元陸自のアラサーが貞操逆転異世界に飛ばされて色んなヒロインに狙われる話 (Artificial Line)
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ArtWorks
アートワーク(本編はChapter1から)
ネタバレなども含まれる為初見の方は先に本編をお読みいただければ幸いです。
順次更新していく予定。
■脅威度指標
●逸脱者‐オイフェミア・アルムクヴィスト。レティシア・ウォルコット。アリーヤ・レイレナード。IFSGの代表。連合女王国の逸脱者。ケティ・ノルデリア。
●上位者‐ベネディクテ・レーナ・ミスティア。キルステン・レイブン・ミスティア。アリシア・レイレナード。シキ・ソライ。ゼータ。カミーラ・ケリン・クウェリア。
●英傑者‐上位妖精。ゼファー・ミフェス。ラグンヒルド・オルセン。
●熟練者-通常の生物の枠を外れていない存在の中では最高レベルの存在。熟練の古兵など。
●一般者‐その他有象無象。
●設定
これらの階級の間には大きな隔たりが存在する。レベル差とも言いかえられるかもしれない。だがこれらは単純な強さの指標ではない。
例えば朝霞は英傑者クラスにも身体能力は劣るが、知識と技量、そして前準備をフル動員すれば、上位者レベルの殺傷は可能である。これは銃の性能を含めての評価であり、お互いに準備した状態、かつ1on1なら対抗できる可能性は低くなる。
バレットm82などを用いた超長距離狙撃なら逸脱者の殺傷も可能な射撃技術を有しているが、上記同様奇襲でなければ万が一にも勝ち目は無いだろう。
つまりこれらは技量などを考慮しない純粋な性能の指標である。
例えばオイフェミアは近接戦闘能力では村娘にすら劣るため、理論上接近し奇襲できれば一般者でも勝ち目がある。だがそもそもオイフェミアに気取られず接近する事自体がどうやっても不可能なためそれは妄想に過ぎない。
■キャラクター
一般者の平均で能力評価C判定。
●"Mist01"、"魔弾"
名前-
性別-男
種族-人間
年齢-29歳
経歴-裕福な家庭に生まれ幼少期からシステマを学びながらサブカルチャーを愛するという変わった少年だった。
親や兄妹に愛され育った少年はその後神喰大学文学部史学科日本史専攻に入学。卒業後陸上自衛隊に幹部候補生として入隊する。
幹部候補生学校修了後第1空挺団に配属。3任期(5年3ヶ月)を勤めた後にとある事情で除隊。自衛隊での最終階級は二等陸尉。
除隊後は東欧への復興支援派遣時に知り合ったイギリス軍士官エアロン・スミスからの勧誘を受け民間軍事会社(PMSC)コントロール・クライシス社(Control Crisis Company)通称"C.C.C"に入社する。
アゼルバイジャンでの作戦行動中にT-90主力戦車の砲撃を受け死亡したと思われたが、次に気がついた時に彼が立っていたのは剣の魔法のファンタジー世界であった。
能力-筋力B/魔術適正C+/魔力C/魔力放出量S/耐久B/幸運D/敏捷A/射撃S+/近接SS/戦術A/戦略B/知力B+
●"白淡姫"
名前-
性別-女
種族-人間
年齢-17歳
補遺-戦略の天才といわれ基本的には隙のない冷淡な性格をしている。
しかしそれは公人としての性格であり、私人としてのベネディクテは冷静ながらも冷淡というわけではない。
プライベートな空間であれば冗談を言うこともあれば声を荒げて怒ることもある。
また冷静な性格とは裏腹に所謂ムッツリスケベであり、性への関心(というよりは好意を抱いている人物への関心)が強い。
器用な性格ではなく直接的な表現を用いるため誤解されやすいが、その多くはベネディクテの親切心や好意から来ているものである。
無自覚に独占欲が強く、実はかなり嫉妬深い。所謂ヤンデレ気質な部分がある。
能力-筋力A/魔術適正A-/魔力A+/魔力放出量S/耐久B/幸運A/敏捷A+/射撃B/近接S/戦術B/戦略SS+/知力A
●"魔女姫"
名前-
性別-女
種族-人間
年齢-16歳
補遺-ミスティア王国で最大勢力を誇るアルムクヴィスト家の長女にしてその軍事、魔術統括者。逸脱者の1人であり、先天的な魔術の天才。
特に精神系魔術では右に出る者が存在しない。ミスティアや周辺諸国からは戦略級魔術師として扱われ、彼女の動向次第で周辺諸国の軍事政策が決まる程の影響力を持つ。
3年前に両親を失っており、その後当主についた兄の補佐として軍役などを担当している。
過去精神的な過負荷が原因で魔力暴走を起こしており、その際に湖の一つを永久凍土化させている。
人間不信的な側面はあるものの基本的には温厚で内向的。
能力-筋力E/魔術適正SS+/魔力SS/魔力放出量SS/耐久E/幸運D/敏捷B/射撃A/近接E-/戦術C/戦略A/知力SS
●"単騎師団"
名前-
性別-女
種族-人間
年齢-18歳
補遺-ミスティア王国第三位の大貴族、ウォルコット侯爵家の現当主。戦略級に分類される逸脱者の1人であり、魔術、近接戦闘双方においての天才。
まさに単騎無双を体現する存在であり、国内は元より国外への影響力も大きい。
魔力放出による高速近接戦闘を得意としており、一般の歩兵などでは文字通り相手にならない。
プライベートでは王族や公爵家と親密な関係にあり、オイフェミアやベネディクテとも仲が良い。
性格は冷静沈着で礼儀正しいが、何処と無くサドの気がある。
能力-能力-筋力A+/魔術適正S/魔力S/魔力放出量S/耐久A/幸運A/敏捷SS/射撃S/近接S+/戦術A/戦略A/知力A
●"偽詐術策"
名前-
性別-男
種族-人間
年齢-19歳
補遺-アルムクヴィスト家現当主にしてミスティア王国公爵。オイフェミアの実兄であり、内政、外交統括者。逸脱者ではないが、妹と同じく高い魔術適正と知力を持つ。
いつも飄々とした態度で腹の中が分からない。オイフェミア曰く『兄さんの心は知らないほうが良いです…ええ本当に…』とのこと。
貴族としてまさに理想的な存在であり、特に内政や外交能力の高さは常人とは一線を画す。
とはいうものの茶目っ気があり、また妹を溺愛するシスコンでもあるため、家臣達からの信頼は厚く、アルムクヴィスト兄妹の為に命を捧げる覚悟を持っている者は多く存在する。
能力-筋力C/魔術適正A/魔力A+/魔力放出量A/耐久C/幸運B/敏捷C/射撃C/近接C/戦術SS/戦略SS/知力SS
●"疾風"
名前-
性別-女
種族-ハーフワルキューレ
年齢-24歳
補遺-アルムクヴィスト家に仕える従士の一人。オイフェミアの直属の戦士であり、アルムクヴィスト家に連なる貴族からの評価も高い。貴族階級では無く、農民の家に生まれたが幼い頃からその戦闘センスは目立っていた。前アルムクヴィスト当主(オイフェミアとヴェスパーの母親)が主催の武闘大会に出場した際にその才能を認められ、アルムクヴィストの従士となる。ゼファーの戦闘スタイルは剣術や体術を使用した肉弾戦ではなく、風属性妖精魔術を使用してナイフを滞空させ、それを射出して戦う射撃戦型だ。また風属性魔術を用いたブリンク(高速移動)や跳躍、視界を遮るスモークなどを巧みに扱うためヘイトコントロールがかなり得意である。性格は茶目っ気のある姉御肌だが、アルムクヴィスト家への忠誠は本物であり、オイフェミアやヴェスパーに害を為す存在には容赦がない。現在は朝霞日夏の弾薬庫の警備を任されている。
能力-筋力C/魔術適正A/魔力A/魔力放出量A/耐久C/幸運A+/敏捷S+/射撃S/近接B/戦術C/戦略C/知力B
●"首狩りアリシア"
名前-
性別-女
種族-人間
年齢-23歳
補遺-ベネディクテが雇っている傭兵部隊、レイレナードの第2中隊指揮官。ベネディクテとの個人的な友人でもある。レイレナード家は"傭兵貴族"と通称される大規模傭兵部隊を経営する一族であり、アリシアは当代の次女だ。11歳の頃から戦場に身を置いており、実戦経験はかなり多い。一つ上に姉がおり、その姉はミスティアに存在する3人の逸脱者の内の一人、アリーヤ・レイレナードである。抜群の近接戦闘センスと高い身体能力、臨機応変に現場に対応できる指揮能力を持っておりミスティアは勿論、周辺諸国でも名の知れた傭兵の一人だ。高い近接戦闘能力を持つ反面、魔術適正は高く無く、使用できる魔術はごく一部の妖精魔術などに限定される。
能力-筋力S+/魔術適正C/魔力B+/魔力放出量A/耐久A+/幸運E-/敏捷S+/射撃D/近接S+/戦術S/戦略A/知力A
●"烈火赤雷"
名前-
性別-女
種族-人間
年齢-24歳
補遺-ベネディクテが雇っている傭兵部隊、レイレナードの長。そしてオイフェミアやレティシアと並ぶ逸脱者の1人である。
特に演算処理能力が尋常ではなく、通常であれば並列展開出来ない魔術を同時に複数行使しつつ白兵戦と騎獣への指示などを的確に行える。アリーヤが普段から騎乗している騎獣はティルグリス。大型の猫科の様な特徴を持つ幻獣である。体長5mを超える巨体、白の毛皮にエメラルドグリーンの縞模様。鞭の様に長く尾を持ち、その先端は鏃の如く鋭利であり容易に金属すらをも切り裂く。
掴みどころの無い猫の様な性格をしており、権力闘争や政治に対しても一切の関心は無い。
能力-筋力B+/魔術適正SS/魔力SS/魔力放出量S/耐久B+/幸運A-/敏捷S/射撃A+/近接A+/戦術A/戦略A/知力SS
■国家
●
主要種族-人間
政体-封建主義-世襲君主制-絶対君主制
人口-300万人(確認された人間のみ。全種族総数の詳細は不明)
補遺-ザールヴェル世界における主要国家の一つ。人口300万人程の封建国家。
君主としてミスティア王家が君臨し、その下に各貴族達が連なっている。
この300万は確認できている人間の数であり、異種族や放牧民などを含めた場合の正確な数は不明だが、大凡350万程度ではないかと推測されている。
主な貴族はミスティア王家、アルムクヴィスト公爵家、ウォルコット侯爵家、二ルヴェノ伯爵家。
上記の各家は大規模な常備軍を編成しており、北方の魔物部族連合との戦闘に投入されている。
大小併せて103の貴族で構成されており、王家派閥と地方領主派閥に分かれている。
領民の大多数が人間であるが、アルムクヴィスト領やウォルコット領、二ルヴェノ領には少数の異種族が定住し生活している。
主にこれらは三家が傭兵として関わりのあった異種族の家系であり、その軍事力の維持に貢献していることは間違いない。
北東に魔物部族連合占領地域、東にフェリザリア王国、西にウェイン海峡を挟んで連合女王国、南に独立妖精国家群が存在している。現状抱えている戦線は北東部の魔物部族連合との争いであるモンストラ戦線と北方ウォルコット領最北端の深淵に対しての防衛線の2つ。
主な産業は魔力技術と魔力石を筆頭にした鉱物資源。4大貴族を最大顧客としている大規模傭兵部隊も存在しており、ミスティア傭兵の名前はかなり有名だ。
だがミスティア王国を他国が軽視できない最も大きな理由はオイフェミア・アルムクヴィスト、レティシア・ウォルコット、アリーヤ・レイレナードの3人の逸脱者を保有している事にある。戦略級に扱われるこの3名の存在はとても大きい。
4大貴族の軍事力や権威が強いため国内での魔物の活動は他国に比べ多くはないが、街道などから外れた旅人が二度と戻ってこないことなぞはざらにある。
●
主要種族-人間、エルフ
政体-封建主義-世襲君主制-絶対君主制
人口-400万人(人間、エルフ、異種族総計)
補遺-ザールヴェル世界における主要国家の一つ。総人口400万人程の封建国家。
現女王はカミーラ・ケリン・クウェリア。この女王はエルフと人間のハーフであり、それこそがフェリザリアのエルフと人間の同君主義を示す存在となっている。
元はエルフの定住地であった土地を人間が征服した過去を持つが、60年ほど前にエルフによる大反乱が発生。
当時の王家の退位と共にエルフとの混血家系であったクウェリア家が王位についた。
主な産業はエルフによる薬草などの生産、それを原材料とする人間の錬金術、薬学など。
軍事的にもザールヴェル世界では最大級の規模を誇るが、逸脱者の絶対数がミスティアに比べ少ない。現在フェリザリアに存在している逸脱者はケティ・ノルデリア辺境伯のみ。一般部隊では逸脱者への対応が実質不可能であるため、結果的にミスティアとの軍事的均衡を保つことになっている。
ただしケティ・ノルデリアが逸脱者の中でも抜きん出た存在であることは間違いなく、事実北方魔物連合の幾つかの部族を族滅にまで追い込んでおり、北方地域はミスティアよりも安定状態にある。
歴史的経緯、利権的観点からミスティア王国との関係が良くは無い為国境紛争が起こる事自体は珍しくなかった。
●
主要種族-ウンディーネ、シルフ、サラマンダー、ドライアード、スカディ等の上位妖精種
政体-選挙君主制
人口-50万人(上位妖精種のみ、下位妖精や幻獣などが多数連なる)
補遺-ザールヴェル世界における主要国家の一つ。略称はIFSG。人口50万人程だが、これは国家運営に関わる上位妖精の数であり、実態は奉仕種族の下位妖精や幻獣が加わる為正確な数は不明。
国家というよりも人間を筆頭とする人族や魔族、魔物に対抗するための各妖精種の緩い軍事共同体といった面が強く、各種族の長が50年ごとの選挙によって君主へと選ばれるがあくまで形式的なものに過ぎない。
しかしながらミスティア、フェリザリア双方との関係は悪くなく、各上位妖精種族間との交流は頻繁に行われている。例外としてウェイン海峡の利権を巡って連合女王国と致命的な利害関係にあり、現在も永続戦争と呼ばれる戦いの真っ只中だ。
産業としては各種妖精魔術や食糧生産、地下資源産出など各上位妖精種族の特色に沿って様々。
妖精種は人族と異なり全体的に魔術適正、魔力量がとても高い。これが絶対数が少なくともコミュニティを維持できている理由でもある。
●
主要種族-人間、夜人、吸血鬼、ナイトメア
政体-封建主義-議会君主制
人口-500万人(奴隷含め)
補遺-ザールヴェル世界における主要国家の一つ。ウェイン海峡を隔てた先に存在する島国であり、3つの地域の連合国家。女王を戴く君主国家であり、南部のウェイン地域の統治者、サルディア家が王家として君臨している。
超大国であり、その基盤として魔術産業、奴隷産業が盛んだ。連合女王国の奴隷階級は主要種族を除くほぼ全ての種族が該当している。
ザールヴェル世界どころか全世界最大規模の海軍を保有しており、ノーブルネイビーとして知られる。
ウェイン海峡は連合女王国の海上輸送路として戦略的に最も重要視されている海域だが、IFSGとの領海権問題の原因でもある。これはウェイン海峡に生息していたウンディーネを連合女王国が虐殺し、実力支配を行った事が原因だ。また連合女王国の奴隷産業に強く反発するIFSGが、奴隷産業の拠点港たるウェイン海峡を封鎖しようとするのはごく当然の結露であった。
そのような事情もあり、IFSGとは現在も永続戦争と呼ばれる戦争の最中である。
ミスティア王家とサルディア王家は遠親の関係である。つまりはサルディア王家も神の血を引く神人だ。
ただし国家間の関係は良好とはいえない。これはミスティア内に連合女王国から亡命してきたエルフやリカントなどが少なからず存在する為だ。
勿論エルフと人間の同君主義国家であるフェリザリア王国とは致命的な利害関係にある。ただしミスティアとIFSGが緩衝国として存在している為に直接的な交戦は起きていない。
大規模な軍事力を保有しているが、そのうちの4割は奴隷である。正規兵の数ではフェリザリアに劣るだろう。
保有する逸脱者は二人。"ノスフェラトゥ"サイファー、"戦乙女"フィレオノーラ。
■特殊技能
真源魔術‐ソーサラー
●"純粋な魔力を用いて世界の理を編纂する"魔術。魔力を別の事象へと変換し、世界にそれを発現させる。
発動には原則的に詠唱が必須。この詠唱はいわば自身の中イメージを具現化し、世界へとそれを伝える為の儀式であり、そのため規則性や統一性は本来必要ない。そのため身振り、言葉、演奏、踊り、それらの複合といった様々な詠唱の形が存在する。魔術学院などでは利便性の向上のために統一規格の詠唱を用いることが殆どだ。これら詠唱はそれらの行動、言動一つ一つによって魔力の形状を変形させるという工程を繰り返すことによって最終的に魔術を編み上げ発現させる。
例として上げるなら『私はあなたに対してエネルギーボルトを行使します』という詠唱文が存在したとする。これを分解して見れば『私は』の部分で自身や周囲の魔力を用いリソースとして使うために力場を形成する。『あなたに対して』の部分で対象を決定する。『エネルギーボルト』の部分で魔力をどのような事象へと変化させるかを決定する。『行使します』で魔術を発現させる、という流れだ。こういった事情から、複雑だったり、強力な魔術の発現にはより長い詠唱が必要である。
ただし魔力を直接事象へと編纂する都合上、他の魔術よりも単純であり、故にリソースが多ければ多いほど強力な魔術を発現させることが可能。魔力量、魔力放出量が膨大であれば核爆発に匹敵するような爆発すら起こすことも可能である。
霊作魔術‐コンジャラー
●"霊体へ干渉し、その力を用いて世界の理を編纂する"魔術。魔力を用いて霊に干渉したり、霊体自体を自身の魔力を用いて形成し、その力を用いて事象を発現させる。原則的には真源魔術と同じく詠唱が必須であり、霊の力を用いる都合上、真源魔術よりもより高いリスクが生じやすい。要するに自身の力量が足らず、霊体を制御できなかった場合などだ。ただ強力な霊体を御し得れば自身の魔力の限界を超えた大規模な事象の編纂が可能だ。また霊体そのものの召喚といった行為も可能である。
妖精魔術‐フェアリーテイマー
●"妖精の力を借り世界の理を編纂する"魔術。魔力を用いて妖精に干渉したり、妖精を自身の魔力を用いて呼び出したりして、その力を用いて事象を発現させる。原則的には詠唱が必須であり、妖精の力を用いる都合上、リスクが生じる可能性が高い。ただし、意思のある妖精の力を借りる術であれば、その妖精との関係性によっては自身の魔力量よりも遥かに強力な事象の編纂が可能になる場合もある。また妖精そのものの召喚も可能である。
神聖魔術‐プリースト
●"神や神霊の力を顕現させ世界の理を編纂する"魔術。妖精魔術、霊作魔術との違いは神や神霊の力を借りる訳では無いということ。言うなれば魔力をリソースとして神の奇跡を再現する魔術であり、そのためには神や神霊に対する深い造詣が必要になる。一般的にはこの造詣が信仰と呼ばれるものである。発現に際して原則的には詠唱は必須ではない。詠唱では無く奇跡の内容を理解し、それを再現する為の工程(祈り)が必要である。ただし詠唱を用いた方が正確に魔術を発現できることは間違いないため、多くの者は詠唱を行う。大規模な神の奇跡を再現する為には、それに応じた莫大な魔力が要求されるため常人に使用可能なのは小回復等の小規模なものに限定される。逆に考えれば多量の魔力さえあればどんな神の奇跡でさえ再現が可能ということになる。
血業魔術‐ブラッディスト
●"血液を触媒とし世界の理を編纂する"魔術。ノスフェラトゥ、ノーライフキング等の吸血鬼が用いる業であり、厳密に言えば魔術ではない。血とは生命の通貨であり、世界とは一つの生命である。その通貨を用いて世界、生命へ介入し事象を編纂する。血液を用いるという性質から自傷行為を伴うものが多く、また生命を冒涜するような業が多い。そのため一般世間、魔術会を問わず禁忌とし嫌う者も多くいる。最も攻撃的、自己犠牲的な業が多く存在し、所謂スーサイド系と呼ばれる。
構造強化‐エンハンサー
●"魔力を用いて自身の構造を変化"させる業。分別的には魔術ではない。詠唱は必要しないが、これは自分自身のみに影響を与えるものであるためだ。要するに業の内容の自認がしっかりとできていれば、魔力リソース分の構造変化が誰にでも可能である。代表的な物で言えば自身の皮膚を硬質化させたり、翼を生やしたりなどである。ただし誰にでも使える業ではあるが、より難解、強力なものであればそれ相応の練度が要求される。例えばステップと同時に自身の姿を一瞬消失させる業があったとする。この場合自身の構造を魔力へ分解し、即座に再構築するという工程がなされている。仮にも一度構造の全てを全く別の物へと変換しているため、自己消失を避けるにはかなり強固な自認と、魔力を身体に再構成するための力場を操作する必要性が出てくる。生半可な者が行えば魔力へと霧散したまま意識すらも消えて無くなるだろう。
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Chapter1_別世界のマーセナリー
Prologue_愉快な戦場
「どうなってんだよ……」
眼前に広がっている光景を前にして次の言葉が出なかった。
それが今の俺の胸中を端的かつ明確に表している言葉であったからだ。
理解を放棄しようとしはじめる脳に対して、息を大きく吸い込み酸素を送り込む事で無理やり活動を促す。
飛び込んでくる景色は豊かで青々とした黄昏時の平原。アスファルトの滑走路も、撃ち殺した連中の死体も存在しない。
ただただ心を飲み込むような平原地帯が広がっていた。
こんな光景は昔テレビで見たことがある気がする。
確か某ドキュメンタリー番組だ。妹と共に学校から帰ったリビングで見ていた。
その番組で見た北ヨーロッパ平野のようだと感じる。
その時だ。鼻に嗅ぎなれた匂いが漂ってくる。
鼻腔をツンと刺激するような、思わず忌避感を抱く香り。
これは人間が燃える匂いだ。
匂いの方向へ顔を向ければ800mほど先に丘があった。そしてその丘の向こう側からいくつかの煙があがっていた。
それに加えて怒号や金属音も僅かながらに聞こえる。
首にぶら下げられたドッグタグと古びた御守を無意識に握る。
兎も角何もわからない状況だが、あの丘の向こう側で何かが起きているのは間違いなかった。
俺は使い慣れた
プレートキャリアに
まずは情報収集。どうするかはその後考えよう。
半ば投げやりな思考回路になりつつ、俺は丘の向こうへと走り出したのだった。
玉の汗が吹き出す。どこの国にいたって夏というのは暑いものだと、そう思う。
まあ幸いなのは祖国の蒸し風呂に入ってるかのような湿度の高い暑さでは無いことだろうか。
ヨーロッパと中央アジアの玄関口的なここアゼルバイジャンの夏は湿度が低く過ごしやすいことこの上ない。
とはいってもそれは祖国日本と比べての話だが。
何がいいたいかと言えば暑いことには変わりがないということだ。暑い。今すぐにでもシャワーでスッキリして冷えたビールが飲みたい。
ここにいる連中の殆どはそう思っているだろう。
このカラッとした暑さの中で飲むビールは格別に旨い。仕事終わりのビールはこのクソみたいないつもの戦場で数少ない楽しみの一つである。高望みするならばつまみできゅうりの胡麻漬けでもあれば最高だ。昔付き合っていた彼女が良く仕込んでくれていた事を思い出す。
だが生憎とここはアゼルバイジャン。あるのは芋と戦闘糧食、ジャーキー、チョコレートばかり。そう思えば今となっては祖国は遠いなと感じる。
まさかきゅうりの胡麻漬けでノスタルジックな気分を味わうとは思いもよらなかったが、食と文化というのは根強く結びついているものなのだ。
海外へ移住した日本人が最初に感じる郷愁は味噌なのだという。確かに諸外国で味噌を取り扱っている場所はそう多くあるまい。先進国の大規模食品店ならいざしらず、少なくとも戦火に見えているこの国で味噌なんて売っているはずもない。
まあ話がそれたが、俺にとっては味噌よりもきゅうりの胡麻漬けの方が思い出のある味であり、郷愁を感じると言うことだ。
隣を歩く白人の大男からシュボッという音が聞こえる。
そして同時に上がる紫煙。香りはもはや蚊取り線香よりも鼻に染み付いたアメリカン・スピリットのもの。
彼とはもう2年近く共に過ごしているが毎回同じ銘柄の煙草を吸っている。
煙草の銘柄をよく変える人物は浮気性だという。ということは彼は一途な男なのだろうか。
まあこの男は
今世紀で最もどうでもいい思考を片隅に追いやる。
人の喫煙を見るとどうにも煙草が恋しくなるものだ。喫煙欲求に駆られた俺は胸ポケットからウィンストンスパークリングメンソールを取り出す。
タールが重すぎずメンソールが口内と思考をクリアにする。丁度いい愛煙品だ。思い返せば煙草の吸いはじめから一度しか銘柄を変えた記憶はない。
そういう意味では俺も一途な男なのだろうか。すまんなマルボロブラックメンソール。お前は日本だと値上がりし過ぎなのだ。
煙草を口に咥えジッポライターで火を付ける。紙巻煙草を美味しく吸うコツは煙の温度を上げすぎないことなのだという。
煙が高温だと味や香りが飛ぶのだ。そもそも吸引部が高温になれば味わうどころの話ではない。
火種からなるべく離し、かつ火が移るか移らないかぐらいのところで空気を吸ってやり着火させる。
こうすることで温度を上げすぎずに済む。その後は灰が自然に落ちるまではなるべく落とさないように優しく喫煙する。
そうすることで灰が着火部分の温度を適温に保ってくれる。これが美味しく煙草を吸うコツらしい。
本当かどうかは知らない。なんせ高校生の頃に某日本最大匿名掲示板で見知った知識である。もう12年も前に吸収した知識だ。
俺にとって大事なのはこれが精神を落ち着けるためのルーティンであるということだ。もうかれこれ9年間行ってきたルーティンである。更に美味しく吸うコツがあったとしても今更変えるつもりもない。
「相変わらず19時前だっていうのに明るいなぁ」
不意に隣を歩く白人の大男が言葉を発した。今日日美麗なイラストの身体を手に入れて配信でもすれば瞬く間に登録者バク伸び間違いなしのダンディな声である。
そんな声で発せられるのは綺麗なイギリス訛りの英語だ。普段下品なブラックジョークばっかり言っている癖に相変わらず発音と声だけは良い人である。
俺も口を開く。英語で会話することにもとうに慣れた。大学時代の英語の教授が帰化したイギリス人だったため、俺の英語も所謂イギリス英語というやつである。
発音がイギリス訛りかは知らん。俺は日本人だから。正直伝わりさえすればどうでもいいというのが本音である。
「エアロン大尉だってロンドンの出身でしょう?だったら20時近くまで明るいんじゃないんですか?」
白人の大男。エアロン・スミス大尉はニヒルな笑みを浮かべながら答える。
煙草を咥えたまましゃべるな。灰を落とすな。煙草に対する冒涜だぞ。
「馬鹿野郎ヒナツ。俺は学生時代引きこもりな上に、お袋の手料理よりも戦闘糧食のが舌に馴染むぐらい軍隊生活のが長えんだ。任官していたのは大体海外だしな。色んな場所の空が入り混じってロンドンのなんて覚えてねえよ」
相変わらず皮肉めいた言い回しをする人である。
まあイギリス料理の記憶が想起されないだけマシなのでは無いだろうか。
全くもって鰻への冒涜である。家庭科の評価2の俺のほうが旨い飯を作れるだろう。
とは言え最近のイギリスの料理はかなり質が上がってきているらしいという話も聞いた事がある。ロンドンで人気のフィッシュアンドチップス店なんかは観光ブックに載るほど観光客にも愛されているそうだ。
「まあ今ではお互いに会社員ですけどね。階級制度とかが軍隊方式だからたまに忘れそうになりますけど」
自分で言った俺の顔にも、聞かされたエアロン大尉の顔にも自嘲の色が浮かぶ。
そう。俺たちは軍人ではない。
商品は武力と軍事、警備知識。お届けは物理的に不可能な場所へ以外何処へでも。
顧客は国家や大企業、資産家など。資金に問題がなければクライアントを選ばない所謂傭兵というやつだ。
とは言っても時代は2023年。表向き国際法を遵守する企業なだけあってテロリストなんか相手には商売をしていない。
主に自国民の犠牲を嫌う大国様が行いたがっている海外派兵の代理やら内戦中の国家の政府側に雇われたりするのが主な業務。
まあ最近じゃ治安のいい国で物資輸送やら現金輸送、警護、兵員教練なんかの仕事の割合が増えてきたらしいが。
なんでも我が祖国日本にも支社ができたらしい。当然のごとく
そもあの平和ボケした国で小銃をぶら下げて歩く必要もないだろうが。―――こめかみに鋭い痛みが奔った。嫌な記憶が想起される。
そういえばC.C.Cに入社して以来一度も帰っていない。もう2年近くになるのか。時の流れは早いものだ。お盆の時期には―――休暇を貰って一度帰ろうか。
「思えばヒナツから自衛隊を辞めたって連絡がきてから結構過ぎたのか」
「ええ。2年近くになりますね。早いものです」
「ヒナツ。お前一度も帰国してないだろう。オレが口利きしてやる。今年は家族に会ってこい。早くしないと旅行明けの飼い犬みたいに顔を忘れられるぞ」
――――ビクッ。エアロン大尉のジョークにこめかみが僅かに痙攣した。
心拍数が僅かに跳ね上がる。喪服の列がフラッシュバックされる。感情の抜け落ちた少女の手を握っているのは、さて誰であったか。
紫煙を吸い込み肺に入れ、吐き出す。強引に思考を煙とともに霧散させようとする。
「…そうですね。お盆の時期には帰らせてもらおうと思いますんで、口利きお願いしますねッ!!」
無理に語気を上げて思考を吹き飛ばすように言葉を発する。
大尉に事情を話していないのは完全にこちらの落ち度だ。彼も悪気があって冗談を言ったわけではない。
「お盆って…お前あと2週間くらいしかねえじゃねえか‼ちょっとは早めに言え‼」
言葉を発する前に大尉の視線が俺の目を見た。瞬間、涙袋がピクリと震えたのが目に入る。
きっとこっちが内心取り乱した事に気づいたのだ。だが事情を話していない事を汲み取ってか、気づいていないふりを続けてくれた。
心の中で謝罪をし、茶番を演じることを選択する。
「でも口添えしてくれるんでしょう?頼りにしてますよ」
エアロン大尉はええいッ!といいながら煙草を地面に落としブーツで踏みつける。
公序良俗の観点から如何なものかと思うが、今のこの場所でそんな事を気にする奴も、そんなマナーも存在していない。
そういうのは平和な国だけの特権なのだ。
「紳士に二言はない‼だけど次からはもっと早く言えよなぁ。じゃねえとオレがハバネロみたいに真っ赤になった大佐に睨まれる」
エアロン大尉はヤレヤレとボディランゲージを行う。
厳つい白人の大男がそれを行っても全く可愛くない。むしろ周囲に威圧を振りまくだけである。
さて。我々がこうして話しているここが何処なのか。
ここは中央アジアとヨーロッパ世界の境目。コーカサス地域に存在する国家アゼルバイジャンのドーラ空軍基地だ。
なぜそのようなところに我々がいるのかと言えば、単純明快仕事である。
半年ほど前に反政府クーデターに端を発した内戦がアゼルバイジャンで巻き起こった。
アルメニアの工作やらなんやらという話であるが、その辺はあまり興味がない。
そのあたりの戦略情報は必要であればC.C.Cの諜報部隊が報告してくるだろう。
重要なのは我々C.C.Cがアゼルバイジャン政府に雇われてこの内戦に介入しているということである。
展開兵力は3個連隊から構成される1個旅団。C.C.C社員約1万人が現在アゼルバイジャンで業務に従事している。
流石は世界最大手
歩兵は勿論のこと装甲大隊や戦闘飛行隊までも投入しているのだ。
そも装甲大隊はひとまず置いておくとしても戦闘飛行隊という航空戦力を保有し運用できる規模の企業という時点で狂っている。
そして先程から話している俺こと朝霞日夏中尉とエアロン・スミス大尉はC.C.Cの戦闘機部隊が拠点としているここドーラ空軍基地の警備任務に従事していた。
エアロン大尉は元イギリス特殊空挺部隊第22SAS連隊、そして俺は元日本国陸上自衛隊第1空挺団出身である。
2013年に起きた南シナ海危機を発端として改正された自衛隊法。それに伴い東欧への復興支援派遣隊として訪れていた国で当時SASに所属していたエアロン大尉と出会った。
俺は幼少期からサブカルチャー好きであったのだが、エアロン大尉はジャポ二メーション(特に深夜アニメ)の大ファンだった。
そういった共通点から話が弾み、連絡先を交換し自衛隊が撤退した後も度々連絡を取り合っていた。
その後紆余曲折有り俺が陸上自衛隊を退職した後にC.C.Cへと勧誘してきたのもエアロン大尉である。
それからというもの同じ部隊でいくつかの戦場を共にしバディと呼べるまでに信頼関係を築いた。
要するに俺の人生のキーマンであるのがエアロン大尉というわけである。
閑話休題。
現在はここドーラ空軍基地を拠点とするC.C.Cの戦闘機部隊も作戦行動で出払っており、これらはいつもの哨戒任務の最中の一コマである。
普段から俺、朝霞日夏中尉とエアロン大尉はバディを組むことが多い。そしてエアロン大尉は小隊指揮官。俺は次席指揮官。本来であれば小隊指揮官と副官がバディを組んで行動することは無いのだが、そこは最大手
「そういえば、今日はフォーマルハウトの連中何処を飛んでいるんだ?」
フォーマルハウト。正式名称コントロール・クライシス戦闘航空部門戦闘飛行課第44戦闘飛行隊。通称"フォーマルハウト隊"
このドーラ空軍基地を拠点とするC.C.Cの戦闘飛行隊の名前だ。要するに我々が警護する実質的な対象である。
「確か首都バクー周辺ですよ。フォーマルハウトの機体は
「ヒナツ。それ絶対にフォーマルハウトの連中に言うなよ。奴らは元々空軍や海軍のアグレッサーだからな。いまのまま空戦ができないんじゃいずれロシア領にすら飛びかねんぞ」
「ロシア空軍相手とか勘弁してくださいよ。流石に規模が違い過ぎて物量で潰される。そんで下は地獄。最終的にボルシチにされるのは御免だ」
冗談を言い合いお互いに吹き出す。
俺もすっかりこのイギリス人のせいでブラックジョークに染まってしまった。
もし今後メディアに露出する機会でもあれば気をつけなければ。
2019年に起きたケニアホテル襲撃事件でメディアに露出させられてしまったSAS隊員のように英雄としてならまだしも、しょうもない冗談が原因で認知されるとか末代までの恥である。まあ彼女も妻もいないしできる予定もないが。
因みに件のSAS隊員はエアロン大尉の戦友らしい。曰くメディアに対して英国紳士らしくブチギレていたとか。
―――その時だった。
身につけている無線機からプッシュ音が鳴り響く。
それは無線から直接発せられるのではなく、装着しているヘッドセット-ComTacⅢを通じて直接鼓膜を揺らした。
瞬時に意識を切り替える。先程までの緩んだ空気は一瞬にして弾け飛び、冬の早朝の如き鋭さへと変化する。
定時報告はまだ先のはずだ。つまりは定時報告外の異常事態が起きたことに他ならない。
俺とエアロン大尉は耳元に流れてくる声を聞き逃すまいと神経を張り詰めた。
そして聞こえてきたのは同じ小隊の隊員の声ではない。
凛と張った女性の声色。確かこのエリアの管制を担当している女性オペレーターのものだ。
<<
コーカサスコントロールからの通信内容を理解した瞬間に全身に電流が奔った。
最早内戦ではない。この紛争は国家間戦争に発展した。
すぐさまエアロン大尉が無線を繋げコーカサスコントロールとの通信を開始する。
『こちらヴァイオレット2-8。コーカサスコントロール、アゼルヴァイジャン国内の反政府ゲリラに動きはあるか?』
<<こちらコーカサスコントロール。ヴァイオレット2-8、少し待て。……そちらの言う通り各地の反政府ゲリラが
『ヴァイオレット2-8了解。アウト』
<<こちらコーカサスコントロール。既にアルメニア国境付近でアンノウンとアゼルバイジャン正規軍の戦端が開かれた。戦力比から見て間もなく突破されるだろう。各員の奮励努力を期待する。アウト>>
首にぶら下げられたドッグタグと
俺とエアロン大尉は走り出していた。今の無線は全C.C.Cユニットが聞いていたはずだ。
であればここドーラ空軍基地に駐留する部隊も迎撃準備を開始しているに違いない。
走りながら簡易的に装備の確認をしていく。
今の装備はジーンズとコンバットシャツの上に各種装備を身につけている。
頭部はベースボールキャップを被りその上からComTacⅢというヘッドセット。
アイガードにESSクロスボウシューティンググラス。グラスのカラーはオレンジ。
タクティカルベルトには5.11のVTAC Brokos。プレートキャリアと同じくMOLLEシステムを利用してガンホルスターやハンドガンマグポーチ。ダンプポーチなどを装着している。
それらのチェックを十数秒のうちに済ませ、
「方位270からの機甲大隊とボギーってどう考えてもゲリラじゃないですよね?」
「あったりめえだろ!十中八九アルメニア正規軍だよ!奴さんパイの準備が終わってもねえのに掠め取りにきやがった!」
道中で複数の人物とすれ違っていく。
それらはすぐにC.C.Cのオペレーターかアゼルバイジャン兵かどうかが判別できた。
動きが全く違うのだ。C.C.Cのオペレーターは一切の淀みなく装備の搬送やチェックを勧めている。
対してアゼルバイジャン兵の多くは混乱しているようであり指揮系統がメチャクチャになっていることが伺える。
正直に言って烏合の衆だ。だがそんな中でも能動的に命令発令への準備を勧めている正規軍兵士の姿も垣間見える。
彼らの顔には見覚えがあった。我々C.C.Cが教練を施した空軍基地守備兵だ。生憎なことに実戦部隊であるアゼルバイジャン陸軍には殆ど教練を行えていない。
本来であれば予備兵も同然の扱いを受ける彼ら空軍歩兵が実戦経験済みの陸軍部隊よりも動けているのは皮肉以外の何物でもない。
そうこうしているうちに当直で使用している宿舎へとたどり着いた。既に我々の部隊であるC.C.Cヴァイオレット2-8歩兵小隊が準備を完了し待機していた。
コーカサスコントロールの通報から3分。さすがの練度と統率力である。壮年のヒスパニック系オペレーターが俺と大尉の姿をみとめると大声を投げかけてきた。
「大尉‼ヴァイオレット2-8は進発準備を完了しています‼」
「流石だ曹長‼オペレーション・アンチテーゼに置けるヴァイオレット2-8の配置はドーラ空軍基地の北部ゲート防衛だ。総員乗車‼」
エアロン大尉の号令でヴァイオレット2-8の面々がいっそ芸術的とも言える素早さで各車両に乗車していく。
C.C.Cが主に用いる車両はブラックペイントのスバルフォレスターだ。軍事用に改良されルーフに射座が取り付けられている。射座には
その道中、再び無線から声が聞こえてきた。
<<こちらC.C.C所属フォーマルハウト隊の
<<こちらコーカサスコントロール。アルデバラン、既に国境線は敵機甲部隊に突破された。また国際チャンネルを用いてアルメニアからアゼルバイジャンに対する宣戦布告がなされた。私達の敵にアルメニア政府軍も追加だ。オーバー>>
<<アルデバラン了解した。フォーマルハウト隊はアグジャバディ県上空で敵航空戦力を捕捉している。接敵まで60秒。これを撃破し航空優勢を確保した後
<<こちらコーカサスコントロール。アルデバラン、フォーマルハウトは4機小隊だが、
<<うちは皆士気旺盛でね。制空戦闘が無いことに嫌気が差してロシア旅行を画策していたぐらいだ。航空優勢確保後
さっきエアロン大尉と話していた内容はどうやら事実であったらしい。本当に勘弁してくれ。ロシアは稼働率は兎も角としても実戦経験でいえば世界トップレベルなのだ。
アメリカ軍、中国軍に並んで相手取りたくない軍隊である。
<<コーカサスコントロールより。西部地域での最重要拠点はドーラ空軍基地だ。地上ユニットの劣勢時は
<<期待しないでおくよ。アゼルバイジャン空軍は内戦初期にかなり損耗しているからな。おっとエンゲージだ。これより航空優勢を確保する。アルデバラン、アウト>>
航空無線と地上無線を分けていないのかと気になったが、フォーマルハウト隊の面々の通信はこちらには入電していない。
であれば
ヘッドセットから見知った連中の声が聞こえてくる。これから間もなくで戦場へ赴くというのに、車両内の会話は酷くいつもどおりであった。
『空の連中、いきり立っていたな』
『気持ちはわかるさ。私達だって日本とかに派遣されてみろ。きっと平和すぎて気が狂うぞ』
俺は次席指揮官として司令部交信用と小隊交信用の2つの無線機を身に着けている。
そのうちの小隊交信用の無線からの声だった。全くもっていつもどおりの会話だ。これから死ぬかもしれないというのに。
だが彼らの所作は会話内容の様に緩みきったものではない。
寧ろその逆。研ぎ澄まされた刀剣が如き雰囲気を身にまとっている。
C.C.Cの、というよりは
最早彼らにとっては非日常こそが日常だ。
そんな俺もウォーホリック予備軍の1人である。自衛隊退職時は実戦経験なぞ皆無だったが、C.C.Cのオペレーターとして転戦を続けていたあたりから感性が壊れた。
僅か2年の戦場が、27年の人生を受け入れがたくしている。人はそれこそ大量に殺した。俺は選抜射手だ。必然その機会は多くなった。
ここにいる連中は魂が闘争という死神に惹かれちまっている連中なのだ。
まあ俺の場合はISILの蛮行を間近で見る時間が多かったっていうのも決壊のトリガーだったのだろう。
そんな思考の内にコンボイは北部ゲートへと到着した。
各員が降車し防衛位置へ展開していく。
すぐ横に存在する滑走路から轟音が鳴り響いた。空気を劈くエンジン音。直後に身体を襲う強烈な風圧。
目の端でそちらを見てみればアゼルバイジャン空軍の
初期通報から既に10分が経過している。
もう少し早く
だが離陸していく
全くもってドーラ空軍基地の司令官殿は優秀であらせられるようで何よりだ。ゴミカスどもが。
「よし、ライアットとゲールマンはゲートの防衛だ。レイチェルとレネイはゲートの二人を援護しろ」
エアロン大尉が的確に指示を飛ばしていく。その内に俺は車のトランクを開き、その中から2つの銃を取り出していた。
「相変わらず重いな」
一挺はM39EMR。M14系ライフルの現代改修品であり、マークスマンライフルにしてはそれなりの性能にまとめている。使用弾薬は7.62mm×51mm NATO弾。バイポッドを装着しているため立射するには重量がキツイが、半固定運用ならば問題ない。4-16倍暗視スコープも取り付けておりこの夜間運用では大いに役立つだろう。
もう一挺はバレットM82A1。12.7x99mm NATO弾とかいう気の狂った弾薬を使用する
「ヒナツ、お前は弾薬庫の上で阻止射撃を行え。敵が見えたら撃っていいぞ‼お前が先駆けだ」
「了解、大尉」
エアロン大尉からの指示が下りゲートから50mほど後方に存在する臨時の弾薬庫の天井へと駆け上がる。
流石に
だが行軍ってわけでもないんだ。問題はない。弾薬庫の屋上に到達し担いでいた銃を置いていく。
少し乱れた息を鍛えた体力と幼い頃からやってきたシステマ独自の呼吸法を組み合わせて落ち着かせる。
そしてうつ伏せになり射撃体勢をとりつつ各火器の最終チェックを始めた。
チェックが終わり、ポケットに突っ込んでいた干し梅を口に放り込む。さあ準備はできた。あとはお客さんが来るのを待つだけだ。
存外その時はすぐに訪れた。大体2分後、無線機がヘッドセットを通して鼓膜を震わせる。
<<コーカサスコントロールよりドーラ空軍基地の各C.C.Cユニット。警戒中の
コーカサスコントロールのオペレーターが凛とした声で悪態を付く。
だが全くもってそのとおりだ。この半年で連中の戦力の多くを削ったはずだが。何にせよ俺が開戦の口火を切ることになりそうだ。
『ヒナツ、敵が見えたら撃ってよし。開幕の一撃は任せる』
「言われなくても、大尉」
その数秒後、稜線から現れるトヨタ製のピックアップトラックを視認した。月明かりと高緯度特有の日の高さではっきりと確認することができた。
距離約1400m。風速3m程度。コリオリ力を含めて大まかな射撃位置を決定する。本職のスナイパーで無いためそういった連中には劣るだろうが、射撃の技術に関してはそれなり以上の自負があった。どうせスコープなし曳光弾狙撃なんていうアホみたいなことをしているのだ。初段が当たらないことなんて当たり前。そこから修正射を行い2射で一両を仕留める。言っていてなんだが正直自分でもどうかと思う。きっとワンショット・ワンキルを心情とする本職の連中に怒られるんだろうななどとどうでも良いこと思いながら―――-トリガーを引いた。
12.7x99mm NATO弾が起こす強力な衝撃が肩を襲う。それを肩甲骨を反動方向へずらすことで身体全身へと逃した。
ノンスコープ狙撃にも良いところがいくつかある。その最たるものが
巨大なマズルブレーキの先から撃ち出された弾丸は暴力的な初速を伴って対象へと向かっていく。
それはまるで誘導されるかのように曳光弾が軌跡を描きながら目標へ吸い込まれていった。
エンジンブロックに直撃した12.7x99mmの榴弾は破裂し車を月まで吹き飛ばす。
「当たんのかよ……」
その命中に一番驚いていたのは俺自身であった。そりゃなるべく当てられるように撃ったが、まさか初弾で本当に当たるとは思いもよらなかった。
恐らくは曳光弾を使用したのが功を奏したのだ。
どういうことかといえば、こちらから発射された曳光弾はあのドライバーにも見えていたはずである。それは着弾までの2秒にも満たない時間だが、ドライバーが回避を行おうとハンドルを切るのには十分な時間だ。結果としてドライバーは見えたままの弾道を予想し回避しようとした。だが長距離射撃はコリオリ力の影響を受ける。
要するに地球の自転の影響で弾が曲がるのだ。それはコリオリ力を知らない存在からすれば摩訶不思議な光景だろう。
そして最初に見えた弾の機動をみて回避しようとしたドライバーは、コリオリ力によって曲げられた弾着地点に自ら飛び込んでしまったというわけである。
全ては弾を放った瞬間に車がハンドルを切って機動を変えたのが見えたことからの推察である。
あのドライバー相当いい反射神経とドライビング技術を保有していた。これで長距離狙撃を経験した事のある人物であったのならば恐らくこの初弾は命中しなかっただろう。
『良いぞヒナツ中尉!仕事が終わったらうなぎゼリーを奢ってやる』
「謹んでお断りします、っと」
続けて2両目に目標を定めてトリガーを引く。弧を描くように飛んでいく曳光弾。
だがその着弾はズレ命中しない。
「まあこれが普通だわな」
その弾着から修正し第二射を叩き込む。
弾丸は狂いなくピックアップトラックのフロントガラスへ吸い込まれていき横転爆発したのが見えた。
3発で高速移動中の車両を仕留められた事に若干の満足を覚えつつ口の中で干し梅を弄ぶ。
ゲートからは歓声が聞こえてきた。彼らにも月まで吹っ飛んだ車両が見えたのだろう。
同時、他の3方向からも銃声が鳴り響き始める。C.C.Cオペレーターが受け持つ方角からは俺と同じようなアンチマテリアルライフルの単射音が。
アゼルバイジャン正規軍が受け持つ方角からは
<<こちらコーカサスコントロール。ヴァイオレット2-8、そちらが先鋒を撃破した敵北部部隊が稜線の手前で停車した。現在トラックから歩兵が降車し接近中。警戒されたしオーバー>>
『ヴァイオレット2-8了解。防衛任務を継続する、アウト』
<<…いや、待て。敵部隊の更に後方、距離2200mの森林部に複数の熱源が出現。これは―――迫撃砲部隊だ>>
その通信が入った瞬間に風切り音をヘッドセットが拾う。咄嗟に対ショック姿勢を取った。
直後ヘッドセットが音量カットするほどの轟音、そして熱風が肌に感じられる。
滑走路横に設けられていた掩蔽壕に迫撃砲が着弾したのだ。
『全員頭を下げろ‼観測手はまだいないはずだ‼精密攻撃はありえない‼』
エアロン大尉の怒号混じりの声がヘッドセットから聞こえる。冷静なものだ。流石に頼りになる。
俺は対歩兵射撃に備え
<<ヴァイオレット2-8、狙撃を行っていたのは誰ですか?オーバー>>
『アサカ中尉だッ!』
<<アサカ中尉。こちらコーカサスコントロール。敵迫撃砲部隊の視認は可能か?オーバー>>
「不可能です。稜線に加え森林が遮蔽になっている」
事実を伝える。どう足掻いても視認は不可能な相対位置だ。
恐らくはフォーマルハウト隊による
各国アグレッサーなどの出身者が多い彼らがアルメニア空軍ごときに負けるとは思わないが、あまり期待はしないほうが良さそうだと感じる。
だが事実として迫撃砲火力を叩き込まれながら基地防衛なぞできるわけもない。一瞬詰みの二文字が脳裏をよぎる。
<<こちらコーカサスコントロール、アサカ中尉了解した。虎の子だが
そしてぴったり15秒後に稜線の向こう側で爆炎が上がったのが見えた。
今ほど所属企業がC.C.Cで良かったと思った事はない。普通の
ありがとうコーカサスコントロール。ありがとう綺麗な声のオペレーター。あなたが女神だ。
『Hue‼最高だッ!愛してるぜコーカサスコントロール!』
他部隊のオペレーターが歓喜のあまりコーカサスコントロールに愛を叫んだ。
まああのクールなオペレーターのことだ。小言を言われるに……
<<ンンッ‼ンンンンッ!か、各ユニット警戒継続。状況継続中です!>>
……メチャクチャ動揺しとるがな。存外ウブなのかもしれない。まさか命の危機に瀕した戦場で顔も知らない人物の性癖について考えることになろうとは誰が思うのか。
さて。そうこう考えている内に敵歩兵が
グリップを握りストックを肩に押し当てる。両目を開けた状態で暗視スコープを覗き込むと増幅された光で構成された緑の世界が現れる。
そしてくっきりとその歩兵達の姿を確認することができた。だが多大な違和感を感じる。コイツラ…装備が良すぎる。
アルメニア、アゼルバイジャン共に旧ソ連構成国。そのため装備にもその色が濃く出ているはずだ。それに正規軍からの離反者が多少合流しているとはいえ大多数は民兵のはず。であるのならばあの装備は何だ?
「コーカサスコントロール。こちらヴァイオレット2-8朝霞中尉。敵の歩兵を視認したのだがどうにもおかしい。連中
<<こちらコーカサスコントロール。アサカ中尉、確かか?オーバー>>
「間違いない。スコープではっきりと見えている。連中装備だけは超一流だぞ」
<<了解。現状作戦に変更はありません。C.C.C各ユニットは防衛戦闘を継続。戦闘終了後に調査チームを派遣します。コーカサスコントロール、アウト>>
きな臭いことになった。この戦闘にはアルメニアだけでなく第三組織が介入していることは間違いないだろう。
それも西側最新装備を供給できるような潤沢な資金力を持つ組織が。だが少なくともこの戦域にそれらが直接参加している可能性は低いと思える。
直接参加しているのならこんな稚児にも等しい杜撰な拠点攻撃は行わないだろう。
違和感を抱えつつも口の中の酸味に一瞬意識を向けることでそれを振り払う。
そして完全に射程に捉えた歩兵に対して射撃を開始した。
1人、2人、3人、5人、8人。なるほど。縁日の射的をしているのかと勘違いするほどに弾を当てやすい。
やはりこいつら装備以外は素人だ。だが
少々面倒だがヘッドショットを狙っていった方が確実か?
そうして14人目の頭を吹き飛ばし、15人目に照準を合わせた時だった。
全身の毛が逆立ち鳥肌が立つ。なぜ?その理由はすぐに分かった。
15人目の後方、稜線の上にそいつはいた。
地上戦の主力であり、圧倒的な装甲と機動力、火力で歩兵をボロくずの用に吹き飛ばす巨体。
平野に置いて不意遭遇すれば神に祈るしか無い鉄の猛獣、戦車だ。
特徴的なネットで車体を覆っているその砲口と目があった。
「T-90ッ!?」
『おいヒナツ!T-90ってマジか!?そこから逃げろ!絶対に狙撃手を吹き飛ばしに来るぞ!』
<<そんな敵
俺はエアロン大尉とコーカサスコントロールの声が聞こえる前に走り出そうとしていた。
そしてその瞬間、T-90の砲口が砲炎を吐いたのを目撃する。
妙に周りが遅く見える。匍匐状態から起き上がり、弾薬庫の屋上から飛び降りようと走り出す。
視界の端には迫ってくる砲弾。屋上外縁まであと3m。
砲弾はスローになった世界でも高速で迫ってくる。
あと2m。過去の記憶がスライドショーの用に流れ出す。その多くに写っているのは、1人の少女と1人の女。
最早砲弾は眼前まで迫っている。
あと1m。ああ、そうか。これが走馬灯。
砲弾は弾薬庫の外壁を食い破り内部の燃料弾薬に引火した。
視界が白く染まる。嗚呼、死ぬ瞬間まで意識があるものなんだな。ごめんな。秋奈、ひめ……。
「ヒナツゥゥウウッ!!」
エアロン大尉の絶叫が俺の耳に聞こえることはなかった。
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Act1_剣と魔法のアストロノミア
日中大地を照らし続けた太陽が、その仕事を終え岳陵の向こうへと隠れる。
代わりに現れた月と幾千万の星々がその仕事を引き継いで我々を仄かに照らす。
肌を撫でる風は未だに生暖かく、日光で火照った身体を冷ますまでには至らない。
耳に入ってくるのは風と、仕事を終えた兵士たちがもたらす僅かな喧騒。
人里から少し離れた平野。ここはミスティア王国。その東側国境線、フェリザリア王国の近くに設営された臨時キャンプだ。
今は母上からの命で国境警備の軍役に就いている最中である。
王族の務めとはいえ、少々気が滅入る。とはいっても別にこの軍役に文句があるわけではない。
領土の守護は我々貴族の務めだ。それ自体は良い。寧ろ領土防衛や軍役を投げ出すような輩に青い血が流れているはずもない。
文句があるのはこの暑さである。甲冑を身にまとっているというのが大きいのだろうが、暑いものは暑い。
今すぐにでも甲冑を脱ぎ捨てて半裸で夜風に当たりたいが、不幸な事に今回の軍役にはミスティアに僅かしかいない男の騎士も幾人か参加している。
クローズドな場でもないしそれは不味い。別に今更女の裸を見たくらいでどうもならないだろうことは理解している。現に今回の軍役に参加している公爵家の兵の何人かは全裸になり涼んでいるのが目に入ってくる。
恨めしい。王族という立場がなければ今すぐにでもあそこに参加したい。だが第一王女が男性騎士に見せつける様に裸になるのは不味かろう。
そもそも男が親しくもない女の裸を見て嬉しいはずもない。
だが暑い。暑いものは暑い。堂々巡りしそうになる思考だったが、1人の人物が現れた事によって中断に成功する。
上等なプレートメイルに栗毛のショートカット。そして高身長の女騎士は私の横に立つと口を開いた。
「どうしましたベネディクテ様。今にも溶けそうになっていますよ」
「ラグンヒルド、暑いんだよ。お前の言う通り母上の命でなければとっくに溶けている」
訂正。この思考の堂々巡りは続きそうである。
私の返答に高身長の女騎士は上品に笑った。この女、ラグンヒルド・オルセンは私の身辺警護を担当している第一王女近衛隊の隊長だ。
個人的には笑ってないでこの暑さをどうにかしてほしいものである。まあ逸脱者級の魔術師でもないとそんなこと不可能だろうが。
「でしたら甲冑をお脱ぎになっては?」
「インナーを着忘れた」
「今更裸を見られた所で…ああ。そういえば今回男性騎士の方々が数名参加しておられましたね。淑女然するのは構いませんが、熱で倒れないでくださいよ」
「相変わらず貴様は手厳しい」
ラグンヒルドがピッチャーからレモン水をコップに注ぎ、手渡してくる。
嗚呼…冷たい。氷系魔術で冷却された水が火照った身体の熱を奪ってくれる。
一気に喉にそれを流し込んだ。よく冷えた水が身体の真から熱を殺してくれる。
いつもの10倍は美味しく感じた。全くもって身体状態こそが最高の調味料だといった料理人は的を射ている。
「そういえばオイフェミアはどうした」
私は従姉妹であり第一王女相談役であり、展開中の公爵軍指揮官の事を問いかける。
「オイフェミア殿下は殿下の近衛隊と共に巡回に向かわれました。間もなく帰還されるでしょう。何かご用事でも?」
「いや。オイフェミアに氷系魔術で涼み場を作ってもらいたかっただけだ」
「オイフェミア殿下のお手をわずらわせる事にならなくてなにより」
私はその嫌味を素知らぬ顔で受け流す。
この第一王女近衛隊隊長の嫌味にも慣れたものだ。
もう10年以上の付き合いになるが、相変わらず変わりようもない。
「そういえば子供はどうだ?もうすぐ8歳の誕生日ではなかったか?」
これ以上の嫌味を喰らう前に話題を転換する。
今年で32歳になるラグンヒルドは1児の母でもあった。
「よく覚えておいでで。ええ、可愛いものですよ。私が家にあまりいないもので、帰ればよく甘えてくれます。ですが女として生まれてしまったからにはそろそろ本格的に軍事教練をしなければなりません。娘に嫌われないか心配です」
ラグンヒルドは少し嬉しそうに顔を綻ばせた。
彼女があまり家に帰れない原因の一端は間違いなく私にあるので申し訳なさを覚えるが、それでも彼女は幸せそうである。
子供…子供か…。それ以前に夫を娶ることであろうと自分にツッコミを入れる。
だがミスティア王国で一般的に好かれる『か弱い優男』はどうにも好きになれん。私の好みは強い男だ。それが肉体的にか精神的にかは置いておくにしても、いずれにせよ国内で好かれる『か弱い優男』は好みではなかった。そのため貴族連中の男どもはどうしてもストライクゾーンから外れる。
だが私も王族。それもいずれ国を継ぐことになる第一王女ともあればそういった男とも結婚せねばならん。
私ももう17歳になる。最早若干の行き遅れなのは否めない。母上は16歳で私を出産したらしい。それも本気で惚れた相手とセックスして。羨ましい。
私も本気で惚れた相手とセックスしたい。正直王族の女であろうものが未だに処女なのもどうかも思うのだ。何処かに強い男は転がっていないだろうか。
身分の差があってもセックスまではセーフだろう。そして有力貴族から夫を娶り、本気で惚れた相手を愛人にする。
正直貴族として生まれた女ならば多くが考えることだろう。そんな中でラグンヒルドは本気で惚れた男を夫にしている。羨ましい。全くもって羨ましい。
さて。そのような猿レベルの妄想をしていても暑いものは暑い。だが仕方ないだろう。"この世界の"女は皆下半身で生きていると亡き父上も仰っていた。
気でも紛らわす為に机上演習でもしようかと考えていたところ、騎馬が一騎目の前で停止した。
少々驚きながら騎乗している騎士に目を向ければ見覚えのある顔。オイフェミアの近衛隊の次席指揮官である女だ。
彼女は息を切らしながらも鬼気迫ったように声を上げて報告した。
「申し上げますッ!国境からフェリザリア騎士団が越境を開始しました!現在オイフェミア様以下公爵近衛兵19名が初期迎撃を開始しておりますッ!ベネディクテ王女殿下には至急迎撃部隊の編成と救援を願うとオイフェミア様は仰られています!またオイフェミア様不在の間、ベネディクテ王女殿下に公爵軍の指揮権を譲渡するとのことです!」
脳天からガツンと殴られたような錯覚を覚える。よもやこのタイミングでフェリザリアが軍事行動を取ってくるだと?
諜報を得意とする法衣貴族どもは何をやっているのだ。
愚痴が先走りそうになるが、直様意識を切り替え声を張り上げる。
「了解した!敵の規模は如何ほどかッ?」
オイフェミアの近衛隊次席指揮官は息を詰まらせながら答える。
少々痛々しいがそう言っていられる状況でもない。
「て、敵はおおよそ1500の大軍です!」
彼女がそう言った瞬間、周りの兵士達にどよめきが走る。1500だと?ふざけやがって。我々が展開している総数の3倍近くだ。
なぜそんな数がこの国境線にいる?フェリザリアも我が国と同じく北方の魔物部族連合の対策に手を取られていたのではなかったのか。そもそも何故1500という大軍の進発準備に諜報貴族の連中は気がついていなかったのだ。
いや、それを考えるのは後だ。今は防衛手段を考えるのが先決である。
「理解した!公爵軍の次席指揮官はおられるか!」
そう叫べば直ぐに甲冑姿の女が前へ出てくる。私が言えたことではないが勝ち気な目が印象的な大女だ。
「ハッ、こちらに」
膝をついて敬礼しようとする次席指揮官を手で制止しながら指示を飛ばす。
「公爵軍から20の精鋭を選抜しろ。騎兵だ。それと私の第一王女近衛隊からの10名でオイフェミアの救援部隊を編成する。指揮官はラグンヒルドだ!」
「了解致しました。ですが20騎は現在展開中の騎兵の2割にあたります。よろしいですか?」
「どのみちオイフェミアに何かがあればこの戦いは元より国が滅ぶ。絶対に救援を間に合わせろ!」
私の鬼気迫る様子に気圧されたのか次席指揮官は肯定を示した。
そうだ。従姉妹だからとか親友だからとか私人としての感情を抜きにしてオイフェミアが死ねば国が終わる。
まあ戦略級魔術師であるオイフェミアがやられることなど無いとは思うが、肉薄されれば彼女の強みである高火力魔術を活かす事は難しい。
そしてオイフェミアの剣の腕は市内の娘以下である。要するに既に接近されているような状況であれば非常に不味い。
生きていたとしてもだ。捕虜になろうものなら身代金を想像するだけで気が触れる。絶対にそれは回避したい。
私は戦術はあまり得意ではない。だが戦略は天才と称される。事実それは自分でも自負している。
故にこの一戦が戦略的に重要なことを誰よりも理解していた。
「本隊は前面防御だ!どのみちこのキャンプでは騎兵突撃を止められん。準備でき次第前面で迎撃準備に当たれ!本陣の防衛は私の近衛隊と歩兵10だけでいい!」
「そんな!ベネディクテ殿下危険すぎます!万が一御身に何かあればオイフェミア様に顔向けが…」
「そんなこと言っている場合ではないたわけ!自分の身など自分で守れる。急げ!準備を整えろ!」
彼女たち公爵軍の忠誠は公爵家のみにある。いくら王族だろうが彼女たちの心配は『私が死ぬこと』ではなく、『私が死ぬことによってオイフェミアが悲しむこと』なのだ。
正直に言えば悲しい限りである。だがそんな忠誠を向けてくれる部下を持つのはオイフェミアだけではない。
「聞いての通りだラグンヒルド。部隊を分割してオイフェミアの救援に迎え。人選は任せる」
「了解です。オイフェミア殿下はこのラグンヒルドが命に変えてもお守りしましょう」
私達は準備をすすめる。こんなところで死んでなるものか。処女のまま死んでなるものか。
どうせ死ぬなら好みの男を抱きながら死にたいのだ。
その時ふととある事を思い出す。
フェリザリアには英雄と称される逸脱者が1人存在している。
法衣貴族共が母上への報告を行っていた際によくその名前は出ている。
その者の名前は―――ノルデリア。ケティ・ノルデリアだったと記憶している。
オイフェミアと異なり魔術師ではなく戦士としての逸脱者だったはずだ。
フェリザリア王国がその人物を主軸として北方魔物部族連合の殲滅に乗り出していたのであればどうだ?
周辺国家群の中でも最優の戦士であるノルデリアを投入したとすれば既に趨勢は決しているだろう。
そして北方防衛に投入していた戦力今回の侵攻にあてたのだとしたら辻褄が合う。
その上このタイミングでの軍事行動。
奴らはオイフェミアという我が国の戦略級魔術師を無力化するつもりだ。
――鳥肌が立つ。全身の毛が逆立った。
この時を狙っていたのだ。オイフェミアが軍役で国境近くに現れるこの時を。
「それではオイフェミア殿下の救援に進発します。ベネディクテ様、どうかご無事で」
ラグンヒルドが進発準備を整え声をかけてきた。
――このまま行かせていいのか…?オイフェミアへの増援は間違いなく最優先事項ではある。
だが敵方の逸脱者であるノルデリアがこの戦場に参加しているのだとすれば…ラグンヒルド達が生還する可能性はかなり低くなる。
どうする?どうすれば良い?救援部隊を増員するべきか?
いや、駄目だ。我々の総数は500弱だ。更に増員すれば本隊が戦術的な行動を取ることが不可能になる。
このまま行かせるしか無い。
「そちらもなラグンヒルド。だが気をつけろ。恐らく敵方には逸脱者ノルデリアが参陣している。…無事で帰れよ」
「……承知致しました。全身全霊をかけて望みましょう」
何かを決心したかのようにラグンヒルドは頷く。
その瞳には強い意思が伴っていた。
私も腹をくくるとしよう。
ラグンヒルド率いる騎兵部隊が進発する。
私も全力でこの戦闘に臨むことにしよう。
状況は切羽詰まっていた。
後方からフェリザリア騎士団の騎馬が迫り今にも追いつかれそうになっている。
その数は大凡30。少なくとも私達よりも10騎以上は多い数の集団に追跡されていた。
いつも通り私にとっては退屈な軍役になるはずだった。
確かに前々からフェリザリア王国とは数年に一度の頻度で小競り合いが起きていた。
だが北方の魔物部族連合が勢力を増してきた近年は両国共に余力がなかったため、武装平和が保たれていたはずだったのだ。
なのに、何故このタイミングで彼らは侵攻してきた?
その答えは考えずともわかる。私がいるからだ。
普段は公爵領かミスティア王都にしか出てこない私がこんな国境線の間近にいるのだ。
フェリザリア王国にとっては寧ろまたとない好機に違いなかった。
その証拠に連中の追撃部隊は軽装の騎兵で構成されている。
明らかにこの状況を想定しての編成だろう。
巡回任務中に越境軍事行動を行ってきたフェリザリア軍と不意遭遇したのは凡そ30分前。
即座に伝令へと走らせた部下は無事に辿り着けているだろう。
だが敵の総数は1500を超える大軍である。流石に大多数が歩兵であろうがそれでも我々の3倍超の戦力なのは間違いない。
ここまででも十分に最低な状況なのだが、それ以上に最悪なことが存在している。
それは敵軍フェリザリアの指揮官が逸脱者の1人、ケティ・ノルデリアであるということだった。
私、オイフェミア・アルムクヴィストも逸脱者と呼ばれる存在の1人ではある。
だがその才能は魔術に特化していた。
対してケティ・ノルデリアは戦士としての逸脱者。私とは違う常在戦場にあっての天才である。
ノルデリアはすぐ背後まで迫ってきている追撃部隊を率いているようであった。
つまりこのまま本陣へと逃げ切れたとしても大局での敗北は必至である。
それを避けるためにはここでノルデリアを撃退し敵軍を撤退させる以外にはなかった。
このフェリザリア侵攻軍の中核は間違いなくノルデリアという個人戦力。
それさえ撃退できれば敵は引くことを選択するだろう。
だが正直に言ってかなり分が悪いのは間違いない。
どのみち私にできることと言えば時間を稼ぎ続けること以外にはなかった。
――その時だった。
肩に衝撃が奔る。続いてくるのは激痛。矢を当てられた。そう理解するのに時間はかからない。
私の身体は宙を浮き馬から投げ出される。地面にぶつかる瞬間に魔術防壁を築き衝撃を殺すことに成功したが、私の身体は地面を2度バウンドし転げだされた。
「オイフェミア様!」
部下が直ぐに停止し私を庇うように展開する。
最早逃げられない。そんな事は誰の目で見ても明らかだった。
馬から降り、私の前に立った部下の奥にその姿を捉える。
黒いフルプレートアーマー。背中には軍団旗を差し、大槍を構えるあの女こそ逸脱者ケティ・ノルデリアだった。
ノルデリアは馬から降り私達のもとへと近づいてくる。
私も地面から立ち上がり、その女を見据えた。
「オイフェミア・アルムクヴィスト殿下とお見受けする。我が女王からの伝言だ。『我がもとへ下れ』と、そう仰っている。ご同行願おう」
ノルデリアは声高々にそう宣言した。
まさにあの弱肉強食を地で行くフェリザリアの女王が言いそうな言葉である。
勿論頷けるはずもないが。
「勧誘されるのは大変光栄ですが、それはできません。と女王陛下にお伝え下さい、ケティ・ノルデリア騎士団長」
精一杯の嫌味を込めてそう返答する。すればノルデリアは愉快そうにクツクツと笑った。
「そうだろう、そうだろうな。寧ろ貴殿が売国奴であろうものならこの場で斬り伏せていたというものだ。だがやはり貴殿には価値がある。嫌でも連れて行かせてもらうとしよう」
他のフェリザリア兵士達は私達が逃げられないように周囲を囲む。
そしてノルデリアは大槍を下段に構え、私達へ向け地面を蹴った。
それに反応した私の近衛隊の隊員が帯刀しているロングソードを構え間へと割り込む。
対するノルデリアも機動を変更せず正面から打ち合った。耳を劈く金属音と火花が巻き起こる。
結果。近衛隊隊員の得物は弾き飛ばされ、鮮血が舞う。
寸分の狂いなく首へと突き出された大槍は近衛隊員の頭を切り飛ばしたのだ。
私は苦虫を噛んだような表情を浮かべつつカウンターとして攻撃魔術を発動させる。
高威力の魔術でなければあの逸脱者に十分なダメージは与えられないが、今はそんな詠唱を行っている時間はない。
結果として唱えた魔術は
ノルデリアは直様反応した。魔力放出でその場から飛び退き
内心で舌打ちをしながらも第二射、第三射と叩き込んでいく。だがその全てを容易に回避される。
その隙をついて近衛隊の隊員が斬りかかるが、3手とかからずに頭を飛ばされた。
長年付き添ってきてくれた部下があまりにも簡単に死ぬ光景を前にして、思わず叫びそうになる。
だが精神抑制魔術を自分自身にかけることによって平静を保った。泣くのも、取り乱すのも後で良い。いまは私の壁として死なせてしまった彼女達に報いる為にも状況を打開せねばならない。
部下が作ってくれた時間を使って上位魔術を発動させる。その名前は
それを光波のように発動させノルデリアへ向かって撃ち放つ。だがノルデリアは即座に上体を反りながら前方にスライディングすることによってこの一撃を回避した。だがノルデリアの後方で包囲網を形成していた騎兵はそれに巻き込まれ塵すら残さずに消滅する。
直線上50mほどに渡って平原の地形すらも抉った一撃ではあったが本命に当たらなければ意味がない。
「流石に今の一撃は肝が冷えたぞ。なるほど、女王がその力を欲しがる訳だ」
状態を立て直したノルデリアが愉快そうにそう言った。
この女、命の取り合いを全力で楽しんでいる。倫理観が欠如しているでしょうと内心で愚痴りつつもそれを表情に出すことはしない。
「お褒めに与り光栄です。ですが私はミスティア王国の貴族。最後までその務めは果たします」
その私の言葉に対して、フルフェイスの兜の向こう側でニヤリと笑ったのが感じ取れる。
こちらは全くもって笑えない状態であるというのにムカつことこの上ない。
そして再びノルデリアが魔力放出と共に吶喊してきた。
近衛隊の面々がそれの迎撃を試みるが、その実力差は比べるべくもない。近衛隊の隊員も相当以上の実力者であるのだが、対する相手が悪過ぎた。
大人が幼子を撚るかの様に、その生命を刈り取られる。あっという間に私と長年共に戦ってきた戦友の数は半分以下になっていた。
黒い甲冑を返り血で染め上げ、ノルデリアは槍を構える。
次で決める気だ。そういった確信にも近い直感が私の頭を奔った。
腰を下げ、突撃準備を整える。私はその攻撃に合わせるように
―――だが。ノルデリアの攻撃が行われる事はなかった。
その理由はノルデリアの肩口に何かが命中し、火花と鮮血を上げたことにある。
「チィッ!」
命中した何かは連続で飛来しノルデリアへと向かった。
その直後に背後から聞こえるのは聞いたことも無いような破裂音。
飛来した何かと同じ数だけの破裂音が連続して鳴り響く。
だがノルデリアも黙ってそれらを喰らうはずがなかった。二射目以降の攻撃を魔力放出による瞬間機動で回避していく。
一瞬破裂音の連続が途切れ、直様に再開される。そしてその音と共に放たれたであろう何かは、周囲を囲んでいたフェリザリア騎兵達に襲いかかっていった。
30騎近くいた騎兵が次々に鮮血を噴き出し落馬していく。その状況を理解する間もなく首に風穴を開けられたフェリザリア騎兵の顔には驚愕の色が浮かんでいた。
フェリザリア騎兵の数が半分を切った時、ノルデリアが撤退の合図を出す。それは決して彼女の判断が遅かったわけではない。正体不明の攻撃が早すぎたのだ。
指示を与えられた事によって混乱から回復した騎兵達は一斉に撤退を開始する。
「厄介な伏兵を仕込んでおいたものだなオイフェミア・アルムクヴィスト。今回はお前の策の勝ちだ。またいずれまみえよう」
最後の一騎のフェリザリア騎兵が離脱していく中、ノルデリアはそう言葉を告げた。
そして魔力放出を行い一気に戦場から離脱していく。
ん?まて。何か勘違いをしてはいなかったか。
ノルデリアが完全に視界から消えた後に、生き残った部下達へと目を向ける。その誰もが混乱しているような表情を浮かべていた。
きっとそれは私も同じである。何が起きたかは分からないが、とりあえず助かったという事実だけがそこには存在していた。
とりあえず誰かに助けられた事は間違いないのだろう。そう思い、私は破裂音のしていた方角へと顔を向ける。
400mほど先の岳陵の上。月明かりと星々の光によって照らされたそこには、筒のようなものを抱えた人影が立っていた。
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Act1-2_境界線上のアルカナ
視界が明滅している。連続した浮遊と自由落下を繰り返しているような錯覚に苛まれる。朦朧とする意識のまま瞼を開けた。
そして飛び込んでくる景色は満点の星空が浮かぶ黄昏の世界。
なんとも幻想的な光景に一瞬思考を止めて"綺麗だ"という感想を抱いた。
星々は今まで過ごしたどの土地よりも強く、そして多く輝いている。黄昏と夜空がミックスされたこの光景は夢ではないかとそう思った。
段々と微睡みから意識が浮上する。だが思考が覚醒していくと同時に混乱も広がっていった。
…なんだこれ?俺はT-90から放たれた砲撃で弾薬庫諸共火星あたりまで吹き飛んだのではなかったのか。
上体を起こし周囲を確認する。まず自分が倒れていた場所。
そこは打ちっぱなしのコンクリートで作られた、馴染みのある構造物の屋上であった。
俺を吹き飛ばしやがった弾薬庫である。だが色々とおかしいところがあった。
いやこの状況自体がおかしいのだが、それはひとまず置いてほしい。
おかしいところというのは弾薬庫に砲撃が命中した痕跡が残っていないことであった。
壁も砕かれておらず、精々が自然劣化による傷程度である。
頭に疑問符が連続して浮かび上がる。え?どういうこと?
自身の周りには先程まで用いていた
薬莢や各種マガジンも先程のままだ。
次に弾薬庫の周りの光景を確認する。
目に入ってくるのは黄昏と星々の仄かな明かりで照らされた平原。
この光景は何処かで見た記憶がある。確か学校終わりに妹とリビングで見てたドキュメンタリー番組だ。
北ヨーロッパ平野。それと瓜二つの風景である。相違点を上げるのならば俺がテレビで見た北ヨーロッパ平野は星々と黄昏が共存しているような場所ではなかったが。
とりあえず混乱で仕事を投げ出そうとする脳に喝をいれ状況の整理を始める。
俺はアゼルバイジャンのドーラ空軍基地で襲撃してきた敵性部隊との戦闘中だった。
そしてその途中に敵戦車からの砲撃を受け弾薬庫ごと火星まで吹き飛ばされた。
ここまではいい。よく記憶しているし衝撃もリアルに残っている。
問題はこの状況だ。え?マジでどういうこと?まさか日本のサブカルチャーで流行りの異世界転生というやつだろうか。
そうだ、と思いつき
だがディスプレイ上に表示されたのは"OFFLINE"というエラーメッセージ。このPDAはイリジウム式衛星リンク端末である。
つまりOFFLINEということは"衛星が発見できない"状況であるということ。
もしかしたらPDA自体の損傷もあり得るかもしれないが、周囲の状況を鑑みるに俺と弾薬庫が不明な場所へと転移させられた可能性のほうが圧倒的に高い。
サブカルチャー好きの日本人であることがこの異常な自体を飲み込む事に貢献するとは思いもよらなかった。
とりあえず呆けていても仕方がない。俺は屋上から周囲を改めてよく観察する。
動体無し。気温や湿度は夏。ひとまず即時の危険は無さそうだ。
屋上に転がっている
階段を下りきり、弾薬庫の正面へとやってくる。担いでいた銃達を地面へと起き、改めて弾薬庫を観察した。
やはり砲撃痕などは見て取れない。戦闘前の元気な姿をしてやがる。
弾薬庫の人員通用口を開き内部へと入った。当たり前だが電気は落ちているようで内部は真っ暗…でもなかった。
「なに?あれ…」
弾薬庫の中央近く。そこには縦1メートル横50cmほどの巨大なルビーのようなものが存在していた。
それは赤く発光し、弾薬庫内をほんのりと照らしている。元は布で巻かれていたようだが何かしらの初撃ではだけたのか、地面には粗布が落っこちている。
とりあえず良くわからんものは怖いので先に様子を伺うことにする。近づいて見てみるが、発光している巨大ルビーという以外には形容詞が見つからなかった。
間近で見てみるとその内部をスノードームの様になにかの粒子が動いている事が確認できた。益々意味が分からない。とりあえず即時爆発などの危険性は無さそうである。
というかそうであってくれ。これで爆発してまた巻き込まれるようなことがあれば、次こそ神とやらにバレット
兎にも角にも謎の物体の詳細調査は後回しにしよう。どの道考えてもわかるわけが無いと思うが。
俺は弾薬庫内の物品を確認していく。あの謎の物体の明かりだけでは心もとなかったため携帯していたフラッシュライトを起動した。
どうやらかなりの装備弾薬が備蓄されていたようである。本来ならばC.C.Cはあの後にゲリラの一斉掃討作戦を実行する手筈であったため、その作戦用の物資だろうか。
物資内容は以下の通りである。
・各種弾薬-個人では保存期限を大々的に超過しても使い切れないほど。
・各種銃火器-C.C.C採用品は元より誰かが個人的に所持していた骨董銃まで多種多様。
・各種装備-無線機からギリースーツまで大凡全ての任務に対応できるようなラインナップ。着替えなども。
・戦闘糧食-中隊規模2ヶ月分。
・ガソリン-凡そ2000リットル。
・ガソリン式携帯発電機-4機。
・スバルフォレスターSUVC.C.C仕様-1台。
・謎の巨大ルビー(仮)-一つ。
……うん、なんでもあるな。個人での使用ならば大凡問題無い程度の物資が備蓄されている事を確認する。
とりあえず言いたいのは弾薬庫にガソリンなんて保管しているの正気か?絶対アゼルバイジャン正規軍の奴らが保管場所に困って適当にぶち込んだに違いない。あいつらめ。
元より巨大な弾薬庫であったが、ここまで多くの装備が保管されているとは思ってもみなかった。
だが今はありがたい。状況も把握できない為しばらくは単独行動を強いられる可能性が高い。これだけの装備に食糧があればしばらくは何もせずとも生きていける。
とりあえずは弾薬庫の物資搬入用扉を開放する。気温は27℃ほど。空調が死んでいる状態で密閉空間を作ればガソリンが気化して爆発しかねない。
次こそ火星まで吹き飛ばされるだろう。そんな事はまっぴら御免である。
搬入用扉を開放し、弾薬庫から椅子を持ってきて夜空の下に座る。
さて。どうしようか。とりあえずは周辺の調査から行うべきだろう。現状では何も分からないし、今後どうするかの判断材料は確保しておきたい。
幸いにも周囲は岳陵は有りつつも平野の様であるし、個人でも索敵はやりやすいだろう。
幸運なことにも車があったが、今はやめておいた方が良いかもしれない。ガソリンは多くないし、無駄遣いは避けるべきだろう。
とりあえずは徒歩で周辺の調査を開始することに決める。
その時であった。未だに装着しているヘッドセッド-ComTacⅢが何かの音を拾う。
ごく僅かな音だが―――これは金属音だ。即座に地面に伏せ顔を当てる。
振動を感じる。地震ではない。これは大人数が移動する際に発せられる振動だ。
再びヘッドセッドが音を拾った。爆発音のようなもの。間違いない。この周辺で何かが起きている。
弾薬庫へと戻り装備を整える。これだけ遮蔽の無い平原だ。必然とロングレンジでの接触となるだろう。
メインアームには
サイドアームにはP226。自衛隊時代から使い慣れているこのハンドガンを選択する。
そしてヘッドギアに複眼のナイトビジョンを追加する。
弾薬庫から外へと戻れば鼻に嗅ぎ慣れた匂いが飛び込んできた。本能的に忌避感を感じるようなツンとする匂い。
―――人の焼ける匂いだ。
急速に意識が切り替わる。音や爆発音であれば映画の撮影などの可能性もあった。いや、そう思いたかっただけだ。
何処か無意識でそう願っていた。だがこの匂いが漂ってきた時点でその可能性は消え失せる。
映画で匂いなどを再現するわけがないのだ。やったとしてもそれは4DXなどの劇場内での話である。
俺は音と匂いの方向へと駆け出す。兎も角、状況を確認する必要がある。
500mほど走った先の岳陵を登り切る。その先の光景を目にした時、思わず言葉が漏れた。
「マジで異世界ですよってか」
そこに広がっていたのは戦場であった。それも俺が身を置いてきた戦場ではない。
銃よりも直接的な殺意を感じさせる刃物と矢による中世の戦場だ。
時折火の玉や雷撃のようなものが両陣営から放たれているのも確認する。マジ?魔法?ほんとに?
