには独自のクィディッチ競技場が存在し、そこで四寮のクィディッチ・チームが寮杯をかけて競いあう。

 既に大体の生徒達は席取りをする為、一時間近く前にはこの場を去っているのだろう。

 まったくもって彼らのクィディッチに対しての熱意にはついていけない。

 まぁボクの場合は、クィディッチに興味を持てないというより、学生スポーツの観戦自体にあまり意味を見いだせないという方が正しいんだけど。

 娯楽として優秀なのは認めるところだが、金が賭けられていないと何となく味気なく感じてしまうのだ。

 

「あ……そういえば今年はマルフォイがシーカーとして競技に出場するんだっけ」

 

 ならば今年もこの誰もいない中庭で、本を読み耽るという選択は正解に違いない。

 奴を応援するために休日を消費するのはゴメンだ。

 ベンチに腰掛けてボクは本を開く。

 

「にしてもマルフォイがクィディッチかぁ。シーカーを選ぶ辺り、ポッターを意識してるのが見え見えだね」

 

 奴がシーカーに執着する理由は分かる。

 シーカーはクィディッチの花形だし、競技上に限ってはポッターと同じ土俵で戦える。

 クイディッチには”純血”の家柄も”小さな英雄”という称号も関係ない。

 いかに己の技量が卓越しているか。それだけが全て。

 

(卑怯者のマルフォイが、ある意味正々堂々の勝負を望んだわけだ。男としての矜持ってやつかな?)

 

 ちなみにマルフォイが行ったチーム買収に関して、ボクは特に思うところはない。

 金やコネも含めてその人間の実力だと評価するとも。

 何なら自分だけじゃなく、チーム全体まで強化した采配は見事だと認めてやってもいい。

 

(まぁ潔癖症のハーマイオニー達はそこが気に入らないみたいだけど)

 

 ページを捲ること数分、ちょんちょんとボクの肩をつつく者がいた。

 誰だ? ボクの麗しき休日を妨害するイカれた野郎は。

 咎める意味を込めて軽く後ろを睨むと、そこにはポッター達の次くらいに親交の深いグリフィンドール生────ネビル・ロングボトムが立っていた。

 

「何やってんのネビル? 今日はクィディッチの寮対抗戦でしょ」

 

「それは君もだろ」

 

 ボクは良いんだよ。

 

「んで何の用だい?」

 

「あーその……君の事を探してたんだ。クィディッチの観戦にでも誘おうと思って」

 

「……何で?」 

 

 だって二年生になってから、ろくに話もできなかったし。

 そう言ってネビルが横の席に腰掛ける。

 ボクはといえば、彼のトンチンカンな誘い文句に苦笑していた。

 

「ネビルは本当に残念君だね。じっくりと女の子と話をしたいのならクィディッチの観客席は不適格だよ」

 

 あの騒々しくて軽薄な場所は、エンタメとしては最高なのだろうが、静かに話をしたい場所としては最低だ。

 その事に今さら気づいたのか、ネビルは少しばかりバツの悪い顔をする。

 

「大体、今さらどうしたのさ。今まで話しかける機会なんていっぱいあったじゃないか」

 

「声をかけ辛かったんだよ。メルムってば滅茶苦茶忙しそうだったし。それに最近なんて授業と食事の時以外じゃ外に出てないんだろう? ハリー達が何があったのかって心配してたよ」

 

「あーね」

 

 確かに最近のボクは、殆どスリザリンの談話室に籠りっきりだったか。

 例のスネイプ先生との面談は、しっかりとボクの心にモヤモヤとした何かを刻みつけ、お陰様で何というか全体的に無気力になっていた。

 校内で、ボクに関する不愉快な噂や視線が増加しているのも理由の一つだろう。

 そんなワケで全てに興味も気力も絶えたボクは、談話室で本を読み漁り、それも飽きるとひたすら寝るというクソみたいな生活をしていた。

 ギルデロイの授業補佐もほったらかし気味で、そんな調子では自寮の生徒以外とは接点がなくて当然。

 今日、久々に外に出たのもそんな無気力状態から脱しようと無理矢理腰を上げた、というのが実際のところだった。

 

「そっちは忙しくないの? ヤバいんでしょ、魔法薬学の単位」

 

 急に現実に引き戻された。

 そんな顔をしたネビルが暗い表情で首を横にふる。

 

「あと二年はかかるかも」

 

「ネビル、現実化しそうな話はジョークとは言えないよ。ていうかボクもあの教科は苦手だけど、君のは相当だね」

 

 不貞腐れて頷く彼を横目に、ボクはパタンと本を閉じる。

 

「さて、クィディッチのお誘いの件だけど。断る理由は3つある。1つ、人混みは喧しいし嫌い。2つ、勝って当たり前の試合はつまらない。3つ、試合にはマルフォイが出る」

 

「断る理由は、最後の1つだけで充分だと思うよ」

 

 まぁそうだが。

 ボクは苦笑すると、うーんと背を伸ばす。

 

「勝って当たり前の試合はつまらないって言ってたよね。それなら、ハリーを応援すれば良いじゃないか。絶望的な戦力差からの逆転劇を見たくない?」 

 

 ボクは笑った。

 

「違う違う。それは勘違いだよ。ボクが勝つと思っているのはポッターさ」

 

 ボクの言葉がよっぽど意外だったのだろう。

 ネビルが一瞬黙り込む。

 

「意外かい?」

 

「そりゃあね。だってスリザリンは全員最新製のニンバス2001だよ。普通はスリザリンが勝つと思うんじゃないのかい?」

 

 おやおや、坊やみたいな事を。

 

「今のスリザリンにあるのは速さだけだよ。もっと根本的なものがかけてる時点で勝利はありえない」

 

 技術が伴わないものは総じて質が低い。

 幾ら箒が速くても、マルフォイはポッターよりも早くスニッチは取れない。

 そんなもの未来を見なくても分かる。

 

「じゃあ見に行かないんだ、クィディッチ」

 

「そうなるね」

 

 そこで会話が終わった。

 横を向かなくとも、彼がしょんぼりしてるのが分かる。

 そして僅かな沈黙の後、不覚にもボクは笑い出してしまった。

 だって、おかしいったらない。

 これじゃあ、まるでデートの誘いにフラれた男の子だ。

 

「おぉい。お前、私がどんな魔法使いの血筋だか分かって誘ってるのか? 最近、他の連中が裏で私の事を何て呼んでるのか、知らないなんて言わせないぞ」

 

 例のミセス・ノリス石化事件の後、私は散々に陰口を叩かれている。

 セオドールが言っていた話だが、どうも噂好きの生徒達からは、私こそが”スリザリンの継承者”だともっぱらの評判だそうだ。

 先ほど話した不愉快な噂とやらはそれだ。

 私自身、談話室で偶然立ち聞きしたこともあるほどで、結構な範囲で噂されているらしい。

 

「”ハンナ、彼女はグリンデルバルドの血族なんだぜ。あの首にぶら下がったネックレス、グリンデルバルドの印だって爺ちゃんが言ってた”」

 

「”ダンブルドア校長にも解けないなんて……一体どんな闇の魔術を使ったのかしら? ”」

 

「”グリンデルバルドは、マグルをカスだって思ってた。そんな事は常識さ”」

 

「”グリンデルバルド先輩、私の家系は五代前まで遡れる、魔女と魔法使いの家系で、私の血は誰にも負けないぐらいの純血なんですぅ”────ッハ! 馬鹿たれが。知るかそんなこと」

 

 私を勝手に犯人扱いするのは構わない。

 風評被害なんて慣れている。

 言いたい連中には言わせておけばいい。

 どうせ私に面と向かって言う強さがないような、影でコソコソ罵る惰弱者だ。

 だが目の前の少年にとって、それは少しばかり刺激的でショッキングなお話だったらしい。

 

「一体、誰がそんな酷いことを……」

 

 なんて事を言って、私の声真似に絶句していた。

 

「興味もないし名前なんて忘れた。そんなわけで肩身が狭い私とクィディッチの競技場に行っても、ネビルが愉快な気分になることは期待できそうにないぞ?」

 

 そもそも今は猫一匹の被害だからこの程度(陰口)で済んでいる。

 だけどこれから先、生徒にまで被害が出たらどうなるかは分からない。

 恐怖は怒りを誘発し、容易く信じられない暴挙を起こさせるのだから。

 スリザリンでいつも一緒の二人はともかく、他寮の友人は突き放すくらいが丁度良いだろう。

 

 しかし、ネビルは引き下がってはくれなかった。

 

「そ、そんな事ない。君が来たらハーマイオニーやハリーだってきっと喜ぶよ」

 

「かもな。それ以外のグリフィンドールの連中がどう思うかは分からないが」

 

 さっきの声真似の中には、グリフィンドール生のもあった。

 最後のなんてスリザリン生だ。

 まったくもってマーリンの髭。

 

「なぁネビルよ。クィディッチに集中したい皆に、わざわざ尻に杖を向けられているのか心配させる必要もないだろう?」

 

「でも秘密の部屋の犯人は君じゃない。そうでしょ?」

 

「逆に聞かせてもらうが────そうだ、と言ったらお前は信じてくれるのか?」

 

 揶揄い半分にしては、中々意地の悪い問いだった。

 今のところ私を守ってくれる証拠はあやふや。

 その癖、祖父のやってきた悪事のせいで動機だけは確かなものとなっている。

 おまけにあの時、まったく動揺してなかった事もあってか容疑者最有力候補だ。

 我がスリザリン寮ですら、一定数の人間が私を秘密の部屋の継承者だと信じ込んでいる。

 

(さぁどう答える?)

 

 慌てた末、口からの出まかせを聞かせてくれるのか。

 それとも顔を真っ赤にして黙り込んでしまうのか。

 どちらにせよ、興味がある。

 

 

 

「うん。もちろん信じるよ」

 

 即答だった。

 私は呆然とする。

 ネビルが掠れた声をあげる。

 

「だってお爺さんとメルムは違う。でしょ? 出自だけで人を判断するなんて事を、僕はしない」

 

 一瞬、言葉に詰まった。

 だってそんな風に言ってくれる奴なんて、今までいなかったから。

 ゴホン、と咳をして動揺を誤魔化した私は、ネビルに問いかける。

 

「……どうしてそう思う?」

 

「だっておかしいじゃないか。祖父が犯罪を犯したから、その孫娘も犯罪者になるっていうの? 僕はそんな考えの方がどうかしてると思う」

 

 ネビルの声には、悲痛なものが混じっていた。

 人が人に何の根拠もなく陰で罵声を浴びせる、その事がショックだったのだろう。

 私なんかは、もう何年も前に通り過ぎた道でもはや何の感情も湧かないが。

 

「そいつらの考え方が、普通なんだよ」

 

 自分でも驚くほど冷たい声が出た。

 

「どこ行ったって差別、差別。一生言われ続けるんだ。犯罪者の血筋、ろくでなしの末裔、危険だから近寄るな。早く殺してしまえって……私らは何にもやってなかったのにな」

 

 そうだ。

 理由などどうでもいいのだ。

 条件が整いさえすれば、ただの人間が意図も容易く鬼と化す。

 私の口から出た氷の炎のような弾劾に、ネビルは青ざめつつも何とか言葉を紡ぐ。

 

「……そんな人もいるかもしれない。けれど世の中広いんだ。皆が皆、そんな人ばっかりじゃないよ」

 

「そうかもな」

 

 少なくとも目の前の男の子は、”そんな人”じゃあないらしい。

 それだけで充分だった。

 本を懐にしまって、私は席から立ち上がる。

 

「どこに行くの?」

 

「静かにお話が出来て、お腹も満たせる場所だ。クィディッチのお陰で、今なら彼処もガラガラだろうしな。それともネビル少年は、あの騒々しく軽薄な競技場がお好みかな?」

 

 テコでもこの場から動くつもりはなかった。

 だが、先ほどの言葉を聞いてそれは変わった。

 子供じみた意地くらい曲げてやろう、そう思わされてしまったのだ。

 

 ……卑怯者め。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 先を歩くメルムの後ろを歩いて数分、到着したのは何てことのないいつもの大広間だった。

 彼女の言っていた通り、他の生徒達はクィディッチの競技場へ移動を開始しているのか姿が見えない。

 いわば貸切状態というやつだった。

 お互いが向き合うような形で二人共席に座るが、他寮の生徒と同じテーブルに着くというのは違和感が凄い。

 昼食のカレーとパインジュースが音もなくテーブルの上に現れる。

 ネビルの知っているホグワーツの昼食の中では、割とアタリの部類であった。

 

「カレーは良いな。ハズレがない」

 

「あ、メルムもそう思う? ……あ、でも今日のは何か辛いな」

 

「何だよ、そんなナリして甘党か? お坊ちゃんめ」

 

「ばあちゃんのカレーは甘口なの」

 

 そんな事を言い合いながら、ネビルはきつめのスパイスに痛めつけられた喉にジュースを流し込む。

 喉がカラカラなのは、決してカレーのせいだけではなかった。

 メルムが可愛らしい容姿をしている以前に、ネビルはあまり女子への耐性がないのだ。

 これがディーンやシェーマスならば、気の利いた言葉の一つでも思いつくのだろうが、生憎ネビルはアガり症だった。

 故に共通の話題もあまりない自分が、今巷を騒がせている例の件について再度話題のネタにするのはしょうがない事ではあった。

 

「そういえば……あー、”秘密の部屋”があるって皆言ってるけれど。メルムはどう思うの?」

 

「何だ? 薮から棒に」

 

「前に僕ら聞いたんだ。ビンズ先生に”秘密の部屋”の伝説のこと。サラザール・スリザリンが密かに遺した部屋があって、そこに怪物が封印されてるって」

 

 メルムがカレーを掬おうとしていたスプーンを止める。

 一瞬、ネビルには不思議と彼女がうろたえたように見えた。

 

「……分からないが。ダンブルドア校長がミセス・ノリスを治してやれなかったという事は、猫を襲ったのはもしかしたらヒトじゃないかもしれないな」

 

「じゃあドラゴンとか? ケルベロスとか?」

 

「いや? 今上げた名前の中に、何かを石化させる能力があるとは終ぞ聞いたことがない。精々が獲物に噛みつくくらいだ」

 

 やたら具が少なく複雑なスパイスの風味が鼻に来たのもあって、思わずネビルは咳き込んだ。

 

「ゴホッゴホッ……待って。それってもっと凶悪なのがいるってこと?」

 

「そうなるな」

 

 事もなげにそう答えたメルムは、再びカレーを食べる事に専念し始める。

 まったく大物だ。

 小市民であるネビルは、恐怖のあまり直前までキツかったカレーの辛味が一切しなくなったというのに。

 

「ケルベロスの恐怖がフラッシュバックするよ……」

 

「あぁ、去年の廊下の番犬か。ポッター達から聞いたよ、災難だったな」

 

 災難なんてもんじゃない。

 あの小山のような三頭犬に食われかけたし、小便もチビった。

 

「そもそもさ。その”秘密の部屋”の件で被害が出た事ってっていうのは、昔もあったのかな。メルムはスリザリンで何か聞いてない?」

 

「さぁな。秘密の部屋の話自体は、1000年前からあるみたいだけれども。今回の件のように、それで実害が出たかどうかまでは知らない。中には知っている連中もいるんだろうが……如何せん自寮での私は交友関係が狭くてな」

 

 暇を持て余したゴーストが、あざ笑うようにパタパタと通り過ぎていった。

 メルム・グリンデルバルドは、自寮ではノットとブルストロード以外に付き合いがない。

 その事を風の噂で聞いていたネビルは、特別何も思うことなく食事と会話を進めていく。

 

「僕はマルフォイなら何か知ってると思うな」

 

「マルフォイ? 何でまた」

 

「マルフォイの家系は全部スリザリンの出身だよ。彼、いつもそれを自慢してる」

 

 ふぅん、とメルムはパインジュースにようやく口をつけ、少し考え込むそぶりを見せた。

 何だか今日の彼女はいつもと違う。

 普段の彼女は、ぼんやりとしていてあまり感情を感じさせず、何というか不思議な雰囲気を纏っていた。

 だが、今正面に座っている少女の顔には、年齢相応のあどけなさと冷たく大人びた表情が入り混じっている。

 こっちの方がしっくりくるな、そんな事を思いながらネビルは話を続けた。

 

「メルムも現場にいたんだから、マルフォイの言ったこと聞いてたでしょ? 『次はお前たちの番だぞ、”穢れた血”め!』って。彼は出来損ないのスクイブやマグル生まれの子を、ホグワーツから追い出したいって思ってる」

 

「……なるほど。最近、スリザリンの中でもマグル生まれや半純血の奴らが、私やマルフォイの奴に媚びを売り出した理由はそれか」

 

「もしかしたら今回の事件もマルフォイが……」

 

「あぁ、それはありえないな」

 

 ネビルの唱えたマルフォイ犯人説。

 それをメルムはにべもなくバッサリと切り捨てた。

 

「無論、マルフォイが事件の犯人じゃないかとは戯れに考えてみた事はあった。しかし、どうしても今回の犯人像とイメージがズレる」

 

「どういうこと?」

 

「何せ同じ寮内だ。マルフォイの奴が”秘密の部屋”の怪物なんて宝物を手に入れたらすぐに分かる。そもそもあのチキン野郎には、猫1匹だって呪いをかける度胸なんぞありはしない」

 

 言われてなるほど、と納得する、

 確かにマルフォイは姑息で卑怯な印象はあれど、犯罪を起こすタイプかと言われるとそうではない。

 

「え? でもそれって逆に怖くない? マルフォイ以上の純血過激派がいるってことでしょ?」

 

「まぁな。でもほら、私の寮って純血過激派の巣窟みたいなものだから……やっぱこのカレー美味いな」

 

 自寮に犯人がいるかもしれない。

 そんな可能性などそっちのけでカレーに舌づつみを打つメルム。

 その強心臓を少し分けて欲しいとネビルは思った。

 

「そもそもネビルは何をそんなに恐れているんだ? 風の噂で聞いたが、お前は由緒正しい純血なんだろう? 仮に秘密の部屋の怪物がいたとして、お前を襲う筈がないじゃないか」

 

 随分とお節介な風もあったものだ。

 個人の血筋の情報が当然のように出回っている。

 

「それでもだよ。だって最初にフィルチが狙われたもの」

 

「そうだな。それで?」

 

「う……」

 

 その先を言う事は憚られた。

 純粋に言いたくなかったのだ。

 ネビルは、陰で己がどんな風に嗤われているかを知っている。

 

 ────純血の癖にろくに魔法も使えないスクイブ

 

 それだけは、目の前の少女には言いたくなかった。

 そんなネビルの葛藤を見透かしたように、メルムは両手の指を胸の前で組んで、ポツリと言った。

 

「お前の辛さは分かる。魔法を上手く扱えないことで、陰口を叩かれてるんだろう?」

 

 心臓がひっくり返るかと思うほど、ネビルは動揺した。

 

「え、……何でそんなこと……?」

 

「別に驚くことじゃない。マルフォイの馬鹿が、調子に乗ってお前に突っかかっているのを何回か見かけた。お前がそれに泣きながら耐えてる所もな」

 

 気になっている女の子に自分の恥ずべき部分を見られていた。

 ネビルは動揺を通り越して荒んだ気分になった。

 

「なぁ、どうして耐える。泣き寝入りして何になる、誰かが助けてくれるとでも思っているのか?」

 

「違うよ!」

 

 とっさにネビルは言い返していた。

 このままで良いなんて思ってはいなかった。

 彼らにやりたい放題やらせて、自分は泣いてるだけ。

 そんなのは堪らなく辛かった。

 メルムは静かに言う。

 

「ならどうして言われたまんまなんだ。良いか? 右の頬を打たれたら、千倍にして返せ」

 

 何だって? 

 女子の口から出たとは思えないほど物騒な言葉に耳を疑った。

 ネビルは唖然として、端正な横顔を仰ぎ見る。

 

「こっちが黙っているから、敵はどんどんつけあがる。たまには相手を痛い目に合わせてやらないとな」

 

「……僕には喧嘩なんて無理だよ、やったことがないもの」

 

 ネビルは何とか声を振り絞ってそう言った。

 

「なら喧嘩のやり方を教えてやる。男なら1人で戦え、杖は持つな。以上だ。不意打ちでも正面からでも箒でも石でも何でも使え。急所も思う存分狙ってやれ。呪いの傷でなけりゃ、マダム・ポンフリーが上手く治してくれる……まぁお前ぐらいの筋肉ならそこまで相手に気を遣うことはないがな。ただし相手が倒れたらそこまでだ、手を出すんじゃないぞ?」

 

 早口でメルムから語られる妙にリアルな喧嘩指導。

 ネビルは黙って目を伏せる事しか出来なかった。

 マルフォイ達に喧嘩で勝つなんてできっこない。

 逆にもっと酷い目に合わされる。

 泣いてる自分を指さし嘲笑を浴びせている、マルフォイ達の姿が目に浮かんだ。

 そんなネビルの弱気が向こうにも伝わったのだろう。

 メルムの声が1オクターブ低くなった。

 

「お前に自尊心は無いのか? 自分が変わらなきゃ意味ないんだぞ。それともそれがグリフィンドールお得意の騎士道って奴なのか? 大変だな、痩せ我慢ばっかりで」

 

 私はそうならなくて良かった。

 そんな顔をして、目の前の少女は皮肉る。

 

「だって暴力はいけないと思うし……」

 

 ネビルが反射的にそう言い返すと、メルムはポカンと大口を開けて、虚を突かれたという顔をした。

 そして、目の色を変えて声を荒らげた。

 

「暴力? ふざけんなよ、何が暴力だ! じゃあ何か? マルフォイや他の連中がお前や私にやってきた事は暴力じゃないのか?」

 

 ネビルは口を開けたまま動きを止めた。

 

「”いじめ”だの”差別”だの、言葉は重宝だな。暴力よりは上等に見える。だがな? あれは正真正銘の暴力だ。言葉や集団で圧をかけてくる暴力。ぶん殴るよりもタチが悪い。人の心に、目には見えない深手を負わせるんだからな」

 

 実感の籠った言葉だった。

 その”暴力”を幾度も向けられてきた者だけが放つ、本気の怒りだった。

 

「そもそも、いじめっ子連中がどうして野放しになってると思う。その高貴なる血筋だからか? あいつの後ろにいる親が怖いからか? 違うね。お前らは卑怯な人間だ、と面と向かって言える奴が周りにいないからさ」

 

「どうして、いないの?」

 

 メルムが蒼く燃えるような瞳をネビルに向けた。

 

「どいつもこいつも怖いからだ。面倒事に関わって損したくないからな。どれもこれもみーんな叩けば埃が出てくる身の上さ────あのダンブルドア(・・・・・・・)だってそうだった(・・・・・・・・)……」

 

 最後の一言だけ呟くように言うと、メルムは再びカレーを食べ始める。

 これ以上、この件に関して何かを言うつもりはないのだろう。

 しかし、ネビルの方には言いたい事がまだあった。

 

「あのさ、メルム聞いてくれない?」

 

「……何だ?」

 

 皿に視線を落としたまま、不機嫌そうな声が返ってくる。

 くだらない泣き言や弱気な発言なら聞きたくない。

 そんな心の声まで聞こえてくるようだった。

 ネビルの発言は、明らかに彼女を失望させたらしい。

 だが、だからこそネビルはこれだけは言っておきたかった。

 

「どうせならさ。魔法を上手く使えるようになって、マルフォイや皆を見返してやりたいよ」

 

「ほう、それは何故?」

 

「だって暴力で黙らせたって、落ちこぼれっていう事実が変わるわけじゃない。メルムがゲラート・グリンデルバルドの孫であるのと同じように」

 

 ぴくり、と皿を掬うメルムの手が止まる。

 しかし、彼女が激昂する事はない。

 先程と打って変わってメルムは聞き役に徹していた。

 

「メルムも言ってたじゃないか。自分が変わらなきゃ意味ないんだって。なら、僕は落ちこぼれの自分を変えたい。皆の前で上手に魔法を使って、あっと言わせたい」

 

 ふむ、とメルムが顔を上げた。

 その顔にさっきまでの不機嫌そうな表情はない。

 怒りに燃えていた蒼の瞳も、今は人の成長を喜ぶ暖かい翡翠の色をしていた。

 

「なるほど。それはそれで面白いかもな」

 

 

 

 ──────

 

 

 

 その後、気まずくなった空気を挽回して乗り切ったネビル達の会話は、思いの外長く続いた。

 お互いに他寮の人間、それも異性とここまでじっくり話す機会などそうそうなかったのが幸いしたのか。

 話自体は、主に自寮の愚痴などたわいもないものではあったが、寮それぞれの独特なルールなどに気づかされたりと楽しいものとなった。

 

「それにしても、マルフォイがパーキンソンと付き合うことになったのは意外だったなぁ」

 

「自尊心のない奴は、しょうもない相手に惚れるもんだ」

 

