幻想法廷 ~転生裁判官の事件簿~ (虫野律)
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序章
口述試験


全然上手く書けなかったです。知能の限界を感じました。


「ほぇー」

 

 ハイヴィース王国のクライトン伯爵領にあるデカい城、要するに伯爵様の自宅兼職場を見上げながら、田舎者のお手本のような感嘆を洩らす。実際、田舎の粉ひき屋(農民等から麦の粉ひきを請負う者)の息子(20)だから何ら間違いはない。

 門の前で見張りをしている衛兵の男が、生あたたかい目をしている気がするが、事実の錯誤(刑法)(勘違い)だ。多分きっと。

 

 試験日だというのに持ってきた、いつもの勉強道具が入った重たい革袋が、早く行けと背中を押すので素直に従う。

 

 門まで行き、「おはようございます」と、とりあえず挨拶から入る。

 

 欠伸まじりに衛兵の男が応じる。「おはよーさん」テキトーなノリだ。「で、どこの誰よ? 見たところ田舎の平民くせぇが……」極めて簡素な服装の俺をまじまじと見て言った。

 

 羊毛(ウール)のチュニックにズボン。あとは申し訳程度のマント。ザ・庶民って感じだ。軽い対応も納得である。

 

「私は、フォルカース村の粉ひき屋、エルフィの息子のノアと申します。本日、行われる裁判官採用試験のために参りました」

 

「あー、そういやウチのボスがそんなこと言ってたかも」

 

 1次試験である筆記試験の合格通知を取り出して渡す。これには伯爵の署名(サイン)と俺の名前が記載されているからある程度の証明になる。

 

 衛兵の男が合格通知にサッと目を通して「本物っぽいな」と小さく言った。合格通知を返される。「大丈夫だとは思うが、一応、持ってるもんの確認だけはさせてもらうぜ」

 

「分かりました」今度は革袋を差し出す。

 

 衛兵の男が「結構、重いな……」と呟いてから中を(あらた)める。するとすぐに「うへぇ」と心底嫌そうな顔。

 

 苦笑してしまう。きっと勉強が嫌いなんだろう。日本にもこういう人は一定数いたし、異世界も日本も大して変わらないんだなって。

 

「……やっぱり法律っていっぱい勉強しないといけないのか?」革袋を受け取る。重い。

 

「そうですね。時間がいくらあっても足りないですよ」加えて家業の手伝いと他のバイトと魔法の訓練をこなしてきた。マジで慢性的に寝不足である。

 

「はぁー、大変だな」中身がなさすぎる相槌の後に「武器とか隠してねぇか調べるからちょっと触るぜ」と、今度は服の上からペタペタと持ち物チェックだ。少し(くすぐ)ったい。が、すぐに終わったからセーフ(?)である。「よーし。オッケーだな。通っていいぞ」

 

「はい。それではありがとうございました」

 

「はいよー」

 

 

 

 

 

 

 今日の試験は2次試験、所謂口述試験と呼ばれるものだ。すでに筆記試験──警備上の理由から城ではない場所で実施──は突破しているわけだが、あれも難しかった。確実に前世の大学入試よりきつかった。タイプが違うから正確には比較しづらいけど、こっちは過去問なんてないから自分で予想して対策しなきゃいけなくて問題文を見るまでハラハラだったよ。

 

 そして今もハラハラである。それはもうドッキドキだ。

 口述試験は城の一室で行われる。今はそこのドアの前まで来たのだけど、この向こうにいるのは先輩(になる予定)の裁判官ではなく、ダーシー・クライトンという22歳の女性だ。つまり元伯爵夫人──現伯爵の母親が試験官。緊張もするわ。

 

 ダーシーの旦那さんは7年前に亡くなっている。それで、当時まだ0歳だった1人息子のジョシュア・クライトンが伯爵位を継いだのだけれど、当然、政務などできるわけがないから実権は母親のダーシーが握ることになった。

 そこまではいい。これだけならばここまでプレッシャーは感じなかっただろう。

 何が問題かというとダーシーの人となり──噂だ。

 曰く、自分に反発する家臣を悉く粛清した。曰く、疫病の感染者が確認された村を、魔法を用いて住民ごと焼き払った。曰く、自信家で意見が対立した場合でも納得しなければ決して折れない。曰く、意外と料理上手だ。

 自信家で目的のためなら非道な手段も(いと)わないのがダーシーという女性だ。そんな人間が権力を持っていると思うとやはり恐い。

 ただ、ダーシーの評判は悪くない。むしろかなりいいとさえ言える。とにかく優秀なのだ。彼女が政務を担うようになってから領内の経済は大いに成長した。厳罰主義のおかげか懐事情の改善が影響したのか、治安も良くなっている。

 一方、一部の王侯貴族からは批判もされている。ダーシーは実力主義なところがあり、つまりは俺のような平民でも結果を出すに足る能力があると認められれば重要な役職にも就かせてもらえるのだ。

 実際、受験の条件は「引き続き5年以上クライトン伯爵領内に住所を有する満12歳以上の者(奴隷を除く)」だけである。少なくともこの国の常識では、裁判官なんて超重要な役職は貴族の出じゃなければ無理だ。しかしダーシーはそんな前例よりも実力を重視しているらしい。俺からすれば非常にありがたいが、高貴な方々の中には反感を抱く者もいる。

 こういった背景がある以上、採用されたら俺にもヘイトが向けられるかもしれないが、裁判官になることは日本人だったころからの夢なんだ──叶えるために頑張ってきた。

 というわけで臆してばかりもいられない。

 

「ふー」

 

 呼吸を整える。そして意を決してノック。

 

 ──コンコンコンコン。

 

 するとすぐに「入れ」と入室許可。ノイズがなく、それでいて芯のある平均的な高さの声だ。かなり聞き取りやすいから演説映えしそうで為政者(いせいしゃ)向きだと思う。

 

「失礼します」ドアを開け、戦場に踏み入る。

 

 広めの部屋の奥にはテーブルと椅子があり、そこに髪の長い女が座っている。

 この人がダーシーかな。こんなに近くで見るのは初めてだ。気が強そうではあるが、かなりの美人。やはり政治家向きだな。

 彼女の後ろには騎士らしき女が控えている。護衛は1人だ。

 そして、部屋の中心には椅子がポツンと1つだけ置かれている。ここに座れってことだろう。

 

 その前にまずは名乗らないと。「フォルカース村の粉ひき屋、エル──」

 

「そういうのはいい。早く合格通知を寄こせ」ダーシーに遮られてしまった。マナーや形式は時間の無駄ということだろうか。……ホントに貴族かこの人?

 

「失礼しました」気持ち早口で謝罪。素早く合格通知を取り出して渡す。「こちらです」

 

 無言で通知を一瞥(いちべつ)。「座れ」

 

「失礼します」

 

 中心にある椅子に腰を下ろす。少なくとも俺の家にあるボロイ木の椅子よりはいい座り心地だ。

 

「これより口述試験を始める」凛とした声でダーシーが静かに宣言した。

 

 前置きとかそういうのは一切なくいきなり始まってしまった。まぁいいけど。

 

「今から私が架空の事例について話す。それに関して質問をするから簡潔に答えろ」

 

 あー、それ系の試験か。「承知いたしました」

 

 頷いたダーシーが問題を提示する。「陸から離れた洋上のある地点で船が難破し、沈んでしまった。40代の侯爵と召使の10代の少女が海に投げ出されたが、運良く1人だけは浮かすことができる板が近くを漂っていた。さて、この時、板を使い助かるべきは当然に侯爵であるが、その根拠をアーシャ教及び我が国の慣習法の2つの観点から述べろ。加えて、侯爵を押しのけて少女だけが助かった場合に、死罪を回避するために取り得る主張は何か答えろ」

 

 カルネアデスの板じゃん。しかし、そのままではなく少し面倒な条件を設定してきたね。けど、だからといって長々と黙っているわけにはいかない。

 唇を湿らせ、口を開く。

 

「アーシャ教においては『神の下では、人は等しく価値がある』と原則的には神の下の平等を謳っていますが、王侯貴族による支配体制はそれに矛盾するものではなく、無法な自然状態に陥らないための手段として容認され得るとしています。その際に政治的理由から身分による待遇の差を設けることも健全な社会の維持発展のための合理的な範囲を逸脱しないとするところ、本件の場合ですと侯爵という社会運営において極めて重要な役割を担う存在の突然の喪失による損害は、平民の少女が死亡した場合の比ではなく、慣習上認められている緊急避難の要件を法益権衡(ほうえきけんこう)の原則含め全て満たしております。一方、少女から見ると自身の命という法益を守るために侯爵の命を害した場合は、法益権衡(ほうえきけんこう)の原則に反し過剰避難に当たるためそもそも違法性が阻却されません。これが侯爵が助かるべきとする根拠です」

 

 この世界の法は前世とは違った発展の仕方をしている。

 現代日本との具体的な違いとしては、例えばアーシャ教の教義と国家の根幹に関する慣習法及び種々(しゅじゅ)の成文法が、この国の実質的かつ固有の意味の憲法を形成している点が挙げれる。憲法という名の成文法がなかったり、がっつり宗教が法に食い込んでいたりと元日本人としては未だに少し抵抗がある。

 ちなみに〈神の下の平等〉の、教典に明記されている例外は、多胎児やオッドアイ、エルフなどの他種族とのハーフだ。これらは社会から排斥すべきとされている。

 

 ダーシーが、怒っているような無関心のような表情はそのままに、無言で長い脚を組み直す。早く次を言えってことだろうか。

 分からないが続ける。

 

「少女が減刑を得るための主張ですが……」

 

 はっきり言って、この情況で平民の少女が酌量を得る真っ当な(・・・・)手段はない。この世界は身分による扱いの差が激しい。平民が貴族を殺しておいて、身体刑(しんたいけい)(身体的苦痛や身体への損傷を与える刑罰)からの死刑を逃れるケースは、逃亡や戦争を除けばほとんどないのだ。

 じゃあ、ダーシーの質問の意図は何なのか、という話になる。

 

 これに関し俺は1つの推理を持っている。というか、まぁ、推理というほど大それたものではないのだけれど、その推理擬きというのは、この試験でダーシーは自身の思想や政治手法に合う人材又はそのような答えを用意する能力のある人間を探しているのでは、ということだ。要するに、ここで見たいのは法律知識ではないのだと思う。知識は筆記試験で見てるしね。

 

 で、どうやってその望む答えを用意するか、だけど、俺は噂からダーシーの人間性をプロファイリングする方法を取った。いや、〈取った〉ではなく〈取らざるを得なかった〉か。情報が限られている以上、選択肢はそれほどない。

 

 結論から言うと、ダーシーは典型的合理主義者だ。

 

 疫病が発生した村を焼き討ちにして皆殺しにしたのは効率を重視した結果だろうし、領内の経済を活性化させられたのは金銭感覚に優れるから。自信家なのは合理性に頼り生きてきたことで、周囲よりも効率的に成果を上げて相応の称賛を受けてきたからだろう。意見が対立した場合でも納得しなければ決して折れないというのも、感情よりも論理に寄った思考をしている場合にしばしば起こり得る現象だ。料理上手というのも計画性があり効率的な作業ができるから、とも解釈できる。

 

 これらは全て合理主義者の特徴に当てはまる。だから合理主義者というのは間違いないんだ。

 で、肝心の今言うべきことだけど……。

 

 ダーシーの碧眼(へきがん)を真っすぐに見つめ、言葉にする。

 

「少女はこのように主張すべきです。『侯爵は船と共に海に消えて、それ以降見ていない』」

 

 つまり、陸から遠い洋上での船の難破などという緊急事態でしっかりと少女を見た人間がいなかったことに賭けて、誰も殺していないと白を切るのが、少女の戦略として最も効果的ということだ。

 推測するに、〈裁判官採用試験なんだから法律的な解答でなければならない〉という思い込みに囚われずに質問の意図を正しく理解して、理に敵った解答ができるか否かを見たかったのだろう。

 ダーシーの言い方も嫌らしい。1つ目の質問で〈法的な観点から〉と条件を付けておき、2つ目でもそうであると思わせようとしている。でもよくよく聞くと彼女は〈侯爵を押しのけて少女だけが助かった場合に、死罪を回避するために取り得る主張は何か答えろ〉としか言っていない。素直に読み取れば法学的な解答に限定してはいないんだ。

 

 だからこれで合っているはず……。

 

 ダーシーを観察しているのを悟られぬように上辺(うわべ)を取り繕う。俺の下手な演技が通用するかは分からない。

 

「次の質問に移る」ダーシーが無表情のまま言った。

 

 え、あ、そういうノリ? 答えるだけ答えて合否は後でまとめて、みたいな? ……そういうとこは常識的なんだな。

 

 俺の返答など待たずにダーシーが続ける。「あるところに父親と娘だけであるが裕福な家庭があった。父親は娘が12歳のころから強姦を日常的に行っており、娘は父親の子を5人生んでいる。ただし5人の子はいずれも1歳になる前に死亡している」

 

 ん。なるほど。なんとなく読めてきた。

 

「娘が21歳の時、『強姦に抵抗した際、転倒した父親が頭を打って死亡した』と自首をしてきた。貴様がこの事件の裁判を担当すると仮定したらどのように動くか答えろ」

 

 この国の裁判官は、職権調査、職権探知及び職権証拠調べがかなり広く認められている。しかもここで言う職権調査は、裁判所の義務ではなく純粋な権利と(かい)されている。

 この国の裁判官の権限を日本的に表現するならば〈裁判官〉+〈警察官〉+〈起訴権限のない検察官〉といった感じだ。ちなみに起訴は、刑事事件なら騎士や兵士などの被疑者を逮捕した者が行い、民事事件なら当事者が行う。つまり、訴訟の開始は裁判官の判断ではできないが、一度始まってしまえば捜査もできれば判決も下せるということだ。

 だからダーシーの質問は捜査に関する意見も求めているということになる。

 

「まずは娘が嘘をついている可能性、則ちこの事件が娘による計画的な殺人である可能性を検討します」現場は自宅だろうし事件の目撃者もいないはず。それならなんとでも言える。「具体的には、娘が法律を調べていたか否か、恋人の有無、友人等への聞き込み、借金の有無などを中心に調査します」

 

 ダーシーがまた脚を組み直す。なんかの癖なのかな。

 癖は知らんけど、とりあえず続ける。

 

「また、5人の子どもの死亡に関しても捜査します」こういった元々の訴因とは直接的な関係のない事柄についても広範(こうはん)な捜査権があるのだ。「裕福な家庭ということですので、5人とも死亡していることにやや違和感があります」

 

 貧乏な家庭なら子どもの生存率は低くて当然だが、この事例だと裕福という設定だ。それならば魔法によるケアが受けられるので生存率は飛躍的に上昇する。なのに全員死亡しているのは、不作為による殺人罪の構成要件に該当する事実があるのかもしれない。そしてそれが立証されれば、娘が殺人を実行し得る人格を有しているという判断に一定の信頼を置ける。

 

 まぁそうは言っても。

 

 ダーシーが僅かに口角を上げる。「つまり貴様は娘が常習的な殺人者であると見ている、と?」

 

「いいえ」そういうわけではない。この感覚を伝えるのは中々に難しいが、なんとか努力してみる。「あくまでそういった可能性もあると考えているだけです。可能性がある以上、検証しないわけにはいかないと思っているのです。当然、表裏一体的に娘が真実を述べている可能性もしっかりと検証します」

 

 おそらくこの質問は被害者への同情に左右されないかを確認したいのだろう。あとは子どもの死の不自然さにちゃんと突っ込むか、とか。

 

「それでは次で最後だ」やはりこの場では解答を教えてもらえないようだ。ダーシーが試験を進める。

 

 ここで不意にダーシーが艶っぽく微笑む。

 

「……」

 

 ダーシーが立ち上がり、ゆっくりと俺に近づく。女性にしては少し背が高い。

 

 パーソナルスペースが重なり、(おもむろ)にダーシーが言う。「悪くない。悪くないな、貴様は」

 

「……ありがとうございます」

 

「採用してやってもいい。平民のようだが、よく勉強している」ダーシーの手が俺の頬に触れる。「それによく分析できている。すっかり私の良き理解者じゃないか」嗜虐的に綻ぶ。

 

「いえ、私自身の本心を言葉にしただけでそのようなことは──」

 

「ふん、(さか)しいな」やんわりと頬をつねられた。痛い。顎を掴まれ、強制的にダーシーと見つめ合う形にされる。「採用に当たり、条件がある」

 

「……」

 

「私の情夫(いろ)になれ。そうすれば裁判官にしてやる」

 

 なるほど。そう来るか。でもこれはそんなに難しくないね。

 

 正解を口にしようと──あえて笑ってやる。「それは承諾いたしかねます」

 

 情や色と職務を厳格に切り離せる人間か否かを確かめたいのだろう。人間、そういったものが仕事に入り込むと合理的とは言えない言動をすることがあるし、この人はそれを嫌っていると考えるのが妥当。

 本当に徹底しているね。あるいは自分の立場をよく理解しているとも言える。

 この人は爵位を持っているわけではない──法的には幼い息子が伯爵だ。その状態で権力を維持するには結果を出し続けるしかないのだ。だから人選には細心の注意を払う必要がある。

 ……ここまでして確認しないと不安なのかもしれない。

 

 ダーシーが笑う。今度は自然な笑みだ。

 

「何が不満だ。貴様にデメリットはないだろう」

 

 えー、凄い自信。好みじゃないから、なんて言ったらアウトだよな。んー。

 

「……仕事が手につかなくなってしまいます」

 

「ふ」品のある、けれど獰猛さを感じさせる笑い。「口が達者なことだ」クルリ、と背を向けて椅子に戻る。

 

 ダーシーが言う。「よろしい。貴様を採用する。詳細は──」

 

 なんとかなったみたいだ。よかったよかった。

 

 

 

 

 

 



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第一章
幻想的密室殺人①


「それでは開廷します」

 

 採用試験から半年、えげつないスパルタ研修を経て俺1人で裁判を任せられる段階まで来ることができた。今日がその第1回目だ。

 クライトン伯爵のお城にある法廷にいるのは、裁判官の俺、被告である平民の少女──アイラ(14)、アイラを逮捕してきて起訴手続きを行った女騎士のハリエット・ストラット(21)──試験の時の女騎士だ──に、書記官、廷吏(ていり)(兵士)2人だ。加えて、隣の証人控室に証人が2人。

 なお、ハイヴィース王国では密室裁判が原則なので、傍聴人はいない。両親等の一定の者が申請をし、裁判官か領主の許可を得た場合のみ傍聴ができるという例外はあるが、アイラの場合は両親が他界しているので原則どおりだ。

 

 さて、まずは人定質問(被告人の本人確認)だ。

 

「被告人は証言台の前に」

 

 まだ幼さを多分に残した小柄な少女が、俺から見て左側のスペースにある長椅子から立ち上がり法廷の中心にある証言台に移動する。

 

「氏名と生年月日を教えてください」

 

「サ、サウサートン町のアイラです。6日で7月、133……え、と、あれ」

 

「落ち着いてください」被告人が緊張で上手く答えられないことは珍しくない。適宜フォローしていく。「今のご年齢は?」

 

「じゅ、14歳です」つまり、1332年生まれってことだ。

 

「結構です。ご職業は?」

 

「古、着屋さ、んで働いています」

 

 手元の裁判資料に書かれている情報どおりなので大丈夫だね。現代日本の感覚だとこれだけでいいのかと若干不安になるが、こんなもんらしい。戸籍的なものはあるけど、本籍地などという概念はそもそもないのだ。

 なお、予断排除の原則(裁判官が裁判開始前に事件に関する先入観を持たないように配慮する原則)はこの世界ではほとんど採用されていない。だからすでにハリエット作の報告書により事件の概要は把握済みだ。

 

「騎士ハリエットは起訴状の朗読をしてください」

 

 俺から見て右側の椅子に座っていたハリエットが勢いよく起立する。

 なお、騎士といっても今現在は鎧を着用していない。帯剣はしているが、それ以外は普通の金髪の町娘って雰囲気だ。

 

「被告人は、10日12月1346年深夜、クライトン伯爵領サウサートン町で鍛冶屋を営むメイソンの住居において、メイソンを殺害した。罪名は、住居不法侵入及び殺人」スラスラとハキハキと言い切った。

 

 今回の事件は、ハリエットの報告書(裁判資料)が正しいのならば牽連犯(けんれんはん)パターンだ。住居へ侵入(手段)→殺人(結果)のような関係の一連の犯罪のことで、量刑の際には注意しないといけない。

 

 それはそれとしてアイラが凄く不服そうな顔をしている。

 

 しかしとりあえずはテンプレをこなす。要するに黙秘権の告知だ。

 アイラを見て口を開く。

 

「被告人は質問に対して回答を拒むことができます。言いたくないことは言わなくても大丈夫です。ただし、法廷内での発言は全て証拠になりますので、そこは気をつけてください」

 

 アイラが小さく「分かりました」と。

 

 では問題の罪状認否に移る。  

 

「先程、騎士ハリエットが読み上げた内容は正しいですか?」

 

 アイラの表情が険しく、しかし不安げに。「……せん」声が小さくてよく聞こえない。「私はメイスを殺していません!」

 

 これに(いち)早く反応したのはハリエットだ。「いい加減、認めてよ。情況からいってあなた以外あり得ないでしょ」

 

 アイラがキッとハリエットを睨みつける。「やっていないものは認められません!」

 

「静粛に」

 

 しかしハリエットは、やーい怒られてやんの、という感じの顔である。アイラはプルプルしている。学級崩壊の兆しが見えて胃が痛い。気分は腹痛が痛い(?)である。

 

「騎士ハリエットは、冒頭陳述をお願いします」

 

 はい、とハリエット。起訴状よりも具体的な事件の経緯を説明する。「被告人は──」

 

 ここで述べられる事件の内容は、予断排除の原則が採用される日本のものとは違い、裁判官に事件の詳細を伝えようとするものではなく、被告人であるアイラに行政側が事件をどのように解釈しているかを改めて正確に示すことに焦点が当てられている。要するに争点の共有が目的だ。

 

 さて、精神年齢と実年齢が釣り合っていなさそうなハリエットの報告書と陳述によると、今回の事件は密室殺人らしい。

 現場であるメイソンの自宅は仕事場である鍛冶屋の2階にあるのだけど、大剣を受け取りに行った冒険者が約束の時間になっても工房が開かれていないことを不審に思い、衛兵の詰所を訪れた。様子がおかしいから来てくれ、と。

 そして、偶々その場に居合わせたハリエットが町外れのメイソン宅へ向かうことになる。

 冒険者曰く、メイソンは時間に厳しい人物で、今まで約束を破るようなことはなかった。

 これを聞いたハリエットは、呼び掛けても返事がないことに嫌な予感を覚えた。しかし扉も窓もしっかりと施錠されている。やむを得ず玄関扉を一刀両断して工房に侵入。冒険者と共に2階へ行き、ベッドの上で胸部から大量の血を流しているメイソンを発見。死亡を確認した。

 遺体の様子から死因は刺殺。また、ベッドの横の床には血の付いた大きな包丁があった。傷口とも一致しており、凶器と断定した。

 死亡推定時刻は、体温(火魔法で計測)、硬直及び角膜の状態から10日深夜(発見日の前夜)だ。

 

 アイラが疑われている理由は3つある。

 1つは現場に争った形跡や金品が奪われた形跡がなかったこと。これは親しい人間による、怨恨等の感情に起因する殺人であることを示唆している。

 2つ目はアイラがメイソンの恋人で、合鍵を持っていてもおかしくないことだ。ただし合鍵の所持については否認している。

 ちなみにメイソンは25歳である()。

 まぁ、歳の差は置いといて、更にアイラへの疑いを強める要素として目撃者の存在がある。10日深夜にメイソン宅付近でアイラを見たという人がいる。これが3つ目だ。

 隣の証人控室で待機している2人が、これらについて証言してくれる予定だ。

 

「──以上が事件の流れです」アイラの事件概要の説明が終わった。証拠調べ請求へと移行する。「これを証明するために、10日の深夜に被告人を目撃した証人1名と被害者と被告人の関係に関する証人1名の取り調べを請求します」

 

 元々イレギュラーがない限り容認するつもりで準備していたのだけれど、手続き上、アイラにも意見を訊いておく。

 

「騎士ハリエットの陳述と証拠調べ請求について、被告人は何か言いたいことはありますか?」

 

「事件なんて知らないです! 意味が分かりません」

 

 ですよねー。

 ハリエットの捜査段階では、アイラは〈事件当時は眠っていた〉と一貫して主張している。

 

「アイラさんの主張は分かりました」アイラの顔に希望が浮かぶ。

 

 すまんな、妙な期待をさせて。

 

 ハリエットへ顔を向ける。「争いのある事柄を検証するためにも請求を認めます」

 

 アイラの希望は一瞬で凍ってしまった。すかさず顔芸で煽るハリエット。やめい。

 

「騎士ハリエットは静粛に願います」無言だから静かではあるんだけどね。顔がうるさいんだもん。

 

「!」ハリエットが酷い裏切りに遭ったかのような風情を(かも)し出す。

 

 いやいや俺は別に行政側の味方というわけではないからね?