仔細は分からないが、2つの陣営がぶつかり合っているのは間違いない。
戦局を確認する。
俺の位置から主戦場までは大凡2km。2つの陣営には戦力差に開きがあることが伺える。
大体3倍程度だろうか。数で勝る陣営が全翼に展開し、弓兵による射撃を試みている。
対する少数側の陣営は満足な展開ができず、密集陣形で防戦に追い込まれているのが容易に理解できた。
それぞれの陣営に旗が掲げられているのも確認できる。生憎と緑の世界に染まっている視界では色までは判別できないが、なんとなくの陣営把握には困らない。
さて。どうするべきか。戦闘に遭遇してしまった時の対処は2つ。即座に撤収し傍観を決め込むか、戦闘に介入するかである。
現状では戦闘に介入する判断材料は少ない。だが最も重要な材料は存在していた。
それは弾薬庫の位置である。どうやら少数側の陣営は予め簡易拠点を設営し駐屯していたのであろうことが伺えた。対して多数側の陣営にはそういった痕跡は見てとれない。
であれば多数側が攻め手、少数側が守り手だろう。
そこから推測するのは弾薬庫の位置は少数側の勢力圏であるということ。もし介入するにしても少数側を攻撃してしまえば後々より面倒な事態に陥りかねない。
だがそもそも戦闘に介入するかはまた別の話である。もう少し状況を見極めなければ。
その時視界の端に騎馬集団を確認した。
主戦場から1.6kmほど離れた位置。俺との距離400mほどの平野にそれを発見する。
どうやら2つの騎馬集団が追撃戦を行っているようだった。
地面に伏せ、念の為に騎馬集団をスコープに捉える。どうやら主戦場で交戦している2勢力と同様の集団であるようだ。
逃げる側は重装騎兵。恐らく陣営は少数側だと推測できる。追う側は一騎を除いて軽槍騎兵。こちらは多数側の所属のようだ。
しばし追いかけっこは続いたが、長くはなかった。軽装騎兵側が追いつく。その先頭を走っていた黒い甲冑の騎士が、弓を逃げ手の1人に命中させた。
矢を当てられたその人物はどうやら女のようであった。それどころかあの騎馬集団全員が女である。どういうこと?と頭に疑問符を連続して浮かべていた。
矢を射られた女が馬から吹き飛ばされ落馬する。恐らく衝突時の速度は50km近いだろう。良くて重症、悪くて即死。そう思っていたのだが、逃げ手の騎馬集団は即座に停止し、落馬した女を護るように展開した。
どうやら落馬した女は逃げ手側の重要人物であるようだ。だがあの速度の落馬では最早瀕死だろう…そう思っていたのだが、その女は立ち上がる。マジで?普通にバイク事故並の速度で地面に叩きつけられていたぞ。
それに合わせて追撃側の騎馬は逃げられないように周囲の方位へと動き出す。統率が取れている。主戦場の様子を見て気づいていたことだが、どうやら正規兵同士の戦闘であることは間違いないようだ。
そして背中に旗を差した黒い甲冑の騎士が包囲網の中で逃げ手達と相対した。得物は身の丈以上の大槍である。しばしの間何かを話していたようだが、黒い甲冑の女は袋のネズミとなった女騎士達へと突撃した。
「早すぎだろっ!?」
俺の驚愕は思わず言葉となって漏れていた。スコープ内から黒い甲冑の女が消えたのだ。
即座にスコープを外し確認したが、一瞬にして距離を詰め肉薄している状況を目撃する。黒い甲冑の人物と女騎士達の距離は15mほどの距離があったはずだが、それを文字通り一瞬で詰め切っていた。
なんだあれは。大凡地球人類では無いことは確かである。あんな動きできる人間が地球にいてたまるものか。
女騎士と黒い甲冑の人物の実力差には大きな開きがあるようで、数手と打ち合わず女騎士の首が宙を舞った。
そのまま一気に他へも追撃を仕掛けるかと思われたが、黒い甲冑の人物は不意に回避機動を行う。先程と同じく速度0の状態からの超機動。その理由は落馬した女が何かを放った事だった。
一瞬だったが青白い槍のようなものが黒い甲冑の女へと向かい霧散したのが見えた。すげえ。本物の魔法だ。場違いな感想を抱く。
落馬した女は連続して同じ魔法を放つ。だがそのどれもを黒い甲冑の女は超機動で回避していった。マジでなんなのあの動き。少なくとも俺の知っている人間はあんな動きすれば体内がジュースになっても可笑しくないはずである。
回避を行った黒い甲冑の人物に対して幾人かの女騎士が追撃を仕掛ける。だがその誰もが数手の内に首と胴体が分かれる事になっていた。
だがその間に落馬した女の周辺に幾つもの魔法陣が一瞬にして浮かんだのを目撃する。そして次の瞬間には空間を歪ませるほどの光波が黒い甲冑の人物に向かって放たれていた。
その一撃の目撃した俺は驚愕以外の感想を抱けない。直線上50mほどに渡って地形を抉り取る様に放たれた光波は、包囲網を形成していた騎兵の一騎を消し飛ばす。
しかし黒い甲冑の人物はそれを回避したようで直ぐに体勢を立て直していた。このような戦闘を初めて目撃する俺にもわかる。これ、超人同士による戦いだ。
思考を一回区切り、どうするべきかにリソースを回す。現状劣勢なのは間違いなく落馬した女の陣営。そしてそいつらは主戦場の少数側に属している。
このまま傍観することによるメリットと、介入した際のメリットを比べる。
まず傍観することによるメリット。この超人同士の戦いに一先ず巻き込まれずに済むこと。
次に介入した際のメリット。どちらの勢力に手を貸すにせよ今後の情報収集に役立つことは間違いない。
比べるべくもなかった。セーフティを解除し引き金に指をかける。
弾薬庫があるのは恐らく少数側陣営の勢力圏だ。戦力差は圧倒的だが、後々の面倒を考えればどちらを手助けするかは既に決まっているようなもの。
俺は黒い甲冑の人物の頭に照準を合わせて引き金を引いた。
7.62x51mm NATO弾の強い衝撃が全身を駆け巡る。だがその時、全身に悪寒が奔った。
引き金を引いた瞬間、黒い甲冑の人物と目があったのだ。頭に命中するはずの弾丸は黒い甲冑の人物が即座に体勢を反らした事により肩口へと命中する。マズルジャンプの跳ね上がりにより最終着弾までは見えなかったが、黒い甲冑の人物の肩部鎧が砕けていることが命中した何よりの証だ。
一撃で仕留められなかった事に対して内心で舌打ちをしつつ、連続で弾丸を発射する。だがそのどれもがあの超機動で回避された。というかあんな動きされて命中させられるはずもない。
5発撃った所で目標を包囲している騎兵へと切り替える。混乱していることが手に取るように伝わってくる騎兵の頭部めがけて引き金を引いた。
暴力的な初速で加速された鉛玉は騎兵の頭を吹き飛ばす。最終着弾を見届ける事はせず、連続で他の騎兵に弾丸を発射していった。
マガジン内から弾が全てなくなる15発を撃ち放ち、ピッタリ15騎の騎兵の頭を吹き飛ばした。そのタイミングで向こう側も撤退を決断したようで、一気に残存の騎馬は離脱していった。黒い甲冑の人物も最後にあの超機動で離脱していく。
どの道リロードだ。俺は立ち上がりながらマグチェンジを行い、残された逃げ手の集団に目をやる。そして落馬した女と目があった。
あー、面倒くせえとかそもそも言語通じるのか?など様々な感情が胸中でシャトルランを開始する。
まあうじうじしてもしょうがない。どの道もうやってしまったのだ。後は成るように成れである。
俺は残された集団のもとへ駆け出した。
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Act2_邂逅逢着のペンデュラム
天国の母上、父上、お兄様。そして日本に残してきた妹君。今ほど自らの行為を振り返って後悔した事はありません。
支援した女騎士たちと接触するため俺は彼女達の20mほど前までやってきていた。目的は情報収集。だがやはり突如戦闘に介入するのはどう考えてもおかしかっただろうと自分自身にツッコミを入れる。
ほら、彼女達の目を見てみろ。ナイトビジョンで緑色に染まった視界でもわかるくらいに怪訝な感情を浮かべてる。
それはそうである。俺だってイラクあたりで突然中世騎士風の人物に助け出されたら同じような顔を浮かべるだろう。
要するに俺という存在は彼女たちにとって全くのイレギュラーだということだ。
さて。半ばその場の勢い(本当に異世界だと理解してアドレナリンが過剰に分泌された結果)でここまで動いてしまった訳だが、これどうすれば正解なのだ。
とりあえずは敵意が無いことを示す為に両手を上へあげようとする。
だが俺が何かアクションを起こそうとした瞬間、女騎士達は一斉に腰の剣に手を伸ばした。
そうですよね。滅茶苦茶警戒されてますよね。俺がそちらの立場でも同じような反応をすると思います。
「
女騎士の1人がそう声を上げる。その言語が理解できた事に嬉しさと安堵感がこみ上げた。
彼女が発したのは英語であった。訛りは強いが間違いない。
だがなんで英語なのだ?言葉が通じることは嬉しいが、それ以上の疑問符が浮かび上がる。
まあいまはどうでもいいか。そういうのは後で考えることにしよう。…お前この状況で困ることになっているのはそういうとこだぞ。
とりあえず黙ったままでは今にも抜刀されかねないので返答を行う。
「俺は朝霞日夏です。朝霞がファミリーネームで、日夏がファーストネーム。何者か…傭兵のようなものでしょうか。まあとりあえず敵ではありません。先程の遠距離攻撃を行った人物と言えばわかるでしょうか?」
俺が返答した事に驚いたのか何なのかは知らないが、女騎士達がざわめき立つ。
だがそのざわめきは彼女達の中央にいる女性…少女が右手を上げた事により一瞬にして静まった。
この少女は…間違いない。一番最初に矢で射られ落馬した人物である。
そして少女は一歩前へと踏み出し、口を開いた。
「まずは感謝を申し上げます。あなたに助けていただかなければ、私達は全滅していたでしょう。呼び方はアサカ様でよろしいですか?」
しばしの時間、返事をすることを忘れてしまう。その理由は、その少女の容姿に目を奪われていたからだ。
緑色に染まった視界でもその美しさははっきりと理解できる。絹のような髪。作り物かと疑うような可憐な容姿。
その優しげで少しタレた目で上目遣いなどされようものなら、例えマジノ線のような男であろうと陥落するだろう。
まるで昔良く見ていた漫画のヒロインのようだと、そんな感情を抱いた。
そんな絶世の美少女は少し困った様に眉を下げ再度口を開く。
「えっと、どうなさいましたか…?」
「ああ、申し訳ない。場違いでしょうが、とてもお綺麗だなと思いまして。ええ、朝霞で構いません。そちらはなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
今度は彼女が返事に詰まる番であった。思ったことを正直に口にしたのだが、流石に場違いすぎたか?
やらかしたのではないかと思い始め、背筋に嫌な汗が浮かび始めた頃、少女は口を開く。
「あ、えっと…。お褒めに与り光栄です…。私の名前はオイフェミア・アルムクヴィスト。オイフェミアで構いません」
目線を反らしながら彼女は発言する。やはりやらかした。戦場のど真ん中で容姿を褒める馬鹿が何処にいる。数秒前の自分をバレットの銃床でぶん殴りたい。
なんと謝罪すればいいかを思案しているうちに、オイフェミアは言葉を続けた
「それでその…。もしよろしければその面隠しを外してお顔を見せていただけませんか?恩人の顔は覚えておきたいのです」
自分をぶん殴る物をバレットの銃床からM2ブローニングに変更する。そうだった。俺は今複眼のナイトビジョンを装着している。
どおりで視界が緑色に染まっている訳だ。彼女たちから見ればさぞ奇っ怪に写っていただろう。そりゃ警戒されて当然だ。彼女の言葉を受け、慌ててナイトビジョンを上へとズラす。
肉眼で捉えたオイフェミアの姿は更に美しいものだった。色のついた彼女の髪は小麦場畑を連想させるような黄金色。肌は透き通るように白く、高貴な印象を存分に抱かせる。
「これは失礼…」
ナイトビジョンを外して顔を見せれば、女騎士達の間でざわめきが奔った。
『男だ』『本当に男だった』などの声が耳に入ってくる。どういうことだ?
確かに主戦場で見たのも彼女達も殆どが女であった。男の騎士も見えたには見えたがかなり数が少なく感じた。
もしかすると元の世界と性差が逆転しているのか?可能性は高いように感じる。
あのような魔法やら超人が存在している世界なのだ。どのような文化が形成されていても可笑しくはない。
後は人種の違いもあるのかもしれない。オイフェミアを含めた眼の前の人物たちは皆コーカソイドだ。
対して俺は純日本人のモンゴロイド。1500年代レベルの文明だとすればアジア人が物珍しく見えても当然と言えるだろう。
オイフェミアも俺の顔をまじまじと覗き込んでいる。こんな絶世の美少女にガン見されているといい加減に顔がにやけそうだ。そろそろ勘弁してほしい。
その時だった。騎馬の足音がヘッドセットを通じて耳に入ってくる。
咄嗟にその音の方向へ向き、M39EMRを構えた。オイフェミア達は俺の突然の行動に驚いていたようだが、彼女たちの耳にも音が聞こえたのか剣を抜刀し同じ方向を見据える。
しばらくの後、稜線から騎馬集団が見えてきた。スコープ内に見えるのはまたしても女騎士。敵か味方か俺には判断つかないため、オイフェミア達のアクションを待つ。
念の為セーフティは外しておくが、引き金には指をかけない。
「アサカ様!味方です!」
オイフェミアがそう叫んだため、銃を下ろした。一気に分泌されたアドレナリンが飽和されていき、全身に独特のしびれが奔る。
まあ敵でなくて何よりである。流石に正面見据えて騎兵とやり合うなど勘弁願いたい。いくら射程の利があるとは言え、リロードのタイミングで殺される。よしんば全てさばけたとしても肝が冷えることには間違いない。
それだけ戦闘における機動力というのは重要なのだ。近代戦に置いてもそれは変わりない。銃が戦場の主役となったWW1でも騎兵は現役だったのだ。
騎馬集団が接近してくるのをしばし待機する。正直自分の立場の説明が面倒くさいが、傭兵として押し通すのが一番かもしれない。まあきっとオイフェミアが説明してくれるだろう。
変な格好。それが私達を助けた人物、ヒナツ・アサカの第一印象だ。
近づくまでは人型の異種族かと勘違いするくらいに珍妙な装いをしている。
頭部には珍しい形の帽子を被り、蟲甲のような材質の耳あてをつけている。
オレンジ色のレンズをしたメガネのような物をつけ、更にその上から形容し難い見た目の面隠しを装着していた。
その面隠しは4つの筒をあわせたような形をしており、筒の先端が仄かな緑色に発光している。
胴体部分には様々な物が装着された布鎧のような物を装備しており、一見すると軽戦士や魔術師の装備に見えないこともない。
武器と思われるその手に握った得物もこれまた見たことのない形をしていた。
言い表すならば"弦のないクロスボウ"だろうか。長さは私の腰ほどもある。
なんなんだろうこの人。それが率直な感想である。
私達を助けてくれた人物であることは間違いないのだが、その装いからは全くこのヒナツ・アサカのパーソナリティが想像できなかった。
それにあのタイミングで戦闘に介入してくるのもおかしく感じる。ここはミスティア王国に従っている貴族の領土であるし、そもそも国内にこんな人物がいれば即刻噂になっているはずだ。
傭兵であるならば尚更である。全面的に信用するのは無理だ。様子を伺うことにしよう。
「まずは感謝を申し上げます。あなたに助けていただかなければ、私達は全滅していたでしょう。呼び方はアサカ様でよろしいですか?」
私はそう言葉を述べる。すぐさま信用するのは無理だとしても感謝を告げるのは最低限の礼儀だろう。
だが彼からの返答はない。どうしたのかと思い言葉を続けた。
「えっと、どうなさいましたか…?」
怪訝さが声色に出てしまっただろうか。だが多少は致し方ないだろう。寧ろ私の背後でいつ暴発しても可笑しくない近衛隊員に比べれば可愛いものである。
「ああ、申し訳ない。場違いでしょうが、とてもお綺麗だなと思いまして。ええ、朝霞で構いません。そちらはなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
その言葉に対して多大に不信感を感じた。このアサカという人物は声色からして男性。女が男を口説くのであればよくあることだが、その逆なんて珍しいにも程がある。
私は思考閲覧魔術の行使を決定した。文字通り術者が対象の思考を読み取る魔術。本来は高難易度であり詠唱も必要だが、私には問題ない。
私は生まれつき"無詠唱"で魔術を行使することが可能だ。それ故狸と狐の化かしあいである貴族社会からは嫌われているが、今更どうでもいいことである。
一瞬で魔術を完成させる。そうすればアサカの思考が脳内に流れ込んできた。
『めっちゃ可愛い子』
『名前なんて言うんだろ』
『一回で良いからこんな娘とセックスしてみたい』
え!?は!?え!?どういうこと!?
それに思わず面食らったのは私の方であった。女が美形の男に対してその感想を抱くのであれば十分に理解できる。
だがどう見てもアサカは男だ。今まで幾人かの男に同じ魔術を試みた事はあるが、そんな思考をしていた者なぞ存在しない。
寧ろその誰もが私の事を恐れていた。それはそうだ。誰が好き好んで逸脱者であり他人の思考を容易に盗み見る女なんぞに好意を抱くというのだ。
だがこのアサカという人物の思考は本物である。とんだ淫乱かもしれない。
しかし私は齢16の処女である。いくら不審な人物とはいえ、そんな淫らな感情を男から向けられるのは正直うれしい。
だがそれを表に出すわけにはいかない。私はミスティア王国の大貴族、アルムクヴィスト家の貴族だ。
部下の手前ニヤけるわけにも行かなかった。だが赤面するのを止めるのも無理である。結果として顔を反らしながら言葉を発した。
「あ、えっと…。お褒めに与り光栄です…。私の名前はオイフェミア・アルムクヴィスト。オイフェミアで構いません」
顔を反らした事によって部下の1人と目があった。ニヤニヤしている。お前だって下半身でしか生きていない癖に。ぶん殴りますよ?
一先ず思考をリセットしよう。とりあえずこのままこのドエロイ男の思考が流れ込んでくると平静ではいられない為、魔術の使用を停止した。
兎にも角にもこのアサカという人物に一切の敵意が無いことは確認できた。この切羽詰まった状況ではそれだけで十分だろう。
ピンクに染まりかけていた脳内に魔力を回し思考を活性化させる。
アサカは自らの事を傭兵のようなものだと言っていた。その珍妙な装備は兎も角として、その言に偽りは無いように感じる。
あれだけの長距離狙撃を行ったのだ。その腕前については今更疑うこともない。だがどのようにしてあの距離からノルデリアにすら傷を与える攻撃を行ったのだろうか?
初めは魔術師なのかと推測していた。だが対面してみて理解できる。ヒナツ・アサカは魔術師ではない。
感じられる魔力量はどんなにゆるく評価したとしても一般人並である。この魔力量であれだけの威力の魔術を連発するのは絶対に不可能だ。
どちらかと言えば戦士に近い印象を抱く。体幹の一切ブレない立ち方やよく鍛えられた肉体。そんな純魔術師見たこともない。
軽装魔術騎兵であればそんな事も無いのだろうが、それならば魔力量がもっと多いはずだ。
何にせよ敵でない凄腕であるなら問題は無い。この切羽詰まった状態で虎の尾を踏みに行く愚を犯すこともないだろう。
だが私にはこの人物に敵意が無いことは理解できたが、部下はそうもいかない。少なくともその面隠しを取って貰った方が心象がよくなるはずだ。
「それでその…。もしよろしければその面隠しを外してお顔を見せていただけませんか?恩人の顔は覚えておきたいのです」
そういうとアサカは忘れていたといわんばかりに面隠しを外した。
そしてその下にある顔が顕になる。黄色の肌に意思の強そうな目と眉。私達と比べて低い鼻。だが全体的に整い美形だと感じる。
歳は20代から30代であろうか。この顔でさっきあんなエロい事を考えていたのか。正直に言ってかなり好みの顔です。寧ろ抱かせてください。
それにしてもあまり見ない人種だ。確かアサカのような特徴の人種が極東に住んでいると聞いたことがある。あれはシルクロードを越えてやってきた商人から聞いた話だったか。
もしかして極東ではこのような装備がスタンダードなのだろうか?いや絶対にそんなことはない。
それにしても何故アサカは私達を助けてくれたのだ?傭兵であるのならば報酬狙いだろうか。だがそうすると少しおかしな点がある。
それは私の名前、アルムクヴィストを聞いても特に反応しなかった事だ。アルムクヴィスト公爵家をミスティア国内で知らぬ者など殆どいない。
報酬目当ての傭兵であるならば尚更だ。私をアルムクヴィストの人間だと知らずに助けたのだとすれば金銭は目当てではないのだろうか?
その時だった。アサカが目にも留まらぬ速度で首から下げていた得物を手に取り横へと振り向いた。
突然の事に驚愕する私達であったが、その理由は直ぐにわかる。
地面を揺らす騎馬の音。彼はこれに反応したのだ。いつの間にか珍妙な面隠しを再度装着した彼から刃の如き殺気が漏れ出している。
その変わりように驚いた。先程までの空気は霧散し見る影もない。
私も、部下もその雰囲気に飲まれるようにして各々の得物を抜き放った。
音の方角を見据える。稜線を越えその姿を捉えた。
そして安堵のため息を漏らす。あれはベネディクテ配下の近衛隊と公爵軍の騎兵だ。
「アサカ様!味方です!」
私が叫ぶと彼の雰囲気も徐々に元へと戻っていった。確信する。彼の雰囲気は先程相対したノルデリアとよく似ていた。
常在戦場の戦士としてのものだ。やはり魔術師ではない。
騎馬集団が近くまでやって来る。それを率いていたのは私もよく知る人物であった。ベネディクテの近衛隊の指揮官である彼女には私もよくお世話になっている。
「オイフェミア殿下!よくご無事で!」
「ラグンヒルド。救援に感謝します。本陣の状況は?」
努めて冷静にそう訊き返す。戦力比を考えれば既に敗北が決定していても可笑しくはない。
「現在敵が全翼に展開し、我々は包囲されかけています。殿下には即座に本隊と合流していただきたい」
予想よりもベネディクテは上手く陣を配置したらしい。まだ本隊が殲滅されていないならば挽回の余地はある。
ラグンヒルドは言葉を述べた後に怪訝そうな表情でアサカへと視線を向けた。その気持はよく分かる。私も彼女の立場であればまずアサカの存在を気にするだろう。
「殿下、失礼ですがそちらの御仁は?」
「私達を窮地からお救いくださった傭兵のヒナツ・アサカ様です」
「傭兵…?」
ラグンヒルドも、彼女の率いる救援部隊も皆怪訝な顔を浮かべていた。
それは一先ず置いておくとしよう。この場で言葉を続けても意味はない。
私の行うべきことは決まっている。本隊へと合流し、フェリザリア侵攻軍を迎え撃つことだ。
問題はアサカをどうするかということである。正直に言って私だけでは状況に変化が起きた場合対応が難しい。
それにあれだけの腕を持つ戦士とは今後ともパスを築いておきたい。だとするならば次の行動は決まっていた。
「アサカ様。助けていただいた身ですが重ねてお願いがございます。どうか我々に力をかしていただけないでしょうか?勿論報酬はお約束致しましょう」
そう。彼を雇い入れることである。恐らくこれが現状における最適解だ。
このまま放置してあの精密狙撃がこちらへ向くということだけは避けたい。
「構いません。一介の歩兵ですがご助力しましょう」
アサカは肯定の意思を示してくれた。ほっと息を漏らす。
「ではラグンヒルド先導をお願いします。アサカ様は騎乗できますか?」
凄腕の傭兵に訊くこととしては失礼にあたるかもしれないが一応の確認を行う。
だがその返事は私の想像を反するものであった。
「お恥ずかしながら馬には乗ったことがありません。小さい頃ポニーには乗ったことがあるんですがね」
ポニーってなんだろう?アサカは少しバツが悪そうに答えた。
馬に乗れないとは心底意外である。まあだとしても行動に変化はない。
「ではリアンの後ろに乗ってください。私の近衛隊の隊長です」
既に騎乗し移動準備を終えていたリアンが私の横へと並び立った。
彼女であれば馬の扱いも慣れている。人1人をタンデムさせることなど造作もないだろう。
リアンは馬でアサカの元へと向かい、彼に声をかけた。
「オイフェミア様の臣下であるリアンです。アサカ殿、どうぞ後ろへ!」
アサカは少し不格好になりながらも馬へと飛び乗った。それを見届けた後、私も自らの馬へと騎乗する。
肩は痛むが問題は無さそうだ。
「では出発します。全隊、私に続け!」
ラグンヒルドがそう叫んだ。
私と生き残りの部下たち、ラグンヒルドの指揮する救援部隊、そして不思議な格好をした男は戦場のど真ん中へと向かっていった。
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Act2-2_索冥のプロパガンダ
「前線からの報告!左翼に展開している敵騎兵の突撃がきます!」
「長槍兵を前に出せ!魔術部隊を配置転換しカウンターで鼻を折る!」
怒号が轟いていた。フェリザリアの侵攻から40分ほどの時間が経過している。
1500近くの大部隊が攻勢を仕掛けてくる前に最低限の陣を築けたのは大きい。そのおかげで今も我々は全滅せずに済んでいる。
弓兵同士の射撃戦、魔術部隊同士の準備射撃が双方ともに終了し、状況は白兵戦へと移行していた。
といっても戦力差は圧倒的に劣勢である。要するに白兵戦に突入してしまった現状、このままではどう足掻いても敗亡は決定的であった。
そもそも騎兵の数からして5倍近くの開きがあるのだ。ふざけやがって。なんでそんな規模の騎兵をこんな国境線に投入できている。
どう考えても逸脱者ノルデリアのせいだ。奴の戦略的価値を再評価せねばならない。
決して侮っていたつもりはないが、まさかこれほどまでとは。
兎も角現状絶対に優先すべき項目は殲滅されないこと。この一点に尽きる。
最悪本隊が壊滅しようともオイフェミアさえ戻れば勝機はある。彼女に対するカウンターはそれこそノルデリアのような逸脱者しかいないのだ。
考えても見てほしい。射程50mの線上を地形ごと破壊できる魔術を連発可能な存在を、どうやって通常騎兵と歩兵で止めるというのだ。
一般兵でも理論上有効な対抗手段として弓兵によるロングレンジの攻撃があるが、オイフェミアは高強度の魔術防壁が展開可能だ。
本来魔術防壁というものは万能な代物ではない。常時展開するのであればそれだけ魔力の消耗がえげつない事になる。また強度を増そうとすればそれもそれで魔力の消耗がエゲツない事になる。要するに燃費が悪い。
通常の魔術師では精々が被弾時の衝撃を減少させれる程度だろう。だがオイフェミアの場合は違う。その生来の魔力保有量であれば長弓の全力射を完全に相殺することも可能だ。
だがそんなオイフェミアであったとしても本隊が殲滅されれば撤退せざるを得なくなる。だから私達は時間を稼ぎつつ殲滅されないように立ち回らねばならないのだ。
私達より300m程前面に展開している主動隊に対して敵左翼の騎兵が突撃を敢行する。
それを前進させたパイク兵で迎え撃ち、魔術部隊による迎撃が展開された。
何騎かの騎兵はパイクや攻撃魔術に阻まれ停止するが、それでも勢いを削ぐには至らない。
迎撃網を抜けた騎兵が歩兵や魔術部隊を蹂躙した。そしてこちらの反撃の前に騎馬の機動力を生かして離脱していく。
いや…。離脱ではない。そのうちの15騎ほどが前線を突破し、私のいる臨時指揮所へ向け突撃してくる。
舌打ちをしながら腰に帯びた大剣を抜刀した。元より騎兵突撃を許した時点でこうなることは想定済みである。
全身の魔術回路に魔力を回す。用いるのは
まず使用するのは
続いて
最後に
これらの技能は強力であるが、効果時間はかなり短い。効果が終了した後は術をかけ直す必要がある。
だが今はそれでも十分であった。そもそも長期戦に縺れ込んだ時点で負けが決定する。
深呼吸。そして手に持った大剣へと魔力を流し込んだ。
その瞬間に大剣の刀身部分が白炎に包まれた。この大剣の名前はサンクチュアリ。ミスティア王国の宝具の一つである神造兵器だ。
全ての準備を終え、敵騎兵を迎え撃つ。こんな所で死ぬ気も無い。全霊を持って死神の鎌を打ち砕くことにしよう。
先鋒の騎兵が切り込んできた。私の護衛である近衛隊の面々はサンクチュアリの熱に巻き込まれぬ様に皆少し離れた位置で各々の得物を抜刀している。
騎兵のランスが突き出される。それをサンクチュアリで大きく弾きつつ、馬の首を切り飛ばした。
思考する器官を失った馬の身体はバランスを崩し、騎乗していた騎士を地面へと投げ出す。そして間髪入れずに部下達がその騎士の急所部分へと刃を差し込み生命活動を停止させた。
次が来る。二騎の騎馬。一騎目から突き出されたランスを姿勢を下げ回避しつつ、二騎目の馬の足を切り飛ばす。投げ出された騎士の末路は先程と同じもの。
私に攻撃を避けられた一騎目の騎兵は離脱反転しようとするが、それよりも先にその背中に向かって魔術を発動させた。
「神の怒り、雷の力よ。私に仇なす者を滅しろ!
左手に装着した魔術の発動体でる指輪から雷へと変化した魔力が解き放たれる。
それは文字通り目にも留まらぬ速度で目標へと向かっていき、騎士に直撃した。
胴体部分を穿たれた騎士の躯はそのままバランスを保てなくなり落馬する。
次だ。振り返り敵の追撃を警戒する。騎兵突撃では埒が明かないと判断したのか、騎兵達は馬から降り白兵戦を挑んできた。
それを前衛の部下達が迎え撃つ。だが3人程が壁を掻い潜り私へと肉薄してきた。
得物はロングソード。リーチではこちらが勝る。
一人目の振りかぶった一撃をバックステップで回避し、二人目の攻撃を手甲と硬質化された左腕で受け止める。
三人目の正中線を狙った突きに対しては身体を反らすことによって直撃を避けた。
だが相手の勢いは止まらない。次は二人の騎士が同時に左右から切り込んでくる。それをサンクチュアリで受け止めた。
三人目の攻撃が来る。上段に突き出した一撃。狙いは首か。
咄嗟に腰を落とすことによって狙いをズラす。そのまま突き出された刃は口腔を貫通し、右の頬を貫いた。
刃のものか、はたまた私自身の血のものかは判断できないが口内に鉄の味が広がる。
即座に
砕かれた破片が口内に散らばるが硬質化されているためこれ如きで傷を負うことはない。
異物を吐き捨て敵騎士を見据えた。兜の奥で畏怖に染まった瞳と目が合う。そんなに怖がることは無いだろう。寧ろ私に傷を負わせたのだ。誇るべきだろう。
サンクチュアリで受け止めていた二人の騎士を膂力で強引に弾き飛ばす。次いで私の口に刃を叩き込みやがった騎士の腹を蹴り上げ距離をとった。
得物を下段に構え、左肩を敵方へと突き出す。そして地面を蹴り上げ斬りかかろうとした時だった。
バァン。何かが破裂したかのような爆音が左手側の丘から聞こえてくる。
その瞬間、目の前にいる騎士の1人の頭が爆ぜた。いとまもなく連続する破裂音。
何が起きたか理解できていない敵兵達の頭は次々に爆ぜていった。
状況は私にも良くわからない。だが
兎も角誰かしらの援護であることは間違いない。
破裂音は更に連続して鳴り響く。そして前衛で戦っている部下と相対した敵の頭が次々に爆ぜていった。
突然目の前の敵が死亡したことからか、部下たちの顔には困惑の色が浮かんでいる。
残敵が残っていない事を確認してから私は音の方向へと顔を向けた。300mほど先の丘の上。そこで手旗信号を送っている人影が月明かりに照らされている。
あの豊かな金髪は…オイフェミアだ。彼女が生きていた事に一先ずの安堵を抱くが、その手旗信号の内容に『正気か?』という感想を抱く。
『撤退し敵を誘引せよ』
彼女の手旗信号の内容はそのようなものである。
この状況で前線を下げようものなら戦線の再構築は不可能になることくらい聡いオイフェミアであれば理解できているはずだ。
ということはそうなろうとも問題がない策を用意しているのだろうか。
兎も角はその指示に従うことにする。現状の総指揮官は私だ。判断に迷えばいま決死の覚悟で戦っている兵士達を無駄死にさせることになってしまう。
今はオイフェミアの事を信じよう。
「前線へ撤退の合図を出せ!敵を誘引せよ!」
「しかしそれでは…」
「オイフェミアからの指示だ!今は奴を信じろ!」
私の近衛隊の指揮官が不安そうな顔をしつつも頷く。
そして通辞のピアスと呼ばれるマジックアイテムを用いて前線指揮官へと通信を行った。
それから30秒程のラグの後に前線部隊の後退が開始される。
全翼に展開していた敵軍はしばらくの間様子を伺っているようだったが、全軍での前進を開始した。
私のいる本陣との距離が縮まっていく。軍団旗を掲げた敵指揮官クラスの影もちらほらと見え始めた。
まだかオイフェミア。このままでは不味いことになるぞ。
そう思っていた時、先程の破裂音がオイフェミア達のいる丘上から鳴り響いた。
まさかと思い前線へと目を向けてみれば軍団旗を掲げた敵指揮官が血飛沫を上げ馬から転げ落ちる光景が目に入る。
破裂音は連続する。次々に指揮官クラスへ命中していくその攻撃に、敵軍は大混乱に陥った。
最早頭を失い烏合の衆となりかける敵軍であったが、その時敵の後方から笛の音が鳴り響く。
視線をそちらへと移せば大槍を担いだ黒い甲冑が目に入った。敵方の逸脱者、ノルデリアだ。
その笛の音を合図とし敵軍は一斉に撤退を開始する。
それが意味することは我々の勝利であるということだ。
『うぉおおおおおおおおお!』
前線部隊から歓喜の声が上がる。だが私の意識は別のところに向いていた。
オイフェミアの横に誰かが立っている。月と星々の明かりに照らされたそれは奇妙な外見をしていた。
あれは…何者だ?そう思考しながらも、兎も角は痛む頬の治療をすることを決定するのだった。
傷を神聖魔術で治療した後、私は仮設陣地に置かれた椅子に座っていた。
兵士たちが戦場に残された遺体の回収を開始している。圧倒的な劣勢であったのにもかかわらず勝利できたのはまさに奇跡と言えるだろう。
我々も戦力の三分の一を喪失してしまい実質的な全滅判定ではあるが、既に後方への連絡は済ませてある。
あと3日もしない内に交代要員の貴族が軍を引き連れて到着するだろう。それまでは現有戦力で対処せねばならないが、フェリザリア側もこれ以上の侵攻は行ってこないだろう。
そう考える理由としては3つあげられる。一つ目は先の戦いで士官クラスの兵の大多数を損耗したこと。二つ目はオイフェミアの警戒レベルが跳ね上がったこと。三つ目はフェリザリアの士官クラスの殆どを尽く屠った存在が観測されたこと。
私にとってもイレギュラーだったのは三つ目の存在だ。これに関しては全く想定もしていない。当然である。誰があんな闖入者の存在を想定できるというのだ。
だがまあ、それのおかげで我々は今生存できているといっても過言ではない。オイフェミアはその闖入者たる男をこの場に残して、自軍の状況確認に向かってしまった。もうしばらくすれば帰ってくるだろうが、それまでに私はこの男の事を多少なりとも探っておくべきだろうか。
更に驚いたのはこの男がフェリザリアの逸脱者たるケティ・ノルデリアを退けた張本人だということであった。正直に言えば未だに信じられない。
そんな明らかにオーバーパワーな存在だが、私はあまり警戒心を抱いていなかった。理由はオイフェミアである。人の心を容易に覗き見れる彼女がこの場に残していったのだ。
ならば神経を張り詰める必要もない。無為に警戒しすぎてこの男の心情を変えてしまう事も嫌だしな。
男の姿は実に奇っ怪であった。見たことのない形の帽子。オレンジ色のメガネ。蟲甲の耳あて。胴体部分だけを保護するような布鎧に弦のないクロスボウのような得物。一体何者なのだろうか。
オイフェミアの言では『傭兵』とのことだが、こんな姿の傭兵見たこともない。そも男の傭兵という時点で珍しすぎる。こんな存在が自国内にいればすぐさま報告に上がってくるはずだが、勿論耳にしたことなど無い。
件の男は今、私の横で木箱に座っていた。勿論周りにはラグンヒルドを含めた護衛が数名待機しているが、誰も言葉を発することはない。奇っ怪な男も最初に『煙草吸っていいですか?』と聞いてきただけだ。
木箱の上に座りながら紫煙を吐き出している。男の装備については全くもって我々の常識外のものである。それについて考えても仕方がないだろう。知らないものは知らないのだ。
だから私はまず男の吸う煙草に注目することにした。煙草であれば勿論知っている。私は吸わないが、宮内も吸うものは多い。
だが男の吸う煙草は私のしるものとは少し違っていた。この世界において煙草と言えば葉巻がメジャーだ。それ以外にも葉切りを燻して吸う煙管などもあるが、男の吸うそれは全く違う見た目である。
白い筒のような外見の先端に火をつけ紫煙を吐き出していた。恐らくは葉切りを白紙で包んでいるのだろうが、ひと目でそれがかなり高い技術力で作られていることが理解できる。
煙草に造詣は深くないが、あれはそれなり以上の高級品なのではなかろうか。そうだとすればこの傭兵を自称する男はそれに比例して裕福だということになる。
しかしそれではおかしい。先も言ったようにそれだけの傭兵であれば耳に入っているのが普通なのだ。
埒が明かない。自身だけでいくら思考しようが回答は出ないだろう。直接聞くことにしよう。
「おいお前」
私はそう声をかけた。男は『うお、話しかけられた』みたいな顔をしてこちらへと顔を向ける。
なかなか精悍な顔つきだ。素性の詳細は兎も角としても何かしらの技をもって戦場に身を置く者の顔だ。
あまり手入れされていない顎髭になんだか違和感を覚える。ミスティアの男は皆髭を生やさない。髭を生やしている男を見るのはお父様以来であった。
「どうかしましたか?」
男はそう返す。やはりこの者はミスティアの人間ではないだろう。
いま身につけている甲冑には王家の紋章が彫られている。それを見ても何の反応も示さなかった。
何処まで言っても平常心の様に感じる。些か王族の前で無礼だとは思うが、寧ろ私はそういった反応の方が好みだ。
「お前、名前は何という」
「あー、俺は朝霞日夏と申します。そちらは?」
部下の何人かの顔に苛立ちが浮かぶのを確認する。それを手で制しながら私は言葉を返した。
「ベネディクテ・レーナ・ミスティア。この国ミスティア王国の第一王女だ」
そう言えば男の顔には驚きの色が浮かぶ。
だがそれは私の名前を聞いたからというよりも、別の驚きのように感じた。
いうならば『うわ!本物のお姫様!?』という感じ。そうだよ。一応本物の姫だよ。
「これは失礼。無知なもので。本物のお姫様なんて初めてお会いしましたよ。道理でおとぎ話で言われるようにお綺麗な訳だ」
突然容姿を褒められた事に一瞬あっけにとられたが、どうにもそれが愉快で笑いがこみ上げてくる。
まさか私の顔を褒めてくる男がいようとは。確かに自分でも顔は整っていると思うが、そんなことを直接いってくる男なぞ初めて出会った。
貴族の男どもは特に私の事を怖がっている者が多いからな。
とうとうそれが抑えられなくなり、声として漏れた。
「ふふ、あはははは!いや、気にしないでくれ。私が綺麗か、そうかそうか」
男、アサカは突然笑い出した私に少し驚いた様子である。
少しこの男に興味が出てきた。
「ふむ。アサカ。私の何処が綺麗だと思ったのだ?」
ひとしきり笑い終えた後、私はアサカに質問を行う。
あれ?なんかまたやらかした?という表情を浮かべた後に、アサカは口を開いた。
「もしや失言でしたか?」
「いや、そんな事はない。だがそんな事を私にいう男は初めてでな。どうしてそう思ったのかが気になった。遠慮いらん。理由を述べよ」
アサカはほっとしたような表情を浮かべた後に口を開く。
「そうですね…。失礼にあたるかもしれませんが、まずその切れ長の目は意思が強そうでとてもお綺麗です。鼻の形も、眉の形も、その雪原のような髪も、どれもがとても俺には美しく感じます。甲冑姿も凛々しくてまるで絵画の世界から出てきたようですし、それに…」
「もう良いもう良い!ありがとうな!」
風車の如く止まらないアサカの口から述べられたのは歯が浮くような褒めゼリフの数々であった。王族とは言え恋愛事に全くもって縁がなかった17歳の処女には刺激が強すぎる。
思わず赤面しながらその言葉を遮った。アサカに見られぬように顔を背ける。そうすればニヤニヤしたラグンヒルドと目があった。たたっ斬ってやろうかこの女郎。
顔から血が引くのを待ってからアサカへと向き直す。
「ふう…。ところでアサカよ。お前は一体何者なのだ?オイフェミアは傭兵だと言っていたが、お前のような格好の傭兵なぞ聞いたこともない」
アサカは少し困ったように眉を歪めた後、言葉を返す。
「それが少し自分でも掴みかねておりまして。やはり俺のような存在は他にはおりませんか?」
「ああ。聞き及んだこともない。お前が初めてだ」
そう言えば少しの静寂が場を支配する。どう言葉を選ぶか思案しているようだ。
発言からして記憶に齟齬でも発生しているのか?だがそれにしてはパーソナリティがはっきりしている。
「俺は日本という島国に生まれたのですが、その国に聞き覚えは?」
「知らぬ。極東にはお前のような人種が統治する
「いえ、違います。少なくとも俺の知識では日本がそのような呼び方をされたことは無いはずです」
疑問が募る。私の知らぬ国家出身なのはあり得ることだろう。だがこのような奇っ怪な格好をする戦士がいる国のことが噂にならぬことなぞありえるか?
「アサカ、お前のその装備も、日本という国も何もかも私の知識には存在せん。それどころか男の戦士ですら珍しいものだ」
「なるほど…。信じられないでしょうが、それなら俺は別世界の人間だと思います」
別世界の人間。その言葉を聞いた時に浮かぶものがあった。
それは魔神と呼ばれる存在だ。古くから神々や人族、魔物、魔族、アンデッドなどこの世の全てと敵対する謎の存在。
異世界よりの侵略者。奈落と呼ばれる全てが淀む場所より発生する正体不明の敵対存在。それが魔神である。
話によれば魔神の中にも人語を解するものは存在するという。このアサカは魔神なのか?
いや。それにしては矮小な魔力量だ。どう見積もっても只の人間レベルである。
思考の結果、魔神と同じ様にこの世界へと流れ込んできた別世界の人間なのではないか?と辺りをつけた。
「いや、信じよう。その方がお前という存在に説明がつく」
「え?信じていただけるのですか!?」
「人間は初めて見たが、異世界から来る存在は珍しいものではない。この世界へと来たのはお前だけか?」
アサカはかなり驚いた表情を浮かべていた。どうやら彼の常識にはそういった存在はいないらしい。
だが我々には馴染み深いものだ。忌々しいが。
「いえ。俺と一緒に弾薬庫…装備保管庫のようなものも一緒に飛ばされました。ここからそう遠くはない位置にあります」
建物ごと飛ばされたのか。是非ともこの目で確認したいが、つまりそれはアサカにとっての生命線でもあるだろう。
私はこの男の力を目の当たりにした。下手をうてばフェリザリア側へ意趣返しされることもありうる。そうなるのならば切り捨てるまでであるが、正直に行ってこの男を失うのは惜しい。
端的に言って気に入ったのだ。顔も好みである。私の容姿を褒めたのもコイツが初めてだ。できれば手元に置いておきたい。
そうするにはどうすればいいか。第一に挙げられるのはアサカの安全保障であろう。こちらが彼の身の安全を保証し、存在を脅かさないことが絶対条件だ。
「なるほどな。ではアサカ、お前の安全は保証しよう。その代わりと言ってはなんだがその建物へ私を案内してほしい」
アサカの目が細まり鋭利な空気を纏い始める。今の一言でかなり警戒されたようだ。それはそうであろう。
『お前の急所の場所を教えろ』と捉えられても致し方ない言い方だった。少し軽率であった自分の言に反省しながら、補足を続ける。
「そう猫のように警戒するな。正直に言ってしまえばお前の存在は非常に危うい。それはフェリザリア…我々が交戦していた敵対集団にとっても我が国にとってもパワーバランスを変えかねないからだ。だが私はお前のことが気に入った。先の戦果を知っている上で今後敵対することも、ここで斬り伏せる事も御免だ。お前の安全を保証し我が庇護下におくにしても、お前の事をよく知っておかねばならん」
アサカは私の言を聞き終えると長考に入る。ここでどうするかが今後を大きく左右するのだ。当然だろう。
20秒ほどの時間をおいて彼は返答する。
「わかりました。だけど、えーっと…ベネディクテ様でよろしいですか?」
「ベネディクテで構わん。それに敬語も不要だ。お前はこの国の臣民でも家来でもないからな」
「了解。ではベネディクテと呼ばせてもらうよ。あーっと、ベネディクテの言っていることは理解できるし正直にいってありがたい。俺だったら突然戦闘に介入してきた奴が『異世界から来ました』なんて言ったら正気を疑うからね。だけど、そっちも解ってると思うんだけどその建物は俺の生命線でね。この装備一式もそうだ。だからあまり大勢で押しかけられても困るっていうのが本音」
砕けた言葉でアサカはそう言葉を告げる。彼が話すのは
「それについては問題ない。私と、あとオイフェミアの二人で赴くことにしよう」
私の言葉に流石に堪えられんとばかりに部下の1人が声を上げる。
「ベネディクテ様!それはあまりにも危険…」
「言葉を選ばずに言うならばお前達全員が護衛に付くよりもオイフェミア1人と共にいたほうが安全だ」
部下は下唇を噛んで言葉を詰まらせる。命がけで私を護ろうとしてくれる人間に対して些か不躾ではあるが、事実は事実なのだ。
まあだが部下を諌める為にも近衛隊長であるラグンヒルドには確認を行っておくべきだろう。
「ラグンヒルドもそれで構わんな?」
「駄目と申しても聞かないのでしょう?我々は付近で待機する事にします。ですが一応何かがあった時の為にオイフェミア殿下のディメンション・ゲートで直ぐに逃げられる体制を整えてくださいませ。そうでないと我々以上に公爵兵が暴発しかねませんから」
苦笑を漏らしつつそれに同意する。確かにそのとおりだ。
「ではアサカ、聞いての通りだ。お前はどうする?」
「ディメンション・ゲートってワームホールかなんかか?まあそれなら構わない。ベネディクテの考えに乗るとするよ」
アサカの言葉を聞いて笑みを浮かべながら手を差し出す。
彼はそれを握り返してくれた。どうやら握手の文化はアサカの世界にもあるらしい。
親族以外の異性の手を握るのが初めての
若干の自己嫌悪。だが仕方ないだろう。パーソナリティはこれから図っていくにしても、顔が好みの
「それではよろしく頼む、アサカ」
「こちらこそ、ベネディクテ」
その時丁度視界の端に豊かな金髪が移った。オイフェミアが確認作業を終えて戻ってきたようである。
少々の困惑を浮かべつつ、彼女は声を発した。
「えーっと…?随分仲が良くなったようね」
「まあな。とりあえずもう夜も更けた。明日の早朝向かうとしよう。オイフェミアも準備しておいてくれ」
「え?何?どういうこと?」
困惑しているオイフェミアを無視して言葉を続ける。
「満足な寝床も無いがアサカはとりあえずゆっくりしてくれ。お前が我らの救世主であること忘れてはいない。ラグンヒルド、可能な限りのもてなしを」
「ねえ!無視しないでよ!説明して!」
「承りました。アサカ様、こちらへ」
「ラグンヒルドまで!?」
「お構いなく。野営にも野宿にも慣れてますんで」
やいのやいのいうオイフェミアの頬を掴みタコの様な顔を作りながら、ラグンヒルドに案内されるアサカを見送った。
とりあえずはいい出会いになりそうで何よりである。色んな意味で。
兵士たちが奏でる物音とともに、夜の帳は更に下っていくのだった。
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Act3_早朝のモナーク
おはようございます。
何処までも続いている様な高い空。雲ひとつ無い晴天。快晴とはまさにこういう朝の事を言うのだろう。
昨夜ラグンヒルドという名前の女性に案内された寝床は存外寝やすい場所だった。聞いた話では将校用のテントだったらしいが、俺が寝床を奪ってしまった方は大丈夫だったのだろうか。
員数外の設備であれば良いのだが、もし元いた人を追い出す形になってしまっていたら申し訳無く感じる。
だがそのおかげもあり体調は良好そのものだった。自分でもあんなにすんなりと寝れるとは思わなかった。
戦闘直後や初めて魔法を見た興奮から寝付きづらいと思ったのだが、存外自分の肝は太いようである。
現在時刻は大凡AM7時。長年の軍隊生活で培った体内時計がそう告げている。腕時計も身にはつけているが、再設定が必要だろう。
この世界に時計とかあるのだろうか。まあ人間無ければ無いで直ぐに慣れるものだし、然程問題は無いだろうが。
だがしかしこんなことになるならば星見ぐらい学んでおけば良かったかと後悔する。この世界には恐らく大気汚染などもないだろうから星がよく見えるだろう。
学生時代に付き合っていた彼女は天体観測サークルの所属だった。もう少し彼女の語る星のうんちくを真剣に聞いておくべきだっただろうか。
周りでは中世風の鎧やら装備を身に着けた兵士達が朝食の準備を始めている。
昨夜も思ったことだが、やはりその殆どが女であった。男の兵士もいるにはいるが、ごく少数だ。男女比が偏っているのだろうか?
まあ少なくとも魔法が存在している世界なのだ。今更何が起きたところで不思議ではない。
俺も何か手伝うべきなのだろうかと思いつつ、木箱に腰を掛け煙草を吸っている。小学生の時に学校をズル休みして昼間っからゲームをしているような罪悪感を覚えるが、まあ致し方ないだろう。
寧ろ昨夜突然現れた謎の男に『手伝います!』などと言われても困るだろうし。
だがしかし働く彼女たちを見るだけで暇はしなかった。別に視姦しているわけではない。いや、半裸で作業している女性兵士などもいるため目のやり場とそそり勃ちそうになる息子には困っているのだがそれだけが理由ではなかった。
暇をしない最も大きな理由は、彼女たちの何人かの種族である。頭にうさ耳が生えた人や、笹葉の様な耳をしている女性たちが何人かいるのだ。
あれは
彼女たちは当たり前に動いて朝食の準備を進めていた。まあしかし比率的に人間が圧倒的に多いことから、ミスティア王国という国は人間が中心の国家なのではないかと推測する。
王族だというベネディクテも見た目人間だったしな。容姿の美しさで言えばまんまファンタジーの登場人物であるが。
だがまあ見た目だけ人間で中身別物という可能性も大いにあるだろう。そう思う理由としては昨夜の圧倒的な強さである。
昨夜本陣の手前で停止して援護射撃を行おうとした時にベネディクテが戦っている姿を見た。
単騎で複数の騎兵を真正面から斬り殺す彼女を見て『本当に人間か?』という感想を抱いたというのが正直な本音である。
それはオイフェミアにも、あの黒い甲冑の騎士にも同じ感情を抱いたが。その辺についても後で聞いてみるとしよう。
どうせ弾薬庫に連れて行く事になってしまったのだ。いくらでも時間はある。
正直なところ軽率だったかと思わなくもない。思わなくもないのだが、ここは彼女達ミスティア王国の勢力圏なのは間違いない。
つまりはどちらにせよいずれバレるということ。そうであるならば強力な後ろ盾が付く可能性のある現状で案内したほうが得であろう。
自分でもかなり運が良いと思う。どうやらオイフェミアもこの国で最大の領土を誇る公爵家の人間らしいし、国の超重要人物2人と一気にパイプを持てたのはまさにラッキーだと思う。
でもまあこんな所で強運を発揮するのならばそもそもT-90の砲弾くらい反らしてくれればよかったものをとは思わなくもない。
「あんた、昨日あたしたちを助けてくれたって言う人?」
突然背後から声をかけられた。振り向いてみればそこに立っていたのは複数の女性兵士。そしてどうやら人間では無さそうである。
頭から犬のような耳が生えており、何処と無く獣の様な顔つきをしている。鍛え上げられた四肢は彫像の様に美しい。
そして晒された豊満な胸。頂点についたピンク色の突起まで丸見えである。おい、やめろ隠せ目のやり場に困るだろうが!
「あ、ああ。多分そうだと思う」
流石にガン見は不味いと思い、視線を反らす。気を張っていない今の様な状況でさすがにおっぱい丸出しはまずい。
背景として動いているのなら兎も角、話しかけて来られたらいやでも意識に入るじゃないか。息子に血が集まるのを根性で抑える。
「やっぱりそうか!本当にありがとうな!しっかし見たこともない装備してるねぇ。やっぱり魔術師なのかい?」
人懐っこい笑顔を浮かべて獣耳の女性はそういった。その邪気も無い顔を見ていると自然と股間から血が引いていく。
なんか俺が悪いみたいになっとるやんけ。どう考えても悪いのはこのおっぱい丸出しの獣耳女であろう。
そもそも何故おっぱい丸出しなんだ?恥ずかしくないのか?俺らの世界で男が半裸でトレーニングするのと同じ様な感覚なのか?
正直眼福ではあるが、このままだと息子が腐り落ちかねない。
「いや魔術師ではないよ。とはいっても説明がちょっとややこしいんだ。まあ弓兵やら弩弓兵のようなものだと思ってくれ」
そう言いながらM39EMRを掲げてみせる。それを興味津々でみる獣耳女性陣。
昨日のベネディクテが言っていた通り俺のような存在は見たことが無いようだ。
「おいリカント共!客人に迷惑をかけてないで仕事をしろ!」
身なりの良い女性兵士が獣耳の女性たちに怒鳴る。服装的に士官クラスか何かだろうか。
「やっべぇ!ほんじゃな救世主さん!改めて助けてくれてありがとうよ!」
獣耳の女性たちはそそくさと退散していった。女性士官もこちらへと軽く会釈してその場から去ってしまう。
皆に仕事がある中アホ面で煙草吸っているのがだんだんといたたまれなくなってくる。
筋トレでもしていたい気分であるが、突然素性もわからぬ男が筋トレを始めるのはさぞや奇っ怪に写るであろう。
結論、現状待機。
そうしてしばらく待っていれば空腹を刺激する様ないい匂いが漂い始めた。
鼻腔を刺激するいい香り。これはコンソメの匂いだろうか。
「アサカ様、おはようございます」
再び背後から声をかけられる。だがこの声には聞き覚えがあった。
「ラグンヒルドさんおはようございます」
振り向けば栗毛で高身長な女性騎士、ラグンヒルドが立っていた。年の頃は20代後半から30代くらいだろうか。
オイフェミアやベネディクテほどでは無いが整った顔をしており綺麗だと感じる。
「ベネディクテ様が『朝食を一緒にどうだ』と申しております」
「ああ、願ってもない。丁度腹ペコだったんですよ」
「それは良かった。ではどうぞこちらへ」
ラグンヒルドはそう微笑み歩きだした。俺も木箱から飛び降りそれに着いていく。
だがしかしこの世界の人たち適応能力高くないか?俺がアゼルバイジャンで突然騎士甲冑の女に助けられたりすれば絶対警戒するぞ?
いくら命の恩人だとしてもだ。これが感性の違いというやつだろうか。もしくはその他に警戒をしない要因があるのか。
しばし歩けば他よりも少し大きい天幕が見えてくる。ラグンヒルドはその前で声をかけた後に中へと入っていった。
俺もそれに続く。中に入ればオイフェミアとベネディクテがテーブルを囲んで座っていた。テーブルに並べられているのは簡易的な洋風の朝食。
「おはようアサカ。よく眠れたか?」
ベネディクテがそう声をかけてくる。
昨夜も思ったことだがやはりとても美しい容姿だ。とりわけ雪のように真っ白なロングヘアーと切れ長の真っ赤な瞳が印象的である。
「おはようベネディクテ。自分でも驚くくらいぐっすりと。朝食にお誘い頂いて感謝するよ」
そう言った後、ラグンヒルドが引いてくれた椅子に一言お礼を言ってから着席した。
「おはようございますアサカ様。ゆっくりお休み頂いたのなら幸いです」
続いてオイフェミアが飲んでいたティーカップを置きながらそういった。
少し眠そうであるが、朝は苦手なのだろうか?だがそれにしてもそんなに畏まった言葉遣いをされるとこそばゆいったらありゃしない。俺は別にMr.をつけられる様な人間では無いのだ。
「おはようございますオイフェミアさん。あ、あと俺に敬語は不要ですよ。名前も呼び捨てで構いません」
そう返せば何故かオイフェミアの顔が少し赤くなる。え。なんでなん?なんかセクハラしちゃった?
「わ、わかりました。ですが敬語は生来の癖でして」
「昨夜のテンパった時みたいにたまに剥がれ落ちるがな」
「うるっさいですよベネディクテ!兎も角そう言ってくださるのでしたら、私にも敬語も敬称も不要です。オイフェミアとお呼びくださいなアサカ」
頬を膨らませながら怒った後に、笑顔でオイフェミアはそういった。なんだこの可愛い生き物。
29歳のおっさんがこんな場にいていいのか?場違いでは無いのか?
それはそれとして敬語が不要になるのはありがたい。畏まったコミュニケーションは苦手なのだ。エアロン大尉みたいなブラックジョークおじさんが長を務めている部隊に長くいれば誰でもこうなる。
「了解した、オイフェミア。改めてよろしく」
オイフェミアは顔を少し赤らめて笑顔を浮かべる。だからなんで顔が赤いんだよ。どういうことなんだよ。
俺が悪いのか?なんかセクハラしてしもうたんか?そうなのか?
「とりあえず簡素なものしか用意できないが食べてくれ」
「ありがとう、ではいただきます」
両手をあわせて日本人特有の食前の文句を述べる。
それを不思議そうにオイフェミアとベネディクテは見つめていた。
「それはなんだ?イタダキマス?」
「あーえっと、俺の国では食べ物を食べる前に『いただきます』って言うんだよ」
「食前の祈りみたいなものでしょうか?」
「そんな感じ。ミスティアではそういうのないの?」
3人で食事を開始する。豆と薄切りの肉が具のコンソメスープとライ麦パンというメニューであるが、変にコースメニューなぞ出されるよりはよほどありがたかった。
高級料理なぞ日本にいた時に行った叙々苑が関の山だ。テーブルマナーも学生の頃に学んだ記憶があるが最早忘却の彼方である。
「国としての文化では無いな」
「信仰する神や宗派によってあったりなかったりって感じですね」
そう言って2人は上品にパンを食べスープを口に運んでいる。その所作を見ていると本当に姫様なのだなぁと実感できた。
こんなお淑やかにパンとスープ食べるやつおるかぁ??
それはそれとしていまのオイフェミアの言葉で気になるところがあった。
「"信仰する神"ってことは、多神教なのか?」
「その通りです。寧ろ私の知る限りで一神教の国家は現在にはありませんね」
なるほど。多神教世界なのか。日本人の俺からすれば寧ろ馴染み深いものである。
「そういえばオイフェミアはベネディクテから聞いたのか?俺がこの世界の人間じゃないこと」
「伺いましたよ」
「それは…こういっては何だが何故君たちは俺のことをそうも信じる?」
俺は最も疑問に思っていた事を問いかける。
別にここまで疑心暗鬼になることも無いと思うのだが、現状はっきりしているのは俺の持つ銃がこの世界でも通用することぐらいだ。
心の余裕は増やしておきたい。
「ふむ。オイフェミア構わないか?」
「別に構いません」
オイフェミアの返答に対してベネディクテは頷いた後、口を開く。
「まず最初にこの世界では魔術が非常に身近なものとして存在する。魔術というのは魔力を源として様々な現象を引き起こす術だ。アサカの世界には魔術は存在したか?」
「いや、存在しない。そういうのは御伽噺や創作物の世界の話だ」
そう言えばオイフェミアもベネディクテも、そして護衛として控えていたラグンヒルドも驚いた様な表情を浮かべた。
その表情から彼女たちにとって魔術というものは存在することが常識なのだということが伺える。
「…なるほどな。正直魔術が存在せん世界なぞ想像もできん。まあ兎も角我々は魔術を日常的に用いて生活している。一口に魔術といっても様々なものが存在してな。農耕用から戦闘用まで様々だ」
俺はスープに口をつけながらベネディクテの話に集中する。
このワクワク感は学生の時以来だ。自分が知らない世界のことを学ぶのはとても楽しい。
「そんな魔術の天才がこのオイフェミアなのだ。特に精神系魔術では横に並ぶものはいないと言われている」
「精神系魔術?それって相手を混乱させたりとか幻覚を見せたりとかってやつか?」
「そういうことも勿論できる。だがそれではお前の問に対する答えにはならないだろう?」
「確かになぁ」
ベネディクテは紅茶を口に運ぶ。そしてその後言葉を続けた。
「我々がアサカを信用できるのはだな、オイフェミアが思考閲覧魔術によってお前の心を覗き見たからだ」
「マジ…?」
「マジだ。だよな、オイフェミア?」
オイフェミアは顔を横に向けながら頷く。その耳は真っ赤に染まっていた。そして理由は今ならわかる。
絶対スケベなこと考えていた時に思考を見られましたやん…。兎も角それで俺に敵意が無いこととその他色々を理解していた訳か。
本気で危険な綱渡りをしていた事に背筋が寒くなった。つまりは敵意や過剰な警戒心を抱いていれば即座に敵対する未来もあり得たのか。
昨夜オイフェミアが行使していたあの地形ごと破壊する魔術がこちらに飛んでこなくて本当に良かった。
俺を能天気に育ててくれた天国の父上、母上。そして俺の感性を破壊したC.C.C。本当にありがとう。
とりあえず全力でオイフェミアに謝罪することにしよう。
「オイフェミアさんマジですんませんでした」
「え?いえいえいえ!こちらが勝手に思考を覗いたんですし謝らないでください!寧ろごめんなさい!」
2人で頭を下げ顔を上げる。そして目が合った3人で吹き出した。
とりあえず他にも幾つか聞きたいことがある。弾薬庫に行けば今度は俺が質問攻めに合うことは容易に想像できるし、この朝食の間に聞けることは聞いておこう。
「そういえば気になっていたことなんだが、何故女性ばかりなんだ?」
「何故と言われても、それが普通では無いのか?」
「え?」
「え?」
どうやら常識が根本から違うらしい。まずは認識のすり合わせから行う事にしよう。
「俺のいた世界では現代こそ変化してきたが、軍役やら兵役なんていうのは男の仕事だったんだ」
「それだと頭数が全く揃わなくなりますし、国が崩壊しませんか?」
「え?」
「え?」
まだ噛み合わないらしい。どうやらもっと根本的なところから違いがあるようだ。
「つかぬことを聞くんだが、男女比ってどうなっている?」
「3:7だな」
「3:7ですね」
「どっちがどっち?」
「男3、女7」
思わず頭を抱える。この世界を作ったっていう神様がいるのなら馬鹿じゃないのか?
寧ろよくそれで今まで絶滅しなかったものだ。
「すげえ世界だなおい」
「そうか?ではアサカの世界はどうだったのだ」
「詳しくないけど、大体1:1だと思う」
「凄い世界ですね」
「え?」
「え?」
なるほど。皆の奇異の視線の理由は装備だけではなかったのか。
というか人口比が狂っているのなら貞操観念も逆転しているのでは?
つまりエロいこと考えていた時にオイフェミアに思考を見られたっていうことは、とんでもないビッチだと思われている?
全ての点と点が線で繋がった。
なるほど、昨夜のベネディクテの反応もそういうことか。
こんな美人を褒めないとかこの国の男全員不能なんじゃないかと思ったのだが、異常なのは俺の方だったのか。
「一応聞くんだけど、一般的に婚姻を申し込むのってどっちから?」
「女だな」
「女性ですね。男性の絶対数が少ないので姉妹や親戚で1人の夫を戴く事も多くありますよ」
これが本当の竿姉妹ってか。おかしいだろこの世界。
半裸の女がやたらいた理由がはっきりしてすっきりした。いや愚息はもんもんだが。
とりあえず俺はこの世界の基準だととんでもなく淫乱な男ということになるのだろうか。
とんでもなく不名誉である。一応元の世界の貞操観念についても伝えておこう。
「多分この世界と俺の世界、貞操観念が逆だと思う」
「だろうな。でなければ私の容姿を褒めてくるはずもあるまいよ」
カラカラ笑うベネディクテ。いやそれは可笑しいと思うけど。美しいものは美しいと褒めるべきだろうよ。貞操関係なく。
兎も角事情を知らない人物と関わる時には気をつけねばならない。
「そういえば2人は幾つなんだ?」
ふと疑問に思ったことを口にしてみる。女性に年齢を聞くことは失礼に当たるかもしれないが、この世界はどうやら貞操観念が狂っているらしいので多分大丈夫だろう。
「年齢か?私は今年で17歳だ」
「私は16になります」
若っけぇ…。自分と一回り違う事に若干のショックを受ける。つまりは女子高生とアラサーのおっさんが喋っているようなものなのか。大丈夫?やっぱり捕まらない?
「アサカは幾つなのですか?」
「俺は29のおっさんだよ。正直2人が若すぎて驚いている」
日本に置いてきた8つ下の妹よりも若い少女を多少なりとも打算的に利用しようとしている自分に若干の自己嫌悪を覚える。
まあそれは割り切るしかない。どの道後ろ盾が得られなければいずれ野垂れ死ぬ事になるだろう。
前途多難な未来が想像に難くないが俺はやっていけるのだろうか。主に愚息が壊死しないか今から心配である。
「29ならまだまだ若いではないか。元の世界に伴侶などはいるのか?」
突然ぶっこんできやがったこの白髪赤目美少女。いるわけねえだろ!こちとら
そも一年の大半を戦場で過ごしている訳で出会いなどあるわけもない。最後に恋人がいたのは自衛隊離隊時だ。つまり二年前である。C.C.Cに入社して海外に行くと告げたらフラれた。
保険金の受取人に指定しておくから俺が死んでも大丈夫だよって言ったらブチ切れられた。まああの当時は色々自暴自棄になっていた自覚はあるので致し方ないと思う。
寧ろ今後の人生を考えるのならば元カノの判断は大正解だ。正直あの時は他人の事を考える余裕などなかったので全面的に俺が悪い。
「…いないっすけど」
「ほう、そうかそうか。それは良いな。なあ、オイフェミア」
「そうですね。良いと思いますよ」
いや全然良くねえが?????なにこれ煽られている?
そこな美少女2人、おっさんをいじめて遊ぶのはやめなさい。ちょっと泣きそう。
まあ楽しそうな2人を見れたので別に良いか。顔の良い人間の笑顔は全人類の宝である。男女関係なく。
イケメンも美人も顔が良い人はとても良い。癒やしだ。
29歳にして自分って実は滅茶苦茶面食いなのかもしれないと自覚を持った瞬間である。
「そうだ。この世界の種族ってどんなのがいるんだ?さっき外でうさ耳の人とか犬耳の人とか見かけたんだけど」
「寧ろお前の世界には
「いないいない。元の世界には俺みたいな人間しかいないよ」
またしてもオイフェミア、ベネディクテ、ラグンヒルド3人の顔に驚きが浮かぶ。
そりゃそれが常識なんだろうから驚くだろうな。
「それは凄い世界だな…」
「ええ…驚きました。では幾つかの種族について説明していきましょう。まず人族と呼ばれる者達についてです。これは私達が信仰する秩序の神々からの寵愛が与えられた種族の事を言います。代表的なのは
「さっきの
「彼女らも人族に属していますね。そういった人族達はいがみ合い殺し合う事もありますが、基本的にコミュニティを形成することが可能です」
「なるほどな。因みに一応聞くけどオイフェミアとベネディクテは
俺がそうきくとオイフェミアは少し困った様な顔をする。まさか違うのか?と疑問を抱くが、その解はベネディクテより齎された。
「私とオイフェミアは
「へー、神ねぇ…って神!?」
って神!?心中と発話で言葉が被った。え、現人神かなにか?
というか神という存在が存外身近という事に驚きを隠せない。神だなんだと言われてもあまりピンとこないというのが本音ではある。多くの日本人はそうではなかろうか。
「ええ。実は私とベネディクテは従姉妹なんですよ。我々の先祖は奈落の楯神イーヴァと逸脱者エルリングという人間なのです」
「マジか、すげぇなぁ。正直神って言われても俺の感性だとピンと来ないんだが、結構カジュアルなものなのか?」
率直な感想を述べる。これがキリスト教圏とかならまた違うのだろうか。いや寧ろキリスト教圏で神の血を引くとか自称した瞬間にリンチに遭いそうだ。怖すぎる。
「カジュアルとはまた違うが、実在するものとして我々は肌に感じることができる。最もなのは各神の大神殿だな。滅多に無いことだが直接降臨なされる事もある」
「すげえ。俺も神様と会ってみたいなぁ」
「どうせいずれイーヴァ様に報告に伺うんだ。そのうちお会いすることになるぞ」
ん?なにか可笑しくなかったか?まあ深くは気にしないでおこう。おっさんの勘違いほど見苦しいものもない。
そうこうしている内に食卓から朝食は無くなっていた。
さて、次は弾薬庫へ案内する番だ。一応だが、気を引き締めて行くとしよう。
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Act3-2_弾薬庫のモナーク
アサカ、ベネディクテとの朝食を終え本日の主目的への準備を開始する。
それはアサカと共にこの世界へ転移してきた"弾薬庫"なるものの確認作業だった。
弾薬庫といわれても良くは分からない。なぜならそもそも私達には"弾薬"なるものの概念が存在しないからだ。
だがアサカが言うには装備保管庫の様なものだということ。つまりは彼が装備していた武器なども多数あるのだろうか?
そう、武器だ。
彼が昨夜逸脱者ノルデリアを退けたのもその武器を用いてのことらしい。
詳しい説明は弾薬庫についてからということなので仔細は知らないが、私にとってのもっともな懸念事項はその武器についてだった。
魔術は先天的な才能に大きく依存する。
魔力量や魔術適性といったものは後天的な努力で伸ばすことはかなり難しいのだ。
故に優秀な魔術師の数を揃えるのは大国であってもおいそれとできることではない。
だが武器であるならば話は違う。確かに弓や弩弓も先天的な才能に依存する部分は多大にあるだろう。
しかし後天的な訓練によって練度を揃えることが可能だ。
アサカの用いてたあの"銃"と呼ばれる武器がそういう運用ができるのならば世界そのものが変わりかねない。
私はそれを多大に警戒していた。兵器の進歩は同時に戦争の巨大化である。
今後アサカとは友好的な関係を築いていきたい。だがその点に関しては慎重にならざるを得なかった。
別に私とベネディクテが譲歩して2人だけで彼の弾薬庫に向かうわけではない。情報の拡散を防ぐ為の措置なのだ。
とはいえ若干ワクワクしている私がいるのもまた事実である。
知識欲の塊である私にとって未知のものを学べる機会というのはとても嬉しいことだ。
先程の朝食の会話だけでもアサカの世界は私達の世界と全く違う理で廻っていることは間違いない。
そして兵器、武器というものはその文明の発展度合いを図る上で最も目安となるのだ。
それらを通して彼の世界への知見を深めることができれば私としては願ってもいない幸運である。
まるで新しい御伽噺を楽しみにする稚児のようだが、こればかりは仕方ないでしょう。
だって生来そういう性格なのですもの。
まあ後はそういったことを通してアサカともっと仲良くなれればとも思っている。
別にやましい理由ではない。いやほんとに。ちょっと、ほんのすこし、若干しかそういう気持ちはない。
私にとってはまさに救世主たる存在がアサカだ。言い訳がましいかもしれないがそんな人物と好き好んで犬猿の仲になりたいはずもないのである。
どうやらベネディクテはガッツリアサカの事を狙っているようだが、私としてはそんな徐々に友情を育んでいきたいのだ。
それに彼は29歳だと言っていた。私みたいな16歳の小娘なぞ眼中には無いかもしれない。
とまあそんなことを言ったがそれでも私は思春期真っ盛りの処女である。正直なところ性への関心が占めるウェイトは大きい。
だって29歳の男なんていっちゃんエロくない?服や装備の上からでもわかるくらいに鍛え上げられた肉体はとてもえっちだ。
それにアサカが言うには私の世界と彼の世界の貞操観念は逆らしい。つまりはそういうこと。
自分でも何を考えているのかわからなくなってきた。
まあ兎も角も私は逸脱者たる自分が男性に助けられることになることなぞ想像もしていなかった訳で。
女が男に助けられるなぞ情けないことこの上ないという人物もいるかもしれない。だが昨夜の出来事は16歳の女の心を揺らすには十分すぎるインシデントだったのだ。
きっとベネディクテもそうであろう。王族の長女として強くあることを願われ育てられた彼女にとっては尚更のことかもしれない。
「さて。オイフェミア、アサカ、準備はいいか?」
阿呆な事を考えていれば甲冑を着けたベネディクテが戻ってきた。
王家に代々継がれてきた装備一式を身に着けた彼女は従姉妹の目からみても凛々しいと思う。
「俺はいつでもいい。オイフェミアは?」
「私も問題ありません。では向かいましょう」
私達は騎乗する。アサカは馬に乗れないそうなので、私の後ろにタンデムした。
アサカが申し訳無さそうに私の腰に手を当て落ちないように掴まる。少しのこそばゆさと男性に触れられていることで若干濡れそうになるのは私が思春期真っ盛りで男耐性のない16歳
「すまん。変なところ触ったら遠慮なく叩き落としてくれ」
本当に申し訳無さそうな声色で話す彼の様子を見てピンクな気分が吹き飛んだ。彼とは貞操観念が逆だと言うことは解っているのだが、どうにも妙な感覚である。
ベネディクテの騎馬が駆け出す。それに続いて私も馬の腹を蹴った。その後方からは私とベネディクテの近衛隊が追従する。
「アサカ、こっちであってるか?」
ベネディクテがそう叫びながら問いかけてくる。出発前にすり合わせはおこなっていたが、念の為の確認だろう。
「あってるよ!あの丘を越えれば見えるはずだ!」
私の後ろでアサカが叫ぶ。
そのまましばし馬を走らせれば"それ"の姿が確認できた。
無骨で一切の飾りっ気のない石の建物。私達の建築様式とは全く違う物体がそこにあった。
彼の世界の建物は全てあのような見た目なのだろうか?と考えたが、その可能性は低いだろうと結論づける。
理由は彼の装備や格好から推測する文化レベルと全く釣り合わないからだ。
ベネディクテが騎乗しながら右手を掲げ、近衛隊に停止命令を出す。
それを見て私も"ディメンション・ゲート"という魔術を発動させた。
ディメンション・ゲートというのは2つの地点を別次元を経由させて繋げる転送魔術である。
消費魔力量が多く、また修得難易度が異常に高いためこれを使える魔術師はかなり少ない。
アサカは突然目の前で魔術を発動させられたからか少し驚いているようであった。
『うお、すっげぇ』という声が後ろから聞こえてくる。
そして弾薬庫の前に到達した。それに伴いゲートの終点を設定する。
「これが…アサカと共に転移してきた弾薬庫というやつか?」
ベネディクテが馬から降りながらそう問いかける。
アサカも少々不格好になりながら飛び降りた。
少し名残惜しい気持ちもあるが、今はそれよりも目の前の未知の物体への好奇心が勝る。
「そうだ。いま開けてくるからちょっとまっていてくれ」
アサカはそういうと建物の端に付いている扉から内部へと入っていった。
だがしかし見れば見るほどどうやってこれを建築したのか気になって仕方ない。
最初は岩でもくり抜いて作ったのかと思ったが近づいてみれば違うということに気がつく。
「オイフェミア。この建物どうやって作ったと思う?」
ベネディクテがそう問いかけてくる。きっとアサカが戻ってくるまでの暇つぶしだろう。
「最近錬金術師達が生み出したっていう"コンクリート"に似ている感じはしますね。だけども現状ここまで大量に用意できる物質ではありません。アサカの装備からも解っていたことですけど、彼の世界の文明レベルは我々の文明の遥か先を行ってるのでしょうね」
「だろうな。正直あの琥珀色のメガネだってどう作っているのか想像もできん。奴いわくメガネでは無く"アイガード"だと言っていたが」
「アイガード?度は入っていないのかしら?」
「そうらしい。目を破片などから護るための防具だそうだ。素材もガラスでは無いらしいしな」
ベネディクテはそういって一呼吸を置いた。
そして直後にニヤニヤとした笑みを浮かべて私を向けてくる。
普段貴族共から"
「それでオイフェミア。お前はアサカのことをどう思っているのだ?」
やはりそれか。正直想像は付いていた。この白髪冷淡女め、普段の冷静で冷淡、まさに王族といった姿は何処へいったのだ。いまのベネディクテは脳内真っピンクの阿呆な17歳処女である。
私は極めて平静を崩さない様に言葉を返した。
「どうって、なにがですか」
「わかっているだろうに。正直な所お前も自らが男に助けられるなどと思ってもいなかったのだろう?」
「まあ…そうですね…」
「そうであろう?私も同じだ。自分が男に助けられるなぞ想像もしていなかった。だが実際にその立場になって、なんだ、その。こう、込み上げてくるものがあったのだ」
このお姫様は何を言っているのだろうか。いや言っている意味はわかる。なんせその気持ちは理解できるから。だが今は早朝も早朝だ。
「言わんとしてることは理解できますよ。まるで御伽噺の様な話ですからね」
「本当にな。そこでだ。もちろんこれから次第ではあるが、私としてはアサカと今後も良き関係を築いていきたいと思っている。オイフェミアも一緒にどうだ?」
「……本音は?」
「感謝なり境遇なりそういうのを全部すっ飛ばしたとしても顔が好みだ。とりあえず一発ヤりたい」
「ベネディクテ。あなた普段は嫌味な程に頭がキレるのになんでこういう時はゴブリン以下の脳みそになるんですか」
駄目だこの姫。脳内がピンク色に侵食されきっている。まあ私もあまり人のことは言えないと思うのだが、流石にここまで酷くはない。
丁度その時弾薬庫の正面が大きく開き始めた。まるで城門のように巨大な扉である。それもスライド式。ここまで大きなスライド扉を見るのは生まれて初めてだ。
あの扉は金属製なのだろうか?板金技術でも天と地ほどの開きがあるようだ。
「おまたせしたね。どうぞ中へ」
アサカが扉の横から顔を覗かせる。私とベネディクテはその声に招かれて中へと入っていった。
内部は私にもベネディクテにとっても未知の物品がズラリと並んでいる。
アサカが持っている銃のような物から鉄の馬車みたいなものまで本当に多種多様だ。
正直何もかもが私の常識からかけ離れすぎて良くわからない。
アサカは奥から布製の椅子のような物と見たことのない材質のローテーブルを引っ張りだして私達の前に並べた。
そして腰掛けながら私達にも着席を促す。
「朝食をもてなしてくれたのに何も準備できなくてすまんね。時間があればコーヒーでも入れたかったんだけど、生憎カップを見つけられなくて」
「いや構わん。しかし凄いなこれは。私達の常識からは何もかもがかけ離れているぞ」
ベネディクテは腰に帯剣したサンクチュアリをテーブルに立て掛け椅子へと腰を下ろす。
私も弾薬庫内の物品から目をそらすとそれにならった。
簡素な見た目の椅子であったが存外座り心地がいい。
「さて何から話したもんか。とりあえずそっちから聞きたいことがあれば答えていくよ」
アサカは首から下げていた銃をテーブルへと置く。聞きたいことがあればと言われても聞きたいことだらけで正直どうしたものかというのが本音であった。
「ではまずはアサカが持っているその銃について聞きたい。それは何なのだ?」
ベネディクテはそう問いかけた。確かにまずはそこから聞くのが良さそうだ。
「銃って言うのは俺の世界で最も一般的な武器だね。簡単にいうと火薬という爆発する物質で鉛の塊を弾き飛ばす武器さ」
「鉛の塊、ですか?」
ああ。アサカはそう言うと銃の中央部をいじりパーツを外した。そしてその外されたパーツ内に格納されていた真鍮色の物体を取り出し私達へと差し出してくる。
「気をつけてくれよ。衝撃を与えたりしたら暴発する可能性もあるからね。その真鍮色の筒みたいな物が銃が発射する弾丸だ。まあクロスボウのボルトや弓矢の矢みたいなものだと思ってくれ」
ベネディクテとその弾丸というものをまじまじと眺める。なるほど確かにこんな物が超高速で射出されれば人体など容易に破壊できるだろう。
だが全くもってどう製造したのか想像もできない。ここまで細かな金属精錬が可能な国家なぞこの世界には存在しないだろう。
「これがそのまま飛んでいくのか?」
「いや、正確にはその先端だけ。後ろの筒部分は薬莢というんだ。薬莢の裏側に丸いポチみたいのがあるだろう?そこを銃の撃鉄が叩く事によって弾が発射される」
「どの程度の速度で翔んでいくのだ?昨日見た時は私の目でもギリギリしか捉えきれない程に早かったが」
ベネディクテの言葉にアサカはかなり驚いた様子である。私も若干驚く、と言うよりも引く。
アサカはテーブルに置いた銃を掴みながら返答した。
「俺が昨日使ったこの銃、M39EMRの銃口初速は毎秒850mくらいかな。個体差はあるけども」
「毎秒…ですか?」
「そう、毎秒。弓の初速が50m毎秒から80m毎秒だって聞いたことがあるから、ざっと10倍以上の速度かな?」
なるほど。そんな速度でこの鉛玉が翔んでくれば人は容易に死ぬだろう。そもそもそんな速度の飛翔体なぞ常人の目で捉えることができるはずもない。
要するに弾除けをしていたノルデリアと弾丸を視認していたベネディクテがおかしいだけ。
件のベネディクテはといえば弾薬庫にずらりと並べられた銃を見ながら言葉を発する。
「見る限りこの並んでいるのも銃なのだろう?もしかしてこれをアサカの世界では全員が持っているのか?」
「直接戦闘する軍人であればその通りだね」
光景を想像する。背筋がぞわりとした。こんなものが普及している世界の戦争はどれだけの地獄なのだ。
「なるほどな…。この銃を扱うには特別な技能が必要だったりするのか?」
ベネディクテの声のトーンが下がっている。恐らくは私と同じことを懸念しているに違いない。
それは銃の技術がこの世界へと広がることだ。そうなればどうなるか、火を見るより明らかである。
「先天的な射撃センスっていうのは勿論あるけど、クロスボウみたいに訓練で誰でも扱えるようになるよ」
それは最も望んでいない答えであった。ベネディクテも理解している様で顎に手を当て何かを思案している。
しばしの間の後、彼女は口を開いた。
「アサカ、その銃触っても良いか?」
「弾を抜くっていう条件ならば構わない」
「それでいい」
アサカは頷くと銃の横についたレバーを操作して何かを確認している。その後ベネディクテへとそれを渡そうとした。
―バチン。銃がベネディクテの手に触れようとした瞬間、青い魔力が迸る。
それはベネディクテの手を弾き遠ざけた。これは…封印魔術だ。それも相当に高度なもの。
「うお!?なんじゃこりゃ!?」
アサカのリアクションを見るにこの事態は想定外だったことが伺える。
ベネディクテも少し驚いているようであったが、私に確認を込めて目配せを送ってきた。
私は首を横へ振り口を開く。
「私は何もしてませんよベネディクテ。アサカ、今一度確認なのですがあなたの世界に魔術は存在しないのですよね?」
「ああ。少なくとも俺の知る限りじゃ存在していないよ。今みたいな現象も初めてみた。あれは魔術かい?」
「ええ。恐らくは封印魔術です。どうやら特定の人物にしか扱えない封印、もとい呪いのようなものかと。そんなものを扱える人物に心当たりは?」
「オイフェミアとベネディクテくらいかな、っていうのは冗談で全く心当たりはないね」
ふむと口元に手を当て思考する。
この封印を施したのがアサカではないとすると何者だろうか?
そう言えば異世界より現れる魔神の装備の幾つかに同じ様な封印がかかっていた事を思い出した。
だとすればこの封印は世界同士の過干渉を抑える為のセーフティのようなものなのだろうか。
仔細は調査せねばわからないが、何にせよ良かったと安堵している自分がいることに気がつく。
手を弾かれたベネディクテも同様のようで心なし表情が柔らかくなっていた。
これでこの技術がこの世界に拡散されることは防げるかもしれない。知識欲が満たされない事は残念だが、その結果流れることになるだろう何万ガロンもの血を考えれば安堵せざるを得ない。
だがしかしだ。つまりこの銃という超強力な武器が扱えるものはこの世界ではアサカしかいないということでは無いのか?