「そんなものかな」

 

「そんなもんさ」

 

 互いの常識や成績は、どの分野においてもことごとく対極にはあったものの、皮肉な事に自身が寮内で浮いているという話においては大体意見が一致した。

 

(最初はクィディッチを一緒に観れなくて残念に思ってたけれど、こういう時間の使い方も悪くないなあ)

 

 などとネビルが思っていると、クィディッチ競技場のある方角から、微かに歓声が聞こえてきた。

 大広間から競技場までかなりの距離がある筈なのだが、それでも轟く大音量。

 試合が終了した報せであった。

 

「行くか。そろそろ面白いものが見れるだろうし」

 

 残ったパインジュースを一気に飲み干し、メルムが席を立ち上がる。

 二人は連れ立って────別に連れ立って行く必要はないのだが、取り残されるのもたまらないので、連れ立って夕暮れの大広間を出た。

 

「どこに行くの?」

 

「なぁにすぐ分かる。ついでにどっちが勝ったのかもな」

 

 メルムが大理石の廊下を歩きながら、肩をそびやかして言った。

 こだまする靴音に気兼ねしながら、長い廊下を折れ曲がる。

 いつもは移動する生徒達で賑やかな通り道が、沼のような静けさだ。

 箒を最新式にしたスリザリンの試合は全寮の気になる所であり、必然的に校内はガラガラになったのだろう。

 

「この時間はいつも沢山の生徒が彷徨いてるから、静かなのが新鮮だね」

 

「確かに。いたらいたで鬱陶しいが、いないとそれはそれで気味が悪いな」

 

 そんな事を話しながら、二人は医務室のある廊下に到着する。

 廊下は静まり返っていて、人の気配はない。

 ネビルはどうして彼女がこんなところに来たのか不思議でならなかった。

 

「おや? まだ来るのが早かったかな。折角、英雄の凱旋を見に来たっていうのに」

 

 メルムは不可解そうに腕時計を見やりながら小首を傾げている。

 

「残念ながら君の言う英雄の凱旋はまだじゃよ。ちょっとした手違いが起きたのじゃ、ミス・グリンデルバルド」

 

 ここにいるはずのない第三者の言葉。

 ネビルは思わず後ろを振り向いて、ギョッと立ちすくんだ。

 ネビル達の背後にある柱、その陰と同化するように立った人影があった。

 まるで噂の”継承者”が後をつけてきたような気がして、ネビルは後ずさる。

 

「おや、驚かせてしまったかの」

 

 そう言って穏やかな顔をした老人が、ゆっくりと影の中から光の中に歩み出てくる。

 それはこの学校の誰もが知る傑物。

 そう、アルバス・ダンブルドア校長先生だった。

 

「なんだ、ダンブルドア校長ですか」

 

 御大のいきなりの登場にメルムが忌々しげに呟く。

 

「なんだとはご挨拶じゃの。最近、ある女子生徒が塞ぎこんでいる。そう聞いて、居ても立ってもいられなかった老人の気持ちを少しは理解して欲しいものじゃ」

 

「……貴方には関係の無いことです」

 

 つっけんどんなメルムの対応にも、ダンブルドア校長は相好を崩すことはない。

 そのキラキラしたブルーの瞳で此方をじっと見ている。

 彼女はチッと聞こえよがしの舌打ちをすると、ネビルを側に呼び寄せ小声で囁く。

 

「ダンブルドア校長とは因縁があってな。まぁ私というよりは祖父との因縁だが……お陰様でこうしてよくお節介を焼きに来る」

 

「え、そうなの?」

 

 まさかアルバス・ダンブルドアともあろうものが、出自だけで彼女を見張っているのだろうか。

 驚いたネビルが老人を横目で見るも、その穏やかな表情からは負の感情は伺えない。

 それどころか、近所の子供を見守るような柔らかな雰囲気すら感じさせている。

 

「教科書に載っている出来事だけが全てじゃない。色々あるのさ」

 

 ネビルの視線で疑問が伝わったのだろう。

 メルムは鬱陶しそうにため息を吐きながら、それだけ言う。

 ダンブルドア校長が長い銀色の口髭をおかしそうに震わせた。

 

「そうそう。君が見物しようとしておるハリーじゃが、当分医務室には来れぬ。彼はロックハート先生の手違い(・・・・・・・・・・・・)で試合で折った手を骨抜きにされてしもうた」

 

 最初、ネビルは聞き間違えかと思った。

 ロックハート先生は、個性的でナルシストではあるが優秀で教え方も上手な教師。

 それが寮内共通の印象だったからだ。

 

「あの薄ら馬鹿が……」

 

 傍にいたネビルがようやく聞き取れるくらいの小声で、メルムが口汚く罵る。

 ロックハート先生は人気の高い教師でもあったので、彼女の反応は意外だった。

 一つ良いですか、とメルムがダンブルドア校長に言う。

 

「ポッターの腕を折ったのはブラッジャーですか?」

 

「そうじゃ。やはりお主には視えて(・・・)おるのか。察するに右目かの」

 

「えぇ、祖父譲りです。つまらないものしか見せてくれませんがね」

 

 ダンブルドア校長が考え深げに唸った。

 

「……ミスター・ロングボトム。申しわけないが、先に談話室に戻っては貰えんかの? 儂は少しばかりミス・グリンデルバルドと話したいことが出来てしもうた」

 

 二人にして大丈夫なものか。

 ネビルは少し不安になってメルムの端正な横顔を伺う。

 彼女は顔を顰めて、嫌々と首を横に振っていた。

 

「……っていう感じですけれど」

 

「困ったのう。話が終わったら、頼まれていたフォークスの尾羽をある程度の数、渡そうと思っていたのじゃが」

 

 それは魔法の言葉だった。

 途端にコロリとメルムの態度が変わる。

 

「嫌だなぁ。話を聞かないなんて誰も言っていないじゃないですか」

 

 驚くほどの掌返しにネビルは絶句した。

 利に聡いあたり、メルムがスリザリンに振り分けられたのも分かる気がする。

 

「ありがとう。お主ならそう言ってくれると思っておった」

 

 まんまと餌で子供を釣ったダンブルドア校長は、ニコニコしてそう言った。

 

 

 

 

 

 




ようやく出せたー。一応生きてます。


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#027 予見者

弱い奴は嫌いだ。

正々堂々と向かって来ず、大切な者を奪っていくから。

弱い奴は嫌いだ。

口先だけは一丁前で、何一つ守り切る事が出来なかったから。



 

 連れてこられたのは、校長室に続く鷲の彫像の前だった。

 怪我をした友人を待つ間の手短な話を期待していたが、これでは期待出来そうもない。

 ボクは品悪く舌打ちした。

 

「レモンキャンディ」

 

 ダンブルドア校長がそう唱えると鷲の像が回転し、中に螺旋階段が現れる。

 

「前に来た時から思ってましたけど、この仕掛けは”マグル的”だ」

 

「ほほ、歴史あるこの階段にそのような感想を抱くのは君くらいなものじゃ」

 

 階段を上がると、いつものおかしな小さな物音で満ち溢れる、広くて美しい円形の部屋が出迎える。

 棚にところ狭しと並べられた魔法道具の数々は、コレクターを自負するボクでも持っていない貴重な物ばかり。

 

「興味があるのかね?」

 

「もちろん。前にも言ったでしょう、ここはボクにとって別天地(エルス・ウェア)だって」

 

 特に机の花瓶のあれ。

 花の代わりに刺さっている、あの火のついた木の枝など垂涎ものだ。

 ボクの視線の先を見たダンブルドア校長は満足そうな表情で頷く。

 

「目の付け所が良いのう。儂の作った魔法道具の中でも”グブレイシアンの火の枝”は傑作じゃよ。何より、形あるものとして魔法が永久に残る。永続性の美しさじゃな」

 

「なるほど……自作とは恐れ入ります」

 

「なんのなんの。年寄りの冷や水じゃよ。作った時につくづく実感した。儂らのような老人は、魔法道具を作るよりも集める方が性にあっておる」

 

 そう言ってダンブルドア校長は、棚に掛かっているボロボロの三角帽子を見つめた。

 

「”グリフィンドールの剣”など正にそうじゃ。1000年前からホグワーツに残された秘宝。ゴブリン製というのもあるが、儂にはあれほど素晴らしき魔法道具を造る事は出来ぬ」

 

「グリフィンドールの剣?」

 

 千年前にホグワーツを創設した大英雄の遺した剣か。

 是非ともお目にかかりたいものだ。

 ボクが視線で催促すると、ダンブルドア校長は疲れたように首を横に振った。

 

「何とも恥ずかしい話じゃが、紛失してしもうたのじゃ。1週間ほど前にのう」

 

「盗難ですか? 災難でしたね」

 

「いや。盗難の線はないじゃろう。邪な目的の者に、剣は決して引き抜けぬ。資格が必要なのじゃよ」

 

 あるいは、とダンブルドア校長は意味深に微笑む。

 

「ようやく荒野の獅子が導く者を見つけたのやもしれぬのう」

 

 多分、意味のある言葉だったのだろう。

 よく分からない話だったし、ボクは興味もなかったが。

 まぁ多分、向こうも理解して貰おうというつもりで喋ったわけでもないから、別に良いだろう。

 ああ、とダンブルドア校長がポンと手を叩く。

 

「おいで。お主に渡すものがあった」

 

 眼前に置かれる十数枚の不死鳥の尾羽根。

 

「見ての通りの逸品じゃ。何に使うかは知らぬが扱いは慎重にの」

 

「もちろんですとも!」

 

 気もそぞろに、ボクは受け取った尾羽根の状態を確かめる。

 ほんのり赤らんでいて、僅かな熱と魔力を秘めている。

 折れ目や欠けた部分もない。

 まったくもって素晴らしい。飼い主が丁寧な証拠だ。

 尾羽根を受け取って浮かれるボクに、ダンブルドア校長がそっとため息を吐く。

 

「惜しいの。いつもそのような姿をさらけ出しておれば、お主の友ももっと増えるであろうに」

 

「お言葉を返すようで申し訳ありませんけど。無数にいたら良いというものでもないでしょ」

 

「その通りじゃ。真の友とは得難い。しかしのう、お主のやり方は周りに壁をあえて作っているように見えてならぬ」

 

 確かにそれは否定しない。

 ボクはどんな相手にもこんな感じで一歩引いた形で付き合う。

 その方が都合が良いし、嫌な詮索もされないからだ。

 

(はぁ……それにしてもこの尾羽根のなんて美しいこと)

 

 普段だったら、こんな話はまともに受けず流してしまうのだが、生憎とボクは尾羽根に夢中になっていた。

 言葉を選ばずに言えば、ダンブルドア校長の話をあまりまともに聞いていなかった。

 その態度が勘違いさせたのだろう……ダンブルドア校長が真剣な顔でとんでもない言葉を吐いた。

 

「クィレルの一件で勘違いしておるならば訂正させて貰うが────儂はお主のことをとても気にかけておる」

 

(え?キモ。馬鹿かよ。何言ってんの?)

 

 唐突に恐ろしいことを言うなあ。

 ダンブルドア校長にとても気にかけられるということは、死神に鎌を振りかざされた状態に等しい。

 なんせ気にかけられた相手の多くは、結局むしろ放っておかれた方が良かったと思われる状態になったと聞く。

 何それ悲しきモンスターかよ……まったくもって恐ろしい。

 そんな戦々恐々としたボクの心情を他所に、ダンブルドア校長のブルーの瞳は既にここでない何処か遠くを見ていた。

 簡単に言うと自分の世界に入ってしまっていた。

 

「ヴォルデモート卿の登場により霞んでしまっておるが、かつては君の祖父君こそが世界最凶の魔法使いじゃった。絶大な魔法力に常人ならざるカリスマ。まっことゲラート・グリンデルバルドは強大な魔法使いであった」

 

「社会の規範が乱れる時代に現れた悪意の予言者じゃよ。あの男は未来を偽証し、己の権威を強める為にその力を存分に利用した。儂はその恐ろしさをよく知っておる」

 

 爺様が未来視を使って良からぬ事をしていたのは何となく察していたが、まさかマーリンの真似事までしていたとは。

 呆れるボクを他所にダンブルドア校長は独白を続ける。

 

「そして儂は、未来予知が魔法の中でも最も昏い部類に属すると考えておる。人間の希望を奪い、感情を鈍化させる。これほど邪悪な魔法があろうか? 儂はあやふやな未来にお主が影響され、ねじ曲げられる所なぞ見とうない」

 

 交差させた指を解き、ダンブルドア校長はコツコツと机を指先で叩く。

 

「お主は……祖父君に似て、あまりに達観しておる。絶望とも呼ぶべきものじゃ。今思えばゲラートも何処か似たような雰囲気を醸し出しておった。じゃから儂としてはもう少しお主に……」

 

(あぁ話が読めてきたね。だからこの右眼の事が……いや、ボクがどこまでこの右眼を自由に扱えるのか知りたいってことか)

 

 この右眼は祖父譲りのもので、魔法界でも真の予見者はほとんど存在しないとされている。

 早い話、蛇と話が出来るくらいには希少な能力だ。

 ダンブルドア校長ですら、その全体像を知るには至っていない程に。

 

(とはいっても、この右眼はそこまで都合の良いものじゃないんだよねぇ。自分でコントロールも出来ないし)

 

 そう、まったくもってこの右目は不便だ。

 未来視なんていうと聞こえは良いが、白昼夢や幻覚のような光景も多々ある。

 映し出される光景から意味を読みといた時にはもう遅い、なんて事も珍しくない。

 ドラッグ中毒者の幻覚と似たり寄ったりなのだ。

 無論、それでも諦めきれずに使い方を爺様に聞いた事もあったが、上手い具合にはぐらかされてしまった。

 

(今思えば、爺様はボクに何も教えてくれなかったな。予言と予見の違いくらい教えてもバチは当たらないと思うんだが)

 

 ちなみに”予見”と”予言”はよく混合されがちだが似て非なるものだ。

 ”予見”は見る事……つまりは可能性を観測することだ。

 高確率で当たるが、強制力はない。

 つまり、その前の行動によって幾らでも未来を変えられる。

 だが”予言”は別物だ。

 ”予見”は口にされた瞬間から凄まじい強制力を持った”予言”となる。

 その未来以外のすべての可能性を排除し、運命をも捻じ曲げる。

 起きる未来が限定されてしまうのだ。

 シュレディンガーの箱の中身は開けるまで分からない。

 ”予言”というのは、その箱の中を開けてしまうようなものなのだ。

 本物の予見者ならば、”予言”を軽はずみに口にするなど恐ろしくて出来ない。

 あと、予言した後の神秘部への手続きが非常に面倒臭い。

 ダンブルドア校長の長話に適当な相槌を打ちながら、ひとしきり厄介な右眼のことを考えていたその時、

 

「────そういうわけで、お主には儂らとは違った道を歩んでもらいたい……おぉメルムよ、聞いておるかね?」

 

「?……はい、勿論です」

 

 反射的に返事をして後悔した。

 目の前のダンブルドア校長は、満足気に何かやり遂げたような顔をしている。

 結構大事な話だったのかもしれない……ちなみに、内容は半分も頭に入っていなかった。

 

(まぁ良いか。友がどうたら愛がどうたらとかワケの分からない話だったし)

 

 ポッターあたりは、目を潤ませて聞く美談なのだろうが、生憎とボクはそこまで人を信用できない。

 涙を誘うような良い話は、そんなに転がっちゃいない。

 現実はもっとシビアなのだ。

 

「それはそうと、校長先生。今年の件はどう扱うおつもりなんですか?」

 

「今年の件とは……あぁ、憐れなミセス・ノリスのことかね」

 

「そうとも言えるし、違うとも言えますね。校長先生ならこの意味、分かってると思いますけど」

 

 全てを見通すような眼差しがボクに向けられる。

 やがてダンブルドア校長は目を固く閉じると、うぅむと唸った。

 

「別に未来が見えるからって話でもないです。勘の良い生徒達はもう気づいてますよ。あれだけ先生達がピリピリしてるんですから」

 

「……」

 

「あの反応は、1000年前の戯けた伝説に対するものとしてはオーバーだ。あったんでしょ?昔にも似たような事件が。それも人間相手に」

 

 ダンブルドア校長は、何かを言おうとして口を噤んだ。

 現在の教授陣の反応を見てれば分かる。

 雇われて日が浅い先生はのほほんとしているが、ある程度古参の先生達はあれ以降、警戒心剥き出しでピリピリとしている。

 まるで、これからも何かが起こると確信しているようだった。

 

「黙りですか。それでも良いですよ。魔法省の知り合いに頼めばすぐですし。過去にホグワーツで起きた事件なんか1時間もあればすぐに見つかるでしょう」

 

 それがトドメだった。

 学校責任者として、今回の件を出来るだけ公にしたくなかったのだろう。

 ダンブルドア校長は、不死鳥を撫でながらゆっくり息を吐く。

 

「……そうじゃな。お主には話しておくとするかの。察しの通り、”秘密の部屋”は過去にも開かれた事があった」

 

「それはいつです?」

 

「50年前じゃよ。その時には何人もの生徒が被害に遭い────最後はマグル生まれの女学生が1人亡くなってしもうた」

 

 予想よりも被害が酷かった……。

 ヒトが何人か被害にはあっている事は想像していたが、まさか死人が出ていたとは。

 

「なるほど。先ほどの発言は、ダンブルドア校長にとっても急所だったわけだ。死人まで出た騒動に、魔法省が関与してないわけがない」

 

「如何にもその通りじゃ。当時、魔法省はこの学校を閉鎖する事まで考えておった。校長をやっていたアーマンド・ディペットなんかは真っ青な顔をしておったものじゃ」

 

「亡くなった女生徒の名は?」

 

「故人のプライバシーに関わることなんでのう。儂から喋る事は出来ぬ。どうせ当時の記事を調べれば分かることじゃ」

 

 魔法省には知らせず、独自で調べろ。

 言外にそう告げる老人の言葉に落胆しないこともなかったが、言い分は正当なものだった。

 これ以上ゴネてもしょうがない。

 重要なのは誰が死んだかではなく、事件がどのように幕を閉じたかなのだから。

 

「女生徒が亡くなってすぐじゃった。ある生徒によって犯人が捕まったのじゃよ。退学処分にされたとも……あぁ、犯人の名は聞かないでおくれ。加害者とはいえ生徒であった以上、情報を漏らすことは出来ぬのでな」

 

「それはそれは……よく捕まえられましたね。しかも生徒が?」

 

「犯人を捕らえた生徒はホグワーツ始まって以来の秀才でのう。その後すぐにホグワーツ特別功労賞を授与された。フィルチさんに聞けば、その時のトロフィーを見せて貰えるじゃろう」

 

 不思議だった。

 加害者の沙汰を語る時にはなかった感情の波が、それを捕らえた功労者を語る時には老人の瞳に湛えられていた。

 

「当時の魔法省は胸を撫で下ろしたことじゃろう。時は1943年。ゲラート・グリンデルバルドの”力”が最盛期を迎え、マグルも魔法族も巻き込んだ恐るべき計画をドイツで始めようとしておった」

 

「なるほど。魔法省のお偉いさん方からすれば最悪のタイミングですね。他所で同族が殺されまくっているのだから、たかがマグル生まれの生徒の死に拘う暇などない。そんなところですか」

 

「口惜しいことじゃ。儂と魔法省の官僚達では物事の価値基準が違うでのう。今も昔も彼らは命に優劣をつけたがる。どんな命であろうともその重みは同じじゃろうに」

 

 どんな命であろうと同じ重み。高潔(空虚)な言葉だった。

 爺様のような極悪人だろうが、誰もが認める妹のような善人だろうが、命は命。

 しかし本当にそうだろうか……命に差はないのだろうか。

 そんな考えが、顔に出ていたのだろう。

 ダンブルドア校長が疲れたような声で言う。

 

「……すまぬのう。魔法省はお主の古巣でもあったのをすっかり失念してしもうた」

 

「構いませんよ。闇祓いといっても、ボクは正式な職員じゃありませんでしたし。それにお上の意向は分かりかねます……まぁ魔法省の価値観がご不満なら、十年前に魔法大臣になるべきだったのでは?と思いはしますけど」

 

 咄嗟に捻り出したボクのお世辞に、ダンブルドア校長が苦笑する。

 

「いやいや。儂は魔法大臣などにはなりたくないのじゃよ。今の職務が気に入っておる。生徒の成長を見守るのが好きなんじゃよ」

 

(……嘘つき)

 

 ────教職についてから長い年月が経ったが未だに悩む。

 

 ────魔法を覚え、広い世界へと出ていく生徒達は果たしてその価値があったのか? とな。

 

 あの時の、精密機械のような無機質でどこか冷たい印象がダンブルドア校長の本性だ。

 全てが嘘ではないのだろうが、話していないことがあるのもきっと事実。

 まぁ誰しもが隠したいことの一つや二つあるのが世の常だ。

 目の前の老人の在り方に落胆するのは、きっと身勝手なのだろう。

 

「じゃあ魔法大臣の椅子には……国の舵取りには興味が無いと?」

 

「ふむ……」

 

 ボクの言葉に老賢者は僅かに沈黙し、

 

「そうじゃな。強いて望みがあるとすれば、あのファッジの目の上のたんこぶであり続けたい。今のご時世、頂点に立つ者はクールでなければならないからのう」

 

 茶目っ気をだして、どこまで本気か分からない言葉を吐くのであった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「ねぇ冷たくない?せっかく友人が来たってのにフルーツの一つも出さないなんてさ。おもてなしの精神が足りないぞギルデロイ」

 

「フルーツなら沢山ありますよ、大広間に」

 

「行くのが面倒くさい。それに休日は寝る時以外、我が寮の連中と顔を合わせたくない。どうせ今頃お通夜ムードだし」

 

 クィディッチがどうだとか負けたからどうだとか。

 興味が無い話を延々と聞かせられるとか何の拷問だよ。

 どっかりと机に足を乗っけてボクはムスッとする。

 

「おやおや珍しく荒れてますね」

 

「校長先生様から直々の説教を受けたんだ、荒れもするさ。寧ろ今後の予定を練るため、飯も食わずにこっちに直行したのを褒めてほしいね」

 

「勤勉は身を助けます。きっと良いことありますよ」

 

 あの後、ダンブルドア校長と少し”世間話”をして退室したボクは、ギルデロイの教授室に移動していた。

 色々とやる事が増えた上に、”世間話”で気になることを耳にしたからだ。

 

「それにしても、まったくトラブル続きだなあ」

 

「はは、秘密の部屋ですか?」

 

「あぁ、それが事態を悪化させてる。あれのせいで明らかに動きづらくなった。爺様がマグルを差別しまくったせいで、周りからいらない嫌疑を掛けられているのも癪だよ」

 

「闇の魔法使いとしてグリンデルバルドはビッグネームですからねぇ」

 

 まったく、今どきスリザリンで闇の魔法使いの血筋なんて珍しくもないだろうに。

 まぁ人とは感情の生き物である以上、そういった悪意を向けられるのは仕方ない。

 

「ったくふざけやがってクソバカタレが」

 

 ここ最近全ての面倒事をその一言に纏め、ボクはため息と共に悪趣味なデザインの天井を見上げる。

 

 その時だった。

 

 ────……してやる……ろさせろ

 

 ────血祭りに……八つ裂きにしてやる

 

 

「……何か言った?」

 

「はい?何も言ってませんが?」

 

 何がなにやら分からない。

 そんな顔でギルデロイはきょとんとしている。

 

(ヤバいな。ボクまで幻聴が聞こえるようになった?)

