【短編集】 恵といちゃいちゃ過ごす夏休み (きりぼー)
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【プロローグ】 大事なプロローグなのに特売日の卵を買っちゃう恵

スロースタートで。


 

 

「明日から夏休みかぁ」

 

 終業式が終わり、倫也と恵は帰りの電車に並んで座っている。新体制のサークルになってから、恵は副代表として倫也の側にいつもいた。学校内では節度をもって接しているつもりだ。それでも倫也の友達からは『正妻』呼ばわりをされている。恵としては恋人のような振る舞いはしていないのに、そういう風に言われるのは不本意であったが、倫也も恵もそれを否定もせず、肯定もせず、冗談として受け流していた。

『彼女』でなく、『正妻』と表現されるのは、きっと倫也がどこか頼りないのに対して、恵がしっかりしていてフォローしているからなのだと思っている。別にどうでもいいけど。

 

 涼し気な夏の制服に身を包んだ恵は、髪をポニーテールに結わいている。手元にはプリントアウトしたサブヒロインルートのシナリオをもっていて、すでに何度か読んでいる。

 

「で、倫也くん。夏休みの予定は?」

 

倫也も手にはシナリオをもっている。恵が質問やおかしいと思ったところを赤ペンで追記したものだ。倫也は意見を取り入れ女性目線も考慮してシナリオを修正する。

 

「まずは、メインシナリオを仕上げないとな」

「まぁ、そうだよね・・・」

 

あとはメインシナリオルートのシナリオだけである。8月末の締め切りまで余裕がある。ここまでサブヒロイン4人のシナリオは順調に上げてきた。

 

「高校生最後の夏だよ」

「なんか甲子園球児みたいな言い方だな」

「野球をしていなくても最後の夏が来るんだよ」

「実感わからないな」

 

倫也は曖昧に答える。電車が揺れている。

 

「夏の間、ずぅーーーと、部屋でゲーム作りするの?」

「どうだろ・・・恵は予定あるの?」

「・・・ゲーム作り」と、つまらなそうに答える。「サブルートのシナリオはだいたいできたみたいだし、これをとりあえず組んでみて、あとは修正して・・・それから倫也くんがメインシナリオを上げてくれれば、スケジュールに余裕ができるけど」

「・・・そうだな」

 

メインシナリオがぜんぜん書けない。

電車が駅に停まる。終業式は午前中で終わったので、日中のこの時間は人が少ない。まばらに乗り降りしている。

 

「去年は合宿行ったよね」

 

恵が催促するように言う。今年はいかないの?の一言は付け加えない。これぐらい会話の流れで倫也には気が付いて欲しい。

 

「行った」

 

と、倫也は事実だけを伝える。電車が走り出す。その後の言葉を続けない。恵は少しイラッとする。でも、表情には出さない。ただ、気配を倫也は感じ取る。

 

「えっと、今年も合宿行った方いい?」

 

倫也が左にいる恵の方をみる。恵も倫也を見る。優しい瞳を瞬きする。それから恵は「ん~」といって、上を見ながら口元を抑える。にやける表情は隠す。

 

「その言い方はどうかと思うよ?されに・・・サブヒロインルートは完成しているんだよね?あとは・・・メインヒロインだけなんだよね・・・?」

 

我ながらナイスアシストだと恵は思う。これはもう、2人で旅行に行きたいという意味が流石に通じるだろう。あとは倫也が誘ってくれればOKだ。日帰り旅行で鎌倉あたりの海でも見てくればいい。うん。

 

「じゃ、合宿は無理だな!」

 

倫也がばっさりと断る。恵の目からハイライトが消える。うん、知ってた。鈍感とか、ヘタレとか、そういうのとちょっと違う。もう、頑なに2人の距離を縮めようとはしない。その気持ちもわからなくもない。

 

― 倫也と恵は『ゲーム作り』という口実で2人は同じ場所、同じ時間を過ごしている ―

 

あんまり考えると、恵はイライラしてしまうので、ここらへんで話題を変える。もうすぐ駅に着く。

 

「倫也くん。今日のお昼はどうするの?」

「なんも考えてないなー」

「冷蔵庫に冷やし中華あったよね?」

「そうだっけ」

「トマトもレタスもハムもあるし・・・それでいいかなぁ」

「来る?」

「1人分作るのも2人分作るのも同じだしー」

 

ここら辺の会話は通じる。

恵が立ち上がる。電車が恵の最寄り駅に到着した。倫也もゆっくりと立ち、2人は駅のホームに降りる。

 

「じゃ」

 

恵が一言いって、改札にゆっくりとした足取りで向かう。倫也の見えている時はゆっくりと行動する。

倫也は駅のベンチに座り、シナリオをチェックの続きをする。蝉がしきりに鳴いている。それから日差しが熱いので、恵が改札を通り抜けた頃を見計らって、改札の方へ行き、自販機でお茶を買う。それから座って恵を待った。

 

※※※

 

 恵は改札をでて少しゆっくり歩いてから、速度を上げて早足になり家へと急ぐ。玄関でローファーを脱ぎ捨て、リビングのテーブルに通知表とプリントを置く。部屋へ駆け上がって、鞄をベッドに放り投げ、制服を脱いで丸める。これはあとでクリーニングに出す。朝の内から用意していた白いワンピースを上からかぶる。ベッドに座って靴下を脱ぎ、制汗ウェットティッシュできれいにそろった足の指を拭き、新しいものに替えた。電車の中や倫也の部屋に人が多い時に冷房が強くなりがちなので、薄いピンクのサマーカーディンガンを羽織る。そして白い帽子をかぶる。鏡の前に立ってチェックをする。

メインヒロインの恰好になると少し違った自分になれる。積極的でどこか他人事のように自分を演じることができる。

 鞄の中からシナリオを取り出し、白いバッグに移し替える。そして、暑いままの部屋を出る。階段を駆け下りると母親が声をかける。二言も三言、あたり前の会話をする。学校のことなどはゆっくり話をしない。今はそんなことはもどかしい。晩御飯がいらなくなるかもしれないことだけを伝えれば十分だった。

親ももう特には何も言わない。小言の言った時期はとうに過ぎた。もともと感情に乏しく見えるが、芯が強く決めたことはやり切るような子だ。それに、どんなに子供に対して鈍感な親だって様子をみていればわかる。眩しいくらいきらきらとしている。

 

そう、娘が恋をしている。

 

※※※

 

 恵は駅の改札に近づくにつれてゆっくりとした歩調にして、呼吸を整える。

駅のホームのベンチに倫也が座っている。太陽が一番高い位置にありひどく暑い。蝉が騒がしい。恵はふぅーと息を深く吐き出してから、シナリオを読みながら器用に右手でペンを回している倫也に話しかける。

 

「おまたせ。安芸くん」

 

ちょっとだけトーンが高い澄んだ声。緊張している時の声。

 

「安芸くん?」と倫也が聞き返す。ずいぶんと久しぶりに呼ばれた気がする。

 

「ああ、うん。倫也くん」

 

倫也が立ち上がる。電車が遠くから来ているのが見える。

 

「なぁ、恵。この赤ペンのところなんだけど・・・」

倫也は話を切り出す。恵が「どこ?」と顔を近づけて倫也のもっているシナリオを覗き込む。顔が近くなる。倫也はくすぐったいような恵の香りに顔が赤くなる。

 

「ああ、これはね・・・」

 

電車がホームに到着する。ゆっくりと速度をおとし、プシューという音と共にとまる。2人は電車に乗り、並んで座る。倫也が右で恵が左。

 

「ここは、後輩ヒロインが落ち込んでいる場面だよね?それでも明るく振る舞いたい。だからセリフは『先輩!』なんだけど、それだけだと気持ちが伝わらない。だから一度、『先輩・・・』と呟いてから、『先輩!』と覚悟して声をかけたほうがいいと思ったのだけど」

「ああ、なるほど」

 

電車が揺れて走りだす。2人は相談しながらシナリオを修正していく。そうしている時間が2人はとても好きだった。

 

※※※

 

倫也の家の最寄り駅で降りる。

 

並んで歩きながら、倫也は恵の服装を見て一言いう。

 

「今日はメインヒロインの衣装なんだな」

「ちょっと違うんだけどね。メインヒロインをイメージした服にしてみた。あれは春物だけど、これは夏物」

「うん」

 

倫也はそれを言うだけで精一杯。顔が赤い。照れて顔を指でかいている。その様子をみているだけで恵は満足だった。気の利いた誉め言葉を言われたらもっと嬉しいかもしれないけど、そんなのは倫也らしくないとも思う。

 

「まぁ、初回だし・・・一応ね」

「ああ、そういうこと・・・」

 

恵がくすっと下を向いて笑う。あんまり笑顔は見せない。本心を隠したいい時に作り笑いをする。こうやって思わず笑顔が漏れる時は嬉しい時だ。

 

それから2人は少し無言で歩く。

 

倫也はときどき恵の方を見る。可愛い。いろんな服装の恵がいるけれど、メインヒロイン衣装の恵はちょっと違う。ずるいぐらいに透明感があり華もある。風が優しく吹いて髪が揺れる。

 

恵は倫也が見ていることを知っている。だからまっすぐ前を見る。耳が赤くならないようにできるだけフラットになるように心がける。ときどき倫也を横目で見る。あんまりはじっとみないで欲しい。目が合った時は無言で前に視線を戻す。耳が赤くなる。

 

そして、2人は手をつなぎたいなと思う。サークルメンバーだから手はつなげない。恵はなんとなく公私混同を意識して気をつけている。倫也のメインヒロインであるけれど、恋人ではない。サークル副代表として支えるけれど、恋人ではない。この物語の夏の間、ずっと一緒にいるけれど、恋人でないし、恋人にはなれない。

 

『それは・・・劇場版の倫也と恵の役割だから』

 

だから、この夏の間の2人は『恋人未満』の関係のまま過ごす。

 

※※※

 

劇場版のあのキスシーンの交差点に2人はたどり着いた。

恵が立ち止まって、倫也の方を振りむく。蝉が一瞬鳴くのをやめて、時が止まったようになった。

 

「メインヒロインとの日常は、どんな物語にするの?」

 

恵が目の前にいる。まっすぐ倫也を見ている。倫也は目をそらさずに真剣に考える。

 

「そうだな・・・」

 

それは、恵と過ごす物語になる。恵が料理したり、恵とゲームで遊んだり、ゲーム作ったり、一緒にTVを見たり、家の中ですごすなんでもない時間だ。それをどうやって伝えよう?

 

「それは、恵しだいだな・・・」

 

恵がさっきまで輝いていた黒い瞳を少し曇らせて、

 

「それ、なんかずるい」

 

といった。倫也が肩をすくめる。事実なのだからしょうがない。

 

「でもまぁ・・・とりあえず・・・」

「とりあえず?」

「たまご。たまごを買いに行こっか。今日、特売日だし」

「特売日なんだ」

「1パック98円。これはお買い得だよ倫也くん」

「そうだな・・・それ、初回のネタにしていいの・・・」

「ん?だって・・・冷やし中華にやっぱりたまごはあったほうがよくない?」

「そう・・・だな」

 

恵が少し微笑む。そして、左手をすぅーと前に差し出した。

倫也がそれを見て、左手を出すと・・・

 

「あのね、倫也くん。それじゃあ握手になっちゃうよ?」

「ああ・・・えっと」

 

倫也が右手で恵の手を握る。

恵は満足そうに一度うなずいて、その手をほどいてはじいた。

 

「えっ?」

 

倫也が驚く。

 

「練習だよ。練習」

 

恵がくすくすとおかしそうに笑っている。劇場版では手をはじく。

 

「たまご。買いにいこ」

 

恵が踵を返してスーパーマーケットに向かう。倫也がその後を追いかけて横に並ぶ。

こりずに、恵の左手を握ると、恵はちょっと驚いた顔で倫也を見上げた。

 

「初回だからな」

「もう・・・しょうがないなー」

 

2人は手をつないで歩く。ふたりとも少し緊張をしている。道行く人がふと2人を振り返って眺め、理想的でいいなと思い、ため息をつく。

 

※※※

 

買い物を終えて、2人は倫也の家の玄関の前に立っている。手はつないだままだ。倫也は右手で恵と手をつないでいた。

恵がその手を離す。夏なのでつないでいたところが少し汗ばんで暑かった。手を離したあと手首をパタパタとふって汗を乾かす。その様子に倫也が笑う。

 

倫也が鍵を開けて中に入ろうとすると、

 

「ねぇ、ご両親は?」

「ああ・・・えっと・・・」この物語に邪魔な倫也の両親はいない。「夏の間中、ずっと法事が重なっているんだ」

「・・・それ、呪われてるよ?」

「どうしたらいい?」

 

恵が少し考える。

 

「豪華客船で世界一周旅行に行った。でいいんじゃない?」

「それでいいなら」

「うん」

 

倫也が扉を開ける。玄関で靴を脱ぎ捨てリビングに先に向かう。まずはエアコンをつけないと暑くてどうしようもない。

恵はゆっくりと靴を脱いで、倫也の靴も一緒にそろえる。

 

「ただいま」

 

と、誰にも聞こえないような小さな声でつぶやいた。

 

恵がリビングに入ってくる。中は暑かった。まずはもっていたバックをリビングのソファーに置く。それからカーディガンも脱いで、背もたれにかけた。

 

「わたし、ご飯を作るから、倫也くんは着替えてきて」

「ああ」

 

倫也は生返事をして階段を上がっていく。

 

恵は洗面所で手を洗い、棚からエプロンを取り出して身に着ける。それから買い物してきたものを冷蔵庫にしまい、今から作る材料を取り出す。

まずは卵を溶いて、錦糸卵を作る。

 

※※※

 

倫也が着替えて部屋から降りてくる。

恵がキッチンで野菜をカットしている。

 

「何か手伝おうか?」

「えっと、もうすぐ麺が茹で上がるから・・・そしたら水で冷やしてくれる?」

「わかった」

 

倫也がタイマーをみる。あと1分ある。流し台にはザルとボールがすでに用意されている。錦糸卵もキュウリもハムも細くカットされていた。今はトマトのヘタをくりぬいて半分にしている。半分はラップに包み冷蔵庫にいれる。残りを、櫛型にカットする。倫也は恵のエプロン姿を後ろから眺める。抱きつきたくなる・・・そこでタイマーが鳴った。

 

※※※

 

倫也が完成した冷やし中華をテーブルに運ぶ。恵はグラスに氷をいれ、麦茶を注ぎいれた。

 

倫也と恵は向かい合わせに座る。卵もはいった冷やし中華は彩りが鮮やかだ。

恵はハサミをつかってゴマダレの袋の先を斜めに少し切って、倫也に渡す。倫也はそれをかける。それから恵は自分の袋きって、ハサミを置き、ゴマダレをかけた。

 

手を合わせ、倫也が「いただきます」という。

恵が少し頷いてから「いただきます」という。

 

「で、どんな物語がいいんだっけ?」

 

恵が倫也に質問をする。箸で錦糸卵を少しつまむ。我ながら綺麗にできたとちょっと嬉しい。

 

「こういう物語」

 

倫也が答える。恵が静かにうなずく。

 

それから、箸を倫也の口元に差し出す。倫也がそれを黙って食べる。大事なイベントだ。イベントを超えて、2人にはもはや儀式に近いかもしれない。

 

エアコンの静かな音、窓の外から少し蝉の声が聴こえる。グラスの氷がカランと音を立てて崩れる。

 

倫也はもぐもぐと食べている。恵が少し上目使いで倫也を見ている。それから迷う。迷うがやはり確認していおく必要がある。

 

 

 

「わたし、倫也くんが好き」

 

 

 

倫也は口いっぱいに麺と野菜を放り込んでいる。もぐもぐと必死に噛む。そして飲み込む。

 

「大丈夫」倫也は照れずにうなずいて答えた。死んだりはしない。

「うん」と恵は頬を赤らめて頷き、冷やし中華を口にいれた。

 

2人の夏休みが明日から始まる。

 

(了)

 



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コーヒーフロートでも飲みながらまったりと

 

 

7月22日 木曜日。夏休み初日

 

高校生活最後の夏休みがはじまった。

倫也はサブヒロインのシナリオを書きあげたが、メインヒロインルートを書きすすめることができないでいた。

 

倫也はデスクでノートPCを開き、ワードの画面を見つめたまま一文字も打ち込めずにいる。

恵はベッドの上に寝転がって、少しだけできたメインヒロインルートを読んでいた。

ずいぶんとリラックスしているようで、足をパタパタさせたり、鼻歌を歌ったり、ときどきゴロゴロとベッド上で転げまわったりしている。ずいぶんとご機嫌のようだ。夏らしい白いシャツとモスグリーンのキュロットスカートをはいている。

 

「ねぇ、倫也くん・・・ちょっといいかな?」

「ん?どうした、恵」

 

倫也が背伸びをしてから、イスを回して立ち上がる。

 

「あのさ、楽しい話を書いてみたらいいんじゃないかな?」

 

恵が起き上がってベッドの横に座りなおす。

 

「あと、『転』がいらないと思う。主人公が死んだり、記憶を失ったりしない。日常のなんでもないことにもいろんな事件があって、そういう些細なことをモチーフにして書いたらいいと思うんだけど」

「ふむ」

 

倫也がうなずく。

 

「例えばなんだけどね。2人でケーキを食べるとするよね。わたしがショートケーキで、倫也くんは・・・えっとモンブラン?」

「モンブランは好きだよ」

「でね、倫也くんがわたしのショートケーキの苺をぱくりと食べるわけ」

「苺だけ?」

「そう」

「そんなことしたら怒るでしょ!?」

「怒るよ。だからさ、そういうちょっとした事件みたいなネタなら、くだらないし、笑えるんじゃないかなぁ。よくわからないけど」

「ふーむ」

「あとは・・・中華丼のうずらの卵とか?」

「子供だなぁ・・・」

「そういうこという?人がこんなに懸命にアイデアを出しているのに?」

「ああ、なるほど。ははっ、ありがと」

 

倫也が笑う。

とても静かな時間が流れる。

 

恵が立ち上がって、「う~ん」と言いながら頭の上で手を大きく伸ばした。

 

「お茶、入れてくる。倫也くんは何飲む?」

「そうだな・・・あっ」

「何かあった?」

「一緒に下行くよ。アイス買ってきた」

「アイス?」

 

※※※

 

 2人でキッチンに並んで準備を始めた。

大きめのグラスを二つ、コンビニで買ってきたロックアイス、ペットボトルのブラックコーヒー(微糖)、そして500mlのバニラアイスをカウンターに並べる。

 

「ふふふっ・・・恵。さぁコーヒーフロートを作ってみろ」

「なんで、そんな上目線なのかな?」

 

恵が倫也の方を不審そうにみる。

 

恵はグラスにロックアイスをいくつかいれ、ペットボトルのコーヒーを注ぎいれる。氷が心地よい音を立てて崩れる。

 

「ミルクあったよね」

 

後ろの冷蔵庫を開け、牛乳パックを取り出す。先端を細くしたまま、ゆっくりとミルクをコーヒーの上に注いでいった。綺麗にセパレートができて、黒と白の層ができあがる。

 

「うまいな・・・」

「まぁ・・・これぐらいわね」

 

そして、大きなスプーンを取り出して、バニラアイスを薄く削って、カフェオレの上に二枚盛り付けた。

 

「どうかな?」

「これ、プロだよねぇ!?」

 

見事なカフェオレフロートができあがった。スプーンでアイス削り取っているため、高級な仕上がりに見える。

 

恵は引き出しからストローを出して、トレーの上に置いた。

 

「で、次は倫也くんが作るの?」

「ああ、驚くなよ。俺はお前よりも・・・どうかな」

 

さっきまであった自信がなくなった。

 

倫也はキッチンの一番下の段の引き出しから、ディッシャーを取り出した。新品である。

 

「じゃん!ふふっ、これがあるんだよ」

「はぁ・・・」

恵がため息をついた。

「あるならあるって言ってよ・・・」

「そうだろ?普通の家にはないだろ?使ったことある?」

「あるよ。うちにもあるし」

「あるのぉ!?なんで?」

「なんでって、アイス盛り付けたり、ポテサラ盛り付けたり、量も量れるから便利だし・・・」

「そう・・・」

「もしかして、わたしがそれを使ってみたいと思うと思った?」

「・・・うん」

 

倫也がグラスにロックアイスをいれ、雑にコーヒーを注ぎ、アイスをディッシャーでよそった。そして、コーヒーの上にアイスを置く。アイスは盛り付けるときにひっくり返って、裏返しになる。

 

「あっ」

「ぷっ・・・くすくす」

 

恵が手で口を隠して笑った。

 

「じゃ、わたしの勝ちってことで・・・」

「そうだな」

 

倫也ががっかりする。

 

「そういうわけで恵。おまえに俺の作ったコーヒーフロートをやろう」

「いらない」

「愛がこもってるよ?」

「失敗したからだよね?」

「・・・」

「そんなんで喜ぶのは流石に無理かな」

 

倫也が無言で、グラスを二つとストローとスプーンを二本乗せたトレーを持って階段を上がっていく。

恵は出した材料を元の場所にしまってから、階段をトントンと軽やかに駆け上がっていった。

 

※※※

 

 倫也の部屋のテーブルに座る。恵はストローでカフェオレフロートくるくるとかき混ぜてから一口飲む。

 

「こういう話はね、ちょっと退屈かもしれないけど・・・」

 

恵が自信なさげに言った。

 

「本来の意味の801か」

「ヤオイって?」

「今だとBLと同じ意味で使われることもあるみたいけど、『ヤマなし、オチなし、意味なし』ってことだよ。日常をダラダラと描くような作品」

「へぇ・・・で、BLは?」

「ボーイズラブ」

「ああ・・・」

 

恵がそっぽ向いて顔が赤くなる。英梨々が描いているような作品かなと思った。いや、英梨々の作品には女の子がいたような・・・まっいっか。

 

「確かにね、コーヒーフロート作っただけで1つの短編って言われても、シナリオとしては面白みに欠けるのかなぁ」

 

恵がスプーンで溶けかかったアイスをすくって口に運んで食べている。舌を出して唇についたクリームを舐めとった。倫也はその様子を少し照れながら見ていた。

 

「どうだろう・・・」

「はぁ・・・」

 

恵がまた、ため息をついた。

 

「一番の問題点はね。倫也くん、わかる?」

「わからん」

「あたし達がデートできないってことだよ」

「デート・・・ロクテンバには、いったよね」

「まぁ・・・それはね。そうなんだけど」

「うん?」

「わたしの誕生日で誘うまではデートしないでメインヒロインルートを書こうとするから、結局は書けずに夏休みが終わるんだよね?」

「そうなのぉ?」

「え・・・」

「いや、俺はてっきり、文章を上手に書こうして、妄想垂れ流しにできないから書けないのだと思っていたけど・・・」

「ああ、そっかぁ・・・でも、それって照れがあるってことだよね?」

「・・・そう・・・だな」

 

原作では朱音の意見を聞いてから倫也が書けるようになる。

 

「まぁいいんだけどね・・・」

 

恵がちょっとつまらなそうにかき混ぜている。アイスがすっかりと溶けてしまった。

 

「やっぱり心残りが?」

「そうかもしれない。別に地縛霊になるつもりはこれっぽっちもないんだけど」

「はははっ」

 

倫也はとりあえず笑い飛ばす。

前作と別な話。けれどイデアが引き継がれていく。

 

「要するに、いちゃいちゃしたり、チュッチュッしたりするところを描き出せってことだよな?」

「そんなに露骨に言わないでよ・・・」

「それもつながったストーリー仕立てじゃなくて、短編で完結させながら進みたいと?」

「そうなるのかなぁ・・・」

「難しいと思う。物語はやっぱり起承転結がないと・・・」

 

恵は倫也が拒否したので、ムスッとした。

 

「それってさ、倫也くんは英梨々とはボートのったり、横浜いったりして楽しんだけれど、わたしとはしたくないってことだよね?」

「そんなこといってないよねぇ!?」

「もういいよ!」

 

恵が立ち上がった。そしてバックをもって部屋からでていこうとする。

 

その時、扉が開いた。

 

「いやっほー、トモ。と・・・加藤ちゃん」

 

元気よく入ってきたのは美智留だった。

 

「まぁまぁ、座りなよ、加藤ちゃん」

 

美智留が満面の笑みだ、そして続けていう。

 

「いやー、なんかラブラブしてて入りにくいなぁーって思ったら、ケンカしてくれてよかった」

「別にケンカじゃないしー」

恵がバックを置いて、さりげなく座り直す。危うくケンカして終わるところだった。

 

「トモの言いたいこともわかるけどね。でもさ、それでもやっぱり、この加藤ちゃんをちゃんと幸せにして、それでやっとあたし達は成仏できるんだよ」

「いや、おまえら別に死んでないだろ・・・」

 

恵は倫也をまっすぐ見つめている。ちょっと目が怖い。黒塗りはやめてハイライトつけて。

 

「わかった。『転』のない、明るい物語な」

 

倫也が承諾する。冴えないラブコメはもうできない。英梨々が今はまだ無理だからだ。

 

「そういうわけで作っていこ。一話完結型の作品群を」

 

恵が言った。倫也がうなずく。

恵は自分でもちょっと恥ずかしかった。心残りがある・・・

そう、ボートに揺られてみたいのだ。それに横浜も楽しいだろうし、観覧車も乗ってみたい。あっ、この時期だとデートはできないのか・・・

 

「で、あんたら何飲んでんの?」

 

美智留がどかっとベッド上にあぐらをかいて座った。

テーブルの上のコーヒーフロートを見つける。もう溶けてミルクコーヒーにしか見えない。

 

「美智留。おまえもコーヒーフロート飲む?コーラもあるからコーラフロートもできるけど」

「んじゃ、コーヒーフロート」

 

美智留は楽譜を開き、ギターの準備をする。

 

「わたし、作ってくるよ」

 

恵が立ちあがって、部屋からでていった。足取りは軽そうだ。

 

「ねぇ、トモ。今度は大丈夫?また誰かが泣くような話はよしたほうがいいよ」

「ああ・・・わかってる」

「ほんとに?例えばどんな話?」

「美智留なら・・・焼肉喰う話とかだよな」

「やきにくぅ?そりゃー、焼肉食わせてもらえるなら嬉しいけどさ・・・なんで、また焼肉」

「えっ、だって美智留といえば焼肉じゃないの?劇場版きっての名シーンだと思うけれど」

「そうか?」

「あれだけ嬉しそうに焼肉喰うヒロインもいないだろ。グルメアニメを超えていると思うぞ?」

「それ、褒めてる?」

「もちろん」

 

※※※

 

「おまたせ」

 

恵がコーヒーフロートを持ってきた。綺麗な丸いバニアアイスが浮かんでいる。

もちろん、ディッシャーを使ってみたかった。

 

「おっ、サンキュー加藤ちゃん」

 

美智留がベッドから降りて座る。まずはスプーンでアイスからすくって食べようとした。アイスが沈んでコーヒーが少しこぼれる。

 

「ありゃ」

「最初に、少しコーヒーを飲んで、それからアイスを食べるといいらしい」

「ほう・・・」

 

美智留がコーヒーを飲む。それから、アイスを一口食べた。幸せそうに笑っている。

 

「だからさー、あたしはさんざん言ったじゃん?こういうなんでもない幸せなことを書いていればいいんだって」

「・・・そうだな」

 

倫也が困っている。

 

「必要だったんだよ・・・」

 

恵がぼそりと呟いた。倫也に助け船を出す。

 

「わたし達には一度作品を完成させる必要があった。だから、キャラクターの自立性が作品を生き生きさせるのだと思う」

「加藤ちゃんがいいなら、あたしはいいよー。別に文句があるわけじゃないしー。納得するまでやってみたらいいと思う。でも、もうシーソーゲームはダメだよ?」

「うん」

 

そんなこと、誰よりも恵がわかっている。

 

「で、恵。短編は別に作って投稿していくんだよな?」

「そのつもりだけど」

「じゃあ、こっちはなんで連載なんだ?」

 

倫也が不思議そうに聞く。

 

「それはさー。わたしは倫也くんと、いろんなことをして過ごすシナリオも好きだけど、倫也くんとこの部屋でシナリオを創るのが好きだからだよ」

「とかいって、この部屋を留守にするのが怖いだけじゃないのー」

 

美智留がからかう。図星だ。

 

「ほっといてくれないかな」

 

恵が下を向いて怒っている。

 

「まっ、あたしは焼肉をトモがおごってくれるらしいから、いいけどねー」

 

美智留がおかしそうに笑っている。

 

「やきにく?」

 

恵が首をかしげて、倫也の方をみる。倫也がちょっと目をそらす。

 

「経費で落ちるよな?」

「おごるっていったんでしょ?」

「いってないよ?」

「ポケットマネーでどうぞ」

「取材費で落ちない?」

「落ちない」

「そこをなんとか」

 

倫也が土下座をする。

 

「だから・・・倫也くんの土下座は安っぽいんだってばぁ・・・」

 

と言いながら恵は笑ってしまった。

倫也の土下座をひさしぶりに見た気がする。

 

「じゃあ、はじめよっか。楽しい物語作りを、また試行錯誤しながら」

「試行錯誤するんだ!?」

「だってぇ・・・下手だもん、わたしたち」

 

恵が不安そうに言う。倫也も不安だった。

 

美智留が2人の様子をみて微笑んだ。コーヒーフロートをずずっと最後まで飲んだ。

今度こそ、底抜けに幸せな物語がいいなと思う。

 

(了)

 

 



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恵にただいまをすると「おかえり」って言う

ー 円満な夫婦生活にはエスパー能力が求められる ー


 

 

7月23日 金曜日。夏休み2日目。

 

恵が倫也の部屋のテーブルに座ってスケジュール表を眺めている。倫也はデスクに座り相変わらず進まないメインヒロインルートのシナリオを考えていた。紙のノートに何やら書き込んでは消しゴムで消している。ずいぶんと苦慮しているようで、消しゴムが小さく丸くなっていた。

 

「ねぇ、倫也くん」

「どうした?恵」

「この冴えカノ原作によると、わたしと倫也くんがデートしている可能性があるのって、冬コミ終了後から卒業までの間だよね?」

「卒業後もデートはしていると思うけど・・・」

「卒業後はR指定が外れるから、2人が結ばれることが示唆されているよね?」

「結ばれるってなんだ?」

「えっと・・・わたしを怒らせたい?」

 

倫也は笑ってごまかす。

恵がむくれて、スケジュール表に目を落とす。

 

なりたての恋人がぎこちないデートをするのは冬だけってことになる。

大学生偏はあまりにも原作から離れる。難しい。

 

「英梨々ルートの時は好き勝手やっていたのに、恵ルートは原作順守なのはなんで?」

「恵ルートは完成されているから。俺らにできるのはその隙間を埋めるぐらいだろ」

「夏休みなら自由だからいいと思ったけれど・・・いざ始めてみると制限多いなって」

「そこがいいんだよ」

 

恵は倫也をじぃーと見る。

 

「『転』がなくても、恋人になるのは勇気がいるって話だよね?」

「そういうことだ」

「わかるんだけどね・・・」

 

なんか思っていたのと違う・・・と恵は思った。もう少しこう・・・恋人らしい話にしたかった。倫也が英梨々と過ごしたような時間を自分も過ごしたい。それは嫉妬だと自覚はしている。

 

「帰る・・・」

 

恵が機嫌を損ねて立ち上がった。バックをもって部屋から出ていく。

 

※※※

 

「恵ぃ・・・」

 

倫也が階段を降りて追いかけるが、恵はそのまま玄関まで行き靴を履いている。

倫也が恵の手を握った。

 

「待って。恵」

 

恵は倫也に握られた手を振り払わずにそのまま強く握った。顔は玄関の扉の方をみていて、倫也から表情はわからない。

 

「わたしはね・・・」

「うん」

「ただ、倫也くんと楽しく過ごせたらいいなって思ってた。ううん。同じ空間に2人でいるだけでもいい。倫也くんがシナリオを打ち込んでいて、わたしが隣で夏休みの課題をしているとか・・・そんなのでもいいの」

「あのさ・・・、俺の課題はどうするの?」

「知-らない」

 

恵が倫也の方に向き直った。顔は笑っている。恵は機嫌を損ねたフリをしただけだ。

倫也は恵の手を離した。恵も少し名残惜しそうに手をほどく。

 

こうやって少しだけ『転』をいれておく。そうしないと余計な『転』が物語をややこしくする。

 

※※※

 

 2人は部屋に戻る。

 

「で、今回はこれをやるの?」

「そう。恵ならきっとできる!」

「そうかなぁ・・・」

 

恵は倫也の作ったメインルートのイベントに目を通す。

倫也が「ただいま」といい、恵が「おかえり」という。それだけ。

まずは本当に些細な日常の再現を試みる。

 

「でも、挨拶するだけだよ?」

「そこがいいんだよ。そのなんでもないことを恵のあざとい演技でさ」

「えっ?」

 

恵の目からハイライトが消える。

 

「ねぇ、倫也くん。今、なんて言った?ごめん。聞こえなかった」

 

倫也が固まる。冷や汗がでる。ちょっと口がすべった。ちょっとじゃないかもしれないけど。

 

「俺は『可愛い恵の力で』っていったんだよ」

「そう?」

 

恵がにっこりと作り笑いをした。倫也がほっとする。

 

「さぁ、倫也くん。そろそろはじめようか?わたしのあざとい演技」

「あの・・・恵・・・」

「どうしたの倫也くん?あざとい演技をして明るく楽しく終わらせよ?」

 

まるで最後に♪がつくかのように軽い口調の澄んだ高い声。

でも、目は漆黒だ。

 

「そうだな・・・」

 

恵が無言で見下ろしているままだ。倫也はそっと、あぐらで座っていたのを正座にした。

 

「倫也くん・・・ちょっと、そこ座って」

恵が指で床を示す。

 

「・・・もう座ってます」

 

恵が目の前に正座して座る。

 

「あのさぁ、倫也くん。わたしだってね、好きであざとい演技をしているわけじゃないんだよ?」

 

倫也は真剣な顔をしていたが、おもわず吹き出して笑ってしまった。

 

「ちょっと、何笑ってるのかなぁ?」

「いや、ごめん。だって、ひさびさに怒られたから。ほんとごめん。続けて」

「・・・もう。怒るのだって大変なんだよ?わかる?」

「うん。なぁ恵。ポニーテール、とても似合って可愛い。今度、大きなリボンつけてみたら?」

「・・・あのさぁ、そういう風に誤魔化さないんで欲しんだけどなぁ」

「でも、今回のイベントはわざと『あざとく』するんだろ?」

「そうなんだけどね」

「じゃあ、俺いってくるよ」

「うん」

 

倫也は立ち上がった。そして、デスクの鍵のかかった引き出しから財布を取り出し、ポケットにいれて家を出た。

 

恵はもってきた袋からエプロンを取り出す、今日の小道具で白いエプロンが入っている。フリルがついていて、メイドが身に着けているようなコスプレタイプのものだ。

エプロンを身にまとうとキッチンへと降りていった。冷蔵庫を開けてどうするか考える。それからレタスを取り出して、調理を始めた。

 

※※※

 

倫也が買い物を済ませて、家へと戻ってくる。玄関で靴を脱ぎながら「ただいまー」と言った。

 

家に入るとキッチンに恵がいる。恵は体を後ろにそらせて倫也の顔を見る、ポニーテールが揺れる。

 

「おかえり、倫也くん」

 

と静かな声でいった。

そう、本日のテーマである。恵が倫也に「おかえり」という。それだけでなんだか新婚気分になる。恵は必死にニヤニヤする笑顔をフラットにする。

 

「買ってきてくれた?」

「えっ、何を?」

 

倫也は別に何も注文されていなかったよな?と思う。

 

「ほら、サラダに乗せる具材だよ」

 

恵はレタスサラダを二つのガラスの器に盛り付けていた。あとは上に何かを乗せれば完成だ。ゆで卵とか、カニカマとか、アボガドとか。なんだっていい。

 

「え・・・俺が買ってきたの『消しゴム』なんだけど」

「はい?」

 

恵は目を細めて倫也の手元を見る。どうして消しゴム。

 

「だって、消しゴム無くなりそうだったから・・・何か食材が欲しかったら言ってくれれば買ってきたのに」

「そこは阿吽の呼吸を期待したいかな」

「エスパーじゃないからね!?」

「そうかなぁ・・・」

 

恵が気落ちする。これぐらいわかってくれると思ったけど・・・

リテイクを繰り返したら買ってきてくれるかな?

 

「やり直し。もう一回買ってきてくれる?」

「それはいいけど、何を買ってくればいいの?」

「それは任せるよ。大事なのは『おかえりなさい』をいうことなんだよね?」

「・・・わかった」

 

倫也がまた買い物に行った。

恵はサラダをラップに包む。消しゴムを乗せればトウフかモッツァレラチーズのように見えるかもしれないと考える・・・。考えただけだからね。

サラダを冷蔵庫にしまい、ついでに他の食材を見る。晩御飯は何にしようかと考える。パスタかな。後でもう一度倫也くんと買い物にいってもいいかなと思う。

 

恵は時計を見た。時刻は午後3時を回っていた。外はとても明るくて暑く、蝉が騒がしく鳴いている。

 

※※※

 

倫也が買い物から戻ってくる。玄関を開けると、ちょうど恵が階段を降りてくるところだった。

 

「あっ、おかえり。倫也くん」

 

とてもキレイな声。優しくて思いやりがあり、一日の嫌なことが吹き飛ぶような言葉。家に帰ると加藤恵が出迎えてくれる。なんかすごい。

 

「どこいくんだ?」

倫也が聞く。

「ああ、うん・・・えっと、お風呂に入ろうと思って」

「まだ、外明るいぞ」

「そうなんだよねぇ・・・」

 

階段から降りてくる時にばったり会う。それがやりたかっただけで理由なんてない。

 

「ほらよ」

 

倫也が持っていた袋から、小さな袋を取り出し、恵に投げる。

恵はそれをキャッチして、袋を見る。アニメキャラのおまけつき入浴剤だった。

 

「正解だろ?」

 

倫也は考えて買ってきた。玄関でばったり会うのは劇場版の最後のところだ。英梨々と恵があう。きっと一度は再現するだろうと思っていた。ビンゴである。

 

「うん・・・合格だよ・・・って言ってあげたいけど・・・」

 

どうもこの溶けるとアニメキャラのおまけが出てくるというところが腑に落ちない。そういえばお風呂の棚になにやら小さい人形が置いてあったと思ったけど、これか・・・

 

「集めているの?」

「ときどきな。本当に集めるならBOXで買うよ」

「あーそうだよねぇ」

 

倫也が笑っている。恵は階段を降りて、少し考えてからお風呂に入ることに決めた。

 

「でも、まだお風呂いれてないんだけど・・・沸かしていいかな?」

「いいけど、夏だしシャワーでもいいんじゃないの?」

「入浴剤は・・・」

「任せるよ」

「うん」

「俺、もう一回だけ買い物いってくるから、ゆっくりどうぞ」

 

倫也はそういってまた家を出ていった。

恵は風呂場に向かい、Tシャツを脱ごうと手をかける。そこで描写が止まる。NGのようだ。

 

※※※

 

倫也が戻ってくる。手にはケーキの二つ入った箱持っている。

玄関で靴を脱いでいると、浴室の方から恵がでてきた。

 

「ちょっと!倫也くん、早い・・・」

恵は浴室にひっこみ、顔だけを出している。体にはバスタオルを巻いている。

 

「ただいま。恵」

 

倫也は動揺を隠して、努めて冷静に言った。

 

「えっと・・・おかえり。倫也くん」

 

そして、一呼吸を置く。恵は次の言葉を続けるか迷う。恥ずかしい。

 

「えっと。こういう時は・・・『おかえり、あなた。ごはんにする?それともお風呂?・・・それとも・・・』っていうんだっけ?」

 

恵は顔が真っ赤だ。フラットさがない。声も震えて動揺している。完璧なあざとい演技はどこへいった。

 

「恵。最後までいわないと、オチないぞ?」

 

恵はため息をつく。ほんとにバカな話だ。底抜けで明るい幸せな話?

 

 

 

「それとも、わ・た・し・・・?」

 

 

 

「ぐはっ」倫也がしゃがみこみ、鼻血を手で抑える。

恵はそんな倫也を見て、ため息を一つついて笑った。

 

(了)

 

 



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風邪じゃないのにお見舞いイベントする恵

最近 youtubeのポップアップがミッチーのフィギュア


 

7月24日 土曜日。夏休み3日目。

晴れ。街道では蝉が鳴き始めている。

 

恵はいつもよりも少し大きなバックに、小分けしたコスメ用品、受験用の参考書、プリントアウトした従姉妹ヒロインルートのテキスト、それから紙袋に隠した替えの下着が万が一泊まりになった時のために入っている。

もちろん、恵は泊まる気なんてこれっぽっちも、まったく、ぜんぜんないというテイなわけだけど、帰るつもりはそれ以上になかった。

なにしろ、泊まらないといけない理由はいくらでも見つかる。ゲームが完成していないのだからしょうがない。一方で帰る理由は見つからない。

 

 倫也の家の最寄り駅についてから、スーパーマーケットでタイムセールの卵を買う。あとなくなりかけていた牛乳。それと果物を買う。今日は桃を一つ。肉や野菜などはまだ買わない。

 

 午後になる頃に倫也の家に着いた。呼び鈴を鳴らす。少し待って誰も出てこないのを確認してから、合鍵で家に入る。まずは靴の状況をみて、誰が来ているか把握する。両親はいないし、美智留も出海も来ていない。したがって、倫也はほぼ部屋でまだ寝ているということになる。

 

買ってきたものを冷蔵庫にしまう。ついでにいくつかの野菜を出す。それらを適当に刻み鍋に放り込んで水で煮る。コンソメの素をいれ弱火にかける。10分ほどタイマーをかけて置く。IHなので時間がきたらとまる。

 

階段をとんとんと駆け上がって、倫也の部屋のドアを開ける前に一呼吸。顔をフラットにして、ドアを開ける。部屋が暑い。エアコンがついていなかった。ベッドの上を見ても倫也がいない。

 

「・・・あれ?」

 

恵は首をかしげる。倫也がでかける予定はないはずだ。バイトはもういれていない。ケータイをチェックするが特に連絡は来ていない。ブレッシングソフトの予定もないし、美智留や出海やましてや伊織からも連絡はない。

恵は窓を開けて空気を入れ替え、倫也の掛布団をもちあげて、ベランダまでもっていって干した。部屋は綺麗に片付いている。

 

キッチンに戻ってスープの味を確認し、塩こしょうで整える。

 

お風呂場とトイレも調べるが倫也はいない。倫也の部屋に戻って、暑いけれど掃除機をかける。掃除機をかけ終わったら窓をしめて、エアコンをつける。それからまたキッチンへと降りていく。

買ってきた桃の皮をむき、4等分にカットしてお皿に盛り付けてラップをして冷蔵庫にいれる。玄関にいって靴を履き、家の周りを点検する。倫也はどこにもいない。まるで迷子になった子供のような気分になる。

 

倫也の部屋に戻って、テーブルの上にシナリオを広げる。赤ペンでチェックしてある箇所を読み直していく。これは倫也に対して質問するところや自分の意見をすり合わせるところ。恵はそれらを読みながらケータイをチェックする。倫也から連絡はない。

 

ホウレンソウが大事だと言ったが、何も24時間拘束するわけにはいかない。今日来るだろうことはわかっているだろうし、時間を待ち合わせたわけではない。倫也が長く家をあけるなら連絡ぐらいはいれるはずだ。したがって、ちょっとコンビニかどこかへ行っているのだろうと推測する。

 

恵はうわの空でテキストを読み進めながらも、耳は澄ましている。窓の外から少し甲高い女性の声が聴こえた。立ち上がって窓から覗くと、倫也と美智留が笑いながら歩いている。美智留が人影に気が付いて、手を振る。倫也も見上げる。恵はすぐにキッチンへと降りていき、さきほど作ったスープに水を足して、コンソメの素を1個放り込み再び弱火にかける。

 

玄関の方でがさごそと音がする。やがて美智留が入ってくる。

 

「こんちわー。加藤ちゃん」

と笑顔でいう。美智留はだいたい明るい。

「うん。こんにちは」

恵は落ち着いて静かに答える。

 

「暑いよ、加藤ちゃん!」

美智留はリビングのエアコンのスイッチを押す。

 

倫也が買い物袋をもって戻ってくる。恵と目があう。

 

(おかえり、ともやくん)

 

と、声に出さず口だけ言う。

 

(ただいま、めぐみ)

 

と、倫也も答える。

 

美智留がリビングの方から、横目でその様子をみていて、つっこむか放っておくか悩む。

リビングのイスに座る。なんだか新婚家庭に遊びにきたような気分になる。

 

「トモ。あんたら付き合ってないよねぇ?」

 

美智留が一応確認する。コンセプトがいまいちわからない。日常系ってなんだ。

 

「ああ、なんのことだ、美智留?」

「いや、違うならいいんだけど・・・」

 

倫也が買ってきたものをテーブルの上に並べる。弁当だった。恵はそれをみて味噌汁をつくった方がよかったかなと思った。だいたいいつも寝起きは食が細い。パンをかじるぐらいしか倫也は食べない。

 

「ねぇ倫也くん。そこは即答して否定すると、メインヒロインの女の子は機嫌が悪くなるんじゃないかな?」

 

恵がフラットに言う。グラスに氷をいれて麦茶をそそぐ。

 

「えっと・・・、肯定すればいいのかな?」

「付き合ってないのに?」

 

恵がグラスをカウンターに並べ、美智留がそれを受け取ってテーブルに置く。

 

「えっ、じゃあ、俺どうすればいいの?」

「知―らない」

 

恵が抑揚もつけずに言う。カップにスープを入れる。やはりカウンターに並べ、美智留がそれを受け取ってテーブルに置く。

 

「うーん。それは確かに加藤ちゃんの気持ちもわからんでもないなー。はっきりした否定って傷つくよね」

「傷はつかないけど・・・ちょっと怒れてきちゃうかな」

「えっと・・・」

倫也が困る。

 

「あっ、加藤ちゃん、お弁当どれにする?鮭弁当とから揚げ弁当とヘルシー弁当」

「ヘルシー?」

 

恵が内容をみる。女性向けの野菜を中心にした和食の弁当だ。というか、これが自分のだろうと思う。

 

「それでお願い」

 

恵が座っているところに、美智留がヘルシー弁当を置く。

倫也は美智留の隣に座っている。恵が斜め前だ。

 

「いただきます」と3人がいって、食事を始める。

 

「あたしもやってもらおー」美智留がひらめいた。「ねぇ加藤ちゃん、ちょっとあたしも否定されてみたいから、お願いできる?」

「うん?」

 

美智留が倫也の弁当から卵焼きを素早く奪って、自分の口にいれた。

 

「美智留!?それ数少ないおかずだよ?」

「恋人ならいいでしょーよ」

「恋人っていうか、暴君だよね!?」

「トモは細かいなー、そんなんだからもてないんだよ」

 

「えっと、2人はつきあっているのかな?」

 

恵が見事な棒読みで美智留の期待に応える。

 

「絶対そんな風に見えてないよねぇ!?」

 

倫也が全力で否定する。

 

「それが、そうでもないんだなぁ・・・」

 

恵がつぶやく。ちょっと寂しそうな目をする。ラブコメヒロインだが、今やラブコメアレルギーである。ここでは『転』のない物語を希望している。

 

「加藤ちゃん、大丈夫。あたしとトモはなんでもないからね?」

 

ここは美智留みずからも否定する。自分は大丈夫だと思ったが・・・美智留までもこの空間から追放するんだろうか?

 

「うん。お構いなく」

 

目からハイライトの消えた恵が答える。感情が消えている時の声。

 

「恵、それはともかく、卵焼きもらっていいか?」

 

倫也が話題を変える。恵は小さくうなずく。それはぜんぜん構わない。

恵が割りばしで卵焼きをつまむ。弁当にはいっているあの甘ったるくて固い卵焼きだ。これを倫也の口にいれれば、とりあえずOKだ。マンネリでもいい。面白くなくても飽きられてもいい。変な音楽が鳴らず、目の前で倫也くんが死ななければいい。

でも、今は美智留がいる。美智留の前でこんな行動は加藤恵らしくない。

恵は卵を箸で持ったまま固まる。目には涙を浮かべる。

 

「こりゃあ・・・トモ。重症だ・・・」

「そう・・・みたいだな」

「どうするの?」

「どうするもこうするもない」

「なに?」

「美智留。お前は・・・帰ってくれ」

 

倫也が悲痛な声でいう。

 

「それはいいけれど・・・合宿イベントは・・・」

「どうせ、恵はいけない」

「『転』が回避できない?」

「そうだな・・・」

 

美智留は弁当の残りを口にいれる。そして立ちあがった。

 

「じゃあ、トモ。上手くやりなよ」

「悪いな」

「別にー」

 

美智留は肩をすくめる。そして部屋からでて帰っていった。

 

倫也は固まった恵を見つめる。今日はポニーテールにしている。リボンは少し大きめだけど黒色であまり目立たない。夏らしい淡い黄色のシャツを着ていた。

 

倫也は恵の箸から卵焼きを口にいれた。もぐもぐと食べて飲み込む。

 

「また、ずいぶんと脱線したもんだな」

「ごめんね。倫也くん」

「時間がかかる。それでいい。でも恵。これは負け犬とは違う作品なんだ。もうあんなことにはならない。ここで静かに時間を過ごす」

「うん」

「合宿イベントは回避したよ」

「うん。だって、わたしは風邪をひくんでしょ?」

「そう。楽しみにしていたイベントには参加できない。それが『転』」

「うん」

 

恵は納得している。『転』を回避するなら大きなイベントは起きない。

 

「ただなー」

 

倫也が明るいテンションで頭を抱える。

 

「うん」

 

恵はうなずく。恵はその後のイベントを知っている。倫也も合宿に参加せずに恵のお見舞いにくる。

 

「お見舞いイベントが起こらないんだよ」

 

倫也ががっかりした様子で言う。

 

「それはさ。とりあえず御飯を食べてから考えよう」

 

恵が御飯を食べる。

倫也も「そうだな」と言って弁当の残りを食べる。

2人は黙々と食べる。ときどき目が合う。顔が赤くなる。恵は意図的に顔をフラットに保った。

 

※※※

 

食事を終えた倫也が片付けものをする。恵はその間に干していた布団を回収してベッドメイキングをした。部屋のエアコンは弱めにつけてある。

 

 2人は部屋に入って、並んで棒立ちしたまま同じことを考えている。

 

「する?」

「する?」

 

どちらともなく、うなずく。

 

「しょうがないなぁ・・・シナリオのためだよね?」

「シナリオのためだな」

 

恵がベッドに座る。それから足をまっすぐ延ばしてブランケットをかける。

 

「こほん。こほん」

 

恵が咳をしたフリをする。

 

「だいじょぶかー めぐみー」

 

倫也が棒読みする

 

「ともやくーん。なんか風邪ひいたかもー」

 

いたって元気な恵が棒読みで答える。

 

「なら、体温はからないとなー」

 

倫也が恵に近寄る。

2人の目が合う。顔がもう二人とも赤い。そして耳はそれ以上に赤い。

 

倫也がそっと恵のおでこに手を置く。

 

「手じゃ、わからないらしいよ?」

 

恵がいつもの調子で言った。

 

「そうなの?」

 

倫也が答える。恵は倫也の方を見つめている。瞳が潤んで輝いている。それからそっと目を閉じた。

 

『熱を測る時、おでことおでこを重ねる』

 

このイベントを2人はやりたい。そのために大仰な合宿イベント計画と参加できないエピソードがあった。転があるから、話は盛り上がる。

 

「いくぞ」

「うん」

 

倫也が緊張する。目を閉じても恵の目元は優しい。まつげが長い。唇はリップクリームが薄く塗られているせいか、少し濡れているように見える。クラクラするような香りが恵からする。

 

倫也は恵のおでこをじっと見つめる。恵が片目をあけて確認すると、倫也が恵のおでこにそっとキスをした。

 

「・・・」

「・・・」

 

「ねぇ・・・倫也くん」

「何、恵」

「これは・・・事件だよ」

「そうだな・・・これは事件だな」

 

恵が目を開けて倫也の方をみる。倫也が動揺している。顔は真っ赤だ。

 

「あのね、倫也くん。いくら2周目だからって、この時期のわたし達は付き合っていないし、メインヒロインルートにもはいってないし、指だって絡めてないんだからね?」

「・・・そう・・・だな」

「それをさ、いきなり『おでこにキス』なんてしたらさ・・・」

「・・・ごめん」

「・・・もう・・・いいよ」

 

恵が横を向いてため息をつく。もう、にやにやが止まらない。自分でほっぺたを軽く叩くが止められない。

 

「もう・・・!倫也くん!?」

「はい!?」

「もう一回・・・しよ?」

「いいの?」

「いいの。最初から」

 

倫也が離れる。

 

恵がブランケットの皺を伸ばす。耳が赤い。

それから「こほん。こほん」とあざとい咳のマネをした。

 

「だいじょぶかー めぐみー」

 

倫也が棒読みする

 

「と・・ともやくん。なんか風邪ひいたかも・・・」

 

恵が元気なさそうに、しおらしく言った。

 

「な・・・なら、体温を計らないと・・・」

 

倫也が恵に近寄る。

2人の目が合う。顔がもう二人とも赤い。そして耳はそれ以上に赤い。

恵はそっと目を閉じる。鼓動が相手に聴こえてしまうか心配になるぐらい高鳴る。倫也も焦る。近くで恵を見下ろすように見ていると、胸のふくらみがはっきりとわかる。

倫也の右手が誘惑に負けて、恵の胸を触ろうとするのを左手で抑える。

今、大事なのはイベントを成功させることだ。

 

そして、倫也は恵のほのかに火照っている頬に、そっとキスをした。

 

「・・・あの・・・倫也くん?」

「ああ・・・あの・・・俺・・・間違えた・・・」

「そう・・・だね」

「もう1回していい・・・?」

「3回もするの?」

「あ、そうだよな。だめだよなっ」

「ううん。いいよ・・・しよっ、もう一回して・・・みよ?」

 

恵があざとい咳をする。

 

夜は長い。好きなだけヤッてくれ。

 

(了)

 

 

 

 



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出海ルートは微レ存

ケーキバイキングでダイエットの話する女は地雷


第6話 後輩ヒロインイベントとみせかけて恵が全部もってく

 

夏休み5日目。7月25日 日曜日。

日曜日なので、昼頃からみんなが集まっていた。

倫也は恵にリテイクをもらい、後輩ヒロインルートの修正をしていた。

美智留はベッドの上で音楽を作っては楽譜に書き込んでいる。出海は先輩ヒロインルートの一枚絵を倫也と相談しながら修正している。ずいぶんと形になってきた。

 

「あの・・・ちょっといいかな?」

 

恵が作業を止めて、手を上げた。

 

「どうした?加藤」

 

倫也はちょっと後輩ヒロインルート修正で悩んでいた。書いてみるものの、どうもしっくりこないものが多かった。

 

「微レ存って何?ビレゾンでちゃんと変換するんだけど・・・これもオタク用語なの?」

 

倫也のデスクで作業していた出海がイスをくるりと回転させて、恵の方を向くと、

「それ、『微粒子レベルで存在している』の略ですよ。恵先輩」

「微粒子?なんのこと?」

「それはな・・・」

倫也がしたり顔で解説する。

「例えば、どこかの飲食店でコップの水がでるよな?ちゃんと洗ってあるけれど、前に使った人の唾液が微粒子レベルでは残っているって話だ。要するにほとんど0だけど、わずかに可能性があるってことだな」

「ああなるほど・・・。後輩ヒロインがトゥルーエンドになるみたいなことね?」

「それ・・・どういうことですか!?」

出海がちょっとムッとする。

「ああ、別に出海ちゃんにいってるわけじゃないよ?だって安芸くんの持っているゲームには、『後輩ヒロインが正統なエンド』がなかったから」

「そうなんですか!?倫也先輩」

「ん・・・ああ、そうかもしれない・・・でも、確かに後輩ヒロインってサブルートが多いよな。なんでだろ?」

「そりゃあトモ、学園ラブコメなら同級生にアドバンテージがあるからじゃないの?」

「それに安芸くん、学校で後輩ができるのって、委員会活動か部活活動ぐらいだよね。部活だとマネージャが最有力だろうし・・・」

「・・・ということらしいぞ、出海ちゃん」

「・・・はぁ」

出海がため息をついた。

 

それにしても微レ存とか言われたくない。出海は恵の方をみる。

 

「まぁしょうがないですよね。確かに倫也先輩には澤村先輩みたいに素敵な彼女がいらっしゃいますしー」

「ちょっと出海ちゃん・・・何言ってんの!?」

倫也が慌てて打ち消す。

そっと恵の方をみる。いつも通りのフラットな顔だ、とりあえずは問題なさそうだ・・・

 

「えっ?トモ、澤村ちゃんと付き合ってるの?」

「いや、そこ掘り返さないで?付き合ってないから!」

「安芸くんが誰と付き合っててもいいけど、サークルの進捗に影響ないようにしてほしいかなっ」

末尾が少し強いイントネーション。ちょっと機嫌損ねた?

 

「でもでも、付き合ってないにせよ、メールのやりとりも、ラインのやりとりも一番澤村先輩が多いですよね?」

「・・・えっ?そうだっけ・・・」

倫也がシラを切って横目で恵をみる。鉄仮面のフラットな顔。これはちょっと怒り始めているかもしれない。早めに話題をかえよう。

 

「そうだ。駅前にケーキ屋が新しくできたんだけど、みんな食べた?」

無難に食べ物の話題にすりかえる、興味をひいてくれたら買ってこよう。

「何、トモ。おごってくれんの?」

美智留が食いついた。まぁそうだけど、おまえじゃない。

「ああ、できましたねー。わたしはまだ食べてないです。いいなぁ」

「だよな。じゃあ出海ちゃん買いに行く?」

「1人でですか?」

「えっと・・・」

倫也がチラッと恵の方をみる。ノートPCに目を落としていて表情からは機嫌がわからない。ただちょっと考え事しているようだ。

 

「恵は?ケーキいる?」

「えっと。普通、ケーキいらないって答える女の子はいないと思うんだけど・・・こういう返し方は自分でも可愛げないなって思ったりして・・・」

「ん、どうした?」

「・・・そうだ。安芸くん。後輩ヒロインルート、ちょっと修正したいんだよね?」

「ああ、うん。でも作業には遅れるだろ?」

「いや、別にそれは大丈夫だけど・・・まぁいいものができるならさ。・・・ケーキ屋に出海ちゃんと一緒に行ってきたら?」

「そうだなぁ」

 

倫也はそのつもりだった。直接的ではないにしても、後輩ヒロインルートの会話サンプルは波島出海からヒントを得ることが多い。

 

「じゃ、行くか。出海ちゃん」

「はーい」

2人が立ち上がる。倫也は机の引き出しからサイフを取り出してポケットに突っ込む。

 

2人が部屋を出ていくと、恵がため息を大きくついた。

 

「どうしたの?加藤ちゃん」

「なんか・・・だんだん嫉妬深い女になっていくなぁっと・・・」

「おっ?認めた」

「・・・ごめん、今の聞かなかったことにして」

「そりゃあいいけどさ。実際、澤村ちゃんとトモは仲いいよね。10年もケンカしていたなんてある意味で仲がいい証拠じゃん」

「・・・そうだね」

恵は消え入るような声でいった。

 

「パソコンを立ち上げるとさ、メールが届いているってメッセージがでているからわかるんだよね。誰からかなーとか、何かなーとか、ついつい気になるんだけど、そういう自分が嫌になるっていうか」

「今日は愚痴るねぇ・・・加藤ちゃんらしくない」

美智留が明るく笑っている。恵のフラットさは倫也の前では意識しているようだが、最近は崩れているのがわかる。

 

その時、ノートPCのスカイプに反応があった。

・・・英梨々だ。

 

「ん?あら、恵じゃない。元気?」

「まぁ。いちおう。お陰様でというか、なんというか」

「どうしたのよ?」

「・・・で、何?」

「ああ、うん。倫也いる?」

「今ちょっとでかけてる」

「あっ・・・そう。なら、伝言お願いできるかしら?」

「何?」

「えっと・・・『こないだの件はOK』って伝えてくれればいいわ」

「こないだの件?」

「うんそう。それで伝わるから。じゃよろしく」

 

英梨々がスカイプを切った。英梨々は切った後に少し舌を出している。少しは恵も悩んだらいいと思っていた。離れた自分が悪いのだけど、やっぱり倫也と作業している恵達が羨ましかった。

 

「いやぁ澤村ちゃんもわざとらしいねぇ・・・『こないだの件』だってさ」

「・・・はぁ」

恵がため息をついた。

 

「でも、どうせ、こっちの作業の相談でしょ。というかトモはメールもラインもほとんどその話題しかないと思うよ?」

これは正解。記録に残っているのはゲーム作りの話がほとんどで、スカイプ等だと雑談もしていた。

 

「まぁ・・・そうだよねぇ・・・」

 

※※※

 

「ふぅ・・・暑いですねぇ」

出海はピンク色のノースリーブを着ていた。手で顔をあおぐ仕草をしている。蝉の声が騒がしい。

 

「・・・倫也先輩?」

「ん?」

「どうしたんです?ぼぉーとして」

「あのさ、後輩ヒロインっていうのは、やっぱり先輩に憧れを抱いているって考えていいんだよな?」

「さぁ?でも、その関係性は自然じゃないですか?やっぱり先輩後輩の関係なら、自分より優れた人に惹かれるのは当然だと思いますけど」

「例えば?」

「わたしだったら、絵の上手い人とか・・・あと運動のできる人・・・勉強のできる人・・・まぁ普通ですよね?」

「・・・そ・・・そうだな」

倫也はどれも当てはまらない。そりゃあ後輩から憧れを受けないわけだ。妙に納得した。

 

「どれも、倫也先輩にはあてはまりませんね」

「ばっさりきた!?」

「はははっ、でも、倫也先輩はアクティブじゃないですか?去年の夏フェスでもわたしの作品を完売してくれましたし」

「あれは出海ちゃんの作品が優れていたからだよ」

「それもあるかもしれないけど、やっぱり倫也先輩が売ってくれたからですよ」

「そう」

「そういうところはやっぱり惹かれるポイントだと思いますよ。っていくら、倫也先輩がシナリオで詰まっているからって、わたしに持ち上げさせるのはやめてください」

「・・・頼んだ覚えはないけど・・・ありがと」

「いいんです」

 

出海はけっこう歩くのが速い。運動が得意なせいか、姿勢もよく元気に歩く。

 

「もう少し褒めたほうがいいです?」

「褒めるとこあるの?」

「ないです」出海が追い打ちでばっさり。

「あげて、落とすのやめてくれる!?」

「はははっ、えっと、一生懸命なところはやっぱり尊敬しますよ。自分でサークル立ち上げてゲームを作ってしまうなんて、やっぱりすごいと思います。わたしは去年お兄ちゃんのところで作画担当しましたけど、本当にみんなてんやわんやで大変でしたし」

「それはこっちもだよ・・・」

というか、倫也のところは間に合わなかった。

 

「あとはそうですねぇ・・・」

出海は口の前に人指し指を立てて考える。いい子だなぁ。

 

「なんだかんだ、みんなに優しいですよね。彼女になる人は大変だろうなって思います」

「どういうこと?」

「ほら、女性は優しくされるのは好きですが、他の女性に優しくしているのは嫉妬の対象になりますから」

「・・・なるほど」

「だから、今頃大変だろうなぁって思います」

「えっと・・・誰が?」

「それ、聞いちゃいます?」

 

出海が笑っている。明るくはじけるような笑顔なので、一緒にいると倫也まで明るくなる。

 

「じゃあ、逆にわたしから質問いいですか?」

「どうぞ?」

「倫也先輩が後輩ヒロインルートに苦心しているのは、後輩ヒロインにしてもらいたいことがうまく妄想できないからじゃないですか?」

「妄想!?・・・えっと、後輩ヒロインに慕われたり、明るく振る舞ってもらったり、そういうのは楽しいと思うのだけど・・・」

倫也は考える。確かに出海の言う通りなのかもしれない。

 

「ケーキ屋。着きましたよ」

出海が立ち止まる。まだ店の前には花輪飾りがあって、小さい個人の店なので少し混んでいた。

2人は列に並ぶ。

 

「後輩ヒロインの問題というよりは、自分がうまく先輩として振る舞えない事が原因かもしれない。ほら、男ってかっこつけてなんぼみたいなとこあるじゃん。何か事件があって、それをかっこつけて後輩をカバーするから先輩として引き立つわけで」

「ほうほう」

「しかし、後輩ヒロインが優秀な場合は難しいよね。ちょっと抜けた主人公ならそれもありなんだろうけど・・・」

「逆パターンですか・・・。でも、それならいつもは優秀だけど、ときどきドジをするからギャップがでるのでは?」

「ふむ」

やっぱり参考になる。

 

※※※

 

 出海がケーキの入ったショーケースを眺めている。倫也は自分で決める気があまりなかった。

 

「全部で8種類ですね。倫也先輩はどれにします?」

「適当に選んで。みんなが選んだ後に残ったのにするよ」

「・・・倫也先輩らしいというか、ちょっと背伸びしてません?俺はモンブランがいいなぁとか思ってませんか?」

「ははっ。じゃあ、モンブラン入れておいてよ」

「そうですね。あとショートケーキと・・・」

 

 倫也はショーケースを見ながら、恵はチーズケーキかな?しかし、女子は無難にフルーツタルトか、タルトだと食べでもあるし美智留向きか?サバランも捨てがたいが・・・むむっ・・・あれ、優柔不断?とか考えていた。

 

「だ・・・だめだ。倫也先輩、わたし決められないです。なんか先輩方に一言言われそうな気がして・・・」

「じゃ、全部にしよ。すみませーん。全部一つずつください」

「全部?」

「うん。1人2個ぐらい食べられるし、残ったら冷蔵庫でいいし」

「はぁ、まぁそうですが・・・」

 

 箱は4つずつの二つに分け、保冷剤をいれてもらった。4千円弱の金額になった。

 

2人でひとつずつケーキの箱を持つ。

「太っ腹ですね・・・」

「ほら、先輩として後輩にかっこいいところを・・・」

「優柔不断なだけじゃ?」

「それ、図星だからやめてっ!?」

「くすくすっ。こういう時、お兄ちゃんなら何を買うかわかります?」

「伊織かぁ・・・同じように全部買いそうだけど」

「そうですね。同じ8個買うなら、ショートケーキを4つと、残りの4つは店のお姉さんに選んでもらうと思いますよ」

「・・・なるほど」

「で、家に帰って箱を開けてみると9個はいっているのが、お兄ちゃんクオリティーです」

「もう、それ特殊な才能だよね」

 

※※※

 

 倫也の家にもうすぐ着く。出海はケラケラと明るく笑いながら話をしていた。

その時、前からくる女性の散歩していた犬が突然吠えた。

驚いた出海がバランスを崩す。・・・が、無事。

 

「ふぅ・・・驚いた」

 

女性が謝ったが、特に何もなかったのでそのまま歩いて去っていった。

 

「うーん。今のでケーキを落とすのが後輩ヒロインなのでは?」

「えっ?」

「ほら、そのための二つに分けているわけだし・・・」

「イベントでしたか!」

「・・・なんてな」

「もしかして、あざとく転んでパンツでも見せたほうが・・・」

 

それもありかと倫也が考える。いやいや、そういうキャラでもなかろう。

 

※※※

 

 リビングではお茶の用意ができていた。あとはケーキを待つばかりだった。

倫也は事情を話してケーキをすべて買ってきたことを伝える。

 

「無駄遣いなんじゃないかな?」

恵がちくり。でも、これは倫也の想定内。

「ほら、昨年の売り上げは誰も謝礼受け取ってないから、こうして福利厚生として還元しているんだよ」

「さすがートモ。じゃあ、出海ちゃんは一個だ」

「美智留先輩。そこでさりげなく後輩いじめはやめてください」

恵が無言でケーキを4つに皿に2個ずつ取り分ける。そういうのって普通ジャンケンとかでわいわいと分けるんじゃ?と倫也見ていた。

 