そうすると彼の戦略的な価値が途端に跳ね上がる事になる。逸脱者ですら殺せる可能性のある武器を使える唯一の人間なのだ。当然である。
ベネディクテはどうするつもりなのだろうか。私は所詮彼女の相談役だ。決定権は全てベネディクテにある。
「とりあえず銃についてはわかった。封印についてもまあ今は良いだろう。次はアサカ、お前自身のことについて教えてくれ」
「俺自身?」
「そうだ。先程からこう話してはいるが、私達はお前という個人の事を殆ど知らん。できればお前という存在を教えてほしいのだ」
アサカは後頭部をかきつつ何から話そうと思案しているようだった。
それを急かすことはせず、彼からの言葉を待つ。
「じゃあ改めまして、俺は朝霞日夏。日本という国の軍隊に所属していた兵士だったんだけど、色々あって2年前に退役した。その後は
「なるほど。失礼ながら傭兵というのは詭弁だと思ってました」
「厳密には傭兵じゃなくて武力を商品とする会社の社員なんだけどね。多分オイフェミアとベネディクテに伝えるなら傭兵っていうのが一番しっくりくるかなと思って」
苦笑いしながらアサカはそう応えた。その表情には自嘲を孕んでいる。あまり深入りしないほうが良さそうだ。
「話してくれて感謝するアサカ。そしてその話を理解した上で聞いてほしいことがあるんだが良いか?」
ベネディクテがそう言葉をかけた。どうやらアサカをどの様に扱うかを決めたようだ。
「構わない、なんだい?」
「今後のお前の処遇についてだ。正直な話私はお前を配下に付けたいと思っている。それは勿論戦力を考慮した打算的な計算も絡んだ上だが、それ以上にアサカに興味があるというのが本音だ。だが異世界人かつ男を直接の配下につけるとなれば法衣貴族連中からの大反発が起きるだろう。一応これでも王族なのでな。故にお前には傭兵という体をとってほしいのだ」
アサカは少し驚いた様な顔を浮かべていた。私としては想像の範疇である。そしてあわよくばアサカを愛人、というか抱きたいというベネディクテの下心も見え見えである。
だが良い落とし所では無いだろうか。どうせ関わった時点で見ぬふりをするという選択肢は存在しないのだ。であれば国としても最大限の利益を上げつつ私人としての欲を満たすこの案は悪くない。
問題は女王陛下と王家臣下の貴族共だが、そこは次期女王のベネディクテの強権でゴリ押すことはできるだろう。勿論ベネディクテがそうすると言うならば私も反対はしない。
アルムクヴィスト公爵家も賛成するとなれば反発する貴族なぞ容易に抑えつけることが可能だ。叔母である女王陛下に関してもアサカの有用性を説明すれば納得してくれるに違いない。
「それは正直願ってもいない話だ。どうせ俺にあるのは培ってきた武力だけだし、その提案には乗りたいと思う。まあ銃が無ければ只の人間だけどな。だがそちらに迷惑がかかるのではないのか?」
「お前を迎え入れるメリットに比べれば些細なことよ。それに謙遜するな。いくら銃が優れた武器とはいえ、あの精密狙撃は誰でもできることでは無いだろう。封印がある限り銃の技術を研究することも難しいだろうしな」
彼の顔に多少の安堵が浮かぶ。明確な後ろ盾が得られたのだ。張り詰めていた緊張がほぐれたのだろう。
「では改めてよろしく頼む。ベネディクテ、オイフェミア」
「こちらこそ、アサカ」
「ええ、よろしくおねがいしますね」
彼とは未だ出会ったばかり。お互いのことを知っていくのはこれからであるが、何にせよ良き出会いとなりそうで安堵した。
とはいえこれから面倒くさいことも山積みであろう。法衣貴族共をどうやって黙らせるか思案しつつ、とある夏の日の早朝は過ぎていくのだった。
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Act4_幻想世界のスタートライン
金髪と白髪の甲冑を身に纏った美少女が現代火器に囲まれて談笑している。
映画の裏方を見ているような感覚に苛まれるが、これが今の現実である。
ベネディクテの提案で傭兵として活動していく方針を決めた後、その仔細についてしばらく話し合っていた。
どうやらこの弾薬庫に存在している銃は俺以外には扱えない様になっているらしい。オイフェミアは封印魔術がどうだとかいっていたが、正直原因が俺にわかるはずもなかった。
今までの俺にとって魔術なんてものは映画や漫画などの創作世界だけのものである。その原理やら詳細なんかを知るはずもない。
まあ一番重大な発見だったのは、この世界で銃に触れることができるのは俺だけだということだろう。
正直なんで?という疑問が先行するが、精神衛生上とても良い発見だった事は間違いないだろう。
最悪銃の技術を奪うため斬り捨てられる可能性も考慮していたのだ。だが使えないだけではなくそもそも触れないのであればその未来が訪れる可能性は限りなく低くなる。
しかしなんとも騙している様な嫌な感覚に苛まれて仕方がなかった。所詮俺は一介の歩兵に過ぎない。
実際俺をこの世界に吹き飛ばしやがった戦車に殺られた様に、なんともちっぽけな存在なのだ。
だが困ったことに周囲の俺への評価は違うらしい。俺自身の自己評価としては上記の通りなのだが、昨夜の出来事が彼女達の認識を歪めているようだった。
その最もたる原因が昨夜撃退した黒い甲冑の人物。あの人物の名前はケティ・ノルデリアというらしい。ベネディクテ達ミスティア王国と昨夜交戦をしていた勢力はフェリザリア王国というのだそうだ。そして件のノルデリアはその国きっての大英雄らしい。
まあそれはそうであろう。というかそうであってくれてよかった。あんな瞬間移動にも思える無茶苦茶な機動をしていた人物が唯の一般兵です、と言われていた暁には卒倒する所だった。
オイフェミアに聞かされた話から推測するに、そのノルデリアは戦略兵器級の扱いを受けているようである。そんな人物を撃退してしまったのだ。周囲からのハードルが上がるのは致し方ない。致し方ないのだがマジで勘弁してくださいお願いします。
何だがオンラインゲームでデバイスチートを使っている様な謎の罪悪感を覚えるのだ。昨夜のあれはM39EMRの性能があってこその戦果である。
まあそんな事を言いだしたら魔術も弓も全部そうなのだという話になるのかもしれない。この背徳感にはそのうち慣れていくかと割り切ることにした。
背徳感と言えばこの現状もそうである。
まんまアニメか映画の世界から出てきた様な超絶美少女と卓を囲んで談笑している。聞いた話ではベネディクテが17歳、オイフェミアが16歳らしい。
つまりアラサーのおっさんが女子高生と話しているのとなんら変わりない訳だ。正直日本人的感性が残っている俺の心情は穏やかではない。
最近の日本では挨拶をしただけで不審者扱いされるのが日常という話をRedditで読んだ。この世界の法律は知らないが、正直逮捕されても致し方ないと思っている。
そもそもベネディクテもオイフェミアもこんなおっさんと話していて辛くないのだろうか。いくら仕事の話といえど若干の申し訳無さを抱く。
だがしかし流石にそう考えるのは彼女達に対して失礼にあたるのだろうか。彼女達は貴族としての務めを果たすためにこうして軍役に付いている訳だし、立派に己の仕事を果たしている様に見える。
上記のような感想を抱く時点で無意識に子供扱いしてしまっているのではなかろうか。自分の傲慢に気が付き心の中で彼女達に謝罪をする。
それはそうとベネディクテは俺に興味を抱いていると言っていた。言われた時は『ん?もしや…』とも思ったのだが、冷静に考えればきっと俺の武力についてであろう。
おっさんの勘違いほど見苦しいものはない。気がつけて実に良かった。
話し始めてから2時間以上経つ。その時間で俺たち3人はミスティアについてや地球についての情報交換をした。
俺にとっても彼女達にとっても様々な驚きがあった時間だったのだが、何よりも驚いたのは彼女達が地図まで用いて説明を行ってくれたことである。
地図というのは今でこそ一般に普及しているものであるが、中世時期などは軍事的政治的に重要視されるものだった。
敵国の詳細な地形が分かれば侵攻計画を立案する上でも大いに役立つことなので当たり前といえば当たり前である。そんな重要なものを見せてくれるとは肝が太いと言うか豪気というか。
何にせよ俺を信用してのことであることは理解できる。これもオイフェミアが他者の心を見れるが故なのだろうか。
とりあえずこの二時間の会話を要約してまとめると以下の様になる。
・この世界には様々な種族が存在している。代表的なのは人族、魔族、魔物、魔神とカテゴライズされる者達。
・文明レベルはローマ帝国の遺産をしっかりと受け継いだ15世紀ヨーロッパといった感じ。魔術が存在するため部分的にはそれ以上。
・人族と呼ばれる種族の男女比は大凡3:7。結果として貞操観念が逆転している。
・現在地はミスティア王国の最東に位置する地方貴族の領土。
・ミスティア王国はミスティア王家を君主として多数の貴族が連なり構成された封建国家。
・総人口は大凡200万人ほど。大多数は
・東にはフェリザリア王国、西にはウェイン海峡、南には独立妖精国家群、北には北方魔物部族連合が存在している。
・ベネディクテはミスティア王家の長女であり次期女王。
・オイフェミアはミスティア第一位の勢力を誇るアルムクヴィスト公爵家の長女。
・"逸脱者"と呼ばれる超人が存在している。昨夜退けたノルデリアやオイフェミアがそういった存在の典型例。
かなり圧縮してこの2時間に聞いた話をまとめたのだが正直に言って二郎系ラーメンが如く濃い内容である。
やはりと言うべきかなんというか地球とはあらゆることが異なっていた。だがすんなりとそれらを現実の事として飲み込めるのはサブカル好きの日本人だからだろうか。
オタク文化というもの存外馬鹿にできない。まさかこんな所で役立つとは露にも思っていなかったが。
特に好奇心を惹かれたのは"逸脱者"と呼ばれる存在についてだ。単騎戦略級戦力というのは文字だけで男心を擽る。敵対するのはマジで勘弁願いたいが。
まあ地球にも"魔王"ハンス・ウルリッヒ・ルーデルや"白い死神"シモ・ヘイヘ、"ウクライナの黒い悪魔"エーリヒ・ハルトマンなどの超人は多く存在している。
関羽や張飛、チンギス・ハーンなどもそういった存在にカテゴライズされるだろう。世界は違えども常識を超えた力を持つ個人は存在するということだろうか。
そう考えれば自分の扱いがそれらと同等に認識されてそうな現状に薄ら寒気を覚える。オイフェミアやノルデリアを自身の知識に存在した超人たちと置き換えると尚更だ。
射撃の腕に自信はあるが流石にシモ・ヘイヘを超えられると思うほど自惚れてはいない。かの超人は圧倒的劣勢であった冬戦争でキルスコア505人を叩き出しているのだ。
冬戦争というのは第二次世界大戦期に起きたフィンランドとソビエト連邦間で勃発した戦争のことである。その時の戦力比は歩兵だけでも1:4。機甲戦力や航空機を含めれば更に大きく広がる。
オンラインゲームに置き換えて考えてみればわかりやすいだろう。人数差4倍以上の試合でキルデスレート505以上。チーターであってもそんなスコアは見たこと無い。
それもゲームと違い死ねば終わり、負傷しても離脱という現実の戦争に置いてそれである。意味が解らない。実はこの世界から地球へとやってきてしまっていた逸脱者だと言われた方が余程納得ができる。
どう考えても俺がそんな存在と同列だとは思えない。過小評価でも何でもなくそう思うのだ。
「とまあ我が国を取り巻く状況はこんな感じだ」
ベネディクテはそう言って卓上に置かれたコーヒーに口を付けた。
このコーヒーは詳しい話を聞く前に倉庫をひっくり返して見つけたものを俺が淹れたものである。淹れたといってもインスタントコーヒーであるが。
初めはオイフェミアもベネディクテも訝しんでいたが、どうやら気に入って貰えたようである。何処の誰が持ち込んだのか解らないがシュガースティックやらなんやらも大量にあって助かった。
「説明ありがとう。改めて2人が凄い人物なんだってことを理解できたわ」
「別にそんな事は…まあ流石に謙遜には無理がありますか…。ですが気にしないでください。私もベネディクテもまずはアサカの友人になりたいのですよ」
オイフェミアはいたずらっぽく微笑みながらそう言い、コーヒーを口に運んだ。容姿が良いとそれだけでサマになる。このまま録画してCMとしてもなんら問題が無いくらいだ。
因みにオイフェミアは大の甘党の様でシュガースティックを4本程流し込んでいた。その結果コーヒーと言うには少々粘度が高い別の飲み物になっている気がしなくもないのだが、本人の好みならそれで良いのだろう。
対するベネディクテはあまり甘いものを好まないようだ。曰く『無駄な肉が付く』かららしい。武人気質というべきか、俺が想像するお姫様像とはかなり違う性格をしていた。
まあしかし嫌いではない。寧ろ箱入りのお嬢様だと元カノを思い出してブラックコーヒーの如く苦い記憶が想起される。俺にとっては彼女のサバサバした性格は接しやすかった。
「アサカは元々どの様な兵種だったのだ?全員が銃を持っているとしても役回りはそれぞれ異なるのだろう?」
「国の兵士として従事していた時代は空挺兵。えっと、落下傘って呼ばれる降下用の装備を身に着けて空から強襲する部隊の所属だったよ」
「空からですか!?やはり私達の常識とは異なりますね…」
「ああ。この世界にも空騎兵と呼ばれる兵科は存在しているが、あれは飛行可能な幻獣やら魔物を運用する騎兵だからな。そういったものとは違うのだろう?」
「その通り。でかいドラゴンかなんかに兵士を満載した箱を持たせて敵の後方とかに展開させるのを想像すればわかりやすいかな?」
「なるほど合点がいった。悪魔的な戦術だな」
陸上自衛隊時代を思い出す。思えばあの頃から他の隊員とは何処かズレていたのだろう。
別に元々俺が自衛隊に入隊したのは、誰かを守りたいとか安定した職に付きたいとかそう理由からではなかった。
幼い頃から
まあその結果が会社員として世界各地の戦場を渡り歩き、最終的には別世界に流れ着いているのだから笑うしか無いのだが。
「国の兵士を引退した後はC.C.Cっていう
「
「まあそうかもしれん」
「やはりそうか。お前の世界の兵士は皆昨夜の様な狙撃ができるのかと勘違いしそうになったぞ。謙遜は誤解を生みかねない、もっと自身の業には自信を持て」
「いや別に謙遜ではないのよ。本職の
「それはアサカの世界での話であろう?この私達の世界であの様な芸当ができるものなぞ他におらん」
ベネディクテはいたずらに笑いながらそういった。俺は苦笑いしながら頭を掻く。
まあ確かにな。むしろ歩兵用の長距離武器がロングボウの世界であんなことできるやつがいてたまるか。いるのなら俺は逃げ出す。
オイフェミアが言っていたことだが一般的に使用される攻撃魔術の最大射程は50mほどなのだそうだ。確かに昨夜見た地形ごと削り取っていたあの魔術なども50m程で消失していた。
「ありがとうベネディクテ」
「ふふ、構わん。因みに言っておくがオイフェミアでさえあの距離の狙撃はできんぞ。あの距離でこいつにできるのは仲間諸共着弾周囲100mを吹き飛ばすことぐらいだ」
ベネディクテは心底楽しそうな笑みを浮かべ言葉を発する。何がそんなに愉快なのか俺には判りかねるが、美少女の笑顔は健康に良いので何でも良い。
オイフェミアはと言えばカップで口元を隠しながらジト目をしている。思うところはあるのだろうが反論しない以上事実なのだろうか。
というか周囲100mを吹き飛ばすってなんだよ。隕石か
単騎で戦略級の戦力というのは伊達ではないということか。
「ところで傭兵とはいっていたが、具体的にどうするつもりなんだ?」
話題転換も兼ねて疑問に思っていた事を問いかける。
中世ヨーロッパ基準で考えるのならば傭兵というのは馴染み深いものである。最も有名なものは15世紀~18世紀のスイス傭兵だろうか。
形式は違えども現代でもバチカンの衛兵隊として雇われている彼らであるので、知っている人も多いだろう。
「王族たる私の直属としてしまってはやっかみなど色々な面倒が生じるだろう。だから表向きはオイフェミアの家、アルムクヴィスト家が雇った傭兵としようと思っている」
「私の家、アルムクヴィスト家は傭兵を重用しています。内外にも説明が通しやすいと思いますよ」
「了解した。仕事の内容はどんなものになるかわかるか?できれば自活したいと思っているんだが」
正直ヒモルートは回避したいし、食いっぱぐれるのも勘弁だ。
「私やオイフェミアの軍役への同行や盗賊退治、あとは北方の魔物共の駆除などが主な仕事になるだろう。正直な話お前の実力を見てしまったからには公人として遊ばせておくなぞ論外だからな」
「ありがたい。この右も左も分からない世界で1人で生きていくのは厳しいだろうからね。まあできることはそう多くないだろうけど上手く使ってくれ」
結果論だがあの時戦闘に介入する決断を下したのは大正解だっただろう。
こんな事になると想定はしていなかったが、強力な後ろ盾が得られたことは素直に喜ばしい。
元々こちらが彼女達を利用する目的で戦闘に参加したのだ。彼女達が俺を戦力として利用しようがなんとも思わない。
寧ろこんな怪しい異世界人に仕事を与えてくれて感謝しかないのだ。どの道選択肢は存在しない。であれば最良の未来のために邁進するのみである。
「ふふ、勿論だ。まあ、だがしかしこの後面倒事に巻き込むことにはなるかもしれない」
「面倒事?」
ベネディクテの顔から笑みが失せ心底だるそうな表情になる。それはオイフェミアも同じだった。
「ええ。今回の戦闘は国家間の衝突ですからね。女王陛下や法衣貴族へとその仔細を報告せねばなりません。その過程でアサカの事は必ず話すことになるでしょう」
「ああ、それは理解しているよ」
「つまりはノルデリアを退けた存在としてアサカを伝えることになるわけだ。当然そんな武功を上げた者を放置することなぞできるわけもない。要するに貴族共に認知されることになる」
なるほど。話が見えてきた。つまりは逸脱者ノルデリアを退けた謎の男傭兵として貴族社会に広まるというわけだな。
……めんどっくせぇ…。滅茶苦茶面倒くさいことが容易に想像できる。絶対に変な尾ひれがついて話が膨れるだろうそれ。もしくは腫れ物扱いのどちらかだ。
「実を言えばノルデリアを退けたのはオイフェミアだとして、お前の事は公的に伏せておく事も考えたのだ。だが既に500人近い人間がお前の事を認知してしまっている。箝口令を発布するにしても、その時点で何かを隠してますと触れ回るようなものだ。故にそれもできん」
「はい、理解できますうん。マジで申し訳ない、ご迷惑をおかけします…」
俺は深々と頭を下げる。マジですまん、ベネディクテ、オイフェミア。
忙しいだろうに余計な仕事を増やしてしまった。まあこればっかりは後々の働きで清算するとしよう。
「何故謝る?別に構わんさ。アサカ、お前は私達にとっての命の恩人なのだ。そんなに下手に出るな。頭を下げられては立つ瀬がない」
「そうですよアサカ。まあ確かに面倒くさいのは確かですけども、それをするだけのメリットがあります。貴方は私達の後ろ盾を得られて、私達は逸脱者すら退けた貴方という戦力を確保できる。まさにWin-Winという関係でしょう?」
美少女達の優しさが身に染みる。いい歳だからかな。目から汗が零れそうだ。
実利は勿論、心情としても彼女達に協力することは吝かではない。だってこの娘達良い子だもの。それに可愛い。
「ありがとう2人とも…」
顔に自然と微笑みが浮かんだ。それをみてベネディクテとオイフェミアの顔にも笑顔が浮かぶ。
「ところでアサカ。お前がこの世界に来た原因について心当たりはないのか?」
温くなったコーヒーを口に運びつつ、ベネディクテがそう問いかけてくる。
心当たり、心当たりか…。あの時違和感を感じた事はなんだろうか?
まず最初に思いつくのは所詮ゲリラであった筈の民兵共が西側の最新装備を身に着けていた事。
次にロシアの現行主力戦車たるT-90が現れたこと。
間違いなく第三勢力の関与があったに違いない。
だがそれが異世界にぶっ飛ばされる理由になったかと言えば疑問が募る。
他に何か…。
「あ。そう言えば。これなにかわかる?」
そうだ、あったではないか。
弾薬庫の中央に鎮座する巨大なルビーの様な物体。明らかな異物がそれである。
丁度この位置からは死角になっている為、彼女達の彼女達の視界には入っていなかった謎の塊。
ベネディクテとオイフェミアに手招きをする。俺には一体何なのか分からないが、彼女達であれば知っているかもしれない。
怪訝そうな顔をしながら2人は付いてくる。そして彼女達の視界に巨大なルビーが入った途端、驚愕がその顔には浮かんでいた。
「"
オイフェミアがその物体を見てつぶやいた。全く耳馴染みのない単語である。
「
ベネディクテは額に手を当てながらその問いに応えてくれる。ため息が聞こえてきた。
「この世界には魔神という異世界よりの侵攻者が湧き出る
「間違いなくこれのせいですよ。この建物の物に封印がかかっている事にも納得がいきました。多分一回
なるほど、この巨大ルビーが俺をぶっ飛ばした原因だったか。
いや、なんでそんな物が弾薬庫の中に当たり前の様に鎮座しているのだ。全く意味が全くわからん。
「…とりあえずこれどうしたら良いと思う?」
「今は不活性化しているようなので危険は無いでしょう。転移の際に魔力を使い切ったのでしょうね。砕けば高値で取引される素材になりますが、帰還できる手がかりにもなるかもしれません。ベネディクテはどう思います?」
「私はオイフェミア程
そんなこと言われても困るんよなぁ。
まあだが、帰還の手がかりになるのかもしれないのであれば保管しておくべきだろう。生憎とやり残してきた事も後悔も多い。戻れるならばその可能性は模索していきたいと思っている。
「じゃあこのまま保管しておくことにするよ。まあ、なんだ。全然意味わからんけどこれが原因と判明してスッキリした」
半ば投げやりになりつつこの問題はとりあえず後回しにすることに決定した。ベネディクテも
「兎も角この弾薬庫周辺はこの地域を治めている貴族から私の歳費で買い取る事にしよう。アサカも知らん連中がここに訪れるのは好ましくないであろう?」
「それに関してはマジでありがたいんだけど、いいんですか…?俺まだこの世界のお金持っていませんよ…?」
「構わん。寧ろお前に動いてほしい時に余計な厄介事が発生しては敵わんからな」
ベネディクテに感謝しつつ俺たちは卓へと戻ることにする。日が上がってきて熱気が込めてきた。アゼルバイジャンで作戦行動中だった時からシャワーを浴びていない。水浴びでもしたい気分だ。
ともかく二日目の異世界生活は大きな収穫が多数あった。そう言えば間もなく昼時かと考えつつ、時間は過ぎていくのだった。
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Act5_合縁奇縁のハイブリット
天上を満点の星空が覆う。幾千万の星々の光が降り注ぎ、幻想的にも感じる光景が広がっていた。今いるのはアサカの弾薬庫内。そこに置かれた卓をオイフェミアと囲んでいた。アサカはどうしているのかと言えば『汗を流したい』とのことだったので現在弾薬庫の裏手で水浴びをしている。
その水浴びの為の水はどうしたのかと言えば、それは逸脱者たる魔術師、オイフェミアである。彼女が最も得意とする魔術は真語魔術と呼ばれる系統の魔術だが、妖精魔術の行使にも長けている。妖精魔術には水を用いるものも多々存在しているため、オイフェミアは簡易的なシャワーを作成した。
それでアサカは絶賛水浴び中という訳である。男の水浴びなんていう絶好の機会だったため、少し覗きにいこうとしたのだが、まるでバンシーが宿った様な顔をしたオイフェミアに全力で凄まれた為断念した。
そんな訳で現在ここにいるのは私とオイフェミアのみである。気がつけばもう既に半日近く3人で話していたようである。早朝から話し始めたのに気がつけばもう月が上る時間だ。まあその甲斐もあってアサカについてはかなり把握することができた。
やはりと言うべきかなんというか、話を聞けば聞くほどに面白い男であるという感想を抱く。好奇心が解消されるどころか、益々奴について知りたくなってしまった。そしてあわよくば抱きたい。正直これからの面倒事の前報酬として水浴びを覗く程度の事は許されるのではなかろうか。駄目?ああ…そう…。とはいえ私もアサカに嫌われるのは勘弁願いたい。自分が好意を抱く人間に拒絶されるのは何よりも恐ろしい事である。それが私がこの世で一番怯えることだ。
そういえば何故私はアサカにここまでの興味、好意を抱いているのだろう。まだ出会って一日程度しかたっていないというのに。一番大きな要因としてはやはり助けられた事だろうか。次点でその強さ。勿論顔や性格も嫌いではない、というかどちらかといえば好ましいと感じている。
私もそれなり以上に戦闘技術には自信を持っている。ミスティア王国に伝わる各種宝具を装備し、全てのバフをかけた状態であれば逸脱者とも打ち合うことが可能だろう。まあバフの継続時間を考えると負ける可能性のほうが高いが。
そんな私にとって男とは庇護対象、護るべき存在である。私に限らずこの世界の殆どの女は同じであろう。故にアサカという男に助けられたと理解した時、こう胸に込み上げてくる想いがあったのだ。この様な気持ちは何というのだろうか。まだ恋と呼べる様な代物では無い気がする。いや、生まれてこの方恋心なんぞ抱いたことが無いので違うとは言い切れないが。だが元より私よりも強い男の出現を待望していた節のあった夢見がちな処女である。案外今のこの気持ちが変化して恋心になるのやもしれない。現状では『あわよくば一発ヤりたい』という感情が先行しているこれを恋と呼ぶには時期早計だと思う。そういえばオイフェミアはどうなのだろうか。コイツも私と同じ思春期の処女だ。表面上は取り繕っていても内心はドギマギしているのではなかろうか。ともあれアサカも他の部下もいない現状今後の方針についてオイフェミアと話し合う絶好の機会である。
「オイフェミア」
「どうしましたか、ベネディクテ」
読んでいた魔術書を置いた彼女の瞳がこちらを見据える。相変わらず吸い込まれそうになる深海の様な瞳だ。同性の目から見ても美しい顔をしてやがる。
「アサカについてだ。単刀直入にいえば私はあいつを愛人に迎え入れられないかと考えている」
「知ってます。そんで馬鹿だなと想います」
美しい瞳をジト目へと変化させながらオイフェミアはそういった。相変わらず手厳しい。だがそんなことで臆するようならばこの女を相談役なぞに指名するわけもない。
「まあ聞け。正直な話私もオイフェミアも結婚するのならば歴々の大貴族の嫡子とになるだろう。あるいは他国の王族から婿を迎え入れるなどか。いずれにせよ相手を選択する自由など露程しか入り込む事はできん」
「…その通りですね…」
「だが比べてもみろ。貴族の男連中とアサカを。貴族の男連中で私達を護れるほど強い男がいると思うか?」
「身近にはいる訳ありませんね。男性の逸脱者と言えば
オイフェミアはつまらなそうに口にコーヒーを運ぶ。だが今にその表情を崩してやろう。
「そこでだ。私とオイフェミアでアサカを共有の愛人とすれば良いと思い至ったのだ」
2、3秒の間を置いてオイフェミアはコーヒーを吹き出した。そして見る見るうちに頬が紅潮していく。
「わ、私も!?い、いえ、たしかにアサカの事は憎からず思っておりますけども、早急すぎでしょう。大体身分の差はどうするのです。いくら愛人といえども相手が傭兵であれば法衣貴族共は反発しますよ」
「そこに関しては問題ない。既にノルデリアを撃退し、1500のフェリザリア軍を退けたという実績があるんだ。傭兵とした後に名声を上げられる仕事を幾つか回すだけで最低でも騎士の位を授ける事は出来ようよ。そうなれば晴れて貴族の仲間入りだ。文句は言わせん」
「なるほど。ベネディクテの思惑に協力する代わりに誰にも文句を言わせずアサカをシェアできるというわけですか…。良いでしょう。愛人という所はまあ置いておいてアサカに貴族の位を授けるという計画には賛同します」
オイフェミアは私の提案を承諾する。思わずニヤリとした笑みを浮かべてしまった。これでミスティア最高戦力の1人かつ、最大勢力の公爵家の協力が得られた訳だ。最早私達を止められるものなぞ母上以外におらぬ。そして母上も反対はしないだろう。直感でそう感じる。その理由は単純。アサカは亡き父上に何処か似ている気がするのだ。とはいっても顔も体格も似てはいない。雰囲気が似ているといえばいいのだろうか。特に武人でありながら何処か抜けたような所など記憶の中の父上そっくりである。母上は間違いなくアサカの事を気に入るだろう。そういう事も含め、実利的な面でも有用なアサカを邪険に扱う理由はないだろう。
だがしかし今回の一件を報告すれば国として報復措置を行う事は容易に想像できる。具体的に言えば相手の国境砦周辺に対する逆侵攻だろうか。ミスティアの王家軍の大半は北方方面の防衛に人手を取られている。またアルムクヴィスト公爵軍にも損失が出ている。であれば逆侵攻作戦を行うのはウォルコット侯爵家であろうか。ウォルコット侯爵家はミスティア王家、アルムクヴィスト公爵家に次ぐ一大貴族である。そして現当主のレティシア・ウォルコットは我が国の切り札たる逸脱者の1人だ。オイフェミアが魔術における逸脱者ならばレティシアは武における逸脱者。例えノルデリアが向こうに待ち構えていたとしても充分な打撃を与えることが可能であろう。まあこちらの損耗も馬鹿にはならないだろうが。だが報復はせねばならぬ。封建社会は舐められれば終わりなのだ。ここで反撃を行わなければ第三国からの印象も変わるだろう。
そしてアサカ。奴もまた逸脱者に匹敵しうる武力を持っていると私は推測する。確かに身体能力でいえば特筆したものは持っていないだろう。だがあの銃を用いた狙撃技術とアウトレンジ攻撃に対応できるものなぞ殆どおらん。奴の力は敵対勢力に対して明確な抑止力となりうる。何せ逸脱者や英雄でも無ければ肉薄することすらままならずにワンサイドゲームになる可能性があるのだ。実績としても既にノルデリア撃退という圧倒的な武功がある。そして他国やフェリザリアから見ればその武功は更に重い意味を持つだろう。そういう意味でも既にアサカには戦略級の価値があると言える。
考えれば考えるほどアサカを手放す理由など全く無いという結論に達していく。もしほかの貴族共がアサカにちゃちゃをいれようものなら全力で潰してやろう。私人としての理由は省くにしても、そうするだけの実利がある。まあ私人としては、つまみ食い的な意味で手を出そうとするものがいればそれに加えて穴を塞いでやろうか位には考えているが。先も話した通りオイフェミア以外に奴を抱かせてやる気は毛頭ない。本当は奴を独占したいと思っているのだが、そうすれば後でオイフェミアが怖い。彼女は私の相談役というだけでなく親友でもある。それに今はすました様子を気取っているが、この女は存外嫉妬深いのだ。後々オイフェミアがアサカに惚れでもすればどうなるかわからん。
「ところでベネディクテ。あなたの部下に戦死者はでましたか」
不意に感情のない声でオイフェミアが問いかけてきた。それに反応し顔を向けるが、彼女の表情には何の色も無い。
「…2人ほどだ。トラファスとベルガが騎兵に殺られた」
「そうですか…」
そう言うオイフェミアの表情はなんとも変化しない。…いや、そうではない。彼女から微弱な魔力の発露を感じる。精神抑制魔術を用いて心を無理やり安定化させているだけだ。報告では彼女の近衛隊は半数近い損害を被ったと聞く。幼い頃から共にあった部下を無くしたオイフェミアの心情は理解できた。私もそうであるが、オイフェミアもたった16歳の少女なのだ。逸脱者と持て囃され、超常的な異能を持とうともそれは変わらない。彼女の両親は3年前に軍役の最中で戦死している。その時の彼女の様子はとても言葉では表せない。かなり酷い精神的負荷を抱え、度々魔力暴走も起こしていた。そういった時オイフェミアを支えたのは、彼女の兄であるヴェスパーと近衛隊の臣下達だった。その臣下達の大半を失ってしまったのだ。
「オイフェミア…私は、」
「いえ、ベネディクテ。わかってます。彼女達は立派に務めを果たした。それに私が塞ぎ込む事を彼女たちが望むとは到底思えません。ただこの一件が終わればしばらく暇をもらおうと思います。弔いは、してあげたいから」
無表情にそうつぶやく彼女は、泣いている様に見えた。辛いことがあれば泣けば良い。私はそう思うが、彼女自身は気丈であろうと振る舞っている。であれば言うのも野暮であろうか。私も亡くした臣下達の親族へ報告せねばならない。
嗚呼。全くもって争いとは嫌になる。心配ではあるが、言葉を重ねるのは控えておこう。やれることとすれば戦死した者の親族に私の歳費からも弔慰金を出すこと程度であろうか。こんないつ死ぬかわからぬ世界であっても、決して死は軽いものではないのだ。
そういえばアサカはそういった経験はあるのであろうか。彼は元より戦士であったと言っていた。銃が発展した世界の戦争であれば、更に多くの血が流れるであろう事は容易に想像できる。だがそういった事を聞くのは流石にタブーであろうか。少なくとももう少し関係性が深まってからのほうが良いだろう。
その時弾薬庫の大扉の方から足音が聞こえた。
「あー、さっぱりした。オイフェミアありがとうね」
視線を向けてみればアサカが立っていた。そして私とオイフェミアの顔は紅潮していく。理由は奴の格好だ。水浴び帰りだからしょうがないのかもしれないが、半裸でタオルとドッグタグを首からかけてのみ。引き締まった肉体。隠されていない乳首。水滴がところどころ滴り、それが月光を反射させ煌めいていた。エロい。エロ過ぎる。顔が赤熱していくと共に自分の股に違和感を覚えた。
「あ、あ、あアサ、アサカ!?服を着てください!!破廉恥過ぎます!女の前でそんな格好などと!」
オイフェミアが顔を真赤にしながらそう叫ぶ。両の手で顔を覆い隠しているが、指の隙間からアサカの肉体をまじまじと見ているのはバレバレだ。このムッツリスケベめが。
そういう私も脳が一瞬停止していた。そして鼻から違和感。拭ってみれば赤い液体が手に付いていた。血の繋がりがあるから当然なのかもしれないが、私もオイフェミアも似たもの同士であるようだ。どうしようもないなこの
そして気がついたのだが、アサカの身体には多数の傷が残っていた。裂傷のようなものもあるが、その多くが矢傷のようなもの。恐らくは銃によってできた傷なのだろうか。彼が今までどの様な戦場に身を置いていたのかが容易に理解できる傷の多さだった。
「別に男の身体みたところでそんな…。すまん、貞操観念逆なこと失念してたわ。お目汚し失礼しました!」
アサカはそう言うと銃が納められている棚の裏へと隠れていった。名残惜しい気持ちと、これ以上見ていれば貧血で倒れていたかもしれないと安堵する気持ちが同居する。
オイフェミアが顔を近づけて私だけに聞こえる声量で声をかけてくる。
「ベネディクテ、アサカに他の女の前で絶対あんな格好させない様にしないと不味いですよ!」
「ああわかっている。エロ過ぎるからな。あれは駄目だ。思わず股が濡れた」
「あなたの愛液事情なんてどうでもいいんですよ!ベネディクテからその辺は伝えてくださいね!」
「いや、待て。何故私なのだ」
「だって私の主はあなたですし、それにその…殿方の身体について直接お話するのは恥ずかしいですし…」
この女郎。都合のいい時だけ主扱いしやがって。そもそも別に私はオイフェミアの主ではない。あくまで相談役の関係だ。お前の主は兄ヴェスパーと母上だろうが。
まあしかし確かに忠告はしておくべきだろう。あんなエロい身体見せつければ性欲を募らせている女どもが獣のように襲いかかってくるに違いない。それだけは避けなければ。
鼻血をハンカチで拭いつつ、声を潜めた会話を続ける。
「わかったよ…。だがしかし凄い傷の量だったな。銃の傷以外にも裂傷があった。アサカの世界では剣なども扱うのか?」
「剣はわかりませんけど、短刀のような物は身につけてましたよ。ほら、そこの椅子に置いてある布鎧に付いてます」
言われてそちらを見てみれば、たしかに短刀のような物が装着されている。刃渡りは20cmほどだろうか。もしもと言う時の護身用か何かなのだろうか?
そんな事を思考していれば服を着たアサカが苦笑いを浮かべながら戻ってくる。
「いやマジでごめん。完全に失念してた」
「謝ることではありません。こちらも見てしまって申し訳ありませんでした」
「いや気にしないで大丈夫。俺はなんとも思わないから。やっぱいまので女の子から謝られるのは違和感があるな…」
予定外の場所で貞操観念のギャップを味わうこととなった。冷静に考えればアサカの世界って天国では無いだろうか?男が今のアサカの様に何のことなしに身体を見せてくれるのだろう?最高か?
だが如何せん刺激が強すぎる。多分鼻血が原因の出血多量で死ぬ。
兎も角、話題転換も兼ねて先程のオイフェミアとの会話で浮上した疑問を問いかけてみよう。
「アサカは剣術などにも精通しているのか?」
「剣術?いや全くわからん。心得のある武術と言えばシステマぐらいかなぁ」
知らん単語が出てきた。システマ?
「それはなんだ?」
「こっちの世界で大国だったロシアっていう国の軍隊格闘術が源流の武術だよ」
「軍隊格闘術ですか?ということはアサカは銃が無くても戦えるのですか?」
「流石に槍とか相手だと厳しいけど、徒手空拳とかナイフ戦ならそれなり以上に得意だよ。陸自時代は訓練教官との模擬格闘でも苦戦したこと無いし」
ほう。それは大いに興味がある。私も甲冑組手には心得がある。銃での狙撃技術の高さはこの目で見たが、この男が何処までの人物か身を以って計りたくなってきた。異世界の格闘術というのも気になる。
「面白い。アサカ、私と一つ組手はどうだ」
私がそう言うと、アサカは心底驚いた様な表情を浮かべた。それはオイフェミアも同様である。オイフェミアの場合『コイツマジか?』という感情の方が多分に多いだろうが。
「流石に昨日見た身体を硬質化させる術とか動体視力を向上させる術とか使われると絶対勝てないと思うんだけど…」
「
アサカはしばし悩んでいる。しばしの後重苦しい息を吐きつつ言葉を続けた。
「…まあそれならいいよ。でもなんでさ?」
「これから私達がバックに着く男の力量を実際に確認したい。遠慮はいらん。全力で来い。オイフェミア、仕切りを頼む」
「はぁ…。わかりましたよ。アサカ、本当に遠慮はいりませんからね。ベネディクテは格闘術で本職の騎士を普通にのしますから」
アサカは苦笑いを浮かべている。私は席を立ち弾薬庫前の草原へと歩きでた。それにならって彼も同じ様に歩いてくる。体格差はそれほどない。アサカは182cmほど。私は177cm。だが正直負ける気は無い。アサカは武人であるし、私が勝ってもとやかくいう性格ではないだろう。まあ流石に男相手であるし気持ち的に少し緩みがあるのは事実だが。
「両者位置はそれでいいですか?じゃあ一応ルールを作っておきましょう。勝利条件は相手を行動不能にすること。殺傷攻撃、魔術、
オイフェミアは呆れたようにそういった。まあいきなり言ったことになんだかんだ付き合ってくれる辺り良いやつである。昔からそうだが。
「では両者準備…初め!」
その声を皮切りとして突発的な組手の幕が切られた。
私は顔の前面に拳を構え、防御姿勢を作る。所謂ファイティングポーズの様な格好だ。対するアサカは脱力したように腹部周辺で構える。
お互いに抜き足で間合いを計っていた。誘った手前先に仕掛けさせてもらうとしよう。
地面を蹴り上げ一気に間合いを詰める。構えていた左腕を突き出しフェイントをかけた。それに対応しアサカはバックステップで距離を取ろうとする。だがそれは織り込み済み。すかさず右足でアサカの左膝めがけ蹴りを放った。
しかしそれをアサカは逆に前に詰めながら身体を反らすことで回避する。回避行動のためがら空きになった首めがけて右正拳突きを放った。捉えた。そう思ったのだが、次の瞬間私の視界は揺らぎ目の前には地面が広がっていた。
何が起きたか脳を回す。アサカは私の右突きを半身をズラす事によって回避し、右手で私の右手首を掴んだのだ。そのまま自身の体方向へ引張り、私の左肩甲骨を左手で押すことによって地面に組み伏せたのだと理解する。しばしの静寂の後、オイフェミアが驚いた様に声をあげた。
「そこまで!…ベネディクテ…ダサいです」
うるさいわ!私だってわかってるそんなことは!
「大丈夫か?」
拘束を解除しながらアサカは手を差し出してきた。私はそれを取り立ち上がる。もし負けるとしてももう少し粘れるであろうと思っていたので、20秒足らずで組み伏せられた事に顔に血流が集中するのを実感した。
「あ、ああ。ありがとう。しかし今のはなんだ?確実にお前の首と捉えたと思ったのだが…」
顔を反らしながらお礼を述べる。血が引くまではまともにアサカの顔を見れる気がしない。若干の慢心があったことは認める。認めるが普通に恥ずかしい。
「肩甲骨をずらすことによって体の方向を操作したんだ。引き倒したのも同じ原理。肩甲骨を動かしてその勢いでだね」
オイフェミアが何を言っているのか分からないといった表情を浮かべている。確かに武術の心得が無い者が肩甲骨どうこう聞いても意味不明だろう。だがやられた私としては理解できる。確かに腕の力で無理矢理引っ張られたのではなく、私の攻撃の勢いと肩甲骨の操作によって引き倒された感じがした。
誘っておいて負けたことは普通に恥ずかしいし悔しいのだが、今の一瞬でアサカの格闘術の練度の高さは充分に理解できる。いくら慢心してたとはいえ私をここまで瞬殺できる騎士なぞ少なくともミスティアでは逸脱者レティシア・ウォルコットぐらいのものだ。いや、良いわけではないがレティシア相手ならば慢心はしない分こうも無様には負けはしない。言い訳ではない。言い訳ではないんだからな。
「なるほど…。正直こうも容易く負かされるとは思っていなかった」
「それはありがとう。だけどベネディクテ無意識に手加減してなかったか?」
バレていた。いや、だが手加減した訳ではない。普通に慢心しただけだ。より恥ずかしい。
「…まあそうだな。だがアサカの格闘術は理解できたよ。我々の体術とは異なる流れを感じた」
「近代実戦格闘術として形成されたものだからね。だけど今度やる時は全力できてくれよ?」
「それは済まなかった。次は
「いやマジで調子乗ってすんませんでした勘弁してください」
見事な掌返しを決めたアサカに対して笑いが溢れる。やはり愉快な男だ。こうしてアサカと出会っての2日目は過ぎていくのだった。この男を手元に置いておきたいという気持ちが更に強くなりながら。
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Act6_拡散のファンタジア
ベネディクテに続き他2人のキャラクターデザインも行いました。
よろしければご確認ください。
また表紙も作りました。
【挿絵表示】
■オイフェミア・アルムクヴィスト
【挿絵表示】
【挿絵表示】
■朝霞日夏
【挿絵表示】
【挿絵表示】
荘厳な装飾が施された謁見の間には物々しい雰囲気が張り詰めている。礼服を身に着けた法衣貴族が数名、王座に座る私を囲むように並び立ち、連絡武官の報告に耳を傾けていた。その内容はつい先日に起きたフェリザリア軍の国境侵犯軍事行動に対する続報である。
誰もが緊張を顔に浮かべているが、第一報が入った時、つまり二日前の混沌とした状況からはこれでもかなり改善されている。最近の緩みきった法衣貴族共には良い薬であったか。
「詳細調査の報告が入りました。フェリザリアに浸透している魔術師からの連絡によりますと、今回の侵攻はフェリザリア女王、カミーラ・ケリン・クウェリアの勅命であるようです。動員されたのはフェリザリア王家軍第一騎士団。かの逸脱者、ケティ・ノルデリアが指揮する軍団です」
やはりそうであったか、と驚くこともなく情報を咀嚼する。第一報の次点で逸脱者ノルデリアが戦線に投入されていたことは既に把握していた。そしてノルデリアは現フェリザリア女王の筆頭相談役。つまりはノルデリアが投入されることなど女王の勅命以外ではありえない。だがタイミングとしては不可解であった。何故収穫の時期でもないこの時を狙ったのだ。確かに現在は真夏であり、雪も無いことから軍事的な行動は行いやすいであろう。だがそれであれば二ヶ月程前の収穫の時期でも良かった筈だ。それに今国境線での軍役に着いているのは愛娘ベネディクテと姪であるオイフェミアだ。身内贔屓を一切なしにしても、あの2人を同時に相手にしたいと思う国家なぞ殆ど存在しないだろう。彼女らの戦力的価値はそれほどまでに大きい。オイフェミアは世界最強の逸脱者の1人であるし、ベネディクテも逸脱者には届かないにせよミスティアきっての英傑の1人だ。どう考えてもリスクが大きすぎる。第一フェリザリアに総力戦を行う余力など無いはずだ。ミスティアとフェリザリアの国力はほぼ同程度である。現在北方魔物部族連合が拡大している現状で本格的な戦争を行う余裕など両国共に無い。例え今回の侵攻に成功していたとしても、その後の我が国による報復行為は容易に想像できる筈だ。
「フェリザリアの侵攻理由は確認しているか?」
私は報告を行っている武官に対しそう問いかける。武官の女騎士は冷や汗を垂らしていた。そんなに怯えることは無いだろうに。
「陛下、申し訳ありません。現状侵攻理由についての情報は入っておりません」
ふむ。と口に手を当て考える。そして思い当たる事が一つ浮かんだ。もしかして奴らはベネディクテとオイフェミアが国境線にいるこの時をあえて狙ったのか?わざわざノルデリアまでを投入するとなればその説がかなり濃厚に感じる。国境線に展開していたミスティア側の戦力は500ほど。数としては多くない。奇襲をしかけ、オイフェミアとベネディクテを捕虜とできれば政治的に強力なカードとなるだろう。それならば紛争も起きていない国境線に1500もの戦力を配置していた事にも理由がつく。ふざけおって。
だがしかしそうなれば別の疑問が浮上した。どうやってベネディクテとオイフェミアは3倍にも迫る敵軍を退けたのだろうか。撃退した、という報告だけ先行して上がってきているがその仔細についてはまだ聞かされていない。オイフェミア単騎でも1500の一般部隊を撃退することは可能であるが、今回の相手方にはノルデリアが存在していた。広域魔術の発動時間を稼げるとは思えない。それにどうやらベネディクテもオイフェミアも重傷は負っていないらしい。知らぬ間に愛娘と姪が強くなった、などという楽観的な思考ができれば楽なのだが、そんな都合のいい話でも無いだろう。
であれば何かしらのイレギュラーが発生したのだろうか。
「ベネディクテから戦闘の仔細についての報告は上がってきているか」
「はい。アルムクヴィスト公爵軍は歩兵216、近衛隊13、騎兵18、魔術師8を損失。ベネディクテ殿下の近衛隊からも2名の戦死者が出ました」
なんだその大損害は。壊滅判定ではないか。だが3倍軍+逸脱者を相手にしたと考えれば最小限の犠牲に留まったのだろうか。第一報の直後にウォルコット侯爵家に派兵要請を出したのは正解であった。
その続きは無いのかと武官に顔を向ければ、手元の資料を見ながら困惑した様な表情を浮かべている。
「ですが我が方の反撃によってフェリザリアの士官クラスの7割を撃破したとのことです…」
「どういうことだ…?」
私の顔にも同様に困惑の色が浮かんだ。士官の7割を撃破?何を行えばそんな事ができる。まず最初にオイフェミアの魔術であるかと推測するが、それは違うだろうと早々に結論づける。通常の攻撃魔術の射程は長いもので50mほど。その間合いにまでノルデリアを退けながら近づくことなど可能な訳がない。戦略攻勢魔術ならば超遠距離攻撃も可能であるが、あれにはかなりの詠唱時間がかかる。戦場のど真ん中で行えるものではない。ベネディクテも優秀な騎士、戦士であるが的確に士官を7割削ることなどできないだろう。
「報告によればオイフェミア殿下が現地で雇った"傭兵"による戦果とのことです…更に俄には信じがたい話ではありますが、その傭兵は男であると…」
謁見の間が静寂に包まれる。私も、法衣貴族達も、誰もが理解し難いといった表情を浮かべていた。それはそうであろう。どう考えても、誰が聞いても可笑しいと感じる内容の報告だ。その存在にせよ、士官を仕留めた方法にせよ何もが不可解。なんにせよこの一件に関するイレギュラーはその"傭兵"とやらで間違い無いのだろう。
ウォルコット侯爵軍が現地に到着するのは今日の夕方ぐらいであろうか。すぐにでもベネディクテとオイフェミアから直接報告を聞きたいが、彼女たちが王都へと戻ってくるのは早くても2日後となるだろう。この目でその男傭兵とやらを見ておくべきだろうか。今後の情勢をいち早く理解するにはその必要がありそうである。
「ベネディクテとオイフェミアに伝えろ。"引き継ぎ作業の後、その傭兵も連れ王都へ帰還せよ"と」
「畏まりました陛下…」
法衣貴族共の顔に驚いた表情が浮かぶ。気持ちは理解できる。だがこれが手っ取り早く、かつ確実に状況を判断するためには一番だ。
「貴様らの懸念も充分に理解している。その傭兵が刺客ならば、それは尤もな警戒だ。だが冷静に考えてみろ。あのオイフェミアが雇った傭兵なのだぞ。私はその傭兵の事は何も知らんが、オイフェミアの事は信頼している」
法衣貴族共のざわめきが静まる。生唾を飲み私の言葉の続きを視線で促してきた。
「法衣貴族気取りの馬鹿共や貴族派閥の中にオイフェミアの事を恐れ、どうしようもない低俗な罵りを行う者はいる。だが少なくともこの場にいる貴様らはそれほど愚かでは無いだろう」
王座に詰めている法衣貴族、私が信を置く家臣たちは皆真剣な表情で頷いた。この者たちは古くから王家に仕えている家系の現当主達。多くがアルムクヴィスト公爵家に何度も救われている。もちろんオイフェミアの事も幼い頃から知っていた。人の心を全て見ることのできる魔術の天才。そんな彼女が本当はどういう人間かを正しく理解している数少ない者達だ。
「私はミスティア女王としてその傭兵を召す事とした。各員、準備を進めよ」
家臣達が礼をし、謁見の間から退出していく。事態が錯綜しないように己の仕事を果たしに行くのだろう。
ともあれ今回の報告で、ベネディクテとオイフェミアが雇い入れるような男傭兵に興味が刺激された。果たしてどんな存在なのやら。逸脱者であるにしろそうでないにせよ、この目で直接見極めさせてもらうとしよう。
大敗だ。現状はその一言に尽きる。数でいえばそれほど多くの人員を失った訳ではない。損害率でいえばミスティア側の方が圧倒的な被害を被っただろう。だが問題なのは我々が失った人員はただの兵卒ではないということにある。士官教育を受けた部隊指揮ができる騎士階級の7割を削られたのだ。空前絶後、前代未聞の大損害である。王都で阿呆な貴族共から色々言われる事は間違いない。死ぬほど面倒くさい。だが今回ばかりはそれも致し方ないだろう。なんせフェリザリア最強の第一騎士団、"ノルデリア軍団"が行動不能にまで追い込まれたのだ。これは再建に多大な時間を要する事は間違いない。幸いなのは私の軍であったということだろうか。これで他の貴族連中の軍が混じっていれば目も当てられなかった。まあそもそも他の奴らの練度では今回の奇襲侵攻を行うことすらできないだろうが。
敗北の直接的な原因はあの超遠距離からの攻撃である。バァン。その音と共に超高速の飛翔体が着弾するあの攻撃。あと一歩でオイフェミア・アルムクヴィストを拘束できたというのに、なんと間の悪い攻撃だったか。私も不意を打たれた為一撃被弾してしまった。エンチャントの施された甲冑を貫くほどの一撃を貰ったのは実に久しぶりであった。あの攻撃によって盤面をひっくり返されたのだ。
だがしかし、あの攻撃は一体何だったのだろうか。私が驚いたのはその威力も勿論だが、その射程と精度、弾速である。僅か数秒の間で10騎ほどの騎兵を500mほどの距離から殺傷する攻撃とはどういうものなのだ。少なくとも私の常識には存在していない。逸脱者たる私が全てのバフを用いて全力射した弓であってもあの攻撃の半分以下の射程であろう。まあとはいっても本気で弓など引けば先に弓が壊れる。絶対に壊れない弓があるのならば同程度の射程を確保することも可能かもしれないが、あの精密狙撃は不可能だ。
ではあの攻撃は魔術だろうか。答えはNOである。攻撃魔術というものは強力であるが万能ではない。戦略級魔術でも無い限り射程は精々50mほど。500mという十倍距離の行使では目標に到達する前に魔力飽和を起こして霧散するだろう。
それにあの時対峙していたオイフェミア・アルムクヴィストの反応も不可解なものだった。あの女も我々と同じく事態の把握ができていない様子だったのだ。であればあの攻撃は私達も、そしてミスティア側も把握していなかった第三勢力の攻撃ということ。そして私達にとって最悪だったのは遭遇時点では第三勢力であっただろう何者かがミスティア側に着いてしまったこと。その結果が指揮官の7割を損失するという大損害である。的確に指揮官たる騎士階級だけを狙撃していくあの攻撃に為すすべもなく撤退を決断した。
本当にあの存在は何なのだろうか。遠距離であったがその姿を見ることができた。私に第一撃を浴びせた時、その人物と目があった。伏せていた為容姿の詳細はわからないが、あれは男ではなかろうか。
そう考えると自然と笑みが漏れる。私に傷を負わせる男なぞいることも想像していなかった。居てもそれは人族ではなく、魔族の統括者たる上位のドレイクやディアボロといった存在だろうと思っていた。だが現実は異なった。詳細な容姿の確認はできていないが、あれは間違いなく人間の男である。まさか人間の男でここまでの存在がいるとはな。純粋に興味が湧く。できれば直接話してみたいと思うのだが、今後あれが戦場に現れることはあるのだろうか。まあ無ければ無いで、そのうち私から会いに行くことにしよう。ついでにミスティア各貴族軍へのお礼参りでもできればこの上ない。
だがしかし、今後の事を考えると至極面倒である。貴族共からの批判への対応もそうなのだが、それ以上に面倒なのはこの後に確実に行われるミスティアの報復行為だ。オイフェミア・アルムクヴィストとベネディクテ・レーナ・ミスティアが動かせる軍事力の殆どは北方地域の防衛に投入されているらしい。あの女達であれば北方の魔物程度鎧袖一触だろうに、しがらみが多い国は大変そうだ。まあどの道今回の軍事衝突で多少なりとも消耗していることだろう。彼女たちがもう一度出てくる可能性は低い。要するに報復行動を行うのは別の貴族である可能性が高いということ。ではその実働は誰が行うのかと考えた時、直ぐに思い当たる人物が存在した。レティシア・ウォルコット。ミスティアに存在するもうひとりの逸脱者。私と同じく武人としての逸脱者である。そして更に厄介なのがレティシア・ウォルコットは魔術と剣技のハイブリッド型であるということ。懐まで近づけば相性のいいオイフェミア・アルムクヴィストと違い、ガチンコで正面から殴り合わなくてはならない。きっとそれ自体は楽しいのだろうが、巻き込まれた部下が死ぬのはいただけない。兎も角これ以上部下を殺さぬためにもなにか手立ては考えなければいけないだろう。
考えることは山積みだ。だがまあ、どうせこの後にやってくるウォルコット軍を迎撃しなければ自分の領土へ戻れないわけであるし、それまで考える時間はたっぷりある。もうしばらく娘にも会っていない。果たして私の顔を覚えてくれているだろうか。
だがしかし、クソみたいな結果の今回の作戦で良かった点が2つだけある。それはオイフェミア・アルムクヴィストと直接戦えたことだ。今まで外聞などでその力は耳に入っていたが、実際一戦交えるとそんな噂なぞアテにならんものだと改めて実感した。決して蔑みではない。寧ろ逆、あの女聞いていた数倍ヤバいということを実体験として理解できた。特にあの魔術防壁の強固さと魔力量、魔力放出量には驚かされた。通常であれば私の弓に被弾した者なぞ身体の一部が消し飛んでも可笑しくないのだが、オイフェミア・アルムクヴィストの場合は刺さっただけにまでその威力を減衰された。あれでは例え槍を命中させていたとしても数手打ち込まなくては魔力防壁を打ち砕くことはできない。放ってきた魔術、ディメンションソードにしてもそうだ。常人であれば一撃で魔力欠乏からの死を引き起こす様なディメンションソードを放って、まだまだ余力を残していたように思える。あれでは奇襲でもない限り肉薄することは難しい。私単騎ならなんとかなるだろうが、大軍同士のぶつかり合いでは明確な驚異となる。
できればベネディクテ・レーナ・ミスティアとも矛を交えたかった。かの王女も逸脱者には届かないと言われるにせよ、英傑な事に間違いはない。ミスティアの宝剣、サンクチュアリを装備し、各種バフを付けたあの女であれば逸脱者である私ともしばらく打ち合えるだろう。
2つ目の良かった点はあの謎の攻撃を行ってきた男の存在を認知できたことだ。私の個人的な欲求は兎も角としても、国の戦略上の明確な驚異とこの程度の損害で認知できたなら安いほうだと思う。まあ死んでいった兵士達の命は決して軽くはないが。だがそんな彼らも無駄死にではなかった。
望むならばまた戦場で見え、手合わせを願いたい。先は一撃被弾してしまったが、次に会う時はリベンジしたいものだ。それにあの攻撃の原理についても気になる。それは私人ノルデリアとしても、貴族ノルデリアとしても知っておきたい事柄だ。
いつの日か彼女たちとまた戦えることを祈りながら、正午前の時間は過ぎていく。
呼吸を整え、神経を鋭角化させる。ハンドガードを握る手はしっかりとそれを保持しつつ、だが力まないように脱力を忘れない。左目を少し半目にする。そうすることで効き目であった左目から右目へと焦点が移り、スコープ越しの光景が更にクリアとなる。
目標を見据える。距離450m。地上1m、縦横30cm。風速は右へ3m/s。経験と計算から導き出されたそれらの要素に従って照準をずらす。イケる。そう確信し、息を止めた。トリガーを引く。撃鉄が落ち、火薬が爆ぜる。それにより暴力的な初速を得た7.62mm×51mm NATO弾は文字通り目にも留まらぬ速さで目標へと飛翔する。スコープ越しの視界が空を写す。ある程度離れた距離での狙撃では、銃の反動による
マズルジャンプから視界が戻り、再びスコープ内に目標を捉える。7.62mm×51mm NATO弾が直撃した30cm程の木の板は跡形もなく砕け散っていた。
ふぅ、と息を吐く。当たる確信はあったが、やはり実際この目で確認すると安堵感を覚えるものだ。こればっかりは何十万発撃っても変わらない。
「凄い…また初弾で命中だ…」
頭上から少しハスキーがかった綺麗な声が聞こえた。最早聞き慣れつつあるベネディクテの声である。さて、現状何をしているのかといえば射撃訓練とは名ばかりの的あてである。地球に居た時は休憩時間、ネット小説を読んで時間を潰していたため今朝6時頃目覚めてから暇でしょうがなかった。だがここは異世界。スマホなぞ繋がるわけもない。そのため昨夜ベネディクテとオイフェミアが陣地へと戻る前に『安全は勿論確認するから、弾薬庫周辺で射撃してもいいか?』と聞いた所『構わん。どうせいずれお前の土地となるのだから好きにすると良い』と言われた。いずれお前の土地になるってなんだよ。俺はそんなモンゴルみたいな事はしねえよ。まあ兎も角許可も得れたので暇つぶしがてら450m距離での射撃訓練を行っていたのだ。そうすればベネディクテとオイフェミア、あとラグンヒルドさんが昨日の様にやってきて『ぜひ見学させて頂いてもよろしいですか?』と言ってきたので現在の状況ができている。俺はT-90に吹き飛ばされた時と同じ様に、弾薬庫の屋上で伏射し的あてを行っている。その近くには最早自分で弾薬庫から引っ張り出してきた椅子に座り、アラサーの射的を見ながらラグンヒルドが淹れた紅茶を飲む美少女二人の姿。あんたら結構、というかかなり偉いんだろ。仕事はええんか。とはいっても正式に傭兵となるまで武器の整備か射的くらいにしか暇つぶしが無いため、喋り相手が居てくれることは素直にありがたい。若い少女に暇つぶしの相手を求める29歳のおっさん。字面だけだと行政執行機関の世話になること間違いない。
「風も殆どないし、今日は撃ちやすいよ」
「あれだけの高速飛翔体でもやはり風の影響は受けるのですか?」
オイフェミアがそう問いかけてくる。彼女たちからすれば毎秒850mなんて未知の速度だろうし、そう思うのも仕方がない。
いや、そう言えば一昨日ベネディクテが雷魔術を放っていたな。雷の速度は毎秒250km程度。弾丸なんぞよりもよっぽど高速な物を放っていらっしゃった。まあ雷が風の影響受けるわけもないだろうが。
「受けるよ。今日ぐらいの風じゃ問題にならないけど、嵐みたいな強風だとかなり風の計算が必要になってくる」
「そういうものか。まあ確かに矢も風に左右されるしな」
オイフェミアは少し考えた様な素振りを見せた後に椅子を立ってこちらへと近づいてきた。柑橘系の香りが風にのって漂ってくる。香水でも付けているのだろうか。
「ちょっと思いついたことがあるんです。弾丸を一発貸していただけますか?」
何をする気なんだ?そう思いつつも、7.62mm×51mm NATO弾を一発手渡す。それを受け取ったオイフェミアは弾丸を握り込むと目を閉じた。次の瞬間、握った手から淡い緑色の光が漏れ出す。待て、マジで何をやった。
「えっと、オイフェミアさん?何をなさったので?」
そう問いかければ彼女は握っていた弾丸を手渡してくる。訝しげにそれを受け取って確認してみれば、弾頭の横部分に北欧のルーン文字の様なものが刻まれている事に気がついた。なんだこれ、エンチャントか?
「その弾を用いてもう一度撃ってみてください!狙うのはあちらで!」
そういって彼女が指差す方向は細い木が一本だけ生えている丘。射的の的から45℃ほどズレた方向である。
「まあかまわないけど…」
受け取った弾薬をマガジンに込め、チャージングハンドルを引いた。先に装填されていた通常弾が薬室から弾き出され、エンチャント弾(仮)が送り込まれる。
俺は言われた通りに木の方へと銃口を向けた。周囲に人や生物が居ないことを確認し、オイフェミアへと視線を向ける。すれば彼女はニコニコしながら頷いた。
良くわからんが可愛いのでOKです。C.C.Cなら即日クビになるような感情をいだきながら、トリガーを引いた。周囲に木霊する破裂音。弾丸は狙った木へとまっすぐ向かって――行かなかった。
「は?」
射出された弾丸は大きく弧を描くように軌道を曲げ、先程まで狙っていた的へと寸分狂わず命中する。木板の砕け方から見るにだいぶ威力減衰は起きているようだが、非装甲目標を殺傷する程度ならば充分に可能な勢いに見えた。
隣に立っているオイフェミアが嬉しそうにキャッキャと飛び跳ねている。その様子は大変可愛らしいのだが、俺の頭の中には疑問符と驚愕が大量に浮かんでいた。
「オイフェミア…まさか妖精魔術か…?」
ベネディクテが少し呆気に取られた顔をしつつそう問いかける。妖精魔術?やはりエンチャントの類だったのだろうか?
「そうです!妖精シルフに協力して貰って弾丸に風のエンチャントをかけたんですが、上手く制御できましたね!」
ニッコニコでそう応えるオイフェミア。対する俺は空いた口が塞がらないといった状態だった。マジで?弾丸の方向を制御できるとかそれなんていうファンネルミサイルですか。
魔術とはこうも凄いものなのか…。
「アサカ、勘違いしてるかもしれんから一応言っておくぞ。そもそも常人であれば妖精シルフを呼び出す事もできないし協力してもらうこともできない。それに風魔術での指向性の制御には多大な演算リソースを使用する。あれだけの高速飛翔体であれば尚更だ。つまりこんな芸当できるのはこの馬鹿だけであるから勘違いはしないように」
ベネディクテが半ば呆れた様な表情でそう教えてくれた。その様子を見るにオイフェミアがこの様な突発的な行動に移ることはそう珍しいことでも無いようである。
それに対しオイフェミアは少しむくれた様子で口を開いた。
「馬鹿ってなんですかベネディクテ!これはシュートアローの上位魔術の開発に成功した歴史的な瞬間ですよ!もっと喜んでくださいよ!ね!ラグンヒルド!」
「私は殿下の成功を喜ばしく思いますが、魔術教会にいる友人は『隔月のペースで生み出される新魔術を記録解明する我々の身にもなってくれ…』と言っていましたよ」
「え、ほんとに…?」
俺の思っている数倍以上、このオイフェミアという少女は天才なのだろう。新しい魔術を生み出すことがどれほどの難度なのかは判りかねるが、野球で隔月ペースで新しい球種(しかも実用できる)が増えていくと考えればそのヤバさは何となく分かる。いや、なんとなくと言うか普通にヤバいな。
だがしかし普段はすました様子のオイフェミアがこう喜んで跳ねている姿を見るとこの子もやはり歳相応の娘なのだと理解できた。妹を思い出す。そう言えば俺が居なくなって元気にしているだろうか。C.C.Cからの保険金なども出るし、給料の殆どを仕送りで一方的に送りつけていたから、今後数十年は余裕で遊んで暮らせるだけの額はあるだろうが。だが本当に独りぼっちにしてしまった事を改めて自覚し、ナーバスな気分に陥る。
センチメンタリズムとノスタルジックな感情に苛まれながら、夏の昼上がりは過ぎていくのだった。
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Act6-2_鉛刀一割のラビリンス
日中の熱気が未だ引くことは無く、弾薬庫内は熱気に包まれていた。射撃演習を見学していたオイフェミアとベネディクテは何か仕事があるとのことなので本陣へと戻っていった。その代わりにオイフェミアの部下であるという女騎士が1人、腕を組み弾薬庫の壁に凭れ掛かりこちらを訝しむ様な目で見ていた。彼女の名前はゼファーというらしい。つい先程軽い挨拶を交わした以外は何も言葉を発さず、監視役に徹しているようだった。赤ワインを想起させるような深い赤髪をポニーテールに纏め、勝ち気な吊り目が印象的な女性である。ベネディクテとオイフェミアのせいで爆上がりしたハードルでも充分綺麗といえる部類ではなかろうか。歳は20代前半程。身につける甲冑はベネディクテやラグンヒルドとはまた異なる意匠の物。ベネディクテ達が身につける鎧は装飾にも手を抜かず、貴族が身につける物として相応しいそれであったが、ゼファーの身につけるそれはどちらかと言えば実戦的な印象を受ける。金属鎧では無く塗装された革鎧。魔術刻印のような物も見受けられる為、恐らくはエンチャントされた鎧なのだろうか。雰囲気もあの3名に比べれば大分異なるものを感じる。なんというか、こうどうも貴族的で無いと言えば良いのだろうか。どちらかと言えば自身に似た物を感じる。常在戦場の戦士といった空気だ。まあ本物の貴族なぞC.C.Cの仕事で護衛についたノルウェー人と、式典の時に垣間見たイギリス王家、あとはベネディクテとオイフェミアしか知らないが。
さて。そんなゼファーという女騎士が監視している中何をしているのかといえば、弾薬庫内の物資の詳細調査であった。本当はもっと早い時間から行いたかったのだが、生憎と昼間は美少女にせがまれ銃を撃っていた。予定よりも遅くなってしまったが、まあ焦ることも無いだろうと謎の慢心を抱いている。エアロン大尉辺りに知られれば皮肉を言われることは間違いない。
チェックリスト代わりのA4用紙をバインダーで保持し、弾薬庫の中を歩いて回る。本来であれば空調を回すこともできるのだが、生憎と電力などというものは存在しない。いや、一応ガソリン発電機は存在しているが、それを動かすためのガソリンを浪費することは避けたかった。
もし車を動かす事態になれば湯水の様に消費することになる。その時になって選択肢を狭めるのは勘弁だ。
だがしかし現実問題として最も頭を悩ましているのもまた備蓄されているガソリンである。
というのもこの大型弾薬庫にはそれこそ使い切れないだけの弾薬が保管されている。正直歩兵1人でどうこうできる物資量ではない。数十万発の弾丸をどうやって消費すればいいのだ。ミニミやらM240に代表される軽機関銃を何も考えずに使うのなら話は別であるが、生憎と俺は
もしかすれば『弾でそんなに銃の威力が変わるの?』と思う方もいるかも知れないが、これが存外馬鹿にできない。確かにソフトターゲット相手であれば通常弾で殺傷するのに苦労は無いだろう。だがそれは的確に急所を破壊できた場合だ。防具をつけていない人間程度であれば何も問題は無いのだが、俺の懸念は異種族が存在するという事である。もしかすれば某大作JRPGシリーズに登場するトロールなどと相まみえる機会もあるかもしれないのだ。そんな相手に通常弾で挑みたくは無かった。
良き例としてホローポイント弾というものが存在する。これは先端内部が空になっている弾丸で、弾頭の先端がへこんだ形をしており、標的に着弾した際に弾頭が潰れて扁平な形になる。 もっぱら対人、対動物用の弾丸であり、殺傷力が高い弾丸の一つとして知られるものだ。考えれば分かると思うのだが、体内に侵入した弾薬が煎餅の様な形になればどうなるだろうか。内臓も神経組織も着弾周辺がぐちゃぐちゃに破壊される上に貫通もしづらい為摘出手術が必須となる。そして鉛と言うのは人体にとって毒であることは言うまでもない。要するに命中すればほぼ確実に対象を無力化できる強力な弾であるということだ。そんな弾丸が平然と存在する世界で戦争屋をしていたと思うと、今更ながら背筋が薄ら寒くなった。
話が逸れた。最も頭を悩ましているのはガソリンという話であった。
さて、何故ガソリンに一番頭を悩ましているのかと言えば、それは備蓄量の少なさではない。確かに備蓄量も心もとないことこの上ないのだが、それ以上に危惧しているのはこの真夏日によってガソリンが気化し爆発することであった。現状俺の生命線は銃、弾薬庫、ベネディクテとオイフェミアの3つ。そのうちの2つを同時に失う可能性もある爆弾を抱えていると言えば俺の懸念は理解していただけるだろうか。勿論爆弾というのは文字通りの意味である。軍用の保存容器に保管されているため直ぐに爆発するということは無いと思うが、空調も満足に使えない現状ではいずれ限界を迎える事は目に見えている。つまりは本来使いたくない貴重な資源を消費しなければいずれ吹き飛んで火星辺りに転生する可能性もあるということだ。これが本当に頭を痛める一番の原因であった。正直別世界に吹き飛ばされてしまった以上、
中途半端な選択肢というのはどの分野においてもさらなる苦しみを与える要因になりえるのだと身を持って実感していた。とりあえずガソリンは優先して車両に使用し、余剰を発電機に回す事にしよう。空調さえ使えればとりあえず熱で気化したガソリンに吹き飛ばされる心配はなくなる。正午前後の数時間だけクーラーを回せばとりあえず死ぬことは無いだろう。目減りする資源を見続ける心労で寿命は縮みそうであるが。
次点での心配は水だろうか。オイフェミアの昨日の魔術を用いて貰えれば楽ではあるが、流石にそれを続けるのは無理であろう。井戸でも掘るべきだろうか。まず水脈があるか甚だ怪しいが。草も生えているからそれなりに潤った土地ではある様に思える。だけど正直重機もなしに1人で掘ることなぞやりたくはない。これに関しては追々ベネディクテとオイフェミアに相談することにしてみるとしよう。そもそもここに住むのかすら判別つかないが。
「あんたは一体なんなの?」
不意に背後から低めの女性の声が聞こえてきた。振り返れば訝しげな目をしたゼファーと視線がぶつかる。『お前はなんなんだ?』か。昨日ベネディクテとオイフェミアと話した結果、一先ず俺が異世界人であるということは伏せておく事と決まった。なんと応えたものだろうか。
「と、言うと?」
「ここの建物も、その中に並んでいるものも全て私の知識に無い物。それにあのノルデリアを退けた攻撃、あれはなんなのさ?」
質問の内容からどうやらあの時、オイフェミアと共に助けたうちの1人であるようだ。直接目にした相手であるのならばなんと言ったものか。嘘は良くないだろう。心情的な問題は抜きにしても後々面倒くさそうだ。
「すまないがその辺りは答えられないんだ。いずれオイフェミアとベネディクテから説明があると思うよ」
そう言えば更に訝しむ様な視線は強さを増す。まあ客観的に見れば怪しいことこの上ない存在だろうからな。しばし視線がぶつかった後、ゼファーは大きくため息を吐いた。
「ハァ…まあそんなことだろうと思ったよ。じゃあ質問を変えようかな。あんたはオイフェミア様の事をどう思っているのさ?」
意外な内容の質問に鳩が豆鉄砲を食らった様な顔になった。何故そんな事を気にするのだ?別に俺が彼女に対して敵意を向けない限り、そんな事気にすることでも無い気がするが。いや、そもそもその確認でもあるのか?
「って言われてもなぁ。まあ感謝しているよ。あと顔が良いと思う。あの娘の旦那になる奴は幸運だな」
そう言えばゼファーも少し驚いた様な表情を浮かべた後、盛大に溜息をついた。なんでや。顔の良いやつの事は褒めるべきだろうが。そんなため息を疲れるいわれは無い。
「あんたは存外能天気なんだな。いや世間知らずというべきかな?」
前者は兎も角、後者に関しては何も言い返せない。それはそうだろう、この世界についての知識など生まれたばかりの赤子も同然なのだ。その分ニュートラルに物事を思考できるとは思うが。
「そりゃどうも。でもなんでそんな事を聞くんだ?」
「いや…あんたはオイフェミア様をどの程度知ってるんだ?」
「正直に言えば全然知らん。パーソナリティはある程度知ることができたが、あくまでも表面上なものだ」
ゼファーの表情に『マジかコイツ』という感情がありありと浮かんでいる。それについては甚だ心外なのだが、まあ最もな反応なのだろう。だがこういう他者との交流からもオイフェミアやベネディクテという個人の存在はありありと量ることができた。
わかりやすい所で言えば彼女達を知っている事は、少なくともミスティア王国に生きる人間にとって当たり前なのだと言うこと。要するにかなりの著名人であるという点だ。日本で言えば天皇家を知らないとかだろうか。そう置き換えれば、なるほど馬鹿に見られても仕方がない。
「ハァ…。いいか、オイフェミア様は真正の天才だ。その実力は逸脱者として祀り上げられるほど。実際オイフェミア様の右に出る魔術師なんてほぼいないよ。だけどさ、そんなオイフェミア様もまだ16歳の少女なんだ」
ゼファーのその口調からは優しさと心配が滲み出ている。それだけでこの女性がオイフェミアに対してどれだけの忠誠心を持っているのかを推し量るには充分であった。
「あの御方は幼少の頃から人の心を全て見ることができた。今でこそ魔術として制御していらっしゃるけど、昔は無意識でそれが発動してしまっていてね。随分と人の悪意や憎悪、恐れ、嫉妬なんていう負の感情を多感に感じて過ごされていたんだ」
ゼファーは後悔を噛み殺す様にそう言葉を続ける。なるほど、他人の心を見るというのは便利そうだが、上手く扱わなければ不利益の方が多いだろう。想像してみてほしい。会社の上司や学校の同級生の感情や思考が、望んでもいないのに脳へ流れ込んでくる状態を。自身に対するヘイトや恐れ、嘲り、罵り。そういった思考がとめどなく流れ込むその状態を。容易に精神衰弱し人間不信に陥る事は想像できる。だが俺は天才では無いが故に、そういった感情を抱いてしまう周囲の人物の気持ちも理解できた。だって自らの心を全て見られることなど恐ろしいではないか。それが幼少の時期なら尚更だ。俺はもう29のおっさんであるし、オイフェミアに敵意も憎悪も無いため心を見られることは然程気にしないが、これが貴族社会であれば重大インシデントなのだろう。どれだけ策を回そうとも全てを見透かされるのだから、関わりたいはずもない。そういった周囲の環境は、少女の成長にどんな影響を与えたのだろうか。
「そして3年前。アルムクヴィスト家の前当主であったオイフェミア様のご両親は信を置いていたとある地方貴族の裏切りで戦死された。その後直ぐにベネディクテ様の逆鱗に触れたその貴族は処刑されたが、そんな事で心に平穏が齎されるのならば誰も不幸になどならないってものさ。あの時のオイフェミア様は荒れに荒れていたよ。いや正確には全てを恐れて荒んでいらっしゃった。その結果魔力暴走を起こして湖を一つ永久凍土化させたりしているんだけど、まあそれは今は良いか」
ドクン。心に軋みが奔ったのを感じた。それは共感なのだろうか。俺自身の記憶に刻み込まれた2年前の出来事が想起される。呼吸が乱れる。動悸が激しくなる。あの可憐な少女も同じなのか。予想もしなかった部分が自らと同じであった事に困惑が隠せない。
「それから尚更、オイフェミア様は信頼している者に裏切られる、嫌われる事を酷く恐怖していらっしゃる。だから、あえて言おう」
ゼファーの視線がより一層鋭さをました。熟練の研師が渾身の力量を持って研ぎ上げた刀剣が如くの鋭利さを伴って、俺を睨みつける。
「生半可な気持ちであの御方に近づくな。もしあんたがオイフェミア様の心に傷をつけようものなら、私が殺してやる。いいや、私だけでない。アルムクヴィスト家に忠誠を誓う全てがあんたを殺すだろう」
彼女はそう言い切った。それには冗談も、洒落も一切含まれておらず、純粋な殺意が込められていた。思わず息を呑む。だが答えることは決まっていた。息を吸い込む。そして声を荒げて言葉を発した。
「当たり前だ!幾千の人間を殺してきたとしても、そんな話を聞いて、そんな行動が取れるほど人間をやめたつもりはない!」
俺が息を荒くし叫ぶ事は想定外だったのか、ゼファーは面食らったような表情をしていた。だが少しの間を置いてコロコロと笑い始める。俺の方もそれは予想外で、彼女が言葉を発するのを待った。
「ハハハ!なるほど、それで良いさ。何、さっきはああ言ったがオイフェミア様が信頼しているあんたのことは認めている。これからよろしく頼むよ、アサカさん」
そういってゼファーは一歩踏み出し、手を差し出してきた。俺もそれに応え手を取る。なるほど、オイフェミアは良い臣下を持っているようだ。主を信じ、また主の信じるものを信じる。それは盲信というのだろうが、なにあの聡明な少女のことだ。側に置く存在も伊達では無いだろう。
「よろしく頼む、ゼファーさん」
どちらからともなく手を離す。ゼファーの顔には気持ちの良い笑みが浮かんでいた。竹を割ったような性格の人物だという印象を強く抱かせる。
「じゃあ、改めて自己紹介をしようかな。私はゼファー・ミフェス。オイフェミア様の身辺警護を務めるアルムクヴィスト第二近衛隊の従士だよ」
「俺は朝霞日夏。故あってベネディクテとオイフェミアの推薦で傭兵をやることになった。従士って事は貴族ではないのか?」
「そうだよー。私が貴族に見える?アルムクヴィスト家の近衛隊に身分は関係無いのさ。共通点は唯一つ、アルムクヴィスト家へ絶対の忠誠を誓っていることぐらいかな」
最初の予想通りやはり貴族では無かったか。通りで似た雰囲気を感じたわけだ。まあ近衛隊と傭兵じゃ、バチカン衛兵隊と
「っと、邪魔しちゃったね。何か確認していたんだろう?」
「あー、そうだった」
ゼファーに指摘され確認作業を再開する。ガンラックにはC.C.Cで正式採用されている銃が陳列されていた。
数は各200挺ほどだろうか。何処にこんだけの小銃を投入する気だったんだか。因みにM39EMRは俺が個人的に持ち込んだ装備である。当然この場には予備パーツなど存在しない。宿舎にあった自室には予備パーツを置いていたのだが、こんな事になるならこちらにも置いておくべきだったか。ふざけんな、誰がこんな事態予想できるっていうんだ。
そうして確認しながら歩いている所でふと足を止める。そして二度見した。
「誰だよこんなもん持ち込んだ馬鹿」
そこにあったのはM134ミニガン。かの有名なM61A1バルカンを小型軽量化した連装機関銃である。6本の銃身を持つ電動式ガトリングガンであり、毎分2,000 - 4,000発という単銃身機関銃をはるかに超える発射速度を持つ気の狂った軍事開発者の落とし子。
生身の人間が被弾すれば痛みを感じる前に死んでいるという意味で「
その他に特筆する装備と言えばC.C.Cが使用しているパンツァーファウスト3対戦車ロケットランチャーなどであろうか。陸自でも
全体をくまなく見きれた訳ではないのでもしかすれば今後幾つかの掘り出し物が出てくる可能性はあるが、現状戦力として活用できそうなものはこの程度である。銃を使える頭数さえ揃えれば中隊規模の部隊が編成できる装備備蓄量に慄く。恐らくは作戦行動中の中隊への補給物資だったのだろうか。
一先ず幅広い状況に対応できそうな装備があったことは喜ばしいのだが、それは同時に俺を縛り付ける鎖となっている。どういうことかと言えば何かが発生した時全財産を全て担いでの夜逃げなどは絶対に無理だということ。先程ゼファーから聞かされたオイフェミアの話もあるので、そんなことするつもりは毛頭無いのだが、歩兵1人が管理するには多すぎる物資量に目が眩む。とりあえずは初仕事の話を聞いてから装備を選択することになるだろうが、よっぽどヤバい相手で無い限り小銃で対処したいというのが本音。歩兵1人が携行できる装備には限界があるからだ。ゲームみたいにアサルトライフルとスナイパーライフルとロケットランチャーを同時に携行することなどできないのだから。
その時弾薬庫外で馬の足音がした。ゼファーがすぐさま抜刀し大扉横へと移動する。手慣れたものだ。練度の高さが伺える。俺もヒップホルスターから
「何者か!」
ゼファーが誰何を行う。そこで思い出した。初めてオイフェミアと出会った時に誰何を行ってきたのもゼファーであった。
だがその何者かの姿を確認したのだろうか、ゼファーが片膝を地面に付け最敬礼の姿勢を取った様子が目に入る。となれば来訪者はオイフェミアかベネディクテのどちらかだろうか。
大扉の横から美しい白髪と共にその姿が現れる。高めの身長に非常に整った顔立ち、意志の強い瞳。ベネディクテであった。
「すまんなアサカ、問題発生だ」
いつもどおりの語調でそう声を上げるベネディクテ。だがその表情には少し困った様な色が伺えた。様子から見るに敵襲というわけでも無いだろう。ではなんだろうか?