 

 最近一人でボーッとしている時間が多かったせいだろうか。

 とうとうボクにもイマジナリーフレンドが出来てしまったらしい。

 先日、壁に耳を貼り付けていたポッターを思い起こしたボクは内心冷や汗をかいた。

 

「コホンっ……まぁそれはそうとだ。ギルデロイ、今度は一体全体何を考えてるんだい?君に関する妙な話をダンブルドア校長から聞いたけれど」

 

 ボクは非常に穏やかに微笑んで言った。

 返答次第では殴る。

 それを察したギルデロイが慌てて顔の前で手を振った。

 

「ち、違います。私じゃなくて……その、ダンブルドアがですね。決闘クラブを始めてくれ、と打診してきまして」

 

「へぇ?ダンブルドア校長からは、”生徒達に身を守る術を授けるのならば私以外に適任はいない”そう言って立候補してきたって聞いたけど?」

 

 面倒事の匂いがプンプンする話。

 それを最後の最後に世間話として聞かされたボクの気持ちを考えても見てほしい。

 軽く発狂ものだ。

 

「まぁ確かに?決闘の練習という発想は悪くないよ。ここ最近物騒だし、近々役に立つかもしれない」

 

「そうでしょうとも!ですから……」

 

「だけど、そのパーティを君が主導するとなれば話は別だ」

 

 その言葉でギルデロイは黙り込んだ。

 沈黙はガリオン。

 いつもうざったいほどに饒舌な男が珍しく口を噤むものの、それで済む話でもない。

 

「どうせ闇祓いの訓練のような無茶が実現出来るわけでもない。いわばお遊びなんだ。他の教授陣にでも任せとけば良かったのに。わざわざ立候補なんかしやがって」

 

「ダンブルドアは口が上手いんですよ。すっかりのせられちゃいまして……」

 

「どうするんだよ。決闘なんか教えられるのかよ」

 

「……出来るわけないでしょう。不意打ちしかした事ないのに」

 

 だろうな。しかし困った。

 これに関しては純粋に実力が試される。

 ダンブルドア校長め、どうしてもギルデロイに破滅して欲しいらしい。

 まさかボロを出すように仕向けてくるとは。

 

「小説家を自称するのなら、その想像力をもう少し有意義に使って欲しいね。まんまと足元を掬われやがって」

 

「これはビッグトラブルです。私1人の力じゃどうしようもない」

 

 その通りだ。

 これは今までのようにはいかない。

 事前に準備した知識を頭に叩き込むのとはわけが違う。

 

「いや待てよ。やり方を教えるだけなら、今までとあまり変わりはしないかね?」

 

「む、無理です。ダンブルドアに実践して模範を見せますって言っちゃいました……」

 

(コイツ……)

 

 ボクは頭を抱える。

 他にもっと言いようがあっただろう。

 アタマ空っぽかよ、見栄ばっかり張りやがって。

 スイカの中身を確認するようにギルデロイの頭をコツコツ叩く。

 

「ま、まぁ相手はスネイプ先生ですし?きっと勝てますよ!」

 

「……多分、あの人ああ見えて決闘強いよ。ギルデロイじゃ100%勝てない」

 

 強者とは、佇まいや所作で何となく分かるもの。

 そしてスネイプ先生は相当出来る(・・・)

 本来ならば、それは滅茶苦茶ありがたい事だ。

 行事進行、その全てを相手に丸投げすれば良いのだから。

 

(だけど絶対にそんな甘くはないよねぇ……)

 

 あの人は全部分かったら、その上で1番嫌なタイミングで仕掛けてくるタイプだ。

 それに手加減して貰おうにも、ギルデロイは彼のヘイトを買いすぎている。

 恐らく、これ幸いとボコボコにされるに違いない。

 ボクは肩を竦めた。

 

「処置なしだ。小細工のしようがない。大人しくぶっ飛ばされてくれよ」

 

「えぇ!?」 

 

 最後の望みに匙を投げられたことで、ギルデロイが呻く。

 そのザマは見ていて、少し気分がスカッとした。

 この馬鹿は嫌いではないが、後の為にも痛い目をみといた方が良い。

 顎を上げてボクが笑った時、ドアが規則的なリズムでノックされる。

 

「ん?誰だ?」

 

「多分小人ですよ。この部屋は唐突に入られると何かと都合が悪いので。色々と教育してあります」

 

 ロックハートがぽんと手を叩く。

 すると彼の予想通り、無愛想な顔をした小人が三匹ぞろぞろと入って来る。

 何とも悪趣味なことに、全員に金色の翼がつきハープを持っていた。

 

「こんな天使っているか?まるでおっさんのコスプレだ」

 

「私の最高にキュートな召使いですよ。異論は認めません……っとなになに?」

 

 小人はギルデロイの耳元で何やら話すと、ドアを閉めて静かに出ていった。

 飼い主に勿体ないくらい忠実だな。

 愛想がないのは欠点だけど。

 話を聞いたギルデロイはというと、頭痛を堪えるように額に手を当てている。

 

「どうでもいい話?」

 

「微妙ですね。マクゴナガル先生からの連絡です。生徒の1人が……あーその、マズいことになったんだとか。詳細は分かりませんがね」

 

 あぁ、もうそんな時間か。

 壁に掛けられた金時計に目を向ける。

 生徒の身に起きたマズい事……その内容のおおむねをボクは把握した。

 まぁだからといって何をするわけでもないが。

 皿の上のフルーツを手づかみにして、かじりつく。

 

「ふぅん。ならどうでも良いね」

 

「というと?」

 

「分かってるだろ。大方、例の部屋の怪物だ。どうせ誰かが石になった程度。君が駆けつけた所で治るワケじゃない」

 

 席を立とうともしないボクの発言に、ギルデロイが目を丸くした。

 

「え、どうでもよくないでしょう!なに平然としてるんですか!死人が出ていたらどうするんです?」

 

「なら、尚更焦ってもしょうがない。死人は生き返らないんだから。明日行こうが今駆けつけようが一緒だよ」

 

「……少し薄情じゃありません?それ」

 

 ほう、薄情ときたか。

 珍しく至極真っ当なことを囀るバカを、ボクは見返す。

 

「そうかい。今の校内はまだ襲撃者が彷徨いている可能性が高い。ようは危険だから動かないってだけの話なんだけど……まぁ生徒の事が心配だって言うなら止めはしないよ。行ってくれば?」

 

 自分がその場に駆けつけようとした場合の、最悪のストーリーを頭の中でババッと組み立てたのだろう。

 視線を上げたギルデロイは、倫理観を超越した人間特有の表情をしていた。

 意を決して息を吸い込むと、彼はスッと席を立つ。

 そして、ドアの前まで行き────おっかなびっくり部屋のドアの鍵を掛け直した。

 

「ま、命あっての物種ですからね。被害者が誰かは知りませんが、明日お見舞いにでも行きましょう」

 

「リスクマネジメントがしっかりしてて幸いだね」

 

 ボクはにっこり微笑んだ。

 些細な倫理観の歪みに目を瞑る柔軟性は、時に必要なのだ。

 

「さて。今は別の仕事に取り掛かって貰ってるけれど……こうなったらしょうがない。あいつを呼ぶよ」

 

「え?あいつっていうとあの人ですか!?」

 

「しょうがないだろ。君が増やした面倒事に最も適任なのは彼なんだから。色々と調べて欲しいこともある。次いでに頭の詰まりも取って貰え」

 

「えぇ……」

 

 嫌そうな顔をするギルデロイ。

 半分こうなったのはお前のせいだからな。

 こっちだって重要な件を任せてる”彼”に、更に頼み事するのは忍びないんだ。

 

「何だよ、集団行動は嫌いかい?男ってのは連れションが好きなもんだと思ってたけど」

 

「……誤解のないように言っておきますけど。私、あの人と別に仲良くないですからね?日本人から藁人形を買う気はないですけど、その程度には敬遠してます」

 

 呼ばれる”彼”にとってもギルデロイは疫病神だろう。

 少なくとも祝う謂われはない筈だ。

 ボクとしても、これから各方面にフォローをしなくてはならない。

 まるで闇の親善大使、結局は貧乏クジだ。

 

「今のボクは自由に動けないから、ギルデロイに外に出てもらうしかないな。手伝ってくれるでしょ?」

 

「おや?手紙で済ませないんですか?」

 

「もちろん手続きの為に各方面に手紙は出すよ。こっそり忍び込ませるわけにもいかないからね。学校に入る為の書類とかを作成する面倒事は他がやってくれるよう取り計らうつもり。君にはそれを受け取り次第、有給使ってノクターン横丁に行って貰う」

 

 ギルデロイは嫌々と首を横に振って抵抗していたが、最終的にはボクの言う通りにすると頷いた。

 損をこいて泣きを見るのは嫌だ、という悲しき意見の一致である。

 

「そうと決まれば、古巣にお手紙だ」

 

 ギルデロイから羊皮紙と自動手記羽ペンを借りる。

 今から書くこの手紙を受け取った時、相手がする顰めっ面を思い浮かべてボクはニンマリと笑った。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「まったく昔から嫌な予感だけはよく当たる」

 

 徐々に夕闇に沈んでいく豪華な庭。

 そこに立ちつくし、ヤックスリーは忌々しげに葉巻をふかしていた。

 

「やっと上への申告が片付いたと思ったら、今度はこれだ」

 

 葉巻の煙と共に、イライラとした感情がもくもくと吐き出される。

 日が沈み闇に包まれていく庭は、普段と違い血生臭い空間へと変化していた。

 足元に無数に転がる屍の一つを、ヤックスリーは乱暴に蹴り飛ばす。

 

「クズ共め、貴様らを雇うのにどれだけの金をつぎ込んだと思ってるんだ。散々タダ飯を食らって、ろくに役にも立たず死にやがって。地獄まで追い掛けて殺し直してやりたいくらいだ」

 

 苛立ち紛れの独り言。

 しかし耳が痛いような静寂の中、闇の奥から返答があった。

 

「適当なチンピラを雇って手駒にするからさ。こいつらすっげえ雑だったよ。心当たりあるだろ?」

 

 ザワザワと闇が動き、中から声の主がボーッと姿を現した。

 闇に溶け込んだ黒の神父服に、足下まで伸びたドス黒いロングコート。

 濃厚な死の香りがする死神のような男、エバン・ロジエールだった。

 

「確かに心当たりはあるが、平時には問題のないレベルだ。そもそも何故、私の麗しい庭がブラッドバスに変わっている?説明して貰おうか」

 

「見りゃ分かると思うが。闇討ちだ。音もなく背後から一撃で見張りが殺られた。気づくのが遅れたもんで、残りの連中も数秒後に脳漿をぶちまける羽目になった」

 

 カラカラと笑う護衛に対し、ヤックスリーは無表情のまま冷たい言葉を口にする。

 

「クズ共の死に様はいい。問題は招かれざる客の方だ。ちゃんと”処理”はしたのか?」

 

「いや。これが存外手練だったもんでやり損ねちまった」

 

「油断か?お前を雇っている意味が無くなるな」

 

 頭や胸から血を流して息絶えている男達は、わざわざ異国からスカウトした配下だった。

 ロジエールに比べれば腕は格段に劣るものの、後腐れがなく使える手駒だっただけに怒りも深い。

 せめて騒動の主の首があれば気も紛れようが、それもない。

 

「いやぁそれに関しては俺が悪いわな。正直チョロいと思ってたんだよ。最近のイギリスは平和ボケしてるし。蓋を開けてみりゃ強引で滅茶苦茶な野郎だった。賭けても良いけど、旦那1人だったら完全に殺されてるね」

 

 ふむ、とヤックスリーは顎を撫でる。

 

「鼠に心当たりはあるかね?」

 

「1週間前くらいからあんたの事について色々と嗅ぎ回ってた爺さんがいたろ。あれだよ。社会的に芳しくない類の人種だ。多分賞金稼ぎかなんかだと思うけどなあ。手際が素人さんじゃなかった」

 

「そんな事はこいつらの死に方からとっくに分かっている。私が聞いているのは雇い主の方だ」

 

 ロジエールは肩を竦める。

 

「分かるわけねぇだろうが。あんたは色々と手を伸ばし過ぎなんだよ。魔法省への不正請求、脱税、闇の魔法道具の横流し。こんだけやってりゃ方々から怨まれて当然だろ?」

 

「刺客の雇い主に心当たりがあり過ぎる、か。我ながら贅沢な悩みだ」

 

「職業柄、あんたは疑心暗鬼が過ぎるきらいがあるしな。まぁこれじゃあ身内を攫って警告っていうお得意の手も使えねぇ。ジョン・ドゥってのは厄介だぜ」

 

 身元不明死体か。

 ロジエールの皮肉にヤックスリーは苦笑する。

 

「真面目な話、襲撃者は最近話題の純血狩りかな」

 

「元死喰い人が狙われてるっていう?先月も1人殺られたんだっけか。ったく容赦のなさと殺しのセンスは本物だ」

 

「あぁ。完璧な闇討ちで拷問された痕跡があった。目撃者はなし、生き残りもゼロだ」

 

 相当な凄腕だ、とロジエールがケラケラ笑う。

 その点に関してはヤックスリーも認めざるを得なかった。

 通り魔には、容姿に関する情報すらない。

 顔を見た者が全員消されている証拠だ。

 

「案外、あんたら貴族が目障りになった魔法省に雇われたジョブキラーなんじゃねぇの?」

 

「無いな。官僚共はとっくに機を逸している。もはや今の魔法省は我々の寄付金なしで正常に動作しない。それは連中が痛いほどよく分かってる」

 

 仮に今の魔法省が純血一族達からそっぽを向かれた場合、あっという間に財政破綻するだろう。

 闇の帝王の災害復興から十年。

 金策を貴族に頼り続けた今の魔法省は、早くも瓦礫の城。

 既に魔法省の実権を握る魔法大臣も、腐敗が齎す甘い汁の中毒だ。

 システムの初期設定をミスした役人共の自業自得とはいえやり甲斐がない話である。

 

「怖いものなんか何もねぇって顔だな。追い詰められた奴ほど何をしでかすかわからねぇぞ。そいつが世の常だ。違うかい?旦那」

 

「かもしれん。だが政府(ガバメント)が何かを仕掛けてくる時には必ず前兆がある。こいつは個人事業だ。お前のような」

 

「その言い方は気に入らねぇなあ。俺はいつでも楽しい側について自分が楽しいって思ってる事をしてるだけだ。ジョブにゃ程遠い」

 

 そうだった。

 死喰い人にしては珍しいタイプで、ロジエールは純血主義に傾倒してはいなかった。

 今も昔も彼が信奉するのは、暴力とそれが生み出す混沌だけだ。

 故に昔の同胞がどうなろうがノープロブレム。

 ごちゃごちゃした事情にもさしたる興味はないのだろう。

 シルクハットを弄びながら、ロジエールが話題を変えた。

 

「ま、良いや。楽しめたけど力で押し負ける程じゃねぇし。それよりもルシウスの件はどうなったんだよ?そっちの方が俺は気にかかるねぇ」

 

「あの馬鹿が遺品整理に悩んでいた件か?言われた通りにしたさ。放り捨てるには惜しい代物だから、有効活用するべきだと助言しておいたよ」

 

「ちゃんと食いついたか?」

 

「もちろん。我らが母校の醜聞が、預言者新聞の大見出しを飾る日も近い」

 

 ロジエールは冷たく笑うとシルクハットを被り直す。

 

「ありがとうよ。これで旦那も俺も楽しくなってくる」

 

「闇の帝王の負の遺産か。誰も持っていないものを所有したがるのは貴族特有の悪癖だな。例の日記以外にも、彼は闇の帝王の学用品をしこたま溜め込んでいたよ」

 

「馬鹿な奴だ。ベラトリックスや旦那ならいざ知らず、ルシウスは闇の魔法に造詣が深い方じゃなかったろうに。豚にガリオン、価値も分からず持ってて良い代物じゃない」

 

 その通りだ。

 趣味嗜好はそれぞれで好きにすれば良いとは思うが、分不相応な物にまで手を伸ばすのは賢明とは言えない。

 ルシウス・マルフォイが、骨董品の中には曰く付きの品があるという事実に、目を向ける脳味噌を持ち合わせていなかったのは不幸な話だ。

 

「これは笑い話なんだが、彼はボージン&バークスに受け取り拒否をされて右往左往していたよ。最近、息子が悪夢を見るんだとか騒いでたな。目の付け所は悪くないんだが、昔から詰めが甘い」

 

「でも、上手くいけばダンブルドアを失脚させる事が出来るって聞いたら掌返して喜んでたろ?」

 

「それはもう捻じ切れんばかりに。最高にスリルのあるギャンブルだと言っていたよ。目に入れても痛くない大事な息子の安全をチップに乗せているとは夢にも思っていないようだが」

 

「純血でスリザリンならば大丈夫ってか?想像力が働かないのは罪だねぇ」

 

 冷ややかな言葉に、ヤックスリーの顔が笑みの形にゆっくり広がっていく。

 日記の主にとって、あの学校は”地雷”が多すぎる。

 すぐに穢れた血の連中を殺す事はどうでも良くなるだろう。

 嗚呼、何とも憐れなルシウス。

 我らのご主人様は基本的に自己中心的で、目的の為ならば純血一族の血も多大に流してきた魔法使いだという事をすっかり忘れてしまっている。

 ロジエールが静かな声で訊ねた。

 

「ま、ガキをダシにした少々品のないお祭りだが、リスクなく楽しむ分にゃ丁度良い暇潰しだろ?」

 

「確かに危険が好きなお前にしては良い塩梅だったな。目論見がバレたところで、ダンブルドアに潰されるのはルシウスだけ。いつだってスり潰される前線は辛い。気づいた時の顔が見物だな」

 

 ルシウスは分の悪い出来レースに乗った。

 今頃は理事の連中を杖で脅すか札束で引っぱたくかして、言うことを聞かせようと模索している頃合だろう。

 かの闇の帝王にすら終ぞ敗れなかったアルバス・ダンブルドアを、この程度で退けられるとは勘違いも良い所だ。

 忌々しいがあの爺は負けない。

 そんな事も分からなくなる程にルシウスは老いた。

 時とは何とも残酷なものだ。

 

「それと朗報だ。上が”モルゴースの王冠”にやっと食いついた」

 

 ロジエールが双眸をわずかに細める。

 

「当然だろ、使える伝手はすべて使ったんだ。美味い餌垂らしてやってんのに反応が遅すぎるくらいさ」

 

「仕方ないだろう。前の時には色良い成果を報告出来なかった。慎重にもなるさ」

 

「流れを読む力は人生の必須事項だぜ?チャンスの女神は前髪しか生えてねぇ。オチオチしてたらあっという間に墓の下だ」

 

 一度そのチャンスを逃した男の言葉は重みが違うな、とヤックスリーは思ったが、それを口に出して言うほど子供でもない。

 

「それにしても、お前がここまで頭が回る奴だったのは嬉しい誤算だったな。闇祓いに突っ込むだけしか能がない輩だと思っていたよ」

 

「舐めんなよ。こう見えても人の動きを読んで動かすのは十八番さ。魔法だけじゃ解決しないこともある。腕っ節だけで生き抜くにゃ、この世はちょいとばかし複雑に出来ているからなあ」

 

 今までこいつの破滅主義に付き合わされていただけに、その一言はヤックスリーにとって衝撃的だった。

 そんな雇い主の動揺など露知らず、ロジエールは猫のように背を伸ばす。

 

「とはいえ頭脳労働が本職じゃねぇ事も確かだ。後は旦那に任せるぜ。どうせ地図に必要な図面は引けてるんだろ?」

 

「当然だ。大方は裁可を戴く前に描いている。運要素が強いのは痛手だが」

 

 だが、そんな事は折り込み済みだ。

 運が絡まないギャンブルなど有りはしない。

 手札を見直した所でカードの枚数も変わらない。

 極論、魔法使いもその点ではマグルと大差ないのだろう。

 唯一違う事といえば、魔法使いには運を排除する裏技がある、という所だろうか。

 

「ま、となると」

 

「神託が必要だ。”盟約”を使う時が来た」

 

 すっかり燃え尽きた葉巻を握り潰し、目の前の闇に放る。

 ふとヤックスリーの脳裏に、光に墨を垂らしたような黒髪が蘇った。

 

「これでシェーンも浮かばれるな」

 

 もはやこの世の何処にもいない男の残像に、ヤックスリーは静かに嗤いかけた。

 

 

 

 



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#028 魔法省からの客人

不死を求めるのならば愛を捨てよ。

愛のない者だけが”死”を克服し得る。

しかし、完全を求める者よ。

必要以上に愛をなくすべきではない。



 

 夢だ。

 夢を見ている。

 距離感がつかめない、真っ白い空間にネビルはいた。

 そこは、どこまでも広がっているようにも見えるし、ごくごく狭いようにも見える。

 そして、今一番の問題なのは、

 

「……」

 

 巨大な、赤獅子。

 人間など、一口で丸呑みしそうな大きなライオン。

 それが、目の前にいる。

 

 ────ようやく気がついた。こんな単純な作業に、随分と時間がかかったもんだな

 

 赤獅子が唸るように言った。

 意外にも、涼やかな声で。

 驚くべきは、巨大な赤獅子を前にしても窮屈に感じなかい空間の方か、それとも赤獅子が人の言葉を喋っている事か。

 

「な、何これ……ゆ、夢?」

 

 ネビルの言葉に、大きな獅子は頷く。

 

 ────夢は、古来から大きな意味を持つもんだ。キングアーサーもヤバい時は夢に頼った。まぁ単純に、今は”剣”の力でお前に波長を合わせているだけなんだが

 

「えぇと……その前に貴方は誰?」

 

 ────今のお前は、まだ俺が名乗るに値する男じゃあないな

 

 赤獅子の巨大な目が細まる。

 おそらく、笑ったのだ。

 

「じゃあ、一体どうして僕の夢に?」

 

 ────”大君の血”が目覚め始めているからだ

 

「うん?」

 

 まったく答えになっていない。

 おまけに意味も分からない。

 まぁ夢だから仕方ないといえばそこまでだが。

 ネビルはため息をつく。

 どうせ夢を見るのなら、こんなワケの分からないものよりも、美味しい食べ物を食べてる夢をみたい。

 そんなネビルの心情を無視して、淡々と赤獅子は続ける。

 

 ────あの魔法使いは、必ず何らかの形でこの地に戻ろうとする。それは俺ら4人の共通の見解だった。まさか朽ちた己の肉体を素材に、ヒトとの間に子を儲けるとは思ってもみなかったがな

 

「はぁ」

 

 ダメだ。何を言っているのか分からない。

 それに大して興味もわかない。

 分かるのは、何か凄い面倒臭そうな話が始まったということだけ。

 ネビルはウンザリとして赤獅子に言う。

 

「そういういかにもな話をしたいなら、ハリーの夢に出た方が良いと思うな。ほら、彼は面倒事が大好きだし……」

 

 ────確かに、あの小僧は傑物だ。俺だって憑くならあっちの方が良い。だがな? 俺にもお前にも残念なのは、剣はお前を選んじまったんだよ

 

 剣が選ぶ? 何の話だろうか。

 やっぱり意味が分からず、ネビルは眉をひそめる。

 こういう時はとりあえず話を合わせる。

 

「うーん……何の事なのか相変わらず分からないけれど、その……嬉しいよ」

 

 ────俺は程々だな。というかあんまり嬉しくない

 

 獣臭い息を吐いて、獅子は震える。

 どうやらこの獣は、存外にお喋りで何よりも正直者のようだった。

 

「人の夢に勝手に出てきたくせに……言いたい放題だなあ」

 

 ────どうせ俺は基本的に口しか出せん。お前の夢だからな。気分を害するなら、右から左に聞き流しといてくれ

 

 特に思うこともなく呟くだけのネビルに、赤獅子は素っ気なく言った。

 

「その……あー何ていうか、あんまり気分が良くなさそうだけれど」

 

 ────仕方ないだろう。飯屋で長時間待たされて不味い飯が出てきたら、お前だって似たような気分になるさ

 

 ふむ。確かにそれは気分が悪くなる。

 そう納得しかけてネビルは、自分が不味い飯扱いされた事にハッと気がついた。

 

「ねぇ、どうして僕なの?」

 

 ────言っただろう、剣が選んだ。それは俺の魂が選んだと同義なんだがな。とにかく、お前は選ばれたんだよ

 

 魂が選んだときたか。

 いよいよ、夢物語を飛び越えてファンタジーだ。

 シェーマス辺りが喜びそうな展開である。

 

 ────剣はベットの下にでもしまっておけ。どうせお前以外には見えないし、触る事も出来ない

 

 赤獅子は話したい事を終えたようで、踵を返して何処かへ行こうとする。

 ネビルはそれを呼び止めた。

 

「もう1つだけ質問良い?」

 

 ────何だ? 

