見果てぬ宇宙(そら)の夢 (亜空@UZUHA)
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第1章 めぐりあい編
戦禍再び


 コズミック・イラ(C.E.).73。

 オーブ連邦首長国代表に就任したカガリは、プラント『アーモリーワン』にいた。

 ここへ来た目的は、現プラント最高議会議長、ギルバート・デュランダルと会談するためである。

 内々、かつ早急に……とのオーブ側の半ば強引な要望に、プラント側が答えた形となったが、カガリの機嫌は決して良いとはいえなかった。

 

「カガリ、非公式とはいえ、プラントの最高議長との直接会談なんだ。振る舞いには十分気を付けろよ」

 

 そんな彼女に寄り添っていたのは、ナナではなく……戦後、『アレックス・ディノ』と名を変えてアスハ家のボディーガードとなったアスラン・ザラだった。

 

「ああ……わかってるよ……」

 

 カガリはふくれっ面のまま、言い返したが、ふと声を潜めた。

 

「それよりアスラン、本当にいいのか? “イーリス”に行かなくて……」

 

 当然、前を行く案内人には聞こえないように話している。

 が、それでもカガリは声を落とした。

 

「ああ……」

 

 そして、アスランも。

 

「議長に無理を言って実現した会談だ……。会談が終わったら、すぐにオーブに戻ったほうがいいだろう」

 

 カガリは答えなかった。

 二人とも、『イーリス』を訪れたい気持ちは強かった。

 だが、二度とその“碑”を見たくないのも本心だった。

 『イーリス』とは……、真新しい“慰霊碑”のことである。

 数か月前、ザフトの軍施設で起きた事故……その多くの犠牲者を弔うための。

 

「とにかく、この会談を意味のあるものにするんだ。それをきっと、ナナも望んでいる」

 

 アスランは大人びた口調で言った。

 カガリはそれ以上何も言わなかった。

 二人は会見場へ着くまで、一度も目を合わせることはなかった。

 

 

―――――――――――――――

 

 

 アーモリーワンの港に、突如警報が鳴り響いた。

 デュランダル議長直々の案内で軍事基地内を訪れていたカガリとアスランは、不運にもその混乱に巻き込まれることとなった。

 アスランは突然の轟音と爆風に一瞬だけ戸惑った。

 アレックスと名を変えてアスハ家の護衛として過ごす中、やっと薄れていた戦闘の記憶が一気に呼び覚まされて、脳が衝撃を受けていた。

 だが、すぐに冷静さを取り戻した。

 元は軍人である。

 あの戦争も生き延びた……。

 それに今は、目の前に守らねばならない者がいる。

 

「6番ハンガーだ!! 新型が強奪された!!」

 

 混乱の中、そんな言葉が聞こえて来た。

 そこで、あの日の記憶が鮮明に呼び覚まされた。

 ヘリオポリス……オーブのプラントを襲撃したあの日。

 自分たちは施設内部にもぐりこみ、新型のMSを奪取した。

 あの時の自分が引き起こした事態に、コレはよく似ている。

 そして彼は目にした。

 ハンガーを次々と破壊し始める新型のMSを。

 

「ガンダム……」

 

 カガリもそれを見て、呆けたようにつぶやく。

 彼女もまた、かつての戦争と重なる光景を無理やりに見せつけられて、戸惑っているようだった。

 

「こちらへ!」

 

 二人はすぐさま、兵士によってシェルターへ案内された。

 が、その間にも地は揺れ、爆音が鳴り響き、兵士たちやそうでない者たちが右往左往と走り回る。

 怒号、悲鳴、轟音、爆風、出撃するMSの駆動音……。

 基地内は騒然とし、まさに戦場だった。

 戦場……? 

 アスランはカガリの手を引いて走りながら考えた。

 ここはザフトの軍事基地。そこが攻撃されているのであれば、敵は……。

 ズン……と、聞き覚えのあるキシミと地面の振動に、彼は建物ハンガーの向こうを仰ぎ見た。

 崩れゆくその向こうに、火を噴くMSが見えた。

 すぐ目の前で、強奪された新型の『ガンダム』がザクと戦っていたのだ。

 

「あ……」

 

 カガリが言葉にならない声をあげた。

 この非常事態を、彼女はまだ呑み込めていないのだ。

 

「こっちだっ……!」

 

 悲鳴すら上げられないカガリの肩を抱くようにして、彼は別の方向へ走った。

 先ほどまで自分たちを案内してくれていた兵士はもういない。

 戦闘のまさに中心部にいるのか、走っても走っても周囲からは爆音が聞こえ、建物の瓦礫が雨あられと襲い掛かる。

 

「くそっ……」

 

 なんとかして安全な場所にたどり着かねばならなかった。

 なんとしてでも、カガリを護らねば……。

 

 

『護って、アスラン』

 

 

 意志を噛みしめた彼の耳に、声が聞こえた。

 

 

『あの子を、護って』

 

 

 今でもはっきりと聴こえる……それでいて、ひどく懐かしいあの声が。

 

「カガリ、こっちだ!」

 

 彼はカガリの手をひっつかみ、近くに倒れていたザクに乗り込んだ。

 

「こんなところで君を死なせるわけにはいかないんだ!」

 

 戸惑うカガリにそう言い放ち、操縦桿を握る。

 この機体の動かし方なら、よく知っていた。

 起動……と同時に、新型と思われる1機がこちらを向いた。

 助けとなるザフトのMSは近くにいない。

 アスランが操るザクと新型はすぐさま一騎撃ちに突入した。

 戦闘から遠ざかってしばらく経つ。

 だが、幸か不幸か身体がそれを覚えていた。

 いや、今は幸いと思うしかない。

 なんとしても、カガリを護らねばならないのだから。

 が、事態はそれほど好転してくれはしなかった。

 機体の性能……量産型対新型では、操縦技術で埋められない差があるのに加え、もう1機の新型が背後に現れたのだ。

 彼のザクは攻撃を受け、片腕をもがれる。

 

 その時、はるか上空から新型に対して攻撃があった。

 ザフト軍……今は自分たちにとって援軍ということになる。

 彼らの前に現れたそれは、大刀を手にした白と赤の『ガンダム』であった。

 新型に対して、それは縦横無尽に戦った。

 すぐにもう1機、紫紺の羽根つきの『ガンダム』が駆けつける。

 2対2いや……新型の3機とザフトの2機での戦闘が始まった。

 どちらも腕は確かだった。

 “赤服”を着ていたアスランの目にも、そう見えた。

 だが、新型の3機の方がわずかに戦い慣れているようだった。

 強奪した機体をそのまま操れるほどである。

 この作戦のために高等技術を叩きこまれたパイロットなのだろう。

 かつての自分たちのように……。

 その差はまもなくはっきりと表れた。

 紫紺のMSがその場から引き離され、大刀のMSは2機に取り囲まれた。

 それは成すすべなく一方のグレーの機体からの砲撃で吹き飛ばされ、しりもちをついたところを、もう1機のブルーの機体に攻撃された。

 

 とっさ、だった。

 彼は操縦桿を握りなおして、そこへ飛び込み、ブルーの新型MSに体当たりをした。

 同時に唯一搭載していた武器を、グレーの機体に投げつけ、けん制する。

 だが、ブルーのほうは突き飛ばされて地に転がりながらも、攻撃を仕掛けて来た。

 その熱量をザクの盾は受け止めきれず、また機体も持ちこたえることができないまま、吹き飛ぶ形で背後の建物に衝突した。

 全身に衝撃が走る。

 と同時に、カガリの身体が倒れこんできた。

 

「カガリ!?」

 

 彼女の身体は力なく、受け止めた手にはぬるりとしたものがあった。

 赤い血が、意識を失った彼女の額から流れている。

 なおも襲い掛かる砲撃を、あちこちにダメージを受けた機体で懸命に避けた。

 離脱……。

 それが、カガリを護る最優先の策だった。

 

 

 

 あのザフトの2機は、新型3機に対して持ちこたえられるだろうか……。

 避難場所を探しながら、そんな思いが過ぎった。

 ヘリオポリス襲撃のことを考えると、強奪犯はハンガーを破壊することで追撃の数を減らした後、速やかに母艦に戻るはずである。

 基地内の混乱がある程度収まり、迎撃態勢が整えば、3機に対する包囲網も敷かれるはず。

 それまであの2機が持ちこたえられれば、強奪作戦は失敗に終わる。

 

「う……」

 

 カガリがわずかに身じろいだ。

 

「カガリ!」

「アス……ラン……」

 

 朦朧としながらも、カガリは彼を認識した。

 

「すまない」

 

 彼は彼女に詫びた。

 最優先で護らねばならない彼女がいながら、戦闘に加わってしまったこと。

 目の前の、自分たちを救ってくれたMSの危機とはいえ、とっさにそうしてしまったことが彼女のために最善だったとは言えなかった。

 

「どこか安全な場所に降りよう」

 

 早くカガリの手当てを……アスランは先ほどの2機に対する思いを打ち消した。

 

 

 

 

 



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邂逅

 アスランはカガリとともに、戦艦のドックに降りた。

 この艦にデュランダルが乗り込んだところを見た。

 最高議長がいるのなら、そこは最も安全な場所のはずである。

 それに、プラント側の人間でない自分たちが深い事情を知らない兵士ばかりの基地に残されるより、彼とともに行動したほうが面倒な誤解や疑念に縛れないと思ったからだった。

 だが、アスランの思惑が大きく外れる事態に陥った。

 この艦『ミネルバ』にコンディションレッドが発令されたのである。

 戦闘準備……。

 避難場所に選んだこの艦は、奇しくも戦場へ向かうこととなった。

 

 

 初めはザフト兵から銃を突き付けられたものの、事情を説明すると艦内で無事にカガリの治療を受けることができた。

 幸い、出血のわりに傷は浅く、カガリ自身も徐々に落ち着きを取り戻していった。

 カガリとアスランの“見張り役”となったのはルナマリアという名の“赤服”の少女だった。

 彼女に案内され、デュランダルとミネルバの艦長との面会を果たす。

 簡単に事情を説明されたが、アスランは先の警報を耳にした時から、なんとなく予想はできていた。

 だから彼は冷静だった。

 予想外に再び戦闘に巻き込まれ、今後に対して不安を隠しきれないカガリのぶんも、冷静に立ち回らねばならなかった。

 それに、彼女を護るという目的……いや、“約束”がある限り、意志がぶれることはないと思っていた。

 

 だが、妙な視線に対しては心を乱されそうになった。

 デュランダルの、もの言いたげな視線。

 それがたびたび、会話の相手であるはずのカガリを飛び越え、自分に向けられる。

 それは決して気のせいではなかった。

 彼に対しても用心せねば……そして後ろに控えるミネルバの艦長の、かすかな敵意に対しても。

 そう考えているうち、デュランダルがその妙な視線を引っ込めるなり、突飛なことを言い出した。

 艦内を見学しろというのだ。

 部外者である自分たちに対して、そんなことを言い出すとは微塵も思ってはいなかった。

 逆に軟禁されることを予測していたアスランは、また少し動揺した。

 それが『誠意である』と言い切って、艦長を言い含めるデュランダルの真意はわからなかった。

 彼はすぐに兵士を呼び寄せて案内を命じ、また自らも同行した。

 今回の案内役も“赤服”の兵だったが、先ほどのルナマリアという少女ではなかった。

 議長は彼を『レイ』と呼んでいた。

 輝かんばかりの金髪を肩まで伸ばした、美しい少年だった。

 ルナマリアはいかにも軍人らしい毅然とした態度、そして鋭い目をしていた。この少年もまた、“赤服”に相応しい落ち着いた態度と、大人びたものの言い方をしている。

 自分たちも……アスランは自然と、昔の仲間を思い出す。

 彼らと同じ服を身に着け、こんな艦に乗っていた頃のこと。

 イザーク、ディアッカ、そしてニコル。

 ふいに懐かしさがこみ上げた。

 

「しかし、とんだことになったものですよ。まさか進水式の前日に実戦投入される事態になるとはね」

 

 デュランダルが言った。

 この新造艦は、かつて乗っていたヴェザリウスとは内部構造が全く違っていた。

 

(ヴェザリウスか……)

 

 懐かしい……。

 またそんな思いに浸りそうになっていると、通路の向こうからまた別の“赤服”の少女が歩いて来るのが見えた。

 少女は彼らの一行を見ると立ち止まり、デュランダルに向かって敬礼する。

 

「え……?」

 

 瞬間、勝手に喉から声が出て、

 

(え……?)

 

 ズキンと鼓動が波打った。

 

 

「ナナ?!」

 

 

 瞬間、アスランはその少女に向かってそう叫んでいた。

 

「え?!」

 

 少女はビクンと肩を震わせ、とっさに身を引いた。

 が、アスランの手は彼女に伸びる。

 そこにいるのは『ナナ』だった。

 思考が止まった。体中の血が湧きたった。

 この突然の“再会”の衝撃は、歓喜とさえならないほどだった。

 

「ナナ!!」

 

 彼はもう一度その名を呼び、彼女との距離をゼロにしようとした。

 が、

 

「ち、ちがう!」

 

 カガリがそれを押し留めた。

 何故止める?

 ……という疑問が湧いたが、それも無視して『ナナ』に歩み寄った。

 

「ちがう、ナナじゃない!!」

 

 カガリはもう一度そう叫んで、彼の腕を痛いくらいに引っ張った。

 

(ちがう……?)

 

 その言葉が、ようやく脳に届いた。

 

(何がちがう……?)

 

 そして、アスランはもう一度『ナナ』を見た。

 

(ナナ……!)

 

 やはりナナだ。

 あの、ナナだ。

 

「申し訳ございませんが」

 

 その『ナナ』の前に立ちはだかるようにして、レイが言った。

 

「この者は“ナナ様”ではありません」

 

 きっぱりと。

 今、アスランの中に湧き出たものを、一刀のもとに切り捨てるように。

 

「え……?」

「この者は『セア・アナスタシス』といいます。我々ザフトの軍人です」

 

 かすかに敵意を含んだ声が耳に響く。

 

(ザフトの軍人……?)

 

 確かに、“赤服”を着てザフトの艦に乗って、デュランダル議長に敬礼をしていた。

 

「セアは……よく周りからナナ様の面影があると言われるようですが、彼女の父親も祖父もザフトの軍人で、れっきとしたプラントの人間です」

 

 乾ききったレイの声に同調するように、体中の血が冷えていく。

 

「ナナ・リラ・アスハ()()使()とは何ら関係のない一兵卒です」

 

 とどめのような一言に、アスランは忘れていた呼吸を再開した。

 

(ああ……あたりまえだ……)

 

 レイにそうとげとげしく説明されずともわかる。

 だいたい、髪の色も、目の色も、ナナとは違うのだ……。

 アッシュグレイの髪とバイオレットの瞳は、決してナナのものではない。

 それに、なにより……。

 目の前の少女はひどく怯えた様子で、レイの背に隠れている。

 彼の腕をつかむ指先は小刻みに震えてさえもいた。

 いつも凛として、少し生意気な目でまっすぐ人を見つめ、誰に対してもしっかりとしたもの言いをしていたナナが、こんなに子犬のように怯えた姿であるはずがない。

 

「ナナじゃない……」

 

 くぐもった声でつぶやくカガリの言う通り、彼女はナナじゃなかった。

 

「ああ……」

 

 ようやく声を絞り出した。

 羞恥も自嘲も無かった。

 勝手な失望だけが、彼の心を支配していた。

 

「失礼した……」

 

 どよりとした声が、真新しい床に落ちる。

 もう彼女の目は見られなかった。

 そして彼女もまた、何も言わずにレイの影に隠れたままだった。

 

「無理もありませんよ」

 

 デュランダルが慰めるように言う。

 

「どういう偶然か、セアは顔立ちが“ナナ姫”によく似ている。我々の中でもそういう話をする者もいることは事実ですから」

 

 彼と、カガリを見て。

 そして、

 

「そうだね? セア」

 

 優しく彼女に言った。

 

「は、はい……」

 

 セアはか細い声で答える。

 

「セア、何か用事があったのだろう? もう行ってもいいよ」

 

 そしてデュランダルにそう言われると、また敬礼をして逃げるように去って行った。

 

「いや、申し訳ない」

 

 再び歩き出すなり、デュランダルが二人に言った。

 

「彼女は少し前に大変な目に遭っていてね……。“ナナ姫”が巻き込まれた()()()()の……数少ない生き残りの一人なのですよ」

 

 失意にまみれたアスランの心が、またビクンと跳ねた。

 “あの事故”の……。

 

()()()()で、同期の仲間を全て失い、自身も大怪我を負って……復帰後まだ日が浅いので、精神的に少し弱いところがあるかもしれない。レイ、そうだろう?」

 

 レイはもくもくと歩きながら、淡々と返答する。

 

「はい。ですが、実戦形式での訓練では優秀な成績を収めております。あの『レジーナ』に相応しいパイロットです」

 

 レジーナ……。

 先ほどのアーモリーワンでの戦闘中、インパルスとともに救援に駆けつけた紫紺のMSか……。

 彼女があれに……。

 確かに、今垣間見た、怯えて人の影に隠れるような少女からは想像もつかないほど、操縦技術は“赤”を着るのに申し分ないようだった。

 

「しかしお二人にはまだ、ナナ姫と顔立ちがよく似たセアと顔を合わせることは、おつらいでしょうな……」

「あ……いや……」

 

 デュランダルは気の毒そうにそう言った。

 それに対し、カガリが曖昧な返事を返す。

 アスランは何も言えなかった。

 記憶の浅いところから浮かび上がるナナの姿が、瞼にちらついていた。

 

 

 



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停戦

 ヤキン・ドゥーエ、およびジェネシスの爆発の後……、その宙域に静寂が訪れた。

 あれほど苛烈を極めた戦いは、一瞬にして止んだのだ。

 かつてグレイスだった“それ”は、今やMSの形もままならぬ灰色のガラクタとなっていた。

 だが、それに乗って、ナナ、アスラン、キラの三人は無事に帰還した。

 エターナルのドックは、歓喜に沸いた。

 ただの歓喜ではない。

 恐ろしいまでの犠牲と、憎しみと、絶望の果ての……喜びであった。

 だから皆、泣いていた。

 クルーたちも、アスランも、キラも、ラクスも、そしてナナも。

 失ったものへの悲しみをしっかり抱えたまま、再会の喜びを噛みしめていた。

 

 

 命を繋いだことの喜び……。

 だが、それを確かめ合うのも、ほんの束の間だった。

 ナナが言った。

 

「アスラン、ちょっと……」

 

 キラを医務室へ送り届け、付き添いをラクスに任せて、二人で廊下へ出た時のことだった。

 

「ナナ……?」

「ちょっと、こうしてて……」

 

 ナナはアスランの両手をとり、目を閉じた。

 もう、涙は消えていた。

 ナナはただ、そのまま深く呼吸する。

 まだ熱の残る手を握ったまま、アスランはわずかに戸惑いつつも、その姿を黙って見ていた。

 数呼吸……。

 最後に息を吐ききると、ナナは目を開けた。

 

「よし……!」

 

 充血してはいるがとても強い光が、そこにはあった。

 何度も何度も目にしてきた光だった。

 そして、この光に何度も救われ導かれてきたことを、アスランは今さらながらに実感する。

 

「ナナ……?」

 

 ナナは笑った。

 

「大丈夫!」

 

 自分に言い聞かせるように、力強く言う。

 

「アスラン、私……やるから」

 

 ああ……まただ。

 アスランは、頭の隅に呆れつつも脱帽する自分を感じた。

 

「やらなくちゃいけないこと、たくさんあるもんね」

 

 終わっていない……。

 たった今、死線を切り抜けたはずのナナは、また戦おうとしている。

 今度は別の戦いを。

 それは、彼女にしかできない戦いだと予感した。

 だからアスランは、ため息交じりにうなずいた。

 彼女の力になれない自分が、情けなかった。

 が。

 

「アスラン」

 

 ナナは握った手の力を強め、言った。

 

「ちゃんと、見ててね」

 

 『見ててほしい』と言うのは、必要とされているからなのだろうか……。

 それを、アスランはナナの瞳の中に探る。

 

「ね、アスラン」

 

 その瞳の中に、不安はない。

 絶対の自信もない。

 かといって、無理に強がっているようでもない。

 ただ……何も示すものがない道を自分の足で歩き出すことを決めた、強い意志だけがそこに在る。

 そんな彼女にしてあげられることは……。

 

「わかった、ナナ」

 

 本当は、何もない。

 だが、ナナは言ったのだ。あの時に。

 

『あなたがいないと戦えない』

 

 こんなにも、強いナナが、あんなに泣いて。

 

『側にいて』

 

 そう、小さな子供のように願ってくれたから。

 

「オレも一緒に戦う」

 

 自分にできることなどなくとも、その言葉をナナに贈る。

 戦い続けるナナの側に、必ず居続けるという約束を。

 

「うん!」

 

 ナナはまた笑った。

 ほんの少し……ほっとした様に見えたのは、きっと自分の自惚れではないはずだった。

 

 

 

 ナナはすぐに、行動を開始した。

 まるで、自分の手を握って深呼吸をしていたほんの数十秒のうちに、成すべきことを全て心のうちに書き留めて、整理したかのようだった。

 ナナはまずエターナルのブリッジに上がった。

 そこでプラントからの停戦宣言を聞いた。

 事実上、すでに停戦状態に至ってはいたものの、艦内は安堵に包まれた。

 モニターの向こうのアークエンジェル、クサナギの仲間たちも、歓喜に沸いていた。

 が、ナナはいつまでも『停戦』の実感を噛みしめてはいなかった。

 彼女の無事な姿を目にして泣き崩れるカガリをモニター越しになだめ、ナナはまず、アークエンジェルへと向かうと告げた。

 アスランはもちろん、シャトルの操縦をかって出た。

 静かな宙を渡る途中。

 

「先にカガリのところへ行かなくていいのか?」

 

 アスランが問うと、ナナは少し目を伏せて答えた。

 

「アークエンジェルは……ムウさんを失ってるから……」

 

 その時に初めてそれを知ったアスランは、言葉を失った。

 が、ナナはすぐに気を取り直したように言う。

 

「それに、退艦の挨拶をしてこなくちゃね」

「退艦?」

「まぁ、一応……私は正式には軍人じゃなかったけど、ずっとあそこで一緒に戦ってきたわけだし」

「いや、そういうことじゃなく……」

 

 ここで初めてナナは、決意した自分の身の振り方を明かす。

 

「私、これからはオーブの人間として動くことにする」

「オーブの?」

「うん。オーブ連合首長国の“代表代行”としてね」

 

 ナナは意味ありげに笑うが、アスランの脳はナナの言葉について行くことができなかった。

 

「この状況を()()()には、そうするのが一番いいと思う」

 

 その本当の意味を聞く間もなく、二人を乗せたシャトルはアークエンジェルに着艦した。

 改めて見てみると、この艦の損傷は三艦の中で最も甚大であることがわかった。

 ドッグ内部も、もう機体の換装すらできないような状態だったが、ナナは常に明るい顔で、生き残ったクルーと再会を喜び合った。

 

 そして、ブリッジで……。

 ナナはひとりひとりと言葉を交わし、最後に黙ってマリュー・ラミアス艦長を抱きしめた。

 ムウ・ラ・フラガを失った彼女は、ナナに抱きしめられたまま、声を殺して泣いた。

 ナナは何も言わず、彼女の背なかをゆっくりと撫でていた。

 その姿に、アスランは自分の愚かさと幸福を感じた。

 あの時、自分の命を捨てていたら、ナナが自分を救ってくれなかったら……ナナをこんなふうに泣かせていたのだろうか。

 いや、あの時にナナをあれほど泣かせてしまった自分は、なんと愚かなのだろうと思った。

 そして今、ナナの側に居られることの幸福を……強く感じていた。

 マリューが落ち着くと、ナナは彼女にも同じことを言った。

 

「え? 退艦?」

「一応、形式的に」

「そ、それはどういう……」

「私、これからはクサナギに移ります」

「え、ええ、それは……」

「この先、私はアークエンジェル所属のパイロットではなく、オーブの代表代行として動くことにします」

 

 ブリッジがざわついた。

 彼らの戸惑いはアスランにもわかった。

 ナナが特別おかしなことを言っているわけではない。

 公式的にはナナはまだアスハ代表の義娘である。

 この緊急事態に『代表代行』を名乗っても、不自然なことではなかった。

 が、そのことと、今それを言い出すこととが、すんなりとは結びつかないのである。

 

「できるだけ早く、プラントと地球軍との停戦協定が成立するには、調停役がいたほうがいいと思うんです」

 

 ナナは静かに、その意図を明かした。

 

「調停役?」

 

 知っているようで聞き慣れない言葉に、周囲は静まり返った。

 

「はい。間に入る者がないと、色々決めるのに時間がかかりそうで」

「それで……あなたが?」

「一応、オーブは中立国ですから」

「でも……」

 

 マリューが懸念するのも無理なかった。

 

「オーブもこの戦いには参加してしまっているでしょう?」

 

 だがアスランには、ナナが成し遂げようとしていることが徐々にわかりかけていた。

 

「オーブの戦いは、あくまで中立の立場を守るものでした。それは、両軍とも認めざるを得ないでしょ?」

 

 ナナは自信ありげに言った。

 それが、この艦のクルーたちに対して安心感を与えようとしているのだと、アスランは知っている。

 

「逆に、その立場を主張しておかないと、後で色々面倒なことになりそうだし。まぁ、先手必勝ってやつですよ」

「でも、オーブは直接、地球軍に攻撃されているわ。そのことはどちらにとっても簡単にはすまない話だと思うけど……」

「そのことは」

 

 ナナはたっぷりと間を取ってこう言った。

 

「オーブは地球軍に補償要求を行わないということで、片づけちゃおうと思ってます」

 

 マリューは目を見開いた。

 他の者たちでさえ、驚きの声を上げる。

 地球軍からの理不尽な要求と攻撃によって、オーブが受けた損害は計り知れないはずだ。

 ナナはそれを、不問に処すと言っている。

 あれだけの被害を被って、金銭的賠償さえも求めないと……。

 だが、次のナナの言葉で、皆一様に黙った。

 

 

「こちらもそのくらいの覚悟をみせないと」

 

 

 渦中に呑まれたオーブの民の気が収まらないことは、ナナも承知の上だ。

 もちろん、あの戦いで新たな道をみつけたアスランにも、彼らの気持ちは十分にわかっていた。

 だがそれ以上に、ナナは自分の義父を殺された。

 自分の国をえぐられた。

 当時の地球軍の理不尽さに、彼女はどれほどの怒りを覚えたのだろう。

 それでも、彼らの罪を許す覚悟とは……。

 それは決して、軽いものではない。

 そして、そんなものを持たねばならぬほど、この先の未来も険しい道のりなのだ。

 ナナはそう考えている。

 

「覚悟……ね……」

 

 マリューがつぶやいたナナの言葉に、皆、うなだれた。

 

「わかってくれますか?」

 

 いつもと変わらぬナナの姿に、彼らはうなずくしかなかった。

 

「で、でも……オーブの……本国はそれで納得するかしら?」

「それは、帰ってからなんとかするしかないですね」

「そんな……」

「そもそも、私が代表代行を名乗ることも、議会で決まったわけじゃないですし。あっちで猛反発が起きてもおかしくないかも」

 

 再びよぎる不安を、アスランは押し込めた。

 ここはたとえ通例や常識を打ち破ってでも、進まねばならない時だった。

 今まできっと、ナナがひとりでそうしてきたように。

 

「でも大丈夫です。本国としても、最優先すべきことは、オーブがザフトとも地球軍とも敵対せず、中立国としての立場を取り戻すことですから」

 

 アスランは小さく笑った。

 ナナの言葉は、戸惑いや混乱を一刀両断の元に切り裂く。

 それは危うくあっても、あっけにとられるほど心地よいものだと、最近は気づき始めていた。

 

「わかりました、ナナ」

「それと、もうひとつ」

「え?」

 

 ナナは最後に、声色を強くして言った。

 

「この艦のこと、それからみんなのこと、私に任せてください」

 

 マリューの目に、再び涙が滲んだのがアスランにも見えていた。

 

「ええ……ええ……お願いするわ……」

 

 ブリッジに、おそらくヘリオポリス崩壊後からずっと張り詰めていたであろう緊張の糸が、本当に切れた瞬間のようだった。

 

「ナナ!」

 

 ミリアリアが、ナナに抱きついてまた泣いた。

 

「ミリ、大丈夫だから、私に任せて、ね? 大丈夫大丈夫……!」

 

 ナナは笑いながら、彼らに向かって『大丈夫』と繰り返し言い聞かせていた。

 

 

 

 



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肩書

 

 焼けただれたコンテナの残骸の側で、アスランはその光景を見ていた。

 整備班、医療班……、全ての生き残ったクルーがそこに集まっていた。

 中には怪我をしている者も多かった。

 もちろん、ブリッジのスタッフも皆そこに居た。

 彼らに向かって、ナナは退艦の挨拶をした。

 アスランの知らない、彼らとナナとの時間。

 安心したような全員の顔を見れば、それがどれほど過酷な時間であったかがわかる。

 そして、ザフトだった自分が、いかに彼らを追い詰めていたのかを。

 それからもうひとつ、彼らがナナを心から頼りにしていたであろうことも、ひしひしと伝わって来た。

 

「もう、みんな泣かないでよ! どうせ後でまた会えるんだし」

「だけどっ! お前、この艦っ……降りるって……!」

「降りるっていうか、けじめだよ、けじめ。さんざんお世話になったから」

「う、うぅ……」

「マードックさん、そんなに泣かないでってば! ただ、地球軍の軍服を脱ぐから、みんなに挨拶をって思っただけなのに……」

「ナナ!!」

「ていうか私、実はアルバートン提督の計らいで、正式には軍人登録されてないの。今まで黙っててごめんなさい」

「そんなこたぁどうでもいい……!」

 

 戦後処理はすぐには片付かない。

 彼らの処遇も、身の振り方も、これから決まる。

 つまりは、まだナナがこの艦を出入りして、色々と立ち回らねばならないのだ。

 そのくらい、彼らもわからないわけではないだろう。

 だがそれでも『別れ』を感じるのだ。

 ナナが自分たちと同じ軍服を脱ぐということに……。

 それは、軍人であったアスランにもよく理解できた。

 

「お前、よく生きてたな」

 

 ナナを囲む輪はなかなか解けそうもなかった。

 そこから外れ、アスランの傍らに立ったのはディアッカだった。

 

「お前も……無事でよかった……」

 

 ディアッカはもの言いたげな顔をした。

 アスラン自身も、彼と話したいことは色々あった。

 オーブでの再会後……彼とはあまりゆっくりと話す時間が無かった。

 いや、そもそもザフトに居た時からも、彼とちゃんと向き合ったことはなかったように思う。

 

「これから大変だな、あいつも」

 

 が、ディアッカは視線を外した。

 その先に、別れを惜しむ仲間たちの肩を豪快にたたくナナがいる。

 

「また面倒な役割背負っちまって」

「ああ……そうだな……」

 

 ディアッカの『また』という部分が、やけに強く聞こえた。

 

「お前が支えてやれよ、っつーか、しっかりしろよ!」

 

 同じ赤服を着ていた頃には聞けなかったような台詞に、アスランは彼の横顔を凝視した。

 わずかに頬を赤くし、ばつが悪そうな顔をしている。

 彼にこんな台詞を言わせたのはナナなのだ。

 

「アイツが倒れたら、この艦のヤツらもオーブもオレたちも終わりだからな!」

 

 憎まれ口も、どこか下手くそになっている。

 

「ああ、わかっている」

 

 苦笑すると、ディアッカはこちらを睨んだ。

 が、ひとつため息をついてこう言った。

 

「落ち着いてからでいいぜ」

「え?」

 

 言葉の最後、彼は少し目を伏せていた。

 

「お前と話すのは」

 

 様々な思いが駆け巡った。

 お互い、話すことがどれだけあるのか……。

 かつての関係のままであれば、特に話す必要は無かったように思う。

 が……アスランの中にも、彼に話したいこと、聞きたいことはちゃんと存在していた。

 きっと、ディアッカも……。

 

「そうだな、いずれちゃんと話そう」

 

 まるでキラとそうするように、穏やかな笑みを交わす。

 それはとても新鮮で、それでいて自然な気がした。

 

 

「あ、ディアッカ」

 

 ようやく仲間の元を離れたナナが、こちらに気づいてやって来た。

 

「ねぇ、これからどうしたいのか考えといてくれる?」

 

 そして、突拍子もなくディアッカに言う。

 

「は?」

「ザフトに戻りたいのか、プラントに帰りたいのか、オーブに来てもいいし……」

「いや、オレは……」

「大丈夫! アナタのことも、反逆罪とかにはならないようにザフトと交渉しておくから」

「は? いや、そんな簡単に……」

「大丈夫だから、とにかくその後のことを考えておいてよ」

 

 

 突然のナナの申し出に、ディアッカは困惑の表情を浮かべた。

 無理もなかった。

 これから両軍を取り持つ調停者として立つことを決めたばかりのナナが、まだ何も決まっていないにも関わらず、彼の処遇についてまで考慮しようとしているのだ。

 返答に困った彼は、こちらを向いた。

 

「ディアッカ、今はナナに任せておけばいい」

 

 彼と、そしてナナを安心させたくてそう言った。

 

「けどよ……」

「そうそう、私に任せておいて」

 

 ナナはディアカの肩をバンバンと叩くと、振り返ってマリューにも言う。

 

「マリューさんも……この艦のクルー全員に、今後の身の振り方についての希望を聞いておいてくれますか?」

「希望って……」

「これから地球軍と交渉して、みんなの身の安全は絶対に確保しますけど、その後のこともできるだけ希望が叶うよう取り図りたいので」

「ナナ……」

「それじゃあまた連絡を入れます。今のうちに交代で休んでおいてください」

「え、ええ、わかったわ」

 

 ナナは別れを惜しむクルーたちに手を振り、マリューにそう言い残してシャトルに乗り込んだ。

 

 

「もう、みんな大げさなんだから」

 

 シートに深く腰掛け、ナナはため息をつく。

 その顔は、どこか嬉しそうだった。

 

「ともに戦禍をくぐり抜けて来たんだ、自分たちと同じ軍服を脱ぐのは悲しいんだろう」

 

 アスランが、自分が彼らの“敵”だった事実を押し込めて言う。

 

「お前は彼らに信頼されていたんだ、なおさらだろう」

「うーん」

 

 ナナは斜め上を見てうなった。

 

「どうした?」

「なんていうか……、私、この艦に乗った時、かんっぜんに浮いてたからなぁと思って」

「浮いていた?」

「そう! ひとりで勝手に突き進んでたっていうか……みんなにも冷たくしちゃってたし、怖がられてたっていうのが近いかな。自分で説明するの難しいから、今度キラに聞いてみてよ。キラには特に嫌われてたと思う」

 

 自嘲気味に笑うナナに対し、複雑な心境を持て余しながらアスランは操縦桿を握り直した。

 

「あ、でも……」

 

 ふと、ナナが思いついたように言った。

 

「考えてみたら、私たち、お互いちゃんと普通の話をしたことないよね」

「普通の話?」

 

 横を見ると、ナナの目はまっすぐこちらを向いていた。

 

「戦いの作戦とか、哀しいこととか、難しい話とか……そればっかり」

 

 出会ったのは戦争中……。

 仕方がなかったとはいえ、普通に言葉を交わすことが意外にも少なかったことは納得できた。

 

「そうだな」

 

 同意すると、ナナは笑った。

 

「これからは、いろんな話をしようね」

 

 その時、ようやく前方のハッチが開いた。

 ひしゃげた扉を見て、アスランは答えた。

 

「ああ……たくさん、話そう」

 

 先に広がる宙が、いつもより綺麗に見えた。

 

 

 

 そのまま、アスランはナナに言われるがままシャトルをクサナギに向けた。

 ブリッジでカガリはひとしきりナナにしがみついて泣いた後、アスランにも同じことをした。

 それを“姉”の目で見やってから、ナナはクサナギのクルーたちの無事を喜び、健闘をたたえた。

 少し時間が経っていたせいか、彼らはアークエンジェルのクルーたちよりいくぶん落ち着いていた。

 すでにまとめていた被害状況も、冷静に報告する。

 M1隊の仲間を多く失い、一瞬顔を曇らせたナナだったが、それをすぐに引っ込めた。

 そんな彼女に、キサカが問う。

 

「ナナ様。これからどうなさるおつもりですか?」

 

 アスランには、キサカがすでに答えを知っているかのように見えた。

 彼だけじゃなかった。

 他のブリッジの面々も、ナナが何かの答えを持っていると信じて疑わない目をしている。

 そんな視線を向けられたナナは、アスランの腕の中でまだ泣きじゃくっていたカガリの肩に手を置いた。

 

「カガリ、聞いて」

 

 とても優しい声だったが、眼差しは厳しくもあった。

 

「カガリ、聞いて」

 

 しゃっくり上げるカガリを自分の方を向かせて、ナナはもう一度言う。

 

「ナナ……」

「カガリ、あのね」

 

 カガリの両肩に手を置いて、エターナルで、そしてアークエンジェルで……告げた時よりももっと強い声で、ナナは言った。

 

「今から私が、オーブの代表代行として動こうと思う」

 

 宣言……ではなかった。

 ナナはカガリの意をうかがっていた。

 

「代表……代行……?」

 

 ナナはアークエンジェルのブリッジでしたのと同じ説明を、カガリにする。

 

「停戦協定の調停?」

「そう。中立国オーブに相応しいでしょ?」

 

 カガリはまだ意図がよく飲み込めていないのか、ただナナを見つめていた。

 

「それに、オーブの立場も守らなくちゃならないし、アークエンジェルやラクスたちも守らなくちゃならないの」

「あ、ああ……そうだな」

「そのために、オーブ連合首長国代表代行の肩書がどうしても必要なの」

 

 カガリは息を呑んだ。

 ようやく意味を理解したのだ。

 

「私、ウズミ様と養子縁組を解消したと思ってたんだけど、ウズミ様が書類にサインをしてくれてなかったみたいで……。だからまだ、私はウズミ様の義理の娘っていう立場にあるの」

「そうなのか? じゃ、じゃあ、まだナナはちゃんと私の姉なんだな?」

「うん、そうなんだけど……」

 

 カガリの顔がぱっと晴れた。

 だが次のナナの言葉でまた、彼女は混乱する。

 

「だからカガリ、今は私に任せてくれない?」

「え?」

 

 ナナはひと呼吸置いて、説明する。

 

「私は、ウズミ様の後を継ぐのは、あなただと思ってる」

「私が?」

「そう。いずれちゃんと議会で承認されて、あなたが代表の座に就くべきだと思ってるの」

「それは……」

「ウズミ様はあなたにそれを託された。あなたもわかってるでしょう?」

「あ、ああ……わかっている……」

「だけど今は」

 

 再び戸惑い始めたカガリに、ナナは笑みを浮かべながら言った。

 

 

「私に任せてくれない?」

 

 

 ナナの目をみつめるカガリの後ろで、アスランはそっと笑った。

 これは、ナナなりに筋を通しているのだと、やっとわかった。

 オーブ国民であるクルーたちは、二人の少女を温かく見守っていた。

 きっと、事情を知る彼らには初めからわかっていたのだろう。

 

「ナナ、よろしくたのむ!!」

 

 カガリはナナの決意と義理を理解して、ナナの手を強く握りしめた。

 ナナはその手をしっかりと握り返し、仲間たちを見回した。

 

「我々も、異論はございません」

 

 キサカが言うと、口々にナナに忠誠を誓う言葉がとびかった。

 

「そういう堅苦しいこと言わないでよ、代理だって言ってるでしょ」

 

 ナナは笑った。

 

「一時的に権力とネームバリューを笠に着て、今の事態を収拾するだけだってば」

 

 それが一番難しい役割なのだが、ナナはなんでもないことのように言う。

 

「私はカガリが代表に就任するまでの“繋ぎ”なんだからね」

 

 そうして、きっちりと釘を刺した。

 ブリッジに、アークエンジェルのそれと同じような安堵感が産まれた。

 彼らがどれほどナナを信じているか、ナナを頼りにしているか、彼らがナナに向ける視線を見ればわかる。

 それはとても過酷な道だろう。

 が、ナナは彼らの前で笑っている。

 ふと、ナナはカガリの肩越しにこちらを向いた。

 そして……まるで自分を見かけて安心したかのように、息をついた。

 

 

 

 

 



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声明

 

 話がまとまるとすぐに、ナナはエターナルに通信を入れた。

 ブリッジにはすでに、ラクスが戻っていた。

 

「ラクス、そっちの準備はできてる?」

 

 キラの病状を聞いてから、ナナは唐突に問う。

 カガリが不思議そうな顔でアスランの方を見るが、アスラン自身も“準備”の意味はわからなかった。

 

「ええ、だいだいの草案はできておりますわ」

「さすがラクス」

 

 ラクスの方は、問われることを初めからわかっていたようだった。

 

「だったら悪いんだけど、あと20……15分だけ待ってくれない?」

「ええ、かまいませんけど……」

 

 ナナはモニターに向かって、これからの自分の動きについて説明した。

 

「まぁ、それは心強いですわ!」

 

 ナナの意志を聞き、ラクスは目を輝かせて喜んだが、やはり、それもわかっていたかのように見えた。

 

「オーブとしての声明文を考えるから、15分だけ待って欲しいの」

「ええ、もちろんです」

「ラクスの声明の後に、こっちが出させてもらう」

「そのほうがいいですわね」

 

 二人は短い言葉だけで、重要な会話を進めていく。

 二人の間には、クサナギのブリッジに漂っている緊張感は無かった。

 

「できるだけ早く進めよう」

「はい、今のうちに……ですわね!」

「ってことで、ちょっと文章を考えて来る」

「わかりました、よろしければ、現段階で仕上がっているこちらの文面をお送りします」

「それは助かる!! 参考にさせてもらうね」

 

 最後にナナは、ラクスと、その向こうに映るザフトの軍服を身につけた者たちに向けて言った。

 

「そうだ、そっちの艦のことも、私に任せてね」

 

 ラクスは小さく笑った。

 ディアッカと同様……ザフトを裏切った形になる彼らも、その将来をナナに任せなければならない立場にある。

 アスランも冷静に考えればそれがわかった。

 だから、ラクスの笑みの意味がよく理解できた。

 

「よろしくお願いしますわ」

 

 ナナは満足げに笑って、大きくうなずいた。

 

 

 

 

 ナナはすぐに、オーブの公人が身につける制服に着替えた。

 ずいぶん前から、クサナギのクルーによって用意されていたようだった。

 カガリと揃いの飾りがついたジャケットに、タイトスカートを身につけたナナは、急に大人びて見えた。

 

「ナナ、大丈夫か?」

 

 ドリンクを片手に再びブリッジへ上がるナナに、アスランはたまりかねて言った。

 だが、ナナが笑って首を振ることくらいわかりきっていた。

 

「正直しんどいけど、今はスピード勝負でしょ」

「ああ、それはわかっている」

 

 地球軍とザフトが両軍どうしで話を進めてしまう前にオーブが声明を出す……ナナはそのつもりだった。

 だから声明の草案を考えるべく、もう一方の手に持ったモニターを眺めている。

 そこに映し出されているのは、過去、戦後において仲介、または調停の役割を担った国家が発した声明文だった。

 

「ナナ!」

 

 そのせいで、通路を曲がり損ねたナナの腕を引っ張る。

 いくら無重力とはいえ、顔から壁にぶつかりかねない様子だった、

 

「あ、ごめんごめん」

 

 ナナはどこか上の空で、またすぐにモニターに目を移す。

 が、それでも次に発する言葉は、アスランを気遣うものだった。

 

「それより、アスランのほうこそ、そろそろ休憩をとって。あれから全然休めてないでしょう? 私が運転手なんか頼んだから」

 

 冗談交じりにそう言うので、アスランはため息交じりに返した。

 

「たとえ役に立たなくても、お前が休むまで側に居る」

 

 今、ナナは戦っているのだ。

 軍服を制服に着替えて、モビルスーツでなく言葉で、戦おうとしているのだ。

 オーブ国民でもなく政治家でもない自分は、何の役にも立たないことはわかっている。

 が……側に居てやりたかった。

 たとえ役には立たなくとも、いつでもナナが寄りかかれるように……。

 そう思った時、アスランは急に顔が熱くなるのを感じた。

 自分が吐いた台詞と、想いの熱に、気恥ずかしくなったのだ。

 

「アスラン、どうしたの?」

 

 今までモニターと睨めっこをしていたくせに、ナナはこういう時に限ってこちらを向いていた。

 

「い、いや……なんでもない……」

 

 横目で見たナナの表情は、不思議そうな顔をしていた。

 こちらの心境には気づいていないようだった。

 それはつまり、ナナが先ほどの台詞を、とくに不自然とか暑苦しいとか、感じていなかったということで……。

 

「はぁ……」

「ねぇ、どうしたの? 疲れてるんならやっぱり……」

「いや、なんでもないんだ」

 

 深く息をついて、心を落ち着ける。

 

「オレのことは気にするな」

「うん……」

 

 アスランは、ナナが安心するように笑って見せた。

 今はナナの影になろう……ナナが前だけ向いていられるように。

 ナナがこのちっぽけな自分の存在を忘れるくらい、みんなのために戦えるように。

 また、やけに熱い想いが湧きたつのを感じて、アスランはこっそりと笑った。

 

 

 

 

「私は、オーブ連合首長国代表代行、ナナ・リラ・アスハです。地球軍、ザフト両軍に発信します。我々オーブは、地球、プラント間のいかなる争いにも関与しない中立国として、また、平和を望む一国家として、停戦協定の早期締結を望むとともに、その調停役を……」

 

 ラクスが、自らの参戦の意図を説明し、今後の平和を願う言葉を発した後……ナナもクサナギの士官室から声明を発した。

 それはラクスの優しくも強い言葉とは違い、少しばかり強引で冷たく、まるでオーブの力を誇示するような内容だったが、ナナに迷いはなかった。

 『調停役』の申し出を、有無を言わさぬ声で発した後、オーブがいかにして戦いに巻き込まれ、そしてどんな目的があってこの宇宙での戦いに加わることとなったのか、理路整然と述べた。

 さらに……ナナは自らのことについても語った。

 自分は正式に地球軍の軍属となったわけではないものの……アークエンジェル所属機、『グレイス』に搭乗して戦いに参加していたことを。

 宇宙で、地球で、オーブで……ザフトと戦い、そしてこの宙域では地球軍の核攻撃と、プラントのジェネシスの阻止のために、その操縦桿を握ったということを。

 最後に、その戦いの果てに訪れる未来が平和であることを願う……と訴えた。

 その部分だけ、声に熱を帯びていた。

 

 約20分間の演説を終えて、艦内は緊張に包まれた。

 地球軍、ザフト両軍にとって、突然発せられた『調停役』の申し出。

 それも、堂々と参戦し、その力を見せつけた一国によるものである。

 しかもオーブは、地球軍所属艦であったアークエンジェル、プラントのラクスとともに戦っていた。

 オーブがとった行動の意味を、果たしてどれだけの軍人が理解しているのか、状況はあまりに不鮮明だった。

 下手をすれば、この声明を単なる元中立国の戯言……ととられかねない。

 それを傲慢と受け取られ、反発、あるいは黙殺されることも十分考えられた。

 最悪の場合、グレイスのパイロットであったナナの罪を咎められる恐れもあった。

 

 両軍からの返答を待つ間、クサナギのブリッジはしんと静まり返っていた。

 返答の内容は? 申し出を受け入れるのか? あるいは、返答はないのか……?

 緊張感が、狭いその空間を包み込んでいた。

 ナナはまっすぐ、前方の暗い宙を見据えていた。

 その背はピンを伸びている。

 その肩にどれだけの重圧が圧し掛かり、その胸にはどれほどの不安が渦巻いているのか……アスランには推し量ることさえできなかった。

 だが、ナナはまるで答えを知っているかのように、堂々と立っていた。

 ナナは信じていたのだ。

 両軍が、一刻も早い停戦協定の締結を望んでいることを。

 それだけ、この戦争の結果があまりにも悲惨であったのだということを知っていたからである。

 

 

 一時間後。

 まず、地球軍からの返答があった。

 それほど間を置かず、ザフトからも。

 どちらも、オーブの調停を介しての停戦協定締結を望む……という返答だった。

 

 

 

 

「アスラン、今度こそ本当に休んでて」

 

 両軍の代表者との会合に向かうこととなったナナは、時間の隙間を見つけてそう言った。

 それぞれ三名ずつの、小規模にして最初の重要な会合である。

 もちろん、アスランが同行するわけにはいかなかった。

 だが、これは最も危険な旅への出発だった。

 会合で、どちらかがナナの存在を疎ましく思い、何かしらの策を練って来ると考えられなくもない。

 あるいは、両軍の憎しみ合いに、ナナが巻き込まれないとも限らない。

 要するに、命の保証がないのは確かだった。

 が……それでも、彼にできることはなかった。

 ナナ自らが提案したのだが、人数を制限しているため、付き人としてもシャトルの操縦士としても同行は許されない。

 ナナは、当然のことながら、オーブの者と会合へ向かう。

 

「お前が無事に帰って来るまでは休めない」

「まぁ……そう言うと思ったけど。無事に帰れる保証はないしね」

 

 当の本人は、全く恐れていない様子だった。

 それも……いつもの通りだった。

 

「じゃあ……ひとつお願いしてもいい?」

 

 が、ナナはかすかに不安げな顔をして、言った。

 

「なんだ?」

 

 こんな自分に、できることがあるのか……。

 

「キサカを連れて行くから、この艦の指揮を執れる人がいなくなるの。だからもし、こっちに何かあったら、カガリをサポートしてあげて」

 

 不吉な願いではあったが、アスランには承諾することしかできなかった。

 

「ラクスとマリューさんにも言ってあるけど、もし……面倒なことになったら、三艦で協力して切り抜けてね」

「ああ……わかっている」

 

 艦内に、シャトルの発進準備が整ったというアナウンスが鳴り響いた。

 アスランの返事は、それにかき消される。

 

「それと、もうひとつ……」

 

 ドックへ急ぎながら、ナナはもうひとつの願いを零した。

 

「カガリもヤキモキしてるから、側に居てあげて」

 

 ナナの顔がまた、姉の顔になる。

 本人は気づいているのだろうか……。

 こんなふうに、年の変わらない妹に対して、姉としての深い愛情がにじみ出ているということに。

 

「わかった、こちらのことは任せろ」

「よかった。じゃあ、よろしくね」

 

 安心した様に笑うと、ナナはまた、代表代行としての凛とした姿に戻った。

 

「気を付けろよ」

 

 言っても無駄とわかりつつ、その背に言う。

 

「うん、大丈夫」

 

 ナナは振り返りながら、他の者たちに聞こえないくらいの声で言った。

 

「一緒に行くんだもんね」

 

 一緒に……。

 ナナが行きたい場所は、知っている。

 

 

『行こう……キラ、アスラン。未来へ……一緒に……』

 

 

 この暗い宇宙で、ナナがささやいた言葉。

 絶望の次の、新たな未来を、自分たちはまだ見ていない。

 そこへ、一緒に行くのだ。

 

「未来……」

 

 ナナはそれを手にするために、また戦い始めた。

 

「ナナ! ちゃんと帰って来いよ! 絶対だぞ!」

 

 だからアスランは、シャトルの戸口でナナに向かって訴えかけるカガリの腕を引き寄せた。

 

「カガリ、大丈夫だ」

「アスラン?」

 

 そのまま、彼女をシャトルから安全な場所へと引っ張る。

 

「ナナは大丈夫だ」

 

 カガリは少し戸惑っていた。

 だが、徐々に落ち着きを取り戻して言った。

 

「そ、そうだよな! キサカも一緒だし、地球軍もザフトも、オーブに手を出してもいいことがないってことくらいわかってるよな」

 

 そう、前向きに笑う。

 

「いや、そうじゃない」

 

 発信シークエンスに入ったシャトルをガラス越しに眺め、アスランはつぶやいた。

 

「ナナは大丈夫だ」

「え?」

「ナナは……」

 

 未来への希望を乗せて、シャトルは暗い宇宙へ飛び立った。

 

「ナナは必ず、未来を造る」

 

 少しだけ、空気が揺れた。

 カガリはアスランの顔と、遠ざかるシャトルを交互に眺めていた。

 そして、ハッチが閉じるとようやく落ち着いた笑みを浮かべた。

 

 



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懺悔

 

 ナナは無事に、最初の会合から戻って来た。

 皆がほっと胸をなでおろしたのも束の間、それからのナナは息つく暇もなく動き回った。

 まさに獅子奮迅の働きを涼しい顔でやってのける様は、見ていて爽快で頼もしくもあり、だがとても危うかった。

 あの戦場から帰って、一度もまともに休んでいないというのに、ナナは少しも疲れた様子を見せなかった。

 あの細い身体のどこにそれほどの体力があるのか……。

 いや、今は体力だとかバイタリティだとかいうことを考えるのは無意味だった。

 今、この時こそ……一分一秒も無駄にできないのだ。

 特に、難しい立場にあるオーブには。

 

 ザフトとの会合、プラントとの会合、そして地球軍との会合。両軍合わせての会合。

 その全てに、ナナは立ち会った。

 クサナギの大型シャトルがその議場に選ばれることもあった。

 どちらかの戦艦に赴かなくてはならないこともあった。

 その全てが、ナナの身の安全を保障するものではなかった。

 まだ、戦火はくすぶったままである。

 あれほどの大火が、簡単に鎮火するはずもない。

 だが、ナナがそれを恐れるはずもなく、むしろ先方が身構えるくらい無防備な振る舞い方をした。

 そしてナナは、辛抱強く、ときにおおらかに構えて、“その時”を待った。

 

 その合間に、オーブはもちろん、アークエンジェルやエターナルの扱いについての交渉も熱心に行っていた。

 全員が、ザフトからも地球軍からも罪状を突き付けられることが無いよう、再び争いが起きぬよう、慎重に……かつ正しく権利を主張した。

 話が進むたび、ひょうひょうとした態度で各艦に報告をいれるのだが、それが命懸けで成されていることを誰もがわかっていた。

 ナナの皆を護りたいという意志は、周囲へ向けて強烈に放たれなくとも明確だった。

 

 そんな様子で、ナナは食事をとることもままならない状態だったので、ラクスがキラとともにクサナギを訪れることが多かった。

 時にはマリューやバルトフェルトも交えて、クサナギで今後の話し合いを行う。

 その時も、ナナは決して疲れた表情を見せなかった。

 

 そんな日々が何日も続いて……ナナが久しぶりに食堂で食事をとれることになった。

 ちょうどラクスとキラも来ていたので、皆でテーブルを囲む。

 ナナ、カガリ、ラクス、キラ、アスラン……こうやって5人がそろって顔を合わせるのは、実に停戦後初めてのことだった。

 

「そうそう、あとでザフトの輸送船が来るから」

 

 少し急いだペースで食事をしながら、ナナは唐突に言った。

 

「輸送船?」

 

 皆、何のことかと顔をそれぞれ見合わせる。

 

「ほら、この宙域に留まって二週間以上経つでしょ? そろそろアークエンジェルもエターナルもクサナギも、補給が必要だと思って」

 

 ナナはドリンクを飲みながら説明をするのだが、誰も理解はできなかた。

 

「補給って……どういうことですの?」

 

 ラクスまでもが、不思議そうにナナを見る。

 と、ナナは事も無げに言った。

 

「プラントが支援してくれるって」

 

 もう一度、皆は顔を見合わせた。

 何故プラントがわざわざ支援をしてくれるのか……納得というより、全く理解ができないのだ。

 

「どうしてプラントが?」

「そろそろこっちの物資が足りなくなりそうなんですけどって言ったら、じゃあうちが支援しますねって言ってくれたから」

「向こうからそう言ったのか?」

「うん、そう」

「プラントが()()()()()を?」

「そうそう、言ってみるもんだよね。得しちゃった」

 

 ナナは笑う。

 会合で先方と会っている当事者としては、そのくらいの話ができて当然なのだろうか……。

 いや、まだ協定は締結へ至っていないし、今しがたナナが話した自分たちの処遇についても、話はまとまってはいないとのことだった。

 

「クサナギに運んでもらうから、あとでアークエンジェルとエターナルにも分配するね」

 

 ナナはスプーンをトレーに置くと、ラクスに言った。

 

「ありがとうございます」

 

 礼を言うラクスに対し、ナナは。

 

「お礼なら寛大な措置をとってくれたプラントの議員さんたちに言ってよ」

 

 肩をすくめながら笑う。

 アスランは、キラと目を合わせた。

 キラも、ナナの大胆な行動に呆れつつも、その手腕に驚きを隠せないといった顔をしていた。

 

「よし、それじゃあ私、次のユーラシアのお偉いさんたちとの会議に使う資料まとめちゃうから……先に行くね」

 

 ナナはにこりと笑って、立ち上がる。

 慌ただしい食事は、10分にも満たなかった。

 

「次の会議は8時間後ですわね……」

 

 ナナが去って、ラクスは食堂の時計に目をやる。

 

「けっこう時間が空くな」

「そりゃあ、向こうの人たちだって休みたいだろうからね」

「そうだよな。宇宙にいると時間の感覚がなくなるよな、まったく……」

 

 カガリとキラが言った。

 アスランは小さくため息をついた。誰にも気づかれない程度に。

 8時間後、ナナはまたこのクサナギから飛び立つのだ……。

 

「アスラン」

 

 不意に、キラの視線が向けられた。

 

「アスラン」

 

 同様に、ラクスも。

 二人とも、神妙な面持ちでいる。

 

「どうしたんだ? 二人とも……」

 

 何かを察知したカガリが二人の顔を交互に見た。

 と……キラが言った。

 

「君がやらなきゃ」

 

 

 

 食堂を出て、アスランはナナの部屋へと向かった。

 キラとラクスに言われたのだ。

 ナナを休ませてほしい……と。

 もちろん、アスランも同じことを願っていた。

 だが、それを何度も言ったのだが本人は受け入れない。

 いつも笑って、『大丈夫』『今が勝負だから』と繰り返すのみだ。

 それにはカガリも同意した。

 彼女も何度もナナに休むよう言ったが、笑って交わされるだけだという。

 が、二人はそれをわかっていて、改めて自分に言った。

 

『今はナナを何がなんでも休ませるべきだよ。それを、君がやらなくちゃ』

 

 その“使命”をつきつけられ、アスランは正直戸惑った。

 自分より、キラの言葉のほうがナナは聞き入れるような気がした。

 

『アスラン、あなたがナナを“説得”してくださいな』

 

 ラクスも同じことを言う。

 いわば同士のように見える二人なら、話しやすいのではないかと思った。

 なのに、どうして自分が……?

 が、キラとラクスは頑なに同じ言葉を重ねた。

 

『君じゃなくちゃダメなんだ』

『あなたじゃなければダメなのです』

 

 本当にそうだろうか……?

 アスランには自信がなかった。

 それほど自分の言葉は……存在は……ナナにとって大きなものなのだろうか。

 

『うん……そうだな! アスラン、ナナをよろしく頼む!』

 

 カガリでさえも同意して、まっすぐにこちらを見つめて来る。

 三人の視線に背中を押されて、一歩踏み出さない訳にはいかなかった。

 だから……まるで重大な任務を負わされたかのような決意を持って、アスランはナナの部屋を訪れた。

 が……インターホンのモニターが示すのはナナの『不在』である。

 

「またドックにでも行ってるんだろうか……」

 

 先ほど、ナナがザフトから物資が届くと言っていた。

 恐らく、その搬入の準備を指示するため、わざわざ自らドックへ行ったのだろうと思った。

 アスランは、部屋の前で待つ……いや、待ち構えることにした。

 その物資搬入がいつなのか詳しいことを聞きそびれたが、次の会議までには何としてでもナナを休ませなければならなかった。

 

 やがて……。

 

「アスラン?」

 

 ナナは通路を曲がるなり、床を蹴って彼の元へやって来た。

 

「どうしたの?」

 

 その手にはやはり、電源が入ったままのタブレットが収まっている。

 

「お前に話がある」

 

 うまい具合に言えなくて、少しかしこまってしまった。

 

「話?」

 

 ナナは少しだけ不思議そうな顔をしたが、すぐに部屋の扉を開けた。

 

「入って」

「ああ」

「ちょうど良かった。ザフトから補給物資が届いたら、ドックで仕分け作業を手伝ってもらえるか、アスランにもお願いしようと思ってたとこなの」

「もちろんやる……」

「良かった。でも疲れてたら無理しないでね。アークエンジェルやエターナルのクルーも呼ぶし」

 

 ナナはデスクのモニターを作動させながらそう言った。

 一瞬、アスランはナナがどういうつもりでそう言っているのかを探った。

 明らかに疲れているのはナナの方なのに、何故こちらに気を回すのか……と。

 だが彼は、小さくため息をつく。

 ナナは本気なのだと、すぐにわかったからだ。

 

「搬入スペースは確保してもらえることになったから……あとは仕分けリストか……」

 

 腕時計をみやりながら、ナナはぶつぶつとつぶやいた。

 

「ナナ」

「あ、ごめん。話って何?」

 

 ナナがちゃんと自分に向き合ってくれたことで、またため息をついた。

 

「アスラン?」

「いや……」

 

 アスランは、ナナの手からタブレットを奪い取った。

 

「ナナ、少し休め」

 

 そして、少し強い口調で言う。

 今まで何度も、繰り返した台詞を。

 

「え?」

「仕分けリストくらいオレたちがやっておく」

「でも……」

「次の会議まで数時間あるんだ。今のうちに少し休んでおいた方が良い」

 

 今回は、強い決意を持ってこの言葉を言った。

 

「私は大丈夫だよ、アスラン」

「駄目だ」

 

 いつもどおりのナナの台詞も、今回ばかりは撥ね付ける。

 

「全然疲れてないし……」

「そんなはずはない」

「ちょっとは休めてるし……」

「ほとんど寝ていないことはわかってるんだ」

「うーん、でも仕事が……」

「他の者に任せられるものは回せばいい。ナナ、お前に倒れられては、それこそみんなが困るんだ。お前自身も、それはよくわかってるだろう?」

「わかってるけど……」

「だったら今日くらいは……」

「アスラン」

 

 が、ナナの牙城はなかなか崩すには至らない。

 

「ねぇ、ザフトのMSパイロットの戦闘訓練って、搭乗時間は日にどのくらい?」

 

 ナナは強気なまなざしのまま、唐突にそんな質問を投げかけて来る。

 

「規定では、1日最大3時間以内だが……」

 

 その意図がわからないまま正直に答えると、ナナは胸を張った。

 

「私はね、テストパイロット時代に1日8時間乗ってたこともあるの」

 

 口元に不敵な笑みを浮かべたナナは、さらに続ける。

 

「だから、体力には自信があるの。あなたたち、正規の訓練を受けた兵士よりもね」

 

 アスランはナナの瞳の中を探った。

 そこに何ら揺らぐ影は無い。

 今、ナナは強がりを言っているのではなかった。

 

「ナナ……」

「だからそんなに心配しないで! ちゃんと休憩はとってるから」

 

 本当の強さ……。

 体力だけじゃなく、やらねばならぬことをできてしまう強さを、アスランは目の当たりにしていた。

 だが。

 

「ナナ」

 

 彼はナナの肩に手を置いた。

 初めて、ナナは驚いた顔をする。

 

「どうしたの?」

 

 今ので話は終わったと思ったのだろうか。

 ナナは『どうしたのか』と問う。

 が、今日のアスランには強い決意と、友との約束があった。

 

「それでも、今日は休んでくれ」

 

 どんな理由をつけてでも、ナナを休ませたかった。

 例えばそう……ナナの弱い部分を突くような言葉をかざしてでも。

 

「みんな心配しているんだ」

 

 今度はナナのほうが、アスランの目の奥を覗き込む。

 強い意志を示すような気持ちで、それを見つめ返した。

 と……。

 

「心配かけてごめんね」

 

 ナナはそう言って笑った。

 それは今までの強気な笑みではなく、普通の少女のような柔い笑みだった。

 

「わかってるんだけど……」

 

 そして彼女は、目を伏せる。

 

「みんなが心配してることも……アスランが優しくしてくれてることも……」

「ナナ……」

「客観的に自分を見てみても、オーバーワークだってわかってる。ほんとに身体は辛くないんだけど、それは……たぶん脳が活発に活動してるからだとか……」

 

 その静かな声に、触れているナナの肩が急に縮むような感覚を覚えた。

 

「ナナ……」

 

 手のひらに熱を込め、ナナの言葉の続きを待つ。

 

「でも……、でもね……」

 

 ゆっくりと視線を上げ、ナナはため息を吐くように言った。

 

 

「休んじゃったら、“今までのこと”を色々思い出して、考えちゃいそうで……」

 

 

 ナナの、停戦後に初めて見せる疲れた顔に、アスランは密かに戸惑った。

 その表情をさらけ出してくれることを、望んでいたのに……である。

 

「良くわかる、ナナ……」

 

 だが、戸惑いを引っ込めて、アスランはできるだけ落ち着いた声で言った。

 

「オレもそうだ。今まで撃って来た人たち、護れなかった人たちのことが……目に浮かんできてしまう」

 

 ナナはそっと視線を上げた。

 

「後悔も懺悔もしている……が」

 

 今こそ自分にできることを……。

 その思いを共感する者として、その思いを打ち明けられた者として、アスランは精一杯語った。

 

「今はまだ、振り返っている場合じゃない。とにかく前に進まなくちゃならない時だ……オレはそう思っている」

 

 ナナがほんの少しでも、心の奥底に抱えた“それ”を萎ませてくれるように……。

 が、ナナの視線はまた、伏せられた。

 

「ちがうの……」

 

 そして、静かに首を振る。

 再び、アスランは戸惑った。

 

「違う?」

「うん……」

 

 ナナの肩に置いた手が、思わず離れそうになる。

 が、懸命に心を落ち着かせた。

 目の前にある深い心の色を、見極めねばと思った。

 

「私……まだ……」

 

 ナナは決心した様に……というより、観念した様にそれを表し始めた。

 

「後悔とか、自分がしてきたことへの懺悔とか……そういうところまで考えられなくて……」

 

 普段のナナとは違う、歯切れの悪い言葉。

 それをひとつも漏らさぬよう、アスランは身体の芯に力を入れて耳をかたむけた。

 

「戦いが終わった実感が……あんまりないっていうか……」

 

 他の誰よりも停戦に向けて動き回っているナナが、そう言うのは不思議だった。

 次に必要な行動を、一番初めにとったのもナナだったはずだった。

 が、口をつぐんだ。

 責任や意志の盾をとっぱらったナナの心の声が聞こえている気がしていた。

 

「だからね……ただ、“怖い”の……」

「怖い……?」

「うん……」

 

 ナナは一瞬だけアスランの目を見て、またうつむいた。

 その仕草は、少し恥ずかしげだった。

 

「なんていうか……『もしあの時、核がひとつでもプラントに落ちていたら……』とか……」

 

 きっと自分でも、終わったことに対して怖れを抱いていることを、とても子供じみていると感じているのだろう。

 だがアスランには、胸にすっと風が吹いたようだった。

 

「『もし、ジェネシスの破壊があと少し遅かったら……』とか……」

 

 ナナは、例えば九死に一生を得た者が、『もしあの時こうしていなければ……』と、生き延びた後で振り返るような……そんな身の毛もよだつような感覚でいるのだ。

 今さら、ようやくナナの心の状態がわかったところで、アスランは何か安心させるような台詞を探した。

 少しでも、ありきたりでも……『終わった』『無事だった』という単語は、きっとナナの心には効果があるはずと思って。

 だが……ふと、ナナは今まで見たこともないような表情をした。

 その顔が意味するものは……と考え始めた時、ナナはつぶやいた。

 

「『もしあの時、アスランを死なせてたら……』とか……」

 

 怒ったような、怯えたような、照れくさそうな……泣きそうな顔。

 

「ナナ……」

「そんなことばっかり頭の中に浮かんじゃうから、今は立ち止まりたくないの……」

 

 アスランはふと、あの離島でのことを思い出した。

 突然の出会いの中で、大いに戸惑いを覚えながらも沸き起こったある感情……。

 それの名前を未だわからぬまま、再び同じものを抱いた。

 

「ナナ、大丈夫だ……」

 

 あの時は、戸惑いに押し流されただけだったが、今は違った。

 アスランは、その感情を抱いたままナナを抱きしめる。

 

「アスラン……?」

 

 戸惑うのは、今回はナナの方だった。

 

「大丈夫だ、ナナ」

 

 ナナの肩はこんなに細かっただろうか……。

 そう思いながら、アスランは自然と言葉を零した。

 今の自分が、言うべき言葉を。

 

「オレが側に居る」

 

 ナナはそれを、すぐには飲み込まなかった。

 これまで、常に誰よりも一歩先の考えを持って行動していたナナが、こんなふうに突っ立っているのはいくぶんおかしかった。

 だから、アスランは笑って言った。

 

「“怖い”ものを見ても、オレが側に居るから……、だから休んでくれ、ナナ」

 

 こんなもので、ナナが心から安心するとは思わない。

 そんな力はまだ無いと思っている。

 が、今のナナに必要な言葉と確信もしていた。

 

「アスラン……」

 

 ナナは唇を噛んだ。

 その心が震えているのがわかる。

 だから、もう一度……。

 

「大丈夫だ、ナナ。オレが側に居る」

 

 ゆっくりと、ナナはうなずいた。

 そして、幼い子供のように笑った。

 

「ありがとう、アスラン」

 

 少しだけ、その肩から力が抜けたのが見えた気がした。

 

「じゃあ……シャワー浴びて少しだけ寝ることにする!」

 

 そしていつも通りのナナに戻った。

 

「ナナ、物資搬入のスケジュールやリストを教えておいてくれないか? オレができるところまでやっておく」

 

 今度は、ナナはすぐにタブレットに必要なデータを出した。

 

「じゃあ、お願いね。こっちに、三艦のクルーのリストもあるから」

「ああ、わかった」

 

 ナナはタブレットをアスランに託すと、じっとアスランの目を見上げた。

 まだ少しだけ、不安を感じているようだった。

 アスランはできるだけ強く、ナナの目を見つめ返す。

 

「それじゃあ、よろしく、アスラン」

「ああ」

 

 やっと割り切ったような顔をして、ナナはバスルームへ向かった。

 

 

 



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形見

 

 かすかにシャワーの音が聞こえてから、ようやくアスランは安堵した。

 椅子に腰かけ、タブレットを眺めながら、敢えてその操作をしないでおく。

 ナナに頼まれたことをすぐに片づけてしまったら、ここに居座る理由が無くなってしまう気がした。

 そうしたらナナはまた、この椅子に座るのだろう。

 ベッドで休むのでなく。

 アスランはふと、内ポケットからある物を取り出した。

 体温でぬくもりを持ったそれは、金の指輪だった。

 自分の物ではない。

 いや、もうすでに自分の物になってしまったのか……。

 これは、父がつけていたものだった。

 少し傷がついているが、まだ威厳のある光を放っている。

 多忙な父とは、幼少の頃からあまり父と子らしい触れ合いの時間がなかった。

 が、これを見れば、かろうじて父のことを思い出せた。

 しかし、これはその父から託されたのではなかった。

 最後……、父の死に目に会えたのはほんの偶然で……、アスランからは何の言葉も送ることができなかった。

 父はただ、無念の思いをアスランに押し付けて息を引き取った。

 最後まで父親らしい言葉をくれはしなかった。

 だからこれは、父がくれたものではなかった。

 

 

 

 ナナが最初の会合から帰った時だった。

 再び艦内でオーブの者たちと会議を開かねばならぬという時に、ナナは自分を呼んだ。

 引っ張り込まれるような形でこの部屋に入って、ナナは迷った様子でこれを差し出した。

 

「あの……アスラン……これ」

「これは……」

 

 これが何なのか、すぐにはわからなかった。

 たとえ自分の父親がしていた指輪だとしても、あまり記憶に残ってはいなかったのだ。

 ナナは口ごもりながら言った。

 

「あなたの、お父さんの……」

 

 告げられて、正直アスランは戸惑った。

 最後の父の記憶は、あまり美しく清々しいものではなかった。

 遠い過去ではないはずなのに、どこかおぼろげでもあった。

 だから、反応に困って突っ立っていると。

 

「ごめんね、勝手にもらってきちゃった」

 

 ナナは意を決した様にアスランの手をとり、指輪を渡した。

 

「あなたに……必要かと思って」

 

 アスランは、手のひらに置かれた指輪を見下ろした。

 戦禍をいたずらに大きくした父。

 ナナたちナチュラルを全て滅ぼそうとした父。

 今はまだ……父の考え、生き方を受け入れることができないでいる。

 自分自身、改めてそれに気づかされていた。

 が、ナナはその父の形見をわざわざ自分にくれた。

 父は……ナナの“敵”であったはずなのに。

 

「ナナ……」

 

 ナナの心境を想った。

 あの時、状況は緊迫していた。

 ナナは慣れない銃を手にザフトの中核に乗り込んで、いきなり“敵”の司令官の死を目にした。

 ハチの巣を突いたような大混乱の中、聞こえて来たのはヤキンの自爆とジェネシスの作動。

 カウントダウンすらすでに始まっていた。

 そんな、とても平静でなどいられない状況の中、ナナはわざわざこれを父の指から抜き取っていたのだ。

 自分のために……?

 ナナはすぐに行動を開始したはずだった。

 インカムを付け、パネルを操作し、全周波チャンネルを開くと、周囲の宙域にいる全員に状況を告げた。

 涙をこらえながらも、しっかりとした声で、彼らに生き延びてほしいとうったえていた。

 あのわずかな隙間にも、自分のことを考えてくれていたのか。

 

「ありがとう……ナナ」

 

 ようやく、言葉が出た。

 あまりしっかりした声にはならなかった。

 心からの感謝と敬意、そして少しの戸惑いは、胸を熱くしていた。

 

「ごめん、余計な事だとは思ったけど……」

 

 申し訳なさそうにうつむくナナが、とても美しく見えた。

 

「そんなことはない。感謝している」

 

 今度ははっきりと、想いを伝えることができた。

 ナナはゆっくりと視線を合わせた。

 が、表情はまだ崩さない。

 

「アスラン」

 

 ナナは言った。

 

「今はまだ、お父さんのこと許せないかもしれないけど……、でもいつかは許せる時が来るかもしれない。だから……、それは大切に持っていて」

 

 その言葉の暗示にかけられたように、アスランは指輪を握りしめた。

 冷たいはずの金属にはまだ少し、ナナのぬくもりが残っている。

 

「世界のみんながザラ議長を許さなくても……、あなただけが理解できる日がきっと来る。私はそんな気がするし、そうなって欲しいと思う。だって、自分の父親だもんね」

 

 プラントや地球軍に向けて放つ言葉とは別の、柔らかい言葉がナナの唇から零れた。

 まるでそれに見とれるように、アスランは黙っていた。

 

「偉そうなこと言ってごめんね……。でも……私も、“同じ”だから……」

「ナナ……」

「私も、今は父のしたことを肯定することはできなくても、いつかは……父なりに頑張ったんだなって、許せる日が来るといいな……って、思ってるから」

「ナナ」

「その時に、なんていうか……親子の“証”……が、残ってたらいいかなって思って……」

「ナナ、ありがとう」

 

 ナナの想いを丸ごと受け取って、アスランはナナを抱きしめた。

 

「アスラン……」

「本当に……」

 

 声が詰まった。

 

「本当に……君には感謝している」

 

 父の形見をくれたことじゃなく……。

 

「そんなにまで、オレのことを考えてくれて……ありがとう」

 

 腕の中で、ナナが照れたように小さく笑った。

 アスランはナナを抱く腕に力を込めた。

 指輪を持つ手も、強く握った。

 

「よかった……」

 

 ナナは安心したように、背に腕をまわした。

 とても自然に、二人の身体が寄り添った。

 

「ナナ……」

 

 もう、言葉が思いつかなかった。

 ナナはただ、笑ってくれた。

 ナナが……自分には無くてはならない存在だと、そう実感した瞬間だった。

 

 

 

 

「あー気持ち良かった」

 

 バスルームの扉が開いて、ナナが現れた。

 ブローしたての髪は、少し変なクセがついている。

 

「みんなには悪いけど、節水令出してるのに、熱めのお湯をたっぷり浴びちゃった」

 

 ナナはリラックスした様子で、血色が良くなった頬を緩ませた。

 

「そのくらい許されるだろう」

 

 アスランは立ち上がらなかった。

 椅子を開けてしまえば、そこにナナが座ってしまう。

 今さらそれは避けねばならない。

 

「まとまりそう?」

 

 案の定、ナナはデスクに置かれたタブレットの方を気にしている。

 

「ああ、大丈夫だ。任せてくれ」

 

 ナナは曖昧に笑って、ドリンクを飲みほした。

 

「少し横になれ、ナナ」

「うん」

 

 そしてとうとう、素直にうなずいた。

 アスランはほっとした。

 彼女の視線は、相変わらずタブレットやデスクのモニターを彷徨っていたが、それでもベッドに腰かけた。

 

「ねぇ、アスラン……」

「会議に間に合うようにちゃんと起こす」

 

 彼女の心配事を一つでも潰すように、アスランは言った。

 と、ナナははにかんだように首を振った。

 

「ちがうの……」

「他に何を心配してるんだ?」

 

 ため息交じりに問うと、ナナは横たわって頭から毛布をかぶった。

 

「ナナ……?」

 

 アスランはもぞもぞと動く毛布の塊を注視しながら、ナナの言葉を辛抱強く待った。

 するとナナは、観念した様に隙間から顔を出し、くぐもった声でこう言った。

 

「もう少し……居てくれる……?」

 

 さっき、己の“怖さ”を告げた時と、同じ顔だった。

 そこに自身の存在意義を見いだせた喜びを隠して、アスランはうなずいた。

 

「眠れそうか?」

「うん……たぶん……」

 

 ナナは安堵した様に、そして本当に疲れたようにため息をついて目を閉じた。

 部屋の照明を少し落とし、インターホンの呼び出し音もサイレントに切り替えた。

 ここでアスランは、ナナの眠りの番人になるつもりだった。

 彼女が安心するように、敢えてタブレットを触る音だけはたてていた。

 

 ほどなくして寝息が聞こえた。

 自分を信じて安心してくれたのか、それともどうにもならないほど疲れ切っていたのか……。

 どちらにせよ、ナナの回復時間を設けられたのは事実。

 アスランは心から安堵して、椅子に深く腰掛け直した。

 物資の分配予定表は、各艦の担当分けや配置図も追加して、ドックの管理部に送った。

 ナナに頼まれたことは終えた。

 これからは、キラたちに頼まれた、自分にしかできないことをする。

 アスランはそっと、襟元から首飾りを取り出した。

 薄闇の中、ナナにもらった護り石が、やさしく光っていた。

 

 

 



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悪夢

 

「アスランのおかげで、搬入も搬出も全部うまくいったよ、ありがとう!」

 

 ザフトから届いた支援物資を積んだエターナルのシャトルが、クサナギのデッキから飛び去った。

 ナナはほっとしたというよりも上機嫌の様子で、アスランに笑いかけた。

 アスランはほっとした。

 自分の作成した計画表の出来が良かったからというわけではない。

 

「またお願いすることがあると思うけど、よろしくね」

 

 ナナが自分を頼ってくれるようになったからでもない。

 ナナの顔色が、昨日よりは確実に良くなっているのが目に見えてわかるからである。

 そのことには、エターナルから直接物資を受け取りに来たキラも、同じくアークエンジェルから来たディアッカも気づいたのか、二人とも安堵しているように見えた。

 アスランは、慌ただしくブリッジに戻るナナを見送ると、己の右手を見下ろした。

 

 

 

 あの日……、ナナが眠りについてどのくらい時間が経ったのか。

 アスランも椅子にもたれながらうとうととしていた。

 疲れていたわけではない。

 ただ、ナナの寝息と、ナナが眠っているという事実に対する安堵が、心地よい眠気を誘っていたのだ。

 が、その穏やかな空気が、突如破られる。

 そうしたのは、眠っていたはずのナナだった。

 心地よかったナナの寝息が急に乱れたことに、アスランは敏感に反応した。

 

「ん……」

 

 ただの寝返り……ではなかった。

 明らかにナナの呼吸は乱れ、苦しげに身体を動かしている。

 

「ナナ?」

 

 アスランは反射的にベッドへ駆け寄った。

 案の定、薄闇でもわかるほど、ナナの額にはうっすらと汗が滲み出し、眉根はきつく寄せられていた。

 

「ナナ」

 

 これがナナの言っていた恐怖か……と、今さらながらアスランはその意味を知る。

 

『「もしあの時、核がひとつでもプラントに落ちていたら……」とか……』

 

 ナナは言っていた。

 

『「もし、ジェネシスの破壊があと少し遅かったら……」とか……』

 

 眠れない、眠りたくない本当の理由を。

 少女のように恥じらいながら、大人のように憂いながら。

 

『「もしあの時、アスランを死なせてたら……」とか……そんなことばっかり頭の中に浮かんじゃうから、今は立ち止まりたくないの……』

 

 眠っていても、ナナの脳は休まない。

 “怖い”ものを見て、苦しんでいる。

 

「ナナ」

 

 できるだけ冷静に、アスランはナナを揺り起こした。

 

「ナナ」

 

 肩に手を置いて何度か名前を呼ぶと、ナナは怯えたように瞳を見開いた。

 

「ナナ」

「アスラン……」

 

 幸い、ナナはすぐに自分を認識してくれた。

 薄暗い部屋の中を一瞬で見回して、そして自分を取り戻す。

 あんなにも、心は乱れていたはずなのに。

 

「私……夢……見てて……」

 

 ナナの視線は天井へと向けられた。

 悪夢から目を逸らすように。そして、自分の視線からも逃れるように。

 だから、アスランは努めて静かに言った。

 

「ナナ、大丈夫だ」

 

 少し迷い、だがナナの瞳はゆっくりとアスランを見つめる。

 口元に笑みを浮かべて、なだめるように、アスランはささやいた。

 

「オレはここにいる」

 

 その言葉に、どんな効果があるのか、正直まだわからなかった。

 だが、ナナが眠る前、この悪夢への恐怖を口にしたときに、アスランが贈れる言葉はそれしかなかったのだ。

 

「オレが側に居る」

 

 ナナは、地球軍の核攻撃によって、プラントが全滅する光景を夢に見ていたのかもしれない。

 ジェネシスが地球に向けて発射され、あの碧い星が無残に焼かれる光景を見ていたのかもしれない。

 だが……それらをかき消す力はなかった。

 『プラントは無事だった』『地球は焼かれなかった』『オーブは美しいままだ』。        そう自分が言い聞かせても、彼女の心には届かない気がした。

 だから、ナナが恐れていたひとつに対する答えを囁くしかなかったのだ。

 たとえそれがどんなに、小さな結果だったとしても。

 

「アスラン……」

 

 ナナは掠れた声でつぶやき、大きく息を吐いた。

 そして、毛布の下から手を差し出した。

 

「まだ……居てくれたんだ」

 

 ナナは笑った。

 その壊れそうな笑みに、説明のつかない怖れを抱き、アスランはとっさにナナの手を強く握りしめた。

 

「……側に居ると、約束したろう」

 

 わずかな力で、ナナが握り返したのがわかる。

 

「よかった……」

 

 言いながら、ナナは再び瞼を閉じた。

 どれだけ恐ろしい夢を見せられて覚醒しても、またすぐにまどろんでしまうほど、ナナの疲労は溜まるだけ溜まっていたのだ。

 アスランは、慣れない行動と台詞に戸惑い、早くなる鼓動を懸命に抑えつけ、次の言葉を探した。

 が、やはり見つからなかった。

 この言葉以外、見つからなかった。

 

「大丈夫だ。オレが……側に居る」

 

 通り一遍の台詞しかなくとも、ナナの手はもう一度小さく握り返して来た。

 その口元に、かすかな笑みが見える。

 

「眠れそうか?」

 

 アスランも落ち着きを取り戻して問うと、ナナはうなずいた。

 そして。

 

「もう少し……こうしてて……」

 

 そうつぶやかれた願いに、アスランは答えなかった。

 ありったけの温もりを手に集中させるようにして、ナナの手を握りしめた。

 

 

 

 その時のことを、ナナは覚えていないのかもしれない。

 目覚めたナナは何も言わなかったし、アスランからも触れなかった。

 それはつまり、深い眠りを妨げるほどの悪夢を忘れたことになるから、それでよかった。

 その方が良かった。

 ナナが自分を本当に必要としてくれていたのか、それとも、悪夢から揺り起こす誰かが必要だっただけなのか、それはまだわからない。

 ただ誰かの温もりが欲しかっただけなのかもしれない。

 自分がナナの心を落ち着かせたという実感もあまりない。

 が、それでもアスランは黙って右手を握りしめた。

 そこにはまだ、少し汗ばんでいながらも冷たいナナの手の感触が残っている。

 この日のことは、自分の中だけに刻んでおこう……そう思うと、自然と笑みがこぼれた。

 

 

 



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 現在……。
 『ボギーワン』の追撃を断念したミネルバは、思いがけぬ形でアーモリーワンの港を飛び出してから初めて、安息の時を迎えていた。
 追撃戦は、両者複数のモビルスーツが入り乱れ、両艦砲が火を噴き合う激しい戦闘だった。
 ミネルバは一時、ボギーワンのデコイに引っかかり、小惑星に足を止められた。
 惑星に艦体を押し付けられたまま集中砲火を浴びせられ、成すすべもなく艦が大破する危機的状況だった。
 が、アスランの進言によってその危機は回避されたのだった。



 

『やっぱり、キレイごとはアスハのお家芸だな!!』

 

 シンという少年の、敵意に満ちた言葉と瞳。

 

『ならばもし、それが偽りだとしたら……。それは、その存在そのものが偽り……ということになるのかな?』

 

 ギルバート・デュランダルの、全てを見透かしたような視線。

 そして激しい戦闘。モビルスーツ。モビルアーマー。戦艦。身体に受ける圧と、緊迫した空気……。

 たった数時間、いや、数十分間のできごとだったはずなのに、それらがアスランの数か月を打ち砕く。

 鋭い視線も、戦火の光も、瞼の裏に焼き付いて離れない。

 ぐるぐると、新しい記憶が激しく脳裏を駆け回り、聞き慣れない声が耳の奥でこだまする。

 そして、

 

『このままここにいたって、ただ的になるだけです……! 今は状況回避が最優先だ!』

 

 口を突いて出た、()()()()()()()自分の言葉も……。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 アスランは頭を抱えた。

 この数か月、必死で保ち続けて来た“自分”が、ぐちゃぐちゃに歪んで壊れて行きそうだった。

 あれから……あの悲劇の日から、絶望の淵に沈むことなく生きてこられたのは、約束があったからだ。

 ナナの居ない世界を、ナナとの約束のためだけに生きてきた。

 

 

『カガリをお願い。あのコを護って、アスラン』

 

 

 そのためだけに……。

 カガリだけを見て、生きてきた。

 護衛として彼女に寄り添い、思うように進まない議会に苛立つ彼女をなだめ、首長たちの心無い言葉に落ち込む彼女を慰めてきた。

 ナナとの約束のとおりに、この命を使うだけでよかった。

 それしかできなかった。

 だから、アーモリーワンで思わぬ戦闘に巻き込まれた時でも、迷うことなくザクの操縦桿を握ることができた。

 たとえ再び戦場に立つことになったとしても、カガリを護るために取るべき行動を選ぶだけでよかった。

 それで、己の迷いに終止符を打つことができた。

 乗り込んだミネルバが、予想外にも不明艦の追撃に向かうこととなっても、ただカガリを無事にオーブに返すことだけを考えていればよかったのだ。

 この艦が、どうなろうとも……。

 

 だが、今。

 カガリを護るために生きていた“アレックス”という自分が、壊れかけている。

 きっとあの時からだ。

 アスランには否定したい心当たりがあった。

 カガリをどうにかして無事にオーブに返すことだけを考えながら、デュランダルの後について艦内を見学していたあの時。

 たまたますれ違った赤服の『セア』という少女。

 思わず口をついて出た、『ナナ』という名前。

 その存在を求めて、勝手に動いた身体。

 そんなはずがないとわかっているのに、止めようがない衝動。

 セアがナナであるはずはないのに、それはわかっているのに……、彼女にナナを見てしまった。

 それから、鍵をかけた箱が、脆くも壊れようとしている。

 懸命に押し込んできたナナの姿、ナナとの思い出が、そして、ナナへの想いが……蘇えろうとしている。

 不毛だ。

 ナナはもういない。

 ナナとの約束を思い出せ。

 カガリを護ることだけを考えろ。

 強く、自分に言いきかせた。

 今までそうしてきたように……。

 それでも、強固な箱を再び築くことができずにいる。

 

 だから、本当なら想定外の戦闘に巻き込まれ、あげくシンに思いがけない敵意をぶつけられて動揺しているカガリのそばにいてやらねばならぬのに、こうしてひとり、誰も居ない待機所で頭を抱えているのだ。

 情けない。

 自分を鼓舞しても、罵っても、顔を上げることはできなかった。

 今、きっと……ナナは困ったような顔でこちらを見ているだろう。

 いや、駄目だ。

 ナナを想い出しては駄目だ……。

 

 

 虚しくも激しい葛藤を続けているアスランの耳に、賑やかな声が聞こえて来た。

 若者の声、数人の足音。

 それがピタリと止まったのは、この待機所の入り口だった。

 アスランはようやく顔を上げた。

 立っていたのは、あのシンと……ルナマリア、レイ、ブリッジにいた管制官のメイリン、そして……セアだった。

 アスランの姿を目にしたとたんメイリンは慌てて口を手で押さえてルナマリアの後ろに隠れ、シンはまた、鋭い視線を遠慮もなしにぶつけてきた。

 レイの表情は変わらなかったが、彼の後ろにそっと身を潜めたセアはやはり、怯えたような目をしていた。

 

「ちょうどあなたの話をしていたんですよ、アスラン・ザラ」

 

 ルナマリアはまっすぐに近づいて来て、こう言った。

 

「伝説のエースにこんなところでお会いできるなんて、光栄です」

 

 彼女が『アスラン・ザラ』をどう思っているのか、アスランには知り得なかった。

 本当の名前で呼ばれることが、今は居心地が悪くてしかたなかった。

 だからただうつむいて答えるしかなかった。

 

「オレは……アレックスだよ」

 

 だが、目の前に立つ自信に満ち溢れたような赤服の少女は、そんな言葉でやり過ごせるほどあまくはなかった。

 まるでアスランの中に渦巻くものを察しているかのように、勝気な笑みを浮かべて言う。

 

「だからもう、モビルスーツには乗らないんですか?」

 

 思わず睨み上げた。

 が、視界の隅にセアを捉えてしまい、それ以上は何も言えなかった。

 

「よせよルナ。オーブなんかに居るヤツは何もわかってないんだから」

 

 シンが吐き捨てるように言いながら去って行った。

 今はその真意を確かめる余裕はない。

 

「失礼します」

 

 相変わらず無表情のまま、レイは敬礼をして去った。

 隠れる壁を失ったセアが、慌てて敬礼をしてレイを追いかける。

 

「でも、艦の危機は救ってくださったそうですね。ありがとうございました」

 

 ルナマリアはまだ含みのある声でそう言って敬礼をし、ゆったりとした歩みで立ち去る。

 彼女を追いかけてメイリンもいなくなり、アスランはまたひとりになった。

 床に視線を落とす。

 すごく疲れていた。

 何故、あれほどナナとは似ても似つかない振る舞いをするセアに、ナナの面影を見てしまうのか。

 どちらかといえば、ルナマリアの性格のほうがナナを彷彿とさせるはずだ。

 面立ちがかすかに似ているからといって、ああも違うのに、何故……。

 また、そのことを考えようとして、アスランはギュウと目をつむった。

 頭の奥が痛んだが、歯を食いしばってやり過ごした。

 

 

『カガリをお願い』

 

 

 無理矢理にナナの声を思い出し……アスランはようやく重い腰を上げた。

 

 

 



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オーブが燃えた日


 感情の荒波をなだめられぬまま、アスランはカガリと共に、再びデュランダルと対面していた。
 あやういアレックスの箱を抱え直し、アスハ代表の護衛という仮面をしっかりと被って、である。
 そこで聞かされたのは、またもや非常事態を告げる内容であった。






 

「でも……どうすればいいんだ?」

 

 士官室を出て、宛がわれた部屋に戻る途中、カガリは不安げにつぶやいた。

 『ユニウスセブンが地球に向かって降下している』という信じがたい事実を突き付けられ、その対策にこのミネルバが向かうことを告げられたばかりで、不安を抑えろというのは酷だった。

 アスランももちろん不安だった。

 ユニウスセブンが落ちれば、地球は壊滅する。

 そんなこと、深く考えずともわかることだった。

 が、そのためにはどうすれば良いのか。

 この艦に何ができるのか……。

 もどかしい気持ちはカガリと共有しているつもりだった。

 だがやはり、自分は無理にでも冷静にならねばならなかった。

 カガリを落ち着かせる言葉を、懸命に探していた。

 そして、ひとつ思いついたこと。

 それを口に出そうとした時だった。

 

「砕くしか……ない……」

 

 やけにか細い声が、通りかかった待機所の中から聞こえて来た。

 アスランとカガリは、同時に足を止めた。

 遠慮がちに言った声は、あのセアのものだった。

 

「セアの言う通りだな。軌道の変更など不可能だろう。地球への衝突を回避したいのなら、宇宙で砕くしかない」

 

 後を継いだレイに、他の面々が口々に声をあげる。

 誰もがユニウスセブンを破壊するなど不可能だと、そう言っていた。

 そこにいるのは、同じ年齢くらいの若い兵士たちだった。

 みたところ、赤服の彼らに混ざって整備兵もいる。

 皆、めいめいに思ったことを口にしていた。

 

「まさに地球滅亡……だな」

 

 そんな中、一人が言った。

 

「でもまぁ、それもしょうがないか。不可抗力ってやつだろう」

 

 カガリの肩が、ピクリと動いた。

 

「けど、ヘンなゴタゴタもきれいさっぱり無くなって、ラッキーな状況かもな! オレたちプラントには」

 

 彼女が次に何をするかアスランにはわかったというのに、止める手は間に合わなかった

 

「よくそんなことが言えるな!!」

 

 突然、気がねなく話をしていた輪の中に飛び込んできたオーブ代表の姿に、彼らは驚いた。

 反射的に立ち上がって、敬礼をする。

 アスランはカガリを止めようとしながらも、すばやく、シンとレイとルナマリア。そしてセアの様子を注視した。

 正義の言葉を叫ぶカガリに、ほとんどの者がうつむいていた。

 後ろめたそうにする者。困惑した表情の者。しまったといった顔の者。

 レイは表情を変えずに立っていて、ルナマリアは難しい表情を浮かべている。

 シンはやはり反抗的な目でそっぽを向いていて、セアは近くにいた彼の陰を探して隠れた。

 

「やはりそういう考えなのか、お前たちザフトは!」

 

 カガリの言葉は、アスランの胸にも響いた。

 

「あれほどの悲惨な戦争をして、懸命に乗り越えて……、デュランダル議長の施政のもとで、変わったんじゃなかったのか!?」

 

 あれほどの悲惨な戦争……。

 再び繰り返すには、あまりにも重すぎた。

 あの光景を眼前にし、その渦中に身を投げた者として、あまりに辛すぎた。

 カガリも見た。

 目にしたくないものを見て、聞きたくもない声を聞いて、撃ちたくもない者たちを撃った。

 大いに傷ついた。

 だから、これはアスランの中にもある叫びだった。

 が……。

 

「よせ、カガリ」

 

 アスランは激高するカガリの腕を強く引いた。

 彼女の想いはわかっている。

 が、目の前の真新しい制服を着た若い兵士たちに、それが伝わるとはとうてい思えなかった。『あれほど』の程度を知らない彼らには。

 また、今ここで伝えようとしても、意味はないと感じていた。

 その行為をもどかしく思ったのか、カガリはアスランを振り返って睨みつけた。

 まっすぐな目。

 ナナが愛した、まっすぐで強い瞳が燃えていた。

 その時だった。

 

「べつにヨウランたちは本気で言ってたわけじゃないさ」

 

 吐き捨てるような声が、部屋に響いた。

 

「アンタ、そんなこともわからないのかよ」

 

 当然、シンの声だった。

 彼の側に居たセアが、真っ青な顔でシンの袖をつまむ。

 

「なんだと?!」

 

 アスランは彼に向かって行こうとするカガリの腕を、もう一度強く引っ張った。

 一度火のついたカガリを止められるのは、ナナしかいない。

 アスランは視界の隅で小さくなるセアを見ないようにしながら、カガリの怒りを抑える言葉を探した。

 

「シン、言葉に気を付けろ」

 

 場を収めようと口を開いたのは、レイだった。

 彼の言葉には聞く耳を持つらしく、シンはそれ以上攻撃的な言葉を言わなかった。

 ただし。

 

「ああ、そうでしたね。この人お偉い方でした。たしかオーブの代表様でしたもんね」

 

 嘲るように言って、そして笑った。

 

「お前……!」

「いい加減にしろ、カガリ」

 

 シンの挑発的な態度に応じようとするカガリを、アスランは強くたしなめた。

 こうでもしなければ、ここから離れることができそうもなかった。

 『護衛の男』の無礼な態度に、一瞬、皆は驚いたように固まった。

 その小さな隙間で、逆にアスランは少しだけ落ち着くことができた。

 カガリも、急に怒りが萎んだように肩を落とす。

 とはいえ、カガリの気持ちを全て無視するわけにもいかなかった。

 

「君は、オーブがだいぶ嫌いなようだな。何か理由があるのか?」

 

 アスランは彼女の前に出て、いわれのない敵意を向けられてきた真意を、シンに問う。

 

「昔はオーブにいたときいたが、くだらない理由で関係のない代表にまで突っかかるというのなら、ただではおかないぞ」

 

 セアの引きつった目が、シンの陰からこちらを向いていた。

 

「は?! くだらない?!」

 

 シンはますます視線を鋭くして、アスランと正対した。

 身体の向きが変わったことで、セアの指がシンから離れた。

 

「『くだらない』なんて冗談じゃない!」

 

 シンはそのまま、つかつかとアスランの前に歩み出る。

 

「アンタが『関係ない』ってのも大間違いだね!」

 

 怒りで肩を震わせながら、まっすぐにこちらの目を睨み上げる。

 そして、憎しみの訳を叫んだ。

 

 

「オレの家族は、アスハに殺されたんだ!!」

 

 

 彼の怒りに、アスランは気圧された。

 

「オーブっていう国を信じて、アスハの理想とかってのを信じたあげく……、最後の最後にオノゴロで殺された……!!」

 

 オノゴロ……。

 オーブが燃えたあの日。

 カガリとナナの愛する国は傷つき、同時に二人は父親を失った。

 あの大きな炎と煙は、はっきりと覚えている。

 そして、そこからだんだんとアスランの視界が開かれていったことも。

 何が大切で、何を護り、何のために戦うのか……。

 あの光景はたしかに悲劇であったが、今へ続く道でもあった。

 だから、シンの怒りと憎しみに当惑した。

 それを浮かべた目で思い切り睨みつけられたカガリを、気遣う余裕もないほどに。

 

「だからオレは絶対にアンタたちを信じない! オーブを信じない! そんなアンタたちの言うきれいごとなんか信じない!」

 

 シンの手の中にあったコーヒーの缶が、歪んだ音を立てた。

 

「正義を貫くって言ったけど、アンタたちはあの時、自分たちのその言葉のせいで、誰かが死ぬことになるってちゃんと考えたのかよ!!」

 

 カガリは完全に凍り付いていた。

 が、シンの言葉を止めることも、カガリの肩を支えることも、アスランにはできなかった。

 

「何もわかってないくせに、わかったようなこと言わないで欲しいね……!」

 

 最後にシンはそう吐き捨て、カガリの肩にぶつかりながらその場を去って行った。

 かろうじて、アスランはその背を見送った。

 まだ若い、だが、深く傷ついた孤独な背。

 あの怒りと憎しみは本物だった。

 あれを……ナナならばどう受け止めるのだろうか。

 アスハの一員として、あの時にウズミがしたことを、彼にどうやって話すのだろうか。

 ナナならば……。

 

「行こう、カガリ」

 

 ナナの残影に頼ろうとする自分を懸命に押し留め、アスランはカガリの背に手を当てた。

 茫然と立ち尽くすカガリを、強引にでもこの場から引きはがさねばならなかった。

 シンは傷ついている。

 だが、カガリもまた、あの日に絶望をして、涙を流していた。

 

『あのコを護って』

 

 ああ……わかっている。

 

 耳の奥に響いたナナの声に、アスランはそっと応える。

 今は、カガリを護ることだけを考えよう。

 また視界の端に、おろおろと戸惑うセアの姿が入り込んで来た。

 そこに答えはない。

 アスランは意識して、そこから目を逸らした。

 

 

 

 

 暗い部屋で、カガリは椅子に掛けてうつむいたまま微動だにしなかった。

 彼女はとてもわかりやすい。

 怒っているのか、落ち込んでいるのか、喜んでいるのか、はしゃいでいるのか、悩んでいるのか……。

 今、彼女の頭の中は、降下するユニウスセブンのことではなく、先ほどのシンの言葉が渦を巻いているのだろう。

 

「カガリ」

 

 アスランは、彼女の足元に膝をつき、彼女の手に自分の手を重ねた。

 

「考えてもしょうがない、カガリ。ああいう人もいたはずだってことは、わかっていただろう?」

「でも!」

 

 カガリは言葉を絞り出した。

 

「お父様のことをあんなふうに……。お父様だって、苦しみながら、それでもみんなの……未来のためを思ってお決めになったのに。それを……!」

 

 素直な涙が、こぼれ落ちた。

 まっすぐで、勝ち気で、芯の強い、男勝りなカガリでも、本当はとても脆いところがあった。

 固いものほど、何かとぶつかると粉々に砕けてしまう。

 ナナはそれを心配していた。

 

「だが仕方ない。だからわかってくれと言ったところで、今の彼にはとうていわからない」

 

 アスランは、ナナがそうしていたように、カガリをそっと抱きしめた。

 

「きっと、自分の気持ちでいっぱいで」

 

 話すほどに、自身の気持ちが落ち着いた。とても客観的に振る舞うことができた。

 まるで、ナナになったつもりになって。

 

「君はわかっているだろう? カガリ」

 

 彼女の目を見て言うと、カガリはアスランにしがみついてきた。

 勢いで、アスランは尻餅をつく。

 が、カガリは痛いほどに身体を添わせて、声を出して泣いていた。

 

「きっと、ナナには……!」

 

 嗚咽の中、そんな言葉がかすかに聞き取れた。

 「きっとナナには、シンにかける言葉がわかっているのだろう」と、そうカガリは言いたかったのだ。

 アスランにはよくわかった。

 だから、カガリを精一杯抱きしめてやった。

 シンの憎しみに対する戸惑いと悲しみは、カガリにしかわからない。

 偉そうなことを言ってみても、自分には客観的な言葉で慰めることしかできない。

 だが、ナナを失った喪失感と絶望は、二人で共有できるのだから。

 カガリは声が枯れて疲れ果てるまで、想いのままに泣いていた。

 

 

 

 

 やがて、カガリは泣き疲れて眠った。

 

(ナナ……君ならどうする?)

 

 たくさん考えた。

 カガリの泣き声を聞きながら、泣き疲れたカガリの髪を撫でながら、たくさんのことを考えた。

 本当はずっと、この問いは封じてきた。

 それは意味がなかった。応えは返って来るはずもない。

 ナナはもう居ないのだから。

 だからといって、彼女だったらどうするか、何と言うか……、彼女の姿を思い出して考えてみても、それもまた無駄な事だった。

 何故なら、ナナという存在は唯一無二の存在であったからだ。

 アスランにとっても、カガリにとっても、オーブにとっても、そして……世界にとっても。

 だから、ナナにしか出せない答えを考えてみても、みつかるはずがなかったのだ。

 そして、ナナに問いかけることは当然、痛みをともなった。

 まだ鮮明に覚えている彼女の顔、声、仕草、体温。

 それを想い起こすことは、アスランにとってこの世の空虚を突き付けられること。

 そんなことには到底、耐えうることができなかった。

 ナナとの約束すら、放棄してしまいそうだった。

 だから、彼女のことは考えないようにしてきたのだ。

 今まで、ずっと……。

 が……あれから初めて問いかけた。

 

(ナナ……君なら今、どう動く?)

 

 ナナなら何を願うのか。ナナならどんな行動をとるのか。ナナは何を目指すのか。どこへ向かおうとするのか。

 その視線の先を考えた。

 

『何が敵? 何が悪かったの……?』

 

 あの島で、初めてナナと言葉を交わした時。

 その時のナナの声が、蘇る。

 

『私は……その答えを見つけるまでは、あの機体に乗り続ける……』

 

 ナナは決して、まっすぐ前を見つめてなどいなかった。

 

『なんでっ……二人が戦わなくちゃいけないの……っ?!』

 

 苦しんで、傷ついて、傷つけて、迷ってもいた。

 それでも、ナナは決して逃げなかった。

 答えが見つらなくても、目を背けてでも、ひどく矛盾を抱えていても、答えを探して進み続けた。

 

「ナナ……」

 

 思わずつぶやいた声で、カガリが起きてしまわないか少し慌てた。

 が、彼女は規則正しい寝息をたてたままだった。

 アスランは、そっとあの首飾りを取り出した。

 護り石が、かすかに冷たく光っている。

 

「ナナ、オレも……」

 

 ナナの声は聞こえてこなかった。

 が、ひとつ、答えがみつかった。

 いや、みつかったというよりも……無理矢理に答えを出しただけなのかもしれなかった。

 ただ、ナナのようにはありたいと思った。

 逃げてはいけない。進まなくては……。

 

 未来を望んだナナに寄り添うように、アスランは立ち上がった。

 

 

 



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墓標

 

「無理を承知でお願いいたします。私にも、モビルスーツをお貸しください」

 

 アスランはブリッジでそう申し出ていた。

 元はザフトとはいえ、今は他国の民間人である自分に、その許可が下りるとは到底思えなかった。

 案の定、艦長のタリア・グラディスは嫌悪感を隠さなかった。他のクルーたちも、あからさまに怪訝な視線を送って来る。

 が、アスランにもう、迷いはなかった。

 ナナならば、きっとこうすると思ったからだ。

 

「カナーバ前議長のせっかくのはからいを、無駄にするつもり?」

「わかっています」

 

 戦後、軍法会議で死罪を言い渡されてもおかしくはなかった。

 カナーバ前議長による超法的特別措置のおかげで、反逆罪に問われるどころか自分の希望がかなえられ、オーブにわたって民間人として生きることができた。

 前議長に掛け合ってくれたのは、もちろんナナだ。

 彼女はいわゆる三隻同盟に加担したオーブ軍だけでなく、キラたち元地球軍や、自分たち元ザフトの人間の自由までもを勝ち取ってくれた。それこそ身を削って、ギリギリの状況で難しい交渉をしてくれたのだ。

 それを今、無駄にしようとしている……。

 が、それでも、ナナならこうすると思ったのだ。

 

「でも、この状況を黙って見ていることなどできません」

 

 ナナは決して、地球に落ち行くユニウスセブンをただ見つめることなどしない。

 そんな時に己の立場など考えない。

 何色の制服を着ているかとか、どこの国の艦に乗っているだとか、考えるようなことはしない。

 ただ自分にできること……それを第一に考えて、とにかく動く。

 たとえそれが、常識はずれの突拍子もないことだったとしても、それが必然と思えば平然と選び取ることができる。

 そして常に、ナナが選んだ道は正しかった。

 何故ならきっと、彼女にはわかっていたのだ。

 選ぶ時点で正しい答えはわからなくとも、今自分はここで何を護るのか……それだけは、はっきりとわかっていたからだ。

 

 地球を護りたい。

 世界を護りたい。

 ナナが望んだ未来を、守りたい。

 

 アスランは今、それだけを思っていた。

 

「お願いします……!」

 

 ナナの分の想いもこめて、アスランは深く頭を下げた。

 

 

 

 アスランはエレベーターの中で、ひとりため息をついた。

 まだ何も成し遂げていないのに、酷く疲れを感じていた。

 やるべきことはこれから……、まだドックに向かっている途中だというのに。

 当然、グラディス艦長はアスランの出動を認めなかった。

 が、それをデュランダル議長が覆したのだ。

 議長権限の特例によって、アスランはザクへの搭乗と粉砕作業支援作戦への参加を認められた。

 カガリには相談していない。ナナならばそうすると思って黙ってここまで来た。

 それも確信なのか言い訳なのか……、ふと心が揺らいだ時、エレベーターは止まった。

 

 ドックに入るとすぐに、紫紺の羽根つきの『ガンダム』が目に入った。

 そのコックピットに乗り込もうとするのは、パイロットスーツに身を包んだセアだ。

 今さら、アーモリーワンで強奪部隊と交戦していたMSのパイロットが、あの気弱そうなセアであったことに驚きを覚える。

 自分たちの代だったら……恐らく、“赤服”に入るどころか、パイロットの適性試験にも不合格となっただろう。

 アスランは彼女の姿を横目で見て、宛がわれたザクに乗り込んだ。

 訓練を受けたはずもないこの非常時に、彼女はついて来られるだろうか……。

 そんな心配が過ぎった時、事態の急変を知らせるアナウンスが入った。

 ただ落ちて行くだけだったはずのユニウスセブンで、戦闘が行われているという。

 敵はアンノウン。それと戦っているのはジュール隊……イザークの部隊だった。

 

「どういうことだ?!」

 

 アスランはブリッジに問い合わせた。

 が、モニターに映るメイリンの顔も困惑していて、返って来る言葉も歯切れが悪い。

 ただ、今回の任務が『ジュール隊の支援』であることに変わりなしと、そう告げられただけだった。

 さらに……その空域にはあのボギーワンが現れたという。

 

≪状況、変わっちゃいましたね≫

 

 操縦桿を握る手が、わずかな迷いに震えた。

 それを煽るかのように、ルナマリアからの通信が入る。

 

≪戦闘だなんて危ないですよ? おやめになります?≫

 

 それが本気の嘲笑なのかはわからない。

 いや、どうでも良かった。

 

「馬鹿にするな……」

 

 マイクには拾えないくらいの声で、そうつぶやいた。

 迷いは消えた。

 己の腕に自信がないわけではない。

 いや、たとえ“敵”と交戦しても、簡単に落とされるわけはないとわかっている。

 そうではない。

 この決意を……ナナを想って得たこの答えを、馬鹿にするなと言いたかった。

 

 やがて、アスランの乗った機体は、シンのインパルスらとともにユニウスセブンへと近づいた。

 事前の情報通り、そこでは戦闘が行われていた。

 破砕作業を行う部隊と、その支援を行う部隊。それを妨害する謎の部隊。

 そして……アーモリーワンで強奪された三機。

 その場へ行って、もはや引き金を引かぬわけにはいかなかった。

 

≪あれをやらなきゃ、作業ができない!≫

 

 ルナマリアの言う通り。

 破砕作業を邪魔する者は、何としてでも排除しなければならない。決して、ユニウスセブンを地球に落とすわけにはいかないのだから。

 アスランは心を決めて、あの緑色の新型と交戦した。

 やめろ……こんな無意味な戦いは、もうやめろ……。

 そう心で強く願いながら。想いをぶつけながら。かつて母と暮らしたこのユニウスセブンの上で、操縦桿を握りしめた。

 シンは青の新型と、ルナマリアは黒の新型と交戦中。

 そして、レイとセアはそれぞれ作業を妨害するジンと戦っているのがモニターで確認できた。

 そうして、緑の機体と何度目かの火花を散らした時だった。

 空間が歪んだ気がして足元を向くと、ゆっくり、だが確実に、巨大なユニウスセブンが真っ二つに割れていた。

 だがそれは降下を止めたわけではなく、二つになっても今まで通り地球へと落ちて行く。

 

「駄目だ、もっと細かく砕かないと……!」

 

 その声が、イザークとディアッカに届いた。

 

≪貴様……! こんなところで何をやっている!!≫

 

 相変わらず突っかかって来るイザークに、アスランは少しほっとした。

 実際、叱責されてもおかしくない状況ではあった。

 今、ザフトのパイロットスーツを着て、ザクに乗り、ザフト兵と共に戦っていても、自分はあくまでオーブの民間人。

 この矛盾を、イザークは腹立たしく思っていることだろう。

 が、それが何故だか安心したのだ。少しも変わらないでいてくれる、友の姿に。

 かつて同じ隊で戦った仲間との連携は、時が経ってもずれることはなかった。

 イザークの機体、ディアッカの機体、そしてアスランの機体。

 全てがあの頃と違っても、向かって来る敵に対してあの頃と同じように応戦した。

 青と緑の機体も強かった。少し粗削りで、だが荒々しく攻撃的なところは、いつかの地球軍の新型を彷彿とさせた。

 幸い、“また”彼らを撃たずに済んだ。彼らの艦隊、ボギーワンから帰還信号が放たれたのである。

 気づけば、機体の位置は限界高度に達していた。これ以上降下すれば、地球の引力の影響を受けて、機体はコントロール不能になる。

 アスランは一度、この状況を経験していた……。

 それを知ってか知らずか、新型の三機はあっさりと返っていた。

 それを見届けたタイミングで、帰還信号はミネルバからも出される。

 続いて、モニターにミネルバからの通信が入った。

 

≪本艦は大気圏に突入し、降下しつつ艦砲で対象の破砕を試みる。速やかに帰還せよ≫

 

 戦艦の砲撃……その威力は、アスランも十分にわかっていた。

 だからこそ、それでは不十分なのではないかという疑問がすぐに湧く。

 ちょうど、破砕機が目に入った。ユニウスセブンの地面に設置している途中で邪魔が入ったのか、それとも放棄されたのか、作業の途中で捨て去られていた。

 迷うことなく、アスランはそこへ機体を向けた。

 

≪あ、あのっ……!!≫

 

 そこへ、咳き込んだような声が聞こえた。

 モニターに映し出されたのは、レジーナだった。セアが乗るその機体は、片方の翼と腕をもぎ取られていた。

 

「セア……?」

 

 彼女に話しかけられたのは初めてだった。

 話しかけられるとも思っていなかった。

 

≪あ、あの……≫

 

 いや、セアは状況に戸惑っているのか、かける言葉がみつからないのか、それ以上何も言わない。

 そこへ、インパルスがやってきた。

 

≪何をやってるんです。帰還命令が出たでしょ! 通信入らなかったんですか?≫

 

 おそらくセアが言おうとしたことを、シンが怒鳴るように言う。

 シンの登場に少し安心したのか、ほっとしたようなセアの息づかいが聞こえた。

 

「ああ、わかってる。君たちは早く戻れ」

 

 アスランは二人に言った。

 実際、身体への圧は徐々に増していても、とても冷静だった。

 自分がやるべきことがわかっている。

 

≪は?! 何言ってるんですか。一緒に吹っ飛ばされますよ?!≫

≪も、戻りましょう……!≫

 

 だから、自分を案じてくれている二人にこう返す。

 

「ミネルバの艦主砲といっても、外からの攻撃では確実にダメージを与えられるかは確実じゃない。これだけでも……」

 

 一瞬、二人は言葉を呑んだ。

 決意が伝わったようで良かったと思っていると、シンがまた叫ぶように言った。

 

≪セアはすぐに帰還しろ!≫

≪え……?≫

 

 そうして、シンは破砕機に取り付いた。

 

≪シ、シン!!≫

 

 シンの行動にセアは驚いていたが、アスランもまた同じだった。

 

≪セアは早く戻れ!≫

≪わ、私も手伝う……!≫

 

 そしてセアもまた、近づこうとした。

 だが。

 

≪いいから戻れって!≫

 

 シンは乱暴に言うが、彼の言っていることは正しかった。

 

「セア」

 

 最初の出会いで取り乱したのは自分の方だった。

 だから今さらではあるが、アスランは落ち着き払った声でセアに言った。

 

「その機体の状態では、これ以上の高度では持ちこたえられない。すぐにミネルバに帰還するんだ」

 

 セアからの返事はなった。まだ、迷っているようだった。

 が、そんな時間はなかった。

 

「おそらくミネルバは、こちらの状況は把握できていないだろう。君が戻って、艦長に報告してくれないか?」

 

 アスランは幼い子に対するように、できるだけ穏やかに言った。

 

≪大丈夫だ、セア。オレたちもすぐ戻る!≫

 

 相変わらずぶっきらぼうにシンが言った時、セアは決心したように応えた。

 

≪わ、わかった……≫

 

 ノイズが混じり始めたセアの声は、それでも今までで一番強く聞こえて来た。

 

≪二人とも、必ず戻って来て……!≫

 

 セアはすぐに去った。

 彼女の機体はひどく鈍重に見えた。もう、限界高度まで達しようとしている。

 見たところ、シンのインパルスにはレジーナほどのダメージはないようだったが、それでもこれ以上の圧の中で彼が耐えられるか……。

 

「シン、君も戻れ」

 

 もう一度、アスランはそう言った。

 答えはなかった。とうとう通信が途絶えたのではない。

 代わりにこういう呟きが聞こえた。

 

≪あなたみたいな人が、なんでオーブなんかにいるんだよ……!≫

 

 憎しみと迷いの籠った呟きだった。

 その理由は彼の口から吐き出されたのを聞いている。

 が、その本当の意味を、自分はまだわかっていないのではないか……。

 落ち行く墓標の上で、アスランは果てしないシンの憎しみを感じていた。

 

 二年ほど前のことを、必然的に思い出した。

 自分はイージスに搭乗して、地球軍の艦隊を攻撃していた。

 高度計を睨みつつの、激しい戦闘。旗艦すら盾にして、地球へ降下するアークエンジェル。

 自身とニコルは、限界高度でヴェザリウスに戻ったが、イザークとディアッカは執拗にストライクを追い詰めていた。

 重力と戦いながら、キラは必死に抵抗していた。

 ナナのグレイスも……。

 四機が不思議なほどゆっくり落ちて行くのを、ヴェザリウスのドックで見ていた。

 誰かの機体が、圧に負けて潰れるのだろうか。大気圏に入った瞬間、燃えて散るのだろうか。その前に、誰かが撃たれるのだろうか。

 そんなふうに、やけに客観的な視点でその光景を見つめていた。

 そういえば……ナナの手のひらにあった火傷は、その時の戦闘が原因だったと、本人が言っていた。

 あの、二人だけの島で。

 

『ちょっとドジっただけ」』

 

 軽い口調でそう言っていたのは覚えている。

 だが実際、ナナはあの時、何を思いながら落ちていったのだろう。

 今さら、それを聞きそびれていたことを思い出す。

 

 また、後悔か……。

 

 アスランはひっそりと自嘲した。

 だが、そんな間すら、彼には許されなかった。

 破砕機を支えている彼とシンに向けて、攻撃があったのだ。

 忘れていたわけではないが、この状況でまだ、ここに残って戦おうとする者がいることに、アスランは驚いた。

 ジンが三機。

 自身のザクもそうであるが、決してシンのインパルスのような最新鋭の機体ではない以上、これ以上高度を下げた位置から無事に再上昇できる保証はなかった。

 それでも、ジンは破砕作業を妨害するべく、激しい攻撃を浴びせて来る。

 それほどの執念とはいったい……。

 アスランは考えを止め、シンと共に再び戦闘を開始する。

 が、答えはすぐに明かされた。

 敵の叫びが、聞こえたのだ。

 

≪我が娘のこの墓標……、落として焼かねば世界は変わらぬ!≫

≪ここで無残に散った命の嘆き忘れ、撃った者らと何故偽りの世界で笑うか! 貴様らは!!≫

 

 落とす、焼く、世界を……。

 撃った者、偽りの世界……。

 そして。

 

≪軟弱なクラインの後継者どもと、オーブの魔女に騙され、ザフトは変わってしまった!!≫

 

 オーブの魔女……?

 

≪何故気づかぬか!? 我らコーディネーターにとって、パトリック・ザラのとった道こそが、唯一正しきものと……!!≫

 

 パトリック・ザラの……とった道……。

 

「ナナ……」

 

 アスランは思わずつぶやいた。

 ようやく理解した。

 これは、深い憎しみだ……。

 シンの中に感じた、果てしなく深い憎しみだ……。

 ナナはこれを見つめていた……。

 互いに乗り越えようと、ナナは声を枯らして呼びかけた。消し去ることなどできないが、少しずつ前に進もうと。その先にあるものを示そうと、命を懸けていた。

 アスランは今、底知れぬ虚無感に襲われようとしていた。

 身体が大きく揺れた。

 もう、機体が赤く燃える中、最後のジンが、ザクの足にしがみついていた。

 

≪我らのこの想い、今度こそナチュラルどもに……!!≫

 

 どうして戦わなくちゃいけないの……と、キラと自分のために、ナナは泣いてくれた。

 あの涙は、今に何も残さなかったのか……?

 操縦桿を握る手から、力が抜けた。

 だがその時、赤く燃えるインパルスが、ザクの足ごとジンを切り離した。

 そしてそのまま、ザクの手をひっつかんで上昇する。重力に逆らって、とても鋭く力強い動きに見えた。

 が……その手も、間もなく離れてしまった。

 あっという間にインパルスの姿は視界から消えた。

 すでに、ミネルバの位置もわからない。

 モニターに映るのはただ、燃えながら落ちる巨大な塊と、その残骸。そして青い星、地球だけだった。

 この青さは……ナナの護り石に似ている……。

 頭の片隅で、やけにのんびりとした自分がそうつぶやいた。

 同時に、手を動かした。ザクも、設計上は単機で大気圏を抜けられる耐久性を備えているはずだった。

 大気圏への突入角度を調整。排熱システム起動。自動姿勢制御システム作動。

 マニュアルはまだ、しっかりと頭に入っている。

 なんとしてでも帰りたかった。

 地球へ……。

 いや、帰るというのはおかしい。

 自身の故郷はすぐ近くで燃えているユニウスセブンだし、今帰るべきところはカガリの待つミネルバだ。

 が、アスランは「帰りたい」と思っていた。

 そしてその衝動だけが、頭と手を動かしているように思えた。

 が、ジンとの戦闘で受けたダメージはあまりに大きすぎた。

 ただひとつ、機体を護っていた盾ももう、燃え尽きたガラクタになって手から離れて行った。

 スラスターは動かない。激しい速度で落下する機体を留める手段は、何もなかった。

 眼前に、白い雲。その遥か向こうには、海が見えた。

 とても深い蒼色をしていた。

 だから、恐怖はなかった。

 やるべきことは、やったと思っている。

 何かを成し遂げられたわけではないけれど……だが、立ち止まらずに進もうとした。

 護るために動くことができた。

 そんなふうに変われた自分が嬉しかった。

 

 きっとナナも、笑って迎えてくれるだろうと、そう思った。

 

 

 

 



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面影

 死を覚悟して、少しの後悔と、不可思議な希望を抱いたとき……、また救いの手が現れた。

 インパルス……シンだった。

 彼は二機分の重力を受けることもいとわず、ザクを抱きかかえてアスランを救った。

 正直、シンに救われるとはアスランも思わなかった。

 命令を受けているわけでもないのに、危険を冒してまで行動を共にし、そして救ってくれるなど……。

 憎しみを抱えてただ周囲を傷つけてしまうような少年と思っていたが、彼には深い情があるのだと、アスランは気づいた。

 

 シンのおかげで、無事にミネルバのドックに戻り、心から安堵した。

 今しがた死を覚悟して、責任を手放そうとしたくせに、ドックの床に足を付けたとたんにほっとしたのだ。

 ザクの足もとで、ルナマリアが待っていた。

 カガリはすぐに駆けて来た。

 彼女を心配させてしまったことを深く反省しようと思ったが、視線はインパルスから降りたシンを探してしまった。

 シンは少し疲れた表情だったが、待っていた仲間に囲まれて笑っていた。

 レイも温かくシンを迎え、そして……セアは泣いていた。

 シンは困ったように何か言って、セアの頭を不器用な手つきで撫でていた。

 

 

 ミネルバは、どうにか海上に着水した。

 クルーは、非常事態に次ぐ非常事態をくぐり抜け、ようやく束の間の休息を与えられた。

 彼らに混ざって、アスランとカガリもデッキに出た。潮の香りと波の音が、ずいぶんと久しぶりに感じられた。

 カガリも地球の風景に安心したようで、やっと笑みを見せながら無事に地球に降りられた喜びを語っている。

 だがアスランは、それをなかば上の空で聞いていた。

 生還の喜びを噛みしめたのはほんの束の間で、耳の奥には、ジンの男が放った言葉が、火傷のように痕を残していた。

 

『何故気づかぬか!? 我らコーディネーターにとって、パトリック・ザラのとった道こそが、唯一正しきものと……!!』

 

 戦禍を拡大させた、実の父。

 憎しみに侵され、ひとつの道しか見えなくなってしまった、怖ろしくも哀れな父。

 それでも……それでもナナは、『大切なもの』だと言って、父の形見を渡してくれた。

 あの形見の指輪は、オーブの家に置いて在る。

 持ち歩くのは、ナナの護り石だけだった。

 

「大丈夫か? アスラン」

 

 体調が悪いように見えたのか、カガリを心配させてしまった。

 

「ああ、大丈夫だ」

「けど、ほんと驚いた。モビルスーツで出ていくなんて思いもよらなかったから。心配したんだぞ」

「勝手なことをしてすまなかった」

 

 本当にすまないと思った。

 が、決意を彼女に話すべきだったのかどうか、言ったとして彼女は賛成してくれたのかどうか、今もよくわからなかった。

 確かめる前に、カガリが言った。

 

「いや、でもお前の腕は知ってるからな。むしろ、お前が出てくれて良かった」

 

 答えを欲していたはずなのに、その言葉に何故か胸の奥がうずいた。

 

「ミネルバやイザークたちのおかげで、被害の規模は格段に小さくなった。そのことは地球の人たちも……」

 

 清々しいカガリの声は、途中で遮られた。

 

「やめろよこのバカ!!」

 

 シンだった。

 彼はまたカガリに突っ掛り……いや、現実に何が起こっていたのかをカガリに突き付けた。

 誰がユニウスセブンを落としたのか。

 何の目的でそうしたのか。

 彼らは何を抱えていたのか。

 乱暴に、だが正しくそれを突き付けた。

 カガリはまだ、純粋で若い。自分の価値観を大切にし、まっすぐに生きている。

 それは彼女の最大の魅力でもあったのだが、かつてナナは心配していた。

 自分のように歪んだ見方も時には必要だと、自嘲気味につぶやいていたことを思い出す……。

 今はまだ、カガリは学びの最中だった。

 そもそも、この年で国を背負えというほうが酷な話しだ。

 最大の手本であり、側で支えるはずだった父も姉も、もういない。

 ナナに後を託された自分もこのザマだ。

 だから、シンを止めるべきだった。

 カガリを護るべきだった。

 だが、何故かアスランに、その気力がわかなかった。

 

「あれを落としたのは、あそこで家族を殺されて、そのことをまだ恨んでる連中だった! 『ナチュラルなんか滅びろ』って叫んでたんだぞ!!」

 

 めいめいにはしゃいでいたクルーたちも、口をつぐんで二人を見つめていた。

 

「わかってる、それは……でも……!」

「でも何だよ!」

「それをお前たちが必死に止めようとしてくれたんじゃないか!」

「そんなの当たり前だ!!」

「だが……」

 

 まるかみ合わぬ二人のやり取りに、ため息のように声が漏れ出た。

 

「……それでも破片は地球に落ちた……」

 

 いくつもの破片が、世界に落ちた。

 その詳しい被害の情報は、まだ入って来ていない。

 が、巨大な破片は大地を削り、燃やし、そして海は陸を呑み込んだはずだ。

 

「オレたちは……止めきれなかったんだ……」

 

 この波のように押し寄せる無力感は、己に対するものだけではないはずだ。

 

「一部の者たちのやったことだとしても、オレたちコーディネーターのしたことに変わりはない」

 

 必死で世界を守ろうとしたナナの……前を向こうと訴え続けたナナの……歩いた道をも消し去られるような無力感だ。

 

「それでも……、許してくれるのかな……」

 

 許しを……訴え、願い続けたナナの声は、もう世界から消えてしまったのだろうか。

 ナナが命を賭して示そうとした未来は、もう叶わないのだろうか。

 アスランは、カガリを残してその場を去った。

 

 

 デッキに多くの人が出払っているせいか、艦の通路は人通りがなかった。

 アスランは、うつむいてそこを歩く。とても顔など上げられなかった。

 だから気がつかなかった。かなり遠くで立ち止まり、自分を見とめて戸惑う影に。

 

「あ、あの……」

 

 それでも、声をかけたのは向こうの方だった。

 

「セア……?」

 

 思い切り壁に背中をくっつけて、身を縮ませながらも、セアから声をかけてきた。

 

「ええと……」

 

 続く言葉はなかった。

 彼女はまだ、自分に対して怯えているようだ。それほど、第一印象は最悪だったらしい。

 無理もない。見ず知らずの男に、急に自分でない人間の名前で呼ばれたら……。

 それも必死の形相で。

 

「みんなと一緒に、デッキに出ていたんじゃなかったのか?」

 

 あの時の自分の姿を想像し、アスランは自嘲した。

 だから、少し笑ってそう言った。

 

「い、いえ……。診察があったので……」

 

 セアは両手をぎゅっと握りしめ、恥ずかしそうに視線を逸らした。

 

「怪我をしたのか?」

「ち、違うんです。“あの事”故以来……定期的にドクターの……診察を受ける決まりになっていて……だから……」

 

 “あの事故”のことを口にして、セアは徐々に声を小さくした。もともとか細かった声だから、最後のほうはほとんど聞こえなかった。

 が、同じようにアスランの心も萎んだ。

 “あの事故”のことはまだ、思い出したくはなかった。

 恐らく、セアも。

 

「それで、大丈夫なのか?」

 

 “あの事故”は、一瞬で数百人もの命を奪った。最悪のタイミングで悲劇が起きた。

 その犠牲者の中に“ナナ”が居たことなど、頭で理解はしていても、心は未だ信じることができないでいる。

 あれはナナだけでなく、自分やカガリ、そしてオーブや世界の運命までもを狂わせた悲劇だった。

 そんな中、幸運にも生き残ったというセアを、アスランは純粋に案じている自分に気がついた。

 後遺症があるのかもしれない。いや、精神的なダメージからはまだ回復していないように見える。

 恐らく最後にナナに会ったうちのひとりとして、セアには不思議と親近感が芽生えていた。

 が、セアは驚いたような顔をした。赤の他人に心配されるとは思っていなかったのだろうか。

 

「あ、はい……なんともありません……」

 

 今までより早口で、彼女は答えた。

 

「そうか、よかった……」

 

 一瞬だけ視線が合った。

 同時に、それを逸らす。

 セアはまだアスランを警戒していたし、アスランはナナに良く似た目を見ることに慣れてなかった。

 が、セアは、本当は一刻も早くここから逃げ出したいのだろうが、そうしなかった。

 自分を上官とでも思っているのか……。

 アスランは少し戸惑ったが、自分から立ち去るほうがセアにとっては良いのだろうと判断した。

 

「みんなはまだデッキにいるようだぞ」

「あ……はい……」

「曇ってはいるが風は心地よかった。君も行ってくるといい」

 

 大人ぶってそう言い、彼女の前を通り過ぎた。

 “あの事故”のこと。

 セアの身に起きたこと。

 事故直前に、彼女が見たナナの姿。

 本当は、彼女に聞かねばならぬことはたくさんあった。

 が……今は聞きたくなかった。

 距離を置いた方がいい。自分にとっても、彼女にとっても、その方がいい。

 そう思って、アスランは密かにため息をついた。

 その時。

 

「あの……!」

 

 意を決したような声で、思いがけず引き留められた。

 振り返ると、セアがまるで何かに耐えているかのように、唇を噛みしめてこちらを向いていた。

 

「あの……」

 

 セアは声を絞り出した。

 

「あ、あなたは……だ、大丈夫……ですか?」

 

 セアは自分を気遣ってくれている。

 そういえばあの時も、帰還命令が出たにもかかわらず、傷ついた機体で自分のことを案じていてくれた……。

 その礼を、まだ言っていなかった。

 

「心配かけてすまなかったな」

 

 うまい言葉が見つからず、アスランはそう言った。

 

「い、いえ……」

「君は無事に帰還できてよかった」

「スラスターが……、まだ生きてましたから……」

 

 セアはいよいよ居心地悪そうに身体を震わしていた。

 相手が誰であれ、気遣うことができる“優しさ”は、ナナに似ているな……。

 そう思ってしまった時、アスランは本当にこの世界からナナが居なくなってしまったということを実感した。

 たとえ姿かたちや本質は似ていても、それは決してナナじゃない。

 ナナにはもう、会うことができないのだと。

 

「オレは大丈夫だ。ああいうのにも、一応、慣れているからな」

 

 純粋に、ナナでない彼女を安心させてやりたくなった。

 ナナでない彼女の気遣いに、応えたいと思った。

 

「慣れ……ですか……」

 

 そう思って言ったのだが、セアはそれを強がりととったのか、半分は自嘲と見抜いたのか……ほんの一瞬、怪訝な顔をした。

 が、それをすぐに引っ込めて、勢いよく頭を下げた。

 

「お、お引き留めしてすみませんでした! 失礼します……!」

 

 そして、ひと息に言うと、こちらを見ずに走り去って行った。

 その背はすぐに消えた。

 アスランは床に視線を落とした。

 この先、セアのように、偶然にもナナによく似た少女に出会ったとしても、それはナナじゃない。無意識にナナの面影を探すのは、よそう。

 その決意は、薄い笑みとなってこぼれ出た。

 アスランは再び、廊下を歩き始めた。

 誰も居ない廊下に響く足音が、再び動き始めた時間を示しているような気がしていた。

 

 

 



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帰郷

 地球に降りたミネルバは、その後、無事にオーブへと辿り着いた。

 受け入れられたのは、オーブ領オノゴロ島だった。

 ミネルバはそこで、モルゲンレーテ社の全面協力のもと、艦の修理をすることとなった。

 

 カガリは、到着後、息つく暇もなく行政府で幹部たちの報告を受けた。

 地球の被害状況はもちろん、彼女の居ぬ間にオーブ政府内で動き始めた“ある計画”についても聞かされた。

 それは、大西洋連邦との新たな同盟締結のことであった。

 新たな火種……。

 それは確実に、オーブ国内にも燻り始めている。

 カガリはそれを改めて実感した。

 ナナが命を削って、荒れた地面を均そうとしてきたのに……それを、幹部たちも眼にしてきたはずなのに。

 また、オーブは敵と味方を作ろうとしている。

 カガリはいっそう強い覚悟を持って、オーブの理念と父の意志。そしてナナの願いを背負わねばならなかった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 カガリが行政府で幹部たちとの会議に出席している間、アスランはキラとラクスの元を訪れていた。

 今、彼らがいるのは、市街地から離れた海沿いに建つ、アスハ家の別邸だった。

 もともとは、同じ海岸線のコテージに、導師マルキオと、彼が保護した身寄りのない幼い子供らと、それにキラの母親と共に暮らしていたのだが、ユニウスセブンの件でその家は津波に襲われてしまったという。

 だから今は、ナナがマリューとバルトフェルドに宛がったその別邸に、皆が身を寄せているという連絡を受けていた。

 

 オーブ国内の被害は、他国のそれよりも小規模だったと、帰国後に聞かされていた。

 だがこうして親しい者たちが被害を被ったことを考えると、己の無力さが身に染みる。

 無事ではいてくれたが、彼らはまた多くのものを失ったのだ。せっかく一から築き上げてきた穏やかな暮らしを、奪われたのだ。

 

 マニュアル車を飛ばしてそこへ向かうと、二人は子供たちとともに波打ち際で楽しそうに戯れていた。

 楽しそう……といっても、二人が、特にキラが楽しそうに笑う顔など、もうずっと見たことはない。

 戦争が彼につけた傷跡は深く、その傷口はまだ完全には塞がっていないのだ。

 さらに、また多くを失ってしまった。

 が、二人は子供たちに笑いかけ、その姿は美しい浜辺の景色に綺麗に溶け込んでいた。

 二人と言葉を交わして、ほんのわずかにほっとした。

 二人と、子供らの無事な姿を見て、そして、まだ彼らが笑えていることに改めて安堵した。

 

 ラクスが気を効かせて、アスランとキラを二人にしてくれた。

 キラを車に乗せて屋敷に向かう途中、ますます重くなった心を、キラに少しだけ吐き出した。

 プラントで、思いがけず戦闘に巻き込まれたこと。

 カガリに怪我を負わせてしまったこと。

 乗り込んだ艦が、戦闘になったこと。

 “敵”が何なのか、まだわからないこと。

 そして、ユニウスセブンの降下と、その犯人と合いまみえたこと……。

 

「戦ったの?」

「ユニウスセブンの破砕作業に出たら、彼らがいたんだ……」

 

 キラは不安げな顔をした。

 だが、それは再び進んで戦場に躍り出たことを責めたのではなかった。

 ただただ、アスランの心中を気遣ってくれていた。

 が、その友の優しさにも、心は少しも軽くはならない。

 

「連中のひとりが言ったんだ。撃たれた者たちの嘆きを忘れて、何故撃った者たちと偽りの世界で笑うんだ……って」

 

 穏やかな波音にかき消されそうなほど、情けない声しか出ては来なかった。

 

「でも……アスラン」

 

 少しの沈黙の後、キラは静かに問いかけた。

 

「君は……ナナならきっとそうすると思ったから、そうしたんだよね?」

 

 曖昧な表現は、アスランを気遣うものだった。

 

「ただ……見ていることなんてできなかったんだ」

 

 だから、アスランは素直な気持ちを零した。

 

「立場や名前に捕らわれず……自分にできることを。自分がやるべきことを……。ナナはいつも、そうやって進んでいた……」

「うん、そうだね」

 

 キラの肯定の声だけは、やけにきっぱりと聞こえた。

 

「そんなふうには、考えないようにしていたんだけどな……」

 

 少し、肩の力が抜けた気がして、アスランは息を吐くように笑った。

 自嘲だった。

 が、キラはそれを咎めることなく、まっすぐ向こうの海を見つめながら、つぶやいた。

 

「こんなふうにナナのことを話すのは……あれ以来、初めてだね」

 

 おそらく、ラクスも気がついている。意識してそうしてきた。

 ナナのことを考えないようにしていたから、当然、二人ともナナの話をしなかった。

 二人とナナのことを話せば、より深い虚無感に浸ることは必然だった。

 誰かの口からナナの名を聞くたびに、彼女が過去の人間で、今はもう存在しないことを思い知らされるのに、共通の友である彼らとなど話せるはずもなかった。

 だが今日は、キラの前でその名を口にした。

 ナナならどうするか……そう考えたことを明かした。

 今は……この虚無感すら惑わせる迷いや葛藤を、言葉にして出さずにいられなかった。

 美しい景色と優しい友に、受け止めてもらいたかった。

 キラはまだ、夕日に照らされた海を眺めていた。

 その視線に促されるように、アスランも同じ景色をみつめた。

 そして……あれから初めて、ナナとの時間に思いを馳せた。

 

 



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追憶1「終戦後の日常」

 クサナギがオーブに帰還してわずか3日後、キラとラクスはここに移り住んだ。

 宇宙に居る時から、ナナがアークエンジェルとエターナルのクルー全員の身の振り方について、事前に本国に指示を出していようだった。

 新しい名前も、IDも、住まいも、当面の生活費も……、一人ずつ事細かに決められたが、それについて誰も文句を言い出す者はいなかった。

 アスランの知る限り、希望が通らなかった者はひとりとしていないのである。

 

 キラとラクスは、マルキヨの施設で彼が引き取った孤児たちと静かに暮らすことを決めたが、マリューたちは働く場を求めた。

 彼女はモルゲンレーテ社の職を得、アスハ家の別邸を宛がわれて、同志であるバルトフェルトとともに住むこととなった。

 他のアークエンジェルのクルーも同様に、多くはモルゲンレーテ社に雇われたり、オーブ軍関係の職に就いた。

 ミリアリアやサイらキラの友人たちは、地球軍からの除隊を認められ、家族の元に戻ったようだった。

 一方、エターナルのザフト兵やディアッカは、ナナの尽力でカナーバプラント最高評議会臨時議長が超法的措置をとり、プラントへの復帰を黙認されることとなった。

 

 どちらの艦のクルーたちも、反逆罪で銃殺刑にも処されかねない状況で、皆、命の保証どころか自由をも得た。

 ナナは、カナーバ臨時議長や、地球軍閣僚との話し合いの内容について、多くを語らなかった。

 ただ本人は、「ちょっと脅しつつごまをすっておいた」と笑っていた。

 政治経験など無い、ひとりの少女である。

 いったいどんな高度な交渉を行ったのか……いや、これはもう魔法に近いとか、クサナギの艦内でも一種の昂揚感をともなうようなささやきが溢れていた。

 

 とにかく、『三隻同盟』とされるエターナル、アークエンジェル、そしてクサナギのクルー全員が、本来戻るべき場所や、希望する場所へ向けて歩き始めた。

 アスラン自身は、ナナに何度も「キラたちと暮らさなくていいのか」と尋ねられた。

 が、アスランの中で初めから答えは決まっていた。

 なんの力になれなくても、ナナの側にいて少しでも支えようと……そう決めていた。

 だから新たな名前をもらい、アレックス・ディノとしてアスハ家の私設ボディーガードの職に就くことになったのだ。

 

 アレックスとしての生活も、悪くはなかった。

 過去を振り返っている暇もないくらい、ナナの護衛という任は激務だった。

 無論、プラントの関係者との会合には、顔見知りがいないとも限らないため、アスランが同行できるのは宿舎までだった。

 が、ユーラシア連邦、大西洋連邦などとの会合には、必ず議場まで同行した。

 アスランが激務と感じるくらいだから、ナナは恐ろしく疲弊していただろう。

 だが、細い身体のどこにそれほどのバイタリティーがあるのかと疑うほど、ナナは精力的に任をこなした。

 

 そうして時々、自分の前で弱音を吐いた。

 素直に疲れた顔をして、伸ばした背筋をくの字に曲げて横になった。

 その時は少しだけ、自分も役に立っているのだという実感がわいた。

 徐々に、幸福というものを感じ始めていた。

 悲惨な戦争で、混乱し、麻痺し、絶望した心が、ようやく穏やかな日常の波に乗りかけていた。

 そうやって、未来を進んでいくはずだった。

 

 あの日までは……。

 

 

 

 

 ユーラシア方面での遊説を終え、帰国したその足で、ナナは内閣府へと向かった。

 時差ボケがあるにもかかわらず、本会議に出席するためだった。

 現地で行った外交の成果を、首長や議員らに報告しなければならなかった。

 それに……この会議は、ナナにとってはもっと重要な意味を持っていた。

 

「あ、カガリ!」

 

 廊下を曲がると、多くの秘書官に囲まれたカガリの姿が目に入った。

 ナナが駆け寄る。同時に、アスランやナナに付いている秘書官たちも走り出す。

 

「調子はどう?」

「いや、そっちこそご苦労だったな。どうだった?」

 

 カガリの顔色は冴えなかった。

 が、ナナを見て安心した様に笑った。

 

「思った以上に話しのわかる人たちだったかな。代表には後で良いご報告ができるかと思いますよ」

 

 ナナはちゃかしたように言った。

 その声は弾んでいた。

 そう。先日、カガリが正式に代表首長に就任し、これが初めての本会議だった。

 ナナはカガリの就任を誰よりも喜んだ。

 ナナ自身、クサナギで終戦を迎えたあの時からそれを望んでいたし、オーブに帰還してから最も力を入れて取り組んだことでもあった。

 

「アスランもお疲れ。帰国早々にすまないな」

「いえ、代表こそお疲れのようですが」

 

 アスランは改まって言った。

 それがおかしかったのか、カガリとナナは顔を見合わせて笑っていた。

 二人は連れだって議場に入って行った。

 無事にナナを議場に送り届け、アスランの今回の任は解かれた。

 カガリの秘書官たちが、ナナの姿を見てほっとしたような顔をしていたのだけが気にかかった。

 

 オーブ国内は、ようやく平静な日常を取り戻しつつあった。

 ナナが代表代行に就任してリーダーシップを発揮し、対外的な安全を確保したのがまず大きかった。

 が、ナナは決して国内の為政には携わろうとしなかった。

 国は理念を持った代表首長が治めるべきで、それはカガリでなくてはならないと、何度も皆の前で口にしていた。

 実際は……すでに外交面で多大な成果を上げているナナこそが、代表首長に就任するべきだという意見があった。

 それはアスランの耳にも聞こえて来たし、決して少なくはなかったようだった。

 

 だが、ナナはそれを全て聞き流し、カガリこそが代表に相応しいのだと、首長や議員たちを説得した。

 アスランも、ナナが代表首長になることに、何の不安も懸念もないように思った。

 が、アスランがその話を持ち出しても、ナナは頑なに首を振った。

 

『ウズミ様の意志を継いでるのは私じゃなくてカガリなの! 私はウズミ様の情けでつい最近アスハ家の養子になったけど、あのコは最初からそういうふうに育てられたんだから。あのコなら大丈夫。まだ精神的に不安定な時もあるけど、まっすぐで強いコだって、アスランも知ってるでしょ?』

 

 ウズミ・ナラ・アスハの遺志を実現させたいのか、それとも姉として妹の後押しをしたいのか、あるいはその両方か……アスランはあまり突っ込んで確かめなかった。

 ナナが自分の意志を曲げることはなかったし、周りの者も、今のナナには異を唱える自信も気概もないように見えた。

 国内のことは大丈夫だろう。

 アスランはそう思った。

 首長たちは代々の作法をわきまえているだろうし、ナナの影響もあってか、ウズミ亡き今もアスハ家が主権を握っていることに変わりはないようだ。

 彼らはきっと、理念と伝統の名の元に、新しい代表首長を護っていくだろう。

 そう思えた。

 

 

 



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追憶2「それぞれの役割」

 

 

「おはよう、ナナ!」

 

 食堂に入るなり大あくびをしたナナに、カガリが元気よく声をかけた。

 

「ナナ、おはよう」

 

 アスランも、読んでいたニュースの記事から目を話し、挨拶をする。

 

「おはよ……」

 

 ナナは眠そうにつぶやき、のろのろと席に着いた。

 

「カガリ、今日の予定は……?」

「またスケジュール確認しないで寝たのか?」

「うーん、明日のことは明日っていうポリシーだからね」

 

 ナナは今にもテーブルに突っ伏さんばかりであった、

 

「私は朝から行政府で閣僚会議、午後は軍部視察だ。ナナは午前中から大西洋連邦の幹部と対談だろ?」

「ああ……そうだった」

「明日からヨーロッパでの臨時平和会議だぞ? 準備できてるのか?」

「あー、それは移動中になんとか……」

「開会の式典で演説しなきゃならないんだから、ちゃんと用意しておけよ」

「うん……あとでやる」

 

 すでにこの光景を何度も目にしていたアスランだったが、改めて笑いたい気分になった。

 いつも涼しげに己の任をこなして来たナナだったが、実のところ、“スイッチ”が入っていない時のナナはすこぶる面倒くさがり屋なのだ。

 こうしていつも、カガリに叱咤激励されて、朝食後にようやくエンジンがかかるといった具合だった。

 毎晩、遅くまで演説の原稿やら調べものやらで疲れ切っているのもあるだろうが、カガリによると、ナナは「朝はとにかく寝起きが悪く、前々からこんなカンジ」だそうだ。

 

「あ、それとナナ、首長たちが平和条約締結について、ナナから国民にメッセージを送って欲しいって言ってたぞ」

「ええ? なんで私が?」

「みんながそう思うのがあたりまえだろう? あちこち駆けずり回ってプラントと地球軍に調印させたのはナナなんだからな!」

「調印式で演説したじゃない」

「それはそれ、だ。オーブの国民はオーブ代表としてそれを成し遂げたお前の言葉を聞きたがっている」

「そんなの冗談でしょ?」

「冗談なんかじゃない。なんでそんなに嫌がるんだ?」

「だって面倒くさいし、目立つのやだし……」

「さんざん表に出ておいて今さら何言ってるんだ……」

「それに、前にも国民の皆さまに向けてお話したでしょう」

「それはオーブの代表代行として、交渉役の責務を果たすって宣言したときだろう?」

「いやいや、その後にも」

「ああ、あれは私が代表になったときの祝辞じゃないか……」

「もうみんなの前でけっこうしゃべってるから、私の顔なんか見飽きてるでしょう」

「そういう問題じゃないって」

 

 のんびりとサラダを食べ始めたナナにため息をつき、カガリは困った顔でアスランを向いた。

 

「ナナ、国民がお前の言葉を聞きたがっているのは本当だ。皆に応えてやるのも責務のうちだと思うぞ」

「でもさ、私が報告したことをカガリが発表してくれてるんだから、それでよくない?」

 

 助け舟を出してやるが、ナナはのらりくらりと交わす。

 カガリがふくれかけたのを見て、アスランはついに切り札を出した。

 

「カガリは代表として国民の希望をお前に伝えてるんだ。応えてやったらどうだ?」

 

 ナナの目の色が変わった。

 

「そっか。代表の指示なら断れないか……」

 

 カガリは畳みかけるように言う。

 

「そ、そうだ。私は代表の立場で、ナナの演説を国営放送で流した方がいいと思ってるんだ」

 

 ナナは手を休めて少し考えた。

 口元のパン屑が下に落ちた時、口の端を少し上げて言った。

 

「わかった。じゃあ、ヨーロッパから帰ったら、その報告ってことで話そうか」

 

 カガリは『しめた』と言った顔をして、アスランを見た。

 アスランもほっとした。

 何故なら、これほど重要な事案でも、ナナならほんとうにキャンセルしかねないからだ。

 

「そのかわり、原稿は手伝ってね、アスラン」

 

 不意に、ナナがアスランのほうをまっすぐ見た。

 口もとに不敵な笑み。

 

「オ、オレはただのボディーガードだ。演説の原稿なんて……」

「私はろくに学校に通ってないただの女の子なんです! 難しい字とか読めないし、だいたい根っからの理系だから言葉も良く知らないんです!」

 

 ナナは駄々っ子のように口を尖らせた。

 いやいやさんざん世界に対して自身の言葉を発信しておいて、いまさら何をいっているんだ……とアスランは突っ込みたくなった。

 今まで、ナナは何度もカメラの前で演説を行ってきたが、それは決して稚拙なものではなく、聞く者の心に響く言葉であったと思う。

 たしかに、政治家が使うような難しい言葉や高度な文法表現はなかった。

 が、だからこそ、まっすぐで真摯な言葉は魅力的でわかりやすく、人々に理解されたのだと思っている。

 アスラン自身も、それが近しい人間であるのが不思議なほど、ナナの演説には大いに感動をしていた。

 それだけに、今さらナナが自分の言葉に自信がないように言うのは納得がいかなかった。

 

「だが、機密の問題があるだろう」

 

 アスランはなだめるようにそう言った。

 国を代表するような人間の演説原稿に、いち民間人にすぎない自分が介入すれば、問題になることは目に見えていた。

 

「大丈夫大丈夫。どうせ全部が世界中に発表された後で、同じことをオーブ国内で報告するってだけでしょう? 平和条約のことだってとっくに発表になってるんだし。ってことはぜんぜん機密じゃないから大丈夫!」

 

 わかっていないわけではないのだろうが、ナナは軽い口調で言ってスープを飲んだ。

 アスランはもう一度、嗜める言葉を探したのだが、祈るような睨むようなカガリの視線に負け、素直にうなずくことにした。

 

「よし、これでみんな同志ね!」

 

 ナナは勝ち誇ったようにひとりうなずいた。

 これでナナは、完全に目を覚ましたようだった。

 とりあえずこれでよし……アスランはカガリと視線を合わせ、同時に小さく息を吐いた。

 

 

 

 ヨーロッパ各国訪問を終え、ナナは約束通り、国営放送にて演説を行った。

 ナナが会見以外でカメラの前に立つのは、約三か月ぶりのことだった。

 

 結局、その手元に在る原稿に、アスランの言葉などひとつも入ってはいなかった。

 ナナが移動中に、一時間ほどでそれを作成してしまった。

 もちろん、アスランは約束通り手伝った。それは、ナナの質問に順次答えて行くというだけのものだった。

 たとえば……こういうことを言いたいのだが、より良く伝えるためにはどんな表現がいいか、などの相談や、こういう意味の熟語はなかったか……などの問いだ。

 言うべきことについては、ナナの中でとっくに決まっていた。

 重い腰さえ上げてしまえば一騎当千……アスランは密かにそう思っていた。

 

 今回も、ナナの言葉は国中によく響き渡った。

 ナナはいつも、何よりも平和に対する強い意志を前面に押し出していた。

 本人にそんなつもりはないのかもしれないが、ナナは言葉で、声で、そして視線で、見る者、聞く者にまっすぐ伝えようとしていた。

 皆にうったえかけるということに関して、ナナはラクスにアドバイスをもらっていた。

 プラントにいる頃、ラクスも平和の象徴としてよく皆にメッセージを投げかけていた。

 ナナはそんなラクスに憧れていたのだと、アスランにもそう漏らしていた。

 

 だが、ナナの言葉はラクスのそれと大きく違っていた。

 平和、融和、そして希望を、優しく、癒すような声で皆にうったえかけるラクスに対し、ナナの言葉は鋭く、時に乱暴で、衝撃的だった。

 だがその鋭さや荒さが熱を放ち、明かりとなって皆の目を覚まし、未来を照らすように思えた。

 何よりも、ナナ自身の平和な未来に対する強い意志と渇望を、皆は見せつけられることになるのだ。

 だからこそ、ナナが正規の教育を受けていない十代の少女だったとしても、その言葉にはとても強い説得力がある。

 そして、ナナ自身が戦争の第一線で全てを目にして来たこともまた、皆に与える影響が大きかった。

 

 アスランはそんなナナの演説を、カメラに収まらない会場の入り口付近で聞いていた。

 もちろん、暴漢など不審者には目を光らせつつではあったが、またナナの声に引き込まれていた。

 あれほど面倒くさがっていたくせに、ナナは誠心誠意、心をこめて国民に語りかけている。

 会場の議員たちも、首長らも、記者も、放送局の者たちも、皆、息を潜めてナナの言葉に聞き入っている。

 その最後に、ナナは笑みを浮かべた。

 

「平和条約はまだ締結されたばかりです。私たちは、平和な未来への第一歩を踏み出したばかりです。これから先、どれほどの困難が私たちの道に立ちふさがるかはわかりません。きっと、平坦な道ではないでしょう。大切なのは、どんなに高く分厚い壁にぶち当たろうとも、皆でそれに立ち向かっていくことです。辿り着きたいのは皆、同じ場所のはず……」

 

 いっさい手元の原稿に目を落とさず、まっすぐカメラを見て言った。

 

「だから、みなさん……これから何が起ころうとも、今願っている未来を見失わず、手を取り合って進んでいきましょう」

 