「母上がお前を報告会へ召集された…。明日共に王都へと向かってもらうぞ」
眉を下げながらそういうベネディクテの言葉を数秒かけ咀嚼する。そして理解が及んだと同時に言葉が漏れた。
「マジ…?」
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Act7_収束のララバイ
黄昏が世界を侵食していく。未だ沈みきらぬ太陽は、だがしかしその熱を弱め、夜の訪れを示唆していた。壊滅状態という追加報告を道中得ていた為それなり以上の地獄絵図を想定していたのだが、中々どうしてアルムクヴィスト軍の将兵たちの士気は旺盛であるようだ。
それはオイフェミア、ベネディクテ両殿下の求心力によるものか、はたまた救世主として現れた件の傭兵によるものか。何れにせよ散り散りに敗走していても可笑しくない大損害を受けたとは思えぬほど仮設陣地の兵員の顔色は悪くない。だけどそれはきっと悪いことだ。つまりは友人仲間の死を悲しむ余裕もないということの裏返しでもあるのだろう。長きに渡り戦場に身を置いて、心が麻痺しているのだ。それは
到着して事態の把握と配置交代を終えた後、ベネディクテ殿下へとラクランシア女王陛下の意向を伝える。すればバツの悪そうな顔を浮かべ何処かへと消えていった。きっと件の傭兵を呼びに向かったのだろうが、素性の知れぬ者に直接王族が声をかけに行くなど彼女の部下が騒ぎそうなものである。だがベネディクテ殿下の近衛隊の面々は皆平静なようだった。これはきっとオイフェミア殿下がその傭兵とやらを信頼しているからに他ならない。ベネディクテ殿下とオイフェミア殿下は従姉妹という関係以前に絶対の親友同士だ。つまりはその部下たちも双方の人格や実力をよく把握しているということである。他人の心が勝手に見えてしまう事なぞ勘弁願うが、この時ばかりはオイフェミア殿下の異能を羨ましく思った。仔細を説明しなくとも部下が意図を汲んでくれるなぞどれだけ楽なことか。だがこの思考はオイフェミア殿下に対する侮辱に他ならない。彼女はそれ以上の苦しみを受けここまで生きてきたのだ。自身の至らぬところを身勝手に羨望するなぞ愚者の行うことであろう。
現在は陣地に設営された指揮キャンプで待機している状態だ。側には私の部下2名とオイフェミア殿下、そして殿下の近衛隊の騎士1人が詰めている。
「まさかレティシアが増援として来てくれるとは、驚きました」
手にしていた紅茶のカップを置き、オイフェミア殿下が声をかけてくる。言葉とは裏腹にその表情は平静そのものであった。
「御冗談を。
「まあ、そうですね。この後は報復行動を行うつもりですか?」
「いえ、まずはベネディクテ殿下とオイフェミア殿下と共に王都へ帰還し、戦闘報告会へと参加致します。その後内容如何ですが、まあ十中八九報復行動は行われるでしょう。手始めに村を1つか2つ、そして国境砦を壊滅させることができるれば上々の戦果でしょうか」
自分でも物騒な事を言っている自覚はあったが、報復行動としてはこれぐらいせねば他国に舐められる事は言うまでもない。とりあえず村を襲撃して女どもを皆殺しにし、男を強奪するのは必須事項であろう。他国の領域を侵犯し、人を殺したのだ。向こうもそれくらいの覚悟はしている。まあ襲撃される村々の連中には同情するが。
「それが妥当でしょうね。ですが気をつけてください。向こうの指揮官は逸脱者ノルデリアでした」
「問題ありません。そのために
話していればテントの外から複数の足音が聞こえてくる。ベネディクテ王女殿下が戻ってきたのであろうか。
「遅れた。変わりないか?」
そういってテントへと入ってくるのはやはりベネディクテ王女殿下であった。その後ろには長身の男が1人続いている。黒のベレー帽に橙色のメガネのような物。シミひとつ無いYシャツ、真っ黒なスラックス。右足部分には見慣れぬ鞘の様な物を装着している。そして一番に目を引くのは首から下げるようにして保持している弦の無いクロスボウのような物。これが件の傭兵であろうか。
自分の想像とは180度異なった見た目に若干の驚きを抱く。もっとこう筋肉旺盛な肉達磨か、純魔術師然とした男をイメージしていたのだが、その格好以外は存外普通である。この辺りでは見かけない人種の人間ではあるが、それ以外に特異な事はあまり感じられない。強いていえば纏う雰囲気が
「アサカ、その格好はどうしたのですか?」
オイフェミア殿下がそう問いかける。言い草的に普段していた装いとは異なるのだろう。まあだと思った。その服ではあまりにも戦いづらかろう。
「あー、ベネディクテから謁見だと聞かされてね。礼服の方が良いのかなって思ったんだけど、不味かった?」
それ礼服なのか。私達の常識にある礼服よりも大分落ち着いたデザインの様に感じる。恐らくは文化の方向性の違いだろうか。
「いえ、問題ありません…。どの道謁見の間に武器や防具を身に着けて入ることは許可されませんから…」
少し歯切れの悪いオイフェミア殿下に視線を向ければ、若干頬を赤らめて下を向いていた。ほほう、これは面白そうである。事情はつかめないがオイフェミア殿下はこの男傭兵に気があるのだろうか。そういえば男傭兵はベネディクテ王女殿下の事も呼び捨てにしていた。あの王女殿下が他者、それも男に敬称で呼ばぬ事を許可するなど今まで殆ど無かった事だ。例外は
男傭兵の視線が私とぶつかる。彼は軽く会釈をするとオイフェミア殿下へと視線を向けた。その会釈から感じられたのは貴族としての作法では無く、労働の延長線の様なもの。
「レティシア、紹介します。こちらはアサカ・ヒナツ。我々を窮地から救ってくれた異世界人です」
眉を動かし、それに少し驚いた。なるほど異世界人ときたか。オイフェミア殿下がそういうのならばそれに間違いは無いのだろう。まあ起こり得ないことでもない。実際魔神どもは
「アサカ、それでこちらが…」
オイフェミア殿下のパスを受け席を立ちその言葉を続ける。
「
「これはご丁寧にどうも。先に紹介に預かった朝霞日夏です。元いた世界では傭兵の様な事をしておりました。えっと…」
「レティシアで構いません」
「どうも。レティシアさん、宜しくおねがいします。俺のことは気軽に朝霞と呼んでください」
「承りましたアサカ様」
アサカに対し貴族の流儀で一礼を行う。アサカも労働の延長線の様な堅い返礼を返してくれた。何処かそれが可笑しくて、思わず吹き出しそうになるのを表情筋に力をいれて抑え込む。
「アサカ、レティシアはミスティア第三位の貴族、ウォルコット侯爵家の現当主だ。それにオイフェミアと並ぶ我が国のリーサルウェポン、逸脱者の1人でもある」
ベネディクテ王女殿下がそう補足説明を行ってくれる。改めて自らの評価を聞くと少しむず痒いが、それが事実であることは
アサカは少し驚いた様な顔で
「ほえー。高貴な生まれで強くて、加えてめっちゃ美人なんて凄いっすね。ベネディクテもオイフェミアもそうだけど、まんま御伽噺や創作世界の住人だ」
美人と言われ、思わず面を食らった。なるほど、オイフェミア殿下が顔を赤らめていた理由が理解できる。あの存外初な天才の事だ、そんな褒め言葉でころりといかれてしまったのかもしれない。
ベネディクテ王女殿下は少し眉を顰めて不機嫌そうな表情を浮かべた。嫉妬だろうか。無自覚に独占欲の強い王女殿下もどうやらアサカにご執心のようである。というか王家の血族は全体的に無自覚に独占欲が強い。ラクランシア女王陛下の婿に手を出そうとした法衣貴族の末路は悲惨であった。
実力が真であれば感情をストレートに出すその性格は好みなのだが、手を出すのはやめておいた方が良いかもしれない。色恋沙汰のもつれで友人を失うのは勘弁であった。
「ふん。とりあえず明朝、オイフェミアのディメンション・ゲートを用いて王都へと移動するぞ。人員はアサカ、オイフェミア、レティシア、ゼファー、ラグンヒルド、そして私の6名だ。他のものは待機しフェリザリアの動向を監視する。異論は?」
ベネディクテ王女殿下の言葉に誰も異を唱える事は無かった。強いて言うならば我々が不在の間に事が起これば面倒ということぐらいだが、まあ問題は無いだろう。私やオイフェミア殿下ほどでは無いにせよ、複数の実力者が参陣している。例えノルデリアが襲来しようとも我々が戻るだけの時は稼げる筈だ。
「無いようだな。では各々準備を頼む」
|Duty.Audience
目の前の景色に対する感想をなんと表現したものだろうか。兎も角生まれてこの方一番の興奮を覚えている事には間違いない。大規模な城郭都市、それがミスティア王国の王都であった。星型要塞の内部に大規模な都市が内包されている、生きたファンタジーの街並みである。だがしかし火砲が存在しない世界だと思っていた為、星型要塞が存在している事に驚きを抱く。
星形要塞は別称イタリア式築城術とも言われる。火砲に対応するため15世紀半ば以降のイタリアで発生した築城方式の要塞であるためだ。中世に見られた垂直で高い城壁を持つ円形の城塞は、火砲の普及後、その脆弱性が露わになった。一方、星形要塞は多くの稜堡を持ち、それぞれがお互いをカバーするように設計されている。つまり火砲技術が発展した故に考案された防衛拠点なのだ。日本だと北海道は函館の五稜郭などが有名だろうか。
そんなものがこのファンタジー世界に存在している。つまりは火砲と同様に運用される兵器体系が存在していることを示唆しているに他ならない。ではそれはなんだろうかと考えた時、真っ先に浮かぶものは魔術であった。初めて見えた時にみたオイフェミアの魔術を思い出す。あれは例外中の例外であるにせよ、弓などよりも遥かに高性能な火力が存在する世界であれば、この様な城郭都市が生まれる事も不思議では無いのかもしれない。だがしかし維持費に莫大な資金が必要そうな都市だ。各稜堡の整備から何までコストが馬鹿にならなそうである。だがしかし有事の際には首都全体が超強力な要塞として機能する事には間違いない。この都市そのものがミスティア王国という国の規模の大きさを物語っていた。
待ちゆく人々の顔は明るい。これから自分たちの生活が良くなると確信している表情であった。服装はドイツの民族衣装などに親しい物を感じる。だが明確な違和感を感じるのはやはり男の数が少ないことであった。3:7の出生率の世界では仕方がないのだろうが、肉体労働や兵役に就いている殆どが女。元の世界の価値観的にはどうも不思議な感覚がする。
不意に自身の身体を影が覆った。何事かと思い空に目を向けてみれば、そこには翼をはためかせ市街上空を駆け抜けていく竜の姿があった。すっげえ!生ドラゴンだ!などと小学生並の感想を懐きつつ、詳細の把握に務める。竜の背中にはフルプレートでランスを装備した騎士が騎乗していた。まさか文字通りの竜騎兵というやつだろうか?
「楽しそうですねアサカ。この様な街は珍しいですか?」
オイフェミアが声をかけてくる。彼女自身も楽しそうにニコニコとした表情を浮かべていた。オイフェミアにとっては見慣れた光景だろうに、何がそんなに愉快なのだろうか?
「ああ、実物は初めて見たよ。それにあの空を飛んでいるのはドラゴン?かっけぇなぁ」
「航空竜騎兵ですね。テイムした竜種であるワイバーンに騎乗するミスティアの兵科の一つです。とはいっても竜種は希少な為、数はそう多くありません。
説明をするオイフェミアはどうにも楽しそうである。仔細はわからないが、まあ美少女の笑顔は健康に良い。そのまま太陽のような笑顔を振りまいていて欲しい。
「魔術師なんだなぁ。なら空戦も存在するんだな?」
「もちろん。とはいっても飛行可能な幻想種や魔物を保有している国家や貴族は極少数です。彼らの役割は制空権の確保とその後の近接航空支援ですから」
すげえな異世界。中世っぽい世界で近接航空支援なんていう単語が聞けるとは思わなかった。数を揃えるのが難しいにせよ、航空戦力が存在している世界ならば、この文明レベルであっても生まれて可笑しい概念では無いだろうが。
ではこの要塞は格下相手からの防衛に建設されたものなのだろう。要塞の衰退と航空戦力の発展は反比例関係にある。何れ航空戦力が発展していけばこの美しい城塞都市も無くなってしまうかもしれないと考えると、少し寂しい気もする。
「いまから王城に向かうのか?」
観光は何れできるであろうと頭を切り替え、そう問いかける。すればベネディクテが口を開いた。
「いや、まずは先んじて母上と事態の共有を行う。レティシア、オイフェミア、ラグンヒルド、お前たちも付き合ってもらうぞ。1人では説明が面倒だ」
ベネディクテの顔にはありありと『面倒』という感情が張り付いていた。自身が原因である事を理解しているため、それに苦笑で返す。いやまじでごめんて。
「アサカはゼファー騎士補と共にアルムクヴィストの屋敷で待機していてくれ。これが馬車の代金だ」
そういってベネディクテはゼファーに袋を手渡す。じゃりじゃりという音が聞こえる辺り、金貨が詰まっているのだろう。
「ベネディクテ殿下、アサカ様の装備は如何するのですか?謁見の間には武装を持ち込むことはできませんよ」
レティシアがそう問いかける。今装備しているのは
「どうせアサカの武器は私達には触れられん。まあ念の為オイフェミアの私室にでも置いておけ。そうすれば使用人共の目につく事もなかろう」
「確かにそれが良いかも…いや、駄目!駄目です!」
オイフェミアが突然顔を赤くし手をブンブンと振った。やはりおっさんに自身の部屋を見られたくないのだろうか。確かに気持ち悪いよな、俺がその立場でもそう思う。
「何だ、別段見られようとも困るものなぞ…」
「脱ぎ散らかした服とか下着とか散乱してるんですよ!」
「別に下着程度見られても問題は…」
「うるっさいベネディクテ!兎も角銃を置くのは良いですけど、アサカは入らないでくださいね!台か何かに置いて、それをゼファーに運びいれて貰ってください!」
こちらとしても下着など見ようものなら気まずいことこの上ないのでそれはありがたい。オイフェミアの取り乱した様子をベネディクテは意味がわからないといった風に見ていたが、レティシアは何処か愉快そうである。お淑やかに見えて存外サドの気があるのかもしれない。
「まあ良くわからんが、兎も角我々は王城へと向かう。12時には報告会が開始されるだろうから、それまでに迎えの者を寄越そう。それまでアサカとゼファーは待機しておいてくれ」
そう言ってベネディクテは待機していた荘厳な装飾の馬車へと乗り込んでいった。顔を赤らめたオイフェミアとレティシア、ラグンヒルドもそれに続く。彼女達を見送ってから、ゼファーと俺はアルムクヴィスト家の屋敷とやらに向かうのだった。
「オイフェミア様、可愛いでしょう?」
「それは本当にそう」
「そうでしょう、そうでしょう?どう?オイフェミア様の姫始めの相手になるのは」
「馬鹿野郎、俺のいた場所じゃあ未成年に手を出したら捕まるんだよ」
「オイフェミア様は成人なされてるぞ?ミスティアでは16歳で成人とされるのさ」
「マ?」
ゼファーにセクハラされつつ、俺たちは道を進んだ。全く、やはりしばらくはこの世界に慣れる気がしない。
|Duty.Audience
場は厳粛な雰囲気に支配されていた。女王陛下が御わす王座の正面を空け、左右に立ち並ぶは歴々の貴族達。王座を見て右手側には王家派閥と称される大貴族が面を連ねる。ミスティア王家、アルムクヴィスト公爵家、ウォルコット侯爵家、そして各法衣貴族達。この場での書記を担当する私もその列に立っていた。対岸に並ぶのは地方領主派閥と称される貴族たち。王家派閥ほどでないにせよ、強大な軍事力を持つ辺境伯などを筆頭にほぼ全ての主要な貴族達が参集しているようであった。それは王家派閥も同じであるレティシア・ウォルコット侯爵やアルムクヴィスト家の現当主であり、逸脱者オイフェミア・アルムクヴィスト殿下の実兄、ヴェスパー・アルムクヴィスト公爵の姿もある。礼服にしては地味目な黒い服、所謂ビジネススーツのような物を着用し、何処か愉快そうな表情を浮かべ列に並んでいた。だが他の各貴族達の顔に笑みは無い。それどころか誰もが真剣な面持ちでこの場に参じている。それこそが今回の報告会に対する各貴族の反応そのものであった。だがそれは当然のことでもある。『逸脱者ノルデリアの襲撃によりアルムクヴィスト軍は壊滅状態に陥った』という字面だけ聞かされて今回の報告会に望んでいるのだから、それは当然であろう。私も戦闘の仔細は知らないが、アルムクヴィスト公爵の表情を見る限りそこまでの逼迫した状態では無いと推測していた。間もなく今回の主役であるベネディクテ王女殿下とオイフェミア殿下が入場なされる。横の同僚に目をやれば今にも緊張でどうにかなりそうな様子であった。
「これより報告会を開始する」
ラクランシア女王陛下の声が静まり返っていた謁見の間に凛と響いた。それと同時に大扉が開き、ベネディクテ王女殿下とオイフェミア殿下が入場される。お二人共正式な礼服に身を包んでおられ、いつもとは異なる雰囲気を伴っていらっしゃった。だがその背後にもうひとり、見知らぬ人物が続いている事に気がつく。それは他の貴族たちも同様のようで、僅かなざわめきが場内にはしった。その人物は黒いベレー帽に肩章付きのYシャツ、そして黒いスラックスに身を包んだ男であった。誰もが両殿下よりもその男に視線を向ける。私達よりも色の濃い肌に低い鼻、どう見てもこの周辺の人種ではない。人間であることは間違いないようだが、一体何者なのだろうか。
ベネディクテ王女殿下とオイフェミア殿下が王座の前にたどり着き、膝を床に付けた最敬礼を行う。背後の男はと言えば右手の甲を自らの額に当てる。所謂騎士階級などで一般的な挙手の敬礼であった。鎧姿でもないのに挙手の敬礼を行うのには違和感を覚えるが、明らかに異民族であるようなので、文化的な違いだろう。ラクランシア女王陛下がそれに答礼を返し、再び場に静寂が齎された。
「よくぞ戻った、ベネディクテ、オイフェミア。フェリザリアによる国境侵犯に端を発する戦闘の仔細を報告せよ」
ラクランシア女王陛下の凛とした声を受け、両殿下がその場から立ち上がる。そして両手側にいる各貴族へと目をやった後に、静かに言葉を続けた。
「フェリザリア王家軍第一騎士団、通称"ノルデリア軍団"1500による突発的な軍事侵攻が7月31日の夜分に発生しました。アルムクヴィスト公爵軍は歩兵216、近衛隊13、騎兵18、魔術師8を損失。これは展開していた部隊の半数に登ります」
ベネディクテ王女殿下の報告に、再び場内はどよめきに包まれる。私自身も耳を疑った。想定を超える大損害である。戦術的に言えば壊滅判定だ。部隊の維持すら不可能な大打撃であることはいうまでもない。
「しかし現地で遭遇した"傭兵"、及び各将兵の奮戦もあり、敵に再編不能な大打撃を与え撃退することに成功しております。具体的に申せば、敵騎士階級の7割を殲滅致しました」
先程よりも大きなざわめきが場内にはしった。私も記録していたペンをしばし止めてしまう。いまなんと殿下は申された?敵騎士階級の7割を殲滅だと?何がどうなればそんな戦果が上げられる。戦略級魔術師であるオイフェミア殿下であったとしても、ノルデリアを相手取りつつそんなことは不可能な筈だ。
「静まれ」
ざわめきが一瞬にして収まる。ラクランシア女王陛下の声に誰もが気圧された。それは私も、各地方領主達も同じである。例外としてレティシア・ウォルコット侯爵とヴェスパー・アルムクヴィスト公爵、そして地方領主派閥の中心貴族だけが表情を変化させていなかった。
「ふむ、傭兵と申したな。その者の仔細を伝えよ」
ベネディクテ王女殿下が一歩下がり、変わりにあのベレー帽の男が前に出た。あの男がその傭兵なのだろうか?まあ出なければこの様な場にいることなどありえないか。
「はい。この者こそが我々に協力し、逸脱者ノルデリアを退けた張本人、アサカ・ヒナツです」
一歩前に出たアサカと称された男は改めてラクランシア女王陛下に敬礼を行う。その雰囲気は我々貴族とは明らかに違った。どちらかと言えば常在戦場にある騎士武官と親しいものを感じる。
場に再びざわめきが巻きおこった。多くのものがここまでの話の流れで想像はしていたが、俄には信じられないと言った面持ちである。
「このアサカはノルデリアと交戦し、危機に瀕していたオイフェミアを救出。その後我らの本隊を半周包囲していた敵部隊の騎士階級を的確に狙撃し、我々に勝利を齎しました」
ノルデリアを退けた事もそうだが、それ以上に狙撃という単語に疑問を覚える。魔術か、弓などによるものなのだろうか?だが魔術だとすればあの男から感じられる魔力が少なすぎる様に思える。まあそれは場の全てを飲み込まんとするオイフェミア殿下の魔力の横にいればこの場の誰もがそうなのだが、それにしても微弱な魔力しか感じ取れなかった。
「ふむ。ではどうやってノルデリアを退け、敵騎士階級を殺傷したのだ?その方法を知る事を、私は望む」
ラクランシア女王陛下の言葉はこの場の誰が聞きたいことであった。そのため全ての貴族達が聞き逃すわけには行かぬと耳を澄ませる。
「はい。それではまずこのアサカという男について説明せねばなりません。彼は我々ザールヴェル世界の住人では無く、
ざわめきには収まらない喧騒が場を包んだ。
「殿下は正気なのか!?つまり魔神と同じではないか!そんな危険な存在が何故この場にいるのだ!」
「衛兵!衛兵を呼べ!この魔神もどきをこの場から叩き出せ!」
地方領主派閥の中でも下位の弱小貴族が数名、その様に叫びだす。私はそいつらの名前を記録用紙とは別の羊皮紙のメモしていく。馬鹿共が。場をわきまえず狂乱するお前らはこの国に必要ない。
ざわめきは収まらない。いい加減に嫌気がさしたのか、女王が手を上げ声を制そうとした時、王家派閥側から声が上がった。
「全く騒々しい。そろそろ黙ってもらえません?陛下の御前ですよ」
声の方向に目を向けずとも誰の言葉かは直ぐに理解できた。この場にいる存在の中で数少ない男性、ヴェスパー・アルムクヴィスト公爵その人である。
「あ、アルムクヴィスト公爵!しかしだな」
「ごちゃごちゃ煩いんですよ。彼がどういう存在にせよ、我々ミスティアは彼のお陰で戦略上最重要なベネディクテ王女殿下とオイフェミアを失わずに済み、ノルデリア軍団の撃退にも成功した。まずはその事についての謝意を述べるべきでしょう。それとも卿らはそんなことすらできないのか?全く、同じ青い血が流れているのか疑わしいですな」
ヴェスパー・アルムクヴィスト公爵の痛烈な皮肉に王家派閥の面々から笑い声が漏れ出す。地方領主派閥の大貴族達も目を閉じそれに反論することはない。それでも尚も噛みつこうとする一部の
「騒々しい、静かにしろ。ヴェスパーも言葉を選べ」
ラクランシア女王陛下の言葉にヴェスパー・アルムクヴィスト公爵はどこ吹く風といった表情を浮かべている。まあかの公爵は主従関係以前に女王陛下の甥でもある。最早慣れた事のようだった。ため息をついてからラクランシア女王陛下は言葉を続ける。
「失礼したな、アサカという
「勿体ないお言葉を頂き、至極光栄でございます」
アサカという男傭兵は深々と頭を下げ、返礼を行った。ここで初めてアサカという男の言葉を耳にしたが、綺麗な
「それでベネディクテ、謝意だけではとてもこの者の功績を評価できたとは思えぬ。故に褒美を与えようと思うのだが、お前は何が良いと思う?」
ラクランシア女王陛下の言葉に、ベネディクテ王女殿下は鋭い刃の様に
「私はこのアサカにミスティア全地域での活動を許可する王家公認の傭兵としての立場を贈りたいと考えております」
再び先程の
「ふむ。だがそれは王家の一存だけで決められる事では無いな。あくまでこれに同意する貴族諸系の領地での活動としよう。ヴェスパー、レティシア、卿らはどうか」
「僕はもちろん、アルムクヴィスト領での活動を承認します。オイフェミアが初めて連れてきた男だ、妹の事は応援しないとね」
「兄さん!?」
「ウォルコット家も領地内におけるアサカ様の活動を承認致します」
承認の事は勿論、オイフェミア殿下の赤面した顔の事も漏らさぬように記録していく。後々バレれば殺されそうだ。誰かに今回の書記をなすりつけられないものだろうか。ともあれこれで王家派閥はベネディクテ殿下の案に同意することになる。王家派閥参加の各貴族達も異存は無いようだ。
「では次に二ルヴェノ伯に問おう。卿らはどうか」
続いて地方領主派閥の筆頭である二ルヴェノ伯爵に女王陛下が問いかけた。瞑っていた目を開き、二ルヴェノ伯爵が声を上げる。
「私としては異存ありません。二ルヴェノ領全域での活動を認めます。お望みならば諸税の免除も」
「二ルヴェノ伯と同じく」
「私もです」
地方領主派閥の代表的な貴族達が次々にそう述べた。
「ではこれよりアサカ・ヒナツはミスティア王家に承認された傭兵としての活動を行う事を許可する。仔細については追って後日書面で送るとしよう。この場に居なかった各地方領主にもこれを承認するか文書で送れ。詳細はベネディクテ、貴方が纏めなさい」
「仰せのままに、母上」
ラクランシア女王陛下が声を張ってそう宣言した。参列した各貴族達もそれを静かに聞き入れ、同意の意を示す。だが最も困惑した様な表情を浮かべているのは当事者たるアサカであった。
「さて最後に、アサカ。以上の事で異存はないか?」
「はっ、全くもってございません!女王陛下、及び各貴族の方々、感謝を申し上げます」
「ふふ、良き男だ。それではこれにて報告会は終了とする。後日レティシア率いるウォルコット侯爵軍による報復行動後に停戦会議を開くこととしよう。解散」
ラクランシア女王陛下の声により、各貴族達が退出していく。きっと私もベネディクテ様の仕事を手伝わされるのだろうなと思いつつ、緊迫した報告会は終了となったのだった。
お疲れさまでした。これにて第一章完結となります。
気がつけば既に10万文字を超えており、文庫本が作れる文章量となっておりました。
これもひとえに応援してくれる皆様のお陰です。
次回から第二章となりますが、もしクローズアップしてほしいキャラや事象などがあればお気軽に感想いただけると幸いです。投稿はこれまでと変わらず、隔日程度でやれたらなと思っております。
あと私事にはなるんですが、サブタイトルに用いている『●●の■■■■』っていうのがネタ切れ間近です。何か洒落た単語、英単語ご存知の方は是非教えて下さい(リアルガチ土下座)
改めまして皆様ここまでお付き合い感謝致します。次回以降も宜しくおねがいします。
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Chapter2_錯迷のホロコースト
Act8_目覚めのフロー
太陽が完全に沈みきり、闇が森を包んだ。眼前に焚かれた炎がゆらめき、パチパチと音をたてる。周囲には8名あまりの人影。そのどれもが革鎧や短刀などで武装をしている。少し離れた所からは女の嬌声と少年の苦悶の声。果さて、いまあの収穫物の少年は何人目の相手をさせられているのだろうか。全く持って哀れな事である。商人である母親が護衛代をケチってその辺りのチンピラを適当に雇ったばかりに、あの少年は戦利品として我らに犯される事となった。ただ性欲を発散するためだけの行為に愛など微塵もあるはずもない。齢14程度の少年は例えこの後生き残ったとしても再起不能な傷を負うことは間違いないだろう。全く哀れなことこの上ない。だが彼の陰茎の具合はそれなりによかった。既に一家の主であった母親は首と胴体が分かたれその辺りに転がされている。親父の方は犯される内に死んだ。最早天涯孤独となったあの少年にこの先は存在しない。もしするとすればそれは我々の性処理奴隷としての未来だけだ。
我々は山賊である。元はバスティオン子爵と呼ばれた辺境貴族の従士であったが、最早我らが仕えたそのお家は存在しない。数年前に侵攻してきた北方魔物部族連合に蹂躙され、そこに住んでいた者の8割が虐殺された。所謂敗残兵という奴である。飼い主を失い、学も力もない者達がどうなるかは、言わずとも分かるだろう。生き残る為に誇りも、恥も何もかもを捨て賊と成り果てた。一部の才能のあるもの達は王家やアルムクヴィスト家、ウォルコット家辺りの大貴族達に迎え入れられたのだろう。だが我々は所詮爪弾きものの集団。そんな連中と馬が合う筈もない。弱いものは殺され、犯され、食い物にされる。それが我々があの地獄で学んだ事であった。
ここはミスティア王家領の辺境。北東部に位置する魔物部族連合との一大戦線であるモンストラ戦線の外縁部から4km程の地点。その戦線の補給路である街道から外れた山の中だ。この辺りには遥かな過去に築かれた遺跡が複数存在しており、身を隠すのには困らない。いまは夕方頃に襲撃した阿呆な商人一家が運んでいた食糧と少年を楽しんでいる最中である。しっかりとした護衛を雇っていれば10名程の敗残兵崩れの山賊に殺されることも無かったのに、全くもって馬鹿な事だ。ミスティア傭兵の精強さはこの土地に住む我々だけでなく、周辺各国にも轟く程である。もし傭兵の中でも最精鋭、最大勢力たるレイレナードの連中に護衛を依頼していれば襲撃などされることは無かった。我々は所詮畜生。自分より強いものに手を出すことなどしないのだから。
「にしても楽な襲撃だったな。あいつら、正式な輜重部隊じゃなくて金に目が眩んだ商人連中に違いないぜ。きっと前線のアルムクヴィスト部隊か、王家部隊に高値で売りつける気だったんだ」
仲間の女山賊が下衆な笑みを浮かべながらそう言った。若い男を犯し、腹も膨れたからだろうか、満足そうな表情を浮かべている。まあそれは私も同じであろう。久方ぶりの男の身体はとても好かった。肉を口にしたのも随分と久しぶりな気がする。
「ついこの間起きたフェリザリアの侵攻もあって、軍事特需が起きているらしいからな。しばらくは同じ様な商人連中がここを通るだろうぜ。正規軍の輜重隊を襲撃しなくても餌が転がり込んでくるのは楽でいい」
フェリザリアの侵攻。そういえば一昨日襲撃した商人がそんな事を話していたか。何でも逸脱者ノルデリアが参陣した地獄だったらしいが、ミスティア側の逸脱者、オイフェミア・アルムクヴィストと第一王女、ベネディクテ・レーナ・ミスティアによって退けられたらしい。正しく
「そういえばその侵攻で面白い話を聞いた。なんでもアルムクヴィストとミスティアの姫を助けた男傭兵がいるという話だ」
「男傭兵?」
仲間の女山賊がそう訊き返す。男傭兵だと?そんな珍しい存在がいるというのか?
「どうせ眉唾ものの噂だろう」
「それがそうでもないらしい。実際に王家公認の傭兵として男傭兵が活動開始したようだ」
なんとも奇っ怪な話もあるものだ。正しく御伽噺のようではないか。だが男の傭兵とは面白い。是非犯して味わってみたいものだ。
不意にドサリという音と水気のあるものが飛び散る音がお楽しみ中の連中がいる方向から聞こえてくる。
「ハハ!おいおい、いくらなんでも楽しみ過ぎだろう?どんだけ潮吹いてるんだよ」
その言葉に下衆た笑いを多くの仲間が溢す。だがそれに対する返答は無かった。イきすぎて気を失ったのか?まあそれは良いがあの少年はまだ使いたい。そっちに死なれるのは些か困る。少し様子を見に行った方が良さそうだ。仲間達に言葉を告げてから、ヤり場へと向かう。焚き火がされている所からは直接見えない崩れた建物の中。私は月光が僅かばかりに入るそこへ脚を踏み入れた。そして言葉を失う。
眼前に広がっていたのは真っ赤な華を頭から咲かせた仲間の死体。虚ろな目をする少年に倒れ掛かる様にして完全に死んでいた。そのさまは腹上死などでは決して無い。明らかに頭蓋を砕かれ、殺されている。少年が殺ったのかと思い、注視するがどうやらそうでは無いようだ。
一体何が起きたのか理解できない頭を振って、兎も角仲間たちにこの事態を知らせようと声を出そうとした瞬間、喉が強く締められ声が潰された。抵抗しようと全身に力を込めてもその拘束が解けることはない。いや、正確には力を込める事ができなかった。理解ができない内に顎に手が伸びてくる。次の瞬間には視界が一回転し、本来見ることのできない筈の真後ろの光景を映していた。急速に途切れていく意識。最後に見たのは橙色のメガネの様なものを付けた誰かの顔であった。
様子を見に来た女山賊を背後から強襲し、首を圧し折った。最早手慣れた軍隊格闘であるが、随分と久しぶりな気がする。ベネディクテと組手した時は相手を殺傷する事は禁止されていた。アゼルバイジャンでも拠点防衛が任務だったために、白兵戦を行う事は無かった。銃では無く、自らの手で人間を殺したのは実際に半年ぶりくらいであろうか。だが最早染み付いた人殺しの技術だ、たかが数ヶ月のブランクがあった所で鈍ることもない。
さて何故こんな所で山賊を殺しているかと言えば、これがこの世界で傭兵としての初仕事であるためだ。ベネディクテから依頼された前線地域への補給路周辺に出没する山賊団の殲滅。現在その任務の最中である。本当は遠距離狙撃でかたをつけたかった所だが、要救助者がいるようだったので渋々潜入している所である。本来であれば時間をかけ相手の戦力や配置などを偵察した後に作戦を決行したかった所だが、要救助者がいる現状では悠長にしていられなかった。とりあえずお楽しみ中だった獣と、その様子を見に来た馬鹿は片付けたので、残敵は8名。とはいっても一息つく時間は無いだろう。こいつが帰ってこないとなれば更に人数をかけて様子を確認しにくることは間違いない。さっさと仕事を済ます事にしよう。
少年の上で頭を砕かれた女山賊の死体を音の出ない様にどかしてやる。目は虚ろで焦点が合っていないが、かろうじて息はありそうだ。とりあえず叫ばれる心配は無さそうである。手にした
暗闇の中から
たかだか10m程の距離で外すはずもない。ハンドガンであればまた別だが、いま用いているのはカービンライフル。最早接射といっても過言ではないのだ。さて、残存する一名を探すとしよう。できれば最後の1人は殺したくはない。生かして情報を聞き出したい所だ。その後ベネディクテに引き渡してしまうのが良いだろう。暗闇から身を乗り出す。なるべく光源に入らない様に素早く暗所から暗所へと移動していった。位置を変え、焚き火周辺を狙えるポジションに陣取る。
しばし待てば最後の1人が困惑した様子で駆け寄ってきた。光源でその姿を確認できたが、頭に犬のような耳が生えている。どうやら人間では無いようだ。アルムクヴィスト軍の陣地で見たリカントと呼ばれる種族だろうか。兎も角脚を撃ち抜いて無力化させてしまおう。そう考え、膝に照準を合わせた瞬間、その女リカントと目が合う。そんな馬鹿な。あれだけ光源の近くに居てこの暗所が見えているのか?内心で舌打ちをしつつ、引き金を絞った。普通の人間であれば問題なく命中する筈のそれは、だがしかし当たらなかった。予想外の事に少し驚く。女リカントは咄嗟に死体を投げ出しながら地面に転がる事によって弾を避けたのだ。
その瞬間、狼の遠吠えの様な音が響き渡る。女リカントの身体が変化していき、全身が体毛に覆われた。顔が犬科の動物の様に変化し、さながら狼男の様であった。常識外の出来事に驚愕しつつも、銃を連続射する。だがそれが女リカントに命中する事は無かった。とんでもない反射神経、いや身体能力である。連続で地面を蹴りながら乱数回避し、俺へと肉薄してきた。舌打ちをしつつ、突き出された右の拳を身体を反らし回避する。耳元で風切り音が鳴り、背後にあった石壁が砕けた。想像以上の膂力に眉をしかめる。初撃を捌かず、避けたのは正解であった。対人間の要領で攻撃を受けていたのなら、最低でも骨は砕けていただろう。そして連続して右の蹴りが繰り出された。しゃがんで回避することは可能だろうが、身体能力の差的にその後の追撃を避けることが難しくなる。故に意を決して前へと踏み出した。
蹴りというのは膂力以上に遠心力にその威力を依存している。そのため懐へ飛び込めば飛び込むほどその威力は弱くなる。そしてどれほど強靭な肉体を持とうとも、人型である以上弱点は共通して存在している。俺はレミントンACRを縦に構えつつ、蹴りを行っている右脚の膝にそれの
肉と骨が裂ける嫌な音がし、女リカントの右足が逆関節となる。身体に襲い来る凄まじい衝撃を肩甲骨をズラすこととシステマ独自の呼吸によって効率よく逃した。リカントから絶叫が上がる。体勢を崩し地面へと転がったリカントに対してすかさず追撃を仕掛けた。ナイフを引き抜き脇の下の腱と股下の腱を切り裂く。いくら膂力が強かろうとも、腱さえ切断してしまえば問題は無い。そのままブーツの堅い靴底で拳を砕き、喉元に刃を突きつけた。
「抵抗するな、死ぬぞ」
恐怖したリカントの瞳は、俺の顔をまじまじと見ていた。
この眼の前にいる男は本当に人間なのだろうか。見た目は間違いなく人間だ。私達リカントでも、ヴォーリアバニーでも、エルフでも、アルブでも、ドワーフでもない。純然たる人間である。だがその目。その何処までも冷たい瞳はどちらかと言えば魔族を彷彿とさせた。全身の毛が逆立つ。この眼の前の男に対して恐怖する。意識が沸騰する。激烈な痛みで最早獣化を維持することすらままならない。脚が熱い。切り裂かれた腱が灼熱する。もうこのまま意識を手放した方が楽なのではと、そう考え始めたとき、潰されていない左手に激痛が走った。手放しかけていた意識が急速に引き戻される。恐れを抱きながら目の前の男を見れば、先程と変わらぬ何処までも冷たい瞳を私に向けていた。
「お前たちは何人だ?これで全てか?」
冷徹な声が耳に届く。朦朧とする思考でその意味が頭に入ってこない。そうしていれば再び左手に激痛がはしった。みっともない声を上げる。童貞が陰茎に歯を立てられたような声を上げてしまう。咄嗟に左手を見てみれば、人差し指の爪が剥がされていた。
「勝手に寝るな。答えろ。お前たちは10人か?」
必死に首を縦に振る。全力で肯定の意志を示す。私の心は完全に目の前の男に屈していた。女である私が男に屈するなどみっともない、という感情は最早存在しない。ただ、この場から助かりたいと、神官達が信仰する神とやらに初めて願った。
「攫ったのはあの少年だけか?」
首を横にふる。夕方の襲撃で攫ったのは商人の母親とその夫、そしてあの少年の三人だ。それを伝えようとするが口が回らない。恐怖で舌が動かない。魚のようにパクパクと口を動かせば、再び左手の指に激痛がはしった。見れば中指の爪と肉の間にナイフを差し込まれていた。目頭から涙が溢れ出す。絶叫を上げる。許してくれと叫ぶ。だが更にナイフが奥へと入り込んできた。痛みが恐怖心を上書きする。しかし即座に心を恐れが支配した。
「答えろ、攫ったのは何人だ?」
「さ、3人です!あの少年の両親も攫った!だけどもうその2人は死んでいる!」
男は鼻を鳴らし、爪の間からナイフを引き抜いた。一瞬の安堵もつかの間、左手の指全体に灼熱したような痛みがはしる。男がナイフを振り下ろし、指を全て切り飛ばしたのだ。それを理解し止めどない恐怖と痛みで叫びそうになった時、口に布を噛まされた。身体を起こされ、四肢を拘束される。そして慣れた手付きで応急処置を施された。各部の出血が止まり、折れた脚に添え木がされる。先程までの行動とは矛盾したそれを淡々と行う男に対して、益々恐怖心が強くなっていく。この男は何なのだ。最早アンデッドや魔族、魔神に与する存在と言われた方が納得がいく。何故殺さないのだ。理解が及ばない。そして私の身体を俵の様に担ぐと歩き出した。そのまま少年が犯されていた場所までやってくる。乱雑に私を地面へと投げ捨てれば、男は少年の元へと近づいていった。
先程までとは打って変わり、何処までも優しい声色と手付きで少年の介抱を始める。そのギャップに、私の心は更に恐怖した。同じ人間がここまで変われるものなのか。あの男は怪物だ。そうに違いない。人間性の怪物だ。
そして少年にも応急手当を施した後、手を引いて立ち上がらせる。相変わらず虚ろな目を浮かべる少年だが、歩くことはできるようだ。
「着いておいで」
男がそう言って歩きだした。日の落ちきった森の中を歩いていく。私は男の肩に荷物の様に担がれ、少年は静かに後ろを着いてきていた。しばしそうやって進んでいれば、森の切れ目にたどり着く。そこには馬のない馬車のような物が置かれていた。それの後部ドアを開き、荷物の様に私を投げ入れる。そして何処までも優しく少年を助手席に乗せると、男自身もその横へと座った。どうするつもりだと朦朧とする意識で考えていると、不意にこの馬車のようなものが動き出した。本当に意味がわからない。だがどの道私に明るい未来は残されていないだろう。そう思いつつ、激痛と失血で限界を迎えていた意識を手放すのだった。
夏の朝。いつもと変わらぬ陽気で、いつもとは全く異なる場所に私は立っている。ここはアサカの弾薬庫。あの後私はオイフェミア様からの命でアサカの弾薬庫の警護を行う特別部隊に配属されていた。近衛隊は大規模な再編を行う必要があり、一時的な措置となるかもしれないが、何れにせよオイフェミア様の命令であれば特に言うこともない。
この弾薬庫の主であるアサカは、足乗せ付きの椅子に凭れ掛かりベネディクテ様より与えられたこの世界の歴史書に目を通していた。昨日初仕事をこなしてきたばかりだと言うのに、特に変わった様子は無い。報告では9名の山賊を殺し、1名を確保。そして攫われていた少年を保護するという初仕事にしては相当にヘビーな内容をこなしてきたはずなのだが、相当に慣れているのか、最早心が壊れているのか。まあどちらにせよオイフェミア様が信用している限り、私達にとって害は無いのだろう。
現在この弾薬庫の中は過ごしやすい温度が保たれている。外は真夏日であるが、内部は実に快適であった。その理由は弾薬庫中央付近に置かれた特大の氷。どうやら何かしらの保存に苦悩していたアサカに対し、オイフェミア様が直接魔術によって作って設置した永久氷結らしい。結果的に室内は適度な温度に保たれ、非常に過ごしやすい環境が保たれていた。その他には王都と直通のディメンションゲートまでもがオイフェミア様によって設置されている。新規の傭兵としてはあまりに破格の待遇であろう。まあその理由は理解できる。ノルデリアを退けた事もそうだが、昨日の任務内容を見れば相当の価値があることは素人目にも明らかであろう。とはいえそんな事を除いてもオイフェミア様とベネディクテ殿下はアサカにご執心らしい。私どもとしても両殿下に相応しい男なぞ、現状アサカか連合女王国にいる男逸脱者ぐらいしか思いつかないので、どちらかと言えば嬉しい状況な事は間違いない。
「ゼファー?」
不意にアサカが声をかけてきた。ここには複数の護衛が着いているが、彼は私によく声をかけてくる。それは別に何か特筆する理由があるわけでは無く、強いて言うなら他の部隊員がアサカに対して畏怖の念を抱き一歩引いた態度を取っているからだろう。また両殿下のお気に入りだと言うことは、両殿下の部下であれば周知の事実である。変に近づいて両殿下の怒りを買いたくないのだろう。
「どうしたの?」
「リカントっていうのはどういう種族なんだ?」
彼はそう質問してきた。リカントと言えば昨日アサカが捕獲してきた山賊がリカントであったか。
「リカントは人間型種族で、豊かな体毛に覆われた尻尾と耳を持っているのよ。だけど一番の特徴は頭部を狼の様に変化させ膂力を上昇させる獣変貌という能力を使えることだね。細身で筋肉質、敏捷性に優れて斥候や前衛としての適正がとても高い。寿命は150年位かな」
自分が知る限りの知識をアサカに伝える。リカントはミスティアにはあまりいない種族だ。過去には多くが原住民として存在していたらしいが、人間との領土戦争に敗北し、多くが極寒の北方地域へと移住したそうだ。そのためフィニストリア海より北方に存在するリカント国家とミスティア、フェリザリア等の各国家は歴史的な対立が存在する。現在ミスティアに残っているリカントは人間側に着いた一族の末裔なのだそうだ。
「なんでそんな事を聞いたの?」
純粋な興味で質問をする。すればアサカは読んでいた本を起き、私へと目を向けた。
「昨日捕虜にした山賊がリカントだってベネディクテから教えられたんだ。随分と膂力が強くて、一歩間違えれば殺されていただろうから、気になってね」
「膂力が強くてって…まさか白兵戦をしたの?」
「そうだよ。本当は距離を取って戦いたかったんだけど、暗闇に身を隠していたのに気づかれてさ。咄嗟に脚を破壊できたから良かったけど」
そういうアサカに対して私は驚きを隠せなかった。リカントに対して格闘戦を行うとは…。確かに上位の人間であれば可能なのだろうが、少なくとも私では無理である。リカントの獣変貌時の膂力は一般的な人間の5倍はあると言われている。故に訓練ではリカント相手に攻撃を受ける行為は下策と教え込まれるのだ。
「脚を破壊したって…どういうこと?」
「蹴られたから咄嗟に銃の頑丈な部分を膝にぶつけて防いだんだ。膂力じゃ絶対に勝てないと思ったから、関節を潰すしか無いと思ってさ」
とんでもない奴だと改めて再認識した。言っていることは理解できるが、俊敏なリカントの関節を的確に潰すなぞできる気がしない。
「どんな屈強な奴でも関節は鍛えられないし、腱を切れば無力化できるっていうのは、前の世界で散々学んでいたからね。咄嗟に身体が動いてなんとかなったけど、冷や汗もんだったよ」
それはそうだろうな。近接戦で戦い慣れたリカントなぞ相手にしたくない。そして同時にアサカを相手にすることも御免だと、強く思ったのだった。
クソゲーだと思っていたフィアスコが最近楽しいなと思えるようになってきました。
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Act9_恋慕のメイデン
|Duty.None
相変わらず王族らしくない部屋だ。部屋を見回してそう感想を抱く。家臣の法衣貴族共がチョイスした高級家具や調度品何かは置かれているが、そこに彼女の色は存在しない。まあ昔から活発でありながら冷静であったベネディクテだ。そういった物に興味を持たないのは至極当然に感じる。
ここはミスティア王城の一室、第一王女ベネディクテ・レーナ・ミスティアの居室だ。公爵領に戻る前にこなしておきたい仕事が幾つか残っており、少し待ち時間が発生したためベネディクテの部屋にお邪魔している所である。男が女の部屋に…、そういう連中もいるだろうが僕とベネディクテは生まれて以来ずっと関わりのある従兄妹である。最早そんな事いまさらであった。それは王家に使える使用人たちの間でも周知の事実であり、僕がベネディクテの元を訪れることに対して何かを噂するものは少ない。
ベネディクテの近衛隊の隊長であるラグンヒルドが淹れてくれた紅茶を楽しむ。相変わらず美味しい。連合女王国産の高級茶葉が良いのもあるが、ラグンヒルドは使用人としても一流である。恥ずかしながらアルムクヴィストの使用人でここまで美味しい紅茶を淹れられる者はいないだろう。まあそもアルムクヴィスト領は傭兵稼業で大きくなった背景を持つ。必然好まれる嗜好品は紅茶よりも煙草であった。お陰で今では煙草の名産地でもあるのだが、生憎と僕は煙草を吸わない。妹のオイフェミアは魔力補給も兼ねてたまに魔香草の煙草を嗜んでいるのだが、普通の煙草はあまり好きではないようだ。だがここ数日の彼女を見るに普通の煙草にも興味を抱いているようだった。何か心変わりする要因があったのだろうか。考えればすぐにあの男傭兵が原因だと思い至る。アサカ・ヒナツという異世界よりの客人。あのオイフェミアが懐き、わざわざ面倒を見ている男というのに兄の僕としては興味を抱く所ではある。別に品定めをするつもりはない。そもそも人を見る目においてオイフェミア以上の存在なぞいないのだから。ベネディクテもアサカの事を気にかけているようであるし、どうやってあの2人を落としたのだろうか。身内である僕が言うのも何だが、彼女たちは少し難儀な性格なのは間違いない。第二王女のキルステン・レイヴン・ミスティアよりはわかり易い性格をしているが、一般人からすれば僕も含めて王家に纏わる人間の思考形態は意味不明だろう。まあそもそもの地力が圧倒的に違うのだから当たり前であるのだが。
とりあえずは目の前にベネディクテがいるのだし、そのアサカとやらについて色々聞いてみる事にしよう。
「ベネディクテはアサカの事が好きなのかい?」
ベネディクテが飲んでいた紅茶を文字通り吹き出す。対面にいた僕はそれの直撃を受ける訳だが、まあそれはいい。火傷しなくて良かった。ラグンヒルドが差し出してくれたハンカチで紅茶を拭う。ベネディクテも気管に紅茶が入ったようでむせていた。普段は嫌になるくらい冷静で冷淡なのに、自分自身のプライベートな核心をつかれた時だけこうなるのは昔から変わらない。政治やら戦闘やらが少しでも間に入ればそんなことは無いのに、不思議なものである。まあ完全無欠な人間など存在しない、そこが彼女の可愛らしい所だ。
「い、いきなり何を言い出すのだヴェスパー兄!」
明らかに目を泳がせながらベネディクテがそう叫んだ。全くもってわかり易い。本当に公人として切り替えた瞬間"白淡姫"と呼ばれる程に冷静、冷淡になるのが真不思議である。
「だってベネディクテが男を気遣ってあれだけ手を回すなんて今まで無かったじゃないか。それに謁見の場で吠えていた
「それは母上の前であんなことをする奴には相応の報いがあるべきだと思っただけで…」
妙に歯切れの悪いベネディクテはそこで言葉を区切った。ニヤニヤとした表情を浮かべながら、無言で続きを待つ。不機嫌そうな視線を一瞬向けつつも、彼女は口を開いた。
「いや…実際のところはわからないのだ。この感情がヴェスパー兄の言うような恋なのか、判別がつかん」
「まあ17歳で未だに処女だからねぇ。そりゃ初恋の自覚もまだか」
「うるさいわ!」
ベネディクテがテーブルに置かれていた布巾をぶん投げてくる。僕の顔面に命中したそれは、ぽとりと膝上に落ちた。茶化してしまったが、まあ言葉を続けやすい環境は作れただろう。陶磁器なんかが飛んでこないで良かった。逸脱者には届かないにせよベネディクテが本気で投げたティーカップが当たろうものなら重傷は免れないに違いない。そして僕の思惑通りに彼女は言葉を続ける。
「些か腹が立つが、まあそうなのだろう。この感情が恋慕なのか、亡き父上を重ねた憧憬なのかは分からない。だがアサカを見ているとなんだか手放したく無いと思えるのだ」
それはきっと恋だよ、と伝えるのは野暮だろう。今しばらく見守って、彼女自身で自覚できたら背中を押してやるくらいが丁度いいだろうか。
「なんでそういう感情を抱いたんだい?」
そう問いかければベネディクテは顎に手を置き思考に入る。王家一族のわかり易い癖だ。オイフェミアも僕も良くする癖。しばしの間を置き彼女が口を開く。
「一番は"助けられた"から、だろうか。その後アサカと喋ったときに『ああ、気取らない奴なのだな』とそう思った。あいつは気さくで冗談も通じ、実力もある良いやつだ。だけど私はあの男の心の底にはもっと別の感情があるように感じた。そしてそれを知りたいと思った」
「別の感情?」
「そうだ。なんと言えばいいのだろうか、深い悔恨という言葉が一番しっくりとくる。人を殺すことには何の躊躇いもないようだが、それは私達も同じであろう?お家の害となる者は例え幼子だろうが殺せる。だがアサカが時折何かを悔いているように私には見えたのだ。逸脱者ノルデリアをも退けられるあの男が、何を悔いているのか、私は近くで知りたいし、私にどうにかできる事ならば、命を救われた恩返しとして助けてやりたい」
ベネディクテの真紅の瞳が僕を見据える。そこには何にも増して真剣味が伴っており、彼女の心情が浮き出ているようだった。なるほど、『自分たちをも助ける事のできる強い男が抱く悔恨に興味を抱いた』か。まあ些か恋の理由としては不思議に感じるが、元より我ら血族は変わり者が多い。そういうこともあるのだろう。僕も今の婚約者に興味を抱いた理由は背中の傷であったし。普通の恋であれば『興味』を抱いて関わっていく内に相手が愛おしくなるものだが、ベネディクテの場合はそれが逆だっただけだろう。『自らを助けた』という強烈な印象と好意を先行して抱き、その後興味を惹かれる要素を知ったのだ。まあつまり何が言いたいかと言えばこの先どう転ぶかはまだ未知数だということだろうか。しかしあのアサカという男に自覚できる程の恋慕を抱くのだろうなという核心が僕にはあった。だって人の心を覗き見れるスーパー可愛いくて天才な妹のオイフェミアが好意を抱いている男だぜ?強い女であればあるほど、強くて若干の弱さを持つ男に惹かれるのだろう。男の僕には良くわからんが。
「ところでオイフェミアもアサカさんに惚れてるみたいだけど、その辺はどうするの?何かあったら僕の使えるもの全てを用いてオイフェミアに味方するけど」
「物騒な事をいうなヴェスパー兄。お前のそれは洒落にならない。心配せずとも問題はないよ。アサカにこのまま武功をつませて、貴族位を与える。その後は私とオイフェミアで共同の愛人とする予定だ」
恋慕かどうかわからんと言っていた割には随分と現実的なプランを考えているじゃないか。女というのは恐ろしいと内心苦笑する。なるほど、そういった思惑があって王家公認の傭兵に仕立て上げたのか。戦略の天才と称される一端が垣間見える。まさか愛人作りでその才を見るとは思っていながったが。まあ血族たる僕としては、アサカの感情よりもオイフェミアとベネディクテの笑顔が優先なのでその辺はどうでもいいのだが、オイフェミアもベネディクテも無自覚に嫉妬深い。その辺は上手いことフォローしてやったほうが良いだろうか。流石に愛人問題で血族同士の殺し合いは御免被る。ふむ、オイフェミアの為と思って言わなかったが、寧ろベネディクテに伝えた方が良さそうだ。
「そういえばオイフェミアなんだけど」
「ああ、気がつけば正午だな。今日も昼食を取りにくるのか?」
「いや、実は今朝方ウキウキ顔でディメンションゲートを潜ってアサカの元に行っているよ。なんでも設置した永久氷結の様子を見るとかなんとか」
「なんだと…?」
ベネディクテの声のトーンが一段階下がる。一般人が見れば竦んで動けなくなるだろう目でもって僕を見据える。だが長年ともに遊んできた仲だ、今更それで怯むほどやわじゃない。
「ラグンヒルド、馬を用意しろ。ゲートはオイフェミアの屋敷だったな。直ぐに向かうぞ」
「殿下!?午後は書類仕事が残っております!」
「ならば書類を纏めてもってこい。場所はどこでも良いだろう」
そう言ってラグンヒルドが
アサカは黙々と銃の手入れをしている。その近くではベネディクテが机を何処からか持ち出して書類仕事をしている。私はアサカの銃の整備を何をするわけでもなく眺めていた。昔からそういうのを見るのは好きだった。アルムクヴィスト領の鍛冶屋に顔を出して8時間近くただ眺めていた事もある。後で聞いた話では公爵の娘にずっと監視されていると気が気でなかったらしい。今思えば申し訳ない事をしたと思う。
今この場にはそれなりの人数が居た。私とベネディクテ、ラグンヒルド、それにアサカの弾薬庫の警護を命令した特別部隊の面々。ゼファーを筆頭に私が信頼する部下で構成しているその部隊は、雑多な貴族軍程度であれば難なく成敗できるであろう練度を誇っている。とはいってもアサカよりは圧倒的に練度も実力も劣るだろう事は間違いない。というかアサカより練度が高く実力が高い人間の方が少ないだろう。報告ではリカント相手に格闘戦を行い、無力化したとのことだ。しかも獣変貌し膂力が人間の5倍となったリカント相手にだ。これがエンハンサーや魔術による肉体強化を行っていてなら理解できる。だがアサカは魔力技術は一切扱えないと言っていた。そもそもアサカの世界では魔力や魔術なんかが空想上の存在らしいという話を聞いた。その分銃や"自動車"などの科学技術が発展した世界らしい。私からすれば魔術も魔力も存在しない世界など想像もつかない。こちらの世界で明かりと言えば魔石灯という魔力石を媒体にした魔道具がメジャーなのだが、アサカの世界では"電気"というものを用いる電灯やLEDといった光源を用いるそうだ。実物も見たことがある。というかこの弾薬庫の天上に取り付けられていた。本来であれば"発電機"で電力を供給しなければ使えないらしいのだが、なんと私の魔力を媒介にして電気を発電させることができたのだ。
つまりはこうだ。弾薬庫に残されていた科学誌をアサカに読ませてもらい、電力についての概要を理解する。次にアサカから"ガソリン式発電機"の事を教えてもらう。といっても彼はそういったものの専門家ではなく、やはり傭兵であるようで、そこまで詳しいことは知らないようだった。しかし現物があれば話は別。アサカに教えてもらったことを知識として吸収しつつ、現物を確認してさらにその理解を深める。そうすれば然程難しい原理のものでは無かった。要するにエンジンと呼ばれるパーツで発電体を回せば電力は発生させることができるということだ。ならば魔力をガソリンの変わりにしてしまえばいいと、そう思った。そも魔術には雷撃系と呼ばれる、魔力をアサカの世界で言うところの電気エネルギーに変換する系統が存在する。故に別世界の理であっても理解がしやすかった。だが雷撃系魔術をそのまま用いる事ができないのも同時に理解できる。そのため回りくどいやり方だが発電機のエンジン部分を魔力で回すという方法を選択した。繊細な魔力供給が必要であったが、結果は成功。思惑通りエンジンを回転させ電力エネルギーを発生させることができた。それを見ていたアサカが発電機を繋いでくれ、私は電気の光をみることができたという訳である。とはいうものの現状のやり方では、普通の魔術師だと魔力供給が繊細すぎて到底無理だと思う。自分で言うのもなんだが私だから上手くできたのだろう。私の他だとできそうなのはレティシア・ウォルコットとアリーヤ・レイレナードの2人だろうか。つまりは逸脱者クラスの人物にしかできなさそうということ。
だがアサカの世界の発想や学問はとてもおもしろい。あの科学紙を読んだ限りであるが、特に元素という考え方には驚かされた。向こうの世界とこちらの世界の技術を融合させることでさらなる魔術の発展ができるかもしれない。まあ悪魔的なものが出来上がりそうではあるが。
だがここ数日アサカと会話していて一番驚いた事は彼の世界の歴史であった。なんでも二度にも渡り全世界の主要国が陣営に別れてぶつかり合う大戦争、世界大戦が起きているというのだ。彼の生まれ故郷もその世界大戦に参加し、そして二回目の戦争で敗れたのだという。正直に言えば私達の価値観では大凡理解できない。そもこの世界の全てなど誰も把握していないのだ。ミスティアやフェリザリアの存在するザールヴェル世界以外の国家など殆ど知らない。シルクロードを渡って時折やってくる流れの武芸者や商人から聞いたことはあるが、実際にどのような国なのかは見たこと無いのだ。故に世界の裏同士の国が戦うなど想像もできるはずがない。ただ私達の常識を超えるような悲惨な戦場であったのだろうことだけは理解できる。銃やそれ以上に強力な兵器が存在する世界での戦争など想像もしたくなかった。
アサカが銃の整備が一段落したようで大きく伸びをする。パキパキと小気味の良い音がする辺り、相当集中して作業していたようだ。
「お疲れさまです。終わったんですか?」
「ああ終わったよ。やっぱりあのリカントの蹴りを防いだだけあって、バレルが少し歪んでた。まだ小銃はあるけど、できれば使い捨てたくないからね。なんとかなって良かったよ」
そう言って彼は苦笑を浮かべる。確かに彼の生存に直結する銃のメンテナンスは必至事項なのだろう。だがリカントの蹴りを防いでも歪んだだけで済むということはかなり剛性が高いようだ。逆に言えば金属製の銃を歪ませるリカントの蹴りがどれだけの威力を持っているのかという話である。話を聞くにアサカはリカントの膝部分に銃をぶつけて防いだようであるし、それでそれだけの衝撃とは。人間でもマッスルベアーや魔力放出を組み合わせれば同じ様な威力を出すことも可能だろうが、それを己の肉体のみで行えるのは人族だとリカントしか存在しない。まあつまりはそんなリカントを格闘戦でしばけるアサカも大概バグであるということだ。
「終わったのか、こちらもあと少しで片付く。小休止にでもするか」
ベネディクテは首を回しながらそういった。いやそもそもなぜ貴方はここで書類仕事をしているのですか。ラグンヒルドも微妙な顔をしているし。だがそんな表情をしていても直ぐにお茶の準備を始める辺り、よくできた使用人でもある。彼女は剣の腕も良い。そして家に帰れば母親だ。私達はアサカのテーブルに集まる。先程まで銃の細かいパーツが散らばっていたが、今はスッキリと片付いていた。
「それにしても銃というのは部品が多いのだな」
「確かに、剣や弓に比べれば多いだろうねぇ。構造としてはそんな複雑なものじゃないんだけど」
「そうなのですか?」
「うん。要はこのトリガー部分と弾のケツを叩く撃鉄が連動して弾丸が発射される機構さえあれば成立するから。俺が使っている様な銃は自動連射可能な事もあって、それよりもちょっとだけ複雑だけど。もっと原始的な銃だと火縄や火打ち石を使って着火するのもある」
「やはりその銃は最初からその様な形だった訳じゃないのだな。私達の用いる武器といえば槍や剣、そして弓だ。それらは多少の差はあってもあまり変わらない物だからな」
私達の世界で大きく変わった兵器と言えば魔術だろうか。正確にいえば兵器ではないが、軍用魔術はその黎明期から大きく姿を変えている。最初にできた攻撃用魔術は手元に大きな炎を発生させるものだったと言われている。今でもその魔術は大発火と呼ばれ特に近接型の魔術剣士のメイン火力として重宝されているが、それから様々な魔術が開発され使用されてきた。特に戦争を変えたのはディメンションソード等の50mクラスの射程を持つ魔術の登場だろうか。まあそれらは一部の上位魔術師にしか扱えない代物であるが、長射程、高火力の魔術の登場は戦術を一変させた。
「確かに言われてみれば出始めから最も見た目の変わった武器かもしれないなぁ。兵器という枠になれば黎明期と現代を比べるとマジで別物になっているものは多いよ」
そんな話を聞きながらラグンヒルドが淹れてくれた紅茶を楽しむ。親友の部下を引き抜くつもりはないが、ゼファーあたりに紅茶の淹れ方を教えてくれないだろうか。私は美味しいものが大好きである。軍役などで遠い街に赴く際には必ず現地のグルメを食べ尽くす程度には美味しいものが大好きである。そういえばアサカにも好物などはあるのだろうか。別に特筆した理由があるわけではないが知っておきたい。別に特筆した理由があるわけではないが。ないが!
「話は変わりますけどアサカの好物はなんですか?」
「食べ物?あー、あさりの酒蒸し」
「あさりの酒蒸し?なんだ、それは?」
私も聞いたことのないものであった。故郷の郷土料理か何かだろうか?
「そっか。文化的にヨーロッパに親しいだろうし無いよなぁ。あさりっていう貝を酒で蒸し焼きにした料理。酒の肴に丁度いいんだわ」
「酒…?ワインとかか?」
「いや俺の故郷で作られている日本酒ってお酒。ワインとか果実酒ではつくらない…と思う」
「そうなのか…。そもミスティアでは貝は食わないからな。この国で作るのは難しそうだ」
「そっかぁ…」
しょげた顔をしたアサカを見て変な気持ちが湧き上がる。なんだか良くわからんが、多分これはいかがわしい感情だ。顔に血が集まっていくのを感じて、そっぽを向く。それは置いておいてもアサカの好物が作れなさそうなのは残念だ。いや、別に作って彼に振る舞おうとか考えていた訳では有りませんけどね?ありませんけどね?その時脳内にピコンと妙案が浮かんだ。顔の血が引くのを待ってから言葉を発する。
「今度時間取って皆で王都の美味しいもの食べましょう!王都は内陸ですけど、氷系魔術で輸送された魚なんかもとても美味しいのです!兄さんやレティシア、キルステンも呼んで皆にアサカの事を知ってもらういい機会になると思うのですよ。ラクランシア叔母上は立場的に難しいでしょうが…」
これがなせれば美味しいものを食べれて、ミスティアの有力者にアサカがどういう人間かを理解してもらえるまたとない機会になると思える。要するに私とベネディクテの思惑を更に実現しやすくなるわけだ。最早私とベネディクテがアサカに気をかけているのは周知の事実であるので今更どうこう言われても問題はない。ベネディクテに目を向けてみれば顎に手を置いて考えているようだった。
「…良い案だ。アサカが嫌で無ければ是非執り行いたい」
その顔には打算がありありと見て取れる。上手く取り繕っており、一般人であればその変化には気がつけないであろう小さな変化であるが、私は貴族社会でその辺りの感性は鍛えられている。特に人の感情や思考の機微には敏感であった。そして彼女が考えている事は私と同じであろう。
だがそれと同時に少し気にかかる事もあるようだった。付き合いの長い私はそれが何かなんとなく理解できる。きっと第二王女でありベネディクテの妹であるキルステンの事だ。表立って関係の悪い訳ではない彼女達だが、ベネディクテは妹にある種の劣等感を抱いている。だがキルステンの特殊な魔術適正の為第二王女が次期女王となることはほぼ無いだろう。まあそれもベネディクテの劣等感を助長する一因なのだが。
「勿論断る理由なんてないさ。2人が良いなら寧ろ是非お願いしたい。オイフェミアのお兄さんには謁見の場で庇ってくれたお礼を言いたかったんだ」
私とベネディクテの顔に微笑みが浮かぶ。礼というのは時間が立てば立つほど言いづらくなるというのに大したものだ。私がアサカを好く理由は、こういう所にあるのだと思う。勿論思考閲覧によって大凡の性格を把握できたのも大きいが、こういった『強者なのに傲慢ではない』ところは大変好ましいと感じる。人間どうしても力を持てば増長するものだが、彼にはそれが一切ないのだ。
「ではアサカの次の仕事が終わり次第開くことにしよう」
ベネディクテがそういう。するとアサカの表情が幾分か引き締まり、兵士としての色が濃く浮かんだ。
「決まっているのか?」
「ああ。次の仕事はレティシアからの依頼だ。『モンストラ戦線を確認し、戦況を分析してほしい』のだそうだ」
「分析?」
「そうだ。別世界の兵士であるアサカの意見を聞きたいのだそうだ。それに際して少し偵察行動を行ってもらう事になるだろう。いけるか?」
アサカは少し考え込む様な仕草をする。数秒の思考の後に口を開いた。
「生憎本職の参謀でも戦術家でもないから大した意見を言えないかもしれないけど、それでもよければ。偵察に関しては問題ない。やり慣れている」
「敵は人族ではなく魔物や魔族だ。気をつけたほうが良い」
「了解、可能ならあとでそういった存在の資料が欲しい。どんなのがいるかとか分かるとプランニングしやすいからね」
できることなら彼に着いていって仕事を助けて上げたいが、それではアサカ・ヒナツの功績ではなくオイフェミア・アルムクヴィストの功績と上書きされてしまうことは言うまでもない。ネームヴァリューというのは便利な事もあるが、それと同時に足かせにもなりうる。まあそれを除いても私はそうフットワーク軽く動いて良い人間では無いのでどちらにせよ実現はしなさそうなのだが。あ、そう言えばアサカに渡すものがあったのだった。
「すっかり忘れてました。アサカ、これを身につけていてください」
「これは…ピアス?」
私はアサカに"通話のピアス"を手渡す。50000
それを見てベネディクテが驚くような表情を浮かべた。いや実際驚いている。まあ当たり前だろう。
「ええ。アサカが前話してくれた無線機と同じ様な効果のある魔道具です。ただ一対で固定の通話となるので融通は効きませんが。片割れはほら、私が付けてますので何かあれば連絡してください。このピアスを意識して、連絡相手を思い浮かべれば念話が行えますので」
「すげー!念話とか子供の頃憧れてたんだよなぁ。オイフェミア、マジでありがとうね」
実に嬉しそうな顔を浮かべ、アサカがそういった。思わず私もニコニコしてしまう。そうしているとベネディクテもアサカに対して通話のピアスを差し出した。
「なら私も!…私からも渡しておこう」
どうやらラグンヒルドが身につけていた物を渡したようだ。普段であれば全力でラグンヒルドは止めに行く側だと思うのだが、今回はどうしたのだろうか。まあとはいえ私達2人で通話できるようになったのは仲を深めるのに丁度良い。私達はライバルではなく協力者なのだ。
「ベネディクテもありがとう。何かあれば連絡させてもらうよ」
少し焦ったような表情を浮かべていたベネディクテだが、アサカの言葉でへにゃっとした表情を浮かべる。いつも凛とした彼女にしては随分と珍しい顔だ。同性から見てもかわいい。それを見て思わず私もニコニコとしてしまった。
弾薬庫で過ごす午後の時間は過ぎていく。そろそろベネディクテも仕事を再開する時間であろう。今後の楽しみが幾つか増えた事に対し、わくわくとした気分を懐きつつ紅茶を飲み干した。
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Act10_畢生のフロントライン
スコープの中には漫画でやアニメでよく見た様な異形が写っている。子供程の背丈、緑色の肌、粗末な武器に服、そして醜悪な顔。ベネディクテに貸してもらった資料で得た知識と照らし合わせる。特徴に合致するのはゴブリンだろうか。ゴブリンは自らが優勢であれば威圧的になり、劣勢だと見れば命乞いする様な小物らしい。仲間意識は薄く、同じ群れの個体が危機に瀕してもすぐに見捨てるような魔物だという。また繁殖力が強く"ナイトメア"と"ワルキューレ"、"リルドラケン"の3つの種族を除けば全ての人族を孕ませる事が可能らしい。実際スコープの中にいるゴブリン共はお楽しみの最中のようだった。捕虜とした女戦士、笹耳を見るにエルフだろうか、それを複数で犯している。悲惨な状況だとは理解するが、今更それについてどうこう思う事は無い。こんな光景は何度も東ヨーロッパや中央アジア、アフリカで見てきた。これで心が乱れる様な奴は
現在時刻は19時を過ぎ、もうすぐ20時を迎えそうである。暗闇の中、茂みに隠れナイトビジョンでその様子を見ていた。ここはミスティアと北方魔物部族連合の戦闘地域であるモンストラ戦線の森の中。上半身のみを偽装するハーフ
現状見えるだけで15匹ほどのゴブリンがあのエルフを犯している。その状況で行動を起こすのは迂闊だろう。それに既にあのエルフは死んでいる。瞳孔が開ききり、呼吸をしているようにも見えない。これでまだ息があるようなら行動は変わるのだが、最早何をどうしようともあのエルフが生き返る事は無いのだから。
自分が今いるこの世界は間違いなくファンタジー世界であるが、ゲームであるような蘇生魔術はないという話をオイフェミアから聞いた。正確に言えば蘇生はあるのだそうが、それは傀儡としてや神の業になるらしい。某竜の依頼RPGシリーズの様に気楽な蘇生はできないということだ。
現状を整理する。ここはモンストラ戦線の戦闘地域、その領域内でも魔物が制圧している地域だ。夜間の森林部であり、見通しは非常に悪い。北方には元々ミスティアに属していた子爵の街があったらしいが、今は廃墟と化している。そして周囲1km以内には組織的に行動している友軍グループは居ないらしい。つまり魔物に発見されればフォックスハンティングの対象にされることは間違いないだろう。この場合はマンハンティングになるか。
この世界の魔物というものがどういう存在かを自分の目で確認する為にエルフを引きずるゴブリン共を追跡してここまで浸透してきたが、そろそろ潮時かもしれない。これ以上戦線深くに進んでしまっては帰還が面倒な事になるだろう。ゴブリン以外の魔物を直接確認できていないのが心残りではあるが、大体の状況は確認できた。魔物部族連合というだけあって様々な魔物が群を無しミスティアを含めた人族領域に侵攻を行っている様である。それだけ組織的な行動ができるのは驚異ではあるが、所詮は烏合の衆なのだろう。2つの大国相手にこれだけ長大な戦線を構築できるのだからかなりの数がおり、頭がいることは間違いないのだが、末端の統制が取れていないことは明白である。いい例が目の前のゴブリン共だ。見張りもまともに行わず、他の魔物グループと連携を取ることも無く好き勝手に犯している。そして如何せん戦術的、戦略的な目的が見えてこない。人族の領域を占領する事が目的だとするならば杜撰にも程がある。ベネディクテから聞いた話では数年前に突発的な魔物側の侵攻から始まった争いがここまで泥沼化したらしいが、だとすれば尚更不思議であった。人族の大国2つを同時に相手にするならばそれなりの覚悟と戦術を持って行動しそうなものであるが。魔物の知能レベルに差があって難解な作戦行動が取れていないだけかもしれないが、俺はなんとなく『こいつらは何かから逃げているのではないか』とそう感じている。
繰り返しになるがここまで組織的な戦線を維持しつつ、数年に渡り大国2つと戦争を続けるのであればそれなり以上の司令官が存在するはずだ。それを加味して考えればやはり現状は不自然である。ここ数年で駆除された魔物の数はフェリザリア側も含めると100万に届くとベネディクテは言っていた。それだけの犠牲を出しつつも戦線を維持できているのであれば相当のマンパワーがあることは間違いない。であれば戦術をしっかりと用いるにしろ、平押しにしろ更に戦線事態を押し上げることも可能だろうに。そういう事を含めて考えると魔物達は活動領域を広げるというよりも『現状維持』をしようとしていると俺は感じていた。
まあとはいっても俺は本職の戦術家でも参謀でもない。所詮一介の陸戦歩兵である。士官教育を受けてはいるものの、軍全体の舵切りができるほどの才も知識もない。精々が小隊単位の作戦立案が関の山である。とはいえベネディクテから王家軍やウォルコット軍、アルムクヴィスト軍の把握している情報は得ている為この世界の前線兵士達よりは随分と現状に関しての知識は多いだろうが。
とりあえずは場所を変えようかと思い、森の外に存在する岳陵あたりに目星をつける。あそこであればこの周辺の戦力配置が見渡せそうだ。その後戦線後方に設置されたアルムクヴィスト軍の野戦陣地に戻ることにしよう。だがあのゴブリン共はどうしようか。駆除しとけば後々この周辺地域の友軍が少しは楽になるだろうが、音をたてれば他の魔物グループに補足される可能性もある。そもそも魔物の討伐は契約外であるし、どうせあのエルフは死んでいる。そう判断し離脱をしようとした時、ドクンと心拍数が跳ね上がった。
――何かに見られている。この暗闇で森の中であれば補足される可能性は低いだろうと高をくくっていたが、慢心であったか。あのリカント戦での失敗を活かせていない事に自嘲しつつ、神経を研ぎ澄ませる。位置は分からないが、確かな殺気を感じた。これは人間やそれに親しいものではなく、獣によく似た殺気だ。音を立てないように移動を開始する。目指すは森の西側、岳陵の方向。どうやらこの世界でも方位磁石は正常に機能している事が幸いであった。森の中をゆっくりと移動し始めようとする。だが思惑は直ぐに頓挫することになった。
6m程先の木の裏から大型の獣が顔を覗かせる。次いで鎖が擦れる音が聞こえた。ナイトビジョン越しの視界でその姿をはっきりと捉える。大型の犬科、特に狼によく似た獣だ。だが決定的に違う所がある。それはその狼の周りに鎖のようなものが浮遊している事であった。イングランドの民間伝承に登場するバーゲストという邪悪な妖精が想起される。
完全に目が合う。喉を唸らせゆっくりとその獣は距離を詰めてくる。俺はあくまで兵士であり、猟師ではない。獣との戦いなど殆ど経験がない。あるとすれば自衛隊のレンジャー訓練時代に遭遇した蛇くらいなものだ。冷静さを保つため改めて自身の装備について頭を回す。現在のプライマリーウェポンはサプレッサーを付けた
銃口をバーゲストらしきものに向けつつ、一歩下がる。その瞬間、眼前の大型の獣は木の根を蹴り俺に向かって突撃してきた。舌打ちをしながら即座にレミントンACRを
バーゲストが地面を蹴り上げ俺に飛びかかる。それを身体を反らしながら後方に転げる事で回避した。避ける途中に垣間見えたあの鋭利な牙、噛まれでもすれば間違いなくただではすまない。即座に姿勢を回復させバーゲストへと銃口を向ける。だが引き金を引く前にバーゲストの鎖が銃先を弾き上げ、射線が反らされた。結果
なんとかなったことに安堵しつつ起き上がれば、付近で小枝を踏む音をヘッドセットが拾う。即座に目線を向ければ物音を聞きつけたであろうゴブリンと視線がぶつかる。レミントンACRを拾い直している時間は無いと判断し、腰に収められていたP226を引き抜きトリガーを引いた。サプレッサーで減音されていない破裂音が森に響き渡る。咄嗟の射撃であったが寸分の狂いなくゴブリンの頭部に赤い花が咲いた。だがその音を聞きつけて更に数匹のゴブリンが茂みから飛び出してきた。内心で文字にできないような暴言を吐きつつ、拾い直したレミントンACRで次々に脳髄を粉砕していく。ゴブリン共が逃げるという選択を行うよりも早く、その全ての生命活動を停止させた。
それを確認し一息を吐こうとした時、更に背後から茂みを揺らす大きな物音がする。銃を構えながら振り返ってみれば、全長2mはゆうに超える大型の人型存在が目に入った。凶暴な顔に突き出た下犬歯、右手には大型の鉈を持ち、舌なめずりをするその姿には見覚えがある。ベネディクテより貸してもらった資料にその存在は乗っていた。人食い鬼の別称で呼ばれる魔物、オーガである。知能が人間並に高く、魔術も扱えるという強力な魔物が目の前にいた。
「最悪だコンチクショウバカヤロウ!」
今世紀最も魂のこもった悪態を付きつつ、レミントンACRの引き金を引いた。
逃げる、逃げる、逃げる。脱兎のごとく逃走する。後方から従士達の絶叫が聞こえてくる。罪悪感と焦燥感、そして溢れ出んばかりの恐怖心に脚を突き動かされ逃げ続ける。50名あまりいた従士や家臣達は、果たしていま何名が生存しているのだろうか。状況は紛れもなく最悪であった。
ここはモンストラ戦線の突出地域、いわゆる橋頭堡と呼ばれる地域。元はウォルコット侯爵家の軍が確保した地域だったのだが、フェリザリアによる領土侵犯の対応にウォルコット軍の主力が離脱したのに際して私の家が維持を任されていた地帯だ。とはいえ私は所詮南部の弱小貴族、万に届き精鋭揃いの大貴族の軍と比べれば質も量も圧倒的に劣っていた。本来であればアルムクヴィスト公爵家やミスティア王家軍が動員されるはずだったのだが、フェリザリア侵攻に際する謁見報告会で馬鹿な姉が大功績を上げた男傭兵を侮辱するような行為を働いたらしく、前線で軍役中だった私がその割を食う事になった。それこそアホらしい話だ。身内の不手際で大勢の領民や家臣が死んでいる。ふざけるなという言葉を胸中で叫びながら脚を動かす。数騎いた馬は真っ先に狙われ、今は身分の差関係なく地を走って無様に逃走している。
橋頭堡は2平方km程の領域だったのだが、その三正面から魔物共が一斉攻勢を仕掛けてきた。それが大凡15分ほど前。そもそもこの領域全体を50名ばかりの人員で維持するなど到底不可能な話である。あの有能な第一王女殿下に睨まれたとはいえ、あのお方はこんな杜撰な作戦立案を行う人ではない。きっと姉が責任を追求され適当に引き受けたのだ。本当にふざけている。もしここから生きて帰れたのなら彼奴を斬首にし、私が家の実権を握ることを固く誓う。もし生きて帰れればの話だが。だがそれも現状望み薄かもしれない。夜間の森林部のため見通しがつき辛いが、背後数十mには魔物が迫ってきている。只人の脚ではあの魔物共を振り切ることは敵わない。通話のピアスなどという高級品も所持していない為、増援を呼ぶことも難しい。
眼前の木の上が揺らいだ。咄嗟に停止し、腰に帯びた直剣を抜刀する。だがそれに気が付かなかった恐慌状態の従士は脚を止めること無く先へと進んでしまった。
「馬鹿、止まれ!待ち伏せだぞ!」
そう叫ぶが既に遅い事は私が一番理解していた。直後に従士の上から背骨の曲がった人型シルエットが飛来し、従士を組み伏せる。そのままその鋭利な爪で従士の首を捩じ切った。月明かりが僅かに差込み、その姿が鮮明になる。曲がった背骨、よく伸びた鋭利な爪、ゴム質のような醜悪な外皮、犬のような狂暴な顔。食屍鬼と呼ばれる魔物であった。悪路をものともせず馬並みの速度で走るこいつらが追手とは、いやはや逃げられるわけがない。恐怖心で脚が竦む。手が震える。だがこんな場所で死にたくないと、死んでいった部下たちに申し訳がたたないと、己を奮い立たせた。自身を鼓舞するため腹から声を出し叫ぶ。所謂ウォークライというものだ。自己暗示の一種であるが、効果はあったようで自然と震えが収まった。神経を研ぎ澄ませる。上位者や逸脱者であれば生身で食屍鬼を片付けられるのであろうが、生憎と私は凡人であった。そのため
そして先にしびれを切らしたのは食屍鬼の方であった。一気に間合いを詰め跳躍しながらその鋭利な爪で私の首を切り裂こうと襲いかかってくる。だが反射の強化された瞳で間合いを見切り、カウンターを合わせることに成功した。下段から上段に振り抜くように直剣を一線する。膂力の強化されたその一撃は食屍鬼を股下から首にかけて真っ二つに割った。生暖かい返り血を浴びつつ、すぐさま地面を蹴る。未だ後方から食屍鬼の大群が迫ってくる事に変わりは無いのだから。駆け出しながら直剣の刃を確認すれば数箇所の欠けが見られた。やはりマッスルベアーで膂力の強化された一撃に数打ち物の直剣では耐えられなかったらしい。これがもっと練度の高い剣士などであればそんな事は無いのだろうが、所詮私は凡才である。だが凡才であっても無能よりは圧倒的にマシであろう。あの姉は必ず殺す。
しばし走れば先行していた斥候の従士の後ろ姿が見えてきた。足音に気がついたのか従士が振り返り、こちらに手招きをする。
「アリスティド様、あちらを」
従士が指を指した方に目をやれば、そこには月光に照らされた城が写っていた。あれはここが魔物の手に落ちる前にこの周辺地域を治めていた子爵の砦跡だ。焦燥感と恐怖心ですっかりと頭から存在が抜け落ちていた。どの道人の脚で食屍鬼共から逃げおおせる事などできるはずもない。あそこに籠城して援軍が来るまでの時を稼いだ方がまだ生存の余地があるに違いない。私は頷き信号魔術を用いる。攻撃力は一切ないただの光を発生させるものだが、この夜闇の中であれば良い道標になるだろう。散り散りとなった従士達も確認し、廃砦で合流できる可能性が出てくる。まあそれは食屍鬼達にとっても同じなのだが。だがどの道少数でバラバラに逃げ回っても結局狩り尽くされるだけだ。
「信号魔術を焚きながらあの砦を目指すぞ。もはや何名生き残っているか見当もつかないが、確認すれば他の従士たちもきっと砦を目指すはずだ」
「了解です。殿と誘導は私が」
「…すまない」
「何を仰るのですか。元よりこの身はアリスティド様に捧げております。御身を守れて死ねるなら本望。ご武運を!」
そういって後方へと駆け出していく斥候の姿が見えなくなるまでただ見ることしかできなかった。私はなんと無様で、非才なのだろうか。あの様に有能で忠誠厚い部下に死ねとしか命令できない自分に殺意が湧く。だがここで死ねばあの者の命が本当に無駄になってしまう。込み上げてきた涙を振り切りながら再び走り出した。
数分走れば廃砦へとたどり着く。そこには既に数名の従士の姿があり、私の姿を確認するや否や、ギリギリ門としての体を成していた扉を空けてくれた。礼もそこそこに直様直上へ向けて信号魔術を撃ちはなつ。散り散りで逃げる部下と、後方に居るアルムクヴィスト軍に見えるように。きっとこの信号魔術を確認すればアルムクヴィスト軍は動いてくれるだろう。姉はオイフェミア殿下やヴェスパー公爵を小馬鹿にするような発言をする愚か者であったが、私はそうではない。あのお二方の事は信用している。そしてその家臣たちも。彼らは味方を見捨てることがどれだけ友軍の士気を低下させるかよく理解しているのだ。援軍が来るまでは早くても4時間程度掛かるだろうか。それまではなんとしてでも耐えなければならない。
更に十数分すれば生き残っていたであろう家臣と従士達の殆どがこの廃砦へと合流できた。全部で21名。半分以上の姿が見えなくなっている。そしてあの斥候の姿も見えなかった。下唇を血が出るほどに噛む。全てを投げ出したい様な無力感がどっと襲いかかってくるが、まだ心を折る訳には行かない。寧ろここから本当の地獄は始まるのだ。それを指し示す様に砦の周辺の森に複数の気配が集まりつつあるのを感じている。人ほどではないが、知能のある食屍鬼の事だ。砦攻めとなれば全体の戦力が集まるまで待っているのだろう。
この砦はそれなり以上に広いようだった。白骨化した死体などが複数転がっている事から、モンストラ戦線が構築される以前の第一波侵攻で放棄されたものの様である。この規模の砦を21名で守護するのには如何せん無理がある。決め打ちで4階部分の一室などに籠もった方が良さそうだろうか。しかしながら最初から籠もったのでは直ぐに限界を迎えるのは容易に想像がつく。それに21名の中にも複数の負傷者がいるようだ。最悪な事に神聖魔術を扱える従者は全員殺されたらしい。現状の回復手段は持ち合わせのポーションなどしかないが、それにも当然限界はある。持って5時間といった所だろうか。
だが問題なのはリソース的な限界時間よりもメンタル的な限界時間であった。最初期の恐慌状態からは脱している者が大半(正確に言えば恐慌状態だった新兵などは皆死に、ベテランだけが生き残っている)だとは言え、憔悴しきっているのは隠せない事実である。増援が来るかも不確かな状態での籠城戦など気を持つほうが難しい。
「皆、聞いてくれ」
故に指揮官としての役目を全うしなければいけない。
「既に信号魔術は撃った。アルムクヴィスト軍であれば4時間以内に増援を派遣してくれるだろう。今が耐え時だ」
従士達の目が私を見据える。その誰もがこの数年の軍役を共にしてきた、部下と言うよりも戦友と呼べる仲間たち。
「すまないが皆の命を預かる。必ず生きて家に帰ろう」
従士達の顔に微笑みが浮かぶ。そしてすぐさま配置へと付き始めた。とりあえず初期ではできるだけ砦に近づけない様に迎撃行動を行い、その後一斉に引くのが現状の最適解か。数はできるだけ減らしておきたい。現状どれだけの食屍鬼が周囲に蔓延っているかは不明だが、多くても200体ほどであろう。どの道それが一斉に砦内に流れ込んできては籠城どころではなくなる。魔術に長けた者達が砦の外縁部に陣取り、何時でも十字砲火を叩き込める様にクロスラインを形成する。さあ、地獄がくるぞ。兎に角時間を稼ごう。遅滞戦術に徹しよう。何にせよ、今はそれしかできないのだから。
Valorantの大会見てたので更新遅れました。本当にいい試合ばかりだった。ベルリンで大和魂を見せてくれ。
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Act10-2_畢生のフロントラインⅡ
これもひとえに皆様のお陰です。今後も楽しんでいただければ幸いです。
「ようやく落ち着けた…」
岳陵の上から周囲を見渡しながらそう言葉が漏れた。オーガを捌いたあともトロールやらフッドやらコボルトやらの群れと連続して遭遇し、その全てをしばいてなんとかここまで離脱できたのだ。多分あの森に居た魔物共は大体殺したと思う。なんで偵察で浸透しただけなのにこんな無駄な戦闘をしているのか…。まあ原因は明確で、ゴブリンと遭遇したときにサプレッサー無しで銃声を鳴らした事に他ならない。つまりは自分のミス。相手が銃を持った人間では無いことに心の何処かで緩みがあったのだろう。次はこうはならないように立ち回ることを心に固く誓った。しかしトロールとオーガにはそれなりに苦戦してしまった。あれらはかなり生命力が強いらしく、5.56mm×45mm NATO弾程度の火力では中々に殺すのに手間取った。結果として即席で作った罠に誘い込み、大木の下敷きにして圧殺したが、もう同じ状況になることは勘弁である。次からは魔物の勢力地域に赴く時は大口径の銃を選択してこよう。まあだが偵察としては中々に収穫があったのではないだろうか。魔物共は横の連携が薄いが、対人用の偽装では誤魔化せない程度に感覚が鋭いということが身を持って理解できたのは今後に大いに活かせるであろう。ナイトビジョン無しで夜間の暗がりを見渡せるその目もそうだが、嗅覚や聴覚も人間に比べ鋭敏な様である。感覚としては対民兵を想定した作戦を実行していたと思ったら相手は正規部隊の特殊部隊だったという感じだろうか。無論それは索敵や追跡に限定した話で、作戦立案を含めた戦闘力で言えば
今いる岳陵の上は40m程周囲よりも高所であり、予測通り周囲がよく確認できた。森の中と違い月光を遮るものも無いため、肉眼でも風景が視認できるほどである。持ち込んでいた双眼鏡で周りを見渡す。そして目を疑う。その理由は3kmほど先の平野地帯に魔物の大群が集結しているのが目に入ったからだ。大凡2000に届くだろうか、そんな数の大部隊が集結し、明らかに統制の取れた動きをしている。多少の動揺を抱きつつ、仔細を確認しようと視界を回す。ゴブリン、オーガ、コボルト、トロール、その他の魑魅魍魎共が戦列を形成している。その集団の後方部に見慣れない生き物に騎乗した人族に親しい存在を確認した。だが直感的に分かる。あれはベネディクテやオイフェミア、それに俺の様な『人の側』に属している存在とは決定的に異なるものだ。尖った耳に発光しているような目、あれは"魔族"と呼ばれる存在ではないかと、吸収した知識と特徴を照らし合わせ推測をたてる。
魔族は人族と同じ様な高度な文化を持つ知的存在だが、根本的に魔物側に属した存在らしい。いわば魔物の指導者的立場。実態は上位の魔物であり、あの人族と同じ様な姿も仮のものであるとベネディクテから貸してもらった資料には書かれていた。本当の姿は禍々しい巨人や竜であり、それに变化することが可能だそうだ。全くもって質量保存の法則は何処にいったのだと言いたいが、それも今更である。魔術が存在する世界で地球の物理法則を持ち出しても仕方がない。とりあえずはこの事をベネディクテへと報告した方が良さそうだ。偵察衛星や航空機が存在していないこの世界では、あの大部隊を前線の兵士が確認できているとも思えない。
「ベネディクテ、聞こえるか?」
脳内でベネディクテとの会話を強くイメージする。こうすることで通話のピアスを使うことができるとオイフェミアから教えてもらった。何ぶん使用するのは初めてのため多少の不安がよぎるが、それは杞憂に終わる。
『あ、アサカ!?待ていま湯汲み中で…』
「モンストラ戦線のフェリザリア国境から西へ10km、北へ5kmの地点で魔物の群団が集結している。数は大凡2000。後方の部隊はその存在を確認しているか?オーバー」
『…しばし待て』
脳内に直接声が流れ込んでくる様な感覚に、場違いにも興奮を覚える。別にベネディクテの湯汲みを想像しての興奮ではない。初めてこの身で魔術的な物を扱った事による興奮だ。その感覚はオタク諸氏であればなんとなくわかってもらえるだろう。数十秒の間の後ベネディクテの声が再び脳内に響いてくる。
『いまオイフェミア経由でアルムクヴィスト軍の現地指揮官から報告が入った。その魔物部隊の存在はまだ認識していないらしい。だがその地点より北東に4kmほどの地点の橋頭堡を確保していた別の貴族軍からの救援信号を確認し、救援部隊の編成を行っていたそうだ』
なるほど。あの大部隊は前線に一時的な攻勢を仕掛け、救援を妨害するための遅滞戦術部隊ということか。かなり高度な戦術を用いるじゃないか。やはり魔物の指導者たる魔族が指揮を取っているだけあるのだろう。
「了解した。魔物部隊に人族と同じ様な見た目の存在、恐らく魔族が確認できる。あれがこの作戦指揮を取っている将だろう、オーバー」
『魔族か…その姿の詳細は分かるか?』
「遠くてなんとなくだが、尖った耳、綺羅びやかな甲冑、同じく綺羅びやかな大剣、爬虫類の様な瞳が確認できる、オーバー」
『ドレイクだな…了解した。アサカはしばしその部隊の動向を確認し報告してくれ。危険になれば即座に退避しろ』
「了解。アウト」
ベネディクテとの通信を切り改めてその部隊を確認する。とはいえ周辺警戒することは怠らない。最早慣れたことであった。魔物部隊は複数の騎兵が存在するが、大方は歩兵戦力で間違い無いようである。やはり攻勢用の部隊ではなく、遅滞戦術を行う為の編成だ。だが相手の目的がわかっていてもそれに乗らざるを得ないのは中々にムカつく状況である。これでアルムクヴィスト軍はあの部隊に対処することを強いいられ、救援部隊を出す余裕など無くなっただろう。オイフェミアや、ノルデリアレベルであれば、単騎でこの状況を壊すことも可能なのだろうか。だがしかし俺は所詮、この世界にとってイレギュラーであることを除いて一介の歩兵なことに変わりない。できることなど多くは無いが、それ故に自身のやれることは最大限に行おう。
その時だった。北東部4km程の地点の上空に赤色の閃光が打ち上がる。あれがベネディクテの言っていたアルムクヴィスト軍が確認したという救援信号だろうか。そちらの方向へ双眼鏡を向ける。すると視界に入ってきたのは、森林部にひっそりと佇む砦であった。流石に距離があるため仔細は把握できないが、その城壁部分に陣取った複数の人影が、真下に向かって閃光を放っているのが写る。魔術で何かしらを迎撃しているのだろうか。そうだとすれば既に包囲され張り付かれている危険な状況だということは間違いないだろう。狙撃支援を行いたいが、生憎といま装備しているレミントンACRの有効射程は300m~600m。4000m級の超長距離狙撃などできるわけもない。そもそんな狙撃が可能なのはバレットM82A1等の
目の前で救援要請をしている部隊を救えないのは、南シナ海危機の時、離島防衛をしていた普通科部隊を見殺しにしてしまった事を想起させる。もうあんな想いをするのは至極御免であった。なんとかして彼らを救えないだろうか。この世界では彼女らになるか。何れにせよ封建社会に馴染みの浅い俺からすれば、別の貴族軍であろうと友軍には違いないのだ。そもそもフリーの傭兵であるが。
『聞こえるかアサカ』
ベネディクテから再び通信が入る。なにかあったのだろうか。
「聞こえるよ、オーバー」
『アルムクヴィスト軍は陣地防衛の為、橋頭堡部隊の救援に向うことが出来なくなった。その代わり周辺に展開していた"レイレナード"という傭兵部隊に救援依頼を行い、彼女らはこれを受諾している。アサカにも同様の依頼を出したい。レイレナード傭兵部隊と合流し、橋頭堡部隊の救援を行ってくれ』
断る理由など一つも無かった。先も言ったがもうあんな想いをすることは御免である。"生き死にの傍観者になる"事など死んでも御免である。そんな事になるなら俺が死んだほうが良い。
「了解した。合流地点を知らせ、オーバー」
ベネディクテから不安の様な感情が流れ込んでくる。無線などと違いテレパシーを用いた通信であるために、言葉にならない感情が伝わる事もあるのか。
『…そこから東に1km移動した所に河川に掛かった大きな橋がある。ドゥミレス大橋という名が刻まれた石橋だ。レイレナード部隊とはそこで合流してくれ。アリシア・レイレナードという藍色の髪にマゼンタのメッシュが入った女が指揮官だ』
ベネディクテより預けられていた地図を取り出し、位置を確認する。現在地からドゥミレス大橋までは谷の様な厄介な地形も存在せず、平野が続くようだ。この距離と地形であれば慎重に進んでも20分程度で現地に着けるだろう。
「確認した。現地到達予想時間は2030、オーバー」
『伝えておく。…無理はするなよ』
やはり先ほどと同様にかなり不安で心配そうな感情が流れ込んでくる。もしかしたら俺の感情も向こうに伝わったのだろうか。別にそんな震えた様にならなくても良いと思うのだが。
「了解、アウト」
意識を切り替え余計な思考をシャットアウトする。さあ、救出作戦の開始だ。行くとしよう。
眼前に鈍色に輝く刃が迫る。それを身体を屈め最小限の動作で回避しつつ、一歩前へ踏み出す。相手はオーガ、身体が大きい分懐に入り込めばこちらが優位だ。両の手に構える大剣、クレイモアを下段から切り上げれば、オーガの腕が宙に舞った。常人であれば傷をつけるのも一苦労な異形の外皮は、しかし私にとっては最早何も問題はない。一振りで汚い血を撒き散らしながら絶叫を上げるオーガの後頭部をそのまま左腕で鷲掴みにし、腹部に膝蹴りをかます。足甲を纏った足技はそれだけで高威力の打撃となり、オーガの身体がくの字に折れ曲がった。即座にクレイモアを両手で構え直し、上段から首目掛け振り下ろす。すれば何の抵抗も感じずオーガの頭部は地面へと転がった。次点、後方からダークトロールが2体棍棒を振り回しながら突撃をしてくる。剣を正眼に、しかし腕を右に寄せ、左足を前にした構え、所謂プフルークの構えを取り、それを待ち構えた。
ウォークライを行いながらダークトロールが接近してくる。距離5m、まだクレイモアのリーチではない。上段からダークトロールが棍棒を振り下ろす、
間髪入れず、もう1体のダークトロールが棍棒を横薙ぎに振りかぶってきた。それをクレイモアで弾きながらバックステップで距離を取る。
「アリシア!北からミノタウロスが7体接近している!シキが抑えているが、流石に
仲間の一人がそう叫んだ。舌打ちをしながら高速で現状の整理を行っていく。魔物側の遊撃部隊を追撃し橋頭堡付近で行動をしていた際に、それなりの規模の魔物集団からの襲撃を受けた。それが大凡10分前。敵の数は大凡50といった所、その殆どがオーガやトロールといった上級の魔物である。対して私達は50人。だがしかし人間を中核として多種多様な人族で構成されている百戦錬磨といっても過言ではないミスティアきっての傭兵部隊だ。この程度の攻勢で殲滅されるはずもない。だが北側の戦力が遊兵化するのは不味いだろう。シキは紛れもなく精鋭でありミノタウロス程度に負けることは無いだろうが、もしもという事もある。人員を回したほうが懸命だ。
「貴方達はそのままシキと合流して彼女の指揮下に入って。ミノタウロスの殲滅後は任意の判断に任せるわ」
「了解した!アリシアも気をつけて!」
北側へ向う友軍を見送る。彼女たちが合流すれば北側の趨勢は決するだろう。直後東の藪から3体のオーガが飛び出してくる。左手を突き出し、何かを詠唱し始めた事から何かしらの攻撃魔術を使うつもりだろう。馬鹿め、そんな時間が与えられるはずも無いだろうが。腰から投擲用のナイフを引き抜きそれを投げつけた。微塵の狂いもなくオーガの顔面に命中したそれは殺傷には至らないものの、魔術の詠唱を中断させることに成功する。その隙をついて前衛として上がってきたオーガ2体の身体に向けクレイモアを振りかぶった。駆け出し途中で身体を回転させながら横薙ぎにした刃は遠心力を伴い、容易にオーガの身体を切断する。特殊金属で鋳造されたこの刃であれば、オーガの強靭な身体すらバターの様に切り裂く事が可能であった。数秒とかけず2体のオーガを屠り、魔術を発動しようとした個体に突撃する。クレイモアを頭の上に両手で構えながら跳躍し、重力落下の勢いを乗せて大上段からオーガへと振り下ろした。頭蓋が砕ける気持ちの悪い感覚が
オーガ3体を殺し終え一息つく。そのタイミングで北側の上空に閃光が奔った。あれは信号魔術だ。あの発光色は救援を要求する緊急事態用の物。となれば北部の橋頭堡を確保している部隊にも同じ様な攻撃が行われているのだろうか。
そこではっと気がつく。この我々に対する魔物の攻撃も、北方部隊への救援を妨害するための遅延戦術なのでは無いだろうか?まんまと相手の将にの術中に嵌った事に気が付き、大きな舌打ちをした。だがまだ信号魔術を打っているということは救援が間に合う可能性はあるかもしれない。私達は傭兵部隊だが、このモンストラ前線で共に戦う貴族軍の諸氏への仲間意識はそれなり以上に持っている。もう数年も同じ戦場で共に戦っているのだ、所属の違いはあれど味方な事に違いは無い。それに友軍を見殺しにしたとなれば全体の士気にも関わる。そんな愚策は犯したくない。
だがしかし後方に陣を敷いているアルムクヴィスト軍はどうするのだろうか。我々にこういった妨害攻撃が行われている以上、本隊たるアルムクヴィスト軍にはそれ以上の攻勢が行われる事が想像できる。であれば救援部隊を出す余裕など無いだろう。なら現状遊撃戦力として動けるのは私達レイレナード部隊だけだろか。だが何処まで行っても私達は傭兵である。依頼が無ければ動くことはできない。その理由は報酬という面があることも間違いないが、それ以上に対価も無く勝手に動く戦力など危険で仕方ないからだ。私達がどうこうというより、周囲の勢力にいらぬ不安を抱かせる事になっても面倒くさい。
『アリシア、聞こえるか?』
脳内に声が直接響いてくる。凛とした低めのハスキーボイス。直ぐに誰の声かは理解できる。
「ベネディクテ、どうかした?」
幼子からの友人であり、ミスティア王国の第一王女、ベネディクテ・レーナ・ミスティアからの通信であった。一介の傭兵がパスを持っている人物としては破格の存在であるが、寧ろ私からすればベネディクテが本物の姫であるということの方に違和感がある。最初に知り合った時のベネディクテはこっそり城から抜け出して城下を好き勝手遊び歩いていたからな。しばらくして身分を知った時は驚いたものだ。馬鹿姉と2人でベネディクテを探しに来た近衛隊の面々から匿ったものである。後々両親に烈火の如く叱られたが。
『現在地は何処?』
「モンストラ戦線フェリザリア国境部分から西へ8km、橋頭堡から南へ2kmの地点だ」
『魔物からの襲撃はあったか?』
「現在対処中よ。まもなく殲滅が完了する。また橋頭堡を確保していた部隊からの救援信号を確認しているわ」
『了解した。現在大凡2000程の魔物集団がアルムクヴィスト軍の陣地へ向け攻勢準備を行っている。そのためアルムクヴィスト軍は橋頭堡部隊の救援に向うことが難しくなった』
想定通りの事態であった。ならば必然、ベネディクテの次の言葉も推測できる。
『故にレイレナードへミスティア第一王女として依頼を行いたい。アルムクヴィスト軍に代わり橋頭堡部隊の救援へと向かってくれ。報酬は王家の方から色を着ける』
「了解したわ。ただ我々も50程度の小規模部隊、相手の戦力次第では困難だと思うのだけど」
『だと思って助っ人も用意している。そこから西へ数kmの地点に最近王家公認の傭兵となった者が展開している、そいつとドゥミレス大橋で合流して作戦行動に入ってくれ』
最近王家公認の傭兵になった者、話題になっていた異世界よりの
「最近ベネディクテが執心しているという男かしら」
『そうだ。別に執心はしていないがな。名前はアサカだ、彼と合流し作戦にあたってくれ』
「了解。何かあればまた連絡する」
そういってベネディクテとの通信を終える。だいぶそのアサカとやらに対する心配や恋慕に近い感情が流れ込んできたが、ベネディクテにその自覚はあるのだろうか。まあそれは良い。ベネディクテとオイフェミア殿下が気にかける存在なのだ、使えないという事も無いだろう。
直後北側でミノタウロスと交戦していた数名が戻ってくる。返り血は浴びているものの大きな怪我は無さそうだ。流石に優秀である。
「アリシア、北側の殲滅は終わった。他の連中は?」
革鎧と片手剣、バックラーを装備した
「まもなく皆戻ってくると思うわ。まあだけどしばらくは忙しくなりそう」
「何かあったのか?」
「ベネディクテから依頼が入った。北方の橋頭堡部隊の救援。とりあえず現状確認が終わった後にドゥミレス大橋に移動するわよ」
「ドゥミレス大橋?真逆じゃないか」
「助っ人が来るんだって。その人と合流し仕事に取り掛かる」
「信用できるのか?」
「ベネディクテが信用しているんだし、それなりには使えると思う。とりあえずシキは何人か連れて先行して斥候をよろしく。合流地点はここで」
「はぁ、了解。レイン、トリス着いてこい」
そういったシキは凄まじい速度で地面を蹴り走り出していく。彼女は純粋種の人間であるが、その脚は馬程も早い。つまり時速60km~90km程の速度で数分間疾走できる。正直意味が分からないが、シキに聞いても『お前らの脚が遅いんだ』としか言わないため真相は闇の中である。ともかく彼女達が斥候に向かったのであればその助っ人とやらが合流するまでに橋頭堡の状況は把握できるだろう。残業ではあるが、友軍を見殺しにするくらいならオーバーワークは大歓迎である。部下の連中も同じ様な表情だ。戦場に身を置き、命の奪い合いに何の感傷も抱かなくなって久しいが、それとこれは話が別である。救えるものは救うに限る。ただし自身にデメリットが無いことが前提だが。
「アリシア隊長、こちらの被害は無し。数名の軽症者が居ますが、ジェネファーの神聖魔術で治療済みです」
部下の一人が声をかけてくる。どうやら各方で戦闘をしていた連中も全員戻ってきたようだった。オーガやらトロールやらの混成部隊を相手にして犠牲者無しなら大戦果も大戦果だ。
「よろしい。だけど追加の仕事が入ったわ、顧客は王家。内容は橋頭堡で攻撃を受けている部隊の救援。南側のドゥミレス大橋で他の傭兵と合流した後、共同で作戦行動に入る。各員移動開始」
そう号令をかければ隊列を維持したまま全員が一糸乱れぬ動きで行動を開始する。この練度の高さは私達の誇りだ。ミスティア最強の傭兵部隊の矜持もかけ、全力で橋頭堡部隊の救援を行うとしよう。
私はベネディクテとオイフェミア殿下が気にかける男傭兵がどの様な人物なのか想像しつつ、地面を蹴り出した。
「よろしい。」
文字数は大体9000文字以上を目安に投稿しているのですが、皆様如何でしょうか?
