Bazett in ClockTower (時計塔のバゼット) (kanpan)
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第1章 Red Branch Girl
第1話


故郷アイルランドからロンドンの魔術協会にやってきたばかりのバゼット・フラガ・マクレミッツは第4次聖杯戦争から戻り、時計塔で講師見習いをするウェイバー・ベルベットと偶然出会う。


ロンドンのある高層ビルの屋上から一人の少女が夜景を眺めていた。屋上、といってもこのビルに展望台のようなものはない。彼女は関係者以外立ち入り禁止のビルのてっぺんで、フェンスも乗り越え、コンクリートの縁に腰掛けて夜の街を物憂げに見つめている。

 

彼女の名はバゼット。まだ少女であるがルーン魔術を使いこなす魔術師である。

 

故郷アイルランドの寒村から今日ロンドンにたどり着いたばかりのバゼットは、とりあえず街全体を見渡そうと適当な高層ビルを見つけて屋上に勝手に登り、遠見のルーンでロンドンの夜を見渡していた。

 

目の前には延々と広がるかに見える摩天楼の光。彼女が後にしてきた小さな漁村の夜景とは大違いだ。夜になれば地上の明かりは消え失せて真っ暗になり、夜空にだけ星の輝きが灯る故郷の景色を思い出す。それに比べてこのロンドンでは地上に夜は訪れず、むしろこの自分の周りだけが暗闇なのかとすら感じる。

 

カツカツカツ、と背後で足音が響いた。階段を登ってくる者がいる。がちゃり、と屋上の入り口のドアが開く。

「誰だ、そこにいるのは!何処から入ってきた!」

眩しいサーチライトと誰何の声が、屋上の暗闇と静寂を壊し、彼女の思考も中断した。

やってきたのはおそらくこのビルの警備員だ。高層ビルの屋上に一般人が易々入れるはずもない。むろんバゼットは屋上の鍵を壊して不法侵入している。

当然、捕まると面倒だ。———面倒なので飛び降りる。

 

「なにをするんだ君!動くな、止まりなさい!」

背後から飛ぶ警備員の声を無視して、バゼットはビルの縁に立ち上がり、目の前に軽く跳躍して夜空に身を躍らせた。

 

着地はルーン魔術で制御する。地面に付くまでの時間は魔術の発動に充分足りる。手早く魔術を発動させて着地の体勢を整える。

だが、真下を見下ろしたバゼットは息を飲んだ。あろうことか、たった今ビルの入り口から出てくる人間がいる。避けなければぶつかる!

 

ehwaz(エワズ)!」

衝突寸前に移動のルーンを発動を間に合わせた。ルーンの力に寄り落下の方向を変化させ、衝突を免れる事ができたものの体勢を戻すことまではできない。そのまま、まともな受け身を取れず激しく地面に叩き付けられた。

 

 

その日、魔術師ウェイバー・ベルベットは所用で街に出かけ、用を済ませてそのビルから出た所だった。

頭上からただならぬ気配を察知し、ふと見上げると何かが降ってくるではないか!

「う、うわあああああ!」

慌てて頭を覆いかがみ込んだ彼の真横に、どざざざっと大袈裟な音をたてて、その何かは落ちてきた。ウェイバーはそっと顔をあげて落下物を観察する。それはどうやら人間———女の子だった。

 

空から女の子が降ってくるなんてまるで日本のアニメみたいじゃないか。しかし、そんな夢のような出来事であろうとも命中したらこっちが死んでしまう。

「———う……。」

急な出来事に混乱しながらそんなことを考えていたら、降ってきた少女が微かに身じろぎした。おや、生きているようだ。ウェイバーは立ちあがりそっと彼女に近寄った。

 

「君…大丈夫?」

頭上から声をかけられてバゼットは目を開けた。一瞬気が遠くなっていたのかもしれない。着地時にかろうじて頭は守ったが、他の箇所は盛大に打撲した。多少骨折もしている気配がある。

ロンドンという街はこんな夜中まで人が出歩いているとは。

故郷の村ではこの時間になれば家々は寝静まり、外に人気はほとんどないのに。

 

まだぼんやりする頭を一振りして意識を回復させ、声をかけてきた相手に向き合う。相手は細身の青年だった。私が迷惑をかけたのはおそらく彼のようだ。

 

「すみません…。お怪我は…ないですか?」

バゼットが尋ねると、とまどいながら青年は答えた。

「い、いやいや。僕は大丈夫何だけど…心配なのは君の方だよ。なにしろ18階建てのビルから降ってきたんだよ…。頭を打っているんじゃないか?救急車を呼ぼう」

「ま、待って。それは困ります!」

バゼットは携帯電話を取り出した青年の手をとっさに止めた。それはまずい。魔術を行使した以上、堂々と公的機関のお世話になるわけにはいかない。青年の顔を見ると彼もびっくりした表情を浮かべていた。

 

「これは———。その…、君の手に残っているのは魔力の残滓(あと)だ」

つまり———この少女は一般人ではない、とこの青年は気づいたのだ。

「君は魔術師なの?」

「……。」

「実は僕も魔術師なんだ。僕はウェイバー。時計塔で講師の見習いをしている」

「……あなたは時計塔の方なのですか」

 

時計塔、それはロンドンに在る魔術協会の総本部である。

そして、そここそがバゼットのロンドンでの目的地だった。彼女は魔術協会に所属するためアイルランドからロンドンにやってきた。

ここで起こしてしまった騒ぎはまずかったが、関わった相手が時計塔の人間だったのはラッキーだった、とバゼットは思った。

 

 

空から人が降ってきたとあって、周りには野次馬が集まってきている。何はともあれ、この場からは早く離れたほうがよさそうだとウェイバーは判断した。ウェイバーが呼ばなくてもまもなく誰かが呼んだ救急車がここに到着してしまうだろう。そうなったら面倒なことになる。魔術をみだりに一般人の目に触れさせるのは避けなくてはならない。

 

あまり考える時間はない。空から降ってきた少女は怪我で身動きがとれないだろうし、彼女を背負ってとりあえず自宅に連れ帰ることにした。少女にそう提案すると、彼女は一瞬考え込んだものの結局同意してくれた。

 

 

ウェイバーは野次馬達に催眠術をかけてその場の記憶を曖昧にし、少女を背負って自宅にたどり着いた。彼女をソファにおろし、自分も向かいに腰掛けて一息つく。

 

ふと顔をあげて少女を見ると、彼女は傷ついた腕を動かし自分の体になにかの模様を描こうとしていた。

「無理に動こうとしないでしばらくじっといていたほうが…」

とウェイバーが言いかける間に少女は魔術を発動させていた。腕にあった痛々しい打撲と擦り傷のあとが消える。治癒魔術だ。

ウェイバーが見守る中、少女は次々に自分の体の傷跡に治癒魔術を発動させていった。

 

一通り自分を治癒し終わると「ふう」と軽くため息をついて体を起こしウェイバーの方に向き直る。

「いやあ…お見事」

ウェイバーはおもわずパチパチパチと拍手していた。

「それはルーン魔術かな?珍しいね。本格的なルーン魔術の使い手は初めて見たよ」

「これがルーンとわかるとは貴方は物知りですね。現代では占いの道具としか思われていないのに」

ウェイバーの賞賛に少女はまんざらでもなさそうな表情を浮かべながら軽く答えてから、少し真面目な口調に戻った。

「改めて、今日はどうもありがとう。私はバゼット。魔術協会に所属する為にアイルランドから来たばかりです」

 

魔術協会の総本部「時計塔」には己の能力を高め、世に問い、名声を得ようとする魔術師が集まってくる。ウェイバーも故郷を出て時計塔の門を叩いた。ウェイバーは両親の死後、財産を処分して学費を捻出して時計塔の魔術学園に入学したのだ。バゼットもおそらくそういう若い魔術師の一人なのだろう、とウェイバーはバゼットに少し親近感を感じた。

 

「今日は時計塔の後見人を訪ねるはずだったのですが、つい寄り道をしてしまいまして」

寄り道でビルの屋上に登るのは普通は奇妙な行動なのだが、魔術師であればそう変でもない。地形に宿る霊脈をざっと判断するために高みから街を見下ろすのは新しい土地を訪れた魔術ならよくやる事だ。

ただし、立ち入り禁止の屋上に不法侵入してバレたから飛び降りるというのはこの大都会ではずいぶん雑というか大胆な行動である。

ウェイバーがそう思ったのが表情にでていたのか、バゼットはやや気まずそうに身を小さくした。

 

バゼットは見た目、十代後半くらいだ。故郷の学校を卒業した後に時計塔にやってきたのだろうか。

「バゼットはいくつなの?時計塔の学園に入学しにきたのかな?」

「15歳です。」

……意外に若い、とウェイバーは少し驚く。17歳くらいに見えたのだが。今日の大胆な行動は若さ故の常識の無さ(ぼうそう)なのだろうか。

「学園に入る予定はありません。私は生家の魔術を継承し既に一人前なのです」

自信を持った口調でバゼットは言い切った。

 

 

その後、明日は時計塔の後見人を訪ねるというバゼットにウェイバーは時計塔の建物の作りや事務手続きなどを教えた。

時計塔は大英博物館の地下に隠されている施設であり、一般人の目に触れないように様々な仕掛けが施されている。魔術師でも慣れていない者が時計塔構内を歩けば迷うだろう。

 

それなりに話し込んで時間が遅くなってしまったので今日はウチに泊ってもいいよ、僕も時計塔の人間だから妙な事はしないし、とバゼットに伝えてウェイバーは一旦雑用を片付ける為にその場を離れ、自分の個室に向かった。

 

「…えっ、と」

小一時間して戻ってくるとバゼットはソファの上ですやすやと寝こけていた。ウェイバーは一瞬あっけにとられてしまった。自分で薦めておいてなんだが、その度胸はさすがビルから降ってくるだけの事はある。

バゼットの規則正しい寝息とともに彼女の胸が上下しているのがウェイバーの目に入る。うん、こっちも歳の割には大人びているな……。

おっと、とウェイバーは我に返りぶんぶんと頭を降って妄想を振り払う。彼女はまだ15歳なのだ、いかん。

 

寝室から毛布を撮ってくるとバゼットに被せ、妄想の元を視界から隠した。

それに、ビルから降ってきた時の彼女の手から感じた魔力の痕跡、部屋で見せた鮮やかな治癒魔術。それは彼女の年齢には似つかわしくない高度な腕前だった。ウェイバー

はとてもそのレベルに達していない。それどころかベテランの魔術師でもこうはいくまい。

 

このバゼットという少女は何者なのだろうか?

さきほど彼女は生家を継いだと言った。その時は詳しく聞かなかったが、かなりの名門の出なのかもしれない。明日、時計塔でそれとなく彼女のことを探ってみよう。



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第2話

バゼットとウェイバーの現状を説明する回のようなものにあたります。


翌朝ウェイバーが目覚めると、バゼットはまだ寝ていた。昨日僕よりも早く寝た筈なのに…と思いながらウェイバーは書き置きをしたためるとテーブルの上に置いて先に自宅を出て時計塔に向かった。

 

2年前、ウェイバーは極東の国、日本で第4次聖杯戦争と呼ばれる戦いに参加していた。その戦いが終結してからしばらくの間世界を気ままに旅して、その後時計塔に戻ってきた。

戻ってきた彼が居場所を得たのはあろうことか彼と因縁のあるアーチボルト家である。そこにはいろいろな事情があるのだが、ともあれウェイバーはアーチボルト家の庇護のもと講師見習いとして時計塔に所属している。

 

時計塔についたウェイバーは昨日出会った奇妙な少女魔術師の話を何人かに尋ねてみた。

「15歳の女の子で、赤毛のショートで、ルーン魔術を使うんだけど?」

意外というかむしろ予想通りというべきか、少女の身元はすぐに判明した。彼女が言っていた後見人という人物にもすぐ会うことができた。

あの少女、バゼットは魔術協会がここ数年で迎えた魔術師の中で指折りの注目人物(ビッグゲスト)に違いなかった。

 

 

バゼットが起きたのはそれから1時間くらい過ぎた後だった。ウェイバーの書き置きには先に出かけるが戸締まりは気にしなくていいと短い伝言が書いてあった。今日こそは時計塔に向かい後見人と合わなくては。気が進まないが仕方がない。

 

もともとバゼットは単身魔術協会に加わるつもりでいた。しかし彼女の両親は協会参加に反対しており、その両親を説得する条件の一つが後見人をつけることだった。如何に一人前として認められたとはいえまだ15歳の娘なのだからそのくらい当然ではあるのだが。

バゼットの後見人であるオニール氏は実は彼女とも彼女の生家ともたいして関わりがない。ルーン魔術への関心もほぼない。単に同じアイルランド出身というだけだ。バゼットの生家は古くからのアイルランドの魔術師の家系であるが、長い間魔術師協会と交流がなかった。なので単に母国が同じ魔術師を頼るほかなかったのである。

 

時計塔に着いたバゼットはオニール氏の部屋を訪ねた。覚悟していたが、案の定小一時間に渡る叱責、小言、説教が彼女を待っていた。

「昨日ロンドンに着いてから、私に一言も連絡も無くいったい何をしていたのかね? バゼット。私は君のご両親から君の身の安全を頼まれている。ご両親に心配をかけてはいけないよ。常識的な振る舞いを心がけなさい。なにしろ君はもう一人前なのだからね。」

滔々と続く説教にひたすら頭をたれて耐える。弁明したいところだが昨夜の落ち度は自分にあるので今は黙るしかない。

 

「ところで君は昨夜出会ったばかりの男性の自宅に泊ったそうだね」

「……そ、それは、」

「話はウェイバー君から聞いた。ウェイバー君は紳士だ。出会ったのが彼で実に幸運だったね。

君は名門を継ぐ人間だ。 君の一族の名声に傷をつけるような行動は慎んだほうが今後のためだと思うがね」

「ぐ……」

しまった。ウェイバーに口止めをしておくべきだった。思いの他おしゃべりではないか。

私だって何も考えずウェイバーに付いていったわけではない。時計塔の魔術師であるから信頼して付いていったのだし、万一何かあっても返り討ちにする自信くらいはあります、と喉から出懸かっているのだが言うと小言に拍車がかかるのは火を見るより明らかだ。

 

「ウェイバー君は君ぐらいの年頃の女子学生たちから人気があるからねえ。彼が助手をしている講義には彼のファンの女子学生のグループがいつも集まるくらいだ。まあ君が気になるのはわかるよ」

オニール氏は何か勘違いをしているようだ。この分だとウェイバーと知り合ったきっかけになった昨日の騒動については黙秘を決め込んだままで済むかもしれない。出来ることなら黙っていようとバゼットは神妙な振りをして口をつぐむ。

それはそうと、ウェイバーは女の子たちに人気があるのか。そんなに頼もしそうには見えなかったので意外だ。

 

ともあれ、バゼット側の旗色はいまだよろしくない。

「バゼット、君はまだまだ社会経験が足りないようだ。時計塔には君ぐらいの年頃の学生が学ぶ学園がある。どうかね、魔術師協会に本格的に所属する前に学園でしばらく学んでみては。」

オニール氏はどうやら本格的に自分を厄介払いしたいみたいだな、とバゼットは感じ取っていた。

所詮は魔術協会から指名されただけの形式上の後見人。別にそれは構わないのだが、そのかわりに学校に入れられるなんてごめん被る。私が故郷のちいさな村を出てロンドンまでやってきたのは、狭い世界で一生を終わりたくないからだ。多くの魔術師たちがいる世界で自分の能力を試したい。その為にここへやってきたというのに。

 

「とりあえず、君が数日間時計塔の学園の授業を受けられるように話はつけておいた。講義等の3番教室に向かいたまえ。ああ、君が授業を受けたかどうかはあとで教師から話をきくからな」

オニール氏は今日もバゼットが勝手に動き回らないように素早く手を打っていた。どうにも逃げられなさそうだとバゼットは観念した。今の所は言う事を聞くしかない。数日間だけ我慢してやり過ごそう。

 

「では節度ある行動を。バゼット・”フラガ”・マクレミッツ」

オニール氏はダメ押しのように彼女の本名(フルネーム)を、しかも家名(ミドルネーム)を強調して呼んだ。

 

 

「今日から数日間皆さんと一緒に講義を受講します。バゼット・フラガ・マクレミッツです。」

教師にまずは自己紹介をと促されて、バゼットは生徒たちの前に立っておきまりの挨拶をする。簡潔に切り上けようとしたバゼットの語尾を教師が継いだ。

「バゼットさんはアイルランドのルーン魔術の名門フラガ家のご出身で、すでにご実家の秘伝を継承された一人前の魔術師です。この学園で同年代の皆さんと交流を深めるために数日間皆さんと同じ講義を聴講されます。どうぞ皆さん仲良くしてあげてくださいね。」

なるべく目立たないでいようとしたバゼットの配慮は無駄に終わった。興味なさそうにしていた生徒の視線までもがバゼットに集中する。教員に促されてバゼットは教室の後ろの空席に向かった。気づかれないように小さくため息を付く。

 

講義はバゼットにとって退屈きわまりなかった。彼女が触れた事のない分野の魔術についての講義ではあるのだが、なにぶん内容が初歩的すぎる。それとなく周りの席を見渡すと何人かの生徒と目があってしまった。彼らもこちらが気になるようだ。中にはこちらを気に入らなげに見ている者もいた。教師からあんな偉そうな紹介を受けてしまったのだから無理もない。

 

魔術師にとって家系は重要だ。魔術師の能力は家系にほぼ依存する。それも古ければ古いほど良い。名門だなどと紹介されて、他の学生たちの興味を引かないはずがない。家系の浅い家柄の者からは妬まれるだろうし、それなりの家系の者からは対抗意識を持たれているだろう。バゼットとて時計塔の優秀な魔術師たちに遅れを取るまいとする意識はあるのだが学生を相手にするつもりなどない。講義の時間はこの状況をどうしたものかと悶々と思案する事に宛てられてしまった。

 

講義が終わり休み時間になった。バゼットが席を立ついとまも無く数人の女子生徒が彼女をとりまいた。

「あの、バゼットさん。」

「はい。なんでしょうか?」

さっそく新参者に勝負を吹っかけにきたのか?やや身構えつつ返事をした。

「バゼットさん、ルーン魔術に詳しいのですよね?ぜひ私たちに占いを教えてくださらない?」

「…え?」

 

あつまってきた女子学生たちの目的はルーン恋愛占いだった。

そう、世間的にはルーンというのはそういう認知度でしかない。魔術師見習いである彼女たちですら古代から伝わるルーン魔術と聞いても思いつくのは「占い」程度。ルーンなど秘境で細々と伝えられていた物珍しい古典芸能くらいの存在感でしかないのだろう。

正直に言うと占いは苦手なのだが、今求められているのは初歩というか遊び程度のものであって、それくらいならなんの苦もない。初日の挨拶の一環と考えて付き合ってもいいだろう。

 

紙を適当な大きさに切り分け、それぞれにルーンの文字を書き込む。それを袋にいれて女性学生たちに何枚か抜き取ってもらい机に並べる。そのルーン文字の種類や向きで恋愛の行く末を占う。バゼットがルーン文字やその組み合わせの意味をいくつか解説して見せるだけで女子学生たちは大喜びし、そのうちルーンはそっちのけで好みの男の子の話に興じ始めた。

やれやれ無難にやりおおせたようだ。ああ、それにしてもこんなことをしにきたのではないのにな…。

 

 

退屈な講義からようやく解放され、宿舎に戻ろうとしたバゼットは講義棟の角にたむろしている女子学生のグループをみつけた。女子学生たちの真ん中に取り囲まれている青年の姿が見える。よく見たら、ウェイバーだ。なるほど後見人が言っていたように女子学生に人気があるのは本当らしい。

 

 

そうしてバゼットの時計塔での最初の1日が過ぎた。

 



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第3話

朝、後見人オニール氏が用意した宿舎でバゼットが目を覚ますと時計は1限目の講義時間15分前を指していた。もう学園に行く気を無くしそうなのだが昨日の今日で失態を重ねるわけにはいかない。

 

食パンをトースターにつっこみ、その間に身支度をする。トースターから飛び出た食パンをつかんで口に加えるやいなや、バゼットは宿舎のドアから飛び出した。そのまま全力疾走に移行し学園に向かう。子供の頃から鍛えに鍛えまくった自慢の健脚はルーンを使わなくても充分に速い。その気になれば陸上選手になってオリンピックでメダルも夢じゃない。

 

曲がり角でも疾走速度を落とさず勢いよく交差点に突入した。そんなことをするとお約束のようにそこに通行人がいるものである…。もちろんバゼットは急には止まれない。移動のルーンを発動するいとまも無く、バゼットはそのまま哀れな通行人をハネてしまった。

 

……まったくロンドンは通行人が多すぎます。

 

そんな頭の中の自己弁護(いいわけ)は表情から隠してバゼットは被害者の顔を覗き込んだ。

「ごめんなさい!大丈夫ですか!?」

「やあバゼットまた君か。すっかり元気そうだね…。」

バゼットの目の前には尻餅を付いてこちらを見上げるウェイバーが居た。ああ、気まずい、とても。

 

「おはようございます。ウェイバー。ほんとにごめんなさい…」

ウェイバーは黙って苦笑いを返した。バゼットは申し訳なさそうに手を伸ばしてウェイバーを助け起こそうとする。

「立てますか?」

「ちょっと足をひねったみたいだ。でもたいした事はないから僕のことは構わないで先に行ってよ」

「いえ、そうはいきません。

 先日の代わりに今日は私が貴方を背負って時計塔に行きましょう」

やおらバゼットは背中にかけていた筒状の荷物をおろしてウェイバーに渡して代わりに持たせ、ウェイバーを背中に背負い上げた。

 

「すみませんが時間が迫っているので急ぎます」

バゼットはそう言うやいなや、両足に速駆けのルーンを刻んで駆け出した。瞬く間に人間の限界を越えたスピードとなって飛ばす。もはや自動車並みのスピードだ。もうオリンピックなんてメじゃないです。

 

「なっ、なんで走るバゼット!」

「学生は始業時間が早いのです。私の都合に合わせてください!」

「うあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

弾丸のように疾駆するバゼットの影。そしてそこからこぼれるウェイバーの悲鳴が街路に轟く。疾駆する影は時計塔の学園に近づくにつれて増える登校中の学生たちの間を弾幕をかいくぐるシューティングゲームのようにすり抜けて校舎に滑り込んでいった。

 

「な、なによあれーーーー!」

登校中の女子学生グループの一人が校舎に猛スピードで突っ込んでくる人影を見とがめて悲鳴のような叫びをあげた。

その人影は瞬時に彼女たちのグループの脇を走り抜ける。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー」

人影が駆け抜けると同時に儚い悲鳴も彼女たちの耳をかすめていく。

「ねえ、あれウェイバーさんじゃなかった?」

女子学生たちは顔を見合わせた。

確かにあの影が脇を通るときに聞こえた悲鳴はウェイバーのものだ。そしてウェイバーを担いで疾走していたのは…。

「さっきのアレ、昨日学園に来たルーン使いの女じゃない」

「名門の家の出だそうだけど、なんてガサツなのかしら」

「名門だとか聞いたけど、”マクレミッツ”なんて家名聞いた事ないし」

「なんであの娘がウェイバーさんを背負ってるのよ……」

「新参者のクセに、なんでウェイバーさんと一緒なの?」

女子学生たちが口々に文句を並べ立てる。

その中の一人、おそらくリーダー格の金髪ロングヘアの気の強そうな少女が他の女子学生たちを見回しながら言った。

「ええ、あの新参者の娘には時計塔での正しい振る舞いかたを教えて上げる必要があるわ」

 

午前中、バゼットは昨日と同様に退屈な授業を聞き流した。

そういえば故郷にいた時は気が乗らなかったら学校には行かなかったな。なにしろ地元で有名なルーンの名家の跡継ぎなのだ。今日は家で修行のため、と言えば学校からはもう何も言われなかった。

それにしても、体を動かさないでじっとしているのが苦痛だ。

 

ひたすらにぼんやりと時間を過ごし、ようやく昼休みの鐘が鳴る。と、同時に数人の女子学生がバゼットに近寄ってきた。また即席ルーン占い講座の受講希望者だろうか?