 ナナが言い終えて、一瞬、沈黙が流れた。

 そして次の瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

 議員や記者たちは、もれなく椅子から立ち上がっている。目頭を押さえている者も少なくはなかった。

 ナナの後ろで控えていたカガリも、うっすら涙を浮かべていた。

 ナナは会場を隅から隅まで見渡し、悠然とうなずきながらそれに応えた。

 そして、最後に少女のような笑みを残し、壇上から降りて行った。

 アスランには全てが完璧に思えた。

 パトリック・ザラの子息として、公人の振る舞い方は良く知っている。

 そんなアスランにとっても、全くの素人であるはずのナナの立ち居振る舞いは完璧に国、いや、世界を背負う要人としてのそれであった。

 ナナは笑顔でカガリと握手を交わすと、軍部のSPに守られて退場した。

 控室で再会したら、きっとナナはこう言うのだ。

 

「あ~かったるかった。ほんと苦手なんだよな、ああいうの。あんまりカメラ映り良くないって自覚してるし。この間なんか、ちょっとおでこがテカってたもんね。もうちょっと照明とか配慮してくれないかな……」

 

 そうぶつぶつと文句をいって、自分の残した功績には目もくれないのだ。

 

「愚痴でも聞きに行くか……」

 

 アスランはそう思いながら、ぐったりとしたナナが待つ控え室へ向かった。

 

 

 



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追憶3「不協和音」

 

「まったく、ほんとに信じられない!!」

 

 ナナは大いに憤慨していた。

 

「今はまだ情勢が落ち着いてないから、首長の人たちも不安なだけだよ」

「そうですわ、みなさんもじきに体制に慣れるでしょう」

 

 キラとラクスはそんなナナをなだめる様に、アスランが普段使っているのと同じ言葉を言う。

 

「頭が固いんだよね、あの人たち。自分たちも納得して決めたのに……!」

「小さな不安が現状に不満を持つんだ。行政が円滑に進むようになれば、首長や議員たちも不満はなくなるだろう」

 

 せっかくキラとラクスのところへ来ているのだから機嫌を直して欲しいと思い、アスランもいつもどおり穏やかに言うのだが、ナナは横目で彼を睨み口を尖らせた。

 

「なに?! アスランもカガリが代表じゃ不満だっていうの?!」

「い、いや、そんなふうには言っていないが……」

 

 いつも顔を合わせているせいか、ナナはアスランにだけ当たりが強かった。

 

「だいたいさ、最初からうまくいくわけないんだから、新人をサポートしていくのがベテランの役目でしょ? あの人たちはそれを放棄してるってことにならない? それって『職務放棄』だよね?!」

 

 ナナが憤慨しているのは、首長たちとの会合の後、廊下の曲がり角の向こうで何名かがこっそり立ち話をしている声が、たまたま耳に入ったからである。

 

『どうにも頼りないものだ。ウズミ様が偉大な指導者であっただけにな……』

『しかしカガリ様はまだお若い。我らで支えねば……』

『だが、それにも限界があるというものだ。ご自身でもっと学んでいただかないと』

『それに“お若い”といっても、ナナ様と歳は変わらんのだ。せめてあの方の半分でも自覚を持っていただければ……』

『やはり、代表にはナナ様に……』

 

 ひそひそ声であったが、数名がそこに居ることがわかった。

 ナナは肩を怒らせて、角を曲がろうとした。

 が、アスランがそれを止めた。

 今出て行っても、首長たちの意識は何も変わらない。かえって、彼らの心情をややこしくするだけだ。

 ナナがいくら説得したといっても、首長や議員たちの中に、『ナナを代表首長に』という声は未だ根強く残って居る。秘かにナナを推す派閥が産まれていることは、ナナも知っていた。

 だが、今彼らに何を言っても、その心を変えることはできない。

 それはナナも承知していた。

 確かにカガリはまだ若い。簡単に大人たちの言葉に惑わされ、第一、政治のこともわかっていない。

 いや、わかるはずがないのだ。

 まだ十代の少女に、いきなり国家の代表として正しく振る舞えと言っても、無理なことは誰もが承知の上である。

 だが、比較対象となるナナの存在が彼らの感情を乱していた。

 同じ年のナナが、国を護り、国を代表して、世界と堂々と渡り合っている。

 今や、国内だけでなく、各国の首長たちからも一目置かれ、会談、面会の申し込みが跡をたたない。

 

 が、ナナにはそれが大いに不満だった。

 アスランから見れば、ナナが自分の存在を過小評価していることは否めない。

 だがナナは、カガリこそが代表首長に相応しいと……いや、ウズミの意志を継ぎ、オーブの理念を体現する存在であるとして、決して譲らなかった。

 ナナの言いぶんでは、自分は“たまたま”戦争の前線にいて、地球軍やザフトの戦いを目の当たりにして来た。

 そして“たまたま”終戦時に彼らと同じ場所に居て、オーブの立場を護るために“たまたま”交渉役を申し出ることを思いついた。

 そうして“たまたま”、彼らの信頼を得ることができ、今の役目に収まっているだけにすぎない。

 だから、国内の政治なんて今までも興味はなかったし、考えたことはなかった。

 ただ、ウズミの養女としてアスハ家に入った後は、なんとなくカガリが代表首長に就任した際に、秘書のひとりくらいにはなれるように勉強をしようかと思っていた。

 ……ということだった。

 

 アスランもナナの言っていることは理解できるし、恐らく首長たちもそうであるから、カガリを代表首長にと推すナナの言葉に賛同したのだろう。

 が、煮え切らない彼らの態度に、逆にナナは業を煮やしている。

 今は彼らの秘められた願いには、聞こえないふりをするのが一番だともわかっている。

 が、もどかしさは怒りになってナナの感情を揺さぶっていた。

 だからアスランは、ナナをここへ連れ出した。

 自分ではナナを宥める言葉も尽きた。

 キラとラクスなら、彼女の昂った感情を鎮められるのではないかと思ってのことだった。

 

「ナナ、もう少しの辛抱ですわ。あなたは今まで通り、素知らぬ顔でご自分の役目を果たしていれば良いのです」

「そうだよ、ナナ。カガリが国内でオーブを治めて、ナナが国外で世界と交渉する。この形があたりまえになれば、誰も何も言わないよ」

「カガリさんは素晴らしいお方ですもの。きっとみなさんのことを見返すくらいの、立派な指導者になられますわ」

 

 やはり、ラクスとキラの言葉はじんわりのナナの心を融解するようだった。

 

「うん、そうだね」

 

 ナナはようやく笑みを見せ、ラクスが淹れた紅茶を飲んだ。

 ラクスにカガリを褒められ、嬉しそうだった。

 アスランは思わずほっとして息をついた。

 それを、キラに見られてしまった。キラはナナに気づかれないように苦笑した。

 

「戦争は辛いことばっかりだったけど、ひとつだけ良いことがあった」

 

 不意に、ナナがそう言った。

 怪訝な顔がみっつ、ナナを向く。

 

「私に、初めての友達ができた」

 

 ナナは照れくさそうにするでもなく、海を眺めながらひとり言のようにつぶやく。

 夕日に照らされたその顔は幼げで、とても各国の要人たちと対等に渡り合っている外交官には見えなかった。

 

「ナナ、私たち、ずっと友達ですわ」

 

 ラクスがナナの手を握った。

 キラもそれにうなずく。

 

「オマエモナ!」

 

 ハロがタイミングよく飛び込んできて、皆で声を上げて笑った。

 

 

 



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追憶4「二人の約束」

 

 終戦から一年が経った。

 終戦記念日とされたその日には、各地で式典が開かれた。

 世界が、過去への悔恨と絶望に涙し、平和を尊び、未来への決意を新たにする日だった。

 

 国内の式典はカガリに任せ、ナナは宇宙に飛んだ。

 戦争終盤に苛烈を極めたヤキン・ドゥーエの空域で、地球軍、ザフトによる、合同慰霊祭が開かれることとなり、それに出席するよう両陣営から請われたのだ。

 もちろん、合同の式典に出席することこそが、ナナの『調停役』としての存在意義が発揮されることとなる。

 オーブの公人服に身を包み、ナナはそこに向かった。

 

 当然、ナナは式典のメインとなるスピーチを求められていた。

 かつてのラクス・クラインのように、世界に向けて平和をうったえる存在は、ナナしかいなかった。

 象徴としての立ち位置を理解しているナナは、その日はいつもより穏やかに言葉を紡いだ。

 自身の感情は押し込め、ひたすらに平和な未来へ向けて進むのだと、そういう姿だった。

 地球、そしてプラントに暮らす人たちが、その言葉を耳にし、その姿を目にした。

 人類全てが素直な気持ちでナナの言葉を受け止め、ナナと同じ心でいられたら……アスランは、そう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 自然と“そうなった”のは、オーブに帰国して数日後のことだった。

 せっかくナナが屋敷にいるというのに、カガリのほうが出張に出ていて、ナナが「つまらない」と言い出したのが始まりだった。

 夕食を一緒にとって、それからナナの部屋でスピーチ用の原稿の校正を手伝った。

 そこからなんとなく、戦争時の話になった。

 二人で、戦争の時のことを話すのは初めてだった。

 

「私、あの無人島で初めてアスランに会った時から、アスランのこと好きだったかも」

 

 決して楽しいばかりではない思い出話の中、ナナは唐突にそう言って、屈託なく笑った。

 

「“敵”なのに優しかったよね」

「戦闘中ではなかったし、だいたいお前は立つのもやっとの状態だっただろう」

 

 その顔をまともに見ることができず、アスランは言い訳のようにそう言った。

 

「まぁ、そうだけど……」

 

 ナナは机から離れ、アスランの向かい側のソファーに腰かけた。

 そこでアスランは、ナナが隣に座らなかったことを残念に思っている自分に気づく。

 そんな自分を誤魔化すように、すっかり冷めたコーヒーに口をつけた。

 

「あの島、どの辺りかわかる?」

 

 ナナは視線を少し上に彷徨わせた。

 

「ああ……だいたいはな」

 

 そう答えると、ナナは思いがけないことを言った。

 

「今度、二人であの島に行きたいね」

 

 出会いの島……。

 人など誰も住まない、小さな孤島。

 ナナはあの場所、あの時間に想いを馳せていた。

 そして、その証しを確かめようとでもするかのように、もう一度あの場所へ行きたいと言っている。

 二人が、運命的に出会った証しを。

 

「そうだな……」

 

 アスランも、そう願った。

 あの出会いを、思い起こさないことはない。

 

「そういえば……」

 

 アスランは、襟元から護り石を取り出した。

 碧く光る石を見て、ナナは懐かしそうな顔をする。

 

「どうしてあの時、オレにこれをくれたんだ?」

 

 出会って間もない自分に、“敵”であるはずの自分に、わざわざ自分がお守りにしていたようなものを与えた意味を、アスランは問う。

 思いがけず、ナナは不満げな顔をした。

 

「だから言ったでしょう? あの時はもう、あなたのことが好きだった」

 

 ナナのまっすぐな言葉は、アスランの心の鈍く動いていた部分を強烈に刺激した。

 

「前にも少し話したけど、それね、母方の家に代々伝わるお守りだったんだって。由来はよく知らないけど、何代も前のご先祖様が、旦那さまからもらったって。それを母まで受け継いできたの。本当は御嫁に行くときに受け継がれるらしいんだけどね。母が家を出て行くことになったから、その時に私がもらったの」

 

 ナナは笑いながら言った。

 母方の先祖から受け継がれたものであることは、以前に聞いていた。

 が、今夜のナナは、その先まで語った。

 

「うちの母はね、父が怖かったんだと思う。まぁあの頃は、戦闘用モビルスーツの開発者っていったら、オーブでは完全に危険人物になるからね。父をマッドサイエンティスト扱いするのは母だけじゃなかったけど。母は、父が私をテストパイロットにしたことで、私のことも怖がるようになったの」

 

 今は何とも思っていないのか、ナナは淡々と語る。

 

「父が家で私を褒めるたびにね、母は私を化け物でも見るような顔で見てた。母は私を守ってはくれなかった。研究のことしか頭にない父に何も言えず、父の言いなりになる娘にも何も言えず、苦しかったんだろうね。たぶん母は、ごくごく普通の家庭を望んでたんだと思う」

 

 アスランは自然と、石を握りしめた。

 つらつらと語られるナナの過去は、なぜだか容易に想像がついた。

 

「それでついにね、私が7歳くらいのときかな……。研究所から早めに帰ったら、ちょうど出て行く母にばったり会っちゃったの。すごいタイミングだったな。笑っちゃうよね。母は私が居ない間に出て行こうとしたみたいで、すっごく気まずそうな顔をしてた。しかもね、母を迎えに来てた男がいたの。全然知らない男! いつの間に浮気なんかしてたんだかって……父も浮気されても文句言えない立場だったんだけど」

 

 幼い子供にとって傷であるはずの過去を語っていても、ナナは少しも悲しそうではなかった。

 

「母は、一応すまなそうな顔をしたけど、私を連れて行くとはひとことも言わなかったし、迷ってもいなかった。早く逃げだしたくて焦ってたんだろうね。だから私も、一緒に行くとも言わなかったし、どこへ行くのかとも聞かなかった。もう、帰って来ることはないんだってわかってたし、母にとってその方がいいと思った。べつに、強がりじゃなくてね。でもそうやって私が悲しまないことこそ、母には辛いんだって思ったから、だから、石をちょうだいって言ったの。母との繋がりっていうか、母が受け継いできたものを繋ぐっていうか……そういう意志を示してあげたら、少しは母も負い目とか後悔を感じなくていいかなって」

 

 7つのナナが、背筋を伸ばして出て行く母を見送る姿が、脳裏に浮かんだ。

 

「それに、私は単純にその石が欲しかった。海みたいに深くて綺麗な色でしょう? 最後くらい、母から欲しいものをもらっといても、罰は当たんないかなって」

 

 最後に少しだけ、ナナは目を伏せた。

 本人が言うように、ナナは強がっているのではない。悲しんでもいない。

 母との別れは仕方がないこと……そう、割り切っている。

 が、アスランはそれでも、席を立ち、ナナの隣に座った。

 

「そんな大切なものを、オレにくれて良かったのか?」

「だから良いって言ったでしょう? 母方の家系に伝わるお守りなんだから。あの時は私、あなたに死んでほしくなかったの……!」

 

 アスランはナナの手をとった。

 その手にはまだ、火傷の痕が残っている。

 

「アスラン?」

「だが今の話だと、この石だけが母親との繋がりなんじゃないのか?」

 

 しごく真っ当な事を言ったつもりだったが、ナナは不思議そうな顔をした。

 

「ああ、違うの。なんていうか……」

 

 ナナは言葉を選んでから、にこりと笑ってこう言った。

 

 

「母っていうより……あの時は、あなたと繋がっていたかったから」

 

 

 反射的に、手に力がこもった。

 だがナナは、そんなことはおかまいなしに、アスランの首から下がる石に顔を近づける。

 

「良かった、ちゃんとアスランのこと守ってくれて。ご先祖様のご利益ってのも、あながちただの迷信じゃないんだね」

 

 唇は、すぐにナナの額に触れた。

 

「アスラン?」

 

 ナナは何度も目を瞬いた。

 が、アスランは戸惑うナナに説明するような言葉を探せなかった。

 

「ナナ……」

 

 己の声が、熱に浮かれていることには気づいていた。

 だが、止められなかった。

 

「お前のことは、オレが守る……」

 

 ナナが何か言おうとした。

 そう、たとえば……「それは前にも聞いた」とか。

 そうやって笑い飛ばされる前に、アスランはナナの唇を塞いだ。

 

「ア、 アスラン……?」

 

 硬直するナナの身体を、ゆっくりと抱きしめる。

 

「愛してる、ナナ……」

 

 あの孤島での出会いから抱いていた感情が、少しずつ膨らんで、今、弾けようとしていた。

 

「アスラン……」

 

 ナナは、意識的に身体から力を抜いた。

 そして、潤んだ瞳でアスランを見上げた。

 

「わ、わたしも……」

 

 細く声が零れた時、アスランもう一度ナナにキスをした。

 今度は、ナナの腕が痛いほどにしがみついてきた。

 

 その夜は、ほんの一時だけ通り雨が降った。

 それがまた、あの島のスコールみたいだと、二人して抱き合いながら笑った。

 

 雨が去って、月明かりが差し込んだ時、ナナはアスランの首から下がる石をつまんで言った。

 

「ねぇ、これ、今だけはずして」

 

 掠れた声でうったえるナナの真意はわからなかった。

 

「なぜだ?」

「だって……」

 

 ナナは今さら、顔を赤らめて答えた。

 

「今は……今は、石じゃなくて、私が……一番、アスランの近くにいるから……」

 

 胸の奥が痛んだ。

 刺すようにではなくて、強く掴まれたように。

 心地よくはなかったが、とても幸福だった。

 言われた通り首飾りをはずし、サイドテーブルに置く間も惜しんで、ナナに口づけた。

 ナナはあの、勝ち誇ったような無邪気な笑みを浮かべて、首に両腕を巻き付けてきた。

 

 日々、時間に追い立てられるように生きているのに、その夜だけは、二人の間にはとても満ち足りた時間が流れていた。

 

 

 



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追憶5「逸れていく」

 

「今はカガリに付いててほしいの」

 

 あの夜からしばらくして、ナナはそう言うようになった。

 アスランを、自身の護衛から外すようになったのだ。

 理由を何度も尋ねたし、異も唱えた。

 だがナナは、一貫してこう言った。

 

「今、カガリは難しい立場に立たされて、精神的にとても不安定になっている。私は出張でなかなか側に居られないから、アスランがあのコの側にいてあげてほしいの」

 

 今までカガリのことを一番に案じて来たナナの、もっともらしい願いだった。

 が、アスランは腑に落ちなかった。

 自分自身が、ナナの側を離れたくないのもあった。

 他国の人間と接する機会が多いナナのほうが、身の安全が脅かされる危険性が高いこともわかっていた。

 が、そんな理由じゃない何かが、アスランの中に渦巻いていた。

 確かに、近頃のカガリは、慣れない政務や首長、議員らとの関係に、神経をすり減らしている。何もかもが思い通りにいかないようで、朝食をともにするときでも、イライラしていて口数が少ない。

 彼女は努力家だから、夜も遅くまで資料とにらめっこをしている。彼女なりに誠心誠意、がむしゃらに向き合っているのに、報われない……。

 そんな状況を、ナナも、アスランも、良くわかっていた。

 

 ナナは時折、子供の頃二人でモルゲンレーテ社の研究所に忍び込んだ時の冒険譚を、懐かしそうにカガリと話す。それはきっと、二人にとって最も幸せな時間だったはずだ。

 が、カガリは疲れた顔で曖昧に返事をするだけであった。

 固い絆で結ばれたはずの姉妹の、どこかぎくしゃくした関係は、アスランの目にも明らかだった。

 ナナもよくため息を漏らすようになった。

 その原因が過密スケジュールに対する不満であったなら、ナナはアスランの前で愚痴をこぼす。

 そんな時、本当は全てが必要なことであるとナナ自身もわかっているから、ただ言いたいことをぶちまけて、次の日には涼しい顔でスケジュールをこなすのだ。

 また、首長や議会の連中や、他国の要人に対する不満であったなら、秘書官にさえ聞かせられないようなユニークな悪口を、アスランに披露する。

 だが、ため息の原因がカガリのこととなると、ナナは決して口を開かなかった。

 恐らく行政府の内部では、またあの“不穏な動き”が見られるのだろう。

 それはアスランの耳にまでは入って来ないが、カガリやナナは敏感に察知しているようだった。

 

 だからナナは、少しでもカガリの心痛を減らそうと、気心の知れた護衛をひとり、付けようとしているのだけなのだ。

 ナナの側にいて思い知ったのは、ナナは常にカガリのことを一番に考えるということだ。

 実の母親から手紙が来ても会おうとしないくせに、カガリのこととなると全てを優先させてきた。「たったひとりの家族」と公言するくらいに、年の違わぬ妹をとても大切にしている。

 アスランも、そんなナナの想いをよく理解していた。

 ナナと二人で、カガリのことを見守ろうと誓ったこともあった。

 が、それでも……ナナの意見に素直にうなずけない引っ掛かりがある。

 それが無ければ、心配ではあるがナナの護衛は警護部隊に任せて、ナナが安心するようにカガリの側に付いていようと割り切れるのだ。

 だが、何度考えてみても、やはり引っ掛かりは存在した。

 それはまるで、ナナが自分を避けているような……ただカガリとナナの問題ではない何かを感じていたからだった。

 

 理由はどうしてもわからなかった。 

 ナナがはっきりとそう言ったわけでも、そうした態度をとったわけでもない。

 ナナが言っていることはまともで、素直に受け取らないアスラン自身に問題があるようなものだった。

 が……あの夜に深め合った絆が、少しずつ薄れていくような……言い知れぬ不安を、アスランは感じていた。

 

『ナナは本当に、カガリさんのことが心配なだけですわ』

 

 自分ではどうしようもなくなって、キラとラクスに会いに行った。

 勝手に思いこんでいるだけかもしれないことでも、それが真実かもしれないと思うと、とてつもなく怖かった。

 こんなことを相談するのは照れくさかった。

 が、誰かに気のせいだと言ってほしかった。

 

『ナナはカガリのことになると、眼の色変えちゃうところがあるからね』

 

 苦笑して、流してほしかった。

 

『逆なんじゃないの? 逆に、君とナナとの絆が深まったから、ナナは君との関係に安心してるんじゃないのかな』

『そうですわね。心で繋がっていれば、たとえ離れていたとしても、不安にはなりませんもの』

 

 二人には“あの夜”のことを言ってなどいないのだが、二人は思わずくすぐったくなってしまうような視線を向けてきた。

 その時は、表情を誤魔化すのに必死になって、少しだけ不安が薄れた。

 ちょうどナナからラクスに、『最近の調子はどう?』というご機嫌うかがいのメッセージが来た。

 ナナは忙しいさ中でも、こうして二人のことを気遣っていた。

 ラクスはすぐに、自分が来ていることを伝えた。

 すると、すぐに返信があった。

 

『「私も行きたかった!」だそうですわ。あらあら、この顔は……アスランに怒ってるんですわね』

 

 ラクスはタブレットを見せてくれた。

 確かに、わざわざ太字でひと言書かれており、最後には怒った顔のスタンプがついていた。

 

『これって、アスランと一緒に行きたかったのに……! って意味だよね』

 

 キラが、彼らしくなくちゃかすように笑ったから、アスランも久しぶりに笑えた気がした。

 

 

 



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追憶6「おやすみ」

 

 それからしばらく、アスランは感情を押し込めて務めを果たした。

 時々ナナにメッセージを送ると、遅ればせながらもちゃんと返信があった。

 文面はいつものナナらしく簡潔だが、特にそっけない感じはなかった。

 

 互いのやるべきことを……。

 そう自分に言い聞かせ、アスランはカガリの側で日々を過ごした。

 古い慣習や物分かりの悪い政治家たちに憤慨するナナを宥めていたように、カガリにも同じことをした。

 カガリは少しずつ緊張をほぐし、勝気な笑みを取り戻していった。

 ナナの考えは正しかった。

 自分にも代表首長の役に立つことがあったのだ。そう思わずにはいられなかった。

 

 だが、その日だけは、どうしてもナナの公務に同行したかった。

 終戦記念日を過ぎ、各地で開かれていた平和を祝う式典もひと段落した頃、ナナはプラントから呼ばれていた。

 それはこれまでのような議員たちとの会談ではなく、ザフトの軍学校の訓練兵たちへ、これからの未来へ向けてのスピーチをと請われてのことだった。

 平和な未来を築く若い兵士たちに、言葉を……。

 戦争のない世界を目指しつつ、それでも軍籍に名を連ねようとする者たちへ、ナナの言葉は大きな意味があるように思えた。

 ザフトは変わりつつある。

 アスラン自身、そう思った。

 今は教官の誰も、「ナチュラルども」などと言う言葉を使わないのだろう。

 

 当然、ナナはプラントからの依頼を受諾した。

 

『戦うことを仕事にしようとしてるコたちに、戦争をしない未来にしましょうって言うのもなんかヘンな感じだけど、でも、私が思ってることを伝えればいいよね?』

 

 久しぶりに二人で話した時、ナナは明るい声でそう言った。

 ナナも、プラントやザフトが変わり始めたことを感じ、喜んでいるようだった。

 

『また5日ほど出て来るけど、あのコをお願いね、アスラン』

 

 いつものように、ナナに同行したい思いを、アスランは飲み込んだ。

 自分が何も言わずにうなずけば、ナナは安心して宇宙に飛び立つことができるのだ。

 それを良く知っていた。

 

 そして出発の前夜。

 薄い雲の隙間から見える小さな星粒を、なんとはなしに眺めていた時だった。

 部屋のインターホンが鳴った。

 ここはアスランが希望して、軍司令部内の官舎に与えられた部屋であり、軍人ではなくアスハ家の私設警護部隊に所属する彼を直接訪ねるような者は、今まで一度もなかった。

 が、驚くべきはそれだけではなかった。

 モニターに映っていたのは、すまし顔のナナだった。

 

「どうしたんだ?」

「急にごめん」

 

 ドアが開くなり、二人は同時に口を開いた。

 

「ナナ、出発は早朝だろう? 休まなくていいのか?」

 

 わざわざ訪ねて来てくれたというのに、疑問よりも心配が口をついて出た。

 

「ちょっと話したいことがあって」

 

 心臓が高鳴った。

 そのくらい、ナナから時間を作って話をすることは稀になっていた。

 平静を装いながらナナを部屋に入れ、ライトをつける。

 

「暗い部屋でなにしてたの? もしかしてもう寝てた?」

「いや、ちょっと星を……」

「星? 今夜は曇ってるよね?」

「雲が切れたところから、たまに少しだけ見えるんだ」

「そうなの?」

 

 ナナは以前と変わらぬ様子で、すたすたと窓辺に寄った。

 さっきまで自分がいたところで、同じように星を見上げようとするので、アスランはまたライトを消した。

 

「あ、ほんとだ……うっすら見えるね」

 

 なんとなく遠慮して、側に立つことは控えた。

 ナナはすぐに振り返り、こう言った。

 

「星なんて、久しぶりに眺めたかも」

 

 深い意味はなかったのだろうが、アスランにとってそれは、ナナが夜空を見上げる暇もないほど忙しいことを意味するものだった。

 

「ちゃんと寝てるのか?」

「もう……、アスランは心配ばっかり」

 

 つい出てしまった言葉に、ナナは苦笑した。

 

「アスランは?」

「オレは何も問題ない」

「そう? 代表首長の護衛も、けっこうハードでしょ?」

「まぁ、そうだが……」

 

 アスランは言葉を濁した。

 「ナナの激務に比べれば」と言いかけたが、それではナナが怒る気がしたのだ。

 

「カガリは……うまくやってる?」

 

 少し間を置いて、ナナは言った。

 それで、アスランはこの突然の訪問の訳を理解する。

 姉妹がこのところまともに顔を合わせていないことは、アスランが一番わかっている。

 二人のスケジュールがすれ違いっぱなしであるのに加え、二人はしばしば意見を衝突させることがあった。

 アスランからしてみれば、ナナの言っていることは九割がた正しい。

 が、合理的なものの考え方をするナナに対し、そう割り切れないカガリの心も理解できた。

 だが結局、ナナが一番大切なのはカガリだから、必ず後でカガリに優しく接する。

 カガリも賢いので、頭が冷えれば正しい決断を受け入れることができる。

 そうしてぶつかり合いながらも、二人は懸命に国や世界を背負って歩んで来た。

 今日も、ナナはカガリの様子を心配して、宇宙へ出発する数時間前というのに、ここまで足を運んで来た。

 

「カガリなら大丈夫だ。議員たちとも、うまく渡り合ってるよ」

 

 ただのボディーガードであるアスランには、カガリの仕事の内容までは伝わって来るはずがない。

 が、会議室から出て来るカガリは、戦場から戻った兵士のような顔をしていることが多い。

 ナナのようにしゃんと背筋を伸ばして、頬には微かに興奮の色を残していた。

 彼女はちゃんと戦って来たのだと、その顔を見ればわかる。

 若い娘だからといって、首長や議員たちにやり込められているはずはなかった。

 

「そう、よかった」

 

 たった一言で、ナナは安心したような顔をした。

 よほどカガリを案じていたのだろう。カガリ付きの秘書官たちからもそれとなく情報を得ているのだろうが、自分の言葉がより説得力があるようだった。

 

「キラとラクスは元気だった?」

 

 ナナは窓によりかかりながら、そう尋ねた。

 

「ああ」

「マルキオ様や子供たちも?」

「ああ、元気だった」

 

 ナナは「そっか」と小さくつぶやき、もう一度、窓越しに空を見上げた。

 

「ナナ、何か飲むか?」

「ううん、もう戻るから」

「そうか……明日は早いんだったな」

 

 ナナの意識がいったいどこにあるのか、アスランにはわからなかった。

 “カガリの心配”が8割くらいを占めているだろうが、あとは友人たちへの気遣いと、明日向かう宇宙でのこと。

 目の前の自分の姿は、本当にナナの視界に映っているのだろうか。

 そんな傲慢な疑問が浮かんでしまう。

 

「明日からの護衛チームは?」

 

 それをかき消すように問うと、ナナはゆっくりとドアに向かって歩きながら答えた。

 

「心配しないで、アスラン。もちろん、グラン隊長のチームに同行してもらうよ。それに、いいって言ったのに、軍部からもチームを送ってくれるらしいから」

「ナナは最近護衛の数を減らしすぎだ。もう少し用心した方がいい」

「だけど、だいぶほとぼりも冷めてきたでしょう? このぶんだと、しばらくすれば私はお役御免かもね」

 

 冗談なのか本気なのか、よくわからないことを笑いながら言って、ナナは扉のボタンに手を置きかけた。

 そして、引き留める言葉も出せずにただ見送るだけのアスランを振り返り、あの言葉を言った。

 

「あのコをお願いね、アスラン」

 

 もう平然とうなずくことには慣れていたはずなのに、ナナの視線があまりにまっすぐで、すぐに返事ができなかった。

 

 

「あのコを護って」

 

 

 引き寄せられるように、ナナの前に立った。

 

「お願い……」

 

 もう一度ナナが言った時、アスランはナナに触れようとした。

 が、とても近くにいるというのに、何故か遠く感じて……動きかけた手は止まってしまった。

 

「わかった、約束する」

 

 やっとのことで、そう告げる。

 心に嘘はなかった。

 だが、かすかな迷いはあった。

 

「ナナも……気を付けろよ」

 

 それを心配の言葉で濁した。

 心配はしていても、迷いは見せてはいけないと心得ていた。

 

「私は大丈夫! 悪運は強いほうだし」

 

 ナナは笑い飛ばすように言って、とうとう扉を開いた。

 今さら、二人を廊下の明かりが照らし出した。

 

「それじゃあ、おやすみ」

「ああ……」

 

 明かりのある方へ、ナナは一歩遠ざかる。

 

「ナナ!」

 

 身体は動かなかったが、声は出た。

 様々な言葉が巡る脳内から、最後にひとつだけ取り出した。

 

「戻ったら、少し二人で話さないか?」

 

 ナナは身体を半分だけこちらに向け、口を開きかけた。

 何かを言おうとして、一瞬の間を置いた。

 

「うん、そうだね」

 

 そうして返された言葉は、アスランの望みを肯定するものであるのに、何故だか悲しげに聞こえた。

 

「ナナ?」

「ごめん、アスラン」

 

 ナナは不思議なことを言った。

 「ごめん」などとナナが言う必要性が見当たらなかった。

 いや、仮に、自分と話す時間が持てないことを「ごめん」と言っているのなら、それは大きな誤りだ。

 たとえそうだったとしても、ナナが謝る必要性など皆無であった。

 

「あの約束は、ちゃんと覚えてるから」

 

 ナナは二人の間に流れた奇妙な空気を和ぐように、ほほ笑みながらそう言った。

 

「二人であの島に行こうねって話」

 

 あの夜にした大切な約束を、ナナは覚えていた。

 そしてそれを、今、口に出して言った。

 

「ああ」

 

 アスランは深くうなずいた。

 ナナは視線を遠くへやった。

 何を見つめているのかはわからなかった。ただ今は、その瞳に、自分は映っていなかった。

 

「いつか、行こうね……」

 

 「いつか」がとてつもなく遠い未来に聞こえた。

 あの島が、とんでもなく遠い場所に思えた。

 

「必ず行こう」

 

 ふと、あの時に戻りたくなった。

 今よりもずっと、お互いにとって辛い時期だったはずなのに。

 それでも……あの時のほうが、この手でナナを守れる気がしていた。

 

「おやすみ」

 

 ナナは廊下を歩き出した。

 アスランの手が届くところから、離れて行ってしまった。

 

「おやすみ、ナナ」

 

 情けない声は、まっすぐ伸ばされた細い背に届くことなく、床に落ちた。

 

 

 そして、これがナナと交わした最期の言葉となった。

 

 

 



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追憶7「映画みたいな台詞」

 それを聞いたのは、公務を終えたカガリの話し相手をしている時だった。

 

 

 ナナが、プラントの軍事施設を訪問中、施設内の爆破事故により……、死亡。

 

 

 その瞬間から、アスランの思考はひどく愚鈍なものになった。

 

 カガリのように「嘘だ」「信じない」と、いつまでも叫んでいられればよかった。

 が、プラント側から正式にオーブ政府へ連絡が入り、モニターに映し出されたカナーバ臨時議長本人の深刻な表情を目にすると、それはもう疑いようのない事実なのだと……思わざるを得なかった。

 両政府から正式な発表もないまま、先行した報道が地球上を駆け巡った。

 全てのチャンネルはその事件を報じ、プラント側のマスメディアは独自に入手した炎上する軍事施設を捉えた映像を流した。

 どの番組も、こう叫んでいた。

 

 

 これは、平和の大使、ナナ・リラ・アスハを狙った暗殺事件だ……と。

 

 

 そうして、プラント、地球、どちらの人間がそれを成したのか。どちらの人間がより、ナナの存在を煙たがっていたのか。

 そう議論を展開していた。

 オーブの行政府にも、国内外の記者たちが大勢詰めかけた。

 国民までもが、真実を求めてデモ隊のように集まった。

 行政府内はむろん、ハチの巣を突いたような騒ぎだった。

 マスコミや民衆に言うべきことは、なにひとつまとまらなかった。

 第一、その時点ではまだ、ナナを失った事実を受け入れた者は誰一人としていなかったのだ。

 

 アスランはその光景を、呆けたように見ていた。

 血走った目をして走り回る秘書官たち。焦り、嘆く首長たち。右往左往と戸惑う議員たち。

 そしてカガリは、アスランにしがみついていた。

 それは悲しみというより、怒りの涙だった。

 だがアスランは、彼女との距離をとても遠く感じていた。

 すぐに、両の腕で抱きしめてやれるのに、それができなかった。

 ただただ突っ立って、慌ただしい人々と、いくつものモニターの光を見つめていた。

 

 脳に霧がかかったようで、何も考えられなかった。

 カガリにすら、ただのひとことも発することができなかった。

 悲しみじゃない。絶望でもない。怒りもない。

 きっと、周囲には落ち着いているように見えただろう。

 が、ただ意味がわからないだけだった。

 ナナがいないことの意味が、わからなかったのだ。

 

 やがて、再びカナーバ臨時議長から、詳しい状況の説明があった。

 聞きたくもないそれは、皮肉にも、鈍感な思考に淀みなく染み渡った。

 

 

 

 ナナは、予定通りにザフトの軍学校で訓練兵たちの前で講演した後、近隣の軍事施設を訪問した。

 軍事的な施設の内部を他国の人間であるナナに披露することは、プラント側の誠意であり、平和と共存を強調するために組まれた計画だった。

 だが、そこであってはならない事件が起きた。

 厳重に管理されているはずの弾薬庫が、爆発したのだという。

 爆発は、ナナの一行の全てを巻き込んだ。

 犠牲になったのは、ナナに随行した秘書官や警護部隊だけでなかった。

 案内役の施設長も、その他十数名のザフト軍兵士や軍学校の生徒たちも、同行していた数名の議員も、そして施設で業務を行っていた者たちも、大勢が命を失った……。

 映像も届いた。

 施設があったと思われる場所は、戦場跡のようだった。建物は黒く焼けただれ、地面は瓦礫に覆われて、煙が舞っていた。

 その場にいて、生きていられるはずがないことは、誰の目にも明らかだった。

 

 

 

 それでもなお、信じる者は少なかった。

 これはプラントの陰謀だ、ザフトが仕組んだ偽りの映像だと……事実を受け入れない者。

 そして、もしも事実だとしたら事故などではなく暗殺だ。ナナを暗殺するために事故に見せかけたのだ……と、禁断の言葉を口にする者。

 

 が、その場が一瞬にして静まり返る時が来た。

 ナナを護衛する任を負っていたオーブ軍の人間が、報告してきたのだ。

 彼らはナナのプラント滞在中、シャトルでナナを待っていた。訪問先や宿舎には同行しない待機部隊であった。

 一番初めにオーブ本国へ事件の知らせを送ったのは、彼らだったようだ。

 第一報を入れた後、彼らは事実を確認しに現地へ飛んでいった。

 訪問先の軍学校と施設の場所は知っていたし、停泊中の港からそう遠くはなかった。

 だからこそ、異様な黒煙が立ち昇る光景をすぐに目にすることになった。

 彼らは悲嘆にくれた顔でこう告げた。

 その地はまるで、爆弾を投下された跡のように、全てが崩壊して燃やし尽されていた……と。

 わずかに生き延びた者は病院に搬送されたが、その中にナナの名は無かった。

 随行した者たちもろとも、跡形もなく消え去ってしまった。

 そう、宣言した。

 

 現実を知らされ、アスランの頭に白く靄がかかった。

 身内の彼らの報告に、偽りがあるとは思えなかった。

 「嘘だ」「お前たちの勘違いだ」「もっとちゃんとナナを探せ」と、カガリはモニターに向かって叫んでいた。

 が、アスランの視界には、その姿すら入らなくなっていった。

 

 

 

 それからどのくらいの時間が過ぎたのか、気がつけば、アスハの私邸の一室にいた。

 いつの間にか、側にはキラがいた。

 

「アスラン、アスラン」

 

 何度も自分を呼ぶ声に、まぬけなくらい鈍い反応を返す。

 

「ああ、キラ……」

「アスラン、しっかり……!」

「来てたのか……」

「とりあえず、これ飲んで」

 

 キラが水の入ったグラスを差し出した。

 受け取ろうとしたのだが、うまく持てる自信がなくて止めた。

 

「カガリは……?」

 

 今さら出てきた彼女を気遣う言葉も、虚しく空間に漂った。

 

「カガリにはラクスがついてる。もうすぐこっちに戻って来るらしいよ」

「そうか……」

 

 最後に見たカガリの顔は、確か、泣きながら怒っていた。

 それがついさきほどのことなのか、ずいぶんと前のことなのか、よくわからなかった。

 

「ねぇ、アスラン。とにかく水を飲んで」

 

 キラが再び、グラスを差し出した。

 

「あ、ああ……」

 

 今度は素直にグラスを受け取った。

 冷たくもなく、ぬるくもない水が、喉を通っていく。

 その感覚は、いつもより不快だった。

 

「キラ」

 

 それを振り払うかのように、キラに言った。

 

「聞いたか……?」

 

 だがその問いは、とても間抜けなものだった。

 聞いたからキラはここに来た。

 ラクスと二人で、駆けつけてくれたのではないか……。

 そう、冷静なもうひとりの自分が嘲った。

 

「うん……」

「そうか……」

「ほ……ほんとう……なんだね……」

 

 キラはキラで、つぶやきとも問いかけともいえるような曖昧な言い方をした。

 それに対し、何も応えたくはなかった。

 キラも、それ以上何かいうつもりはないようだった。

 しばし、重い沈黙が流れた。

 それでも、無意味な疑問や安っぽい慰めを口にされるより、ずっとよかった。

 

 やがて、部屋の扉が開いた。

 入って来たのは、ラクスとカガリだった。

 

「キラ……!」

 

 カガリはすぐさまキラに駆け寄り、泣いた。

 そして、アスランの側へ来て、泣きながらこう言った。

 

「アスラン、私っ……私はどうすれば……!」

 

 そう問われて、アスランの脳内はまた混乱した。

 どうすればよいのかというよりも、ナナがいないのに、何故なにかをしなければならないのかという疑問が先だった。

 だから、彼女を慰める言葉がひとつも思い浮かばなかった。

 

「カガリ、君も座って。少し休もう」

「さぁ、カガリさん。こちらへ」

 

 キラとラクスが、カガリを抱き起して向こうのソファへ連れて行く。

 アスランはただ、その光景をぼうっと眺めていた。

 ひどく客観的に見えた。

 失ったものの大きさを思い知らされ、開いた穴の大きさに恐れおののく者の姿を見るのは……。

 カガリが倒れ込むように腰を下ろしたとたん、再び扉が開いた。

 今度はノックの後、遠慮がちに……。

 

「カガリ様……」

 

 嗚咽をこらえて立っていたのは、侍女のマーナだった。

 彼女は顔の皺を普段よりも濃くして、歯を食いしばっていた。

 

「マーナ……!」

 

 カガリはマーナに抱きついて泣いた。

 マーナもまた、娘をひとり失くした母のように泣いていた。

 が、彼女はここへ来た目的を、涙ながらに告げた。

 

「これを……お預かりしておりました……」

 

 いくぶん、決意を込めたような目で、彼女はエプロンのポケットから小さな何かを取り出した。

 

「これは……」

 

 カガリの手のひらに乗るほどのそれがいったい何なのか、アスランには全く興味がなかった。

 視線を窓の外に移しかけた。

 だが……次のマーナの言葉で、首は勢いよく二人の方へ向けられた。

 

「ナナ様が……これを……」

 

 室内の誰もが息を呑んだ。

 もちろん、アスラン自身も。

 

「ナナが!?」

「はい……」

 

 マーナは一度、涙をぬぐい、怒ったように言った。

 

「自分にもしものことがあった時のためにと……ナナ様はわたくしにお言葉を遺されておりました」

 

 カガリは口を開いたまま、手の中のそれと、マーナの顔を交互に見ていた。

 

「ナナ様は……」

 

 エプロンの裾を思い切り握りしめながら、マーナは告げた。

 

「自分にもしものことがあった時は、ここに記録した映像を、親しい皆で見て欲しいと」

「映像……?」

「はい……。そしてカガリ様がお言葉を添えて、これを全国民に向けて発信して欲しいと……」

「発信……? 全国民に?」

「はい……必ず、公表して欲しいと……うう……」

 

 言い終えて、マーナは両手で顔を覆った。

 カガリははっとしたように、後ろを振り返った。

 キラとラクス、そしてアスランを見る。

 が、アスランの頭はまだ愚鈍であった。

 いったいマーナが何を伝えたかったのか、よく理解ができなかった。

 

「アスラン……」

 

 困ったような、恐れたような顔で、カガリが何かを求めている。

 動けないアスランの代わりに、キラとラクスが答えた。

 

「カガリ、見てみよう」

「きっとそれには……、ナナが何か大切なことを残していると思います」

 

 二人とも落ち着いてはいたが、声がかすれていた。

 

「あ、ああ……そうだな……」

 

 カガリはまたアスランをちらりと見て、壁のモニターへ歩み寄った。

 横のスロットルに、手にしたそれをセットする。

 いっそう空気が張り詰めた。

 真黒な画面が数秒……その後に、執務室の椅子に腰かけるナナの姿が映った。

 

「ナナ……!」

 

 いつも公務の時に身につける服を着て、少し浅く椅子に腰かけ、机に両腕を乗せている。

 その手は、軽く握られていた。

 見慣れた姿のはずだった。

 飾りがついたその服も、堂々としたその姿も、見慣れた姿のはずだった。

 が、ひどく懐かしさがこみ上げた。

 同時に、アスランの心はようやく揺れ始めた。

 

≪みなさん、私はナナ・リラ・アスハです。みなさんがこの映像を見ているということは、残念ながら私はもうこの世にはいないでしょう≫

 

 ナナは普段通り、勝気な表情で語り始める。

 

≪……って、こんな映画みたいな台詞を、私なんかが使うことになるとは思っていませんでしたけど≫

 

 時々冗談を交えるのも、いつもどおりのナナだった。

 

≪でも……どうしても言っておかなければならないことがあるので、こうしてメッセージを残させてもらいます。どうかみなさん。私の言葉を少しだけ、聞いてください≫

 

 ナナは真剣な目をして、だが口元には余裕を称えた笑みを浮かべて、まず、きっぱりとこう言った。

 

 

≪私は、『事故』で死にました≫

 

「え?!」

 

 

 キラかカガリかラクスか、それともアスラン自身か……誰かが声を上げた。

 

≪私が死んだのは、『事故』です≫

 

 二度、そう言って、ナナは笑った。

 

≪ただの、不幸な『事故』なんです≫

 

 その顔を見て、アスランにはナナがどんなメッセージを遺そうとしていたのか悟った。

 鈍かったはずの脳みそが、何故かこのときばかりは俊敏に働いた。

 

≪不幸……というのは、少しおかしいかもしれません。これは私のさだめなのです≫

 

「さだめ……?」

 

 また、誰かがつぶやいた。

 

≪御存じの通り、私は先の戦争で、たくさんの人を傷つけ、たくさんの人に嘘をつき、そして……たくさんの人を撃ちました。それは変えられない事実で、償うべき罪だと思います。ですからこの死は、当然の報いなのです。私自身が背負った業が、己の身を滅ぼしたのです。だから、みなさん……≫

 

 アスランには、ナナが次にいう言葉がわかっていた。

 

≪誰も、悪くはありません≫

 

 ナナは、わかるものにしかわからない、少しの威圧を込めて言った。

 

≪私の死は、誰のせいでもなく……私自身のさだめ。つまりは……不幸な『事故』だったんです≫

 

 まるで壇上から民衆を見回すように、ナナはたっぷりと間を置いた。

 

≪みなさんのなかに、もし、私の死を嘆いてくれるかたがいるのなら、少しでも悲しんでくださるのなら……、私の死に憤りを感じてくれるのかもしれません。けれど……それは当てる的もないのに、弓を引くようなことです。ああ、少し表現が古臭かったかもしれませんね。他に例えるなら……撃つべき相手もいないのに、銃を構えるようなもの……です≫

 

 ラクスがわずかに声を漏らして、キラにもたれかかった。

 彼女にも、ナナの言いたいことの全てがわかったのだ。

 

≪私の死を悲しんでくれるかた……、こんな私を想ってくださって、ありがとう。ですが、どうか……私を憐れまないでください。私に、後悔は全くないのです。しいて言えば、アスハ代表のお手伝いを、途中で降りることになってしまったこと。それだけは悔いが残りますが、自分自身のことについては、本当に後悔はありません≫

 

 アスランの心には、もやもやとした黒い渦が生まれ始めた。

 

≪私は聡明で優しい義父と妹に恵まれ、美しく強いこの国で生きることができました。友人もできました。大切な人たちと巡り合えて、本当に幸せな生涯でした。自分なりに、考えて、行動して、やるべきことを全うできた人生だったと思います≫

 

 その渦を“知っていた”くせに、モニターの中でナナは綺麗に笑う。

 

≪道半ばで……とおっしゃるかたもいるとは思いますが、あまり責めないでくださいね。私は、自分にでき得ることは、常に全力で取り組み、やり遂げて来たつもりです。だって、思い出してください。今は『世界連合特別平和大使』なんて職をいただいていますけど、私はもともと、まともに学校も通っていない『不良娘』なんですよ。あ、この『不良娘』っていうのは、いい意味でも悪い意味でも、よく大人から言われていた言葉なんです。とにかくもともとモビルスーツを動かすことだけしか能がない私が、たまたま終戦時に最前線にいたことと、ありがたくもアスハ家の養子であったことで、これまで短い間でしたが色々な活動をしてこられたのです。力不足ではあったけれど、私なりに、精一杯やりました。やらせていただきました≫

 

 ナナの表情に、嘘は見えない。

 一片の曇りも無い、清々しい顔をしている。

 だからこそ……心の渦は濃さと勢いを増していた。

 

≪でも、少しだけ……≫

 

 ここでナナは、その表情を変えた。

 わずかに影を帯びた瞳は、一度伏せられ……また、まっすぐにこちらを向く。

 

≪思い残すというより、『願い』があります≫

 

 目が合ったような気がして、アスランは息を止めた。

 

≪どうか、この先……平和な未来が訪れますように≫

 

 ナナは影を薙ぎ払い、強い光を瞳に浮かべ、静かな口調で言った。

 

≪私たちはまだ、大きな傷を抱えたままです。そして、深い憎しみも……。でも、そればかりでは、平和な明日は来ません。そのことは、痛みを抱えているからこそ、わかることだと思います≫

 

 徐々に圧を増すナナの声は、まっすぐに胸に響く。

 

≪全ての人が願うのは、平和な未来のはずです。私はそう、信じています。恨み、憎しみ、疑念はすぐには取り払うことは難しいでしょう。未だ後悔と絶望に身を沈めている人もいるはずです。でも、全ての人に道は続きます。どんなに絶望しても、立ち止まることがあったとしても、人は歩き続けなければならないのです。暗い道の先は、闇でなく、明るい光でなければなりません。今は辛く、苦しくとも、光を信じて歩き続けるのが人だと、私は思います。そしてまた、光を目指すからこそ、辛く苦しい道なのだとも思います≫

 

 ナナは少し息をついて、柔く笑った。

 

 

≪どうかみなさん、願う未来へ、進んでください≫

 

 

 その言葉は、アスランに対して直接語りかけられているようだった。

 

≪私たちはたくさんの痛みを抱えました。でも、その果ての、平和な未来へ……。必ず、そこへ続く道を進んでください。私は見届けることはできないけれど、それだけを願い、また、信じています≫

 

(ナナ……)

 

 応えるように、心で名をつぶやいた。

 

≪これを、私の最期の言葉とします。今まで、私の声を聞いてくださって、ありがとうございました≫

 

 ナナは軽く頭を下げて笑った。

 その笑みは本当に美しくて、思わずはっとした。

 その瞬間、ナナが何かに引きずり込まれたかのように、画面は真っ暗になった。

 

 映像が終わり、誰かがそのことに気づくまで、少し時間がかかった。

 アスランは額を手で強く押さえた。

 頭の中が熱かった。

 ナナの死さえ受け入れられないのに、ナナの最期の言葉など受け止められるはずがなかった。

 それなのに、ナナが残した言葉……いや、意志はよくわかってしまう。

 

 

「こ、こんなの流せるかっ……!」

 

 

 最初に口を開いたのはカガリだった。

 

「こんなっ、こんなの……!」

「カガリ……」

 

 キラは彼女の肩に手をやる。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔をキラに向け、カガリは叫んだ。

 

「だって、こんなのっ……! ナナはただの『事故』として済ませろって言ってるんだろ?! そんなことはできない! ナナはプラントに殺された!! いや、地球軍かもしれない! じゃないと、あんな不自然な爆発事故なんかに遭うはずがない!!」

 

 本当は、茫然自失の状態から抜け出した時、最初にアスランが言うはずだったことを、カガリは全て口に出してくれた。

 きっと、誰もがそう思っている。

 現時点で、誰がナナの死を把握しているのかは、アスランにはわからなかった。

 だが少なくとも、カナーバ議長の言葉を聞いていた政府関係者たちは、カガリと同じことを思っているはずだった。

 が、アスラン自身はずっと口をつぐんでいた。

 

「カガリ……」

「カガリさん……」

 

 カガリを慰める、キラとラクスでさえ……その『疑念』を抱えているはずなのだ。

 

「許せって言うのか? 見過ごせるわけないだろう?! 徹底的に原因を追究して、犯人を暴いて……それで……!」

「それで、犯人側には報復を?」

 

 カガリの勢いを削いだのは、キラだった。

 

「キラ……」

「もしプラントが仕組んだ事故だってわかったら、オーブはプラントに報復するの?」

 

 カガリは息苦しそうに、少し後ずさった。

 

「報復したら、それで解決する? そうじゃないでしょ? また戦争になるよね?」

「いや……それは……」

 

 言っているキラ自身も、苦しげな顔をしている。

 だが、今、言わねばならないのだ。

 アスランができないことを、キラはしてくれている。

 だからラクスも、そっとカガリの肩を抱くだけで、何も言わない。

 

「ナナが恐れていたのはそれだよ、カガリ。君だってわかってるでしょ? だからこそこんなビデオを撮っておいて、先に君に見て欲しいって、政治関係者じゃないマーナさんに託してたんだ。そうまでしてナナは、自分が原因でまた争いが起きることを避けたかったんだ」

「わかる……わかってる……けど……!」

 

 どうにもならないカガリの憤りもまた、アスランには理解できた。

 カガリが激しく滾らせたその感情は、ナナを深く想うがゆえなのだ。

 

「カガリ、ナナの意志を無駄にしていいの?」

「それはっ……!」

 

 カガリは目をぎゅうとつむり、拳を握りしめた。

 彼女の葛藤は、何も間違ってなどいない。

 たとえ、彼女が国の代表だったとしても……だ。

 

「だが、これではあまりにも……!!」

 

 そう……あまりにも無念だ。

 そしてそれは、国民の総意だ。

 ナナを支持する者が多い、いや、国民のほとんどがナナを慕っていたことは、アスランも知っていた。

 もともとこの国の人々は、ウズミ前代表というカリスマ的存在を慕って生きてきた。

 よその国の人間でも、それは知っている。

 ウズミが死んで深い喪失感を味わった国民は、ナナという新たな存在に救われていた。

 そして世界も……。

 よちよち歩きを始めたばかりの“平和”に寄り添って、見守って、導いて、育ててくれるのは……、この世界でナナなのだと思っている者も少なくない。

 だからこそ、世界はナナに『世界連合特別平和大使』という肩書まで差し出した。

 そこには自分たちにはできないことを押し付ける意味もあったろうが、確かな希望もあったはずだ。

 オーブも世界も拠り所を失って、「ただの事故」という言葉を受け入れられるはずもない。

 あの、ナナ本人のメッセージがなかったとしたら……。

 

「カガリ……」

「うるさいっ……!!」

 

 カガリはキラの手を振り払った。

 頭を抱え、髪をかきむしる。

 

「それでも、私はっ……!」

 

 言葉にならない憤りは、はっきりと目に見えた。

 その姿はまるで、アスラン自身の想いを体現しているようだった。

 だから……。

 

「アスラン……お、お前は……どう思う?」

 

 涙をいっぱいに溜めた目で見つめられ、そう問われた時、やけに冷静になった。

 意識せずとも出て来た声は、冷めていた。

 

 

「ナナの意志を……尊重しよう……」

 

 

 己の中で、決心がついたわけでもなんでもなかった。

 そんなふうに、綺麗に心を整頓できるほど、出来た人間でないと自覚していた。

 が、ナナがそうだったように……最善の答えを見すえてそう言った。

 

「たとえ……」

 

 声がかすれたが、かまわず言った。

 カガリも、キラも、ラクスも見ず、ただ宙を見つめながら。

 

「……ナナが誰かに『殺された』のだとしても……」

「アスラン?!」

 

 カガリが悲鳴のよう叫んだ。

 それがとても哀れで……心はいっそう渇きを増した。

 

「オレは……ナナが進もうとした道を壊すことはできない。その道を歩くのを止めれば、ナナの存在さえも消えてしまう気がする……」

 

 この言葉がカガリには響くだろうと、客観的に考えてそう言った。

 自嘲する余裕はなかった。

 が、どっぷりと喪失感に埋め尽くされた心では、そうするしかなかった。

 

「だが……!」

 

 カガリは何度も激しく首を振った。

 聞き分けようとしない彼女の葛藤はよくわかっている。むしろ、ナナのために怒る彼女がうらやましい。

 だが、その情愛をねじ伏せてでも、ナナの意志を選びたい。

 それはもう、決まっていた。

 

 長い沈黙の後、カガリが口を開きかけた。

 その時だった。

 再び、部屋のドアが叩かれた。

 誰も応えるものがないまま、静かにドアは開かれた。

 そこにはまた、マーナが立っていた。

 

「ご、ご覧になりましたか……?」

 

 ひどく躊躇いながら、彼女はしわがれた声で言った。

 

「……ええ。確かに、ナナからのメッセ―ジを受け取りましたわ」

 

 カガリはとても返答できるような状態でなかったため、ラクスが気丈に答えた。

 マーナはそうですか、とひとつため息をつき、手にしていたものを差し出した。

 

「では……こちらを……」

 

 細長い箱が三つ、彼女の両手に収まっていた。

 が、彼女はこの部屋の空気に圧されているのか、戸口から一歩も動こうとはしなかった。

 

「なんですの?」

 

 ラクスがそれを受け取りに動く。

 アスランの目も、それを追っていた。

 嫌な予感がした。

 と……マーナは涙声で言った。

 

「皆様に……宛てた……ナナ様の……遺書でございます……」

 

 「遺書」の単語が、乾いた胸に突き刺さった。

 

「遺書……」

 

 さすがのラクスも、身体を硬直させていた。

 

「カガリ様、アレックス様……それから、キラ様とラクス様ご両名宛てに……お預かりしておりました」

 

 マーナはよろめきながら、ラクスにそれを差し出す。

 

「え、映像を見た後……これを読んで欲いと……」

 

 ラクスはそれを、戸惑いながら受け取った。

 マーナはこらえきれなくなったのか、逃げるように去って行った。

 

「カガリさん……」

 

 震える声で、ラクスがそのうちのひとつをカガリに手渡した。

 そして。

 

「アスラン……」

 

 アスランの前に、その小さな細い箱が差し出される。

 これはまるで、最後通告書のようだ。

 受け取れば、これはナナの『遺書』であると認めてしまう。

 今さらながらそう思ったが、受け取らないわけにはいかなかった。

 

 紫紺の箱は、手のひらから少しはみ出すくらいの大きさで、軽く握れるほどの細さだった。

 丁寧に、えんじ色のリボンが結ばれている。

 できるだけゆっくりと、それをはずした。

 もちろん、手は情けなく震えている。読みたくなどない。

 が、ナナの言葉を知りたい。

 いや……読まずともわかっている……。

 複雑な思いを抱えながら、アスランは箱のふたを開けた。

 中には、くるくると丸められた紙が二枚重なって、綺麗に収まっていた。

 上質なその紙には、見慣れたナナの文字が連なっている。

 感情を押し込めるようにして、それを読んだ。

 

 



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追憶8「道しるべ」

 

 アスラン。本当にごめんなさい。

 側にいてと、願っておきながら、先に居なくなることを、どうか許してください。

 

 あなたと過ごした時間は、とてもとても幸せでした。

 振り返れば短かった気もするけど、それでも、一瞬一瞬が大切だった気がします。

 たとえ苦しかった時のことでも、あなたが側にいてくれた事実のおかげで、今へと繋がる大切な『想い出』になりました。

 

 あなたはいつも優しかった。

 私はそれに対する応えが下手くそだったけど、心からあなたに感謝をし、あなたを大切に想っていました。

 うまく伝えられなくてごめんね。

 でも、本当のことです。

 できることなら、ずっと、ずっと、一緒にいたかった。

 もっとあなたのことを知りたかったし、私の話も聞いて欲しかった。

 おじいちゃんとおばあちゃんになるまで、争いの無い平和な世界で生きてみたかった。

 

 だけど、私は先に逝きます。

 あなたと離れることはとても悲しいけれど、映像の中の私が言った通り、進んで来た道に後悔はしていません。

 あなたやカガリ、キラ、ラクス、マリューさん……大切なみんなと歩こうとした道も、間違っていなかったと思っています。

 私なりによくやったと、あなたは褒めてくれるでしょうか?

 もしそうなら、それはあなたのおかげです。

 あなたが側に居なければ、私はここまで迷わずに進んでは来られなかった。

 振り返るといつもあなたが、穏やかな顔で私を見つめてくれていたからこそ、まっすぐに歩いてこられたのだと思います。

 この道が、途中で途切れてしまうのはとても残念だけど、私は精一杯足を動かして、ここまで辿り着きました。

 

 ここから先は、あなたたちを見送ることにします。

 私が願った未来へ進む、あなたたちの背中を、ずっと見送り続けます。

 だからどうか、痛みを超えて、憎しみを乗り越えて、先へと進んでください。

 私が行きたかった場所へ、私の魂を連れて行ってください。

 

 それと、カガリのことをくれぐれもよろしくお願いします。

 あの子はまだ純粋なだけに、とても傷つきやすい子です。

 それでもあの子の真っ直ぐさや強さは、オーブにとって必要なものだと確信しています。

 だから、アスラン。あの子を護ってください。

 これは、あなたにしか頼めないことです。

 カガリの側に居て、支えてあげてください。

 どうか、お願いします。

 

 最後にもう一度、「ごめん」と「ありがとう」を……。

 

 あの島に行く約束を、守れなくてごめんね。

 それと、私にこんな気持ちをくれてありがとう。

 

 いつか、あなたが心から笑える日がきますように。

 

 

 さようなら。

 

 ナナ

 

 

―――――――――――――――

 

 

 なんだ……これは。

 

 読み終えて、込み上げたのは涙と怒りだった。

 初めて涙が目に浮かび、はっきりと感情が動いた。

 

 こんなもの、いつ書き残した?

 どんな思いで、すらすらと流れる文字を書き記した?

 どうしてこんなにも、清廉な言葉が連ねられた?

 どうして自分だけ、心の整理がついていたんだ?

 

 ナナの両肩をつかんで、問いただしたい気分だった。

 

 こんなのはずるい。ずるすぎる……。

 

 紙をぐしゃぐしゃにしようという衝動を抑え込んでいたら、涙が落ちてナナの文字を滲ませた。

 歪んだ言葉。

 全てがぼやける。

 

 が、今なお怒りをぶちまけられないのは、このたった二枚の紙に、ナナの愛情が込められていることが伝わって来てしまうからだった。

 自分に対する愛。

 カガリに対する愛。

 国や仲間たちに対する愛。

 くどくどと書かれているわけではないのがまた、ナナらしい。

 こざっぱりとまとめられていて、それでも強い想いを言葉の中に秘めている。

 まぎれもなく、これはナナがありったけの想いを込めて書いた文章なのだ。

 綺麗に整頓された心で、それでも溢れそうな想いを静かに、文字にしたためたのだ。

 よくわかる。

 ナナを深く想えばこそ、それはよくわかってしまった。

 

 だから、大きく息を吐き出した。

 腹の底から溢れそうな憤りを、体内から排出するように。

 何度かそれを、繰り返した。

 それでも心は震えていた。

 納得などしていなかった。

 が……やるべきことはすでに決まっていた。

 歩くべき道は、ナナが作った道でしかなかったのだから。

 

 袖で涙を拭い、長いこと椅子に沈めていた腰を浮かせた。

 膝から力が抜けそうになるのをこらえ、敢えて目を見開いた。

 すすり泣く音だけがする部屋を横切って、カガリの側に立った。

 

「カガリ……」

 

 震える声を誤魔化すように、彼女の肩に手を置いた。

 

「アスラン……」

 

 哀れにも、彼女は己を支えていた憤りさえナナの遺書に吸い取られたかのように、弱々しく突っ立っていた。

 ナナが彼女にどんな言葉を送ったのかは知らない。

 が、きっと愛情たっぷりの、“姉”としての言葉なのだろう。

 

「ナナの意志を、受け継ごう」

 

 それを感じながら、そう言った。

 己自身の意志で。

 

「アスラン……」

 

 カガリは、同じく二枚の紙を胸に抱えながら、諦めたようにうなずいた。

 そして、アスランの胸に顔をうずめ、声を殺して泣いた。

 不意に、涙は止まった。

 今度はしっかりとした動作で、カガリを抱きしめてやれた。

 

「アスラン……」

 

 涙声のキラが側に来て、肩に手を置いた。

 ラクスもキラの腕にしがみつきながら、強い眼差しをくれていた。

 

 ナナ……。

 

 心の中で、つぶやいた。

 

 わかった。

 約束する。

 

 ナナの居ない未来を進む道しるべは、ナナとの約束だけだと、そう思った。

 

 

 



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新たな約束

 あの嘆きの日のことをたっぷりと思い出したころには、もう日が暮れかけていた。

 浜のほうから、波音に交じって子供たちの笑い声がかすかに聞こえる。

 キラはずっと、何も言わずに隣にいてくれた。

 アスランは深く呼吸した。

 深部に隠した痛みと向き合ったことで、不思議と足元がクリアになった。

 

「キラ……」

 

 踏みしめる物は、揺るぎないというわけではない。

 足を進めようとする方向が、正解であるという確信もない。

 が……。

 

「オレはプラントに行って来る」

 

 今この時に、自分にできること、やるべきことが見えた気がしていた。

 

「アスラン……」

 

 キラは微かに息を呑んだ。

 が、すぐに穏やかな表情になる。彼には、もがく自分の姿が良く見えているようだった。

 

「カガリの側にいて護って欲しいと……それがナナの願いだった。最期の……」

 

 気持ちを整理するようにゆっくりとつぶやく自分に、キラは小さくうなずく。

 

「だが、同じ約束を果たすのだったら、もっと他にオレにできることがあると思うんだ」

 

 決しておごりではない。

 こんな自分に、情勢を変えるほどの影響力も、見極めるほどの眼力もないことは、百も承知だった。

 

「デュランダル議長と話して、オレが……、オレでも何か手伝えることがあるなら……。アスラン・ザラとしてでも、アレックスとしてでも」

 

 が、自分だからこそでき得ることが、ひとつでもあるのではないかと、思ってしまった。

 

「このままプラントと地球がいがみ合うようなことになってしまったら、オレたちはいった今まで何をしてきたのか、それすらわからなくなってしまう。ナナが……ナナが命を懸けて築こうとした道が、全部無くなってしまう……」

 

 今は、ひとつだけ誇れるものがあったから。

 

「目の前の、できること、やるべきことを、自分の頭で考えて……最善の答えのために動く……」

 

 そんな人を、知っている。

 

「それを……ナナに教わったからな……」

 

 大きく息を吸い込んだ。潮の香が、体中に染み渡る。

 清々しくも、少し悲しい……そんな気持ちに落ち着いた。

 

「そうだね……アスラン……」

 

 キラは静かに同意してくれた。

 「もう渦中に飛び込むのはよせ」とか、「ナナの願いを叶えるなら、カガリの側にいてやれ」とか……そういった言葉も出て来そうな状況だが、キラは何も言わなかった。

 きっとキラも、「ナナならばそうする」と……知っているからだろう。

 

「カガリのことを、頼む」

「うん、大丈夫。僕たちに任せて」

「ああ……」

 

 二人で握手をする代わりに、しっかりと視線を交わした。

 

 

 

 

 翌朝、アスランはカガリにそれを伝えた。

 カガリは大いに戸惑い、不安がっていた。が、「ナナならば」という言葉をアスランが言わずとも、やはり悟ったようだった。

 

「私は大丈夫だ! だから、お前も気を付けろよ!」

 

 カガリは気丈にそう言った。

 その目には、不安の影を隠しもせずに。

 

「お前までいなくなるなんて、絶対に嫌だからな……!」

 

 そして、少し怒った顔で。

 

「ああ、わかってる……」

 

 

『あの子を護って……アスラン』

 

 また、ナナの声が聞こえた。

 

「カガリ……。オレたちは、離れていても心は繋がっている」

 

 その波紋に重ねるように言う。

 

「お前のことは、必ずオレが護る……」

 

 アスランは誠心誠意そう伝えた。

 ナナとの約束だから……、とは言わなかった。

 言う必要はない。その約束はカガリの重荷になるはずだから。

 それに、約束は二人のものだった。

 

「必ず帰って来いよ!」

「ああ、必ず“ここ”へ戻る……」

 

 そう、新たな約束をして別れた。

 ナナが産まれたこの国に。ナナが愛したカガリの側に……。

 必ず“ここ”に戻って来よう。そして必ず約束を果たそうと、固い決意を握りしめて。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがてアスランが機上の人となった頃、世界の風向きは大きく傾くこととなった。

 大西洋連邦、並びにユーラシアをはじめとする連合国がプラントに対し、“要求”が受け入れられない場合は、プラントを地球人類に対する極めて悪質な敵性国家とし、武力をもって排除することも辞さないとの共同声明を出したのだった。

 

 

 



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ニセモノ

 

 プラントと地球の間に、かろうじて繋がれていた糸。

 ナナが懸命に、太く、長くしようとしたそれを、誰かが切ってしまいそうな緊張感。

 プラントへ向かう途中も、アスランはそれを肌で感じていた。

 それでも、心は落ち着いているつもりだった。やるべきことをみつけ、それを信じ、行動した。

 自ら一歩踏み出す選択をしたことで、少しは平静な気持ちで前を向いたと思えていた。

 

 プラントに到着し、デュランダル議長との面会を果たすべく、評議会へ赴いた。

 いくら待たされても、整然としたままでいられた。

 そこで、「ラクス」に出会うまでは……。

 

 ここにラクスがいるはずはなかった。彼女は今、キラとともにオーブにいる。

 が、出会った「ラクス」は、どこからどう見ても、「ラクス」だった。

 仕草や口調はまるで違った。「ラクス」は本物のラクスよりも快活で、仕草は優雅さに欠けている。

 第一、ラクスは今も昔も、自分を見つけて全速力で駆け寄って来たり、何の前触れもなく抱きついたりなどしなかった。

 だが、姿かたちと声は、アスランの良く知るラクスそのもので……。

 平静を保っていた心は、激しく動揺した。

 

 一度波が立った心は、なかなか穏やかにはならなかった。

 彼女と別れても、疑問があぶくのように発生して収まらなかった。

 そんな思いのまま、ようやくデュランダル議長との面会を果たす。

 だがそこでまた、アスランの心は大きく揺さぶられた。

 議長から聞かされたのだ。地球軍がプラントへ向けて、核攻撃を行ったと……。

 にわかには信じられなかった。確かに、オーブを出た頃にはいっそう緊張が高まっていたという認識はあった。

 が……いきなりの核攻撃とは、あまりに想像を超えた暴挙に思えた。

 議長室のモニターには、真実を告げるニュースが映された。見覚えのある核の光が無数に咲く宇宙の光景も……。

 

「問題はこれからだ……」

 

 目の前に座る議長は、落ち着いていた。

 それはまだ、アスランにとっては救いだった。

 

「それで……プラントは……?」

 

 懸命に心を落ち着け、そう問う。

 

「この攻撃……宣戦布告を受けて、プラントは今後どうしていくおつもりなのでしょうか……」

 

 それは、当初議長に対して投げかけようとしていた問いよりもずっと重いものになっていた。

 

「我々が報復で応じれば、世界はまた泥沼の戦争となりかねない。むろん私だって、そんなことにはしたくない」

 

 アスランの脳裏には、文字通り「泥沼の戦争」が思い出される。

 

「だが、事態を隠しておけるはずもない。知れば市民は皆、怒りに燃えて叫ぶだろう。『地球を許せない』、『ナチュラルに報復を』と。そうやって今また先の大戦のように進もうとする針を、どうすれば止められるというんだね?」

 

 ずきずきと痛む頭に、何故か自然と、次に議長が言う言葉が思い浮かんだ。

 

「この世界にはもう、ナナ姫はいないのだから」

 

 自身の予測と一言一句違わぬ言葉に、奥歯をぐっと噛みしめた。

 ナナと親しいはずもない人と、果てしない喪失感を共有していることは、悲しい事実だった。

 

「しかし……」

 

 が、だからこそ……アスランは進まねばならなかった。

 

「それでも……、怒りと憎しみだけで、ただ撃ち合ってしまったら駄目なんです!!」

 

 この喪失感を埋めるものは何もない。

 だからせめて、心の中で生き続ける彼女に自分の言葉を重ねて……少しでも覆うしかないのだ。

 

「これで撃ち合ってしまったら、世界はまた、あんな得るもののない戦いに呑み込まれていってしまう……! どうか、それだけは……!」

「アレックス君……」

 

 吐き出した“自身”の言葉に迷いはなかった。

 だから、議長の呼びかけを否定する。

 

「オレは……オレは、アスラン・ザラです!」

 

 アレックスの“盾”は捨てた。

 ナナがくれたその“盾”を、ナナを想って捨てたのだ。

 

「二年前、どうしようもないほど戦争を拡大させ、愚かとしか言いようのない憎悪を世界中にまき散らした、あの……パトリックの息子です……!」

 

 ナナから受け取った父の指輪は、引き出しの奥にしまいこんだまま、懐かしむようなことはまだ一度もない。

 未だ父を少しも許すことはできないし、理解もできない。

 ナナが望んでくれたようにはなっていない。

 

「父の言葉を正しいと信じ、戦場で“敵”の命を奪い、友と殺し合い、間違いと気づいても何ひとつ止められず、全てを失って……。なのに、父の言葉がまたこんなっ……!」

 

 だからこそ、そんな父の元で、示された道を盲目的に歩んでいた過去の自分の愚かさに憤る。

 そして、それがナナに許されてきたのだという実感も、今は空虚でしかなく、やり場のない怒りを沸き立たせるだけだった。

 アスランは、想いのままに叫んでいた。

 

「もう絶対に繰り返してはいけないんだ! あんなことはっ……!!」

「アスラン!」

 

 議長に呼ばれ、我に返る。

 知らずと膝の上で握りしめていた拳が、少し震えていた。

 虚しかった。

 想いのままに叫んだ言葉さえも、ただナナの声に重ねていただけのような気がした。

 だが議長は、冷静に語った。

 

 ユニウスセブンのテロリストが言った言葉を、気に病む必要はない……と。ザラ議長ももともとは、プラントを護り、よりよい世界を作ろうとしていたのだろう……と。

 

「想いがあっても、結果として間違ってしまう人はたくさんいる。またその発せられた言葉が、それを聞く人にそのまま届くとは限らない。受け取る側もまた、自分なりに勝手に受け取るものだからね。想いを常に正しく体現し、そのまま言葉にして人々に伝えることができたのは、私の知る限りナナ姫しかいない」

 

 議長がナナに対してそこまで尊敬の念を抱いていたというのは意外だった。

 だがそれ以上に、父を……あのザラ議長やテロリストたちのことを、こんなふうに言う者がいたことはもっと意外だった。

 それも、現プラントのトップである最高評議会議長が、である。

 

「ユニウスセブンの犯人たちは、行き場のない自分たちの思い正当化するために、ザラ議長の言葉を都合よく利用しただけだ。『自分たちは間違っていない。ザラ議長もそう言っていたから』とね」

 

 彼はさらにこう言った。

 

「だから、君までそんなものに振り回されてはいけない。彼らは彼ら。ザラ議長はザラ議長。そして、君は君だ」

 

 議長の言葉は、不思議と心を震わせた。

 ナナの言葉を聞いた時のように、胸が熱くなるわけではない。

 ラクスの言葉を聞いた時のように、心が穏やかになるわけでもない。

 

「今こうして、再び起ころうとしている戦禍を止めたいと、ここに来てくれたのが君だ」

 

 が、議長の言葉には彼女たちのように清廉な心が込められているという気がした。

 

「アスラン。こうして君が来てくれたということは、嬉しいことだよ」

 

 議長は少し笑った。

 

「ひとりひとりのそういう気持ちが、必ずや世界を救う」

 

 まるで……。

 

「夢想家と思われるかもしれないが、私はそう信じているよ」

 

 まるで、ナナの言葉のようだ……。

 そう思えてしまったから、アスランは曖昧にうなずくしかなかった。

 その時だった。

 

 

≪みなさん……≫

 

 

 モニターが映す映像が、急に切り替わったのが、光の加減でわかった。

 はっとして振り向くと、そこには「ラクス」がほほ笑んでいた。

 そして部屋には、聞き慣れた声が響く。

 

≪わたくしは、ラクス・クラインです≫

 

 “彼女”はラクスの顔で、ラクスの声で、ラクスのように市民に語りかけている。

 

≪怒りに駆られたまま思いを叫べば、それは新たなる戦いを呼ぶものとなります。最高評議会は最悪の事態を避けるべく、今も懸命な努力を続けています。ですからどうかみなさん、常に平和を愛し、今またより良き道を模索しようとしている皆さんの代表……、最高評議会とデュランダル議長を信じて、今は落ち着いてください≫

 

 最後の文言が無ければ、まるで……本物のラクスとさえ思えてくる。

 

「笑ってくれてかまわんよ」

 

 ラクスの演説が終わると同時に、デュランダル議長は自嘲するように言った。

 今さらながら、先ほど出逢った「ラクス」のことを思い出す。

 

「我ながらこざかしい手段だと情けなくもなるが……。だが、仕方ない。彼女の力は大きいのだ。私のなどより遥かにね」

 

 そして議長は、少し躊躇いがちにこう言った。

 

「馬鹿な事をと思うだろう……。だが今、私には彼女の力が必要なのだよ。手を取り合って共に平和のために立つべき“友”であるはずだった、ナナ姫を失った今はね」

 

 その言葉で、アスランは理解した。議長が「ラクス」を作り上げた理由を……。

 わかってしまったから、疑問も否定の声も上がれずにいた。

 すると議長は、まっすぐにアスランの目を見て言った。

 

「また、君の力も必要としているのと同じにね」

「私の……?」

 

 とっさに聞き返した。

 ラクス、「ラクス」、ナナ……。

 議長が必要とする名と同列に、自分が挙げられたことは理解できなかった。

 

「一緒に来てくれるかね」

 

 議長はそう言うと、扉へ向かって歩き出した。

 アスランは戸惑いながら、その背を追った。

 部屋を出る前に、つけっぱなしのモニターを振り返った。

 「ラクス」は海の見える丘で、美しい声で歌っていた。

 

 

 

 

 何の説明もなく、軍の基地へと連れられた。

 途中からは敢えて聞かずともわかってしまった。

 議長が向かっているのは、開発中、あるいは試運転中の機体を治めておくためのドックだ。

 イージスやジャスティスを受け取る時に来たことがあるからわかる。あの時と、建物の造りはまったく同じだった。

 議長は淡々とした仕草で、とある機体の前へとアスランを案内した。

 装甲が作動していない、眠ったままのグレイのモビルスーツ。

 

「Z-GMF、X-23S、セイバーだ」

 

 それを見上げて、議長は機体について説明した。

 

「性能は異なるが、例のカオス、ガイア、アビス、とほぼ同時期に開発された機体だよ」

 

 そして続けざまに、想いもよらぬ言葉が投げかけられる。

 

「この機体を君に託したい……と言ったら、君はどうするね?」

 

 そう問われる予感はあった。

 でなければ、わざわざこんなところまで自ら案内したりはしないだろう。

 が、その意図は読めなかった。

 

「私に、ザフトに戻れとおっしゃりたいのですか?」

 

 にわかに芽生えた警戒感。

 その本能に従い、アスランは低く問い返す。

 

「そういうことではないな……。ただ言葉のとおりだよ。これを君に託したい」

 

 議長はアスランに向き直った。

 

「手続き上はそういう立場になるのかもしれないが、今回のことに対する私の思いは、先ほどの“私のラクス・クライン”が言っていたとおりだ。だが、様々な人間や組織の思惑が複雑に絡み合う中では、願いどおりに事を運ぶのも容易ではない」

 

 また、ナナの言葉を聞いているような不思議な感覚に陥った。

 

「だから願いを同じくする人に、共に立ち上がってもらいたいのだ」

 

 アスランは敢えて顔を上げ、議長の目を見た。

 

「できることなら戦争は避けたい。だがだからといって、武器もとらずに一方的に滅ぼされるわけにもいかない」

 

 胸につかえるものがあった。

 オーブもまた、そんな葛藤を繰り返していたことを、アスランは知っている。

 争いに加わらない中立国という立場でありながら、モルゲンレーテはモビルスーツや戦艦、武器の開発を続け、その技術の水準は常に世界トップクラスを誇っている。

 自国を護るためとはいえ、強大な力を持ち続けている。それが、世界にとって脅威となることを知っていて……。

 ヘリオポリスでは国民に秘匿したまま、新型のモビルスーツを開発していた。

 ザフトだった自分たちクルーゼ隊がそこを攻撃し……、そうしてオーブは火の粉をかぶり、世界中で戦禍が広がった。

 

 だがこの矛盾に、ナナは意外にも頭を悩ますことはなかった。

 彼女も言ったのだ。「力が無ければ護れない」と、はっきり言っていた。

 決して、自分自身がその力を成長させるための“道具”であったからとか……そんな特殊事情による考えではなかった。

 まして、戦争でオーブが受けた脅威を取り除こうというためでもなかった。

 ナナは両の眼で、現実を深淵まで見つめていた。

 だから知っていた。

 争いの無い、真の平和への道のりが、まだ遠いことを。

 人はまた、きっと過ちを繰り返すはずだと。

 そしてそれでも、人は願う未来へ向かって進まなければならないのだ……と。

 早急に軍縮を進めることを訴えるカガリとは、その点では真っ向から対立していた。

 ただナナは、カガリの曇りのない理想を否定することもなく、まるで彼女の影になるようにして、新たな力を蓄えていた……。

 

「そんな時のために、君にも力のある存在でいて欲しいのだよ」

 

 ナナは……ほんとうは自分にそう言いたかったのではないだろうか。

 デュランダル議長に言われ、そう思った。

 

「先の戦争を体験し、父上のことで悩み苦しんだ君なら、どんな状況になっても道を誤ることはないだろう」

 

 アスランはとうとううつむいた。

 そんな大それたことを言われても、否定する気概はなかった。

 

「我らが過った道を行こうとしたら、君もそれを正してくれ。だが、残念ながら今はそうするにも力が必要だろう」

 

 「残念ながら」……。

 その言葉が、重く心にのしかかり、もう一度、「セイバー」を見上げる。

 それは不思議と、まっすぐにこちらを見下ろしているように思えた。

 

「急な話だから、すぐに心を決めてくれとは言わんよ」

 

 アスランはまた、顔を背けた。

 そう言われて初めて、きっぱりとこの場で拒絶できない自分に気づいてしまったのだ。

 

「だが、君にできること、君が望むこと。それは君自身が一番良く知っているはずだ」

 

 議長は慈悲深い笑みを残し、その場を去って行った。

 その後姿を見送るうち、急に疲れを感じた。

 並々ならぬ覚悟でカガリと離れ、プラントへやってきたつもりだった。

 だが……その覚悟すら無かったことにするかのように、予想に反することが起きすぎた。

 アスランは再びセイバーを見上げた。

 まだじっと、それはこちらを見つめていた。

 

 

 



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「駄目だ! そんなことは絶対に!」

 

 カガリは行政府の閣議室で、ひとり声を荒げていた。

 居並ぶ首長たちは皆、大西洋連邦との同盟締結を主張している。

 だが、カガリにとってそれはあり得ないことだった。

 プラントへの一方的な宣戦布告、さらには核攻撃まで……。そんな横暴な国との同盟など、考えられるはずもなかった。

 あの信じがたい光景を、皆も見たはずだった。

まばゆいいくつもの光が真っ暗な宇宙を明るく照らし、一見美しいようなあの光景。そこには在ってはならない核が在り、散ってはいけない命があった。

 だが、首長たちにはもう、迷いはなかった。

 それが愚かなことだと、何故わからない?

 間違っていることに、何故気づかない?

 カガリはドンと机をたたいて立ち上がった。

 が、その想いが伝わることはなかった。

 末席のユウナ・ロマ・セイランが静かに立ち上がり、カガリの想いを「子供じみた主張」と吐き捨てた。

 彼はゆっくりと冷たい言葉で問いかける。 

 

「では代表、オーブとしてはどうするおつもりなのですか?」

 

 カガリは喉につかえるモノを感じながらも、叫ぶように言った。

 

「オーブは……オーブは、ずっとそうであったように、中立、独自の道を……!」

 

 だがそれも、閣僚のひとりタツキ・マシマの皮肉に満ちた声に遮られる。

 

「そしてまたこの国を焼くのですか? ウズミ様のように」

 

 カグヤの海を覆う戦火。燃える地。そして……シンの目。

 脳裏にそれが浮かび上がった。

 

「そんなことは言っていない!!」

 

 それを振り払うように、机を叩きながら思い切り叫んだ。

 だが誰もこの怒りと葛藤を共有してはくれなかった。

 

「しかしこの状況……。下手をすれば再びあんなことにもなりかねませんぞ」

 

 真向いの席に居るウナト・エマ・セイランが、立ち上がりながら言った。

 平和と国の安全を望む気持ちは自分たちも同じだと。だからこそ、同盟を結ぶべきなのだと。

 そうたしなめるように言いながら、カガリの元へ歩み寄る。

 

「何故、同盟で済めばよいとお考えになれませぬ?」

 

 それが合理的な考えだと、頭の片隅ではわかっていた。

 合理的思考と臨機応変な対応……、それはまさにナナが体現していたことだった。

 そして眼鏡越しにこちらを見下ろすウナトが、「ナナ様ならきっとそうするはずだ」と目で訴えていることも。

 いや、もうずっと前から……ナナがここに居る時から、彼らは皆こんな目をしていた。

 

『何故、ナナ様が代表に立たれないのですか?』

『カガリ様では心もとない……。やはりナナ様が代表でなければ……』

『実質的にはナナ様が実権を握ると、そういう体では進められないのか?』

 

 そんな声を、ナナ自身やアスランに励まされながら振り払って生きてきた。

 本気で代表首長の座をナナに譲ろうと考えたこともあった。

 だが、ナナは頑なにそれを拒否して「自分は向いていない」などと笑い飛ばすし、父の遺志だと主張し続けていた。ナナが自らの口で、首長たちにはきっぱりと断っていたのも知っている。

 が……それもこれも虚しいだけだった。

 皆が求めている新たなリーダーは、自分ではなくナナだった。それはナナが居なくなった今でも、変わらないように思えた。

 

「意地を張って敵を作り、大国を敵に回す方がどれだけ危険か、おわかりにならぬわけではないでしょう」

「だが……!」

 

 だが……違う。自分の想いはそうじゃない……。

それをちゃんと言葉にできなかった。

 この憤りを、ナナならば想いをたっぷり込め、整った言葉にして伝えることができる。だから皆はナナの主張をすんなり受け入れていた。

 自分はこんなとき、何をどんなふうに言えばいいのかわからなくなってしまう。

 ナナのようには振る舞えない。

 そうしたいと思っても、いつまでたってもあんなふうにはできなかった。

 

「我々が二度としてはならぬこと、それはこの国を再び焼くことです」

 

 ナナのように在れない自分が悔しい。

 ウナトの言葉が正しいとわかっていながら、自分の想いを伝えて納得してもらうこと。

 それは何よりも難しい。

 

「伝統や正義、正論よりも、どうか今の国民の命をお考えください」

 

 ウナトの言葉をナナの言葉のように感じてしまっている自分が、とてつもなくちっぽけな存在に思えて虚しかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 アスランはプラントの共同墓地を訪れていた。

 デュランダル議長の計らいもあり、護衛監視つきではあったが外出の許可が下りたのだ。

 全く意外なことに、護衛監視役はイザークとディアッカ……かつての仲間であった。

 イザークは再会を果たしたその瞬間から、苛立ちを露わにしていた。

 この緊迫した情勢の中、わざわざ前線から呼び戻されて、受けた任務がいち民間人の護衛監視……。

 彼が怒るのも無理はないが、それもデュランダル議長の配慮なのだろうとアスランは思った。

 

 ミゲル、ラスティ、そしてニコル……共に戦った友たちの墓に花を添えた。

 無数の墓石が並ぶ丘には爽やかな風が吹き、世界の情勢とは裏腹に、とてものどかな光景に見えた。

 ニコルの墓石に向かって敬礼をしたとき、遠くでゆっくりと鐘が鳴り始めた。

 そこでアスランは、イザークとディアッカの口から生々しい言葉を聞く。

 プラントが、積極的自衛権の行使に踏み切ること。自分たちも核攻撃の第一波を迎撃したこと。地球軍は間違いなく、本気でプラントを壊滅させようとしていたのを感じたこと。

 その現実に、失望も絶望も実感できないうちに、

 

「で、貴様は?」

 

 不意にイザークが問う。

 

「こんなところで何をやっている! オーブはどう動くんだ?」

 

 彼の問いに答えることはできなかった。

 

「まだ、わからない……」

 

 つぶやきながら、情けなくうつむくしかなかった。

 視界の先にあるニコルの墓石が、こちらを困った目で見ている気がした。

 

 

「……ついて来い!」

 

 少しの沈黙が流れた後、イザークは乱暴にそう言った。

 振り向くと彼は、すでに丘を登り始めている。

 その背を追う前にディアッカをうかがったが、彼は小さく笑いながら肩をすくめるだけだった。

 

 だが今回も、途中で行き先がわかった。

 イザークが連れて行こうとしているのは、『イーリス』だった。

 そこに行きたいと言った覚えはなかった。

 むしろまだ、行きたくはなかったのだ。

 が、それを主張してもイザークは聞き入れなかった。ディアッカも、イザークに従うだけ。

 結局、アスランは悲しみの地……イーリスを訪れることになってしまった。

 そこは青々とした草原になっていた。

 ところどころに花壇が置かれ、美しい花々が風に揺れている。その中心に、高い塔が建っていた。

 重い足を引きずるように、どんどん先を行くイザークの後を追う。

 今さら、拒否する気力もなかった。

 

「ここへ来たことはあるんだろうな?」

 

 イザークは不機嫌そうに問う。

 だがそれは、ある意味自分を気遣ってくれているのだと、アスランは気づいていた。

 

「ああ……あるよ」

 

 この地……軍事施設の爆発事故があったこの土地は、慰霊のための公園となった。

 虹を表す『イーリス』という名がつけられた塔が完成した式典に、ここで命を落としたナナの親族……カガリは呼ばれた。

 アスランは同行したが、むろん式典に参列することは憚られた。

 だからその日の真夜中に、ひとりでこっそりとここを訪れたのだ。

 純白の石で造られた党には、ひときわ大きい文字でこう刻まれていた。

 

『平和の架け橋 ナナ・リラ・アスハ 安らかにここに眠る』

 

 薄闇の中、ぼんやりと見えたその文字は酷く滑稽に思えた。

 今もまた、夕日に赤く染まったその文字を見ても、同じように滑稽に思う。

 ナナはここに眠ってなどいない。

 こんなところで眠るはずじゃなかった。

 当然、様々な想いが押し寄せる。

 この文字は、その想いの全てに対して的外れであった。

 

「“あいつ”は今のお前に、何というだろうな」

 

 「あいつ」という親しげな単語は、アークエンジェルで共に行動していたディアッカのものではなかった。

 

「ここでちゃんと考えたらどうなんだ?」

 

 そう言いながら鋭い目でこちらを睨むのは、イザークだった。

 

「ああ……そうか」

 

 少し考えて、合点がいった。

 

「ナナと……終戦後に会ったんだったな」

「ああ、そうだ!」

 

 イザークは視線を逸らし、少しばつが悪そうに言った。

 

「自分の処遇も全くわからん状況で、クーデターで再編された議会に呼び出されて何かと思えば、待っていたのは“あいつ”だった! 少し前まで敵同士だったってのに、“あいつ”はまるでずっと昔からの馴染みだったかのように馴れ馴れしく話しかけて来た。そんな暇はあるはずもないとオレにもわかっていたくらいなのに、“あいつ”は……ただオレに『礼を言いたかった』と……それだけのためにわざわざ時間を割いてプラント側に面会を申し入れたんだ」

「ああ……お前に助けてもらった礼が言えてよかったと……ナナも言っていたよ」

 

 だんだんと勢いを失くすイザークの声につられて、アスランもため息のように声を漏らす。

 ぼんやりと、あの時の少しはにかんだナナが思い浮かんでいた。

 

「普通そんなことのためにいちいち面会時間をとるか? 情勢はまだ混乱していて、その渦中で国と国との調停役を申し出たヤツがだぞ? オレはその場で言ったんだ。何故そんなことのためにオレなんかを呼び出したのかと。だが……あいつはそれを無視して、お前やディアッカのことは任せてくれだとか、心配しないで欲しいだとか、それから……オレのことを生きていてよかっただとか、一方的にしゃべっていた。あまつさえ……投獄されたオレの母親の心配までして……」

 

 そこまで詳しいことを、ナナは話していなかった。

 が、イザークは一息に全てを話しきった。

 

「オレは最初、オーブが調停役を申し出たと聞いて無謀だと思った。しかもあいつが全て背負って立つと主張しているのを見て、これほど混乱した状況でそんなことできるはずはないと思っていた。だが実際にあいつと会って、話して、オレはあいつの意志ってやつを見届ける気になった。たとえば途中であいつの心が折れたとしても、こんな時にオレなんかを気にかけてくれたせめてもの礼として、最後まで見届けてやろうってな。だが……あいつはひとつずつ行動で示していった。オレの目で客観的に見ても、オーブは救われ、地球軍とプラント間も完全に停戦状態に行きついた。それに、お前ら脱走兵扱いだったやつらや、クライン派の連中の命ももれなく救いやがった。あいつの言ったことはただの理想じゃなかった。それを叶える意志と行動力が、あいつにはあった」

 

 イザークは再びアスランの目を睨んで言った。

 

「お前はそれを、一番良くわかってるはずじゃなかったのか?」

 

 ああそうだ……と、力なくうなずいた。

 イザークの向こうに傾く日が、とても眩しかった。

 

「今この世界に……あいつがいたなら、プラントと地球はこんな状況になってはいなかった。オーブもな……」

 

 ため息のように、だが確信しきったように、イザークが言う。

 

「そう口にするヤツは、ザフトの中にも多いんだぜ……」

 

 今まで口をつぐんでいたディアッカまで。

 アスランは再び、白い石に刻まれた文字を見た。

 「ナナ」の名前が、夕日に煌めいている。

 沈黙は、二人の友の優しさか……。

 静かな風が、幾度か流れた。

 そして。

 

「戻って来い、アスラン」

 

 わずかに熱を帯びた声で、イザークが言った。

 

「事情は色々あるだろうが、オレがなんとかしてやる。だから……プラントへ戻って来い」

 

 彼を見た。が、視線は合わなかった。

 そっぽを向いたまま、イザークは低い声で続ける。

 

「オレだって、ディアッカだって、本当ならとっくに死んだはずの身だ。だが、デュランダル議長はこう言った」

 

 そして、議長の言葉を告げた。

 

『大人たちの都合で始めた戦争に若者を送って死なせ、そこでの過ちを罪として彼らを処分してしまったら、いったい誰がプラントの明日を担うというのか。つらい経験をした彼らにこそ平和な未来を築いてもらいたい。オーブの姫が訴えるように、彼らが造る道こそが願う未来へ続いていると、自分もそう思う』

 

 と。

 

「だからオレは今も軍服を着ている。それしかできることはないが、それでも何かできると思っている。プラントや、死んでいった仲間たちのために」

「イザーク……」

 

 大人びた彼の口調は、ゆるりとアスランの心に響いた。

 

「だからお前も何か行動しろ!」

 

 その、突き刺すような言葉さえも。

 

「お前の力とあいつから受けた意志……。それを無駄にする気か?」

 

 まだ、答えは見つからなかった。友の言葉を聞いてもまだ、混とんとした迷いの中に身を置いていた。

 問いかけたイザークも、この場でそれを求めては来なかった。

 また沈黙が続いた。

 清廉な風を感じながら、三人で……しばし、石に刻まれた名を眺めていた。

 

 

 

 

 翌朝、ほとんど眠らぬまま起き上がり、外を眺めた。

 朝焼けに染まる町並みは、平和そのもので……。とても新たな争いの波に呑み込まれようとしているとは思えなかった。

 が、確実にその時は迫っていた。

 

『今この世界に……あいつがいたなら、プラントと地球はこんな状況になってはいなかった。オーブもな……』

 

 昨日のイザークの言葉が、また脳内で繰り返された。

 

『たったひとりの人間がいないだけで、こうも情勢が変わるとはね』

 

 帰りの車の中で、ディアッカがぼそりとつぶやいた言葉も。

 あれほどクセの強かった二人が、こうも影響を受けるとは……。

 少し笑えた。久しぶりに笑った気がした。

 アスランはもそもそと服の下から石を取り出し、目の前にかざした。

 プラントの偽物の日光の中で、石は偽りのない美しさで輝いている。

 

「ナナ……」

 

 敢えて口に出して、語りかけた。

 

「君が初めにそうしたように……オレも力を取るよ」

 

 ヘリオポリスで、自らの意志でグレイスに乗ったというナナ。

 あの時に一瞬で決意した彼女の強さを、今さらながらにかみしめる。

 

「破壊じゃなく……君が願った未来を、()()ために……」

 

 理想と現実がそぐわなくとも。

 カガリの側に居て欲しいというナナの願いを叶えられなくても。

 たとえこの選択が間違っていたとしても……。

 ナナのように前に進むことしか、こんな自分にはできなかった。

 

 

 

 数時間後、身支度を整えたアスランは、一本の電話を入れた。

 

「デュランダル議長にアポイントを……」

 

 もう、迷いはなかった。

 

 

 

 



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フェイス

 

 真新しいモビルスーツに乗り込んで、扱い慣れた操縦桿を握った。

 コックピットの構造や操縦システムは、ジャスティスのそれとほぼ同等。若干の変更点やオプションは、すぐに問題なく扱える程度だった。

 

「アスラン・ザラ。セイバー、発進する……!」

 

 飛び出した先の宇宙も、相変わらず暗かった。

 全てが知っている世界だった。久しぶり……だとも思わない。これが自分にとっての現実なのだという感覚があった。

 まるでオーブで暮らした日々が、夢であったかのように……。

 だが、以前と違うものがある。

 それは自分の“立場”と“目的”だった。

 ザフトの戦艦からアークエンジェルへ、己の意思で乗る艦を変えたのとは違う。

 今は、己の意思であることには変わらないが、“戦う”ことが目的ではなかった。

 戦いを“止める”こと。

 それが、この力を手にした目的である。

 そして立場もまた特殊であった。

 もうオーブの民間人などとは言っていられないが、ザフトの一般的な兵士であるともいえない。

決意を伝えた時、『フェイス』という特別な立場をデュランダル議長に与えてもらっていた。

 『フェイス』とは、上官の命令に関わらず“己の意志”で行動することを許された者。プラント最高権力者によって、明確にその権限を与えられた者だ。

 

 

『君は己の信念や信義に忠誠を誓ってくれればいいよ。いたずらに力を誇示することなく、また必要な時には戦ってゆくことのできる人間だろう?』

 

 

 議長はそう言って、フェイスの証を手渡した。

 

 国や軍ではなく、己の信念や信義に忠誠を……。

 

 その生き方はナナに……ナナの生き方に少しは近づけるのだろうか。

 アスランはそれを願うように心に留め、願いを果たすための新たな力となったセイバーを、地球へと向けた。

 行き先は明確だ。議長から乗艦するように言われたのは、あのミネルバだった。

 

 

『あの艦にも私は期待しているのだよ。この混乱の中、以前のアークエンジェルのような役割を果たしてくれるのではないかとね』

 

 

 そう言った議長の真意は、本当のところよくわからなかった。

 有能で、乗員たちからの信頼も厚い艦長。赤服を着ることを許された、若くて優秀なパイロットたち。最新システムと新型モビルスーツを搭載した戦艦。

 そこには未来を切り開くための、“力”があるように思えた。

 だが、アスランはもう知っていた。

 未来を造るのは“力”ではなく、それを扱う“人の心”だ。

 かつてアークエンジェルは、人の心で動き、戦ってきた。ナナが行き先を示し、皆でそこへ向けて舵を切った。

 それと同じことが、あの艦にできるのだろうか。

 そして自分はあの艦で、ナナのように“示す”ことができるのか……。

 不安がないといえば嘘になる。

 だが、アスランは迷わずセイバーをミネルバの元へ向けた。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 一方、オーブは急速に変化を遂げていた。

 カガリはセイラン家に押し切られ、もとより許嫁の間柄であったユウナ・ロマ・セイランとの婚儀を決めた。

 目まぐるしく動く周囲に、彼女の心はついて行けはしなかった。

 だが、折れるわけにはいかなかった。

 思うように動かない時の中で、それでも、自分にできること。自分にしかできないこと。そして、最善の道を選ぶこと……。

 姉に教わった生き方から逸れないように、必死で足を動かした。

 実のところ、ユウナとの結婚が正式に決まり、具体的に日取りまで定められた時、カガリの心は少しだけ軽くなった。

 この馬鹿げていて最善の選択を、自分の口からアスランに伝えなくて済んだから。

 アスランはプラントに行ったきり、側には居ない。

 セイラン家に入ってしまえばもう、アレックス・ディノという護衛は必要なくなる。

 それにきっと、面会すら制限されてしまうのだろう。

 だからもう、二人で話すことはないのかもしれない。

 そう……ナナの墓前でだけは、二人で素直な言葉を交わせるのかもしれないが。

 この色褪せた未来を見つめ、正直、心が軽くなったのだ。

 アスランがもう、ナナへの想いを引きずりながら、自分を護るという義務を果たさなくても良くなったから。彼が、自由に生きられるから。

 だから、心を締め付ける“悔恨”も薄れゆくはず……。

 全ての想いを、文字にすることはできなかった。

 だが、大切な弟であるキラに、自分の言葉を綴った。

 

 

『アスランには、お前から話しておいてほしい』

 

 

 それだけ言えば、どういう状況で、どれほど苦渋の決断であったのか、ちゃんと伝わる気がしていた。

 キラがきっと、自分の選んだ道を肯定してアスランに伝えてくれるはずだと。

 そして、背負ったものを降ろしてもいいのだと……自分の代わりに告げてくれるはずだった。

 心が軽くなったおかげで、前よりも物事に憤ることが無くなっていった。

 セイラン家の古臭いしきたりも、好きでもない男のささやきも、ただ肌の上を通り過ぎて行くようだった。

 全てはオーブのため。

 ナナが笑ってくれるとは思わないが、それでも……きっとこの英断を褒めてくれるはずだと思いたかった。

 私は私なりに、ナナのように道を選んだ。

 そう、言い張りたかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 カガリの手紙は、マーナの手によってキラの元へと届けられた。

 ザフト軍の奇襲によって破壊された屋敷の暗がりで、キラは彼女の想いを目にする。

 しっかりとした筆圧の、生真面目な文字の羅列。

 キラもラクスも、黒い文字と単語の全てから、カガリの想いを感じていた。

 その想いのために、カガリは自分の未来を犠牲にしようとしている。

 せめてオーブが、いつまでも強い国であるように。オーブがひとつの塊となって、世界の中で生き残れるように。セイラン家に嫁いで、力を得て、首長たちも議会たちもまとまって……。

 オーブのため。世界の平和のため。今自分に何ができるのか。

 そうやって必死で考えて、「ナナのように」と考えて……カガリは道を選んだ。

 本当に、強い人だと思った。

 キラも、ラクスも。

 が……。

 

「本当に、これでいいのかな……」

 

 キラは想いを口にした。

 カガリが、必死で呑み込もうとしているものを、言葉にした。

 

「こんなことで、本当にいいのかな……」

 

 誰に問うでもない。

 そして答えはもうわかっている。

 

「キラ……」

 

 ラクスが瞳を揺らしたのを見て、キラはつぶやいた。

 

「ナナは……きっと怒るだろうな」

 

 かすれた声は、心配そうに見守るマリューとバルトフェルドにも届いた。

 

「キラ君、あなたは……どう思うの?」

 

 マリューが問う。

 

「カガリは強い。だからこそ、こんな選択ができたんだ」

 

 息をついて、キラは顔を上げた。

 

「でも、こんなのダメだ」

 

 一度だけ、カガリの文字に目を落とす。

 

「もうオーブがあんなことにならないようにって、カガリが必死になって決断したのはわかってる。でも……仕方がないからって、こんな選択をしちゃダメなんだ……!」

 

 カガリの想いを否定するように、キラは再び顔を上げた。

 

 

「今度は……僕がナナの声を聞く……」

 

 

 そして、皆を見回して言った。

 

 

 

「僕は……翼を広げます……」

 

 

 

 その“宣言”を耳にして、大人たちは皆、息を呑んだ。ラクスでさえも。

 決して力強い声ではなかった。皆を導くような熱もなかった。惑いながらも無理矢理に決意を示すような……不格好な宣言だった。

 だが流れた沈黙を、否定の言葉で破るものは無かった。

 

「今こそ翼を……か」

 

 少し笑って、バルトフェルドが言った。

 

「もう一度飛ぶのは、今……」

 

 その言葉をなぞるように、マリューも言った。

 そしてラクスは、まっすぐにキラを見つめた。

 

「カガリさんを救いましょう。ナナがくれた翼で」

 

 きっぱりとした声は、彼らの不安と迷いを薙いだ。

 言い出したキラでさえも、ほっとしてラクスを見る。

 

「カガリさんが道を選んだように、わたくしたちも今、道を選ばねばならないのでしょう」

 

 ラクスはそっと、キラの袖に手をかけた。

 不安は誰しも持っている。キラにはそれがわかった。

 ひょうひょうと立つバルトフェルドも、肩をすくめるマリューも、そして澄んだ声で道を示したラクスも。

 が……。

 

 

『それでも進む……!』

 

 

 強気に笑うナナの声が、聞こえた気がした。

 

 

 

 



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翼を広げる

 

 ナナの翼……。

 それは、アスハ家の私邸がある海岸から少し離れた海底に眠っていた。

 ゆるやかな海岸線が途切れて、切り立った崖の下。陸からは行くことができないその海の底に、羽休めの場所があったのだ。

 

「ここは完全にアスハ家の敷地内だから、軍関係者は知らないの。知ってるのは私と、モルゲンレーテの一部の社員だけ」

 

 ナナは地下へと降りるエレベータの中で、そう言った。

 

「カガリは?」

 

 その問いに、笑みを崩さずナナは答えた。

 

「あのコには言ってない」

 

 その答えは、キラの不安を煽った。

 

「知ったらたぶん……、いや絶対にあのコは怒るだろうし、それに代表首長である人間が()()()()()()()()()()()もあるでしょう?」

 

 一瞬、ナナが何を言っているのかわからなくて、ラクスと顔を見合わせた。

 向かい側で、マリューとバルトフェルドも同じようにしている。

 

「つまり私は今、私とカガリがヘリオポリスに行った頃のウズミ様と、同じようなことをしてるってわけ」

 

 ますます困惑した。

 国で最も忙しい身であるナナが、アスランを首都に置いてひとり訪ねて来たかと思うと、「連れて行きたい場所がある」……と得意げな顔をした。

 そしてまた別の私邸まで連れて来たかと思うと、理由も言わずに地下へと降りている。

 不自然に長い時間……。

 かなり深くまで降りて、扉は空いた。目の前に廊下が伸びていたが、すぐに堅固な扉が見えた。

 そこでようやく気がついた。

 

「ナナ、見せたいものって、もしかして……」

 

 ナナはくすくす笑いながら、何も言わずに廊下を進む。

 そして扉のロックを解除した。

 それを、二度繰り返した。

 その時にはもう、覚悟はできていた。口を開く者はなかったから、恐らく皆、気づいていたのだろうと思った。

 そして三度目、やっと最後の扉が開かれた。

 スーッと、涼しくも湿った風が吹き付けた。目の前に広がる、薄暗い空間。静かな波の音。潮の香り。

 そして……。

 予測していた“力”が現れた。

 だがそれは、予測よりもはるかに巨大なものだった。

 数か月前にナナがフリーダムを見せてくれた時の衝撃とは比にならない。文字どおり、もっと巨大な力……。

 

「アークエンジェル……?!」

 

 それの長であったマリューが小さく叫んだ。

 そう……ナナが見せたかったのは、あのアークエンジェルだった。

 

「あれ? みんな途中から察してたんじゃないの?」

 

 こちらの衝撃はお構いなしに、ナナはきょとんとした顔で言う。

 

「いや、何かしらの兵器とはおもったがな……まさか戦艦まるごと出て来るとは」

 

 さすがのバルトフェルドも、苦笑が引きつっている。

 

「ま、まさかあの艦を修理していたなんて……」

 

 キラ自身は、言葉が出てこなかった。

 ナナが見せようとしていたのは、フリーダムを援護できるようなアストレイか、他のモビルスーツ……あるいは新型のモビルスーツではないかと予測していた。

 

「これは、まだ私に必要だから……」

 

 その巨大な戦艦を見上げて、ナナはかすかに目を細めた。

 マリューとバルトフェルドが暮らす邸の地下にフリーダムを格納したときも、ナナはこんな顔をしていた。

キラはそれを思い出す。

あの時ナナはこう言っていた。

 

『これはあなたたちが自分たちを護るために使って欲しい。もし“その時”が来たら……キラ、あなたは自分の意志でこれに乗って』

 

 再び力を持たせることになっても、フリーダムという力はまだ“必要”だと、ナナは言った。

 世界はまだ、平和への道を歩き始めたばかりだから。いつその道から逸れてしまうかわからないから。

 争いを失くすため、力を捨てるように訴えているけれど、声を上げられないほどに抑圧された時、それを払いのける力は必要だと思うから。

 まだ、自分たちの意志は、摘み取られてはいけないと思うから……。

 

『だから、戦って……』

 

 ナナは悲しそうな目で、強く、そう言った。

 初めてストライクに乗った時を思い出した。

 戦え……進め……生き残れ……。

 ナナが抱えた矛盾と強い意志は、あの時と少しも変わってはいなかった。そう、気づかされた。

 今もまた、ナナはあの時と同じ眼で言った。

 

「私たちはまだ、目指す未来に辿り着いてはいない。だから、これからも何度も争いは起こると思う」

 

 世界や国民に向かって平和を訴える時の力強い声ではなく。

 

「力を捨てないから争いは終わらない。それもわかってるけど、私はまだ、力が無ければ争いを止められないとも思ってる」

 

 「まだ」という言葉に、ナナはとびきり陰を込めている。

 キラとマリューが見ていたナナの矛盾、葛藤……彼女の強さに寄り添っていた闇が、そこに在った。

 

「奢ってるわけじゃないけど……、あの戦争を経てやっと見つけた道を、誰かの欲や憎しみで奪われないために、私は戦い続けなければならない」

 

 自分は死ぬわけにはいかない……ナナの決意は胸を刺した。

 キラ自身が目を逸らし続けた部分を、ナナはまたまっすぐに突いている。

 変わらないナナの強さ。

 が、自分は変わった。

 だから、今は次のナナの言葉をまっすぐに受け止めることができた。

 

「だから私は、争いを止めるための力が必要になったとき……迷わずこのアークエンジェルの翼を広げようと思う。オーブの戦艦じゃなくて……」

 

 争いから目を逸らしていても、どうにもならない。争いが嫌だと言って力を手にしなければ、大切なものも護れない。力を捨てれば、何も成し遂げずにただ消えるだけ。

 それは強者でなく傍観者。

 それでは本当に願う未来へ辿り着けない。何も変えられない。

 それをあの戦争で学んだ。ナナに鋭く突き付けられた。

 今も痛みとなって残るその痕は、これからの自分にとって必要なものだった。

 そしてその痛みは、最初からナナも等しく持っている。

 

「ナナ……」

「あ、でも勘違いしないで!」

 

 キラが口を開きかけた時、ナナは両手を前に出して言った。

 

「べつに、『その時はまた一緒に戦ってくれ』とか、そういう訳じゃないから!」

 

 キラが言いかけた言葉を、ナナは全面的に否定する。

 

「え?」

 

 思わず間抜けな声が漏れた。

 

「これはただの私の意思表示と、あなたたちに選択肢があるってことを知ってもらいたかっただけ」

「選択肢?」

 

 ナナはこちらを向いて笑った。

 

「もしそうなったとき、あの戦争で最後まで戦い抜いたあなたたちならどうするか……。それは、そうなってみないとわからないのかもしれないけど……。たとえばもし、また悪い流れに屈するのが嫌だと思っても、その時に力がないと動けないでしょう? 私自身、そんなの我慢ができないから。だから、力はあるよ……って知っておいて欲しかっただけ」

 

 「そうなってみないとわからないのかもしれないけど」……その言葉に、思わずどきりとした。

 今は、もう二度と争いに巻き込まれたくない……争いの中に飛び込んでいきたくはないと、そう思っているのもまた事実。

 ナナのように、“その時”にどうするかなんて、決めることなどできていなかった。

 ナナはそれをわかっていて、「ただ見せただけ」と言っているのだ。

 

「ああ、それで『ヘリオポリスの時のウズミ様』って言ったのね」

 

 未だ言葉を発せずにいると、マリューが苦笑した。

 

「軍縮や非戦争を訴えているはずの中立国オーブが、国営企業であるモルゲンレーテ社に、ヘリオポリスで新型のモビルスーツを開発させていた……。それを、ウズミ様が黙認していた……。そのことよね?」

 

 ナナはニヤリと笑った。

 ヘリオポリスの崩壊は決して笑い事ではなかった。

 あれは確かに、戦禍拡大の引き金になったし、ナナやキラはそこから渦中に飛び込むこととなった。

 が、ナナが自国の真意を確かめるために、わざわざヘリオポリスまで乗り込んだことも、キラは知っていた。

 いわば、真実を見定めようというナナの意志自体が、ナナを戦争に導いたのかもしれない。

 

 だからナナの笑みは、痛快な皮肉の笑みに見えた。

 

「戦後のこの状況で、当然、オーブは各国に軍縮を訴えてる」

 

 ナナは涼しげに言う。

 

「私自身、世界中で偉そうにそれを演説してるしね」

 

 そして、アークエンジェルを見上げた。

 

「でも本当にそうなるために、今はまだ力が必要。矛盾はわかってる。こんなことしてるのだって、バレたらマズいこともわかってる。でも本当にマズい状況になったとき、力がなければ戦えない。まるで抜け出せない迷路のようだけど、私には最初から答えが出ていた」

 

 視線はゆっくりと、キラへ向く。

 「最初から」……また彼女の言葉に、出会った時を思い出す。

 

「表向きは力を削ろうって訴えといて、懐に研いだ刃を隠す……。こんな卑怯なこと、カガリにはさせられないでしょ? だからカガリには内緒なの。あのコは知らなくていい」

 

 大人びた顔でそう説明し、ナナはもう一度アークエンジェルを見た。

 その横顔は、少しだけ寂しそうだった。

 キラは知っていた。

 カガリもまた、「最初から」同じ想いを持って生きている。

 彼女の純粋な心は、きっぱりと力を否定する強さがある。あれだけの戦争を経験してもなお、その純粋さは少しも汚れなかった。彼女はまだ、崇高な意志をもって、世界に平和を訴えているのだ。

 だから、ナナとカガリの考え方が水と油であることもわかっていた。

 どちらの気持ちも、キラは理解できた。

 キラ自身、カガリと同じ想いで生きていた。

 だが、それでは何も護れないし、すすむべき未来に背を向けるだけだと、ナナに気づかされたのだ。

 だから、二人の気持ちはよくわかる。

 そしてナナが、そのすれ違いに少しだけ心を痛めていることも。

 ナナは合理的に考えて動いているし、矛盾を見つめて割り切っている。が、同時にカガリの純粋さに憧れてもいる。カガリを誇りにも思っている。

 カガリには、そんなナナにまっすぐに向き合い、きっぱりと否定する強さがある。

 

「でも、もし……」

 

 キラはふと思いついたことを口にしかけた。

 そして止めた。

 聞いてはいけないことのような気がしたのだ。

 が。

 

「もし」

 

 ナナはいたずらな笑みを浮かべて、キラの言葉を摘み取った。

 

「もし避けられない争いが起きた時、きっとオーブは……カガリは、最後まで不戦の覚悟で国を護るでしょうね」

 

 そして皆を見回し、ナナは子供のように言った。

 

「その時は、私は国という枠から飛び出してでも、戦う道を選ぶと思う」

 

 まるで欲しいものを全て欲しがって見せる、幼い子のようだ。

 

「黙ってまたオーブを焼かれるわけにはいかない」

 

 だが彼女の吐き出す言葉は、とても鋭く尖っている。

 

「カガリはカガリの理想のままでいい。それがオーブの理念なんだから。でも私は、“戦う”の。それで世界の歪みを少しでも削ることができるならね」

 

 鋭利な想いは、今のキラの胸にはすとんと落ちた。

 痛みはある。

 だがそれはやはり、ナナ自身も抱えているもの。

 

「カガリさんと、対立しても?」

 

 先ほど言いかけた問いを、マリューが押し殺した声で念を押すように口にした。

 ナナ笑ってうなずいた。

 

「私たちはお互い“やるべきこと”や“やること”は違っても、“願い”は同じはずだから」

 

 その言葉に、皆の緊張がほぐれた気がした。

 ナナは最後に、ずっと黙っていたラクスに視線を向けた。

 そして一言だけこう言った。

 

「ラクス、そういうことだからよろしくね」

 

 ラクスは静かだった。

 迷っていたのか、案じていたのか、戸惑っていたのか……実際のところ、キラにラクスの心情はわからなかった。

 が、彼女がナナに返したひとことで、ようやく何を思ってアークエンジェルと向き合っていたのかわかった。

 

「わかってますわ、ナナ」

 

 ここへ来た時から、ラクスにはナナの想いがわかっていたのだ。

 思わず、キラの口から息が漏れた。

 二人には完敗だなという、自嘲と苦笑の入り混じった笑みだった。

 導きの光は強い……。

 それを実感して、キラは思った。

 もし“その時”が来たら……この弱虫な心も、案外すぐに固まるのかもしれない……と。

 

 

―――――――――――――――

 

 

「僕は……翼を広げます……」

 

 あの時、相変わらずの強い意志を見せてくれたナナはもういない。

 導きの光は、半分消えてしまった。

 が、キラはすぐに決断を下すことができた。

 フリーダムに乗った時も、案外、迷いはなかった。

 当然、護りたいものが目の前にあって、それらが脅威にさらされたから、迷っている余地など無かった。

 もう戦いたくない……という、我がままだか弱音だか、それとも崇高な意志だかわからない想いは、身体の動きを鈍らせることはなかった。

 だから今、歪んだこのオーブという国を見つめて……カガリという大切な人の歪んだ決断を目の辺りにして……動かない訳にはいかなかった。

 今が“その時”だと、疑いもしなかった。

 争いを避けて平和の幻影に捕らわれていたら、大切な人たちを失ってしまう。

 ナナが願ったかけがえのない未来への道を、放棄してしまう。

 キラは今、自らの意志で、“力”をとった。

 それは今まで手にしたもののどれよりも馴染んで、それでいて強大だった。

 もう後戻りはできない。永遠に、穏やかな海を眺める時間を失ってしまうのかもしれない。

 それでも。

 

 

『私は戦う』

 

 

 ナナのように、痛みを抱えたまま綺麗には笑えない。

 が、きっと……ナナと同じように、決して後悔はしない。

 想いは、皆も同じだった。

 ラクスはきっと、もっとずっと前から“ナナの声”を聞いていたのだと、キラは思った。

 それでもフリーダムの“鍵”を渡すことを躊躇したのは、彼女が優しいからだった。

 バルトフェルドは、もうとっくに軍人の顔になっている。とはいっても、彼はもともと軍人らしからぬ態度ではあったが……。いつもの軽い口調を崩さぬままではあるが、すでに戦う準備はできているようだった。

 マリューもそうだった。

 彼女もまた、決断は早かった。

 そして彼女は、共に戦い抜いた元クルーたちの想いを、ずっと背負い続けていた。

 彼女はすぐに、各方面へ連絡をとった。ナナが用意してくれた第二の人生を過ごしているはずの、元クルーたちへ。

 そして、あの時、共に過ごした者たちが次々と、生まれ変わったアークエンジェルの元へ集結した。

 

(きっと、みんなもナナの意志を受け継いでいるんだ……)

 

 キラはそう思った。

 そしてそれが、ナナの友としてとても嬉しかった。

 

 

「行きましょう、キラ」

 

 

 出航を目前に控えたアークエンジェルのデッキで、ラクスが言った。

 まるでナナの分の想いも込めるように、力強くうなずいてくれた。

 

 

 



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内と外で

 

 カガリ・ユラ・アスハと、ユウナ・ロマ・セイランの婚礼の日。

 国中に祝福の声が響くこの日も、オーブ軍の基地だけはいつもと変わらなかった。

 厳格な顔をした上官。訓練に余念がない兵士たち。それぞれが責務を全うし、いつもどおり有事に備えていた。

 だが、それでも……式典の真っ最中という時間に突如として鳴り響いたサイレンには、彼らも少なからず驚いた。

 

≪アンノウン接近……!≫

 

 そのアナウンスは誰もが信じがたいものだった。

 この時期に、いや、“この日”にいったい何者が……?

 だがすぐに、答えは出た。

 彼らが目にした敵のデータは、アンノウンなどではなかった。

 

 アークエンジェルとフリーダム。

 

 先の戦争で獅子奮迅の働きをした戦艦とモビルスーツが、その正体であったのだ。

 だからこそ、軍令部も戸惑った。

 かつてオーブと共に戦ったあの艦とMSが、今、何故……?

 オーブの防衛艦隊は、その“アンノウン”を迎え撃つべく直ちに発進した。

 たとえ既知の艦であれ、今はオーブ軍の戦艦として登録されてはいない。

 つまり、それがオーブ国内で許可なく動くということは、まぎれもなく“敵対行為”なのである。

 頭でそうわかっていても、完全に動揺を抑えられる兵士はいなかった。

 かの存在を()()()()()()()()()者以外は……。

 

 トダカは慌てて配置につく部下たちを横目に、小さくため息をついた。

 部下の不出来に呆れたのではない。

 この日に現れたアークエンジェルとフリーダムの存在に、安堵したのだ。

 彼は知っていた。

 この国に、あの艦とモビルスーツが完全に修復されて存在していることを。

 実際に、その生まれ変わった姿も目にしていた。

 何故なら……今も尊敬してやまない「世界連合特別平和大使」が、かつて自らそのドックへと案内してくれたからだった。

 

 

―――――――――――――――

 

 

「しかし……この面子(メンツ)を揃えられるとは……」

「ナナ様は今もいたずら心が残っていらっしゃるようだ」

「まったくだ……」

 

 ただっ広い応接間のソファーに腰かけた者たちが、互いの顔を見回して苦笑した。

 総勢8名。

 皆、今は防衛戦艦の艦長を務める者たちである。

彼らはナナの命によって密かに集められていたのだ。

 図体のでかいキサカがこっそりとやって来て、ナナによる極秘の招集を告げた時、トダカは何事かといぶかしがった。

 しかも指定された場所は軍施設ではなくアスハ家の私邸で、少なくともトダカはそこに邸宅があることすら知らなかった。

 が、他に集まった者たちの顔を見て緊張はほぐれた。

 見知った顔はどれも、ウズミの代から軍籍に身を置く者たちで、特に上層部からの信頼が厚い者たちだった。

 もちろん自分も含めて……そう自覚していた。

 

「みんな、来てくれてありがとう。コソコソさせちゃってごめんね」

 

 ナナはキサカと共に、朗らかに現れた。

 全員、すぐさま立ち上がって敬礼をしたが、部屋の中に緊張感はまったくなく、愉快とさえ言えそうな独特の空気が漂っていた。

 

「ティリング司令官、あの時は本当にありがとう」

 

 ナナは「今日は私的な会合だから」と笑いながら敬礼を止め、トダカの隣に座るティリングに声をかけた。

 

「そのお言葉はもう何度もいただきました。そもそもオーブの軍人として当然のことをしたのですから、礼などよしてください」

 

 ナナとカガリがアークエンジェルに乗艦している時、オーブの領海付近で艦がザフト軍の攻撃を受けたことがあった。

 激しい猛攻に耐えきれず、アークエンジェルはオーブの領海を侵犯しようとした。

 当然、オーブは地球軍の戦艦であるアークエンジェルに対し、自国の防衛権を行使して攻撃を開始した。

 むろん、その艦にナナとカガリが乗っていることなど知らずに。

 アークエンジェルは沈みかけていた。ザフトに落とされるのか、オーブに落とされるのか、時間の問題だった。

 その時に、全艦隊のブリッジのモニターにナナの顔が映し出された。

 敵であるはずの、地球軍戦艦アークエンジェルのブリッジからの映像だった。

 ナナは自分がアスハ前代表の娘であると公言したうえで、「アークエンジェルは自分を保護しオーブに送り届けようとしている、だから攻撃を止めて受け入れよ」……とオーブ軍に命じた。

 そのメッセージに答えたのが艦体の総司令だったティリングだった。

 彼は全艦の前で「お前がナナ様であるはずはない」と、ナナの命令を撥ね付けた……。

 が、それはザフトへの建前であり、表向きは攻撃を続けながら、実際にはアークエンジェルを領海に入れて保護した。

 ナナとティリングの思惑が一致したのだった。

 

 停戦後、ナナは代表代理として、軍令部で正式に彼に礼を述べていた。

 だが、今もまた顔を合わせるなりにこやかに礼を言うのだ。

 命を助けられたという喜びもそうであろうが、状況を的確に判断して動いた彼に対し、尊敬の念を抱いているのだろうとトダカは思った。

 

「それでナナ様、今宵はどんなパーティーなのですかな?」

 

 別の男がおどけたように口を開いた。

 トダカとは同期の男で、作戦中以外はほとんどこのような口の利き方をする陽気な男である。

 

「ああそう。みんなに見せないものがあって」

 

 調子を合わせるように、ナナも得意げに肩をすくめる。

 

「それはそれは、とんでもないお宝を拝見できるのですな?」

 

 別の男が、蝶ネクタイを締め直した。

 秘密裡にここへ来たため、皆、私服である。トダカもよれたジャケットの襟を正してみた。

 

「立ってるついでに、ちょっとこっちに来てもらえる?」

 

 ナナは得意げな顔で、アンティークの食器が飾られている戸棚へ向かった。

 皆、ナナの背後で顔を見合わせる。どの顔にも、不信感でなく好奇心が浮かんでいた。

 それを見透かしたように、ナナはくすくすと笑い、戸棚の一番小さな扉を開き中に手を差し入れた。

 何の音もなかった。

 ナナが少し後ろに下がると、今度はキサカが片手で棚を押した。

 いくつもの食器類が飾られているマホガニーの棚であったが、それは絨毯の上を滑るようにスッと横に移動した。

 いくら強靭な体躯のキサカとはいえ、見た目の重厚さからは考えられない動きである。

 が、不自然なのはそこではなかった。

 棚が退けられてむき出しになったところは、単なる壁ではなかった。

 そこに現れたのは、明らかに近代的な金属製の扉だったのだ。

 キサカは無表情のまま、横に在る操作盤を触る。

 すると、扉はかすかに聞き慣れた機械音をたてて開いた。

 奥に広がったのは……いや、あったのはこじんまりとした空間。

 すぐに、それがエレベーターであると気づいた。

 

「ついて来て」

 

 ナナが皆をそこに招き入れ、全員が乗り込むと、少々窮屈なエレベーターは下へと降りて行った。

 皆、無言だった。

 今さら特に質問をしようということはない。

 もう少し待てば、この若きリーダーが「見せたいもの」が見られるのだから。

 しばらく降りて、扉は開いた。

 案の定、古風な豪邸の地下とはとうてい思えない無機質な通路があった。

 が、特段驚く者はない。

 軍人ならば毎日のように踏みしめている、何の変哲もない通路だった。

 そして、これもまた見慣れた重厚な扉に行きついた。

 三度、同じような扉を開けた。

 三つめの扉が開ききる前に、ナナは一度振り返って皆の表情を見た。

 そこに在るものがなんであろうと、しっかり受け止めなければ……トダカはそう思った。

 皆も息を呑んでそこを見つめた。さすがに、緊張感が漂った。

 すぐに、それは現れた。

 皆の視界は、その巨大なものでいっぱいになったのだ。

 

「これは……」

 

 誰かが言った。

 トダカも思わず漏らした。

 

「アークエンジェル……」

 

 見知った艦が、皆を待ち受けていたかのようにどんと構えていた。

 メンテナンス中を知らせるランプがいくつも艦体を覆っていて、不規則に点滅している。

 明らかに、それは目の前で“生きて”いた。

 

「ナナ様、これは……」

 

 しばしの沈黙の後、ティリングが皮肉を込めたような顔でナナを見た。

 彼のそんな顔は、見たことがなかった。

 

「そう。アークエンジェルを修理したの」

 

 再び沈黙が流れた。

 自分を含めて、百戦錬磨の軍人たちとはいえ、状況を把握するのには少し情報と時間が必要だったのだ。

 が、ナナはあっさりとそれを提供した。

 

「このアークエンジェルはオーブの艦ではなく、私の私的な艦なの」

 

 ナナはひとりひとりの顔を見ながら、己の意志……信念を語った。

 

「私は今、こう考えてる……」

 

 

 平和のためには、大きすぎる力があってはならないこと。

 だからこそ、オーブの理念を崩すわけにはいかないこと。

 それを世界に発進し続けなければならいこと。

 自らが先頭に立って、それを訴えていく決意があること。

 しかし……、悲しいことに今はまだ、平和のためには力が必要だと考えていること。

 矛盾を抱えたまま、それでもアークエンジェルを復活させることに迷いは無かったこと。

 そして……再び争いが起こった時、それを()()()()()にアークエンジェルに乗るつもりであるということを。

 

「それはつまり……」

 

 しわがれた声が、ナナに向けられた。

 トダカ自身も、口の中が干からびていた。

 

「たとえオーブが中立の立場や不戦を貫いていても、ナナ様ご自身はこの艦に乗って争いを()()()行かれるということですか?」

 

 ナナは目を伏せ、小さく笑った。

 

「それが正しいと思ったら、そうします」

 

 若い、まだ少女の域であるはずの彼女は、大人びた表情でやんわりと、しかし強く宣言した。

 

「オーブが……カガリ代表が不戦を貫いて、また理不尽な攻撃を受けたら、この国は再び焼かれることになる。あれは絶対に繰り返してはならないこと……。だから、私はそうなる前に力を取る。そのつもりです」

 

 トダカはまっすぐにナナの顔を見た。

 彼女の視線が、それを受け止めた。

 だから敢えて、この場に不必要である言葉を発した。

 

「我々オーブ軍と、敵対することになっても……ですか?」

 

 たしなめるような視線、困惑の視線、色々なものが入り混じって注がれた。

 が、トダカはただナナの目だけを見ていた。強い光を放つその目は、少しも揺れることはなかった。

 

「あなたたちと敵対することになっても、私は私の道を行きます」

 

 はたから見たら、子供じみた我がままだ。はたから見たら……。

 トダカはそう思って、苦笑した。

 

「その時に『黙認してくれ』って言ってるんじゃないの。ただ、あなたたちには知っておいて欲しかった」

「ティリングの時のように、『うまくやれ』とおっしゃりたいのではないのですか?」

「オーブにとって私が“敵”だと判断したら撃ってくれていい。ただ、“味方”だと思ったらティリング司令のようにやりすごしてくれたらなって」

 

 意地悪な問いにも、ナナは余裕を持って答えた。

 そして、いっそう背筋を伸ばし、姿勢を正すとこう言った。

 

 

「私の理想は……、もしそうなったとしたら、ここにいるあなたたちと私で……“内”と“外”でオーブを護っていきたいって……そういうことなの」

 

 

 ストンと言葉が落ちて納得……いや、そんな生ぬるい状態ではなかった。

 彼女の言葉は、胸の奥までまっすぐに貫いた。いっそ、痛いほどに。

 きっと、もうずっと前から、この秘密の会合のことを予定していたのだろう。

 国内外を飛び回り、色々な視線を向けられ、期待や批判を浴び、常に命の危険にさらされ、息つく暇もない中で……、自分の意志とこの国の未来、そして世界の平和を考えていたのだろう。

 それが、子供じみた我がままであるはずがなかった。

 皆、同じく全て察したはずだった。

 軍人というものは、言葉でなく行動で示すタイプが多い。だから、少しの仕草や息づかいで、考えていることがわかるのだ。

 が、ひとりが呆れたような声で尋ねた。

 

「一応お尋ねしますが……このことはカガリ様には……?」

「カガリには内緒。これは代表は()()()()()()()()()だから。わかるでしょう?」

 

 まるで生粋の軍人のように、ナナは短く答えた。

 

「でしょうな……」

 

 さらに呆れたようなため息が聞こえた。

 それも、理由はわかっていた。

 ナナの突飛で無謀な行動に呆れているのではない。

 国に反することを平気な顔でやってのけたことを、責めているのでもない。

 ただ、そんな大それたことを、たったひとりでやってのけた彼女の器量に呆れ果てているのだ。

 そして同じようなため息は全員から発せられた。

 

「やれやれ」

「あなたという人は……」

 

 ティリングがまた、答えがわかり切っている問いを投げかけた。

 

 

「それであなたは、代表就任を頑なに拒まれたのですね?」

 

 

 オーブの代表という“枠”に捕らわれては、己の意志を遂行できない。

 オーブの理念に反するときが来るかもしれない現状で、オーブの代表にはなれない。

 そう思って、あれほど皆が熱望した代表就任を、断り続けて来たのか……。

 が、ナナは首を振った。

 

「それはちがう。私はもともと代表には相応しくないから」

 

 ナナは初めて否定した。

 トダカ自身も、新しい代表はナナ以外にないと思っていた。

 彼女の行動、振る舞い、言葉、そして突き付ける意志は、強烈なまでの光となってオーブの未来を照らしている。そう思っていた。

 が、ナナはありえないと言ったように首を振る。

 あれほど、国だけじゃなく世界の平和に作用した人物が……である。

 

「オーブの理念を体現していたのは間違いなくウズミ様でしょう? それはあなたたちのほうが良くわかってるはず。そして、それを受け継いでいるのがカガリなの。今はまだちゃんと伝わらないかもしれないけど、私はあのコと一緒にいてそれをよくわかってる。対して私は、オーブの理念をあっさり破るかもしれない危険人物だしね」

 

 軽い口調で言ったが、目は真剣だった。

 トダカは思わず、ティリングと顔を見合わせた。

 軍令部でも、はじめからナナを代表にと推す声が後を絶たなかった。

 が、ナナはそこでも、今と同じようにウズミの理念を正当に受け継いでいるのは自分ではなくカガリであると主張した。

 自分はウズミ様の“お情け”でたまたま養子になったが、カガリはウズミ様の教育をきちんと受けて育ったから、と。

 そんな言い訳に、誰も納得はしなかった。

 カガリに期待しなかったのではない。

 その時点で相応しいのがナナ以外になかったのだ。

 誰もが、年若い“指導者”に国の行く末を託したがっていたし、従うことをいとわなかった。

 行政府でも、おそらく全く同じやり取りが行われたのは容易に想像がついた。

 そして、同じようにナナの頑なな意志に押し切られたことも。

 

 今日始めて、「自分が相応しくない」とナナが言った理由を具体的に見せつけられた。

 が……それでも未だ、トダカの中には、ナナこそがオーブの代表に……という気持ちが残っている。

 無論、代表就任後の働きぶりを見て、カガリのことは尊敬している。

 一軍人として、彼女を支えていく決意もある。

 だが、やはり全てを任せられると思えるのは、目の前に立つ「相応しくない」人間なのだ。

 

「みんなが私に期待してくれるのは嬉しいけど、私はそれに応えられない。今言ったみたいに、私はいざとなったらこの国を裏切る行動をとるつもりでいる。でも……」

 

 ナナはまた皆の顔を見回して、柔らかい物腰でこう言った。

 

「でもこれだけは信じて欲しい。私はこの国を愛しているし、オーブの理念は未来の平和のために、世界にとってなくてはならないものだと思ってる。だからこそ、どんな手段を使ってでも、この国を守る意志がある」

 

 それはまるで、国を背負う覚悟があるとでも言っているようだった。

 ナナはそれを、穏やかな表情と口調で言ってのけたのだ。

 

「あなたのご意志はわかりました。最後にひとつ……」

 

 しばしの沈黙の後、トダカより二期上の司令官が尋ねた。

 

「我々の誰かが、これを軍法会議にかけるとは思われないのですか?」

 

 愚問であった。

 オーブを救い、世界平和のために身を削っているナナにこれほどの決意を聞かされて、そんなことをする人間はこの場にはいなかった。

 そんな頭でっかちの人間は、そもそもこの場には呼ばれていない。

 が、誰一人、言葉を挟まずにナナの答えを待った。

 いや、待つ時間などなかった。ナナは間髪いれずに、微笑を浮かべたまま答えた。

 

「私とこの艦が、オーブにとって必要ないと判断するのなら、そうしてください」

 

 また、ずっと前から用意されていた台詞……決意のようだった。

 

「私は」

 

 そして、この会合の最初に見せたような、いたずらな笑みでこう言った。

 

「あなたたちを信じてますから」

 

 苦笑が漏れてその場に充満した。

 ナナはにこりと笑ったまま、応えを待っている。

 

「ナナ様。そもそも、どうしてこのメンバーを集められたのですか?」

「我々は年だけは重ねていますが、軍のトップというわけではありませんよ」

「指揮を執る立場ではありますが、我々にはまだ上がいます」

 

 互いの顔を見合わせながら口々に問う。

 トダカも口を開いた。

 

「確かに、馴染みの顔ではありますが、階級もバラバラのようですし」

 

 ナナは腰に手を当て、皆を見回した。

 

「ちょっと! さっき『最後の質問』って言ったでしょう? さらに質問するつもり?」

 

 また、苦笑の波が起こった。

 

「まぁいいけど。っていうか、理由なんてわかりきってるでしょう?」

 

 ナナは軽いため息をついた。

 その後に発せられる言葉を、トダカは皆と同じようにゆったりと構えつつ、注意深く聞いていた。

 

「あなたたちはみんな、ウズミ様の信頼が特に厚かった。私自身もあなたたちの中の何人かは前から知っていたし、キサカたちからウズミ様が信頼を寄せていた名前を聞いていた。私が代表代行として軍令部に言った時に、直接会って、話をして……今ここにいるあなたたちなら、心から信頼できると思ったの」

 

 また、男たちは顔を見合わせた。

 持て余すほどの清い信頼感を向けられて、いい年をして戸惑っていたのだ。

 だいたい軍人という者は、上官からの信頼が何よりのご褒美なのである。

 それを、年若いとはいえ、世界中から尊敬されているナナから向けられて、喜ばないはずはなかったのだ。

 

「ナナ様……」

 

 ひとり、またひとりと、ナナのほうへ進み出た。

 トダカもまた、一歩進んで直立した。

 

「我々も、あなた様を心より信頼申し上げます」

 

 一斉に敬礼を向ける。

 軍人でないナナはそれを返すことをせず、少し首を傾けて笑った。

 

「これからも、この国をよろしくお願いします!」

 

 そして、そう言いながら深く頭を下げた。

 最後に、頭を下げたままこう言った。

 

「あと、くれぐれもカガリのことを……カガリ代表のことをよろしくお願いします……!」

 

 にぎり合わされた彼女の手に、強い願いを感じ、トダカはいっそう歯を食いしばるようにして敬礼した。

 彼女の意志と想いが、強烈な熱波となってこの場にいる人間たちの心を覆った。

 それがよくわかった。

 間違いなく、この先も彼女はこうして人の心を惹きつけ、捉え、離さないだろう。返って来るものが敵意であっても、己の想いが届かなくとも、彼女が折れることはないだろう。

 オーブの未来がどうなろうとも、彼女は進み続けるのだ。皆が渇望する平和な未来へ続く道を。

 だから……。

 たとえ“内”と“外”に別れようとも、彼女の意志に寄り添おう。

 それこそがオーブ国民として、軍人として、人間として……正しく生きる道なのであろう。

 ナナが顔を上げた時、まだ全員が最敬礼の姿勢のままだった。

 ナナはそれを制すと、肩をすくめて笑った。

 それは、まるでキャンパスにいる少女のような笑みだった。

 

 

―――――――――――――――

 

 

「本部より入電! フリーダムが式場よりカガリ様を拉致。対応は慎重を要する……とのことです!」

 

 すでに、第一戦闘配備が敷かれているこの状況で、慌てることはなかった。

 操舵室は“不可思議な敵”に騒然としていたが、トダカは落ち着いていた。

 フリーダムが、カガリを拉致した……。

 その真意がすぐにわかったのだ。

 今、ナナはいない……。

 だが、ナナの意志を継ぐ者がアレを目覚めさせた。

 それを知っていた。

 彼らの意志も、手に取るようにわかった。

 きっと、ナナがとるはずだった行動を、彼らは今まさに実行しようとしているのだ。

 いや……。

 ナナが居たら……そもそもこんな事態にはなっていない。

 オーブの理念にそぐわぬ同盟を結ばされることもなかったし、うら若きアスハ代表が慌ただしく婚礼の儀を執り行う必要もなかったのである。

 だからこれは、せめてもの抵抗にすぎないのかもしれない。

 ナナの意志を、せめて今からでも世に示そうと……あの艦とあの機体は行動を起こしたのだ。

 

「包囲して抑え込み、カガリ様の救出を第一に考えて行動せよとのことです!」

 

 それが軍本部からの指令だった。

 主だった幹部たちは皆式典に出席しているはずだから、この命令を下しているのはあの秘密の会合に呼ばれた者のひとりのはずである。

 前方12時の方角に、アークエンジェルが艦体を半分だけ水面から出していた。

 防衛艦体は距離を開けて包囲している。もちろんトダカの艦もその中の一隻だった。

 やがて、フリーダムが飛来して収容されるなり、アークエンジェルはすぐさま潜行を開始した。

 

「トダカ一佐、アークエンジェル、潜行します!」

 

 トダカはじっとアークエンジェルだけを見つめていた。

 

「このままでは逃げられます!」

「攻撃命令を!」

 

 怪訝な顔の部下たちを尻目に、去りゆくアークエンジェルの様子をただ傍観した。

 

「対応は慎重を要するんだろ?」

 

 それだけ言って、部下たちを黙らせた。

 カガリを連れた彼らがどこへ向かうのか、トダカにはわからなかった。

 だが今、彼らは歪んだ道を歩くように仕向けられたカガリを助け出した。

 彼らはナナの意志を継ぎ、再びその翼を広げたのだ。

 

『私の理想は……、もしそうなったとしたら、ここにいるあなたたちと私で……“内”と“外”でオーブを護っていきたいって……そういうことなの』

 

 ナナの声が聞こえた。

 トダカは黙って、沈みゆくアークエンジェルに敬礼した。

 

 

 



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行きたいところへ

 

 

「どういうことなんだ?! 国家元首をさらうなんて!」

 

 暗黒の海底に身を隠したアークエンジェルのブリッジに、カガリの声が響く。

 

「国際手配級の犯罪だぞ!?」

 

 彼女は怒りに震えていた。

 

「こんなことをしてくれと頼んだ覚えはない!」

 

 適切な答えが得られないまま面々を睨みつけるカガリに、静かに話しかけたのはキラだった。

 

「でも、仕方なかったんだ」

 

 カガリは彼に鋭い視線を向ける。

 

「世界がこんな状況で、カガリにまで馬鹿なことをされたら、もう本当にどうしようもなくなっちゃうから……」

「馬鹿なことだと……?」

 

 キラの言葉に、カガリの怒りは沸点に達する。

 ラクスがキラを止めようとするが、キラに前言を撤回する意思は見られなかった。

 

「なにが馬鹿なことだっ! 私はオーブの代表として決めたんだ! いろいろ悩んで、考えて……それでっ……!」

「本当に思ってる?」

「なっ……!」

「大西洋連邦との同盟やセイランさんとの結婚が、本当にオーブのためになると、本気で思ってるの?」

 

 力の限りに叫ぶカガリの言葉を、キラは静かに遮った。

 

「あ、あたりまえだ!」

 

 ほんの一瞬だけひるんだカガリだったが、すぐに拳を握り直した。

 

「そう思ってなきゃ結婚なんかするわけないだろう! どうしようもないんだ……!  ユウナやウナトや首長たちの言う通り、オーブは再び戦渦に巻き込まれるわけにはいかないんだ!」

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、焼かれた国の犠牲になったシンの顔。オーブという国を憎む、シンの目であった。

 

「そのためには、今はこうするしか道はないじゃないか!!」

 

 自身に深く刻み込まれたシンの怒りと憎しみが、皮肉にも今、カガリの行く先を照らしていたのだ。

 だが。

 

「でも、今オーブが焼かれなければ他の国はいいの? もしもいつか、オーブがプラントや他の国を焼くことになっても、それはいいの?」

 

 キラは穏やかに、だが残酷に言葉を並べ続ける。

 

「いや、それは……」

 

 カガリはうつむいた。

 

「そういうことだよね? 君が選んだ道は」

「キラ……!」

 

 ラクスがたまりかねたようにキラの腕を掴んだが、キラは鋭い言葉を止めなかった。

 

「今、目の前にある問題を横に避けただけで、その先に待っているものは何も変わらない。カガリにだって本当はわかってるんだよね?」

「でも……!」

 

 カガリにだってわかっていること。カガリだって考えていたこと。

 それでも仕方がなかったから、彼女は悩み抜いた末に道を選んだ。それは、キラもラクスも、マリーたちもわかっているのだ。

 

「ウズミさんの言ったことは忘れられるの?」

 

 それでも、キラはカガリをたしなめるように言う。

 

「ナナの意志は?」

 

 カガリは声をなくし、唇を噛みしめた。

 

「カガリが大変な道を歩いていることは僕たちもわかってる。今まで助けてあげられなくて本当にごめん……」

 

 キラの労りの言葉を聞いたカガリの目には涙が浮かんだ。

 

「でも、今ならまだ間に合うと思ったから……」

 

 懸命に堪えてはいるが、唇は震えている。

 

「僕たちにも、まだ色々なことがわからない。導いてくれていたナナもいない。でも……今ならまだ間に合うと思ったんだ」

 

 キラは優しい笑みを浮かべて、カガリに寄り添った。

 

「選ぶ道を間違えたら、行きたいところへは行けない。だけど、今ならきっとまだ選べるはずだよ」

 

 カガリの頬に、とうとう涙がつたった。

 

「僕たちは今度こそ、自分たちで正しい答えを見つけなきゃならないんだ。もう、逃げずに……」

「ううっ……!」

 

 嗚咽が漏れた。もうとっくに限界だった。

 

「そうすれば、きっとナナが歩こうとした道を、僕たちで歩けると思うから……」

「キラ……!」

 

 カガリはその場に崩れ落ち、声をあげて泣いた。

 キラはその震える肩を抱き、そっと頭を撫ぜる。

 そして、彼も自身に言い聞かせるように言った。

 

「みんなで行こう。ナナ行きたかった場所へ……」

 

 カガリの嗚咽が漏れる中、皆、キラの言葉に静かにうなずいた。

 

 

 

 



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第2章 乱戦編
混沌


 

 アスランは困惑していた。

 

 フェイスの称号と新たなモビルスーツを得て、ミネルバへと向かっていた。オーブに寄港しているはずの、ミネルバへ……。

 だが、オーブ領空に差し掛かった時、コックピットにアラームが鳴り響いた。

 機体がムラサメにロックされたのだ。

 当然、困惑した。

 いくらザフトの機体とはいえ、確認もなしに攻撃体勢にはいるとは微塵も思わなかった。

 

(これではまるで……)

 

 困惑の中に、嫌な予感がした。

 

「オーブコントロール、いったいどういうことだ?!」

 

 問いかけに反応はない。そればかりか、ムラサメは躊躇うことなくミサイルを発射した。

 こちらに攻撃の意思はないと言ってみても、二機のムラサメが執拗に追いかけて来る。

 

(これではまるで、“敵機”を攻撃しているようじゃないか……!)

 

 そうはっきりと認識した時、ムラサメのパイロットが呆れた声で言った。

 

≪なに寝ぼけたことを言っている。オーブが世界安全保障条約機構に加盟した今、プラントは敵性国家だ。まだオーブ軍とザフトは交戦状態でないとはいえ、入国が認められるわけないだろう≫

 

 それを聞いて息を呑んだ。

 

(大西洋連邦との同盟に合意した? カガリが首長会を止められなかったということなのか?!)

 

 アスランは再度、行政府との交信を試みる。

 何度も『アレックス』の識別コードを送り、カガリとのコンタクトを要請した。

 だが、オーブの司令部は全く取り合ってはくれなかった。

 

≪こちらは行政府だ。要望には応じられない≫

 

 回線は一方的に閉じられた。

 二機のムラサメは“敵”として自分を排除しようとして来る。

 戦いたくはなかった。戦う意味を見い出せなかった。戦えるはずがなかった。

 が、ここで落とされるわけにもいかなかった。

 ようやく、アスランは事態を呑み込んだ。いや、受け入れた。

 無理矢理ではあったが、それは不快感を残しながら喉を通り、腑に落ちた。

 

「くそ……!」

 

 カガリの現状がわからぬままに、アスランは目的地を変更した。

 この国に“敵対勢力”とみなされたミネルバが、恐らく向かったと思われる地へ。

 

 

 

 ザフト軍基地カーペンタリアは、すんなりとアスラン・ザラを受け入れた。

 ミネルバへの着艦もすぐに許可された。

 たいして懐かしくもないミネルバのドックには、すでに見知った顔が集まっていた。

 ヘルメットをとった瞬間、彼らは自分の顔を見て驚いた。

 その心境は理解できるが、ここで彼らにいきさつを語っている暇はなかった。

 

「認識番号285002特務隊フェイス所属、アスラン・ザラ。乗艦許可を」

 

 『フェイス』と告げると、“彼ら”の表情は一変した。

 好奇の顔から、畏怖の顔へ……。

 シン・アスカまでもが、制服の襟を正して敬礼をした。

 アスランは彼らを見回しながら返礼した。

 この輪の中に、セアはいなかった。

 

 

 

「ザフトに戻ったんですか?」

 

 艦長に面会するため、ルナマリアの案内で士官室に向かおうとした時、シンの声が背中に降りかかった。

 

「そういうことに……なる……」

 

 曖昧に、そう答えた。

 胸を張ってそう言えない事情は、やはり今、ここで言うべきではなかった。

 だから、彼のその問いには答えなかった。

 が、この艦の人間が同じ問いを持っているのはあたりまえで……。

 

「なにがあったんですか?」

 

 案内役のルナマリアが、エレベーターの中で真正面から尋ねてきた。

 オーブ軍との予想外の交戦のおかげで少し疲れていた。

 だからまた曖昧に返答をしつつ、逆に喉から出かかっていた問いを口に出す。

 

「それより、ミネルバはいつオーブを出たんだ? オレは何も知らずに行って……」

 

 ルナマリアは驚いていた。

 

「オーブへ行かれたんですか?! 大丈夫でした?! あの国、今はもう……」

「ああ……、スクランブルをかけられたよ」

 

 思わず、自嘲する。

 

「めちゃくちゃですよね、あの国! シンが怒るのもちょっとわかる気がします」

 

 ルナマリアの顔を見られず、アスランはうつむいた。

 

「オーブ出る時、私たちがどんな目に遭ったと思います? 地球軍の艦隊に待ち伏せされて……もうちょっとで死ぬとこだったんですよ! シンが頑張ってくれなきゃ、ミネルバは間違いなく沈んでました!」

 

 その訴えに、アスランは再び顔を上げた。

 

「だけど、カガリがそんな……」

 

 カガリが()()()()()を許すなど、考えられなかった。

 

「私もカガリ・ユラ・アスハにはがっかりしましたよ。実は、前はちょっと憧れてたりしたんですけどねぇ……。やっぱり、“あの方”がいなくちゃダメだったのかなぁって」

 

 “あの方”のことに触れる余裕はなかった。

 さらに追い打ちをかけるように、ルナマリアは失望を口にする。

 

「大西洋連邦とは同盟を結んじゃうし、ヘンなヤツとは結婚しちゃうし……」

 

 最後のひとフレーズで、抑えていた感情が動いた。

 

「結婚?!」

「え、ええ……ちょっと前に、ニュースで……」

 

 結婚……カガリが……?

 いったい誰と……?