「あっ、安芸くん。英梨々から伝言があって。『この前の件はOK』だってさ」

「ああそう、よかった」

倫也は普通に答える。別にやましいことは何もない。

 

「トモ。そういうときは、それがなんなのかはっきり言い訳しておかないと誤解を生むよ?」

「別に誤解されるようなことしてないからね!?」

「だから倫也先輩は倫也先輩なんですよ。鈍感主人公なのはいいですけど」

「なんか俺が悪いことしたみたいになってる!?」

「澤村先輩と秘密で話していることが恵先輩を苛立たせるってどうしてわかんないんですかね?」

 

恵が皿からケーキを一個とって、箱に戻した。

 

「出海ちゃん。別にわたしは何も苛立ってないけど、氷堂さんの意見も一理あると思ったから一個でいいね?」

「だから、どうしてすぐに後輩をいじめますか?」

「今のは波島ちゃんが悪いと思うー」

美智留が笑っていう。

 

「大丈夫。出海ちゃんが1個なら俺の分をひとつあげるから」

「先輩っ!」

出海が倫也の手を握る。

 

恵がため息をつく。

「いくらオチが見つからないからって、ケーキ一個で先輩づらと、それに感動する後輩っていうのは安易じゃないの?」

「・・・すまん」

恵が箱に戻したケーキを皿にまた戻す。

 

「じゃ、こんな感じで分けてみたけどどうかな?」

「えっ、ショートケーキがわたしでいいんですか?争奪戦になるかと思っていました。もう一個はアップルパイですけど」

「あたしはこれでいいよー。でもイチゴミルフィーユとかちょっと高いんじゃないの?あとオペラね」

「うん。じゃ、これで決まりっと。ね?」

「いただきまーす」

美智留はセロファンをはずしにかかる。

 

倫也は自分の皿を見る。フルーツタルトとチーズケーキが乗っている。恵の皿にはモンブランとサバランだ。

 

「えっと、倫也先輩と恵先輩の皿って逆じゃありません?」

「そうかな?安芸くんどっちがいい?」

 

倫也は少し考える。『どっちでもいい』と『こっちがいい』は不正解。だとすると・・・

 

「どちらかといえばそっちかな・・・」

「うーん。じゃあ、はんぶんこしてあげようか?」

 

美智留は嬉しそうにミルフィーユを手でつかんで食べている。豪快だ。

出海は2人の様子を見ている。

 

「えっ・・・?あっ・・・うん」

倫也がとまどう。

 

恵が立ち上がってキッチンからペティーナイフをもってくる。

倫也はケーキのセロファンを外した。

 

「ねぇ、倫也くん」

恵は倫也のケーキの先端2センチぐらいをカットする。あきらかに不平等で小さい。

「ん?」

「『こないだの件』って何?」

 

美智留が顔を上げる。恵はフラットな表情のままで声のトーンも変わらない。

 

(やっぱ、気になってたんですね・・・)

出海は余計な事は言わない。少し学習した。ケーキが没収される前にセロファンをとり両方を少しずつ食べておく。

 

「ああ、前回でボツになった背景をこっちで使いまわししていいか確認したんだけど・・・」

「まぁ・・・そうだよねぇ・・・」

恵がフォークで小さくカットしたチーズケーキをさす。

 

「あーん」

恵が言った。

倫也が首をかしげる。

「あーんしてみて?」

 

倫也が口を開ける。

「あーん」

 

恵がチーズケーキを倫也の口にいれた。

倫也が無言でケーキをもぐもぐと食べる。耳が真っ赤だ。

恵の耳も少し赤くなっている。

 

「うわぁ・・・なんで恵先輩、とつぜんデレているんですか?」

「別にデレてるつもりはないんだけどなぁ・・・ただ、こないだあがった後輩ヒロインのイベントにあったから、どんな感じかなって?」

恵は自分のフォークでモンブランを一口だけ食べた。

そして、倫也の皿と自分の皿を交換した。さすがによくわかっている。

 

「それ・・・わたしのイベントってことなんじゃ・・・」

「えっ、そうなの安芸くん?」

「さっ・・・さぁ・・・?」

倫也の目がおよぐ。触らぬ神になんとかだ。

 

「あとは、倫也くんがわたしにそのサバランを一口くれればいいんだよね?」

恵が促す。

「そうだっけ・・・(そんなイベント書いた?)」

倫也がフォークでサバランの蓋の部分をクリームごと救う。少し大きいか。

 

「ちょっとまってください!」

出海が立ち上がる。

少し迷ったが、フォークでショートケーキのトップのいちごをさす。

 

美智留は、二つ目のケーキに取り掛かる。なんだこのコント?って思いながらも幸せだった。

 

「と・・・ともや先輩。口あけてください」

「いや・・・いちごは自分で食べなよ?」

「うっ」

「それに出海ちゃん、食べかけを渡すのは失礼だと思うよ?使いかけのフォークで間接キスになるしぃ・・・わたしは別にいいけどぉ」

「うぅ・・・」

小さな動作も伏線として回収してくる。それが恵クオリティー。

 

倫也がほっとしてため息を一つつく。手にはサバランをもったままだ。

 

「あーん」

恵が口をあける。

「えっ・・・するの?」

倫也は確認する。

 

「する。絶対する・・・あーん」

恵が口を開けている。なんだこの甘えっぷりは。このイベントに対する執念は。

 

「ほらよ」

倫也がフォークにのったサバランを口にいれた。

恵は口を閉じる、フォークが恵の唇にはっきりとあたる。倫也がそれをゆっくりと引き抜いた。

 

恵は倫也の方をみたまま、もぐもぐと口を動かす。本人はフラットな表情のつもりらしい、口元がにやけている。頬は紅くそまり、耳はもう真っ赤だ。

 

それから、こらえきれなくなって、顔を下にして口を抑えて笑っている。だめだ、やっぱ可愛い。

 

「・・・もう、加藤恵キャラとは別ものじゃないですか・・・」

 

出海がぼやいた。自分のヒロインへの道が遠いことだけはわかった。

 

「トモ。何みせつけてんのさー。あんたらまだ付き合ってないんでしょう?こんな熱いのみせられるなら、あたしはそのサバランをー」

美智留が身を乗り出して、倫也の皿のサバランを上からフォークで刺してまるごともっていった。

「美智留っ!」

「ごちそうさま!トモ」

美智留は大きく口を開けて一口で食べた。

 

「・・・ケーキ3個も喰うなよ・・・」

「あたし、バイキングなら20個ぐらいいけるよ?」

 

倫也はため息をつく。

それから恵の方をみる。まだ笑っている。

恵は笑いすぎてちょっと出た涙を指でふくと、倫也の方を見上げた

 

「えへへ・・・」とつぶやいた。

 

幸せそうでなにより。

 

(了)



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仕事を終えて主婦業をしたくないときの恵

高校生という設定に無理があるんだな


第6話 仕事を終えて主婦業をしたくない時の恵

 

 7月26日 月曜日。夏休み5日目。

 

夜7時。そろそろ外が暗くなり始める頃。

恵は午後に倫也の家に来て、簡単なランチを作り、倫也を起こし、食事を一緒に食べ、その後はずっとサブヒロインルートのスクリプトコードを打ち込んでいた。

一方、 倫也はデスクに座って一文字も進まないまま途方に暮れていた。

スマホで美智留や出海や伊織とやりとりはしている。仕事はしているが、肝心の自分のことができない。それでも、恵はそんな倫也の後ろ姿を見るのが好きだ。そして、時々、シナリオの解釈や表情差分の確認を倫也にする。倫也はデスクから降りてきて恵の側に座りノートPCをいじる。そんな時は目をあわさない。

 

恵は黒いシュシュで髪を無造作に束ねていた。膝と腿のあたりに穴の開いた緩めのジーンズにカーキー色のシャツを着ている。大人びたお姉さん風に見える。

 

「ねぇ、倫也くん。ちょっといいかな?」

「ん?どうした恵?」

 

倫也はあくびを一つして席を立つと、恵とはす向かいに座った。

 

「6話目にしてネタが尽きるってどういうこと?」

「なんのこと?」

「・・・まぁいいや」

「コーヒーでも飲む?」

「今何時だっけ?」

 

恵が時計を見る。午後7時。そろそろ食事の支度をするか、帰るか、決める頃だ。今日はずいぶんと作業が進んで疲れている。食事を作る気がしなかった。

 

「倫也くん、晩御飯どうする?」

 

倫也はそう聞かれても困る。恵がいる時は恵が何かしら作る。両親?見たことないな。

 

「恵は・・・どうする?」

「うーん。そういうのもなんだかなぁーだよ」

 

恵も困る。作る気がしない。

 

「何か出前しようか?」

「うーん」

 

どうもピンとこない。もう少し人数がいるとピザでも取ると楽しい。出前も結局、玄関まで器をとりにいって、洗い物をして、何かと面倒なことがある。

 

「少し外歩こうか」

「それって、帰れってことじゃない?」

「そういうつもりはないけど・・・」

 

時刻的にはそうなる。散歩をするような時間でもない。

 

「駅の方まで歩いて、どこかの店でも入ろうか?」

「そうしよっかな」

 

恵はノートPCを閉じる。資料をまとめる。持ち帰るものをバックにしまう。

そして、おもむろに立ち上がった。リモコンでエアコンのスイッチを消す。

 

倫也はデスクからサイフを取り出し、ポケットにしまい。部屋のドアを開ける。

こんな風に恵の機嫌がよくわからないときは、くだらないことをする。

 

「どうぞ」

 

倫也は頭を下げて、手の指をまっすぐにして出口を示す。ちょっと大げさな紳士的なふるまいをする。

 

「どうも」

 

恵も軽く会釈して扉を出る。

恵が振り返ると倫也が部屋の電気を落とす。部屋が暗くなると窓の外の景色が見える。倫也と目があう。倫也がそっと微笑む。恵はフラットな表情のまま、また前を向く。

 

恵が階段を降りていく、倫也はその後ろ姿を眺める。後ろに束ねた髪が揺れる。ちょっと手を伸ばしてそれに触れる。髪を触ることに恵は怒らない。もっとも、他のどこも触ったりはしないのだけど。

 

恵がそれに気が付いて振り返る。じっと倫也を見つめる。表情を変えるようなことはない。ただ、少しだけ耳が赤く染まる。

倫也の顔が赤くなったのを見て、満足そうにまた階段を降りていく。

 

恵は玄関に座り、スニーカーを履く。紐をゆっくりと結び直す。それから、立ちあがって玄関の扉を開けた。

倫也は靴紐を緩くしてあるので、そのまま履ける。恵がドアをもっている。

 

「どうぞ」と恵がいった。

「どうも」と倫也が答える。

 

外はもわっとした空気で、暖かい。エアコンは弱めに付けているがそれでもずいぶんと体が冷えてしまう。ときどきは窓をあけて空気を入れ替えているが、やはり外との温度差は大きい。

 

恵が腰に手をあて、考えている。まるでポーズをとっているようにみえる。

 

「どうしたの?」

 

倫也が歩きださない恵に問いかける。恵は何も言わない。

 

「そういえば、今日の恵は・・・なんていうか、いつもと印象の違う服装だよね」

 

倫也が頭をかきながら言う。少し照れる。

 

「そんな風に言われても困るし、どう反応すればいいかわからないし、嬉しくないし」

恵がたんたんと答える。

 

「えっと、シックだね」

「シック?」

「うーん。決まってるね」

「なにそれ?」

「うーん」

 

今日の恵の服装は恵らしくない。シャツの色もジーンズもイメージと違う。モデルガンでも持たせたらサマになりそうである。

 

「いつもよりも、ずっと大人びて見える」

「そう?」

 

恵が歩きだす。倫也が特に気に入ってないのが伝わる。別にそれはそれでいい。今日は作業を進めたかった。そんな時には少し話しかけられにくい服装と雰囲気を出す。

 

「今日は機嫌が悪い?」

「ううん。そんなことないよ」

 

そう、別に機嫌は悪くない。良くもない。

今日の恵の作業は先輩ルートの表情差分のスクリプト作成である。シナリオは何度も読んだ。倫也と詩羽の出会いのパクリである。では、この先輩ルートの結末はいったいなんだろう?作家と編集という関係で向かえるサブヒロインルート。倫也くんの願望だろうか?問いただしたところでしょがない。そういうゲームなのだ。こんなので文句を言ったらゲーム制作ができなくなる。だから、ただじっと作業に没頭する。

 

2人は駅の方へ向かって歩く。

倫也が右側で、恵が左側。

なんでもない時に2人が手をつなげるのはずっと先。少なくとも夏休みが終わって、倫也がメインシナリオルートを書き始めてからだ。それまではただのサークル仲間に過ぎないし、手をつなぐなんてこともありえない。どんなに2人が手をつなぎたいなって思っていても。

 

「あのさ、恵」

「なに?」

 

倫也が横にいる恵を見る。少し緊張する。隣にいるといい香りがする。カーキー色のシャツは木綿で生地が厚めだ。恵の胸のふくらみは強調されることはない。

恵が倫也を見る。優しい目元。電灯の光が髪を照らす。

 

倫也は人差し指で自分の顔をかく。それから考えていた一言をいう。

 

「今日の恵はいつもとイメージが違うけど、俺はそういう恵も・・・(好きだよ)」

「こういう恵も?」

「えっと・・・」

 

倫也の顔が赤くなる。夏休みにはいってから、恵はいつもそばにいる。でも、ぜんぜん慣れない。鼓動が早くなるばかりだ。

 

「いいよ。無理に褒めなくても」

 

恵は納得したように言った。顔を見ればわかる。けれど、倫也くんはわたしの顔をみてもわからない。たぶん。

 

「大人びて見える・・・お姉さん風に見える恵もいいと思う」

「ふむ」

 

恵が指を唇に当てうなずく。口元がほころびるのをさりげなく隠した。

 

「アクションスターみたいだし」

「それは誉め言葉としてどうなんだろう?」

 

倫也が前を向く。上手い言葉なんてないものだなと思う。そうじゃない、自分の想いを隠すような言葉しか言えないだけか。

 

「それに、そういう女性のアクションスターって、タンクトップみたいの着てない?」

「ああ、着てるよね。ハリウッド映画なんかお決まりのパターンで、なんか突然切れるんだよな」

「あるある。何ごとも大げさというか」

 

少し映画の話で盛り上がる。倫也は3次元に興味がないとはいえ、有名な映画ぐらいは人並みには知っている。それ以上にアニメ映画に詳しいだけだ。

 

※※※

 

駅に近づくと店がいくつかある。倫也は町中華の前で立ち止まる。ラップされたサンプル、手書きのおすすめメニュー、すこし破けているのれん。

 

「中華でどうかな?」

「いいよ」

 

2人は店に入る。中はそんなに広くない。カウンターが6席。テーブル席が3つ。客は2人だけだった。いらっしゃいなんて景気のいい言葉かけてこない。倫也が2名と言うと、「好きなとこに座って」とおじさんに案内される。愛想とかない。

 

カップルも街中華にいけるぐらいになると安定期だ。きどったイタリアンみたいのから始まり、洋食系や綺麗な店に行っているうちは本性はみえない。

倫也と恵に関していえば、綺麗な店にいくわけにはいかないので、街中華だ。あくまでもサークル仲間が普通に食事をするというスタンス。

 

2人は真ん中のテーブル席に座る。手前は出入りがうるさいし、奥はトイレが近い。おじさんが水とメニューを置いていく。

恵は黒板のおすすめメニューを見ている。

 

「ねぇ、『ラム肉の青唐辛子炒め』だってさ」

「へぇ・・・興味ある?」

「うん。酒のつまみかな?」

「どうだろう。頼んでみようか」

「うん」

「あとは?」

「ライスも頼むよね?」

「そうだな」

「じゃあ、わたしは麺で・・・五目やきそば」

「あいよ。すみませーん」

 

倫也が店員を呼び、オーダーをする。メニューが回収される。

 

恵はおしぼりの袋を2つとも開けて、1つを倫也に渡す。倫也が受け取る。

 

「それにしても、渋いな」

「ん?」

「置いてあるマンガ本」

 

恵も振り返って入り口の本棚を見る。

 

「『人間交差点』『パイナップルアーミー』『じゃんりンチエ』わかる?」

「聞いたことあるのもあるけど」

 

こういう話題だと恵はうなずいているだけでいい。倫也が勝手に語りだす。恵はうなずいたり、時々質問したりする。質問すると倫也が恵を少し下に見て、したり顔で解説をする。恵はそんな倫也が好きだ。

熱弁している倫也は夢中になっていて、自分をみているようで見ていない。だから、そんな時の恵はじっと倫也の顔をみつめている。ただ表情をフラットにすることだけは忘れない。そうしないと恵は、にやついてしまうのをわかっている。

 

そうこうしているうちに料理が届く。

恵は立ち上がって取り皿をもらいにいく。

倫也のライスから少しもらい、五目焼きそばを取り分ける。

ラム肉の唐辛子炒めも五目焼きそばもテーブルの真ん中に置いたままだ。

 

倫也がまだしゃべっている。

 

「ねぇ倫也くん。食べよう?」

「あっ・・・うん」

「いただきます」

「いただきます」

 

2人は手を合わせる。割りばしを割る。

 

恵がまず、唐辛子炒めを一口分、箸でつまんだ。

 

「はい。倫也くん。口開けて」

 

この恵は食事の時はこのイベントをする。しないわけにはいかない。オリジナルは関係ない。この加藤恵はこのイベントをする。

 

倫也が口を開け、恵の方へ体を乗り出す。恵が箸を倫也の口にいれる。

倫也は口を閉じ、咀嚼する。

 

「今日も、お疲れさま」

 

一言そえる。

唐辛子炒めを飲み込んだ倫也は水を一口飲む。

 

「辛い・・・」

 

ちょっと目に涙を浮かべ、倫也が答えた。

恵が微笑む。

 

 

 

店には暢気なAMラジオが流れている。

 

 

 

(了)



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夏はブラ紐 ブラウスから透けたるはさらなり

第7話 夏はブラ紐 ブラウスから透けたるはさらなり

 

夏休み6日目。7月27日 火曜日。

 

恵はお昼頃に倫也の家に来た。倫也も昼過ぎまで寝ないでなんとか恵が来る頃には顔を洗い身支度を整えていた。

 

恵は倫也の部屋のドアを開けて、顔だけ覗き込む。

倫也が起きていて「おはよう」と挨拶すると、「おはようって時間ではないと思うけど・・・」小言を言った。

 

恵はベージュのストールをたたんでバッグの上に置いた。夏らしい薄手の白いブラウスと下には黒いタイトスカートをはいている。ちょっとOL風に見える。前髪も目立たない黒いピンでとめた。後ろは結っていない。

 

「今日はお昼はピラフの予定だけどいいかな?」

「うん」

 

恵はすぐに部屋からでてキッチンに向かう。エプロンをして冷凍ピラフを炒める。少し野菜もきってスープにする。メニューも予定が立てられていて、冷蔵庫の食材を無駄なく使っていく。

 

倫也がのんびりと降りてきて、「何か手伝える?」と聞いた。

 

「ううん。今日は大丈夫。あっ、麦茶でもいれておいてくれる?」

恵がフライパンでピラフをあおりながら言った。

 

倫也がグラスを2つ出して、氷を入れて麦茶をいれる。1つの容器が空になったので、軽く洗い、麦茶パックと水を入れて冷蔵庫に冷やす。2本目の容器はテーブルの上に置いておく。

 

時間が余ったので恵の作業している後ろ姿を眺める。髪がよく揺れている。今日のエプロンはデニム生地のもので、恵の来ている服とはあまりマッチしない。

倫也は恵の背中を見た。

薄い白いブラウスの生地から・・・恵のブラ紐の色がはっきりとわかる。

 

(・・・黒だとぉぉぉぉぉぉ!?)

 

ふぅ、危なかった。声に出すとこだった。自制心を働かせる。

 

「倫也くん、スープできたからよそってくれる?」

 

倫也が1人で勝手に動転していた。

「ああ、うん」

倫也がスープカップを出して準備をした。恵が炒めおわったピラフを皿に盛り付ける。

2人はそれらをテーブルに運び並べる。スプーンを置く。

 

※※※

 

恵はデニムのエプロンを脱ぐとイスの背もたれにかけてから座った。倫也も向かい側に座る。エアコンはまだ利いてなくて部屋はまだ涼しくない。

恵は、「ふぅ・・・」と息を吐き出して、ブラウスの第二ボタンも外した。それから胸元をもってブラウスを揺らし、空気を中に取り入れる。倫也はその様子を怪しいぐらい凝視してしまった。

 

「暑いね」

 

と恵が声かえて、やっと倫也が正気に戻る。「そうだな」と相槌をうつ。

 

「あのね、倫也くん・・・」

「ん?」

「見すぎ」

 

倫也が立ち上がる。両手をテーブルの上に置く。恵を少し見下ろすような角度になる。胸元がはっきり見える。

 

「それ・・・しょうがないよねぇ!?」

 

こうなったら自己弁護するしかない。

 

「あっ、とりあえず、ご飯食べながらでいい?冷めちゃうし」

「あっ・・・うん」

 

倫也が座る。目の前に恵がいる。けっこう鉄仮面モードの恵。

 

「いただきます」と倫也が恵の方を見ながら言う。

恵は少し微笑んでうなずく、それから「いただきます」と言う。

 

恵がスプーンで一口すくいあげ、倫也に口元に差し出す。

倫也が口をあけて近づくと、スプーンをひっこめた。

 

「ん?」

「だってぇ・・・恥ずかしいもん」

 

恵がちょっと横を見て俯く。それから自分でピラフを口にふくんだ。

 

倫也はピラフを食べ始める。とりあえず口にたくさん放り込む。照れ隠しもある。

 

「それふぁおまぁふぇがふぁるひ」

「食べ終わってからでいいよ?」

 

倫也が口を動かし、麦茶で流し込む。

 

「それはお前が悪い」

「何が?」

 

倫也が恵の方を見る。目元でなく、目線が下になってしまう。少し開いた胸元からは直接ブラは見えないが、白いブラウスからはっきりと黒いブラジャーの形が見える。

 

「あの・・・恵・・・」

「なに?」

 

恵はフラットな顔でピラフを食べ、スープを飲む。

 

「おまえ、その恰好で来たの?」

「へん?」

「変じゃないけど・・・」

「変じゃないけど?」

 

恵がききかえす。もちろんわざとだ。こんな薄手の生地のままインナーも着ないで外など歩けるわけがない。そのために大きめのストールを持ってきて、上半身をくるむように羽織ってきた。

 

倫也は言葉につまる。スープを飲む。

 

「あつっ!」

「ほらほら、落ち着いて」

 

倫也がスープをフーフーした。

恵はすました顔でピラフを食べている。

 

「落ち着けるかっ!」

 

倫也が少し強い口調でいう。いつも涼しげな恵であるが、汗がしっとりと浮かんでいる。

 

「どうしたの?」

「あのな・・・恵。いいか、メインヒロインっていうのはさ、そういうんじゃないんだよ」

「何が?」

「もっと、こう・・・清純にだな・・・」

 

清純とかきょうびきかない。清純って言葉に不純を覚える。

 

「清純って、今時アイドルでも使わないんじゃないの?」

「そうでなくってだな・・・」

「で、何がそんなにおかしいの?言ってくれないとわからないなー」

 

すっとぼけた声で言う。笑いをこらえるのが大変なので、ピラフを食べて誤魔化す。

 

倫也は口にたくさんピラフをいれて、もぐもぐと食べる。

 

「くぅろふぁまふぃいでしょぉ!?」

「だから、食べ終わってからでいいってば」

 

恵がスープを飲む。倫也もスープを飲む。

 

「黒はまずいんじゃないでしょうか・・・」

「なんで敬語なの?」

「なぁ・・・恵。俺らは健全な高校生だよな」

「さっきから倫也くんは何を話しているの?」

「・・・」

 

どうも恵はあくまでもシラを切るらしい。倫也にブラ紐発言でもさせたいのだろうか。

 

「わかった。恵。おまえがそのつもりなら・・・俺は賢者に転職するよ」

「そう」

 

倫也が残りのピラフを口に書き込む。そしてスープも飲み終わる。

 

「もう少し味わってほしいのだけど・・・冷凍ピラフとはいえ・・・」

「ごふぃそうさふぁ!」

「食べ終わってからでいいってばぁ」

 

倫也がトイレに行く。

 

恵はため息を一つついてから、「男の子も大変だなぁ・・・」とのんきな感想を述べ、まだピラフは食べかけであったが、急いで倫也の部屋へと向かった。

 

※※※

 

時間も立ち、リビングもエアコンがきいてだいぶ涼しくなっていた。

倫也がすっきりしてトイレからでて、洗面所で手を綺麗に洗ってリビングに戻ってきた。

恵はまだ落ち着いてピラフを食べている。

 

倫也が余裕をもって、恵の前に座る。いつもは一緒に食べ終わるようにペースを調整する。倫也は恵に

「何か果物でも切るか?」

と気遣う。みよ、この大人の余裕を、と自画自賛する。

 

「スイカが冷蔵に冷えているよ」

 

最後の一口を食べてから恵が言った。それからスープを飲み干す。

 

倫也が恵と自分の皿とカップを重ねて、流し台に運ぶ。恵は座ったままだ。倫也はトイレに行っている間に恵が部屋に行ったことにまだ気が付いていない。

 

倫也が冷蔵庫からカットされたスイカをだし、さらにカットして皿に並べる。それをもって恵の前に皿を置く。

 

「どうぞ」

 

どうだ、このさりげなさと優しさ。さすが賢者は違う。

恵はちょっと倫也を見上げる。そして軽く会釈する。

 

(・・・あれ)

 

倫也は気が付いた。さっきと何かが違う。

 

倫也は自分のイスにもどって座る。スイカを一切れ手にもつ。

恵は小さく口を開けて、スイカの先端を軽くかじって口に含む。

そんな様子を倫也は見ている。そして気が付く。

 

(ああ、なるほど。第二ボタンを留めたのか)

 

倫也もスイカを齧る。恵の方をみる。スイカを食べているだけでも可愛い。

しかも無表情。もう少しおいしそうに食べたりできないのだろうか?

 

「うまい?」

「うん」

 

恵がうなずく。

倫也が恵を見る、それから目線を落とす。そしてさらに気が付いた。

 

「ピンクに変えたのか・・・」

「何が?」

 

恵がフラットに答える。が、頬が少し火照る。

 

「まぁ、その方が・・・メインヒロインらしいよな」

「よくわからないけど、倫也くんの中ではそうなんだ?」

「うん」

「でも、そんなにじっと見ないで欲しいのだけど・・・」

 

倫也は思わずじっと見ていた。あわよくばカップのふちのレース模様ぐらいまで透けてみえるのではないかと思っていた。我に返る。

 

「なぁ、恵」

「なに?」

 

倫也が立ち上がって恵の後ろに立った。それから人差し指をすぅーと恵の背中に上から下に這わせる。

 

「ひゃんっ!」

 

と、恵が変な声を出す。倫也が後ろのブラ紐のところで指を止めた。

 

「・・・あの、倫也くん?」

 

倫也が指の先でブラウスの上からブラのホックを弾いた。・・・しかし、はずれはしなかった。

 

 

 

「・・・あのぉぉぉぉ。倫也くーーん?」恵が困惑する。

 

 

 

「恵」

「はい」

「あとで上に何か羽織るか、シャツ替えてくれる?」

「・・・うん」

 

恵が顔と耳を真っ赤にして頷く。お互いの顔は見えない。

 

「こういう役は・・・霞ヶ丘先輩がやったほうがいいんじゃないかなぁ・・・」

「恵がやるから、いいんじゃないか!」と強く言った。

 

 

 

「そんな力説されても・・・わたし、困るんだけど・・・ほんとにこんなシナリオでいいの?」

 

 

 

恵は顔を赤くしたまま、キッチンに戻って洗い物を始めた。

 

 

(了)

 

 



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チョコを贈る チョロインなら落とせる

 

 

7月28日 水曜日 夏休み7日目。

 

曇り空。日差しが柔らかい分、少し過ごしやすい陽気だった。

けれど、部屋の中でゲーム作りをしている倫也と恵には関係のない話だ。

 

夏休みが始まって早いもので1週間が経過した。今日の恵は初日と同じ、白を基調にピンクのサマーカーディガンを羽織って、メインヒロイン調の衣装にしている。ときどきそうする。

 

恵は朝の10時頃に来た時、倫也は珍しく起きていた。

それから家の掃除をし、一段落ついた時には11時を回っている。

 

 倫也はデスクに座り、メインヒロインルートのシナリオが進められずにいた。ゲーム制作では先輩ルートと後輩ルートのシナリオの修正も終えた。従姉妹ルートを現在は恵と修正中だが、おおむねスケジュール通り順調に進んでいた。

 

「ねぇ、倫也くん。ちょっといいかな?」

「どうした恵?」

 

倫也がデスクから降りてきて、恵の隣に座る。

 

「メインヒロインってどうして主人公を好きになるの?」

「それは・・・一緒の時間を過ごしてなんとなく・・・」

「それ、以前いってたギャルゲーによくあるやつなんだっけ?」

「そう・・・だけど」

「そんなんで、本当に好きになってもらえると思ってるのかなぁ?」

 

倫也から渡されるメインヒロインルートの序盤は、何気ない日常のことばかりだ。

ちっとも物語が発展していなかった。

 

「何かアイデアある?」

「そんなことわたしに聞かれても知―らない」

 

語尾をあげる。ちょっと嬉しそうな声。顔はフラットを保つ。

 

「それでな、ちょっと試してみようと思うんだけど」

「何を?」

「贈り物」

「贈り物?」

「うん。ちょっと待っててな」

 

倫也が部屋を出ていく。恵は部屋で正座したまま倫也が降りていく足音を聞いていた。

 

(贈り物?あの倫也くんが?なんだろ・・・まぁ、どうせ何かオタクグッズなんだろうけど)

 

少したって、倫也が戻ってくる。手には少し洒落た黒地に金文字の袋を持っていた。

恵は倫也の手元をじっと見る。オタクグッズショップの袋とは違うようだ・・・文字を読む・・・えっ?

 

「これなんだけど、どうかな」

「どうかなって言われても」

 

倫也は袋から包装された小さな箱を出して恵に渡した。

 

「開けてみて」

「ちょっとまってよぉ。こういうのはぜんぜん倫也くんぽくないというか・・・」

「何を今さら」

 

倫也は笑ってしまう。

 

恵が箱のリボンをほどく。やはり金文字が書いてある高級な箱だ。すでに芳醇な香りが広がっている。

 

「これ、ピョエルマッコリーのチョコだよね」

「うん」

「なんで急に」

「ほら、恵にはいつもお世話になっているし、たまにはと思って」

「ふーん」

「通販なんだけどね。今朝届いた。」

 

恵はちょっと目が潤んでいる。いけない。フラットフラットと心に言い聞かせる。

 

倫也が恵の隣に座って、箱を開ける。宝石箱みたいになっていて上下には分かれていない。中には4つほどトリュフが入っていた。フランボワーズのトリュフが紅くコーティングされて輝いている。ちょっとした宝石のようにも見える。

 

「と・・・と・・・ともやくん・・・」

「どう?喜んでもらえるかな」

「あの・・・子供は・・・何人欲しい?わたしはね、男の子と女の子を1人ずつがいいなぁって思ってるんだけど、ともやくんはどう?もっと欲しい?ああ、わたし何いってんだろ、えっとまずは新婚生活だよね。確かにそうだよね、最初は2年ぐらい一緒に暮らしてみて、それから子供だよね。もう・・・」

「落ち着け恵」

「ああ、うんうん。そうだよね落ち着かないと。えっと、そっかまずは結婚式あげないと、だからえっと、ちょっとまっててね」

 

恵が立ち上がる。

 

「どうした?」

「あっ、うん。ゼクシィー買ってこようかなって」

 

ゼクシィー。結婚案内の雑誌だ。結婚までの段取りや、式場の宣伝がある。あとは結婚指輪や婚約指輪を扱っている店を紹介している。

長年付き合っている彼女がそれとなくゼクシィーを部屋に置いていたら、決断がせまられる。覚えておこう。学校では習わない。

 

倫也が恵の手を握って、部屋から出ていくのを止める。

 

「まぁ落ち着け」

「もう・・・いいところなのにぃ」

 

恵は振り返らない。耳は真っ赤だ。ニヤニヤが止められないでいた。

 

「とりあえず座って、チョコ食べてみてくれよ」

「ああ・・・うん。そうだよねぇ・・・ちょっと倫也くん、下むいて目を閉じてくれる」

 

恵が倫也の隣にちょこんと座る。まずは表情を戻さないといけない。

 

「えへへ」

 

頭を左右に揺らして笑っていた。フラットに戻すまで今しばらく時間がかかる。

 

※※※

 

倫也の部屋の外のドアのところに、美智留と出海がいる。

 

「ちょっと・・・美智留先輩。これは想像以上の破壊力でしたよ・・・」

「どうしたもんだか・・・」

 

2人の役割は『転』だ。ここで2人は部屋にはいって、なんだかんだチョコを食べる。恵がむくれる。倫也がなだめる。そういう展開。

 

「正直、わたしとしてはごめんこうむりたいですね」

「そう?高級チョコらしいじゃん」

「食い意地の為に命がけですか?」

「役割っていうのがあるんだけどなー」

「無理ですって、世界が溶けちゃいますよ」

「チョコだけに?」

 

出海がため息をつく。邪魔ができない。

 

「そういうわけで、わたしは降ります。また!」

「ずるいなぁ・・・」

「美智留先輩も帰ったほうがいいですよ?あんなの無理ですって」

「でもさー、あたし達が邪魔をすることでチョコがなくなり、加藤ちゃんの機嫌が損なわれるんでしょ?」

「そうみたいですね」

「で、倫也が追いかけて、恵の機嫌をとるために、そのチョコ屋までいくんだよね?」

「ええ」

「デートする口実になるし、いいじゃん」

「じゃ、お任せします」

 

出海は階段を降りて帰っていった。

 

「お任せされても・・・」

 

しょうがない、と覚悟を決めた。

 

※※※

 

美智留が扉をガチャと開けた。

 

中を見る。

 

 

 

あぐらをしている倫也に、恵がしなだれて倫也の胸に頭をぴたりと付けていた。倫也の腰を周りに抱き着いている。

倫也の表情は固まったまま、体を微動だせず、時間がたつのを待っていた。

 

恵の想像以上のデレモードが破壊力ありすぎた。

何が困ったって、表情をフラットに戻すどころから、ニヤニヤを超えて、にぱっにぱっと笑っている。よだれをすすっている。

 

「・・・ちょっとトモ・・・」

「美智留か・・・」

 

倫也が美智留を見上げる。

2人はうなずく。

 

美智留がそぉーと、近づいてテーブルの上のチョコの箱に手を伸ばした、その時。

 

ガシッ

 

美智留の右手首を恵の左手が強くつかんだ

 

「うわぁあああ!?」

美智留が驚いて叫ぶ。

 

恵の顔は倫也に預けたままである。美智留の方をみていない。

 

「いたいいたい。わかったって、加藤ちゃん。怖いよぉ!」

 

恵が手を離す。

 

「『転』はいらないんだってばぁ・・・」

「わかったってば」

 

美智留が手を振る。つかまれたところが赤くなっている。

 

「じゃ、あたしも帰るけど・・・トモ、あたし達だってチョコ欲しいよ?」

「わかった」

 

美智留が立ち上がって、部屋からでていった。

 

玄関から外にでると、妙に蒸し暑い。今日は曇りでデートするにはちょどいいと思っていたけれど。

 

「美智留先輩」

 

出海が玄関の外で待っていた。となりには伊織がいて、手を軽くあげて挨拶をする。

 

「ああ、待っててくれたんだ出海ちゃん。あと波島兄ちゃんも」

「これ」

 

伊織が小さな箱をぽんっと投げて美智留に渡す。

 

「おっ?サンキュー」

 

美智留がお礼をいう。

 

「同じものだから」

 

伊織がいった。出海の手元にも同じ箱をもっている。

 

「さすがだなぁ・・・波島兄ちゃんは」

「はははっ」

「それにしても・・・これもやっぱり『冴えカノ』ぽいとは思えないよー」

「うん。そうだね。僕らにはあの子が何をしたいかなんてわからないさ」

「いちゃいちゃしたいだけなんじゃないですかね?」

 

3人が家を見上げる。倫也の部屋はカーテンが閉まっていた。さっきまでは開いていたのにだ。

 

「帰ろう」

 

伊織がうながした。

今回の物語では恵が中心なので、拗ねるサブヒロインのケアを一手に引き受けていた。

 

※※※

 

恵はカーテンを閉めてから、ベッドに腰かけて座っている。チョコはまだ一粒もたべていない。目線を少し落として表情はさっきまでと違って少し暗い。

 

「わかる気がする。わかってきたっていうべきかな?」

「どうした?」

「前作の英梨々」

「・・・」

 

不穏な流れ?倫也が心配する。

やっぱりチョコを食べなくても、美智留が入ってきたこと自体が『転』になっているのかもしれない。

 

「ほら、2人の世界を覗かれたくないって言っていたでしょ」

「・・・そうだっけ」

「別に怒っているわけじゃないんだけどなっ」

 

倫也が困惑している様子をみて、恵がため息をつく。心が重い。

 

「やっぱり英梨々のことは避けて通れないよ」

「ちょっとまって恵。落ち着いて。よく聞いて」

「何?」

「大丈夫、あれは別の物語だよ。つながっていない。英梨々は詩羽先輩と一緒に仕事をすることを選んだ」

「そうだけど・・・」

「この物語は恵が楽しく夏を過ごす物語だよ」

「違う。わたしと倫也くんが2人で楽しく過ごす物語だよね?」

「・・・うん」

 

倫也がプラリネを一粒とって、恵に近寄る。

 

「口を開けて恵」

 

恵は口を開ける。唇がふっくらとしている。白い歯が綺麗に並んでいた。

倫也がそこにプラリネを放り込む。恵が口を閉じる。

豊かな香りが口いっぱいに広がり、品のいい甘さが心地よい。

 

「・・・おいしい・・・」

 

恵は驚く。こうも同じチョコレートで違うものかとびっくりした。

 

「さぁ、行こうか恵」

「えっと、どこに?」

「チョコレートを買いに」

「ん?」

「他のチョコもあるみたいだし、店の雰囲気も知りたいから取材したいし、別に恵がいかないなら留守番しててくれても・・・」

「いく!絶対いく!」

 

恵が立ち上がる。

 

「デートじゃないよね?」

「口実の問題?でもさ、その衣装なら、デートでいいと思うけど」

 

今日の恵はメインヒロインを意識した白とピンクだ。

「うん、メインヒロインシナリオのためだもんね」

「・・・いや」

「ちがうの?」

 

まさか、もう倫也から告白してしまうのかと、恵がドキドキする。

 

「俺も、チョコ食べたいから」

「ああ・・・そう」

 

恵がテーブルの箱に目線を落とす。まだ3粒残っている。

 

「いこう」

「うん」

 

恵も立ち上がって、バックを持つ。エアコンを止める。チョコの箱を閉じて手に持った。冷蔵庫に入れておかないと溶けてしまう。それから部屋の電気を消した。

 

2人が階段を降りていく。

 

「恵。忘れ物」

「なに?」

「お前の笑顔」

「ああ・・・」

 

 恵が倫也の方を振り返り、にっこりと笑顔を作った。

だいぶ、笑顔が上手になってきた。

 

この後、2人はでかけた。

 

 

(了)

 

 



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好きな女の子と家の中でオセロをして過ごす

正妻以上恋人未満 と書いたけれど

通い婚から同棲を始めるぐらいの時期な気がする


 

 

 

7月29日 木曜日 夏休み8日目。

 

 倫也はメインヒロインルートのシナリオがなかなか作れないでいた。恵はサブヒロインルートの3つのシナリオ修正が終わり、スクリプトに組み込みつつ微調整をしている。残り1つのサブヒロインルート・・・幼馴染ヒロインシナリオだけは倫也からテキストファイルを送ってもらったものの、未だ開けずにいた。

 

 昼食に恵はパスタを作った。トマトとバジルの入ったシンプルな塩味のパスタだったが、夏らしくさっぱりとしておいしかった。

恵はいつものように倫也に一口食べてもらうイベントをしなかった。今日はテーブルの上に置いてあるオセロ盤に視線を落とし集中している。

 

「まだ互角?」

「うん」

 

恵が考え込んでいるので、倫也はパスタをフォークでくるくると絡めながら時間をつぶす。倫也も別にオセロが強いわけではない。角をとられないようにその4隅の4枠には駒を置かないことぐらいしか知らない初心者である。序盤の形成判断などできようはずもない。

 

「わかんない」

 

恵が白い石を置く。いくつかの石を黒から白へとひっくり返していく。それから自分のフォークを持ち、パスタを絡めて口に運ぶ。

 

「この斜めのとこも、ひっくり返るんじゃない?」

 

倫也は恵が見落としたところをひっくり返す。それから恵がパスタを飲み込むまで待つ。あんまりテンポよく進めると食べる時間がなくなる。

 

「ああ、なるほど」

「じゃ、ここで」

 

倫也が黒い石を置く。外からは蝉の鳴く声がしきりに聴こえる。エアコンが静かに動いていて部屋の中は快適だ。

 

「うーん。あんまり横のラインもとられないほうがいいんだよね?」

「どうだろう・・・」

 

恵が石を置き、黒い石は白い石になる。パスタを口に運ぶ。

倫也が石を置き、白い石は黒い石になる。パスタを口に運ぶ。

 

繰り返していく。2人ともパスタを食べ終わった。

 

いよいよ、4隅の攻防戦になる。

手番は倫也だ。とりあえず、置いても角をとられないところに黒い石を置く。そして1列を黒にする。ここからが難しい。

倫也は恵の皿とフォークを自分のと重ねて、台所に運んでいく。

 

「あれ・・・倫也くん、これ・・・わたしの負けじゃないの?」

「そうなの?」

「だって、次にどこに置いても角をとられるよ」

「正念場だな!」

 

倫也は嬉しそうに言う。勝ったなと思う。しかし、気が少し重い。

このオセロの勝負を始める前に、2人で賭けることにした。

 

『勝った方が負けた方の言うことをなんでもきく』

 

もちろん、常識と良識がある。恵は倫也がどんな『くだらない要求』をしてくるか楽しみだった。自分が勝ったらその時に考えようと思っていた。

 

恵は集中力がある方だ。頬杖をついて、少し退屈そうに見える表情で盤面に目を落としている。今日の恵の衣装は華やかなで赤いタンクトップのインナーの上に、透き通った花柄の長袖を着ている。透き通っているので恵の脇も布越しに見える。下はジーンズだ。

 

倫也は恵が長考に沈みそうなので、台所で皿とフォークを洗う。それからポットでお湯を沸かす。

 

「ああ、そうか・・・うんうん」

 

恵が白い石を盤面に置く。

 

「置いたよー」

「あいよ。お湯沸かしてるから見ててくれる?」

「何いれるの?」

「ホットコーヒーでも淹れようかと思って」

「わかった」

 

恵が立ち上がる。

 

倫也がテーブルに座って盤面を見る。角がとれる。盤上この一手だとすぐに石を置いて、斜めにひっくり返していく。ひっくり返ったあとの盤面をみると・・・なるほどと思う。

 

やかんのお湯がまだ沸かない。倫也が立ち上がって恵と交代をする。

 

恵は立ったまま、盤面を見つめる。予定通りだった。これで角をとった黒い石の横に白い石を滑り込ませることができる。結果的に、この石は黒に挟まれているのでひっくり返ることはない。次に倫也が他の4隅置けば角をとることができるし、角をとったところの隙間を埋めるなら、恵も埋めて、やはり倫也の番になる。ふむ・・・。

 

「こうしてっと・・・」

 

恵が白い石を置く。石をひっくり返していく。

 

倫也は、袋から一人前のコーヒーを取り出し、注いで淹れていく。これで二人前をとるとアメリカンコーヒーのように薄くなってちょうどいい。

 

「恵ってさ、負けず嫌い?」

「ううん」

「そうなの?真剣だからさ・・・」

「お姉ちゃんいて、子供の頃からこういうのは勝てなかったから、でも真剣じゃないと面白くないよね?」

「そうだな」

 

倫也がコーヒーを淹れている間、恵は椅子に座り盤面を眺めている。自分が勝ったらどうしようかなと考える。ケーキでも買ってもらおうか?それは別に勝たなくても買ってくれそうである。もう少し難しい要求がいいかな。女装でもしてもらおうか。いいかもしれない・・・

恵や勝手に想像してにやにや笑っている。

 

倫也は気が付かないふりをして、恵にもコーヒーを置く。食後なのでブラックのままだ。

 

「ふむ・・・」

 

盤面が混沌としている。とりあえず、隙間を埋める。恵も埋める。これでまた倫也の手番、どこを置いても恵が角をとれる。

 

「けっこういい勝負なのかな」

「そうだな」

 

2人はそれから無言のまま局面を進めていく。時々コーヒーをすする。

 

※※※

 

恵が最後の石を置く。けっこう接戦そうだ。

2人は勝負が終わってから石を並べ替えて数える。

33:31の大接戦で倫也が勝った。

 

「ふふん」

 

倫也が満足そうにドヤ顔をする。

恵は口に手を当てて表情を隠しながら、「そっかー」と呟いた。

 

「いい勝負だったんじゃないか」

「ちょっと悔しいかな」

 

恵は表情も声のトーンもフラットにして言う。

 

「だったら、もう少し悔しそうな顔をしろよ・・・」

 

と、倫也がお決まりのツッコミをいれる。

 

恵は仕方がないので負けを認め、倫也の要求をきくことにする。少しぐらいエッチな要求も叶えてあげようと思っていた。どこまでOKなのか自分でもわからない・・・

 

「で、倫也くんの願いは?」

「うむ、それなんだがな・・・」

 

ゴクリッ。2人とも唾を飲み込む。恵は下を向いて顔を少し赤らめる。

 

「洗濯してくれるか?」

 

恵がため息を一つついて、倫也の方をみて「だよねぇ・・・」と呟く。

 

倫也は夏休みに入ってから洗濯を一度もしていなかった。

恵はシャワーを借りることもあるし、洗面所を使う機会も多い。洗濯物がたまっていくのは見ていて知っていた。するべきかどうか少し迷っていた自分の性分が憎い。彼女でもないし洗濯までするのは公私混同だと思い、見て見ぬふりをしていた。

 

「俺も手伝うからさ!」

「どの口がそれを言うのかな?」

 

倫也が洗濯機のところへ行く。恵もついていく。

 

「もう午後なんだけど・・・」

「夏だし乾くんじゃない?一晩乾しておいてもいいし・・・」

「どうしてこんなに溜めちゃうかな・・・」

 

恵が洗濯機に倫也の衣類を放り込んでいく。下着や靴下は別に洗うべきだが、構わず洗濯機に半分ほどいれて回した。夏服なのでそこまでかさばらない、二回も回せば全部洗えそうだった。

 

「2人で洗濯機眺めていてもしょうがないし、『安芸くん』は部屋に戻って作業進めていて、わたしはついでにお風呂場も洗っておくから」

「もしかして怒っている?」

「洗濯物を押し付けられて怒らない女の子はいないと思うんだけどなっ!」

「嫌なら・・・俺するよ・・・やり方よくわからないけど・・・」

「・・・もう、いいよ。部屋、戻ってて」

 

倫也が部屋に戻る。恵は上に来ていたシャツを脱いで赤いタンクトップの姿になる。それからお風呂場にいって掃除を始めた。

 

※※※

 

洗濯が終わり、恵が外に洗濯物を外の物干し台にもっていく。

倫也は近くにいって、その様子を見ている。

洗濯ハンガーに靴下や下着をかけていく、シャツはハンガーに袖を通してから乾す。

パンッと小気味の良い音をたててタオルの皺をのばし洗濯ばさみで挟む。

 

倫也は恵が腕を伸ばすたびに脇が見えるので、そこに気をとられてしまう。たぶん掃除と洗濯に夢中になっていて、シャツを脱いだままだということに気が付いていない。赤いタンクトップも夏にはピッタリで晴れた青空との対比も良かった。ただ、ちょっと恵のイメージとは違うなと思う。溌剌としているように見える。

 

倫也は恵が乾すのが終わる頃に先に部屋に戻って、グラスに氷をいれてカルピスを作った。

恵が満足気に洗濯籠をもって戻ってくる。

 

「ふぅー」と息を吐き出し、テーブルの向かいに恵が座る。

 

「ありがと。恵」と倫也がねぎらう。

「負けたし、しょうがないよ」

「まっ、カルピスでも飲んで」

 

恵がグラスに口をつけ、冷たいカルピスを飲み、喉を潤す。

 

「倫也くんにとって、メインヒロインって何なのかなぁ?」

 

こんな主婦みたいなことをさせておいて、何がメインヒロインなのだろうと思う。

倫也は少し考えてうなずく。

 

 

 

「うん・・・まさに、恵そのものだよ」

 

 

 

恵が驚いたように顔をあげ倫也を見つめる。倫也が少し恥ずかしそう微笑んだ。

 

 

 

 

(了)

 



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幼馴染ルートを避けたい恵

サブタイトル変更しました。


 

 

7月30日 金曜日 夏休み9日目。

 

恵はいつものように昼頃に来て、倫也と昼食を一緒に食べた。これからエアコンのかかった倫也の部屋で静かにゲーム作りをする予定だ。

 

倫也はメインヒロインルートをなかなか書けずにいた。

恵は恵でノートPCを立ち上げてみたものの、作業に移ることができなかった。サブヒロインの4つのルートのうち、3つのシナリオは修正も終わり完成した。今は美智留や出海の方にもテキストファイルが配布され、それぞれの作業を進めてもらっている。あとはこの・・・『幼馴染ヒロインルート』だけだ。倫也がこれを完成させたのはもう一周間以上も前である。あとは恵がチェックして意見を交換し、修正する・・・

恵はテキストファイルにカーソルを合わせては、ため息をついて、『フリーセル』を立ち上げて時間を潰し、またテキストファイルのアイコンを眺めている。

 

 読まなくてもだいたいはわかる。英梨々とのエピソードがベースになっているからだ。先輩ルートは小説家と編集、従姉妹ルートはバンドとマネージャー。英梨々をモチーフにした幼馴染ヒロインでは、きっとイラストレーターとアシスタントの関係だろう。年末の別荘へ行ってからの倫也と英梨々は仲がいい。その後の倫也の願望が描かれているのは間違いがない。

 

「恵。幼馴染ルートの件なんだけど・・・」

「何?」

 

恵の声がちょっと怖い。倫也は恵が読んでないことを知っている。

 

「修正しなくても大丈夫だと思うぞ?」

「何それ?」

「そのシナリオさ、英梨々と話ながら作ったからさ・・・」

「はい!?」

「だから、無理に修正を・・・」

 

恵がノートPCを乱暴に閉じて立ち会がった。

 

「帰る」

「ちょっとまって」

 

恵が部屋から出ていこうとする。

倫也が恵の手首をつかむ。

 

「離して」

「恵。怒ってるの?」

「怒ってなんかない」

「でも、読みたくないんだろ?」

「そんなんじゃない・・・」

 

恵が顔を伏せる、部屋の角をぼんやりと見つめている。

 

「もし、読みたくないなら、無理することないから・・・」

「だから、そんなんじゃないって」

「美智留と出海ちゃんに送れば作業すすめてくれるし、俺がスクリプト組んでもいいし」

「だったら・・・だったら!わたしなんていらないんじゃないかなっ!」

 

恵が腕をふって、倫也をふりほどく。

 

「そんなこといってないよねぇ!?」

「だって、英梨々と作ったんだよねぇ?わたしが修正する必要なんてないよね?プログラムも絵も音楽もシナリオもわたしなんていらないじゃん・・・」

 

恵が扉を開ける。

 

「恵が必要だよ」

恵が振り返る。倫也が立って恵を見つめている。

 

「でも、わたしがいなくてもゲーム作れる」

 

「俺、視聴覚室でお前にいったよな。テイのいい口実だって。また、お前とゲーム作りたいだけなんだって」

「・・・けど」

「もし、恵が幼馴染ルートを嫌ならやめよう?なくてもいい、恵が楽しくないことしてもしかたないでしょう!?」

「それで・・・いいの?」

「うん。俺は恵がシナリオをにやにやしながら読んだり、真剣にプログラム打ち込んだりしている姿を見るのが好きなんだよ」

「もう、それ・・・告白だよね・・・」

「ただのサークルメンバーとしてだから!」

「・・・もう。それでいいの?英梨々と作ったんだよね?」

「うん。英梨々と楽しく作れたから、それでいいんだよ」

「えっ?」

「あれ?」

 

いい感じだったのに、地雷を踏んだ倫也。

 

「なぁ・・・恵。『転』はないんじゃなかったっけ・・・」

 

恵の瞳が漆黒になる。

 

「そういうことなら安芸くん。今夜の晩御飯何が食べたい?」

「え?えっと・・・ハンバーグとか・・・」

「そう・・・じゃ、ハンバーグ以外の何かを作るよ」

「あっ、うん。作るんだ?」

「何?帰った方いい?」

「いや、えっと・・・」

「『転』がないままハッピーエンドにするんだよね?だったら安芸くん・・・がんばって」

「安芸くんに戻ってる・・・」

「何?」

「・・・いえ」

 

恵が息を大きく吐き出す。どうも意地が悪い気が自分でもする。公私混同で迷惑をかけているのは自分だとわかっている。

 

「あとでちゃんと読むから。とりあえず・・・スーパーに買い物いこ?」

「わかった」

 

倫也が財布をポケットにいれる。恵はエアコンを止めた。

 

※※※

 

 2人がスーパーで買い物をする。

 

「そこのズッキーニとってくれる?」

「何作るの?」

 

倫也はズッキーニが2本はいった袋を籠にいれる。恵はナスを3本ほど選んでビニール袋にいれてから籠にいれた。

 

「夏野菜カレーにでもしようかなって・・・」

「いいね」

「あっ、ピーマンとってくれる?」

「えっ・・・」

 

 作品上の都合で、この倫也はピーマンが苦手である。

 

倫也がしぶしぶピーマン1袋を籠にいれる。

 

「ああ、もう1袋いれてくれる?」

「なんで?」

「なんでも」

 

倫也がもう1袋ピーマンを籠にいれる。

恵は楽しそうにしている。

 

それから、合挽肉2パックを籠にいれ、ついでにアイスコーヒーとコーラを買った。

 

会計を済ませて2人は並んで帰る。

 

※※※

 

帰り道、外はまだ暑かった。恵は手で顔に当たる日差しを防ぎ、できるだけ日陰を歩く。紺色の生地に小さな白い水玉のワンピースを着ている。

 

「ねぇ、倫也くん」

「ん?」

「サブヒロインルートに進んでいる時のメインヒロインって何しているの?」

「何もしてない」

「何もしてないって?」

「基本的に登場しないから」

「うん。それはシナリオ読んでいるからわかるけれど、でも、メインヒロインだって主人公の事を好きなわけだよね?」

「そうかもしれないけど、そういうのはあまり描写されない」

「どうして?」

「だって、それだとドロドロした展開になるよね?」

「そうだけど」

「それに、メインヒロインルートの時にサブヒロインにも同じこと言えるでしょ?」

「わたしが聞きたいのはそういうことじゃないないんだけどなぁ」

 

恵が少し考え込む。

 

「プレイヤーは主人公になりきってゲームをしているわけだから、サブヒロインを攻略しているときはサブヒロインを見ているんだよ」

「浮気症だよね」

「そういうジャンルだからね!?それにIFルートって浮気じゃないよ。時間軸が違うだけで」

「そうだね」

 

恵が感情のこもらない声で相槌をうつ。

倫也がため息をついて「暑いなぁ・・・」と呟く。しきりに蝉が鳴いている。

 

「じゃあ、サブヒロインルートを進んでいる時のメインヒロインはどうでもいいんだね?」

「そうなんだけど、そうでもないんだよ」

「どうして?」

「昔は救済ルートが用意されていたんだよね。他にも男性キャラがいて・・・」

「ああ、わたしの医大生の従兄弟みたいな?」

「・・・恵ぃ・・・」

 

恵はくすくすと笑う。

 

「要するに、サブヒロインルートに進んでいるときはサブヒロインがメインヒロインになっているから、元メインヒロインはいない方がいいわけだ?」

「とげのある言い方だけど・・・そういうことだな。でも、恵。いろんなゲームがあって、やっぱり納得できないメインヒロインがでてきてヤンデレ化したり、修羅場になったり、主人公が全員にふられるバッドエンドとかあるよ」

「あと、全員を囲う、ハーレムエンドもでしょ?」

「うん」

「倫也くんにその甲斐性があればねぇ・・・」

 

恵が笑っている。陽光に照らされるとキメの細かい白い肌が光を弾いているように見える。

 

「ハーレムエンドはもちろん一つの形だけど、やっぱり一番大事なのはメインヒロインルートなんだよ。それらのサブシナリオを超えるものでないといけない」

「だから、書けないの?」

「・・・それもある・・・のかな」

「はいはい。ゆっくり待ってるから」

 

家に着いた。

恵は買ってきたものを冷蔵庫にしまう。倫也は部屋へ上がってエアコンをつける。リビングで過ごすか迷う。まだ夕方で夕食を作り始めるには早い時間だった。

 

※※※

 

 恵は倫也のベッドの上で横になりながら、プリントアウトした幼馴染ヒロインルートを読んでいる。足をパタパタさせるのは機嫌がいい証拠だ。

右手に赤ペンを持ち、気になったところや分かりにくい所はチェックをいれる。ちょっとした先生気分になれて恵はそれが楽しい。

倫也は思っていたよりもずっと恵がご機嫌そうでほっとした。内容的にも問題がないはずだ。

 

「なるほど・・・」

 

恵が読み終わって、一言呟く。それからまた最初に戻って読み始めた。恵は倫也のシナリオを読むのが好きだった。なんだかとても長いラブレターをもらっている気分になる。物語そのものよりも主人公の心情や感じ方に、自分の心も揺り動かされる。

 

 この幼馴染ヒロインルートの話は恵が思っているのと違っていた。恋愛までは発展していない。あくまでも、子供の頃に喧嘩したところを丁寧に修復している。英梨々が倫也にわかって欲しいという気持ちがよく伝わるし、倫也もどう思っていたかがわかる。ノスタルジックで、お互いにいたわり合うような優しさがある。読んでいてほっこりする。確かにお互いのことが好きだけど、胸がドキドキするようなラブストーリーではなかった。

 

「さすがだなぁ・・・」

 

恵がベッドから起き上がり、足をおろして腰かける。

 

「どうだった?」

 

倫也がデスクから振り向いて、恵きいた。見た様子だと満足そうにしているので大丈夫そうだ。

 

「うん。よかった。英梨々と書いているから、わたしには修正のしようもないよ」

「そっか。よし!」

 

倫也がガッツポーズをして、また自分の作業にもどった。

 

「晩御飯。作ってくるね」

「よろしく。恵」

「うん」

「何か手伝うことあったら言ってくれ。俺、この作業終わらせてから下にいくから」

「何しているの?」

「ん・・・」

 

恵が倫也のパソコンを覗き込む。オセロの画面が広がっている。

 

「あの・・・倫也くん・・・?」

「いや、これは大事な作業なんだよ」

「遊んでるだけだよね?」

「なにいってるの!?相手、出海ちゃんだからね」

「相手が誰でもオセロで遊んでいるだけだよね?」

「恵。これは大事な後輩とのコミュニケーションで、こういうところから後輩ルートのアイデアが・・・」

「後輩ルートは終わってるよね?」

「・・・そうだったな」

「まっ、いいけど」

 

恵が下に降りていった。

 

※※※

 

 テーブルの上には恵が作った料理が並んでいる。あれから倫也はぜんぜん降りてこなかった。出海とオセロがどうやら盛り上がっているらしいと恵は推測するが、それを『転』ととらえて嫉妬する気にもなれなかった。

本当なら倫也にピーマンを切らせたかった。

 

 恵は階段の下から倫也に声をかける。

 

「倫也くーん、ご飯だよー」

 

特に返事がない。

 

恵は「もう・・・」と片方の頬を膨らませてから、階段を上がっていく。

部屋のドアを開けると倫也がデスクにうつ伏せになっている。

 

「倫也くん、ご飯」

「ああ、うん。今いく・・・」

「どうしたの?」

 

倫也が立ち上がる。

 

「一度も勝てなかった・・・」

「あっそ」

 

恵が下に降りていく。温かいものは暖かいうちに食べてもらいたい。料理を作る人の共通の想いである。

 

倫也があくびを一つしてテーブルに座る。お茶を一口飲む。

恵も向かいに座る。

 

「いただきます」と倫也が言う。

「どうぞ」と恵が答えて、その後に「いただきます」と言う。

 

「でだ・・・恵」

「どうしたの?」

「俺、何か怒らせるようなことしたっけ?」

「ううん。心当たりがないなら、ないんじゃないの?」

「なんで、こんなにピーマンなのぉ!?」

「だって、ピーマンの肉詰めだもん」

「夏野菜カレーっていってなかったっけ?」

「そうだった?」

 

恵が箸でピーマンの肉詰めを一つつまむ。ちょっと大きい。

それをそのまま倫也の前に持っていく。

 

「はい。あーん」

「・・・あーん」

 

倫也が大きく口を開ける。恵がピーマンの肉詰めを押し込む。

 

「ほら、ハンバーグのリクエストとの妥協案だよ」

「もご!?」

 

倫也がもぐもぐと食べている。

 

「英梨々と楽しくシナリオ作れてよかったねぇー」

「もご!?」

「わたしとは一緒にメインヒロインルート作らないのにねぇー」

「もごみ!?」

「飲み込んでからしゃべってよ」

「ごくんっ」

 

倫也が飲み込む。

 

「今、こうして作っているから!」

「そうなんだけどねー。でも、メインヒロインなのにサブヒロインがよく紛れ込むし?」

「それがいいんだよ。だからメインヒロインが輝ける。わかるか?恵」

「ふーん。で、どう?おいしい?」

「ああ、思ったよりうまいけど・・・」

「けど?」

「ピーマンがない方がいいな・・・」

「ピーマンがあるから、中の肉詰めが輝くんだよ?」

「ふむ・・・」

 

食卓の上にはまだたくさんのピーマンの肉詰めがある。

倫也は恵を見ると、恵は味噌汁を飲んで、満足そうに微笑んでいた。

 

(了)

 



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お泊りイベントを無事に乗り切るために自制心を高める恵の秘策

前編を通して作者としてはこれがお気に入りです。


 

 

 

7月31日 土曜日 夏休み10日目。

 

恵はいつもよりも少し大きなバックに、小分けしたコスメ用品、プリントアウトしたメインヒロインルートのアイデアメモ、それから紙袋に隠した替えの下着が万が一泊まりになった時のために入っている。

もちろん、恵は泊まる気なんてこれっぽっちも、まったく、ぜんぜんないというテイなわけだけど、帰るつもりはそれ以上になかった。

なにしろ、泊まらないといけない理由はいくらでも見つかる。ゲームが完成していないのだからしょうがない。一方で帰る理由は見つからない。

 

※※※

 

 倫也はメインヒロインルートをほとんど書けないまま一日を過ごした。恵は幼馴染ルートを読み進めながら、表情差分や演出を赤ペンで書き込みながら過ごした。気が付けば日は沈み外が暗くなりはじめる。

 

「ねぇ倫也くん・・・今日は外で夕食いいかな?」

「ああ、うん?」

「なんか、もう日も暮れているし、準備するのを忘れてて・・・これから買い物いって準備するのもしんどいなって」

「うん。じゃあ、駅前まで行く?」

「いく」

 

倫也は腕を上に伸ばして背伸びをし、机の中の財布をポケットにいれた。恵も立ち上がって軽く体操をする。集中してノートPCに向かっていると体が固くなっている。それからエアコンを止めて、部屋の電気を消した。

 

※※※

 

「辛ネギチャーシュー麺!倫也くんは何にする?」

「えっと・・・みそで」

「あと、味噌ラーメン大盛と餃子二枚で!」

「いや、大盛頼んでないよ!?」

「あと、コーラ2つください」

「どうした・・・」

 

2人は人気のあるラーメン店に少し並んでから入った。カウンターに案内され座る。中は活気があり混んでいるし、外にも並んでいるお客がいた。

 

「・・・ちょっと仕事を終えたキャリアウーマン風にしてみたんだけど、どうかな?」

「どうかなって言われても」

「だいたい、倫也くんは人にイメージを押し付けすぎなんだと思うよ」

「イメージ?」

「うん。だからわたしはサンドイッチやパスタみたいのものを食べて、こういうラーメン屋でチャーシュー麺を頼まない・・・みたいな」

「ああ・・・確かにそうかもしれない」

「わたしはもちろん倫也くんのメインヒロインとしての振る舞いは心がけているつもりだよ。でもさー、それって倫也くんの趣味に合わせる女の子ってことだよね」

「・・・そうなるの?」

 

店員が瓶コーラを2本とコップを二つカウンターに置く。

 

恵がコーラを倫也のグラスに注ぐ。倫也も恵のグラスに注ぐ。

 

「かんぱーい」

「かんぱい」

 

恵はぐいっとコーラを飲み干し、「ぷはっー」と息を吐く。おっさんくさい。

「テンション高いよねぇ!?」

「そうかな?でも、しょうがないよ、今回のシナリオは」

「うーん。ボツにする?」

「それは最後までやってみないとわからないかな」

「そう・・・だな」

 

倫也がため息をつく。

 

餃子が2枚並ぶ。出てくるのが早い。次から次へと焼いているようだ。

 

「混んでるから、食べさせてあげないよ?」

「うん。恵、ちょっと楽しそうだな」

「そう?一仕事終えたからかな?やっぱり7月中にサブヒロインシナリオが完成したのは大きいと思うなぁ。だいぶ進行が楽になるし、あとは倫也くんがメインシナリオルートを書いてくれさえすれば」

「ああ、わかってる」

 

恵がポケットからヘアバンドを取り出す。そして肩まで伸びた髪を後ろで結った。恵はロゴのはいった水色のTシャツと白いスカートをはいている。夏らしい装いだけど、ラーメン屋にはあまり合わないかもしれない。

 

恵はしょうゆと酢とラー油で餃子のタレをつくる。倫也も自分で作る。

それから、はふはふっと熱い餃子を冷ましながら口にいれて食べている。

倫也はその様子をちょっと不思議そうに眺めていた。

 

「似合わないと思う?わたしが餃子食べている姿」

「そんなことはないよ」

「でも、ちょっと嫌そうにするよね?」

「それは誤解でしょ。ただ、ちょっと不安になるというか」

「恵らしくないなって?」

「メインヒロインらしくないって方が正しいかも」

「だから、それがイメージの押し付けなんじゃないかなっ」

 

語尾が高い。別に怒っているわけでもなさそうだけど、店の活気にあてられているのかしれない。

 

「へい、ラーメンお待ち。どっちが味噌?」

 

倫也が自分の方を示す。店員が倫也に味噌を恵に辛ネギチャーシュー麺を置く。

 

「すみません。ニンニクください」

 

この店はニンニクが無料だ。すぐに3かけらとニンニクをしぼる道具がでてくる。

 

「がっつりいくねぇ!?」

「うん。こういうのはね倫也くん。踏ん切りも大事なんじゃないかな」

「そうかもしれない・・・いただきます」

「いただきます」

 

恵はチャーシューと辛ネギを沈めていく。それからスープを一口だけレンゲをつかって飲み、チャーシューを一枚口にいれた。

倫也はのっている野菜を箸でつまんで食べる。それから野菜を沈める。

 

2人は黙々とラーメンと格闘でするように食べ始める。

 

「よし、この辺で・・・」

 

恵がニンニクを絞り器にいれて、ラーメンの中にいれる。それから有無をいわさず倫也のところにもニンニクを入れた。

 

倫也はため息をつく。別に味が変わるのが嫌なわけでもないし、ニンニクが嫌いなわけでもない。でも、この話の構成は、いったいなんだ?と、ちょっと不満だった。

 

恵は黙々と食べている。最後の1カケラのニンニクも半分ずつ入れた。時々髪の毛を気にしながら、ラーメンを黙々と食べている横顔は、確かにちょっとミスマッチに思う。美しい横顔なのに、ガツガツと食べている。

 

やがて2人は食べ終わる。そして会計を済ませて店をでた。

 

※※※

 

2人は並んで帰る。

 

「何時?」

 

恵が聞く。

 

「8時半ぐらい」

「ああ、やっぱりけっこう遅いね」

「ずいぶん集中してゲーム制作してたよね」

「そうだねぇー。なんか頭の中で立ち絵のコントが始まるんだよね。表情とか、演出とか・・・それでついつい最後までね」

「ははっ、もうすっかりプロじゃん」

「シナリオもそういう風にできているから、やっぱり倫也くんもそんな風に考えながら書いているのかなぁ・・・とか」

「多少は考えるけど、やっぱり作って組み上げてみないとわからないな。もちろん、恵ならこんな感じに作るかな?とか考えたりはするけど」

「うんうん。そういう場面だなってわかる時もあるよ」

 

2人がゲーム制作談義をしながら歩いている。幸せそうでなにより。

 

少し間をおいて、恵が今日のイベント内容にふれる。

 

「なんの映画みようかなぁー」

「希望するジャンルは?」

「実写」

「そこはアニメじゃないの!?」

「えっーだってぇ・・・、アニメだと倫也くん黙って見せてくれないじゃん」

「つい解説をだな・・・」

「たまにはのんびりと映画をみたいんだよ・・・」

「ジャンルは?」

「恋愛」

「へぇ・・・」

「おすすめある?」

「実写映画の恋愛ものなんて・・・見たことないんですけど!?」

「だよねぇ・・・」

「た・・・タイタニック?」

「古っ」

「セカチューもそうだっけ?」

「古っ」

「・・・ローマの休日」

「もうそれ・・・古典だよ・・・」

「じゃあ、恵は?」

「『youの腎臓が食べたい・・・とかかな?」

「それアニメだよねぇ!?」

「実写だよ?」

「えっー」

 

倫也が歩きながらスマホで調べる。

 

「ほんとだ。アニメも実写もある」

「ね?」

「じゃあ、見るか、「youの腎臓」」

「うん」

「アニメでなっ」

「実写でしょう?」

「でも、恵は実写で見たことあるんだろ?」

「・・・ないよ」

「今、嘘ついたよねぇ?」

「そんなことないよー」

 

恵が笑っている。

 

実写でもアニメでも、それはどうでもいいことだった。ジャンルだって別に気にしない。今から帰ってシャワーを浴びて、それから映画を見終わった頃には11時を過ぎて12時ぐらいになる。その時間になったら帰るよりは泊まったほうがよくなる。それだけのことだ。

 

※※※

 

恵が先にシャワーを浴びた。もってきた白い下着に替える。身に着けていた水色の服ややはり同系色の下着もネットにいれてから洗濯機に放り込む。あとで倫也がシャワーを終えたあとに一緒に洗ってしまう。

シャワーから浴びた恵は倫也から借りた部屋着を着る。白いTシャツと白のスラックス。どちらも柔らかい生地のものでパジャマとしても十分機能する。そろそろ自分用のパジャマを用意しようかと思っている。口実が難しい。

 

リビングに戻ると、照明が弱くつけてあり、TVには映画のタイトルが出たところで止めてある。ネットとつないで倫也が用意していた。

 

恵は頭に巻いているタオルを抑えながら、倫也にシャワーを浴び終わったことを伝える。倫也はうなずいて浴室に向かう。

倫也が浴室に入ったのを確認すると、恵は洗濯を始めた。それからドライヤーで頭を軽く乾かす。

 

※※※

 

 

「アニメ版なんだね」

「当然だな」

「そうかなぁ」

「演出にどんなインスピレーションを受けるか勉強しないとな」

「そういう問題なの?」

「さて、見るぞ」

 

倫也が再生を押す。

2人はTVの大画面を前にして、ソファーに並んで座っている。

 

恵は倫也の左に座っている。腕が少し触れるぐらいそばに寄り添っている。

倫也はそばのいる恵の石鹸の香りに鼻がくすぐられる・・・

 

「ふむ・・・匂うな・・・・」

「ん?」

「恵、ニンニク臭い・・・」

「ちょっと、倫也くん・・・あんまり側でしゃべらないでくれる」

「どうした?」

「倫也くんも、ニンニク臭いから」

 

2人が見つめ合っている。映画始まっている。2人ともあまり見る気がない。

 

「恵、ニンニクくさっ!」

「ええ、倫也くんには言われたくないよ!」

 

2人は見つめ合っている。それからお互いに顔を背けて、下を向いている。

 

「ふふふっ、倫也くん・・・これ、無理。ボツだよボツ」

「恵に任せる」

「はぁ・・・」

 

恵がため息を出す。もちろんニンニクくさい。

 

「やっぱ、あれだけニンニク喰うと歯を磨くくらいじゃダメだな」

「そうだねぇ・・・」

「恵、このわけのわからない状況を解説してくれ」

「やだよぉ・・・」

 

しょうがない。解説しよう。

ソファーに並んで暗い部屋で映画なんて見たら、隣いる好きな人と始めちゃうよね(何を?)。だから、ただのサークル仲間が建前の倫也と恵は自制心を働かせるために、ニンニクを大量に食べた。

・・・それだけのシナリオだ。

 

 せっかくここまで作ったので続きがどうなるか、覗いてみよう。

 

「わたし・・・他の作家さんの元でちゃんとメインヒロインやりたい・・・」

「今回の連載はけっこうメインヒロインやっているように思えるけど?」

「そうかなぁ・・・」

「さ、続きするぞ」

「するの?」

「もちろんだ。ニンニクなんかに負けるな」

「そういう問題?」

 

倫也と恵は覚悟をして映画を見始めた。

 

「タイトルからすると、腎臓病のヒロイン?」

「うん」

「ヒロイン死んで、お涙ちょうだい系?」

「うん」

「置手紙とか読んじゃう?」

「読んじゃう。よくわかるね?」

「ほんと!?」

「うん」

「うわぁ・・・」

 

調べたらほんとだった。正直驚いた。

 

「まっ・・・映画の内容関係ないし」

「なぁ、恵・・・」

「何・・・倫也くん」

 

倫也が恵の肩に手をわなわなと震わせながらのせて抱き寄せる。

恵も身を任せて、倫也にもたれかかった。

 

恵が倫也の顔をじぃーと見つめる。顔が赤くなる。倫也も目を泳がせて緊張をする。

 

「倫也くん・・・」

「ん?」

 

恵がボツにしようと考えながら、瞳を潤ませながら最後のあざとい演技をする。

 

 

 

「くちゃい・・・」

 

 

 

・・・この後、滅茶苦茶フリスク食べた。

 

 

 

(了!)