 

 そしてカウンターのつもりか鼻で笑うアイラ。すっかり緊張が(ほぐ)れてらっしゃる。

 

「……」

 

 さぁ、次だ、次。

 

「被告人は、被告人席にお戻りください」

 

「はい」アイラが初めに座っていた左側の長椅子に戻る。

 

 廷吏のおじさん──ジョージ(39)に目をやり、「オスカーさんをお連れしてください」と指示を出す。

 

 オスカー(34)はアイラを目撃した人物だ。

 ジョージに先導され、長髪の男性が入廷する。そのまま証言台の前に移動。

 

「お名前と生年月日をお願いします」

 

「サウサートン町に居を構えて小説家をしているオスカーでごさいます。生まれたのは17日11月1312年です」

 

「それでは宣誓を」

 

「神の教えに従い、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」

 

「もしも嘘をついた場合は偽証罪になりますので、そういったことはないようにお願いします」

 

 オスカーが大仰(おおぎょう)に腕を広げ、「勿論ですとも。私はアーシャ教の敬虔(けいけん)なる信徒。真実のみを語らせていただくゆえ心配無用でございます」と、まるで劇を演じる俳優のようだ。

 

「……結構」オスカーの勢いにちょっと引いてしまったが、裁判はしっかりと進行させる。「騎士ハリエットは主尋問をどうぞ」

 

「……はーい」確実に拗ねてらっしゃる。

 

 歳が近いこともあって比較的によく話すから、無条件に俺が味方になると思っていたのかもね。

 

 ハリエットがオスカーを見ながら質問を投げ掛ける。「10日の夜中にメイソンさんのお宅の近くでアイラさんを目撃したということだけど、これは間違いない?」

 

 オスカーが即答する。「あれは満月が微笑み、蝙蝠が闇に踊る、あるいはかつて愛した彼女を思い出させるような不思議な夜のことでした」

 

 え、ちょっと、なんか始まったんだけど……。

 

「まるで私の心の扉をノックするかのような音が、(こご)える窓から聞こえてきました。『おや?』。冬の精が道に迷ったのでしょうか。そう思った私は窓から外を見ました。『おお』。思わず感嘆した私を誰も責めることはできないでしょう。なぜならこれほど美しい月を私は知らなかったからです。そう、妖精は月の系譜であったのです」

 

「……」「……」「……」

 

「美麗なる満月は、さしずめ舞踏会で華やぐ乙女。なれば、月に己の光を届けんと耀く星たちは、彼女の心を射止めようとする若人(わこうど)でしょう」

 

 無駄に声がいいっすね。

 

「『ソフィア……』。彼女のことを忘れたことはありません。忘れられるはずがないのです。今宵と同じ、月の光が降り注ぐ幻想的な夜でした。彼女は──」

 

「はい、ストーップ!」今日、一番大きな声が出た。「証人は、質問に対し過不足なく、端的に! 具体的にっ! 答えるように!」魂の叫びである。「よろしいですね?!」

 

「……」オスカーが、ワタクシフマンデス、といった空気を全身から放出している。ついでに魔力も少し漏れている。

 

「よろしいですね?!」くわっ!

 

「……はい」まさに渋々だ。

 

 それで何だっけ、あ、目撃証言だった。「10日に被告人を見たのですよね?」

 

「そうですね」露骨に投げやりになっている。

 

 この人、裁判をなんだと思ってんだよ……。

 

「場所は?」

 

「月明かりに祝福された家並みが──」

 

「……」じぃー。

 

「──私の自宅の近くです」

 

「それは被害者宅からどの程度の距離ですか?」

 

「歩いて2、3分くらいでしょうか。正確には分かりません」

 

「時間は覚えていますか?」

 

 しかしオスカーは言い淀む。

 

「どうされました?」

 

「その時はゼンマイを巻くのを失念していて……」頭を掻く。「深夜の12時は過ぎていたと思いますが……」

 

 あらら。仕方ないね。

 この国の時計はゼンマイ式が主だ。ゼンマイを巻き忘れると時計は普通に止まる。まぁ、珍しい失敗ではない。

 

「分かりました。大丈夫です」

 

 さて、場の流れでハリエットの主尋問に割り込む形になってしまったが、(建前上は)これは彼女がするべき質問だ。というわけでバトンを渡す。

 

「騎士ハリエットは、他に質問はありますか?」

 

「……は!」あなた今、寝落ち寸前だったよね? 「な、ないよ!」

 

「……」

 

 次は反対尋問だ。

 この国に弁護士といった肩書きの職業はないから、基本的には被告人本人が自分で尋問をする。ただし知識人等を助っ人に呼ぶことは慣習法上認められているので(裁判官又は領主の許可は必要)、お金やコネのある人はそういった人に弁護をお願いして裁判に臨むことが多い。

 ただ、アイラは大半の平民の例に漏れず弁護士なしである。

 なお、親や友人は基本的には弁護士役として呼ぶことはできない。これは、素人かつ近親者等だと非論理的で感情依存の意見になる可能性が一定程度以上あり、また、特別な知識がないのならば被告人本人の意見と大差ないからだ。(いたずら)に法廷を混乱させるのを避ける趣旨らしい。裁判員制度に喧嘩を売っているように思えるが、この世界の平民の教養や学識の程度を考慮すると妥当なのかもしれない。

 

「被告人は証人に対して何か訊きたいことはありますか?」

 

 長椅子に座ったままアイラが答える。「あります」

 

「分かりました。それではその場で起立してからご質問をお願いします」

 

 はい、とアイラが立ち上がる。「私を見たということですが、その時の私はどんな格好でしたか?」

 

 質問の意図は理解できるけど……。

 

 オスカーが顎に手をやり小さく、うーん、と。ややあってから結論が出たのか手を下ろす。「寝巻き……でしたか? 月明かりはありましたが、距離もありましたし、はっきりとは分かりません」

 

 つまり、アイラは目撃証言の曖昧さを突こうとしているんだ。それは自分ではない、自分である根拠はどこにあるのか、って具合にね。

 

 アイラが攻める。「ではどうして私だと思ったのですか? 人違いではないですか?」

 

「……貴女がメイソン君の下を訪れるところは、何度も見ています。歩き方や等身、全体的な雰囲気、そして何より貴女の特徴的な髪色は月夜であっても印象的でしたよ」

 

「……」アイラが押し黙る。

 

 アイラの髪の色は、まぁ、あれだ、ピンクだ。うん。なんでこんな色なのか分からないけど、こういう派手な髪の人も偶にいる。全体で見れば黒や茶、金が多いけど、赤、青、緑なども見かけるのだ。それでもアイラのように鮮やかなピンクはかなり珍しい。

 残念ながら墓穴を掘る形になってしまったようだ。

 

「被告人は他に訊いておきたいことはありますか?」

 

 眉間にシワを寄せたアイラが「ありません」と小さく述べた。

 

「それでは騎士ハリエットに再主尋問はありますか?」

 

 アイラとは対照的に余裕綽々といった(てい)で「あります!」と元気に告げた。

 

 完全に、にじゅういっさい児(21)である。敬語が復活しただけマシと思うべきなのかな……。

 

 背筋のピンと伸びた綺麗な立ち姿の、黙っていれば美人なハリエットが再度オスカーへ問う。「オスカーさんはさっきの証言で『被告人がメイソンさんのお家を訪れるところを何度も見ている』と言っていたけど、それは本当?」証人に対してはタメ口なのね。ジェイデン──先輩の裁判官だ──なら怒りそうだ。

 

 オスカーが、うむ、と頷く。「神に誓って真実です。メイソン君とアイラ君が()い仲なのは周知の事実ですから」

 

「うん、そうだよね」ハリエットが、にや、っとする。悪い顔してるなぁ。「ありがと」オスカーに言ってから俺へ顔を向ける。「ノアく……ノア裁判官、再主尋問は終わりです」

 

「分かりました」

 

 今のオスカーの〈メイソン君とアイラ君が()い仲なのは周知の事実ですから〉の部分は伝聞(でんぶん)証拠(又聞き)くさいから事実認定に使う(証拠とする)のは控えたほうが良さそうだね。

 

 再反対尋問があるかをアイラへ確認する。「被告人は何かありますか?」

 

「……ないです」難しい顔をしている。

 

 アイラの財力では国の裁判所に上訴するのは厳しいだろう。ハイヴィース王国において上訴にはそれなりのお金が要る(限定的な2審制)。つまり、資金力に乏しいアイラはこの裁判で今後の人生が決まってしまうのだ。

 殺人罪は良くて斬首だ。悪ければ身体刑と死刑のセット。中間は八つ裂きなどの苦痛の強い死刑。実質的な領主様であるダーシーは厳罰主義者だから仕方がないのだけど、個人的には納得しかねる部分もある。

 とはいえ、便宜を図るわけにはいかない。次の証人を呼ぼう。

 

「以上でオスカーさんへの尋問は終了です。お疲れ様でした。オスカーさんは退廷してください」

 

「はい」オスカーが証言台を後にする。

 

 次いで廷吏のジョージに「ハーパーさんを入廷させてください」とお願いする。

 

 無言のままジョージが動き出し、すぐに青髪の、少女と婦人の中間くらいの女性──ハーパー(17)が法廷に現れた。

 ハーパーが証言台の前に来るのを待って、証人尋問を開始する。

 

「お名前と生年月日を」

 

髪結(かみゆ)いをしている、サウサートン町のハーパーよ。23日の4月で1329年」

 

 なんだろう、勝気な見た目に反してすごくアニメ声だ。違和感を感じる。抱くでも覚えるでもなく感じる。そんな感じ。

 ちなみに、この国における髪結いとは女性専門の美容師さんのことだ。日本の江戸・明治ころにいた女髪結いが近いかもしれない。

 

「宣誓をお願いします」

 

「神の教えに従い、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」明瞭な口調だ。いいと思います。

 

「嘘をついた場合、偽証罪になり刑罰が科されますので正直に述べるように」

 

「嘘なんてつかないわ」

 

「結構」それじゃあ始めよう。「騎士ハリエットは主尋問を行ってください」

 

「はい」ハリエットが立ち上がる。「ハーパーさんはアイラさんの前にメイソンさんとお付き合いしていたらしいけど、間違いない?」

 

「そうよ」

 

 メイソンの趣味は原色系ロリ(?)なのかな。未来に生きてる……未来に生きてたんだね。特異な情況すぎて未来というワードと過去表現の助動詞が両立してるよ。

 

 ハリエットが続ける。「事件当時、アイラさんとメイソンさんが付き合っていたのは本当?」

 

 ハーパーの瞳に(わず)かに険が差す。「そうね」

 

「それはいつから?」

 

 ハーパーの険が増す。「ちっ」

 

 うわぁ、舌打ちしたよ。

 

「遅くとも2ヵ月くらい前にはそういう関係だった」今までアイラを見ようとしていなかったハーパーが、ここに来て憎悪に満ちた瞳をちらりと向けた。「10月の雨の日に私がメイスのとこに行くとその女がいたのよ。ベッドでね。その時にいろいろあってメイスとは別れることになった」再度アイラへ視線。「メイスがそれ(・・)との関係を隠さなくなったのはその時からね」今にも人を殺しそうな目だ。

 

 圧倒的修羅場である。しかしこの程度で怯んでいたら離婚訴訟や嫡出否認訴訟なんてできない。

 

 勝利を確信しているのかハリエットがにんまり。「ノア君!」公私混同そのものの発言だ。「現場となったメイソンさんのお家は、遺体発見時、完全な密室だった。ということは合鍵を持つ人物が犯人となるよね。恋人である被告人なら合鍵を作ることも簡単にできたはず。だから被告人が真犯人に違いないの!」美しいドヤ顔である。うざいとも言う。「どう? 私の名推理は?!」

 

 とりあえず口調をもう少しらしく(・・・)してほしい。

 

 どうしたものかと黙していると左側から声。「何が名推理ですか!」アイラだ。「私じゃないです! 私たちは愛し合っていました! 結婚も考えていたんです!」ほとんど叫びのような強い声音。「それなのに彼を殺すわけがないじゃないですか!」

 

 動機についてはたしかに気になっていた。ハリエットの報告書でも動機への言及はほとんどなされていない。具体的には、〈痴情のもつれではないか〉といった旨の、イマイチ信頼できない根拠による推測が記載されていただけだ。

 

 その信頼度の低い根拠というのは。「そんなの信用ならないわ!」聞き込み捜査時のハーパーの言葉だ。「あんたが裏で他の男と遊んでるのは知ってるんだからね! どうせメイスのことも金づるとしか思ってなかったんでしょ!!」

 

「なんですかそれ! わ、私はそんなことしてい、ません!」目に涙が滲み始める。「今だっ、てメイスに、会いたくて……」

 

 しかしアイラの涙はかえってハーパーの逆鱗に触れたようだ。「気持ち悪い泣き真似はやめなさい! 馬鹿にするのもいい加減にして!!」

 

「気持ち悪いってなんですか! あなたの顔のほうがよっぽど気持ち悪いです!」

 

「はぁ!? ふざけんなよ! てめぇみてぇな腐れ●●●が調子乗ってんじゃねぇぞ!!」

 

「ふん。メイスだって言ってましたよ? あなたは腰使いしかいいところがなかったって。あなたのほうこそ少しは自覚したらどうですか? どブスのクソ淫乱女だって!」

 

「この餓鬼……!!」

 

 ふと、書記官のトビー(31歳。独身)を見ると、いつもと違わぬスピードで2人のキャットファイトを記録していた。後で葡萄酒(ワイン)を奢ってあげようと思う。

  

「あわわわわわ」ハリエットが妙なダンスをしている。「ノ、ノア君どうしよう」

 

 少女たちの罵声をBGMに天を仰ぐ。天井のシミは昨日から変わっていないようだ。

 首を戻して法廷を見下ろすと混沌。

 

「はぁ」仕方ない。すぅ、と肺に空気を溜める。そして「静粛に!!」と魔力をぶっ放す。

 

 害意も魔法の発動意思もない純然たる魔力(魔法を発動・維持するための非物質的な燃料)だから、独特のモワッとした感覚を与える効果しかない。つまりは冷や水代わりである。

 

「……」「……」「……」

 

「一時休廷にします」次いでジョージに「被告人を」と指示。

 

 頷いたジョージがアイラを連れて法廷を出る。公判が再開するまでは城にある牢屋にいてもらうことになるが、そこは我慢してもらうしかない。

 

「ハーパーさんも本日のところはお帰りいただいて大丈夫です。必要があればまたご連絡します」 

 

「あ、ああ。分かった」イソイソと退廷していく。

 

 さて。

 

「ハリエット」

 

「ひゃ、ひゃい!」

 

 盛大に噛んだね。

 

「ここからは俺も捜査に加わる」

 

「!」

 

 立ち上がる。

 

「まずは現場に案内してくれ」

 

「うん、わかった!」ハリエットが嬉しそうに破顔(はがん)する。

 

 ハリエットがちゃんと捜査しないから俺が出る羽目になったって分かっているのだろうか?

 

 ハリエットと共に法廷を出ようとしたところでなんとなく後ろを振り返ると、書記官のトビーが清々しい顔でサムズアップをしていた。

 

「……」

 

 裁判官ってこんなんだったっけ?

 

 大いなる疑問である。

 

 



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幻想的密室殺人②

「じゃあ後で」

 

「うん」

 

 外出の準備のためにハリエットとは一旦別れ、与えれている自室に向かう。

 そう遠くではないのですぐに到着した。部屋のドアへ鍵を差し込み、解錠。中に入る。

 ちなみにハリエットの部屋は法廷から離れているので、彼女はまだ移動中だろう。

 

 ささっと法服──裁判官の黒い服のことだ──を脱いでハンガーに。

 これを着たまま現場まで行くのはちょっとどうかと思うからね。

 

「……」

 

 今回の事件、やはりおかしい。

 動機の不明確さもさることながら、合鍵を持っていても不自然ではないアイラが、自分が疑われる可能性の高い密室殺人を演出するだろうか。……普通はやらないはず。仮にやるにしても、もう少し偽装工作──他の人間を犯人に見せる工夫をするんじゃないか。

 それとも衝動的な犯行だった? しかしそれをわざわざ夜中にやる情況とは……?

 元々被害者と一緒にいて口論とかになり〈カッとなって〉やってしまった? けど、それならオスカーの目撃証言と矛盾してしまう。

 

「んー」 

 

 立場上、今の時点でもアイラを有罪にすることはできる。けど、やっぱり全力を尽くしてからにしたい。

 俺が目指した裁判官は、虚実を見極め、強者にも弱者にも正しい判決を下す、そんな存在だ。

 しかし残念ながらこの世界では真実は見えづらい。DNA鑑定や監視カメラのような便利なものはなく、あるのは曖昧でか弱いヒントばかり。身分による扱いの差も前世より顕著だ。

 理想との距離は転生によって開いてしまった。どうやら神様は意地が悪いらしい。会ったことはないけれど。

 

 理想は理想、現実は現実。割り切ってやれることをやるしかない。

 

 外套(コート)を羽織り、部屋を出る。ドアを施錠したところで人の気配。そちらを向く。1人の少女──ライラ・クーパー(15)が廊下を歩いていた。

 

「お疲れー」

 

「(お、お疲れ様です)」いつもの小さすぎる声のライラ。

 

「これから捜査なんだ」きっと外は寒いだろう。「ライラは?」

 

「(……し、処刑は決まらなかったのですか?)」

 

「あー、うん」

 

 ライラは処刑執行人だ。処刑執行人の両親が流行り病で亡くなってしまったことで、長女であるライラが若くして家業を継ぐことになった。

 なお、平民であるが苗字持ちだ。平民は苗字がないのが原則だが、功績等を理由に領主か国王により苗字を与えられることがある。制度としては江戸時代の苗字帯刀の例外が近いだろうか。

 

 同世代の中では少し小さめな背丈のライラは、多くの領民から嫌われている。公開処刑の場で残酷な刑を粛々と執行する姿は、やはり負の感情を集めてしまう。

 裁判官という職業も怨まれるものらしいが、分かりやすいからかライラのほうがずっと上。

 聞いた話では、買い物に行っても物を売ってもらえなかったり、自宅にゴミが投げつけられることもあるようだ。

 そういった環境で生きてきたせいかは定かではないが、コミュニケーションに苦手意識を持っているように見える。今も目を合わせて会話をしてくれないのは、その対象に俺も含まれているからだろう。まぁ単に嫌われているだけという可能性もあるけど。

 

 キョロキョロと眼球を動かしているライラに、今回の事件に対する印象を伝える。「今回の事件、一番重要な部分が見えていないように思えるんだ」事実認定に誤りがあってはいけない。俺が間違うと、取り返しのつかないことが実行されてしまう。それは何としても避けなければならない。「だから結論が出るのはもう少し後になりそうだよ」

 

「(……)」こくり、と頷き、逃げるように去っていく。

 

「……」

 

 やっぱり俺、嫌われてる?

 

 やにわに、後ろから揶揄(やゆ)する声。「やーい、振られてやんのー」ハリエットだ。

 

「準備早いね」

 

「だって外套(コート)とマフラー取ってくるだけだもん」黄色いマフラーをひらひらさせる。「ノア君みたいに女の子にちょっかい掛けたりしませんのでー?」

 

「……待たせて悪かったな」俺は平和主義者なんだ。喧嘩はクーリングオフに限る。

 

「むー」頬を膨らませている。

 

 その、ぶりっ子と天然のハイブリッド的な言動(?)は、好きな人にとっは垂涎(すいぜん)ものだろうけど、俺にはそういった趣味はない。普通でいいのだ、普通で。……なんか結婚できない婚活女子(30代後半)が求める結婚相手の条件みたいだ。気をつけよう。

 

 白く膨らんだ頬をつつく。「行こう」

 

「うん」

 

 表情がよく変わるところは嫌いじゃない。

 

 

 

 

 

 

 サウサートン町は比較的長閑(のどか)な町だ。中心部には商業系ギルド(一般社団法人や組合等)やお馴染みの冒険者ギルド(営利法人)、宿などがあり、ファンタジー世界の基本(?)を押さえている。

 現場であるメイソンの鍛冶屋兼自宅は町外れを流れる川の近くにある。一般市民よりも火をたくさん使うから火事を警戒しているのだろうか。

 

 サウサートン町の割とよく整備された道を歩く。

 

「もうちょっとだよ」隣を歩くハリエットが言った。

 

「了解」

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

「ノア君はアイラさんが真犯人じゃないって思ってるの?」

 

 道行く人の数が減ってきた。

 

 前を見たまま答える。「分からない」

 

「ふーん」やや納得のいかない様子。

 

 いくら法廷外とはいえ、裁判官である俺が確信もないのに特定の人物が犯人である旨の発言をするのはやめておいたほうがいいだろう。

 

 十字路を曲がると周りから孤立したような煙突が見えた。あれかな。

 

 ハリエットを見ると肯首。「あの煙突がそうだよ」

 

 さてさて、何が出てくるのやら。

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、1階の工房に怪しいものは何もなかった。強いて言うなら鍛冶屋入口のドアがバッサリ両断されていてハリエットに恐怖を覚えたくらいだ。

 

「争った形跡はないみたいだな」鍛冶屋の2階にある寝室で俺が半ば独り言のように呟いた。

 

「だね」ハリエットが同意する。「何かが奪われたりもしていないみたいだよ」

 

 ハリエットがベッド横のタンスを開け、手の平よりもふた回りくらい大きい革袋を取り出す。

 

「ほら」袋を揺する。ジャラジャラと金属的な音。

 

 念のため受け取って確認する。中にはそこそこの量のお金。

 

 金庫に入れられているわけでもない硬貨が、そのまま残されているというのはそういうことだろう。

 

 袋をタンスに戻す。「現場は確実に密室だった?」

 

「一応、煙突は外と繋がってるけど、狭いし、中の(すす)に人が通ったような跡もなかったし密室性は崩れないと思うよ」

 

「あー、なるほど」

 

 クライミングボーイと呼ばれる、訓練を積んだ煙突掃除の少年ならば不可能ではないかもしれないが形跡なしか……。

 

「観てみる?」ハリエットが、自分はあまり魅力を感じない映画のレンタルDVDに興味を持ってしまった彼氏に言うように、気安く、そして少し気だるい趣で提案した。

 

「ああ」今にも別れるんじゃないかと周りを不安にさせるけど案外長続きする彼氏のように、自然な、そしてぶっきらぼうな声音で返す。

 

 寝室を出る。

 

 

 

 

 

 

「うーん」

 

 炉に頭を突っ込んで確認しても、それらしい形跡はたしかに見受けられない。

 

「ここを誰かが通ったとは思えないでしょ?」ハリエットが〈ね、私の言ったとおりでしょ?〉という言葉を含みつつ言った。

 

「だなぁ」

 

 かなり狭い。これだと子どもでも厳しいかもしれない。

 炉から頭を抜いて落ち着いて考えてみる。

 

「……」

 

 やはり完全な密室だった……?