 いや、相手のことは知っている……許嫁だったことも……。

 

「あの……」

 

 エレベーターは目的の階に到着し、扉が開いていた。

 ルナマリアの躊躇いがちな声でそれに気ついた。

 手にしたスーツケースを落としていたことにも、今さら気がついた。

 

「あの、でも……!」

 

 かろうじてそれを拾い上げて外に出た時、ルナマリアが声を潜めて言った。

 

「式の時だか後だかにさらわれちゃって……、今は行方不明だそうで……」

 

 その言葉はさらにアスランを困惑の渦に突き落とした。

 

「……とかって話も聞きました!」

 

 よほど鬼気迫る顔になっていたのか、ルナマリアは一歩後退しながら言い訳するように言った。

 

「わ、私はよく知らないんですけど……! すみません!」

 

 アスランの心は、狭い部屋に投げ込まれたゴムボールのように、予期せぬ方向からの衝撃をたえず受け続けていた。

 

 だが、その後のグラディス艦長との面会はかろうじて軍人らしく振る舞った。

 “再会”ではあるが、前とは違った形である以上、改めて信頼を得られなければならない。

 ひとまずオーブとカガリのことを頭から消し去って、艦長の前に立った。

 そして努めて冷静に、デュランダル議長から託されたフェイスの証と指令書を手渡し、世界情勢の近況についての話をした。

 知らないことが多かった。戸惑う内容であった。副官から居心地の悪い視線を向けられてもいた。

 が、どうにか冷静さを保てたはずだった。

 退出時、改めてオーブについて尋ねるまでは。

 

「オーブ政府は隠したがってるようだけど」

 

 艦長は淡々とした口調でこう告げた。

 

「アスハ代表を連れ去ったのは、フリーダムとアークエンジェルという話よ」

 

 ずいぶんと立て続けに驚愕させられてきたが、これはこたえた。

 フリーダムとアークエンジェル……。

 それを蘇らせたのはナナだ。

 オーブに眠らせていたのもナナで、それはナナの翼となるはずだった。

 それを託されたのは……。

 

「キラ……」

 

 思わず声が漏れ出た。

 

「何がどうなってるのかしらね……。こっちが聞きたいくらいなんだけど」

 

 艦長は感情を浮かべぬ目で、皮肉めいた言葉を言う。

 

「ありがとうございました」

 

 そう言って退出するのがやっとだった。

 

 

 

 

 オーブが、大西洋連邦との条約に加盟。オーブ軍からの攻撃。敵性国家。カガリが……結婚……。そして行方不明。フリーダムとアークエンジェル。

 短時間で聞かされた単語が、全て不吉なものとなってアスランの心に影を落とす。

 ため息すらつけないほどに、脳は熱を持ち、胸が潰れそうだった。

 

「あ、あの……」

 

 こんなときにやるべきことはひとつしかない。

 セイバーの整備をしながら頭の整理を……そう思って、ドックに向かっていた。

 その時に、聞き慣れたか細い声がかかった。

 

「す、すみません……! 御挨拶が遅れておりました……!」

 

 振り返って目が合うなり、身をこわばらせながら敬礼したのはセアだった。

 

「ふ、復隊……おめでとう……ございます……」

 

 わずかに視線をずらしたまま、セアは心のこもらない謝辞をささやく。

 

「セア……君も……」

 

 彼女の顔が、なんだかとても懐かしく思えた。

 

「オーブでは、大変だったようだな……」

 

 まるでため息のように、台詞を吐いた。

 

「あ、はい……い、いえ……」

 

 セアはしどろもどろになりながらも、体勢を崩さなかった。

 

「とにかく、無事でよかった」

 

 そう言って、アスランはようやく深いため息をついた。

 彼女に背を向けて歩き出した時、進み始めた道がとても孤独であると、強く実感した。

 

 

 



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ヒーロー

 

 

 翌朝、ミネルバはカーペンタリアを出港した。

 アスランがグラディス艦長に手渡したデュランダル議長からの指令は、『ジブラルタルへ向かえ』というものだったのだ。

 ボズゴロフ級潜水母艦ニーラゴンゴを従え、ミネルバは新たな旅を始めることになった。

 

 そうしてまもなく、コンディションレッドが発令された。

 全く予想していなかったわけではなかったが、それはやはり早急すぎた。

 ()()地球軍に待ち伏せをされていたようだった。

 

≪すでに回避は不可能と判断し、本艦は戦闘に入ります≫

 

 ブリーフィングルームでブリッジとコンタクトをとったアスランは、その事実に唇を噛みしめる。

 が、あれこれと考える暇など在りはしなかった。

 

≪あなたはどうする?≫

 

 グラディス艦長にそう聞かれ、正面から自身の問題に目を向けることができたのだ。

 

≪わかってるでしょう? 私には、あなたへの命令権はないわ≫

 

 『フェイス』は評議会直属の兵士だ。

 個人として単独で評議会から命令を受けるのであって、どの司令部からの命令にも従う義務はない。グラディス艦長はそのことを言っている。

 だが。

 

「私も出ます」

 

 アスランの決断は早かった。

 

≪いいの?≫

 

「確かに私は指揮下にはないかもしれませんが、今は私もこの艦の搭乗員です。私も……残念ながらこの戦闘は不可避と考えます」

 

 進め……。

 

 誰かの声を呼び覚ましながら、きっぱりとそう言った。

 

 

 

 

 アスランはセイバーの操縦桿を握った。

 迷いはなかった。

 進むしかないと、擦り切れた笑みでまっすぐに歩くナナを、よく覚えているから。

 敵はウィンダムが30機。そしてあのカオスがいるという。

 従順なセアと不満顔のシンを従え、アスランはミネルバのデッキから飛び立った。

 どこから現れたのかわからない敵機が、前方の空に黒々とした塊となって飛んでいた。

 

≪あ、あの……≫

 

 交戦開始直前、セアが恐る恐る問うてきた。

 

≪カオス……だけですか……? 他の……2機は……≫

 

 セアがそこに気がついたのはアスランにとって意外だった。

 正直、彼女が己の判断で行動を起こし、己の考えを率先して口にするようには見えなかったのだ。

 

「敵の作戦は空中戦だ。地上型のガイアと水中戦を得意とするアビスは加わっていない可能性が高いが……」

 

 提供された資料は完璧に頭に入っている。だから自分の答えには自信があった。

 が、セアの行為が意外だっただけに、何かがひっかかかった。

 

「念のため、ミネルバには注意するように伝えよう」

≪は、はい……!≫

 

 そう言うと、セアは一瞬はにかんだような顔をした。

 

 改めてセアの操縦技術を観察した。

 もっとも、アスランはカオスに攻め込まれていたため、それほど余裕があったわけではなかった。

 が、見ている限り、セアはひたすら淡々と、マニュアルどおりといった風にウィンダムの群れを散らしていく。

 執拗に隊長機とやり合うシンとは違い、冷静に、落ち着いて、レジーナを操っていた。

 出すぎもせず引きすぎもせず、少なくとも相当数の経験を積んだパイロットのように周囲が良く見えているようだった。

 慌てて、押し込まれそうなアスランやシンのフォローにまわることもない。敵からの攻撃はうまく避けている。

 先ほどまで躊躇いがちに声を震わせていた少女とは思えないほど、アスランは同じ戦場にいる彼女に対して安堵感を抱けていた。

 対してシンは、あからさまにムキになって隊長機を追って行く。

 出すぎだ、下がれと通信を入れても、彼はいかにも実力のある若いパイロットらしく、聞く耳を持たない。

 アスランの見たところ、隊長機とシンの腕はほぼ互角……。機体の性能を考慮しても、シンが()()勝てるようには思えなかった。

 ウィンダムの群れをセアに任せ、アスランは何度かシンのフォローを試みた。

 が、カオスがそれを阻む。

 地球軍にこれほど腕のたつパイロットがいるのか……という疑問が湧いて、“グレイスのパイロット”のことを思い出し、思わずカオスの攻撃を喰らう羽目になった。

 

 そうしているうち、隊長機に振り回されたシンは海面の辺りまで下降して小島に接近する。

 アスランはサイドモニターでその光景を見て、瞬時に嫌な予感がした。

 

≪シン……!≫

 

 それとほぼ同時に、セアがシンに通信を入れるのが聞こえた。

 アスランの指示で、三機の回線は常時繋げてある。セアの小さな悲鳴が、アスランの耳元でも聞こえていた。

 そして、二人の悪い予感はすぐに的中した。

 小島の樹林から突然ガイアが現れ、シンのインパルスに飛びついたのだ。

 沈みはしなかったが、インパルスは海面上を吹き飛ばされた。

 

「シン!!」

 

 浅瀬でガイアに組敷かれたインパルスは、格好の的だった。

 隊長機が飛来し、インパルスを狙う。

 が、間一髪でアスランの援護射撃が間に合い、敵の攻撃がインパルスに当たることはなかった。

 それでもシンは未だ冷静にならず、今度はガイアと喧嘩四つで組み合う。

 御親切にも敵機の性能に合わせて、空中ではなく浅瀬での戦闘を始めてしまった。

 

「シン、さがれ! 敵にのせられてるぞ!」

 

 今度は隊長機とカオスが連携してインパルスを狙う。

 

「うるさい! オレはやれる!」

 

 シンはそう叫んだ。

 そしてガイアに誘われるように陸地へ入り、徐々に島の奥へと足を踏み入れて行く。

 アスランの言葉は届かない。ただカオスと隊長機の2機をインパルスから遠ざけることで手いっぱいだった。

 

≪敵機、撤退しました……!≫

 

 そこへ、セアの不安げな声が聞こえた。

 彼女が交戦していたウィンダムの編隊のうち、かろうじて無事だった数機が去って行くのが確認できた。

 

「セア、よくやった」

≪は……はい……≫

 

 セアの戦功はアスランの目にも明らかだった。

 だがセアは戸惑いながらうなずくに留まった。

 

 味方の惨敗を見て、隊長機とカオスはインパルスへの攻撃を止めて撤退した。

 ひとつため息をいた。

 そしてシンの援護へ向かおうとしたとき、海上で爆発が起こった。

 ミネルバではない。

 もっと深いところでその“破壊”と思われる爆発は起き、海面が不気味に盛り上がっていた。

 次々に浮かんでくる残骸を確かめるまでもなく、それはニーラゴンゴが撃沈したことを意味していた。

 カオスとの交戦中、セアの予想通り、ミネルバとニーラゴンゴが海中からアビスの襲撃を受けているという通信が入っていた。

 だとしたら、あのアビスのやっかいなパイロットがそれを成したのだろう。

 たった一機で、大型潜水艦を……。

 ミネルバからすぐに『ニーラゴンゴ撃沈』の通信が入った。

 また小さく、セアの息づかいが聞こえた気がした。

 が、彼女は何も言わなかった。驚きも嘆きも、悲しみも、彼女は言葉にはしなかった。

 アスランは機首を返し、シンの援護へと向かった。

 すでにガイアの姿は無かった。撤退の指示をきちんと護ったのだろう。

 だがシンはまだ戦っていた。

 島の奥地には、ひと目で建設中とわかる地球軍の基地があった。

 真新しく不完全なその施設を、シンは片っ端から破壊していた。

 

「シン、何をやってるんだ! やめろ! 彼らにもう戦闘能力はない!」

 

 逃げ惑う人間たちに、抵抗する意思は感じ取れない。

 インパルスと戦えるような戦闘機も出てはない。

 すでにウィンダムの奇襲部隊は撤退している。

 シンの行動は無意味で非人道的なものだった。

 が、やはりシンはアスランの言葉を聞き入れない。

 彼はそのまま、地上の()()()()を引きちぎった。

 それは、建設中の基地と森を分けるフェンスだった。

 そこに群がっていた、民間人と思われる人々がいっせいに走り出す。

 駆け寄るのは、一方が男で一方は女や子供だ。

 間に深い空堀が存在したが、再会を喜ぶ人々には関係なかった。互いに坂を落ちるようにして下へ降り、土まみれの身体で抱き合っていた。

 おそらく、地球軍はこの島の民間人を、基地建設のために強制的に労働させていたのだろう。

 それを悟ったシンが、労働者として監禁されていた男と残された女子供を引き合わせるため、間を隔てていたフェンスを取り壊したのだ。

 

 やみくもに命令違反を繰り返しているだけじゃない。シンは人として正しいことを知っている。

 だが……。

 アスランは深いため息をついた。

 この行動が『正しい』とは、どうしても言いきれなかった。

 シンに対するもどかしさや憤りが、ただ深まるだけだった。

 ふと、同じように空から地上の光景を眺めているはずのセアに、どう思うか聞いてみたくなった。

 このような行動をとったシンをどう思うのか……。

 だが、セアはずっと黙っていた。

 シンに話しかけるでもなく、アスランに戸惑いをぶつけるでもなく、ただただ深紫の機体で飛んでいるだけだった。

 

 

 

 

 ミネルバのドックに戻ると、アスランはシンの得意げな顔を叩いた。

 

「殴りたいのならべつに殴ってくれていいですよ! けど、オレは間違ったことはしてません!」

 

 燃えるような目が、アスランを睨み上げていた。

 

「あそこの人たちだって、あれで助かったんだ!!」

 

 そう叫ぶシンを、アスランはもう一度叩いた。

 どうしても、あの行動を正当化してはいけない理由を、彼にわからせたかった。

 

「戦争はヒーローごっこじゃないんだ!」

 

 MSを操る者が、もっと重い責任を負っていることを。もっと、戦争は醜く複雑で、残酷なことを。

 

「自分だけで勝手な判断をするな!」

 

 そして、一人の軽率な行動が誰かの死を導くという恐怖を。

 

「力を持つ者なら、その力を自覚しろ!!」

 

 どうしても……シンにわかって欲しかった。

 シンは何も応えなかった。

 頬を腫らし、奥歯を力いっぱい噛みしめて、怒りに震えて立っていた。

 目は合わなかった。合わせようとはしなかった。

 アスランは重い沈黙が流れるその場を立ち去った。

 今の言葉は、きっとまだ彼の心には響かない。

 ルナマリアや整備班の者たちが、困惑した顔で見ている。彼らの心にも、たぶんまだ届かない。

 セアだけがひどく悲しげな顔でうつむいているのが、視界の端に映った。

 

 彼女が何を感じているのか、アスランにはわからなかった。

 

 

 



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足りないもの

 

 その後のミネルバは順調に航海を続け、指令通りマハムール基地に入港した。

 あの地球軍の待ち伏せ攻撃による激戦が嘘だったかのように、艦内は平和だった。

 

 シンとは、あれからほとんど言葉を交わさなかった。

 たまたま彼の視界に入った時、目を逸らされることは多かったが、それはむしろアスランにとって苦笑の対象だった。

 ふてぶてしい態度ではあったが、特に彼から突っかかって来ることはなかったから、アスランは気にしないようにしていた。

 あのドックでのやり取りを見ていた者たちも、そこまで不自然な態度をとっているようには見えなかった。

 ルナマリアは何かにつけては話しかけて来たし、レイとセアは出逢った頃と同じ様だったから、彼らから特段敬遠されているという感じはなかった。

 むしろ、アスランは自分自身が抱える問題で手いっぱいだった。

 いや、問題……といってしまうのはすでに“逃げ”だ。

 決心はしていたのだ。

 ザフトのフェイスとして正しく力を使い、平和な未来のために命を捧げる……。そのためには、迷いを捨て、理不尽なことも貫き、心を殺してでも進み続ける。

 そう、ナナに誓ったのだ。

 が……時おり、現実の光景が真正面から鋭く突き刺さる。

 自分は何のためにザフトの艦に乗っているのか。この先に、本当にナナが目指した世界があるのか。ナナは、今の自分を見て笑ってくれるのだろうか。

 ナナの居ない現実は、いつもアスランを惑わせ、不安にさせるから……それと戦わなければならなかった。

 

 

 

 ミネルバの艦体が夕日に染められる頃、ひと息ついたアスランはデッキに出た。

 入港以来、司令部への挨拶、状況確認、今後の打ち合わせ、セイバーの整備……などなど、慌ただしく過ごしていたから、少しの息抜きのつもりだった。

 そこには、シンが居た。

 海を見つめていた彼は、振り返るなり気まずい顔をする。

 その少年らしさが、少し笑えた。

 彼と話しをしよう。

 そう、迷わずに思えたから、アスランは彼に歩み寄った。

 

 シンの口調は静かだった。

 が、言葉はどれもいちいち棘のある物言いで、アスランは思わずため息を漏らした。

 自分が戻ったことが気に食わないのか、殴ったことを怒っているのか……そう聞くと、彼は冷たい声で答える。

 アスハの護衛だった人間が、急にフェイスだ上官だと言って現れ、黙って従えるはずがない……と。やっていることがめちゃくちゃだ……と。

 それは否定できなかった。

 シンの気持ちはよくわかる。

 一本の道が見えていなければ、自分の行動は人としておかしいのかもしれない。

 が、シンに対して言いたいのは……伝えたいのはそれではなかった。

 ()()()自分の言葉を聞かないのか。気に食わないから、認めないのか。自身の価値観だけで判断し、認められない者は皆が間違いだと……そういうつもりなのか?

 そして、先のインド洋での戦闘を、今でも正しいと思うのか……と。

 アスランはそう問うた。

 シンはすんなりとうなずいた。あの戦いは正しかったと、強い意思の籠る目で言った。

 それはやはり、アスランには何かを背負って戦う戦士の目には見えなかった。ただ感情だけを込めて、憎しみや怒りだけを込めて撃った者の目だった。

 アスランはため息をついた。

 そこまで心に闇を抱えたシンが、不憫だった。

 だからこそ、こう尋ねた。

 

「オーブのオノゴロで家族を亡くしたと言っていたな」

「『アスハに殺された』って言ったんですよ!」

 

 シンはすぐさま否定した。

 彼の目は、ますます影を濃くした。

 

「戦争終結後、大使は言っていた。オノゴロで被災した人たちとは対話を重ね、あの作戦の意味を納得いくまで説明し、謝罪するって。悲しみや憎しみは取り除けないけど、オーブがなんであんなことをしたのか、なんで関係ない人間が死ななくちゃならなかったのか、ちゃんと会って説明するって、謝罪するって、そう言ってたんだ……!」

 

 彼の言う『大使』とは、世界連合特別平和大使を務めていたナナのことだった。

 シンは徐々に憤りながら、彼女のことを話した。

 

「だからオレは……少しはそれで救われるのかもって、一瞬思ったんだ。許すことはできないけど、あの時何が起きてたのかちゃんとわかれば、少しくらいアスハのやったことを理解できるのかもって……。けど……」

 

 アスランは懸命に、彼に視線を向け続けた。

 次にシンが言う言葉を知っていたから、それはとても辛い作業だった。

 

「だけど、大使はすぐに死んじゃったないか! 何もかも途中で……希望だけ見せて、いなくなっちゃったじゃないか!」

 

 宙ぶらりんになった想いを、シンはぶつけた。

 ナナの死が彼の憎しみを倍増させてしまったのだと、アスランは改めて気がついた。

 だがどうしようもなかった。

 ナナの死に対して憤っているのは、アスランも同じ……いや、シンとは同じではなかった。喪失感は彼の比でないことは確かなのだ。

 が、今改めて、ナナの死が多くの人々をも不幸にした事実を目の当たりにし、今さら眩暈のするような衝撃を受けた。

 

「だから……」

 

 だが、アスランは懸命に口を動かした。

 この動揺を、シン気取られてはいけなかった。胸に渦巻く怒りや悲しみを、少しでも声に乗せてはいけなかった。

 ナナのためにも。

 

「君は、『あの時力があったなら、力を手に入れさえすれば』……そう考えたんだな?」

「な、なんで……」

 

 シンははっとしたような顔をした。

 それはアスランの言葉が的中していたことを示していた。

 

「自分の非力さに絶望したことのある人間は、きっと誰もがそう思うんだ……」

 

 シンの気持ちはわかっていた。

 自分もそうだったから、彼の想いはわかるのだ。

 ユニウスセブンで母を亡くした時。ニコルを失った時。そして……ナナの死。

 容易に浮かぶその残酷な光景を押し留め、アスランはシンに向き合った。

 

「けど、その力を手にしたその時から、今度は自分が誰かを泣かせる者となる。自分が絶望を植え付ける者となるんだ。それだけは忘れるな……シン」

 

 どうしても、シンに言わなければならないから。

 こんな想いをした自分だからこそ、伝えなければならないと思ったから。

 きっとナナが居たら、彼にそう言っていたと思うから。

 

「戦場で、それを忘れて自分勝手な理屈と正義でやみくもに力を振るえば、それはただの破壊者になるんだ」

 

 シンの目から怒りが消えた。

 少し戸惑った表情は、少なくとも言葉を受け止めている証拠だと思いたかった。

 

「君はそんな者じゃないだろ?」

 

 力を正しく使うこと……その難しさと大切さをナナに教わったから、シンにどうしても受け止めて欲しかった。

 

「オレたちは軍の任務として戦場に出るんだ。喧嘩をしに行くんじゃない。まして破壊をしに行くわけでもない」

 

 何のために戦うのか……それをわかっていないものが戦場に出れば、いたずらに戦禍を拡大させ、憎しみを増やすだけなのだ。

 

「わかってますよ……! そんなことは……」

 

 シンはムキになったように言った。

 足りないものを指摘されて、苛立ったように見えた。

 

「ならいいさ」

 

 その少年ぽい様子に、アスランの心に張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ。

 

「それを忘れさえしなければ、確かに君は優秀なパイロットだ」

 

 シンを信じたい。信じよう。

 きっと、ナナならこの場で綺麗に笑って、豪快に肩でも叩いて立ち去るのだろう……。

 その光景が鮮やかに瞼に浮かび、アスランは穏やかな心のままその場を立ち去った。

 

「でなけりゃ、ただの馬鹿だがな」

 

 最後に、ナナが言いそうな皮肉をそっと残して。

 

 

 



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勝利の果てに

 

 ミネルバは現地のラドル隊と合同で、地球軍基地ガルナハン攻略及びローエングリンゲート突破作戦を実行することとなった。

 ラドル司令、グラディス艦長らの話し合いの結果、MS隊の作戦立案はアスランが任された。

 基地に近づくには狭い渓谷を抜ける道しかないのだが、その終着地点にやっかいなローエングリン砲が構えているという。

 さらに、MS隊の他、陽電子リフレクターを装備したMAが配備されているらしく、これまでのザフト側の作戦は全てが惨敗だったという。

 今回、現地のレジスタンスが協力することになっていた。

 彼らの情報を得て、ガルナハンのローエングリン砲台を破壊する作戦を実行するのだ。

 

 

 作戦立案後、アスランはパイロットたちをブリーフィングルームに招集した。

 そこで、またシンが反抗的な態度をとった。

 この作戦はシンのインパルスでなければ実行不可能だった。

 操縦技術、タイミング、即座の判断力……どれも高い技術が求められるものではあったが、シンならば成し遂げられるとアスランは思っていた。

 実際それを彼に伝えた。

 が、彼は素直には受け入れない。おまけに、レジスタンスの協力者の少女ともひと悶着起こす始末だ。

 だがアスランは、主要な任務を彼に託した。

 彼を信じよう。彼の行動を見届けよう。

 誰かのような余裕を無理に持って、そうした。

 

 

 作戦は大成功だった。

 シンのインパルスが、レジスタンスが教えた抜け道を通って砲台の至近距離に出現した。

 そのタイミングも良かった。

 敵MS隊はルナマリアとレイのザクが薙ぎ払い、ミネルバやレセップス級らを護った。

 セアのレジーナは空を自在に飛び回り、斜面のあちこちに配置された固定砲台を片っ端から破壊した。

 アスランのセイバーは、敵MAを抑えた。巨体であったが大した敵ではなかった。

 結局、シンがローエングリン砲破壊に成功するなり、地球軍は直ちに撤退した。

 そのままインパルスとともにガルナハンの町に降りた。

 住民たちは歓喜に沸いていた。自分たちを支配する地球軍から救ってくれた……と、感謝の言葉を口々に叫んでいた。

 シンはそのただ中で、満足げに笑んでいた。

 これまでの彼の表情とは一変して、とても清々しく、達成感に満ちた顔をしていた。

 現地の人間たちと純粋に喜びを分かち合い、彼らからかけられる言葉に、素直に嬉しそうに笑っている。

 だが、アスランは知っていた。

 この歓喜の中、怒りと憎しみがすでに吐き出されていることを。

 人々が、逃げ遅れた地球軍兵士を捕まえて、容赦なく惨殺している様を。

 銃声は歓声でかき消されていた。

 が、悲劇は確かにそこに存在していた。

 勝者と敗者。支配者と被支配者。喜びと恨み。

 相反するモノが、同じ人間どうしの中でぶつかり合う。その光景……。

 これが、さらなる争いの火種なのだと……それを、もうアスランは知ってしまっていた。

 が、アスランには何もできなかった。虐殺を止めることさえできなかった。

 そんな……ナナが発する言葉の力や意志を、まだ持ち合わせてなどいなかった。

 己の功績を正義として疑わないシンにも、何も言うことができなかった。

 少し前の自分の姿を見ているような気がしたからだ。

 未だ本当の戦争というものを知らない彼に、言葉で伝えることは困難に思えた。

 今は、まだ……。

 ひとつだけ。

 解放された町の様子を空から眺めている時に、聞こえてきた声があった。

 

≪これで……良かったんですよね……?≫

 

 かすかに震える、セアの声だった。

 彼女は、レジーナのコックピットで自分と同じものを見ていたはずだった。

 地球軍兵士を撃ち殺す住民たちや、それを知らずに歓喜に沸く者たちや、その輪の中で満足げに笑うシンを……。

 彼女がどういう意図でそうつぶやいたのかわからなかった。

 ザフトの兵士ならば、当然、作戦成功を喜んでいいはずだった。

 ましてや、彼女は今回もよく働いた。的確に役割を実行し、戦果もあげていた。

 が……彼女は感じている。この、作戦成功の先にあった世界の闇を……。

 それはアスランにとって救いだった。

 たとえ、セアのつぶやきに応える言葉がみつからなくとも……。

 セアが、ほんの少しだけでもナナのように感じてくれていることに……何故だか安心したのだった。

 

 

 

 ブリッジで作戦行動の報告を済ませ、ようやくひと息ついたときだった。

 セイバーの整備の状態でも確認しに行こうとドックへ向かっていたアスランは、ひと気のない居住区の通路でセアに出会った。

 

「あ、ザラ隊長……!」

 

 セアはかしこまって敬礼をするので、それは必要ないと言うと、彼女は躊躇いがちにうつむいた。

 今までのように、一刻も早く立ち去りたいという雰囲気ではなかった。

 居心地悪そうにはしていたが、以前よりは警戒心が溶けたように思えて、アスランは彼女に話しかけることにした。

 

「シンたちが自機の整備をしている時に、君はよくひとりでどこかへ行っているようだが……何か他の任務に就いているのか?」

 

 以前から、時おりこうして通路でひとりきりのセアに会うことがあったため、アスランの中になにげない問いとして存在していた。

 だが、セアは身を縮めるようにして答えた。

 

「あ……あの……、メディカルチェックを受けることになっていまして……それで……」

 

 セアは言いにくそうに説明した。

 “あの事故”以来、専属のドクターがついていて、この艦にも乗っていること。

 決められた時間と戦闘後には必ず、そのドクターのよるメディカルチェックを受けよう、デュランダル議長から直々に言われているのだということを。

 

「議長が?」

「は、はい。“あの事故”以来……議長が何かとお気遣いくださっていて……」

 

 アスランは納得した。

 あの惨劇を生き延びたセアは、プラントにとって奇跡の象徴なのだろう。

 デュランダル議長が彼女のことを手厚く保護するのも、期待をかけるのもわかる気がした。

 もっとも、あの事故のことなど考えたくもなかったが……。

 

「あ、す、すみません……!」

 

 最後に思ったことを察したかのように、セアは慌てて謝罪した。

 

「事故のことなんて……お聞きになりたくないですよね。すみません……」

 

 被害を受けた張本人にもかかわらず、彼女は自分を気遣ってうつむいている。

 

「いや……」

 

 曖昧に答えながら、アスランは改めて彼女を眺めた。

 プラントの高度な医療技術によって、外見上、事故で負った傷は見られない。MSのパイロットを務められるのだから、運動能力的にも後遺症はないはずだ。

 が……心理的外傷はどうか……。

 

「君も、大変だったな……」

 

 “事故”に対する感情は胸の奥底に抑えつけ、そう言葉をかけた。

 今までその感情を()()()ことに精一杯で、そこにいた彼女のことを気遣うことができなかった。

 少しだけ反省しながら、彼女の答えを待つ。

 

「い、いえ……。あの、ドクターからはパイロットとしての資質に問題はないと言われていますし、この薬も……、後遺症を抑えるというより、ダメージを受けた部分を補強するサプリのようなものというか……あの、ですから私は、大丈夫です……!」

 

 何を勘違いしたのか、セアは精一杯の言い訳をしながら、たった今受け取って来たと思われる薬のケースを差し出して見せた。

 

「あ、ああ……」

 

 戸惑いつつ、考えを巡らした。

 そして、白い薬のケースと少し涙目のセアを交互に見て、気がついた。

 事故のせいで怪我を負ったが、パイロットの資質は十分とのお墨付きを専門医からもらっている。だから、決して足を引っ張るようなことはない……と、セアはそう言っているのだ。

 まるで、そんな大怪我を負った人間が赤服を着て新型MSに乗っていることを、不安に思われているかのように。

 いや、実際にそんな言葉を耳にしたことがあるのだろう。

 だが敢えて、デュランダル議長はセアをこの艦に乗せ、レジーナを与えたのだ。

 彼女が、奇跡の人だから……。

 

「この艦に乗るよう、デュランダル議長が直々に命じたのか?」

 

 セアはようやく顔を上げた。

 

「は、はい。特別に取り計らってくださって……。レジーナも、本当はルナかレイが乗るはずだったと思うのですが、議長が、私には『生き延びる力がある』と……『それだけで素晴らしい能力だから』と……おっしゃってくださって……」

 

 言い訳口調はまだ続いていた。

 どうやら彼女は、弁解するような場面では早口になり、言葉数も増えるようだ。

 そんな必要はないというのに。

 

「君のパイロットとしての能力は問題ないよ。レジーナに相応しい」

 

 だから、そう言ってやった。

 これまで彼女と共に戦って感じた、本心だった。

 

「ほ、本当ですか……?」

 

 セアはようやく顔を上げた。

 わずかに警戒はしていたが、目を輝かせ、頬は少し赤くなっている。

 

「操縦技術も、作戦中の判断能力も、赤を着るのに申し分ない。それは断言できるよ」

 

 今度は、セアはほっとした様に息を吐いた。

 

「よかった……」

 

 そして、呟くように言う。

 

「同期の仲間は、“あの事故”でほとんんどいなくなってしまったので、私がみんなの分も頑張らなくちゃいけないんです……」

 

 その純粋な決意は、自身に言い聞かせているようだった。

 

「そうか……」

 

 本当は、強い人間なのかもしれない……。

 アスランはそう思った。

 “あの事故”でどれほどの傷を覆ったのかはわからないし、まだそこまで思いやってなどやれないが……、彼女はちゃんと自分の足で立って歩いている。

 自分の目で見て、感じて、考えて……誰より頼りなく見えて、実は誰よりもしっかりしているのかもしれない。

 

「あまり無理をするなよ。体調が悪くなったら、すぐに言うんだ」

 

 そんな人間がついしてしまうことを案じて、アスランはそう言った。

 気遣ったつもりだった。

 が、セアは再び懇願するような顔つきで答えた。

 

「は、はい! あの……少しでも具合がおかしければ、ちゃんと報告する誓約をしています……ので、決して艦にも隊にもご迷惑をおかけしません……」

 

 足を引っ張るようなこともしない……と、また早口でそう言った。

 それに対し、純粋に身体のことを心配しているだけだとは言えなかった。何を言っても、まだ彼女には届かない気がした。

 

「オレはセイバーの整備状況を確認しに行くが、君も行くか?」

 

 代わりに、『隊長』としての言葉をかける。

 

「は、はい! 私も参ります」

 

 セアは胸元で薬を握りしめ、ほっとしたような顔をした。

 

「レジーナの戦闘ログを参照するか」

「はい! ぜひお願いします!!」

 

 セアは、初めて警戒を解いて笑った。

 ドックに行くまでずっと、彼女は少し後ろをついて来た。

 作戦終了時につぶやいた事の本心を、尋ねるのは止めにした。

 

 今は、まだ……。

 

 



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人類の奇跡

 

 ミネルバはディオキア基地に入港した。

 美しい海辺の街だった。

 だが、そこでアスランは意外な人物に遭遇する。

 基地は軍事基地らしからぬ浮足立った空気に包まれていた。

 それがミネルバを歓迎してのことではなったから、何事かとルナマリアたちと辺りを歩いてみた。

 と……派手なピンク色に塗装されたザクの手に乗って、ラクス・クラインが歌っていたのだ。

 兵士たちは彼女の歌声に呼応するように、手を振り上げ、声を張り上げ、そこはまるでコンサート会場と化している。ミネルバのクルーたちも、こぞってその場へ駆けて行った。

 だがアスランは、目の前で生き生きと歌う彼女が()()()()()()()ことを知っている。

 いつかプラントで会った、ミーアという少女だ。

 つまり、あれはラクスの偽物なのだ。

 だが、「感じが変わった」といぶかしがるルナマリアやメイリンに対し、「それは偽者だから当然だ」などと真相をいう訳にはいかない。

 それでは、デュランダル議長の意向にそぐわぬことになる。

 だから何を問われても曖昧に返すしかなかった。

 さらにもうひとり、この基地にはそのデュランダル議長本人が訪れていた。

 この混沌とする情勢の中、何故プラントを離れてわざわざ戦渦の広がる地球へ……。

 疑問に思いつつも、アスランはシンら他のクルーたちとともに、議長に招かれて懇談会に行くこととなった。

 

 

 

「このところは大活躍だそうじゃないか」

 

 面会するなり、議長は特にシンの活躍をねぎらった。

 無論、先のガルナハンでの作戦の戦果もすでに議長の耳には届いているようだった。

 珍しく緊張していたシンも、目を輝かせて嬉しそうにしている。

 議長は、セアに対しては特別に体調を気づかった。

 

「ドクターから直接報告を受けて、問題はないとわかってはいるがね……無理をしてはいけないよ」

 

 師であるかのような、温かい言葉だった。

 

「はい」

 

 セアは顔を赤くしてうつむいた。

 自分に対してそうしたように、色々と言い訳をするようなことはなかった。

 シンとセアだけではなかった。

 ルナマリアも、議長を心から尊敬しているようだったし、レイに至っては崇拝しているような眼差しにも見えた。

 皆、若くて経験の浅い少年兵だ。軍のトップから直接言葉をかけてもらって、戦功を認めてもらって、素直に喜ばないはずはなかった。

 だがアスランは、先ほどのミーアの姿が引っかかっていた。

 だから議長からねぎらいの言葉をかけられても、シンたちのように素直に光栄に思うことはできなかった。

 ミーアの歌と議長の言葉に戸惑い、そしてシンのあからさまな優等生ぶりに少し呆れているなか、話題は現在の世界情勢へと移った。

 議長と艦長の会話を注意深く聞く。

 月の地球軍とは、相変わらず小規模な戦闘を繰り返すだけということ。

 とにかく世界中で情勢が複雑に絡み合い、どうすべきか悩ましいということ。

 停戦、終戦に向けて動こうとしても、地球連合側がなにひとつ譲歩しようとしないこと。

 

「戦争などしていたくはないが、こちらとしてもこのままではどうにもできない」

 

 穏やかな口調で、議長はそう話した。

 

「軍人の君たちにする話じゃないかもしれんがね。やはり戦いを終わらせる、戦わない道を選ぶということは、戦う道を選ぶよりはるかに難しいものなのだよ……」

 

 そっとため息をつくようだった。

 その出口の見えない混沌の真っただ中に、ナナはいた。

 どうにか未来を切り開こうと、まっすぐ前を向いて歩いていた。

 同じく世界の中心で戦う人間の言葉を直に聞くと、アスランは彼女を思わずにはいられなかった。

 

「でも……」

 

 が、それを遮るようにシンが口を開いた。

 皆の視線を集めて彼は一度言葉を引っ込めたのだが、議長に促されて言いかけたことを口に出した。

 

「確かに、戦わないようにすることは大切だと思います。でも、敵の脅威がある時は戦わざるを得ません。戦うべき時には戦わないと……何ひとつ、自分たちすら護れません」

 

 最初は躊躇いがちに、だが、最後には力強く。

 

「普通の……平和に暮らしている人たちは、護られるべきです!」

 

 そう言い放った。

 とてもまっすぐな言葉だった。アスランもかつて同じ言葉を言っていたと自覚している。間違ってはいないはずだった。

 が……今は知っている。

 

「しかし……」

 

 知ってしまったから、黙っていることはできなかった。

 

「そうやって、撃たれたから撃って、また撃ち返して……。それは何時まで続くのかと……。何が敵で何が悪かったのかと……以前、問われたことがあります」

 

 絶海の孤島で、二人……出逢った時のことが思い出された。

 あまりに強烈な出会い。

 弱くて強い、ナナの姿……。

 答えを求めているくせに、何の迷いもない言葉。

 今もまだ鮮明に覚えている。

 

「私はその時、答えることができませんでした」

 

 あまりに無知で愚かだった自分のことも。

 

「そして、今もまだその答えを見つけられないまま、こうしてまた戦場にいます……」

 

 皆の前で想いを言葉にして、ナナを失ってからずっと、自分の足元が不確かなものだったことを思い知る。

 答えを見つけたかった。

 ナナとなら、見つけられると思った。ナナなら、世界中の皆を答えに導くことができると信じていた。

 それが叶わなかった無念さが、心を侵食し続けている……。

 吐露した想いが、その場の空気を重くした。

 

「そう、問題はそこなのだ……」

 

 議長は共感するようにため息つき、立ち上がった。

 

「何故我々は戦い続けるのか。何故戦争は無くならないのか。いつの時代も、戦争は嫌だと人々は叫び続けているのにね……」

 

 外の景色を眺めつつ、議長はナナが嘆いていたのと同じことを言った。

 そして、少しの間をおいてテーブルの方を振り返った。

 

「君は何故だと思う? シン」

 

 不意に問われ、シンの肩が揺れた。

 夕日に照らされた議長の顔は柔和で、シンへの問いがいたずらでも試すようでもないことが見て取れた。

 

「それは、やっぱり……」

 

 シンは戸惑いながらも、自分の言葉で答えた。

 

「いつの時代も、ブルーコスモスや大西洋連邦みたいに身勝手で馬鹿な連中がいるから……。違いますか?」

 

 最後は、恐る恐る尋ねた。

 

「そうだね……。それもある」

 

 議長は微笑を浮かべたままうなずいた。

 

「誰かの物が欲しい、自分たちと違う、憎い、怖い、間違っている……。人はそんな理由で戦い続けているのだ」

 

 欲望と差別、憎しみや恐怖、異なる価値観……人の心の闇が、戦いの根本にあることを、議長はさらけ出した。

 そして。

 

「だが、もっとどうしようもない、救いようもない一面もあるのだよ、戦争には」

 

 その言葉に、若いパイロットたちが小さく息を呑んでアスランを見た。

 セアも伏し目がちにこちらを見ていた。

 何故かはわからない。

 が、自分がそれを知ってしまったことを、彼らが確信しているように思えた。

 議長はなおも夕日を見つめて語った。

 戦時中の今、新しい機体が開発され、次々と戦場に送り込まれていること。ミサイルの生産すら追いつかないほどであること。

 そして、これを産業として考えてみると、これほど回転率が良く、利益が上がる産業はないのだということを。

 議長の流れ出るような言葉に、その場は艦長やアスラン自身も含めて困惑した。

 何故、議長がこの場でそこまでのことを語るのか意図がわからなかった。

 だが議長は皆を見回しながら続けた。

 戦争である以上、それは当たり前……仕方のないことだ。

 しかし人は、それで儲かると知ると“逆”も考えるものなのだ。

 そしてそれすら、仕方のないことなのだ……と。

 

「逆……ですか……?」

 

 シンはまだ呑み込めてはいなかった。

 当然だ。

 そんな世界の仕組みや人間の本性まで、考えたことはなかったはずなのだから。

 

「戦争が終われば兵器はいらない。それでは儲からない。だが逆に戦争になれば自分たちは儲かる……と。そんな人間たちにとって、戦争は是非ともやって欲しいこととなるのではないのかね」

「そんな!」

 

 動揺を隠せないシンが叫んだ。

 が、議長は止めなかった。

 これまで戦争の裏に潜んでいた軍事産業で利益を得る者たちの存在を口にし、彼らが戦争を引き起こす一端を担っていたと明かした。

 そして、淡々とこう言ったのだ。

 

「今度のこの戦争の裏にも、間違いなく彼ら『ロゴス』がいるだろう。彼らこそが、あのブルーコスモスの母体でもあるのだから」

 

 『ロゴス』の名にアスランは息を呑んだ。

 

「彼らに踊らされてしまっている限り、プラントと地球はこれからも戦い続けて行くだろう」

 

 ナナは何と言っていただろうか……。『ロゴス』の名を口にしたことがあっただろうか。

 

「できることなら、それを何とかしたいのだがね……私も」

 

 議長の言葉は残酷だった。

 この場にいる全員にとって、頬を叩かれるような感覚だったに違いなかった。

 

「だがそれこそが、何より本当に難しいのだよ……」

 

 皆、艦長までもがテーブルの上に視線を落とした。

 アスランも、冷めた紅茶に映る情けない自分と視線が合った。

 

「あるいは、“平和の女神”がその答えを導いてくれると、誰もが思っていたんだがね……この私も含めて」

 

 議長の視線を感じた。

 温かくも冷たくもない、そう感じた。

 

「だが、“人類の奇跡”とも思われた彼女は……すでに失われてしまった。まるで……神が人から彼女を奪い去ったかのように」

 

 ひどく尊大な表現だったが、当然、誰も否定しなかった。

 アスランも不思議とそれが誇大表現であるとは思わなかった、

 ナナの存在は人類にとって奇跡だった。

 争いも、彼女の言葉で収まった。憎しみに向いていた心を、彼女の言葉に導かれて、未来へ向けることができた。

 皆で、同じものを見ようとした。懸命に戦いながらも、平和な未来へ向かおうと。

 彼女が全てを変えるはずだった。

 撃たれたから撃って、また撃ち返して……その連鎖を、ナナなら止められると思っていた。きっと……この世界の、そう少なくない人々が。

 そんな人間が、突然この世界から奪われてしまった。

 その喪失感は個人的なものだけではない。デュランダル議長や大西洋連邦の連中、プラントの評議会や地球の国々の首長たち。彼らにとってもまた、大きな損失であるのだ。

 

「我々は奇跡の手段を失った。だからこそ……」

 

 隣でシンが、議長をまっすぐに見ているのがわかった。

 アスランはまだ、顔を上げることができなかった。

 

「だからこそ我々は、ひとりひとりが考え、行動することによって、未来へと進んで行かなければならない。とても難しいことだがね……」

 

 ナナがいなくなってから自分が強く思っていることを、議長は口にした。

 たぶん……キラも、ラクスも、そしてカガリも繰り返し思っただろう。

 それを“外側”から言われると、角度が違って新鮮に聞こえた。

 自分たちのそれは強い決意のはずだった。

 だが……こうやって“外側”の人間の言葉で聞いてみると、ひどく危うい。

 それしか道はなく、それだけが人々にとって正しい道であるはずなのに、とても脆いもののように思えてしまった。

 正しくて、危うい言葉。強くて尊いが、脆い言葉。

 が、その言葉に、シンは強くうなずいた。

 ルナマリアも、レイも、セアも、希望を称えた目で議長を見ていた。

 希望を持たなくてはナナに近づくことはできないのに……アスランは彼らのようにはなれなかった。

 

 

 



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解けない疑問

 

 懇談後、議長と二人きりで話す機会があった。

 話の内容はアスランの予想通り、アークエンジェルのことだった。

 議長にこう問われた。

 アークエンジェルの行き先に、心当たりはないか……と。

 カガリをさらってオーブを出て以来、消息は全くの不明とのことだった。

 だが、アスランには彼に対して有益な回答を持ち合わせていなかった。逆に、アスランのほうが議長から情報を得たいくらいだった。

 ナナがあの艦を蘇らせたのは、こんなふうに世界が歪んだ時のためだった。

 世界が平和への道を踏み外しそうになり、オーブがそのひずみに引きずり込まれそうになったら、あの艦で発つと……。

 その決意と意志は彼女の口から何度も聞かされていたし、アスランはそれを支持していた。

 もちろん、どこまでも共に行くつもりだった。

 それなのに……翼を広げた後で向かう先や成し遂げることについては、何も聞かされていなかった。

 状況が予測不能なだけに、細かい計画など立てられなかったのも事実。

 だが、今さらながらに思う。

 

 ナナは……アークエンジェルで飛び立った後、どうするつもりだったのか……

 

 その時の勢いで動いているように見えて、実は先の先まで冷静に考えて行動していたナナだ。全く考えがなかったとは思えない。

 が、自分は聞かされていないし、そもそもアークエンジェルの存在自体を伏せられていたカガリが知るはずもない。

 キラとラクスは知っていたのだろうか……。

 

 困惑するアスランに、議長は困ったようにため息をついた。

 彼は本物のラクスの行方を探していた。

 プラントに戻って、以前のように平和を訴えて欲しいと。彼女自身が戦禍に巻き込まれる前、そうしていたように。

 

「こんなことばかり繰り返す我々は、もう彼女に見放されてしまったのだろうか」

 

 窓辺から遠くの空を見ながら、議長はそうつぶやいた。

 

 

 

 

 じっと天井を眺めていた。

 艦のベッドよりふかふかで、布団も肌触りが良いはずなのに、なかなか寝付けなかった。

 議長の厚意で、今日は皆で宿舎に泊まることになった。

 基地にミサイルがぶち込まれでもしない限り、ゆっくり眠れるはずだった。

 が、何度寝返りをうっても瞼が勝手に持ち上がってしまう。

 基地に入港しただけというのに、今日は色々ありすぎた……。

 到着するなり、ミーアに驚かされた。

 互いに距離を置いていればよいものの、彼女は本物のラクスでもないのに、「自分は婚約者」だと主張して何かとまとわりついて来た。それも皆のいる前で抱き着いたり腕を組んだりするものだから、奇妙な空気に耐えなければならなかった。

 ルナマリアはなぜか不機嫌そうに睨んでくるし、シンは目を丸くして驚いた顔をしていた。セアはミーアの存在自体に怯えていたし、グラディス艦長はなかば呆れたような表情を浮かべていた。

 レイだけが平素どおりだったように思う。

 とにかく気まずさを感じた。

 それに、思いがけない議長との再会があった。

 特別に用意された懇談は決して和やかなものではなく、アスランにとっては居心地が悪いものだった。

 議長が兵士と懇談する内容としては、不自然なところはなかった。

 世界の情勢の話と……『ロゴス』の名前。アークエンジェルの行方と……そして、ナナのこと。

 ただ、アスランの息が詰まっただけだ。

 ザフトに復隊して以来、ナナのことを思い出すことが多くなったから……。

 戦争に加わってしまったのだから、戦いの中で出会った彼女との思い出が多いのは当然だった。

 だがそれよりも、ナナならばこんな時どうするか……と、つい考えてしまうのだ。

 それだけならば前向きなだけましだ。

 最近は、今この世界にナナがいたならば……などと、情けなく不毛なことを思ってしまうのだ。

 

「ナナ……」

 

 護り石を見つめて、呟いた。

 

「ナナがいたら……世界はこんなふうにはなっていなかった……」

 

 我ながら乾ききった情けない声に、少し笑った。

 

「それだけは間違いないと……そう思う……」

 

 議長が口にした『ロゴス』の問題。

 そこまでの深い闇を、ナナがひとりで照らすことはできなかっただろう。

 が、少なくとも今この世界にナナが存在していたならば……開戦はしなかった。戦渦はこうも広がることはなく、少なくともザフトやオーブが下り坂を転げ落ちるような感覚を覚えることもなかったはずだ。

 それは断言できた。

 

 不毛だ……

 

 わかってはいるが、思わざるを得ない。

 無念、喪失感、後悔……戦場に深く踏み込むにつれて、それらが強くなっていくのをひしひしと感じていた。

 それに、アスランには悔やんでも悔やみきれないことがある。

 永遠に解けずに残った“疑問”も……。

 たとえナナのことを思い出して喪失感に捕らわれたとしても、この悔恨と困惑だけは封印するつもりだった。

 今はまだ、封は解けていない。

 油断したら溢れ出て来そうで……アスランは護り石を襟の中にしまい込んだ。

 

 

 



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秘密の花園

 

「ねぇ、アスラン。ちょっと散歩しない?」

「こんな時間にどこへ行くんだ?」

 

 ナナとカガリと三人での夕食を終え、その日の公務の報告や翌日のスケジュール確認をした後だった。

 部屋に戻るなり、ナナは無邪気な顔でそう言った。

 

「ご飯食べ過ぎちゃって」

「そんなに食べてないだろ」

「いいからいいから!」

 

 ナナに腕を引かれ、また廊下に出た。

 ナナはきょろきょろと辺りを見回している。二人でいるところを、家の者に目撃されないためだ。

 

「よし、こっち!」

 

 護衛と、警護対象者……二人でいてもおかしくはないのだが、今、アスランの手はナナにしっかりと掴まれている。

 これでは護衛と警護対象者でなく、ひと目で親密な関係とわかってしまうだろう。

 だったら逆に普段通りにしていればよいのだが、ナナは手を離さなかった。

 

「監視カメラに映らないルートを知ってるの」

 

 ナナは得意げにつぶやき、一番奥の階段を下りて応接間を通り、別の廊下に出てから厨房の裏を抜け、勝手口の横の窓から外に出た。

 

「こっちこっち」

 

 使用人が倉庫に行くような時しか使わない細い通路を通り、屋敷を回り込むようにして、中庭に出る。

 そこはよく手入れのされた花園だった。

 

「あーいい匂い!」

 

 ナナの背丈を超すほどの庭木が何千本も植えられ、様々な花をつけている。

 もっとも、この時間に花弁を開いている種類はそれほど多くはなかったが、土の匂いや葉の匂い、下草の匂いに交じってかすかに花の香りが漂っていた。

 

「あっちまで行ってみよう!」

 

 ナナは迷路のような庭木の間の小道を走り出した。

 こんなふうに、子供のようなナナの姿を初めて見たので、アスランは少々戸惑わざるを得なかった。

 

「アスラン、早く!」

 

 響かぬように抑えられた声が、曲がり角の向こうから聞こえた。

 ナナがどこにいるのかわかっていた。屋敷の中からこの中庭を眺めたことが何度もあるからだ。古めかしく簡素ではあるが、優美な趣きのある石造りの噴水があった。

 水は止まっている。ナナはすっかり乾いたふちに腰を掛けていた。

 

「ここにいると、まるで森の中にいる気分になれるんだよ」

 

 ナナは屋敷を背にしていた。

 見えるのは庭の木々たちばかりだ。

 庭木の迷路はまだ少しばかり続いていて、その向こうにちょっとした林がある。

 が、こうして暗がりの中、視線を低くしてみると、確かに森が何処までも続いているように見えた。

 

「まぁ、星はそんなに綺麗には見えないけどね」

 

 ナナの言う通り、やはりここは街から少し離れただけの場所なので、星は良く見えなかった。

 だが、空を仰いで目を細めるナナは綺麗に見えた。

 

「いつもあんなふうにスパイごっこのようなことをして、ここへ来ていたのか?」

 

 カメラを避けて壁づたいに歩いたり、息を潜めたり……ナナの身のこなしはあまりに慣れ過ぎていた。

 おそらくもう何度も、こうして夜にひとりでここへ来ていたのだろう。

 

「ああいうのは得意なの!」

 

 ナナは面白そうに笑った。

 そして、こういう行動をとるのは、なにもアスハ邸だけでなかったことを告白する。

 

「私、ウズミ様に引き取られてから、MSのテストパイロットを解任されちゃったでしょう? だからモルゲンレーテの研究所に行くこともなくなって……ていうか、禁止されちゃって」

 

 伸びをしながら、ナナはそう古くもない思い出を語る。

 

「でも、新型の開発状況がどうしても気になっちゃって……。だって私、一応開発チームの一員だったんだから当然でしょう?」

 

 アスランは小さくため息をついた。

 

「それで、モルゲンレーテの研究所にまで潜り込んでいたってことか?」

「そうそう!」

 

 言い当てられ、ナナは笑った。

 

「研究所は子供の頃から出入りしてるからね、どこに監視カメラがあるのか全部頭に入ってたし。ゲートでは、受付の人に『研究チームに呼ばれてきました』って言えば通してもらえたから」

 

 アスランはナナの行動力に呆れつつ、気になったことをたずねた。

 

「そんなに、MSの開発状況が気になったのか? もう、パイロットとして乗ることはないはずだっただろう?」

 

 ウズミの養子となったのは、研究者である父親が亡くなったからだった。

 その時点でテストパイロットを務める義務など無くなったはずだ。それに、アスハ家の人間ともなれば、モルゲンレーテ社に入社する義務も軍に入る義務も何もない。

 

「だって……」

 

 が、ナナは少し目を伏せて言った。

 

「やっぱり、それが“戦争”に使われるものだってわかっていても、完成しなくちゃ意味がないでしょう? ちゃんと父の設計した通りのものにならなくちゃ、いつか来る“敵”から国を護れない……それに……」

 

 その横顔を見て、アスランは悟った。

 

「国を護るのは私の役目だったから」

 

 ナナはずっと……子供の頃から、テストパイロットをさせられていて、ずっとこう思っていたのだ。

 

 自分こそが、MSに乗って国を護る。

 だから、誰よりも上手く操縦できるように訓練する。

 

 それこそが、自分の役目であり、存在意義なのだ。決して……誰かに無理やり決められた生き方ではない……。

 初めは「無理やり」のはずだった。

 だが、ナナはそんな受動的な自分が嫌だったのだ。

 だから、ナナはそれを己の意志に変えた。やらされるのではなく、ちゃんと自分の志を持って生きて来たのだ。

 そうでもしなければ悲しすぎる……と、自虐的になったこともあっただろう。

 が、小さなころから、ナナはそうして自分自身の歩く道を選び取ってきたのだ。

 

「問題はね、妙に懐いたカガリがいっつもついて来ちゃってたこと!」

 

 ナナは腕を組んで口を尖らせた。

 

「あのコ運動神経は良いくせに育ちが良すぎるから、マーナの尾行を巻くのとか、カメラを避けて歩くとか、ほんと下手くそで……。あのコのせいで何度も見つかって怒られちゃったっけ」

 

 憤慨しつつもとても楽しそうだった。

 

「それでもやめなかったんだな」

「もちろん!」

 

 そこでナナは、アスランの顔を覗き込みながら言った。

 

「ヘリオポリスに行ったのもそう。新型MSが向こうで完成して、新造艦に搭載されるって聞いたから」

「自分の目で確かめようと?」

「うん。あー、あの時もカガリがくっついて来ちゃったんだけどね」

「それで、戦争に巻き込まれたのか……。オレたちのせいで」

 

 胸が疼いた。

 だがナナは、からからと笑った。

 

「そうだね、そのおかげでアスランやキラに逢えたのか……!」

 

 自然と、二人の視線が合わさった。

 まっすぐなナナの瞳には、後悔の欠片もない。

 

「モルゲンレーテに忍び込んでこっそりデータ見たり、シミュレーターに乗ったりしてたから、あの時すぐにグレイスを動かせたんだよ。スパイごっこも役に立ったってことでしょ?」

 

 そんなナナに、『出会えてよかった』などと無責任なことは言えなかった。

 

「あ、ちなみに今更だけど、私イージスも完ぺきに乗りこなせたからね! もちろん、ストライクとバスターと、デュエル……はちょろかったかな」

 

 だから、そっとナナの頭に手を乗せた。

 

「アスラン?」

 

 『よく、がんばったな』もまた、無責任すぎて言えなかった。

 

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 

 そのまま静かに髪を撫ぜた。

 ナナの頬が少しずつ赤く染まるのが、暗がりの中でも見えた。

 

「アスラン……!」

 

 照れて怒ったように言うが、手を払いのけようとも、身体を避けようともしないナナがとても愛おしく思えた。

 

「そろそろ戻ろうか。またあのルートを辿ってな」

 

 二度、大きく瞬きをして、ナナは唇を噛んだままうなずいた。

 その仕草が子供のようで、おかしくなって笑った。

 

「今度はオレが先に歩こう」

 

 そう言うと、ナナはいつもの“企み顔”に戻って、上目遣いでこう言った。

 

「ちゃんと覚えてるの? 警護担当さん」

「カメラの位置くらいちゃんと覚えましたよ、特別平和大使殿」

 

 一瞬見つめ合った後、二人して笑った。

 そうして手を繋いだまま、また誰にも見つからないように部屋へと帰った。

 

 



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余韻

 

 思い出さないようにしていた、思い出のひとかけらだった。

 他愛もない夜でも、アスランにとっては特別な夜だった。星は輝いていなくとも、あの時間は輝いていた。

 今もよく覚えている。

 あの夜のナナは、色々な表情を見せてくれた。

 強い意志のために、責任と義務という強固な鎧をまとっていた彼女が、自分の前で徐々に心をさらけ出してくれるのは、この上ない喜びだった。

 もっと、たくさんの彼女の顔が見たかった。もっと、触れていたかった。もっと、話がしたかった。

 それは叶うものだと思っていた。

 どんなに進む道が険しくとも、どれだけ苦しみが待っていようとも、その想いは無くならないと。むしろ二人の力となって、互いに与え合って生きていけると……そう思っていた。

 が、その望みが幻想だったのかもしれないとアスランが思うようになったのは、その夜からたった二日後のことだった。

 

 急に遠ざけられた。

 

 いや、理由はまともだった。

 だがそんな気がした。

 

『カガリのことが心配なの。私は大丈夫だから、カガリのほうについてあげて。お願い……!』

 

 その日、二人がまた議論していたことは知っていた。

 いつものように意見をぶつけ合い、折り合いがつかなかったことも、部屋から出て来た二人の顔を見てすぐにわかった。

 いつものこと……だった。

 二人ともまっすぐで、互いの気持ちもわかるから、なおさらこういうことは多かった。 それぞれが自分の役割を理解し、真剣に取り組んでいる証拠でもあった。

 だから、こうして意見がまとまらず、けんか別れのような雰囲気で話を終えることは良くあったのだ。

 そういう場合、不機嫌なナナをなだめるのもアスランの役目だった。

 言葉はいらなかった。ただ、側に居てナナの愚痴を聞く。

 意見も不要だった。

 本当に、ただ黙って聞いているだけで、ナナはすっきりとした顔になるのだ。

 

『まぁいっか。後でもう一回話してみようっと』

 

 呆れたようにそうつぶやいて、肩をすくめて笑うのだ。

 

 が……その日は、ナナの表情はいつまでたっても晴れなかった。

 それどころか、いつも堰を切ったように出る愚痴や嘆きも、ちっとも出ては来なかった。

 ただ深くため息をついて、言ったのだ。

 

『カガリのことが心配なの。私は大丈夫だから、カガリのほうについてあげて。お願い……!』

 

 と。

 目を合わさなかった。うつむいて、悲しげで……とても疲れていた。

 真っ先に思ったのは、「自分がなにかしでかしたのか」ということだった。

 だが……それならば、ナナははっきりと言うはずだ。もうすでに、そういう絆はできていると確信していた。

 だから次に、カガリと相当キツいやり取りをしたのかと思った。

 二人とも、互いに鋭い言葉をぶつけることがある。それがエスカレートして、話し合いから言い合いになり、意地の張り合いになったのかと思った。

 ともにまだ十代である。そんな若い二人が国を背負っているのだから、重圧から思いをぶちまけてしまうことは仕方がないと思っていた。

 だが、ナナはカガリを気遣っている。

 いや……それはいつものことで、至極当たり前なのだが、なんだかいつもと違って見えた。

 表情も、声も、いつものそれではない。

 とにかく、とても……傷ついたような悲しみを浮かべていたのだ。

 

『カガリに何か言われたのか?』

 

 思わずそう聞いた。

 カガリを悪く思うわけではなかったが、目の前のナナの姿に少々慌てていた。

 

『違うの。ただ……』

 

 ナナは無理に微笑を浮かべて、淡々と説明した。

 翌日から、二人とも公務で行政府を離れること。

 ナナはヨーロッパでの会議に出向き、カガリは首長たちに招かれて、各国を遊説すること。

 もっとも、これは以前から決まっていたため、アスランも承知のスケジュールだった。

 だから、明日からはナナについてヨーロッパへ旅立つべく、すでに警備計画書を作成し、準備を万端にしていたのだ。

 だがそれを、ナナはカガリの方について行けという。

 

『カガリがここを離れるのって初めてでしょう? だから心配で……』

 

 たしかに、カガリが代表に就任して以来、行政府のあるこのオーブ中心地を離れることは初めてだった。

 あくまで首長国連邦の国内とはいえ、外遊は初の体験となる。ナナが気をもまないはずはなかった。

 しかし、もちろんカガリのほうにも相当数の警護班をつけている。軍の警備部も同行する。

 自分がそこに加わらずとも、十分な警護体制のはずだった。

 が、疑問を口にしても、ナナは頑なに言い続けた。

 

『お願い、アスラン。あのコ、見た目よりずっと緊張してると思うの。警護っていうより、気心の知れたアナタが側にいてくれたら、きっと大丈夫だと思うから』

 

 そして、自分は大丈夫だからと言う。

 

『私はもう慣れたから大丈夫。それよりあのコのことが心配で、スピーチの内容が飛んじゃいそうなことが不安なくらい』

 

 ひどく顔色の悪いまま、ナナはアスランの腕を掴んだ。

 

『お願い、アスラン……!』

 

 最後には切実な願いとなった。

 それを、断るわけにはいかなかった。

 ナナの願いなら、叶えるしかない。

 できることならナナの側で支え、護りたかった。

 が……今回は、ナナの不安を取り除くほうを優先すべきと判断した。

 それは正しい選択のようだった。

 彼女の依頼を了承すると、ナナは嬉しそう……というより、安心したような顔をしたのだ。

 それを見て、アスラン自身も安堵した。

 色々と抱え込み過ぎているナナから、ひとつでも不安を取り除きたかった。その細い肩に乗った荷を少しでも軽くできるなら、自分が存在する意味があると思えた。

 だから、己の欲求は抑えた。

 ナナがそうしたように、自分も今しなければならないこと、求められていることを最優先としよう。

 そう決意した。

 

 

 

 

 

 今となっては……その選択を後悔している。

 いや、選ぶ答えはそれしかなかった。だからこそ、無念で仕方がないのだ。

 アスランはベッドから起き上がり、ベランダに出た。

 懐古しているうちにかなりの時間が経ったように思えたが、それでもまだ空は暗いままだった。

 が、今さら電気をつける気にもなれず、かといってあの夜と同じような風に当たっているのも忍びなく……アスランは再び身体を布団にねじ込んだ。

 あの夜を思い出したからか、夜風に当たったからか、それとも解けない謎にまた後悔を噛みしめたからか……急激に意識が沈んで行った。

 無理もないと、冷静に自嘲する。

 開戦からこっち、特にセイバーで地球に降りてからずっと、まともに休んだことはなかった。身体の方は貪欲に睡眠を欲していたのだ。

 心は塞いで、その欲求を満たすことにした。

 もしかしたら、夢で彼女に逢えるかもしれない……と思いながら、アスランは静かに息を吐いた。

 

 

 残念ながら、夢はみなかった。

 少しの安堵と失望をぼんやりと感じながら、身を起こす。

 と、すぐ横に布団の盛り上がりがあった。

 そこに居たのは、ラクス……ではなく、ミーアだった。

 彼女はぐっすり眠っている。

 驚かないはずはなかった。思わず叫んで、ベッドから落ちた。

 その音で、ミーアは目を覚ます。眠たげながらも起き上がった彼女は、寝間着姿だった。

 いったいいつからそこに居たのか、どうやってこの部屋に入ったのか、いやそもそも目的はなんなのか……。

 驚きと色々な思いが混ざって、幸か不幸か、ナナの余韻はすっかり消えてしまった。

 

 



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優しい後悔

 

 その日は、戦闘以外で色々と気苦労の多い一日だった。

 朝は……起きると()()()隣にミーアが居て、状況を把握しきる前に部屋の扉がノックされた。すると()()()ルナマリアが朝食の誘いに来ていて、()()()ミーアが寝間着姿のまま応対し、ルナマリアはそれ以来()()()不機嫌な態度をとった。

 食堂ではフェイスで赤服のハイネと出逢い、()()()彼もミネルバに乗艦することを知らされた。自分とグラディス艦長を含めると、戦艦1隻にフェイスが三名も乗り合わせることになるのは異例だった。議長が何をお考えなのかさっぱりわからず、ハイネから差し出された手を内心は戸惑ったまま握り返した。

 艦に戻り、ようやく落ち着いたかと思うと、また通路でセアに会った。

 ルナマリアと出かけなかったのかと問うと、自分は診察があるし、それにルナマリアはなんだか不機嫌そうだから……と小さな声で答えた。

 思わずルナマリアは何故あんなに不機嫌なのかと問うと、セアはこう答えた。

 

()()()はわかりませんが、ラクス様が隊長のお部屋にいらっしゃったことを怒っていたように思います』

 

 恐る恐るではあったが、はっきりとした答えだった。というより、朝の事をセアが知っていたことに()()()戸惑った。

 聞けば、あの時ミーアの背に隠れて見えなかったが、ルナマリアと共にセアもいたという。

 気のせいか、セアの目にも軽蔑の色が浮かんでいるように見える。

 が、どうしようもなかった。

 一応、「あれは誤解だ」と言ったが、そもそもあれはラクスでなくミーアなのだ。

 こうやって弁解のようなことをしなければならないのも馬鹿らしく、今後もこういったことがあるのかと思うとうんざりだった。

 

 そして夕刻……。

 気晴らしにドライブに出ていただけのシンから、()()()エマージェンシーが入る。

 もちろん部隊長として駆けつけた。

 彼は海に落ちた少女を救助して、海に囲まれた岩場で動けなくなっていただけだった。

 大事に至らず安堵はした。が、トラブルを引き起こしがちなシンに対し呆れた。

 それに、少女に対するシンの態度には正直困惑した。

 キラがラクスにするように……いや、それ以上に、シンは少女をかいがいしく世話していた。

 少女は精神的に大きなダメージを受けてでもいたのか、極端に言葉が少ない様子だったが、それを鑑みても、シンのあまりに優しい態度は意外だった。

 少女を無事に“関係者”に引き渡してからも、シンは()()()あの少女のことで頭がいっぱいのようだった。

 

 

 

 ミネルバにハイネが正式に乗艦し、雰囲気が一変した。

 彼は気さくに人に話しかけるタイプで、そうではない自分は少し戸惑ったが、それでも気が楽になったような感覚だった。

 もちろんセアは、自分と出逢った時と同じく、レイの影に隠れるようにしていた。

 だがハイネは、そんなセアにも積極的に話しかける。

 逃げ場を失った子リスのように、セアはおどおどしながら彼に答えざるを得なかった。

 その様子を客観的に見ていて、ハラハラもしたが少しだけ面白くもあった。

 きっとセアは、自分にそうであったように、少しずつハイネに心を開くだろう。いや、自分に対するよりずっと早く、ハイネと打ち解け溶けるような気がした。

 

 だが、そんなのんびりとした時間も長くは続かなかった。

 ディオキアでのしばしの休息も終わりを告げ、新たな戦闘に出向くべく、ハイネとともにブリッジに上がる。

 そこで聞かされたのは、地球軍の援軍としてオーブ軍が来ているということだった。

 

『アスラン、我々はあなたをザフトの兵士として信頼するわよ。いいわね?』

 

 艦長の言葉に、曖昧にうなずくのが精いっぱいだった。

 オーブはカガリの国だ。ナナの愛した国だ。少し前まで、自分の居場所だった。

 それと戦うことに、躊躇いを捨てることなどできなかった。

 今そこにいなくとも……まるでカガリやナナに、そしてキラやラクスに、刃を向けるような気分だった。

 が、ハイネが言った。

 

「じゃあお前はどこと戦いたい? どことなら戦える?」

 

 その問いに答える術もまた、無かった。

 

「そういうことだろ?」

 

 言われてはっとした。どろどろとしたものに足首を掴まれて、奈落の底に引きずり込まれるようだった。

 自分は、何も変わっていない。変われてなどいなかった。

 

 一体、何と戦うのか……。

 

 ナナが突き付けた問いに、未だに答えられていない……。

 失望と迷いを抱えたまま、アスランはパイロットスーツに袖を通した。

 

 

 

 バタンという音が更衣室に響いた。

 強く閉じられた扉は、勢い余ってまた開く。シンはそれをもう一度強く、今度はしっかりと閉じた。

 明らかに彼は不機嫌だった。いや、憤っていた。

 その理由は良くわかっている。地球軍にオーブ軍が加わったことが原因だ。

 自分と同じように、彼もまた動揺しているのだ。

 

「シン!」

 

 このままの精神状態で戦場に出すのは、隊長として見過ごすわけにはいかなかった。

 だから、エレベーターに乗り込む彼に呼びかけた。

 足早に追いつき、乗り込む。

 と、操作盤のところにセアがいた。

 喧嘩でもしていると思ったのか、彼女は慌てて視線を操作盤に向けると、ボタンを押すことに集中した。

 

「カガリが……」

 

 かまわず、アスランは口を開いた。

 

「代表がいたなら、こんなことにだけはならなかったかもしれない」

 

 少しだけ、シンにそれをわかって欲しかった。

 それと、少しでも本音を吐き出したかった。

 

「何言ってるんですか! あんなヤツがいたって……!」

 

 案の定、シンは食って掛かって来た。

 

「まだできないことは多い。だが気持ちだけはまっすぐなヤツなんだ、カガリは」

 

 そう、ため息まじりに言った。

 操作盤を凝視しているセアが、こちらの様子を気にしているのがわかった。

 

「そんなの意味ないでしょう!」

 

 シンはドンと壁を叩いた。

 

「国の責任者が気持ちだけだなんて……!」

 

 彼の言葉を否定する気はなかった。言っていることは間違っていないし、わかってもらえるとも思えなかったからだ。

 が……シンはこう続けた。

 

「だいたい、なんで“ナナ”が代表にならなかったんだよ!」

 

 急に、喉を絞められたような感覚になって、シンを見た。

 

「“ナナ”のほうが世界中から慕われてたし、信用できた! あの人の言っていることなら、オレは……オレだって信じられたんだ……!」

 

 シンの言葉で今さら知った。

 同年代の若者が、ナナのことを何と呼んでいたのか。親しげに“ナナ”と……そう呼んでいたことを、初めて知った。

 そして……。

 

「シンは……本当はオーブが好きだったんじゃないのか?」

 

 シンはナナを信じたかった。オーブを、自身の未来を、ナナに託したかったのだ。

 そう……、一個人としての自分のように。

 だが、その思いは残酷にも裏切られた。

 アスハに家族を奪われ、悲しみの中で希望を託したのに、ナナはあっけなく逝った。懸命に見つめようとしていた未来を断たれたのだ。

 だからシンはアスハを恨み、オーブを嫌悪している……。

 それを知って今思うのは、彼がそれほどオーブを愛していたのではないかということだった。

 アスランは思いのままに彼に問う。

 と、シンは驚いた顔をした。が、力いっぱいに否定した。

 

「そんなことありませんよ!!」

 

 彼の叫びが狭い空間に響いた瞬間、扉が開いた。

 シンは肩を震わし、真っ先に出て行った。

 また、ため息が出た。

 正直、この状況でこれ以上彼の心情を慮ってやることは不可能だった。今は、自分のそれで手いっぱいで……。

 

「あの……」

 

 自分が降りるまでずっとボタンに手をかけていたセアが、珍しく口を開いた。

 

「ああ、悪かったな……。あの調子じゃあ、戦闘に集中できないんじゃないかと思って声をかけたんだが……逆効果だったみたいだ」

 

 困った顔をしたセアに、自嘲しながら言い訳をする。

 言い争いや大きな声は、たぶん彼女は苦手なはずだった。

 が。

 

「いえ、あの……」

 

 エレベーターを降りた後もセアは何か言いたそうにしている。

 先に行きかけた足を止め、アスランは振り返った。

 

「わ、私も……思います……」

 

 セアは床を見つめたまま、懸命に言葉を絞り出していた。

 

「あの……そうではないんですが……ええと……」

 

 要領を得なかったが、アスランは黙っていた。

 と、少しだけ視線を上げて、彼女は言った。

 

「私も、“ナナ様”が代表だったら……オーブはこんなことにはなっていなかったと……そう思います」

 

 声が漏れそうになった。

 最初、自分はシンに「カガリが居れば、オーブはこんなことにならなかった」と言ったはずだ。

 が、セアは「自分もそう思う」としながら、「ナナが代表だったら」と言った。

 何故彼女が、わざわざ怯えながらも不可思議な同意を示すのかわからなかった。

 

「す、すみません……!」

 

 セアは勢いよく頭を下げると、ヘルメットを落としそうになりながらも走り去った。

 一体どういうことなのだろう……。シンもセアも、「ナナがオーブの代表だったら」……と言っていた。

 

 そうか、セアはシンに同意していたのだ……。

 

 ひとつ、納得する。

 が、わだかまりが残った。

 そもそもアスランは、カガリが代表として相応しくないと思ったことはなかった。

 初めからナナがカガリを代表にするつもりで「代行」を名乗っていたことを知っていたし、ナナの意志はいつも聞かされていた。オーブの理念とウズミの遺志を継ぐのはカガリしかいない……とは、ナナの口癖でもあったのだ。

 が、首長たちを初め、議員らのほとんどがナナを代表に推していたことは良く知っている。そのことだけで、行政府がまるで反乱でも起きかねないような空気に包まれたことも目の当たりにしている。

 カガリが代表になったのは、ただひたすらナナがそう主張したからだ。

 国だけでなく世界の平和を背負っていた彼女の強い言葉は、首長たちをも黙らせた。

 だが、以後も首長たちはナナの代表就任を熱望し続けていた。

 それは水面下でささやかれていたようだったが、一護衛にすぎないアスランの耳にも届いていた。いや、肌でそれを感じていた。

 だから当然、カガリもそんな視線に耐えながら、懸命に己の使命を果たそうと身を粉にしてきたのだ。

 

 ナナの死後は、カガリを代表から降ろそうなどと言う人間はいなくなった。

 当たり前のことだが、彼らはカガリに従い、支え、慕った。

 が……彼らの中に失望があったのもまた事実だった。

 それでも、アスランはカガリの他に代表に相応しい者は無く、また彼女に何ら落ち度はないと思っている。

 シンに語ったとおり、彼女にはできないことがまだ多い。ナナのように語れなく、割り切れもせず、思いつくこともまだできない。

 しかしナナが期待した通り、彼女はまさにオーブの理念そのものとして生きていた。

 まっすぐすぎるところはあったが、それは徐々に、周囲のコントロールを学んでいけばよいと……その日に向けて彼女を支えようと、そう思っていた。

 だから、こんなふうにカガリを否定されて面食らっていた。

 ナナが優れていてカガリが劣っているとか、そんなふうに考えたことはなかった。

 が……シンとセアはそう思っているようだ。

 そしてそれがまさに、首長たちが思っていることでもあったのだ。

 やけに生々しかった。

 コレと戦ってきたカガリのことを思って、今さら胸が痛んだ。

 そして、それほどまでに大きな期待を背負わされていたナナを想って、改めて胸が痛んだ。

 そうして、脳の片隅で自分もまた思ってしまった。

 

(ナナがオーブの代表だったら、こんなことには……)

 

 さんざん他人の口から聞かされていた。

 

『ナナが居れば、世界はこんな戦争にはならなかった』

 

 その台詞が霞んでしまうほど、今、二人が言った台詞は生々しく鋭いものに感じた。

 

(ナナ……カガリ……)

 

 二人の一番近くに居ながら、自分はなんと無力だったことか。

 指の力が抜け、ヘルメットが床に落ちた。

 向こうでセアが振り返った。驚いた顔で、こちらを見る。

 

「なんでもない。行こう……」

 

 それを拾い上げて追いつくまでずっと、彼女はこちらを見つめていた。

 

「あ、あの……」

 

 彼女は何か言いかけたが、黙ってその前を通り過ぎた。

 彼女の目には、後悔が浮かんでいた。先ほどの“台詞”に対する後悔だ。

 それはきっと、彼女の優しさなのだろう。

 だが、それと向き合う覚悟が持てず、アスランは彼女の言葉に耳をふさいだのだ。

 様々に入り乱れる感情の整理がつかないまま、ダーダネルス海峡での戦闘が幕を開けた。

 

 

 



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戦場に穿つ槍

 フリーダムを見た。

 

 ムラサメとアストレイ……『オーブ軍』のMS隊と交戦中に。

 ミネルバが主砲タンホイザーを起動していた。照準は『敵オーブ軍艦隊』だったはずだ。

 が、粒子をため込んだ砲は空から光を打ち抜かれて損壊した。

 ブリッジは無事のようだった。が、艦のダメージはひと目でわかった。

 ミネルバは推力を失い、着水した。

 それを見下ろすように空から現れたのは、フリーダムだった。

 操縦するのはキラしかいなかった。それをナナに託されたのだから。

 

(何故、ここに……?)

 

 フリーダムを認識し、キラの存在を意識する間もなく、その後方からアークエンジェルが姿を現した。

 ナナの翼だった艦だ。いつか世界がこういう状況に陥った時、ナナが飛ぶはずだった翼だ。

 だがそこに、ナナはいないことはわかっている。

 

(何故だ?)

 

 まるで息切れがするようだった。じっとりと、手に汗が滲むのがわかった。

 何の行動もとれずにいた。おそらくセアが戸惑いながら指示を求めてきたであろうが、耳に入らなかった。

 また、目の前に知っている機体が現れた。

 ストライクルージュだ。

 それが誰の機体かも、アスランにはわかっていた。

 ()()は全周波チャンネルを使い、その名を名乗った。

 

≪私はオーブ首長国連合代表首長、カガリ・ユラ・アスハだ!≫

 

 彼女の声に間違いはない。

 とても落ち着いて、堂々として、以前よりいくぶん大人びた声に聞こえた。

 彼女はオーブ軍に命じた。

 ただちに戦闘を停止し、軍を引け……と。

 オーブの代表としての風格を声にまとわせ、強く命じた。

 だが……。

 彼女を代表と仰ぐはずのオーブ軍は、信じられない行動をとった。戦艦から一斉に、ストライクルージュ目掛けて砲弾が飛んだのだ。

 全く動けなかった。

 オーブ軍のとる行動に対して予測ができなかった……というより、事態を呑み込めていなかった。

 キラが再びフリーダムの操縦桿を握ると思わなかった。

 ナナがいないのにアークエンジェルが飛ぶはずはないと思っていた。

 カガリがまるで、ナナのようだった……。

 全てのことがアスランの脳と心を激しく揺さぶっていた。

 だから、半ば放心状態のまま、ストライクルージュに向けて放たれた砲が、フリーダムによって全て撃ち落とされる様を眺めていた。

 

≪来ます……! あ、アレが……!≫

 

 セアのその声でようやく我に返った。

 すぐ目の前までカオスが迫って来ていた。

 疑念の塊を抱いたままどうにかできるほど、カオスはたやすくなかった。

 戦闘能力はこちらがやや上……精神状態がすこぶる安定していればもっと離せただろうが、今はわずかに上回るのが精いっぱいだ。

 執拗な攻撃を避けながら、ミネルバに向かうMSをけん制する。

 迫り来る地球軍のウィンダム隊とオーブ軍のアストレイ隊から、シンもセアも懸命にミネルバを護ろうとしていた。

 デッキにはレイとルナマリアのザクウォーリア、そしてハイネのグフイグナイテッドが応戦しているのが見える。

 だが正直、戦況は俄然不利だった。

 手負いのミネルバに、この状況を切り抜けられる力があるとは思えなかった。

 

「くそっ……!」

 

 カオスの砲撃を避け、MA形態に変形する。そのまま空を突っ切ると、フリーダムが目視できた。

 

「キラ……!!」

 

 無線のチャンネルが合わない。急いで調整するが、またもカオスが迫り来る。

 それを横目に、フリーダムをメインモニターで追う。

 と、インパルスがその行く手に立ちはだかった。

 直感で、「危ない」……と思った。

 キラとシン、二人の腕前は良く知っている。

 勝負は一瞬だった。

 フリーダムはすれ違いざまに、まるで“ついで”のようにインパルスの腕を払いのけて行った。

 ビームライフルを持ったままの腕が一本、海に落ちて行く。

 何が起こったのが、恐らくシンは理解できていないだろう。勝負になんてならなかったのだ。

 

「キラ、止めろ! なんでお前が……!」

 

 突っ込んで来たガイアを薙ぎ払ったフリーダムに向かって、アスランは叫んだ。

 衝撃と混乱をひと回りして湧いた感情は、まるで怒りに似ていた。

 それをうっすらと認識した時、フリーダムはグフイグナイテッドの腕をいとも簡単に切り捨てていた。

 

「キラ……!」

 

 まだ無線は通じていなかった。

 だが、フリーダムが振り返ってこちらを見た。

 キラと、目があったような気がした。

 

(戦うのか……?)

 

 一瞬、そう思った。

 

(“また”キラと……)

 

 その時、フリーダムの背後にグフイグナイテッドが迫った。

 「よけろ!」と友に叫ぶ間は与えられなかった。

 そのグフイグナイテッドのさらに後方からは、ガイアがMA形態のままビームサーベルを振りかざした。

 またも声は出なかった。

 フリーダムに意識を集中させていたグフイグナイテッドは、ガイアの剣に真っ二つに切り裂かれた。

 

「ハイネ……!!!!」

 

 その状況を呑み込んだ時にはもう、グフイグナイテッドは激しく炎上していた。

 木っ端微塵だ。

 空に黒い煙を残し、残骸を海にまき散らしてハイネは散った。

 なおもフリーダムに向かって行ったガイアは、フリーダムにあっさり蹴散らされて落下した。

 それを見計らったかのように、敵軍から帰還信号が放たれる。

 今にも攻撃を仕掛けようとしてきていたカオスが、方向を変えて去って行った。

 それをモニターで追うことすらできなかった。

 アスランは痛いほど強く操縦桿を握りしめながら、黒い煙の向こうにたたずむフリーダムを睨んだ。

 

「キラ……!」

 

 眼下の青い海に、無数のオレンジ色の破片が浮かんでいる。

 その光景と、アークエンジェルの方へ飛び去るフリーダムを、アスランは交互に何度も何度も見ていた。

 戦闘終了を見届けて、アークエンジェルとフリーダムはどこかの空へ飛んで行く。

 役目を終えたと、言わんばかりに……。

 静けさを取り戻した空で、アスランは自身の胸に膨らむ怒りの塊をはっきりと感じていた。

 

 



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離艦

 

 ハイネ・ヴェステンフルスの遺品を乗せた車を、赤服のメンバー全員で見送った。

 遺体はない。

 ただ彼の部屋に残されたわずかな身の回り品だけが、両手で簡単に持てるくらいの箱に詰め込まれて、彼の遺族に手渡される。

 シンは肩を震わせていた。

 もちろん、それは怒りである。

 

「あいつらのせいだ!」

 

 彼はそうきっぱりと口にした。

 

「あいつらが乱入してこなければ、ハイネは死ななかった……!」

 

 否定することはできなかった。

 他の者たちも、何も言わなかった。

 

「何やってるんだよオーブは! 何がしたいんだよっ……!」

 

 憤りはアスランに向けられた。

 それでも、何も言えなかった。

 ニコルを失った時の痛みが蘇った。

 まだはっきりと覚えているその痛みは、今回のものと全く同じだった。

 そして、キラと戦った時の痛みも思い出した。

 心が……敵対しているのだろうか。あの時のように。

 そう思ったが、答えを出す気にはなれなかった。

 シンとは異なる怒りを、アスランは抱えていた。

 何故、あんなことをしたのか……。

 あんな場面で出て来て、カガリは本当にオーブ軍を止められると思ったのか?

 キラやラクスたちは、彼女の意思に賛同してあの場での戦闘を決意したのか?

 それで本当に止められると思ったのか?

 そんな……理想だけで。

 ナナがいないのに、彼らだけでそんなものを振りかざして、この現実を打開できるとでも思っているのか?

 

(ナナがいないのに……)

 

 まるで……ナナを失ってからずっとぽっかりと空いていた胸の穴が、怒りの感情で埋め尽されていくようだった。

 

 

 

 虚しさが無くなったおかげで、意外と早く次にとるべき行動が見えた。

 アスランはすぐに、艦長室を訪れた。

 グラディス艦長に申し出たのは、「離艦」だった。

 アークエンジェルのクルーを探し出して、行動の意味を問い正す……それが目的だった。理由は、「納得できないから」である。

 あんなにも多くの犠牲を出してまで彼らが戦場を混乱させた訳を、どうしても知りたかった。

 彼らが現状を知らずに、ただ理想だけで……ナナの真似事をして行動をしているのなら、それは不可能なことだと止めたかった。

 ちゃんと話し合って、オーブのことについても、カガリのことについても、解決の道を探したかった。

 そしてそれは、彼らを良く知る自分の役目であると思った。

 正直な思いを、艦長に吐露した。

 少し迷いつつも、艦長は探るような目で尋ねた。

 

「それは……ザフトのフェイスとしての判断かしら?」

 

 すぐに「はい」と答えた。驚くほど、自分の中に迷いはなかった。

 

「なら私に止める権限はないわね」

 

 艦長はアスランの意見に同意した。

 

「確かに私も、あれは無駄な戦い、無駄な犠牲だったと思うわ。あのまま地球軍と戦っていたら、こちらもどうなっていたかはわからないけど……」

 

 そうして、アスランの離艦は了承された。

 

 

 

 パイロットスーツに着替え、ロッカーの扉を閉めると、わずかな荷物だけをつめたパックを持ち上げた。

 本当に自分でも驚くほど、心は落ち着いていた。

 いや、艦長に言ったとおり「納得できない」という憤りは渦を巻いている。

 だが次の行動が見えているだけに、それを水面下にコントロールできている感覚だった。

 

(ナナもこんなふうにして進んでいたのだろうか……)

 

 ふとそう思いつつ、ロッカールームの扉を開いた。

 ドックに向かって歩きかけた時、横の壁に背中を張り着かせたセアの姿が視界に入った。

 

「セア……?」

 

 セアはその場に直立すると、両手をきつく握り合わせてうつむいた。

 

「どうしたんだ? こんなところで」

 

 セアはしばし無言だった。初めて会った時のように、怯えているようだった。

 

「オレはドックに行かなければならないから」

 

 そう言って彼女の横を通り過ぎる。

 今、自分が向かう先を誰にも告げる気はなかった。

 が。

 

「あ、あの……!」

 

 セアが意を決した様に言った。

 

「ど、どこへ行かれるんですか……?」

 

 今しがた告げた「ドック」ではなく、“その先”の目的地を彼女は尋ねていた。

 少々戸惑った。

 彼女から踏み込まれたのは、とても意外だった。

 

「あの、すみません……。ここに入られるのを見かけて……。オペレーションも入っていないのに……あの、疑問に思いまして……」

 

 消え入りそうな声に、アスランはため息をついた。

 そんなに話しかけるのが怖いのなら、その程度の疑問は忘れてしまえばいいのに……と思った。見なかったことにすればいいだけの関係だと、自覚もしている。

 そうして考えた。

 ではなぜセアは、ありったけの勇気を振り絞ったようにしてまで、この行動の意味を訪ねるのか……。

 彼女に限って、ただの好奇心であるはずはない。邪推して、上官に報告することが目的とも思えない。

 何故、彼女はここに居るのか……。

 もう一度そう問い返そうとした時、先にセアが口を開いた。

 

「どこかへ、行かれるのですか?」

 

 彼女の視線はうつむいたままだったが、アスランが持つ荷物をチラリとみていたのが分かった。

 そして今度は、「どこへ」ではなく「どこかへ」と尋ねてきた。

 ようやく気づいた。

 彼女が“心配”してくれていることに。

 心配されるだけの関係性を、彼女との間に作り上げられたとは思っていなかったが、それは間違いだった。

 

「セア、君には関係ないことだ」

 

 敢えてそれをぶち壊した。

 だが、本当にそれしか言いようがなかった。

 

「だが安心してくれ。艦長の許可はもらっている」

 

 彼女が安心する言葉を添えるのが精いっぱいだった。

 それでホッとして、黙って行かせてくれると思った。この行動が艦に害を成すものでないと知って、安堵の表情を浮かべると思った。

 だが。

 

「あの……!」

 

 セアが初めて顔を上げた。

 とても強い瞳だった。色は違ったが、ナナによく似ていた。

 驚いて通り過ぎることを忘れていたアスランに、セアは言った。

 

「アークエンジェルを探しに行かれるんですか?!」

 

 よほど無理矢理に声を出したのか、声は上ずっていた。

 が、アスランは圧倒された。

 彼女が自ら踏み込んできたことに。そして、ナナのように全てを見通していたことに。

 

「セア……」

 

 答えることもままならなかった。

 せめて「どうしてそう思ったのか」と聞きたかったが、言葉が出てこなかった。

 

「……そうですか……」

 

 沈黙を、彼女は肯定と受け取った。

 だが、続く言葉は無かった。彼女は疑問に思うことも、引き留めることもしなかった。

 

「すまない……セア」

 

 再びうつむいた彼女にかけたのは、謝罪の言葉だった。

 思い違いかもしれないが、彼女が純粋に自分の複雑な心情を慮ってくれていると、アスランは感じていた。

 引っ込み思案で消極的で、コミュニケーション能力が著しく低いセアであったが、それでも協調性はあった。

 そして誰よりも、周りのことを気遣う能力があった。

 それを、これまでの共同生活の間でアスランは知っていた。

 

「みんなにはまだ言わないでくれ。頼む」

 

 そう言い残し、アスランはようやく歩き出した。

 

「ザラ隊長……、あ、アスラン……!」

 

 震える声に呼び止められ、最後にゆっくりと振り返った。

 セアは大きく息を吸って、小さな声で言った。

 

「アークエンジェルの人たちとの……お話が終わったら……。ま、また……戻って来ますか……?」

 

 彼女の目に、「戻って来てほしい」というような熱望は無かった。

 それに失望はしなかった。彼女の気遣いだけを受け取った。

 

「さぁ……どうだろうな……」

 

 ため息のように答えて、彼女に背を向けた。

 もう、呼び止める声は無かった。

 

 あの震えるような瞳はやはり、ナナには似ていなかった。

 

 



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再会

 

 ミネルバを離艦後、アスランは周辺の港町を車で回っていた。

 ダーダネルス海峡から飛び去ったアークエンジェルが停泊しそうな範囲を割り出して、情報を得ようと考えていた。

 状況を鑑みると、それほど遠くへは行っていないはずだった。

 あの艦が高速艦だということは重々承知しているが、長距離を移動していると当然レーダーに感知されやすくなる。だからある程度あの海域から離れてからは、探知されにくい海底をゆっくりと移動するか、海底に留まっているのではと予測した。

 なかなか情報は得られなかった。

 港に出ていたどの船も、艦影を見かけるものは無かった。

 

 アスランは次の港へと向かった。

 好みのマニュアル車を走らせていた時、一瞬、視界の隅に見覚えのある人影を捉えた。

 急停車して、その名を叫ぶ。

 振り返った人物は、ミリアリア・ハウだった。

 奇跡のような出会いを経て、二人は互いの近況を語り合った。

 といっても、ミリアリアの誘導に添ってアスランが答えるばかりではあったが。

 自分がザフトにいると告げた時、彼女は嫌悪感を滲ませた。

 そう思われることはわかっていた。

 が、ここで自分の主張を語って、理解してもらおうとは思わなかった。

 今は明確な目的がある。

 アスランはアークエンジェルのことをきり出した。

 と、ミリアリアは「全てを知っている」と言いながら、大きなカバンからある物を取り出して見せた。

 それは、あの戦闘の様子を捉えた何枚もの写真だった。

 火を噴くMS隊。空を駆けるフリーダム。そして、煙を巻きあげながら落ちるグフイグナイテッド。

 彼女はアレを、全て見ていた。

 彼女がフリーの報道カメラマンとして活動していることは、ナナから聞いていた。

 あの戦場にまで、駆けつけていたのは驚きであったが。

 とにかくアスランは、これを好機だと思った。

 自分がザフトであることに疑念と嫌悪を抱かれていようとも、ミリアリアに頼るしか方法はなかった。

 だから、誠心誠意の心を込めて頼み込んだ。いや、うったえた。

 キラやカガリと話がしたい……と。

 

「今はまたザフトのあなたが?」

 

 やはり、責めるような口調で問われた。

 答える台詞は見つからなかった。

 だが、ミリアリアは少し考えた末、アークエンジェルとコンタクトを取ることを了承してくれた。

 

「繋いであげるわ。()()()()()にならね」

 

 ザフト兵ではなく、アスラン・ザラになら……。

 そういう意味を込めて、ミリアリアは言った。

 

「こんなこと、本当は誰だって嫌なはずだもんね。きっとキラも……」

 

 ミリアリアはそうつぶやいて、写真を仕舞った。

 その声が、やはり自分を責めているように聞こえた。そして、まるでナナが自分に言っているように思えた。

 ふと、ナナのことを想った時、静かな声でミリアリアが言った。

 

「イーリスには行ったの?」

 

 はっとして彼女の目を見た。

 悲しみを押し殺したような、絶望を滲ませたような目をしている。

 その目をアスランは良く知っていた。

 それは、ナナと親しかった者がナナのことを話すときにする目だ。

 ミリアリアとナナ……二人は戦友だった。

 二人とも正式な軍人ではなかったが、アスランからはそういう類の強い絆が見えていた。

 ナナはミリアリアのことを大切な友人に思っていたし、ミリアリアもナナの性格を良く理解していたように見えた。

 

『最初は怖がられてたんだけどね。でも、最後まで一緒に戦ってくれた』

 

 ナナは彼女のことをそう話していた。

 

『今では、数少ない私の大事な友達なの』

 

 とても嬉しそうだった。

 蘇るナナの姿をなだめ、アスランは答えた。

 

「行ったよ。ザフトに戻る前に……イザークとディアッカに連れられて……」

 

 ミリアリアはディアッカの名に一瞬嫌悪感を見せたが、何も言わなかった。

 

「あの碑に刻まれたナナの名前を見て、オレは思ったんだ。世界がまたこういう状況になって、今はオレが“ナナのように”進まなければ……と」

 

 力ない声だった。

 ちゃんと進めている自信が全く無いからだ。

 

「だからオレはザフトに入った。戦争をするんじゃなく、何かを変えるために。止めるために……」

 

 ナナがアークエンジェルに乗った時のように。

 そして、ナナがいつか再びアークエンジェルに乗る意志を持つ時のように。

 だがやはり、それが正しかったのかは良くわからなかった。

 ただ、ナナのように進もうと思って……その決意だけは折れないように意志を強く持って、ここまで来た。今はまだ何もできなくとも、進むことは辞めたくなかった。

 

「そっか……」

 

 ミリアリアはそう言ったきり、何も言わなかった。

 正直、再び責められると思った。

 だからといって、ザフトに入って戦う必要があったのか……と。

 また力を振りかざすことは、本当にナナの遺志に添うのか……と。

 自分でいつも自問していることだから、ミリアリアが言いたいことなど手に取るようにわかっていた。

 だが、彼女はそれについて何も言わない。代わりに、意外な言葉を口にした。

 

「あの事故の件……何かわかった?」

 

 先ほどまでとは違い、躊躇いがちに。

 

「え……?」

「こんなこと聞いてごめんなさい。でも……あの事故のことについて、あなたは何か聞いていないかと思って……」

 

 質問の意味がわからなかった。

 「あの事故」が何を指すのかがわかるだけに……。

 

「あれは……あの事故は……」

「わかってる」

 

 ミリアリアはアスランの喘ぐような声を遮った。

 

「こんな質問を……疑問を持つこと自体が、ナナの遺志にそぐわないってこと……」

 

 彼女は全てをわかっていて、それでも問うてきた。

 それはわかった。

 が、さらに混乱するようなことを、彼女は言う。

 

「でも、ジャーナリスト業界の中にはまだ、あの事故の真相を追っている人間がいるの」

 

 反射的に眉をひそめた。

 

「だが、それはっ……」

 

 ミリアリアが言った通り、ナナの遺志に反する行為だ。

 ナナは自身の死で世界が再び混乱しないように、あんなメッセージまで遺していた。

 それを尊重して、カガリも懸命に感情を押し殺して国民の前で演説したのだ。

 あれは「事故」だと。何の陰謀もない、ただの不運な「事故」だと。

 アスランも、誰かを責めたい気持ちを抑えつけて、そんなカガリを支えた。キラも、ラクスも……一緒に戦ってくれた。

 そのかいあって、オーブとザフトの戦争にはならなかった。地球連邦の介入を疑って、関係をこじらせるようなこともなかった。

 毎日、毎秒、言い聞かせた。

 あれは不運な「事故」である……と。

 それは心を殺すのと同じことだったが、ナナの最期の願いを叶えない訳にはいかなかった。

 

「ごめんなさい」

 

 ミリアリアはもう一度そう言った。

 

「でも、本当は何があったのか……。何もなくても、新たにわかったことがあれば、知りたいでしょう?」

 

 アスランは顔を背けた。

 知りたくないといえば嘘になる。

 だが、今は考えたくなかった。やっとの思いで奥底に埋めたものを、掘り起こしたくはなかった。

 

「オレは……」

 

 必死で、ナナの声に耳を傾けた。

 だが、聞こえてはこなかった。

 

「今は前に進むだけだ……」

 

 だから情けなく、己の意思を吐き出すだけだった。

 

「それを、ナナも……望んでいる……」

 

 ミリアリアも口をつぐんだ。

 否定も肯定もしない目で、テーブルに飾られた可憐な花を見ていた。

 

 

 

 



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夕暮れの孤島

 

 無人の孤島で、再会を果たした。

 夕日に染まった海。乾いた土。潮の風。

 まるで、オーブでキラと再会した時の光景に似ていた。

 フリーダムから降りたキラと、ジャスティスから降りたアスラン。そして、グレイスから降りたナナ……。

 オーブ軍が自分に向けて銃を構える中、ぎこちなくキラに歩み寄って、間抜けな挨拶を交わした。

 ナナは、それを見て泣いていた。まるで小さな少女のように、立ち尽くして泣いていた……。

 

 

「どういうことだ、アスラン!」

 

 が、あの時に比べても、互いの感情はさらに大きくすれ違っていた。

 

「なんで、なんでまたザフトになんか戻ったりしたんだ!」

 

 ミリアリアから今聞かされたばかりなのか、カガリは激しく動揺していた。

 

「その方がいいと思ったからだ。自分のためにも、オーブのためにも」

 

 アスランの心は落ち着いていた。

 自分はちゃんと、意思を掲げて進んで来た。ナナを想い、ナナのようにと選んできた。

 ただ理想だけで動く彼らとは違うと思っていた。

 

「何故あんな馬鹿なことをしたんだ?!」

 

 それをキラに向かって問いただした。

 

「おかげで戦場は混乱し、お前のせいで犠牲も出た。死ななくていい奴が死んだんだ!」

 

 キラを傷つけることはわかっていた。

 が、どうしても彼らの答えが欲しかった。

 いや、そうではない……彼らの行動を正したかった。

 だから、突っかかるカガリにも至極まともな台詞を返した。

 

「あそこで君が出て行って、素直にオーブ軍が撤退するとでも思ったのか?」

 

 カガリを傷つけることもわかっていた。

 

「君がしなけくちゃいけなかったのはそんなことじゃないだろう? 戦場に出て行ってあんなことを言う前に、オーブを同盟になんか参加させるべきじゃなかったんだ!」

 

 カガリはうつむいた。

 ナナを悲しませることだということもわかっていた。

 が……。

 

「でも、君が今はまたザフトの人間だっていうなら、これからどうするの? どうして僕たちを探してたの?」

 

 キラの問いに対し、きっぱりと己の意思を告げた。

 

「やめさせたいと思ったからだ。もう、あんな馬鹿なマネを……」

 

 ユニウスセブン落下事件のことはあるが、その後の混乱はどう考えても連合に非がある。 それでもプラントは、一日でも早くこの混乱を鎮めようと努力し続けている。

 キラたちはただ、状況を混乱させているだけだ……。

 そう訴えた。

 

「本当にそう?」

 

 だがキラは、プラントの真意を……デュランダル議長を疑っていた。

 そんないわれはないはずだった。

 議長は自分のよき理解者で、正しく力が使えるように道を示してくれた。

 戦乱を憂慮し、早期の解決のために己の危険も省みず行動を続けている。平和を願い、それを実現しようと……ナナの遺志さえ受け継いでプラントを導いている。

 それは、プラントのみならず、地球でもわかり得ることのはず。彼の演説や行動は、キラも知っているはずなのだ。

 が、キラは疑念を顔に浮かべ、低い声でこう言った。

 

「じゃあ、あのラクス・クラインは? 今、プラントにいるあのラクスはなんなの?」

 

 ニセモノのラクスのことを指摘して、さらに、驚愕の事実を突き付けた。

 

「なんで本物のラクスが、コーディネーターに殺されそうになるの?」

 

 キラはオーブでコーディネーターの特殊部隊とMSに襲撃されたことを明かした。

 そして、そのために自分は再びフリーダムに乗る決意をしたのだと。

 

「ラクスは誰に狙われてるの? なんで狙われなきゃならないの?」

 

 訴えとも問いかけともとれる口調でキラは言った。

 

「それがはっきりしないうちは、僕はプラントを信じられない」

 

 目の前に線を引かれた。

 だがアスランに、用意した答えは無かった。

 うっすらと心の隅に存在していた疑問がキラから明確に吐き出されて……答えられるはずもなかった。

 議長が偽のラクスを世間に見せる理由は直接聞いている。

 ナナを失った世界には、彼女の影響力が必要だと……。彼女が平和を訴えることこそが重要なことなのだと。

 その考えは理解できた。

 偽者の……ミーア自身も、自分に与えられた役割を理解し、懸命に努めようとしていることも知った。

 むろん、いささか滑稽だとは思った。世間を欺いていることに変わりはなく、完全に正しい方法であるとは言い切れなかった。

 それが、ずっと抱えていた疑問の正体だ。

 が、議長が本当に平和を願っていることもまた知っている。

 そんな方法をとってまで、ナナが願った未来を実現させようとしている姿を見てきた。

 だから、それでプラントや議長を信じられないというのは早計すぎるとキラに言った。

 プラントにだって色々な人間がいる。

 ユニウスセブン落下の事件だって、ごく一部の人間が暴走しただけかもしれないのだ。議長が知り得る範囲内の出来事でなかった可能性だって十分にある。

 少し稚拙な考えだと……、ラクスの命が狙われて頭に血が上っているだけだと……。そう思った。

 キラは納得しなかった。カガリは驚いた顔をしている。ミリアリアは残念そうにうつむいていた。

 

「その件はオレも艦に戻ったら調べてみる。だからお前たちはオーブに戻れ」

 

 カガリはますます目を見開いた。

 が、彼女の言葉を遮った。

 

「戦争を止めたい。オーブを戦わせたくないというんなら、まずオーブと連合との条約からなんとかしろ。軍が戦場に出て行ってからじゃ遅いんだ」

 

 まっとうなことを言っているつもりだった。

 きっと、ナナもカガリにそう言うはずだった。

 

「お前は戻らないのか? アークエンジェルにも、オーブにも……!」

 

 そのはずなのに、そう問われて一瞬息が止まった。

 戻るつもりがないことに、自分自身でも今さら気がついたのだ。

 

「オーブが……今まで通りの国であってくれさえすれば……行く道は同じはずだ……」

 

 言い訳のような台詞になった自分に嫌気がさした。

 

「オレは復隊したんだ! 今さら()()()には戻れない……」

 

 だから、唯一の支えである「己の意志」を吐き出した。

 ナナのように……と決めた意志。

 それだけは、失くしたくはなかった。

 

「それじゃあ……君はこれからもザフトで、また連合と戦っていくっていうの?」

 

 キラがカガリを抑え、わかりきったことを口にした。

 

「戦争が終わるまでは、仕方ない……」

 

 誰かがため息をついた。

 

「じゃあ、この前みたいにオーブとも戦う?」

 

 キラが続けた。

 

「オレだってできれば撃ちたくはない。でも、あれじゃあ戦うしかないじゃないか!」

 

 そう返した。

 ずっと淡々としていたキラまでも、今さら驚いた顔をした。

 

「連合が何をしているかお前たちだって知っているはずだ! 誰かがそれを止めなくちゃならないだろう!?」

 

 間違ったことを言っているつもりは無い。

 いたずらに戦渦を拡大し、いや、相手を滅ぼそうと平和の道を断っているのは連合の方だ。

 あれほどナナにすり寄って、過去を忘れ未来のことを考えていると主張していたくせに、全てが口先だけだった。

 その怒りは、消せるものではなかった。

 

「だから条約を早くなんとかして、オーブを下がらせろと言っているんだ」

 

 そんな連合に組したオーブもまた、怒りの対象でしかないのだ。

 

「でも、アスラン。それはわかってるけど……」

 

 うつむいたカガリの隣で、キラは静かに言った。

 

「それでも僕たちは、オーブを撃たせたくないんだ」

 

 綺麗な理想……それは、アスランの中にだって存在するものだ。

 

「オーブだけじゃない。戦って、撃たれて失ったものは、もう二度と戻らないから……」

 

 そしてそれは、今となっては簡単に口にできるようなものではないはずだ。

 この混乱した世界で、混乱を巻き起こした本人が、口にしていいものではないはずだ。

 

「今さら……そんな綺麗ごとを言うな!」

 

 何故、彼らは学ばなかったのか。

 ナナを見て、一緒に居て、ナナの見ていたものを見て、知って、考えて、変わったはずなのに……何故また、理想に逃げているのか。

 そう、思った。

 

「お前の手だって、すでに何人もの命を奪ってるだろう!」

 

 キラは瞳を震わせた。

 が、しっかりとした声で言った。

 

「うん、わかってる……。だからもう本当に嫌なんだ、こんなこと……」

 

 そこには強い意志が垣間見えた。

 

「撃ちたくない。撃たせないで」

 

 やはり、キラは変わっていた。

 彼に昔のような迷いはなかった。彼もナナに出会って変わったのだ。

 だから、なおのこと……だった。

 

「ならばなおのこと戦う理由は無い。あんなことはもう止めて、オーブへ戻れ」

 

 誰も答えなかった。

 

「いいな」

 

 強くそう言い残し、アスランは彼らに背を向けた。

 

「あ、アスラン……!」

 

 カガリが声を上げた。

 立ち止まり、肩越しに振り返る。悲しげに揺れる瞳を見つめた。

 ナナが悲しんでいる……。

 強くそう思った。

 カガリを護って欲しいと、あんなにも願って逝ったのに、自分はそれを叶えてやれなかった。

 自分に失望した。

 だが、そんなことしか遺さなかったナナにも失望した。

 

「理解できても、納得はできないていなんだ……」

 

 カガリから視線を外し、そう吐き出した。

 

 アスランは彼らを残し、セイバーで飛び立った。

 カガリは絶望した目でこちらを見上げていた。ミリアリアも苦しげな視線を向けている。

 キラだけは、じっとうつむいたままだった。

 

「ナナ……すまない……」

 

 アスランは操縦桿を握りしめ、己への絶望を口にした。

 

 

 



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ロドニア研究所

 

 鉛のような心……時々燻るそれを抱えながら、アスランは帰還した。

 帰るべき場所、自分の居場所……ミネルバに。

 だが、港に艦の姿はなかった。彼らが居たのは陸だった。

 

 

 すでに日は暮れ、人里離れたその場所に外灯などひとつもなかった。

 だが、アスランにはセイバーからミネルバの居場所がすぐに目視できた。

 何故なら、そこは煌々と灯りがともされ、バギーが行き交い、見るからに騒然とした雰囲気だったからである。

 着陸すると、グラディス艦長自らが出迎えた。

 彼女の顔色は異様なまでに悪かった。後ろに控える副長も。

 訳を聞くと、ここには地球軍のものと思われるある施設があり、クルーたちを探索任務に出したのだが、途中でレイが倒れたのだという。

 聞いた瞬間、地球軍の施設よりも「レイが倒れた」の方に動揺した。あの、いつでも冷静沈着なレイが……と思った。そんな姿は到底想像もつかなかったのだ。

 が、艦長の顔色が、それが真実であることを表していた。

 アスランはすぐに制服に着替え、施設内部の探索に同行した。艦長、副長、シンとの任務である。

 

 施設内に入ると、すぐに嫌な光景を目にした。

 白衣を着た大人たち。揃いの服を着て首輪を嵌められた子供たち……。全員が血まみれで通路の至る所に転がっている。

 ひどい匂いがした。死体はまだ新しいようだったが、薬品と、血と、かすかな腐臭が漂っていた。

 そして……、さらに見たくはないものを見た。

 大きな水槽のようなものに入れられ、チューブに繋がれた子供たちだ。

 まるでそこで培養されていたかのような……、“何か”の光景に似ていた。

 ここで彼らが何をしていたか……子供たちを“使って”何をしていたのか、一目瞭然だった。シンですら、その光景を目にしただけで気がついたようだった。

 やがて、壁一面に脳みそが保管された気味の悪い部屋に辿り着いた。そこにはまだ施設の情報が残っていた。

 艦長がそれを見てつぶやく。

 

「連合の“エクステンデッド”……」

 

 実際に()()と対峙したアスランには良くわかっていた。

 

「“エクステンデッド”……?」

「遺伝子操作を忌み嫌う連合『ブルーコスモス』が、薬やその他の様々な手段を使って作り上げた“生きた兵器”……」

「い、生きた兵器……?!」

「戦うためだけの人間ということよ。ここはその実験場。いえ……、製造施設ってことね」

「そ、そんな……」

 

 副長は言葉を失った。彼だけじゃない。皆が戦慄していた。

 照明は切れていたが、外からの明かりで互いの姿が確認できる。副長もシンも、肩を震わせていた。

 

「薬や色々なものを使って肉体を改造し、強化し、ひたすら戦闘訓練を課して、いわゆる人間兵器を作る。私たちコーディネーターに対抗できるようにね。適応できなかったり、訓練についていけない者は容赦なく淘汰されていく……。恐らく、ここはそういう場所なんだわ……」

 

 艦長の声は落ち着いていたが、相変わらず顔色は良くなかった。

 そしてアスランは、自身も同じような顔をしていることを意識した。

 

 

 全員がほとんど無言のまま施設を出た。

 本部として設置したテントに戻っても、副長は気分が悪そうだった。次々と回収され、運ばれていく遺体を見て、吐き気を抑えきれないようだ。

 シンは、徐々にこみ上げる怒りを感じているようだった。

 

「コーディネーターは自然に逆らった間違った生き物だって言っておきながら、自分たちはコレですか!? アイツら……本当に信じられませんよ!」

 

 それをぶつけられ、アスランはため息を返すことしかできなかった。

 まともな……大人らしい説明をしてやりたかった。エクステンデッドと戦ったことがある()()()として。その存在を()()()()()()として。

 そして……それについて、ナナと語り合った者として。

 だが、彼の憤りに見合う言葉が思いつかなかった。一緒に憤ることさえできなかった。

 ただただ、ため息が出た。

 ふと顔を上げた先に、施設のほうを見やるレイがいた。

 彼の表情はいつも通りの様子に見えた。そしてその後方には、心配そうに彼を見つめるセアの姿があった。

 シンによれば、最初の探索任務にはシン、レイ、セアの三人が就いたのだという。

 セアがあの惨状を目撃することはなかったようだが、レイの様子が突然おかしくなったのを目の当たりにしたのだろう。アレを見た自分たちと同じくらい、セアも激しく動揺しているようだった。

 が、レイやシン、セアにかける言葉を探す暇は与えられなかった。

 あのガイアが、こちらに向かって単機で接近しているのを索敵班が察知したのだ。

 現状で出動できるシン、セアと共に、すぐに機体に乗り込んだ。二人ともちゃんと動揺を抑え、自分のやるべきことを把握しているようであった。

 

≪なんとしても施設を護って!≫

 

 艦長からの命も下った。

 インパルス、レジーナと共に、セイバーは夜空に向けて飛び立った。

 

「彼らの目的が施設の破壊なら、何か特殊な装備で来ている可能性がある。爆散させずに倒すんだ」

 

 自分でも驚くほど冷静に指示をした。

 シンは不満げな声を上げたが、それが的確だった。

 もし施設の爆破を目的として相当量の燃料を積んでいれば、ガイアの爆発と同時に辺り一帯はかなりの広範囲で荒野となることになる。当然、自分たちもミネルバのクルーも無事ではすまないのだ。

 ビームをまともに当てるわけにはいかない。ビームサーベルでの破壊も駄目だ。

 自ずと戦い方は限られた。が、シンとセアがそういった戦い方を経験しているとは思えなかった。

 ガイアはどこか切羽詰まったような戦い方をした。

 捨て身とまでは行かないが、パイロットが何か強い目的に突き動かされているように見えた。それは経験上、MS対MSの戦闘で最も手が付けられない状態だった。

 

「シン、下から回り込めるか?」

 

 ガイアからの攻撃により、真黒な森に落ちたインパルスに言った。

 

≪やってますよ!!≫

 

 当ててはいけない。が、当てなければやられる……。

 戸惑いながら操縦桿を握っていたシンとセアだったが、三機の連携でついにガイアを地上に落とすことができた。

 地を揺らし、木々をなぎ倒しながら、ガイアは尻餅をついて止まった。

 シンが抉ったコックピットから中の様子が見えた。

 モニターに拡大して映す。

 パイロットは女だった。

 それを認識した時、インパルスはすぐに動いていた。

 ガイアの側に着陸すると、シンはコックピットから降りて、ガイアの元へ駆け寄った。

 セイバーとレジーナは、木々の生い茂った森に着陸できそうなところを探した。

 その間にも、シンはガイアからそのパイロットを降ろし、介抱しようとしていた。

 

「シン! 何をするつもりだ?!」

 

 ようやく降りたアスランの声も聞こえないようで、シンは彼女を抱えたままインパルスに取って返した。

 

「シン!」

 

 レジーナから降りたセアの声も、シンの耳に入っていなかった。

 

「セア、ガイアを調べてくれ。慎重にな!」

「は、はい……!」

 

 セアが目を潤ませながらもはっきりとうなずくのを確認すると、アスランもセイバーに戻った。

 本部に通信を入れながらインパルスを追う。

 シンの行き先はミネルバだった。

 シンがミネルバで彼女を治療させようとしていることは、もう聞かずともわかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 同じ頃、海の深い深いところで、キラは海底に沈んだ都市を眺めていた。

 こんなにも人の住む世界から離れた場所に人が造った物が存在するのは、不思議だった。

 だが、その欠片は人間の祈りの行く末のようで、とても幻想的に見えていた。

 ここに沈むそれらのように、心を穏やかに鎮めたかった。

 が、それは叶わない。

 アスランとの再会が、心を激しく波立たせていた。

 

「キラ」

 

 しばらく戻らない自分を心配したのか、ラクスが現れた。

 

「アスランのことを?」

「うん」

 

 素直にうなずいた。

 アスランの言ったこと……本当はわかっていた。

 あの場ではわかり合えなかったが、彼の意思を良くわかっていたし、彼がそうせざるを得なかったことも理解していた。

 それに、もしかしたら自分たちは初めから全部を間違っていて、全て彼の言うとおりなのかもしれないということも。 

 それらの感情を、ラクスに零した。

 

「僕たちはどうするのが、一番いいのか……」

「わかりませんわね……」

 

 ラクスは優しく同意した。

 そして言う。

 

「きっと、ナナにもわからなかったのだと思います」

 

 思いがけない言葉に、彼女の横顔を見つめた。ラクスはとても落ち着いた表情をしていた。

 

「ナナにだって、わからないことはあったのだと思います。でも彼女は……自分で見て、見つけて、選んでいた……。そうではありませんか?」

 

 その言葉は、柔く胸に刺さった。

 

 ナナのように……。

 ナナだったら……。

 

 そう思って、歩いていたつもりだった。きっと、アスランも……。

 だが、それは少し違ったのだ。

 ナナはいつも皆を導いた。その眼にはちゃんと進むべき道が見えていて、そこを歩くためにはどうすればよいかわかっていた。

 そして、阻むものとは戦った。

 だが……ラクスの言う通りだ。

 ナナにだってわからないことはあった。迷うこともあった。

 ナナの優れていたところは、その中でいつでも一番大切なものを見極めて選び取ったところだ。願う未来が、いつでもぶれないところだったのだ。

 

「ですから……」

 

 ラクスはゆっくりと言った。

 

「私も見てまいりますわ……プラントの様子を」

 

 驚くべき決意だった。

 

「道を探すにも、手がかりは必要ですわ」

「それは駄目だ!」

 

 慌てて止めた。プラントに命を狙われた者が言い出す言葉ではなかった。

 が、ラクスは強い瞳でこちらを見上げ、言った。

 

「アークエンジェルに乗り込んだときのナナも、きっと同じ決意を持ったのだと思いますわ」

 

 急に呼び覚まされた記憶。ヘリオポリスで突如として戦争に巻き込まれ、ナナと出逢い、ぶつかり合った。

 あの時のナナも……今のラクスのように決意していたのだ。

 道を選ぶためには、自分自身の目で全てを見つめる必要がある……と。

 画面越しの議長ではなく。紙面上の評議会の様子でなく。自分の目に映さねば……。

 たしかに、ナナならばそうする。それだけは断言できた。

 だが、そんなに危ない道を、ラクスに行かせるわけにはいかなかった。

 だから止めた。が、ラクスは楽しげに首を振る。

 

「大丈夫です、キラ」

 

 再びフリーダムに乗る時に、自分が彼女に言った台詞だと、すぐにわかった。

 

「わたくしももう、大丈夫ですから」

 

 ラクスの瞳に浮かぶ光に、本当の意味で“ナナの遺志を継ぐ時が来たのだと、キラは感じた。

 世界に向かって、飛び立つ時……。

 その先がどうなろうとも、思い描くものだけは大切にしなければならないと、心に刻み込んだ。

 

 

 



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冷めたスープ

 

「あの……」

 

 少し離れたところから声がした。

 横を向くとトレーを持ったセアがいた。

 彼女は迷いつつも二つ隣の席に腰かけた。そして、トレーを引き寄せながらささやいた。

 

「あ……会えたんですか……?」

 

 今、考えていた“彼ら”のことを、セアは尋ねてきた。

 

「ああ……」

「は、話を……?」

「ああ、できたよ……」

 

 とても無機質な会話だった。

 彼女が心配してくれていることはわかっていたが、どうにもできなかった。それに、セアのほうからそれ以上のことは聞かれなかった。

 ただ。

 

「よ、よかったです……。戻って来られて……」

 

 社交辞令かどうかわららない言葉を、うつむき加減に言われた。

 

「ありがとう」

 

 なんとなくそう言った。

 心配してくれたこと。それから、皆には黙っていてくれたであろうこと。今も、仏頂面の自分を気遣ってくれていること。

 全部含めてのはずだった。

 

「あ、いえ……」

 

 セアは頬を赤くして、スプーンを持ったまま固まった。

 アスランも、自分の眼下のトレーに視線を落とした。

 さっきから、一口も手をつけていない。すっかり冷めた料理が、褪せて見えた。

 

「あ、あの女の子のことですけど……」

 

 場を取り繕うように、セアはスプーンを手にしたまま話し始めた。

 

「“エクステンデット”というので、間違いないということで……その……色々、身体をいじられちゃってるって、聞きました……」

 

 視線はまっすぐ、スープに向いている。

 

「ドクター・リューグナーも診察したようで……、記憶ですら、薬か何かで操作されているようだって……言ってて……」

 

 セアが「ドクター・リューグナー」と言ったのは、彼女の診察を受け持つ専属の医師、グアルデ・リューグナーのことだった。

 艦の軍医とは別に、デュランダル議長の命を受けてミネルバに乗艦していると、たしかルナマリアが言っていた。専門が脳科学や心理学で、セアの事故後の身体的、精神的ケアを担っていた彼女が、患者のセアとともに乗艦したのだとか……。

 艦長より少し若いくらいだが、いつも無表情で、挨拶程度しか言葉を交わしたことはなかった。

 が、セアは彼女のことをとても信頼しているようだった。

 

「それで意識が混乱して、暴れちゃったとか……」

「ああ、そのようだな」

 

 いつになく一生懸命に話そうとしているので、アスランは相槌を打った。

 

「シンが、すごく心配してて……あの……シンとあの子、知り合いだったんです……よね?」

 

 問われたが、視線は向けられなかった。

 

「ディオキアで出会ったらしい。あの遭難の時の……。オレも救助の際に会ったが……確かに、少し雰囲気が変わっていた」

「そ、そうなんですか……」

 

 セアはフッと息をついて、スプーンを置くと、グラスの水を飲んだ。そうしてまた、息をつく。

 

「かわいそう……ですよね。でも……あの子は、ガイアのパイロット……なんですよね……」

 

 自問しているのか、答えが欲しいのか、良くわからないくらいの呟きだった。

 

「レイもあれから元気がないみたいだし……。ルナも……何かの用事から帰って来てから、口数が少ないし……」

 

 アスランが黙っていると、セアはとうとう手を膝に置いてそう続けた。心から、仲間たちのことを案じているようだった。

 

「君は、大丈夫なのか……?」

 

 その中に自分も含まれているかと思うと、すまない気持ちになった。

 

「え? あ、は、はい。私はなんともありません……!」

 

 セアはやっとこちらを向いて、びっくりした様に答えた。

 

「そうか」

 

 我ながら情けない反応だった。

 この状況下で“先輩”として何の助言もできなくて、おまけに心に酷いトラウマを抱えているであろう少女に心配されて……。

 安い言葉に対しても必死で答えるセアに、申し訳がなかった。

 

「食べないのか?」

「あ、はい! 食べます! 食べないと……」

 

 セアはスプーンを取り上げて、トレーと向き合った。

 

「あの、アスランも……」

 

 そして、横目で全く手つかずのこちらのトレーを見やる。

 

「ああ、そうだな……」

 

 実際、全く食欲は無かった。

 だが、これ以上セアに心配をかけたくなかった。だから、重い腕を持ち上げて、スプーンを手に取った。それを見て、心なしかセアが笑った気がした。

 が、結局、冷めたスープは口元に運ばれることすらなかった。

 食堂内にアラートが鳴り響く。

 続いて、ブリッジから「コンディションレッド」の発令。

 

「行くぞ」

「は、はい!」

 

 二人とも、手にした食器を取り落としたまま、食堂から飛び出した。

 セアは不安げな顔をしながらも、しっかりとした足取りでついてきた。

 アスランには迷いがあった。

この事態の原因がオーブだったとしたら……。

 まだ、キラに問われたことの答えが出てはいなかった。

 

 

 

 



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泣いてなどいなかった

 

 クレタ沖で開戦した。

 地球軍、オーブ軍の数に圧倒されたミネルバは、みるまに追い込まれた。艦のあちこちに被弾し、真黒な煙と真っ赤な炎をまとっている。

 アスランはまたもカオスと交戦していた。

 アビスはインパルスが食い止めている。

 艦上から、ルナマリアとレイが応戦した。迫り来るMSやミサイルを撃ち落とし、どうにか艦を護ろうとしている。

 セアも懸命にレジーナを操った。

 最も空中戦に優れている彼女の機体は、どのMSよりも軽快に空を駆け、次々と敵を薙ぎ払っている。

 が、敵機の数が多すぎた。

 そもそも、相手は空母数隻の大連合艦隊なのである。戦力の差は素人でもわかるほどだった。

 わずか十数分の間に、もうミネルバは原型を留めていなかった。海に浮かんでいるのも不思議なほど、小破……いや、中破の状態だった。

 ムラサメが一機、レジーナの脇をすり抜けてミネルバに迫った。

 それが狙うのはブリッジだった。

 もう、そこを守るものはない。

 レジーナもセイバーも懸命に取って返そうとしたが、ムラサメはすでにライフルの引き金に手を駆けていた。

 だが、撃たれることはなかった。

 空から一条の光が差し込んで、ライフルだけを突き抜けた。

 ミネルバを護ったのは、フリーダムだった。

 

 

 再び現れた彼らの姿に、アスランは奥歯を噛みしめた。

 オーブへ帰れと言ったのに……。

 彼らはまた、戦場に現れた。ナナの意志を模倣しただけの理想を掲げて。

 彼らの登場で、やはり戦況は混乱を極めた。

 相変わらず、カオスは執拗に攻撃を仕掛けて来る。それを避けつつ、懸命にキラやカガリとの交信を試みた。

 カガリは相も変わらず、ストライクルージュで戦場に躍り出て、オーブ軍に停戦を訴える。

 想いは正しい……。意志は間違っていない。

 だが、今、この状況でオーブ軍が下がれるはずもない。同盟を結んでしまったのだから、地球軍との共同作戦を一方的に反故にすることなど、できるはずがないのだ。

 たとえば、ナナのような絶対的指導者でもいない限り。

 だからアスランはまた叫んだ。

 カガリのすべきことは“こんなこと”じゃないと。

 そして戦況はやはり、彼女の思惑通りには動かなかった。

 ムラサメはカガリの言葉を無視し、ミネルバに迫った。艦隊からの砲撃も続く。

 その手に握りしめる力が、どれほど弱いか思い知った。

 と、混乱を極めた空に、いや、アスランの心に、声が響いた。

 

≪敵ですか?≫

 

 いつものように遠慮がちでない、はっきりとしたセアの声だ。

 

≪フリーダムは敵ですか?≫

 

 指示を求めている。

 呼吸はとても落ち着いていて、彼女だけは何も乱されていないように聞こえた。

 

「え……」

 

 その質問に、答えることができなかった。何故、セアが自分にそう聞いているのかもわからなかった。

 

≪敵なら、私が倒します≫

 

 レジーナはすぐそばまで来ていた。

 

≪ストライクルージュも、倒しますか?≫

 

 右腕に握ったビームサーベルを、フリーダムとストライクルージュに向けて構えた。

 

「だ、だめだ……!」

 

 かろうじて口を動かした。

 

「だめだ、セア……あれは……!」

 

 サブモニターが、レジーナのコックピットを映した。

 ヘルメット越しに、静かなセアの瞳を見た。まっすぐに、自分を見ている。

 

≪わかりました≫

 

 表情はわからなかった。が、彼女の瞳に何か強い光を見た。

 

「セア……!」

 

 レジーナはセイバーを追い越した。その先には、フリーダムとストライクルージュが居る。

 フリーダムはストライクルージュをかばうように前に出た。そして、ビームサーベルをレジーナに向ける。

 

「待て、キラ! セア!」

 

 背筋が冷えた。

 二人を戦わせたくなかった。今ぶつかれば、レジーナはこの空で散ることになるのは明らかだった。

 だが、レジーナはそのままフリーダムの横をすり抜けた。

 ストライクルージュをも置き去りにして、レジーナはその翼で鳥のように滑空し、ミネルバを攻撃するMS隊に向かって行った。

 安堵と困惑が入り混じった。

 が、それを整理する間は当然与えられなかった。

 カオスが来た。フリーダムも、戦いに加わった。

 アスランは、精一杯カオスの攻撃をかわしながら、フリーダムを追いかけた。

 が、言葉はやはり届かなかった。

 フリーダムは、二機の間に介入してきたカオスを落とした。撃ちたくないと言っていたキラが、またその力を振るったのだ。

 キラの矛盾を止めたかった。ナナの意志と言ってただ戦場をかき乱し、いたずらに犠牲を増やすだけの矛盾を止めさせたかった。

 今……ナナは泣いている。

 空の上で、この惨状に泣いている。

 そう思った時……。

 

≪カガリは“今”泣いているんだ……!≫

 

 キラが言った。

 

≪こんなことになるのが嫌で、“今”ここで泣いているんだぞ! 君はどうしてそれがわからないんだ?!≫

 

 “今”泣いているのは……カガリだとキラは言う。ここで、この世界で……。

 そう、たしかに彼女は泣いていた。ストライクルージュで現れ、オーブ軍を説得しようとして、だが全ての言葉を撥ね付けられ……己の無力さに泣いている。後悔と絶望と、虚無感に泣いている。

 

≪この戦闘も犠牲も仕方がないことだって……。全てオーブとカガリのせいだって、君はそう言うのか?! そして君は撃つのか?! 今カガリが護ろうとしているものを!≫

 

 キラの叫びに、返す言葉はひとつもみつけられなかった。

 

≪だったら……僕は君を撃つ……!!≫

 

 だから、勝てるはずもなかった。想いを貫くことすらできなかった。

 キラの刃は、自分のそれが中途半端な鈍らであることを思い知らせるように、セイバーを簡単に切り裂いた。

 力を奪われ、落下した。

 

 

『あのコを護って』

 

 

 また、ナナの声がした。

 それはとても優しくて、泣いてなどいなかった。

 

 



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想いを同じくするのなら

 

 

「ユウナ様はどうぞ脱出してください……!」

 

 相手の胸倉を掴んで、トダカはそう言った。

 怯えていた。無知だった。虚飾まみれの虚しい権威だった。

 それを全て知っていた。

 自分だけでなく、副官も、他の兵士たちも、国民も……。

 だが、彼が今のオーブの長だった。

 

「ミネルバを落とせとのご命令は、私が最後まで守り通します!」

 

 その長が命じたことは、自分だけで実行しようと決めた。

 艦と兵たちを失った責任も、自分ひとりが負うつもりだった。こんな無意味なことを、他の者にさせられるわけもなかった。

 

「これで、オーブの勇猛は世界中に轟くこととなりましょう!!」

 

 欲しいものはくれてやろうと思った。

 彼のためなどではない。オーブという愛すべき国が、失われないために。

 

「総員、退艦!!」

 

 トダカはそう命じた。

 共に残ると主張するアマギに、“後のこと”を全て託した。

 “何”の後か……。

 軍の……ではない。

 

「すでにない命と思うのなら、想いを同じくする者たちを連れてアークエンジェルへ向かえ!!」

 

 国の……でもない。

 

「それがいつかきっと、道を開くことになる……!」

 

 少し前まで、世界の一番先で平和への道を切り開いていた“あの方”の背が見えた。

 

「我らは進むべき道を知っているはずだ。“あの方”が示してくださったのだから……!!」

 

 

―――――――――――――――

 

 

「それで、実際はどう思う?」

 

 

 国の外交を担い、『世界連合特別平和大使』でもあるその方が、気さくに話しかけるにはずいぶん身分が違い過ぎた。

 

「は、はぁ……」

 

 トダカは軍人らしからぬ、気の抜けた返答を漏らした。

 

「アークエンジェルのこと、本当は反対だったりする?」

 

 だが相手は十代の少女が持つような爽やかな空気をまとい、「近所のおじさん」にでも話しかけているかのようだ。

 

「い、いえ……」

「トダカ一佐、ちゃんと考えてくれてる?」

 

 少し怒ったような口調も、どこか余裕がある。

 気軽に聞くには重たい内容の質問なのだが、あくまで世間話といった体でいた。

 

「は、はい。失礼しました!」

 

 まっすぐな彼女の目を見て姿勢を正し、トダカは先日アスハ家の私邸で知らされたアークエンジェル計画についての感想を述べた。

 もちろん、反対ではないこと。あの屋敷で述べたことは、建前やおべっかではないということ。そして、計画に込められた意志を尊重することを伝えた。

 

「そっか、よかった」

 

 護衛部隊の視察に来ていた世界的重要人物……ナナ・リラ・アスハはそう言って笑った。

 

「あの時は大勢いたでしょう? ひとりひとりの個人的な意見をちゃんと聞けなかったから」

 

 その姿は普通の少女のようだった。

 

「それでは、他の者たちにもそれぞれ確認にまわるのですか?」

「確認って……固いな。そのつもりだけど、トダカ一佐には一番最初に聞いておきたかった」

「わたくしが最初で?」

「そう。だって護衛部隊でしょう? もしかしたらアレと最初にやり合う可能性があるから」

 

 ナナは腕を組み、ブリッジの中を見回した。

 この護衛艦隊空母『タケミカズチ』のブリッジにいるのは、ナナと自分だけである。副官を含め、あの秘密の会合を知らぬ者は下がらせていた。

 

「もし本当に……」

 

 トダカはひとつの疑問を口にした。あの日から考えていた、具体的な疑問だった。

 

「ナナ様がアークエンジェルで立つことがあれば……私はこの艦でお供してよろしいのですか?」

 

 ナナはまっすぐこちらの目を見て、すぐに噴き出した。

 

「ダメに決まってるでしょう? この艦はオーブを護る艦なんだから!」

「しかし……」

 

 たしかにあの時、ナナはこう言っていた。

 

『私の理想は……、もしそうなったとしたら、ここにいるあなたたちと私で……“内”と“外”でオーブを護っていきたいって……そういうことなの』

 

 ナナがアークエンジェルで発ち、外からオーブを護るのなら、自分たち軍人は内側から国を護る……それが理想だと。

 だが、あれ以来、トダカは疑問を抱いていたのだ。

 ナナと想いを同じくするのならば、軍としてもとるべき道があるのではないかと。

 ただ一辺倒にオーブという国を護るためだけに力を使うだけじゃなく、世界を護るためにできることもあるのではないかと。

 実際、ナナはオーブだけを護ろうとしてアークエンジェルを“私的に”蘇らせていたわけではなかった。世界の平和のため、争いを削ぐために、その力を使おうと考えていたのだ。

 だったら、それに手を貸すことは許されるのではないか……。

 その想いを伝えたかった。

 軍人は特に口下手なものである。自分もその一人だと自覚している。

 

「でも、トダカ一佐……」

 

 だから言葉を探しているうちに、ナナが先に口を開いた。

 

「想いを同じくするのなら……」

 

 窓の外の海を眺めていた。その先に広がる、真の平和を見つめているようだった。

 とても大人びて見えた。

 国民に向けて話す時とも、国連で演説するときとも、秘密のドックで意志を告げたときとも違う、母性すら滲ますような優しい顔だった。

 

「進むべき道が……きっと同じに見えると思うの」

 

 思わず息を呑む。

 何故、そうまで確信できるのか。若い身空で、ここまで来るのにいったいどれほどのことがあったのか。

 そう思わざるを得なかった。

 

「大事なのは想いだと思う」

 

 ナナは急に無邪気に笑った。

 

「諦めちゃダメ。強く想って、それを繋げないと……“先”へは進めないよね」

 

 うなずくことすらできなかった。単語のひとつひとつが、胸をうつようだった。

 

「だからトダカ一佐」

 

 姿勢を正す暇もなく、ナナは疑問に対する答えを告げた。

 

「あなたがどう判断しようとも、想いが同じであれば、それは間違いではないと思います」

 

 彼女の言葉には覚悟があった。

 実際、未来についてどの程度の想像ができているのかはわからない。何を想定してアークエンジェル計画を立て、自分たち一部の軍人にそれを明かしたのかはわからない。

 それでも彼女は、何があっても揺るがぬ覚悟ができている。

 想いをぶれさせない、意志を歪めないという覚悟が……。

 

「……なんて、ベテランの軍人さんに対して偉そうに言うとこじゃないよね!」

 

 ナナの快活な笑い声が、ブリッジに響いた。

 いつもへの字に下がるトダカの口元も、つられて上に上がった。

 

「ナナ様」

 

 ベテラン軍人の……その自分の持つ“覚悟”の、なんと浅かったことか。

 そう思うと笑うしかなかったのだ。

 それに、これからはその“覚悟”も本物になると思うと嬉しかった。

 

「ようやく、私にも“本物の覚悟”ができました」

 

 トダカはそれを告げた。

 

「私がどう進もうとも、あなたと想いは同じです」

 

 ナナは何も言わず、満足げにうなずいた。そして、右手を差し出した。

 迷わずそれを握る。

 細くて小さい、少し冷たい少女の手だ。

 

「ありがとう、トダカ一佐」

 

 礼なんてとんでもない。“真の覚悟”を持たされて、軍人としてこの上ない喜びだった。

 だから、黙って眼を伏せる。

 

「他のみんなの真意も……そうだといいけどな」

 

 ナナがそう言うので、それは心配ないはずだと答えた。ティリングを初め、皆、自分のように思い知ることになるのだ。復活したアークエンジェルの前で聞かされた意志が、自分が思っているより固く強く、清いものだということを。

 

「まぁ……そういうことにならないようにするのが、当面、私のシゴトなんだけどね!」

 

 また普通の少女のような口調でつぶやいて、ナナは海を見つめて笑った。

 波は穏やかで、日の光を受けて煌めいていた。

 海を見慣れたトダカの目に、その光景は最も美しく映った。

 

 

―――――――――――――――

 

 

『想いを同じくするのなら……すすむべき道が……きっと同じに見えると思うの』

 

 炎に包まれ始めたブリッジでひとり、トダカはあの日のことを思い出した。

 

『あなたがどう判断しようとも、想いが同じであれば、それは間違いではないと思います』

 

 その言葉を胸に、こんなにも国から遠く離れた海まで来た。ユウナ・ロマ・セイランという、どうしようもない指揮官を戴いて。地球軍の犬のようになり下がって。撃ちたくもないザフトの艦を撃って。

 なんとしてもオーブを護ろうとした。再び燃え上がった戦いの火を鎮めたかった。

 ナナの言葉がなければ……もうとっくに軍を退いていた。辞めるという行為でもって、今のオーブに反旗を翻したかった。

 だが……想いは胸の奥で強く光り続けていた。

 ナナと同じ想い。

 ナナはいなくなってしまっても、それは確実に遺り、受け継がれたのだと思いたかった。

 だから、部下たちに託した。

 自分はもう終わってしまう。誰かがこの戦いの後始末と責任を負わなければならない。それはユウナなどではなく自分の役目だ。

 悲しくはない。胸を張ってブリッジに立ち続ける。

 ナナと同じ想いを持って、オーブの立ち場を護った。取り返しのつかないほどに犠牲が出てしまったが、せめてこれ以上は増やさずに終わらせよう。

 カガリは救えなかった。

 ナナのいないアークエンジェルと、共に進むことはできなかった。

 だが、想いは貫いたという清々しさがある。

 そしてそれを、部下たちに引き継いだということも……。

 

「ナナ様……」

 

 あなたがいれば……。

 

 考えないようにしてきたことを敢えてつぶやいて、誰も居ないブリッジで笑う。

 目の前に、ザフトのMSが現れた。パイロットの姿はもちろん見えない。声も聞こえない。

 が……ほとばしる激しい怒りを感じた。

 猛々しく、荒々しく、それは太刀を振りかざした。

 アークエンジェルにはカガリがいる……。きっとまだ、ナナの意志はそこにある。

 彼らは進み続けるだろう。ナナが示し、目指した道へ。

 とても満足な気分で、トダカは最期を受け入れた。

 

 怒りの刃が立てた炎は、とてもとても、熱かった。

 

 

 



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デストロイ

 

 クレタ沖での戦闘以来、シンとの間にできた溝がどんどん深まっていくのを、アスランは肌で感じていた。

 自分に対して失望したような台詞を言われたところまでは良かった。

 クレタでの活躍で、シンは今、己の力を過信している。だからその身が危ないほどに自身が溢れ返った時は、ちゃんと諫めてやろうと思った。シンが自身の身を亡ぼさんとする前に……。

 だが、事はもっとこじれてしまった。

 あの後すぐに、シンは思いもよらぬ行動をとった。

 連合のエクステンデッド……捕虜となり医務室で加療中だったガイアのパイロットを、シンは艦から連れ出して、あろうことか地球軍に返してしまったのだ。

 気持ちはわかった。

 シンが彼女のことを特別に気にかけているのは知っていたし、彼女の病状は悪化の一歩を辿っていたと聞いていた。地球軍に返して、ちゃんとした治療を受けさせたいと、シンは思ったのかもしれない。

 だが……、シンはそのためにいくつもの軍規違反を重ねた。

 彼女を連れ出すとき、艦の兵士へ暴行を働いた。無断でインパルスを発進させ、敵軍と接触した。

 普通に考えて、銃殺刑は免れようもなかった。

 「何故そんなことをしたのか……」、いや、「そんなことをしても何も変わらない」と話すために彼が幽閉された営倉を訪れた。

 暗い独房の前で、鉄格子越しに話をした。

 が、心はすれ違うばかりだった。

 あげく、シンを手助けして同じく幽閉されていたレイに、「終わったことを話しても無駄なだけだ」と吐き捨てられる始末……。

 

 艦内は嫌な空気に満ちていた。

 敗戦……とはいえないが、甚大な被害を受けていたうえに、規律が乱されて兵士たちは混乱していた。

 艦長も苛立ち、副長は困惑していた。

 ルナマリアは自身も負傷していたうえ、シンとレイの行動に当惑し……セアは今にも泣き出しそうな顔をうつ向けていた。

 

 さらに状況がこじれたのは、シンに対する司令部の判断が降りてからだった。

 司令部がシンに下したのは「不問」。つまり、罪には問わないという信じがたいものだった。

 混乱する周囲に対し、シンは鼻で笑った。

 司令部には、自分をわかってくれる人がいる……と。

 まるでこの艦に、自分の味方はひとりもいないとでも言うかのように。

 

 

 そんな状況の中でミネルバが司令部から言い渡されたのは、地球軍からの襲撃を受けるベルリンへの援護だった。

 ブリーフィングルームに、重い沈黙が流れていた。

 コンディションイエローが発令されてから集合したパイロットのうち、パイロットスーツに身を包んで現れたのはシンとセアの二人だけだった。

 アスランはセイバーを大破させていたし、ルナマリアは自身の身体に傷を負っていた。レイのザクも今は出られる状況ではない。

 あのクレタの死闘を無事に切り抜けたのは、インパルスとレジーナのみであった。

 やがてコンディションレッドが発令され、艦長から直々に指令が下された。すでにフリーダムが地球軍と交戦中ということも告げられた。

 シンはモニターに向かって反抗的な物言いをすると、共に向かうはずのセアを置き去りにしてドックへ向かった。

 かける言葉はなかった。

 このままの状態では危険だ……という嫌な予感がした。

 シンの腕は確かだし、それはすでに証明されている。だが今の状態で『戦場』に立つのは危険だという予感がしていた。

 同じく、ルナマリアも不安げな顔でシンの背を見送った。レイは冷静なまま、ただソファーに腰かけていた。

 

「あ、あの……」

 

 沈黙の中で口を開いたのはセアだった。

 シンに置いて行かれ、取り残されていた彼女は、アスランとルナマリアに向き合った。

 そして。

 

「だ、大丈夫ですから!」

 

 笑みを浮かべてそう言った。

 

「セア……?」

 

 彼女を良く知るはずのルナマリアでさえ、戸惑うほどの明るい声。

 

「シンと私とで、ちゃんとこの艦を護ってみせますから、安心してください!」

 

 両の拳を握って、細い肩をいからせて、精一杯こちらを安心させようとしている。

 

「ベルリンの町から地球軍を追い出して来ます」

 

 だが、目もとや口元は密やかに引きつっていた。

 

「シンと無事に帰って来るので、待っていてください!」

 

 明るく強い声。戦闘前には見せないはずの、自信たっぷりの笑み。強気な発言。

 全てが、アスランの知っているセアではなかった。

 

「セア……」

 

 そして、ルナマリアも。

 

「ルナ、傷に触るからじっとしてなきゃダメだよ! アスランも、そんなに心配しないでください。胃が痛くなっちゃいますよ!」

 

 セアはにこにこと笑って、最後にレイに声をかけると走り去った。

 

「あのコ……」

 

 しばらくして、ルナマリアが吐息をついた。

 アスランにもわかった。セアは彼女なりに自分の立場を良く考えたのだ。

 機体も無事で、怪我もしていない自分がしっかりしなければならない……と。戦力が大きく削がれたこの艦で、自分は皆を護るべき立場なのだと。

 少し変わってしまったシンのサポートをして、残された者たちの不安を拭って、戦って、ちゃんと帰って来る……と。

 それだけじゃない。

 彼女はこの歪な艦の空気も変えようとしている。あえてらしくない元気で強気な発言をして。

 恐らくは、最も苦手な作業だろうに……。

 

「正直ショックですよ」

 

 ソファーに腰かけながら、ルナマリアがため息まじりに。

 

「あのコにあんな生意気なこと言われちゃうことになるなんて」

 

 その顔は本当にショックを受けているようでもあり、どこか嬉しそうでもあった。

 アスランも腰を下ろした。

 また一粒、己の無力さを噛みしめながら。

 

「映像出ます」

 

 ただひとり、セアの態度に何も感じていないようなレイが、冷静にモニターを操作した。

 そこに、信じられない光景が映し出された。セアの精一杯の笑顔すら、消し飛んでしまうような……。

 焼け堕ちた都市。

 黒い煙と瓦礫の中に、超大型の物体が立っていた。制御を失った兵器のごとく、火を噴き、町を焼き尽さんとしている。

 まるで悪魔だ……。

 艦長が告げた通り、そこにフリーダムがいた。アークエンジェルも。

 インパルスとレジーナは、そこへ飛び込むことになる。

 再び嫌な予感が押し寄せた。

 セアが目いっぱい勇気を振り絞ってくれた言葉も、もうかすんでしまうほど。

 巨大な悪魔は、モビルスーツに変形した。それこそ、本当に世界を破壊しつくす悪魔のようだった。

 キラですら手こずっているように見えた。

 そこにインパルスが割って入る。レジーナは、カオスと対峙した。

 手に汗が滲む。

 さすがのレイも、食い入るようにモニターを見つめている。

 戦闘は長引かなかった。

 何故か、攻撃体勢をとらずにフラフラと巨大MSに迫るインパルス……。

 つられたように巨大MSの動きも止まった。シンと巨大MSのパイロットが、見合ったように見えた。

 が……、沈黙は一瞬で終わった。

 巨大MSはまるで思い直したかのように、再び砲を撃つべくエネルギーを充填する。至近距離に迫っていたインパルスもろとも、周辺一帯を焼払おうとしているように見えた。

 ルナマリアが悲鳴を上げた。聞こえるはずのないシンへ、「逃げろ」と。

 だが、間に合わなかった。

 そのかわり、砲も放たれなかった。

 フリーダムが機体にビームサーベルを差し込んで、発射を止めたのだ。

 巨大MSは真後ろに倒れ込んだ。

 溜まっていたエネルギー砲は空へと放たれ、インパルスを破壊することはなかった。機体はそのまま大破し、何故か退避もしようとしなかったインパルスは爆風で吹き飛ばされていた。

 モニターが真っ黒になった。それほどに、巨大MSが破壊された衝撃は凄まじかったのだ。

 

「シンは……? セアは無事なの?!」

 

 ルナマリアが叫んだ。

 ブリッジからの言葉はなかった。

 やがて、映像がクリアになると同時にメイリンの声がした。

 

≪インパルス、レジーナ、ともに無事です……!≫

 

 続けて……。

 

≪地球軍巨大MSは大破。隊長機ウィンダムも撃墜を確認。それから……カオスはレジーナが撃墜≫

 

 アスランは今まで止めていた呼吸を再開するかのように、大きく息をついた。

 ルナマリアもその場にしゃがみこんだ。

 レイも、そっと息を吐いたのが視界の隅に見えていた。

 

 



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最後の言葉、最後の姿

 

 巨大MS『デストロイ』のパイロットが、かつてこちらの捕虜であったエクステンデッドの少女だったと知らされたのは、それからすぐのことだった。

 シンはインパルスを降りてデストロイのコックピットへ向かった。

 パイロットを救出したが、息はないようだ……と、全てを報告したのは一部始終を見守っていたセアであった。

 それからシンは、少女を抱きかかえたままインパルスに搭乗し、飛んだ。

 慌ててレジーナがそれを追う。

 シンの行動に対し、もうセアの報告だけが頼りだった。おそらく、ブリッジも相当に困惑しているはずだった。

 シンはそのまま湖中へとインパルスを歩ませ、コックピットを出た。

 そして、少女を静かに湖の中へと沈めた。

 彼なりの追悼の儀式のようだった。

 セアはそれを、シンの肩に雪が降り積もるまで見守っていた。

 

 

 が、ミネルバに帰還したシンに、もう涙はなかった。あるのは、憎悪……ただそれだけ。

 今までの苛立ちや憤り、怒りなどではない。ただただ、彼は憎悪を抱えていた。

 そうして、その矛先は地球軍ではなく……フリーダムへと向けられた。

 キラは敵ではない……とアスランは彼に言った。

 が、そんな想いは通じるはずもなかった。

 シンにも、側に控えるレイにも。

 彼らの言っていることも、本当は理解できていた。

 フリーダムは強い。そして今のアレは友軍などではない。だから倒せるように訓練しておかなければならない……。

 本当はわかっている。

 だが……。

 それで良いはずがなかった。

 少なくとも、ナナが目指した道は、そうではないはずだった。それを、少しも示すことができない自分に、一番腹が立った。

 心から、ナナが世界から居なくなってしまったことの恐ろしさを実感した。

 もう、どの国も、ナナの演説のVTRを放送することはなくなっていた。

 世界はあの平和の訴えを忘れようとしている。ナナの言葉をもう……捨て去ろうとしている。

 見えなくなっている。

 どこへ向かいたいのか、あれほど強く世界は願ったはずなのに。

 悔しくて、涙が出るほどだった。

 

 

 

 少し頭を冷やそうと、デッキへ通じる扉を開いた。

 夕暮れの空はどこかどんよりして見えたが、それでも風を浴びたくて外に出る。

 と。

 

「あ、アスラン……?」

 

 タブレットを抱えたセアが通りかかった。

 そして、肩越しにアスランが振り返ったのを見て、少し慌てて敬礼をする。

 

「ドックにいたんじゃなかったのか?」

 

 セアに声をかけられたのが意外であったのと、まだイライラが収まっていなかったのとで、間抜けな問いかけをしてしまった。

 

「あ、いえ。整備は終わって……戦闘データを見直していたんですが、ちょっとシンの意見も聞いてみようかと……」

 

 アスランは反射的にうつむいた。

 それを、セアは見逃さなかった。

 

「もしかして……シンと話をされていたんですか?」

 

 このところの不協和音。

 きっとセアは、誰よりもそれに心を痛めているのだろう。

 

「いや……まぁ」

 

 だが気遣ってやる余裕は、今のアスランにはなかった。

 

「昨日の戦闘のこと……シンは何か言ってましたか?」

 

 恐る恐る聞くセアに。

 

「何か……というか、今はフリーダムとの戦闘シミュレーションをしているようだ」

「フリーダムの?」

「ああ……」

 

 情けない声音で答えることしかできない。

 湿った風が、嫌な感じに頬を撫ぜた。

 

「あの……」

 

 だがセアは、立ち去ろうとはしなかった。

 

「フリーダムは……敵なんですか?」

 

 そうしてまた、クレタでの問いを繰り返す。

 あの時とは異なり、今はとても遠慮がちではあった。が、視線の中にかすかに鋭さがあった。セアが本気で答えを欲しているのがわかった。

 だが言葉に詰まった。

 視線に耐えられず、アスランはデッキに出た。ため息を、潮風がさらって行った。

 静かな足音が、背後から数歩、近づいた。

 セアは見逃してはくれなかった。残酷に、答えを待ち続けた。

 

『君はどう思う?』

 

 そんな意地悪な言葉が喉から出かかった。

 が、そこに留めた。セアを、これ以上困らせたくはなかった。

 だが。

 

「わ、私……」

 

 先に口を開いたのはセアだった。

 

「私……本当は、何と戦うのかとか……何のために戦うのかとか……そういうのを、ちゃんと考えないまま軍に入ったんです」

 

 思いがけず、彼女は自分のことを話した。

 

「い、家が軍人の家系で……だから、あたりまえのように……」

 

 タブレットを胸に抱きしめるようにして、うつむき加減で、だが精一杯、言葉を吐き出そうとしている。

 アスランは一歩も動けなかった。

 

「だけど、ナナ様……アスハ大使の言葉で、自分がどう生きればいいのか、わかった気がするんです……」

 

 またも思いがけず……セアは『ナナ』の名を口にした。

 反射的に両目を見開いたが、伏し目のセアと視線が合うことはなかった。それが、今のアスランにとっては救いだった。

 

「アスハ大使はあの日……私たち訓練兵の前でおっしゃいました。『平和を願う心があれば、ザフトとか地球軍とか、オーブとか……ナチュラルとかコーディネーターとか、そんな枠組みなんて関係ない』って」

 

 懸命に息を整えた。

 努力して言葉を紡ごうとしているセアと同じくらい、アスランも必死だった。

 

「『これからは、自分たちで未来を切り開こう。そのために一生懸命、正しく力を使う方法を考えよう』って」

 

 セアは、まるで怒られた子供のような顔でゆっくりと顔を上げた。

 

「『願う未来が同じなら……きっとできるはずだ』って……」

 

 セアの話すナナの言葉……それはもちろん知っていた。

 ザフトの軍学校での講演の様子は、世界中で流されていた。講演まで……は。

 そしてそれが、アスランの知るナナの最後の言葉、最後の姿……だった。

 

「だ、だから私……怪我が治って訓練に復帰して、議長自らレジーナを与えてくださった時、本当は自信が無くて逃げたかったんですけど、頑張ろうって思えて……。アスハ大使のお言葉のおかげで、私は変われたんです」

 

 セアの頬は、かすかに紅潮していた。それは決して、夕焼けのせいだけではなかった。

 

「だから……アスハ大使のお言葉のとおり、私なりに何とどう戦わなければならないのか、考えながらレジーナに乗ってきたつもりです」

 

 セアは再び顔を伏せた。

 

「でも……今は、答えがわからなくて……」

 

 もう一度、あの問いが向けられることを、アスランは悟った。

 

「あの……、フリーダムは……敵ですか?」

 

 そして、セアはそのとおりにした。

 

「あんなっ……街ごと焼き尽くすような地球軍を……()()()()()()()()()フリーダムが、撃つべき敵なのか……私には、わからなくて……」

 

 か細い声で、言葉は続く。

 

「軍の命令なのはわかりますけど……私は、あのアークエンジェルが、まだナナ様の意志で動いているような気がしてしまって……」

 

 最後は消え入りそうだった。

 誰にも聞かれてはいけない台詞なので無理もなかった。それに、セアは心の奥底にある想いを、きっと初めてさらけ出したはずだった。

 アスランは奥歯を噛みしめた。

 この内気な少女の芯の部分を、ナナの言葉がずっと支えていたのだ。

 それは嬉しくもあり、虚しくもあった。

 そして次のセアの問いかけで、アスランはセアが本当に欲しかった答えを知ることとなる。

 

 

「こんな時……ナナ様だったら、どうするでしょうか……?」

 

 

 胸が打ち抜かれるようだった。

 自分が思っていたこと、いや、考えようとしていたことを、セアが口にした。

 ザフトの軍人家系で育ったコーディネーターの彼女が、ナナの意志を求めている。ザフトの軍服を着て、MSに乗っているのに、軍からの命令に疑問を持っている。その戦いの意味を、自身の頭で考えて戦っている。

 

「セア……」

 

 それはやはり、嬉しくもあり虚しくもあった。

 まるで、自分と同じではないか……。ちっとも答えがみつからないところも。

 

「君の中で……ナナの最期の言葉はちゃんといかされていたんだな……」

 

 もうかなりの時間を一緒に過ごして来たのに、そのことに少しも気がつかなかった。

 だからといって感動はしなかった。それがもどかしく辛いことだと、身をもって知っているから。

 

「わ、私は……とても『ナナ様のようになろう』なんて考えられないですけど……でも……」

 

 セアはますます頬を赤らめて、かすかに震えながら声を絞り出した。

 

「ナナ様の言葉通り……ナナ様と、新しく未来を造っていきたかったんです……」

 

 迷える少女は、己の意志をはっきりと口にした。誰よりも気弱で控え目なはずなのに、とても強く見えた。

 か細い声で零れた意志は、強く、アスランの胸に響いた。

 

「ナナが残した言葉が……ちゃんと伝わっていて、嬉しいよ……」

 

 ため息のように、心が漏れ出した。

 嬉しくもあり、虚しくもある心が、夕凪に吹かれて散った。

 

「アスラン……」

 

 彼女の目を見られなかった。

 そこに生きるナナと、目を合わせられなかった。ナナと面影が似ていて、ナナの言葉を継いだ彼女を、見られるはずもなかった。

 

「あのっ……」

 

 セアは急に、焦り出した。

 

「す、すみません!」

 

 勢いよく頭下げる。

 

「セア?」

「私っ……あの日の話なんかして……!」

 

 その目を潤ませ、怯えたような顔をしている。

 

「つ、辛いですよね……。あの日のことなんか……。なのに私……。本当にすみません、アスラン……!」

 

 あの日……ナナの最期の日の話をしたことを、セアは謝罪している。

 その姿をしばらく見つめて、ようやく「ナナと親しかった」と明かした自分に、セアは目いっぱい気を使っているのだと気づいた。

 

「い、いや……」

 

 アスランは少し慌てた。

 全く傷が痛まないといったら嘘になる。

 実際、セアからナナの言葉を聞かされて、疼いた部分はあったのだ。

 だが、こんなふうにセアが謝ることでないのは事実だった。

 

「君の方こそ……」

 

 心を落ち着け、今度はセアを落ち着かせようとした。

 

「あの日のことは……君も辛いんじゃないのか?」

 

 思いがけず、セアは大きな怪我を負った。友人を全て失った。自分だけ生き残った負い目もあるだろう。

 だから、セアのほうこそあの日を語るのは辛いのではないかと思ったのだ。

 本当に、今さら……だが。

 

「い、いえ……私はもう大丈夫です」

 

 意外にも、セアははっきりとそう言った。

 

「確かに辛いことでしたけど……、でも、私はナナ様とお会いした最後の人間なので……」

 

 かすかに頬を紅に染めて。

 

「最近は、そのことを伝える責任があるんじゃないかって……思うようになりました」

 

 偽りの強さではなかった。

 あの日を乗り越えて進もうとする強さが、彼女の中には確かに在った。そしてそれは、ナナの強さとよく似ていた。

 

「……と言っても、ところどころ記憶が飛んじゃって、ちゃんとは覚えてないんですけど」

 

 セアは肩をすくめた。

 その仕草にも覚えがあった。

 

「セア……」

 

 アスランはちゃんとセアに向き合った。

 真正面から彼女の目を見て、心を見つめた。

 

「良かったら……あの時のことを話してくれないか?」

 

 セアの視線は何かを探していた。

 だがすぐに、納得した様にうなずいた。

 

「はい。私が覚えていることでよければ」

 

 そして少しばかり大人びた顔をして言った。

 

「アスランが……辛いのでなければ」

 

 セアの秘められた強さは、こちらの隠そうとしてきた弱さを見透かしている……。

 そう思った。

 

「ナナ様と……親しかったんですよね……?」

 

 だがそれは、居心地の悪いものでなく……温かな優しさだった。

 

「知りたいんだ」

 

 喉につかえる痛みと安心を押しのけ、絞り出すように言った。

 