 



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「おはよ」って聞こえない声でつぶやくような距離で恵がしたいこと

日曜の朝だからこそ、こんな話題を投稿してみる。


第12話 「おはよう」

 

8月1日 日曜日 夏休み11日目。

 

空が白み始めて、カーテンの隙間から微かな光が倫也の部屋を少し明るくする。時刻はまだ6時にもなっていない。

 

 今、ベッドの上では恵が寝息を立てて静かに眠っている。倫也は天井を見つめて耳をすませ、その寝息を聴きながら、ぼんやりとした頭で考える。

 

サークルメンバーは倫也の部屋に泊まったことがある。

従姉妹の美智留は住んでいたこともあり、よく泊まっていった。

詩羽も作業で徹夜して、そのままベッドに倒れ込むように眠った。

英梨々は明け方までゲームして、そのまま眠ってしまったのを倫也はベッドに抱きかかえて運び、寝かせたこともある。

出海だけはいつも帰ったが。(律儀に伊織が迎えにくる)

 

別に間違いが起きることはない、徹夜をしているのは倫也も同じで、床に敷いた布団で眠るか、デスクに座ったまま眠る。

 

詩羽と英梨々がサークルを離れてからは2人がこの部屋にくることはなくなった。今は2人とも新しい仕事で忙しい。

 

新サークルになってから、週末に何かと理由をつけて恵が泊まるようになった。月に1回ぐらいだったのが、隔週になり、毎週末になった。

夕食を一緒に食べ、その後の時間をアニメ鑑賞やゲームや、あるいはゲーム作りをして過ごし、11時過ぎた頃に2人は終電を意識しだす。

そこから2人は時間を強く意識しながら、意識しないように過ごしてなんとかやり過ごし、終電が間に合わない時間になると、ほっとしたように恵はシャワーを浴びにいった。

 

それが少しずつ恒例化し、倫也は恵に貸し出す部屋着を準備するようになった。

夏なので白の上下を用意した。サイズは倫也のもので女の子用ではない。でも倫也は着ていないし、恵が泊まる時のためだけに用意したものだ。もっと恵に似合うフェミニンなものを用意したいとも思うがうまい口実がみつからない。

きっとピンク色のネグリジェなら恵にはよく似合うだろうと思う。一緒に寝間着を買いに行ったらいいのだろうか?

そんな理由ででかけられるわけもなく・・・今にいたる。

 

 

 

ある日。夜に目覚めた時に何気なく寝ている恵をみたら、彼女は体をくの字に曲げて眠っていた。

そのやや大きい胸の谷間がシャツの合間から見えた。

そのふくらみのトップのところがポツンと形を変えていることに気が付いた時、倫也はあせった。

恵は眠る時にはノーブラ派だったのだ。

それを裏付けるように、綺麗に折りたたまれたブラジャーがベッドの端っこに置いてあった。

もちろん、倫也は気が付かないふりをし、恵の体を凝視するような無粋なことはせず、すぐに自分の布団に戻った。そして再び寝付けないまま朝を迎えた。

 

 

 

6時前のこの時間に、特にトイレにいきたいわけでもないのに目が覚めるのは、そんな淡い期待があるからに違いない。潜在意識って恐ろしい。

 

倫也は音を立てないように静かに立ち上がった。

恵の方をみないように気を使い、扉を静かにあけて階段を降りてトイレをすます。

キッチンでコップに半分ほどの水を飲み、それから階段を上って部屋へ戻る。

この時に、「なにげなく」視界に恵の寝ている姿を捉える。あくまでも、しょうがなく恵の寝ている姿が目にはいるという理由が大事だ。

 

恵は仰向けに寝ていた。

 

ブランケットは腰から下のあたりにかかっているが、スネのあたりから下は素足のまま外にでている。胸は重力に従って、大きなふくらみはなかったが白い服の皺に、小さな山があるような気がするのは先入観だろうか。

髪が乱れている。

寝ている恵にはセクシーさはなく、寝相も悪いので、まだまだ少女のようなあどけない印象を与えた。

 

 倫也はすぐに目をそらせる。ちょっとにやける。たぶん白い上下のパジャマが少年のようなイメージになり、性的な印象をだいぶ緩和している。そうでなければ、やはりもっと見つめてしまうに違いない。

 

恵の信頼に答えるためにも、倫也は再び布団に横たわり、腕を頭の後ろに組んで考え事にふける。

 

メインヒロインルートの物語はメインヒロインと結ばれてからの物語ではない。

あくまでも彼女が主人公を好きになっていく物語になるはずだ。それがどんなものなのか、どうすればメインヒロインが・・・恵が自分を好きになってくれるだろう?いや、それはおかしいか・・・自分の気持ちは・・・

 

ロジカルに考えず、恵と過ごしたいことを妄想する。もう少しデートを重ねた方がいい。でも、恵はサークル仲間だから一緒にいてくれている。距離を縮めることに失敗したらゲーム作りも頓挫するし、恵もこなくなるかもしれない・・・

 

・・・倫也は何度も考えたことをうじうじとまた考えているうちに、再び眠りに落ちた。

 

 

※※※

 

 

 7時を過ぎた頃、外の小鳥の鳴き声で恵は目を覚ました。

倫也よりも先に起きなければならないという意識がそうさせたのか、あるいはいつもの習慣なのかわからない。

横になったまま耳をすませる。倫也の寝息は聴こえてこない。空調の音だけが静かにうなっていた。

 

体を横にすると胸の先端にシャツがこすれた。下で眠っている倫也の方をのぞき込む。倫也の寝相がいつ見てもいい。まっすぐ体を伸ばして寝ている。童顔なせいかとても子供っぽい。恵は満足するまでじっと倫也の顔を眺めていた。

倫也が寝ていれば、どんなに見ていても気づかれることはない。

 

(おはよ)

 

音は出さず口だけ動かす。そして恵は微笑む。至福の時。

 

上半身を起こし、まずはブラジャーをつける。

これだけは倫也にみつかるわけにはいかない。

胸を手で寄せて形を整える。

手櫛で髪の乱れも直す。

口に手を当てて息を吐くとまだニンニクの匂いが残っていて、ちょっとショックを受ける。あんまりバカなことはしないほうがいいと反省した。

これでは何かの間違いでキスをするようなことになったときに、絶対に拒否しないといけなくなる。

どんな間違いがあるのかは全く想像できないが、もしかしたら、倫也くんが襲ってくるかもしれない。

その時はその時で考えるが・・・と想像したとこで、自分で笑ってしまう。

 

恵はまた体を仰向けにする。ベッドから起きてしまうと、そのまま日常がはじまってしまう。このベッド上で微睡む時間が今ではとても好きだった。

 

『性』を抱える年齢になり、それなりの覚悟や期待のようなものがある。

相手は倫也なのでそこは問題ない。

男の子の家に泊まっておいて、間違いが起きたといっても予測がまったくできないわけでもない。もちろん、そんなことにはならないだろう。100%の信頼を、あるいは失望をもっている。

 

倫也の寝顔をみていると触れたいと思う。

無邪気な寝顔を指でつつきたいような衝動もある。

あるいは横に添い寝をして抱きしめたい、抱きしめてもらいたいとも思う。

でもその先はうまく想像はできない。何をするかはわかっていても、自分がそうなるとは思えない。

 

(男の子は・・・倫也くんはそんなことを想像しているのかな?)

 

恵は自分で勝手に想像して、顔を赤らめた。

 

(・・・あれ、もしかしてぜんぜんそんな風に思われていない?なんでこんなに何事もないまま幾夜もすごしているのだろう・・・自分に魅力がぜんぜんない・・・とか。そんなことはないはずだ。倫也くんは自分といる時によく顔を赤らめている。好意を持っていることは伝わる。あとはけじめだけだ。そのためのメインヒロインルートのはずだよね?)

 

あっ、なんか考えていたらだんだん腹が立ってきた。

 

今日は倫也と朝起きた時の話だ。あざとい恵は、「おはよう」と倫也の耳元でささやくことを期待されている。優しく迎える素敵な朝・・・

 

でも、なんだか下で寝ている鈍感主人公に腹立たしい恵は、嫉妬深いと表現される設定に甘えて、今したいことをすることに決めた。

 

※※※

 

 恵はベッドから起き上がり座った。そして下にいる倫也を足で踏んだ。

 

「ぐぇ!」

 

という、見事な踏まれた時の反応を倫也がみせる。

 

「ふふふっ」

 

と恵は笑ってしまう。

倫也はわけがわからないよ!?という風な寝ぼけた顔をしている。

 

「おはよう。倫也くん」

「って、足はどかして!?」

 

恵はベッドに座ったまま、足で倫也の腹のあたりをぐりぐりと踏んでいる。

 

 

 

・・・だって、英梨々がしたことは自分だってしてみたいじゃない

 

 

 

(了)

 

 

 



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恵ギャル化作戦と当然のオチ

なんか話がまとまり切れなかった・・・


 

 

 

8月2日 月曜日 夏休み12日目。

 

「恵先輩はどの色にします?」

 

出海がもってきたネイルアートセットの付け爪を見せている。

 

「えっと・・・やっぱりこういう淡い色がいいかな」

 

薄いピンクの付け爪を選ぶ。どうしたってこういう女の子らしいものを選びたくなる。なんだか最近あざといあざといと言われるが、純粋にこういう女の子らしい系統の色が好きだけである。

内心気にしている。

 

「じゃあ、ちょっと手を出してくださいね。手入れしますから」

 

出海は恵の爪をヤスリで形を整え、さらに表面を磨いていく。これだけでもずいぶんと綺麗になる。

 

「器用だね」

「工作とか得意ですから。ネイルアートなんかはそのまま絵画の従姉妹みたいなものですし」

 

出海が下地で爪をコーティングしていく。

 

倫也はデスクに座って、耳だけは会話に集中していた。

表面上は興味のないふりをしている。

 

「ほんと、波島ちゃんは上手だよねぇー」

 

ベッドの上であぐらをかいている美智留が言った。両手を顔の前に広げて爪を眺めている。美智留の爪は青系統の色で装飾されている。

 

「icy tail」の舞台衣装の話から派生している。4人全員がネイルアートを専門店で加工するとそれなりにコストがかかる。自費でもしょうがないかと迷っていた時に、出海は自分がやってみたいと提案があった。試しにネイルセットを買ってきてやってみると、思いのほか上手でみんなが満足した。

 

「icy tail」のマネージャーが倫也から伊織に移ると、いろんな細かいところにも気を回してくれるようになった。演出方法や売り出し方も参考になる意見をくれる。そのおかげで夏のライブも大成功を収めている。

出海も協力的で衣装や小道具を管理するようになった。このネイルアートセットもその一つというわけだ。もちろん経費で落としている。

 

「じゃあ、のせていきますよ」

「うん」

 

恵は少しドキドキしていた。自分だけで専門店に行くのは敷居が高い。やはり最初はこういうお遊びで「仕方なく」やってみるというのが大事だ。今回は出海の練習とう名目でやってもらっている。

 

出海はピンセットを使って綺麗に付け爪をのせていく。

 

「夏ですし、髪型も変えたらいかがですか?」

「髪型?」

 

恵の髪型は肩よりも少し長いくらいまで伸ばしている。夏の間は時間があるので髪を結ってオシャレをするのにはちょうどいい。

今日は後ろに一本の三つ編みにしている。髪型を変えると倫也の反応が気になる。直接、褒めるようなことはないが、嫌そうな顔をするので好みがわかる。

今日みたいな三つ編みにすると、さりげなく触ってきたり、軽く引っ張ったりする。子供っぽいところがある。

 

「高校生最後の夏ですよね?ちょっとこの時期だけパーマかけたり、染めたりする人いるじゃないですか、二学期になったらまた元に戻して」

「ああ、いるよねぇ。夏の間だけ冒険するような」

「そうです」

 

出海は爪をつけながら、話をしている。

 

「長いと手入れが大変じゃない?」

 

美智留が聞いた。

美智留は無精なので髪は短い。どうもオシャレをするという感覚がわからない。清潔で動きやすいのが大事だと思っている。

 

「美智留先輩は、それでいいんですよ。イメージと性格にぴったりじゃないですか」

「そう?ありがとー。出海ちゃん」

 

美智留はオシャレが嫌いなわけじゃない。ただ年頃の他の女の子みたいに夢中になれないだけだ。このネイルアートもやってみれば面白いし、興味深い。でも自分からやってみようとは思わなかっただろう。

 

「恵先輩は黒い髪をロングにすると、嫉妬深い性格が反映されているみたいでよくないですよ?」

「あの・・・出海ちゃん?」

「別に恵先輩が嫉妬深いといっているわけじゃないですよ?」

「・・・そう」

 

実際、そんな気がして髪を元のように短くした。でもまた伸ばしている。

 

「で、せっかく伸ばしたし、切ってしまうのはもったいないじゃないですか?そこで、少し明るくカラーして、ゆるふわパーマなんかしたら、軽くなっていいんじゃないですかね?」

 

デスクで倫也が首をふっている。やめてくれと思っていた。いざとなったら止めようと思っている。正統派ヒロインは黒髪ロング、これは譲れない。

恵はメインヒロインなので茶髪にパーマなんてとんでもない。

 

「パーマねぇ・・・」

 

実はちょっと興味がある。でも悪目立ちはしたくない。ステルス性能も下がる。

パーマをするには何か大きな口実がいる。

 

出海はネイルを取り付けている。

 

「もしかして、倫也先輩の許可が必要とか?」

「別に、そんなことはないけど・・・」

 

許可はしてくれそうにないなと思った。何しろポニーテールにしただけでも文句いってきたのだ、そのあと散々、人の髪を触っていたが。

 

「どうですか?倫也先輩?」

 

倫也は話を振られて困った。止めるなら今だ。

 

「恵はメインヒロインだからなぁ・・・設定替えたら困るでしょ?」

「誰がですか?」

「出海ちゃんは絵を描く時にモデルのイメージが変わっても困らない?」

「別に困りませんけど・・・恵先輩のデッサンならたくさんしましたし・・・」

「あっそう・・・」

「シナリオ書くのに困るんですか?」

「いや・・・」

 

そもそも髪型変えても変えなくても、シナリオがかけていない。

 

※※※

 

「恵先輩。次はデコしていきますよ」

 

出海が小分けされているプラスチックケースをあける。中にはこまごまとしたものが色々はいっている。

 

「あんまりゴテゴテしたくないかな」

「そうですね。両手の薬指だけとかにします?」

「うん」

「やっぱり、こういう花柄がいいですかねぇ?」

「そうだねぇ」

「桜の季節じゃないですよね。この花びらなんて可愛いんですけど」

「うんうん」

 

ピンセットでつまむような小さいものを2人で眺めている。

2人で話ながら、乗せていくものを横にとりわける。

 

「あと、少しラメできらきらにしますよ」

「ぜんぶ?」

「爪の下のほうに少しずつやると統一性がでますけど、薬指だけでもいいですよ」

「とりあえず薬指だけでお願いできる?」

「はい」

 

出海がピンセットで手際よくデコレートしていく。

 

「器用だねー」

「子供の頃からGペン使っているから、指が少し器用なんですかね。よくわかりませんけど」

「Gペン?」

「恵先輩、Gペン知らないんですか!?」

「聞いたことぐらいはあるけれど・・・マンガ描く道具だよね?」

「そうです。あれって、筆圧で線の強弱をつけるのでけっこう難しいんです。プロのマンガ家はGペン使いこなさないとダメみたいな」

「へぇー」

 

そうこうしているうちにネイルが完成した。

 

「少しじっとしていてください。すぐに乾いて安定しますから」

「うん」

「で、髪型はどうします?」

「うーん」

 

恵と出海が倫也の方を見る。倫也は知らん顔をしている。

 

「あと、服装もですよね。今日みたいに緑のシャツだと地味ですね」

「今日は地味目にしてみたんだよ。髪も三つ編みにして」

 

恵のシャツは緑のシャツは同系色のチェック柄になっている。白いボタンで特徴が特にない。これで黒メガネでもかれば、倫也のいう地味な子は地味という個性を持っているということになる。

 

「服もウィッグもうちにありますし、少しコスプレします?」

「コスプレ!?」

 

聞き耳を立てていた倫也の耳も赤くなる。ちょっとみてみたい。

 

「いきなりパーマかけるよりも、カツラかぶって雰囲気みた方がいいと思いますし」

「どうしよ」

 

恵は1人で決められない。

 

「あとはアプリでヘアスタイル変えてみますか?」

 

出海がスマホで恵の写真を撮る。そして髪型を変えていく。

美智留もベッドから降りて、恵をはさむように3人で座った。

それから、やいやい、わいわい言いながら3人で盛り上がっている。

 

倫也は画像が見られないので、ちょっとつまらない。イスから立ち上がって、部屋をでていった。

 

「怒りましたかね?」

「そんなことでは怒らないとは思うけど・・・」

「トモはああみえて、けっこう頑固だからなー」

「彼氏ができると髪型一つでも大変ですねー」

「いや、ただのメインヒロインなんだけどね」

「じゃあ、恵先輩にとって倫也先輩はなんなんですか?」

「サークル代表?」

「へぇ・・・」

「で、加藤ちゃんはトモの意見に従うの?」

「それは・・・」

 

しばらくして、倫也が戻ってきた。トレイの上に4つのコーラが乗っている。

 

「休憩」

 

倫也もテーブルに座った。

 

「で、倫也先輩、結論でました?」

「なんの?」

「恵先輩がパーマをかけることですよ」

「もちろん却下だ」

「それって、どんな立場から却下できるんです?」

「サークル代表としてでしょ。作っているゲームのモデルが突然イメージ変わったらまずいよね。」

「じゃあ、恵先輩の気持ちはどうなるんです?」

「だって、恵はサークル副代表で、メインヒロインだよ?それが髪型かえたらまずいことぐらいわかるよね?」

「どうですか、恵先輩?」

 

恵はコーラを飲んでいる。自分の手元を見る。綺麗なネイルアートだ。見ているだけで楽しい気分になる。確かにここでイメチェンするのもいいかもしれない。それが普通の高校生の女の子なら・・・

でも、メインヒロインのイメージから離れていくってことは・・・倫也くんに嫌われていくってことなんだろうか?ちょっとよくわからない。

 

「サークル代表がメインヒロインをどう思おうが知らない。でも、倫也くんがわたしをどう思っているかは気になるかな?」

 

恵がじっと倫也をまっすぐ見つめる。

 

うん、言い訳はいらない。ゲームのシナリオとか、メインヒロインのイメージとか、もっというなら、加藤恵はこうあるべきとか、そんなのどうでもいい。

 

恵がパーマをかけることについて倫也がどう思うかが大事なのだ。

 

「・・・だそうですよ、倫也先輩」

「・・・」

「だってさ、トモ。ちゃんと言わないとわからないこともあるよ。嫌なら嫌でしょうがないし」

「別に嫌じゃないからね!?」

「そうなんですかー。だったらいいじゃないですか」

「よくないよ」

「なんなんですかー?」

 

出海にはわけがわからない。

こうなってくるとムキになってしまう。恵がパーマをかけたら絶対に可愛いに決まっている。

 

倫也と恵が正座して対面している。緊張が走る。

 

「ごめん。倫也くん」

「ああ」

「ちょっと、こんな風に重い雰囲気になるとは思わなかった」

「それはしょがない」

「そんなに髪型にこだわる?」

「髪型ってキャラクターそのものだよね!?」

「そうかな」

「だって、青髪ショートカットにした英梨々とか、誰?ってなるでしょう!?」

「なんで、そこで突然『英梨々』の名前をだすかなー」

「コホン・・・だからな、恵。与えられた容姿はそんなに簡単に変えたらダメだよ、例えばヒロインが何らかの決意で髪の毛を短くする時はある」

「ジブリによくあるやつだね」

「うん。そういう演出はしかたない。でも、普段はその個性を大事にしないと」

「あのさ、わたしが聞きたいのはそういう一般論じゃないないんだけど?」

 

倫也としては分が悪い。恵に対してどう思っているかを口にしたら、それはもう告白以外の何物でもない。それができるなら、こんな周りくどいサークル活動をしてゲーム作りを口実になんてしない。

 

・・・話をそらそう。それで乗り切ろうと考えた。

 

「お前の衣装。毎日変えているよな?」

「うん。悪い?」

 

倫也がコーラを一口飲む。

 

「メインヒロインに衣装は大事だ。これだって個性だ。それを・・・毎日を買ってきて経費で落とすのはどうかと思うよ!?」

「・・・」

 

恵は動揺もせず、顔を赤らめもせず、かといって怒りもせず。フラットのままコーラを飲む。

 

「ねぇ、倫也くん、それがオチ?」努めて冷静なトーンで聞き返す。

「・・・だめ?」倫也に嫌な予感が走る。金の話題で恵(妻)に勝てた記憶がない。

「別にダメじゃないけど・・・そう・・・ふーん」

 

恵は無表情のまま、倫也をじっと見つめている。

 

「えっと・・・恵?・・・楽しいバカげたオチで終わらせる・・・はずじゃ?」

「あのさ、倫也くん、わたしのこと芸人か何かだと思ってる?」

「えっ?」

「わたしだってね、一生懸命メインヒロインをやろうと努力しているつもりだよ。試行錯誤だってしている。下手くそかもしれない、納得できないかもしれない。でもさ、もう少し普通に女の子として扱ってほしいよ」

「ごめん」

「それを何?経費って?せっかくコツコツ調べながら衣装を変えているのに、そういうこというんだ?だったらいいよ、請求書返して?」

「いや・・・そんなつもりは」

「請求書。今すぐ返して、自腹でやるから」

「あのさ、恵。ごめん」

 

倫也が土下座する。あれ、何か悪い事したっけ?

 

「謝るぐらいなら、最初から言わない方がいいと思うんだけどなっ」

「・・・そうだな」

「メインヒロインの衣装だよ。必要経費だよね?」

「・・・そうなの?」

「そうなの」

 

恵が立ち上がって、バックから領収書の山を取り出す。

 

 

 

「これ、先月の衣装代だから」

 

 

 

「それ、同じオチだよねぇ!?」倫也がため息をついた。

 

恵が横を向いて顔を赤らめる。

髪型は変えない。でも、衣装代は経費で落とす。

これでギブアンドテイクだということで倫也と話をつけた。

 

「美智留先輩・・・なんなんです?この寸劇?」

「さぁ・・・」

「もう、わたしフロリダ」と言って出海が部屋を出ていった

「じゃ・・・あたしは・・・ゆるらふぃー・・・」といって、美智留がでてく。

 

※ 補注 フロリダ ・・・ 風呂で離脱

※ 補注 ゆるらふぃー ・・・ ゆりらふぃーの言い間違い ギャル語で検索したら一番上にでてきた。意味はしらん。

 

「・・・倫也くん」

「・・・はい」

「こんなテーマにするから、迷走するんだよ」

「・・・だな」

「そんなネットで検索した付け焼刃でできるわけないよっ」

「そこを恵のあざとさでなんとか・・・」

「できることと、できないことがあると思うんだけど」

「このシナリオの出来は?」

 

 

 

「ちょ・・・チョベリバ」

 

 

 

両手で顔を抑えて恵は俯いた。

今時のギャルのことなんてわかる由もない。

 

(了)

 

 

 



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いちゃいちゃするに決まってるだろ

「倫也先輩!これがプロ童貞のお仕事ってやつですか」
「まぁな」
「別に褒めてないです」


 

 

 

8月3日 火曜日 夏休み13日目。

 

「ねぇ、倫也くん…ほんとにこのサブタイトルでシナリオ作るの?」

「問題あるか?」

「そんな開き直られてもさー」

「しょうがないよねぇ!?シナリオのためだから!」

「なんでもシナリオのせいにすればいいってもんでもないと思うけど」

「何かいいアイデアある?」

「ない」

「だよね、だよね。だったら、いちゃいちゃするしかないじゃん」

「そんな風にさ、まるでお金のないカップルみたいに夏休みを過ごすべきじゃないと思うんだけどな」

「そう?」

「やっぱりさ、部屋の中だけで40日間も過ごすっていうのは無理があるんじゃないかな?」

「今何日目だっけ?」

「13日目」

「まだ、半分も過ぎてないんだな・・・」

「だからさー、少しは外に出て何かした方がいいと思うんだけど」

「中華食べたり、ラーメン食べたりしたよね?」

「それって、リビングで食べても同じだからね?」

「じゃあ、恵はこうやって家の中で過ごすの嫌なの?」

「そんなことはいってないよー」

「で、どうする?」

「わかんない」

「だからさ、視聴覚室でメインヒロインルートに入った主人公達は、それから2人の中を縮めるべく、いちゃいちゃするんだよな?」

「それは倫也くんの勝手な妄想でしょ?」

「だったら恵はどうしたい?」

「そんなのずるい」

「じゃあ、いちゃいちゃするのやめる?」

「どうしてそうなるかなー」

「普通のカップルってどうやってすごしているんだろ?」

「家で?」

「家で」

「それはテレビみたり、ゲームしたり、マンガ読んだりしているんじゃないの?」

「退廃的だな」

「というか、普通にわたしたちは受験生だよ?倫也くん」

「あーあー。聞こえない聞こえない」

「別に現実逃避してもいいけど、シナリオも書けなくて、受験勉強をしていない倫也くんは、けっこうヤバイ状況なんだよ?自覚してる?」

「おまえ、いやに厳しいね?」

「だってぇ・・・」

「だって何?」

「これからいちゃいちゃするんでしょ?」

「するの?」

 

恵は顔をほのかに赤く染め、こくりと小さくうなずいた。

 

※※※

 

 午後である。倫也はあいからずメインシナリオを書けずにいた。恵はサブヒロインのスクリプトを組んだり、受験勉強をしたり、ときどきはベッドの上でラノベを読んだりして過ごしていた。

 

突然、倫也にいちゃいちゃすると言われて戸惑ったものの、シナリオのためなら仕方ないなぁーと少し諦め気味である。このまま夏休みを進むとコスプレしたり(未遂)、少しエッチだったり(すでにあるな)、なんなら部屋の中で水着を着かねない・・・(その後、めちゃくちゃ・・・自粛)

 

とにかく、あまりエスカレートさせず、自制心をもってサークルメンバーとしての距離を保ちたいと思っている・・・

 

※※※

 

2人はテーブルの両端をもち、部屋の横にどかした。

向かいあって正面に座る。

 

恵は正座から両足を崩してペタンと幼児のように座った。倫也はカチコチになって正座のまま膝に手を乗せている。

 

「あの・・・倫也くん、別に怒るわけじゃないんだけど・・・」

「ああっ、そうだな・・・」

「足・・・崩したら?」

 

倫也があぐらに組み直す。そして正面から恵を捉える。

恵は学校の夏服を着ていた。

 

「あれ・・・恵、どうして制服着ているんだ?」

「午前中に学校の無料夏期講習を受けてきたんだよ」

「そうか・・・」

「という口実で、昨日、倫也くんに服装の経費の事でもめたし、着る服がないからしょうがないよね、それに部屋着もあんなださい白の上下しかないし・・・」

「ごめん・・・」

「せめて、部屋着ぐらい可愛いのにして欲しいんだけど」

 

恵が少し頬を赤らめながら上目遣いで倫也をチラッとみた。

 

「そ・・・そうだな」

 

それは倫也も思っていた。恵からも指摘を受けたからには部屋着を用意しないといけない。

 

「それはともかく、で、これからどうするの?」

 

恵は倫也を見つめている。倫也はそんな恵を顔真っ赤にして見ていた。近すぎる。

 

「そ・・・それは、いちゃいちゃするに決まってんだろ!」

「で、どうするの?」

「だから、いちゃいちゃするに・・・」

「具体的には?」

 

恵が座ったまま前に進んだ。倫也に膝が接触した。

そして、下から倫也を覗き込むようにみて、

 

「どう・・・するのかなぁ?」

 

と、問いかけた。

 

「近い、近いから!」

「だって、これからいちゃいちゃするんでしょ?」

「するの?」

「するっていったの、倫也くんだよね?」

「・・・そうだな」

 

倫也は横を向いて目をそらした。

恵の香りがする。見慣れているはずの夏服もなんだかとても新鮮でカワイイ。

いざ、受け入れられても困る。

 

「ちょっと・・・何か飲物をもってくる」

 

倫也が立ち上がる。

 

「・・・うん」

 

恵はふぅーと息を大きくはいた。緊張する。

 

倫也は部屋を出て階段を降りる、いざとなるとやはり大変だ。

とりあえずトイレにいく。そこで迷う・・・

いったん・・・「落ち着けるべきだろうか?」

いや、だめだ。テンションが下がる。ここは賢者モードなんかではない、いちゃいちゃをしっかり作りたいと思う。

 キッチンでグラスに氷をいれてコーラをそそぐ。そのグラスをもって2階へとあがっていった。

 

※※※

 

恵は床に足を延ばして座り、ベッドに背をもたれかけていた。

倫也がコーラを渡すと、軽く会釈して受け取る。仕草がいちいち可愛い。

それから両手でコップをもってコーラを飲む。その美しい口元がグラスにつくのを倫也はじっと眺める。

 

「もう、そんなに見つめないでよ・・・」

「ごめん」

「そこに、いつまで立っているの?」

「俺、どこに座ればいい?」

「そんなの・・・自分で判断してよ」

 

倫也がデスクのイスに腰かける。

 

「あの・・・倫也くん・・・」

「はい」

「バカなの?」

「いえ」

「帰るよ?」

 

倫也が立ち上がって、恵の横に座った。同じように足を伸ばして座ろうとしたが体が固いのでつらい、そこであぐらをかいて座り直す。背は同じようにベッドにもたれかかった。

 

「準備できた?」

「おう!」

「返事だけは一人前だね」

「おう・・・」

「グラス。テーブルにおいてくれる?」

 

倫也が恵のグラスを受け取る、自分のも部屋の壁にずらしたテーブルの上に置く。

改めて恵のそばに座り直した。

 

「いいよっ・・・」

 

恵がかすれるような声で囁く。

倫也が左にいる恵の手を握る。

 

2人とも前を向いている。お互いの顔は恥ずかしくてもう見ていられない。

 

「ここまでなんだよね」

「・・・そうだな」

 

2人は手をつないだことがある。指を絡めるのは劇場版までお預けだ。なかなかもどかしい。

 

「やっぱり、最初から安芸くん呼びの方がよかったかなぁ・・・」

「もどそうか?加藤」

「・・・いやだ」

「なぁ・・・俺、今少しわかったことがあるよ」

「なに?」

「倫理君って呼ばれる理由。これはすごい自制心だと思う」

「この状況で霞ヶ丘先輩のことを思い出させるかなぁ・・・」

 

恵が倫也の手をギューとつねる。

 

「・・・もう」

 

それから手を離した。

 

「ごめん」

 

少し静寂が続く。エアコンの音、窓の外の車が走る音、それから夏を演出する騒がしいほどの蝉の声。

 

「やっぱりね、いちゃいちゃっていってもね、これで精いっぱいだよ」

「なぁ恵、もう一度手をつないでいいか?」

「それは別にいいけど・・・」

 

倫也がまた恵の手を握る。それから人差し指だけ立てて、恵の人差し指に絡め、指の腹を押し当てた。

 

「うーん」

 

恵が上を見る。

 

「指を絡める練習?」

「・・・どうしていいか、わからん」

「そうだよねぇ・・・」

 

まったりした空気が流れる。

 

それから恵は倫也にもたれかかった。

頭を傾けて、倫也の肩にぴたりとくっつけてのせる。

 

恵の髪があたって、倫也はくすぐったい。でも、じっとしていた。

 

 

 

「でもまぁ・・・幸せかな」

 

 

 

フラットな顔ってどうするんだっけ。

 

(了)

 



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部屋の中で物語を進めることに飽きてきた恵

※ 加藤恵の誕生日は9月23日
今年のカレンダーだと木曜になります


 

 

8月4日 水曜日 夏休み14日目。

 

倫也はメインヒロインルートのシナリオを中々書き進められずにいた。恵はベッドの上で仰向けになりながら、足を4の字に組んでマンガ本を読んでいる。着ている服は倫也が用意していた男性用の白いルームウェアである。ズボンなのでスカートの時のような気をつかわなくてもすむ。

 

「恵。何読んでるの?」

「ペンギン・ハイウェイ」

「ペンギン?」

「知らない?」

「なんか聞いたような・・・」

「アニメ化もされているみたいだよ?」

 

午後の2時を回った頃である。外は夏らしい強い日差しで蝉の声もうるさい。中は空調がきいていて快適である。倫也は恵がリラックスして過ごしている分には構わない。

 

倫也は本日分のシナリオプロットができあがった。あとはこれを恵に見せるだけである。

サブタイトルは『いちゃいちゃするに決まってるだろ take2』である。

 

恵がマンガを読んでいる間、倫也はネットでレディース用の部屋着をみていた。

やっぱりピンクのネグリジェが可愛いくて恵にはぴったりだと思う。

しかし、日中を過ごすのには向いていない。

レディース用のゆるいワイドタイプのスラックスなんかがいいだろうか?

一見スカートに見えるが動きやすそうだ。色は・・・?

本人に聞くのが一番だろう。

 

倫也はイスを回して後ろをみる。恵が横になりながら、まだマンガを読みふけっている。

とりあえず、できたプロットを印刷する。たった一枚だ。起承転結だけ箇条書きになっているいい加減なもので、あとは恵がなんとかしてくれる。・・・はずだ。

 

「できたの?」

 

印刷機の音をきいて、恵がマンガを枕元に置いて起き上がる。

 

「今日の分のプロットだけな・・・」

「見せて」

 

なんだかんだ恵は倫也のメインシナリオが一番の楽しみである。

 

「これなんだけど・・・」

 

倫也が自信なさげにレポートを渡し、恵がそれをベッドにペタンと座ったまま受け取った。

それから目をとおす、熟読するほどの内容でもないし、文字数もない。

 

そして、深々とため息をついた。

 

「安芸くん・・・ちょっと、そこ座ってくれる?」

「・・・はい」

 

倫也がベッド横に正座して座る。恵はベッドの上で正座に組み直した。

 

「あのね、安芸くん」

「安芸くんに戻ってる・・・」

「心当たりある?」

「・・・はい」

「そんな二日続けてね、いちゃいちゃするってさー、わたし達は恋人同士じゃないんだよ?ただのサークル仲間として、安芸くんのゲーム作りに協力をしているの。もちろんシナリオの作成にわたしの意見を取り入れてくれるのは嬉しいし、わたしだって楽しみにしているよ・・・でも、これ・・・何?」

「だめかな・・・?」

「だめもなにも・・・これ、前回よりもエスカレートしているよね?」

「・・・そうだな」

「節度をもって過ごさないとさぁ・・・こんな部屋の中にいつもいるから悶々とするんじゃないかなぁ?」

「・・・」

「外に出た方がいいと思うけど」

「恵はいちゃいちゃしたくないの?」

「・・・あのね、わたしはメインヒロインとしてシナリオに協力しているだけであって、別にいちゃいちゃ・・・したくないわけでもないけれども、そういうわけにはいかないでしょ?」

「そうなの?」

「そうなの」

 

一応、健全な高校生なのだ。何しろ倫理君といわれるほど、鉄壁のモラルをもっている。

 

「恵、じゃあ、このプロットは破棄するから」

「ちょっとまって」

「どうした?」

「やらないなんていってないでしょ?」

「やるの?」

「・・・今日はやらないよ」

「えっと?」

「せめて・・・週末にしてよ」

「週末ならいいのか・・・?」

「よくないけど、仕方ないよ・・・シナリオのためだもんね?」

 

恵が顔を赤らめて倫也を見つめる。

 

「わかった・・・」

 

倫也が了承する。今日は水曜日だからあと3日だな、と指折り考える。

 

※※※

 

2人並んでノートPCをみている。

 

「こういうのがいいと思うんだけど・・・」

「うん。カワイイと思うよ。メインヒロインのイメージからもずれてないもんね?」

「そうなんだよ。なっ、なっ」

「そんなに喜ぶとこかな?」

「いや、いつもどんなかっこうで寝ているか知らないし・・・」

「知らないの?」倫也の方を見ていった。

「?」

 

 恵がノートPCに目線を戻す。

 

「じゃあ、これから買いに行こうか」

 

恵が立ち上がる。

 

「えっ?ネット通販でいいよな?」

「え?」

 

恵の目からハイライトが消える。

ここで意見が食い違うとは思っていなかった。

 

「恵、もしかしてこれから買いにいこうとしてた?」

「うん」

「えっと・・・、それってダメなんじゃ?」

「なんで?」

「だって、この辺だと買い物行くとしたら池袋だよな?」

「うん」

「池袋に2人でいくために、恵の誕生日にやっと誘えるんだろ・・・」

「ああ、そういうこと・・・」

「なので、買い物にはいけないと思う」

「それはさぁ、倫也くんがわたしの誕生日に誘うところに壁があったんじゃないかなぁ・・・」

「ちょうど日曜なんだよな」

 

そこで、恵が目を大きく見開いて驚いた表情をした。

 

「大変だよ・・・倫也くん」

「どうした?」

「わたしの誕生日って決まっているよね?」

「たぶん」

「覚えてないの?」

「・・・wiki見てこようか・・・」

「いや、いいよ・・・」

「で、どうした?」

「このカレンダーって2021年のだよね」

「そうだな。リアルの投稿日に合わせた曜日だ」倫也自信ありげに言った。

「で、そのカレンダーだと、わたしの誕生日ってちゃんと日曜日になるの?」

「・・・」

「ほら・・・また、行き当たりばったりにするから、そうやって問題が・・・」

「気がつかないんじゃない?」

「そうかなー」

「それにさ、この物語は夏休み中だけだし・・・」

「そうだね」

 

恵が目をそらせる。

とりあえず、もうどうにもできないので、このまま進めることにする。

 

「倫也くん、買い物いく?」

「行くかぁ・・・」

「そんな嫌そうにしないで欲しいのだけど・・・」

「ああ、ごめん。ほら、こういう縛りの中で作る物語はさ、ルール破ると迷走しそうだなって・・・」

「負け犬シリーズみたいに?」

「そそ」

「大丈夫じゃないかな」

「なら、いくか!」

「・・・うん」

 

倫也が財布をポケットにいれる。

 

「倫也くん。着替えるからリビングで待っててくれる?」

「うん、恵は今日も制服なんだな」

「経費削減」

「根に持つね・・・てか、家の服もあるでしょう?」

「・・・うん」

 

倫也が部屋から出ていった。

 

※※※

 

 恵が夏の制服に着替えて、リビングに降りてきた。カバンも持っている。

 

「じゃ、いこうか」

 

2人が玄関へ向かう。

 

「ねぇ、倫也くん。一度家に帰っていいかな?」

「いいけど、どうした?」

「せっかくのデートなのに、制服のままっていうのは・・・」

「・・・そうだな・・・」

「それとも・・・明日にしようかなぁ」

「その方がゆっくりできると思うけど」

「そうしようかな・・・」

 

恵が残念そうにリビングに戻る。

 

「なんだか騙された気がする」

 

恵がソファーに腰を下ろしてぼやいた。

 

「なんで?」

「だって、また、外にでられなかった」

「それがいいんだよ」

「そうかなぁー、それにオチがないよ?」

「それがいいんだよ」

「それはどうかと思うよ?」

 

恵が天井を見て考える。

このままじゃ終われない。芸人・・・じゃないメインヒロインのプライドもある。

 

「整ったよ。倫也くん!」恵がひらめいた。

「どうぞ」倫也が合いの手をいれる。

 

「『ペンギン・ハイウェイ』とかけまして、『わたし達のシナリオ作り』と解きます」

「その心は?」

 

 

 

「どちらも話に、高速(拘束)があるでしょう」

 

 

 

恵はちゃんとオチたと思って、満足そうに今日も笑っている。

 

(了)

 




オチをつくるために最初に読んでいたマンガを変えるのが恵クオリティー


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足をパタパタさせた恵のお泊り理由

もうね・・・


 

 

8月5日 木曜日 夏休み15日目。

 

夜の8時を過ぎた頃、倫也と恵は家に戻ってきた。

この日、2人は午後に待ち合わせをして池袋の街を散策し、家で過ごすときの部屋着を買い、一緒に夕食を食べ、そして・・・今にいたる。

 

「ただいまぁ・・・って、あのね、倫也くん・・・」

「んっ?どうした恵?」

「結局、家の中じゃん!」

「くすくすっ」

「何笑ってんのかなー」

「だって・・・恵・・・おかしい所に気が付いてない」

「えっ?」

 

恵は買ってきた荷物をリビングのソファーの上に置き、疲れた様子で座った。

倫也は冷蔵庫の麦茶をグラスに注ぎ、1つを恵に渡す。

 

「おかしなところ?」

「うん」

 

恵が考えながらグラスに口をつけ、一口飲む。

今日はデートだったので、白いワンピースにピンクのサマーカーディガンを着ている。

物語は始まったばかりで、何かミスをした覚えはない。

 

「ただいまがおかしかったかなぁ」

「まぁ、それもあるかもしれないけど・・・」

 

倫也はおかしそうに笑っている。

 

「いやな感じ・・・」

「ごめんごめん。で、今は何がしたい?」

「そうだなー」

 

恵は指を1本立てて口に当てて、上を向いて考える。

 

「シャワー浴びたいかなぁ。屋内が多かったけどけっこう歩いたし、汗がべったりで・・・まずはさっぱりしたいかな」

「ふむ」

「とりあえず、シャワー浴びてきたら?」

「そうしようかな・・・部屋着貸してね・・・って、買ってきたね」

「うん」

「それで?何がおかしいの?」

「だから、とりあえずシャワー浴びてきたら?」

「・・・うん」

 

恵は買ってきた袋の一つを開けて、淡いブルーのレディース用ルームウェアを取り出す。

倫也は立ち上がってキッチンからハサミをもってきて、恵に渡すと、恵はハサミでタグを切り取った。

 

「ふあぁ・・・あっ」

 

恵が大きなあくびをした。ルームウェアと袋を開けずに手にもっている。こちらは新しい下着が入っている。

 

倫也は階段を上がっていった。

 

恵はサマーカーディガンを脱いで、軽くたたんで置く。それからワンピースのボタンを一つずつ外して、スカートの裾を両手持つと、まくるようにして頭から脱いだ。そのワンピースはそのまま洗濯機の中にいれる。そこで描写に気が付いてNGを出す。残念。

 

※※※

 

倫也は部屋でノートPCを立ち上げて、出海からの画像を受け取り、感想を返信する。

美智留のサンプルも届いていた。icy-tailのツイッターもチェックして『いいね』ボタンを押し、詩羽や英梨々から届いたメールにも返信を書く。

 

相変わらず、メインシナリオルートは捗らないが、それでも恵の協力もあって日常パートが埋まっていく。

恋人になっていくのは大変で、『転』のないまま話が進む。それは恵が望んだシナリオの構成で、それに従い少し冗長で退屈な物語が紡がれている。

 

※※※

 

そうこうしている内に恵がシャワーを浴び終わったようで、階段を上がってくる音がする。

 

倫也の部屋のドアが、コンッコンッ、と二度ノックされた。

 

「どうぞ」

 

と、倫也がいった。恵は家に来て最初に部屋に入る時だけはノックをする。突然開けるはやっぱり失礼だからだ。その後の出入りではノックはしない。今日は初めて部屋に入るのでノックをしたわけだけど・・・緊張しているせいもある。

 

ドアがガチャリと開いて、恵が顔だけをのぞかせる。髪は完全に乾かしていないから、少し重たそうに下にまっすぐ伸びている。

 

「はいるよ」

「うん」

 

恵が部屋に入ってきた。

倫也も恵も少し顔を赤らめている。新しい服はやはり緊張するものだ。

 

恵の最初のルームウェアは、少し淡いブルーでグレーにも近い色だ。夏らしい爽やかな色で軽い感じがする。カップ着きのワンピースで腕の袖はない。ウエストあたりからスカートになっていて、全体的にゆったりとしている。スカート部分の丈長く、恵の細いスネが少し見える程度で、可愛い脚の指がその下に並んでいる。

 

「どうかな?」

 

少し顔を傾けて、恵が聞く。

 

「いいんじゃね?」と倫也は照れを隠して答える。

 

それから、恵はくるっと廻った。スカートが少し遅れて回転する。

 

「うん」

 

納得したように口元で笑みを作る。

 

「じゃ、俺もシャワー浴びてくるから」

「いってらっしゃい」

 

恵はベッドに腰を下ろした。

倫也が部屋をでていく。

 

恵が時計を見ると8時半を過ぎていた。

ここから、映画を見るか、ゲームでもするか、それともトランプでもするか・・・でも、何かをするような気分には慣れない。一日歩いていて疲れている。それに昨日は緊張してあまり眠れなかった。

このまま部屋でアニメ作品でもみながら倫也の解説でも聞くのが一番気楽な気がしていた。

 

そしたら、時間が過ぎて・・・終電がなくなり・・・

 

「ああ、そういうことか」

 

恵はやっと気が付いた。

 

今日は木曜日で平日だ。夏休みなので毎日が休みだけど、一応のけじめはつけている。そうしないと夏休みの間中、倫也の家に泊まることになってしまう。そうなると同棲状態だ。だから恵は毎日ちゃんと帰っている。

 

本来なら池袋でデートして、どちらかの最寄り駅でお別れのはずだ。そこでさよならをして一日が無事に終わる。何もわざわざ帰るのに、こんな夜に倫也の家に来る理由がない。

当然のように倫也の家まで持って帰ってきてしまったが、荷物だけ倫也が持って帰れば済む話だ。

 

「うーん」

 

恵は倫也のベッドに仰向けに寝転がった。

もうすっかり見慣れた天井を見る。

 

(うん、帰ろう)

 

恵は理性をフル動員させて、けじめをつけて帰ることにした。

そしてベッドから起き上がり、自分のかっこうを見る。ワンピースタイプのルームウェアで別に外にでてもそこまではおかしくはない。近所のコンビンなら全然いけてしまえるものだ。

でも、電車に乗って家に帰るには抵抗がある。そもそも着替えた状態で家に戻るってどうなんだろう?と考えてしまう。

なので、家に帰るためには着ていた白いワンピースをまた着ないといけない。

 

(そうすると、あの汗を吸った服をもう一度着ることになるか・・・)

 

恵は足をパタパタさせた。

結論がでた。いい言い訳があることに気が付いたのだ。

 

(もう、洗濯機に入れてしまったし、仕方ないよね)

 

恵は口元をニヤニヤさせてしまう。

そうと決まったら、家に連絡をいれて泊まることを伝えないといけない。心配はかけられない。

 

恵はベッドから起き上がって、リビングに置いてある荷物を取りに行った。そこにケータイもある。それから、袋から服を出してタグを取った。

 

「ずいぶんご機嫌だな」

 

倫也が部屋にはいってきていた。男の子なのでシャワーが早い。ほんとに体を洗っているのか心配になるレベルだ。恵はちょっと驚く。

 

「ねぇ、倫也くん・・・ちゃんと洗ってる?」

「もちろん」

「早いなぁ・・・」

「むしろ、女の子がどうしてあんなに時間かかるのか、それの方が不思議だよ」

「女の子?」

「・・・いや、恵が」

「ふむ」

 

恵がタグを取った服を折りたたむ。全部で3着も買ってしまった。下着も2セット買った。

 

「これ、どこに置こう?」

「洋服箪笥を一段開けようか?」

「えっー、倫也くんと一緒のところ・・・」

「いやなら美智留のところがあるけど」

「美智留さんのか・・・なるほど」

 

美智留は以前、少しの間住んでいたのでそのまま着替えがいくつか置きっぱなしだ。しばしば泊まりに来るし、その方が本人も楽らしい。

 

「じゃあ、そうしようかな」

「うん」

 

2人は隣の部屋の美智留が使っている箪笥を開ける。ぐっちゃりと着替えが押し込まれている。恵はため息をつく。たためばだいぶスペースができそうだった。

 

「ちょっとこれは・・・整理する時間が必要だよ、倫也くん」

「・・・そうだな」

 

夏物も冬物も置いてある。

 

「わざわざ買わなくても、美智留さんのものを使えばよかったのでは・・・」

「・・・そうだな」

 

あまり考えてはいけない。

 

「明日、片付けるよ・・・」

「・・・そうだな」

 

恵はとりあえず買ってきたものを倫也の部屋に持ち帰り、部屋の隅に置いた。

買ってきた服の間に新しい下着が隠してある。

 

「でね、倫也くん・・・気が付いたよ」

「うん?」

「わたし・・・ここにいたらおかしいんだね?」

「はははっ。もう遅いし普通は家に帰った方が自然だと思うけど」

「じゃあ、どうして電車で教えてくれなかったの」

「あまりにも自然に恵が一緒に降りようとしたし・・・それに・・・」

「それに?」

 

 

 

倫也はちょっと目を泳がせる。隣に座っている恵の顔を見る。

恵の髪が乾ききっていないから、少し纏まっている。

胸元がV字カットなので、目がそっちにいってしまう。目線がばれると恥ずかしいので目をそらす。

 

「それにさ・・・はやく、見たかったし」

「ん?」

「恵の新しいルームウェア姿がさ。早くみたかったんだ・・・」

 

恵の顔も赤くなる。

それから小さくうなずく。

 

(うん、わたしも早く見てもらいたかったんだ)

 

とは、口に出して言えず、下を向いて必死に顔をフラットにしようと無駄な努力をしていた。

 

(了)

 

 



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ツンを演じるデレデレの恵

ただのサークル仲間らしいです。


 

 

 

8月6日 金曜日 夏休み16日目。

 

 朝から天気がとても良かった。青空。恥ずかしいぐらいはっきりとした白い雲。ギラギラと照りつける太陽。

 恵は起きてから、顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、洗濯機を回す。ルームウェアの上にエプロンをして軽い朝食を作った。

2階に上がって倫也を起こし、一緒に朝食をとる。寝ぼけている倫也は何を言っても生返事なので会話はなく、黙々と食べる。トースト、サラダ、ハムエッグ。

 溜まっていた洗濯が終わると、それを外で干す。部屋中に掃除機をかける。倫也の布団も干す。ベッドのシーツも洗濯して、ついでにブランケットも放り込んで洗う。やることがたくさんあって忙しい。

 美智留の服を箪笥から全部取り出して、一枚ずつたたんでしまう。一段分のスペースができたので、そこに自分の服と下着をしまった。だいぶスペースが空いているので、今度は外出着も用意しようかと考える。洗濯が終わり、シーツとブランケットも外に干した。

 

 倫也はデスクに向かって、メールやらツイッターやらのチェックを終えると、メインシナリオルートの原稿に取り組む。あいかわず書けずにいた。倫也が白紙のwordを眺めている間、恵はバタバタと駆け回って掃除をしている。さすがに無言でコーヒーがでてくるような気づかいはない。

 

 11時を回った頃に倫也はリビングに降りて、コーヒーメーカーでコーヒーを豆からいれた。それをグラスに氷をたっぷりいれてアイスコーヒーにする。

リビングのテーブルで何も考えずに飲んでいると、恵も前のイスに座ってアイスコーヒーを飲んだ。

 

「お疲れ様」

 

と、倫也が労った。恵はうなずく。

 

「ねぇ、倫也くん。このメインヒロインはどうして主人公に好意をもっているんだっけ?」

「なんとなく・・・じゃなくて、チョコあげたら・・・プロポーズされたけど」

「それは・・・そういうシナリオってだけでしょ?」

「そうなの?」

「・・・そうだよ。さすがにチョコだけで落ちるようなチョロインは・・・(わたしぐらいじゃないかなー)」

「だよなぁ・・・」

「でね、惚れ直すようなエピソードがあってもいいと思うんだけど」

「惚れ直す?」

「うん」

「それってさ、すでに主人公に惚れてない?」

「だから、それは鈍感主人公だからメインヒロインがいつ主人公を好きになっているか気が付いてないだけなんじゃないかな」

「何か惚れられるようなエピソードあった?」

 

恵はちょっと考える。

 

「例えば、学校の先生と交渉して図書館にラノベ置いちゃうとか、学園祭でアニメ上映会を成功させちゃうとか・・・」

「それって、高校1年の?」

「そうだけど?」

 

倫也が固まる。まて。恵がおかしなことを言い始めた。

 

「それって、恵・・・。主人公が坂の上でメインヒロインに一目惚れする前にすでにメインヒロインが主人公を好きってことにならないか?」

「ダメなの?」

「いや・・・ダメではないけれど・・・」

「だからこそ、あの後の主人公の強引なメインヒロインになってくれという、わけのわからないことを受け入れたり、家に連れていかれて朝までゲームしたりするんじゃないかな?」

「それって、そのメインヒロインの子に主体性がないからじゃないの?」

「誰が?」

「恵が」

「えっと・・・、倫也くん、作っているゲームと現実がごっちゃになってない?」

「そっか。『叶 巡璃』の話だよな」

 

 叶巡璃(かのうめぐり)は倫也が作っているゲームのメインヒロインの名前。

 

「もちろんそうだよ?もしかして倫也くん、高校1年の時のイタイオタク行動をわたしが見て、倫也くんに好意をもつとでも思ったの?」

「だって、それ、さっき恵が言った話だよね?」

「わたしが言ったのは、巡璃の気持ちになって解釈しただけだよぉ」

「そっか・・・そうだよな」

「勘違いしないでよねっ!」

 

恵がちょっと顔を赤くしながら横を向いた。

 

「ツンデレ!?」

 

倫也が驚く。意表をつかれてしまった。まさかこんなタイミングで恵がツンデレをしてくるとは思いもしなかった。

 

「・・・ど・・・どうかな?」

「ん?」

「今のツンデレ」

「・・・いいんじゃね?」

 

倫也が照れて顔が赤くなる。

 

※※※

 

倫也の部屋に2人は移動する。テーブルにノートPCを並べて作業している。倫也はシナリオがなかなか進まないので気分転換にスクリプトを組んでいる。

 

「で、話を戻すけどさ、惚れ直すてことは、やっぱり下がっている状態からはじまるよな?」

「どうして?」

「マイナスになりかけているところをプラスにすることだろ?」

「プラスにプラスでもいいと思うけれど・・・」

「それはベタ惚れじゃないの?」

「・・・そうかなぁ」

 

惚れ直すイベントのイメージがどうやら2人で違うようだ。

 

「で、倫也くんならどんなイベントを考えるの?」

「ん~。まずは『転』が必要だと思うけれど、それでメインヒロインが凹むところを主人公が助けたら、主人公を惚れ直すかもしれない」

「それって、主人公に対するマイナスの印象って意味じゃなくて、メインヒロインの気持ちがマイナスってこと?」

「うん。だから、イベント的には相合傘なんかもそうだけど、ヒロインが弱っているところを助けるのがいいんだよ」

「ワンパターンな気がするけど」

「テンプレは大事だ」

「うーん。そうかもねー」

 

恵はとりあえず倫也の惚れ直すイメージを理解した。別に間違ったことは言っていないと思う。確かに気持ちが落ち込んでいる時にプラスにしてくれれば惚れ直すかもしれない。

 

「で、恵の理想とする『惚れ直す』ってどういうの?」

「やっぱり、勇敢なエピソードかな」

「例えば?」

「例えば・・・主人公とお化け屋敷にいったら、主人公だけヒロインを置いて走って逃げていくの」

「ダメじゃん」

「うん。そこで幻滅しかけているんだけど、不良に絡まれるときに体を張って助けた・・・みたいな」

「うわぁベタ!ベタすぎだよ!恵」

「・・・だって、テンプレは大事なんでしょ・・・」

「そうだけど、その話は問題が2つあるぞ?」

「そうかなー」

「だって、その不良に絡まれるっていうのは『転』になってるよな」

「あっ」

「それから、暴力描写はどうしても知的なイメージとはかけ離れてしまう。結局腕力で解決かよ・・・みたいな」

「うーん。そっか。ああ・・・だからか」

「何が?」

 

恵は躊躇する。

倫也のいい所は、詩羽や英梨々のピンチに駆けつけ、マルズと交渉して延長を勝ち取ったところだ(この時間軸より未来に起こることだけど)。こういう情熱が恵は好きだった、それは高校1年のエピソードとも共通している。まっすぐな倫也が好き。

 

「ううん・・・なんでもない」

 

恵は勝手に惚れて、勝手に嫉妬する。

自分でもどうしようもない。

 

※※※

 

 少し遅いランチを食べたあと、恵は洗濯ものを取り込んだ。そこでやっと自分のワンピースを着ることができた。部屋着は洗濯カゴにいれておく。

 

 それから2人はゲーム作りをする。倫也はデスクに座って頭を抱えながらもメインヒロインルートのエピソードを書いていた。恵はサブヒロインルートをスクリプトに組み込んでいく。

 

 夕方5時過ぎ。まだ外は青空で明るいが3時間ほど作業に没頭していた。

 

「う~ん」

 

恵が座ったまま手を上にあげて体を伸ばす。

 

「あっ」

 

その時、ノートPCの画面が真っ暗になったあと、一面水色になり、白い英文が浮かび上がる。

 

「ねぇ、倫也くん・・・これ・・・なんだろ?」

「どうした?」

 

倫也がデスクから降りる、一度背伸びをして体をほぐす。

恵の隣に座ってノートPCを覗き込むと、再セットアップの画面になっている。

 

「何かいじった?」

「いや・・・何もしてないと思うけど」

「なんだろ・・・一度戻して・・・」

 

倫也がキャンセルを押してWindowsを立ち上げる。通常の再起動ができずにエラーがでる。

 

「一応きいておくけど・・・最後にクラウドにセーブしたのいつだ?」

「今日はしてないよ。その日の作業の最後にはクラウド保存しているけど・・・でも、こまめなセーブはしたよ?」

「ふむ。残念だったな」

「えっ・・・」

「これ、もう駄目だ」

「どういうこと?」

「寿命だな。ハードの一部が読み込めなくなっているんだと思う」

「で・・・?」

「まぁ・・・今日の恵の入力はなかったってことで・・・」

「ちょっとまってよ!」

「いやいや、怒られても」

「だからさー、『転』はいらないってばっ!」

「いやいや、壊れただけだからね!?」

「・・・」

 

恵がじぃーと目を細めて倫也を見る。

 

「とりあえず、確認しよう」

 

倫也が自分のノートPCを持ってくる。それからクラウド上のファイルを開く。

 

「どう?どれくらい前?」

「えっと・・・」

 

恵がプリントアウトしたシナリオを10ページ以上も遡っていく。

このシナリオは修正後の完成原稿で、そこに恵が手書きの赤文字で背景、表情差分、演出効果などを書き込んだものだ。これに従ってプログラムを入力している。

 

「よし。惚れ直させてやる」

「あの・・・」

 

倫也がプログラムを立ち上げ、スクリプトコードを入力していく、それも本気のタイピングでかなり早い。恵の指示書は明快で見やすい。タイピングする音がリズミカルで心地よかった。恵は手元と画面を交互にみて驚く。元々早いのは知っていたが、ここまで画面にコードが書き込まれていくのを見ていると、何か映画のワンシーンをみている気分になる。

 

・・・10分程度で入力作業が追いついた。

 

「とりあえず、恵の指示書通りに入力しただけから、あとでチェックしてくれ」

「あの・・・倫也くん。これってわたしが3時間かけて入力したことを、10分で終わらせたってこと?」

「ああ。そうだけど?」

「・・・すごいね」

「どうだ」

「うん・・・」

 

正直すごいと思う。でも、ひどい劣等感ももってしまう。わたしの3時間はいったいなんだったのだ。

 

「だったら、わたしみたいな人いらないんじゃないの?」

「どうした?」

「だって、こんなに早いんじゃ・・・」

「うーん。前もいったような気がするけどさ・・・これって、恵の指示書の段階でほとんど完成しているんだよ。作曲家と演奏家の関係みたいなものだから」

「そうかもしれないけど」

「プログラムはさ、時間がかかろうが、かかるまいが、外注しようが、誰が入力しようが同じだろ?」

「うん」

「でも、恵の指示書は恵にしか書けない」

「うーん」

「クリエイターの仕事は前者であって、後者ではないよ。もちろん優秀なプログラマーはいるけどさ」

「それって、慰めているつもり?」

 

恵が倫也を見る。恵はちょっとむくれている。

 

「そういうつもりはなかったけど・・・あれ・・・惚れ直さない?」

「えっとね、惚れ直すも何も、別に倫也くんのことを惚れているわけではないし」

「・・・ふむ」

「それに、やっぱり壊れて作業が無駄になったのは事実なんじゃないかなぁ?」

「演奏だと思ったら?」

「演奏?」

「うん。誰もが最初から早く正確に入力できるわけじゃないだろ?恵は3時間スクリプトコードの入力の練習をした。だから次はもっと早くなる」

「なんかはぐらかされている気がするんだけどなぁ」

 

恵はため息をつく。

 

「で、倫也くん。ノートPCどうしよう?」

「買うしかないだろうなぁ・・・もう英梨々のところも旧型ないだろうし」

「そっか」

「恵、明日、一緒に買いに行く?」

「明日?」

「あれ、何か予定ある?」

「倫也くん・・・覚えてないの・・・?」

「えっ?」

 

 明日の土曜日は恵がお泊りに来る日で、一回は拒否した『いちゃいちゃするに決まってるだろtake2』シナリオ作成予定だった。

 