5000文字程度であればもう少し早く投稿はできると思うのですが、どちらがいいんでしょうかね。ご意見いただければ幸いです。
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Act10-3_畢生のフロントラインⅢ
アートワークにゼファーの立ち絵など追加してあります。興味ある方はどうぞ。
あの後10分ほどでドゥミレス大橋に到着した私達は、件の助っ人とやらの到着を待機していた。ベネディクテからの追加報告では20時30分にはこちらに合流できると言っていた。そこからその助っ人、アサカとやらについてわかることも幾つかある。まず1つ目はアサカとやらは地図を読むことのできる教育を受けているということ。識字率40%程度のミスティアで考えるならこれだけでも知識人に分類されるだろう。2つ目はそもそも地図を所持しているだろうことを考えるに、オイフェミア殿下とベネディクテのお気に入りだということ。地図というものは軍事上の重要情報でもある。敵国の地形や環境を把握できる地図というものは思っている以上に価値があるのだ。3つ目はそんな重要機密をあの2人が渡すということは、アサカとやらはかなりの信頼関係を築いているということ。ベネディクテもそうだが、オイフェミア殿下は人の見る目において右に出る者はいない。他人の脳内を容易に覗けるのだからそれも当然である。
以上の事を踏まえて考えれば充分に助っ人としての役目を果たしてくれるだろう。どんな
月が完全に夜空に昇り月光が世界を仄かに照らす。空は星星が煌めき、さながら宝石箱の中のようであった。綺麗なものだとは思うが、生憎とここは戦場のど真ん中である。感傷に浸っている時間などないが、まあ元よりそんなロマンチストでもない。そんなどうでもいい思考をしていれば部下の一人が声をあげた。
「アリシア、東側300の稜線に人影。変な帽子に蟲甲のような耳あて、そんで変な杖みたいのを持ってる」
イーグルアイと呼ばれる視力強化の
「こっちに気がついてそう?」
「ああ。一直線で向かってくるから多分気がついている。何か顔にも変な面みたいの付けてるしマジで何なんだろうな、一見すると人型の魔物にも見えるぞ」
そうして数分も待てばその人影が鮮明になってくる。さっき聞いた通り変な帽子に蟲甲のような耳あて、そんで変な杖みたいのを持ってる変な格好の男であった。頭部から下ろすように4つの筒が並んだ装置の様なものを装着している。それは仄かに緑色に発光しており、男の顔に反射していた。男はその変な装置を上げ顔を顕にする。年の頃20代後半程度だろうか。私達とは人種が異なるようだが、中々精悍な顔つきをしている。好きな女は好きなんだろうなという印象を抱くルックスだ。短い顎髭を生やす男なぞ殆ど見たこと無いため違和感が凄いが、まあ別世界の人間なら普通なのだろうか。男は部下達の顔を見回した後、私を見留たのかこちらへと近づいてくる。
「アリシア・レイレナード?俺は朝霞日夏だ、ベネディクテよりここで君等と合流しろと言われた」
低い声で男、アサカはそう発する。綺麗な連合女王国訛りの交易共通語だ。ミスティアには殆ど連合女王国訛りで話す存在は居ないが、誰から言葉を学んだんだろうか。はたまた彼の世界にも交易共通語が存在したのだろうか。
「そう、私がアリシア。話は聞いてるわ。共同作戦よろしくね」
「こちらこそ。とりあえず状況を確認したい、お願いできるか?」
「今こちらの斥候が詳細の把握を行っているわ。ここより北へ10分程の場所で合流する予定。とりあえず移動をしましょう」
「了解」
そう言って私達は地面を駆け出す。全力疾走はせずに隊列を維持した移動だが、アサカは問題なく並走してきた。呼吸の乱れも少なくそれなり以上の訓練を受けたのだと言うことは瞬時に理解できる。恐らくは武芸者などではなく兵隊の類だったのだろうか。再び頭より下ろしている謎の装置を付け直している事に疑問を抱くが、あれは何なのだろうか。まあ兎も角作戦行動に支障がなければ何でも良い。10分ほど移動を行えばシキ達との合流地点へと到着する。既にシキを含めた3名が待機しており、私達の姿を確認したのか吸っていた煙草を踏み消した。
「遅かったねアリシア」
「時間通りでしょうよ。それで?状況はどんな感じ?」
「結構最悪。とりあえず橋頭堡部隊を襲撃しているのは食屍鬼で間違いない。数は200くらい、それが連中が籠城している廃砦の周囲を完全に包囲している」
シキの言う通り結構最悪な状況であった。200体の食屍鬼…流石に真っ向からぶつかるのは分が悪い。単純計算4倍の戦力に対して突っ込みたい馬鹿はいないだろう。大体突っ込んで一時的に包囲網に穴を空けられたにせよ、籠城している連中にそれが伝わらなければ意味もない。時間をかければそれでも殲滅は可能かもしれないがどう考えても橋頭堡部隊は死ぬだろう。何にせよ時間が足りないことは確かだ。
「なら馬鹿正直な突撃は無理ね。元よりする気もないけど。アサカ、貴方は食屍鬼についての知識はある?」
確認をとる。軍事において互いの共通認識を確かめる行為は重要だ。些細な食い違いで全滅することなどざらにある。今更そんな事で死ぬ気はない。
「悪いが知らない。説明を願ってもいいか?」
「構わないわ。食屍鬼はつい最近存在が確認された新種の魔物。ゴム質の表皮に曲がった背骨、犬のような顔に鋭い鉤爪を持っており、屍肉を主食にしている化け物よ。またその皮膚の性質から刃武器やら矢何かと相性が最悪。大型の刀剣などなら膂力任せに切り裂くことはできるけど、生半可な攻撃は通らないわ」
「了解、どうも」
アサカは少し眉をしかめる。と入っても変な装置のせいで表情はあまり伺えないのだが。事前にベネディクテから聞いた限りでは彼の基本戦闘スタイルは"銃"という飛び道具を用いた遠距離戦らしい。まあ近接格闘でもベネディクテを負かすくらいにセンスが高いらしいが。
「とりあえずどうするよアリシア。時間は無さそうだしさっさとプランを決定しなきゃ最悪私達まで喰われる」
シキがそう問いかけてくる。人数比的にあまり取れる選択肢は多くない。必然やれる手段はほんの少ししか無かった。
「オーライ、じゃあ作戦の説明をしよう」
私の考えた作戦はこうだ。まず少数精鋭の部隊を隠密先行させ砦の橋頭堡部隊と合流する。その間本隊は包囲網の南側外縁で待機。砦にたどり着いた少数部隊から合図が上がったのを確認した後、電撃的に本隊が攻勢を仕掛け退路を開く。そしてそのまま離脱する。
「構成はどうする?」
「本隊はシキに任せる。どの道士官教育受けてんのあんたしかいないし」
「了解、なら先行部隊の人選は?」
少し間をおいてアサカの顔を見やる。すれば少し不思議そうに私へと目線を向けてきた。
「アサカ、室内戦闘の経験は?」
「大量に」
「オーライ、なら先行部隊はアサカと私の2人だけでいいわ。残りは本隊としてシキの指揮下に」
アサカは異論が無いらしくそれ以上なにも言わなかったが、シキはどうやら不服そうだった。少し不機嫌そうに眉を顰め口を開いてくる。
「人選の理由を教えろアリシア」
「単純な消去法よ。シキには本隊を任せたい。私は武器が大型の刀剣だから閉所での戦闘だとフォローが欲しい。そんで他の連中は野戦には慣れているけど室内戦の経験が豊富とは言えない。これでいい?」
「…了解した。本隊は任せろ。各員配置に付け、魔術師は後衛だ」
シキが手際よく仲間たちへ指示を飛ばしていく。相変わらず頼れるやつだ。本当であれば隠密適正はシキの方がよっぽど高いのだが、如何せん彼女の火力は高くない。
「では行きましょうかアサカ」
「了解、フォローする」
シキに一声かけてから地面を駆け出す。私も逸脱者には届かないにせよ、ベネディクテ達と同じく上位者と呼ばれる存在にカテゴライズされる人間の一人だ。それに恥じぬよう努めよう。さて、異世界からの傭兵の腕前、如何程のものだろうか。
眼前を駆ける女の背中を追っていく。木々が密集し走り抜けるには困難な地形なのだが女、アリシアはそんなものをものともせずスピードを維持し続けていた。木の根を蹴り、跳躍し、身体を捻り、連続で跳ねるように駆けていく。所謂パルクールのような動きだろうか。身体の使い方が尋常じゃなく上手いのもそうだが、全身に金属製の甲冑、更には背中に大型の大剣を背負っているのにそんな動きが何故できるのか理解できない。正直視界から見失わない様に付いていくだけで精一杯だ。平地で彼女に全力疾走されれば間違いなく追いつけないだろう。あの身のこなしを見る限り、フル装備でも100m7秒ほどで走れるのでは無いだろうか。俺は身を持ってこの世界の住人との身体能力の差を実感していた。
だが俺がなんとかついていけているのにも理由がある。それは俺の進行の邪魔になるような枝や細木なんかを、先行するアリシアが切り裂いて道を開いてくれているからだ。流石に銃を持って装備を付けたままパルクールの真似事なぞできるわけもない。そんなことは軍事訓練でも行わないし、そもそもやってきた訓練自体人間の身体能力に沿ったメニューである。目の前のアリシアの身体能力は、地球の人間の身体能力の枠組みの外だ。そんな存在についていけているだけでも花丸を貰って良いと思う。まあ彼女がこちらの身体能力のギリギリを見極めてスピードを調節しているのだろうが。
さて、そんな金属甲冑やら銃やらを持った人間2人が走っていてはかなりの音が響くものである。だが現状、耳に入ってくるのは前方で聞こえる僅かな戦闘音と森のさざめきのみ。それは何故かと言えば、アリシアの用いた風属性妖精魔術が原因である。空気やらなんやらを操作して一時的に術者が指定した対象の音を減衰させる魔術らしいが、なんと便利な魔術だろうか。C.C.Cでの活動時にその魔術が欲しかった。どれだけの作戦が楽になったことか。
時折アリシアがちらりとこちらに顔を向け、俺が付いてきているかを確認してくる。随分と余裕そうだ、正直俺は息が上がって間もなく限界を迎えそうである。呼吸が荒くなり、全身が張り裂けそうになる。複眼のナイトビジョンを下ろしている為こちらの表情は確認されていないだろうが、相当酷い顔をしている自信があった。情けないことだが仕方ない。こちとら軍事訓練と実戦経験はあるとはいえ、身体能力は地球の人間ベースなのである。何度も言うがもう限界だ。
そんなことを考えていればアリシアが右手を顔の横に上げた。あれは停止指示のハンドサインである。それを理解した瞬間スピードを落とし徐々に減速して木の陰に滑り込んだ。肺が破裂せんばかりに呼気が荒くなっているが、それも数秒で鎮静していく。この辺は軍事訓練とシステマの賜物であった。
アリシアが俺の直ぐ側にしゃがみ、少し苦笑した様な表情を浮かべている。それに対し俺も苦笑を返した。現状、風属性妖精魔術の影響下にあるためこちらの発話も音として発することもできない。便利そうに見える魔術も、万能では無いと言うことだろうか。
続いて彼女は素早くハンドサインをこちらに行ってくる。俺の知るハンドサインと若干異なるものだが、なんとなく伝えたいことは理解できた。
『前方に敵影2つ。私が右を仕留める』
そんな感じだろうか。彼女の指す方向を見てみれば、確かに背骨の曲がったシルエットが2つ確認できた。あれが件の食屍鬼だろう。アリシアが右ならば、俺の得物は左の食屍鬼か。了承の合図を返し、レミントンACRの銃口を獲物へと向けた。ナイトビジョン越しに2倍サイトで捉えるその異形の姿はかなり不気味である。ハリウッドのモンスター・パニック物に出てきそうだ。話ではゴム質の体皮をしており、矢や刃に関しての耐性が高いのだったか。ということは結局ヘッドショットを狙うことになりそうである。この世界にきてこの方ヘッドショットしか狙っていない気がする。
対人戦闘ではヘッドショットを狙うことはあまり多くない。純粋に的が小さくブレる箇所であるため難度が上がるし、ヘルメットなどで威力が減衰することも多いからだ。故に下腹部などのバイタルパートを狙って殺傷よりも行動不能にすることを優先するのだが、魔物達に対人戦術がそのまま通用するとも思えない。とりあえず懸念事項はなるだけ除外するに越したことは無いだろう。
その瞬間横にいた彼女の身体に変化が起きたことを視界の端で確認する。頬部分などの露出した部分を黒く硬質な物質が覆っていた。いや、正確には皮膚が変化していた。さながら武士の面頬の様になったそれはかなりの威圧感をともっている。あれがベネディクテなどの言っていた
アリシアが地面を蹴る。変化していないマゼンタの瞳から煌めく光が線となり、食屍鬼へと吶喊していく。俺も彼女の行動に併せて引き金を引いた。射出された5.56mm×45mm NATO弾が暴力的な初速で飛翔していく。寸分の狂いもなく食屍鬼の頭部に命中したそれは、鈍い音を立て食屍鬼を転倒させた。その横ではアリシアが大上段から大剣を振り下ろし、食屍鬼を首筋から縦に割っている。汚い血が吹き出し、耳障りな絶叫を上げ割れた食屍鬼の身体が地面へと落ちた。
俺は自分が撃った食屍鬼に違和感を抱き、照準を向け続けていた。なんだか妙に手応えが無かったのだ。血の噴出も確認していない。まさかとは思うが…。その思考の直後、転倒していた食屍鬼が飛び起きこちらへと駆け出してくる。やはり殺せていなかった!反射的に短連射を行う。放たれた数発の銃弾の殆どが食屍鬼の顔面に吸い込まれていき、今度こそ緑色の世界に汚い華が咲いた。頭部への直撃を耐えるとは、何という耐弾性能だろうか。笑えねえ。
セーフティをロックに戻した時にカチリと鳴る音をヘッドセットが拾った。どうやら風属性魔術の効果が切れたようだ。アリシアが大剣を振り、刀身に着いた血を払う音も聞こえてくる。向こうの術の効果時間も終了したようだ。戦闘終了前に切れなくて良かった。
大剣を納刀したアリシアがこちらに近づいてくる。一件無防備そうに見えるが、周囲に警戒を怠っていないのが見て取れた。相当なベテランだ、かなり長いこと戦場に身を置いているのがそれらの所作から伝わってくる。身体能力だけではなく兵士としての能力も高いようだ。
彼女の周辺警戒が終えたタイミングで、2人だけに聞こえる小声で声をかける。
「ナイスキル、流石だな」
「そっちもね。良く仕留めきれたわね」
「一発で死ななくて焦ったよ。食屍鬼とやらの防御性能は尋常ではないな」
「そうね。特に遠隔武器への耐性は高いから、あんたは特に注意してよ?」
「了解」
マガジンを取り外し残弾を確認する。21発、まだマグチェンジをしなくてもいいだろうか。合流前でもそこそこの弾丸は使っているため、フルで装弾されているマガジンは残り2つ。グレネードも木を倒すトラップを作った時に一つ消費しているので、残りは一つ。全体的に不安の残るリソース量だが、現状これで作戦を続行する他無い。無駄撃ちは避けていくべきだろう。
「目的の廃砦まで大凡100m程度まで近づけたわ。木々で見通しが更に悪くなる、注意して行きましょうか。これ以上の魔力消費は避けたいから、妖精魔術は無しで行くわよ」
「了解、できる限りフォローはする」
再び進行を再開する。今度は先程までの速度では無く、なるだけ音の出ないように慎重に進んでいく。銃を構え、ナイトビジョンでゆっくりと移動していくこの感覚は東ヨーロッパで内戦に介入していた時期の活動を想起させた。段々と砦の外壁が見えてくる。だが違和感があった。先程まで聞こえていた戦闘音が殆どしないのだ。もしや全滅か…?とそう思考が過るが、それならば食屍鬼達の撤収が始まっているだろう。
そのまま砦の近く、20m程の茂みに潜伏し様子を伺う。流石に身のこなしだけで鎧の金属音をなくすことは不可能なようで、横にしゃがんだアリシアから金属音が聞こえた。外壁の周辺には数体の食屍鬼が何匹かのグループを構成し徘徊している。
「あー、門が破られてるわねぇ」
アリシアのささやく様な小声をヘッドセットが拾った。言われ確認してみれば確かに正門部分が破壊され、複数の食屍鬼がうろついているのが視界に入る。なるほど、突破され侵入されたから、橋頭堡部隊は何処かの一室まで撤退したのだろうか。現在食屍鬼共は砦内を捜索しているのだろう。なんとも厄介な状況に間違いない。
「どうする?」
アリシアが問いかけてくる。それは本気の相談というよりも、こちらの案を確認したいような雰囲気を伴っていた。彼女もベテランの戦士であるがゆえに、別世界の兵士の思考に興味があるのだろか。こんな極限状態でよくやるものである。長過ぎる戦場生活で感覚が麻痺しているのか、元々の性分なのか。まあそれは俺も人のことを言えたことではないが。
「なんにせよ砦内に侵入するほか無いでしょう。現状の食屍鬼の様子を見るに、救出対象は何処かの一室に隠れているものだと推測できる。手をこまねいていたら全員死ぬだろう」
「オーライ。侵入方法は?」
「ラペリング装置…鉤縄みたいなものを持っている。あの二階部分の窓からそれを使って侵入しよう」
アリシアがニヤリと笑った。やっぱりこちらの能力を図っていたようである。全くこの状況でとんでもない奴だ。まあ実力は確か、どころか俺よりも遥かに格上の身体能力と戦闘能力を持っている事は間違いない。そして実戦経験も同列に感じる。故に別に文句は無かった。
「私は金属甲冑だけど、紐の強度大丈夫?」
「問題ない。金属製のワイヤーだから千切れることは無いと思うよ」
「金属製のワイヤー…?」
疑問を抱いていそうな顔をアリシアは浮かべつつも、俺達は行動を開始する。食屍鬼のいち団が通過していったタイミングを見計らって、素早く城壁へと取り付いた。月光の影に隠れ、なるべく発見されないように立ち回る。とはいってもこの世界の魔物やらリカントやらやたら暗所での視界に優れているので気休めでしか無い。そのままスライドするように窓の直下へと移動し、ラペリングワイヤーを上へと投げた。城壁の縁へとワイヤーの返し部分が引っかかり、それを何度か引っ張って強度を確認する。問題ない、そう判断し壁を蹴って城壁を昇り始めた。アリシアはその間身をかがめ周辺警戒を行っている。全くもって共同しやすい彼女が今回の相棒で助かった。
窓を避けながら一度上部へと上がり、身体の上下を反転させる。所謂逆さラペリング状態となって、窓の上部から部屋内を確認した。そして目に入ってきた光景に、思わず眉を歪める。
そこに広がっている光景を表すのならば、猟奇的の一言であった。食屍鬼の一体が、バラバラにした人族の死体を貪り食っている。顔の半分がなくなり、苦痛に歪んだ表情の生首と目があった。
この状態で銃で撃ち殺すのが一番楽な方法であるが、サプレッサーで減音できる銃声にも限度がある。この静寂な環境で音を立てるのは些か下策だろう。故にナイフを引き抜く。アリシアの話では刃武器は食屍鬼に効果が薄いらしいが、別にナイフの使いみちは武器としてだけではない。あの凶悪な爪から身を守る為の防具にもなる。そして眼下へと目を向ければ、丁度アリシアもこちらを見上げていた。ハンドサインでこの部屋に食屍鬼が一体居ることを伝える。すれば彼女も了解の意志を返してきた。
準備はできた。さて、腹をくくって行くとしよう。
身体をもう一度反転させ、その後壁を蹴り窓へと突入していく。そのままの勢いを利用して食屍鬼の顔を蹴り上げた。即座にラペリング装置を解除し、部屋の中に着地する。通常の人間であれば先程の蹴りで昏倒するだけの威力を伴っていたのだが、食屍鬼は即座に身体を起こしこちらへと向かってきた。胸へ繰り出される爪を肩甲骨を振って上体を捻り回避する。そのままカウンターで食屍鬼の上腕部を捻りあげ、肩の関節を破壊した。ごきりと気味の悪い音が聞こえ、食屍鬼の右腕から力が感じられなくなる。続けて首をロックし、脊髄をへし折ろうと背後へと位置を移動させる。だが首を折ろうと力をいれた瞬間、食屍鬼が身体を前面に倒す様に転がり、俺の身体が宙へと舞った。地面に叩きつけられ肺の空気が一気に逃げ出し一瞬呼吸が止まりそうになる。だがギリギリの所で受け身を取れた為致命傷を免れる事ができた。即座に足払いを行い食屍鬼を転倒させる。そのまま転がった背後から食屍鬼の首元に腕を当て、今度こそ首の骨を圧し折った。食屍鬼の四肢の力が緩んでいき、最後には何の抵抗もなく床面へと投げ出される。危ない所だったがなんとかなって良かった。この化け物の膂力、想定以上である。自分よりも小さい人型であるが油断ならない。
呼吸を整え、部屋を確認する。周囲に他の敵性存在が無いことを確かめた後、窓下を覗いた。眼下のアリシアにサムズアップをした後、ラペリングワイヤーを投げ落とす。彼女はそれを掴み器用に城壁を駆け上がってきた。引っ張り上げる事を想定していたのだが、本当に予想外の身体能力である。地球ならば一流のサーカス団での華形すら足元にも及ばないだろう。改めてこの世界基準で考えれば俺の身体能力は劣っているのだと理解し、苦笑が零れ出た。
「グッキル。食屍鬼を格闘戦闘で斃すなんて、流石だね」
「マジで死ぬかと思ったけどな…。兎も角侵入はできた。橋頭堡部隊の捜索に移ろう」
ニヤリと笑ったアリシアは、地面に転がる人族の死体を一瞥した後に部屋のドアをゆっくりと開いた。ここからはモンスターパニック映画の様な状況になるだろう。精々気を抜かず死なないようにするとしようか。
真面目な話が続きますが、もうしばしお付き合いください。
このお話が終了次第キャラ同士の絡みなどを書きたいと思うのですが、深堀りしてほしいキャラクターなど居ますでしょうか?
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Act10-4_畢生のフロントラインⅣ
アリシアがドアを開ける。その瞬間鼻に嗅ぎ慣れた匂いが舞い込んできた。血の匂いだ。廊下には幾つかの異形、そして人族の死体が散乱しておりそれなりの戦闘が起きていたのだということが容易に推測できる。屋内ではカービンライフルの取り回しに難があるため、スリングで背中に固定しナイフと
進行方向の廊下はT字の構造になっていた。その間際まで進んできた時、アリシアがハンドサインで停止指示を出す。それをみて音を立てぬように足を止めた。そしてヘッドセットが拾う靴音とはまた違った足音。これは人間のものではない。恐らくは食屍鬼だ。ヘッドセットから聞こえてくる音からするにまだ15m以上は離れていると思うのだが、良くアリシアは気がついたものである。あのままT字路に飛び出していれば発見されていただろう。流石に無警戒に飛び出すことはしないが。
アリシアがT字路の壁に背を当て待機する。丁度音の聞こえてくる右の道からは死角になる位置に身を潜める。俺はT字路からの視線上から外れるように、だがアリシアの援護を何時でも行える位置に陣取る。ここは彼女に任せるとしよう。
音が近づいてきた。足音から推測するに一体だけだろうか。あと2mほど。アリシアが腰に指していた短剣を引き抜く。俺も何が起きても良い様にナイフを握り直した。レミントンACRの射撃で頭部に命中させても即死させられなかった事を鑑みるに、P226はお守り程度にしかならないだろう。それにP226のセットアップはサプレッサー無しの、アンダーレールにフラッシュライトを装着させているだけである。銃声を鳴らすのは最後の手段にしたい。
そして路地の影から食屍鬼の姿が現れた。その瞬間にアリシアが右手で食屍鬼の左腕を掴み、此方側へと引き込む。そしてそのまま足払いを行い地面へと組み伏せた。多少の音がなってしまうが、幸い近くに他の個体はいないようである。そして掴んだ腕を上方へと捻り上げ、そのまま圧し折った。鈍い音が聞こえ、食屍鬼が悲鳴を上げようとする。彼女はそれを首裏に脚で圧迫をかけることによって防いだ。その拘束を解かぬまま彼女は身をかがめ、食屍鬼の頭部に顔を近づけると聞き慣れない言語を発した。耳障りにも思えるような喉から鳴らす声。その声に対応するように食屍鬼が同じ様な言語を発する。とはいっても声質は異なり、更に不快なノイズの様な音ではあるが。彼女はその言葉の様な音を聞いた後に不敵に口元に笑みを浮かべ、食屍鬼の右肩部分を踏み砕く。そのままステップを行うようにして脚を首裏に戻し再び悲鳴を上げるのを防いだ。食屍鬼はたまらぬといった様子で連続で言葉を発する。それにアリシアが何言か返し、食屍鬼は地面に組み伏せられたまま何度か頷いた。彼女は満足そうな笑みを浮かべ、そのまま食屍鬼の首を踏み砕いた。嫌悪感を湧き上がらせる不快な音が聞こえた後に、食屍鬼の身体が完全に動かなくなる。
「右の通路の先に橋頭堡部隊は籠城しているらしいわ。数匹の食屍鬼が扉を破壊しようと試みているみたい」
「了解。今のは食屍鬼の言葉か?」
「そうよ。猿真似の様に覚えたものだけど、存外通じるみたいね」
そして俺たちは再び歩みを再開した。獲得した情報通りに通路を進めば、ドアを叩くような音をヘッドセットが拾う。警戒しながら進めば、一つの扉の前に陣取っている3匹の食屍鬼の姿が確認できた。だがここは廊下のど真ん中。遮蔽など無く、身を隠すすべは存在しない。今は気が付かれていないが、何か行動を起こした瞬間に察知されるだろうことは明白であった。アリシアが『どうする?』といった表情で顔を向けてくる。ここまで隠密で進んでこれたが、ここらが潮時だろうか。この先はスピード勝負といこう。
「食屍鬼3体を同時に相手することに問題は?」
「何も。音を出さないっていうのは流石に無理だけど」
「それでいい。俺は時間稼ぎするためにトラップを設置しとく。こちらの道にはこないようにしてくれ」
そう言えばアリシアは何処か楽しそうに口元に笑みを浮かべ大剣を引き抜いた。この通路で振り回すには些か無理があるように感じるのだが、大丈夫なのだろうか。まあここまでで彼女の強さは充分に理解している。きっと問題は無いだろう。彼女の心配よりも俺は俺の仕事をこなすべきだ。その場にしゃがみ込みワイヤーを廊下の端に設置する。そしてそのワイヤーにグレネードのピンを通し固定すれば、即席の爆破トラップの完成である。先の戦闘でオーガとトロールを殺す為に設置したものと同じものだ。殺せなくとも充分な時間稼ぎにはなるだろう。
彼女の方へと目を向ければ既に2匹の食屍鬼を片付けていた。大剣では無理があるのではと思ったのだが、彼女は手甲で刀身を直に掴み槍のようにして立ち回っている。そして最後の1体が突進してくる。彼女はそれを回避するでもなく、わずかに跳躍して膝蹴りを放った。カウンターで顔面に膝蹴りを食らった食屍鬼は大きく体勢を崩し後方へと転がる。彼女はそれを即座に追撃し首元に大剣の切っ先を差し込んだ。だが流石に音に気がついたのか、下の階が若干騒がしくなっている。確認しに来るのも時間の問題であろう。
「グッドキル。罠の設置も終わっている。さっさと中の連中に作戦を伝えてとんずらしよう。連中が本隊と合流できる様に、俺たちで陽動するぞ」
「了解」
アリシアはそういうと扉を叩き声を発する。
「ミスティア王国傭兵部隊、レイレナードの第2中隊指揮官、アリシア・レイレナードよ。救援に来た。扉を空けて」
すれば中から物音がし、直ぐに女の声が聞こえてきた。
「レイレナード部隊か!助かった!少し待ってくれ」
扉の内側から物音が響き、しばらくすればドアが開く。内部を見てみれば万全とは言い難い女達が10数名ほどいるのを確認できた。自力での移動が不可能そうな重傷者の姿も確認できる。
そして年若く凛とした面持ちの少女が前にでて声をかけてきた。
「私が指揮官のアリスティドだ。救援感謝する。…そちらの殿方は?」
「ベネディクテから派遣された傭兵のアサカ」
「第一王女殿下が…?本当に感謝する」
「生還したのちに改めて聞かせてもらうわ。ここより南側でレイレナード第2中隊の主力が待機している。貴方達は森を抜けてそちらと合流して頂戴」
アリシアがそういえば、アリスティドと名乗った少女の顔が歪んだ。理由は直ぐにわかる。重傷者達の処遇についてだろう。残念だが現状、彼女たちを連れて脱出することが難しいことは誰の目にも明らかだ。
「負傷者は…」
「残念だが置いていけ。俺たちは2人、あんたらも動けるのは6人だけだろう?重傷者を抱えての離脱など無理だ」
「しかしだな…」
「辛い選択だろうが、あんたらまで死んでしまえば俺たちがここまで来た意味も、これまでに死んでいった者達の犠牲も無駄になる」
そういう俺に対してアリスティドは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。気持ちは痛いほど理解できるが我々には力が足りないのだ。流石のアリシアだって重傷者を4人担いでの戦闘なぞできるわけもないし、そこまでする義理も彼女にはないだろう。人でなしの選択かもしれないが、ここで全員で心中する気は毛頭ない。
「…了解した。すまない…」
「はは、相変わらずアリスティド様はお優しい。我らを気にせずどうか無事の生還を」
重傷者達が痛々しく微笑みながら簡易敬礼を行う。アリスティドは涙を溢しながら部屋を出ていった。彼女は部下からの信頼が厚いのだということがそれだけで伝わってくる。人でなしの選択を何の苦も無く取れる自分自身に対する自己嫌悪が込み上げてくるが、感傷に浸っているだけの時間は無い。俺たちは俺達の仕事をこなすとしよう。
「どうかアリスティド様を頼む、レイレナード、アサカ」
残された重傷者の言葉を背中で聞きながら、レミントンACRを構えた。あんな年若い少女に、最適解だとはいえ辛い決断をさせてしまったのだ。言われずともここに来た意味は果たすさ。
「…ではよろしく頼む」
アリスティドに作戦の概要を伝え、別れる。彼女達は救出対象であるが別に軟弱では無い。特にあの生き残り行動可能な6名はアリスティドの軍の中では精鋭中の精鋭なのだろう。魔力石も幾つか分け与えたことだし、エスコートは不要だと判断できる。一方のアサカは各種装備の最終点検を行っていた。この男の身体能力は通常の人間のレベルであるようだが、その格闘術や判断は信頼できる。銃とやらも食屍鬼への効果は微妙のようだが、強力な武器であるには違いないだろう。他の生物や人間相手であれば無類の性能を発揮するだろうことは容易に理解できる。連続して鉛玉が発射できる飛び道具なぞ聞いたことも無かった。それに先程の判断。負傷者を見捨てる選択なぞ生半可な経験では行えない。最終的に行える者は多いだろうが、あの一瞬でそれを決断出来るものは少ないだろう。一体どれほどの戦場を渡り歩いてきたのだろうか。或いは既に壊れているのか。もしかすればそのどちらもかもしれない。
「アサカのプランは?」
「設置した罠の前面で一度派手に銃声を鳴らす。その後バリケードへ一気に後退し、相手を罠に嵌める。一応ワイヤーを引っ掛けない様に注意してくれよ?罠の手前にサイリウムを投げとくから、そこには近づかない様にしてくれ」
そう言いながらアサカは部屋から運び出してきた机やら何やらを廊下へと積み上げていた手を止めた。そして一本の棒のような物を取り出しそれを折り曲げる。すればその棒は淡くピンク色に発光した。見たこともない物に興味を抱くが、あれこれを聞くのは仕事が済んでからにしよう。
「私の配置は?」
「罠とバリケードの間に頼みたい。俺が後退してきたら前衛を頼む。俺はバリケードから援護射撃を行うから、キツくなってきたらバリケードまで引いてくれ。10分も時間を稼げれば彼女たちは主力と合流できるはずだ。その後俺たちも離脱するぞ」
現状で取れる最適解だと思えるアサカのプランに感心する。別に他部隊所属なのだから私の指示をアサカが聞く必要もないし、私がアサカの指示を聞く必要もないのだが、現状を楽に立ち回るのであれば彼の指揮能力の元で動くのが最適解であった。これがどちらかが貴族軍の所属であれば小規模であろうとも指揮権の統制なぞできなかった訳だが、幸いにも私達はベネディクテ配下の傭兵同士。何も問題はない。
「了解した。上手く退いて来なさいよね」
「何かあればフォロー期待しとくよ」
そう言ってアサカは罠の先へ配置につく。そしてけたたましい破裂音とオレンジ色の光が連続した。あれが銃の本来の音なのだろうか。先程までは気の抜けた音だった言うのに、随分の変わり様である。そして窓の外からは月光とは違う別の光が差し込んできた。銃声を聞いたアリスティドが信号魔術を打ち上げてくれたのだろう。これを見た本隊も行動に入るはずである。さて、10分間耐えるとしようか。
階段部に陣取ったアサカはその階下へ向かって連続して銃を放っている。暗闇の中にオレンジ色の光が音の数だけフラッシュし、アサカのシルエットを映し出した。だがそれも長くは続かない。
「めっちゃ来るぞ!」
アサカが少し上ずった声でそう叫びながら一気に後退してくる。その背後には階段から数体の食屍鬼が溢れ出し、走る姿が確認できた。サイリウムの置かれた床面を蹴り、アサカが私の手前へと転がり込み、そのまま後方6m程に設置されたバリケードへと身体を滑り込ませる。その後遅れてサイリウムを超えた食屍鬼の身体が消し飛んだ。凄まじい爆音と爆風が私の居る位置まで伝わる。アサカの指示した距離で待機しておいて正解であった。これ以上近ければ爆風で飛ばされた破片などを被弾していただろう。煙が通路を覆う。ゴブリンなどであればあの爆発を見れば恐れ退いていく所だが、食屍鬼は…
「グァァオ!」
退くはずも無かった。連中は異形の化け物の中でも仲間意識の強い種族である。仲間が目の前で殺されて逃げ出す訳もない。煙の中から2体の食屍鬼が飛び出してくる。私は腰に帯びていた予備の武器、ショートソードを抜剣しそれを待ち構えた。クレイモアと比べ馴染みの浅い武器ではあるが、あまり問題は無い。馴染み浅いとはいっても、それはクレイモアと比べてである。戦場では幾度も握った得物の一つだ。
食屍鬼の一体が跳躍し、鉤爪を振り降ろしてくる。それをバックステップで躱し、二体目の追撃を捌こうと視線を向ければ、その食屍鬼は大きく体勢を崩していた。後方からの炸裂音、アサカの支援である。心の中で彼に称賛を送りつつ、その姿勢の崩れた食屍鬼へと刃を一閃した。だがしかし相手は食屍鬼、この様な刀剣の効果は薄い。事実その外皮の浅い部分を切り裂くだけに留まり、肉を切る事は叶わなかった。だがそれでいい。私は前へステップし食屍鬼の顎の下を掴む。そのタイミングで一体目の食屍鬼が再び飛びかかろうとしてくるが、またもやアサカの援護で体勢を崩した。その隙を見逃さず掴んだ顎を右に捻り首の骨をへし折る。まずは一体。更に煙を超え2体の食屍鬼が視界に入る。1体はアサカの援護射撃により体勢を崩し減速するが、もう1体がその鉤爪を私に振りかぶった。回避してはジリ貧に陥る。そう判断し即座に
「殺してみなさい、化け物共」
次が来る。右から2、左から1。左下段から繰り出される鉤爪をショートソードで防ぎつつ、右の2体の攻撃を身を反らして回避する。そのまま追撃に移ろうとするがそれよりも相手の対応が早い。こちらの行動を先読みしてステップの方向に攻撃を置いてきた。こいつら戦い慣れている。避けきれない攻撃が顔面左へと命中した。
「リロード!」
アサカが後方で叫ぶ。再装填の合図だ。つまりは数秒の間援護射撃は期待できない。だが先程から何度も手助けしてもらっているのだ、この程度踏ん張れなくてどうする。肩を折った食屍鬼の身体を投げ飛ばし、正眼から追撃してくる食屍鬼へと叩きつけた。そして即座にショートソードを中段で構え全体重を乗せた刺突を行う。その攻撃は命中したが、食屍鬼の外皮の耐性により貫通はできなかった。咄嗟に手を放し、中途半端に刺さったショートソードの柄部分に前蹴りを行う。生半可な刃は通さぬ食屍鬼の外皮も、流石に
「装填完了!だけどこれが最後のマガジンだ!」
再びアサカの声が聞こえる。ちらりと聞いた話ではアサカの銃の装弾数は30発だと言っていた。残弾30発、向こうもリソースの限界が近いらしい。とりあえず残る残敵は1。さっさとこれを片付けないといよいよ不味い。ショートソードは先程の食屍鬼に刺さりっぱなしであるのでまともな得物はクレイモアだけだが、この状況で構えている余裕は無いだろう。最後の食屍鬼はこちらを伺うように低い唸り声を上げている。このまま時間を取られるのはよろしくない。意を決して前面へと踏み出した。
だが食屍鬼は時間を稼ぐようにバックステップを行い距離を取ろうとする。さっき抱いた感想の通り、やはりこの個体は戦闘に手慣れている。だが生憎こちらにいるのは私だけではないのだ。
「しゃがめ!」
脚を前へ突き出しスライディングを行う。金属甲冑と石床が擦れ火花が散るがこの際どうでもいい。直後視界を遮るようにして舞った私の髪を切り裂く様にして弾丸が飛来した。その弾は凶悪な初速をもって食屍鬼の膝へと命中する。奴が体勢を崩した、一気呵成に仕留める!
「フッ!」
スライディングの勢いのまま食屍鬼の脚を払いのける。顔面から転がる様にしてこちらに転倒してくる食屍鬼の首元に右肘を絡め首をロックした。後はこのまま圧し折るだけ、そう思ったが急速に身体から力が抜ける感覚がした。
「この野郎テメェ!」
アサカがバリケードから飛び出し食屍鬼の顔面に膝蹴りをかましたのだ。そのまま仰向けで吹き飛んだ食屍鬼の首を即座にロックし、彼はそのままそれを圧し折った。
「はぁ…ハァ、大丈夫かアリシア?」
「オーライ。だいぶ顔は痛むけど行動に支障はないわ。そっちは?」
「最初にもらった裂傷以外は問題ない。だが弾は殆どないぞ。ここらが潮時だ」
それには多大に同意する。外での戦闘音も響き出した。陽動としては十分な成果であっただろう。さっさとこんな場所を離れようと立ち上がるが、アサカの視線は橋頭堡部隊が籠城した部屋へと向いていた。
「何をする気…?」
「最後の仕事が残ってる」
彼のその一言に、理解が及ばなかった。
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Act10-5_畢生のフロントラインⅤ
ソードワールドやCoCのシナリオ作ったり、Valorantの大会見てたらこんな時期に……。来年のZETAが楽しみです。
頭の中に無数の疑問符が浮かび上がる。アサカがやろうとしていることを理解してしまったが故に困惑が伝播していく。彼は腰に刺していたハンドガンを引き抜き右手に構えた。そして負傷者たちが残された部屋の扉を開こうとする。
彼は負傷者達を殺す気なのだ。やめろ。やめてくれ。味方殺しなど、そんなこと私達傭兵が負うべき責務ではない。別にいいではないか。友軍とはいえ所詮はベネディクテの配下ですらない正規軍なのだ。ましてや友人というわけでもあるまい。何故そんな地獄の道を自ら進もうとする。
「何をする気…?」
彼の目的を理解はしているが、言葉を発することを止める事は出来なかった。だってそうだろう。ほんの少しの共闘とはいえ、彼には窮地を救われた。何故そんな恩人が手を汚そうとしているのを黙ってみていなければいけない。
「負傷者を楽にする」
どこまでも平坦な声でアサカはそう答えた。やはりだ。私の予想通りだ。いまこの状況に限っては当たってほしくなかった。間違っていて欲しかった。
「そんな…そんな"呪い"をあんたが負う謂れは無いでしょう!?私達は所詮傭兵!彼らは友人でもなんでもない!そんな義務も責任も無いはずだ」
アサカは表情の抜け落ちた顔を私に向ける。だけどそれはどこまでも悲しそうで、辛いのだと理解できた。言葉がつまる。声が殺される。長年に渡る戦場経験が飽和していく。
「アリシア、君は戦地に残された兵士がどうなるか、知っているか」
抑揚のない声で彼はそう問いかけてきた。
人族同士の争いであれば、士官や貴族等の上級将校は殺されず、身代金目的の人質として生かされることは多い。事実、私達が人族相手の戦争を行うときも貴族を殺すことは滅多に無い。それはこの世界の暗黙のルールでもあるし、そうした方が金銭的、社会的なメリットも大きいからだ。身代金による懐の潤いは言うまでもなく、その後の戦闘でも捕虜として生き残れる可能性が高くなる。まあ私達傭兵にとっては後者はあまり縁のない話しではあるが。それ以前に貴族階級の将兵を殺しては敵味方問わずに要らぬヘイトを買うことになりかねない。くだらないとは思うが、そうして世界は廻っているのだ。
だがしかし、それが人族では無く、魔物や魔族相手の戦争であればどうだろうか?そんなこと、考えなくても想像できる。連中にとっても、私達にとっても捕虜を取るメリットなぞ一切ないのだ。良くて慰み者、普通は惨たらしく殺されるのがオチであろう。
そんな事は理解している。承知の上だ。だがそれを踏まえても、アサカが心を殺しながら味方を殺す必要など無いはずだ。何度も言うが友軍であろうが所詮は別組織の兵士。何故、何故そんなにも辛い事をしなければならないのだ。
「俺はその光景を見せつけられた事がある。アフガンでの活動中の時だ。CIAのパラミリチームと共同して作戦に従事していたが、HQのミスで俺たちは包囲された。だがC.C.Cのヘリが対空砲火飛び交う戦場のど真ん中に無理矢理駆けつけて、俺と、C.C.Cチームは脱出することができた。だけどさ、うちも企業だから、自社社員優先だった訳よ。収容人数にあぶれた数名のパラミリチームは現地に取り残された。テロリストとゲリラが全周包囲している街のど真ん中に。その後パラミリチームの処刑映像がネットワークを通じて全世界に放送されたさ。数刻だとはいえ、顔を知っている連中が惨たらしく火炙りにされる映像が。俺はあんな気持ちを味わうのはもうごめんだ。彼らを残していったとして、その後どうなったかを考えるだけで気が狂いそうになる。だからやる。義務も責務も無い。これはエゴなんだろう。だがやらなきゃ絶対に後悔する。するんだよ」
光の消えた瞳で彼は言葉を連ねる。話の中に出てくる固有名詞がなんだかは知らないが、大凡の内容は理解できた。理解したが故に息が詰まる。私が今までの戦場で置いてきた彼女らも、その様な目に合っていたのだろうか?なんとなくは理解できていたが、彼の実体験を持って話される内容は、私の想像力を多大に刺激した。身体が止まる。なんと声を返せばいいか、適切な解が思い浮かばない。
その間に彼は扉を開き、中へと入っていった。背筋に槍が差し込まれた様な衝撃を覚え、不可視の拘束がとける。思考の纏まらないまま、私はただその後を追った。
「…!」
息が詰まった。内部は先程よりも一層の死臭を増していた。まだ誰も死んでいない。だがその出血量などを見るに長くはない事は理解できる。苦悶の声と啜り泣く嗚咽だけが部屋に響き渡っていた。
アサカの姿を確認したのか、負傷兵の女の1人が安堵したような表情を向けてくる。疲れ切って、苦痛に満ちた顔。だが何処か救いを見つけた様な顔をしていた。
「ああ…よか…った。このまま食屍鬼に生きたまま…喰われるのかと…思いましたよ」
途切れ途切れに紡がれる言葉は、何処までも安堵に満ちており、それこそが彼女の本心なのだという説得力を伴っていた。他の負傷兵達も同じである。
アサカは靴音を響かせながら彼女たちに近づいていく。そしてその右手に握っている拳銃を負傷兵へと向けた。
「伝言があれば聞く。また強制はしない。拒否するならそれを聞き入れる」
銃を向けられた負傷兵は力なく微笑みを浮かべた。その顔は苦痛に満ちておりながら、何処までも優しさを伴っている様に私には感じられる。
「ハハハ…じゃあ…アリスティド様に…『貴方はお優しすぎる。全て自分で抱え込まない様に』と。それじゃ、お願いします」
彼女はそう言って目を閉じた。アサカが彼女の頭に拳銃を構える。そして背中越しに私に声に声をかけてきた。
「アリシア。部屋を出ていろ」
それが彼なりの優しさなのだということは考えずとも理解できる。だがその言葉に甘える訳には行かなかった。こんな、こんなことを、彼1人に負わせてなるものか。彼が地獄を作るというのならば、私もその呪いを共に受けよう。
「…ふざけないで」
「…そうか」
彼がそういった瞬間に耳を劈く破裂音と閃光が部屋に満ちた。赤い花を咲かせた負傷兵の身体が地面へと倒れ伏せる。息が詰まるが、無理矢理にでも頭をクールダウンさせていく。散々人は殺してきたじゃないか。何故今更動悸を跳ね上げねばならないのだ。そう理解はするものの、心臓の高鳴りが収まることはない。この何処までも酷く嫌な感情は何なのだ。
「ああ…母さん、会いたい…会いたいよ…私、死にたく…」
続けて破裂音が鳴り響く。再び頭に赤い花を咲かせた負傷兵の身体が地面へと倒れた。表情の抜け落ちた顔で引き金を引いていくアサカの内心は、はてどう渦巻いているのだろうか。ただ胸中に芽生えたこの男への印象は『人間性の怪物』というものである。でなければこんな事は出来ない。少なくとも、私にはそんな事をする気概も度胸も無かった。
自分でも矛盾した感情を抱いていることは理解している。しているのだ。
散々人の死に目は見てきた。だがこんなにも引きずられた様に感情がぐちゃぐちゃになったのは初めてであった。
理由はわかっている。これは、この地獄は、今まで無意識に見ようとしなかっただけだ。友軍殺しになりたくなくて、放置してきただけなのだ。今まで、あたしは、これ以上に残酷な事をしてきたのだ。
バァン!
再びの銃声で一気に思考が現実へと引き戻される。
部屋の中で、動くものは最早アサカだけであった。
「撤収する。行こう」
彼の手には無数の認識表が握られている。それは、ここにいた彼女達の唯一の形見であった。
私は無言で部屋を出る。吐き気がする。嗚咽が込み上げる。
なにもできなかった、全てをアサカにやらせてしまった自分に嫌悪する。彼女達の地獄を軽んじた自分に殺意がわく。
だがここであたしまでもが死のうものなら、それこそ笑い話にすらならない。
「正門側へ回ろう。裏から降りては本隊の援護が得られない」
「…了解」
指を思い切り嚙み、その痛みで思考を強制的に切り替える。
ああ、ともかく脱出しよう。これ以上地獄を広める気は毛頭ないのだから。
顔を見合せ、駆け出す。途中発砲音を聞き付けた食屍鬼が階段から上がってきたが、マッスルベアーで瞬時に膂力を強化し蹴り飛ばした。疲労、魔力消耗は確実にあるのだが、むしろ思考はクリアになっていた。どうやらあたしのスイッチもどこか壊れたらしい。
正面側の窓へとたどり着く。アサカは侵入時と同じようにワイヤーを設置しようとするが、それを手で制した。
「どうしたんだ?」
「時間が惜しい。ちょっと、失礼するわ」
アサカの返答も聞かぬまま、あたしは彼を担ぎ上げた。
彼の困惑する声が聞こえるが、無視してエンハンサーの術を発動させる。
ガゼルフット、ビートルスキン。
軽くその場で跳ねる。問題なし。
そしてそのまま助走をつけ窓から飛び降りた。
「ちょぉぉぉおおおお!?」
腕の中でアサカが絶叫している。砦の4階、地上25mほどの高さからなんの説明も無しに飛び降りたのだ。無理もない。
普通の人間であれば即死は免れない速度で地面が迫る。
だが、あいにくとあたしは普通の人間ではなかった。
着地時に成人二人分+各種装備+自由落下速度に耐えきれなかった地面が割れる。衝撃を逃がすため即座にアサカを抱えたまま前宙を行い、そのままの勢いで駆け出した。
流石の食屍鬼共も面食らったのか、行動に遅れが生じる。
その隙を逃さず、ガゼルフットで強化された脚力を持って一気に森へと突入した。
木の幹を蹴り、枝へと飛び乗り、舞うように駆け抜けていく。
その間もアサカの絶叫が轟いているが、身体能力差的にこうすることが最適解であるためしばし我慢してもらうほか無かった。
森の切れ間、本隊の姿が見える。向こうもこちらを視認したのか至近を攻撃魔術がすれ違って飛来した。
勢いそのままに本隊へと飛び込む。
「アリシアが合流した!総員撤退!」
現場指揮を行っていたシキが叫ぶ。それを聞いた面々が遅滞攻撃を行った後に一斉に踵を返して離脱していった。
しばらくすれば背後に追手は存在しなかった。
ひとまず安堵し、大きく息をつく。流石に呼吸が上がっていた。
「一先ずはご苦労様。そんでそれは拾った王子様かなにか?」
シキが一息ついた後に声をかけてくる。撤退中は余裕がなかったが、アサカに怪我などは無いだろうか。そう思い腕の中に顔を向ければ白い顔をしているアサカがいた。
「アサカ、大丈夫?」
「もうまじ無理酔った吐きそう……」
彼はそれだけ言うと、あたしの腕から転がり落ちていく。
命に別状は無さそうだ。色々あったが、今だけは二人揃って生還出来たことを喜んでも、良いだろうか。
あの地獄で死んだ彼女達の命の分、その呪いを背負ってあたし達は生きねばならないのだから。
ともかく、小休止の後にアルムクヴィスト軍の陣地へ向かうことにしよう。
「アサカ」
「ん?」
「ありがとう」
めっちゃ遅くなりました。なんでこんなに時間がたってるんだ(驚愕)
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Act11_紲星のカタルシス
来年はエルデンリングも発売しますし、Valorant、VCTも各チーム再編成が始まっていて楽しみです。
ところでアーマード・コアの新作はまだですか?