「ナナの……最期の姿を……」

 

 セアはやはり……憐みでなく、いたわりを瞳に浮かべてくれた。

 そして、その瞳でとても残酷なことを言った。

 

「アスランは……とても強い人ですね」

 

 強くなんかない……。

 何故なら、今になってようやくあの日のことを知りたいと思うようになったのだ。本当はちゃんと知らなければならなかったのに、見ないように、聞こえないようにしてきた。

 それは強い人とは言わない。

 

「あの、じゃあ……」

 

 思わず口をつぐんでいると、セアはまたおずおずとうつむいた。

 

「ラウンジに行きますか? あ、でもそれだと人が来ちゃいますね……」

 

 これ以上、彼女に気を使わせるのがさすがに申し訳なくなり、アスランは揺れる心を戒めた。そして、良ければ自分の部屋に……と言おうとした。

 その時。

 

≪セア・アナスタシスはメディカルルームへ至急コンタクトを≫

 

 固い女の声がスピーカーから響いた。

 

≪繰り返す。セア・アナスタシスはメディカルルームへコンタクトを≫

 

 セアは生真面に艦壁のスピーカーを見上げた。

 

「あ、リューグナー先生……!」

 

 声の主は彼女の専属医だった。

 

「すまないセア、話はまた今度聞かせてもらうよ」

 

 何故だか「すまない」と付け加えてそう言った。

 

「あ、はい。すみません……」

 

 セアも同じことを言った。

 そして、ペコリと頭を下げると艦内に走り去った。

 彼女を追うように、潮風が吹き付けた。閉まったドアに当たったそれが、虚しく散ったような気がした。

 アスランはため息をついた。

 セアの想いに流されて出た言葉は、本意だっただろうか……。

 己自身に問いかけても、答えは出せなかった。

 あの日のナナ……、最後の姿……。

 やはり、知りたくても聞きたくなかった。

 

「ナナ……」

 

 自分が覚えているナナを思い浮かべてみても、胸は苦しいだけだった。いっそセアがくれた温もりに、すがってしまいたくなった。

 もう一度、深くため息をついた。

 それはデッキを滑り、海に落ちて行くようだった。

 

(もう一度セアがあの日の話をしたら……)

 

 アスランは無理矢理上を向いた。

 視界の端に、艦壁の上部にあるカメラが見えた。沈みかけた夕日が、無機質なそれをかすかに光らせる。

 チラリと海の方を見て、アスランは艦への扉へ向かった。

 

(きっと……セアの話に聞き入ってしまうんだろうな……)

 

 そう思った。

 

 



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糾弾

 

 ミネルバのドックは騒然としていた。

 三機のMSが大破、あるいは中破し、その修理の目途が立っていない。行き交うクルーたちも、進まぬ作業に苛立ちと困惑を隠せずにいたのだ。

 アスランは、もはや自立もままならずただ転がっているだけのグレーの塊を横目にため息をついた。

 キラに壊されたものは、もう元には戻らない……。それを失った自分には、もう力はない……。

 目の前の一本道が、霞の中に消えていくようだった。

 

 部屋にいても落ち着かず、かといって機体整備の口実も失ってしまったので、アスランはドック内を見下ろせる通路にたたずんでいた。

 することも無い、考えても答えが無い、友もいない、ナナも……。

 自嘲することさえ疲れて、眼下の喧騒をぼんやりと眺めていた。

 いったい、ここで自分は何をやっているのだろう……。

 再びこの赤服に袖を通した時の想いさえ忘れてしまった。

 

「アスラン!」

 

 ルナマリアが現れた。

 怪我を負っているが、彼女は明るい。だがその明るさに、今は目が痛むだけだった。

 彼女の言葉に曖昧に返答した。

 ひとりになりたかったが、そう言う気概も立ち去る気力も持ち合わせていなかった。

 が、シンの独断行動に対する不満をつぶやいていたはずの彼女が、不意に言った。

 

「アスランは優しすぎるんですよ。まぁ、そういうところも私は好きですけど……」

 

 初めて彼女の目をちゃんと見る。

 彼女が言った「優しすぎる」という単語がどこから来たのか、よくわからなかったのだ。

 唐突に凝視されて居心地が悪くなったのか、ルナマリアは若干躊躇いながらも、己の考えを言った。

 

「せっかく権限も力も持ってるんですから、もっと自分の思った通りに動いてもいいのにって思います」

 

 それはまぎれもなく、自分に向けて言ってくれた言葉だった。

 それが心に響いた。誰かの言葉が心に届くのは、久しぶりのような気がしていた。

 

「力……、権限……」

 

 初めて聞いた単語のように、口内で復唱してみる。

 だが、その意味を考える間は与えられなかった。

 突如、ドック内にデュランダル議長の声が響き渡る。

 プラントからの緊急メッセージだった。

 ルナマリアと二人で、急いで待機所へ駆け込む。

 メインモニターの前には、すでに人だかりがあった。シンとレイ、そしてセアの姿もあった。

 モニターに映された光景に、目を疑った。

 初めて見る光景ではない。だからこそ、驚愕した。

 これは、自分たちしか目にしないはずの映像だ。

 つい先日の、ベルリンでの戦闘の映像……。街を破壊する悪魔のようなデストロイと、それに立ち向かうインパルス。

 だがフリーダムの機影は一瞬たりとも映り込まない。

 ベルリンだけではなかった。

 連合に強制労働を強いられていた民間人をシンが解放した場面。連合軍に対して怒りと憎悪の言葉を叫ぶ民。

 軍が厳重に管理する戦闘ログであるはずの映像が、全世界に流されている。

 そして一連の映像の後、デュランダル議長は熱のこもった声で訴えた。

 

≪何故こんなことをするのです! 誰が、何故、平和など許さぬ、戦かわねばならないと叫んでいるのです?! 何故我々は手を取り合ってはいけないのですか!!≫

 

 それは、今まで目にした議長の姿からは想像もつかないほど、猛々しい姿だった。

 周囲のクルーたちの心が、議長に向いているのがわかった。

 そして、議長の隣に()()()()()が進み出た。

 彼女はしっかりとカメラを向いてうったえた。

 争いを繰り返すことの愚かさを、その先の未来へ進むことの大切さを。憂いのある表情で、祈りを込めたような声で、切々とうったえた。

 それはまるで、アスランから見ても本物のラクスのようだった……。

 だからこそ……、まるで胸に異物を抱えたような気分になるのだ。

 ラクスじゃないラクスが、ラクスのように振る舞うことの矛盾と、異常。周りの人間が彼女に心を打たれているのを目の当たりにして、いっそうそれらを強く感じてしまう。

 が、そんな感情さえも、次に映し出された映像がさらっていった。

 

≪かつて、わたくしの友も、そう願っていました≫

 

 ラクスがそう言って目を伏せた後……。

 

 

≪どうか、この先……平和な未来が訪れますように≫

 

 

 それを、その姿を……薄暗い、息が詰まるような部屋で見たことがあった。

 

≪私たちはまだ、大きな傷を抱えたままです。そして、深い憎しみも……。でも、そればかりでは、平和な明日は来ません。そのことは、痛みを抱えているからこそ、わかることだと思います≫

 

 オーブの公人の制服を着て、執務室の椅子に腰かけて、凛とした顔で話す、ナナ……だ。

 

≪全ての人が願うのは、平和な未来のはずです。私はそう、信じています。恨み、憎しみ、疑念はすぐには取り払うことは難しいでしょう。未だ後悔と絶望に身を沈めている人もいるはずです≫

 

 卑怯なナナが遺した、“声”だ……。

 

≪でも、全ての人に道は続きます。どんなに絶望しても、立ち止まることがあったとしても、人は歩き続けなければならないのです。暗い道の先は、闇でなく、明るい光でなければなりません。今は辛く、苦しくとも、光を信じて歩き続けるのが人だと、私は思います。そしてまた、光を目指すからこそ、辛く苦しい道なのだとも思います≫

 

 ひどく懐かしいものに思えるその強く優しい笑みが、こちらを向いている。

 

≪どうかみなさん、願う未来へ、進んでください≫

 

 胸が詰まった。喉が締め付けられた。頭の芯が刺すように痛んだ。

 思わず、少しよろめいた。

 

「アスラン……!」

 

 ルナマリアが触れたところに、何も感じなかった。

 

≪かつて、平和の大使、ナナ・リラ・アスハはこう言いました≫

 

 画面が議長の顔に切り替わっても、アスランはナナの残像に見入っていた。

 

≪彼女の言葉はまだ、我々の道しるべであるはずなのです……!≫

 

 椅子から立ち上がり、狂気すら滲ませて、議長が叫んでいた。

 

≪先の戦争後、彼女の言葉に皆さんも決意したはずです。平和な未来を築くと。痛みを乗り越え、必ず明るい未来へ進むのだと……! 彼女は傷ついた我々に、立ち上がる勇気を与え、すすむべき道を示してくれました。あの時うち震えた心は、今も皆さんの中に残っているはずです!≫

 

 アスランは動揺しながらも困惑を覚えた。

 議長はナナの想いを再び世界に蘇らせようとしている。

 それは理解できた。

 あの、オーブの民に向けられた“最期の”映像まで出して来て、ナナの言葉を再び世界に届けようとしている。

 が、揺れる心は一段とざわめくのだ。

 

≪ですが……≫

 

 議長は拳を握りしめ、苦悩の表情でそれを机に打ち付けた。

 

≪世界は再び争いを始めてしまった……!≫

 

 ラクスが労わるように議長の肩に手を添えた。

 

≪どうあっても、彼女が示した道に進むことを、邪魔しようとする者たちがいるからです……≫

 

 話が逸れたおかげで、アスランは再び画面を見ることができた。

 議長は敵意を浮かべた視線で語り始めた。かつて自分たちミネルバのクルーの前で口にした、『ロゴス』の存在を……。

 

≪常に敵を作り上げ、世界に戦争をもたらそうとする、軍需産業複合体……死の商人『ロゴス』……! 彼らこそが、平和を望む私たち全ての真の敵なのです!!≫

 

 思わぬ糾弾だった。

 ロゴスが古から世界で暗躍してきた組織ということは、アスランも理解していた。

 だが、歴史上そういった組織がこれほど公に名指しで糾弾されることがあっただろうか。

 この驚きで逆に冷静さを取り戻すと、周囲の困惑が伝わって来た。

 顔を見合わせ、聞き慣れない『ロゴス』の単語をつぶやく者たち。ルナマリアも理解しきれない表情で画面を見つめている。

 

≪このユーラシア西側の惨劇も、彼らの仕業であることは明らかです。そして……≫

 

 自らの興奮を抑えるように、議長は椅子に座り直した。

 そして両手を机上で組み合わせ、押し殺したような声で言った。

 

≪平和の大使、我らの架け橋、人々の光であったアスハ大使を……≫

 

 「アスハ大使」の名を聞いた瞬間、ぞっとした。

 思わず、後ずさった。が、耳をふさぐことは間に合わなかった。

 

 

≪我らから奪ったのが彼ら『ロゴス』であるという可能性を、私は抱いています≫

 

 

 開けてはいけない蓋が、醜い音を立ててずらされたような気がした。

 

≪我々の同胞やオーブの皆さんが巻き込まれたあの“事故”は、本当に不幸な事故だったのかと、未だ疑問に思う人々も多いはずであり、私もまたそのひとりなのです≫

 

「ア、アスラン……!」

 

 “遠く”でルナマリアの声がした。

 視界のふちが陰った。

 が、議長の視線と声だけははっきりと、アスランの目と耳と心と脳に突き刺さる。

 

≪プラントとオーブの調査団の報告では、紛れもなく、施設の管理体制の不備による事故でした。が、私は『ロゴス』に仕組まれた可能性を念頭に置いたうえで、もう一度、あの事故を調査するつもりです……!≫

 

 痛い……、痛む……、が、それがどこか、もうわからない。

 

≪何故なら、皆を平和な未来へ導かんとしたアスハ大使こそが、『ロゴス』の天敵だったからです……!≫

 

 ひどく遠い場所から、議長がこう言い放つのが聞こえた。

 

≪世界の真の敵、『ロゴス』を滅ぼさんと戦うことを、私はここに宣言します!≫

 

 それが議長の真意なのか、これから世界がどうなるのか、そんなことは考えられなかった……。

 

 



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投影

 

 デュランダル議長の演説は全世界へ発信されていた。

 もちろん、海底で息をひそめるアークエンジェルもこの映像を傍受する。

 ブリッジに衝撃は二度走った。

 一度目は、ナナの演説が流されたこと。

 二度目は、デュランダルが『ロゴス』を討つと宣言したこと。

 

「議長は、なんでっ……! まさか、ナナを利用しようとしているのか?!」

 

 誰もが口を閉ざす中、カガリが憤った。

 

「ロゴスを倒すだなんてっ……、世界が……、世界が大変なことになるぞ……!」

 

 彼女の言葉が、皆の心情を代弁していた。

 デュランダルのたった十五分の演説が、世界を変えようとしている。

 連合とプラントの争いから、世界とロゴス……、いや、戦争と平和のせめぎ合いへ。

 それは混乱でしかなかった。

 良くも悪くもぎりぎりのところで保たれていた秩序が乱されるような、そんな感覚……。

 政治家や軍人ならば当然、動揺せざるを得ない事態だった。

 そして、彼はそれを平和のためと人々にうったえかけ、正義を振りかざしている。ニセモノのラクスと……、亡きナナの言葉を利用して……。

 

「行こう」

 

 窮屈な沈黙の中、キラが口を開いた。

 

「オーブへ戻ろう」

 

 賽は投げられた。

 この状況で、じっとしてはいられなかった。

 少しの判断の遅れが立場を悪くし、道を狭めることとなる。

 それを、全員が肌で感じていた。

 オーブに帰る……。

 代表首長のカガリが乗艦しているとはいえ、国際手配中である。

 今はれっきとした連合軍の一員であるオーブに戻ることが「正しい」とは誰も言いきれなかった。

 だが、キラの言葉に反対する者はひとりも無かった。

 

 

 

 進むべき道は定まった。が、この艦にはまだ悩ましきことがあった。

 医務室に拘束されている男……。

 先のベルリンでの戦闘中、キラが落とした連合のMS。男はそのパイロットだった。

 負傷していた男はアークエンジェルに収容され、手当てがされた。

 だが、彼はただの“捕虜”ではなかった……。

 その姿がヤキンの(そら)に散ったはずのムウ・ラ・フラガの生き写しだったのである。

 マリューは激しく動揺した。

 「よく似た別人」と思い込もうとした。

 いや、そうでしかないのだ。

 フラガが目の前で撃たれたのを見た。何度も悪夢として蘇る光景だった。

 今も鮮明に……。

 だから、彼が生きているはずはないのだ。

 が……。

 決定的な証拠が出た。

 アークエンジェルに保存していたムウのフィジカルデータと、この男のデータとが一致したのだ。

 それでも、信じることはできなかった。

 意識を取り戻した男もまた、何の躊躇もなく別人の名を名乗り、連合軍の現在の所属と階級まで述べた。ここがアークエンジェル艦内と知っても、懐古の情はひとかけらも見せなかった。

 そして、マリューを目にしても、完全に初対面であるかのような言動をした。

 艦のドクターは優秀である。

 専門は遺伝子工学だったが、オーブで町医者をしていた。それでいて戦時中はオーブの軍医だった男だ。なにより、ナナから紹介された人物だから信頼もおける。

 その彼が言うのだ。

 

「この“捕虜”は、ムウ・ラ・フラガと全く同じ遺伝子を持つクローンか……、または、記憶を操作されたムウ・ラ・フラガ本人か……」

 

 と。

 マリューもキラも、前者についての可能性を考えた。

 ムウの父アル・ダ・フラガは自らのクローンを作った。それがかつてザフトの軍人であったラウ・ル・クルーゼだ。そして、彼を誕生させたのはキラの父、ヒビキ博士だった。

 その事実は二人とも知っている。

 キラはコロニー・メンデルでの戦闘時、直接ラウから聞いているし、マリューはムウから詳しく聞かされていた。

 だから、アルの息子であるムウの遺伝子についても、本人の知り得ぬ何らかの形で研究がなされていた可能性はないこともない。

 が、ラウとムウ、二人の幼少期に研究は打ち切られているはずであり、今さらフラガと同世代のクローンが現れるとは考えられないのだ。

 後者については、二人とも知識はなかった。

 連合のブーステッドマンやエクステンデッドのような存在は知っていたが、それは幼少期に外科手術や薬物投与、特殊な訓練を受けた者であるとの認識だ。

 そうでない成人の記憶を無くす……いや、()()()()()技術など存在するのだろうか……。

 たとえば戦闘によって重傷となり、脳に障害が出て記憶が失われることは、医療知識がなくとも考えつく。

 が、記憶が完全に『ネオ・ロアノーク』という男のものになっている以上、何らかの手段で()()()()()()()()()としか思えないのだ。

 これについては、ドクターといえど明確にすることはできなかった。

 だが、経緯はどうであれ、彼が『連合軍の大佐』と名乗っている以上、捕虜として医務室に拘束するしかなかった。

 

 マリューは答えが出せぬまま、アークエンジェルの指揮を執らざるを得なかった。

 “彼”に対する、接し方の答えが出せぬまま……。

 そして彼らをさらに追い込むかのように、ザフトからの襲撃を受けることとなる。

 何故、あのデュランダル議長の演説の後でこんな攻撃を……。

 クルーたちは疑問を抱いた。が、考えている暇など与えられなかった。

 ザフトはまるで最初からこちらをターゲットにしていたかのように、海上に浮上したとたんに攻撃を仕掛けて来た。

 そう……、完全に“敵”として。あの演説の有無など関係なかったかのように。

 

 そして執拗な攻撃を受ける中、さらなる敵として現れたのは……ミネルバだった。

 

 

 



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時が経てば

 

「議長は『ロゴスを討つ』とおっしゃったはずです。それが何故、アークエンジェルを討つことになるんですか!?」

 

 艦長室で、アスランは叫んだ。こんな命令はおかしい。司令部に問いただせと詰め寄った。

 が、グラディス艦長も同じ声量で言い返す。

 何度問いただしても結果は同じ、これは本国の決定なのだ……と。

 すでにアークエンジェル撃墜作戦は始まっていた。このミネルバも、その作戦域に入ろうとしている。

 

「いい加減、過去に捕らわれるのはおよしなさい、アスラン! かつての戦友と戦いたくない気持ちはわかるわ。でも、時が経てば人の心なんていくらでも変わるのよ! あなただって変わったでしょ!」

 

 彼女のやけに実感の籠ったような言葉が、アスランの鬱屈とした胸に鋭く突き刺さった。

 

「ちゃんと“現実(いま)”を見て!!」

 

 変わった……。

 変わったのだろうか。最初から、何を目指していたのか。何のためにここに居るのか。その志は変わってしまったのか。

 変えたかったはずだった。

 が、変えられたのか。自分が変わってしまったのか。キラが、カガリが、みんなが変わってしまったのか……。

 現実は……。

 もう、アスランの目に導きの灯は見えなかった。

 

 

 

 現状、ミネルバから出撃できる機体は二機のみ。シンのインパルスと、セアのレジーナだけが損傷していなかった。

 だが、アークエンジェルに向けて出撃したのはインパルスのみ。レジーナは艦上で待機だった。

 それほど圧倒的な戦力差だったのだ。

 戦艦からの砲撃の他、バクゥやバビが艦隊を倒すほどの数でアークエンジェルに迫る。

 アークエンジェル側のMSはフリーダム一機のみ。

 そのフリーダムには、インパルスが一騎打ちを仕掛けに行った。

 シンとキラ、二人が戦っている。

 憎悪を込めた目で、シンがキラを睨みつけている。本気で撃とうと……殺そうとしている。

 キラはシンを殺さない。

 いや、殺すかもしれない。

 もう、アスランにはわからなかった。

 待機所でモニターを見つめながら、早く終わって欲しいと願った。

 が、終わらないで欲しくもあった。

 終わってしまえば……、決着がついてしまえば、どちらかが……。

 手に汗は握らなかった。声も出ない。何もない。

 ただ、嘘だ嘘だと頭の中でループしながら、燃える戦場を目に映すしかない。

 そうして、そう長くもない時間が経って、求めていないはずの決着の時が訪れた。

 アスランが見たのは、インパルスに撃破されるフリーダムと、海中で大破するアークエンジェルだった。

 

 

 

 帰還したシンは拍手と歓声に包まれていた。

 あの伝説のフリーダムを、最大の強敵を倒したと、クルーたちにもてはやされて、シンも晴れやかな表情をしている。

 それを、アスランは遠巻きに眺めた。

 言いたいことはあった。が、まとまりはしなかった。

 感情が渦巻いて、自分でも何を言い出すかわからないのだ。

 だから、黙って立ち去ろうとした。今彼と対峙しては、全てをぶちまけてしまうと思った。

 だが、シンがこちらに気がついた。

 得意げな顔で歩み寄り、「仇を討った」などと言って来る。

 思わず手が出た。

 仇……などと。

 キラのことを、アークエンジェルを、そしてナナを……。

 それが間違っていることはわかっている。だからそう主張した。

 「アークエンジェルは敵ではなかった」と。

 しかしそれは、とうてい()に、()()に通じる言葉ではなかった。

 全員が、アスランの言葉に困惑していた。

 アスランの言葉はその場で無様に歪んでいた。

 そして、レイの言葉だけが正しくそこに響いた。

 

「我々はザフトです」

 

 だから、議長と評議会の指令に従うのは当然だと。本国がアークエンジェルを“敵”とみなしたのなら、それに従うのがザフトの軍人として当然であると。その敵を討ったシンは称えられこそすれ、叱責されるのは甚だおかしい……と。

 至極まともで、単純で、あたりまえの言葉。それ以上でもそれ以下でもない、ザフトの軍人としての言葉。

 アスランは、急激に赤い軍服の着心地が悪くなるのを感じた。

 何故こんなものを着ているのか……。

 立ち去るレイとシンを追うことはできなかった。

 いくつもの困惑と、そして嫌悪の視線が、空気を重くしていた。

 一番遠くで、セアがヘルメットを抱えて怯えたように立っていた。

 

 

 もうここに……、この先に、ナナの描いた未来はひと粒も無かった。

 

 

 



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 ずっと、悪夢の中にいるようだった。

 脳内ではぐるぐるとあの戦慄の光景が渦巻いて、目の前のことを受け入れられない。

 横になっても眠れない。かといって、何も手につかない。誰とも話したくない。これからどうすべきか考えようとしても、すぐに散っていくフリーダムの姿がまぶたに蘇るため、思考は停止してしまう。

 時間の感覚すら失いかねないような状態で、アスランはミネルバの次の目的地であるジブラルタルに着く前の多くの時間を、自室に引きこもって過ごしていた。

 だが、ジブラルタルに着いたらすぐに、ミネルバは次の指令を受けるはずだ。

 その時には、己のすべきことを明確にしなければならない。

 艦長の言う通り「割り切る」のか……。

 それが「進む」ということなのか……。

 ナナが何を望むのか、もうわからなくなっていた。

 せめて一時でも、悪夢から逃れよう……。

 そんな思いで、アスランは医務室に向かった。

 薬に頼ってでも、一度頭をクリアにする必要があった。

 

「アスラン……?」

 

 が、またもその通路で遠慮がちな声がかかる。

 

「セア……」

 

 出会った頃のように、彼女は壁にピッタリと身を寄せて怯えていた。

 無理もない。あのシンとの一件以来、艦の誰もが自分を腫れ物のように扱っていることを知っている。

 

「診察か?」

 

 興味があったのではない。

 ただ、ここから医務室までの数メートルを一緒に歩かねばならないのかどうか、確認したかっただけだった。

 

「あ、は、はい……」

 

 仕方がない。お互いに出くわしたのを不幸な偶然と思うことにしよう……。

 アスランは何も言わずに再び歩き出した。

 セアの躊躇いがちな足音が、少し後ろで聞こえる。

 

「あ、あの……」

 

 セアはかすかに口を開いた。

 

「アスランは……どこへ……?」

 

 同じ方向に向かっていることが不安なのか、それとも不快なのか、彼女は掠れた声で問う。

 

「医務室だ」

「ど、どこか悪いんですか?」

 

 それが心配なのかわからずに、アスランはため息のようにつぶやいた。

 

「眠れないから……何か薬でももらおうと思ってな」

 

 自嘲気味になったのが彼女にどう伝わったのか、思いやる余裕はない。

 

「そう……ですか……」

 

 セアはそうつぶやいたきり、口をつぐんだ。

 重苦しい沈黙が数十秒続いて、ようやく医務室に辿り着いた。

 ドクターは不在だった。艦のドクターも、セアの専属ドクターも。

 

「あ、診察時間は10分後なので、もうすぐドクター・リューグナーが戻って来ると思います……!」

 

 セアが言い訳するように早口で言った。

 応える気にならず、黙って椅子に腰かけた。

 あと少し……。

 居心地は悪いが、沈黙のほうが何か話すよりはセアにとってもマシな状況だろう。

 アスランはそう判断し、所在なく壁を眺めることにした。

 だが。

 

「あ、あの……」

 

 接触を嫌うはずのセアが、また口を開いた。とても迷いながら。

 

「せ、先日の……、作戦の件ですけど……」

 

 「先日の作戦」が何を意味するのか……。

 彼女がいくら遠回りな言い方をしても明確だった。

 そして、今は一番話したくないことでもあった。

 だが、顔を背けるアスランに対し、セアは声を震わしながらもこう言った。

 

「あ、アスランは……、どう思いますか?!」

 

 横目で彼女を見た。

 ドクターの机のところに立ったまま、両手で上着の裾を握りしめている。かすかに頬を紅潮させ、歯を食いしばり、まっすぐにこちらを向いている……。

 こうして必死に己の中の怖れと戦う姿は、やはり、ナナには似ていなかった。

 だが、それでも眼差しはナナを思い起こさせるのだ。

 

「どうって……」

 

 アスランはあからさまに顔を背けた。

 彼女が傷つくかもしれないとは思ったが、今はナナの面影を見たくはなかった。

 

「アークエンジェルを……討ったこと……です……」

 

 最後の方は萎みつつも、セアは食い下がった。

 「今はその話をしたくない」と言う気力さえも、アスランには無かった。

 

「あの艦は……、確かに、戦場を混乱させて、撃つのか撃たないのかよくわからなくて……。あのフリーダムのせいで、ハイネは……戦死……しました……けど……」

 

 彼女は何を言おうとしているのだろう。自分から何を聞き出したいのだろう。

 セアが無理をしてまで語ることの真意を、アスランは測りかねた。

 

「だけど……、あの……」

 

 彼女は今にも泣き出しそうだった。

 そんなナナとは似ても似つかない姿を、アスランは再び見つめる。

 

「あの艦とフリーダムは……、本当に、私たちの……敵……だったんでしょうか……」

 

 この間と同じ難問をぶつけて、今度は彼女が目を逸らした。

 

「わ、わかってます! 司令部からの命令なんだから、敵としてみなすのは当たり前だって……! 司令部があのアークエンジェルとフリーダムを恐れて、排除しようとするのもわかります……! で、でも……」

 

 彼女のこの葛藤は、アスランが持つそれとは違っていた。

 純粋な少女が、芽生え始めた己の理念と、理想や正義と、そして軍の規律との狭間で揺れ動く様はとても危うかった。

 彼女は自分の足で、新たな道を歩こうとしている最中だ。自分で考え、立場を理解し、葛藤しながらも歩く道……。

 それはかつての自分が歩いた道だ。

 対して自分は……、歩いて来た道を失い、新たな道も見えていない。これまでの道が音を立てて崩壊し、闇の中にいるようだ。

 だから、彼女に自分の思いなんて告げることはできなかった。

 彼女が「わかっている」と言ったことが、彼女の立場としては正しいのだから。

 

「でも、フリーダムは……、ミネルバを助けてもくれました……。ベルリンの街も……、守ろうとしていたんだと……思います……」

 

 が、セアはアスランが想像したのと別のことを言った。

 

「あの艦は、本当は……、戦いを……終わらせようと思って戦っていたんじゃないんでしょうか……?」

 

 問いかけに、答えられるはずもなかった。

 セアが言ったのは、()()では思ってはいけないことだ。そう思ってしまったとしても、その後に「だからといって……」が続かなければならない。

 が、セアは続きを言わない。

 思いは宙ぶらりんの状態にしたまま、アスランに続きを押し付けている。

 だから少し、意地の悪い質問を返した。

 

「だったら君は……」

 

 途中でやめようと思ったが、全てを吐き出してしまった。

 

「もしアークエンジェルとフリーダムが沈んでいなくて、またミネルバの前に現れた時、君は命令が下っても撃てないというのか?」

 

 迷いを持ったまま引き金に手をかけることの危険性を、アスランは良く知っている。セアにはそんなふうになって欲しくなかった。

 彼女には、悪夢の中から抜け出すことのできない自分のようにならず、早く答えを見つけて欲しかった。

 いや……。

 単純に、セアの答えが聞いてみたかった。何の慰めにも参考にもならなくとも、純粋な心を持った軍人なら……どう答えるか。わかっていても聞きたかった。

 セアは、もうほとんど涙声で言った。

 

「わ、わかりません……」

 

 やはり、答えなど出るはずもないのか……。

 アスランの中に、利己的な失望が滲む。

 

「この間も、私……、レジーナには出撃命令が出なくて……、実はとても安心したんです……」

「アレは撃ちたくなかったか?」

 

 そうして、理不尽な皮肉をぶつける。

 だが、醜い心を突き刺すように、セアは言った。

 

 

「だって、アレは……、『ナナ様の翼』……だから……」

 

 

 自然と目が見開かれた。

 椅子がぎこちない音をたてた。

 

「ナナ……の……?」

 

 セアはうつむいたまま、すすり泣くように言う。

 

「ナナ様が……おっしゃっていたんです……」

 

 彼女が語ろうとしている「ナナ」が、自分の知っているナナなのか……。

 本当に知りたくて、思わず立ち上がった。

 セアは一瞬肩を震わせ、わずかに後ずさった。

 

「え、演説の後……、公式じゃないお言葉として、わたしたち士官候補生に向けて、話してくださったんです……」

 

 だが、意を決した様に語った。

 

「目指す未来に立ちはだかる者が現れたら、それとは戦わなければならない……。そのためにはどうしても力が必要で、残念ながら今はそれを手放すわけにはいかない……」

 

 その言葉はどれも澄んでいて、ナナの言葉と確信できた。

 

「だけど、その力は絶対に正しく使わなければならない。正しく使うということは、今、願っている未来のために使うこと。憎しみや欲望のためだけじゃなくて、願いのために使うこと……」

 

 久しぶりに心が震えた。

 

「そうすれば、その力は“武器”ではなく“翼”になる……。誰かを殺すための“武器”じゃなく、未来へはばたくための“翼”になる……」

 

 セアの光る瞳が、こちらを見た。

 

「『だからみなさんも、プラントの“武器”でなく、人々の“翼”であってください』って……、そう、おっしゃったんです……!」

 

 両手を握りしめ、訴えかけるようにそう言った。

 その瞳に強い意志は浮かんでいなかった。が、とても綺麗な光を放っていた。

 

「私は……そのお言葉が本当に嬉しくて……。私の前に、道を照らしてくださったようで……、本当に嬉しかったんです……」

 

 光の粒が、頬を伝った。

 

「この間も言いましたけど、私……、軍人の家系だから、自分も軍人にならなくちゃって、特に志もないまま士官学校に入って……。でも、あの戦争が終わって、平和な世界にならなくちゃいけないのに……、軍に入っていいのかなって……。本当はわからなくなっていたんです……」

 

 セアはまつ毛を震わしながら、一生懸命に自分の言葉を話した。

 

「だから……、ナナ様のお言葉がとても嬉しくて……。どんな軍人になればいいのか、どういう意志を持つべきなのか、示してくださったようで……。ナナ様にはとても感謝しているんです……」

 

 そして、手の甲で涙を拭う。

 

「わ、私……、ナナ様の面影がある……なんて言われてきて、勝手にナナ様に憧れを抱いてたんですけど……、初めてお会いして、お言葉をいただいて……、本当に尊敬しました……!」

 

 その仕草は、どことなくナナに似ているように思えた。

 

「あのっ……、ですから……」

 

 凝視されていることに気づいて、セアはまた慌てたように早口になる。

 

「わ、私は、あのアークエンジェルが『ナナ様の翼』として存在していたんじゃないかって思えてならないんです……! 戦うための力じゃなくて、戦いを止めるための力……。そのためにナナ様はあの艦を……」

 

 最後まで言わずに口ごもった。そして、うつむいてまた遠慮がちにこう問う。

 

「って……、わたしなんかが勝手に思ってるだけなんですけど……。アスランも……、きっとそう思っていらっしゃるのではないかと……。というか……、アスランは、『答え』をご存知ですよね……?」

 

 セアの思いが真実かどうか、アスランはもちろん知っている。

 が、答える前に、力が抜けた。

 

「そうか……」

「え……?」

 

 脱力したまま、椅子に腰を下ろす。

 

「ナナは……、ちゃんと『種』を撒いていたんだな……」

 

 それが目の前で証明されたことが、本当に嬉しかった。

 ナナが死の直前まで撒き続けた種が、確かに目の前で芽吹いている。たとえたった一粒でも、嬉しかった。

 

「良かったよ……、本当に……」

 

 素直な感情だった。

 公にされない、「演説」とは違う、ナナの言葉。直接向き合っている若い軍人たちに向けた、真摯な想い。

 それはちゃんと届いていて、受け継がれていたのだ。

 

「でも……」

 

 が、セアは顔をくもらせ、再び拳を強く握り合わせた。

 

「今の私は……、何もできません……」

 

 示された道を歩けない苦しみを、セアは抱えている。

 それは当然のことだった。願う未来に辿り着くための道は、平坦ではないのだ。たとえナナが導いたとしても、歩む者自身が越えなければならない障害は存在する。

 

「私は……」

 

 すがるような目で、セアは言った。

 

「どうすれば……よいでしょうか……」

 

 答えなど存在しない……。セアの問いは重すぎる。

 

「すまない……」

 

 互いに視線を逸らした。

 

「オレにも……、オレも今、その答えを見つけ出せずにいる……」

 

 セアに答えられるくらいなら、こんなふうに情けなく医務室になど来ていないのだ。そもそも、“ここ”にはいなかったかもしれないのだ。

 

「そ、そうですよね……。すみません……」

 

 かすかに失望を滲ませたセアの声が、無力感を増幅させる。

 だが、それでも何ひとつ、気の利いた言葉は出てこないのだ。先輩としても、上官としても、年上の男としても……。

 たとえば、上官ぶって彼女を「たしなめる」こともできるはずだ。MSのパイロットでしかない今は、本部の命令に従うべきだ……と。ナナの想いを受け継ぐのは素晴らしいことだが、今はまだ、迷いながらでも前に進むべきだ……と。

 ただ彼女が戦場で命を落とす確率を下げるためだけなら、そう言えるはずだ。

 が、それでは、懸命に芽吹いたものをこの手で摘み取るような気がした。

 ナナが悲しむ気がするのだ。

 きっとナナも、今のセアのように迷いながら進んだだろうに……。

 それでもセアの背中を押すような台詞は言えない。自分がそれを言うのは、無責任な気がした。

 

「セア……」

 

 出口を見いだせないまま、アスランは再び意地悪な問いを口にした。

 

「君は、議長の考えをどう思う?」

 

 議長が指示した道を歩くのが、この制服を着ている者の生き方だ。

 が……、それを躊躇っているから、迷路に放り込まれたようでいる。自分も、セアも。

 だから、性根が腐っていると自負しながらも、そう問いかけた。

 

「え……」

 

 セアは驚いたような顔をして、それから唇を噛んだ。

 それが答えだ。

 彼女はやはり、自分と同じ迷路にたたずんでいる。シンのように、議長の言葉に賛同していない。レイのように議長を信じていない。ルナマリアや他のクルーたちのように、受け容れてもいない。

 不幸なことに、彼女は立ち止まって動けないのだ。自分と同じように。

 

「わ、私は……」

 

 だが、彼女は自分よりも強いとアスランは思った。ちゃんと思いを言葉にしようとしている。戸惑いながらも、今ここで、何かをさらけ出そうとしてくれている。

 

「議長の……、お考えは素晴らしいと思います……。でも……」

 

 きっと、この艦では口にしてはいけないようなことを、彼女は自分に打ち明けようとしていた。

 だが。

 

「ナナ様の……」

 

 セアがまたナナの名を口にした時、閉ざされていた扉が開いた。

 

「……あら……」

 

 初めに自分を見つけ、次にセアの姿を見つけて、顔をしかめたのはドクター・リューグナーだった。

 

「どうされたのですか? アスラン・ザラ」

 

 鋭い棘を隠そうともせず、彼女はアスランを見下ろした。

 

「あ、いえ……」

 

 その視線の鋭さに、一瞬言葉を失う。

 

「あの、ドクター・リューグナー。アスランはよく眠れないので何か薬が欲しいそうです……!」

 

 何故か、セアが代わって言った。

 そのセアにも、ドクター・リューグナーは探るような視線を向ける。

 

「わかりました。軽い睡眠薬を用意します」

 

 それ以上は特に何も聞かず、ドクターは薬品棚に向かう。そして、セアに向かって言った。

 

「セア、これから検査をします。すぐに検査室に入りなさい」

「え?」

 

 セアは驚いた声を上げた。

 

「今日は、検査の日じゃ……」

「最近は検査する時間がなかったでしょう。ジブラルタルまでまだ日がありますから、今のうちに検査をしておきます」

「で、でも……」

「艦長には私から報告しておきますので。早く検査室へ……!」

 

 有無を言わさぬ態度に、セアは困惑していた。

 ドクターは薬をアスランに手渡すと、視線だけで「早く出て行け」と言う。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 そう言った時にはすでに、ドクターは奥の検査室へセアを押し込んでいた。

 会話を聞かれていたのだろうか……。

 だとしたら、自分はどうでも良いが、セアにはまずいことになるだろう。

 部屋を出て、薬のケースを握りしめる。室内の物音は聞こえなかった。

 次にセアと会った時には、ちゃんと謝ろう。

 そう思った。

 いたずらに彼女の混乱を膨らませただけのような気がするからだ。言わなくていいことも言わせてしまったと思う。

 が、やはり、それ以上、気の利いた台詞が再会までに思いつくとは思えなかった。

 睡眠薬(こんなもの)に頼らなければならないような情けない男が、何か言える立場ではないと、そう思った。

 

 

 



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正しい言葉

 

 デュランダル議長のメッセージは、連日のように地球に届いた。

 彼は一言も、「ロゴスを倒せ」「立ち上がれ」「蜂起しろ」とは言わなかった。

 だが、民衆はすでに動いていた。

 世界の至る所で、ロゴスの施設に向けて火が放たれた。

 プラントから具体的な策や目標が発せられぬまま、ロゴス関連施設を襲う民衆に、連合軍の警備も追いつかぬほど。むしろ次々と撃破されてゆく……。

 それが暴動なのか正義の戦いなのか、アスランにはわからなかった。

 世界は間違いなく混乱に拍車をかけていた。

 

 そんな状況で、ミネルバはザフトの軍事基地ジブラルタルに入港した。

 周辺の艦隊が集結しているとあって、基地内は活気に満ちていた。

 もはや『ロゴスを討つ』という共通の目的を掲げて“友軍”となった連合の艦隊でさえも、次々と入港している。そのため、その活気には奇妙な不自然さも加わってはいたのだが……。

 クルーたちも、地球の最大規模の基地に入港するためか、皆、浮足立っている。

 アスランはそんな雰囲気にひとり取り残されていた。

 もうしばらく、誰ともまともに口を聞いていない。

 シンはもちろん目も合わせない。ルナマリアは普段通りに接しようとしていたようが、アスランが曖昧にあしらったので話しかけて来ることは少なくなった。レイは平然としていたが、態度は以前より冷ややかだった。他のクルーたちも、あの一見以来、訝しげな目を隠しもせずに様子をうかがっている。

 セアは……、やはりあの後、ドクター・リューグナーに「アスラン・ザラとは話すな」とでも言われたのか、どことなく避けられているようだった。

 だから、結局謝ろうと思っていたのも先延ばしになっている。

 今、きっと彼女にとっては、自分が接触しないほうが良いのだと思って……。

 それが、たとえ「逃げ」だとしても、それでよかった。そんな自分にも失望して、ますます気は重かった。

 アークエンジェルの撃破が未確認……ということだけが、たったひとかけらの希望だった。

 

 そんな中、基地に着いてすぐに、アスランは本部へ出頭を命じられる。

 シンとともに。

 気は進まなかった。シンと二人で移動車に乗ることも、議長に会うことも。

 だが、議長に会って話したい……、いや、確かめたいことはあった。

 シンと一言も交わさないまま、二人で議長の前に進み出る。

 面会の場所は執務室でも会議室でもなく、厳重に警備された格納庫だった。

 薄暗い照明の中、巨大なMSが二機、こちらを見下ろしている。

 そんな場所で、議長と“ラクス”は待っていた。

 議長から戦功を称えられ、シンは素直にはにかんだ。

 アスランは、腹の中が煮えたぎった鍋のようにドロドロにグツグツになっているのを感じる。交わした握手はとてもぎこちないものだった。

 身構える中、議長は何も語り出さなかった。

 その代わりに、二機の新型MSを紹介した。

 『レジェンド』と『デスティニー』……これがアスランとシン、二人の新しい機体……だと言って。

 デスティニーを宛がわれたシンの声は弾んでいた。

 彼の顔を見られなかったのは、アスランがずっとうつむいていたからだ。

 レジェンドの説明を受けても、アスランはその機体を見上げることはなかった。

 

「レジェンドには『ドラグーンシステム』を導入しているんだが、どうかな……。君なら十分に使いこなせると思うが」

 

 その言葉に、アスランは初めて議長の目を見すえた。

 そして、問う。

 

「これからロゴスと戦っていくため……ということですか?」

 

 そうして、淀みない答えが返って来る。

 

「戦いを終わらすために戦うというのも矛盾した話だ……。だが仕方ないだろう? 彼らは我らの言葉を聞こうとさえしないのだから」

 

 矛盾……。

 それは、かつてナナも抱えていた。

 光へ導く彼女の、唯一の影だった。カガリにさえも晒さない、強くて恐ろしい影だった……。

 ナナが命をかけた覚悟を持ってそれを自ら抱えていたのを、一番近くで見ていた。そこに危うさは感じたが、恐れは感じなかった。

 彼女を信じていた。

 フリーダムやアークエンジェルの修理を話してくれた時も、オーブを守るための「秘密の計画」を聞かせてくれた時も、彼女を信じていたからこんな気持ちにはならなかった。

 何故なら、彼女がその矛盾に葛藤し、苦しみ、けれど強い意志で生きて来たことを知っているからだ。

 戦いのない平和を望みながら、力を手にしなければその道は切り開けない……。

 そんな()()()矛盾じゃない。

 殺したくないのに、戦わなければ生き残れないし、誰も守れない……。

 そんな、()()()矛盾だ。

 彼女はそれをヘリオポリスで抱き、アークエンジェルで打破してきた。キラたち仲間から怖れられても、キラたちを傷つけても、自分が傷ついても……。

 そうして生きて、はっきりと見えた道が見えたからこそ、皆を導く存在になり得たのだ。

 だから、彼女を信じている。

 今も。

 きっとキラもそうだった。立っている場所は違っても、キラもそうだったはずなのだ……。

 

「何故……アークエンジェルとフリーダムを討てと命じられたのですか?!」

 

 どうしても問いただしたかったことを、アスランは口にした。

 

「あの艦は確かに戦局を混乱させる存在だったかもしれません。でもその意志は私たちと同じでした。戦争を終わらせたいと……。デストロイに立ち向かって行ったのだって、彼らのほうが先だったんだ……!」

 

 彼がプラントで最高位の人物だろうが、どうでも良かった。

 アスランは詰め寄った。

 

「なのに何故、話し合う機会すら与えないままあんな命令を!」

 

 議長だってわかっていたはずだ。

 議長ほどの人物であれば、アークエンジェルが“敵”でないことくらいわかるはずなのだ。

 演説の中に映像を差し込むほど、インパルスやミネルバの戦闘データを細かく把握しているのであれば、アークエンジェルがまともな攻撃をしていないことくらいわかっているはずなのだ。

 それなのに、何故……。

 

「アスラン……。では、私も問うが……」

 

 返って来た言葉はとても静かで、そして鋭かった。

 

「ならば何故彼らは私たちと話そうとしなかったのだね? 思いが同じというのなら、彼らがこちらへ来て話をしてくれてもよかったはずだ。私の声は届いていただろう?」

 

 アスランがキラに……、ナナのいないアークエンジェルに対して抱いていたわだかまりを、議長は明確な言葉に表した。

 

「なのに何故、彼らは口をつぐんだまま戦ったのだ。機会がなかったわけでもあるまい。グラディス艦長も、戦闘前には投降を呼びかけたと聞いている」

「それは……!」

 

 視界の隅にいたラクスを見た。

 ニセモノノラクス……。

 

『じゃあ、あのラクス・クラインは? 今、プラントにいるあのラクスはなんなの?』

 

 夕暮れの孤島で再会した時、キラは静かな冷たい目でそう言っていた。

 

『なんで本物のラクスが、コーディネーターに殺されそうになるの?』

 

 あの時の言葉が真実なのかどうか、まだわかってはいなかった。

 

『ラクスは誰に狙われてるの? なんで狙われなきゃならないの?』

 

 キラが言ったことが正しかったのなら、“誰”に……。

 未だ答えは出ていなかった。いや、考えないようにしていたことを、今さら思い知る。

 

『それがはっきりしないうちは、僕はプラントを信じられない』

 

 そう、キラははっきりとそう言ったのだ。

 キラと議長……、狭間に立つ自分には何もできることが無かったと、アスランは無力感を噛みしめる。

 それを尻目に、議長は“ラクス”にほほ笑みかける。

 

「ラクスだって、こうして共に戦おうとしてくれているのに」

「議長!」

 

 憤りは言葉にならなかった。

 心の片隅に、“このラクス”が平和のために必要なのかもしれない……。たとえ偽りでも、本物のラクスがやろうとしないのなら……、そでも世界が彼女の言葉を必要としているのなら……。

そんな考えがあるからなのか、この場で彼女の存在を否定することができない。

 それでも、言葉を探した。

 懸命に、懸命に……。

 が。

 

「君の憤りはわかる」

 

 見透かしたように、議長は言う。

 

「何故、世界は願ったように動かないのか。かつてナナ姫が、あれほど強く美しい言葉で未来を示していたはずなのに……と」

 

 ドロドロでグツグツの物体が、冷え固められそうになる。

 

「実に腹立たしい思いだろう……。だが、それが『今のこの世界』ということだ」

 

 『今のこの世界』では、誰もが本当の自分を知らず、その力も役割も知らず、ただ時々に翻弄されて生きている。

 そう議長は言う。

 キラも……、あれほど“戦士”としての資質、才能を持ちながら、自身でさえもそれを知らず、知らぬが故にそう育たなかったと。

 だから“不幸”なのだと。そして、あれほどの力を正しく使えば、どれだけのことができたかわからない……と。

 

「ラクスと離れて何を思ったのか知らないが……。オーブの国家元首を攫い、戦場に現れては好き勝手に敵を撃つ。そんなことに意味があるとでもいうのかね?」

「しかしキラは……!」

 

 キラの意思を示そうとした。

 だがやはり、言葉は役に立たなかった。

 

「以前、強すぎる力は争いを呼ぶと言ったのは、攫われた当のオーブの姫だ」

 

 そしてまた、議長が矛盾を薙ぎ払う。

 

「ザフト軍最高責任者として、私はあんなわけのわからない強大な力を野放しにしておくことなどできない。だから討てと命じたのだ……!」

 

 彼の言葉は「正しく」聞こえてしまう。まるでナナの言葉のように……。

 

「彼は本当に不幸だった……。彼が君たちのように己の役割を得て、それを活かせる場所で生きることができたなら……。悩み苦しむこともなく、その力は称えられて“幸福”に生きられただろうに」

 

 キラは……、確かに自身の持つ力について悩み苦しんでいた。敵として対峙した時も、その葛藤と苦しみは知っていた。

 だからこそ、戦後は海の見える静かな場所で、気の許せる者たちと穏やかに過ごしている。

 別の道を歩めば、その苦しみが無かったというのだろうか……?

 そして、自分は議長の言う“幸福”な部類の人間になるのだろうか……。

 

「人は自分に役割を知り、精一杯できることをやって役に立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろう?」

 

 議長の言葉はシンには心地よく響いただろう。

 

「この戦争が終わったら、私はそんな世界を創り上げたいと思っているのだよ。誰もが皆、“幸福”に生きられる世界になれば、もう二度と戦争は起きないだろう……」

 

 だが、アスランの肌には嫌な気配が這いずっていた。

 たとえば議長の言葉が、意志が、本当に正しかったとしても……、心から信じることはできなかった。

 

 



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役割

 

 とっくに日は暮れていたが、部屋の電気をつける気にはならなかった。

 キラの言葉、議長の言葉、セアが語ったナナの言葉……。

 それに加えて、先ほどの議長の目、シンの目、ラクスの目、新型MS……。

 そのどれもが、未だ消化できずに臓腑に溜まっているようだった。

 外は酷い雨だ。

 この溜まったものを洗い流してくれたらどんなに良いか……。

 情けなくもそう思いながら、アスランはじっと暗闇に身を潜めていた。

 

 扉は唐突に開かれた。

 

「アスラン!」

 

 “ラクス”だった。

 

「だめよ、こんなの!」

 

 彼女は入るなり電気をつける。

 急に視界が白み、目が痛んだ。

 

「さっき、どうして議長にちゃんとお返事しなかったの? こんなことしてたら疑われちゃうじゃない……!」

 

 彼女の様子はいつもと違った。

 窓辺に立つ自分まで駆け寄って来て、いつになく真剣な顔でそう言う。

 

「あのシンってコ、あれからずっと新型機のところにいるのよ! あなたも早く……!」

 

 そして、強引に腕を引っ張った。

 

「疑うって……、何をだ?」

 

 それを振りほどきながら、言葉の真意を問う。

 と、彼女は両手を胸の前で振った。

 

「あなたは『ダメ』だって」

「え……?」

 

 そして、ポケットから一枚の写真を撮り出して突き付けた。

 それには、夕日の中、カガリやキラと話す自分が映っていた。

 あの時……、誰かいたのには気がつかなかった。

 話に夢中だったこともある。

 が、こうしてずいぶんと前から「疑われて」いたことを考慮できなかった。

 ラクスは議長とレイが話していたのを聞いたという。

 アスランは「ダメ」だと……。戦士でしかないのに余計なことを考えすぎて、せっかくの力を殺してしまっている。アスランもまた「不幸」だ……と。

 格納庫で聞いた「キラは不幸だ」という話が蘇る。

 

「“罪状”はあるから()()()って、議長はレイにおっしゃってた……。だからマズいのよ!」

 

 写真はぐしゃぐしゃに丸めた。

 誰がこれを撮ったのか、どうでもよかった。最初から自分を疑っていた議長と、それに気づきもせずただ無防備でいた自分に腹が立った。

 

「早く『そんなことありません』って姿を見せないと、このままじゃ議長はあなたを……!」

 

 ラクスがそう言った時、部屋のドアがノックされた。

 すでに、本部の人間がここへ来たのだ。

 

「さすが議長だな……。オレのこともよくわかってる……」

 

 全ては議長が仕向けたことなのだ……。

 アークエンジェルのことも、キラのことも、最初からわかったうえで自分をフェイスにした。

 先ほどもまた、新型機を与えようとして見せた。

 それは全て、アスラン・ザラという人間を一本の道に追い込むため。

 力を与え、それを自分の思う通りに使うか否か……。その道を選ぶかどうか試し、今、見極めたということだ。

 

「オレは、議長が言う通りの『戦う人形』になんかなれない……!」

 

 そして、アスラン自身も今、自分を見極めた。

 

「いくら議長の言葉がが正しく聞こえても……!」

 

 急に、雲が晴れた。

 自分の中の一本の芯を感じる。いや、思い出す。

 久しぶりに、瞼にナナの笑みを思い浮かべた。

 身体はすぐに動いた。

 はめ込みのガラス窓を椅子で割った。同時に湿った空気の中へ身を躍らす。

 すぐに、部屋に兵士が入って来たのがわかる。

 彼らは悪態づいて、窓から外に出て来た。

 一人目を、ひさしの上から飛び蹴りで倒す。二人目をひじ打ちで、三人目を膝蹴りで。

 格闘技は得意なほうではなかったが、ナナの護衛になるために特訓したかいがあった。

 

「行くぞ!」

 

 銃を奪い、部屋に残るラクスの手を引く。

 警告をくれた彼女を、ここに残すことはできないと思った。何より、もう議長の考えが明確になったからだ。

 自分の認めた“役割”を果たさない者は排除する……。

 彼はそういう人だ。

 今、戦士として戦わない自分を、排除しようとしている。だから、ラクスとして振る舞えなくなった時、偽物の彼女も排除されるに違いなかった。

 非常階段に屋根はなかった。

 一瞬でずぶ濡れになったが、立ち止まるわけにはいかない。

 

「アスラン、どうして……!?」

 

 が、ラクスは足を止める。

 無理もない。

 突然連れ出されて、一瞬にして“歌姫”から“逃亡者”の共犯になっている。

 彼女が戸惑うのは当然だった。

 が、長々と説得している暇はない。追手が現れるのは時間の問題なのだ。

 アスランはラクスに、自分が見出した答えを簡潔に告げた。

 

「君だって、ずっとこんなことをしていられるわけないだろう?! そうなれば、いずれ君も排除される! 殺されるんだ! だから一緒に……!」

 

 脅しは微塵も無かった。確信があった。

 ミーアがラクスでいられなくなったとき、都合の悪い彼女の存在は簡単に消されてしまう。

 本物のラクスを殺そうとしたように……。

 そう、あれはまぎれもなく議長の指示だったのだ。

 

 今さら……。

 

 悔やんでいる暇はない。

 アスランはラクスの手を強く引いた。

 だが。

 

「あ、あたしは……、あたしはラクスよ!!」

 

 その手は振りほどかれる。

 ずぶ濡れのラクスは泣きながら言った。

 

「あたしはラクス……、ラクスなの! 役割だっていい! ちゃんとやれば……! そうやって生きたっていいじゃない!!」

 

 本心なのだろうか……。

 アスランにはわからない。

 自分を“役割”という箱に閉じ込めて生きていた日々……、それが今、思い出される。

 ナナが遺した願いにすがって、ただカガリを護る“役割”に徹するだけの日々。そんな日々はまるで、色の無い世界を宛てもなく歩いているようで……。

 

「だから、アスランも……。ね……? きっとまだ大丈夫よ……」

 

 彼女はその箱から出たくないと言う。自分もそこにいるべきだと、手を差し伸べる。

 頭上で階段を駆け下りる靴音が響いた。

 

「ミーア!」

 

 逆に、アスランが手を差し伸べた。彼女の()()()()を呼んで。

 ミーアは後ずさって、それを拒絶する。

 奥歯を噛みしめた。彼女を説得することさえできない自分がもどかしかった。

 が、ここで捕まるわけにはいかなかった。

 絶望を浮かべた彼女を残し、アスランは銃を抱えて走り去った。

 

 



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囚われ

 

 濡れそぼった赤服はずっしりと重かった。

 身体も手にした銃も冷たい。

 が、立ち止まるわけにはいかなかった。

 迷いは振り払った。

 今はもう、ナナの元へ帰ると決めていた……。

 

 

 卑怯にも、女性職員が宿泊するフロアに忍び込んだ。

 醜い作戦だが、どうしてもここから抜け出さねばならなかった。

 非常口からひとつ目のドアを開け、中に滑り込む。罪悪感を押し殺し、すぐさま部屋の中心に銃を向けた。

 窓辺の椅子に腰かけたまま目を丸くして固まっているのは……、セアだった。

 

「アスラン……?!」

 

 彼女は乾いた息を漏らす。

 

「すまない……! 外に出たいだけなんだ……!」

 

 すぐに彼女に飛びついて、口をふさぐ。

 

「頼むから、静かにしてくれ……!」

 

 彼女はすぐに、こくこくとうなずいた。

 安心はできなかった。だが、アスランは彼女から離れた。

 

「あ、あの……」

 

 彼女の声を無視し、窓を調べる。

 やはりこの部屋もはめ込み窓で、開閉はできそうになかった。

 

「お、追われてるのって……、アスランだったんですか……?」

 

 セアの問いに視線だけで答え、外の様子をうかがう。

 また窓を割って外に出たとして、どのルートで脱するべきか……。

 

「ど、どうしてアスランが……?!」

 

 彼女は小声だった。が、叫ぶようでもあった。

 

「あとで、レイにでも聞いてくれ……」

 

 それだけ答えた。

 彼女は何も知らないほうが良いのだ。

 それに、時間もない。

 ドアの外からは、すでに複数の足音や声が聞こえてきている。この部屋に追手が辿り着くまで時間の問題だった。

 

「も、もしかして……、き、基地から脱出するつもりなんですか……?」

 

 彼女の問いに、また視線だけで答えようとした時……。

 ついに、ドアが乱暴に叩かれた。

 

「本部だ。室内を見分したい。ドアを開けろ」

 

 静かではあったが、苛立ちを含む兵士の声。

 

「オレが外に出たらすぐ声を上げろ。銃で脅されていたと言え」

 

 セアの怯えた目を見つめる。

 ナナの面影……。

 やはり、かすかにそれが残る彼女の瞳に、そっと別れを告げた。

 だが。

 

「こ、こっちへ……!」

 

 セアは瞬時にアスランの顔とドアを素早く交互に見てから、アスランの腕を強引に引っ張った。

 そして、バスルームに押し込む。

 

「おい、いないのか?!」

 

 外からは、今にもドアを蹴破って来そうな気配がしている。

 

「セア……!」

 

 彼女が何をしようとしているのかわかった。かばってくれようとしているのだ。こんなところに隠して、やり過ごそうとしてくれている。

 が、兵士が部屋に入れば見つかるのは必然だ。

 バスルームに出口はない。この状況では、セアにも嫌疑がかかってしまうことになる。

 が、セアは睨むような視線をよこした。

 

「いいから、ここでじっとしててください……!」

 

 何かを決意した目だ。そして、絶対にやり通す目。

 わかるのだ……。“見たことがある”から。

 だから、アスランは何も言えなくなった。

 セアは手早く制服を脱ぎ捨てた。そして、両手で目を思い切りこすってから、ぐしゃぐしゃに髪を乱す。それから、いつも持っている薬のケースを握りしめて、ゆっくりと戸口へ向かって行った。

 息を潜めて様子をうかがった。

 兵士がドアを強引に開けるのと、セアが開くのはほぼ同時のようだった。

 

「あの……、何か……?」

 

 兵士の驚いた声の後に、やけにのんびりとしたセアの声がした。

 

「基地内に不審者がいることが判明した。この辺りに逃げ込んだとの情報があるため、室内を見分したい」

 

 兵士は早口で言う。

 だが、セアの口調は変わらなかった。

 

「この部屋には、誰も来ていませんが……」

「念のため、見分を!」

「でも私、ドアロックをかけて休んでいたんです……」

「解除して密かに侵入した可能性もある」

「誰かが入って来ればわかります」

「眠っていて気づかなかったということもあるだろう」

「では、今この部屋に隠れてるって言うんですか……?」

 

 兵士は何かに勘付いているのか、執拗に迫った。

 が、セアは彼らに怯えた様子はなく、大きなため息をついてからこう言った。

 

「あの、私……、今の時間は睡眠をとるように言われてるんです。主治医の先生から」

 

 そんな子供の言い訳が……、とアスランは思った。

 兵士もすぐさま言い返そうとしたようだ。

 だが、次の言葉で彼らは黙る。

 

 

「ご存じないですか? 『プロジェクト・バハローグ』」

 

 

 アスランもまた閉口した。

 『バハローグ』の名に聞き覚えがあった。思い出したくもない名前だ。

 それは地名……、今はもう無い地名で、かつてプラントにあった場所だ。

 今はそう……、イーリスという慰霊碑が建つ公園になっている。

 そこに、ザフトの士官学校と軍事施設があった。

 そして“あの日”……、一瞬にして吹き飛んでしまった。

 ナナの命を攫うようにして……。

 だから、忘れたくても忘れられない地名だったのだ。

 セアはそれを口にした。

 そして、兵士は押し黙った。

 

「議長のご指示なんです……。だから、私、主治医の計画(プラン)通りに休まないと……」

 

 セアが薬のケースを振ったのか、いくつもの錠剤がぶつかり合う音がした。

 バハローグがあの地の名であることはわかったが、セアが兵士に向かって()()()()()()()()の意味はわからなかった。

 だが、兵士たちは足音を立てて……、おそらくセアに向かって敬礼すると、すぐさま引き上げて行った。

 

「セア・アナスタシス……。失礼いたしました!」

 

 すぐに扉は閉まった。

 セアが小さく息をついたのを耳にして、アスランはバスルームから出た。

 

「セア……」

 

 制服を渡すと、セアは恥じらいながら手際よくそれを身につけた。

 が、“寝グセ”は直さないままアスランを見た。顔は青ざめていたが、まっすぐな瞳だった。

 

「何が……、あったんですか?」

 

 「レイに聞け」などと言うことはもうできなかった。彼女の視線から、何故だか逃れられなかったのだ。

 時間がないのはわかっていた。ここに長くいてはセアも危険だということも。

 だがアスランは、これまでのことをセアに話した。ミーアに言ったことも……。

 

「役割……」

 

 セアはその単語をそっとつぶやいた。

 

「そうだ。オレは、MSパイロットとして議長の言う通りに動く“役割”を拒否した。だからこうして追われているんだ……」

 

 うつむきながら、セアは理解しようと努めているようだった。

 

「しゃ、射殺もやむを得ない……って、聞きましたけど……」

「自分の認めた“役割”を果たさない者は排除する……、議長はそういう人だ」

「排除……」

 

 「射殺」「排除」……。不穏な単語の羅列に、セアは泣きそうな顔をした。

 その顔に……、どこか懐かしい感じがした。

 目まぐるしく変化する事態に、感覚がおかしくなっていたのかもしれない。危機的状況や濡れそぼった制服も、麻痺を誘っていたのだと思う。

 アスランの口が、勝手に動いた。

 

 

「セア……、君も……、一緒に来ないか?」

 

 

 セアは両目を見開いて息を呑んだ。

 当然だろう……。自分でも驚いている。こんな発言をするつもりは毛頭なかったのだ。

 アスランは、心から後悔した。こんなことを言ってセアを惑わせたことを悔やんだのではない。

 やっと自分というものを取り戻した時に、セアに会ってしまったことを悔やんだのだ。

 

「わ、私は……」

 

 セアの声が裏返った。

 握りしめた手がかすかに震えている。

 

「私は……、議長に救われました。とても感謝していますし……、尊敬もしています……!」

 

 セアは噛みしめるようにつぶやいた。

 

「レジーナのパイロットとして、職務を全うするのが、私の“役割”ですから……」

 

 アスランはため息をつく。

 失望したのではない。ただ自身を落ち着かせるための身勝手なため息だ。

 が、セアの思いやりが謝罪の言葉を零そうとする。

 

「す、すみま……」

「すまない、セア……」

 

 それを止めるために、早口で言った。

 そう、失望はしていない。

 最初からわかっていた。セアは議長を尊敬している。レイのように崇拝するような目ではないが、まるで親を見るような目で議長を見ていたことを知っている。

 理由も理解できる。事故の後、彼女に生きる意味を与えたのは議長だ。議長が彼女の復帰を支援し、MSのパイロットとして推薦し、当時の最新MSレジーナを与え、新造艦ミネルバに配置した。

 おかげでザフトレッドとして意義のある日常を得、仲間もできた。だから、彼女が議長を尊敬しているだけじゃなく、深い恩義も感じているのだ。

 それでも禁断の言葉が口をついて出てしまったのは……、知らずと彼女に心を寄せてしまっていたからだ。

 アークエンジェルは敵でないと感じたセアに。

 その目的を理解しようとしていたセアに。

 本部の命令に疑問を持っていたセアに。

 なにより、ナナが示した道を自らの意思で歩こうとしていたセアに……。

 その芽吹いたものこそが、秘かに心の支えとなっていた。

 自分の思いを理解してくれるのではないかと……、いや、ナナのように道を示してくれるのではないかと、勝手な期待を心のどこかに抱いていた。

 だが、この手で連れ去りたいと願ったのは、とんでもないエゴだ。

 セアはミーアとは違う。いつか使い捨てられる危うい人生にはならないだろう。

 彼女にはちゃんと居場所がある。

 それに、彼女はナナではない……。

 ナナのように、道は示してくれない。ナナに憧れつつも、自身がどう進むべきかわからないでいる。

 まだ迷いの中にある少女を、強引に方向転換させることはできない。

 なによりも、危険な道に彼女を引きずり込むことはできなかった……。

 まるで言い訳のようにそれを脳内で確認し、アスランは彼女に背を向けた。

 

「このフロアの見分が終わったら出て行く」

 

 失礼な態度をとった。勝手に侵入して、助けてもらって、一方的に……。

 だが、ドア口で廊下の物音に耳を傾けた時、セアが口を開いた。

 

「ど、どうやって、こんな巨大な基地から脱出するつもりですか……?!」

 

 まるで怒っているような口調だった。

 

「港は連合の艦隊も集結していて落ち着かない状態だろうから、一部を混乱させてその隙に……」

「そんなの無理です……!」

 

 セアはアスランの言葉を一刀両断した。

 

「港に着く前に捕まっちゃいます!」

 

 確かにそうだ。すでに警備は厳重で、捜索隊も増員されていることだろう。

 が……、それしか方法はないのだ。

 急に「味方どうし」になった連合軍がザフトの基地内にいる時点で、両軍とも疑心暗鬼になっている。少しの情報操作を仕掛けるだけで、蜂の巣を突いたような騒ぎになることは確実なのだから。

 

「だが、それしか方法は……」

「格納庫へ行きましょう」

 

 再び言葉を遮って、セアが言った。

 

「え……?」

「アスランが港に向かうことは、きっと警備兵も予測しているはずです……。逆を突いて、格納庫へ向かいましょう。そうすれば、そのままシャトルかMSで脱出できます」

 

 意図がわからなかった。

 だがセアはすでに机のPCに向かい、キーボードを叩き始めている。

 

「基地の見取り図だと……、宿舎がここで……、ここにグフの格納庫があります。港とはちょうど反対方向です」

 

 モニターを眺めながら、セアが指で示す。

 それを見ると、彼女の指先は確かに港の反対側を指していた。

 が、そこも宿舎からは数キロの位置に在る。見つからずに辿り着ける保障はなかった。

 

「こっちは警備が手薄なはずです」

 

 だが、セアはいつになく自信を持って話す。

 そして。

 

「行きましょう、アスラン」

 

 彼女はまっすぐアスランの目を見てそう言った。

 

「え?!」

「私が車で送ります」

 

 どうしてこんな時に限って、うつむいたりしないのか……。

 いや、そんなことを考えている場合ではない。

 何故、彼女はそんなことを言い出すのか……。

 

「ど、どうして……」

「だって、遠いし……、見つかっちゃいますよ」

「い、いや、そうじゃなくて……」

 

 急に喉がカラカラに乾いた気がした。

 

「なんで君が、協力を……?」

 

 怖いはずだ。関わるのは苦手なはずだ。それに、彼女は“良い子”だ。

 

「私……」

 

 セアは一度だけ唇を強く噛み、大きく息を吸ってこう言った。

 

 

「あなたは……、“ここ”にいないほうが良いと思うからです……」

 

 

 唐突な言葉に、アスランの身体はまるで硬直したようになる。

 

「わ、私……、アスランなら……、ナナ様の遺志を継げるんじゃないかって……、勝手に、そう思ってるんです……」

 

 ほんの少し眉根を寄せて、セアは言った。

 何故、彼女はそんなことを言うのか……。

 濡れそぼった身体とは裏腹に、口内は乾ききって声が出ない。

 

「あなたは……、ナナ様の側で、ナナ様の想いを聞いていたと……、思うから……」

「どうして……、そんな……」

 

 まるで抗議でもするような気持ちで、そう漏らす。

 何故そんなことを、セアは自分に言うのか……。

 そうすべきで、でもそれができなくて、難解な迷路の中を彷徨っていたというのに。セアは、自分にならそれが出来ると、唐突に言う。

 

「あの……」

 

 今になって、セアは躊躇った。

 だが、どうしても何か言って欲しかった。それがきっと、この先の支えになるような気がしていた。

 

「あなたが……、ナナ様を大切にしてたこと……、わかるんです……」

 

 たどたどしい答えは、強くアスランの脳を撃った。

 

「わ、私が……、ナナ様に『似てる』なんて言われてたから……、あなたは私を見て、不快な思いをしてましたよね……?」

「そ、そんなことはない……!」

 

 初めて対面した時はそうだったにせよ、セアを見てナナを恋しく思ったことはなかった。

 ナナの面影を持つセアを見て、ナナを思い出すからと、避けていたことはなかったはずだ。

 むしろセアとナナの違いを見つけては、勝手に失望していた。

 いや。

 本当は、セアの中にナナの欠片を探していたのかもしれない……。

 ほんの少しでも救われたいと、懐かしむだけでいいから、せめて想い出にでもすがっていたいと、そうであったらどんなに癒されるかと……、酷く利己的に思っていたのかもしれない。

 今さら、それに気づかされる。

 そうして、自分の視線でセアが傷ついていた事実も。

 だが、罪を認める暇さえも、今のセアは与えてくれなかった。

 

「それだけじゃないんです」

 

 言い訳もままならないうちにセアは言う。

 

「私は、ナナ様にとても憧れていました。『似てる』なんて言われて惨めな思いはしてきたけど……、ナナ様のことを心から尊敬していました。ナナ様のお言葉に救われました……。だから、わかるんです」

 

 彼女の瞳の奥がキラリと光りを放ったように見えた。

 

「あなたもきっと、ナナ様に救われた人なんだって……」

 

 無意識のうちに、手を胸に当てていた。ナナの護り石が、とても温かく感じた。

 

「だから、きっと、あなたは……」

 

 セアは穏やかに笑った。

 

「あなたは、ナナ様が示した道を、ちゃんと歩いて行けると思います」

 

 何故、無責任にそんなことが言えるのか……。自分なんかに、それを押し付けないでくれ。こんな自分に、そんなことができると思っているのか?

 セアの言葉に、そう思う自分も確かに存在した。

 だが、心は温かかった。

 ナナがいなくなって錆ついていた歯車が、少しだけ回ったような感覚だった。

 

「セア……」

 

 セアは自身の胸に手を当てた。

 

「私は……、あなたにそんなふうに生きて欲しい……。だから、手伝わせてください」

 

 許しを請うようではない。伺いを立てているようでもない。有無を言わさぬ彼女の強い意思がそこにあった。

 

「セア……」

 

 それでも……、本当は断るべきだとわかっていた。彼女の将来を思えばこそ……。

 が、できなかった。

 彼女の意思は曲げられない……、それを頭と心が理解しているような感覚なのだ。

 まるで……、まるで……。

 

「廊下が静かですね。警備兵がこのフロアからいなくなったんじゃないでしょうか」

 

 セアはアスランの横をすり抜け、ドアに耳をつける。

 そして、そっとドアを開いて左右を確認した。

 

「もういないみたいです」

「あ、ああ……」

 

 思わずそう言った。

 なんてマヌケなんだ……、そう実感しながらも、この不思議な感覚に浸っていたい気にもなっていた。

 

「セア」

「はい?」

「……ありがとう……」

 

 情けない声に、セアは笑った。

 

「お礼はまだ早すぎですよ、アスラン」

 

 やっぱり、懐かしかった。

 

「非常階段からガレージに向かいましょう」

 

 レジーナを操縦している時のようにてきぱきとした姿のセアを見つめて、自嘲した。

 こんな時に、こんなにも、ナナの幻影に囚われてる自分が、どうしようもなくおかしかった。

 

 



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プロジェクト・バハローグ

 

 彼女がまわした車に滑り込んだ。

 外から見られないように、身体を深く沈める。乾いたシートに、自分の服や髪から浸み出た水分が滲んだ。

 見上げた運転席のセアもびしょ濡れだ。自分でつけた“寝グセ”も、もう消えている。

 

「セア……、君を巻き込んでしまって本当にすまない……」

 

 エンジン音と雨音の中、アスランはようやく謝罪の言葉を漏らした。

 もう一度雨に濡れたせいで、少し冷静さを取り戻していた。

 

「い、いいんです。私が……、決めたことですから……!」

 

 セアは前方を見すえながらけなげにそう言い、だが唇をそっと噛んだ。

 やはり怖いのだ。「自分で決めたこと」と言いつつも、こんなことをして普通に過ごせるわけがない。

 普段から何かに怯えるように生きている彼女が、こんなことをして。

 

「さっきも言った通り、私が……、あなたにそうして欲しいんです……」

 

 だが彼女は気丈に言い、

 

「それに……、いざとなったら『プロジェクト・バハローグ』がありますから!」

 

 先ほどの単語を繰り返した。

 

「『プロジェクト・バハローグ』……?」

 

 それが本当に免罪符の役割を果たすのか、アスランは知らない。

 

「『プロジェクト・バハローグ』っていうのは、あの……事故……の後、『再生』に向けて議長自らが舵を取る計画のことです。あの場所を公園にするとか、慰霊碑を建てるとかだけじゃなく、二度と同じような事故が起こらないように管理体制を見直したり、士官候補生を育てたり……。それに、生き残った私をMSのパイロットとして活躍させるとか……」

 

 セアは「あの事故」の部分だけ躊躇って、それ以外はすらすらと話す。

 

「私はその、議長が立ち上げたプロジェクトの管理下にあります。ミネルバに配属されていますが、正式な所属は本部なんです。ですから、私の行動は全て本部からの指示ということになります。だから、『出撃』も『休息』も全部が本部……、つまり議長からの指示ってことになるんです」

 

 先ほど兵士たちをあしらった場面を思い出す。

 「休息時間」がその『プロジェクト・バハローグ』にのっとった本部からの指示だとしたら、それを基地の警備兵が邪魔するわけにはいかなかったのだ。

 ミネルバで共に過ごした時も、彼女は頻繁にメディカルチェックを受けていた。時には艦長から機体整備の指示を受けている最中でもあったが、それも本部からの指示だったのなら合点がいった。

 

「アスランは復隊されたばかりなので、お聞きになったことはないかもしれませんが、軍の中では誰もが知る特別なプロジェクトなんです」

 

 車体が揺れた。

 が、アスランは彼女の顔から視線を逸らせずにいた。

 

「議長はあの事故の後……、生き残った私を特別に気にかけてくださいました。私が当初の志願どおり、MSのパイロットになれるよう手厚くサポートしてくださって……。医療チームやパイロットの教官方も、直々に選考してくださったんです。私は最適な医療と特別訓練を受け、レジーナのパイロットになることができました」

 

 一瞬、対向車のヘッドライトに照らされたセアの表情からは、不思議と感情を読み取ることができなかった。

 

「奇跡の人……、とか言われて注目されそうになったそうですが、議長がメディアを厳重に遮断してくださいました」

 

 だから……、セアの存在を知ることがなかったのだ。

 アスランは納得した。

 あの事故の生き残りがほんの数名いたことは公表されていた。

 が、当時のオーブや世界に対して、プラントは「生存者は施設の関係者が数名」と発表していた。士官学校の生徒は全員が爆発に巻き込まれたと……、それが公式発表だったはずだ。

 が、セアに関しては、議長は思いやりのある対応をしたといえるだろう。

 もし、将来ある若者が一人だけ生き延びたことが知れ渡ると、それこそ「奇跡の人」として世界中から注目されるに違いない。セアには無神経に美談や皮肉の言葉が浴びせられることになっていたはずだ。

 『プロジェクト・バハローグ』。

 先ほどの警備兵の対応にしても、そのプロジェクトにおけるセアの存在がどれほど重要であるのか思い知らされた。

 だが……。

 いくらなんでもそれが言い訳になり得るとは思えなかった。

 

「だが、この状況では……」

「それに」

 

 セアは穏やかに言いながら、車を勢いよく右折させた。

 

「あなたに脅されたって言えばいいでしょう?」

 

 まだ“逃げ道”はあった……。

 尋問は逃れられないかもしれないが、彼女を“被害者”にさえしてしまえば、救えるのかもしれないと……。

 

「やっぱり」

「え……?」

 

 もっとまともな策が思いつかないうちに、セアはほっと息をつくように言った。

 

「みんな港のほうへ行っているみたいですね。検問も無かったし……。まさかあなたがここまで逃げて来ているとは思っていなかったみたいですね」

「ああ、助かったよ……」

「読みが当たりましたね」

 

 セアが笑った。得意げな笑みに、やはり懐かしさを覚えた。

 まだ、感覚がおかしいままなのかもしれない。

 

「ありがとう、セア……」

 

 かろうじてそう言うと、セアは急にはにかんだ。

 

「お、お礼は……、まだ、早いですって……!」

 

 それはとても新鮮な感じがした。

 これがセアの普段通りの姿で、今まで側で見てきたはずなのに……。

 

 

 

 やがて、車が格納庫まで辿り着いたのがわかった。狭い視界に、フェンスと重厚な建屋が見えたのだ。

 

「セア、どこか潜り込めそうなところで少しだけスピードを落としてくれ」

「ど、どうしてですか……?」

「飛び降りる」

「え……?」

「君は止まらずにそのまま行ったほうがいい」

 

 もうすでに、監視カメラに映ってしまってはいるだろうが、自分が車を飛び降りたほうが、後でセアが「自分に脅されていた」という証言の信ぴょう性が増すと思われた。

 格納庫の前まで「送り届けた」という疑いは、少しでも持たれないほうが良い。だから当然のことを言ったつもりだった。

 が、セアは前を向いたまま言う。

 

「だ、駄目です。機体のセットアップまでお手伝いします……!」

「だが、ゲートを抜けなければ格納庫まで行けないんだぞ?」

 

 ゲートには番兵がいる。非常事態警報が出ているはずだから、きっと車内の点検をされるだろう。

 そこで見つかれば、強硬手段に出るしかない。

 そんな事態になれば、自分はともかく、セアが協力者としてみなされる確率が高くなってしまう。

 

「大丈夫です。うまくやりますから……」

 

 セアにしては力強い言葉と、あやふやな言葉が混在していた。

 が、それでも彼女は頑なだった。

 

「アスランは、できるだけ下に潜っていてください」

「だ、だが……」

「このバンは車高が高いので、ゲートの兵士からシートの下は見えません」

「だが君は……」

「大丈夫ですよ。私も一応、赤服ですし……、うまい言い訳も考えてありますから」

 

 緊張で頬を引きつらせながらも、彼女は無理に笑みを作った。

 

「そうじゃない……!」

 

 番兵と接触すれば、セアへの疑いはますます濃くなる。

 巻き込んでおいて勝手だが、自分に大切な言葉をくれたセアが、少しでも傷つかないで欲しいと心から思った。

 だからアスランも、頑なに申し出を拒否した。

 

「うまく切り抜けられたとして、余計に君が協力者だという疑いが強まることになるんだぞ?」

 

 正論のはずだった。

 が、セアは怯えるどころか、怒ったような顔をした。

 

「私のことは、気にしないでください……!」

「そういうわけには……!」

「言ったはずです。私が決めたことなんです……!」

 

 雨音が、急に静まった気がした。

 

「私が、あなたにそうして欲しいんです……」

「セア……」

「私は、ナナ様の示した道を歩きたくても、今は何もできなくて……、でもあなたならきっと、何かができると思うんです……」

 

 次第にセアの声は萎まるのに、とても強く耳に響く。

 

「せめて私は、それを手伝うことができたら……って……」

 

 セアは一瞬だけ、視線を泳がせた。

 そして、少し声を大きくして言った。

 

「わ、私が勝手に、あなたに理想を押し付けてるだけ……なんです!」

 

 何も……、言えなかった。

 彼女の中の、強い芯の部分を見せられて、情けなくも動くことができなかった。

 

「セア……」

「だから……、行ってください、アスラン……」

 

 どこへ行くのか……。

 彼女には見えているようだった。

 まるで、ナナのまっすぐな瞳と同じだ。

 それを言ったら、セアは悲しむだろうか。それとも、はにかむだろうか。嬉しそうに笑うのだろうか。

 全ての言葉を呑み込んで、アスランはうなずいた。

 セアがほっとしたような顔で、スピードを落とす。

 照明の数が増えたのか、外が明るくなった。

 銃を引っ込めてさらに深くシートの足元に潜り込んだ。

 もうセアの顔も見えない。

 彼女が窓を開けながら、深く深呼吸をしたのがわかった。

 アスランは息を潜める。

 番兵がすぐにセアに話しかけてきた。

 だが、もうアスランに、不安も迷いもなかった。何故か心が落ちついた状態で、セアの声を聞いていた。

 まるでレジーナを操縦している時のような、冷静な声だった。

 

 



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違ってきこえる

 

「基地内に不審者がいるとのことで、その対応としてMSを待機させるようにとの指令を受けました。主力部隊は港へ向かったので、私は念のためこの辺りを警戒するようにと、『本部』から言われています」

 

 セアがこう言っただけで、あっさりとゲートは開いた。

 彼女が赤服だったのと、やはり番兵が彼女の名を知っていたから、余計な追及はなかったのだ。

 セアはゲートから一番遠い格納庫の前で車を止めた。

 降りしきる雨の中に、二人して身を躍らす。一瞬で、乾きかけていた制服はずぶ濡れになった。

 セアはまだ、さきほどのゲートでのやりとりの緊張が残っていた。少し震える手でIDをかざし、格納庫の扉を開ける。

 そこは、予定通りグフの格納庫だった。

 

「出られそうですね」

「ああ」

 

 セアはグフの足元にある操作盤の電源を入れた。

 その手はすぐに、淀みなくキーボードを打ち始める。

 アスランもタラップの設定を始めた。

 ボタンの操作をしながら、モニターの鈍い光に照らされたセアの横顔を見る。

 髪の先から、雫が何度もしたたり落ちた。

 アッシュグレイの髪。バイオレットの瞳。ナナとよく似た輪郭でいて、ナナとは違う……。

 この不思議な感情とも、ここでお別れだ。

 アスランはふと、そう思った。

 先ほどセアに、『ナナと似ている自分を見て不愉快だったろう』と言われ、ちゃんと否定ができなかった。

 もちろん、不愉快ではなかった。

 大いに戸惑いはした。少しのもどかしさがあった。彼女にナナの面影を見るたびに、彼女はナナではないと言い聞かせるのが癖になっていた。

 それが少し、辛かった。

 罪悪感もあった。同じく、虚無感も……。

 だが、セアが嫌いではなかった。

 彼女は、ナナとは違う強さと優しさを持っていた。

 だったら……、いったい自分は、セアにどんな思いを抱いていたのだろう。

 今さら、よくわからなかった。

 当然、ナナへのような特別な感情はなかった。それを求めようともしなかった。

 かといって、ただの後輩、仲間……、ではない気がする。

 ルナマリア、シン、レイたちとは違う感情があったのはきっと確かだ。

 それは、何か……。

 今ここにセアがいることが、その答えなのかもしれない……。

 そう思って、もう一度セアの横顔を眺めた。

 いつからか……、きっと彼女はこんなふうに特別だった。

 ガルナハンの町で、シンが強制労働者を解放した時、セアが言った。

 

『これで……良かったんですよね……?』

 

 何故だか、彼女がつぶやいた疑問にとても安心したのを覚えている。

 クレタ沖でアークエンジェルやフリーダムと対峙した時、セアは凄むような声で聞いて来た。

 

『フリーダムは敵ですか?』

 

 敵じゃないとしどろもどろに答えると、セアはフリーダムに一切の攻撃をしなかった。

 あの時は、彼女の言動と行動に、安堵と困惑が入り乱れた。

 きっと……、普通のザフトの兵士なら、シンを称えるか、あるいはやり過ぎだと呆れるところだろう。

 それに、当然フリーダムは“敵”として排除するはずだった。

 セアはあの時からアスランの考える“普通”とは違っていた。

 そして彼女は、「アークエンジェルは敵と思えない」と言った。

 命令でも、本当は討ちたくなかったと……。

 あれは「ナナの翼」だと言った。ナナを尊敬していると。ナナに憧れていると。ナナの示した未来を歩きたいのだ……と。

 だから、こうして自分を助けてくれている。

 

『あなたは、ナナ様が示した道を、ちゃんと歩いて行けると思います』

 

 そんな言葉までくれて……。

 きっと、セアがナナに似ていなくても……、今のように特別な存在となっただろう。

 そう確信した。

 彼女の中に、ナナのような強さと優しさを見たから。彼女の細い身体の中に、一本の強い芯が在ったから。

 彼女が……、ナナが撒いた種を芽吹かせようとしているから。

 それをもう一度、実感したかった。

 こんな時に……。

 だが、もう彼女とはお別れだ。今、確かめるしかないのだ。

 

「セア……」

 

 頭上でグフの駆動音がした時に、アスランは口を開いた。

 

「はい……?」

 

 その声が場違いにのろく聞こえたのか、マヌケに響いたのか……、セアは少し驚いた顔で振り向いた。

 最後の問いを、アスランは投げかけた。

 

 

「君は、以前医務室で、議長の言葉について何と答えようとしていたんだ……?」

 

 

 それは最後にして欲深い問いだった。

 だが、その言葉がきっと、これから進む道を照らしてくれる気がした。

 

「あ……、私は……」

 

 無垢で無慈悲なセアは、あの時途切れた言葉をちゃんと紡いでくれた。

 

「議長のことは、尊敬していますし、私を取り立ててくださったことは感謝しています。だから、議長のあのお言葉も、とても素晴らしいと思いました……」

 

 ひと言ひと言、自身のなかで噛みしめるように、彼女はきちんと語ってくれた。

 

「戦いのない平和な世界を造るためにロゴスを倒す……って、私にも“正しく”聞こえました……」

 

 少し伏せたまつ毛を、アスランは食い入るように見つめた。

 

「だけど……」

 

 それが二度、三度と揺れ……、彼女の視線はまたこちらを向いた。

 

「違うんです……」

「違う……?」

 

 セアは一度息をついて、こう言った。

 

 

「ナナ様のお言葉とは、なんだか違って聞こえるんです……」

 

 

 ナナの言葉……、それがセアにどう聞こえているのかなんてわからない。

 だが、彼女の言うことに確かに共感している。

 

「ナナ様なら……、きっと『ロゴスと倒す』なんておっしゃらない……。私には、そう思えて仕方ないんです……」

 

 彼女の視線が鋭くなった。

 

「違いますか……?」

 

 きっと、初めからそうだったのだ。

 シンのように、議長の言葉を「正しい」と思えない理由。レイのように、議長を信じられない理由。その理由をずっと探していたのに、セアが教えてくれたそれは、とても単純なことだった。

 議長の言葉は、『ナナの言葉のように響かない』……。

 そんな独善的な理由でも、今、とてもしっくりきていた。

 

「きっと……、オレも……」

 

 唇が重かった。

 が、彼女に答えた。

 

「最初から……、そうだったんだ……」

 

 独りよがりで子供じみた理由……。

 だが、それこそが葛藤の正体だったのだ。

 本当は、そんなこと初めからわかっていたのかもしれない。

 が、愚鈍な自分は、セアのように素直に認められなかったのだろう。

 ナナならそうは言わない……とか、ナナなら違う道を示す……とか。きっと、そんなふうに考えたくなかったからだ。

 虚しいだけだから。現実に絶望するだけだから……。

 

「アスラン……?」

 

 セアは怪訝な顔をした。

 アスランの呟きに、納得などしていないのだ。

 が、アスランの身体は軽くなった。

 議長の言葉がどんなに正しく聞こえても……、共感できない訳が明確になったから。

 セアがその答えをくれたから。単純な答えが真実だったから。

 そして、思った。

 セアが言ってくれたあの言葉。

 

『あなたは……、“ここ”にいないほうが良いと思うからです……』

 

 ()()()()を、アスランもまた思った。

 

「セ、セットアップが完了しました……!」

 

 じっと見つめられて困ったのか、セアが居心地悪そうに目を逸らした。

 

「シャ、シャッター……、開けます……!」

 

 モーターの音が響いた。

 シャッターのその先にあるのは自由か、それとも……。

 緊張感を持ってそう考えるのが当然の場面だった。

 が、アスランはセアを見つめたまま、言った。

 

 

「セア、君も一緒に行こう……!」

 

 

 一度、断られている。

 自分も最初は本気で言った訳じゃなかった。

 セアにはこの場所で、ナナの遺志を継ぐ道を探して欲しいと思った。それが彼女には相応しいと思った。

 だが今は、心から思う。

 セアもまた、“ここ”にいるべき人ではない……と。

 

「え……?!」

 

 バイオレットの瞳がキラリと光った。

 

「オレも思う。君も“ここ”にいるべきじゃない……!」

 

 セアは当惑した。目も、逸らせないほどに。

 

「わ、私は……」

 

 その瞳には、迷いが浮かんでいた。はっきりと拒絶もしない。

 が、アスランは説得を試みるつもりはなかった。

 時間もないが、それ以上に、セアには想いが伝わるような気がしたのだ。

 だから、少しだけ……。

 

「君はオレに『ナナの道を歩くことができる』と言ってくれたが、オレは君もそうすることができると思う」

 

 ほんの少しの言葉だけ。

 

「一緒に……、その道を歩いてくれないか?」

 

 セアはふらりと後ずさった。

 

「だ、だめですっ……! わ、私は……!」

 

 拒絶の言葉は、彼女の喉に引っかかっている。

 

「セア……」

 

 手を差し伸べた。

 ミーアが掴まなかった手……、セアはそれを凝視した。

 だが、手と手を取り合うことはできなかった。次の言葉をどちらかが発することも許されなかった。

 上昇するシャッターの向こうから、凄まじい殺気を感じたのだ。

 

「セア……!」

 

 反射的に身体が動いてくれた。そうでなければ、撃たれていた……。

 頭の上で、金属が割れる音がする。

 セアを抱えて操作盤の影に隠れるが、なおも弾丸が二人を襲う。

 

「……っ……!」

 

 腕の中で、セアが声にならない悲鳴を上げた。

 一瞬、銃声が止んだ隙に、上体だけ起こしてシャッターの方を見る。

 容赦なく銃弾を浴びせて来るのは、レイだった。

 

「やっぱり逃げるんですか! あなたは!!」

「レイ……!」

「オレは許しませんよ! ギルを裏切るなんて!!」

 

 互いの姿を確認し合った。

 それでもまた、レイは銃を向けてくる。

 シャッターの向こうに止まった車のヘッドライトが、レイから発せられる殺気のようだった。

 

「やめろ、レイ! セアが……!!」

 

 彼は撃ち続けた。操作盤にいくつもの穴が開き、モニターが次々に割れた。

 跳弾が二人を襲う。

 このままでは、セアに怪我を負わせてしまう……。

 

「くそっ……」

 

 こんな形で撃ちたくはなかった。これでも、彼を仲間だと思っていたのだ。

 が、今は撃ち返すしかなかった。

 アスランは兵士から奪い取っていた銃を構えた。

 

「ま、待って……!」

 

 震える声がした。

 

「アスラン、わ、私が盾になります……!」

 

 セアが小声で叫んだ。

 

「その隙に……、行ってください……!」

「な、何を言ってる……!」

「私は……、大丈夫です……!」

 

 怯む身体に懸命に力を通わせて、彼女は立ち上がった。

 そして、アスランの前に立ち、両手を広げた。

 

「レイ、お願い……! アスランを行かせてあげて……!」

 

 レイの視線が、セアを向いた。

 

「アスランは……、ザフトじゃなくなっても“敵”じゃない。だから……」

 

 だが、アスランの足は動かなかった。

 本当に、セアを残して行っていいのか……。

 それとも、セアがくれたチャンスを活かすべきか……。

 

「セア・アナスタシス……」

 

 が、足は動かなくて正解だった。

 レイはセアの名をつぶやいた後、躊躇いもなく引き金を引いたのだ。

 

「セア!!」

 

 もう一度、セアを抱き抱えて操作盤の影に逃げ込んだ。

 

「レイ! 何故、セアを……!?」

 

 セアの歯が、カチカチと震えているのがわかる。

 

「セア・アナスタシス……」

 

 レイは驚くほど静かに言った。

 

「ギルの許可は得ていないが、お前はオレがここで“排除”する」

「なんだって……?!」

「お前はギルにとって危険な存在とみなした」

 

 機械のようにそう言って、レイは再び銃を発射した。

 

「レイ……!」

 

 彼にセアすら「排除」する理由を問うことも、説得することもできはしなかった。

 レイは冷静なようでいて、かつて見たことはないほどに憤っている。

 議長のことを憚らず「ギル」と呼び、なにより弾道に正確性はなく、怒りにまかせてめちゃくちゃに撃っているようだった。

 

「セア……」

 

 うつむくセアの頬に触れた。

 冷たい雫がつたっている。

 雨粒じゃない。恐怖でもない。失望だった。

 

「レイ、待ってくれ! セアはオレが脅して無理やり協力させたんだ。だからセアは傷つけないでくれ……!」

 

 必死の嘆願をした。

 が、聞き入れられなかった。

 

「セアがここにいるのが自分の意思だろうとなかろうと、オレは“排除”の対象と判断する」

「何故“排除”なんて……!」

「ドクター・リューグナーの報告書も読んだので」

 

 跳弾が耳をかすめた。

 憤りも疑問も押し込めて、震える身体を強く抱く。

 

「セア……」

 

 アスランは心底、偶然とはいえ彼女の部屋の扉を開けてしまったことを後悔した。

 そして……、今現在、彼女がどう思おうと、絶対に守ろうと心に決めた。

 

「レイ!」

 

 アスランは、とうとうレイに向けて銃を撃った。

 もちろん、当てはしない。機体に乗り込むまでのけん制になれば……。

 三発目が、レイの銃身に命中した。

 彼の手から、銃が弾かれる。

 彼は別の武器を取りに、すぐさまシャッターの向こうへ走り去った。

 

「セア……!」

 

 もう一度タラップに乗る。

 そして、めいっぱい手を差し伸べる。

 唇は真っ青だった。涙の筋が光っていた。懸命に歯を食いしばっていた。

 それでも、瞳の中に強い輝きがあった。

 セアは呼吸すら噛み殺して、アスランの手をとった。

 すぐにレイの銃撃が再開した。

 が、タラップが弾を全て弾き返す間に、セアを抱きかかえてグフのコックピットに滑り込んだ。

 

 

 



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雷鳴

 

「セア……本当にごめん……」

 

 グフを起動させながら、そう言うことしかできなかった。

 セアは後ろからシートを力いっぱい掴んで、何度も首を横に振る。彼女もまた、声を出すことができないようだった。

 雷鳴が轟いていた。眼下の海も大しけだ。

 が、逃亡するにはこの嵐は都合が良かった。

 

「つかまっていてくれ、セア」

 

 セアはまだ、ひと言も話さない。

 全身を罪悪感に覆われたが、引き返すわけにはいかなかった。

 

「セア、オレは……」

 

 だが、セアの震えを放っておくこともできず、せめて何かひとつでも安心できるような言葉はないかと探した。

 気の利いた言葉は思い浮かばなかった。全部が言い訳になってしまうようで、声は途切れた。

 が。

 

「わ、私……」

 

 情けない言葉を遮るかのように、セアが口を開いた。

 

「し、してないです……!」

 

 精一杯、絞り出すように言った。

 

「後悔……、してないです……!」

 

 耳元で揺れる彼女の息づかいに、思わず手を止めそうになる。

 

「セア……」

「今……、何度も確かめていました……」

 

 セアは震える声で、だがはっきりと言った。

 

「私、後悔してないです……!」

 

 この状況で何故そう言えるのか……。

 アスランにはわからなかった。

 が、振り仰いだ彼女の目は、まっすぐ前を見つめていた。

 

「私……、本当は、あなたに『一緒に来ないか』って言われた時……」

 

 暗雲を見すえながら、彼女は言う。

 

「きっと、嬉しかったんだと思います……」

「嬉しかった……?」

「最初に言われた時から、嬉しかったんだと思います……」

 

 曖昧だが、はっきりとした想いだった。

 

「本当は私も……、あなたのように、自分の思う道を行きたかった……。でも、議長に恩があるのに裏切るとか、脱走兵になるとか……、全然勇気がなくて、怖くて……」

 

 萎みそうになる声を、セアは必死に紡ぎ出す。

 

「だ、だから、今……、こうやってあなたと行くことになって……、後悔は、していません……!」

 

 かすかに涙が滲む瞳が、アスランを見た。

 

「セア……」

 

 言葉を失った。

 返す言葉などあるはずもないのだ。

 これはまぎれもなく、彼女の意志だ。彼女自身の強さだ。

 誘ったのは自分だが、そそのかしたわけじゃない。彼女が流されたわけでもない。

 「きっと」などと曖昧な台詞を言いながら、彼女はまっすぐだった。

 

「君の……」

 

 言わずにはいられなかった。

 

「その強さは、ナナによく似ているよ……」

 

 それがこの場に相応しくなくとも。セアが自分で言っていたように、惨めな気持ちになろうとも。

 本気でそう思った。

 

「そ、そんな……! 私は……!」

 

 青ざめていたセアの頬に、赤みがさした。

 

「わ、私なんて……」

 

 セアは困ったように、視線を彷徨わせた。

 嬉しかった。

 その姿を見て、そう思った。

 だから、自然とその言葉が口をついた。

 

「ありがとう」

 

 深い意味は……、たくさんある。数え切れないほど。

 セアは目をいっぱいに見開いて、アスランを見た。

 視線を合わせたまま、少しの沈黙……。

 

「で……、でも……!」

 

 セアはしどろもどろになりながら話題を変えた。

 

「こ、これからどうするんですか……?」

 

 「ありがとう」の感覚を残したまま、前方を向く。

 セアがこれ以上不安がらないよう、なるべくきっぱりと答えた。

 

「アークエンジェルを探す」

「え? で、でも、あの艦は……」

「沈んじゃいない……。きっと、キラも……」

「ナナ様の……、翼が……?」

 

 この根拠のない確信に対して、セアが異議を唱えることはなかった。

 むしろ、アークエンジェルが沈んでいないことの可能性に、彼女も希望を抱いたようだった。

 

「ほ、本当ですか?!」

「少なくとも、アークエンジェル撃沈の報告はミネルバには入っていなかった。それに……、キラがあんなところで死ぬはずはない……!」

 

 恰好つけて言ってみても、自分に言い聞かせているようだった。

 が、セアは初めて明るい顔を見せた。

 

「ナナ様の翼……」

 

 嬉しそうに、そうつぶやいている。

 少しだけ安堵した。孤独ではないということが、こんなにも安心できるものだと、本当に久しぶりに実感した。

 ……が、そんな感傷に浸ることは許されなかった。

 すぐに追手が迫った。

 あの新型MS……、デスティニーとレジェンドだ。

 

「シンと……、レイか?!」

 

 デスティニーがシンだとして、レジェンドに搭乗しているのはレイであると考えられた。

 二人の腕はよく知っている。命がけの攻防になることは予想できた。

 

「しっかりつかまっていてくれ、セア……!」

「は、はい……!」

 

 戦闘の準備を手伝う彼女にそう言うなり、レジェンドからビームが撃たれた。

 避けはしたが、ビームが海面に当たった衝撃で機体が大きく揺れる。なんとか体勢を立て直すと、今度はデスティニーからも攻撃を受けた。

 

「シン、やめろ!!」

 

 わずかに反撃しつつ、そう叫ぶ。

 

「お前は操られている……!」

 

 議長にエースパイロットとして推され、戦績を称えられ、新たな力を与えられた。

 それらは全て、議長が仕向けたことだ。

 今ならわかる。

 シンは議長の忠実な兵士としての“役割”を担わされているのだ。

 

≪見苦しいですよ、アスラン! そんな姑息な手を使うなんて!≫

 

 が、レイはアスランの言葉を横から切り捨てる。

 彼はどうだろうか……。

 シンとは違うと感じていた。レイが議長を崇拝する姿はまるで……、議長の駒というより、議長そのものを体現した存在であるかのように思えた。

 

≪降伏しろ! 基地へ戻れ!!≫

 

 だがそんなことを考えている暇はない。

 シンが激しく撃って来た。まるで、この状況に対する戸惑いに苛立っているように。

 

「オレはこのまま殺されるつもりはない!」

 

 グフには最低限の戦闘装備ができていた。セアがセットアップを手伝ってくれたおかげだ。

 が、そもそも数で負けているし、なにより新型MSとの力の差は否めなかった。

 

「聞け、シン!」

 

 それでも、わずかな隙を作ってシンに語りかける。

 

「議長やレイの言うことは、確かに正しく聞こえるかもしれない。だが彼らの言葉は、やがて世界の全てを殺す……!」

 

 不思議と、淀みはなかった。

 時おりレイの横槍が入っても、整理された感情をシンに向けて言葉にすることができる。

 

「オレはそれを……!」

≪シン、聞くな!≫

 

 シンからかすかな惑いが滲んだとき、レイが叫んだ。

 

≪アスランは錯乱している!≫

 

 レジェンドのビームサーベルを、どうにかやり過ごす。

 が、推力の違いは明らかだ。

 

≪惑わされるな、シン!≫

 

 雷鳴が轟く。

 その中で、シンの“戸惑い”だけが頼みの綱に思えた。

 だから、こう言った。

 

「シン! どうしても撃つというなら、セアだけでも降ろさせろ! 彼女は……!」

 

 シンは本当は優しい少年だ。十分にわかっている。

 オーブに、カガリに憎しみを抱くのも、家族のため。戦いを憎むのも、あのエクステンデッドの少女のため。

 何度も衝突し合ったが、それだけはわかっていた。

 だから、彼に救いを求めた。セアだけでも助けて欲しいとすがった。

 が。

 

≪彼女はすでにあなたと同罪だ≫

 

 レイが冷酷に告げる。

 

≪議長から正式に、『セア・アナスタシスも含めて撃破』の許可が下りている≫

 

 一瞬、操縦桿を握る指がひきつった。

 

「レイ! 何故だ! 君はセアを……、いつも気にかけていたはずじゃ……!」

 

 思わず出た言葉は、真実のはずだった。

 セアはいつもレイの影に隠れ、レイも背中で彼女を守っていた。そう見えた。

 それが、ここまで冷酷に割り切れるとは考えられなかった。

 

≪シン、セアは人質ではない。自らすすんで逃亡を図った。二人とも我々の敵なんだ!≫

 

 レイはシンにそう言った。シンに迷いを捨てさせるよう促している。

 

「シン……!」

「シン、聞いて……!」

 

 再びシンに向けて口を開いたとき、傍らで震えていたはずのセアが声を上げた。

 

「駄目だ、セア……!」

 

 それをアスランは押し留める。

 ほんのわずかにでもシンに訴えかけ、セアだけでも無事に降ろす可能性があるのなら、セアには“人質”でいて欲しかった。

 が、セアは止めなかった。

 

「シン、お願い、このまま行かせて!」

 

 精一杯、想いを振り絞って、彼女は言う。

 

「シン、あなたが誰より戦争の無い平和な世界を望んでること、私は知ってる……。私も同じなの。ただ……、道が違うと思っただけ……」

 

 シンの息づかいがスピーカーから聞こえる。

 

「目指す場所は同じでも、歩く道は違うと……、私はそう思った。私……、私は……」

 

 セアの息づかいも、耳元で聞こえる。

 

 

「ナナ様が歩こうとした道を行きたい……!」

 

 

 彼女の決意は、アスランの胸に響いた。

 

「お願い、シン……!」

≪セア……≫

 

 デスティニーのライフルを持つ腕が下がった。

 

「レイも……、お願い! 議長が示されたやり方とは違うけど……、私もきっと平和な世界のために力を尽くすから……!」

≪セア≫

 

 が、レジェンドの剣は振りかざされた。

 

≪そんな我がままが通ると思っているのか?!≫

「くそっ……!」

 

 急いで機体を傾ける。

 セアが身体のどこかをぶつけたのがわかった。

 

「わ、わかってるけど、でも……!」

≪お前は議長が何のために『プロジェクト・ハバローグ』を立ち上げたか知っているのか?≫

「そ、それは『再生』の……!」

≪ただ“お前のため”だ、セア・アナスタシス……!!≫

「え……?」

 

 セアの爪が、シートに食い込んだ。

 

≪施設や士官学校の再建などはただの口実……。『プロジェクト・ハバローグ』はひとえにお前を『再生』させるためだけに議長が計画したものだ!≫

 

 たった一人のために……?

 アスランも疑問を持った。

 が、考えるより先に手を、足を動かさねば、レイの怒りの刃に切り裂かれてしまう。

 

≪その恩を忘れ、役目を忘れ、お前は議長を裏切って行くというのか!?≫

 

 また、雷鳴が近くで轟いた。

 

「わ、わかってる……」

 

 セアは言葉を噛みしめた。

 だがすぐに、己の意志を吐き出した。

 

「だけど……! 私は……!」

 

 それは、アスランの心を打ち震わすほど強いものだった。

 

 

「私は、ロゴスを倒すために『復活の女神』なんかにはなれない!!」

 

 

 一瞬の沈黙が流れた。

 それは、レイの怒りが頂点に達した瞬間でもあった。

 

≪アスランに何を吹き込まれたかは知らないが……≫

 

 彼は押し殺すようにそう言い、次の瞬間には高らかに叫んだ。

 

≪議長の『復活の女神』でないお前など、何の価値もない!!≫

≪レイ……?!≫

 

 動揺したのはシンも同じだった。

 仲間……、だったんじゃないのか? レイはセアを何だと思っていたのか?

 湧き上がるその疑問に戸惑っている。

 

≪お前が『復活の女神』でないのなら、議長にとって危険な存在でしかない! オレがここで排除する……!≫

 

 激しい憎悪だった。

 アスランに向けられるそれとは明らかに違っている。

 セアは言葉を失った。

 

≪レイ! な、何言ってんだよ!≫

 

 シンでさえも、レイの憤怒から取り残されている。

 

≪議長を裏切り、我らを裏切り、その思いを踏みにじろうとする……! それを許すのか?! シン!!≫

 

 だがレイは、シンにそう問いかけることで彼を引き上げた。

 

≪お前は言ったろう。どんな敵とでも戦うと≫

 

 「どんな敵とでも」……そんな危うい単語を、レイはシンに投げつける。

 

「シン!!」

 

 アスランはシンに再びうったえた。

 自分たちは敵ではないと。目指すものは同じだと。

 が、シンには届かなかった。いや、もう聞こえてはいなかった。

 

≪くそーーーっ!!!≫

 

 シンはそう叫ぶと、デスティニーのソードを抜いた。

 闇に包まれた海上が、いっきに明るくなる。

 

≪あんたが悪いんだ……! あんたが裏切るから!!≫

 

 もう、デスティニーの動きに迷いは微塵も無かった。

 それは一直線にこちらへ向かって来て、わずかな反撃も簡単に薙ぎ払う。

 逆に、レジェンドは遠ざかった。

 遮るもののない空間で、デスティニーはグフの盾を切り捨て、腕を断ち切り、そして……。

 

≪オレは……、オレはもう絶対に……!!≫

 

 その剣はコックピット目掛けて突き刺さった。

 

「セア……!」

「アスラン……!」

 

 光に包まれながら、セアを抱きしめた。

 セアだけは護りたかった。

 こんなふうに撒き込んでしまって、本当に勝手だが……、セアだけは生きて欲しいと……。

 そんな想いは……、二度目……だった。

 

 ジェネシスが爆発した時……、必死の思いでナナを抱きしめていたのを……、思い出していた……。

 

 

 



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第3章 飛翔編
幻想


 

 

 目の前に、傷ついた親友が眠っていた。

 キラはそっと、アスランの点滴を確認する。

 ゆっくり、ゆっくり落ちる水の玉……。

 

 

(アスラン……)

 

 

 このオーブ領内の海底港に帰港してすぐに、キサカから暗号通信が入った。

 安堵する間も、杞憂する間もないうちに。緊急のときにのみ使用する……という取り決めがあった回線で。

 キサカは、ナナの死以降、責任をとってオーブ軍を辞めている。

 ナナに同行していなかった彼が責任を感じる必要などないのだが、人一倍ナナを慕っていた彼は、「あの時自分が一緒だったなら」という後悔に苛まれていた。

 それも、ナナ自身が「カガリの方に付くように」と命じたのだが、キサカは酷く打ちひしがれていた。

 それで、カガリ自らの説得も実らず、彼はオーブを去った。

 彼なりの懺悔のつもりだったのだろう。

 彼は後に「連合軍に潜伏した」という情報を送って来た。

 この、秘密の暗号回線を使って、一度だけ……。 

 彼がこの回線で二度目の通信をよこして来たのは、ザフトと対ロゴス同盟軍がヘブンズゲートへ侵攻している時だった。

 きっとそのことで、彼はオーブに関わる重要な情報を送って来たのだと思った。

 が、通信を受け、暗号を解析したミリアリアはこう言った。

 

「アスランを……、収容したから、引き取って欲しいって……」

 

 最も動揺したのはカガリだった。

 もう二度と会えないかもしれないと……、敵対してしまったと……、そう思っていたアスランを、キサカが連れて来るという。

 キラ自身も大いに驚いた。

 いったいどういういきさつで、連合のキサカがザフトのアスランを「収容」したのか……。

 追加の情報では、彼は負傷しているという。

 彼が、どこで怪我を負ったというのか……。

 考える間もなく手配はすすみ、このアークエンジェルにキサカが現れた。

 ストレッチャーに横たわるアスランを連れて。

 彼に意識はなかった。詳しい容態を聞かずとも、彼が重傷であることが見てとれた。

 カガリはそんなアスランの姿をひと目見るなり、泣き崩れた。喜びと不安で、彼女の全身から力が抜けて行くのがわかった。

 そんな彼女を抱き起し、キサカの言葉を待った。

 彼は、自分にも原因はわからないとことわってから、こう説明した。

 対ロゴス同盟艦隊の一員としてジブラルタルに停泊中、基地内で非常警報が発令されたのを察知した。

 もちろんジブラルタルはザフトの基地であり、現状は友軍であっても同盟側に事情は説明されない。

 キサカは所属する艦の中で、あらゆる手段を用いて情報を収集した。

 無線の傍受や回線のハッキングを試みる過程で、艦隊が集結しているメインの港とは別の方向からMSが緊急発進したのがわかった。

 キサカは胸騒ぎがして、小型のシャトルでそれを追った。己の身分を知る有志数名だけを連れて。

 雷鳴が轟く空に、二機の型式不明のMSを見た。

 それはおそらくザフトの機体であるにも関わらず、海面すれすれを飛ぶ一機のグフを攻撃していた。

 勝負はすぐについた。

 大しけの海に、グフは沈んで行った……。

 

 何故だかわからないが……、と、そこまで話してからキサカは言った。

 何故かそうしなければならないような気がして、グフのパイロットの救出を試みたのだと。

 ザフト内のいざこざであることは間違いなかった。

 が、目の前で消えそうな命を放っておくことはできなかったのかもしれない……と。

 そうして救出したのがアスランだった。

 ぐちゃぐちゃに壊れ、潰れ、溶けて、すでに浸水したコックピットに、彼がいたのだという。

 ひとりの少女を抱き抱えた彼が……。

 

 

「キラ……」

 

 部屋にカガリが入って来た。

 期待と不安が入り混じった目……、というのはまさにこのことだ。アスランが無事であることの期待と、目を覚まさないかもしれないという不安。

 彼女は入り口のところで立ち止まった。

 

「カガリ、いいよ、座って」

 

 席を譲る。

 カガリははやる気持ちを抑え込むようにして、ゆっくりと歩み寄った。

 

「容態はどうなんだ?」

「まだ意識は戻らないけど、安定しているよ」

「そうか……」

 

 強がっているが、まだ彼女の涙は枯れていなかった。

 呼吸器に繋がれたままピクリとも動かないアスランを見て、カガリの目にはまた涙が溢れた。

 

「なんで……、こんな……」

 

 膝の上で拳を握る。

 先ほどと全く同じ光景だ。

 

「カガリ」

 

 小刻みに震える肩に手を置く。

 

「ドクターは、もう命に別状はないって言ってたから、きっと大丈夫だよ」

 

 キラもまた、先ほどと同じ言葉を繰り返す。

 黙ってうなずくカガリに。

 

「今はたっぷり休んでるだけなんだ。もう少し眠ったら、きっと目を覚ますよ」

 

 そう言って、部屋を出た。

 ドアが閉まると同時に、嗚咽が聞こえた。

 

「アスラン……」

 

 廊下の床に、呟きがこぼれ落ちた。

 あんなに傷ついて、それでも……、きっと彼は“ここ”を目指したのだ。

 そう確信している。

 デュランダル議長の言葉を聞いて、ザフトの姿を目にして、世界の声を聞いて……、アスランはザフトを抜けた。

 そして、“ここ”を目指して飛び立ったのだ。この、ナナの翼を目指して……。

 それはとても嬉しかった。

 彼の口からその意志は聞いていない。

 が、きっとまた……、話すことができるのだ。

 また……。

 キラが顔を上げた時、隣の部屋のドアが開いた。

 出て来たのは、真っ青な顔をしたミリアリアだった。

 

「ミリアリア、大丈夫?」

 

 その部屋の中で意識不明のまま眠り続けるザフトの少女ではなく、キラはミリアリアを案じた。

 そのくらい彼女の顔色は悪く、身体も震えているように見えたのだ。

 

「キ、キラ……」

 

 呼吸もままならないような状態で、ミリアリアはキラを見た。

 が、視線は重ならない。

 その瞳を彷徨わせて、ミリアリアは「大丈夫」とつぶやいた。

 

「君も少し休んで。あのコには僕がついてるから」

 

 彼女が動揺している理由はよくわかっていた。

 

「だ、大丈夫よ! あ、あのコも容態は安定してて……、ね、眠ってるだけだから……!」

 

 最近の彼女にしては珍しく、慌ただしく言葉を並べ、答えにならない答えを返したまま立ち去って行った。

 通路の曲がるまで彼女を見送って、キラはため息をついた。

 彼女がこんなふうになる訳は、よくわかっているのだ。

 が、どうしようもない。

 自分だって、完ぺきに平静ではいられないのだ。あの少女の姿を見て……。

 キラは少し躊躇ったが、その扉を開けた。

 アスランと同じように、点滴や呼吸器の管に繋がれて眠る少女。

 彼女は目立った傷を負っていなかった。

 きっとアスランが命がけで護ったのだろう。その点で、アスランよりもかなり軽症といえた。

 が、彼女の意識は回復しなかった。

 一度も目を覚ますことはなく、死んだように眠り続けたままだった。

 だが、彼女が目を開き、声を発することを、この艦の者たちは恐れていた。彼女と視線を合わせ、言葉を交わすことを。

 キラ自身も、少しだけ……。

 彼女はあまりにも、ナナに似すぎていた。顔の輪郭も、鼻の高さも、まつ毛の長さも、唇の形も、肌の色も。共に戦い、傷つけ合い、心から信頼し合った「ナナ」という人に。

 もういない、ナナという人に……。

 彼女はよく似ていた。

 髪の色は違う。彼女はザフトの兵士だ。ナナはもういない。

 その三つを知っていても、「ナナ」と呼んでしまうほどに。

 キサカも、アスランの容態を告げる時よりもずっと、この少女の存在を知らせる時のほうが険しい顔をしていた。

 アスランに続いて、二台目のストレッチャーに乗せられた彼女の顔を見た時は、アークエンジェルのクルーたちも言葉を失った。

 誰かが呼んだ。

 いや、叫んだ。

 「ナナ……!」と。

 キラ自身も、息を呑んだ。肺が苦しくなるほどたっぷりと。

 が、幻影はすぐに消えた。

 

『そいつはナナじゃない……!』

 

 アスランのストレッチャーにしがみつきながら、カガリが言ったのだ。

 嗚咽の中でも、きっぱりと。

 

『そいつは……、ナナに似ているが、まったくの別人なんだ……!』

 

 カガリは彼女に会ったことがあった。あの、ミネルバという艦で。

 最初に出会った時は、彼女も“錯覚”したという。

 だが、カガリは事実を受け入れていたのだ。

 彼女は「セア」という名のザフト兵で、レジーナというMSのパイロットであると。産まれも育ちもプラントで、代々が軍人の家系であると。

 そしてなによりも……、ナナとは似ても似つかぬほど、おどおどとして、ものをはっきりと言わないような性格だと……。

 誰よりもナナの側にいたカガリがそう否定したことで、キラは幻想をすぐに打ち砕くことができた。

 だが少しだけ、認めることに労力を要した。

 このコがナナだったら……と、理不尽で不安定な期待は少なからずあったからだ。

 それを……、この「セア」というナナのようでナナでない少女と過ごしたはずのアスランはどう思っただろう。

 そう考えると、苦しかった。

 いったい、何を思って彼女をザフトから連れ出したのか。

 愚かな憐みを打ち消して、キラは目を細めてセアという少女の寝顔を眺めた。

 やはり、髪の色をすり替えれば、どこをどう見てもナナだった。

 が、彼女はナナではないのだ。

 彼女の性格は、カガリに聞く限り、ナナとはまるで正反対だ。

 残念……、ではない。

 己の感情を確かめる。

 ただ、アスランが共にザフトから脱し、守りたいと思った少女が、たまたまナナに似ていただけだ。

 息を吸って、吐く。かすかな薬品の匂いが、身体を通り抜けた。

 自分は大丈夫だ。そう思えた。

 が……、ミリアリアは……。マリューも、アーノルドも、他のクルーたちは、まだ激しく動揺しているのだ。

 ムウのこともある。

 彼を見て、キラ自身も少なからず動揺した。彼は死んだと思っていたから、当然だった。

 が、“感覚”は確かだった。

 連合の制服を着て、敵対し、知らぬ名を名乗り、過去の記憶を語らずとも……、彼はムウ・ラ・フラガで間違いなかった。

 そして、DNAという確かな情報が、真実を示したのだ。

 その「真実」を得て……、湧き出す感情は複雑なものだった。

 マリューの心境を思うと、言葉は見つからない。今もまだ、「ムウじゃないムウ」との距離感を測れずにいる。

 そんな状況で、今度は「ナナに似たナナじゃない少女」と対面することになったのだ。

 このセアという少女が目覚めて、彼らの幻想を打ち砕かない限り、あのミリアリアの真っ青な顔が明るさを取り戻すことはないのだろう。

 もちろん、その“宣告”を受けたとしても、しばらく不安定な波は収まらないのだろうが……。

 が、彼女のことで一番辛い思いをしているのは、アスランとカガリだ。

 そして二人はすでに、現実を受け入れている。

 二人の前では、自分らも受け入れなければいけないのだ。ムウに対する感情とは正反対のことを。できるだけ早く。

 セアという少女のためにも。

 

 無性に、ラクスに会いたくなった。

 彼女が、こんな自分たちを“許して”くれることを、願うばかりだった。

 

 

 



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悪いのは誰

 

 ザフトと対ロゴス同盟軍は、連合の基地『ヘブンズベース』へ侵攻していた。

 そこが、目下の『ロゴス』の拠点となっていることは全世界に知られている。

 対ロゴス勢力の最高司令官であるデュランダル議長が、ヘブンズベースへ向けて「最後通告」を発した。

 その内容は、直ちに全世界へも発信された。

 

 定刻まで数時間。

 世界は対峙する二つの勢力を、固唾を呑んで見守った。

 どちらが勝利するのかで、情勢が大きく変わるのだ。自分たちの日常が変化するかもしれない。

 降伏か、和解か、戦争か……。

 だが、その答えは早期に明確になった。

 通告に対する返答もないまま、『ロゴス』に付いた連合側が攻撃を始めたのだ。

 そして……、初めは奇襲から万全の防衛戦で有利に戦っていた連合だったが、徐々に同盟軍に押し込まれ、あっけなく降伏した。

 中でも、ザフトの3機のMSの活躍は凄まじかった。連合がデストロイを5機も用いて対抗したにも関わらず、彼らはそれを薙ぎ払った。

 連合の中で最も強固な基地であったヘブンズベースは、たった一度の交戦で陥落した。世界を二分する勢力の戦いだったはずが、あっさりと決着がついてしまったのだ。

 だが、『ロゴス』の盟主ジブリールだけは、いち早くそこから姿を消していた。

 

 情勢は明らかに傾いていた。

 人々が傾いて落ちる先は……誰にもわからなかった。

 アークエンジェルは未だ海の底で、傷ついた艦体の修理に追われている。

 キラにもどうすることもできなかった。そればかりか、自分がどうすればよいのか、この艦がどうすべきか、道を見失いかけていた。

 

 「もうすぐラクスが戻るから」と、マリューは言った。

 気休めではなく、思いやりだとわかっていた。ラクスが戻れば、きっと道が開けることもわかっていた。

 だが、体中に蔓延した閉塞感を振り払うことはできなかった。

 唯一、良かったことといえば親友の帰還で……。まだ絶対安静の身ではあるが、彼と再び言葉を交わせることで……。

 機体整備の手を休め、キラは彼の元に向かった。

 彼がここにいて、また話し合うことができる……ということを実感するだけでよかった。

 カガリはいるだろうか……。

 そう考えながら、部屋の前で立ち止まる。そしてふと、隣の扉を見た。

 アスランに、セアという少女の病状を伝えなければと思った。

 もっとも、まだ彼女は一度も目を覚ましていない。昏々と眠り続けたままだ。

 が、全ての数値はアスランより安定している。

 せめて変わりなく眠っている様子だけでも確認して、伝えようと思った。

 

「キラ……」

 

 部屋に入るなり、ひどく憔悴しきったカガリと目が合った。

 

「カガリ……、こっちにいたんだ」

「ああ」

 

 カガリはセアに視線を戻し、ため息をつくように言った。

 

「まだ一度も目を覚まさないらしい。容態は安定しているが……。よっぽど心身ともに強いショックを受けたんだろうって、ドクターが言っていた」

「そう……」

 

 それ以上、キラには言葉がなかった。

 カガリがいったい何を思って、セアの顔を見つめているのかわからなかった。

 

「似てるよな……」

 

 そんなキラの心を見透かしたように、カガリはぼそりとつぶやいた。

 

「本当によく、似てる……」

 

 同意はしかねた。

 彼女と数日を共にしたというカガリの感想を超えるものを、キラは持ち合わせていないのだ。

 

「でも……、違うんだ……、全然……」

 

 黙っていると、カガリは己の想いを引き裂くように言った。

 

「髪の色も、眼の色も違ってて……。おとなしくて、兵士にすら見えなくて……」

 

 絞り出されたような声に、キラは戸惑った。

 カガリが悲しんでいるのか、悔いているのか、怒っているのか、わからなかった。

 

「アスランは……」

 

 でも、止めるべきだということはわかった。

 彼女の言葉は、彼女自身を傷つける。そんな予感だけがした。

 

「カガリ……」

 

 カガリの肩に手を置いた。

 だが、カガリはそれを吐き出した。

 

「どんな想いで……、この子を連れ出したんだろうな……」

 

 嘆きとも、憐みとも、また、自嘲ともとれるようで……。

 

「カガリ……」

 

 それをアスランに直接聞け……などと、キラには言えなかった。

 

「辛いのは……、アスランだ……」

 

 ただ突っ立ったままのキラに対し、カガリは顎を上げた。

 

「悲しんだのは……、アスランだ……」

 

 そして、小さく首を振る。

 

「アスランが悪いんじゃない。この子が悪いわけでもない……」

 

 何が悪くてこんなに苦しいのか……。

 みんなが苦しんでいるのか……。

 それは、キラにわかるはずもない。

 

「悪いのは私なんだ……!」

 

 何故、カガリはそんな言葉を吐き出すのか……。

 

「カガリ。誰も悪くないよ」

 

 今度はちゃんと言葉が出た。

 

「カガリもアスランも、この子も……。誰も悪くない」

 

 自信を持って、そう言えた。

 が。

 

「違う……! 違うんだっ……!」

 

 カガリは身体をこわばらせて、声を絞り出した。

 思わず、彼女の肩に触れていた手を引っ込める。

 

「カガリ……」

「違うんだ……!」

 

 カガリは頭を抱えた。

 

「カガリ……!」

 

 かがんで、彼女の肩をしっかりと掴む。

 上体を起こそうとするが、カガリはそれを拒むように身体を揺らした。

 

「私が悪いんだ! 私のせいだ……!」

 

 悲鳴のようだった。

 彼女が背負うものの大きさに、キラも押しつぶされそうだった。

 

「カガリ。君が悪いんじゃない。誰も悪くない……!」

 

 カガリは何度も、自分のせいだとつぶやいた。何かに憑りつかれたように、何度も、何度も……。

 そのたびに、キラも同じ台詞を繰り返した。

 これだけ空気が揺れ動いても、やはりセアという子はピクリとも動かなかった。

 

「カガリ……」

 

 カガリの喉が苦しげに唸った。

 そこに引っかかっているものが何なのか、キラにはわかりようもない。

 が、それを見るのは怖くなかった。

 何故なら、それはここにいる自分たちにとっても、セアという少女にとっても、隣の部屋にいるアスランにとっても、とうてい無意味なものだと思うのだ。

 

「ねぇ、何をそんなに後悔しているのか、話してごらん」

 

 「後悔」と言う言葉が口をついて出た。それが的確だろうと感じていたのだ。

 

「私は……」

 

 カガリは、絞り出すように言った。

 

 

「ナナに……、ひどいことを……」

 

 

 ここにはいない「ナナ」の名を、カガリは口にした。

 

「ナナに? 何か言ったの?」

 

 それでも、恐れはなかった。

 カガリとナナが言い争うのは珍しいことじゃなかった。

 二人ともしっかりと自分の考えを持っていて、それを言葉にして伝えることができる。何かや誰かに流されたり、目を瞑ったまま深く考えずに突き進んだりしない。

 そう、自分とは違うのだとキラは思う。

 だからこそ、意見が合わないこともあり、そのたびにぶつかり合うのは必然だ。

 が、互いに誰よりも信頼し合っていたのも事実だ。

 二人は親友として、姉妹として、戦友として、尊敬し合い、愛し合っていた。到底、カガリの言葉がナナを傷つけることも、その逆も、在り得ないと思った。

 だから、その台詞とやらを聞くのは怖くなかった。

 

「私は……ナナにっ……」

 

 こんな苦悩は無駄だと、早く言ってやりたかった。

 だから、促すように背中をさすった。

 

「ナナに、言ったんだ……!」

「何を?」

「ナナは、『ずるい』って……!」

「何がずるいと思ったの?」

 

 カガリは観念した様に、とか、思い切って、とか、耐え切れずに、ではなく、まるで怒りをぶちまけるようにこう言った。

 

 

「世界や国民からの支持も、議員からの信頼も、“アスラン”も持ってて……、ずるいっ……て!!!」

 

 

 一瞬、キラの目の前が暗くなった。

 が、それだけだった。

 カガリの感情は壮烈にキラの視界や鼓膜を揺さぶった。それでも、キラの精神までは脅かされなかった。

 

「カガリ……」

 

 カガリの“嫉妬”の意味を、理解しているつもりだった。

 ナナという人物を前にして、持たざるを得ない感情なのだ。

 ナナが見通すものがあまりに遠く、自分がいかに狭くちっぽけな世界の中で目を閉じていたか思い知らされる。

 ナナという存在が慕われ、尊ばれるのは当然のことなのだ。

 比例して、自分がいかに惨めな存在であるかを実感することになる。

 だが、皆そうだ。カガリだけじゃない。自分も、アスランも、マリューも……みんなそうだ。

 たとえカガリがそれを口にしたからといって、カガリだけがその感情に負い目を感じることはないのだ。

 

「そんなの、気にすることないよ」

 

 ナナはきっと、知っていた。周囲からの“嫉妬”など、とっくに呑み込んでいた。

 「自分だってたいした人間じゃない」と笑い飛ばしながら。「みんなのほうが優しくて羨ましい」と肩をすくめながら。

 本当に、少しも奢らない人だった。そればかりか、逆に周囲に対して本当に負い目を感じているところがあった。

 

「ナナはきっと、気にしていなかったから」

 

 それに、当然ナナはカガリのことをよくわかっていた。

 粗削りで、だけどまっすぐで、純粋な、掘り出されたばかりの鉱物のようなカガリの精神を、ナナは深く理解していた。

 そして、そんなところを本気で愛していた。むしろ羨ましいとさえ感じていた。

 そう……“嫉妬”していたのはナナのほうなのだ。

 

「ナナは誰より君のことを想っていたでしょ?」

 

 ナナ自身もまっすぐだから、二人はぶつかり合うことも多かった。

 目指すものは同じでも、選ぶ道が微妙に違っていた二人だから……。

 だが、それでいいとキラは思っていた。アスランも、ラクスもそうだ。

 ナナ自身もそうだったのだ。

 二人で意見を出し合って、切磋琢磨しながら、国を、世界を、よくしてきたいと思っていたはずだ。

 キラもラクスも、ナナがカガリと意見が合わないと嘆いているのを何度も聞いている。

 だがその顔はどこか嬉しそうで、慈悲にも満ちていた。

 

「カガリもそのことは、よくわかってたよね?」

 

 カガリもわかっていたはずだ。誰よりもナナに愛されていることは、ちゃんとわかっていたはずなのだ。

 

「違うっ……」

 

 が、カガリは首を振った。綺麗な金色の髪を激しく乱して、何度も、何度も。

 

「違うんだっ……! 私は……!」

「カガリ……」

「私は、ナナを傷つけた……!」

 

 いっそ、「ただの姉妹喧嘩」だと言い放ってやりたかった。いつものことだろう、と。

 無責任に言うのではない。二人に近しい者として言えるはずだった。

 

「カガリ……」

「私のせいだ……!!」

 

 が、キラの主張は通らなかった。

 

「私が……」

 

 キラがカガリが抱えた闇の深さを推し量る前に、カガリは全てを吐き出した。

 

 

「私がナナを殺したんだ……!!!」

 

 

 ゾクリとした。

 久しく感じていなかった感覚だ。

 何の決意も想いもなく、ただストライクの操縦桿を握っていた時に感じた恐怖が蘇る。

 ただの“敵”に対する恐怖ではない。無力感、絶望感、そして……後悔が一気に押し寄せて渦巻くような感情だ。

 

「カガリ……!」

 

 カガリの肩を強くつかんだ。

 いくら取り乱したとしても、それは言ってはいけなかった。そんなこと、思ってはいけなかった。

 ナナの死で、無力感、絶望感、そして後悔に苛まれたのはカガリだけではない。自分もラクスも、誰よりもアスランがそうだ。

 が、誰も、一度も、それを口にしなかった。

 あの時こうしていれば……。

 そう……。プラントへ行くナナを、止めていれば……。

 自分が止めなかったからだ。止められたはずだ。危険はわかっていた。嫌な予感もあった。

 が、止めなった。

 だから、自分のせいだ。

 ……と。

 そこへ逃げたくはなかった。

 誰かのせいにすれば楽だった。それが自分であれば一番、楽だった。

 が、ナナがそれを喜ばないのを知っていたから、誰もそうしなかった。

 今の、今まで……。

 

「カガリ、それは……!」

 

 初めて不文の“禁”を破ったカガリに、言うべき言葉はすぐに見つからない。

 驚きや怒り、同情、どれもが中途半端に喉元を締め付ける。

 

「私のせいだっ……!」

 

 カガリは頭を掻きむしった。

 

「カガリ!」

「私のせいでナナは死んだっ!!」

 

 否定の欠片を全て吹き飛ばすような憤怒だ。

 

「私のせいなんだっ……!!」

 

 キラはカガリの両腕を掴んだ。

 どうにかして、“こちら”を見させねばならなかった。

 

「カガリ、カガリ、こっち見て!」

 

 落ち着くんだと言いたくとも、自分がそうでないから言えない。

 

「カガリ、大丈夫……、大丈夫だから……!」

 

 安い言葉を、めいっぱいゆっくりした口調で繰り返すしかない。

 

「カガリ、大丈夫だよ……!」

 

 骨が軋みそうなほど全身をこわばらせたカガリは、ようやく叫びを止めた。

 ほっとしたのも束の間。

 

「きっと……アスランもっ……」

 

 嗚咽のように吐かれた言葉は、再びキラの背を冷やした。

 

「カガリ」

 

 アスランはカガリのせいになどしない。

 わかりきったことを言えばよかった。ちゃんとした答えを、キラは持っていた。

 だが、それを口にすることはできなかった。

 

「う……」

 

 一瞬、静寂となった部屋に、吐息が漏れた。

 

「……セア……」

 

 はっとしたように、カガリは立ち上がった。

 キラもつられて立ち上がり、ベッドを見る。

 今までぴくりとも動かなかった少女が、かすかに身じろいでいた。

 

「セア……」

 

 恐る恐る、カガリがささやいた。

 と……。

 

「アス……ラン……」

 

 少女の唇の隙間から、その名がこぼれ出た。

 キラは反射的にカガリの横顔を見た。

 悲しげな……、いや、慈悲の……、いや……。よくわからない顔でセアを見つめている。

 

「ド、ドクターを呼ぼう……!」

 

 張り詰めた空気に耐え切れず、キラはそう言った。カガリの顔を、見ていられなかった。

 その時、扉が開いた。

 

「あ……」

 

 入って来たのはドクターだ。

 彼はカガリを見るなり息を呑んだ。

 無理もない。カガリのこんな顔を……、カガリじゃなくとも、若い女性のこんな顔を見て、冷静でいられるわけがない。

 

「カ、カガリ様……」

 

 ドア口で突っ立っている彼に、キラが言った。

 

「今、あのコの意識が戻りそうなんです……」

 

 我ながらひどく味気ない台詞だと思った。

 目を覚ましそうだという喜びや安堵を、含めることができなかったのだ。

 

「え……?!」

 

 ドクターの目が大きく見開いた。

 そして、カガリと少女を見比べる。

 

「ドクター……」

 

 その視線に気づいたカガリが、彼をうながした。

 やけにぎくしゃくした動きで、彼は少女に歩み寄る。

 が、結局、少女は目を覚まさなかった。それ以上、動くことを諦めたかのように、再び眠り続けた。

 

「意識は戻らないのか?」

 

 カガリは己を取り戻しつつあった。

 

「え、あ、は、はい……、まだ……」

 

 ドクターの答えは要領を得なかったが、どうにか説明を始めた。

 

「ア、アスランさんが言うには、このコはいつも薬を身につけていて、定期的に服薬していたようで……。その薬の分析を今進めています……。成分がわかれば投与して……、そうすれば回復の見込みが……あるかと……」

 

 遠慮しているのか……。

 ドクターは視線を逸らしながらそう言った。

 

「そうか」

 

 カガリもそれ以上言わなかった。

 そして。

 

「よろしくたのむ……」

 

 そう言い残し、部屋を出た。

 キラは、モニターを見つめるドクターと、眠る少女とに目をやって、それから部屋を出た。

 カガリの後は追わなかった。

 彼女はアスランの部屋に行かなかった。

 

 キラも、ドックへと足を向けた。

 

 



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アカツキ

 

 ラクスとの再会は唐突だった。

 アークエンジェルに「エターナル発進」の知らせが届いたのである。

 宇宙の片隅でじっと息を潜めていたはずのあの艦が……。ラクスの艦が、ついにザフトに発見された……と。

 キラは久方ぶりに、背筋が凍るほどの恐怖を覚えた。

 ラクスを失うことなど考えられなかった。遠く離れた海の底で、ただその時を待つことなどできなかった。

 が、今はどうすることもできなかった。

 情勢が混乱を極める今、オーブとアークエンジェルから離れるわけになどいかない。

 カガリの側を離れることなど……。

 背中を押したのはアスランだった。

 ラクスを失っては全てが終わりだ……と、そう言って。

 優先事項を決めることは難しい。だが、彼の言葉を聞いた瞬間に決まった。

 皆の強力を得て、キラは飛んだ。

 暗い宇宙に向けて、ラクスの姿を思い描いて。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 キラが発ってから、事態は最悪の方向に傾いた。

 ヘブンズベースから脱出したジブリールが、オーブ国内に潜伏していることがわかったのだ。

 彼を受け入れたのはセイラン家だった。

 そしてそれは、すでにザフトにも知られたという。

 こうして、ザフトの刃がオーブに向けられることが決定的となった。

 ザフトからの身柄引き渡し要請に対し、オーブはあろうことかこう答えた。

 『ジブリールはいない』と。

 政治家も軍人も、誰一人として騙されることのない浅はかな嘘である。

 そんな声明を出したのは、現オーブの代表……ユウナ・ロマ・セイランだった。

 ザフトは憤慨した。いや、その答えを待ち構えていたかのように、すぐに戦闘が始まった。

 再び、オーブは焼かれようとしていた。

 

 カガリはすぐさま戦場へ向かおうとした。

 ストライクルージュはキラに貸している。

 アークエンジェルには()()()()MSがあったが、どうしてもそれには乗ることができなかった。

 だから、スカイグラスパーを奪ってでも行こうとした。

 しかしマリューに止められてしまった。

 今、カガリが出て行ってもどうにもならない。たとえアークエンジェルに乗艦しているタケミカズチのムラサメ隊を率いても……と。

 ザフトの戦力は厚く、オーブ側は統制が執れずにまともな防衛戦にもなっていない。

 オーブの力が発揮できない今、国を護るためにはアークエンジェルが出て行くしかない。

 一刻も早く修理を終えて、皆で……。

 マリューは状況をそう判断していた。

 もちろん、カガリもわかっていた。

 が、オーブを護るため、一秒でもじっとしてなどいられなかったのだ。

 とうとうカガリは皆の同意を待たず、アークエンジェルのブリッジを飛び出そうとした。

 その時、入れ違いに入って来た者とぶつかった。壁のようなそれは、キサカだった。

 

「待て、カガリ」

 

 彼は両肩をつかんで止めた。

 カガリはその手をめいっぱい振りほどく。

 が、逃れられない。

 

「いいから一緒に来るんだ!」

「嫌だ! 私いく! このままじっとしているくらいなら、国と一緒に焼かれた方がマシだ!」

「それでは困るから来いと言っているんだ」

「うるさい、放せ!!」

 

 血を滾らせたカガリには、キサカの落ち着き払った態度が腹立たしかった。

 キサカとともに現れたエリカもだ。

 

「行く前にウズミ様の言葉を聞いてほしいの」

 

 彼女は言った。

 落ち着いてはいるが、二人はどこか真剣な眼差しだった。でなければ、はやる気持ちを懸命に押し込めてついて行ったりはしなかった。

 

 

 ジリジリと焼かれそうな気を抑えながら、二人の後に続いた。

 連れて来られたのは、閉鎖されて久しい古い施設だ。それも、秘密通路を通ってしか行けない地下の隔離ドックだった。

 当然、カガリは来たことがなかった。

 二人はしっかりと閉ざされた扉の前で、こう告げた。

 

「ウズミ様からこれを預かっている」

「あなたに託したものよ」

 

 扉の前の碑石に、こう書いてあった。

 

『この扉 開かれる日の来ぬことを切に願う』

 

 ウズミの願いに反し、扉は開かれた。

 エリカがドック内の照明を灯す。薄暗い洞窟のようなそこは、一気に明るくなった。

 明るいなどというものではない。目が眩むほどに眩しくなったのだ。

 目の前に、巨大な光の塊があった。

 

「これは……」

 

 言葉の通り、それは黄金に輝いている。

 

「モ、モビルスーツ……?!」

 

 そう認識すると同時に、ドック内にウズミの言葉が響いた。

 “力”はただ“力”。多く望むのも愚かだが、むやみと厭うのもまた愚かなことである。

 これは護るための“剣”だと。必要ならば、これをとれ。己の定めた成すべきことを成すためならば……と。

 それは父の遺言だった。深い愛情に満ちた声だった。

 胸が熱くなった。

 争いの元だからと、力を忌み嫌っていた自分を思い出した。

 今、オーブがこうなってみて思い知る。

 力が無ければ何もできない。護りたくても護れない。

 なんと無力……。

 こんな自分を、父はずっと前から知っていたのだ。いつか自分が力を欲する日がくると知っていて、こんなふうに与えてくれたのだ。

 

「お父様っ……!」

 

 眩しかった。父の想いが。

 

「カガリ、『アカツキ』に乗るか?」

 

 キサカが問う。

 答えは決まっていた。

 その名の通り、夜明けを染める存在になりたい。心からそう思った。

 

 カガリは涙を止めると、『アカツキ』のコックピットに身を沈めた。

 と、起動スイッチにメモが張り付けられていた。

 閉ざされていた空間にある物にしては相応しくない新しさだ。

 内容は……起動方法や操縦方法などではない。戦い方のコツでもない。

 せっかちそうな字でこう書かれている。

 

『あなたが護りたいもののために この力を使ってください』

 

 ナナの字だ。

 ナナは知っていたのだ。この『アカツキ』の存在を。知っていて黙っていたのだ。

 今日の、この時のために。

 さっき止めた涙がまた溢れた。

 申し訳ないと思った。

 ナナにも何度も反発した。

 あの戦争の後、軍縮を訴える自分にずっと反対し続けるナナを理解できなかった。

 あれほど傷ついて、失って、戦争の残酷さを誰より知ったナナなのに。その戦争の火種である力を、ナナは捨てようとはしなかった。

 あまり話さないようにしてはいたが、モルゲンレーテ社にもよく顔を出していたようだった。

 まだ力は必要だと……そう言うナナのことが、よくわらかなった。

 

『戦いの無い世界を、私たちは知らない。だから、どうやって進むべきか、誰も知らない』

 

 いつか、ナナは言っていた。

 机を叩いて、書類をまき散らして、ナナに抗議した夜のことだ。

 

『知らないから、間違うこともある。進む道は知っていても、踏み外すこともある』

 

 大人びた口調で、窓の外の星を見上げながら、ナナは言った。

 

『それを正すために使うのは、言葉であって欲しいけど……力を向けられれば力で抗うしかない』

 

 あの時は、自分とナナの意見は平行線だと思っていた。いくら崇高と思えるナナの意思でも、これだけは自分が正しいと思っていた。

 が、自分が愚かだった。無知だった。理想を追い求めすぎて、必要なものが見えなくなっていた。

 ナナはわかっていたのに。父の理念を、本当に理解していたのに。何度も、教えようとしてくれていたのに……。

 

「ナナ……、お父様……!」

 

 後悔は後でいくらでもしよう。

 ナナの言葉を、綺麗に折り畳んで懐にしまった。

 深呼吸して、操縦桿を握り直した。

 二人に護られている。心から尊敬する二人に力をもらった。

 だから、絶対に守りたかった。

 

 愛する国を。

 愛する皆を。

 

 二人が愛した、この国を。

 

 

 



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 また、オーブが戦場となった。

 呑気に寝てなどいられなかった。

 アスランは点滴の管を引きちぎり、部屋を出た。

 身体のあちこちが軋んでいる。少し歩いただけなのに、息が乱れる。

 が、進まなければならなかった。

 いや……。どこへ向かうというのか……。

 静かな通路に立ちすくむ。

 こんな自分にできることなど、あるのだろうか。

 ナナの導きの光を見失い、再び友を傷つけて、カガリも護れず、セアまで巻き込んで……。こんな自分が、どこへ行こうというのか。

 

 

 彷徨いながら、隣の部屋の扉を開けた。

 かすかな電子音が規則正しく鳴るだけのその部屋に、一人の少女が寝かされていた。自分と同じように、点滴を繋がれている。

 雷鳴の中、暗い海に沈んでから、セアに会うのは初めてだった。

 容態はキラやカガリから聞いていた。そう大きな怪我はしていなかったが、全身を強く打ってショック状態だった、と。心肺機能は安定しているが、脳波が不安定で、まだ目を覚まさないのだと……。

 

「セア……」

 

 聞いていた通り、少し熱があるようで、頬が赤い。

 呼吸も早い。

 

「セア……、すまない……、本当に……」

 

 この少女には、何の罪もない。助けられ、あげく巻き込んで、傷つけてしまった。

 罪悪感などというありきたりな表現では足りない。

 彼女が再び目を覚ました時、何と言っていいかわからない。

 やっぱり無責任に謝って、薄っぺらな礼を言うことしかできないのだろう。

 

 ナナならば、何と言うだろうか。

 ナナは、こんな自分に何と言うだろうか。

 

 答えを知ろうとした時のクセだ。しかし久しく封じていたクセだ。

 そうしていたのは、答えを求める資格がなかったからだ。

 ナナに問いかけられるような自分ではなかった。

 もう、ずっとそうだ。

 ナナはきっと、困って目を逸らす。あれほどにまっすぐな視線を、そっと逸らすのだ。

 声は聞こえてこなかった。

 ナナはこんな自分に答えなどくれない。

 ただ……。

 

「セア、目を……覚ましてくれ……」

 

 セアには笑っていて欲しかった。

 怯えた表情を取り去った時の笑顔は、とても綺麗だったから。

 自分がそれを与えられたらいい。

 が、傷つけておいてそんな無責任な想いは持てない。

 誰かがセアを護って欲しい。

 それも、果てしなく無責任だ……。

 結局、迷いの中にいるのだ。

 深くて暗い、迷いの道。ナナが示したはずの光は、いつのまにか見えなくなっている。

 情けない。消えてしまいたいほど……。

 と、その時。

 

「……う……」

 

 セアがかすかに身じろいだ。

 

「セア?!」

 

 触れるのは躊躇った。

 代わりに2度、3度、名を呼ぶ。

 

「アス……ラン……?」

 

 セアは薄く目を開いた。

 視線はおぼつかない。が、こちらを認識していた。

 

「セア、すまない……! でも、大丈夫だ、ここは……!」

 

 支離滅裂だった。

 何を話せばいいのかなどと、考えていた自分が愚かだった。結局、何の整理もついていないのだ。

 

「アスラン……」

「セア、すまない、君を巻き込んで……」

「よかった……、アスラン、無事……で……」

 

 それなのに、セアはこんな自分の情けない姿を見て、笑ってくれる。

 

「ここ……」

「アークエンジェルだ。わかるか? オレたちは助けられたんだ」

 

 「アークエンジェル」の単語に、セアは朧げに反応した。

 

「アーク……エンジェル……?」

「ああ、そうだ。今、この艦はオーブにいる」

「オーブ……」

 

 そして、「オーブ」にも。

 

「セア、大丈夫だ。君のことは……」

 

 安心させたいのは当然だった。だが、続く言葉は言い訳のように思えた。

 が、その言葉は遮られた。

 

『全クルーに通達。本艦はこれより出航します』

 

 マリューの声が聞こえたのだ。

 

「出航……?」

 

 意識が少しはっきりしてきたのか、セアの耳もそれを捉えたようだった。

 

「セア、実は……」

 

 アスランは、言葉を選びながら現状を説明した。

 しばらく眠っていたセアには、理解が難しいことはわかっている。だが、起こったこと、起きていることを、簡潔にまとめて伝えた。

 

「……じゃあ、オーブは……」

 

 セアが最初に気にしたのは、オーブのことだった。

 

「ああ……、また、戦場になっている……」

 

 長いまつ毛の奥から、探るような視線を向けられる。

 ナナとは違う色の瞳。

 この期に及んで、そう感じてしまう自分に嫌気がさした。

 

「この艦も……戦う……?」

 

 小さくうなずいた。

 そう……、この艦はこれから戦場に出るのだ。

 

「オーブを……護るの……?」

 

 単純な問いだ。その答えもまた単純なことだ。

 

「ああ……、そうだ……」

 

 複雑なのは、アスラン自身のちっぽけな心だ。

 自分だけ、すべきことを見つけられない。

 いや……、それが本当にすべきことなのか、わからなくなっている。

 

「アスラン……」

 

 そんな自分を、セアは虚ろな目で、だが、まっすぐに見つめて言った。

 

「行って……」

「え……?」

 

 少し、笑って。

 

「行って……、アスラン……」

 

 “答え”を与えられたと、思うことはできなかった。

 が。

 

 

「進んで……、前……に……」

 

 

 これは、「背中を押す」とか「励ます」とか、そういう類のものではなかった。

 

「アナタが……、思うように……、進んで……」

 

 これは……、これは……。

 

「セア……」

 

 これは確かな“導き”だ。

 まるで……。

 

「きっと……、大丈夫……」

 

 セアはそうささやくと、目を閉じた。

 すぐにゆっくりとした寝息が聞こえた。とても穏やかな顔をしている。

 

「セア、君は……」

 

 何かが見えていたのだろうか……。

 “彼女”のように……。

 そっと指先に触れた。細くて、柔くて、懐かしかった。

 ひどく泣きたくなった。胸が収縮したように痛んだ。

 が、そのおかげでわかった。

 まだ、自分の中にある“核”の存在を。

 

「行くよ……」

 

 勝手につぶやいた。

 静かに眠るセアと、瞼裏のナナに……。

 部屋を出た。

 向かう先はブリッジ。

 もう、迷わなかった。

 

 

 



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長い夢を

 

 カガリがアカツキを駆って戦場に現れたことにより、情勢は変化した。

 カガリの言葉を信じた兵士たちがユウナ・ロマ・セイランを拘束し、事実上、カガリがオーブ軍の最高権力者の立場に舞い戻ったのだ。

 彼女が国防本部を制圧したことで、崩壊寸前だった防衛ラインの立て直しに成功した。

 が、ロード・ジブリールを発見することができないまま、戦闘は続いた。

 

 この戦闘にはミネルバも現れた。シンのデスティニーも出撃した。

 彼はやはり戦場を圧倒的強さで制圧したが、宇宙から帰ったキラのストライクフリーダムが立ちはだかった。

 二機は激しく交戦した。

 そして、ミネルバとアークエンジェルも。

 そのさ中、フリーダムと共に降りた機体、インフィニットジャスティスがアークエンジェルに着艦した。

 乗っていたのはラクス。

 彼女はその機体をアスランに授けた。

 

 再び戦士となることを、アスランは迷った。

 が、それはほんの一瞬のことだった。セアの言葉が、今の彼を導いていた。

 アスランはジャスティスに乗り、戦場に向かった。

 そして、フリーダムとともに、シンのデスティニー、レイのレジェンドと合いまみえる。

 アスランは必死の思いでシンに訴えかけた。

 「何を討とうとしているか本当にわかっているのか」と。「君がオーブを討ってはだめだ」と。「君は何が欲しかったのか」……と。

 そんな中、1機のシャトルが宇宙へ飛んだ。

 セイラン家のシャトルだった。

 搭乗者はジブリールだと、ザフト側もオーブ側もすぐに察知した。

 双方とも、シャトルを追撃した。指揮官は撃墜も許可した。

 が、シャトルは宙の彼方に消えてしまった。

 

 それを見届けると、ザフトと反ロゴス連合艦隊はオーブ領海からの撤退を始めた。

 旗艦撃沈により指揮を引き継いだミネルバ艦長、タリア・グラディスの判断だった。

 ミネルバから帰還信号が放たれ、デスティニーとレジェンドは帰っていた。

 アスランはそれを見送るなり、コックピットで意識を失った。怪我が完治していない状態でMSに乗った身体が悲鳴を上げたのだ。

 

 彼は再び医務室に運ばれた。

 そして治療を終えた頃……、セアが目を覚ました。

 今度ははっきりと……。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 傷口が開き、臓器の一部が弱っている状態だが、アスランの容体はどうにか安定した。

 そうドクターに告げられ、キラは安堵してラクスと共に部屋を出た。

 ラクスを引き合わせたかった。ナナの面影のある少女と。

 

「ミリアリアさんからお話は聞いておりますわ」

 

 ラクスの中に「覚悟」があるようで、キラは少し安心した。自分たちと同じ衝撃を、ラクスは受けずに済むようだ。

 彼女が何を感じるのか不安はあった。

 だが、期待のほうが大きかった。

 彼女はきっと、“道具”をくれるはずだった。

 セアという少女にナナの面影を見てしまう、未練がましい自分を掃いて捨てる“道具”を。自分よりも割り切れない想いでいる、ミリアリアやマリューの心を一刀両断する“道具”を。皆の動揺を静める“道具”を……。

 いつも彼女に救いを求めるのは不甲斐ない。

 が、このことはもう、彼女の言葉がなければ気が晴れないとわかっていた。

 

 二人で部屋に入った。

 ミリアリアとマリューが、ベッドサイドに立っていた。セアと話しをしている。

 

「……よかった、目を覚ましたんだね……!」

 

 キラもすぐに歩み寄る。

 ラクスもほんの一瞬だけ遅れてから隣に並んだ。

 

「キラ、ラクス……」

 

 ミリアリアがこちらを見た。とても顔色が悪い。マリューもだ。

 やはり、二人も“幻像”に囚われているのだ……。

 

「え……?」

 

 セアの視線がこちらを捉えた。

 いや、ラクスを捉えた。

 

「ラ、ラ、ラクスさま……?!」

 

 反射的に身体を起こそうとしたので、慌ててミリアリアが制した。

 

「ちょっと! そんなに急に起きちゃだめよ!」

 

 セアはラクスを凝視して固まる。

 

「な、なんで……ここに……」

 

 ラクスは彼女に微笑みかけた。

 そして、手をとった。

 

「セアさん、はじめまして。ラクス・クラインです」

「え? は、はじめまして……?」

 

 セアは何度も瞬きをし、頬を赤らめた。

 セアが目を開いているところをキラは初めて見た。声も初めて聞いた。

 それで、少し安心した。

 

「あ、あの……」

 

 激しく動揺し、怯えたような恐縮したような様は、()()()()()とは重ならない。

 

「ど、どうして、こちらに……?」

「ここがどこだかおわかりですか?」

「は、はい……。あの、アークエンジェル……だと、い、今、ミ、ミリアリアさんに聞きました……」

「そうです。そして、ここは……オーブです」

「オ、オーブ……ですか……?!」

 

 立て続けに入る情報に、彼女は戸惑っていた。

 

「ラクス、あの……」

 

 ミリアリアが遠慮がちに口を挟んだ。

 

「アスランとこのコがアークエンジェルに収容されたことと、アスランが無事なことは伝えたんだけど……、“今回のこと”はまだ……」

 

 “今回のこと”……つまり、オーブがザフトと戦ったことを、セアはまだ知らないのだ。

 彼女の仲間だった者たちが、この艦の敵として現れたことを。

 

「でも、大丈夫です。どうか安心してください、セア」

 

 ラクスはミリアリアにうなずいてから、セアに優しく語りかける。

 

「あ、は、はい。あの、でも……、どうしてラクス様が……、オーブに……」

 

 セアの視線が彷徨った。

 無理もないことだと、ようやくキラは気がついた。

 プラントで育った人間にとって、ラクスは特別な存在であることは知っている。彼女を心から慕い、崇拝する人間は何人も見てきたし、彼らには共感できた。

 が、それに加えてセアはすでに“偽物”を見ているのだ。

 いや、この同様の仕方だと、直接会ったことがあるのかもしれない。ザフトの施設やプラントで。

 であれば、“あちら側”で皆を鼓舞していた憧れの存在が、アークエンジェルにいるはずがないと思うのは当たり前のことである。彼女の動揺はもっともだった。

 

「そうですね。それをあなたにちゃんとお話ししなければなりませんね」

 