「ねぇ、パソコン買いにいくとしたらどこに行くの?」

「そりゃあ、アキバでしょ?」

「ついでに、オタクショップとか見る?」

「アキバまで行って、オタクショップみないわけないでしょ!?」

「だよねぇ・・・・(いちゃいちゃは?)」

恵は体をもぞもぞと動かしている。

「えっ、恵は行きたくないの?」

「えっと・・・パソコンショップもオタクショップも別にどーでもいいというか・・・(大事なのは、いちゃいちゃするかしないかだよね?)」

「困ったなぁ・・・」

「何が困るの?(いちゃいちゃできないこと?)」

「恵用に使いやすいのを選びたいし、キーボードのいいものを使うとだいぶ違うしな」

「へぇー。ほんと、パソコンには詳しいよね。(いちゃいちゃを忘れるぐらい大事なんだね)」

「あれ、なんかまた怒ってる?」

 

恵の目からハイライトが消えて、黒い瞳で倫也を見つめている。

 

「鈍感というか、いい加減というか、口からでまかせというか、人の心がわかってないというか・・・」

「あれ、恵。それってもしかして明日予定のシナリオプロットのこと言ってる?」

「・・・」

 

恵が下を向いて顔が真っ赤になる。コクリと頷く。いちゃいちゃしたいなんて言えない。

 

「それなら、アキバにいってもいかなくても変わらないぞ?」

「えっと、なんで?」

「導入が変わるだけで、家でいちゃいちゃする物語だからなっ!」

 

 

 

「だよねー・・・・」

 

 

 

恵があきれた顔をしたつもりで、すげぇニヤニヤしている。

 

(了)

 



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いちゃいちゃするに決まっているだろ take2

さてはプロのお邪魔虫だな


 

 

 

8月7日 土曜日 夏休み17日目。

 

朝から恵は悩ましかった。今日は土曜日でお泊りする日だ。

着替えは倫也の家に用意したとはいえ、小分けしたコスメセットをはじめ、いつもよりは荷物がかさばる。

これからアキバに倫也とノートPCを買いに行くことを考えると荷物をあまり重たくはしたくない、きっとアキバの街をたくさん歩くに違いないからだ。

さらに悩ましいことに、衣装の問題もある。

デートイベントなら白地にピンクのサマーカーディガンを合わせて、メインヒロインを意識していればいいと思ったが、木、金と二日間着ている。さすがに今日も着るのは避けたい。

だいたいノートPCの壊れるタイミングが悪い。あまり考えていないシナリオ構成のせいだ。

そういうわけで、昨日の夜から本日の衣装を考えなければならず・・・決められずにいた。

 

(ピンクのワンピースにするか・・・、でもアキバだしなぁ・・・スニーカーで歩きやすい方がいいだろうし、そしたらスラックスの方がいいかなぁ)

 

手にチノパンのワイドパンツを取る。色は明るい茶色だ。これにロゴ入りの白いTシャツを合わせる。これに白い帽子を合わせれば、まぁ大丈夫そうだ。あとは髪型。結わないとちょっと重たい。いぜん出海がいったように少しカラーしておけば、こういう服装にも合うだろうけど・・・。仕方がないのでサイドポニーテールにする。

 

鏡の前でポーズをとる。うん。と、自分でうなずいた。

 

それからLINEで倫也の家に寄って行くことを報告する。荷物を減らしたい。

 

※※※

 

倫也の家で一緒に昼食を取り、それからアキバに向かった。

倫也の案内で最初はヨドバシで最新モデルをみる。性能は気にせずに見た目とタイピングのしやすさを確認し、それからアキバの街のPCショップを巡った。

倫也はゲーミングPCの話題で店員と盛り上がっている。

恵も高価なキーボードを試して、使い心地の良さを知り欲しくなった。ノートPCに外付けできるが・・・かさばるので悩ましい。

購入するPCが決まると、すぐには買わずにそれからアキバの街を倫也と散策する。何しろオタクショップが並んでいる。倫也が一つ一つの店の特徴を説明したり、中のアニメ作品を語ったり、フィギュアを眺めては購入に迷ったりしていた。恵はある程度まで話を聞いていたがどれも同じような作品に見える。何が違うのかだんだんわからなくなる。

 

「あと、どれくらい店を周るつもり?」

「まだ駅前だけじゃん?」

「もう少し違う感じの店はないの?」

「それなら・・・」

 

と、倫也が少し歩いて武器屋に連れていく。ファンジー世界のようで恵は驚いた。さすがアキバだ。武器屋があるとは思いもしなかった。

すぐ近くのミスドで休憩をはさみ、ガチャポンのたくさん並んでいる店にいく。確かにさっきまでのオタクの店とは毛色が違くて面白い。いくつかのガチャガチャをついつい回してしまう。このくだらない海洋深海生物をどうしたらいいのか、いざ手にしてみると悩ましい。

 

「ねぇ倫也くん。わかっていたことなんだけど・・・もしかして一日いても飽きない?」

「当然でしょ!?住みたいぐらい」

「だよねぇ・・・」

 

アキバの街について3時間を超える。途中、休憩しているとはいえ、恵は疲れてきていた。

 

「そうだな、裏通りの雑居ビルのテナントをいくつか見たら、PC買って帰るか」

「うん」

 

雑居ビルに入っているオタクショップも似たり寄ったりな気がする。ただ、新品を扱っている店と中古を扱っている店があることがだんだんと分かってきた。

倫也の家にあったゲームキャラが商品化されたものをみると、なんだか親しみを感じる。男性キャラクターも多く、見た目から性格がなんとなくわかる。

この手の作品が好きになると腐女子と呼ばれることも知っている。英梨々や出海にきけばおすすめを教えてくれそうだ。

倫也が店を巡っている間も、恵はなんとか時間をつぶせるようになってきていた。

 

※※※

 

帰りの電車に並んで座っている。恵は少しぐったりして倫也にもたれかかっている。

 

「こうやって・・・彼氏色に染まっていくんだね」

「・・・彼氏色?」

「あんまり気にしないで、鈍感主人公くん」

「はははっ、でもさ、俺らの作るゲームの客層が作った街だと考えたら、無視することもできないだろ。学べることはいっぱいあったと思うけど」

「せっかくコツコツと覚えた英単語が抜けていっただけだと思う・・・」

「ひねてるねぇ・・・楽しくなかった?」

「そんなことない・・・ちょっと・・・倫也くん」

「ん・・・?」

「少し休ませて」

 

恵が倫也にもたれかかったまま目を閉じた。デートの前日は上手く寝付けない。

 

※※※

 

5時を過ぎた頃に倫也の家に到着した。玄関の鍵が開いている。中には靴があり美智留がいることがわかる。

 

「ただいまー」「ただいまっ・・・」

 

2人が玄関で靴を脱ぎ、リビングに行くと冷房がきいている部屋に美智留がいた。

 

「よっ。トモ。加藤ちゃん」

 

ソファーの上にあぐらをかいたまま振り向いて手をあげる。

 

「どうした?」

「いやー、まーた親父とケンカしちゃって。今日は泊まっていくから!」

「・・・おうぅ」

「そうそう、加藤ちゃん。冷蔵庫に食材買ってきたんだけど、豚の生姜焼き作れるかな?」

「ん?」

 

恵が荷物を置きながらソファーに座る。

倫也も荷物を脇においてから、キッチンで麦茶をグラスにいれて、1つを恵に渡し、隣に座った。

 

「豚のスライス買ってきたから、あとで作ってよ。加藤ちゃんの料理おいしいし」

「うん」

「美智留。俺らでかけてて疲れているから出前とかじゃダメか?」

「別にいいけど」

「いいよ、倫也くん。せっかくだし何か作るよ」

「そう?」

「で、2人はどこに行ってきたのさー?」

 

美智留はマイペースに会話を進める。

 

恵はよいしょと立ち上がって、冷蔵庫を確認する。いろいろと食材を買い込んできてくれたようだ。お米を水につけ、晩御飯の準備を始める。ふぅーと息を吐く。なんだか今日は忙しい。

 

倫也は一段落すると部屋に戻って、新しいPCのセットアップをする。恵が使っていたものと同じようにアプリをダウンロードし、不要なファイルは消す。ウイルス対策ソフトをインストールし、クラウドへのショートカットも作る。

制作中のゲームを保存し、スクリプトのアプリも起動して動作を確認した。

これでだいたい元通りだ。

 

それから下に降りると、美智留もキッチンで手伝っている。女の子2人がキッチンにいると華やかである。

 

「何か手伝おうか?」

 

倫也が声をかけたが、恵は「座っていて」という。美智留もいてキッチンが狭い。

 

※※※

 

3人で食事を始める。

美智留がよくしゃべる。父親と喧嘩したくだらない理由をぷんぷんと怒りながら説明する。その都度、ぼそぼそと恵がつっこんでいる。倫也は2人のやり取りを聞いていた。

 

「えっ?美智留さん泊まっていくの?」

「うん。だって帰りにくいし・・・」

「そう・・・だってさ、倫也くん」

 

恵が倫也を睨む。

 

「だってさー、加藤ちゃん。あたしだって別に2人の邪魔をしたいわけじゃないんだよ?でもさー」

 

美智留がどこからともなく、レポート用紙を机の上に、バンッ!と置いた。

これは『いちゃいちゃするに決まってるんだろ take2』のボツ原稿の山だ。

 

「あたしがいないと、2人が一線超えちゃうじゃん!」

 

恵の顔が赤くなり、下をむく。

倫也は努めて冷静に御飯を一口食べた。

 

「自制心をもって、キス未満のいちゃいちゃを表現するのは、もう好きにしてくれとあたしは思うけれど・・・自制心がきかないなら、抑止力が必要でしょ?」

「・・・だってさ、倫也くん」

「・・・そうだな・・・」

 

美智留は豚の生姜焼きをもぐもぐと食べている。

 

「おいしいよ。加藤ちゃん」

「・・・ありがと」

 

恵はそのあと無言で黙々と食べた。

 

※※※

 

恵が箪笥の前で迷っている。

今日は買ってきたピンクのネグリジェを着る予定だった。それで『いちゃいちゃ2』のシナリオを作成するはずだった・・・

が、美智留による抑止力がある以上はできそうもない。三つ目の部屋着を持ってバスルームに向かった。

 

倫也の部屋で倫也と美智留が話をしている。

 

「でもさー、ほんとにこのままでいいのー?」

「ああ・・・別に問題ない」

「自制心もたないんじゃないの?」

「・・・そうだな」

「で、どうすんの?あたしだって毎日2人の邪魔するためだけにいるのなんて嫌だよ?」

「・・・そうだな」

「出海ちゃんには酷な役だと思うよー」

「・・・そうだな」

「トモ、さっきからそうだなしか、言ってないぞ」

「仕方ないよね!?どうすればいいの?もう物語はじまちゃったし、18話まで作ってしまったんだよ?」

「でもさ、澤村ちゃんとの物語はもっと作ってたじゃん・・・」

「わっ!わっ!それは言わないで・・・」

「かわいそー」

「・・・」

「まっ、澤村ちゃんのことは置いといてもさ。この物語の設定に無理があると思うけどなー」

「だよな」

「だいたい高校生が毎日遊びに来ていて、時には泊まっているのに、『何もない』なんてあるかなー」

「そこが、倫理君って呼ばれる理由だからっ!」

「そうだ。いっそうのこと、トモがすっきりしてしまったらどうだろう?」

「すっきり?」

「あたしとHしちゃえばいいんだよ。そしたら加藤ちゃんに変な気を起こさなくなるんじゃないの?」

「それ、本末転倒だから!」

 

部屋の扉がガチャリと開いた。

禍々しい黒いオーラを纏った、風呂上りの恵が立っている。目は漆黒で2人を見下ろしていた。

 

「よっ、加藤ちゃん」

 

美智留は明るく声をかける。

 

「あの・・・美智留さん?今、変な提案しなかった?」

「冗談だよ冗談。ちゃんと加藤ちゃんとトモが理性を総動員させて物語を完結させれば、あたしの出る幕はないんだから」

「そう」

 

恵が冷たく言う。

 

「さて、あたしもシャワー浴びてこようっと」

 

美智留が立ちあがって、部屋から出ていった。

 

恵がバスタオルで頭を拭きながら、ベッドに座る。まだ機嫌が悪い。

 

「その服も似合ってるよ」

 

倫也が声をかける。新しいルームウェアだ。

 

黒の上下のルームウェアは黄色のラインが縦にはいったワイドタイプのスラックスと、半袖のシャツで白文字のロゴが入っている。近所をランニングしてもおかしくないようなスポーティーなイメージのもので動きやすそうに見える。

 

恵は褒められても不機嫌に倫也を見ている。

 

「えっと・・・PCセットアップしたから、見てくれる?」

 

倫也がノートPCを立ち上げる。

恵はベッドの上から見ていて、返事をしない。

倫也が一生懸命、説明する。画面上は以前のノートPCと変わらないように見えた。

 

「どう、何か質問ある?」

「うん」

「なに?」

「今日、いちゃいちゃするの?」

「えっ・・・」

「ごめん。他にすべき質問がわからなかったんだけど」

 

倫也が答えられずにいると、恵は髪を乾かしに部屋からでていった。

 

※※※

 

夜なので美智留はギターを弾けないから、鼻歌を歌っている。倫也のサブヒロインのシナリオを読みながら、わからないことを質問したり、感情について議論したりする。

ゲームミュージックの制作に関していえば、美智留はとても真面目だった。

サブヒロイン用のイメージソングの歌詞なども手掛ける。女の子の気持ちなので恵にも質問をする。恵は機嫌が悪かったが少しずつ機嫌を取り戻して、美智留との意見をかわした。

 

そして、11時を過ぎ、恵が大きなあくびを一つした。今日は疲れたのだ。

 

「そろそろ寝よー。トモ」

「そうだな」

「加藤ちゃん、一緒に寝よ」

「ええっ・・・」

 

※※※

 

倫也がテーブルを横にどかし、そこに布団を敷いた。

親が不在なので、親の部屋で倫也が寝るのが自然な気がするが、そこはあまり考えてはいけない。

 

美智留と恵がベッドを半分こする。倫也が下の布団で横になった。「おやすみ」といって消灯する。

 

寝にくいと思いながらも、恵は疲れていたので目を閉じるとやがて眠ってしまった。美智留も寝付きがよく問題ない。倫也だけが少し天井を見つめながら悶々として寝付けずにいたが目を閉じるとやがて夢の中へと入っていった。

 

※※※

 

午前2時。

 

「ぐえっ」

 

という、およそメインヒロインらしからぬ声を恵が上げた。

隣にいるおそろしく寝相の悪い美智留の足がもろに恵のみぞおちに一撃を加えた。

 

「・・・」

 

恵は座った目のまま上半身を起こし、美智留の足を横にどけた。ほぼ真横になった状態で寝ていて、最初に2人が並んで寝ていたとは思えないような寝相だった。

 

腹をさすりながら恵はベッドに腰を掛けるように座った。足元には寝相のいい倫也がすやすやと無防備な表情で眠っている。

倫也の左側にスペースがあったので、恵はそこに横になって再び眠りについた。

 

※※※

 

午前3時過ぎ。

 

倫也は甘い夢を見ていた。相手の女性が誰であったかはあえて書かない。若者らしい夢を見て、そして目が覚めた。

倫也ははっきりと目が覚め、自分の股間を確認する。

 

(やっちまった)

 

溜め息をついて、上半身を起こすと、ブランケットが持ち上がらない。隣を見ると恵がブランケットに包まって寝息を立てている。

 

「わっ!?」

 

思わず声が出るのを、辛うじて小さな声で押しとどめる。

それから、起き上がってトイレに行き、洗面所でトランクスを洗って洗濯機に放り込み、新しい下着に着替えた。情けなくて溜め息がでた。

キッチンで水を飲み、このままリビングのソファーで寝るかどうか迷ったが、部屋へと戻る。

 

ベッドの上では恐ろしい寝相で美智留が寝ている。恵が倫也の方へ降りてきた理由も見ればわかる。美智留はどういうわけかシャツを脱ぎ、下着姿のままだ。倫也はそれを眺めるが特に変な気は起きなかった。胸の形は素晴らしいなと賢者のような感想を抱いた。

 

(まっ、夢をみたばかりだしな・・・)

 

恵が左の方で横を向いて眠っているので、倫也は空いているところに体を横にして、恵の寝相を眺める。

 

すやすやと小さな寝息を立てている。

 

目元のまつげが長い。ブランケットは腰から下にしかかぶっておらず、黒いシャツに恵の胸の形がはっきりとわかる。薄暗い部屋で倫也が恵の胸をじっとみている。

 

(ノーブラかよ!)

 

と、ついに気が付いてしまう。胸のふくらみのところに、小さなぼっちが浮かびあがっている。

倫也は自分の右手を左手で抑える。これぞ中二病。悪さをしようとする右手を理性の左手で抑える。理性をフル動員する。がんばれ倫理と自分で応援する。

 

(が、自然の摂理には逆らえぬ。これもまた天の理よのぉ・・・)

 

何やら怪しいキャラがやどって、恵の胸に触れようとする。手が震える。

 

気が付くと恵が片目を開けて倫也を見ている。

 

(あのぉ・・・これは・・・)

 

倫也が未遂で終わってほっとする。起きているとは思わなかった。

 

 

 

(いいよっ)

 

 

 

かすれた声で恵が言った。それから目を閉じる。もしかして夢を見ていて、まだ恵は眠っているのかもしれない。

 

倫也が、そっと右手を恵の右胸の上に置く。柔らかい感触が手に伝わり、少しだけ堅さの違う部分が倫也の手の平の一部に当たった。

それから掴もうとしたところで、恵の左手が倫也の右手首を握って、無言で外した。

 

恵の香りが部屋中に広がっているような気がする。倫也は理性を失いかけていた。

恵のおでこにキスをしようとしたところで、

 

「ぐごぉー」

 

という、わざとらしいいびきがベッドの上から聴こえた。

美智留がいる理由がわかる。そうでないとまたボツ原稿がひとつ増える。

 

(了)

 

 



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それ なんていうプレイ?

倫也もいろいろ大変だよな・・・


8月8日 日曜日 夏休み18日目。

 

朝、倫也は布団の上に体を横たえたまま、右手を上にあげて眺めている。手を閉じたり開いたりして動かす。手に残った感触の柔らかさを思い出すが、それが確かなものだったのか、夢をみていたのかはわからない。まだ微睡みの中にいて、その心地いい感触に浸っていた。

 

音がする。恵も美智留ももう起きていて、朝の準備をしているのか下の方で騒がしい。その内に倫也を起こしに来るだろう。そしたら倫也は何もなかったかのように振る舞って、いつものように起きるだけだ。

 

しばらくすると、階段を上がってくる足音がする。強い足音なのでそれが美智留だとわかる。

 

「トモ。起きろー」

「ああ、起きてる」

「体が起きないと起きてるって言わない」

「そう・・・だな」

 

倫也が立ち上がる。

 

「ほら、ついでに敷布団ももって、外に干すよ」

「ああ」

 

気のない返事をして、倫也が布団を抱える。美智留はブランケットを手にもった。

 

階段を降りてリビングをのぞくと恵がいる。

 

「おはよ」

 

と、優しい澄んだ声でいう。笑顔はない。いつものフラットな恵だ。

 

「おはよう」と倫也も返す。

 

それから、布団を干して、顔を洗って、歯を磨いて、着替えて、リビングのテーブルに座ると朝食がでてくる。朝食といっても朝の9時を過ぎている。ハムサンドとタマゴサンド。それからミニサラダ。アイスカフェオレ。

 

倫也が黙々とそれを詰め込む。

 

恵は黒のルームウェアはなんだか部活少女のようにも見える。キッチンでランチの下準備もしているようだ。

 

倫也は大きなあくびを一つする。日曜日のまったりとした朝だ。やはり夏休みでも日曜日は日曜日で少しゆったりした気分になる。

 

ソファーにあぐらかいて美智留はスマホをいじっている。

 

作業を一段落した恵は切り出した野菜を冷蔵庫にしまい、コーヒーを片手に倫也の前に座った。

 

「どう、よく眠れた?」

「そうだな。おかげさまで」

 

倫也はサンドイッチを口にいれながら答える。

 

「でもさ、なんだかずっと夢を見ていたような感じがする」

「夢?それって眠りが浅かったんじゃないの?」

「どうかな・・・恵、おまえ・・・俺の隣で寝ていた?」

「どうして?」

「なんか、そんな気がしたんだけど」

「気のせいじゃないの?だって、わたしは美智留さんとベッドで寝ていたわけだし」

「だよなー」

 

倫也がサラダをパリパリと食べ、アイスカフェオレを飲む。

 

「何かあったの?」

「いや・・・」

 

倫也が少し顔を赤くして目線をそらせる。

 

「えっちな夢でも見てたんじゃないの?」

「そうだけど、それとは関係ないから!」

「朝から、ハイテンションだね」

 

恵がくすくすと笑っている。

倫也は食事を終えて、皿をキッチンにもっていって洗った。

 

美智留がスマホをテーブルに置く。

 

「トモ、食事終わった?」

「うん?終わったけど」

「じゃあ、加藤ちゃんと2人の寸劇も終わった?」

「一応・・・」

「なかったことにしようとしてたよね?」

「なんのこと?」

 

美智留がソファーの上に立ちあがって、2人を指さした。

 

「夢?ほう?一応、あたしの手に負えないようなら、センパイと澤村ちゃんも呼ぶけど・・・とりあえず、あたしの手の内でおさめたいかな」

 

「・・・なんのことかなぁー」恵も反応する。

 

「しらばっくれるというなら、それはそれでいいけれど、素直に認めてお説教をくらうというのも懸命かもしれないよー。ね?加藤ちゃん」

 

恵の目が泳ぐ。倫也も冷や汗をかく。

 

「2人とも、そこに正座して座りなさい」

 

 

 

※※※

 

 

 

美智留はソファーの上で正座している。倫也と恵はフローリングの上に並んで正座している。

 

「さてと・・・トモ。この物語は何の同人だっけ?」

「えっと・・・『冴えカノ』です」

「じゃあ、加藤ちゃん。冴えカノで2人がもっとも親密にした行為はなんだったっけ?」

「ええっ・・・そんなの恥ずかしいよぉー」

「かまととぶるんじゃない!」

「美智留怒ってるのか?」

「あきれてるんだよー。はいはい、加藤ちゃん答えて答えて」

「キスかな?」

「かな?」

「キス・・・です」

「で、この物語の主旨はなんだっけ?トモ」

「うーん。キス未満でいちゃいちゃを表現することかな」

「はい、よくできましたー。で、2人は昨日の夜・・・というか今朝になるのか・・・なにをしていた?」

 

美智留は腕を組んでいる。正直、役どころとしてあまりあっていないなと思っている。

 

「寝てたよねー?倫也くん」

「・・・恵、しらを切るのはたぶん無理だ」

「なんのことかなー」

「加藤ちゃん?あたしも、起きていたんだけど?」

「・・・」

「トモ?さて、何があったかいってごらん」

「えっと・・・横に恵が寝ていました」

「寝ていて?で?」

「胸を触りました・・・」

 

恵が顔を真っ赤にして下を向いている。

 

「それ・・・変な夢でもみてたんじゃないかなぁ・・・」

 

あくまでも恵はシラをきる。

 

「そう?加藤ちゃん、素直な方がいいと思うよー?」

「ほっといてくれないかな」

「ほっていたら、ヤっちゃうからあたしがいるんでしょーが!」

「・・・」

「ほら、トモに何をさせたか言ってごらん?」

「・・・胸を・・・」

「胸を・・・?」

「ごめんなさい」

「ふむ」

 

美智留は一度溜め息をつく。

 

「いい?節度と自制心をもって、イチャイチャする物語だから、あたしも波島ちゃんも協力しているし、センパイも見て見ぬふりをしているんでしょ。それをこういう風に一線を越えようとしたら、もうダメでしょ?」

「別に、一線超えてないよね?倫也くん」

「・・・そうだな」

「それ、あたしが咳をして止めたからでしょうーが!」

「・・・」

 

美智留が足を下におろす。手を膝に当てて2人に近寄る。

 

「いい?ボディータッチはダメ。わかった?」

「はい」

 

倫也が素直にうなずく。

 

「加藤ちゃんは?」

「わかんない」

「えっ?」

「そんなの、ぜんぜんわかんない」

 

頬は紅く染まっている。

 

「だって、美智留さんだって、いつも倫也くんに胸を押し付けてるもん」

「・・・それは、従姉妹のあたしだからでしょうーが?」

「でも、その度にわたしは傷つく」

「あたしのは、子供の頃からの愛情表現だから」

「そんなの関係ない。わたし以上に倫也くんとベタベタしているのは事実でしょ」

「そうだけど・・・」

「わたしはそれを、大型犬が懐いているんだなぁーと思ってみていたけど、やっぱりずるいって思う」

「今、さりげなくひどいこといったよねぇ!?」

「倫也くんは黙ってて」

「・・・はい」

 

倫也は足がしびれたのでさりげなく立ち上がって、キッチンに逃げる。

恵は正座したままだ。が、ソファー上にいる美智留の立場が上のようには見えない。

 

「いい?美智留さん。確かに昨日はやりすぎたかもしれない。キス以上の行為なのかもしれない。でも、2人の間では夢ということで決着がついている。甘い夢だよ。幻想。わかってもらえないかな?」

「それ、正当化していない?」

「何を?」

「倫也に恵の胸を触らせたことを」

 

恵が顔を赤らめて怯む。ちょっと分が悪い。

 

「それに、『転』のない物語のはずなのに、こうして美智留さんと喧嘩のようになってる。底抜けの明るい話にならなくなってる」

「だから、それは2人がいちゃいちゃしすぎだからでしょうーが?」

「そんなことない。ちゃんと節度をもっているもん。昨日だって、美智留さんが止めなくてもあれ以上は発展しない」

「そんなのわからないじゃん」

「邪魔するの?」

 

恵が睨む。目にはハイライトが消えている。

 

「ストープ。はいはい、そこまでー」

 

倫也が仲裁に入る。ちょっとエスカレートしすぎている。

 

「トモ。このままで大丈夫なの?」

「ああ、問題ない!」

「ずいぶん自信ありそうだけど・・・30日まで我慢して劇場版につなげられる?」

「当然だ」

「・・・トモにしてはずいぶん自信ありげだなー」

 

「ああ。お前は加藤恵を何もわかっちゃいない。いいか、こいつがさせないって言ったら、絶対にさせないんだぞ?俺が倫理君?はぁー?何っていってんの。頭カチコチなのは恵でしょ。俺はR18なんか知るかっ!」

倫也が肩で息をする。

 

「落ち着け・・・トモ」

 

「だいたいな。お前も止めるの速すぎるんだよ。もうちょい様子を見ろよ。そしたら俺の右手のゴールデンフィンガーが恵の乳首を・・・ごふぅ!」

 

恵が倫也に強烈なボディーブローを決めて沈める。南無。

 

「と、いうわけだから、大丈夫だよ。美智留さん」

 

恵がにっこり微笑む。

 

「そ・・・そう・・・?なら・・・もういいけど」

「わかってもらえて、よかった」

 

恵が感情のかけらもないトーンで言った。

 

「ねぇ加藤ちゃん。それ・・なんていうプレイスタイルなの?」

 

恵が指を口元に当て、天井をみながら考える。

 

 

 

「えっと・・・一ヵ月おあずけプレイ?」

 

 

 

「く~ん」と寂しそうに倫也が呟く。

 

 

 

(了)

 

 

 

 

 



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美智留と焼肉食べたら おしかったです(小並感)

甲斐甲斐しく世話焼き女房を書いたら、お母ちゃんっぽくなってくる。


第20話 美智留パート 小並感を理解する恵

 

8月9日 月曜日 夏休み19日目。

 

トイレから出てきた恵は心痛な表情で下腹部を抑えている。別に重い方ではないが、やはりこれから3日ぐらいはあまり動きたくはない。いろいろと煩わしく、倫也の家にいって気を使う気がしない。

昼前に倫也にLINEを使って連絡をする。

 

>今日は体調がすぐれないのでお休みします

<「ほい。無理しないでな」

>「昼食は冷蔵庫に作ってあるので レンジでチンしてください」

<「わかった。適当にやる」

>「ねぇ、今日のシナリオの『小並感』って何?」

<「ああ、小学生並の感想って意味らしいぞ」

>「ふーん・・・それがオチなんでしょ?わたしいなくて平気?」

<「心配するな。美智留と適当にやるから」

>「うん・・・」

<「また後で連絡する」

 

LINEだと、言葉が短く冷たい印象を受ける。スタンプでも押せばいいのだろうけど、ちょっと恥ずかしい。この必要最低限の連絡が自分らしいと思っている。いなくても平気というのはなんだか寂しい気もするが。

 

恵はデスクに座り、受験用の参考書を開く。まったく集中できないし、勉強が捗る気がしない。退屈そうに頬杖をつく。1ヵ月いちゃいちゃしようとすれば、こういう日があるのも当然で、いつも暢気に明るく振る舞えるわけではない。

 

※※※

 

倫也は返信を済ませると、冷蔵庫を確認した。

チキンピラフが2人前皿に盛り付けてありラップがしてあった。倫也と美智留の分だ。

 

「子供じゃないんだけど・・・」

 

倫也は笑ってしまう。お昼ぐらいは自分でなんとかできる。作りはしないけど。

2階に上がって、ベッドの上でギターを持っている美智留に声をかける。

 

「美智留パートだってさ」

「突然なんだよなー」

「わかってても準備しないだろ?」

「だって、シナリオなんてよくわかないんじゃん」

「で、どうする?」

「んー」

 

美智留がギターをジャン!と鳴らしてからベッドから降りる。

 

「美智留の過したいように過ごせばいいさ」

「じゃあ、焼肉」

「ああ、そっか・・・そんな約束したっけな」

「うん。伏線回収にもなるでしょ?」

「ただの食い意地じゃね?」

 

倫也が財布をデスクから出して中身を確認し、ズボンのポケットに押し込んだ。

 

「いくか」

「ランチでいくの?」

「恵がチキンピラフ作ってくれていたけれど、どうする?」

「いや、行くよ。機会を失うといつになるかわからないし」

 

※※※

 

倫也と美智留が焼肉屋に着く。高級ではないが中堅どころの焼肉屋。格安チェーン店のように形成肉などは扱っていない。

店内は綺麗で広々としている。

 

「いい店だなー」

「いいだろ?」

「予算が降りた?」

「そんなにすぐに正解を導き出すなよ!」

「だって、トモがポケットマネーでこんな店に連れてきてくれるわけないじゃん?」

「・・・」

「でも、加藤ちゃんもよく許可したね?」

「体調不良とはいえ、こういう休憩回はさむことになったからじゃないか?」

「何もかも加藤ちゃんが背負うこともないのに」

「・・・そういう責任感が強いところも恵なんだよ」

「まっ、いいけどさ」

 

 店員がオーダーを聞きに来る。

 

「上タン、上ミノ、上カルビ、上ロース、全部2人前で」

「よく食うなぁ・・・」

「あれ、上禁止っていうんじゃないの?」

「いや、好きなのを喰えよ・・・」

「じゃあ、遠慮なく。あとライス大盛2つもください」

 

店員が下がっていく。ドリンクはウーロン茶だ。

 

「でも、シナリオを休むなんて、よほどなんじゃないの?」

「どうだろ。反省もしているんじゃないか?」

「反省?」

「昨日、美智留にさんざんお説教を受けただろう」

「ああ、そっかぁ・・・でも、大丈夫なんでしょ?」

「どうかな・・・」

「自信ないんじゃん・・・」

「やっぱりさ、設定に無理がないか?」

「ん?」

「年頃の男女が一つ屋根の下で過ごすとか」

「原作アニメがそうなんだから、そこは考えても仕方なさそうだけど」

「そうだけどな・・・」

 

※※※

 

網の上に肉が焼かれている。良質の肉の焼き加減は片面だけを軽く焼き、表面に肉汁が浮き出てきたら軽くひっくり返してあぶればOKだ。焼きすぎると旨くなくなる。

美智留がご飯に乗せて、どんどん口へと運ぶ。

 

「で、最近のicy-tailの活動はどうだ?」

「えっ?」

「どうした?」

「なんで、icy-tailの話題にするの?トモ・・・」

「普通だろ?飯食ってる相手が美智留なんだし、適当な話題だと思うけど」

「そ・・・そうだね・・・うまくやってるよー」

「おまえ・・・メンバーの名前言える?」

「トモ。ちょっと待った。本気でいってる?」

「どうした?」

「えっと・・・トキでしょ」

「うん」

「それから、彼氏がいるのがエチカ」

「ほう?」

「で、あと1人よ」

「ふむ。ちなみに担当している楽器もわかるか?」

 

網の上で肉が焦げていく。

 

「ほらほら、トモ、どんどん食べないと!」

「おう・・・無駄にはできんからな」

 

倫也も箸でどんどんご飯の上に乗せていく。

 

「wikiみていい?」

「いや、ランコだよ」

「ああ、そうそう。ランコ」

「まぁそんな演技はいいんだけどな」

「で、何がいいたいわけ?」

「美智留の話を書こうと思ったら、icy-tailのメンバーも絡めたいだろ?でも、あいつらっていまいちキャラが立ってないからよくわかんねぇーんだよな」

「そういうことかー」

 

美智留がまた肉を網に並べていく。

倫也が考え込む。

 

「すまん。またつまらない話をして」

「ん?いいよー」

 

美智留が口いっぱい広げてご飯と焼肉を食べる。

 

「ん~、しかし、やっぱりトモと加藤ちゃんは特別じゃないの?」

「何が?」

「関係性がさ。あたしと食事しても、ハートの1個もでてこないじゃん」

「そうだなー」

「あっ、それ、ちょっとむかつく」

「なんでだろうな?」

「なんでって、それはトモと加藤ちゃんがお互いに好きだからじゃないの?」

「どうだろ・・・」

「?」

 

倫也はそれから話題を変えて、美智留と楽しく食事をした。

 

※※※

 

食事を終えて美智留は自分の家へと戻っていった。

倫也は1人で自宅に帰る。玄関を開け、靴を脱ぎ、手を洗い、2階へと上がっていく。

時計を見ると時刻は午後の3時過ぎたばかりだ。1日はまだ長い。

ベッドに腰を掛けて、エアコンがきくのをじっと待つ。何もやる気が起きない。

 

「なるほどな・・・」

 

倫也はぼそりと呟いた。右手で頭を少し抑える。エアコンが強く送風している。

それからスマホを操作して、恵にLINEを贈る。スカイプにこれないか聞くと、すぐに来るという。

 

倫也がノートPCを立ち上げる。恵も自宅のノートPCを立ち上げているはずだ。つながるまでがもどかしい。

 

 やがて接続され、画面に恵が映った。髪をポニーテールにしている。薄い青色のシャツを着ている。少し頬が赤い。照れくさそうに髪をいじっていた。

 

「・・・えっと・・・おかえり。倫也くん」

「ただいま」

 

少し沈黙が流れる。

 

「どうだった、焼肉」

「おいしかった」

「それ、小並感」

「・・・そうだな」

 

倫也が渇いた笑いをする。

 

「今のがオチっていわれてもなー」

「あのさ」

「ん?」

「恵、今なにしてんの?」

「受験勉強をサークル代表に邪魔されているところだけど」

「・・・あのな・・・」

「冗談。ちょっと休憩中」

「えっと、何してたの?」

「受験勉強」

「真面目だなっ」

「あのね、真面目も何も、わたしたちは一応、受験生だからね?」

「あーあー、聴こえない聴こえない」

 

倫也がわざとらしく両耳をおさえる。

恵はあきれた顔をするが笑わない。

 

「そうだ、ピラフ食べてないよね?」

「うん。夜に食べるよ」

「ピラフだけ?何か野菜も食べたほうがいいよ」

「じゃあ、トマトでもかじるよ」

「切りなよ。トマトぐらいさ」

「うん」

 

恵はちょっと笑う。ダメな倫也を見るのが好きなんだろうか。

 

「エアコンの音だけがするんだ」

 

倫也が言った。

 

「・・・うん。そうだね」

 

音といえばエアコンの静かな音、あとは外の蝉の声ぐらい。

2人の生活音がしない。倫也がキーボードを打つ音や、恵がレポート用紙をめくる音がない。すごく静かだ。

 

「明日はこれそう?」

「ううん。今日も含めて4日間休むよ」

「そんなにひどいの?」

「ううん。サブヒロインの数だよ」

「・・・えっと、全員やるの?」

「うん」

「それって・・・英梨々も?」

「そう。英梨々も。彼女が受けるかどうかは知らないけど」

「恵。ラブコメやるの?」

「そこまではやりたくないかなー」

「なら・・・」

「だって・・・」

 

恵が顔を赤らめる。だって、自制心がきかなくなってきているから。

 

「だって?」

「倫也くんエッチだったし。ああいうのはよくないよ」

「・・・ごめん」

「だからさ、少し距離を置いてみようと思って」

「・・・ごめん」

「ううん。男の子だもんね?」

「面目ない」

 

倫也が頭をかいて照れる。

 

「さてと、勉強に戻ろうかな」

「あのさ、恵っ!」

「ん?」

「スカイプ・・・つけたままじゃだめかな」

「どうして?」

 

倫也が言葉選びに迷う。

 

「寂しい」

 

恵もうなずく。恵だって同じ気持ちだ。

 

 

 

「でも、それ・・・小並感っていうよりは、小学生のお留守番だよね」

 

 

 

ノートPCの画面の先で、恵が笑っている。

 

 

(了)

 



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出海ちゃんとおっぱいの話

まさかこんな役回りが来るとは思いもしなかったろうな・・・


第21話 出海パート 恵とπ

 

8月10日 火曜日 夏休み20日目。

 

恵はデスクに座って参考書を開く。わかりにくい所は解説動画をノートPCで見ていた。これで倫也がログインすればスカイプを使ってお話ができる。

 

恵は三角関数についての解説動画をみている。サインコサインサインコサイン・・・呪文のように繰り返される。たぶん、わかりにくいのは興味をうまく持てないせいだ。面白い解説をみて理解したことも多い。何かいいものはないかと探しているうちに、まったく別の動画を見ていて、時間を無駄に過ごすときもある。

 

倫也がログインしてきた。接続許可をする前に小さな鏡で髪型を整える。ブラウンのゆるいパーカーを着ている。

 

「おはよ」

 

倫也が小さな画面の中にいる。少し照れくさそうにしている。昨日もずっと接続したままだった。

 

「おはよう。体調はどう?」

「うん。平気」

 

倫也が恵を優しく気遣う。それから少し雑談をし、受験勉強の話題になった。

 

「倫也くんって、三角関数わかる?」

「サインコサイン?もちろんわかるけど・・・」

「えっと、受験の問題が解ける程度に理解している?」

「うーん」

「ややこしいよね・・・」

「そうだな。そこのあたりから数学って感じがするよな」

「3.14がπになった頃は、すごいなぁって数学も面白かったんだけどなぁ」

「同じπでも、アップルパイの作り方とかならいいのに?」

「受験でアップルパイねぇ・・・なんか話、それてない?」

「アップルパイもいいなぁ」

「アップルパイは冬なんだよね。作ってあげたいけど」

「難しいなぁ・・・」

「何が?」

「伏線の立て方がさ」

「それは・・・くだらないこと考えているからだよ」

「まったく・・・」

 

倫也の部屋に呼び鈴がなる。出海が来たようだ。

 

「来た?」

「そうみたい。じゃ、また後でな」

「うん。また後で」

 

倫也がログアウトした。暗くなった画面を恵が眺める。このまま2人で会話するだけでもいいような気もする。でも、今日は出海パートだ。こういうメリハリも大事だとわかってはいる。

恵は退屈そうにアクビを一つしてノートPCを閉じた。

 

※ ※※

 

「倫也せんぱーい!」

「ようこそ。出海ちゃん」

「ええ、文字数埋めにきましたよ」

「ああ、頼む」

「だいたい、あれですよ。3000文字制限とか勝手に縛っておいて、毎日書くとか、そういうのが無理なんですよ。身の程を知った方が」

「厳しいね!?」

「倫也先輩に、そんな扱われ方をされているサブヒロインの気持ちがわかりますか?」

「いや・・・、でも、それって、自分でサブヒロインって思いこんでいるだけかもしれないでしょ」

「はい?これだけ毎日毎日いちゃいちゃする話を作っておいて、恵先輩がメインヒロインでないとでもいうんですか?」

「恵は俺のメインヒロインであって、物語のメインヒロインは別かもしれないし・・・それに全国の出海ちゃんファンだっているわけだし・・・」

「いないでしょ(きっぱり)」

「どうだろ・・・」

「そんなことはおいておいてですよ。けっこう重大な事実に気がつきはじめましたよ」

「重大?」

「実はわたし・・・澤村先輩の代替なんです」

「うん。まぁ・・・そうだな」

「今日はせっかく自分の回なので、何かを倫也先輩としようと考えたんですよ。原作の絵が上手い設定を生かして、美術館でもいくかなーとか、取材名目で動物園とかいいなーとか、そしたらすでに、澤村先輩に取られているじゃないですか!(未投稿、ボツ原稿含む)」

「・・・しょうがないよね」

「で・・・ほとほと嫌になったわけですよ。原作での扱いもひどいし、この物語での扱いもひどいし、油断していると倫也先輩は高校二年生でわたしは受験生をしないといけないし」

「ずいぶん愚痴るね?」

「ええ、いいんです。気が付いたんですよ。オチは恵先輩がなんとかするんですよね。だったら、わたしは自由でいいんだって」

「そうでもないぞ?」

「役目があるんですか」

「いや、役目はないけれど、恵のハードルを上げるという手もあるような・・・」

「ああ・・・なるほど。ちょっと描写いれていいいですか」

「どうぞ」

 

 出海が倫也の部屋にいる。可愛い服を着ている。

 

「・・・もう、つっこむ気もしません」

「出海ちゃん。よく考えて。サッカーみたいなスポーツだって短時間の出場からレギュラーを勝ち取るだろ?今日という機会をしっかりものにして、それで少しずつでも出海ちゃんのファンを増やしていかないと・・・ノーチャンスのまま・・・」

「それ、主人公がいいます?」

「美智留はともかく、詩羽先輩が英梨々のフォローになっているし、その英梨々は前回の失敗から立ち直ってないし・・・」

「澤村先輩って凹んでいるんですか?」

「短編では元気そうに振舞っているけどな」

「でも、それって主役をまっとうしなかった自分が悪いんじゃ・・・」

「どうかな・・・」

「なんだかんだ、倫也先輩って澤村先輩のことも好きになってません?」

「いや、誤解のないようにいっておくと、みんなのことが好きだからね!?」

「それ、誤解生むほうの発言だと思いますけど」

「・・・そっか。大切に思ってる・・・とか」

「それ、都合よくフルときのセリフじゃ・・・」

「友達でいようみたいな?」

「そうですそうです」

 

 出海が麦茶を飲む。本当はどこかへ行くつもりだった。ただ準備ができなかった。たった一日でデートイベントがまとまらなかったのだ。

あまりいい感じになってもラブコメ風になって却下される。

ゆえに、こんな風に愚痴を言っている。

 

「じゃ、本題にはいりますか」

「詩羽先輩の方がよかったかな?」

「別に汚れ役でもいいですよ」

「そんな役ではないけれど・・・出海ちゃんにはウブでいて欲しいなと思ってる」

「ウブでいて欲しいって、もう変態的な告白ですね」

「そう?」

「自覚なしですか」

「やっぱり、テーマが良くなかったかな」

「今更ですよ」

「そうだな・・・」

 

 倫也も麦茶を飲む。

 

「おっぱいの話ですよね?」

「ごふぅ・・・」

 

倫也が麦茶を吹き込ぼした。ストレートすぎる。

 

「だいたい数学の話題を不自然にだして「π」を使うとこから、どうしようもない話だと思います」

「だめかな」

「さぁ・・・で、πとアップルパイのパイをかけておいて・・・おっぱいオチですか」

「・・・うん」

「生きていて恥ずかしくないですか?」

「人生まで丸ごと否定された!?」

「否定だってしたくもなりますよ。何が悲しくて青春時代の高校生が夏休みにおっぱいの話をしないといけないのです?」

「それは違うな」

「はい?」

「いいか、出海ちゃん。例えばいい中年男がお盆休みにおっぱいの話をしているほうがおかしいだろ?幼稚園児がおっぱいの話するか?この多感な青春時代だからこそ、頭の中はおっぱいでいっぱいなんじゃないか」

「もう、発言が倫也先輩でもなんでもないですね」

「そうだな・・・けどな。おっぱいをそんなにバカにするもんじゃないぞ?」

「開き直った!?」

「いや、だってサブヒロインの身体的特徴にはカップサイズもあるだろ?」

「そうですね。あるのもあるってだけですが」

「おっぱいはアイデンティティーなんだよ!」

「でた!難しいカタカナを使うと頭良さそうに見えてバカ発言!」

「ふぅ・・・やりきったよ・・・」

「そうですかね」

「とりあえず、これで文字数は達成したと思うけれど、それにしても出海ちゃんすごいな」

「何がです?」

「だって登場から数分でここまで会話が発展したよ」

「はい?」

「けっこう大変なんだよ。会話がぜんぜん進まないとさ・・・」

「・・・それって、もしかして倫也先輩と恵さんでもおきてます?」

「・・・いや?」リテイクが多いだけだ。

「そこはスムーズなんですね・・・」リテイクは多いけどな。

 

出海があきれている。

 

「よし、じゃあ恵に報告するよ」

「わたしも見ていていいですか?」

「ん?」

「まだ昼前ですし・・・これからランチ一緒にして、なんなら午後にどこか連れて行ってください」

「いいけど・・・もう書かないよ?」

「それはご自由に」

 

倫也がうなずく。この後はどこかでランチを食べ、美術館でも行こうかな。サブヒロインのケアも倫也の大事な役目だ。

 

※※※

 

倫也がノートPCを立ち上げ、恵がスカイプにくるのを待った。

しばらくすると恵が画面に現れる。ちょっと疲れた顔をしていた。

 

「あの・・・倫也くん」

「恵!」

「さっき、スカイプ切ったばかりだよね」

「早く君に会いたくて」

「はいはい。そんなとってつけたようなセリフはいいから」

「冷たいね?」

「だってぇ・・・もうちょい夜までのんびりできるかと思ってたから」

「・・・ごめん」

「で、オチだっけ?」

「うん」

 

出海は2人の会話をスカイプに映らないような位置でみている。恋人同士・・・じゃないのか、えっと、サークルの代表と副代表の会話をまじかで見るのはちょっとドキドキする。

 

「『π』でオチを作るんだっけ?」

「うん。でも、もうさっき出海ちゃんが言ったから」

「なら、それでいいんじゃないの?」

「いや、実はな・・・けっこう大事なことなんだよ」

「ほんとに?」

「俺らの作っている紙芝居ゲーってさ、立ち絵があるだろ?」

「うん」

「そして、カーソルを動かせるよな」

「うん」

「そしたらさ・・・カーソルで立ち絵の女の子を触る機能があるんだよ」

「へぇー?」

「触るとさ・・・反応するわけ」

「ふーん?」

「わかる?」

「わかるけど、それがどうしたの?」

「それをさ、『πタッチ』っていうんだ」

「πがおっぱいとかかっているわけね」

「恵。もういっかい今のセリフいってみて?」

「πがおっぱい・・・て、倫也くん怒るよー?」

「ははっ、でな。その『πタッチ』で何か話をつくれないかなーって」

「よくわからないけど、それってさー」

「うん?」

「スカイプを初めてから、倫也くんがわたしにやってることだよね」

「何で知ってるのぉ!?」

「・・・」

 

倫也は焦っていた。恵はその倫也の様子をジト目で見ている。

 

「もう・・・しょうがないなぁ・・・シナリオのためだからね?」

「どうした?」

「倫也くん。今、やってみてくれる」

「何を」

「πタッチ」

「今!?」

「うん。あっ、でもこっちからはわからないから、1,2の3でお願い」

「・・・わかった」

 

倫也が深呼吸をする。

 

「1.2の3!」

 

倫也がノートPCに表示された恵の胸をのあたりを指で触る。それだけでバカらしさを超えて背徳感を抱く。顔が真っ赤になる。

 

「ひゃんぅ」

 

恵が横を向いて顔を真っ赤にしながら、おかしな声を出した。

 

 

 

・・・

・・・

出海は自分が何の刑にさらされているんだろうと、呆然と立ったまま思った。

 

(了)

 



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詩羽パートを詩羽抜きで終わらす恵

普通に雑談して終わるとか、さてはお前ら仲がいいな。


 

 

 

8月11日 水曜日 夏休み21日目。

 

午後1時過ぎ。倫也と恵はスカイプで話をしている。恵は鮮やかな青いキャミソールを着ていて、今日は華やかな印象をうける。

 

「お昼ごはんに何食べた?」

「そーめん茹でて食べたよ」

「野菜も食べた?」

「キューリとトマトをかじった」

「ちゃんと包丁で切ろうよ」

「ついな・・・」

「そういう時って、もしかしてキッチンの流し台で食事を済ませてない?」

「うん。どうしてわかるの?」

「えっと・・・食事の時間を大切にしない独身男性に多いらしいよ?」

「なるほど・・・気を付ける」

「うん。ちゃんと盛り付けて、ご飯をゆっくり食べて、皿を洗って片付ける。そういう心のゆとりがいい仕事につながるんだと思うのだけど」

「カップ麺と灰皿にタバコが山盛りになっているような、不健康なイメージをクリエイターに持ってるけど」

「それ、昭和じゃないの?もう令和だよ」

「そう?好きなことに没頭していると他の余計なことはしたくないものだと思うけど」

「食事は余計なことなのかな?」

「食事は大事だけど、食事のために費やす時間がもったいないんだ」

「倫也くん、そんなに集中してシナリオ書いてたっけ?」

「そこは・・・つっこまないでよ。考えている時間だって・・・」

「だからさ、食事をしっかりとって、そういう時間に考えるといいんだよ。あとお散歩」

「散歩は大事っていうよな」

「昔はホテルとか印刷所の個室に軟禁されたとか聞くけど、本当かな?」

「複数の証言もあるし、そういう時代もあったんじゃない」

「倫也くんも監禁したら、少しはメインシナリオルート書けるようになるかな?」

「監禁しないで!」

「?」

「軟禁だよ・・・あくまでも自由度が高いから・・・」

「そう・・・、で、軟禁したら書けるの?」

「さぁ?」

「まぁ・・・追い詰められたほうが仕事するっていうのは事実なんだろうね」

「うん」

「その結果として、去年は間に合わなかったけどね」

「あの・・・」

「しかも、どっかで一夜を明かしてくるし」

「恵?」

「何?」

「楽しい話にしようよ」

「そうだね。じゃあ、その楽しく過ごした那須の別荘の話でも聞こうかな」

 

倫也が画面の中で頭を下げて両手を合わせて謝っている。

恵は深く溜め息をつく。嫉妬深い性格だなぁっと自分でも反省する。

 

「別に何もなかったからねぇ!?」

「今更そんな強く否定しなくてもいいよ・・・わざとらしいし」

「・・・あっそう・・・でも、何もないよ」

「うん」

「本当だよ?」

「うん」

「めぐみぃ・・・」

「別に怒ってないよ?ただちょっと考えこんじゃっただけで」

「今日のこと?」

「そう」

 

今日は詩羽パート。美智留と出海は無害だけど・・・ここから不穏だ。

恵は迷いもある。サブヒロインをはさむ話はやはりいらなかったかもしれない。

でも、もう遅い。なんとか乗り切らないといけない。

 

「でもさ、この時期にわたしって、霞ヶ丘先輩に嫉妬しているんだよね?」

「そうみたいだな。『詩羽先輩に相談したら』とアドバイスをするだけでも嫌そうだったし」

「なんか心当たりある?」

「なんの?」

「わたしが霞ヶ丘先輩に嫉妬している理由」

「あの・・・恵?」

「いや、けっこう真面目に聞いているんだけど?」

「どういうこと?」

「この物語の舞台についてなんだけどなぁ・・・」

「えっと・・・それはicy-tailの打ち上げに参加した英梨々に聞いたからだろう?」

「何を?」

「あの・・・恵?」

「ううん。怒ってない。機嫌は悪いけど」

「・・・大事?」

「うん」

「詩羽先輩が新幹線乗り場のホームで・・・」

「倫也くんのファーストキスを奪った?」

「・・・そうだけど」

 

倫也がか細い声で答える。ちょっと会話の意図がわからない。

恵は上を向いて考えている。怒っているわけじゃない。それはもう知っている。

 

「ほら、前回の長編同人では過去を修正したからさ・・・どっちの世界観なのかなぁって・・・」

「・・・もう、発言に矛盾があるよねぇ!?」

「ごめん。でもさー」

 

恵は不満である。どうやら倫也のファーストキスは覆らないらしい。

 

スカイプに詩羽がログインした。

そして、参加許可を求めてきている。

 

「おっ、詩羽先輩きたな」

「ん・・・どういうこと?」

「許可すればスカイプで使って3人でしゃべられるよ」

「あれ・・・倫也くんと2人で過ごすんじゃないの?」

「詩羽先輩はマルズの仕事で大忙しだから・・・」

「それは建前だよね」

 

恵が口元に手を当てて考え込む。どうも邪推してしまう。

 

「どうかな。俺も正直、詩羽先輩の考えていることまでわからない」

「直接会わないってことはさ、倫也くんとのイベントフラグは立てない・・・立てたくないってことじゃないのかな」

「だとすると・・・この詩羽先輩は・・・」

「英梨々に協力する詩羽先輩じゃないかな」

「・・・この物語では流石に無理じゃないの?」

「だよねぇ・・・」

 

何しろ題名が『恵といちゃいちゃ過ごす夏休み』なのだ。さすがにこれで英梨々ルートは無理がある。多少の邪魔ぐらいはできるだろうが。

 

「無理しなくてもいいと思うぞ」

「無理?」

「何もサブヒロインを順番に担当させなくてもさ」

「どうすればいいの?」

「このまま・・・無視したら・・・?」

「ええっ・・・」

「劇場版だって夏休みの最後まで連絡をとってないようだったし、問題はないと思うが」

「そうだけど・・・ちょっと、休憩。このまま放置させるね」

「うん」

 

恵は一度、席を立った。それから花を摘みに行き、アイスティーを淹れてデスクに戻ってくる。画面には倫也が映ってない、背景のフィギュアが並んでいるのが見える。アイスティーを口にしながら考える。詩羽の意図がみやぶれない。何かあるはずなのだが。

 

倫也もトイレを済ませてから、アイスコーヒーをグラスにいれる。ミルクも砂糖も入れない。それを飲みながら階段を上がっていく。やはりサブヒロインが登場すると話がややこしくなる。底抜けに明るい話とはいかないようだ。イスに座ると、画面には恵が戻ってきていてアイスティーを飲みながら物思いにふけっていた。

 

「ねぇ倫也くん。霞ヶ丘先輩のこと・・・無視するね」

「わかった。それでいいと思う」

「なんか了見の狭いメインヒロインでごめんね」

「そんなことない。嫌ならしないほうがいい」

「うん。なんか、やっぱり苦手だなぁ。ラブコメ」

「もちろんさ、笑って楽しい恵が一番だとは思う。でも怒ったり、悩んだりする恵も魅力があると思うんだ」

「恵が?メインヒロインが?でしょ」

「・・・そうだな。そういういろんな感情をみせるメインヒロインにみんなが共感したり、応援したりするんだと思う」

「そうだといいけど・・・」

 

恵がカーソルで拒否する。詩羽の参加要請が消えた。悪い事をした気分になる。

 

「そうそう、話が違うけどさ・・・夏祭りのイベントはやりたいなって思っているけど、恵はどう思う?」

「夏祭り?」

「縁日に参加したり、花火を見に行ったり」

「誰が?」

「えっと、恵が」

「1人で?」

「・・・俺と」

「!」

 

恵が目を見開いて驚いた顔をしている。

 

「どういう風の吹き回し?だって部屋からでないでシナリオ作るっていってなかった」

「いろいろ考えたんだよ。もちろん、家の中で過ごすシナリオも好きだ。でもさ、どうしても親密な雰囲気になってしまうだろ?」

「それって悪いことなの?」

「そうじゃないけど・・・ボディータッチはさ・・・」

「・・・まぁ、そうだよねぇ・・・」

 

おっぱいを触ったりしてはいけない。当たり前だが健全な高校生のサークルというのが建前である。

 

「だからさ、少し外に出てみようと思ったのだけど・・・」

「うん。シナリオのためなら仕方ないかな」

 

恵が少し笑顔を作った。

 

「今度の週末なんだけど空いてる?」

「えっと、土曜日?」

「うん」

「土曜日はゲーム作りのために倫也くんの家に行く予定なんだけど」

「なら、そのゲーム作りのシナリオのために、取材でもいいかな?」

「・・・しょうがないなぁ・・・」

「あとさ」

「まだあるの?」

「浴衣・・・着る?」

「浴衣・・・用意してない」

「だったらさ、金曜日に買いに行ける?」

「前日?」

「うん」

「浴衣って、仕立てがあるんじゃないかな」

「そうなの?既製品でできているのもありそうだけど」

「そうだね」

「見にいってから考えたら?」

「わかった」

「じゃ、そんな予定で!」

 

恵がうなずく。気分が上向きになる。

 

「ありがとね」

「ん?」

「なんか、暗くなりそうだったから・・・シナリオ」

「何もかも恵が背負うことはないんだって」

「うん。じゃあ、いったん切るね」

「うん。またな」

「またね」

 

恵がスカイプを切り、ノートPCをそっと閉じた。それから、心ゆくまでにやにやとして、足をイスの下でパタパタさせた。

あとは明日の英梨々回を乗り切ればOKだ。

 

 

※※※

 

倫也は深く息を吐き出した。

画面を眺めていると、スカイプに詩羽からまた誘いがあった。これは考えていなかった。

 

「あら、倫理君。参加するのね」

「こんにちは。詩羽先輩。別に拒否する理由なんてないですよ?」

「あなた、あいかわらず加藤さんには過保護なのね」

「そんなつもりは・・・ないです」

「一つだけ、アドバイスをしようと思って」

「はい」

「明日の澤村さんは・・・本気だから・・・気を付けて」

「別に、詩羽先輩も英梨々も敵じゃないですってば」

「そうね。確かにそうなのだけど・・・でもね、もう・・・澤村さんはサブヒロインとしては使えないのよ」

「・・・」

「こんな風にサブヒロインの回なんて作らない方が良かったんじゃないかしら?」

「けど、やっぱり恵がメインヒロインなら・・・避けらないんじゃないですか?」

「宿命なのかしらね。『転』が」

「恵となら、上手く乗り越えられますから」

「そうでしょうね。ごめんなさいね。せっかく楽しそうに終わっていたのに」

「いえ」

「私もあまり邪見にされると・・・ちょっと拗ねてみたくなったのよ」

「すみません」

「いいのよ。私の出番はこれで最後だから」

「はい」

「お幸せに」

 

画面の中で長く美しい髪が揺れた。少し寂しそうに霞ヶ丘詩羽は微笑んだ。

 

 

 

(了)

 

 




というわけで、明日は英梨々回


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英梨々ルートに迷い込む倫也

英梨々と倫也の物語

今日という日を英梨々が楽しく過ごしてくれたなら
それだけでいいのに。



明日からはまた普通の恵の物語に戻りますのでご心配なく。



 その日はとても暖かくて過ごしやすかった。桜はすっかり散って、新緑が芽吹き始めている。

外で遊ぶ時間になると、め組のみんなは急いで外履きに履き替えて、外へと駆けていった。人気の場所はジャングルジム。続いて砂場、滑り台。行儀のいい子は辛抱強くブランコが空くのを待って並ぶ。

 

 倫也は喧噪をさけて、ゆっくりと玄関に向かってから外履きに履き替えた。なんならこのまま部屋で絵本を読んでいたいぐらいだった。外では水色のスモックを着た子が走り回っている。ボールで遊ぶ子、フラフープをしている子、いろんな子がいる。

 

 倫也は1人で園庭の隅っこに行って、植栽の脇に座って地面を見ている。最近のお気に入りは蟻を見ることだ。大きな巣があって忙しそうに蟻が出入りしている。1cmはあろうかと思うほどの大きな蟻で、倫也でも簡単に捕まえることができたし、足の関節や触覚の細部を詳しく観察することができる。その間、蟻はじたばたと無駄な抵抗をしている。地面に戻すと蟻は巣の中に戻っていった。

 

「うわっ、地味!」

 

倫也の隣に女の子がしゃがんだ。金色の髪を両耳の上で結っている。陽光に輝くとキラキラと光る。目が大きく可愛くて、笑うと八重歯が見える。この子は背中に羽を隠しているんじゃないかと倫也は思っている。天使みたいな子だ。父母の間でも有名で、もちろん園児の中でも特に人気が高い。

 

「ほっとけ」

「そういう根暗だから、モテないのよ。孤独死確定ね」

「蟻を見ているだけでそこまで決めつけないでくれる!?」

 

 もう少し幼稚園児らしい会話をして欲しい・・・

 

【TAKE2】

 

「ともくん。なに見てんのー?」

「ありんこ」

「・・・それ楽しいの?」

「別に楽しくないけど」

「じゃあ、なんで見てるのー?」

「こうして隅っこにいるとさ、エリちゃんが話かけてきてくれるから」

「ぽっ」

 

天性のスケコマシだったか。もう少し真面目にやって。

 

【TAKE3】

 

「ともくーん。なんでみんなと遊ばないの?」

「だって、ボールはキャッチできないし、フラフープはすぐ落ちるし、鬼ごっこはずっと鬼だし」

「運動音痴っ!」

「ジャングルジムは上から蹴られるし、砂場の城はすぐに壊されるし、ブランコは割込みされるし」

「そして、いじめられっ子気質!」

「ほっとけ」

「おとなしくしているからいじめられるのよ。もっとちゃんと反抗しないと」

「・・・けんかなんて子供がすることだろ」

「幼稚園児のどこが子供じゃないのか議論の余地があるのかしら」

 

その時、いじめっ子の男の子が倫也と英梨々を発見する。体格もでかく、意地も悪い。英梨々を好きだが相手にしてもらえない。だいたい英梨々は倫也といつもいる。

 

「がいじん、がいじーん」

 

いじめっ子が英梨々を囃し立てる。いつものことだ。

 

「ほっとこ」

「おまえ、人気あるな」

「変なのにからまれるのは美少女主人公の宿命なのよ」

「だから、自分で言うなよ・・・」

 

いじめっ子は無視されて腹立たしい。近寄って、英梨々のスモックを後ろから引っ張った。

英梨々が尻もちをつく。

 

「やーい。金髪。ガイジーン。キモッ」

「そ?」

 

 英梨々は立ち上がってその子を睨みつける。いじめっ子がたじろいで走り去っていく。

 

「・・・勝っちゃだめだろ?」

「ともくんが勝ってくれるのかしら?」

「無茶言わないでくれる!?」

「・・・ださっ」

「ここは先生に走ってチクりに行くのが幼稚園児のあるべき姿だと思うんだ」

「さっきから、どこに、ともくんの魅力があるのかわからないわね」

「子供にはオレの魅力がわからないのさ・・・」

「た・・・たーいむ!」

 

幼稚園児の英梨々がちょっと咳をはらう。

 

「んんっ。あの、倫也?もう少し普通に園児ができないのかしら?」

「突然、こんなイベントぶちこまれてもなぁ・・・」

「あっそ・・・いいわよ・・・もう」

「まぁ、待て。この詩羽台本通りにするんだ」

「・・・わかった」

 

【TAKE4】

 

英梨々が尻もちをついて、涙ぐんでいる。

いじめっ子はやばいと思って走って逃げていった。

 

「大丈夫?エリちゃん」

 

倫也が心配そうに声をかける。英梨々は静かにうなずくが目は涙であふれそうだ。

 

「ねぇともくん。あたしの髪って変?キモいの?」

「そんなことないと思うけど。俺はエリちゃんの髪は太陽みたいでキレイで好きだよ」

「・・・ともくん」

 

英梨々が立ち上がって、スモックに着いた砂を払う。

倫也も背中をトントンと叩いて払ってあげている。

 

「背中にも砂がついたかしら?」

「ううん」

「どうしたの?」

「羽根。ついてないかなって」

「羽根?」

「うん。天使の羽根」

「なによ?」

「エリちゃんはさ。髪の毛が金色だし、可愛いし、ママがよく天使みたいって言ってるからさ。確認しただけ」

「ふーん・・・でも、天使って頭に輪っかがあるでしょ」

「あるよ?」

 

英梨々が頭の上を確認する。もぞもぞと頭の上を触ったり、空間を確認している。

 

「時々、輪っかみたいに髪が光ってるよ?」

「そうなの?」

 

自分ではわからないが、金色の髪は光の加減によっては白く光って見える。それは天使の輪と呼ばれている。

 

「エリちゃん、ブランコ乗ろう?」

「うん!」

 

2人でブランコに並ぶ。1人で並ぶのは嫌だけど2人で並んでいる分には楽しく待てる。

倫也は隣にいる英梨々を見る。ご機嫌でニコニコと笑っていた。陽だまりのようなほっとする香りがする。

 

倫也はブランコだけは得意だった。立こぎができる。まだまだ立こぎができない子の方が多い。

英梨々と一緒に近所の公園で遊んでいるから覚えることができたのだ。

 

倫也と英梨々はたくさんの時間を過ごし、思い出を作った。

 

 

 

・・・でも、いつしか忘れ去られて、時々、夢の中で浮かび上がっては消えていく。

 

 

 

※※※

 

 

 

 天井。

 

 

 

倫也は夢から醒めた。懐かしい香りがする。陽だまりの中で無邪気に遊んでいた頃を思い出す。

 

「なんだ・・・この夢」

 

妙にリアルだった。鼻をくすぐるような甘い香りは現実のような気さえする。

 

・・・いや、現実だ。

 

 

倫也は耳を澄ませる。寝息がする。右に顔を傾けると隣に英梨々が寝ていた。

カーテンの隙間から漏れる街灯の光で、英梨々の髪だけがチラチラと少し輝いている。ブランケットからは華奢な英梨々の細い腕がでていて、肩には衣類がなく、ブラ紐だけがみえる。

 

英梨々は目を閉じている。まつ毛が長い。寝息はすーすーと静かだった。

 

倫也にはこれが狸寝入りだとわかる。こんな御淑やかな眠り方を英梨々はしない。だいたい寝相からして悪い。

 

「って、英梨々!さりげなく枕をとるなよ!」

 

英梨々が目をうっすらと開ける。目つきの悪い猫みたいになっている。

 

「はぁ?あんた最初につっこむところがそこなの?」

「どこからつっこめばいいかわかんねぇよ!」

「これだから童貞は・・・」

「童貞関係ないよねぇ!?」

「どこにつっこんでいいかわからないなんて・・・」

 

びちーん!