「長槍兵!騎兵突撃が来るぞ!スパイクを前進させ鼻っ面を折ってやれ!」
「第4魔術中隊は勢いの削がれた騎兵共にカウンターを浴びせろ!総員詠唱開始!」
前線には怒号が飛び交っていた。戦端が開かれたのは1時間ほど前。モンストラ戦線に大集結した魔物共が一斉攻勢を仕掛けてきた。
数は凡そ2000。大軍には間違いないが、ここはモンストラ戦線の主力たるアルムクヴィスト軍の前線基地である。更には近々予定されていた大攻勢に備え主力部隊が集結しつつあったのだ。こちらの戦力は2万を有に超える。この程度の攻勢で落ちるはずもない。
魔獣に騎乗したゴブリンライダーや通常のトロール、ボルグなどの突撃が開始されたが、こちらの損耗はほぼ無し。白兵戦前に展開された弓兵部隊による長弓射と魔術砲撃で魔物の突撃部隊の6割を削いだ。最早勝利はどうやっても揺るがないだろう。
だが敵の主力たる上位の魔物と魔族共は前線の奥に存在する岳陵で傍観を決め込んでいる。それがどうにも不気味である。むしろこの破れかぶれとも思える敵の突撃は何なのだろうか。まるで戦術的な意味を見いだせない。となれば戦略的な目的があるのだろうか。
相手にも魔物の将たる魔族ドレイクが参戦していることは確認済みである。奴らは人と同等かそれ以上の知力を持っている高位の魔族だ。こんな意味のない作戦を立案するとは思えない。
考えられる線としては何らかの目的の為の数減らしだろうか。低位かつ知能の低い魔物だけで突撃部隊が編成されていることを鑑みるにその説は濃厚に思える。最早民は皆避難を完了した土地だ。食料にできる人族は残っていない。それに当たり前だが動物だって無限湧きするわけでもない。使えない低位の魔物の処理を行っているのだろうか。味方を手に掛けたとあらば軍全体の指揮に関わる。その点知能の低い魔物には気取られず、高位の魔物共にとっては良い口減らしになるというわけだ。要するに面倒な雑魚の処理を押し付けられているということでもある。至極迷惑な。
騎兵共が魔術部隊の一斉射を受け戦列が崩壊する。そして混乱した敵の中へ数名の騎士が突撃し敵の前衛は崩壊した。完全に崩れた陣形を修復させる間も与えず追撃部隊が攻撃を開始する。これにて完全に趨勢は決した。
それを見た岳陵の敵主力は後退を開始する。やはり口減らしが目的であったようだ。それに加えて橋頭堡で孤立した別貴族軍の救出を妨害する事も目的であったのだろう。理解をしていても相手の術中に嵌るしかないというのはなんとももどかしい。
だが件の貴族軍の救出にはミスティア最強の傭兵部隊、レイレナードがむかったそうだ。その上オイフェミア様が最近気にかけている噂の男傭兵もその作戦に協力しているという。国内外最強の傭兵部隊と、逸脱者ノルデリアを退けた男が共同しているのであればそちらも心配する必要は無いだろうか。
念の為斥候を周辺の索敵のため走らせ、前衛部隊に死体の処理を命じる。死傷者4名、重症、軽症者複数。まあ1200近い魔物の突撃を捌いたにしては上々すぎる結果だろうか。
「斥候よりの報告です。北東より60名弱の集団が接近中。恐らくはレイレナード部隊でしょう」
部下の1人が手元のメモに目を落としながらそう報告してくる。もう救出を終えてこちらに戻ってきたのか。早いものだ。
「丁重に迎え入れろ。ベネディクテ殿下のご親友と、オイフェミア様のお気に入り達だ。無礼は働くなよ」
「了解」
命令を受けた部下が持ち場へと戻っていく。しばらくすれば基地より100m程の場所にレイレナード部隊の姿が見えてきた。その中には青いサーコートの鎧、要救助者であった貴族軍の指揮官の姿も見受けられる。確か地方貴族の次女、アリスティドだったか。次女という出生のため、無能な姉の補佐をさせられている可愛そうな娘だ。その従者と思わしき連中も傭兵に囲まれるようにして姿を確認できる。だが明らかに数が少なかった。総勢50名以上が橋頭堡の維持に参陣していたはずであったが、生存は8名ほどだろうか。悲惨なことだ。多少は陛下から軍役の免除などもあるだろうが、今後の活動に多大な支障が出ることは明白だ。また一から人材を育成せねばならない。ましてや弱小な地方貴族。戦士に適した人材を見つけること事態苦労しそうだ。
「レイレナード第2中隊だ。指揮官はいるかしら」
藍色の長い髪にマゼンタのメッシュ、耳には無数のピアス。金属甲冑身につけ背中に大剣を背負ったその女には見覚えがあった。ベネディクテ殿下の親友にして、逸脱者アリーヤの妹。上位者、"首刈りアリシア"だ。常人とは一線を画す身体能力と、天性の戦闘センスで相手を蹂躙する
「私だ。アリシア・レイレナードとお見受けする。任務ご苦労であった」
一歩前に出てそう声を上げた。すればレイレナード部隊の面々が一斉に顔を向けてくる。その中には珍妙な装備を身にまとった男の姿があった。あれが噂の男傭兵だろうか。出自、能力などについては箝口令が敷かれているのかその全てが不明。現状ではオイフェミア様とベネディクテ殿下を窮地から救い、逸脱者ノルデリアを退けたとい話だけが1人歩きしている存在。見たところ魔力も対して感じないところを見るに魔術系では無いのだろう。
「要救助者は確保したわ。全部で8名。そちらで保護してほしいのだけど」
「勿論だ。そちらの被害は?」
「私とアサカが怪我を負ったけど、神聖魔術によって治療済み。ほかは被害なしよ」
「敵の戦力は如何ほどであった?」
「救出妨害を目的としたと思われるミノタウロスとオーガの集団が凡そ60匹。橋頭堡部隊を襲撃していたのは100以上の食屍鬼だったわ。ミノタウロスとオーガ共は殲滅したけど、食屍鬼はまだそれなりに残っていると思う」
彼女の報告に若干引く。ミノタウロスとオーガは魔物の中でも上位に分類される存在だ。両者ともに屈強な肉体を有し、オーガに至っては魔術すらも行使する。通常の人間であれば勝つことはまずもって不可能な存在だ。訓練された者であっても1匹を処理するのに最低でも4人はほしいところである。そんな魔物の集団を人数不利で殲滅?加えて食屍鬼である。奴らは"戦士殺し"の異名でも知られる最近存在が確認された上位に分類される魔物だ。ゴム質の皮膚を有し、生半可な刃武器で肉を斬る事は不可能である。メイスなどの打撃武器や魔術でなければ対処は難しい存在であるはずだが、彼女達にすればあまり関係の無いことなのだろうか。
「了解した。疲れただろう、寝床と食事を用意する。出立はいつに?」
「ありがとう。明日の朝には王都へと向けここを離れるわ。私達の代わりに第4中隊がこっちに来るはず。アサカはどうするの?」
アリシアが背後に立っていた件の男傭兵に声をかける。すれば珍妙な装備を身に着けた男が声を発した。
「アリシア達が王都に戻るっていうなら、それに便乗して帰ろうかな。正直弾薬の損耗が激しくって1人じゃ不安だったんだよね」
弾薬?何のことだろうか。彼の持っている武器に使用する矢のようなものか?弦の無いクロスボウの様な見た目であるしその説は大いにあるか。
「何言ってるの。あんたならモンストラ戦線以外の魔物なんぞ楽勝でしょうに」
「アリシア、お前は俺のことを過大評価しすぎだ…」
「そんなことないわ。食屍鬼に生身だけで勝てる奴なんて人族にそうそう居ないもの」
食屍鬼に生身だけで勝つ?なんだそれは。私の価値観から言えば十分に化け物の類である。膂力でも、敏捷性でも通常の人族よりもよほど格上の相手だ。熟練の
「兎に角部下に案内させよう。お前、客人をお連れしろ」
部下が彼女たちの前で一礼し、歩き始める。傭兵たちもそれに続いていった。
「どうみますあの男傭兵?」
側近の1人がそう声をかけてくる。やはり誰もが噂の男傭兵について興味津々のようだ。まあそれは私も同じである。
「あの首刈りアリシアがつまらん嘘をつくとも思えん。それに北西の森に偵察に出向いた斥候の情報では、その森内の魔物が殺し尽くされていたのだろう?」
「ええそうです。ゴブリンやオーク、トロールなどの死体を確認したとか」
「恐らくはそれを成したのもあのアサカという男だろう。オイフェミア様の話を聞くに、あのタイミングで北西の森に展開していたのはアサカしかいないからな」
「上位の魔物すら殺す力を持っていると?」
側近は訝しげな表情を浮かべる。こいつに限らず、アサカという新参の男傭兵の実力を疑っている者は多い。まあそれは理解できる。情報が殆ど出回っていない現状なら尚更だ。
「ああ。どんな能力を持っているのかは不明だが、装備を見るに弓兵や弩弓兵の様な後衛職だろう。あの魔力量で魔術師という事も無いだろうしな」
「やはりそうですよね。ですがオイフェミア様が気に入っているというのも納得できましたよ」
何を言っているんだお前、といった表情を浮かべ側近の方へ顔を向ける。すれば若干ニヤついた側近と目があった。何言ってんだお前。
「顔も悪くないし、その上実力者。おまけに傭兵にしては礼儀も悪くない。髭を生やしているのはどうかと思いますが、ありゃ嫌いな兵士はおらんでしょう」
やっぱり何言ってるんだこいつ。男日照りが続いて頭の中が花畑になっているのだろうか。かわいそうに。
「…なんでもいいが変な気は起こすなよ」
「勿論当たり前じゃないですか。私だってまだ死にたくないですよ」
どうだか、という言葉は出さず代わりにため息を付く。たまには近隣の街に行くのを許可して、男娼でも抱かしたほうが良いのかもしれない。
至極どうでも良い事で頭を悩ませつつ、今後の戦略を練ることとした。
とりあえずは任務を無事にこなせたことに安堵の息をつく。この世界二度目の依頼にしては中々にハードなものであった。やはり救出作戦というものはどこの世界でも変わらずキツイものがある。それは肉体的にも、そして精神的にも。
自衛隊時代、C.C.C時代にも何度か救出作戦に参加した事はある。だが一つとして良い記憶はない。そもそも戦争を行っていて良い記憶もクソも無いのだが。あるのは苦い記憶ばかりである。仲間の死、ナイフで殺した敵兵の表情、見殺しにしてしまった友軍部隊。思い返せばきりがない。今では無くなったが、それこそ当時は毎晩悪夢で魘されたものだ。いまではそういった事はなくなった。起こってしまった事象はどうあがいても、どれだけ悩んでも変わることはない。それを理解したからだ。
意味のない事を夢想し続けられるほど、優しい世界には居られなかったのだ。
だがそれはそれとしても、部下たちの死亡を伝えた時のアリスティドの顔は精神的に来るものがあった。だがそれ以上にアリスティド本人のほうがしんどい事は間違いない。あの部屋で行った事は全て話した。ドッグタグも全て渡した。そして、俺が彼女の部下を殺したことも勿論話した。だがそれに対してアリスティドはただ、
「ありがとうございました」
とだけ言葉を返した。泣きそうな表情で、下唇を強く噛んで。あの様な10代半ばの幼い少女が言える言葉ではない。いや、これは侮辱的な考えなのかもしれない。彼女はあの歳で、領主に代わり軍役を担っているのだといっていた。だとすれば今までも多くの、彼女だけの地獄を経験してきたはずだ。人はそれぞれ、地獄を抱えている。それを他者が憐れむのは、間違いなく侮辱だろう。
「アサカ、起きてるかしら?」
あてがわれたテントの外から低めの女の声が聞こえる。アリシアの声だ。まだ出会って数時間とは言え、共に戦った戦友である。間違えるはずもない。
「起きてるよ。どうぞ」
そう返せばアリシアがテントへと入ってくる。すでに鎧を脱ぎ、身体の線がはっきりと分かるインナー姿だ。戦っている時は思わなかったのだが、彼女も相当の美人である事に今更ながら気がつく。切れ長でツリメ気味の目、血色の良い肌、整えられた眉、スッキリとした鼻筋、ふっくらとした唇。凡そ美形の特徴を兼ね備えている。オイフェミアやベネディクテと比べればどうしても劣るのだろが、俺はアリシアの様な顔の方が好みだ。というかあの二人の顔が良すぎるだけの気もする。魔石灯の明かりに反射された藍色の髪がしっとりと輝いていた。シャワーでも浴びてきたのだろうか。
「アルムクヴィスト軍がシャワーを提供してくれたわ。うちの隊のメンツは終わったから、行ってきたら?」
こんな最前線でシャワーがあることに驚く。文明レベル的にもシャワーなんぞ無いように感じる世界だが、魔術というものは存外便利なものらしい。弾薬庫でもオイフェミアに魔術でシャワーを作ってもらった事もあったが、それと同じ様な感じだろうか。
「ありがとう。じゃあ軽く汗を流してこようかな」
そう言ってバックパックを漁って準備を始める。その間背中に視線を感じていた。
「どうしたん?」
振り向いてアリシアに声をかける。彼女は相変わらずの無表情のまま、言葉を発した。
「あなたはどれだけの地獄を、見てきたの」
無言のまま続きを促す。地獄、地獄か。
「私は10年以上戦場に身をおいてきた。人生の半分以上を、殺し合いに費やしてきた。人も、化け物も、敵対する存在は何でも殺した。でも味方を殺したことは一度たりともない」
堰を切ったように流れ出る言葉。遮らぬよう、聞き手に徹する。
「勘違いしないで。貴方の選択を批判している訳では無いの。あの場では、彼女たちを殺すことこそ最大の慈悲だった。私ではそれはできなかったという事のだけ」
どこまでも真剣な瞳が俺を射抜く。
「だけど貴方のおかげで気がつくことができたわ。私は、いままで色んな地獄を作り出していたんじゃないかって。無意識に、逃げていったんじゃないかって。だけど貴方は逃げなかった」
アリシアはそこで言葉を区切った。俺の返答を待っているのだろう。顎髭をいじりながら思考する。上手く言語が纏まらないが、口を開いた。
「逃げる、逃げないとか、そういう話では無いと思うんだ。俺はその先にある彼女達の地獄を見たことがあって、アリシアはそれがなかった。それだけだろう。それに俺は兵士としてアリシアよりも後輩だしね。俺が見たことの無い地獄を、きっと君は知っている」
そう返せば、ふっとアリシアは微笑んだ。優しい笑顔。初めて彼女の表情が変化するのを見た気がする。
「ふふ、優しいのね。ありがとう、そしてごめんなさい」
「気にすることはないさ。今更だしね。こっちこそありがとう。何度アリシアには救われたか。もう抱えられて走るのだけはごめんだけど」
重苦しい雰囲気が霧散したところで、茶化しをいれつつ俺も笑った。そう、今更なのだ。どうせ俺の手は真っ赤に汚れている。誰かの地獄を終わらせられるのなら、別に構わない。
これは別に誰かのためとか、自己犠牲的とか、そういうのでは無いのだ。むしろその逆。その後の展開を想像して、後悔するのがごめんなだけだ。つまりどこまで行っても自分のため。要するに自慰的な行動である。お礼を言われたり、謝罪をされる事では決して無い。
「あら、スリリングで良いでしょ?」
「スリリングな事は認める。だけど決して良くはないわ!マジで吐くかと思ったんだぞ…」
猫のようにアリシアは目を細めた。魔石灯の明かりに照らされた彼女は妙に妖艶に見える。戦闘後のドーパミンが引ききっていないためだろうか。端的に言えばエロく見える。邪念を振り払うため、無理やり視線を反らした。
「あら、なんで目をそらすの?顔を見せてよ」
わざとらしく彼女はそういう。わかっているくせに、意地悪な女だ。誘っているのか?貞操観念が逆転しているという事を加味すれば大いに有り得る。自意識過剰な位がこの世界では丁度いいのだ。
「ねえ、アサカ。私貴方に惚れたわ」
一瞬意識が真っ白になった。今なんと言った?惚れた?俺に?アリシアが?思わず彼女へと視線を向ける。僅かに紅潮したその頬を見て、腹をくくった。今までの女性経験と軍隊生活で鍛えられた観察眼が告げる。これは茶化しとか冗談とか、そういった物ではないと。
誤魔化す事は彼女に対する侮辱だ。大体地球ですら成人している歳であろう彼女に対して何を誤魔化す必要があるのか。
「本気か?」
「ええ。本気。だって、この国で貴方ほど戦える男は居ないもの。私と共闘できる男が目の前に現れるなんて、夢想の中だけだと思ってた。まさに青天の霹靂ってやつ。顔も、性格も、私にとって好ましいの」
アリシアが顔を近づけてくる。耳元に口を寄せ、囁くように彼女はそう言った。熱い吐息が耳に触れる。年甲斐もなく、心臓の鼓動が上がった。
「…嬉しいよ。想像もしてなかった。だけど…」
そこまで言ったところで、彼女に口を塞がれる。柔らかい感触。驚いて目を見開けば、彼女の顔が視界いっぱいに広がった。何をされているかは理解するまでもない。
「わかってるわ。今はそれでいいの。だけど、いずれ貴方を私に惚れさせるわ。覚悟しておいてね」
優しいキスを終え、彼女はくるりと出口へと向かった。
「髭って、チクチクするのね」
そう言い残し、アリシアはテントを出ていく。後ろ姿に見えた彼女の耳は、付けているマゼンタのピアスと同じくらい紅潮していた。
キスなんていつ以来だろうか。C.C.C時代同僚は休暇に良く女遊びをしていたが、俺はそれに付き合ったことはない。となれば最後に恋人が居た学生時代だろうか。凡そ5年ぶりに感じた女の唇は、記憶のそれよりも柔らかかった。
苦笑いをしながら椅子に座り、胸ポケットから煙草を取り出す。それを加え、ゆっくりと火を付けた。肺に入れた紫煙を、天を仰いで吐き出す。それから思考をゆっくりと回し始めた。
こんな事になるとは、さっきもいったが想像をしてなかった。ストックホルム症候群に似たようなものだろうか。命の危機に瀕した際に異性に恋愛感情を抱くのは良くあることである。だが戦いが終わってしばらくたったこのタイミングを考慮すれば、一過性のものではないだろう。
まあ嬉しいものだ。"こんな俺なんかよりも"といった自虐的な性格でもないため、素直に嬉しさの感情が勝る。この世界、というかミスティアという国の男性は王都に訪れていた時に何人か見たが、その殆どが線の細い優男であった。あれがこの国でモテる男なのだろう。その点俺は彼らの真反対に位置するような外見をしている。髭は生えているわ。筋肉は付いているわ、武を生業にしているわ。まあそういった普通の男性と違うという点、共闘したという事実を考えればこういう事もあるのかと納得する。彼女程の強者であれば尚更なのだろう。
だがどうしようか。アリシアはいい女であると思うが、現状恋愛的に好きかと言われれば首をかしげざるを得ない。付き合ってから恋愛感情が芽生える事もあるのは間違いないが、あの言いぐさを考えるに俺がアリシアに惚れてからの決断でなければ、彼女は納得しないのだろう。というのも振る理由もないという事もある。
オイフェミアやベネディクテからの支援に、利用価値以外の感情が混ざっている事には流石に気がついている。だがしかし、言い方は悪いが彼女たちはまだ幼い。今後なにかの弾みや切っ掛けで感情が変わる事もあるだろう。そういうのは妹の学生時代によく見てきた。大体女子高生と変わらない年齢の女の子に恋愛感情を抱く29歳の独身男性という字面がヤバすぎる。地球、というか日本なら余裕で犯罪者予備軍だ。そういった心のセーフティはあるにせよ、10代の少女の感情を利用して性的な喰い物にしようなどという鬼畜さは、俺は持ち合わせていない。
その点アリシアは地球でも成人しているであろう年齢。あまりこの言い方は好きではないが、十分大人であろう。オイフェミアとベネディクテが子供というわけでもないが、20を過ぎれば自分の感情を制御できる歳である。こっちとしても心のセーフティをかける必要は全く無い。
まあ何れにせよ、今後次第だろうか。俺が恋愛的にアリシアに惚れることができて、付き合えるというなら、まあそれはそれで幸せである。どうせ一般人にそういった感情を抱くのは今更無理なのであるから、続くにせよ、終わるにせよ、試してみるのは人生に彩りを加える事になるだろう。
陸自時代、先輩に合コンに参加させられた時に一般的な女性との隔たりを強く感じだ。故に、まあ、アリシアの様な戦士、傭兵なんかで馬も合う女性は好みではある。結婚も、恋愛も、人生にとっては趣味のようなものであるが、それが良き物であるならきっと楽しいことは間違いない。
自分でも結婚などの些か飛躍した思考になることにやや自嘲する。だが許してほしい、こちとら三十路目前のアラサーだ。仕方が無いのだ。そう、仕方がない。
兎も角、恋愛的にアリシアに感情を抱けるのならば、さっきの告白は受けることとしよう。どうなるかは時が来るまでわからないが、どうなってもきっと面白い。
煙草を一口吸い、紫煙と共に言葉を漏らす。
「女って、怖えわ」
恋愛ダービーにアリシア参戦。大人の女、アリシア相手にベネディクテとオイフェミアは遅れを取り戻せるのか。
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Act12_霹靂のエンザティ
エルデンリングトロコンしました。
何かを待つとき、身体を動かしていた方が気は紛れるものである。じっとしているだけでは余計な思考をしてしまう。それが心配をするようなものなら尚更だ。まあ身体を動かしていれば気持ちが落ち着くというわけでもないのであまり効果があるようには思えない。ともかく結果として腕組をしたまま自室内をひたすら左旋回するという奇行をしているのだが、現状他の人間の目はない為その行為が中断されることはない。ラグンヒルド辺りが見ればひきつった顔をされることは間違いなかった。
だがどうにも私は堪え性の無い人間らしい。政治等の場ではそんなことは無かったのだが、自分の新たな一面に自嘲した。
さて、私が何を待っているのか。それはアサカ達からの連絡であった。アサカとアリシアに救出作戦の依頼を行い早数時間。
作戦成功であればそろそろアルムクヴィスト軍の前哨基地に到着している頃合いである。正直心配と不安で吐きそうであった。
自分でもなぜこんなにも焦燥感を抱いているのか理解ができない。今まではこんなこと無かったのに。
アサカもアリシアも確かな力量の実力者だ。難易度の高い救出作戦ではあるが、あの二人の実力であれば成功する確率は高い。そんなことは理解している。しているのだが、もし上位の魔族が現れたら、もし全てが罠であったら等の無為な妄想を抑制できなくなっていた。
なんとも情けない事であるが、こんなこと経験が無い為対処法がわからない。だがしかしその根幹たる原因はわかっていた。アサカだ。間違いなく彼のせいである。今回の作戦と今までが違うことと言えば、アサカが参加しているか否か、ただそれだけなのだから。
今なら戦地に娘を送り出し泣いている親の気持ちが何となく理解できる。彼ら、彼女らも恐らくこういった理解不能の焦燥感などに苛まれているのだ。別にアサカはまだ家族でもなんでも無いというのにおかしな話である。これが恋心といったものであろうか。存外煩わしい。煩わしいが、不快ではなかった。ムカつくことに変わりはないが。
『ハロー』
その時であった。頭の中に女の声が響く。低めの落ち着いた声。アリシアからの連絡であった。安堵し、左旋回を続けていた足を止め、ベッドへと腰を下ろす。
「アリシアッ!大丈夫だったか!?」
『ええ。連絡が遅れてごめんなさいね。作戦は無事に成功したわ。救出できたのは8名。ケイリッド女爵の妹君も無事』
ほっと胸を撫で下ろす。今まで抱いていた焦燥感が一気に吹き飛び、どっと眠気が襲ってきた。自分が思う以上に気を張っていたらしい。
「良かった…。アサカとアリシアにも怪我はないか?部隊の被害は?」
『私と彼は大丈夫。軽傷は負ったけど、神聖魔術で治療済み。部隊に被害も無いわ』
アリシアの言葉を受け、仰向けでベッドに倒れ込む。すれば空けていた窓から夜風が流れ込み、火照った頬の思考を冷やしていった。
『何よそんな心配して。そんな柄でも無いでしょうに』
アリシアはイタズラっぽく笑いながらそういった。通話のピアスを介した念話であるため、私の感情の一部が彼女にも伝わったのだろう。多少の気恥ずかしさを覚える。まあ彼女とは長年の付き合いであるし、今更何ということもない。
「ほうっておけ。それより、アサカはどうであった?」
私はそれ以上の追求を避けるために話題を転換する。実際気になっていたことでもあるのだ。私は彼の強さをその身を持って理解しているが、同業者のアリシアから見てどう写ったのだろうか。
『良い戦士だと思うわ。こういっては何だけど、予想以上に使えた。あんたが女王陛下に進言して傭兵にしたというのも頷けたわ。私達ミスティア傭兵とは別の視点も持っているし、実力も確か。今後も共同の機会があれば積極的にお願いしたいくらい』
上々の評判に何故かこちらまで嬉しくなる。アリシアはミスティア最強の傭兵部隊のNo2である。そんな彼女からの太鼓判だ。傭兵界隈でアサカの評価は揺るぎないものとなっただろう。だがそういう彼女からは別の感情も流れ込んできた。妙に熱っぽい感情。まさか…
「気に入ったようで何よりだ…かなり気に入ったようだな…」
いやまだ私の早合点の可能性もある。ここは慎重に、探りを入れて…
『ええ。それはもう。私、彼のことかなり好みよ』
入れる必要もなかった。驚いてベッドから体を起き上がらせる。何故だ、まだ知り合ってからたったの数時間であろう…。なりを潜めていた焦燥感が再び募り始める。だが先ほどまでのものとは大分違った。なんというか、取られる!といった類のものだ。いやそもそもまだ私のものでもないのだが。ないのだが!!
「そ、そうか。それは何より…」
『ふふ。ベネディクテ。私、あんたが相手でも引く気は無いわよ』
宣戦布告であった。紛うことなき宣戦布告であった。何か言葉を返そうとするが、口が上手く回らず、魚のように口をパクパクさせてしまう。
『知ってる?髭ってチクチクするのよ』
「え!?はッ!?え!?いや、お前何を…もしかして…!」
『あはは。夜分も遅いし、そろそろ寝るわね。早朝、アサカも連れて王都へ向けて出発するわ。仔細はその時に』
「え!?いや待てまだ」
『おやすみ』
そういってアリシアは通話を終了した。私は勢いよくベッドへと倒れ込み、枕へと顔を埋める。そして無駄に体をジタバタさせていた。アリシアの女郎、絶対アサカとキスしやがった…。もやもやする。独占欲が湧き上がる。なんでとか、どうしてとかそういう言葉が脳内に過るが、そんなこと考えてみれば当たり前である。あの男はこの世界に置いて、武を生業とする女からすれば魅力的に過ぎるのだ。考えてもみろ。多くの男は女の庇護下である事が当たり前のこの世界において、上位者たる私を組み伏せる格闘術、そして逸脱者を退かせる戦闘能力。まさしく御伽噺の存在と遜色無い。それをしっかりと理解していなかった自分の落ち度である。いや、そもそも私はアサカの事を愛人にして抱ければそれでいいだけで、別に先を越されたとか、どうでも…。
―やめよう。いい加減自分の感情としっかりと向き合うべきだろう。このままではどんどんと差をつけられるだけだ。
私は、アサカが好きなのだ。
ここまでくれば言い訳のしようもなかった。好きでもない男にこんな感情抱くわけも無い。認めてしまえばすんなりと、その言葉が心の中に染み渡っていった。
頬が紅潮する。夏の夜という気温以外の熱気が顔を包む。存外恥ずかしい…。だが不快では無い。こんなにも心地よく、くすぐったい感情は初めてだった。
「好き…か」
一人言葉を漏らせば、思わず顔がにやけた。王位の第一継承者として育てられた私が、こんな普通の少女の様な感情を抱くとは。それもまだ出会って間もない男に。数年前の自分に言っても到底信じないだろう。だがアリシアの事も含めて、人を好くというのに時間というのはあまり関係がないのだと気がついた。大きな要因があれば人の感情は動くものである。逆に嫌いになる場合は時間が大きな原因となる場合が多い気がするが。
思春期の処女らしく頭の中がお花畑になりかけているのを、頭を振ってリセットする。そうだ、こんな自分の気持ちに素直になった余韻に浸っている場合ではないのだ。既にアリシアに一歩先にいかれている。オイフェミアとのアサカ愛人化計画を実行するに当たって、これは由々しき事態だ。オイフェミアだって何のかんのはぐらかしているが、アサカに対して私と同じ感情を抱いているに決まっている。生まれてこの方一緒に過ごしてきた従姉妹、そして親友だから断言できる。
公爵家と王家の権限を使えばアサカを愛人にする事くらい造作もない事だが、自分自身の恋愛感情に気がついた今となってはそれでは納得ができない。勿論倫理的にもどうかと思うし、そもそもアサカとアリシアに対して余りにも不誠実だ。アサカはともかくとしても、アリシアもオイフェミアと同じく私の親友である。
そして、幾らでも濁す事ができたのにアリシアは直接、私に自分の感情を伝えてきた。それはつまり、正々堂々勝負しようという誘いでもある。であれば真正面から向き合うのが友人として健全だろう。
つまりはこの遅れを取り戻さなければならない。具体的にどうするかだが…妙案はあった。それは先日オイフェミアが言っていた食事会である。国の有力者を招き、今回の功績者であるアサカとレイレナードの面々を主役とした食事会兼連絡会を開くのだ。そこで私とオイフェミアがアサカと親密な関係であることを各方の有力者にアピールすることができれば、外堀は埋めやすい。勿論私の個人的欲求を満たすだけでは意味がない。その場でアサカの有用性を誇示することも必須だ。特にレティシアやヴェスパー兄、母上、二ルヴェノ伯辺りには彼の事をよく知ってもらわねばならない。強力な戦力への造詣の浅さは、そのまま恐怖心に直結するからだ。一番の問題はアサカの個人的な感情であるが、それはもう正面から惚れさせる為に努力するしかないだろう。私は曲がったことが嫌いである。親愛を感じている相手を謀る事はもっと嫌いだ。だから…女として頑張るしか無い…。
しかし恋愛面における女らしさなぞ今まで学んでこなかった。どうすればいいのか、皆目検討もつかない。これは一人で悩んでも、下手に空回りするだけだろう。ラグンヒルド辺りに相談したほうが良いだろうか…。からかわれることは間違いないが、背に腹は代えられない。後は意外とヴェスパー兄もいいかもしれない。ラグンヒルド以上にからかわれる事は間違い無いが、最終的には適切な助言をくれるだろう。
閑話休題。
ここまで脳に花を咲かせた思考ばかりしてきたが、現実問題色々と仕事が増えることに気がつく。早朝にアリシア達が王都へ向けて移動を開始するのならば、どんなに遅くとも5日後には到着するだろう。それまでに連絡会の準備、今回の作戦の報告書、各方面への根回し…やることが山積みである。まあ言い出しっぺはオイフェミアであるし、あいつにも手伝わせよう。別に嫌とは言わないはずだ。オイフェミアもそれが個人的欲求を満たすのに必要な事であると理解するだろう。
実際問題として、モンストラ戦線の現況は私も気になる所である。私が今の立場になってから大きな動きはなかったが、今回の一件がその火種となる可能性も否定できない。元より魔物の目的も不明なのだ。末端の下級の魔物を捉え拷問した所で、そもそもあいつらは軍事行動という単語すら理解していない。戦略目的を理解していそうな上位の魔族は、そもそも戦闘に参加してこない。戦線を押し上げようにも、フェリザリアの脅威がある状態では、各貴族の足並みが揃わない。そんな訳で、ミスティア王国はモンストラ戦線に対する知識が圧倒的に不足しているのが現実であった。どうやらフェリザリアはノルデリアの投入によって問題を解決したようであったが、それは女王の絶対王政化にあるフェリザリアだから行えた事であろう。こっちでレティシアやオイフェミア、アリーヤを直接投入しようとするものなら議会が紛糾することは必至だ。理由は先にも言ったフェリザリアの脅威である。というかノルデリアという逸脱者個人に対する恐れだ。こればかりはウォルコット軍の報復攻撃を待つほかない。もっと先んじてモンストラ戦線の問題解決に注力していればよかった事であるが、実際問題第5次ミスティア-フェリザリア紛争が勃発した今となっては後の祭りである。
仕事は山積みだ。だがナーバスな気分にはならなかった。それは今後の展望が期待できるものであるからだろうか。ともかく今日はもう遅い。さっさと寝て、これからに備えることにしよう。そう思い、私は部屋の魔石灯の明かりを落とした。
「で、朝早くからなんなのですか」
夏らしい地面を灼く太陽が東の空に上がっている。まだ朝ということもあり気温は然程でもないが、正午には連日と同じく嫌になるような熱気が王都を包むだろう。
そんな朝、目の前には明らかに寝不足で機嫌の悪そうなオイフェミア。目をこすりながら、手で隠しつつ欠伸をしている。昔からオイフェミアは朝が苦手であった。曰く寝起きは魔力の巡りが悪いのだとか。覚醒を促すためなのか魔香草を煙管に詰め、紫煙を吐き出した。
まあ私も寝付きが悪かったため若干の眠気はある。だが時間はそう多くないのだ。やるべきことは早めに終わらせるに限る。
「前に言っていただろう。アサカの認知を深めるために食事会をしようと。その準備をするぞ」
「はいー?」
釈然としない様子のオイフェミアであったが、何かを察したのか突然表情を変えこちらに詰め寄ってくる。無意識に魔力を奔らせているのか瞳が発光していた。
「もしかして、昨夜の作戦で何かがあったのですか!?こちらの指揮官からは特段そういった報告はありませんでしたが…」
先程までの眠そうな顔は何処へやら。真顔でそう彼女は訊いてくる。
「まあ…そうだな。だが重傷を負ったとかそういう話ではない。物事は早めにこなしておくに限る、と思ってな」
意味がわからないといった表情を浮かべるオイフェミア。他人の思考は何でも読み取れる彼女だが、それは常時という訳でもない。あくまで思考閲覧魔術を発動している時に限られる。そしてオイフェミアは身内にその魔術を使うことを嫌っていた。それは、親しいものの排他的な思考ほど、自分自身の感情を乱すものは無いと彼女自身が考えているからだ。謂わば、彼女なりの防御反応とも言える。
「なあなあで活動を続けさせても良いことは無いだろう。改めてアサカという存在を各貴族に認知させる。人となりも含めてな。それにアサカの視点から語られるモンストラ戦線の状況には興味がある。弱腰な貴族共にも良い薬となるだろう」
オイフェミアは手を顎に当て思考に入る。何故私がこのタイミングでこの話を持ちかけたのか等も含めて思案しているのだろう。聡いこの女のことだ。最終的には私と同じ結論に至るはずである。
「まあ言っている事はわかりますよ。良いでしょう、どのみちいずれやるなら早いほうが良いです。でも、それだけじゃないでしょう?」
「な、何のことだろうか…」
ジト目で私の顔を覗き込んでくるオイフェミアから視線を反らす。発光している瞳にはそれなり以上に威圧感があった。まあ今更それに怯えるといった事はないのだが、今回の食事会に対する私の本心はまた別の所にあるため、妙に視線を合わせづらい。
「誤魔化さないで。何年ベネディクテと一緒にいると思っているのですか。隠し事くらいわかりますよ。魔術を使わなくてもね」
そう言って逸した先の視線に入り込んでくる彼女の顔。観念し、溜息を漏らした後に私は話を始める。
「別に隠し事をするつもりはない。ただ、私達の目的達成の為のライバルに、アリシアが参加してきたというだけだ」
何を言っているんだこいつという表情を彼女は向けてくる。
「私達の目的…」
「ああ。アサカ愛人化計画」
そう告げれば彼女はその場から猫のように飛び退いた。顔を紅潮させワナワナとした様子で口を開く。
「え!?は!?え!?アリシアも!?いえ!そもそも私はあくまでベネディクテのその計画を手伝うとは言いましたが、私自身は別に何も…」
わかりやすい言い訳である。他人から見れば、私もこの様な感じだったのだろうか。ヴェスパー兄がからかってきた事も納得がいく。こういうところは血の繋がった親戚なのだと苦笑しつつ、言葉を返した。
「素直になれオイフェミア。既に私達はアリシアに差をつけられいるのだぞ。あいつ、既にキ、キス…まで」
「はぁ!?キス!?」
補足だが、ここは王都に存在するアルムクヴィスト家所有の屋敷のガーデンだ。そこで朝食兼、お茶をしている所の一コマである。当然周りにはメイドや執事等の使用人が何人もいる。そんな中で突然大声を出せばどうなるか、考えなくてもわかるだろう。使用人達が何事かと一斉にこちらに顔を向ける。オイフェミアは先程よりも顔を紅くしながらなんでも無いと使用人に告げた。そして声量を下げつつ言葉を続ける。
「キ、キスってどういうことですか!アリシアがアサカにって…つまりそういう事ですか…?」
「そういうこと、だ。キスについての仔細はわからん。直接言っていたわけではないからな。だが、昨夜の通話の内容を聞く限りは…」
「仔細を知っていたら流石に気持ち悪いですよ。まあ…ベネディクテが何を焦っているのかはわかりました。…ま、まあ?実際アサカの今後を考えても各貴族への顔合わせはしておいた方が良いですし?私達がサポートしたほうが色んな方面に顔も効きますし?吝かでもありませんが?」
声が上ずっている。頬が紅潮しすぎてもはやトマトの様である。ここまで素直にならず強がるオイフェミアを見るのは初めてであったので、少し面白かった。同性の目から見ても可愛く思える。私にはない要素なので、正直言って羨ましくも思える。
「では仔細を詰めよう。とりあえず場所と招待する貴族だ」
「場所に関しては城館よりもアルムクヴィストの屋敷の方が良いでしょう。その方が各方に角が立ちません」
「そうだな、そちらは任せる。招待状を出すのはウォルコット、アルムクヴィストは勿論として他に案はあるか?」
「王家派閥からはカリール子爵、トリスタン魔導爵でしょうか。両家共に法衣貴族の中枢的存在です。議会での政治力も高い。モンストラ戦線の情報共有を含めて彼女たちには居てもらった方が良いでしょう。地方領主派閥からは二ルヴェノ伯、スノーピーク子爵、ケルズ子爵辺りでしょうか。地方領主派閥での筆頭でもあり、話の通じる方々です。謁見報告会での対応からも分かる通り、利権目的にせよアサカの傭兵としての活動に肯定的でもあります」
オイフェミアの言に同意する。私の考えも同様であった。今名前の上がった各貴族は有能であり、ミスティア国内で高い政治力、発言力を持っている。今後のアサカの活動を円滑に進める為にはパイプを築いておいて損はない。いや余計な面倒事が増えそうという損はあるかもしれないが、メリットの方が大きいだろう。どのみち爵位を与えるのであれば各貴族からの協力は必須なのだ。仮にこの面々を協力者につけられれば、トントン拍子に話は進むだろう。
「他だとアリーヤ卿もですね。アリーヤ卿はミスティアのリーサル・ウェポン、そしてレイレナードの代表者です。一代貴族とはいえ、私達がアサカになってもらいたい存在のモデルケースでもありますね。ベネディクテは彼女と個人的な交流があるのでしょう?」
「ああ、昔からの友人だ」
オイフェミアからの案を反芻する。確かにアリーヤを招くのは良いかもしれない。傭兵部隊レイレナードの代表であり、オイフェミア、レティシアと並んでミスティアに3人いる逸脱者の一人だ。つまりは我が国の最大戦力である。更には母上より騎士の位を叙された一代貴族でもある。功績を考えれば爵位が与えられていてもおかしくない人物なのだが、政治的理由により騎士の位に留まっている。王家と近いレイレナードが爵位得ることを嫌った各貴族との政治抗争の結果だが、アリーヤ本人は爵位に一切興味がないようで、寧ろ貴族なぞにするなと私に文句を言ってくる始末である。
そんな事は直接母上に言ってくれと思わんでもないのだが、茶目っ気の多い彼女のことだ。冗談だろうことは理解している。今回の功労者たるレイレナードの代表者であるアリーヤを招く事に文句を言う者もおるまい。
「でしたらアリーヤ卿への連絡は任せます。あとはキルステンですね」
「キルステンもか…」
オイフェミアの口から出た名前に頭を抱える。キルステンは私の実妹であり、ミスティア王国の第二王女だ。王位継承権は第四位。因みに第二位はヴェスパー兄で、第三位はオイフェミアである。何故王家の直系の王位継承権が低いのかだが、それはキルステンの特異な体質によるものだった。彼女はノスフェラトゥの血が隔世遺伝として現れた存在なのである。簡単に言えば最上位の吸血鬼とも言えるのだ。勿論人間国家のミスティアに置いてノスフェラトゥが王位につくことなぞあってはならない。その他にも色々と理由はあるのだが、そんな存在が普通に生活できるほどこの国は平和ではなかった。結果として半ば軟禁状態のまま15年の時を過ごしてきた彼女は、他人とのコミュニケーションが苦手である。キルステンが心を開いているのは私と、キルステンの世話係である老メイドぐらいなものだ。そんな彼女を公の場に出すのには少々勇気がいる。
私としても彼女ともっと関わってあげればよかったという罪悪感はあるのだが、果たして各貴族の前に出されて大丈夫なものだろうか…。
「当たり前ですよ。王家の秘蔵であるキルステンまでもが参加するとなれば、アサカと王家が懇意にしているというアピールにもなります。それに、彼女にもたまには外の空気を吸わせてあげないと」
オイフェミアの曲げる気の一切ない瞳を見て深い溜息をつく。どうやら各方面への手続き以外にも、解決しなければ行けない問題は山積みなようだ。夏の早朝、強権を持つ女二人が小声で話し合っている光景は、周りから見れば大変怪訝に写る事になったのであった。
改めてお久しぶりです。生きてます。エタる気も無いんですが、気がついたら数ヶ月過ぎてるんですよね。
仕事とか、VCTとか、Valorantとか、エルデンリングってやつが全部いけねえんだ。
ところでZETAおめでとうございます。プレイオフ優勝まで頑張れ!
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Act13_変革のアティチュード
「以上が今期の税収見込みです。王家領に限定して言えば問題は無いでしょう。ですがやはりフェリザリア国境、モンストラ戦線外縁に領土を持つ貴族領内では、住民たちに不安が伝播しているようです。実際問題として各貴族達は軍備を増強して事態の変化に備えており、それに伴って軍事費の増大も見られます。それが税の増加として顕著に現れ始めていますので、当然とも言えましょう」
「また王家の財政状況ですが、即時に問題は無いとはいえこのまま戦況が泥沼化すれば2年後にはマイナスになる見込みです。早期に何かしらの対応が必要でしょう」
内政を任せている臣下の法衣貴族がそう報告してくる。ここはミスティア王城内に存在する私の執務室。各書類に目を通し、サインをする物にはサインをしながらの報告を聞いているが、もはや慣れたものであった。
手を止め小休止をいれる。出されていた紅茶に一口つけ、今の報告についての思考を回し始めた。確かに彼女らの言う通り、財政問題に対しては早急に手を打たねばならない。現状我が国の各貴族の財政状況を圧迫しているのは軍事費であった。4大貴族は言わずもがなであるが、その他の中小貴族にとっては尚更死活問題である。特にフェリザリア、モンストラ戦線近隣の貴族にとっては喉元の刃に他ならない。
「それについては私も同意する。が、実際案はあるのか?軍事予算の縮小というのは無しだぞ。どの貴族もこの状況では納得しまい」
「私共も理解はしております。フェリザリアとの紛争状態に突入した今では特に」
「やはりフェリザリアとの和平交渉を急ぐべきでは無いでしょうか。彼の国との問題さえ解決できれば、各貴族共に内政に回せる資金も人手も増えましょう」
「そうだな…。レティシアには無理をさせることになるが、報復攻撃は早期に行っておきたい」
「ええ。それにウォルコット侯爵家はミスティア有数の大貴族でありますが、既に深淵戦線、モンストラ戦線の二戦線の維持を担当しております。更にはウォルコット侯爵軍の即応大隊2つがフェリザリア国境線の警戒に投入されている現状が続いては、いくらウォルコット侯爵といえどもいい顔はしないでしょう」
顎に手を当て思案する。確かにその通りだ。軍事力だけで言えばミスティア最大のウォルコットとはいえ、兵站線の維持には限界がある。無論資金にも。王家もアルムクヴィストもモンストラ戦線の維持で余力は無い。問題が発生した時にアテになりそうなのはニルヴェノ伯であるが、彼女の領地は南方である。無論配置転換にも金が掛かるし、即座にできるということでもない。更にはニルヴェノ伯は南方防衛の要である。当然反発も強いだろうし、戦略的にも無理が過ぎた。第一緊急事態に動ける一線級の軍隊が無いのは怖すぎる。もし連合女王国との関係が悪化した際、即応できるのはニルヴェノ伯ぐらいなものなのだ。
「となれば早急に動く必要があるな。ウォルコット軍侵攻に際し、支援可能なうちの部隊はあるか?」
「お言葉ながらモンストラ戦線から呼び戻す必要があります。王都周辺に駐屯している防衛部隊を動かす訳にもいかないでしょうから。そもそも彼女達の主任務は防衛であり、その為の訓練を受けております。輜重部隊としても侵攻部隊としても圧倒的にノウハウ不足です。仔細は軍事統括者であるベネディクテ殿下に伺った方が宜しいかと」
「ふむ、お前の言う通りだ。ベネディクテに相談無しで軍を動かせば後で恨み言を言われそうだしな」
そこでふと思い出す。ベネディクテが重用している傭兵部隊レイレナード、彼女らであればフットワークも軽い上に練度にも心配は無い。逸脱者アリーヤ・レイレナードと、その妹であるアリシアをレティシアのバックアップにつければ戦力的な不安は無くなるだろう。兵站線に関してもレイレナードに任せれば問題はあるまい。問題は報酬であるが、正規軍を動かすよりも安上がりに済む。レイレナード部隊には協力を仰ぐべきだ。まあ懸念事項としては傭兵の権力拡大を助長すると他の貴族共からは思われかねないことだろうか。アリーヤ自身は今の騎士位より上位の貴族位には一切興味がない様であるが、そうは言っても納得できるものでもないだろう。兎も角報復攻撃に際しての依頼は行うべきである。ベネディクテであれば彼女達と個人的な交流もあるし、他の手を打つよりは動きやすい。自分の中でそう結論を出し、臣下に声をかけた。
「ベネディクテを呼んでくれ。仔細を詰めたい」
「承りました。確かオイフェミア殿下と共にいらしたはずです」
「オイフェミアも王城に来てるのか。ならばオイフェミアも一緒に頼む。二人とも火急の政務は入っていなかったな?」
「伺っておりません。では要件をお伝えしに行ってまいります」
「頼んだ」
臣下の一人が退出するのを見送ってから椅子に深く腰を掛ける。その様子を見て、残った臣下が声をかけてきた。
「お疲れですか?」
「まあな。フェリザリア侵攻以降、やることは増える一方だ」
「心中お察ししますよ。実際我々の仕事も増えておりますしね。大変ですよ色々と。ラクランシアに比べればまだマシでしょうけどね」
臣下が苦笑しながらそう返答した。もうこいつとは15年以上の付き合いだ。主君と家臣という関係性以前にお互いに気心も知れた友人でもある。周りに人が居ない時は敬称を省略して呼び合う仲だ。今のように本音をさらっと言う所は昔から変わらない。まあそれが好ましくて側に置き続けているのは間違いないのだが。
「そういえば例のアサカだが、今はモンストラ戦線に出向いているのだったか」
「ええ。なんでもレティシア侯爵から戦況分析を依頼されたとか。異世界から来たる戦士の視点から見た戦況は確かに気になる所です」
確かにそうだ。我々とは全く理の違う世界からやってきだろうアサカという男。話によれば彼の者が元いた世界は男女比が1:1という不可思議な世界であるという。そのため軍事に携わる者の殆どは男なのだとか。私達の価値観からすれば全く意味のわからない事である。というか想像がつかない。この世界では男が軍事、政治に関わることは稀なのだ。まあヴェスパーという例外中の例外もいるにはいるが、あれはあくまでイレギュラーである。
閑話休題。
兎も角としてアサカの報告には私も興味があった。もしかすれば何かしらの発見もあるかもしれない。それに、報告云々は除いても彼とは個人的に話をしてみたかった。戦力的な面もそうであるが、それ以上にベネディクテとオイフェミアがあれだけ懐く存在も珍しい。まあ理由はなんとなく理解はできる。あれの雰囲気は亡き我が夫、ケニーに似ているのだ。その他にも、男としてあれだけの戦功をあげられる存在が珍しいとか、そもそもの人柄とかもあるのだろうが、現状私個人としてはアサカという男に対する知識が不足している。娘達のお気に入りなら、国家の主君としても、個人としても邪険には扱いたくない。そのためにはアサカという男を正しく認識しておきたい。
「それはそれとして、どうするんですか?」
「何がだ?」
「ベネディクテ殿下も、オイフェミア殿下もアサカ殿に熱があるのはわかりきっているでしょう。それがどういうベクトルの感情にせよね」
「…まあな。亡き父に求めていた父性を、アサカに求めているのだろうか」
「いやーあの感じはそういうのじゃなくって、もっと甘酸っぱい…」
「…何だ?」
「はぁ。そういえばラクランシアは朴念仁でしたね」
どういう意味だと内心思うが、言葉にはせずに不機嫌そうな顔を作る事によって遺憾の意を示す。対してこいつは深く溜息をつくだけであった。
「それで実際どうするのですか。オイフェミア殿下が信用している所を見れば、現状でミスティアに有益な存在なのは間違いないでしょう。あの子は私人と公人の線引はできる子です。無論ベネディクテ殿下も。ですが、アサカ殿はまだこの世界に来てからの日が浅い。今後どう靡くかもわからないでしょう」
「そういうことか。心配するな。如何に娘たちのお気に入りといえど、国に有害ならば排除するまでよ。使えるなら使う、邪魔なら消す。今までも、これからも、誰に対してもな」
そう返せば彼女はなんだか釈然としない様子であった。再び大きな溜息をつく。おい、流石に不遜だぞ、おい。その後少し呆れた様に口を開いた。
「そんな事はわかってるんですよ。私が懸念してるのはその時両殿下と大いに揉めるだろうということです」
「父性を求めているだけの男一つで、そんな事になるか?」
「…駄目だこりゃ。じゃあ聞きますけど、ケニー様がご存命の時に、前女王陛下がケニー様を排除しようとしてたらどうしてました?」
「母上がケニーを消す理由がないだろう。まあ、全力で反対するだろうな。それでも強行されそうになったら、王城を直属の部隊で制圧することも辞さない」
「そうでしょう。つまりそういうことですよ」
何言ってるんだこいつ。なんで配偶者の話を例えとして出すのだ。私が納得のいかない表情を浮かべていれば、彼女は呆れながら口を開く。
「相変わらず人の恋愛感情が絡んだ途端ポンコツになりますねあんたは!ああ!ケニー様との喧嘩の仲裁に深夜叩き起こされた事を思い出してムカついてきた!まあそれは良いとして、つまりベネディクテ殿下とオイフェミア殿下はアサカ殿に恋慕しているってことですよ」
寝耳に水であった。まさか、この短期間でそんな訳…。いや、自分とケニーのなり染めを思い返し、有り得る話だと言うことをようやく理解した。好き勝手言われているが、私は実際恋愛に関しての機微にとてつもなく疎い事は事実であるので言い返す事ができない。ケニーを夫に迎える過程で散々ぱら迷惑をかけた事も言い訳のしようがない事実であるので、その弱みもあったが。
「…なるほどな。なるほどなぁ…」
「まあ理解したんならそれでいいです。要するに私が御免こうむるのは、痴情の縺れしかり、そういった事が原因で国が二分されることです。まさかとは思いましたが、直接伝えておいてよかったですよ。この恋愛下手」
散々な言われようである。だが何も言い訳ができないので、不機嫌そうな面を取り繕うだけで何も言わなかった。いや言えなかった。その程度にはあの当時、こいつには迷惑をかけた。実際流血沙汰も起きたしな。
「わかったよ。それに関しては気をつける。私だってできれば娘達のお気に入りとは仲良くしたいんだ。だが私とほぼ同年代の男とはな…ベネディクテ達とは一回りも歳が違うではないか」
私は今年で32歳である。正直まだまだイケる歳だとは思うのだが、どうにも王家お抱えの男娼等を抱く気にはならない。別にケニーへの負い目は無い。私を置いて先に逝きやがったのだ。少し位許せ馬鹿が。
だがどうにも男を見る時はケニーと重ねて、比べてしまう。それが原因でかれこれ3年も性行為をしていない。ケニーが居た頃は、毎晩毎晩愛を確かめあっていたのに。そろそろ処女膜が再生しても可笑しくない。まあ神聖魔術で治癒魔術でもかけない限りない話であるが。そういえば一部の特殊性癖持ちの夫婦では、神聖魔術で処女膜の治療を施し、疑似初体験プレイを行うのだという話を聞いたことがある。至極どうでもいいな。
更には歳を重ねてきたからなのか、ここ数年性欲がかなり溜まっていた。自分で慰めるのにも限度がある。一度何処かでスッキリさせたい。でないと爆発しかねない。
話が脱線した。アサカと私がほぼ同世代という話であった。アサカはベネディクテの話を聞くかぎり29歳らしい。私の3つ下。ベネディクテよりも私との方がよっぽど歳が近い。もしベネディクテが本当にアサカにそういった感情を抱いているのなら、ややこしい事になるのは必至であろう。妄想の類であるが、アサカとベネディクテが婚約しようものなら、3歳年下の義息子ができるという意味のわからない状況になるのだ。
…いや、存外妄想ではないかもしれない。ベネディクテとオイフェミアであれば、アサカに功績を積ませ、本当に貴族位を受勲させるくらいやりかねないのだ。そうなれば身分の差の問題はゴリ押しできる。
……マジでやらないだろうな。
「歳はあまり関係無いでしょう。あのぐらいの年頃の娘からすれば、アサカ殿ぐらいの歳が一番魅力的なのでは?」
「わからんが、そういうものか。そういえばお前の旦那は10歳上だったか。実体験か?」
「そうそうあの年頃の男は抱き心地がちょうどよくてね……じゃないんですよ!私の事はどうでもいいんです。つまりは心の準備と、どうするか考えておいてってことですよ」
「了解した。私もお家騒動なぞ御免だ」
「つまりは通常通りの合戦を行っては、戦力が足りないと?」
「その通りです母上。現在王都周辺に展開しているレイレナード部隊はアリーヤ指揮下の第1大隊です。彼女達は800人規模の最精鋭ではありますが、攻城戦となれば人数は不足しています。報復攻撃に参加できる部隊はウォルコットの即応大隊が2つとレイレナード第1大隊。合計で3000に満たない数となるでしょう。対してフェリザリアのシャーウッド砦にはノルデリアの第一騎士団に加え、第八騎士団が増援として到着しているとの報告がレティシアより入っております。第一騎士団は先の戦いで損害甚だしいとは言え、数はそう減っておりません。更に第八騎士団ともなれば、合計で1万近い数を相手にすることになるでしょう。攻城戦を仕掛けるにしては、全く頭数が足りておりません」
「言いたいことも現実も理解はする。だがこのまま講和会議など開けるわけも無かろう。フェリザリアもこちらが2つの戦線で手一杯だとわかってて攻勢を仕掛けてきたのだ。この状態であのフェリザリア女王、カミーラが講話の席に着くと思うか?」
「勿論つかないでしょう。第一騎士団は痛手を負ったとは言え、ノルデリアは健在。更に国境線の数でも有利となれば、彼女達が引く理由も無いでしょうから。ですから我々もここでなんとしても一撃を加えなければならない」
「……具体案はあるのか?」
母上が顎に手を当てながら視線をぶつけてくる。常人の価値観であれば、睨んでいると思われても仕方のない様な鋭い視線だ。多くの者であればここで言葉に窮してしまうだろうが、私たちは親子である。そして共に青い血の流れた貴族だ。一切淀むこと無く言葉を返す。
「ええ。相手方が数の利を持つならば、こちらは質の利で戦います」
「ほう?」
「まずはレティシアが第一の矢としてシャーウッド砦に攻撃を仕掛けます。その際ウォルコット即応大隊は敵戦力を正面に張り付かせる為に、レティシアと共に攻勢に参加してもらいます。とは言っても数は圧倒的にこちらに不利です。損害を抑えるためにも無理な攻撃は行えません。騎兵部隊を前翼に展開させるなどして、包囲を匂わせる程度が無難でしょう。要するにここでの目的はレティシアとウォルコット軍に相手を釘付けにする事です。相手も包囲への警戒、そしてレティシアへの対応の為初手から籠城するような事はしないでしょう。ノルデリアを有する彼女らであれば、逸脱者を城の中に入れさせてしまうということが、何を意味するかは理解しているでしょうから」
「つまりは陽動というわけだな?だが相手がそれを読んで籠城した場合はどうするのだ?」
「それならそれで幸運と言えるでしょう。そのままレティシアをシャーウッド砦まで突入させれば良いのですから。逸脱者二人の戦場となった砦で、他兵士ができることなど何もありますまい。つまりこの戦いにおいてのノルデリアの最大の足枷は、彼女の友軍なのです。だからノルデリアは味方に損害を出さない為にレティシアの前へ出てくるしか無い」
「話が見えてきた」
「ウォルコット軍がヘイトを買っている間に、レイレナード部隊には戦場の左翼より北上してもらいます。第1大隊の4割は騎兵でありますので、機動力で相手の対応を上回れるでしょう。恐らくは相手は数を活かし全翼に部隊を展開させておりますが、そこで放たれるのが第二の矢、アリーヤです」
「レティシアを囮としてのノルデリアの誘引、そしてアリーヤ・レイレナードによる敵主力の殲滅が目的か」
「その通りです。アリーヤは逸脱者の中でも機動力、そして破壊力に秀でています。彼女個人、更には乗騎たる幻獣ティルグリスを止められる者なぞ、ノルデリアの他には居ないでしょう」
「だがこちらの意図を読んだ敵が右翼を前進させた場合はどうする?ウォルコット軍とレティシアといえども、ノルデリアの攻撃と合わせられれば数で潰されるぞ」
「ええ。ですから右翼の前進妨害には、アサカを投入します」
母上とその臣下が驚いた視線を私に向けてくる。気持ちは理解できる。彼女たちにとってアサカはまだ未知数の存在だ。いくら先の戦いで逸脱者ノルデリアを退け、フェリザリア軍撤退の直接的要因を作ったとはいえど、彼の実力について不透明な部分が多いのはたしかである。
だがしかし、私とオイフェミアは知っている。あの絶望の戦況を変えた彼の技術を。弾薬庫で幾度となく見せられた彼の長距離狙撃技術を。そしてそれを可能にする銃の性能を。
「しかしベネディクテ殿下……アサカという男一人でどうにかなるのですか?殿下の立案内容では、アサカ殿がしくじればウォルコット軍どころか、我が国の最大戦力を二人も失いかねない結果に……」
「その点に付いては心配ありません」
真横から鈴の音の様な耳優しい女の声があがる。オイフェミアだ。彼女は毅然とした表情で、言葉を続ける。
「私共はアサカの、彼の強さで一度窮地を救われました。そして、この目で、彼の力は目にしております。これは贔屓ではありません。私とベネディクテの二人で考え、導き出した勝つための策です。アサカであれば、単騎でもフェリザリアの右翼を抑えられる。そう確信しております」
言い切ったオイフェミアを前にしても、母上とその臣下は釈然としない表情であった。だがこの兵数差を覆す為には、これが一番確実なのだ。オイフェミアをこの戦いに投入できるのならばそれが一番であるのだが、流石に王都から離れた国境線沿に逸脱者を3人も集結させるのは馬鹿げている。間違いなく他国の付け入る隙になるだろう。だから、オイフェミアには王都に居てもらわなければならない。そもそもオイフェミアまでもが戦場に赴く事自体、貴族共は納得しないだろうが。対外的にも、内政的にも懸念事項は、極力潰しておきたい。
「皆様の疑念はごもっとも。ですがアサカには1500mを超える距離での攻撃可能手段と、その技術があります。そして私とオイフェミアは、この目でそれを確認しました」
そう。先にも言ったが、別に贔屓目でアサカを作戦に参加させようとしているわけではない。いやまあ、この戦いで武功を積ませれば貴族位を与える上でこの上ない材料になるという思惑もあるにはあるのだが、別にそれが目的ではないのだ。
私とオイフェミアはアサカと知り合ってしばらく彼の射撃訓練を見てきた。そこで見せてくれた射撃で用いていた銃の一つにバレットM82A1というものがあった。私の胸ほどもある大型の銃であったが、彼はその銃を用いて、1km先の目標を狙撃したのだ。アサカは「まぐれだよ」といつもの調子で言っていたが、話を聞く限り相当に使い慣れた武器の一つであった事は疑いようもない。そのバレットを使わないにしろ、超遠距離から飛来する彼の死はフェリザリアにとって大きな抑止力となるだろう。使えるのもは何でも使う。でないとこの先の戦いでは多大な出血を強いられる。たとえそれが想い人であろうとも。自己嫌悪が著しいが、これが貴族の務めなのだ。使えるものを、大事だからと、大切だからとしまっていては、結局全てを失う。私達には、国を、領地を、そして民を守る責任がある。
「……分かった。貴方達の目を信じましょう。ベネディクテ、フェリザリアにさらなる増援の兆候はないのだな?」
「カミーラ女王直属の猟犬大隊の行方だけが不明です。懸念事項としては猟犬大隊の介入でしょうか」
「ふむ……であれば王都竜騎兵にも即応できるように厳命しておこう。あくまで、最後の手段だが。ベネディクテ、オイフェミア。各方面と仔細を詰めるように」
「承知しました。それでは、失礼します」
そう言って私とオイフェミアは母上の執務室を後にした。締めた扉の前で思わず大きな溜息が漏れる。
「お疲れ様ですベネディクテ。これで、アサカと私たちは運命共同体ですね」
横を見やれば疲労を若干にじませているオイフェミアの顔があった。冗談っぽく言っているが、全く冗談ではない。
「私達の首が飛ぶ……とまではいかぬだろうが、求心力は大きく下がるだろう。だがアサカには自分の命の為にも、やってもらわねばならない」
「……最低ですね、私達」
「……全くだ。また彼への謝罪が増える。…嫌な女達だよ、全く」
「……食事会の話…いつしましょうか」
「……どうあがいても報復攻撃終了後になるだろうよ。まあ本当にできるかどうかは、次の戦い次第だ」
そうだ。今後どの様になるかは、全てレティシアとアリーヤ、そしてアサカの奮闘にかかっている。勝手に国の趨勢すらも委ねることになってしまう事に多大な罪悪感が募る。
だが彼女らには力がある。それは私も、オイフェミアもそうだ。力がある者は、その責任を全うしなければならない。アサカは不幸な事件でこちらの世界に来てしまっただけではあるが、既に歯車の一つになってしまった。嫌な考え方だ。最低だ。とことん自分が嫌いになる。
しかしやってもらわねばならない。勝手な言い分だろう。「衣食住の提供はするから、フェリザリアの右翼を一人でどうにかしてくれ」とか、頭がおかしいんじゃないか。
まあしかしこの案が全面戦争を回避しつつ、成功率の高い一番のプランなのだ。吐きそうである。オイフェミアなぞ投入してみろ。内政とか云々の前に、それこそ絶滅戦争の開始となりかねない。
朝には楽しく妄想全開でアサカ愛人化計画の為の食事会をプランニングしていたと言うのに、なんでこんな事になったんだ。決まっている、フェリザリアの馬鹿どもを殴り返さないといけないからだ。それは面子的にも、講話的にも必要事項な訳で。つまりアイツラが大体悪い。まあそもそもこの報復攻撃は決定事項だったわけで、私達が嫌なことを後回しにしていただけとも言える。馬鹿めが。
自分自身への怒りやアサカへの罪悪感などが入り混じったグチャグチャな感情を、拳として廊下の壁へと振りかぶった。
VCT激アツ。日本e-Sports史上快挙ですよ!世界Best8!
Liquid戦も応援してます。まだまだ君たちの活躍、日本の活躍がみたいよ。
#ZETAWIN
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Act14_報復のスキーム
取り敢えずお久しぶりです。そんで遅れましたすんません。
高級な絨毯の上を踏む足音が響いている。それに加えて腰に帯びたレイピア、副官の纏う甲冑から響く金属音も。昼下がりにも関わらず城内は人気が少なく、衛兵が各要所に待機しているだけであった。普段であればメイドや執事達が忙しなく自らの仕事をしているはずであるが、流石に人払いが行われているようだ。
平時であれば私達傭兵に対して嫌悪の籠もった視線を向けてくる衛兵達であるが、今日は異なっていた。それこそが端的に彼らの心情を物語っている。
まあ正直な所そんなことはどうでもいい。私たちは結局やることをやるだけの傭兵である。
今日私がここにいるのはベネディクテから直接召集されたからだ。普段であれば地方領主派閥からの反発を嫌い、王城に直接召集されることなど無いのだが(私もこれ以上政争に巻き込まれるのは御免である)、今回は状況が状況だ。こちらとしてもフェリザリアに良いようにされている現状は気に入らない。
実質王家お抱えの傭兵であるレイレナードという組織としてもどのみち拒否権は無い。元より断る理由もないが。
しばらく城内を進めば、指定された部屋の前へとたどり着く。ハルバートを持った衛兵が2名待機していたが、こちらが名乗りを上げる前に衛兵はドアを開いた。
もし魔物や敵対勢力が私に变化していたらどうするのだと頭を抱えたくなるような有様である。王城の衛兵の質も落ちたな……と感じざるを得なかった。
でもこれは仕方の無い部分もあるだろう。というのも自分で言うのもなんだが、私は国内だけにとどまらずザールヴェル世界ではそれなり以上の有名人である。良くも悪くも。傭兵として金で動く逸脱者。依頼の正当性が認められればミスティア以外の国でも活動を行う弩級の戦力。
無意識的に『この人物であれば大丈夫』という刷り込みがあるのかもしれない。
まあ私達逸脱者とそれ以外では圧倒的に魔力量とその質が異なる。魔術に知見のある人物であれば一発で感じ取れるレベルでだ。変化したところで即座に看破される可能性が高い以上、実際問題として私達逸脱者に化ける事ということは考えにくいというのも事実。
もう一つの理由として人材不足ということが上げられる。どういうことかといえば、このミスティア王城に駐屯している兵力は全てミスティア王家軍の兵士である。だが現状ミスティアはモンストラ戦線とフェリザリア戦線、そして北方の深淵戦線の三面対応を行っている。王家軍はこれらの地域に精鋭部隊を多く派遣しており、今現在ここにいる衛兵の殆どは二線級の存在だ。
普通であれば召集者であるベネディクテの第一王女近衛隊などが警備にあたるのが練度的にも普通なのだが、彼女の近衛隊も先の戦いで損害を被っていると聞いた。仕方なし、ということだろうか。
あけられたドアをくぐる。この部屋は武官たちの会議室として使われる部屋であり、室内中央には大きな円卓が一つ置かれている。それを取り囲む様に椅子が並べられ、部屋の最奥には魔術球という道具が設置されていた。魔術球の使い方は多々あるのだが、こういった場の場合、資料の表示用として用いられる事が多い。魔術球に魔力を流し、適切な手順を用いれば空間に文字や資料を投影することができるのだ。
とはいえなかなかに面倒くさい手順が必要な道具であり、燃費も悪く万能なものではない。そして何より高い。故にこういった場でしかお目にかかれないものではある。
室内にはオイフェミア、ベネディクテ。そして簡易な礼服のようなもので身をまとった男の姿があった。
あれが件のアサカという男傭兵だろう。日焼けした肌に私達とは違う骨格をしている。東方の果てに似た姿の民族が当地する土地があったはずだが、彼は異世界からの
「アリーヤ!よく来てくれた」
ベネディクテがそう声をかけてくる。
「断る理由も無いしねぇ。お久しぶり~。オイフェミア殿下も大事ないようで何より」
「アリーヤ、取ってつけたような敬称は無しで大丈夫ですよ。貴女もお元気そうで何よりです」
オイフェミアの言葉を受けて苦笑いする。ベネディクテのような親友なら別であるが、オイフェミアとはあまり直接的な関わりはない。だから一応は……と思うのだが、まあ私は畏まった態度などは苦手である。彼女もそれを理解している為、このやり取りは顔を合わせる度の恒例行事でもあった。
視線をずらし、彼女たちの横にいるアサカであろう男を見る。すればベネディクテが先に口を開いた。
「ああ、アリーヤは初見だったな。紹介しよう、フェリザリアの初動攻撃から私とオイフェミアを救ってくれた……」
「アサカ・ヒナツ」
私が彼の名前を挟めば、男は少し驚いたような表情を向けてきた。そしてベレー帽を取りながら私に身体の正中線を向ける。
「お初にお目にかかります。俺……私の名前は朝霞日夏です」
「ご丁寧にどうも~。でも畏まった態度は苦手なの。できれば普段どおりでお願い。私はアリーヤ・レイレナード。よろしくね~」
続いて私の副官も挨拶と名乗りを行う。とは言えアサカ以外とは面識があるため軽くであるが。
「他の人員が揃うまでしばし待っていてくれ。喉は渇いているか?」
「大丈夫よ~」
そう言いながらアサカの隣の席へと座る。驚いた様子アサカであるが、お構いなしに聞きたいことを口にする。
「ねぇ、アリシアとはどこまでいったの?」
それを聞いて飲んでいた紅茶を吹き出したのはベネディクテであった。オイフェミアも取り繕えていないポーカーフェイスでこちらにチラチラと視線を向けてくる。このムッツリめ。どうせ知っている癖に中々のスケベである。
「……妹さんでしょ?直接聞いたら良いじゃないですか」
「だってアリシアは絶対答えてくれないもの。ねえ、どうなの?」
アサカはあからさまに嫌そうな顔をしつつ口を開く。
「俺だけの問題じゃないので黙秘権を行使します」
「え~」
そう口にしつつもそれ以上の追求はしない。別に私としても嫌われたい訳ではないし、彼は口が軽い方ではないということがわかっただけで十分だ。これで喋っていようものなら信用は地に落ちる。大げさと思えるかもしれないが、むしろこういう小さいことの方が人間性が良く出るものだ。
ともかく現状私のアサカという男に対する評価は及第点である。いや、最低限味方でいても問題のないレベルという所だろうか。まあ何にせよこれからもこの男と関わっていく機会は多いだろう。私も彼も、人殺しのロクデナシなのだから。
「少ないですね」
副官の呟きが耳に入る。真夏の生温い風が頬を撫で、髪が汗で張り付く。不快感とともに、5kmほど先で展開するミスティアの部隊へと視線を向けた。報復攻撃が行われる事はとっくに承知していたため、それに対しては驚きは無い。だが副官の言う通り、砦攻めにしては全くもって戦力不足である敵に対して疑問が募る。現在ここシャーウッド砦には私の第一騎士団と別の貴族が指揮する第八騎士団が集結しつつある。全部隊の配置が完了していないとはいえ、その数はざっと9000。それに対してミスティアの侵攻部隊はどう多く見積もっても3000に満たない規模である。こんな数で砦攻め?敵ではあるが、ミスティアの軍事統括者である第一王女、ベネディクテは馬鹿ではない。寧ろ私は彼女の事を同じ戦士として評価している。戦略の天才と称されるあの女がなんの策も用意していない訳がないのだ。
さて。先程も言ったことではあるが、私たちはこのミスティアによる報復攻撃を予期していた。その為本来であればミスティア国内に潜伏している我が国の諜報員から事前に敵方の戦力の大まかな情報が齎される予定だったのだ。だが1週間ほど前にミスティア内で大規模な諜報員狩りが行われたらしく、現在我が国のミスティアにおける諜報網は壊滅状態である。普段であれば顔には出さないものの、内心舌打ちくらいはする所であるが、今回ばかりは致し方なし、というのが私の感想であった。
というのも、その諜報員狩りを主導で行っていたのはあの"魔女姫"オイフェミア・アルムクヴィストなのだという。実際に対峙して理解したことだが、あの女は一般人が対処できる範疇を逸脱している。いくら諜報員というその手のプロであったとしても、他人の心を容易に覗き見て操作できるあの女が相手ではどうしようもないのだ。訓練を受けたプロといっても、それは通常の存在に対処するための訓練である。その枠を逸脱した怪物相手では練度なぞゴミクズ同然である。
そうは言ってももちろん既に斥候は放ってある。もうじき帰還するはずであるが。
「ノルデリア騎士団長」
そう思考していればタイミングよく斥候が戻ってきた。数は減っているし、全身血だらけであるが。捕捉され、戦闘に陥ったか。
「まずは休めと言いたいところだが、状況が状況だ。報告を頼む」
視線を向けそういえば斥候を行っていた野伏は生唾を飲み乾いた声で話し始める。
「報告致します。展開中のミスティア軍において3つの旗を確認。うち2つはウォルコット軍のものです」
苦虫を噛み潰したような顔をする。事前の個人的な予想通り、ではあるがよりにもよってウォルコットか。私と同じ、戦士としての逸脱者、"単騎師団"レティシア・ウォルコットの軍である。なるほど、数が少ない理由が理解できた。たしかにウォルコットという逸脱者がいるならば額面の数の差等あてにはならないだろう。それにしてももう少しは頭数を用意すると思っていたが。だが生憎とこちらにも私という逸脱者はいる。であればそれに対する対策もあるだろう。
「なるほど。残り1つは?」
「それが……旗は傭兵部隊レイレナードのものでした。それも第一大隊のものです……」
周りに隠す気も無く舌打ちをする。なるほど。そういうことか。"単騎師団"レティシア・ウォルコットと"烈火"アリーヤ・レイレナードの逸脱者2人を戦場に投入するのなら、一般部隊の数なぞどうでも良いと言うわけだ。寧ろ足かせにすらなりうる。アリーヤという女は戦術的殲滅に長けた存在だ。厄介極まりない。これは、私が直接前面に出て抑えるしか無いだろう。砦内で戦闘しようものなら私達以外誰も居なくなる。だがあの化物女どもを2人相手にしつつ拠点防衛もするとなると……無理である。良くて大損害、悪くて壊滅だろう。また貧乏くじを引いたと内心で悪態をつくが、そうはいっても状況は変わらない。やれることをやれるだけするしかないだろう。
「理解した。斥候部隊の損害は?」
「申し訳ありません。私以外の者は全滅です……」
「レイレナードの騎兵部隊に狩られたか?」
「いえ……」
口を濁した野伏に違和感を抱き改めて身体を向ける。すれば野伏は苦虫を噛んだような顔で口を開いた。
「遠方でパァン、という破裂音が聞こえたかと思えば、次々に仲間が血を吹いて死んでいったのです。その攻撃の主の姿を確認することすらままなりませんでした。ですが、あれは恐らく……」
最悪だ。思わず天を仰いだ。私に傷を追わせ、先の侵攻時に我が軍を敗退に追いやった元凶、"魔弾"までもが参陣しているというのか。逸脱者級の3人がわざわざ参陣してくるとは。ミスティアの本気度が伺えると言うもの。もしくは他戦線での対応で人員を割けないかのいずれかか。
どのみち私達にとって最悪なのには変わりないが。
魔弾と言うのはフェリザリア内で渾名されたあの存在の事であるが、言い得て妙だと思う。このままでは状況はかなり厳しくなることだろう。
だから手を打つ。かなり極限状態であるが、やれることはある。
「了解した。お前は休め」
野伏は了解の意を示し下がっていった。副官が眉間に皺を寄せながら声をかけてくる。
「最悪ですね」
「ああ。だがやれるだけの事はやるさ。むざむざ敗走なぞフェリザリア貴族の名折れだろう」
副官も私の言葉に同意するようで意思の強い瞳に変わりは無いが、それ以上の憂いを感じさせる。
「そうですね。一般部隊は下げますか?」
「いや、どのみち籠城した所で破壊されるのは目に見える。だからさ、進むしか無いんだよ。私と5000で打って出るさ」
「ですが最低でも烈火と単騎師団が相手ですよ?ノルデリア団長はともかく、他の兵は……」
「わかってるさ。だが奴らのどちらかに砦に張り付かれた時点で終わりだ。そうなる前に敵の一般部隊を壊滅に追い込む。そうすればここでの勝敗はともかくとして、連中はこれ以上の侵攻が不可能になるだろう。先の市街地が焼かれるよりはましだろう?」
複雑な心境をそのまま顔に張り付かせ、副官は応えた。
「まあ……そうですね。ですが魔弾はどうするんです?」
「それについては考えがある。"猟犬大隊"は到着しているか?」
「はい。ゼータ様隷下の部隊が到着しております」
「ならゼータを呼んでくれ。猟犬らしく、"魔弾"に噛みついてもらおう」
猟犬大隊。フェリザリア女王カミーラ直属の特殊部隊である。練度はザールヴェル世界において最強の一つに数えられ、また勇猛果敢。そして猟犬大隊の指揮官であるゼータは逸脱者に届かないにせよ、私に深傷を負わせた存在でもある。とはいえ、ここでの勝敗は正直望み薄であるが、それでも連中に徹底的に傷を与えてやろう。なんせここにはフェリザリア最強の私と、その次に強いゼータが揃っているのだから。
私にも青い血の流れる貴族としての自負はある。ここの損害で後方の都市が難を逃れるのであれば本望だ。他貴族からのやっかみも減るしな。まあ最も、貴族位を蹴ったゼータからすれば甚だ迷惑な話ではあるのだろうが。
だがやってもらわねばならない。我らはフェリザリアを代表する最強。その責務は、私達が思っている以上に重いのだ。
戦争というのは好きではない。寧ろ戦争が好きな人間というのは破綻者に他ならないだろう。正直に言えばミスティアの政治的しがらみのせいで民が疲弊しているこの現状は忌々しい。大規模な北方魔物部族連合への対処も、深淵に対する征伐も国内の一定の貴族から強い反発があるため満足に行えていない。まあ彼らの気持ちも理解できなくはない。モンストラ戦線への対処も、深淵戦線の対処も、私やアリーヤ騎士、オイフェミア殿下などの逸脱者が主力として参戦しなければ事態の進展は難しい事は目に見えている。だが逸脱者たる我らが動けばそれだけ周辺の"人族国家"に付け入る先を与えることに他ならない。今回の逆侵攻を行うに至ったのもベネディクテ殿下とラクランシア陛下が強く提言した事も理由の一つではあるが、それ以上に"貴族社会"の面子、そしてフェリザリアの逸脱者ノルデリアの存在が大きな理由の一つだ。
どういうことかといえば貴族社会の面子というのはそのままの意味で、柔な対応では今後同じような事を行ってくる国家や勢力が現れないとも言えない。それに対して逸脱者を2人投入してでも報復を行うというのは、フェリザリアへの対処と同時に周辺各国への示威行為でもあるのだ。
"お前たち、変なことすればこうなるぞ?"という、非常にわかりやすい形で周囲に意思を示すことができる。だから国内貴族からの反発も少ない。特に他国と隣接している弱小貴族にとっては我らの"逸脱者の傘"というのは生命線であり、精神安定剤でもあるのだ。
次にフェリザリアとノルデリアだが、これもミスティアにとってはわかりやすい脅威である。隣接した同じ人族の大国。どんな阿呆でもこのまま放置すれば"マズい"というのは理解できる。故に大国である人族国家への対応でも我ら逸脱者が動く事に対して不満を抱くものは多くはない。これは人族国家、そして逸脱者の事を知っているから、その脅威が認識できているに過ぎない。
だが北方魔物部族連合も、深淵の魔神共も同じかそれ以上にこの国にとっては脅威であるのだ。だというのに、多くの貴族はそれに気がついていない。要するに深淵の魔神や魔物などへ対する知識不足。更に平たく言えば魔物や魔神の事を多くの貴族は舐めて、侮っている。
"あんな文化も持たぬ蛮族に逸脱者が動くこともない。実際逸脱者がいなくても防衛できているではないか"
阿呆らしいと感想をいだきそうになるが、これは致し方ない部分もある。というのもモンストラ戦線や深淵戦線での軍役の大半は王家派閥、つまりは王家、アルムクヴィスト公爵家、そしてウォルコット侯爵家が担っている。これはその戦線地帯がそれらの家の領土であるからだ。まあ地政学的な問題や政治的な問題、練度的な問題も多分に含まれるのも否めないが。要するに地方領主派閥の大半は実戦経験が少なく、その脅威の認識が甘くなってしまっている。
最近ではこの問題を解決しようと、ベネディクテ殿下が地方領主派閥の貴族の幾名かにも2大戦線での軍役を命じる事も増えてきてはいるが、国家全体に魔物や魔神の脅威が浸透するのには今しばらく時間がかかるだろう。
要するに私が直接戦闘に参加はせずとも、戦場への対処に辟易しているのはそういった理由がある。更に言えば、直接戦闘できないことこそが最も大きなストレスだとも言えるだろう。部下や同胞に対して些か礼を失した考えだとは理解しているが、極論私が単騎で戦った方が個人的には都合がいいのだ。そのような背景もあり、今回の侵攻戦は"気がのらないが、乗り気"という矛盾の内に参陣している。うちの通常軍にもそれなりの疲弊が見えてきているのが実情であるため、どうか今回の事変を切掛として深淵戦線、モンストラ戦線への認識が変わることを祈るばかりだ。まあそこはベネディクテ殿下とヴェスパー公爵の政治的手腕に期待するとしよう。
閑話休題。現在位置はフェリザリア-ミスティアの国境に存在するフェリザリア側のシャーウッド砦の手前5km地点。輜重兵や通信管制兵などの後方支援部隊はこの位置に待機させ、本隊はこのまま侵攻を行う予定であった。ここは周囲を見渡せる丘の様な地形となっており、もし後方部隊への襲撃が発生しても早期発見が容易であるためだ。そしてシャーウッド砦とこの丘の間には小さな森林が存在しており、現在は前進前の索敵中である。といってもその索敵を担っているのは私の軍では無く……
「鉄の鳥が飛んでる……」
臣下の一人がそう呟いた。つられ、彼女の視線の先へと目を向ける。そこには曇り空を背景に飛ぶ何かがあった。臣下は鉄の鳥、と呟いたが、外見は鳥とは異なる。もっと無生物的で、強いていうならば昆虫の方が近いだろう。最も、私の知りうる昆虫であの様な形のものは無いが。
あれは右翼に展開しているアサカ殿が運用している"無人偵察機"なるものらしい。ドローンとも彼は言っていた。全長は40cmほどであり、地上から操作し、上空から監視や偵察を行うための"道具"だという。
そう、道具だ。魔具でもアーティファクトでも無く、ただの道具。卓越した魔術師であれば使い魔を用いて同じ様な上空監視方法を取ることも可能であるが、あの無人偵察機は訓練すれば誰でも扱える代物なのだそうだ。そんなものが平然と存在する世界の戦争とはどういうものなのか。その思考は直ぐに中断した。考えずともわかるからだ。兵器の発展はつまり、戦争の巨大化を招く。恐らく、そこに広がるのは地獄だ。
アサカ殿が無人偵察機を用いているのは、彼からの提案があったにせよ私が頼んだからに他ならない。理由はふたつある。まずひとつ目は私とアリーヤ殿の魔力消耗を抑えるため。いくら常人とは桁違いの魔力を保有する逸脱者とて、これからノルデリアと事を交えるのであるから万全は期しておきたい。私もアリーヤ殿も使い魔の心得はあるものの、できればそこにリソースは割きたくないというのが本音であった。あれは魔力もそうだが、脳の演算リソースを多分に使用する。端的に言えば疲れるのだ。ふたつ目は、アサカ殿の価値を戦闘前に図りたかったということ。オイフェミア殿下とベネディクテ殿下が信用し、尚且つ自分で依頼を出しといて今更何を言っているのか、と思うかもしれないが百聞は一見にしかずである。私は彼の戦闘能力も、その他もまだ直接目にしたことはなかった。何ができて、何ができないのか、それは話で聞くよりも実際に目で判断した方がいい。
もし彼が索敵漏れを起こした場合こちらも損害を被る可能性が高い為リスキーな選択ではあるが、そもそも自分から提案しておいてこの程度ができなければこの侵攻戦の前提条件が霧散する。ならば本格的な戦闘が行われる前にコケたほうが断然マシであった。
『レティシア様、右翼アサカ殿からの報告です』
脳内に声が流れた。各部隊の通信を管制する臣下の声だ。通辞のピアスは便利な魔具であるが、それぞれの通信にはペアとなるピアスが必要である。それを全てつけていては邪魔になるため、各部隊からの通信を管制する部隊を配置しているのだ。
『2時の方向、距離600mに敵の斥候らしき存在を4名確認。排除の許可を求められています』
「構いません。それと右翼での交戦の判断は一任すると、伝えてください」
『了解しました』
総指揮官という立場も面倒くさい、というのが本音である。だが立場的に全体の指示を行えるのが私だけというのも事実。アリーヤ殿もアリシア殿も優れた指揮能力を持っているが、彼女達はあくまでも傭兵。貴族の軍が参加している戦場で傭兵が指揮を行うとなっては、どうでもいい不満がたまりかねない。
管制官にそう伝えた10秒ほど後、右翼で乾いた破裂音が響いた。一発では無い。続けて2回、3回と響いた音は、曇天も相まって雷のようにも聞こえる。
『報告、3名殺傷、残り1名は光に包まれ消失』
「緊急用の転移魔術……?余程高位の魔術師を斥候としてよこしたようですねノルデリアは。他の敵の姿は?」
『我、敵影見留ず、です』
「そうですか。では全隊に進発指示を。参りましょう」
私は管制官にそう伝えた。少しの間を置き、再び脳内に声が響く。
『こちら通信管制、攻撃参加全部隊進発開始。繰り返す。攻撃参加全部隊進発開始』
その声と同時に各方の大隊長から声が上がる。
「進発指示だ!」
「全隊前へ!」
馬と人の足音が響き出し、地面が揺れる。さて、状況は開始された。アドレナリンが体中に分泌され始め、独特のしびれを感じる。フェリザリア最強、ノルデリアとこれから殺し合うというのに恐怖心などは一切ない。ただあるのは、どんなものかという期待にも似た感情のみ。
いずれにせよ、直ぐにわかることだ。ともかくは軍に出る被害は最小限に留めるように立ち回ろう。自らに忠誠を誓ってくれる有能な臣下達を無駄に殺す趣味もなし。だがまあ、余裕があればになってしまうのが心苦しいが。きっと今回は私も無傷では済まないだろう。無論死ぬ気は一切ないし、死なぬ自信もあるが。願わくば、ここにいる全員が生還して欲しいが、それもまた夢想。まあいつも通り、やれることをやれるだけやるのみだ。殺しに行くとしよう。
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Act15_誰かのリンボ
去年の投稿数3本って少な過ぎだと自分でも理解してるんですけど、大体エルデンリングとOW2、Valorantが悪いんです。
尚今年にはAC6の発売がある模様。
「始まるな」
横でしゃがんでいたゼファーがそう呟いた。彼女は今、俺が貸したハーフギリースーツを羽織り、双眼鏡で戦場を見渡している。俺はといえば匍匐の姿勢で携帯端末を操作していた。その携帯端末は液晶画面の付いた
「しかしそれは便利だね」
ゼファーが双眼鏡を上空に向けながらそういった。その双眼鏡の先には
無人偵察機の正式名称はCCUA-3。通称シーガル。かもめと名付けられたこれはC.C.Cが独自開発した軍事用ドローンの偵察型である。太陽光パネル搭載であり、陽の光のある場所なら半永久的に飛び続けられる利便性と全長50cmほどという携行性が売りの機体だ。素人でもマニュアルを熟読すればメンテナンス可能な整備性も評価が高い。まあこちらの世界に来てしまった俺が宣伝しても虚しいだけだが。
「まあね。敵に使われるのは勘弁だけど」
「それはそうね。だけど銃だけでなく、あんな物まで存在する戦場を想像すると恐ろしくなるわ。こっちに飛ばされたのがアサカだけで良かったよ」
冗談っぽくゼファーはそう笑った。実際その通りだ。国家規模とは言わなくても、小隊規模などでまるごと飛んでいたらもっとややこしい状況になっていたのは想像に難くない。
「まあそれはそれとしてありがとう。観測手を引き受けてくれて」
俺は端末から目をそらさないままゼファーへ感謝を告げる。そう、彼女がいまこうして俺の隣にいるのは観測手を引き受けてくれたからなのだ。
「気にしないで。私がオイフェミア様から命じられているのはアサカの身辺警護。というかぶっちゃけ、私も戦士としての自負と自信はあるけど、"あんな"戦場にいても足手まといになるだけだしね」
自嘲気味に彼女は笑う。"あんな"戦場。逸脱者という人知を超えた存在が3人も揃う戦場。確かに人の身が介在する余地はほぼないだろう。オイフェミアとノルデリアの戦いの時でさえ、もっと近くにいれば死んでいただろう。そんな逸脱者が3人も揃っているのだ。一介のマークスマンが直接現場にいてもどうしようもない。無論それはゼファーも同じ意見であるようで、こうして観測手を引き受けてくれたのだ。
とはいえ、彼女は本職の観測手ではない。そのための訓練も受けていないし、初めての体験である。だから俺が彼女に任せたのは主に周辺警戒。誰か別の人物が周りを警戒してくれているだけでもこちらのパフォーマンスは上がる。ましてやドローンの操作までやってるのだ。簡易的な自動操縦は行えるが、精度が高いとはいえない。GPSが存在していれば座標を打ち込むだけでお手軽自動操縦なのだが、生憎とこの世界に人工衛星なんて便利なものは存在していないのだ。とは言え銃撃しながらモニターの確認なんぞ御免被るので、交戦が始まったら無人偵察機のモニタリングはゼファーに任せる予定である。
「そっちはいつものとは違う銃だね」
ゼファーは俺の横に2脚で立てている銃へと視線をずらしながらそう言った。
いつもの、とは恐らくM39EMRの事を指しているのだろう。弾薬庫で暇つぶしがてら行っている射撃演習モドキに使用しているのは大体M39EMRなので見慣れないのだろう。
「使い方も全然違うぜ」
今回の任務に持ち込んだプライマリの一本はM240軽機関銃。7.62mm×51mmNATO弾を用いるフルオート機関銃だ。弾薬はM39EMRと同じものなので射程はそれなりにある。精度も軽機関銃にしては高く、米軍ではこれをマークスマンライフルと同じ様に運用していた隊もあるらしい。
俺個人としてはあまり使用したことのない銃だが、分隊支援火器として隊では運用していた。仲間達の弾幕に幾度となく助けられた事は覚えている。今回の主な任務はミスティア軍右翼部隊の支援。1000を優に超えるフェリザリア軍勢をほぼ単騎で押し留めなければいけない。正直勘弁して欲しいというのが本音である。俺がしくじれば少なくても右翼に展開しているウォルコット軍の大隊1000人が死ぬことになる。軽くはないプレッシャーがトリガーにかかっていた。だが不思議と緊張はしていない。それはこれまでの経験からか、それとも半ばやけくそ気味であるからか。
もう一本のプライマリはブッシュマスターACR。普段から運用しているアサルトライフルだ。これは不慮の近接戦に対応するために持ち込んだものであり、恐らく火力支援として運用することはないだろう。
とはいえ、アサルトライフルとマシンガンだけで総計万に届くこの戦場をコントロールできるとは思っていない。確かに機関銃陣地は強力だ。歴史的に見ても日露戦争における旅順攻略戦の203高地など機関銃陣地が猛威を振るった戦場は多い。だがそれは複数の機関銃陣地がお互いをカバーし合う様に配置されていたからだ。単騎ではリロードタイムのカバーが行えない以上、その隙は味方にとって致命的となる。それに魔術を初めとした異能が存在するこの世界だ。どんな事が起こるかは予想もつかない。故に味方の損害を減らす為には初手で相手の士気をズタズタに引き裂き指揮系統を壊滅させるしか無い。そのための文字通りの秘密兵器も持ち込んでいる。これらの火器の運搬に協力してくれたレイレナード部隊には感謝しか無い。まあ自分たちの命に直結にするのだから打算的な計算なのだろが、そんな事はどうでもいい事である。
無人偵察機を簡易自動操縦モードに切り替え端末から視線を外す。そして横に設置してある今回の本命へと目を向けた。
見た目は実に簡素。一本の鉄の筒が天空に向けられ、それを支える為の脚が取り付けられている。これこそが今回の秘密兵器。
その名前はL16 81mm迫撃砲。アメリカではM252、陸上自衛隊では81mm迫撃砲L16の名が与えられた世界的ベストセラーの中口径迫撃砲だ。
迫撃砲は、簡易な構造からなる火砲である。高い射角をとることから砲弾は大きく湾曲した曲射弾道を描いて飛翔していく。
少人数で運用でき操作も比較的簡便なため、砲兵ではなく歩兵の装備であることが一般的で、最前線の戦闘部隊にとっては数少ない間接照準による直協支援火器の一つである。
射程を犠牲にして砲口初速を低く抑えることで、各部の必要強度を低減し全体を小型かつ軽量にしている。また、射撃時の反動を地面に吸収させる方式によるため駐退機や復座機といった反動制御機構を省略し、機構を簡素化する工夫が施されている。
戦場において火力は正義であり神と同義である。大げさに聞こえるかもしれないが、実際に地上戦の8割は砲撃戦で決まるのだ。俺たち通常歩兵の介在余地などほぼ無い。航空機が本格実運用されている現代戦に置いてもそれは変わりがない。
考えても見て欲しい。いくら堅牢な要塞や陣地を築いた所で大火力砲撃ならばそこを守る防衛部隊ごと壊滅させることが可能なのだ。例えばビルにライフルを持った歩兵数十名が籠城しているとする。これを同じ歩兵戦力で制圧するためには室内に突入して
故に俺たち歩兵にとって砲兵は戦場の女神なのである。
では迫撃砲は?砲兵戦力が戦場の女神なのであれば、迫撃砲は
これを用いて相手の出鼻を挫くというのが今回の俺のプランである。
とはいえ、うまくいくかという不安はある。俺は
その時背中にぽん、と軽い衝撃を覚えた。何事かと思い顔を上げれば、優しげな微笑みを浮かべたゼファーと目が合う。彼女が俺の背中を軽く叩いたのだ。
「大丈夫。やれることは少ないけど、しっかり手伝うよ」
「……ふふ。ありがとう、ゼファー」
少し重荷が軽くなった気がした。
「それじゃあ無人偵察機の観測を頼むよ。何かがあったらそっちの判断で本部に報告してくれ」
「了解。この画面……?を見とけばいいのね」
「その通り。それを見て判断してくれ。こっちで手伝って欲しい事ができたら声をかけるよ」
ゼファーは顔の横に手を掲げて了承の意を返す。本当にこの世界でコミュニケーションを取ることが出来てよかった。一人では何者にもなれなかっただろう。
身体を起こし迫撃砲の射角調整を行う。レーザー照準器を用いて正確な距離を算出し、それを元に射角をずらしていく。敵歩兵部隊との距離は512m。改めて目と鼻の先に敵がいることを確認すると不思議と高揚した気分になる。
「本隊前進開始」
ゼファーの声が耳に入る。彼女の言葉の通り前衛に展開している本隊が進行を始めた。
「嫌なものね」
軍馬と甲冑歩兵が地面を蹴る轟音が轟く。その中でも、彼女の声は嫌に透き通って聞こえた。視線を向ける。目に入るのは人の倍以上はある全長を持った虎であった。だが普通の虎ではない。雪を連想させるような純白の毛皮に、青の縞模様。そしてそれを覆う緋緋色金製の甲冑。尾は槍のように鋭く、鞭のように靭やかで、象の鼻を2本足しても足りない位には長い。その獣の名前はティルグリス。幻獣、ティルグリス。人並み以上の知恵と、一個旅団を殲滅可能な身体能力を誇る人外の生物。だがその美しくも恐ろしい幻獣が声を発した訳では無い。
声の主はティルグリスに騎乗している人物。深い藍色の長髪に、エメラルドグリーンのメッシュ。顔を含めた身体の至る所にはマゼンタ色のボディステッチが見受けられる。胸部を護る革鎧を装着し、左手にはバックラーと呼ばれる小盾。そして右手には真語文字が彫られたレイピアを装備している。そして着ている服はフード付きの上着とスカート。チェストアーマーさえ外せば今から買い物に行くのでは無いかと思わせるほどに、その女は軽装であった。大凡戦争に赴く格好ではない。精々が駆け出しの冒険者、もしくは狩人といった装備である。
だが私はこの女が真の化け物であるということを誰よりも知っている。視線をその女の顔へとずらした。その女は心底楽しそうに、嘲笑っていた。
女の名前はアリーヤ・レイレナード。烈火の異名を持つ、
「人殺しなんて、趣味じゃないもの」
アリーヤは何処までも楽しそうな笑みを浮かべながらそう言った。だがその笑みに喜色は含まれない。ただあるのは、原始的な暴力にも似た物。
「せめて真顔で言うべきセリフでしょうに」
馬の腹を蹴りながらそう返す。同時に背中に担いだクレイモアを引き抜いた。手入れされていない草原を、無数の人と軍馬が駆け抜ける。眼前に見えるのは、砦とその前衛で陣を築くフェリザリアの兵士達。
最早砦の懐といってもいいほどの距離。意識を先鋭化させていく。刃物の様に、張り詰めさせていく。直後、脳内に声が響いた。
『左翼へ魔術迫撃』
砦から轟音が響いた。同時青白い閃光に包まれた投射物が私達へ目掛けて放たれる。魔術迫撃によって投射された魔術弾だ。使用用途は投石機と大凡同じ物。違うのは、それが魔術によって投射される事。アサカの言う所の大砲のような大型の魔術装置に数名の魔術師が魔力を流す事によって高速で物体が投射可能な兵器。戦術的驚異度は、投石機の比ではない。あれがある限り、一般部隊は接近すらままならない。
「フフッ」
だがそれは一般部隊の話である。上空に紅い閃光が迸った。直後、高速で迫っていた魔術弾が爆発を起こす。まだ300m以上距離があったというのに爆発音と爆風が身体に届き、その威力を実感する。だが真に恐ろしいのは……
視線を横にやった。そこには全身に紅い雷を迸らせ、狂暴な笑みを浮かべる姉の姿がある。この女があれを迎撃したのだ。
アリーヤが用いたものは魔術である。だがただの魔術ではない。その魔術は"龍神の赤雷"と呼称される、雷系の最上位魔術。20km以上という圧倒的な射程距離を誇る戦術級魔術である。通常の魔術の射程がどれだけ長くても50m前後ということを考えれば、その異常性が理解できるだろう。威力は一室を吹き飛ばす程度(まあそれも十分可笑しいとは思うのだが)であり然程ではないが、現存するどの兵器よりも圧倒的に高射程で高精度、高速度な魔術である。
勿論こんな魔術が誰にでも使える訳がない。龍神の赤雷はそもそもが神話に登場する魔術である。一撃で一般的な魔術師2人が魔術欠乏に陥る魔力消費量。そして圧倒的な演算難度の高さ。神代の歴史書に登場し、幾千名もの偉大な魔術師が再現を試みた魔術。だがそのほぼ全てが再現に失敗し、『これは御伽噺の魔術だ』と匙を投げた魔術。だがそれを再現した逸脱者がいた。現代に蘇った魔術の神の化身、オイフェミア・アルムクヴィスト殿下である。
話はここで終わるはずであった。例え神話の魔術を再現できたとしても、結局それを行使できるのは人を逸脱した存在のみ。そう、人を逸脱した天才がもう一人いたのだ。
「あはは!」
第二射、三射と魔術迫撃が放たれる。だがその全てが赤雷によって迎撃されていく。狂ったような笑い声を上げる女は、狂暴な笑みを浮かべていた。
アリーヤが赤雷を迸らせた右腕とレイピアを顔の前に掲げる。そしてはち切れんばかりの赤雷が発生したと同時に、腕を振り抜いた。ほぼ同時に砦の城壁部分、魔術迫撃機が赤雷に包まれ爆発する。周囲には複数名の魔術師がいたようだが、着弾と同時に姿は消えていた。ただそこには血煙だけが残っている。
「おやすみ」
逸脱者というのはそもそもが人を大幅に逸脱した化け物達である。だがそれぞれに特徴がある。例えばアイフェミア殿下であれば逸脱者の中でも特に秀でた無尽蔵の魔力と、精神掌握。レティシア殿下であれば異常な反射能力と高速戦闘。フェリザリアのノルデリアであれば高精度の魔力放出と天性の戦闘センス。
そして私の姉……アリーヤ・レイレナードであれば魔術の多重複次展開、部隊への指揮、幻獣の操作、そして剣術、それら全てを並列に処理する演算能力、無詠唱、結果として生まれる破壊である。
私達レイレナード部隊がいるのは戦場の左翼である。フェリザリアの守るシャーウッド砦を最奥に、その手前にフェリザリア前衛部隊。その真正面に向かい合ってウォルコットの第一大隊。右翼にはアサカの援護がついたウォルコット第二大隊が布陣している。我々ミスティア勢力がフェリザリアを全翼に渡って包囲するような布陣である。最も、彼我の戦力差を考えればとても包囲には程足りない数ではあるが。だがそれは通常戦力に限った話である。
魔術迫撃機が爆発した直後、中央のウォルコット部隊から何かが目にも留まらぬ速さで敵前衛部隊へ迫っていくのが横目に確認できた。
「レティシア殿下が吶喊された!我々は予定通りに敵前衛部隊の真横まで抜けるぞ!アリシア、あんたは私のバックアップ。詠唱の時間を稼ぎなさい。他の連中は敵を逃がすな!動きを牽制しろ!範囲には巻き込まれるなよ」
アリーヤが怒声を上げる。別に私の援護がなくてもあんたは大丈夫でしょうに。声には出さずにそう呟いた。
同時に彼女の斜め上後方に無数の魔術陣が展開されていった。それぞれの魔術陣の中心には魔力で形成された青白く輝くダガーが顔を覗かせている。あれは魔術の空剣と呼ばれる魔術であり、半自動的に目標へと投射される展開型魔術である。
威力、難度共に常識の範疇であるが、連続展開は出来ても同時展開は出来ない魔術である。だが複数の魔術を同時に詠唱できるだけの演算能力を持ったこの女にはそんなこと関係無い。大凡20にも届く魔術の空剣を同時展開しながら、さらなる魔術の詠唱を行っている。
バンッ!という耳を劈くような金属音が戦場に響き渡る。同時に草を押し倒す程度の衝撃波が身体に伝わる。音の方向へ目をやればこの戦場のど真ん中で二人の女が鍔迫り合いを行っていた。
一人は漆黒のフルプレートアーマーに身を包み大槍を振るう騎士。フェリザリア最強の逸脱者、ノルデリアである。
もう一人はアサカの持つ銃のような特殊な形状の双剣を振るう銀髪の女騎士、レティシア・ウォルコット殿下だ。恐らくレティシア殿下が超高速で吶喊した勢いのままぶつかりあったのだろう。鍔迫り合いはほんの一瞬の事であり、そのままお互いに連続で魔力放出による高速戦闘へと移っていく。
だがそんな異常な逸脱者同士の戦闘を前にしても、フェリザリアの一般部隊の対応は早かった。即座に部隊を2分割し逸脱者同士の戦闘を避けるようにしてウォルコット軍へと進行を開始していく。我々左翼から迫る騎兵部隊への対応も忘れておらず、阻止射撃の為の魔術師を部隊外郭に配置していた。良い判断力だ。恐らくはフェリザリアの副官は相当に優秀な人物なのだろう。だが相手が悪い。
「ふふっ」
阻止射撃の為に配置されていた複数の魔術師が上空から落とされた赤雷によって同時に爆散する。龍神の赤雷の亜種魔術の同時行使だ。勿論そんな馬鹿げた真似ができるのはアリーヤ以外にはいない。
「フェリザリア一般部隊の進路を塞ぐ様に馬を奔らせろ!殺す必要は無い!相手の足を止めたら直ぐに離脱だ!」
指示を受けたアリーヤ隷下のレイレナード第一大隊が突撃を行う。移動中の敵部隊の進路を塞ぐようにして馬が列を成して、すれ違いざまに魔術を放っていく。結果それによって一瞬連中の足が止まった。
だがそれは本当に一瞬のことであり、騎兵部隊が過ぎ去った後にフェリザリア部隊は直ぐ様に進行を再開しようとする。だがそれは出来なかった。
先頭を奔っていたフェリザリアの騎兵が突如として何がに激突したようにして落馬したのだ。後ろから続く歩兵部隊も次々と"見えない壁"にぶつかるようにして倒れていく。
「良い眠りを」
アリーヤがそう呟いた直後、そのフェリザリア部隊の周りに水銀のような霧が立ち込め初めた。それは立方体状に彼女らを包み込む。何が起きているのか、それに気がついたフェリザリア兵の一人が、見えない壁に対して武器を振り下ろし始めるがもう遅かった。
立方体の中に閉じ込められたフェリザリア兵が次々と藻掻きながら倒れていく。水銀の霧が晴れる頃には誰もそこには立っていなかった。
「殲滅完了」
アリーヤが用いた魔術は"盾"と"致死の銀霧"と呼ばれるもの。盾は不可視の立方体状に魔術障壁を展開させる防御、拘束魔術。そして致死の銀霧は触れた生命全てを蝕む設置型の魔術。盾によりフェリザリア兵を逃さぬ籠を創り、致死の銀霧をその中に発生させたのだ。気がつくのが遅れればただ待つのは死。だが初見でそれを見切るのはほぼ不可能だろう。
こうしてフェリザリアの左翼部隊2500は一瞬にして壊滅した。えげつない。
その光景を咀嚼することも無く、ただの敵戦力の現象という事実として脳で処理する。悲惨な状態の死体が山のように転がっているが、別に死んでしまえばただのモノだ。これが仲間ならばそれなり以上の困惑は私の中に生じるだろう。だが一度敵と認識していた存在であればなんてこと無い。
戦場に長く身を置いているからこその自身の精神的防壁。私は私の心を護るために、この眼の前で起きた"敵兵"虐殺について深く考えることはしない。
「レイレナード部隊!砦を牽制しつつ中央の部隊を追い詰めろ!」
アリーヤの怒声。同時に彼女の騎獣であるティルグリスが大きく口を開く、そこから青白い雷が迸る。それは目にも留まらぬ速さで飛翔し、敵中央の通常歩兵へと炸裂した。
電撃が人から人へ伝播し、壊れた人形の様に人が死んでいく。
私も馬を走らせる。ノルデリアとレティシア殿下の異常な戦闘には巻き込まれないようにしつつ、態勢を立て直そうとしている歩兵部隊へ目掛け突撃する。
同時エンハンサーの多重発動。ビートルスキン、キャッツアイ、マッスルベアー。敵弓兵がこちらに目掛け放った矢は強化された動体視力の前では止まっているも同然に見える。クレイモアでそれを切り捨て、更に速度をあげる。
大盾兵が前衛をはり、パイクがこちらを突き刺そうと迫る。だがそんなものは関係ないとばかりに馬を大盾兵へとぶつけた。同時鐙を蹴り大きく飛び上がる。そして上段からクレイモアを敵陣の中心目掛け一閃。敵の士官クラスと思われる女を一刀両断する。
敵集団のど真ん中に飛び込む形になり完全に方位された。だがそれがなんだというのだ。私は上位者。逸脱者には届かぬにせよ一騎当千の兵である。その生半可な武器で私の身体を抜けるものならやってみるがいい。
ショートソードを中段に構えた敵兵がこちらへと斬りかかってくる。それを左手の籠手と硬質化された腕で強引に受け止め、腹を思い切り蹴り上げた。筋力強化された今の私の脚力は、それだけで立派な武器だ。脊髄を完全に折った嫌な感覚が足裏から伝わり、敵兵は痙攣しながら後方へと吹き飛ばされる。
次、背後から2人が斬りかかってくる。それに対し左足で後ろ回し蹴りでのカウンター。頭部に命中した私の足によって敵兵の頭部が兜ごと千切れた。残ったもう一人の斬撃を回転の勢いのままクレイモアで弾き飛ばす。クレイモアを右手から左手にスイッチしつつ、右の籠手で敵兵の首目掛け打撃を飛ばす。頸椎が折れる気持ちの悪い音と共に、その身体は後方へと倒れ伏せた。
3人をしばいたとは言え、ここは敵中央のど真ん中。5m程の距離を開け、全周囲を敵が取り囲んでいる。肉体一つであればあまりにも無謀な突撃であることは言うまでもない。流石に千を超える相手と戦い続けるのは、相手が明確に自分よりも格下とは言え、魔力が持たない。つまりこの突撃自体、愚か者のする行為。
普通であればそうだ。
「グワッ!?」
だが私が突撃してきた方向で敵が空へと吹き飛ばされている。1人、2人、5人、7人。次々と吹き飛ばされている敵兵の奥から現れたのは、先程まで私が騎乗していた馬の姿。オリハルコン製の馬鎧に身を包み、獰猛な闘牛の様に敵をなぎ倒している。
先程の突撃は別に馬を犠牲にしようとした訳ではない。私はこの騎獣が並の人間なぞよりも圧倒的に強い事を理解している。この馬の種族名はディバインホース。馬と瓜二つの見た目をした幻獣である。人並み以上の知能、魔術すらも仕える魔力量。そして幻獣であるが故の圧倒的なフィジカル。通常の人間などと比べ、生物としての格が違う。
見ればディバインホースの身体にはいくらかの血が付き、鎧を装備していない部位には槍先が突き刺さっている。だがそういった傷口からの出血は既に止まっていた。おそらくは自分で戦いながら治癒魔術を施したのだろう。
私は地面を蹴り、ディバインホースの鐙へと飛び乗る。それと同時に手綱を引いて腹を蹴った。ディバインホースはそのまま包囲していた敵兵を蹴散らしながらその集団を強引に突破していく。
一気に距離を取り再びの突撃の準備を始める。その時、耳慣れないヒューという風切り音が聞こえてきた。
なんだ?そう思い空を見上げる。音の方向には小さな黒い粒。あれはなんだ?その答えを思考するよりも先に、その黒い粒が敵右翼へと落ちていった。
ドゴーン。ある程度の距離があるのにも感じる爆風が私達の元へ届き、赤い炎と黒炎が地面から吹き出る。幾名かの敵右翼兵士がそれと一緒に空へと舞い上げられていた。
再びの風切り音。少しズレた敵右翼へとまた黒い粒が降り注ぎ、爆炎をあげる。
「アサカか!」
攻撃の主に合点が行き、思わず叫んだ。なるほど、銃とはまた違う武器のようだが、しっかりと自分の仕事を果たしているじゃないか。流石だ。
では彼の仕事を減らすためにもさっさと敵中央の通常歩兵どもを破壊しよう。それにレティシア殿下のお手をいつまでも煩わせる訳にもいかない。
私はディバインホースへと指示を出し、再び敵中央への突撃を敢行した。
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Act16_猟犬のゼータ
兎も角エルデンのDLCまでには2章は終わらせたいと思ってます。
「すげぇ……」
4発撃った所で迫撃砲の射撃を辞め、眼前の戦場へ視線を向ける。赤雷が上空に煌めき、その下では2つの人影が超高速でぶつかり合っている。人の枠の外にいる逸脱者同士の戦闘。ノルデリアとレティシアが交錯しあい、幾度となく打ち合っているということだけは理解できた。
既にフェリザリア軍の左翼は壊滅。どうやってやったのか知らないが、突如として白い霧が発生し、それに飲み込まれた兵士が倒れていった。あれが魔術とするならば、あんな大規模な範囲を一斉に殲滅出来るのはこの戦場に置いて3人。そのうち二人は打ち合っているのを考えられるに、やったのはアリーヤ・レイレナードというアリシアの姉の逸脱者か。まあ誰がやったのかは別にいま考える必要もない。
そして右翼に関しては俺の迫撃砲の砲撃によって大混乱に陥っている。集団の中央に墜ちた榴弾によってかなりの被害も出ているはずだ。最早軍事行動を起こすだけの統率力は残っていまい。とは言え、死にものぐるいで味方中央に突撃でもされれば危険だ。いくら大打撃を被っているとはいえ、数はまだあちらのほうが多いはず。
M240を手に取り、敵右翼への射撃を開始する。連続で火薬の爆ぜる爆音が鳴り響き、暴力的な初速で7.62mm×51mmNATO弾が線を描く様に発射される。肩に伝わる反動はそれなり以上のものだが、バイボットを用いた伏射であるため弾がバラけすぎることもない。
6発程度ごとに指切りをし、狙いを付けすぎず敵集団へとぶつける。迫撃砲で混乱状態に陥っていた敵集団は効果的な対応が行えていない。一人、また一人と敵が倒れていく。
「アサカ、アリシア・レイレナードが敵中央の歩兵部隊に突撃した。後方集団も大混乱だ。もう少しで押し切れるぞ」
ゼファーがドローンをモニタリングしながらそう伝えてくる。周りの警戒を行ってくれている仲間がいるだけでやはり精神的負担がぜんぜん違う。
「砦からの攻撃も"烈火"が完全に抑えてくれている。やっぱ生物としての格が私らとは違うねぇ」
再び煌めく赤雷。砦からの弓による矢雨を赤雷が駆け抜け、消滅させていく。
前衛に展開している敵部隊の殲滅が終われば勝ちも同然。いくらノルデリアが最強格の存在とはいえ、レティシアとアリーヤという2人の逸脱者を同時に相手することは出来ない。どちらかがノルデリアを釘付けにしている内に、砦の一般兵は殲滅できる。
「リロード!」
思考を一旦切り、M240のリロード。銃のレシーバー上部を開放し、弾帯ごとボックスマガジンを交換する。銃身は大分加熱しているが、今のところはまだ持つだろう。敵の混乱も十分だ。ここからは制圧射撃では無く、適宜援護射撃に切り替えていく。
ボックスマガジンをセットし、弾帯をはめ込む。開放していたレシーバーを元の位置へと押し込み、チャージングハンドルを引いた。
「貴殿か、アサカとかいう男の戦士は」
背後から唐突に女の冷たい声が聞こえた。一気に鼓動が跳ね上がり、M240から手を放し地面を転がって拳銃を引き抜き抜いた。そしてその銃口を声の方へと向ける。だがそこに人間の姿はない。目を細めて思考を回していれば、銃口の先の空間が陽炎のように僅かに揺らいだ。そしてその揺らぎが段々と大きくなっていき、しまいには人の身体が現れ出る。濃紺色のフード、白を基調とした布に包まれた革鎧、そして背丈程もある長い刀身の刀を二振り持つ、笹耳の女。右耳は半ばからちぎれ、アンバランスとなっている。フードで顔は良く確認出来ないが、纏う雰囲気はよく研がれたナイフの様に鋭い。サーモセンサー持ちのドローンの索敵をすり抜けここまで近づいてきたことからも只者とは思えない。なんなんだ、コイツ?