 アスランが連れて来た人だから……か、ラクスはセアに真実を告げる意思を示した。

 真実を知ったセアはますます混乱するだろう。それを思うと気の毒だった。

 が、彼女が己の意志でもってザフトを出たのなら……、やはり真実を知るべきだった。

 

「今何が起きているのかも、ちゃんとお話ししますわ」

 

 そして、この艦が少し前まで仲間だった者たちと戦った事実を知れば、彼女はさらに心を乱すことになるだろう。

 それでも、ラクスは全てを告げるつもりだった。

 そのうえで、選ばせようとするのだろう。セア自身に、これから進む道を。

 

「その前に、あなたはご自分の身になにが起こったか、覚えていることはありますか?」

 

 ラクスの問いに、セアは視線を彷徨わせた。

 

「アスランと、グフで基地を出て……、追撃されて……、シン……、な、仲間に……、撃墜されました……」

 

 ラクスはゆっくりとうなずいた。

 ミリアリアとマリューは心配そうな顔でセアを見つめている。

 

「ア、アスランが私を守ってくれたと思うのですが……、すみません……、よく、覚えてないんです……」

 

 話ながらしぼんでいくセアの背を、ラクスはゆっくりとさすった。

 

「では、それからのことは覚えていないのですね?」

「は、はい……。なんだか、長い夢をみていたような感じで……」

「そうですか」

「す、すみません……。まだ、頭がぼーっとしてるみたいで……」

「大丈夫です。もう、大丈夫ですよ」

 

 ラクスは彼女を安心させようと、何度も「大丈夫」を繰り返した。

 そして。

 

「私からセアさんにご説明しますわ」

 

 こちらを向いて言った。

 

「みなさんお疲れでしょうから、お休みになっていてください」

 

 全ての「宣告」は自分が引き受けると、ラクスはそう言っている。

 ミリアリアとマリューはそれを感じたのか、そっと顔を見合わせてから同意した。

 キラは残ろうと思った。ラクス一人に任せるのは酷だと、すがっておいてそう思った。

 が、ラクスが強い瞳でこちらを見ていた。

 きっと、ラクスはセアを気遣っているのだ。彼女を落ち着かせるには二人のほうが良いと。

 それに、ミリアリアとマリューと自分のことも……。

 セアの怯えたような目と視線が合った。

 当然、知らない人間を見つめる視線だ。いや、こちらの視線が彼女にとって“毒”なのだろう。

 キラはラクスに小さくうなずいて、ミリアリア、マリューと共に部屋を出た。

 きっと、ラクスはセアという少女を導いてやれるだろう。

 そして、自分たちも……。

 己の無力さをわかっていて、そう信じるしかなかった。

 

 



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贈りもの

 

 目を覚ますと同時に、思考がどっと押し寄せた。

 アークエンジェルは大丈夫だろうか。キラは大丈夫だろうか。オーブは大丈夫だろうか。カガリは大丈夫だろうか。シンは大丈夫だろうか。ミネルバはどうなっただろうか。セアはまだ目を覚まさないだろうか……。

 ひどい眩暈がした。

 だが、アスランは無理矢理身体を起こした。

 全身が痺れている。あちこちの傷が痛む。頭がくらくらする。

 それでも、渦巻く疑問のひとつでもいいから、早く解決したかった。

 身体を支えようとした腕が、肘からカクンと折れた。

 うまく力が伝わらない。というより、痛みで力が入らない。

 が、正直、痛みはどうでもよかった。

 気がせいて、なんとかブリッジにコンタクトを……と、手だけを壁のパネルに伸ばした。

 その時。

 

「アスラン……?!」

 

 扉が開いて、懐かしい声がした。

 “懐かしい”……と、反射的に感じたのだ。

 

「セア!?」

 

 車いすに乗ったセアが、目を丸くしてこちらを見ていた。

 

「ア、 アスラン……!」

 

 彼女の車いすがスッと側に寄った。

 

「大丈夫なのか?!」

「大丈夫ですか?」

 

 二人、同時に叫ぶように言った。

 セアはびっくりしたように、ますます目を見開く。

 その隙に、素早くセアの状態を確認した。

 車いすには乗っているが、そう顔色は悪くないようだ。が、腕に巻かれた包帯が痛々しい。

 

「怪我は? 具合はどうなんだ?」

 

 キラたちからセアの怪我について詳しく聞いていた。

 が、やはり心配だった。

 自分のせいで負わせた怪我だから……。

 

「わ、私は大丈夫です……! それよりアスランが……」

 

 セアは手を伸ばし、腕に触れた。

 

「ちゃ、ちゃんと横になってください……!」

「いや、大丈夫だ」

「駄目です……! 怪我が治ってないのに、MSで戦ったって聞きました……!」

 

 誰かに聞いたのか、先の戦闘のことをセアは知っていた。

 とすれば……、戦った相手がミネルバ……、シンたちだったことも知っているのだろうか。

 目覚めたばかりだというのに急激に脳が疲れ、アスランは壁にもたれかかった。

 改めてセアを見る。

 いや、目を逸らす……。

 

「セア……、すまなかった……」

 

 視界の隅で、セアの手が握り合わされるのがわかった。

 

「君を巻き込んでしまって、本当に……」

「違います……!」

 

 それを強く握ってセアは言った。

 

「わ、私が自分で決めたことです……!」

「だが、オレが君に『一緒に来てほしい』なんて言ったから……」

「さ、最初はそんなこと無理だと思いましたけ……ど。でも、後悔してないって言ったじゃないですか……!」

 

 もう一度、セアを見た。

 それが強がりなのか、やせ我慢なのか、後悔が含まれていないか……、知らねばならなかった。

 

「それより……」

 

 セアは眉根を寄せた。

 だが、視線はちゃんとこちらを見ていた。

 

「私のほうこそ……。私を守ったせいで、アスランが酷い怪我を……」

「それは違う!」

 

 すぐさま余計な憂慮を否定した。

 声が体内で響いて、骨が軋む。

 

「オレは……、君を……!」

「アスラン! や、やっぱり横になったほうが……」

「いや……、大丈夫だ。それより、君が……」

 

 息を切らしたせいで、不安を膨らませてしまった。

 

「お、お水! お水、飲んでください!」

 

 セアは車いすから飛び降り、サイドボードから水を取って差し出した。

 これ以上心配されても困るので、黙って受け取る。

 幸い手は問題なく動いた。

 咳き込んで不安がらせないよう、慎重にひと口、ふた口、温い水を飲み込んだ。

 

「わ、私、ドクターを呼んで来ます……!」

 

 が、セアはそう言ってインターホンへ向かおうとする。

 

「セア、本当に大丈夫だ!」

「でも……」

「それより、話を……」

 

 話なんて思い浮かばなかった。

 が、ドクターを呼ばれたくもなければ、セアに行って欲しくもなかった。

 

「ほ、本当にドクターを呼ばなくていいんですか?」

「ああ、大丈夫だ」

「でも……」

 

 セアは車いすに座り直すとうつむいた。

 

「怪我をしてるのに、MSで出撃するなんて……」

 

 何故だか居心地悪そうに腰かけている。

 

「オーブと、この艦を護りたかった……」

 

 少しだけ、正直な言葉が出た。

 

「君が、背中を押してくれたからだ……」

 

 あの時、セアが導いてくれなければ、護れなかったかもしれない。

 何を……と問われても答えられはしないが、力のひとつにはなれたと思いたかった。

 なにより、迷いを捨て、いじけた心を振り払って、その力を手に取れたのはセアのおかげだった。

 が、セアは大きく瞬いた。

 

「わ、私ですか……?」

 

 驚いている。

 

「覚えていないのか?」

「あ、あの……」

「さっき、君は少しだけ目を覚まして、オレに『思うように進め』と言ってくれたんだ」

 

 セアは視線を彷徨わせる。

 あまり意識がはっきりしていない状態だったから、覚えていないのも無理はない。

 が、アスランにとっては大切な瞬間だった。

 

「すみません、よく覚えていなくて……。アスランと話したような気もするし、夢だったような気も……」

「そうか……。でも、君がそう言ってくれたのは事実なんだ」

 

 そう、事実だからきっぱりと言い切れた。

 セアはかすかに頬を赤らめた。

 

「す、すみません……。なんだか偉そうなこと……」

「いや」

 

 一度、深呼吸をした。

 少しの間に、セアは顔を上げる。

 

「ありがとう、セア」

 

 セアの目は、何かを探した。

 さらけ出すように、アスランは瞳を逸らさなかった。

 

「お、お礼を言うのは……私のほうです……」

 

 しばし見つめ合って、セアはまたうつむいてそう言った。

 

「あなたは……、私を助けてくれました……」

 

 話がまた振り出しに戻る。

 

「助けてくれたのは君だろう。オレは君を巻き込み、こんな怪我までさせてしまった……」

 

 が。

 

「違うんです。あの……、撃墜された時のことじゃなくて……」

 

 セアは言葉を選びながら、ゆっくりと言った。

 

「あなたは、私を……、“あの場所”から連れ出してくれました……」

 

 “あの場所”……、彼女が元いた場所、それは“ザフト”に他ならない。

 彼女の居場所だったところだ。おそらく、唯一の。

 そこから「連れ出してくれた」とセアは言う。

 まるで、ずっとあそこから出て行きたかったかのように。

 

「セア……、君は……」

「私……、デュランダル議長には、返しきれない恩があります」

 

 セアはアスランの声を遮って語った。

 

「“あの事故”で……、士官学校も休学になってしまったのに、退院後は特別チームを作って訓練を受けさせていただいて……。飛びぬけた才能なんてないのに、ザフトレッドにまでしてくださいました……」

 

『お前は議長が何のために“プロジェクト・ハバローグ”を立ち上げたか知っているのか?』

 

 レイが叫んでいたのを思い出す。

 

「それから、新造艦ミネルバのクルーに任命していただいただけじゃなく、レジーナという新型MSも与えてくださって……。私はエース級パイロットでもなんでもないのに……」

「セア……」

「議長のお考えは、私にもわかっていたんです」

「わかっていた?」

「“あの事故”で……、ナナ様を失って、世界中が悲しんだと思います。あなた方や、地球の人たちはもちろん、プラントの人々も……。私は、正直あまりよく覚えてはいないのですが……」

「そうか……」

「ザフトの人たちも、多くの軍関係者を亡くして、とても士気が下がったのだと聞いています。それで、議長は『プロジェクト・ハバローグ』を宣言し、復興を推進されました」

「その一部が、君を新型MSのパイロットとして復活させることだったのか?」

 

 ここで初めて、セアはかすかに笑った。

 

「レイが言ってたとおりです。議長は私を、“復興の象徴”にしたかったのだと思います」

 

『施設や士官学校の再建などはただの口実……。“プロジェクト・ハバローグ”はひとえにお前を“再生”させるためだけに議長が計画したものだ!』

 

 あの時沸き起こった疑問が蘇る。

 

「それこそが、プロジェクトの……、議長の目的だったのか?」

 

 セアは小さくうなずいた。

 

「“あの事故”を生き延びた私が最前線で戦い、戦果を挙げることが、ザフトにとっての真の復興……、『再生』だと……、議長はそうお考えになっていたんだと思います」

 

 ようやく、レイが言っていたことの意味を理解した。

 あの犠牲、怒り、悲哀……、それらの感情を議長はセアに背負わせていたのだ。そうして、その渦巻く感情を、消えない痛みを、セアが自身の力で振り払うことを期待していた。その姿こそが、“復興の象徴”となるように、

 だが……。

 

「『復活の女神』と……」

 

 セアは乾いた声でつぶやいた。

 

「……そう、議長の周りの方々に言われていたことは知っています」

 

 その言葉を聞いたのも、あの時だった。

 

「私は、シンみたいな操縦技術はないし、ルナマリアみたいに判断力もないし、レイみたいに知識もないし……、取り立てて優れたパイロットではないんです。それなのに、『復活の女神』なんて言われて、復興の象徴と期待されて……。ミネルバに配属されてからもずっと、私なんか議長やプラントのみんなの期待に応えられない……って、そう思ってたんです」

 

 アスランは、ミネルバの艦内で出会った頃のことを思い出した。

 遠慮がちというより、むしろ怯えたような態度には、そんな“恐れ”も含まれていたのだろう。

 セアはあの頃も戦っていたのだ。背負わされた期待に押しつぶされそうになるのを懸命に堪えていた。

 きっと、シンたちについて行こうと必死で努力を重ねていたのだろう。

 ただ、気弱で人見知りな性格だっただけじゃない。事故のトラウマで精神的に弱っていただけじゃない。そんな“恐れ”とも戦っていたのだ。

 が。

 

「だけど……、私はその“期待”の意味がわからなくなりました」

 

 セアは久しぶりにこちらをじっと見つめて言った。

 

「戦争が始まってから、『復活の女神』の意味も、議長たちの“期待”の意味も、わからなくなったんです」

「どういうことだ……?」

 

 期待に応えようと必死に努力するセア。期待の大きさに押しつぶされそうになるセア。議長の支援に恐縮するセア。くじけそうな心と戦うセア。

 そんな姿を思い浮かべただけに、今のセアの言葉をわかってやれなかった。

 

「だって……」

 

 セアはしっかりとした口調で言った。

 

 

「私が『復活の女神』になるってことは、『戦争で活躍』するってことですよね?」

 

 

 それを聞いた瞬間に、背中に冷たいものが伝った。

 

「つまり、たくさん“敵”を倒すってことですよね?」

 

 問われても、答えはなかった。

 

「議長は、私にそれを“期待”していたんですよね?」

 

 重ねて問われ、機械のようにうなずくしかできない。

 

「議長は、戦場での活躍を期待されていたんです。シンのような活躍を……」

 

 セアは苦しげだった。

 アスランも苦しかった。

 議長の思うように操られているシンの姿を、セアはとっくに見抜いていた。

 

「でも、議長は間違っていません。私は軍人なので、戦果を挙げるのは当然の義務ですから……」

 

 それでも、セアはきっぱりと言う。

 

「私も軍人の家系で育ったので、それはよくわかっています」

 

 セアは意図的に肩から力を抜いた。

 

「だけど……」

 

 そして、大人びた顔でつぶやく。

 

「私が、変わっちゃったんだと思います……」

「変わった……?」

「はい……」

 

 わずかな沈黙を挟んで、セアは言った。

 

「ナナ様のお言葉を聞いてから、『何とどう戦わなければならないのか』……それを考えなければならないと思うようになりました」

 

 その言葉を、アスランは聞いたことがあった。

 あれはベルリン市街戦の後だ。ミネルバのデッキで、夕日と潮風を浴びながら、セアの想いを聞いたのだ。

 

『平和を願う心があれば、ザフトとか地球軍とか、オーブとか……ナチュラルとかコーディネーターとか、そんな枠組みなんて関係ない』

 

『これからは、自分たちで未来を切り開こう。そのために一生懸命、正しく力を使う方法を考えよう』

 

『願う未来が同じなら……きっとできるはずだ』

 

 あの最期の日……、ナナが遺した言葉を諳んじて、セアは言っていた。

 

『アスハ大使のお言葉のおかげで、私は変われたんです』

 

 そして。

 

『だから……アスハ大使のお言葉のとおり、私なりに何とどう戦わなければならないのか、考えながらレジーナに乗ってきたつもりですけど……、今は、答えがわからなくて……』

 

 あの時すでに、彼女は知っていたのだ。ナナが示す道を。世界がそこに向かっていないことも。

そして、フリーダムが討たれ、アークエンジェルも沈んだ後も、セアはナナの言葉を伝えてくれた。

 

『目指す未来に立ちはだかる者が現れたら、それとは戦わなければならない……。そのためにはどうしても力が必要で、残念ながら今はそれを手放すわけにはいかない……』

 

『だけど、その力は絶対に正しく使わなければならない。正しく使うということは、今、願っている未来のために使うこと。憎しみや欲望のためだけじゃなくて、願いのために使うこと……』

 

『そうすれば、その力は“武器”ではなく“翼”になる……。誰かを殺すための“武器”じゃなく、未来へはばたくための“翼”になる……』

 

『だからみなさんも、プラントの“武器”でなく、人々の“翼”であってください』

 

 全世界に放送された公式の演説の後、セアたち士官候補生に向けて送った言葉だという。

 あの時からすでに、ナナの意思はセアの中に植えられていたのだ。

 ナナが撒いた種の存在を、セアの中に確かに見たはずなのに……。あの時、それに気づいたはずなのに……。アスランは自分から線を引いていた。

 

「あの……、だから、私……」

 

 自然と首を垂れた。

 セアが慌てて言葉を繋げる。

 心配してくれているのだ。ナナの話をしたときは、いつもこうだ。

 

「こ、このままだと、私はただの“プラントの武器”になっちゃうと思って……」

 

 セアの瞳には、かすかに光が浮かんでいた。

 

「軍人だから“当然”だってことはわかってます。それが普通で、それが務めだってこと……。でも……」

 

 だが、まっすぐだった。

 

 

「私は、ナナ様の示した道に進みたかった」

 

 

 胸が痛い。

 

「ナナ様が願ったような、人々の“翼”になりたかったんです……」

 

 どうして、わからなかったのだろう。本当に、自分が嫌になる。

 セアはずっとそうだった。何度も自分に伝えてくれていた。こうやって、はっきりと。

 最初からそうだったのだ。

 自分とセアは……。

 

「同じ……ですよね?」

 

 声は、セアが発した。

 

「アスランも……、同じ……、ですよね……?」

 

 セアが先にそう言った。

 同じ葛藤、同じ迷い、同じ苦しみ……。セアはそれに気づいていた。だから、自分を助けてくれたのだ。

 そして、一緒に来る道を自分の意思で選んだ。

 自分は何もわかってやれなかった。自分のことに精一杯で、気遣ってやれなかった。彼女の中にナナの言葉が芽吹いていることを知っていたのに、自分から線を引いていた。「セアはナナじゃない」「セアはナナのようになれない」と。

 

「だから……、私、あなたについて来たんです……」

 

 愚かなことだと思った。

 ナナの意思を継ぐ者が一人でも増えることを願っていたはずなのに、自分もそうしていきたいと思っていたはずなのに、何も見えていなかった。

 

「勝手なのはわかってます……。ルナたちを傷つけて、議長に迷惑をかけていることも……。でも……」

 

 ため息が出た。

 自分自身に、だ。

 

「ロゴスを倒せば平和になる……っていう、議長のお言葉が、どうしても信じられなくて……」

 

 セアは話し終えると、小さく「すみません」とつぶやいた。

 目を伏せ、唇を引き結び、身体を縮める姿は、情けなくも哀れでもなかった。とても強い人のように見えた。

 

「こ、こんなこと言われても困りますよね……! 私、めちゃくちゃなこと言って……、ただのわがままなのに、あの……すみませ……」

「すまない、セア」

 

 情けなくて憐れなのは自分だ。それを実感しながら、懸命にセアの言葉を遮る。

 

「もっと早く……」

 

 ましな台詞は思いつかない。ただ、正直な想いを言葉にするしかできない。

 

「もっと早く、こうやって話せばよかったな……」

 

 もちろん、こんな話をしたところで、二人にできることなどなかったのかもしれない。 セアを巻き込んで脱走して、シンに討たれて……、その現実は変わらなかったのかもしれない。

 が、あと一歩……、あと一歩だけでも進めていたかもしれない。二人で、進むべき道について考えることによって。

 

「い、いろんなことが、急に起こり過ぎて……」

 

 セアはそう言ってくれるが、言い訳にはならない。

 この少女を少しでも導いてやればよかったと、後悔が押し寄せる。

 

「君が……」

 

 だが、今こうしてここにいることは、後悔をしていない。

 オーブを護る戦いができた。何のために力を使うか、また選ぶことができた。

 

「君が、ここにいてくれて、嬉しいよ……」

 

 何の足しにもならない感想を。だが心の底から思うことを言った。

 

「は、はい……!」

 

 セアは綺麗に笑った。

 

「私も、アークエンジェルに来られて嬉しいです……!」

 

 そう。彼女も後悔などしていないのだ。あのグフのコックピットで、すでにそう言っていた。

 彼女の足先は、視線は、想いは……、前を向いているのだ。

 

「ここはナナ様の“翼”ですもんね……!」

 

 ほんのわずかに、救われた気がした。

 初めて、セアとの出逢いが、ナナがくれた贈りもののように思えた。

 

 

 

 



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 しばらく二人で話していると、ラクスとキラが現れた。

 

「ラクス様……!」

 

 セアはわずかに頬を紅潮させた。

 

「よかった、二人でお話しできましたのね」

「はい……!」

 

 セアがラクスに向ける目は、憧れの存在を見るそれそのものだった。

 以前、“あちらのラクス”に向けていた視線とは違って見える。

 

「ご気分はいかがですか?」

「あ、あの、もう大丈夫です……! 先ほどドクターの方からも、体力が戻れば通常の生活は送れるって……」

「そうですか! よかったですわ、本当に……!」

「はい、ありがとうございます……!」

 

 セアははにかむようにラクスに応えている。

 

「アスランは? お加減はいかがですか?」

 

 ラクスの視線がこちらに移った。

 

「大丈夫だ」

「あなたはいつもそう言うので、あてにはなりませんわね。ね、キラ」

 

 そしてキラへ同意を求める。

 ここでようやくアスランは気がついた。セアがキラに会うのは……初めてなのではないだろうか。

 

「うん、そうだね」

 

 キラは苦笑しながら返答し、ごく自然にセアに歩み寄った。

 

「本当に体調は大丈夫? ずっと眠っていたから、長い時間起きてたら疲れちゃうんじゃない?」

 

 彼はいつもどおりだった。優しく、セアに声をかける。

 が、アスランは戸惑っていた。

 二人は少し前、同じ戦場にいた。直接刃を向け合ってはいないとはいえ……、決して仲間とか友軍とかの立場ではなかった。自分とキラのような友でもない。

 そういう存在と、セアは初めて対面するのだ。

 それに。

 キラはセアをどう思っているのか……。

 セアの病状を報告してくれているときのキラの表情は、何を思っているのかよくわからなかった。

 だが、自分やカガリが初めに抱いたものと()()()()が彼の中に全く無いはずはない。 セアに、ナナの面影を見ないはずはないのだ……。

 誰にでも平等で、誰しもを慈しむラクスは、あまり気にしていないようだ。

 セアの様子からして、彼女はすでにラクスに心を開いているように見える。人見知り……であるはずのセアが、ラクスをまっすぐ見つめている。

 だがキラは……。

 

「あ、あの……」

 

 セアは初対面の相手に対してとる態度をとった。

 が、自分が初めて会った時よりはずいぶんと硬さがとれた気がした。

 

「キラさん……ですよね? ラクス様からお聞きしました……」

 

 ラクスはキラのことを何と言ったのか……、わかるようでわからなかった。

 キラがうなずくと、セアは思いきったようにキラを見上げて言った。

 

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

 

 キラは少し笑った。

 

「僕にお礼はいらないよ。君を護ったのはアスランだから」

 

 いたっていつもの物腰だ。

 キラのほうには、アスランからセアのことを伝えてある。カガリも説明してくれているだろう。

 

「い、いえ……」

 

 だが、対してセアは首を振った。

 

「この艦に……私を受け入れてくださったことだけじゃなくて……」

 

 そして、わずかに躊躇いながらこう言った。

 

「クレタでの戦闘のとき……、ミネルバを護ってくださいましたよね……?」

 

 さすがに、キラの顔色も変わった。

 

「あなたがフリーダムで護ってくださらなかったら、帰る場所を失くすところでした。今は……、状況は違うかもしれませんが、あの時のことは……、とても感謝しています……」

 

 セアはうつむきながらも、精一杯の想いを語っているようだった。

 一度、キラはラクスと視線を合わせた。そして、こちらを見た。

 それから……。

 

「僕もお礼を言うよ。アスランを助けてくれてありがとう」

 

 キラらしい、柔い表情をしていた。

 セアはその顔を見つめ、それから笑った。

 そして。

 

「あの……、これから、いろいろ……お話できますか……?」

 

 そう、恐る恐る尋ねる。

 セアはキラと話がしたいと言う。

 キラの行動の意味と、キラが目指すものを知りたいのだ。それがよくわかった。

 少なくとも、最初からセアはキラの存在を排除しようとしていなかった。

 

『フリーダムは敵ですか?』

 

 そう、何もかもを知っているような口ぶりで聞いて来た。あのクレタでも。

 セアはきっと、キラという存在が何であるのか、ただ知ろうとしているのだ。

 

「うん、もちろん。たくさん話そう」

 

 キラはそう答えた。セアは嬉しそうに笑った。ラクスもほほ笑んだ。

 

「君がここに来てくれて、よかった……」

 

 キラもそうつぶやいたから、アスランは心から安堵した。

 まるで自分がもう一度彼らに受け入れられたような気がしていた。

 

 

 

 しかし、残念ながら穏やかな会話は長くは続かなかった。

 キラがおもむろに壁のモニターの電源を入れた。

 どうやら、皆で一緒に観たいものがあったらしい。

 それは、カガリが声明を発表するオーブの特別番組だった。

 

 オーブ内閣府から、オーブ連合首長国代表首長としてカガリが全世界に発信したのは、プラント最高評議会議長、デュランダルへ向けての声明だった。

 途中、プラントの“ラクス”が介入し、演説を始めた。

 が、もうその存在をラクスが許すことはなかった。

 彼女はキラと共に部屋を去った。そしてしばらくすると、()()()()()()に現れた。

 彼女は()()()()()で、声を上げた。

 もう、迷いはないようだった。しっかりとモニター越しに人々を見つめ、はっきりとした口調で問いかけた。

 戦争を失くすため、平和な世界を創るため、ロゴスを討とうと言うデュランダル議長の言葉は本当に正しいのか。

 戦う者も、戦わない者も悪くない。悪いのは全て、「戦わせよう」とする死の商人ロゴス……議長のその言葉は本当だろうか。

 そして、こう訴えかけた。

 

 

≪我々はデュランダル議長の真の目的を、もっと良く知らねばなりません≫

 

 

 世界にとっては衝撃的な数分間だっただろう。

 が、セアはその映像を見ても、それほど激しく動揺はしていなかった。

 そして放送が終了した時、こうつぶやいた。

 

「ラクス様のおっしゃっていた、『デュランダル議長の真の目的』って、なんなんでしょう……」

 

 もちろん、アスランにも答えはわからなかった。

 ラクスがわからないのに、わかり得るはずもない。が、考えねばならないことはわかっていた。

 

「“それを知ること”が、この戦いの一部なのかもしれないな……」

 

 曖昧な意見だが、きっと間違ってはいない。ラクスもそのつもりでいるはずだ。

 セアもうなずいた。

 だが。

 

「あ、あの……」

 

 セアは今さら何かを躊躇っている。

 

「議長の言葉……なんですが……」

「どうした?」

「あの……」

「セア、なんでも言ってくれ」

 

 迷った末、セアは意を決したように言った。

 

 

「“あの事故”がロゴスの仕業じゃないかっていう……議長のお言葉を、どう思いますか?」

 

 

 脳がうち震えた。

 そこに、かつての議長の姿が蘇る。

 

『プラントとオーブの調査団の報告では、紛れもなく、施設の管理体制の不備による事故でした。が、私は“ロゴス”に仕組まれた可能性を念頭に置いたうえで、もう一度、あの事故を調査するつもりです……! 何故なら、皆を平和な未来へ導かんとしたアスハ大使こそが、“ロゴス”の天敵だったからです……!』

 

 彼は叫んでいた。穏やかな物腰を打ち捨てて、猛々しいほどにそう訴えかけていた。世界に向かって。

 世界中に衝撃を与えたあの演説の、その部分だけは考えないようにしていた。

 それを考えてしまっては、セアの言う“ナナが歩こうとした道”を探せないと思った。客観的に選べないとわかっていた。

 疑心が憎しみへ変わり、議長の言葉をまるごと呑み込んでしまう……と。

 だから今、改めてセアに問われ、初めて考えた。

 議長の言葉は正か否か。あれは、世間の目に「ロゴスこそが敵である」と映すための偽りの言葉なのか。

 それとも、本当にロゴスはナナを……。

 

「い、嫌なこと聞いちゃって、すみません……」

 

 沈黙を掃うように、セアは言った。

 

「いや……」

「か、考えたって仕方がないですよね……。誰にも本当のことなんてわからないのに……」

「それでも君は……」

 

 逃げないでいようと思った。今回こそは。

 

「オレがどう思うのか、知りたいんだろう?」

 

 セアは遠慮がちにうなずいた。

 答えが出ないからといって、避けるのではだめだ。どう思うか、どんな意思を持つか、ちゃんと形にしなくてはだめなのだ。

 

「オレは……」

 

 たとえセアが傷つくことになっても、逃げていてはだめだと思った。

 

「議長の言うように、ロゴスの仕業か……、本当に事故だったのか……、それとも……」

 

 セアとは、ちゃんと向き合いたかった。

 

「プラント側が意図的に起こした事故か……、全部、同じだけの可能性を考えている」

「プラント側が……?!」

 

 セアの目が、悲しく揺れた。

 

「プラントの中には、ナナの存在を良く思わない者だって当然いたはずだ。今も……」

 

 が、彼女も逃げなかった。

 

「そう……ですね……」

「君たちを巻き込むとは思えないが……」

「でも、もしそういう計画……だったとしたら……」

 

 辛いのはセアのほうだ。もしその“計画”に巻き込まれたのだとしたら、彼女は同胞に殺められそうになったことになる。

 そして、実際に友人をたくさん奪われたのだ。

 

「あの……、当然そういう話も、当時はあったんですよね……?」

「ああ……」

「ナナ様ご自身のメッセージが、オーブや地球の人々を思い留まらせたと聞きました」

「そうだな……」

「だから、プラントとの衝突は回避されたのだと……」

「ああ、そうだ。プラント側も誠実な対応をしてくれたから、あれは“事故”だと……、みんなそれで納得したんだ」

「納得……」

 

 そう告げられて、納得していたはずのセアは、納得いかない目を向けた。

 

「あなたは……、それでよかったんですか……?」

 

 残酷な問いだった。

 

「ラクス様や、アスハ代表は……?」

 

 息をするのも億劫になるほどの、強い疲労感をおぼえる。

 

「ここの……、アークエンジェルの人たちは、それで納得して、前に進めたんですか……?」

 

 だが……。

 

 

「進めたよ」

 

 

 半ばやけっぱちでも、答えられるだけ成長したと思う。

 

「進まなきゃならなかった。ナナの遺志を継ぐために……」

 

 声はかすかに震えたが、かまわなかった。

 

「オレたちに残されたのはナナの遺志だけだった。だから……、進むしかなかった」

 

 セアの目は見られなかった。

 が、あの時、感情をまるめて引き出しに押し込んで鍵をかけたことは、間違いではなかったと思う。

 カガリも、ラクスも、キラも、マリューも、みんなそうした。

 それを、ナナが望んだのだから。

 

「それで……」

 

 セアはまだ、答えを欲しがった。

 

「そうやって懸命に進んだのに、今になって、あれがロゴスの計画だったかも……って言われて、ロゴスを疑う気持ちはありませんか?」

 

 「どう思うか」ではなく、今度は「ロゴスを疑わないのか」と聞いてきた。

 

「あるよ……、もちろん……」

 

「君はどう思う?」なんて、卑怯な台詞が浮かんだが、きちんと飲み込んだ。

 

「議長が言い出すまでは考えなかったがな……」

 

 考えないようにしたのではなく、本当に考えなかった。あの事故に『ロゴス』という存在が関わっていることは。

 あの時のアスランは、不幸な事故であるという“ナナの遺志”の影に、“プラントの意図”を追いやった。

 セアに言った通り、そうするしかなかった。

 カガリたちもそうだ。みんなそう……。プラントを疑いながらも、それかみ砕くしかなかった。

 だから、他の可能性など考えることはなかったのだ。

 

「実際にロゴスの動向を見てきて、議長の考えが正しいのかもしれないと思うことはある」

 

 自分の口から出た言葉なのに、他人の言葉のように聞こえた。

 セアは。

 

「そう……ですか……」

 

 肯定も否定もしなかった。

 ただ、問いを重ねた。

 

「苦しく……ないですか?」

「え……?」

「今さら……、あんなことを言われて……」

 

 ここでやっと、アスランは問いを返した。

 

「君は、辛くないのか?」

 

 セアはまた、肯定も否定もせずに、床を見つめた。

 

「私は……」

 

 たっぷりと考えて、セアは言った。

 

「私は、平気です……」

 

 それは、こちらを安心させるような強がりではなかった。

 

「本当か?」

 

 意地悪く確かめても、セアはこう答える。

 

「私は、あの事故のこと……、あまり考えないようにしてきました。辛かったことから逃げてきたのかもしれませんが……、私も、前に進まなくてはならなかったので……」

 

 前向きな逃避だと……。それを愚かに思うことはなく、むしろ大いに共感できた。

 いや、まったく一緒だった。

 事故の原因は、単純に施設内の配線のショートだった。火種が燃料庫に引火して、隔壁閉鎖システムがダウンして、ナナたちが見学中だった技術センターまで誘爆した……と。

 プラント側の調査委員会はそう公式に発表した。小さなミスと不運がいくつも重なったのだと……。

 それを信じるしかなかった。自分らも、そしてセアも。

 

「今さらあの事故がロゴスの仕業かもしれないと言われても、私は……、それほど、動揺はしていません」

 

 セアは自分の中身を確認するように、ひと言ひと言をしっかりと述べた。

 

「考えることから逃げているのも、もちろんあるかもしれませんが……、私……」

 

 その目は、ちゃんとこちらを向いていた。

 

 

「何かを憎むことが怖いので」

 

 

 その目を見つめ、言葉を聞いたとき、急に腑に落ちた。

 唐突に、セアという人がどんな人かわかった気がした。

 

「って、どっちにしろ逃げてますよね……! 私……」

 

 頬を赤らめてうつむく彼女に、すぐに何かを言うことはできなかった。

 

「あの、す、すみません……」

 

 困ったように唇を噛む姿は、情けなくも愚かでもない。弱さをさらけ出しながらも、その目は真っ直ぐ前を向いている。進むことに怯えながらも、歩むことをやめない。怖くても、手を伸ばす。

 そうやって、何かを探し続ける姿は……、ナナによく似ている。

 

「セア」

 

 不思議な感情が湧いた。

 

「逃げることが、間違いじゃない時もある。オレたちはザフトから逃げて来たが、後悔はしていないんだろう? 今は」

「は、はい……」

 

 どう表現したらよいだろうか。

 

「オレは……君はここで、このアークエンジェルに来て、“ナナの翼”を手に入れたと思っている」

「え……?!」

 

 この少女に、ナナの道を歩んで欲しいと願う気持ちを。

 

「話してみるといい。ラクスやキラや艦長やミリアリア……ここのクルーたちと。たくさん話をして、君が目指す道を行けばいい」

「アスラン……」

 

 セアがそれを叶えるのを、側で護りたいと思う気持ちを。

 

「わ、私……」

「君ならできる」

 

 きっぱりと言い切った。

 セアはたっぷり時間をかけて、アスランの言葉を呑み込んだ。

 そして。

 

「ありがとうございます……!」

 

 綺麗に笑った。

 進む者は美しい……。いつかの想いが、アスランの胸に蘇った。

 

 

 

 だが、セアに仲間たちとゆっくり過ごす時間は与えられなかった。

 しばらくして、宇宙で騒乱が起こったのだ。

 宇宙に上がったジブリールが引き金を引いた。

 軌道間全方位戦略砲『レクイエム』の引き金を。

 

 

 

 



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未来をつくるもの

 地球軍の月面基地ダイダロスから、巨大ビームが放たれた。軌道間全方位戦略砲と呼ばれる戦略兵器システムだった。

 その名は『レクイエム』。

 放たれたビームは、いくつもの廃棄コロニーを経由して軌道を変え、プラントまで到達した。

 これにより、ヤヌアリウス・ワンからヤヌリアウス・フォーの4基が直撃を受け全壊、さらにその残骸がディセンベル・セブンとディセンベル・エイトの2基を崩壊させた。

 

 

 アークエンジェルにもこの一報が届いた。

 彼らの誰も、予測できない事態であった。

 すぐにブリッジでこのことが話し合われた。

 自分はザフトだったから……という理由で遠慮するセアも、ラクスによって連れて来られていた。

 

「ジェネシスの時と同じだ……。もう止まらない……」

「プラントはもちろんだろうけど、こんなこと、きっと()()()()嫌なんだ……」

 

 アスランとキラがつぶやいた。

 先の戦いを知る者は皆うなだれた。

 

「ですが……、撃たれては撃ち返し、また撃ち返されるという戦いの連鎖を、今のわたくしたちには終わらせるすべがありません」

 

 ラクスが言った。

 

「議長は恐らく、そんなふうになってしまった世界に、“新しい答え”を示すつもりなのでしょう」

 

 そして、彼女の考えるデュランダルの思惑を……。

 

 

「議長の言う『戦いの無い世界』とは……、遺伝子の操作によって人の全てを決めてしまう世界です」

 

 

 重く漂っていた空気がいっせいに揺れた。

 

「遺伝子で?!」

 

 「恐らくは」とラクスは付け加えたが、皆はそのまま受け止めた。

 動揺は当然のことだった。

 

「それが『デスティニープラン』だよ」

 

 キラがきっぱりと言う。

 

「遺伝子によって人の“役割”を決め、そぐわない者は淘汰、調整、管理する……。デュランダル議長はそういう世界を創ろうとしているということか……」

 

 アスランは胸に溜まっていたどんよりとしたものを、言葉にして吐き出した。

 身に覚えがあったのだ。

 議長の意図に背いた途端、向けられた銃口。『ラクス』の名を与えられ、議長の意のままに歌うミーア。仲間だったはずのセアを躊躇いなく撃とうとしたレイ。

 それらは全て、デュランダル議長が柔らかな物腰の裏に隠す刃だった……。

 

「そんな世界なら、確かに誰もが未来への不安から解放されて、悩み苦しむことなく生きられるのかもしれない」

 

 隣でセアが息を呑んだ。

 

「そこに戦いは生まれないでしょう」

 

 ラクスはセアを見つめて言う。

 

「皆、自身の“さだめ”を初めから決められて、戦っても『無駄』なのだと知りながら生きるのですから」

 

 沈黙が流れた。

 セアは両手を強く握りしめている。

 

「無駄か……」

 

 アスランはそれを視界に見ながらつぶやいた。

 

「本当に無駄なのかな……」

 

 キラがそう問いかける。

 と。

 

「無駄なことはしないのか?」

 

 ネオ、いや、ムウが以前のような軽口で言った。

 いろいろな顔がアスランの脳裏をよぎった。

 レイ、ルナマリア、シン。そして、ここにいる仲間たち。

 彼らの様々な表情、言葉、生きる姿……。

 それはまぎれもなく、自身の鼓動で生きている姿だ。迷いながら、苦しみながら、自分の意思で生きている。

 

「オレは……」

 

 何かを探し続ける姿は、ナナによく似ている……。

 セアに対して、そう思ったばかりだ。

 

「そんなに諦めが良くない……!」

 

 言葉は自然と出た。思いのほか強く、はっきりと。

 

「そうだね」

 

 友がすぐさま同意してくれた。

 

「私もだ!」

 

 カガリも。

 

「オレも、かな」

「そうね、私も……」

 

 ムウとマリューも。

 皆もうなずき、顔を上げた。

 

「宇宙へ上がろう。僕たちも」

 

 キラが言った。

 

「議長を止めなきゃ」

 

 とても強い光がその瞳にあった。

 

「未来を造るのは運命じゃない」

 

 自然と、彼と握手を交わした。友と……、親友と、心が繋がった気がして嬉しかった。

 何度もすれ違い、殺し合い、怒りをぶつけ合ったけれど、それでも彼は親友でいてくれた。 またこうして、繋がることができた。

 同じ方向を向いて。

 その時……。

 

「あ、あの……!」

 

 しっかりと合わされた二人の手を見つめ、セアが言った。

 

「わ、私も……、一緒に連れて行っていただけませんか……?!」

 

 よほど必死なのだろうか、声が裏返っている。

 だが、その言葉はブリッジ全体によく響き渡った。

 

「私っ……、“ナナ様の翼”に憧れてるとか、この艦にいたらナナ様が目指した道が見えそうとか、ナナ様と思いを同じくしていた皆さんとお話したら自分の進むべき道に向かえそうとか……、そんな、なんていうか、ただの憧れやわがままで中途半端に見えるかもしれませんけど……」

 

 彼女は半分泣いていた。

 が、一気に想いをさらけ出した。

 

「でも、本当に、今はっ……、ナナ様がどうとか……ではなくて、私自身が、議長の造ろうとしている未来は『嫌だ』と思っています。議長を『止めたい』と思っています。未来は、自分たちでつくりたいと……! あの、だから……」

 

 誰も、何も言わなかった。

 セア自身は気づかないかもしれないが、まっすぐに突きつけられる彼女の想いに、皆は圧倒されているのだ。

 

「だが……」

 

 だから、アスランが口を開いた。

 皆がセアを気づかってこそ懸念しているであろうことを、突きつけるべく。

 

「セア、この艦にいれば、きっとまたミネルバと戦うことになる」

 

 セアが唇を引き結んだ。

 

「シンやレイ、ルナマリアと戦うことになるかもしれないんだぞ?」

 

 意地の悪い問いだという自覚はある。

 が、当然確かめておかなければならない“覚悟”だ。

 自分も散々、友と戦う覚悟をしてきた身だからわかる。それが中途半端では、自分も、友も、想いも、未来も護れないということを。

 

「ラクス様からお聞きしました。前回、この艦がミネルバと戦ったって。アスランもシンたちと戦ったって……。それから……」

 

 少しだけ声が小さくなった。

 だが、セアはアスランの目を見て言った。

 

「以前、ナナ様とキラさんが、アスランと……戦ったことも……」

 

 声を震わせながらも、彼女は続ける。

 

「わ、私も戦います……! ミネルバの、みんなと……!」

 

 それがどういうことか、どんなに辛いことなのか……、問いたださねばと思うのに、アスランに口を挟む間はなかった。

 

「倒すため、殺すためじゃなくて……、わかり合うために……!」

 

 セアは肩を上下させながら、想いを吐き出す。

 

「何もしなければ、何も変えることができない……! 戦ってでも、歩み寄らなければわかりあえない……! そう思うから、私も……、私も戦います!」

 

 悲痛な叫びのようで、明確な主張。

 それを噛みしめる余裕など、アスランは持ち合わせてはいなかった。

 そんな場所など少しもないほどに、何かが胸を満たしていた。

 熱くて、少しだけ寂しい風……。

 

「シンたちにも、わかってもらいたいんです……!」

 

 ブリッジに、同じ風が吹いていた。

 その証拠に、まだ誰も口を開かない。皆ピクリとも動かずその場に立ち尽くしている。

 

「あ、あの……」

 

 それを吹かせたセアが、自らそれを揺らした。

 

「す、すみません。こんなの、やっぱりただのわがままですよね……! わ、私、ザフトのスパイかもって疑いをかけられても仕方がない立場なのに……。す、すみま……」

 

 だが、彼女の弁解は最後の文字まで到達しなかった。ラクスが、唐突に彼女を抱きしめたのである。

 

「え? ラ、ラクス様……!?」

 

 戸惑うセアに、一呼吸置いてからラクスは言った。

 

「嬉しいのです、とっても……!」

 

 彼女の声は震えていた。

 が、誰の耳にも、心にも、届いた。

 

「あなたが、ここにいてくれて……、本当に嬉しいですわ……!!」

 

 自分が言って、キラも言った言葉。それを重ねたラクスの目には涙があった。

 そんなラクスを目の前にして、セアは硬直している。

 ミリアリアも泣いていた。マリューも。アーノルドたちも顔を見合わせ、微笑した。

 カガリはアスランの肩をポンと叩いた。

 キラは、ラクスの背にそっと手を添えた。

 

「行こう、みんなで」

 

 彼がそう言った時、セアと目が合った。

 まだ戸惑っている彼女に向かって、アスランは大きくうなずいた。

 

 

 



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同じ答え

 

 居住区の通路を、そわそわと落ち着きない様子で歩いている背に声をかけた。

 

「セア」

 

 彼女はビクンと肩を震わせて振り返った。

 

「あ、キ、キラさん……!」

「『キラ』でいいよ。僕たちはもう友達なんだから」

「あ、は、はい!」

「アスランと一緒じゃなかったの?」

「はい。アスランは検査で……」

「ああ、そうか。そうだったね」

 

 数回言葉を交わしても、彼女はなんだか気まずそうに視線を彷徨わせている。

 

「こんなところで何してたの?」

 

 その問いに、セアは勢いよく頭を下げた。

 

「あ、あの……何かお手伝いできることをと思ったのですが……。か、勝手に出歩いてすみません……!」

 

 ようやく合点がいった。

 彼女はまた気にしているのだ。自身の立場を。

 

「気にしなくていいから」

 

 きっと、根っから純粋で素直な子なのだろう。

 なんだかカガリに似ていた。

 が、まっすぐさの方向性があまりに違い過ぎて、思わず苦笑した。

 

「ブリッジで君が言ってたこと、ちゃんと否定するタイミングがなかったけど、誰もそんなこと思ってないから」

「そ、そんなことって……?」

「君が言ってた、『自分がザフトのスパイって疑われても仕方ない』っていう話」

「あ、ああ……。でもそれは、わかってますから……」

「だから、そうじゃないってこと」

「え?」

 

 キラは丁寧に話した。

 誰もセアを疑ってなどいないこと。むしろアスランを助けてくれて感謝していること。 同じ想いを持ってくれていると信じていること。

 

「でも、やっぱりご迷惑じゃ……」

 

 セアがそう言うのでもう一度苦笑した。今度は違う意味で。

 アスランとカガリが言った通りだと思ったのだ。

 顔立ちはナナに似ているけれど、いろいろな意味で真逆だ……と、二人ともセアについてそう語っていた。

 キラ自身も、話してみて二人が言ったことに納得したのだ。

 

「ラクスが言ってたでしょ? 君がここにいてくれて嬉しいって」

「はい……」

「僕もそういったよね?」

「あ、は、はい……」

「他のみんなも、そう思ってるよ」

 

 確かに“似ている”とは思った。こうして視線を合わせて話していると、それを実感する。

 が、セアの中にナナを探すことはなかった。

 やはり、彼女とナナは違うのだ。

 当然のことながら、ナナに代わり得る人などいないのだから。

 誰だってそうだ。

 ラクスだって……。デュランダル議長の側にいるあの子だって、ラクスにはなれない。どれほど“似せて”いたとしても。

 

「そ、そうですか……」

 

 が、だからこそ……だ。

 彼女がナナに似ていなかったとしても、“ナナと同じ風”を吹かせたことが本当に嬉しかった。

 あの時、ブリッジにはナナが言葉を発した時に吹いたのと同じ風が、確かに吹いていた。

 もちろん、口調は全然違った。セアは迷いながら、恐れながら、選びながら、必死で言葉を紡いだ。

 ナナはそんなことをしない。いつだって迷いなく、まっすぐに、鋭くて優しい言葉を放っていた。

 それでも、風は同じだった。

 あの瞬間、皆が同じ想いでいたのは確かだった。

 記憶を削がれたムウを除いて……。

 ナナと遠く離れたところで生きて来た少女が、ナナとは違う強さで、でもナナのように道を示したことが嬉しかったのだ。

 彼女の中にナナが芽吹いていると……。それを確かに見たのだ。

 だから、アスランも……。

 

「じゃあ、ドックでMSの整備を手伝ってもらおうかな? MSのパイロットだったんだよね?」

「は、はい……。え? い、いいんですか?」

 

 セアはまだ自分が信頼されているという自信が持てないようだった。

 だからこそ、彼女をドックに連れて行こうと思った。

 

「良いに決まってるでしょ、君はもう仲間なんだから」

 

 先に歩き出すと、セアは躊躇いを振り払ってついて来る。

 

「あ、あの、私、なんでもやりますから!」

 

 その口ぶりにまた苦笑して、隣に並んだ。

 セアは大真面目な顔をしていた。

 

「でも、良かった。調子良さそうで」

「あ、はい! おかげさまですっかり元気です!」

 

 セアはようやく笑った。

 

「ドクターが、私が持っていた薬をラボで分析して、投与してくださったみたいなんです」

 

 薬の話はドクターからもアスランからも聞いていた。

 彼女は『“あの事故”でダメージを受けた部分を補強するサプリのようなもの』を服薬していたようだった。

 その薬が十数錠、彼女の制服のポケットに入っていたのは幸運だった。

 それをオーブのラボで分析し、適切な量を投薬し始めてからすぐに、セアは回復したのだ。

 薬はこれからも処方され、セアの健康は保たれることになる。

 

「アスランがかばってくれたので、怪我はほとんどしてませんし……」

 

 セアは目を伏せた。複雑な感情が見てとれる。

 が、キラはアスランのことを良く知っていた。

 相手が誰であれ、アスランは全力で守るだろう。それが、心を通わせた者であれば命をも懸けるだろう。

 

「あ、押します!」

 

 キラがエレベーターの前で立ち止まると、セアは素早く動いた。

 

「えーと、ドックは……」

 

 乗り込んでからも、パネルからすぐにドックへのボタンを見つけ出した。いかにも訓練された兵士らしい行動だ。

 しかし彼女はそのまま沈黙した。パネルでもなく足元を見つめたままだ。

 やはりドックに行くのを躊躇っているのだろうか。

 ドックで整備を手伝うということは、この艦の核に触れるということだ。この艦の要であるMSのデータを閲覧し、操作することになるのだから。

 キラはもちろん、セアにはそうして欲しいと思っていた。

 彼女に言った通り、もう友であり仲間なのだから、共に戦って欲しかった。欲した力を与えてあげたかった。

 当然、彼女がこの艦へ来てから一度も「ザフトのスパイ」などと疑ったことはない。

 だが、やはり彼女自身は気が引けるのだろうか。正規の訓練を受けて来た兵士だけに、自分の存在がどれほど異端であるかと気にしているのだろうか。

 が。

 

「あの……」

 

 駆動音の中、セアは口を開いた。

 

「や、やっぱり……、ご迷惑じゃないですか?」

 

 しかしそれは、キラが憂慮していたことではなかった。

 

「私の……、この……、顔……」

「え?」

「不快……ではないですか……?」

 

 エレベーターはドックに着いた。

 

「あの、自分で言うのはとてもおこがましいのですが……、その……、ナナ様に似てると、色々な方から言われていて……」

 

 扉は空いたが、二人とも動かなかった。

 

「こちらの艦の方々は、不快になるのではないかと……」

 

 彼女自身が不快なのだろうか……。そう思った。

 「ナナに似ている」と、これまで何度も言われ続けて来たのだろう。

 それが嬉しかったのか嫌だったのか、キラにはわからない。

 たとえばここで、ミリアリアやマリューが見せた動揺を受け、彼女が気に病むことがあるのであれば、彼女にとって苦しいことになりはしないだろうか。

 

「あ、あの、でも、こちらの、ナナ様と親しくされていた方々にとっては、こんな顔、『似てる』なんて思いませんよね? すみません、自意識過剰で……!」

 

 閉口しているととったのか、セアは取り繕うように笑いながら「開」のボタンを勢いよく押した。

 

「ど、どうぞ……」

 

 降りるように促す彼女と目が合った。

 瞳の色は違う。視線の強さも。声は似ている。口調は全く違う。肌の色は似ている。髪の色は違う。目、鼻、唇、形は似ている。言葉は……、違うようで似ている。

 キラは彼女に出会って初めて混乱した。

 “議長のラクス”のように完全なる疑似でない。ネオと名乗るムウのように、非完全な本物でもない。

 セアはセア……。

 ただ、ナナに似ていて、ナナに憧れて、ナナのように歩む少女だ。

 偶然か、必然か、彼女との出会いに戸惑うのは当然だ。

 アスランやカガリが初めて彼女に会った時、どんな気持ちだったかを、今さらキラは理解した。

 

「あ、あの……、キラさ……、キラ……?」

 

 が……、それでも答えは変わらなかった。

 

「あ、うん、ごめん……」

 

 エレベーターを降りて、喧騒の中に身を浸す。

 続いて降りたセアを見つめた。

 

「あの……」

 

 不安げなセアの目を見ても、答えは変わらない。それはラクスがはっきりと告げていた。

 自分も口下手だから、本当に上手に言葉に表せないタイプだから、先ほど言ったその言葉をもう一度繰り返すだけだ。

 

「一緒に戦おう、セア」

 

 セアはふたつ瞬きした。

 

「君がここにいてくれて嬉しいって、本当に僕たち、そう思ってるから」

 

 遠くからマードックが叫んだ。

 

「おーいキラ! さっさと手伝え!!」

「はい! 今行きます!」

 

 他のクルーたちも、こちらを見つける。

 すぐにざわめきが起こった。

 

「行こう、セア」

 

 視線を集めているセアを促した。

 クルーたちの気持ちも、セアの気持ちも良くわかっていた。

 セアはひとつ、深呼吸した。

 そして、顔を上げて言った。

 

「はい!」

 

 とても晴れやかな顔をしていた。

 きっと、彼女がここにいることを、ナナも喜んでいるだろうと思った。

 

 



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思慕

 

「へぇ~! クルーたちの噂通り、ほんとにソックリだな!!」

 

 セアを紹介するなり、マードックは無遠慮にそう言って笑った。

 

「へ? あの、は、はぁ……」

 

 こういうリアクションは初めてだったのか、セアは珍妙な応対をする。

 

「マードックさん、セアにはジャスティスの整備を手伝ってもらいましょう」

「ああ、そうだな! そっちに人手が欲しかったところだったんだ。お前、パイロットなんだってな?」

「ふぁ、は、はい……!」

 

 セアは一生懸命に説明した。

 

「ミネルバの搭載機の『レジーナ』という機体のパイロットでした……!」

「ああ、あの『飛ぶ機体』な。『グレイス』の後継機みてぇな……」

「あ、は、はい……! レジーナはナナ様のグレイスをモデルに設計されたと聞いています!」

「ほぅほぅ」

「あの、よ、よろしくお願いします!」

 

 マードックは喉の奥でくっくと笑う。

 そして言った。

 

「しっかし、そういう腰の低いところは()()()にまったく似てねぇな! なぁ、キラ!」

「そうですね」

()()()は初っ端から生意気だったからな!」

 

 マードックがあまりに明け透けに言って笑うので、キラもつられて笑った。

 セアの様子をうかがう周囲も、不自然な緊張が解けたように感じた。

 

「そ、そうなんですか?!」

 

 セアの声がうわずった。

 

「そうさ。で、しょっちゅう無理な注文してきてよ、よくこき使ってくれたもんだぜ」

「へ、へぇ……」

「さっきのアンタみたいに90度に頭下げて頼んできたことなんか一回もないぜ。たいていニッコリわらって『できるでしょ?』って……。ありゃあ挑発! 挑発だ! まったく、かわいくないったらねぇよ。」

「は、はぁ……」

「お嬢ちゃん、戦後の『大使』としてのナナしかしらねぇんだろ?」

「は、はい……」

「『大使』としてのアイツはほんとに立派なもんだがよ、ここでのアイツは跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘だ」

「じゃ、じゃじゃ……?」

「キラとなんて、初めの頃はしょっちゅうケンカしてたぜ!」

「そ、そうなんですか?!」

 

 さらに、セアの首がぐるんとこちらを向いた。

 先ほどまでと違い、熱のこもった目だった。

 

「あはは……」

 

 あの頃のことを言われるとばつが悪い。それに、マードックがセアに変なことを吹き込まないか心配になって、曖昧に笑った。

 すると。

 

「だがな……」

 

 マードックはひとつ息をついた。

 そして、宙を見てつぶやいた。

 

 

「アイツがいなきゃ、オレらはとっくに死んでた……」

 

 

 声に思慕が滲んでいた。

 キラの胸も、キリリと鳴った。

 

「恐らく、ひと月ともたずに全滅してたな……」

「そうですね……」

 

 その時の事情など知るはずもないセアが、キラとマードックを交互にうかがっている。

 

「オレたちは生かされたのさ、ナナに」

 

 マードックの言葉にキラもうなずいた。

 とても良い表現だと思った。

 あの時は自分の力で必死に生きているつもりでいて、本当はナナに生かされていた。

 ナナが「戦え」と言わなければ、みんな死んでいた。ナナが強くいてくれたから、みんな戦えた。

 あの時のクルーならば、誰もがそう言うだろう。

 

「そ、そうなんですか……」

 

 思い描いていた“ナナ像”と、マードックが言った“ナナ像”は、大きくかけ離れていたに違いない。

 セアは不思議そうな顔をしている。

 

「アイツはほんとにすげぇヤツだったよ……」

 

 怒って、悩んで、迷って、嘆いて、泣いて、悔やんで、苦しんで……、それでも足を止めずに進み続けたナナが、ここにいた……。

 マードックの明け透けな物言いのおかげで、素直な気持ちでナナを思い出していることに気づいた。

 ナナに対して抱いたことのある負の感情……、苛立ち、恐れ、憎しみ……、それら全てがはっきりと思い出せるのに、それでもナナが好きだった。

 尊敬とか、感謝とか、そんな簡単な言葉では表せない。

 もう一度、逢いたい……。

 

「そうだ、アンタ……」

 

 マードックが小さく鼻をすすって言った。

 彼も、自分から話し始めておいて懐かしさに負けたのだ。

 

「グレイス見るか?」

「え?!」

 

 セアは肩をビクンと震わせた。

 

「同型機に乗ってたんなら、アレも乗りこなせるだろ」

「え、で、でも……!!」

 

 前で手を交差し、首を振る。

 

「ナナ様の機体なんて……!」

 

 彼女はひどく恐縮している。

 無理もない。自分だって気が引けるのだ。

 だから、ストライクフリーダムが出られない時も、カガリのストライクルージュを借りた。

 グレイスはずっとアークエンジェルのドックで眠っていた。

 主を失ったまま……。

 だから、セアが違った意味で恐縮している気持ちも良くわかる。

 

「君ならグレイスとの相性もいいと思うよ」

 

 だから、背中を押す言葉を贈った。

 

「君にピッタリの機体だ」

 

 セアはとんでもないと首を振る。

 が、グレイスには彼女に乗って欲しいと思った。彼女を待っていたのかもしれないとも思った。

 

「で、でも……」

「いいからいいから、まぁ、見るだけ見てみろよ! 見学見学!」

 

 マードックがすっかり陽気さを取り戻して、セアの背中をバシバシと叩いた。

 

「あ、あの……」

 

 困った顔でこちらを見るので、

 

「大丈夫。艦長からの許可は下りるはずだから」

 

 敢えて事務的な台詞を言った。

 訓練を受けた兵士には、安心する言葉だと思った。

 

「は、はい……、では見学を……」

 

 セアはまだ遠慮していたが、グレイスの格納庫へとマードックに引っ張られて行った。

 キラは一度胸に問うた。

 本当に、あの機体……、グレイスをセアに託して良いのか……と。自分の意志と、ナナの遺志に。

 もちろん答えは決まっていた。

 

 

『何もしなければ、何も変えることができない……! 戦ってでも、歩み寄らなければ、わかりあえない……! そう思うから、私も……、私も戦います!』

 

 

 そうして力を手にしようとした彼女は、ナナと同じだから。

 グレイスの役目はかつても今も、何も変わらないのだと……、そう思えた。

 

 

 



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わからないこと

 

 アスランはアークエンジェルのデッキで空を眺めていた。

 日はとっくに沈んでいるが、星影は無い。

 

 検査を終えた時、セアがドックでMSの整備を手伝っているとミリアリアに聞かされた。

 少し意外な気がした。

 キラたちが、彼女を仲間として認めたことではない。

 セア自身が一歩足を踏み出したことだ。

 

 ……いや、違う。

 

 “意外”なのではない。単に自分が動揺しているだけだ。

 普段は控え目で従順なセアが強く決心した時に見せる強さを知っている。

 ブリッジで皆に言った言葉に迷いはなかった。

 彼女はこの艦で、この艦のクルーとして、戦おうと決めたのだ。

 そんな彼女に戸惑っているのは自分の方だ。

 「シンたちとも戦う」と決めた彼女に()()()()

 それを、与えてやらねばならないのに。

 セアは……、ドックで()()を見つけるだろうか。キラが案内するだろうか。キラやラクスから、()()をセアに託してはくれないだろうか……。

 そんな情けない感情が浮かぶ。

 

 自分にはまだ、「グレイスに乗ってくれ」とは言えない。

 

 あの機体がセアに相応しいとわかっている。

 レジーナと同型だから適応しやすい……だけではない。

 ナナと同じ意志を持った彼女にこそ相応しい……と。

 セアに乗ってもらいたい気持ちは本物だ。

 が、言い出せないのだ。

 本当にシンたちと戦わせていいのか、まだ迷っている。あの優しい子を再び戦渦に引っ張り出して良いのか、まだ迷っている。ナナの機体を……再び目にすることを、まだ迷っている。

 

「ダメだな……。オレは……」

 

 情けない呟きを、潮風がさらっていった。

 その時。

 

「ここいいたのか。アスラン」

 

 振り返ると、オーブの公服をまとったカガリがいた。

 

「傷に触るぞ。部屋に戻ったほうが良いんじゃないのか?」

「ああ……、大丈夫だ。さっきの検査で、もう問題ないと言われた」

「そんなの嘘だろ。もう少し安静にしてろって言われたんじゃないのか?」

「…………」

 

 二人の間に、少しの沈黙が流れた。

 カガリは手すりのところまで歩いて、両手でそれを掴み、背を大きく逸らした。

 なんとなく、一人分開けて隣に並び、海を眺める。

 カガリには、言うべきことがあった。たったひと言だ。

 が、その言葉に含まれる感情がたくさんありすぎて……、声が出せない。

 

「じゃあ、ちょっと話、聞いてくれるか?」

 

 先に、カガリが言った。

 うなずくしかなかった。本当に情けなくなる。

 

「あのコ……、最初に会った時と、ずいぶん変わったな」

 

 彼女が話し始めたのは、意外にもセアのことだった。

 

「最初は仲間の影に隠れて、積極的に意見を言うようなタイプに見えなかったのに、この間はすごくしっかりと自分の意思を話してくれていた」

 

 アスランは同意しなかった。

 

「本当は……、セアは最初からしっかりと自分の考えを持っていたんだ」

 

 情けないついでに、色々なことを省みる。

 

「オレはつい最近まで気づけなかった。気づこうとしなかった……。ちゃんと、向き合ってこなかったんだ……」

 

 ため息が出た。

 

「もっとちゃんとわかってやれていたら、あんな風に傷つけることもなかった……」

 

 レイに銃口を向けられた時の、セアの真っ青な顔をはっきりと覚えている。

 あれは最悪だった。

 自分のせいで怪我をさせただけじゃない、セアは深く傷ついているはずだ。

 今は気丈に振る舞っていても、いつかはそのことを思い出す。

 それが、本当にいたたまれなかった。

 

「でも、そのおかげで、アスランもセアも、ここにいるんだろ?」

 

 そんなしょうもない反省を聞かされても、カガリは微笑を浮かべてそう言った。

 

「私は嬉しい。こうしてみんなで“同じ夢”を見てるってことが」

 

 とても大人びた笑みだった。

 

「同じ夢……か……」

「そうだ。ナナが見ていた夢だ」

 

 同じものを見た。

 カガリが言った通りだ。

 今やっと、ナナが見ていた夢を、みんなで見ていると実感できる。ナナが示した道を、皆で歩こうとしているのがわかる。

 「道は違えど」……と、いつもナナは言っていた。「目指す未来が同じであれば」……と。

 だからきっと、離れていても……。

 

「あのコ……、守ってやれよ、アスラン」

 

 アスランが口を開く前に、カガリが言った。

 

「カガリ……」

「あのコはきっと特別なんだ。ナナに似ていなかったとしても、あのコの中にはナナの遺志が受け継がれている気がする……」

 

 カガリが次に言う言葉がわかった。

 

「あの時のセア……、ナナみたいだったよな?」

 

 どういうつもりで、カガリがそう言うのかはわからなかった。

 が、少し寂しげで、嬉しそうで……、とても綺麗な表情をしていた。

 

「あのコは私たちにとって大切な存在なんだ。だから、守ってやれ、アスラン」

 

 同意はまだできない。

 

「私も、もっとあのコと話がしたいから」

 

 また、ため息が出た。さっきとは違うため息だ。

 

「カガリ、オレは……」

 

 ちゃんと、言うべきことを……。

 

 

「オレは、君を……、護りたかった……」

 

 

 カガリのようにスラスラと伝えたかったのだが、言葉が喉に(つか)えた。

 

『あのコを護って。お願い……』

 

 あの願いがまた、瞼の裏に蘇ったのだ。

 

「わかってる、アスラン」

 

 それを、見えないはずのカガリが見ていた。

 

「ナナがそう願ったんだろ?」

 

 不思議と、カガリは笑っている。

 

「だからって……、義務感とかでそうしていたわけじゃない!」

 

 反射的にそう言った。

 

「オレたちにとって君は大切な存在だった。だから……、ナナのためにも、オレ自身のためにも、お前を護ろうと決めたんだ……!」

 

 それしかなかったのは事実だ。

 あの時は、それだけを糧に生きていた。

 ナナに託されたものが無ければ、空っぽだった。

 が……。

 

「それなのにオレは……、君を護れず、傷つけて……、本当に……、本当にすまなかった……」

 

 何ひとつ、できなかった。

 護れず、傷つけて、側に居ることもできず……。

 

「いいんだ、それはもう」

「よくはない……!」

「いいんだ、アスラン。私は大丈夫だ。アスランには十分助けられた」

「いや、オレは何もできなかった……!」

「ナナがいなくなった後、ずっと側にいてくれたじゃないか」

「お前の力にはなれなかった。苦しんでるお前を助けることができなかった……!」

 

 護衛……、ただの護衛だ。他にも何人も居て、代わりの兵士だってなれる護衛だ。

 政治のことには、相談されても首を突っ込まないようにした。自分の意見なんかに惑わされて欲しくはかった。

 対人関係の悩みは聞いたが、人付き合いは自分も得意でないから、通り一遍のアドバイスしかできなかった。

 公務での立ち居振る舞いについては多少の意見をいったが、結局はカガリの考えを尊重すべきと思っていた。

 ナナのことは……、二人であまり話さなかった。

 カガリは昔の話をしてナナを懐かしみたかったかもしれないのに、遠慮させてしまっていた。

 ただ、側にいただけだ。

 ナナが願った「護る」ことではなかった。

 そしてそれは……、ナナの側に居た時も同じだった。

 ナナの助けになどなれていなかったのだ……。

 ナナは側に居て欲しいと言ってくれた。必要だと、言葉にしてくれた。

 ため込んだ愚痴を自分だけに吐き出して、言い終わった後はすっきりとした顔をしていた。

 まとまらない考えを自分の前で無造作に吐き出してから、特に意見も聞かずにそれらをまとめていた。

 それだけで、ナナの側にいる意味はあると思っていた。自分にも存在価値があるのだと……。

 これからもそうして生きて行こうと思っていた。

 が、そうではなかった。

 だんだんと、意味を失った。

 ナナは、自分は大丈夫だからカガリの側に居て欲しいと言うようになった。

 唯一の気がかりがカガリだから……。

 初めは拒んだ。

 まだ自分に価値があると思っていた。

 そう……、ナナにとって唯一無二の存在だと思い上がっていた頃だ。

 が、ナナは願い事を繰り返した。

 喪失感はあった。

 だが、やるべきことをやらねばと前を向いた。

 そのつもりで、ナナが気がかりなことをひとつでも減らしてやろうと思った。

 自分にしかできないのなら、それをやるべきだと自身に言い聞かせた。

 

 そうやって正当化したつもりでいたとき……、ナナが死んだ。

 

 だから続けるしかなかった。

 ナナの願いを叶えなければ……と。

 そしてまた、無意味な自分を繰り返したのだ。

 だから……。

 そんな自分が嫌で、嫌で、嫌で……、戦争を止めようとプラントへ行った。

 戦渦を終わらせたくてザフトに入った。

 その選択は、結局カガリを傷つけた。

 それでも、やはり……。

 

「だが、オレは……、アークエンジェルで行く……」

 

 何もできなかった自分には戻りたくなかった。

 今度こそ本当に、自分の力で、想いで、カガリを護りたかった。

 戦争を終わらせて、議長の野望を止めて、カガリを護って、ナナの願いを叶えたかった……。

 

「そうすることでしか君を護れないと……、今はそう思う……」

 

 胸のあたりが押し潰されるように痛んだ。体中の傷が痛み出した。最初に言おうとした言葉は言い切ったのに、まだ苦しかった。

 苦しむのはわかっていた。

 カガリと道を違えるのは、ナナとの約束を破ることだ。

 あれほどすがった最期の約束だったのに。ナナに対して何もできなかった自分が、唯一やれることだったのに。

 見る夢は同じでも進む道が違うのは、ナナが望んだことではないだろう。

 だが、自分が行く道はもう変えられない。

 キラやラクスとともに、アークエンジェルで戦う……それが、今の自分にもできることなのだ。

 カガリの側にいても、何もできることはないと知ってしまった。

 たとえナナが望んでも、ナナが望んだ道を進めないという矛盾を知ってしまった。

 どちらを選ぶのか、答えは簡単だった。

 ナナが示したのではない。

 自分の力、命、想い……、それらとちゃんと向き合った時、答えが出たのだ。

 決意に葛藤がまとわりつかないとは限らない。その決意で誰かが傷つくこともある。

 だからこうして、苦しむことはわかっていた。

 

「本当にすまない、カガリ……。だが、いつか、わかって欲しい……」

 

 せめてカガリが苦しまないよう、勝手な台詞を吐いた。

 

「わかってる、アスラン」

 

 が、カガリは静かにうなずいた。

 まるで最初から、こちらの言葉を全て知っていたかのように。

 

「カガリ……」

 

 何故、カガリがこんなふうに柔い表情でいられるのかわからなかった。

 彼女は責めるべきだ。

 何も……、何もできなかったのに……。

 

「だから、これからはあのコを守ってやってくれ」

 

 彼女はそう言うべきではない。

 彼女を護れなかったことと、これからセアを護ることは、「だから」で結びつくものではないのだ。

 

「私はもう大丈夫だ。自分のやるべきことはわかっている。はっきりと、自分の道が見えているから」

 

 強がりなんかじゃない。カガリは本当に強くなった。

 それがわかる。

 自分の立場、やるべきこと、進むべき道、本当に、全部見えているようだった。

 そして、カガリは言った。

 

 

「アスラン、もうナナの願いに囚われて生きなくて良い」

 

 

 苦しみの果てに告げた決意が、潮風に乗って飛んで行くようだった。

 

「とらわれて……?」

「私を護れっていうナナの願いだ。それはもう十分果たしてもらった。私はもう、アスランに護られなくても自分の足で歩いて行ける。ちゃんと道が見えているから」

「カガリ……」

 

 何かを奪い取られる感覚。

 が、カガリは寂しげに笑ってこう言った。

 

 

「ナナの願い……、あれは、私が言わせてしまったことだから……」

 

 

 初めて、カガリは目を伏せた。

 

「え……?」

 

 胸の塊がぐるぐると回転するようだった。

 

「私のせいなんだ、アスラン」

 

 カガリは気を取り直したように顔を上げ、笑った。

 今度のは強がりだ。

 この変化がどういうことなのかわからない。

 

「何を言っている? ナナは本当に、お前のことを心配していたんだ……」

 

 まるで防衛本能が働いたかのように、ありきたりな言葉が口から出る。

 

「ああ、それはわかっている。だけど……あの時、あのプラントへの視察の時……、ナナがアスランを連れて行かなかったのは私のせいだ」

「何を……」

 

 カガリは密やかに歯を食いしばった。

 ここで「もう何も言わなくていい」と言えるほど、アスランは大人になれはしなかった。

 

「私が……、ナナに言ったんだ。いつもの喧嘩だったのに、私はすごく苛々していて……。なんでもできるナナに嫉妬して、噛みついて、自分の無力さに絶望していて……、それで、思わず言ってしまった……」

 

 

 「何を?」と聞きたい本能と、「聞くべきではない」という本能がぶつかり合った。

 混乱した脳に、カガリの言葉が入り込む。

 

 

「世界や国民からの支持も、議員からの信頼も、“アスラン”も持ってて……、ずるいっ……て」

 

 

 一瞬、拍子抜けした。

 それがナナを変える原因になるとは思えなかったのだ。

 だが。

 

 

「私は全部欲しかった。支持も信頼も、“アスラン”も……」

 

 

 その言葉は胸を刺した。

 

「あの時のナナも、今のアスランと同じ顔をしていた……」

 

 カガリの口元が歪んだ。

 懸命に表情を保とうとしているのが分かった。

 だが、アスランの身体からはどんどん力が抜けて行くようだった。

 

「私のその言葉のせいで、ナナは……、ナナはアスランを“避ける”ようになったんだ。あれ以来、ナナはお前に私の護衛に付くように言うようになっただろう?」

 

 ナナの拒絶を思い出し、首元が冷たくなる。

 

「私のためとか、私に遠慮してとか、私を傷つけないようにとか……、そう思ったんだと思う。そういうナナもどうかと思うけど、でも……ナナにそうさせたのは私なんだ……」

 

 軽い口調で話していても、カガリの声はかすかに震え出す。

 

「ナナは私のことを本当の妹以上に想ってくれていた……。心配したり、気を使ったり、いろいろ面倒みたり……、ずいぶん過保護だとは思ったけど、私もそれに甘えてナナに頼り切っていた。その果ての我儘だ……。本当に情けない……」

 

 だが、彼女は止めなかった。

 自分はまだ、聞きたいのか聞きたくないのかわからなかった。

 

「私があんなことを言わなければ、アスランはずっとナナの側にいられたんだ。“あの時”も……、ナナを護れたかもしれない……。あんなに大きな事故だったから、もしかしたらそうはならなかったかもしれない。二人で一緒に……なんてことは絶対に思わなかったけど、でも、少なくともアスランが今まで抱えてきた後悔や絶望は無かったと思う」

 

 カガリは拳を強く握りしめていた。

 必死で……、必死で想いを言葉にしているのだ。自分を()()()()ために……。

 

「あの時ナナの側にいられなかったことを、アスランがずっと後悔しているのを知っていたのに、私は黙っていた。私のせいってことを、ずっと黙っていたんだ……。だから、謝るのは私のほうだ」

 

 だが、こびりついた後悔や絶望は、風に流れては行かなかった。

 

「アスラン、本当に……、本当にすまない……!」

 

 とうとう、膝をついた。

 

「アスラン……!」

 

 考える力も、想う力も削がれていくようだ。

 

「アスラン、本当にすまない! ナナにも、謝っても謝り切れない……! 今さら、本当に……!」

 

 カガリも隣に膝を付いた。

 先ほどまでの穏やかな口調を捨て、必死に謝罪を繰り返す。

 

「アスラン! ナナが苦しんだのも、お前が苦しんだもの、全部私のせいだったんだ……! 本当に……」

 

 ズキンと額の奥が疼いた。

 

「アスラン!」

 

 思わずそこを抑えると、カガリが肩に手を置いた。

 冷たい手だ。細くて小さい手。ナナが必死で護ろうとした手……。

 

「オレは……」

 

 この手を振り払う気はない。むしろ、まだ護りたいと思っている。

 気力を振り絞り、心の深淵に向き合った。

 カガリは悪くないのだ。

 ナナも悪くない。

 ナナの意見に背いて、無理やりにでも側にいられなかった自分が悪いのか……。

 いや、それでナナが喜んだとは思えない。

 ナナはカガリを案じていた。

 自分ならばそれを軽くできると言っていた。

 自分も、それだけがナナの力になれる方法だと思っていた。

 それが間違いだったのか……。

 いや、そもそも……。

 

「オレは……、ナナに必要とされていたのか……?」

 

 愚かな呟きが全てだった。

 知りたかったのだ。本当にそうだったのか。

 ずっと、心の中のナナに聞けずにいた。

 そうだったと思いたかったから、必死でナナの最期の願いを叶えようとしていた。

 

「当たり前だ……!」

 

 カガリの5本の指が肩に食い込んだ。

 

「ナナは……、アスランにだけは弱いところを見せていた! アスランの前では素直に笑ってた! 三人で食事している時、楽しかったんだ……! 本当の家族みたいで……。それを……、壊したのは私だ……!」

 

 カガリの涙が、デッキの床に浸み込むのが見えた時、ナナの笑顔が蘇った。

 急に、感情が撫でつけられた気がした。

 カガリの言葉を信じることはまだできない。

 カガリはそう言ってくれるのはわかっていた。

 カガリだけじゃない。キラもラクスも……周りにいるのは優しい人間ばかりだから、きっとそう言ってくれる。

 だが、真実はわからない。

 ナナに聞くしかないのだ。

 そして、聞くことは……、もうできない。

 

「カガリ……、ありがとう……」

 

 カガリの手を取った。

 

「アスラン……?」

 

 真実はわからないという真実……。

 今さら理解して、逆に後悔や絶望の輪郭がはっきりと見えた。

 わからないまま生きるしかないのだ。

 

「オレももう、大丈夫だ……」

 

 答えを作り出すのは自分しかいない。自分で真実を決めるしかない。

 ナナに必要とされていたのか、そうではないのか……。

 

「アスラン……」

「ずっと知りたかったこと……、それと、その答えはわからないことがわかった……。それだけで、すっきりした気がするよ……」

「アスラン、それじゃあお前の気持ちは何も……!」

「いいんだ、今はこれで。どうせわからないなら、正しく生きて……、答えを探し続けるだけだ」

 

 カガリの指が、かすかに震えた。

 

「だからもう、お互いに後悔するのは止めないか?」

 

 その指を、強く握る。

 

「お前は悪くない。ナナも悪くない。オレも悪くない……。誰も、悪くないんだ」

「それは……」

「今は前に進むしかない」

「わかっているが……」

「カガリ……」

 

 うつむくカガリに、今言える精一杯の言葉を。

 

 

「ナナもきっとそうする」

 

 

 たったひとつの真実は、カガリを上向かせた。

 

「いつか一緒にイーリスに行こう、カガリ」

「アスラン……」

「イーリスに行くってことは、プラントと和平が成立するってことだ……。そうなるようにお互い全力を尽くそう。そして本当にそうなったら……、イーリスで、ナナのことを話そう。ナナに聞きたいことも、言いたいこともたくさんある。二人で、ちゃんとナナの話をしたことはなかっただろう?」

 

 同じ未来がもう一つ。

 

「ああ……、そうだな……」

 

 また綺麗な涙をこぼしたカガリを、アスランはそっと抱きしめた。

 

「大丈夫だ。オレたちは同じ夢を見ている……」

 

 カガリは小さくうなずいた。

 二人に触れた風は、悲しくて、愛しかった。

 

 

 

 



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ミーア・キャンベル

 

 月面ダイダロス基地で、ロゴスの盟主ロード・ジブリールが討たれた。

 

 世界が動揺する中、アークエンジェルは宇宙に向けて飛び立った。

 正式に、オーブ軍第二宇宙艦隊所属艦として。

 

 あれ以来、カガリとは特に言葉を交わすこともなかった。

 今、皆に向けて語りかけるカガリの言葉はナナのようだった。

 落ち着いて、毅然と、簡潔に、強く、願いを込めて……。

 かつて皆の心に届いたナナの言葉のようだった。

 だから、何も言わずとも大丈夫だと確信した。

 カガリは国家元首として、自分の足で歩き出した。

 ナナの背を追うのではない。自分自身の歩みをみつけたのだ。

 きっとナナは、今のカガリの姿を見て笑っている。

 アスランはそう思った。

 

 

 

 アークエンジェルの当面の任務は、月面都市コペルニクスでの情報収集活動だった。

 到着するなり、アスランは驚かされることになる。

 ラクスが言い出したのだ。「市街地に出る」と。

 アスランはもちろん「危険だ」と止めた。

 が、ラクスは「大丈夫だ」といって聞かなかった。

 キラも最初は戸惑っていたが、結局ラクスの意を呑んだ。

 

 こうして、ラクスとキラ、そしてセア。四人で市街に繰り出すことになった。

 ラクスは楽しそうだ。それを見てキラは嬉しそうだ。セアも遠慮がちに喜んでいる。

 アスラン自身は気が気ではない。

 ラクスはセアの手を取って、いろいろな店に出たり入ったりした。まるで数年来の友のように、親しげに話しかけていた。

 セアはまだ少し戸惑っている。

 が、表情は明らかに和らいでいた。

 ラクスがあてて見せたワンピースを見て、セアは嬉しそうに笑っている。

 二人して、試着室の方に移動を始めた。慌ててキラと後を追う。

 あまり近づきすぎても彼女らに意見を求められるし、離れていては護れない。微妙な距離間で「護衛」をするのは少し疲れた。

 カーテンを開けたラクスを見て、セアが手を叩いて喜ぶ。その姿は、兵士ではない普通の女の子のようだ。

 今度はラクスが試着室へセアを押し込める。

 ふと思った。

 ラクスはひょっとして、セアのためを思って連れ出したのだろうか……。

 

「大丈夫だよ、アスラン」

 

 隣でキラが言った。

 

「僕もラクスも大丈夫。だから、ひとりで頑張ったりしなくていいから」

 

 今朝からやきもきしっぱなしの自分を見かねてそう言ったのだろう。

 

「ああ。わかっている」

 

 アスラン自身、バギーで出た瞬間から一刻も艦に戻りたかったのだが、今はこの状況を受け入れざるを得ないと諦めかけていた。

 

「まぁ、セア! とっても良くお似合いですわ!」

 

 試着室から出て来たセアを、ラクスがほめちぎる。

 セアは顔を赤らめ、カーテンの影に隠れようとする。

 着ている白のワンピースは、確かに良く似合っていた。軍服かパイロットスーツしか見たことがなかったら、新鮮に感じるのかもしれなかった。

 

「女の子って、ほんとに洋服が好きだよね」

 

 二人の少女の様子を見て、キラが苦笑した。

 洋服だけじゃない。もうすでにアクセサリーショップや本屋、雑貨屋を回っている。

 次はおそらくカフェに行くとでも言い出すのだろう。

 女の子と出歩いたことなど無い。

 が、常識的な範囲では彼女らの興味と行動を理解しているつもりだった。

 

 そういえば、ナナとは一度もこんなふうに出かけたことはなかった。

 当然、『世界連合特別平和大使』が気軽にショッピングなどできるわけはない。

 ナナが持っていた私服は知っているが、ワンピースなど、あまり女の子らしい恰好はしていなかった。

 誰かとファッションの話をしているところも聞いたことがない。

 ナナはどんなものが好みだったのだろうか。

 今ここにいたら、どんなものを手に取って、どんな顔をするのだろうか……。

 

「ねぇ、アスラン」

 

 そんなことを考えていると、ついにラクスに話しかけられた。

 

「え?」

「とっても良くお似合いですわよね?」

 

 どうやら、セアのワンピースについて意見を求められているらしい。

 

「あ、ああ……」

 

 セアはラクスの影に隠れながらも、答えを待っているようだ。

 

「と、とても似合っている……」

 

 ぎこちない答えに、二人の少女は顔を見合わせて笑う。

 どういう意味かはわからなかったが、それ以上追及はされなかったので、ほっと胸をなでおろした。

 

「ふふ……」

 

 隣で笑うキラも、数分後にはまったく同じ目に遭うことになる。

 次々と衣装を披露するラクスに対し、「いいと思う」しか言わなかった彼は珍しくラクスに憤慨された。

 セアも呆れたような目でキラを見ている。

 

「セア……、こ、こう言う時は何て言ったらいいんだ……?」

 

 こっそりと聞いたつもりが、セアは通常の声量で答える。

 

「ここのフリルが可愛いとか、色が綺麗でいいねとか、さっきのほうが似合ってるとか、ちゃんとした意見を言うべきです!」

 

 思いのほかはっきりとした意見に、当然聞こえていたラクスも乗じる。

 

「そうですわ。これではまるで、『なんでも良い』みたいではないですか……!」

 

 キラ側の立場のアスランは、キラと顔を見合わせて取り繕う笑いを浮かべるしかなかった。

 気まずさはあったが、それを見て二人の少女が笑ってくれたから良かった。

 が、その時。

 足元で突然ハロが飛び跳ねた。

 ラクスの「ピンクちゃん」ではない。ミーアが持っていた赤いハロだった。

 

「これは、ミーアの……!」

 

 一瞬にして緊張が走った。

 ただのショッピングは警戒すべき外出へと戻った。

 

「キラ……」

「うん。近くには誰もいないみたい……」

 

 ラクスとセアを背に、辺りを警戒する。

 と、ラクスがつぶやいた。

 

「メッセージが……」

 

 ハロがメッセージカードを携えていたのだ。

 そこにはこう書かれていた。

 

『ラクス様、私を助けて! 殺される! ……ミーア』

 

 ご丁寧に手書きの地図まで添えられている。

 

「これって……、思いっきり罠ですよね……?」

 

 セアが乾いた声でつぶやいた。

 彼女の意見は正しい。キラも同意した。

 が、ラクスはまたも驚きの発言をする。

 罠だとわかったうえで、この示された場所へ自ら行くというのだ。

 もちろん止めた。

 今度こそ命が危ない。無理矢理にでも艦に返したかった。

 が、キラはまたもラクスの意思に従った。

 彼は誰よりもラクスの身を案じているはずだ。

 が、困り果てつつも、ラクスの意思を変えられないとわかっているのだろう。

 そして結局、アスランもラクスを翻意するのを諦めた。

 こういう周りが何を言っても自分の意思を貫き通す人には、とっくに慣れている……。

 

「セア、巻き込んですまない……」

 

 店を出る時、セアに言った。

 今はもう仲間とはいえ、こういう展開には不慣れだろうと思ったのだ。

 が、セアは表情を硬くしながらもこう答えた。

 

「い、いえ! 私は、だ、大丈夫です! みんなでラクス様をお守りしましょう……!」

 

 その姿に、ほんの少しだけ気が軽くなった。

 

 

 

 ミーアが指定したのは、屋外の古典的な円形劇場だった。

 そこは静寂に包まれていて、陰謀が隠されているようには見えなかった。

 最大限の警戒をしつつ、建物の影から舞台、客席の方をうかがう。

 と、ミーアの姿が確かにそこにあった。

 それを確認すると、肩越しにセアに言った。

 

「セア、いいか、危険を感じたら迷わず撃てよ」

 

 銃を構える姿は様になっている。

 ミネルバでも訓練を怠らなかったことを、アスランは知っていた。

 

「わ、わかってます……!」

 

 緊張の面持ちながらもセアはしっかりとうなずいた。

 

「キラ……!」

 

 合図を送り、彼がしっかりとラクスを護っているのを確かめてから、アスランは舞台に進み出た。

 

「ア、 アスラン?!」

 

 ミーアはすぐにこちらを見つけた。

 

「あなた生きて……、生きてたの?!」

 

 そして、驚きで目を見開く。

 彼女は今まで、自分が「死んだ」と聞かされていたのだろう。

 

「止まれ!」

 

 駆け寄ろうとしたミーアに、やむを得ず銃を向けた。

 今の彼女は“敵”なのだ。ラクスを護るためには、できることは全てやらねばならない。

 

「ミーア、これが罠だということはわかっている。だが、最後のチャンスを与えに来た……!」

 

 が、ミーアも助けたかった。

 彼女を憐れんでいる。

 何故ならば、自分も彼女のようになっていたかもしれない。

 シンは今も……。

 様々な感情が浮かんだ。

 

「ミーアさん、はじめまして」

 

 そこにラクスが進み出た。

 自分にも、キラにも、セアにも緊張が走ったが、ラクスはゆったりとした口調でミーアに話しかける。

 

「お手紙には『助けて』とありました。では、わたくしと一緒にまいりましょう?」

 

 ミーアは“本物”のラクスを前に激しく動揺していた。

 いや、彼女の中で何かが崩壊していくようだった。

 

「“ラクス”は私よ!! 私だわ!!」

 

 彼女は唐突に叫んだ。

 

「ミーア、落ち着け。大丈夫だ……! ゆっくりこっちへ……」

 

 アスランは彼女との距離を詰め、手を差し伸べた。

 

「私がラクスだわ! だってそうでしょ……?!」

 

 が、ミーアは後ずさる。

 

「声も、顔も同じなんだから……! 私がラクスで何が悪いの?!」

 

 興奮したミーアが銃口をこちらに向けた。

 その瞬間、アスランは一発、それに向けて撃った。

 ミーアの手から銃が吹き飛ぶ。

 

「もうやめるんだ! 君は……」

 

 これからどんな扱いを受けるか本当はわかっているはずなのに、今までの“自分”にすがっている。

 そんな彼女を憐れだと思ったから、どうにかしてやりたかった。

 

「名が欲しいのなら差し上げますわ」

 

 ラクスが隣に並んだ。

 

「でも、それでもあなたとわたくしは違う人間です。それは変わりませんわ」

 

 そう告げられて、ミーアは力を失い、その場に膝を付く。

 ラクスは優しく語りかけた。

 

「人は誰も、自分以外にはなれないのです。でも、だからあなたもわたくしも“ここ”にいるのでしょう?」

 

 ミーアはラクスを見上げた。

 その目には、大粒の涙が浮かんでいる。

 

「だから出会えるのでしょう? 誰かと、そして自分に……」

 

 ラクスはきっと、「ミーア」が現れた瞬間から、彼女にこう言いたかったのだ。彼女に会ってこう話したかったのだ。

 銃を構えながら、優しくも強い声を聞き、アスランはそう思った。

 

「あなたの夢はあなたのものですわ。ですから自分のためにそれを歌ってください。誰かのためじゃなく。自分の夢を人に使われてはいけません」

 

 両の瞳から涙が流れ落ちると同時に、ミーアはうなだれた。

 きっとラクスの言葉は伝わった。ミーアの「ミーア」である部分に……。

 そう思った瞬間。

 おもむろに、上空でトリィが鳴いた。

 反射的に向いたその方角には、光る銃口……。

 

「ラクス……!」

 

 ラクスの肩を抱いて前方に跳んだ。

 同時に、石が砕ける音がした。

 スイッチが入った。

 軍人として訓練を積んだ日々の経験が身体の細胞に蘇る。

 ラクスを走らせ、キラの元へ。

 すぐ後ろで何度も石が跳ねる音がした。

 彼女がキラの腕に護られるやいなや、とって返す。

 ミーアを見捨てるわけにはいかなかった。

 うずくまる彼女を無理やり引っ張り起こして、建物に走り込む。

 足元を銃弾がかすめた。

 が、どうにか狙撃手の死角に入った。

 

「キラ!」

 

 暗がりの中、全員の無事を確認する。

 キラはしっかりとラクスを抱き、セアは真っ青な顔をして銃を握りしめていた。

 

「アスラン、こっち!!」

 

 予め決めていた脱出経路はキラとラクスがいる方だ。

 そちらへ行くには舞台への入り口を通り抜ける必要がある。つまり、死角がない数メートル間を駆け抜けねばならない。

 

「何人いるんだ?! 知ってるか?!」

「わかんない! サラしか!」

 

 ミーアに問うが、半分パニック状態の彼女は首を大きく左右に振るばかりだ。

 すでに弾丸は複数の方向から飛んで来ている。

 鼻先で石が飛び散った。

 とにかく数を減らさなければ、身動きが取れなかった。

 

「オレが出て数を減らす!」

 

 ミーアを引き剥がしてそう叫ぶと、

 

「え、援護します!」

 

 セアが応えた。

 彼女と、そしてキラの弾丸が幕となる間、アスランは舞台に躍り出た。

 黒服の男が数名、客席に散らばっている。

 舞台の影に隠れながら、一人ずつ狙いを定めて撃つ。

 キラも撃った。セアも。

 が、彼らの方へ男が手りゅう弾を投げた。

 

「走って……!」

 

 キラの声と同時に、一帯が光る。

 そして、爆音。

 

「みんな……!」

 

 肝が冷えた。

 が。

 

「だ、大丈夫です……!!」

 

 セアがそう言うなり、再び銃を構えた。

 ホッとしたのも束の間、こちらにも銃弾が降り注ぐ。

 向こうの銃器は長距離用だ。ならば、近づいて撃つしかなかった。

 アスランはセアの横顔を確認すると、舞台の影から跳躍した。

 こちらを狙った男を撃つ。

 着地と同時にまた撃つ。

 ついに、残るは女ひとりになったとき、女はラクスたちに向けて手りゅう弾を投げた。

 アスランの位置からはどうすることもできなかった。

 だが、キラとセアが撃った弾がそれに命中した。

 軌道は変わり、投げた本人へ返される。

 女が避ける間もなく、爆発が起こった。

 そして、静寂が訪れた。

 

「大丈夫か?」

 

 急いで皆のところへ戻る。

 全員、無事のようだった。

 

「わたくしたちは大丈夫です」

 

 ラクスは真っ青な顔で震えているミーアの身体を支えていた。

 

「セアも……」

「あ、は、はい! 大丈夫です……! あ、アスランは……?」

「オレも無事だ」

 

 セアもまだ張り詰めた表情だったが、怪我はないようだった。

 互いの無事を確認している間に、アカツキが現れた。

 キラが急いでラクスを避難させようと、降ろされたアカツキの手にラクスを誘導する。

 

「さぁ、君も」

 

 そして、キラはミーアも乗るように促した。

 差し伸べられた手に戸惑うミーアに

 

「一緒にまいりましょう、ミーアさん」

 

 ラクスも声をかける。

 

「で、でも……」

 

 ミーアが戸惑いながらラクスを見た時。

 

「危ない!!!」

 

 彼女は突然ラクスに向かって走った。

 同時に銃声が響く。

 次の瞬間目にしたのは、紅い飛沫が舞う中で倒れ込むミーアの姿だった。

 

「ミーアさん!!」

 

 ラクスが叫んだ。

 心を押し殺し、アスランは銃を放った者を撃った。

 キラもほとんど同時に撃った。

 二人の銃弾は、あの女に当たった。

 

「ミーア!」

 

 女が倒れるのも見届けず、アスランはミーアに駆け寄った。

 

「私の歌……、命……、どうか……、忘れないで……」

 

 ラクスの腕の中、ミーアは一枚の写真を彼女に手渡した。

 

「もっと……、ちゃんと……、お会い……、できていた……ら……」

 

 ミーアの瞳がこちらを向いた。

 とても綺麗な瞳だった。

 が、光を失っていくのがわかった。

 

「ミーア!」

「早くアークエンジェルに!! ムウさん!!」

 

 キラがアカツキに呼びかけるが……。

 

「ごめん……な……さ……」

 

 ミーアの言葉は途中で切れた。

 

「ミーアさん!」

「ミーア!」

 

 アスランが呼びかけても、ラクスが揺さぶっても、彼女は目を開けなかった。

 偽りの世界に放り込まれた歌姫は、命を閉じてしまった。

 最期に真実を見つけて。

 

「くそっ!!」

 

 悔しかった。

 彼女が捕らわれている場所から救い出せなかった自分を悔いた。

 ミーアの存在に困惑していたのは事実だ。

 が、彼女が悪かったわけではない。

 彼女は純粋だった。

 彼女が欲しがったものも、やりたかったことも、間違いではなかったのだ。

 それなのに、救ってやれなかった……。

 流れる涙は、冷たい石を黒く染めた。黒い染みが広がるのに合わせて、力が抜けて行くようだった。

 

「アスラン、ここから離れよう……」

 

 だが、いつまでもここで情けなく泣き崩れているわけにはいかなかった。

 

「ラクス、君はアカツキですぐにアークエンジェルへ」

 

 最初にキラが動いた。

 

「この子はバギーでちゃんと連れて帰るから」

 

 すすり泣きながらミーアを抱きしめるラクスの肩に手を置いて、キラは言った。

 

「あ、あの……」

 

 その時、頭上からもうひとつ、涙声が降った。

 

「キラもラクス様と一緒に行ってください。私はこの方とアスランと、バギーで戻ります」

 

 震えてはいるが、しっかりとした言葉だ。

 

「でも……」

「大丈夫です、はやくラクス様と……!」

 

 セアはそう言うと、アスランの肩に手をかけた。

 

「アスラン、行きましょう……!」

 

 その手もまだ震えているのがわかる。

 

「ラクス様も行ってください! こ、この方は私が……」

 

 うつむいていても、セアがどんな顔をしているのかわかった。ポロポロと涙をこぼしながら、きっとラクスに笑顔を向けているのだ。

 アスランは乱暴に袖で顔を拭った。

 本当に、こんなところに立ち止まっているわけにはいかなかった。

 

「行ってくれ、キラ。オレたちはバギーで戻る」

 

 キラの方は向けなかった。ラクスも。

 ラクスから引き剥がすようにしてミーアを抱き上げ、脱出経路に向かう。

 ミーアの身体にはまだ温もりがあった。

 が、心臓はもう動いていない。

 そこには穴がひとつ開いていて、紅い液体がにじみ出ている。

 後ろで、キラがラクスを促す声が聞こえた。そして、こちらに駆け寄るセアの足音も。

 セアはアスランを追い越し、先行して様子をうかがう。

 曲がり角で銃を構え、人の気配がないか確認しながら進む姿を、アスランはぼんやりと眺めていた。

 彼女が訓練を受けた軍人でよかった……。

 いや、彼女がいてくれてよかった……。

 そんな感情に気づいたが、自分が情けなくなるだけだった。

 ミーアの重さより、自分の胸の重さに耐えきれなかった。

 

「アスラン、バギーは無事です……!」

 

 セアはてきぱきと後部座席のドアを開ける。

 ミーアを乗せようとすると、

 

「私が運転しますから、そのまま乗っていてください……!」

 

 そう言って、運転席に滑り込む。

 彼女が自分自身を奮い立たせているのはわかっていた。

 未だ恐怖の余韻が残る心を無理やり抑え込んで、自分を助けようとしてくれていることも。

 だが、今は彼女の強さに甘えることしかできなかった。

 

「すまない……セア……」

 

 そのつぶやきは、彼女に届かなかった。

 流れて行く景色を眺めながら、ミーアが冷たくなっていくのを感じていた。

 

 

 

 



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煌めき

 

 アークエンジェルの艦内で、ミーアを送る会が開かれた。

 簡素だったが大半のクルーが参列し、厳かで優しい式だった。

 ミーアのことは何も知らなかった。何も聞かなかった自分が悪かったと、アスランは自身を責めた。

 が、彼女は日記を残していた。

 そこには、彼女の想いの全てが記されていた。

 ただの“いきさつ”だけじゃなく、自分が感じたこと、思ったこと、願ったこと……それらが、飾り気のない実直な言葉で綴られていた。

 胸が痛かった。

 ラクスもずっと泣いていた。

 誰もを魅了する微笑みか、決意の表情しか見たことがなかったアスランは、彼女の涙を見て胸の痛みが強まるのを感じていた。

 

 

 

 自由時間。

 食堂にも自室にもドックにもメディカルルームにもセアの姿はなかった。

 なんとなく予感がしてデッキに出た。

 そこにはちゃんと、セアの姿があった。

 コペルニクスの港は殺風景だったが、少しは風を感じることができるから、ここではないかと思ったのだ。

 彼女に、言いたいことがあった。

 彼女のためじゃない。

 自分のために……、自分がこの先も進むために、言わなければならないことがあった。

 

「セア……」

 

 まだ距離がある状態で話しかけると、セアは驚いたように振り返った。

 

「アスラン……?」

 

 セアの目は少し赤かった。

 まだミーアのことを考えていたのだろう。

 それに、銃撃戦などという恐らく訓練でもしないような状況に巻き込まれた恐怖感まだ、その身体に残っているはずだった。

 だが。

 

「アスラン、大丈夫……ですか……?」

 

 彼女は先にそう言った。

 彼女もまた、こちらを気づかってくれていた。

 

「あ、あの……」

 

 少し離れて立ち止まると、セアは意を決したようにこう言った。

 

「ミーアさんのこと……、私でよければ、お話聞きます……!」

 

 真剣な眼差しを、思わず見つめ返した。

 

「セア……」

「ミーアさんとは……、親しかったんですよね? お二人でいるの、お見かけしました。あの時は本物のラクス様だと思ってましたけど……。でも、だから、アスランも辛いですよね……? 悲しいですよね……?」

 

 ミーアとは何度か会っただけだ。一度もちゃんと彼女に向き合ったことはなかった。

 が、セアは案じてくれている。

 

「だから……、何か話したいことがあれば、私が聞きます……!」

 

 この艦で、ミーアと自分を知るのはセアだけだ。

 だから、そう言ってくれているのだろう。

 

「そんなことくらいしか……、私にはできませんけど……」

 

 自分もキツい状況で、セアはこんなにも優しい。

 自身で決めた道とはいえ、この先が不安なのはセアの方なのに。

 避けられない戦闘が起こったら、彼女はきっとグレイスで出るだろう……。

 その時撃たねばならない相手が何になるのか、今はまだわからない。

 もしかしたら、ミネルバと対峙するかも知れない。シンやルナマリア、レイを排除しなければならない時が来るかもしれない。

 かしこいセアが、それをわかっていないはずはない。実は勇敢な彼女に、覚悟がないはずもない。

 彼女に言おうとしてここまで持って来た言葉が、喉の奥で膨らんだ。

 

「アスラン……?」

 

 沈黙を拒絶ととったのか、セアの瞳が悲しげに揺れた。

 

「違うんだ……」

 

 それをできるだけ静かに否定する。

 

「違う……?」

「たしかにミーアのことで、オレは後悔している……。オレはミーアになにもしてやれなかった。ちゃんと向き合ってやれば良かった。“あそこ”からオレが救い出せていれば……。悔やんでも……悔やみきれない……」

 

 セアの瞳の悲しい色が濃くなった。

 その優しさに向けて、精一杯、心を吐き出す。

 

「だからオレは……、君に、言わなくちゃならないことがある……」

「私に……?」

 

 一歩……、距離を詰める。

 港の風が、セアの髪を揺らした。

 ナナとは違う色。瞳の色も。オーブの軍服も、ナナが身につけていた公服とは少し違う。

 

「セア……」

 

 名乗る名も、違う。

 それでも……。

 いや。

 だから……。

 

 

「オレは君を護る」

 

 

 だから、決意した。

 

「もう誰も失いたくない……。君を失いたくない。君を傷つけたくない。君を……護りたいんだ……」

 

 想いを全て言葉にしてさらけ出した。

 揺るぎない決意だった。

 ミーアを救えなかった自分の、カガリを護れなかった自分の、ナナを失った自分の……。

 今さらで、今度こそ、の決意。

 

「アスラン……」

 

 セアは、うつむいた。

 それでよかった。

 これは一方的な決意だ。

 行き場を失った想いを、彼女に押し付けていることもわかっている。

 彼女を護ることで、過去の自分を救おうというのではない。

 彼女を護ることでしか、先へ進めないとわかっている。

 そう、これは……自分勝手な決意。

 右手をポケットに入れた。

 小さくて、固くて、少し冷たいそれを、握りしめる。

 が、それを取り出す前に、セアが言った。

 

「それは……、私が……」

 

 酷く苦しげに。

 

「ナナ様に……、似ているから……、ですか……?」

 

 途切れ途切れに零れた問いに、一瞬だけ戸惑った。

 だが、答えは自分の中にちゃんと存在していた。

 

「それは違う」

 

 もうずっと前から、この答えを知っていた。

 

「オレが君を護りたいのは、君が君だからだ」

 

 セアがこちらを向いた。

 不安げで、探るような、弱い光だ。

 アスランはもう一度、ポケットの中のものを握りしめた。

 

「オレにとって、ナナはまだ……、これからもずっと、大切な存在であり続けるだろう。だが、そんなナナの意志を君が見せてくれて嬉しかった。君が自分自身で、ナナの目指した道を歩こうとしてくれたことが嬉しかった。そんな君の姿に、オレは救われていた……。君のおかげで進む道が見えた。君が照らしてくれたんだ。だから、オレは君を護りたい」

 

 伝わらなくてもいいと思った。

 最初から、()()()()()の勝手な決意なのだから。

 セアが何を思おうと、変えられる言葉は持ち合わせていない。

 ただ、セアには……。

 

「生きて欲しい、セア……、君は……」

 

 そう……、生きていて欲しいと、心の底から思ったから。

 

「アスラン……」

「君には生きていて欲しいんだ……」

 

 ミーアの亡骸を前に、そう、強く思ったから。

 

「ただの……、オレの勝手な願い……なんだ」

 

 わずかに自嘲が零れ出た。

 セアが困っているのに、一方的に想いを押し付けている。

 そして、“それ”を押し付ける……。

 

「セア、これを……」

 

 ポケットから、“それ”を取り出した。

 手のひらに乗せると、“それ”はキラリと光った。

 

「それは……」

「これは、護り石だ」

「お守り……ですか?」

「ああ……、何度もオレを護ってくれた」

 

 碧く、優しい石だ。

 

「ナナが、オレにくれたものだ……」

 

 これを、セアに託したかった。

 この石に宿る強くて美しい意志が、セアを護ってくれるように……。

 

「そ、そんな大切なもの……!」

 

 セアは首を振った。

 が、決意は変わらない。

 今は、どうしてもセアに生きて欲しい。護られて欲しい。

 

「いいんだ、セア。ナナの意志とオレの想いが、お前を護る……」

 

 セアはじっと、こちらの目を見た。

 ありったけの想いを込めて見つめ返す。

 こちらが本気なのだと、彼女は悟ったようだった。

 

「アスラン……」

 

 セアは唇を引き結び、大きく瞬いた。

 ナナの意志を自分の想いを受け入れてくれたのだ。

 安堵した。

 ナナもきっと、安堵してくれていると思えた。

 

「セア……」

 

 彼女の首にかけようと、ひもで輪をつくる。

 碧い石が宙に揺れ、またキラリと光った。

 その時。

 

「そ……れ……」

 

 セアが息を呑んだ。

 

「セア?」

「それ……は……」

 

 震えている。

 急に呼吸を乱している。

 

「セア、どうし……」

 

 セアの肩に触れた。

 が、彼女の視線は石をまっすぐに見つめたまま動かない。

 

「セア?」

 

 軽く揺さぶった。

 すでに、彼女の喉から苦しげな呼吸音が聞こえる。

 

「セア!」

 

 呼びかけには反応しないまま、セアは石を持つ腕をつかんだ。

 指先は震えているが、物凄い力だ。

 

「セア、どうしたんだ?!」

 

 ヒューヒューと空気を漏らしながら、彼女はつぶやいた。

 

 

 

「……母さ……の……」

 

 

 

 耳を疑った。

 いや、よく聞き取れなかったのだ。

 

「え……?」

「私……、アスラン……に……」

 

 何かが、脳で、胸で、勢いよく渦巻いた。

 

 

「島……で……」

 

 

 身体が一気に冷えた。

 

 

「島……?」

 

 

 鼓動が高鳴り、耳が遠くなった。

 だが、はっきりと聞こえた。

 

 

「アスランに……あげ……た……」

 

 

 セアはそう言った。

 そう言って、糸が切れたかのように四肢の力を失った。

 

 

 

「ナナ!!!」

 

 

 

 思わず、そう叫んだ。

 

「ナナ……ナナ、ナナなのか?!」

 

 舌がもつれてうまく話せない。

 全身が震える。

 内側が沸騰するような、凍結するような、いたたまれない感覚に襲われる。

 

「ナナ?! ナナなのか!?」

 

 蒼白の頬に手を当てても、彼女はピクリとも動かなかった。

 はやる気持ちとは裏腹に、身体は少しも動かない。

 

「ナナ……!? セア……!? 目を開けてくれ!!!」

 

 どちらの名を呼んでも、その少女は応えてはくれなかった。

 

 

 

 

 



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真実

 

 ドクターが真っ青な顔をして、セアの身体にいくつもの装置を付けていく。

 それを、反対側の壁に備え付けられたベッドに腰かけ、ぼーっと眺めていた。

 キラとラクスが飛び込んで来て、隣に座った。

 キラが肩を揺さぶりながら何か言うが、よく聞こえない。

 

『……母さん……の……』

 

 セアのささやきが、耳から離れない。

 

『私……、アスラン……に……』

 

 あんなに微かなささやきが。

 

『島……で……』

 

 それでもはっきりと聞こえたささやきが。

 

『アスランに……あげ……た……』

 

 何度も、何度も脳内で繰り返す。

 あの瞬間に、目が合った。

 セアの瞳の奥で何かが煌めいた。

 何かが……。

 

 

「アスラン!」

 

 キラの声が、セアの何十回目かのささやきを遮った。

 

「キ……ラ……」

「とりあえずこれ飲んで!」

 

 水を差し出される。

 ああ……、あの時と同じだ。ナナが死んだと聞かされた時……。

 こんなにも混乱した頭でも、それが容易に蘇る。

 あの時もぐちゃぐちゃのはずだったのに。

 

「キラ……」

 

 だが、あの時と違うのは……。

 

「キラ……! セアが……!」

 

 あの時は恐ろしく凍てついていた心が、今は熱く滾っていることだ。

 

「セアが! 石を……!」

「アスラン?」

「ナナのっ、石をっ……!!」

 

 掴みかかる勢いで、キラの肩を掴んだ。

 彼の手から、水のボトルが床に落ちる。

 

「ナナの石をっ……!」

 

 言葉にならない。

 あの瞬間のことを、なんと説明すれば良いのか……。

 

「アスラン、落ち着いて!」

 

 今のこの感情を、どう説明すればよいのか……。

 

「アスラン」

 

 落ちたボトルを拾い上げ、名を呼んだのはラクスだった。

 

「アスラン、ゆっくり……、お話してください」

 

 アスランの内部の騒乱とはそぐわぬ、低く静かな声だった。

 

「ラクス……」

 

 そう……、キラも戸惑うほどの。

 

「何があったのですか?」

 

 ラクスは……目の前に膝を付き、優しくこちらを見上げる。

 だがその瞳には影があった。

 暗い暗い影……。

 それを見つけたおかげで一瞬、感情が停止した。

 

「石を……」

「石……?」

「ナナの護り石を……、セアに……、オレは、セアに渡したんだ……」

 

 言葉の順序など考えられなかった。とにかく、浮かんだ単語を吐き出した。

 

「セアを……護るから……。生きて……」

「護りたかったのですね、セアを」

 

 それでもラクスはわかってくれた。

 

「石を見て……、セアが……、セアは……」

「セアは、何か言ったのですか?」

 

 セアのささやきを、ひとつずつ、ここに零す。

 

「それは……、母さんの……。私がアスランに……。島で……、あげた……」

「……え?」

 

 驚いたのはキラだった。

 

「どういうこと……?」

 

 ラクスは悲しげに目を伏せた。

 

「ラクス……?」

 

 違和感があった。キラもそれを感じたのだろうか。

 

「ラクス、何か知ってるの?」

 

 代わりにそう言った彼の声は震えている。肩を掴む彼の手に力がこもった。

 

「アスラン……」

 

 ラクスは目を伏せた。

 

「ラクス……!」

 

 突き上げる予感が喉を締め付けた。

 彼女に聞かなければならないことがあるのに、声にはならない。

 

「ラクス!」

 

 キラが代わりに促した。

 ラクスは、言った……。

 

 

「あの方は、ナナです……」

 

 

 石が煌めいた瞬間に悟ったこと……。

 それをラクスの口から聞かされても、脳には届かなかった。

 ラクスが何故、これほど確信を持ってきっぱりと告げるのか……。

 彼女の言葉を信じて良いのか……。

 何故、彼女は今それを言うのか……。

 

「あの方はナナなのです、アスラン……」

 

 二度目に差し出された“真実”も、すんなりと飲み込むことはできなかった。

 

「ラ、ラクス……、本当、なのっ?!」

 

 息せき切ったように、キラが言う。

 

「あの方のフィジカルデータは、ナナのものと一致しているのです」

 

 反射的に顔を上げ、装置を動かしているドクターを見た。

 彼の背が、ビクンと跳ねたように見えた。

 

「ほ、本当……なの……?!」

 

 同じものをキラも見たのだろうか。恐る恐る、確かめる。

 ラクスは息をつくように答えた。

 

「はい。間違いありません……」

 

 胸の奥から何かがせり上がった。

 

「どうして……!?」

 

 言葉にならないうちに、キラが叫んだ。

 

「私が、この事実を明かさないことを決めたの……」

 

 戸口から声がした。

 反射的にそちを向くと、マリューが神妙な面持ちで立っていた。その影にはミリアリアもいる。

 二人を凝視した。

 

「マリューさん、どうして……!?」

 

 キラは彼女に向かって言う。

 キラが全て先回りしてくれているおかげで、アスランの心はまだ砕け散らずにいられた。

 

「ごめんなさい……」

 

 マリューはこちらに向かって頭を下げた。

 そして声を震わし、言った。

 

 

「本人だとわかっているのに……、その人に記憶がないのは、辛いからっ……!」

 

 

 ムウ・ラ・フラガのことだと、こんな頭でもすぐにわかった。

 が……。

 わかるはずもないのだ。

 何故、こんな……。

 

「最初から、あのコは……、セアはナナだったってことですか……?!」

 

 またキラが言ってくれた。

 

「ずっと、あのコは……ナナだったってことですか?!」

 

 ズキンと、心臓が痛んだ。

 答えがどちらでも、収まりはしない痛みだ……。

 

「私……」

 

 ずっとマリューの隣でうつむいていたミリアリアが、初めて口を開いた。

 

「私、聞いたの……」

 

 消え入りそうな声で……。

 

「“そのコ”がここに運ばれたとき、一瞬だけ目を覚まして……」

 

 涙をこぼしながら、彼女は言った。

 

 

「『久しぶり……、ミリ……』って……!!」

 

 

 



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安堵の痛み

 

 似ている……。

 点滴をうたれ、いくつもの管を繋げられた少女を見て、改めて想いが零れた。

 キサカがシャトルからアークエンジェルに運び入れた2台のストレッチャー。その2台目に乗っていたのが彼女だった。

 慌ただしく通路を駆け抜ける間に、彼女を見て心臓が止まりかけた。

 

 似ている……、ナナに……。

 

 どうして?

 そう思った。

 脳の片隅ではわかっている。

 ナナは……死んでしまった。髪の色が違うではないか。だいたい、どうしてザフトのアスランと……。

 カガリがきっぱりと「ナナとは別人だ」と言ってくれたからまだ良かった。

 彼女の言葉が無ければフラフラと心が彷徨っていただろうし、彼女の言葉は誰のそれより真実に近かった。

 が……、本当に似ている……。

 肌の色、まつ毛の長さ、鼻の高さ、唇の形、顎のライン……。

 そっと手で頭部を隠せば、どこをどう見ても“ナナ”だった。

 

『そいつはナナじゃない……! そいつは……、ナナに似ているが、まったくの別人なんだ……!』

 

 敢えてカガリの声……、“叫び”を思い出した。

 カガリは彼女に会ったことがある。そのカガリが、彼女はナナでないとはっきり断言している。

 それに……。

 アスランも何も言っていなかった。

 あの孤島でナナの話なんてしていなかったし、彼に“迷い”があるのなら、キラに告げないはずはなかった。

 だから、このコはナナではないのだ。

 そう……、わかっている。初めから。もう、とっくにナナはいないのだ。

 

 ミリアリアは、そっと少女の右手を見た。

 その手の甲……。ナナにはあったはずの、親指の付け根のホクロはなかった。

 ほら、やっぱり別人だ……。あまりに苦しい状況が続いているから、ナナが恋しくなっていたのだ。「似ている」「同じ」と、錯覚しているだけだ。

 そう思うと、安心した。

 同時に、胸が痛んだ。

 こんなにも痛みを伴う安堵があるだろうか……。

 そう思ってため息をついた。

 と……。

 

「ん……」

 

 少女が身じろいだ。

 

「…………!」

 

 呼びかけようとした声が、途中でしぼんだ。

 彼女の名は知っている。

 「セア」だ。カガリが教えてくれた。

 そう、呼んであげればよかった。

 

「う……」

 

 が、うっすらと目を開けるのを、黙って見ていることしかできなかった。

 

「あ……」

 

 思わず声を漏らした。

 瞼の隙間から見えた瞳の色は、ナナのそれとは違っていた。

 良かった……。

 そう思った。

 いや、やはり……。やはり、痛みを伴う安堵だ。

 少女は視線を彷徨わせ、ややあってから、身動き取れずにいるミリアリアを捉えた。

 

「あ……え……と……」

 

 何を言うべきかまだ答えを知らなかった。

 「あなたは無事だった」「もう大丈夫」「ここはアークエンジェル」「アスランも無事」……。

 言うべきことはある。

 が、どれも声にならない。

 そんな、突っ立ったままの自分に……。

 

 

「久しぶり……」

 

 

 彼女は言った。

 

 

「ミリ……」

 

 

 ドクンと心臓が跳ねた。

 直後、全身が冷たくなる。

 

「え……?」

 

 少女はかすかに笑って、満足そうな顔のまま再び眠りについた。

 

「え……?」

 

 呆けたように、何度かつぶやいた。

 

「な、何て……言ったの……?」

 

 やっと聞き返しても、彼女はもう答えない。

 

「ね、ねぇ……!」

 

 揺さぶり起こしたいのに、逆に後ずさった。

 ごくりと唾を呑み込んだ。

 わかっている。

 これをつぶやいても、この少女は目覚めないことを。そしてとても恐ろしく、とても意味のないつぶやきということを。

 が、涙と同時につぶやきはこぼれ出る。

 

 

「……ナナ……?」

 

 

 わかっている。

 無意味なことだ。

 が。

 

「……ナナ……なの……?」

 

 ザフトの子が自分を知っているはずがない。

 

「ナナなの……?!」

 

 「ミリ」……だなんて、ナナが親しげに呼んでくれた呼び方……。

 

「うそ……」

 

 信じられない。信じてはだめだ。

 

「うそでしょ……?」

 

 何かが真正面からぶつかり合って、内側が壊れそうだった。

 

「そんな……そんなはず……」

 

 酷く疲れた。力が入らなかった。

 

「そんなはず……ないよね……?」

 

 その場に座り込んだ。

 

 少女の顔は見えない。

 見たい。

 見たくない。

 見られない……。

 

「ナナ……!!」

 

 心の中のナナに向かって叫んだ。

 

 そこにいるの?

 ここにいるの?

 

 ナナは笑っていて答えない。

 とめどなく溢れていた涙を拭った。

 立ち上がって深呼吸する。

 少女を見た。

 さっきの一瞬のできごとが夢だったかのように、彼女は静かに眠っている。

 また涙がこぼれそうになるのを、奥歯を噛みしめて堪えた。

 なかったことにはできない。が、気軽に口にできることではない。かといって、ひとりで抱え込めるほど強くない。

 どうすれば良いか考えた。そして、やはり真実を知るしかなかった。

 それは怖い。とても。

 が、ナナのためには、ちゃんとするべきだと思った。

 マリューに話そう。

 彼女を苦しめることになっても。ムウのことで苦しんでいる彼女を、さらに追い詰めることになっても……。

 そう決めた時、立ち上がってからずいぶんと時間が経っていた。

 もういちど、少女を見つめる。

 そして、喉がふさがれるような痛みを振り切るように部屋を出た。

 足元がふらついた。

 が、通路で突っ立っているわけにはいかない。

 マリューのいるブリッジへ……、いや、士官室に呼び出そう。

 そう、どうにか気を奮い立たせたとき。

 

「ミリアリア、大丈夫?」

 

 人影など視界に入らなかった。

 が、すぐそこにキラが立っていた。

 

「キ、キラ……」

 

 気管がすぼまった。

 

「だ……大丈夫……」

 

 どうにか吐き出した。

 いっそ、キラに話そうかと思った。今、自分の身に起きたことを。そして、ある予感を。

 だが、思いとどまった。

 キラをこの混乱の渦に巻き込みたくなかった。

 彼が優しいことはよく知っている。ただの学友だった頃とは違うのだ。彼の中の“ナナ”の存在がいかに大きいかも知っている。

 だから。

 

「君も少し休んで。あのコには僕がついてるから」

 

 彼がそう言った時、

 

「だ、大丈夫よ! あ、あのコも容態は安定してて……、ね、眠ってるだけだから……!」

 

 すぐにそう返した。

 引きつった顔は隠せなかったろうが、あの出来事に気づくはずはない。

 曖昧な表情を残し、急いでその場を立ち去った。

 背中に、キラの視線を感じたが、振り返らずに角を曲がった。

 息はつかなかった。

 「真実」が何であれ……。彼もきっと苦しむのだと思った。

 

 

 



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求める恐怖

 

 マリューは机上に肘をつき、組んだ手に額を乗せた。

 ズキンズキンと、頭の内側が痛むのだ。

 

「ラミアス艦長……」

 

 ドクター・シュルスが心配そうに腰を浮かすが、ため息が漏れるだけだった。

 たった今、彼から聞かされた報告に気分が悪くなっていた。

 彼が報告したのは、オーブのラボから送られてきた『連合のエクステンデット』についての情報だった。

 先般のザフト軍による『ロドニア研究所』制圧によって、エクステンデットを“製造”する卑劣な研究所の存在が明るみになった。

 当然、連合側もプラント側も、研究所に関する情報統制は厳しく敷かれていたが、その内部情報はオーブにも流れて来たらしい。

 それだけ、『ロドニア研究所』の規模が大きかったということだろう。

 が、その報告の大半は今さら驚異を覚えるほどではなかった。

 何故なら、実際にマリューたちはエクステンデットと交戦している。その力も、異常性も、まさに肌で感じているのだ。

 だから、彼らがどういう目的でどんなふうにされたのか……それはすでに知っていた。

 問題は、ドクター・シュルスが遠慮がちに、まるで最後に付け足すかのように言った言葉である。

 

 

『エクステンデットの中には、記憶を操作されながら“使われる”者がいるらしい』

 

 

 と……。

 「記憶」という言葉には過敏になっていた。

 彼……、ムウに似た男が実際にムウだったと知った瞬間から、24時間つきまとうのだ。

 彼の記憶はどこへ行ったのか……。

 彼の記憶は完全に消えてしまったのか……。

 彼の記憶はもう二度と、蘇らないのか……。

 今、エクステンデットの「記憶」に関することを聞かされて、いよいよその単語は脳を埋め尽くした。

 

「先生……」

 

 抱えきれないから、吐き出した。

 

「彼も……、ムウも……、その技術で記憶を消されている可能性があると……、そういう可能性があると思います……?」

 

 人の好いドクター・シュルスを困らせたくなかった。

 が、どうしようもなかった。

 

「フラガ大佐の場合は……、先の戦争で追った怪我により記憶喪失になった可能性も考えられます。ただ……」

 

 彼は言いにくそうに続けた。

 

「『ネオ・ロアノーク』という人物の完全な記憶があるので……、記憶の“上書き”をされたということも……」

「上書き……」

 

 自然と、ドクターの言葉を繰り返した。

 

「あるいは、“人格”を変えるような何かを……」

 

 記憶の上書き、別人格……。

 どちらにせよ、現時点で“治療法”が不明なことは明らかだった。

 だから、その先を聞くことを諦めた。

 可能性の話は今のマリューにとって意味がない。とても楽観的には考えられない。

 毎日、ムウだけどムウじゃない男を見て、声を聞いて、話しをして……、どんどん迷宮の奥に入り込んでいくような感覚なのだ。

 

「ラミアス艦長……」

「いいんです。わかりました……」

 

 結論の出ない議論をする気はなかった。

 ドクターは何時間でも付き合ってくれるだろうが、だからこそ少しも先の話をしないでおきたかった。

 

「報告ありがとうございます。“あちら”で確実に“何か”が起きていたことがわかって良かったです」

 

 強がりを見抜かれているのは承知だった。

 が、ドクターを見送るため立ち上がった。

 

「では、私はこれで……」

 

 全てを察した様に、ドクターもまた腰を上げた。

 その椅子が軋む音とインターホンが鳴るのは、まったく同時だった。

 

<艦長……、ミリアリアです。よろしいでしょうか……>

 

 この士官室を、ミリアリアが訪れるのは初めてのことだった。

 

「ええ、どうぞ」

 

 歪な動揺を押し殺し、そう答える。

 入って来たミリアリアは、酷い顔色をしていた。

 

「ミリアリアさん、気分が悪いの?!」

「すぐにメディカルルームへ……!」

 

 ドクターと同時に、そんな言葉が口をついて出るほどに。

 

「え、いえ、ええ……、あの……」

 

 ひどく歯切れが悪い。勝ち気でしっかり者で快活な彼女にしては異常だ。

 

「違うんです……、少し……お話が……!」

 

 だが、彼女はうつむいたままそう言った。

 声は弱々しいが、どこか有無を言わさぬ様子に見えた。

 

「では、私は失礼します……」

 

 ただならぬ何かを察したのか、ドクターは立ち去ろうとする。

 が。

 

「いえ! あの、ええと……。できればドクターも、お話を……」

 

 思わずドクター・シュルスと顔を見合わせた。

 この三人の共通の話題が思いつかないのだ。

 

「わかりました。さぁ、ミリアリアさん、かけて」

 

 座るように言うと、彼女は深呼吸してから腰かけた。

 何か重大な決意を抱えているように見えた。

 

「どうしたの? 何かあった?」

 

 それでもなかなか話そうとしない彼女を、できるだけやんわりと促す。

 すると。

 

「今、あのコの……、“セア”ってコの様子を……、見に行っていたんです……」

 

 ミリアリアはそう言った。

 それで合点がいった。

 彼女は激しく動揺しているのだ。

 それは、この艦に“セア”という少女を迎え入れた瞬間から……、そう、“ムウに似た男”を収容した瞬間と同じように……、胸を渦巻く混乱なのだ。

 だから少し安心した。

 自分の時は“確信”の割合が大きかった。とてつもなく“似ていた”からだ。

 が、今回は違う。

 確かに面影は濃いが、はっきり“否定”すべき点がいくつか存在する。

 髪の色は違っていて、染めたようでもない。アスランとともにザフトから飛び出して来たのは間違いない。

 なにより、彼女に会ったことのあるカガリが証明しているのだ。

 “全くの別人”だと。

 彼女が言うのだから間違いなかった。

 ナナが愛した妹なのだから……。

 

「ミリアリアさん、確かにあのコは“似ている”けど……」

 

 「ナナに」とは口に出せなかった。

 が、彼女の動揺を静めるためには、はっきり言ってやるべきだと思った。

 

「違うんです……!」

 

 しかし、続く言葉を遮って、ミリアリアは悲鳴のように言った。

 

「違うって……?」

 

 一瞬、「ナナに似ている少女と遭遇して動揺している」のが違うのか、「ナナに似ていると思っている」こと自体が違うのか、わからなくなった。

 だが、ミリアリアはまるで違うことを言った。

 

 

「あのコ……、ナナ……です……!」

 

 

 ミリアリアは、椅子から崩れ落ちそうになりながら絞り出した。

 

「ミリアリアさん……!」

 

 彼女の身体をドクターと二人で支えた。そうしなければ、彼女の身体は床に転がってしまいそうだった。

 

「ミリアリアさん、あのコは確かに“似ている”けど……」

 

 が、逆にこちらの心は落ち着いた。

 ミリアリアが、あまりに似すぎる少女を見て混乱しているのだとわかったからだ。

 

「でも、カガリさんが言ったでしょう? 全然違う人だって。そうでなければアスラン君は……」

「違うんです……!」

 

 思いのほか整然と並べられた言葉を、ミリアリアは切り捨てた。

 

「だって……! だって、言ったんです……!」

 

 もう一度、ドクターと顔を見合わせた。

 彼も不可解な表情を隠さない。

 

「一瞬だけ目を覚まして……、私を見て、言ったんです……!」

 

 だが、次のミリアリアの悲鳴のような叫びに二人とも凍り付いた。

 

 

「『久しぶり、ミリ』って!!」

 

 

 言われた彼女じゃなくてもわかる。

 それがどれほど不自然で不可解なことか。

 

「き、聞き間違いじゃ……」

 

 それに怖れをいだいたかのように、ドクターが言った。

 

「だって! おかしいでしょう? ザフトの……、ザフトのコが私の顔や名前を知ってるはずないし……、『ミリ』だなんて……! そんな……」

 

 ミリアリアは激しく揺れる心を吐き出した。

 

 

「そんなっ、ナナみたいな呼び方……!!」

 

 

 彼女が嘘をついているとは思わない。聞き間違いの可能性は否めない。願望が妄想となった可能性も……。

 が、ミリアリアの心は弱くないことを、マリューは知っている。

 大きな悲しみを乗り越えて、恐怖に打ち勝って、勇気をもって、信念を貫いて……、あの戦争を戦い抜いたのだ。意図せず巻き込まれたにもかかわらず、彼女は最後まで戦った。

 マリュー自身も、若い彼女の強さに支えられたのだ。

 彼女のさっぱりとした性格も相性が良かった。

 だから……。

 

「ミリアリアさん……それは……」

 

 「何かの間違いでしょう?」はもちろん、「本当なの?」とすら聞き返せなかった。

 

「お願いです、先生……!」

 

 ミリアリアは歯を食いしばりながら決意した。

 

「あのコの……、DNAを、ナナのデータと照合してください……!!」

 

 それは恐ろしく勇気のいる決意だった。

 

「ミリアリア……」

 

 ドクターも気圧されている。

 

「お願いします、艦長!」

 

 マリューも即答ができなかった。

 もしミリアリアの言う通りなら……、それが頭をよぎるのだ。

 きっと、喜びとともに怒りが湧くのがわかっている。祝福と憎悪が同じ勢いで押し寄せることがわかっている。

 それに……、アスランとカガリのことを思うと、簡単に決心がつかなかった。

 彼らが受ける衝撃を、自分は理解できる自信がある……。

 

「あれは……、あのコは……!」

 

 とうとう、ミリアリアは嗚咽を漏らした。

 彼女にもわかっているのだ。

 真実を突き止めた先に何が待っているのか。

 ミリアリアの体験が何かの“偶然”で片付くのなら、彼女も自分も、再び絶望に堕ちるだろう。

 もうナナはいないのだと、同じ絶望を二度味わうことになる。

 そしてもしミリアリアの言う通りなら……、近しいものたちは喜びと同時に怒りを感じ、心が割れんばかりに痛むだろう。

 そして世界が混乱し……、予測のつかない事態になることも。

 彼女は全部わかっているのだ。

 わかったうえで、迷い、決心し、ここへ来た……。

 

「あのコ……、『ミリ』って……、私を……!」

「ミリアリアさん……!」

 

 彼女の背をさすった。

 その動きに合わせ、己の心を静める。

 簡単なことではなかったが、ムウの件でもう十分に混乱していたので、最低限の平常心はすぐに取り戻せた。

 

「わかりました、DNA検査をしてもらいましょう」

「艦長……!」

 

 まだ決心のつかないドクターが泣きそうな顔をした。

 彼もまた、ナナを深く慕っていた人間である。

 

「先生、こうなった以上、私たちは真実を突き留めなければ……」

 

 敢えて、曖昧な言い方をした。

 検査をすれば真実がわかる。

 結果がどちらに転んでも、誰もが正常な精神を失うことになるだろう。

 が、検査をしなくてもミリアリアの動揺は収まらない。

 聞いてしまった自分たちも、ずっと頭の片隅にある可能性を感じながら過ごさなければならないのだ。

 どちらに転んでも……。

 

「お願い……します……!」

 

 ミリアリアはそう懇願しつつも、声にはかすかに迷いを含んでいた。

 決心したとはいえ、彼女も割り切れたわけではないのだ。迷いも怖れもある。

 

「先生……」

 

 ドクター・シュルスも、迷い、怖れと戦っていた。

 

「検査をしましょう……」

 

 そして自分も。

 誰もが目を背けたいのだ……。

 

「わ、わかりました……」

 

 三人の間に漂う空気に、それを感じたのだろう。

 ドクターは乾いた声で同意した。

 

「すぐに検査を……!」

 

 そして、俊敏な動きで立ち去った。

 

「うっ……」

 

 自分が進めてしまった駒……、それをまるで後悔するかのように、ミリアリアは顔を覆った。

 

「ミリアリアさん、大丈夫よ……」

 

 戦友とも呼べる彼女を抱きしめた。

 大丈夫……。“先輩”として対処法は考えておくから……。

 口に出さない代わりに、彼女を強く、抱きしめた。

 

 



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不誠実な思いやり

 

 はたしてどちらの結果が良かったのか……。

 何度己に問いかけても、マリューは答えを出せなかった。

 もちろん、ナナに会いたい……。

 それは一点の曇りもない想いである。それはきっぱりと言い切れるのだ。

 だが。

 もし“そうだった場合”に付きまとう感情を、自分は知ってしまっている……。

 手が届くところにあるものを、掴めないもどかしさ。呼びかけても、振り向いてもらえない虚しさ。風を斬るような虚無感。希望を失いそうな閉塞感。

 そして……。

 やはりアスランのことを思うと胸が潰れる思いだった。

 本当に『セア』が『ナナ』なら……、側にいたであろう彼はその時間を何と思うのだろう。

 そして、これからは……。

 

 

 

 宣告は翌日だった。

 それを、士官室でミリアリアと待っていた。

 入って来たドクター・シュルスの顔つきで、答えを確信した。

 

「セアという少女と……、ナナ様のフィジカルデータが、一致しました……」

 

 彼は奥歯を震わしながらそう言った。

 やはり……、喜びと悲しみと憤りが同じ分だけ産まれて、胸の中で激しく暴れた。

 

「そんなっ……!」

 

 ミリアリアも同じようだった。

 どうしていいかわからないといった顔で、首を左右に何度も振った。

 

「じゃあ、あのコは……、ナナなんですね?!」

 

 彼女はうわずった声で聞き返し、

 

「あ……、あのコは……、あの方はナナ様だ……」

 

 答えたドクターは泣き出した。

 彼も……、喜びと戸惑いで混乱している。

 

「ナナが……、生きてた……」

 

 ミリアリアは真実をつぶやき、

 

「でも……、なんでっ……!」

 

 三人の心を喜びで満たせない訳を叫んだ。

 

「なんで、なんでザフトに!? なんで『セア』って名前……! 姿もっ……!」

 

 堰を切ったように溢れる疑問で、彼女は呼吸を乱した。

 

「落ち着いて、ミリアリアさん……!」

 

 そう声をかけた自分が、思いのほか落ち着いていると気がついた。

 

「だって……! ナナが……、ナナが……!」

 

 ミリアリアの戸惑いの中に、怒りが生まれていた。

 ナナを“失った”悲しみが、ナナを“奪われた”怒りへと変わっているのだ。

 

「ミリアリアさん……」

 

 それを分析できるほど、自分は冷静だと感じた。

 

「それで、先生……」

 

 混乱の中に身を置く二人を置き去りにするように、マリューは問いかけた。

 あまり知りたくはないが、絶対に知っておかねばならぬことだ。

 

「どうしてナナは記憶を……? 事故の後遺症でしょうか……」

「そ、それは……」

 

 問いかけておいて、答えを待つ気は無かった。

 ドクターが言いよどむ時点で答えは出ている。

 

「連合のエクステンデットと同じく……、『記憶の上書き』をされた可能性もあるということですよね……?」

 

 この部屋に神妙な面持ちのドクターが入って来た瞬間から、わかっている。

 

「ムウと同じように……」

「えっ?!」

 

 ミリアリアが空気を切り裂くような声を上げた。

 

「き、記憶の上書きって……、どういうことですか?!」

 

 マリューは彼女に説明した。

 “可能性”の話だから、より冷静でいられた。

 

「そんなっ……、な、なんで……、なんのために……!」

 

 二人のうちどちらのためか……、あるいは二人とものためか、ミリアリアは憤った。

 

「“なんのため”……かはわからないけれど、単に記憶を喪失しているのではなく、別の記憶を持っている以上、誰かが意図的にそうしたと考えるのが自然でしょうね」

 

 自分の声が、他人事のように聞こえていた。

 二人は否定も肯定もしなかった。二人もムウとすでに再会していて、理解してしまう部分があるのだ。

 

「でも……!」

 

 そこに抵抗するかのように、ミリアリアは言った。

 

「か、髪の色が違う……! 眼の色も違うってカガリさんが言ってたし……。そんなことまでして、ナナをどうしようとしたっていうの……?!」

 

 ドクターがそれに答えた。

 

「そ、それが……、検査の結果、身体の特定の部位を細胞レベルで変えるという“操作”をされておりました……」

 

 ひどく不快な言葉で。

 

「細胞レベル?!」

「そ、操作って……」

 

 これにはマリューも聞き返さざるをえなかった。

 

「“彼女”は11錠の薬を持っていました。それをラボで分析したところ……、頭髪や眼球の細胞に作用するような特殊な成分が入っており……」

「そ、それって……」

「え、ええ……。コーディネーターを誕生させる技術の応用かと……」

 

 言葉が喉につかえた。

 もっと詳しく聞かねばならぬと思う一方、それが出てこない。

 ドクターも、それ以上話そうとはしなかった。

 ナナが生きていた……。ナナが戻って来た……。

 その喜びが、すでに他の感情に押し流されそうだった。

 

「“何でこんなことに”……なんて……」

 

 大げさにため息をついだ。

 感情を吐き出しきれればよかったが、そうはできなかった。

 だから、少しの強がりでしゃべる……。

 

「今、考えても仕方がないわね……」

 

 二人の目が、マリューを向く。

 どちらの視線も哀れなほどに揺れている。

 

「それで、“あのコ”の容体はどうなんですか?」

 

 “あのコ”と呼んだのは、やはり強がりにも限界があるからだ。

 

「意識が戻ったら……?」

 

 最後まで言いきれないのも情けない。

 ドクターは首を振りながら答えた。

 

「わ、わかりません……」

 

 それだけ。

 だから、ミリアリアが上ずった声で問いを重ねる。

 

「意識が戻ったら……、ナナの記憶を取り戻してるって可能性はあるんですか?!」

 

 マリューの中にも期待はあった。

 様々な感情を差し置いて、ナナと“再会”できることを期待している。

 だが、今さらそんなに都合の良いことも起こらないだろうとも思っている。

 

「わ、わかりません……」

 

 ドクターも同じ動作を繰り返した。

 

「これから……、記憶を取り戻す可能性は?!」

「それも、なんとも……」

 

 二人のやり取りは続いた。

 

「意識は戻るんですよね? 怪我は大したことないっておっしゃってましたよね?」

「あ、ああ、軽傷ではある……。だが、あのくらいの傷であれば、もう意識が戻っても良いのだが……」

 

 二人とも、必死で言葉を吐き出しているのがわかる。

 

「じゃ、じゃあ……、やっぱり“いろいろされた”から……!?」

「そ、それは……、あの薬の分析をもう少し進めてみないと、はっきりしたことはわからない……」

「そもそもその薬って、投薬し続けて大丈夫なんですか?! その薬が……、その薬のせいで……」

 

 酸素が切れたかのように、ミリアリアは言葉を詰まらせた。

 マリューは小さく息をついて、後を継いだ。

 

「その薬が本来の細胞を何らかの作用で変化させるか、副作用がみとめられるものなら……、投薬しないほうが良い可能性もあるということですよね?」

 

 ドクターは目を伏せた。

 医学や薬学のことはわからないのだから、彼の判断に任せるしかないのだ。

 

「もう少し……あの薬の分析を進めてから、投薬の是非を決定すべきかと……」

 

 彼はそう答えた。

 

「わかりました」

 

 マリューは言った。できるだけきっぱりと。

 

「“彼女”の容態については、ドクターにお任せします」

 

 二人は彷徨う視線をこちらに向けた。

 それを受け止め、マリューは決意を口にした。

 

「“彼女”がナナだという真実は、しばらく伏せておきましょう」

 

 二人とも、驚きと納得が同時に押し寄せたような顔をした。

 

「もちろん、この艦のクルーだけでも知らせた方が良いことはわかっています」

 

 だが、マリューの想いはブレなかった。

 

「でも、この件は残念ながら世界の情勢に大きく関わる重要なことであり、ただ一個人のことではないのよ……」

 

 「残念ながら」という言葉は、本心だった。

 “ナナ”は公人だった。

 それだけではない。死してもずっと、平和の象徴的存在だった。世界は彼女に影響を受け続けていた。

 だから……。

 

「この真実が公になることで、オーブは完全にプラントと対立することになるかもしれない。いくら国の理念を掲げていても、オーブ国民にとって“ナナ”という存在は未だ絶大な影響力を持っているわ。皆の心の支えだった彼女が、実はプラントに“奪われ、利用されていた”のだと知れば、国民が蜂起することになる可能性も大いにあるでしょう。そして、連合はそれを期に勢力を増すことになる。プラントは総力で対抗するでしょうし、プラント内も分裂するかもしれない」

 

 この歪み続ける世界は、さらに形を変えるだろう。ナナの存在によって、世界はナナが望まなかった景色と化すことになる。

 何より、オーブがバラバラになってしまうことに心を痛めるだろう。

 しかし……。

 

「それに……、それにね。本当に辛いのよ……」

 

 一番に思うのは、そんなたいそうな決意や想いではない。

 ただただ、今の心にくっきりとついている新しい傷が怖いのだ。

 

「目の前に本人がいるのに、()()()()()という状況は……」

 

 どちらからも、異は唱えられなかった。

 

「“彼女”が目を覚ました時、ナナじゃなかったら……」

 

 ミリアリアは思い切り頭を垂れた。ドクターも額の皺をいっそう濃くする。

 

()()()()を、みんながすることになる」

 

 今、二人が感じている痛み。

 それを、アスランやカガリが抱えるのは酷でしかなかった。

 

「身内に伝えないのは不誠実だと思うけど……、でも、もう少し……。この件は、私に預からせてくれないかしら」

 

 不誠実……。

 口にして、その重みを全身に感じる。

 

「もし、目覚めたのが“ナナ”だったら……?」

 

 ミリアリアが希望なのか怖れなのかわからないような声で問う。

 

「その時は、真実をみんなで共有しましょう」

 

 むしろそれが一番良い未来だった。

 そう……、ナナに()()()()ことができるからだ。

 自分の身に起きたこと、されたこと、現実……それを知ってナナ本人がどうするか。

 示されるであろうナナの意志。

 それについて行けばよいのだから、自分たちが悩むことはない。

 なんて卑怯な希望だろう。

 だが、今はそれにすがるしかなかった。

 

「じゃあ、もしナナじゃなかったら……」

「その時は、“セア”として接しましょう」

 

 覚えたての名を口にするのは覚悟の証だ。

 後者の確率が高ければ高いほど、その覚悟を強固なものにしておかなければならないのだ。

 

「私が責任を取ります」

 

 二人が不安や迷いを口にする前に言った。

 

「この艦でのことは私に責任がありますから」

 

 それと、罪悪感を持つ前に。

 

「でも……」

「大丈夫、ラクスさんにはちゃんと話して……相談しておくわ」

「ラクスに……?」

 

 最も信頼のおける名前を強く押し出してでも……。

 とにかく今は、前を向いていなければならない。世界が再び引き裂かれようとしているのだから。

 

「お願いします……!」

 

 二人に向かって頭を下げた。

 自分のためじゃない。世界のためじゃない。ナナのためでもない。

 カガリやアスラン……自分たち、ナナと親しかった者のために。

 

「わ、わかりました……!」

 

 二人はほぼ同時に言った。

 

「艦長、わかりましたから……!」

 

 二人の目に、慈悲の色が浮かんでいた。

 情けなくうろたえる自分の心を、きっとわかってくれているのだ。

 

「ありがとう……」

 

 その心に、礼を言った。

 それがなければ、ただのエゴで不誠実な礼だった。

 

 



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情報

 

 それから数日が経った。

 意識を取り戻したのは、アスランが先だった。

 彼は、一緒にいた少女の名を『セア』と言った。ザフトのMSのパイロットで、同じくデュランダル議長の言葉に疑問を持ったから一緒に来たのだと。

 アスランは彼女に「助けられた」とも言っていた。

 そして、彼女は“ナナ”に憧れ、“ナナ”の言葉を信じている……と。このアークエンジェルを“ナナの翼”と言い、この艦でならナナの目指したものが見られるのでは……と、そう言ったらしい。

 アスランの話は直接ではなくキラとカガリから聞いた。

 二人も“真実”を知らない。

 カガリはすでに“セア”に会っているから、動揺はない。

 キラも……、初めはかすかにうろたえていたが、すでに“別人”と割り切っているようだ。

 

 が、ミリアリアの心は震えた。

 “ナナ”である少女が己の言葉と存在価値を忘れ、新たに“ナナ”に憧れる……。“ナナ”の遺志を受け継ごうとしている……。

 それを、二人のようにただ好意的にとらえることなどできなかった。

 そして、カガリは彼女の身の上も話した。

 “あの事故”に巻き込まれ、生き残ったひとりだという。

 目の前が真っ暗になった。

 間違いない……。

 ドクター・シュルスが明かした真実に、間違いはないのだ。

 それだけじゃない。

 “あの事故”を機に“セア”はつくられた。

 利用したのか、たまたまそうなったのか、あるいは最初から仕組まれていたのか……。

 それを考えると、胸に抱える秘密の重さに耐えられなかった。

 が、真実を口にするのも怖かった。

 もしこのまま“ナナ”が目覚めなかったら……。

 そうやって“セア”を語るアスランは……、カガリは……。

 マリューの苦悩を目の当たりにしているからだけじゃない。自身も彼らのように辛いのだ。

 幸い、キラはこちらの様子がおかしいのを『ナナに似た少女に会って動揺している』ととらえてくれていた。

 あながち嘘ではないから、否定することもなかった。

 

 

 ミリアリアは“彼女”の病室をよく訪れていた。

 少しの期待と、怖れと、罪悪感を抱えて、少女の顔を眺めていた。

 少女は目覚めなかった。

 まるで、こちらの覚悟が足りないのを知っているかのように。

 ドクターは寝る間も惜しんであの薬の研究に没頭している。

 ラボに協力を依頼したくても、真実を明かせない以上、ひとりで進めるしかないようだった。

 ミリアリアもひとりで進めたことがある。

 もちろん艦長の許可はとった。リスクを伴うからである。

 そうまでしてやったことは、ジャーナリスト仲間に連絡をとることだった。

 ジャーナリストの卵になったとき、仲間はたくさんできた。

 駆け出しの若者からベテランまで、戦後で情勢が混乱していたから、盛んに互いの情報を交換し合った。

 もちろん、他者に探らせないネタはある。

 が、それよりも情報によって世界を鎮めたいと願うジャーナリストはたくさんいたのである。

 彼……シーカーもその一人だった。

 30そこそこの男で、ジャーナリズムの世界ではまだまだ駆け出しといったところだ。

 プラント出身でコーディネーターだったが、ジャーナリストらしく物事を客観的にとらえる男で、ナチュラルとの間に壁を作らないタイプだった。

 そんな彼が追っていたのは、世界連合特別平和大使……ナナだった。

 彼はもともとゴシップ担当だったようだが、あの戦争で価値観が変わったと言っていた。

 大切なのは世界で起きていることを人々が正しく知ること。そのためには正しい情報が必要だということ。

 それを学んだという。

 だから情報で世界を変えられるかもしれない……と、社会派に転身した。

 そして、平和への願いを実直に世界に発信し続ける少女、ナナに強く感銘を受けたという。

 だから、戦後はずっとナナの取材を続けていた。

 もちろん、あの視察にも同行していたのだ。

 もっとも、マスコミが軍施設の敷地内に入ることは許されなかったから、あの事故のときは現場から離れたところにいて助かった。

 事故直後、プラント側から報道規制が敷かれ、彼は誰とも連絡をとることができなかった。

 彼が個人的にミリアリアに連絡をくれたのは、事故から3日後のことだ。

 その時、彼は言ったのだ。

 事故の真相を突き止める……と。

 ミリアリアは彼に、自分が先の戦争で「アークエンジェルのCICだった」とは明かしていない。

 が、彼から情報を得るために「ナナとは個人的な知り合いだった」と言った。

 つまりは、こちらからナナのプライベートな情報を渡す代わりに、調査の結果を教えて欲しいと……。

 以来、彼とは時々連絡を取り合っていた。

 もちろん、プラントのガードは固く、彼はなかなか成果を得られなかった。

 が、彼は初めから疑っていた。

 あの事故は、ただの不幸な事故ではないのでは……と。

 いわゆる「世界連合特別平和大使暗殺説」というものだ。

 正直、聞きたくはなかったが、ジャーナリストとして彼の説も客観的に聞き入れる使命感もあった。

 それも、ジャーナリストの職に就くことを、ナナが後押ししてくれたからだ……。

 

 

 そのシーカーに、しばらくぶりに暗号通話で連絡をとって、調査の進捗を聞いた。

 当然、こちらも身を斬る覚悟で……だ。

 情報は喉から手が出るほど欲しかった。

 彼はまず、アークエンジェル発進以来、こちらと連絡がつかない状況だったことに憤慨した。

 言い換えれば、話したい情報があったのだ……。

 その情報を得るため、ミリアリアは大枚をはたいた。

 無論、金ではない。ある情報を売ったのだ。

 それは、『自分がアークエンジェルのCICである』ということ……。

 この戦争が終わったらいくらでもインタビューを受けると約束した。

 ナナのため。自分たちのため。そのくらいの犠牲はいとわなかった。

 彼はしばし絶句した。

 値踏みしていたのではない。こちらの予想外の正体に驚いていたようだった。

 アークエンジェルの現状を聞かれたが、それには答えなかった。今後の動きについても、いっさい話さなかった。

 が、彼は情報をくれた。

 それほどに、アークエンジェルの内情には興味があったし、そもそも自身の手持ちの情報を言いたかったように思う。

 彼は言った。

 

 

『あれはただの事故だった』

 

 

 と。

 ミリアリアは落胆した。

 一歩も前進できなかったのだ。

 が、彼はこう続けた。

 

『その後のプラントが立てた「プロジェクト・バハローク」には、公表されていない極秘のプロジェクトがあったらしい』

 

 ミリアリアの方は合点がいった。

 それこそがきっと証拠になる……。

 

『その極秘プロジェクトに携わっていたであろう元研究員と接触ができそうだ。彼は議会や軍の待遇に不満があるから、もしかしたら買収できるかもしれない。自分の全財産をつぎ込むつもりだ』

 

 彼はそうも言った。

 大きな手掛かりだ。胸が痛みながらも逸った。

 通信は予め設定されていた5分で切れた。

 おかげでこちらのことは探られなかったが、向こうの動きも聞き足りなかった。もっとプラントの様子なども聞いておけばよかった。

 が、ナナのことで頭がいっぱいで、情勢に関しては二の次だった。

 とにかく、事実が欲しかった。ナナが目覚めた時、ちゃんと話せる事実を……。

 今それに一番近いのは自分だという自覚がある。

 この時のためにジャーナリストを目指したのかもしれないとさえ思う。

 きっと事実がどうであれ、ナナは受け入れるだろう。

 どんなに過酷なものでも、ナナは……。

 

「ナナ……」

 

 思わずつぶやいた。

 少女はピクリとも動かなかった。

 

 

 その日、ドクターは彼女にある薬を投与した。

 彼女が持っていた薬だ。彼女を彼女じゃなくする劇薬だ。

 ずいぶんとためらっていた。

 ミリアリアも抵抗があった。

 が、それでも投与を決めたのは、成分の分析を終えて完ぺきに同じものを精製できるようになったことと、彼女が身体的ダメージは軽微なのにも関わらず、いっこうに意識が戻らなかったからであった。

 艦長とドクターが熟慮の末に下したこの決断は、良くも悪くも前進であった。

 

 

 投薬の二日後……、少女はついに目を覚ました。

 祈るような気持ちで、だが逃げたくもあって……、そんな情けない状態で()()した。

 彼女が自分に向ける目は、知らない人を見る目だった。

 

 

 



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泣いていた

 

「アスラン……」

 

 気づけば、部屋の照明は少しだけ落とされて、ラクス以外誰もいなくなっていた。

 

「アスラン、話してください」

 

 彼女は言った。

 

「今、あなたが何を想うのか……。抱えているものを言葉にして、吐き出してください」

 

 隣に腰かけ、肩に手を置き、優しく言った。

 

「そうでなければ、“希望”が曇ってしまいます」

 

 独特の言い回しは何を意味するのか理解できなかった。

 が、そのせいか、視線は自然と彼女を向いた。

 

「アスラン、今、何を考えているのですか?」

 

 話したくなどなかった。できればひとりにしておいてほしい。

 その訳は、何も整理がつかないからだ。頭も、心も。

 なんだかよくわからない感情が、胸に渦巻いている。脳には、あぶくのように何かが浮かんでは消えている。

 

「ひとつずつで良いのですよ」

 

 そう……。ラクスは知っているのだ。この状況を。体内の、とんでもない環境を。

 それを知って、吐き出せと言っている。

 自分で整理をしなくても良いのだろうか……。

 

「オレは……」

 

 すがるような気になったとたん、声が漏れ出た。

 

「喜んで……いいのか……? わからないんだ……。嬉しいはずなのに……何かが……邪魔をして……」

 

 彼女は、ひとつひとつに答える気はないようだった。

 

「もう一度会いたいと……、何度も、何度も……願っていたはずなのに……」

 

 かすかに笑みをたたえたまま、じっと聞いている。

 

「何かが、邪魔をして……」

 

 頭を抱えた。

 邪魔をするのは何なのか、わからない。

 

「もし、次に目覚めたのが“ナナ”じゃなく、“セア”だったら……」

 

 頭が痛い。

 

「……“セア”じゃなく、“ナナ”だったら……」

 

 胸が苦しい。

 

「オレは……、何て言えばいいんだ……!?」

 

 “二人とも”にかける言葉が見つからないことに気づいたとき、何かが小さく弾けた気がした。

 

「アスラン」

 

 それが見えていたかのように、ラクスの手が肩を撫ぜた。

 

「もし目覚めた時“セア”だったら……、なんと声をかけますか?」

 

 そして、問いを放り返した。

 こちらが答えを求めているのに、それを言わせようとするなんてずるい……。

 そう思った。

 が、不思議と、誘われるように言葉を発してしまう。

 

「わからない……、オレは……。オレは……、『君は、本当はナナだ』なんて……、『思い出してくれ』なんて……、彼女には言えない……!」

 

 答えなのか何なのか、良くわからないものだ。

 

「そうですわね」

 

 ラクスはそれを、綺麗に包んでくれた。

 

「あの方はとても純粋な方ですから、それを伝えれば望まぬ何かに染まってしまうかもしれませんね」

 

 肯定されたのだろうか。

 わからなかった。

 

「待てば……いいのか? ナナだと知っていて……、セアがナナに戻るまで、ずっと……、知らないふりをして待ち続ければいいのか……?」

 

 もどかしさに、何かを掻きむしりたかった。

 だが、そんな気力もなかった。

 

「それは辛いことですわね……」

 

 ラクスもため息をついた。

 そして。

 

「でも、わたくしは“セアも”大好きです。ですからわたくしは、セアともっと仲良くなりたいと思っています」

「それは……!」

「それでも、いつかきっと……、ナナが戻って来ると信じています」

「それは、どういうことだ……、ラクス……。セアの中にナナを探し続けろってことか……?」

「ええ」

「それではセアが……!」

 

 ナナを求めるということはセアを否定することだ。

 そのくらい、今のアタマでもわかっている。

 そしてセアを失う悲しみも……。

 

「わかっています、アスラン。私はセアも大好きなのです」

 

 ラクスの瞳が、初めてかすかに震えた。

 

「けれど……、セアはナナです。ナナなのです……!」

「ラクス……」

「そして、私たちが求めるのもナナなのです……!」

 

 確かに、彼女の中に苦悩を見た。

 そうだ……。

 彼女はとっくに真実を知っていた。

 それでも、彼女は“セア”と友達になった。以前からの友のように親しげではあったが、ナナに接するようではなかった。

 

「君は……、もうずいぶん前から、決めていたのか……?」

 

 情けなく、声が掠れた。

 

「はい」

 

 ラクスの声音のほうがよっぽど強かった。

 

「わたくしも、マリューさんからお聞きした時からしばらくの間考えました。今のあなたと同じです、アスラン。過剰にナナを……、セアの中のナナを求めてしまわないかと……。そして、セアを傷つけてしまわないかと……」

 

 だが、彼女も悩んだのだという。

 その末に見つけた答えを今、示してくれているのだ。

 

「けれど……」

 

 彼女はもったいぶらずに教えてくれた。

 

「わたくしは、セアを“もうひとりのナナ”として接することにしながら、セアの中に眠るナナを探しました。そして、ナナが戻って来てくださることを願っていました」

「セアの中に……眠る、ナナ……」

「はい」

「戻って来ることを……、願って……?」

「はい」

 

 セアの中にナナを見ていたと、探していたと、ラクスは言う。

 それでも良いのだろうか……。

 まだ結論が出ずにいると、ラクスは続けた。

 

「あなたからセアの話を聞いて、そして実際にセアにお会いして……、それはずいぶんとナナとは違いましたけれど、でもあの方の芯の部分はナナであると、私は確信したのです」

 

 ブリッジで震えながらもしっかりと己の意志を吐き出したセアと、それを強く抱きしめるラクスと思い出した。

 あの時のラクスの涙は歓喜だった。

 それは、ナナが撒いた種を咲かす少女に会えた喜びだと思っていた。

 が、違ったのだ。

 はっきりと“ナナ”を見たからこその感涙だったのだ。

 

「ですからやはり……、わたくしたちにはナナが必要だと、改めて感じました」

 

 ナナの言葉を継いだ少女でなく、ナナ本人を……ラクスは求めた。

 

「じゃあ……、目覚めて欲しいのは……」

 

 臆病な問いをつぶやいた。

 ラクスは迷わず答えた。

 

 

「ナナですわ」

 

 

 胸が萎むような感じがして、思わずうつむいた。

 

「アスランは、違うのですか?」

 

 彼女はその部分を突くように、急に意地悪く言った。

 

「オレは……」

 

 何故、答えられないのだろう。何が“邪魔”をしているのだろう……。

 

「『セアであってほしい』という想いもあるから、お答えになれないのですか?」

 

 なんて残酷なんだ……。

 ラクスは優しい声で、鋭い刃を突き刺して来た。

 

「…………」

 

 答えようもなかった。答えたくもなかった。

 ナナとの再会を……、願いを、希望を邪魔するものはそんなものではない。

 それを噛みしめる。

 セアを失うのは悲しい。たしかにそうだ。心の底から彼女を護りたいと思った。彼女と出逢えて嬉しいと思った。

 が、ラクスの言う通りだ。

 

 求めているのは……ナナなのだ。

 

「アスラン」

 

 それを言葉にすることを促すように、ラクスが呼んだ。

 

「オレは……」

 

 “彼女”の横顔を見た。

 今は静かに眠っている。

 もう一度会いたい、話したい、触れたい……。

 そう願い続けてきたのに、彼女が目を覚ますのを“恐れている”のか……。

 いや、怖れなのか躊躇いなのか、よくわからない。

 そんなものだったのだろうか。何だったのか、ナナへの想いは……。

 

「オレにとって……」

 

 なんだか情けなくなった。

 

「ナナは……、ナナは、かけがえのない存在だった……」

 

 だから、こんな気恥ずかしい台詞も素直に呟けた。

 

「本当に大切で……、自分の命なんかよりも……」

 

 そう……、大切だったのに……。

 

「それなのに……、オレは、この手でナナを護れなかった……!」

 

 情けなさに怒りが一粒加わった。

 

「ずっと側にいると約束したのに……、オレは……!」

 

 ずっと蓋をして来た感情が溢れ返った。

 

「オレはきっと……!」

 

 『カガリを護る』というナナへの約束が、蓋を抑える重石になっていたのに、それはもう、無い。

 

 

 

「ナナには必要とされていなかった……!」

 

 

 

 吐き出した瞬間、自分の中の芯が消えるのを感じた。

 何も無い。

 そう……、ナナに必要とされなかった事実は、自分の存在自体を消し去るものなのだ。

 だから、それを考えないようにしていた。

 ナナの人生の中に置いて、最も重要な瞬間に側にいられなかった。

 少し前から遠ざけられていた。

 ただ『カガリを護って欲しい』という願いにすがっていた。

 その願いを受け入れることで存在意義を感じていた。ナナに望まれているのだと思うことにしていた。

 そんな状態の自分を置いて、ナナは逝ってしまった。

 ナナにとっての自分の存在の意味を問いただす機会は、永遠に失われた。

 だから、生きるためには約束を守り続けるしかなかった。ナナの願いを叶えることでしか、存在できなかった。

 そんな自分を、考えないようにしていた……。『カガリを護る』という願いで蓋をして……。

 

「アスラン……」

 

 気づけば目の前は真っ暗だ。

 哀れにも、反射的にうずくまっているのだ。そう、自分が哀れだ。

 

「そのお気持ちをずっと……、抱えてこられたのですね……」

 

 ラクスは優しかった。

 こんな自分にはそんな価値などないのに、優しくささやいてくれた。

 それから、自分とキラがちゃんとそういう話を聞かなかったことを、すまないだとか、心配だったとか、話してくれた。

 よく聞こえなかった。自分の中の叫びだけで、他になにも聞こえなかった。

 

「だから、オレは……!」

 

 永遠に付きまとうはずだった呪いを振り払うように……。いや、振り払えないとわかりつつ、叫んだ。

 

「ナナが目覚めても……、何を言っていいのかわからないんだ……!」

 

 どんどん、自身を哀れの淵に落として行くのがわかる。

 

「今ここにいるべきなのはオレじゃない……! カガリか君か……、キラなんじゃないかと……!」

 

 そうするほうが楽だった。そうすることでしか息が吸えなかった。

 

「オレはただ、ナナに願いを託された人間のフリをして……、そういう皮を被って、ナナが居ない世界で息をしていただけなんだ……!」

 

 こんな台詞ならいくらでも流れでる。

 ずっと蓋をして仕舞っていただけで、ずっと増え続けて来たものだから。

 

「その願いですら、オレは叶えることができなかった……! カガリを傷つけて……!オレは……!」

 

 支えとなっていたナナの笑みは、幻想でしかなかった。

 

「わかっている……! オレは、ナナに会う資格なんてないんだ……!」

 

 『ごめん、アスラン』

 

 最後の夜、唐突に突き返されたナナの言葉。

 戻ったら二人で話そうと言っただけなのに、返って来たのはそんな言葉だった。

 あれこそが全てだった。

忘れたフリをしていた。忘れたかった瞬間だ。

 

「オレは……!」

 

 あの時、遠ざかるナナをただ見送るしかなかった。

 暗闇に溶ける背中を思い出す。

 瞬間、言葉が詰まった。

 

「アスラン……!」

 

 出て行こう……。そう思った。

 自分で言った通り、ここにいるべきなのは自分じゃない。親友だったラクスだ。

 目覚めるのがセアだったとしても……、彼女なら安心だろう。

 が、身体に力が入らなかった。

 深すぎる後悔のせいで、脳からの命令が伝わらないのだろうか。

 

「アスラン!」

 

 ラクスは強く肩を掴んだ。

 だが、もう十分だと思った。

 話を聞いてくれた。偽りの自分をさらけ出させてくれた。今まで抱えてきた黒い感情を、吐き出させてくれた。

 もう十分だった。

 だが……。

 

「ナナの想いを、そんなに軽いものだと考えないでください……!」

 

 ラクスはまるで叱責するように言った。

 「君に何がわかる?」……そんな言葉が反射的に出かかったのに、首が締まったようでやはり言葉は出なかった。

 だからラクスは続けた。

 

「ナナはあなたを大切にしていました! とても、とても必要としていました!」

 

 だからそれはもう十分なのだ……。

 懸命に力を入れ、立ち上がろうと試みた。

 

「けれど、ナナはカガリさんのことも大切に想っていました……! ですから、深く悩んだのですわ……!」

 

 「君に何がわかる?」と、言わないでいて正解だった。

 ラクスは知っているのだ……。

 

「聞いていたのか……、君も……」

 

 床を這いずるような声が出た。

 

「はい」

 

 ラクスはきっぱりと言う。

 その続きを言う前に、アスランもきっぱりと言った。

 

「だからオレは、“そういう存在”だったってことだ」

 

 カガリに話を聞いたとき、「わからないことがわかった」なんて、愚かな結論を出した。

 ナナの想いなどもう……永遠にわからないと。

 だが、本当はちゃんと結論が出ていたのだ。

 自分は“そういう存在”……、その程度の存在でしかなかったという結論だ。

 ナナのためにカガリを護る存在。

 今の自分は、それを叶えられなかった。

 

 ほら、答えが出た……。

 

 妙にすっきりした瞬間、立ち上がることができた。

 床を踏みしめている感覚はない。が、立っている。

 視界に“彼女”をとらえないよう、扉を向いた。

 頭がクラクラする。

 きっと“彼女”がセアだったとしても……、もうまっすぐ目を見られないだろう……。

 ここから立ち去ろう。

 そう思って、足を動かした。

 その時。

 

 

「ナナは泣いていました……!」

 

 

 ラクスが言った。

 

「混乱して、戸惑って、苦しんでいました……!」

 

 ナナが、泣いていた……?