だがその女子学生たちからは昨日の娘たちとは異なり、なにか穏健ではない雰囲気を感じた。彼女たちは険のある目つきでバゼットをにらんでいる。

 

「バゼットさん、ちょっといいかしら?」

「はい?」

女子学生グループのなかから金髪ロングの少女が進みでる。

「今朝はずいぶんと賑やかに学園にいらっしゃったのね。

 活発さはもちろんけっこうですけど女性には慎ましさも大切よ。あなたのお家にはそういう美徳はないのかしら?

 ところで降霊科のウェイバーさんと一緒だったみたいだけど、あなたウェイバーさんと知り合いなの?」

「ええ、ロンドンに来たばかりのときに知り合いまして、一晩家に泊めていただきました」

 

ざわっ。

女子学生グループがどよめいて一歩後ずさる。話しかけてきた金髪ロングの少女の眉毛がつり上がったように見えた。

「泊ったですって?ウェイバーさんの家に!?一緒に!?」

「ええまあ…」

リビングに泊めてもらっただけでウェイバーは別の部屋で寝ていた、という事情の説明を面倒で省いてしまった。それはまずかったとすぐ気がついたのだが既に手遅れだった。

 

バゼットを取り囲んでいる女子学生たちから怒りのオーラがメラメラと発火しはじめている。ああそうか…。昨日目にしたウェイバーを囲んでいる女子学生グループを思い出した。どうやら彼女たちはウェイバーのファンらしい。

嫌な予感がしてきた。

 

「申し遅れたわ。私はシルヴィア・ハミルトン。私の家系は5代に渡って魔術師協会に所属し、代々この時計塔の学園に通っているの。

 バゼットさん、あなたはずいぶんな旧家のご出身らしいわね。

でもここにはここのルールがあるのよ。時計塔は伝統ある貴族の子弟が学ぶ場所なの。貴方はアイルランドの田舎から出てきたそうだからわからないでしょうけど。

 今後は身の程をわきまえなさい」

「…ええ、貴方がおっしゃる通り、私にはどういう決まり事なのか見当もつきませんが」

彼女たちには彼女たちのルールがあるらしいのだが、バゼットには察しようもないことだ。第一、関心もない。

「なぜ私が貴方たちのルールに従わないといけないのですか?」

 

バゼットが無表情に言葉を返すと、シルヴィアと名乗った少女はさらに言い募った。

「ふうん。

 まずはここでの上下関係を理解してもらう必要があるみたいね。

 オモテにでなさい、新参者。ここで大きな顔をするなら貴方の腕前を見せてもらいましょう!

 さぞかし自信があるんでしょうね。」

「……いいでしょう。勝負がしたいというなら受けて立ちます」

 

バゼットは立ち上がった。シルヴィアはバゼットに冷たい一瞥を向けてから教室のドアへ歩き出す。バゼットがその後に続くとその後ろからシルヴィアの仲間たちがバゼットを取り囲むように付いてきた。

 

また面倒なことになったが実力勝負は望むところだ。バゼットの気分は高揚しつつあった。

ここ数日教室でじっと椅子に座ってばかりだった。久々の戦闘(うんどう)だ。

世界に冠たる時計塔の学生の腕前を見せてもらえるならば是非もない。



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第4話

バゼットの戦闘シーンのセリフはFate/Unlimited Codesを参考にしてます。


バゼットがシルヴィアたちに連れてこられたのは何の器具も机も置かれていない、だだっ広い部屋だった。部屋の奥を見ると的のようなものが壁にかかっている。壁にはいくつかの焦げ跡や細かいひび割れがついている。

ここは攻撃魔術の実践練習を行う、いわば体育館のような部屋であるらしい。

 

バゼットとシルヴィアは部屋の中央まで進み、お互いに向きあっている。シルヴィアの背後には彼女についてきた取り巻きたちがおり、その少し後ろには騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬の学生たちが集まってきつつあった。

 

バゼットは肩にかけていた筒状のケースを下ろして床に転がした。

「それ、あなたの礼装じゃないの?使わない気?」

シルヴィアがステッキを構えながら問いかけた。礼装とは魔術師がつかう武器のようなものの総称だ。おそらくシルヴィアの礼装は彼女が構えているステッキなのだろう。バゼットはシルヴィアから視線をそらさず静かに服の内ポケットから革手袋を出し、無言で両手にはめた。

「素手で勝負しようっていうの?ナメてるわね。それとも実はまともな攻撃魔術が使えないのかしら? ルーン魔術なんて占いくらいでしか聞かないものね」

シルヴィアが小馬鹿にした様子で挑発するが、バゼットは動じない。冷静に言葉を返した。

「はじめましょうか」

 

 

その言葉を合図にシルヴィアのステッキが一気に熱を帯びる。

「受けて見なさい、炎魔弾(フレイム・バレット)!」

シルヴィアの礼装のステッキからから魔力の礫が弾丸のように打ち出される。それは魔弾(ガンド)と呼ばれる術。本来人を指差して呪いを与え、相手を病気にするという魔術だ。だがシルヴィアが放ったそれは魔力を強化されて弾丸と化している。その上、火の魔法が加えられて燃え盛る炎の弾となってバゼットを狙う。

 

バゼットはそれらを無駄のない華麗な身ごなしでかわした。頭をわずかに横にそらし、体を斜めに構えて半身をきり、足をスイッチさせて巧みに体勢を入れ替える。

傍目から見ているとバゼットはその場からほとんど移動せずして跳んでくる魔弾を避け続けている。

シルヴィアはステッキを構え、右に左にと魔弾をショットガンのように打ち続ける。弾幕のように打ち込まれる魔弾はついにバゼットの頭を捉えた。

 

バゼットの眼前に魔弾が迫る。それを———、

「邪魔っ!」

バゼットは拳で地面に撃ち落した。

「———えっ」

シルヴィアはあっけにとられた。自分の目の前の光景が信じられない。魔弾を素手でたたき落とした!? 

おそらくバゼットの革手袋もなんらかの魔力で強化が施されているのだろう。だから魔力の塊である魔弾ですら弾けたのだろうが、そもそも飛んでくる弾丸を視認して撃ち落とすなど常人の運動能力からかけ離れている。

 

 

「まだまだ!炎幕帯(フレア・ヴェール)よ!」

シルヴィアがステッキを大きく振りかぶった。ステッキの軌跡が炎となりそれが紅い帯となって広がる。部屋の中は炎の熱気に包まれた。そして帯はバゼットに向かって伸び、彼女を取り囲む。

それを、

isa(イサ)

バゼットはすばやく氷のルーンを手に刻み、炎の帯をつかみ取った。

ピキィィィンという硬質な音が響く。その次の瞬間に炎の帯は凍り付き、砕け散り、氷の欠片となって大気のなかに消えていった。熱を帯びていた周囲の空気が冷やりとしたものに変わる。

「……ぐっ…。」

シルヴィアの表情に焦りが浮かんだ。取り巻きの学生たちは声を失い固まっている。

 

「ここまでですか?」

涼しい表情でバゼットが問いかけた。ずっとシルヴィアの攻撃をかわし続けていたのというのにバゼットはまったく呼吸を乱していない。

「こ、これでもくらえ!!極大火球(メガ・ファイア・ストライク)!」

シルヴィアは我に返ってステッキを構え直し、ありったけの魔力をその先端に集中させた。ステッキの先端に炎が生まれ、瞬く間に巨大な火球にふくれあがっていく。

 

「…ちょっと、シルヴィア!やりすぎよ!」

シルヴィアの取り巻きの女子学生の一人が制止しようとする。シルヴィアの魔術は学生同士の喧嘩のレベルを踏み外しすぎている。シルヴィアの火球がバゼットに当たろうが外れようが学園に大きな被害が発生してしまうだろう。だがその制止を振り切ってシルヴィアのステッキから激しい炎の渦とともに巨大な火球が放出された。炎の渦はシルヴィアたちの目の前の光景をすべて飲み込んだ。

 

バゼットはシルヴィアのステッキの先端でふくれあがる火球を見つめていた。右拳を握って顔の後ろで構える。構えながら足下に転がした筒状のケースをちらりと一瞥した。この魔術はおそらくシルヴィアの必殺の一撃。この一撃に相応の攻撃力があるのなら、自分も己の秘術を持って応える必要があるかもしれない。

果たしてそれだけの力があるや否や———。

 

バゼットの目線の前で、ついにシルヴィアの火球は放たれた。

———見切った。

バゼットは構えを解いた。代わりに迫る炎の渦に右手を突き出し、守りのルーンを発動する。

algiz(アルジズ)

爆風と業火がバゼットを包む。周囲一体が火花、煙と爆発の巻き上げる粉塵に包まれ、全ての者の視界を塞いだ。

 

火が消え去り粉塵が徐々におさまっていくにつれ、部屋の壁や床が酷く損壊している様が明らかになる。バゼットが立っていた部屋の中央はいまだ黒煙に撒かれて様子が分からない。

が、短いルーンの詠唱とともにその黒煙が吹き飛んだ。その場を見守る全ての者たちの視界には、何事もなかったかのようにその場に立ち続けるバゼットの姿があった。

 

「う。」

必殺の一撃をあっさりと受けきられ、シルヴィアは驚愕から身動きする事すら忘れてしまっている。

「では、こちらの番ですね。」

バゼットは屈み込み、両足にルーンを刻む。

ansuz(アンサズ)ehwaz(エイワズ)inguz(イングス)!」

刻まれたルーン魔術が光を放ち、バゼットの両足がライトグリーンの光につつまれる。そしてバゼットはシルヴィアに向かって駆け、気合一閃、高く跳躍した。

 

「やああぁぁぁぁっっ!!!」

バゼットの光る飛び蹴りが女子学生たちのすぐ手前の床につきささった。同時にルーンの魔力の閃光が周囲を包む。

シルヴィアと女子学生たちは衝撃で数メートルほど後ろに吹っ飛ばされた。バゼットの蹴りの着弾点には隕石でも衝突したかのような大きなクレーター状の大穴になっていた。

 

バゼットは視線を上げてシルヴィアたちを見据える。彼女たちの表情は当初の高慢さが消え失せ、弱々しくおびえきっていた。

「あ……すみません、強すぎましたか……?……悪いクセだ……夢中になってくるとどうしても手加減ができなくなる……」

先ほど貶された返礼をかねて、彼女たちにやや嫌味を含めた言葉をかけた。

「ひいいいいい!」

そのバゼットのセリフを全部聞いたのかどうかもわからないまま、シルヴィアと女子学生たちはクモの子を散らすように逃げていった。周りに集まっていた野次馬の学生たちもすでにどこかに逃げ去っている。

 

「あーあ…。」

バゼットは嘆息する。

これで終わり?サンドバッグの方がまだ殴りがいがある。

魔術協会総本部たる時計塔の学生の腕前、多少は期待したのだが所詮学生。私が気にかけるようなレベルではなかったようだ。

 

しかし、売られた喧嘩を買っただけとはいえ、やりすぎたかもしれない。

自分だけのせいではないとはいえ、この部屋の損壊具合は甚だしい。また後見人からの小言の原因が増えてしまった。

もう教室に戻る気にはとてもなれない。かといって学園から抜け出してしまえばこれまた小言の時間が増えることになるし、これから後はどこで時間を潰したものか…。

行くアテはまだ思いつかないが、バゼットはひとまず時計塔の講義棟の中に戻ることにした。

 



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第5話

ウェイバーは図書室で研究の為の資料探しをしていた。目当ての資料を見つけ出し、それを抱えて図書室の閲覧コーナーの机へ運ぶ。その時脇から急に彼を呼び止める声がした。

「ウェイバー?」

振り向くとそこに意外な人物がいた。声の主は赤毛の少女、バゼットだった。

まさかバゼットと図書室で出会うとは。彼女は体育会系の人で静かな図書室で研究に勤しむよりは外で運動をするのを好みそうなタイプに見えたのだが。

 

バゼットは閲覧コーナーの椅子に腰掛け、手元には一冊の分厚い本を広げている。

「やあ、バゼット。授業は……休んだの?」

ウェイバーの問いにバゼットはバツの悪そうな視線を返す。

「その、ちょっと揉め事を起こしてしまいまして、しばらく教室から離れていることにしたのです」

隠し事をしても無駄だと諦めて、バゼットは簡潔に答えた。あの騒ぎから数時間ほど経っている。時計塔の中にいた人間なら騒ぎの噂がもう耳に入っていてもおかしくない。

「ああ、知ってる」

ウェイバーの返事は案の定だ。

「…ああ。では隠す必要はありませんね。女子学生に決闘を申し込まれて受けて立ったのです。挑まれて後に引くわけにはいきません。

あれでも周囲に配慮はしたつもりだったのですけどね」

といいながら肩をすくめるバゼット。

喧嘩を反省しているふりをしながら、若干自慢げな態度が隠せていない。ああ残念だ。黙っていればもの静かで知的なお嬢さんに見えるのに、とウェイバーは心の中で嘆息した。

 

実のところ、ウェイバーは使い魔を飛ばして例の騒動の一部始終を見ていた。

バゼットの戦闘能力はすさまじい。学生のレベルとは比べ物にならない。

シルヴィアは学生たちのなかでは戦闘能力が高い方なのだが、バゼットはそのシルヴィアの全力の攻撃を片手で退けていた。そして蹴り技一発でカタをつけてしまった。

ルーン魔術での強化を行っていたとはいえ、ルーンは所詮一工程の単純な魔術でしかないはずだ。それにもかかわらずあの威力を出しているのである。

 

しかし、これ以上あの揉め事についてバゼットに突っ込むのも心苦しい。シルヴィアとその仲間の女子学生たちは熱心なウェイバーの取り巻き(ファン)だ。ウェイバーとしては嬉しさ半分とまどい半分というころなのだが、たまに彼女たちの熱心が高じて諍いが起こる事がある。無論ウェイバー本人に責任はないし、触らぬ神に祟りなしを決め込むのが今のところのポリシーである。

今回の件についてもバゼットの人並みはずれた戦闘力と魔術に興味はあるが、うかつに聞くと藪蛇になりそうだ。話を変えよう。

 

「ところで、何を読んでいたの?バゼット。」

ウェイバーはバゼットが広げている本に視線を移した。それは魔術の研究書や資料ではなく、何かの読み物のようだ。

「これはアルスターサイクル。私の故郷アイルランドの神話で、アルスターの英雄の物語です。」

バゼットはその神話のあらすじを語った。

それはアルスターの英雄、光の御子と呼ばれる槍使い。

クランの猛犬(クーフーリン)の物語だった。

 

 

老魔術師(ドルイド)が騎士見習いの少年たちに語った予言。

この日戦士になったものはあらゆる栄光を得る.

しかしその輝きは誰よりも早く、地平線の彼方に没すると。

 

その予言を聞いたクーフーリンは直ちに王のもとに駆け込み、

自分を戦士にするよう懇願する。

まだ早いとたしなめる王に対し、城の槍をへし折り戦車を壊して、

「これでも力不足か」と詰め寄った。

 

戦士として認められてからは

予言通りに戦士として誉れ高き勝利を重ね栄光をほしいままにした。

そして予言通り、クーフーリンはアルスターに攻め込んだ隣国の軍勢を

一人で迎え撃ち、閃光のごとく輝かしい生涯を終えた。

 

 

バゼットの話を聞きながら、ウェイバーはかつて聖杯戦争で出会った槍の英霊(ランサー)を思い出した。あの英霊ディルムッド・オディナもアイルランドの英雄だった。

そしてウェイバー自らが召還し共に戦場を駆けた騎乗兵(ライダー)の英霊、征服王イスカンダルの勇姿が脳裏に鮮明に浮かび上がった。たった2週間足らずのあいだ東洋の島国で体験した伝説の世界。

 

「私は子供の頃から先祖から継承した秘伝を受け継ぐ為の修行をしてきました。そのせいなのか、子供らしい遊びに興味をもてなくて、周りの大人たちから冷めた子供と言われていました。

 父からも『お前は作業のように一日を過ごすのだな』と。

 でもこの物語を読んでいる時だけ私は同じ年頃の子供たちと同じように物語に夢中になれた」

ウェイバーの心が英霊たちの思い出に馳せている間もバゼットは語り続けていた。バゼットの話はいつしかアルスターの神話から離れ、彼女自身の身の上に及んでいた。

 

バゼットの生家フラガ家はルーン魔術の大家。そのルーツは神代にまで遡る。

フラガの祖先は太陽神ルーに使える一族で、ルーから他の一族にはない秘技を授かり、それを現代に至るまで伝えてきた。

先ほどバゼットが話していたクーフーリンもルーの息子であり、ルーン魔術を使う英雄だ。

「フラガの秘法は神代の戦闘技術。私も光の御子(クーフーリン)と同じ赤枝の騎士の末裔なのです」

 

フラガ家が伝えるルーンの秘術は単に魔術の修練をするだけで身につけられる物ではない。なにしろ神話の時代の魔術なのである。

ルーンは24の文字で成り立っており、その文字1つ1つが魔術的な意味を持つ。それの単体および文字の組み合わせでさまざまな効果をもつ魔術を発動する事ができる。その仕組みは単純だ。

 

ただし、仕組みが単純なものは運用が面倒になるものだ。複雑な魔術をルーン魔術で行う為には複数のルーンを正確に発動しなくてはならない。現代の魔術はこうした古代魔術の面倒さを回避する為に魔術礼装などで特定の複雑な魔術を簡単な動作で発動できるように進歩している。

ルーン魔術は現状こうした進歩から取り残されている。戦闘魔術として十分に扱うには強力な魔力の他、屈強な身体と高度な体術までが求められてしまう。

 

バゼットが語る所によると、彼女は物心つくか付かないかの頃からルーン魔術の修練に加え、格闘術の修練を欠かさずつづけてきたらしい。なるほど、それがさきほどの戦闘で見せた常人離れした動きのもとなのだろう。

バゼットは名門の魔術師であると同時に戦士であり、まさしく神代のケルトの英雄、赤枝の騎士の流れを汲む者でもあるのだ。

 

だが、神代からつづく一族とはいえ、その実態はアイルランドの片田舎の小さな漁村の町道場のようなものにすぎなかった。魔術協会にも所属しておらず細々と秘伝を継承し続けているだけ。伝統に基づく権威はあるが、実社会の中での権力はほぼ無いといっていい。

 

そんな小さな村で、ただ大昔からの秘伝を受け継ぎ伝えるだけの存在になって、そのまま一生を終えるなんて嫌だとバゼットは思っていた。日の当たる場所へ、人目を得られる場所へ出てみたい。

「だから、私は村をでて魔術協会に所属することにしたのです。故郷の外には何か自分にできることがあるはずだ。

私は何かを成し遂げたい。…それが何なのかはまだわからないのですが」

 

バゼットの回想を聞きながら、ウェイバーは第4次聖杯戦争の時のことを思い出していた。

ウェイバーは時計塔で才能を示すべく、両親の死後に財産を処分して学費を作り時計塔に入学した。

ウェイバーの生家は魔術師の家系と言えど、まだウェイバーの代で3代目。まだまだ血が浅い。この時計塔には6代目、7代目の家柄の学生が何人も所属している。

 

魔術師の能力は魔術回路と魔術刻印によってほぼ決まるとされている。

魔術回路は一種の内蔵のようなものであり、その有無と量、質は生まれつき決まっている。魔術師の一族は、できるだけ魔術的に相性のよい一族との婚姻を重ね、少しでも生まれもつ魔術回路が多い子孫を生もうとする。

一方、魔術刻印は魔術師の一家で代々受け継がれるもので、魔術刻印を子に移植する事によって一族の魔術を継承し、代を重ねるごとにその魔術の力を増していく。

つまり魔術回路にしろ魔術刻印にしろ、歴史が古い名門の出であるほど魔術師としての才能があると見なされる。

 

だがウェイバーの考えは違った。

受け継いだ魔術刻印が少なかろうと、生まれ持った魔術回路の量と質が劣っていようと、己の魔術の性質を見極めて効率的な運用を行う事でそれらの欠点をカバーし、名門出身の魔術師に劣らない能力を発揮できるという持論を持っていた。

そしてウェイバーは時計塔でその持論を臆す事なく語り、率先して自らの実力を誇示しようとした。

 

無論、それは時計塔の血統主義、権威主義への挑戦と見なされる。彼を待っていたのは時計塔の名門魔術師たちからの侮蔑だった。

ウェイバーが4年かけて持論をまとめた渾身の論文は師であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトに公然と貶められた。

その悔しさからウェイバーはケイネスが第4次聖杯戦争のために取り寄せた触媒を奪い、聖杯戦争に参加したのだ。

自分をバカにした時計塔のヤツらに自らの力を示すために。

 

自分の力いかほどか、と勇躍時計塔の門を叩いたところで、自分とバゼットは似ているのだとウェイバーは思う。

時計塔でその権威主義を思い知らされたウェイバーにとっては、神代からつづく名門の生まれで、世間に誇示できる能力を持っているバゼットはうらやましく見える。

バゼットなら、この腐りきった時計塔の貴族連中に屈せずやっていけるだろうか?

———いや、否だ。

 

ウェイバーは危惧していた。

おそらく彼とはまったく逆のベクトルで、バゼットは時計塔の権威主義の壁にぶち当たるのではないかと。

時計塔は実力があるからといって素直にそれを示して通るシンプルな場所ではない。

第一アイルランドから出てきたばかりの少女が腕づくで実力を示そうとするのは早計ではないのか? 