 

 前世で読んだミステリー小説を思い出して密室トリックを類型化してみる。

 パターン①は〈小さな穴等があり、そこから子どもや動物が出入りして殺害し、又はそこから凶器を撃ち込む〉というもの。

 パターン②は〈機械的な仕掛けにより部屋の鍵を閉める〉というもの。

 パターン③は〈偶然、密室の外形が完成してしまう〉というもの。

 

 しかし、ここに人が通れる穴はない。また、動物が煙突を通ったところで綺麗な刺し傷を与えることができるとは思えない。包丁等の鋭利な刃物でなければあり得ないような傷だ。動物には難しいだろう。加えて、仮に動物が犯人だとすると血の付いた大きな包丁が遺体の近くに落ちていた理由が説明できない。

 では、包丁だけが通過できる穴は?

 

「……ないよな」

 

 充分に調べたつもりだが、殺害に適した位置にそんな都合のいい穴はなかった。

 

「どうしたの?」

 

「凶器は包丁なんだよね?」

 

「うん。見つかった包丁で間違いないと思うよ」

 

「その包丁が通過できる穴とかは……」

 

「ないない」ハリエットが食い気味に否定する。「仮にそんなのがあったとしても、それでどうやって殺すの? 無理じゃない?」

 

「まぁそうだよね」

 

 では、何らかの仕掛けはどうだろうか。何者かが殺害後に部屋を出て仕掛け──例えば糸などを使ったトリック──を用いて鍵を掛けた、とか。

 

「……」

 

 いやでもなぁ。そんな形跡もないしこれも考えにくい。

 それなら偶然の密室?

 これはあり得なくはないように思える。ただ、現場を見た限りではその偶然の内容が分からない。

 

「うーん」

 

 やっぱりアイラが真犯人? 合鍵を使用して侵入し、寝込みを襲ったと考えるのが一番現実的か……?

 でもアイラは合鍵は持っていないと供述しているんだよなぁ。

 この点の裏は取ったのかな。

 

「アイラの合鍵作製について付近の鍵屋に聞き込みはした?」

 

「……サウサートン町内の鍵屋さんには聞いてきたよ」どことなく言いづらそう。「アイラさんが来たことはないって」

 

「……そっか」

 

 すぐにハリエットが補足する。「でも、鍵屋さん以外でも合鍵を作ることはできるかもしれないし、やっぱりアイラさんが真犯人なんだってば」確信しているようだ。「私の名推理が信じられないのかい?」目を覗き込まれる。形のいい大きな瞳だ。

 

 然り気無く視線を逃がす。「名推理っていってもハリエットだしなぁ」

 

 しかし視線の先に回り込まれてしまった。「えー、なにそれ。酷くない?」

 

 いや酷くはない。妥当な判断である。

 とりあえずはサウサートン町以外にある鍵屋も当たってみるか。

 

 

 

 

 

 

「知らないね」サウサートン町の隣町にある鍵屋の親父がにべもなく言った。

 

「そうですか。分かりました」

 

 ありがとうございました、と礼を述べて鍵屋を後にする。

 サウサートン町から捜索範囲を拡げ、そこに含まれる鍵屋に聞き込みをしたのだけど、全て空振り、つまりは〈アイラが訪れた〉という話は聞けなかった。

 

 寒空の下、石畳を歩く。

 

「どうするの? ノア君」ハリエットに疲れが見える。精神的な疲れだろう。「これ以上鍵屋さんを調べても何も出てこないと思うよ」

 

「たしかにそうかもしれないけど……」

 

 今ある情報だけで判決を下す場合、アイラを殺人罪として斬首刑に処することになるだろう。則ち有罪だ。情況証拠しかないが、アイラの実行行為という要証事実を推認するには現状でも足りているのだ。

 

「……」

 

 しかし腑に落ちない点が残る。この状態でアイラに死を強制していいとは──。

 

「雪だ!」不意にハリエットの弾む声。

 

 言われてみれば頬にじめっとした冷たさ。見上げると白い結晶が風に舞っている。

 

「雪はいらない」俺はきっぱりと断言した。

 

 真理であるから当然である。

 

 しかしハリエットの真理は俺とは違うようだ。「雪が嫌いなの?」私は好きだよ、ワクワクするもん、と。

 

「……」

 

 完全にチビッ子のそれである。()しくは雪など滅多に降らない地域の人間の戯言だ。無知とは時に幸せということもまた真理に他ならない。

 冬なんてのは過ごしにくいだけで、いいことなんて暖房の利いた部屋で食べるアイスが美味しいということと、あとは虫が少な──!?

 

 今まで漠然と抱いていた、輪郭すら把握できていなかった違和感が、不意に、突然に脳裏で明確化される。

 どうして今まで気づかなかったのか。

 いや待て。単なる言葉の綾のようなものかもしれない。決めつけるのはいけない。今一度詳しく話を聞いてからだ。

 

「? ノア君?」俺の纏う空気が変わったことを機敏に察知したハリエットが、心配そうな顔を見せる。

 

「ハリエット」

 

「うん?」

 

「分かったかもしれない」

 

「!」驚き、そして嬉しそうに微笑む。

 

「オスカーさんのとこに行こう」

 

 あの発言が誓いに反していないならば……。

 

 

 

 

 

 

 瀟洒(しょうしゃ)な、といった修飾語がよく似合う邸宅が目の前にある。これがオスカーの自宅だ。彼は平民だが、かなり潤っているようだ。

 

「すごいよね」訪れたことのあるハリエットが言った。「私の実家より全然立派だよ」

 

「へー」

 

 ハリエット・ストラットは男爵家の末っ子だ。曰く、貧乏貴族で平民と大体同じらしい。

 でも田舎にある村の出身の俺からすれば上流階級には違いない。貴族ぶることがほとんどないから忘れがちだけど。

 

 玄関扉のドアベルを鳴らす。

 ややあってからドアが開けられた。年配の家政婦(メイド)出てきた。

 

「はい、どちら様……」しかしハリエットを見て察したようだ。「あら、騎士様じゃない」

 

「こんばんは」ハリエットがにこやかに応じる。「オスカーさんはいますか?」

 

「いるよ。呼んでくるから応接室で待っててちょうだい」

 

「はーい」「失礼します」

 

 家政婦(メイド)(げん)に従い、意識と値段の高そうな絵画が飾られている玄関ホールに入る。

 

 凄。

 

 

 

 

 

 

 やはりお金の掛かっていそうな調度品が散見される応接室で待っていると、すぐにオスカーが現れた。

 

「ようこそお出でくださいました」朗々と。「どういったご用件でしょうか?」

 

 立ち上がり口を開く。「突然すみません。少し確認したいことがあって参りました」

 

「参りました」ハリエットがアヒルみたいに続けて言った。

 

「そうでしたか」オスカーがふかふかのソファに座る。どうぞ、と俺にも座るように促す。

 

 俺が腰を下ろすとオスカーが「確認したいことというのは?」と。そして一拍の後。「もしや新作の──」

 

「違います」すかさず否定。話が逸れては困るのだ。「法廷での証言についてです」

 

「証言?」

 

「はい。オスカーさんは『蝙蝠(こうもり)が闇に踊る』とおっしゃいましたよね?」

 

「言いましたね」

 

「10日の深夜に蝙蝠を見たということで間違いないですか?」

 

「ええ、そうですよ」即答。

 

 よし。

 

「何匹くらいでしたか?」

 

 しかし今度は「えー、と、うーん」と視線をさ迷わせ思い出そうとするも「1匹でしょうか? 正確には分かりません。書斎の窓の近くを飛んでいたのを一瞬見ただけで、すぐに、おそらくはアイラ君のほうへ行ってしまいましたから」と断言には至らず。

 

「なるほど、分かりました」

 

「はぁ、そうですか」オスカーは何が何やらといったご様子。

 

「お話は以上です。ありがとうございました」

 

「ありがとうございました」多分何も考えていないハリエットのようなアヒルも感謝を述べた。

 

 

 

 

 

 

「あれはどういう意味なの?」オスカー邸から少し離れたところまで来ると、ハリエットが待てを解除されたワンコのごとき勢いで訊いてきた。

 

「ハリエットはさ、淫魔(いんま)についてどのくらい知ってる?」

 

「え、なんて?」想定外の単語で上手く処理できなかったのかハリエットが訊き返す。

 

「淫魔だよ、淫魔。サキュバスとかインキュバスとかって呼ばれてるやつ。どんなイメージを持ってる?」

 

「……えっちな魔族」珍しく控えめな声量だ。

 

 多くの人がハリエットと同程度の認識だと思う。

 俺の場合は職業柄いろいろな知識を仕入れる必要があり、魔族についても勉強してきたからもう少し詳しい。

 則ち、この世界の淫魔は前世の淫魔像と共通する部分がある。

 

「淫魔には、基本的に特定の性別はないそうだ」

 

「私にはあるよ」

 

「それは俺にもあるよ。まずは最後まで聞いてくれ」

 

「はーい」

 

 イマイチ信用できない返事だけど、とりあえず続ける。

 

「男を襲うときは女の姿になり、女を襲うときは男の姿になる。男から精液を奪い、それを女に注いで淫魔の子を妊娠させるんだ」

 

「えっちだ……」

 

 もうすっかり暗くなっている。月は出ていない。

 

「そのやり方は、寝ている人間の夢に登場して交わるというものだ。淫魔が行為に及ぶときは、対象者の寝室に侵入すると言われている」

 

「行為……」

 

「ただ、夢というのはそのほとんどが記憶に残らないものだから、気づかないまま淫魔の子を身籠っていたという事例が大半なんだ」

 

 ハリエットの顔が信号のように赤から青に変わり、お腹に手を添える。「赤ちゃん……」

 

「淫魔の子を妊娠する事例はそもそもとても少ないから大丈夫だと思うよ」

 

 ハリエットがもの凄く分かりやすく安堵の息を吐く。白く曇った吐息だ。

 

「話を戻すよ。淫魔が寝室に忍び込むときはある動物に変身する」

 

「もしかして……」

 

「そう、それが蝙蝠なんだ」

 

 とはいえ蝙蝠なんて住宅街にも普通にいる。だからそれが淫魔なのか通常の蝙蝠なのかを区別するのが困難なケースも少なくない。

 

 ハリエットもそこが気になるみたいだ。「でもさ、たしかに蝙蝠が現場の近くにいたらしいけど、どうしてそれが淫魔だって言えるの?」しかしハッと何かに気づく。「まさか私にえっちなことを言わせたか──」

 

「今は冬だよな?」当然の遮断(インターセプト)

 

 そろそろ履歴書の特技欄に〈アホな発言を遮ること〉って書いても許される気がする。

 

「……そうだね」若干つまらなそうだ。

 

「住宅街にいる蝙蝠は冬には活動しない」換言すると。「通常の蝙蝠なら今は冬眠しているはずなんだ」

 

「!」目を見開く。「そういうことか……」

 

「ああ。だからオスカーさんが見たのは淫魔の可能性が高い」

 

 ここでまたしてもハリエットが「あれ?」と引っ掛かりを覚えたようだ。「でもそれならアイラさんはなんで寒いのに夜中にメイソンさんのお家まで行ったの?」風邪ひいちゃうよ、と不思議がる。

 

 オスカーさんが嘘をついているパターンは一旦除外して話を進める。

 

「これは俺の勝手な推測なんだけど」と前置き。「淫魔は寝ている人間に夢を見せるだけでなく、その人間を操作できるんじゃないかって思うんだ」条件はあるだろうけど、と加えておく。

 

「そんなことって……」

 

「たしかに突拍子もない発想かもしれないけど、そう考えると全てを矛盾なく説明できる」

 

 検証に値する仮説だ。俺はそう思う。

 

 うーん、とハリエットが唸り、「それでノア君はこれからどうするつもりなの?」と続けた。

 

「まずはアイラさんにエロい夢を見たかを訊かないといけない」

 

「……」沈黙のハリエット。

 

「? どうした?」

 

「……変態」 

 

「……」

 

 

 



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幻想的密室殺人③

 クライトン伯爵のお城に戻ってきた。

 正面の入口のとこにある大きな時計を見ると、夜の10時を回っていた。適宜、馬を使ってはいたけど、かなり時間が掛かってしまった。

 

「ふぁ」ハリエットの欠伸。

 

「悪いな、こんな時間まで」

 

「ううん、大丈夫」しかし眠そうな目をしている。

 

「あとは俺1人でも問題ないからハリエットは休んでくれ」

 

 目的地は地下牢だ。

 

 ハリエットが「大丈夫」とまた口にした。「私も行く」

 

「無理しなくても──」

 

 やにわに手を握られた。

 

「早く行こう」俺を引っ張って足早に進む。「私これでもこの領を守る騎士なんだよ」こちらを見ずに言った。「だからまだ休めないよ」

 

「……分かった。もしものときは頼む」

 

「うん。任せて」

 

 RPG的に言うと、俺はどちらかというと補助型の魔法使いだ。ゴリゴリの前衛職であるハリエットがいてくれるのは正直助かる。

 

「ありがとう」気がつけば聞こえるかどうかギリギリの大きさの声で感謝の言葉を贈っていた。この声量は意図したわけではない。

 

「?」

 

「なんでもない」

 

 改めて言うのもなんだか照れくさい。俺もまだまだ子どもだなって。

 

 それはそれとしてさしあたっては。「手を放してくれ」

 

「……」僅かな間。「はーい」パッと。

 

 

 

 

 

 

「裁判官殿ではないですか」地下牢の警備兼監視をしている兵士の男が、やや強い疑問の色を行間に挟み込みつつ言った。「どうされました? こんな時間に」

 

 冷たい石造(せきぞう)の壁にある(あか)りが、緩い光を放っている。

 

「急ぎ尋問する必要が発生してしまいまして」ちらり、とアイラがいるであろう牢へ視線を送る。「アイラ被告人は就寝中ですか?」

 

 仮に淫魔が関係しているならば、更なる犠牲者が出る可能性がある。できるだけ早めに対処しなければならない。

 

「おそらくは」兵士の男が答えた。「起こしましょうか?」

 

「ありがとうございます。しかしそれはこちらでやりますので大丈夫ですよ」

 

 一応、同性であるハリエットのほうがいいだろう。

 

「そうですか」兵士の男が兵士用のテーブルに無造作に置かれた鍵束を手に取る。「9番です」と渡された。

 

「ありがとうございます」「ありがと」

 

 ハリエットと共に礼を述べ、アイラの下へ向かう。まさに目と鼻の先といった距離なのですぐだ。

 

 硬い床に硬い音。カツカツと静かな通路によく響く。

 

「ハリエット」9番の牢の手前まで来た。「起こしてやってくれ」

 

「ふふ」

 

「……」

 

「行ってくるね」

 

 

 

 

 

 

 牢屋から別室に連れ出し、部屋に備えられた椅子に座らせる。

 さて、お話の時間だ。

 

「何をお話しすればいいのでしょうか?」アイラの声と表情には疲れが(まつ)わりついている。

 

「メイソンさんが死亡した時、アイラさんは眠っていたのですよね?」

 

「はい、寝てました」俺の後ろにいるハリエットを見る。「信じてもらえませんでしたけど」

 

 ハリエットから反論は聞こえてこない。

 

「お伺いしたいのはその時に見ていた夢についてです」

 

「夢……ですか?」なぜそんなことを訊ねるのか、といった顔だ。

 

「真犯人を特定するためです」

 

 正確には真犯人淫魔説を補強するためであるが、そこまでは教えなくてもいいだろう。

 

「憶えていませんか?」

 

「……」口をつぐんだアイラの視線が(かす)かに揺れる。

 

 これは……。

 

「お話ししていただけると助かりますが、無理にとは言いませんよ。アイラさんには黙秘権がありますから」

 

 黙秘権、裏を返せば供述を強要しないという不作為の義務のことだが、これを遵守(じゅんしゅ)しない人間も残念ながら存在する。

 前世でも警察官によるえげつない取り調べの話は耳にすることがあった。

 そんな日本より人権──ハイヴィース王国では〈神から人に与えられる権利〉と定義され、自然権の呼び名のほうが一般的──が粗い(・・)この国では、黙秘権などといったまどろっこしい制約はしばしば無視される。つまり自白を得るために拷問が実行されるのだ。

 

 暫し沈黙していたアイラが(おもむろ)に言う。「お兄さん、変わってるって言われません?」

 

「言わ──」俺が答えようとするも。

 

 後ろからハリエットの声。「そうなのよ。ノア君って変なの」

 

「ですよね。なんかおかしいですもん」共感されたからか幾分かアイラの雰囲気が(やわ)らぐ。

 

 まぁいいけど。それより夢について教えてほしい。

 ごほん、とわざとらしい咳払いをして仕切り直す。

 

 アイラの目を真っ直ぐに見つめながらお願いする。「何かあるのでしたら教えていただけませんか?」

 

 ごく短いにらめっこの後に「何か、というほどではないですけど……」と断ってから「『ずっと寝てました』って言いましたけど、本当はちょっと違うんです」と。でもベッドから出てはいないですよ、と間を開けずに付け加えた。

 

 静かに頷いて先を促す。

 

「あの日の夢は、その……。メイソンとする(・・)夢でした。それで、えと、いっぱいした後に目が覚めたんです」アイラは躊躇(ためら)いがちに言った。

 

 ビンゴかな。

 

「だから細かく言えば『ずっと寝てた』わけではないんです。でも、またすぐに寝つけたからわざわざ言わなくてもいいかなって……」やや窺うような目。

 

 別にこれくらいでとやかく言わないよ。普通なら〈ずっと寝てた〉に含まれるようなケースだし気にするほどのことじゃない。

 というよりむしろ今回は、よくぞ起きてくれた、といった感じだ。

 一説では〈憶えている夢というのは起きる直前のレム睡眠時に見ていたもの〉だと言われている。つまりはアイラがそのタイミングで起きていなかったら、俺は今、有益な情報をゲットできなかったかもしれないのだ。

 

「あのー……怒ってます?」アイラが恐る恐る訊ねた。

 

「怒るどころか感謝してますよ」

 

「……」ポカン、と口を半開きにして呆けている。

 

「ふふふ」背中にはハリエットの笑い声。

 

 そして復活したアイラが断言した。「やっぱりお兄さん、変」

 

「ぷ、くっくく……」

 

「……」

 

 有罪にしようかな。

 

 

 

 

 

 

 淫魔の習性として、1つの土地からの移動はあまりしないというのがある。つまりサウサートン町にまだいる可能性が高いということだ。

 

 というわけで、深夜12時過ぎだがハリエットと共にサウサートン町にやって来た。

 兵士の数を増やすことも考えたけど警戒されたら厄介なので、さしあたっては2人での捜索だ。

 そもそも今回のようなケースで大量の兵士を動員するにはダーシーの許可が要る。しかしこんな時間に彼女を叩き起こすだけの根拠はない。あくまで情況証拠を基礎にした推測の域を出ないからだ。

 

 月光を反射した雪がはらはらと町に降りていく。(かじか)む手を握り、こそこそと歩き回る。

 

「いないね」ハリエットがコートのポケットに手を突っ込んだまま言った。

 

「だなぁ」

 

 淫魔が人間社会に潜むとしたら蝙蝠形態のほうが都合がいいはず。したがって季節外れな蝙蝠を探しているのだけど、当然なかなか見つからない。捜索範囲が比較的に限定されているとはいえ、小動物1匹をピンポイントで見つけるのはやはり骨が折れる。

 

「ねぇ」ブルブルしている俺とは対照的に涼しい(・・・)顔のハリエット。「目ぼしい場所とかないの?」

 

「そうだなぁ……」

 

 なぜ性交に留まらず殺人にまで至ったのかは分からないが、一般的な習性としては、蝙蝠になって寝室に忍び込み、人間の精液と子宮を利用するということが挙げられるよな……。

 

「……あー」

 

「何か思いついた?」

 

「思いついたってほどじゃないけど、もしかしたら町の中心部のほうがいいかもしれない」

 

 具体的には何軒かの宿屋が集まっている区画。

 宿屋には比較的若い人──旅に耐え得る人が集まる。年齢による妊娠率と流産率の違いを考慮するならば若い人をターゲットにしたいはずだ。

 しかもこの町の住民ではないことが、〈サウサートン町に淫魔がいる〉という結論に至りにくくさせる。夢の内容を記憶していなかった場合はもとより、仮に憶えていたとしても旅人はすぐにこの町から出ていく。つまり、嫌疑の根拠になる被害情報が集約されづらいことが、事態の発覚を遅らせることに繋がるんだ。

 

 ただ、仮に宿屋を狙うという推測が的を()ていたとしても、アイラのような例もある。

 未だ謎が多いのが淫魔という存在だ。俺の価値観による推測がどの程度通用するかは不明──宿屋どうのといってもあまり期待はしないほうがいいだろう。

 

 しかしハリエットに否やはないらしい。「じゃあ行ってみよう」

 

「んー」

 

 

 

 

 

 

 建物の影に身を隠して3軒の宿屋を見張る。

 

「……」「……」

 

 携帯用の時計は実用化されているが、一辺10センチの立方体で持ち運びにはそれほど適していない。

 要は、今回は持ってきていないのでどのくらい監視を続けているかを正確に把握することはできない。

 

 そうして曖昧な時間を暗い寒空の下で過ごしていると、唐突にそれが視界に入り込んできた。

 

「ノア君」ハリエットが声を潜めて注意を促した。

 

「分かってる」

 

 黒いものが宿屋の周りを飛んでいる。

 一見、ただの蝙蝠のようだが、よくよく感覚を研ぎ澄ますと人間の魔法使い以上に濃密な魔力を内包しているのが分かる。完全に黒だ。

 

 さて、俺には飛行中の蝙蝠を捕まえ、又は攻撃する手段は原則的にはない。

 しかし、だ。

 

「行ける?」ハリエットに問う。

 

「あのくらいの高さなら」視線は忙しく飛び回る蝙蝠を確実に追っている。「余裕だよ」

 

 ハリエット・ストラット(21)。頭も悪いし言動もアレだが、バトル漫画でも通用するあり得ない身体能力を前提にした野性的な剣を振るう強者(つわもの)である。

 

「なるべく生け捕りにしたい」

 

 言葉が通じるなら自白が欲しい。

 人間社会の法においては魔族に保護されるべき法益は一切ないが、アイラの扱いを決めるに当たり、真犯人の自白はあったほうが当然いい。

 単に殺すよりも難しい注文だとは思うけど、ハリエットならできると信じられる。

 