 ナナと涙は不釣り合いだった。

 いや、その涙を何度か受け止めたことがある。

 その奇跡のような瞬間を、ラクスも知っているのだろうか。

 

「アスラン」

 

 思わず振り返ると、ラクスは悲しげな目をして言った。

 

 

「それは、ナナがあなたを愛していたからですわ」

 

 

 



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水平線

 

 その日、珍しくナナが一人で浜辺の家を訪れた。

 「アスランは?」と聞くと、わかりやすく思い切り目を逸らし、口ごもった。

 

「ちょっと……、ラクスと話したいことがあって……」

 

 ナナらしくなく、歯切れが悪い。

 スピーチの内容やオーブの理念について、考えがまとまらないときに相談されることはよくあった。

 が、今回はどうやら違うようだ。

 ラクスには当てがあった。

 

 

 ラクスはナナをテラスへ誘った。

 キラは気を効かせて子供たちと部屋に行った。

 

「どうぞ」

 

 ハーブティーを勧めると、ナナはひと口飲んでため息をついた。

 が、何も言わない。

 今回は相当まいっているようだ。

 無理もない……、そう思い、ラクスが先に口を開いた。

 

「アスランのことですか?」

 

 ナナは驚いた顔をしたが、すぐにばつが悪そうにうつむいた。

 

「やっぱ、ラクスはお見通しなの?」

「先日、アスランも同じように思い詰めた顔でこちらにいらっしゃいましたから」

「ああ……、あの時か……」

 

 三日前、アスランもひとりでここへやって来た。

 言いにくそうに話したのは「ナナの護衛を外された」ということ。そして、「ナナに避けられているような気がする」とこぼしていた。

 

「アスラン、何て……?」

 

 帰ってから二人で話さなかったのだろうか。

 ナナはそう尋ねた。

 胸騒ぎがしたが、ラクスはできるだけ軽い口調でアスランとのやり取りを話した。

 

「そっか……」

 

 ナナはうつむいた。

 しばし、波の音だけが二人の間を流れた。

 

 ラクスの胸騒ぎは大きくなった。

 あの時の、アスランの横顔を思い出す。

 キラと二人で彼の考えを否定した。

 ナナはカガリが心配なだけだ……と。アスランとの信頼が深まったからこそ、離れていても平気なのかもしれない……と。

 本当にそう思っていた。キラもそうだ。

 あの、ひとりでなんでもやり遂げるナナが唯一頼る相手……。弱みを見せられる相手。 必要とする相手。

 それがアスランであると、二人とも心から信じていた。

 が、ナナがそのことでここへ来たのなら……、その暗い表情の裏には何かあるということなのだろうか。

 自分たちが思っていたのと違う、何かが。

 

「アスランとケンカでもしたのですか?」

 

 敢えて冗談めかして言った。ナナが得意なやり口だ。

 が、ナナは寂れた笑みを零した。

 初めて見る顔だ。

 

「ナナ……?」

 

 こちらの表情も崩れた。

 何か絶対的なものが土台から崩れる……そんな不安に襲われた。

 

「あのさ……、私……」

 

 じれったい……。

 こんな気分は初めてだった。

 

「どうしていいかわかんなくて……」

 

 ナナのものとは思えない台詞だ。

 

「ナナ、アスランと何かあったのですか?」

 

 嫌な感覚が焦りを産んだ。

 ラクスにとって産まれて初めてのことだった。

 が……。

 

「な、なにか……っていうか……」

 

 ナナはまた表情を変えた。

 海を見つめ、雲を見上げ、あさっての方を見て、うつむいた。

 

「ナナ……?」

 

 ラクスの感情が凪いだ。

 ナナの頬がかすかに赤く染まっていたのだ。

 

「アスランと……っていうか……」

 

 当初の想定通り、他愛もないことなのかもしれない……。

 そう思えた。

 ナナはもうひと口、ハーブティーを喉に通すと、意を決した様に言った。

 

「私、ちょっと浮かれてたったいうか……! アスラン、優しいし、頼りがいあるし、いつも側にいてくれるし……。それで私、なんていうか、すっごく安心しちゃってて、そういうことに満足しちゃってて、それで……、周りが見えなくなってたと思うの……」

 

 なんだか不思議だった。

 アスラン本人やこちらの懸念とは反対に、アスランとの関係が良好であると、ナナは自らきっぱりと言ったのだ。ものすごく恥ずかしそうに頬を赤くして。

 世界平和大使という肩書を背負った少女ではなく、少し勝気などこにでもいる少女の顔をしている。

 

「ナナ、周りのことは気にしなくてよいのではないですか?」

 

 だから、冷静な意見を返せた。

 周りの目、周りの声、それは気にすることではない。

 いわば世界情勢の最先端で戦うナナにとって、心許せる者の存在は重要である。

 その中に自分やキラを入れてくれてはいるが、やはり、いつも側で彼女を包んであげられるのはアスランなのだ。

 

「それじゃあダメなの。ダメだったの……!」

 

 が、ナナは頭を抱えた。

 そして意味の分からぬ後悔をする。

 

「私はなんにもわかってなかった……!」

 

 急に、ナナの顔が暗くなった。

 

「ナナ……?」

 

 その顔は見覚えがあった。

 “彼女”のことで悩みを打ち明ける時、ナナはこう言う顔をしていた。

 

「カガリがさ……」

 

 案の定、ナナは彼女の名をつぶやいた。

 それから少し、間を置いて、

 

「……言ったんだ……、私に……」

 

 ぽつり、ぽつり……と、まるで何かの言い訳をするように話し始めた。

 

「あのコがそんなふうに思ってるなんて……、私、知らなくて……。ていうか、全然、考えようとしたこともなくて……。ずっと、あのコのこと考えてたつもりで、私は……、なんにもわかってなかった……」

 

 ラクスはなだめる様に促した。

 

「カガリさんは、あなたに何と言ったのですか?」

 

 ナナは躊躇っている。

 が、ここへ来る時に決心はついているはずだ。

 だから……。

 

「ナナ」

 

 ナナが逃げないことを知っている。

 

「あのさ……」

 

 ナナは言った。

 

 

「『世界や国民からの支持も、議員からの信頼も、“アスラン”も持ってて……、ずるい』って……」

 

 

 恐らくナナが受けたほどの衝撃ではなかった。

 だが、ラクスも同じ種類のそれを受けた。

 

「カガリさんが……?」

「そ、それがどういう意味か、さすがの私もわかってる……!」

 

 ラクスにも意味はわかった。

 カガリが密やかにアスランに想いを寄せていたこと……。

 

「私さ……」

 

 だが何と返せばよいか考えあぐねるうち、ナナは後悔を口にした。

 

「カガリが何を考えてるか、カガリには何が必要か、わかってるつもりだったんだ……。だから偉そうに色々言ってたけど、でも自分自身はアスランに甘えて、支えてもらってて……。そんな私を……、私たちを見て、カガリが毎日何を感じてたのかなんて全然わかってなかった……」

 

 ラクスもカガリの心情を察してみた。そして、共感した。

 国を背負う立場でいながら、支えて欲しい人間が側にいないのは苦しくて辛い。

 ラクスにもよくわかる。

 もし、キラが側にいなかったら……。

 もしそうなら、あの時も戦えていなかったとはっきり言える。

 が、やっぱりナナが後悔する必要は無いと思った。

 

「私……、カガリだけは絶対に守りたかったのに、自分で傷つけてた……」

 

 ナナの瞳から、雫が一粒こぼれ落ちた。

 

「ナナ……」

 

 この強くて優しい友に、あげられるものはわずかだった。

 だが、ナナは行く道を行き止まり、引き返してここに来てくれたのだ。

 

「それで……、アスランを護衛のお役目から外したのですか?」

 

 気休めの言葉は不要だ。今は、彼女の心の重みを少しでも取り去ることが重要だ。

 そのためには、まず彼女の複雑な心を整理しなくてはならない。

 

「うん……、そう。べつに……、当てつけとかじゃないんだけど……」

「わかっています」

「カガリがね、そういうこと言うなんて、本当に限界だったと思うの……。だから私は、ものすごく不安で……。カガリを支えたかったけど、私はずっと側にいられるわけじゃないから……、だから……」

「それで、アスランをカガリさんの護衛に?」

「うん。なんか話してて思ったけど、私、めちゃくちゃなことしてるよね……?」

 

 ナナは自覚して自嘲した。

 そして。

 

「アスランのことまで傷つけて……」

 

 もう一粒の涙をこぼした。

 

「アスランは優しいからさ、私はつい甘えちゃって……。自分の不安を解消するために、役目を押し付けて……。結局、アスランも不安にさせちゃってたなんて……」

 

 だが、ナナは言えないだろう。

 アスランに理由を言うことは、カガリの想いを暴くことになる。カガリを大切にするナナに、それはできないだろう。

 

「カガリが心配だからついててあげて……って、まぁそれは本心なんだけど、それでアスランは納得してくれてたと思ってた。でも、そうじゃなかったよね……」

 

 ナナはそれ以上こぼれ出るものを抑え込むかのように、ぎゅっと目をつぶった。

 

「私は、大切な二人を傷つけてる……!」

 

 吐き出された後悔は、潮風に流せるものだとラクスは思う。

 三人とも、他の二人が大切だからこそ苦しんでいるのだ。

 カガリだって、想いを明かすつもりはなかっただろう。

 だが叫ばざるを得ないほど、ナナは完璧で、自分との間に分厚い壁があるのを感じてしまったのだ。

 その気持ちは痛いほどわかる。

 ナナと親しいからこそ感じる絶望感……、それは自分もキラもアスランも、同じように持っている。

 アスランは、ナナを命がけで護ろうとしている。恐らく生涯を懸けて……。

 自分が何をすればナナのためになるか、それが自身の行動の根源になっている。

 これからもそういう生き方をするのだろう。

 だから、ナナの願いは聞き入れようとしているのだ。

 ナナが今、カガリを心配し、心を痛めているからこそ、ナナが自分に望むことをやり遂げようとしている。

 ナナを案じる気持ちを抑え込んで、ナナの願いを優先している。

 ナナは……。

 

「ナナ、あなたは……」

 

 少し迷った。

 が、ナナの心の整理をするのなら、全てを言わせなければならない気がしていた。

 

「アスランと離れていても、平気なのですか?」

 

 意地悪な問いに、ナナは……。

 

「無理! それは絶対に無理!」

 

 ナナは即答した。

 

「情けないんだけどさ、私……、アスランに頼りっぱなしで……。側にいてくれたら安心っていうか……」

 

 また頬を赤らめながら、ナナは早口で言う。

 

「黙って愚痴を聞いてくれるし、ぐちゃぐちゃした気持ちを整理するのも手伝ってくれるし、私が悪い時は怒ってくれるし、意見を聞かせて欲しい時は一生懸命考えて答えてくれるし……、って、なんかこれ“依存”ってやつ?」

「いいえ」

「頼り過ぎなのかな……?」

「いいえ」

「なんか利用してるみたいでずるくない?」

「いいえ」

 

 ナナは徐々に混乱し始めた。

 それがおかしくて、ラクスは笑った。

 

「私、こういうの初めてでっ……、どうしていいかわからない……。ねぇラクス、客観的に説明してくれない?」

 

 いかにも理系らしく、ナナは明確な回答を求めた。

 ラクスは逆に、冷静になれた。

 

「ナナとアスランは、お互いを深く思いやっているのですわ……」

「思いやる……」

「ええ、愛し合っているのです」

「あ、あい……!」

 

 ナナは恥ずかしそうに顔を逸らし、指をもじもじと動かしたが、否定はしなかった。

 ナナも本当はわかっているのだ。

 

「切っても切れない絆がお二人の間にあるのが、わたくしには見えますわ」

 

 それを促すように言うと、ナナは横目でこちらを見ながらつぶやいた。

 

「ラクスと、キラみたいな……?」

 

 ラクスはうなずいた。

 自分自身、こんなふうに言葉にしたことなどなかった。

 が、偽りではない。

 キラとの関係は今、ナナとアスランのことを語った通りだと思っている。

 

「ねぇラクス……。ラクスはさ、どうしてそんな神様みたいなことわかるの?」

 

 ナナは少女のような目で、不思議そうに言う。

 

「神様……ですか……?」

「うん。なんでもお見通しみたいな……」

「わたくしも、“恋愛”のことに詳しいわけではありませんわ」

「れ、恋愛っ……」

 

 ナナはまたも過敏に反応した。少女を通り越して、小さな子供のようだ。

 それよりも、ナナの口からは絶対に出ないであろうと思われた『神様』という単語が出たのがおかしかった。

 

「私とアスランも……、ラクスとキラみたいになれる……?」

「人と人が作る形は様々なのですから、誰かのようになる必要はないのですよ、ナナ」

「……また神様みたいなこと言ってる……」

 

 二人で少し笑った。

 紫色に変わった水平線がとても綺麗だった。

 

「私は、どうしたらいいのかな……」

 

 それを眺めながら、ナナはつぶやいた。

 

「ナナはどうすれば良いと思うのですか?」

 

 その横顔が美しかったので、ラクスは問いを返した。

 彼女に答えは要らない。いつだって、彼女は自身で答えを導き出す。

 

「やっぱり……、カガリとは話さないとだめだよね」

 

 いつもより弱気だが、それでもちゃんと答えは形どられている。

 

「わかってるんだけどさ、このままじゃ駄目なことは。でも私、やっぱりカガリのことになると臆病になっちゃって……」

 

 ナナが求めているのは、心を整理するための“耳”と、少しだけ背中を押す“手”だ。

 

「ナナ、大切な相手だからこそ、傷つけたくないのは当たり前のことです。ですが、大切だからこそ、心をさらけ出して話さなければならないこともあるのだと、わたくしは思います」

 

 前ばかり向いているようで、ナナにはちゃんと声を聞く“耳”がある。

 

「うん……。そうだよね」

 

 ナナの顔が穏やかになった。

 

「ちゃんとカガリに話す……! 私が、ええと……、アスランを……、ええと……」

「アスランを必要としているか、ですわね」

「う……、そ、そう……、それ……」

 

 こんなに照れくさそうにしていて大丈夫かと心配に思うが、ちゃんと伝わるという確信はあった。

 それに、カガリだってわかっているのだ。

 

「カガリさんもきっとわかっているのですわ」

「うん……、私もそう思う……」

「けれど、ナナが言葉にしてちゃんと伝えることで、きっとお互いがまた一歩、前に進めると思います」

「うん……。そうだよね……!」

 

 薄闇の中、ナナの瞳が輝いた。

 

「アスランとも話さなきゃね」

「ええ」

「ええと……、アスランに……」

「ちゃんと、必要としていると」

「う、うん……」

「側にいて欲しいと」

「うん、そ、それね……!」

 

 ナナは誤魔化すようにあははと笑って、すっかり冷たくなったハーブティーを勢いよく飲みほした。

 

「はぁ……、でも怖いな、カガリと話すの……」

 

 いつになく弱気なナナは、伸びをしながら弱音を吐いた。

 

「わかってくれてるってわかってるのに、なんか……」

 

 世界中の注目を集めて話す人が、最も親しい人間と話すことを恐れるのは不思議な感じだ。

 が、大切なこととはそういうものだとラクスは思った。

 それに。

 

「あなたが恐れているのは、ご自身の心をさらけ出すことになるからですわね」

「……あぁ、そうか……」

 

 ナナは“不慣れな感情”を言葉にすることに、まだ戸惑いがあるのだろう。

 

「今日ここで、わたくしに話してくださったようにお話しすれば、きっと伝わりますわ」

 

 自分が受け止めたナナの想いを、カガリが受け止めきれないわけはない。

 

「あなたとカガリさんにも、強い絆があるでしょう?」

 

 ナナは“姉の顔”で、嬉しそうにうなずいた。

 

「よし! じゃあプラントから戻ったら、まずはカガリと話してみる!!」

 

 そして、元気よく言った。

 

「あ~、でも話す前にラクスにメールするかも……。いい? いいよね?」

「ええ、いつでもどうぞ」

「よかった……!」

 

 怖れは拭えていなかった。

 それでも、自身でナナはやるべきことを明確にした。

 

「あ! ねぇ、キラには言わないでね!」

「はい、お約束しますわ」

「でもラクスとキラだもんなぁ……、ラクスとキラ……、うーん……」

「ナナ……?」

「やっぱり、ほとぼりが冷めてから話して。カガリが落ち着いたら……!」

「ナナ、わたくしたちのことは気になさらないでください」

「そういうとことだよね……、そういうところ……」

「ナナ……?」

 

 ナナは最後までカガリの心情を気づかってから、うんうんと納得した様にうなずいた。

 そして、来た時とは違う表情で帰って行った。

 

「とにかく、ご無事でお戻りくださいな」

「うん! じゃあまたね!」

 

 それが、ナナとの最期の会話だった。

 

 

 



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ずっと

 

「じゃあ、ナナは……」

 

 喉が干からびたようにカラカラだった。

 

「あなたへの想いに変わりはありませんでした……」

 

 ラクスが語ったナナは、本物のようでも幻想のようでもあった。

 

「誰も悪くないのです。想いをぶつけたカガリさんも、それに混乱したナナも、知らずに戸惑ったあなたも……」

 

 押し寄せる後悔の波を押し留めるように、ラクスはそう言ってくれた。

 

「悪いのはわたくしです、アスラン。ナナの想いを、ずっと……あなたに伝えることができませんでした」

 

 ラクスが初めて、涙を見せた。

 

「あなたとカガリさんが寄り添うように生きているのを見て、わたくしは……」

 

 そのとおりだと思った。

 ラクスが話してくれていれば、モヤモヤした不快な感情を取り払うことができたはずだ。

 が……、その代わりに何が残るだろう。

 ナナに愛されていたという真実は、心に開いた穴を塞いでくれはしなかった。逆にその穴を、虚しい風が吹き抜けるだけだっただろう。

 

「いいんだ……、ラクス……」

 

 聞いたとして、信じられたかもわからない。単なるラクスの優しさだと受け取っていたかもしれない。

 ナナがいないという絶望が深すぎて、全ての感情や感覚が麻痺していた。

 『ナナの願いを叶える』という目的だけで生きていたのは事実なのだ。

 だから彼女を恨む気はなかった。

 ただ……。

 

「オレは、これからも……」

 

 ナナの側にいていいのだろうか……。

 

「いてください、ナナの隣に」

 

 声にならないうち、ラクスがきっぱりと言った。

 

「セアであっても……、あなたが側にいてください」

 

 迷いは消えなかった。何百日、何千時間と付きまとっていた感情は、そう簡単に振り払えない。

 だが。

 

「ナナを待ち続けてください……!」

 

 自分の中の想いが消えないことも、思い知った。

 “ナナ”を見た。今度はまっすぐに。

 そして、願った。

 目を覚ますのがナナであってほしい……と。もう一度、ナナの声で名を呼んでほしい……と。

 

「ラクス、ありがとう……」

 

 酷く疲れた。

 が、頭と心にかかる霞は消えていた。

 再び腰を下ろす。

 

「アスラン……!」

「大丈夫……、ナナを……、信じてみるよ……」

 

 不思議なことに、今はラクスのほうが少し取り乱している。

 

「大丈夫だ、オレは……。どうすれば良いのか、わかった気がするから……」

 

 祈るように両手を組んで、額につけた。

 隣でラクスが、秘かに息を整えた。そして、肩に手を置いて……静かに出て行った。

 “ナナ”と二人きりになって、もう一度願った。

 目覚めるのがナナでありますように。ナナがもう一度、自分の名を呼んでくれますように。

 そして、もしセアのままでも……、いつかナナが戻って来てくれますように。

 

 神でなく、ナナに……そう願った。

 

―――――――――――――――

 

 どのくらいの時間が経ったのか……。ラクスが去ってから、部屋を訪れるものは無かった。

 あれからずっと、アスランはひとり、ナナの傍らに座り続けていた。

 ひとつひとつ、思い出していた。

 最初の出会いから、あの島でのこと、戦いの日々、そして温かい時間……。

 セアのことも、初めから思い出した。

 彼女が言った言葉も、彼女が語るナナも、自分に向ける視線も……。

 気づけば、あの石を握りしめていた。

 今、ナナは何を思っているのだろう。どこにいるのだろう。この石を見て、あの島での奇跡を思い出して、今は……。

 ナナは……、自分に逢いたいと思ってくれているだろうか……。

 やっと今さら、ナナとの再会を望めたくせにそう思った。

 まだ迷いは消えていなかった。だが、怖れてはいなかった。

 それでも……。

 

「ん…………」

 

 “彼女”がかすかに身じろいだ瞬間、全身の血流が止まった気がした。

 

「う……」

 

 彼女の細い指がぴくりと動く。まつ毛がそっと揺れる。

 声が出かかった。が、喉で止まった。

 何と呼べばいいのかわからなかった。

 彼女が覚醒するまで、とても長く感じた。うながすことができなかったから仕方がない。

 だがついに、彼女の視線はアスランを捉えた。

 ぼんやりと、だが、まっすぐにこちらを見る目……。

 

「あ……」

 

 まだ、声が出ない。名前が出ない……。

 情けない。

 が、指の一本も動かない……。

 と……。

 

 

「アスラン……」

 

 

 彼女は掠れた声でささやいた。

 そして。

 

 

「ただいま……」

 

 

 そう言って……、笑った。

 

「ナナ!!」

 

 確かめる必要など無かった。

 ただ、呼びたかった名前を叫ぶだけで良かった。

 

「ナナ、ナナ……!」

 

 弱々しく伸ばされた手に、しがみつく。

 

「アスラン……」

「ナナ……!」

 

 名前以外の言葉は出てこなかった。

 

「ごめんね……」

「ナナ……!」

 

 ナナの手が、アスランの手を握り返す。力は弱くとも、迷いはなかった。

 

「アスラン、ずっと……、側にいてくれて、ありがとう……」

 

 まだおぼろげだった。

 が、ナナは起き上がろうとした。

 

「ナナ……! ま、まだ身体が……!」

 

 情けないほどに感情が溢れだし、うまく話すことができない。

 

「大丈夫、大丈夫……!」

 

 ナナは笑って、アスランの手に支えられて起き上がった。

 そして。

 

「ねぇ、アスラン」

 

 両手を広げて、アスランへと差し出した。

 

「いい? “あれ”……」

 

 “あれ”が何を指すのか、アスランにはわかった。

 一瞬だけ躊躇った。

 が、ナナの目を見て心を決めた。いや、心のままに動いた。

 

「ナナ……」

 

 静かに、そっと、ナナを抱きしめる。

 すぐに、ナナの両腕が背中にまわった。

 二人同時に、ほっと息をつく。

 そして、アスランはできるだけゆっくりとささやいた。

 

 

「大丈夫だ……、ナナ……。オレが側に居る……」

 

 

 これまで幾度か、ナナに求められた安息の“儀式”。

 それをまた求めてくれたことが嬉しくて……、それ以上は何も言えなかった。

 

「アスラン……」

 

 が、ナナは腕に力を込めてささやいた。

 

「私を……、許してくれる……?」

 

 声が震えていた。

 

「勝手に死んで、遺言なんかでアナタを縛って、“セア”として蘇って、記憶を無くしてるくせにアナタの側にいて……、そんな、私を……、許してくれるの……?」

 

 指先も震えていた。

 

「アスラン……」

 

 ナナが不安げに身をよじった。

 が、答える気がなかった。

 まだこうして、ただただ愛おしい存在を抱きしめていたかった。

 それに、許すとか許さないとかは考えたことがなかった。

 考えていたのは、ひたすら自分がまたナナの側にいて良いのだろうかと……そればかり。

 

「ナナ……」

 

 ため息が出た。

 こうして言葉でちゃんとした答えを得ようとするのが“ナナらしい”と、改めて思ったのだ。

 

「アスラン、私ね……。死ぬときに後悔したんだ……」

 

 黙っていると、ナナはくぐもった声で続けた。

 

「アスランに、側にいて欲しかった……」

 

 少し慌てながら、懸命に言葉を紡いでいる。

 

「本当にそうだったら、アスランも一緒に死んじゃってたから、結果としてはアスランが地球に残って良かったんだけど……! でも……、ちゃんと言ってないことがあったから……、伝えてないことがあったから……、すごく後悔して……、後悔しながら死んだの……」

 

 ナナはいっきに話して、息を切らした。

 

「私……、私……、アナタを傷つけて()()()よね……?!」

 

 確かめたかったことは、急にどうでも良くなっていた。

 ラクスの話を聞いたからじゃない。この温もりが全てなのだ。

 

「ナナ……」

 

 身体を離し、ナナの顔を見つめた。

 泣いている。わかっている。自分も泣いている。

 

「ナナ……」

「アスラン……」

 

 二人同時に、互いの涙を拭った。触れたところが温かかった。

 

「…………」

 

 ナナの唇が動いた。

 が、すぐに唇を噛む。「ごめん」と言おうとして止めたのだ。

 

「ナナ……」

 

 うつ向けた彼女の髪を撫ぜた。

 色も、質も、前とは違う。ナナはそれに気づいたのか、瞳を逸らした。

 

「ナナ、こっちを向いてくれ」

 

 だが、そんなことはもう重要ではなくなっていた。

 目の前にいるのはまぎれもなくナナであると、心が証明している。

 

「オレは、お前に必要とされていないんじゃないかと……、そう思っていたんだ……」

 

 頑なに目を逸らすナナに、アスランは想いを話した。

 驚くほど綺麗に整列した言葉を、ひとつひとつ。

 

「お前がいなくなってから、確かめることもできなくて……、ずっと、そう思っていた」

 

 ナナの瞳から、涙がこぼれ落ちる。

 

「だが、もういいんだ、ナナ」

 

 そっと、彼女を上向かせた。

 

「お前の想いはわかっているから……。だから、オレは、ずっとお前の側にいる」

 

 強がりではないから、じっと彼女の目を見つめられた。

 

「ラクスが……、話した……?」

 

 ナナは恐る恐る尋ねた。

 

「ああ……。それに、カガリにも聞いた」

「カガリが……? 話した……の……?!」

「ああ……」

 

 ナナは動揺した。

 が、自身を納得させるようにうなずいた。

 

「……そ、そうなんだ……」

「オレは馬鹿だから気づけなかった。だが二人が話してくれたから、理解できたんだ。お前が何を抱えたままいなくなったのか」

「アスラン……」

「だから……、今はまだ、過去のことは考えなくて良いんだ、ナナ」

「でも……」

 

 大切なのはこれからだ。

 未来を二人で歩んでいくこと……。それを互いに望むことが大事なのだ。

 

「大丈夫だ……、ナナ……。オレが側に居る……」

 

 アスランはもう一度、“儀式”を繰り返した。

 ナナはやがて、“いつも”のように肩の力を抜いた。

 安堵した。

 が。

 

「アスラン……あのね……」

 

 ナナはやっぱり、ちゃんと言葉に表した。

 

「私……、あの、ジェネシスの中で言ったこと、変わってないから、ずっと……」

 

 アスランの服にしがみつき、ナナは言う。

 

「『アナタがいないと戦えない』って……、ずっと思ってる……!」

 

 かすかに横隔膜をけいれんさせながら、しっかりと。

 

「髪も目も、姿はちょっと変わっちゃったけど……、想いは少しも変ってないの……!」

 

 胸が熱かった。

 

「だから、もし、“こんな”私を許してくれるなら……」

 

 自然と、互いの目を見た。

 

 

「これからもずっと、側にいて欲しい」

 

 

 ナナはまるで何かの覚悟を決めたかのように、瞳に強い光をたたえてそう言った。今はまだ言わなくて良いと言ったのに、ナナは言ってくれた。

 だから。

 

「ナナ、オレは……」

 

 アスランもちゃんと言うことにした。

 

 

「お前を愛している」

 

 少しの時間を経て、また想いが繋がった気がした。

 いや……、ずっと繋がっていたのだ。きっと。

 

「アスラン……!」

 

 ナナは笑った。前と同じように。

 

「好きだよ、アスラン……!」

 

 ナナがそう言った瞬間、きつく抱きしめた。

 二人はいままでで一番強く、抱き合った。

 

 



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運命

「それで……、体調はどうなんだ……?」

 

 渡した水を素直に飲んだナナに、アスランは恐る恐る尋ねた。

 

「うん、大丈夫! 怪我とかじゃないし」

「だが……」

「さっきはあの護り石を見た瞬間に、頭の中が混乱してショートしちゃった感じかな。“セア”の中に一気に“私”の記憶が流れ込んじゃって……、ってわかんないよね?」

「いや、なんとなく……」

 

 アスランはベッドに腰かけるナナの隣に座った。

 

「寝てる間にだいぶ整理したから、もう大丈夫だよ!」

 

 ナナは笑った。以前と同じように。

 

「記憶はちゃんと戻ったのか? 全部……」

 

 だが、不安はぬぐえなかった。

 

「まだ曖昧な感じはするけど、たぶん……」

 

 ナナは顎に手を当てて考えた。

 そして。

 

「都合の悪いことは忘れちゃったままだけど、大事なことは全部思い出した!」

 

 冗談めかしてそう言った。

 髪の色が違っても、瞳の色が違っても、どこをどう見てもナナだった。

 

「もとどおり、“前の”私だよ」

 

 不思議だった。つい先ほどまでは“セア”だった。あれほど強く、『ナナではない』と感じていたのに……。

 

「じゃあ、“セア”のことは……」

 

 彼女への慕情ははっきりと存在した。

 が、それは隠すべきものではなかった。何故なら、彼女もナナの一部なのだから。

 

「ああ、ええとね……」

 

 だから、ナナも一生懸命に考えて答える。

 

「なんていうか……、別人格……とも違うし……」

 

 セアからもらったものは少なくない。ちゃんとお別れがしたかった。ナナとの再会をより強く実感するためにも。

 

「夢……かな」

「夢……?」

「そう。夢をみてた感じ……!」

 

 ナナの手が、自然とアスランの手に伸びた。

 

「ほら、夢をみてるときって、自分視点なんだけどちょっと違ってたりするでしょう? 行動とか、発言とか。……わかる?」

「ああ……少し……」

「私は“セア”になってる夢をみてた……。そんな感じかな」

 

 ナナは指を絡めながら言った。

 

「“セア”のことは全部覚えてる。だから……、ミネルバのことも、全部」

 

 もちろん、あの艦でのことは記憶に新しい。アスランの記憶は全て繋がっている。

 だから、よけいに不思議な感じだ。

 

「“初めて”……、会った時のこともか……?」

 

 試すように聞いた。

 セアの記憶は……、セアだった頃のナナは、自分をどう思っていたのか知りたかった。

 が、少し怖かった。

 

「ええと……、あ、うん。覚えてる。アスランとカガリが、ミネルバに乗って来たんだよね」

 

 ナナは頭の中の引き出しを探して開けるように……、少し考えてそう答えた。その引き出しは重くはないようだった。

 そして。

 

「あの時の“私”はアナタに怯えてた……。今思うと、本当に……申し訳ないことをしたと思う……」

 

 “セア”のことを「私」と言って、指に力を込めた。

 

「いや、仕方がない……」

 

 あの時の感情を思い出してうつむいた。

 その横顔を、ナナは覗き込んだ。

 

「アスランは、“セア”にも優しかったよね」

 

 今度はナナのほうが試しているのだろうか……。

 

「“セア”は……、他とは違っていたからな……」

 

 ナナには誤魔化しが通用しない。

 それがよくわかっている……、いや、よく覚えているから、素直に話す。

 

「他って? シンたちとは違うってこと?」

「ああ……。“セア”はちゃんと自分の考えを持っていた。そして、自分の想いと違うものに流されず、ちゃんと自分の道を進もうとしていた……」

「たしかに、アークエンジェルやフリーダムが現れた時、“セア”は敵だと思わなかった。“ナナ”の記憶なんて全くなかったのに」

「本当に……全く無かったのか?」

「なかったよ、全然。だから……あの時だけじゃなく、“セア”の意志は“ナナ”とは関係なく、“セア”自身が作り出したもの」

 

 ナナはきっぱりとそう言った。セアは別の人間……であるかのように。

 

「根底の部分が、ナナだったからじゃないのか?」

 

 本当はあまり聞きたくなかった。

 が、相手がナナである以上、逃げることはできなかった。

 

「どうかな……。でも、“セア”にとって“ナナ”は別人で、本当の憧れだった……。その話、アスランにも何度もしてたよね?」

 

 ナナは逃げない。

 だから、自分も目を背けない。

 

「プラントの軍人家系で育って、当たり前のようにザフトの士官学校に入って、“ナナ”の講演を聞いて、それからすぐあの事故に遭って……、っていう“セア”の記憶も、ちゃんと私の中に残ってる。なんで“それ”があるのかはわからないけど……」

 

 思い出そうとして頭痛がしたのか、ナナは左手でこめかみをさすった。

 

「ナナ……」

 

 話を止めようとしたが、ナナは続けた。

 

「そのセアが……」

 

 どこか遠いところを見つめるように。

 

「アナタに出逢って、戦っていくうちに“ナナ”の理想に惹かれて行って、“ナナ”の道を進みたいって意志を持って……、アナタと一緒にここへ来た……」

 

 言葉と指先に、少し熱を持つ。

 

「それって……」

 

 その瞳がこちらを見上げる。

 

 

「なんか、“運命”とかっていうやつみたいじゃない?」

 

 

 きらりと光った瞳の奥の瞬きは、ひどく懐かしかった。

 久しぶりに笑った。

 

「ねぇ、アスラン!」

 

 ナナは肩をぶつけて同意をうながす。

 

「ああ……」

 

 そうだな、とかろうじて答えると、ナナはアスランの肩に頭を乗せてつぶやいた。

 

「“復活の女神”として作られた“セア”が、“ナナ”の意志を持って、アスランと思いを同じくして、アスランと一緒にアークエンジェルに帰って来るなんて、“運命”としか思えないよ……」

 

 同意はした。

 が、アスランは笑いを引っ込めた。

 

「『作られた』……って……」

 

 ナナが全てを語ることを恐れた原因だ……。

 

「そうなるまでに何があったか、覚えているのか……?」

 

 忘れていた怒りがこみ上げた。

 

「誰がお前にこんなことを……!」

 

 ナナは視線でそれを制した。ナナの瞳の中にも、同じ怒りが確かにあるのがわかった。

 だが、ナナは敢えて通常通りの口調で言った。

 

「わかんない。でも、『プロジェクト・バハローグ』は確かに存在していたんだし、それの責任者はデュランダル議長でしょう? ってことは、デュランダル議長の意思が働いてたってことで間違いないわけだよね。今思うと、レイも何か知ってそうだったし」

 

 アスランの中で、恐ろしく熱いモノと、異様に冷たいものがぶつかり合っている。

 

「あの事故のことは全然思い出せない……。士官学校での講演の後、施設に見学に行ったところまでは覚えてるんだけど……。“セア”の記憶と混ざっちゃってるのかな……」

 

 ナナは再び、こめかみをさすった。

 

「ナナ、無理に思い出そうとしなくていい……」

 

 アスランは繋いでいないほうの手で、そこを撫ぜる。

 こんな話の最中でも、ナナは嬉しそうに笑った。

 

「でも、議長の目的が謎だよね? どういうつもりで私を“別人”にして、ザフトにしたのかな? 新型MSを与えて、新造艦のミネルバに配属して」

 

 その疑問を考えるのも億劫だった。

 

「最初は偶然だったかもしれないけど、わざわざアスランを同じ艦に乗せて……。もしかして、アスランを動揺させるため? いじめ?」

 

 ナナは軽い口調で話すが、アスランはちらつくデュランダル議長の残像のせいで気分が悪かった。

 

「最終的には……戦場でオーブやカガリやキラやアスランを混乱させるためかな? 私を利用しようとするなんてそのくらいしか思いつかない」

「ナナ……」

 

 もうやめてくれと言おうとして、ズキンと頭の奥が痛んだ。

 今度はナナがアスランの頭を撫ぜた。

 

「アスラン、ごめん……、嫌な話で」

「お前は辛くないのか……? 腹は立たないのか……?」

「うーん……」

 

 意外にも、ナナは考え込んだ。

 

「ナナ……?」

 

 数百日……、人生を狂わされ、惑わされ、容姿まで変えられて、怒りがないはずはなかった。憎んで良いはずだった。

 が。

 

「今はどうでもいいかな」

 

 ナナはそう答えた。

 

「ど、どうでも……」

「だって、今ここで考えたってしかたないし」

 

 強がっているのではない。本心だ。

 

「私には“セア”の記憶が残ってるの。体験したことも全部。だから、今世界がどうなってるか、オーブがどうなってるか、この艦がどんな状況なのか、ちゃんとわかってる」

「ナナ……」

 

 以前と同じ、勝気な笑みを浮かべる。

 

「だから、“そんなこと”より、これからどうするかが重要でしょ?」

 

 同じだった。

 常に前に進む足。進むべき道を見定める目。人を導く声。心を熱くする想い。

 

「アスランと話したおかげで脳みそがだいぶ落ち着いたから、そろそろブリッジに行こうか。ラクスたちと“それ”を話し合わなくちゃならないしね」

 

 ナナは立ち上がり、うーんと伸びをした。

 

「みんな心配してくれてるだろうし……。っていうか、“どっち”が目を覚ますか賭けてたりして」

「ナナ……!」

「わかってる、不謹慎だってこと! だけど、なんか懐かしくてさ。みんなに会えるのが嬉しい……! 毎日会ってたのにね!」

「…………」

 

 呆れたのと安心したのとで、思わずため息が出た。

 本当に以前のナナだ。こういう笑えない冗談を言うところも、周囲への想いをさらけ出すところも。

 

「セアのふりしてネタばらしとか……」

「ナナ……!」

「……は、さすがに趣味悪いからやらない!」

「あたりまえだ……。頼むから、普通に“再会”してくれ……」

「うん、わかってる」

 

 脱力した。

 が。

 

「アスランは、大丈夫……?」

 

 冗談を引っ込め、ナナは真剣な目で問う。

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 大丈夫、ナナがナナでいる。目の前で、触れられる距離で、笑っている。

 アスラン自身も、ブリッジの面々がどういう反応をするのか期待する気持ちが湧いた。

 本当はもう少しだけこうしてナナといたかったが、彼らのことを思うと、そろそろ行かねばならなかった。

 

「じゃあ、最後に聞いていい?」

「なんだ?」

 

 立ち上がろうとした時、ナナが目の前に立って顔を近づけた。

 そして、ズルイ顔でこう言った。

 

 

「セアのこと、好きだった?」

 

 

 問われた瞬間、息が止まった。

 やはり……、ナナは逃がしてはくれなかった。

 

「オレは……」

 

 セアに対する感情とは向き合った。だからそれをちゃんとした言葉にして伝えるだけだ。

 

「セアに救われていたんだ」

 

 セアへの想いを語って、ナナが何を思うかわからなかった。

 が話す以外の選択肢は無かった。ナナに誤魔化しは通じないのだから。

 

「セアの中で、ナナの言葉が生きていた。ナナが撒いた種が、セアの中で芽吹いていた。セアと話して、それを知って……、オレは救われていた」

 

 ナナは静かに瞬きしながら聞いている。

 

「ナナが遺したものがちゃんとあると知って、きっとナナも救われているだろうと思って……、そう思うとオレが救われた」

 

 その目を見た。

 

「だから、オレは……」

 

 セアの色、ナナの光。

 

「セアを護りたいと思ったんだ」

 

 セアの記憶が残っているとナナは言う。

 が、アスランの中にもそれはある。

 セアの言葉も、涙も、うつむき加減の仕草も、強い叫びも……、全部が刻まれている。

 

「うん」

 

 ナナはうなずいた。嬉しそうだった。

 

「私も同じ」

 

 そして、彼女も逃げずに話してくれた。

 

「アスランなら、“ナナ”の道を歩けると思った。自分が進みたい方向を教えてくれると思った。だから、一緒にいたかった」

 

 ナナから聞くセアの想いは、なんだか懐かしかった。

 

「セアはちゃんと伝えたよね?」

 

 そう……、セアはちゃんと言ってくれていた。

 いなくなる前に、ちゃんと。

 

「やっぱりこれって……」

 

 うなずくと、ナナは笑いながら言った。

 

「“運命”なんじゃない?」

 

 大そうな言葉でも、不思議と心に馴染んだ気がした。

 

「わかってるよ、アスラン」

 

 ナナの声が大人びていた。

 

「アナタがどんな想いで、あの石をセアにあげようとしたのか。私はちゃんとわかってるから」

 

 護りたいと思った。セアの意志を。ナナの遺志を。

 それは、ナナのため、自分のため。

 ナナを護れなかったから……。ナナのぶんも生きて欲しいから……。もう大切な人を失いたくないから……。

 ナナは「わかっている」と言うが、アスラン自身はよくわかっていなかった。

 護りたい、護らなくてはと思ったのは、一種の衝動に近かった。いろんな感情が混ぜ合わさっていた。

 

「アスランは、セアとナナを想ってくれてたよね……?」

 

 だが、ナナは不思議と全部を受け止めている。

 

「だから、“私”は……、アナタの想いに引き戻されたんだと思ってる」

「オレの……?」

 

 ポケットから石を取り出した。相変わらず、綺麗な光をたたえている。

 

「それを見た瞬間、私は“あの時”を思い出した。母からそれをもらった時じゃなく、それをアナタにあげた時のこと……」

 

 あの、奇跡の出会いを……。

 

「あの時のアナタとの想い出が、私の記憶に落とされてた蓋をこじ開けた」

 

 ナナに誘われるように、目を閉じた。そして、あの瞬間を再生した。

 潮風、波の音、“敵じゃない”が、“敵の恰好”をしたナナ……。大切な護り石を、首にかけてくれた。

 

『戦争が終わったらさ……。できればキラも私たちも死なないで……ラクスも交えて4人で逢えたらいいね』

 

 再会を願う矛盾……。

 あの瞬間、アスランの心は明らかに別の色に染められた。

 

「ナナ」

 

 目を開いて、石を差し出す。

 

「これを……」

 

 あの時、ナナがくれた感情。そして、セアに渡そうとした時の感情。

 全部を込めて、差し出した。

 ナナは黙ってそれを受け取った。懐かしそうに眺める。

 そして。

 

「はい、アスラン」

 

 あの時と同じ恰好をする。

 

「ナナ……」

「これからもアナタがこの石に護ってもらって」

「だが、それは……」

「これには、私と、セアと、アスランの想いが全部詰まってるから、ちゃんと護ってくれるよ!」

 

 ナナは笑った。そのまま、首を傾けるよううながす。

 アスランは、あの時と同じように、ぎこちなくそうした。

 

「大丈夫!」

 

 首にかけながら、ナナは言った。

 

 

「私は大丈夫だよ、アスラン。アナタが護ってくれるから!」

 

 

 衝動的に抱きしめた。

 返せる言葉はない。

 

「大丈夫、アスラン……。私はもうどこへも行かない……」

 

 ナナは小さくささやいた。

 

「ナナ……、オレがずっと側にいる……」

 

 アスランも誓った。

 あの時よりずっと近くなった二人の距離に安堵していた。

 

 きっと、ナナも……。

 

 その証拠に、ナナは強くしがみついて、長く息をついた。

 

 

 



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オーブで待ってて

 

 ブリッジは歓喜に沸いた。

 誰もがナナとの再会を喜んだ。

 つい先ほどまで“セア”だったと混乱する者は誰もいなかった。そこにいるのがまぎれもなくナナであると、皆、すぐに確信したのだ。

 歓喜の渦はなかなか解かれなかった。

 皆が泣いていた。ラクスでさえも。

 その様子を、アスランは渦の外から見守っていた。

 しばらくして、キラが隣に並んだ。

 

「ほんとに、よかったね……アスラン」

 

 彼も涙ぐんでいる。

 

「ああ……」

「ナナはもう、どこにも行かないんだよね……?」

 

 何故か彼はそう問うが、当たり前のように答えた。

 

「ああ、もうどこにも行かない」

 

 キラは「よかった」と胸をなでおろし、目をこすった。

 そして。

 

「でも……、なんで、こんなこと……」

 

 彼のつぶやきに同調するように、喜びの中に憤りが湧いた。どうしてこんな……、誰がこんな……。

 が、ナナはひとしきり挨拶を済ませると、穏やかにこう言った。

 

「今、それは重要じゃないの。大切なのは、今この瞬間から“私”がどうするか……だから」

 

 ひとりひとりの目を見て。

 一気に場がシンと静まった。

 皆、戸惑っていたのではない。ここにいるのがナナだと……改めて実感したのだと、アスランにはわかっていた。

 

「ええ……、そうですわね。今は……」

 

 ラクスが涙を拭いながら同意した。

 真実を知っていた彼女も、ナナとの本当の再会に、珍しく感情を抑えられないようだった。

 

「では、公表は……」

「今はしません」

 

 マリューの問いに、ナナはあっさりと答えた。

 

「私もそれなりに知られた名前だと思うので……、私が生きてたってことが知られると、今の情勢がさらに混乱するだけだと思うんです」

 

 まるで、本当に気にしていないように……。

 

「そうでしょう? ほら、私も一応『世界平和大使』なんて堅苦しい肩書があったわけだし。それが“暗殺”だったとか、“暗殺未遂”だとか、プラントの“計画”だったとか憶測が流れたら、今プラントに味方してる人たちも混乱するよね? 地球もどうなるかわからないし、オーブだって国内が分断される恐れもある」

 

 だが、皆の表情は曇った。

 アスランには、彼らの気持ちが良くわかった。

 だが、ナナの意思を変えられないことも良くわかっている。

 

「だけど私は、みんなと一緒に、普通に戦います」

 

 ナナは皆を見回し、そう宣言した。

 

「見た目はちょっと変わっちゃったけど……」

 

 少し笑って。

 

「“セア”みたいにおとなしくていいコじゃないし、聞き分けも悪いと思うけど、これからも一緒に戦いたい」

 

 肩をすくめる仕草は懐かしかった。皆もそう感じたのか、ほっと息をついたのがわかる。

 

「だから、これからもよろしくお願いします!」

 

 ナナは勢いよく頭を下げた。

 少し前、同じ場所で同じように「一緒に戦いたい」と言った少女……。あの時と同じ姿だが、今は違う響きだった。

 

「ナナ……、では、モビルスーツに……?」

「あ、はい。戦うべき時が来れば、レジーナ……じゃなかった、グレイスで出ます」

「ナナ……?」

 

 自機を「レジーナ」と言ったナナに、ラクスが不安気に寄り添った。

 

「ごめん、大丈夫! ときどき記憶が錯綜することがある感じで……、でも大丈夫だから。フラッシュバックっていうの? ああいうのにはならなそうな感じ」

「本当に、大丈夫なのですか……?」

「大丈夫! ちゃんと()()()()覚えてるから」

 

 キラがこちらを見た。

 アスランにだってナナの脳の状態のことはわからないが、安心させるようにうなずいてみせた。ナナがそう望んでいるのだけはわかっているからだ。

 

「でも、ドクター・シュルスの診察は受けてちょうだいね」

「あ、はいそうします」

「それと、薬のこともちゃんと聞いておいて」

「薬? ああ、私が持って来たやつね。やっぱり問題あったの?」

「そ、その髪と目に作用するって話だったけど……」

「詳しいことはオーブのラボでもまだわからないらしいの。ただ、成分の解析はできたから、同じ薬の生成は可能になったそうよ。ただ……、その薬を投与するまであなたは意識が戻らなかったから、もしかしたらこれからもその薬が必要なのかもしれないわ……」

 

 マリューとミリアリアが、かわるがわるナナを案じている。

 薬……と聞いて、アスランの脳裏に、ケースを握りしめて立つセアの姿が容易に蘇った。

 あれを渡していたのはドクター・リューグナーだ。彼女も何かを知っていたのだろうか……。

 

「なるほどね。でもまぁ、こっちのドクターが薬を作れるなら問題ないですね」

 

 ナナもあの女医の顔ははっきりと思い浮かんだはずなのに、こちらの懸念をよそに軽く受け流した。

 

「ナナ、体調に異変があったらすぐに知らせてください」

 

 その彼女へ、ラクスが真剣な眼差しで言った。

 

「わたくしたちはもう二度と、あなたを失うわけにはいかないのです」

 

 皆の声を代弁するように、強く。

 

「うん、わかってる……」

 

 ナナはそれを受け止めるよう、ひと息置いて答えた。

 

「私だって、もう二度とみんなと離れたくないから」

 

 また、安堵の空気が流れた。

 となりでキラが息をついたのがわかる。とても心地良かった。

 その時。ブリッジにコール音が鳴った。

 アラートではない。

 ミリアリアがモニターを操作する。

 

「あ、オ、オーブから……! カガリさんからよ……!」

 

 彼女は泣きはらした赤い眼でナナを見た。

 

「オーブには知らせを送っておいたの。黙っていることはできなくて」

 

 マリューが申し訳なさそうに言った。

 

「カガリさん、ショックを受けていて……。落ち着いたらこちらに連絡すると言っていたわ」

 

 心配そうな彼女らに、ナナはにこりと笑ってうなずいた。

 そして。

 

「モニターに出して、ミリ」

 

 「ミリ」と呼ばれ、ミリアリアは一瞬目を瞬いた。フラッシュバックしたのは彼女の方なのだろう……。

 が、彼女はすぐにテキパキとスイッチを操作した。

 メインモニターに、カガリの顔が映し出される。

 酷く取り乱したのを懸命に抑え込んだのだろう。後ろ髪が少し乱れたままだった。きっと、いつものように激しく髪を掻きむしったに違いない。

 

≪ナナは……、あ、いや、あの……、あのコの意識は……?!≫

 

 逸る言葉は、すぐに遮られた。

 

「カガリ」

 

≪え……≫

 

 大きな瞳に、その姿を捉える。

 

≪ナナ……!?≫

 

 怖れと期待が入り混じった顔で、その姿を凝視している。

 

「“私”だよ。わかる?」

 

 ナナの声は優しかった。

 

≪ナナ……? ナナなんだな……!?≫

 

 モニターにつかみかからんばかりの勢いで、カガリは叫んだ。

 

≪お、お前っ、ナナなんだな?!≫

「うん。ナナだよ、カガリ」

 

 久しぶりに聞く、姉の声……だ。

 

「ごめんね、カガリ。アナタをひとりで戦わせて。ひとりで苦しませてごめんね」

 

 カガリは唇を引き結んだ。

 セアとナナ……今、彼女の中で融合させているのだ。

 

≪ナナ……、わ、私は……。すまない、ナナ……、お前のこと……!≫

「いいの、カガリ」

≪オーブだって……、オーブがこんなっ……!!≫

「大丈夫、カガリ」

 

 静かな涙をこぼすカガリに、ナナは言う。

 

「オーブにはアナタがいる」

≪ナナ……≫

「私たちも、こっちで戦う」

 

 変わらぬ姉の声を、カガリは唇を噛みしめて聞いている。

 

「ねぇ、カガリ」

 

 こちらまで安心するような、優しい姉の声。

 

「離れていても、想いはひとつ……でしょ?」

≪う……≫

「もう一度、二人でがんばろう。みんなと一緒に」

≪う、うん……!≫

 

 カガリは袖で涙を拭った。

 

≪こ、こっちのことは任せてくれ……! ナナ!≫

 

 強くなった……そう思った。

 今のカガリには、強い意志、深い想い、それに加えて確かな自信があるように見えた。

 

「じゃあ、カガリ。通信が探知されたら危ないからもう切るけど……」

≪あ、ナナ! ナナ……、ほ、ほんとうに、もう大丈夫なんだな……!?≫

「うん、大丈夫だよ」

≪本当か? 本当なんだよな……!?≫

「大丈夫だってば……。あ……」

 

 何度でも確かめたがるカガリの気持ちは良くわかった。

 が、ナナは視線を外して隣にいたラクスの腕を引っ張った。

 

「ねぇ、ラクスからも言ってやってよ」

 

 そして。

 

「アスラン、キラもこっち来て」

 

 こちらに手招きする。

 キラと二人でナナの側に立つと、カガリの真剣な目が合った。

 

≪アスラン、キラ、ラクス……! ナナは大丈夫なんだよな!?≫

 

 必死の想いだ。よくわかる。

 

「カガリさん。こちらにいるのは、間違いなくナナですわ。そして、これからもナナはわたくしたちとともにあります」

 

 ラクスが静かに答えると。

 

「大丈夫だよ、カガリ。ナナは前と同じ。元気だよ……!」

 

 キラが完結に言う。

 

「カガリ」

 

 最後にアスランが言った。

 

「ナナは……、もう大丈夫だ」

 

 それだけを。

 が、カガリの表情が変わった。

 

≪そうか……よかった……≫

「カガリ」

 

 ナナが彼女に言う。先ほどより強い声で。

 

「私たちはもう一度、ちゃんと再会しなくちゃならない」

 

 再会という言葉が胸に響いた。

 

 

「だから……、必ずオーブに帰るから、アナタはオーブで待ってて……」

 

 

 空気が優しくなった。

 ナナが抱くカガリへの愛おしい想い、オーブへの懐古の情、それが滲んでいるのだ。

 

≪ああ、待ってる……! 待ってるから、必ずみんなで帰って来い……!≫

 

 ナナは答えなかった。小さな笑みを返した。とびきり綺麗な。

 そして、ミリアリアに合図した。彼女は小さくうなずいて、スイッチを押した。

 暗くなったモニターに向かって、ナナが誰にも聞こえないくらいの声でつぶやいた。

 

「よかった……」

 

 その姿に、ナナはきっとセアの奥で眠っている時でも、ずっとカガリのことを心配していたのではないかと……そう思った。

 

 

 

 



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力を、光を、

 

 ナナとの再会の喜びをゆっくりと噛みしめている間は無かった。

 だがそれは逆に、再びナナとの別れを不安に思う間も無かったということになる。

 どちらにせよ、再び情勢が動いた。

 「ジブリール死亡」の発表後、沈黙を続けていたデュランダル議長が、まるでナナが目覚めるのを待っていたかのようにある計画を発表したのだ。

 『デスティニープラン』……彼はそう言った。

 その内容を具体的に示し、実行を宣言した。

 プランはおおむねラクスが予想したとおりだった。

 遺伝子操作によって産まれて来る者の運命を予め決めてしまう……。

 己の運命を受け入れ、初めの設計どおりに生きるから、抗って苦しむことはない。ひとりひとり、設計に適した役割が決められるので、誰かと競うこともない。競わないから争わない。そうして争いのない世界を創る……。

 もちろん、世界は混乱した。

 アークエンジェルに入って来る情報は、どれも危ういものだった。

 オーブはいちはやく、プランの導入を拒否した。無論、カガリに迷いはない。

 が……、追随したのはスカンジナビア王国のみだった。

 

 

≪思った通り、世界の反応は緩慢なものだな≫

 

 モニターには、エターナルのバルトフェルドの憂鬱な顔が映されていた。

 少し前、彼は“ナナ”の姿を見て、少年のような顔を見せた。

 いつものひょうひょうとした表情から、少年のように嬉しそうな顔、そして今はめったに見せない陰鬱な表情へと変わっている。

 ナナ復活の歓喜から、すぐに『デスティニープラン』の話題へと移らざるを得なかった。

 

「思った通りというより、思った以上に……じゃない?」

「プランが『よくわからない』ってのが本音だろ?」

「あれだけ聞くと、本当に良いことばかりにしか聞こえないものね」

 

 

 マリューとムウもいつもより声の調子を低くしている。

 

「不安がなくなる。だから戦争が起きない。そうやってみんなが幸福になれる……なんて」

 

 マリューがそう呟いたとき、キラが口を開いた。

 

「議長は世界から信用されていますからね、今は……」

 

 アスランは苛立ちを感じた。いや、ずっと感じていたのだ。

 隣で静かに周囲の様子を見守っているナナ……。その瞳は本来の彼女の色ではない。

 彼女をこんなふうにしたのは誰なのか。誰が自分たちを惑わしたのか……。

 いくら世界が彼を信じ、崇めても、もう嫌になるくらい彼の本性を知ってしまっている。

 

「だが、議長がプランの提示だけで終わらせるはずがない……」

 

 憎しみを込めぬよう、できるだけ冷静に言った。

 ナナの瞳が、こちらを向いたのがわかった。

 

≪ヤツは導入、実行……まで言ってるからな≫

 

 バルトフェルドがため息をつくように同意した。キラも、マリューもうなずいた。

 皆、同じ危機感を持っているのだ。

 

「オーブは?」

 

 この話題になってから初めてナナが口を開いた。

 

「すでに防衛体制に入ってるわ。議会でプランの拒否が採択されるのは間違いないもの」

 

 ミリアリが答える。

 ナナは安堵した……というより、誇らしげな顔をした。場違いではあったが、その想いはよく理解できた。

 

「強引に来られたら、オーブは戦うしかないものね……」

 

 マリューが厳しい言葉をつぶやく。

 アスランはうつむいた。キラもだ。

 戦いたくない、戦わなくて良い世界を、みんなで目指していたはずだった。たとえ道を違っても、戦いを終わらせるために同じ方向を向いて歩いていたはずだった。

 ナナを失っても……。

 それでもなお、再び「戦うしかない」状況に陥っている。

 それは、大いに虚無感を膨らませた。

 が。

 

「戦うしかない……か」

 

 キラは息を吐くように言った。

 

「向こうだってそう思ってるんだよね。『これなら戦うしかない』って……。結局、僕たちは戦いを重ねていく……」

 

 彼は胸に巣食うものを、ちゃんと言葉にしようとしていた。

 

「プランも嫌だけど、こんなことも……、本当はもう終わりにしたいのに……」

 

 まるで、アスランの心をそのまま写すように。

 

「でも……」

 

 重くなった空気に風を吹き込むように、ラクスが言った。

 

「今は戦うしかありません。わたくしたちも」

 

 一滴の迷いも浸み込まない声で。

 

「夢をみる。未来を望む。それは全ての命に与えられた生きていくための力で、正当な権利です」

 

 彼女は皆を見回した。

 

「何を得ようとも、夢と未来を封じられてしまったら、わたくしたちはすでに滅びたものと同じ……。ただ存在しているだけのモノとなります。全ての命は未来を得るために戦うものです。戦ってよいものです」

 

 その視線は、ナナで止まった。

 

「だからわたくしたちも、また戦わねばなりません。今を生きる命として……。わたくしたちを滅ぼそうとするもの……。“死の世界”を目指す者たちと……」

 

 その言葉に、アスランの虚無の中から決意が首をもたげた。

 いつもそうだ。ラクスの言葉には戦うための力がある。それを受け取って、足を踏み出すことができるのだ。

 皆そうだった。キラも、マリューも、ムウも、ミリアリアも、ノイマンも……、皆の瞳に決意が灯る。彼らは己の道を見定めたかのように、力強くうなずいた。

 ナナは……。

 

「ラクス……」

 

 ナナだけは、柔く笑んだ。

 

「やっぱり、アナタの言葉はすごく心地良い」

「ナナ……」

「なんか、心の中に優しい風が吹く気がするの」

 

 皆はラクスの言葉で決意を固くしたというのに、ナナは「優しい風」と、まるで反対のことを言う。

 が、ラクスの表情も和らいだ。

 

「ナナ、あなたの言葉も聞かせてください」

「え?」

「わたくしたちはずっと、あなたの言葉を待っていました」

 

 皆の視線がナナを向く。いや、ナナを突き刺す。

 そのくらい、どれも熱が籠っていた。

 自分ももちろんその一人だと、アスランも自覚していた。

 

「私は……、原稿がないとまともなこと言えないから……!」

 

 用意した原稿などほとんど読まずに、世界に向けて堂々とスピーチをしていたくせに、ナナは謙遜した。

 そして。

 

「全部、ラクスが言ったことに同感なんだけど……、なんていうのかな……」

 

 ナナは自分なりの言い回しを探していた。

 そして。

 

「今生きてる誰もが、『好きな人』『好きなもの』『欲しいもの』『やりたいこと』……何かひとつくらいはあるはずなんだよね」

 

 軽やかな口調は、眩暈がするほど懐かしい。

 

「議長の言う世界になったら、それらが全部奪われるってことだと思う。だって……、議長が創ろうとしてる世界は、産まれる前から全部を決められちゃうんだよね? どんな人を好きになって、何に興味を持って、何を成し遂げるのかを……。ってことは、そうじゃない“今生きてる私たち”は、その世界にとって邪魔な存在なんだよね?」

 

 アスランは、ナナの声を全身で浴びるように聞いていた。

 

「だからこれからは……、従わなければ排除される『過渡期』になる。ていうか、きっと議長の中ではもう始まってる」

 

 その、残酷な言葉も。

 

「私は……奪われたくないから戦う」

 

 明快な言葉も。

 

「戦って、生き抜いて……、今、議長の魔法にかかってる人たちの頬っぺたをひっぱたいてやらないと、本当にラクスの言う“死の世界”になっちゃう」

 

 全細胞に染み渡る……。

 

「だから……、私は戦います」

 

 光が灯った気がした。

 ラクスが力を、ナナが光を……、二人が与えてくれたのだ。

 

「うん。戦おう、みんなで」

 

 最初に同意したのはキラだった。

 そして皆もそれぞれ決意を口にする。モニター越しのバルトフェルドも、いつものひょうひょうとした顔つきに戻っていた。

 

「じゃあさっそくグレイスの機嫌でもうかがいにいこうかな。あれは私が戦うための力だから……!」

 

 力という言葉も、もう危うくはなかった。

 

「それじゃあ、ドックに行ってきます! あ、マードックさんたちにちゃんと説明しないと……。あの人、なかなか信じてくれなさそう……」

「オレも行く」

「僕も行くよ」

「アスラン、キラ、ありがとう!」

 

 ナナがブリッジの扉を開ける時、視界の端にラクスがほっと息をつくのが見えた。

 彼女がどれほど、ナナの存在を支えにしているか、改めてわかった気がした。

 

 



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特効薬

 

「……だからさ、レイは最初から知ってたんだと思うんだよね。『プロジェクト・バハローグ』の本当の目的を」

「レイは議長を崇拝していたからな……」

「でも……、“セア的”には、レイに守ってもらって安心できたんだよね。たとえ議長のために私のことを気遣ってくれていたとしても……、あれは全部が全部、嘘じゃなかったと思うんだよな……」

 

 港を歩きながら、アスランとナナはかつての仲間たちの話をしていた。ルナマリア、シン、レイたちのことだ。

 途中、ナナは『セア的には』という言葉をよく使った。セアとしての感情は、今もナナの一部にくっきりと刻まれているらしい。

 セアには聞けなかったことを、今ナナの口から聞けるのは、アスランにとって不思議な感じがしたが、どこか嬉しかった。

 

「それにしてもさ、あんなにすんなりとみんなが信じてくれると思わなかったんだけど……」

 

 ナナは話を少し前の出来事に戻した。ものすごく怪訝な顔をしている。

 

「最初は疑ってた人もたくさんいたけど、結局ほとんど信じてくれてたよね? アスランはどう思う?」

 

 艦を出て港を歩いているのは、オーブから同行しているクサナギに行って来たからだ。

 本国のカガリから、『ナナが帰還した』ことをオーブの軍人たちに伝え『これから共に戦う』と宣言してほしいとの要請があったのだ。

 ナナは自国の軍人だからこそ、混乱を避けるために公表を控えたいと言ったが、結局は受け入れた。カガリが「軍の士気に関わる」と、代表首長としての立場でうったえかけたのが良かった。

 その毅然とした態度に、ナナはあっさりと自身の意思を曲げ、カガリに従った。その時の顔はとても嬉しそうだった。

 

「全員ではないだろうが、ほとんどは信じたように見えたぞ。カガリが事前に通達していたんだろ?」

「うん、そう。やっぱ代表首長様の言うことはちゃんときかないとね!」

 

 ナナは自身が受け入れられたことよりも、カガリの言葉を皆が信じたことへの喜びを表した。

 実際、クサナギのドックで主だったオーブ軍人たちと対面した時、異様な空気を感じた。

 皆、カガリからの通達でナナのことは聞いていたはずである。

 が、その目で見るまで……、いや、その目で見たとしても、容易に信じられる事ではなかった。

 無理もないのだ。

 アスランのように、ナナと親しかったのならば、事実を受け入れるのに隔たりはないだろうが、国の外交を担っていた者と軍人の関係では判断材料が少なすぎる。

 しかし、最初は疑いの目で登壇するナナを睨んでいた者たちも、ナナの言葉を聞いた瞬間に顔つきが変わった。袖で控えていたアスランは、その場の空気が変わったのを感じたのだ。

 姿は変わってしまった。実は生きていたと言われても信じられるはずもない。つい先日記憶が戻ったと言われても、胡散臭い話と感じていただろう。

 が……、ナナが壇上で最初の言葉を発した瞬間、ほとんどの人間が、そこにいるのがナナであると実感したのだ。

 ナナは“以前と同じ”だった。声の調子も、口調も、視線の動きも、物腰も、選ぶ言葉も……。

 彼らにもわかるのだ。祖国を愛する軍人たちであれば、その祖国を背負って導いた人が“誰”なのか。

 

「まぁとりあえず、『プラントに仇を!』とか言い出す人がいなくて良かった……」

 

 ナナは胸をなでおろした。

 恐らくゼロではない。いや、わだかまりを抱えた者は少なくないはずである。アスランの中にも、カガリの中にも、キラやラクスの中にもそれはあるのだ。

 が、ナナのスピーチで、皆は同じ方向を向いた。

 

『オーブが、とか、プラントが、とか、ナチュラルが、とか、コーディネーターが……とかではなく、今は私たちの未来を殺す「デスティニープラン」と戦いましょう』

 

 ナナはそう言った。

 物騒な言葉が混ざるのは、ナナのスピーチの特徴だ。

 が、それをもったいぶらす涼しげに言うから、心の深いところに響くのだ。

 そしていつも必ず、明確な道筋を見せてくれる。迷いが消えるように明快に言ってくれる。

 今回もそうだった。

 それに……。

 

『私自身の身に起きたことは、この戦いが終わった後で関係者をとっ捕まえて洗いざらいしゃべってもらいます。この瞳と髪も気に入ってはいるけど……、本人の意向も聞かずに勝手にプロデュースするなんて、酷い人権侵害ですからね!』

 

 彼らの本音にもちゃんと触れた。

 本当は、ナナ自身は自分の身に起きたことへの解明にはあまり積極的ではないようだった。

 だが、軽い口調で彼らの憤りを表現することで、気持ちを撫でつけられた。

 アスランもそうだからわかるのだ。

 そして。

 

『というより、私を護って犠牲になったみなさんのためにも、必ずあの時の真実を暴きます』

 

 関係者のことも気遣った。

 一瞬の沈黙の後、皆は一斉に手を叩いた。歓喜ではなく、決意の意を拍手で表していた。

 

「みんなは大丈夫だよね? アスラン」

 

 ただの同行者のつもりだった。

 が、今は意見を求められている。

 

「ああ。オーブは人が強い」

 

 曖昧な返答だとは思わなかった。

 数隻規模の艦隊、数千の軍人たちを「みんな」と表現できるナナになら、伝わるに決まっているのだ。

 

「そうだね!」

 

 ナナは嬉しそうに笑った。

 

「よかった。アスランに一緒に来てもらって」

 

 そして、そう言った。

 素直に喜びを実感できなかった。

 まだ、「ナナに必要とされている」ことを信じられない不甲斐なさ……。

 が、そんな自分を、ナナは心配してくれる。

 

「ねぇ、ところで、怪我はどうなの? まだ完治はしてないでしょう? ちゃんとドクター・シュルスに診てもらってる?」

 

 もうひとり、“ナナの真実”を知っていた人物、ドクター・シュルスはナナの意識が戻ってから入念な検査をした。

 もう大丈夫だからと笑って済ませようとするナナに、脳波計を繋げたり、血液を何本分か採ったり、視力や聴力の検査までした。

 ナナは彼の動揺や懸念を理解したから付き合ってはいたが、検査結果に関してはまったくの無頓着であった。

 だから、実は先ほどこっそりと彼に呼び出された。ナナがドックにいる時だ。

 「ナナは本当にナナか」「精神状態は安定しているか」など、検査結果もろくに伝えないうち、側にいる自分が感じることを聞きたがった。

 アスランももちろん彼の気持ちが良くわかるから、思うままを率直に話した。

 特に有効だったのは「無理をしている様子はない」という台詞だった。これは、言葉にしてみて改めて自分にとっても有効だと感じた。

 ナナはよく、無理をするから……。

 その様子がないことは、側にいる者として救いだった。

 が、このことはナナには言わないでおこうと思った。

 

「オレはもう大丈夫だ。それより、お前はどうなんだ? 体調は?」

 

 「無理をしている様子はない」ことはわかっている。それが強がりだと見抜けないようでは、ナナの側にいる資格はない。

 が、それでも、やはり心配はあった。

 

「うーん……」

 

 ナナははぐらかしたりせず、素直に考えた。

 

「記憶は? もう錯綜することはないのか?」

 

 石を見て倒れた時は、セアの意識にナナの記憶が入り込んだ……そう理解しているし、ナナ自身もそう言っていた。

 ナナはセアのことを流暢に語るが、あれが二度と起こらない保証はないのだ。

 もし、今のナナの意識にセアの記憶が混ざり込んで混乱したら……。もし、ナナのかつての記憶とセアの記憶が混同したら……。

 そんなことまで考えてしまう。

 だが、ナナはほんの少し考えた末にニコリと笑って言った。

 

「ときどき自分の以前の記憶なのかセアの記憶なのか、どっちかわからなくなることが一瞬だけあるんだけど……、でも、さっきみたいにセアの記憶を言葉にして話してたら、自然と頭の中で整理ができるみたい」

 

 本人にしかわからない苦しみと解決方法である。

 が、それをこの短期間でまとめてみせたのは、やはり“ナナ”であると思わざるを得なかった。

 

「だから、アスランにとってはフクザツだと思うけど、セアの話、これからも聞いてくれる?」

 

 こちらへの気遣いは不要だった。

 セアへの複雑な感情を覚えるより先に、ナナへの想いが募るのだから。

 

「ああ。オレのことは特効薬とでも思って好きなように使ってくれ」

 

 冗談めかして言った。

 それにしても、特効薬だなんて少し奢り過ぎだ。

 が、ナナは声をあげて笑った。

 

「特効薬……! そうだね! そのとおりだね! 好く効く……。“この症状”に好く効く薬ね……!」

 

 そう……ナナだけに効く薬。それになれればいい。

 

「じゃあアスラン、すぐに服薬できるよう、いつでも側にいてね!」

 

 コペルニクスの殺風景な港が、輝いて見えたといっても過言ではない。そのくらい、幸福が心を満たしていた。

 二人で笑いながら、アークエンジェルへのタラップを渡った。

 これからどんな戦いが待っていようとも、もう二度とナナを失わぬよう護り抜こう……。

 そう思った。

 

 

 

 

 ……その戦いは、遠い未来の話ではなかった。

 アークエンジェルへ戻った二人は、それぞれの機体整備に取り掛かったとたん、ブリッジに呼び出される。

 

 地球連合軍の月面基地アルザッヘルが、あの『レクイエム』によって撃たれたのだ。

 

 

 



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最初の頃から

 

「レクイエム……破壊したんじゃなかったんだな……」

「これで残っていた連合の戦力もほぼ全滅ね……」

 

 モニターに映し出される噴煙。月の表面から立ち昇るそれは、宇宙空間でもはっきりと形を留めている。まるで、悲鳴を上げるように。

 ムウとマリューの声に、キラは奥歯を噛みしめていた。ラクスも唇を引き結ぶ。アスランも、両の拳を握りしめ言った。

 

「あれの破壊力もジェネシスに劣らない……。中継点の配置次第で地球のどこでも自在に狙える」

 

 ジェネシスには思い入れがある。いい意味と、悪い意味で……。

 ナナは……、ひどく冷めた瞳でモニターを見つめながらつぶやいた。

 

 

「次はオーブでしょうね」

 

 

 ナナの言葉に、背筋を冷たいものが伝った。

 そう……、ジェネシスの時もそうだった。

 次はオーブが撃たれる……と。圧倒的な力で排除されるのだと……。

 何故、こうも歴史は繰り返されるのか。

 あの時の絶望感を知る皆もうつむいた。憤りと恐怖を共有し、沈黙が流れた。

 と……。

 

「私は……」

 

 ナナが口を開いた。

 

「まだ自分自身も、みんなにとっても、不安定な状態なのはわかってる」

 

 それは意外にも、個人的なこと。

 

「ここのみんなにも、オーブのみんなにも、『これからも一緒に戦う』って言ったけど、これからどんなふうに何をすればいいのかは具体的じゃなかった。ちゃんとした意志はあったけど、すごく曖昧な伝え方をしてたよね……」

 

 が、その言葉はブリッジに染み渡るようだ。

 

「でも今、ごちゃごちゃ考える前に、はっきりした目的が決まったと思う」

 

 そして、全員が欲しいものをナナは示した。

 

 

「アレを壊す」

 

 

 簡潔に。

 

「ナナ……」

 

 ラクスが笑んだ。

 そう……、絶望してなどいられないのだ。自分たちはまだ戦わねばならない。先へ進まなければならない。

 その道を、ナナが示してくれた。

 

「行こう。みんなで」

 

 ナナも笑んだ。

 

「従わねば死を……っていうんなら。どっちにしても、このままだと世界が終わる」

 

 決して楽しい船出ではなかった。

 が、皆晴れやかな顔でうなずいた。

 

「マリューさん、オーブに連絡を。それと、すぐに発進準備を始めましょう」

 

 ナナが言った。

 そして実感した。ここは、このアークエンジェルは、やはり『ナナの翼』……なのだと。

 

「エターナルにも連絡を入れてください。彼らと合流します。ラクス、そっちの戦力はどのくらい?」

「お味方くださる方もたくさんいらっしゃいますので……」

 

 ナナとラクスはこれからのことを話し始めた。極めて重要な内容ではあったが、二人の声は日常会話のトーンのままだった。

 先の戦争のときと同じ光景だ。

 あれをまた繰り返してしまっている絶望感はまだあったが、それと同じくいら、変わらぬ二人の姿に安堵もしている。

 キラも同じ想いなのか、口の端が少し上がっていた。

 二人で顔を見合わせた。

 互いにほっとした様に息をついて、それから、互いの瞳に灯る決意を確かめ合った。

 

 

 

 

「ムウさんも、私みたいに記憶が戻ればいいのにね」

「だからさぁ、オレはべつに記憶喪失じゃないって。あんたたちが勝手にその“ムウ”ってやつだと思い込んでるだけだろ?」

「わかる! わかりますよ、そういうふうにしか考えられないのも。なんたって私は『経験者』ですから……!」

 

 機体の整備、そしてエターナルへの移送準備をするため、ナナ、キラ、ムウ、アスランの四人はドックに向かっていた。

 その途中、ナナはムウと話している。

 

「だってさ、ちゃんとした自分の記憶があるんですよね?」

「オレはネオ・ロアノークとして真面目に生きてきた記憶があるんだ」

「真面目かはわかんないけどね」

「言うねぇお前さん……。この間までとは大違いだ。ほんっとに“別人”だったんだな」

 

 なかなか際どい話題である。

 二人は軽い調子で話しているが、聞いているアスランは内心冷や汗をかいていた。

 アスランは横目でキラを見た。

 彼の顔色は悪い。もちろん、自分も同じく青ざめていることを自覚している。

 

「しっかし、あんたがあの『世界特別平和大使』のナナ・リラ・アスハだったとはなぁ……」

「“ネオ”さんは私にどんな印象を?」

「たいした人物だとは思ってたよ。若い身空で国を背負って、世界を背負って、戦後の混乱を鎮めとしてるのはみんなわかってた。連合の連中もさ」

「ふーん」

「でもどこかで、あんたの言う『未来』は理想でしかないって思ってたな。いくら最前線で戦い、生き抜いたとはいえ、まだ子供みたいなコに何がわかる……ってな」

「まぁ、それが大半のオトナたちの意見でしょうね」

「そうそう、そういう冷めた感じがあったから、オレは逆にあんたの言葉を聞いたんだ」

「“逆に”ってどういう意味?」

「ただ熱っぽく理想を語るだけじゃなく、絶望も知ってるって感じだな……。その二面性が見えたから、あんたに興味を持った」

「へぇ、二面性ね。初めて言われた」

「正直、半々ってとこだったぜ? あんたの言葉を信じてみたいと思う気持ちと、ただの理想でしかないだろうって気持ちは」

「半々って、けっこう良い評価じゃない?」

 

 ナナは笑う。

 だが、こちらは同調しかねた。

 一度、キラと顔を見合わせる。彼も迷っているのだ、この会話を止めるべきか否か……。

 

「あんたはあの時のあんたに戻ったのか?」

 

 結論を出せぬうち、ムウは核心を突いた。

 

「戻りましたよ。カンペキに。でも、セアだったこともちゃんと脳と心は覚えてる」

 

 ナナは簡単にそこを明かす。

 

「そっか。じゃあ、オレたちと戦ったことも覚えてるんだな?」

「そ、その話は……」

 

 さすがに声が出た。

 今から共に戦おうとしている者同士が敵同士だった時のことを語るのは、良いこととは思えなかった。

 ムウは探るような目でナナを見て、ナナは挑戦を受けるような視線を返している。

 

「ナナ、ムウさん……!」

 

 キラも焦ったように加勢した。

 が、

 

「覚えてますよ? あのディンの隊長機に乗ってた人でしょ?」

「あんたはレジーナって機体に乗ってたな。オレたちが盗り損ねた」

「そうそう! アナタは大泥棒でしたね!」

 

 二人は普通の思い出話を語るように話す。

 

「あれから何度も交戦しましたね」

「したな。何度も」

「お互いしつっこいくらいにね」

「そうだな」

 

 そのやり取りはまるで、“ナナとムウ”が話しているようだ。

 

「ガイアの子……」

「ああ、ステラか」

「そう。あの子たちと、何度も戦った」

「そういや、そっちのボウズがステラを返してくれたな」

「シンでしょ? あの時はシンの暴走のせいで、私は胃に穴が開きそうで……」

「たしかに、青臭くて面白いヤツだったな。無茶なことしたあげく、『死ぬような世界とは遠い、優しくてあったかい世界へ返すと約束しろ』……と言われたよ」

「でも、あなたは戦わせた」

 

 かすかに空気が張り詰めた。

 が、今度は止められなかった。

 

「あの子たちは、戦うことでしか生きられなかったからな」

 

 こんなに胃が痛むのに、ナナもムウも、どちらもはぐらかそうとはしなかった。

 

「エクステンデットってやつ?」

「ああ……。ガイアのステラ、アビスのアウル、カオスのスティング……。彼らはエクステンデットだった。オレは彼ら3人を率いて戦う立場だったんだ」

「ステラは戦いたかったの?」

「というより、戦うことでしか生かされなかった。肉体が改造されちまってたから、特別な治療と薬が必要だったし、それらは全部、軍のために戦うためのものだった」

「もしかして記憶も?」

「ああ。眠るたび、リセットされるようになっていた」

「じゃあ、シンのこと……」

「少しは残ってたと思うぜ。そう信じたい……、複雑な親心ってやつかな」

「親心か……」

 

 アスランにとっても、あまり聞きたくない話だった。

 シンがステラという少女に対して特別な感情があるのを知っていたし、彼が彼女を連れ出した時のことも覚えている。もちろん、あの三機と何度も交戦したことも……。

 その、今掘り返さなくても良い過去を、二人は淀みなく明かし合う。

 

「私は、ベルリンでカオスを撃った」

「そうか。あいつら、みんなやられちまったのか」

「撃たなきゃこっちが死んでたし、あなたたちには仲間を殺された……」

「戦争の因果ってやつか……。けど、そうやって敵対し合ったオレたちが、今は仲間として戦おうとしている」

「おかしい?」

 

 ナナが問う。

 ムウは答えた。

 

「いや……。おかしいのは、ここの連中がオレを別人の名前で呼ぶことと、あんたがつい先日まで別人にされてたってことだな」

「そうですね……!」

 

 そうして、二人で笑っている。

 もう、二人にしかない波長があるとしか思えなかった。

 

「ほら……、ナナとムウさんは最初の頃から気が合ってたから……」

「ああ、そうだったな……」

 

 同じことを思ったのか、キラが小声で言った。

 キラが言う「最初の頃」。その頃にナナがアークエンジェル(ここ)で孤立していたことは知っていた。

 ナナとキラ、両方から()()()()として聞いていたのだ。

 出会った頃から軍人らしからぬ柔軟な態度をとるムウは、ナナのよき理解者だったようだ。

 

「それで、何か思い出すようなことはないんですか? 違和感とか」

「いや……。ないな」

「仕方ないですね、私も全く無かったし」

「ただ……」

 

 少しだけ、ムウが真面目な顔でつぶやいた。

 

「一瞬だけ、デジャブみたいな感覚にならないこともないような……」

 

 それはアスランも初耳だった。

 

「そうなんですか!?」

 

 ナナも驚く。

 ナナ自身が言った通り、“セアだった頃”は、ナナの記憶は全く無かったらしい。だから、このムウの反応にはナナが一番驚いているのだろう。

 

「いやぁ、なんていうか……。スカイグラスパーで出て被弾して、この艦に着艦するときだったかな。前にもこんなことがあったような……っていう。まぁ、錯覚に似たようなもんだ」

「それって、フラッシュバックとかいうやつじゃなくて?」

「そんな劇的なもんじゃないよ。あんたらがあんまりオレを知ってるヤツみたいに言うから、洗脳され始めてんのかな」

「洗脳かぁ……」

 

 そして、よりによってエレベーターに乗り込んだとき、ナナは重要なことをつぶやいた。

 

「その、エクステンデットに施してたような『記憶の操作』が、私たちもされたんだとしたら」

 

 誰に問うでもない、つぶやきだった。

 が、狭い空間は凍り付いた。

 

「ナナ……!」

 

 ナナは、今はそれを考えないようにしようと言っていたはずだ。なにより、アスランにとって嫌な話題だった。

 が、ナナは笑みを浮かべて続けた。

 

「アナタが証明したんですよ、ムウさん。そういう技術がすでに存在していることを」

 

 ムウの顔色も一瞬、顔色が変わったように見えた。

 だが、彼もナナに調子を合わせる。

 

「それはそうなんだろうけどねぇ……」

「“ネオ”の記憶は鮮明なんですか?」

「ああ、当然だ。あんたはどうなんだ?」

「私も、“セア”の記憶には違和感がなくて、完全に自分自身の記憶としてありましたよ。ただ……」

 

 ムウよりも、こちらが息を呑む。隣のキラもだ。

 

「今となっては穴だらけで不完全ですけど」

「どういう意味だ?」

 

 アスランはとうとう口を挟んだ。ナナ自身のことに対して黙ってはいられない。

 

「たとえば……、子供の頃に毎日のように遊んでいた近所の公園の名前は“知ってる”のに、そこで誰と何をして遊んだかまでは思い出せない。父や母が戦死したことは“わかってる”のに、セレモニーのことは思い出せない」

 

 ナナはこちらを見て話してくれた。

 

「ようするに、膨大な情報を擦り込んで“記憶”を植え付けたことは成功したけど、実体験や感情を絡めた“思い出”までは埋め込めなかった……」

「思い出……」

「そう。上っ面の記憶……というか“情報”だけがあるって感じかな」

 

 ここで、エレベーターはドックに着いた。

 

「でも、それでも“セア”の時は違和感がないんだよねぇ。不思議なことに」

 

 ナナはため息交じりに言った。

 

「だから仕方ないですよ。ムウさんが“ネオ”であろうとし続けることは」

「だからオレはなぁ……」

 

 二人が先にエレベーターを降りた。

 アスランはキラともう一度顔を見合わせ、二人に続く。

 

「ま、何はともあれ……」

 

 ドック内の喧騒の中、ナナは透き通るような声で言った。

 

「これからムウさんじゃなくてもムウさんのように一緒に戦ってくれるなら、よろしくお願いしますね!」

 

 その爽快さに、“ネオ”も面食らったことだろう。

 

「あ、ああ、こちらこそ……」

「ていうか、カガリからアカツキを託されたんですよね? 壊さないで下さいよ!」

 

 ムウは肩をすくめて、こちらを振り返った。

 

「前のほうが可愛げがあって良かったんじゃないの?」

 

 冗談であることは明確だ。

 アスランは苦笑したが、キラは慌てたように手を交差した。

 

「そ、そんなこと……!」

 

 その親友の生真面目な姿に、苦笑を重ねた。ムウの言葉にスネたような顔をしてみせていたナナも笑った。

 そして、

 

「ムウさん。ネオでもいいけど。記憶を操作されちゃった者どうし、仲良くしましょ!」

 

 ムウにそう言った。

 もう彼は、「自分は違う」とは言わなかった。否定の代わりに、ナナに向かっておどけた感じで敬礼した。

 ナナは笑って、グレイスの元へ走って行った。

 きっとムウなりのけじめだったのだろう。アークエンジェルが正式にオーブ軍の艦体に組み込まれた時、彼は「一佐」に任官されたと聞いている。

 もしナナも正式にオーブの人間に戻ったなら……言い方はおかしいが……また役職に就くことがあるのなら、おそらく彼の上司になるだろう。それがわかっての、あの敬礼なのだと思った。

 

「さぁてと。オレたちの指揮官殿に怒られないように、アカツキの整備にまいりますかね」

 

 ムウはそう言って、アカツキの方へ去った。

 

「ムウさんはムウさんのままだね」

 

 キラがつぶやいた。

 ムウの性格は大きく変えられていない。ナナは……セアとは大きく違っていた。

 

「そうだな……」

 

 考えても仕方がない。ただ、今はここにいる皆が仲間であることが大切なのだ。

 きっとナナもそう思っている。

 

「オレたちも、ナナにどやされる前に行くか」

「うん!」

 

 戦いの時は近づいている。

 が、アスランの心は不思議と落ち着いていた。

 

 

 



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あの島

 

 アークエンジェルはエターナルとの合流を果たした。

 ラクスたちの移動とMSの移送を開始する前、アークエンジェルのブリッジで作戦会議が開かれた。

 ナナ、ラクス、マリュー、ムウ、そしてモニター越しのバルトフェルドが中心となって話が進んだ。

 まずどこに向かうべきか、どこを攻めるべきか……。

 容易に決められることではなかった。

 不意に、アスランも意見を求められた。ナナのまっすぐな視線が心地よかったから、臆せず話した。

 要は第一中継ステーションであると考える……と。あれを即刻落とさねば、またいつどこが狙われてもおかしくはない状況であることを進言した。

 それで、作戦は決まった。レクイエム本体の破壊と、第一中継点を同時に叩くという作戦だ。

 足の速いアークエンジェルとエターナルが先行して第一中継ステーションを落とす。その間に、オーブ軍本隊とエターナルに追随してきた艦隊がレクイエム本体を攻撃する。

 近くにはザフトの月軌道艦隊が集結している。どちらもそう簡単に遂行できる作戦ではなかった。

 が、やるしかなかないことは、誰もがわかっていた。

 

 

 

 キラはラクスを連れてさっさとフリーダムでエターナルへ行ってしまった。

 置いて行かれたアスランは、アークエンジェルのロッカールームでパイロットスーツに着替える。

 隣ではナナが着替えているはずだ……。

 ナナはまた、戦うのだ。“ナナ”として。あの時と同じように。

 先の激戦が蘇る。

 一瞬でも何かがずれていたら、死……だった。

 そしてあの時、ナナが迎えに来てくれなければ、自分はここにはいない。とっくにジェネシスと一緒に宇宙の塵となっていて、ナナと心を通わすことはできなかった。

 今回も同じだ。

 生きて戻れる保証はない。ナナも、キラも、自分も……、アークエンジェルもエターナルも。

 それでも、行かなければならない。戦わなくても、待つのは“死”なのだから。

 どれだけ決意を確認しても、ため息が出た。

 戦闘への恐怖ではない。怯んでいるわけではない。

 ただ……、またナナを失うかもしれないという恐怖が胸を絞めつけている。

 しかし、ここにナナを繋ぎ止めておくことなどできはしないのだ。

 この艦も決して安全ではない。が、MSで飛び出すよりはまだ良いはずだ。

 わかっていても……言葉にすることは許されない。

 ナナはまた、戦うのだ。グレイスのパイロットとして。

 ナナの背にある翼は、今、羽ばたこうとしている。

 それを止めることはできない。止めても、ナナはこの手を振り払う。

 だから、覚悟を決めるしかなかった。

 その覚悟を確かめるように、ゆっくりとロッカーの扉を閉めた。

 パタン……と、味気ない音が響く。深く息を吐いて、ドアへと向いた。

 ナナに、この覚悟を見せて安心させなければならない。

 が、アスランが一歩踏み出す前に、ドアがノックされた。

 こちらの返事を待たずに、そこから顔をのぞかせたのはナナだった。

 

「準備できた?」

「ああ」

 

 ナナはこれから戦闘に向かう者とは思えないほど、穏やかな顔で歩み寄る。

 パイロットスーツを着ていなければ、散歩にでも誘いに来たような雰囲気だ。

 

「アスラン、オーブ軍(うち)のパイロットスーツ似合うね」

「そうか……?」

 

 そういうナナも、オーブ軍のパイロットスーツだ。そう……、前とは違う。

 が、ナナはこう言った。

 

「前にもこんなことがあったって、私の脳はちゃんと覚えてるんですけど」

「ああ、そうだな。オレもはっきり覚えてる……」

 

 ナナの独特の言い回しに同調すると同時に、あの瞬間の想い出が蘇る。

 

「あの時はエターナルだったね」

「ああ」

「アナタが私を見送る立場だった」

「今回は逆だな」

「お互い、着てるものも違うしね」

 

 そう遠い昔ではない。

 

「それに……あの時は、綺麗な地球が見えてたけど、ここは殺風景だね」

「そうだな」

 

 二人して笑った。

 ここはアークエンジェルのロッカールームで、窓はない。ナナが言うように、同じ形の扉が並んでいるだけでとても殺風景だ。

 何もかも違うのに、二人の間にはあの時と同じ綺麗な想いが溢れている。

 

「ナナ」

「アスラン」

 

 言葉を繰り返すのは省略して、あの時のように抱き合った。今度は二人で同時に。

 少しの間、静かに、温もりを確かめ合って……アスランはつぶやいた。

 

「やっぱり、あの時とは少し違うな……」

「なにが……?」

 

 ナナが微かに不安げな顔をする。

 うまく伝える自信はなかった。が、全てを差し出すつもりだった。

 

「あの時のオレは、この先もお前といたい……、お前を護りたいと思っていた……」

「今は? 違うの?」

 

 ナナの頬に手を添えた。相変わらず、肌は冷たい。

 この温度にこみ上げる感情は同じだった。

 だが、やはり違うのだ。あの時とは。

 

「もっと欲が出た」

「欲……?」

 

 ナナの瞳が大きく瞬いたので、少し笑った。

 色は違っても、光は同じ。そして、そこにはちゃんと自分が映っている。

 それが嬉しかった。

 

 

「『一緒にいたい』じゃない、『絶対に一緒にいる』んだ……。何があっても」

 

 

 ナナにしては、理解するのに時間がかかった。

 だが、アスランの想いをしっかりと受け止めてくれた。

 

「うん、そうだね!」

 

 笑みが咲いた。

 触れるのは少し勿体なかったが、その花に口づけた。

 懐かしい温度に、頭の奥が痺れた。が、身体じゅうに力が巡った。

 

「アスラン」

 

 ナナは何も言わなかった。ただただ、幸福そうに笑っていてくれた。

 

「未来を、一緒に……」

 

 アスランはそう誓いを囁いて、もう一度キスをした。

 そしてまた、強く抱きしめ会った時。

 

「アスラン……、あの約束、覚えてる……?」

 

 くぐもった声でナナがささやいた。

 

「あたりまえだ」

 

 忘れたことはなかった。

 ナナを失った心の穴埋めをするように、()()()()を調べようとした。なんでも良いから慰めたかったのだ、自身を。

 何度か……、何度も、そうした。

 が、座標を割り出そうとするたびに、強烈な虚しさが穴を吹き抜けて、できなかった……。

 

「行こうね、“あの島”……」

「ああ……。必ず……」

 

 しばらく褪せていたあの約束も、今は再び輝き出そうとしていた。

 

 

 



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第4章 復活編
祈り


 

 アスランの温もりはとても懐かしかった。

 肌が、脳が、細胞が、心が……、彼を覚えていた。

 瞳の色は変わってしまったけれど、そこに映るアスランの眼差しに変わりはなかった。髪の色は変わってしまったけれど、アスランは変わらぬ仕草でそれを撫でてくれた。

 セアの記憶はある。

 セアが見たものも、触れたものも、出会った者も、抱いた想いも……全部“自分のもの”として残っている。

 それらは通りすがりに手にしたようなものではなかった。

 セアとして懸命に生きていたから、セアの記憶はどれも深く刻まれている。

 だから、アスランと交わした言葉を覚えている。アスランに抱いた想いも覚えている。

 全部、大切なものだ。

 アスランはそうでもないかもしれないが、ナナにとっては大切だった。

 たとえ今の自分とは違っていても、それは確かに自分の一部だから。

 たとえばこう考える。

 セアはもうひとりの自分なのだ。()()()()()に育たなかった自分……。

 セアは、おくゆかしさとか、遠慮とか、気遣いとか、そういうものを身につけて育った自分だ。

 ()()()()()に意地を張って育たなかったら……、もしかしたら“セア”だったかもしれない。

 きっと、みんなは笑って否定する。

 セアは180度違っている。生まれ変わりでもしない限り共通点はないだろう……と。

 カガリあたりははっきりと言葉にして言い切るだろう。

 が、ナナ自身、今はすんなりとセアを受け入れている。

 自分の一部として。もうひとりの自分として。

 

 だが……、そんなセアだった自分を通り越してでも、はっきりと想い出すことがある。

 それは平和への渇望であり、未来を奪う者への反発であり、そして……アスランのぬくもりだ。

 セアでは得られなかったもの。セアが知らなかったもの。

 それらを全部、取り戻した。

 全部を取り戻して、セアまで手に入れて……何故だか前の自分よりも強くなった気分だ。

 

 だから、進もう。

 そう思った。

 迷いなんてなかった。

 ちゃんと、セアが進む方向を決めていた。みんなが、変わらず一緒にいてくれた。アスランが、全部を受け止めてくれた。

 あとは、自分の足で走り出すだけ。

 

「久しぶり……」

 

 グレイスの操縦桿を握って、思わずそうつぶやいた。

 

 大丈夫……。セアが完ぺきに調整している。

 セアはレジーナと同じように調整したつもりだが、そもそもレジーナのほうをグレイスに合わせていたのだ。

 だから、大丈夫。変わらず、戦える。いや、ずっと、戦っている。

 

「行こう、グレイス……また、一緒に……」

 

 もう一度つぶやいて、ナナは発進シークエンスを開始した。

 

 

≪グレイス、発進スタンバイ……!≫

「了解!」

 

 コックピットの上部モニターに、ミリアリアの顔が映し出される。

 

≪ナナ……気をつけて……!≫

 

 彼女もなんだか前よりずっと強くなったよう見える。

 いや、彼女は変わらないのかもしれない。前から強かったから。

 だからそう見えるのは、自分が彼女を前よりずっと頼りにしているからだと、ナナは思った。

 

「なんか、懐かしいね、ミリ」

≪え……?≫

 

 グレイスをカタパルトまで移動させながら、ミリアリアの顔を見つめる。

 

「前の戦争の時も、こうやって出撃するたびに、ミリアリアが声をかけてくれてたでしょう?」

≪え、ええ、そうね……≫

 

 彼女は少し戸惑った。

 こんな発進の間際にする話ではないのかもしれない。

 が、ナナは感情を言葉にしたかった。

 

「私はずっと、アナタの声に勇気をもらってた」

≪ナナ……≫

「それを今、想い出したから」

 

 最初は気持ちなんて通っていなかった。彼女は自分を恐れていたし、反発していた。

 自分も彼女に心を開かなかった。

 だが、そんな頃からも、彼女の声は自分を励ましてくれていた。まるで自身が出撃するかのような怖れを浮かべた瞳でいて、それでも懸命に、冷静で機敏なナビゲーションをしてくれた。

 そして、その声には祈りが込められていた。

 絶対に道を切り開いて「帰って来て」……と。

 「護って欲しい」だけじゃない。「帰って来て」と、そう願ってくれていた。

 気のせいでも思い込みでもないはずだ。

 その証拠に、冷静沈着だった自分の心が、発進と同時に奮い立つのがわかっていた。ナビゲーション中のやりとりだけでも、彼女と“仲間”になれていた気がした。

 今もそうだ。彼女の祈りを感じる。

 時を経て、彼女とは世間で言う“親友”と呼べる関係になった。

 だからいっそう、彼女の心を感じるのだ。

 

≪ナナ……、絶対に帰って来てよ!≫

 

 彼女も感じたのだろうか。いっそう強い視線をよこした。

 

≪もう、勝手にどこかへ行っちゃうのはナシだからね!≫

「うん、わかってる!」

 

 その視線にも口調にも、よけいに懐かしさを覚える。

 

「またミリに会えてよかった!」

 

 素直に言うと、ミリアリアの瞳が潤んだ。

 

「ありがとう。アークエンジェルに戻って来てくれて」

 

 彼女は唇を噛んだ。

 そして、怒ったように言う。

 

≪今度帰って来なかったら絶交だからね!≫

「それは困る! せっかくできた“親友”なのに……! また友達いなくなっちゃうじゃない!」

≪だから、絶対戻って来て!≫

 

 ナナはうなずいた。

 

「またケーキ食べに行こうね!」

 

 そう言うと、ミリアリアは目元をこすってこう返した。

 

≪仕方ない……。また付き合ってあげるわよ、あんたのお忍びスイーツツアー……≫

 

 以前、ミリアリアを誘ってケーキやらパイやらの有名店を“はしご”したことがあった。

 もちろんナナの顔は世界中に知られてしまっていたので、“お忍び”という形で、細心の注意を払いながらの街歩きだった。

 当然、ミリアリアは気が気ではなかったらしい。なんとしてもナナを護らなくては……と必死だったようだ。

 そう……、この間のラクスとセアのような感じだったのだ。

 だが、また付き合ってくれると彼女は言う。

 ナナはぼんやりとした未来に、一枚のくっきりとした光景を描いた。

 ふいに消えて、不意に戻っても、変わらずいてくれた親友。また……、いや、もっと輝く時間(とき)を過ごしたい。

 

≪ナナ、絶対に帰って来て……! お願い……!≫

 

 ミリアリアはそうささやいた。小さな声音でも強い祈りだった。

 誰かの祈りが力になる……。

 そう実感した。

 体中に巡っていくミリアリアの祈りを感じて、大きくうなずいた。

 薄っぺらい約束は言わなかった。

 だが、この想いは強く真っ直ぐなものだと知って欲しかった。

 ミリアリアは笑ってくれた。

 きっとまた会える。

 そう思った。

 この艦を護って、自身も生き残って、みんなで未来を見よう……。

 そう思った。

 

≪グレイス、カタパルト接続。システムオールグリーン。発進どうぞ!≫

「ナナ・リラ・アスハ……、グレイス、発進します!」

 

 これは二人の戦い。みんなの戦い。

 一緒に戦う……。

 恐れなど一点も無かった。

 ナナはかつてのどの出撃よりも強い力を感じながら、宇宙へと飛び出した。

 

 



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消えぬ火種

 

 宇宙は懐かしくなかった。

 残念ながら、戦闘も懐かしまなかった。

 セアが全部を“現在(いま)”へ繋いでいた。

 ただ少しだけ、グレイスのコックピットは懐かしく感じた。

 

≪こちらエターナル。わたくしはラクス・クラインです≫

 

 その凛とした声も、ほんの少し懐かしく思えた。

 

≪中継ステーションを護衛するザフト軍兵士に通告いたします。わたくしたちはこれより、その大量破壊兵器を排除いたします≫

 

 ラクスが通信を開始した。

 

≪それは戦うために必要なものではありません。あなたがたが守るべきものでもないのです。平和を願う心があるのならば、よくおわかりのはずです!≫

 

 相変わらず、ラクスの声は心地よい。

 ナナはそう思った。

 

≪その身に軍服をまとった誇りがまだあるのならば、道をお開けなさい……!≫

 

 それはきっと彼らも同じなのだ。

 この宙域で彼女の声を聞いた者たち……。ザフト軍の兵士たちが戸惑っているのがわかる。

 ミーティアを装備したフリーダムとジャスティスが彼らの間をすり抜けて、中継ステーションへ向かった。

 

「お願い……」

 

 そうつぶやいた。祈りも込めた。

 が、敵わぬことを知っていた……。

 どれほど「ラクスの声を聞いて欲しい」と願っても、彼らはもう止まらない。軍という枠にはめ込まれて、デュランダル議長が示した道を進め……と号令されている。

 それに背くのは困難なことだと、ナナにもわかっている。

 だから、何かを振り払うかのように一斉に攻撃を始めた彼らを、ナナは撃つ。

 彼らを「正す」とか、そんなおこがましいことではない。

 彼らに気づいて欲しかった。

 何故、戦うのか。何のために戦っているのか。

 

 

 目指す未来に立ちはだかる者が現れたら、それとは戦わなければならない……。

 そのためにはどうしても力が必要で、残念ながら今はそれを手放すわけにはいかない……。

 だけど、その力は絶対に正しく使わなければならない。

 正しく使うということは、今願っている未来のために使うこと。憎しみや欲望のためだけじゃなくて、願いのために使うこと……。

 そうすれば、その力は“武器”ではなく“翼”になる。誰かを殺すための“武器”じゃなく、未来へはばたくための“翼”になる……。

 だからみなさんも、プラントの“武器”ではなく、人々の“翼”であってください。

 

 

 そう、“彼ら”の前で言った。

 偉そうに言ったつもりは無い。願いを込めて言ったつもりだ。

 彼らにとって、今自分たちが『目指す未来に立ちはだかる者』なのかもしれない。

 が、彼らは『願っている未来』のためにその力を使っているだろうか。本当に、デュランダル議長が示した未来を願っているのだろうか。敵である自分たちを憎んで、怒りで力を振るっているのではないだろうか。

 あるいは、『未来のため』など考えないままに……。

 そんな戦いは終わらせたかった。

 ずっとそうだ。

 そうやって、ただ手にした力を使って……、欲望のままに……、あるいは怒りや憎しみで力を使うから戦争は終わらないのだ。

 何のために戦うのか……、力を手にした者はその使い方を考えなければならない。

 それをちゃんと考えて欲しかった。

 だから……。

 彼らと戦わねばならない。

 自分たちが完全に正しいものであると、彼らに対してそう主張するつもりはない。

 だが、彼らは間違っていると思っている。

 そして、こちらの想いをひねり潰そうとするのなら、戦わなければならないのだ。

 対話をするために。彼らが考える時を得るために。

 もしかしたら、どんなに訴えかけても永遠に想いは届かないのかもしれない。

 前がそうだった。

 先の戦争で、多くの人たちが自分の言葉に共感してくれたと思っていた。

 それを広げたくて、『世界特別平和大使』なんて仰々しい役目を引き受けた。

 本当は嫌だった。もっと普通の人の立場で想いを伝えたかった。

 が、そんなちっぽけなままの声では遠くまで届かないからこそ、役目を負ったはずだった。

 だが、言葉はどこにも届いていなかった。願いはひとりよがりな幻想だった。

 あれだけ苦しんで生き抜いたからこそ、強く想いを伝えられたと思っていた。皆、それぞれ苦しんだからこそ、共感し合えると思っていた。たくさんの人たちで足並みを揃えて同じ未来を目指せば……、少しずつ願いが叶って行くのだと思っていた。

 が……、世界はこうなった。

 再び争いは起こり、憎しみが産まれ、恐怖が蔓延している。

 自分を素晴らしい人間だとか、凄いことをやっていたとか、立派だったとか、平和の象徴だとか……そんなふうに思ったことなどない。

 が、共感はしてくれていると思っていた。

 それすらも愚かな奢りだったのだろうかと、今はそう感じる。

 

 結局、声を受け止めたのは自分が知る限り“セア”だけだった。

 “セア”が自分の想いに共感してくれた。

 あたりまえだ。あたりまえすぎて笑いもしない。セア”は自分自身だったのだから……。

 自分の声が、自分にしか聞こえなかっただけだ。

 ただの反響だ。何とも共鳴はしなかった。

 それはとても虚しい。

 戦後、命を削る覚悟で携わってきたひとつひとつのことが、もう戦火に焼き尽されてしまった……。

 それでも、いじけているわけにはいかないのだ。

 ほんの少しでも、想いを同じくしてくれる仲間たちがいる。

 

『“別の未来”を知る君たちが、今、小さな火を抱いて其処へ向かえ……』

 

 と義父は言った。

 使命をくれたと思っている。

 どんなにちっぽけでも、虚しくても、笑われても、鬱陶しく思われても、かき消されても、殺されても……、また繰り返すしかないのだ。

 願いを叶えたいのなら、自分ができることをするしかないのだ。何度でも叫ぶしかないのだ。辿り着きたい未来へ、進み続けなければならないのだ。

 

『小さくても強い火は消えぬと……私たちも信じております』

 

 あの時、マリューは義父にそう応えた。

 今もあの言葉を信じている。

 小さな火は、あの時から消えていない。

 

「だって私、生きてたし……!」

 

 向かって来たザクの両足を切断しながら、ナナはつぶやいた。

 胸の中の厄介な炎は消えていない。セアの中にも確かに灯っていた。

 だから……。

 

≪ミネルバ、月艦隊とともに戦闘宙域に接近……!≫

 

 そう、ミリアリアからの通信が入った時。

 

「行きます、艦長……! 行かせてください!」

 

 迷わずそう言った。

 こうなることはわかっていた。だから最初から決めていた。

 

≪ナナ……、でも……!≫

 

 彼らは“仲間”だった。

 今は敵でも……、あそこはセアの居場所で、彼らはセアの大切な仲間たちだった。

 だからこそ……だ。

 

『わ、私も戦います……! ミネルバの、みんなと……! 倒すため、殺すためじゃなくて……、わかり合うために……! 何もしなければ、何も変えることができない……! 戦ってでも、歩み寄らなければ、わかり合えない……! そう思うから、私も……、私も戦います!』

 

 あのセアの決意は間違いなく“自分”のものだ。

 

「無理だとわかってても、やらなくちゃならないことってあるでしょう?」

 

 ブリッジのメインモニターに繋げてそう言った。

 マリューと目が合う。

 彼女は小さく息をついて、笑った。

 

≪わかってるわ、ナナ。行って来て≫

 

 また、彼女はこちらの想いを尊重してくれた。

 

「まぁ、ダメだったらすぐに逃げ帰って来ますから!」

 

 そう言って、通信を切った。

 そうして迷わず、ミネルバへ向かった。

 艦からインパルスが発進するのがわかった。

 シン……じゃない。彼の機体はデスティニーのはずだ。

 だとしたら……。

 

「ルナ……」

 

 まぎれもない懐古の情が、胸の奥底から湧いていた。

 

 



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どっちだったとしても

 

 インパルスが見えた。

 ナナはまっすぐにそれへと向かって行く。インパルスもまた、こちらへと向かって来た。

 もちろん、インパルスの通信チャンネルは知っている。だからすぐに声をかけた。

 

「ルナ……!」

 

 耳元で、息を呑む音……。

 

≪え……? そ、その声……≫

 

 二機は戦場で不自然に止まった。

 

「ルナ、久しぶり」

 

 ナナはモニターも繋げた。

 ヘルメット越しに、ルナマリアと視線を合わす。

 

≪な、なんで!? セア……!? セアなの!?≫

 

 彼女は目を見開き、驚きの声をあげた。

 

≪い、生きてたの?! セア……!≫

 

 インパルスから放たれていた闘気が消えた気がした。

 

≪なんで……、なんであんたが『グレイス』に……?!≫

 

 だが……。

 

「違うの、ルナ」

 

 ナナはヘルメットをとった。

 

≪ちょ、ちょっと……!≫

 

 ルナマリアはなおも激しく動揺をする。

 その彼女に、

 

 

「私は、ナナ」

 

 

 そう告げた。

 

 

≪……え……?≫

 

 

 ややあって、ルナマリアは口を開く。

 

≪な、何言ってるのよセア! あんたは……!≫

 

 だが、それ以上まともな言葉は続かない。目と耳から入り込む情報を持て余し、ただただこちらを凝視している。

 

「私はナナだよ、ルナ。ずっとセアだったけど、ナナに戻ったの」

≪も、戻った……?≫

 

 モニターとスピーカーから、彼女の困惑が伝わる。

 

「あの事故の後、私は“セア”に替えられた」

≪か、替えられた……って……≫

「私が飲んでた薬、知ってるでしょう?」

≪え、ええ……≫

「あれね、髪の色と目の色を変える作用がある薬だったんだって」

≪えっ……?!≫

 

 

 ほんの少し、彼女の瞳に迷いが浮かんだ。

 

「私をセアに替えること。そしてザフト兵として戦わせること……。それが『プロジェクト・バハローグ』の本当の目的だったみたい」

≪そ、そんな……≫

 

 だが、簡単にこちらの話を信じるはずもなかった。

 

≪なに言ってるの?! だ、だいたい何の目的でそんな……≫

「こうやって、“敵”を混乱させるためじゃない?」

≪て、敵……って……≫

「見事に『逆効果』になっちゃったようだけどね。こういうのって『本末転倒』って言うんだよね?」

 

 自身の中に産まれた迷いに抗う彼女に、残酷な皮肉を突きつけた。

 

≪そ、そのしゃべり方……、あんた……本当にっ……?≫

 

 インパルスがわずかに後退した。

 無理もない。

 彼女の知らないセアと、彼女の知っているナナ。その両方が目の前にいるのだ。

 

「信じなくてもいいよ、ルナ。私だって信じがたいんだから。アナタが急にこんなこと言われても、信じられないことくらいわかってる」

 

 ナナは、ゆっくりとインパルスにライフルを向けた。

 反射的に、インパルスも同じ恰好をする。

 

「セアでもナナでも……、どっちだったとしても、私たちは今こうして銃を突きつけ合ってる」

 

 彼女に、銃口と現実を突きつける。

 

≪う、裏切り者……!≫

 

 ルナマリアは思い出したように叫んだ。

 

≪だったら……、どっちにしたってあんたは“敵”よ……!≫

 

 セアでもナナでも、彼女にとっては敵なのだ。

 セアはザフトを裏切った。そしてナナの国オーブはプラントの敵である。

 それも全部わかっている。

 

「それじゃあ、私たちは今ここで殺し合わなきゃね」

≪え……?≫

 

 当たり前のことを言った。

 が、ルナマリアは戸惑う。

 

「だってそうでしょう? 敵だっていうんだから」

≪…………≫

 

 迷っている。

 それは己の信念に反するからなのか、友を撃ちたくないからなのか、それとも……この戦いに疑問を感じているからなのか……、それはナナにはわからなかった。

 

「私はアナタを撃ちたくない」

 

 だが、今その真実を問いただす時間はない。

 

「アナタは大切な友だちだから」

 

 だから、想いを差し出す。

 

「“私”がレジーナのパイロットに選ばれた時、怯んでた私に『自信を持て』って言ってくれたよね」

 

 セアが、ちゃんと彼女に伝えたかったことを。

 

「ミネルバに配属されて、急に戦争が始まった時も、ぐずぐずしてた“私”をずっと励まし続けてくれたよね」

 

 今も胸にある想いを。

 

「“私”は嬉しかった。アナタのように、ちゃんと自分の考えをはっきり言えて、勇気があって、かっこよくて……、そんな人が友達になってくれたのが……。いつも側にいてくれたのが、すごく嬉しかった」

≪……セア……≫

 

 黙って聞いていた彼女が、その名をつぶやいた。

 

「アナタがいたから戦えた」

 

 彼女はうつむいた。そして低い声で言った。

 

≪だから……撃ちたくないって言うの……?≫

 

 その震える言葉を、待っていた。

 

≪あんたが私を裏切って“敵”になったんじゃない……! 勝手な事ばかり言わないでよ……!≫

 

 怒りの瞳がこちらを向いた。

 瞬間、言った。

 

「だったらアナタが私を撃つ?」

 

 一瞬だけ息を止め、彼女は答えた。

 

≪う、撃つわよ……!≫

「何のために?」

≪敵だからに決まってるでしょう?!≫

「なんで私はアナタの敵なの?」

≪な、なに言って……?!≫

 

 苦しみながら撃ち合う、アスランとキラを思い出した。

 だが、ナナの決意は揺るがなかった。

 

「ねぇ、ルナ。アナタは今、何のために戦ってるの?」

≪なに……って……≫

「軍のため? プラントのため? 命令だから?」

≪そ、そうよ……! 私は軍人なんだから! 軍の命令を遂行するために……≫

「それが本当にアナタの意思なの?」

≪そうよ……そうに決まってるじゃない……!≫

 

 ルナマリアのことは良く知っている。

 セアとして、彼女の側にいた。本当に彼女に憧れ、感謝していた。護られてもいた。ずっと頼りにしていた。

 だから、彼女が勇敢な“戦士”であることも知っている。

 

「じゃあアナタは……、この戦いの先に待つ未来に希望が持てるの?」

≪え……?≫

 

 ナナは改めて、インパルスの眼前に銃口を向ける。

 

「アナタが戦って勝ち取ろうとしてる未来……。それは本当にアナタ自身が望むものなの?」

 

 ルナマリアは答えなかった。

 彼女は勇敢な戦士であるが、聡明な少女でもある。だから、答えはまだ出ていないのだ。

 

「デュランダル議長が示す『デスティニープラン』……。遺伝子によって産まれる前からなんでもかんでも決められた人間が生きる世界……。アナタはそんな世界になって欲しいの?」

 

 迷っている彼女を大いに揺さぶる。

 心は痛んだ。

 だが、まだどうしても、ほんの少しの可能性に懸けたかった。

 

 

≪そ、それが……、こんなふうに戦わなくて良い世界なら……!≫

 

 

 少しの沈黙の後、彼女はそう答えを出した。

 

「そう……」

 

 失望はしなかった。

 むしろ、ルナマリアという少女の意思の形が見られて嬉しかった。

 が、

 

「だったら、やっぱり私たちは“敵”同士だね……今は」

 

 グレイスのもう一方の手で、ビームサーベルを抜いた。

 

≪そ、そうよ……! セアでもナナでも! あんたはザフトの敵……!≫

 

 ルナマリアは意志を掲げた。

 

≪あんたが私に適うわけないでしょう……!?≫

 

 同時に……迷いも見せた。戦いたくない心が、掲げた意志を鈍らせている。

 

≪私だってあんたを撃ちたくない……! たとえナナでも……。だから、投降しなさい!≫

 

 ナナはじっと、ルナマリアの目を見つめた。

 

≪セアの腕は知ってる……! 確かにレジーナに乗ってた時はエース級だったけど……。でも私だって同じくらい新型のパイロットに相応しかった……!≫

 

 虚勢の言葉ではない。

 

≪ナナの腕は……記録でしか知らないけど……、でも、今のあんたがナナなら……≫

 

 本当に、どうにかして戦闘を回避しようとしているのだ。

 

「私はナチュラルだから? 自分に適うはずないって?」

 

 だから、その道を断った。

 

「だけど、私は撃たれるわけにはいかない」

 

 ビームサーベルも、いつでも目の前のモノを薙ぎ払えるように構える。

 

「『デスティニープラン』の世界を望まない者たちを、こうやって排除しようとするアナタたちには、絶対に負けるわけにはいかない」

≪……っ……≫

 

 彼女は言葉を呑み込んだ。

 インパルスのライフルが、揺れた。

 

「力で支配しようとするものと、私たちは戦う」

 

 一拍おいて、ビームサーベルを振りかざした。

 

≪だからって……!≫

 

 インパルスも、想い出したようにライフルの銃口を上げた。

 

≪自分たちが正しいみたいに言わないでよ……!!≫

 

 彼女は叫んだ。

 それは怒りというより、まるで()()()のようだった。

 そして、

 

≪私は戦う! 争いのない世界のために……!≫

 

 再び意思を掲げ、ついにライフルの引き金を引いた。

 荒々しいが、射線は乱れていた。

 グレイスはそれを難なく避けた。ライフルは使わなかった。

 彼女の迷いも、自尊心も、未来も奪う火など必要ない。

 彼女に知って欲しいのは、優しい灯だ。

 インパルスの銃口はグレイスを追った。

 何度も撃った。

 が、かすることもなかった。

 ナナはもう何も言わなかった。

 両の奥歯を噛みしめて、グレイスを反転させた。そしてまっすぐにインパルスへ向かって行った。

 彼女は怯んだ。引き金を引く手を止めた。

 グレイスは、インパルスの鼻先で身をひるがえし、インパルスの背後にまわった。

 ルナマリアに対応する間は与えなかった。

 ビームサーベルで右の腕を斬り、ライフルで左の腕を撃ち抜いた。そのまま足元に潜り込み、両足をビームサーベルで切断した。

 戦闘能力を失わせるまで、ほんの一瞬だった。

 自分が強いわけではない。

 確かに、動きは身体に染みついている。

 が、ナナには当然それを喜ぶこともなければ、悲しむこともなかった。

 

「ルナ、大丈夫」

 

 バランスを失ったインパルスを、グレイスは抱きかかえた。

 

「アナタにはまだ、未来がある」

 

 モニターを見た。

 ルナマリアは肩で大きく息をしている。

 こちらを見て何か言おうとしたようだったが、スピーカーから声は聴こえなかった。

 

「まだ、選べるから」

 

 そう言って、ナナはインパルスを抱えたまま、ミネルバへと向かった。

 

 



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決別

 

 ミネルバのブリッジは一瞬、奇妙な静寂に包まれた。

 数十秒前に発進したインパルスが、最前線に辿り着く前に動きを止めたのだ。

 そこは最前線でないといっても、周囲ではあのアークエンジェルから発信したムラサメ隊とザフトのMSが激しく交戦している宙域だ。

 その真っただ中で、インパルスは立ち尽くしていた。

 が、艦長であるタリアも、副長であるアーサーも、インパルスの不自然な様子より、彼女が対峙する相手に驚愕した。

 ザフトの兵士ならばほとんどの者が知っている。

 先の大戦を生き抜いた機体……、オーブの理念を体現したMS……、そう、インパルスが対峙しているのはあの『グレイス』だった。

 グレイスを操っていた者のことは、もちろん誰もが知っている。“彼女”がどうなったかも。

 だから、もう()()にいるはずがないことを知っている。この戦場ではなく、この世界のどこにも……。

 ルナマリアは明らかに動揺している……。

 同じ衝撃を受けたタリア・グラディスは、いち早く我に返った。

 すぐに、メイリンにインパルスに通信を入れるよう命ずる。

 が、ルナマリアからの反応がない。妹の声も、今の姉には届かなかった。

 このままでは、どうなるかわかりきっている。

 いくらルナマリアの腕が確かとて……、インパルスの性能がグレイスを凌ぐとて……、あんなに無防備な様では、結果はわかり切っている。

 タリアは再びメイリンに命じた。インパルスの通信回線を強制的にブリッジに繋ぐように……と。

 そして、聞こえてきた。

 インパルスのスピーカー音が。ルナマリアが聞いている声が。

 

 

≪私は、ナナ≫

 

 

 グレイスのパイロットの声がブリッジに響いた瞬間、そこに奇妙な静寂が訪れた。

 

≪私はナナだよ、ルナ。ずっとセアだったけど、ナナに戻ったの≫

 

 そう聞こえた。

 

「は? え? ええ?!」

 

 取り乱すアーサーを一喝し、タリアは声に集中する。

 

≪あの事故の後、私は“セア”に替えられた≫

 

≪私が飲んでた薬、知ってるでしょう?≫

 

≪あれね、髪の色と目の色を変える作用がある薬だったんだって≫

 

 その声を聞いたことがある。

 当然、セアによく似ていた。

 だが確かに、彼女が名乗る人物の声にも似ているような気がした。

 いや、むしろ今は口調のせいかセアというより、まさにその人物のそれだ。

 そこにいる誰もが、一度は世界特別平和大使の演説を聞いたことがある。

 あの事故が起こるまで、彼女の声は毎日のように色々なところから聞こえて来た。

 街頭モニター、ショッピングモールのスクリーン、個人のタブレット……、彼女の様子を報じるニュースは、あらゆる端末を通して流れていたのだ。

 だから、彼女の声は知っている。

 そして今、グレイスのパイロットのそれは確かに似ている……。

 軽やかな口調も……。

 だが。

 

≪私をセアに替えること。そして、ザフト兵として戦わせること……。それが、『プロジェクト・バハローグ』の本当の目的だったみたい≫

 

 そんな映画の脚本のような話を聞かされても、素直に“彼女”だと信じることはできなかった。

 

「か、艦長……!?」

 

 アーサーは動揺を隠さない。他のクルーも互いに顔を見合わせている。

 まさに、グレイスのパイロットの思うつぼだ。

 が、信じられるわけがないとわかっていても、タリアはグレイスに対する撃墜命令を下せずにいた。

 相手も宙で止まっている。恰好の的なのだ。今のうちに数機のMSで囲めば、いくらグレイスに乗るほどの腕前でも回避は難しいだろう。

 それでも、はっきりとその命令を口にできない。

 その訳は……。

 

(ギルバート……まさか……)

 

 彼に対する感情……。

 それが今、黒い渦を巻いている。

 『プロジェクト・バハローグ』を立ち上げる際、彼から直接話を聞いていた。

 あの痛ましい事故からプラントを立ち直らせるための計画。

 それは現地の緑地化や慰霊碑の建立などではない。二度とあのような事故が起こらないよう、管理体制を一から見直し、新たなマニュアルを作ることでもない。多くの若者を失った悲しみを乗り越え、彼らの意志を継ぐ優秀な若者たちを育てるプロジェクトを立ち上げること……でもない。

 

『復活の女神だよ……』

 

 彼が少し熱っぽくそう言ったのを、はっきりと覚えている。

 

『彼女はきっと、我々を救う存在となるだろう……』

 

 その時に初めて、あの事故で生き残った士官候補生がいることを聞いた。

 そして彼は、“彼女”のことを珍しく愛おしそうに語り、いずれ自分に預けると言ったのだ。

 それが、セア・アナスタシスだった。

 彼は言った。

 

『プロジェクト・バハローグの真の目的は、セアを兵士として蘇らせ、我々を救い、導く存在とすることだよ』

 

 彼にしては拙い理想だと思った。

 彼のことは良く知っている。こんな“不確かなこと”を語るような人間ではなかったはずだ。

 その時点では、その“セア”という不幸にして幸いにも生き残った少女が、ザフトの軍学校に復帰するかもわからなかった。

 が、彼はあらゆる支援をすると言った。

 セア自身の意思は、彼の口からは語られなかった。

 だが、もしセアが崇高な理念をもって軍学校に復帰を果たし、無事にザフト兵の一員になったとしても、彼の言う『復活の女神』のような存在になり得るのかは甚だ疑問だった。

 タリア自身の軍籍は長い。

 だから戦場がどんなところか良く知っているし、どんな人間が生き残るかも知っている。そして、どんなパイロットが活躍するのかも……。

 だいたい、彼女にMSパイロットの適正があるのかも不明なのだ。『復活の女神』というほどの活躍を期待するのなら、それなりの腕前でなければ名を轟かす前に撃ち落とされる可能性もある。

 しかし、ギルバートは己のプロジェクトに自信を持っていた。

 

『彼女はきっと、我々を救う存在となるだろう……』

 

 そう繰り返す彼は、まるで予言者だった。

 懸念はあった。

 だが、最高評議会の議長へと昇りつめた彼の言葉を信じざるを得なかった……。

 

 そして数か月後、その“女神”は本当に目の前に現れた。

 新造艦ミネルバの着艦式のことだった。

 セア・アナスタシスは内気な少女だった。MSのパイロットはおろか、兵士にも見えないほど。

 背筋をまっすぐに伸ばして隣に立つルナマリア・ホークのほうが、よっぽど『我々を救う女神』になり得ると思った。

 たしかに見た目からは想像できなかったほど、MSのパイロットとしての腕は申し分がなかった。

 コックピットに入れば落ち着きをみせ、こちらの指示に的確に従った。訓練とはいえ、まるで往年の戦士のように冷静だった。

 それで一定の安心感は得られたが、数字の上では、同じくミネルバに配属されたレイやシン、ルナマリアにはかなわなかった。

 それでも、ギルバートは彼女に新型MS『レジーナ』を与えたのだ。

 

『レジーナこそが、彼女が操るのにふさわしい機体だ。あれは彼女のために開発したといっても過言ではないのだよ』

 

 何の根拠があったのか知らないが、彼はそう言っていた。

 そして彼の言う通り、レジーナは彼女に合っていた。

 レジーナは風を切るように戦場を飛んだ。

 アーモリーワンの一件で思いがけず戦闘に巻き込まれてからも、レジーナは躍動した。

 シンとともに強奪犯と戦い、奪還できなかったにせよ、初陣を無傷で生還した。

 その後、幾度も戦果を積み重ねた。

 シンほどの目覚ましい活躍ではなかったが、彼女はいつも冷静に戦場に出て行って、与えられた仕事を片付けていた。

 なにより、決して経験の浅い兵士に託すべきでない任務がほとんどだったにもかかわらず、レジーナは一度も戦闘不能状態に陥ることはなかった。

 

 だが、タリアはそれでも、ギルバートの言葉に違和感を抱いていた。

 たしかにセアは、予想を裏切る活躍をみせている。決して勇敢ではないが、出撃の際に怯える腰抜けでもない。あの悲惨な事故から、よくこれほどの成長を遂げたものだと感心している。

 が、彼が期待を懸ける存在にしては“足りない”のだ。

 シンのようにエース級の活躍をするでもない。レイのほうが戦場でうまく立ち回っている。ルナマリアのようにはっきりと意見を言わない。

 やはり、『我々を救う復活の女神』にしては物足りないのだ。

 

 ずっと抱き続けてきた違和感……。

 その正体が、今、わかろうとしているのかもしれない。

 

「か、か、艦長! あのセアですか?! あのセアが、た、大使だったってことですか?!」

 

 アーサーの声が裏返る。

 

「いいから黙って、アーサー!」

 

 それでもなお、信じがたいことが起きている。

 今はルナマリアが感じているものが、たったひとつの手がかりだった。

 

≪う、裏切り者……!≫

 

 彼女はそう叫んだ。

 

≪だったら……、どっちにしたってあんたは“敵”よ……!≫

 

 やはり、彼女は強い。自分ら指揮官よりも決断は早かった。

 が、“ナナ”と名乗る者は言うのだ。

 

≪私はアナタを撃ちたくない。アナタは大切な友だちだから≫

 

 ルナマリアをかどわかす言葉を言うのだ。

 

≪ねぇ、ルナ。アナタは今、何のために戦ってるの?≫

 

 それは間違いなく、“ナナ”の言葉だ。

 停戦後、ときに鋭い言葉で平和の尊さをうったえていた彼女の言葉……。

 あの時と同じように、胸にチクリと突き刺さる。

 そして、同じ力で反発もする。

 それが世界というもの。人が人である以上仕方のないことだ。あなたの理想は共感できても叶うはずがないと思っている……と。

 

≪アナタが戦って勝ち取ろうとしてる未来……。それは本当にアナタ自身が望むものなの?≫

 

 アーサーがこちらを向いた。

 苛立ちが増す。

 が、無理もない。ナナの言葉は我々の痛いところを突いている。

 

≪デュランダル議長が示す『デスティニープラン』……。遺伝子によって産まれる前からなんでもかんでも決められた人間が生きる世界……、アナタはそんな世界になって欲しいの?≫

 

 誰も言わない、プランについての是非。

 こんなふうに、“他者”に突きつけられるなど思いもよらなかった。

 それを間近でぶつけられたルナマリアに同情した。

 同時に、指揮官として次の行動を起こせずにいる己に怒りを覚えた。

 指示を送る前に、ルナマリアは戦闘の意思を掲げた。

 そう……、アレはザフトの敵。今は戦うしかないのだ。いや、戦って当然なのだ。

 ルナマリアのいうとおり、本当にセアだったとしても彼女は脱走兵だ。ナナだったとしても、プラントの敵対国家に所属しているのだ。

 

≪『デスティニープラン』の世界を望まない者たちを、こうやって排除しようとするアナタたちには、絶対に負けるわけにはいかない≫

 

 ナナの言葉は強かった。

 

≪力で支配しようとするものと、私たちは戦う≫

 

 そして、セアと同じように静かだった。

 それに対して、ルナマリアは勇敢に戦った。

 いや、戦おうとした。

 彼女の援護を……と言った時にはもう、インパルスの両腕と両足は無かった。

 

「お姉ちゃん!?」

 

 メイリンが叫んだ。アーサーもふらついている。

 タリアはモニターを凝視した。

 が……、予測していたものを見ることはなかった。

 インパルスはそれ以上、破壊されなかった。

 それどころか、戦闘不能になったその機体を、グレイスは大切そうに抱えて……こちらへと向かって来たのだ。

 

「え……? え……?」

 

 またもアーサーは右往左往する。

 その間、タリアは迅速に考えを巡らせた。

 “彼女”は何をしようとしているのか。ルナマリアを人質に、停戦させようとでもいうのか。

 が、戦渦が広がり切っている今、そんなことが不可能なことくらい“彼女”ならわかっているはずだ。

 ならば……。

 

「艦長! こちらへ来ます……!」

 

 少し遅れて、アーサーが言う。

 

「攻撃はしないで! MS隊にもそう通達を!」

 

 そう命じると、メイリンが慌ててMS隊と交信する。

 ゆっくり……、不自然なほど緩やかに、グレイスは近づいて来た。

 そして……。

 

 

≪グラディス艦長≫

 

 

 ブリッジに直接通信が入る。

 メインモニターにも、彼女の姿が映った。

 

「セア……!?」

 

 半分わかっていたくせに、アーサーもメイリンも他のクルーたちも、素っ頓狂な声をあげた。

 それは確かにセアだった。

 ヘルメットをとっているからよく顔が見える。

 何より、“彼女”はブリッジへの通信回線を知っていた。

 

≪みなさん、お久しぶりです≫

 

 “彼女”は……演説でよく見せていた涼しげな笑みを浮かべていた。

 

≪勝手に出て行っちゃってごめんなさい。本当にご迷惑をお掛けしました≫

 

 視線がしっかりと合っている。

 外見はセアなのに、瞳の強さが増している。

 

「話は聞かせてもらったわ」

 

 干からびたような喉を無理在りこじ開けて、タリアは言った。

 

≪そうですか≫

 

 彼女はそれだけ言って、また少し笑った。

 

「それで、目的は何? ルナマリアを人質にでもしようと言うの?」

 

 油断すれば侮られる……。

 かつて、名だたる権力者が感じてきたであろう圧力が、彼女から発せられているのがわかる。

 

≪まさか≫

 

 彼女は笑って言った。

 

≪ルナを収容してください≫

 

 そして、インパルスをミネルバのデッキに向けてそっと押し出した。

 

≪バイバイ、ルナ。また会えたらいいね≫

 

 そう声をかけながら。

 

「お姉ちゃん……!」

「ハッチ開けて! インパルスを回収するように言って!」

「は、はい……!」

 

 メイリンとのやり取りも、慌ただしくなる。

 

「それで……、この戦闘宙域であなたはどうするつもり?」

 

 たとえ“彼女”だったとしても……主導権を握らせるわけにはいかない。

 いや、“彼女”だったらなおのこと、奪われるまえに確保せねばならない。

 

≪艦長とお話がしたくて≫

「ルナマリアに言ったこと?」

≪はい≫

「だったら、答えはルナマリアと一緒よ、当然でしょう?」

≪そうですね……≫

 

 毅然と撥ね付けているのはこちらの方だ。

 が、じわりと追い詰められる感覚になる。

 アーサーなどは息を止めているかと思うほど硬直して、モニターを凝視している。

 

 たしかに……ナナだ……。あの……ナナだ……。

 

 言葉を交わしてタリアはそう直感した。

 視線、声音、そして言葉……、世界が良く知っているナナだ。

 でなければ、こんなに若い少女がこれほどの威圧感を出せるわけがない。戦渦の中、こんなに穏やかなたたずまいでいられるはずがない。

 見た目は良く知っているセアだ。

 それだけに、違いを強く感じる。

 

≪本当に、デュランダル議長が示した未来のために戦うんですか?≫

 

 来た……、彼女の()()だ。

 

「ええ、そうよ。当たり前でしょう? 我々はザフトなんだから。私たちを裏切った“あなた”とはわかり合えないわ」

≪そうですね……≫

「あなたが“セアに替えられたナナ”だというのなら、いつから“ナナ”に戻ったの?」

≪少し前です。コペルニクスで“ニセモノノラクス”が()()()()()に殺されたので……、その時にいろいろあって記憶が戻ったんです……≫

 

 この艦にいるときに“兆候”があったわけではなさそうだ。

 ということはあの脱走はセア自身の意思だったか、セアがアスランにかどわかされたか……。

 いや、それよりも……。

 

「ニセモノノラクス……?」

≪ええ、ご存知でしょう? デュランダル議長がラクスの言葉を利用するために、ニセモノを作り出して、ラクス・クラインとして活動させていたことを≫

 

 小さな悲鳴が、いくつもブリッジ内にあがった。

 

≪彼女はそちらに始末されました……。どなたのご意向か、ご存知ですよね?≫

 

 穏やかな口調だが鋭い牙だ。視線は氷のように冷たい。

 

≪私もそうです……。私には、デュランダル議長が“今いる誰か”の運命も、“これから産まれて来る人”の運命も、全てを支配しようとしているように思えてなりません≫

 

 ブリッジ内は完全に凍り付いた。

 今まで聞いた彼女のどの演説よりも、ここには直接的に響いている。

 

≪本当に、“そのため”に戦うんですか? あなた方は≫

 

 一度、彼女とゆっくり話してみたい……。

 

 頭の片隅でそう思った。

 が、許されることではない。

 今は、クルーたちの命、軍の命運をこの手に握っているのだ。

 

「当然でしょう? 我々はザフトなのよ」

 

 同じ言葉を繰り返す。

 言い聞かせるのだ、自分と、クルーたちに。

 それでも、

 

≪でも、アナタなら正しい道を選べると……、私はそう思っています、グラディス艦長≫

 

 ナナはこちらを惑わす。

 

「正しい道ってなんなの? あなたの価値観を押し付けないで。これは戦争なのよ?」

≪わかっています……≫

 

 ナナは初めて悲しげに目を伏せた。

 

 

≪じゃあ、やっぱり……戦います?≫

 

 

 そして、笑った。

 一瞬、言葉を失った。

 何もかもを捨て去って、傷つき果てた女の笑みのように見えたのだ。

 一度、立ち止まって考えてみたかった。

 この戦いの意味……。

 己の心が割り切れていないことは最初からわかっている。

 ここのところずっとそうだ。ギルバートの考えにも、最高評議会の意向にも、ずっと疑問を持ち続けている。

 が、今さらここで立ち止まることはできない。

 プラントのためじゃない。軍のためじゃない。ギルバートのためでもない。仲間のためでも、自分のためでもない……。

 だったら何のために……?