 

「バゼット、15歳でもう社会人って早くない?」

「そんなことはありません。いままで鍛錬をつんできたのですから。一人前になった証として私は我が名にフラガを冠しています。

それに、光の御子(クーフーリン)もこのぐらいの歳には一人前の戦士になっていたのです。

若いからと実力を疑われるなら認めさせるまで。

それが我ら赤枝の騎士の流儀です」

バゼットは眉根を引き締めて言い切った。

そのきりっと引き締まったバゼットのまなざしを受け止めてウェイバーは戸惑う。実力で押し切ろうという気持ちには彼にも覚えがある。

『でも、それはいい方法ではないと思うよ、バゼット』

 

ウェイバーがその言葉を口に出そうとする前に。

———ジリリリリリリリリリリリリ———

唐突に大音量の警告ベルが時計塔全体に響き渡っていた。

「何の音でしょう、これ?」

「さあ?ボヤでも起こったのかな」

素早くウェイバーは校舎内に放っていた使い魔から情報を収集する。

 

「地下の工房で警備用のゴーレムが暴走したらしい。全員外へ避難しろってさ。

———どうやら、さっきの騒ぎの衝撃が影響してるみたいだ」

「つまり、私のせい、というワケですね」

そう言うなりバゼットは席を立ち、荷物を拾い上げて図書室の出口に向かおうとする。

 

「おい、バゼットどこへ行くんだよ」

「これは私が撒いた種ですし。

 ……そして私の能力を時計塔の人々に見せる好機です。

 スマートに片付けてみせましょう」

バゼットはぐっと拳を握って宣言する。

「バ、バゼット…ちょっと…待てー!」

ウェイバーの制止もきかず、バゼットは図書室を出るなり地下の工房に向かって駆け出していってしまった。

彼女を放っておくわけにいかない。ウェイバーは必死でバゼットの後を追いかけた。

 



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第6話

暴走しているゴーレムの魔力と破壊音らしきものを頼りに、バゼットとウェイバーは時計塔の地下へと降りていった。

「君たち!そっちに行ってはいけない。戻りなさい!」

すれ違った時計塔の警備魔術師たちの制止の声を素通りして騒動の現場に近づいていく。

 

階段を3階層ほど降りた所で目の前に瓦礫の塊が飛んできた。

「うわっと!」

とっさにかわし、埃をよけるために顔を覆う。粉塵がおさまり視界が晴れて来ると、その先に探していたモノがいた。

 

天上ギリギリの背丈のゴーレムは、ずしゃりがしゃりと足下の物を踏みつぶしながらこちらに向かってくる。

こちらを見つめるゴーレムの両目に紅い光が灯った。

「ウォォォォォォォォ…」

ゴーレムは雄叫びをあげ、腕を振り回す。周囲の壁が破壊されて瓦礫となり、バゼットとウェイバーの目の前に飛来した。

バゼットはウェイバーの手を引いて脇へ跳躍し瓦礫をかわす。

 

「ここで戦闘を行うのは場所が悪すぎます。ウェイバー、もっと広い空間はありませんか?」

「ええと、…ああ、ここの2階層下に今は使われていない工房用の空間がある。そこならゴーレムが暴れても被害の拡大がその部屋内でおさまるかもしれない」

「なるほど。ではそこにゴーレムを誘い込みましょう」

バゼットは足下の瓦礫を広い上がるとゴーレムに向かって投げつけた。ゴーレムはそれを振り回した腕で薙ぎ払う。

「ウァァァァァァ…」

雄叫びを上げてゴーレムはバゼットとウェイバーに向けて走り出した。よし、ゴーレムの気を引きつけることに成功したようだ。すぐさま踵を返し、階下へむけて階段を駆け下る。

 

「左に曲がって、その廊下の突き当たりの部屋だ!」

目的の階にたどり着くや、ウェイバーの指示通りに廊下を走る。廊下の突き当たりに現れたドアをバゼットは勢い良く蹴破った。

 

そこはかなり広い空間だった。

その工房跡の部屋は天井が2階分の高さがあり、吹き抜けになっていた。上の階はテラス状にになっていて下の階が渡せる。

ここならあのゴーレムとの戦闘が可能だろう。

 

バゼットとウェイバーに遅れる事ほんの数十秒で狭い入り口の壁を破壊しながらゴーレムが部屋の中に突進してきた。

「ウェイバー、貴方はテラスへ避難してください」

バゼットは肩にかけた荷物を足下に投げ、服のポケットから革手袋をとりだして手にはめ、すばやく戦闘態勢に入っている。

「わかった。僕はあのゴーレムの弱点を探ってみるよ」

ウェイバーは備え付けの階段をつかってテラスに登る。自分は戦闘向きの魔術師ではないのだ。できることでバゼットの支援をしよう。ウェイバーはテラスから使い魔たちに指示を出し、心当たりのある場所に探索に向かわせた。

その間にテラスには騒ぎを聞きつけた野次馬(ギャラリー)がぞくぞく集まってきていた。

 

「はッ———」

バゼットはゴーレムに飛びかかり、右足を蹴り砕いた。

バランスを失ってゴーレムが傾き、倒れる———かと見えた刹那、破壊されたゴーレムの右足が再生した。倒れるよりも早く右足が完成し、ゴーレムは体勢を維持する。

一方バゼットはそれを待つまでもなく左足を、更に左腕を次々に破壊していった。だがそれらも瞬時に再生していく。

バゼットがゴーレムから離れて着地したとき、ゴーレムはほぼ元の姿に回復していた。

「ここまでの自己回復能力を持つゴーレムとは…。

 回復能力が枯渇するまで延々と破壊し続けなくてはいけないのか」

 

ゴーレムを見上げるバゼットの耳元に小振りな蝙蝠が飛来した。ウェイバーの使い魔だ。

「バゼット。聞こえるか?」

「ウェイバー?」

「あれは最新の護衛用ゴーレムの実験機だ。体内に魔術炉心が含まれていて、ほぼ無限に回復することができる」

「キリがないということですか」

「体内のどこかにある炉心を破壊しないとダメだ」

なるほど。では炉心を抉り出そう。まだ破壊していない箇所は———。

バゼットはゴーレムに向かって駆け、ゴーレムの膝に跳びうつった。ゴーレムの腕、肩を踏み台にして頭部まで駆け上がる。

そして両拳を頭の上に振り上げ、ゴーレムの頭部に叩き付ける。ゴーレムの頭部が木っ端微塵に砕けた。同時に頭部の再生が始まる。

 

バゼットはゴーレムの体から飛び降りて体勢を整えた。炉心は頭部ではないようだ。

では次に狙うべきは———。再びゴーレムに跳びかかる。狙うのは胸部だ。

「はああああッ!」

右拳に硬化と強化のルーンを付与して、バゼットは渾身の右拳をゴーレムの胸部に打ちこんだ。胸部の外装が砕け散り、胸に開いた穴の中から鈍く光る物体が覗く。

あれがゴーレムの炉心なのか。

 

着地したバゼットがゴーレムの胸部に目をやると、穴は回復していなかった。替わりに炉心の光が増してきている。さらに光が増すのとあわせて強力な魔力が炉心に満ちてきている。ゴーレムからの怪しげな発光で、テラスに集まっている野次馬たちがざわつきはじめる。

———これは危険だ。

 

「逃げろバゼット!」

ウェイバーがテラス上からバゼットに叫んだ。あの光は危険だ。この部屋もろとも巻込む兵器かもしれない。今逃げないと間に合わない———!

 

バゼットはウェイバーに一瞥をくれるとそのままゴーレムに向き直った。ゴーレムを睨み据えたまま、呪文を詠唱する。

後より出でて先に断つもの(アンサラー)

呪文に応えて彼女が足下に転がしていた筒状の入れ物から鉛色の球体が飛び出した。

バゼットは顔の後ろに右拳を引いて構える。そこに球体が浮遊する。

 

炉心の光の密度が強くなるのに合わせて、バゼットの背後に浮かぶ球体が稲妻のような光を帯びた。

球体は変形し、球体の中から鋭い刃が現れる。

短剣のような姿に変形した球体を右拳に構え、バゼットは炉心の光を見つめている。

 

 

炉心の光の増加が止まった。

「ウォォォォォォォォ……ァァァァァァ!」

ゴーレムが苦しげに吠える。次の瞬間、炉心の光は光線(ビーム)となってバゼットに向けて放たれた。その威力はおそらくバゼットどころかこの部屋全体を消し飛ばすに十分だ。

テラスにいた見物人たちは我先に出口に殺到し、怒号と悲鳴が部屋に響き渡る。

 

———さあ、舞台は整った———

 

光がバゼットを飲み込もうとする刹那、バゼットの右拳に構えた短剣が爆ぜた。

そう、いままでの攻撃は全てこの一瞬の為に。

斬り抉る戦神の剣(フラガラック)!」

短剣から一筋の光がゴーレムの炉心に向かって飛ぶ。それはゴーレムの光線にぶつかり、飲み込まれた。

そして、そのまま突き抜ける———。

 

ウェイバーの眼前でゴーレムが放った光線が消え失せていた。それは確かにゴーレムの胸部からバゼットめがけて放たれたはずだ。

今、ゴーレムは部屋の中央で仁王立ちになったまま微動だにしない。そしてゴーレムは炉心がある胸部から徐々に灰燼となり、崩れさって消滅した。

 

ウェイバーがバゼットの方を見ると、バゼットもいつの間にか振り返ってウェイバーの方を向いていた。その表情は「どうだ見たか」と不敵に微笑んでいる。

「…………」

ウェイバーは黙って苦笑いを返した。

 

 

逆光剣フラガラック。

これこそフラガの一族が神代から伝え続けた太陽神ルーの短剣。現代においても再現され続ける英霊の武具、宝具の現物。

『後より出でて先に断つもの』の名の通り、相手の攻撃よりも後に発動しながら時間を遡って前後関係を逆転させ、相手の攻撃を打ち消して自らの攻撃を成功させる迎撃礼装(カウンター)

バゼットが幼い頃から鍛錬を詰み身につけた卓越した格闘術も、ルーン魔術も、全てはこの

斬り抉る戦神の剣(フラガラック)を使いこなすための手段にすぎない。

 

 

部屋の中は一転して静寂に包まれていた。テラスに大勢陣取っていた野次馬たちもすでに逃げ去っている。

バゼットはがらんとした部屋の中を見渡した。

今日の戦闘で、ある程度は時計塔の人々に自分の能力を示す事ができただろうか。

だがまだ自分の価値は理解されていない。時計塔で居場所を得る為に、ここで自分のできる事をみつけるために、もっと自分の力を示せる場所を見つけなければ。

 

所変わって、時計塔の一角のとある部屋。

———封印指定執行部。

 

この部屋で、数人の魔術師が使い魔から送られた映像を眺めていた。

「地下の工房で暴走したゴーレムですが、さきほど消滅したようです。

 手の空いている執行者を向かわせようとしている間に片付いてしまいました。

 仕留めたのは先日時計塔に来たバゼット・フラガ・マクレミッツ」

「アイルランドのルーンの名門。その腕前、名ばかりでは無いようだな。

 その娘の動向を監視しておけ。興味深い人物だ」



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第2章 Stranger in Magi Association
第1話


♦登場人物
バゼット:  アイルランドから時計塔にやってきた少女魔術師。15歳
ウェイバー: 時計塔で講師見習いをしている青年魔術師。21歳




ウェイバー・ベルベットは自宅の書斎で明日の講義のための資料整理をしていた。リビングには来客を待たせている。本当は客人の相手をするつもりだったのだが、講師から依頼を受けて急ぎで仕事を片付けるはめになったのだ。休日だというのに…まったく下っ端の身分はつらい。

もっとも客人は気を使わなければいけないような相手ではない。暇つぶしの遊び道具を与えてあるからしばらくはそれで持つだろう。かといって待たせすぎて相手がおもちゃに飽きてしまうと面倒が発生するかもしれないから急がないと。

 

書斎から少しだけ離れてちらりとリビングの様子を見やる。今のところ彼女はウェイバーの思惑通りモニターに張り付いてくれている。

客人はルーン使いの少女魔術師バゼットだ。あの時計塔の騒ぎから半年ほど経った。なんだかんだあってバゼットはウェイバーに懐いており、時々ウェイバー宅に遊びにやってくる。

結局ウェイバーは周囲からバゼットの実質の後見人(おもりやく)のような立場にされつつあったのだった。

 

バゼットが時計塔にやってきて以来、様々な派閥の魔術師がコソコソと彼女にコンタクトをとり、有り体に言えば「ウチの派閥に入らないか」と誘いをかけてきたらしい。バゼットはそういうのは嫌いだから、と全てすげなく断ったそうだ。

 

派閥同士の権力闘争の微妙なバランスで成り立っているこの魔術協会において、何処の派閥にも属そうとしないバゼットが扱いがたい存在であることは間違いなく、彼女は明らかに孤立しつつあった。それを自覚できていないのは本人(バゼット)だけだ。

 

 

魔術協会は表向き、外部から新たなる名門を招いたとしてバゼットを歓迎した。実際はまるで腫れ物に触れるかのような扱いで誰もまともに関わろうとしない。

 

時計塔の名門貴族たちが誇る5代だの6代だのという魔術師の家系やら、生まれ持った魔術回路の多寡などは、神代から連綿と続くバゼットの一族フラガの前ではありがたみを失い馬鹿馬鹿しいものに見えてしまう。魔術協会の貴族たちがバゼットに抱く気持ちは複雑なものだ。

バゼット個人はそんなこだわりは我関せずなのだが、つまりそこが、貴族たちと同じ価値観を共有しようとしないところが煙たがられているのだ。

 

魔術協会の貴族たちはバゼットが名門出身であるだけの、実際は古典的なルーンしか使えない無害な魔術師であることを暗に期待していた。

そんな思惑はつゆ知らず、バゼットは時計塔に来て間もなくその家名に恥じない実力を披露してしまった。

望まれていたのは由緒正しい骨董品、飾り映えのする見栄えのいい人形である。

だがその実物が神代の武器を現代に再現する人間凶器だと誰が想像できただろう。

 

光り輝く余所者は無能な部下よりタチが悪い。

もしもバゼットが時計塔の中で力を得てしまったら貴族たちの立場が危うくなりかねない。

自分たちの配下になるならよし、だが平等な立場になられるのは困る。

そんなわけでバゼットを公然と面倒見ようという時計塔の貴族はだれもいなかった。

 

 

その代役としてバゼットのお目付役になりつつあるのがウェイバーだ。

ウェイバーの今の身分は時計塔の降霊科の講師見習いである。その身分の後ろ盾はかつてのウィバーの師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの一族であるアーチボルト家だ。

 

数年前、東洋の島国日本で聖杯戦争とよばれる魔術師同士の闘争が行われた。「聖杯」と呼ばれるあらゆる願いを叶える事が可能な願望器をめぐり、7人の魔術師たちがおのおのサーヴァントとよばれる強力な使い魔を召還し、互いに殺し合う。

 

ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは魔術協会の代表としてこの聖杯戦争に参戦した。

ケイネスはサーヴァントとして征服王イスカンダルを召還するためにマケドニアから触媒を取り寄せた。ウェイバーはこの触媒を奪い、なんと自ら日本におもむき触媒を使ってイスカンダルを召還し、たかが降霊化の一学生にすぎない身の上でマスターとなって聖杯戦争に参加したのである。

 

ウェイバーにイスカンダルを奪われたケイネスは別の触媒を用いてケルトの英雄ディルムッドをランサーとして召還し聖杯戦争に参加した。折り合いの悪い師弟はこうして互いに殺し合う間柄になった。

 

聖杯戦争の結果は皮肉な事に、優勝候補と目されたケイネスは死亡、不肖の弟子ウェイバーはサーヴァントを失い聖杯を入手できなかったものの五体満足で生き残った。

有望な人材を失ったアーチボルト家は現在時計塔で没落の危機に瀕している。時計塔に戻ったウェイバーはそれに責任を感じ、アーチボルト家の元でケイネスが時計塔で積み重ねてきた研究成果の整理と解釈に携わっている。今の彼の任務はかつて憎んだ師ケイネスの業績をとりまとめて編纂し、アーチボルト家に返すことなのだ。

 

ウェイバーの元に時折バゼットが訪れていることは当然アーチボルト家も知っており、今のところは黙認している。アーチボルト家も他の貴族同様に表立ってバゼットの面倒を見たくないが、バゼットの動向には関心がある。

それに他の貴族たちもバゼットを完全に野放しにしておくのは危ないと考えているフシがあて、成り行き上ウェイバーは非公式なバゼットの監視役と見なされる状態になっている。

 

 

そんな事情でウェイバーはバゼットが時計塔およびロンドンで生活するにあたってのサポートをあれこれとしている。

例えば住居の手配だ。

バゼットは時計塔の学園で揉め事を起こし、後見人が用意した宿舎を出てしまった。

ウェイバーはバゼットが代わりの住居を見つける際の保証人を引き受けている。そもそも外国からきて間もない少女が一人で家を借りられる筈がない。

 

住居に関するバゼットの希望は質素で、普通の若者が暮らすアパートの部屋があればそれでいいというものだった。

ウェイバーはバゼットの様子を見る為にバゼットが暮らすアパートを訪ねてみた事がある。

若い女の子が一人暮らしする家に行くのは、やはり心が浮き立つというか、緊張するものがあったのだが、彼女の部屋の中を一見してウェイバーが密かに抱いていたワクワク感は一気に消し飛んだ

 

部屋の中にはまともな家具が無く、代わりにどこから見つけてきたのか天井からサンドバッグが下がり、床には鉄アレイが転がっていた。

「……これどうするんだよバゼット」

殺伐とした内装を目の前にしてウェイバーが呆れ顔を隠さずに尋ねると、

「どうって…」

バゼットはサンドバッグに軽くワンツーを叩き込んだ。ダダン!という音を響かせサンドバッグが左右に揺れる。

 

バゼットに話をきくと、彼女は暇な時間をたいてい部屋の中でこのようにして体を鍛える事に費やしているらしい。

ウェイバーはその場で何も返す言葉も見つからず、早々にバゼット宅から退散したのだった。

 

このようにバゼットの社会常識や生活力はかなり心もとない。もっとも15歳で親元を出てきたばかりの少女なのだからやむないことではある。ウェイバーとしてはバゼットが遊びに来るたびに少しづつでも新しいものを教えてやろうと気を配っているつもりだ。

 

 

今リビングでバゼットはモニターに集中していた。そこに映っているのは家庭用ゲーム機の画面だ。彼女がプレイしているゲームは「アドミラブル大戦略IV」。第2次世界大戦を舞台に枢軸国を操って連合国と戦う、マニアに人気のウォーゲームである。

ウェイバーは日本でこのゲームを入手して以来熱心なファンとなり、帰国後もプレイしつづけている。

 

最初バゼットは「ゲームはほとんどやったことがない」とウェイバーの操作説明を渋々と聞き、その後もやる気がなさそうにウェイバーとの対戦プレイに付き合っていた。それが時計塔の講師から急用が入ったので、ウェイバーが代わりの対戦相手を用意したところ、それから1時間以上は経つのにバゼットはいまだゲームに没頭している。

 

その対戦相手は人間ではない。バゼットの横にメタリックな球体がいる。球体は腕のように2本の触手を延ばし、ゲーム機のコントローラーを操作している。

この球体は月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)。元々はウェイバーの師、ケイネスが使用していた礼装の1つだ。ウェイバーはこの月霊髄液を改良し、家事ができるメイドゴーレムとして使役できないか実験しているのである。その実験の1つとしてウェイバーのゲームプレイの対戦相手としての機能も仕込んでいる。

 

バゼットは月霊髄液が相手となると真顔になってゲームに取り組み始めた。おかしな事に、バゼットはしばらく前のある出来事がきっかけで月霊髄液にライバル意識のようなものを抱いているようなのだった。



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第2話

Fate/Zero materialの月霊髄液の項目を読んで思いついてしまった妄想エピソードです。


これは数ヶ月前の出来事だ。

 

昼下がりの時間にバゼットはウェイバー宅にやってきた。

玄関で出迎えたウェイバーが片手に発泡スチロールのカップを持っていた。カップの中には細い棒が2本刺さっている。なにかのインスタント食品らしいのだが。

「ウェイバー、それ、なんですか?」

カップを指差して尋ねるバゼットに、ウェイバーはカップに刺さった棒を使って中身を引きずり出してみせた。

「ああ、これは日本のインスタント食品だ。カップラーメンという麺料理だよ」

カップの中から細い引き出されているのは細い麺の束だった。ずいぶんと塩気のある香りのする食べ物だ。中華料理の匂いに似ている気がする。

「バゼットは昼ご飯は済ませた?」

「いえまだです」

「じゃあ試しに食べてみるか?すぐできるよ」

ウェイバーはバゼットをリビングに連れてくると、台所へ入りすぐにカップラーメンとポットを持って戻ってきた。

 

「日本に行ったときにこのインスタント食品を知ったんだけどさ、どこのコンビニでもスーパーでも売っていて、お湯を入れて3分待つだけで出来上がるんだ。

 腹が減って今すぐなにか食べたいときに便利なんだぜ」

ウェイバーはカップラーメンのビニール包装を外し、カップの紙蓋を半分だけ開けてお湯を注いだ。そしてビニール包装の底についていたシールを使って蓋を閉じる。

 

「このまま3分待つんだ。3分経ったらこの『割り箸』を使って食べなよ」

とウェイバーはカップの横に細い木の棒を置いた。これが日本の食事道具らしい。割って使うようだ。

カップヌードルの準備を済ますと、ウェイバーはちょっとだけ用事があるからと書斎に引っ込んだ。

 

 

10秒

—20秒

——30秒

バゼットはテープルの上のカップラーメンをじっと見つめている。

 

 

—————1分

バゼットは黙ったままカップラーメンをじっと見つめている。

とりあえずカップの横の割り箸を手に取って割った。

 

 

————————1分30秒

バゼットはカップラーメンの蓋に右手を延ばした。

 

 

その時、バゼットの横から銀色の触手状のモノが伸びてバゼットの右手を掴んだ。

「なっ何!?」

振り向いたバゼットの視界にメタリックな光沢を放つ銀色の球体がいた。それは流体物であるらしくぷよぷよと弾んでいる。バゼットは掴まれている右手にひんやりとした感触を覚えた。

 

生物には見えない。とすると使い魔ではないようだ。

これは———流体型のゴーレム?