 

「十中八九、疲れた僕の夢だろうけど。もし目が覚めた時、僕の傍らに剣があったとして。それを手に入れた僕はどうすれば良いの?」

 

 ────単純だ

 

 獅子の顎が大きく開けて笑う。

 

 ────抜くべき時を見誤らず、振るうべき時に躊躇うな。以上だ

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 かのヴォルデモート卿が姿を消して十数年。

 未だに世の中は、暗い話題に事欠かない。

 例えば、どこぞの写真小僧が夜中に襲われ、今は医務室で死んだように横たわっているとニュースとか。

 珍しく朝から静まった大広間、適当に座った席で朝食を口にしつつボクはクスリと笑った。

 怪物が生徒を襲う可能性を突きつけられ、今さら生徒達が慌てふためいているのは見ていて胸がすく。

 

「よう」

 

 そんなボクの隣に、短い言葉をかけて座ったのはセオドールだった。

 

「お、今日は随分と早いじゃん」

 

「早くもなるさ。見ろよアレ」

 

 彼が指差す方を見ると、ちょうど我が寮の生徒が群れを成して、席に座っていくところだった。

 他の寮の生徒も、同じく大人数で行動してここまで来たように見える。

 どこか緊張した様子で何事かを話し合っており、何とも不味そうに朝食を食べ始めていた。

 

「もしかしなくても、クリービーが石になった件が関係してる?」

 

「ご名答。相変わらず厄介事には耳が早いな」

 

「まぁね。噂は楽しく生きるスパイスさ」

 

 というか、悪い噂話は耳を澄まさなくても入ってくる。

 何とも世知辛いが、世の常だ。

 セオドールが拍子抜けしたように肩を竦める。

 

「そこまで知ってんなら話が早いな。生徒が犠牲になったんだ。これからはグループで城の中を移動するようにってさ。寮でジェマ・ファーレイが言ってた」

 

「何それ、めんどくさ」

 

 集団行動は苦手だ。

 ボクがそう零すと、セオドールが苦笑いして肩をバンバンと叩いてくる。

 口にはしないが、セオドールもボクと同意見のようである。

 

「ミリセントは?」

 

「パーキンソンやグリーングラスと何事か話し合ってたな。今日はそっちの奴らと飯を食うらしい」

 

「へー」

 

 ミリセントは、純血の中でもかなりの名家だ。

 故にこういう時、身軽には動けないらしい。

 それにしても一体、何を話すんだか。

 面子が面子なだけに、建設的な会話は期待出来そうにもない。

 セオドールもそれは分かっているのか、若干困り顔でご飯を口に運んでいる。

 ボクは、彼の首にかかっている尖った紫の水晶と腐ったイモリのしっぽを見て、首を傾げた。

 

「そういえば何さ、それ」

 

「ん? これか。こりゃ護身用グッズだよ。怪物避け」

 

「ほう」

 

 護身用グッズとは、またもや面妖な物を。

 これでは、胡散臭い魔法道具の方に負けた十字架や聖書の立つ瀬がない。

 

「最近流行ってんだよ、知らねぇの?」

 

「知らないね。最近は寮に引き篭ってたもんで」

 

 流行ねぇ。

 怪物の脅威が本格的になった為、縋れる物に皆飛びついたのだろう。

 本当にそれが良い物かもわからず、盲目的にあの手のアイテムを身につける輩の気が知れない。

 とりあえず、流行っているからやってみようという人間も多そうだ。

 

「マグル出身の連中は皆買ったのかな」

 

「そうじゃねぇかな。何せ、最初の犠牲者はクリービーの奴だ。あいつがマグル生まれなのは見れば分かる。長生きできないタイプだってのも」

 

「そういえば、マグル製のカメラを首からぶら下げてたね。襲撃者からすれば、あれほど分かりやすい標的もいないか」

 

「まぁな。お陰様でウィーズリー兄弟は大儲けだってよ」

 

 なるほど。

 こんな馬鹿げた装飾品を、一体誰が持ちこんだのかと思えばウィーズリー先輩達か。

 相変わらず悪い。ドン引きだ。

 だが現状の恐怖にも負けず、それを利用して利益を叩き出す商売人魂は評価に値する。

 

「それにしても、セオドール純血なんだから買う必要ないんじゃない?」

 

「石橋を叩いて渡るって奴だ。どんな事にも例外はある。いつだって命は1つだぜ」

 

 そう言って、大事そうにセオドールは護身用グッズを撫でる。

 呆れたボクは腰に差した杖を取り出す。

 

「アホくさ。ボクら魔法使いだよ? コイツで十分だろ」

 

「御託ひねんじゃねぇよ。それでどうにかなるなら、クリービーは石になってないっつの」

 

 それも一理あるか。

 杖を袖にしまったボクが食事を再開したその時、ダンブルドア校長が立ち上がった。

 同時に大広間を静かに満たしていた囁き声が、ほとんど一斉にピタリと止む。

 

「さて、食事の途中じゃが皆に幾つか知らせる事がある。耳を傾けて貰おうかの」

 

 内容は分かりきっている。

 だというのに大広間にいる生徒達は、ダンブルドア校長の言葉を待っているようだった。

 

(まぁ教授陣から、明確な説明が欲しいって気持ちは分からないでもないけど)

 

「まず始めに、深刻な問題から片付けてしまおうかの……これは教授陣の間でも、皆のように年端もゆかぬ者に話すべきではないという意見が出た。しかし、儂は大抵の場合、真実は嘘に勝ると信じておる」

 

 身じろぎもせずに、自身を見つめ続けている生徒達に向かって、ダンブルドア校長は静かに語りかける。

 

「数日前、グリフィンドールの一年生が何者かに襲われた。幸い命に別状はないが、当分彼は動ける状態ではなくなってしもうた」

 

 石化の事を上手く湾曲して伝えてはいるが、噂が真実だったとダンブルドア校長が認めた。

 それは周囲に大きなショックを与えたらしく、生徒達が息を飲む。

 

「この事件が何らかの形で終息するまで、授業に行く時は出来るだけ集団で移動することじゃ。1年生には特に注意しておく」

 

 そこまで言うと、ダンブルドアは大きく咳払いをした。

 

「また、今回の件で魔法省からの監査が入る事となった。校内を騒がしている事件を捜査するべく、魔法生物規制管理部から紹介された客人を紹介しよう」

 

 大広間の扉がバタンと開く。

 戸口の向こうには、黒い旅行マントを纏った一人の老人が立っていた。

 炯々とした目つき、獅子の鬣のような茶髪。

 雰囲気に甘さは一切なく、凄みのようなものさえ感じさせる。

 静まり返った中で、ダンブルドアの明るい声が響く。

 

「ガナー・グリムソン氏じゃ」

 

 起こった拍手はまばらだった。

 普段、客人を歓迎するべく拍手を惜しまない先生方は、ダンブルドアを除いて誰も拍手をしない。

 生徒達も、老人の獣のような凄みに圧倒されて固まっていた。

 

「グリムソンだ。仕事は化け物退治(フリークス・ハンティング)。馬鹿な官僚からの依頼で、いもしない怪物の探索をする羽目になったバイトだ。よろしく頼む」

 

 老人は、お世辞にも暖かいとは言えない歓迎ぶりにも全く無頓着なようだった。

 ダンブルドアと少し言葉を交わすと、どかりと教授陣の末席に座り、目の前のカボチャジュースをぐびぐびと飲み始める。

 ダンブルドアは咳払いをすると、未だに老人を見つめ続けている生徒たちに向かって、にこやかに語りかけた。

 

「彼は立場上、君達に聞き込み調査をするじゃろうが、その時は快く協力して欲しい。魔法省からの客人が滞在する間、皆が礼儀と厚情を尽くすことと信ずる」

 

 話を終えると、ダンブルドアは再び席に腰掛けた。

 一通り終わった食事の残り物が皿から消え、さっとデザートに変わる。

 チョコレートケーキを頬張りながら、セオドールが呆然と呟いた。

 

「……冗談だろ」

 

「何を言うかと思えば。冗談も本当になる場所さ、ホグワーツってのは」

 

 そう言ってボクは彼に肩を竦めて見せた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ────御大の孫である証拠を見してくれ。速攻で今の仕事を辞めてあんたの部下になる

 

 ボクの周りは大概変な奴が多いが、この老人も漏れなくそうだった。

 ガナー・グリムソン。

 かつては賞金稼ぎで荒稼ぎをし、今は危険な魔法生物を狩り殺して飯を食っている。

 

「生徒達からの聞き込み調査はどうだった?」

 

「まったくもって無意味ですな。大体が、元を辿れば噂話だ」

 

「だろうね」

 

 何度も生意気な若造どもから延々と事の経緯を語られるのは、腹立たしいのを通り越してアホらしい。

 そう言ったグリムソンは、慰めに用意していた酒を乾いた唇からとめどなく流し込んでいく。

 細い体の一体どこに入っていくのだろうか。

 そんな事を思いながら、ボクは肩をすくめる。

 

「頼んでいた調べ物は?」

 

「すみましたとも。調べられる範囲では」

 

 グリムソンは向かいの席にどかりと座って、鞄から取り出した書類をテーブルに並べた。

 

「被害者の名前は、マートル・エリザベス・ワレン。マグル生まれの魔女。ホグワーツ魔法魔術学校に在籍、レイブンクロー寮の女子生徒。1943年死亡。第1発見者はオリーブ・ホーンビー」

 

 資料には、ふっくらしたニキビ顔の分厚いメガネをかけた女子が写っていた。

 何処かで見た事があるな……主に女子トイレで。

 

「これさ、もしかしなくとも嘆きのマートル?」

 

「おや、ご存知でしたか。死後、彼女はゴーストになったようでしてね。経緯は省きますが、ゴーストになって暫くして、魔法省からホグワーツに留まるよう指示が下っておりますな」

 

 灯台の下はいつも暗い。

 まさか事件の被害者がこんなに身近にいるとは。

 意外な事実に驚くボクを他所に、グリムソンが淡々と報告を続ける。

 

「マートルの死因は心臓発作。深夜に例のトイレで倒れてる所を巡回の教員に発見された。お気の毒にも、あの便所は彼女の棺桶でもあったらしい」

 

「……流石に嘘だろ。死因が心臓発作なら、秘密の部屋の怪物と繋がるわけがない。持病だったんじゃない?」

 

 ボクの反論にグリムソンが肩を竦める。

 

「いや、これが本当なんですな、正式な検死結果です。彼女に持病はなし」

 

「妙な話だそれは」

 

 心臓発作とはいっても変死には違いないのだから、ちゃんと深堀をしてくれなければ困る。

 そんな意図を込めて軽く睨むと、グリムソンが笑った。

 

「遺体解剖の結果、胃や腸にポッカリ穴が空いていた。ストレス性のものだそうです。よほど怖い物を見たんでしょうなあ。死後硬直後の顔は、親が見てひっくり返るほどだった」

 

 ポンと出された検死結果の写真を見て、ボクは眉を顰める。

 これだけ見れば、確かに”嘆きのマートル”だ。

 

「……こんな有様なら、親が黙っていなかったんじゃない?」

 

「当時の校長アーマンド・ディペットは、スリザリン的な人間らしく金が黙らせました」

 

「彼女の両親はマグルだった筈だ。マグルはガリオンを貰っても喜ばない」

 

「不思議なことに葬式の際、遺族に払われたのはマグルの通貨だったんだとか。まったく、何処から捻り出したんでしょうなあ」

 

 グリムソンから投げられた意味深な視線に、ボクは黙り込んだ。

 遺族を黙らせられるほど大量のマグルの通貨を、ホグワーツの校長が用意できたとは考えにくい。

 用意できるとすれば、当時の魔法省くらいなものだ。

 ブン! と手を振る。

 同時に、テーブルに並べられた資料が一切に燃え上がった。

 炎は生き物のように揺らめきながら、黒檀のテーブルを焦がすことなく紙だけを燃やし尽くす。

 

「おぉ……」

 

 グリムソンは、ボクが燃やしたゴミグズを見て唸った。

 

「燃やしちゃマズかった? 見た感じ、持ち出し厳禁の資料だろうから証拠隠滅したんだけど」

 

「いえ。また腕をあげたなと思いまして」

 

 そうね。

 杖なしで魔法を使うのは極めて難しい。使用を誤れば、予期せぬ結果が起こる可能性がある。

 だから多くの魔法使いは、杖を使うことで確実に魔法を行使する。

 

「話は戻るけど魔法省といえばさ。”彼”もよく君をホグワーツにねじ込めたよね。あれってファッジも一応目を通す書類じゃなかったっけ」

 

「えぇ。ですから表向きは、ホグワーツの内情を探る監察官ということになってますな。ダンブルドアの尻の穴のほくろの位置まで見逃すな、と仰せつかった」

 

「おや。ファッジはダンブルドアに大恩がある。早々掌を返さないと思っていたけれど」 

 

「遅めの反抗期ですよお嬢。永年、ダンブルドアに魔法省の尻拭いをさせておきながら、今になって権力の味を噛みしめたようでして。最近は、”何者の干渉も受けない魔法省”などという戯言をほざいている」

 

 なんとまぁ支離滅裂もいいところだ。

 自分が魔法大臣として生き残りがたいがために、よもや自分の牙を抜こうとするとは。

 

「ダンブルドア校長も大変だね。ボクがあの歳なら、静かに片田舎で隠居したいところだけれど」

 

「自業自得ですよ。昔の我儘のツケが返ってきたに過ぎません。あの人を退ける程の力を持っていて、それでも表舞台に立たないとは……流れに逆らえば、いずれ歪みが生じる。奴は王になるべきだった」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、グリムソンは酒をグラスに継ぎ足して煽る。

 やがてドン!と強めにテーブルに置かれる空のグラス。

 ぶはぁと酒臭い匂いが部屋に蔓延する。

 

「それにしても目的は怪物探しでしょう。魔法生物関連ならば、スキャマンダーに頼むのが筋だと思いますが」 

 

「チョイスとしては王道だけれど。面倒事が重なってね。今回はそれで済む話じゃなくなった。万事をそつなくこなせる人材が必要なんだ」

 

 そうでなくても、スキャマンダーさんに学校関係で頼み事なんかするつもりはないけれど。

 あの人に頼むと、ダンブルドア校長にそのまま事情が筒抜けになるだろうし。 

 

「だからといって、私をねじ込むのはやりすぎだ。教職員共も良い顔はしなかった。奴らは私の経歴を知っている」

 

「馬鹿な事を。賞金稼ぎで、獣の代わりに人を狩っていたのは半世紀も前の話だろ。例の大戦で被害者は大体墓の下だし、当時の犯罪者リストも焼却されてる」

 

「確かに、第二次世界大戦は混沌を極め、真実の多くは闇の中だ。しかし困った事に、あの戦争に深く関わった貴重な生き証人が校長職に就いてる。それがこの話のミソだと私は思いますがね」

 

 グリムソンは今でこそケチな商売をしているが、元は名のある賞金稼ぎだった。

 そして、ゲラート・グリンデルバルドの熱心な信奉者でもある。

 昔の話なのでよくは知らないが、爺様と結託し何かしら騒乱を企んでいたのは間違いなかった。

 それをダンブルドア校長が忘れるはずもない。

 

「ま、大丈夫でしょ。ダンブルドア校長は大局を重んじる。少しばかりの粗は見逃してくれるさ。確証はないけれど」

 

「お嬢が思うよりも、あのご老体は冷たく聡い。困ったことだ。人を量る眼こそが、この世界を生き抜く命綱だというのに」

 

 おぉと嘆くグリムソン。

 些かオーバーな反応に苦笑いしたボクは、彼の袖口から覗く包帯を一瞥した。

 

「腕はどうしたの?」

 

「やられました、手練ですな。あっという間でした」

 

 してやられた事を思い出したのだろう。

 グリムソンは、忌々しげに吊っている腕を睨みつける。

 

「囲まれでもしたのかい。らしくないじゃないか」

 

「んにゃ1人です。確かに複数人護衛がいましたが、それは問題じゃなかった────ただねぇ、羊の中に狼が紛れ込んでやがったんですよ。60年前でもあそこまで使う奴はそうは見つからない」

 

「……ほぉ。それは面白くなってきたな」

 

 私が笑みを浮かべると、グリムソンがゾッとした表情になっていた。

 気持ち、姿勢を正してわざとらしい咳払いをしている。

 用心棒として雇っていた彼は、気配に敏感だった。

 

(そこまで怖がらなくても良いのに……)

 

 あくまでボクはテーブル上の取引専門で、荒事関係は全て彼に委託している。

 そもそも学業を放り出してまで、法に触れる何かをしでかそうとは思わない。

 だってボクは、闇の魔法使いじゃないから。

 

「怪我が治り次第、継続は?」

 

「……無理ですな。雇い主も相当黒いしキレ者だ。ああいう連中は横に伝えるのが早い。何処を狙おうと、次は確実に捕まります」

 

「そっか、潮時だね。危険な頼み事をこれまでよくやってくれた」

 

「気にせんで下さい。貴方のお爺様の方が、よほど私の事をこき使った」

 

 さっぱりした回答に、ボクは顔を綻ばせる。

 それにしてもグリムソンを相手に、一方的な戦いをする魔法使いが在野にいるとは思わなかった。

 

「ちなみにだけど、腕をやった奴の素性は分かる? 裏の界隈で、そこまでやれる奴を国内じゃ聞いた事がない。海外産だとは思うけど……、ルートはアラブ系?」

 

「顔はイングランド系でした。薄気味悪い野郎ですよ、配下が何人も死んでるのにニタニタ笑ってやがった」

 

 本題から逸れましたな、とグリムソンが椅子に座り直す。

 

「秘密の部屋でしたか。あながち嘘っぱちってわけでもなさそうですな。医務室で石になったガキを見たが……ありゃあ人間には無理だ」

 

「やっぱり?」

 

「えぇ。魔法族の魔法じゃありませんな。解呪の方法がさっぱりだ。こんなの初めてです」

 

へぇ、てことは結構マズいな。

呪いや闇の魔法に詳しいグリムソンが見た事もないってのは良くない。

石になって一年無駄にするくらいなら、休学するのもアリだぞ。

考え込むボクに、グリムソンが笑いかけてくる。

 

「そんなに心配せんでも大丈夫ですよ。お嬢が石になったら、”盗人落としの滝”に叩き込むので。あれなら1発だ」

 

「……なるほど。その手があったか」

 

”盗人落としの滝”とは、ゴブリンが経営するグリンゴッツ銀行の中にある、侵入者の魔法や呪いを洗い流す防衛装置だ。

確かに、あれなら石化は解けるだろう。

ボクが肩を叩いてグリムソンを褒めるも、本人はキョロキョロと部屋を見回している。

 本来、この部屋にいるべき人間の姿を探しているのだろう。

 

「……そういえば、あのクソッタレは何処です? ツラを拝んだら呪ってやる。ウドの大木のような甘ったれ坊やの尻拭いに、お嬢が付き合わされる現実は許せない」 

 

「決闘クラブが迫ってるんだ。今は、それのセッティングで忙しいのさ。てかギルデロイとは、夜の闇(ノクターン)横丁で会ってないの? 説明に向かわせた筈だよ」

 

「あの臆病者に、そんな度胸があるわけないでしょう。フクロウ便で、諸々の事情が書かれた手紙と手続きの資料を送ってきただけです」

 

 ボクはげんなりした。

 初めて聞いた話だったからだ。

 グリムソンもそれを見て凡その事を察したのか、声を低くする。

 

「……お嬢、どうしてあの野郎を仲間に引き入れたんです? 奴は自画自賛の自惚れ屋だ。野心ばかりで才能なし。誰が見ても負け犬だ」

 

「かもねぇ。だけど、彼はある才能にズバ抜けてる。これからの事を考えると外せないんだよ。分かるだろ?」

 

 ふむ、とグリムソンは顎に手をやった。

 心当たりがあるらしい。

 もしかしたら、ボクの知らないところで世話になったのかもしれない。

 彼もこの世から消し去りたい物事の一つや二つはあるだろうから。

 

「レイブンクロー出身にありがちな話ですな。知識は力なり、か。知恵が働かない連中だが、その分突出した何かを持っている事が多い」

 

「あぁ。クィレルもそうだったね」

 

 精神が脆く承認欲求の塊みたいな男だったが、その才能は本物だったとボクは思っている。

 凄まじいアホさを誇るトロールを意のままに遠隔誘導したり、杖無しで何種もの強力な呪文を操ったりもしていた。

 従う人間さえ間違えなければ、彼は良い所までいった可能性がある。

 しかしそんなボクの感想は、グリムソンにバッサリと切って捨てられた。

 

「所詮、知識は知識。運用する頭がなければゴミと一緒です。そもそも実践的知識を外し、頭でっかちな知識ばかり詰め込むから今回のような事を引き起こす」

 

「……確かに。小説と現実は違うしね」

 

 ボクの言葉に重々しく頷くと、グリムソンは懐から瓶を取り出した。

 老人の目は生き生きとしている。

 

「そういえば、もう1つの頼まれ事がありましたな。相変わらずお嬢の考える案は面白い。大胆と言うか何と言うか……こんな事をよく思いつくものだ」

 

「いや、これくらいは基本でしょ。相手はやり手だ。くれぐれもバレないようにしてよ」

 

 ご安心を。

 グリムソンは肩を竦めてにやりと笑った。

 

「幸いな事に、私はこういう事態にゃ慣れてる。クソッタレにクソを喰らわすのは得意でね」

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 そこは良くも悪くも安居酒屋だった。

 それなりに奇麗ではあるが、年季の入った店内の独特の雰囲気。

 客層は平日なのを加味しても少なく、お世辞にも上品とはいえない。

 そんな閑散とした場所で、二人の魔法使いが話し合っていた。

 アルバス・ダンブルドアとミネルバ・マクゴナガルである。

 

「さて、儂らはどうするべきかのう。まさか魔法省直々に、魔法生物のスペシャリストを派遣してくるとは思わなんだ」

 

「今さら城内を隅々まで探しても、大した意味はないと思いますけれどね」

 

 それよりも魔法省の人選です、とマクゴナガルが鼻を鳴らす。

 

「まさか、よりにもよってグリムソンとは。信奉する者が違うだけで、思想は死喰い人(デスイーター)と何も変わりがありません。あんな人間に陽の当たる場所を歩かせるとは……」

 

「儂も同じ意見じゃが。あまり外でその事を口にするでない。お主も他の先生方も顔に出やすいからのう」

 

 軽くため息を吐くと、ダンブルドアは追加の注文を近くに来た酒場の主人に頼む。

 マクゴナガルは料理のお勧めが分からないらしく、ダンブルドアに任せている。

 

「ミネルバ、あの者が皆に危害を加えるような口実を与えるではないぞ。誰1人として、彼といざこざを起こすことのないよう気をつけるのじゃ」

 

「承知しました」

 

「それとメルムじゃが。さり気なく、彼女にも目を配っておいて欲しい」

 

 その言葉に、マクゴナガルが目を見開いた。

 暫しの沈黙の後、囁くように言う。

 

「……メルム・グリンデルバルドですか」

 

「そうじゃ」

 

「お言葉ですがダンブルドア。私は、あの娘がゲラート・グリンデルバルドのような人間だとは思えません」

 

 マクゴナガルがキッパリと言った。

 その反応に、ダンブルドアは意外な顔をして首を横に振る。

 

「何か勘違いをしておるようじゃが、儂とてそう思っておる。これからは校内にばかり目を向けていられなくなるのでな。お主には少しばかり、儂の代わりをして欲しいというだけの話じゃよ」

 

「そういえば、魔法省と理事会から何件か通知が来ていましたね」

 

「うむ。保護者方からの問い合わせも含めれば膨大な量じゃ」

 

 こういう時に限って、事態を把握出来ない外野が足を引っ張ってくる。

 諦観した表情で、ダンブルドアは天井を見上げた。

 

「それに魔法省の対応も少し思うところがある。秘密の部屋の怪物の件じゃが。儂らにその怪物の処遇を任せるとの事じゃ。こういう些事は自分のところで処理してくれ、とな」

 

「……これが些事ですか。学校には生徒達がいるのですよ?」

 

「コーネリウスは今回の件について半信半疑なのじゃよ。よしんば真実であったとしても、”前回の事件の犯人”を逮捕すればそれで済むと考えておる」

 

 まぁ、と口に手を当ててマクゴナガルが絶句した

 

「彼をアズカバンへ連れて行った所で、何も分かるわけがありません。何もやっていないのですから。そんな事はダンブルドア、貴方もご存知の筈でしょう!」

 

「無論、儂は彼に全幅の信頼を置いておる。じゃが彼には不利な前科や出自がある。いざとなれば無理矢理、理由を付けてアズカバンへ連行するつもりじゃろうな」

 

「事件は学校に丸投げで、いざとなれば犯人を決めつけて誤認逮捕ですか……」

 

「それとこの件に関しては念の為、外部に一切他言無用とのことじゃ」

 

 何を言われたのか、理解が出来なかったのだろう。

 マクゴナガルがポカンと口を開けた。

 

「な……何故、直ぐに周知させないのですか」

 

「この事件による、混乱と支持率低下を危惧してのことじゃろう。ここ数年で、ファッジの政権は国民からの信頼を失いかけておる。なるべく痛手は被りたくないのじゃよ」

 

 コーネリウス・ファッジは、昔からそういう打算的な所があった。

 その薄っぺらさを見透かされているからこそ、政治の駆け引きに強い貴族達に好き勝手される。

 ダンブルドアも助言はするものの、最近のファッジは段々と己の意見を通そうとするようになってきており、制御ができない。

 

「……お得意の箝口令。呆れました。あそこは私が所属していた時から何も変わりませんね」

 

「変わらないのではない。変われないのじゃよ」

 

 自分も人のことは言えないと思いながら、ダンブルドアは冷めた笑いを面に浮かべた。

 

「……コーネリウスとは早めに対談をするべきです」

 

「今の魔法省は不安定じゃ。悪戯にことを荒立てるのは得策ではない。コーネリウスの面を汚さぬように訪問するには、それなりの口実がいる」

 

 とはいえ、それもどうなるか分からない。

 今回の派遣もそうだが、魔法省の行動がどうにもダンブルドアの想像よりも早いのだ。

 まるで、見えない何かからプレッシャーをかけられているかのように。

 そんな事を考えているうちに、追加の料理が二人の元に運ばれてきた。

 

「話は以上じゃ。それでは、冷めない内に食べるとしようかのう。自由に食べておくれ」

 

 暗くなった空気を切り替えるように、ダンブルドアは手を叩いてにこやかに笑った。

 

 

 

 




字数が足りなかったのと加えたい話があったので加筆修正しました。
何度も見る羽目になった皆さん、申し訳ありません。


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#029決闘クラブ前編

人生はいつだって過酷だ、勝てなきゃ死ぬ。

必要なものは何だ? 