 

『アナタは今、何のために戦ってるの?』

 

『軍のため? プラントのため? 命令だから?』

 

『それが本当にアナタの意思なの?』

 

 ルナマリアに彼女は言った。

 みんな、彼女のように何のために戦うのか、その時々で考えられるわけじゃない。

 軍のため、プラントのためと思うのは当然だ。命令に従うのも義務だ。

 彼女のように、いつでも意志を強く掲げて生きられる者などそうそういないのだ。

 だが、今ここで、立ち止まるのはやはり違う気がした。今まで生きてきた自分に背く気がして、不快だった。

 惑う皆をなんとかしなければならなかった。

 だから……。

 

「ヘルメットを装着しなさい、“セア”」

 

 心を決めた。

 何も定まっていなくとも、決めたのだ。

 

≪グラディス艦長……≫

「30秒だけあげるわ」

 

 “彼女”と決別を……。“彼女の意思”との決別を……。

 

「早く……、我々の前から消えてちょうだい……!」

 

 彼女は現れるべきではなかった。少なくともここには。

 彼女がナナだというのなら、いや、セアだったとしても、フリーダムやジャスティスとともに、ステーション1の破壊活動へ行ってくれればよかったのだ。

 

≪わかりました……≫

 

 彼女は静かに言った。

 その顔に浮かぶのは、失望ではなかった。

 

≪30秒、ありがとうございます≫

 

 わかっていたのだ、彼女には……。

 

「セアだったあなたへの、せめてものはなむけよ」

 

 こんな戦渦の真っただ中で、“敵”を逃がすことは愚かだとわかっている。アーサーたちがどう思うかも……。

 だが、今ここで“彼女”を撃つのは、答えも出せずに戦う自分に負けることのような気がした。

 

≪みなさん……≫

 

 そんな葛藤をよそに、彼女は穏やかに笑う。

 それは敵対する者に向けるような表情では決してない。

 

≪乗艦中、大変お世話になりました≫

 

 セアへの思慕が、ブリッジに漂う。

 

≪どうか、みんな無事で……!≫

 

 が、それは切り捨てた。

 彼女がヘルメットをかぶった瞬間に。

 いや……、彼女から切って捨ててくれたのだ。

 彼女はグレイスを反転させ、綺麗な身のこなしで去って行った。

 

「セア……」

 

 メイリンがつぶやいた。

 仲間との二度目の別れは奇妙な感覚だろう。

 だが、いつまでも何かを考えたり、何かに浸っていることはできない。ここは戦場で、自分たちは兵士なのだ。

 

「アーサー、30秒経ったわね?」

「え……?」

「30経ったでしょう?」

「あ、は、はい……!」

 

 遥か彼方へ去りゆく彼女を視線で追いながら、

 

「MS隊に戦闘再開の指示を。それと、ルナマリアにも出られるようなら準備するように言ってちょうだい!」

 

 そう命じた。

 クルーたちにはまだ、動揺がある。

 が、進まねばならなかった。

 とにかく生き残れ……。生き残ればもしかしたら……、彼女の声をもう一度聞けるかもしれない。もう一度、彼女と話すことができるかもしれない。

 だからとにかく生き残れ……。

 そう強く思った。

 

 



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変わらぬ関係

 

 きっちり30秒……。

 体感ではたぶんそうだ。

 ミネルバからは律儀にも追撃はなかった。

 が、その30秒が過ぎるなり、すぐに主砲が発射された。

 狙いはアークエンジェル。

 まるでグラディス艦長の意思を告げるような一発だ。

 アークエンジェルもわかっていた。ナナとミネルバとの決別に備えていた。

 ほぼ同時に放たれた両艦の砲撃で、グレイスのモニターは一瞬、目が眩むほど強く光った。

 

「マリューさん、ラクス……」

 

 第一派を回避したアークエンジェルとエターナルに通信を入れる。フリーダムとジャスティスのコックピットにも繋がっている回線だ。

 

「すみません、やっぱりダメでした」

 

 ミネルバからはなおも執拗な攻撃が続いている。

 ナナが報告せずとも、それが答えだった。

 

≪仕方がないわ、ナナ……≫

≪あなたが無事でよかったですわ≫

 

 二人はそう言ってくれた。

 皆、わかっていたのだ。ナナ自身も。

 こんな戦渦の中、戦いの目的を問うことに何の意味も無い。心に迷いが産まれたとしても、ここで立ち止まる者はないのだ。

 誰も声を聞こうとしない。ラクスや自分たちの声じゃない。自分自身の声を……。

 この結果は十分にわかっていた。

 それでも自身の身を危険にさらしてまでミネルバの元へ向かったのは……、アークエンジェルとエターナルの守備をおろそかにしてまでそうしたのは……。

 

「ごめんなさい、ワガママ言って」

 

 ただの我がまま……だった。

 セアの想いにケリをつけるため……。かつて仲間だった彼らに意志を告げるため……。彼らの意思を確かめるため……。

 それらを全部、彼らと戦う前にやっておきたかった。どうにもならないとしても、やらずにいられなかった。

 

≪あなたならそうするとわかっていたわ≫

 

 マリューがそう言った。

 

≪あなたの道は、あなたしか歩めないものですから≫

 

 ラクスも。

 

≪まさか、あの敵前から無事に帰って来るとはね。あんた、ほんとにあの“ナナ”なんだな……!≫

 

 ムウもそう言った。

 彼の軽口に、少し笑う。

 

「ミネルバは全力で来ます」

≪ええ、わかっています≫

「インパルスも、きっとまた来ます」

≪友達……だったのよね?≫

 

 マリューが気遣ってくれている。

 そう……、その友達にも言葉は届かなかった。

 

「大丈夫! また戦います!」

 

 撃つのではなく、戦う……。

 できるのならそうしたかった。

 だが。

 

≪ナナ、あなたはフリーダムとジャスティスの援護に行って≫

 

 マリューからそう指示された。

 

「でも……」

≪本艦もエターナルも大丈夫。十分な防衛体制よ。むしろあちらの守備隊の数が予想より多いの≫

 

 友との戦いを避けようとしてくれているのか……。

 

≪ナナ、今は一刻も早くあれを落とさねばなりません。行ってください!≫

 

 ラクスもそう判断していた。

 ブレる心を制御する。

 そう、今は……何より大切なのは、一刻も早くあの中継ステーションを落とすこと。

 そのために、ミーティアを装着しているフリーダムとジャスティスを護らねばならない。

 

「わかった! ムウさん、ここ、お願いしますね!」

≪誰に言ってるんだよ!≫

 

 ミネルバからの砲撃とMS隊からの攻撃をかわし、グレイスは中継ステーションへ向かった。

 スピードならこの宙域のどの物体よりも勝ると自負している。

 あの大戦後、そういうふうに改良したし、セアもスラスターが最高値になるよう調整していた。

 だから戦火を切り裂くようにして、グレイスはフリーダムとジャスティスの元へ向かう。

 撃って来る者たちは、ラクスの声を聞かなかった者たちだ。聞こえたかもしれないが、心に届かなかった者たちだ。

 グレイスは、容赦なく撃ち返す。

 二機との距離はあっという間に縮んだ。もう目視できるほど。

 が、グフが3機、目の前に立ち塞がった。

 グレイスは初めて足を止められた。

 隊長格の小隊だろうか、見事な連携である。

 

「どいて!」

 

 ナナは叫んだ。

 通信回線のことなど考えていられないから、声は届いているかわからない。

 

「あんなもの、本当に必要だと思ってるの!?」

 

 ライフルを向けた。

 と、スピーカーに男の声が響く。

 

≪黙れ! 亡霊が!!≫

≪大使の亡霊め!≫

≪今さらそんなもので蘇っても……!≫

 

 ナナは初めて、この戦場においてこの機体がどれほど異質なものであるかを思い知った。

 グレイスは……、まさに『亡霊』なのだ。

 そのコックピットに居座るのが、かつてのパイロットであると知る敵はここに無い。ミネルバのブリッジと、ルナマリアだけである。

 いや、彼らはまだ知らされていないのだ。

 当然だ。

 真実を告げられれば、彼らは少なからず惑うだろう。死んだはずの人間が、目の前に“かつての姿”で現れては……。

 

「どうせ亡霊かもしれないけど……!」

 

 かといって、今ここで名乗る気はない。彼らを気づかっている場合でもない。

 ナナはスラスターを全開にする準備をしながらライフルを構えた。

 3対1……だが、グレイスのスピードなら相手の攻撃を交わしながら撃てるはずだった。

 その時。

 

≪過去の亡霊が!!≫

 

 背後からもMSが迫る。

 

≪貴様は誰だ!? 何故そんなものに乗っている!?≫

 

 が、攻撃はしなかった。されることもなかった。

 それは……知っている声だったのだ。

 が、その声に気を取られた瞬間、目の前の三機から同時にドラウプニル(4連装ビームガン)が放たれる。

 とっさにスラスターを逆噴射して射線上から避けた。

 ビームはひとつも当たらなかった。

 が、それだけではなかった。

 背後から来たMSが、2機……()()()()()()()()をあっという間に戦闘不能に陥れたのだ。

 手足をもぎ取られたグフたちに目もくれず、背後から正面に回り込んだのは白い『グフイグナイテッド』だった。そしてその隣に、黒灰色の『ブレイズザクファントム』が並ぶ。

 

≪貴様! 何者だ!?≫

≪別にいいじゃん、誰だって……≫

≪貴様、その機体に乗ることの意味をわかっているのか!?≫

≪だから……、あいつらの仲間なんだから問題ないだろって……≫

 

 懐かしさがこみ上げた。

 

≪貴様……!≫

 

 彼がもう一度怒鳴った瞬間、

 

「イザーク! ディアッカ!」

 

 ナナは叫んでいた。

 モニターを解放し、互いの姿をそこに映し出す。

 

「ひさしぶり!」

 

 目が合って、一瞬、二人は黙った。

 

「また助けてくれてありがとう!」

 

 先に口を開いたのはディアッカだった。

 

≪お、お前……? え……? な、なんなんだ……?≫

 

 混乱している。

 ナナはこの切羽詰まった状況の中、何から話せば良いかとっさに考えを巡らせた。

 できれば以前のように二人と一緒に戦いたい。そのためには、自分がナナであると信じてもらいたい。

 だが……そんなに簡単なことではない。

 

≪な、なんのつもりだ!?≫

 

 イザークがそう言い、こちらに攻撃の体制をとる。

 

≪お、おいイザーク≫

≪お前は誰だ!? 何故“そんな姿”をしている!?≫

 

 怒っている……。

 そう思った。

 いや、彼はだいたいいつも怒っている。先の戦争中も、戦後に会って話したときも、彼は怒っていた。

 ついでに、アスランのことも怒っていた。アスランも、彼はいつも怒っていたと言っていた。

 でも、それでも……、今回もまた助けてくれた。

 彼は変わらない。

 

「ぷっ……!」

 

 噴き出したナナに対し、イザークはさらに憤る。

 

≪貴様! 何がおかしい……!!≫

 

 今、彼が怒っているのは、“ナナ”を思ってのことだ。

 彼とは戦友のような関係だと思っている。

 向こうもきっとそうだ。

 だから、その戦友の機体に“そっくりさん”が乗っているのが気に食わないのだ。

 彼の気持ちはよくわかる。

 いや、わかりやすい。

 なんとなく、素直じゃないところは自分に似ているから……。

 

「私はナナだよ、イザーク、ディアッカ」

 

 彼は変わらない。

 だから、大丈夫だと思った。

 

≪は、はぁ!?≫

≪ふ、ふざけるな! あいつは……≫

 

 彼は「死んだ」とは口にしなかった。

 そんなところもよくわかっている。

 

「私自身も信じられないけど、あの事故の後、デュランダル議長の『計画』によって別人にされてたの」

≪べ、別人って……?!≫

≪貴様、何を言って……≫

「『プロジェクト・バハローグ』」

 

 その名を口にすると、二人は息を呑んだ。

 

「二人ともザフトの兵士なら知ってるでしょう?」

≪な、何故貴様がその名を……≫

「私がその、『プロジェクト・バハローグ』の主人公のセア・アナスタシスだったの」

≪は? どういうことだよ?!≫

「少し前まで私はミネルバに乗艦してたの。レジーナのパイロットとして」

≪あ、あのレジーナの……?!≫

「でも、とにかくナナに戻ったから」

≪も、もどったって……≫

 

 二人は混乱している。

 が、イザークのグフイグナイテッドの攻撃体勢は曖昧に解かれた。

 

「ねぇ、今ここで詳しく説明してる時間はないから、二人とも一緒に来て!」

 

 ナナはグレイスを反転させた。

 

≪お、おい!≫

≪ま、待て!≫

 

 彼らはまだ信じていない。

 だが背を向けられる。

 

「一緒に戦ってくれるんでしょ? だったら一緒に来て!」

 

 再び全速力でフリーダムとジャスティスの方へ向かった。

 もちろん、背後から撃たれることはなかった。そしてすぐに、二人はついて来てくれた。

 

≪その偉そうなしゃべり方……、まさか本当にナナなのか……?≫

 

 ディアッカが言った。

 

≪あの『プロジェクト』のセア・アナスタシスがナナだっただと……!? そんなもの信じられるわけなかろう……≫

 

 イザークは否定の言葉を口にする。

 

≪でもさぁ、見た目もちょっと違うだけだし、なんたってあの偉そうな……≫

≪たしかに! このオレにあんなに偉そうな態度をとるのはアイツ意外にはない……!≫

≪だったら信じるのかよ……≫

≪信じられるか!≫

 

 二人はそう言い合っていた。

 だが、グレイスの後をついて来ていた。そしてグレイスが道を阻まれると、また援護をしてくれた。

 

「ねぇ、二人ともそんなふうに思ってたの? 私、偉そうにしてたつもりないんだけど。ひどくない?」

≪偉そうっつーか、物怖じしないっつーか、有無を言わさねぇっつーか……≫

 

 ディアッカはそう答えた。

 “ナナ”に対する答えだった。

 

「ディアッカは大概、優柔不断だったよね。変わってないんじゃない?」

≪お前なぁ……≫

 

 ここで“ナナ”を証明するものはあった。

 ディアッカにはアークエンジェルで共に過ごした時のことを語ればいい。イザークには停戦後に会談した艦の名でも言えばいい。

 “セア”が知らないはずの、共通の記憶を零せばいいのだ。

 だが、ナナは敢えてそうしないことにした。

 

≪お、お前があのナナだというなら……!≫

 

 だから、イザークがそれを求める前に、ナナは言った。

 

 

「私がセアでもナナでも、意志は同じ。目的は一緒なの」

 

 

 モニター越しに、二人を見る。

 

「“私”が誰だとしても、デュランダル議長の示す未来は絶対に叶えさせない。この戦いも早く終わらせたいと思っている。あの無意味な兵器を破壊したい。オーブを撃たせたくないと思ってる……!」

 

 彼らに告げる意志は、ナナのものでもセアのものでもあり、誰のものでもない。

 ただ、想いを同じくする者たちと、共に戦うものである。

 

「そのために、命を懸けて戦う。それが“私”」

 

 二人はしばし押し黙った。

 だが、再びフリーダムとジャスティスの背が見えた時……イザークはつぶやいた。

 

≪貴様が誰であろうと……≫

 

 鋭い視線がこちらを向く。

 もうそれは、探るようなものではなかった。

 

≪行ってやる! 一緒に……!≫

「イザーク……!」

アスラン(アイツ)にもひとこと言ってやらんと気が済まん……!≫

 

 彼がそう付け足すと、ディアッカが苦笑した。

 本当に懐かしかった。

 

「行こう、一緒に!」

 

 二人とともに進む。

 ここは戦場なのに、心が軽かった。

 そして3機は、すぐにフリーダムとジャスティスに追いついた。

 

「アスラン、キラ!」

 

 彼らに取り付こうとするMSを、二人とともに撃ち落とす。

 

≪ナナ……!≫

 

 ナナはこみ上げる喜びを抑えつけながら言った。

 

「アスラン、“友だち”連れて来た!」

 

 アスランが状況を把握するより先に、やはりイザークが怒鳴った。

 

≪貴様! またこんなところで何をやっている!≫

≪イザーク……!?≫

 

 アスランが驚きの声をあげる。

 

≪もういいだろ? そんなことは……≫

≪ディアッカ!?≫

≪それより早くやることやっちまおうぜ!≫

≪そうそう、感動の再会はまたあとで、ね!≫

≪貴様が言うな! オレはまだ貴様を認めたわけじゃ……!≫

≪あーはいはい……≫

≪なっ……!≫

≪だからやっちまおうって……≫

 

 ディアッカと視線を合わせて苦笑し合った。

 何も変わっていないやりとりが懐かしかった。

 そして、()()へ戻って来たのだという実感が増した。

 

「キラ、四時の方向から突破しよう!」

 

 ナナはまだ何か叫んでいるイザークと戸惑うアスランをよそに、キラにそう言った。

 そしてすぐにグレイスを四時の方角へ向ける。ディアッカのザクも並んだ。

 一拍置いて、イザークのグフとアスランのジャスティスも、すぐにグレイスたちが切り開いた道をついて来た。

 破壊すべき中継ステーションは、もう目の前だった。

 

 

 



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祖国

 フリーダムとジャスティスのミーティアが、第一中継ステーションを攻撃した。

 彼らを邪魔する者は、グレイスとグフ、ザク(イザークたち)が排除した。

 ゆっくりと壊れていく巨大な異物。

 それを見届け、ナナは第一の目的が果たされたことにほっと息をついた。

 同時に、もうひとつ嬉しいことが起きた。

 

≪やったな、ナナ、キラ! こっちも無事だ……!≫

 

 ムウからの通信が入った。

 

「ムウさん……」

 

 違う。いや、違わない……。

 モニター越しに視線を合わせ、そう感じた。

 

「ムウさん?!」

 

 彼は言った。

 

≪『ただいま』、だな!≫

 

 軽くウィンクをしてみせる。

 その仕草は見覚えがあった。

 

≪ムウさん! も、戻ったんですね!≫

 

 いちはやく、キラが気づいた。

 

「戻った……?」

 

 ナナはその言葉を小さく呟く。

 まだ信じがたい。

 自分が一番、この“奇跡”を受け入れやすい立場であるはずなのに。

 

≪さっき、ちょっといろいろあってな。なんか全部思い出したようだぜ!≫

 

 戦場の真ん中で、まだ敵に囲まれていて……、今も降り注ぐ銃弾を避けている。

 それでもナナは大きくため息をついた。

 

「よかった……!」

 

 そして、強く言った。

 「いろいろ」と彼は言ったが、何があったかはだいだい予想がつく。

 こんな戦場の真ん中で記憶を取り戻したのだとしたら……それは決して良い方法ではないはずだ。

 が、ムウは笑っている。キラも嬉しそうだ。そして自身の中からも喜びが湧き上がる。

 きっと、マリューは……。

 

≪というわけでナナ。お前が“ネオ”に言ってた『記憶を操作されちゃった者どうし仲よくしよう』ってやつだが……≫

 

 ムウはニヤリと笑った。

 

「『記憶喪失から復活した者どうし』に替えましょう!」

 

 ナナはそう言った。

 ムウは操縦桿から片手を放し、親指を立ててみせた。ナナも同じようにする。

 前の戦争で、彼にずいぶんと助けられた……。改めて、彼が戦友であることの心強さを感じた。

 

 ナナはそのまま、キラ、アスラン、そしてイザーク、ディアッカとともに、レクイエム本体へ向かった。

 やるべきことはまだ終わっていない。時間との勝負も継続中だ。

 一刻も早くレクイエム本体を落とさねばならない。もたもたしているうちに、中継点が復活しないとも限らないのだ。

 アークエンジェル、エターナルも全速力でそこへ向かった。

 ミネルバが当然のように追尾してくる。

 だがそれを振り切って、オーブ軍本体と合流し、レクイエムとデュランダルが指揮を執る基地を、完全に打ち果たさねばならない。

 

「オーブ軍はどうなってるの? レクイエムへの攻撃は?」

 

 彼らのことは良く知っている。

 カガリがここへ送り込むだけあって、軍の中でも選りすぐりの精鋭たちだ。この作戦も、必ず遂行するという確信はあった。

 が……。

 

≪レクイエム本体の背後に、巨大構造物出現……!≫

 

 ミリアリアからそう通信が入る。

 モニターの望遠を最大にして目視する。

 

「なに……あれ……」

≪まるで要塞だ……!≫

 

 アスランが言った。

 

≪あんなもの……、知らんぞ……!?≫

 

 イザークも憎々しげに言う。

 が、その全容を観察している間はなかった。

 その一部分に高エネルギー体が収束したかと思うと、そこから紅い稲妻が放たれた。

 

「あれは……!」

 

 心臓がドクンと跳ねた。

 知っている光だ。とても嫌な……。

 

≪まるで……、ジェネシスだ……!≫

 

 アスランが低い声でそうつぶやいた。

 そうだ、『ジェネシス』の光によく似ている。

 そしてあの時と同じように、あれは射線上のものたちを跡形もなく消し去った。

 ザフトの……味方であるはずの艦も。

 

「アークエンジェル! オーブ軍の状況は!?」

 

 ミリアリアから、すぐに応えはなかった。

 レクイエム本体に最も接近していたのは、オーブ軍本隊のはずだった。

 あのジェネシスのような攻撃が、彼らを薙ぎ払うためのものであることは頭でわかっていた。

 だが、彼らの全てが一瞬で消し飛んでしまったことなど信じたくはなかった。

 

≪スサノオ、クサナギ、ツクヨミはシグナルを確認……。あとはダメです! 状況が混乱していて……!≫

 

 ややあって、そう通信が入った。

 主力隊のほとんどを失っている……。

 ナナはそれぞれの指揮官の顔を知っていた。だから誰を失ったのかがすぐにわかった。

 が、彼らの顔を思い浮かべるのは止めた。

 あの得体の知れない要塞から、無数のMSがこちらへ向かって来ている。

 その中に、レジェンドとデスティニーのシグナルを捉えた。

 

「アスラン……」

≪ああ……、行くしかない……!≫

 

 わかっていたのに確認した。彼の覚悟でなく、自分の覚悟を。

 ナナは一瞬だけ手を止め、目を閉じた。そして大きく深呼吸をした。

 初めて、“以前の自分”と“今の自分”を比べる。

 

 かつての自分はどうだったのか。

 あの時の自分には何ができただろうか。

 あの時の自分と、今の自分は何も変わらないのか。

 あの時より、セアの分だけ強くなれてはいないだろうか……。

 

 答えなど不要だった。

 ただ、あの時と同じように進もうと思った。

 

「マリューさん、ラクス、バルトフェルドさん……!」

 

 ナナは操縦桿を握り直しながら言った。

 

「オーブ軍には私が話します……!」

 

 両艦とも、すぐに了承してくれた。

 大きく息を吸い、ナナは同郷の者たちへ叫ぶ。

 

「スサノオ、クサナギ、ツクヨミ! こちら、ナナ・リラ・アスハ、聞こえたら応答を……!」

≪ナナ様……!≫

 

 ややあって、彼らから返信が入る。

 声が震えている。

 彼らほどの兵でも、あれだけ一瞬で仲間を奪われてしまっては絶望するのも無理はない。

 

≪申し訳ありません……! 我ら以外は……≫

 

 絶望の中に、悔しさが滲んでいるのもわかる。

 

「みんな……、よくあれを回避してくれました」

 

 ナナは感情を押し殺し、彼らをねぎらった。

 それで彼らが落ち着くとは思わなかった。

 いや、彼らは軍人だ。彼らの多くは先の戦争も経験している。自分よりもずっと、軍人としての覚悟があるだろう。

 だから少し時間が経てば、ナナの言葉などなくとも自身を奮い立たせることができるはずである。

 が……、今は少しの時間も無かった。

 

「ソガ一佐、アマギ一尉」

 

 ナナは言った。

 この作戦において、ナナに指揮権など無い。正式にオーブの人間として認められたわけでもない。

 ナナ・リラ・アスハであることを、皆がただ信じてくれているだけの関係だ。

 そもそも、ナナにオーブ軍への命令権など無いのだ。

 が、ナナは言った。

 

「すぐに3艦で連携して態勢を整えてください」

 

 言われずともわかることを、敢えて言う。

 

「私たちにはまだ、やらなければならないことがあるはずです」

 

 あの時の姿でなくとも。この声が届かなくとも。

 

「私たちの手で、オーブを守りましょう……!」

 

 祈りは届くはずだった。

 

≪ナナ様……!≫

 

 アークエンジェルで、少しの間共に過ごしたアマギが立ち上がった。

 

≪すぐに態勢を整え、レクイエムの破壊活動を再開します!≫

 

 痛手は大きい。再び立ち上がることが困難なほど。力も削がれた。もう、思うように力を振るえない。

 それでも、彼らは立ち上がった。

 

「第二派に十分気をつけて……」

≪了解しました!≫

≪ナナ様も、どうぞお気をつけて……!≫

≪御武運を……!≫

 

 彼らから、逆に力をもらう。

 

「みんな……」

 

 アマギが涙声で言った。

 

≪祖国でお会いしましょう……!!≫

 

 祖国……オーブでの再会を。

 

「うん、必ず……!」

 

 かの地が、ひどく懐かしく思えた。

 

 

 



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復活の女神

 

 ザクやグフ、MSの大群はまずエターナルへ矛先を向けた。

 アークエンジェルはミネルバに任せ、MS隊はエターナルを落とす作戦のようだった。

 キラは一時、エターナルの防衛にまわらざるを得なかった。

 イザークとディアッカも、彼とともにエターナルへ向かった。

 

≪あれはザフトの艦だ!≫

 

 なかばやけくそのように、イザークはそう叫んでいた。

 苦し紛れのその“言い訳”が嬉しくて、ナナは笑った。

 が、想いに浸っている余裕はない。

 要塞から出て来た中で最も強力なMS、デスティニーとレジェンドが、まっすぐこちらへ向かって来ていた。

 

「シン、レイ!」

 

 誰よりも早く、ナナは口を開いた。

 

「ここを通して!」

 

 シンが息を呑む。

 “セア”と、そしてアスランが生きていると聞いてはいたのだろうが、自身で手を下した以上、驚きを隠せないようだった。

 が、レイは違った。

 

≪やはり……生きていたのか、“お前”は……!≫

 

 彼は低い声でそう言った。

 セアが良く知っている……冷静な、どこか冷めたような声ではない。

 

≪蘇って、邪魔をしようと言うのか……!≫

 

 存分に憎しみを滲ませた声である。

 

「レイ……、やっぱりアナタは()()()()知ってたんだよね?」

 

 そんな彼に、予感をぶつける。

 

≪そうか……≫

 

 彼はますます静かに怒りと憎しみをくゆらすようにつぶやいた。

 

≪本当に“蘇った”んだな……≫

 

 彼は全てを知っていた。

 デュランダルに近しい……というより、特別な絆があった彼は、『プロジェクト・バハローグ』の真の目的を聞かされていたのだろう。

 そして恐らく、デュランダルはレイを“セア”の監視役として側に置いたのだ。

 “セア”が記憶を取り戻す兆候があれば知らせを……いや、それはきっとドクター・リューグナーも役目を追っていたに違いない。彼にしかできない任務があったはずだ。

 それはきっと……。

 

「ねぇ、レイ。あなたは“セア”がデュランダル議長の『復活の女神』になるよう、サポートする役目だったんだよね?」

 

 セアの精神や記憶を監視することの他に、セアがMSのパイロットとして“ナナのように”戦場で戦えるようにサポートすること。側で励まし、護り……、デュランダルが欲する『復活の女神』となるよう、戦友として支えること。そしていつか、こんなふうな戦場で“敵”を混乱させ、戦意を奪い、ザフトを勝利に導く『女神』の出現を演出すること。

 きっとそれが、彼に与えられた役目だったのだ。

 “敵”とは……、彼の望みに反発するであろうオーブと、存在し続けている可能性があったアークエンジェルを想定していたに違いない。

 デュランダルは全て予想していたのだ。いや、恐れていたのだ。

 

≪…………≫

 

 レイは答えなかった。

 代わりにシンが叫んだ。

 

≪は? どういうことだよ! 『セアが』って……、な、なに言ってんだよセア!≫

 

 今度はナナが黙った。

 レイの答えが欲しかった。

 どういうつもりでセアの側にいたのか……。決して他人と関わることを好まない孤独な少年が、何故セアに親切にしてくれていたのか。

 レイの口から聞きたかった。

 もちろん、あの時の言葉は覚えている。

 

『議長の“復活の女神”でないお前など、何の価値もない!! お前が“復活の女神”でないのなら、議長にとって危険な存在でしかない! オレがここで排除する……!』

 

 彼はそう言った。本気だった。

 崇拝するデュランダル議長の思い通りにならないなら、自らの手で排除する……と。

 あの時のセアの失望も、はっきりと胸に刻まれている……。

 だが、()()()()()彼の意思を聞きたかった。

 たとえそれが、「デュランダルのためだから」とか、「任務だったから」とか、そんな言葉だったとしても。

 

≪この場でお前はアークエンジェルの者たちにその姿を晒し、ヤツらを混乱させるはずだった……! オーブも……! キラ・ヤマトも……!≫

 

 レイは押し殺すような声で言った。

 「キラ・ヤマト」の名が、彼の口からスラリと零れたのに、ナナは違和感を覚えた。

 

≪お前はその姿で戦場を支配することができたはずなんだ! ヤツらを惑わせ、戦意を奪い……、あの“不幸な事故”から奇跡の復活を遂げたお前が、ザフトを勝利に導く女神となるはずだったのだ!≫

 

 彼の言葉は答えではなかった。

 ただの憎しみと、少しの後悔だ。

 

≪レ、レイ! なに言ってんだよ!?≫

 

 ナナがため息をつく間に、シンが叫んだ。

 レイは彼にも答えなかった。

 そして。

 

≪セア・アナスタシス……。いや、ナナ・リラ・アスハ……。お前はギルにとって邪魔な存在だ。この場でオレが排除する……!≫

 

 彼は攻撃の体勢をとった。

 

≪よせ、レイ!≫

≪はぁ?! 『ナナ』って……!? なんでセアに……≫

 

 アスランとシンが同時に声をあげた。

 

≪シン……≫

 

 ここで初めて、レイがシンに向き合った。

 

≪目の前にいるのは、お前が憎む“アスハ”だ≫

≪え……? だ、だってセアは……≫

≪セア・アナスタシスの本当の名は、ナナ・リラ・アスハだ≫

 

 淡々と言うレイと困惑するシンの間に入ったのはアスランだった。

 

≪シン! デュランダル議長は、あの事故に巻き込まれたナナを……()()()()()()んだ! レイが言った『復活の女神』として利用するために……! ずっと……騙されてきたんだ! オレたちも、オーブもプラントも、世界が……!≫

 

 シンは絶句した。

 

≪シン! そんなことをするような人間を信じられるのか? そんな人間が示す未来でいいのか?!≫

 

 彼に対し、アスランはそう続けた。

 シンの視線がこちらを向いた。

 

≪セア……、本当……なのか?≫

 

 己の名を名乗るのに、これほど心が痛んだことはない。

 

「本当だよ、シン。私は、ナナ。ナナ・リラ・アスハ」

≪セア……、ナナ……、アスハ……≫

 

 彼の瞳に浮かんだのは……。

 

≪アスハ……!≫

 

 陰鬱とした憎しみだった。

 

≪シン、よせ!≫

≪シン、“アスハ”はオレたちの成し遂げようとしている平和な世界への道を阻もうとしている! “アスハ”がまた、お前の大切なものを傷つけようとしている!≫

≪アスハが……!≫

≪もうやめろレイ! シンも! ナナはお前を傷つけたりしない! お前だってわかってるだろう!? ナナの言葉に『救われるかもしれない』と思ったと……、お前はそう言っていたはずだ!≫

≪違う! “アスハ”はお前を救うことなど無い。オレたちが目指すものを邪魔する敵だ! シン、思い出せ! 議長の前で決心したことを……! 議長の示す未来を、オレたちで作るんだ! 邪魔をする敵は倒さねばならない!≫

 

 会話は混沌としていた。

 ナナはひどく泣きたくなった。

 レイはシンを己が進む道に引きずり込もうとしている。アスランはシンを別の道に導こうとしている。シンは迷っている。決めかねている。

 全部わかる。

 わかっているのに、何もできない自分がもどかしかった。

 

「シン……!」

 

 ナナはシンにまっすぐな視線を向けた。

 

≪セア……≫

 

 モニター越しに、見つめ合う。

 

 

「セアだったときに、思っていたことがある……」

 

 

 視覚で捉える姿と、聴覚で捉える声音の相違に、彼は戸惑っている。

 が、気遣うことなくナナは言った。

 

「アナタは……、本当はオーブが好きなんだよね?」

≪なっ……≫

「大好きなオーブが理念や理想を見失っちゃったから……、アナタは好きな気持ちを怒りや憎みに変えちゃったんだよね?」

≪ち、ちが……≫

「本当は、オーブを護りたいんだよね?」

 

 シンがそう思っていること……セアは知っていた。

 オーブが大好きだからこそ、オーブで暮らした日々が幸せだったからこそ、それを奪われた悲しみと捻じ曲げられた悔しさを、怒りと憎しみに変えるしかなかったのだ。

 

≪敵の言葉に惑わされるな、シン! あれはオーブの魔女だ!≫

 

 レイがついに動いた。

 

≪ナナ、さがれ!≫

 

 グレイスをかばうように、ジャスティスが前に出る。

 

「シン!」

 

 それでもナナは続けた。

 

「お願い! オーブを撃たせたくないの! だから行かせて!!」

 

 最後の願いにしては陳腐だった。

 だが、ナナは心の底から叫んだ。

 

≪な、なんで……!≫

「シン……! オーブを撃たせないで!」

≪くそ……!!≫

 

 願いは届くはずもなかった。

 シンの身体からほとばしる怒り……それがデスティニーと一体化したようだった。

 

≪シン! やめろ!≫

≪そうだ、シン! 邪魔者と裏切り者はオレたちの手で排除するんだ!≫

≪うわぁぁ!!!≫

 

 身体じゅうが切り裂かれるような感覚で、2機の攻撃を受け止めるジャスティスの背を見ていた。

 ついに、かつて仲間だった彼らとの戦いが始まってしまった。

 撃ちたくない、だが決して撃たれるわけにはいかない。早く彼らを倒してレクイエムを破壊しなければオーブが、世界が……。

 アスランと、想いは同じ。それがけが救いだった。

 すぐに回り込んできたレジェンドの攻撃を盾で防ぐ。

 

≪ナナ!≫

「大丈夫……!」

 

 アスランはかばおうとしてくれるが、彼に対するシンの攻撃は執拗だった。

 

≪裏切り者! アンタなんか! アンタなんか!!≫

 

 行き場のない感情をアスランにぶつけているようだ。

 そしてレイは……。

 

≪お前はオレが排除する! ギルの邪魔はさせない!!≫

 

 あの時とは違い、自らの手でセア・アナスタシスの存在を消そうとしている。『プロジェクト・バハローグ』そのものを無かったことにしようとしている。

 

「レイ!」

 

 言いたいことはまだたくさんあった。

 だが、ドラグーン・システムを巧みに操る彼に対し、何かを話す余裕はなかった。

 

≪ナナ! くそっ……!≫

 

 ジャスティスとどんどん離されていく。

 対ドラグーン・システムのシミュレーションはしてきた。それでも全神経を集中させて攻撃を避け続けるのが精いっぱいだった。

 レクイエムとの距離も開いていく。

 このままでは……。

 

≪消えろ、セア・アナスタシス。そして、ナナ・リラ・アスハ!≫

 

 レジェンドのビームライフルが至近距離で放たれた。グレイスの盾は一瞬で使い物にならなくなった。

 そして防備を失ったグレイスに向けて、レジェンドのドラグーンが一斉に発射した。

 

≪ナナ!!≫

 

 アスランの声が聞こえた。

 視界は光に包まれた。

 

 オーブが撃たれる……。

 

 死への悲しみでなく、オーブを護れなかった悲しみに歯を食いしばった。

 が、身体が炎に包まれることはなかった。

 二度目の死は訪れなかった。

 

≪ナナ! 大丈夫!?≫

 

 目の前に、フリーダムがいた。

 フリーダムのビームシールドが、レジェンドの攻撃を防いでくれていた。

 

「キラ……」

≪ナナ!≫

 

 キラはナナの身体にまとわりつくレイの殺意をかき消すように叫んだ。

 

 

≪僕たちはもう二度と、君を失うわけにはいかないんだ!!≫

 

 

 同時に、フリーダムはグレイスとレジェンドを引き離すように、レジェンドに向かって行った。

 

「キラ……」

≪キラ・ヤマト……!≫

 

 また、レイの口からキラの名が当たり前のように出て来た。

 それは自分に向けられたのとは違う種の憎しみ……のように思えた。

 そしてレイは、ナナの存在を忘れたかのように、キラにそれをぶつけ始めた。

 

≪ナナは行って!≫

 

 それを受け止めながら、キラは言う。

 

≪アスランも……!≫

 

 ようやく息をついたナナは、すばやく周囲の状況を確認する。

 MS隊がエターナルを取り囲んでいる。それをイザークやヒルダたちドムトルーパー隊が必死に守っている。ミネルバはアークエンジェルを執拗に追っていた。アークエンジェルもアカツキとともに懸命に応戦している。

 どちらの艦も危うい状況であることはひと目でわかった。

 だが、キラは言う。

 

≪アークエンジェルも行ってください! ここは僕とエターナルで抑えます! あとは全てレクイエムへ!≫

 

 とてもまっすぐな声で。

 

≪え……と、め、命令です……!≫

 

 そして戸惑いながら、言い慣れない言葉を……。

 それだけに、彼の覚悟が伝わった。

 

≪でも、それではエターナルが……!≫

 

 マリューは言う。

 エターナルはたちまち唯一の大きな的となり、敵に取り囲まれて危険な状況になるだろう。

 だが。

 

≪この艦よりもオーブです≫

 

 キラと同じ覚悟を持ったラクスが言った。

 

≪オーブはデュランダル議長のプランに対する最後の砦です。失えば世界は飲み込まれる……。絶対に守らなくてはなりません! だから行ってください、ナナ、アスラン、ラミアス艦長≫

 

 涙が滲んだ。

 セアだって、コックピットで泣いたことはなかった。

 が、ナナはそれを堪えることができなかった。

 大切な国……オーブを、みんなが守ろうとしていることが嬉しかった。みんなと同じ想いでいることが嬉しかった。また、みんなと戦えることが嬉しかった。

 

「行こう! アスラン、マリューさん!」

 

 すぐにグレイスのエンジンをフル回転させた。

 撃ち合うレジェンドとフリーダムの横を、風のごとくすり抜ける。

 

「キラ、行って来る!」

≪うん……!≫

 

 そしてデスティニーに一発、ビームを撃ちこんだ。

 そのわずかな隙に、ジャスティスはデスティニーを蹴り飛ばし、すぐに体勢を立て直してグレイスに続いた。

 

 レクイエムまであと少し……。

 間に合え……と、心の中で叫んだ。

 

 



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取り戻したいもの

 

『行って来る……!』

 

 威勢よくキラに言ったが、後ろ髪が引かれない訳ではなかった。

 デスティニーとレジェンド……シンとレイ。二人との戦いが簡単でないことはよくわかっている。

 セアとして、二人とともに戦って来たからわかる。

 二人は本当に強かった。操縦技術はもちろん、絶対に相手を駆逐するという意思の強さも……。

 たとえキラでも、あの二人から同時に攻め込まれて耐え切れるのか。

 放っておけばどんどん増幅する不安を、ナナは懸命に押し込めなければならなかった。

 が、すぐに状況は変わった。

 背後からデスティニーが追って来たのだ。

 レイが行かせたのだ……。

 そんな予感がした。

 同時に、レイのキラに対する憎悪のようなものを思い出す。彼の感情がなんであれ、彼は明らかにキラに執着しているようだった。

 そして、シンも。

 彼はグレイスなど視界に入らないかのように、まっすぐジャスティスに向かって行った。

 

≪裏切り者!≫

 

 そう叫んで。

 彼もまた、アスランに執着している。

 そう感じて、ナナは歯を食いしばった。

 

≪ナナ! 先に行け!≫

 

 デスティニーの攻撃を受け止めながら、アスランは言った。

 それでも、シンはこちらに何の反応も示さない。

 彼の目的はレクイエムへの攻撃を阻止することではなく、もはやジャスティスを倒すこと……アスランを倒すことになっているようだった。

 

(シン……。なんで……)

 

 シンは最初、アスランを敵視していた。

 それは、彼がカガリ・ユラ・アスハを大切に守っていたから。シンが憎む“アスハ”側の人間だったからだ。

 その敵意は、彼が“アスラン・ザラ”であると知ってからますます加速した。

 “戦後”はどうであれ、アスラン・ザラのMSパイロットとしての功績は、軍の中では密かに伝説のように語られていた。

 セアももちろん、そんな“アスラン・ザラ”に憧れていた。

 エースを目指していたシンは、特に“アスラン・ザラ”に対する憧れが強かったかもしれない。

 それが、よりによって憎むべきアスハを護る()()()()()()として目の前に現れて、シンは失望していた。

 セアも、そんなシンの気持ちはよくわかっていた。

 ギスギスとした関係は、アスランが復隊し、ミネルバに乗艦してからしばらく続いたが、ある任務の後に変化が訪れた。ガルナハンでの、ローエングリンゲート突破作戦の時だ。

 あの任務で指揮を任されたアスランは、的確に指揮を執って成果をあげただけでなく、シンを認め、尊重した。

 シンが戸惑いつつも嬉しそうだったのを、セアは横で見ていた。

 シンの中で、アスランはまた尊敬すべき先輩となったのだ。

 

 が、それも長くは続かなかった。

 シンが地球軍のインド洋前線基地を破壊した時のことだった。

 セアは二人の衝突に胸を痛めた。

 地球軍の支配に苦しんでいた島民を救った自分が「正しい」と言うシンに対し、アスランは「力を持つ者なら、その力を自覚しろ」と叱責した。

 本当はあの時……セアにはアスランの言葉が響いていた。

 だが、セアはどちらに対してもそれを口にすることはなく、シンとアスランの溝は開いて行った。

 だが、シンはアスランのことが嫌いなわけではないのだと思う。

 憧れていたから、尊敬していたからこそ失望しているのだ。

 アスランが自身の理想ではなかったから。認められたかったから、意見の相違が悔しかったのだ。

 オーブへの感情に似ている……。

 ナナはそう思った。

 そしてその全ての感情を、今ここでアスランにぶつけているようだとも思った。

 

「アスラン……!」

≪ここは大丈夫だ、ナナ! 早くレクイエムを!≫

 

 アスランはきっと、覚悟をしているのだ。

 シンの感情を受け止め、薙ぎ払い、“別のもの”を見せること……。

 アスランもまたシンを想っているからこそ、今、そうしようとしている。

 

「わかった!」

 

 ナナが覚悟を決めないわけにはいかなかった。

 大丈夫。アスランの信念は、シンの怒りに燃え尽くされたりはしない。

 ナナは操縦桿を握りしめ、グフやザクをかき分けてレクイエムへ向かった。

 だが……。

 

≪セア!!!≫

 

 グレイスを、後方からビームが襲った。

 デスティニーではなかった。

 

≪行かせないわよ! セア!≫

 

 インパルス……ルナマリアだ。

 

「ルナ……」

 

 グレイスに破壊されたパーツをすっかり取り換えたインパルスが、再びグレイスに襲い掛かる。

 彼女に構っている暇はない。一刻も早くレクイエムへ……。

 そう思っても、彼女もまた執拗だった。

 向かい来るザクに応戦しながら、後方からのインパルスの攻撃を避ける。

 彼女に追いつかれるのは必然だった。

 

「ルナ!」

≪セア!≫

 

 グレイスとインパルス、2機のビームサーベルがぶつかり合った。

 明らかな殺意を感じた。

 先ほど投げかけた言葉は、彼女には届かなかったのだ。

 いや……、届いたうえで、彼女は()()()のだ。

 

≪あんたが本当は“アスハ大使”だったとしても……!≫

 

 ルナマリアは言った。

 

≪セアとして帰って来てよ!!≫

 

 それは……初めて聞く彼女の想いだった。

 

「ルナ……」

≪私はあんたがうらやましかった……! パイロットとしての腕は私と変わらないのに、“あの事故”の生還者だからって特別扱いされて……! 『プロジェクト・バハローグ』のおかげで議長に守られて。新型のレジーナまで任されて……。私はずっと、『なんであんたが』って悔しかった……!≫

 

 インパルスは、無駄だらけの動きで攻めて来る。

 

≪事故のせいで仲間をみんな失って……、自分も大怪我をして、あんたが大変だったってわかってるのに……、私は、あんたがうらやましかった! そんな自分が、私は嫌いだったの!≫

 

 グレイスが避けるのは容易かった。

 

≪あんたはすごく気が小さかったけど、優しくていい子だったから……、私が守らなきゃって思った。あんたが懐いてくるから、助けてあげたかった。だけどやっぱり、レジーナは私の方が相応しいと思ったし、もっと私の方が評価されるべきだと思ってた……!≫

 

 が、ナナ自身は彼女の言葉に囚われていた。

 

≪だけど突然戦争が始まって……。戦場であんたはいつも冷静だった。私たちは何度もあんたに助けられた……。いつもは私たちの後ろに隠れてるくせに、あんたはすごく……、すごく強かった……!≫

 

 乱れた剣筋を受け止めるのはたやすい。

 だが……。

 

≪だから私は、なんであんたが戦場で冷静でいられるのか、怖くないのかって聞きたかった。でも、私が怖がってることを気づかれたくなくて聞けなかった……!≫

 

 グレイスのライフルは撃てなかった。

 

≪他にも話したいことはたくさんあったの! オーブやプラントのこととか、あんたが“ナナ”に似てるって言われて嫌じゃないのかとか、シンのこととか、アスランのこととか……!≫

 

 右手のビームサーベルで受け止めた隙に、左手のライフルでがら空きのインパルスの胴体を撃つのは容易だったのに。

 

≪それなのに……、それなのに……! あんたは突然いなくなった! アスランと!!≫

 

 ルナマリアの想いを……涙を、全部を受け止めなければならないと思った。

 

≪そのまま……シンに撃たれたって……! 急にそんなこと聞かされた私がどう思ったかあんたにわかる?≫

 

 息が切れた。

 攻撃は安易なのに、ぶつけられる想いは重たかった。

 

≪しかも……! 生きてたってわかった瞬間、あんたはあんたじゃなくなってたなんて……! 最初からあんたはあんたじゃなかったなんて……! そんなのっ……!≫

 

 ナナはカラカラに乾いた唇を噛みしめた。

 言葉を探した。

 さっきはあれほどすらすらと流れ出た彼女への言葉が、今はひとつも見つからない。

 

≪あんたが今は“ナナ”だっていうなら……≫

 

 ルナマリアは息をついた。

 インパルスが後退する。

 

≪さっきの……、あなたの言葉は……理解できます……≫

 

 懸命になにかをなだめるように、彼女は言った。

 

≪私には……、議長の言う『デスティニープラン』が正しいことなのかどうかなんてわからない……! あなたが言うように、本当は少しだけ、恐ろしいことなのかもしれないって思ってる……!≫

 

 ナナも息を吐いた。

 が、互いに攻撃態勢を解くわけにはいかなかった。

 

≪だけど“今”決められるわけないでしょう? 私はザフトの軍人で、仲間も……シンもレイもあなたたちと戦ってる! 戦うしかないじゃない……!≫

 

 インパルスは、ビームサーベルの切っ先をグレイスのコックピットに突きつけた。

 

≪アスハ大使のことは憧れてたし、言葉はきっと正しいってわかってるけど……、だけど私は……≫

 

 ルナマリアはすすり泣きながら言った。

 

≪ナナじゃなく“セア”に戻ってほしいの……! 友達だったセアともう一度話がしたいから! “セア”に戻って来てほしいの……!≫

 

 彼女がセアのことをこんなふうに想ってくれていたなんて……。

 セアもナナも、知らなかった。

 

≪だから私は……! ザフトやプラントのためじゃなく……、“セアを取り戻す戦い”をすることにしたの!!≫

 

 そして、彼女の本当の強さも知らなかった。

 

「ルナ……」

 

 モニター越しに“友”を見つめた。

 側でジャスティスとデスティニーが激しい戦闘を繰り広げているせいか、映像は少し乱れている。

 が、彼女の瞳に決意の火が灯っているのがはっきりとわかった。

 

「ありがとう……、ルナ。そんなふうにセアを想ってくれて」

 

 干からびた喉をこじ開ける。

 

「だけど、私はナナだよ……」

 

 気圧されるわけにはいかないのだ。

 彼女の想いが嬉しくても、もう、戻ることはできない。

 

「それでもアナタと友達でいたいけど……。でも今は、私の国を護るためにレクイエムを破壊しに行かなきゃならない……! アナタを倒して……!」

 

 ルナマリアが決意を示してくれたように、自分もそれを示す。

 まっすぐな気持ちで。

 

≪私はセアを取り戻す……!≫

「ルナ!」

 

 もう一度、二人はぶつかり合った。

 グレイスに盾はもう無い。ビームサーベルの攻撃は同じくビームサーベルで受け止めるしかない。

 はっきりと決意を口にしたルナマリアは、先ほどとうって変わって的確な攻撃を仕掛けて来た。全神経を集中させなければ、一瞬で落とされてしまうほど……。

 が、こういう状況は幾度も経験してきた。このグレイスで。

 いや、子供の頃からシミュレーターで。

 腕はほぼ互角。グレイスがインパルスより上回るのはスピードだ。

 だとしたら……。

 ナナはグレイスを加速させ、いっきにインパルスの間合いに入り込んだ。頭部目掛けてビームサーベルを振り下ろす。

 インパルスはさすがの身のこなしで、それを盾で受け止めた。そしてすぐに、ビームサーベルで反撃してくる。

 そこを、もう一度グレイスを加速させた。今度は後ろに飛び退りながら、身体をひねって攻撃を避ける。

 ビームがわずかにグレイスの肩口をかすめたが、ナナは歯を食いしばって衝撃に耐えた。そして体勢を崩したまま、インパルスにライフルを向ける。

 当然、インパルスは再び盾を構えた。

 動きは早い。だが……。

 グレイスはライフルを発射させると同時に、インパルスに急接近した。そしてそのままインパルスを通り越し、素早く背後へと回り込んだ。がら空きのインパルスの背にビームサーベルを振りかざす。

 頭部を斬首すれば、メインモニターが死んでまともな戦闘ができなくなるはずだ。

 ナナは息を止めてそうした。

 

≪え……!?≫

 

 小さな悲鳴が聞こえる。

 が、かまわずビームサーベルを振り抜いた。

 だが……。

 

「え……」

 

 今度はナナがつぶやいた。

 グレイスの剣は空を切った。

 何も切らなかった。

 

 気づけば、コックピットにはパワー残量ゼロを知らせるアラートが鳴り響いていた。

 

 

 

 



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終われない

 

 寸前まで失せると思った命……。

 それが実在することに、ルナマリアは明らかに動揺していた。

 が、彼女はすぐに我に返った。

 

≪セア!≫

 

 インパルスは盾を向けたまま迫って来た。そしてグレイスの身体にそのまま体当たりする。

 

「ぐっ……!」

 

 衝撃で脳や内臓が揺れた。

 インパルスはそのままグレイスを押し込む。懸命にスラスターを操作するが、逃れられない。

 別の警告音が鳴った。

 背後に障害物……月だ。

 

≪セア……!≫

 

 グレイスはインパルスによって月面に叩きつけられた。

 

≪ナナ!!≫

 

 アスランの声も聞こえた。

 が、その息づかいから、彼もまた必死でシンと戦っていることがわかった。

 

≪セア……お願いよ……≫

 

 グレイスを組み強いたまま、ルナマリアは言った。

 

≪戻って来て……!≫

 

 ナナは答えなかった。

 ここにはもう、セアはいないのだ。ナナの中にしかいないのだ。もう、ルナマリアがセアと話すことはできないのだ。

 

≪戻って来ないなら……! 今、ここで、私が……!≫

 

 ライフルの切っ先が、メインモニター全面に映った。

 

「ルナ、お願い……」

 

 請うのは命ではなく……、

 

「行かせて、レクイエムへ……」

 

 この意志を全うしたい想いと……、

 

「オーブを護らせて……」

 

 オーブの未来だった。

 

「ルナ……」

 

 またモニター越しに見つめ合う。アラートでなく、ルナマリアの息づかいだけが耳に響いた。

 その時。

 

≪ナナ!≫

 

 ジャスティスがデスティニーを振り切って、こちらへ来ようとしていた。

 とっさにナナは叫んだ。

 

「逃げてルナ!」

≪え……?!≫

 

 ルナマリアはジャスティスに向かって構えようとした。

 が、ナナは言った。

 

「アスランには敵わない! 早く逃げて!」

 

 どうしてそう言ったのかナナ自身もわからない。

 アスランを止めれば良いことはわかっていた。が、彼が止まるはずはないと思ったのだ。

 こんな状況で自分が死ぬのを、彼は黙って見ていることはしないだろう。

 だからきっと、咄嗟にルナマリアに逃げるように言ったのだ……。彼女も撃たれて欲しくないから……。

 が、

 

「待って、アスラン!」

 

 インパルスの動きは鈍かった。

 だからアスランにそう叫んだ。

 

≪ナナ……!?≫

 

 そのわずかな間で、デスティニーがジャスティスに追いついた。

 デスティニーの背後からの攻撃を、ジャスティスは身をよじってかわす。そして改めて、アスランとシンの激しい戦いを目の当たりにすることになった。

 

≪なんであんたが! あんたなんかに!!≫

≪シン、もうやめろ! 過去に囚われたまま戦うのはもうやめるんだ!≫

 

 シンの行き場の定まらない怒りと、アスランの想いが伝わって来る。

 

≪こんなふうに戦っても、何も戻りはしないんだ!≫

 

 どういう想いでアスランがシンにそう言っているのか、よくわかった。

 

≪な、なにを……!?≫

≪それなのに、お前は“未来”まで殺すのか!?≫

 

 また、泣きたくなった。

 やはり、“以前のナナ”より弱くなってしまったのだろうか……。

 

≪お前が欲しかったのは、本当にそんな力なのか!?≫

 

 シンは息を呑んだ。

 きっと、アスランの言葉で思い知ったのだ。己が欲していた力に、迷いがあるということを。

 

「ルナ!」

 

 同じく二人の熱に中てられていたルナマリアに、ナナは早口で声をかけた。

 

「お願い、どいて!」

≪な、なにを……!≫

「お願い……!」

 

 こみ上げる衝動が強すぎて、うまく話せない。

 

≪あ、あなたはこのまま拘束を……!≫

「お願い! あの二人を止めたいの!」

≪え……?≫

 

 単純な想いだ。

 アスランにもシンにもルナマリアにも、もうこれ以上傷ついて欲しくない。

 たとえ無力でもやらなければならない。進み続ける……それが“自分”だから……。

 

「どいてルナ!」

 

 インパルスにライフルを向けた。

 反射的に、向こうの銃口も突き付け直される。

 と。

 

≪だけどっ……、だけど……!!≫

 

 シンは迷いを振り払うように、アスランに向かって行った。

 

「アスラン、シン!!」

 

 ナナは地べたに背を付けたまま叫んだ。

 もう何度目かの無力感で眼がくらみそうだった。

 だが……、急にメインモニターが明るくなった。

 そして。

 

≪シン! アスラン! 二人とももうやめて!≫

 

 ナナの台詞を誰かが叫んだ。ルナマリアだ……。

 ジャスティスとデスティニーを捉えていたサイドモニターに、インパルスが現れる。

 そのまま、インパルスはデスティニーの前に立ちはだかった。

 

「ルナ!」

≪ルナマリア!?≫

 

 ここにいる誰もがその光景を目にしているはずだった。

 当然シンも。目の前の標的を阻む存在が何であるか、知っているはずだった。

 だが、シンは止まらなかった。

 

≪うわぁーっ! ステラ! マユ!≫

 

 彼はそう叫び、そのまま真っ直ぐに、

 

≪やめろー!!!≫

 

 ビーム砲をインパルスに向けて放った。

 

「ルナ!!」

 

 何故わからないのか。何故止まらないのか。

 ナナには半分だけ理解ができた。

 だからこそ、悲しくて腹立たしかった。

 きっと、アスランも同じ想いだ……。

 唇を噛みしめながら身体を起こしたが、間に合うはずもなかった。

 だが、ジャスティスは動いた。

 咄嗟にインパルスの前に出て、シールドでビーム砲を受け止めた。

 

≪シン!!≫

 

 そして身体を反転させて勢いをつけ、ビームサーベルを振り下ろした。

 デスティニーは咄嗟にシールドで止めたが、ジャスティスの威力が勝った。デスティニーの腕が押し切られ、爆発する。

 さらにジャスティスは素早い身のこなしでデスティニーの足を蹴り飛ばし、破壊した。

 最後は一瞬で片がついた。

 デスティニーは推力を失い、背後から月面に落ちた。

 

≪シン……!≫

 

 インパルスがそこへ向かった。

 

「アスラン!」

 

 ナナはすぐ、彼に声をかけた。

 

≪ナナ……≫

「アスラン……!」

 

 彼が、落ちたシンの姿を見て何を想うのか……考えると胸が痛かった。

 

≪ナナ、大丈夫か……?!≫

 

 が、優しい彼はこんな時でもこちらを気づかってくれる。

 

「うん、大丈夫」

 

 ナナは敢えて、彼を気づかわなかった。

 そして、言った。

 

「ごめん、ちょっと寄り道しすぎたせいでこんなんなっちゃって、一緒に行けないけど……」

 

 不格好なグレイの機体のまま。

 

「行って、アスラン」

≪ナナ……≫

「お願い、オーブを、世界を守って……!」

 

 アスランは大きくうなずいた。

 大丈夫、何も心配ないというような顔で。

 

≪ナナ、アークエンジェルに艦を寄せてもらって、ちゃんと帰還してくれ……!≫

「うん、わかってる!」

≪ナナ……≫

「大丈夫。また“後で”……!」

≪……ああ……! 後で……!≫

 

 最後までこちらの心配をして、彼は最後の決戦の地へ向かって行った。

 一緒に行きたかった。この手でオーブを護りたかった。戦うのは嫌いだが、もうここで終わりなんて嫌だった。

 そう思ったが仕方がない。

 もう力は尽きた。ここで、仲間たちの戦いを見守るしかなかった。

 そっとため息をついたとき、グレイスのサイドモニターに、インパルスのコックピットから降りてデスティニーへと駆けつけるルナマリアの姿が映し出されているのを見た。

 

「ルナ……」

 

 身体が勝手に動いた。

 今しがた息をついたはずなのに、ナナはすぐにコックピットを開け、外へ飛び出した。

 武器は持たない。

 ただ、ルナマリアとシンに会いたかった。

 

 

「ルナ……!」

 

 彼女はシンをデスティニーのコックピットから引っ張り出そうとしていた。

 それを手伝う。

 彼女は気を失っているシンに何度も呼びかけたが、ナナには何も言わなかった。

 二人で彼を月面に下ろした。パイロットスーツがあちこち焦げているが、ちゃんと息をしている。

 

≪シン……!≫

 

 ルナマリアは彼を膝に乗せ、何度も呼びかけた。

 が、シンは目覚めない。まるで悪夢にうなされているかのように、苦しげな顔をしている。

 

「シン……」

 

 ナナは彼の脈をとった。

 少し早いが、力強さは失っていない。

 彼は大丈夫、そう思って安堵したが、それをルナマリアに言うことができなかった。

 

「ルナ……」

 

 彼女はとても大切そうにシンを抱いていた。

 少しだけ「よかった」と思った。

 もう、二人はこの戦渦から逃れることができたのだ。二人の戦いはもう終わったのだ。

 

≪シンは大丈夫よ……、セア。いえ……ナナ≫

 

 ふいに、ルナマリアが顔をあげた。

 その瞳に、敵意は無かった。

 

「ルナ……」

≪私も大丈夫……。それにもう、あなたを連れ戻そうなんて言わないし……≫

 

 急に大人びたような彼女に、ナナは少し戸惑った。

 

≪だから……≫

 

 彼女は鼻をすすりながら、小さく笑った。

 

≪あなたはもう行って……!≫

「え……?」

 

 何もかもを見透かしたような目だ。

 

≪あなたが“ナナ”なら……、あなたにはまだやるべきことがあるでしょう?≫

 

 彼女はそう言った。

 

≪私たちの戦いはもう終わったけど……、あなたはまだ終われない……≫

 

 ナナの心を知っているかのように。

 

≪残念だけど、あなたがナナ・リラ・アスハなら、ここで救助を待ってる場合じゃないでしょ?≫

 

 かつて共に過ごしたときのように、ルナマリアは勝気な笑みをよこす。

 

「ルナ……」

≪インパルス、使っていいから≫

「え……?!」

≪大丈夫。シンを救助している隙に奪われたって言うから平気!≫

「で、でも……」

 

 ナナが戸惑っていると、ルナは怒ったような顔をした。

 

≪あなたは“ナナ”なのよね?≫

 

 反射的にうなずく。

 すると、

 

 

≪だったら……、ちゃんとこの戦争を終わらせて……!≫

 

 

 彼女はそう言った。なかばケンカごしに。

 

「ルナ……」

≪言ったでしょう? 私、“アスハ大使”にはちょっと憧れてたの! だから、イメージ壊さないでよね!≫

 

 本当の別れだ。

 彼女の強さと優しさに、それを実感した。

 胸の痛みに任せて、ルナマリアを抱きしめる。

 

「ルナ……!」

≪私、さっきはいろいろ言ったけど、セアとは本当に友達だと思ってた……!≫

「うん、セアも……!」

≪本当に、もう一度話がしたかったの……!≫

「ルナ……」

 

 瞳を合わせた。

 ヘルメットどうしが当たってコツンと鳴った。

 涙はこらえきれなかった。ルナマリアも泣いていた。

 

「セアはあなたのことが好きだった。すごく頼りにしていた。そして……、“私”もあなたが大好き……!」

 

 想いを込めた。

 

「だから……、きっとまた会おう……!」

 

 泣き崩れながら、ルナマリアは何度もうなずいた。

 

「きっと……。シンとルナとレイとアスランと……、みんなで話そう……!」

 

 ナナはそう言って、立ち上がった。

 そして開けっぱなしのインパルスのコックピットに滑り込んだ。

 

 ミネルバにいたときから、基本的な操縦方法は知っている。だからすぐに起動させて、モニターを拡大表示した。

 ルナマリアがこちらを見ていた。

 彼女は小さく笑った。

 それを見届けて、ナナは飛び立った。

 

『私たちの戦いはもう終わったけど……、あなたはまだ終われない……』

 

 その言葉は呪いのようで力だった。

 

『ちゃんとこの戦争を終わらせて……!』

 

 そしてその言葉は約束……だった。

 

 



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混迷の闇

 

 インパルスのコックピット内はまだ熱が籠っていた。ルナマリアが必死で戦った余韻だ。

 突然突き付けられた真実と、迫られた選択……。

 混乱する中で、もがいて、決心して、戦った残像がここにある。

 ナナはインパルスの操縦桿を力いっぱい握りしめた。

 ルナマリアが好きだった。

 誰にでも意見をはっきり言えて、いつも背筋が伸びていて、メイリンや自分に優しくて……。

 セアは心から彼女を頼っていた。仲間をみんな失ってしまった孤独感を、ルナマリアは癒してくれていた。

 そして、ナナも……。

 やはり彼女が好きだった。ずっと友達でいたかった。

 彼女がセアを求めてくれたように、自分もルナマリアに「こちらに来てほしい」と思った……。

 だから、きっと……。いつか、また、会おう……。

 その想いを希望にして……最後の場所へと向かった。

 

 

 視線の先の月面から火柱が上がった。

 とてつもなく大きい……。

 アスランがレクイエムを破壊したのだとわかった。

 オーブは撃たれなかった。護ることができた。あの国を、カガリを……。

 そして、フリーダムが要塞を破壊していた。すでに要塞を覆っていたシールドは消え、その原型を留めぬほどだった。

 戦いの終わりを感じながら、ナナはそこへ向かった。

 一瞬、フリーダムにロックオンされた。

 だが。

 

「キラ……! 私……!」

≪え? ナナ? その機体……≫

「ごめん、いろいろあって……」

 

 キラは少し戸惑いつつも、すぐにナナを認識した。

が、当然のことながらその動きにさらに戸惑った。

 

≪ナナ……、どこへ行くの!?≫

「ちょっと用事があって」

≪ま、まさか……≫

「やらなくちゃならないことがひとつ、残ってるの」

≪ナナ……!≫

「キラ、お願い。あと15分だけ全壊を待って欲しい」

 

 我がままを言っているのはわかっている。一刻も早く戦いを終わらせるには、この要塞を全壊させなければならない。この“プランの象徴”を消し去らなければ、無駄に戦いが長引くのだ。

 だが、どうしてもやらなければならないことがあった。

 ルナマリアは言っていた。

 

『あなたがナナなら、やるべきことが残っている』

 

と。

 きっと、前の戦争のときの“でしゃばり”を知っていて言ってくれたのだろう。オーブのことも気遣って。

 だが、今の自分にはあの時のような影響力は少しもない。

 自分は()()()()()()()()()()なのだから。

 この混乱の中に名乗り出ても、多くは信じないだろう。

 自分だって信じない。

 だから、「やるべきこと」はとても小さなことだ。あの時に比べたら……。

 だが、どうしてもやらなければならなかった。

 

「あそこだ……」

 

 要塞の入り口を見つけた。もう防衛隊の影もない。

 そこへ、インパルスを滑り込ませた。

 

≪ナナ……!≫

 

 すぐにフリーダムが並んだ。

 

「キラ……?」

≪僕も行くよ……!≫

 

 まだエターナルとアークエンジェルが気がかりだった。抵抗勢力が収まったところは確認していない。アスランやムウたちのことも心配だった。

 だが、キラに「戻れ」とは言えなかった。

 

「ありがとう……」

 

 本当に我がままだ……。

 彼に見届けて欲しいと思っている。

 セアが大人しくしていたぶん、きっと以前より我がままになっているのだ……。

 ナナはそう思って、少し笑った。

 

 

 要塞の中はすでに煙が充満していた。電気系統はもう機能していない。あちこちで火の手が上がっている。瓦礫で塞がれている通路もあった。

 インパルスとフリーダムを並べると、二人はコックピットを出た。

 

「ナナ、銃は?」

 

 キラが前を行く。

 

「インパルスの備品を借りて来ちゃった」

 

 ザフトの銃を構えてみせた。もちろん使い方は知っている。

 

「じゃあ行こう……。中枢部に行くんだよね……?」

 

 キラがナナの意志を確かめる。

 

「うん」

「場所……、誰かに聞かないと……」

 

 キラは銃を握り直した。

 その銃でザフト兵を脅して、中枢部に案内させなければならない……。

 が。

 

「大丈夫。きっとこっち……!」

 

 ナナは無機質な通路を曲がった。

 

「え? わかるの?」

 

 セアとして……、ザフト兵としてここに来たことなど無い。

 だが、わかる。

 

「似てるからわかる。ヤキン・ドゥーエと……」

 

 かつて侵入した要塞と、ここは同じような造りのようだ。

 

「ジェネシスを停止させようとした時……?」

 

 あの時の出来事はつい最近のようで、遠い昔のようにも思えた。

 

「うん、そう」

「アスランと?」

「うん……。アスランのお父さんが、撃たれたところを見た」

「そっか……。そうだったね……」

 

 まだ何人か兵士が残っていた。

 が、キラが銃を向けて威嚇しただけで彼らは追っては来なかった。

 当然だ。命が惜しければ、機能を失くした要塞など捨てて一刻も早く脱出したほうがいい。

 

「キラ、こっち」

 

 彼らにかまわず、ナナはエレベーターへとキラを引き入れた。

 だんだんと要塞の深部へ向かっているのが分かる。“彼”に近づいているのが分かる。

 重力制御装置が壊れかけた通路を駆け抜け、迷うことなく扉を開けた。

 

 その部屋は薄暗かったが、おそろしく天上が高く、広いのがわかった。すでに役目を終えてはいるが、壁面に多くの機器が並んでいることから、司令室であったことがうかがえる。

 その中心部に、ステージのような空間があるのが見えた。

 そしてその“玉座”に、彼はいた。

 

「デュランダル議長……」

 

 彼はゆったりと、そこに腰かけこちらを見ていた。

 

「やぁ、セア。そして……キラ君……」

 

 彼は知っている者の名と、知らないはずの名を呼んだ。

 キラはナナの前に出て、銃を向けた。同時に、デュランダルも立ち上がり片手で銃を構える。

 

「議長……」

 

 ナナは手を下ろしていた。

 キラに並んで、ただ問いかけた。

 

「“私”がわかりますか?」

 

 抽象的な問いに驚きもせず、彼はつぶやいた。

 

「そうか……。君は“彼女”か……」

 

 何故だか嬉しそうな顔をしている。

 それに苛立ったようにキラが叫んだ。

 

「あなたはっ……、何故“ナナ”にこんなことを……!?」

 

 キラは代わりに怒ってくれているのだと思った。

 ナナ自身、今、彼を目の前にして怒りは無かった。問いたかったことも、それではなかった。

 

「君たちももう知っているのではないか? 『プロジェクト・バハローグ』の真の計画……。それこそが私の目的だったのだよ」

「ナナをっ……! 利用することですか?」

「そうだよ。このような戦場でね」

「どうしてそんなこと……!?」

「君たちが怖かったからだよ」

「こ、怖かった……?」

 

 デュランダルは口元に笑みを浮かべながら語る。

 

「先の戦争で力を示したのは誰だっただろう? 互いにぶつかり合っていた地球連合とザフトではなかった。オーブと、エターナル、アークエンジェル……そう、()()()だった。アスランや君の能力は素晴らしかった。何より、オーブの理念、ラクス・クラインの信念、そしてナナ・リラ・アスハの意志……、それこそが戦況を大きく動かし、停戦へと導いた」

 

 キラが銃を握り直したのがわかった。

 ナナ自身はどんどん心が冷めていくのを感じていた。

 

「そして戦後、人々が耳を傾けた声は、ナナ……君の声だった。地球だけじゃなく、プラントじゅうにもその声は響いていた。無論、我々もザフトの兵たちもその声を聞いていた。彼女の理想を皆で共有し、実現しようと努力し続ければ、いつかは平和な世界になるのだと……私自身もそう思っていたよ」

「だ、だったら何故……!?」

「だから、怖かったのだ」

「…………」

「ナナの言葉は、大勢の人間を惑わせた」

「惑わせた……!?」

「そうだろう? 人間の“構造”そのものを変えない限り、争いは無くならない。真の平和など訪れないのだ。それを、ナナの言葉によって人々は忘れようとしていた」

 

 デュランダルは目を細め、薄く笑った。

 

「で、でも、ナナは……!」

「たしかにナナは素晴らしかった。平和を願う言葉は簡潔で、心地よく、だが辛辣で、清々しかった。人々が本気で彼女の意志の元に集い、心を合わせて平和への道を歩む……、そんな光景が想像できた」

「だ、だったら……!」

「だが、本当にそれで真の平和に辿り着けるのか?」

「…………」

「人は争う生き物だ。君もわかっているのではないのか?」

 

 キラは言葉を探していた。

 その間に、デュランダルは鋭い目でナナを見た。

 

「ナナ……、君も、本当はわかっているのではないかな?」

 

 今度はナナが薄く笑った。

 

「だから?」

 

 ナナの声に、キラがわずかに肩を揺らす。

 

「だから、“人間の構造”を最初から変えてしまおうと思ったんですか?」

「ああ、そうだよ。根本を変えなければ人間は変わらない。世界は変わらないのだよ」

「それで、遺伝子操作をして、産まれる前から運命を決めてしまおうと?」

「そうだ。とてもわかり易いプランんだと思うがね」

「ええ、わかり易いです」

「そうだろう? 今を生きる人間たちにもわかってもらえると思うのだが、どうだろう」

「あなたのプランを受け入れる人もいるでしょうね、今は」

「ナナ……!?」

 

 キラが肩越しにこちらを見た。

 

「それでも、君たちは破壊するのかい?」

 

 何故だろう。怒りは湧かない。

 

「やめたまえ。せっかくここまできたのに」

 

 彼は狂乱しているのではなかった。

 

「ここで止まってしまえば、世界はまた混迷の闇へと逆戻りだ」

 

 心の底から自身のプランが正しいものだと信じているのだ。

 

「私の言っていることは真実だよ」

 

 ナナはため息を付くように言った。

 

「そうなのかもしれませんね……」

 

 彼に同意した。

 確かに今、彼のプランを実行すれば、歴史は変わるだろう。

 これからは、人類の歴史の中に“混迷の闇”とやらは記されないのかもしれない。逆に自分たちがプランを破壊すれば、彼の言うように再び“混迷の闇”が繰り返されるのかもしれない。

 だが……。

 

「でも……」

 

 自身の本能は抗っている。人として生きる自分は拒絶している。

 今、共に戦っている仲間たちは皆そうなのだ。

 ナチュラルもコーディネーターも、プラントも地球もオーブも関係なく、意志を重ねているのだ。

 

 

「私たちは、その“混迷の闇”にならない道を、“選んで”生きて行くことができるはずです」

 

 

 デュランダルの目が鋭くなった。初めて苛立ちを表していた。

 

「自分の意思を持ち、願い、望み、道を選ぶ。それが“生きる”ということだと思いませんか?」

 

 デュランダルは鼻を鳴らした。そして大げさに感心した口調で言う。

 

「本当に……、君の言葉は魔法のようだよ。()()()()()()()よくわかった。その揺るぎない自信が、何も決められない人々の心の隙間に入り込み、あたかも自分の意志のようにすり替わるのだろうね。まさに“オーブの魔女”だ……君は……」

 

 彼の視線はとても鋭く冷たい。

 

「だが君は知っている。自分の示す道が、人々にとって苦しく困難な道だということを。それを知りつつも、君は彼らを棘の道に誘い込もうとしているのでないのかな? そこにいる、キラ・ヤマト君も」

「違う……!」

 

 キラは叫んだ。

 

「僕はナナに教えてもらったんだ。苦しくても戦って“生きる”ことの意味を……!」

 

 それは今までくれた言葉の中で、一番うれしい言葉だった。

 

「だから、一緒に戦うんだ……!」

 

 そう……、一緒に。

 キラも自分に教えてくれた。一緒に戦うことの意味を。

 目の前の男はそれを知らない。

 だから今、たったひとりでここにいる……。

 

「だが、人々は苦しい道など誰も進んで選びはしない。人々は戦うことを忘れ、また繰り返す。『こんなことはもう二度としない』と、『こんな世界にはしない』と、言える者などいるのかね? 誰にも言えはしないだろう。君たちにも……、むろんラクス・クラインにも。誰も何もわかりはしないのだから」

「でも、僕たちは知っている……! 『わかっていける』ことも、『変わっていけること』も知っている! だから“明日”が欲しいんだ。どんなに苦しくても、辛くても、変わらない世界なんて嫌なんだ……!」

「傲慢だね。さすがは最高のコーディネーターだ」

「傲慢なのはあなただ! 僕はただの……ひとりの人間だ! みんなとどこも変わらない。ラクスも……! ナナは、ずっと……最初からずっとそう言ってくれた! だからあなたを撃たなきゃならないんだ! それを知っているから……!」

「だが、君たちの言う世界と私の示す世界。皆はどちらを望むのかな?」

 

 デュランダルは冷たく笑った。キラの熱をかき消すように。

 

「今ここで私を撃って、再び混迷する世界を、君たちはどうにかできるというのかい?」

「覚悟はある……!」

 

 間髪入れず、キラはそう答えた。

 ナナは、一歩進み出た。

 

「あなたの言う『選べない世界』は、人にとって『死の世界』です。たとえ世界が混迷しても、『死の世界』になるくらいなら……、私は壊します」

「そうか……」

 

 銃口が、まっすぐこちらを向いた。

 それを受け入れるように、ナナはさらに進み出た。

 

「ナナ……!?」

 

 キラの前に立つ。キラの銃口をふさぐようにして。

 

「議長……」

 

 彼に銃は向けない。

 

「今すぐに、プランを撤回してください」

 

 これが最後の“やるべきこと”だと思っていた。

 

「すでに決着はつきました。あとはあなたがプランの撤回を示すだけで、世界はあなたの言う“混迷”から少し遠ざかるはずです」

 

 たとえ、志が交わることはなくても。

 

「私を撃ちに来たのではないのかな?」

「あなたを撃ちたくはありません」

「君の意志はそんなものか?」

「あなたは私の命を救ってくれました。それには感謝していますから」

「ナナ……! さがって……!」

 

 背後で、キラが不安げに息を揺らしている。

 だが、ナナはまっすぐにデュランダルを見つめて言った。

 

「なによりミネルバのみんな……、シンやルナマリア、レイと出会わせてくれたことには、本当に感謝していますから」

 

 デュランダルは肩をピクリと動かした。

 そして最後の最後に、つまらないことを言った。

 

 

「私は……、セアのことは愛していたのだがね……」

 

「ナナ!!」

 

 

 キラが叫びながら肩をぶつける様にして、ナナの前に回りこんだ。

 

「ナナ!!」

 

 同時に誰かが……後ろからナナを引っ張り、かばうように抱きかかえた。

 

 ふたつの声と同時に、一発の銃声が鳴った……。

 

 

 

 



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選ぶ、世界

 

「私は……、セアのことは愛していたのだがね……」

 

 彼の言葉に、怒りや憎しみとも、憐みとも違う……そう、絶望を感じた。

 その瞬間。

 

「ナナ!!」

 

 キラが叫びながら肩をぶつける様にして、ナナの前に回りこんだ。

 

「ナナ!!」

 

 同時に誰かが……後ろからナナを引っ張り、かばうように抱きかかえた。

 ふたつの声と同時に鳴ったのは……たった一発の銃声だった。

 

 

 一瞬の沈黙の後、ナナは“彼”を見上げた。

 

「アスラン……?」

 

 彼がここへ、来てくれた……。

 

「ナナ……! 大丈夫か?!」

 

 彼はこちらを気づかいながらも、困惑したまま銃を向けていた。

 デュランダルの方へ……ではなかった。

 だがナナは、まずキラを見上げた。

 こちらを背にして立っている。その肩がかすかに震えていた。

 ちがう……。

 キラが自分をかばって撃たれたのでも、キラがデュランダルを撃ったのでもなかった。

 キラの体越しに、ゆっくりとデュランダルが崩れ落ちるのが見えた。

 

「ギルバート……!」

 

 いつの間にいたのか、タリア・グラディスが彼に駆け寄った。

 ちがう……銃は手にしているが、彼女が撃ったのでもない。

 ナナは改めて、アスランの視線の先を見た。銃口を向けているその先を。

 そこにいたのは。

 

「レイ……?」

 

 レイが、泣いていた。

 もう一度、デュランダルを見る。グラディスに抱えられた彼の胸は、赤く染まっていた。

 

「やぁ……、タリア……。撃ったのは……君か……?」

 

 彼は絶え絶えに言った。

 

「いえ……、レイよ……」

 

 その時、天上の一部が爆発して崩れ落ちた。

 ナナたちには当たらなかったが、もうこの要塞はいつ崩壊してもおかしくはない状態だ。

 戦いの終わりが……近づいていた。

 

「ギル……! ご……めん……な……さい……!」

 

 レイは割れた床にへたりこみ、だらりと両手を下げて、泣いていた。

 

「レイ……」

 

 ナナはゆっくりと彼に近づく。アスランはそれを止めなかった。

 

「でもっ……、セアのっ……“選ぶ”……世界……!!」

 

 レイは心を振り絞るように、泣きながら叫んだ。

 

「……彼のっ……“明日”……!!」

 

 彼の嗚咽は轟音にかき消されることなく、デュランダルに届いたようだった。

 

「そう……か……」

 

 グラディスの膝の上、デュランダルは諦めたように……いや、満足げにつぶやいた。

 

「うう……うぅ……!」

 

 レイは激しく泣いた。

 ナナは、そっと彼の肩に触れた。

 

「レイ……」

 

 彼が自分を“セア”と思っているのか、“ナナ”と思っているのか、どうでもよかった。

 

「ありがとう。助けてくれて」

 

 肩に乗せた手を振り払われることはなかった。

 だが、その肩はとても細く、頼りなく、震えていた。

 

「レイ……」

 

 彼がどんな想いで、崇拝していたデュランダルを撃ったのか……。

 護られたナナも、胸が苦しかった。

 だが……。

 

「レイ、一緒に行こう」

 

 手を差し伸べた。

 

「私と、一緒に行こう」

 

 レイは激しく首を横に振った。何も言わず、歯を食いしばって。

 

「大丈夫、レイ」

 

 彼が欲しい言葉などわからなかった。

 

「セアは知ってたよ」

 

 が、ナナは声をかけ続けた。

 

「アナタは議長の命令でセアのことを守っていたのかもしれないけど……、でも、アナタはアナタの想いを持ってセアのことを守ってくれてた。それを、セアはちゃんとわかってた」

「う……、セアっ……!」

 

 嗚咽の中、彼はセアを呼んだ。

 

 

「レイ、アナタはちゃんと、“アナタ自身”だったよ……、ずっと」

 

 

 大きな柱が上から降って来た。激しい音を立てて玉座の近くに落ちる。

 決して小さくない破片が、ナナとレイのところにも飛んで来た。

 

「ナナ!」

 

 アスランとキラの心配そうな視線を、背中に感じている。

 切羽詰まった状況なのはわかっていた。

 が、できるだけゆっくり言った。

 

「ねぇ、レイ。だから、一緒に行こう。私と」

 

 レイはまた、激しく首を振った。

 傍らに膝を付き、頭を撫ぜる。

 その時初めて、彼はナナを見た。

 いっぱいの涙を溢れさせて、額から血を流して、髪は乱れて、とても歪んでいて……、ひどく幼く見えた。

 

「レイ……」

 

 ナナは改めて、手を差し伸べた。

 

「大丈夫……。今度は私が、アナタを守るから」

 

 レイは息を呑んだ。

 

「だから、一緒に行こう。私と」

「……ナ……ナ……」

 

 彼がそうささやいた瞬間、また頭上で爆発音が鳴った。

 振動も激しくなっている。

 

「グラディス艦長!」

 

 アスランが玉座の二人に駆け寄ろうとする。

 脱出の時間はもう多くはなかった。

 が……。

 

「あなたたちは行きなさい」

 

 彼女はアスランに銃を向けた。

 

「私はこの人の魂を連れて行く」

 

 強くて優しい声だった。

 

「ラミアス艦長に伝えて……、アスラン」

 

 彼女はアスランに言った。

 

「子供がいるの。男の子よ……。いつか、会ってやってね……って」

 

 黒い煙が辺りを包み込む中、彼女の視線はナナを向いた。

 

「セア……、いえ、ナナ……」

 

 一呼吸置いて、彼女は言った。

 

「レイを……、頼んだわね」

 

 部下というより、子供を思いやるような顔をしている。

 

「はい……」

 

 ナナは強くうなずいた。

 それは、彼女と……そしてデュランダルとの決別の時を意味していた。

 

「ナナ……!」

 

 アスランとキラが駆け寄った。

 ナナはレイを見つめ、もう一度手を伸ばす。

 

「行こう、レイ。私と一緒に」

 

 レイは……しゃっくりあげながら、その手をとった。

 

「うぅ……ギル……!」

 

 赤い炎と黒い煙で、もう玉座は見えなかった。

 だが……冷たい空気はもう、感じなかった。

 

「行こう……!」

 

 ナナはレイを抱きかかえ、アスランとキラに言った。

 二人は大きくうなずいて、脱出口へ向かった。

 誰も、振り返りはしなかった。

 レイも……。

 

 その部屋を出てすぐに、大きな塊が崩れ落ち、多くの何かが爆発したのがわかった。

 

 

 

 



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業火

「レイ、大丈夫……!」

 

 

 ナナはレイに声をかけ続けた。

 彼に未来を見て欲しかった。

 デュランダルに示されただけの自分、未来、想いだけじゃなく……、これからは自分自身で全てをつかみ取って欲しかった。夢や、希望や、意志や、道を。

 だから、しっかりと彼の肩を抱いて走った。

 重くはない。通路はもう重力制御装置が壊れかけ、跳ねるように走ることができた。

 前方はキラが誘導してくれている。後方でアスランが守ってくれている。

 大丈夫。

 みんなと一緒に、新しい道を見つけよう……。

 

「レイ……大丈夫だから……!」

 

 彼はかすかに言った。

 

 

「ごめ……ん……セア……!」

 

 

 彼の囁きに、胸が詰まった。

 だから、返す言葉は無かった。ぐったりとした彼を抱えて、懸命に足を動かすしかなかった。

 通路の壁は崩れ、ところどころ天井は墜ち、照明もほとんど点いてはいない。

 だが、かろうじて人が通れる状態を保っている。

 

「ナナ、こっち!」

 

 闇の中でも、キラの瞳が光るのが見える。

 声は要塞があげる断末魔の轟音でよく聞こえないが、彼に強く導かれているのを感じていた。

 

「アスラン……!」

 

 肩越しに振り返る。

 すぐ後ろで彼の瞳も光った。

 

「大丈夫だ!」

 

 レイも、徐々に呼吸を整えつつある。その視線もキラの背を追っているはずだった。

 

「ナナ……!」

 

 キラが角を曲がった。

 ナナも覚えている。曲がった先にはエレベーターがある。この状態でも、きっとまだ動いているはずだ。

 ダメなら軸を伝って……。

 帰ろう……。

 強く思った。

 マリューのもとへ、ムウのもとへ、ミリアリアのもとへ、アークエンジェルへ……。ラクスのもとへ、カガリのもとへ、オーブへ……。

 懐かしい……オーブの海が見たかった。

 レイにも見せてあげよう。あの綺麗な海を。白い砂浜で、彼は好きなことをすればいい。

 

「ごめんね、二人とも。巻き込んじゃって」

 

 なんだか前向きな気持ちになって、そう言った。自嘲ではなく、少し楽しくなったのだ。

 ここを抜け出せば帰れる。

 この先も、やるべきことはたくさんある……こんな黄泉がえりの自分にも。

 カガリをたくさん助けよう。なんなら、死んだまま、陰で支えるというのも面白い。都市伝説になったりして……。

 そう思うと、絶望ではなく希望が胸を占めていた。

 

「いや、うん。急にザフトのMSで現れた時はびっくりしたけど……」

 

 キラは笑いながら言った。

 

「炎上する要塞に飛び込んで行ったと聞いて焦ったが……」

 

 アスランは呆れながら言った。

 

「お前らしいんじゃないか?」

 

 言葉の端が嬉しそうで、キラも苦笑したのがわかったので、ナナも嬉しかった。

 

「大丈夫!」

 

 ナナはレイに言い続けた言葉を言う。

 そして、溢れそうな想いを。

 

「私、今、ものすごく帰りたいから……!」

 

 帰りたいから帰れる。

 根拠のない言葉に、またアスランは呆れたようなため息をついた。

 

 その時……。

 

 すぐ前の左の壁……、キラと自分らの間の壁が突然爆発した。

 といっても、爆風や炎に巻きこまれるほどではない。壁が割れて、それから崩れて、向こう側から赤い火が吹き出した程度だ。

 急いですり抜ければ通れる……。

 それは、頭でわかっていた。

 あの炎が通路を埋め尽くす前に進まねば。キラの方へ、レイと、アスランと。

 わかっていた。

 が、脳内にそれとは別の思考が産まれる。

 いや……、蘇る。

 思考というより記憶。感覚、感情……。

 爆音と、熱風と、闇に映える赤。

 

 

「あ……」

 

 

 その再生を許してはいけないとわかっているのに、抗えない。

 

「……うっ……」

 

 抗おうとすると頭痛に襲われる。足が動かない。

 目が、目の前の光景でなく、“あの時”を見ようと意思に反して閉じてしまう。

 

「ナナ!!」

 

 駆け寄ったアスランの声が、酷く遠くに聞こえる。

 

『ナナ様!!』

『ナナ様!!』

 

 ここにいるはずのない人たちの声が、アスランの声に被る。

 

「ナナ!」

 

 彼が肩に触れたのがわかる。

 が、その手からすり抜けるように膝から崩れた。

 

「ナナ!? どうした!?」

 

 どうしたかなんて……わからない……。

 目の前で爆発が起こった。予期せぬ爆発だ。

 少し前まで、皆で和やかに話していた。

 オーブの同行者も気心の知れた者たちばかりだし、案内役のプラントの議員やザフトの軍人も親切だった。

 さっきまで自分なんかの講演を真剣に聞いてくれていた士官学校の子たちは、追いかけて来て上の通路からこちらをうかがっていた。

 年の変わらない彼らから尊敬なんてされても居心地は悪かったが、興味を持ってもらえるのは嬉しかった。

 少なくとも、心を通わせる可能性があるということだから。

 彼らの好奇の目を浴びながら、この施設を見学していた。

 軍の施設に迎えられたということもまた、オーブとプラント、そして世界がわかり合うための大きな前進だと思った。

 とても立派な施設だった。

 造っているのは武器だが、嫌な気持ちにはならなかった。

 オーブの軍事力だって強大だ。

 お互い、未だ武器を捨てるに至らない現状はわかっている。

 それでも互いに取り決めをし、軍縮に向けての話し合いが進んでいるのも確かだ。

 たとえこの招待がパフォーマンスであって、地下では最新兵器を製造していたとしても、今はもう、ここに並ぶ兵器を見て、『これであのナチュラルどもを……』と言う者はいない。

 

 これは大きな一歩だ……。

 

 そう思ったとき。

 十数メートル先の壁が突然爆発した。

 壁板が飛び散り、頭から振って来る。黒い煙と赤い炎が、ぽっかり空いた穴から噴き出した。

 上階の通路から多くの悲鳴が聞こえる。

 

『ナナ様!!』

 

 オーブの者たちがすぐにナナを囲んだ。

 ザフト兵たちは議員らを護ったが、こちらも守ってくれていた。

 護衛がすぐさまナナの肩を抱える。

 ザフト兵がすぐに脱出路を指示するが、そちらからも爆発が起こった。

 皆、蒼白だった。

 ザフト兵も、プラントの議員も……。

 上階の通路からは多くの悲鳴が聞こえていた。

 

『あ、あのコたちを……!』

 

 彼らの方を向こうとしたが、護衛に抑え込まれた。

 そうされなくても、黒い煙で視界は塞がれていた。

 

『けほっ……! けほっ……!』

 

 気道が煙に蹂躙される。熱風で全身が焼かれるようだ。

 

『こちらへ!!』

 

 懸命に誘導しようとするが、周囲はあっという間に瓦礫と炎に包まれた。

 そう、うろうろしている時間はなかった。

 ひときわ大きな音がした。爆音ではなく、生徒たちがいた通路が崩れ落ちた音だった。

 

『みんな……!』

 

 叫ぼうとしても声が出ない。息が苦しい。目が開かない。

 

『ナナ様……!』

 

 急に一方に引っ張られた、

 その方向に人の流れができる。

 

『大使、こちらへ!』

 

 手を引いたのは議員のひとりだ。

 

『あなたをお守りせねば……!』

 

 初老の彼はそう言って、周りのザフト兵に指示をする。

 と……、彼らはMSの試作機のコックピットを開けた。先ほど見せてもらったばかりの、組み立て前の胴体パーツだ。

 そこに、ナナは押し込められた。

 

『え……?!』

 

 振り返った時、すすと涙でぐちゃぐちゃの顔がいくつもこちらを向いていた。

 

『み、みんな……!』

 

 出ようとしたが、伸ばした手は振り払われた。

 

『こんなことになってしまって申し訳ありません……!』

『どうか、どうにか……、生き延びてください!』

『ナナ様! 必ず我らがお守りします……!』

 

 そんな声が聞こえた。

 どういう意味が問おうとしたとき、コックピットが閉じられた。

 拳で打った。

 が、開くわけもない。

 無理矢理心を落ち着かせ、周りを見回す。

 人ひとりが動けるだけの狭い空間。慣れているその場所で、ナナは手を動かした。

 

『必ず我らがお守りします』

 

 そう叫んだ古参の護衛隊長の声が脳内に響いて、手が震える。

 懸命にパネルを操作する……、が、電源は入らない。手探りでハッチを手動で開けるハンドルを探し、両手で思い切り回すが扉はびくともしなかった。

 

『みんな……!』

 

 焦りと恐怖と不安で呼吸が乱れる。

 それを整えようとするが、ここも酸素が薄くなってきた。

 起動もしないカタマリに、シールドなどない。

 酸素を無駄にするだけだと予感していたが、ドンドンと扉を叩いて叫んだ。

 何度も、何度も……。

 彼らはここに自分を押し込めてどうするつもりか……。あの火の海から逃れられるのか。

 爆発音はここにも絶えず聞こえてきている。振動も……。

 もう、ここは崩壊するのだ。きっと燃料か何かに引火して施設じゅう誘爆を起こしている。

 あのコたちは大丈夫だろうか……。自分たちよりは出口に近かったから、逃げてくれただろうか……。

 

 

 

 どのくらい経ったのか……。

 

 数分……、いや、数十分……、数時間か……。

 

 

 

 目の前が暗くなり、ナナはシートに倒れ込んだ。

 頭をぶつけたが、体勢を立て直す力が残っていなかった。

 もう、吸える空気はない。

 身体が熱い。汗も出ない。

 この空間も、何かが当たって徐々に歪められている。

 このまま何かに押しつぶされて圧死するのか、炎に包まれ焼死するのか、酸欠で窒息死するのか……。

 はっきりと、死を意識した。

 あの時と同じだ。

 グレイスで、大気圏で焼かれそうになりながら、地球に落ちる時……。

 あれからたくさん、苦しいことはあった。けれど、幸せなこともあった。

 

 キラと友達になれた。ラクスと知り合うことができた。

 二人ともっと話がしたかった。もっともっと、二人の幸せそうな笑顔を見ていたかった。

 カガリ……これから立派な代表首長になって、オーブを守って欲しい。

 側で支えられなくてごめん。あなたの姉でよかった。仲良くしてくれてありがとう……。

 

 アスラン……。

 ありがとう……。

 

 ごめん……。

 

 

 

「ナナ!」

 

 “彼”が大きく肩を揺さぶった。

 

「レイ、立てるか? キラのところへ走れ……!」

 

 わかっている。彼はここにいる。

 彼と、永遠の別れをせずに済んだのだ。

 あの瞬間の押し潰されそうな真っ黒い後悔を、消し去るチャンスをもらったのだ。

 わかっているが……。

 

「みん……な! みんなは?! みんなが……!」

 

 頭と心のほとんどは、“あの時”に持って行かれている。

 

「ナナ、大丈夫だ! みんな大丈夫だから……!」

 

 力強い腕で抱きかかえられる。

 

「セア……!」

 

 レイも……心配してくれている。

 

「大丈夫だ、レイ。行くぞ!」

 

 アスランは彼を促した。

 自分も走らなくてはいけないのに。わかっているのに、身体が動かない。

 

「こっち! 早く!!」

 

 キラがエレベーターの扉を開けて、手を差し伸べている。

 あの手をみんなで掴まなければならないのに……。

 アスランは走った。

 ナナは彼に抱えられ、宙に浮いたまま……。

 二人は一緒に飛んだ。

 同時に、背後の天井が爆発した。

 

「ナナ! アスラン!!」

 

 キラの悲鳴が聞こえた。

 アスランとともに後ろから突き飛ばされて、割れた床に倒れ込む。

 

「レイ……!?」

 

 アスランが振り返りざまそう叫んだ。

 瞬間、呪縛が解けたように身体が動いた。

 

「レイ!?」

 

 ナナは見た。

 今まで居た場所が、瓦礫の山になっている。上からは炎が噴き出し、千切れたケーブルは火花を散らしていた。

 その下に、レイはいた。

 

「レイ……!!!」

 

 今になって身体が動いた。

 アスランの腕をすり抜け、駆け寄る。

 彼の肩から下が、鉄の塊で見えなくなっていた……。

 

「レイ! 待ってて! 今引っ張り出すから……!」

 

 びくともしない塊を押し上げながら叫んだ。

 が……。

 

「セ……ア……」

 

 レイは、かすかな空気を押し出すように言った。

 

「行っ……て……」

「レイ!」

 

 聞きたくなかった。

 

「大丈夫、すぐ助ける……!」

 

 こんな声……。

 

「生き……て……、“ナナ”……」

 

 彼の目はもう、何も映さない。

 

「アスラン、お願い! レイを……!」

 

 彼を振り返った。

 が、彼は見たこともないほど悲しそうな顔でただ立ち尽くしていた。

 

「ナナ……生き……て……」

 

 レイの声は、要塞の悲鳴にかき消されそうだった。

 

「人……が……、選……ぶ……世界っ……まも……」

「レイ!!!」

 

 彼の頬に触れた。

 が、手がすり抜けてしまいそうで怖かった。

 

「ア……ス……ラン……」

「レイ……」

 

 彼はささやくように、アスランに言った。

 

「ナナ……を……」

 

 そして、

 

「わかった……」

 

 アスランはそう答えた。

 瞬間、ナナの身体はふわりと浮いた。

 また、アスランに抱き上げられたのだ。

 

「レイ!」

 

 彼を呼んだ。

 もう応えはない。

 

「アスラン、レイを!!」

 

 ナナの声も、誰も聞いてはくれない。

 

「レイ……!」

 

 彼の姿は、すぐに炎と煙に包まれて……見えなくなった。

 

「キラ!」

「アスラン、乗って!」

 

 エレベーターの扉が閉まった。

 ぎこちない動きで、だがすぐに下へ動き出す。まるで、地獄へと落ちていくようだった。

 

「レイ……!」

 

 ナナは泣いた。

 こんなところで泣いてはいられないのだとわかっていても、悲しかった。

 彼に、何もしてあげられなかったことが悔しかった。彼が、自分とアスランを助けてくれたのだとわかってしまっているから、悲しかった。

 

「ナナ……」

 

 アスランは何も言わず、抱きしめてくれた。キラも頭を撫ぜてくれた。

 だがどうしても……、アスランにしがみついて泣くことしかできなかった。

 

 

 

 

 



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明日

 

 泣いていた。

 泣くしかできなかった。

 ただアスランにしがみついて。

 彼とともに、ジャスティスでそこを脱出しても……そこが崩壊する様を見ることも無かった。

 言葉も行動も、何も思いつかなかった。

 やはり、あの時とは違う。自分は変わってしまった。弱くなってしまった。

 情けなくて、また泣いた。

 

「ナナ……」

 

 それなのに、アスランはやけに穏やかな声で言った。

 

「よく、がんばったな」

 

 ヘルメット越しに、頭を撫でてくれる。

 彼を見上げた。

 

「アスラン……」

 

 彼も、少しもモニターを見てはいなかった。

 何故だかとても落ち着いていて、優しい顔でこちらを見つめている。

 

「私はっ……」

 

 その瞳を見た瞬間、胸に詰っていたものが弾け散った。

 

「何もできなかった……!」

 

 彼の腕の中で思い切り叫んだ。

 

「ルナがっ……! ルナが……『あなたが“ナナ”なら』……『戦争を終わらせて』って……言ってくれたのに……!」

 

 後悔をぶつけても何もならないとわかっているのに。

 

「私はっ……“壊す”だけで……何も終わらせることができなかった……!」

 

 彼の優しい目が懐かしくて、腕の中が温かくて、とても居心地が悪かったから……。

 

「デュランダル議長も……グラディス艦長も……レイもっ……!」

 

 振り払うように叫んだ。

 

「誰もっ……助けられなかった……!」

 

 頭の隅ではわかっていた。一部は冷静だったから。

 アスランは少し困って、それでも言葉を選びながら、ゆっくりと慰めてくれるだろう。こちらが納得するように、言い聞かせてくれるだろう。また、前を向けるような言葉をくれるのだろう。

 わかっていても、吐き出さずにはいられなかった。

 

「私は弱くなった……! あの時とは変わっちゃった……!」

 

 己の無力さを、哀れに嘆かずにはいられなかった。

 

「もう……、どこに進んだらいいのか……わからない……!」

 

 呆れられてもよかった。嫌われてもかまわなかった。

 そう思うくらい、疲れ切ってしまっていた。

 

「わからないっ……!」

 

 これがただの甘えだとわかっていても、どんなに情けなくとも、あふれ出す絶望は止まらなかった。

 ただアスランにそれをぶつけながら、両手はしっかりとしがみつき、彼がくれる優しい言葉を投げ返す準備をしている。

 そんな自分が大キライでも、止められなかった。

 

「ナナ……」

 

 穏やかな声に、身構えた。

 が。

 

 

「それでも、明日は来る」

 

 

 彼がくれたのは慰めではなかった。

 

「どんなに苦しくても、迷っても、もがいても……それでも明日は来る。それが、オレたちがこの戦いで勝ち取ったものだ」

 

 明日……その単語が、やけに懐かしく耳に響いた。

 

「オレは、どんなに明日が辛くとも……お前と一緒にそこにいられるのが嬉しい」

 

 彼はそう言って笑った。

 絶望の中で場違いに咲く花のようだった。

 

「アスラン……」

「ナナ……」

 

 その花をながめていると、強く抱きしめられた。

 

「また明日もお前と一緒にいられる……。オレはそれが嬉しいんだ」

 

 そしてもう一度そう言って、

 

「レイがくれた明日だ……」

 

 最後に小さく強くささやいた。

 

「レイが……くれた……」

 

 口内でその言葉を繰り返した。

 それで思い出すことができた。

 

『ギル……! ご……めん……な……さい……!』

 

 レイが泣きながら言ったこと。

 

『でもっ……、“セア”のっ……選ぶ……世界……!!』

 

 彼が望んだことを。

 

「レイは……」

 

 つぶやきを促すように、アスランはゆっくりと背中をさすってくれた。

 

「自分で“明日”を選びたかった……。そんな世界を望んだ……」

「ああ……。そうだな……」

 

 ため息のような同意は、確かに力になった。

 

「私は……まだ……、選べないけど……」

 

 途切れ途切れで頼りないが、絶望に埋もれた想いをやっと見つけられた気がした。

 

「でも……」

 

 それを確信して、ヘルメットを取る。

 悲しみと迷いの粒が、いくつも薄暗い空間に舞った。

 

「明日を生きることができる」

 

 アスランは二人の間に漂う粒たちを振り払うこともなく、降り始めた雨を感じるかのように、そっと手を差し出した。

 

「レイが……明日をくれたから」

 

 また、思い出した。

 

『だから明日が欲しいんだ。どんなに苦しくても、辛くても、変わらない世界なんて嫌なんだ……!』

 

 キラの想いだ。優しいキラの叫びだ。

 ちゃんと残っている。何もかも。

 

「アスラン……!」

 

 違う涙が溢れたが、今度はそれを手で拭った。

 

「私も……」

 

 歪んでいるかもしれない。が、ちゃんと笑っていると思った。

 

 

「アナタと明日を生きられて嬉しい……!」

 

 

 何故なら、アスランも綺麗に笑ったから。

 

「ナナ……」

「一緒に生きよう、アスラン。どんなに苦しくても辛くても、二人で選んで、進もう……!」

 

 返事は無かった。

 応えは強くて優しい温もりだった。

 それは絶望をそっと払ってくれた。

 

「ありがとう……アスラン……」

 

 そうつぶやいて、深呼吸をした。何度も、何度も。力を取り戻すように。

 アスランは黙って、身体を支えてくれていた。

 

「よし……!」

 

 もう一度、涙を拭った。アスランの手もそうしてくれた。

 

「進み方がわからないなら……」

 

 その手をつかんで言った。

 

「とりあえず、思いついたことを片っ端からやっていこうかな……!」

 

 アスランは一瞬だけ驚いた顔をして、また笑った。

 

「ナナらしいな」

「でしょ?」

 

 胸はまだ締め付けられるように痛かった。情けなく震えてもいた。

 が、清々しい風が吹いているようだった。

 

「じゃあ……まず……」

 

 もう一度だけ深呼吸をして、周りを見回した。

 コックピットのモニターには、壊れゆくレクイエムとあの基地が映し出されていた。

 ズキンと痛む胸を抑えて、フリーダムとの通信スイッチをONにした。

 

≪ナナ、アスラン、大丈夫!?≫

 

 ずっと心配してくれていたのだろう。すぐさまキラの声が響く。

 

「ごめん、キラ。もう大丈夫」

 

 モニターも繋がった。

 腫れた瞼ははっきりとフリーダムのモニターにも映し出されているだろう。

 が、かまわなかった。

 

「キラ、ラクスに伝えて」

 

 今はただ、初めに“思いついたこと”を口にすればいい。

 

「『戦争を終わらせて』って」

 

 キラはかすかに驚いた顔をした。アスランは黙っている。

 

「私はまだ『死んでる』から、戦場(ここ)では何もできない。だから、ラクスに終わらせて欲しい」

 

 ややあって、キラはうなずいた。

 

「先に戻ってて。私たちはちょっと寄り道して帰るから」

 

 それを確認してから続けると、キラはまた少し驚いたが、すぐに「わかった」と言ってくれた。

 そして。

 

≪じゃあ、あとでね。二人とも≫

 

 短い約束の言葉を残し、エターナルの方へ去って行った。

 

「アスラン」

 

 今度はアスランを向いた。

 彼の視線はずっと何かを待っていたかのように、こちらを向いていた。

 

「寄り道って、あそこか?」

「うん、そう。助けなきゃ」

「ああ……そうだな」

 

 アスランは小さく笑って、すぐに操縦桿を握った。

 

「まぁ、ルナはともかく、シンは素直に来てくれるかわからないけどね」

「そうだな」

 

 軽口をたたくと、彼も同意した。

 

「でもよかった。またみんなで話ができる……!」

 

 まだ、明日の色は見えなかった。

 

「レイのことも、ちゃんと伝えないと……」

 

 レイの名を口にすると、涙が溢れる。

 

「ああ……」

 

 それでも、希望があった。

 

「アスラン……」

 

 彼と“また”共に生きられる喜びも。

 

「また、一緒にいてね」

「もう二度と、離れない」

 

 不確かな明日の中で、確かな約束も。

 

「ぜったいね」

「ぜったいだ」

 

 こんなに広い宇宙の片隅でみる、小さな夢も……。

 

「ルナ! シン!」

 

 不毛な地で崩壊する基地を茫然と眺める二人を見つけた時、ナナは叫んだ。

 シンが泣いているのがわかった。ルナも……。

 

「大丈夫……。また一緒に進めるから……」

 

 コックピットからは聞こえるはずもないのにそう言った。

 アスランが同意するように、腰を支える手に力を込めた。

 そして、ジャスティスの手を二人に差し伸べた。

 困惑した二人は顔を見合わせ、こちらを見上げ、また顔を見合わせた。

 二人の顔を見て、色々な思いが駆け巡った。アスランもそうだ。きっと二人も……。

 少しの時間が流れた後、シンは灰色に朽ちたデスティニーをみやった。そして、ジャスティスの手に足をかけた。

 

「シン……」

 

 彼はすぐにルナマリアの手を引いた。

 彼らが覚悟を決めたようにそこに落ち着いたのを見て、アスランはそっと反対の手を傘にした。

 そしてその地を飛び立った。

 そこでようやく、ナナはコックピットの外部スピーカーをONにした。

 

「ルナ、シン……!」

 

 ジャスティスの指の隙間から、二人がこちらを見上げた。

 まだ戸惑っている。シンの目には諦めと猜疑がある。

 だが。

 

「また、みんなで話そう!」

 

 思ったままを言った。

 

「みんなで明日を生きよう……!」

 

 その時、シンの表情が少しだけ変わった気がした。

 ヘルメットとモニター越しではっきりとはわからない。

 が。

 

≪あした……≫

 

 彼がそうつぶやいた気がした。

 

 

 

 



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真相

「嘘でしょう?!」

 

 ルナマリアはモニターを点けるなり、目に飛び込んできた光景に思わず声をあげた。

 

「『プロジェクト・バハローグ』って……」

 

 嫌な印象で耳に残るその言葉が、画面に映る人々の口から何度も何度も発せられている。

 その言葉を口にしているのはアナウンサーだけではない。コメンテーターやら学者やら、街頭インタビューに答える一般人やら様々だ。

 そして。

 

「プ、プラントが……」

 

 何度も繰り返して流されているのは、プラントの最高評議会の広報官がプロジェクトについて発表している場面だった。

 

「ど、どういうこと……?!」

 

 ルナマリアの見解では、『プロジェクト・バハローグ』はプラントの前体制にとっての汚点であり、その“真意”が暴かれる前に葬り去りたい事案のはずだった。

 特に停戦直後のこの時期にその“真意”が公になれば、戦乱の収束どころかさらなる混乱は免れないと思われた。

 軍人としての視点ではない。一般人だってわかることだ。

 現にオーブ国民へのインタビューで返って来るのは、プラントやザフトに対する怒りの声ばかりだ。彼らは皆、我が国の愛する指導者を奪われ、利用され、愚弄されたことに怒っている。いや、プラントとザフトを憎んでいる。

 

 

≪バハローグ基地の事故発生後、救出に向かった部隊が、開発中MSのコックピット内で奇跡的に生存していた、ナナ・リラ・アスハ世界連合特別平和大使を……前世界連合特別平和大使を救助し……≫

 

 広報官は毅然としつつも明らかに緊張した面持ちで、手元の原稿を読み上げている。

 同時に流れるテロップも、心なしか堅苦しい文字に見えた。

 

≪……状況と、アスハ世界連合特別平和大使の立場と世間に与える影響力を鑑み、評議会としては公表を……即時の公表を控え、デュランダル前議長の判断を仰ぐ形となり……≫

 

 このVTRが流れるのは、ルナマリアがモニターを点けてからもう4度目なのだが、ルナマリアもまた食い入るようにそれを見つめている。

 

≪以後、デュランダル前議長が『バハローグ基地の事故による生存者は無し』と正式に発表したことから、アスハ大使の救助に関わった関係者らも大使の救命は叶わなかったと認識したものであります≫

 

 広報官はここでひと息つき、眉間の皺を濃くして続けた。

 

≪デュランダル前議長は事故で犠牲になったアスハ大使他、オーブ、プラント両関係者の方々、ザフト士官学校の生徒らに哀悼の意を示し、オーブや第三国を含む事故調査委員会を立ち上げて全面的に調査に協力するなど、プラントとしての誠意を示してまいりました。また、バハローグ基地において、オーブ首長国連邦代表や世界連合の方々を招いた大規模な追悼式を開き、事故への反省と再生への誓ったのであります≫

 

 さらに彼はやや早口になる。

 

≪また前議長はプラント内で『プロジェクト・バハローグ』を立ち上げ、推進しました。プロジェクトの主な内容は、基地跡地の再生と慰霊塔の……≫

 

 話が重要な部分に差し掛かった時、部屋のドアが開いた。

 シンの部屋のドアだ。

 

「あ……シン、おはよう」

「ああ……」

 

 ようやく起きて来た彼は、あくびをしながらモニターには目もくれずキッチンに向かう。

 

「ねぇ、シン!」

 

 呼びかけても、彼は袋から取り出したパンをくわえながらコーヒーを淹れている。

 

「ちょっと、こっちに来てニュースを見てよ!」

 

 急かしても無駄だった。

 彼はいつもどおり、ダイニングの椅子に座る。

 

「ん? なに?」

「見てよ! プラントが『プロジェクト・バハローグ』の真相を発表してるのよ!」

「『プロジェクト・バハローグ』?」

 

 シンは眠っている間に記憶でも失ったかのように聞き返す。

 

「もう! 寝ぼけないでよ! ていうか何時だと思ってるの? もうお昼よ!?」

「いや。まだ11時台だし」

「そんなこと言ってる場合じゃないの! ほら!」

 

 ルナマリアが指を指すと、ようやくシンの顔がモニターに向いた。

 

≪……と、このようにプラント関係者及びザフト内には周知徹底されていたのではありますが、実際のプロジェクトにおける前議長の目的は異なるものとなっておりました≫

 

 どんどん堅苦しさを増していく広報官の表情とは反対に、シンは気だるそうにつぶやいた。

 

「なーんだ。全部バラしちゃうんだ……」

 

 さほど興味がないといった様子で、ひたすらパンにかじりついている。

 

≪前議長の目的は、前述の奇跡的に事故から生還した士官候補生を回復させ、エース級のパイロットとし、最新鋭の機体を与え、重要な任務に就かせることにありました。“彼女”を戦場に送り出し、『復活の女神』として振る舞わせることで兵の士気を高めようとし、またプラント内部の支持を得ようと目論んだのです≫

 

 ルナマリアは小さくため息をつき、シンが同じ気持ちになってくれるのを諦めてモニターに向き直った。

 

≪しかしながら……さらに、前議長は重要な真実を隠しておりました……≫

 

 広報官は初めて言いよどんだ。その額にはうっすらと汗が滲んでいるように見える。

 すでにこの映像を3回見ているルナマリアには、彼が次に何を言うのか当然わかっているのだが、それでもやはり、また身構えた。

 

≪その唯一生還した士官候補生こそが……、実際は亡くなったとされていたアスハ大使であったのです≫

 

 会見場がどよめいた。そして、静まり返った。

 

≪前議長はアスハ大使が事故の影響から記憶喪失状態であることを利用し、自身が生来プラントの人間であると洗脳して、遺伝子研究から作られた薬物によって外見を変え、『セア・アナスタシス』という“ザフト兵”を作り上げました……≫

 

 ルナマリアも4度目の悪寒を覚えた。

 

≪前議長の真の目的……つまり『プロジェクト・バハローグ』の本当の目的は、ザフト兵となったアスハ大使を戦場に送り込み、その似て非なる姿をさらさせることで、敵軍……主にオーブ軍に混乱を生じさせ、戦局を優位に運ぼうというものだったのです≫

 

「へぇ。あいつが言ってことは間違ってなかったんだ……」

「そ、そうだけど……」

 

≪これは……≫

 

 広報官がひとつ咳ばらいをした。

 それで、ルナマリアはコーヒーをすするシンからモニターへと視線を戻す。

 

≪デュランダル前議長の独断で行われたことであり、ごく一部の側近しか知らされることはありませんでした……≫

 

 彼は懸命に平静を保とうとしながら、そう言いきった。

 

≪アスハ大使については……≫

 

 そしてまたひとつ咳ばらいをし、続けた。

 

≪前議長の目論み通り、『セア・アナスタシス』というザフト兵としてMSのパイロットとなり、先の戦争では最前線で戦闘を行いました……≫

 

 会場が再び奇妙な沈黙に包まれる。

 そこに漂う緊張感やいかばかりか……ルナマリアは胃が収縮するのを感じていた。

 

≪しかしながら、アスハ大使は戦渦の中、ご自身で洗脳を解かれ、戦争終盤にはオーブに戻られました。そして前議長が宣言した『デスティニープラン』に対抗すべく、立ち上がられたのです……≫

 

 簡潔すぎる説明だ。

 だが、それ以上、今のプラント側から言えることは無い。

 

≪我々、現プラント最高評議会は、前議長の『プロジェクト・バハローグ』を完全なる過ちと認め、故人となった前議長の責任を明らかとし、関係者を追及していく所存です。また、アスハ大使ご本人と、そのご家族。またオーブ国民の皆さまには……深く、お詫びを申し上げる次第です≫

 

 額に汗を滲ませ、わずかに顔を紅潮させた広報官は、演台から一歩下がって深々と頭を下げた。

 フラッシュの光が最高潮に達した。

 彼はそのまま、光を浴びながらステージから去って行った。

 質疑応答は無い。

 沈黙からざわめきが生まれ、最後は怒声や悲鳴に変わって行った。

 

「なーんだ。これだけか」

 

 シンが平淡な声でつぶやいた。

 画面はすぐにニューススタジオに切り替わり、キャスターらが難しい顔で言葉を交わし始める。

 そして、スタジオのモニターには“生前”のナナの映像が映し出された。

 

≪洗脳とは……。こんなことが許されるのでしょうか?!≫

≪明らかな人権侵害です!≫

≪謝罪をしたところで許されるようなことではありません! 世界にどれほどの影響力のあるお方を奪ったか……! プラントの罪は重いでしょう……!≫

≪罪はとことん追及されるべきです!!≫

 

 その映像を背景に、コメンテーターたちの意見交換が白熱していく。

 

≪そもそもこのプラントの発表は事実なのでしょうか?≫

≪一部報道で、停戦直後から『アスハ大使が戦場に現れた』という情報が出ていましたが……≫

≪オーブ側からは何の発表もありません≫

 

 冷静な者が静かに言うが、スタジオの空気は変わらなかった。

 

≪これが事実でないのなら、それこそオーブ国民どころか世界中の怒りが爆発するでしょう!≫

≪あのアスハ大使を利用されたんですよ? 前議長の独断という説明はありましたが、納得できるわけないでしょう!≫

 

 平和を訴えるナナの顔。

 対照的に、怒りに満ちたコメンテーターたちの顔。

 

「ね、ねぇ、シン……」

 

 先ほどから全身に纏わりつく“嫌な予感”をシンと共有したくて、ルナマリアはシンを向いた。

 

「これじゃあ、またすぐに戦争だね」

 

 彼は冷たくそう言った。

 

「ちょ、ちょっと……!」

「だってそうじゃないか。オーブが怒るのは無理もない。前議長はそれだけのことをしたんだから」

「そ、そうだけど……」

 

 シンは真っ当なことを言っている。

 それは頭ではわかっている。

 が、どうも引っかかるのだ。

 せっかくラクス・クラインの呼びかけで停戦状態にあるオーブとプラントが、これではあっという間に戦争に逆戻りだ。

 今度はオーブに進攻する理由がある。

 かといって、プラントもただ首を垂れてやられるわけにはいかないだろう。『前議長』を盾にして、正当な防衛体制をとるはずだ。

 だが、そうとわかっていてプラントは何故このタイミングで『プロジェクト・バハローグ』の真相を公表したのか。何の解決策も打ち出さず、明らかにオーブや世界を焚き付けるようなやり方で……。

 まさか、プラントは停戦に同意していないのだろうか……。

 

≪あ、えー、ここで今入ってきた情報です!≫

 

 急にキャスターが慌ただしくタブレットを手に取った。

 

≪本日17時より、オーブ首長国連邦代表、カガリ・ユラ・アスハ氏が会見を行うとの情報が入って来ました。繰り返します……≫

 

 チラリとシンを見た。

 「カガリ・ユラ・アスハ」の名に不快感を示す様子はない。

 

≪プラントの突然の発表を受け、アスハ代表は何を語るのでしょうか≫

≪アスハ大使が現在どのような状態にあられるのかも気になりますが、そのあたりも明かされるのでしょうか……≫

≪最悪の場合、プラントに宣戦布告……という可能性もありますか?≫

≪それは何とも……。オーブもまだ戦力が著しく低下している状態ですから……≫

 

「ねぇ、本当に戦争になると思う?」

 

 コーヒーを飲み干したシンに、ルナマリアは聞いた。

 ここで議論しても仕方のないことだが、シンの思いだけは聞いておきたかったのだ。

 

「さぁ……」

「『さぁ』って……」

「わかるわけないじゃん、オレたちに」

 

 いつも以上にぶっきらぼうな答えだ。

 が。

 

「けど、アイツがこの状況を黙って見てるわけないんじゃない?」

 

 空になったマグカップを手に、シンはシンクへと向かった。

 その背中を見て、ルナマリアはようやく納得した。

 

「そうよね……。“ナナ”本人が……誰よりも戦争は避けたいはずだもんね……」

 

 そうつぶやいてモニターに目を向けると、画面いっぱいに“生前”のナナが凛とした表情で演説を行っていた。

 きっと、彼女は今も戦っているはずだ。この現実と……。

 なんとか戦争を止めようと、怒り狂うオーブの連中をなだめ、説得していることだろう。

 自身の傷ついた心は後回しにして……。

 

「セア……」

 

 なんとなくそう口にしたその時、インターホンが鳴った。

 

「え? 誰?」

 

 ナナに宛がわれたこのマンションに住み始めて一週間。ここを訪れたのは、2度ほどナナが差し入れを持って来てくれただけだった。

 もちろん、オーブに知り合いはいない。しかも、このマンションに元ザフト兵の自分たちがいることは極秘にされているはずだった。

 

「は、はーい」

 

 シンがまだマグカップの後始末をしているので、仕方なくモニターに向かった。

 と……。

 

「え? ナナ!?」

 

 ニュースの中にいる人物が、インターホンのモニターに映し出されている。

 

≪やっほー、ルナ! ケーキ買って来たんだけどお茶しない?≫

 

 彼女は普通に友達の家を訪れたかのように、普通に笑っていた。

 

 



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友達

 

 インターホンのモニターと壁にかかったモニターを交互に見た。ニュース映像の演説するナナと、ケーキの箱を掲げてニコニコ笑っているナナを見比べたのだ。

 不覚にもわかり易い動揺をしてしまった。

 

≪ルナー。あーけーてー≫

「あ、ああ、うん……!」

 

 そんな動揺が収まらないうちに、部屋のベルが鳴る。

 ドアを開くと、そこにはやはり楽しげに笑うナナが立っていた。

 

「お邪魔しまーす」

 

 ナナはニュース映像には目もくれず、ダイニングテーブルにケーキの箱をそっと置いた。

 

「シン、今起きたの?」

「さっきだよ。さっき」

「朝ごはん食べた?」

「うん。さっき」

「ケーキ食べない?」

「食べる」

 

 シンはいたって普通だ。

 “渦中の人物”が目の前に現れたことに、何の疑問も動揺もないらしい。

 

「ね、ねぇ、ナナ……」

「ルナ、おととい持って来た紅茶淹れていい?」

「え、も、もちろんいいけど……」

「やったー! このケーキに合うと思うんだよねー」

 

 シンは黙ってポットにお湯を淹れ始めた。

 ナナは楽しげに箱からケーキを取り出す。

 

「ルナはこれでしょう!? 桃のタルト! 期間限定!」

 

 白い箱からおいしそうなケーキが現れた。

 

「え、うん、うん。ありがとう……って……!」

「シンはこれ! ガトーショコラ! 好きだったよね?」

「ああ、うん」

「ディオキア基地の食事会でいただいたの、ずいぶん気に入ってたもんね?」

「まぁね」

 

 どうにかナナにこの状況を説明してもらおうとしたのだが、何と切り出せばよいのかわからぬうち、シンがボソリとつぶやいた。

 

「ていうか、そのこと覚えてるなんて、アンタほんとに“セア”で“ナナ”なんだな」

 

 初めて、ナナの手が止まった。

 そして。

 

「そうだよ」

 

 モニターの中の姿と同じように、ナナは背筋を伸ばして言った。

 

「私はナナでセア。セアは今も私の一部だから」

 

 シンは「ふーん」とだけ言って、皿とフォークを取りに行った。

 

「ルナ、ほら座って。おいしそうでしょう? ここのケーキが最近すごく人気らしくて、いつも行列ができててなかなか買えないらしいの」

「行列って……、並んだの?」

「ううん。今日はなんだかすいてた。ラッキーだったかな?」

 

 ナナは「ラッキー」などと言ってあっけらかんと笑うが、ルナマリアはすぐにピンときた。

 普通、世間で“こんなニュース”が流れている時に、ケーキ屋に並んでいる場合ではないだろう。

 だが。

 

「だ、大丈夫なの?!」

 

 ニュース映像に流れている本人が、出歩いて良いものか。

 ルナマリアは改めて動揺をナナにぶつけた。

 

「ひとりで来た訳じゃないわよね? 朝からあなたのニュースでもちきりなのよ? 護衛は連れてるのよね? 騒ぎになったら大変じゃない!」

 

 もちろん、ナナの身を案じてのことだ。まぁ、半分はナナの大胆さと突飛さに呆れていたが……。

 が、ナナはシンが並べた皿にケーキを丁寧に乗せながら、なんでもないことのように言う。

 

「大丈夫大丈夫。騒ぎを起こして迷惑かけることはしないから!」

「こっちの心配じゃなくて……! あんたの心配をしてるの!」

 

 だからつい、セアに対するように言ってしまう。

 

「ありがと、ルナ。大丈夫。ちゃんと護衛と一緒に来てるから。今はエレベーターホールとラウンジと駐車場で待機してもらってる」

「そう、よかった……」

 

 そしてもう一つ、質問を重ねた。

 

「アスランは?」

 

 ここへ来るのは、いつもナナひとりだった。

 ずっと気になってはいたのだ。が、この質問をしたのは今日が初めてだった。

 シンがチラリとナナの顔を見上げたのがわかった。彼も気にしているのだ。

 もっとも……ナナがひとりなのは彼を気づかってのことであると、ルナマリアは薄々気づいているのだが。

 

「ああ。一緒に来たんだけど、ちょっと車のメンテナンスとか、用事を片付けてもらってて……。ごめんね」

 

 「ごめんね」のタイミングでちょうどポットから湯が沸いたことを知らせるアラームが鳴ったため、ルナマリアはリアクションをしそびれた。

 それにどこかホッとして、それ以上はアスランについて何も聞かなかった。

 シンも特に何も気にした様子もなく、マグカップ三つと、二日前にナナが持って来た紅茶のティーバッグを持って来た。

 

「さ、食べよ! 私のは一番人気のスペシャルいちごショート!」

 

 “お茶会”はいたって普通だった。

 いつもどおりナナが「他にはこんなケーキがあった」とか、「海岸通りの方にも人気のケーキ屋があるらしい」とか、「今度は別のお気に入りの紅茶を持って来る」とか、楽しそうに話す。

 ルナマリアはごく普通に会話に乗り、興味があることは積極的に掘り下げた。シンは相変わらず、口を挟まずにもくもくとケーキを食べている。かといって、特段、不機嫌な様子でもない。

 が、それぞれの皿が綺麗になる頃、ルナマリアはとうとうナナの話を遮った。

 セアとは違いナナは自分のペースでしゃべり続けるので、こちらのターンにするのは少し難しい。だから、ぶっつり、バッサリと遮った。

 

「ねぇ、ナナ。こんなところに来ていて大丈夫なの?!」

 

 ナナは最後に残した大きないちごを頬張りながら、大きく瞬きする。

 

「見てよ、あれ。大変なことになってるじゃない!」

 

 その姿と、指さしたモニターの中の姿があまりにかけ離れていて、不覚にも稚拙な表現しかできなかった。

 

「ああ……」

 

 ナナは呑気にうなずくと、静かに紅茶をすすった。

 そして。

 

「ごめん、びっくりしたでしょう?」

 

 そう言う。

 

「そりゃあそうよ! あなたの顔がずーっとエンドレスで大画面で映し出されてるってときに本物が現れるんだから!」

「そうじゃなくて。あのニュース自体、びっくりさせちゃったよね?」

 

 それはまるで、ナナが初めからあのニュースが流れることを……つまり、プラントが『プロジェクト・バハローグ』について発表することを知っていたようだった。

 そしてルナマリアはようやく気がついた。

 こんな“大事”を、プラント側が一方的に発表したわけではないことを。発表の前に、プラントとオーブ間で、裏方の打ち合わせがあったのだろう。

 

「ナナは知ってたの?」

「うん。プラント側といろいろと相談してたの。ごめんね、黙ってて。びっくりさせちゃったね」

 

 それで「ごめん」だったのだ。

 

「私たちに謝ることないじゃない! 国家レベルの話し合いなんだから……!」

 

 再び呆れた。が、“この感覚”に慣れつつある自分もいる。

 

「それがね……」

 

 ナナは困ったように笑いながらも、いきさつを話し始めた。

 

「“私”の戦場での目撃証言がけっこう出て来ちゃって、フェイクニュースとかも出始めたでしょう?」

「う、うん……」

 

 ザフト、地球軍、そしてオーブ軍……。どこから漏れたのかはわからないが、停戦後まもなく……シンとルナマリアがこの住居に落ち着いた頃、『ナナ・リラ・アスハが戦場に現れた』というニュースが出始めた。

 オーブから、というよりナナから情報制限を掛けられていなかったから、そういったニュースも自由に閲覧することができた。

 中には事実に近い内容のものもあり、確実に“あの場”にいた者がマスコミにリークしたのだとわかった。

 オーブ軍にはかん口令が敷かれているとナナが言っていたから、それに背いたものか、対戦したザフトか、それとも……。

 いずれにせよ、時間が経てば単純に『都市伝説』と化するような内容ではなかった。むしろ情報が錯綜し、人々の疑惑を増幅させ、混乱を避けられない状況だとルナマリアは案じていた。

 シンとその話をしたとき、シンは「ナナ自身がどうにかするだろう」とぶっきらぼうに言っていたのを思い出す。

 が、ナナは今日まで一度も、自身のことについて話すことはなかった。

 

「いつかは状況を説明しなくちゃならなかったからね、プラントと公表のやり方をいろいろ相談したの」

「相談?」

「そう。ずっと“私のこと”を調べてくれてたジャーナリストに仲介をお願いして」

「そんな人いたんだ」

「うん。ミリアリアの知り合いだったから、こっちの条件も呑んでくれて」

 

 ミリアリアとはアークエンジェルのCICだった少女だ。アークエンジェルに収容された時に、多忙なナナに代わっていろいろと世話をしてくれたのが彼女だった。

 自分たちと年はそう変わらないが、先の戦争も経験したためか、とてもしっかりした印象だった。

 それに、ナナが言っていた。

 

『ルナとミリって、強くて優しくてカッコイイところが似てる気がするの。ナナの初めての親友はミリで、セアの初めての親友がルナだから、“私”って好みのタイプが一致してたんだなって……』

 

 本人たちを差し置いて、ナナは心底嬉しそうに笑っていたのだ。

 

「その人は戦争中にあの事故の真相をつかんで、『プロジェクト・バハローグ』のことも知ったらしいの。だから私が生きてるってことも確証を得ていたらしいんだけど……。本当は自分が真っ先に全世界に公表したかったと思うの、ジャーナリストとして。だけど世界を混乱させたくないっていうこっちのお願いを聞いてくれて、協力してくれることになったの」

 

 ナナはチラリとモニターを見やりながら続けた。

 

「まずはプラントに、『プロジェクト・バハローグ』のことを発表してもらう。そこは誠意を見せてくださいって、新議長にちょっと強めに交渉してね。むこうの条件は『全て前議長が独断で進めたこと』っていう体で話すっていうことだったから、『それで良いです』ってことにしたの」

「それは本当なの? 『前議長の独断』って……」

「それはどうかな……。今の最高評議会は誰も関わってなかったって言ってる。誰も知らなかったし、みんなが議長の説明を信じてたって」

 

 「みんな」の中に自分たちも含まれていたから、ルナマリアは無意識のうちに口を引き結んだ。

 

「今後も調査するって言ってくれたから、今はそれを信じることにしたの」

「そ、それでいいの? あなたはその……当事者なのに」

 

 ナナはまたひと口紅茶をすすった。上げた顔はとても晴れやかだった。

 

「まぁね。今は深く追求しても何も出てこないだろうし……。それを今やったら、世界が最悪の方向に向かうことはさすがに良くわかってるから」

 

 「最悪の方向」がわかるからこそ、自身の感情は押しやるのだ……。いとも簡単に。

 そしてきっと、周囲の感情をもなだめてしまったのだろう。その“意志”で。

 それが“ナナ”なのだと、ルナマリアは改めて実感した。

 

「今一番大切なものは、“真相”より“平和”だからね」

 

 思わず出たため息に、ナナは笑った。

 そして、

 

「それで、“次の手”なんだけど……」

 

 何故だか得意げにこう言った。

 

「今日これから、プラントの発表を受けた形でカガリが……アスハ代表が議会で演説を行うの。もちろんマスコミを入れてね。『オーブはプラントに報復するつもりはない』ってはっきり言う。『停戦の意思は変わらない』ってね。その場で私も自分の口から語らせてもらうことになってるの」

 

 先ほど吐いた息を、今度は大きく吸い込んだ。

 

「え? あんた自身が出て行くの?!」

「うん、そうだよ。そうしないと収集つかなくなるでしょう?」

「そ、そうかもしれないけど……!」

 

 ナナは声を出して笑った。

 

「それそれ!」

「な、なにが……?!」

 

 何を呑気に笑っているのかと眉をひそめると、ナナは落ち着いた表情で答えた。

 

「急に私が画面に出てきてしゃべりだしたらびっくりするでしょう? だから前もって知らせておこうと思って」

 

 つまりは、『ここへ来た理由』だ。

 

「そ、そんな……、わざわざ?」

 

 どこかで自分たちは“捕虜”とは言わないまでも“居候”という立場で、ナナの厚意にすがっている状態だと思っていた。

 だから、そんな立場の自分たちをナナが気に掛ける必要はないと思ったのだ。

 

「友達には話しておこうと思って」

 

 ナナはさも当然のことであるかのように、さらりとそう言った。

 

「他のみんなにはもう話したんだ。二人にも直接話しておきたかったの」

 

 『友達』……。ナナが言った言葉を心の中で繰り返す。

 

「私、全部本当のことを話そうと思う」

 

 寄り添うような彼女笑みは、とても綺麗だった。

 

「あれは本当に事故だったこと。オーブの人だけじゃなく、プラントの人たちも私を護ってくれたこと。その後は“セア”になってたこと。あなたたちと一緒にザフトとして過ごしたこと。オーブ軍とも戦ったこと……」

「ナナ……」

 

 ナナは本当に、真実を語るつもりのようだった。

 それはつまり、オーブ国民の反感を買うようなことも含まれている。それでもナナに迷いは少しも無かった。

 

「見た目がちょっと変わっちゃったから、ちゃんと本当のことを話さないと、みんなは信じてくれないと思うの」

 

 今まで、ナナの言葉に嘘はなかった。

 “大使”としても、“セア”としても、その言葉にはいつも誠意があった。だからこそ信頼できたのだ。皆も……。

 それはルナマリアも感じていた。だから本当に、ナナの言葉がまたこの混乱を収めるのではないかという気がしてきた。

 

「もちろん納得してくれるかはわからないけど……。ほら、私、自分で言うのも何だけど、前はちょっとした“人気者”だったでしょう? でも、何よりもまた戦争にならないように繰り返し話をしていくしかないんじゃないかって……」

 

 “アスハ大使”の熱狂的支持者がいたことはルナマリアも知っている。オーブだけでなく、全世界に存在していたのだ。もちろん、プラントにもそういう者たちはいた。

 中には“アスハ大使”の言葉を自分たちの都合の良いように変換して、『平和主義』を暴走させていた者たちもいたようだが……。

 当然、彼らはあの事故の時、真っ先に『プラント陰謀説』を叫んだ。

 プラントの支持者の中には、評議会に抗議する者やオーブに亡命する者もいたと聞いている。

 そういう彼らを、ルナマリアたちはただの『陰謀論者』と思っていた。プラントで事故後に公表されたアスハ大使の演説を聞いたし、オーブがプラントを攻撃するようなことはいっさいなかったため、あれは“事故”だったと信じていたのだ。

 何より、同胞もたくさん死んだ。それも、同年代の未来ある若者がたくさん死んだのだ。

 だから、あれは不幸な“事故”だとして疑わなかった。周りの仲間たちも……。

 だが、『プラント陰謀説』をずっと信じていた者たちは、この発表にどう思っているのか。

 『納得しない』どころではないだろう。そらみたことか……と、今にその怒りを爆発させるに違いない。先ほどのインタビューで困惑していた者たちが、それに同調する可能性だってあるのだ。

 その目と鼻の先に在る火種を、ナナは自身の言葉で消そうというのか。

 そもそもオーブの議会は説得できたのだろうか。いや……アスハ代表も。

 

「オーブは大丈夫なの?」

 

 疑問を曖昧な表現でぶつけた。

 

「まぁ、なんとか。議員のオジさんたちをなだめるのは大変だったけど、結局、もう戦争したくないのはみんな同じだからね」

「アスハ代表も?」

「うん、もちろん。カガリは……妹としてはものすごく怒ってたけど、オーブの代表首長としてやらなくちゃならないことはわかってるからね。今日は最高に冷静な演説をしてくれるはず」

 

 ナナは誇らしげに“妹”を語った。

 かつてミネルバでアスハ代表と過ごした時間は良く覚えている。シンが突っかかっていくからヒヤヒヤしていたものだ。

 もともと、年も変わらないのに一国の代表を務め、毅然とした態度で公務に当たる姿を見て憧れていた。

 何より彼女は、“アスハ大使死亡後”の混乱を収めて見せた。あの時の涙……いや、怒りを堪えながら『プラントの“事故”という調査結果を信じる』と断言した様は立派だった。

 あの姿を、もう一度世界に見せることになるのか。もう一度、怒りと涙を心に押し込めて……。

 

「本当に……、混乱は収まる?」

 

 ナナの“力”を疑う訳ではない。だが、逆に彼女の存在は自身が思っているよりずっと大きいから不安なのだ。

 

「わかんない」

 

 ナナは答えた。

 

「けど、絶対に戦争を繰り返すわけにはいかないから」

 

 瞳の中に、とても強い光があった。

 

「それだけは“絶対”。だから、いくら私のために怒ってくれていても、その怒りを私は……なんていうか……捻じ伏せる?」

 

 それでいて、ナナにしては下手くそな言葉選びだった。

 

「捻じ伏せるって……」

「だってほら、暴走しちゃったら止めなきゃならないし、同調する人たちも引き留めなきゃいけないし」

「何としても止めるってこと?」

「そうそう。血を流すのだけは絶対に止める」

 

 強い意志、響く声、粗削りな言葉……。側にいる者は、爽快ではあるが肝も冷える。

 なんだか、アスランの気持ちが少しだけわかるような気がした。

 

「アスラン……は? それで納得してるの?」

 

 なんとなく控え目にそう尋ねた。

 が、ナナは躊躇なくうなずいた。

 

「もちろん。アスランは私が何を一番大切にしてるか、よくわかってくれてるから」

 

 そう。二人はわかり合っているのだ。自分たちなど想像もできないくらい、深いところで……。

 ちらりとシンを見た。まるで話に興味がないかのように、ぼーっと手元のマグカップを眺めている。

 

「そういうことだから、二人とも、私が急にでしゃばって出てきても、ヘラヘラしてても、何を言っても、驚かないでね」

 

 本当に、わざわざこれだけを言いに来てくれたのだ……。

 ふざけた口調でも真剣なその目に、ルナマリアはまた小さくため息をついた。

 

「ルナ……」

「わかったわよ」

 

 自分も、自分らしく“ナナ”に接しようと思った。

 

「あんたがどんなスピーチをするか、じっくり見させてもらうわ」

 

 ナナはどこかホッとしたように笑う。

 

「うん! カッコよくキメてみせるから!」

 

 それがあの強気な笑みに変わった時、ナナのポケットから端末の着信音が鳴った。

 

「あ! もうこんな時間?!」

 

 ルナマリアも壁の時計を見た。13時半に差し掛かろうとしている。

 

「ね、ねぇ。議会の演説って17時よね?」

「うん。私の出番は……17時半くらいからかな」

「準備はできてるの?! 全然時間ないじゃない!」

 

 ナナは皿やマグカップを片付けようとするので、慌ててそれを制した。

 

「原稿はできてるから大丈夫!」

「そういう問題じゃないでしょう!? 早く行って!」

「ああ、うん。ごめんねバタバタしちゃって」

「いいからいいから!」

 

 まだ何か気にしている素振りを見せるので、なかば強引に玄関へと押しやった。

 これから本部へ戻って着替えをしてメイクをして代表らと打ち合わせをして原稿を読み直して……、とても余裕があるとは思えないのだ。

 

「アスランは? 下に来てる?」

「うん、もう来てると思う」

「そう……、よかった」

 

 よろしく言ってくれと言おうか一瞬迷った隙に、ローヒールのパンプスを履いたナナが振り返った。

 

「あ、二人とも」

 

 ちゃんとシンも見送りに来ている。

 シンとルナマリアの目を見ながら、ナナは言った。

 

「これからどうしたいのか、そろそろ考えておいてね」

 

 まっすぐな瞳に、思わず答えを躊躇った。

 

「私としては、あなたたちにはこのままオーブで暮らして欲しいけど……。でも、プラントに戻るならちゃんと送り届けるから。ザフトに戻るにしても……。必ず二人の希望を叶えるから。約束する!」

 

 実直だが、声はとても軽やかだ。

 その『約束』が、まるで当然のことのように……。

 

「時間かかってもいいから、ちゃんと二人で話し合って、考えておいてね!」

 

 安心とか、感謝ではない。不思議な感情が体内を駆け巡った。

 うなずくことさえ忘れたルナマリアに変わって、

 

「うん、わかった」

 

 はっきりした口調で答えたのはシンだった。

 

「考えとく」

 

 その声もまた実直で……ルナマリアは視線を交わす二人を交互に見た。

 

「それじゃ、また来るね!」

 

 ナナは爽快に笑って、ドアの向こうに消えて行った。

 

「シン……」

 

 シンはあくびをしながら、のんびりと言った。

 

「アイツのスピーチが始まるまでもうひと眠りしようかな」

「ちょっと、シン!」

 

 そう言いつつもシンクに向かう後姿は、いつもと少しだけ違って見えた。

 あの日以来止まっていた時間がかすかに動き始めたのを、ルナマリアは強く感じた。

 

 

 



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 みなさん、お久しぶりです。

 

 私は……、ナナ・リラ・アスハです。

 

 姿は少しだけ変わってしまったけれど、“ナナ・リラ・アスハ”の存在がこの世から消え去ったあの日から、私という人間は何ひとつ変わってはいません。今、ここにいる私も、かつての“ナナ・リラ・アスハ”なのです。

 その証拠に、あの日何があったのか……、そしてあの日から私がどこで何をしていたのか……、私の記憶にあることの全てを、ここでお話しいたします。

 

 まず初めに……、どうかこれだけは信じてください。

 あれは……“事故”でした。

 プラントとの再戦を回避したいから、自分が“聖人”として見られたいから……、そんなつもりで言っているのではありません。

 あれは間違いなく、“不幸な事故”でした。

 

 あの日……、ザフトの士官学校で私と同年代の士官候補生たちの前で講演をした後、バハローグの軍事施設へ視察に行きました。

 プラント最高評議会の議員の方、そしてザフトの広報や士官の方々は、とても親切に我々オーブや世界連合の使節団を案内してくださいました。

 プラント側は誠意を見せてくださり、軍事的に極めて重要と思われる施設まで私たちを通してくださいました。そう……モビルスーツの組み立て工場まで……。

 途中、講演を聞いてくれた軍学校の生徒たちが、私たちについて来ていることに気がつきました。

 きっと、私に興味を持ってくれたんだ……。

 私は勝手にそう解釈して、心の中で嬉しく思っていました。興味を持ってもらうことは、善かれ悪しかれ、言葉を伝える上で大切なことですから。

 時々彼らの方を振り返ると、手なんか振ってくれたりして……、彼らと一緒なら、この先とても良い未来を作っていけそうな気がしたんです。

 

 その矢先でした。

 すぐ先の壁が突然爆発したんです。

 黒い煙と赤い炎が、壁に開いた穴から勢いよく噴き出しました。

 そして悲鳴が聞こえました。生徒たちがいた方です。

 私が振り向くと……彼らがいる上階の通路にも凄まじい勢いで火の手が上がっているのが見えました。

 ですが、彼らがどうなったのか……良くは見えませんでした。

 オーブや世界連合の議員だけでなく、ザフトの軍人やプラントの議員の方たちまでもが、私を護ろうと周りを囲んでくださったのです。

 何が爆発しているのか、私にはわかりませんでした。恐らく、“全て”が燃え始めたんだと思います。機械も、壁も、柱も……。

 私たちは一瞬で炎に囲まれ、煙と熱に包み込まれました。

 頑丈なはずの工場の壁も、天上も、床も、崩れ出しました。

 ザフト兵が私たちを導いてくれました。が……、行く手はすぐに火と瓦礫に阻まれ、何度も足は止まりました。

 気道が煙に蹂躙され、熱風で全身が焼かれるようになりながら、私たちは懸命に出口を探し求めました。

 そうしているうちに、生徒たちがいた方からひときわ大きな音が聞こえました……。

 彼らがどうなったのか……、その行く末を、私は見ていません。

 もう、火と煙で、すぐ目の前にいる人の影しか見えなかったのです。

 みんな焼け死ぬ……。瓦礫に押し潰されて死ぬ……。

 そんな考えが頭をよぎりました。

 

 その時、誰かが私の手を強く引っ張ったのです。

 

『あなたをお守りせねば……!』

 

 と、そう言って……。

 その方はプラントのモナホス議員でした。彼は私の手を引き、組み立て前のモビルスーツの胴体パーツへ連れて行きました。ザフト兵の皆さんも、他の議員のみなさんも、協力して誘導してくださいました。

 そして、モナホス議員はそのコックピットを開き……私をその中に押し込めたのです。

 何が……起きているのか、私にはわかりませんでした。

 振り向くと、皆が私を見ているのです。

 皆、すすだらけの顔で泣いていました。オーブから一緒に来た者も。世界連合の仲間も。ザフト兵も、プラントの議員も、モナホス議員も……。

 そして口々に言うのです。

 

『こんなことになってしまって申し訳なかった』

『どうか生き延びてくれ』

『必ず我らが守る』

 

 と……。

 それでもまだ、私には彼らがしようとしていることがわかりませんでした。

 でも……私が声を出す前に、コックピットは外から閉じられました。

 反射的にハッチを叩きました。が、開くはずもありません。手に痛みは感じなかったけれど、私は無理矢理心を鎮めました。

 そして、パネルを操作しました。が、もちろん電源は入っていません。ハッチのハンドルを回して開こうとしました。が、びくともしません。

 無駄に酸素を消費することはわかっていましたが、私は何度もハッチを叩き、彼らに叫びました。激しい爆音と振動の中、彼らを呼びました。

 不安と焦り、そして恐怖が、私の身体を支配しました。

 彼らは自分をここに閉じ込めてどうするつもりなのか。この火の海から逃げられるのか。あの生徒たちは通路が崩壊する前に逃げられただろうか……。

 そんなことを考えているうち、私は一瞬、意識を失いました。

 酸素が無かったのだと思います。身体も熱さを感じなくなっていました。

 コックピットの形も、徐々に変わっているのがわかりました。

 このまま押しつぶされて圧死するのか、炎に包まれ焼死するのか、酸欠で窒息死するのか……。私は死に方を想像しました。

 それは……かつての戦争で、モビルスーツごと地球に落下したときの感覚によく似ていました。

 

 あれからたくさん、苦しいことはあった。けれど、幸せなこともあった……。

 

 友達、家族、オーブ……大切なものたちのことを思いながら、私は完全に意識を失いました。

 

 そこで……、私、ナナ・リラ・アスハの生は一度終わりました。

 私は文字通り、その時に一度『死んだ』のです。

 次に目覚めた時……、私の名は“セア・アナスタシス”になっていました。

 その間の記憶はありません。

 “ナナ”から“セア”へ、繋がるものは何一つないのです。

 ただ、その時私は、自分が“セア”であることに少しの疑いもなく……、それどころか“ナナ”ではなく“セア”として生きて来た記憶が私の中に存在していました。

 ですからここからは、“セア”だった私のことをお話しします。

 

 

 “私”はプラントの病院で目を覚ましました。

 最初に聞かされたのは、ザフトの軍施設で大規模な爆発事故が起き、それに巻き込まれたこと。そして、“一緒にいた士官学校の同期生”たちは全員が亡くなったということ。

 当然、私はにわかには信じられませんでした。

 士官学校での“アスハ大使”の講演はよく覚えています。その仕草も、声も、言葉も、眼差しも……、自分が彼女を真剣に見つめていたこともよく覚えていたんです。

 ただ、事故の記憶はいっさいありませんでした。

 ドクターは『事故のショックで記憶障害が起きている』と診断しました。

 自分のことを客観的に『覚えている』だなんておかしな話ですね。

 でも、本当にそうなんです。私は確かに“アスハ大使”の講演を、講堂の一席で聞いていました。どういう理由かは未だにわかりませんが、そんな記憶が鮮明に残っていたんです。

 それから……“セア”としての記憶は他にもありました。

 家族のこと……、私の祖父も祖母もザフトの軍人で、父と母もそうでした。

 祖父母と母は幼い時に亡くなって、先の戦争で父も戦死しました。

 彼らと共に過ごした記憶もあります。旅行をした思い出も、何気ない日常の思い出も……。

 家族だけではありません。級友との記憶もありました。

 幼年学校の入学式、卒業式、士官学校の入校式……。友達は多い方ではなかったけれど、学校生活をそれなりに楽しく過ごした思い出がありました。

 今思えば……ですが、それらの思い出はどれも断片的なものでした。

 思い出したことから“前後”を辿ろうとすると、ぱったりと途切れてしまうのです。

 たとえば……父の葬儀は覚えているのに、葬儀の後のことはひとつも思い出せない……。とても立派な軍葬で、父の上官や同僚の方たちがたくさん来てくださったのは覚えているのに、墓地からどうやって家に帰ったかが思い出せないんです。

 それを、入院中ドクターに相談したこともありました。

 ドクターは『事故のショックで記憶障害が起きている』と、やはりそう言いました。

 そして私は、すっかりそれを信じていました。

 それほどに大きな事故だったことは、自分の身体の状態からもわかっていたので……。

 だから私は、自分が“セア”であることを一瞬たりとも疑ったことはありません。

 本当に、ただの一度も……。

 

 私は命が助かったことに感謝しながら、級友たちの死を悼み、軍へ士官する道が遠のいたことを憂い、おとなしく病院で回復に努めました。

 今では信じられないほど……“セア”はおとなしい子でした。

 “ナナ”である私は少ぅしだけ生意気なところがあったと自覚していますが、“セア”のときの私は本当におとなしく、従順で、素直な子でした。引っ込み思案で他者の視線を気にして、相手がどう思うかを気にしてばかりいました。

 そう……、わかっています。“ナナ”とは大違い……!