考えてみれば魔術師の家にゴーレムがいたとしても何ら不思議はない。いままで警備用の大型のゴーレムしか見た事がなかったが、もっと小型でこのように流体のゴーレムがあっても不思議ではない。魔術師にとってはゴーレムは一種の日常品のようなものだ。

 

気を取り直してバゼットはカップラーメンに左手を延ばそうとした。

が、それに先んじて銀色の球体が一瞬で変形し、複数の触手をバゼットめがけて伸ばす。

「ひ、やぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

触手はバゼットの全身を触手でぐるりと縛り上げた。

 

「は、はなせ!こいつ…!!」

バゼットは縛めをとこうと暴れたが、両手を縛り上げられた上に、足にまで触手が巻き付いていて身動きが取れない。

「この……!」

かろうじて動かせる指でなんとか攻撃のルーンを刻もうとする。

 

その時、

「ハイ、3分タチマシタ」

銀色の球体が喋った。バゼットを縛り上げていた触手がするりと外れ、球体のなかにしゅるしゅると戻っていく。

「ドウゾ、バゼット。

 カップラーメンがデキマシタヨ」

 

束縛を解かれたバゼットは右手をカップラーメンに、

ではなく、右拳を握りしめ、隣にいる銀色の球体に勢い良く叩き込んだ。

 

 

銀色の球体はぶよん、と変形しバゼットの一撃を跳ね返す。バゼットは拳を跳ね返されて一瞬体勢を崩しかけたがすぐに持ち直して戦闘態勢(ファイティングポーズ)をとった。

「油断しました。この私が1分半も拘束されるとは、なんて失態だ!」

バゼットは真剣に敵を見る目で銀色の球体をにらんだ。

球体は相変わらずぷよぷよとその場で小さく弾んでいる。

 

「はっ!」

バゼットは球体にとびかかった。球体はバゼットの動きを予測したのかすばやく後方に飛び退いて避ける。

そして球体も複数の触手を体からしゅるりと出して戦闘態勢に入った。球体が体を振るわせ、触手がバゼットに向かってムチのように伸びる。

 

「それは初見殺しにすぎません。二度目は喰わない!」

バゼットは自分を捉えようと狙ってくる銀色の触手を巧みにかわす。球体から生えている触手の根元をよく見ればその軌道はたやすく見切ることができる。触手は本体の動きにあわせて慣性で動いているだけだ。触手の先端が自立的に動く事はできないらしい。バゼットの運動能力ならばかわすことはたやすい。

 

触手をかいくぐり、バゼットは球体との距離を詰める。球体はぷよぷよとのんきに弾んでいるようにみえて、その動きはなかなかに素早くリビングの中を巧みに逃げ回る。

だが、体術を用いた一対一戦はバゼットの得意科目だ。バゼットは球体の移動先を読んでリビングの机や椅子をそちらに滑らせ、逃げ道を塞いだ。

 

ついにバゼットは球体をリビングの角に追いつめた。

ehwaz(エイワズ)!」

拳に強化のルーンを発動する。バゼットの両拳がルーンの加護でライトグリーンの光を放つ。

「鉄拳制裁!死ね———!」

 

「待てバゼットぉぉぉぉぉ!」

書斎からダッシュで戻ってきたウェイバーが目にしたのは、部屋の壁ごと月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)をブチ飛ばそうと拳を振りかぶったバゼットの姿だった。

「やめろ部屋が壊れるぅぅぅぅ!」

ウェイバーの悲鳴は間一髪で間に合い、バゼットは振り下ろす寸前の拳を止めた。

あと一瞬ウェイバーがリビングに戻るのが遅かったならば、ウェイバーは今頃あたらしい部屋探しをしているハメになっていたに違いない。

 

これがバゼットと月霊髄液の残念な出会いのエピソードである。

 

それからしばらくバゼットはリビングで月霊髄液を見かけると警戒していたのだが、基本的には家事手伝いのメイドゴーレムであり、敵対するものではないと理解してから徐々に慣れてくれた。

しかし、初対面時のこの出来事がバゼットのプライドを刺激したのか、月霊髄液が掃除洗濯料理などの家事を行っていると、バゼットも真似して手伝おうとする。

バゼットはいささか、というかだいぶ不器用なのでいろいろと失敗もしてくれて、ややありがた迷惑というのがウェイバーの本音である。

 

そんなこともあって、ウェイバーは自分の急用にかこつけてバゼットが月霊髄液と「アドミラブル大戦略IV」で勝負をするように仕向けてみたのだが、これうまくいったようだ。

 

ようやく用事が片付き、ウェイバーがリビングに戻ると相変わらずバゼットと月霊髄液はゲームを続けていた。




月霊髄液たん、メタルスライムみたいでかわいいよ。


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第3話

引き続き、バゼットとウェイバーと月霊髄液です。


ウェイバーは「アドミラブル大戦略IV」をプレイ中のバゼットと月霊髄液に近寄り、横から画面を覗いてみる。

意外な事にバゼットが僅差で勝っていた。

 

「あれ、思ったよりゲーム上手いじゃん、バゼット」

バゼットは脳筋…いや考えるよりも先に手が動く人間だと思っていたが、案外と戦略が上手かった。ゲームの画面から察するにおとりを巧妙に配置して相手に攻撃させ、いつのまにかその逆をつく戦法が得意なようだ。

バゼットからは

「そうですねえ。私の礼装(フラガラック)を使うにはこういう戦略が必要ですから」

という返事が返ってきた。

 

直接敵と戦ったりはしないウェイバーにとってはあくまで想像の範疇だが、確かにバゼットの武器は使いどころにコツが要る。あの武器を使うには一方的に相手をボコボコにして相手が必殺技を使うようにしむけるだけでは駄目で、相手が必殺技を使うタイミングでバゼットが迎撃体勢を整えていなくてはならないし、迎撃できる位置にいないといけない。あれは思いのほか頭も使う武器なのである。

 

月霊髄液に教え込まれている戦略はウェイバーがここ数年かけて練り込んだ、自信のある戦略であった。ウェイバーは多少悔しい気がしたが、そこはポーカーフェイスを装った。

……よし、次までに迎撃能力を強化した戦略を組み込もう。

 

 

ウェイバーがやってきた事でバゼットはゲームを中断したので、それをきっかけに世間話を始めた。

「ところでバゼット最近どうしてる?」

「ええと、時計塔の中であれこれ仕事を探してやってます」

 

バゼットに尋ねてみると、どうやら幾分危険な場所に出向かないと手に入らない素材の入手、実験室から逃げ出した魔獣の捕獲、試作品の戦闘ゴーレムの耐久試験だのということをやっていたらしい。

依頼主は当然時計塔内の魔術師たちで、たまに掲示板のような所に張り紙で依頼が貼ってあったり、暇そうな魔術師を見つけて声をかけたりして人集めをしているのだ。

 

「どれも簡単に済んでしまうので退屈ですし、地味で人目に止まりませんね。また前に戦ったくらいのレベルのゴーレムでも出てくるといくらか歯ごたえがあるのですが」

とバゼットは物騒な事を言う。

以前時計塔の地下でバゼットが仕留めたゴーレムはかなり強力なタイプであり、あともう少し対応が遅れたら執行者チームが始末にやってくるところだった。あんなのが時々暴れていたら時計塔の建物はとっくに崩壊している。

 

時計塔は魔術師見習いのための学園もあるものの、基本的には魔術の研究機関である。あまり表立って荒事をする場所ではない。

なかには攻撃魔法を研究している魔術師もいるが、おおむね戦闘屋よりも研究者のほうが高く評価される。

例えばウェイバーの師ケイネスは様々な経歴のなかに武功も加えようとしたのだが、もともと複数の魔術分野の研究で高い評価を得た上でのことである。

 

ウェイバーの見たてでは、バゼットはそこそこ頭がいい。「アドミラブル大戦略IV」はだいぶ複雑なシステムのゲームなのにすぐ把握してしまったし。

ウェイバーにとっては苦々しい事だが、彼は自分が行う魔術は結局のところせいぜい人並みなのだと自覚した。だが逆に他人の能力を見いだし、評価することには人一倍得意なのだ。

 

「時計塔の警備担当の仕事でも貰えませんかねえ」

などと言っているバゼットにウェイバーは言ってみた。

「バゼット、君のルーン魔術を体系化して論文にまとめてみない?」

時計塔の研究畑の魔術師たちにアピールするには腕っ節よりもそちらのほうが正攻法になる。

「え。す、すみません。私はそういう細かい事は苦手なのです」

バゼットの反応は案の定だった。惜しいなあ、とウェイバーは思う。

ルーン魔術は古来から伝わる魔術だが、体系化された知識は少ない。ましてフラガ一族に伝わるルーンの秘伝に関してならなおさらだ。それならば時計塔の頭の古い学者魔術師連中だって見ないふりはできないだろう。

僕が手伝ってやればバゼットはきっといいところまでいけそうなのに。けれど今のウェイバーはケイネスの業績をまとめる事で手一杯なのだった。

 

 

バゼットとウェイバーが世間話をしている間に、月霊髄液は家事仕事に戻っていた。

月霊髄液は散らかっていたリビングを片付けたあと、今は台所で食器洗いやら片付けやらをしている。

 

バゼットは世間話の合間に月霊髄液を仕事をちらちらと眺めていた。

彼女が知っていたこの手の人工使い魔のような代物は戦闘用でしかも基本的には暴れるだけのゴーレムやホムンクルスばかりだった。

「ところで、ウェイバー。あの月霊髄液って便利ですね。ここにきて初めてこういう礼装を見ましたよ。

 このような物を作れるとはウェイバーはすごいです」

「いやあ、急に褒められると照れるなあ。

 実はもともとは僕が作ったものじゃなくて、僕の師匠だった人が作ったんだ。

 最初は戦闘用のゴーレムだったけれど、今は平和利用の為に家事やゲームができるように改良してるんだ」

 

家事をする月霊髄液を眺めながらバゼットはぼんやりと考える。

故郷から出てきて約半年。正直いって、自分の能力(できること)といったら戦闘行為以外は目も当てられないという事実を自覚せざるを得ない。

 

以前ウェイバー宅で食器洗いを手伝おうとした結果、コップをたて続けに3つ割った。

そういえば実家ではなにも家事を手伝っていなかったことを思い出した。

その際にウェイバーから、自分のアパートで過ごしてる時はどうしてるんだ?と聞かれたのだが、飲み物の場合は缶で買ってきて飲み終わったらその場できちんと握り潰して捨て(トラッシュ&クラッシュ)ている。

握力を鍛えられるしエコロジーでいいと思うのだが、と答えたところ、ウェイバーは額に手をあててうつむいてしまった。

ああ、やはりまずい気がする。

このままだと私はゴーレムかホムンクルス並に暴れるだけの人間になってしまうのではないだろうか。

 

考え事で伏した顔を上げ、もう一度バゼットは台所の月霊髄液に視線を映す。

月霊髄液はブルブルと震えながら戦車のような姿に変形していた。

「月霊髄液…?」

「ワタシハ、アドミラブルダイセンリャク、ノ、ソウコウセンシャ、デス」

ウェイバーも驚いて月霊髄液の方を向く。

「月霊髄液……!い、いかん。バグだ!

 「アドミラブル大戦略IV」の影響を受けて自分の事を殺人兵器だと思い込んでしまったらしい」

「そっ、そんなバグあるんですか!?月霊髄液に?」

なんてことだ。

 

「テキヲ、ハイジョ、シマス」

月霊髄液はそう宣言するやいなや、戦車に付いた銃から弾丸らしきものをリビングのなかに撃ち始めた。

「と、とまれ、月霊髄液———!正気に戻るんだ!」

叫ぶウェイバーをバゼットはリビングの後方に引っ張り込み、テーブルを前に倒して強化のルーンを発動して即席の盾にする。

ダダダダダダ…と弾丸が盾に突き刺さる音が響く。

 

「どうしましょうウェイバー…」

「あまりに突然すぎて、対策が考えつかない…」

唖然としている二人の目の前で、月霊髄液は再び変形し始めた。

「ガイブノ、テキヲ、センメツ、シテキマス」

戦車のようだった外見が、もとの流体に戻る。そして月霊髄液は換気扇穴からするりと、外へ出ていってしまった。

 

「やばい、逃げた。捕まえないと」

魔術師の礼装がロンドン市内に逃げ出したとあっては魔術協会としてはかなり良くない事態である。もし月霊髄液が一般人に危害を加え、魔術が一般社会に影響を及ぼすと懲罰ものだ。

「ウェイバー、私が月霊髄液を捕まえてきます!」

バゼットが立ち上がる。

「バゼット、助かる。僕は使い魔を放って月霊髄液の行き先を探る。

 連絡用にこれ持っていってくれ」

とウェイバーはポケットの携帯電話をバゼットに渡した。

バゼットはそれを受け取って、まっすぐ台所の窓にダッシュする。

 

「あ、バゼット」

彼女が飛び出す前に、これだけは言わないと。

「窓は壊すな……」

 

がっしゃ—————————ん!!!

 

ウェイバーの言葉は間に合わず、

バゼットは台所の窓をぶち破って外に飛び出していった。




後のバゼット(hollow ataraxia、プリズマ☆イリヤ)を見るに、「窓やドアを蹴破らない」という教育を誰かがちゃんとしてあげるべきだったかと思う。


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第4話

月霊髄液がウェイバー宅を脱走してすぐにバゼットも追跡を開始したのだが、バゼットが外に出たときにはもう月霊髄液の姿は辺りに見当たらなかった。

なにしろ相手は自由に形状を変えることができる。流体に変形して道路の脇の溝や排水溝の中などを移動していたのだとしたらまず捕まえられない。

 

月霊髄液が発している魔力をたよりにして大まかな居場所は探知できる。住宅地を出て街中に移動しているようだ。人目について騒ぎになる前になんとかして捕獲しないと。

 

 

「プルルル……」

バゼットのポケットに入っていたウェイバーの携帯電話が鳴った。電話に出るとすぐにウェイバーの声がした。

「ああ、バゼット」

「ウェイバー、なにかわかったのですか?」

「月霊髄液は市街地に向かってる。今のところ地下を移動しているから人には見つかっていないはずだ」

よし、追跡の方向は合っているみたいだ。

月霊髄液はけっこうなスピードで進んでいる。遅れをとらないようにバゼットは走りながら返答する。

「街中で地上にでてくるとまずいですね。もし地上に出てくるようなら速攻で捕獲しないと」

「それなんだけど、バゼット。月霊髄液が地上に出てきたら、なるべく人気の少ない所に追い込んでくれないか」

「ええ、いいですが、それでどうするんです?」

「万一、こういう事もあるんじゃないかと思って、月霊髄液には自爆機能を仕込んである。

 月霊髄液が人目に付かない所に移動したらその機能で自滅させる」

 

バゼットは思わず足を止めた。

「………」

「バゼット?」

「ウェイバー、それって」

あの月霊髄液を(ころ)しちゃうんですか?

とバゼットが言葉に出す前にウェイバーは畳み掛けるように続けた。

「月霊髄液は所詮は一体のゴーレムにすぎないよ。また作り直せる」

バゼットのとまどいを察知して、そのためらいを封じるかのようにウェイバーは話し続ける。

「こつこつ育ててきた月霊髄液だから残念だけど、データはバックアップしてあるからまたすぐ同じ性能のものを再現できる。

 それよりも魔術礼装が街に迷いでていることの方が問題だ。魔術の神秘を一般人に見せるわけにはいかない。それは君でも分かるだろ?」

その通りだ。

 

たかがゴーレム1体を無理に捕獲する必要はない。

むしろ捕獲しようとして手をこまねいて、月霊髄液が一般社会に害を与えてしまう危険性のほうが大きい。

それにもし問題が発生してしまったら月霊髄液の持ち主であるウェイバーはなんらかの懲罰をうけるハメになるだろう。

ウェイバーの作戦は正しいのだ。

 

でも、

「ウェイバー、月霊髄液は私がかならず連れ戻します」

とバゼットは返答してしまった。

「え、バゼット?」

「大丈夫です。なんとかなります!」

あの月霊髄液がいなくなってしまうのはさみしいと思う。

どうにもならなそうならば仕方がない。けれども自分ならなんとか月霊髄液を捕まえて連れ帰れるだろうとバゼットは見積もっていた。

これはリスクを無視したワガママだ。やらなくてもいい行為だ。

しかし理屈に合わない行動だとしても、自分ができそうなことを、やるかどうかに理屈など考えなくてもいいのではないか。

 

月霊髄液は繁華街の地下に入り込んでいた。

なるべく月霊髄液の真上にいられるように、バゼットは街中を歩き回っている。

この辺りは特に賑やかな商業地帯のようで通りの左右にびっしりとさまざまな店が並んでいる。

店の中に入りきらず、店の表のテーブルまで客で埋まっている飲食店。

一体どうやって着こなすのか想像がつかない服が吊るされている洋服店。

よくもこんなに数多くの種類があるものだと呆れてしまうほどたくさんの商品が店頭を埋め尽くしている雑貨店。

それぞれの店からは大音量で賑やかな音楽が流れてくる。

 

街中に入ってからは月霊髄液の動きは緩やかで走り回る必要もなく、バゼットは街を散策しながら都会の繁華街の活気を眺めていた。彼女の故郷の小さな村にはなかった風景である。

この辺りは若者向けのショッピングゾーンなのか、店に来ている客も働いている店員も若い。自分と同じくらいの歳かもしれないなと、通りすがりの喫茶店のウェイトレスをしている女の子を見てバゼットは思った。

あれ、今の女の子はどこかで見た事が…。金髪のロングヘアでしっかりしていそうな感じで。

———ああ、そうだ。彼女は時計塔の学園で勝負を挑んできたシルヴィアじゃないか。こんなところで仕事をしているとは。

シルヴィアはオシャレな喫茶店で優雅に注文の品を運び、てきぱきと客をさばいている。

時計塔で対決したときには微塵もみせなかった明るい笑顔(スマイル)を振りまきながら仕事をこなしているシルヴィアの姿は大人っぽく見える。バゼットは少しうらやましさを感じた。

 

 

月霊髄液の動きを見張りながら街中をうろうろしつづけて、いつの間にか時刻は夕方になった。もうすぐ日が落ちてあたりは暗くなるだろう。

周りの店も閉店し始めて、買い物客の姿も少なくなりつつある。

人目が減るのは月霊髄液捕獲作戦のためには好都合だ。

その時、ウェイバーから携帯電話に着信が入った。

 

「バゼット、月霊髄液が動き始めた」

いままで繁華街の地下をゆっくりと回遊していた月霊髄液が移動を始めていた。目指している方向には広い公園がある。

「了解です、ウェイバー。追跡します」

公園は閉園の時間を過ぎていてもう人の気配がほとんどない。ようやく月霊髄液を捕獲するチャンスが巡ってきたようだ。

 

公園のフェンスを軽く乗り越えて、バゼットは園内に侵入する。

月霊髄液の後を追って公園の奥へ急ごうとして、ふと背後に人の気配を感じた。

「止まりなさい、そこの君」

振り返るとそこには二人の男がいた。

 

一人は坊主頭に近いくらい髪の毛を刈り込んだ頭で、ジーンズにTシャツの上にアーミージャケットのようなものを羽織っているみるからにゴツい男だ。

もう一人は対照的に肩ぐらいまで伸ばした長髪で、全身黒い衣服にじゃらじゃらと銀色のアクセサリーをつけている。もう一人にくらべればやや細身だがこちらもそれなりの体格をしている。

「君は魔術師だな」

男の一人が言葉を発した。

その風体からしても彼らが公園の警備員でないことは一目瞭然だが、なによりも

「ええ、あなたがたもですね」

彼らは強力な魔力をその身から発していたのだ。

 

この二人の男は魔術師だ、だがそれだけではない、と彼らと視線をあわせながらバゼットは思う。彼らは時計塔で出会った魔術師たちとは違う。

その姿から発せられるのは魔力だけではない。相手を威圧する闘気。視線だけで刺すような殺気。

それは自分と同じ、戦士のものだと。

 

「我々は魔術協会から派遣された魔術師だ。逃亡したアーチボルト家の礼装の始末をする。

 君は不要だ。今すぐここから引き返したまえ」

長髪の男はバゼットを冷ややかに見つめながら言った。男を見つめ返しながらバゼットは返答する。

「それはできない。

 あの月霊髄液は私が連れて帰ります」

「魔術礼装が街に出ていることは大きな問題なのだ。君が私たちの仕事を邪魔するのならまず君から先に排除するがいいのかね?」

男たちが発する魔力と殺気がふくれあがる。男たちをにらみつつバゼットは拳を握りしめなおす。

殺気を殺気で押し返す。周囲の空気が振動し歪む。足下のアスファルトに亀裂が入る音が響いた。

 

「こいつ…!」

坊主頭が一歩前に出ようとする。

「……いいだろう」

それを制して長髪の男が言った。

「30分時間をあげよう。

 その間に君が礼装を捕獲できればそのまま連れて帰るがいい。その時間をすぎれば我々は仕事を開始する。

 その場合は礼装の逃亡に加えて我々の任務の妨害をしたかどでウェイバー・ベルベットには懲罰が与えられる事になる。いいかね?」

「構いません」

即座にそう返事をしてバゼットは公園の奥に駆け去った。

 

「まじかよ」

闇夜に消えていくバゼットの後ろ姿を見つめながら坊主頭があきれたようにつぶやいた。

こっちは二人掛かりであの少女魔術師を魔力で威圧しようとしていたのである。それをあの少女はそれ以上の魔力で押し返してきた。あれ以上の魔力のぶつけ合いをここで続けたら公園内の施設に被害が及び始める所だった。

「あんな女の子が執行者(オレたち)に対抗しやがったぜ」

一瞬とはいえ、戦闘のプロである我々にあの小娘は対抗したのだ。

「はっはっは。楽しくなってきましたね」

長髪のほうが軽く笑う。

「さて、彼女を追いましょう。

 期待通りだ、フラガの後継者。お手並み拝見といきますか」

そうして男たちも公園の暗闇の中に消えていった。



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第5話

ようやく月霊髄液編?が終わりです。


あの魔術師たちは何者なのか。ウェイバーが想像するに彼らはフリーランスの魔術師たちかもしれない。

魔術師たちの中には魔術協会の中に正式な地位を持っていないが、独立して様々な仕事を請け負って生活している者たちがいる。

彼らは自分の能力に見合った自ら仕事を探すか、依頼されて仕事をする。魔術礼装やホムンクルスなど道具の作成を請け負うもの、研究の下調べなどを請け負うものなどその仕事内容は人それぞれである。

その中には戦闘が得意なフリーランス魔術師たちもおり、彼らは危険な魔獣や逃亡、暴走などでコントロールできなくなったホムンクルスやゴーレムなどの始末を請け負って生活している。

 

彼らはおそらく魔術協会の中の誰かから月霊髄液が逃亡した事を知り、始末しにきたのだろう。

その後に協会から報奨金を得るのが目的だ。嫌な想像だが、もしかしたらこの事件をネタにアーチボルト家を強請りにくる恐れもある。

 