 無言で頷いたハリエットが跳ぶ。文字どおり一足跳び(・・)で蝙蝠との距離を半分ほど詰め、次いで宙へ跳躍。

 しかしここで気づかれたのか蝙蝠の挙動に不自然な乱れ。だが遅い。

 

「──!」ハリエットが覇気を纏い、80センチほどのロングソードを一閃。

 

 硬い石畳に衝撃。おそらくは剣の腹で叩き落としたのだろう。けれど──蝙蝠の魔力が急激に膨張。そして──。

 

 屋根に着地したハリエットが、一瞬で俺の横に戻る。「あれが淫魔……」

 

「多分ね」

 

 蝙蝠形態が解かれて出現したのは褐色の人型魔族。頭部には小さな角、背中には黒い羽。これらの要素は日本人だったころにイメージした悪魔の姿と大きくは違わない。

 では相違点は何かというと、まず顔つきだ。一見して性別不明の極めて中性的な顔なのだ。強いて人間で例えるならば男装の麗人といったところか。

 また、身体的な特徴もどっちつかずだ。薄着ではあるが、胸の膨らみは確認できない。それなら男性が近いのかと思えば、腰から骨盤のラインには女性らしさがある。

 

 そんな淫魔が、見た目どおりの、男とも女とも取れる声で言う。「冒険者か、それとも兵士か」淫魔の魔力は針のごとき鋭さを帯びている。

 

 隠す理由はない。「裁判官です」

 

「……は?」淫魔が場違いな声音で困惑を洩らした。

 

「だから裁判官だってば」

 

「なぜ文官が出張っているんだ」

 

「なぜって仕事だからですよ」

 

「……人間は分からない」お互い様なことを口にした。「一応訊くが、お前らの目的はなんだ」

 

 こうして会話をしている間も油断なく観察しているつもりだが、隙は見受けられない。もしかしたら戦闘向きの個体なのかもしれない。

 

「目的は貴方の逮捕ですよ」ちょっとした意趣返しをしよう。「一応訊きますが、大人しくお縄につく気はないですか?」

 

 淫魔が嗤い、その濃密な魔力を鞭状へと変化させる。淫魔から伸びた10本ほどの長い鞭が蛇のように(うごめ)いている。確かな存在感は魔力が物質化した証左だろう。

 

 ハリエットが一歩前に出る。「ノア君、下がってて」

 

「悪いな」素直に任せる。

 

 不意に淫魔から表情が抜け落ち、重い殺意が場に充満していく。そしてそれが言葉となり放たれた。

 

 ──死ね。

 

 全ての鞭が殺到するが──。

 

「甘い!」ハリエットが気炎を吐き、全ての鞭を切り伏せる。俺の動体視力では完全には捉えられない。

 

「!?」ハリエットを過小評価していたのか淫魔が驚愕する。「これで裁判官だと? 信じられない……」

 

 それは勘違いである。

 

「クライトン伯爵領をナめないでよね!」しかしハリエットにそれを訂正する気はないらしい。

 

「ちっ」舌打ちしつつも追い詰められた生物の趣はない。「──!」更に魔力が噴出。10本、20本……と鞭が形成されていく。

 

 10本で駄目ならもっと増やせばいいということだろう。単純だが、それゆえに効果的だ。加えて、1本1本に通常の人間ではあり得ない量の魔力が込められている。

 外形上、もはや鞭ではなく触手のようだ。

 

 ハリエットの小さな背に動揺は見られない。しかし数と質を兼ね備えた害意の塊が相手では楽勝とはいかないはずだ。

 

 やむを得ないな。

 

 出し惜しみして死んでしまっては本末転倒。魔力を練り上げ、厄介な例外(切り札)を使おうとし──。

 

「ダメだよ」ハリエットがこちらを振り返らずに言った。叱るように、懇願するように。「私を信じて」

 

「……分かった」しかし魔力の準備だけはしておく。

 

「勝つから安心して」そして華奢な輪郭がブレる。

 

 何かが動いたかと思ったら、すでに触手が切り飛ばされている。そんな怪現象が恐ろしい速さで繰り返されていく。

 しかし淫魔もただされるがままではない。おそらくは見えているのだろう、周囲に展開されている触手を異常な速度で収束させ、ハリエットのロングソードを阻止──則ち刹那の停滞。即座に触手を仕掛ける。

 だが、ハリエットは屋根や壁をも足場にした三次元的な挙動で危なげなく回避。

 

「……」

 

 何回見ても理解不能な身のこなしだ。

  

 ハリエットの身体能力は〈スキル〉と呼ばれる特殊能力に支えられている。この世界のスキルは〈その所有、名称及び内容を自ずから(・・・・)認識できる技、魔法その他の特殊能力〉と定義される。

 スキルがなくても似たようなことができるケースもあるが、スキルを使ったほうが安定するし、性能も上がる。

 

 ハリエットの持つ〈この身は誰かのために〉という名のスキルは、守護する対象が近くにいるとき限定で身体能力を大幅に上昇させるものだ。

 曰く、守護対象との物理的な距離が近ければ近いほど強くなるらしい。何か他にも条件や効果がありそうな感じだったが、他人のスキル、特に戦闘職のそれを根掘り葉掘り訊くのはマナー違反だ。だから詳細までは俺も知らない。

 

 宿屋のお客さんが夜に響く戦闘音に窓からチラリと顔を覗かせた。「!?」驚愕。すぐにカーテンが閉められた。

 

 夜中に申し訳ない、と考えたところでハリエットから溢れ出ている圧が増す。気やオーラなどといった異能は存在しないはずだけど、今のハリエットからは爆炎のような何かを感じる。

 

 勝負に出るつもりか。

 

 またハリエットが消え、時折現れ、また消える。不規則なタイミングで停止を入れることで緩急をつけているのだろう。あるいはフェイトも交えているのかもしれない。

 

 巧く認識のズレを誘発できればいいが……。

 

「ちょこまかと……!」淫魔が鬱陶しげに悪態をつく。

 

 防御用の触手の塊が淫魔の左手側に作られる。が──ハリエットはそこにはいない。

 

「!?」

 

「──っ!」淫魔の背後を取ったハリエットが、上段から剣を振り下ろす──。

 

「マジか……」思わず呟いてしまった。

 

 淫魔の身体を覆う魔力の膜が出現し、ハリエットの渾身の一刀を弾いたのだ。

 

「ふん」淫魔がハリエットへ冷めた目を向ける。「やはり私の魔膜(ままく)は貫けないか」

 

 ハリエットが俺の側に戻る。「はぁ、はぁ、はぁ……」息が乱れている。

 

 スキルによるサポートがあるとはいっても疲れないわけではない。()しくは、そもそもスタミナの消費スピードも増加するタイプなのかもしれない。

 いずれにしろこれ以上は無理をさせられない。俺が──。

 

「まだやれるよ」ちょっと驚いただけ、とハリエットが明らかな強がりを不器用に言葉にした。

 

 ……そうだな。そこまで言うならあと少しだけ任せてみよう。

 

 練り上げておいた魔力で、ハリエットの、ハリエットのように真っ直ぐな剣を包み込む。

 

「!」

 

 ──〈法令魔法・事情判決の法理〉。

 

 俺の魔法が発動し、剣が白と黒のストライプ模様に変化する。

 ハリエットが安心したように一瞬弛緩し、しかしすぐに構え直す。

 

「なんだそれは」淫魔でも見たことがないらしい。警戒しているように見える。

 

「裁判官の相棒ですかね」

 

 言った後に、現場でこんな危ないことをするのは裁判官の仕事じゃないよな、と前世の感覚が湧いてきたけど訂正はしない。なんかカッコ悪いし。

 

「ヤバそうなら俺がやるからな」ハリエットに言い聞かせる。

 

 しかし「大丈夫」と拒否されてしまった。まだ呼吸は荒い。

 

 言いたいことはなくはないけど、「頼んだ」とだけ。

 

 ひらひらと白く冷たい花びらが舞い、じりじりと場の戦意が高まり──。

 

 



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幻想的密室殺人④

 俺には、風の便りで聞いた凄腕冒険者のようなチート級のスキルもなければ、〈戦神(せんじん)〉と(うた)われる傭兵のような身体能力もない。人類史上最強との呼び声高い魔法使いのような魔力量も、被害総額大金貨1億枚超えの大怪盗のような知能も、〈魔性の天使〉の異名で知られる貴族令嬢のような魅力も、〈最高にして最悪〉と言われる魔道具発明家のような閃きもない。

 

 しかし1つだけ面白いスキルがあった。それは自我が明確になったときにはすでに俺の中に存在していた。

 

 名を〈法令魔法〉。

 法学部の学生だった俺が日本で勉強した法学上の概念を、ファンタジー的な現象として発現させる魔法だ。

 例えば〈事情判決の法理〉がある。

 この法理は〈行政処分等に関する訴訟において、その処分等が違法又は違憲ではあるが、取消し、又は無効とすると公益を著しく害してしまう場合に、違法又は違憲である旨を宣言しつつも処分等の効力自体はそのまま有効とする判決を容認することで、社会全体の利益と個人の利益との調和を図ろうとする原理〉のことだ。

 簡単に言うと〈違法な処分ではあるけど、色んな事情を考慮して取消さないよ〉ということである。

 

 これがファンタジー世界の魔法になったとき、何が起きるかというと──。

 

 

 

 

 

 

 濡れた白銀が淫魔の胸部から飛び出す。

 

「!?」淫魔が驚愕する。「なぜ……」

 

 ハリエットの刺突(しとつ)が淫魔の防御魔法──魔膜(ままく)を突破して心臓を貫いたのだ。

 

 しかしハリエットに油断はない。想定外の事態に隙を晒している淫魔から剣を抜き、一閃。淫魔の右腕と右の羽が、ぼとり、ぼとり、と地に落ちる。鮮血が、うっすらと積もった雪を溶かしていく。

 

「くっ」淫魔が肩の切断面へ手をやる。だがその程度で血が止まるわけがない。

 

 肩で息をしているハリエットが、けれど強い口調で言う。「あなたの負けだよ。おとなしくして」ロングソードを居合いのように構え、抵抗に備える。

 

「……ちっ」淫魔の戦意が霧散する。「好きに、しろ」

 

 終わったか。

 

 全てが見えたわけではないけど、ハリエットがやったのは〈淫魔に近づく〉〈触手の塊を見てルートを変える〉〈淫魔の背後に移動し突き刺す〉ということだけで緩急などの小細工は行っていなかった。所謂、見てから回避、というやつだ。つまりは、身体能力の強化率が間違いなく上がっていた──俺の魔法の効果ではない。ハリエットにも奥の手があるのだろう。

 しかしこの世界、強力な、あるいは有用なスキルには不都合な点──デメリットやリスク等があることが多い。重い対価を支払っていなければいいが、なんとなくそこを訊いても教えてはくれない気がする。

 

 さて、〈法令魔法・事情判決の法理〉の効果だが、〈防御魔法その他の防御スキルへの貫通効果を武器や攻撃スキルに付与する〉ことだ。

 推測するに、事情判決の法理の〈違法ではあるが、有効である〉という要素が〈本来防がれてしまう攻撃ではあるが、通用する〉に変換された結果だと思う。

 これがハリエットが淫魔の魔膜を破ったからくりだ。

 

 スーツの内ポケットから魔法で耐久性を上げられた薬瓶(くすりびん)を取り出す。

 

 淫魔に近づく。「これを飲んでください」

 

「なん、だそ、れは」

 

「スキルの使用を阻害する薬です」

 

 ものすごく希少でとってもお高い薬だ。

 そもそも魔族は心臓を破壊されると再生するまでスキルが使用できなくなり、かつ身体能力が低下する──首を切断しない限り死なない。だから、人間用の、魔族に効くか分からない高級な薬を与えるのは合理的とは言えない行為だ。

 それでも飲ませたい理由の1つは、真犯人か否かを落ち着いて調べるために城に留置させる際の安全確保をより確実なものにしたいからだ。

 

 ただ、仮に素直に真実を話してくれて、淫魔が真犯人であると判明したとしても問題はある。

 アイラに対する起訴の取り下げはすんなり行くだろうが、その後の淫魔の扱いが問題なんだ。

 俺たち人間の法は人族(人間、エルフ等)を権利義務の主体としており、当然その効力は人族を対象にしている。魔族への言及はほとんどなく、せいぜい〈魔族は絶対的な悪であり、あらゆる権利を持たない〉〈魔族には苦痛と絶望を与えなければならない〉といった趣旨の文がちらほらと見受けられるくらいだ。

 

 で、魔族が人間に捕まった場合どうなるかというと、人間以上に苛烈な身体刑を科されてから斬首される。その前に研究対象になることもある。

 魔族との戦争終結から久しい現代ではそもそも魔族を捕まえること自体が稀であり、したがって魔族の身体刑や死刑もほとんど行われていないが、アーシャ教の教典や前例を考慮するとこの淫魔もそうなる可能性が高い。

 

 だが俺はこれを覆したい。相手が魔族であろうと重すぎる負担を強いるのは間違っている。

 たしかに、〈あらゆる権利を持たない〉という文言をそのまま適用するならば、どのような扱いをしても許されることになる。

 

 でも、いくらなんでもそれは違う。多くの人が支持する教典に書いていたとしても、だ。

 裁判官に法解釈権限があるとはいっても限度がある。だからこんなことを願う俺は悪なのだろう。

 

 というわけで(?)嫌そうな顔をしている淫魔にしつこくお願いする。

〈念入りにスキルを封じた状態(=危険が少ない状態)〉と〈協力的な態度〉を交渉のカードにしたいのだ。これが薬を飲ませたい理由の2つ目。

 

「飲まないと後ろにいるアホっぽい子が、嬉々として人間の闇の深さを教えてくれますよ」実際にやるつもりはないが、暗に、身体能力お化けが(いじ)めちゃうよ、と脅す。

 

 しかしハリエットが余計なことを口走る。「え、私、闇魔法使えないよ……」

 

 世の中には、口さえ開かなければ美人なのになぁ、と言われる女性がいるが、まさにそれである。あなたは黙ってて、頼むから。

 

「……はぁ」淫魔の溜め息。「寄越、せ」

 

 承諾してくれたようだ。でも渡すのは躊躇われる。

 

「私が飲ませますので口を開けてください」

 

「……」数秒の沈黙の後、淫魔は顔をやや上に向けて口を開けた。

 

「それじゃあ行きますよ」口が閉じないように固定して液体の薬を流し込む。

 

「ん、ん……」特に抵抗はないが若干涙目だ。

 

 薬瓶が空になった。

 

「はい、終わりです」 

 

 それじゃあサウサートン町にある衛兵の詰所に行って護送用の馬車を借りますか。

 

 

 

 

 

 

「は?」若い女衛兵が目を白黒させる。淫魔を見て、俺を見て、また淫魔を見る。「は?」 

 

 駄目だ。魔族の逮捕という想定外の事態に脳がフリーズしてらっしゃる。

 仕方ない。後でフォローするってことで勝手に馬車を拝借しよう。

 

 ……ん? いや、俺もハリエットも使用権限は普通にあるから勝手に拝借というのはちょっと違うか。

 

 混乱中の女衛兵に挨拶。「それでは失礼します」

 

 

 

 

 

 

 お城のどデカイ玄関ホール。俺、ハリエット、淫魔にダーシーと警備の兵士が会している。

 

「夜中に起こされたと思ったら、これはこれは……」ふかふかのナイトガウンを羽織ったダーシーが、興味深そうに拘束された淫魔を見る。

 

「申し訳ありません」とりあえず謝るという日本人的対応である。

 

 予定では、淫魔に朝まで俺の自室に居てもらい、ダーシーが起床したら報告と相談に行くつもりだったのだが、馬車を確認した門衛(もんえい)が即、報告に駆け出してしまったのでこうなった。

 

 ダーシーが腕を組む。「で、ノアはこれをどうしたいんだ?」

 

「人間の被疑者に準じて扱いたいと考えております」まずは断られる前提で無理な要求をする。

 

「……商人の真似事か?」こちらの意図は読まれていたようだ。「通したい要求はなんだ?」

 

 流石にダーシー相手にこの程度の小細工は通用しないか。

 

 俺がやろうとしたのは〈ドア・イン・ザ・フェイス〉と呼ばれるテクニック──最初に過大な要求をして断らせ、その後に本命の要求をすると返報性の心理により承諾してもらいやすくなることを利用するもの──だ。

 しかし初歩中の初歩であるためこのテクニックを全く知らない人間にしか通用しない。この世界では一般的ではないかもしれない、と思って試してみたけど、まぁ無理だよね。

 

 どうしようもないので馬鹿正直に述べる。「淫魔の管理と処刑を私に一任していただきたく」

 

「……」珍しくダーシーが即答しない。

 

 俺たちを見守る兵士から緊張が伝わってくる。

 裁判官が魔族を管理するというのは、少なくとも俺の知る範囲では前例のないことだ。それを新人風情が粛清も厭わない権力者にお願いしているのだ。固唾を呑んで、といった態度も当然だろう。

 

 ダーシーが、ふん、と鼻を鳴らした。「こういう顔が好みなのか?」嫌らしく口角を上げる。「私では抱いてもらえないわけだ」

 

 ざわ、と兵士たちが色めく。

 

 パワハラとセクハラの合わせ技ではなかろうか?

 

 しかしそれを主張することはできない。異世界には夢ではなく、より不都合な現実が溢れているのだ。

 

 カードを切る。「……心臓は破壊し、スキル封じの薬も飲ませました。本人に抵抗の意思もありません。認めていただけませんか」

 

 ダーシーは厳罰主義者であるが、それは道徳的な意味で厳罰が必要と考えているのではなく、少ないコストで効果的な犯罪抑制ができるからにすぎない。だから、国教であるアーシャ教の教典に書かれていることでも、従った場合のメリットがなく、かつ破った場合のリスクが少なければ躊躇いなく無視する。

 つまり、身体刑を実行していないのに〈しっかり苦痛を与えました〉と嘘をついてもバレる可能性が低い情況ならば、わざわざ実際に身体刑を実行するのは時間と労力の無駄でしかないと考えるはずなんだ。

 したがって、俺が淫魔を管理する、則ち淫魔に関わる人間が少なくなるというのは、領民や他の貴族などに嘘をつきやすくなるためそれほど嫌がらないと思われる。この場合のダーシーの懸念は、淫魔が抵抗してクライトン伯爵領に損失が出ることくらいだろう。しかし、念入りにスキルを封じたことでその懸念も潰している。

 それに、これは俺の主観的な感想だが、おそらくダーシーは優しい性格をしている。より正確には、〈自分の支配下にいる人間に対しては、基本的には優しい人間〉といったところだろうか。

 悪くない上司だと思う。こうやって前衛的なお願いをしても、最低限、話を聞いてもらえるのは、本当にありがたい。

 さて、そんな優良上司(?)の返答は……。

 

 ダーシーが組んでいた腕を下ろす。「淫魔はノアの部屋で管理しろ」またすぐに組む。「それから期間は1週間だ。1週間以内に全てを終わらせろ。この2つが条件だ」

 

「……」なるほど。

 

 期間を短く設定したのは、情が移るのを防止するため、あるいは(いたずら)に処刑を先延ばしにさせないためだろう。

 つまり〈人目に触れさせないならば身体刑は科さなくてもいいが、1週間以内の斬首刑だけは必ず実行しろ〉ということだ。

 

「どうした? 不満か」瞳に嗜虐の色。俺の胸にダーシーの手が触れる。「ノアの態度次第では多少は考えてやってもいいぞ……」

 

 兵士たちから先程よりも強い好色めいた気配。

 

 他人事(ひとごと)だと思って……。

 

「いえ、不満はありません」やんわりと手を押し返す。「認めてくださり、ありがとうございます」

 

「……もう少し面白い反応をする気はないのか?」

 

「ユーモアのセンスはないので」

 

 肩を竦める、ダーシーが。

 

 

 

 

 

 

 自室に戻ってきた。

 

「はー」疲れた。 

 

 時刻は夜中の3時。室内はそこそこに寒い。暖炉に火をつける。 

 ぼふん、とベッドから音。振り返るとハリエットが俺のベッドに倒れ込んでいた。かなり疲れているのだろう。

 

「付き合ってくれなくても大丈夫だぞ」

 

「……ぅ」もごもごしている。「……」すぐに寝息が聞こえてきた。

 

 あらら。

 

 横からハスキーヴォイス。「何を考えている」今まで静かだった淫魔が不意に疑問を口にした。

 

 俺の部屋にいるのはこれで全員だ。1対1対1で完璧な男無女比(?)になっている。

 

「正しい法の探求ですかね」

 

「はぐらかすな」淫魔には理解してもらえなかったらしい。「私をどうするつもりだ」

 

勾留(こうりゅう)と取り調べ、そして処刑ですね。拷問するつもりはないので、そこはご安心を」ここで思い至る。「私はノアと言います。貴方は?」名前を知らないのは不便だ。

 

「……ヴァレーリヤ」静かな夜だから聞き取れる大きさの声で名を告げた。

 

「それではヴァレーリヤさん。まずはメイソンさん殺害事件についてお話ししましょう。サウサートン町のメイソンさんのことは知っていますか?」

 

「……」しかしヴァレーリヤは答えない。「なぜ拷問しない」

 

 魔族側も人間に捕まった場合にどのような扱いを受けるかは分かっているみたいだ。

 でも大抵の物事には例外がある。法律にも人間にも。

 

「妥当性に欠けるからです」

 

〈魔族には苦痛と絶望を与えなければならない〉という規定を〈身体刑を科す、例外のない義務〉と解釈するならば、あるいは魔族の扱いに関する慣習──慣習上、魔族への取り調べは拷問を伴う場合がほとんど──に法源性を認めるならば、俺の行為は違法だ。ダーシーの許可があるから表面上は若干グレーに近づいた感じがしなくもないが、知識のある人の大半が真っ黒な違法行為とみなすだろう。

 しかし、魔族の死ににくい性質を利用した身体刑や拷問は、凄惨さにおいて人間に行われるものを凌駕する。それを受け入れたくはない。仮に身体刑や拷問を実行せざるを得ない場合でも、せめて人間に対するものと同程度に抑えたい。

 

 まぁ、いろんな理屈は用意できるけど、そんなことを並べ立ててもおそらく無意味だろう。

 だからもっと人間的で自分勝手な本音を、得心のいかない顔をしているヴァレーリヤに伝える。

 

「拷問が嫌いだからです」それだけではない。「それに四肢切断も八つ裂きも串刺しも火炙りも嫌いです。あんなものは存在しないほうがいい。したがって可能な限り拷問はしません」

 

 死刑制度には賛成だが、だからといってたくさん苦しめてもいいとは思えない。

 

「……」熱に浮かされた薪の弾ける音だけが室内を(いろど)る。やがてヴァレーリヤが何かを呟く──独り()ちる。「……り……うじゃないか」

 

 何を言ったかは分からなかった。訊き返そうと口を開きかけるも、ヴァレーリヤに先を越された。

 

「……知っている。メイソンのことは知っている」

 

 どうやら話してくれる気になったようだ。

 

 形のいい口が動き、過去が語られ始めた。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 繁殖期が終わり、ヴァレーリヤが魔界にある淫魔の里に行くと、とある話題で持ち切りだった。

 

「ヴァレーリヤはどっちがいいと思う?」フョークラが訊いた。

 

 フョークラは友人と言っても差し支えない存在だ。年齢も近くて話しやすい。

 

「そうだな……」と悩むフリをするが答えは決まっている。「ゲオルギー様」

 

「えーなんで?」フョークラは違うみたいだ。「ズィークフリド様のほうがいいじゃん」

 

 そんなことはない。

 

 しかしあえて口にはしない。

 

 ゲオルギーとズィークフリドは魔王の座を巡って争っている。

 フョークラによると、ズィークフリドは人間の国を積極的に征服するべきだと考えいるらしい。ズィークフリド曰く、人間は残酷で傲慢な醜い種族であるので、絶対にこの世界から駆除しなければならないとのことだ。また、人間の土地や資源の奪取による魔界の拡大と成長を狙っている。

 一方、ゲオルギーは穏健派だ。曰く、人間と積極的に関わるようなことはせず、内政に力を入れて魔界全体の生活水準の緩やかで確実な成長を目指すそうだ。

 

 正直どちらにもあまり魅力を感じない。が、強いて選ぶならばゲオルギーだ。人間とはよく交わるが、彼らは残酷で傲慢なだけの存在ではないように思える。とはいえ人間のことはそれほど詳しくない。ズィークフリドが正しい可能性もある。

  

 ズィークフリドとゲオルギーは、近々戦場で雌雄を決するらしい。

 しかしヴァレーリヤにとっては遠い世界の話。フョークラもそうなのだろう。だからこうして気楽に噂話として楽しめる。

 

「ゲオルギー様ってなんかキモくない?」フョークラが失礼なことを言った。「あれはない」絶対ない、と繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 ほどなくしてズィークフリド率いる吸血鬼軍とゲオルギー率いる堕天使軍の戦いが始まった。

 いずれも魔界を代表する種族。その武力は言うまでもなく強大だ。

 

 しかし今のところヴァレーリヤの日常に影響はない。淫魔の里は戦場から離れている。だからやはり対岸の火事だ。そう思っていた。だが──。

 

「堕天使種?」炎狼(えんろう)の里からの帰路に就いていたヴァレーリヤが、淫魔の里の上空に突如として出現した魔法陣から1人の堕天使が現れ、そのまま落ちていく様を見て首を捻った。

 

 転移魔法? でもどうして私たちの里に?