 でも、“セア”は“アスハ大使”に憧れを抱いていました。

 事故の前の講演での言葉にも、先の戦争の後、世界に向けて発せられた言葉にも、セアは共感していたのです。

 自分が自分に共感するなんておかしな話ですが……、その時は本当に“アスハ大使”は赤の他人だったのです。

 顔が似ている……と、セア自身が思ったことはありません。

 もちろん、髪と目の色が違うだけで、他は……細かい傷痕や黒子を“修正”はしていたようですが、概ね“ナナ”のままの身体だったので、似ているのは当然のことです。

 入院生活が終わり外の世界に出た時、出会った人から『アスハ大使に似ている』とか、『面影がある』とか、言われたことは何度もあります。

 まぁ……当然なのですが。

 セアはそのたびに恐縮して、居心地の悪い思いをしてきました。

 憧れの“アスハ大使”に似ているだなんて……と。

 後でわかるのですが、髪と目の色が違った理由は、ある薬を投与されていたからです。

 その薬のことは、また後程詳しくお話しします。

 とにかく私は、あまり希望の持てない入院生活を過ごしていました。

 

 そんなある日……、まるで小説みたいですね。でも、本当にある日突然、私の人生の歯車がまた動き出したのです。

 欝々と過ごしていた病室に、プラント最高評議会のデュランダル議長が現れました。

 その頃の私はまだ事故のニュースを見るのが怖くて、私は評議会やザフトがどういう動きをしているのか知らずにいたのです。

 家族もなく、友達も失って、主治医と看護師と、調査委員会の人たちだけが訪れる病室に、最高評議会の議長が現れ、私は当然、この上もなく恐縮しました。

 そんな私に、議長は優しく見舞いの言葉を掛けてくださり、軍の最高指揮官として謝罪をしてくれました。

 そして、ますます萎縮する私にある提案をしてくれたのです。

 特別プログラムを組んで全面的に支援をするから、モビルスーツのパイロットの訓練を再開しないか、と。そして現在開発中の新型モビルスーツのパイロットにならないか、と。

 私は案外、素早くその提案に飛びつきました。といっても、もじもじはしていたでしょうけれど……。

 そのくらい、私にはもう何も残っていなかったのです。

 回復してから士官学校に入り直して、また訓練を初めから受けて……、そうなることがきっと、軍人家系に生まれた自分の使命だとは思っていましたが、同期の仲間をみんな失ってしまった私は、そうする気力を持てずにいたのです。

 この先どう生きれば良いのか……、身体が徐々に回復していくのを感じるたびに、心は焦るばかりでした。

 だから、道を示されたことがとてもありがたかったんです。

「きっと大丈夫、君ならやれる」……議長は優しく手を握ってそう言ってくれました。

 まだ身体のあちこちが痛くて、力も入らなかったけれど、熱いものが漲って来るのを感じました。

 そして思ったんです。絶対にモビルスーツのパイロットになろう。祖父母や父、母のような立派なザフトの軍人になろう……と。

 

 議長は本当に特別プログラムを組んでくれました。

 退院後、学校に再入学するのではなく、私専用の訓練施設を与えてくださり、そこで専門の教官たちから指導を受けられることになりました。

 しかも、主治医同伴で常にフィジカルとメンタルのチェックやケアをしてくれます。

 いつしかそれが、『プロジェクト・バハローグ』という名になって、正式に実行されました。

 バハローグの不幸な事故からの“再生”と、唯一生き残った私の“復活”……。議長は自らそのプロジェクトを推し進め、軍はそれに従いました。

 私は軍内で『復活の女神』と呼ばれ、期待を寄せられるようになりました。

 私は必死で訓練を受けました。毎日数時間、シミュレーターに乗り、時々戦闘機の訓練にも参加させてもらいました。

 記憶は失せていても、身体の細胞が覚えていたのでしょう……。私はモビルスーツのパイロットとして順調に成長を……、いえ、一線で戦えるほどの回復をしていきました。

 ときどき議長が自ら様子を見に来てくれました。模擬戦の結果には満足していたと思います。これなら新型のモビルスーツを任せられる……と、早い段階から私におっしゃっていました。

 私はそれほど、自分に自信がある人間ではありませんでした。いつも周囲の目や声を気にしてビクビクしているような人間でした。

 今の私とは全く正反対の……、自己主張の少ない、慎ましく穏やかな人間でした。誰かに大きな声で話しかけられると、それがたとえ普通の挨拶や何気ない日常会話でも、ビクビクするような……。

 もちろん、事故の影響があったのだと自覚していました。友達がみんな亡くなってしまって、自分だけ生き残ったという負い目。議長の特別なご厚意への畏れ。周囲の期待や好奇の視線。それら全てが私の肩に重くのしかかり……私はうつむき加減で生きていました。

 おまけに……、ときどき耳に入るのです。

 

『顔立ちがアスハ大使に似ている』

 

 と。

 直接ではありません。曲がり角の向こうから、扉の影から、少し離れた背後から……その声は聞こえてきました。

 もちろん、自身でそう思ったことはなかったので、気にしなければよかったのです。

 が、先にお話しした通り、私は何事にも怯えて生きているような人間でした。

 だから、それらの声はとても怖かったのです。

 先に述べた通り、私の中で“アスハ大使”は憧れの存在でした。はっきりとそう自覚していました。

 事故の影響でところどころ過去の記憶は曖昧でも、アスハ大使のバハローグでの公演は記憶に残っていたのです。

 立ち振る舞いも、表情も、声も、言葉も……何故だか鮮明に覚えていました。

 そして、“彼女”の意志に共鳴し、憧れを抱いたことも記憶に残っていました。

 それが……議長の意図だったのか。今となってはわかりません。

 ただ私は、“アスハ代表”に共感する人間でした。それは私自身の意思で間違いありません。

 だから、そんな憧れの人に『似ている』だなんて言われて、私は困惑するばかりでした。

 

 そして、議長は“約束”どおり、私にモビルスーツを与えてくれました。

 新型機『レジーナ』です。

 その機体は、かつで“アスハ大使”が乗っていた『グレイス』をモデルとして造られたものでした。

 これは当然、議長の意図でしょう。

 私の身体はグレイスの操縦経験を覚えていて、だから私にとってレジーナは最初からとても扱いやすい機体でした。

 議長はさらに私に期待を寄せていることをお示しになり、新造艦『ミネルバ』への配属を言い渡しました。

 それが、私のすっかり狂ってしまった人生の歯車を、もっと激しく回すことになったのです。

 

 でも、私自身にそんなことを知るすべもありません。

 私はそこで、大切な仲間に出会うこととなりました。

 彼らは同年代で、訓練で特に優秀な成績を収めたパイロットでした。私と同様、新型機やザクの上位機を与えられ、ザフトからの期待が厚い人たち……。

 私は何度も言うように、とても引っ込み思案な性格だったので、彼らと打ち解けるのに時間がかかりました。誰もが知るバハローグの事故で、一人だけ生き残ったという負い目や好奇の目に対する怯え。“アスハ大使”の面影があると言われることへの畏れ。それらに加えて、『プロジェクト・バハローグ』とはいえ議長から特別待遇を受けているという引け目がありました。

 でも、最初は私という存在を訝しがっていたような彼らでしたが、すぐに共に戦う仲間として受け入れてくれました。

 私はそれが嬉しくて、彼らが大好きになりました。

 私を引っ張ってくれる人、私を勇気づけてくれる人、私を背中で守ってくれる人……。私は彼らが大好きでした。

 そして、艦長や他の乗員たちも私に理解を示してくださいました。

 艦長は特に、議長から色々と言い使っていたのでしょうが、真相は伏せられたままでした。 だから私を憐み、慈しみ、時には母のように接してくださいました。

 そんな中で、ミネルバはアーモリーワンの港で進水式を迎えようとしていました。

 そう……この日、私たちは運命の大きな渦に引きずり込まれたのです。

 私は少し緊張していたのを覚えています。また多くの人たちと会うことになるからです。あの好機の目を避けることができないとわかっていて、少し憂鬱でした。

 その時、訓練では聞き慣れたアラートが艦内に鳴り響きました。その日は絶対に鳴らないはずの『第一戦闘配備』を知らせるアラートです。

 みなさんももうご存知の通り、地球軍のファントムペインによるアーモリーワン基地襲撃事件です。

 工廠で開発されていた新型機が強奪された……。

 その一報を聞いた時はとても信じがたかったけれど、動揺している暇はありまでんでした。私たちはすぐに、追撃命令を受けたのです。

 ようやく慣れた手順を踏んで、私はミネルバのデッキからレジーナで飛び立ちました。

 まさか自軍の施設内で初めての実戦を行うことなど考えてもいません。私は確かに困惑と恐怖に震えていました。

 でも、共に追撃を命じられた仲間が励ましてくれました。それでどうにか、私は戦うことができました。

 

 向かった先では、グフが1機、強奪されたモビルスーツと戦っていました。

 そのコックピットで……アスハ代表と友が戦っていることを知る由もなく……。

 私はミネルバの仲間とともに、強奪された機体と戦いました。“敵”が誰なのかはよくわからない状況でしたが、彼らは奪ったばかりであるはずの機体を自在に操りました。

 アスハ代表を乗せたグフは途中離脱……。私も仲間も、苦戦を強いられました。

 ですが、不思議と恐怖を感じませんでした。私は冷静にその“初陣”を戦えたのだと思います。人と話す時よりずっと、私は冷静でした。そんな自分に少しだけ驚いて……。

 しかし、私たちは任務を達成することができませんでした。

 後に知るのですが、モビルスーツを強奪したのは地球軍のエクステンデッド……肉体を強化された人間だったのです。

 ミネルバに乗り込んだ議長の命で、我々は宇宙に逃げた強奪部隊を追いました。私も引き続きレジーナで戦いました。

 が、周到に準備していた彼らを追い詰めはしたものの取り逃がす結果となり……そこからミネルバはザフトの重要な任に就くことになっていったのです。

 そして……艦に戻った私を待っていたのは、運命的な“再会”でした。

 私はグフでミネルバに避難したアスハ代表と友に“出会った”のです。

 「アスハ前大使の面影がある」と言われていたとおり、二人は私を見て少なからず驚いていました。

 が……、逆に二人が“私が私でないこと”を一番よく知っていたのです。

 私は正直に言うと、二人の視線が居心地悪く、艦内で遭遇した時はいつも仲間の背中に隠れていました。二人がしばらくの間、議長とともにミネルバに乗艦するのを、とても気まずく感じ、いつも変な緊張感を抱いていました。

 そんな状態のまま、私たちはユニウスセブンの降下阻止の任に就き、そして地球に降りたのです。

 ミネルバはアスハ代表を無事にオーブへと送り届けました。

 私たちは互いを知らぬまま……そこで別れることとなったのです。

 今思えば、とても皮肉な話です。ですが、私たちは知らなかったのですから仕方がありません。

 何故気づかなかったか……。私はアスハ代表と友人の気持ちが今ではよくわかります。

 似ている……けれど、“ナナ”が存在するはずはない。それは痛いほどにわかっている。そして、ナナとはあまりにも雰囲気が違い過ぎている。だから、二人は言い聞かせた。「セアはナナではない」という当たり前の事実を、二人は繰り返し自分に言い聞かせたのでしょう。

 

 そうして私たちは別れました。オーブの代表とそのボディーガードと、ザフトの一兵士として。

 私は心のどこかでホッとしていました。もうあの居心地の悪い視線を向けられずにすむ……と。

 

 ですが、私が置かれた状況としては、そこからますます混乱していったのです。

 オーブがアスハ代表不在時の混乱から、大西洋連邦と同盟を結ぶこととなり……ミネルバはオーブ領海を出た瞬間から襲撃を受けました。

 そうして、みなさんもご存知の通りプラントと地球の対立はますます深まっていったのです。

 私はその渦中で、ザフトのパイロットとして戦いました。

 初めは任務を遂行することに精一杯で、世界の大局について考えることはありませんでした。

 が……、私の中には“アスハ大使の言葉”が残っていました。

 バハローグで事故に遭う以前の、最も鮮明な記憶です。

 自分自身が吐き出した言葉と知らず……私は“彼女”の言葉に影響を受けていました。

 共に戦う仲間にも、同じように“彼女”の言葉に影響を受けた者がいました。

 

『目指す未来に立ちはだかる者が現れたら、それとは戦わなければならない。そのためにはどうしても力が必要で、残念ながら今はそれを手放すわけにはいかない。だけど、その力は絶対に正しく使わなければならない。正しく使うということは、憎しみや欲望のためだけじゃなく、未来のために使うこと。そうすれば、その力は誰かを殺すための“武器”じゃなく、未来へはばたくための“翼”になる。だからみなさんも、プラントの“武器”でなく、人々の“翼”であってください』

 

 その言葉は、“彼女”が呼びかけた若い世代にとって、とても強く心に響いたのです。

 艦内でその想いを禁じられることはありませんでした。

 当然「オーブの魔女」と揶揄したり、反感を持ったり、恐れる人もたくさんいました。けれど、「オーブの魔女」の言葉を支持することは軍規違反とわけでもなく、自由な思想、意思を持つことが許されていたと、今も思います。

 ただ、大っぴらに“彼女”の言葉を支持することはありませんでした。何故ならすでに、“彼女”の理想は砕かれており、その言葉の力も弱まっていたからです。

 皆、“彼女”を忘れて……いえ、忘れようとしていたのかもしれません。

 私も、できるだけ忘れようとしていたのかもしれません。己の道に迷いながら戦うことは死を意味したのですから。軍の命令に従い、艦を護り、自分も生き延びることを考えていました。

 それでも、“私の中の私”が死ぬことはありませんでした。

 迷いは大きく膨らみ始め、軍の指針やデュランダル議長の意向に疑問を抱くようになりました。

 議長は、敵は『ロゴス』であると世界に向けて発信しました。“アスハ前大使”の暗殺に関与していることを疑っているとも。

 そして議長は、ベルリン戦線で戦闘を止めに入ったアークエンジェルへの、討伐命令を下しました。

 私は議長には恩義があります。尊敬もしていましたし、彼からの愛情も感じていたように思います。

 それでも……“私の中の私”はしぶとく生き残りました。

 その私が、議長の意向に違和感を抱き始めたのです。

 そしてある時、私は迷いを捨てて決断をする瞬間を迎えました。

 酷い嵐の夜でした。

 ジブラルタルの基地に駐留中、宛がわれた部屋でぼーっとしていた私の前に、議長と軍に背いて逃げて来た仲間が現れたのです。

 私は当然、心臓が飛び出すほどに驚きました。が、通報はしませんでした。

 彼はここを去ったほうが良い……そう思ったんです。“アスハ前大使”と親交があったという彼には、“彼女”の示した道を歩いて欲しいと……心からそう思ったんです。

 その瞬間に思ったことではありません。ミネルバに乗艦中、共に過ごすうえで、彼を見て話をしてそう思っていました。彼の葛藤にも気づいていました。

 そして当然、彼が“アスハ前大使”を失った痛みを抱えながら懸命に前に進もうとしていることも知っていました。

 だから、私は彼の逃亡に手を貸すことにしました。

 身体の芯が震えるほど恐ろしかったのは確かです。でも、私はそう決めました。

 そしてザフトの兵士を欺き、彼をモビルスーツの格納庫へ案内したのです。

 私はそこで、彼に自身の気持ちを伝えました。雨音にかき消されそうでも、懸命に思いを伝えました。

 彼は少し、笑っていたように思います。

 グフが起動して、彼がそれに乗り込んで、別れを告げるはずでした。

 が……、ミネルバの仲間の一人が、私たちの動向を察知して追いかけて来ていたのです。

 彼は怒っていました。当然です。私たちの行動はプラント、ザフト、そしてデュランダル議長を裏切る行為だったのですから。

 でも、心のどこかで……話せばわかってくれると、私は甘い考えを抱いていました。大切な仲間だったのです。いつも私をかばってくれて、フォローしてくれて……、私は彼を頼っていました。

 だから、彼に訴えました。

 この人がザフトとは道を違えても“目指すもの”は同じだと……。私の行為は今は裏切りだとしても、あなたと同じことを願っていると……。

 が、返って来たのは拒絶の言葉でもなく、銃弾でした。彼は本気で私たちを撃ち殺そうとしていました。

 その瞬間で通じ合えるわけもなかったのです。悪いのは私……一方的に彼を傷つけたと、よくわかっていました。

 けれど、そこで死ぬわけにもいかず……私はグフに乗り込みました。「共に行こう」と言ってくれた彼の手を取り、仲間に背を向け、私はザフトの基地を後にしました。

 不思議と後悔はありませんでした。

 彼が謝罪や後悔の言葉を口にしても、あれほど自分の意思を示すことが苦手だった私は、はっきりと彼に後悔はしていないことを伝えられたのです。

 だから、彼が「ナナの翼……アークエンジェルを探す」と目的を告げた時、私の心はむしろ踊ったのです。

 もちろん、仲間を裏切ったこと、議長の恩を仇で返すこと、罪を犯したことは、決して許されることではなく……。気を抜けば情けなくうつむいて膝を抱えてしまいそうになりました。

 それでも私は、ザフトの方針に対して芽生えていた疑念を振り切りたかった。そして“ナナの道”を進みたかった。

 私の中でしぶとく“ナナ”が生きていたから。

 しかし、まっすぐにその道を歩むことはできませんでした。

 追手がかかったのです。先ほどの仲間ともうひとりが、私たちを追撃に来ました。

 グフの操縦桿を握る彼は、エース級のパイロットです。先の戦争も生き延び、“ナナ”を支えた人でした。

 が、追手の仲間が乗るモビルスーツはザフトの新型でした。

 酷い嵐の中、3機のモビルスーツは激しくぶつかり合いました。その中で、モニター越しに彼らと言葉を交わしました。

 私は二人に、思いを伝えられたと思います。

 二人にとっては理不尽なことでしょう。が、私の思いを、意思を……かつてないほど強く、はっきりと伝えることができたと思います。

 その会話の中で、ある一つの真実を聞かされました。

 私に銃を向けた仲間が言ったのです。

 

『施設や士官学校の再建などはただの口実。プロジェクト・ハバローグはお前を“再生”させるため()()に議長が計画したものだ。お前が“復活の女神”でないのなら、議長にとって危険な存在でしかない。議長から正式に、「セア・アナスタシスも含めて撃破」の許可が下りている』

 

 私はその言葉に失望しました。やはり私の価値は、あの事故から生還した奇跡の人、復活の女神としてザフトの士気を高めること。ただその象徴となることだったのです。そしてそれは議長の“手札”だったのです。

 その瞬間に、議長の優しい言葉や笑みから感じられた愛情を疑っていたというわけではありませんでした。

 けれど私はとても悲しかったのです。議長から受けた“愛情”が偽りとなり、ただの“目的”と思い知るのが怖かったのです。

 が、だからといって私には何の力もありませんでした。

 彼も懸命に戦いました。二人に対し、本当にプラントの……、議長の示す未来を望んでいるのかと、問いかけながら。

 しかし、私たちの機体は雷鳴のような攻撃に撃たれ……荒れた海へと沈みました。

 仲間に撃たれた悲しみと、初めて自身の意思を貫いた少しの達成感を抱きながら、私は暗くて冷たい渦に呑み込まれて行きました。

 

 ですが、それは“絶望の終わり”ではなく“奇跡の始まり”だったのです。

 私は目を覚ましました。命が繋がっていたのです。

 そしてそこは……目指して居た場所、『アークエンジェル』だったのです。

 その奇跡を、私は最初から信じることはできませんでした。何故なら自分が要る場所が、憧れていたアスハ大使の“翼”だったのですから。

 共にザフトを脱した彼も、私をかばって怪我を負ったものの無事であり、安堵しました。

 彼にとってはかつて“ナナ”と戦った場所です。彼がそこに戻ることができたのが、私はとても嬉しかった……。

 けれど、私にとっては「戻れた」のではなく「辿り着いた」場所でした。

 そう……私は私のままでした。

 初めて会うアークエンジェルのクルーたちに、「自分もナナの道を行きたい」「意思を共にする」と訴えました。

 彼らは当然、大いに戸惑っていたのだと思います。

 私もそれをよくわかっていました。「アスハ大使になんとなく似ている」と言われたり、そういう視線を向けられたりすることは、先に述べた通り良くあったことなので。

 ただ、その頃には私は少しだけ強くなっていました。

 視線から逃れたり、うつむいたりもじもじしたり、ビクビクしたり……そういう気の弱い自分から脱しつつあったのです。

 だから、彼らの思いを推し量ることができました。

 そのうえで思いを伝え、共に戦いたいと言ったのです。

 彼らは受け入れてくれました。とても優しく、私を導いてくれました。そして私の存在を喜んでくれました。

 だから私は、一度も後悔をしませんでした。

 ザフトの仲間から離れたことはとても悲しく寂しかったけれど……、あれほどよくしてくださった議長を裏切って申し訳ない気持ちはあったけれど……。

 それでも自分の選んだ道はきっと正しいものだと思っていました。

 

 そして、私は再び戦火を目にしました。

 攻撃されていたのはオーブです。

 ご存知の通り、オーブは地球連合軍から攻撃を受けました。アークエンジェルはアスハ代表と協力して、オーブを守る戦いをしました。

 しかし、ますます戦況は悪化し……、というより私たち側から見るとデュランダル議長はますます暴走を始め、彼はついに『デスティニープラン』の実行を世界に向けて宣言しました。

 それを知り、アークエンジェルはラクス・クラインとともに宇宙に上がりました。プランを打ち砕くべく。「ナナならきっとそうする」という思いを抱いて。

 私も同じでした。同じ思いを抱いて、皆に同行させてもらえるよう願ったのです。

 正直、プランのことはラクスが語る言葉でしか理解ができませんでした。本当は世界がどうなってしまうのか、何故議長はそれを目指すのか、ちゃんと考えることはできませんでした。

 でも、プランを望まないという気持ちは初めから決まっていました。

 そしてそうすれば、かつての仲間……ミネルバの仲間たちと戦うこともわかっていました。

 けれど、何もしなければ何も変えることができない。戦ってでも、歩み寄らなければわかりあえない。そう思うから、私は戦うことにしたのです。

 衝動はきっと、“ナナのとき”と同じでした。私自身の本質が決断をしました。

 だからアークエンジェルの皆は受け入れてくれました。共に戦おうと言ってくれました。

 

 それから、アークエンジェルはオーブの正規軍所属艦として月面都市コペルニクスでの情報収集活動中に当たりました。

 そこでまたある出会いがあったのです。

 “彼女”の名はミーア・キャンベル。一定期間、デュランダル議長の元で『ラクス・クライン』として活動していた人です。

 ザフトにいた頃、私は彼女に会ったことがありました。すっかり本物の“ラクス様”だと信じていたので、想像していた姿とずいぶん違うな……という印象を抱いたことを覚えています。

 でもそれだけでした。

 やはり私は、どういう理由で議長がそんな“ニセモノノラクス”を作り上げたのか、ぼんやりとしか考えなかったのです。

 だから実際に“二人のラクス”を目にして、私は混乱しました。ラクス本人はとても落ち着いているのに、私は胸の奥のざわつきを抑えられませんでした。

 けれどミーアとラクス、二人の出会いは始まった後、すぐに終わりました。

 プラント側の人間に、ミーアが殺されたのです。

 急な攻撃に応戦して、ミーアをこちら側に救い出したと思ったのですが、生き残った人物がいてラクス本人を狙っていました。

 ミーアが……ラクスを庇って死にました。

 

 その事件がきっかけでした。

 私が自分を取り戻したのは……。

 

 私は意識を失い、しばしの眠りにつきました。

 そうして夢から覚めたのです。

 そう……“セア”だった時のことは、まるで夢の中の出来事のようでした。

 私は“ナナ”として、アークエンジェルの一室で目覚めました。“セア”だった記憶を鮮明に残したまま。

 アークエンジェルの仲間たちは、皆、戸惑いながらも喜んでくれました。きっと、私が思うよりも驚いていたのだと思います。アスハ代表も……。

 中には私のフィジカルデータから、セアとナナが同一人物であることを事前に知っている人がいました。

 が、彼らは黙っていました。戦時下での混乱は命取りになることを良くわかっていたからだと思います。それに、状況があまりに不鮮明でした。

 何故私が生きていたのか。何故別人として現れたのか。記憶も言動も性格も異なる人間になり替わることが本当に可能なことなのか。髪も目の色も違うのに……。

 事実を先に知ってしまった彼らの心境を思うと、私は申し訳ない気持ちでいっぱいです。いったいどれほどの胆力で、それを口外せず自身の中に押し留めたのか。己の感情を押さえ込み、全員の命を守ることを優先するために動けたのは、彼らが強く優しかったからにすぎません。

 でも、良いこともありました。

 先んじて、彼らのうち艦のドクターが私の身体を調べてくれたのです。投与されていた薬も、オーブのラボで秘密裏に分析してくれたと聞いています。

 そのおかげで私は昏睡から目覚めることができ、以降もこうして生き延びることができたのです。

 

 戸惑いと混乱が去れば疑問が沸き起こります……。当然、怒りも。

 けれど、私個人のことに時間を割いている暇はありませんでした。もちろん、オーブとしてこのことを公にし、オーブや世界をさらなる混乱に陥れるわけにもいきませんでした。

 アスハ代表もよく熟慮され、正しい行動を取ってくださったと思っています。

 私は世界に存在を知られぬまま、戦いに加わりました。アークエンジェルで、かつての仲間たちと共に。そしてラクス・クラインと共に。

 私はやはり、止めたかったのです。議長の『デスティニープラン』を。そしてオーブに向けられた銃口を。

 再び握ったモビルスーツの操縦桿は、とても冷たく、それでいて熱かった……。

 私はザフトと戦うことになりました。もちろん、ミネルバの皆と。

 前線で仲間や艦長と話すことができました。

 私が“ナナ”であることを告げ、とっくにわかっているだろう『デスティニープラン』の真意を話し、自身の意思に従って欲しいと言いました。

 彼らが軍の命に従わざるを得ないことはわかっていました。彼らと過ごした時間の中で、彼らがどういう行動を取るかもよくわかっていました。

 けれど、話をしたかったのです。

 私が私であることと、セアであっても同じ意志を持ったということ。これからどうすべきかを。

 互いに銃口を向け合いました。

 それは覚悟の上です。だってそこは戦場なのですから。

 そして、やはり、私は彼らの“敵”となりました。

 胸が痛んでも、どうしようもありません。私は、掲げた意志と共に戦う仲間の想いに支えられ、前に進みました。

 

 戦場での別れはありましたが、出逢い……いえ、再会もあったのです。

 かつて共に戦った人たちと“ナナ”として再会し、再び意志を共有することができました。

 私たちはレクイエムの破壊に向かいました。

 もう二度と、あのいたずらに戦火を広げるだけの、破壊をするだけの兵器を、撃たせてはならなかったのです。

 アークエンジェル、オーブのクサナギ、ラクスのエターナルらはミネルバと対戦し、私たちもかつての仲間と戦いました。

 本当に……、本当に苦しい戦いでした。

 けれど、どうしても……レクイエムやネオ・ジェネシスが撃たれることがあってはならなかったのです。照準はオーブでした。だから私は、命を懸けて、全てを懸けて、グレイスの操縦桿を握りました。

 戦いの中で、私たちは何度もミネルバの仲間に想いを伝えました。

 彼らが戸惑っていることもわかりました。彼らの守ろうとするものが間違っているわけではないことも。

 互いに命と想いと懸けてぶつかり合いました。

 戦いの果てに……私たちが彼らとわかり合えたかどうかはわかりません。

 けれど、最後の最後、銃を置いた彼らは、私に力をくれました。

 私に言ってくれたのです。

 

『ちゃんとこの戦争を終わらせて』

 

 と。

 私は彼らの想いに押され、やり残したことを遂げるべく、レクイエムと要塞メサイアへ向かいました。

 レクイエム本体に近づいたとき、仲間に寄ってそれが破壊されたことを知りました。

 私はそのままメサイア内部に侵入しました。

 そこに、デュランダル議長がいるからです。

 彼と話がしたかった。『デスティニープラン』を撤回して欲しかった。運命に決められた生命など“人”ではないと……、どうしても彼に言いたかった……。

 核心へ辿り着くのは案外簡単なことでした。すでに戦局は傾いていたのです。

 私は崩壊が始まったコントロールルームで、デュランダル議長と対面することができました。

 残された時間は多くありませんでした。すでにあちこちから火の手が上がり、壁や天井が崩れかけていたのです。

 その中で、私たちは言葉を交わしました。互いに銃口を向け合いながら。

 彼は理想を口にしました。

 

『人間の“構造”そのものを変えない限り、争いは無くならない。真の平和など訪れない。だから遺伝子操作をして産まれる前から運命を決めてしまおう』

 

 と。

 

『このプランを破壊すれば、世界は混迷の闇へと逆戻りだ』

 

 と。

 

 私は想っていることを彼に言いました。

 

『私たちはその“混迷の闇”にならない道を“選んで”生きて行くことができるはずです。自分の意思を持ち、願い、望み、道を選ぶ。それが“生きる”ということだと思いませんか?』

 

 そう問いかけました。

 自分の言っていることは理想に過ぎない……それは承知の上でした。今も、そうだと思います。議長のプランが実行されれば、戦いの無い世界になることもわかっていました。

 けれどやはり、初めから誰かに決められた“生”なんて、“死”と同じだと思うのです。

 私たち人は、確かに愚かな過ちを繰り返し、議長の言うような“混迷の闇”に呑み込まれているのかもしれません。

 けれど、そうならないように道を選ぶこともできるはずです。

 これから正しい道を歩けるよう、皆で考え、話し合い、選び、手を取り合うこともできるはずです。

 それが人……“生きる”ことだと私は信じています。

 だから、議長にプランの撤回を求めました。

 たとえ平和が遠ざかろうと、死の世界にはしたくはないと……。

 けれどやはり、意見が一致することはありませんでした。互いに折れることはなかったのです。

 引き金は引かれました。

 私は死を覚悟しました。

 けれど……撃たれたのは議長の方でした。

 撃ったのは、一緒に来てくれた友ではありません。かつてミネルバで仲間だった“レイ”が、議長を撃ったのです。

 レイは……常に議長に忠実でした。まるで父親のように慕っていたことを“セア”の時から知っています。

 彼は『プロジェクト・バハローグ』を成功させるため、議長の命で“セア”を見張っていたのだと思います。

 “セア”がザフトを出る時、迷わず激しく撃って来たのも彼でした。『プロジェクト・バハローグ』の真の目的を私に告げたのも彼でした。

 そんな彼が、議長を撃ったのです。

 彼は……『選ぶ世界』が欲しいと……そう……願ってくれたのです。

 それが、私たちと議長との別れでした。

 コントロールルームはいよいよ崩壊し始めました。

 私たちは泣き崩れたレイを抱き起し、倒れた議長を残して脱出しました。

 

 その途中でした。

 少しだけ、ほんの少しだけ未来への希望を抱えて出口へ向かう途中、通路の壁から爆発が起こったのです。

 私はその爆音を耳にし、炎を目にした瞬間に、あの日のことを思い出しました。

 バハローグの軍事施設で起きたあの事故のことです。

 炎、煙、士官学校の生徒たちの悲鳴、プラントやザフト、オーブや世界連合の人たちの戸惑いと混乱、そして絶望……。私はその全ての記憶を一瞬にして思い出しました。

 私の脳は混乱しました。過去の記憶と現実の境界がわからなくなって、身体が動かなくなりました。

 一緒に脱出している友の足を引っ張ってしまったのです。

 爆発の勢いで、瓦礫は私たち目掛けて飛んで来ました。

 それにも反応できない案山子のような私を……助けてくれたのはレイでした。

 私がようやく正気に戻った時、彼は瓦礫の下でした。要塞内の重力システムは壊れかけていたはずなのに、その場所に限ってまだ作動していたようで……。

 私は必死に彼を引っ張り出そうとしました。

 が……彼の身体は、もう……。そしてそこは形を失くし、炎に包まれようとしていました。

 レイは私に『生きて』と言ってくれました。『人が選ぶ世界を守って』と言ってくれました。最後の力を振り絞って、そう、言ってくれました。

 その彼の想いや、一緒に戦ってくれた仲間たちに守られて、私はメサイアを脱出することができました。

 正直、レイの死に胸が押し潰されてしまって、戦いが終わったことの喜びは少しもありませんでした。新たな未来への希望も、覚悟も、あの宇宙では一握りも抱けませんでした。

 それは前回の停戦時とは大きく違っています。

 私はただ、泣いていました。

 悲しくて、情けなくて、可哀想で、悔しくて……。レイも、議長も、助けたかった人たちを助けられなかった。そんな自分が許せなくて。

 けれど、側には友がいてくれました。ナナにもセアにも寄り添ってくれた、大切な人たちがいてくれました。そして、オーブにはただひとりの家族が待っていました。

 彼らの強さと優しさに導かれ、私はまた、この祖国に帰って来ることができました。

 

 だから……、みなさん、これは……私だけの物語ではないのです。

 私自身の身に起きたことや、仲間、家族、敵対した人たち、それから……世界の物語です。

 私は運よく、この世界に残っています。

 たくさんの人に助けられました。共に戦った仲間、今ここにいない仲間、かつて敵対した人たち、私の声を聞いてくれる人たち、そしていつも側にいてくれる友と家族……。

 私はこの命を、みんなの“願い”のために使いたいと思っています。

 この先、私に何ができるのかはまだわかりません。が、私と、そして“セア”を必要としてくださるのなら、生涯、力を尽くしたいと思います。

 それを、戦いに散った方々の尊い命に誓います。

 私がナナとして、セアとしてモビルスーツの操縦桿を握った時、私が撃った人たちがいます。私とセアが所属していた艦や軍、部隊も“敵”として誰かを撃ったでしょう……。当然、私はオーブ軍とも戦いました。

 その方々たちに心からのお詫びを申し上げます。

 罪は償い切れるものではありません。それはよくわかっています。

 ですが、私はこの罪を決して忘れることなく、彼らへの追悼の意を常に抱きながら、彼らが守ろうとしたものを守るべく、この命を使っていこうと思います。

 今この誓いを聞いてくださっている皆さんが証人となり、常に私を戒めてください。

 それが力を持ち、それを振るった人間が一生背負うべきものであるからです。

 

 最後に、改めて。

 今この声を聞いてくださっているみなさん……。

 ここまで私の話を聞いてくださり、ありがとうございます。

 私の身に起きたことはこれで全部です。私の想いや誓いも全てをお話しいたしました。

 以前と違うこの姿では信憑性というものに欠けてしまうかもしれませんが、全て真実であり、偽りのない想いです。

 今も、ラボでは私の身体に起きたことの分析を続けてくれています。何故、髪と目の色を変えることができたのか。どのようにして記憶の操作を行ったのか。

 プラントも『プロジェクト・バハローグ』に関わった人たちの捜索を進め、真相を明らかにすることを約束してくれています。

 オーブとプラント、双方が協力して私の今後について対処しようとしてくれています。

 私はプラントの誠意に感謝し、また歪んだ目的があったとはいえ、かつて命を助けてくださったことにも改めて感謝を申し上げたいと思います。

 そして私個人のことだけではなく……オーブとプラントは協力し合って、かつて共に目指した平和な道を作り上げていくことでしょう。

 近い将来、双方の間に停戦協定が結ばれることになります。

 きっと、アスハ代表が力を尽くしてくださいます。

 私も、できることは全てやるつもりです。

 もう二度と、このような空虚な悲しみに包まれないために……。

 ですからみなさん。どうか、お願いです。

 みなさんも、再び平和な世界に希望を持ってください。そしてまずは、その道を歩くと強く決意してください。

 できることがあるのなら、小さなことでも成し遂げましょう。岐路に立った時、目指す道を歩くための選択をしていきましょう。

 命はひとつひとつが別のものであって、大切なものです。誰にも定められず、侵されず、自分自身のものです。

 だから、時には選択した答えが異なることもあるでしょう。

 けれど、そこで考え、話し合い、解決することもできるのが人であるはずです。

 抱いた希望の火が同じであれば、同じ道を進むことができるはずです。

 小さくても強い火は消えません。

 私は今も、そう信じています。

 

 みなさん。“明日”は来ます。愚かな過ちや尊い犠牲の上に守られた“明日”です。自分で選ぶことができる“明日”です。

 

 みんなで、明日を生きましょう。

 

 願う未来へ……、その一歩を踏み出すために……。

 

 

 



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同じ未来を

 

 あれから10日間。

 ルナマリアはずっと頭の片隅に熱を抱えていた。

 

 ナナの声はとても軽快で、表情も重厚なストーリーを語るにしては終始穏やかだった。

 最後に投げかけた言葉は、ナナの優しさと、願いと、希望に満ち溢れていた。

 悲しみや怨み、怒りはひとかけらもなかった。そればかりか後悔さえも、ルナマリアは感じ取ることができなかった。

 それでも、あのスピーチはルナマリアの心と脳に強く影響を与えた。

 まるで流行りの病にかかったかのように、少し熱っぽくて上の空のような10日間を過ごした。

 その間、ナナからの連絡はなかった。

 全世界に向けてあれだけの発表をして、対応に追われているに違いない。ナナのことだから、きっとひとつひとつのことと真摯に向き合っているのだ。ときに細かいことまで気にしすぎてしまうほど……。そう、自分たちのことのように。もしかしたら、自分たちのような存在が他にもいるのかもしれなかった。

 だが、こうも考えた。

 自分とシンが、この先のことを考える時間をくれているのではないだろうか。二人で……、そして、それぞれで。

 そんな気遣いも、ナナならあり得なくはないと今なら思える。

 

 そうしてそのおかげで、ルナマリアは十分に自身の将来について考えることができた。

 もともとそういう機会を与えられてはいたのだが、シンのことを気にしたり、戦後の複雑な心境を抑えられなかったりで、あまり現実的に考えることができていなかった。

 が、未来を向くナナを見て、その言葉を聞いて、自分の“道”を考えることができた。

 まずは“足元”を……そしてその先に延びる道を……。

 どうしたいか。どうなりたいか。どうありたいか。じっくりと考えることができた。

 そして、それはシンも同じだった。

 意外……と言っては彼に失礼かもしれないが、彼もこの間にちゃんと考えて答えを見つけていた。

 だから案外自然に、そして素直に、二人でこの先の未来の話をすることができた。

 優柔不断なところはまだ隠していたいので、ルナマリアが先に意思を伝えた。

 

「私、ザフトに戻って、プラント側の人間としてこの世界を生きて行きたい」

 

 自分の得意なことは、モビルスーツを動かすことくらい。裁縫だって料理だって、絵だって歌だって、他人に対して無条件に愛想よくすることだって、他の職業に必要なことは何ひとつ向いていない。ファッションやメイクに多少は興味があるが、それが好きかと問われればそうでもない。学生時代は活発で勉強もできる優等生的な扱いをされてきたが、勉強はどちらかといえば嫌い。その場しのぎでテストの点数は取って来たが、今も頭に入っているのはモビルスーツや軍に関することくらいだ。

 だから、今から他の職業を……と考えようとしても、なにひとつ思い浮かばなかった。

 やはり軍人なのだ。自分は。

 この戦争で心身ともにダメージを受けたが、やはりそこに戻るのが自然だと思っている。

 メイリンのように機械に強くはないから、今さら技術部に行く気もない。だから、軍に戻れたならパイロットへの復帰を希望するだろう。

 が、だからといって……。

 

「だからといって、地球やオーブやナナと敵対するつもりじゃないの。ううん……むしろ私はナナの意志に添いたい。一緒にナナが目指す世界に向かって歩きたいと思ってる。だからね……、だからこそなのよ」

 

 ナナの言葉は胸に響いた。本気で心を動かされた。決して表面だけではない、芯の部分まで。

 そして心の底からナナの目指す未来へ行きたくなったのだ。

 だから最初はナナの側で何かできたら……そう思った。けれどどうしても、自分がナナに必要なピースであり得るという想像ができなかった。

 このオーブでどう過ごすか……漠然として答えはない。きっと、ずっとナナに頼ることになる。示されることになる。

 それでは駄目だと思った。

 せっかく自分の道を選ぶ権利をくれたナナに、その手助けをさせるわけにはいかなかった。どうしても、自分で一歩を踏み出したかった。そしてナナとセアの“友”として、並んで歩いて行きたかった、

 だからプラントの軍へ戻ることにした。

 たとえ今はそこに居場所はなくとも、最初はちょっとだけナナの手を借りることになったとしても……。きっといつか隣を歩く。その強い“意志”を自分のなかに見つけることができたとき、やっと目の前が開けた気がした。

 

「私はナナの、それからセアの友達として、一緒に歩いて行きたいの。目指す場所は同じ、同じことを願ってる。それが良くわかったから。だけど、これからはナナに手を引っ張られるだけじゃ駄目でしょう? ちゃんと隣を歩いて……私だって少しはナナの支えにならなくちゃ……」

 

 気恥ずかしさは捨て去って、ちゃんとシンの目を見て告げることができた。

 やはりあの戦争以来、少しは大人になれているのかもしれない。

 だから……、最後に付け足す言葉を、今の今まで口にするのを迷った言葉を、シンに言うことにした。

 意志は言葉にして示すことで、より強い決意になる。光は強く、力は大きくなる。

 それを、ナナに教えてもらったから。

 

「それとね……」

 

 一回だけ瞬きをして、もう一度シンの目を見つめた。

 驚くほど静かな視線が、まっすぐこちらを向いていた。

 心臓が高鳴った。が、今この瞬間から逃げるのは嫌だった。

 息を吸って、その言葉を言う。

 

 

「シン……、私、あなたと生きて行きたい」

 

 

 これで全部だ。今持ち得る意志と決意は。ナナに伝える前に、言うべき人に言うべき言葉は。

 少しの沈黙がその自信を揺るがしたが、自分らしくいたかった。

 

「さ、さぁ、これで私の希望は全部話したからね! 次はシンの番よ!」

 

 多少ぶっきらぼうになってしまうのは仕方がない。「意志」を「希望」と言ってしまうのも。

 照れと焦りとほんの少しの迷いがそうさせてしまうのだ。

 だが後悔はない。シンの意志や決意がどうであれ、全て口に出し示したことに少しも後悔はない。

 あとは、ちゃんと覚悟を持ってシンの言葉を聞くだけ。

 

「オレは……」

 

 シンはゆっくりと話し始めた。

 少なくとも、「まだ決めきれていない」とか、「どうでもいい」とか、「ルナに合わせる」とか、情けない様子ではなかった。

 こっそりと安堵する。

 そして、

 

「オレも、プラントに戻る。ザフトに戻る」

 

 彼は言った。

 

「……って言っても、オレももうオーブを恨んでるとかじゃない。オレもルナと同じ……。プラント側の人間として、ナナが言う平和な世界を目指して行きたいと思う」

 

 安堵はじんわりと胸いっぱいに広がる。

 

「じゃ、じゃあ……シン……」

「うん。ほぼルナが言ったことと同じ。全部……先に言われた……」

 

 少しだけ不貞腐れたような、ばつが悪そうな顔をする。

 今までなら「子供っぽい」と思ったが、そうではなかった。

 

「ナナの話聞いて、そんな未来だったらいいなって思えたからさ。そこに向かって一緒に歩いて行きたいなって……。確かに今はナナがみんなの光だけど、オレたちはルナが言ったように『一緒に』歩かなくちゃ駄目だってわかってる。もう……友達だし……」

 

 彼はちゃんと、大人の顔で自分の思いを静かに述べた。

 

「そっか。よかった……!」

 

 単純な台詞しか出てこなかった。

 が、心からそう思っている。

 目尻が熱くなったが、ぎゅっと目を瞑って堪えた。

 その目元を、不意にしっかりと見つめられた。

 

「シン……?」

 

 そして彼は目を逸らす。

 今度は子供っぽい顔をしている。

 

「それと……」

 

 彼は言った。

 

「一緒に生きていきたいっていうのも……同じ……」

 

 ぼそりと、呟くように。

 

「え?」

 

 意味はすぐに理解したのに、思わず聞き返した。

 

「だから……」

 

 すると彼は、意を決した様にこちらを見て、

 

「これからも……一緒に生きよう、ルナ……」

 

 律儀にもう一度そう言った。

 さっき堪えた涙は、あっけなく目尻からこぼれ落ちた。

 

「う……うん!」

 

 急いで拭いながら答える。

 彼はこんな自分をよく知ってる。鈍感なようで敏感なことを自分も良く知っているから。

 涙は止まらなかった。それでも、彼は少し照れたような顔のまま、ずっと側にいてくれた。

 

 

 

 

 翌日、ナナからメールが届いた。

 改めて今後について話したいから、家に来てほしい。迎えに行く……という。

 ナナは「家」と言うが、アレは「屋敷」や「館」と言わねばならないレベルだ。このマンションを宛がわれる前は、数日間そこで過ごしていたからわかる。

 ナナの自宅である「アスハ邸」は、ルナマリアからすれば豪邸だ。数日やっかいになっても、果たしてどのくらいの広さなのか全容を全く把握できなかった。自分とシンで2部屋を借りても部屋はあり余っていたし、ナナやアスハ代表の部屋はまた別のフロアにあった。

 もちろん使用人も何人もいる。つまり、人が多い……。

 だからナナは話をするときにこちらに来てくれているのだと思ったが、今回は「来てほしい」と言う。

 なんとなく、『正式な話』をするからだと思った。だから自分も心構えをする。

 ちゃんと伝えられるように。想いが届くように……。

 シンはいつもどおりだったが、彼もちゃんとナナにまっすぐな目で話をすると信じている。

 

 そして約束の日。

 迎えに来たのはアスランだった。

 

「すまないな。事情があってナナは来られないから……」

 

 護衛か誰かをよこすと思っていたので、少しだけ動揺した。

 久しぶりに会う彼は、少し疲れているように見えた。

 あの演説以降、ナナは多忙を極めていることだろう。“一般人”としてもその予測はついた。だから、彼女をサポートするアスランもいろいろと気苦労が絶えないことだろう。

 車内はとても静かだった。

 とはいえ、アスランが気を使ってときどきと話かけてくれる。

 シンは相変わらずそっけなかったが、失礼な態度はとらなかった。

 アスランが運転するのは意外にもマニュアル車で、そのシフトレバーやハンドル捌きが気になっているようだった。

 思ったよりも変な緊張感に包まれないうちに、車はアスハ邸のエントランスに着いた。

 やはり広い……。少し歩くと次々と使用人に挨拶をされる。

 まるで昔の貴族の城のようだとか、そんなことをアスランに言うと、彼は少し笑ないながら“重要文化財”にはなっているらしい……などと答えてくれた。

 そんな話をしているうち、以前に泊まったのとは違うフロアの、応接室のようなところに通された。

 

「少し待っててくれ。ナナを呼んで来る」

 

 そう言ってアスランが出て行くと、すぐに飲み物が運ばれてきた。

 高い天井と歴史的価値がありそうな調度品を見回しながら、ナナを待つ。遠慮なく口に運んだアイスティーは、かすかにハーブの香りがして心地よかった。

 

 

 だからその時は……、そんな姿のナナと再会するとは夢にも思っていなかった。

 

 



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まだらな希望

 

「ごめんごめん、待たせちゃって。二人とも元気だった?」

 

 ナナはいつものように快活だった。

 が……その姿は以前とは違っていた。

 

「ナナ……!?」

 

 ぶしつけに素っ頓狂な声を上げた。同時に思わず立ち上がった。

 ナナは……ナナの髪は“まだら”だった。それ以上何と表現して良いかわからない。アッシュグレイの髪が、ところどころ白くなっている。照明に光って銀色に見えているのではない。色を抜かれたように白いのだ。美容師が手を加えたようなものではない。とにかく“まだら”で……醜く見えた。

 明るいバイオレットだったはずの瞳は白濁していた。彼女の特徴だった鋭くて優しい光は失せている。

 いつもの表情、いつもの声、肌も艶やかなのに、そこにいるのはまるで老女のようだった。

 そして彼女は……車いすに乗っていた。

 

「ごめん、びっくりしたでしょう?」

 

 その車いすを、アスランがこちらに押して来る。

 無意識のうちに、彼の表情を探った。

 表情は無かったが、口をまっすぐ横に引き結んでいる。疲れた様子はこのためだったのだ……。

 

「あの演説の日の後、少ししたらこうなっちゃった。それでなかなかそっちに行けなかったの。ごめんね」

 

 激しい動揺でリアクションもとれない。

 応えるべきことも聞くべきこともあるはずなのに、突っ立ったまま何も言えなかった。

 

「何があったの?」

 

 冷静な問いは、自分の口から出はなくすぐ隣から聞こえて来た。

 反射的にそちらを向くと、シンがまっすぐにナナを見つめていた。

 

「“セアになる薬”の副作用……だって」

 

 声のトーンと表情は、「ただの風邪」と答えるのと同じだった。

 

「そ、そんな……!」

 

 しかしその内容はとうてい「お大事に」などど返せるものではなかった。

 

「今になって……そんなことっ……!」

 

 うまく喋れはしなかった。

 目の前にいるのは間違いなくナナなのに、全くの別人と話しているような気になるのだ。

 それが違和感とか不思議……とか、悠長な感情ではない。はっきりと怒りがこみ上げてくるのを感じている。

 

「ほんと今さらだよね。ドクター・シュルスやオーブのラボで作ってもらった薬は間違いなく効いてたんだけどね。研究も続けてもらってたし……。でも、限界を超えちゃったみたい」

 

 ナナは明るく言う。

 

「もう効かないの」

 

 最後通告のような台詞でさえ。

 ナナのことを知ったからわかる。これは死の宣告なのだ。それを自分からしている。きっと自分とシンのために……。

 

「私もドクターたちに何回も説明されたけど、あんまりよくわからなくて。事故後に遺伝子に作用する薬を投与されて、髪とか目の色を変えたらしいんだけど、一度書き換えた変更は続けないとどうのこうの……ってことで。ほら、ザフトにいるときに“私”、薬を手放せなかったでしょう? あれ、『事故の後遺症の、特に精神を安定させる薬』って説明されてたけど、全然違ったみたいなの。本当はその遺伝子の変更を持続させるための薬で、絶対に飲み続けなきゃ駄目だったとかで……」

 

 もちろん覚えている。セアが持っていた薬のケースを。

 中にはカプセルが入っていて、セアはクセなのかいつも服薬の際には三度ケースを振っていた。カシャカシャカシャという音は、今でも耳に残っている。

 ルナマリアもセアには『事故の後遺症を抑える薬』と聞いていたし、それを飲んでいるからといってモビルスーツのパイロットとしての立場に影響があるわけではないものだということも知っていた。

 専属ドクターもついていて、セアが配属されたミネルバにも同乗したくらいだから、当然、艦長も承知のことだっただろう。

 あのいつも冷たい表情で、医者というよりは研究者然としたドクター・リューグナーは、いつもセアの体調を管理していた。セアは彼女について多くを語らなかったが、しょっちゅう呼び出されて検査を受けていたようだからそう承知している。

 あの冷たさがようやく解せた。

 『セアがナナに戻らないように』……端的に言えばそうやってドクター・リューグナーがセアを管理していたのだ。きっと、“首謀者”であるデュランダル議長の命令で……。

 

「ザフトを出てアークエンジェルに拾われた直後は服薬が止まっちゃったから、だいぶ調子が悪かったみたいなんだけど、“私”が持ってた薬をドクター・シュルスとオーブのドクターたちが研究してくれて……その過程で“私”が実は“ナナ”だったってことがわかったんだけど」

 

 ナナはなんでもない懐かしい話のことのように話すが、ルナマリアの腹の奥底からは苦い怒りがふつふつと湧いている。

 勝手すぎる。

 人の命を弄んで、人の運命を狂わせて……。こんなふうにひとりの人間の命を縮める権利が誰にあるというのか。

 

「それでいろいろわかって、持ってた薬と同じ作用の薬を開発してくれたの。その薬の投薬を開始してから、私は意識を取り戻すことができた。最初は“セア”だったけどね。それからずっとその薬を飲んでたんだけど、数日前から急に効かなくなっちゃって」

 

 許せるはずがない。同郷だって関係ない。こんなことして許せるわけがない。

 

「今もドクターたちが研究してくれてるんだけど、“私”みたいな例が他にいないから……って、違法だから当たり前なんだけど。だからまだ治療法や治療薬が見つからなくて、それで()()()姿()でアナタたちと話すことになっちゃったの」

 

 握りしめた拳が震えた。爪が掌に食い込んでいる。

 こんなに憤っているのに言葉がみつからない。自分が言っても無意味だからとか、騒いだって仕方がないとか、ナナの代わりに悲しんだってどうしようもないとか、そんなんじゃない。

 ただただ怒りとやるせなさが全身を包んでしまっているのだ。

 

「ごめんね」

 

 が、ナナがそう言った瞬間。

 

「で、でも……助かるんでしょう?!」

 

 実に単純で浅はかな台詞を叫んでいた。自分でも滑稽と思うほどに。

 そしてぽっかりと空いた一瞬の間。

 それが恐ろしくて、ナナの背後にじっと立ったままのアスランを見た。

 目は合わない。そのうつむいた顔が“答え”だった。

 

「座って、ルナ」

 

 わかっている。

 ナナはこちらを慰めるように希望を散りばめた台詞をくれるつもりだ。

 心配させないように。悲しませないように。同じ絶望を見せないように。

 けれど、もうそんな手は通用しない。

 ナナを知ってしまった。セアも。その強さと優しさと、それから……二人に向けた己の愛情を。

 だから簡単に手にしたものを手放すわけにはいかなかった。

 

「オーブのラボではどうしてもこれ以上の治療が難しくて、スカンジナビアの医療チームにも来てもらったりしたんだけど、なかなかよくならないの。やっぱり、“最初”に私の身体をいじったときのデータがないと……って」

 

 素早く頭を巡らせた。

 “ナナをセアにした”悪魔のプロジェクトはとっくに解体されている。停戦と同時に……いや、デュランダル議長の失脚と同時に研究チームはラボを跡形もなく消去して一人残らず行方を暗ませたという。あのプロジェクトそのものを無かったことにしようとでもいうように。

 もちろん、現評議会は研究者たちを指名手配している。が、デュランダル議長の主導の元に極秘で行われた研究に関することは、あまりにも情報が少なすぎた。そのメンバーさえも正確に把握できてはいないだろう。

 ルナマリアでさえそれはよくわかっている。

 

「でもっ……!」

 

 プラントの研究者を片っ端から招集するとか、何か方法があるはずだ……。

 そんなこととっくにオーブは検討しているだろうが、口に出さずにいられない。動揺を抑えるためには、穏やかなナナの言葉を振り切って、建設的な意見を確立するしかなかった。

 だが、その時。

 

「死なないんだよね?」

 

 今までずっと黙ったままだったシンが、急に口を開いた。

 そのことに驚いたのと、『死』という単語に慄いて、思わず膝が折れた。

 ソファーの軽いスプリングの音がした後は、嫌な空気が全身を……いや、部屋全体を包む。空気が薄く感じる。額に汗が滲む。

 自分の動揺を棚に上げ、そんな空気にしてしまったシンを諫めようと彼を見た。

 

(シン……?)

 

 彼はまっすぐにナナを見つめていた。

 案ずるでもなく、恐れるでもなく、怒りでもなく、もちろんふざけているのでもない。その目はとても澄んでいて、まるで……ひとつのことを信じて疑わないような目だと思った。

 

「うん。死ぬつもりはないよ」

 

 ナナは笑った。

 が、嫌な空気を完全に掃ったのは、その気休めか本気かわからない笑みではなく……。

 

「ちゃんと助かる方法はあるんだよね?」

 

 単刀直入に問いかけたシンに対する答えだった。

 

「今、ひとつだけ希望があるの。まだそれでうまくいくとは限らないけど」

 

 ナナの答えもまた単純だった。

 自分が回り道をして辿り着くはずだった場所へ、シンがたったの一歩で連れて来てくれたようだ。

 

「じゃ、じゃあ……」

 

 『うまくいくとは限らない』とナナは言った。

 それはきっと、誤魔化しでない真実なのだろう。その証拠に、アスランはいっそう難しい顔をしている。

 だが、何故だかその言葉に希望を持てた。

 ナナが、希望も懸念も、ちゃんと話してくれたから。

 

「話してよ、それ。全部」

 

 そして、シンは短い言葉でその先を要求した。

 よかった……彼が見えなくなった道を作ってくれた……そう思う。

 ルナマリアは口をつぐんで、シンとナナを交互に見た。シンがナナの“全部”を聞き出して、自分もそれを受け入れるために。

 と……。

 

「二人に、会わせたい人がいるの」

 

 ナナは話を急転換させた。

 

「え?」

 

 驚く間もなく、アスランがナナから離れ、ドアへと向かった。

 そして静かに部屋を出て行く。

 

「私たちに会せたい人って……?」

 

 シンと顔を見合わせたかったが、シンはナナを見ていた。少しだけ睨むように。

 仕方なくナナに尋ねたが、ナナは「すぐに来るから」と言って教えてくれない。

 が、その表情は必ずしも楽しそうというわけではなかった。だから、少しだけ身構える。

 やがて、アスランに連れられて、その人は現れた。

 

「ドクター・リューグナー?!」

 

 知っている顔だった。

 といっても、直接話したことはほとんどない。

 同じ艦に乗っていたとはいえ、彼女はセアの専属ドクターだったから、診てもらったことは一度もなかった。おそらくシンもそのはずだ。

 そう思って彼を見た。そして全身に緊張が走った。

 シンは“敵”を威嚇するようにドクター・リューグナーを睨みつけている。

 瞬間、まずいと思った。

 自分にもある感情が今、シンの中でほとばしっている。“ナナとセア”に対する理不尽な仕打ち……ドクター・リューグナーに向けるのは怒りしかなかった。いや、怒りを通り越して怨みだ。ナナをセアに変え、それを隠し、セアを操り、抑制し、見張り、デュランダル議長のスパイとして同じ艦に乗っていた。過去を振り返るうえで、最も嫌悪すべき人物だった。

 だからとっさにシンを止めようと腕を伸ばした。

 が……シンはピクリとも動かなかった。唇を引き結んだまま、ひと言も発しなかった。

 ただ膝の上で拳を握りしめ、ドクター・リューグナーを睨みつけたまま、そこに座っている。

 今までのシンであれば、ドクター・リューグナーに飛びかかっていただろうと思う。それを抑えられたとしても、彼女に対する感情をそのまま言葉にしてぶつけていただろう。

 しかし今のシンは、それを耐え忍んでいるように見えた。

 

「お二人とも、お久しぶりです……」

 

 先に口を開いたのはドクター・リューグナーのほうだった。

 かつての抑揚のない冷たい声ではあったが、かすかに震えているように感じる。

 緊張しているのだろうか……。両手をきつく握りしめ、ドアの前から動こうとしない。

 アスランに促され、彼女はゆっくりとこちらに近づいて来る。その背後には、もうひとりの人物がいた。

 

「ドクター・リューグナー、こちらへ。シーカーさんも」

 

 硬い表情のドクター・リューグナーと、身なりや口元は軽薄そうだが目つきだけは鋭い謎の男が、向かいのソファーに座った。

 

「ドクター・リューグナーはもちろん覚えてるよね? こちらはシーカーさん。プラント出身のジャーナリストの方なの」

「いやぁ、どうも!」

 

 シーカーは気さくに挨拶をしたが、この場の雰囲気を変えるには至らなかった。

 ルナマリアも曖昧に応じるにとどめる。

 

「アンタ、逃げたんじゃなかったんだ……」

 

 不意に隣から懐かしい声がした。

 最近は聞くことが無くなっていた、ぶっきらぼうで棘があり、相手を不愉快にさせる声だ。

 

「シン……」

 

 危うい予感がして、その横顔を見た。

 その目に、かつて浮かんでいた熱く鋭い敵意はない。ただ、冷めている。

 少し困って、ナナではなくアスランを見た。

 彼はナナの車いすの少し後ろに立っていて、視線はソファーとソファーの間にあるテーブルの上に向けている。その額にはかすかに皺が寄っていた。

 当然、彼女の存在を快く思っているはずはない。少なからず、彼もシンと同じ気持ちでいるはずだ。

 

「私は……」

 

 初めてだった。彼女が言いよどむのを見るのは。視線を泳がせ、骨ばった手を握り締めるのを見るのは。

 

「ドクター・リューグナー」

 

 そんな彼女に向かって、ナナは優しく言った。

 優しくする理由なんてどこにもないはずなのに。ナナは彼女の被害者なのに……。

 

「あなたが話しづらいのでしたら、やっぱり私から二人に話します。二人はきっと、全てを知りたいはずだから」

 

 そんなふうに労わる必要なんてないはずなのに。

 

「い、いえ……。私が、私からお話しします……」

 

 ドクター・リューグナーは意を決したように息を吐いた。

 自分のしたことに対して後悔しているのかもしれない。それとも、この慈悲に満ちたナナを前にして、逆に恐れを抱いているのかもしれない。この先の己の処遇を案じているだけかもしれない。

 とにかく彼女は、ミネルバ乗艦時の姿は見る影もないほどに小さく縮こまっている。

 

「そう、ありがとう。シン、ルナ……私があなたたちに知って欲しいと思ったから勝手に話を進めちゃったけど、聞いてくれる? ドクター・リューグナーの話」

 

 知りたいとか知りたくないとかじゃない。話させたい……この全てを知っていながら真実を歪ませ続けた女に全てを吐かせたい……そう思った。

 少しだけ、残酷な自分を恐れながら。

 

「もちろんよ!」

 

 それを振り払うように答える。ナナと、それからアスランに向かって。

 

「オレも……」

 

 シンもゆっくりと口を開いた。

 

「ナナとセアのこと、全部知りたい」

 

 今までの『自分から何かを取りに行く』感じではなく、どっしりと落ち着いて何かを待ち構えるように。

 

「では……」

 

 ドクター・リューグナーは乾いた声で語り出した。あの日の冷たく横柄な物言いではなく、ただひたすら強張った声音で。

 



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そして、真相

 

 ドクター・リューグナーはひたすら強張った声音で語り始めた。

 自身が脳科学と心理学の研究者だったところから……。

 

 ある日、双方の学問を研究する立場として発表した論文が学会の上層部の目に留まったことから、何故かデュランダル新評議会議長が直々に設けた『開発チーム』のメンバーに抜擢された。

 そこではコーディネーターに関する遺伝子研究を中心とした人体に関する分野や、薬学などの研究、実験が行われていた。

 不思議なことにそこに著名な教授や博士の名前はなかったが、研究内容は間違いなくプラント最高峰のものと思われた。もちろん、リューグナーなどこれまで関わったことがない高度な知識と技術で溢れかえっていた。

 それだけではない。ナチュラルが開発した『エクステンデット』の研究資料がスパイによってもたらされ、それについての分析を行い、開発にいかされた。

 だが、『開発チーム』と言われつつも、いったい何が“最終目標”であるのかは誰も教えてくれなかった。

 それに懸念を抱きつつも探求心には抗えず、徐々に倫理観が崩れていく自覚があった。

 

 ほどなくして、あの事故が起こった。

 

 自身は特段、オーブに対しても地球に対してもナチュラルに対しても、特別な感情を抱いてはいなかった。

 先の戦争後に一躍世界に名を馳せた『ナナ・リラ・アスハ』の存在も、特に気に留めることも無かった。

 自身にとっては研究が全てであって、正直、世界情勢などどうでもよいくらいだったのだ。

 そっちはそっちの専門家がやってくれればいい……と、そう思っていた。

 が、さすがにプラントで起きたあの事故には少しだけ感情が揺さぶられた。驚きと、同情。そんな単純な感情を、少しだけ。

 気に留めることがなかったとはいえ、『世界連合特別平和大使』の活躍はニュースで見ていた。こちらが気にかけなくとも、ニュースキャスターが頻繁に彼女の姿や声をこちらに伝えて来ていたからだ。

 だから、それほど世界に影響を及ぼす人間がプラント訪問中に「亡くなった」と聞けば、さすがに驚いた。

 しかも悲惨な爆発事故だ。ザフトの若い学生も多数犠牲になったという。

 焼野原になった軍事施設の跡地を見ると、痛ましいと思った。多少なりともそういう感情は持ち合わせていたのだ。

 が、世界連合特別平和大使がプラントで亡くなったからといって、やはり自分には関係ないとも思っていた。彼女の本当の存在価値なんて知らない。彼女を失った世界がどうなるかも関係ない。オーブとプラントがどうなるかも関わりがない。たとえまた戦争になったとしても……。

 

 しかし、すぐに事故とは無関係でいられない立場になった。

 プラントが正式にあれを『悲惨な事故だった』と発表し、同時にナナ・リラ・アスハの死を全世界に告げ、哀悼の意を表したその数日後……、研究所にそのナナ・リラ・アスハが運ばれて来たのだ。死体でなく、生きた状態で……。

 

 物流トラックに偽装したドクターカーからストレッチャーが降ろされた。そこに誰が乗っているのか最初はわからなかった。

 デュランダル議長からの連絡で、“特級患者”の受け入れ準備と……そして例の開発中の研究について実験の準備をしておくようにと言われていた。

 研究所の所長ですら、患者……いや、“被験者”の正体を知らされていなかった。そして気にも留めていなかった。皆、ようやく研究の成果を確認できると喜んでいただけだった。

 が、8人の医師と20人の看護師に付き添われて来たその“被験者”は、そこにいる誰もが知る人物だったのだ。世間に興味がないリューグナーでさえも……。

 “被験者”の皮膚は酷い火傷を負っていた。顔もただれ、髪も燃え、意識はなかった。だから、外見からはわからない。ドクターたちがある程度の治療を施した状態であったにもかかわらず、今にも息を引き取りそうに見えた。

 その“被験者”が何者であるのかを告げたのは医師たちでなく、同乗して来たデュランダル議長だった。

 彼はあっさり、“被験者”の名を告げた。そして、“彼女”の死の発表は偽りだったと言った。

 肌が粟立った。

 めったなことでは動揺しないタイプだと思っていたが、この時はさすがに全身に冷や汗をかいた。

 そして同時に、この先の未来には“栄誉”と“罪”の両方を手にした自分がいるのだと悟った。恐らく、周囲に突っ立っていた他の研究者たちもそうだろう。ただ単に興味を示して、“栄誉”だけを予感するような愚か者は居なかったはずだ。

 そんな中、“被験者”が収容されたICUで、デュランダル議長は特に口止めの台詞で前置きするでもなく、全てを語った。

 

 あの事故の直後、直ちに軍のレスキュー部隊が駆けつけた。が、爆発の威力は凄まじく、形を遺す物はほとんどなかった。

 全世界に向けた映像で映し出されたとおり、あのままの光景……燃え残った瓦礫以外は何もない状態だった。

 だが、彼らはみつけたのだ。元はモビルスーツのコックピットのパーツだったものを。

 この時すでに、評議会を中心とする緊急対策本部が立ち上がっていた。

 情報が錯綜し、何より『平和大使』の来訪中の事故ということで、戦時中のような緊迫感が漂っていた。もしかすると彼女に対するテロ行為かもしれない。その犯人がプラント側である場合、ともすればオーブや世界連合から報復を受け、再び戦争が起こる可能性がある。

 誰もがその事態を恐れる中、デュランダル議長はレスキュー部隊の隊長に密かに個別の連絡を入れたという。

 

『世界連合特別平和大使ナナ・リラ・アスハに関することは、どんな内容であっても直ちに直接自分宛てに報告するように』

 

 と。

 もちろん、先に情報……、いや“結果”を知り、受け止め、緊急対策本部としての決定をスムーズに行うためだった。対オーブ、世界連合、ナチュラル、地球……ナナを愛する全ての者たちへの第一声を相応しいものにするために。

 が、もたらされた“結果”は思いがけぬものだった。

 誰もが予想していなかった世界連合特別平和大使の『生存』。

 デュランダル議長はとっさに決断したという。この事実を自分の懐に仕舞い込もう……と。

 

 そんな恐ろしい経過を、デュランダル議長は研究員たちの前で惜しげもなく発表した。特に悪びれるでもなく、少し笑みを浮かべながら。

 そうしてとうとう告げたのだ。ついに、この『開発チーム』の最終にして最大の目的を。

 

『ナナ・リラ・アスハを“別人”として生まれ変わらせること』

 

 ざわめきは起こった。天才たちも人の子である。自身の内に残っていたわずかな倫理観に揺すられたのだ。

 リューグナー自身もそうだった。

 これまでこの開発チームが行ってきた『生きている人間の遺伝子の一部を後から書き換える研究』そして『記憶を操作し、精神、人格を完全に別の人間に書き換える研究』は、まさかこのような形でいかされることになるとは……。

 が、やはり、探求心と自己顕示欲が道徳に勝った。

 誰もがそうだった。

 ざわめきの波はすぐに収まり、皆、デュランダル議長の真の目的を聞くこともせず、意向をまるごと汲み取った。

 

 そうして、医療チームによる救命、生命維持と並行して、ナナ・リラ・アスハの遺伝子及び人格置換プロジェクトが発足した。

 『プロジェクト・バハローグ』……いつしかデュランダル議長が正式にそう名付けた。

 むろん、これは極秘のプロジェクトであり、ひとりひとり、入所時に書いた誓約書とは別に一筆書かされた。直接、デュランダル議長の目の前で。

 それでも、うしろめたさは無かったというのが正直な感想だ。他の研究者も、思い悩む者はなかった。

 ただひたすら、研究の成果に向かって邁進した。

 ナナ・リラ・アスハを別人にして、デュランダル議長が何をしようとしているのかなんてどうでもよかった。それで世界がどうなるのかも。ナナを失った知人たちが悲観に暮れていることも想像しなかったし、その後、万が一再会を果たしたとしてもどうなるのかなど考えることも無かった。

 実験は非常に精力的に進められた。

 “被験者”の意識レベルが回復しない状態で、薬物の実験を行った。不完全だった研究が、幸か不幸か徐々に成果を上げ始めた。

 これはまだ不完全ではあったが、成功例があったのだ。

 『ラクス・クライン』である。

 全く外見の異なる少女を、手術と薬物で『ラクス・クライン』に変身させた。

 この『開発チーム』の面々は、そちらの極秘プロジェクトにも関わっていた。

 もっとも、遺伝子は当然ひとりひとり異なるため、『ラクス』と全く同じ施術はできなかった。が、確実にその経験は生かされた。

 頭皮の火傷の回復と共に、少しずつ変わって行く髪の色。瞼の下で変化する瞳の色。

 皮膚の治療とともに黒子などを消すことはた易かったから、“被験者”は回復と共に徐々に別人の姿になっていくようだった。

 デュランダル議長の指示で、敢えて整形手術で顔を変えることはしなかった。

 その理由も、誰も気に留めなかった。聞いても答えは得られなかっただろうが、一番の理由は「整形などつまらない」からだった。

 

 意識レベルが回復してくると、今度は人格再形成の実験も同時に行われた。

 ここで、リューグナーの研究が日の目を見た。

 完全に覚醒させる前に、脳に軽い電流を流して海馬を刺激しつつ薬品を試す。

 さらにエクステンデットの実験を応用し、記憶を別の人格のものとして上書きしていった。

 方法は、薬物を投与した半覚醒の状態で映像を見せ続けることだ。父母との生活、友との会話、生育環境で目にしたあらゆる景色……。この開発チームができた時にはすでに存在していた何気ない日常を撮った映像のうち、『10代の少女向け』のVTRだ。

 さらに追加で、細かい設定の映像がどこかで作成されて毎日のように送られて来た。途中から『軍人家系で本人も士官学校生』の設定になったのは興味深かった。

そのほとんどが意図的に作成されたCGである。音声もAIが作り出した。が、記憶として擦り込むには十分な出来だった。確実に、“彼女”の一生が絶えずスクリーンに映し出されていた。実験室の外側から見ているこちらも、まるで“彼女”の生い立ちを覗き見ているかのような感覚だった。

 映像は断片的であったが、そこに懸念はなかった。“被験者”には、事故の後遺症でところどころの記憶が消失していると言えばよかった。

 さらに“思い出”を上書きした後には、新たな性格の上書きも試みた。

 相手……たとえば家族や友人たちとの『会話』から、自身が控え目で小心者というイメージを植え付ける。後にVTRは進化して、自身のモノローグが“彼女”の声で流れるようになった。

 

 それを数か月間繰り返した。1秒の休みもなく。

 薬物や電流で無理やり半覚醒状態を続けさせたのだから、苦痛を与え続けたことになる。

 が、プラントの医療技術と彼女自身の生命力で、彼女の身体は回復していった。

 皮膚は元に戻った。その他の外傷も。遺伝子の部分操作という新技術も、薬がうまく作用して彼女の身体に馴染んだ。

 最後に見せたのは、“彼女”の最後の記憶となる場面だった。

 その日、彼女は士官学校の講堂で友人たちと共に『世界連合特別平和大使』のスピーチを聞いていた。これは実際の映像を使った。

 自分が話している映像を見て“彼女”がどうなるか……は、この実験の最後の賭けだったが、全てはデュランダル議長の指示だった。

 事故の再現はしなかった。最後の思い出がナナ・リラ・アスハであるように……。それもデュランダル議長の指示だった。

 

 そしていよいよ、彼女を一度眠らせて“事故後に意識を取り戻した”状況を作り出すことになった。

 すっかり閉ざされた場所で何か月もの間、極秘の研究・実験に明け暮れていたリューグナーたち開発チームのメンバーと医療スタッフの面々が、固唾を飲んで見守った。

 睡眠剤を点滴で投与した後、その効果が切れるのを待って彼女を自然に目覚めさせた。

 外から爽やかな風が入る清潔で心地の良い病室で、彼女は瞼を開いた。

 一同はその様子を別室でモニタリングしながら、身じろぎひとつしなかった。

 やがて看護師が病室へ入り、彼女の覚醒に気づき、声をかける。

 まずはまだぼんやりとしている彼女に優しく状況を説明する。士官学校で事故に遭ったこと。長い間、意識が無かったこと。医師たちの懸命の治療のかいあって、もう命に別状はないこと。

 そうやって安心させてから、手はず通り問いかけた。『名前を言えるか?』と。

 

『セア……アナスタシス……です』

 

 彼女は弱々しくも戸惑うことなく、“自分の名前”を口にした。

 リューグナーたちは歓喜に沸いた。

 デュランダル議長が授けた名を、彼女は産まれた時から自分のものだったかのように名乗ったのだ。

 古い地球の言葉で、セア=姫、アナスタシス=復活の……。

 さすがに酷い皮肉だとリューグナーさえ思ったが、それを名乗る彼女を見て何故だかしっくりきた気がした。

 

 そこから彼女の周りに広がるのは偽りの世界だった。

 不思議と、リューグナーたちチームのメンバーはそれが真実だと受け入れた。

 彼女は“セア”だった。

 あの強烈な光を放ち、声を響かせ、凄まじい風を起こしたナナ・リラ・アスハの欠片は、セアの中には全く残っていなかった。

 彼女は徐々に傷が癒え、体力が戻っても、セアのままだった。最初の絶望を乗り越え、慰めを得て希望を見出しても、セアのままだった。

 自分をコーディネーターとして疑わなかった。自ら軍人家系の家に産まれたと、家族のことを語った。ザフトの士官学校に通っていたことも、そこでできた友達のことも話した。

 リューグナーが中心となって、何度かテストを行った。本人にはメンタルチェックとことわったうえで、「士官学校で一番楽しかった思い出は?」などと聞いたりした。

 セアの答えは、作られた映像の内容そのものだった。あたかも自身の記憶を掘り起こすかのようにして、ゆっくりとそれを語る。真の思い出として、自身の脳を少しも疑わない。

 『成功』のに文字に、皆、酔っていた。もちろん、リューグナー自身も。

 『奇跡の生還』を遂げた少女の見舞いと称して、頻繁に様子を見に現れたデュランダル議長もご満悦だった。

 セアはデュランダル議長に懐いた。

 といっても、彼女は“引っ込み思案で控え目な性格”が擦り込まれている。

そう……、はたから見られたナナ・リラ・アスハとは真逆の人格だ。懐くというよりは恐縮しながら信頼を寄せているといったところだったが、デュランダル議長は満足そうだった。おそらくその従順な姿こそが、彼の目的だったのだろう。

 そうして薬と誘導と監視の日々が繰り返され、セアは回復した。

 そして、頃合いを見計らって議長がモビルスーツのパイロットへの道を示した。

 セアは遠慮がちにそれを受け入れ、議長に心から感謝の意を示した。

 リューグナーは“担当医”として、彼女の訓練に常に同行した。

 正直モビルスーツには興味がなかったが、“被験者”の行動には大いに興味があった。そして責任も。

 セアは初めこそ戸惑いを見せたが、すぐにシミュレーターを乗りこなした。モビルスーツの適性検査に進むのにも、それほど困難な障害はなかった。

 そのあたりはリューグナーの専門外だったが、彼女が叩き出すスコアはザフトの基準をクリアしていた。

 事情を知らされている教官たちはともかく、おそらく彼女の正体を知らない兵士たちも、彼女の腕を認めた。

 彼女がナチュラルであると見抜く者は無かった。ナナ・リラ・アスハ本人ではないか……と疑う者も皆無だった。

 「似ている」「面影がある」という声は上がった。実際、気さくで無遠慮な者たちは本人にそう話しているのを見た。

 これも“試験”だった。そう言われてセアがどういう反応を示すのか……。

 リューグナーは目を光らせた。自分が植え付けた人格が揺らぐのは見たくなかった。

 が、心配は無用だった。

 セアはナナの名が出るたびに恐縮して戸惑い……いや、恐れ戦き、自身の存在を消すかのように身を縮めた。

 もちろん、薬の服用は必須だった。彼女の遺伝子に合わせて生成された薬を飲み続けなければ、無理やり書き換えられた遺伝子と彼女の元来の遺伝子が拒絶し合って彼女の身体を壊すだろう。

 人格の部分は問題がなかった。あの長かった施術で完全にナナの記憶は封印されている。

 あとはフラッシュバックを起こさないよう、余計な刺激を与えず、ナナの記憶に結びつく者から遠ざければよかった。

 リューグナーはその監視役だった。

 どちらかといえば、開発チームでは末席だった自分が、プロジェクト・バハローグの中心人物になっている……そんな達成感と使命感があった。

 当然、その歓喜は表に出すこともない。それがまた、デュランダル議長の気に入る部分だったと自負している。

 やがて、セアがパイロットとしての訓練を終えた時……デュランダル議長は彼女に指令を下した。新型モビルスーツ『レジーナ』のパイロットとして、新造艦ミネルバに乗艦するように……と。

 リューグナーも、議長からセアの専属ドクターとしてミネルバに乗艦するよう直々に指令を受けた。

 いよいよ開発チームの手を離れ、彼女は飛び立つ。これからが本当の『プロジェクト・バハローグ』の始動だと、人知れず心が昂った。

 そして誰もこのプロジェクトの本当の意味を深くは考えなかった。

 

 ミネルバにはセアと同じ年頃の赤服の兵士が乗艦していた。

 レイ、シン、ルナマリア……彼らのうち、レイはデュランダル議長が目をかけている少年で、『プロジェクト・バハローグ』の“真意”を知る者だと聞かされていた。

 戦闘中はリューグナーの目が届かない。そこをカバーするのが彼の仕事なのだと思った。

 セアは当然、彼らに対しても初めは“人見知り”をしていた。

 事情を知るはずもないシンとルナマリア、彼女の妹のメイリン等は、やはり最初に「アスハ大使に似ている」と言った。同じことを言うクルーも少なくはなかった。

 リューグナーは全ての瞬間に目を凝らした。

 が、セアは相変わらず“アスハ大使”とは似ても似つかぬ様子だったから、興味を持ち続ける者は一人も居なかった。さざ波はすぐに収まった。

 この“成功”にほくそ笑む訳ではなかった。安心もしない。任務なのだから。

 だんだんと彼らや他のクルーたちと親しくなっても、セアはセアだった。真の記憶を呼び覚ますことはなく、ナナの影は一瞬たりとも現れることが無かった。

 

 そしてミネルバがめでたく進水式を迎える前日、事件は起こった。

 デュランダル議長が訪れているただ中、アーモリーワンへの奇襲があり、セアはシンとともに撃退任務に就くことになったのだ。

 リューグナーにはかすかな懸念があった。もっとも、心情的なものではない。研究者として、“被験者”の状態を慮るにすぎなかった。いわば興味や好奇心のような感情だ。

 “再び”実戦に出ることは、過去と繋がることになる。その結果がセアにもたらすものは何になるのか……、懸念と興味があった。

 しかし、セアは何も変わらなかった。

 訓練通りにレジーナを操り、怪我もせずに帰って来た。任務が成功だったかどうかはリューグナーの知るところではない。ただセアがセアとして無事に戻って来ることだけが重要だったのだ。

 が、帰還を聞いて密かに安堵と歓喜したのも束の間、また“過去”が現れた。

 それは、カガリ・ユラ・アスハの存在だった。

 以前は義理の姉妹……という関係のはずである。その特別な繋がりは、科学を越えた何かを産み出すのではないかという懸念と興味を抱いた。

 が、やはりセアはセアのままだった。かつての義妹に対しては『アスハ代表』という認識だったし、その存在に怯えてさえもいた。親しみなど一粒もなかった。

 念のため検査を繰り返したが、数値は何の異常も示さない。

 後に、議長からアスハ代表に付いているボディーガードの男も、かつてナナ・リラ・アスハと親しかった者だ……と教えられたが、彼に対してもセアはただの『知らない男』という認識だった。

 ストレスは感じていたようだ。

 急に実戦に放り込まれ、艦にはオーブの要人が乗っている。おまけに彼らから“ナナの面影”を感じて戸惑われたという。

 対人恐怖症の人格を少々強く埋め込まれ過ぎた彼女にとっては、そうとうなストレスだっただろう。

 が、それこそがリューグナーが心血を注いだ開発と研究と実験の成功を意味していたのだった。

 

 やがて、オーブに送り届けたはずのアスハ代表の護衛が復隊し、『アスラン・ザラ』としてミネルバに乗艦した。

 過去のピースが目の前にちらついている状態で、セアはどうなるか……。共に戦うという点では、以前より彼との距離は近くなる。また懸念を抱いたが、デュランダル議長の意向なのだから仕方がない。リューグナーは念のため注意をはらった。

 メディカルルームの自室に付けた艦内モニターでセアを監視し、アスランと親しく話す様子があればメディカルルームに呼びつけるなどして引き離した。

 二人でナナ・リラ・アスハのことを語られるのはまずかった。

 アスランにとって『セアはナナと別人である』という認識がある以上、セアという人格を確立させることになった。が、当然のことながらリスクでもあった。

 脳への施術は完璧だ。服薬も管理している。検査も問題ない。

 懸念はしていたが、リューグナーはセアが壊れることはないと……そう思っていた。

 

 無論、戦況などどうだってよかった。

 たしかに艦はクレタで甚大な被害を受けたが、リューグナーが注意すべきはセアへの影響だけである。

 セア自身はずっと無傷だった。

 周囲がザフトで訓練されたコーディネーターのパイロットであるにも関わらず、セアは遜色なく任をこなしていた。ただひとり、その身体はナチュラルであるのに。

 そうしてナナ・リラ・アスハへの畏怖を抱いたのはベルリンあたりだ。

 コーディネーターのパイロットが機体を損傷させ自身も負傷していても、セアはレジーナを戦闘不能にさせることはなかったし、自身も怪我を負うことはなかった。そして誰も、彼女がナチュラルの身体であることに気がつかなった。

 技術的なことはわからないものの、改めてナナ・リラ・アスハの能力に脱帽した。

 議長もそうだった。

 セアの報告をするたびに、彼はプロジェクトが順調に進んでいることを喜んだ。そして、リューグナーも感じていたように、ナナ・リラ・アスハとの“相違と一致”に満足していた。

 

 しかし、事態は急速に悪化した。

 セアがアスラン・ザラに心を開きつつあったのだ。

 実際、そう特別な関係には成り得なかった。ただの上官と部下。同じ隊の仲間。そんな程度ではあった。

 が、リューグナーは嫌な予感がしていた。議長からも、「問題は起こらないとは思うがアスラン・ザラだけは気を付けるように」と釘を刺されていた。

 何がそうさせたのかはわからない。アスラン・ザラもセアの中にナナを探すような馬鹿な真似はしなかったはずだ。セアだってどちらかといえばレイのほうを信頼していた。

 “過去”に二人がどういう距離感だったのか、リューグナーは詳細を知らない。議長からただ「親しい関係だった」と聞かされていただけだし、自身もそういったことに全く興味はない。

 だからこそ……だ。

 少しの時間、空室にしたメディカルルームに二人がいる光景を目にした瞬間に、強烈な違和感を抱いた。

 リューグナーの知らない空気……。それがそこにあったのだ。

 その頃から、セアの目つきが変わった気がした。

 検査は異常ない。受け答えもいつもどおりだ。視線を彷徨わせ、言葉を慎重に選んで発言する。自分に自信がなく、誰かの指示を求める。一見、変わらず彼女は“セア”だった。

 しかし今まで臆病で従順だったセアが……そういうふうに作ったセアが、自分の頭で考えようとしていた。意志をもとうとしていた。

 そして疑問と不安を抱いていた。軍へ……本国への。

 アスラン・ザラの影響だと思った。それしか考えられなかった。二人が話すようになって、セアが変わったのだと……。ナナ・リラ・アスハの部分がかすかに眠りから目覚めようとしているのかと恐れた。

 セアが“彼女”に憧れを抱いていたことは知っていた。むしろそう人格プログラムされていた。

 最後の記憶もナナ・リラ・アスハのスピーチのはずだった。

 それの映像も繰り返し脳に与えた。何度も、何度も……彼女の一言一句を暗記するほど。

 そのほうが「面白い」と議長が言ったからだ。セアにとってナナは憧れだと面白い……と、議長が言った。それこそがプロジェクトの“成功”に繋がる……と。

 だからセアがナナ・リラ・アスハのことを誰かに語っても、それはむしろ“成功”だった。議長にとっては。

 当然、憧れを抱いている限り、その対象は“他者”である。それを自分であるとは微塵も思うまい。

 

 それでも、セアが“ナナを取り戻す”とは考えなかった。アスラン・ザラも、セアがナナだと知ることはないと思った。

 だが、リューグナーにとってその空気は不快だった。命を懸けた研究に対して邪魔でしかなかった。いくら議長が“成功”とおっしゃっても……。

 だからリューグナーは、議長への報告書に初めて所見をしたためた。これまでただ事実、結果だけを記述していたのだが、不快感の八つ当たりをするようにして所見を書いた。

 

 その直後、事態は最悪の展開になった。

 ジブラルタルの基地からセアが去ったのだ。アスラン・ザラと共に。

 自身の懸念の通り、とか、予見した通り……とか、そんな爽快感はまるでなかった。

 ただただ驚愕した。プロジェクトの失敗という事実に。

 まさかそんなことになるとは思わなかったのだ。

 確かに懸念もし、所見も書いたが、セアが自分の手を離れて行ってしまうなど考えもしなかった。

 第一報を聞いた時点では、セアが自身の意志で脱走したのか、それともアスラン・ザラにかどわかされたのか、彼の人質として無理やり連れ去られたのか……それはわからなかった。

 が、リューグナーは理由が何にせよ、プロジェクト・バハローグが破綻したことを知った。

 セアが手元から去ったのは事実。アスラン・ザラのせいで。アスラン・ザラのせいで……。

 引き離すべきだったのだ。そう、議長に早く進言すればよかったのだ。毎日監視を行っているのは自分だったのだから。「楽しんでいる場合じゃない」「成功どころか失敗につながる」と、危険を冒してでも強く警告すべきだった。

 最悪の展開だ。

 レイがシンと共に追撃に向かったと聞いた。

 レイはプロジェクト・バハローグの全てを知っている。恐らく自分よりも詳細に。

 だからきっと、命を懸けてでもセアを連れ戻すだろう。あるいは……。

 酷い嵐の中、その“成果”を聞いて心はもっと荒れた。

 

『セア・アナスタシスの抹殺』

 

 その続報は議長から告げられた。そしてリューグナーは本部の兵に拘束され、人知れず議長の艦の一室に軟禁され、そのまま宇宙の要塞『メサイア』に収容された。

 もちろん、ミネルバのクルーに別れを告げる暇はなかったし、必要だったとも思わなかった。

 それからは特に尋問されることもなく、口封じとして抹殺されることもなく、しばらくの間メサイアに監禁されていた。

 外からの情報は全く無かった。

 相変わらず戦況に興味はなかったが、セアが本当に死んだのかだけは知りたかった。が、それも叶わず……。

 曖昧に流れる時間の中で、リューグナーは真剣にプロジェクト・バハローグの真の“成功”とはなんだったのかを考えた。

 ミネルバに乗艦する直前、それは議長の口から聞かされていた。

 

『セア・アナスタシスが戦場で“かつての仲間”と敵として相見えたとき、彼らを動揺させる。特に、あの最強のアークエンジェルとフリーダムがもし現れたのなら、セアを切り札にして討ち取りたい』

 

 聞いたときはなんて稚拙な目的だろうと思った。

 “かつての仲間”とやらが都合よく敵としてセアの前に現れる状況になるのか。彼らにセアが対峙して、「ナナ・リラ・アスハに似ている」というだけで動揺を誘えるのか。それがきっかけで戦況を優位な展開に持ち込むことができるのか。

 全てが不透明。幻想だ。そう思った。

 が、最高評議会の議長ともあろう人が、至極真面目にそれを語る。極秘の最終目的として、セアの専属ドクターとなった自分だけに……。

 しばらくはからかわれているのかと思った。真の目的を隠すため、適当な説明であしらっているのかと……。

 しかしそうではなかった。

 議長は本気だった。本気でこの“仕掛け”をいかそうとしていた。

 きっと偶然などではないのだ。彼は予感していたのだろう。いや……おそらく意図的にその状況を作り出す用意があったのだ。

 その彼の意図かどうかはわからないが、実際に再び戦争は起こった。そしてセアは最前線で敵と戦い、本当に目の前にアークエンジェルとフリーダムとやらが現れた。

 議長が望んだとおりの展開になったにも関わらず……プロジェクトの完成を前に“被験者”を失ってしまった。

 議長の怒りはいかばかりか……。

 噂では、他の開発チームの研究者たちもメサイアに捕まっていると聞いた。

 皆、殺されるのだ。この戦争が終わったら。議長から責めを受け、口封じのために、一人残らず殺されるのだ。

 勝っても、負けても。

 

 これは罰なのだろうか。

 ひとりの人間の人格を壊し、こちらの意図するそれを植え付け、記憶を奪い、姿も変え、親しい者たちと別離させた。

 そのことへの罰なのだろうか。

 孤独の中で考えた。

 命令されただけ。研究は完成した。実験は成功だ。きっと後世の役に立つ成果をあげたのだ……。何故殺されなければならないのか。罪など無いはずだ……。

 あの子のせいだ。あの子が従順であったなら……。いや、あの子は従順だった。環境が悪かったのだ。

 想定外のことが起きた。かつて親しかった“義妹”であるカガリ・ユラ・アスハやアスラン・ザラと再会してしまった。何事もないままに二人と別れたのに、アスラン・ザラは再びミネルバに現れた。

 初めは彼の存在に戸惑っていたあの子は、徐々に心を開き始めた。それでも実験は失敗ではなかった。うまくいっていた。何故なら、話す機会が増えてもレイたちほどには親しくならなかったのだ。

 アスラン・ザラも、当然あの子の姿には抵抗があるように見えた。

 それでも警戒はしていた。艦内のカメラをモニタリングして、アスラン・ザラとセアが二人きりにならないように気を付けた。徐々にその機会は増えてはいったが、問題になるほどではなかった。ただ嫌な予感が不快だっただけだった。

 それなのに、それなのに……、あの子は少しずつナナ・リラ・アスハへの慕情を膨らませていった。アスラン・ザラの影響か、戦場で感じたことか……原因はわからない。「検査」と称していろいろ調べてもわからなかった。

 だから排除したかったのだ。アスラン・ザラを。

 そう、あの子は悪くない。悪いのはアスラン・ザラという存在だ。

 いや……。彼をあの子に引き合わせた人物だ。デュランダル議長が悪いのだ。

 自身の戯れか、計算違いか、思い違いか……そのせいではないか。

 せっかく実験は成功していたのに……。

 だったら殺される理由はない。やはり自分に罪はない。

 死にたくない。生きたい。殺されるのは嫌だ。

 自分がこれほど生に執着しているとは思わなかった。だが、怖いというより悔しかった。どうしても、死ぬのは嫌だった。

 

 が、軟禁生活は急に終わりを遂げた。

 急に部屋が……いや、要塞全体が大きく揺れ始めたのだ。

 機動要塞ということは知っていた。だがそれは、目標に向かって動いているような揺れではなかった。明らかに攻撃を受けている。

 メサイアは最後の砦だと思っていた。ザフトの最高にして最強の要塞と聞いていたはずだ。

 それが、ある程度の苛烈な戦闘になっても安全なはずの居住区がこんなにも揺れるほど攻撃を受けている。

 死を感じてゾッとした。手足が冷え、内腑が震えた。

 ザフトが、議長が、負けるわけないと思っていた。議長が唯一懸念していたアークエンジェルは倒したはずだ。

 だが、座っていられないほどの揺れになり、ライトが消えた頃、はっきりと死を悟った。

 ザフトが負けたわけじゃなく、メサイアが放棄されただけだとしても、自分に待つのは死だけなのだ。

 手で扉をこじ開けた。

 すでに要塞内のシステムはダウンしていたから、ロックも外れていた。

 非常灯だけが灯る薄暗い通路に出ると、同じように隣の部屋、その向こうからも人影が現れた。

 開発チームのメンバーだった者たちだ。

 が、再会を喜び合うつもりはなかったし、その時間は与えられなかった。

 向こうから壁に手をつきながらどうにかバランスを保って歩いて来る兵士。彼は一番近くにいた人を躊躇なく銃で撃った。

 撃たれたのは開発チームの所長だった男だ。

 悲鳴が上がる。だが、逃げたくても揺れる床に手をついて這いつくばるのがやっとだ。

 兵士も同じように身動きがとれないまま、それでも徐々にこちらに向かいながら、またひとりを撃った。

 なぜだ……と叫ぶ者がいた。兵士は答えた。「命令だ」と。

 やはり……、勝っても負けても、口封じのために皆殺しにされるのだ。

 どれほど強く唇を噛んでも、走って逃げることはできなかった。

 またひとり撃たれた。

 あと二人。

 隣の部屋だった男がこちらに向かって走り出そうとして、顔から転んだ。

 天井がひび割れ、どこからか煙が漂う。

 またひとり、撃たれた。

 転んだまま起き上がれぬ男がこちらを見た。絶望の目だ。

 自分はああなりたくない。あんな惨めな姿は嫌だ。世界で最高峰の研究を成し遂げたのに。実験は成功だったのに……。

 いや、成功ではなかった。

 だからこんなめに遭っている。

 セア……。

 隣の男が撃たれた。ついに、兵士が自分を見る。

 セア……。あなたさえ自分の元にいてくれたら……。

 銃口がこちらに向いた。

 セア……。私があなたをもっとコントロールできていたら……。

 下から突き上げるような揺れに、兵士はよろめいた。が、懸命に引き金に手をかける。

 セア……。あなたがもっと私を信頼してくれていたら……。もっと私を……。

 “何か”に気づきかけた、その時……。

 終わりの銃弾は飛んでは来なかった。兵士は引き金を引くことなく、天上から降って来た瓦礫の下に埋まったのだ。

 身体が動かなかった。すぐ側にも壁や天井の破片が落ちる。床も割れる。煙も視界を遮る。

 セア……。

もう一度、あの子のことを思い出した。

 漏れ出そうになった言葉が、自分を突き動かした。

 走って、いや、這いつくばって、どこかへ向かった。要塞の構造はわからない。だが、懸命にどこかに向かって進んだ。

 どのくらい時間が経ったのかわからなかった。だがそのうちに何故か奇跡が起きて、脱出する兵士たちの集団と出会うことができた。

 彼らは自分の抹殺命令を受けていなかった。

 傷ついたシャトルでメサイアを出た。

 宇宙は明るかった。メサイアが燃える灯りだ。

 議長はどうなったのか、周りの誰も知らなかった。ただ戦況は誰もが知っていた。

 負けたのだ。ザフトは。コーディネーターは。

 泣く者があった。だが彼らと悲しみを共有できなかった。死の間際に知った“最期の言葉”に、ただ失望していた。

 

 シャトルは撃沈を免れたザフトの戦艦に拾われた。そこでミネルバの最期を知った。そして、最終局面がどうであったのかも。

 とはいえ、自分は兵士ではないので、他の兵士たちが話しているのを聞いただけだ。

 だからアークエンジェルが現れたとか、ラクス・クラインが起ったとか、そういう話はやはりよくわからなかった。

 が、議長は死んだ。恐らく唯一自分の命を狙う者は死んだのだ。

 誰とも親しく言葉を交わさないまま、非戦闘員として早い段階で本国に返された。

 開発チームが居場所だった自分には、帰る場所などなかった。

 だが、心配せずともすぐに最高評議会から出頭命令が下った。

 議長のいない最高評議会……。そこが今、何を知って何を目的としているのかわからなかった。

 だから逃げた。

 家族や親せき、友達もいなかったから、研修者の知人を頼って逃げた。もちろん開発チームのメンバーの縁故は避けた。口封じの手がまだ引っ込んではないと考えた。

 そのうち、一時的な隠れ家を提供してくれた研究仲間の一人が、ある男を連れて現れた。

 シーカーという名のジャーナリストだった。彼はバハローグの事故の真相を追っていると、そう言った。そして……『プロジェクト・バハローグ』の真の目的を探っている……と。

 警戒はしたが、抵抗はしなかった。

 かくまってくれている研究仲間がシーカーからそう少なくない金を受け取っていることはわかっていたし、このまま永遠に身を隠せることもないと思っていた。

 だから、シーカーの話を聞くことにした。いや、シーカーに話をすることにした。

 世間では、“本物の”ラクス・クラインが停戦を呼びかけ、事実上そうなっていると聞いた。あれほどの無様な大敗を目の当たりにしたのだから、今さらその結果と現状に興味は無かった。

 隔離された日々の中で、余計な情報が入って来ないことは都合が良かった。

 が、知りたいことがあったのだ。

 おそらく、プラントの人間には知り得ないこと。ザフトの人間でも、その“行方”を知っているとは思えないこと。

 だから、シーカーに出す条件はひとつだった。

 

『セア・アナスタシスの最期を確認して欲しい』

 

 それだけだった。それしか知りたいことはなかった。

 ジャーナリストとして世間の裏側まで嗅ぎまわる男なら、あるいはツテを辿って彼女の最期について調べられるかもしれないと思った。

 ジブラルタルの基地から脱走したザフトのモビルスーツが友軍に撃沈され、その後どうなったのか……。あの嵐の夜に海上の争いを目撃していた者は少ないだろう。

 処理したのはシンとレイだったと聞いた。だから二人に聞くしかない。

 二人がどうなったのか知らない。シーカーは二人のうちどちらかを探せるだろうか。レイはきっと口を閉ざすから、シンを当たってくれるといい。どうにかザフトの情報元に接触して……。

 恐らく簡単ではないだろう。最高評議会も国防委員会もザフト中枢も未だ混乱しているはずだ。だがシンとレイはエース級のパイロットになっていたはずだから望みはきっとある。そう思った。

 それに、ここにいてもいつかは暗殺の手が伸びるはずだ。議長の怨念がまだどこかに残っているかもしれないのだから。

 次の生き延びる一手は自分で打たなければならなかった。世界を震撼させるほどの情報と引き換えにしてでも……。

 だからシーカーに全て話すことにした。この情報を彼がどう扱うのかはどうでもよかった。バハローグの事故を追って“自分”まで辿り着いた彼の手腕に賭けることにした。

 彼は断片的に情報を得ていた。極秘とされていたはずのそれを、確かに握っていたのだ。

 研究仲間が漏らしたのだろう。メサイアに捕まっていた者以外に、退職した者もいれば逃げおおせた者もいるだろうから。あるいは、初めにナナ・リラ・アスハが運び込まれたホスピタルの連中か。その両方か。

 関わった連中は、議長が死んだことでかん口令が破棄されたたと考えたのだろう。もしくは自分と同じように、自身の命の防衛策をとったか。あるいはただの欲か……。いずれにせよ情報と引き換えにシーカーから大金を受け取った可能性は高いと思われた。

 そのおかげか、すでに彼の中ではバハローグの件はナナ・リラ・アスハの暗殺ではなく、本当に事故だったという結論に達していた。 

 だから自分には、『プロジェクト・バハローグ』ではナナ・リラ・アスハに関する何の研究を行って来たのか……と、そう具体的に問うてきた。そして彼が独自に掴んだという『ナナ・リラ・アスハの“遺体”がデュランダル議長の施設に運び込まれた』という噂の真相を聞きたがっていた。

 そこまで知り得ているシーカーに初めから全てを話した。恐らく、彼女があの事故で生き延びたことも、その後に実験の対象になったことも、まだ知らない彼に。

 議長が立ち上げた『開発チーム』のこと。その研究内容も。そしてある日、あの事故が起こり、ナナ・リラ・アスハが研究所に運ばれてきたこと。自分たちに議長が命じたこと。『プロジェクト・バハローグ』の実行と、真の目的……。セア・アナスタシスの誕生とその新たな生。再び起きた戦争。そのさ中のセアの様子と、ジブラルタルの悲劇。

 シーカーは初め興奮していちいち詳細を確認してきたが、そのうち黙って聞くだけになった。

 その頃の彼の顔は真っ青だった。

 無理もない。彼は少なくともナナ・リラ・アスハは死んだと思っていた。研究所に運ばれたのは彼女の“遺体”であり、それを使った研究の内容を知りたがっていたのだ。

 シーカーは予想もしなかった真実に触れ、まさに驚愕していた。

 長い時間だった。コーヒーは二度淹れ替えた。休憩は一度だけ。

 両者少しだけ疲れて、渡すべき情報を渡し終えてから、こちらの要求を単刀直入に告げた。

 

『セア・アナスタシスの最期を確認して欲しい』

 

 と。

 シーカーはふたつ返事で了承した。おそらくザフトに想い当たるツテがあるのだろう。

 安堵した。いや、素直に嬉しかった。結果がどうであれ……“あの子”の最期をはっきりさせることができるのだから。

 と、その時。

 シーカーがタブレットの画面をこちらに向けた。これからオーブのアスハ代表による声明が発表されるとのことだった。

 自分には興味がなかった。オーブのことは。

 が、シーカーの仕事のうちには入るのだろう。誘われるがまま、それを観ることにした。

 そして見た。“あの子”を。

 “被験者”であり、“被害者”であり……、元世界連合特別平和大使であり、オーブのナナ・リラ・アスハであり……、ザフトのセア・アナスタシスであり、脱走兵であり、自分の……。

 今度はこちらが驚愕した。シーカーも彼女の登場に椅子から転げ落ちんばかりに驚いていたが、明らかに自分の方が動揺していると自負していた。息が止まり、全身が震えた。体温は一気に凍り付き、次の瞬間には沸騰していた。

 生きていた……。

 しかし彼女はセアではなかった。姿形はそうでも、彼女は“被験者”ではなかった。

 ナナ・リラ・アスハ……。かつて世界に平和を訴えたその人だった。

 初めに思ったのは、「彼女によって自分は訴追されるだろうか」……そんな惨めな思いだ。だが同時に「良かった」と思ったのもまた事実。

 大きな波が去ると、意外と冷静な自分に戻っていた。

 目的は果たされた。セアの生存は知れたのだ。その行方も……。

 が、シーカーに話したことを後悔してはいなかった。

 シーカーもジャーナリストらしく最初の動揺をすぐに押し込めて、興奮した顔つきに戻った。そして何かを思いついたような顔をしながら、必ずまた連絡すると言って去って行った。

 

 その言葉を信じてはいなかった。

 送り込まれるのはTVクルーか、評議会の“残党狩り”か、ザフトの議長麾下の生き残りか……、またはオーブからの刺客か。

 あれほど生に固執していたが、もうどうでもよくなった。

 目的は達したのだから当然だった。

 だが、そう日も経たないうちにシーカーから連絡があった。彼は切羽詰まった様子で「人生で最大にして最後の選択」を……と迫った。

 復活したナナ・リラ・アスハの容態が良くないらしい。オーブのメディカルチームはプロジェクト・バハローグの“副作用”と判断したようだ。もし彼女を救えるのなら、オーブはあなたを保護するだろう……ということだった。

 一瞬、返答を迷ったのは、警戒か遠慮か……自分にもわからなかった。

 だがすぐに言葉を繋いだ。「オーブへの亡命を希望する。そして必ずナナ・リラ・アスハの治療を成功させる」と。

 命が惜しかったのか、懺悔のつもりか……やはり、どちらの感情が強いのか自分にもわからなかった。

 

 だがしかし、シーカーの手引きでプラントを無事に脱出し、オーブに招かれ、ナナ・リラ・アスハに謁見した瞬間に悟った。

 「自分がこの人を救わなくてはならない」と。

 そこには確かに償いの想いも存在していた。こんな自分でも、ひとりの人間の人生を奪おうとしたことは大罪と理解している。与えられた避けられようのない任務ではあったが、己の倫理観を自らの手で壊して来たのもまた事実。当然、自分にできるのなら償おうと思った。

 だがそれ以上に感じたのだ。強烈な使命感を。

 理由はナナと少し話しをしてからわかった。何故なら、彼女はあまりに偉大だったのだ。

 寛大ではない。偉大だった。

 画面越しに受けるナナ・リラ・アスハの視線ではなく、スピーカー越しに聞くナナ・リラ・アスハの声ではなく、直に目にして耳にしてその空気を感じて……この人を死なせてはいけないと思った。

 自分にとって、ただの『世界連合特別平和大使』、ただの『オーブの要人』、だったその人が、どれほど大きな存在だったかを肌で感じ、圧倒されたのだ。

 遅ればせながら、多くの者が影響を受ける理由がわかった。オーブや地球の物だけでなく、プラントの人間でさえも……。そして彼女を畏れる理由もわかった。「オーブの魔女」などと呼んでいた者たちの心情も理解した。

 だから……この人を救おうと思った。治療が済んで、それが成功してから自分が収監されることになっても。プラントに送り返されることになっても。それでもナナ・リラ・アスハという存在をこの手で救おうと思った。

 彼女のように尊い人間ではないから、達成感や称賛、感謝を求める気持ちもあった。もちろん命は惜しかった。それでも嘘偽りなく、命を懸けて彼女を救おうと思っている。

 

 

 ひと息に長い時のことを話したせいで、ドクター・リューグナーの声は最後にはしわがれていた。

 その間ほとんど表情を変えなかったリューグナーだったが、最後にそっと目を伏せて、安堵したようにかすかに息をついた。

 



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誇れる自分に

 

 誰も、ひと言も口を挟まなかった。

 話し終えてからもしばらくは沈黙が流れた。

 

「ドクター・リューグナー、お話ししてくださってありがとう」

 

 皆の……いや、今聞かされたばかりのルナマリアとシンが落ち着くわずかな間を置いたかのように、少ししてナナが口を開いた。

 そして。

 

「これが全て。二人とも、どう思った?」

 

 軽い口調で問う。

 何気ない会話の中で意見を求められたくらいにあっさりとした問いだったが、その分、考えをまとめる前に、思ったことがすぐに口からついて出た。

 

「どう思うって……、そんなこと……、絶対に許せるわけないじゃない……!」

 

 この怒りがたとえナナ自身に導かれたものだとしても、素直に出さずにはいられなかった。

 

「アンタは全部を知っていて、オレたちと一緒にいたってことだよね?」

 

 シンも冷たく言う。

 

「ええ……。私はあなた方を欺いていました……ずっと……」

 

 リューグナーは目を伏せた。

 この時間を、この攻撃を、最初から受け止める覚悟があったようだ。

 

「人の人格を勝手に変えて……、ナナだけじゃなく、アスランやアスハ代表やみんなの人生をぶち壊して……、オーブからも世界からもナナを奪って……。こんなこと、許されるはずがない!」

 

 その流れに任せて、ルナマリアは湧いてくる言葉を全て吐き出した。罵るだけ罵った。

 誰も止めなかった。リューグナーも黙って聞いていた。シンも。

 

「あなたたちがしたことは絶対に許されることじゃない!!」

 

 最後にもう一度その台詞を叫んだ時、少し息が切れていた。

 自分の声が、いや、憎しみが部屋中に反響しているようだった。

 どう思われたってかまわなかった。自分の言葉は過激どころか、まだ言い尽くせないでいる。どれほど鋭い言葉も、彼女を傷つけるには不十分に思えた。

 

「ルナ」

 

 これ以上行き場のない感情を持て余して奥歯を噛みしめた時、ナナは言った。

 

「ありがとう」

 

 反射的に彼女を見た。

 

「シンも」

 

 目の前の女に全てをめちゃくちゃにされたはずのナナは、穏やかに笑っている。

 

「私たちのためにも怒ってくれて」

 

 そんな感謝なんかいらない。ナナの命が弄ばれたことへの怒りに比べれば、自分が欺かれたことなどどうでもよかった。

 が、その怒りを最も強く大きく抱いたはずのナナは、穏やかに笑っているのだ。

 

「ナナ……」

 

 その緩く笑んだ口元を見て、ルナマリアはようやく気がついた。この面会の意味を。

 ナナやアスランたちはとっくにこの段階を終えている。これは自分とシンのために設けられた場なのだ。

 何のために……。ただ真実を知らせるため……だけじゃない。こうやって真実に対する怒りを吐き出すためでもあったのかもしれない。

 

「許したの……?」

 

 自分でも驚くほどに簡潔な問いが口から滑り落ちた。

 

「全然……!」

 

 ナナが笑いながら首を振った。

 リューグナーは目を伏せている。

 

「こんなこと、絶対に許せるわけない」

 

 自分の言葉と同じ言葉がナナから吐き出された。が、温度は全く違っていた。

 怒りにほとばしる自分の言葉とは違う。ナナの「許せない」は常温だった。

 が、ナナは言った。

 

「だからちゃんと、償ってもらう」

 

 彼女のわずかな身じろぎで、車いすがキュっと音をたてた。

 そうしてやっと気がついた。

 

「コレ……、なんとかしてもらう」

 

 穏やかだが疲れた顔で、ナナはそう言った。

 

「私が……、命に替えても……、ナナ様をお救いいたします……」

 

 リューグナーも千切れそうな声を絞り出した。

 

「治るの?」

 

 「そんなことあたりまえだ」とか、「絶対に命を懸けろ」とか、ルナマリアが言う前に……、シンがそれらを薙ぎ払うように鋭く問うた。

 隣にいるルナマリアさえもドキリとした。残酷な問いをたしなめることもできなかった。

 代わりに、息を止めてリューグナーの答えを待った。怒りと期待と願いを込めて、彼女を尖った顎を見つめた。

 と、彼女は唇をぎゅっと引き結び、か細い声で答えた。

 

「実験……研究のことは、全て頭に入っていますので……」

 

 「実験」という言葉にまた腹が立った。「研究」に言い換えたって同じだった。

 だがまた隣で「本当に?」とシンが冷たく念を押すので止まった。

 

「は、はい……必ず……」

 

 頼りない返答ではあった。その『研究室』は抹消されている。つまり『ナナをセアに変えた』悪魔の実験のデータは全て破棄されているはずだ。

 さっきの話だと研究者たちは口封じとして抹殺されていることもあり得るという。

 しかも『ナナとセアに変えた』実績だけあって、『セアをナナに戻す』ことはしていなかった。残念なことに、彼女らの探求心とやらはそこまで及んでいなかったのだ。

 リューグナーの表情を見る限り、今のナナの姿は完全に想定外なのだろう。

 が。

 

「大丈夫!」

 

 不安と絶望と恨みを拭うように、ナナが明るく言う。

 

「私、運がいいから!」

「う、運って……」

「だってほら、このタイミングでシーカーさんがドクター・リューグナーを見つけて連れて来てくれたんだし。私まだツイてるでしょう?」

 

 ここで久々にシーカーを見た。今さらながら、彼の存在意義を実感したのだ。

 

「それに……、私の命を助けてくれたみんなの分も……私は生きなくちゃならない」

 

 ナナの決意が心に染みた。

 この何倍もの痛みを抱え込んでいるはずのナナは、こちらを慰めるように優しい顔をしていた。

 

「うん。そうだね」

 

 シンが静かに応えた。

 「だから、絶対に生きて……」そんな願いが込められているのは、自分にも、そしてナナにもわかっていた。

 だから、ひとつ息をついた。

 納得はできていない。許せるはずもない。

 けれど……今は祈るしかない。ナナの命がこの先も続くように。この許されざることをした女が、せめて罪を償うように。

 

「ありがとう……。話してくれて」

 

 全てを呑み込み、リューグナーでなくナナに言った。そして……後ろで難しい顔をしたままのアスランに。

 

「愉快な話じゃなかったけど、二人には直接聞いてもらいたかった。大切な友だちだから」

 

 涙がこみ上げた。

 

「私はこれからこのことを公表する。それで、治療の様子をシーカーさんに取材してもらって、映像で流してもらおうと思うの」

「え? ええっ?!」

 

 涙はいっきに引いた。

 

「こ、公開?」

 

 公表まではわかる。せっかく“復活”したナナ・リラ・アスハが表舞台から消えるか、あるいはこんな姿になってしまっては、オーブ国民だけでなく世界が動揺することは必至だ。客観的にみてもそうわかる。

 が、治療の様子を公開するとは……。

 

「今も私をホンモノだって信じられない人もけっこう多いって言うし、この機に『密着取材』ってやつを観てもらえればちょっとは信憑性が増すんじゃないかなって」

「信憑性……」

「それがもし、私が“ナナに戻る”過程だったとしたら、今は信じられないって言う人たちの心も変わると思うの」

「だ、だからって……」

 

 治療は辛いはずだ。なんといってもプライベートの切り売りはナナたちの負担になるはずだ。

 

「これから私に何ができるかわからないけど、もしカガリと一緒に何かできることがあるとするなら、私のことをみんなに信じてもらいたい。だからちょっとでも可能性のある策を取ろうと思って」

 

 ナナらしい……。

 複雑な感情で目を細めた。

 やはり彼女にとってカガリ・ユラ・アスハは大切な存在で……きっと彼女との未来を願っての“策”なのだろう。

 それがもうわかる。“大切な友だち”だから。

 

「でも、この人信用できるの?」

 

 無理矢理いつもの調子を取り戻そうとして、シーカーを睨んだ。おしゃべりが好きそうで口が軽そうだったからだ。それに出世欲もありそうで、お金も好きそうだ。ただ、今まで聞いた話だと、ジャーナリストとしての誇りはあるようだ。

 

「ボクはアスハ大使のためにならないことはしないと誓ったよ」

 

 彼は涼しい顔で両の手のひらを見せながらそう言った。口調は軽かったが、ナナのことを「アスハ大使」と言ったから攻撃の刃は収めてやった。彼は本当に「アスハ大使」のことを尊敬していたのだ。きっと。

 

「大丈夫。シーカーさんとはちゃんと契約を結んだし」

「契約?」

「うん。この真相と私の治療の様子はいくらでも公開するけど、ドクター・リューグナー個人については伏せるようにって」

 

 ナナはこの期に及んで、リューグナーをオーブの特別保護プログラムに入れたことを明かした。

 そして。

 

「それに、ミリアリアやアークエンジェルのクルーたちのことも特定されることがないようにってことと……。それからもちろんアナタたち二人のことも」

 

 ナナの目が強く光った。

 

「絶対に守るから、安心して」

 

 自分たちのことは考えていなかったから、返答が遅れた。

 

「お約束します。ボクは君たちのことは書かない。まぁ、取材したい気持ちで溢れ返っているけどね。でも、こうして会わせてもらっただけで十分だ」

 

 改めてシーカーを見た。

 軽薄なイメージは変わらない。が、ジャーナリストとしての誇りの部分は強くなった。

 彼は本当に心の底から真実を知りたがるタイプで、それを形にして金儲けとか……それは流儀に反するのかもしれない。

 

「安心して欲しい! この独占取材でボクにはたっぷり外部からお金が入るからね! ドクター・リューグナーに辿り着くまでに費やした費用も十分回収できる。それどころか老後も安泰だ!」

 

 見透かしたように彼は言う。

 

「そ、ウィンウィンってやつ!」

 

 ナナも軽く同調する。

 どう考えてもナナのほうが身を削っている気がするのだが、確かにリューグナーを連れて来たことに関しては彼は命の恩人といえる。

 しぶしぶ納得すると、ナナは嬉しそうな顔をした。

 その向こうで、アスランはやっぱり渋い顔をしていたけれど……彼にもナナの意思は止められないのだから仕方ない。

 

「ではボクたちはこれで。ドクター・リューグナーのインタビューの続きをさせてもらいますよ」

「はい。お二人ともありがとうございました」

 

 シーカーはさっと立ち上がった。

 

「それじゃあ、今日はお会いできて光栄でしたよ」

 

 仰々しく礼をされたが軽い会釈で返した。『アスハ大使』の友人に会えたことがよほど嬉しかったのだろう。そう思うことにした。

 

「では、失礼いたします」

 

 続けてリューグナーも立ち上がった。

 ナナに挨拶をし、こちらを見た。

 きっともう二度と会うことはない。そう思ったから、軽く睨んで……それでも声をかけた。

 

「さようなら、ドクター・リューグナー」

 

 「お元気で」とまでは言わなかった。彼女を許すことは一生ないのだから。

 シンは最後まで何も言わなかった。

 

 

 

「本当にありがとう、最後まで聞いてくれて」

 

 二人が去ると、ナナは改めてそう言った。

 

「こっちこそ……、全部話してくれてありがとう」

「びっくりしたよね?」

「ええ、ほんとに……。正直まだ整理がついてないわよ」

 

 素直にそう言うと、ナナは少し笑った。

 

「でもまぁ、ここだけの話、ドクター・リューグナーは助かりたい気持ちが強い人だから、オーブの保護プログラムを受けるためならちゃんとやってくれると思う」

「シーカーって人は? 本当に大丈夫?」

「大丈夫大丈夫! 契約書もちゃんと交わしたし……。映像も、公開前に私とカガリがチェックすることになってるから」

 

 まだ心配は拭えない。後ろのアスランの表情を見るとなおさらだ。

 

「アスラン、大丈夫なんですよね?」

 

 だから彼に言う。問い詰めるように。

 

「心配ない。君たちのことは絶対に漏れないよう、オレもちゃんとチェックするから」

 

 が、久しぶりにしゃべったと思えば、彼は的外れな答えをよこす。

 

「そうじゃなくて……、ちゃんとナナも守られるんですよね?」

 

 ついムキになってそう念を押した。彼がこちらなんかより、ナナの心配をしていることは明らかなのに。

 

「ああ。大丈夫だ」

 

 かすかに疲れたように彼はゆっくりとした口調で答えた。

 この返答をするのにどれだけの葛藤があったのか察しがつく。

 だがナナはこの件は全て話し終えたとでも言うように、少し改まってこう言った。

 

「それで……、今日来てもらったのにはもうひとつ話したいことがあって」

 

 その台詞に少しだけどきりとして、さっきから何も言わないシンと目が合った。

 

「二人のこれからのこと、もし考えがまとまってたら聞かせて欲しいと思って」

 

 まるでこちらが本題かのように、ナナの視線は先ほどまでよりずっと強かった。

 

「急がなくていいの。私はずっとここにいてもらえたら嬉しいし。ゆっくり決めても大丈夫だから」

 

 ナナの想いをついゆっくり受け止めていると、ナナは早口で言った。

 

「私たちも……」

 

 急に口の中が乾いた気がして、言葉が途切れた。

 が……。

 

「決めたんだ。これからどうするか。どうしたいのか。ちゃんと二人で話し合った」

 

 シンが口を開いた。

 

「じゃあ、オレは……」

 

 一瞬、驚いたとき、アスランが腰を上げた。今更こちらに遠慮を……いや、シンに気を遣っているのだとわかった。

 だが、シンはまっすぐにアスランを見て言う。

 

「あなたもいてくださいよ。聞いておいて欲しいから……」

 

 若干、まだふて腐れたようではあった。それでも、はっきりと「聞いて欲しい」と告げた。

 

「シン……」

 

 その横顔はとても静かで、大人びてはいないけれどなんだか安心できた。

 

「わかった」

 

 アスランも同じことを感じたのか……、安堵したように表情を緩めて再び腰を下ろした。

 シンはナナが小さくうなずいたのを確認すると、スラスラと語った。二人で話したことを。二人の決意を。

 

「あんたが話した未来の話さ……。オレたちも“同じ願い”なんだ。オレたちは同じ未来を目指してるってはっきりわかった。目指さなくちゃならないって。“前”みたいにぼんやりとじゃなく。今度こそ、そこに向かって自分の足で、意思で、歩いて行かなくちゃ何も変わらないって。だからさ……、そのためには自分ができることをしようと思ってる。ちゃんと……、ちゃんと、自分が何のために戦うのか考えて、決めて、進む。そうやって、あんたと……ナナたちと一緒に生きていきたいって思った。そうしないと何も変わらない。変えられないんだ。きっと」

 

 ナナは口元に穏やかな笑みを浮かべながら、残念そうに眉根を寄せた。

 

「そっか……。そう決めたんだね」

 

 その目がルナマリアを見つめる。

 自分もシンと同じ意思だと……わかっているはずのナナに伝えるようにうなずいた。

 

「そっか……」

 

 やはりナナはわかっていたかのように小さくつぶやいた。

 

「二人にはずーっとオーブにいて欲しかったんだけどな」

 

 そしてため息交じりにそう言って頬を膨らませた。

 

「ナナ……」

 

 アスランが呆れたように彼女を横目で見る。

 

「でも……」

 

 皆がみつめるなか、ナナは肩をすくめて笑った。

 

「二人がそう決めたのなら、全力で応援する」

 

 何の曇りもない綺麗な笑顔だった。

 

「『一緒に生きていきたい』って言ってくれて嬉しかった。離れてても、私たちはきっと一緒だよね」

 

 隣でシンが力強くうなずいた。

 ルナマリアも強く、2回首を縦に振る。ナナの目をしっかり見つめて。

 

「よかった」

 

 ナナは満足げにつぶやいた。その隣のアスランも静かに笑む。

 本当によかった……。こちらもそう思う。

 シンが語ったのは短い言葉だ。自分に至っては何も言っていない。ナナも確かめようとはしなかった。

 だが、不思議とここにいる全員、気持ちが繋がっている気がするのだ。想い合って、理解し合っている気がするのだ。

 それはきっと、もうすでに、同じ願う未来に向かって一緒に歩き始めているからだと……ルナマリアはそう感じた。

 

「それじゃあ、二人の希望が叶うようにプラントやザフトに話してみるから、二人とも心配しないで待っててね」

 

 一抹の不安がないわけではない。今更ザフトに戻れるのか、プラント側から見て自分たちの立場はどうなっているのか、メイリンは許してくれるだろうか……。

 

「大丈夫! 私に任せて! 絶対に二人が新しい道を歩けるようにするから!」

 

 それを感じ取ったのか、ナナは力強く言った。

 

「ラクスに頼んで動いてもらうし……。イザークにもお願いしてみようかな。ね、アスラン」

「ああ、そうだな。軍のことならイザークがどうにかしてくれるだろう」

「今となってはけっこうな重鎮だもんね!」

 

 ナナとアスランはジュール隊長のことで笑い合っていた。

 そう……何も心配はいらない。今だけナナに甘えて、ジュール隊長やラクス様の力を借りて……、道を歩けるようになったら力強く進んでいこう。まっすぐに。前を見て、迷わずに。

 ナナやアスランと一緒に。シンの隣で。

 

「ありがとう……」

 

 急に……シンが低い声でぼそりとつぶやいた。

 

「シン……」

 

 安心したような、決意を固めて意気込んでいるような、喜んでいるような……不思議な表情だ。

 なんだかドキリとしたけれど、ナナはにこりと笑って手を差し出した。

 

「こちらこそ、ありがとう」

 

 シンはゆっくりと動いて、その手を握った。

 今更握手なんて客観的に考えるとおかしい……そう思ったが、欲求の赴くままにそこに手を重ねた。

 

「私もっ……ありがとう……!」

 

 ナナとシンのぬくもりに触れると、何故だか涙がこみ上げた。

 

「ルナ、ありがとう」

 

 それからナナの視線に促されて、アスランの手も重なった。

 

「一緒に行こう!」

 

 最後に言ったナナの声は、今までのどの演説よりも力強くて、明瞭だった。

 

 

 

 

 数週間後。別れの日。

 

「ねぇシン、本当に忘れ物ないわよね?」

「大丈夫だって」

「寝室は? ちゃんと確認した? キャビネットの引き出しとか」

「全部確認したって。ていうか全部ナナからの借り物みたいなもんなんだから、忘れ物にはなんないだろ」

「そうだけど……」

「それに何かあれば後からアスランに頼めば送ってもらえるって」

「まぁ、そうよね……」

 

 意外にも……他人が見た自分の印象と比べて意外にも心配性なところがあるということは自覚している。

 こんな出発の直前になってまで何か忘れ物がないかとか、片付け残しがなかったとか、いろいろな心配事が溢れてくる。

 それに、あのしばらく暮らしたオーブの街の一室が名残惜しい。

 ナナとアスラン、そしてアスハ代表がよくしてくれたから、何不自由なく過ごすことができた。そのおかげで、過去や未来についてじっくりと考え抜くことができたのだ。

 本当に、ナナたちには感謝してもしきれない。そのうえ……。

 

「ルナ、シン!」

 

 わざわざ見送りに来てくれるなど……。

 

「ナナ、調子はどう?」

「うん。まぁまぁかな」

 

 ナナはあっけらかんと笑った。車椅子に座ったままで。相変わらずそれを押すアスランの顔色は最悪だ。

 弱ったナナの姿を見ても、今回は驚かなかった。

 先日、帰国の手続きや手順についての打ち合わせをするため、ナナに呼ばれたからではない。毎日、ナナの様子を見ているからだ。

 ナナはあの後、本当に自分の“治療”の様子を公開した。

 連日、その映像は様々な端末に流された。ナナの宣言通り、映っているのはナナだけ。治療に当たっているドクター・リューグナーも、わずかに手元しか映らない。姿はもちろん声も消されている。

 シーカーが約束を守っているようで安心したが、赤裸々に明かされるナナの症状は深刻で胸が痛んだ。時折、映像から目を逸らすほどに。

 胸が痛んだ。 ナナの声はどんどん弱く、頬はどんどん痩け、髪もどんどん抜け、体がどんどん小さくなっていく。とても好くなっているように見えないのだ。失望するたび、飛んでいってドクター・リューグナーを殴りつけたかった。

 が、ナナは希望を手放さない。ちゃんと弱音を吐きながらも、「明日には薬が効いているはず」とか「この治療ならよくなりそう」とか、いつもこちらを励ますように言う。

  どれほど苦しくても、思い通りに体が動かないもどかしさを抱えていても、理不尽さに憤っても、辛くても痛くても……それら全てをさらけ出し、必ず元気になると誓ってみせた。

 シンは不愉快そうにしていて、心配する言葉もこれからの希望も口にしなかった。が、毎日欠かさず動画を……いや、ナナの“闘病(たたかい)”をチェックしていた。

 きっと世界中の人々も同じ気持ちだ。憤り、怒り、憎みながらも、応援するしかないのだ。願うしかないのだ。

 

「わざわざ見送りに来てくれてありがとう」

 

 具合が悪いのに……という言葉も、にじむ涙も無理矢理引っ込めて、素直に嬉しさだけを表した。

 幸いここはナナが用意してくれたプライベートラウンジだから、他の誰かに見られることはない。シーカーもさすがに遠慮しているようだ。

 

「そりゃあもちろん、二人の門出には何があっても駆けつけるでしょう!」

 

 ナナは快活に笑う。けれど、前に会ったときよりもその声は弱々しい。アスランの眉間の皺も濃くなっている気がする。

 

「向こうへ着いてからのことはラクスがちゃんと手配してくれているから心配しないで。それから、軍のこともイザークが手続きをしてくれてるからすぐに復隊できるって。念のため周囲には気をつけて。この間話した手順通りにね。何かあったらすぐにこっちに連絡を……」

 

 たぶんこちらの懸命なる努力を知っていて、ナナはいつもどおり平気な顔でこちらの心配をする。哀れんでも仕方がない。案ずることすらもう無意味な段階に来ているのだ。

 

「大丈夫よ!」

 

 だから「ナナは自分の体のことだけを考えて」なんて言わなかった。

 

「私はけっこうしっかり者なの。あなたもよく知ってるでしょう?」

 

 少しだけ“セア”を意識してそう言う。

 

「うん、そうだね!」

 

 それはそれは屈託のない表情でナナは笑った。

 鼻の奥がツンとなったが、シンを小突いてごまかした。

 

「ほら、シンも何か言いなさいよ!」

 

 シンは一度そっぽを向いたが、ちゃんとナナに向き直った。

 そして静かに、だが力強く言った。

 

「約束……絶対守るから。ちゃんと……“見て”歩くから」

 

 ナナは優しい顔でゆっくりとうなずいた。

 それから、一度アスランと目を合わせてから、ある決意をぽろりとこぼした。

 

「私もね。この先どう生きていくか決めたんだ。シンとルナと話をしてやっと決めることができた」

「え?」

「この先って……」

「私、“この症状”が回復したら、学校に通おうと思うの」

 

 こちらは思わず顔を見合わせた。ナナが「学校に通う」ことの必要性を感じられなかったからだ。

 それに何故か満足そうにしながら、ナナは続きを話す。

 

「私ね、父の研究所にばっかり入り浸って、ちゃんと学校に通ってなかったんだ。もちろん研究所で勉強はしてたから、必要な知識は身についてるつもり。でもね、“前”に『特別平和大使』なんて肩書きを背負ったときに思ったんだ。『全然足りない』って」

 

 ときどき息を継ぎながらも、その言葉にはいつものように力がこもっていた。

 

「世界情勢とか国の法とか、そういうことはわかってるつもりだったし常に勉強してた。そうじゃないとあの役は務まらなかったからね。決して十分だとは思わなかったけど、そうやって学びながら考えをまとめて、言葉を組み立てて、何が一番必要なのかを選ぼうとしてきた」

 

 “かつて”のナナが思い浮かんだ。

 演台を前に、世界の人々に向けて堂々と話す同世代の少女。何の迷いもなく、しっかりとした太い芯を見せつけて、わかりやすい言葉で話す『世界連合特別平和大使』。

 その思いは理想にすぎなかったが、目指すべきもの、目指す価値があるものだということを知らしめていた。

 それでも『足りない』というのだろうか。

 

「だけど、それだけじゃ伝わらない」

 

 ナナの目には、自身に欠けているものすら見えている。

 

「世界中の人に思いを伝えるには、そこに生きる人のことをよく知らないとならない」

 

 こちらはまだよく飲み込めないというのに。

 

「その人たちの“今”だけじゃなく、歴史とか文化を知らなくちゃ伝わらない。それに……私自身、オーブのことをもっとよく知らないといけない。そうじゃないと説得力なんてない。伝わる言葉も見つけられない。……そう思ったの」

 

 いったいどうやって、ナナは進む道を見つけられるのか……。

 

「だからね、私、ちゃんとまともに動けるようになったらカレッジで勉強するんだ。試験に合格できたらだけどね」

 

 すがすがしい風が吹いた。

 

「そしてマシな教養ってやつを身につけたら……今度こそカガリを支える人になる。どんな形でも」

 

 ナナが最後にたどり着きたい場所が見えた気がした。

 

「そっか……」

「勉強がんばってよ。まさか、あんたが落ちたら格好悪いから」

「そうだね! 『お受験密着ドキュメント』がバットエンドだと後味悪いもんね」

「ええ? そこも密着されるの?」

「あはは、どうかな……? でもまぁ、アスランに家庭教師になってもらうから合格間違いなしでしょう」

「ああ! それなら大丈夫よね」

 

 ここで初めて、アスランがそっと息をついたのがわかった。なんとなく……だが。

 

「アスランも……ありがとうございました」

 

 ようやくちゃんと伝えられるような気がして、感謝の言葉を口にした。

 

「ああ、オレのほうこそいろいろと世話になったな。ありがとう」

 

 きっとミネルバでのことを含めて言ってくれているのだろう。

 そんな彼は疲れた顔をしていた。ナナが心配だから……。けれど、優しい笑みを口元に浮かべてくれた。

 

「君たちなら大丈夫だ。信じて進め。オレも、今度こそちゃんと前を向いて進む」

 

 そして彼も約束をくれた。

 

「アスランは正式にオーブ軍に入ってくれることになったの」

 

 ナナは誇らしげに補足する。

 

「ナナに預けてばかりじゃあいられないからな……。オレはオレの役割を持って進もうと思う」

 

 そう、誇れるほど彼は強くなった。いや、もともと強いのだ。一時、心が打ち震えるほど憧れたのは、彼の外見や寡黙で落ち着いた態度や肩書きだけではない。その内に燃える強さだ。

 

「オーブ軍とザフト……。立場的には君たちと相容れない存在だが……」

 

 彼は言う。

 

「道は同じ。願う未来は同じだ」

 

 数多の苦しみを超えて掴んだ意思をさらけ出し。

 

「ええ。“一緒”です……」

 

 胸が詰まってそれしか言葉にならなかった。

 が、ナナは心から嬉しそうに笑ってくれた。

 

「元気でな」

 

 かすかにはにかんでアスランが言うと……、シンは黙って手を差し出した。

 

「シン……」

 

 アスランは彼の顔をじっと見つめてから、その手を握った。

 繋がれた二人の意思を目にして、とうとう目の端から涙がこぼれてしまった。が、ナナを見ると、ナナもまた同じ顔をしていた。

 

「私も!」

 

 ナナは腕を持ち上げてシンに向けた。

 

「シン、元気でね。ルナを泣かせないで。あと、泣きたいときはちゃんと泣いてね」

「うるさいなぁ、わかってるよ……!」

 

 久しぶりに子供っぽい口調で言って、シンはナナの手を握った。

 

「ナナこそ、あんまりお転婆しすぎてアスランを泣かせるなよな」

「失礼だな。わかってるよ!」

 

 なんだか懐かしい気分になったとき、ナナの手がこちらに伸びた。

 

「ルナ、またね」

 

 大きくうなずいて手を握った。

 細い。冷たい。頼りない……。この手はこんなに弱かっただろうか。

 こぼれたばかりの涙が凍るほど恐ろしくなった。だがその感情を懸命に押し殺す。

 自分とシンの決意と同じ量の強さで、ナナを……ナナの未来を信じようと思った。

 アスランのため、カガリのため、ラクスやキラのため、オーブのため、そして世界のため……ナナはまだ生きなければならない。まだ道を示さなければならない。小さな意志の種を育てなければならないのだから。

 

 何度も別れの言葉を交わして、最終の搭乗案内でやっとナナとアスランに背を向けた。

 車椅子のタイヤが軋む音が聞こえた。ドキリとする……。

 

(また、会える)

 

 ナナは「またね」と言った。だからきっと、必ず、また会える。

 そう自分に強く言い聞かせ、横目でシンを見た。

 シンはまっすぐ前を向いたまま、静かに、だが力強くうなずいた。

 

 新たな道へ、願う場所へ…・…これは出発なのだ。

 

 別れではない。ナナとシンと……みんなで一緒に進む道。

 

 次にナナに会うときは、一緒に歩んでいることを誇れる自分でいたいと……そう思った。

 



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護り石<最終話>

 ナナとの約束を果たすべく、アスランは“あの島”に来ていた。

 ここ数日ぐずついていた天気も、今日のこの日に相応しい快晴だ。

 

「変わらないな、ここは。何も……」

 

 ひとりそうつぶやいて、そっと息をついた。

 波の色、風の香り、砂の白さと空の高さ……、全てがあの日と同じに思える。

 急激に懐かしさがこみ上げた。

 あの日の記憶が薄れたことはない。これまで何度も記憶と感情をなぞるように思い出してきた。

 それでも、やはりこうしてあの日と同じ場所に降り立ち、実際にあの日と同じ景色の中に身を置くと、強烈な懐かしさを感じるのだ。

 懐かしさとは……。この場合、鈍い痛みを伴った。

 思い出の中には幸福な時間がある。いくつもいくつも重ねた時間だ。が、悲しみの記憶も確かに存在している。

 葛藤、後悔、嫌悪、憎しみ、罪、償い、そして……別れ。ここへたどり着くまでにそれらは確かに刻まれている。この心、記憶に。

 幸福な記憶と悲しみの記憶。どちらが自分の中に多く存在しているのかはよくわからない。幸福な記憶を“正の記憶”、悲しみの記憶を“負の記憶”と呼んでよいものかもわからない。

 どちらも等しくあるような気がする。

 ナナに出会えた幸福は、戦争が要因でもある。この場で抱いた感情も、葛藤を生むしかなかった。

 幸福と悲しみは表裏一体……そんなに単純なことでもない気がする。

 不意に胸が痛んで、服の上からそっとあの石に手を置いた。

 ナナがくれた護り石。気分が揺らいだときはこれに触れてナナを感じることが、もうずいぶん前からの癖になっている。

 

「そろそろ行くか……」

 

 あまり情けない顔をしているとナナにどやされる……。そんな気がして口角を上げた。

 ここまで乗ってきたヘリを一度振り返り、あの日と同じように歩き出す。あの日、イージスを降りて歩き出した時のように。

 ただ忠実に再現した。それがナナとの約束だった。

 違うのは、警戒心と銃を手にしていないこと。それと……あの日とは比べものにならないほど胸いっぱいに詰まった感情。

 

「ここら辺だったか? いや、警戒しながら歩いていたからもう少し……」

 

 歩いたルートも歩幅もスピードも確実に再現する。ナナが見ていなくても約束はちゃんと果たさねばならない。

 

「あの岩の向こうの……浜だったな」

 

 銃を手に、視界に入るわずかな異物も逃さないといった緊迫感さえも蘇えらせる……。

 乗っていた輸送機が突然、戦闘態勢に入った。搭載しているイージスで脱出しろと言われ、戦闘には加わらずに戦闘空域を離れた。この島を見つけて不時着をした。救難信号を発信し、島に降り立った。上空から見た限り、民家などの建造物は見えなかった。とても小さい島だ。が、近くで戦闘が起きたばかり。今は戦争中だ。何が起きるかわからない。兵士として最大限の警戒をしながら辺りを哨戒する……。

 銃を握る手に怯えはおろか焦りもない。落ち着いて、岩の向こうをのぞき込む。

 と……。

 シダの茂みから人影が現れた。

 小柄なその人は地球軍のパイロットスーツを着ている。ということは、その人は“敵”だった。何らかの機体のパイロットと判断するには迷うほど小柄で華奢な少女だったとしても、その姿は“敵”だった。

 当然、銃を向けた。戸惑いがないと言えば嘘になるが、躊躇いはなかった。

 彼女もこちらの気配に気がついた。そして“彼女”も銃を……。

 

 そこまで鮮明に思い出したとき、“彼女”は銃を捨てて……いや、銃の形を作った手を開いて頭上に挙げた。そして満面の笑みでこちらに向かって両手をぶんぶんと振った。

 

「ナナ……」

「あ、ごめん! アスランが現れるタイミングがばっちりだったから嬉しくなっちゃって!」

 

 髪の色、目の色……あの日と同じナナだ。

 あの日と違う服を着て、あの日より弾む声で、あの日見せなかったとびきりの笑顔でそこにいる。

 駆け寄って抱きしめたかった。

 が、約束だからとどまった。

 

「『そっくりそのまま完璧に再現しよう』と言い出したのはナナだろう」

「ごめんごめん!」

 

 アスランが操縦するヘリでここへ来て、ろくに話をする間もなくナナは駆け出した。『あの日の出会いをそっくりそのまま完璧に再現しよう』と言って。わざわざナナがあの日不時着した海岸まで走って行ってしまったのだ。

 こうして仕方なく忠実にあの日の行動を再現したというのに、あの日の感情すら蘇らせたというのに、ナナはあっけなく“今”に時を戻す。

 少しほっとしたのだが、敢えて不貞腐れてみた。

 あの日の自分と違って、今の自分があまりにも幸福だから。それを持て余してさえいるから。

 

「ここからやり直し!」

 

 だがナナは、あの日の感情を再現することをサボっているようだ。楽しげに笑いながら両手を大きく開き、勢いよくパンっと合わせると、また指で銃を作ってこちらへ向けた。

 

「まだやるのか?」

 

 愉快な気持ちと呆れた気持ちと、ほんの少しの焦りが相まってため息が出た。

 

「あたりまえでしょう!」

 

 ナナは口をとがらせる。

 

「ここからが重要なシーンじゃない!」

 

 確かに……今まではただの序章にすぎない。

 ナナが再現したがっている“出会いの章”はここからだ。

 

「いい? アスランも構えて!」

「あ、ああ……」

「じゃあ再開ね! スタート!」

 

 ナナはそう言うと、そのまま視線を林の方へずらした。細かい仕草も再現している。

 アスランの方もよく覚えていた。

 互いに銃口を向け合っている状態で、ナナは目を逸らしたのだ。そして木々の梢の向こうに見つけた。イージスを。

 その瞬間だったはずだ。

 気づかれた……と知ると当時に、撃つか撃たれるかの状態で視線を外すなどあり得ないと思いながら引き金を引いた。彼女の手元……銃だけを狙って。

 ナナは両手を開いた。手元から銃が弾かれたのだ。

 そしてこちらをじっと見つめた。

 アスランはまだ銃を向けている。それでも無防備にナナは立っていた。

 その口が静かに開いた。

 

「アスラン……ザラ……?」

 

 心臓がドクンと鳴った。

 ナナは演技が下手くそだ。いつもは辛くても平気なふりを難なく演じてみせるくせに、今日の大一番ではとても下手だ。大根役者にも程がある。

 あの日のナナはただ静かに佇んで、無防備にこちらを見つめて、震える声で、不思議そうに自分の名を呟いた。何故か小さく笑って……。

 なのに、今は昂ぶる気持ちを抑えながら、確信を持ってその名を呟いている。

 そのしっかりとした視線も、上がった口の端も、力強い瞬きも、少しもあの頃と重なりはしなかった。

 衝動を抑え切れなかった。知ってか知らずか、先に演技を放棄しているのはナナの方だ。

 だから“銃”を捨てて走り出そうとした。

 が、視線でそれを止められる。

 

「アスラン、まだだよ。アスランの番でしょう?」

 

 ナナはこの期に及んでまだ“台本”通りにやろうとしているのか、小声でそう言ってくる。

 

「あ、ああ……」

 

 今更気恥ずかしくなったので、一度咳払いを挟んだ。

 

「ナナ……イズミ……か……?」

 

 あの時のように戸惑いながら言うのは難しかった。それに、やはり演じるのは恥ずかしかった。

 が、それがかえって合格点だったらしい。

 ナナは満足そうに笑った。そして……急に全身の力を抜いてその場に倒れ込んだ。

 

「ナナ……!」

 

 あの時の儚げな笑みとは違った。とても満足げな笑みだ。

 が、アスランの走る速度はあの時と同じだった。

 

「ナナ!」

 

 ちゃんと、ナナの体が砂に落ちる前に抱き留めた。

 あの時は名前など呼ばなかった。肯定されたであろう名でも、積極的に口にするのを躊躇っていたのだ。が、今は違う。もう呼び慣れた名だった。

 

「ここまで再現することはないだろう」

「だってここが重要なんだもん! 私気を失ってからのこと覚えてないし」

「だからといって急に倒れるなんて……。危なかったぞ……!」

「大丈夫だよ! ちゃんと受け身とるつもりだったから。でもありがと、キャッチしてくれて」

「ああ……。なんとか間に合ったが……」

 

 腕の中のナナはくったくなく笑う。

 

「じゃあ、私はここに寝っ転がってるから、アスランはさっきの場所からもう一度初めて」

「何をだ?」

「だから、私がぶっ倒れた後のこと。ちゃんと再現しなくちゃ」

「まだやるのか?」

「うん! ここからが重要なんだってば!」

「…………」

「お願い! アスラン!」

 

 一瞬、言葉に詰まった。

 この時の出来事は幾度となく二人で話をしてきた。が、やはり細かいところまでは伝え切れていなかったようだ。

 そしてそれをナナは全て再現しようと言っている。

 

「わかった……。全部再現するんだな」

「うん。じゃあ私はここに……」

 

 ナナは砂の上に横たわろうとして身をよじった。が、アスランの腕は反対にナナの肩を強く抱いた。

 

「え?」

「このままで大丈夫だ……」

「え?」

「ちゃんと再現している……」

 

 ナナは少し考えて意味を理解したようだった。

 

「え? あの時もこうしてキャッチしてくれたの?」

 

 澄んだ目がこちらを見上げる。

 

「なんで?」

「なんで……と言われても……」

「なんでわざわざ見ず知らずの子を助けたの?」

「見知ってはいただろう。名前も……知っていた」

「でも……、“敵”の子だよ?」

 

 試すような視線ではなかった。純粋に答えを求めているようだった。

 

「わからない」

 

 だから、正直に答えた。

 

「とっさに体が動いたんだ」

 

 しばしの沈黙。いや、波の音だけが聞こえた。

 

「そっか……」

 

 ナナはまた満足そうに笑んで、体の力を抜いた。

 

「じゃあこの後は? 岩のところに運んでくれたんでしょう?」

 

 やれやれ、まだ続けるのか……。そう思ったが口には出さなかった。

 ナナの戸惑いを感じられたことで、ようやく少しだけ楽しくなってきた。

 

「ああ」

 

 ナナを抱き上げた。

 あの時、こちらの腕は強ばっていて、ナナの四肢に力はなかった。今はちゃんとナナの体が腕に沿っている。

 

「だいぶ体重も戻ったようだな」

 

 一時、見ている側が絶望を感じるほど痩せ細ってしまった体が、今はもうちゃんと重みを感じられるようになっている。

 

「アスラン!」

 

 ナナは口を尖らせた。

 

「女の子に『重くなった』なんて失礼だよ!」

 

 こちらの意図をわかっていて、ナナは敢えて憤慨して見せた。

 

「明日からもちゃんと昼食をとるんだぞ」

 

 ナナは明日からオーブの大学に通う。もちろん一般入試をパスした。

 少し心配だったが、スカンジナビア王国の王族たちが多く留学しているので警備はオーブ国内随一だ。アスランがついて行くわけにもいかないから、政府や軍から私服警護官を派遣する。ナナは断ったがカガリと二人で説得した。本当にもう、“何か”があってはいけないから。

 

「大丈夫だよ! キャンパスの食堂のメニュー、すっごくおいしそうだったでしょう? 毎日何を食べようか迷っちゃうな~」

 

 キャンパスの見学にはアスランも同行した。危険な場所がないか、不穏な空気はないか、事前に察知しておきたかったからだ。

 自由で活気に満ちた学生たちの世界は、なんだかとても懐かしかった。

 プラントの士官学校は自由とはほど遠かったが、それでもニコルやイザーク、ディアッカ、ミゲルたちと過ごしたあの時間が懐かしく思えたのだ。

 ナナにもそんな時間を手にして欲しかった。自宅と父親の研究所を往復するばかりで、ほとんど学校に通わず、顔を出しても白い目で見られた……と、ナナは笑いながら語っていた。だからこれからは、友達を作ったり、勉強を教え合ったり、一緒にランチをしたり……“普通の女の子”の時間を過ごして欲しかった。

 

「ねぇ、アスランもたまにおいでよ。非番の日に。外部の人も食堂を利用できるって学校案内のパンフレットに書いてたよ! 一緒にご飯食べよう!」

「オレはいい。友達作るんだろう? 邪魔はしない」

「えー、たまにはいいじゃない」

「……たまに、なら」

 

 本当は毎日でも付き添いたかったが、ナナの時間を尊重した。

 それでもたまには様子を見に行こうと思う。軍の非番の日に。

 

「楽しみだな」

「うん!」

 

 ナナの希望に満ちたキャンパスライフはアスランにとっても楽しみだった。

 ナナが誰にどんな影響を受けて、どんな風に成長していくのか……。その変化を毎日見守ることができるのはとても貴重なことだと思えた。

 

「でも、不安なこともあるよ」

 

 そんなナナがぽそりと言った。

 

「不安?」

「うん。まず友達ができるかが心配……」

 

 過去のトラウマはナナの希望に少しだけ陰を落としている。が、それでも今のナナならば心配ないと確信していた。

 

「それから、勉強についていけるか……」

 

 そこは問題ないと思うが、試験勉強に付き合ってみて気づいたことがあった。ナナは典型的な文系だった。幼少期からMSの開発に携わってきて、周囲はどちらかというと理系の大人たちに囲まれていた。そういった中でも、ナナの思考パターンは文系のそれだった。

 だから数学や物理、科学さえも苦手意識があった。はじめは点数も芳しくなく、ナナ自身本気で入試に危機感を抱いていた。

 アスランにとってそれは意外なことだった。カガリも驚いていた。

 が、あれほど世界中の人々の胸をうつ演説をしてきたナナである。もちろんその原稿はナナが考えていたし、それを見ずとも適切な言葉を選んでわかりやすい構文で話すことができていた。だからそのナナの傾向にはすぐに納得した。

 

「入試の自己採点は良い結果だったんだ。ちゃんと講義を聞いて、努力すれば大丈夫だろう」

 

 実際、入試の時期にはその不安は消えていた。ナナは記憶力が良い。だから出題の傾向を抑え、ポイントを記憶することで点数を取ることができた。

 

「そうだね、私には優秀な家庭教師がついてるし!」

 

 ナナはアスランの首にしがみついて言った。

 

「なるべく友達に聞くんだぞ? 同じ講義を受けている人に聞いた方が答えは確実なんだ。それにオレはそんなに高度な教育を受けたわけじゃない」

 

 頼られるのは嬉しいが、本心からそう答えた。

 

「それは、そうするけど……でもアスラン、受験勉強のとき『ここがわからない』って問題と資料を見せたら10分くらい読んだ後に解き方を把握してわかりやすく教えてくれたでしょう? どうしてもわからない課題が出たときは教えてね?」

 

 あまり自信はなかった。月の幼年学校とプラントでの学園生活、そして士官学校で受けた教育はたかがしれている。大学の過去問が解けたのはナナのために必死だったからだ。

 それでも頼られるのは嬉しいので「わかった」とうなずいた。

 

「時間もらうんだから、たっぷり勉強しなくちゃね!」

 

 ナナは光る波を眺めながら言った。

 

「たっぷり勉強して、それから今度こそちゃんとカガリの役に立つ人間にならなくちゃ!」

 

 カガリがナナから『大学で勉強したい』という新たな目標を聞いて喜んだのは、決して自分の役に立つ教育を受けるからではない。ナナの新たな生き方を歓迎したのだ。

 それは自分も同じだった。が、ナナの最終目標がそれである以上、全力で応援しようと思っていた。

 

 そんな希望に溢れた話をしているうち、あの場所にたどり着いた。

 

「このへんだったっけ?」

「ああ、そうだな」

「寝かせて寝かせて」

 

 岩と岩の間の比較的平らなスペースに、望み通りナナを寝かせた。

 

「あの時、ナナを運びながらオレは途方に暮れていた。 “助ける”ような格好になってしまっているが、この後はどうしたものかと……」

 

 ナナがご丁寧にぐったりと横たわって両目をつぶるので、思わずあの時の鮮明な記憶を言葉にしていた。

 

「少しやけくそ気味な思いでイージスまで戻り、非常用パックを取ってきた。……そこまでは再現しなくていいんだろう?」

 

 ナナは片目を開けてうなずいた。

 

「うん。行かないで、ここにいて。私がへばってたときの話、もっとして。イージスに戻ったとき、手で傘を作ってくれたんだよね?」

「ああ。日差しと風を避けたかったからな」

 

 アスランは齟齬を指摘されないよう、ひとつひとつ行動を思い出しながら話した。

 

「それから……とりあえず毛布をかけて、タオルを濡らしに行った。冷たい水は海水しかなかったから迷ったが……。ないより良いと思った。熱があったからな。なんでこんなヤツにパイロットスーツを着せて出動させてるんだ……と地球軍に苛立ちながら、火を起こせるよう乾いた草木を拾いに行った。体を温められるように……」

 

 忠実にあの時をなぞったつもりだったが、ナナは吹き出した。

 

「ねぇアスラン、行動が全部“私のため”っぽいんですけど!」

 

 言われてみて気がついた。あの時は“敵”の姿だったナナのため、日差しを遮り、毛布を掛けて、火を起こそうとしていた……。

 

「“敵”のパイロットでも弱り切っていたからな……。それにキラの情報を聞き出したかった。地球軍のことも……」

 

 言い訳じみた口調を承知で呟くと、ナナはとうとう笑いながら起き上がり、顔を近づけてきた。

 

「アスランがそうしたのは“優しい”からだよ! 目の前でぶっ倒れたのが“キラのことを知ってる敵”じゃなくてもちゃんと助けてあげたと思う」

 

 果たしてそうだったのか……。自分ではわかるはずもない。

 そもそもナナに対する特別な想いの始まりはこの場所だと思っている。だとすれば出会った瞬間から特別な感情があったのか、ナナの言うとおり他の人間でも同じことをしたのか……。

 

「ねぇアスラン、最初に交わした会話覚えてる? 私、ぼーっとしてたせいか覚えてなくて……。向こうからアスランが現れたとき、私起きてたよね?」

 

 ナナが視線を向こうへやったので、思考を止めた。答えは出ない。この奇跡の出会いの仕組みは誰にもわからないのだ。

 

「ああ、たしかオレは『気分はどうだ?』とか言いながら、少し怒った気がする。『そんな体で…‥』と」

「うんうん。それで?」

「本当に覚えてないのか?」

「うーん、ぼんやりしすぎてて……」

「……それから、パイロットスーツが濡れたままだと熱が上がるから脱ぐように言って、タオルをまた濡らしに行った」

「ああ、そっか! そのくらいから覚えてる」

 

 ナナは岩の方に目を向けると、少し思案してからそこへ移動した。

 

「このへんだったよね? 私、借りた毛布にくるまって座ってた……」

「ああ」

 

 隣には座らなかった。

 まだ早い。大切な会話がここであった。

 

「ねぇ、アスラン」

 

 しっかりと見つめ合ったまま、少し時間が過ぎた。

 次にナナが零したのは意外な言葉だった。

 

「あの時からきっと、あなたは特別な人だった」

 

 そのような胸が熱くなる言葉をもらったのは初めてではなかった。

 が、とても意外だった。

 

「あの時から……?」

 

 あの出会いは奇跡だった。それが“始まり”だったとナナが言うのは、今日が初めてのことだった。

 

「あなたが、“敵”の姿をした私を助けたこと……。あなたは『キラを返すと言ってくれたお礼』って言ったけど、それだけじゃなかった」

 

 挑発的な目をしたナナが瞼に浮かぶ。

 弱っているのに強い光が確かにそこにあった。そしてかすかな悲しみも。

 が、迷いはない。戸惑いはない。まっすぐな目をしていた。

 

「私はそれが“答え”だと思っていた。戦争をしていて、立場や姿は敵どうしでも……、本当は敵じゃないって。それに気付けば戦いはきっと終わるって。そう思ってたけど、どうすればいいのかわからなくて、グレイスで戦ってた。だからあなたがあからさまに戸惑いながら、私のことを助けてくれたのが嬉しかった。『今は敵じゃない』って言ってくれたのが、すごく嬉しかった」

 

 “あからさまに戸惑う自分”には覚えがある。

 “敵”のくせにキラをこちらに返すと言ってくれ、ラクスにも強い印象を与え、弱った体で戦場に出て……、それで何もかも捨て去ったようなむき出しの心をぶつけて来る“敵”の少女。

 戸惑わないはずがない。

 

「ナナ……」

 

 ようやく隣に腰を下ろし、手を握った。

 もう、そこに傷跡は残っていない。ドクター・リューグナーらが“セア”にするときに綺麗に消し去ったのだろう。

 だが覚えている。赤黒い火傷の痕。その色も、深さも、熱も……。そして。そこに滲んだナナの冷たい涙も。

 

『今は……お前は俺の敵じゃない……』

 

 そう呟いたときに零れた滴。それを見て心は確かに震えた。

 

『アスランは……優しいね。キラもあんなに優しいのに……。なんでっ……二人が戦わなくちゃいけないの……っ!?』

 

 そう吐き出したナナの声が、胸に突き刺さった。

 その冷たさと棘は、今もまだ残っている。戒めのように。

 ときおり実感するのだ。あの時のナナがなければ、きっと自分はここにはいない。生者の世界にも、ナナの隣にも。

 自分にとってもナナが“答え”だったのだ。

 だから、当然……。

 

「オレにとっても、あの時からずっとナナは特別だ」

 

 何度か言ったことがあるはずだ。

 それでもナナは、心が跳ねたような顔をして……それからゆっくり微笑んだ。

 

「あんまり好きな言葉じゃなかったけど……」

 

 ナナは珍しくはにかみながら言った。

 

「これって……『奇跡』っていうより、『運命』だね」

 

 この出会いを『運命』と表現したナナから目が逸らせなかった。

綺麗で、可愛らしくて、それでいて強烈な強さを秘めていて、その姿に身動きがとれない。簡単に同意することさえできなかったのだ。

 

「ナナ……」

 

 満たされた状態で、アスランはその小さな手のひらの、傷があったところを親指でなぞった。

 

「アスラン、手当てしくれたよね。“敵”なのに優しかった」

 

 ナナは茶化すように言って笑う。

まだ言葉は出てこなかった。あれは優しさだったのだろうか。よくわからない。ただ、今と同じ……胸が詰まって苦しかったのを覚えている。

 

「ナナに……死んで欲しくなかった」

 

 ようやく零れたただの真実に、ナナは静かにうなずいた。

 

「うん……」

 

 そう。これはただの真実。あの時も、今も。

 だからやっぱり、あの出会いは『運命』なのだとアスランも強く想う。

 

「あの状況でよく寝たな。オレたち」

 

 ようやく可笑しくなって、岩に背中を預けた。

 

「うん! 私、たしかアスランに思いっきり寄っかかってた気がする……!」

 

 自分も確かに、その体温を心地いいと思いながら眠りこけていた気がする。

 

「ああ、重かった」

「え? 嘘でしょう?!」

「おかげで肩が凝って……」

 

 こんな場所で、明るくなってイージスのアラートが鳴るまで眠っていた事実に、二人でしばらく笑い合った。

 

「それじゃあ、最後の“儀式”を始めますか!」

 

 ここまでの全ての記憶を一通り巡って満足したのか、ナナは急に改まっていった。

 “儀式”と言われたが、アスランにとって想定内だった。ナナがここで最もしたかったことは話さずともわかっていた。

 

「この辺りか?」

「もうちょっと海側じゃない?」

「このへんか」

 

 立ち位置を入念に確認したのは戯れだ。互いにはやる気持ちを抑えているのがわかった。

 

「じゃあ……」

 

 どちらからともなくそう言って、少しだけ口を閉じて見つめ合った。

 あの時と同じ距離。が、違う距離感……。

 アスランは首飾りをゆっくりと外した。そして名残惜しさを誤魔化すように青い石をそっと撫ぜてから、ナナに手渡した。

 ナナも石を撫ぜた。愛おしそうに。

 そしてあの時と違う台詞を言った。

 

「ありがとう、アスラン」

 

 目を伏せて、急に大人びた顔で。

 その言葉を贈られたのも初めてではない。むしろ一方的に送り付けられたこともあった。そのたびに返そうと、応えようとしてきた。

 だが今は戸惑った。

 

「ナナ?」

 

 ナナは言った。

 

「あなたのおかげで……母さんと、また話すことができた……」

 

 その石のもともとの持ち主のことを、ナナは思い浮かべていた。

 ナナと母親との間にあったことを、ナナは隠さずに語ってくれた。あっけらかんと、その希薄な関係性について話してくれた。憎しみはなかった。ただナナは、母親のことを哀れでかわいそうだったと言っていた。そして、自分を捨てて新しい人生を選んだことを良かったとも言っていた。

 が、先の戦争の後、その姿を世界に示すようになってから届いた母親からの知らせに応えることはなかった。

 ナナは遠慮していたのだ。

 母は今までのことを気にして連絡をしてきている。だから気にしなくていいようにこちらは応えない。敢えて他人でいよう……と。それに要人となってしまった自分に関わることは、静かな普通の暮らしを望んでいた母には良くないことだろうと。

 ナナはそう母親を気遣っていた。

 決して、かつて娘を捨てた母親が、娘が有名人になった途端に連絡をしてきた……とか、自分を捨てたくせに……とか、そんな負の感情を抱いてはいなかった。

 だがナナの一番そばにいて、アスランにはその感情の深部にある“戸惑い”が見えたのだ。

 大人びた心情でいたとしても、その心のどこかに「今更母に会ってどうすればいいのかわからない」という戸惑いがあった。

 それを指摘することはなかったが、カガリからの情報とも照らし合わせてそう“分析”していた。

 が、アスランはナナが母親と再会した方が良いと思っていた。

 当然、アスランとしてはナナの母親に対して憤りを感じている。幼い娘を置いて他の男と出て行くなどありえない。

 それでも、ナナ自身が言っていた。

 

『どんなに失望しても、父が生きてたら、私もアスランと同じことをしたと思う』

 

 アスランが父と話をしにプラントへ行き、銃で撃たれて帰って来たとき。

 そして、停戦時の混沌とした状況でもこう言ってくれた。

 

『今はまだ、お父さんのこと許せないかもしれないけど……でも、いつかは許せる時が来るかもしれない。だから……それは大切に持っていて』

 

 そう言って父の形見の指輪を渡してくれた。

 ナナは自分の父親のことを重ねていた。だが母親だった同じことではないのか?

 アスランはそう思った。

 母親と話し、意志を伝え、今は許すことができなくてもいつかは……。

 そう思うと、母親の立場も気遣うことができた。だから、母親からのコンタクトに対してこっそりアスランが応じることにした。カガリにだけ許可を取って、ナナには言わなかった。

 そして母親に他意がないことをアスランが会って確かめた。

 ナナの様子は向こうには伝わっている。毎日毎日その姿が配信され、弱っていく様子から危険な状態まで……そして諦めない姿と、回復していく様が見て取れたのだから。

 母親はナナによく似ていた。が、予想通りナナのような強さはなかった。

 それだけに、心から娘に対して申し訳ないと思っていることがわかった。

 被害者意識、偽善、自己満足……少しでもそれが垣間見えたらナナとの再会は拒否しよう。そう決めていた。

 だが、そうではなかったからアスラン自身も救われた。付き添って来ていた男も良い人間だった。

 3度の面会で、母親がナナを再び傷つけることにはならないと判断し、アスランは再会のセッティングをした。

 当日、それを伝えるとナナは憤慨した。怒ってもいた。

 が、しばらく考えて再会を受け入れた。

 わかっていたのだ。決着をつけなければならないことを。母娘の関係と、そして自分の感情に。

 それだけじゃない。ナナは大変思慮深く慈愛に満ちた人間だ。アスランも、そういう部分を心から尊敬している。

 だからナナは思ったのだ。母親を安心させなければならない……と。自分は大丈夫だ。体も回復し、今は幸せに暮らしていることをちゃんと伝えなければならないと。

 再会はぎこちない始まりだったが、母親の涙は徐々にナナが抱える戸惑いを溶かしたようだった。もちろん、アスランはナナがその場で母親を許す必要がないと思っていた。が、ナナはちゃんと口に出して思いを伝えた。

 演説のように柔らかく、時に鋭くて強い言葉ではなく。ぽつぽつと、繋がらない心からの言葉を。

 途中、席を外したが、別れの頃には母親にも笑顔が見られた。ナナの表情も格段に柔らかくなっていた。

 もちろん、“仲良し母娘”の距離感とはほど遠い。が、それでも互いにすっきりとした顔をしていたし、再会の約束もしていた。

 ぎこちなくとも、ちゃんと“母と娘”の姿だった。

 

「私は、母とは二度と会わなくても平気って本気で思ってたけど、母と話せてすっきりしたのは確かだし、新しい人生に向かうのに勢いづいたのも確かだと思う」

 

 ナナはナナらしい言葉でそう言って笑った。

 

「ありがとう、アスラン」

 

 まだ若く、“誰かの子供”に戻ることができたナナは、とても眩しかった。

 

「オレはナナのことを誇りに思う」

 

 少々堅すぎる台詞になったが、ナナは照れくさそうな顔をした。

 そしてそれをかき消すように、とうとうあのシーンの再現に戻った。

 

「じゃあ、コレ……!」

 

 首飾りを掲げて、

 

「これ、あげる」

 

 あの時の台詞を言う。

 

「きっとあなたを護ってくれるよ。これからもずっと……!」

 

 付け足された一言を噛みしめて、アスランはゆっくりと首を傾けた。

 掛けられた首飾りはずっとそこにあったはずなのに、ナナの温もりをまとっていて何故だか新鮮な気分だった。

 

「あの時、『戦争が終わったらキラとラクスと私たち4人で逢えたらいいね』って言ったけど、戦争が終わる前にそうなったし、誰も死ななかったし、その後はカガリも入れて5人で話すことができた……」

 

 想いが落ち着かない内に、ナナは静かに語り出した。

 

「その後私だけ離れちゃったけど、また再会して、みんなと逢えて、アスランとも逢えて……。今はすっごく幸せ。信じられないくらい」

 

 指先で石をくるくると触りながら、目を細める。

 

「この石の導きのおかげなんかじゃないってわかってるけど、ここでのあなたとの出会いが私の中では一番特別だから……やっぱりこの石はスゴイって思う」

 

 最後は子供っぽく笑いながら、こちらを見上げた。

 当然心臓が高鳴ったが、それを懸命に押さえつけた。

 

「幸せなのか? 信じられないくらい?」

 

 疑いはない。不安もない。欲もない。意地悪をしているわけでもない。それでも聞いてみたかった。

 

「うん! とっても!」

 

 息を吸うような自然の行為で確かめたのに、ナナはとびきりの笑顔をくれた。

 

「ああよかった! ちゃんとここで伝えられて!」

 

 そしてここへ来た本当の目的を明かした。

 

「伝わった?」

 

 答えるまでもない。ナナはちゃんと伝えてくれていたし、ここ来たかった本当の目的も初めからわかっていた。そのくらい、今はナナのことを深く理解しているつもりだ。

 ただひとつ、問題なのは……。

 

「ナナの気持ちはちゃんとわかっている。が……オレの想いもちゃんと受け止めてくれているか?」

 

 予想外の問いだったのか、ナナは少し驚いた。自分に与えられるものに対して無頓着なのはナナの悪い癖だ。

 だが、すぐに肩をすくめて笑った。

 

「うん、大丈夫! アスランが私のことを好きすぎてどうしようもないってことはちゃんとわかってるから!」

 

 からかうように言うがさらりと受け流して満足した。

 この顔を見れば本気で言っていることはわかるし、ナナが照れていることもわかっていた。

 だがからかうように言うのはずるいと思ったので、唐突にナナの頬にキスをした。

 了解はいらないことになっている。今は自然な流れだった。

 

「アスラン……!」

 

 それでもナナは顔を赤らめて頬を隠した。

 

「どうした? ちゃんとわかってるんだろ?」

 

 こんどはこちらがからかってみる。

 

「ふ、不意打ちはずるい!」

「そうか、悪かったな。ナナのことが好きすぎてどうしようもなかったからつい……」

「もう!」

 

 ナナはますます赤くなった顔を隠すように、アスランに抱きついて胸に顔を埋めた。

 しばらくそのままでいた。

 波の音と風の音を聞きながら、もう一度あの日のことを最初から思い出した。ナナもきっと、目の前の青い石を見つめながらそうしているはずだ。

 そして……。

 

「ナナ」

 

 少し名残惜しかったが、体を離してナナを上向かせた。

 

「なーに?」

 

 心なしかまどろんでいるような目をしているのは、やはり過去の記憶を遡っていたせいか……。

 

「オレからも渡したいものがある」

 

 それで、変な緊張感を抱くことなく、渡したかったものを差し出せた。

 

「これ……」

 

 ポケットから出したのは小さい箱だ。誰がどう見ても、入っているものはアレしかない。

 

「これを、ここで渡したかった」

 

 蓋を開けて見せると、ナナの目はそれをじっと見つめた。

 

「綺麗……」

 

 波にかき消されるほどのささやきに胸が詰まった。

 

「アスラン、この石……」

 

 心を落ち着けて、あの頃よりずっと豊かになった心で、それを箱から取り出した。

 

「護り石と同じ石?」

 

 ナナの目に青い光が浮かぶ。

 

「いや。ナナの母さんに聞いたがはっきりとしたことはわからなかった。だが5代前から受け継がれたこととその時に住んでいた土地を聞くことができたから、鉱物のデータベースを調べて、近しいものから選んでこれにした」

「そっか、母さんも詳しくは知らなかったんだ。でも……モルゲンレーテのラボに出さなかったの? 職権乱用ってやつで」

「まぁ、エリカさんに相談することも考えたが……。これはオレたち以外に触らせたくなかった」

「ああ……そっか!」

 

 素直に告白すると、ナナは笑ってますますそれに顔を近づけた。

 

「でも、おんなじ色。おんなじ石じゃない?」

「オレもそう思う」

 

 こっそり息を吸って、改まった。

 

「ナナ」

 

 見上げた顔が眩しすぎて咳払いを挟みたかったがこらえた。

 

「明日から、ナナは新しい道を歩き始める。そしてこれからもナナには自由に羽ばたいて欲しい。だから……これをつけるのはいつでもいい。オレからの“約束”の証しに持っていてくれ」

「アスラン……」

「これからもずっと、オレはナナを護り続ける」

 

 ナナはゆっくりと瞬きをした。そしてにこりと笑って左手を突き出した。

 

「じゃあ、今!」

 

 “約束”の意味をわからないわけではない。立場上、そう簡単なことでもない。

 だが、ナナはきっぱりと言った。

 

「忘れたの? 私はあなたがいるから自由に羽ばたけるんだよ?」

 

 “約束”が束縛になることを、アスランは知っている。ナナの立場、将来、つかの間の学生生活を考えたうえでの表現だった。

 が、ナナには迷いはない。

 

「これを……つけてくれるのか?」

 

 間抜けな問いにも、ナナは大きくうなずいた。

 

「その代わり一生外さないから、アスランもちゃんと覚悟してよね!」

 

 その言葉に怯むはずもなかった。

 

「ああ、オレはずっとナナのそばにいる」

 

 思い描いていたとおり、ナナの左手を取り、その薬指にそれを通した。

 きつくなく、緩くなく、ちょうど良い。

 プラチナの輪に、青い石が強烈に光った。

 

「綺麗……」

 

 ナナはそれをまじまじと眺めてまた呟いた。

 そして。

 

「ね、やっぱりおんなじだね」

 

 その少し潤んだ視線に促され、首飾りを掲げた。

 ナナはその石の隣に指輪を並べ、見比べる。

 

「色味も、色の深さも、光り方もおんなじ……」

 

 アスランにもそう見えた。指輪が届いてから何度も見比べたが、自信はなかった。が、今は全く同じ石であると思えた。

 

「ありがとう、アスラン。“約束”をくれて」

「オレの方こそ、ありがとうナナ。こんな一生をくれて」

 

 用意していた台詞とは違ったが、自然に言葉が出た。

 

「これからはこれが私の護り石だね」

「お互い護り合えるな」

「一生ね!」

「ああ……。ずっとそばに……」

 

 ナナはぎゅっと目をつぶってアスランにしがみついた。そしてくぐもった声で「幸せ」と呟いた。

 それから二人で顔を見合わせて笑い合った。

 この奇跡の島で重なった二人の運命は、この先もずっと寄り添い続けると……そう思えた。

 




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