「何者か!」
万が一味方であった時の事を考え、誰何を行う。だがそれに答えたのは突如現れた笹耳の女では無く、横にいたゼファーだった。
「"水天剣舞"!?」
笹耳の女が一歩前に足を出し、顔を上げた。フードの隙間から見える薄い桃色の瞳と端正な顔立ち。人間で言えば十代後半だろうその容姿。だが纏う空気は老練の狼のような、抜き身の刃のような、濃密な殺気。
「おや、私を知っているのか。では紹介も手短にしよう。私はゼータ。もう一度聞くが、貴殿がアサカで間違いないかな?」
まるでお隣さんに声をかけるかのように、何でもなく眼前の笹耳の女、ゼータはそう訊いてくる。体中の細胞が警告を発していた。それは脳でも、本能でも理解している。この女は相当に強い。
「……ああそうだ。何の用だ」
視界の端に存在するACRを何時でも取れる様に、身体の軸をずらす。この間合はマズい。相手の獲物は二刀の大太刀。俺がよく知る刀とは随分と意匠の異なった武器ではあるが、そんなことはどうでもいい。問題なのは既にその剣戟の範囲に入ってしまっているということ。
視界には入っていないが、ゼファーも戦闘準備を整えたようだ。ダガーを引き抜いただろう音がヘッドセットを通じて耳に入る。
「フェリザリア女王からの勅言を伝えにきた。"我の元へ下り、傅け"。返答は?」
少々予想外の言葉を受け、脳がフル回転しだす。勧誘?背後を完全に取った状況から不意打ちを行って来なかったことからも、それは理解できる。だが、この戦場のど真ん中で言うことか?どちらにせよ返答は決まっている。
「断るよ!!!」
「だろうな」
言葉と共にP226の撃鉄を落とす。パァンと乾いた銃声と共に、パラベラム弾が凶暴な初速で発射された。当てた。そういう確信があった。
「嘘だろ!?」
だがゼータの姿が一瞬揺らぎ、1.5Mほど右に再出現して躱される。なんだコイツ!?
更に前傾姿勢を取り、突撃の構えを見せてくる。先程の動き、一瞬とはいえ姿が消えるのは厄介だ。こちらは銃を持っているとはいえ、この至近距離でこいつは銃弾を交わす術を持っている。
ゼータが地面を蹴り右手の大太刀の切っ先を突き出してきた。咄嗟に肩甲骨を捻り上体を反らしてその牙突を避ける。だが追撃がきた。左手に持つ大太刀をこちらの腰目掛け振り抜いてくる。どうやっても避けられない。迫ってくる刃がやたらとスローモーションに見えた。
やられる。
「おっっっっもいなぁ!!!」
ギィン!ギリギリまで迫っていた大太刀とダガーがぶつかり合い、火花を散らす。視界に写るのは艶やかな赤髪。
「ゼファー!」
割って入ってくれたゼファーに助けられた。だがダガーで大太刀の一撃を完全に防ぐことは出来ない。ゼファーの身体が吹き飛ばされ、俺もその身体を支える様に後方へと倒れ込む。
追撃がくる。ゼータは右手の大太刀を上段に上げ、それを振り下ろそうとしている。体勢的に避けられない。ゼファーを腹の上に抱えたまま、仰向けの上体で咄嗟にP226を突き出し、連射した。
パァン、パァンと破裂音が連続する。通常の人間相手であれば確実に仕留めた距離。
「どんな反射神経だよ!」
ゼータは再びステップと共に身体が消え、後方1.5m先に再出現していた。どういう原理なのかわからないが、あれがこいつの回避方法なのだろう。
「厄介だなその武器」
「俺にとったらお前の避け方のが理解不能だっつーの!」
ゼファーが俺の腹の上から飛翔する。だが踏まれたような痛みはない。何か魔術を用いて浮かんだのか。
彼女は2mほど上空でそのままホバリングの様に静止し、無数のダガーを自分の周囲に展開させた。そしてそれをゼータに対して連続射出する。
ゼータは連続で放たれる刃物を同じ様に一瞬消えるステップで次々と回避していく。こいつの反応速度、尋常ではない。だが隙ができた。地面に置かれていたACRを回収し、即座に3連射。
「本当に厄介な!」
それをゼータは前ステップとともに姿を消し悠々と回避する。拳銃弾の初速なら兎も角として、ライフル弾までも避けるか!通常の人間の反射速度とは一線を画している。
反撃がくる。即座にエイムを合わし引き金を引く。だがその弾が当たる瞬間、ゼータの姿が一瞬消え、次の瞬間には眼前に再出現していた。右手側から迫る大太刀。それに対して咄嗟にACRで防ごうと縦に構える。
「おらぁ!!!」
だが衝撃は来なかった。ゼファーがホバリング状態から加速する様に突撃し、ゼータにタックルをかましたのだ。
「邪魔を!」
「こっちのセリフ!」
直後組み合っていた2人を白い球体のようなものが包み込む。あれは……水蒸気?目眩ましの業か?
球体の上部から人が舞い上がる。そしてそのまま俺の横へと着地するのは赤髪の女。ゼファーだ。
自身の周りに何本かのダガーを浮遊させたまま、険しい表情で白い球体に視線を向けている。
直後だった。白い球体が霧散し、それを切り裂くようにして2本の刃が交差しこちらへと振り抜かれる。咄嗟に身体を後方へ転がし避けようとした所、その前に足が宙に浮いた。そして肺の空気が一気に押し出されるようなGが押しかかる。ゼファーが俺のプレートキャリアのハンドルを握って後方へ大きく移動したのだと気づいた頃には追撃が来ていた。水面を飛ぶ白鳥のように、優雅とも思える動きで淀みなく迫る切っ先に対して身を屈ませそれを避ける。そしてそのままACRを投げ捨て地面に手を付き、足払い。ゼータの軸足を右から蹴り上げ、体勢を崩させた。ナイフを引き抜きマウントポジションへ!首元へ切っ先を突き立てる。だがゼータは咄嗟に右手を突き出し、首の代わりに手のひらでその一撃を受け止める。切っ先が革の手甲を貫通し、彼女の顔に血が滴った。
だが体勢は有利。このまま押し切ろうと両手でナイフの柄を握り、全体重をかける。普通の女相手なら膂力差から抵抗を喰い破って殺すには十全なはずであったが、ゼータは力の入りづらい体勢のままじりじりと俺の身体を押し返す。筋力が尋常ではない。こっちだって相当鍛えているはずなんですけどね!?
大太刀2本をペンの様に振るっているのだから当たり前だが、外見とその力の強さが全く一致していなかった。
「アサカ!」
ゼファーからの援護投擲。ゼータの顔目掛け投げられたナイフを、彼女は首だけ反らしギリギリの所で避ける。どんな冷静さだよ!このまま押し切るのは無理と判断し、上体を後ろに回転させ、一気に距離を取る。
ACRは地面に投げ捨てられたままだが、どの道ライフル弾を躱されるのでは決定打にはならない。大太刀からの攻撃を防ぐ盾くらいには使えるだろうが、両腕が塞がるリスクの方が今は怖い。
右手でP226をホルスターから再び引き抜き、ナイフを左手に構えた。CQBで仕留めるしかないと割り切ればこの方が身軽だ。
残弾は大凡9発程度のハズ。このゼータという女を相手にしてリロードする時間を作れるとは思えない。できればその9発を撃ち切るまでに仕留めたいが、やれるか?
体勢を立て直したゼータが、左手の大太刀の切っ先をこちらに向ける。ナイフを貫通させたはずの右手にもしっかりと大太刀を握り直していた。血は滴っているあたり、傷が塞がっている訳では無いはずだが、どんな身体構造をしていたら傷ついた手でそれだけの得物を保持できるんだ。
ゼファーが地面を蹴り、再び飛翔する。そして同じ様にダガーの投擲。それをゼータは太刀を振り、弾いて落とす。金属同士がぶつかり合う耳障りな音と火花。その隙をついてP226の撃鉄を落とす。だがゼータの姿がまた一瞬揺らぎ、命中はしない。
大きく一呼吸し、脳に酸素を送り込む。どうしたらこいつに勝てる?考えろ。ゼファーの初撃をあの消える動きで避けなかったのは何故だ?こちらの追撃を嫌った?そうだとしても連続でステップすればアイツの反射能力であれば容易に回避出来るはず。もしや、連続での回避には何かしらの制限が存在するのか。
とはいえ毎度1.5mほど移動しながら回避されているのだ。連続での回避行動に制限があるとしても、回避行動の瞬間一瞬消えられたのでは、再出現の位置を正確には予想出来ない。
ならば回避方向を制限する必要がある。だがどうやって?こちらの武器はP226とナイフ、あとはグレネードが2つ。周囲に破片を撒き散らすグレネードであれば有効な攻撃手段になり得るが、投擲するためにはゼファーにヘイトを買ってもらわなければならない。だが直接の共闘が初めての彼女とそこまで精密な連携が取れるか?下手をすればゼファーごと巻き込みかねない。
いや、ならばゼファーにグレネードを使ってもらってこちらが合わせればいいのか。
腰のタクティカルベルトからグレネードを引き抜き、ピンを外してゼファーに投げ渡す。
「ゼータに投げろォ!!!」
一瞬の事であったが、ゼファーはそれに反応してくれる。どうやったのか知らないが空中で投げられたグレネードを静止させ、その後ダガーの射出とほぼ同等の速度でゼータに対し射出した。
ゼータは飛んでくるグレネードをあの一瞬消えるステップで悠々と回避する。だがそれだけじゃ意味無いんだよ!
グレネードがゼータの後方へ衝突し、直後爆発した。爆風と破片が巻き散らかされ、左方向へ回避し再出現したゼータを後ろから襲う。距離的には仕留めきれていなくとも十分なダメージを与えたはず。
爆発が巻き上げた土煙で視界が悪い。普通の人間相手ならいざしらず、その姿を確認するまで気を抜く気は全くしなかった。
「ッ!」
土煙を割るようにして小さい何かがこちらへと向かってきた。鈍い光、ナイフか!
「ガッ!ハァ……」
嫌にその光景がスローモーションに見えた。鈍く煌めく刃が横の女に突き刺さる。彼女の赤髪と同じ、鮮血が宙へと舞い、後方へ倒れ伏せた。
「ゼファー!!」
彼女の鎖骨部分に突き刺さるナイフが目に入る。致命傷……。早く適切な処置をしなければ手遅れになる。
――直後土煙の中から大太刀の切っ先が俺へと突撃してくる。
人数有利を覆された現状で引けば良くてジリ貧、ここで死ななくても手がなくなる。
意を決して地面を蹴る。P226を投げ捨て、身体の重心を下げつつ左手のナイフで大太刀の機動をずらす。金属同士がぶつかり合う煩い音とぶつけた刃先から伝わる異常な衝撃。重すぎる。まるで闘牛の角と打ち合ったようだ。弾き切ることは出来ないと判断し、少しでも急所を反らすように膝のバネを利用して上へ力を込めた。直後、左肩部付近に鋭い痛みと衝撃が走る。そして関節が外れるような嫌な音も。俺の腹部目掛け突き出されたその大太刀を、肩へと受け流しながら、眼前の笹耳女へと右腕を伸ばした。
「捕まえたァ!」
右手でゼータの襟元の革鎧を掴み、左肩へ貰った衝撃をそのまま活かす様に身体を右へ回転。バチンと嫌な音が耳に入り、左腕の感覚がなくなる。無理な動きで腱が切られたと理解しつつも、そのまま遠心力任せにゼータを地面へと転がす。だが掴んだ右手は放さない。ここで放せば本当に勝機を逃がす。
マウントポジションを取り、すぐさま自由の効く右腕でゼータの左肩関節をロック。彼女の脇の下に俺の右腕を通すようにした後に手のひらを翻し、ゼータの顎先を握る。そのまま相手の左肩の関節を外そうと力を込めた。
「ハグ……は……お断りッ!」
金的に激痛。尋常じゃない痛みと独特の気持ち悪さが下腹部を中心に全身に駆け巡る。ゼータの左膝で金的を蹴り上げられた。それを理解すると同時に脂汗が吹き出す。ヤバい、意識が飛ぶ。吐き気がする。身体が震えだし、右手の握力が緩んだ。その瞬間を見逃さず、ゼータは拘束からするりと抜け出し、俺の胴体へもう一度膝蹴りをかます。抵抗するだけの力を失った俺の身体は大きく後方へと吹き飛ばされた。
後頭部を思い切り地面へとぶつける。鈍痛を感じるが、それを飲み込むように下腹部の気持ち悪さが脳を支配する。視界が滲む。曇天の空が視界に入っているのを考えるに、仰向けで地面に投げ出されている様だが、激痛と失血で意識がまとまらない。いや、これはついでに脳震盪を起こしてる。どうにか、どうにか身体を起こさなければ。震える右腕に力を込めるが、身体は動かない。
「一緒に、来てもらう」
喉に冷たい感触。揺れる視線をずらせば、大太刀の切っ先を俺の喉元へと突きつける血まみれのゼータの姿があった。ああ、これは詰んだ。意識が朦朧としているのにそれだけは嫌にはっきりと理解できる。
だが視線を外すことはしない。それが俺にできる精一杯の抵抗であるから。
ゼータが大太刀を地面へと突き立て、その腕を伸ばしてくる。ここまで来てもコイツの目的は殺害では無く、俺の回収なのか。全くとんだ忠義だなと、どうでもいい思考が脳を駆け巡った。
だが。伸ばしていた手を止め、ゼータが地面に突き立てられていた大太刀を再び引き抜く。そして上段を護るようにそれを構え直した。
「ぶっ殺す!」
耳を劈く金属音。視界に広がるのは紺色の長髪にマゼンタのメッシュ。薄っすらと緋色に煌めくクレイモアを兜割りの様に叩きつける、アリシアの姿だった。
その一撃を防いだとはいえ、ゼータの足が地面へと少し沈んでいることからもその威力と気迫が伝わる。
だがもう限界だ。薄れゆく意識の中、最後に見えたのは尋常じゃないスピードで剣戟を繰り広げる2人の女の姿であった。
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Act17_明滅のトランジション
感想がモチベーションに直結しますので、良ければご感想の方もよろしくお願いします。
微温湯で揺蕩う豆腐の様に、意識が揺れ動き判然としない。温いような、寒いような、暑いような、凍えるような、自身が何処にいるかさえ判別つかない。
暗い世界の中で目を開く。確認できるのは自身の手と身体。何があったんだっけ?
鈍い頭を無理やり動かす。最後に見えたのは、濃紺にマゼンタのメッシュが散らばった綺麗な髪。あれは誰のものだったか。
暗闇の世界の奥。色の存在しないその世界の先に一筋の光が見えた。思わずそれに向かい手を伸ばす。――温かい。
「ねえ、聞いてるの日夏くん」
耳元で春の陽だまりを連想させるような優しい女の声が聞こえ、意識が覚醒した。驚き辺りを見渡せばそこは懐かしいと感じる光景が広がっている。白を基調とし、明かりとりの為の大きな窓が設置されたカフェテリア。多数の人物が席につき、勉強や友人との談笑に励んでいる。
ここは俺の通っていた神喰大学の学生食堂だ。何故ここにいる?理解が追いつかない。
俺はゼータとの交戦で重症を負い、意識を失ったはずだ。だが身体に痛みは無い。そも何故あの異世界からこちらに戻ってきている?どうなっているのだ。
「ねえってば!」
再び優しい女の声が耳元から聞こえ、驚きその方向へ顔を向けた。
視界に写るのは清楚、という言葉が擬人化したような美女の顔。整えられた濡鴉のようなつややかな長い黒髪。整えられた眉と少し垂れた優しげな大きな目。鼻筋はスッとその存在を主張し、健康的なふっくらした唇を心配そうに形作りながら、その女は俺の顔を覗き込んでいた。
知っている。この女は、彼女は――
「姫乃……?」
自然と涙が溢れていた。
彼女、藤原姫乃は本当に心配そうな表情を浮かべ俺の頬へと手を伸ばしてくる。
「ちょ、ちょっと。本当にどうしたの?具合悪いなら一緒に病院行こ、ね?」
姫乃は俺の顔を自身の大きな胸に埋め、優しく後頭部を撫でる。柔らかく甘い、陽だまりのような香り。
匂いと言うのは人間が最も本能的に記憶するものだと、一説には言われている。彼女の匂いが鼻孔を擽ると同時に、俺の中で何かが決壊した気がした。別に悲しくも無いのに、涙が止まらない。この懐かしさが、あの頃の日常が、遠くなってしまった故郷が、全てが一気に押し寄せてくる。
姫乃はそれ以上何も言わず、ただ優しく俺の頭を撫で続けていた。
――しばらくしてかなり落ち着いてくる。
ゆっくりと姫乃の胸から顔を放し、改めて彼女の顔を見た。
別に自分に何があったわけでも無いだろうに、彼女までその目にも若干の涙が浮かび潤んでいる。ああ、そうだ。この子はとても優しい子であった。
藤原姫乃。俺が大学2年から27歳まで交際していた一つ下の女の子。良家出身のお嬢様で、両親や周囲から祝福を受け育った陽だまりの様な女の子だ。
何も言わず、無意識に彼女の頭に手を伸ばす。くすぐったそうに目を細め、だが俺が平常に戻った事に安堵したのか嬉しそうにそれを受け入れた。随分と懐かしい感覚。手が彼女の頭を撫でる感覚を覚えている。だがどういう事だ。何故今俺は、こんな所にいる。
ここが大学の食堂であることを考えるに、少なくとも学生時代であるはず。何がどうなっている?
「落ち着いた?」
春の陽だまりのような優しい声で、姫乃はそう訊いてくる。
「ああ、すまない。確認なんだが、ここは神喰大学の食堂だよな?」
彼女の頭から手を放し、そう問いかける。名残惜しそうにする姫乃は怪訝そうな顔をしながら口を開いた。
「……本当に大丈夫?さっき食べたカレーに悪いものが入ってたとか?」
「いや、ごめん。そうじゃないんだけど、少し確認したくて」
彼女は心底心配そうな目を再びこちらへと向けながら、口を開く。
「えーっと、ここは神喰大学の学食ですよ。それで私達は授業も終わってこれから日夏くんの家で定期テストの勉強をする予定でした」
彼女からそう言われ、思考を回す。現状考えられる説は2つ。1つ目はこれが夢、ないしそれに類似するものであるということ。魔術の存在するあの世界だ。オイフェミアも言っていたが、かなり熟練した魔術師や淫魔と呼ばれる存在が人の夢に干渉することはそれほど珍しくもない事らしい。であれば重症を負った俺が何かの干渉を受け、明晰夢を見ているという可能性は高い。
2つ目。こっちだとかなり面倒くさい事になるのだが、俺が学生時代の日本へ転移したのだということ。第一なんで俺があの世界にいざなわれたかもまだ全然わからんのだ。世界が移動できるなら、時間軸を操ることだって可能かもしれない。
だが誰が、何のために、どうやって?
「日夏くん……?ねえ、やっぱり病院にいこ……?」
ふっと我に返る。視界いっぱいに広がっているのは潤んだ姫乃の顔。その顔を見て、取り敢えずこの子に心配をかけさせている事に対する猛烈な罪悪感のようなものが湧き上がってくる。事態は判然としないが、どうせ思考してもわからないのだと今は割り切ることにした。何より推理するための情報が足りない。
机に置かれた懐かしいリュックを背負い、たいあげられたカレーの食器を手に取る。
「心配かけてごめん。大丈夫だから、行こうぜ」
無理やり笑顔を浮かべ、空いた左手を彼女に差し伸べる。すれば姫乃はそれを取り席を立ち上がった。彼女も椅子の背もたれの裏に置いていたカバンと完食済みの食膳をつかむ。
食器を戻し食堂の外に出れば爛々と輝く太陽光が肌に刺さった。暑い。久方ぶりに感じる故郷の夏の空気。空は高く太陽はちょうど天上。張り出された掲示物を見るに夏休み前位だろうか。
学内は多くの学生が往来し、やはりそれにも懐かしさを感じる。母校である神喰大学は住んでいた地域では一番のマンモス大学であった。日本海側に位置するこの街は冬は毎日雪が降り積もる豪雪地帯であるが、夏は日差しで温められた海が上昇気流を生み熱い空気を巻き上げる。お陰で夏は暑く冬は凍える街であるのだが、俺はこの街がずっと好きだった。だがもう随分と帰っていない。その理由は、俺の家族に関係がある。
C.C.Cに入社したのは自衛隊を除隊したからだ。だがその自衛隊を除隊した理由は個人的な悔恨によるもの。
3年前、俺の両親と弟は自宅に押し入った強盗に殺害された。俺が自衛隊の仕事で家を空けている間だった。警察も捜査をしていたが、結局犯人は捕まらず、後に残ったのは俺と、9歳離れた妹の秋奈、そして3人が殺された実家、それなり以上の遺産だけだった。
もし俺があの時、その場にいれば、両親と弟は助かったかもしれない。そんなもしもの事をその後ずっと考えていた。だがそれ以上にいたたまれなかったのは当時17歳だった妹の秋奈だ。たまたま彼女は部活で家を空けており、巻き込まれることは無かった。自分も相当に辛いはずであったのに、俺を気遣って気丈に振る舞っていた。
だがそんな優しさが逆に俺の心を蝕んでいった。端的に言えば辛かったのだ。自分を押し殺し、周りを気遣う聖女の様な妹を見続けるのが。
彼女もそんな俺の様子を見て理解していたのだろう。
ある日、妹はこういった。
『私の事は気にしないで。きっとこのままこの家にいたら、お兄ちゃんは壊れてしまう。私は大丈夫、だからお兄ちゃんは、お兄ちゃんのやりたい事をやって。私がお兄ちゃんを傷つけているなら、私から逃げて。生きてくれている、それだけで私は十分だから』
優しい妹らしい言葉だった。
その言葉を言い訳にするように俺はエアロン大尉へと連絡をし、弱者を護るためにという大義を抱えC.C.Cへと入社する。だが、実際は妹の言う通りあそこから逃げたかっただけなのかもしれない。
勿論家族が殺された事もあり、妹を一人にするような真似はしなかった。友人であった特殊作戦群の男に妹の警護を依頼し、彼女にもしもの事があったときには全力で妹を護るように頼んだ。ついでに俺のC.C.Cでの年俸の大半を直接実家に投函するようにも。最初は断られたが、必死に頼み込む俺の様子にしまいには折れて、それを受諾してくれた。
兄として、残されたたった一人の家族として最低の決断をしたことは理解している。だが何もせずにあのまま生き続ける事に、俺は耐えられなかったのだ。
蝉の声が煩い。実家に続くけやき道、随分と懐かしい。
「ねえ日夏くん」
不意に姫乃が口を開いた。陽光は相変わらず容赦なく俺達を照らし、玉の汗が額に浮かんでいる。
「どうした?」
「これ、受け取って」
姫乃はいつの間にか手に持っていたお守りの様なものを手渡してくる。突然の事に困惑しながらもそれを受け取る。
「突然どした?」
「なんでだろ。いま渡しておきたいって思ったの」
怪訝に思いながらもお守りへと視線を移す。所謂日本風のお守りであり、刺繍で【祈】という文字が記されていた。中には何か厚紙の様なものが入っているようだ。
「私の家に伝わるお呪いを込めた御守。きっと今後、あなたには必要になる」
あまりにも突然の事で脳が追いつかない。姫乃はどうしたんだ?
「あなた、凄い血の匂いがするわ」
心臓に針を突き刺される様な動揺が全身を駆け巡る。まて、本当に姫乃はどうしたのだ。それにその二人称。彼女は俺の事をいつも名前で呼んでいた。
「姫乃……?」
「驚いているよね。でもそれは私も同じなの。あなた、あなたは、私の知っている日夏くんじゃない」
目を見開く。驚きが脳を駆け巡る。気付いた?だが、何故、どうして。少しおかしい様子を見せたからといって、そんな発想になるものか?
「でも、あなたは日夏くんであることに間違いは無い。そうでしょ?」
見たこともない真剣な表情で、姫乃は俺の目を見ている。
「……ああ。俺は間違いなく、朝霞日夏だ」
姫乃の表情が緩む。心底安心したような、同時に悲しそうな視線で俺の顔を見つめる。
「良かった。なら、またね。またいつか、逢いましょう」
姫乃の目からは大粒の涙がいくつも溢れだしている。どうして、なんで泣いているんだ。今が学生時代ならば、少なくとも数年は一緒にいるはず。なんでそんな悲痛な顔を浮かべている。
「ちょ、どういう事だ。別に俺は……」
瞬間、夏の景色が歪みだす。視界に写る木々と空が砕かれ、その奥から最初に見た暗闇が現れる。
まて、まだ!まだ何も彼女に話していない!なんでこの懐かしい風景の中に再び俺がいるのか、なにもわかっちゃいない!
姫乃は崩壊する景色の中で、俺にそっと手を伸ばした。
「何処へ行っても、何があっても、生きて。死なないで。お願いよ」
「姫乃!?」
彼女の手を取ろうと腕を伸ばす。同時に足元が崩壊し、俺は暗闇へと飲まれていく。
待ってくれ!まだ、まだ彼女に謝れていない!
「私は、私は、あなたをずっと愛しているから、忘れないで!」
暗闇の飲まれ意識を失う直前、彼女の春の陽だまりの様な優しい叫びが耳に届いた。
まて、姫乃。俺はまだ、お前に謝れていない!
「ハァ!」
意識が浮き上がる。同時に視界に入ったのは見知らぬ天井と突き出した自身の右腕。何処だ、ここは。
身体を包む温かさと感触から察するに、どうやら上等なベッドのようなものに寝かされている。視界の隅に入る調度品は瀟洒であり、高貴な印象を抱いた。また胸の上には春の陽だまりのような温かい感触がある。視線をずらせばドッグタグと一緒に括り付けられている【祈】と刺繍された御守。これはあの時姫乃に渡されたものだ。なんでこれがここにある?あれは夢では無かったのか?
そして左手には心地よい温もり。はて、あの時ゼータによって千切れるとはいかずとも感覚は断ち切られたはずであったが。
とはいえなんでこうも連続して目覚めたらぜんぜん違う場所にいるのだ。だが見る限りここはあの異世界、ザースヴェル世界に間違いは無いだろう。ということは戻ってきた、ということだろうか。
向こうの世界に残してきた未練は妹の秋奈だけだと思っていたが、あんなものを見てしまえばまだまだやり残した事だらけなのでは無いかと、泥濘のような思考が連続して絡みついてくる。
別れた時、姫乃への未練は断ち切ったと思っていたのだが、存外本気惚れた女に抱いていた感情はそうも簡単に消えないらしい。実際に夢幻であった可能性があるにせよ、姫乃の顔を見たらあの頃の楽しかった記憶が無限に想起された。全くもって度し難い男だ。秋奈の優しさに甘え、逃げるようにC.C.Cで戦う道を選んだというのに、たかが一度昔を見ただけであの頃に戻りたいと思ってしまう自分がいる。
何とも言えない無力感に苛まれ、天井へ突き出していた手を戻した。同時に上体に複数の荷重と温かさを感じ変な声が出る。
「へゔッ!」
驚いて視線を寝かされている自身の身体へと向ける。視界に広がるのは白と金の後頭部が2つ。ついでに鼻孔に柑橘系と白百合の良い香りが漂ってくる。
「ア、アサカァ!!」
「ぬびえッ」
喉に白い後頭部が突進し、気管が圧迫された。
「アサカァ!!」
「ぐべぇ」
続いて金髪の突撃。顎に後頭部がぶつかり歯がかちんとなった。
「良かった……心配したわよ、本当に……」
左手の温もりが力強さを増す。同時に頭を撫でられる心地よい感覚。だがこの撫で方は姫乃ではない。それよりもいくらか慣れていない様なぎこちないもの。
脳が回りだした。改めて顎への突撃でズレていた視線を自身の胸の上へと戻す。視界いっぱいに広がる美少女の顔。どちらも白い肌の上で際立つ程に目元を真っ赤に染め、涙と鼻水を垂らしている。
随分と久しぶりに見る気がするオイフェミアとベネディクテの顔であった。年相応に泣きはらした顔で俺の胸にしがみついている。
そして頭のと左手の心地よい感覚の主。ベッドの左脇に座っているのは濃紺の髪にマゼンタのメッシュが入った美形の女が目に入る。アリシアだ。心底安心したような顔を浮かべ、俺の頭をなでている。
「大丈夫か!?何処か痛む所はないか!?」
ベネディクテが鼻水を啜りながら堰を切ったかのように捲し立ててくる。言われ身体の違和感を探るが、寝すぎた後のような気だるさと空腹を感じるのみであり、特段痛む所などはない。
「大丈夫、大丈夫だよベネディクテ。少し腹が減っているくらいで何処も痛まない」
ベネディクテがほっとしたように目を緩め、手で涙を擦った。続けて視界に大きく入ってくる金髪の美少女、オイフェミアが腫らした大きい瞳のまま口を開いた。
「アサカ、1週間も意識不明だったんですよ!?もうこのまま二度と起きないんじゃないかと不安で不安で……でも本当に良かった」
1週間だと……?相当長いこと生死の狭間を揺蕩っていたのだろうか。腕が千切れかけた事による失血が主な原因だろうか。存外自分の身体は柔なものだったらしい。
アリシアが優しげな猫の様な瞳を浮かべ右手を俺の頬に伸ばす。温かい彼女の体温。戦士であることがよく分かる剣タコの出来たゴツゴツとした手のひら。だが俺の手とは違い、そこには女性らしい柔らかさが内包されている。
「でも本当に何処も痛まないの?アサカ、あなた左腕が千切れかけていた上に睾丸が破裂していたのよ」
……?ハァ?睾丸が破裂?誰の?俺の?
その言葉を脳が咀嚼した瞬間、下腹部がヒュンヒュンする。思わず布団の中に手を伸ばし、自分のナニを触った。病衣の様なものは身につけているが下着はつけていない。独特の生ぬるさと布団の温かさで伸びたシワ。大丈夫だ。どちらもしっかりと生きている。ふうとほっとしたのも束の間、左右から玉をがっしりと握られ素っ頓狂な声が出た。
「おひゅえッ!?」
その玉の感触の主達へと視線を伸ばす。必死な表情をして俺のナニを握っているのは金髪と白髪の弩級の美少女。いや、それ貞操観念が逆転していなくても十分セクハラだからァ!!!!てか痛い!ゼータに蹴り上げられた時程では無いけど皮と中身が擦れて気持ち悪い!
「ほ、本当だ……!!!しっかりとあるぞ……!!」
「良かった……!良かったです……!もう子供が作れないのかと胸が張り裂けそうで……」
普通なら美少女2人にナニを掴まれている事で息子が独り立ちしても可怪しく無いのだろうが、微塵も反応する気がしない。理由は愛撫というよりも存在の確認をするかのようにがっしりと保持され揺らされているため、それなり以上の気持ち悪さが勝っているからだ。
「や、やめ!やめてぇえええええ!」
気品漂う一室に俺の魂の絶叫が轟いた。
閑話休題。
あの後すぐに人のナニを握っていた美少女2人は自分の行いに気が付き、火が出るのでは無いかと思うほどに顔を真赤にし、ベッドの横の椅子に座ってうつむいて身悶えている。
こちらとしてもナニの感触から開放され、ベッドに身体を埋めた。
「全く……。でも本当に良かった」
アリシアが頬を紅潮させ、その目に少し涙を溜め口を開く。いつもの気丈としたクールな様子とは異なり、どこまでも優しげなその瞳に姫乃の顔が脳裏によぎる。全然タイプが違う2人だと言うのに、何故なのだろうか。いや、だがこの感情は姫乃にもアリシアにも失礼極まりない。右手の親指の爪を肉に喰い込ませ、思考を霧散させる。
「心配かけてすまなかった。ところでここは何処だ?」
話題転換も兼ねて口を開く。実際ここは何処なのだろうか。しっかりとした建物に上等なベッド、オイフェミアとベネディクテが泣きついてきていた事を考えるにフェリザリアとの前線地では無いはずだ。
「ああえっと……。ここは王都の私の屋敷です……」
心底申し訳無いといった感情と、羞恥が入り混じった表情で口を開いたのはオイフェミア。熟れきったトマトが如き真っ赤な顔を下に向けたまま視線だけいじらしげにこちらを見ている。さっきの玉握り事件を思い出して沸騰しているようだ。恐らく無意識にこちらの息子の無事を案じての行動だったのだろうが、地球基準でも十分すぎるセクハラある。ましてや貞操観念が逆転したこの世界ならば尚更。看病していた女の女陰を突如撫でるのと同じような行為だろう。勿論怒りの感情は浮かばないが、それはそれとしてその羞恥を勉強料だと思って反省して欲しい。男の玉というのはそれだけ繊細なのだ。
「まあともあれ助けてくれてありがとうな3人共」
俺がそう口を開けばアリシア、オイフェミア、ベネディクテの3人がこちらに顔を向け、優しく微笑んでくれる。若干2名の顔は真っ赤のままであるが。
「ンッ、ンン。だが驚いた。そちらの世界にも身体修復の魔術が存在していたのだな」
ベネディクテがわざとらしく喉を鳴らしながら声をかけてくる。ん?いやまてなんの話だ。身体修復の魔術?俺が知る限り、そんなものは存在していないはずであるが。
いやまさか。思い立ち首からかけられたドッグタグを手に取る。そこには古びた【祈】と刺繍された御守が一緒に括り付けられていた。春の陽だまりの様な温かさをまだ感じる。やはりあれは夢でも幻でも無かったのか?
「アリシアからアサカが重症と報告を受けてディメンションゲートで前線にすっ飛んでいったんです。ミスティアは神聖魔術よりも真語魔術が盛んな国ですから、高名な治癒の使い手は王都にしかいません。ですが……」
オイフェミアはそこで言い淀む。何かが起きたのだろうか?
「基本的には千切れた身体部位や完全に破壊された部位の修復を一般的な神聖魔術では行えないんだ。完全に壊れた部位の修復には最低でも上位者クラスの神聖魔術の使い手でなければ難しい。故に駆けつけた段階で我々はアサカを五体満足のまま助けることを諦めかけた。腕は兎も角としても、完全に破裂した……こ、睾丸の治療は出来なかったからだ」
赤い顔のままベネディクテが言葉を続けてくれた。雪のような真っ白な髪も相まってよりその顔の赤さが強調されている。
「それにゼータを退けた段階でアサカはかなり危険な状態だったわ。大量失血でいつ死んでも可怪しくなかった。でもあんたの付けているそのタリスマンが光りだして、あんたの損傷部位が癒やされていったの」
アリシアに言われ、更に強く御守を握りしめる。やはりこれが、姫乃が助けてくれたんだ。どういう原理なのかは全く理解できない。それに俺が知っている地球では魔術なんていうのは御伽話の中だけのものだ。それを何故姫乃が使えたのか?それに加え、別れ際の彼女の態度はなんだったのか。わからない事だらけである。
だが、今は心底姫乃に感謝していた。あんなやり残しを見せられた後でぽっくり死ぬとか真っ平御免である。
「私達の用いる魔力とは全く異なる性質をそのタリスマンからは感じています。一体それを誰から?」
オイフェミアが上着の襟元で顔を仰ぎながら問いかけてくる。顔が熱いんだろうが、胸元が見えかねん。先程とは違いそっちのほうが下腹部に血が集まりそうだから辞めて欲しい。
「大切な人、かな。いつから持っていたものなのか全然覚えていないんだが、これのおかげで助かったんだな」
3人の眉間にシワがよる。まて、なぜ今の流れでそんなにも不服そうな顔を浮かべる。美談だったろ。
「ふーん、そうですか。さぞや高名な神聖魔術の使い手だったんでしょうね、その方。若い女性の魔力を感じますから、良い人だったんでしょうね~~~」
明らかに拗ねた様にそっぽを向きながら口を開くオイフェミアの顔をみて、自然と笑いが溢れた。笑わないでくださいとぽこぽこ胸を叩かれるが、どうにもそれが心地よい。
良かった。死なずにすんだ。
それに自分の中での大きな目的も出来た。姫乃にお礼を、秋奈に謝罪を言うために、一度向こうに戻る。まだまだこの世界に来た理由も、生死の狭間で姫乃に会った理由も、分からない事だらけだがその謎に向き合っていく。
ん……?死なずに済んだ……?まて、彼女は!?
「ゼファーは!?」
上体を勢いよく起こし、喉の限り叫ぶ。そうだ、あの時ゼータに致命傷を負わされたのは俺だけではない。鎖骨にナイフを突き刺されたゼファーも相当危険な状態だったはずだ。
3人に顔を向けるが、突然の俺の行動に驚いたのか目をパチクリとさせている。
まさか……最悪な想像が脳裏によぎった。
「生きてるよぉ」
アリシア側にある部屋のドアが開き、女の声が聞こえてくる。慌てて視線を向ければ普段結っている真っ赤な髪をおろしたゼファーが松葉杖をついて立っていた。
「全く。意識が回復したって聞いたから顔を見に来たら姫様2人と上位者を侍らせて良いご身分だね。……おはよう、アサカ」
なんてことの無いようにいうゼファーの姿を脳が咀嚼し、胸中に安堵が広がっていった。良かった、これで俺だけ助かっていようものならまた家族を失った時のトラウマが再発しかねなかった。
「……おはようゼファー。身体は?」
自分でも驚くほどに優しげな声がでた事に若干の照れくささを感じる。アリシア、オイフェミア、ベネディクテの3人は微妙な視線をゼファーへと向けていた。辞めなさい、俺の命の恩人の一人だぞ。
「致命傷だったけどアサカとは魔力の保有量が違うさ。傷口を魔力で凝固させたから死なずに済んだよ。それよりもそこで済ました顔をしているアリシア・レイレナードに礼を言っておきな。ゼータの一撃で腹に大穴が空いても私らを助けてくれたんだから」
アリシアがそれまでの感情とは異なったもので頬を紅潮させる。焦った様に目をパチクリさせながら俺とゼファーへと視線を向けた。そして焦ったように口を開く。
「言うなって!!」
驚きアリシアの顔を見る。彼女は少し照れくさそうに俺の視線から逃げるようにそっぽを向いた。当たり前だが服を着ているため腹部の傷は確認できない。大丈夫なのだろうか。
「アリシア……ありがとう。傷は?」
「とっくに治療済み。あんたと違って何処が壊された訳でも無いから……」
いじらしく髪をいじるアリシアの姿を見て誰かと重なる。やめろ、それは姫乃にもアリシアにも失礼だ。
だが何故全く似ていないこの2人の姿が重なるのだ。
「本当にみんなありがとう。あの後戦場は?」
表情を取り繕い口を開く。1週間も寝ていたと言うし、すでに趨勢は決しているだろうが気にしない訳にもいかない。
すれば4人が変わり代わりに説明をしてくれた。
あの後ゼータはアリシアと戦闘に突入し、アリシアに深手を負わせるが、ゼータ自身もグレネードの破片とアリシアの反撃で致命傷を負い撤退。
ノルデリアはレティシアが抑え付け、その間にアリーヤが砦に攻撃を行い蹂躙。守護していた第8騎士団を殲滅し、攻城戦には勝利した。
その後レティシア率いるウォルコット軍がフェリザリア内部に浸透し、国境線付近の村々をいくつか蹂躙して、現在はミスティアへの帰還中だと言う。
俺の荷物に関してはレイレナード部隊が回収し、オイフェミアのディメンションゲートで俺とゼファーと共にこちらへ届けられているらしい。直接は触れない封印がかかっている事もあり面倒をかけただろう。後でレイレナード部隊の面々にも礼を言っておかなくては。
「そんな所だ。現在は私が主導でフェリザリアとの停戦交渉に入る段階まできている。アサカはもう数日休養しておけ」
ようやく顔の赤さが引いたベネディクテがそう口を開き椅子から立ち上がる。どうやらここ数日俺の見舞いで足を運んでいたせいで政務が溜まっているらしい。申し訳ない事をしたと謝罪すれば、彼女は優しく微笑んだ。
「では私は城に戻る。ゆっくり休めアサカ」
「お言葉に甘えさせてもらうよベネディクテ。ありがとうね」
彼女は少し照れくさそうに微笑み、部屋を後にした。その後オイフェミアが使用人を呼び食事を持ってきてくれる。
「私も仕事がありますので一度失礼しますね。アサカ、よく噛んで食べてください」
「ありがとうオイフェミア。そうさせてもらうさ」
オイフェミアは邪気の無い笑顔をこちらへ向け、足取り軽く部屋を出ていった。随分と心配をかけたようだ。後で埋め合わせをしなければ。
残ったアリシアとゼファーと共に談笑しながら食事を摂る。眠気がくるまでそうして久方ぶりの穏やかな時間を楽しんだ。
「姫乃?」
夏の日差しが肌を焼く。蝉の声は煩く、纏わり付くような空気が身体を包む。
何故外にいる?さっきまで姫乃と共に食堂で昼食を摂っていたはずであったが。
いやそれ以上に何故彼女は泣いているのだ。
端正な顔の目元を腫らし、大粒の涙を流している。その顔はとても悲痛で、悲しげで、辛そうだった。
「日夏くん……」
細い声で彼女は言葉をもらす。誰かと今生の別れをしたような、悲しげな声。
「なんで、泣いているんだ……?」
姫乃は右手で涙を拭い春の陽気を連想させる笑顔を向けてくる。少し崩れた目元の化粧すら感じさせない程に、その笑顔は綺麗であった。
「とても大事な人に会ったのです。でももう済みました。ほら早く行こ!」
姫乃は強引に俺の右腕を掴みけやき道を歩き出す。なんで記憶が飛んでいるのか、なんで彼女が泣いていたのか、全く判別がつかない。だが、姫乃の顔を見ていればそれ以上何も追求する気には慣れなかった。
夏の空は遠く、雲は高く伸びている。夕方には一雨きそうだ。蝉の声が煩いけやき道の中、大切な人の手を握ってその隣を歩いていく。夏の嫌な暑さ。だが手から伝わる春の陽気の様な温かさは何処まで穏やかで、愛おしかった。
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Act18_晩夏のディスコード
荘厳な装飾が施された議事室。部屋の中央には40名ほどが座れる大円卓が置かれ、上座にはより一層の豪華さを誇る大きな椅子が置かれている。私の右隣の席でもあるそこに座るのはラクランシア・ヴェノ・ミスティア。ミスティア王国の女王であり、私の実の母である。不機嫌そうな顔で王冠を被りながら円卓の諸侯達の顔を見ている。
さてミスティア王国は封建制王権国家である。
封建制は、君主の下にいる諸侯たちが土地を領有してその土地の人民を統治する社会、政治制度だ。
諸侯たちは、領有統治権の代わりに君主に対して貢納や軍事奉仕などといった臣従が義務づけられ、領有統治権や臣従義務は一般に世襲される。
女神イーヴァと神々の戦争、アヴァランチ大戦で活躍した逸脱者、エルリングの血を継承するミスティア家を君主として各地域の豪族、貴族が臣従する他種族国家。それがミスティア王国だ。
君主であるミスティア王家には神権主義に則り絶対的な権力がある。……とはいうのは表向きの話であり、この時代神の血筋という威光だけで盲信的に臣従する貴族は多くない。要するに多くの封建制国家と同じ様に、臣下たる貴族を纏め上げなければ国は回らない。納得のする条件を出し、各方への配慮を行わなければ国が二分され国力は大きく低下する。もし内戦となっても王家派閥には3大勢力たるミスティア王家、アルムクヴィスト公爵家、ウォルコット侯爵家が存在するため地方領主派閥の蹂躙なぞ容易ではあるが、それに伴う国家の弱体化は否めない。
身内で争う余力など存在しない。故に軍事力で大きく劣ろうとも地方領主派閥は強気に意見してくる。こちらが国の弱体化を嫌うのを理解しているのだ。
全く度し難いことではあるが、人族というのはそこまで合理的にはなれない。誰もが手を取り合い協力したほうが全体の幸福に繋がると理解していても、小さな欲求を追い求めてしまうのが実に人族らしいといえる。
現在ここに各方のお歴々の顔が並んでいるのは、フェリザリアとの停戦交渉の内容を審議するためだ。上記の理由により私としても、母上としてもこういった会議は嫌いである。青い血の流れる貴族としての責務だとは理解していても、意見の纏まらない貴族共を主導する立場というのはそれなり以上に疲れる。
円卓にはレティシアを除いた王家の主要人物、地方領主派閥の重鎮それぞれが顔を連ねている。面倒くさい。端的に言えばそれが私の率直な内心である。しかも今回のフェリザリアとの戦争の裁量権は王家の軍事統括者たる私が持っている。知らん顔して聞き流す事も出来ない。面倒くさい。
まあだがこの審議は今後のミスティアにとっても絶対に重要なものである。面倒くさいが仕事としてしっかりとこなさねばならないこと位は幼子でも理解できるだろう。
王家派閥に属する法衣貴族が立ち上がり、手元の資料に目を落としながら口を開く。
「では本格的な審議に入る前に此度の第6次フェリザリア戦役についての振り返りを行います。事の発端は7月下旬。ベネディクテ殿下とオイフェミア殿下がフェリザリア国境付近での軍役の最中、フェリザリアの逸脱者、ノルデリアに強襲された事です。フェリザリア第一騎士団1500に加え逸脱者ノルデリア。それらが国境線を侵犯し展開中の両殿下の軍へと攻撃を仕掛けました。我らミスティア側の戦力は500のあるムクヴィスト軍と20名足らずのベネディクテ殿下の第一王女近衛隊のみ。戦力差は絶望的でありました」
地方領主派閥の中心に座る抜き身の刀身が如き雰囲気を纏う老婆、二ルヴェノ伯爵が煙管に火を付け、口を開く。
「そこに救援として現れたのが、"男傭兵"ヒナツ・アサカか」
二ルヴェノ伯爵はミスティア南部の守護を担う地方領主派閥の中でも群を抜いた大貴族である。3大貴族の一つに数えられるその老婆は歴戦の軍系領主貴族であり、地方領主派閥の筆頭でもある。
「その通り。その後の御前報告にてヒナツ・アサカがミスティア国内での傭兵活動を認可され、アルムクヴィスト公爵家、及びベネディクテ殿下が監督役に付くことになりました」
諸侯の視線が私とオイフェミアに向けられる。普通の人間であれば萎縮してしまうような状況だろうが、こんな場嫌でも慣れた。第一上位者にすら至っていない存在の視線如きでグラつく程柔ではない。
「そして此度のフェリザリア、シャーウッド砦に対する攻撃か」
諸侯の一人が口を開く。王家派閥に所属する狼の様な壮年の女。
「はい。ウォルコット侯爵隷下の即応大隊2つとレイレナード第一大隊による逆侵攻は成功。相手側には逸脱者ノルデリアとフェリザリア第一騎士団、及び第八騎士団が存在していましたが、これを粉砕。5倍近くの敵戦力を相手にする攻城戦でしたが、烈火の異名を持つ傭兵の逸脱者、アリーヤ・レイレナードと単騎師団、ウォルコット侯爵、そして男傭兵、フェリザリア国内では"魔弾"と称されるヒナツ・アサカの功績が大きかったと言えます」
「やはり聞けば聞くほど正気とは思えぬ作戦であるな。勝ったから良いものの、もし敗戦していれば貴重な戦略戦力を2つも失いかねなかった」
嫌味ったらしく地方領主派閥の貴族が口を開く。クソが、通常戦力の派兵に一生難癖を付けてきたのは貴様だろうがこの女郎。こちらの視線に気がついていないのか、その女はまだ口を開く。
「しかも聞いた話ではヒナツ・アサカという件の男傭兵は此度の戦闘で重症を負ったらしいじゃないか。全く、期待されていてこの程度とは、落胆ですな」
自身の顔に青筋が立つのが自覚できる。いつか粛清するリストにこいつを付け加えておこう。視線をオイフェミアにちらりと向ければその蒼い瞳が爛々と光っていた。魔力の迸りを感じる。かなりキレている。
オイフェミアが口を開く前にあいつを黙らせた方がいい。そう判断し口を開こうとすれば、ヴェスパーの声に遮られた。
「言いますねぇ。報告ではアサカはかのフェリザリア女王カミーラ・ケリン・クウェリアの懐刀、上位者ゼータと交戦したらしいですが、ご存知でした?」
ヴェスパーの発言を受け議事室がザワつく。予想していなかった人物の名前が出てきたからだろう。ゼータに関する情報はまだ公にはしていない。
「ゼータ……?あの猟犬大隊の?」
「現フェリザリア女王の戴冠最大の功績者。"水天剣舞"の二つ名を持つあのエルフのゼータか」
「死んだのではなかったのか?」
ゼータ。本名不詳のエルフの剣士。フェリザリアで二番目の戦力であり、逸脱者にも匹敵し得る白兵戦最強格の女。だが知名度は高くない。
「……すいません。ゼータとは一体?」
若い地方貴族が声を上げる。歳の頃は17程度。私とほぼ変わらない。顔を見るのは初めての女であった。
「ああ、卿は母君が急死なされて家督を継いだばかりであったな。では知らぬのも無理はない。ここ20年ほどは表に姿を現していなかったからな」
老練の貴族がそれに応える。若い貴族は皆ゼータという女について詳しくないようであり、声を上げた地方貴族と同じ様な顔を浮かべていた。とはいえ私もゼータに関してはほとんど知らない。
「僕から話しましょう」
この場で唯一の男、ヴェスパーが手元の羊皮紙を持って立ち上がる。アルムクヴィストの当代でもあり、戦略級魔術師、逸脱者オイフェミアの兄でもあるヴェスパーは貴族の中でも一目置かれた存在だ。爵位の高さもあるが、その分析能力は敵対している貴族であっても評価するほどのもの。
「"水天剣舞"、それが彼女の二つ名だ。分類としては軽戦士。61年前のフェリザリア戴冠戦争時、浅瀬の湖で"満月の魔術師"と呼ばれた逸脱者を一騎打ちにて討ち取った事からこう呼ばれることになる」
フェリザリア戴冠戦争。61年前のD.C163年に起きたとされるフェリザリア王国の内戦である。
エルフの定住していた土地を人間が武力制圧し、建国されたフェリザリア王国であったが、強行的な支配政策に反発したエルフを中心としたレジスタンスが結成され、当時の王家へと反旗を翻した。当時からフェリザリア貴族であったクウェリア家を旗印として勃発したこの内戦は1年ほどの期間継続され、その間に100万人を超える人族が犠牲となっている。クウェリア家の統率を外れた民兵や極限状態となった王家派閥の兵士によるジェノサイドが多数引き起こされており、犠牲者が増える大きな要因となったらしい。
カミーラ・ケリン・クウェリアを筆頭に当時フェリザリア子爵であったノルデリア家等の活躍により、王家派閥の軍は崩壊。クウェリア派による王都占領と、カミーラが自身の手で当時の女王、ジェニファーを討ち取った事によりこの内戦は終結を迎えたとされる。
と歴史書で読んだ。そんな昔からゼータという女は活動していたのか。まあエルフであるならばその寿命は人間と比べ物にならない。
「ゼータの最も特筆すべき事といえばやはりその単体戦闘能力の高さだ。戴冠戦争時カミーラ率いるクウェリア派についたゼータはその当時から異常とも言える功績を上げている。満月の魔術師と呼ばれた逸脱者を単騎で討伐している事からもそれは理解できるだろう。皆さんであれば逸脱者を打ち取るのにどれだけの戦力が必要かは理解しているはずだ。今日の歴史書の多くはノルデリアの名を喧伝しているが、ゼータは間違いなく現フェリザリア建国の立役者だ。白兵戦の戦闘能力に限って言えばレティシア侯爵やノルデリアにすら匹敵する」
議会室が大きくザワつく。理由は理解できる。レティシアやノルデリアにも匹敵する戦士だと?何故そんな戦士に関する情報がこれほどまでに知られていないのだ。
「とは言えゼータは逸脱者ではない。その理由はゼータの魔力量が精々上位者止まりだからだ。逸脱者を逸脱者足らしめる最も大きな要因は保有魔力量であることは言うまでもないが、その点ではゼータはまだ理解の範疇に留まっている」
若い諸侯たちはヴェスパーの話を真剣な表情で聞いている。それには私もオイフェミアも含まれていた。
反対に歳を重ねた貴族達は思い出す様に頷いている。
「アルムクヴィスト公爵、質問よろしいでしょうか」
若い諸侯の一人が手を挙げる。それに対しヴェスパーは顔を向け、先を促す。
「ゼータなる人物がレティシア侯爵殿下に匹敵するほどの戦闘力を持つ存在だと言うことは理解しました。であれば何故そのような強者の報告がここ数年無いのでしょうか。先程逸脱者には至っていないとおっしゃいましたが、それでも逸脱者を討ち取った実績のある上位者なのでしょう?」
気になっていた事を質問してくれた事に内心感謝する。
「あー、ゼータはここ10年ほど生死不明になっていたからだよ。そもそも20年前位から表には殆ど出てきていなかったらしいんだけどね。ノルデリアがフェリザリア筆頭武官となってからは全く姿を見せなくなった。ですよね、ニルヴェノ伯?」
ヴェスパーが煙管を吸っていたニルヴェノ伯爵に向かって声をかける。声をかけられたニルヴェノ伯爵は老練な狼の様な表情でヴェスパーへ視線を向けた。
「その通り。ゼータは10年前の北方魔物部族連合の大南下にて消息不明になっていた。フェリザリアから正式な発表はされなかったが、我らは既に死んだものと認知していたのだ」
なるほど。生きているとは思わなかった存在の警告をいちいちするわけもない。王族などなら兎も角として、話を聞く限りゼータは一戦士である。
「まあそのほかの理由として歴史書の多くを蔵書していた王立図書館が火災で全焼したっていうのも大きいね。僕のこれだってレイレナード部隊からの報告を受けて調べ直したものだし」
母上の眉がピクリと動いたのがわかった。
12年前に起きた王立図書館の全焼火災。私の父上が死んだ事故。原因は今となってもわかっていないが、一説には暗殺であったとも言われている。母上は原因の追求を幾度も命じていたが、決定的な証拠は何も見つからなかった。
「ともあれだ。そんな最強の上位者のゼータが実は生きていて、今回の戦闘に参戦してきたというのが話の核。さっきも話したがゼータという女は逸脱者すらも一騎打ちで討ち取っている。それを相手に生き延びただけでもアサカは良くやったと思いますよ?どうです、ウェッケラン子爵殿?」
アサカを嘲笑した貴族が苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべる。いい気味だ。
「第一ゼータとの交戦で重傷を負わされたのはアサカだけじゃない。オイフェミアの近衛隊の一人であるハーフワルキューレのゼファー騎士補も、レイレナードの首狩りアリシアも深手を負わされている。僕が思うに、ゼータに対する情報共有がなされていなかったことと、そのゼータの異常な戦闘能力が原因だと思うんだが、皆さんは如何でしょうかね?」
議会室内が静まる。皆異論は無いようだ。アサカを嘲笑した本人だけは悔しそうな顔をしているが。
「随分と話がそれてしまいましたね。続き、お願いします」
ヴェスパーがそう言いながら席に着く。バトンをタッチされた進行役の法衣貴族が再び立ち上がり、口をあけた。
「停戦につきましてですが、フェリザリア王室からはいくつかの条件が提示されています。1つ、国境線は原状回復とする。2つ、ミスティアが蹂躙した村の住民の即時返還を求める。3つ、ミスティアはフェリザリアに対し2億ケヴェル(200億円相当)の賠償金を支払う」
唖然とした。空いた口が塞がらない。なんだその停戦条件は。
「なんだその巫山戯きった内容は!」
「フェリザリアは舐めている!こんなもの到底受け入れられるわけもない!」
「停戦ではなく降伏勧告と間違えているのか?野蛮人共が」
円卓上に諸侯達の怒声が響き渡った。机を殴りつける様な衝撃が伝わり、皆の表情がその胸中を物語っている。
勿論そんな巫山戯た内容、私としても到底受け入れることは出来ない。母上もそうだろう。むしろ誰一人として納得するわけが無かった。
「そして!」
進行役の法衣貴族が大声で叫ぶ。その声と姿を受け、怒声が収まりみな次の言葉を聞き逃さんと耳に神経を集中させた。
「それらが受け入れられない場合、再審議の為、ミスティア側の停戦交渉団を派遣することを求める。またその交渉団の代表としてヒナツ・アサカを派遣すること」
10秒ほど議会室が静寂に包まれる。私もその情報を脳が咀嚼し理解するのに時間がかかった。
「……それが最初から目的か」
「最低でも上位者級戦力である男傭兵の派遣。如何にもあの野蛮な国の連中が求めそうな事だ」
「だが悪くないのでは?もとからそんな条件をこちらが飲むとも思っていないでしょう。アサカ殿を派遣することでまともに話が進むならそうすべきでは?」
思わず机に拳を叩きつけそうになる。だがその怒りの感情の9割は個人としてのものだ。公人としては更に多くの血が流れるのを避けるにはそれが最も手っ取り早いと理解している。故に固く握りしめた拳を再び膝の上に戻した。
「だが連中の目的の真意はアサカの懐柔だろうよ。我が国としてもアサカクラスの戦力を失いかねない」
「実際此度のシャーウッド砦の戦闘ではアサカ一人で右翼の支援を全うしたというじゃないか。更にはゼータとの交戦で生き延びた実績。それは馬鹿には出来ないだろう」
「フェリザリアからの一方的な要求というのも気に食わないが、今出た意見の通りアサカの功績は大きいものだ。そんな武功を上げた人物を半ば人質に差し出してしまっては多くの者が納得はしまい」
「同意する。とはいえこのまま拒否してしまっては戦争は継続されるぞ。今のミスティアに三正面で戦う余力などない。深淵戦線とモンストラ戦線の維持だけで精一杯なのだ」
「戦費もかさんでいますからね。このままでは臣民の暴動も起きかねない」
「ではそのまま受け入れアサカを派遣するというのか!何のかんの言い訳をして絶対にフェリザリア内に引き止められるぞ!」
「誰もそうは言っていない。だが実際問題としてアサカを派遣した方が丸く収まるだろう」
「軟弱者の若造が!英雄を差し出して停戦だと?貴様それでも青い血が流れた貴族か!」
「何だと?脳筋ババアが。ならば建設的な代案の一つでも考えろ」
議会が紛糾していくにつれて私の脳が冷静になっていく。思考しろ、どうすれば一番国への利益と個人的な感情を満たすことができる?