勇猛か、知識か、狡猾か、忍耐か。

どれも違う。

私はいつだって闘争心でねじ伏せてきた。



 

 

 老人はかつての戦争を思い起こす。

 各国の利益と利権の奪い合いを絡めて、世界の導火線に火をつけたゲラート・グリンデルバルド。

 彼のイデオロギーは純血一族の者達を決起させた。

 

 彼の率いた軍は強かった。

 

 当時の口さがない卑怯者達が、グリンデルバルドは酷いことをしたというが、あれは戦争だったのだ。

 戦争とは利益と利権の奪い合い、いわば究極の外交手段。

 卑劣なのではない、強かったのだ。

 

 彼らの強さを本当に知っているのは、半世紀にわたってグリンデルバルドを仇敵とし、戦い、破れ、最後に勝利したあのアルバス・ダンブルドアだけだろう。

 

 ────グリムソン君。私は、魔法使いの勤勉さを信じている。彼らは必ず、いつの日か必ず、与えられた環境の中で世界に出ていく

 

 ────ナンセンスだ。魔法界の歴史は、マグルから身を隠す歴史。何も変わらない。全てが更地になった後、憎しみによって蹂躙されるだけだ

 

 ────全ては努力だ。私は、多くの尊敬すべき魔法使いを知っている。彼らは、たとえ全てが更地になろうとも、立派に事を成すだろう

 

 ────どうだ、私と一緒に新しい魔法界を作ってみないか? ローマにもギリシャにも負けない、強い魔法使いだけの国を

 

 初めて、知恵と勇気とを持ち合わせた人間に巡り会った。

 一途に来るわけもない明日を待ち続けているあの男を、老人は心の底から尊敬していた。

 

 ゲラート・グリンデルバルドは徹頭徹尾、骨の髄まで革命家だった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 魔法省から強面の客人が来て、1週間は経っただろうか。

 曇りとも晴れともいえない中途半端な天気の中、ハリー、ロン、ハーマイオニーは玄関ホールにある掲示板の前に立っていた。

 周囲にはちょっとした人だかりが出来ており、皆して張り出されたばかりの羊皮紙を真剣に読んでいる。

 

「へぇ、決闘クラブを始めるんだってさ。どう思う?」

 

「今夜が1回目ですって。決闘の練習なら悪くないわね。近々役に立つかも」

 

「君、どうかしてるぜハーマイオニー。スリザリンの怪物が決闘なんかできると思ってるの?」

 

 そうは言いつつも、ロンも興味津々で掲示を読んでいる。三人共、何やかんや言いつつも興味津々だった。

 その晩八時、三人が再び大広間に集合したのは言うまでもない。

 

「おぉ……!」

 

 いつもの食事をする大広間が、決闘の舞台へと見事に様変わりしていた。

 食事用の長いテーブルは取り払われ、一方の壁に沿って金色の舞台が出現しており、上を舞う何千本もの蝋燭が舞台を照らしている。

 天井は見慣れたビロードのような黒で、その下は杖を持った生徒達でごった返していた。

 

「凄いな。学校中の生徒が集まってるんじゃないか?」

 

「あそこ見てよ、ウッドや君のお兄さん達もいるよ」

 

 そんな風にロンと喋りながら、ハリーは生徒の群れの中に割り込んでいく。

 

「教えるのは誰になると思う?」

 

「フリットウィック先生じゃないかしら。誰かが言っていたけど、”チャンピオン”って通り名を持ってるらしいわよ。凄く決闘が強いんですって」

 

 あの人物でなければ、ぶっちゃけハリーは誰でも良かった。

 最近、妙に絡んでくるあの教師。

 そう。そして現実は、いつだってハリーに残酷だった。

 

「皆さん、集まって! 私の声が聞こえますか? 私がよく見えますか? 結構、結構!」

 

 生徒達が集まった大広間。

 見渡すロックハートの意気込みは、まるで演説でもするかのようだ。

 

「なんとダンブルドア校長先生が、私に小さな決闘クラブを始めるお許しをしてくれました!」

 

 にっかりと笑うロックハートを見て、ロンとハリーは呻き声を上げた。

 骨折した腕を、文字通り骨抜きにされたのは記憶に新しい。

 

 ハリーは、ロックハートの魔法の腕に関して懐疑的だった。

 それはロンも同じようで、満面の笑みを振り撒くロックハートを苦い顔をして見ている。

 

「おいおい、マジかよ……ダンブルドアもおかしくなっちゃったんじゃないか?」

 

「そうだね、スリザリンの怪物のせいかも」

 

 ちなみにロックハートの後ろに控えるスネイプも、二人にとっては歓迎出来ない。

 スネイプとロックハート。

 考えうる限り最悪の選択肢だった。

 

「最近は何かと物騒ですからね。自らを守る必要が生じた万一の場合に備えて、皆さんをしっかり鍛えあげる事を約束しましょう……あ、私自身が経験してきた危機の詳細について知りたくば、今年度の教科書を読んでくださいね!」

 

 上機嫌そのもののロックハートは、甚だ不本意だという顔をして立っているスネイプを手で招く。

 

「この度、私の助手を務めるスネイプ先生です。彼がおっしゃるには、決闘について極僅かにご存知らしい。訓練を始めるにあたり短い模範演技をするのですが、勇敢にも先生が手伝って下さると立候補してくれました!」

 

「……」

 

「しかし、若い皆さんにご心配をおかけしたくないので先に言いますが。私が彼と手合わせした後でも、皆さんの魔法薬の先生はちゃんと存在します。ご心配めされるな!」

 

 馬鹿にされたスネイプは、もはや殺気立ち、シュッと杖をしごいて決闘に臨んでいる。

 早く殺りたくて仕方ないという顔だ。

 

「相打ちで、両方ともやられっちまえば良いと思わないか?」

 

「それはどうかな。見なよ、スネイプの顔を」

 

「……うわ、凄いねありゃ」

 

 スネイプの上唇がめくれ上がっていた。

 いつでも殺る準備万端といったところだろう。

 ロックハートはというと、そんなスネイプの様子にも気づかず朗らかに模範演技の開始を告げた。

 

「では挨拶も終わったことですし、早速、模範演技を始めていきましょう!」

 

 ロックハートとスネイプは向き合って互いに一礼をする。

 スネイプが不機嫌にくいと頭を下げる。

 ロックハートは軽く腰を折ったが、その顔をまっすぐとスネイプに向けたままだった。

 先程と打って変わって真剣な顔である。

 

「よろしい……儀式の詳細には従わねばなりません。生徒達には礼儀を守って欲しいですからね」

 

 ロックハートの言葉を合図に、二人とも杖を剣のように前に突き出して構えた。

 魔法使いの決闘には、このような作法があるらしい。

 ロックハートが、シーンとした観衆に向かって説明している。

 

「これは模範演技ですからね。皆さんに分かりやすい様に、三つ数えて最初の術をかけます。勿論、どちらも相手を殺すつもりはありません」

 

(僕にはそうは思えないけど……)

 

 スネイプが歯をむき出しにしているのを見て、ハリーはぶるりと身震いした。

 スネイプがあんな表情で自分を見たら、ハリーなら回れ右をして全速力で逃げる。

 

 この場に集まっている生徒達も、みんな似たような意見だろう。

 少なくとも、ロックハートのように呑気に笑ってはいられまい。

 

「それでは始めますよ。1、2、3!」

 

 3を言い終わるか終わらないかの瞬間、信じられないほどスネイプが素早く動いた。

 

 杖が空を切り、赤い閃光が放たれる。

 

 デモンストレーションだというのに、無言呪文を使う辺り、確実に勝ちにきている。

 あまりの素早い呪いに、ハリーもこれは終わったと思った。

 

 ────しかし、予想は外れる。

 

 なんとロックハートは、同じく無言のまま透明の壁を即座に張っており、呪いを無効化したのだ。

 

麻痺せよ(ステーピファイ)!」

 

 その一瞬の攻防だけで、ロックハートが一筋縄ではいかないと悟ったのだろう。

 今度はスネイプもしっかりと呪文を唱え、力の籠った魔法を放つ。

 ロックハートは、それを笑いながら避けた。

 

「ほほう、やりますね……腕縛り(ブラキアビンド)!」

 

「ぬん!」

 

 何処からか現れた縄を杖を振るだけで、スネイプは地面に叩きつける。

 だが、それで終わりではない。

 息をつく暇もなく、流れるように杖をもう一振り。

 

「「武装解除せよ(エクスペリアームス)!」」

 

 スネイプの杖とロックハートの杖から、赤い閃光が飛び出したのは同時だった。

 双方の呪文が衝突し、あらぬ方向へ跳ね返っていく。

 スネイプの顔からは、すっかり怒気が消えていた。

 目を見開いた様子を見るに、瞬殺出来ると踏んでいたロックハートの強さを、純粋に驚いているようだった。

 

「そういえば、ダンブルドア校長からお聞きしましたよ。初めスネイプ先生は、闇の魔術の防衛術の職を希望されたんだとか」

 

「……」

 

「実力も定かではない私に職を取られた形になって、歯痒い思いもあったでしょう。この戦いで、納得していただければと思っております」

 

 丁寧なようでいて、その中に嘲弄を含む笑み。

 普段のスネイプならば、怒りで顔を真っ赤にする台詞。

 しかし、彼の表情は変わらず、何かを値踏みするように眉が顰められるのみだった。

 

「……生徒も見ている。お喋りは程々にした方がよろしいかと。必要とあらば、その減らず口を吾輩が閉じて差し上げますが?」

 

「はっはっは。これは手厳しい。お手柔らかにお願いしますよ────沈め(オービス)

 

 トプンっと。

 ロックハートの身体が突如地面に沈み込み、消えていく。

 おぉっと生徒達が歓声を上げる中、ハリーは消えたロックハートの姿を探す。

 何処にも見当たらない。

 スネイプを見れば、目を閉じている。

 何かを待っているようだった。

 

「……ロックハートは何処に消えたんだ?」

 

 ハリーが呟いたその時、スネイプが信じられない反射神経で横っ飛びに地面に伏せた。

 先ほどまでスネイプがいた場所を、赤い閃光が通り過ぎる。

 慌てて出処を見れば、リングの端でロックハートが地表に浮かび上がってくるところだった。

 

「これを躱しますか。やりますね」

 

「……えげつないが、それだけですな」

 

 スネイプは、立て続けに無言呪文を撃つ。

 右に左に飛んでくる呪い。

 それを、鼻歌交じりにロックハートは交わしていく。

 リング外のロックハートのファン達から、一際大きな歓声が響き渡った。

 

 二人の攻防を見守るハリーに、ロンが声をかけてくる。

 

「ハリー、なんか2人とも凄くないかい? 大会の決闘を見てるみたい。てかスネイプの奴、あんなに強かったんだね……」

 

「ロンがそう言うって事は、やっぱり普通のレベルじゃないんだね……」

 

 魔法使いの決闘を知らないハリーでも、これが凄い事だいうことは分かる。

 周りの皆も、普段見られないような高度な決闘を見て、興奮している様子だった。

 それは、戦っているロックハートも同様である。

 

「やはり、決闘は楽しいですね。魔法を研鑽し、強い相手で腕試しをする。相手がよく見え、自分のやりたい事もよく見える」

 

「……」

 

 ロックハートの軽口に、スネイプは壁の松明に向けて杖を振る事で答えた。

 腕木から吹き飛んだ松明が、縄のようにくねり火の蛇になって、ロックハートに突撃していく。

 

「子供騙しな」

 

 突進してくる火の蛇を見ても、ロックハートの余裕は変わらない。

 衝突の瞬間、真上から蛇の頭に杖を突き刺し破裂させる。

 最初の何倍もの火力の炎が撒き散らされるが、スネイプが杖を振って吹き飛ばし、煙に変えた。

 

「開心術を併用なさっているようですが。私にはあまり意味がありませんよ。対策は簡単ですから」

 

「……私が読んでいたのは、思考の表層であると?」

 

「はは。やはり見た目と違い、貴方は聡明でいらっしゃる。長引かせてボロが出てもつまらない。終わらせましょう」

 

 その瞬間、遠くで見ていたハリーからでも分かる変化がロックハートに起きた。

 今までと、明らかに纏う雰囲気が変わったのだ。

 言葉には表しづらいが、不可視のオーラとも言うべき何かが、ロックハートの身体の隅々まで広がっていく。

 

「話の続きなんですがね。熟練した魔法使いは、最終的に己の魔法力に目を向けるようになるんですよ。これがまぁ便利でして────こういう事も出来るんですよ」

 

「……!」

 

 先ほどまでと違い、静かな杖捌きだった。

 それでいて、一つ一つの動作が別次元で速くなっている。

 相手を昏倒させるに足る必殺の一撃が、次々とロックハートの杖から放たれていく。

 

 最初は何とか対応していたスネイプも、あっという間に蜂の巣になって、足元から吹き飛ばされた。

 

「「うおおおおおおお!!」」

 

 無様に床で大の字になったスネイプに、スリザリン以外から一際大きな歓声が上がった。

 近くにいたハーマイオニーは、敬愛する教師の勝利に小躍りしていたが、やがて我に返ったらしく

 

「スネイプ先生大丈夫かしら」

 

 などと言っている。

 ハリーやロン達は、今の今までスネイプには散々煮え湯を飲まされていたので

 

「「知るもんか!」」

 

 と声が揃うほど喜んでいた。

 スネイプはというと、床に伸びたままピクリとも動かない。

 どうやら、ノックアウトされてしまったようだった。

 ロックハートが、ぐったりとしているスネイプに駆け寄ると杖を振る。

 

「やれやれ。お嬢から話を聞いてはいたが、ここまで手強いとは。活きよ(エネルべート)!」

 

 スネイプが微かに動いた。

 闇色の瞳が開き、寝ぼけたように数度瞬きする。

 周りの皆が黙って見つめる中、スネイプはよろよろと身を起こした。

 しばらく呆然とした様子で辺りを見回し、ようやくスネイプは状況を理解したようだった。

 

「……模範演技はこれで十分かね」

 

「えぇ、良い決闘でした。勝ちを譲っていただき、感謝致します。生徒達も興奮していますよ」

 

 未だに座り込むスネイプに、ロックハートが手を差し伸べてにっかりと笑う。

 

「互いに本気でなかったとはいえ、スネイプ先生は本当にお強いですね。教師をしているのが勿体ないくらいです。風の噂で耳にしましたが、闇の魔法使いと何度も戦った事があるのだとか」

 

「……あの時代は、誰しもが闇の魔法使いと戦っていた。例え、それがどんな形であれ(・・・・・・・・・・・・)。貴方もそうなのでは?」

 

「はっはっは。私は小説家ですよ。もっぱら怪物との戦いが専門です。ほら、スネイプ先生立って」

 

 苦い表情のまま、スネイプはロックハートの手を取り立ち上がる。

 

「模範演技は以上です。これから皆さんには、それぞれペアを組んで貰います。出来たところから、決闘を始めてくださって構いませんからね」

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 

 

「どうやら、上手くこなしてくれたみたいだね」

 

 予定よりも派手な決闘になってしまったが、こればっかりは仕方ないだろう。

 今回はバランスを取るのが難しかった。

 そもそもスネイプ先生が強過ぎるのもあるが、普段のギルデロイがヘイトを買いすぎなのだ。

 闇の魔法で撃ち合わなかっただけまだマシ、ボクはそう思う事にする。

 

「さて、こっからは生徒同士での決闘か。皆、誰と組むのかね?」

 

 真っ先にポッターに目が行くが、意外にも彼はマルフォイと組むようだ。

 お互いに相手を、先程のスネイプ先生みたくしてやろうと息巻いている。

 絶好の仕返しの場ってわけだ。

 

 そう考えると、確かに周りの連中も皆して意外なペアを組んでいた。

 ミリセントはハーマイオニーとか。

 まぁこの学年で魔法が一番上手く使えるのは、ボクを除けばハーマイオニーだからね。

 戦闘狂の血が疼いたのだろう。

 セオドールはゴイルとだ。

 此方は割と安直な選択で、馬鹿相手なら勝ちやすいという思考回路である。

 ネビルは……ハッフルパフの先輩と組むようだ。

 

(困ったなあ。大体の知り合いはペアを作り終えてる。同級生とやろうにも、噂のせいで怖がって話にならないし。ジェマ先輩達とやるにしても、下手に倒したらプライド傷つけるしな。こりゃあ、下級生相手に指導って感じかね)

 

 非常に癪ではあるが、仕方あるまい。

 ボクは、後輩達の方に視線を滑らした。

 まずは、我が寮のスリザリンだが……ダメだ、目を合わせてくれない。

 頼みのカロー姉妹は、お互い似たような顔を付き合わせて呪いを掛け合っている。

 お次は、グリフィンドール……あぁもう全員ペア作っちゃってるのね。コミュ力高いな。

 それじゃあハッフルパフはというと、何でか睨みつけられた。

 

(あぁ……もう面倒くさいなあ。帰ろっかな。得られる物なんかどうせないし)

 

 そうは思いながらも、希望を捨てきれないのがボクだ。

 チラリ、と駄目元でレイブンクローを見る。

 ……いた。いたいた。

 ボクと同じく、ポツンと突っ立ってるボッチの女の子がいた。

 

(あ、でも……あの子はちょっとなあ)

 

 普通に考えれば、ボッチ回避の速攻で飛びつくべき案件だ。

 だが、ボクは誘うのを躊躇した。せざるを得なかった。

 

 問題はその容姿だった。

 

 プラチナゴールドの髪、どこかぼんやりと遠くを見据えた瞳、色白の端正な顔。

 前ほどではないが、ズキっとボクの頭が痛む。

 

「ねぇ、あんた」

 

 話しかけにいこうか、それともやめとくか。

 そんな事をぐるぐる考えていると、向こうから先に声をかけられてしまった。

 仕方あるまい、と観念したボクは返事をする。

 

「あーと……何だい?」

 

「あたし、決闘相手いないんだけど。良かったら一緒にやろうよ」

 

「……こういうのは同学年でやった方が良いと思うよ。他の人はいないのかな?」

 

 いざ本人を目の前にしてみると、割とどうしていいか分からないもんだな。

 気づいたら、誘いを断っていた。

 断られた当の本人は、困った顔をしてモジモジしている。

 何なんだろうか。

 

「うーんとね。いないんだ。皆、あたしと組むのは嫌だって」

 

「……そう」

 

 困った事に似ているのは容姿だけで、コミュニケーション能力は然程なかったらしい。

 少なくともルシアは、周りから可愛がられる才能に長けていた。

 あまりの気まずさに、ボクは咳払いをする。

 

「うぅん! ……決闘の経験は?」

 

「ないよ」

 

「使える魔法は?」

 

「浮遊呪文とルーモス。他は練習中だもン。でもね? あたしは強いよ。ヘリオパスを追い払うぐらいには」

 

「……ヘリオパス?」

 

「火の精だよ。大きな炎を上げる背の高い生き物で、地を疾走し、行くてにあるもの全てを焼き尽くすの!」

 

 質問を重ねる度、ボクの顔はどんどん引き攣っていった。

 決闘に関してはまったくの素人、魔法の腕も一年生の平均を下回っている。

 おまけに、なんかワケの分からない事を言っているし。

 はっきり言ってどうしようもない。

 決闘なんか考える前に、教科書をよく読めと言いたい。

 

「もしかして、その……あんたもあたしとペア組むの、嫌だったりする?」

 

「ぐ……」

 

 その言い回しは卑怯だろうが。

 悲しそうに瞳を揺らす少女を見て、ボクは頭を軽く掻く。

 嫌なものは嫌だ、とはっきり言える性格を自負していたが、妹に似た容姿も相まって否定しづらい。

 

「嫌じゃないさ。嫌じゃ」

 

 ただ苦手ってだけで。

 うなだれたボクは、少女の誘いを承諾した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 その女の子は、ルーナ・ラブグッドから見ても不思議な少女だった。

 後ろに束ねた透き通るような銀髪。

 雪のように白い肌、感情をあまり感じさせない翡翠の瞳。正しく、圧倒されるような美しさ。

 

 自分の容姿も他人の容姿もあまり気にしない。

 そんなルーナから見ても、目の前の女の子……メルム・グリンデルバルドは可愛かった。

 

「さて。まずは準備運動から始めようか」

 

 そんなメルムは、ルーナを連れて大広間の端っこに移動すると、軽い体操を始め出した。

 他の生徒達は、さっさと決闘を始めている。

 皆と同じように早く決闘がしたかったルーナは、メルムに不満を述べた。

 

「……あたし、早く決闘がしたいんだけど」

 

「駄目だよ。こういうのは、準備が肝心なんだ。杖と身体は別物のようで同じ。手入れをしなければ鈍るし、いざという時に上手く動かせないからね」

 

 やる事は簡単だ。

 座ったまま足を開いて、身体を前に倒す。

 柔軟体操というやつらしい。

 

「ぐ、……いたっ……これ、痛い……」

 

 こんな簡単な事が苦行に思えるのは、ルーナの背にメルムが乗っかっているからだ。

 運動と縁がないルーナは、すこぶる身体が硬かった。

 

「いきなり運動を始めると、筋肉や関節にとって負担になる。まぁ関節の稼働領域は広げておいた方が良いよ。手足の関節が柔らかければ、よりイメージ通りの動きが出来るからさ」

 

 上で何かもっともらしい事を言っているが、ルーナの耳には届かない。

 無理矢理伸ばされた身体が悲鳴を上げていて、それどころではないからだ。

 涙目になるルーナの頭上から、メルムの呆れた声が響く。

 

「痛みなんて今だけさ。まだ子供なんだから、大人よりかは身体が柔らかい。ボクも、そう時間は掛からなかった」

 

 その言葉に嘘はない。

 最初に彼女は、準備運動を一通りやって見せていた。

 片足で立ち、垂直に上げたもう片方の足を顔に付けていたのを、ルーナは見ている。

 

(……あんなの人間業じゃないもン)

 

 

 それから数分後、ルーナの地獄のような準備体操は終わった。

 最後に少しだけ身体を動かしたいと言ったメルムが、ルーナの上からどいたのだ。

 今は対面で床に座って、足をまっすぐ伸ばしている。

 その上で、ぺたりと上半身を前に倒していた。

 とんでもない身体の柔らかさである。

 

(それにしても……噂とだいぶ違うなあ)

 

 メルム・グリンデルバルドの悪名は、寮も学年も違うルーナの耳にもちゃんと届いていた。

 曰く、怒らせたら何をするかわからない無法者。

 仲間意識の高いスリザリンですら浮く、はぐれ者の蛇。

 祖父同様の苛烈な差別主義者で、秘密の部屋の継承者筆頭候補。

 

 目の前の少女は、少なくともそんな風には見えなかった。

 表情に乏しく、何を考えているかはあまり分からない。

 しかしその反面、面倒見が良く、気さくに接してくれている。

 噂のような悪い人間とは思えない。

 じっと見つめられている事に気がついたのだろう。

 膝から顔を上げ、メルムがきょとんと首を傾げる。

 

「どうかした?」

 

「うーんとね。メルムは、ちっちゃくて可愛いなぁと思って」

 

「……ボクの方が歳は上なんだけどね」

 

 猫にやるみたいに、頭を撫でられる。

 

(妹でもいて、こういうの慣れてるんだろうなあ)

 

 漠然とルーナはそんな感想を抱いた。

 恐らく、大きくは間違っていない。

 

 そんな時だった。

 

ルーニー(・・・・)・ラブグッド!」

 

 意地の悪そうな甲高い声が、ルーナの名前を呼んだ。

 ルーナがそちらを見ると、酷く満足そうに口の端を吊り上げる女の子がこっちを見ていた。

 

「うわあ……パルマだ」

 

 パルマは、いつも三人の取り巻きを連れていて、目についた下級生をイジめる嫌な奴だ。

 ルーナとは学年も違えば家柄も違う。

 今日も左から、アイナ、エヴァ、オリヴィアの順に並んでいる。

 

「はぐれ者のグリンデルバルドと一緒にやるの? お似合いね」

 

 この先輩はその根性の悪さから、裏で”性悪女”なんて渾名をつけられている。

 弱い者虐めが大好きで、寮内で浮いた人間に対しても容赦がない。

 レイブンクローでも変人寄りなルーナは、何度かこの先輩達に絡まれていた。

 

「う……」

 