 

 分からない。しかしあと少しで里に入る。その時に訊けばいい。

 

 努めて歩を進めようとして、また足を止めた。

 

「あれは……!」

 

 今度は巨大な魔法陣が先程よりもずっと高い位置に出現した。

 実際に見るのは初めてだが、おそらくあれは大規模殲滅魔法だ。ヴァレーリヤの見立てを裏付けるように、強烈な殺意を孕んだ魔力が魔法陣から溢れ始めた。

 どう考えても淫魔の里が殲滅範囲に含まれている。

 

 どうすればいい……?

 

 分かっている、ヴァレーリヤにできることなど何もないことも、願っても時間は止まらないことも。

 

 そして魔法陣から真紅の魔力が放たれた。

 

「っ!」

 

 血のように紅い魔力だ。血の雨が降り注ぎ、大地を破壊しているのだ。則ちそれは淫魔の里の壊滅を意味する。

 

「みんな……」

 

 立ち尽くすことしかできない。終わりを告げる真紅が止むのを待つことしか。

 

 

 

 

 

 

 事実上の魔界最強を決める戦いを制したのは、先祖返りの天才と称されるズィークフリドであった。

 魔王になったズィークフリドは、まず最初に自分に従順な者を選別──反乱の恐れのある者を徹底的に粛清した。(おびただ)しい魔族が殺され、魔界の人口もかなり減ってしまった。

 

 すぐに人間との戦争が始まる、このままならば。

 

 魔界全体が不安と殺意の混じり合った異様な空気に包まれる中、ヴァレーリヤは炎狼の里にいた。

 

「お主は行くのか」年老いた炎狼の男が、単なる確認とも未練とも取れる口調で言った。

 

「ああ。私は戦いが得意ではない」ヴァレーリヤは戦いが嫌いだ。「いても足を引っ張るだけだ」

 

「……そうか」含みのある声音。

 

 しかし否定はしないようだ。

 

「すまないな。世話になった」罪悪感と謝意を素直に言葉にした。

 

 ヴァレーリヤは炎狼の里を出て、人間の国──ハイヴィース王国に向かうつもりだ。またすぐに繁殖期がやって来る。その時には人間の近くにいなければならない。

 それに、反乱には加わりたくない。

 今回の粛清劇で世論は一気に反ズィークフリドへと傾いた。近々、多種族合同の反乱軍が魔王城に攻め入るらしい。炎狼族も反乱に参加するそうだ。

 ヴァレーリヤも誘われたが、断らせてもらった。もしかしたら自分は薄情なのかもしれない、と思うも、意思は変わらなかった。

 

 独り、炎狼の里を出る。

 

 みんな死んでしまった。フョークラももういない。

 ヴァレーリヤが魔界に留まる理由は、もはや存在しない。

 

「……」

 

 歩く。

 

 

 

 

 

 

 淫魔にはそれぞれ異なった特徴を持つ3つの形態がある。1つは角があり羽もある通常の魔族形態。1つは蝙蝠形態。そして最後の1つは人間形態。

 ハイヴィース王国にある森の木の上、蝙蝠形態のヴァレーリヤは長旅の疲れを癒そうと暫しの休憩を取っていた。

 

 すると複数の気配を感じた。そちらに意識を集中させると鳴き声。

 

 ゴブリンと……オーク?

 

 果たして、5匹のゴブリン──緑色の小さな鬼と1匹のオーク──豚顔で2足歩行の大きな鬼が、ヴァレーリヤの止まる木の下に現れた。そして不幸なことにこの場で6匹の戦闘が開始されてしまった。しかし幸いなことにヴァレーリヤには気づいていないようだ。

 このままやり過ごそう。魔物と関わるつもりはない。

 

「……!」「ギャギャ!」「グァ!」

 

 数分の後、退屈な殺し合いは相討ちという結果に終わった。しかし。

 

「……ギ、ャ……」

 

 1匹だけ生き残りがいた。ゴブリンだ。身体中血だらけで左の眼球は飛び出している。糸状の視神経はまだ繋がっているが、もはや映像認識用の感覚器としては役に立たないだろう。

 

 まずいな。

 

 このまま放置していては他の魔物や肉食動物が血の匂いに誘われて寄ってきてしまう。疲れてはいるが、移動したほうが無難かもしれない。

 

 しぶしぶ飛び立とうして、はたとやめる。今度は人間の男がやって来たのだ。2振りの片手剣──おそらくは双剣──を腰に()げているが、鎧の類いは身に着けていない。背には小さめの袋を背負っている。

 

 冒険者か……?

 

 しかしそれにしては軽装にすぎる。ヴァレーリヤの記憶が確かならば、人間の冒険者は、全身ではないにしても革鎧等の何らかの防具を装備していたはずだ。基本的には魔物を殺すことが仕事なのだから、やはり記憶は正しいように思える。

 

 もしかしたら手練れなのかもしれない。

 

 (たま)にいるのだ、そもそも鎧を必要としない人間が。優れているのは回避能力だろうか、防御力だろうか。

 あるいはスキルにより何らかの制限を課せられている可能性もある。スキルの使用条件や保有条件により防具を装備できないパターンだ。

 

 しかし、魔物のいる森に1人で来ているところを見るに、一定以上の実力者には違いない。

 

 面倒だな。

 

 たかだか人間1人に(おく)れを取るとは思わないが、疲れている時に魔力を大量に消費することはやりたくない。バレないでくれ、と願いながら息を殺す。

 

 男が死にかけのゴブリンを見下ろす。だが眉間にシワを寄せるだけで止めを刺すわけでもない。

 

 何をしている?

 

 殺さないなら早く立ち去ってほしい。そう思って少しばかり焦れていると、男が袋を地面に置いて片手剣を抜いた。どうやら殺すことに決めたようだ。

 

 しかしヴァレーリヤの予想は裏切られた。

 

 男は、邪魔なだけの飛び出した眼球に繋がる視神経を切断し、次いで袋から薬らしきものを取り出してゴブリンに塗布(とふ)したのだ。

 

 ()みたのかゴブリンがか弱い呻き声を上げる。

 

「我慢してくれ」やや高めの声で男が言った。その内心は窺えない。

 

 質が悪いと傷薬の効果が表れるまで時間が掛かることがある。男が使った物もそうだったのだろう。ややあってからゴブリンの苦悶の表情が(ほぐ)れた。

 すでに男はいない。回復を見届けずにどこかに行ってしまった。

 残されたゴブリンは、セイレーンに幻術を掛けられた(つつまれた)ような顔をしている。勿論ヴァレーリヤも似たようなものだ。

 

 なんだあいつ……。人間は魔物を殺す生き物ではないのか?

 

 特にゴブリンは嫌われていたはずだが、と首を(かし)げる。

 

「……」

 

 移動しよう。そろそろ町に入りたい。

 

 

 

 

 

 

 繁殖期の淫魔が人間社会に紛れ込むときは、基本的には蝙蝠形態か人間形態になる。どちらにするかは状況や淫魔ごとの好みにもよるが、今回、ヴァレーリヤは蝙蝠形態を選択した。戦闘能力が著しく低下するとしても高い隠密性は魅力的だ。

 

 現在、ヴァレーリヤはハイヴィース王国にあるクライトン伯爵領のサウサートン町を繁殖場所に決めて身を隠していた。

 ある日、数日前に森で目撃した変わった人間を見掛けた。

 

 あいつは……。

 

 建物の軒下にぶら下がったまま男を見る。間違いない。森でゴブリンに傷薬を与えていた男だ。

 男は川の近くにある建物に入っていった。

 

「……」

 

 ヴァレーリヤは自身の中に不可思議な感情が存在することに気づいた。男に興味が湧いてきたのだ。

 (つね)ならばこんなふうには思わない。人間は繁殖に利用するためのもので、それ以上でもそれ以下でもない。ズィークフリドのように積極的に殺そうとも考えないし、かといって仲良くしたいとも思わない。

 それがどうしたものか、興味がふつふつとしている。

 

「……」 

 

 じくじくとしている。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくの間、男を観察した。するといつくかのことが分かった。

 まず、男──メイソンはこの町で鍛冶屋をしている。ただ、しばしば冒険者ギルドにも出入りしているようだ。普段着のまま町から出たと思ったら、特に怪我もなくひょっこりと帰ってくる。これはつまり兼業冒険者というやつだろう。

 また、メイソンは甘い性格をしていた。目の前で困っている人間や魔物、動物がいるとつい手を差し伸べてしまうようだ。その時は決まって眉間に深いシワを作る。不幸な他者を憐れんでいるのか愚かな自分を哀れんでいるのか定かではないが、あるいは両方かもしれないな、とヴァレーリヤは思っている。

 

 町の近くの、大して強い魔物や動物もおらず人間もあまり来ない森にて、蝙蝠形態のヴァレーリヤは思案する。

 

 私はどうしたらいいんだ……。

 

 すでに興味は好意に変わっていた。それは否定しようがない事実だ。

 

「……」

 

 淫魔が誰かに恋愛感情を抱くことは滅多にない。ヴァレーリヤも初めてだ。しかし話に聞いたことはある。だから絶対にあり得ない事態というわけではないことは理解している。けれど戸惑いは覚える。とはいえ最も強い感情は明白だ。

 

 駄目だ。抑えられない。

 

 淫魔の特性らしい。普段は恋愛とは無縁の精神構造をしているのに、一度それに囚われると強烈な愛欲に襲われる。

 

 木から降りる。魔力を消費して人間形態へと変化。

 繁殖のための性交ならば夢の中ですれば足りるが、愛欲を満たすにはそれでは足りない。実際に抱かれないと満たされない。経験はなくとも本能で分かる。どうしようもなく芯が熱い。

 

 頭がおかしくなってしまった。でも構わない。欲しい。欲しい。欲しい。

 

 町へと歩き出す、鮮やかな青の長髪を風になびかせながら。

 

 

 

 

 

 



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幻想的密室殺人⑤

 ヴァレーリヤに恋愛経験はない。あるのは夢の中での性交の経験だけだ。とりあえず女の身体に変化したのはいいのだが、恋の駆け引きなどできようはずもない。元々小細工が苦手で不器用なところもある。

 したがってヴァレーリヤは真っ直ぐに想いを伝えることにした。

 

「お、おい」メイソンの鍛冶屋の近くで声を掛けた。

 

「……俺、だよな」メイソンは不審そうに言った。

 

「そ、そうだ」なぜか声が震える。「そのだな、じ──」

 

「あんた人間か……?」唐突にメイソンが警戒を顕にする。「この魔力量……」

 

「……」

 

 やはり隠せないか。

 

 こうなる気はしていた。観察した限りでは、〈人間にしては〉という注意書きが付くもののメイソンはかなりの実力者。ヴァレーリヤ程度の下手な魔力操作では、すぐに見破られてしまっても何ら不思議ではない。この距離ではなおさらだ。

 

「……違う」誤魔化すことはできないだろう。だから正直に答えた。「私は淫魔だ」

 

 メイソンが腰に手をやるが、今はいつもの双剣は装備していない。舌打ちを1つ、じりり、と間合いを整える。「何が目的だ?」

 

「……」改めて訊かれるとなんだか言いづらい。

 

(だんま)りか」警戒レベルが上がったのだろう、メイソンの眼光に鋭さが増す。

 

 まずい。

 

 雲行きが怪しくなってきた。分かってはいたが、実際に直面するとかなり焦る。

 

「違う! 私は戦いに来たのではない!」少し早口。

 

「……」メイソンの警戒は解かれない。

 

 や、やばい。今にも戦いが始まりそうだ……。

 

 早く言わなければ、と自身を奮い立たせて、決定的に間違っている気がしないでもないことを口にした。

 

「わ、私はお前に抱かれたいだけだ!」

 

「……は?」

 

 

 

 

 

 

 初めは断られた。けれど自身の状態を話して不器用ながらに懇願すると首を縦に振ってくれた。

 察してはいたが、情に流されやすいところがあるようだ。でも、そこも好きなところだ。何よりそのおかげでメイソンと関係を持つことができた。

 

 しかし、何度も体を重ねてヴァレーリヤの心に多少の余裕ができると新たな感情が生まれてきた。

 それは嫉妬心──独占欲だ。それも並ではない苛烈な。強すぎる愛欲の裏返しなのかもしれない、と朧気(おぼろげ)に理解はしているが、そんなことよりもメイソンに他の女を抱かないようにさせなければいけない。

 

 メイソンの腕の中で眠っていいのは私だけだ。愛を囁かれてもいいのは私だけだ。メイソンに精液を注がれていいのは私だけだ。誰にも渡したくない。絶対に渡してはいけない。

 

 不意に、そして、ちら、と以前フョークラが言っていたことが頭を過る。

 

 ──私たちは恋をしてはいけない種なの。恋した淫魔は皆おかしくなってしまう。一時は満たされても、決してそれが続くことはない。

 

 しかし、そうとは限らないだろう、と思う。なぜなら他の女さえ排除できればヴァレーリヤは無欠の幸福を得ることができる。それだけでいいのだ。フョークラは恋をしたことがないから分からないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 雪の降らない夜。

 事を終え、何とはなしに互いの指を絡めたり(ほど)いたりしている時にヴァレーリヤは切り出した。

 

「……なぁ」

 

「ん」聞いていることを伝えるだけの返事。少し眠そうだ。

 

「アイラとは会わないでほしい」努めて穏やかに。

 

「!」一瞬驚いたように小さく身じろぎをした。「気づいていたのか……」

 

 私が知らないわけがない。

 

 メイソンのことはいつも観ている。ヴァレーリヤと出会ってからアイラのことを抱いた回数も知っている。淫魔の感知能力でその量(・・・)も正確に把握している。

 

「なぁ」平坦な声音。「私だけじゃ不満なのか」中途半端に身を起こして瞳を見つめる。

 

 メイソンの黒目が不規則に揺れる。「そんなことはない」

 

「嘘だ」ことり、とメイソンの胸板に頭を乗せる。「もう飽きてしまったのか」

 

「そんなことはない」全く同じ、信用できない言葉。

 

「……容姿なら魔法でいくらでも変えられる」人間形態への変化を調整すればいいだけだ。

 

 もぞもぞと動き、今度はメイソンに跨がる。

 

「ほら」実際に変化してみせる。

 

 背の高い女、低い女、痩せた女、太った女、幼い女、成熟した女。それからそれから。

 

「──」メイソンの眉間にシワ。

 

 何を考えている……?

 

 分からない。

 

「アイラとはもう会わないと約束して」

 

「……」しかし無言。

 

 仕方がない。あまりやりたくはなかったが、他の女を抱かれるよりはマシだ。

 

 ヴァレーリヤがまた変化していく。そして。

 

 メイソンが息を呑む。「アイラ……」呟いた。

 

 薄紅色の髪が視界に入る。不快。

 ヴァレーリヤが変化したのはアイラだ。これならばわざわざ本物のアイラのところに行かなくてもいいはずだ。ヴァレーリヤで済ませてくれるはずだ。

 

「お願いだ」両手を強く握る。「私だけを見てくれ」私だけを、私だけを……。

 

 そう長くはない静かな時が流れてからメイソンが口を開いた。「分かった」

 

 安心感が混じった幸福感が痺れるような渇望へと変わっていく。またしたい。また欲しい。

 

 ヴァレーリヤが行動に移すとメイソンが少しだけ声帯を震わせた。

 

 ──愛してる。愛してる。愛してる……。

 

 ヴァレーリヤが何度も想いを沁み込ませる。アイラの顔のまま何度も何度も──。

 けれど──メイソンの心は見えない。

 

 

 

 

 

 

 愛してると言ってくれた。ヴァレーリヤだけを愛すると約束してくれた。ヴァレーリヤだけを抱き続けると。

 

 それなのに。

 

 蝙蝠形態のヴァレーリヤが夜空に溶ける。風に流される雲の切れ目から、時折、月光が降りそそぐ。

 

 遥か上空にいるヴァレーリヤは、蝙蝠をベースにした高い聴力と淫魔特有の性行為に対する異常な感度で以て、メイソンとアイラの情事を正確に把握していた。

 

「……」

 

 ヴァレーリヤの中で何が切り替わる。

 

 もういい。私以外に欲情するならばもういらない。

 

 愛情の醜い部分──憎しみと執着が心裏を満たしていく。それは瞬く間にヴァレーリヤを愛と快楽の囚人から殺意と悪意の奴隷へと変貌させた。

 

 殺す。お前が(むさぼ)るその女を使って殺してやる。

 

 メイソンが達する。ヴァレーリヤの感知能力はそれを正確に捉えた。

 

 

 

 

 

 

 淫魔には種族共通の能力が幾つかある。変身能力や人間の夢に侵入する能力などだ。それらに個体ごとのスキルが加わったものが、その淫魔の能力になる。

 ヴァレーリヤ特有の能力は、夢の中で性行為をしている時に限りその人間の肉体を操作できるというものだ。この能力を利用すれば、ヴァレーリヤの黒い愛欲を容易に満たすことができるだろう。

 

 雲のない夜、蝙蝠に変身してアイラの自宅に侵入した。この地域の冬は冷え込む。だからどこの家にも暖炉があり、つまりは煙突があるため淫魔にとって都合がいい。

 

 眠るアイラの横──タンスの上に下りる。

 

「……」

 

 僅かにメイソンの匂いがする。しかしどうということはない。

 魔法系スキルを発動。アイラの夢に自身の分身を送り込む。分身はメイソンの形をしているが、深い意味はない。

 ヴァレーリヤが念じると、アイラが、むくり、と身を起こす。寝巻きのまま外に出て、迷いなくメイソンの家に向かって足を動かし始めた。ヴァレーリヤも続く。

 

 

 

 

 

 

 メイソンの家に着いた。まずはヴァレーリヤが煙突から室内に侵入する。そして鍵を開けてアイラを中に入れ、次いで鍛冶工房の隣にある台所から大振りの包丁を取り出させる。

 

「……」目を閉じたアイラがゆっくりと階段を上っていく。

 

 階段が終わった。廊下を進んで何度も訪れた寝室の前まで移動し、音を立てないように慎重に寝室のドアを開ける。メイソンが目覚める気配はない。

 たしかにメイソンの双剣(さば)きは大したものだ。剣士として優秀なことに疑いはない。だが欠点もある。それは気配察知能力。

 しかしこれも基本的にはそれほど大きな欠点とはなり得ない。なぜなら優秀な感知用スキルがあるからだ。ただ、このスキルも〈メイソンが味方だと認識した存在〉と〈メイソンに敵意を持たない存在〉が対象から外されるという厄介な性質がある。

 

 ヴァレーリヤとアイラのことは味方と考えているのだろう、結論として睡眠中のメイソンは2重の意味──気配察知能力の低さとスキルの性質──で2人に気づけない。自身に向けられた重い殺意を認識できない。

 

 アイラが逆手に持った包丁を構え──止まる。理由は分からない。きっと取るに足らないこと。

 

「……」

 

 再度、念じる。強く、強く。

 

 そして、月の光に耀く凶刃が──振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 翌日にはメイソンの死亡は発覚した。しかし淫魔の関与を疑う者はいないようだった。

 ヴァレーリヤの目論見どおりアイラが最も強い嫌疑を向けれている。そうなるように灯りの漏れる窓を叩いて目撃者を作った。これでアイラは理不尽な現実に絶望しながら死んでいくだろう。

 

 宿屋の窓から飛翔する。

 今日も淫魔の義務をこなした。明日は男から精液を奪わなければいけない。

 いつも休んでいる森の木を目指して羽を動かす。

 

 ヴァレーリヤの精神が、恋をする前の淡白なものに戻るまで時間は掛からなかった。メイソンの体温が下がり切るのとほとんど同時くらいだろう。

 今のヴァレーリヤがやるべきことは、繁殖期特有の欲求に従って精液を集め、女に流し込むことだ。それ以外は考える必要はない。

 

 しかし、どうしてか心の片隅に甘い痛みを伴う異物感がある。

 けれど、詮無(せんな)きこと。そんなふうに思う。

 

「……」

 

 森に入った。もうすぐだ。

 

 早く眠りたい。疲れたんだ。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 空が(しら)み始めている。

 ヴァレーリヤは無表情のまま語っていたが、内心では様々な感情が渦巻いていたように見えた。淫魔と人間は違うのだから、俺の価値観による推測はまるっきりの見当違いかもしれないけど。

 

「話してくださり、ありがとうございます」

 

 助かったよ。これでより自信を持って判断できる。

 

 まるでここではないどこかを見つめているかのようなヴァレーリヤからは、肉体的な、というよりは精神的な疲労が(にじ)んでいるように思う。

 

「……いつだ」ヴァレーリヤが小さな声で問うた。

 

 処刑のことだろう。

 

「現時点では1週間以内ということしか決まっていません」

 

「そうか」安堵も落胆も窺えない。

 

「……」

 

 仮にここが現代日本で、かつヴァレーリヤの話が真実ならば、心神喪失や心神耗弱(こうじゃく)あるいは期待可能性を欠くとして有責性を否定し、無罪判決を下したり必要的な減刑を行うこともあり得ただろう。

 刑罰を科すには被告人に責任能力があることが必要だ。刑法上の責任能力とは〈善悪を理解して判断できること〉だけでなく〈その判断に沿った行動を取れること〉をその要素とする。