 

倫也が思いっきりデコピンを決めた。

英梨々が両手でおでこを抑えて涙目で痛がっている。

 

「あんた!ちょっとは加減しなさいよ」

「お前・・・元気だなぁ・・・今、何時だよ?」

「えっと・・・」

 

枕元に置いておいたスマホで英梨々が確認する。

 

「深夜1時を少し過ぎたくらいね・・・」

「寝ろ」

「でも、このぐらいの時間が、一番頭が回転する頃でしょ?」

「だよな」

 

思わず同意してしまう。最近は恵の影響あり早寝早起きを意識しているとはいえ、深夜1時とか序の口だった。

 

「でも、起きないからな」

「・・・そうね・・・お・や・す・み♪」

「あのな・・・英梨々」

「何よ?」

「可愛く言ってもダメだからな、枕は返せよな」

「ケチくさい男よね」

 

英梨々が頭を上げて、枕を引き抜くと倫也へ渡した。

倫也は枕を整えて、頭を置いた。

英梨々が倫也の右手を持って引き寄せると、強引に頭を乗せて腕枕にする。

 

「おい・・・」

「仕方ないでしょ?あたし、枕変わると眠れないのよ」

「いつから、俺の腕はお前の枕になってた!?」

 

英梨々は意地悪な笑みを浮かべて「おやすみ」と言った。

 

2人は目を閉じる。そして眠ったことにした。

 

 

 

※※※

 

 

 

8月12 木曜日 夏休み22目。

 

 

 

朝8時を回った頃に英梨々は目が覚めた。寝ている倫也の横のカーテンを開けると、外はとても晴れて良い天気だった。

 

英梨々がベッドから降りる。

 

白い下着姿のまま昨晩は眠った。

ずいぶんと子供っぽいことをしていると自分でも思う。こんなことで恵に対抗してもしょうがないのに。

 

そもそも倫也は鉄壁でこんなことでは落ちない。

これで落ちるような主人公なら美智留がまっさきに落としている。倫理君と命名されるだけのことはある。

 

もちろん英梨々も期待していなかった。

万が一でも襲われたなら・・・ひっぱたくか、冗談にして止める。それでもダメなら泣くまでだ。

別に倫也に抱かれることはいいが(むしろ望むところだが)、シチュエーションにはこだわりたいと思っている。

というか、恵との全面戦争を思うと気後れしてしまう。

 

昨日着てきたクリーム色のワンピースを頭からかぶり背中のファスナーを留める。ジャージでは流石に暑い。

それから洗面所で身支度を整えて、倫也に贈ってもらったネイビーブルーのリボンでツインテールを作った。

ストレートでもいいが、ここはこだわりたかった。

鏡の前で左右に体をひねって確認する。大丈夫、今日も自分は可愛いと言い聞かせる。自信が大事だ。

 

キッチンにいって冷蔵庫を開ける。レタスとプチトマトを取り出す。それからパンをトースターで焼く。レタスは2枚むいて水で洗い、適当な大きさにちぎって皿に盛る。プチトマトを置いて完成だ。包丁は使いたくない。イラスト職人が指の怪我をするわけにはいかないからだ。

トースターを止めて、倫也を起こしに2階へと上がっていく。

 

幼馴染ヒロインが主人公君を朝起こしに行く。このイベントの切実さが英梨々にはある。

 

「倫也!起きなさいよ!」

「・・・おおぅ・・・何時だ?」

「8時を過ぎた頃ね」

「早いな」

「忙しいのよ。朝食作ったから食べなさいよ」

「朝からカップ麺・・・?」

「・・・ちゃんと作ったわよ」

「誰が?」

「あたしが」

「・・・あれ、まだ夢みている?」

「いい加減にしないと怒るわよ?」

 

英梨々が倫也の枕を引き抜いて、足元に放り投げる。それから下へと降りていった。

倫也も寝ぼけながらも起きる。

 

 

 

※※※

 

 

 

テーブルに座って、2人がパンをかじっている。

 

「なぁ・・・英梨々」

「何よ?」

「4000文字超えてる・・・」

「まだ、始まったばかりじゃないの?」

 

ノルマは3000文字。なのにまだ物語がはじまっていない。

 

「今日の予定は?」

「サマフェスに出す原稿の仕上げね」

「ちょっと待て、お前マルズで仕事しているんだろ?」

「そうよ」

「なんでサマフェス申し込んでいるんだよ?」

「だって、会場を抑えているのは親だから。親の趣味まで干渉できないでしょ?」

「・・・いやいや、新作出せないでしょ?」

「色塗りした過去作をコツコツ作っていたのよ。あとはページ数少ないけど、一応新作も出すわよ?下書きも終わっているし」

「期限は?」

「今日の夜ね」

「・・・そっか。一日あれば間に合う・・・のか?」

「間に合うかどうかは関係ないわよ?間に合わせるのがクリエイターの仕事だから」

「・・・そうだな」

「それとね」

「他にもあるのかよ!」

 

倫也が寝ぼけながらも何も味のついていない食パンを黙々と口にいれて、アイスコーヒーで流し込む。出されたものは文句を言わずに食べる。これは円満の鉄則である。

 

「フィールズの神官キャラなのだけど、いまいちパッとしないのよね」

「ほう?」

「ほら、神官キャラって青系の服、十字、銀装飾みたいなお決まりがあるでしょ?」

「そうだな」

「だから、似たような雰囲気になってしまって・・・」

「ほう・・・」

「それも紅坂朱音に提出しないといけないのよ」

「イラスト一枚?」

「そうね。でも完成しなくてもいいのよ。だいたい色塗りが終わっていれば」

「ほう・・・期限は?」

「今日の夜ね」

「間に合(ry)」

「間に合うかどう(ry)」

 

 英梨々がプチトマトをつまんで口に放り込んでいる。レタスも手でつかんで食べている。おまえはインド人か?なぜフォークを出さない。

倫也もフォークがでていないので手をつかって食べる。

 

「そういうわけだから、よろしく」

「・・・おう」

 

倫也も英梨々も野菜とパンを口に押し込んでコーヒーで流し込む。

英梨々は2階へと先に上がっていく。

 

倫也は2枚の皿をさっと洗い、グラスにもう一度コーヒーをいれ、今度はミルクと砂糖も加えてからかき混ぜて、2階へと持っていく。

 

英梨々は倫也のデスクに原稿を広げ、すでに描き始めている。

テーブル上にはペン入れの終わった原稿と、ラバーマットの上にカッターとトーンが複数枚置いてある。

指示通りにトーンを貼るのが倫也の役割だ。

 

原稿はエロ同人誌だけあって、女と男の裸があるが、トーンの指示に従って間違えないように貼ることだけに集中していると絵の内容は気にならなくなる。

その辺の集中力は倫也もさすがに持っている。すぐにエロ絵に慣れてしまう。そんなもんだ。

 

「午前中に終わるかしらね」

「無理だろ・・・」

「急ぎましょ」

 

英梨々はデスクに置いてくれたカフェオレを眺める。ちまちまとは飲まない。飲むときは一気に飲む。そうしないとこぼす事故にあいやすくなる。あと氷は入っていない。氷をいれると結露して水が下に溜まる。油断していると原稿が汚れる。

 

下書きの終わった原稿のペン入れには頭をあまり使わない。良い線を拾って、強弱をつけるのはセンスと経験が大事だ。ストーリーや構図さえ終われば、職人技が大事な分野になる。

 

一度、集中するとだいたい一時間ぐらい経過している。

そして、一度イスから立ち上がって背伸びをする。

倫也を見ると、黙々と作業をしている。こちらに気が付かない。何か話かけようと思ったが再びイスに座って原稿と向かい合う。

 

また作業を進める。

 

倫也が一段落する。立ち上がって軽く体操をする。けっこう体が固まる。

カフェオレを流し込んでから英梨々を見ると、黙々と原稿にペンを入れている。すごい集中力と速さで鬼気迫るものがある。何が英梨々をここまでのクリエイターにしたのか。グラスが空になっているので、そっと横から手を出して回収する。

 

「悪いわね」

「麦茶?コーラ?」

「麦茶」

「OK」

 

倫也がキッチンでグラスを軽くすすいでから、冷蔵庫の麦茶をいれる。トイレをすましてから部屋へと戻る。原稿枚数も少ないし順調に終わりそうだ。

 

 

 

※※※

 

 

 

英梨々はペン入れが終わったので、カッターをもう一本出してトーン貼りを始める。

 

午後2時過ぎ、原稿が仕上がった。英梨々が確認してから茶封筒に入れた。

倫也が後ろに倒れ込んで燃え尽きている。英梨々は少し笑っている。

 

「ご飯、おごってあげてもいいわよ?」

「何時?」

「2時過ぎ」

「うわぁ・・・時間が経つのが早いなぁ・・・」

「で、いくのかしら?」

「そうだな」

 

倫也が立ちあがってデスクから財布を取り出した。

 

「おごるわよ」

「たのむ」

 

2人で家を出る。外は快晴で暑い。びっくりするほど蝉が鳴いている。

 

「こんなに、どこにいるのかしらね。蝉」

「さぁ・・・」

 

倫也は日光の明るさに溶けてしまいそうだった。暑すぎて遠くの景色が揺らめいている。

 

「とりあえず、あたしの家へ原稿を届けて来るわ」

「あいよ」

「暑すぎて、手をつなぐ気にもなれないわね」

「そうだな・・・」

 

2人とも歩きなれた道だが、2人で歩くようになったのは去年サークルを立ち上げてからだ。ぎこちない時間が過ぎ、今では普通に並んで歩くことができるようになった。

 

当たり前の事が英梨々には嬉しい。

 

英梨々の家に着く。立派な門があり、玄関も広い。家というよりは屋敷だ。

 

「すぐ戻ってくるから待っててくれる?それとも家でお茶でも飲むかしら?」

「待ってる」

「そう」

 

英梨々が靴を脱ぎ棄てて、走っていく。原稿さえ預ければあとは販売まで親がやる。英梨々の役割は終わった。

部屋へ戻って急いで着替える。黄色いシャツと黒いサロペットに取り換えた。これだといつもの自分のようになる。それから玄関へと急いで戻る。倫也が律儀に玄関に突っ立っていた。

 

「待たせたかしら」

「別に。相変わらず広い家だよな・・・」

「家は大きくなったり小さくなったりしないものでしょう?」

「そうだな」

「変なの」

 

英梨々がミュールを履いた。

玄関を開けと外はむあっとした空気で暑い。ちょっとげんなりするような温度だった。

 

「こう暑いと・・・プールにでも行きたくなるわね」

 

チラッと倫也を見る。

 

「俺、泳げない」

「あっそ。あまり関係ないんじゃないかしら?」

「何?もしかして、プールで水をかけあって、キャハハ、ウフフとかしたいわけ?」

 

英梨々が図星だったので顔を赤くする。

 

「べ・・・別にいいじゃない・・・」

「そこ、否定しないとツンじゃないな」

「・・・めんどいのよ・・・」

「いいけどな」

 

倫也も暑すぎてテンションがいまいちわからない。

 

「べ・・・別にあんたとしたいわけじゃないんだからねっ!」

「おっ?」

「さっ・・・タクシー拾いましょ」

「照れるなよ」

 

英梨々が顔を下に向けて耳を真っ赤にしている。相変わらずツンデレがあまり上手ではない。

英梨々が手を上げてタクシーを止める。行先に近くのファミレスを指定した。

 

 

 

※※※

 

 

 

ファミレス。午後3時近くになり、店内は空いている。

 

「で。これなんだけど」

 

英梨々がイラストを見せる。オーソドックスな神官のイラストだ。

 

「いいじゃん!」

「でも、なんていうか特徴がないでしょ?」

「・・・うーん。そうだな」

 

金髪の女の神官。青い服に白い十字。銀の装備。確かにステレオタイプだ。盾の装飾などは凝っているが。

倫也が何枚かのイラストに目を通す。表情の替えたものや、髪型の違うものもある。どれもラフ画で描かれている。

 

「けど、やっぱり情報が漠然としすぎていてわかんねーな。こういうのって設定があってイメージイラストができるんだろ?」

「もちろんそうなのだけど、イラストができて設定が変わることもあるのよね」

「・・・朱音さんらしいな。とはいえ、ある程度の共通認識や役割がないとな」

 

英梨々がバックをごそごそして、設定資料集を渡す。表紙には『極秘資料、流出は死刑』と書かれている。

 

「これね。霞ヶ丘詩羽が書いた設定と簡易エピソード」

「おおぅ・・・ダメだろ、見ちゃ」

「見ないでどうやってアドバイスするのよ?」

「だって、死刑って書いてあるでしょ!?」

「最悪の場合は詩羽が全部作り直せばいいじゃない」

「あのなぁ・・・」

 

英梨々はおかしそうに笑っている。

 

「大丈夫よそれくらい。読みなさいよ」

「・・・ゴクリ」

 

倫也が迷ったがシナリオに目を通し始める。最初のページを読んでしまえば、もう止めることはできなかった。

 

オーダーしていた冷やし中華が提供されても、黙々と読んでいる。英梨々はパスタのアラビアータをフォークでくるくると巻いている。

 

「あんた、ほんと、そういうの好きよね」

「だって、あのフィールズだよ!?」

「そうね・・・」

 

それだけの理由じゃない。ゲームが好き、詩羽のシナリオが好き、創作が好き・・・。目を輝かせている。真剣で全身から熱中していることが伝わる。倫也がもっとも魅力的にみえる時だと思う。英梨々はそんな倫也の事が好きで、どうにも気持ちがコントロールできない。この魅力に気が付いた人が他にもいて、恵は見事に倫也の隣に収まっている。

いや、英梨々にだってチャンスはあった。その機会を逃したのは自分か。

 

「麺。伸びるわよ」

「あっ、うん」

 

倫也が気のない返事をする。それから割りばしを割って、冷やし中華をぐるぐるとかき混ぜて口へと淹れていく。とても味わっているとは思えない。

 

「タレ、かけてないわね」

「あぁ」

 

気のない返事をする。シナリオを読むことに集中しているから、倫也はあまり英梨々の話を聞いていない。味がしなくてもかまわないようだ。

 

「味わってもたいしておいしくもないのよね」

 

ゆっくり過ごせるからファミレスを選んだだけで料理に期待なんかしていない。

英梨々は席を立って、フリードリンクを入れに行く。ついでに倫也のコーラにもメロンソーダを足しておいた。何をいれても似たようなもんだ。

 

「ふむ」

「どう?」

「ふぉりあふぇず・・・」

「いや、食べるかしゃべるかどっちかにしなさいよ」

「ゴクン・・・とりあえず、わかった」

「何が?」

「このキャラが死んじゃうってことが・・・って、ネタバレひどいよ!?俺だって楽しみにしているユーザーの1人なんだからねっ!」

「ふぉんなふぉとあたふぃに」

「お前も、食べてからしゃべれ」

「そんなことあたしに関係ないもの」

「なんと!?」

 

倫也が半分ほど冷やし中華を食べて、妙に不味いと思ったらタレをかけていなかったことに気が付いた。

 

「英梨々・・・タレかけてなかったことぐらい教えてくれよ」

「教えたわよ?」

「あ・・・そう・・・ごめん」

「で、どうかしら?」

「そうだな・・・」

 

その後に倫也が意見を言う。あざやタトゥーや紋章をいれて設定の一部を回収する。立ち絵のポーズについても検討する。また装飾品の統一性や年代も考証する。

 

英梨々は倫也の話を頷いてきく。すぐにスケッチにラフ画を起こしたり、設定をメモで補足したりした。

時間がどんどん過ぎていく。

 

「つまるところ、英梨々の最初の絵は何もかも綺麗すぎたんだな」

「なるほどね」

「だからさ、装備品の一部を古い錆びた表現にして・・・引き継がれたことを暗示させたらどうだろう?」

「そうね」

「英梨々の絵がこんどはシナリオにフィードバックされるんだろ?だったら、もっと自由でいいわけだし・・・」

 

 英梨々は倫也の意見にうなずきながら、倫也を見惚れてしまう。身振り手振りで熱弁する倫也が目の前にいる。

去年は一緒にゲームを作った。今はもっとすごいところで仕事をしている。

投げ出したり逃げ出したりしたくなる時もある。

紅坂朱音は妥協をしない。

英梨々をかろうじて支えているのはプライドと、倫也の期待に応えたいという気持ちだけだ。

 

 

 

※※※

 

 

 

 2人は倫也の部屋に戻ってきている。夜の10時を過ぎたところで、イラストができあがった。

 

「できたぁー!」

「おめでと」

 

倫也が立ち上がって英梨々のイラストを見る。見事な出来栄えで興味をそそられる。絵がかっこいいし美しい。よくよく見ると不思議に思うところもあり、イラストの中に物語がある。

 

「倫也、ルーターどこ?」

「ルーター?」

 

倫也がルーターの位置を示す。

 

英梨々がイラストをスキャナーして、ノートPCで軽く修正する。原稿は原稿で送るのでそこまで精密には修正しない。

それを添付して送信する。

 

そして、立ちあがってルーターのアダプタを抜いた。

それから自分のスマホの電源も落とす。

 

「倫也、スマホ貸して」

「ん?」

 

倫也がスマホを渡すと、英梨々が電源を切った。

 

「何してんの?」

「紅坂朱音は送信するとすぐに返信がくるのよ。一度でたら論争になって、こっちにやってくるわよ?こうやって居場所不明でとりあえず時間を空けるのがいいのよ」

「はははっ。でも、俺のスマホは関係ないよね?」

「勘も超一流なのよ。今頃、舌打ちしているんじゃないかしら?」

 

そのとおりで、朱音は舌打ちをしている。英梨々が捕まらない。しょうがないので詩羽を捕まえて、添付ファイルを転送し、議論する。

 

「さてっと・・・ちょっとシャワー浴びてくるけど、着替え借りられるかしら?」

「となりの部屋の箪笥に美智留の着替えがはいっているから適当にどうぞ」

「そう」

 

英梨々が部屋からでていって、すぐに戻ってきた。

 

「そうだそうだ。これもみていていいわよ」

 

英梨々がまた設定資料を倫也に渡した。もちろん極秘資料となっている。

それから、隣の部屋で着替えを選び、シャワーへと向かった。

 

リボンを外して頭をふると、髪がばさぁーと広がり、照明の光でもキラキラ瞬いていた。

シャツとサロペットを脱いで洗濯機に放り込む。

後ろのホックを外し、右手からブラを脱いでいく。下着は膝まで下ろしてから、足で脱いで、つま先でつまんで拾い上げる。ちょっと下品。

英梨々の胸は迫力に・・・

ここでNG

 

 

 

※※※

 

 

 

倫也は資料を前に悩んでいる。見たい気持ちと見てはいけないという理性がせめぎ合っている。さっきの話は英梨々の頼みもあったのでついつい見てしまったが・・・

 

「相変わらず優柔不断ね」

 

英梨々がバスタオルで頭を拭きながら部屋へ入ってきた。

 

「仕方ないでしょ・・・って、英梨々!」

「何よ?」

「その服・・・!!」

「ん?変かしら?」

 

・・・英梨々がまだ恵の着ていないピンクのネグリジェを着ている。これはパット付きのものでノーブラに対応している。

 

「・・・いや、とても似合ってるよ・・・けどな」

「何かしら?奥歯につまったような言い方して」

「なんで、それなんだ?」

「えっ?だって、下着も洗っちゃったし・・・これパット付きだからちょうどいいなぁと思って」

「下は!?」

「はいてないわよ?見る?」

「ぐはっ!」

 

倫也が倒れ込む。

 

「大げさねぇ・・・覗き込まない限りみえないじゃない」

「そういう問題じゃないだろ・・・」

「シャワー浴びてきたら?」

「そうする」

 

倫也がげんなりして部屋からでていく。恵の新品を着るとは思わなかった。伏線のつもりはなかった・・・ちと困る。どうしたものか。

 

英梨々は舌を軽く出して、べぇーをする。

 

このフェミニンなネグリジェが美智留の趣味でないことぐらいすぐわかる。

箪笥の使い方からして違うので、恵のものだとわかった。

おまけに匂いを嗅いだら新品なのもほぼ間違いないだろう。こんなものを彼氏でもない人の家に置いておく方が悪い。

というか、サークルの共同備品になるのだろうか?それとも恵の自腹かな。ああ、サークルメンバーじゃないから共同備品でも使っていい理由にはならないか・・・

 

・・・とはいえ、ノーパンはやりすぎだろうか。

替えの下着もないし、どうしたらいいのかよくわからない。

洗濯機を回しているので、外に乾せば明日には乾くだろう。

 

英梨々は下に降りて洗面所のドライヤーで髪を乾かす。音がしているので流石に倫也はバスルームからでてこない。ニアミスイベントまではおこせないようだ。

キッチンに行きグラスで水を飲み、それから麦茶をいれて上へ戻った。

 

持ってきた鞄からゲームソフトを出す。これで残りの時間を過ごす。

 

やっと自分のためだけの時間を過ごすことができる。

 

倫也の部屋で倫也とゲームをして過ごす。これ以上の至福の時間を英梨々は知らない。

 

 

 

※※※

 

 

 

倫也がタオルに頭をのせて戻ってくる。手には麦茶の入ったグラスをもっている。あくびをひとつする。

 

「あら、もう眠たいのかしら?」

「今日はいろいろあったから」

「あと、1ついいかしら?」

「まだ仕事あるの!?」

「違うわよ。これなんだけど」

 

英梨々がゲームを渡す。

 

「これ、リトラブの・・・海外版か?」

 

倫也がパッケージの裏を見る。スペイン語?

 

「スペイン語なんだけど、声優がちゃんとついているらしいのよね」

「へぇー」

「やっていいかしら?」

「動くの?」

「え?」

「同じ機種でも、日本と海外で仕様違うぞ?」

「そうなの?」

 

英梨々が倫也のゲーム機をひっぱりだして電源をいれる。ゲームソフトを入れて起動させるが、確かに読みとってくれなかった。

 

「・・・これは、ショック」

 

英梨々が涙ぐんでいる。画竜点睛を欠く。

 

「これがやりたかったの?」

「そうよ・・・やっと時間が少しできたのに」

「うーん」

 

倫也がノートPCを開く。

 

「エミュレーター使うか」

「えみゅれーたー?」

「わかりやすく言うと、ノートPCの中にその機種の性能を取り込んで、そのソフトを遊べるようにするアプリだな」

「へぇ・・・違法?」

「エミュレーター自体は、違法性はなかったような・・・ソフトDLすると違法だろうけど」

「ふーん」

 

倫也が海外のエミュレーターを探す。

しばらくして、見つけてからインストールする。

だからといって起動するかどうかは別問題。

 

「どうだ」

「読み込む?」

 

リトラブの画面が表示された。

 

「成功かしら?」

「よし。ならキーボード設定で動かせるかな。アクションは辛いけど」

「あたしは・・・みているだけでいいかしら?」

「オート再生あるし、大丈夫だろ。選択肢だけ選べば」

「うん」

 

ノートPCなので音質が悪いが、もう贅沢は言えない。

 

「おい・・・これ文字も全部スペイン語じゃねーか」

「大丈夫よ それ上を選択して」

「おう」

 

英梨々は選択肢も内容も覚えていたので問題がない。だいたいそうでなければスペイン語版なんて買わない。

 

「セルビスルートならわかるから大丈夫よ」

 

話を進めていく。

 

「なぁ英梨々・・・これ、同人?」

「・・・たぶん。そうよね」

 

吹替え声優が下手くそなのがスペイン語なのにわかる。

 

「うわぁ・・・迷うなぁ・・・」

「どうした?」

「セルビスの声・・・スペイン語だったらかっこいいと思ったのだけど」

「イメージ崩れそうだな」

「どうしよ・・・」

「でも、やめるわけにもいかないだろ・・・」

「そうね」

 

2人はオート再生で話を聞いている。倫也はあらすじをなんとなく覚えているが、セリフまでは覚えていない。英梨々も思った以上に忘れていた。さすがに文字もスペイン語なので、今がどの辺なのか背景と立ち絵だけではわかりにくい。

 

「次、セルビスでてくるわよ・・・」

「ほう」

 

「・・・」

「おっ?」

 

「いい感じね?意外とイケボじゃない」

「これ、セルビスファンが作ってるんじゃないの?」

「そうなのよ。エキサイト翻訳なんで怪しいけれど・・・たぶんそう。セルビスのファンサイト経由だから」

「コアだなぁ・・・」

「ふふっ、映画みたいでいいじゃない?」

「俺はぜんぜんわからん」

 

英梨々が嬉しそうに笑っている。倫也が右側にいる英梨々の方を見た。ネグリジェと胸の隙間がひどく開いていて・・・

倫也の目線だと見えてしまった。

 

英梨々の・・・胸がはっきりと。遠慮がちな胸のふくらみとその先にある小さなものを・・・

 

倫也は顔が真っ赤になる。とりあえず立ち上がって部屋の電気を消した。

 

「あら、どうしたの?」

「この方がいいだろ?」

「そうね」

 

2人はベッドを背に並んで座っている。倫也が英梨々の左側。

英梨々は倫也に寄りかかった。とてもいい感じだと我ながら思う。セルビスの声もすごくいい。イメージ通りで少しおかしいぐらいだ。

 

「それ、真ん中の選択肢選んで」

「うん」

「しばらく、自動再生ね」

 

倫也がキーボードから手を離す。どうやら英梨々の覚えているセルビスルートに進む手順は正しいらしい。どんだけやったんだか。

目線を英梨々に落とす。今度は部屋が暗いので・・・見えるわ。ダメだ。どうしよ。

都会の夜はそんなに暗くならない。

 

「何?」

 

英梨々が倫也の様子に気が付く。PC画面の明かりに照らされて倫也の顔が赤いのがわかる。

 

「なんでもねぇーよ・・・」

 

指摘はできない。これは知らないふりで乗り切るしかない。

 

「そう?」

 

英梨々も気が付かない。気が付いていたら流石に慌てるだろう。

 

黙々とゲームを進める。倫也はいっそ寝てしまいたかったが、隣の英梨々が気になって眠ることができない。

妙に興奮している自分がいる。

そういえば、ノーパンとかいっていたな。誘っている?

・・・あれ、英梨々が誘っているのか!?

 

 

 

※※※

 

 

 

2時間が経過している。時刻は0時を回った。セルビスルートは最終章へ突入しているから、あと20分ぐらいで終わるはずだ。

 

肩にもたれかかっている英梨々の頭の重さを感じている。できるだけみないようにしていたが、ついついチラ見したい誘惑にかられる。美しい小さな膨らみに形の良いものが乗っているのだから、どうしようもない。

 

ペチャパイにこんな悩殺シチュエーションがあっただなんて・・・

 

 

 

「すー、すー、すー」

「ん?」

 

英梨々が眠っていた。

倫也が思わず笑ってしまった。

これだけわけのわからないものを見ていたら、そりゃあ眠ってしまうだろう。自分だって、隣の英梨々の胸のことがなければ眠ったに違いない。

 

とはいえ、倫也は動かずにじっとしている。

これが英梨々のやりたかったことなのだから、それを叶えるのが主人公の責務である。

 

セルビスが最後の告白になる。大事なシーンだ。

これでキスシーンの1枚絵がでたら、ちょっと会話があって、エンドロールになる。

 

倫也は英梨々を起こそうかどうか迷った。それから考えてわかった。この寝息は・・・

 

「狸寝入りか!?」

「しぃー」

 

英梨々が目をつぶったまま口元に指を立てて、倫也に静かにするようにうながした。

 

セルビスの愛の告白が続いてく。意味はわからなくても、それが情熱的であることが伝わる。声優も迫真の演技だ。

 

そして、セルビスのセリフに合わせて、英梨々がうなずいている。そして最後に

 

 

 

Te amo con toda mi alma

 

 

 

と、同時に言った。

 

「ん?」

「これ、日本語版もこの部分だけスペイン語だったのよ」

「へぇ・・・」

「意味は?」

「なんだっけ・・・」

「そこは曖昧なのかよ」

「えっと、『魂すべてで君を愛している』みたいな?」

「ほう・・・」

 

エンドロールが流れている。

英梨々はうっとりとしていた。こんな風に倫也と過ごしたいと思っていた。

 

 

 

・・・この話は、『負け犬』シリーズのボツの一つだ。

自分が主役の物語でも恵に譲ってしまった。それはそれでいい。

でも・・・想いは募っていく。降りやまない雪のようにしんしんとただ積もっていく。

そこまでは考えなかった。

 

 

 

※※※

 

 

 

「ともやぁ・・・」

 

甘えた声で言う。

 

「どうした?終わったぞ」

 

倫也がエミュレーターを切り、ノートPCをシャットダウンして閉じた。

 

「最後にひとつだけいい?」

「ついでだから、言ってみろよ」

「目を瞑って欲しいのだけど・・・」

「・・・」

 

倫也がうなずく。

英梨々の大きな瞳はサファイヤのように蒼いのがわかる。

外からの光だけなのに英梨々の髪も瞳も輝く。

もともと美少女だが、華奢なせいか儚くて幻想的ですらある。

 

倫也は目を瞑った。

 

「Te amo con toda mi alma・・・!」

 

英梨々が呟いて、倫也の唇に自分の唇を押し当てた。

 

英梨々はここまでするつもりはなかった。もっと明るく終わるはずだった。

この物語が恵のためのもので、いつも明るい話を作ろうとしていることを知っている。

自分はサブヒロインで・・・脇役で・・・ちょっと悪戯をするだけの予定だった。

今日1日・・・倫也に恵と連絡を取らせない。

 

それだけだ。恵をやきもきさせれば目的達成。

こんなことをするつもりなんてなかった。

 

英梨々はその柔らかい唇を倫也から離した。

 

「ごめん・・・倫也」

「英梨々っ!」

「ごめん・・・ごめんなさい・・・だってだって・・・」

 

英梨々が泣き出した。体がわなわなと震えている。

大粒の涙が次か次へとぼろぼろとこぼれて、真新しいピンクのネグリジェに落ちていく。

 

倫也はそんな英梨々をそっと抱き寄せ、背中をとんとんと優しく叩く。

 

「ごめん・・・倫也」

「無理させてごめんな」

「ううん・・・無理なんかじゃない。あたしはしたいことを・・・しただけ」

 

詩羽には警告を受けていた。もうサブヒロインはできないと。

 

倫也が英梨々の背中を優しく何度もさすって落ち着かせるようとする。

 

「優しい英梨々が好きだよ」

「・・・うん」

 

泣いている君になんて声をかければいいんだろう?

倫也は考える。言葉がうまく浮かばない。

 

 

 

「お前はさ・・・きっとどこかに・・・羽根を忘れてきたんだな」

 

 

 

英梨々は小さく震えたまま、倫也の胸の中でずっと泣いていた。

笑顔で終わる予定だったのに。

 

 

 

(了)

 



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浴衣であっさり恵ルートに軌道修正

関係修復に全力を尽くす倫也と恵


8月13日 金曜日 夏休み23日目。

 

 

 

今日は曇り空で夕方から少し雨が降る予報だった。

 

倫也と恵は約束通り、浴衣を買いに行くために電車に乗っている。

 

恵は白いワンピースにピンクのサマーカーディガンを着て、メインヒロイン衣装を意識している。

倫也も一応サマージャケットを着て自分なりにおしゃれをしていた。

 

「なかったことにするから」

 

恵が抑揚のない澄んだ声でいった。

顔はフラットなままのいつもの恵だったが目にはハイライトがない。

怒っているというか感情が消えかかっている。

 

「・・・そうだな」

 

倫也うなずくしかない。流されたとはいえ、昨日はどっぷり英梨々ルートに浸かってしまった。

恵に一度たりとも連絡をせず、大事な約束の報連相を破っている。

 

今日の倫也はメールもLINEもすべて恵に黙殺された。

直接、家に謝罪にいくことになる。

 

「まるで、浮気した旦那が実家に帰った妻を迎えにいくような感じだね」

 

という、恵のより一層笑えないツッコミもあったが、めげずに試行錯誤をした。

花束を贈ったり、ケーキを買ってご機嫌をとったり、玄関前でひたすら土下座したりと、いろいろ試してみたが、恵は怒ることもせず、拗ねたり嫉妬したりもせず・・・

 

「英梨々ルート進めば?」

 

という、冷たいお言葉を口にしただけである。

 

何しろ恵は怒ると2カ月以上も怒る。

ほとぼりが冷めるまで待っていたら夏休みが終わってしまう。

押してダメなら引いてみろ。

そんな格言らしき無責任な言葉にしたがい、倫也は恵に対して、

 

「じゃあ、物語を『また』投げるの?」と、聞いた。

 

恵が少し戸惑う。

 

そんなこんながあり、上手くご機嫌を取ることはできなかったが、家から引っ張り出すことだけは成功し、冒頭の「なかったことにする」という恵の結論にいたる。

 

 

 

※※※

 

 

 

なかったことにする。というのは何も不問にするということではない。

恵が忘れてくれるわけでもない。文字通り物語をなかったものにする。

 

「やっぱり夢オチしかないかな?」

 

恵が上を見ながら言った。昨日の英梨々との物語はすべて倫也の夢。

 

「はははっ」

 

倫也が笑ってしまう。「何を笑ってるのかなぁ・・・」恵が倫也を睨む。

 

「だって恵・・・昨日の物語は・・・元々は夢オチだったんだよ」

「そうなの?」

「うん。ただそれは・・・けっこう本気で英梨々ルート用のものだったのと・・・英梨々がちょっと情緒不安定だったこともあって、ああなったんだ」

「情緒不安定?」

「ちょうど下書きのタイミングが『13万の靴を自慢して炎上』の時期だったから」

 

英梨々の中の人が炎上したらしい。

 

「・・・ああ。自業自得じゃないの・・・」

「だから、慰めないわけにはいかなかったんだよ・・・あんなに泣いてしまったし」

「なんか、公私混同な気がするんだけど(ウソ泣きじゃん)」

「多少なりとも現実の影響を受けながら作っているのがいいところだからさ」

「テイのいい言い訳だよね」

「・・・騙されてくれるとうれしいのだけど」

「それもずるい謝り方だなぁ・・・」

「なぁ・・・恵ぃ・・・」

「だったらさ、わたしはやけ酒でも飲んだら良かったかな?」

「・・・それ、なんどもボツになっているやつ」

 

恵が口元を抑えて少し笑った。目元が和らぎ、瞳にも輝きが戻る。

 

加藤恵の中の人は、日本酒が好きで有名なおっとりとした人だ。

この小説を読んでいる層で知らない人もいないだろうから、先に進める。

 

「じゃあ、しょうがないかな」

 

恵が隣に座っている倫也のほっぺたを強くつねった。

 

「痛いからっ!」

「つねってもらえるだけ、ありがたいと思ってよ」

「・・・それ以前も聞いた気がする・・・」

「もうボツ原稿も多いし、全部把握できなくなってきているよね」

「・・・そうだな」

 

とりあえず、恵の機嫌が直ってきたようだ。

 

「で、今日はどこまで買い物に行くの?」

「浅草~浅草橋あたりを見て回ろうと思うのだけど、なんか欲しい浴衣とかネットでみた?」

「えっと、新しいタイプよりも大正ロマンとかの古風なデザインがいいかなって思ったよ。色はグレーか紺」

「少し地味じゃない?」

「ほら、わたしキャラ死んでいるらしいし」

「・・・また、ずいぶんと古いことをひっぱってきたな」

「まぁ、華やかなイメージではないでしょ?」

「そう?白とピンクがイメージカラーかと思ったけど」

「それは・・・メインヒロインのイメージなんじゃないかな」

「うーん」

「見てみないとわからないけど」

 

恵がフラットな表情で倫也の顔を覗き込むように見つめる。

瞬きを二度する。それから何を言うでもなく正面を向いて、何もしゃべらず電車に揺られていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

浅草の駅で降りた。

2人はそこから雷門へと歩いていく。振り返れば隅田川流れている。

 

「何もなかったことにできるわけがないんだよね」

「ん?」

「夢オチにしようが、倫也くんが英梨々といちゃいちゃ過ごしていようが、やっぱり同じことだと思う」

「・・・許せない?」

「許すとか許せないというのとはちょっと違うかな・・・」

 

空はどんよりと曇っている。今にも雨が降りそうだった。

 

「恵。何もかも理路整然と説明できるわけではないけれど・・・この物語全体にプロットがあるわけでないし、やっぱり俺らのイデアで模索しながら物語を紡いでいるわけで・・・」

「わたしが楽しくしようとしないと、また脱線しておかしな物語になってしまう?」

「・・・そうだな」

「だよね・・・少し川沿いを歩いていい?遊歩道になっているよね」

「うん。ただ・・・天気が」

「折り畳み傘・・・もってきているから平気だよ」

 

恵が向きをかえて歩き出す。隅田川沿いの遊歩道は花火大会の時には大変混む。前日の場所取りが禁止で警察が取り締まっている。

 

少し歩くだけで街から離れて人通りは少なくなってくる。

 

「この辺でいいかな」

「どうした?」

「叫びたいなっと思って」

「叫ぶの?」

「そう」

 

恵が川沿いの柵に両手をかけて、大きく息を吸い込んだ。

それから上を見た。空が落ちてきそうなぐらい雲が重たい。

 

「英梨々ルートなんてぇーーーーー!!いらなぁーーーーーい!!」

 

それから再度大きく息を吸い込む。

 

「とーもーやーくーんはーーーーー!!わたしのものだからあぁぁーーーー!!」

 

恵が柵から離れた。息をふぅーと吐く。少しすっきりした表情で生気が戻ってきている。

 

「キャラ、壊しすぎかな?」

「どうだろ・・・もう、なんていうか・・・お前らしいという気がする」

「まっ、こんなこと無駄なんだけどね」

 

倫也は肩をすくめる。それから恵の手を取って、優しく握った。

 

「行こう?雨が降りそう」

「・・・うん」

 

2人は手をつなぎながら商店街の方を向かう。

 

「英梨々ルートはさ・・・恵とつくるべき物語なんだろうけど・・・」

「うん」

「手法というか、手順が難しいな」

「うん」

「それにさ、この夏休みの物語にはやっぱり関係ないだろ?」

「・・・うん。そうだね」

 

恵が前を向きながら小さくうなずく。それから右手につながれている手を強く握った。

今は倫也が隣にいる。それでいい。未来の物語なんて関係ない。

 

 

 

※※※

 

 

 

以下、論調が関係者のようになっているがあまり気にしない。

 

浴衣もずいぶんとピンキリで、数千円のファストファッションのような安いペラペラのポリエステルから、綿でしっかりとした生地のものもある。

柄はプリントが主流だが、職人が一枚ずつ染色したものもある。

縫製も既製品では中国製のものが多いが、しっかりと身体を測ってから日本で縫製することもできる。

 

和装の店で、最初に浴衣の予算を5万程度告げると、けっこうしっかりと対応してくれる。

店の外に3点セットで1万以下の物を眺めていると、それなりの客としてみられてしまう。

 

(余談だが、こないだ390円で売っていた。牛丼より安い。まじコロナで倒産するのがわかる。)

 

むやみに褒めてくるような若い店員よりも、昔話をしながらいろいろと説明してくれるおばちゃんスタッフの方が信頼をおける。

 

倫也と恵は接客の気に入ったお店で、あれやこれやと試着をする。

試着をしてスマホで記念撮影をいろいろとさせてくれる店はそれだけでも価値がある。嫌がる店も多い。

倫也が最初に十分な予算を提示したことと、明日には着たいので既製品を買っていくことをスタッフに話したのでずいぶんと親切だった。

 

恵が予定どおり紺色の少し大人びた浴衣を選んだ。

白い花模様が入っていて落ち着いた雰囲気だ。たしかに大正ロマンを感じる。

次に帯を合わせていく。紺の生地には黄色が主流か。暗いものには明るい色を合わせる。紺に紺や黒はおかしい。ピンクは華やかすぎてせっかくの紺が台無しになる。

水色ぐらいだとだいぶ収まりがよい。

臙脂色(えんじいろ)も捨てがたい。

これは濃い紅色で紺と合う鉄板の相性であるがやや堅く若い人には合わせるのが難しいかもしれない。

 

おばちゃんスタッフがあーでもない、こうでもないと、自分の娘を着付けているかのように盛り上がってくると、周りのスタッフも小物を用意しはじめたりする。

他の客が来たら、他のスタッフが対応して、1人は付きっきりになる。

 

木目を生かした黒地に鼻緒が薄紅色の草履を選ぶ。これは実に恵らしい色合いだ。

そして最後に髪飾りを選ぶ。

恵が美容院に明日行くことを告げると、スタッフは安心したような表情をとる。けっこう髪型で台無しになることもある。

一応、髪のまとめ方やかんざしの使い方も教えてくれる。

恵を完全に着付けた後にイスに座らせて、鏡の前で説明しながら髪を軽く結ってくれた。

後ろ髪を上げてうなじの当たり見えるようになるとだいぶ艶がでて色っぽい。

 

そこまでしてもらってから、恵は立ちあがって、「どうかな?」と少し顔を赤らめながら倫也に聞く。

もはや男性側は余計な意見をいって機嫌を損ねるようなことはいってはいけない。

ここで「ちょっとババくさくね?」などと言ったら、その後が地獄である。

語彙があるなら気の利いた言葉の一つでもかけてあげたいが、なければ「可愛いと思う」と素直に答えたい。

 

この時点で女は上機嫌だ。男は余計なところでけちったりしない。例えば千円でも安い草履を選ばせようとしてはいけない。

スタッフも心得たものでだいたい予算内に収めてくれる。あるいは少しオーバーしていても、ここまで仲良くなったらなら値引きをしてくれる。

 

あとはスマートに会計をしよう。

 

 

 

※※※

 

 

 

店をでて2人は手をつないで歩く。荷物は分担して持っている。

倫也はさりげなく街の中心から離れていく。

この時の会話のポイントは今買ったものの反省の仕方だ。

つい、「あの黄色い帯もよかったよな・・・」とか、「白い草履の方が雰囲気でたかな?」とか、他の選択肢を模索してしまいがちだ。

でも、これは何一つ良い効果をもたらさない。迷いは選択の否定になっている。決断した以上はそれを最善と思い込んでいくことが大事。

 

「恵にぴったりの浴衣があってよかったよな」

「うん」

「明日、楽しみだな」

「うん」

 

・・・と、まぁこんな感じで上機嫌を維持しながら歩こう。

 

 

 

こういう繁華街のはずれには必ずラブホがある。

 

 

 

「疲れたな、ちょっと寄っていかないか?」

みたいに誘ってはいけない。これだと、高いものを買ったのだから一発させろと受け取られかねない。気持ちも冷める。

 

ここは自販機を活用する。

 

「喉乾いたな。何か飲む?」

「わたしは平気」

 

そして、自販機の前に立って、少し悩んだふりをしながら、女に小銭をせびろう。ここで千円札やパスモで購入してはいけない。

 

「恵、小銭ある?」

「うん」

 

女も小銭ぐらいは出してくれる。これが重要。憐みと施しである。高い物を買ってもらったのに、たった百数十円払っただけで感情的に対等になる。

 

「ありがと」

 

ちゃんとお礼をいって、いろはすを買う。水が無難。ドクペとか買って独走しない。

 

そしてキャップを開けて、まずは女にペットボトルを渡す。女が一口飲む。

それから自分も飲もう。

はじめての間接キスかもしれないが、そこは気が付かないふりをして、とにかくちょっと買い物に付き合って疲れたよ・・・というテイで、ため息の一つもつく。

 

「ふぅ・・・」

 

もちろん、目線の先にはラブホがある。日中なら安い。

まったく脈がないか、よほどの鈍感な女でもない限り、こちらの意図に気が付いてくれる。

 

「・・・いいよ」と、小さな声でいってもらえれば成功だ。

 

倫也がチラッと恵の方をみる。

 

「うん。まぁ・・・えっと。わたしと倫也くんの関係性を仮に夫婦だとして・・・夫婦だとこんなところでなかなか無駄金は使わないだろうから・・・えっと、それなりの関係の恋人同士だとして・・・倫也くんの期待に答えたい気持ちはあるんだよ?」

「よし。なら・・・」

「・・・五日目だから」

「ん?・・・いつかめ?」

 

恵がすたすたと駅に向かって歩き出す。

 

「えっと・・・恵?どういうこと・・・」

 

恵はくるりと振り返って、

 

 

 

「そんなんだから、英梨々ルートに迷いこむんだと思うんだけど!」

 

 

 

「えっ?どういうこと・・・」

倫也は戸惑う。

 

恵は空を見る。少し晴れてきていた。

 

傘は必要ないらしい。

 

相合傘イベントまで導入しなくても、どうやら関係性は修復できたようだ。倫也に見えないように恵は楽しそうにクスクスと笑っていた。

 

 

 

(了)

 



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浴衣で花火デート

英梨々との一日に対して
こちらが恵との一日になります。

ちょっと長いですがお付き合いいただければ。




第25話 花火大会とかいうリア充のイベント

 

 

8月14日 土曜日 夏休み24日目。

 

 

「ごめん。遅れる」

 

午前11時。恵はまだ美容室にいた。花火大会当日の店内は和装の女性で賑わっていた。

予約はしていたが間に合わず、順番が前後してしまった。

 

恵は朝から慌ただしかった。

浴衣の着付けを母に手伝ってもらった。和装バックは母のものを借りようと思ったが、「えっ?」という驚く顔を返された。母のバッグは慶事用の和装バックで白地にカラフルな鶴の刺繍のものだ。物はわるくない。ただ浴衣に合わせる品でない。

姉の浴衣セットがあったはずだと、母が大慌てで押し入れから箱を引っ張り出してみたものの、ピンク色の安っぽいものだった。

 

「ダメかな?」

 

恵が手に持ってみたものの、母は無言で首を横にふる。そこだけ小学生仕様になってしまう。画竜点睛を欠くとはよくいったものだ。

母の小言を聞きながら、池袋のデパートまでいって開店と同時に和装小物を扱っているテナントに行き、無難に辛子色の巾着袋を一つ買う。選ぶ時間はない。

そこから、家に戻り急いで浴衣の着付けをして美容院に駆け付けたが、予約時間に間に合わなかった。

 

息を切らしながら、「別に恵をデパートに連れていく必要はなかったわね・・・」と、母は悟り得たが時間は巻き戻らない。順番が来て、髪型の相談をしている時に恵はかんざしを家に忘れたことに気が付いた。泣き出しそうである。

母がもう一往復をして、かんざしを店の人に渡す。

 

サークル内ではしっかりものでも、親からみればいつまでたっても子どもである。

小言は言い続けたものの、やはり娘の晴れ舞台であり無事に楽しく過ごして欲しいと願う。和装関係でバタバタすると、七五三のイベントがついこないだのように感じられた。

 

 

 

※※※

 

 

 

 池袋。改札前。

 

「恵。遅れるみたいだな」

「恵先輩らしくないですね」

 

倫也と美智留と出海がいる。

スマホのLINEの報告を聞いて倫也は予定変更を考える。

都内の人気の花火大会では夕方からでは場所取りは難しい。午前中なら、それなりに良い場所がとれる。地元の人などは前日や早朝に場所とりをする人もいる。昨今では場所取り専門業者もいてたちが悪い。

 

美智留も出海も浴衣を着ている。

美智留は白地に華やかな彩りの花模様である。背丈があるせいか、ショートカットのせいか、はたまた身のこなしのせいなのかはわからないが、姉御っぽい印象を与える。

一方で出海はしっかりと可愛くコーデされていて、ピンク系統で統一され、手には自作水ヨーヨーを持つなど小物にも余念がない。

 

「伊織は?」

「さっき、ランコ達と合流できたって連絡あったけどー」

 

一応、2部隊に分けている。どちらかが場所とりに成功すればいい。

Icy-tail組に伊織がいてまとめている。都内の会場へむかっているはずだ。

美智留が倫也達の方にいるのは、倫也と恵のバカップルに出海が1人だと心が折れてしまうからだ。人間関係は難しい。

 

「恵先輩はどれくらい遅刻するんです?」

「一時間ぐらい」

「ふぁー」

 

出海が驚いている。ずいぶん派手な遅刻だ。

 

「じゃ、あたし達は先にいっているよー。トモ」

「そうだな」

 

美智留が提案する。とりあえず浴衣は着たし、花火大会に伊織たちといけることは確定した。恵の気合の入り方がひしひしと伝わってくるから、こういう時は早めに舞台から退場するのがいい。もはや倫也と恵の間に茶々をいれるのもだるい。

 

「あの・・・わたしはどうすれば?」

「どっちでもいいぞ?」

 

倫也の言い方が冷たい。邪険にはしないがお邪魔虫扱いは露骨である。なら、最初からサブヒロインなど登場させなければいいのに・・・と出海は思った。

出海が悩んでいると、美智留が出海の首にガッと腕を巻き付け、耳元で囁いた。

 

「戦わなければ経験値が溜まらないが、かといって勝てるような相手でもなし」

 

出海はぶるぶると震えた。

 

 

 

※ ※※

 

 

 

美智留は、倫也に軽く挨拶をして改札を通っていった。

 

「とりあえず、一時間は倫也先輩を独占できるみたいですし、残ってみました」

「ふむ」

「倫也先輩を1人きりにするのも可哀想ですし」

「ははっ、スタバでもいこうか」

「はい!」

 

2人は待ち合わせ場所を離れ、スタバへと入っていく。

倫也は炭酸飲料を、出海はキャラメルマキアートを頼んだ。

空いている席を探して座る。倫也はスマホに連絡がないか気にしている。

 

「あの・・・倫也先輩?」

「ん?」

「女の子といるときは、他の女の子のことを考えるのはマナー違反ですよ」

 

ずいぶんと昔も言った気がする。

 

「ねぇ出海ちゃん?ちょっと聞いていい?」

「なんですか?」

「朝からケータイの先にいる女の子と一緒にいる気がしている時に、目の前にいる現実の子は他の女の子と言えるだろうか?」

「はい?何を言っているんです?」

 

倫也は、恵の事を考えていて、出海が他の女の子だよね?と言っている。

もはや論理が外道だ。

 

倫也はポリポリと頭をかいている。

ちなみに、倫也も浴衣をちゃんと来ている。洋服でも良かったが恵の隣にいるときに、どちらがより映えるか?を考えたら、当然の結論である。

 

「シナリオ分岐を間違えたか・・・」

 

倫也が呟いた。

現在、このまま出海が恵と遭遇すると砂粒になって消し飛ぶ。

倫也と恵が合うタイミングで邪魔になるからだ。話が脱線するとやはり『負け犬』調な不条理が待っている。

 

「ごめん。出海ちゃん」倫也が頭を下げた。不条理分岐は避けたい。ここまで一応リアル路線で頑張ってきた。

 

「どうしたんです?」出海が聞き返す。謝られることはされていない。

 

「その浴衣・・・とても似合っていると思う。出海ちゃんらしく愛らしいし、どこか小悪魔っぽさ残っていて・・・小道具もいきているし」

「はぁ・・・ありがとうございます」

 

突然褒められて照れる。とは言え、言葉少し浮いている気がする。

 

「こないだのサブヒロインルートの一枚絵もよかったよ」

「ええ、なかなかの会心作で・・・」

「あと、今、手掛けている絵の構図もアイデアもいいし・・・」

「そこは相談したいことが・・・」

「ごめん」

 

倫也が立ち上がった。一時間でも二時間でも出海と話をすることはできる。ただ、今は楽しく過ごせる気がしない。恵が遅刻したのは予定外だった。

 

「どうしたんです?立ちあがって」

「俺・・・恵を迎えにいってくるよ」

「でも、どうせ池袋に来るのでは・・・」

 

倫也は少し照れたようにハニカミ、

 

「1秒でも早く、恵に会いたいんだ」

 

と、言って店から出ていった。コーラは一口も飲まれていなかった。

 

残された出海は呆然とする。何、この扱いのひどさは・・・

その時、出海のケータイが鳴った。伊織からである。

 

「テレレレッテッテッテー」

「何かレベルがあがった!?」

「出海。突然、取り残されるのは加藤さんも経験したイベントだ」

「・・・そういえばそうですね」

「そうやってヒロインレベルを上げていくんだ」

「はぁ・・・」

「じゃ、こっちに合流するように」

「はーい・・・にしても、倫也先輩、雑すぎじゃないですかね?」

「どうかな、倫也君は元々かなり雑で、褒めているだけでも成長していると思うよ」

「・・・確かに」

 

出海はため息をつきながら通話を切る。

テーブルには手つかずのコーラ。これは捨てるべきか悩ましい。別にもっていって飲んでもいいがキャラメルマキアートのあとにコーラを飲む気がしない。やはり捨てよう。

倫也先輩がもっていってくれればよかったのにと思う。

 

「・・・ああ、ここに意識が何もなかったのか・・・」

 

出海はやっと気が付いた。

 

自分がまだサブヒロインにすらなれていないという事実に。

 

 

 

※※※

 

 

 

 倫也は恵の最寄り駅に着いた。ホームのベンチに1人で座る。

学校帰りに恵が来るのを待つときに使っている場所だ。恵を待つならここが一番慣れている。

駅にで待っていることと、慌てなくていいことをLINEで伝えた。慣れない草履で歩くのに、急いでしまって転んだら大変だからだ。

 

 ひどく暑い。蝉が夏を謳歌している。太陽が真上に上がり、何もかも溶かそうとしているかのように景色が少し揺らいでいた。

 

 喉が渇く。自販機でペットボトルの水を買う。さっきのコーラを持ってくればよかったとやっと気が付いた。開けて一口飲む。

日陰とはいえ、本当に暑い。スマホをいじって遊んで時間をつぶす気がおきない。

 

ただ恵を待つ。

 

倫也は膝の上で腕を組み、下を向いて自分の影を眺めていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

「倫也くん、おまたせ」

 

少し弾むような澄んだ声が倫也の耳に心地よく届いた。

 

倫也の視界に薄紅色の鼻緒の草履が入った。目線を上げると紺色の生地に手染めの白い朝顔が咲いている。その立ち姿は涼やかだった。

 

「ごめん。待った?・・・よね」

 

倫也は座ったまま立っている浴衣姿の恵を見つめている。

蝉がしきりに鳴いて騒がしい。電車の来るアナウンスが告げられたが倫也の耳に入らない。

 

「あのさ、何か言って欲しいのだけど」

 

臙脂色の帯がどこか大人びた落ち着いた印象で、右の手の平でパタパタと顔を仰いでいる。目線は倫也を見つめていないで、どこか遠くの方を見ていた。顔が紅潮していて緊張しているのが伝わる。

左でぶら下げた買ったばかりの辛子色の巾着袋が揺れていなければ、目の前の恵はどこか錦絵のような佇まいだ。

 

「ともやくーん」

 

恵が倫也の方に目線を落とす。倫也の顔も真っ赤だった。まるでのぼせてしまっているように見える。口がぽかーんと間抜けに開いている。

 

「あっ・・・あっ・・・」

 

上手く言葉がでない。夏らしい、それでいてどこか懐かしい恵の姿にただ見惚れてしまい、セリフが飛んでしまった。

 

電車がゆっくりと到着して、プシューという音と共に扉が開いた。数人の乗客が乗り降りしている。

 

恵は右手を倫也の方へ差し出した。倫也はその手を握って立ち上がり、恵の顔をじっと見つめる。

 

「そんなに・・・見られても・・・」

 

恵は倫也の手を離して、右手で前髪を触る。カットしたばかりの前髪はまっすぐそろえられていて、大人びた浴衣とは違い、童顔に見える。思ったよりも短くなって、幼い印象になったのが恥ずかしかった。

 

倫也は一歩だけ恵に近寄って、右手を恵の背中に回して、そっと抱き寄せる。恵はおでこをそって倫也の胸にくっつけた。高鳴る鼓動が聴こえてきそうだった。いったいどっちの心臓の音だろう?

 

電車の扉が閉まり、ゆっくりと発車する。

 

「・・・恵っ!」

 

倫也がかすれるような小さな声で、それでいて興奮を隠しきれていない。

 

恵がそっと顔をあげると、目の前に倫也がまっすぐに恵を見つめている。

 

「・・・うん」

 

恵は静かにうなずいた。もう、しょうがない。

そっと、目を閉じる。時間は3秒。長い長い3秒をそっと心の中で数える。

 

恵は珍しく薄化粧をしていた。顔はキメの細かい肌なので余計なことはしなかったが整えられた眉にラインを少し描いた。それから口元には紅をひき、それが艶やかだ。

 

「・・・んっ」

 

倫也がその恵の唇にそっと口付けをした。

恵は目を閉じたまま身を任せていた。

 

 

 

倫也がそっと口を離し、戸惑っている表情で恵をみている。その口に恵のつけていた紅が少しついてしまっている。

 

「クスクスッ」

 

恵は口元を隠して笑ってしまった。さっきまでの緊張が嘘のようだ。倫也は気が付いていない。

辛子色の巾着袋からウエットティッシュを一枚取り出し、倫也の口元に当てる。

 

「紅・・・ついてる」

 

倫也は受け取ったウエットティッシュで口元をふいた、手元で見てみると紅が少しにじんでいる。ぼんやりとそれを眺める。

どこか夢心地でふわふわとした気分だ。

 

恵がそっと倫也から一歩離れる。ほうっておくとずっと抱かれていそうだ。それでもいいけれど・・・今日は花火を見に行く。

 

倫也は名残惜しそうに恵から手を離し、それからベンチの上の荷物を手に持った。

 

「あの・・・何か感想を言って欲しいのだけど・・・?」

 

恵が上目遣いで、わざと少し怒った口調でいう。

 

倫也は何か言おうと上を見て考える。大きな濃い白い雲が空に張り付いているように浮かんでいる。

 

「言葉はあまりにも不器用で・・・六角レンチでオムレツを作るみたいに役に立たない」

 

恵は下を向いて、おかしそうに声を立てずに笑っていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

2人は池袋で乗り換えて電車に乗っている。4人用のBOX席に並んで座った。窓辺に恵、その左隣に倫也が座っている。

 

恵は足を伸ばしたり、下ろしたりして、ぶらぶらと動かしている。浴衣姿だと行儀が悪い。でも、これは上機嫌の時につい出てしまう癖だった。

 

倫也はペットボトルの水を一口飲み、ため息をつき、そして頭を抱えるようにして下を向いている。

 

「あーあ。知―らないよ。知―らない♪」

 

恵の声が半音高い。顔はにやけている。

 

「どうしよ・・・恵」

「知―らない」

「でも、まずいだろ・・・」

「そう?」

「だって、俺たちはサークル代表と副代表で」

「それで?」

「健全な高校生のラブコメを・・・」

「健全だとは思うけど・・・ラブコメかどうかは・・・」

「・・・キスはだめだよな・・・」

「それは倫也くんの自制心が足らないからで」

「恵も目をつぶっていたよね!?」

「そうだっけ?」

 

ずいぶんと電車に揺られていて、車窓の外には田園風景がときどき見える。

倫也は窓の外よりも隣にいる恵の細くて白いうなじが気になる。揺れている簪にときどきそっと触れる。

 

「エンディングどうするんだよ?」

「この話の?それとも・・・最終日の話?」

「最終日の話。キスして終わるんだろ」

「だから、知らないよ。そんなの」

 

恵は顔が赤らむ。物語の半分をキスもせずに過ごしてきた。そもそも設定に無理がある。

 

顔をパンパンと軽く叩く。そうだ、フラット。フラットが大事。

 

「で、どこに行くの?」

「熊谷の花火大会」

「ふーん・・・みんなは?」

「都内の花火大会」

「ふーん・・・どうして?」

「恵と2人で花火を見たかったから」

「・・・もう」

 

顔がすぐににやけてしまう。ダメだ。フラットフラット。

 

「うん。恵の浴衣姿。良く似合ってる」

「今更?」

「あれだよ・・・恵がようやくコスプレに目覚めてくれてうれしい」

「それ・・・最初のタイミングで言わないと」

「・・・だよな」

「確かに霞ヶ丘先輩が作ってくれた前作の主人公も和装なんだよね」

「そうなんだよ。前髪とか意識しているのかと思ったけど」

「レトロなイメージにしたけど・・・なってみてから気が付いただけで、コスプレしているつもりはないのだけど」

「そうだな・・・。でも、ほんと、可愛い」

「・・・ありがと」

 

倫也は恵の方に体を向けて、手をそっと伸ばして恵の顔に触れる。

 

「・・・もう。あとで口紅落としてくるから」

「ん?どうして」

「このまま一日過ごしたら・・・ウエットティッシュがすぐになくなりそうだもん」

 

 

 

そして、恵はまた目を閉じた。

 

 

 

※※※

 

午後2時。熊谷駅に着いた。

 

「えっと、花火大会何時から?」

「7時から9時まで」

「まだ、5時間もあるよ?」

「まずは会場いって場所取りだな」

 

倫也は恵の手をつないで駅から外に出る。

 

「暑いっ!というか、熱いよ・・・」

「だな。ちなみに40度超える日もしばしば」

「・・・もう危ないレベルじゃん」

「会場で場所取りしたいけど・・・有料席でも買う?」

「シートもってきたんだよね?」

「うん」

 

倫也は浴衣姿だが、ナップザックを手に持っている。さすがに背負うのは抵抗がある。

 

「うーん。とりあえず、日傘買いたい」

「じゃあ、八木橋だな」

「やぎはし?」

「熊谷といえば、八木橋百貨店だ」

「へぇ・・・」

 

そういうわけで八木橋に向かった。

八木橋百貨店は地元密着型の愛されデパートだ。昔、大手有名デパートが熊谷に進出してきたが、そこを撤退に追い込むほど地元の支持を得ている。

地元では八木橋に勤めることがステータスだし、贈り物は八木橋の袋にいれると格式が一つあがる。

 

※※※

 

場所取りをおえて、2人は和食系のファミレスに来ている。フリードリンクを頼み、少し遅い昼食を食べている。

 

倫也はもってきたナップザックから、レポート用紙の束を恵に渡した。

 

「・・・今日も仕事するの」

「しょうがないよね?」

「なんか、その冷静な言い方もどうかと思うけど」

「今日をボツにしないためにも」

「・・・だよねぇ」

 

もちろん恵だってわかっている。キスなんて普通は最後だ。それが一番キレイに物語を終える方法だからだ。

ところが今日、キスをしてしまった。残りの日数のプロットも大幅な変更が余儀なくされることとなる。まぁプロットなんかないんだけど。

 

「『知―らないよー』って、言っている場合じゃないんだよ。恵」

「・・・で、どうするの?」

「残り2週間ちょっとだからな。まずはやりたいことを並べてみようと思うんだ」

「やりたいこと?」

「そう。夏イベントを書いてみて、できそうなことと、できないことを分けてみたらいいと思う」

「ああなるほど」

「でも、毎日でかけるのもしんどいからな。家の中でできることも考えないと」

「けっこう短編にもネタがとられているよね」

「そうだな・・・」

 

この恵と過ごす夏休み制作時間を作るため、一週間に一度短編を投稿していた。

 

「夏祭り」

「今日と少しかぶるけど鉄板だよな。浴衣をもう一着は無理だからね!?」

「・・・別にそんなこと一言も言ってないんだけど・・・」

 

恵の目からハイライトが消えた。

・・・予算とかあるから。

 

「家の中でやりたいことは?」

「そりゃあ・・・」

 

恵が前に座っている倫也をじっと見つめる。倫也も恵をじっと見ている。

それから二人とも顔を真っ赤にして、頭から湯気がでて、下を向いた。

 

「・・・高校生らしく爽やかなので頼むな」

「倫也くんは別に爽やかではないと思う」

「とにかく、高校生らしくな・・・」

「高校生らしいと思うけど?」

「えっと・・・真面目で健全な高校生らしいので」

「そんなに否定するかなぁ・・・」

「R18じゃないから」

「・・・なんか、わたしが望んでいるかのように会話を調整しないで欲しいのだけど」

「・・・流しそうめんでもするか」

「コントでもするの?」

「ホラー映画鑑賞」

「ああ、うん・・・」

 

ソファーに並んで座って映画を見た時は、自制心を保つためにニンニクを食べていたような・・・キスが解禁されたら、どこで止めるんだろう・・・

 

「暑いから、屋内施設がいいんじゃないかな。図書館デートとか、映画館とか、美術館とか・・・」

「ふむふむ。家の中でプラモ作りは?」

「・・・オタク文化?」

「そそ」

「うーん。作るんだったら陶芸とかやってみたいなぁ」

「英梨々に頼む?」

「なんで、そこで英梨々がでてくるの?」

「美術部だから。関係者で陶芸教室イベントができるかも」

「口実なんてなんでもいいよ・・・」

「そっか・・・」

「やらないから」

「ん?・・・そうだな」

 

恵が拗ねている。陶芸をはじめ美術系イベントは英梨々の管轄だ。美術館デートももちろんできない。頭に来るのは倫也が意図的に英梨々の名前を出したところだ。せっかくいいムードだと今日は思っていたけれど、英梨々の名前を聞くだけで心が騒ぐ。

 

「海外旅行」

「高校生らしくな」

「高校生でも海外行くと思うんだけど」

「それ、卒業旅行とかだよねぇ!?」

「卒業旅行かぁ・・・」

「今、受験生だろ?」

「・・・それ、倫也くんがいうの?」

「・・・」

 

倫也がザルそばをすすっている。ついつい話こむと食べるのを忘れてしまう。

 

「プールは?」

「泳げない」

「倫也くん?」

「俺、泳げないから、却下な」

「うーん。あまり関係なくない?水泳大会に出るわけじゃないんだから」

「ウォータースライダーだろ?」

「うんうん」

「それだったら、雨天中止でさ」

「うん?」

「せっかく新調した水着を家の中で着るというのは・・・」

「それって、有名なネタだよね・・・」

「そう・・・だな」

 

恵はため息をついて、却下する。家の中で水着を着て我慢できるわけがない。

 

「同じ理由で海もダメだめかな?」

「ダメってわけでもないけどな。スイカ割りとか」

「うん」

「どちらかというと、恵と海に行くなら日中にはしゃいで遊ぶというよりは夜の海岸で花火するような・・・」

「星空を眺めて?」

「恋人同士の理想だよなぁ・・・」

「いいんじゃないの?」

「プチ旅行か」

「うん。名目は・・・」

「合宿か」

「うんうん」

 

恵の瞳が輝いている。どうやら旅行に行きたいらしい。

倫也はそんな恵を見て少し微笑んだ。

 

・・・こんな風に2人はファミレスで会話しながら時間を潰して、花火大会のはじまるのを待った。

会話が転がり始めると、なかなか止まらない。脱線してあらぬ方向の話になることもある。

 

 

 

※※※

 

 

 

 倫也と恵はファミレスで適当に時間をつぶした後にデパートをぶらぶらして、恵は和装用の団扇を買った。夕方になって花火会場へ向かうと、土手の上には屋台が並んでいて、だいぶ人が集まって賑わっていた。

 

2人はまだ夏休みの過ごし方を考えていた。

 

「結局、どこかで聞いたような話だよね?テンプレっていうのかなぁ」

「そうだな・・・そういう専門雑誌もあるしな」

「だから、部屋の中で過ごす話なの?」

 

倫也は肩をすくめる。恵はうちわをゆっくりと動かしている。

 

「あっ、これやっていい?」

「もちろん」

 

恵が巾着から小銭を出して、出店の人に渡す。

水ヨーヨー釣り。小さな子供が本気で欲しがり、小学生高学年ぐらいから興味を持たなくなり、また高校生ぐらいでアイテムとして欲しがる。不思議な魅力がある。

 

※※※

 

倫也と恵が場所取りをしていたところに着いた。草履を脱いでシートの上にあがり、買ってきたタコ焼きやペットボトルを置く。下は芝生なので座っても痛くない。

 

「じゃあ、こういう花火を一緒に見るイベントはいらないのかなぁ」

「どういうイベントだと恵が一番輝けるかっていうことが大事なわけではなくて・・・」

「大事でしょ?」

「いや、恵が楽しいかどうかの方が大事だろ?」

「うーん」

 

ひゅ~ という音の後に、ドーンとなって明るく夜空が彩られ。最初の花火が上がった。

 

「あっ、始まったよ」

「だな。先のことはまた今後考えよう。今は花火と恵を見ていたいし」

「・・・もう」

 

7時はまだ空には白さがあり、完全には暗くはない。それぐらいの時間から花火大会はゆっくりとはじまる。

恵は体育座りをして、膝を抱える。右に座っている倫也にちょっとくっつく。

 

ひゅ~ ・・・ どーん!

 

周りの人が少しずつ混み始める。

 

「近いねぇ・・・!」

「だろ?打ち上げているところもあの橋の上からなら見えるよ」

「へぇ・・・」

「ここからが面白いんだよ。さっきから放送が聴こえるでしょ?」

「うん」

「ちゃんと、聞いてみると面白いんだ。メッセージ花火」

「うん」

 

恵は放送に集中する。ちょっと音割れしていて聴き取りにくい。

 

『〇〇さん。孫を見せてくれてありがとう!3万えーん』

 

ひゅ~ ドーン! 花火が一つあがる。

 

「なにこれ?」

「協賛金を出すと、メッセージを読んでくれるんだ。最初はこれが続いてゆっくりなんだよ。それでだんだん人が集まってくる」

「面白いねぇ」

「だんだん金額が増えていくと、花火の質もあがってくる」

「そこはシビアだね」

 

『△△くん。大学合格おめでとう!□□ちゃんは受験をがんばって! 3万えーん』

 

ひゅ~ 。ドーン!