 ルーナの心臓が、どくどくと早鐘を打つ。

 敵意と悪意を向けられているのが、痛いほどわかる。

 それだけじゃない。

 こういう事に慣れている自分はともかく、関係のないメルムの反応が気がかりだった。

 もしかしたら、面倒事を嫌って帰ってしまうかもしれない。

 ようやく組む相手が見つかったというのに、それはあんまりだった。

 

「……ふーん」

 

 ルーナの予想に反して、メルムは動かなかった。

 ただ、排泄物を投げつけてくる動物園の猿でも見ているような顔をして、先輩達を見ているだけだった。

 その反応が気に入らなかったのだろう。 

 リーダー格のパルマが進み出て、メルムに言い放つ。

 

「他に組む相手がいないってのも悲しいわね、グリンデルバルド。よりにもよってルーニーと組むとか。もっと相手は選んだ方がいいわよ?」

 

「余計なお世話。絡んでこないでよ」

 

 すくっと立ち上がったメルムが、首を鳴らして四人に対峙する。

 パルマは、挑発するように口の端を吊り上げたままだ。

 

「は、変人(ルーニー)と組んだだけあって、あんたもちょっと変ね。人の話を聞きゃしない。こっちは親切心で教えてあげてんのよ?」

 

「あっそ。悪いことは言わないから、とっとと失せな。今は気分が良いからね。雑魚は見逃してあげるよ」

 

 メルムは笑いながら、野良犬を追い払うように手を振った。

 ぼんやりとした見た目にそぐわない、痛烈な口撃。

 どうやら彼女は、思った事をはっきりと口にするタイプらしかった。

 ひくっ、とパルマの頬が引きつる。

 周りの顔からも、馬鹿にしたような笑みが消えた。

 口々に罵声が飛ぶ。

 

「雑魚って私達の事? 酷いわ、このチビ!」

 

「私達、年上だよ。口の利き方がなってないんじゃないの?」

 

「デカい顔して偉そうに。言っていい事と悪い事の区別もつかないわけ? 謝れ!」

 

「そうよ。あんたの為を思って言ってるのに。善意を踏みにじる気?」

 

 出た。一斉に降りかかる罵声。

 この剥き出しの悪意に、ルーナや他の下級生達は圧されて黙り込まされてきた。

 それも当たり前。

 普通の子供なら、上級生に囲まれて四方八方から威圧的に言われたら、それだけで戦意が萎えてしまう。

 

 だけど、メルムは違った。

 

 動揺はなく、怯んだりもしていない。

 熱の篭らない視線で一人一人の顔を見返し、彼女は肩を竦めた。

 

「ごちゃごちゃうるさいよ」

 

 まったく相手にされていない。

 その事に、パルマ達も気づいたのだろう。

 それぞれの顔に、微かな苛立ちが垣間見えた。

 支配欲が満たされないことへの動物的な憤りだ。

 

「本当に、生意気なチビね……」

 

 パルマはクズだ。

 平気な顔で、他人を踏みつけにする女の子だ。

 残酷で狡猾で、そういう事にだけは酷く悪知恵が回る。

 周りに聞こえるように、彼女は甲高い声を上げた。

 

「そういえば、グリフィンドールの下級生が石にされたわね! あんたが、あの子を石にしたんじゃないの?」

 

 何の脈絡もない言葉。

 しかし、齎した効果は絶大だった。

 パルマの大声に気づいた周りの生徒達が、一体何事かとこちらを向く。

 

 地味だが、嫌なやり方だ。

 流石はいじめっ子なだけあって、周りを利用したやり方をよく心得ている。

 

「あーあ。皆してこっちを見てる。犯罪者の孫は辛いわよね。さ、どうする?」

 

「……一線超えたぞ、お前」

 

 平淡な声。

 しかし口調と雰囲気は、確実に変わった。

 その顔に、先程までの温もりはない。

 微笑みだけはそのままに、温度がスッと抜け落ちてしまっていた。

 そんなメルムの様子にも気づかず、パルマはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。

 

「外野が邪魔くせぇな」

 

 少女の可憐な声に、何か致命的な響きを感じた。

 メルムが、ついっと周囲に視線を走らせる。

 

「!」

 

 周りの野次馬達が、ぎょっとして目を逸らすと、慌ててメルムから距離を取り出した。

 ルーナから見えるのは、小柄な背中だけだ。

 今、彼女はどんな顔をしているのだろう。

 

 ────曰く、怒らせたら何をするかわからない無法者

 

 その噂は、真実なのかもしれない。

 妙な緊張感があった。

 熱い。唐突に、何度も気温が上がったような気がする。

 

(誰か止めてよ。お願いだから……)

 

 焦ったルーナは、周囲に止めてくれそうな人がいないか視線を巡らせる。

 

「……あ、いた」

 

 少し離れた所で、腕を組んでいるロックハート先生と目が合った。

 事情を図りかねているのだろう、訝しげにこちらを見ている。

 

(良かった……先生なら、大事になる前に止めてくれるもン)

 

 そんなルーナの希望的観測は、すぐに打ち砕かれた。

 メルムと視線を合わせた途端、ロックハート先生はごほんと咳払いをして、くるりと踵を返したのだ。

 

「あ……」 

 

 絶対に逃げた。

 だって、他の生徒の指導に向かう速さが小走りだった。

 ロックハート先生の逃亡に、ルーナは頭を抱える。

 彼が止めなかったら、一体誰が彼女を止めるのだろうか。

 そうしてルーナが呆然としている間にも、事態は悪化していく。

 

「いつまで突っ立ってる気だ。退け」

 

 トン! とメルムが、パルマの肩を突き飛ばした。

 思ったよりも力が強かったのだろう。簡単によろめく。

 にやりと笑ったパルマが、キンキン声で叫んだ。

 

「痛っ……何するのよ、グリンデルバルド! 年上は敬えってファーレイの女狐に教わらなかったの?」

 

「誰を敬うかは自分で決める。自分より劣っている相手に下げる頭は、生憎と持ち合わせがない」

 

「な……失礼ね。何なのよ、こいつ!」

 

 大広間に響くキンキン声。

 気に入らない事があると、こうやって騒ぎ立てるのがパルマの常套手段だった。

 だが、周りも巻き込まれたくはないのだろう。

 ルーナ達の方を見ようともしない。

 睨み一つで周りを制したメルムは、牙を剥いて笑っていた。

 

「うるさい。突っかかってきたのはそっちだろうが。文句があるのなら、そいつと組まずに私と決闘やるか?」

 

「う……それは」

 

 いつも虐めている下級生達とは、格がまるで違う。

 周りの雰囲気も相まって、そのことにようやく気づいたのだろう。

 パルマの威勢が弱くなる。

 助けを求めるように他のメンツを見るが、彼女達は目を逸らす。

 失望したように、メルムがため息を吐いた。

 

「お前らみたいな連中は、いつもそうだ。自分に自信がなく、群れないと何も出来ない。数を頼んで粋がる頭はあっても、1人で立ち向かう度胸はない」

 

「ち、違うわ。怖くなんてない……でも、あんたはグリンデルバルドの孫だもの。闇の魔法をかけてくるかもしれないから……」

 

 ルーナから見ても苦しい言い訳だった。

 どうせ面白い組み合わせを見て、ほんの軽い気持ちでちょっかいをかけてきたのだろう。

 それが予想外に噛みつかれたので、引っ込みがつかなくなっている。

 そんなパルマの心情を見透かしているのか、彼女の言い訳を最後まで聞くことなく、メルムは代案を出した。

 

「あぁ、分かった分かった。1人で不安なら、4人纏めてかかってこい。それなら良いだろう」

 

 その傲慢な言葉に、ルーナは驚いた。

 ただでさえ上級生相手なのに、四人同時に相手取るなどどうかしている。

 

 数の優位は明らかであり、ここにいる四人は腐っても三年生。ある程度の魔法技能を習得している。

 一年生や二年生では、逆立ちしたって勝てない。

 引き気味のパルマも、この好条件には喜色を浮かべた。

 

「……ナメてるの? 後悔するわよ」

 

「させられるといいなあ。で? 他の先輩方もそれで文句ないだろう」

 

「え……は? 4対1って事? 本気で言ってるのか」

 

 他の先輩達は、未だに困惑が強い。

 後輩相手に袋叩きは、流石に気が引けるらしい。

 今後の彼女達のメンツにも関わる話だ。

 面倒事は御免だ、という様子でお互いに目配せし合っている。

 そんな彼女らを、パルマが半ば無理やり決闘をする方向に納得させていた。

 

「ねぇ、やめときなよ。4対1なんて勝てっこないもン」

 

 ルーナは、この女の子が嫌いではなかったので、嫌味な先輩達に決闘で負ける所なんか見たくなかった。

 メルムの肩を掴んで、強めに揺する。

 

「あたしは慣れっこだから。ほら、向こうで一緒に……」

 

 ルーナは、その先の言葉を飲み込んだ。

 この少し変わった少女は、自分を不愉快にさせる存在を決して許さない。

 いつの間にか、少女の端整な顔がルーナに向けられていた。

 

「心配しなくていい」

 

「ひっ……」

 

 幼い少女の顔にそぐわない、圧迫感のある笑顔。

 日常的な手段として、暴力を行使するのに躊躇しない人間の顔だ。

 冷たく嫌な汗をかいたルーナの手が、少女の肩からゆっくり外される。

 

「ちょっと遊んでくるだけだ」

 

 こいつらで。

 言外にそう言われた気がして、ルーナは身体が震える。

 禍々しい炎を宿した蒼い瞳が、震えるルーナの瞳の奥に映っていた。

 

 

 



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#030決闘クラブ後編

つまるところ魔法力とは、己の想像(イメージ)を外界に刻み込む能力であるのだろう。

個人個人の魔法力の容量には差があるものの、質量保存の法則は適用されず、事実上制限はない。

しかし、魔法の行使には集中力が必要とされる。人間の体力や精神力には限りがある。

故に心せよ、我らは万能の生き物ではない。



 

 

 アラスター・ムーディは、古参の闇祓いだ。

 魔法省での栄光も暗黒もそれなりに味わい、ここまで勤めてきた。

 今となっては、特に未来に期待もしていないし、今後どうなろうと知った事ではない。

 そう同僚に豪語する自分が、幼い子供を闇祓い局に訓練生として連れてきた時の皆の驚き様といったらない。

 

「凄いだろう、あの娘は」

 

「俺の娘にしたいくらいだ。あれほどの才女、そうはいないぞ」

 

 昼食の席で一緒になったドーリッシュの言葉に、ムーディは苦笑いを浮かべた。

 

「それはどうだろうな。ああ見えてお転婆な奴だ。暴れだしたら、お前ではとても止められん」

 

「お転婆上等。子供はそれぐらい元気な方がいい」

 

 身体能力は十分、容姿も整っている。魔法の腕も悪くない。

 確か、ドーリッシュ家は跡継ぎ問題が発生していた。養子の話は半ば本気だろう。

 内心、ムーディは嘆息する。

 ドーリッシュにあの娘を御せるとは思えない。

 

 あれは詐術と闘争を好む。

 血は争えないというが、そんな所まで祖父に似る事もあるまいに。

 そんなムーディの苦悩も知らず、目の前の青二才は嬉しそうに話を続ける。

 

「ここだけの話、どうやって育てたんだ? この短期間で、あそこまで魔法の腕が上達するのは普通じゃない」

 

「……あの子には、殆ど何も教えていない」

 

「馬鹿を言え。そんなワケがあるものか。勿体ぶらずに教えてくれよ」

 

「本当だとも。あれに付きっきりで何かを教えたのは、孤児院の時くらいなもんだ。魔法界の成り立ちや知識を主に、後は日常で使う魔法や魔法の構築基礎だな」

 

「いや、そんな次元じゃないんだが……」

 

 ドーリッシュが驚きで口をあんぐりと開ける。

 しっかりとした攻防や数多の魔法の知識は、ムーディが叩き込んだものとばかり思っていたのだろう。

 ドーリッシュとて、メルムとは何度か練習試合で手合わせしている。

 積み重ねた経験や魔法の知識で、何とか勝利を拾いはしているが、それでも危うい時が何度かあった筈だ。

 

「最初の頃を覚えているか? まだ儂があの子を連れてきたばかりの頃だ」

 

「あ、あぁ」

 

 メルムが闇祓いの訓練を始めた時の事はよく覚えている。

 一緒に肉体を鍛える為の訓練はするが、それ以外の魔法を使った訓練が始まると遠巻きに眺めているだけだった。

 

 記憶が正しければそれもたったの一月近くだ。

 

 その間に魔法の扱い方を覚えたのか、徐々にメルムは魔法の訓練にも参加し始めた。

 今では練習試合で大人に混じって競い合い、遜色ない実力を発揮している。

 

「そう、見ていただけだった。見ているだけで覚えたんだ。目が良いんだろうよ。年を重ねた魔法使いが経験と努力で身につける事を、あの子は数回見ただけで理解した」

 

「……」

 

「ちなみに闇祓いの訓練でも殆ど口出しをしていない。無論、試合の感想や参考書を貸したりはしたがそれだけだ」

 

 天才とは、あの子のような者を指すのだろう。

 闇祓いの基本は、成人の魔法使いですら4年掛かって形になる。

 それをあの子はたった1年半でものにした。

 

「闇祓いになって数十年。この仕事も最後の最後で面白くなったな。糞みたいな出来事の連続ではあったが、少しだけ報われた気がする」

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 四対一の決闘。

 簡単に決着が着くと思われた戦いは未だに終わりを見せず、不思議な事に事態は膠着すらしていた。

 

「何なのよ、これ……」

 

 全く落ちない。

 数を頼んだ強引な攻めでも落とせない。

 それどころか……

 

「そら、武器よ去れ(エクスペリアームス)!」

 

「くっ……失神せよ(ステーピュファイ)!」

 

 相手の杖から迸る赤光。

 光が衝突し、辺りを眩しく照らす。

 

(魔法の相性は上々。後は拮抗すれば、何とか……っ)

 

 次の展開に向けて必死で頭を働かせるパルマの対面では。

 蒼の瞳が、うっすら嗤っていた。

 

「軽い」

 

 相性以前に、桁違いの魔法力。

 衝突した魔法は一瞬足りとも拮抗しなかった。

 凄まじい力の奔流が、パルマを杖ごと思い切り押し返す。

 

 ────手から杖が弾け飛ぶ

 

 そのままパルマは吹き飛び、背後の壁に強かに背を打ち付けた。

 

「ごほっ……ごほっごほっ……」

 

 あまりの衝撃に思わずパルマは噎せた。

 つんとして涙が溢れる。

 

(やっば。こいつ、なんかやってる……)

 

 弱い者を嬲るのが趣味だからこそ、分かる。

 目の前の少女は普通じゃない。

 まずあれだけ最初に挑発したのに、感情任せな動きをしない。

 暴力に慣れているだけじゃない。

 明らかに決闘慣れしている。素人じゃありえない。

 

「拾え。もう1回だ」

 

 足元に転がっている敗者の杖。

 勝者たる少女がそれを蹴ってよこす。 

 まるで靴を舐めろと迫られた気分だ。

 屈辱と怒りでパルマは震える。

 

「……くそっ」

 

 まるっきり無様だが仕方ない。

 怒りで腹が煮えくり返りながらも、傍らに転がってきた杖をパルマは掴む。

 素手の喧嘩で勝てる相手ではないし、これは魔法使いの決闘だ。

 仮に素手で突っ込んでいくとしても、この少女なら躊躇いなく魔法で滅多打ちにしてくるだろう。

 

「それにしても……」

 

 じんじんと手に痺れが残っている。

 硬い棒で岩を殴った時、反動で手が痺れたような痛みだ。

 

(なんて威力。きっと、魔法力が桁違いに多いんだわ。受けはまず駄目ね……)

 

 怒りや不安を押し殺し、冷静にパルマは次の一手を考えていく。

 大丈夫だ。考える時間は周りが作ってくれる。

 案の定、メルムの傲慢な振る舞いに激昂したアイナが、甲高く叫んだ。

 

「グリンデルバルド、やりやがったわね!」

 

「ミスをつけろよ、無礼者が。言いたい事があるなら、杖で述べろ。それがしきたりだ」

 

 メルムの右手は、だらりと垂らされていた。

 戦意がないようにも感じられるが、そうではない。

 あれはある種の構えだ。隙というものが存在しない。

 

「……気をつけなさいよ。あいつ、決闘の経験が相当ある」

 

「わかってる! ────妨害せよ(インペディメンタ)!」

 

 対するメルムは、杖をおろした姿勢でふらりと動いた。

 これがまた何とも言えず嫌な動きだ。

 緩やかな動きなのに、アイナの呪いが当たらない。

 アイナの方も馬鹿ではない。無言呪文に切り替えて、速さを優先する。

 しかし残念な事に、これは速さの問題ではない。

 

「くそっ! くそ、くそっ! なんで、当たらない、のよ!」

 

「身体が小さいもんで。ちゃんと狙わんと、当たらないぞ?」

 

 ケラケラ笑いながらも、その動きは揺れるよう。

 いっそ緩慢にさえ映った彼女を呪いがすり抜けていく。

 武装解除呪文も、鼻呪いも、失神呪文も関係はない。

 メルムは紙切れ一枚ほどの距離で見切る。

 呪いなど当たらなければ脅威でも何でもない。

 言外にそう告げるかのように、アイナの呪いを少女はただ躱し続けた。

 

「……ぐっ……」

 

 放った呪いが二十を超えたところで、アイナの動きが鈍る。

 切れたのは集中力か、それとも体力か。

 魔法使いの対人戦は想像以上に体力や集中力を使う。

 しかもアイナの場合は、自分の呪いが当たらない徒労感もあるだろうから尚更だ。

 肩を上下させ荒い息を吐いているアイナに対し、呪いを全てを避けきった少女は汗一つかかずに余裕の表情。

 

「もう良いか? 次はこちらから行くぞ」

 

 マズい。二人の攻守が入れ替わる。

 守りは駄目だ。

 今のパルマ達に目の前の少女の猛攻を止める術はない。

 

 特に今、メルムと対峙しているアイナ。

 

 この子は六年次に習う無言呪文を部分的に習得するくらいには優秀だが、ある致命的な欠点があった。

 守りの魔法を上手く使えず、反射神経が良くないのだ。

 

「ちっ……鳥よ(エイビス)!」

 

 銃声のような爆音と煙を伴い、パルマの杖先から呼び出された鳥の群れ。

 

襲え(オパグノ)!」

 

 それが弾丸のように、次々と標的に向かって射出される。

 標的は、ある種の凄みさえ放つ少女。

 玉砕覚悟で哀れな小鳥の群れが進軍していく。

 

「……燃えよ(インセンディオ)!」

 

 直後に、メルムからの一撃。

 躊躇など一切なく、放たれたのは火の魔法。

 単純な魔法だが、その威力は通常とは桁違い。

 火炎放射器と化した杖をくるりと回して、全方位から迫る鳥の群れをまとめて無慈悲に焼き払う。

 ぼとぼと落ちていく鳥達。

 その場に充満する生き物が焼かれた臭いに、吐きそうになった周りの子が口に手をやっている。

 

「あーあ、これじゃ焼き鳥だ。食べられないのが残念だよ」

 

 惨状を作り出した本人はというと、欠伸混じりにそんな事を言っていた。

 表情筋と一緒に、感覚も麻痺しているに違いない。

 

「……悔しいけど、1人ずつじゃ歯が立たないわね。皆で行くよ!」

 

 再びメルムが杖を振り上げる前に、他の二人と共にパルマは踏み込んでいく。

 一列に横並びになる四人。

 向けられる杖を見て、メルムが薄ら笑う。

 

「馬鹿な奴らだ。数に頼めば、何とかなると思ってやがる。まだ分からないか?」

 

 落第点を突きつけるように、無慈悲に少女は言った。

 

「雑魚は何人集まっても、雑魚なんだよ」

 

 たった二秒の間に行われる四連続の攻撃。

 学生であるが故の拙さはあるものの、正確に標的に放たれた四つの魔法。

 それは一秒にも満たない時間差をもって、確実に少女を撃ち抜く筈だった。

 正面からの直線と左と右、そして頭を狙ったほぼ真上。

 回避不能に思える囲むように放たれた魔法。

 その僅かな間隙を、少女の燃える碧眼は見抜く。

 

「……うそ」

 

 回りながら、あるいは踊るように。

 不規則に飛んでくる全ての魔法を、メルムは正確に呪いで迎え撃った。

 色とりどりの閃光が、あらぬ方向へと弾き飛ぶ。

 単純な防御魔法で為せる所業ではない。

 それぞれの魔法が放たれた瞬間に、反対呪文を予測し、最適な魔法で打ち消した結果である。

 

「うん、いけるな」

 

 その声には喜びも興奮もない。

 奇跡の所業を起こした者の声にしては、実に平坦だった。

 それがひたすらパルマは恐ろしい。

 合わせた歯の根ががちがち鳴った。

 

(絶対におかしい……これが、2年生? ありえないでしょ)

 

 どれほど強い魔法使いだろうが、所詮は学生の一人。

 しかも年下なら自分達とあまり変わらない。

 四人がかりなら必ず倒せる。

 そんな浅はかな考えをしていた数分前の自分が恨めしい。

 

「なんなのよ、あんた……」

 

「さぁな。そら、衝撃(アヴィアタス)

 

 弾かれたボーリングのピンみたいだった。

 パルマよりも前に出ていた二人が、杖を振るおうとしてドン!! と吹き飛ぶ。

 まるで大人と子供だ。力の差があり過ぎる。

 

「ちょっと、何をモタモタやってんのよ!」

 

「そっちこそ! 早くカバーしてよ!!」

 

 仲間同士の空気も最悪だ。

 たった一人に対してもたついている状況に、吹き飛ばされた二人が癇癪を起こす。

 そもそも彼らは、孤高を旨とするレイブンクロー。

 このような危機にあって、グリフィンドールのように仲間を大切にする気概を持ち合わせていない。

 

 これにはメルムも呆れたようで、肩を竦めて言い争うパルマの仲間達を眺めている。

 この隙はチャンスだ。

 斜めを向いているメルムの位置から、パルマは見えていない。

 半ば不意打ち気味に、再度呪いを放つ。

 

武器よ去れ(エクスペリアームス)!」

 

「分かりやすい奴」

 

 パルマの呪いは首を傾けるだけで避けられた。

 そのまま倒れるように、メルムは身体を前に傾ける。

 それが踏み込みだと気付いた時には、メルムの顔がパルマの前にあった。

 咄嗟に構えた杖は、簡単に踵で蹴り払われた。

 そのまま足を引っ掛けられ、崩れるように膝を落とす。

 ピタリ、と杖がパルマの首筋に当てられた。

 

「う……」

 

 冷たいその感触を首に感じ、恐る恐る顔を上げる。

 ……目は、合わなかった。

 蒼く燃え盛る瞳は、じっとパルマの首を見つめていたから。

 

 こんなの、勝てるわけがない。

 

 くるりと背を向け、メルムが元の位置に戻っていく。

 相変わらず隙だらけだが、もはやパルマに不意打ちしようなどという考えは起きない。

 不意打ちしたところで決して当たらない。

 彼女の背中には目がついている。

 そう言われればパルマはそれを信じただろう。

 呆然としていると、顔を歪めたアイナが詰め寄ってくる。

 

「だからやめようって言ったのに! あんたが変にちょっかいかけたせいで、あたし達もうボロボロよ!」

 

 言われてハッと気がつく。

 まだ決闘を始めて数分。

 それなのに既に自分達の服は汚れでボロボロだ。

 

(汚い……これ、新しいの買わなきゃかな)

 

 今はそれどころじゃないというのに、決闘とは関係のない事が頭に浮かぶ。

 こんな事になる筈じゃなかった。

 そんな言葉がぐるぐる頭の中を回っている。

 はずれしかないクジをひかされた気分だった。

 

「この決闘、元はといえばあんたのせいじゃない! こんな事に私たちを巻き込んで。あんたが何とかしなさいよ!」

 

「……」

 

 蒼白な顔のアイナに胸ぐらを掴まれ、パルマはぐらぐらと揺さぶられる。

 もはやパルマの為に、これ以上怪我をしたいと思うような友人は皆無であった。

 隣で仰向けに転がっていたオリヴィアなど、メルムから後退り背中を向けて逃げだそうとしている。

 

 しかし、

 

「逃げるな」

 

 銀の悪魔の声が制した。

 

「こっちを向け」

 

 その一言で、オリヴィアが金縛りのように動かなくなる。

 どうして勝機があると勘違いしてしまったのだろうか。

 自分達に向けられる燃えるような眼差しを見て、パルマは深い後悔に呑み込まれた。

 

「拾え」

 

 また杖が転がってくる。

 この怪物はワンサイドゲームを続けるつもりだ。

 

 何度も何度もすり潰して、歯向かう気など二度と起こらないように。

 

 

 ──────……

 

 

 

「あーあ、案の定だ。やっちまってるよ」

 