 つまり、ヴァレーリヤの場合、種族特性が判断能力を減衰させ、また、行動の制御を困難にしていると解釈する余地があり、したがって責任能力が否定又は限定される可能性があるということだ。期待可能性(適法な行為を選択できる状態や情況)という観点からも有責性に若干の疑問が残る。

 

 しかしここは日本ではない。日本とは別の意味で残酷な異世界だ。ヴァレーリヤは必ず死刑にしなければならない。俺が殺さなければいけない。

 

 カーテンの隙間からぼんやりとした光。

 

 

 

 

 

 

 ダーシーの執務室。

 

 メイソン殺害事件の真相を説明し終え、裁判の結末を報告する。「以上の捜査結果を真実と認めた騎士ハリエット・ストラットが、アイラに対する起訴を取り下げたことを受け、決定により公訴棄却(こうそききゃく)としました」

 

 要するに裁判を打ち切ったということだ。

 今回のメイソン殺害は、情況証拠とヴァレーリヤの自白から彼女を真犯人と見て問題ないだろう。したがってアイラの裁判をこれ以上続ける意味はない。

 

 ほとんど間を置かずにダーシーが言う。「淫魔の処刑法は?」

 

「公開の斬首刑を3日後の午後1時にグラスード広場にて行う予定です」

 

 ハイヴィース王国を始め人間の国の多くは、見せしめ(犯罪抑制)やエンターテイメントとして公開処刑を利用している。

 特に今回の場合は人間の敵で絶対的な悪とされる魔族の処刑だ。クライトン伯爵家の権威をより確かなものにするためにも必ず衆目に首を晒さなければならない。

 気分のいいものではないが、そんな個人的な感情を伝えたところで、〈だからなんだ? それは公開処刑のメリットを上回る理由にはならない〉と言われて終わりだ。

 

 権力のない新人裁判官1人にできることは限られている。拷問と身体刑を回避できただけ幸運だったと今回は納得しよう。

 

「執行は?」ダーシーが問う。疑問というよりは確認だろう。

 

「私が執行します」

 

 ヴァレーリヤの管理と処刑を一任してほしいと頼んだ手前、俺がやらないといけないはずだ。

 

「よろしい」決して大きくはないのに明瞭な声。「他に何かあるか?」

 

 事件の背景を説明する際に魔界の情報も伝えたし、あとは特にないかな。

 

「ご報告は以上です」

 

「では業務に戻れ」

 

「はい。失礼いたします」

 

 ドアの前でもう一度、失礼します、と断ってから退室する。

 

「ふー」廊下で一息。

 

 

 

 

 

 

 城内にあるライラの部屋の前までやって来た。ノックする。

 ややあってからドアが、そろり、と少しだけ開けられた。ライラが隙間からこちらを窺う。

 

「こんにちは。お願いがあって来たんだ。今、大丈夫か?」

 

「(!?)」ライラが震えだした。

 

 これはあれかな。密室に男(他人?)と2人っきりになるのが恐い的な。性的な意味なのか対人恐怖的な意味なのかは分からないけど。

 

「もう昼御飯食べた?」今は午前11時30分くらいだ。「まだなら食べに行かない? 俺が出すよ」

 

「(!?!??)」

 

 店内なら人がいるからいいかなって思ったんだけど、ライラは余計にガクブルし始めた。

 

 どうすればいいんだ……。

 

 しかし不正解ではなかったらしい。

 

「(……じ、準備し、まっしゅ)」ぱたり、とドアが閉じられた。

 

 

 

 

 

 

 城下町にある最近流行りのお店……ではなく、大通りから離れた小道の先にある料理屋──ほとんど客はいない──の隅の席にて注文を済ませ、話を切り出す。

 

「今度、俺が斬首刑を執行することになったんだ」

 

「(……)」ライラから相槌はないが、聞いている雰囲気ではある。

 

「それでお願いなんだけど、斬首のコツを教えてくれないか?」

 

 斬首にはそれなりの技量が要る。聞いた話では、頸椎(けいつい)と頸椎の間を正確に狙わないと上手く切断できずに何度も切りつける羽目になるらしい。

 それはごめんである。なのでプロに教えてもらおうというわけだ。

 

「(……あの)」ライラが口を開いた。「(あの、私は解雇ですか……?)」

 

 あー、そう解釈するか。

 

「違う違う。今回は例外だよ」

 

 ライラの顔に幾分か安堵の色が浮かぶ。「(わ、分かりました。お教、えします)」

 

「ありがと。助かるよ」

 

 料理が運ばれてきた。食べようか。

 

 

 

 

 

 

 処刑の日。たくさんの観衆の視線が一点──(やぐら)の上で断頭台に拘束されたヴァレーリヤに集中している。好奇心と悪感情と愉悦が混じり合った目だ。

 

 場に独特の熱が充満する中、ヴァレーリヤに問う。「最期に言い残すことはありますか」

 

「……ない」

 

 言葉どおりだとは思えないが、この場でそれを指摘する理由はない。

 

「……それでは執行します」

 

 ヴァレーリヤの首を触って頸椎の繋ぎ目の位置を確認し、斬首刑用の剣──先端の尖っていない斬るためだけの剣を振り上げる。人の放つ湿った熱が、冬の乾燥した冷たい風を追い越してゆく。

 

「……」

 

 剣を振り下ろす。肉を裂く僅かな抵抗を感じたが、それも一瞬のこと。緩衝材として断頭台に備え付けれた丸太に剣が食い込み、衝撃が手から腕へと流れた。

 

 切断された頭部がころころと転がる。歓声。

 しかし、まだ俺の仕事は終わっていない。切断面から噴き出す大量の血液の生み出す温い鉄の(にお)いが嗅覚を刺激するが、顔はしかめずに頭部に近く。

 拾おうとして、中途半端に瞳が開かれていることに気づいた。瞼を下ろしてやる。そして、ヴァレーリヤの髪を掴んで高く掲げた。

 

「おおー」とも「わぁー」ともつかない今日一番の大歓声が巻き起こる。

 

 不意にヴァレーリヤの口が動き出し──という妄想。しかし赤い肉から(のぞ)く骨の白さは妄想ではない。

 

 

 

 

 

 

 正式な裁判官として初めて担当した事件は、なんとか終わらせることができた。

 しかしのんびりと感傷に浸ることはできない。我がハイヴィース王国クライトン伯爵領は、日本のブラック企業にも勝るとも劣らない労働環境なのだ。

 大体、法廷で裁判を行い、現場で捜査をし、さらに様々な書類を作成する事務仕事までしていたら労働時間は長引くに決まっている。俺の場合はこれらに加えてスキル──〈法令魔法(ファンタスティックロー)〉の訓練もある。休む暇などないのだ。ないのだ……。

 

「なぜ自分の部屋のように(くつろ)いでいる?」俺の部屋のソファでだらけるハリエットに素朴な疑問をぶつける。

 

「今日は休みで暇なんだよね」

 

 それは答えになっていない。

 

 しかしハリエットに改めて答えるつもりはないようだ。「ところでさ」と軽い調子で切り出した。

 

「なんだよ」

 

「私に淫魔を見張らせてる時にライラちゃんとデートしてたでしょ」私、知ってるんだよ、と微笑む。

 

「……黙秘権を行使します」

 

「私、知ってるんだよ」ハリエットが同じ言葉を繰り返した。変わらず微笑んでいる。

 

「……」

 

 俺は自白した。

 

 

 

 

 




もうちょいマシにするには、どうすればよかったのでしょうか……。


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第ニ章
淋しがりの君①


7話~13話まで連続投稿です。


「氏名と生年月日を教えてください」俺は、よく肥えたお腹の被告人──レギー(41)に言った。

 

 しかしレギーはそれには答えずに、「私は何もやってない! 信じてくれ、本当だ!」とぷるぷると贅肉(ぜいにく)を揺らしながら自らの潔白を主張した。

 

 今回も完全な否認事件だ。

 

「それを立証するためにも適切な手続きをお願いします」我ながらお役所的な発言になってしまった。

 

「っ、分かりました、分かりましたよ」とレギーは承諾と共に不満を表明した。「ベルフィス町で武器を売っているレギーだ。生年月日は6日8月1305年。これでいいだろ」

 

「はい、ありがとうございます」平静に礼を言いつつ、内心、この事件も骨が折れそうだなぁ、と何となく思っている。

 

 しかし、俺とは対照的に起訴手続きを行った男──ディラン(23)。口述試験の日に門番をしていた男だ──は、ユルい雰囲気を(まと)っていて、如何にもやる気のないことが伝わってくる。

 

「……」

 

 天井を見上げれば、染みがいつもと変わらぬ微笑み(?)を浮かべていた。

 

 ディランがこの事件の報告書を持って俺の部屋を訪れたのは3日前のことだ。

 

 

 

 

 

 

「よう、邪魔するぜ」俺が自室で書類仕事をしていると、ノックもせずにディランが入ってきた。

 

 同年代で同性、ついでにお互いに平民ということで一緒にいることも少なくない。

 

「どうした? サボりか?」

 

「仕事だ、仕事」心外そうに言った、ということはない。「残念ながら俺が起訴しなきゃいけなくなったんだよ。ほら」ディランが事件について記された報告書を机に、ポンと置いた。

 

「ふーん。どれどれ……」報告書を手に取る。

 

 報告書によると強盗致死罪と強制性交等罪のようだ──解釈の難しい部分はあるが、とりあえずはこれら2罪の同時的併合罪(へいごうざい)としておく。以下、事件のあらましだ。

 裕福な商人のルーバン(39)から多額の借金をしている武器商人のレギーが、彼の自宅を訪れ、彼の首を切断して殺害(一太刀で綺麗に切断されていた)。その後、ルーバンの妻のシエンナ(27)を強姦し、さらに金品を奪い、被害者宅を後にした。

 

 うん? なんだこれ。おかしくないか?

 

 明らかに不自然な点がある。ディランが記述し忘れたのだろうか。

 

「なぁ、ディラン」煙草に火を()けて一服し始めたディランに問う。「なんでシエンナは殺されなかったんだ?」普通は口封じのために殺すんじゃないか? 生かしておくメリットはないはずだ。

 

 ディランが煙を吐き出す。「ああ、それはな、奥さんがべらぼうに美人だったからだ」これ以上説明させんなよ、めんどくせぇから察してくれ、といった趣である。

 

 しかし、悪いがそれで真相を確定的に理解するだけの能力は俺にはない。「美人だからなんだよ。美醜にかかわらず殺すときは殺すのが人間だろ」当然の疑問だ。

 

「はぁー」ディランは露骨に鬱陶(うっとう)しそうな顔をしている。「シエンナが、『レギーの愛人になるから助けてくれ』って命乞いしたんだよ。そんで色々サービス(・・・・・・)したんだと」仕事は終わったとばかりに煙草に口をつける。ぷはー。

 

 ふーむ。シエンナの美貌と演技力次第では殺されないこともあり得る……か? うーん……。

 

 俺は吸わないのになぜか机に置かれている灰皿に、ディランが灰を落とす。

 

 悪いがまだ訊きたいことはある──報告書が雑すぎて他の奴に比べて質問が多くなるんだよ。「じゃあ、なんでレギーが犯人だって分かったんだ? 後からシエンナが告訴したって認識でいいのか?」

 

「裁判が始まれば分かるって」だから今、説明しなくてもよくね? などと意味不明な供述をしており……。

 

「説明」

 

「はぁああぁー」デカすぎて幸せは勿論、魂まで抜けてしまいそうな溜め息だ。

 

 どんだけめんどくさいと思ってんだよ……。

 

「お前の言うとおり、シエンナがゲロったんだ。運悪く俺がそれを聞いちゃったわけ」マジでいい女だよな、と迷惑そうに眉間に(しわ)を寄せた。

 

「レギーは否認してんだよね?」

 

「だなぁ」

 

現場不在証明(アリバイ)は?」

 

「ないな」

 

「……ディランの所感は?」

 

「さぁ? レギーでいいんじゃねぇか。如何にもな見た目だしよ」おざなり、ここに極まれり。

 

「『犯罪者には共通する外見上の特徴がある』といった主張をする人間も少なからず存在はするけどさ、俺はせいぜい参考程度にしか思ってない」

 

「だからなんだよ」

 

「もうちょい調べてこい」

 

 またしてもディランの顔が歪む。「マジで? 冗談だろ?」

 

 なぜ冗談だと思えるのか。

 

「マジだ」

 

「えぇー」まるで冤罪(えんざい)で死刑宣告を受けた被告人のような絶望感だ──と言うと、少し大袈裟(おおげさ)かもしれない。

 

 

 

 

 

 

「──ルーバンの妻のシエンナ、ルーバンに雇用されていた庭師のヒューゴ及びシエンナの奴隷のイリス並びに凶器の片手剣の証拠調べを請求します」冒頭陳述を終えたディランが、静かな法廷で淡々と請求した。多分、カンペどおりに読んだだけだと思うけど。

 

 それはそれとして、ディランは、証言(証人尋問)を主な攻撃手段にしてレギーを有罪にするつもりのようだ。まぁ順当なところだろう。

 

 一方、レギーは不服そうだ。捜査段階から一貫して否認しているから、こちらはこちらで順当な反応だ。

 

「レギー被告人に何か意見はありますか?」

 

「何かも何も全てデタラメだ。こんな茶番で判決が下されるなんて納得できるわけないだろう!」憤懣(ふんまん)やるかたないといった様子だ。

 

「……被告人の主張も検証していきます」冷たいと思われるかもしれないが、こう言うしかない。「証人及び凶器の証拠調べを認めます」

 

 俺の発言を聞いたレギーは、ふん、と見下すように鼻を鳴らして、指示もないのに被告人席に戻り、ドカッと腰を下ろした。

 

「……」うーん。

 

 法廷で好き勝手に舐めた態度を取るのは、本来なら良くないんだけどね。ぶっちゃけ俺はあんまり口煩く注意したくはない。そういう感情の発露が真相究明の役に立つ……かもしれないと思っているからだ。

 特に今回は、というか今回()不可解な点のある否認事件だ。どんな些細な情報も見逃せない。

 

 さて、じゃあ早速、証人に来てもらおうか。

 

 廷吏(ていり)のジョージに、「シエンナさんを」と指示を出す。

 

 ジョージがいつもどおり無言で頷いてから証人控室に向かう。

 

 そして、カラカラという音。その発生源はシエンナの車椅子だ。資料によるとシエンナは下半身が動かせないらしい。

 ジョージに押されてシエンナが証言台の横に移動する。車椅子だと高さ的に都合が悪いからこうなる。やや珍しい情況だが、全くないわけではない。

 

「お名前と生年月日をお聞かせ願えますか」

 

「ベルフィス町のシエンナです。生年月日は3日3月1319年です」

 

 たしかにディランの言うとおり信じられないくらい整った顔立ちをしている。声も、深層の令嬢のそれが少しばかり退廃的に()れたような、そんな感じだ。時の流れは残酷だ、と最初に言ったのは誰なのだろうか、という疑問が浮かんだが、勿論、表情にも声にも出していない。

 

「……」シエンナの観察を続ける。

 

 彼女の精神に乱れはなさそうだ。夫が殺されて自分も犯され、その犯人(仮)が目の前にいるのに実に安定している。気のせいだろうか。

 

 シエンナが、見つめる形になってしまっていた俺に微かな笑みを見せる。

 

「……」

 

 美しい笑みだとは思う。

 演技に対する適性もありそうだし、レギーを丸め込むことも不可能ではないかもしれないね。

 尤も、レギーのお腹は初めから丸いようだけど。

 

「それでは宣誓をお願いします」くだらないことなんて何も考えていないですよ、と(かた)るかのような(おごそ)かな語り口で俺は言った。

 

 はい、とシエンナが返事をし、「神の教えに従い、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」と滔々(とうとう)と続けた。

 

「もしも真実を述べなかった場合は偽証罪になり、罰せられますので、嘘はつかないようお願いします」裁判に定型句(テンプレ)は付きものだ。

 

「はい、存じております。真実のみを告げますのでご安心なさってください」

 

「結構」それじゃあ主尋問の時間だ。ディランへ視線を向ける。「ディラン一等兵は主尋問を行ってください」

 

 一等兵は下から2番目の階級だ。

 要領はいいはずなんだけど、如何せん本人にやる気が皆無だから役不足もやむ無しである。しかしその割には、〈煙草代がー、酒代がー、女がー〉と金がないことをいつも嘆いている。本気を出せ本気を、としか言えない。

 

「ほいほい」ディランが膝に手をつき、よっこらしょ、とでも言いそうな風情で、しかし実際にはそういった言葉は発せずに立ち上がった。「えー、じゃあ、あれだ。奥さんは被告人が旦那さんの首を切断するとこを見たんだよな?」

 

 ディランのあんまりにもあんまりな言葉使いの尋問に、シエンナは鼻に皺を寄せるのではないか、と俺は思ったけど、そんなことはなく彼女は普通に「ええ」と頷いた。「13日1月の昼過ぎに、居間で夫とゆっくりしている時にレギーさんがいらしまして」

 

 ディランがその先を引き継ぐ。「そんでレギーがやっちまったんだな」

 

「はい。『借金の弁済に当てたい』と持参した片手剣でいきなり夫を切りつけたのです」明瞭な弁だ。

 

 ディランが、隣の椅子を占有する細長い布の塊を手に取る。するすると布を取り除き、なかなか質の良さそうな片手剣を展示(証拠物を法廷でみんなに見せること)した。「これがその時の片手剣で間違いないよな?」

 

 ハリエットといいディランといい、証人に対して敬語を使わないのは良くないと思わなくもない。

 

「ええ、それです」シエンナが肯首した。

 

 ディランは片手剣を持ちながら、「この剣は、10日1月にレギーが仕入れたやつで、切れ味がいいから一太刀で首を切断することもできるはずだ。血は洗われているが、この事件の凶器と見ていいと思うぜ」と情況証拠を並べ、検察官としての意見を述べた。

 

 視界の隅でレギーが曖昧(あいまい)に唇を尖らせている。無表情を取り繕おうとして中途半端になっているのか、自然とそうなっているのか判然としない。けど、納得いっていないことは子どもでも理解できるだろう。

 

「これで主尋問は終わりだ」まるで法廷にいることを忘れてしまったかのように普段どおりの口調でディランが言った。

 

「それでは反対尋問に移ります」と宣言し、俺から見て左側の長椅子に座るレギーに顔を向ける。「レギー被告人は、その場で起立してから反対尋問を行ってください」

 

 立ち上がったレギーが、法廷をぐるりと見回す。自分を犯人と思っていない人間を探しているのだろうか。

 

 しかし結果は(かんば)しくなかったのか、レギーは鼻先で「ふん」と(わら)った。

 

 俺は味方でも敵でもないですよ、と教えてやりたい気持ちが湧いてきたけど、レギーが鼻で嗤うところを見て豚を連想してしまったので、もしかしたら敵かもしれない。

 

 シエンナに脂ぎった顔を向けたレギーが口を開く。「お久しぶりですね」努めて穏やかに、といったところか。「1ヶ月ぶりでしたか?」

 

 事件は10日前だ。つまりは、あくまで事件への関与はなかったという前提で尋問をするつもりなのだろう。

 

「10日ぶりですよ」シエンナも静かな口調で答えた。

 

 レギーの頬がピクリとする。「どうしても私を犯人にしたいようだ」シエンナを見下ろす瞳に憤怒(ふんぬ)の光。

 

「よくも私に対してそのような自分勝手な嘘がつけますね」シエンナが睨み返す。

 

 法廷に数拍の静粛。

 

「……話にならんな」レギーが吐き捨てた。そして唐突に、「裁判官!」と──ふぇ?

 

 声は出さずに目だけで、なんでしょうか、と先を促す。

 

 すると、レギーはシエンナを指差し、「この女は嘘をついている! 誰もいない自宅内の状況などなんとでも言える! 証言の信憑性など初めからないに等しいんだ!」と口角泡を飛ばし、さらに、「こんなクズの言葉は証拠ではない! 腐った女の気色悪い妄想なんだよ!」と断言した。

 

 これには流石のシエンナも語調を強める。「いい加減にしてください! あれだけのことをしておきながら無罪になろうなどという虫のいい話が、許されるわけがないでしょう! 罪を認めてください!」

 

「ないものは認められん! お前こそ嘘を認めたらどうだ?!」

 

「真実を話しています! 言いがかりはやめてください!」

 

 完全に平行線だな。

 

 魔力を声に乗せて、「静粛に!」と法廷に拡散させる。

 

「……」「……」2人が沈黙する。

 

「話が堂々巡りになっています。別の質問事項がないのでしたら再主尋問に移りますが、どうされますか?」俺は、レギーの目を見て問い掛けた。

 

「……こんなのと話していても時間の無駄だ。反対尋問は終わらせてもらう」はぁ……、とレギーは諦念を孕んだ言葉を溜め息で締めくくった。

 

 このレギーの態度、嘘か(まこと)か現時点では判断しかねる。それは勿論シエンナにも言えることだ。

 

「……ディラン一等兵は、再主尋問を行いますか?」

 

「質問なんてないって」あるわけないだろ、とディランは、訊いた俺を馬鹿にするように答えた。

 

 ディランは差し()き、「では私から質問があります」と俺が言うと、シエンナの片眉が僅かに動いた。

 

「……なんでしょうか」

 

「犯行時のレギー被告人の服装を教えてください」

 

 ディランの報告書には書かれていない。

 

「ああ、はい。茶色っぽいチュニックとズボンだったかと記憶しています。防寒具はベージュの外套(コート)で、革製の鞄も持っていました」シエンナの口が滑らかに返答を発した。

 

「殺害時の返り血は付着していましたか?」

 

「……」シエンナが顎に手をやる。ややあってから、「ごめんなさい、よく憶えていないです」と初めて明快さのない言葉を口にした。

 

 ほうほう。  

 

「分かりました。それではシエンナさんに対する尋問を終わります」フライング気味に動き出そうとした廷吏のジョージに、「次はイリスさんを」と伝える。

 

 ジョージが車椅子を押してシエンナを退廷させる。次いで、指示どおり、奴隷用の首輪をした褐色肌の少女──イリス(17)を連れてきた。

 イリスは緊張しているようだ。表情も硬いし、動きもぎこちない。

 

「名前と生年月日をお願いします」証言台の前に立ったイリスに本人確認。

 

「シエンナ様に、所有されている、奴隷のイリスです」少し声が震えているけど、そこまでではない。「生まれた日は分かりません。年齢は17歳ということにしています」

 

 生年月日を正確に把握していないケースも珍しくはない。特にスラム等の、所謂、貧困層の親を持つとありがちだ。

 

「承知しました。では、宣誓をしてください」

 

「神の教えに従い、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」大分スムーズだ。緊張が(ほぐ)れてきたのかもしれない。ちなみに、宣誓のセリフの書かれた紙が証言台に置かれているので、文字が読めない場合を除き暗記する必要はない。

 

「嘘をつくと罰せられますので、真実を述べるように」

 

「分かりました」

 

 前準備的なやり取りが完了したので本題に入る──ディランに「主尋問を」と指示を出す。

 

「はいよ」とディランが立ち上がる。「えー、イリスは事件発生時には買い物に行ってたんだよな?」

 

「そうです」イリスの声には幼さが残っているが、過酷な人生の終焉(しゅうえん)を迎えようとしている老婆のごとき複雑な影がある、気がする。次いで、「庭師のヒューゴさんと一緒でした」と法令上、人間とみなされない立場での仕事内容を語った。

 