 

「クスクスッ」

「□□ちゃんがただの受験生なのか、落ちて浪人しているのか・・・」

「落ちていたら名前言わないでしょ・・・」

「そっか・・・たこ焼き食っていい?」

「うん」

 

恵がパックの輪ゴムを取って、タコ焼きに串を刺して、倫也の口元に持っていく。

 

「こぼして汚さないようにしないとね」

「ああ。うん・・・はむっ」

 

恵が微笑んでいる。ずいぶんとリラックスしているようだ。

 

花火は一つずつゆっくりと上がっていく。長閑な時間が流れていく。

 

『お父さん、お母さん、金婚式おめでとう! 10万えーん』

 

「金額があがったよ」

「どうだろう」

 

夜空の複数の花火が上がって彩られたあと、さらにひゅ~と音を立てて花火があがって、今までで一番大きな花火がバーンと開いた。

 

「おおっ」恵が思わず手をで拍手する。周りからも拍手がちらほら聴こえる。

「おめでとー」って叫んでいる若者もいた。もう酔っているようだ。

 

『妻へ、無駄使いする俺の家計をいつも支えてくれてありがとう!感謝を込めて 3万えーん』

 

小さな花火がいくつかあがった。

 

「ネタ?」

「こういうネタも実際あがるよ。謝罪系は面白いのが多いな」

 

周りを見ると、寝転んでみている人もいるし、家からもってきた総菜と缶ビールを並べている人もいる。

 

恵はタコ焼きを1つ食べ、また倫也の口に1つ運ぶ。暑さは和らいできている。風が適度に吹いて花火の煙が流れていく。花火日和だ。

 

 

 

※※※

 

 

 

 だんだんと金額が増えていくと、メッセージも重くなってくる。鉄板はプロポーズだろう。

 

『花火の好きな××ちゃんへ、婚約指輪よりも花火を贈って欲しいといったから、約束通り贈ります!30万え~ん! おめでとございま~す』

 

会場にどよめきと、拍手がおこる。

それから複数の花火があがり、大きな花火が数発あがって、夜空を埋め尽くす。

 

「すごいなぁ・・・」

「いいよなぁ」

 

あちこちでおめでとうの声もあがっている。きっとどこかでそのカップルもみていることだろう。

 

『××より、@@くんへ。花火ありがとー!幸せにしてください!20万え~ん!』

 

ひゅ~と3つの花火があがっていく。高く・・・高く。どーんと3つの花火がが一際大きく広がり、そのあとに小さいのが複数あがっていく。キラキラとしたものが消えた後に、ハート型の花火がいくつか広がり、さらに大きな大きな花火が夜空1つ、恵の視界いっぱいに広がった。ど~~ん!!という音も少し低音で後から響く。

 

「うわぁ、でかいなぁ・・・」

「はははっ」

「周りから笑い声も聞こえる」

「ん?何かあったの?」

「セットだよね。今の花火」

「・・・ああそっか。プロポーズの返事?」

「そそ。カップルで50万だから・・・周りも協賛してそうだな」

「婚約指輪よりも思い出になりそうだけど・・・」

「やっぱりもったいない?」

「・・・うん」

 

価値はひとそれぞれ。

子供の頃から花火でプロポーズされるのが夢って人もいるようだ。

 

「かき氷・・・喰う?」

「そだね」

 

メッセージ花火が一段落すると、次はコンテスト花火になる。

 

倫也と恵は立ち会がって屋台にいく。ケバブやチャプテなど海外の屋台も多い。トルコアイスが人気のようで並んでいた。

 

 

 

※※※

 

 

 

あたりはすっかり暗い。この暗さが田舎ならではだ。あと土の匂いというか、堆肥の匂いが風で流れてくることもある。

 

倫也と恵は、かき氷をもって戻ってくる。

 

恵が正座をしてから少し足を崩す。浴衣姿でどう座ってもしっくりこない。

ちょっと倫也にもたれかかってみる。

 

「次はコンテスト花火で、いろいろイメージの説明がある」

 

恵はシャリシャリとかき氷にストローをさして一口すくって口に運ぶ。イチゴ味で妙に甘く氷の粒が大きい。それから一口すくって倫也の口元に運ぶ。2人で1つ。

 

コンテスト花火ぐらいから、だんだんと演出も派手になってくる。低い位置から花火が埋まっていって、だんだんと高いものが上がる。色や形にこだわったものがあり、どこかでみかけたアニメ作品のものもある。

 

恵はさっきほど感想を言わなくなり、じっと夜空を眺めている。あまりにも近いので時々熱い燃えカスが降ってくる。

 

次から次へと花火が上がっていく。

 

倫也は花火の光で恵の横顔を見る。優しい目元は少し潤んでいるように見える。黒い瞳に花火のいろんな色が映り込んでいるのがわかる。

たまに恵は横目で倫也の方をみると、倫也と目があってしまう。倫也は恵の方に顔を向けて見つめている時があり、恵は少し恥ずかしい。そんな時は目をそらすが、倫也が指で髪を触ってちょっかいを出してくる。

 

 

 

※※※

 

 

 

コンテスト花火の後は協賛が企業になってきて、宣伝と地元への還元も兼ねて派手な花火がどんどん上がっていく。

東京の大きな花火大会と違うところは、打ち上げ場所が1か所なので、派手に上がった後、間が少しあることか。暗い夜空に花火の煙がたなびいているのを眺めていると、その奥に星空が広がっていることもわかる。

 

 8時半を過ぎた頃には、花火大会はだいぶ盛り上がってきている。酒を飲んで酔いつぶれている人も増えるころだ。迷子案内が放送されるときもあって、どこかゆったりしている。

 

「あのさ・・・倫也くん」

「どうした?」

「この物語の題名ってなんだっけ?」

「えっと、『恵といちゃいちゃして過ごす夏休み』だよな」

「今日、いちゃいちゃしたっけ?」

「キスを何度かしたような・・・」

「・・・あーそう」

「何・・・何?」

 

花火があがっていないと恵の表情ははっきり見えない。でも、ちょっと拗ねているような。

 

「何かしてみたいことあった?」

「ちょっと耳貸してくれる」

倫也が恵の顔に耳を近づけた。

 

「えっと・・・こしょこしょ・・・」

「・・・わかった。やってみる」

 

恵は一度立ち上がって、体を左右にひねってほぐす。座り続けているのも疲れる。倫也も立ち上がって軽く体をほぐす。

昼食も遅かったし、屋台で何かを買って食べる気もしない。ポテトもいらなかったぐらいだ。

 

夜空には間断なく、派手に花火が打ちあがっている。大きな花火も多くなってきて、音の響きも迫力があった。

 

 

 

恵はペタンと座って、足をまっすぐ前に伸ばした。倫也が恵を抱えるような形で後ろに座った。腰のあたりから腕を通して、前で手を組む。恵がその組んだ手に手を重ねた。

 

「・・・こ・・・こんな感じ・・・?」

「・・・うん」

 

ここまで近いと恵の香りだけでなく、整髪料の匂いもする。

ずっと触れたいと思っていたうなじがすぐそばにあるから、倫也は横から首元にキスをする。

 

「それは・・・えっちぃから・・・ボツかな」

「耳を甘噛みしなければOKだからっ」

「そうなのかなぁ・・・」

 

花火が目の前いっぱいに広がって明るい。火薬の匂いも漂ってきている。

 

倫也が恵を少し強く抱きしめる。恵の背中は完全に倫也にくっついている。

そのまましばらく、花火を眺めていた。音が気にならないぐらい緊張していた。

恵の体は思ったよりもずっと細かった。なのに柔らかい。

どうしたって、この胸のふくらみが気になってしまう。

そうだ。触ってから怒られよう!

 

 

・・・

 

 

「いてててっ」

 

恵が倫也をつねった。

 

「何?」

「ん・・・自制心」

 

そういって、恵は組んでいた倫也の手をほどいた。それから、横に座り直す。

 

「ふぅ・・・」

 

と大きく息を吐き出し、置いていた団扇をとって、パタパタと仰いで誤魔化していた。

 

 

 

※※※

 

 

 

『続きまして・・・皆様に愛されて・・・〇〇年。(中略)八木橋より感謝を込めて・・・』

 

八木橋のアナウンスが流れると会場が盛り上がる。屋台に並んでいた人もみんな夜空を見上げる。

寝転がっている人も座り直す。

子供たちは「八木橋だぁー!」と叫ぶ。とにかくすごい人気だ。

 

「八木橋って、今日行った八木橋だよね?」

「うん。もう熊谷の歴史みたいになってるんだよ」

「へぇ・・・」

「すごいぞ?」

「うん」

 

恵も正座に座り直した。正直、花火に飽きてきた頃だった。2時間たっぷりはけっこう長い。

 

ぽつりぽつりと始まる。それから栁や椰子とよばれる花火の間に菊が咲いていく。

この辺の花火の構成とか演出はタイミングが大事で職人の腕の見せ所だった。昨今ではPCで打ち上げを管理しているようだ。

だんだんと高くあがって、今日一番のでっかい花火があがると会場に拍手が起こる。

 

「おわったぁ~」

と恵が少しほっとする。

「ここからなんだ」

 

さらに、花火が次々と打ち上げられ、演出なのか、ヤケなのかわからないぐらい、さまざまな花火がいっせいに咲いている。みているこっちが少し不安になる。会場では「八木橋~」と叫んでいる声がときどき聴こえる。

 

「すごい・・・」

 

音のせいか驚きすぎて、目にちょっと涙が浮かぶ。

長年、熊谷で過ごした人はさまざまな思い出がつまっている。圧倒的な夕焼けをみて感動するように、この打ち上げ花火をみて万感の思いがこみ上げるようだ。

ずっと拍手をしているおばちゃんがいたり、この時間帯には老夫婦も家からでてきて立ってみていたりする。

惜しみなく大きな花火が連続して高く高くあがり、重ねてさらに大きな花火を作った。

最後に、しだれ柳で夜空を埋め尽くすと、みんなの拍手が沸き起こる。少したって花火大会が終わったことをアナウンスが告げていた。

 

「・・・」

 

恵は言葉を失った。思った以上にすごかった。東京湾のも隅田川のも見たが、会場が混みすぎていたり、ビルの光で明るかったり、遠かったりする。

これだけ目の前で花火を見たのは初めてだった。

 

「なっ?」

 

倫也が満足そうに言った。

恵はただうなずいていた。

 

夏の打ち上げ花火はロマンチックなイメージがあったが、違っていた、迫力がありすぎた。ちょっと放心状態になる。

 

「駅は1時間ぐらい混むから、ゆっくり帰ろう」

「・・・うん」

「はぐれないようにな」

「うん」

 

2人は立ち上がって、恵はゴミを集め、倫也はシートを折りたたみナップザックにしまった。

 

「倫也くん、忘れ物はない?」

「大丈夫。恵も忘れもの気をつけてな」

「うん」

 

会場のゴミ置き場にゴミを捨てる。

倫也が屋台でラムネを一本買い、栓を抜く。ガラス玉がコロンッと瓶に落ちた。

 

「ここからが大変なんだよなぁ・・・」

「もう、シナリオ終わらせたらいいんじゃないかな」

「家に帰るまでが遠足って習っただろ?」

「・・・遠足じゃないし」

 

倫也が恵の手を握る。ぞろぞろ行列にまじって駅へと向かう。

 

「どこか泊まれたらよかったのにね」

「・・・高校生だしな・・・」

「ねぇ、あの橋の向こうには何があるの?」

「たんぼ」

「・・・そう」

 

ずっと座っていたので、歩くのが気持ちよかった。恵は釣った水ヨーヨーをパシャパシャと跳ねて遊んでいる。

恵は目が合うたびに微笑んでいる。機嫌はとてもいい。

長かったが倫也は連れてきてよかったと思った。

 

 

 

※※※

 

 

 

 池袋の駅に到着した時には11時を過ぎていた。満員電車に詰め込まれ、途中で人が減っていったものの座ることはできなかった。

倫也以上に恵は疲労の色が強い。朝からどたばたしたせいもある。ここにきて、ほっとしたのかどっと疲れを感じていた。

 

「倫也くん。今日は・・・泊まりにいけないから」

「わかってる」

 

さすがに朝から浴衣を着てでかけて、サークルのゲーム作りの合宿とはいえない。

 

「ふぁーぁ」

 

恵が大きなアクビを1つした。倫也もつられてアクビをする。

ローカル線に乗り換える。倫也は草履を手にもって、足袋のまま歩いている。

 

「足・・・痛い?」

「うん、もう無理だ」

「慣れないもんね」

「恵は大丈夫なんだな」

「まぁ・・・そこは・・・根性で」

「・・・痛いのな」

「・・・」

「もう靴屋も閉まっているよな」

「しょうがないよ」

 

ホームで電車を待つ。

 

「せっかくの夏休みだし、毎日、でかけたらいいかなって思ったけど・・・」

「大変だよな」

「家で過ごすのが合っているのかなぁ」

「とりあえず明日は家で過ごそう」

「うん」

 

電車が来て2人が並んで座る。もうガラガラだった。ローカル線に揺られて家へと向かう。

どちらも疲れていて口数は少ない。

 

 

 

※※※

 

 

 

恵の最寄り駅に着く。倫也も一緒に降りた。

 

「送ってく」

「いいよ。もう遅いし」

「遅いから送ってくんだろ?」

「・・・そっか」

 

恵がフラットな表情というよりは、疲れて表情をつくれていない。

 

「わたしも草履脱ごうかなぁ」

 

恵がゆっくりと歩いている。音をあまり立てない歩き方を少し練習したが付け焼刃だったようで、鼻緒のところが痛い。

 

「おんぶしようか?」

「さすがに、足袋で歩いている倫也くんにおんぶは頼めないし、そんなに長い間おんぶできるほど体力なさそうだし、倫也くんの背中に胸を当てるイベントまで消費するわけにはいかないというか・・・」

「ぶっちゃけすぎだよね!?」

 

恵がまたアクビをした。疲れて思考力も落ちている。

草履をやはり脱いで、手にもった。

 

「もう、メインヒロインもなにもないよぉ」

「気にするな、今日はがんばった」

「こんなに最後までシナリオ書かなくてもいいんじゃないの?」

「家に着くまでが・・・」

「遠足じゃないんだってば」

「・・・少しでも恵と一緒にいたいんだ」

「はいはい」

「そこは、もう少しドキッとするところでしょ!?」

「驚くのは花火大会で使いきったから」

「・・・だな」

 

家まであと少し。さすがに草履を脱いで足袋で歩くと少し早い。

 

「恥のかきついでに頼んでいいかな?」

「うん?」

「髪のピンはずしてくれる?」

「ピン?」

 

恵がそう言って、簪を外した。後ろにアップしている髪には無数の黒いピンが止めてある。

 

「家に着いたらすぐにシャワーをすぐ浴びたくて」

「はいよ」

 

倫也が歩きながらピンを探し、抜いていく。けっこう器用だ。

手で触りながらピンを探さないと暗くて目視では難しい。

 

「はははっ」

「なーに?」

「すごいくせっ毛だよ。恵」

 

ピンを抜き終わっも、整髪料もきいていて、恵の髪はまっすぐにはならない。

 

「だよねぇ・・・ひどい?」

「うん。ぼさぼさ」

 

恵は手櫛で髪を整えようとする。手で触っても跳ね返るのがわかる。

 

家が見えてきた。もう一度倫也の手をとって握る。寂しい。

 

「ありがと」

 

澄んだ声。でも疲れている声。

 

「じゃ、また明日な!待ってるから!」

 

倫也が元気な声を作っていった。そうしないと別れるのがあまりにも名残惜しい。今日は土曜日で恵が泊まる日だった。1人で眠るのはやはり寂しいものだ。

 

「うん」

 

恵が家の玄関へ向かう。そこで振り返った。

 

「最後にキスしたほうがいいかな?」

 

恵が首をかしげて聞いてきた。

倫也は思わず苦笑いをしてしまう。そんなことを聞くぐらいならそんな気分でないのだろう。無理することは何もない。

 

「別れるのが名残おしくなるから・・・また明日な」

「・・・うん」

 

恵が扉を開け、中に入る。顔だけ少しのぞかせて、手をふっている。

最後に一応、あざとい演出をいれてきたあたり、メインヒロインとしての自覚がでてきたのだろうか。うん。あざとカワイイ。

 

倫也も手をふって、それらから扉が閉まるのを確認した。

 

ほっとして、それから空を見上げた。

 

 

 

東京は街灯で明るく、星は一つも見えなかった。

 

 

 

(了)

 



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出海フラグなんて気にせず、まったり過ごす恵

正妻以上かつ恋人以上
バージョンアップされた恵

R指定をつけないまま、後半はいちゃいちゃ いちゃいちゃして話を作っていくわけだけど、今日は休憩するってさ。


8月15日 日曜日 夏休み25日目。

 

 

 

倫也がヘトヘトになって家に着いた時、日付は変わっていた。

家には電気がついていた。倫也がリビングにはいる。

 

「よっ!トモ」と、美智留がソファーに座って手をあげて出迎えた。

「美智留?どうした?」

「お説教タイムでしょー、トモ」

「いや、怒られるようなことは・・・」心当たりがありすぎて困る。

 

美智留は先に戻ってきてシャワーを浴び、今はいつものシャツと短パンの寝間着姿だ。

 

「加藤ちゃんは?」

「帰ったけど」

「なんだー。泊まるのかと思って見張りにきたのに・・・」

「親かっ!」

「だって、最近のトモ自制心とか政治家の公約と同じぐらい信用ないじゃん」

「社会派な例えだな・・・とりあえず、シャワー浴びてきていいか・・・?」

 

美智留はTV画面の方に顔を向きなおして、手を上でふっている。

 

 

 

※※※

 

 

 

倫也がシャワーを浴びて、さっぱりとする。冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いで、リビングに座った。

 

「で、美智留がわざわざいるということは、何かあったんだな?」

「うん。もうあたしも眠たいし、核心だけ伝えておくよ」

「おう」

「・・・出海ちゃん泣いてたよ?」

「えっ?」

 

美智留が立ち上がる。「あたしはおばちゃんのベッドで寝るから。じゃ、おやすみ」

「・・・おやすみ」と倫也がかろうじて返事する。

 

倫也も飲み終わったグラスを軽く洗って、それから自分の部屋へと戻っていった。

部屋のエアコンを軽くつけて、ベッドへ倒れ込む。

しばらく考え事をしていたが、頭が回らずにやがて眠りへと落ちていった。

 

 

 

※※※

 

 

 

 翌朝、倫也は9時頃に目が覚めて起きた。リビングにはもう美智留がいてソファーでTVを見ている。朝食の準備はしていない。

倫也は洗面所で顔を洗い、歯を磨いた。キッチンにいき、器にコーンフレークを入れミルクを注いた。スプーンをもって、テーブルの椅子に座る。

 

「なぁ、美智留・・・もう少し詳しく話をしてくれないか?」

「別にトモだけが悪いわけでもないし、どうしようもないことなんだろうけど」

「うん」

「今の新サークルメンバーを言ってみて」

「俺、美智留。恵、あと出海ちゃんと伊織だな」

「そこからicy-tailの関係者をひくと?」

「関係者というと、ボーカルのお前と、マネージャーをやっている伊織か」

「そう。あたしと波島兄ちゃん。で、倫也と加藤ちゃんが早々とカップルになると、誰が残る?」

「・・・出海ちゃん」

「それが昨日、起こったことだよ。トモ」

「・・・でも、出海ちゃんは美智留たちと合流したんだろ?」

「あたしと波島兄ちゃんの2人と合流した」

「他のメンバーは?」

「icy-tailのメンバーが、この同人の中で描かれているのをあたしは知らないのだけど?」

「ちょっとまって!?それもう設定が・・・」

「サブストーリーは冗長だって、波島兄ちゃんも言っていたけど・・・ちょっとサブヒロインをないがしろにしすぎじゃない?」

「まてまて、おまえ、伊織と2人でいたのか?」

「・・・」

 

美智留の目が泳ぐ。

 

「あたしのことはいいんだよ。トモ。問題はトモがこちらと合流せずに、加藤ちゃんと2人になることを選んだことでしょ?」

「・・・ふむ」

「それも一緒にいた出海ちゃんを置いてけぼりにして」

「置いてけぼりなんて・・・したな」

「サイテー」

 

美智留が倫也を見下した目でみている。自分のことは追及されたくない。

 

「なんか、話はぐらかされてない?」

「さぁ」

「で、出海ちゃんはどうしたの?」

「泣きながら帰った」

「おい・・・追わなかったの?」

「すごい人混みだったし・・・波島兄ちゃんが無駄だって」

「・・・くっ」

 

倫也はコーンフレークを食べ終わる。キッチンで器をあらって籠にふせて置く。

それから、ソファーに座ってケータイを取り出した。

 

「伊織に確認する」

「別にいいけど、問題は解決しないんじゃないの?」

 

倫也が伊織に電話をする。

 

『やぁ、倫也君。どうしたんだい?朝から』

「ちょっと確認したいんだが・・・昨日、何があった?」

『その質問は漠然としすぎているな。深夜アニメの放送内容でも・・・』

「ふざけるなっ」

『おや?倫也君。怒れるような立場なのかい?』

「伊織・・・お前・・・美智留と付き合ってるのか?」

『まさか、冗談はよしてくれよ、サークル内恋愛ほど面倒なものはないよ?』

「出海ちゃんは?」

『いるよ?』

「・・・謝りたいことがあるんだが」

『無駄さ。君が加藤さんを選ぶ以上は出海にはチャンスがない。なに心配はないさ、仕事はちゃんとやらせる』

「・・・そんなことを心配しているんじゃない!」

『どうしようもないだろう?ハーレム型主人公が1人を選べば、あとのサブヒロインは泣く。それは鉄則さ』

「そんな話じゃなくってだな・・・」

『まっ、僕には物語の構成はよくわからないから、霞センセイにでもきいてみたら?』

「とにかく、出海ちゃんと話がしたいのだけど」

『直接電話したらいいじゃないか?』

「・・・そうだな」

 

倫也は電話を切った。続いて、出海に電話をかけたがもちろんでてもらえない。LINEに話がしたいことをメッセージで送信した。

 

「トモ。出海ちゃんがゲーム制作から降りるなら、あたしも降りるよ?」

「美智留・・・おまえまで」

「だから、こんな加藤ちゃんとイチャイチャするだけの物語なんて、無理なんだと思うよー」

「・・・ダメかな」

「時期が悪いんじゃないの?劇場版で告白して付き合ったあとから、卒業ぐらいまでなら矛盾もないだろうけど・・・」

「だぁー」

 

倫也が頭をかきむしる。相変わらず難しい。英梨々不在のあとは出海ちゃんだと?

 

「なぁ・・・美智留。おまえだけは・・・応援してくれよ」

「ふぅ・・・焼肉の恩もあるしなー」

「頼む」

「わかったよー。今日は帰るから、加藤ちゃんとは節度をもって接しなよ?」

「ああ。わかった」

「ボディータッチ禁止、ましてやキスなんてしちゃダメだから」

「・・・ああ、うん・・・そう・・・だな」

 

倫也が思いっきり汗をかきながら目を泳がせる。

 

「・・・トモ?」

「ナンデスカ、ミチルサン?」

「もしかして、手遅れ?」

「・・・」

 

美智留が立ち上がって、「あっーーー!!」と叫んだ。「トモ、もう加藤ちゃんに手をつけたの?まだ夏休み2週間もあるのに?」

「・・・不可抗力だったんだ・・・」

「何が・・・」

「みんなには黙っていてくれ・・・」

「ちゃんと劇場版の31日につなげなよ?」

「ああ、わかってる・・・」

 

美智留は頭をかきながら、この出来の悪い主人公を見下ろした。もう弟みたいなもんで、恋愛感情はない。幸せならそれでいいが・・・

心配だが自分にはどうにもできない。

あとは倫也と加藤ちゃんに任せようと思って、家へと帰っていった。

 

 

 

※※※

 

 

 

ピンポーン

 

12時を少し過ぎた頃、呼び鈴が鳴った。それが時間的にも恵だとわかる。

部屋の窓から覗くと、恵が上を向いて恥ずかしそうに手の平を軽くふっている。

倫也は駆け下りて玄関を開ける。

別に鍵はかかっていなかったが、恵は倫也がいるときは勝手には入って来ない。迎えにきてもらうのが好きだ。

 

顔を少し赤らめて、恵が微笑む。最近では笑顔の方が多い気がする。

モスグーリンのシャツに白いスカーフを首元に巻いていて、白のタイトスカートをはいている。左手でカゴのハンドバックをもっている。

前髪を右手でいじっている。ちょっと短い。髪は後ろで結わいていてポニーテールにしていた。

 

「おはよ・・・倫也くん」

 

静かな澄んだ声。

 

「おはよう。恵」

 

恵は家にあがる。いつもより少し緊張をしているようだ。

洗面所に行き手を洗い、すぐに白いエプロンを身に着ける。

 

「お昼ごはん作っちゃうね」

「あ、うん・・・何作るの?」

「冷麺にしようと思うけど、いいかな?」

「うん。何か手伝おうか?」

「じゃあ・・・卵茹でてくれる?」

 

倫也もキッチンにはいって手伝う。恵がキッチンで料理をするのは久しぶりだ。一週間家に来ていなかった。

 

「あとでスーパーいかないとね」

「そうだな」

 

だから、冷蔵庫もほぼ空である。

最後の一本の胡瓜を取り出して、恵はそれを千切りにしていく。

 

倫也と目が合うと、ぽっと顔を赤くする。

いつも通りに振る舞おうとしているようだが、どこかぎこちない。

 

 

 

※※※

 

 

 

盛り付けた冷麺をテーブルに運び、向かい合わせに座った。

冷麺の上には半分にカットしたゆで卵が2つと、胡瓜の千切りがのっているだけのシンプルなものだ。

 

「いただきます」と倫也がいう。

「どうぞ。いただきます」と恵が言った。

 

恵は箸で冷麺をちょんちょんと触っている。口に運べそうなものが胡瓜ぐらいしかない。しかたないのでそれを少しだけつまむ。

 

「はい。あーん」

「・・・パクッ」

 

倫也の口に胡瓜をいれる。少し慣れてきたとはいえ、やはり倫也の顔も赤くなる。

この儀式は大事だ。

 

「ねぇ倫也くん」

「どうした?恵」

「今日は、まったり過ごしたいんだけど」

「そうだな」

「なんか、余計なフラグがたっているみたいだけど」

「・・・ふむ」

「美智留さんががんばって文字数稼いでくれたし・・・」

「ははっ」

「イチャイチャする新しいアイデアもないし」

「ほら、玄関に迎えにいくイベントやったし」

「初めてだっけ?」

「・・・たぶん」

「なら、それでいいかな」

「うん」

 

恵が冷麺を口に含む。倫也も食べる。麺に歯ごたえがある。ソバみたいに飲み込むものなのか、噛んで食べるのかよくわからない。

 

「ゴクンッ・・・でね、シナリオ終わらせてくれる?」

「今?」

「・・・うん」

「まだ、はじまったばかりだけど・・・恵がそう望むなら」

「えへへ」と、恵が顔を崩して笑っている。

 

 

 

「うん」

 

 

 

と、呟いた。

今日はふたりでまったりと過ごしたいんだと。

 

(了)

 



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恵の激おこイベントに出海ちゃん魂のツッコミ

 

 

8月16日 月曜日 夏休み26日目。

 

 

 

「ねっ?倫也くん」

「・・・そう・・・だな」

 

倫也はデスクに座って、メインシナリオルートを書いているフリだけはしている・・・

恵はクッションの上に正座をしている。

目の前には出海が床に正座をして下を向いている。

 

「あの・・・なんでわたしはここにいるんでしょうか・・・?」

「あのね、出海ちゃん・・・余計なサイドストーリーを作らないで欲しいのだけど」

「なんのことですか?」

「昨日の美智留さんの話。出海ちゃんが泣いて帰ったって」

「はい・・・だって、それぐらい傷ついてもいいぐらいひどいイベントだと思いますけど?」

「あのさぁ・・・この物語のタイトル言ってみて」

「これですか・・・『恵といちゃいちゃして過ごす夏休み』でしたっけ」

「うん。明るい楽しい短編集なんだよ?わたしはその役割を演じるために、倫也くんといちゃいちゃしているだけだから。ねっ、倫也くん?」

「・・・そうだな」

 

倫也はふたりの会話を聞き逃さない。さっきから何かと恵が同意を求めてくる。

 

「えっ・・・?倫也くん・・・演技だったの・・・」

 

恵が振り返って、目を大きく見開いて驚いている。

 

「わっわっ!違うから、えっと・・・俺がそうしたいから、そうしている」

「うん。もう、びっくりさせないでよ」

「・・・ごめん。恵」

「わたしはただ、サークル副代表として倫也くんのシナリオに協力しているだけだから」

「え~と・・・恵先輩は・・・ツンデレでも勉強しているんですか?」

「何言っているの?出海ちゃん」

「いえ・・・違うならそれでいいんですけど」

「でね、えっと、なんだっけ?」

 

さては恵・・・やる気ねぇな?

 

「あの・・・わたしなんでここにいるんですかね?」

「ああ、そうだった。だから、シナリオ上のイベントで勝手に拗ねて、『泣いている』なんて暗いフラグを立てたらだめだよ」

「フラグ?」

「だって、あわよくば倫也くんに慰めに来てもらおうとか思ってたでしょ?」

「・・・はい」

「それが余計なんじゃないかな。この物語はサイドストーリーはいらないから。ねっ?倫也くん」

「・・・そうだな」

「倫也先輩!じゃあ、わたしはいらないってことですか!」

「そんなこと言ってないよねぇ!?」

「だったら、なんでこんなにわたしの扱いひどいんですか?」

 

バンッ!

 

恵が床を叩いた。

 

「いい加減にしてくれないかなぁ・・・ねっ?倫也くん」

「・・・」

「出海ちゃんさー。何がそんなに不満なの?置いてけぼりイベントがあったんだよね?」

「そうですよ!」

「よかったじゃない?」

「はい!?」

「波島くんにも説明を受けてフォローされていたよねぇ?」

「・・・はい」

「大事なパクリイベントとして、楽しく終わらせるべきじゃないかなー。ねっ?倫也くん」

「そうだな・・・」

「まっ、わたしには最悪の思い出の1つだけど」

「恵ぃ・・・ごめん」

「ううん。もう気にしていないから。ロクテンバモールに置き去りにされて、霞ヶ丘先輩のとこへ駆けつけたことなんて、ぜんぜんきにしてないよ?ただ、最悪の思い出の1つってだけで」

「うわぁ・・・ねっちこいですね、恵先輩」

「・・・というキャラも演じているだけだよ?出海ちゃん。ねっ?倫也くん?」

「・・・」

「その沈黙はどういう意味かな?」

「あの時のことは・・・ほんとごめんな・・・」

「もう、そんなにしんみり謝らないでよ」

 

2人が見つめ合っている。

 

「あの、油断すると2人の世界に入っているんですけど・・・」

 

出海は足がしびれてきた。その点、恵は我慢強い。クッションがあるからか。

 

「だから、そうやって邪魔しないで欲しいのだけど、出海ちゃん?」

「勝手によそ見して、倫也先輩といちゃつき始めているのは恵先輩じゃないですか」

「だって、そういう趣旨だし・・・ねっ?倫也くん?」

「・・・そうなだな」

「完全に尻にしかれますね・・・」

 

出海はため息をつく。

足をこっそりと崩す。

 

「えっ?出海ちゃん。この説教イベントなめてるの?」

 

恵の目からハイライトが消える。

出海は流石に察して、正座をしっかりとする。

 

「でも、恵先輩。あんまり怒るとパワハラみたいになりますよ?」

「・・・」

「あー出海ちゃん!そのワードはダメだから。恵が本気で怒っちゃう・・・」

「えっ?」

 

恵が無言で立ち上がって、部屋から出ていった。扉は強くしめる音が響く。

 

「はぁ・・・」倫也はため息をついた。激おこイベントも加減が難しい。やっぱり反抗しちゃだめだと思う。

「ああ見えて、けっこう鬼の副社長とかって言われている事を気にしているんだから」

「・・・恵先輩、仕事に妥協しませんものね」

「怒られるときはしっかり怒られておかないと・・・火に油そそいじゃダメだよ」

「でも・・・倫也先輩。わたしは悪い事していませんよね?」

「そう・・・だな!」

 

出海が足を崩して、手でマッサージをしている。

倫也はイスから立ち上がって、出海の隣に座った。

 

「あれでもさ、一生懸命なんだよ。楽しく明るい物語にしようって」

「なんで、そんな物語なんです?」

「深い事情はさておき、やっぱり一日の最後にクスッと笑える時間を提供できたらいいなって思って」

「でも、もう、ほんと冴えカノ関係ないですよね」

「そこは・・・もう・・・許して」

「それに、こんな説教イベントも暗いですよね?」

「そうなんだよな・・・」

「もしかして、倫也先輩がわたしを慰めにくるイベントを阻止したいとか・・・」

「それはないと思う」

「ばっさりですね・・・」

「基本、眼中ないはずだから」

「倫也先輩のそのセリフにも、わたしは傷ついたらだめなんですね!?」

「ああ、そうさ、明るく元気な後輩ヒロインこそ、出海ちゃんだからな!」

「夫婦で鬼だー」

「ゲーム業界なんて大手を除けばブラックさ・・・」

「あっ、でも今度、厚生年金に入ろうかと言っていませんでした?」

「・・・話、脱線しすぎたな」

「で、恵先輩なにしているです?」

「心でも落ち着けているんじゃないかな」

「へぇ・・・」

「オチも見つかってないし」

「・・・相変わらずですね」

 

出海は足の痛みがとれたので、クッションに座り直す。

 

「で、話を戻しますけど、やっぱり置いてけぼりにされて、他の女の子のところにいかれたらショックじゃないですか?」

「そこで、むくれた顔をした恵が可愛いから印象に残っているわけで」

「それは、恵先輩が可愛いから成り立っているんですよ。あと澤村先輩のいじりも秀逸ですし」

「出海ちゃんも十分かわいいからね!?そこは自覚もとうよ」

「突然口説かないでください!」

 

ドアの向こうでグラスの割れる音がした。

 

「あっ・・・」

「あーあ。恵先輩、入るタイミングをはかっていましたね」

 

ガラスを片付ける音が聞こえる。

倫也がドアを開ける。恵がしゃがんでガラスを拾ってお盆にのせている。

 

「恵ぃ・・・」

「あー、気にしないで、可愛い出海ちゃんとコント続けてて」

「そうもいかないだろ・・・」

 

倫也もガラスを拾っていく。

 

「手、怪我すると危ないから、あとは雑巾で拭いて、雑巾ごと捨ててしまおう」

「・・・うん」

「えっと・・・出海ちゃんにも嫉妬してるの?」

「ううん。わたしは・・・ラブコメがやりたくないだけだよ」

 

2人で黙々と片付けている。

 

※※※

 

小休止

 

※※※

 

 気を取り直してもう一度。

 

 倫也と恵が並んで正座している。出海はその前で正座している。

 

「えっ・・・まだ説教イベント続くんですか・・・?」

「しぃー」倫也が指を口にあてて沈黙を促す。

 

恵が大きく息を吐き出す。顔が少し赤い。

 

「いい?出海ちゃん。確かに置いてけぼりにされたのは、いい思い出ではないと思う。でもね、出海ちゃんはそれだけだよね?」

「はい」

「わたしなんてね。その相手の女性に倫也くんのファーストキスを奪われたんだよ?ねっ?倫也くん?」

「・・・うわぁあ!?恵、そこまで話つなげるの?」

「なかったことにしたいの?その倫也くんの大切な思い出」

「そりゃそうだよ!」

「ふーん。だったら霞ヶ丘先輩のことを、強制わいせつ罪で訴えればいいのに」

「・・・そこまでは・・・」

「でしょ?結局、倫也くんの中では青春時代の甘い思い出なんでしょ・・・あっ、なんか思い出したら泣けてきた」

 

恵が目元に手を当てて、ウソ泣きをする。

 

「なぁ・・・恵。ごめん・・・あれは突然だったんだよ」

「隙がありすぎるんじゃないかなっ!」

「ごめん」

 

恵が咳払いを1つする。

出海は何のコントをみせられているのだろう?と疑問に思っている。

 

「ねぇ、出海ちゃん。その時のわたしの気持ちわかる?

 

「いえ・・・」

「好きな人が他の人にキスされる悔しさとか、無念とか、嫉妬とか、それなのにその人と将来仕事したがっているとか・・・あとでゲーム制作ほっぽりだして・・・」

「わぁー!恵。落ち着いて!落ち着いて!」

「そりゃあ・・・わかりませんけど・・・」

 

 

 

「倫也くん。ちょっと遠い」

「うん?」

恵がにじりよって距離をつめた。

「ちょっと、こっち向いて」

「どうした?」

恵の顔がまっかだ。

 

(まさか・・・恵先輩・・・)出海があせる。

 

恵は手を倫也の頭の後ろに回して近くに寄せた。

 

 

 

Chu!

 

 

 

と、キスをする。

軽く唇が触れただけの、挨拶のようなキス。

 

それから、恥ずかしくなって下を向いたまま黙っている。顔は真っ赤で、シューと頭から煙もでている。

 

 

 

出海が目を丸くして立ち上がり、「なんなんですかこれはー!!」と叫んだ。

 

 

 

倫也も固まっている。ここまでするとは思わなかった。

 

「ふふふっ」と恵がにやにや笑っている。

両手でぺちぺちと自分の顔を叩いて、「フラットフラット」と呟やいている。

 

いつまでたってもセリフがでてこない。満足したのか、セリフが飛んだのか。

 

仕方がないので、倫也が代わりにセリフをいった。

 

「今の出海ちゃんのような気持ちだってさ」

 

 

 

「・・・絶対ちがいますよね!

 

 

 

・・・帰りに転職情報誌でも買っていこう。

 

 

(了)

 



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雨の日は調子がでないので家の中で過ごそう

相合傘の話をする話


第28話 相合傘イベント

 

 

 

8月17日 火曜日 夏休み27日目。

 

 

 

未明から雨が降っていて、やむ気配はない。

恵は家で午前中に掃除と勉強をして、12時より少し前に家をでた。安いビニール傘をさして駅まで歩いていく。

 

恵は電車に乗ると倫也に連絡をとった。

 

『傘、壊れたから駅まで迎えにきてくれる?』

『OK』

 

すぐに返信がきた。駅で待つ時間は短縮したい。

倫也の家の最寄り駅に着いた。

恵はビニール傘を座席の横にぶら下げたまま電車を降りた。

 

改札を出て、邪魔にならないように柱の近くに立って倫也が来るのを待った。

 

今日はジーンズに黒いキャミソール、その上にレースの白いシャツを着ている。いつもよりお姉さんに見える。コンパクトで確認しながら、髪もピンでとめ、短く揃った前髪にはしなかった。

 

雨が降ったら相合傘イベントをしようと思っていたが、具体的な内容は考えていなかった。好きな人と雨の中を並んで歩き、1つの傘に入る。それだけで詩的だし、幸せな気分になる。

 

※※※

 

「おまたせ」

 

倫也が黒い傘をたたみながら駅の中へ入ってきた。手には赤い女性用の傘を持っている。

 

「・・・だよね」

「どうした?」

「普通、傘もってくるよね」

「だって、傘が壊れたって・・・」

「うん。倫也くんは何も間違ってないよ。生れてきたこと以外は」

「全否定!?」

 

倫也は苦笑いをする。

 

「普通さ、シナリオを書いているんだし、やっと雨が降ったわけだし、相合傘イベントだなってわかりそうなもんじゃないかなっ」

「うーん。相合傘イベントは導入が大事って言ってなかったっけ・・・?」

「・・・言ってた」

 

やはりヒロインが困った時に、助けてくれるから相合傘イベントは良いわけで・・・恋人同士が入るのはまたちょっと違う気がする。

 

恵は倫也から赤い傘を受け取った。持ち手も装飾されていて高級な傘だ。

 

「入っていくか?」

 

倫也が雨模様をみながら言った。そこまで強くないし、2人で入ってもそんなには濡れないだろう。

 

「どうしようかなぁ・・・」

 

やっぱり腑に落ちない。

なんかやっていることが、あの金髪幼馴染と同レベルな気がする。

 

「はいらない」

 

恵は歩き出すと赤い傘を開いた。

それからスタスタと先に歩いていく。

 

「ランチにパン屋でも寄っていかないか?」

「・・・うん」

 

個人経営のパン屋の店内は狭いが種類は意外と多い。店の外の傘立てに傘を置いて2人が入る。

恵がトレイとトングを持つ。

 

「倫也くん、どれにする?」

「メロンパンとコーンマヨ。あと、みんなが食べるかもしれなし袋のドーナッツも」

「冒険しないよね」

「ここ、そこまで攻めているパンはないよ」

「そうだね」

 

恵も無難にカレーパンと三色豆パンにする。一通り食べたが、人気のものはやっぱりいつ食べてもおいしい。おやつ用にアップルパイとダークチェリーパイも買っておく。

レジで10枚切りに食パンをカットしてもらい、それは家でサンドイッチを作るのに使う。

恵がスマホで会計をすませる。

 

「あっ、出すのに」

「たまにはね」

 

恵がパンの入った袋を倫也に渡す。倫也はそれを無言で受け取った。

 

※※※

 

傘を指して並んで歩いていると、あまり会話は弾まない。距離が遠いのと雨が傘に当たる音が邪魔になるからだ。それでも、何かしゃべろうとしたが、やはり気のりしない。

結局、無言のまま家までたどり着いた。

 

恵は赤い傘を閉じて、それをドアの取っ手にかけると、倫也の傘の中に入っていた。

 

「ん?」倫也がなんだろうと思う。

 

恵は倫也の方を向きながら、目を閉じる。

 

「あっ・・・えっ・・・ええっ・・・?」

倫也が慌てる。いやいや、キスするような流れじゃないと思って油断していた。

どうしようかと迷うと、恵が片目を開けて倫也を見ている。

 

白いレースのシャツの胸元は開いていて、黒いキャミソールと恵の鎖骨がみえる。

それから、一呼吸を置いて、倫也は傘をさしたまま恵の顔に近づき、その形のよい唇にそっと合わせ、すぐに離れた。

恵が目を開けて、じっと倫也を見つめている。顔はちょっと赤い。

 

「鍵を貸して欲しいだけなのだけど・・・」

「そんな仕草じゃなかったよねぇ!?」

 

恵は倫也から鍵を受け取り、くるりっと向き直ると玄関の鍵を開けて、中へとはいっていった。

 

「うーん・・・」

 

傘を傘立てに戻して、靴を脱いであがっていく。どうも納得がいかないようだ。

 

※※※

 

倫也がコーヒーを淹れている間に、恵はクリームのはいっているパイは冷蔵庫にしまい、パンは2つにカットしてからお皿に盛り付ける。

 

テーブルまで運び、向かいあって座る。

 

「いただきます」と倫也が言う。

「いただきます」と恵も言う。

 

パンをかじりながら、恵は考えている。

 

「やっぱりさ、『転』のない物語は面白くないのかな?」

「度合にもよると思うけど・・・相合傘イベントの導入についてだろ?」

「うん」

 

恵がコーンマヨを最初に手にとったので、倫也も同じものを手にとる。だいたい同じぐらいのペースで食べていく。

甘いパンもあるので、コーヒーはブラックだ。

 

「恋人同士なら一本の傘ででかけてみてもいいと思うけど」

「でも、わたし達は恋人じゃないもんねー?」

「・・・そうだな」

 

倫也は目をちょっとそらせる。もはや恵が何を考えているかよくわからない。

 

「恋人同士じゃないのに、ちゅっちゅたくさんしているのはどうなんだろうねー?」

「・・・そうだな」

「告白もされてないし」

「・・・そうだな」

「けじめをつけないまま、夏が終わるんだよね」

「・・・そうだな」

「原作がそうだし、仕方ないか」

「だよな」

「それでいいと思っているのかなー」

「どうしようもないでしょぉ!?」

「英梨々が来たら、また英梨々ともいちゃいちゃするんだよねぇ?」

「いま、英梨々関係ないよねぇ?」

「そうかな・・・」

「何か・・・機嫌悪い・・・?」

「別に・・・」

 

恵が三色豆パンを手に取る。これはほんのり甘くておいしい。なんだか少しヘルシーなイメージなのも良い。

倫也も同じものを手にとって食べ始める。

 

「後で、相合傘をして歩いてみよう」

倫也が提案する。

「どんな理由で?」

「ゲーム制作のシナリオの為」

「・・・それでいいのかなぁ」

「だって、体験してみないとわからないだろ?」

「そうだけど」

 

恵がコーヒーを飲む。

 

「ちょっと考えてみる」

 

それからは無言だった。

 

 

 

※※※

 

 

 

それから2人は倫也の部屋でゲーム作りをする。

倫也は相変わらずメインヒロインルートを書けずにいる。

恵は一週間ほどサボっているので作業が溜まっていた。出海から絵が届いているのでチェックしないといけないし、美智留の楽曲もいくつか仕上がっている。歌詞のチェックを聴きながらする。イヤホンをつけて音楽を聴いていると、無意識のうちに鼻歌を歌ってしまう。

倫也はデスクに座りながら作業している手をとめて、恵の鼻歌をしばらく聴いていた。とても上手だ。

 

2人は作業に没頭すると夕方ぐらいまで時間が過ぎてしまう。

途中でパイを食べるのも忘れていた。

 

「倫也くん。雨・・・まだ降っているかな?」

 

だいぶ小降りになっている。

倫也は窓の外を見ながら、ため息を1つつく。やっぱり雨の日は心が少し重く感じる。

 

「少し降っているけど・・・外にでてみる?」

 

恵は迷っている。倫也以上に心が重たい。最初は自分でもわからなかった。

 

「ううん。やめとく」

「・・・そうだな」

 

おそらくそれは・・・前作を思い出すからだ。物語は別でもイデアがつながっている。

 

「ごめんね。もっと楽しいイベントになると思ったのだけど・・・」

 

倫也はイスから降りて恵の後ろに座る。

それから恵の首のあたりから腕をまわしそっと抱き寄せた。

「俺も・・・ごめんな」恵の耳元で囁く。倫也の口元が少し恵の右耳にふれる。

 

「ちゃんとわかっているから・・・いつか・・・」

「恵っ・・・それ以上は言わなくていい!」

「いつか・・・英梨々ルート・・・作るんだよね?」

 

倫也は言葉を失う。どういっていいかわからない。先の物語の構想なんて知らない。

抱いていた腕を少しずつ下ろしていく。腕が・・・恵の胸のふくらみに当たった。

 

「あのさぁ・・・」

「どうした恵?」

「人がシリアスに浸っているときにさぁー」

「うん?」

 

恵が倫也の手をギューとつねる。

 

「いたたたたっ」

「どさくさに紛れて、触らないでくれる?」

「だって、いちゃいちゃする物語でしょう!?」

「そうだけど、時と場所を考えてよ」

「うーん」

 

倫也が恵から離れて、ベッドに座った。

恵が振り返って倫也を見る。天井の方を見て、照れながら指で顔をかいている。

 

「今で間違ってないと思ったけど」倫也はつぶやく。

 

恵も少し首をひねって考える。確かにそうかもしれないと思う。

 

「なんか調子でないなぁ・・・」

「天気のせいじゃない?」

「・・・うん。じゃあ、終わろうかな」

「うん」

「オチ・・・どうするの・・・」

「オチかぁ・・・じゃあ、有名なやつで」

「何?」

 

倫也が背筋を正して座る。

 

「整いました。『相合傘』とかけまして、『シナリオが終わった後の俺と恵』と解きます」

「その心は?」

「君が開いて僕がさす」

「・・・」

 

 

 

恵が首をかしげて、わからないなーという顔をしている。

わかるわけにはいかないのだ。

何しろこの物語は健全な高校生のラブコメなのだから。

 

 

 

(了)

 



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いちゃいちゃするに決まってるだろ take3

芸風だな

3000文字にこだわらないなら、倫也のツッコミのところで終わらしたかった。


 

 

8月18日 水曜日 夏休み28日目。晴れ。

 

 

 

ランチを食べ終わって、今は午後の3時過ぎ。

 

倫也はデスクでノートPCに向かい、メインヒロインルートを考えていた。しかし、なかなか思うようにシナリオを書くことができず、ワードは白紙のまま。

 

恵は倫也のベッドでゴロゴロ転がりながらマンガを読んでいる。淡いピンクのゆるふわカットソーに白いフリルのショートパンツをはいている。ショートパンツもぴったりしたものではないので、恵の露わになった太ももとの隙間から、角度によっては下着が見えてしまいそうだった。

 

さっきから倫也は後ろにいる恵のことが気になってしかたがない。

スカートの時の恵は鉄壁だ。いかなる方向でも物理法則を無視して下着が見えることはない。本人も立ち振る舞いを意識して絶対に見せない。その辺は清楚というよりは潔癖だった。しかし、どういうわけだかショートパンツの時は油断している。大胆に足を組み替える仕草をする。しかもベッドに寝転がっているから、倫也の方から見ると真下から覗いているようになる。

 

「あのさ・・・倫也くん」

「わっ!」

 

倫也は慌てる。棚に置いてあるフィギュアの隙間から覗いていたのがばれた。

 

「それ・・・いちゃいちゃっていうか、ただの変態だよね?」

「・・・ロマンだから(ぼそっ)」

「なに?聞こえなかったんだけど」

「で、恵、なんの本を読んでいるの?」

「話を誤魔化さないで欲しいのだけどなっ」

「恵、何か勘違いしていないか?俺はお前が何を読んでいるか気になっただけだぞ?」

「ふーん。そう」

 

恵が上半身を起こして、棚越しに倫也を見ている。

 

「ふたりエッチ」

「ぐはっ!」

 

恵が『ふたりエッチ』を読んでいた。

 

「あの・・・恵・・・そのマンガどこから持ってきたの・・・?」

「倫也くんの秘密の棚からだけど・・・?」

「じゃあ、秘密にしておいてねっ!」

「あー。お気になさらずー」

「気にしているのは俺だから!」

 

倫也はため息をつく。イスから立ち上がって恵の座っているベッドに腰かけた。

 

「やっぱり、親しい関係でも見て見ぬふりも大切だと思うんだ・・・」

「だって、あんな風にこそこそされたら嫌でも気が付くよ・・・しかも読んでみたら・・・」

「もう、その話題広げるのやめましょうか・・・」

「もう・・・しょうがないなぁ・・・」

 

恵が持っていたマンガを横に重ねる。追及するのは物語が終わってからにしよう思った。

 

「で、今日はどうするの?」

「えっと、これなんだけど・・・」

 

倫也は立ち上がって、プリントアウトしたプロットを渡す。

 

「あー、またこれかー」

「ダメかな?」

「別に・・・ダメじゃないけど、わからなくなっているんだよね」

「ん?どうした?」

「ほら、もうキスしちゃったし・・・倫也くん、なんでもかんでもすぐにキスしてくるし・・・」

「そう・・・だな」

「ありがたみがないというか・・・まんねりになるというか・・・」

「そうかな!?」

「そうだよぉ」

「でも、恵がキスをしたがってないか?」

「えっー、人のせいにするの?そう・・・そういうこというんだ?」

「違う?」

「違うよ。わたしは役割を果たしているだけだもん。別に倫也くんといちゃいちゃしたいわけじゃないんだよ?サークルメンバーとして、シナリオ作りに協力しているだけだし」

 

恵はフラットな表情をして、たんたんとセリフを言う。あくまでもサークルメンバーが建前である。

 

「えっと、じゃあ、俺が他のサークルメンバーといちゃいちゃしても割り切るの?」

 

恵の目が漆黒になる。

 

「もちろん。かまわないけど・・・倫也くん、また死にたいの?」

「死んだことないからね!?」

「もうさ・・・そういう分岐はいらないから」

 

恵は元の顔に戻る。表情の変化が上手になった。

それから口元に指を当てて、上を向いて考える。

 

静かにしていると外の蝉の音が聞こえてくる。窓の外は真夏でギラギラと太陽が照っている。エアコンのきいた部屋で2人はベッドの上。

不健全だなぁっと思う。

 

「倫也くん、ベッドの上に正座してくれる?」

「ん?こうか?」

 

倫也と恵が向かいあって正座をした。

 

恵はそっと目を閉じる。そう、こうやって向かい合って倫也の方を向きながら目を閉じるだけでキスをしてくれる。ゆっくりと心の中で数字を数える。3・・・2・・・1・・・

 

「あれ・・・?」

 

恵が目を開けると、倫也が顔を赤らめながらも何もしていない。

 

「えっ・・・俺、どうすればよかった?」

「・・・そんなの知らないよ・・・」

恵が目をそらせて、ちょっと拗ねる。

 

「えっと・・・キス・・・した方が良かった?」

「そんなことないしー。だいたい、そういうこと口にするかなぁ?」

「えっー」

 

恵がもう一度、目を閉じた。今度は大丈夫。こういうやりとりも楽しいなと思う。

3・・・2・・・1・・・あれ?

目を開ける。

 

「あの・・・倫也くん?」

 

倫也は膝の上に手を置いて、ぐっと我慢している。

 

「キス・・・しないの?」

「えっと、した方がいいの?」

「それは・・・倫也くんが決めることでしょ?」

「そうなの?」

「・・・」

 

恵がベッドから降りて、ハンドバッグを手に持った。

 

「帰るから」

 

倫也の部屋を出ていこうとした。

倫也は慌てて、恵の腕をつかむ。

 

「まってよ、恵」

「何?」

「俺・・・どうすればよかった?」

「そんなの知らないよ!でも、いちゃいちゃしたくないなら、帰る」

「恵はいちゃいちゃしたいの?」

「したくないよ・・・」

「だったらなんで・・・」

「あのさー安芸くん?」

「はい・・・安芸くんに戻ってるよ・・・」

「最後のチャンスだからね?」

「・・・はい」

 

恵はドアに寄りかかって、倫也の方を見て目を瞑った。

さすがに、倫也はすぐにキスをする。恵はそのまま倫也に腕を回して強く抱きしめた。

息が苦しい。鼓動が強く鳴っている。

 

「ね・・・倫也くんがキスをしたいだけでしょ・・・?」

 

恵が少し離れてから言った。照れながら倫也の方を見る。きっと倫也も照れているに違いない。

・・・が、倫也が目をキラキラと輝かせている。

 

「えっと・・・どうしたの?」

「恵っ!ついに・・・ついに・・・お前・・・成し遂げたな!」

「なにを・・・」

「めんどくさい女 属性!」

 

恵の目からハイライトが完全に消えた。

 

午後3時過ぎ。外は明るく。蝉が一生懸命に夏を演出している。庭先に咲いたひまわりが風に揺れていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

夕食。

 

倫也の目の前には皿の上に、ししゃもが一本と、ラップに包まれて電子レンジでチンした冷凍ご飯が置いてある。

 

恵はカルボナーラを一人前作り、ミニサラダと一緒にいただきますも言わずに黙々と食べている。

 

「あの・・・恵っ・・・さん」

「話かけないで」

「・・・ごめん」

「・・・」

 

「あつぅ!」倫也がラップから御飯を出そうとしたとき湯気の熱さに驚いた。何とか皿の上に出す。ししゃもも焼いたものでなく、レンジでチンしたもので腹の卵が破裂して無惨な姿だ。

本気で怒っているので、ピーマンすらでてこない。

 

箸もおいてないので、倫也はたってキッチンまで箸をとりにいく。ついでに麦茶をいれる。

 

「あのさ・・・」

「話かけないでっていったよね?」

「・・・」

 

恵はフォークでくるくるとパスタを丸め、口に放りこんで食べている。

 

「誉め言葉のつもりだったんだよ・・・」

「・・・(あんなこと言われて喜ぶ女はいないと思う)」

「大事な属性っていうかさ・・・」

「声、聴きたくないから黙っててくれないかなぁ」

「ごめん」

 

恵は食べかけだったが、フォークを置いて流し台まで運ぶ。

 

「残すの!?」

 

それから、ハンドバッグをもって、玄関へ向かった。

倫也が慌てて追いかける。

 

恵は靴を履いて、玄関から出ていった。

倫也は恵の後ろをついていく。

 

「ごめん」

 

恵は無視してスタスタと歩いていく。

 

「楽しく終わる物語にするんだろ?」

「けっこうです。最終回でいいから」

「うわっ」

 

あまりにも早く歩いていくので、土下座するタイミングもない。

倫也は困った。『面倒くさい女』は恵の大事な属性だけど、口に出していうようなものではない。言ったらそれは致命的な悪口になる。

 

「週末・・・納涼祭りにいくんだろ?」

「いかない」

「金魚すくいするって、影で練習しただろ?」

 

そう。この物語の恵は努力家。これは『負け犬』の頃から変わらない。

とりあえず、お椀にいっぱい金魚をすくえるようになった。どれくらいが演出的に適量なのか、いまいちわからない。

 

「知らない」

 

恵が声を低くして答える。怒ったトーンが大事。

 

「それに、わたがしを持って記念撮影もしたいだろ?」

「子供じゃないんだから」

 

なんだかんだ、受け答える。

外はまだ暑い。近所の網戸からTVの音が聴こえる。

 

「なぁ・・・ほんとに、このまま終わらせるのかよ」

 

もちろん、そんな気はない。とはいえ、ただでは許せない。

許せないが許さないわけにもいかない。

 

「だって・・・安芸くん?」

「はい」

 

恵が立ち止まって振り返る。

 

「着ていく浴衣がないもん」

「えっと・・・先日買ったよねぇ?」

「・・・ならいい」

 

恵がまた前を向いて歩きだす。

 

「まさか・・・恵。もう一着浴衣を買うつもりじゃ・・・」

「まさかー」

 

買うつもりなんかない。

 

「えっと・・・恵っ・・・」

「ねぇ安芸くん?」

 

今度は歩みを止めない。

 

「わたしは・・・安芸くんのメインヒロインなのかなぁ?それとも、ただの『面倒くさい』女なのかな?」

「メ・・メインヒロインだよ!決まっているだろ」

「じゃあ、メインヒロインが大事なイベントで同じ衣装ってどうなのかなぁ?」

「・・・」

「夏祭りなんだよねぇ?和装なんだよね?」

「予算が・・・」

「それ・・・英梨々ルートの予算組んでいるからじゃないの?」

「ちがうからっ!」

 

倫也があせる。これ、うまく謝らないと大変なことに発展する。

 

「なぁ、こないだの浴衣はとても似合っていたし可愛かったろ?」

「夜空に花火だから、紺が映えるんだよ。でも、今度は夏祭りなんだよね?屋台で明るい所を華やかに歩きたいなって思ったのだけど」

「それで?」

「白い生地に赤い花の浴衣なんだけど?」

「・・・それは・・・恵ならなんだって似合うだろうけど・・・」

 

恵が立ち止まって。倫也の方をじっと見る。

倫也が迷っている。

 

恵がそっと目を閉じる。

 

・・・倫也が選べる選択肢は、『yes or はい』だけだ。

 

ゆるふわのカットソーが風で揺れている。太ももはエロい。

顔は可愛いし、いったい倫也に何ができるというのだろう?

 

そっと、キスをした。

 

「ね。心配しないで倫也くん」

「何を!?」

「今回は採寸して発注済だから」

「決定事項ですか・・・そうですか・・・」

 

「ふふふっ」と恵が笑っている。笑顔が一番可愛い。

倫也は観念して恵の手を握った。

 

「家まで送るよ」

「うん」

 

恵が倫也に腕をくっつけて、それから手を恋人つなぎにした。

 

 

 

(了)



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バカップルを演じるバカップル ・・・と、巻き込まれる出海ちゃん

世界観的には これはひとつの到達点のような気がする。

倫也&恵の夫婦漫才よりも +出海ちゃんでトリオがいいんだな


 

 

 

8月19日 木曜日 夏休み29日目。

 

 

 

お昼を少し過ぎた頃、恵は買い物をついでにしてから倫也の家にやってきた。今日は白いワンピースにピンクのサマーカーディガンのメインヒロイン風衣装で、手には買ってきた特売の卵がはいったエコバッグを持っている。

 

倫也はリビングのソファーで紙にメモをしながらゲーム制作を進めていた。呼び鈴がなったので、玄関まで恵を迎えいにく。

 

「おはよ。倫也くん」

「おはよう。恵」

 

倫也は恵からエコバッグを受け取って、冷蔵庫へしまいにいく。

恵は洗面所で手を洗って、倫也の隣に座った。

 

「どう、今日のお題は決まった?」

「それが・・・なかなか」

「もう、ネタ切れになってからずいぶんたつもんね」

「そうなんだよ・・・一応プロットだけでも書いてみたけど・・・」

「見ていいかな?」

「もちろん」

 

恵に手書きのレポート用紙を手にする。

倫也はキッチンでグラスに氷とアイスティーをいれ、少量のガムシロップを加えてかきまぜ、スライスしたレモンを一枚飾った。

 

「暑い中、お疲れ」

「うん。あっ、ありがと」

 

恵がすぐにアイスティーを口にする。

 

「で・・・どうだろうか?」

「さすがに・・・ネタ切れって感じがやばいんじゃないかな?」

「やっぱだめかぁ・・・」

 

倫也がソファーに寄りかかる。今日は何をして恵といちゃつこうか。毎日何回もキスをしているものの、肉体的、性的な表現は限度がある。いい感じのものは自制心が危うい・・・例えば夜に映画を見たり、夜に部屋でゲームしたり、なんなら夜のシナリオってだけで危険な香りがする。

 

「・・・で、これ・・・やるの?」

「いや・・・とりあえず恵に相談してからと思って・・・」

「だって『バカップルを演じるバカップル』なんだよね?」

「うん。こう・・・いちゃいちゃしているカップルがしてそうな会話を・・・」

「それがこれなの?」

「うん。だから、あとは恵と相談して・・・」

「まぁ、やってみないとわからないよね」

「やるの?」

「だって・・・ネタ・・・ないんでしょう?」

 

恵がアイスティーを飲む。倫也もアイスティーを飲んでいる。別にネタがないわけではない・・・健全な高校生のネタがないだけだ。

 

 

 

※※※

 

 

 

「・・・と・・・ともりん」

「なんだい?めぐみん」

「ぷっー」

 

恵が手の平で倫也を制止してから、俯いて笑っている。

 

「あははっ、倫也くんこれ・・・」

「ともりんって呼んで。めぐみんたらぁー」

「なんで、おねぇしゃべりなの?」

「あら・・・そうね・・・タイム」

 

倫也が首をひねって考えている。おねぇの必要性はない。

 

「もう一回頼むよ。めぐりん」

「わかった。ともりん」

 

恵がコホンと咳をして、やり直す。

 

「ともりーん」

「なんだい?めぐみん」

「お昼ごはんなんだけどーぉ」

「もうそんな時間!めぐみんといると時間が過ぎるのが早いなぁー」

「何か食べたいもの、あるぅ?」

「俺が食べたいのは・・・き・み・だ・け」

「もう、ともりんたらぁー。じゃあ、わたしは・・・し・ろ・み・だ・け」

「そういう意味じゃないないよーめぐみん」

「うふふっ」

「きゃははっ」

 

・・・審議中

 

「台本だからね?」

 

恵が努めてフラットなトーンで言った。

 

「ああ、わかってる」

 

倫也も必要以上に真顔で答える。

 

「ど・・・どうしようか・・・倫也くん」

「どうしたんだい?めぐみん」

「ぷっー。やめてよ・・・ともりん」

「あははっ、でも、めぐみんも楽しそうに見えるんですけど!?」

「・・・そうなんだよねぇ・・・」

 

意外といけるかもっと恵が思いはじめた。いやいや、そんなバカな。

 

「もう・・・とりあえずお昼ごはん作るから」

「わかった。で、何を作るんだい?」

「何か食べたいものある?」

「俺は、めぐみんと同じものがいいな」

「わたしも、ともりんと同じものって思ってたのにー」

「一緒だね。めぐみん♪」

「そうだね。ともりん♪」

「きゃはは」

「うふふ」

 

2人が真顔で見つめ合って、同時に首を傾げた。なかなか難しい。

何事も一日で習得はできず、試行錯誤が必要だ。

 

 

 

※※※

 

 

 

テーブルに向かいあって、そうめんを食べている。

 

「めぐみん。どうする?ボツにする?」

「今どれくらい?ともりん」

「半分を過ぎたぐらいだな」

 

恵がそうめんを麺つゆに少しつけて、音をできるだけ立てないように食べている。

倫也は麺つゆにどっぷり付けたまま、しゃべっている。

 

「相変わらずオチは用意していないんだよね?」

「うん」

「だよねー・・・」

「出海ちゃんに頼ろうかと・・・」

「このお題で?」

「意外と2人でもいけそう・・・?」

「どうかなぁ・・・でも、バカップルって確かに人前でやるからバカップルなだけで、2人でやっている分にはただのアツアツのカップルだよね」

「だなっ!」

 

いや・・・ただのバカだろ。と言うツッコミ役が必要。

なので・・・出海ちゃんを呼びたい。

 

 

 

※※※

 

 

 

 昼食が終わって、2人は倫也の部屋に行く。倫也はさっそくコンセプトと先ほどの台本を出海にメールで送り、返信を待つ。すぐに電話がきた。

 

『あの・・・倫也先輩?』

「出海ちゃん。こんにちはー」

『こんにちはー、じゃないですよ?なんですかこれ?正気ですか?』

「どうかな?」

『丁重におとといきやがれっ!って感じでお断りします』

「そっか・・・じゃあ、ボツだな」

『勝手にしてください。だいたい・・・』

 

恵が倫也のスマホを取り上げた。

 

「もしもし、出海ちゃん?」

『あっ、恵先輩』

「あのさー、ごねるみたいなサイドストーリーはいらないから、すぐに来てくれる?」

『だから、お断りすますって!』

「断れないから」

 

恵がスマホを切った。やるといったらやる。

ゲーム制作のシナリオのために、個人の感情など関係ない。

 

 

 

※※※

 

 

 

 3時過ぎ。出海が倫也の部屋にいる。不機嫌な顔をしている。

 

「あの・・・倫也先輩・・・」

「出海ちゃん。あとでケーキ買いにいこう?」

「食べ物で釣らないでください。ケーキは買いにいきますが」

 

倫也が出海をなだめる。

恵はクッションの上に正座している。

 

「で、出海ちゃん、台本読んだ?」

「はい・・・」

「いろんな役どころがあるけれど、これも大事な役だから」

「あの・・・別に2人でいちゃついていればいいじゃないですか?」

「こないだも言ったけど、シナリオのためだから。ねっ?ともりん」

「・・・そうだな。めぐみん」

「同意していないのに、勝手にはじめないでくださいっ!!」

「そう・・・それだよ!出海ちゃん。さすが出海ちゃん」

「うんうん。いい感じだね出海ちゃん」

「そうですかー・・・てへへ・・・って、おだてても無駄ですから!」

「ノリツッコミまで!」

「これは手ごわいよ、ともりん」

「そうだね。めぐみん」

 

出海はため息をつく。無駄な抵抗はやめよう。

ああ、確か美智留先輩は座禅を組んで悟りを開いていたなぁっと思い出す。

・・・とっとと終わらそう。

 

「じゃあ、始めてください」

 

出海がしぶしぶ言った。ケーキを2個は買ってもらおう。

 

倫也と恵が並んで座る。2人の間にはノートPCが一台。

出海はデスクのイスに座って2人を見下ろしている。

 

「ねぇねぇともりん・・・」

「ん?どうした、めぐみん?」

 

(なんか寸劇がはじまったぁ~)

 

「ここ・・・わかんないだけどぉー」

恵が甘えた声できく。

「どれどれ?・・・よく見えないなぁ・・・」

倫也がノートPC画面に近寄っていく。

「そこじゃないよぉー」

「えっ?どこ?めぐみん」

「ここっ」

 

恵が自分の胸の間を指で示す。

 

(なんぞ?)出海はさっぱりわからない。

 

「わたしの気持ちがわからないの」

 

なんだかよくわからないけど、とりあえずしおらしい演技をする恵。

 

「それは・・・自分の心に耳を傾けてきいてごらん?」

 

倫也もよくわからないがもっともらしいことを言う。

 

「でも・・・ともりん。自分の耳はくっつけられないわ」

 

恵の顔が赤い。

 

「そ・・・それじゃ・・・しょうがないな・・・」

倫也が恵の胸に右耳を近づけていく・・・

 

(まさか・・・)

 

そこで、倫也は固まってしまう。胸がもう少しで当たりそうだ。

 

「はやくぅ・・・ともりん」

「ほんとに・・・いいのか・・・恵」

「シナリオのためだもんね?」

 

恵が倫也の頭を抱えて、ギューと抱きしめる。

倫也は恵の柔らかい胸の中に顔がうずまってしまう。

 

「うわぁ!?」

思わず、出海が声をあげる。こないだといい、今回といい、何を見せつけられているのだ。露出狂のカップルなんだろうか?