ウェイバーは携帯電話でバゼットに連絡をいれる。バゼットはすぐに出た。

「ウェイバー、少しやっかいな事になってしまいました」

バゼットの声に若干の困惑が見えたので、

「大丈夫さ、懲罰なんてどうせハッタリだろ」

とここは一発カラ元気をかましてみせる。

 

いったん月霊髄液が地上に出てきさえすれば捕獲は難しくない。問題はいつ地上に出てくるかだ。

月霊髄液は公園の地下をうろうろと移動している。

「向こう側にあるグラウンドで月霊髄液をおびきだせれば戦いやすいのですが」

とバゼットが提案してくる。ウェイバーも公園に使い魔を送り込んでおり、そこから得ている映像で公園の中の様子を把握している。

「少しだけだけど、月霊髄液はこちらから制御可能だ。グラウンドの真下を通ったときに月霊髄液に指示を送る。それで地上におびきだす。それぐらいならできる」

 

 

「頼みます、ウェイバー」

作戦は決まった。

バゼットはグラウンドの中央に立ち、自らの武器とも言えるルーンを刻んだ革手袋をはめて戦闘開始の時を待つ。

 

ここで月霊髄液を捕獲できなかった場合、ウェイバーが懲罰をうけるハメになる。

そしてあの魔術師たちの雰囲気からして、彼らは月霊髄液を跡形もなく破壊し、消し去ってしまうだろう。

月霊髄液は奴らに渡さない。

制限時間は30分。その間に必ずやカタをつけてみせよう。

 

待つ事5分ほど。幸いにして月霊髄液がグラウンドの下を這い回り始めた。

月霊髄液がバゼットの立っている場所の真下にさしかかろうという瞬間、ウェイバーは月霊髄液の制御術式を発動した。

「Fervor,mei Sanguis…….」

 

ウェイバーの命令は月霊髄液を確かに捉えた。

「跳べ、月霊髄液!」

グラウンドの地面がたわみ、ぼこりと迫り上がる。土の山が割れて、その中から銀色の物体が姿を現した。

 

土の中から現れた月霊髄液はなんと潜水艦の姿をしていた。

「ずっと地下に潜り続けていたのはそういうことだったのか……」

予想もしていなかった形状にウェイバーは驚き、かつ呆れる。「アドミラブル大戦略」の影響恐るべし。どうも月霊髄液は兵器が出てくるゲームや映画を見せると予想以上に感化されてしまうらしかった。今後はこの礼装にうっかりこの手の映像をみせまい、とウェイバーは心に刻んだ。

 

月霊髄液は地上に上がりきると戦車に変形し、周囲一面にマシンガンを打ちまくっている。

弾幕がグラウンドの土をたたき、土煙の煙幕が立ちこめている。そんなに視界の悪い中でもバゼットはきっちりと射撃の方向を判断して飛び退り、銃撃を避けていた。

 

バゼットとの距離が離れると、月霊髄液はまたしても変形を始めた。もともとの銀色の球体の姿にもどり、何本もの触手を胴体から伸ばす。そしてその触手の先端を鋭利な槍や剣に変化させた。その武器の群れをバゼットのいる方向に一斉に射出する。

 

 

月霊髄液が放った刃のムチはバゼットを逃がすまいと、彼女を取り囲むように伸びる。

バゼットはその場から逃げず、逆に刃物を片っ端から手でたたき落とした。ルーンの保護を施した手袋は月霊髄液の刃よりも固い。槍の矛先を掴んで潰し、剣を真ん中からまっぷたつにぶち折りまくる。

月霊髄液の攻撃は以前にも見ているのだから、さばくのは余裕だ。

 

だが、今の目的は月霊髄液の捕獲なのだ。

バゼットの方から攻撃を仕掛けて月霊髄液を破壊するわけにはいかない。時間に余裕があるのなら、このまま防戦を続けていれば月霊髄液の貯蔵魔力が枯渇し捕獲する事ができるだろう。しかし制限時間つきなのである。この捕物劇が始まってもう10分ぐらいが経過しつつある。

———いいかげん、形勢を立て直さないと。

バゼットは少し焦りを感じていた。

 

月霊髄液の触手の刃はほぼバゼットに叩きつぶされた。月霊髄液はその触手を胴体に回収せず、そのままバゼットを追尾し、捉えようと伸ばしてくる。

———避け続けていてもきりがない。一か八かだ。

 

バゼットはその場に足を止め、ルーンを詠唱する。

eihwaz(エイワズ)kano(カノ)!」

バゼットの手足にルーンの光が宿る。そのままあえて月霊髄液の触手を避けず、手足に巻き付かせるままにした。

触手が手足を握りつぶそうと締め付けてくるが、ルーンの強化魔法でその力を弾き返す。

握りつぶせないとわかると月霊髄液は触手を引っ張り、バゼットを引きずり倒そうとする。バゼットは足のルーンに集中し体を持っていかれないようにこらえる。足が地面にめり込みグラウンドにまた新しく亀裂が入った。

バゼットはその体勢のまま叫んだ。

 

「月霊髄液!正気に戻るんだ———!」

その声が伝わったのか月霊髄液がぶるん、と震えた。

「ワタシハ、テキヲ、ホロボスタメ二、ツクラレタ、サツジンヘイキ……」

「違う、おまえは殺人兵器なんかじゃない!」

「テキヲ、ミナゴロシ二、スルノガ、ワタシノシゴト」

「月霊髄液は料理も洗濯も、なんだってできるじゃないか。おまえの役目はそんなんじゃない!

 一緒にウェイバーの家に帰ろう!」

———この私は人間のクセに戦闘しかできないというのに。

 

 

月霊髄液はもういちどぶるん、と震えると、バゼットを掴んでいる触手を大きく振り回した。

「うわ!」

不意をつかれたバゼットは吹っ飛ばされ、グラウンドの端のゴミ箱に激突する。がっしゃーんという派手な音とともに中身のゴミがグラウンド上にバラまかれる。

 

バゼットは地面の上で一回転してすぐ立ち上がり月霊髄液の方に向き直る。

月霊髄液はいったん触手を本体にひっこめ、また改めて放出しようとしていた。

バゼットは次の攻撃にそなえて拳を構えなおす。

 

月霊髄液は再び触手を解き放った。

その触手はグラウンド上に伸び、転がったゴミ箱を立て直し、散らかったゴミをひょいひょいと拾い上げてゴミ箱の中に放り込んでいく。

「……月霊髄液?」

呆然と尋ねるバゼット。

「バゼット、ゴミヲ、チラカシテハ、イケマセン」

月霊髄液はそう返事を返しながら、ゴミ拾いを続けていた。

 

 

「ウェイバー、やった!やりました。月霊髄液が元に戻った!」

電話口から響くバゼットの歓喜の報告を聞きながら、ウェイバーはやれやれと胸をなで下ろした。

 

ゴミを元通りにゴミ箱に片付け終わった月霊髄液は触手を胴体にしまい込み、もとの球体に戻っていた。

「さあ、月霊髄液。ウェイバーの家に戻ろう」

バゼットと月霊髄液は共にグラウンドを後にする。

バゼットの後ろからぷよぷよと付いてくる月例髄液は月の明かりを反射してキラリと輝いていた。

 

 

夜道に消えていくその輝きを離れた所から眺めながら、坊主頭の魔術師がぼそっとつぶやく。

「なんか…のほほんとした戦いだったな」

彼らはグラウンドの周りの木立の上から観戦していた。

長髪の魔術師はひらりと木の上から飛び降りて、ヒビが入ったり、穴の空いたグラウンドになにやら修復の魔術を施しはじめる。

「もっと現状回復(あとしまつ)が必要なほど、派手にやらかしてくれるかと思っていましたがねえ」

「ちぇ、見物にしてはちょっと物足りねえなー」

「まあ人間兵器は放っておいても戦場を求めるものです。あの彼女とはそう遠くないうちにまた会うことになるでしょう」

 



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第3章 What is Suitable Job?
第1話


バゼット求職編スタート。



かつて神話の時代のアイルランド、アルスター地方にて剣と魔法で活躍した赤枝の騎士団。

その精神を受け継ぐバゼットも戦闘力では先人たちに恥じるところはない。

だが、現代の赤枝の騎士には神代には存在しなかった新たな能力が求められている。それは経済力だ。

 

古代(いにしえ)の戦神の短剣だけならば大英博物館の展示品や貯蔵物になっていても問題なかったのだが、あいにくとその現身(うつしみ)は今の社会を生きている少女なのだ。

現代において、人はパンのみにて生きるにあらず。

生きる意義というものが重要なのである。

 

バゼットはロンドンの街中の公園のベンチに座り込み、アルバイト求人雑誌を真面目に読みふけっている。

 

時計塔にきて間もない頃に校舎を壊した代金はウェイバーが取りなしてくれてアーチボルト家が立て替えたらしいし、今の住居の家賃も結局アーチボルト家持ちだ。金を払えとは言われてないのだが、やはり一人前の人間たるもの自分の生活費は自分で稼げるようにならなければ。

 

それにだ、この前に月霊髄液を追って町に出た時に女子学生のシルヴィアが喫茶店で働いているのを見かけた。時計塔の学生たちは時折ああやって街でアルバイトをしているらしい。

私もやってみたいとバゼットは思った。そもそも学校に通っていない身の上だというのに社会経験において学生に遅れをとるわけにいかないではないか。

 

しかし、現在の時点でバゼットは既に3軒の喫茶店のアルバイトをクビになった。

1軒目は洗い場の仕事で皿を片っ端から壊してしまい、2軒目では厨房の手伝いで食材もろともにキッチンをぶった切った。3軒目ではアルバイトの女の子たちにセクハラしてくる店長を軽く殴った結果病院送りに。

 

ああ、社会は厳しいですね。

 

喫茶店はとりあえず諦め、他の仕事を探して求人雑誌を見ながら電話をしたが、5件連続で今後のご健闘をお祈りされたところだ。

特技はと聞かれて人を殴る事です、って答えたのはいけなかったのか? たぶんいけなかったのだろう。

さっきはこのベンチにまで「あなたの幸せをお祈りさせてください」という人がやってきた。お祈りはもういいです。

 

放心して座り込み、バゼットは呆然と空を見上げた。

目の前には青い空、白い雲。

相反してなかなか晴れない自分の前途。

ホントに戦闘以外で私がまともにできることはないのだろうか。

このままではダメ人間になってしまう。

 

「こんにちはお嬢さん」

急にバゼットの視界に、にょきっとアヤシイ中年男の顔が現れた。

「わ」

「ああ、驚かせてしまってすみません」

突然の闖入者に驚いてのけぞるバゼットに中年男はぺこりと頭をさげるとに丁寧に話しかけた。

「私はカメラマンでして、今写真のモデルになってくれる女の子を探しているのです。

 実は今日待ち合わせていた女の子が来なくて困っています。

 もし良かったら代わりにモデルになっていただけませんか。

 もちろんお嫌でしたら無理にとはいいません。ですが貴女はとても美人ですし、できたら是非お願いしたい…」

バゼットは即答した。

「引き受けましょう」

困っている人を助けないわけにはいきません。人の役に立つというのは良い事です。

「ありがたい!ではこのすぐ近くにスタジオがあるので、一緒に来てください。歩いてほんの数分ですよ」

 

 

ロンドンの裏路地の雑居ビル。ビルの表には飲食店やらスナックやらバーやらの看板がでているのだが、どれもくすんでいてまともに営業しているのかどうか怪しい。

実際はここはマフィアのアジトになっている。

男はこのビルの中の一室の奥のゆったりとしたソファに腰掛けていた。この男はマフィアのなかの1グループの頭であり、この部屋では彼のグループが日々のシノギのあれこれをこなしている。

 

彼の部屋の中に今、一人の若い女が連れ込まれてきた。

手下のチンピラがさきほど公園でひっかけてきたそうだ。

「ひひひ。おとなしくしな。お嬢さん。

 俺たちのいうことを聞けば痛い目にあわないですむぜ」

 

違法な賭博、麻薬の売買、銃器の密売、詐欺、恐喝など、このビルの中では様々なシノギが行われている。

彼のグループがこの部屋のなかでおこなっているシノギは街中でたぶらかして連れてきた女を裏稼業の仕事に売り飛ばすことだ。

 

マフィアグループの頭は手下が連れてきた女を眺めて品定めをする。

ダークレッドのショートカット。女にしてはやや長身で、すらりとした体型。

やや目元が鋭くてクールな印象だが、整った顔立ちの美人だ。

左目の下にある泣きぼくろも色っぽくていい。

 

スタイルは申し分ない。

一見スリムに見えながら服の上からでも大きさがよくわかるバスト、対照的に引き締まったウエストライン、滑らかなカーブを描いているカタチのよい尻の下にはしなやかさを感じる長い脚が伸びている。

 

手下のチンピラたちは女の肩に手を回して、馴れ馴れしく脅しをかけ続けている。

「ここまで来たらいまさらタダで帰れるわけがないだろ。

 おとなしく言う事をききな。悪いようにはしないからよ」

女は黙ったまま手下の顔を見ている。こんな場所に連れ込まれているにも関わらず動じる気配のない冷静な眼差し、引き締まった口元、落ち着いた佇まいは凛々しさを感じさせる。

 

手下が年齢を聞いた所、見かけよりだいぶ若かったらしく、

「手を出したらヤバいんじゃないですかね」

と日和っていたが、オトナっぽく見えるのだし化粧をさせれば十分18歳以上で行けそうだ。

頭は手元のファイルを引き寄せ、女を売り飛ばす客先を見繕い始めた。なかなかの上物だからこいつはどこにでも高く売りつけられる。

 

手下のヤロウは気の強そうな女だ、とか言ってたが俺はこういう女が好みなんだ。

気丈で易々と言う事を聞かない女を力でねじ伏せて服従させ、俺の命令に逆らえない奴隷に調教してやるのが最高に気分がいい。

どれ売り飛ばす前に、体のほうもじっくり確かめておかないとな。服の上からでは分からない事だってある。売り物の品質チェックはかかさない良心的商売がウチの信条だ。

 

「だれも助けにきやしねえよ。ここでは殺しだって罪に問われないんだぜ」

しつこく絡み続ける手下の言葉に対して

「なるほどそれは良かった」

いままで黙っていた女が初めて喋った。

その直後、人を殴る鈍い音が聞こえた。

 

「おいこら、商品(オンナ)を手荒く扱うな」

頭が顔を上げると、女を捕まえていた手下どもが吹っ飛ばされていた。

他の手下どもが慌てて女につかみ掛かるが、逆に投げ飛ばされたり、腹を殴られ悶絶したり、脚を蹴り飛ばされて無様に床に転がっている。

 

「頭!下がってください!

 女ァ、動くと撃つぞ」

部屋の奥にいる手下がピストルを取り出し女に向けて構えるが、女は何も気にしないで近寄ってくる。

「くたばりやがれ!」

手下がピストルを発砲した。だが弾は女に当たらず、というか女の方が弾をいとも容易くかわして、瞬く間に手下の頭を掴み、壁に叩き付ける。手下はそのままずるりと床にくずおれた。

 

マフィアグループの頭はあわてて携帯をつかむ。ビルの中の他のグループの頭に電話をかけ、相手が出るやいなや叫んだ。

「連れてきた女が暴れてる。なんとかしてくれ」

そこまで言った所で電話が奪い取られた。そして襟首を掴まれて引き寄せられる。

 

目の前に女の鳶色の瞳がある。獲物を狙う野生の獣のようだ、と感じた時

「ガツッッ!」

という衝突音と共に彼はおでこに強烈な衝撃を受けた。

目に火花が散ったのを見た後、彼の意識は暗転した。

 

 

ロンドン警察の刑事はマフィアのアジトで騒動がおこっているとの情報を入手し現場に向かった。

その雑居ビルはかねてからアジトとして利用されていることを警察も把握していた。

特に最近は街中で女の子に声をかけ、暴行の上売り飛ばすという悪行をおこなっているという報告をうけていた。だが今まで犯行現場を押さえることができず摘発ができなかったのである。

 

刑事がビルに踏み込んだとき、もう騒動はおさまってしまったのか人気を感じなかった。そのままビルに踏み込む。

入り口の付近に赤毛の少女がいた。マフィアどもがさらってきた娘だろう。

「安心しなさい私は警察だ。君はここでじっとしているように」

少女に声をかけてからビルのなかへ入る。廊下をすすみ警戒しながら部屋のドアを開けた。

 

部屋の床には無造作に10人ほどの男が転がっていた。皆、手や脚を折られて動けなかったり、頭を打って気絶していた。刑事は他の部屋も覗いてみたが、同様に動けない状態の男たちがマグロのように床に放置されていたのだった。

 

刑事が入り口にもどるとあの少女は言いつけ通りその場でじっと待っていた。

「ええと」

刑事はまさか、もしやと思いつつも、今出てきた部屋を指差しながら少女に尋ねる。

「あの部屋の中の有様、もしかして君が?」

 

 

刑事に

「とりあえず一緒に警察まで」

と言われ、バゼットはパトカーに載せられロンドン警察署に連れてこられた。

警察署の玄関でパトカーを降ろされた後、刑事は

「ここで待っているように」

とバゼットに言い残して署内に入っていった。

 

刑事が視界から消えてすぐに「プルル」とバゼットのポケットの携帯電話が鳴った。

バゼットがでるとウェイバーの叫び声が響く。

「バゼット!右、右向いて」

言われるがままに右のほうを向くといつの間にかウェイバーがいた。慌てた表情で建物の影から手招きしている。

バゼットは携帯電話をしまい、ウェイバーの元に駆け寄った。ウェイバーはバゼットの腕を掴んで走りだした。

「なんで補導されそうになってるんだよ。逃げるぞ!」

バゼットが抗弁する間もなく、二人はとりあえずその場から逃走したのだった。

 

 

刑事が警察署の玄関に戻ってくると少女はもうどこかに去っていた。

「残念だな」

とつぶやくと、刑事は玄関の受付係に封筒に入った書類一式を手渡した。

「もしあの女の子が戻ってきたら、これを手渡して上げてください」

 

その封筒の表面には

『ロンドン市警察 警察官募集要項』

と記載されていた。

 




バゼットの組織への所属意識とか、正義感などバランスを考えると警察官はわりかし似合う仕事なんじゃないかと思う。


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第2話

ウェイバーさんの人生相談所。
今日のお客は自虐モードのバゼットさんです。


「知らない人について行かない」

という幼稚園児レベルの説教の内容に、さすがにバゼットはむくれている。

 

ウェイバーは警察に補導されそうになっていたバゼットをギリギリで連れ戻して、街中の喫茶店にきている。

ここはウェイバーが時折おとずれるイングリッシュ・ティーの店だ。

紅茶とケーキやスコーンをつまみながら、ウェイバーはバゼットから先ほどの顛末の一部始終を聞き出していた。

 

大雑把にまとめると、公園でアルバイト雑誌を読んでいたら怪しい男に声をかけられ、ついていったらマフィアのアジトで、成り行き上壊滅させてしまった、ということになる。

 

「なんでそんなのについていくんだよ」

バカにしたように目を細めて聞いてくるウェイバーにバゼットはむっとして答えた。

「私の故郷ではあのように騙してくる人はいませんでした。

 なので、困っている人は助けるべきものと思ったのです」

バゼットの故郷は小さな村で、たとえ自分が知らない人がいても後で知り合いにその風体を尋ねれば、あれはどこそこの誰それさんだよ、とすぐわかる狭い世間だった。なので通りすがりの人間でもあまり警戒心を抱く事なく、道を聞かれれば案内するし、頼み事はできるだけきくものだと思っていたのだそうだ。

 

別に美人だとかいわれて調子に乗ったわけではありません、とバゼットは言い訳のように付け加えていた。

「いや、そんな風に思ってないから。都会はいろんな誘惑があるからさ」

不機嫌そうなバゼットをウェイバーは慌ててとりなす。

「あ、いえ、ウェイバーに怒っていたりはしませんよ。

あんなものに引っかかった自分自身がしゃくに障るのです」

ウェイバーの態度に気まずさを感じたのか、バゼットは声の勢いを落としてそう言うと、気持ちを誤摩化すかのように目の前のスコーンをかじった。

 

要するにバゼットは単にアルバイト先を探していただけだったのである。

結果として起こった出来事の規模としては信じがたい事であるが。

 

「バゼット、なんでそんなに働こうとするの?」

魔術協会と折り合いが悪いとはいえ、バゼットは由緒正しい名家の出身であり、協会内で下「には」置かない丁重な扱いを受けている。

もっともそれは、カタチだけの居場所を与えて何も求めないという飼い殺しとも言える扱いに過ぎないのだが、金銭の苦労はないはずだ。

 

ウェイバー経由でアーチボルト家が何かと生活に関わる面倒を見ているし、金が足りないというのなら多少は協会に無心することだってできるだろう。

バゼットの返答は意外だった。

「だって…、働くのは社会人の義務ですから」

へ?と思わずウェイバーはバゼットの顔を見つめてしまう。

バゼットは茶化して言っているわけではなかった。真顔だ。

そのあまりに魔術師らしからぬ、善良な一般市民的な価値観をこの少女の口から聞こうとは。

 

「人に認められる為には、きちんと組織に属し、役に立たたないとダメじゃないですか」

とバゼットは続ける。

なんとも生真面目な性分なのだ。

まあ、時計塔の学園の学生がアルバイトをしている所を見かけて対抗意識を抱いているだけなのかもしれないのだが。

 

「それに、自分の生活費を他人に頼っているようでは一人前の人間として恥ずかしいと思います。

 壊した校舎の修繕費や生活費をいつまでもウェイバーのお世話になっているわけにはいきません」

それは一般的価値観としては大変立派な心がけなのだが、魔術師の常識からするとずれている。魔術師というのは己の魔術理論の研究にのみ心血を注ぎ、その研究成果が評価されることこそを望むものだ、というのが魔術師たちの常識だ。

 

「ウェイバー、私はこのままでは『ニート』になってしまいます」

バゼットが言った聞き慣れない単語を聞いて思わずウェイバーは聞き返した。

「なんだよその『ニート』って?どこの国の言葉?」

「この国のですよ。ウェイバーの本棚にあった本に書いてあったんです」

ウェイバーはバゼットが家に遊びに来たときに、本棚の本はなんでも見ていいよ、と言ってある。本棚には魔術に関係する本の他にも雑多なジャンルの本が入れてある。バゼットが言っているのはどうも社会学系統の調査報告書のようだった。

 

それに、NEETという言葉が説明してあったのだそうだ。

正式には

Not in Education, Employment or Training

(教育、雇用、職業訓練に参加していない)

 

「それ私の事ではないでしょうか」

とバゼットは肩をすぼめながら言った。

「いやいや、バゼットの歳では問題ないよ。普通は学校に行っている年頃なんだし」

とウェイバーはとりなすのだが、

「私は学校に行っていないですから…」

このように聞く耳を持たないのだった。

 

ちゃんとした居場所を得て、人から認められたいという気持ちは、魔術師の常識をひとまず脇において考えれば、年頃の青少年のありきたりの気持ちではある。

それはウェイバー自身もかつてはそうだったのだし、よくわかる。

とはいえ、まだ能力が身に付いていない無力な青少年ならともかく、バゼットは既に人並み外れた能力を持っているのに一般的な居場所を求めるなんて変わっているなと感じてしまう。

 

バゼットは口に持ったカップの紅茶を一気にあおった後、下を向いてため息をついている。

ウェイバーが思うに、バゼットはあれこれ考えすぎて自分で勝手に傷ついている様子だ。

慣れない社会に出てきてなかなか馴染めず悩んでいるのだろうとウェイバーは思った。

 

社会の荒波にもまれる戦神の剣。

だが、物理的には周囲のほうが傷つきそうである。

バゼットが普通の仕事を求めようとも、

現代社会ではその身の力を振るう余地はほとんどないのだ。

 

それにだ、話が変わるのだが、今時計塔では複数の学生や講師が行方不明になるという事件が起こっている。

以前にも学業や研究についてこられなくなった学生がいつの間にか時計塔から姿をくらますことは時折あったのだが、最近の事件はやや様子が違って素行に問題のない者が突然消息を断つ。それも行方不明になるのはどうも時計塔の中ではなく街中に出かけている間なのではないかという噂が流れている。

それで時計塔では今、学生向けには一般社会での労働や交流は控えるようにというアナウンスがでており、講師たちも一般社会との交流を自粛している。

おそらく以前は街でアルバイトをしていた学生たちも今は働くのを止めているはずだ。

 

魔術協会の中で適当な仕事をバゼットに紹介できればいいのだけど、アーチボルト家側としてはバゼットの扱いは微妙で、あまり深入りしないようにとも釘を刺されている。

 

ウェイバーはふと思いついてバゼットに尋ねてみた。

「バゼットはフリーランスの魔術師として仕事をしてみるつもりはないの?