「買い物を終えて、あと少しでルーバンの家に着くってとこで、〈布でくるまれた細長い何か〉を持ったレギーが走り去っていく姿を見たんだよな?」順調な滑り出しに満足しているのか、ディランの口調は柔らかい。マイルドヤンキーというやつだろうか。

 

「はい。怖い顔で走っていたので印象に残っています」イリスは淀みなく答えた。「変だな、とは思いましたが、その時は私たちと関係があるとは考えませんでした」そのまま歩いて帰りました、と繋げた。

 

 うん。また俺も尋問させてもらう。

 

「イリスさん」俺が呼び掛けると、イリスはビクっと身体を強張らせた。

 

「なんですか」しかし、すぐに緊張はどこかへやったようだ。口調に硬さはない。

 

「レギー被告人を見たのは、ルーバンさんの自宅からどのくらいの距離の場所でしたか?」

 

「えーと……」イリスは、視線だけを上に向けて考える素振(そぶ)りを見せる。記憶を掘り起こしているのだろう。「パン屋さんの辺りなので、徒歩で10分ちょっとの距離だと思います」しっかりと憶えているからか、迷いや曖昧さは感じられない。

 

 日本の〈不動産の表示に関する公正競争規約〉及び〈不動産の表示に関する公正競争規約施行規則〉を参考し、〈徒歩10分強の距離=凡そ800メートル強〉と仮定して審理を進める。

 

「その時のレギー被告人の様子をもう少し詳しく教えてください」できる限りで大丈夫ですよ、と加える。

 

 俺が尋問に割り込んだのは、体型的に走るのに向いてなさそうなレギーが、片手剣──ブロードソードと呼ばれる幅の広い剣で、通常は1.3キロ程度──とおそらくは金品が入った鞄を持ったまま、冬の町を駆け抜けるイメージがあんまり持てないからだ。

 意外と運動が得意だとか、途中から走り出したとかならイメージはできるが……。

 

「詳しく?」質問の意図が理解できないのか、イリスは戸惑いがちに答える。「普通に走っていたと思いますけど……」他に何を言えばいいんですか、と逆に質問されてしまった。

 

「疲労の程度や走る速さはどうでしたか?」

 

「……そこまでは憶えていません」

 

 そう言われてしまえばどうしようもない。

 

「ではレギー被告人の服装はどうでしたか?」

 

「ベージュの外套(コート)でした」

 

「血痕はありましたか?」

 

「……なかったような気がします」

 

 シエンナの証言と矛盾はないか。

 

「……分かりました。私からは以上です」ボヤっとしているディランに、「ディラン一等兵は主尋問を再開してください」と指示。

 

「ん? ああ、もういいのか」

 

「はい、続きをどうぞ(少しはやる気を出せ)」念を送るが、俺にそんなスキルはないので、ディランは何処吹く風で首の骨を鳴らしている。羨ましい性格をしてやがる。

 

「えー……」と内容のない文字を声に出して思案する時間を稼いだディランは、「他に何か言いたいこととかってあるか?」となんのために頭を捻ったのか分からなくなることをイリスに訊いた。

 

「ありません」イリスに気分を害された様子は見受けられない。

 

「りょーかい」とディランは答え、次いで、俺に向かって、「尋問は終わりだ」と伝えた。

 

 じゃあ、問題の反対尋問といきますか。

 

 ディランに座るように言ってから、レギーに、「反対尋問をお願いします」と促すが──。

 

「いらん」不機嫌さがありありと窺える声。「この餓鬼も嘘しか言っておらん。どうせ何を訊いても無駄だ」何も訊く気になれん、と諦念と怒りの色を顔に張り付けている。

 

 一方のイリスにはそういった感情はなさそうだ。つん(・・)としていて、レギーを見ようともしていない。

 実際に嘘をついているならば偽証罪だが……。

 

「……分かりました」今この場で証明することはできない。「ディラン一等兵は、再主尋問を行いますか」

 

「行いませんね」とディランは肩を竦めた。

 

 まぁそうだよね。

 

「それではイリスさんへの尋問は終了です。お疲れ様でした」退廷してください、と結ぶ。

 

「はい」イリスが証言台を後にする。

 

 イリスが法廷から出るのを待って、「庭師のヒューゴさんをお連れしてください」とジョージに最後の証人を連れてくるようお願いする。

 

 さて、次のヒューゴで最後だ。

 

 

 

 

 

 

「そうっすね。パン屋の近くでレギーを見たのは間違いないっすよ」三白眼のヒューゴ(25)が、イリスと同様の証言をした。

 

「だよな」ディランがチャラい相槌を打つ。「レギーは走ってたんだろ?」

 

「なんで急いでんだろうなぁ、とは思ったけど、そん時は別に気にしなかったっすね」ヒューゴは、証言台に手をついて体重を掛けながら自然な声音(こわね)で言った。

 

 とりあえずイリスにしたのと同じ質問をしておきたい。しかし俺が声を出そうとすると、ディランと目が合った。

 

「……」どうやらディランは、俺がしようとしたことを察したようだ。

 

 ディランはヒューゴに視線を戻し、「そん時のレギーの様子はどんなんだった?」と俺の代わりに質問を投げ掛けた。

 

 どういう風の吹き回しだろうか。気まぐれかね。

 

「どんな?」イリスと同じ様にヒューゴは訊き返した。

 

「走る速さとかだよ」

 

「……そんなに速くはなかったはずっすけど」よく憶えてないっす、と証言台から手を離す。

 

「レギーの服はどうだった?」ディランは更に問う。

 

 あー、とも、えー、ともつかない声を出した後に、ヒューゴが口にしたのは、「外套(コート)を着てたっす」という、もう2回は聞いた言葉だった。

 

「コートの色は?」

 

「ベージュっす」今度は即答した。

 

「血は付いてたか?」

 

「俺は見てないっすね」これも前2人と同じだ。

 

 コートを脱いでいる時に殺害したのならば、返り血はコートではなく中に着ているものに付くはずだから不自然ではない。加えて、証人の供述に食い違いもない。

 

 んー……。

 

 ふと、ディランが俺を見ていることに気づいた。〈こんなもんでいいか?〉と暗に訊かれているような気がする。

 これはもしや精神感応(かんのう)系スキルを取得する前触れなのか、と期待に胸を膨らませながら、〈こんなもんでいいよ〉と暗に答えておく。

 

 ディランが頷く。そして再度、ヒューゴへと質問した。「レギーのコートのサイズってどれくらいなんだ?」

 

「……は?」「……は?」「……は?」俺とヒューゴ、ついでにレギーの疑問と困惑が重なった。

 

 一拍遅れて、「え?」と発したディランの顔は、〈なんでだよ。ノアが訊けって言ったんだろ〉と不服を表明している。

 

「……」「……」「……」「……」

 

 どうやら俺が精神感応系スキルを取得する日は、まだまだ先のようだ。というか、一生無理かもしれない。

 ファンタジー世界なのに夢がないことを理由に、神様相手に一般不法行為による損害賠償請求訴訟を提起できないだろうか。

 



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淋しがりの君②

7話~13話まで連続投稿です。


 1回目の公判を終え、レギーや証人が法廷からいなくなったタイミングでディランが声を掛けてきた。

 

「『第2回公判期日は追って連絡します』ってどういうことだよ?」形式的には質問文だけど、ディランも俺がやろうとしていることは理解しているはずだ。まだ半年の付き合いだが、それなりに仲はいいし。

 

「……なぁ」ディランの問いには答えずに、「ディランも本当は色々おかしいって思ってるんだろ?」とほとんど確信していることを訊ねた。

 

 例えば、シエンナの語った犯行場所。庭師を必要とするほどの立派な邸宅ならば応接室くらいはあるはずだ。それなのに、債権者と債務者の関係でしかないレギーを居間に招き入れるだろうか。

 

「……」ディランが黙る。が、一拍の後、ぼそりと言った。「俺は嫌だからな」

 

 意訳すると〈これ以上捜査はしたくない。俺抜きでやってくれ〉ってとこかな。

 

 まぁ世の中そんなに甘くないよね、とにっこりしてやる。ディランが「うへぇ」と嫌々嫌いな食べ物を否応なしに口に入れられたときのような声を洩らした。

 

「悪いが付き合ってもらうぞ」なんてったってディランは担当刑事兼検察官だからね。「とりあえずは遺体の確認をしたい」

 

 俺がそう言うとディランの顔は、いよいよもって医者に行くことを勧められそうな色合いになってきた。

 

 どんだけ働きたくないんだ。日本だったらヒモ系ニートとかになってたんじゃないか? というか、この世界でもあり得るな。

 

 俺が友人の行く末について心配していると、ディランが「なんだよ」と不満を口にした。

 

「刺されないように上手くやれよ」

 

「……」意味分からん、とディランが呟いた。

 

 

 

 

 

 

 事件性の疑いのある遺体は、保存用の魔法──氷魔法と闇魔法の複合魔法により発見時の状態のまま、お城の地下に保管される。

 この魔法はかなりの難易度で、中々使い手がいない。領地によってはこの魔法を使える人材がおらず、腐敗を止める手立てがないこともある。しかし、クライトン伯爵領には1人だけ使い手がいるのだ。それも、とびきり上等なのが。

 おかげで犯罪捜査は随分とやり易くなっている。非常にありがたい。

 

 ディランと共に階段を(くだ)る。目的の階は地下1階なので、階段はすぐにお役御免となった。

 

「切断面は綺麗だったんだよな?」保管用の部屋、所謂、死体安置所へ続く通路を歩きながら、ディランに再確認する。

 

「……ああ」やや煮え切らない返事、あるいは図星をつかれた、かな。まだ面倒事を嫌がっているのだろう。いい加減諦めてほしい。

 

 どうして俺が切断面について気にしているのかというと、レギーに、生きている人間、つまりは動いている人間の首を一太刀で切り落とす技量があるとは思えないからだ。

 要するに、レギーを実行犯と考えると違和感が拭えないということだ。

 

 ディランもそのくらいは理解しているのだろう。「そこは気になるよな、やっぱり……」と自白した。

 

 そう思ってたんなら初めから報告書に記載してくれ、と言ったとしても、ディランにとって真実を明らかにすることは二の次三の次だろうから、あまり意味はない。

 ディランにはディランの価値観があるのは当たり前だけどさ、もうちょっと道徳心というか倫理観の守備範囲を拡げてもバチは当たらないと思うよ。

 

 それはそれとして、遺体安置所に到着した。解錠し、中に入る。生きた人間のいない広い室内には、ひんやりとした空気──寒空とは違った風情だ。

 

 ベッドというには簡素にすぎる台が並んでいて、端にある台に首の繋がっていない遺体が横たわっている。

 

 あれか? という意を込めてディランを見る。ディランは、口をヘの字にしつつ肩を竦めることで肯定を示すというひねくれた所業を見せた。

 

 遺体へと歩を進める。

 

 遺体の手首には、名前と、遺体に保存用魔法を掛けた日が記載された木製のタグが(くく)り付けられているので、確認する。「……ルーバン、13日1月1347年」これで間違いないね。

 

 早速、切断面を調べる。というか、すでにおかしい点が見えている。

 

「ディラン」

 

「なんだよ」

 

「これって頸椎(けいつい)を斜めに切ってるよな?」

 

「そうだな」

 

「そうだなって、お前なぁ……」これは伝えてほしかったよ。

 

 この前、俺は、斬首刑を上手く執行するために〈頸椎と頸椎の繋ぎ目を切るコツ〉をライラに教えてもらった。つまり、首を上手く切るには頸椎そのものを切ろうとしては駄目なんだ。

 しかし、この遺体はそんな一般人用の基本をガン無視して、頸椎ごとバッサリ両断している(超人どもは骨なんて豆腐のようにスルッと切る)。

 

「レギーに剣術の心得や戦闘経験はあるのか?」

 

「さぁ?」

 

「調べてないのか?」

 

「……一応、軽く聞き込みはしたさ」ディランが頭を掻く。「みんな、『レギーに剣術? 戦闘経験? あの腹を知らんのか?』って否定はしてたよ? けど、もしかしたら周りに知られないように隠してるかもしんねぇだろ」言い訳である。

 

「はぁ……」溜め息が出るが、今は捜査優先だ。「他に伝えてない重要事項は?」とディランの目を見据える。

 

「……」少しの間。そして溜め息。今度はディランだ。「ないこともないような気がしなくもない」

 

「黙秘権はない。早く吐け」

 

「……現場の居間によ」

 

「うん」

 

「血溜まり、あー、つまり死体のあったとこからそこそこ離れてる壁に、血痕付きの切り傷があった」

 

「……」えー、それは場合によってはかなりヤバイんじゃないか?「大きさは?」

 

「傷の深さは大したことなかったけど」と前置きしたディランは、「長さはこれくらいだ」と指を広げた。

 

 大体15センチか。

 

「シエンナたちには、その傷について訊いたのか?」

 

「訊いてないから安心しろ」

 

 要するに、ディランは、俺が詳しく捜査しようとする可能性を踏まえて、重要参考人以上の人物に警戒心を持たれないように立ち回っていたということだ。要領がいいというか、気が利くというか。不真面目なのに変な奴だ。

 

「じゃあ現場に行こうか」俺があっさり言うと、ディランは、「はいはい」と快諾(?)してくれた。

 

 

 

 

 

 

 お城を飛び出した俺とディランは、特別、紆余曲折はしていない道(比喩ではない)を進み、ベルフィス町に向かった。

 しかし、途中でディランが、「昼飯食おうぜ」と空腹を主張したため、ベルフィス町に到着したのは午後の3時過ぎだった。その後は寄り道せずにルーバンの邸宅へと歩を進め、時計の針が午後4時前を指し示したところで、やっと目的地に()き着くことができた。

 誰か自動車を開発してくれないかなぁ、と願わずにはいられない。

 

 ルーバンの家は、まさに〈豪邸〉と呼ぶに相応しい外観をしていた。家自体も大きいし、庭も広いし、塀も高い。

 

「どういったご用件でしょうか」後ろから少女の声。振り返ると、声の主──奴隷のイリスが感情の読み取りにくいすまし顔で俺たちを見ていた。

 

「少し調べたいことがありましてご訪問しました。今、よろしいでしょうか?」拒否されても捜査する権限はあるが、あえて波風を立てる趣味はない。

 

「……大丈夫だとは思いますが、一応、シエンナ様に伺ってきますのでお待ちください」とイリスは門を潜り、敷地内に消えていった。

 

 閉じられた門をぼんやりと眺めていたディランが、不意に、「下手(したて)に出すぎじゃねぇか?」と苦言を呈してきた。

 

 日本人的な感覚は、ディランには理解できないようだ。

 

「かもしれないけど、なんというか……癖? みたいなもんだよ」我ながら漠然とした釈明だ。

 

「嫌な癖だな」ディランの率直な感想が、なんだか可笑しくて吹き出してしまった。「なんで笑うんだよ」

 

「ごめんごめん。悪気はないんだ」

 

「別にいいけどよ。あんまりやりすぎると捜査しにくくなるぞ」舐められては駄目だ、ということだろう。

 

「分かってる」

 

 と、ここで門が開かれ、「お待たせしました。どうぞお入りください」と主の指示を得たらしいイリスが言った。

 

 

 

 

 

 

 現場の居間は、結界魔法により捜査関係者以外の立ち入りが禁止されている。だから、魔法発動中はシエンナたちや第三者が手を加えることはできない。つまり、ほとんど発見時のままということだ。

 

 問題の傷を見る。たしかにディランの言うとおり、遺体のあったであろう場所から離れた壁に傷がある──7メートルほどの距離(居間はかなり広い)。周りに似たような傷がないせいで、かなり浮いている。

 

 しかし、そんなことよりも血痕だ。血の付き方が、俺の想像と違っていたんだ。おそらく今の俺は難しい顔をしているだろう。

 

 傷に沿うように血痕があるのかと思っていたが、そうではなく、傷に微量の血液を叩きつけたような付着の仕方をしている。

 床の血痕も特徴的だ。大きな血溜まりのあるソファ周辺(遺体のあった場所)とこの壁の間の床に、複数の血の雫が落ちているのだ──雫の数は壁に近づくにつれて減少し、概ね壁の方向へと細長く伸びた状態で床に付着している。

 

「……」確信した。やはり真犯人は別にいる。

 

 いや待て。落ち着け。決めつけてはいけない。他の可能性もないわけではない。確信の前に確認だ。

 

「レギーのスキルは分かるか?」努めて平静に訊ねる。

 

「料理系らしいぜ」でも、とディランが続ける。「料理することは嫌いなんだと」見るからに食べるの専門だもんな、納得だよな、などと言っているが、太っている凄腕料理人もいるだろうし、この発言には同意しかねる。

 

「スキルについてはレギー本人の供述のみか?」ちゃんと裏は取ったのか?

 

「裏?」ディランが、ああ、まぁ、といった音を挟んでから、「レギーの友人や知り合いはみんな、『レギーの料理は旨い。いいスキルなのに勿体ないよな』って感じのこと言ってたぜ」と述べた。

 

 ほうほう。じゃあ、少なくともレギーが料理系スキルを持っているというのは、信頼できる情報だろう。

 普通の人は、スキルを持っていないか、持っていても1つだけだ──俺も、魔法系スキルの〈法令魔法(ファンタスティック ロー)〉しか保有していない。たしかに、2つ以上のスキルを持つ者も存在するが、それはあくまで例外と言ってもいい割合でしかない。

 したがって、レギーが奥の手として2つ目(又はそれ以上)のスキルを保有している可能性は低く、つまりは、レギーはこの現場を作り出す手段──俺の推理に合致した能力を備えていない可能性のほうがずっと高いはずだ。

 

 じゃあ、次は……。

 

 

 

 

 

 

 ルーバン邸を出て、次の目的地へ徒歩で移動しながら、シエンナ、ヒューゴ及びイリスのスキルについてディランに訊ねると、「シエンナは演技系スキルを1つ持ってて、あとの2人はスキルなしだ」と返ってきた。

 

 演技系スキルとは、演技が上手くなったりするスキルのことだ。

 

「シエンナたちを実行犯だと疑ってんのか?」ディランがこちらを見ずに質問した。

 

 そういうわけじゃない。「一応の確認だよ」と伝える。

 

「ふーん」納得はいかないけどそんなに興味もないから流すか、とでも思ってそうな言い方だ。

 

 ふと、パンのいい匂いがしてきた。目的地はすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

「走る豚?」イリスとヒューゴの証言に登場したパン屋の主人が、ディランの言葉に眉をぐにゃっと曲げた。

 

 ディランを小突きつつ訂正する。「豚ではなく武器商人のレギーさんです」いてぇ、と横から聞こえたが大したことではない。レギーの外見の特徴を伝え、「13日1月の午後に彼がこのお店の前を通ったはずなのですが、見ませんでしたか?」と再度、訊ねた。

 

「あー?」またしても眉を動かしている。「そんなデブは見てないな」と如何にも炭水化物をよく食べていそうなシルエットのパン屋の主人が否定した。

 

「では、ルーバンさんのところのヒューゴさんとイリスさんはご存じですか?」

 

「ああ、知ってるよ」

 

「同じ日時に彼らがここを通ったか分かりますか?」

 

「分からないな」だってよ、と息継ぎをし、「常に外が見えるとこにいるわけじゃない。中でパンを作ってることだってあるし、便所にも行く。それに、いちいち通行人に注目してないしな」と尤もな理由を語った。

 

「〈目撃はしなかった〉ということでよろしいですか?」俺がそう問うとパン屋の主人が、「あ」と声を出した。

 

「何か思い出しましたか?」

 

 しかし、パン屋の主人が口にしたのは、「便所の後はちゃんと手を洗ってるからそこは安心してくれ」というよく分からないアピールだった。「どうだい? なんか買っていかないか?」これなんか若い奴に人気だぞ、と謎の肉がふんだんに挟み込まれたパンを指差した。

 

 たしかに運動部の中高生は喜びそうだけど。ディランも興味を示しているけども。「この肉はいったいなんの肉なんですか?」

 

 パン屋の主人が、にやりと自分ではハードボイルドな渋い笑みとでも思っていそうでとても残念な肉々(にくにく)しい笑みを浮かべて言った。「それは企業秘密(トップシークレット)だ」

 

「……」

 

 ガサ入れしたほうがいいのだろうか。

 

 などと考えていると、「1つ買うわ」とディランが俺の思考をぶった()った。

 

「あいよ」パン屋の主人が、にっこりと何も考えていなそうな笑みを見せた。

 

「ノアは買わないのか?」

 

「……」

 

 流石に黄緑色の生肉はちょっと……。

 

 

 

 

 

 

 ディランには強み──ボスであるダーシーが利用価値を認めたであろう点が2つある。そのうちの1つが裏社会との繋がりだ。ディラン曰く、スラム育ちには珍しいことではないそうだ。

 

 そんな、半グレのディランに頼むのは、〈風魔法を使う殺し屋〉の捜索だ。

 

「風魔法?」ディランが訊き返す。が、すぐに「あー、たしかにあるかもな」と理解を示した。

 

 俺は、遺体の状態と現場を見て、〈ルーバン殺害の手段は風魔法だったのではないか〉と考えた。

 風魔法には、〈風の刃〉を飛ばすという、ファンタジーお馴染みの魔法が存在する。そして、その魔法ならば頸椎だって容易く切断できる。

 また、射程を設定すれば、任意の位置──例えば、術者から10メートルの位置など──で消滅させることも可能だ。つまり、現場にあった傷は、壁に到達する前に〈風の刃〉を消滅させようとしたが、少しだけ操作を誤ってしまった結果、消滅が僅かに遅れてしまい、貫通には至らない浅い傷を付けてしまったと解釈できるということだ。

 血痕の状態も、〈風の刃〉を壁の方向に飛ばして首を切断したのならば矛盾はない。

 

 さて、どうして殺し屋とかいう非日常の住人が出てきたのかというと、シエンナたちが嘘をついている、則ち、共犯者のいる可能性が極めて高いことを前提に推理した結果だ。

 ディランの、雑なようで意外とよく見ているであろう捜査によると、シエンナ、ヒューゴ及びイリスの中に風魔法を使える者はいないらしい。ということは、彼女たち以外の実行犯──共犯者が存在していることになる。

 現場を見るに、風魔法のレベルはそれなり以上であると考えるべきだろう。したがって、実行犯たり得る人物は限られている。魔法の学校のないクライトン伯爵領ならば尚更だ。

 この条件をクリアし、かつ犯罪に加担することに抵抗がない人間となると、裏社会の人間が最も妥当なところだろう。

 たしかに、シエンナたち以外の、ルーバンを殺害する動機のある人物──堅気の──が、高レベルの風魔法スキルを有している場合も絶対にないとは言い切れないけど、その場合、風魔法の保有について知られていない状態でなければ疑われてしまう可能性が高い(実行のハードルが高い)ことも考慮すると、やはり〈動機のある人物=風魔法スキルの保有者=実行犯〉である確率は低いはずだ。

 以上から、〈外部から殺しを請け負ってくれる人を連れてきた〉と結論づけた。則ち、〈風魔法を使う殺し屋〉だ。

 

 俺が現時点で推定(・・)している事件の真相はこうだ。

 まず、シエンナ及びヒューゴが、ルーバン殺害について正犯(せいはん)意思を持って共謀(きょうぼう)し、命令に逆らえない奴隷のイリスを巻き込み、計画を立てる。次に、〈風魔法を使う殺し屋〉に依頼を出し、実行行為を担当させる(実行犯)。