 馬鹿な奴らだ。

 グリムソンの雇い主は、闘争心こそ強いものの基本的に穏やかで付き合いやすい人物だ。

 しかし、幼さが残る容姿だからだろうか。

 初対面の奴らの中には、必ずと言っていいほどメルムを侮って扱う者が何人か現れる。

 そして彼女は、そういった己をナメた野郎だけは決して許さなかった。

 徹底的にやるのだ、命も金も杖も一切合切持ってかれた輩を何人も見てきた。

 

「そもそも人数で囲めば勝てるってわけじゃない」

 

 無知は罪だ。

 少なくとも学生である彼らは、闇祓い出身であるという意味を知らない。

 闇祓いの連中は、多対一の戦闘の経験が普通の魔法使いの比ではないのだ。

 

 そもそも数の有利を生かすには、組織だった連携が必要不可欠。

 相手の死角から攻撃するわけでもなく、それこそ寿司詰めのようになった状態で、一気に魔法を放つなど愚の骨頂。

 場所も良くない。

 互いの間合いや体が邪魔をし合い、自然と身動きが取れなくなっている。

 

「まるで喧嘩だな。素人が陥りやすいパターンといえば、それまでだが」

 

 いつまでも決着がつかない様子を見て、相手側は最初ほどの威勢を失っている。

 集中力も欠き、動きが目に見えて悪くなっている。

 ただ何の考えもなく突っ込んでは、蹴散らされる事を繰り返している。

 

「お嬢は、魔法を使わなくても割と強いからなあ」

 

 それにしても、遅い。

 普段のメルムならば、もう全員地面に転がっていてもおかしくはない。

 反撃の手も温い。

 こういうのは、浮いた一人を集中して攻撃し、相手側の戦意を削ぐのが常道だ。

 そうか、と一人納得した。

 

「……遊んでやがる。悪い癖だぜ、お嬢」

 

 ギリギリまで決めないつもりだ。

 徹底的に嬲って、力の差を理解させる。

 誰に喧嘩を売ったのか、身の程を思い知らせる。

 彼女達の何が癇に障ったのかは知らないが、メルムを激怒させたのは不運としか言いようがない。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 大広間の中央に近い場所で、ペアを組んだネビルは決闘の練習をしていた。

 相手の名は、セドリック・ディゴリー。

 ハッフルパフの上級生、その中でも最優と名高い生徒だ。

 

武装解除せよ(エクスペリアームス)!」

 

鼻呪い(ファーナンキュラス)!」

 

 お互いを敵に見立てて、魔法の撃ち合いが延々と続く。

 ちなみにこの組み合わせ、セドリックから申し込まれたわけでも成り行きでそうなったわけでもない。

 ネビル自身が、前持って頼み込んでいた事だった。

 

 ────お前に自尊心はないのか? 自分が変わらなきゃ意味ないんだぞ

 

 あの日、彼女から投げ掛けられた言葉がずっと耳に残っている。

 この決闘クラブは渡りに船だ。

 どうせなら魔法を上手く使えるようになって、皆を見返してやりたい。

 

(まぁ一朝一夕で強くなれたら、苦労しないけどさ)

 

 手加減された学生の魔法とはいえ、さっきから何発浴びただろうか。

 少なくとももう六回は吹き飛んでいる。

 セドリックは結構スパルタだった。

 

「いいよ、ネビル! 魔法はまだまだだけど、動きはどんどん良くなっているよ!」

 

 おまけに魔法の知識が豊富だ。

 次から次へと違う魔法で、ネビルを翻弄していく。

 防ぐ事など考えず、飛んでくる呪文を避けるのがやっとだった。

 汗だくになりながら、ネビルは杖を構える。

 

「集中だ、ネビル。的を捉えるという集中力が必要なんだ」

 

 そう言うとセドリックも再び杖を構える。

 その姿は、惚れ惚れするほど決まっていた。

 決闘クラブなど随分前に廃止されたというのに、彼は杖をまるで己の手の一部のように扱っている。

 

「体の動きは悪くない。後はその動きに任せて、君の魔法を乗せるだけだ」

 

「魔法を乗せる?」

 

「感じると言ってもいい。頭で判断して、手で打つんじゃない。反射で撃つんだ」

 

 セドリックは手首を捻って横薙ぎに杖を振る。

 鞭のように力強い閃光が放たれ、

 

「っ!?」

 

 しかし、呪いは虚空を貫いていた。

 身体を横に傾ける事で、ネビルは呪いをすり抜けるように避けていた。

 もちろん意識してやったわけではない、無意識の反射的行動。

 セドリックは一瞬硬直すると、高らかに笑い出した。

 

「はは、良いね。君は自分で気づいていないだけで、実に決闘者に向いているよ」

 

「は、はぁ……」

 

 セドリックの言っている事はよく分からなかったが、ネビルはとりあえず頷く。

 

「決闘は、相当な集中力を必要とする。僕は結構これでも集中力散漫な方でね。これ以上続けると、お互いに怪我をしてしまう」

 

 とりあえず決闘の練習は終わりらしい。

 セドリックは杖を仕舞うと、懐からボトルを取り出しネビルに手渡してきた。

 

「み、水!」

 

 短い時間だったが、激しく身体を動かしたせいだろうか。

 酷く喉が渇いていたネビルは、ボトルに入った水を一気飲みする。

 水分が身体中へと染み渡っていく感覚に、思わず呻くような声が出る。

 

「なんで……こんなに水が美味いんだ……」

 

「はは、そうだろうね! 運動後の水は本当に美味しい。決闘は勿論だけど、クィディッチの時でもそう思うよ」

 

 それにしても、今回の決闘では何も出来なかった。

 想像以上に上級生は強かった。

 もう少し何か出来ると思っていたネビルは冴えない結果に少し項垂れた。

 そんなネビルの内心を慮るように、セドリックが肩に手を置いてくる。

 

「初めての決闘だったんだろう。仕方ないさ。それに上級生が相手だ。寧ろ良くついてこれた、と感心しているくらいなんだよ?」

 

「そうかな……?」

 

 自身なさげにするネビルに、セドリックは頷く。

 

「そうさ。他なんかもっと酷いよ? ほら見なよ、あれを」

 

「うわ……」

 

 緑がかった煙が辺りに霧のように漂っていた。

 蒼白な顔をしたシェーマスを抱きかかえたロンが、折れた杖がしでかした何かを謝っていた。

 マーカス・フリントが、フレッドに床に打ちのめされるのを見た。

 ハーマイオニーはブルストロードに取って投げられ、部屋の反対側の壁にぶつかって気絶している。

 ノットはゴイルを失神させ、床に打ち倒している。

 その他の同級生も似たり寄ったりで息切れを起こして床に座り込みだしていた。

 未だに戦い続けているのは、ある程度こういう事に慣れた者のみとなっていく。

 セドリックが苦笑して言った。

 

「こうして見ると僕らなんか上等な部類だよ。それにしても皆、スタミナ切れが早いな」

 

「そう、なの?」

 

「そうだよ。上級生や腕利きは何かと経験があるからまだ立っているけど。戦うってのは大変なんだ。頭も身体も使うし……あぁ、特にあそこの人達なんかは良いね」

 

 生徒の群れをゆったりと見回していたセドリックは、未だに決闘している一角を指さした。

 銀髪のスリザリンの女生徒が、レイブンクローの女子生徒四人を一度に相手取っている。

 

「ロックハート先生も、中々良い催しを開いてくれた。こんなレベルの高い決闘が見られるなんてそうないよ」

 

 少女は複数箇所からの閃光を最小限の動きでいなし、時には瞬間的な防御の呪文で立ち回りながら反撃している。

 四人の方も呪文を右へ左へと躱したり、掻い潜ったりしながら包囲し続けているが、たった一人を仕留める事が出来ないでいた。

 

「あれってアリなの?」

 

「さあ? ルールは相手の杖を奪い取れだし。それに先生が主催している場だから、お互い同意の上だと思うよ」

 

 何となく四対一というものが、絵面的にネビルは気に食わなかったが、そういうものなのかもしれない。

 幾分熱くなりかけたネビルと違って、冷静に俯瞰していたセドリックは告げた。

 

「それに大丈夫だよ」

 

「え?」

 

「あの1人の方、上手に4人を手玉に取っている。君もよく見てみれば分かるよ」

 

 セドリックの言う通りだった。

 四人とも必死に杖を振り回し、何とか仕留めようとしているが、それぞれが肩で息をしていてスタミナ切れが近いのは明らか。

 

 代わりにスリザリン生の方は丁寧な防御を主にしたスタイルで、相手の嫌がるタイミングで全員に圧をかけ続けている。

 

「あれは数じゃどうにもなんないな。彼女は時間をかけて戦う事に重きを置いてる。スタミナに絶対の自信があるんだ」

 

「おまけに相手の方は連携が取れてない?」

 

「正解! 良いよ君、実は格闘技とか好きでしょ?」

 

「……分かる?」

 

 まぁね、と笑って、セドリックは再び視線を元の方に戻した。

 周りも決闘が終わってきたのか、それぞれ座り込んで観戦し始めている。

 何人かは手を叩いたり口笛を鳴らし始めた。

 まるでコロッセオだ。

 四対一なんてイジメに見えるが、一人の方の技量が圧倒的過ぎて、不思議と対等に戦っているように見えてしまう。

 

「先生達も止める気配がないね」

 

「うーんまぁ……かなり、お目にかかれない部類だからね」

 

 ロックハート先生は口に手をやって目を輝かせているし、スネイプ先生も険しい顔をしつつ戦いに口を出すことなく見守っている。

 

「あ、全員もう限界だな。死に物狂いで前に出てくるよ」

 

「え?」

 

 言い終わるや否や、今までの攻防が更に激しさを増した。

 体力の限界を悟った四人が横並びになって、一人の方に息を揃えて間断なく呪文を繰り出したのだ。

 

「うわ凄い」

 

 驚嘆に値する。

 下がるでもなく横に飛ぶでもなく、その足を銀の少女は前に踏み出したのだ。

 次々と浴びせられる魔法を弾きながら、少女の杖が空を切り裂き素早く弧を描く。

 

 その結末を、ネビルは恐怖と高揚感の入り混じった気持ちで見守った。

 

「終わったね」

 

 ずっと攻撃に徹していた四人は、守備に徹していたスリザリン生よりも疲弊が激しかったのだろう。

 四人がかりで一人を倒せない焦りもあったのかもしれない。

 とにかくレイブンクローの四人は、仰向けに次々と吹き飛ばされ手足をバタつかせながら宙を飛んでいた。

 

 ────落ちろ(ディセンド)! 

 

 此方にまで轟く大きな声は、聞き覚えのある綺麗な声だった。

 それと共に宙を浮かんでいた二人は、ドンッと為す術なく床に叩きつけられる。

 全員一撃ノックアウトなのか、ピクリとも動かない。

 

 一拍遅れて、決闘を見ていた周りからウォー!! と歓声が上がった。

 横並びで圧をかけた四人を正面から捩じ伏せる、見事な猛攻だった。

 

「上級生は凄いな。少なくとも4年生で、あのレベルの決闘が出来る女子はどの寮にもいないよ。何年生だろうか? あそこまでの実力者だから、監督生や首席候補だと思うんだけど」

 

「……2年生だよ。僕と同じ」

 

「え、嘘だろ?」

 

 セドリックがそれを聞いて目をまん丸にした。

 

「あの子が相手にしてたの、全員3年生だぞ」

 

 今度は、ネビルが目を丸くする番だった。

 戦い慣れている上級生、それも複数を相手に勝ってしまうとは。

 それに言っちゃ悪いが、最後なんか一方的な勝負に見えた。

 

「メルム・グリンデルバルド。僕の友達だよ」

 

「なるほど、彼女が有名なスリザリン生か。出る杭は打たれるって言うけれど……彼女は、打たれてもびくともしなかったね」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 決闘クラブが終わって数時間後、ボクらはギルデロイの部屋に再集結していた。

 ソファーに腰掛けるボクの前では、ギルデロイとグリムソンが剣呑なやり取りを繰り広げている。

 

「お前のケツを私達が拭ってやっている間、お前は何をやっていた!」

 

「もちろん、この部屋で待機してましたね!」

 

「待機? この鶏小屋で、ティータイムを楽しんでたんだろうが!」

 

「私だって色々忙しいんですよ。貴方みたいな老い先短い爺さんと違うんです!」

 

「全部自分で蒔いた種だろう。自分の尻くらい自分で拭きやがれ、この役立たず!」

 

「約立たず!? この老害が!」

 

「なんだと!」

 

 元々、この二人は犬猿の仲だ。

 個性の違いと言えば聞こえはいいが、単に気が合わないだけ。

 そんな連中も纏めなければならないというのは、本当に面倒臭い。

 

「大体、貴方だってメルムの依頼をこなせてないじゃないですか。それとも依頼の方は忘れましたか。魔法省に言われた通り、ダンブルドア校長の尻の穴でも調べていたんですかね!」

 

「このガキ、言わせておけば……そのニワトリみたいな細い足をへし折ってやる、ボキッとな!」

 

「おっと! ……怖いですねぇ。大戦末期の爺さんは、すぐに暴力に訴えようとする」

 

 面白いから若干放置していたが、いい加減に頃合いだ。

 このままだとデカいミートパイが出来上がる。

 もちろんミートパイになるのは、闇の防衛術の先生の方。

 これ以上の面倒事はごめんだ。

 言い争いを強制的に中断させるべく、座ったままボクは声を上げる。

 

「おーい、ブラッドバスはごめんだよ。下らないお喋りは止めにして、そろそろ席に着いて欲しいね」

 

「おぉメルム! 下らない言い争いですと? これは歴とした主義主張です。意思の衝突ですよ!」

 

 即座に反応したギルデロイがよく分からない事を囀る。

 小説の腕がどれくらいかは知らないけど、少なくとも人をイラッとさせる能力は一流だ。

 ギルデロイの細い体を押し除け、グリムソンが唸るように懇願する。

 

「お嬢、一言仰って下さい。このボンクラを廃棄すると。明け方まではまだ時間がある。バラバラにしたこいつを森番の畑に撒いてやる」

 

 その案は魅力的だが不採用だ。

 私はニッコリ笑うと

 

「もう一度言うぞ。黙れ、席に着け。これでも理解出来ないなら杖で理解させるぞ」

 

「「……」」

 

 おぉ、二人とも賢い。

 私が懐に突っ込んだ杖を取り出すよりも早く、対面のソファに座った。

 最初からそうしてくれればいいのに。

 二人の態度に満足した私は、元々用意していた報酬の金貨が入った袋を机に置いた。

 

「ほい。これ、今回の報酬」

 

「……どうも」

 

 顔が強ばらせたまま、グリムソンが金貨の袋を恐る恐る受け取る。

 

「やっぱり餅は餅屋だね。こういう七面倒臭い案件は、アウトソーシングに限る」

 

「ポリジュース薬による入れ替わり。こういう手を思いつく辺り、お嬢は御大の血を引いてますな」

 

 今回の決闘クラブにいたギルデロイは偽物だ。

 タネは単純。前もってポリジュース薬を飲んだグリムソンと入れ替わって貰うだけ。

 決闘の腕がからきしな本物には部屋で待機して貰い、決闘の実力と魔法の知識が多彩な偽物が決闘クラブを進行させる。

 

「面倒だったのはポリジュース薬の入手くらい?」

 

「いいや違いますな。1番面倒だったのは、傲慢な馬鹿の真似です。私は実力をひけらかす行動は好かん」

 

「ふむ。それもそうか」

 

 無能である事を周りに悟らせないようにするって、案外難しいものだ。

 ギルデロイは目立ちたがり屋で、頼んでもいない余計な事をする。

 今回だって普通の教師を演じていれば、決闘ごっこをやって周りを丸め込むだけで済んだというのに。

 

「で、スネイプ先生はどうだった?」

 

「シンプルに強い。場数をそれなりに踏んでおります。ただ戦い方に癖がありますな。あれは闇祓いというより……闇の魔法使いに近い」

 

 やっぱりかあ、とボクは額に手をやった。

 ボクが一年の頃から、スリザリン寮では実しやかに囁かれている噂がある。

 

 ────セブルス・スネイプは元死喰い人である

 

 グリムソンの目に狂いはない。

 噂は真実だったと考えるべきだ。

 ダンブルドアも何を考えているのやら、教師が元死喰い人なんて悪い冗談だ。

 ボクは、改めてグリムソンに労いの言葉をかける。

 

「本当に今回はよくやってくれたよ。グリムソンじゃなきゃ上手くいかなかった。感謝してるよ」

 

「上手く、ね。お嬢の決闘が余計でしたけどね」

 

「……それ言っちゃう? 勘弁してよ」

 

 ボクは大きく溜息をつき、ロリポップを口に放り込む。

 存外、ストレスが溜まっていたのか。

 ボリボリと齧られたロリポップが、口の中で溶けていく。

 

「温い学生生活のせいかな。他人を馬鹿にしても顔面を殴られない、と勘違いしている馬鹿が多すぎる」

 

「それは同意しますがね。気分次第で杖を振り回すのはやめて貰いたい。ロクシアスに仕えたつもりはないんでね」

 

 ガリオン金貨を数えながら、グリムソンが呆れたように言う。

 老人の苦言は真っ当なもので、ボクはゴホンと咳払いをするしかなかった。

 



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#031 少女の過去

魔法による殺人は、”秩序型”と”無秩序型”の2つに分類される。

そう提唱した魔法歴史学者のバチルダ・バグショットは、中世において魔法史に名を残す大虐殺をした2人の魔法使いを例に挙げた。

秩序型であり、高い知能を持ちながらも己の空想を現実にしようとした、”悪人”エメリック。

無秩序型であり、己の暗黒面に飲み込まれ無作為に破壊を繰り広げた、”極悪人”エグバート。

世界記録を持つこの両者の犯行は、似ているようで破壊や殺戮の様態がはっきりと違うとされている。



 研究者肌の父は、愛を知らなかった。

 錆びついた家柄の女と結婚したのも、単なる気まぐれだと言っていた。

 簡単に言えば、メルム・グリンデルバルドという少女は、家族愛がない家庭に生まれ落ちたのだ。

 研究室に篭った父は、恐ろしかった。

 感情の薄い人だったが、その分興味を覚えた事柄は、探究し尽くさなければ気がすまない。

 父が部屋から出てくる時、それは私に研究の成果を試す時に他ならない。

 

 勿論、助けなんかなかった。

 

 悲鳴を上げる私を見ても、母は耳を塞いでただやり過ごすだけ。

 たまに、惨状に耐えられなくなって歯向かう事はあったが、爺様同様に口が異様に回る父の相手ではなかった。

 簡単に言いくるめられ、私の拷問スケジュールに大した変更はなかった。

 

「……惚れた弱味ね」

 

 そう母は嘆いていたが、私は知っている。

 自分はやるべき事をやったのだ、と己の良心に言い訳をしたいだけだ。

 その証拠に、父の研究に付きっきりの母は、食事もろくに用意しなかった。

 家庭の味を尋ねられば、執事兼下僕の”ラット”のレパートリーしか答えようがない。

 ラットは手先が不器用で、作るご飯は酷く不味い。

 指が一本無いのだから、それも仕方のない話ではあるのだが。

 

 一つ年下の妹は、私とは違って大切に育てられているように見えた。

 

 私が覚えている限りでは、父の実験には一回も付き合った事がない。

 私は魔法が上手く扱えなかったが、妹は上手に扱ってみせた。

 何より私と違って感情豊かで、愛される才能があった。

 

(こんな風なら、さぞ人生も楽しかろうよ)

 

 羨ましいとは思わない。

 ただ、何故? という疑問が、腹の中で荒れ狂っていた。

 私と妹に、何の違いがあるのだろうか。

 愛嬌か? 感情か? 魔法力を正常に扱えるからか? 

 妹は私にも優しくしてきたが、そんなもの見せかけだと思った。

 だって、私にはその感情が理解できない。

 

 父の研究が原因らしい。

 母が悲しそうに何かを言っていたが、よく思い出せない。

 記憶が所々、抜けているのだ。

 とにかく、覚えているのは優しかった妹。

 張り倒そうが、怒鳴りつけようが、金魚のフンみたくついてきていた。

 

「お姉ちゃんは、”普通”がわからないからね。ボクが教えてあげるよ」

 

 何も感じなくなった心が温かくなった事を、私は確かに覚えている。

 無償の愛とやらを注ぎこんでくれるのは、この世で妹だけ。

 貰ったものには、対価を返さなければならない。

 それは、恩でも仇でも同じ事。

 

「違うんだよ、お姉ちゃん。そういう事じゃない……そういう事じゃないんだ……」

 

 でも決まって、妹は泣きながら受け取ってくれはしなかった。

 不思議だった。

 一体どうして、この子は他人の為に涙を流せるんだろうか。

 私は他人の為に涙を流すことを知らない。

 

 そうしてあの日。

 母も父も滅茶苦茶になって死んだ日。

 全てがひっくり返った、怒りの日。

 

 ラットの買い出しに、私が付き合っている隙に起きた惨劇だった。

 

 微かな記憶の中で、私は長い坂道を登っている。

 茹だるような暑さ。

 買い出しの荷を運ぶ、重い台車。

 グリンデルバルドという名のせいで、魔法族の村にすら住めない私達の家は、入り組んだ山の奥にあった。

 その事が惨めで腹立たしかったが、もはや声を上げて怒る気力もない。

 ただ虫や鳥の声を背に、黙々と二人で台車を牽いていく。

 

「え、……」

 

 間抜けな声。

 買い出しの荷を運ぶ台車が、坂の頂上で唐突に止まる。

 私が隣を見ると、台車を引いていたラットが、目の前の光景を見て立ち尽くしていた。

 

「おぉ……なんて、なんて事を……」

 

 ラットはそれだけ口にして、悲嘆に蹲った。

 事情の前後などわからない。

 分からないが、目の前には単なる事実があった。

 崩れかかった門、荒らされた庭。

 打ち捨てられたゴミのように、庭に転がっていたルシア。

 

 幼い妹は、私を助ける為に全力で戦ったのだろう。

 勝利の代償に、命を失っていた。

 そして……なんにもなくなった私の心中を、これまでになく一つの感情が満たしていった。

 

 それは────“怒り”。

 

 自分の身体がどろどろと溶け崩れて、真っ黒で恐ろしい何かへと変じていく。

 

「■■■■■■■■■■!!!!」

 

 蠢く闇が、霞のように湧き立った。

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 妹と両親が死んだ後、頼れる親戚もなかった私は泣く泣く孤児院に逃げ込んでいた。

 しかし、それが正しかったのかはよく分からない。

 当時の私は身体も今より幼く力も弱い。

 よく同じ年代の子供たちに囲まれ、殴られ、蹴られていた。

 

「おい! お前、いつになったら言うことを聞くんだよ!」

 

 視界がぐるりと回る。

 大柄な少年に投げ飛ばされたのだ。

 壁に激突した私は、暫く蹲って痛みを堪えていた。

 周囲では、同い年の女の子たちが嘲っていた。

 

「もっとやっちゃいなよ。構うことないわ。どうせ犯罪者の孫なんだから。悲しむ奴なんかいないでしょ」

 

「こいつの家族もそれが原因で殺されたんでしょ? 良い気味よね」

 

「犯罪者の血筋とか最悪。どんな引き取り手だってこいつだけは選ばないわよ。犯罪者の親になんかなりたくないだろうし」

 

 俯いた私は歯を食いしばる。

 耳を貸すな、こいつらは相手にするだけ無駄。

 孤児院に連れてこられたガキ共は、皆何かを呪っている。

 帰る家もなければ頼る家族もいない。

 ただ単に私は、そんなストレスの捌け口に選ばれてしまっただけだ。

 

「ああああああああ!!」

 

「うわっ、何だこいつ!」

 

 自棄糞で飛びかかっても、あっさりと殴り倒される。

 直ぐさま立ち上がろうとしても、そこに寄って集って暴力を振るわれる。

 いくらなんでも数が多すぎる。

 

「弱い奴。お前に何が出来るんだよ、犯罪者」

 

 孤児院の纏め役である大柄な少年が、私の胸元を掴みそのまま地面に叩きつけた。

 痛い、苦しい。

 叩きつけられた際に額を打ち、そこから血が流れている。

 とても痛かったが、力で敵わない以上今は耐えるしかない。

 

「クソ……ッタレ……」

 

 新参で立場が弱かった私が、虐めの事をマザーに報告しようにも、口裏を合わせられる。

 孤児院自体が、そういう子供同士の喧嘩に無関心だった事もあって効果が薄い事も理解していた。

 誰も信じられない、協力してくれる仲間も皆無である。

 

 水鏡に映る変わりきった自分の目つきを見つめる。

 鋭く、濁った瞳に青い炎がゆらゆらと揺れていた。

 3ヶ月に渡る孤児院の生活は、幼い少女の精神を更に歪ませるには十分。

 元々尖っていた自覚はあるが、甘さが消えて凄みのようなものが出てきたと孤児院のマザーも言っていたっけか。

 

 ────隻眼の闇祓いが孤児院を訪れたのはそんな時だった。

 

「ようやく見つけたぞ。お前か、グリンデルバルド一家の生き残りってのは」

 

 立ち上がれなくなるほど孤児の纏め役にボロボロにされ、地面に転がる私を見下ろし、隻眼の老人はそう言った。

 

「……どこで私の……事を?」

 

「儂ら闇祓いは耳が大きい。その中でも儂は特にそうだ、古参なもんでな。国の役人だから情報はすぐに集まってくる」

 

「かはは……、口が軽いのが……いたみたいだな」

 

 私がグリンデルバルド一族だったのは孤児院だけの秘密だった。

 国内は闇の魔法使いの脅威から立ち直ってまだ日が浅かった。闇の勢力によって家族を失った者も多い。

 簡単に言えば、闇の魔法使いに国民全員が神経質だった時期だ。

 今回、国を荒らした闇の勢力とは関係がなくとも、どんな目に合わされるか分かったものでは無かった。

 引き取り手がいなくなるのは勿論、私の家族のように孤児院ごと根絶やしにされる可能性だってある。

 だというのに、こうして闇祓いは私の居場所を探り当てた。

 

 誰かが情報を売ったのだ。

 その誰かは、幼い私でも大体の予想がついた。

 恐らく孤児院の配膳係だ。

 食事を配りながら、色々と私の事を周りのガキ共に聞いていたからすぐに分かった。

 笑顔で周りの子供に近付いて、私の情報を売り払ったのだ。

 

「大嫌いだ……孤児院のガキ共も……お前ら大人も」

 

「……」

 

 私の恨み言にも、隻眼の老人は何も言わなかった。

 ただ痛ましいものを見るような目で私を見てくる。

 同情しているのだろうか……否、罪悪感か? 