 時計塔の中にそういう魔術師に仕事を斡旋する場所があるよ」

魔術師の力はその世界で生かすのがまっとうだ。

「フリーランスってなんですか?」

「まあ単純に訳すと傭兵ってことさ。特定の組織に属してはいないけど、誰かからの依頼を請け負って仕事をする。

 優秀な成果を残せばそれが認められて名指しで依頼をもらうようになって稼いでいるヤツもいるよ。

 バゼットの能力を活かせるような戦闘よりの仕事もある。時計塔のなかでたまに依頼がでる仕事よりも難易度が高いし報酬もいいよ」

と説明すると、バゼットは興味を示したらしい。

「ふむ、そういう仕事をしてみるのもよいかもしれません」

さっきまでうつむきがちだったのが背筋を伸ばし、表情にやる気が戻っている。

 

バゼットにフリーランス魔術師への仕事斡旋をしている場所を教えると、

「では、ウェイバー、仕事を探しに行ってきます!」

と言い残してバゼットは店をでていった。

 

良い仕事が見つかるといいのだが。




第3章でバゼットが暴れないのはこの話だけです。


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第3話

ハローワーク? ハンターギルド?


時計塔の中の、学生や講師はあまり近寄らない一角にフリーランス魔術師向けに仕事斡旋を行う部屋がある。

ここには時計塔のヒラの研究者から貴族までいろんな立場の魔術師たちがさまざまな依頼を持ち込んでくる。

内容は時計塔の暇な学生のアルバイトと大して変わらない程度の実験用の触媒入手や簡単な礼装作成の内職から、世界の果てまで遠征して現地の魔術師に戦いを挑むものなどと、初心者向けから達人向けまで幅広く取り扱われている。

 

とはいえ、ここに来るのはまだ売り込み中のフリーランス魔術師たちだ。有名な者は依頼者から直接仕事の依頼を受け、それで十分な報酬を得ているのでここには顔を出さない。ここにくる魔術師はここで請け負った依頼をこなして実績を詰んで名を上げ、より大きな仕事の依頼を受けることを狙っている。有名になって貴族たちのお抱えになり、時計塔で地位を得る者もいる。

 

この日のこの部屋には数人の魔術師が訪れて、仕事の斡旋を受けていた。

その格好は時計塔で日々研究をしている魔術師たちとは一風変わっていて、一般のビジネスマンとかわらないスーツ姿の者もいれば、時代がかかったシルクハットに燕尾服といういでたちの者、ライフルを携えている軍人のような服装の者、かと思えばこの現代でどこでそんな物をふるうのかと首をかしげたくなるような長い柄の斧(ハルバード)を持った者などがいる。他ではあまりお目にかからない珍妙で物騒な服装や道具はおそらく彼らの魔術礼装の一種なのだろう。

 

バゼットはすたすたとその部屋に入っていった。それを窓口にいる係が呼び止める。

「お嬢さん、学生の教育棟は別の棟だよ」

「ここはフリーランス魔術師向けの仕事斡旋をしているところだと聞きました」

ここしばらくの間、時計塔の学生に行方不明者が相次いでいるため学生はアルバイトを制限されている。それでこの学生もこちらまで働き口を探しに入ってきたのだろう。

「そうだが。学生向けのアルバイトは取り扱っていない。教育棟の方にいきなさい」

「私は学生ではありませんし、学生向けの仕事を探している訳でもない。フリーランス魔術師として仕事を探しにきたのです」

窓口係はバゼットを見て、ずいぶん若いようなのだがといぶかしく思う。

 

「そこにファイルが並んでいるだろう。そこに今受付けている仕事の情報が入っている。

 君には手前の方のがおすすめだ」

バゼットは窓口係が指した方を見た。そちら側の机の上にファイルがずらりと並んでいる。

色分けされているようで、手前のほうには赤、青、黄色とカラフルなファイルが並び、続いて地味な茶色のファイルが並び、奥には長い間だれも触っていないのかと思うほど古びて埃だらけになったファイルがあった。

 

とりあえず勧められた手前のファイルを1つ取って開く。単純な内職仕事しか載っていない。

真ん中あたりにある茶色いファイルを開く。時計塔でたまにやっていたような作り損ねのゴーレムの解体とか逃亡したり迷子になったホムンクルスの捜索程度の仕事しか載っていない。

一番奥にある古いファイル。引き出すと埃が舞い上がる。思わず咳き込むのを押さえて埃をはたき落としてファイルを開いた。そこにはかなりヤバい感じの戦闘が必要そうな仕事が載っていた。

 

バゼットはその古いファイルを窓口係の前に広げた。

「この仕事を受けたいのですが」

窓口係はそのファイルを取り上げ、あきれた表情でバゼットに告げる。

「君にはこの仕事は無理だ。こっちにしなさい」

机の端から内職仕事が載ったファイルをつまむとそれをバゼットに渡す。

窓口係はやれやれと嘆息した。まったく、自分を過信する年頃の子供はどうしようもない。

 

む、としていかにも不満そうな表情をバゼットは浮かべている。

その肩を後ろから急にぽん、と叩く者がいた。バゼットが振り返るとそこに先客であるライフルを持った男とハルバードを持った男のフリーランス2人組がいた。

「お嬢ちゃん、こんなところに何しにきたの?」

「ここは女の子がくるようなところじゃないぜぇ。早く帰りな。じゃないと怖い思いすることになるよー」

彼らはバゼットの肩どころか頭までつかんでぐりぐりとなで回してくる。

 

勝手に頭を触られる不快さをとりあえず我慢しながら、バゼットは幼い頃から慣れ親しんだ故郷の英雄の逸話を思い出していた。

 

赤枝の騎士クーフーリンは、まだ幼いからと戦士として認めて貰えなかったときにいったいどうしたか?

そう、赤枝の名にかけて———

 

バゼットは振り向きざまに男が持っているライフルを奪い取り、それを机に叩き付けた。机が真ん中からへし折れ、ライフルはブーメランのように曲がる。

「うぇぇ!?」

ライフルの持ち主が悲鳴をあげる。バゼットは隣の男が持っているハルバードも奪い取ると柄を膝にぶちあてて真っ二つに折った。

「な、なにすんだお前!」

ハルバードの持ち主がバゼットにつかみ掛かってきたのをかわして内懐に入りそのまま背負い投げ。相手は棚に激突し、棚のなかに入っていた資料や道具が床に散乱する。

「ひぃぃぃぃぃ」

更に壁に張り付いている相手に右ストレートを。ドゴン、という破壊音とともに相手の頭の上の壁に大穴が開いていた。

 

「わかった、よくわかりました!どうぞお好きな仕事を選んでください!

 だからもう勘弁してくれ」

窓口係がバゼットを止めたときにはおおよそ部屋の3分の1が破壊されていた。

もう今日は仕事にならないな、と嵐の後のような室内を眺めて肩を落とす。

 

一方で、これで問題なく仕事を選べるようになった、と

バゼットは散らかった部屋の壁に寄りかかって先ほどの古びたファイルを読み始めていた。

「そのファイルに載っているのは仕事の請け手が見つからないような厄介な仕事ばかりだよ」

窓口係は部屋の片付けをしながらバゼットに話しかける。

「それと、念のため言っておくけれど、そのファイルには封印指定執行案件が混じっている。

 執行者の仕事になんかに関わると嫌われるぞ」

窓口係にバゼットは尋ねた。

「封印指定ってなんですか?」

「………」

窓口係の目が点のように固まっている。またなにか私は妙な事を聞いたらしいな、とバゼットは察した。後でウェイバーに聞きに行こう。

 

だが、窓口係はまたバゼットが暴れたら困ると思ったのかとても丁寧に『封印指定』について教えてくれたのだった。

 

まず封印指定とは何か。

魔術協会は子孫に継承することができないその者一代限りの希有な才能をもつ魔術師を「封印指定」と認定し、その能力を保護する。

保護といえば聞こえが良いが、実際の対応は幽閉だ。そんな扱いをありがたがる者はいないので、当然封印指定の魔術師は逃亡する。

逃亡先でその魔術師が騒ぎを起こさず過ごしていれば、魔術協会は逃亡を黙認する。だがもし魔術の神秘が一般社会に漏れるような騒動を起こした場合、魔術協会は封印指定を強行するのである。

 

封印指定執行者とは、魔術協会が封印指定に認定した魔術師が逃亡し、その先で問題を起こした場合に現地に派遣される部隊だ。

強力な力を持つ魔術師を相手にするため、執行者には魔術協会の中でも抜きん出た戦闘能力を持つ者が任じられている。

その能力たるや時計塔の警備担当魔術師などでは比較の対象にすらならない。

 

また封印指定の保護の対象はあくまでその魔術師の能力の結晶である魔術刻印だ。執行者に求められるのは魔術師の体内の魔術刻印の回収であり、魔術師の命ではない。

結果、ほとんどの場合で執行者は封印指定の魔術師を殺して死体だけを持ち帰る。

 

つまり魔術協会公認の暗殺者であり、魔術師たちにとっては自分たちの研究成果を暴力で奪い取る忌むべき集団だ。

 

「時計塔の厄ネタ3つ、1.悪霊ガザミィ、2.封印指定、3.封印指定執行者。

 そんな事も知らないで時計塔にいるのか?君は」

窓口係はあきれきった口調でバゼットに言い放つ。正直言ってこの少女の方がなんなんだと思わざるを得ない。

 

バゼットは話を聞きながら、ファイルの中の仕事を物色している。

このファイルにある仕事は他のファイルのものに比べて報酬の額が二桁は違う。これなら今までの借りが返せるし、自立も出来るだろう。

 

 

 

そんな経緯を経て、バゼットはフリーランス魔術師向けの仕事を始めた。

2、3の荒っぽい仕事をこなした結果、最初はバゼットを子供扱いしていた窓口係も最近はすんなりと仕事の取り次ぎをしてくれるようになった。いくらかは能力を認めてもらえたのだろうか。

 

ある日、いつも通りバゼットが窓口にファイルを持ち込み、この仕事をやらせてくれと言うと、久しぶりに窓口係は苦い表情を浮かべた。

「これは封印指定案件だよ」

窓口係が説明を始める。

この案件のターゲットである魔術師はロンドンの校外の森に結界を張って人払いをして住んでいる。

この魔術師はずいぶん昔に封印指定を受けた者で、すでに80歳か90歳の年寄りのはず。他の封印指定の魔術師と同様に海外に逃亡していたのが10年くらい前にいつの間にか戻ってきていた。

なんでもこの魔術師の魔獣だかホムンクルスだかが結界の外に出て活動していることが時折あり、処分が必要なのだそうだ。

 

「封印指定の魔術師が何で戻ってきたのか知らないが、まあ、歳でボケたんだろう。

 そのうち執行者どもが出張ってくるはずだ。かち合うと面倒だぞ」

と窓口係は暗に止めるのだが、

「この仕事を請けます」

と躊躇せずバゼットは返事した。

この仕事の報酬は他と比べてさらに破格なのだ。やりごたえもあるだろうし、きっと自分の力の証明に役立つに違いない。

 

 

バゼットがターゲットの魔術師が結界を張っている森に着くと、森のなかから強い魔力を感じた。魔力をたどって出元に辿り着くと魔獣の群れと2人の魔術師がにらみ合っていた。

先客だろうか。

フリーランス向けの斡旋所に出る仕事は特に1人の魔術師に依頼するとは限らない。仕事場でほかの魔術師と鉢合わせする事もありうる。

 

見たところ魔獣は20匹ほど。多勢に無勢だ。

バゼットは魔術師たちから見える位置にある木の枝に飛び乗って彼らに声をかけた。

「私はこの森に住む魔術師を追って来たフリーランスだ。

 もしよければ助太刀しますがどうしますか?」

魔術師の片方が返事をした。

「助太刀を頼もう。では、始めるぞ!」

バゼットに返事を返すやいなや、2人の魔術師は魔獣の群れに突撃していく。

おっと、遅れはとるわけにいかない。バゼットも木から飛び降り、魔獣狩りに参戦した。

 

バゼットは調子良く魔獣たちに拳や蹴りを叩き込み、さっそく数匹を仕留めた。

助太刀する、といった手前、圧倒的な戦果を見せたいところだ。

が、他の2人もバゼットに全く劣らないペースで魔獣を狩っている。彼らは相当な腕利きなのではないだろうか。時計塔にきてから出会った魔術師たちのなかで一番腕の立つ者たちのように見える。

助っ人のつもりで参加したのが、もはやあの魔術師たちとの魔獣狩り競争のような気分になってきていた。

 

魔獣狩りがはじまって10分も経たないうちに残るは最後の1匹となった。いままでにバゼットが仕留めたのは6匹。

あと1匹を仕留めてスコアを稼ぎたいところ———。

バゼットは逃げる最後の1匹を追いつめる。あと数歩で捕まえられるか、というところで目の前をナイフ状の刃が横切った。その刃が獲物の首をそぐ。

「お疲れ。ハンティングは終了だ」

木陰から魔術師の1人が姿を現した。

結果、魔獣狩りのスコアは7:7:6で終わった。

 

1人負けになったバゼットは正直悔しく思っていた。この手の戦闘で他人に負けるとは。

森の中からもう1人の魔術師も姿を現す。

坊主頭にアーミージャケットのゴツい男と肩ぐらいの長髪に黒い衣服にたくさんの銀色のアクセサリーをつけた男。

「やあ、また会ったな

 そっちはもう覚えていないか?」

坊主頭の方にそう言われて、バゼットは自分の記憶をたどる。そういえば彼らを見かけた事があった。そうだ、それは確か月霊髄液を追った公園でだ。

 

「久しぶりだね。バゼット。

 我々は協会の封印指定執行者だ。この森に住む魔術師は魔獣を結界から逃亡させたかどにより、これから封印指定を執行する」

長髪の方が穏やかな口調で続けた。

「私の事を知っているのですか?」

バゼットは少し驚く。この相手はバゼットの名前を知っていた。

「もちろん。君は君が思っているよりも有名人だ。

 この件はもうフリーランスの魔術師はお引き取り願う所だが、君の助太刀であれば歓迎する。報酬も弾もう。どうする?」

長髪の男の涼しげな目は挑発しているようにも見える。こちらにも異存はない。

「もちろん、共闘を続けましょう」

 

坊主頭はアロルド、長髪はバルタザールと名乗った。

「それはとても心強い。

 バゼット・フラガ・マクレミッツ、君の協力に感謝する」




実力行使で上級者クエストカウンターを解禁し、執行者クエストに飛び入り参加したバゼットさんでした。

今回から本格的にシリアスモードに入りました。
最後の方に出てきた執行者コンビはオリキャラです。


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第4話

インターン中のようなもの?

※今回から「残酷な描写」つきです。
苦手な方は今回と次回を飛ばしてエピローグを読む事をお勧めします。

あと、今回はバゼットのルーン魔術の独自解釈が多目です。


バゼットと執行者たちは森の中を進む。

遠くにターゲットの魔術師の館らしき建物が見えた。もうこの辺りにはその魔術師による結界が貼られているはずだ。

こちら側に執行者クラスの者が3人もいれば並の結界を破るのは容易い。とはいえ、結界に侵入する者に対して自動的に反撃する仕掛けが施されている場合もあるのだ。3人は用心しながら結界の中に踏み入っていく。

 

拍子抜けだが外敵を攻撃する仕掛けが動いた様子はなかった。バゼットと執行者たちはそのまま館に向かって近づいていった。

同時に徐々に大きな魔力の気配が接近してくる。それは1つの相手が発している気配ではない。大勢から発せられているものだ。敵の集団がこの先にいる。

 

バゼットが執行者たちの表情をちらりと見ると、坊主頭のアロルドは不敵な笑みを浮かべており、長髪のバルタザールは感情を表に出さないポーカーフェイスだ。バゼットは新しい革手袋をとりだし手にはめ直す。拳を握り込んで眉を引き締め進んで行く。

 

結界の奥へ歩みを進めることしばらく、バゼットたちの目前にその敵の群れは現れた。

それらは人型をした何かであり、その数は10や20ではない。50か100か?大群と言って良いくらいだ。

 

「ほう、はじめからお待ちかねだったみたいだぜ」

敵の群れを見たアロルドは、胸の前で一発拳を打ち付けると他の2人の方に振り向いてにやりと笑う。

「いくぜ、本日2回目の狩りの始まりだ!」

 

バゼットたちは3手に別れて敵に向かう。

バゼットが右手、アロルドが中央、バルタザールが左手だ。

始まりの号令と共にバゼットは敵に向かって疾駆した。走る速度を上げると同時に高揚感も上がっていく。

———今度こそ競争に勝利してみせる。

 

人型をしているこの敵たちはホムンクルスだろうか?と目の前に迫る敵の姿を捉えながらバゼットは考えた。

ホムンクルスが人型なのは一般的なのだが、大抵同じ所で使われているホムンクルスは同じような姿をしている。同じ術式で大量に生産される事が多いからだ。

ここに居る人型たちは見かけがみな違う。少年少女から老人まで、ジーンズにTシャツのような衣服を身につけている者から高価に見えるスーツやドレスを身につけている者までとバラバラだ。

 

「はっ———!」

敵の中に突撃したバゼットはまず体を沈めて目の前の小柄なホムンクルスに体当たりをかます。体当たりされた相手が後ろに吹っ飛び、後方にいた数体を巻き添えにして倒れた。バゼットは倒れた相手を踏みつけて、そのさらに後ろにいる敵に拳と蹴りを見舞って打ち倒す。

今の攻撃でざっと6体くらいの相手を吹き飛ばした。バゼットの周りにわずかな空間が出来上がった。これで格闘時の立ち回りがやりやすくなる。

 

バゼットは一旦拳を振るうのを止め、周囲ににらみを効かせながら構えを直した。その時、頭の後ろに気配を感じて身を翻す。

後ろから火球が飛んできたのだ。バゼットにかわされた火球は木立にぶつかった。バジュッ…という音とともに木が幹の中程から折れて倒れる。

 

バゼットが後ろにいた敵の方に向き直るとその手元に炎が宿っているのが見えた。バゼットは自分を取り巻く敵たちを、なるべく頭を動かさず視線だけで見渡した。火球だけではない。他の敵の手元にも、氷の刃や雷撃などの攻撃魔術がこちらを狙って構えられている。

———このホムンクルスたちは魔術も使うのか…。

 

 

「うおりゃぁぁぁ!」

坊主頭の魔術師アロルドは組み付いてきた相手を豪快に投げ飛ばした。そのアロルドの後ろから別の敵たちが次から次へと組み付いてくる。敵は先にアロルドに組み付いた仲間を考慮に入れる事もせずその上から更に覆い被さる。このまま仲間もろとも圧死させる勢いである。それを、

「ぬあああっ!」

気合い一閃、アロルドは自分の上に団子状になった敵の塊を吹っ飛ばして立ち上がった。仁王立ちになったアロルドの肉体は筋肉が膨張して以前の倍くらいの大きさになっている。彼は魔術回路を起動させる事により、筋肉を自在に増強させる事ができるのだ。

その丸太のようになった腕を振り回し、周囲の敵どもをなぎ倒す。彼の腕の軌道上にあった敵の頭はまるで風船のように破裂してその破片をまき散らした。

しかし、周囲の敵の数は多い。腕を振り回して一体ごとに仕留めていたのでは埒があかない。

 

アロルドは両手を組み、そこに魔力を集中する。手先が帯電し、火花を放ち始める。それを頭上に振りかぶり、敵の群れに向かって振り下ろした。電撃が敵を次々と捉え焼き尽くしながら森の中をほとばしっていく。これで20体くらいが一気に消えた。

目の前の敵を一塊片付けて一息ついたアロルドは隣で戦闘をしているバゼットの方を伺う。

「さあてと、あのお嬢ちゃんはどうしてますかね…」

 

 

火の魔術は氷のルーンで打ち消す。

風の魔術で作られた魔弾は移動のルーンで軌道を反らす。

雷の魔術での雷撃は雷神のルーンで相殺する。

 

バゼットは敵から打ち込まれる様々な魔術攻撃に対して、逐一それらに対抗するルーン魔術を発動していた。そして相手の魔術を受けきると自らのルーン魔術をそのまま拳や脚に載せて相手に打ち込み敵を粉砕している。

 

なんとも器用な…、とアロルドは不覚にも感嘆してしまった。魔術師はおのおの属性というものを持っている。火、風、水、地などと呼ばれるものが一般的な属性であり、魔術師たちは自分の属性にあった魔術を使うのが常である。アロルドの場合は雷系統の魔術を得意としているので強力な雷撃を放つことができるのだが、そのかわり火焔を出したり、突風を吹かせたりだのはできない。