アサカをフェリザリア側に行かせるにしても停戦交渉終了と同時に帰国させる。これは絶対条件。公人としても個人としてもこれがフェリザリア側に対する最大限の譲歩。
であればどうやってアサカの即時帰国を担保させる?フェリザリア側としても随分強気な文書を送ってきたが、戦争継続は避けたいはず。初動のオイフェミアの捕縛が失敗した以上、向こうにとっても旨味は何も無いはずだ。まあ大凡の予測ではあるが、北方魔物部族連合への対処を上手く行えていない我が方を見て強気には出て来ないだろうと想定しての条件の提示してきたんだろう。確かに今のミスティアに戦争継続能力は無い。いくら3人の逸脱者を保有しているとはいえ、3正面も相手にするほどの金銭的余裕も軍事的余裕もない。それは今回のシャーウッド砦の侵攻でも露見してしまっている。
加えてゼータという個として突出した戦闘能力を保有したイレギュラーの存在。ノルデリアと合わせれば厄介な事極まりない。
どうすべきか、思考を回していれば閃く。要するに問題点はアサカが帰国出来ない可能性への懸念に他ならない。であれば無理矢理にでも事が済んだら交渉団を帰国させるように仕向ければ良い。先程も言ったがフェリザリア側も本気で戦争継続を望んではいないはずだ。
「私が、交渉団に同行しよう」
紛糾していた議会の中、静かにそう呟く。すれば怒声が不思議と収まった。諸侯たちの顔が私に向けられる。驚いている者、思考を回す者、納得している者など様々だ。
「ベネディクテ。ですが貴女は次期ミスティア女王です。もしもの事があれば」
オイフェミアが真剣な表情で訊いてくる。それに対しこちらも口を開いた。
「確かに危険は伴うだろう。だがフェリザリア第一騎士団は大半の士官階級の損失、加え第八騎士団の壊滅を考えるにフェリザリア側にも戦争続行の意思は無いはずだ。元より戦争を続けたいならばそもそもこの停戦の交渉すら一蹴しているだろうからな。交渉団として私が赴けば連中はアサカを引き止めるのを躊躇う。私にもしもの事があればどうなるか、それは連中も理解しているだろう」
諸侯たちがそれぞれ思考に入る。今回の交渉団の最適者は私だ。君主である母上自らがフェリザリアまで足を運ぶなど地方領主派閥どころか王家派閥まで許さない。オイフェミアもレティシアも駄目だ。そもそも今回の戦争はフェリザリア側がこちらの逸脱者戦力を削ごうと行動したのが発端。逸脱者の貴族を向こうに送り出すのなぞ下策も下策。
その点私であれば色々と条件をクリアしている。次期女王であるが今の君主ではなく、上位者ではあるが逸脱者ではない。加えてそれなり以上の強権と影響力。血統、立場からしても申し分ない。正直な話私が死んだとしてもヴェスパーとオイフェミアがいる。王位継承権第2位と3位の2人が残れば継承問題も紛糾しないだろう。
しばらくたったが誰も口を開こうとしない。その理由は皆の視線を見れば理解できる。彼女らの視線は全て母上たる現女王、ラクランシア・ヴェノ・ミスティアに向けられていた。
母上は瞑っていた目をゆっくりと開く。そして私へと視線を向けた。
「ベネディクテ、構わないのだな?」
少し低い声でそう訊いてくる母上に対し、ゆっくりと、だが力強く頷く。
すれば母上は満足そうに笑みを作り、直後表情を真剣な物へと切り替え立ち上がった。
「では第一王女ベネディクテ・レーナ・ミスティアにミスティア女王として命じる。ヒナツ・アサカを伴いフェリザリアへ赴き、停戦交渉を纏めなさい」
それを受け、私も椅子から立ち上がり母上の前で膝を折る。最敬礼と共に口を開いた。
「謹んで承ります」
母上の手が伸ばされ、それを右手で取り立ち上がる。
「諸侯諸君、異論は?」
母上が円卓に座る各貴族へと視線を向けた。表情はそれぞれであるが、異論は上がらない。
「女王陛下がお決めになられたことなら」
「実際ベネディクテ殿下に手を出すほど連中も愚かでは無いでしょう。私も支持致します」
母上は頷き、視線をヴェスパーへと向ける。
「ヴェスパー、ベネディクテと法衣貴族と共に交渉団を選抜なさい。それと交渉条件の纏めも」
「畏まりました、叔母上。いえ女王陛下」
さて忙しくなる。いやもうここ数日溜まった政務で忙殺されているのだが、更に身体に鞭打つ事になりそうだ。出立は遅くとも2週間以内だろうか。それまでにある程度の仕事は片付けておかねば。なんでかな、私はただアサカとイチャラブ甘々本気セックスしたかっただけなのに。
でも停戦をこちらに有利な形で纏め上げれば次期女王としての求心力は十全なものともなる。アサカに貴族位を与え、オイフェミアと共にシェアする例の計画もやりやすくなるだろう。
とそう考えれば膨大な面倒事や仕事に対するモチベーションも不思議と上がっていった。どうやら自分は思ってるよりも下半身で生きているらしい。だが仕方が無いじゃないか。17歳処女、自分で自分を慰める日々に突然異世界より現れた自分の救世主の男。顔も性格も強さも好み。そんなんもう肌を重ねたいに決まっているのだ。
というか特別大切な政務であることを理解していてもアサカと共に居られる時間が増えることに内心小躍りしている自分がいることを否定は出来ない。もしかしたら今回の1件でより関係が深まってアリシアよりも先に進めるかもしれない。そう考えれば全ては些事、どんな大きな障害だろうが粉砕する気力が湧いてくる。
下腹部と双丘の先に血が集まる感覚がする。いかんいかん、股を濡らすな。諸侯達の前だ。こんなどうしようもない妄想が少しでも顔に出れば威厳もへったくれもあったものではない。
母上を挟んだ向かい側の席で凄い表情をしているオイフェミアの顔が見えた気がするが、きっと気の所為だろう。
「では停戦前の会議は終了とする。各自解散、各々の政務に励め」
母上の言葉を受け諸侯たちは礼をし部屋から退散していく。私も同じく部屋を出ようとしたところで、母上から言葉をかけられた。
「ベネディクテ、フェリザリアの女王カミーラは狡猾で自分の欲求に素直な人物です。加えハーフエルフということもあり寿命も人間とは桁違いに長い。圧倒的な経験値の差は否めない。ですが、しっかりと己が仕事を全うするように」
少しそれに驚く。いつもは厳しい母上にしてはかなり優しい激励だ。歳取って丸くなった……などといえばぶん殴られそうだが、何か良いことでもあったか。
「ありがとうございます母上。あんな巫山戯た停戦内容を突きつけられた割には随分と上機嫌そうですね」
フッと鼻で笑いながら母上は私の目をしっかりと見据える。そして幼年期の記憶でしか見たことが無い笑顔のまま私の頬に手を伸ばした。
「子供の成長が見られた。私はそれが嬉しいのさ。だから、期待しているぞ」
最後の言葉と共に母上の表情がいつもの厳しいものに戻る。予想していなかった言葉をかけられ少し驚くが、こちらも表情を律し口を開く。
「お任せください」
母上はそれ以上何も言わず、付き人を伴って部屋から退室していった。
部屋に残されたのは私一人。俄然やる気が湧いてきた。母上に一人前として認められる為にも、ここで成果を掴まなくては。
「ベネディクテ」
「ひゃわ!?」
誰もいなくなったと思っていた中で突如背後から声をかけられ、猫の様に跳ね上がる。声の方向に顔を向ければドアから頭だけを覗かせるオイフェミアと目があった。ジト目で眉間に皺を寄せながらこちらを見ている。
「な、なんだ……」
「抜け駆け、したら怒りますから、ね?」
彼女の青い瞳が爛々と輝いている。普段ならそんな風に凄まれても飄々と受け流せるが、先程していた邪(性欲に実直)な妄想のせいか声が上擦った。
「す、するわけないだろぉ~?」
精神捜索系の魔術をかけられた時特有の不快感は無い。であれば私の様子を見て釘を指してきたのだろう。女の勘、というやつだろうか。
どう誤魔化そうかワナワナしていれば、オイフェミアは呆れたようにため息をつき、ドアの影から全身を見せる。
「はぁ。まあ良いです。それよりも政務のスケジュール、結構ヤバいんでしょう?手伝いますから、さっさと片付けましょう」
「オイフェミアぁ……」
やはり優しいやつである。魔女姫なんて呼ばれている彼女だが、生まれてこの方ずっと共に過ごしている私は、彼女がごく普通の優しい少女の精神性を有している事を知っている。
踵を返したオイフェミアを追いかけるように部屋を出る。
「夕飯、こっちの屋敷で食べます?」
「ああ、そうしようかな。アサカにも話しておきたいし」
「また面倒事をアサカにかけちゃいますね」
「仕方ないさ。力あるものの責任、と割り切れはしないが、今回は私もしっかり手助けするさ」
「交渉の主導役はベネディクテでしょうに」
「カミーラが手を出そうとしたら叩き切ってやる、ということだよ」
2人で城のカーペットの上を歩く。色々この先面倒事が待っているが、気分は晴れやかだ。
いい連中と出会えた。いまはそれだけで満足しておこう。
前書きにも書きましたが、これにて二章完結です。
かなり時間がかかってしまいましたが、皆さんここまでお付き合い本当にありがとうございました。
この後は2話ほどEXパートを挟んでから3章を書き始める予定です。
読んでくださった方、お気に入り登録をしてくださった方、評価を付けてくださった方、そして感想をくれた方々に最大限の感謝を。感想の返信は行えていませんが、全てしっかり読ませていただいています。
これからも応援していただけると幸いです。
敬具
ArtificialLine
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Interlude-思い入れ
EX-Act1_夏の夕暮れ
あと今回から後書きで世界観のTips付けていきます。
9月3日。太陽が西へと沈み、夕暮れ時特有の黄昏色が世界を包んでいる。道の脇の駄菓子屋ではセーラー服に身を包んだ少女2人が、覇気の無い顔で学校の愚痴を話していた。
あれほど煩かった蝉達の合唱も殆ど鳴りを潜め、ひぐらしが一匹、さみしげに鳴いている。
そんな晩夏、夕暮れのけやき道を歩く1人の女の姿がある。Yシャツに黒のスーツスカート、肩からは女性もののショルダーバッグを下げている。スーツのジャケットを左手の小脇に抱え、耳には桜をモチーフにした控えめのピアスをしていた。
濡鴉を連想させる綺麗な長い黒髪を一本に纏めその女は歩いている。パンプスで石畳を踏むコツコツという音が、ひぐらしの声と共に響いていた。
その容姿は一流映画のヒロインとして抜擢されていたとしても不思議では無いほどに整っている。透き通るような白い肌に、薄い桃色のリップが塗られた唇。鼻筋は通り、丸みを帯びた頬骨がその優雅さを際立たせている。少し垂れた優しげな大きな目は春の陽だまりの様に柔らかい。
だがその顔に喜色は無い。今にも泣き出しそうな悲痛な表情で夕暮れのけやき道を歩いている。
都会とはいえず、田舎とも言えないこの街ではかなり目立つ美人であった。そんな美女が今にも泣き出しそうな顔で歩いているのだから、誰かが声をかけても可怪しくは無かったが、生憎と通りすがる人影は一つも無い。
だが人以外の姿はある。ブロック塀で隔たれた日本家屋の縁側から一匹の黒猫がその女を見ていた。そして気怠げに大きなあくびをした後、ひょいと縁側から飛び降りて庭に出る。ブロック塀の横に存在する柿の木を器用に登り、歩く女と並走するように塀の上へと飛び乗った。
そんな黒猫に気がついたのか、女は猫へと視線を向ける。いつ決壊しても可怪しくない瞳のまま、その女は猫へ会釈をした。猫は何も言わず、ただ女の顔の横を歩いている。
夕暮れのけやき道を歩いていれば、いつの間にかひぐらしの声は聞こえなくなっていた。だがそれと変わるようにして低い男の声のお経が聞こえてくる。誰かの49日なのだろうか。盆は終わったと言うのに、死者を弔うその声は嫌にはっきりと当たりに響いていた。
女がそのお経が聞こえる敷地の前で立ち止まる。塀に備え付けられた門に掲げられた看板には『神喰霊園』と記されていた。残された者の無念のはけ口でもある墓石が無数に立ち並び、夕暮れの陽をうけ長い影を作っている。
女はその墓地に用があった。門をくぐり抜け中へと入っていく。黒猫もそれに続き女の後を追った。備え付けの掃除道具置き場から桶と
「やあ姫乃さん、こんにちは。お花かな?」
ホースを蛇口に巻き付けながら壮年の男は、その自身の曲がった腰を労る。齢60近いと思える男にとって水撒きというのは少々腰に来るのだろう。
「こんにちは。ええ、そうです。お願いできますか?」
泣きそうな顔のままで女、姫乃は口を開く。壮年の男も少し悲しげな表情をして建物の中へと入っていった。黒猫は姫乃の足元にすり寄り、身体を擦り付ける。姫乃はスカートの裾を手で抑えながらしゃがみ、猫の頭に手を伸ばした。
「水で濡れますよ」
少し震える声で姫乃が猫に話しかけた。猫は気持ちよさそうに目を細めるも、その喉は鳴っていない。
建物の中から壮年の男、墓守が戻ってくる。手には菊や
「2つで1200円ね」
姫乃はショルダーバッグから少し傷んだ薄ピンクの財布を取り出し、野口英世1人と100円玉2枚を墓守に手渡した。
「ちょうど。線香はいるかい?」
財布をバッグにしまいながら姫乃は首を振った。バッグの端からは線香入れが顔を覗かせている。
「それにしても今日は彼のお参りさんが多いね」
墓守の一言を受け、財布をしまいバッグを閉じた姫乃の表情が少し動いた。
「秋奈ちゃん……ですか?」
墓守は少し困ったような様に眉を下げ、首を横へと振った。
「いや、それがね。大柄な白人さんがついさっき来たんだよ。日本語が話せないみたいで、彼の名前の書かれた紙を見せながら指さしてきてさ。きっと彼の友人かなと思って、案内してあげたんだよ」
姫乃は墓守の言葉を受け、少し驚いた様な顔をする。少なくとも白人の男が姫乃の目的の人物のお参りをしている事など初めてであったからだ。
「まだいると思うから、帰り道でも教えてあげてくれないかね」
姫乃は頷き、掃除用具と墓花を抱え歩き出す。黒猫もそれに続き後を追う。
途中の蛇口で桶に水を入れ、女の膂力では重くなったそれを持ち上げながら目的の墓石へと足を進めていく。
2分もすれば目的の墓石にたどり着く。
その墓石の前では、1人の人物が座り込んでいた。スーツに身を包み、硬そうな茶髪をツーブロックに刈り上げた、身長190cm以上はあるのでは無いかという白人の大男。しゃがんでいるというのに姫乃の胸程も大きい。筋骨隆々の身体をスーツで抑え込んでいるその男は姫乃に気が付きゆっくりと立ち上がった。線香置きからは半分ほど灰となった線香が、まだ煙を立ち上らせている。
「
大男から低い落ち着く声で発せられたのは綺麗なイギリス訛りの英語であった。墓石から離れようとしたその大男の動線を遮る様に黒猫が歩いていく。そして少し困った様な表情を見せた大男に対して、姫乃が声をかけた。
「
春の陽だまりを連想させる落ち着いた声から発せられるのもイギリス訛りの英語。家の都合や仕事の関係上、日本語を介さない存在と関わる事も多い姫乃はいくつかの言語を習得していた。姫乃は真剣な表情で大男の顔を見ている。大男は少し驚いた様に黒猫から姫乃の顔へと視線をずらした。
「
まるで懺悔をするかのように声に感情を籠もらせながら白人の大男、エアロン・スミスは口を開く。姫乃は射抜くような、それでいていつ涙が溢れても可怪しくない様な顔でエアロンの瞳を見ていた。
エアロンの心に酷い罪悪感と後悔が湧き上がる。眼の前の日本人の女、姫乃の事をエアロンは知らない。だがその表情だけで朝霞日夏と相当に親しい間柄であった事を理解してしまったからだ。元SASの観察眼が裏目出る。彼が無神経な男であればどれほど良かったか。
夕暮れの時が止まる。実際に時間停止している訳では無いが、そう思えるほどに気まずい沈黙が2人の間に流れた。それに耐えかねるようにして黒猫が姫乃の足元にすり寄り、にゃんと鳴く。
「きっとそうだと思いました。初めまして、私は藤原姫乃。日夏くんの元恋人です」
下唇を噛み締めながら姫乃は震えた声でそう言った。下を向いた彼女の表情は身長差が故にエアロンからは見えない。だが、その顔が容易く想像できてしまうほどに、姫乃の声には感情が籠もっていた。
姫乃の身体から薄緑色の光の様なものが滲み出ている様にエアロンは見えた。10年以上の戦場経験でも感じたことの無い程、自身の感情が揺れている事を強烈に自覚する。なんと口を開けばいいか、思考が浮かんでは霧散していく。
「失礼しました……。日夏くんのお参りにわざわざ来てくださるなんて、大変だったでしょう。この街は初めての方には分かりづらいですから」
姫乃が堰を切る様に口を開いた。エアロンは自身の鼓動が早まっている事を自覚する。さっきの姫乃の身体から発せられていた薄緑の光はなんだったのか?エアロンは回りだした頭で姫乃の姿を今一度確認するが、そんな光は既に見えなくなっている。幻覚だったのだろうか。
ぐらついた心を無理やり押さえつけ、エアロンは地面へと視線を落としその重い口を開いた。
「いえ……申し訳ない……。私は……知らなかったのです。ヒナツの家族があんな事件に巻き込まれていたなんて……」
姫乃の綺麗な顔に一筋の光が流れ出す。彼女は夕焼けの朱さを反射するそれを拭いながら、首を横に振った。
「日夏くんのことですから、話さなかったのでしょう。彼、ストレスとか悩み事を溜め込む癖がありますから。貴方が悪い訳ではありません」
眉間に深く皺を寄せ、両の手のひらに爪が食い込む程にキツく拳を握りしめながら、エアロンが姫乃の顔を見る。
「いえ、私がC.C.Cなぞに勧誘しなければヒナツは戦場に来ることなど無かった……!せめて、せめてあいつの事情を知っていれば……!」
エアロンは慟哭していた。大の大人、それも白人の大男が涙を流しながら叫ぶその光景は傍から見れば異様なもの。だが姫乃はエアロンが心から朝霞日夏の死を悔み、自身を責めているのだと理解していた。自身も十分に辛いが、この眼の前の大男も苦しんでいる。別れた後も朝霞日夏という人物は良い人間に出会えたのだと、心の底から理解できた。
姫乃はエアロンの胸に手をのばす。春の陽だまりの様な温かさ。それはじんわりとエアロンの心に染み渡っていった。
閑話休題。
しばしの時が過ぎ、日が完全に沈みかけている。薄暗くなった霊園の街灯が点灯し始め、人工的な明るさで墓石が照らされる。
両者の涙既に乾き、顔に雫の後を作っている。エアロンが無言で墓石を拭き、水をかけて綺麗にする。姫乃が墓花を花立に入れ水を注ぐ。
そしてショルダーバッグの線香入れから線香を取り出し、そこで忘れ物に気がついて口を開いた。
姫乃は煙草を吸わない。正確にはいまは吸っていなかった。朝霞日夏と交際していた時はピアニッシモを愛煙する喫煙者であったが、煙草の香りを感じ取る度に、あの男の顔を思い出すのが辛くて辞めたのだ。
その理由は、愛。朝霞日夏と姫乃は関係の悪化から破局したわけではない。あのままでは壊れてしまうであろう愛する男が、気兼ねなく逃げれるように、姫乃から別れを切り出したのである。ということを知っているのは姫乃本人と朝霞日夏の妹である秋奈、そして墓標の上で寝ている黒猫のみであった。
ともあれ喫煙を辞めた彼女は日常からライターを意図的に持ち歩かない様にしていた。故に今日もライターを持ち合わせていない。
「エアロンさん、ライター持っていませんか?」
沈黙を打ち破る様に姫乃が声をあげる。エアロンは自身のスーツパンツの右ポケットに手を伸ばし、中からジッポライターを取り出した。
「ありますよ、どうぞ」
姫乃はその大きな手のひらからジッポライターを受け取る。そのジッポライターにはC.C.Cという文字が刻まれており、ところどころが歪んでいた。金属も変色し、鋭い何かが突き立てられた様な傷もある。年季の入った一品。だがよく手入れが施されているようで、自力で補修した跡も見受けられる。かなりの愛着がある品のようであった。
姫乃はエアロンに対して一言お礼を言い、カチャリという金属音と共に蓋を開ける。年季が入り変色した金属と、真新しい火縄が顔を覗かせ、火打部分は赤黒く変色している。
ああ、これは錆ではない。そう姫乃は直感した。この赤黒さは血。戦場で使い続ける内に染み付いて取れなくなった血だ。どれだけ長いことこの大男は戦場に居たのだろうか。そう考えずにはいられない傷の記憶が、このジッポライターには残されている。
姫乃は右手の親指で火打部分を回転させた。オイルの染み込んだ火縄に着火した火が薄暗い霊園の中で揺らぐ。彼女はそうっと、左手に持つ線香の束に火を移らせ、それを半分エアロンへと手渡した。彼は姫乃がやってくるよりも前に線香をあげ終えていたのだが、何も言わずそれを受け取る。
姫乃は悲痛な表情でジッポライターの先端で揺らぐ火を見つめ、目を閉じると共に蓋を落とした。
「ありがとうございます」
エアロンは姫乃からジッポライターを受け取り、自身の右ポケットへとしまう。ライター以外の膨らみが見受けられるので、恐らくは煙草も一緒に入れているのだろう。
そして二人して墓前へとしゃがみ込み、線香を添えた。その墓石に刻まれている文字は、朝霞家。戒名は全部で4つ。朝霞日夏の両親、弟、そして朝霞日夏自身の名前である。だがこの墓に朝霞日夏の骨は埋葬されていない。理由は単純、遺体の破片すらも発見出来なかった為である。
エアロンと姫乃はゆっくりと目を閉じ、その墓前で手を合わせる。プロテスタント家系に生まれたイギリス人のエアロンであるが、仏教の基本的な所作に淀みはなかった。それが彼の趣味である深夜アニメで得た知識であることを知っているのは、この場ではエアロン本人のみである。
しばらく目を閉じ手をあわせていた2人であるが、どちらともなくゆっくりと瞼を上げる。
「エアロンさん、日本にはいつまで?」
来た時よりも何処か憑き物が落ちたような顔で、姫乃が口を開く。対するエアロンは少し困ったような顔をして姫乃へと視線を向けた。
「それがまだ決めていないのです」
怪訝気な瞳を姫乃がエアロンに向ける。当のエアロンは思案する様な顔ぶりで言葉を続けた。
「ヒナツの殉職後、私は初めてヒナツに、あいつの家族に何があったのかを知りました。そしてたった独り残されてしまった妹さんの事も。知ってしまえば、それまで通り生きるという選択肢は頭から消え失せていました。私には、彼を戦場という地獄に誘ってしまった責任がある。そして、その贖罪をおこないたい」
まるで慟哭するようにエアロンは言葉を放つ。泣いているようで、怒っているようで、切ないようで、そしてどうしようもなく辛そうであった。エアロンのその言葉は何処までいっても自慰的なものであった。贖罪の気持ちも、責任感も、罪悪感も、彼が勝手に感じているだけのこと。遺族の事も間違いなく考えてはいるのだろうが、それは第二位の理由となる。だがその言葉に嘘は一つもない。全てエアロン自身の本心である。であるが故に、姫乃にもそれは伝わっていた。エアロンはその自分の感情が独善的であることをわかった上で、日本までやってきたのだ。
姫乃にエアロンを恨む気持ちが無いといえば嘘になる。だが姫乃自身、その自分の中の感情がただの八つ当たりに近いものだと理解している。これが中学生や高校生であったならばいざしらず、朝霞日夏という男はその弱さも含めて立派に自立している"大人"であったことを、姫乃は理解している。彼が戦場へ赴く事になった直接的な要因はエアロンかもしれないが、そうなることを望んだのは朝霞日夏自身だ。であれば、エアロンを責めることは、姫乃自身が誰よりも愛している男を侮辱することに他ならない。誰かの決定と結果に対し、第三者を断罪するのは、当事者を子ども扱いすることに他ならないからだ。
それに、自身もエアロンと同罪であるとも姫乃は感じていた。彼を引き止めず、彼の為と思い繕い、彼の選択を尊重した。自身が重荷にならぬようにと、間違いなく本心からの優しさの発露であったにせよ、彼と別れ、彼を送り出した。立場は違えど、朝霞日夏がここに居ないことに間接的に関わったのは間違いないのだ。
だから、姫乃はエアロンの辛さが理解できた。救われたい気持ちも理解できた。それが遺族に罵倒されるにせよ、遺族の手助けをするにせよ、エアロンはこのままでは前に進めないということが、本質的に理解できた。この歴戦であろう白人の大男は見た目ほど強い人間ではなく、ただの1人の人間であるのだ。
「……私に貴方に対して何かを言う権利はありません。ですが、貴方の感じている苦しみは理解しています」
姫乃は墓前に置いていた掃除用具を手に取り、踵を返す。姫乃からは見えていないが、エアロンの顔は酷く歪んでいた。
「だから、一緒に行きましょう。どの道秋奈ちゃん、日夏くんの妹さんは英語が話せません」
エアロンは一転して呆気に取られた表情で姫乃の背中に視線を移す。
姫乃はエアロンに対してある種の同情と共感を抱いていた。そして友情と愛情、ベクトルは違えど、朝霞日夏という男を愛しているという点で変わりは無い。だから、前に進む手助けはしてあげたいと心の底から思ったのだ。
「ま、待ってくださいMs.フジワラ。まさか妹さんの元へ?」
少し狼狽えた様な声でエアロンは言葉を発する。姫乃は顔だけをチラリと向け、少し優しげに微笑んだ。
「ここで会ったのは偶然とは思えません。それに、そっちの事情を知って、はいそうですか頑張ってください、と見捨てるほど冷酷な人間でも無いつもりです。どの道貴方のような大男が突然押しかけたら秋奈ちゃんも怖いでしょうし、私と一緒の方が良いでしょうから」
姫乃はそこまで言って歩き出す。エアロンは口を開こうとしてそれを思いとどまる。ここでいかなければ一生後悔し続ける。そんな確信にも近い直感を感じたからだ。黒猫はそれを眺めた後に、街灯の光の中から闇へと消えていく。伸びていた猫の影には、尾が2つあった。
だがそれに気がつくことはなく、エアロンは姫乃の横へ並び、彼女の持っていた掃除用具を優しく手に取る。姫乃もそれに抵抗せずエアロンに掃除用具を渡した。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ご迷惑をかけるのでこれぐらいは」
ペコリと頭を下げる姫乃につられ、エアロンもお辞儀をした。朝霞日夏がC.C.C時代に良くしていた日本人特有の癖であるが、長いことバディをしていたエアロンにもすっかり染み付いている習慣である。イギリス人なのにも関わらず全くよどみのないお辞儀がそれを証明していた。
掃除用具を元の場所に戻し終えた後、2人は霊園を後にする。墓守の居た建物に明かりが灯っていない事から、かなりの時間をこの霊園で過ごしていたようだ。
けやき道を歩きながら、不意に姫乃が口を開く。
「日夏くんの遺体は見つからなかったんですよね?」
エアロンはどう話したものか、少し眉を潜ませるが慎重に口を開いた。
「……はい。1週間以上その場の捜索を行いましたが、何も……。ですので扱いとしては
先程の様な悲痛な表情を浮かべているだろうと覚悟を決め、エアロンは姫乃の顔に視線を向ける。身長差から口元しか見えなかったが、だが姫乃の口元はむしろ何処か晴れやかなものであった。
「ならきっと、日夏くんは生きてますよ」
エアロンは彼女の言葉に驚き、思わず歩みを止める。二、三歩姫乃は歩みを進めた後に、ゆっくりと振り返った。
「だって御守、渡しましたから」
姫乃は口を開きながら首元から古びた御守を取り出す。日本風の御守。【祈】と刺繍されたそれはエアロンも何度か見たことがあった。朝霞日夏がドックタグと一緒に括り付けていたもの。
だがそれ以上にエアロンは姫乃の顔に釘付けになっていた。思わず口を開こうとするが、本能的にそれを思いとどまる。今度は幻覚などではない、エアロンはそう確信する。
薄暗いけやき道。心許ない人工灯が薄っすらと照らす田舎の夜。藤原姫乃の瞳が酷くはっきりと緑色の光を伴っていた。
■階級の呼称
逸脱者‐生物の枠を大幅に離脱し、世界の理からも逸脱した存在。
オイフェミア・アルムクヴィスト。レティシア・ウォルコット。アリーヤ・レイレナード。IFSGの代表。連合女王国の逸脱者。ケティ・ノルデリア。
上位者‐通常の存在とは一線を画す稀有な実力者。実質的には通常戦力の中で最強の存在。
ベネディクテ・レーナ・ミスティア。キルステン・レイブン・ミスティア。アリシア・レイレナード。シキ・ソライ。ゼータ。カミーラ・ケリン・クウェリア。
英傑者‐通常の生物の枠組みから少しだけ外れた実力者。
上位妖精。ゼファー・ミフェス。ラグンヒルド・オルセン。
熟練者-通常の生物の枠を外れていない存在の中では最高レベルの存在。熟練の古兵など。
一般者‐一般的な存在。一般的な地球人類とほぼ変わらない。
■設定
これらの階級の間には大きな隔たりが存在する。レベル差とも言いかえられるかもしれない。だがこれらは単純な強さの指標ではない。
例えば朝霞は英傑者クラスにも身体能力は劣るが、知識と技量、そして前準備をフル動員すれば、上位者レベルの殺傷は可能である。これは銃の性能を含めての評価であり、お互いに準備した状態、かつ1on1なら対抗できる可能性は低くなる。
バレットm82などを用いた超長距離狙撃なら逸脱者の殺傷も可能な射撃技術を有しているが、上記同様奇襲でなければ万が一にも勝ち目は無いだろう。
つまりこれらは技量などを考慮しない純粋な身体性能の指標である。
例えばオイフェミアは近接戦闘能力では村娘にすら劣るため、理論上接近し奇襲できれば一般者でも勝ち目がある。だがそもそもオイフェミアに気取られず接近する事自体がどうやっても不可能なためそれは妄想に過ぎない。
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Chapter3_争奪のエゴイスト
Act19_瑠璃色のシンメトリー
いつも通りのんびり投稿していきます。
被ったC.C.Cの顕彰が入ったベレー帽を整えつつ、礼服の皺を正す。映画の中でしか見たことの無いような荘厳な装飾が施されたホール。奥には二階へと続くレッドカーペットが敷かれた階段が存在し、その横で音楽団が優雅なオーケストラが奏でている。学校の体育館ほどの広さのホールの中心では綺羅びやかなドレスや礼服に身を包んだ美女達と、中世軍隊の様な礼服を身に着けた線の細い美男子達が手を取り合いワルツを踊っていた。それを取り囲むようにしてテーブルが設置され、その上には胃もたれしそうな高級料理の数々が並べられている。給仕と思われる細い線の少年たちが来賓の貴族たちの間を猫のように歩き、空になった皿や飲み物の交換を忙しなく行っているのを眺めながら、手にした赤い液体のグラスを呷る。鼻を駆け抜ける芳醇な葡萄の香り。舌触りは柔らかく、度数の割には酷く飲みやすい。恐らく地球であれば一本云百万は下らないと思われるワインが当たり前の様に消費されていく光景を見て少し苦笑いが溢れた。
壁に凭れ掛かりながら自身の顎を撫でる。貴族方が多く出席するということもあり久方ぶりに髭を剃ったのだが、なかなかに違和感があった。
さて今現在何が行われているのかといえば、シャーウッド砦攻城戦の祝勝会、兼停戦交渉団の壮行会である。ベネディクテとオイフェミアは本来もっと少人数で執り行いたかったらしいのだが、祝勝会を兼ねているということもあり、かなり多くの貴族が参加する大規模なものとなっている。その殆どが王都にも影響力のある大貴族たちであるため、正直な所自分がこんな所にいる場違い感が甚だしいというのが本音であった。幼少期の頃、両親の仕事関係の付き合いでこのような立食会に参加したことはあるのだが流石に規模感と格式が違いすぎる。基礎的なテーブルマナーや社交界のマナーに対する造詣はあるとはいえ、あくまでそれは現代地球基準のもの。何かをやらかして波風立てるのも面倒くさいし、既に面倒を見てもらっているオイフェミアとベネディクテにこれ以上の迷惑をかけるのは避けたい。故に会場の隅に寄ってワインなどをちびちび飲んでいるのが現状である。なのだが……
「アサカ様!是非我が家からの依頼を受けていただきたく!」
「アサカ様、我が従士に教練を施してはいただけないだろうか」
瀟洒なドレスに身を包んだ若い女性達、恐らくは若年の地方貴族からひっきりなしに声をかけられていた。先程の苦笑いはこれに対しての感情も含まれる。別に俺に対してすり寄っても強権などがある訳でもなし。その上純粋な身体能力ではこの世界基準で下位も下位である。ボウガンの射撃や近接格闘の技術、歩兵戦術的には伝えられることもあるだろうが、とはいってもその程度。この世界の上澄みの連中の性能と比べればその差を埋めるには到底足りない。それはゼータと実際に交戦し骨の髄から理解したことである。これでも近接格闘やCQB、射撃技術にはそれなりの自負があったのだが、対面して理解した。あそこまで圧倒的な生物としての性能差があると接近された段階で状況を覆すのは難しい。一瞬身体が消えるステップもそうだが、膂力、瞬発力、反射能力、そして耐久力とその全てで大きく劣っていたのだ。実際未だに理由は判然としていないままであるが、身体修復の術が発現されていなければ左腕と睾丸を失っていたのであろうし、生きているのは運が良かっただけとも言える。
まあつまりは別に依頼を受けるのも教練を施すのも吝かではないが、過度な期待をするのは辞めて欲しいというのが本音である。だがしかしそれを直接俺が彼女らに伝えることはない。その理由はそんな貴族たちからの防波堤として俺の前に立つ燃えるような赤髪の女が原因である。
「はいはい、依頼の話でしたらアルムクヴィスト家を通してくださいね。私がお話を伺いますので後日都合の良い日程と名前をこちらの羊皮紙に書き込んでいってください」
ゼファーは今回の立食会にも俺の付き添い役として同伴してくれていた。背中がパックリと開いた真紅のタイトドレスを着こなし、髪をハーフアップに纏めている。化粧もしっかりとしておりいつにも増して綺麗であった。普段軽装の革鎧姿した見たことがない分、かなりのギャップを感じるがよく似合っている。オイフェミアの近衛隊の隊士としてこういった綺羅びやかな場には慣れているのだろう。まあ意外ではあったが、然程驚くこともない。
ゼファーに面倒事を押し付けている自覚はあるものの、ここで俺本人が出ていけばより混乱の元になることは明白。さらなる面倒事を呼び込まない為、内心でゼファーに謝罪をするだけに留めておく。
そんな事を考えながらワインを呷れば、コツコツとヒールの音が2つ近づいてきている事に気がつく。何の気無しにそちらへと目線を向ければ、見知った顔が2つ。1人は少し楽しげに目元を細め、こちらに手を振りながら歩いてくる緑のメッシュが入った藍色の髪の女、アリーヤ・レイレナード。もう一人は居心地の悪そうな顔を浮かべ、俺と視線が合えば少し気恥ずかしそうに視線をずらすマゼンタのメッシュが入った藍色の髪の女、アリシア・レイレナードであった。
姉妹共に落ち着いた黒のカクテルドレスに身を包んでおり、とても良く似合っている。この姉妹2人が並んでいる所を初めてみたが、なるほどよく似ていた。身長差はあれど鼻筋立ち、輪郭なんかは瓜二つだ。目元は両者共にツリ目気味なのだが、アリーヤは狐、アリシアは猫のようであり少し違う。挨拶をしようと口を開く前に、アリーヤが先に声をかけてきた。
「ハローアサカ。楽しんでる?」
「そう見えるかい?」
「あはは、全く」
からかうように笑うアリーヤに対し困ったような表情を浮かべる。初見で話した時からそうだが、アリーヤはかなり掴みどころが無い。全てがどうでもいいようで、全てに興味を抱いている様な矛盾を感じる。関わりが深いわけではないが、おおよそ外れていない印象であろう。
それに比べてアリシアはかなりわかりやすい。俺の前までやってきても少し顔を赤らめたまま視線を反らしたままである。正直に言えば可愛い。普段の凛とした彼女に馴染みがあるため、恥じらいを見せている姿は意外でもあった。
「この娘、普段ドレスなんて着ないからアサカに見られて照れてるのよ」
意地悪い笑顔で俺に耳打ちするようにアリーヤが口を開く。が声量をあまり抑える気は無いらしくアリシアの耳にもその言葉ははっきりと聞こえていた。途端、ずらしていた視線をこちらに戻し、先程よりも幾分か紅潮した顔で焦ったように口を開ける。
「ちょ、姉さん!」
「良いじゃないのさ。もうあたしらもいい歳なんだし」
何かを言いたそうな顔をしていたが、アリシアはそれ以上言い返す事はしない。ただその代わりに俺へといじらしい視線を向けてくる。頬を紅潮させ、構って欲しい時の猫の様な瞳でちらちらとこちらを見てくる。なんだこの可愛い生き物は。身長176cmと女性にしては大柄な体格と引き締まった肉体からは想像できないぐらいに乙女力が高い。普通ならコロリといかれてしまっても可怪しくない程度には破壊力が強い。実際対面して好きと言われた立場でもあるし考えない訳でもないのだが、あの泡沫の一時で見た姫乃の顔が脳裏から離れないのもまた事実であった。
とはいえ彼女がいま何を求めているかわからないほど朴念仁でも無ければ、意図的に言わない選択をとる程臆病でもない。その上いま姫乃に抱いている感情は恋愛としての未練よりも純粋な親愛と感謝である事は理解している。まあ実際にもう一度顔を合わせる機会があればどうなるかなどは自分でも判別つかないのだが、このまま黙りこむ気もさらさらない。綺麗なもの、可愛いものには素直にその感想を伝えたほうが皆幸せになれるのだ。故に口を開く。
「とても似合っているよ。普段の鎧姿も格好いいけど、今日は本当に綺麗だ」
露骨すぎるくらいクサイ台詞を並べる。人間同士のコミュニケーション、好意を伝えるのなら過剰なくらいが丁度いい。伝わらないよりも100倍マシである。
アリシアは頬を紅潮させたまま眉間に皺を寄せ、耳を澄まさねば聞き逃してしまいそうなほど小さく口を開く。
「……ありがと」
そしていつの間にか俺の横からアリシアの背後に移動し、意地悪い顔を浮かべているアリーヤの姿が目に入る。ここ数分のやり取りで掴みどころの無い人だが根本的に悪戯好きなことだけは理解できた。
「もーアリシアったら照れちゃって可愛いんだからぁ」
アリーヤは顔を綻ばせながらアリシアへと抱きついた。なるほど。本当に妹の事が好きなのだろう。アリシアはうざったそうに顔を逸らすが抵抗することはしない。
姉妹仲が良いのは良いことだ。アリシア自身は逸脱者たる姉にそれなり以上のコンプレックスを抱いているのは見ていれば理解できる。だがそれでもアリシアにとってアリーヤは自慢の姉なのだろう。自身が出来ないことをこなし、かつ自身を見下している訳でもない姉の事を本当にウザがりつつも少し嬉しそうにしている様に俺の目には見えた。
微笑ましく思い目を細めていれば、会場に鳴り響いていたワルツの演奏が止まる。どうしたのかと視線を向ければ、ホールの階段から黒と白のドレスに身を包んだベネディクテとラクランシア女王が現れていた。ということはこの壮行会の本題に入るということ。
「そろそろ出番みたいね」
アリシアが俺の前に立ち、ベレー帽とネクタイへと手を伸ばす。抵抗せずにいれば角度を整えてくれた。
「ありがとう」
俺がそう口を開けば、アリーヤがくすりと笑いつつ悪戯に視線を細める。
「まるで新妻じゃないさ」
アリシアは姉の言葉に眉間に皺を寄せつつも、ため息と共に表情を戻した。いつも通りのからかいなのだろう。俺も若干の苦笑を浮かべつつも感情を言葉にすることはない。こちとら30手前のおっさん。からかわれて怒るような歳でもなし。そもそも苛つくこともないが。
「皆、本日は出席頂き誠に感謝を申し上げる。ミスティア第一王女、ベネディクテ・レーナ・ミスティアだ。レティシア侯爵、どうぞこちらへ」
ベネディクテがそう口にすれば中世の貴族が身につけている様な上等な礼服に身を包んだ白髪の若い女が歩み出る。レティシア・ウォルコット侯爵。フェリザリア戦の前線指揮官であり、この前の作戦の現地統括者である。
ラクランシア女王、ベネディクテ、レティシア侯爵は皆同じ様に雪を連想させる綺麗な白髪である。必然的に階段前には白髪の美人が3人顔を連ねる事になるのだが、地球出身者としてはなんとも異様な光景であった。歳を重ねた老婆同士ならいざしらず、皆若々しく凛々しい顔立ちである。違和感、というわけでもないが地球の常識で考えればなんともファンタジーだと、そんなどうでもいい思考をした。いや、実際ファンタジー世界なのだが。
その後ベネディクテは此度のフェリザリア戦における経緯と局地的勝利を出席した皆に伝え始める。既に何度も聞いた話、かつ当事者の1人として戦線に出向いていた俺は適当に聞き流しつつ、ふとした純粋な疑問をアリーヤとアリシアに尋ねる。
「なあミスティアで白髪って珍しくないのか?」
すればアリーヤが口を開いた。
「いえ結構珍しいわよ。伝説では女神イーヴァの血を引く神人は皆白髪であったとされているわ。それに女神イーヴァ自身も豊かな白髪。だからこの国では白髪の人は高貴な人物、もしくはとても縁起の良い存在として丁重に扱われるの」
ほう、また一つ賢くなった。であれば今後白髪の人物と顔をあわせる時は気を引き締めた方がいいかもしれない。
「なるほど。じゃあ老人なんかは特に敬われるんだな」
老化による白髪。それを指し口を開いたのだが、アリシアもアリーヤもゼファーも合点がいかないといった表情でこちらを見てくる。
「どういうこと?そりゃあ老人に乱暴する馬鹿なんて殆どいないと思うけど」
あれ、なんか話が噛み合っていない気がする。
「いや、歳取ると髪の色素が抜け落ちて白髪になるじゃん」
俺がそう言えばますます3人は怪訝そうな顔をこちらへと向けてくる。
そしてアリシアがその表情のまま口を開いた。
「ならないけども……」
んー?おやこれはまさか地球の常識とこちらの常識の壁ですか。確かに老人を王都内で何度か見かけた時も白髪の人物は殆ど居なかった様に思えたが、まさかこちらの世界の人間は老化による髪の白化が無いのか。ジェネレーションギャップならぬワールドギャプを受ける。
「アサカの世界じゃどうか知らないけど、こっちじゃそもそも髪の色っていうはその人物の魔力の色が反映されていると考えられているのよ。だから著しい魔力欠乏なんかが起こると髪の色が変化することはあり得る。でもその場合だって殆どが黒くなるわ。ちょうど貴方の髪みたいなね」
アリーヤはそう言いながら俺の前髪を触ってくる。必然近づいた事で鼻に彼女の匂いが感じられた。濃い金木犀の香り。懐かしさすら感じられるが、何処かノルタルジックな気分に陥る。理由は思い返せばすぐに分かった。実家の庭に植えられていた大きな金木犀の木。学校終わりに縁側で妹とだべりながら良く香ってきた匂いだ。
とはいえ女性の匂いを感じてセンチメンタルな顔をするアラサー男という図は些か気持ちが悪いので表情を無理やり取り繕う。バレていなかったかチラリとアリシアへと視線を向ければ、おやつを貰えなかった猫の様な顔をしていた。なんだお前可愛いなこの野郎。
場を取り繕う為にわざとらしい咳払いをしながら口を開いた。
「ということはアリシアとアリーヤのその髪のメッシュも?」
髪を触っていた手を止め悪戯に微笑みながらアリーヤは頷く。
「その通り~。別に意図的というわけでも無いんだけどね」
「物心ついた時にはお互いこの色が髪に入っていたのよ。私はいまでも実は姉さんの悪戯何じゃないかって思ってるけどね」
「ひど。お姉ちゃん泣いちゃうよ~。アサカ~慰めて~~」
わざとらしくアリーヤはしくしくと泣き真似をしながら俺の胸板に顔を埋めてくる。そしてチラリとアリシアに視線を向けていた。こいつ確信犯だ。
煽られたアリシアは眉間に皺を寄せるもその不満は口に出さない。ただウザそうにため息をつくだけであった。
「ちょっと、アリシアはいつも通りだからともかくとしてもアサカはツッコミ入れなさいよ!てか大体男なんだから女にそんな簡単に胸触らせちゃだめでしょ!!」
「初見じゃ回避不可能だろそれ」
ぷんすかと怒るアリーヤに苦笑を浮かべ、アリシアに視線を向ける。だがアリシアは不機嫌そうに視線を逸らすだけであった。まあいつも通りの姉妹同士の茶番なのだろう。
「アサカ、準備を」
ゼファーから声をかけられる。
ホールの中心へと視線をずらせばベネディクテが停戦交渉についての説明を始めた所であった。どうやらそろそろ出番のようだ。俺はこの国、ひいてはこの世界からすれば新参者。お歴々の貴族方の前で失礼の無いよう気を引き締めていこう。面倒を見てもらっていることへの恩返しだ。停戦交渉団の代表なんぞ務めた事がある訳もないが、まあ出来ることは前向きにやっていくさ。本音を言えば面倒くさいという感情は否めないが、だからといって逃げ出すほど軟弱者でもない。それにゼータに負けたまま関係が終わりというのもどうにも後味が悪い。もう一度勝負するのは金輪際遠慮願いたいというのが正直な所であるが、あの白兵戦のセンスには武芸者として興味がある。もし顔を合わせる機会があれば二、三会話をしてみたいものだ。
それに新しいことを学ぶというのは存外嫌いではない。こっちの世界に来てからまだミスティアの一部しか見たことが無い俺からすれば、他国に足を運べるというのはそれなり以上の楽しみでもある。まあ仕事は仕事、プライベートな感情は表に出さない様に努めるが内心少しワクワクしているのも事実である。普通は自分の金的を破壊した女のいる国に行くのなぞ願い下げであるのが自然なのだろうが、どうにもゼータからは殺意を感じなかった。故にそこまでの恐れの感情は湧いてこない。
ホールの中心にいるベネディクテと視線が合う。さて恥をかかないようにポーカーフェイスに努めよう。
「いってらっしゃいな」
「気を張らずにね」
背中に心地よい体温を感じる。アリシアとアリーヤから背中を押され、ホールの中心へと一歩足を進めた。
「やっぱいい男じゃないさ」
アサカが離れたのを見計らってアリーヤが言葉を発する。
「うるさい」
からかわれていると思い少し語気が強くなった。だが横の姉に視線を向けてみればいつもの悪戯な笑みは浮かべていない。むしろその逆。興味深そうな視線でアサカの背中を見つめている。
「魔力量も矮小。生物としての強度は精々が熟練者。英傑にも届かない身体性能。私らからすれば蟻のような存在だ。正直な話をすればあのままでは我らの世界で通用しないと思う。性能だけの話ならば吹けば飛ぶ存在だからだ。だがあのフェリザリア右翼を壊滅させた武器――迫撃砲だっけ?それと無人偵察機、銃。そして当人の戦闘知識と強者に臆しない精神性が組み合わさった彼の姿は興味深い。まあそれは無知が故であるかもしれないが、アリシアが好意を抱くのも理解できるよ。冗談も通じるしこの国には居ないタイプの男だからね」
どちらかといえば真剣な表情でそう語る姉の姿を見て思わず面を喰らう。実に珍しいことだ。
「姉さんが他人に興味を抱くなんて珍しいこともあるものね」
アリーヤは自嘲気味に少し笑いながら口を開く。
「フッ。確かにね~。まあ一番はアリシアの"良い人"っていう姉目線の妹贔屓な所だけどさ。でも実戦で直接では無いとはいえ共闘してその価値の一端を理解したっていうのが一番大きいよ。今の身体性能のままなら遅かれ早かれ死ぬのは目に見えている。それに加えて魔術的な才能は一切無い。とはいえだ、既に理想の兵士としての精神性、技術力は完成している。前にあんたから直接聞いた話だが、瀕死の味方を楽にする事なんて並大抵の覚悟と精神性で出来るわけが無いからね。その完成した兵士が魔術適正によらない
驚いた。確かに考えていない訳では無かったが、アサカが
「つまりはアリシア、あんたと同じさ。意図的に酷いことを言うが、あんたには"魔術の才能が無い"」
こめかみがピクリと震える。姉に対して一番に抱いているコンプレックスを本人の口から言われ、一瞬にして身体にアドレナリンが広がっていった。特有のピリピリとした手足のしびれを感じる。
「だけどもあんたは努力と
似合わない優しげな目をし、アリーヤは私の頬に手を伸ばした。鼻に伝わる金木犀の香り。昂ぶっていた精神が落ち着き思考がクリアになる。魔術をかけられた訳では無い。だが何処となく落ち着く温かさであった。やはりこの姉はずるい。故に私のコンプレックスは増長されるのだが、悪意が無い事がわかっているからこそ自己嫌悪にも繋がる。
アリーヤはしばらく優しげな瞳のまま私の頬を撫でると、不意に悪戯な笑みを浮かべ口を開いた。
「無意識だったかもしれないけど、あんたら似てるよ。だからだろ?アリシアがアサカに好意を抱いたのは」
眉間に皺が寄る。いつものからかいモードに入った姉の手を払い除け鼻を鳴らした。アリーヤはくすくすと笑いながらホールの中央へと視線を向ける。
「ともあれだ。私らは何処までいっても所詮は傭兵。ロクデナシの人殺し共。それはアサカも同じさ。ベネディクテとオイフェミア殿下も彼を好いているようだが、私の目にはあんたの方がお似合いに見えるよ。だから言い訳して逃げるのはやめてよね。惚れた男位、王族から奪ってみせな」
「他人事だと思ってむちゃくちゃいってくれて……」
まあだが実際姉にそう言われて現状を改めて理解する。ベネディクテとオイフェミア殿下。王家派閥の中心であり強権を持つ2人を相手にどう立ち回るか。現実問題我々レイレナードという王家派閥お抱えの傭兵の立場からすれば難しいものがある。とはいえ諦める気なんて更々ない。であればアサカの口から直接言わせるしかあるまい。その為には正々堂々正面から全力でアサカを落としにかかるのが変な蟠りも起きず一番手っ取り早いだろう。
「まあいざとなれば私がミスティアだろうがフェリザリアだろうが連合女王国だろうが魔神だろうがあんたの恋路を塞ぐ一切合財を粉砕してやるから、大船に乗った気持ちでいなさいな」
「姉さんのそれは冗談にならないからやめて……」
さて決意も新たに決まった。なんとしてでもアサカから告白させる。というかそうでないと逸脱者同士の世界最終戦争が起きかねない。
なんで初恋でこんなクソどうでもいい懸念を抱かねばならないのか。できるならばもっと甘酸っぱく御伽噺のような恋がしたかった。
だがこれはこれで私らしいのだろう。自嘲気味にクスリと笑い、アリーヤとワインのグラスを鳴らした。
●魔術階級
戦略級魔術‐戦略レベルの趨勢を決する規模の魔術。遠隔から都市を半径50kmに渡って焦土化させられるようなものや大規模天候操作系魔術がこれに該当する。魔力消費が著しく、一般人であれば1000人以上いても要求魔力量を満たせない。それ以上に多大な魔力出力量を求められ、ザールヴェル世界でこのレベルの魔術が行使できるのはIFSGの代表であるサキュバスと、連合女王国の逸脱者、オイフェミアのみである。
戦術級魔術‐交戦地域の趨勢を決する規模の魔術。着弾地点から半径2kmを殲滅できる攻撃魔術や、大規模生産型魔術などがこれに該当する。
作戦級魔術‐作戦の趨勢を決する規模の魔術。
戦闘級魔術‐複数の対象に影響を及ぼす規模の魔術。具体例はライトニングやファイアーボールなど。
単一級魔術‐大規模でない攻撃魔術や補助魔術がこれに該当する。魔術の7割は単一級魔術である。具体例はエネルギーボルトやリープスラッシュなど。
●ちょっとした告知
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=295602&uid=59951
上記の活動報告にてちょっとした告知をしています。TRPG好きな方、やったこと無いけど興味のある方は是非にどうぞ。
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Act19-2_瑠璃色のシンメトリーⅡ
気軽に絡んでください。
https://misskey.design/@ArtificialLine
疲れた。それが率直な感想である。オイフェミアと計画していた食事会は身内だけを招いた小規模なモノだったのだが、なぜこんな大規模な壮行会になっているのか。
まあ愚痴っても仕方ない。仕方ないのだが王家派閥、地方領主派閥双方が顔を連ねるパーティというのは神経をすり減らす。ましてや王家派閥の中心の1人である私の立場からすれば色々と気を使う事も多いのだ。
だがひとまず1番気を揉む時間は終了した。シャーウッド砦攻城戦の戦果と停戦交渉団の発表。先日の会議以降各方面に根回しをしていた事が功を奏しすんなりと済ませる事ができた。色々と手を回してくれたオイフェミアとヴェスパー兄には感謝である。私も幼少期の頃から政治については色々と仕込まれてはいるのだが、どうにもあまり得意では無かった。出来るできないの話ではなく、本心にも思っていない顔を続けていると精神が磨り減っていくのだ。まあ向いていないんだろうなと自覚はしているのだが、如何せん次期女王となる身。戴冠すればこんな憂鬱な感情が毎日続くのだろうなと考えるだけで気が滅入る。日々の癒やしとなるものがなければやっていられないだろう。
そう、癒やしである。過酷な政務から自室に戻ってきて大好きな旦那に甘やかされるなど最高の癒やしだろう。そうに決まっている。別に誰とは言わないのだが、年上で強く優しい男などが適任だ。別に誰とは言わないが。名前がアサカだと尚良い。別に誰とは言わないが。
「呆けてどうしたのですか」
横に立ち並びワインに口を付けていたレティシアが声をかけてきた。言われ下らない新婚の妄想を中断し緩んだ口元を取り繕う。一応公の場であるのだから表に出ないように気をつけていたのだが、疲れが出ただろうか。
停戦交渉団の代表として指名されたアサカの紹介と経緯の説明、そして私の同行の発表が終わり10分程が経過している。現在は会場内の王家派閥が多く談笑をしている場でレティシアと共に飲み物を楽しんでいる最中。アサカはつい先程用を足すとの事で洗面所へと向かった。
「別になんでもない。それよりもウォルコットの損害はどんなものだ?報告書は読んだが、何か入用なものはあるか?」
照れ隠しも込めて話題の転換を行う。レティシアは少し微妙な顔をしつつもため息をついた後に口を開き始めた。不遜な、とは別に思わない。ウォルコット家も遠縁とはいえ一応は王家の血筋である。そもそもレティシアとは幼少期からの付き合いだ。オイフェミア程頻繁に顔をあわせていた訳ではないが、その実力も人となりも十分に理解している。まあ少しは態度を隠して欲しいとは思わなくもないが、それは私が言えたことではないだろう。
「戦死82名。重傷者365名。シャーウッド砦攻城戦の後存外骨のある抵抗を受け被害は出ましたが、あの規模の戦であったことを考えれば被害は軽微です。まあただ兵站が伸び切った上に即応大隊は連戦続きでした。しばらくはゆっくりさせてあげたいのと輜重部隊をいくつか回して欲しいですね。あと来季の対人族国家に置ける軍役の軽減をお願いします」
そういうレティシアの表情に変動はない。だが被害人数を述べる時声に少し力が籠もっていた。心根でくすぶっている感情があるのだろう。此度の軍役を直接命じたのは私。来季の軍役の軽減に関してはウォルコット軍の抜けた穴をどう埋めるか頭が痛い所ではあるが、今回の1件で相当酷使してしまった負い目を自覚している分強くは出れない。まあ封建主義的な御恩と奉公のバランスを考慮するという現実的な考えも多分に含まれる。実際此度のウォルコット、そしてレティシア本人が齎した成果というのは馬鹿にならない。これを考慮せず来季も今まで通り、となれば各方面の貴族からの信用低下にもつながる。それなり以上の対価は用意せねば示しがつかないだろう。
「わかった。母上への進言と軍役の軽減については考慮しよう。輜重部隊に関しては王家軍からいくらか回す。具体的な要望を後で送ってくれ」
「御意に」
すました顔のままレティシアはワインを呷る。
切れ長の人形のような美しい瞳は、さて何処を見ているのやら。
革靴の足音が近づいてきた。そちらへと目線をやれば物珍しそうに会場内に目を向けグラスを握ったアサカの姿がある。黒のベレー帽に黒のスラックス、肩章付きの白いワイシャツという装い。彼の所属していたC.C.Cという組織の夏礼服に身を包み、髭を剃った彼の姿は普段よりも幾分か若々しく見えた。
「おかえり。迷ったか?」
私がそう声をかければアサカはこちらへと視線を向ける。そして苦笑しながら口を開いた。
「ご明察の通り。本物のお城なんて殆ど入ったこと無いから勝手がわからんよ」
苦笑いのままアサカはワインを呷る。その後レティシアの姿を見留たのか表情を取り繕って会釈をした。
「ああ、レティシア……様。改めてシャーウッド砦ではお世話になりました」
取り繕ったような敬称に対し、レティシアはくすりと上品に笑いをこぼす。相変わらず所作が様になる女だ。先程も言ったがまるで高級人形の様な気品が溢れ出ている。
「レティシアで構いませんよ。アサカ殿は私の家臣でも部下でもありませんので」
レティシアの返答に少し困った顔を浮かべつつもアサカは頷く。そしてワインを呷りながら私達の直ぐ側まで寄ってきた所で、何かを思い出したかの様に口を開いた。
「そうだ。この前、モンストラ戦線での偵察任務の依頼を下さりありがとうございました。報告書はベネディクテ経由でお送りさせて頂きましたが、あんな感じで大丈夫でしたかね?」
ああ、そう言えば。色々な事が起こりすぎて忘れかけていた。モンストラ戦線での偵察任務の依頼。あれの依頼主はレティシアだった。報告書に関しては勝手に中を見るのはあまりにも無礼だと思い目を通さずそのままレティシアへと渡していたのだが、どの様な内容だったのだろうか。
「ええ拝見させていただきました。まずはこちらこそ依頼をお受けして頂き感謝を申し上げます。非常に興味深い内容でしたわ」
優雅に一礼をしつつレティシアは口を開いた。
「興味深い内容?」
その報告書の事が気になりレティシア、アサカの2人へと問いかける。対して答えたのはレティシアであった。
「ええ。まずあの依頼の目的についてなのですが、異世界の戦士であるアサカ殿の目から見てモンストラ戦線の現状はどう見えるのかというものを知るためでした。オイフェミア殿下から聞いた話ではアサカ殿の世界はこちらよりも多くの戦火を経験しているとの事でしたから、興味があったのです」
「でしたらあまり望んだ報告は行えなかったでしょう。俺も歴史はそれなりに好きですが、専門家ではありませんので」
「いいえとんでもない。大変有益な考察でしたよ。何よりも
レティシアの言葉に少し驚き彼女へと視線を向ける。アサカは合点のいっていない様な表情であったが、私には思い当たる前線からの報告があった。
「もしかして、北方魔物部族連合の目的か?」
私がそう問いかければレティシアはゆっくりと頷く。
「アサカ殿、改めてモンストラ戦線の所見についてお聞かせ願えますか」
アサカは少し困ったように眉を顰めつつも頷き口を開き始めた。
「俺が感じたのはあの魔物達は
「どういうことだ?」
私が問いかければ彼はワインで喉を潤した後に言葉を続ける。
「実地で実際にこの目で確認した事と、ベネディクテやオイフェミア、アリシアから伝えられた情報をあわせて考えれば魔物連中はミスティアやフェリザリアを大きく上回る
「ええ、その通りでございます。フェリザリア側の仔細は存じ上げませんが、ミスティアは北方魔物部族連合の大南下以降50万を超える魔物を討伐してきました。ですがその数や勢力に衰えは見えません」
アサカがレティシアの言葉を受け頷く。
「次に。魔物連中の中にも逸脱者とまではいかずとも強大な力を有する個が存在している。これも間違いありませんか?」
「その通りだ。ドレイクやディアボロ、バジリスク。その中でも
私がそう返せばアサカは何度か咀嚼する様に頷いた後に言葉を続けた。
「以上の事を踏まえて考えると、やはり現状の北方魔物部族連合の動きには違和感を感じます。全体として戦略的な動きができないにしろ、局所的な戦術的動きはできる。人族国家と本気でやりあって勢力図を広げる気なら平押しなりなんなりで今よりも戦線を押し上げる事は可能なのではないでしょうか?」
アサカの言葉を受けしばし思考する。顎に手を当てゆっくりと酸素を脳に送り込む。
確かに彼の言う通り戦線の押し上げ、勢力の拡大が目的ならばいくらでもやりようはあるだろう。北方魔物部族連合の戦術的、戦略的目的の不透明さは私も参謀たちも前々から疑問に思っていた。何を目的で大南下をしてきて停滞しているのか。
真っ向からの全面戦争となればミスティアという国家の存亡危機であるためむしろ現状はありがたいのだが、やはり釈然としない。
「加えて連中の指揮官クラスはそれなり以上に戦術というものを理解している。これは私が現地で目にしたアルムクヴィスト軍への遅滞戦術からの推察ですが、間違いはありませんか?」
「おっしゃる通り」
アサカは一息飲んでから口を開く。
「では何故北方魔物部族連合は現状維持に努めそれ以上の勢力拡大には消極的なのか。先程戦線を押し上げることは可能だと言いましたが、その被害は連中も馬鹿にならないでしょう。侵攻作戦と言うのはかなりの練度と連携が要求される。加えて兵站線の確保と維持は必至。ミスティアは大打撃を受けること間違いなし、加えていくらかの失地は免れないでしょうが、そうなればレティシア……さんやアリーヤ、オイフェミアなんかの逸脱者クラスが大々的に動くことは想像に難くない。魔物連中は数に物を言わせた人海戦術での優位が取れなくなり双方が泥沼の戦況に突入する。恐らくは北方魔物部族連合の首領もこの事を理解していると思われます」
アサカの考察を果実水で脳に糖分を送り込みながら黙って聞く。
「そうして泥沼になれば他の人族国家も黙っていない。ミスティアが墜ちれば次は自分たちだからです。内心がどうあれ表面上近隣諸国は
レティシアも興味深そうにアサカの話を聞いている。
「"尊厳が無くとも飯が食えれば人は生きられる。飯が無くとも尊厳があれば人は耐えられる。だが両方なくなると、もはやどうでもよくなる"。これは俺の好きな漫画の台詞です。俺はこの世界の歴史に疎く知識も浅いですが、人間追い込まれれば何にでもなります。俺の世界では2度に渡る世界大戦、その他にも延々と戦争を繰り広げてきました。そういった歴史があるからこそ人間の事を歴史というフィルターを通して第三者視点で俯瞰する事ができる。また実際に戦場に身を置いていたからこそ、追い込まれた人間の恐ろしさというものは理解しています。だからこそ魔物連中の頭脳達が何を人間という存在をどの様に把握しているのかも少なからず伺えます。彼らも人族では無い傍観者ですから」
彼は手にしていたグラスを一気に呷る。僅かに残っていた赤い液体が飲み干され、真剣な表情のまま口を開く。
「彼らは人族国家との全面戦争の先には瓦礫と屍しか残らないことを理解しているのです。同じ人族同士であればいざしらず。人間が家畜を喰らう狼や害獣に遠慮をする、もしくは和平を結ぶことなどあるでしょうか。一度始まればどちらかが滅ぶまでその戦いに終わりは訪れない。そんな事を懸念しているんじゃないかなと俺は考察しています」
最後に"まあ半分くらい妄想ですが"とアサカは締めくくった。私は感心していた。彼の考察は非常にわかりやすく論理立てられている。実際500年以上前の話になるが我らの世界も深淵戦役と呼ばれる魔神達との戦争を生存戦争を経験している。多数の国家に対し行われた魔神による大規模侵攻。当時の記録や人員は殆ど戦火によって失われてしまい概要程度しか伝わっていない戦いであるが、各国家は団結し迫りくる魔神と戦ったのだとされている。
上位の魔物、魔族連中の寿命は永遠に近いとされている。であれば当時の戦争の様子を見ていた魔族がまだ居ても不思議ではない。まああくまで可能性の話であるが、そういった観点からもアサカの北方魔物部族連合に対する考察は存外外れてはいないだろう。
だがまだアサカが言った考察の中で解決されていない問題がある。それに対し私が口を開こうとすれば、背後からコツコツというヒールの音が聞こえてきた。そしてよく知っている凛とした声も。
「なるほど、面白い話だ。であれば最後の疑問を解消したい。なぜ貴殿は魔物共が
声の方へと振り向けば母上の姿が目に入る。またその隣には伴うようにしてこちらに歩いてくる2人の女の姿。地方領主派閥の筆頭たる熟練貴族、ニルヴェノ伯爵と私の実妹である第2王女。黒く濡烏の様に綺麗な髪に真紅の瞳、作り物かと見間違うほどの儚さと美しさを持つキルステン・レイブン・ミスティアの姿であった。
キルステンは瀟洒な黒のプリンセスドレスに身を包み嫋やかな表情で私へと微笑みかけてくる。
想定外の人物達の登場に少し動揺する。特にキルステンが何故ここにいるのだ。いやオイフェミアが私の妹であるキルステンにもアサカの事は紹介しておくべきだと強く進言していたことから招かれている事は把握していたが、母上が公の場にキルステンが出ることを許可するはずが無いと勝手に思いこんでいた。キルステンはその特異な体質と性質から"
だが実際その母上と一緒に現れた事から想定するに母上本人が許可を出した事は想像に難くない。別に私はキルステンの事を嫌っている訳でも無く、寧ろ半ば幽閉されている事を哀れんでおり戴冠後は措置の緩和を考えていたぐらいなのだが、如何せん姉として妹に良くしてやれていない自覚と罪悪感を抱いている。苦手、という訳でも無いがどう接したら良いか自分でも計りかねているキルステンの登場に思わず呆気にとられた表情をしてしまった。
「これは女王陛下……ご不快に思われたのでしたら……」
アサカも焦ったように慌てて母上へと頭を下げる。だが母上はそれを手で制すると口を開いた。
「構わぬ。純粋に貴殿の話に興味が唆られただけだ。問に答えよ」
あっけからんと言う母上を受け、アサカは困った様な顔で私を見てきた。私としてもどうするものかと一瞬考えるが、続きを言うようにと目線で促す。すればアサカは小さく息をついた後口を開き始めた。
「では僭越ながら……。逃げてきたというのは確証があるわけでも確信があるわけでもありません。あくまで俺の個人的な推察です。その理由としては第一に北方魔物部族連合が勢力拡大を行わず現状維持に努めていることが挙げられます。先程考察した内容が事実であるとして思考する場合、一つの疑問が生じないでしょうか?」
「何故そもそも北方魔物部族連合は南下を行ったのか、だな」
そう答えたのはニルヴェノ伯である。アサカはゆっくりと頷き言葉を続ける。
「その通りです。他国への侵攻を行うのは様々な要因が考えられます。例えば此度のフェリザリア戦の様にオイフェミア……殿下という逸脱者を無効化し、軍事、政治的に優位に立つためなどですね。では北方の魔物達は何故人族の大国二つを相手に南下を行ったのか。考えられる可能性としてはいくつかあります。その中でもわかりやすい可能性が領土拡張です」
「それはそうだろう。だが何故その領土拡張から
母上が訊き返す。すればアサカは一切淀みなく言葉を返した。
「領土拡張の背景には何らかの要因があります。例えば冬場に凍結しない港が欲しいだとか、文化的要衝を押さえたいとか。つまりは北方の魔物が南下して領土拡張を行った理由こそが
思考する。確かに辻褄はあっている。だが魔物達が逃げ出す程の何かとは何なのか。
「だが北方魔物部族連合の数は我が国とフェリザリアとの二正面で戦線を維持できる位多い。それだけの数がいれば逃げる必要など無いのではないか?そも人族国家との戦争リスクを取るより、問題の何かを圧殺した方がわかりやすいだろう」
ニルヴェノ伯言葉を咀嚼する。――いや違う。彼らは逃げざるを得なかったんだ。
「その逃げる要因となったものが
私がつぶやいた言葉を受け、アサカは大きく頷いた。
「まさにその通り。実際俺が現地で活動をしていた際にアルムクヴィスト軍2万に対して2千程の下級魔物による攻撃があったと伺っています。橋頭堡部隊への救出作戦を邪魔する遅滞戦闘が目的だったとしても、こんな無駄に戦力を消耗させるだけの阿呆な作戦を人並以上の知恵を持つらしい魔族が行うとは思えません」
合点がいった様に母上が大きく頷いた。
「……なるほど。限定された生存域内での個体数整理。端的に言えば食料だけを浪費する下級魔物の口減らしが目的か。そして魔物が逃げ出す程の天災となれば……」
「
レティシアがそうつぶやいた。
全てを飲み込み拡大する深淵。通常世界とは異なった次元であるそれは触れたもの全てを飲み込む。深淵を排除するためには深淵領域に突入し、どこかに存在する深淵の核を破壊せねばならない。だが深淵からは魔神が無尽蔵に湧き出る為、大規模なものになればなるほど対処は困難を極める。また深淵の核を破壊した所で無事に生還できる保証は何処にもない。
なるほど。その説であれば全てに納得がいく。つまりはこうだ。
・北方魔物部族の生息域で深淵が出現
・深淵への対処が失敗し人族国家方面へと生存域を求める
・しかし人族国家との全面戦争になればどちらかが滅びるまで戦争は終わらない
・故に指導者たる魔族達は最低限の生存域を確保するに努め、増えすぎた下級魔物の口減らしを行っている
傍迷惑な話……と一蹴することはできなかった。なぜならミスティアも深淵の問題を抱えている為である。レティシアの統治するウォルコット領には深淵に飲み込まれた沿岸部が存在するのだ。他人事としてスルーできる問題ではなかった。
「なるほどな。貴殿の考えはよくわかった。だが全ては証拠のないただの考察だ」
母上の言葉にアサカは苦笑いを浮かべる。その言い分に少し苛つきを覚えるが、続けて母上は口を開いた。
「であるがゆえにその原因の究明は行わねばならぬな。実際深淵であろうとそうでなかろうとモンストラ戦線の解消は国家の急務だ」
「おっしゃる通りです陛下。うちの兵で良ければいつでもご命を受けましょうぞ。王家もアルムクヴィスト家もウォルコット家も現状余剰戦力は無いでしょうしな」
そう言うニルヴェノ伯に対して手放しで感謝……なぞ出来るはずもない。この御仁は歴戦の貴族。加え王家派閥とは敵対している地方領主派閥の筆頭。政治的打算が含まれている事は容易に想定できる。まあと言っても突っぱねられるほど何処も余裕が無いのが悲しい現実なのは間違いない。
「ふむ。何かあった時は卿を頼ることにしよう」
「御意のままに」
一切表情を変えずにそう言う母上とニルヴェノ伯に薄ら寒気すら覚える。こういう表面上は温和でも裏で何考えているか想定しなければならない状況が連続するから政治の場は嫌いなのだ。
「ではベネディクテ。私は他の方々と少し話してきます。アサカ殿、レティシア、キルステン。楽しいひとときを。そして成果を期待してるぞ」
母上はそう言うと他のお歴々の元へと歩いていく。ニルヴェノ伯もこちらに一礼をした後にそれへと続いていった。
ほっと一息。無駄に気を張る時間であった。母上だけなら兎も角としてもニルヴェノ伯とキルステンの前だと嫌でも取り繕ってしまう。たった一人の哀れな妹の前では格好いい姉でいたいのだ。
「うぉ!?」
直後素っ頓狂な声をアサカが上げた。何事かと目線を向ければ、黒い長髪とプリンセスドレスの後ろ姿。それがキルステンのものであることは直ぐに理解できたが、その行為を咀嚼するのにしばし時間を要する。
キルステンはキラキラと輝く宝石の様な瞳を見開いて好物を目の前にした時の様な楽しそうな顔をしていた。その表情のままアサカの両手を握り小刻みにプルプルと震えている。……何しているんだ?
「アサカ様!お噂はメイドから聞いておりましたが、実際にお会いして他言などアテにならないと改めて実感しましたわ!男性の身でお母様とニルヴェノ伯に萎縮せず自身のお言葉を伝えられるなんて驚きです!よろしければ貴方の世界のお話をお聞かせいただけませんか?」
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堰を切った様に話始めるキルステンの表情はどこまでも眩しい少女のもの。
キルステンはその境遇から他人とのコミュニケーションがあまり得意ではない。内向的で自身の世界に閉じこもりがちな哀れな少女。そのはずである。
私や母上、オイフェミアには年相応の少女らしさを見せることも多いが、彼女が初見の人間相手にここまで話しかけていることなど見たこともない。
驚きと状況の把握でしばしフリーズしていればぐいっと手が引っ張られる。
「お姉さまもご一緒に!アサカ様、如何でしょうか?」
目をキラキラとさせながら私の手を引いたのはキルステンである。なんだ、何か悪いものでも食べたのか。レティシアへと目線を向ければ、彼女はため息を付き口を開く。
「キルステン殿下。そんなに引っ張るとベネディクテ殿下のドレスがはだけてしまいます」
声をかけられたキルステンはビクッと身体を大きく揺らす。咬み合わせの悪い石臼の様なぎこちない動作でレティシアに身体を向け、キルステンは口を開いた。
「ァ、あ、あ!れ、レティ、シアこうちゃく!す、すみましぇ、しぇん!」
言葉を発するキルステンだが、最早何を言っているかわからないぐらいに噛みまくっている。表情も先程までの楽しそうなものではなく、実にぎこちない取ってつけたような笑顔だ。良かった、いつも通りのキルステンである。
私はキルステンの頭に手を伸ばしその髪を撫でた。すればぎこちない笑顔は成りを潜めとろけたへにゃりとした表情へと変化していく。うむ我が妹ながら、可愛い。可愛いが彼女がここまで他者とのコミュニケーションに難を抱えているのはその境遇から半ば幽閉されているためである。そのキルステンの環境を変えてあげられていない事に歯がゆさと罪悪感が湧き上がり、結果として自己嫌悪的な感情が加速した。
……兎も角、キルステンはアサカに対しては普通に接することができるようだ。普段彼女に対して何もしてあげられていない分、この場位彼女の望みを叶えて上げたい。
アサカは苦笑いを浮かべたまま私へと視線を向けている。
「アサカ、嫌じゃなければ話してあげてくれないか」
そう言えばアサカは少し以外そうな顔をした後に、妙に優しげな目を私へと向けた。
そしてゆっくりと頷き口を開く。
「わかったよ。えーっと、キルステンさん、ですよね?面白い話が出来る気はしないですが、お望みであれば」
アサカはそう言ってキルステンの手を軽く握り握手をする。対してキルステンはしばらく呆けた様な表情を浮かべた後に顔を真赤にした。
「ヒュッ、は、はえ……よ、よろしくおねがいしま……」
駄目だ。さっきは普通だったのにいつも通りのキルステンだ。殆どを周囲との関係を立たれ過ごしてきたキルステンにとって男に手を握られるなど父上を除けば初の体験であることは明白。つまるところ顔の良い年上の
へにゃへにゃになりそうなキルステンの肩を支える。さてこの時ばかりは面倒事を忘れるとしよう。アサカが閉ざされたキルステンの世界を開いてくれるかもしれない。不甲斐ない姉のエゴであるが、そう願わずはいられなかった。まあだからといってアサカはやらないが。
レティシアに目線を向ければ呆れたように微笑み、
私たちは追加の飲み物を受け取って会場隅のソファへと足を進めた。
……そういえばオイフェミアとヴェスパー兄はどこへいったのだ……。
■ミスティア王家
"白金女王"ラクランシア・ヴェノ・ミスティア(Lacanthiae Veno Mystia)
-33歳。人間。女。現ミスティア王国女王。厳格で朴念仁なGカップ。
"白淡姫"ベネディクテ・レーナ・ミスティア(Benedikte Lena Mystia)
-17歳。人間。女。ミスティア王国第一王女。次期女王。
"吸血姫"キルステン・レイブン・ミスティア(Kirsten Raven Mystia)
-15歳。人間。女。ミスティア王国第二王女。血業魔術(ブラッディパス)と呼ばれる血を用いた魔術には天才的な才を持っているがその他の魔術系統には一切適正が無いため"欠陥姫"とも揶揄される。
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Act20_憐憫のレイブン
これのなんかいい感じのルビが思いつかない……。カードゲーム的に考えればハンデスか……?
心臓の鼓動が煩い。顔は内側から茹でられているかの様に熱く、恐らくは頬が紅潮しきっているのだと直ぐに理解できた。そんな姿を他人に見られているのだと自覚すればするほど、顔の熱は更に上がっていく。
幸いお姉様と朝霞様は落ち着ける場所へと向かうため、私の少し前を歩いておられるので自身の赤い顔を見られることは無いが、それでも人の目は気になった。壮行会には様々なお歴々の顔が並んでいる。そんな方々の前でりんごの様な真っ赤な顔をしているのはミスティア王族の1人としてあまりよろしく無いことだろう。
故に私は
水に落としたインクの様に口内へとじんわりと広がっていく血に対して意識を向ける。そして
代わりに口内に滲み出た血をそのまま飲み込む。自身の欠片が満たされていく様な感覚が広がっていき、身体に馴染んでいった。
私は自身の事を
そう。厳密にいえば私は人間では無いのかもしれない。だが通常の
故に私はミスティア国内の貴族達や一般の使用人からは大いに嫌われている。神人であるミスティア王家から生まれた化け物なのだから、それは仕方ないだろう。それはそれとして悲しいと思う気持ちも、辛いと思う気持ちも持ち合わせている。これが真正の
本来であれば私は生まれ落ちたその瞬間に産婆によって絞め殺されるはずであったのだという。だがお父様が烈火の如くお怒りになってそれを止めたのだと、お母様は仰っていた。
『この子はどうあれ私の子だ!それを手をかけると言うならば、まずは先に私を殺せ!』
お父様はそう慟哭していたのだとお母様は悲しげな顔で語っていた。
まあそんな事情もあり私は半ば幽閉され人生を過ごしてきた。とはいえお母様やお姉様を妬んだり、恨んだりといった感情は一切ない。寧ろ
『こんな中途半端に生まれてしまってごめんなさい』
という罪悪感の方が強かった。
お母様もお姉様も月に一度は私の住んでいる塔に顔を出してくれる。その度に取り留めの無いお話をして、最後には私の頭を撫でて、抱きしめてくれる。それだけで、お二人からの愛は十分すぎるほどに頂いているのだ。こんな
その様な事情もあり、私は今回このような壮行会に顔を出させて頂いた事に大変驚いていた。それもその話をお母様から伝えられたのはつい先日。今回もメイドから壮行会のお話は聞いていたが、自分には関係のない話だろうと思っていたので焦りに焦った。まあ事前の予想通り大多数の貴族方からは汚物を見るような視線を向けられ、度々
正直な所お母様のお考えはわからない。何故この様な場に私が顔を出すことをお許しになったのか、またその意図は何なのか何もわからない。
とはいえ何かしらの目的があってのことだということは理解できる。私がお母様の目的達成に役立つのであれば存分に利用してくださって構わない。それが何もできていない私にできる最大限の恩返しになれば寧ろ幸いであった。
だが一部の貴族の方は普通に私と接してくれたのにも驚いた。その1番の例が二ルヴェノ伯である。かのお方は王家派閥では無く地方領主派閥の筆頭。故に私という王家が抱える欠陥は1番に攻撃しやすい要素であるはずなのに、嫌な顔ひとつせず丁寧に接してくれた。何故だろう、そう考えるものの、私は政治に関しては素人。何かしらの考えや打算ありきであることは想像に難くないが、仔細を予想するほどの知識は無い。
前を歩いていたアサカ様が唐突に足を止め振り返る。その瞳には何かしらの懸念が含まれていた。そしてその瞳のまま私の顔を覗き込み、心配そうな表情で口を開く。
「何処か怪我でもしているのかい?大丈夫?」
――純粋に驚いた。私はあくまで舌を噛み、そこを起点に
「ヒョ、い、いえ。お気になさらず!だ、大丈夫ですので!」
私は人とのコミュニケーションが相当に苦手である。特に初見の人であれば尚更。アサカ様は何故か遠い記憶にあるお父様と重なる温かみを感じるので初見でも饒舌に接してしまったが、とは言えこういったイレギュラーでは私のコミュニケーション能力の欠陥ぶりが露骨に表れ出た。噛みまくり、つまりまくり。情けないと自覚はするものの、身構えていなかった時に突然声をかけられると心拍数が跳ね上がる。
私が口を開いた時に一瞬舌の傷が見えたのだろうか、アサカ様は少し目を細めながらハンカチを手渡してくる。恐る恐るそれを受け取れば、彼は優しそうに瞳を揺らした。
「それ使ってください。返さなくて大丈夫なので」
この一瞬のやり取りだけで私のアサカ様に対する好意が早馬並のスピードで上がっていっている事を自覚する。いや自分でもチョロいなとは思うのだが、こちらは15歳引きこもり
半ば放心した様な感覚のままハンカチに目をやる。
端の部分には『C.C.C』という文字の刺繍。絹では無いが、相当に肌触りの良いもの。その材質は初めて見るものであった。普通の布とは違い、なんというかもふもふとした感触がある。表面は無数の繊維が丸められびっしりと並んでおり、これがこの独特な肌触りの原因だということは理解できた。だがそれはそれとしてこんなハンカチ見たこともない。というかこんな繊維一本一本を複雑な工程で編み上げたハンカチ、相当な高級品なのでは……。
私如きにこんなハンカチは勿体ない。と言うか恐れ多い。こんな高級品を頂いてしまっても、私には何も返せるものがないのだ。
「い、い、いえ!?こんな高級なモノ貸していただく訳にはい、い、いきま、せ、せん!どどど、ど、どうか!おきににゃ、にゃ、なさらず!」
噛みまくり詰まりまくりである。だがそんな事気にしていられない。こんな高級品を借りるわけにはいかない!という一心で、アサカ様にハンカチを返そうとするが、彼は少し困った様な表情を浮かべ、手で私を制した。
「気にしないでください。どうせ大量生産品ですので、高級品でもなんでも無いですよ」
????
大量生産品?これが?この見るからに複雑な工程を経て編み上げられたハンカチが??????
アサカ様の話はメイドから度々聞いていた。魔神と同じ様に異世界から誘われた
彼が本当に異世界人なのだという話の
これからそんな方のお話を聞くことができる。鳥籠の中の世界しか知らない私にとってそれはあまりにも甘美な期待に他ならない。
とはいえ何故アサカ様は私が傷を負った事に気がついたのだろうか。私は王家の人間としては欠陥そのものであるが、それでも魔力に対する感覚は常人よりも鋭敏である。だがアサカ様が感知系の術を使用しているようには思えなかった。お姉様も少し驚いた様に眉を上げていたことから、私と同じ感覚なのだろう。
「あ、ありがとうございます……。ですが何故……」
「何故キルステンが怪我していることに気がついたのだ?」
私の詰まった言葉をお姉様が代弁してくれる。すればアサカ様は少し苦笑いをしながら口を開いた。
「いや、特にこれといった理由は無いんだ。まあ強いて言うなら、俺には妹がいるんだけど、小さい頃は怪我してもそれを隠そうとするような意地っ張りな子でね。そんな妹の怪我を見抜こうとしていたら、いつの間にか他人の怪我には敏感になっていたって感じかな。ほら、さっきキルステンさん一瞬だけ歩調がずれたでしょ?だから何かあったのかなって」
なんてことの無いようにアサカ様は言う。だが全く理解出来ない。そもそも歩調がズレていた自覚すらないのだが、何故アサカ様は後ろを歩いていた私の歩調のズレに気がついたんだ。
「アサカ、お前は後ろに目でもついているのか」
お姉様が半ば呆れた様な表情で問いかける。私もそう思います。
「実は……。なんて訳ないだろ。ただ単にヒールの音だよ。それまで背後で聞こえていた規則正しいヒールの足音が一瞬乱れたら、嫌でも気がつくさ」
「いや、私は気がつかなかったが、嫌味か?」
お姉様が冗談めかしてそう言う。それを受けたアサカ様は苦笑いを浮かべつつもそれを否定した。
「そんな訳ないだろ。屋内軍事訓練の賜ってだけ」
「ふむ……今度アサカの世界の軍事訓練について詳しく教えてくれ」
なんてことのない一幕。だが私にとっては間違いなく世界が広がっていく瞬間。この後に聞けるであろうアサカ様のお話に胸を弾ませつつ、私たちは会場横の談話室へと入っていくのであった。
「私も会場に行きたかったですー」
不満げな声を微塵も隠すこと無く、横に歩く兄さまにそう愚痴る。そんな私達を護衛隊形で取り囲み歩くのは、兄さまの近衛隊の精鋭が5人。月明かりとわずかばかりの魔照灯に照らされた廊下には私達がカーペットを踏みしめる音と、壮行会会場から漏れ出るオーケストラの音が微かに響いていた。
兄さまはいつもの皮肉めいた表情と口調を崩さぬまま口を開く。
「そう言うなって。そもそもオイフェミアが言い出したんじゃないか」
「そうですけどー!」
さて。私達アルムクヴィスト公爵兄妹が何故壮行会に顔を出さず廊下を歩いているのか。その理由は場所に向かうためである。
というのもつい2日ほど前、兄さま宛に一通の手紙が届いた。その内容はミスティア王城内の普段は使われていない客室という場所と、時間の指定だけというあからさまに怪しいもの。普通であれば配下のものに調べさせ結果を待つ所であるのだが、今回はそうもいかなかった。その理由は手紙の捺印。その捺印は
勿論偽装の線をはじめに考え魔力鑑定は行った。重要な案件の捺印には魔術刻印が用いられるのが常である。魔術刻印はそれぞれ事にブラックボックス化された独特のパターンが存在し、解析や偽装には尋常ではない手間暇がかかる。仮に偽装できたとしても、込められた魔力には術者ごとの特色が存在する。つまりは同じ真作の魔術刻印を用いたとしてもそれに魔力を込める人物によって若干の差異が発生するのだ。
そして今回の
と、まあそこまでわかった上で無視する訳にもいかず、私から兄さまに進言して、私達兄妹と数名の護衛達は指定された場所へと向かっている最中という訳だ。
ラクランシア叔母様、改め女王陛下にも事情を話し、実際に指定された場所へと向かう事に関しては了承を得られている。ベネディクテにも話しておこうと考えていたのだが、それは女王陛下に止められた。何か考えがあるようであったが、思考閲覧魔術の行使は行っていない為、その真意はわからなかった。あの魔術は魔力耐性が高い存在相手だと行使が看破されるのだ。そして女王陛下の魔力耐性は異常そのもの。一般的な魔術師の
廊下をしばらく進み、目的の部屋の前へと到達する。そもそもフェリザリア女王は私の確保を初期目標として此度の戦役を引き起こした張本人。罠の可能性も多分に想定できるが、それならそれでかかってこいと言うのが本音であった。こんな国の中心、それもミスティア城内でいざこざを起こせば間違いなく全面戦争への突入は免れない。カミーラ・ケリン・クウェリアがそんな愚かな事をするほど愚鈍な君主では無いことに対しての一定以上の信頼はある。でなければ60年以上にも渡り大国フェリザリアを統治することなぞ出来るわけもない。
それに未だに私の無力化を狙っているならばこんな私の警戒をわざわざ跳ね上げる様な手段は用いないだろう。それこそ初戦の様な完全奇襲の方が合理的である。
護衛の近衛隊の面々が得物に手をかける。城内での抜剣は基本ご法度。露見すれば他派閥の貴族からの攻撃材料として利用される可能性があるので、できれば得物を抜かずに事を済ませたいが、まあ状況が状況である。
ドアの横に張り付いた近衛隊の隊員が緊張を貼り付けた顔で私に視線を向けてくる。
それに対してゆっくりと頷いた。そして目を瞑り、生物感知系魔術の詠唱を開始する。
私の特徴の一つである無詠唱で紡がれる魔術。それは3秒程で完成し効果を発現させた。
――反応なし……?
部屋の中からは生物の反応は無い。だが何か……揺らぎのようなものが感じられる。まるで物に布でも被せ隠しているような……そんな違和感。
手早くハンドサインで注意と警戒を促す。ドアの横に張り付いた近衛隊士は頷くと、ゆっくりとドアを開けた。
部屋は何の変哲もない客室であった。。部屋に備え付けられている窓は開け放たれ、そこからは満月の月光が差し込んでいる。カーテンが夜風に揺られ僅かに動いているが、誰の姿も無く無人であった。
いや……。置かれたベッドに視線を向ける。すれば不自然に布が窪んでいるではないか。
確かにベッドに人の姿は無い。だが間違いなく
「何者かな?」
兄さまもそれに気がついているようで、ベッドに飄々とした視線を向けたまま口を開いた。他の近衛隊士達はその言葉でようやく気がついたのか、私達の壁となるように前へと立ち、腰の得物に手を伸ばした。
「遅刻ですよ」
何もいないベッドの上から、冷たい女の声がする。前身の毛が逆立ち、急激に意識が先鋭化していった。
ベッドの窪みが変形し、通常の姿へと戻る。同時、ベッド前の空間が揺らぎ始め、その奥から1人の女が表れ出た。
息を呑む。護衛の隊士から生唾を飲み込んだ音が聞こえた。
その女は濃紺色のフードに白い上等な布を基調とした革鎧を身に着けていた。腰には私の背丈に迫るほどの長さを持つ真鍮色の刀剣が二振りぶら下げられ、フードからはみ出ている耳は笹の形をしている。印象的な薄桃色の瞳からは何の感情も伺えず、ただ無表情で私達の事を見ていた。
「
全身の魔術回路に魔力を回す。体中の魔術刻印に青白い光が奔り仄かに発光していく。
――ゼータ。フェリザリア女王直属の特殊部隊、猟犬大隊の筆頭であり、フェリザリア第2位の
そしてシャーウッド砦でアサカに深手を負わせた張本人……!!
意識が怒りにも似た感情に飲まれそうになったとき、右肩を掴まれる感覚で急激に引き戻される。兄さまが私の異常を感じ取って制してくれたのだ。このままでは殺し合いになりかねない、そう判断し自身に対して感情抑制魔術を行使する。ヒートアップしかけていた思考が途端に平坦なものに変化していき、心の荒ぶりが収まった。
「光栄ですアルムクヴィスト公爵。改めまして、私はゼータ。カミーラの命で此度は参上いたしました」
ゼータはそう言うと優雅に一礼をする。だがそれは貴族的なものでは無く、常在戦場の戦士としてのもの。
国の中枢にフェリザリアでも二番目の
が、逆に考えることも出来る。ここまでの偽装技術を持ったゼータをわざわざ送り込んでくる程の内容。それも文書での直接のやり取りでは無いことを加味するに、相当デリケートな話題の可能性が高い。
「せっかく会ったんだし、色々と談笑支度も思うがあまり時間もない。単刀直入にお伺いする。此度はどのような用件かな?」
兄さまが飄々とした声のままゼータにそう問いかけた。私はゼータが何か行動を起こした際のカウンターとして
「はい。端的に申し上げれば、一部のミスティア貴族が王家のとある人物の暗殺を画策しています」
衝撃的な言葉であった。兄さまが視線でその先を促す。驚きつつも、私は一言一句言葉を聞き逃さぬように意識を更に尖らせていった。
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