 おかしな奴だ。

 私がこんな状況に陥っているのは両親のせいであって、別に老人のせいではないのだから、堂々と鼻糞でもほじっていればいい。

 

「それで……魔法省のお役人が……今さら何しにきた……」

 

「お前の妹を火葬する。一応、家族であるお前に知らせにきた。遺体引き取りの確認もだ」

 

 なるほどね、実にお役人らしい。律儀にここまで来たってわけだ。

 事実を無感情に告げ、老人が隣に腰を落ち着けるのを横目に、私は倒れたまま考える。

 妹の遺体を今更見てどうするのか、

 

(でもまぁ……断る理由もないか)

 

 もう考えるのは疲れた。

 家族の事も、この先も、もうどうでもいい。

 

 

 ──────……

 

 

 白い長い野外の通路を、私は老人と一緒に歩いている。

 妹を乗せたストレッチャーの車輪の軋みが、含み笑いのように聞こえる。

 

開け(アロホモラ)!」

 

 1人でにドアが開き、そこに私は死体を押し込む。

 部屋の中は明るく広い。

 暗くてジメジメした場所を想像していた私は少しホッとした。

 しかし死体を中央に置いてみると、その明るさがかえって白々しく感じられる。

 

「殺風景な場所だ。おまけに寒い」

 

「それくらいで丁度良いんだ。死者の見送りに豪華な花束も装いも必要ない」

 

「部屋が寒い理由は?」

 

「……お前の妹は惨い呪いを死ぬ前に受けた。その影響が死後の肉体にも残っている。そのせいだ」

 

 なるほど。火葬なのはそれが原因か。

 イギリスの魔法族は基本的に土葬だが、強い闇の魔法を受けた肉体を浄化する為に火葬にする場合がある、と父の本で読んだ記憶がある。

 

 隻眼の老人が杖を振ると、シーツがめくられて真っ青な死に顔が現れた。

 寒々しい部屋に、今度こそ明確な冷気が漂う。

 取り出した妹の死体を見た老人は、少し顔をしかめ手を合わせた。

 

「……どうして手を合わせる? あんたとは縁もゆかりもないガキの遺体だろう」

 

「区切りを付ける為の行為だ」

 

 老人はあっさりと返した。

 思ってもみなかった事を言われ、私は老人の顔を見る。

 

「どういう事?」

 

「同情を切り捨てる。弔うのは自分の感情だ。これは普段の仕事でもそうなんだが、儂はこうする事で被害者の遺体も冷静に観察できるようになる。闇祓いを続けるには必要な儀式みたいなもんだ」

 

「ふーん……」

 

 死体は死体だろう。

 事故でも病気でも自殺でも、結末は一つ。

 ただの物体だ。同情もクソもないと思うのだが。

 死んだ後、肉の塊がどうなろうと私は気にしない。

 

 極論をいえば、墓だっていらない。

 それでも私がここにいるのは、最後にもう一度だけ妹を目にしておきたかったからだ。

 そんな私の心の内を見透かしたかのように、老人は話を続ける。

 

「葬式だってそうだぞ。死者よりも残された人間のために行うものだ」

 

「残された人間の?」

 

「大切な人が死ねば、区切りが必要なもんだ。葬式をし、死人を墓に埋める。明確な別れを形にして残すんだな。悼みや悲しみを一緒に埋め、彼らのいない新しい世界で前を向いて歩いて行く」

 

「……それは自分を騙しているだけじゃないのか?」

 

「は、自分を騙す事のどこが悪い? ネジの飛んだ場所では、例え間違った事をしでかしていても自分を騙し続ける。そんなズルさも必要なのだ」

 

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 一般客など来るはずもない葬儀は省略し、出棺の準備に移行した。

 病院の一角に響く釘を打つ音。

 その間、私は部屋の隅で体を丸めたまま、朝方傷をつけたばかりの唇を強く噛んでいた。

 やがて病院から棺は運び出され、門の外で待っていた老人に引き渡される。

 

「遺体を火葬する間、暇だろう。待合室に茶菓子を用意させている。食って待っとれ」

 

 老人はそう言ってくれたが、私は外で待つことにした。

 出所の分からない意地のようなものか。

 腹は減っていたはずだが、飯を食う気分でもなかった。

 

「はぁ……」

 

 外は寒い。

 火葬場で焼かれている妹の遺体のことを思えば、雪風に打たれているくらいなんて事もない。

 出来ることなら変わってやりたい、なんて馬鹿なことを考えている自分が笑えてくる。

 今さら遅い。

 妹は死んだ、忌々しい両親と共に。

 それに対して私は何も出来ず、だからこそこんな雪の中で妹が焼かれているのを見る羽目になっている。

 

「クソッタレが」

 

 手も足もひどく悴んで感覚がない。

 我ながら何を無駄な事をやっているのだろう。

 ふてぶてしく暖かい部屋で、妹がこんがり骨になるのを待てばいいではないか。

 そうは思ったが、それでも家に入る気は起きなかった。

 とはいえ雪もいよいよ酷くなって、とりあえず私は屋根のある門の下へと避難する。

 

「今回は大変だったな」

 

 待つこと二時間、ようやく処理を終えたのだろう。

 火葬場から妹の骨壷を抱えた老人が、こっちに来て声をかけてくる。

 彼はアラスター・ムーディと名乗っていたか。

 急に私を訪ねてきて、今回の妹の葬儀の何もかもを取り仕切ってくれた変人。

 話を聞けば闇祓いらしく、今回の事件を今さら調べているのだとか。

 

「妹さんだ、受け取れ」

 

 飴玉模様の付いた白い小さな壺。

 亡くなった妹は飴が好きだったから、私が選んだ。

 こんなに外は寒いというのに、それはとても暖かかった。

 

「……はは。生きている時も小さかったが、まさかこんなに小さくなっちまうとはなあ」

 

 淡々と声が漏れる。

 

「ルシアは外で遊ぶのが好きな子だった。家に篭もりがちな私は、よく公園まで連れ回されたよ。そのくせ他の友人達から遊ぼうと誘われても、私を置いていく事は絶対にしなかった。心配だったんだな、私の事が」

 

 何かを悼むような顔で、老人は私の話に聞き入っている。

 

「思えば、あの子からは色んな物を貰ってばかりだった。大人になっちまえば、あのクソ両親も何も干渉できない。返しきれない恩をどうやって返そうか考えるの、好きだったよ」

 

 幼い妹は、真冬の庭にぼろぼろになって転がっていた。どれほど寒い思いをしただろう。

 荒くれ者にいたぶられ、どれほどの恐ろしい思いを。

 ぎゅ、と骨壷を抱える。

 優しかった彼女は殺され、蛆虫みたいな私や他の多くはアホ面晒して生きている。

 

「……、惨めだよなあ」

 

「なんだと?」

 

「惨めだっつったんだ。周囲の人間からは冷たい目で見られ、村八分にされて。両親も私の事なんかそっちのけで研究三昧。挙句の果てに、最愛の妹はわけ分かんない諍いに巻き込まれて死んじまった……これを惨めと言わず、何て言えばいい?」

 

 なにもかもを、奪われたのだ。

 孤児院に逃げ込んできた時ですら、こんな惨めな気持ちにはならなかった。

 無力感が先行していたというのもあるが、やはり妹の遺体とちゃんと向き合うというのは、非人間的な性分の私としても感情を揺さぶられるものらしい。

 

「そういえば、儂が何でこの孤児院にまで……いや、メルム・グリンデルバルドまで辿り着けたのか。それを話していなかったな」

 

「どうせ犯人への聞き取り調査だとか、魔法省の家族名簿に目を通したとかだろう」

 

 別に取り立てて聞く話でもなければ、気にもしなかった事だ。

 そんな私に、老人は唇を釣り上げてみせた。

 

「魔法省の名簿にはな、グリンデルバルド一家は3人家族だと記されていた。家族構成は、父のシェーン、母のアリシア、そして一人娘のルシアとな」

 

 驚きだ。

 何と私は家族認定すらされていなかったというわけか。

 これは笑える。

 

「それともう1つ。お前らを襲った奴はな。金髪の少女ではなく、銀髪の少女を探していた。それを殺さねば仕事は終わらない、と言っていたな」

 

「何、を」

 

「最初は虚言や妄言の類かと思った。こんな狂った真似をする輩。おまけに連中は殆ど死んでいて、生き残りの1人も何と言うかその……殆ど廃人状態だった。どうにも黒い何かに襲われたらしい」

 

 ごほん、と咳払いをして隻眼の老魔法使いは話を戻す。

 

「……まぁそれは良いだろう。何が言いたいのかというとだ。グリンデルバルド一家に生き残りがいる、という結論に儂が至ったのは何故なのか。こういう事だな」

 

 勿体ぶらずに早く言えば良い。そんな思いで老人を睨みあげる。

 老人は、妹の骨壷を撫でてこう言った。

 

「お前の妹の遺体だよ。幼い少女の遺体が、儂に全てを教えてくれた」

 

「……意味が分からない。何だ、遺体検分でもしたか?」

 

 そうだ、と老人は頷く。

 何ということだ、妹は死んだ後まで辱められたのか。

 このクソジジイは、哀れな私の妹の身体に再び杖を向けやがったのだ。

 

「お前はぁ……っ! ……ぐっ!」

 

 無謀にも怒りに任せて飛びかかった。しかし、向こうは歴戦の闇祓い。魔法もろくに使えない私は、杖の一振で地面に叩きつけられる。

 

「お前の気持ちも分かる。儂だって仕事じゃなきゃ、こんな死者を辱めるような真似はせん」

 

「は、仕事だって? 死んだ子供の服ひん剥いたり、魔法をかけてあれこれ調べるのも役人のペイのうちかよ!!」

 

「そうだ。被害者がなんで死ななきゃならんかったのかを調べるのも、闇祓いの仕事のうちだ」

 

 だから黙って聞け、と老人は静かに言った。

 

「死者の身体は、時に生者の言葉よりも雄弁に物事を語ってくれる。だからこそ儂ら闇祓いは、被害者に敬意を払って向き合うのだ」

 

「……」

 

「掌に爪が食いこんでいた。強く奥歯を噛み締めた痕があった。最期の最後まで、何か強い想いがあった証拠だ」

 

 あの時、妹の遺体をちらと見たが、拷問された痕があった。それの所為だろう。別に特別な意味などありはしない。よくある生体反応だ。

 

「屋敷を探ってみれば、部屋の奥に隠すようにケーキが置いてあった。何か祝い事の準備でもしていたみたいにな……そこまで調べて、ようやく儂はもう1人のグリンデルバルドの存在に思い至った」

 

「……何が言いたい」

 

「分からんか? あの娘は守ったんだよ、お前さんの事を。恐らく連中が幼子を拷問してでも聞き出したかったのは、お前さんの居場所だった」

 

 庭に倒れ、空を見上げた格好で力尽きていた妹を思い出す。

 壮絶な最期とは思えない程に、その表情は微笑みで固まっていた。

 まるで何かを成し遂げたとでもいうように。

 奴らはなにも奪えなかった。

 大切な者はすでに、危険の外にあったから。

 

「お前の妹は沈黙と誇りを胸に抱き、何者にも尊厳を侵されることなく天に昇った。なにも奪われなかったのだ」

 

 奪われなかった、という言葉を老人は何度も繰り返した。

 

「メルム、生き残った人間はきちんと生きていくべきだ」

 

 老人の懇願にも似た言葉。

 きっと良い事を言っていたんだろう。

 しかし当の私の脳裏には、妹の最後の姿がべったりと張り付いたまんまだった。

 

(……弱い奴は、何もかも奪われる……何故だ……何故、私はこんなにも弱い。この血は……何故、こんなにも……)

 

 力があれば、幸せになれるのに。

 力さえあれば、こんな惨めな思いをせずにいられるのに。

 力さえあれば妹を助けられたし、孤児院のクズ共に殴られる事もなかったのに。

 

(力が……欲しい……あの時のような……いや、もっと、もっともっと強い力が……)

 

 私は立ち上がって、妹の骨壷を老人に渡す。

 骨壷を受け取った老人は、酷く驚いたように見えた。

 

「……もう別れの挨拶はいいのか?」

 

 いらない、そんなものは。

 もう妹はいない。死んでしまった。

 ここにあるのは骨の残骸だけだ。

 私は無言で首を縦に振る。

 

「なら儂も行くとしよう。ご両親の遺体も検分が終わり次第、連絡をする」

 

「いらない……ボクの(・・・)家族は妹だけだから」

 

 言葉こそ少なかったが、老人は何も言わずに頷いた。

 もしかしたら、父の研究部屋を見たのかもしれない。

 あの狂気の部屋を見れば、ボクがどういう扱いを受けていたのか簡単に察するだろう。

 

「何かあれば魔法省まで来い。出来る限りの事は……」

 

「ねぇ」

 

 老人の別れを惜しむような言葉を遮って、ボクは言った。

 

「教えて欲しいことがあるんだ。闇祓い」

 

「……何だ?」

 

 その老人の問いに、ボクはこう答えた

 

「闘う力、魔法使いの力をボクに教えて」

 

 

 ──────……

 

 

 そうして半年が経った。

 何か変わったかと言われれば、何もと言う他ない。

 相変わらず正しく魔法力は使えず、あの時のような黒い魔法力の昂りも感じられない。

 師匠(ムーディ)から教えられた知識だけが、ただ積み重なっていく。

 

「……くそっ」

 

 魔法使いの知識は有用だが、それだけでは意味がない。

 魔法使いの恐ろしさとは、そういうものではない。

 無尽蔵の魔法力、瞬時に敵を壊滅させる事の出来る魔法、そして膨大な魔法の知識。

 それら全てが合わさって、初めて魔法使いと呼べる。

 

(知識を重ねた所で、それじゃ宝の持ち腐れだ。少なくともボクの求めたものは違う)

 

 父の研究室で読んだ本の知識。

 ムーディを師と仰ぎ教えを乞うたのは、記憶に焼き付いたそれらを補強し、理解する為だった。

 しかし悲しいかな。

 理解すればするほど、己の状況がどん底だということが分かっただけ。

 

「お、いたいた。まぁた杖を振り回して魔法使いごっこか?」

 

 孤児院での生活もいつも通りだ。

 孤児院のガキ共に絡まれ、逆らってはボコボコにされる。

 師匠から習っている内に知った事だが、彼らは所謂スクイブという奴らしい。

 スクイブ。魔法族出身の癖に、魔法を使えない者。

 そういう者達は、生まれた魔法族の血筋によっては捨てられる。

 

 思えばボクが孤児院に来た当初は、ガキ共も大人しかった。

 ボクが魔法を使えるかどうか、分からなかったからだろう。

 そんな彼らが威圧してくるようになった理由は単純だ。

 ボクの態度を見て、魔法力がないと判断したのだ。

 

 そして途端に、ただの年下の女の子にビクビクしているのが悔しくなったのだろう。

 魔法省の管理が行き届かないこの孤児院では、呪いにかかっている奴も沢山見かけた。

 何のことはない。ここは魔法界のゴミ捨て場だったというだけの話だ。

 

(まぁボクは別に魔法力がないわけではないから、スクイブとは違うんだろうけど)

 

 黒い感情の昂りと共に、力を暴走させる事は出来る。

 しかし暴走は暴走、正常な力の近い方ではない。

 寿命も減るらしい。

 それに家族を失ったあの日以来、ボクはそんななけなしの魔法力すら使えなくなってしまった。

 

(ん? なんてこった。それじゃ今のボクは、このスクイブと丸っきり同じってわけか)

 

 余りの無様さに、ボクは思わず笑いが零れた。

 ボクの胸元を掴んでいるガキが、顔を真っ赤にする。

 

「くそっ……なんだよお前っ! ヘラヘラしやがって!」

 

「ぐっ……」

 

 その後、ボクは十数回殴られるも何とか隙をついて全力で走り、部屋に逃げ込んだ。

 

「クソッタレが……」

 

 隅のタンスから救急箱を取り出す。

 額や腕についた傷を消毒し絆創膏を張ると、そのまま洗面所へ行き血で汚れた服を脱いだ。

 鏡の中には、上半身裸になったみすぼらしいボクがいる。

 無数のあざや細かい傷が目に映りこみ、思わず小さな笑みが口元に浮かんだ。

 

「くはっ……」

 

 ふざけんな、何で私がこんな目に遭わなけりゃならない。

 私は何も悪い事はしてないだろうが。

 絶望の中で、タールのようにどす黒い粘着質な感情が渦巻いている。

 それは己の殻を突き破り、新しいステージに到達するのに必要な黒い感情。

 

 絶望が突き抜けた先には、いつだって不思議な感覚が待っている。

 

 ぞわっと全身の毛が逆立ち、一瞬、私は幻視に囚われた。

 人間の仮面がぱっくり割れ、その中から悪魔が顔を出す妄想。

 次の瞬間、鏡に亀裂が入った。

 

「お?」

 

 ジワリと私の身体から、墨汁のような黒い粒子が滲み出る。

 部屋の家具がガタガタ揺れ出した。

 俗に言うポルターガイスト現象。

 

「きた……!」

 

 久方ぶりに湧き上がる魔法力。

 言葉に出来ない感覚に全身が支配され、それを咄嗟に押さえつけようとして、私はハッと気がついた。

 師匠に色々習ってきたのは、この日の為だ。

 力を押さえつけるな。それでは前と同じだ。

 寧ろ暴れる力の流れを、正しい方に導くようなイメージを頭に思い浮かべる。

 

「……燃えろ」

 

 言葉とは力だ。

 呪文の詠唱によって魔法が威力を増す事からも分かる通り、脳内のイメージは口に出すことでより詳細になる。

 全身の血が燃えるようだった。脳が灼熱に覆われていく。

 

「……もっと燃えろ」

 

 魔法力を練り、感情の赴くままに血を燃やす。

 ごぉごぉごぉぉ……やがて全身から滲み出た黒い粒子は、青黒い炎へと形状を変えていく。

 最後の言葉は、半ば無意識の内に私の口から漏れ出た。

 

「────悪魔の護り(プロテゴ・ディアボリカ)

 

 途端に、私の全身から蒼黒い焔が迸った。

 この暗い感情を、そのまま体現するかのような灼熱。ドス黒い焔を纏った私は、徐ろに両手をいっぱいに広げる。

 

 東の地平線から、陽の光がゆっくりと燃え上がるようだった。

 暗い海のような光が窓を照らしていく。

 

「素晴らしい! 凄い、凄いぞ!」

 

 目も眩むような恍惚感に支配される。

 全身にゾクゾクと鳥肌が立つような感覚が走る。

 

 その時、バタン、と自室のドアが開く音がした。

 この異常事態に、いち早く気づいた奴がいるらしい。

 目を向けると、そこには蒼白な顔をしたガキが立っている。

 このタイミングで部屋を覗きに来た運の悪い奴の顔を見て、私は思わず笑った。

 

 それは、先ほど私を殴った孤児院のガキだった。

 

 今ほど、こいつに会いたい時もないだろう。

 散々嬲ってくれたお礼をしたかったのだ。

 そんな熱烈に所望する彼はというと、私が纏う炎を見てブルブル震えている。

 

「お……おま……お前がこれを……」

 

「あぁ。綺麗だろう?」

 

「く、くる……くるな!」

 

 両手を広げたまま近づく私に対し、ガキは首を横に何度も振り、なだめるように両手を前に出す。

 彼が私を見る目には、紛れもない恐れがあった。

 

「ご、ごめん! さ、さ、さっきは悪かった。ゆ、許してくれ……」

 

 あの偉そうな態度はどこに行ったのだろうか。

 命乞いをするガキの様子に、私は噴き出した。

 

「あぁ良いよ、許してやる。お前と違って私は寛容だからな」

 

「ほ、本当か? ありがとう! なら……」

 

「そうだな。仲直りの握手でもするか」

 

 ギュウ、と私は彼の手を握り締める。

 それだけで充分だった。

 手を無理やり繋いだ途端、ガキは火達磨になった。

 

「あっ……あづっ! あづい! あづいあづい! あづいあづいあづいあづいあづいあづい……っっ!」

 

「こらこら、暴れちゃダメだぞ。泣くのも禁止だ。私達の別れに涙なんて必要ないだろう?」

 

 好きなように暴れるが良い。どうせ結末は同じなんだ。

 最期くらい好きにさせてやろうじゃないか。

 

「それにしても凄いな。皮膚が炭化してる。何度あるんだ、この炎」

 

「あぁ……がが……がああぁ、あぁ……」

 

 喉を掻き毟るようにして、人の形をした灰が廊下に倒れるように崩れていく。

 そして、その断末魔が鈍感な獲物を新たに引き寄せる。

 

 騒ぎを聞きつけたのだろう。

 私が自室を出るのと、廊下の奥の部屋からマザーが慌てて出て来たのは同時だった。

 

「何の騒ぎです! うるさいですよ、静かになさ……」

 

「お前がうるさいよ」

 

 私が目を細めると、たちまちマザーは風船のように破裂した。

 まるで果物を握り潰した時みたいに、果汁が辺り一帯に飛び散る。

 私は炎に護られて無事だったが、遅れて他の部屋からゾロゾロ出てきたガキ共には、それがモロにぶちまけられた。

 

「ぐっ……グリンデルバルド……」

 

「んー? あ、そっかそっか。お前らもいたっけなあ」

 

 安心しろよ。みーんな同じ目に合わせてやる。

 炎を次々に持ち上げて、横薙ぎに叩きつける。

 イメージするのは、壁に扁平になって張り付いてしまうくらいの勢い。

 あっという間だった。

 私のイメージ通りの焼肉が何個も出来上がる。

 

「いひっ……」

 

 そうだ、これだ。これがやりたかったんだ。

 この無敵感、正しく恍惚で肩が震える。

 

「ひっひひひひひ……」

 

 天から与えられた力が戻ってきた。

 この際だ、醜いものは全部焼き尽くそう。

 今なら何でも出来る気がするんだ。

 

「なぁに、生き残りがいなけりゃどうとでもなるさ」

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「お嬢、起きてくださいよ。お目覚めの時間です」

 

「……起きてるよ、グリムソン。そんでもう少し静かにして。朝は静かな方が良い」

 

 昔の夢を見た日は特に。

 

「魘されてましたぞ。何か嫌な夢でも?」

 

「……そうね。そんなところかな」

 

 随分長い夢だった。

 ここまで色々と夢を見たのは久しぶりだ。

 疲れているのだろうか。最近、身体の不調が顕著だ。

 今年度に入ってから機能しなくなった未来視。

 謎の声が聞こえるようになった耳。

 そして、これまでの人生を辿るような悪夢。

 

「本日はお屋敷に帰る予定でしたな。覚えておりますか?」

 

「……勿論だ」

 

 ぼんやり夢心地なボクの耳に、セブルス・スネイプの言葉が鮮やかに蘇る。

 

 ────シェーン・グリンデルバルド。父君の墓参りに、君は一回くらい行ってみるべきだな

 

 やはり、行かねばならないのだろう。

 運命が呼んでいる気がする。

 この感覚に、今まで間違いはない。

 

 

 

 




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