 

その点バゼットが扱うルーンには他の魔術にない汎用性がある。ルーンはそれぞれが魔術的な意味を持つ文字の集合だ。その組み合わせにより無限ともいえるパターンの効果が現れる。そのため魔術師個人の属性にかかわらず多くの種類の魔術を扱う事が可能なのである。

———あくまで理屈上は。

 

ルーンは占いにも使われるように多少魔術の素養がある者なら誰でも扱える手頃な魔術である反面、強い威力を出そうとするならばそれは術者の力量にそのまま依存する。

ましてだ、バゼットのように戦闘中に激しく動き回りながら正確にルーンを刻んだり、あらかじめ仕込んだルーンに魔力を通して発動させることにより自在に魔術を使うなど、もはや職人芸というか曲芸の域に達している。

あれがフラガのルーン魔術か。1人の人間を幼少時から格闘術と魔術の鍛錬漬けにして受け継がれる技。まさしく秘伝といえよう。しかも今バゼットが披露しているのはそのなかでも表面的な技術に過ぎないのだ。

 

 

バゼットはルーン魔術を付加した格闘術を駆使して目の前の敵の一群を片付けた。わずかにできた余裕をつかって隣のアロルドの方を伺うと、向こうは両手から放った雷撃魔術で数十体の敵を一気に葬りさったところであった。

思わずバゼットの表情に苦みがはしる。今度は討伐競争に勝てるだろうと踏んでいたのに。さっきの雷撃でまた討伐数(スコア)をひっくり返された。

アロルドもバゼット同様に格闘戦を得意とするらしいが、バゼットは格闘術勝負ならひけはとらない自信を持っている。

だが、ああいった火力の強い遠距離攻撃手段を持たないのがバゼットの戦闘術の欠点なのだった。

 

それを一体どうやって補おうか。次の敵の群れに向かいながらバゼットは思索を巡らす。

あまり優雅な案ではないが、手を思いついた。

脚に強化のルーンを施し、敵に突進する。一瞬の判断で群れの中で比較的細くて軽い相手を選ぶ。

sowelu(ソエル)!」

ルーンを詠唱し魔術が発動すると相手が炎で包み込まれた。

「はあっ!」

バゼットは全速力で助走をつけて炎の人型となった相手を敵の群れのなかに蹴り飛ばして放り込んだ。瞬く間に炎に包み込まれる敵陣。

即席の火の玉魔術の一丁上がりだ。

 

バゼットは同じ要領で火の玉を作り上げて蹴り込んでは敵の群れを焼き尽くして行った。

これで攻撃力は十分だ。ほどなくして全ての敵を殲滅できるだろう。敵地の中で加減も憂いもなく思う存分に振るえる拳と脚。爽快感さえ覚える。

 

 

「おいおい、ちょっとこれはまずくねえか」

アロルドは隣でバゼットが巻き起こしている火の手と黒煙から逃れて風上に移動した。アロルドの背後に左手側で戦っていたバルタザールが現れる。

「アロルド、俺は後方支援にまわってくる」

そう告げるとバルタザールは戦場を離れて行った。間もなく離れた所で木々を借り倒す風の刃の音が響き始める。

 

アロルドは風上から慎重に場所を選びながらバゼットの方に近づいて行った。もはや倒すべき敵はほぼ焼き尽くされている。辺り一面の森と共にだ。

「おおい、バゼットー!」

アロルドの声が聞こえたらしくバゼットが振り向いた。アロルドはあっけらかんとした大声で叫ぶ。

「狩りは終わりだ。

 お前やり過ぎだぜ。結界の中で山火事を起こす気なのかよ!」

辺りには木や肉の焼けた匂いが一面に立ちこめていた。

 

 

「は!?」

一足早く戦線離脱したバルタザールが周囲の木々を切り倒して山火事の範囲拡大を防いだので結界内の森の全焼は免れた。

今夜はここでキャンプをはる、というアロルドとバルタザールの発言にバゼットは目を丸くしていた。

「……敵の結界のなかだというのに?」

バゼットの怪訝な表情を無視して、バルタザールは焚き火と夕飯、アロルドとバゼットはテントの設営な、と役目が割り振られる。

ほら、テント建てるぞーとのんきな声を張り上げるアロルドにせかされてバゼットは渋々と作業を手伝うのだった。

 

……今夜、ここで寝るのか私は?この執行者たちと一緒に?

バゼットは作業を手伝いながら心の中に不満と不安を募らせる。ふとアロルドの方を向くとその微妙な表情から心境を読み取られたのか、

「ああ、そのテントはおまえが寝るのに使え。俺たちは夜まで話をしなきゃいけない事があるからよ」

と声をかけられた。その心遣いはありがたいやら、めんどうくさいやらで、何とも言えない気分でバゼットは夕暮れの空を見上げた。

 

テントは着々と組み上げられた。アロルドはこの手のことに手慣れているらしく、バゼットは指示通りに手を動かしているだけで作業はあっさりと済んでしまった。

バルタザールのほうの作業はまだ時間がかかるようで、バゼットたち2人に暇な時間が訪れる。

 

格闘家が2人いれば力自慢が始まるものだ。

あまり無駄口をきかないバゼットとなんとか打ち解けようとアロルドがバゼットに腕相撲でもしないかと水を向けてみた所、彼女はさっそく乗ってきた。

その結果、アロルドは今窮地に陥っている。

 

いかに素晴らしい戦闘能力を持っていようとも相手は女の子、それに最初から全力を出すなど恥ずかしくてできないが、手加減の度合いは見誤った。

開始直前にアロルドは手首を返され、テーブルに腕がつくまであと半分というところまで腕を倒されている。

———この馬鹿力が…。

女の子だなどと油断すべきでなかった、とアロルドは力を入れ直し体勢を持ち直す。その際に彼はうっかり魔術回路を起動させてしまった。アロルドの特性によって彼の腕の筋肉が増強されて盛り上がる。

「おっと、すまん。これはわざとじゃなくて…」

ズルと言われる前に魔術回路を止めようとしたが、

teiwaz(テイワズ)

バゼットは間髪入れず強化のルーンを発動していた。彼女の目を見るとかなりマジだ。

「ぬが…!」

再び腕を倒されそうになりアロルドは魔術回路をつかって筋肉を更に強化する。するとバゼットは強化のルーンを倍かけして対抗する。

腕相撲に使っている台にヒビが入り、周囲の空気が振動し始めた。

 

「はいはいはい!そこまで!」

夕飯の鍋を抱えたバルタザールが戻ってきた。

「なんでマジカル腕相撲対決を始めていますか君たちは!

 せっかく山火事での崩壊から守った結界が壊れるでしょうが」

勝負は水入りとなった。

 

 

夕飯といっても内容はレトルト食品や缶詰にすぎなかったのだが、それでも焚き火を囲みながらであれば普段より雑談がしやすいものだ。

夕飯をつまみながらバゼットは執行者たちから今回のターゲットの封印指定魔術師についての解説を聞いていた。

 

仕事を受けた際に聞いた通り、この魔術師は封印指定を受けてすぐ海外に逃亡したのだが10年ほど前に戻ってきてここに隠れ住んでいた。ずっと問題を起こす事なく過ごしていたので、魔術協会は特に手出しはせずに執行者に監視だけさせていたのだが、半年ほど前から結界の外に魔獣などを放つようになった。そして最近になって監視をしていた執行者が行方不明になった。これをきっかけにこの魔術師の封印指定が執行される事になったのだそうだ。

 

バゼットがそんな話を手持ち無沙汰に聞いていると、

「ほれ」

とアロルドがバゼットに小さな器を差し出した。中には暗赤色の液体が入っている。バゼットが受け取ったものかどうか戸惑っていると、バルタザールが割り込んできた。

「おい、子供に酒を勧めるな」

それを聞いたバゼットは酒杯をさっと受け取った。はっはっはとアロルドが哄笑し、バルタザールは渋い表情になる。

 

バゼットは酒杯の中を覗き込んで、中身の匂いをかいでみた。やたらに濃い果汁のような匂いがするのだが…。試しに一口含んでみてその味に閉口する。

何だ、この苦い飲み物は。

 

いつの間にかアロルドのほうは妙に上機嫌になっており、バゼットはあれこれと個人的な事柄についての質問攻めにあっていた。

「ウェイバーとつきあってんの?」

「…違います」

「じゃあ恋人はいるのか?」

「……いません」

「うーん、それなら時計塔の中で好みのタイプのヤツは?」

「………」

セクハラ気味の質問の連続に、バゼットは黙り込んだまま軽蔑の視線をアロルドに送り始める。

 

「こらやめろ、そういう質問」

ようやくバルタザールが割り込んでくれ、話題の方向を強引に切り替えてくれた。バゼットの格闘術の流派は何だとか、ルーンは何歳から使ってるんだ、とかの仕事関係の話である。

バゼットは話の流れで自らの礼装”フラガラック”の能力の簡単な説明をしていた。

 

「…つまりフラガラックの能力は相手の切り札となる攻撃に対してギリギリで迎撃(カウンター)したときにこそ最大になります。そうでなくても普通の武器として攻撃に使う事もできますが、その場合は威力は数段階落ちます」

アロルドが自分の酒杯に酒を注ぎながら口を挟む。

「あー、ようするにそいつ、後だしジャンケン、ってこと?」

がた、と思わずバゼットはその場に立ち上がり、アロルドを睨みつける。

「まあまあまあ、バゼット、酔っぱらいに構うな」

マジカル何か第2ラウンドが始まりそうなのをバルタザールが止めた。

 

バゼットは座り直して、手元の苦い酒を口に運ぶ。一口飲むごとに喉が焼け付く気分がする。

———ああ、大人ってなんでこんなにうっおしいのだろう。

 

酔っぱらいのアロルドはまたしても話しかけてくる。

「なあ、そういえば今日片付けたあいつら。一体何だと思う?バゼット」

その顔は笑ったまま、目だけが鋭く戻っている。

またこっちを試しているのか。まだ実践の経験が浅くても敵の種類ぐらい見分けがつく。バゼットは生真面目に回答してみせた。

「あれはホムンクルスなのでしょう。ただし一般的には同じ型のホムンクルスを大量生産する筈だ。

 今日のように様々な姿のホムンクルスがあんなにたくさんいるのはめずらしい。それに一体ごとに別々の魔術を扱えるとは、あれを作った魔術師は確かに封印指定を受けるような高度な腕前をもっているのでしょうね」

 

その返事を聞いたアロルドは凄みを効かせた視線をバゼットに返して言った。

「あれは人間だ。

 人間だったものだ。

 行方不明になっていた時計塔の魔術師たちだよ。

 あの封印指定の魔術師がさらっていたんだ。魔力を奪い取り抜け殻を人形にして使っていたのさ」

「………………」

 

バゼットは黙って手元の酒杯に目を落とした。先ほどまでは何でもなかった酒の暗い赤色が血のように見えてくる。

自分の能力は一体何なのか?言われるまでもない。神代の宝剣を再現する者。人の姿をした武器だ。

そうだ、剣には剣としての使い道(いきかた)がある。

他の物になることはできないのだと。

 

その後は執行者たちとどんな話をしたのか、覚えていない。

 

 

バゼットはいつの間にか、こてっと地面に転がって寝てしまった。

「ほら、酒なんか飲ますから酔いつぶれてるだろうが!」

バルタザールがアロルドを責める。

「寝顔だけみてるとかわいいんだけどなー」

アロルドは頬杖を付きながらすやすや寝こけているバゼットの寝顔を眺めている。

「お前変な事すんなよ」

「しねーよ。第一、寝顔がかわいいからといってもな。

 さっきまで獲物を食い殺しまくっていた虎が今寝ているからもふれるといわれて、触るヤツいるか?」




執行者の仕事がそんなにヌルいはずがないのだった。


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第5話

※シリアス回です。
「残酷な描写」ありです。
苦手な方は今回を飛ばしてエピローグを読む事をお勧めします。



バゼットは夢を見ていた。

それはアルスターの英雄クーフーリンの最後の姿。

 

奸計にはめられ、

自らと祖国と愛する物の名誉と引き替えに槍を奪われ、

誰よりも高い武勲を上げた戦士の輝きは、誰よりも早く燃え尽きて消えた。

 

なぜ彼はあんな運命を選んだのか?

私は彼のように運命に殉じることができるのだろうか?

 

 

起き上がったバゼットはめまいを覚えた。体がなんだか重い。

「ようやく起きたか」

アロルドが水筒を放ってくる。それを受け取ってさっそく水を口にした。気分の悪さがようやくすこしマシになる。

「すぐ出かけるぞ。準備しろ。

 なあに、頭がしゃっきりしないのは二日酔いってヤツだ。

 戦闘で飛ばしちまえ」

にやりと笑いながらアロルドがからかってくる。

昨日はうっかり張り合って慣れない酒を飲み過ぎてしまったようだ。

 

バゼットが立ち上がって周りを見渡すと、昨日とは結界の雰囲気が変わっている。

「これは…?」

バルタザールが答えた。

「昨夜一晩時間をかけてヤツの結界を除去し、オレが結界を張り直した。

 館のなかには外には出せないようなモノが巣くっている。

 結界を完全に破壊してしまうわけにはいかないからな」

昨夜わざわざここで野営したのはその為だったわけだ。

それを教えてくれれば微妙な気分にならずにすんだのに、とバゼットは思う。

 

出撃の準備と言ってもバゼットのする事は少ない。ルーンを刻んだ手袋をはめ直し、礼装を入れた筒を担ぐ。

今日はようやく封印指定の魔術師の館に踏み込むのだ。

昨日館の前に大勢群れていた敵は全て除去した。3人が館まで進むのを邪魔する者は誰も現れない。

 

館の扉の前に辿り着くとアロルドは右拳を左の手のひらにバシンと一度打ち付けて景気をつけてから、頭の後ろに振りかぶった。後ろの2人に声をかける。

「侵入するぞ。援護しろ!」

言ったが早いか扉に拳を打ち下ろし、破壊した。3人の魔術師は館の中に侵入して行く。

 

屋敷はそれほど大きくもなく、2階建てでおそらく地下に工房として使っているであろう部屋がいくつかある程度の規模に見えた。

相手の魔術師が屋敷のどの辺りにいるのかは、入り口付近からは探りようがなさそうだった。

「さて、部屋をしらみつぶしにあたるとしようか」

「まずは地上からだな」

屋敷の中に入り、2階への階段を登る。隊列はアロルドが先頭、バルタザールが真ん中、バゼットは後衛だ。

2階の部屋のドアを慎重に開け、もしくは鍵がかかっていて開かない場合は手荒に壊し、部屋の中をくまなく探っていく。

2階の部屋を探り終え、1階の部屋を同様に探索して回る。

どうやら地上の部屋に魔術師の姿は見当たらないようだった。

 

「やはり地下か」

「あんまり入りたくなかったんだけどねー」

執行者2人はわざとらしく軽口を交わしている。

この館の地下への入り口はいかにもという風情の禍々しい雰囲気を放っていた。相手の魔術師が隠れ潜んでいるならばきっとこっちだろう。

 

地下室に明かりはない。

バゼットは外で手頃な木の枝を3本拾ってくると(カノ)のルーンを施して即席のたいまつに仕立て上げた。こまかい魔術は得意ではないのだが、この程度の小道具作成なら苦はない。

「いやあ、ルーンも便利なもんだねえ」

この些細な細工物に執行者コンビは上機嫌である。

 

3人はたいまつをかざして地下の暗闇の中に下って行った。

地下1階、なにもなし。

地下2階、やはりなにもなし。

「………………」

全員の口数が少なくなる。執行者コンビなどは地下に降りる前は盛んに軽口ばかりを飛ばし合っていたものだが。

実際、地下に潜って行くほどに3人の直感に嫌な気配が濃厚に忍び寄ってくるのである。

 

 

地下3階、ここにもなにもなし。

そのかわりに目の前には地下4階につづく階段があった。その先には更に得体の知れない暗闇だけが空間を埋め尽くしている。

この時点で3人は直感はほぼ確信に変わった。

 

———これは罠だ。

結界を壊し、館にやすやすと侵入できたのは相手の魔術師が描いた脚本どおり。自分たちは相手の思惑通りの演者にされていたに過ぎないと。

 

「戻るぞ!」

先頭にいたアロルドが叫ぶ。

だがその彼の後ろで、4階の階段の闇がぱっくりと口を開け、彼を足下からすぽり、と飲み込んだ。

 

「アロルドっ! 

 ……っとうわ!」

バゼットは階段から現れた虚無に引き込まれるアロルドに反射的に手を差し出そうとし、後ろから急に襟首を掴まれ引き戻される。

どさりと手荒く床に投げ出され、げほげほと咳き込むバゼットの真横をバルタザールが駆けさった。

 

「バゼット立って走れ!」

バゼットは慌てて立ち上がってバルタザールの後を追ってその場から逃走した。

階段から這い上がってきた虚無の塊は部屋全体を飲み込んで行きつつある。

バゼットは走りながら理解し、戦慄していた。もしバルタザールに止められていなければ、自分もほぼ間違いなく後ろから追ってくる虚無の中に取り込まれていたに違いない。

 

全力で疾走しバルタザールに並ぶ。バルタザールが横からバゼットに囁く。

「次に出会ったら殺せ」

意味は考えなくともわかる。もし次にアロルドに出会った場合、それは既に人間(アロルド)ではないのだ。

 

地上へ繋がる階段を必死で駆け上がる。もはや地上への道があるのかどうかさえも怪しい。

バゼットたちがいるところはすでに相手の魔術師の体内にすら等しいのだから。

 

階段を登りきり地上の光が見えた。そして光の前にいびつで大柄な影が立ちはだかっている。

それは、人間(アロルド)だったものであった。

 

 

その人型のモノは体内の魔力がデタラメに暴走し、筋肉はいびつに肥大化していた。胴体に比べて極端に太い腕と脚。目に光はなく、そこには虚無とおなじ昏い色の穴が開いているだけだ。

 

人型が腕を振り回し突進してくる。その動きはめちゃくちゃだ。元の人間が身につけていた格闘術のなごりは全く見当たらない。

バゼットとバルタザールは左右に別れて敵の突進をかわす。

2人を捉えそこねた人型はバゼットのほうを当面の獲物と見定めたらしく、彼女の方向へその巨体をむけた。

 

バゼットはそのまま敵の正面へと走り込む。

「はっ!」

相手のやたらに膨張した太ももを足がかりにし、その顔の前まで跳躍する。

躊躇はしない。する余裕もなかった。

eihwaz(エイワズ)!」

バゼットの詠唱と共に拳のルーンの強化が発動する。そのルーンのライトグリーンの発光を

相手の虚ろな眼めがけて叩き付けた。

 

ずしゃり、という音がして巨体の上に載っていた小さな頭が原型を残さず吹き飛んだ。

それにもかかわらず、巨体の腕は動きを止めない。バゼットの体を掴むと床に叩き付ける。

「ぐっ…」

その腕の力はむやみに強く、バゼットを床に押しつけ、そのまま押しつぶそうと巨体の体重をみしりとかけてきた。

強化のルーンを全身に、とバゼットは片手で敵の手を押さえながら、もう片方の手でルーン文字を刻もうとする。

その時、バゼットの背後でカキィン、と金属が砕ける鋭い音が響いた。

 

バルタザールは身につけている銀細工の鎖を服から引きはがすと地面に叩き付けた。華奢な鎖が床に激突して粉々に砕け散る。

その鎖の破片はまたたく間に銀色の毛をしたオオカミの群れに変化してゆく。バルタザールは銀色の鎖を触媒に数十匹の銀狼の魔獣を召還した。

 

「銀狼よ殺到せよ!」

バルタザールの号令一過、銀狼の群れは人型の巨大な筋肉の塊に飛びかかった。人型の影は

銀狼の群れにくまなく喰いつかれる。

「喰らい尽くせ!」

さらなる命令の元、銀狼たちの魔力を帯びた牙が巨体の筋肉の帯を次々と喰いちぎる。喰いちぎられた肉は青白い炎を発しながら消滅して行った。

ほんの数分の間に、巨大な人型は跡形もなくその場から消え失せた。

 

「脱出するぞ!」

敵が消滅し目の前が空くやいなや、バゼットとバルタザールは地上への光のなかに飛び込む。

間に合った———2人は魔術師の罠に喰われる事なく地上へ戻る事ができたのだ。

 

 

地上へ出た2人が周囲を見回すと屋敷は影もカタチもなくなっていた。そして、今自分たちが

出てきた場所を振り返るとそこは暗い虚無の穴がずぶずぶとうごめき、周囲の空間を浸食しつつある。

 

「執行者諸君。よくぞ我が館から戻ったものだ」

しわがれた声がする。

2人が声の方を向くとそこに、まるで枯れた樹木のような姿の老魔術師の姿があった。

 

顔も手も、目に見える肌には深い皺が刻み込まれ、体格はすでに骨と皮だけのように見える。その痩せぎすの体に豪華な装飾の施された年代物のローブをまとっているが、もはやローブだけが宙に浮いているかのようにすら感じる。ミイラのごとく乾いてしぼんだ顔の中で2つの目だけが爛々とした輝きを保っていた。

 

老魔術師が口を開く。

「おまえは銀狼使いのバルタザールだな?

 ふん。なにぶん長い事貴様ら協会の狗に追い回されてきたものだからな。貴様らの顔と名前は大概知っておる」

老魔術師はバゼットにも視線を移して続けた。

「お前の隣にいる娘も知っているぞ。フラガの末裔よ。

 ルーンの名門が魔術の探求もせずに執行者ごときに堕ちるとは」

バゼットは老魔術師の狂気をはらんだ視線を受け止めてしまい、さしもの彼女も背筋がすくむ。

 

バルタザールは感情を顔に出さずに言葉を返す。

「結界から魔獣をうろつかせるとは耄碌が始まったかと思ったが、あいかわらず頭は達者なようだな。

 だが貴様は以前は余計な事をせずに魔導の探求に勤しんでいた。だからいままで封印指定は執行されていなかったのだ。

 それがここしばらくはどういう風の吹き回しだ。時計塔の学生や講師に怪しげな術をかけては貴様の結界に誘い込み、魔力を吸い上げ、抜け殻を使い魔として使役している」

 

魔術師は陰惨に笑っている。

「……もうワシの魔術も、生命も終わりだからな。

 魔術協会に封印指定をくらい、世界中を逃亡して回ったわい。だがワシの魔術にあう土地はなかった。

 この60年余りの間でワシは元の魔力を失ってしまった。

 この魔術師喰らいの術はもともとワシの技ではない。世界を逃げ回る間に他の魔術師がやっていたことを真似て始めた歪んだもの。この術を続けていればまもなくワシもあの虚無に喰われて滅ぶ。

 だがそれで構わんのだ。もう先の無いこの身、最後に執行者(きさまら)に一矢報いられればそれで満足よ」

老魔術師はやにわに天に向かって叫んだ。枯れ枝のような腕がローブから露出し振り上げられる。

「さあ虚無よ広がれ!