 

ドキドキドキドキ・・・

 

恵は鼓動が高鳴る。もうどうしよもなく恥ずかしい。やっていることも、シナリオの内容も。

倫也はよくわらかんが、幸せだった。もうどーにでもなぁーれ。

 

「恵っ・・・」

「めぐみんでしょ」

「めぐみんっ・・・何も聴こえない」

 

恵が倫也を抱えている手をはなした。倫也が元の位置に戻る。

 

「あっ、いけね。耳栓してたわ」

「もう・・・せめて伏線ぐらい置いてよ」

 

そして、倫也と恵が出海の方をいっせいに見て、おおきくうなずく。

 

(どうやら寸劇が終わったらしい・・・いったい、わたしにどうしろというのだ)

 

「あの恵先輩・・・質問いいですか?」

「なぁに?出海ちゃん」

恵がうながす。

 

 

 

「なんで、こんなシナリオにしようとしたのか・・・恵先輩の動機(動悸)がわかりません」

 

 

 

おあとがよろしいようで・・・

 

 

 

※※※

 

 

 

「・・・倫也くん。ボツにしようか」

「・・・そうだな」

「ボツでもいいですけど、とりあえずホールケーキ買ってもらえます?」

 

 

 

(了)

 




ボツどころから作者的にはお気に入りになっていたりして


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金魚すくい

 

 

 

8月20日 金曜日 夏休み30日目。

 

 

 

「ただいまー」

 

恵が少し疲れた声でいった。

倫也が扉を開けて、恵を先に家の中にいれる。

恵は草履を脱いで家へあがり、洗面所で手を洗った。倫也は新しいタオルを恵に渡し、自分も手を洗う。

 

午後6時。まだ外は夕闇に沈まず明るい。

鈴虫の声がどこからともなく聞こえていた。

 

恵はソファーに腰を下ろす。

倫也はキッチンでグラスに麦茶をいれて、ソファーの前の小さなテーブルに置いた。

恵はお礼をいったがすぐには口をつけない。

 

倫也は流し台のプラスチックのタライを綺麗に洗い、そこに水を張り、少量の塩素中和剤をいれる。温度計で温度を確認する。

恵が手にもっていたビニール袋を受け取ると、紐を蛇口にかけて水が混じらないようにビニール袋の底を水につけた。

 

恵は先週と同じ紺色の浴衣を着ている。髪型も自分でセットして整髪料では固めずピンとヘアゴムで結っているだけだ。

うちわで軽く仰いで、エアコンがきくのを待っている。

 

倫也がはす向かいに座る。

 

「浴衣。とても似合っていて可愛い」

「うん。ありがと。それ、今日何回も聞いた」

 

恵は静かに答える。もちろん何度言われても嬉しいものだ。

 

結局、新しい浴衣は買っていない。あれはあのシナリオのための会話だ。そんなに無駄使いができない。それに、この浴衣をとても気に入っている。

 

「でもさ、また家からシナリオは始まるんだね」

「ほっとするだろ?」

「まぁ・・・そうなんだけど」

 

 

 

※※※

 

 

 

倫也と恵は早い時間に納涼末に行き、そこで屋台を巡った。わたがしを買って一緒に食べたり、型抜きをして恵が賞金を稼いだり、射的でつまらないおもちゃをとったりした。倫也はデジカメで撮影していく。これがあとでゲームの資料になる。

 

恵は出会った頃に比べて、表情がずっと豊かになった。嬉しそうに笑い、恥ずかしそうに照れ、そしてわざとらしく怒ってみせる。倫也はシャッターを切りながら、その都度ショートストーリーがあたまに浮かぶ。今回のゲームで使えなくても、いずれ使うかもしれない。

恵はスマホで写真をとる。倫也と2人でいる時間を記録していく。

 

2人で写真に写るときは、やはり緊張する。それでも向かいあって笑ったり、ちょっと拗ねてみたり、それからキスをしようとしてみたり・・・いろんなふたりを撮影した。

 

 

 

※※※

 

 

 

恵が麦茶を飲む。

 

「で、今回の話は?」

「金魚すくいだな」

「もう、掬ってきたよ?描写はされなかったけど」

「ああ、そうだな」

 

ここで、恵が一部シナリオをカットした。

 

「恵っ!?」

「しょうがないよ。そんな動物保護の暗い話はちょっと・・・別の機会にして欲しいかな」

「・・・わかった。そういうわけでだ。日本の縁日の文化である金魚すくいもいずれは無くなるだろうね」

「ふーん」

「あの金魚って、餌金なんだよ」

「餌金?」

「アロワナみたいな肉食魚の餌にするための金魚」

「なんか残酷だねぇ」

「生命は命をいただいて生きるからな」

「そうだけど」

「そういう100匹単位で購入するような安い金魚なんだけどさ」

「うん」

「こんな三日も縁日で追いかけまわされると、ストレスと疲労でまず生き残れない。昔は売れ残った金魚を下水に捨てていたんだよ」

「うわぁ・・・」

「それでもアクアリウムファンは金魚をメンテナンスして元気にして飼おうとする。これを『金魚救い』って言う」

「おあとがよろしいようで」

「まだ、おわらないから」

「あー、うん。なんか暗い話だね・・・」

 

夏祭りイベントってもう少し楽しいのを想像していた。まさか、こんな金魚の話だとは・・・

 

「だから、こういう初日の夜の前なら金魚が元気だし、救いやすい」

「元気だったから掬いにくかったけど・・・」

「5匹も掬えれば十分だろ」

「そうだね・・・それで?」

「ああやって、温度合わせをして、それから少しずつ水合わせもしていく。病気になったら治療薬も入れる」

「へぇ・・・」

「ところで、金魚飼いたい?」

「別に・・・ほら、金魚鉢で泳がせるのは可愛いなとは思うかな」

「あれはだめだ。水が少ない。エアレーションも空気いれるだけだろ」

「エアレーション?」

「ぶくぶくと空気いれるやつ」

「ああ、宝箱やカバの口が開くようなのもあるよね」

「あれはもっとだめだな」

「そうなんだ」

 

恵はため息をつく。

アクアリウムオタクの倫也くんはすごく面倒くさいと思った。

 

「それで、この話のオチは?」

「それがさ・・・」

「またないの?」

「さっきの金魚掬いと金魚救いをかけようかと・・・」

「あー、またそういう謎かけなんだね」

「一応、他のも考えたんだけどな・・・上手くまとまらなくなって・・・」

「どんな?」

 

倫也が考えのまとまっていない話をしはじめた。

 

「こう・・・俺が屋台の金魚掬いの水槽で泳いでいるわけ」

「倫也くんが?営業妨害?」

「ちがうから!えっと。金魚になって、泳いでいる」

「ふむ。なんかマンガにありそうな話だね」

「うん。で、恵が金魚掬いにきて、ポイで俺を追いかけまわす」

「その金魚を欲しくなるわけだね?」

「まぁ、そうだな」

「それで?」

「恵が『もう、なんで逃げるかなー』みたいなことをいう」

「もうぅー、なんで逃げるかなっ!」

恵が苛立ったふりをした。

 

「さらに『溺れちゃうよ?』みたいにいうのだけど」

「金魚が溺れるの?」

「そそ、そこが上手くつくれなくって・・・」

「まだ続くの?」

「うん。それで、俺が『恵になら溺れたい』・・・みたいなことを・・・」

「あーそう」

 

恵が上を向いて考える。さすがに白々しいセリフに顔を赤らめて照れることはできない。できそこないの話なのはわかる。

 

「うん、でもさ、そんな日もあるよね」

「そんな日?」

「上手くオチができない日。でも、だったら最初から縁日で遊んでいるようなシナリオで良かったんじゃないの?」

「そーだな・・・でも、俺さ・・・恵とこうやって物語の話をしているのが好きなんだよ」

「・・・うん」

 

倫也が物語を考えて、恵がそれをすこし修正する。それが楽しくて将来は結婚まですることになる。

 

 

 

※※※

 

 

 

恵が麦茶を飲み終わって、立ち上がった。ずれた浴衣を直す。

 

「じゃ、帰るね」

「帰るの?」

「うん。だって、今日は平日だし、浴衣姿は家に帰らないと・・・明日この浴衣をまた着て帰らないといけなくなるもん」

「ああ、そっか。先週も泊まらなかったもんな」

「うん」

「明日は・・・?」

「明日は、明日になってみないとわからないよ。また倫也くんに『面倒くさい女』とか言われるかもしれないし」

「根に持つね・・・」

「うん。一生忘れないから」

「そこは忘れようよ・・・」

 

恵が玄関に向かう。

 

「送っていくよ」

「いいよ、まだ明るいし」

「じゃあ、駅まで」

「・・・うん」

「ちょっとまってて、急いで着替えてくる」

 

倫也は部屋に駆け上がって、慣れない浴衣を脱いで、適当な服を着る。

それから急いで戻ってきた。

 

「なんていうか・・・そんなに急がれると、早く帰れって言われているようで・・・」

「深読みしすぎだよ!」

「ごめん」

 

恵がちょっと舌を出して謝る。それから微笑んだ。

 

 

 

※※※

 

 

 

外はずいぶんと暗くなってきていた。薄い雲が流れているのがみえる。

 

「倫也くん、夏休みもあと少しだよ」

「早いな」

「40話以上も短編作るの大変だと思ったけど・・・なんとかなりそう?」

「あと10話ぐらいだろ?恵がいればなんとか」

「だといいけど」

 

恵は手に持った辛子色の巾着袋を揺らしている。帯のところにうちわを挿していて、暑い時は使うが、日も暮れて今は過ごしやすかった。

 

「駅まで・・・手をつないでいいか?」

「うん。でも、そういうのは黙って手を添えて欲しいかな」

 

倫也が恵の右手をそっと握る。

恵が浴衣に草履なので2人はゆっくりと歩いている。

周りの人にはこれから夏祭りに向かう2人にみえるだろう。

 

「倫也くん、明日の予定は?」

「恵が泊まっていくなら、夜をゆっくり過ごしたいかな」

「そうだね・・・」

「うん?どうかした?」

「いや・・・自制心を総動員しないとね」

「だな!」

 

やがて駅に着く。駅前は賑やかだ。

街中華もある。

 

「何か食べてく?」

「ううん。縁日でいろいろ口にしたし・・・このまま帰るよ」

「わかった」

 

2人は手を離す。この瞬間が少し寂しい。

改札を抜けて、駅のホームに入っていく。

 

「少し座ってお話をしていいかな?」

「うん」

 

恵と倫也がベンチに並んで座った。

恵はうちわをもって、パタパタと扇ぐ、ときどき倫也の方にも扇ぐ。

 

「ねぇ、明日やってみたいイベントがあるんだけど・・・」

「恵から珍しいな」

「ほら、いちゃいちゃするイベントだし・・・たまにはね」

「どんなの?」

 

ホームにアナウンスが流れて、電車がやってくる。

 

「えっと・・・その前に、ネグリジェなんだけど・・・」

「うん?」

「英梨々のお古なんて嫌だ」

「あっ」

 

英梨々パートで英梨々が恵の買ってきたピンクのネグリジェを横取りしている。

 

「ふむ・・・買う?」

「うん」

「昼間買いにいく?」

「そう・・・しようかな」

「わかった」

「どうせ、家からシナリオはじまるものね?」

「もちろん」

 

ホームに電車が到着して、ぞろぞろと人が乗り降りしている。

恵は立ち上がらず、喧噪が過ぎ去るのを待っている。

やがて、電車の扉が閉まり、発車していった。

 

「これなんだけど・・・」

 

恵が隠していたメモ用紙を渡した。

倫也は受け取って、中を確認する。

 

「・・・これ・・・やるの?」

「どうかな?」

「高校生だよな・・・俺ら」

「高校生ならこれくらいしているよ」

「健全な高校生だよな・・・」

「・・・やりたくないならいいよ。捨ててくれる?」

「でもさ・・・これ・・・我慢できるの?」

「倫也くんが我慢できればできるよ」

「・・・賢者タイムでやるか・・・いててててっ」

 

恵が倫也つねった。

 

次回予告。

 

倫也「夏休みも残すところ1/4、長いようで早い夏が終わる」

恵「そして発展していく2人の仲は遂に禁断の領域へと踏み込む・・・の?倫也くん?」

倫也「次回!『抱かれたい恵』」

恵「もう、倫也くんのえっちぃ!」

 

倫也「・・・」

恵「・・・」

 

 

 

次の電車がくるまでまだしばらくの時間がまだ少しある。

 

 

 

(了)

 



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抱かれたい恵

なるほどなぁ


 

 

 

8月21日 土曜日 夏休み31日目。快晴。

 

 

 

恵は朝から緊張していた。

 

自分で発案したイベントである。失敗はしたくない。『恵といちゃいちゃして過ごす夏休み』の題名に相応しい一日にするつもりだ。今日のサブタイトルもストレートで気にいっている。

 

下着の姿のまま立ち鏡の前に立ってポーズをとっている。体をひねりチェックをする。でるとこはでて、ひっこむところはひっこんでいる。

何しろ家の中でダラダラしている時間が長い。倫也が気を使って甘いお菓子をなんだかんだと用意しているのでついつい口にしてしまう・・・要するに油断すると太ってしまうのだ。

だから、家にいる間は有酸素運動をして、食事も極めて節制している。倫也の前ではダイエットをしているそぶりは見せない。料理はおいしく食べる。でも、見えないところでは一生懸命努力をしている。メインヒロインに相応しくなれるように・・・

 

白のシンプルな下着が恵のバストとヒップを可愛く清楚なものに印象づける。これが黒いレースだとかなり淫靡な雰囲気になり、濃いメイクをしたくなる。それも隠しきれない自分の一面ではあるが、あくまでも倫也の理想とするメインヒロイン像を大事にしたい。

 

服が悩ましい。こんな日はメインヒロイン衣装が一番楽である。しかし、ついつい着てしまい、今日は何か別なものを着ないといけない。部屋中に今まで着た服を並べる。最初から一週間のローテーションにしておけばよかったと後悔する。今更遅い。

 クローゼットを開け、ロングのワンピースを取り出す。モスグリーンのワンピースは前にボタンが付いていて、白い大きな襟がついている。どこかノスタルジックで恵はあまり気に入っていない。ハウス食品のアニメシリーズに出てきそうな感じがする。鏡の前で合わせてみるがしっくりこない。しかし、これにしようと決めた。たぶん、今日は納得のいく服が選べない。

 シナリオ時にはシャワーを浴びて着替えている。これは仮の姿にほかならず、清楚でおとなしい加藤恵のイメージを失わなければそれでいいのだ。

 

 そして、覚悟を決める。今日・・・倫也と結ばれたらそれはそれで仕方ない。なんならR18シナリオに行くことも選択の1つだと思っている。

 

 

 

※※※

 

 

 

 倫也はデスクの鍵のついた小さな引き出しを開ける。中には3つのものが入っている。サイフ、小さな箱、そして封筒。

鍵のかかった場所に保管しているのには理由がある。サイフはフェイクであり、隠したいのがこの封筒である。これは恵に見つかってはいけない。エロマンガや秘密のDVDや英梨々と写っている幼い頃の写真が見つかってしまってもしょうがないが、隠しておきたいものもある。

 そして今日大事なのは、この小さな箱である。セロファンの包装はすでに破いてあった。倫也はその箱を空けて、一応中身を確認する。大丈夫。ちゃんと入っている。これがないと状況によっては面倒になる。

 

 隣の部屋の箪笥の前に座り、一番下段の恵の引き出しを開ける。中にはピンクのネグリジェと黒の上下と淡いブルーの上下のルームウェアがはいっている。それと2種類の下着。倫也は下着を手にとって広げたい衝動を抑える。自制心を失うと変態へ一直線である。使用して洗濯したものが一組と、未使用の新品が一組ある。おそらく今日はこの未使用の方を身に着けると思う。話がそれた。

 

「どうしたもんだか・・・」

 

倫也はピンクのネグリジェを取り出した。恵が買ったものなのに、英梨々が最初に身につけた。倫也が手にもって広げると、英梨々の・・・あの遠慮がちだが美しい胸の形を思い出してしまう。白い肌に咲く、小さな淡いピンク色の・・・

倫也は首をふる。忘れないと。

 

とにかく、昨日の駅で恵があらかじめ警告をしてきた。洗濯したところでバレる。バレたらすったもんだがある。それを端折りたいので、予め処理をしておかないといけない。高級品ではないがたった一度使っただけである。英梨々に贈ることも考えたがサイズが合わない。その内、胸の隙間に気が付くだろう。

となると・・・美智留か。サイズが今度は小さい可能性があるのだろうか。フリーサイズにみえる。カップ付きのネグリジェの仕組みとか詳しくは倫也にはわからなかった。

 

その時、チャイムがなった。恵が来るには早い時間だった。

 

※※※

 

「やっほー。トモ」

「美智留か・・・」

 

倫也が玄関のとびらを開けて残念そうな顔をした。

 

「トモ、いくらなんでもひどいんじゃないの?これでも一応サブヒロインらしいよ?」

「らしいのかよ。自分で曖昧ならもういいだろ・・・」

「まっ、上がらせてもらうよ」

 

美智留がミュールを脱いであがってきた。

 

手を洗い、キッチンでグラスにダイエットペプシをいれる。

それからソファーに深々と腰をかけた。

 

「で、何の用だ?」

「その言い方・・・用がないと来ちゃいけないわけー?」

「いや、そうじゃないけど・・・たぶん、美智留がいると恵が機嫌悪くなるぞ?」

「そんなの関係ないしー」

「見張りか?」

「そだよー」

 

倫也はため息をつく。確かに見張りが必要かもしれないが、人前でできるイベントとできないイベントがある。出海の前でキスしたり、胸に抱かれたりしたが・・・もっと、直接的な表現になる。

 

「そうだ美智留。ちょっと相談したいことがあるのだけど」

 

倫也がネグリジェのいきさつを話した。もちろん、英梨々の胸が見えたことなどは話さない。

 

「あんたもよーやるわ」

 

美智留があきれている。

倫也は2階からピンクのネグリジェを持ってきて、広げる。

 

美智留はタグを見て、着られるかどうか確認する。たぶん大丈夫だ。

 

「でもさー。これ、あたしには可愛すぎない?」

「イメージとは違うけどな。でも、いつも短パンとTシャツってわけにもいかないだろ?こういうのが必要な時が・・・」

「ないない」

 

美智留が手をふって笑っている。

 

「と・・・とにかくさ、もらってくれないか?ほぼ新品だし、捨てるには忍びない」

「そんなの加藤ちゃんが着ればいいじゃん。わがままだよ。許すなら知らないふりするのが愛なんじゃないの?」

「別に浮気はしてないからね!?」

「トモ、何もエッチをすることだけが浮気じゃないと思うよ?」

「・・・」

「もっというなら、風俗なら許せる人もいるから肉体的な浮気は軽いのかもよ?」

「俺、高校生だからね!?風俗とかいかないから」

「例えばだよ。例えば。トモと澤村ちゃんの関係は前作のこともあって特別なんだからさ。そりゃー加藤ちゃんだって不安だろうし、嫌なのはわかるよ」

「だから、証拠を・・・」

「捨てれば?」

「だよな・・・」

「あたしにも失礼だし」

「だよな・・・」

「あたしに着せて、見たいとかそういうのでもないんでしょ?」

「考えもしなかった・・・」

「ほんと、失礼なやつ」

「・・・はははっ・・・ごめん。美智留だけが頼りなんだ」

「とりあえず、袋にでもしまっておきなよ。Icy-tailのメンバーの肴にでもするから」

「恥がひろがっていく!?」

「自業自得じゃないの?」

「いやいや、そこの詳細は秘密にしておいてよ」

「うーん。まっ、わかったよ。トモ」

「おぅ・・・」

 

溜め息をまた一つ大きくついた。

 

 

 

※※※

 

 

 

12時を少し回った頃、恵がやってきた。

手にはショップの袋をもっていて、中身は今日のパジャマだ。

 

それから3人で昼食を一緒にとった。

 

「美智留さん、泊まっていくの?」

「そのつもりだけど・・・だって、このタイトルであんたらの自制心とか期待できないでしょ?」

「じゃあ、イベント内容変えるから。ね?倫也くん」

 

恵の目からハイライトが消えた。声のトーンも抑揚がなくなる。

ものすごく機嫌が悪くなる前兆なのが倫也にはわかる。

 

「なぁ・・・美智留。高校最後の夏休みなんだ・・・」

「でー?」

「今までだって、ちゃんと節度をもって過ごしてきた。一線を越えていないどころか、性的な接触なんてなかったんだぞ?」

「一線がなんなのかわかんないけどー。キスしてたよね?」

「・・・」

「それで信用っていってもなー」

「わかった。じゃあ、奥の手を出すから」

「ほう?」

 

倫也が自分のケータイを操作し始める。

LINEをうっている。これで、解決するはずだ。何しろ仕様しているカードが切り札の一つだ。

 

しばらくたって、美智留のケータイが鳴った。

美智留が画面を見つめると、目が少し泳いでいる。

 

「どうした?美智留?」

「いや・・・なんでもない。ちょっと席はずすわ」

「ああ。うん?」

 

美智留がケータイをもって、2Fへと上がっていった。

 

「何したの?倫也くん」

「伊織に連絡しただけだよ」

「波島君?それがどうしたの?」

「伊織はicy-tailのマネージャーをやっているだろ、何かと接する機会が多いんだよ。ライブの日程や演出の相談とか、グッズとか、ネット活動とか・・・」

「でも、リーダーってランコさんでしょ?」

「そうなんだけどな・・・実在性に怪しいんだってさ」

「何それ・・・」

「美智留が言うには、icy-tailのメンバーがいることは示唆されているものの、この同人ででてきてないからな」

「変なこといってる」

「うん。だから、icy-tailのメンバーで合っているといっても、つまるところは・・・」

「2人で合っているのと変わらないってわけ?」

「そういう理屈らしい・・・」

「よくわかんないけど、最近、2人は仲がいいわけだね?」

「たぶん。サイドストーリーはやらないって伊織がいっているから詳細はわからん」

「でも、それってサブヒロインとしていいの?」

「ダメだろうな」

「全国の美智留ファンが怒るんじゃ」

「レアだな」

「まっ、いっか」

 

美智留がドタドタと降りてきた。手には先ほど倫也が用意した袋を持っている。中にはピンクのネグリジェが入っている。

 

「トモ、ちょっと急用ができたから帰る!」

「あーわかったよ。じゃーな」

「加藤ちゃんもまたねー」

「はーい。お疲れさま」

 

美智留が玄関へ走っていった。慌ただしい。

 

「あれで、隠しているつもりなのかな・・・」

「ほんとな。気を付けた方がいいぞ。自他ともに」

「・・・うん」

 

恵が下を向く。一応ただのサークルメンバーであって、恋人ではない。正妻ではあるが。

 

 

 

※※※

 

 

 

昼食はざるそば。夏はシンプルなのがおいしい。ミニサラダも作る。鍋にお湯を沸かしている間に、夕食のカボチャを切っておく。

倫也はキッチンに立つ恵を手伝おうとするか、かえって邪魔になるときがある。テーブルにソバ猪口と箸を置き、麺つゆを規定の分量で割っておく。

 

倫也は恵に呼ばれて、茹で上がったソバをザルに流しいれる。少し重いし熱いので倫也が担当している。そのあと流水で麺を軽く洗いながら冷まし、最後に氷水でしめる。

 

2人が向かいあってテーブルに座り。

 

「いただきます」と倫也言う。

「いただきます」と恵も言った。

 

「夏だなぁ・・・」

「ほんと」

 

しみじみとソバをすする。倫也は麺つゆをべったりと付ける。

 

「夜のおかずなんだけど」

「うん?」

「うなぎ買ってきたから」

「おお・・・また奮発したもんだな」

「特売だったし・・・まぁ中国産なんだけど・・・」

「いいんじゃない?うな丼にでもするの?」

「どうしようかなっと思って。ひつまぶしにしようかなっとか」

「任せるよ」

「うん」

 

あとは、インスタントのお吸い物とカボチャの煮物。

 

「出海ちゃんはこないの?」

「さっき伊織に頼んだからこないだろうな」

「じゃあ、邪魔は入らないんだね?」

「うん」

「英梨々とか・・・霞ヶ丘先輩とか」

「邪魔はしてこない」

「ふーん・・・」

「心配?」

「ううん。メインヒロインの邪魔しないことを徹底しているんだなと思って」

「そうだな。ややこしくなっちゃうからな。『転』がいらないんだろ?」

「・・・うん」

 

恵は麺つゆをちょんちょんとつけて、音を立てずにソバを食べている。

 

 

 

※※※

 

 

 

倫也の部屋で2人はゲーム制作をしながら過ごした。倫也は相変わらずメインシナリオルートがなかなか書けない。恵はスクリプトを打ちこんだり、出海の描いた絵を訂正したり、美智留の音楽がどの場面に合うかを考えたりと忙しい。伊織の立ててくれた進行表がわかりやすく、難しいところは詳細まで説明してある。現在のところ非常に順調である。何も作業を手伝わないくせに、伊織がいると仕事が非常にスムーズになる。なんだか恵にはそれが面白くない。

 

「外、暑いかな?」

 

恵が倫也に問いかける。午後3時。そろそろおやつの時間だ。和菓子が食べたい。

 

「窓、開けてみたら?」

 

恵が立って、ベッド上を膝であるいて、窓を開ける。むわぁ~という空気が入ってくる。

 

「・・・うん。暑い」

「どうかしたのか?」

「和菓子が食べたいなぁっと思って」

「和菓子?」

「わらび餅とか」

「コンビニのでもいい?」

「・・・うん」

「俺、買ってくるよ」

「・・・うん。お願い」

「他には?」

「大丈夫」

 

倫也は鍵でデスクの引き出しを開けて財布を取り出す。

 

「そこに何がはいっているの?」

「秘密」

「隠し事はしないって約束しなかったっけ?」

「極めてプライベートなことだからね?仕事とは違うし」

「ふーん」

「恵だって、部屋で秘密の場所があるだろ?」

「わたしはやましい事ないもん。そんな場所ないよ」

「例えば、タンスの中を開けられて下着を一枚一枚チェックされたら嫌だろ?」

「それ、発想が変態じゃん」

「つまり・・・そういうことだ」

「そこに、盗んだパンツが隠してあるわけね」

「ちがうから!」

 

恵が笑っている。倫也はため息をついてから部屋をでて買い物に行った。

 

 

 

※※※

 

 

 

夕食を終え、2人はリビングのソファーに腰を掛けて、紅茶を飲んでいる。

 

「なぁ・・・恵」

「どうしたの?」

「うなぎ喰う描写がないと思ったら、5000文字超えているんですけど」

「それは、いささか冗長だよね」

「だな・・・そろそろ・・・」

「するの・・・?」

「しないわけにはいかないだろ・・・」

「もう・・・しょうがないなぁ」

 

恵が立ち上がって2階に上がっていく。

箪笥の中から、替えの下着を取り出し、今日買ってきたパジャマと一緒に持ってバスルームに向かった。

 

倫也がぼんやりとした時間を過ごしていると、ケータイが鳴った。霞ヶ丘詩羽である。

 

『あら倫理君。こんばんは。電話にでるとは思わなかったわ』

「こんばんは。詩羽先輩・・・。どうしたんです?」

『そんなの自分の胸に聞いてみなさいよ?』

「いや、別にやましい事なんてないですよ?」

『まぁいいわ。この物語はR指定をつけないのよね?』

「ええ、もちろん。原作アニメのように爽やかな高校生ラブコメですから」

『原作に爽やか要素があったかはおいといて・・・それならいいのだけど、気を付けないさいよ』

「はい。任せておいてください」

『R指定つけるなら短編で手探りしてからにしなさいよ』

「つけませんから!」

『そう、ならいいけど・・・あんまり澤村さんのことを泣かせないようにして欲しいのだけど』

「・・・」

『じゃ、警告は以上よ』

 

詩羽との通信が切れた。

 

 

 

※※※

 

 

 

 恵はシャワーを浴び終わり、バスタオルで体と頭をふく。真新しい下着を身に着ける。生地のデザインはシンプルだがフリルが付いている。色はピンク。

フェミニンで愛らしい下着は恵のイメージにピッタリだ。

それから白い薄い生地の服をかぶる。ワンピースタイプのもので、いわゆるネグリジェに分類される。膝上ぐらいの短いスカートで全体的にゆったりとしている。カップ付きでないので、肩紐とブラ紐が見えてしまう。肩紐なしのチューブタイプのブラにすべきだったかと鏡の前で思ったが、もうどうしようもない。

バスタオルを頭に巻き付け、ドライヤーを手にもった。

 

「倫也くーん。出るよー」

「あいよー」

「目。つぶっててくれる?」

「ん?」

「つぶった?」

「うん」

 

恵はバスルームからで階段を上がっていく途中で、

 

「いいよー。上で待ってるから」

 

倫也は恵が上がっていく足をきく、目を開けてバスルームに向かった。

 

洗濯機の中に洗濯物が入っている。恵の下着はネットに入れられた後、自分のワンピースで隠されている。この辺は本当に細かい。

こういう時は、わかりやすく一番上に下着を置いておくべきじゃないかと倫也は考えるが、別にエロ同人ではないので、しょうがない。

 

歯を磨き、シャワーを浴びる。

 

 

 

※※※

 

 

 

倫也が部屋に入ると豆球が1つついているだけで薄暗かった。カーテンは閉められて外からの光はほとんどはいってこない。

蛍光で光っている時計の針を確認すると、午後10時を回っていた。

 

恵は部屋の床に足を伸ばして座って、壁にもたれかかっている。じっと動かないでいるので、倫也はそこにマネキンが置いてあるようだと思った。

 

「恵?」

「あっ、倫也くん」

 

恵が顔を上げて、倫也の方をじっと見ている。

 

「えっと・・・大丈夫?」

「うん?別に平気だよ。ちょっと緊張しただけ」

「このまま暗い方がいい?」

「うん」

 

倫也はどこに座ればいいのかと考えたが、床のクッションに座った。

 

恵が考えたいちゃいちゃするイベントは、演出上で出海と意見を交換している時に発見した。それは・・・

 

 恋人同士の抱き方で相手の心理がわかるというものだ。

 

「さて・・・と」

 

恵が立ち上がった。小さな光源の下で、新しい白いネグリジェが光っている。光沢のある生地なのだろう。

 

「ごめんね。本当は明るくてもいいのだけど・・・この服・・・透けて見えるみたい」

「ちょっと・・・どういうこと?」

「どうもこうもないよ。中の下着の色が浮き出てしまうの」

「あー・・・」

「見る?」

「無理しなくていいよ」

 

倫也は優しく言う。なるほど。それで少し弱々しいのか。明るく元気にというわけにもいかないのはわかる。

 

「じゃあ、最初に・・・もっとポピュラーな恋人同士の抱き方を・・・」

 

恵が倫也の前にまっすぐ立った。顔を見つめ合う。どちらの顔も緊張して紅潮している。

 

「もう・・・どの辺が冴えカノなのか・・・」

「それは言うな・・・」

「腰のあたりに手を回してくれる?」

 

倫也が恵の後ろに手を回して、抱き寄せる。近い。

石鹸なのかシャンプーなのか恵自身の香りなのか、くらくらするぐらいい香りが鼻孔をくすぐる。

 

恵は小さくうなずいて、腕を上げて、倫也の首の後ろで手を組んだ。

洋画なんかである抱き方で、日本の女性だともっと少し謙虚な演出を好む。

 

それから、恵は目を閉じる。そして、時間をゆっくりと数える。

倫也の息づかいが聴こえる。

倫也も目を閉じて、恵にキスをする。唇がやわらかい。

 

今日、最初のキス。

 

恵が腕を放すと倫也も腕をほどいた。

恵は目を閉じたまま固まっている。

 

「恵?」

「ん・・・」

 

恵が目を開ける。倫也をじぃーと見ている。

 

「なんだっけ?倫也くん」

「何が?」

「えっと、この心理・・・」

「ああ・・・なんだろうな。お互いに好きです。みたいな感じじゃないの?」

「そのまんまなんだよね」

「心理テストでもなんでもねぇーよな」

「・・・うん」

 

嫌いな人とはできない。自分だけ好きでもできない。

 

電灯の真下なので、豆球でもそれなりに明るい。倫也は上から恵のブラ紐とネグリジェの間から見える胸の谷間とピンク色のカップを確認する。

 

凝視する。

 

「あの・・・倫也くん。見すぎ」

「しょうがないよねぇ!?」

「そのために暗くしているんだから・・・あんまりHな方向にもっていかないで」

「・・・無茶いうなよぉ・・・」

 

倫也は約束できない。

愛情表現とエロは別なものでなく、どこまで重なっている。

ギリシア神話の頃からエロスは愛の神だ。

 

「次は倫也くんの番ね。どんな抱き方が好き?」

「その聞き方も・・・困るな・・・」

「・・・」

「・・・」

 

2人で目線を横にそらして赤くなる。

 

「なかなか・・・ハードル高いね」

「直球すぎじゃないか?」

「もう・・・後にはひけないから」

「そうなの?」

「そう・・・なの」

 

恵がベッドに上がって、膝で中央まで歩く。そこでペタンと足を崩して座った。女の子座り。

倫也もベッドに上がって、恵の後ろから抱きしめる。

まだ、髪が少し濡れているように見えた。

 

「この抱き方・・・好きだよね・・・」

「いつも、後ろ姿を見ているからかな?」

「いつ?」

「デスクに座っている時さ、恵は下でノートPCいじっているだろ?」

「うん」

「その時に思うんだよ・・・」

「その時に、そんなこと思っているの!?」

「いつもじゃないからね!?」

「どーだか・・・」

 

恵は倫也にもたれかかってじっとしている。

うん、悪くない。そう思っている。愛されている感じがする。それになんだか少しほっとする。

 

「この心理は?」

 

倫也が恵の耳元で囁く。

 

「近いよ・・・もうぅ・・・」

 

恵が倫也のいる方に振り返る。そして倫也にキスをする。

 

今日、二回目のキス。

それから、すぐに顔を離して、もう一度キス。

 

「えっとね・・・」

「ちょっと待って・・・恵」

「ん?どうしたの?」

「・・・今、お前からキスしたよねぇ!?」

「そんなこと・・・」

 

そうかもしれない。目を閉じて待ってなかった。

 

「ダメなの?」

「いや・・・嬉しくて」

「ならいいよね?」

「そうだな・・・」

 

倫也のほうが緊張している。

優しく抱えている腕を上の方へあげて、恵の胸に・・・

 

「いててててっ」

 

恵がつねる。

 

「だから、そういう方向はダメなんだってば」

「・・・ご無体な」

「・・・R指定ついてないしぃ・・・」

 

恵だって我慢している。

 

「で、この心理は?」

「独占欲」

「・・・うわぁ・・・俺・・・そう・・・」

「倫也くん、独占欲強いよね。従姉妹とでかけるのダメっていってたし」

「メインヒロインがそうあるべきって話でしょ!?」

「じゃあ、行っていいの?」

「だめ」

「・・・認めたら?」

「何を・・・」

「知―らないっ」

 

恵が少し笑っている。『お前は俺のだ』なんて言われたら、ときめくよりも笑ってしまう。人にはあったキャラや言い回しがある。

 

「なぁ・・・恵」

「なに?倫也くん」

 

2人はもう離れて座っている。

 

「お前は・・・誰のものにもならないで欲しい・・・」

「ん~。それって、nobody can be get my love みたいなこと?」

「なんで英語?」

「いや、言い回しが・・・英語っぽいなって」

「そう?」

「もう少しストレートな方がいいと思うけど」

「例えば?」

 

恵は上を向いて考える。あーなるほど。

 

 

 

「ともやくんは・・・わたしの・・・だよっ・・・」

絞り出すような声でつぶやく。

 

 

 

「あっー、もう恵!可愛いな!」

 

倫也が悶えてベッド上でゴロゴロしている。ついに緊張が切れたようだ。

恵は恥ずかしいなぁっと思いながらそれを見ていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

「気をとりなおして・・・最後ね」

「ああ、うん・・・」

 

恵がベッドに腰かけている。足を前でぴったりと閉じ、手を膝の上に置いている。

 

倫也は近くで立っている。

 

「はい」

 

恵が手を広げ、倫也を受け入れようとする。」

 

「えっと、恵・・・?」

「何?」

「これ、どうやって抱っこするの?」

「どうして?」

「近寄れない、恵の足があるから、横からだっけ?」

「正面からだよ?」

「だって、足が・・・」

「ああ・・・なるほど・・・だからか・・・」

「だから?」

 

恵が足を開いていて行く。スカートの裾が太ももでめくれてしまう。開きすぎはできない。倫也は恵の足をじっとみていた。露わになっていく太ももと、その付け根に見えそうになって・・・恵の下着が・・・

 

「これで・・・いいかな・・・」

 

恵の声がちょっと震えている。

 

倫也は無言で一歩近づき、そして恵をそっと抱きしめる。

 

「上はさっきの恋人抱っこと同じなんだよね」

「だな」

 

倫也はバランスを取るのが大変だった。ベッドが少し低い。イスかテーブルの上ぐらいならちょうどいいかもしれない。不自然に前かがみになっているので、倒れてしまいそうだった。

 

恵が倫也の首の後ろに腕を回して抱きよせる。倫也はさらにバランスをとるのが難しい。ロマンチックな気分というよりは何か組み体操をしているようだった。

 

そんなことを気が付きもしない恵が、そっと目を閉じた。

 

倫也は腕をほどいて、手をベッドに置いて自分の体重を支えた。

そして、恵にキスをする。

 

今日、何度目かのキス。

 

恵が倫也を抱きしめまま後ろに倒れる。倫也も支えきれずに、恵に覆いかぶさるようになった。恵の胸が倫也に当たった。

 

「大丈夫か?恵」

「うん。平気」

 

倫也は腕を伸ばして、接触しないようとしたら、恵は強く抱き寄せて離さない。

目を閉じている。

 

「ちょっとまって・・・恵。体勢が厳しい・・・」

 

恵は目を開けて、倫也を解放する。

 

「もう・・・いいとこだったのに」

 

倫也が立ち上がって少し離れると、恵はベッドに寝そべったまま、だらしなく開いてしまった足を閉じた。

 

倫也は恵の隣に左に座ってから、同じように仰向けになった。

 

「ふぅ・・・」

 

倫也が溜め息をつく。

 

「思ったようにできないもんだね」

 

恵が反省している。もう少しロマンチックになるかと思っていた。

 

「で、この抱き方の心理は?」

 

恵は天井の豆電球のぼんやりとした明かりを見つめている。

 

 

 

「欲求不満」

 

 

 

それから恥ずかしそうにして、倫也の反対側の方を向いた。

 

「な・・・なるほど・・・だからか・・・」

 

そう・・・だから足を開くのだ。足を開かないとこの抱き方はできない。

 

「め・・・恵ぃ」

「どうしたの?」

「もう終わりでいいか?」

「うん・・・今のがオチだから」

 

倫也が体を横にして恵の方を向く。右手でそっと恵の髪をなでた。

それから覆いかぶさるように恵の顔に近づけて、その横を向いた頬にキスをした。

 

「お・・・俺、もう・・・」

「我慢できない?」

「・・・うん」

「・・・わたしも!」

 

恵が倫也の方に体をひねって、キスをした。

 

「でも、その前に・・・」

「シナリオを終わらせないとな」

「R指定ないし、し・・・仕方ないよね」

 

 

 

(了)

 

 



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キャラメルとオセロ

昨日は何もなかった。いいね?

健全な高校生が何やら意味不明な会話をするかもしれないが、必要以上に詮索をいれないように。



 

 

 

8月22日 日曜日 夏休み32日目。

 

 

 

もうすぐお昼になろうかという時刻まで、倫也も恵も寝ていた。

なぜ、そんな遅くまで寝ていたかというと、夜更かしをしていたからだ。

ではなぜ夜更かしをしたのか?

ひさびさのオセロで盛り上がっていたからだ。

その回数、実に4回戦。

倫也は全勢力をもって(全精力じゃないから)、3回戦を戦いぬいたが、恵がどうにも引き際を間違えて、しばらくの休息のあと4回戦目に突入し、かくして倫也も恵も燃え尽きて、そのまま眠った。

 

「ねぇ・・・倫也くん・・・おはよぉ」

「おはよう。恵」

 

恵がベッドの上であくびをしながら、起き上がった。

倫也は慌てて飛び上がって床に布団をしき、そこに寝転んだ。

あくまでも寝ている場所は別々。なにしろ健全な高校生だから。

 

「大変だね。R指定つけたほうが早いんじゃないの?」

「その話はよそう・・・ところで恵。もう昼前だぞ」

「うん。この散乱した部屋を少し片づけてから行くから、倫也くんは先に洗面所いって支度して」

「わかった」

 

倫也が起き上がって、布団をたたんでしまい、部屋を出ていった。

 

恵は起き上がると、ベッドの下に散乱した下着を足でつまんで広い、ブランケットの中で身につけた。それから、白のネグリジェをかぶりながら着た。

カーテンを開けると、外はとても明るい。蝉はまだ鳴いているが、ずいぶんと数は少なくなった。

 

恵は立ち上がってベッドのシーツをはがして丸める。ブランケットもついでに洗濯してしまおうと思い、たたんでから2つを重ねて部屋の隅に置いた。

 

ビニール袋を出して、ゴミ箱のゴミを捨てる。

その中にはティッシュでくるまれた、使用済みの水風船が4枚あった。これをはやく処分してしまいたいのだ。

 

恵は腰のあたりを抑えて体をひねる。下腹部にまだ少しジンジンとした違和感が残っている。

 

「張り切りすぎたかな・・・」

 

・・・つい、ひさびさのオセロに盛り上がってしまった。

 

ふと、倫也のデスクを見ると・・・いつも鍵のかかっている引き出しが少し開いている。それからデスクの上にはその中に入っていた小さな箱が空き箱になって、置いてあった。

 

「もう・・・」

 

恵はその空き箱を手に取る。後ろの表示を読む。

スタンダード、0.02㎜、5個入り・・・のキャラメルである。

0.02㎜はキャラメルを包装している紙の厚みである。

 

「・・・んっ・・・?」

 

昨晩の記憶をたどる。何か勘違いしているかもしれない。

オセロは4回戦かと思ったが、5回戦だったか・・・いや、そんなはずはない。

つかった・・・じゃない、倫也が食べたキャラメルの数も4つのはずだ。

 

早とちりはいけない。ゴミを捨てたビニール袋を開ける。さすがに使用済み水風船の数を数える気はしない。キャラメルを個別に封をしている小さなビニール袋の数を数えれば十分。・・・4枚だ。

 

恵の目からハイライトが消える。

残りの1つのキャラメルはどこへ行った?

 

恵が洗濯物とゴミ袋を持って下へと降りていく。

 

※※※

 

倫也はコーヒーを豆から淹れて、トマトとレタスとキュウリをまな板の上に出した。あとは恵が切ってサラダでも作ってくれるだろう。そしてパンを焼けば十分だ。冷蔵庫にハムもある。

 

恵が降りてきて、洗濯物を洗濯機に放り込んだ。それから洗剤をいれて回す。ゴミ袋はキッチンにある大きなゴミ箱に捨てた。

 

「恵っ!」

「・・・何?」

 

目にハイライトがない、あきらかに機嫌が悪い。倫也には心当たりがまったくない。上機嫌でいてくれとは言わないが、せめて気だるそうにしていてほしい・・・。

 

「その・・・かっこう・・・」

 

恵の着ている白いネグリジェは、光沢のある生地だが少し薄く、恵の愛らしいフリルの付いたピンク色の下着が透けて見える。

 

恵が目線を自分の体に落とす。すっかり忘れていた。昨日着ていた服は昨晩から乾している。もう乾いただろうか?それともブルーか黒のルームウェアに着替える?もういまさらだろう。このままでいい。今はそれどころではない。

はっきりしないと前に進めない。

 

倫也はどきどきしていた。明るい光の下で見る恵は髪が乱れているとはいえ、可愛い。なによりもその姿はいつも恵らしくなく、はっきりいってエロい。いや、どエロイ。

つい、ふらふら~と恵に吸い寄せられるように倫也が近づくと、恵は、

 

ガッ

 

と、倫也の顔をアイアンクローで止める。

 

「ちょ・・・恵?」

「朝から、元気だね、倫也くん・・・」

「朝だから元気なんだよ・・・恵」

「・・・」

「・・・あの・・・何か怒っている?」

「・・・勘違いかもしれないけど・・・はっきりしないことには、許すわけにはいかないかもしれない」

「・・・」

 

恵が手を放す。

 

「とりあえず・・・飯食おうぜ?」

「・・・うん」

 

※※※

 

倫也も恵も2杯目のコーヒーをソファー前の低いテーブルに置き、はす向かいに座った。

恵のネグリジェは袖がないチューブタイプのものなので、横からみると恵のピンクの下着がはっきりと見えるし、脇から胸のふくらみへのラインなどは、カップに収まりきらない横乳で少し膨らんでいて、非常にエロい。

 

あれ、誘っているのか?倫也が思案する。いや、まさかな。今は真昼間だし、これだけ明るいのにそれはないだろう。何よりも昨晩は・・・というよりは今朝・・・未明?にかけてオセロを4回戦もしている。

 

「で、恵は何を怒っているんだ?」

 

倫也がストレートに聞いた。はやく解決してしまいたい。

 

「キャラメルのことなんだけど」

「キャラメル?」

「うん。デスクの上にキャラメルの箱が置きっぱなしだったんだよね」

「ああ・・・悪い、捨てて置けばよかったな・・・?」

 

それがそんなに怒ることか?倫也は首をかしげる。

 

「あのキャラメルの箱に、5個入りって書いてあったんだけど」

「それで?」

「き・・・きのうは・・・4個食べたよね・・・?」

 

恵が頬を赤らめて、上目遣いで聞いてきた。可愛い。なのにエロい。どうしよう。

 

「そうだな・・・オセロは4回戦したよな?」

「・・・だよね」

「それがどうかしたか?」

 

 

 

「1個足らないんだけど」

 

 

 

恵がフラットなトーンで言った。顔は緊張しているのか照れているのか、赤い。

 

「なんだ、そういうことか・・・それがどうかしたのか?」

「だって、あのキャラメルはマンションの方ではみかけなかったし、この物語が始まってから用意したものだよね?」

「うん。まぁそうだな」

「残りの1個はどこにあるの?」

「ふむ」

 

倫也が納得いった。キャラメルが1個足らなくて、あらぬ疑いを受けているらしい。だが、どんな誤解を受けているのかわからない。

 

「で、恵はその1個はどうしたと思っているんだ?」

 

恵が考え込む。ちょっと勇気がいる。場合によってはこんな暢気な物語を綴っている場合ではない。英梨々と・・・全面戦争だ。

 

「英梨々。泊まったよね?」

「泊まったな」

「倫也くん、その時、キャラメル食べたんじゃないの?」

 

なるほど。恵らしい嫉妬深さだ。ここで目をキラキラさせて、ついに嫉妬深い女も習得したか!などと喜んだら、面倒くさい女の時のように怒って、混沌とする。ここは黙ってうなずく。

 

「安心しろ」

「そういわれても・・・」

「英梨々の時はキャラメルを食べないからな!」

「・・・ト・・・モ・・・ヤ・・・クン?」

 

※※※

 

小休止

 

※※※

 

小休止

 

※※※

 

連載中止危機

 

※※※

 

土下座

 

※※※

 

小休止

 

※※※

 

夕方。

 

「あのさー、言っていい冗談と悪い冗談があると思うんだよ。倫也くんみたいな人にはわからないかもしれないけど」

 

倫也がフローリングの上で土下座している。恵はソファーの上で正座している。

 

「あの・・・恵、もう足の感覚がないんだけど」

「で?」

「・・・いえ」

 

キャラメルを食べる必要性が生じないからキャラメルを食べないといっただけなのに、さらなる誤解を招いたようだ。怖い。発言には気を付けよう。

 

「ねぇ倫也くん。白状したら楽に逝かせてあげるから」

「許すつもりねぇな!?」

「キャラメル。どうしたの?」

「あのな・・・恵。疑う以上は根拠を示さないと。それにもし俺がちゃんと立証できたらどうするんだ?」

「その時は・・・好きにしていいよ・・・」

 

恵がそっぽを向きながら顔を紅潮させた。もうさっきから倫也の目線が気になっている。自分が不埒な恰好をしている自覚があった。

 

「よし。では・・・弁明させてもらうがな・・・その前に足・・・崩していい?」

「もう・・・しょうがないなぁ」

 

倫也が足を崩して、感覚のなくなった足をさする。

恵も足をソファーの前におろした。倫也の目線が低いため、足の間から恵の下着がみえそうで、絶対に見えない。不思議だ。

 

「あのさ・・・真面目にやってくれる?」

「内容的に真面目じゃないよね!?」

「そういうこという?」

「キャラメルとオセロの話だよねぇ!?」

「そうだけど・・・」

 

そう、キャラメルとオセロの話だ。いいね?

 

「いいか恵。花火大会用に俺はキャラメルを買った」

「あの熊谷の?」

「そうだ」

「どうして?」

「どうして?だと、いいか恵、花火大会はロマンだ。男にとっては男になるかならないかの大事なイベントだ。わかるか?」

「男が男になるの?」

「そうだよ。オセロするかもしれないだろ?その時にキャラメルを持っていると持っていないのでは全然ちがうんだよ。わかるか?」

「・・・あー、なんとなく・・・準備しておくってことね?」

「・・・そういうことだ」

「それで?」

「俺は、あの日、財布の中に1つだけキャラメルをいれて、イベントに挑んだんだよ。それが男の嗜みだからな」

「あははははははっ」

 

恵は緊張が切れたのか、腹を抱えて笑い始めた。

 

「もう、やめてよ・・・倫也くん。キャラメルもってたんだ?」

「そんなに笑うなよ!全国の少年はな・・・花火大会に夢見て、財布にこっそりキャラメルを1個いれて、大人になったような気分になるんだよ」

「へぇ・・・」

 

恵がまだ笑っている。

 

「じゃあ、そういうわけで解決したことだし、ここでシナリオ終わるか」

「まって。倫也くん、なんでそんなにあせって終わらそうとする・・・かな?かな?」

「2回言うのはやめて!怖いから」

「じゃあ、財布の中にあるんだよね?」

「・・・ある・・・たぶん(ぼそっ)」

 

倫也が目を泳がせる。

 

「じゃ、確認にいこうか」

「・・・おう」

 

恵が立ち上がる。倫也は立ち上がろうとしたが足がまだビリビリと痺れていた。

 

※※※

 

倫也の部屋の扉の前に、倫也と恵が立っている。

 

「はじめるよ?」

「なぁ・・・恵・・・」

「何?」

「あまり追求なんてしない方が・・・」

 

恵がハイライトの消えた目で倫也をじぃーと見ている。

 

「潔白なんだよね?」

「当然だろ?」

「なら、問題ないよね?」

「・・・たぶん」

「たぶん?」

 

ふたりが部屋に入り、デスクの前に並ぶ。

恵が引き出しをそっと開ける。中には封筒と財布が入っている。

 

「・・・この封筒はなに?」

「これは今回関係ないから、気にするな」

「・・・うん」

 

倫也が財布を取り出した。それから、中身を確認する。

小銭入れのところに確かに入っていた。

 

「ほら、見てみろ恵・・・」

 

恵が財布を受け取り、倫也が広げた小銭入れのところを見ると、べったりと溶けたキャラメルが広がっていた。

 

「溶けてるね・・・」

「夏だしな・・・」

「問題あったね・・・」

「新しいサイフ買っていい?」

「おこづかいでどうぞ」

「・・・これで、俺の潔白は証明されたな?」

「うん・・・本当にキャラメルがはいっているんだね」

「だって、そういう話だろ?」

「・・・そうだけど。で、これがオチなの?」

「はぁー?恵、なにいってんだよ」

「なに?」

 

倫也が後ろから恵に抱き着く。

 

「きゃっ、何?倫也くん・・・落ち着いて」

「恵、約束忘れたか?」

「約束?」

「好きにしていいっていったよな?」

「あーあれね・・・そんなこともいったような」

「言ったから!」

「で、どうするの?」

 

恵が抱きしめている倫也の腕をぎゅっとつかんだ。

 

「どうするもこうするも、決まってんだろ?」

「知らないよ・・・」

「オセロだよ。オ、セ、ロ」

「・・・もう、またオセロするの・・・」

「ああ、今度はキャラメルなしでな!」

 

「・・・」

「・・・」

 

「カーテンぐらい閉めてよね・・・」

「いいのか?」

「いいも悪いも・・・するんでしょ?・・・オセロ」

「ああ・・・うん」

 

OKされるとは思わなかった。キャラメルはもうないのだ。

 

 

 

「ちゃんと、責任とってよね」

 

 

 

この後、2人でオセロをした。キャラメルなしで。

 

 

 

(了)

 




生キャラメルって語感だけでドキドキしたいた頃に戻りたい。


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恵がパンチラしない理由

作品の出来栄えはともかく、うちのメインヒロインさんは頑張り屋だと思う。


 

 

 

8月23日 月曜日 夏休み33日目。

 

 

 

「さてっと・・・倫也くん。今日を作り直そうか」

「・・・リテイク?」

「当然だよ」

 

完成したはずの夏休みの原稿は、恵によってチェックされ、ものによってボツになる。

 

「あのね。倫也くん。いくらなんでもあれだけ人をオセロで弄んだ翌日にさぁー。わたしに英梨々ルートの伏線を張らせるかな?」

「そんな話だったっけ・・・」

「うん」

 

そう、走り抜けたはずの夏休みは恵によってチェックされ、ところどころに配置された英梨々ルートの伏線が消されている。

 

「という建前で、そんな器用なことができない作者をリカバーしてあげているんだけど」

「ばらさないであげてっ!?」

 

・・・

 

「で、今日はどうする?恵」

こんな風にボツを食らったら、予定なんてあるわけがない。

 

「ノープランだよ・・・」

恵も困っている。テンションだってあがらない。

 

 

 

※※※

 

 

 

今日の恵は露出が多い。ピンクのミニスカートをはいていて、恵が歩くたびにゆらゆらと揺れ、中の下着が見えそうである。適度に発育した太ももの白さが妙に艶めかしい。

上はフリルのついた白いシャツで、印象としてはピンクと白でメインヒロインということになるが、いつものように落ち着いた雰囲気はなくて、どこか小悪魔的である。

白いニーソなら完璧だが、素足だった。

 

「ねぇ・・・倫也くん・・・作り直したら、どうしてこんなに過激になっていくの?」

「しょうがないよね。そうじゃないとボツの後に立ち直ることなんてできないんだから」

「そういうもんかなぁ・・・」

「そういうもんでしょ」

 

恵はリビングのソファーに座ってアイスカフェオレをストローで一口飲んだ。それから足を組み替えた。はす向かいの倫也はどうしたって恵の足に目がいってしまう。

 

「そんなに見たいの・・・?」

「何が?」

「ふーん・・・」

 

認めるわけにはいかない。できるだけ目線を上げる。

 

「そうだ。恵。アニメヒロインは2種類に分けられるんだけど、知ってるか?」

「2種類?」

「そう。パンチラアニメと、パンチラを絶対みせないアニメだ」

「・・・」

「ちなみに冴えカノはパンチラが見えないアニメだ・・・たぶん」

「たぶん?」

「とにかく、恵はNGだったはずだ」

「へぇー。でも、画集だと見せているよね」

「それはお金を落としてくれた人に対するサービスだな」

「ふーん。そう?」

 

恵の声が冷めている。なんかこの話題・・・前もした気がする・・・

オタクアニメの話でも、やっぱり性的な話は軽くひく。

 

「たとえば、おっぱいアニメがあるとするだろ。必ず乳首には湯煙や謎の光がはいって見えなくなっている」

「あっそ・・・」

「さては恵・・・興味ねぇな?」

「当たり前だよ!」

 

恵がため息を1つついて、足を真っ直ぐに戻した。

閉じた太ももから、あと10cm程度スカートがめくれてくれれば・・・

 

「そういうアニメだと、円盤購入特典で解禁されてみることができる」

「円盤?」

「DVDやブルーレイのことだな。けっこう高価なものだからな、購入者にはそれなりのメリットがあるわけだ」

「ほんと・・・男の子ってバカだよねぇ・・・」

 

恵があきれている。

 

「そういうわけで、パンチラヒロインなのかどうかは、1つの分岐点なんだ」

「ふーん。例えば誰がいるの?」

「ワカメちゃん」

「・・・それ、オチ?」

 

恵はカフェオレを飲み終わったのでキッチンまで片付けにいった。

倫也は恵の後ろ姿を見つめる。段差があれば見えるだろう。

しかし、いつも恵は絶対に見せない。

 

「じゃ、休憩も終わったし、また上で作業に戻るね」

「ああ、うん」

 

倫也もカフェオレを飲み干してキッチンで軽く洗う。

それから急いで恵を追いかけた。

階段を上っている恵なら、さすがに・・・今日は見えるに違いない。

 

恵が一歩一歩ゆっくりと階段をあげっていく。

手を後ろにしてスカートを抑えている。

倫也が後ろから来ることを知っている。期待している・・・のほうが正しいかもしれない。

 

倫也が見上げると・・・やっぱり見えない。あと少しで見えそうだけど、見えない。

どうも、そういう属性のヒロインのようだ。しょうがない。

 

 

 

※※※

 

 

 

部屋で2人は作業をしていた。倫也は相変わらずメインヒロインルートを書けずいた。恵はノートPCで作業をコツコツと進める。

 

倫也はデスクから恵を見下ろす、恵はテーブルで作業をしていてクッションの上に座っていた。正座したり、足を崩したり、ときどき行儀悪く胡坐をかいたりしている。

 

倫也は試しに、本日のプロットで、

『テーブルに向かい合って座り、落とした消しゴムを拾おうとして、テーブルの下をのぞき込むと、うっかりパンチラをみてしまう』

という、イメージビデオかAVのようなシチュエーションを提案してみた。

 

恵はその紙を受け取ると、目のハイライトが消え、無言で破り捨てた。

 

倫也は諦めて、デスクに座ってぼんやりとプロットを考える。

とりあえず、題名は『恵がパンチラしない理由』にしておいた。

まったくもって欲求不満だろうか?

 

倫也が後ろの棚に飾ってある女の子のフィギュアを1つ手にとった。

それを眺める。

せっかくなので下から眺める。

立体である醍醐味はこのためだと言っても過言でないはずだ。パンチラ禁止アニメのヒロインもちゃんとパンツをはいている。これでパンツの色が塗られていなかったら手抜きがひどいとクレームものだろう。

 

恵はジト目で倫也のその変態的な行動を観察していた。

ツッコミをいれるべきか迷うがほうって置くことにする。

 

とはいえ、このサブタイトルで話を作るなら、恵なりの理由を考えないといけない・・・

理由なんて恥ずかしいからに決まっている。・・・喜んで見せる人もいるのだろうか?