 この堕落した執行者どもを飲み込んで、その魔力を我が物とせよ!」

 

「させるかァ!」

バルタザールが老魔術師に向かって疾走する。風のように駆けるその体が白銀の光に包まれ、半人半狼の姿となって老魔術師に飛びかかった。

狼の牙と爪が老魔術師の細い骨に食い込み、皮を切り裂く。

「もう無駄じゃ。

 いちど開放したあの虚無はもはや止められぬ。

 貴様らを取り込み、ワシも取り込み、果ては時計塔のやつら全員を取り込む」

 

「そんなことをしてなんの意味がある!?」

狂った老魔術師を鋭い爪で締め上げながらバルタザールは問う。

「意味だと?

 何を愚かな事を問うのだ。決まっているではないか。

 根源への到達。これのみよ。ほかに何がある?

 時計塔の魔術師どもを全て取り込んだ虚無の魔力のなかで、

 ついに目にすることができるのだ。

 全ての魔術師の悲願たる根源の渦を———」

 

「——————斬り抉る!」

魔術師の繰り延べる盲執の言を、バゼットの詠唱が斬り裂いた。

 

 

バルタザールは老魔術師に飛びかかる寸前にバゼットに目で合図をおくった。

バゼットはバルタザールが飛び出すと同時に後ろを向く。

目の前では虚無の穴が一瞬一瞬と周囲の世界を喰らって巨大化していっている。

バゼットは背負った筒から鉛色の球体を取り出してその名を呼ぶ。

後より出でて先に断つもの(アンサラー)

球体はバゼットが引いて構えた右拳の上に浮遊して発動の瞬間を待ち構える。

 

虚無の穴は拡大して行く。その拡大に伴うかのように球体(ラック)は帯電し、閃光をほとばしらせる。ルーンをきざんだ鋭い刃が突出し、青く光る球体は透明となり、その中のトゲのある物体の姿があらわになる。

これこそ時間の概念を越える、運命を覆して、顕現した邪悪を打ち消す剣。

バゼットは拳を全力で振り切ってその剣を打ち込む。

 

「——————斬り抉る戦神の剣(フラガラック)!」

 

 

一条の光線が虚無の穴を貫く。

全てを飲み込もうとうごめいていた漆黒の闇は世界から、その存在を消した。

 

 

辺りには一転して静寂が訪れた。

激しい戦闘で焼き尽くされ、そして残っていた物も虚無に吸い込まれ、周囲にはただただ広い空間だけが広がっている。

 

バルタザールは地面にへたり込んだ老魔術師の頭を掴んだまま告げる。

「我々にとっては幸いで、おまえにとっては不幸なことに、

 ここには神父どもが来ていない。

 懺悔の言葉はあるか?

 私でよければ聞くが」

老魔術師の瞳がその身に残された全力の憎しみを映して最後の狂気を放つ。

 

「魔術協会の走狗ども…。

 おまえたちは…執行者どもは壊すばかりで何も生み出さない。

 我ら魔術師が生涯をかけて得たものを暴力で強奪して、それでも貴様らには魔術師としての矜持があるのか?

 この悪鬼!厄災どもが!」

老魔術師の呪いの叫びを全て聞き届けずに、バルタザールは腕を振りぬいた。鋭い爪が老魔術師の首と銅を切り離した。

 

 

バルタザールは老魔術師の死体を小さな筺に魔術をもちいて収納すると、バゼットの方を振り返った。

その表情は爽やかに笑っている。

先ほどの陰惨な戦闘の余韻をかき消してしまうように。

「ご苦労だったバゼット。

 今回の仕事はほぼ君の手柄といって差し支えない。

 一緒に封印指定執行部に来ないか?

 報酬の大幅な上乗せを上層部に掛け合おう」

 

「…………」

バゼットは少しの間沈黙したあと、

「……いえ、結構です。

 私は今日は1人で戻ります」

とその提案を断った。

 

「そうか、ではまたな」

バルタザールはそう言い残して、全身を銀狼の姿に変化させる。

そして瞬く間に森の中をかけ去って行った。

 

 

その翌日、バゼットは今まで一度も呼ばれた事のない貴族(ロード)たちの集会場に呼び出された。

その優雅な貴族(ロード)たちは、壇上からバゼットを見下し、自分たちの意のままにならなかった厄介な骨董品にこう宣言した。

 

まだ若輩の身ではあるが、特例として、バゼット・フラガ・マクレミッツを封印指定の執行者に任命する、と。



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エピローグ

そういえば、この話を通して今までバゼットの服装については一切言及して来なかったのでした。

それから、これで完結したので
ログインユーザー以外の方も感想を書けるようにします。


ウェイバーは講義の手伝いを終えて教室を出るところだった。初めは講師の手伝い要員だったのだが、徐々に経験を詰み、今では講義の一部を任せてもらえるようにもなってきている。正式に講義を受け持つことができる日もそう遠くはないだろう。

 

ウェイバーが講義で使った機材を持って教室を出た矢先に、廊下の向こうからすたたたたっと相当なスピードで走ってくる人物がいた。

「うわわわわわわ…」

「あっ!」

どかっ!という音をたててウェイバーははね飛ばされ、床に尻餅をつく。

 

———廊下は走らない!なんて小学生の常識じゃないか。まったくいい歳になってまで。一体誰だ。

 

「ご、ごめんなさい。ウェイバー。…立てますか?」

見上げると、そこにはダークレッドの髪と瞳。そして肩に背負った筒状のケース。

あれ、バゼットじゃないか。

 

「やあ、久しぶりだね。バゼット」

実際彼女と会うのは数週間ぶりだった。いままではちょくちょく家に遊びにきていたのだけど、最近は何故か間が開いていた。一方ウェイバーも最近講義の手伝いが忙しくなってきており、バゼットのことを構っていられなかったのであるが。

 

ウェイバーはバゼットが差し出してくれた手を掴んで立ち上がる。

うーん、何か違和感があるぞ…?と感じて、ウェイバーはバゼットをつい頭から足下までつつーっと眺めてしまった。

「な、なんですかウェイバー…?」

急にじろじろ眺められたのに気がついてバゼットは当惑している。

 

やや赤みがかった黒のスーツに革靴、なによりも首元にピシリと締めた臙脂色のネクタイ。

それが今目の前にいるバゼットの服装である。

「バゼット、なにその格好」

 

バゼットは両手を少し上げて自分の体をきょろきょろと一通り眺め直してからウェイバーの方に向き直って問う。

「…変ですか?」

いや変も何も。

「それ、そもそも男物のスーツじゃないか」

変かどうかと聞かれれば、明らかに変なのだが。

 

そのバゼットの男装は彼女の、

戦士らしく引き締まった凛々しさ、

少女の域から抜け出しつつある女性らしい柔らかさ、

少し大人びて見える整った顔立ちと、

その合間に時折覗く年相応のあどけなさを

それぞれ際立たせているのだ。

 

いろいろ意見はあるのだが、つまり一言で言うなれば、

「君に似合っていると思うよ」

 

そのウェイバーの言葉にバゼットは少し照れた様子で

「それはよかったです」

と返して微笑んだ。

 

「けどさ、バゼット。なんでそんな格好を?」

ウェイバーの問いに対してバゼットは、ぜひ聞いてくれと訴えんばかりの視線を向けた。

「ウェイバー、私、就職したんです!」

 

なんと。それはめでたいじゃないか。

「よかったじゃないかバゼット、それで何の仕事を?」

「封印指定執行者です!」

バゼットは顔の前で拳を握り、力強く答えたのだった。

 

「………………」

ウェイバーはすぐに次の言葉を返せず一瞬黙る。

確かにその仕事はバゼットの能力に適しているだろう。

が、時計塔の三大厄ネタ、泣く子も黙る鬼の執行者なのである。

 

「……いいのバゼット?その仕事で」

「戦闘は私の得意科目ですし。

 そこで自分の価値を証明して、周りに認めてもらえるようになればいいのだと思います」

 

バゼット。確かに君は常識はずれに強い。

けれど、その反面とても普通の価値観を持ってる人なのに。

君はこれから執行者(しごと)と自分の心をどう折り合わせていくつもりなのだろう?

 

「じゃあ、ウェイバー。

 私はこれから任務で外国に行ってきます」

急ぎで出かける途中だったらしく、バゼットはウェイバーに一礼すると、くるりと踵を返してまた廊下をスタスタと駆け去って行った。

 

じゃあねと、と去って行くバゼットを見送るウェイバーの後ろから

「ウェイバー先生っ!」

と、女子生徒たちの声が響く。

ああ。シルヴィアたちだ。

「先日の授業のレポートを仕上げてきたんです。今回の内容には自信があるんですよ…」

「ちょっとー。シルヴィアだけずるい。ウェイバー先生、私のも見てくださいねっ!」

女子学生のグループは我先にとウェイバーにレポートを手渡してくる。

「わかったわかった!順番に見るから!」

女子学生たちを促して、彼は研究室へと向かった。

去り際に振り向いて、一瞬バゼットが駆けて行った時計塔の廊下の先に目をやった。

 

———結局、それ以来彼女(バゼット)には会っていない。

 




後書きです。

今年の2月にFate/hollow ataraxiaをプレイし、その後4ヶ月ほどバゼットのキャラクターについてあれこれ考察していました。

バゼットについての
・なぜ時計塔になじめなかったのか
・封印指定執行者という仕事は合っているのか
・他の仕事をする可能性はあり得たのか
・偏った人生経験とはなんなのか
・彼女のルーン魔術はどういうものか
・戦闘以外の魔術が苦手なのはなぜか
・なんであんな服装をしているのか

それと、
・封印指定執行者はなんで嫌われているのか

hollow atarxiaを読んで感じた、以上の疑問について
自分で解釈をした結果を二次創作小説としてまとめたところ、こういう話が出来上がりました。

今まで読んでいただきありがとうございました。
感想、解釈、設定論、キャラクター論などありましたらお寄せください。
この話に関する事は感想欄に、この話から離れる事(TYPE-MOONの設定解釈とか)などは活動報告へのコメントか、メッセージなどでよろしくお願いします。

活動報告で読後アンケートコーナーがあります。よかったらお返事くださいな。
http://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=42255&uid=62760


最後に、
Fate/hollow ataraxia Vita版は2014年11月27日発売です!
http://www.typemoon.com/products/hollowvita/


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資料
時代設定/登場人物紹介


■時代設定

 

Fate/Zeroの2年後、Fate/hollow ataraxia(およびFate/stay night)の8年前。

 

■登場人物紹介

 

・バゼット・フラガ・マクレミッツ

15〜16歳

 

第5次聖杯戦争でのランサーの本来のマスターであり、

stay nightの後日談であるhollow ataraxiaではアヴェンジャーのマスターとなり、繰り返す4日間のなかで夜の聖杯戦争を戦い続ける。

 

hollowのバゼットに比べると自虐少なめで、諦観はまだ抱いていない、という性格で書きました。

そういう傾向が少女時代から強すぎると祖国から出てこないだろうし。

hollowのバゼットは精神年齢が実年齢マイナス10歳だといわれてますが、15歳バゼットだとまだ実年齢と精神年齢の乖離はそんなに酷くなく、年相応の承認欲求や自立願望がある女の子にしています。

バゼットはこの後、その願望を正しく消化できないまま大人になるイメージです。

 

・ウェイバー・ベルベット

21〜22歳

 

第4次聖杯戦争でのライダーのマスター。

 

ロード・エルメロイ二世こと「プロフェッサー・カリスマ」「マスター・V」「グレートビッグベン☆ロンドンスター」「女生徒が選ぶ時計塔で一番抱かれたい男」になる過程のウェイバー。

まだアーチボルト家の後始末で大変でバゼットの面倒は見ていられなかったという解釈です。

もしフラットなどの弟子を育てている頃のウェイバーならばバゼットを時計塔の正統派の魔術師として大成させられたのかもしれないと想像してしまいました。

 

***ここからオリキャラ***

 

・シルヴィア・ハミルトン

バゼットと対比するために登場させた典型的な時計塔の学生。

ルヴィアゼリッタと名前が似てしまったので、変更するかも。

第1章第3,4話のあとは登場しないはずが、結局エピローグにまで登場。

名前をつけるとキャラが勝手に動き出す例の典型でした。

 

・オニール氏

バゼットの時計塔での微妙な立ち位置を表現する為のキャラ。

第1章第2話でバゼットへの小言にリアリティを出したくて名前をつけました。

別に名無しでも良かったかもしれない。

 

 

・アロルド・カルドゥッチ

オリジナル執行者、その1

hollowの「フォレスト」で死んだバゼットの同僚、のつもりでキャラを作りましたが、結局この作品の中で死んでもらいました。

執行者の大変なお仕事を表現する為に作ったキャラです。

 

・バルタザール・ラインマイヤー

オリジナル執行者、その2

hollowの「フォレスト」で死んだバゼットの同僚、のつもりでキャラを作ってます。

執行者の残酷なお仕事を表現する為に作ったキャラです。

 

・老魔術師

封印指定の老魔術師。

名前をつける予定だったが、名無しでもいけそうだったので名無しで通してしまった。

 



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おまけ
その1


バゼットさんのおまけ話。


正式に魔術協会の封印指定執行者に任命されたバゼット・フラガ・マクレミッツ。

今日バゼットは街中に買い物にやってきた。

就職したのだから社会人らしくちゃんとした格好をしよう、と考えて仕事着を探しに来たのだ。

「しかし、執行者っていったいどんな服装をしたらいいのでしょうね?」

同僚の執行者たちの服装を思い浮かべてみるが、皆バラバラで何がふさわしいのか見当がつかない。

 

バゼットは立ち止まって目の前を通り過ぎる人たちを眺めてみる。せわしなく歩き去るスーツ姿のビジネスマンたちが目にとまった。

「仕事をしている人の服と言えば、やはりスーツなのでしょうか」

バゼットが近くの店を見渡すと、目の前にちょうどビジネス向けスーツ類がウィンドウに多数飾られている店がある。

「店の中で見てみましょうか。参考になるかもしれません」

バゼットはその店の中にとことこと入っていった。

 

「いらっしゃいませ」

仕立て屋の店員マリーはカラン、という入り口の呼び鈴で来客に気づいた。挨拶をしながら入り口の方に向き直ると、そこには暗赤毛のショートカットの少女がいた。

あら、ずいぶんと可愛らしいお客さん、というのがマリーの第一印象だった。

この店は既製品のスーツの他、オーダーメイドも取り扱っているそれなりにしっかりした店である。おもな客層は仕事柄、並よりはやや上物のスーツを着たがるビジネスマンの男性たちだ。十代の女の子が店に来るのはめずらしい。

 

「お嬢さん、スーツをおもとめなのかしら?」

「最近就職したので仕事着を探しているのです。

 …ですがどういうものがいいのかわからなくて」

「学校を卒業して働くのね。

 最近は学校を出ても職につかずフラフラしている子たちも多いのにしっかりしていて偉いわ」

マリーは手近な商品の説明をしながらバゼットの姿を眺める。

一見大人びて見えてしっかりしていそうな印象だけど、話してみるとまだ世間慣れしていない雰囲気があり初々しい。

ああ、働き始めた頃の自分を思い出すな、と現在20台半ばのマリーは思った。

 

この少女の顔は色白の肌に赤みがかった髪と目の色が映えて印象的だ。女の子にしては背がやや高めで、細身の体から伸びた手足はすらりと長い。

これはなかなかの掘り出し物。マリーの好奇心、…もといサービス精神が頭をもたげる。

第一この店にこんな年頃の少女が迷い込んでくる事はほとんどない。いつもは中年男性客の相手ばかりなのだ。

 

「ねえ、あなた。オーダメイドを試してみない?」

「えっ?」

バゼットはマリーからの突然の提案に驚く。マリーはにっこり微笑むとバゼットの手をとった。

「うちはオーダーメイドの評判がいいのよ。きっと貴女によく似合う服が仕立てられるわ。いい職人がいるの。

 まあ試しに採寸してみない?」

 

マリーは店の奥にむかって声をかけた。

「リズ! ちょっと、採寸お願い。

 見て、この子。いい素材だと思わない?」

そう言いつつバゼットの手を引いて進んでいく。

ーーー素材!? どういう意味で。

バゼットはマリーの発言に不穏なものを感じた。しかしすでに提案を断るタイミングを見失っており、そのまま店の奥に連れ込まれる。

 

店の奥にある部屋には仕立て師とおぼしき女性リズがいた。彼女の前の机には筆記用具、巻き尺、服の型紙や図面などが広げられている。

リズの印象は快活でおしゃべりな店員マリーとは逆に、物静かでクールでいかにもな職人肌だ。

リズはバゼットを一目見て

「ほう、いいね」

と短い感想を述べた後、

「では採寸の準備をするからそれまでに服を脱いで待っていてくれ」

と言って机の引き出しを開けて道具を取り出し始めた。

マリーはさあさあ、と再びバゼットの手を引く。バゼットはまたしても引っ張り込まれるように試着室へ連れていかれた。

想いもかけず服まで脱ぐハメになるとはとバゼットは戸惑う。女同士だからまあいいか、と流れに身を任せる事にした。

 

「私はマリー、さっきのは仕立て師のリズ。ウチの腕利きの職人なのよ。

 あなたのお名前をうかがってもよい?」

「バゼット、です」

マリーは試着室でバゼットが脱ぐ服を預かりながら、気さくに雑談をしかけてくる。

「バゼットさんはお仕事は何を?」

バゼットは少し焦る。封印指定執行者の仕事など説明不可能だ。そもそも自分が魔術師だとすら言うわけにはいかない。

「ええと、行方不明になった人を探して保護したりですとか…」

「警察官なの?」

「いえ、そうではないのです」

「じゃあ探偵なのかしら?かっこいいわね!」

「ああ、そんなものです」

バゼットはなんとか仕事の話題をかわすことができてほっとした。

 

バゼットがマリーに手伝われて下着のみの姿になったところで、リズが試着室にやってきた。

リズは姿勢よくまっすぐ立つバゼットを頭から足までじっくりと観察する。

「ううむ、引き締まった全身。

 全体的にはスリムなのに手足、肩、背中の筋肉が滑らかで、それが細かいカーブを作っていて、精悍さを感じさせる。

 なのに、バストやヒップは十分おっきいし、これが下地の筋肉に支えられていて美しい形をキープしてるね。

 これがまた、すっきり絞れてるウェストと対照的で、おもわず目をひきつけられてしまうな」

とバゼットの胸に巻き尺を巻き付けながらリズは感嘆した。

いままで寡黙だったリズが雄弁にバゼットのプロポーションを絶賛しだしたので、バゼットはさすがに気恥ずかしくなる。

胸に回されているリズの手がやけにくすぐったく感じてしまう。

 

「普段はなにかスポーツを?」

バゼットの無駄なく鍛え上げられた体にさりげなくタッチしつつリズが尋ねる。

「…え、あの…格闘技などをですね…」

バゼットの返答に、一瞬手を止めて黙るリズ。

…あ、失言だった。沈黙が重い…。

普通は女性が格闘技などたしなむのは珍しいに違いない。

「なるほど、探偵さんなんだからそう言う事もするわよね!」

とマリーが能天気に横やりを入れてくれた。なるほど、とリズも納得したらしく採寸を続ける。

やれやれ、と思わず少し背を丸めたバゼットに

「次はウェスト。背筋伸ばして!」

とリズの叱咤が飛んだ。

 

そんなこんなでマリーとリズに半ばおもちゃにされつつ、採寸が終わった。

リズの仕事部屋に移動する。

リズは資料を広げながらバゼットに尋ねた。

「生地は何が好み? あとデザインも細かい所の凝り方がいろいろあるよ」

「そう言われましても。私はよくわからないので」

バゼットは資料を一瞥したがあまり違いがわからない。もともと余り細かい事を気にする性格ではないのだ。

「じゃあ私たちにおまかせってことで。

 大丈夫。貴女にばっちり似合う物を仕立ててみせるから!」

マリーがバゼットに自信たっぷりの笑顔を向けて言い切った。

「仕上がりは一週間後よ。楽しみにしててね」

 

 

一週間後。

 

「待ってたわ!」

店を訪れたバゼットをマリーが元気よく出迎えた。

マリーはさあさあ、とバゼットを試着室に連れて行く。そこには既にリズがパンツスーツ一着を部屋から持ってきていた。

鏡のまえで新調のスーツを着せられながら、バゼットは違和感を感じていた。にこやかに着替えを手伝うマリー、静かにこちらを見ているリズの放つ空気感に、こんどこそめげずバゼットは疑問を放つ。

「あのこれ…男物では?」

 

「そうよ」

あっさりとマリーは答えた。リズは無言でうなずいている。

「貴女のプロポーションが引き立つようにつくってあるの。

 キレイな胸元やヒップのラインがバッチリ映えるわ」

このスーツの形は男物である。だが確かに男物にはないであろう、女性の体型にあわせたカーブがつくってある。バストには余裕を持たせ、反対にウエストを絞ってある。ヒップラインも同様で、バゼットの体のシルエットがよくわかるデザインになっていたのだった。

 

シャツとジャケットを着込んだバゼットの首筋にマリーが手を這わせてくる。どきり、と緊張したバゼットにマリーはウィンクをしながらバゼットの首に臙脂色のネクタイを巻き付けた。

「ネクタイはあなたの髪と目の色にあわせたの。

 スーツの生地の色もたんなる黒じゃなくてすこし赤みをいれて貴女のイメージにあわせてみたわ」

はい完成、とネクタイを締め終えたマリーはバゼットの首元をぽんと叩いた。

 

バゼットは鏡のほうを向いて、そこに映る自分の姿を覗き込む。

男物の黒のスーツに全身を包んだ自分。以前の姿に比べて大人らしさ、堅さ、冷静さが増したように感じる。外の世界に対する殻をまとったような自らの姿がそこにあった。

バゼットは鏡の前で少し表情を引き締めてみる。その表情は過酷な戦場に挑む戦士にふさわしい。

 

屈強に、残酷に、冷徹に。

バゼットの任務は、ひたすら機械のように命令に従い封印指定の魔術師を狩る執行者。

 

新しく手に入れた男装は、そんな職務には不要な自分の心の中の幼い迷いや悩みやためらいを覆い隠してくれる鎧のようなものだと、バゼットは思った。




少年エース「8月号」(2014年)に乗っていたバゼットの声優さんのインタビュー記事で「バゼットの男装は一種の鎧」と書いてあったのをよんで思いついた話です。

バゼットさんのスーツってたぶん既製品の男物じゃないよね。あんなシルエットのやつはたぶん無い。


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