 

「ねぇ倫也くん。こんな下ネタでもR指定をつけなくて平気なの?」

「R15のことか?」

「うん」

「基本的に少年ジャンプが基準になってそうだけど」

「少年ジャンプ?あのドラゴンボールの?」

「うん」

「パンチラあるの?」

「あるよ!ない少年誌なんて、もう少年誌じゃないよ・・・」

「それはどうかと思うけど・・・」

「昔、電影少女(ビデオガール)っていうマンガがあったのだけど、それなんて、AV借りてきてみたら、中から女の子が出てきて慰めるって話なんだぞ」

「うわぁ・・・」

「今、連載できるかどうかは怪しいけどな・・・」

「時代の流れもあるんだねぇ・・・」

「だな。だからパンチラの話題程度では大丈夫だ。じっくりたっぷりずっとパンチラの描写をし続ける作品ならしらんが・・」

「描写っていうか、それもう病気だよ」

「ふむ・・・」

 

倫也が恵をじっと見る。薄い生地の白いシャツなのにブラの色がわかりにくい、うっすらとみえるので、色はおそらくは白だ。いや、純白だな。

そして、恵は上下を絶対にそろえるタイプなので、下も白だな。いや、純白のパンティーだな。うん。

 

「あの・・・?怒るよ?」

「人の心を読まないで」倫也の顔が赤くなる。

「じゃあ、人の下着で妄想しないで?」

 

ごもっとも。

 

「だいたいね、倫也くん。恵のイデアを穢さない・・・みたいなことを『負け犬』の時にいってなかったっけ?オタクの妄想で性的な消費をするなって」

「覚えてないけど、それ別の作品だし・・・それに、キャラメルとオセロの話はOKでパンチラはNGっておかしくないか?」

「だって・・・あれはオセロをしただけだもん」

恵が顔を赤らめてモジモジする。

オセロをしていたことを思い出す。

オセロをするのはお風呂に入った後でないとやっぱり汗が気になってヤル気になれなかった。

 

「じゃあ、これもボツにするかぁ・・・」

倫也が残念そうに言った。パンチラを話題にしたら、ワンチャンあるかと甘い考えをもっていた。

 

「ううん。ボツにしなくてもいいよ・・・」

「え?・・・もしかして俺、消しゴム落とすの?」

「・・・そんなに見たいかなぁ・・・」

「・・・」

「見たいの?」

「・・・」

「変態だって認めちゃうの?」

「まって・・・恵、シナリオのためだから」

「・・・うん」

 

恵がため息をつく。

 

「じゃあ、恵はパンチラを見せない理由を教えてくれるの?」

「うん・・・」

「何?」

 

 

 

「突然のボツのせいで・・・ノープラン(ノーパン)だから」

 

 

 

恵は顔を真っ赤にして、両手で顔を抑えた。

 

倫也の反応もツッコミもないで、指の間からおそるおそる倫也を見ると・・・

キャラメルの箱を出して、オセロの準備をしていた。

 

 

 

(了)

 

 



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ボートデートとおべんと

 

 

8月24日 火曜日 夏休み34日目。

 

 

 

「実家に帰らせていただきます」

 

恵が玄関先で黒いキャリーバックを横に置いて倫也に言った。

 

白いキャミソールワンピースに麦わら帽子をかぶっている。夏らしい爽やかな恰好だ。

これから実家に帰るような暗さがまったくない。

 

「あの・・・恵。おはよう・・・?」

 

倫也はチャイムがなったので玄関まで迎えにいったら、キャリーバックをもった恵がいた。そして、突然の恵のボケに戸惑いを隠せない。

 

「おはよぉ・・・」

 

恵もちょっと恥ずかしい。

 

「どうしたの?」

「いや・・・なんか昨日は倫也くんが英梨々ルートの話をするっていうから、とりあえず来てみたのだけど、それなら実家に帰ろうかなって」

「えっと・・・英梨々の話はするなってこと?」

「当然だと思うのだけど・・・?」

「じゃあ、英梨々ルートの構想の話は?」

「実家に帰らせていただきます」

 

もちろん、そんな話は昨日の時点で恵がリテイクをだした。

恵が玄関の扉を開ける。

 

「わっわっ!ちょっとまって。わかった・・・しないから」

「ほんと?」

「ほんと」

「英梨々の名前はこれから先ださないでね?」

「そこまでっ!?」

「うん・・・嫌なら、帰るけど」

「・・・わかった」

「じゃあ、ただいまぁ」

 

恵が白い靴を脱いで上がった。キャリーバックを持ち上げている。

 

「持つよ」

「うん」

 

倫也がキャリーバックをもって運ぶ。

 

 

 

※※※

 

 

 

2階の箪笥の前で、恵は美智留の衣装をダンボールにつめている。

 

「あの・・・恵。さっきから気になっているんだけど、そのキャリーバックの中身はなに?」

「ん?服だよ」

「服・・・?」

「うん」

 

箪笥にスペースができたので、恵はキャリーバックを開けて服を箪笥に詰め替えていく。

 

「えっと・・・?」

「何か変かな?」

「なんで・・・そんなにたくさんの服を持ってきた?」

「だって、メインヒロインルート全然できてないんだよね?締め切り夏休みまでだったよね?」

「・・・そうだな」

「じゃ、泊まり込みで仕上げるしかないよね?」

 

ということで、残りを泊まり込むらしい。

 

 

 

※※※

 

 

 

時刻は午前11時。猛暑も収まり、天気は曇り。今日は風も吹いているせいか過ごしやすい。

 

恵は服を片付け終わると、キッチンでなにやら忙しく料理をしている。倫也は手伝わなくていいからと言われて、部屋で作業をしている。

英梨々ルート作成案が拒否された以上は、いちゃいちゃして過ごす夏休みの短編集として終わらせるつもりらしい。それはそれでいいだろう。

やはり、英梨々だけは恵にとって特別な相手のようだ。

 

倫也が鍵で引き出しを開ける。中に入っていた白い封筒は消え失せてなくなっていた。キーアイテムの喪失は分岐が消えたということなのだろう。

恵と創作して過ごすつもりだったが・・・こうなった以上は恵の短編に集中しようと思った。

 

 

 

※※※

 

 

 

「倫也くーん」

 

恵が階段の下から呼んでいる。倫也は立ち上がって階段の上から覗き込んで恵をみた。

 

「どうした?」

「でかけるよー」

「ほう・・・?」

「じゃあ、下で待っているから」

「どこいくの?」

「ん~図書館かな」

「ちょっと待ってて」

 

倫也は財布をズボンのポケットにいれて、小型のリュックをもって下へと降りていった。

 

 

 

※※※

 

 

 

倫也と恵が並んで電車に座っている。平日の昼なので電車はとても空いていた。

 

恵は嬉しそうにいつも以上にニコニコしながら、足をぶらぶらと振っている。手には四角い布の袋を大事そうに両手で抱えていた。

 

「それ・・・なに?」

「・・・秘密・・・だよっ」

 

最後にちょっと息を抜くような発音。耳が癒されるような透き通ったボイスだ。

 

電車が静かに揺れている。

恵は腕を倫也とぴったりとくっつけて寄りかかる。

キャミソールの胸の隙間から微かにブラの色が透けて見える。

 

「・・・もう。普通にしててくれないかな?」

「ごめん」

「そんなに気になる?」

「ごめん」

「別に謝らなくていいけど・・・」

 

恵は倫也の顔をじっと見つめる。倫也が顔を赤らめて目線をはずす。

 

「と・・・図書館デートとは、また古風だな」

「今も、昔も、王道だと思うし・・・それに受験生だからね?」

「・・・そうだな。ぜんぜん勉強してねぇや・・・」

「そんなんだから落ちるんだよ」

「確定しているんだよなぁ・・・」

「だって、わざわざ倫也くんが合格する分岐とか作らないでしょ」

「まぁなぁ・・・」

 

電車が駅に停まっても、乗客の乗り降りは少なかった。今日は暑さも一段落で暑そうに汗をかいている人はあまりみかけなかった。

 

 

 

※※※

 

 

 

駅を出てから、国道の横断歩道を渡る。

時刻は12時半になった。曇りなので日差しを気にする必要はなかった。

 

「雨・・・降るかな?」

「予報だと夕方から20%だから大丈夫じゃない?」

「そ・・・傘ないし。降らないといいね」

「そうだな」

 

2人の目の前に大きな池のある公園がみえる。

 

恵が池のふちの柵まで歩いていく。

 

「倫也くん・・・ここ・・・ボート乗れるみたい」

 

親子連れのスワンボートが一艘と、カップルの手漕ぎボートが一艘浮かんでいた。

 

もちろん、ここでボートを乗れることを恵は知っていた。この公園の横に図書館がある。

 

「図書館はあっちなんだけど」

「そうみたいだな」倫也はアプリで地図を確認している。

「・・・倫也くん?」

「どうした?」

「ここ。ボート乗れるみたいだよ?」

「だな」

「・・・」

「・・・乗る?」

「倫也くんは、どうしたい?」

「俺は・・・」

 

どっちでもいいなんて言えない。

恵はじっと倫也を見つめている。目で訴えている。もちろん恵からは誘わない。

せっかく獲得しためんどくさい属性も大事にしたい。

 

「乗るか」

「うん」

 

恵が静かにうなずいた。

 

「恵・・・わかっているよな?」

「何を?」

「ボートイベントするってことは・・・」

「ああ、比べられてしまうってこと・・・でしょ」

「だな・・・」

「そういうのはどうでもいいよ」

「ふむ。恵がそれでいいならいいけど・・・」

 

2人はボート乗り場へ向かう。他の人はいなかった。

自販機で手漕ぎボート1時間のチケットを買った。

 

1人だけいるスタッフのおじさんに倫也はチケットを渡す。

 

案内されたボートに倫也が先に乗った。それから、恵が抱えている手荷物を受け取ってからしゃがむ。恵がそっと右足をボートにおろし、差し出した倫也の手を握ってから乗り込んだ。

 

恵が座ると、おじさんが「ゆっくりでいいですよ」と声をかけてから、持っていた長い棒でボートを押し出した。

お客がいないので厳密に時間を気にしなくてもいいという意味だ。

 

「倫也くん、ボート漕げる?」

「たぶん。あまりうまくないけど」

 

倫也が両手でボートを池の中央までゆっくりと漕いでいく。

 

真夏でボートを乗る時は日射病対策が大事だ。今日は曇っているが、油断していると本当に危ない。周りが水なのでコンクリートの地面を歩いている時ほど暑くはないが、影まったくない。

恵が麦わら帽子をかぶっているのもそういう理由だった。日傘にしようかと思ったが手にもたないといけないのでやめた。

 

木々の緑がとても濃い。夏の水辺にはたくさんの生き物が元気に活動している。倫也たちの周りにはすでに懐いている水鳥が集まってきていた。カルガモ、マガモ、アヒルなどがついてくる。

 

「餌が目当てかな?」

「だろうな。でも、あげたらダメなんだけどな」

「そうらしいね・・・」

「ほどほどにな」

 

ポテトチップスみたいなものは鳥の健康にはよくない。水質汚染にもつながる。また鳥の生きていく能力を奪い、長い目でみてもよろしくないようだ。

 

ボートに揺られながら、風に吹かれて恵は気持ちよさそうに目を閉じている。オールの軋む音や水の揺れる音が聴こえる。

カモの変な鳴き声や、蝉の声も聴こえた。

 

「上手だね」

「そんなに難しくはないんだよ。あとで恵も漕いでみたら?」

「うん」

 

恵は足をぴったりとそろえて斜めにしている。

手を伸ばしてボートの真ん中に置いた布の袋に手をかけた。

 

「それは?」

「なんでしょう」

「まぁ・・・お弁当だろうな」

「・・・うん」

 

恵が布から、おかずのはいった小さなランチボックスを1つと、おにぎりを取り出した。そんなにたいしたものは作っていない。

 

弁当箱を留めているゴムバンドを外して、蓋をあけた。

卵焼きとタコウインナーとプチトマトが綺麗に並んでいる。

 

「いいな、定番だよな」

「うん♪」

 

恵が弾むように答えた。

 

「食べる?」

「うん」

 

ボートは池の中央まで進んでいた。

そこで倫也と恵は池の上の波間で揺蕩う。

 

「ワンパターンだけど・・・」

 

恵はウェットティッシュで丁寧に手をふいた。

恵は左手に弁当箱を持ち、右手の割りばしでタコウインナーをつまんだ。

それを落とさないように、倫也の口元にもっていく。

 

「はい・・・あーんして・・・」

 

恵の手が震えている。心の底から感情が湧き上がってくる。見開いた瞳が涙で潤いこぼれそうになった。

 

「あーん」

 

倫也は気が付かないふりをして、まぬけな顔をして口を開けた。

ボートは揺れている。

ウインナーは倫也の口に入る前に、恵の割りばしから零れ落ちた。

 

「よっ・・・と。危なかった」

 

倫也が右手でウインナーをキャッチした。準備していた。

すぐに口に放り込む。

 

「あ・・・ありがとう・・・」

「もぐもぐ・・・。お礼をいうのは俺の方だろ?・・・そういえば、いただきますもいってなかったな」

「・・・そうだね」

「お互いに緊張しすぎたな」

「・・・うん」

 

恵がハンカチで顔をちょっと抑える。

 

「大丈夫か?」

「うん」

 

倫也は間抜けな顔をして口をまた大きくあけた。

 

「あーん」

「・・・もう。次、卵焼きね。あと、いただきますを言わないと」

「そうだな。・・・いただきます」

 

恵は手で卵焼きを直接つまんだ。

 

「手は嫌かな?」

「ぜんぜん」

「はい・・・どうぞ」

 

恵が体を乗り出して、倫也の口へ卵焼きをいれた。

 

 

「おいひぃ・・・」倫也が食べながら感想を言う。

 

それは、とても甘い卵焼きだった。

 

 

 

恵がにっこりと微笑む。

風が吹いたので慌てて右手で麦わら帽子をおさえた。

なんでもない時間が過ぎいく。

 

 

(了)

 



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サッカー観戦

アルゼンチン代表優勝で感極まって勢いで書いた


 

 

 

8月25日 水曜日 夏休み35日目。

 

 

 

朝の7時。

 

「倫也くん。起きて」

「むにゃ・・・」

「朝だよ」

「・・・ん・・・何時?」

「7時」

「・・・早くね?」

「そろそろ日常のリズムに戻さないと学校が始まった時にしんどいよ」

「うーん・・・あと10分」

「もう・・・」

 

倫也が再び微睡みの中に落ちた。

恵はすでに朝の準備を終えていた。黒のルームウェアは恵をよりスレンダーに見せた。

倫也がまだ起きそうにないので、恵は朝食の支度を始める。

 

※※※

 

「倫也くん・・・起きて」

「ん・・・」

「起きないと恥ずかしい描写いれるよ?」

「なんだそれ・・・」

 

倫也の下半身は高校生らしく元気で、腰のあたりにかけたブランケットの上からでもはっきりとわかる。

 

「やめてね!?」

「ほら、はやく」

「男の方を描写してもしょうがないからね?」

「はいはい」

「・・・ぜんぜん、動揺してねぇな・・・」

 

恵は倫也が起きたことを確認して、また下に戻っていった。

 

※※※

 

「いただきます」倫也が言う。

「どうぞ」と恵が答えた後、「いただきます」と続ける。

 

「和食なんだな」

「たまにはね」

 

ご飯と味噌汁と納豆、昨晩少し多めに煮ておいたカボチャの小鉢。

 

倫也が味噌汁を一口飲む。大根とワカメの味噌汁。だしの素を使っているいつもの味だ。

朝に飲むと、ちょっとほっとした気分になる。

 

「で、倫也くん・・・今日の予定は?」

「うーん。ネタは相変わらずないんだけどな」

「うん」

「アニメでメインシナリオの話を少ししていただろ」

「どんなのだっけ」

「サッカー観戦につれていくやつ」

「あー、勝手すぎる主人公の話ね」

「それそれ。『もう、しょうがないなーって別れるから』と、恵が言っていた話な」

「うん」

「あれをさ、やってみようと思うんだけど」

「サッカー見に行くの?」

「いや、コパアメリカを見ようと思って」

「コパ・・・なにそれ?」

「南米選手権だな。南米の10ヵ国で競う大会なんだけど」

「へぇー」

「それが9時から放送されるんだよ」

「それを見るの?」

「と思っているのだけど、どう?」

 

恵がかき混ぜた納豆をご飯にのせる。箸をくるくるして糸を切った。

 

「解説付きで?」

「そそ」

「うーん。それって、倫也くんがわたしと別れたいってこと?」

「なんでそうなるの?」

「だって、そういうオチだったよね?」

「そうだっけ・・・」

「アニメはアニメだし、いいんじゃないかな。やってみたら」

「なら、決まりな」

「うん」

 

倫也は納豆をご飯とぐちゃぐちゃにまぜて食べる。

恵はご飯と納豆を適度にとりながら食べる。

 

※※※

 

倫也がノートPCでサイト検索しながらLIVE映像を探している。

 

「何しているの?」

「海外の試合だと、ネット配信しているサイトがあるんだよ。それのいいのを探している」

「それって違法なんじゃ・・・」

「どうだろ?普通にネット配信しているのを見るのは、国内じゃないという理由で違法になるの?」

「さぁ」

「日本のサイトの映像を転載している人は違法だけどな」

「それって、日本語じゃなくなるってこと?」

「だな。できれば英語がいいけど、現地の言葉もいいぞ」

「何語?」

「スペイン語だな。ラテン語系」

「わかるの?」

「わからないけど、なんとなくわかるよ。下手な日本人の解説よりもいいと思う」

「へぇ・・・」

 

恵はテーブルの上にお菓子とお茶を並べる。食べたばかりでお菓子の袋は開けないが、一応雰囲気がでる。

 

「何かの映画でも見た方がいいんじゃないの?」

「まぁまぁ、もう決まったことだし。・・・よし、ここにしよう」

 

倫也が映像をリビングのTVに移す。画質もなかなか良い。

 

「英語かな」

「だな」

 

まだ選手が練習している映像が流れている。

 

「スタメン誰だろ」

「どことどこの試合?」

「アルゼンチンとブラジル」

「サッカーはブラジルが強いのだっけ?」

「そうだな。前回大会で優勝している」

「アルゼンチンも強い?」

「強いよ。世界中の人が優勝を望んでいると思う」

「アルゼンチンの方が人気あるの?」

「メッシっていう有名な選手がいるんだけどな。知ってる?」

「うん。名前ぐらいなら・・・」

 

倫也と恵がソファーに並んでいる。あんまりくっついて見るようなものでなく、ちょっと距離が空いている。

 

「メッシっていうのはさ、世界最高のフットボーラーなんだけど。バルセロナっていうクラブチームでは35回優勝している」

「すごいね?」

「あらゆる大会で得点王、アシスト王、MVPもとっている。おそらく歴代最高の選手なんだけどさ」

「うん」

「アルゼンチン代表では優勝したことないんだよ」

「それは、アルゼンチンが弱いってこと?」

「弱くはないよ。なんとメッシの時に5回も準優勝しているんだ」

「惜しいね」

「なので、メッシは代表でシルバーコレクターって揶揄されることもある」

「すごいことなのにね」

「だな。アルゼンチンとしても、メッシに優勝させてあげたいっていう気持ちも強いんだよ」

「国が?」

「そうだな。国、国民、サッカー協会。世界最高のフットボーラーだからね、それにふさわしいタイトルを・・・と思っているんだ」

「なんとなくわかる」

「昔は、メッシが優勝をもたらしてくれるって期待していた。がっかりされたり、批判されたりもした。でもすごく現役の長い選手だからね、今では愛されている。メッシ不要論も消えたし・・・」

「いろいろ大変なんだね」

「そうだな。2005年にアルゼンチン代表でデビューして以来、今はキャリアが終わろうとしつつある。どうしても最後にメッシにタイトルを取らせてあげたいってところまで変わったんだ」

「それがこの大会なんだ」

「そうだな。決勝まできたし。ちなみにアルゼンチンは93年以来優勝から遠ざかっている」

「あっ、選手出てきたよ」

 

選手が入場してきて、横に並び、その後は国家斉唱をした。

 

「あーどきどきしてきた」

 

倫也が画面に集中する。恵は話をするべききか迷う。

集中してゲームを見るのも1つの過し方だ。

 

「このメッシってさ、それだけのキャリアだから年収で100億ぐらいあるんだよ」

「100億!?」

「フォロワーだって1億3千万人ぐらいいるし」

「日本人と同じ数だね」

「それにタイトルを総なめにしているし、いろんな記録をもっているし、こんなすごい人だから華やかなのかなって思うだろ?」

「そだね。別世界の人だよね」

 

ゲームがスタートする。

 

「サッカーだけじゃなくて、彼のプロになるまでのキャリアも有名でさ。4歳の時にサッカーを始めて・・・」

「あれだっけ、治療受けるためにスペインに引っ越してバルセロナに入団したとかいう人?」

「そそ。13歳だっけ?14かな。それから17歳でトップデビューするまでにユースのいろんな記録を塗りかえて・・・」

「うわぁ・・・ディフェンス不安だねぇ・・・クリアしちゃえばいいのにね」

「ん・・・そう・・・だな」

 

アルゼンチンのディフェンスラインがボールを回しているが、ブラジルの前線のプレスがきつくて危うくみえる。恵の方が試合をちゃんと見ていた。

 

「21歳の時から付き合っている人と結婚したんだけどさ」

「うん」

「その相手がさ、なんと同郷の人なんだよ」

「同郷?アルゼンチンの人ってこと?」

「そそ。女優とかモデルと結婚する人もいるなか、幼馴染と結婚したことで好感度がさらに上がるという」

「ちょっとまって、なんで21歳が幼馴染なの?」

「6歳の時に知り合っていたらしい」

「・・・6歳?」

「9歳という説もあるらしいけど」

「で、倫也くん、なんで幼馴染と結婚すると好感度あがるの?かな?かな?」

「あれ・・・」

 

アルゼンチンがブラジルの攻撃陣をたくみ防いでいる。

倫也は地雷を踏んでしまったか。

 

「幼馴染と結婚したことに、倫也くんは親近感をもっているわけ?」

「そ・・・そうつなげるんだ・・・」

「だって、このままサッカーの実況をするわけにもいかないでしょ?」

「そうかな」

「フォーメーションの解説とか始めたら、さすがにひかれると思うけど」

「・・・そっか」

 

その後2人はサッカーを黙々と見ている。

 

※※※

 

前半のなかばに、デパウルからのロングボールをディマリアが抜け出てビッグチャンスになる。

 

「ディマリアさん!決めてぇええええええ!」

「マリア様~」

 

前に飛び出たGKをよく見て、綺麗なループシュートでゴールを決めた。

 

「きたあああああぁあぁあ」

「倫也くん、声でかすぎ」

 

実況が叫んでいる。解説も叫んでいた。涙声になっているのが聞こえる。

 

アルゼンチン先制した。逃げ切れば優勝であるが、相手はあのブラジルだ。

 

「ううぅ・・・」

「倫也くんまで泣かないでよ。まだ終わってないよ」

「すまん・・・」

 

なんども繰り返してゴールシーンが流される。左足のトラップが絶妙だった。

 

「この人も有名なの?マリア様」

「そうだな。このメッシとアグエロってFWとディマリアが同世代だな。ユースで世界一になっている。いわば代表での盟友だな」

「へぇ・・・」

「彼もすごい名選手なんだけど、とてもいいコメントを残している」

「どんなの?」

 

『僕は小さな物語の主人公になるよりも、伝説の脇役でありたい』

 

「うわぁ・・・人柄がでているね」

「それだけ、メッシが別格なんだな」

 

点がはいったことでゲームがさらに盛り上がっていく。

守備の要のパレデスがイエローカードをもらった。

 

「ボランチがイエローカードをもらっちゃったよ・・・倫也くん」

「逃げ切りを考えるには早いし、難しいな。前半を無失点でおえれば修正できそうだけど・・・というか、恵、サッカー詳しいな?」

「・・・気のせいだよ」

 

その後、攻撃をしのぎ前半を1-0で折り返した。あと45分で優勝だ。

 

※※※

 

15分の間にトイレをすませる。

緊張して体が固まるので軽く体操もする。

 

後半がはじまった。カードをもらったパレデスをより守備的なギドに交代する。

 

「もう一点決められればな」

「1点差の試合が面白いと思うけど」

「内容よりも、優勝してくれればいいよ・・・」

「もう、どんだけアルゼンチンが好きなの」

「俺が生れる10年以上前からだな」

「・・・」

 

ブラジルの猛攻をしのぐアルゼンチンはカウンターでゴールを狙う。下がりすぎてもダメ、あくまでもメッシが隙あればゴールするぞと圧力かけているから成り立っている。

そんなメッシもいつも以上に走って守備をしていた。

 

「メッシがこんなに守備するなんてな」

「気持ちが伝わるね」

「でも、だんだんとカードが増えてきたな・・・ケンカもしているし」

「熱いねぇ・・・」

「あれ、交代3枠つかったよな」

「なんか、コロナで交代枠増えているらしいよ」

「恵、詳しいな?」

「常識だよ」

「ええっ・・・」

 

常識のレベルがあがったようだ。交代枠が増えたおかげでカードをもらった選手をさげてフレッシュな選手を投入できる。一回はイエローカード覚悟でとめることができるのが大きい。

 

・・・アルゼンチンのゴールが揺らされた。悲痛な声が画面から流れる。

しかし、これはオフサイドで無効になった。セーフである。

 

同じような形の決定機をブラジルが向かえるが、今度はGKが止めた。このマルティネスが大ブレイクした。準決勝ではコロンビア相手にPKを3本も止めた。守護神である。

 

DFの要のオタメンディーもイエローをもらい、攻守に走り回ってネイマールとマッチアップを繰り広げているデパウルもイエローをもらった。このあたりは交代できない。

 

残り10分になる。

 

倫也も恵も画面にくぎ付けになる。夫婦漫才はどうした。

 

ネイマールが鬼気迫るプレーで局面を打開する。1人、2人と抜いていく。

なんとか後ろのDFがクリアするが、すぐにセカンドボールを拾われる。

 

そんな中、アルゼンチンもカウンターでビッグチャンスを迎えたが、メッシが決定機を決めきれなかった。嫌な予感がする。

 

祈ることしかできない。

 

※※※

 

アディショナルタイムが5分と表示された。

 

「長いよ!」

「ええっ・・・5分は・・・ねぇ・・・」

 

もうほんと長い。優勝が目の前だけど、この5分ほど点がはいる時間帯もない。最後まで油断ならない。ワンミスで振り出しである。

総力戦。

 

残り1分になる。アルゼンチンはスローインのリスタートをゆっくり行う。それからボールを回そうとするが、すぐにカットされてしまった。ブラジルの最後の攻撃が始まろうとするところを、再び取りかえしたところで審判が時計をみた。

ホイッスルがなった。

 

アルゼンチンが優勝した。

 

みんながメッシに駆け寄っていく。

 

信じていたけれど、信じられない。最後の最後で戴冠してくれた。

世界中のフットボールファンが望んでいたというコメントがライバルのネイマールから贈られたのも感慨深いが、本当にそうだった。

 

メッシに足らなかった代表でのタイトルがついに埋まった。

 

 

 

※※※

 

小休止

 

※※※

 

 

 

「倫也くん。落ち着いた?」

「ああ、大丈夫だ」

 

倫也は顔を洗ってきた。

 

「そろそろ締めないと」

「そうだな」

「どうするの?」

「なにいってんだ?恵が用意してくれていただろ?」

「えっと、なんだっけ」

「ほら、朝・・・和食にしてくれただろ?」

「うん」

 

 

 

「メッシ(飯)のおかげ」

 

 

 

おあとがよろしいようで

 

 

 

(了)

 



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水着回とかいうアニメご用達のサービス回を活字でもやってみる

 

 

 

8月26日 木曜日 夏休み36日目。

 

 

 

8月も終わりに近づき暑さも和らいできたかと思ったが、今日はまた夏真っ盛りと言わんばかりに暑かった。

太陽は砂漠でも照らしているのかというぐらいギラギラしている。

 

そして、倫也と恵は部屋の中でうなだれていた。

恵は溶け切ったバニラアイスをつまらなそうにスプーンでかき混ぜている。もう食べる気が起こらない。

倫也は扇風機の前から動こうともしない。

 

「倫也くん。そこはどいてよ。」

「あー」

 

倫也の部屋の窓が開いていて、網戸越しに生暖かい風がはいってくる。

 

「これ・・・熱中症になるんじゃないの?」

「だったら・・・エアコンつけましょうか。恵さん」

「もうそろそろ最後だし、夏を楽しもうと思ったのだけど・・・」

「エアコンつけよう・・・」

「ダメだよ倫也くん。暑さがないと決意がつかないもん・・・」

「もう・・・好きにしてくれ・・・」

 

倫也が再び扇風機を抱えている。

恵の方が我慢強いがやはり限界がある。

 

今日はモスグリーンのTシャツに白いフレアスカートをはいている。ぴったりとくっついたTシャツは体のラインをはっきりと浮きだたせ、恵の大きな胸が協調されているようにみえる。色はわからないがブラの形も見てとれた。

 

「どうしよ・・・」

「夏だしな」

「プールと海、どっちがいいかな?」

「でかけるのか?」

「だって・・・水着回なんだよね」

「タイトルはそうなっているけど・・・無理はしなくていいぞ」

「水着・・・買いに行くところから始めるか迷っているのだけど」

「あれはどう?・・・黒と白のストライプのビキニ」

「ああ、あの深見先生に描いてもらってフィギュア化された衣装ね」

「そそ」

「一応、持ってきたけど」

「もってきてたんだ」

「ネタにつまったら、使うかもしれないなって思って」

「よし。じゃあ、とりあえず着てみろよ?」

「今?」

「おう」

 

倫也が恵の前に正座して目をキラキラさせている。鼻の下も伸びている。

 

「あの・・・」

「やっぱ夏のイベントといえば、水着だよな。やっと恵もそのつもりになってくれて、嬉しいよ」

「まだやるってわけじゃ・・・」

「じゃ、待ってるから」

「もう・・・強引だな」

 

恵が立ち上がって、隣の部屋へ移動した。

 

「って、冗談でいったのだけど・・・家で着るんだ・・・」

倫也は顔を赤らめながら独り言を言った。

 

熱さで頭おかしくなってないだろうか?

 

※※※

 

恵が部屋のノックをした。

 

「倫也くん。着替えたよ」

 

倫也が部屋の扉を開けようとしたがノブが回らない。どうやら向こう側で恵が抑えているらしい。

 

「恵っ」

「やっぱり恥ずかしぃよ。あと読者に媚びている感じもするし・・・」

「サービス回っていうのは、感謝の気持ちを込めてするものだぞ?」

「ねぇ・・・倫也くんも着替えて?」

「俺も!?」

「うん」

「俺が水着になったとこで需要なんてないと思うぞ」

「そういうんじゃなくって・・・わたしだけっていうの・・・恥ずかしいし」

 

扉の向こう側で恵がゴネはじめた。しょうがない。

 

「わかった」

「じゃ、わたし・・・リビングで待っているから」

「おう・・・」

 

倫也は水着なんてどこにあるんだっけと、部屋のガイドブック読みながら備品を探した。

 

※※※

 

なんとか半ズボンタイプの水着を探し出して着替えた倫也は、リビングへと向かう。

 

これまた、窓を開けているといえ都心の夏らしいどうしようもない不快な暑さが広がっていた。

 

恵が端っこの方に立っている。胸元から膝ぐらいまでの大きなバスタオルを体に巻き付けている。髪はアップにしてポニーテールに結わいていた。

 

「着替えたぞ」

「あっ、うん」

 

恵が倫也の貧相な体を上から下へと品定めする。股間のところで目線が止まった。

 

「うん・・・まぁ、しょうがないよね」

「・・・ただの生理現象だからねぇ!?」

「まだ、何も見せてないんだけど・・・?」

「・・・」

「想像しすぎなんじゃないかなっ」

 

恵の頬が赤い。やっぱりこういうのは緊張する。だいぶ2人でいちゃいちゃするイベントをこなして慣れてきたと思ったが・・・やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

「恵っ・・・タ・・・タオルとらないと・・・水着回にならないぞ」

「そんなの・・・知らないよっ・・・」

 

恵がしゃがみこむ。

 

膝から下だけが見える。肌がきめ細やかで光を少し反射している。足の指の先の爪まで綺麗に形がそろっていて、神様は造形に手抜きをしていなかった。

 

「恵ぃ!」

 

倫也が我慢できなくなって、恵の方へ歩み寄る。

 

恵は立ち上がって、手のひらを前にだして倫也に止まるように頼んだ。

 

「自分で・・・とるからっ・・・」

 

「ゴクリッ」

 

倫也がツバを飲み込む。妙に暑い。気が変になりそうだった。

 

「はぁ・・・はぁ・・・・はぁ・・・」

恵の息も荒い。

 

「早く早くっ」

「そこは、『大丈夫か?無理するなよ?』っていつもみたいに気遣うべきなんじゃないかな」

 

倫也は少し前屈みなった。ソファーの後ろに下半身を隠す。あせりすぎた。

 

「もう・・・倫也くん・・・」

「ん?どうした・・・?」

 

恵は息を大きくすって、顔を真っ赤にして、頭から湯気を出して、目がグルグル@@になって・・・

 

 

 

「ちょ・・・ちょっとだけよぉ~」

 

 

 

と、照れながらいった。

 

「加藤ちゃんオチだとぉぉぉ!?」

 

「てへへ」と恵が頭にグーを置いて、照れてごまかした。

 

そう、この物語の恵はガードが堅いのだった。

 

 

 

(了)

 

 

 

「ふぅ・・・倫也くん・・・どうだった?」

「ん・・・まぁいいんじゃね?ちゃんとオチたし」

「うん・・・それにしても暑いね」

「せっかく水着着たし、水風呂でも入るか?」

「えっと・・・一緒に?」

「・・・もちろん、恵が嫌じゃなければだけど」

「えっと・・・うん」

 

恵がバスタオルを外して、折りたたんでいく。

 

見事なプロポーションが露わになった。

 

水着を着て、着やせするところがなくなると、出るところはでて、ひっこむところはひっこんでいる。服を着ている時よりも胸が大きく見えるのは、やはり水着で強調されているせいだろうか。造形の都合という解釈もあるようだ。

 

このビキニタイプの水着は隠しいてる部分が少ない。

『加藤恵 水着』でググれば、すぐに画像が出てくる。

もちろんフィギュアを持っている方には、今更説明する必要もない。

 

「さっさっ、いこう」

 

倫也が恵の肩に手をのせて、恵を押していくようにバスルームに向かった。

歩くたびに恵の胸が揺れている。

 

「もう・・・あんまりガっつかないでよ」

「それはもう、お前が悪い」

「なんでよー」

 

恵が非難がましい目で倫也を睨むが、顔はデレていて、口元は笑ってしまっている。

 

「だって、こんな見事なもの見せられたら・・・」

「もう・・・でも、倫也くんのも・・・なかなか」

「すでに限界を迎えそうだがなっ!」

「それ、偉そうにいうことじゃないから」

 

※※※

 

バスルームの扉を開ける。

恵がバスタブの栓をして、水をいれはじめた。

 

倫也がバスルームの扉を閉めた。2人きりになった。

 

恵が栓をするときに後ろを向いたまましゃがむと、水着で隠しきれない綺麗な丸みを帯びたお尻がみえる。

 

恵はそのままバスタブに座り込んで、足を伸ばして座った。

 

「冷たくて、思ったよりもずっと気持ちいいよ。倫也くんもはいったら?」

「・・・おう?」

 

立ったまま恵を見下ろすと、胸の谷間がすごいはっきりと見える。

くびれたウエストも、それから太ももと絶対領域も惜しげもなく見せている。

 

「ふんふふん♪」

 

恵は機嫌よさそうに鼻歌を歌っていた。

 

「倫也くんも入りなよー?」

 

恵はもう物語が終わったと思って油断しているようだ。

だいたいバスルームは禁制のはずだ。

 

倫也がバルタブに入った。恵の前で立っている。

 

「あの・・・目の前で立って、立っているのはどうかと思うよ?座って?」

「ああ・・・どこに座ればいいの・・・?」

 

バスタブが細長い。並んでは座ることができない。

 

恵は足を折り曲げ、体育座りに体制を変えた。

倫也が反対側に体育すわりをする。

 

水が10cm程度まで溜まっている。

 

倫也の目線から、恵の足がM字になっている。間から見える股間のぷっくらとしたふくらみが溜まった水の中で揺れてみる。こうなるといよいよ、倫也も我慢がつらい。誘われているようにしか思えない。

 

「はぁはぁはぁ・・・」

目がぎらついて、鼻息も荒くなる。

 

「・・・もう、せっかく気持ちいのに。男の子だなぁ」

「しょうがないでしょ!?」

「こっち・・・きてぇ」

 

恵が両腕を伸ばした。

倫也が膝をついて、恵に近寄る。

 

恵が両手で倫也を抱きかかえて顔を近づけると、キスをした。

「んぐっ」

そして、そのまま舌を絡めてくる。

倫也は不自然な姿勢で体を支えたまま、甘美な恵のキスに体蕩けそうになる。もはや理性はない。

 

「ぷはっ」

 

恵も呼吸を止めていた。顔が2人とも真っ赤だ。

 

「ねぇ、倫也くん。なんだか落ち着かないし・・・」

 

恵も我慢できなくなって言った。

 

 

 

「とりあえず、・・・ここで一回しよ?」

 

 

 

恵といちゃいちゃ過ごす夏休みもあと少し。

 

 

 

(了)

 



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LASから学ぼう冴えカノヒロイン

別に地雷を踏むつもりはこれっぽちもなかった。
ただ、気が付いた時は地雷原の中に立っていたんだ。


38話 LASから学ぼう冴えカノヒロイン

 

 

 

8月27日 金曜日 夏休み37日目。

 

 

 

「ごめん。倫也くん。やっぱり38話もボツにするから」

「ん?」

 

リビングのソファーでコーヒーを飲みながら恵がいった。

 

「38話って・・・かき氷食べるやつだっけ?」倫也が尋ねる。

「うん。話の構成順とか間違っていたかなぁ・・・」

「反省は全部終わった後でな。で、どうする?」

「ん・・・それは・・・考えてなかったんだけど」

「じゃ、映画でも見るか」

「映画?」

「やっと動画配信されたんだよ」

「何が?」

「エヴァンゲリオン」

「ああ、あの有名なやつね?そんなに好きなら映画館までいったら良かったのに」

「あれ、2時間半以上もあるんだよ・・・」

「ちょっと長いね」

「なので、休憩取りながらの動画で我慢」

「うん、まぁ・・・。あんまり熱心なファンじゃないってことだよね」

「・・・そうだな・・・」

 

エヴァ談義なんてまともにやったら火傷するだけだけど・・・

 

※※※

 

「おわったよー。倫也くん」

「ああ、やっと終わったな・・・どうだった?」

「よくわかんなかった」

「ふむ・・・」

「あと、倫也くん落ち着きなさすぎ」

「そう?」

「飲物作りに行ったり、トイレいったり、おかし取りに行ったり・・・」

「長いからしょうがないよね」

「そうかなぁ・・・」

 

倫也が飲物を口に含んでからまたトイレに行った。

 

最新作のエヴァ作品の初見にした結果、得られた感想は「よくわからない」

うん。すごくまっとうだと思う。ちなみにソースは身内。

 

倫也がトイレから戻ってきた。

 

「でだな・・・今日は冴えカノ目線からエヴァを少し語ってみようと思うのだけど・・・」

「うん」

「ちょっとだな・・・自信ない」

「なら、やめておけばいいのに」

「だから、こう冴えカノに隠れてこっそりとだな・・・」

「その、人気ない同人小説だからって、チラ裏みたいに使わないでもらいたいんだけど」

「いやいや、でも恵にも関係あるわけだし」

「綾波キャラともちょっと違うって英梨々が言ってたね」

「そだな。エヴァ以降、無口系ヒロインが大量生産されたからな。恵をその系譜にいれるのは妥当な気もする」

「あそこまでコミュ障のつもりはないのだけど」

「・・・綾波の話は置いといてだな」

「うん?」

 

倫也がグラスのコーヒーを一口飲む。

 

「問題はアスカの方なんだが・・・」

「このキャラって英梨々だよね?」

「そうだな。英梨々の原型というか、金髪ツインテールの系譜になるんだと思う」

「アニメでよくみかけるよね。これもアスカが元祖なの?」

「ちがうんじゃないか・・・」

「ふーん、それで何が問題なの?」

「最後にシンジはマリと結ばれただろ」

「うん」

「同人界隈では、アスカとシンジが結ばれるものがたくさん制作されていたんだけどな。それを LASっていう」

「ラス?」

「または、エルエーエスだな。ラブラブアスカシンジの略らしい」

「へぇ・・・・」

 

恵がちょっとひく。

 

「でだな。問題なのはアスカとシンジが結ばれなかったことじゃないんだ」

「ん・・・ああ、なんか他の人と結ばれていたね?」

「ケンスケだな」

「それが・・・問題なの?」

「そうだな。ケンスケっていうのは中学生時代の同級生でそこまで重要な役割を担っていなかった」

「それは・・・えっと?このエヴァの前の作品のこと?」

「そそ、4部作になっているんだけど、その前の作品にでていた。こいつが突然、アスカとくっついたもんだから・・・」

「えっと・・・?」

 

恵が首をかしげる。

この映画だけを見れば、アスカはケンスケと暮らしていたようだし、そこまで違和感はない。

 

「これを冴えカノで置き換えてみるとさ、劇場版の最後で倫也と恵が新居でみんなと食事をするよな。そこに英梨々と上川が一緒にいるようなもんだ」

「上川?」

「いたろ、俺らの同級生に」

「ああ、いたねぇー。それはまたずいぶんと唐突な展開な気がするね」

「そうなんだよ・・・けれど、よくよく考えてみると英梨々どころの騒ぎじゃないなぁっと思って」

「どういうこと?」

「おそらく、全国に英梨々ファンはいるけれど、英梨々だけ好きなファンはほとんどいない。英梨々グッズなんて数えるほどしかないだろ。冴えカノが好きでグッズ集めている人は大勢いるけれど、英梨々のだけ集めている人はそこまでいないと思うし、冴えカノ以外も好きだったりするはずだ」

「推論だよね?」

「うん。ただ商業規模からもそうだろうと思われる」

「それで?」

「けど・・・アスカは違うんだ・・・」

「どう違うの?」

「まず、アスカグッズの数が把握できないぐらいでている。以前TVでアスカグッズ集めている人の部屋が紹介されたが、部屋の中がグッズでぎっしりだった。ちょっとした年収がふっとぶぐらいは種類があるし、限定品まで集めようと思ったらサラリーマンでは厳しいと思う」

「すごい熱烈なファンがいるということ?綾波ファンも大勢いるでしょう?」

「もちろん。綾波グッズもたくさんでているし、アスカと同様に熱烈なファンがいるとは思う。しかし、綾波は作品の設定上、母親のクローンなんで2人が結ばれないことは理解できるし、渚(白・碇司令)と結ばれることも、それなりに納得できるんだ。もちろん納得できない人も大勢いるだろうけど、アスカほどひどくはないと思う」

「へぇ・・・」

 

恵がお茶を飲む。倫也もお茶を飲んだ。

 

「以前話をしたと思うけれど、ハーレム型アニメでのヒロインには、救済キャラを置いてはいけないと話したよな」

「うん。でも、わたしには従姉妹の医学生がいたよね」

「わざとタブーを破ったんだろうけど、他のサブヒロインにはいなかったろ?」

「うん」

「もちろん、エヴァンゲリオンはハーレムアニメじゃないし、ラブコメでもないだろうから、そういう縛りや気遣いはないんだと思うけど・・・なぜ、アスカがケンスケと結ぶ結末を受け入れ難いだろうことはわかる」

「そうかな?作品が終わって、新しい平和な世界で暮らしていくんだよね?それぞれに幸せな結末を用意したってだけじゃないの?」

「そういう解釈ももちろんありだ。とはいえ、納得いかない人も多そうだなと思ってさ」

「まぁ、そうかもしれないね」

 

倫也が一呼吸を置く。

 

「さっきは英梨々で例えたけれど、商業規模で言ったらアスカ1人で冴えカノ全体よりも大きいんだよな。25年続いているし、ファン層も広い」

「うん?」

「LASを信じていたファンを冴えカノの恵ファンに置き換えると、冴えカノ劇場版を見に行って、倫也が出海ちゃんと結ばれたあげくに、恵が上川とくっついている・・・そんな話を見せられたぐらいショックなんじゃないだろうか?」

「それはもう、話が破綻しているよね・・・・」

「ケンアスENDもけっこうな破綻だと思うけど」

「ケンアス?」

「ケンスケとアスカ」

「ああ・・・うん」

 

恵ぐらい一見さんだと正直どうでもいいと思ってしまう。

しかし、ファンの間ではいまだに議論されている。

 

「そういうわけで、LAS界隈の反応を軽く調べてきたのだけど・・・」

「物好きだなぁ・・・」

「阿鼻叫喚だった。アスカ下げする人もいるし、煽る人もいるし、ガチで凹んでいる人もいるし・・・混沌としていたよ」

「ふーん」

「ただな・・・ここからがエヴァンゲリオンなわけだが」

「ん?」

「あの新劇のアスカは式波って名前で、旧劇は惣流っていうんだけどさ、この2人は別人ってことでも、もめていた」

「ん?」

「所説あるんだけど、新劇の式波がケンスケと結ばれただけで、惣流は違うという解釈がある。でも、海辺のプラグスーツが・・・」

「ああ、倫也くん。もういいよ。何言っているかわからないし・・・調べたい人は自分で調べればさ」

「・・・そうだな」

「それにさ、エヴァンゲリオンってTV版とそれに続く劇場版で一度は完結してるんだよね?」

「一応な。旧劇って呼ばれている方な」

「うん。だったらさ、その人気にあやかって作った新劇場版は公式による二次創作といってもいいんじゃないかな」

「ああ、そんな風に解釈している人もいるし、作中でも示唆されているよね。いくつものパターンがあったことを」

「うん。だからさ、やっぱりオリジナルは1つであって、その続編とかIFとかは、関係ないんじゃないかな?」

 

恵は考え込む。エヴァンゲリオンのオチはどうでもいいが、冴えカノは別だ。

 

「・・・だからね・・・わたしはこないだのフェスの英梨々ルートは認めないから」

 

「なるほど。主観に置いてそれは正しいと思う。でもさ、自分が納得するかどうか、認めるかどうかでいったら、オリジナルそのものにもいえるんじゃないか?」

「どういうこと?」

「ラブコメはそれぞれのキャラにファンがいるから、主人公が誰かを選ぶと他の誰かを好きな人は納得できないわけで・・・」

 

恵は瞳のハイライトを消し、どす黒い眼差しで倫也をまっすぐ見つめ、

 

 

 

「・・・で?」っと低い声で言った。

 

 

 

倫也は目をそらして、何も言い返さなかった。

 

 

 

(了)

 

 



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「ピロートーク」のお題で夫婦漫才

さては隠す気がないな


 

 

 

8月28日 土曜日 夏休み38日目。

 

 

 

部屋は薄暗い。

 

今日も一日が終わった。一緒に起きて、一緒にご飯を食べて、一緒にゲームを作って、一緒にまったりとアニメを見て、そして夜になった。

 

ピロートークのお題に応えるべく、倫也と恵は同じベッドで横になっている。

 

「ねぇ倫也くん・・・これR指定ついているんだっけ?」

「いや・・・?ピロートークするだけだからな」

「ピロートークって何?」

「枕について話題にすることだな」

「・・・そう」

 

恵が窓辺で、倫也の左側に寝ている。

2人ともぎこちなく仰向けになって天井をみている。

 

「で、恵は枕の中身は何がすき?」

「ん~。夏はそばがらかな」

「いいよな。そばがら」

「うん。綿だと熱がこもって暑いし、プラスチック素材は堅くて好きじゃないなぁ」

「だよな。低反発枕も最初はいいんだけどな」

「あー、あれもけっこうすぐダメになるし、暑いよね」

「だな」

「・・・」

「・・・」

 

恵がアクビを一つした。右手で倫也の左手を握る。

 

「で、枕の話の本題って・・・もしかして会社経営が傾いているとか?」

「どういうこと?恵」

「えっ、だって枕営業させるんじゃないの?」

「誰に!?」

「それは・・・ちょっと」

「・・・」

「・・・」

 

恵が倫也の手を放して、ギューとつねった。

 

「いてててっ、何?」

「んっ、だって、つまらない話をしているからぁ」

「それ、俺だけのせいじゃないよねぇ!?」

「わたしのせいだっていいたいの?」

「・・・そうじゃないけど」

 

恵が再び倫也の指と指を絡める。

 

「でも、枕トークって言われてもさー」

「我が家にもyes/no枕を導入するとかどうだろう?」

「イエスノーマクラって何?」

「イエスの時はイエス。ノーの時はノーってわかる枕だよ」

「何が?」

「・・・」

「どうしたの?導入したいんだよね?イエスノー枕」

「提案だけな」

「うん。で、何なのか詳しく説明してもらわないと、わかんないよ」

 

恵が倫也の指をつまんでいる。

 

「だからさ・・・OKの時はイエスだよ」

「えっと・・・ごめん。何言っているかわかんない」

「・・・ダメならいいよ」

「別にダメなんていってない」

 

ちょっと語気を強めた。

倫也が恵の方に顔を向ける。恵は天井を見つめてまま、頬を染めていた。

 

「夜のオセロについてなんだけど・・・」

「あのね、倫也くん。わたし達は高校生なんだからね?一応、健全な生活をずっと続けてきて、ここまでがんばってきたんだからさー。突然、夫婦みたいなこといわれても困るんだけどっ」

「・・・ごめん」

 

恵が上半身を起きあげた。ブランケットを抑えて前は隠している。

倫也から見ると、恵の美しいうなじや、肩甲骨のくぼみや、細いウエストが見える。

恵は何も身に着けていなかった。

 

「ちょっと、恵。危ない」

 

倫也が慌てて、恵の腰に手を当てて、再び寝転がせた。

恵は窓辺に体を向けた。倫也が後ろから少し抱くような形になる。

 

「それにね。Yes/no枕なんてあったら、いつだって、no・・・だよっ」

 

恵がそっと応えた。澄んだ声が少し震えて寂しい感じがする。

 

「なんで・・・」

 

恵は何も答えない。Yesなんて・・・はしたないマネをできるわけがない。

 

外からはコオロギの鳴いている音が聴こえた。もう夏も終わりだ。

 

 

 

※※※

 

 

 

「話題変えようか・・・」

「ううん。続けて」

 

倫也は右腕を恵の細いウエストあたりから前に回している。恵はその右手を右手で重ねている。

倫也が指でへそのあたりをそっと撫でようとするのを、ぎゅっと掴んでやめさせた。

 

「倫也くん。わたしがNOだったら、誘わないの?」

「ん・・・」

「NOだけど、誘って欲しい時はどうしたらいいの?」

「そしたらYESなんじゃないの・・・」

「それは違うよ・・・だって、YES枕にして、倫也くんが疲れていたらどうするの?」

「がんばる」

「でも、したくないんでしょ?」

「ん・・・そんな時、あるのかな・・・」

「あると思うよ・・・必ず少しずつ年を重ねるわけだし・・・」

「うーん」

 

倫也が右手を上の方へ少しずつ上げようとすると、恵がその手をつねった。

 

「やっぱり、そういうのはお互いの気持ちが大事なんじゃないかな」

「だから、それを伝えるために枕を使うんじゃないの・・・」

「気持ちってそんなにはっきりしているかな?最初はYESでもいいかなぁって思っても、だんだん嫌になる時もあるだろうし」

「あるの?」

「・・・今のところないけど、あるかもしれないでしょ?」

「・・・ふむ」

「それに、ぜんぜんそんな気分でなくても、少し話していたら変わるかもしれないし」

「なるほど」

 

上がダメなら下へと腕を動かそうとしたら、恵が右手をがっちりと抑えつけた。

 

「・・・」

「・・・」

「シナリオに書けないようなことしないでくれる?」

「恵の髪・・・いい香りがする」

 

倫也が鼻を恵の頭にくっつけた。

 

「もう・・・誤魔化さないでよ」

「じゃあ、いつもYESなんだと思って誘えばいいんだな?」

「あのさー、人の話聞いてた?」

 

恵が倫也の右手を話して、体から離した。

倫也は仰向けに体勢を替えた。

 

「いつでも、NOなんだけど」

「じゃあ、誘わない方がいいってことだよな?」

「そんなこと言ってない」

「わかんねぇーよ」

「そんなんだから、倫也くんは倫也くんなんだよ」

「えーっ」

 

恵が体の向きを倫也の方へかえた。

 

倫也の左腕のあたりに、何かおそろしく柔らかいものが当たった。

 

「で、続きは?」恵が話の続きを催促した。

 

「えっと・・・」

倫也が戸惑う。「何の話だっけ?」

 

「ピロートーク」

と、恵が呟いたあとに、小さくアクビをした。

 

「恵、眠いの?」

「・・・うん」

 

倫也が時計を見ると、12時近くになっていた。朝はちゃんと起きているので眠くなるのもわかる。

 

「無理するなよ・・・寝るか」

「ううん。だからね・・・何か話をして」

「話かぁ・・・」

「うん」

 

恵がかぼそい声で答える。少し微睡んでいるようかのようだ。

 

「明日のことだけどな」

「うん」

「劇場版の予習ってことでいいんだよな?」

「うん」

「それってさ、予定していたこの物語のエンディングだよな」

「うん」

「じゃあ、最終日はどうするんだ・・・?」

「知らない」

「そっか・・・」

「・・・うん」

 

恵の小さな呼吸の音が聴こえる。

 

「初日も作り直すんだよな?」

「うん」

「どんな感じにするの?」

「うん」

「・・・そっか」

「うん」

「もう、寝なさい」

「ううん」

 

倫也が恵の方を見ると、恵は目を開けて倫也のことをじぃーとみていた。

倫也も体の向きを恵の方へ向ける。それからおでこをくっつけた。

 

車が通る音がした。エアコンは静かに動いている。他は静寂に包まれている。

 

 

 

※※※

 

 

 

「恵のこと。好きだよ」

「うん」

 

倫也が恵のおでこにキスをした。

 

「恵のこと。大好きだよ」

「うん」

 

恵が鼻先を倫也の鼻先にくっつける。

 

「恵に会えてよかった」

「うん」

 

それから、倫也のほっぺにキスを軽くした。

 

「恵とこの物語を過ごせて楽しかった」

「うん」

 

それから唇を重ねる。柔らかい唇が少しくっついて離れた。

 

「俺・・・夏休み終わって欲しくない」

「・・・うん」

 

夏休みがもうすぐ終わる。

時間は巻き戻らない。

この夏を覚えていて、もう一度繰り返すなら・・・もっと上手に夏休みを過ごせるのに。

 

「倫也くん・・・」

 

恵の目が潤んでいる。

 

「枕カバー外してみて」

 

倫也が頭を上げて枕を手に持った。

両手で上にあげて枕カバーをはずすと、中から、YES/YES枕がでてきた。

 

「恵っ!?」

「えへへ」

「いいの?」

「うん・・・それにしてもさ、ピロートークしてわかったことあるんだけど」

「どうした?」

 

恵の顔が真っ赤になる。でも薄暗いのではっきりとはわからない。そこがまたカワイイ。

 

 

 

「ピロートークって、終わったあとにするものじゃないの?」

 

 

 

順序が逆になった。

作品のカテゴリー上、しょうがない。

 

 

 

(了)

 



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劇場版の練習よりも大事な練習とは

人間関係は過ごした時間によって変化していく


 

 

 

8月29日 日曜日 夏休み39日目。

 

 

 

 晩夏というには暑い日だった。倫也と恵は劇場版の場所を巡ってきた。ライブ会場、焼き肉屋、病院・・・などである。台本を見ながらそこでのセリフを確認した。

 

 倫也と恵は夕方に家に戻ってきた。

恵はメインヒロイン風の衣装を身に着けていた。この衣装にもずいぶんと慣れた。

 

「結局、最後までキスを我慢できなかったね」

「そうだなー」

 

劇場版のキスの予行練習の名目でキスをしようと思っていた。それで物語を終わらせるつもりだった。

 

「まっ・・・しょうがないかな」

「40日も一緒にいたらな・・・」

「うん。最初に40日分のプロットを作っていたら違ったのかな?」

「アイデア出すだけで挫折しそうだけど・・・」

「だよねー」

 

行き当たりばったりで走り抜けた。

恵が買い物袋の中身をキッチンにしまっていく。

今日はハンバーグだ。

 

「じゃ、わたしは夕食の支度をするね」

「うん。何か手伝おうか?」

「いいよ。・・・でも、リビングにいて欲しいかな」

「わかった」

「少しは参考書を広げた方がいいよ?」

「・・・無駄な努力はしない主義だから」

「どっちでもいいけど」

 

倫也はグラスに入れた麦茶をもってソファーに座った。

TVをつけようと思ったがやめた。

 

 

 

※※※

 

 

 

玄関の呼び鈴が鳴った。

倫也が玄関の扉を開けると、出海と美智留が立っている。

 

「よっ、トモ」

「倫也先輩、お邪魔します」

「どうぞ」

 

夏休みも最後に近いので、サークル内で食事をすることにした。

 

「伊織は?」

「お兄ちゃんは受験勉強で忙しいそうです」

「あいつ・・・」

「トモもがんばりなよ。受験するんでしょ?」

「そこはもう触れないで・・・」

 

美智留と出海がお土産を渡す。ケーキを買ってきた。

恵がそれを受け取って冷蔵庫にしまう。

 

「恵先輩、何か手伝いましょうか?」

「ううん。平気。みんなで座っていて」

「はい。でも、何かあったら言ってください」

「うん」

 

出海が麦茶のはいったグラスを2つもってソファーに座った。

「おっ、サンキュー」

美智留が1つを受け取る。

 

 

 

※※※

 

 

 

3人がこの物語のシナリオに目を通している。

 

「よくもまぁ、トモと加藤ちゃんはこれだけ作ったねぇ・・・」

「美智留や出海ちゃんの協力があったからだよ。それに質は相変わらずだしな」

「物語は完成させるのが大事だっていいますし・・・倫也先輩と恵先輩はちゃんと完走したじゃないですか」

「あと一日あるけどな」

「はははっ、最後は2人で過ごすんじゃん。トモはなんだかんだ加藤ちゃんとずっと一緒にいられるんじゃないの?」

「そりゃあ・・・まぁ」

 

恵はキッチンで忙しそうに動いている。

みじん切りにした玉ねぎを弱火で炒めつつ、味噌汁をつくり、サラダ用の野菜もきる。

 

「倫也くーん。ポテトフライ食べる?」

「あー、どっちでも」

「加藤ちゃん、食べるよー」

「じゃあ、揚げようかな」

「恵先輩、揚げものだけでも手伝いましょうか?」

「・・・そうしてもらおうかな」

 

出海が立ち上がって、キッチンに向かう。恵に指示されて洗面所の棚からエプロンを取り出して身につけた。

 

「なんか、波島ちゃんも後輩っぽくなってきたよねー」

「そうだな。初期の対抗心を燃やしていた時よりもいいんじゃないか?」

「やっぱり、加藤ちゃんの教育の賜物だよ。トモ」

「だな」

 

倫也はグラスの麦茶を飲む。

 

「お二人も会話筒抜けですよー」

「ごめんごめん。波島ちゃんのことを褒めてたんだー」

「そうですかね?でも、別にわたしはあきらめてませんよ?」

「そうなの!?」

 

倫也がびっくりしている。

 

「やっぱり、いつかは主演やりたいですし・・・」

出海は恵の方をちらっとみた。別に気にする様子もなくハンバーグを成形している。

 

「トモも大変だな。澤村ちゃん問題も解決していないし・・・」

「しぃー」

 

倫也が口元に手を当てた。恵の方を見る。目のハイライトが消えているが、作業は続けている。

 

「そこはいいから・・・お前の方はどうなんだよ?」

「あたしのはサイドストーリーだから、特になにもないよ。ただicy-tailのメンバーで会話するシナリオは作ってはボツになっているけど」

「やっぱりキャラが難しい?」

「名前は覚えたんだけど・・・トキ、エチカ、ランコ。そこに担当楽器ぐらいはね・・・でも、キャラが薄い分、やっぱりストーリーが迷走しちゃって」

「ははっ、負け犬みたいな?」

「うん。たぶん無理なんじゃないかなー」

「気長にな」

 

icy-tailの原案はいくつかあるものの、伊織からOKがでない。彼に言わせるとサイドストーリーは冗長になるらしい。それらしいことを匂わせて想像に任せることも大事なのだそうだ。照れくさいだけかもしれないが。

 

 

 

※※※

 

 

 

「いただきます」と4人が手を合わせ、口をそろえて言った。この4人の時、恵は倫也の左隣に座る。

 

食卓にはご飯と味噌汁。ハンバーグが1人2個。付け合わせはポテトとサラダ。

 

「トモは幸せだなー」

「お前もすごい笑顔なんだが?」

「トモは毎日作ってもらったんでしょー」

「・・・そうだな」

「まったく、トモにはもったいないよ」

「そうですよー、恵先輩ならもっといい人見つかりますよ?」

「うん。まぁ・・・もう嫁に行ける体じゃないんで・・・」

「それどういう意味ですかー?」

「トモ・・・ちゃんと責任とりなよ」

「・・・いや、俺たち健全な高校生だからね?」

「倫也くん・・・?」

「はい。何でしょう。恵」

「責任取りたくないの?」

「是非、生涯をかけて責任を取りたいと思います」

「とかいって、次の物語で英梨々ルートに進んでるんだよねー」

「うわっ、トモサイテーだな」

「倫也先輩、本当ですか・・・?」

「次の事は次の主人公のせいにしてくれよ・・・」

「否定しないあたりが倫也くんなんだよなー」

「トモサイテーだな」

「でも、澤村先輩もカワイイですもんねー」

「出海ちゃん?」

 

恵が箸で出海のハンバーグを一個取り上げた。

 

「後生です!恵先輩。恵先輩の方が・・・えっと、胸が大きいです!」

「・・・出海ちゃん?」

「冗談です・・・ハンバーグ返してください」

「まずは謝ろうか?」

「ごめんなさい。恵先輩」

「もう・・・」

 

恵がハンバーグを返した。

 

「じゃあ、あたしはトモのもらっておこう」

「なんでだよ!」

 

美智留が取ろうとするのを倫也が防いだ。

 

「と・・・とにかくだ。物語の登場人物には役割がある。優劣とか勝ち負けの問題じゃないだ。わかるだろ?」

「あー、機嫌悪くなりそうだから、黙っててくれる?」

 

恵が倫也のハンバーグを取り上げた。

 

 

 

※※※

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

4人が手を合わせていった。

 

「俺のハンバーグ・・・」

「トモ、どうして自ら地雷を踏みにいくかなー」

「そんなつもりはなかったんだがな」

「だいたいさー、次の物語なんて関係ないんだから、今を全力で楽しまないと」

「そうだな」

 

倫也が食器を片付ける。美智留はゴム手袋をして洗い物をはじめる。

出海はテーブルをふいている。

その間に恵はバスルームでシャワーを浴びにいった。

 

「それにしても倫也先輩。また英梨々ルートやっても失敗するんじゃないですか?」

「詩羽先輩が別な物語で説明するから・・・ここではそっとしておいて」

「・・・はぁ」出海が気のない返事をした。

 

「あたしにはよくわからん」

美智留が洗い物をしながら少し考えたがやっぱりわからない。

『負け犬』の時に言った、毎日が楽しい物語なら、これのことだ。

でも、これではダメなのだろう・・・。

 

 

 

※※※

 

 

 

玄関先。倫也と恵が2人を見送っている。

 

「それではトモ、加藤ちゃん。ごちそうさま。また新学期もよろしくね」

「うん。学校ちがうけどね。美智留さんもお幸せに」

「もう既成事実化なんだな・・・」

 

倫也が複雑な心境になる。とはいえ、しょうがない。

 

「恵先輩。ごちそうさまでした。なんだか新婚の家に遊びにきた感じでしたが・・・楽しかったです」

「やめてよ出海ちゃん」恵がちょっと顔を赤らめて喜ぶ。

「出海ちゃんには悪い事したけど・・・これも出海ちゃんのためだから」

「いえいえ、お陰さまで成長できた気がします」

「だといいけど」

 

恵が靴を履いて立っている出海を抱きしめる。

 

「なんですか・・・恵先輩?百合展開なんて、聞いてないですよ・・・」

「ううん」

恵が出海から離れて、「次もがんばって」と言った。

「はい!」

 

「じゃ、またねー」「またですー」

 

2人が帰って、玄関のドアが閉まった。

恵は鍵をかけ、チェーンロックもする。

 

「ふぅー」

 

倫也と恵が同時にため息をついた。サブヒロインの慰労会が無事に終わった。

 

「やっぱり英梨々ルートのフラグを立てていくんだね」

「どうなんだろうな。詩羽先輩が何を考えているのか、俺にはわからん」

「確かに・・・」

 

2人がリビングのソファーに座る。

恵はシャワーを浴びた後は青いルームウェアに着替えている。倫也がいれたアイスカフェオレを飲みながら、明日のことを考えていた。

 

「恵。今日はどうするんだ?」

「うん?オチなら・・・予定通りでいいんじゃないかな」

「予定通り?」

「うん。劇場版の予行練習にするつもりだったよね」

「そうだな」

「じゃあ、それでいいと思うけど」

 

倫也が立ち上がった。

 

「ああ、別に倫也くん。座ったままでいいよ。そんな全部は大変だから」

「お前、さてはやる気ねぇな!?」

「ううん。そんなことないよ・・・えっと、『俺、恵のこと好きだ』からで」

「実はさ・・・」

「どうしたの?」

「もうセリフ覚えてない・・・」

「あーうん。冴えカノずいぶん見てないものね」

「だな」

「じゃあ、途中を省略しよ」

「それでいいんだ?」

「・・・いいよ」

 

倫也が恵の隣に座った。

恵が紙とペンを用意していた。

 

「じゃあ、始めて」

 

倫也は照れる。いきなりクライマックスからは難しい。

 

「・・・俺、恵のことが好きだっ!」

「知ってる」

「・・・恵ぃ」

「で、どこが好きなの?」

「えっと・・・」

 

恵がカンペを出す。そこに倫也のセリフが書いてある。

 

「えっと・・・えっ・・・?」

「どこが好きなの?」

「・・・エッチなところ」

 

倫也の顔が真っ赤になった。恵も耳が赤い。

 

「もう・・・そんなこと言われて喜ぶ女の子は・・・いないよ?」

「えっと、ごめっ・・・んぐっ」

 

恵が倫也の言葉の途中でキスをした。

それから、そっと唇を離して、少し微笑みながら上目遣いで言う。

 

「だから、不合格・・・だよっ」

 

優しい澄んだ声。けれど少し意地悪なトーン。

 

「不合格なのぉ!?言わされたよねぇ」

「うん」

 

恵が立ち上がって、倫也に手を差し出す。

倫也がその手をにぎって立ちあがった。

恵が倫也をひっぱって2階へと連れて行こうとする。

 

 

 

「だからっ、いっぱい練習しないとね」

 

 

 

倫也の部屋にはYES/YES枕がベッドの上に今日も置いてある。

 

(了)

 



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恵と過ごす最後の夏休み

お疲れ様でしたー


 

 

 

8月30日 月曜日 夏休み40日目。

 

 

 

劇場版では夏休みの最終日からストーリーが展開していく。だから、この物語の倫也と恵は前日の今日が最終日。

 

倫也の部屋もリビングもエアコンをガンガンにかけて、倫也も恵も朝から大掃除をしている。大掃除というよりも撤収作業の方が近いかもしれない。

掃除機をかけ、雑巾がけをし、冷蔵庫をほとんど空にして綺麗に除菌した。バスルームはカビ取りまでしたし、トイレも磨き上げた。

 

お昼ごはんはカップラーメンで済ませ、キッチンももう汚さない。レンジ周りも換気扇も掃除したからだ。

 

恵はもってきた服をキャリーバックに詰めて、箪笥を元のようにもどした。これでだいたい夏休み前の状態に戻る。

 

午後3時過ぎに掃除が終わり、2人はソファーに座ってやっとくつろいでいる。グラスも使わずにペットボトルの水を飲む。

 

「終わったね。倫也くん」

「お疲れ、恵」

 

恵は学校の夏服に着替えていた。

 

「夏休み。終わるね」

「はやいな・・・なんか、40日も無理だと思ったけど、なんとかなったな」

「うん・・・風鈴作ったり、手持ち花火を一緒にしたり、スイカ割りしたり・・・できなかったイベントもたくさん」

「だな。不思議だ・・・」

「部屋の中で過ごすのが性に合っているからかな」

「毎日何かのイベントをするっていうのも疲れるし、それでいいのかもしれない」

「うん」

 

恵がペットボトルを手にもったまま、天井を見ている。何かやり残したことはないだろうか?

 

 

「倫也くん。とりあえず完成したし、第一話だけ後で変えてくるね」

「ん。その必要ある?」

「最初が肝心なんだと思うけど・・・それに最初の話が実は最終話になっているみたいなオチは好きでしょ?」

「そういうのはいいよな。で、どうするの?」

「どうもしないよ。そんな余裕なかったもん」

「じゃあ、戻る意味は・・・」

「少しぐらいは伏線置けるかもしれないし・・・」

 

2人は顔を見合わせる。

 

「無理だな」

「無理だよねぇ」

 

・・・

 

 

 

※※※

 

 

 

「あとは・・・来年の夏の過し方かな」

「来年?」

「そう。来年。もし、まだ続けていたら来年の夏もまた短編を40話つくってみたいと思っているんだけど」

「またやるの!?」

「いや?」

「大変だけど・・・暑いよ?」

「そこで、やっぱり旅行だよ。倫也くん」

 

恵が鞄から欧州の旅行ガイドを出した。

 

「ヨーロッパいくの?」

「うん。フリーパスのチケットで欧州の電車が乗り放題になるし・・・」

「バックパッカーか」

 

バックパッカーとは、大きなリュックをもって安い旅をしている人達である。野宿もたびたびあるが、基本はユースホステルやYMCAなどの格安宿泊施設を利用する。

欧州のバカンスは長いので、こういう旅をする人が多い。

 

「だめかな?」

「だめじゃないけど、来年の俺って浪人生じゃないの?」

「あー。そこはまた高校生で」

「高校生2人で欧州旅行するの!?」

「変かな」

「うん」

「じゃあ、大学時代?」

「もう、それ冴えカノじゃなさすぎるから・・・」

「うーん」

 

まるで、今の2人が冴えカノのような言い草だな。

 

「計画だけね」

「うん・・・で、今日はどうする?恵」

「どうもしないよ。各話に伏線がちりばめられていて、最後にどんと回収するようなことはないわけだし」

「・・・だよな」

「なんでもない日をまた過ごして、一日が終わるんだよね」

「夏休み終わって欲しくねぇな」

「学生はきっと今頃本気でそう思っているよ」

「ははっ。宿題の日記とか最終日にまとめてやったな」

「それは、倫也くんだからじゃないの?」

「そういう宿題って真面目にやってた?」

「うん。ちゃんと夏休みの始めの頃に終わらせたよ」

「日記だよ?」

「うん。朝顔の観察日記とか、家のお手伝い日記とかでしょ?」

「そう」

「先生は本当のことなんてわからないから、それらしいもの書いて終わらせていたけど」

「それ、もうどっちもどっちだな」

 

 

 

※※※

 

 

 

「そうだ。これだけはやっておこうと思ったことがあるんだ」

 

恵が立ち上がってキッチンに行き冷蔵庫を開ける。ほとんど空になっているが、1つだけプラスチックカップにプリンが作ってあった。スプーンと一緒にもってくる。

 

「プリン」

「一個だけじゃん・・・俺のは?」

「ないよ」恵がさらりと言う。

 

「倫也くん・・・死なないでね」

「なんで?」

 

恵が何も答えずに、プリンをスプーンですくった。

プリンを倫也に食べさせたのが、おかしな物語になった始まりだった。

 

英梨々ルートなんて絶対に認めない。

 

強い嫉妬が英梨々の物語を壊した。その後の物語の迷走も原因は自分にある。

メインヒロインでなくなるという結末は、『転』を回避できるという約束でもある。

この『恵といちゃいちゃ過ごす夏休み』はまさに、その通りになった。

ただの明るいバカげた物語だ。

 

「あーんして」

「あーん」

 

倫也がプリンを食べる。結末がどうなるかは関係ない。

今、この刹那を生きている。恵の作ったプリンを食べる。その至福の瞬間を味わう。それだけのことだ。

 

恵がプリンを倫也の口にいれた。

倫也はもぐもぐと食べて、「おいしい」と一言そえて、笑った。

 

「うん」

 

恵も満足そうに微笑む。大丈夫、おかしな音楽もならないし、変な自分の分身もでてこない。目の前で突然倫也が死んで、物語が迷走したりしなかった。

 

「かえろ」

「そうだな」

 

倫也もほっとした。死ぬかと思った。それはそれでいいのだけど・・・

ここまで楽しく作ってきたのだ。最後まで楽しく過ごさせてやりたい。

 

 

 

※※※

 

 

 

『やれやれ・・・君も相変わらずだな』

 

伊織が加藤恵@メインヒロイン型を抑えつけている。

「ううぅ・・・」うなり声を上げていた。

 

「波島伊織。恵にサブヒロインなんて無理なのよ」

 

英梨々がそばに立って2人を見下ろしている。

指をバチンッと鳴らした。

メインヒロイン型がまた1つ消えた。

 

「裏方は苦労するわよね。ほんと」

『なんだかんだ、君は裏方もサブヒロインも上手くこなすものだね』

「それが役割なら従うまででしょ?」

『君がそれを望むなら』

 

伊織がそっと英梨々にハンカチを渡した。

英梨々がそれを黙って受け取る。

 

『転』が起こらないよう裏方でみんなが支えている。

 

 

 

※※※

 

 

 

帰り道。

 

あたりはもう蝉は鳴いていない。

まだ日差しが強いので人通りは少ない。

倫也と恵は並んで歩く。制服姿の時は手をつながない。一応のけじめだ。

 

「あっ、倫也くん。今日はいちゃいちゃしてないよね?」

「そうだな・・・プリン食べたぐらいだな」

「ベッドシーンから始まった方がいいかな?」

「せめて、オセロシーンと言い換えましょうか。恵さん」

「ああ、うん・・・。ほんと、オセロばかり上手くなっちゃう」

「コツがなかなかつかめないよな」

「倫也くんは、序盤を焦りすぎなんじゃないかな。我慢が足らないというか・・・」

「そうか?」

「うん。自分がいて、相手がいるんだからね?相手の顔色や仕草をよくみて、それから手を考えないと」

「ふむ・・・」

「・・・」

「・・・」

 

恵は思い出したのか顔が赤くなる。フラットな表情にするのも忘れがちだ。

 

 

 

※※※

 

 

 

「プロローグ見てきたんだけど」

「どうだった?」

「初々しかった・・・」

「はははっ」倫也が大笑いしている。そりゃそうだ。

「もう・・・笑い事じゃないよー。あとね、旅行もちゃんと行きたがってた」

「そっか。じゃあ、手直しは必要なさそう?」

「うん。合宿名目で鎌倉日帰りだって」

「今からじゃ遅くなって日帰りは無理だな」

「でも、今日しかチャンスがないよ・・・?」

「どうする・・・?」

「泊まる・・・?」

「けど、明日から劇場版だろ?」

「朝に急いで帰ってくれば平気じゃない?」

「衣装は?」

「そっか・・・制服かぁ・・・じゃホテルは無理だよね」

「・・・だな」

「もう少し、最後ぐらい計画的に過ごせないかな?」

 

倫也は顔をかいて誤魔化した。最後までどたばたする。

 

「うん。じゃあ、どうやって終わろうか?キスして終わろうかと・・・思っていたのに」

「それはしておこうなっ!」

 

倫也が恵の前に立った。

 

「あー、制服だからダメだよ」

「恵」

「もう、しょうがないなぁー」

 

恵が目を閉じる。もう片目を開けるようなことはしない。静かに待つ。

倫也はそっと唇に触れる。心地よい余韻だけが残る。

たぶん、これが最後のキス。

 

倫也と恵は少し離れて、少し見つめ合う。

倫也がうなずくと、恵もうなずいた。

終わる時は寂しい。

 

 

 

恵が坂を駆け上がっていく。青い空と真っ白い入道雲が見える。

 

坂の上で振り返って、少し気持ちを落ち着かせる。

 

 

 

「夏休みの間中ずっと一緒に過ごしてくれて・・・毎日読んでくれてありがとう。あなたに笑顔を・・・少しは届けられたかな?」

 

 

 

恵がにっこりと作り笑顔をする。

 

 

 

夏休みが終る。

 

 

 

(了)

 




カナダの首都


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