 また、シエンナ、ヒューゴ及びイリスが口裏を合わせて嘘の証言をすることで、レギーを犯人に仕立て上げ、自分たちが疑われないように偽装工作をした。

 結論、ハイヴィース王国の法律実務上、殺人罪に関し、この4人は全員が共同正犯(殺し屋以外は共謀共同正犯)ということになり、それぞれが殺人罪の全責任を負う(減軽(げんけい)事由ではない)。

 

 で、今から何をするかというと──。

 

〈風魔法を使う殺し屋〉の捜索についてディランは、「それは分かったけどよ」と承諾。次いで、「ノアはどうするんだよ?」と他意のない様子で問うた。

 

「俺はシエンナたちの動機を探る」

 

「やっぱり疑ってんじゃねぇか」ディランは鋭くはないツッコミを入れ、「裁判官様が嘘ついていいのかよ」と嫌らしく笑った。

 

「いやいや、それは誤解だ」嘘はついてない。「ディランは『シエンナたちが実行犯(・・・)だと疑ってんのか?』って訊いたじゃん」

 

「だから嘘ついてんじゃん」じゃん、のところで俺の物真似をしてきた。

 

「だからさ、実行犯とは思ってないから否定したんだよ」あくまで共謀共同正犯として疑っていただけだ。

 

 ディランの口が半開きになる。しかし数瞬の後、「……あのさぁ」と何度注意しても態度が改善されない不良学生に諦め始めた新任教師のような顔で切り出した。「法律家のそういうとこ……言葉に拘るとことか屁理屈こねるとこ、嫌いだわ」マジで嫌いだわ、と友情を破壊することも(いと)わぬという気概を感じさせる発言。

 

 ちょっとにやけてしまう──ディランに少しばかり距離を取られた。

 

「昔、大学の教授が言ってたんだけどさ」と俺が昔話を始めると、「は? 大学? お前、大学行ってたのか?」とディランは少しばかり距離を詰めてきたが、構わず続ける。「法律を勉強していくと、どんどん性格が悪くなっちゃうらしいよ」だから〈嫌い〉はむしろ褒め言葉なんだよ、と回りくどく感謝を伝えた。

 

 ディランは、呆れと困惑と諦めが入り交じったような面持ちで、「法律家がおかしいのか、ノアが特別おかしいのか……」と呟いた。「でも、ジェイデンは変人っぽくねぇし、やっぱノアがアレなんだな」失礼な自問自答を終えたディランが、晴れやかな表情を浮かべる。

 

 なんて奴だ、と思ったところで、仕事の話に戻す。「一応、シエンナたちが真実を話している可能性もゼロではないから、聞き込みもするつもりだよ」

 

「ほーん」聞いている雰囲気は皆無である。

 



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淋しがりの君③

7話~13話まで連続投稿です。


 城に戻り、ディランと別れた俺は、とある人物──遺体保存用魔法の使い手であり、クライトン伯爵領の最高戦力──の下を訪れた。

 

 その人物の名は、ジョシュア・クライトン(7)。そう、7歳児の伯爵様である。しかし、魔法の天才だ──表裏一体的に、理解力、論理的思考能力などの知能全般も並の大人を凌駕する。しかも、ただの天才ではない。人類史上最強と言われる魔法使い──フレディ・アレンを超える逸材だと、王都のロンザーラ魔法学園でも噂されているらしい。俺とは色んな意味で次元の違うお子様だ。

 

 その魔法少年のジュシュアが、勉強部屋という名の魔法研究室のドアを開け、「あ、ノア。今日はどうしたの?」と僅かに首を傾げ、ふんわりとした栗色の髪の毛を揺らした。

 

「……」幼いながらも非常に整った容姿。俺や、俺の周りにいた田舎の少年たちとは、別種族に違いない。将来が楽しみなような、恐ろしいような──。

 

「入らないの?」ジョシュアが、良からぬこと(?)を考えていた俺の目を覗き込みながら言った。

 

「……申し訳ありません。少しぼんやりしていました」苦しい言い訳である。「失礼してもよろしいでしょうか」

 

「よろしい、よろしい」とジョシュアが柔らかい笑みを見せた。

 

 誘拐されないか心配である。

 

 

 

 

 

 

「うん、いいよ」ジョシュアが、俺の頼みを軽く承諾した。まさに二つ返事。

 

 ここまで簡単にオッケーされると、逆に、いいのだろうか、と不安になるが、俺に不利益はないので素直に感謝を述べる。「ありがとうございます」

 

 ジョシュアにお願いしたのは、イリスの隷属(れいぞく)魔法(従順な奴隷を作り出す、特殊な魔石が必要な魔法。通例、魔石を付けた首輪が用いられる)への干渉だ。というのも、俺はイリスから崩そうと考えているからだ。しかし、イリスがシエンナに〈ルーバン殺害計画について口外することを禁止〉されていた場合、又は隷属魔法に組み込まれている〈奴隷は所有者を害してはならない〉という行動制限にシエンナの犯罪行為の自白が含まれる場合(設定に従い、隷属魔法が自動的に判断する)、俺の質問に答えられない事態になってしまう。現時点では、主犯が誰かは確定できないが、また、そもそも彼女らが真犯人ではないかもしれないが、一般論として所有者と奴隷が共犯関係──結果主義を前提に間接正犯(かんせつせいはん)を否定するのが通説──にあると、こういった難しさがある。

 というわけで、ジョシュアに卓越した魔法技術で以てその(かせ)を外してもらいたいのだ。 

 

「ところで」ジョシュアの目が怪しく輝く。「また面白いアイディアはないかな?」

 

「あー、はい。えーと、ですね……」意味のない文字を並べ、時間を稼ぐ。

 

 ジョシュアの言う〈面白いアイディア〉とは、端的に述べると〈日本の漫画等に登場した魔法等の情報〉だ。以前、ジョシュアが、〈普通の飛行魔法(風魔法)では、精密操作に難があり、また、不安定さも気になる〉と悩んでいたことがあって、俺はうっかり〈重力〉という単語を口にしてしまった。

 それを聞き逃さなかったジョシュアに問い詰められて、引力や斥力(せきりょく)に至るまで話すことになった。俺は法学部法律学科の文系人間であったから、一般教養レベルのことしか教えられなかったが、それでもジュシュアは短期間で〈重力魔法〉を形にしてしまった。本人は、飛行魔法が改善された、と無邪気に喜んでいたが、これはもの凄いことだ。前人未到の魔法(俺の知る限りでは)を魔法系スキルに頼らずに(・・・・・・・・・・・)開発し、実用化したのだ。並外れているにも程がある。

 と、まぁ、こんな感じのことがあって、魔法大好きっ子のジョシュアくん7さいは、ことあるごとに〈何か面白いアイディアはない?〉と訊いてくるようになった。完全に身から出た(さび)である。しかし、可愛いのでそれほど悪い気はしないのが、厄介な(?)ところだ。

 

 この世界で一般化されていなくて危険の少ない魔法は何かないか、と考えるが……。

 

「……申し訳ありません。そういったアイディアはまだ閃いておりません」丁度いいのが思いつかなかったので、やむを得ず嘘で誤魔化す。

 

「そうか……」ジョシュアが、しゅん、と肩を落とした。

 

 ずっしりと重い、罪悪感で作られた杭が身体の芯に打ち込まれる幻覚。「……」くっ。

 

 

 

 

 

 

 例のパン屋の主人に、イリスが買い物に出掛ける時間帯とその行き先を教えてもらい、現在、その行き先である商店街の片隅に置かれたベンチに座って読書をするフリをしつつ(偽装工作)、待ち伏せ中である。

 なぜ、こんな怪しくて面倒なことをしているのかというと、シエンナやヒューゴにバレたくないからだ。()(てい)に言えば、イリスに裏切り者になってもらおうというのだから、堂々と接触するのは(はばか)られる。

 業界では名著として有名な学術書、「ゴブリンでも分かる魔法学」シリーズのⅣに中心視野を合わせ、一方で、町行く人たちには周辺視野を()てがって観察していると、小麦色の肌をした少女──イリスが視界に侵入してきた。

 

 来た。しかもイリスは1人。今が好機だ。

 

 すぐに立ち上がり、イリスに接近し、話し掛ける。「すみません、少しいいでしょうか?」

 

 振り返ったイリスが、〈またお前か〉という表情を顔に浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 イリスと話をするために近くの詰所(交番)に移動した俺たちの目に飛び込んできたのは、ジョシュアにオセロ(この世界では、白パンと黒パンの戦いに見えるらしく、「パン戦争」と呼ばれている)で文字どおり完敗し、打ちひしがれているハリエットの姿だった。盤上は黒1色である。なんという無残な光景だろうか。

 

 俺に気づいたハリエットが、「ノアくんー」と情けない声を出した。「何回やっても白パンが食べれないの。私もうやだよぅ……」

 

 おいたわしや。

 

「ハリエット弱すぎるんだもん。仕方ないよ」ジョシュアに手加減をするという発想は絶無のようだ。

 

 大人げない、と思いかけて、そういえば7歳だった、と悔い改める。

 

 困惑気味のイリスに、「それじゃあ、そこに座ってください」とハリエットの隣にある椅子を指差す。

 

「……え」気味(・・)が取れ、イリスは完全に困惑している。「私もやるんですか」この黒パン相手に? と顔を引きつらせた。

 

 

 

 

 

 

 ジョシュアの妙技により一時的に隷属の首輪の効果がなくなったイリスへと、〈シエンナ、ヒューゴ及びイリスを共犯として疑っていること〉を伝えて自白を促したところ、イリスは、「違います」とだけ、息混じりの小さな声で答えた。

 

「……」

 

 ベルフィス町の中心部に位置する詰所の空気が、5秒、10秒と静寂が続くにつれ、重苦しいものになっていく。

 

 このままでは(らち)が明かないね。

 

 次の交渉カードを切る。「所有者の命令により殺人を犯した奴隷がどうなるかご存じですか」

 

〈殺人を犯した〉のところでイリスの眉が微かに痙攣(けいれん)していた。

 一般の方は、共同正犯、共謀共同正犯又は結果主義(法学)という言葉の意味を詳しくは知らない場合がほとんどだ。おそらくイリスは、自分が直接殺したわけじゃないのに、あるいは所有者の命令に逆らえなかっただけなのに、〈殺人を犯した〉という、あたかも殺意を持って直接、人を殺したかのような物言いをされたことに反感を抱いたのだろう。気持ちは分からないでもないが──甘い。

 

「我が国の慣習上、複数人が協力して殺人を計画し、その計画が完遂された場合、たとえ計画を考えただけ、又は偽装工作を少し手伝っただけであったとしても、全員が自ら殺人を実行したものとみなされます。また、所有者に強制されてこれを行った奴隷も同様に正犯となります」つまり、と語調を強める。「全員が身体刑(しんたいけい)や死刑になり得るということです」

 

 一応、〈幇助(ほうじょ)〉という概念は存在するものの、実務上、一定の犯罪類型を除き、共同正犯として処理されることがほとんどだ。

 なお、厳密に言えば、イリスの場合、ハイヴィース王国の奴隷法に基づく懲罰権の対象になるのであって、通常の裁判の結果たる身体刑等になるわけではないが、内容的には似たようなものなので、ここでは分かりやすく脅すために〈身体刑や死刑〉という言葉を使った。

 

 ここで、ごくり、と唾を呑み込む気配。ハリエットである。なぜあなたがそこまで緊張するのか。この中で(表面的には)1番年長なんだからもうちょっと堂々としていてほしい。

 

 肝心のイリスは、「……そう、ですか」と中身のない相槌を打ち、「けれど、私たちには関係のないことです」と否認の姿勢を崩さない。

 

 しかし、構わずに言葉の刃を振るう。「所有者に命令されて人を殺した奴隷の罰を司法権者が決定する場合、両腕を切断するという制裁を与えている事例が最も多いです」その次に多いのが斬首刑です、と返す刀で付け加えた。

 

 ようやく事の重大さを実感してきたのか、イリスの鼻に(しわ)が寄り、黒目からは落ち着きが失われ、「違います、私たちは関係ありません、知らないです、知らない」と譫言(うわごと)のように繰り返す。

 

 ここがターニングポイントだ。シエンナのように演技系のスキルはないが、雰囲気が出るように頑張らないといけない。

 

 脱力と柔和(にゅうわ)の中間くらいの口調で、「まぁ、通例ではこんな感じですが」と始める。「私は別の道が最も正しいと考えています」

 

 俺がそう言うと、風向きが変わったことを察知したのか、イリスの面持に怪訝の色が混ざり出した。

 

 唇を湿らせ、続ける。「私は思うのです、罪には有責性が必要だと。則ち、形式的な社会通念という意味ではなく、人の守るべき、本質的な規範という意味の道徳に照らし、多くの人に〈それはあなたが悪い〉と強く非難されるであろう人物のみが犯罪者とみなされるべきだということです」少しだけ難しい言い回しになってしまったかもしれない。相手の価値観や知識に寄り添えないと伝わるものも伝わない。しかし、俺の能力はあらゆる人に合わせられるほど高くない。だから、恥も外聞もなく、「ここまではご理解いただけましたか」と訊ねた。

 

「……なんとなく言いたいことは分かります」イリスがゆっくりと述べた。

 

 それは良かった、と安堵が洩れる。本題に戻す。「イリスさんには選択肢などなかった。隷属魔法のせいでシエンナさんには従うほかない。奴隷とはそういう存在です」

 

「……」イリスの唇が開きかけるも、それだけ。言葉を発するには至らない。

 

「……したがって、仮に私の推理どおりの事実があったとしても、イリスさんには有責性は認められません」一旦、止め、ごく短い間を経て、再開。「奴隷法第14条1項、〈奴隷が、刑法(アーシャ教の教典、刑法、その特別法、領主が定める条例その他の刑罰を規定した法令及び慣習法)に規定される罪を犯した場合、その所有権者が懲罰権を有する。ただし、所有権者が懲罰権を行使することが相当と認められない特段の事情がある場合は、当該奴隷の住所又は居所(きょしょ)の属する領地の司法権者が懲罰権を行使する〉のただし(がき)により、私はイリスさんを無罪にするつもりです」

 

「!」イリスの目が見開かれる。初めて彼女の本当の表情を見た気がする。

 

「ただし!」話はまだ終わりではない。「今のイリスさんには選択肢があります。にもかかわらず、真実を語らずに嘘をつき続けるのであれば、それは歴とした犯罪です。具体的には、証拠隠滅罪が適用され、相応の罰を受けていただかなければなりません」俺の自分勝手な正義を理解してもらえるように願い、イリスの瞳を真っ直ぐに見つめる。そして──「だから、どうか真実を語ってください」と。

 

 詰所の中に静寂、しかし、外には子どもの弾む声。

 

 しばらくの一瞬。イリスが口を開いた。「……全てお話しします」

 

 子どもはどこかに行ったようだ。

 

 

 

 

 

 

 ディランとの友人関係が破綻しかけた日から2日後の朝、自室で熱々の紅茶を飲みながら、今日も仕事頑張ろ、と思っていると、ノックの音。ドアを開けるとディランが立っていた。

 

 ノックするなんて珍しいね、と言いかけて、そういえば鍵してたんだった、と踏み(とど)まり、代わりに、「こんな時間に珍しいね」という言葉を贈る。

 

「かもな」ディランは、そんなことより、と(かじ)を切る。「見つけたぜ」

 

「おー、流石」しかし、入り口で話すようなことでもない。「中で詳しく聞かせてくれ」

 

 

 

 

 

 

「なるほど、冒険者か……」そっちだったか、という気持ちだ。

 

 ディランを招き入れ、〈風魔法を使う殺し屋〉について教えてもらったところだ。曰く、クライトン伯爵領内に風魔法が得意で、かつ黒い噂のある冒険者がいるらしい。

 

 冒険者(依頼を受けて魔物を狩ったり、危険地帯でアイテムを採取したりする者。通常は冒険者ギルドに所属している)には様々な人間がいる。というのも、冒険者ギルド(冒険者等の集団。依頼の仲介機能が中心)にはどんな人間でも入ることができるからだ。身元調査も試験もない。スラムの子どもだって大丈夫だ。ただし、世間から一人前の冒険者と認められるには最低でも10個は依頼を達成しなければならず、単に冒険者ギルドに所属しているだけでは、普通は冒険者を名乗ったりはしない。

 そんな職業だから──職業差別をするつもりはないが──殺し屋と兼業している人間がいてもおかしくはない。

 

 ディランがいつもの煙草に火をつける。

 

 紅茶で口を湿らせてから、「情報源は明かせないんだよね?」とディランに問う。

 

「そうだな」ディランが煙と共に答えた。「でも、確かな情報だぜ」

 

 どんな繋がりがあるのか気にならないと言ったら嘘になるけど、無理に聞き出すほどのことでもない。

 

 ディランがその冒険者の情報を語る。「名前はティメオ。今年で27歳になる、痩せた男だ。2、3年前からハイヴィース王国で冒険者として活動してて、主に風魔法を使ってるらしいぜ」ここで有害な煙を体内に補給。妙に色気のある所作で、とんとん、と灰を落とし、そんでよ、と説明を再開する。「ティメオには裏の顔もある。それが殺し屋だ」本人はバレてないと思ってるみてぇだが甘いよなぁ、と男気くさい笑み。

 

「なるほど……」やはり〈風魔法を使う殺し屋〉を実行犯と考えるのが一番現実的か──イリスもそう供述していた。

 

 しかし、そうだとするとしっくりこない点もある。則ち、なぜ〈剣を使う殺し屋〉を実行犯にしなかったのか。そのパターンだったならば、現場の情況とシエンナたちの語ったレギーの犯行とのズレをもっと抑えられた可能性が高い。これでは証言を疑ってくれ、と言っているようなものだ。

 とはいえ、現場の情況やティメオの存在を考慮すると、当初の推理はそこまで的外れではないとも思う。

 

 ということは──。

 

「そっちはどうだったんだ?」ディランが選手交代を要求し、沈思黙考しそうになっていた俺を引き戻す。

 

「それが……」この事件、未だ見えていない部分が多すぎるうえに複雑な感情が絡んでいそうで、どう説明したらいいか、と言い淀んでしまう。

 

 けど、ディランは静かに紫煙を(くゆ)らすだけで急かしたりはしてこない。多分、こういうところがモテる要因なんだろうね。

 

 一旦、頭の中を整理し、それから話していく。「俺が聞いたところによると、シエンナは元奴隷だ」

 

「奴隷……」ディランが呟く。

 

「ルーバンの奴隷だったらしい。で、更にその前は……」紅茶を口にする。少し温くなっている。「その前は、貴族だったそうだ」

 

「え、貴族?」マジ? とディランが驚く。

 

「ロビンソン家って聞いたことないか?」

 

 ロビンソン家は、国境に接する重要地を管理する、所謂、侯爵家というやつだ。高い武力を誇り、発言力も強い。

 

「知ってるけどよ」ディランは肯首するが、「そこのお嬢様が、なんで奴隷になってんだ?」と疑問を呈した。

 

「身体障害が原因だよ」車椅子で入廷したシエンナの姿は記憶に新しい。「ロビンソン家の現当主、要するにシエンナの親父さんは、自分の娘が障害者になってしまった事実を受け入れようとしなかった。シエンナの美貌とスキルならば、たとえ下半身が動かなくても政治的な利用価値は残っていたはずだが、親父さんは、そういった手段を考えたくないほど強い嫌悪感を抱いた。〈こんなみっともない女が、ロビンソン家にいていいはずがない〉ってね。で、シエンナは家を追放された……らしい」

 

 イリスは、これらの話を〈シエンナ様から聞いた〉と述べていたが、真実を知らされていたとは限らない。その点には注意が必要だ。

 

 ディランが、煙草をくしゃっと灰皿に押し付けてから言う。「でもよ、あそこの家って武門だろ?」

 

「だね」

 

「それなら、戦いで手足がなくなることもよくあるんじゃねぇか?」

 

 ディランの言うことは尤もだし、シエンナの事情を聞いた時は俺も同じことを疑問に思った。けど、どうやらそれは別問題らしい。

 

「戦いによる場合は、戦果さえ挙げていれば非難されることはないそうだ」

 

 戦果ね、とディランがその意味を噛み締めるように呟いた。

 

「話を戻すよ。追放されたシエンナは奴隷商に拾われた」

 

 国教として指定されているアーシャ教の教典では、奴隷について言及されていない。厳格に解釈するならば、奴隷制度は〈神の下の平等〉に反することになるが、需要が高いため認められているのが実情だ。

 

「そして、ルーバンに買われることになる。で、1年後、奴隷からの解放と同時にルーバンの妻になった」これが10年ほど前の出来事だ、と補足しておく。

 

 腑に落ちない様子のディランは、「それでなんでルーバンを殺すんだよ?」と反語表現に手を出すが、「でも、10年だもんな……。色々あるか」とあっさりと反語を反転させた。

 

「少ない情報を基にした、あまり自信のない推測なんだけど」とただし(がき)を先に置いてから、それを語る。「シエンナは人ではなく物として扱われる自分を受け入れられなかったんじゃないかな。あの美しさだ、きっと下半身が動かなくなるまでは、もて(はや)されていたはずだ」仮に健常者のままならば、貴族としての(表面上は)華々しい人生を送っていた可能性が高い。「それなのに奴隷になり、所有者に気に入られて妻になる──」いや、オブラートは取り除こう。「従順な妻になることを条件に隷属の首輪を外してもらう。シエンナにとっては相当な屈辱だった」

 

 ただ、10年もの時間を、少なくとも外形上は仲のいい夫婦として過ごしていたことを考慮すると、ルーバンに対する感情の揺らぎ、あるいは多面性を肯定すべきだろう。

 

「じゃあ、シエンナが主犯ってことだよな?」俺が答えるのを待たずに、ディランは更に質問を重ねる。「ヒューゴはなんで従ったんだ?」理由なくね? と。

 

「遺産の一部を譲渡する約束をしてたみたいだよ」

 

 とは言ったものの、これも些か違和感がある。ヒューゴが金に困っているという情報は得られなかったからだ。聞き込みの範囲が狭いだけ、あるいは単に欲望に負けただけかもしれないけど、小骨が喉に引っ掛かるというかなんというか。

 

 しかし、限定的な情報しか知らされていないディランは、「なるほどな」と納得した旨を口にし、続いて、「つーかよ」と流れを変えた。「ノアはどうやってそこまで調べたんだ?」

 

 簡単にまとめると、〈天才魔法使いに隷属魔法への干渉〉をしてもらいつつ、〈イリスを口説き落とし、口を割らせた〉となるが、ここは〈目には目を歯には歯を〉といこうか。

 

 煙草を吸う仕草をしつつ、言ってやる。「情報源は明かせないな」

 

「はっ」ディランが笑う。「いい性格してんな」

 

 それは俺にとっては褒め言葉だ。だから、「お褒めに預かり光栄です」と返す。

 

「……」「……」

 

 気の抜けたユルい笑いが、煙草と紅茶の匂いが混ざり合った室内に2つ。

 

 

 



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淋しがりの君④

7話~13話まで連続投稿です。


 ベルフィス町の隣町の更に隣、ブラッサバーン町にある冒険者ギルドの入口の前に立つ男が1人──というか俺である。

 噂の風魔法の使い手──ティメオに会いに来たわけだ。

 

 ささくれ立った木製のドアを開ける。ざわざわとしている冒険者ギルド内の雰囲気を一言で表すならば、武闘派ハローワークだろうか。

 

 入口近くのテーブル席に座っている4人の男女が俺に視線を向けるも、興味を持つには至らなかったのか、すぐにテーブルに広げた地図へと意識を戻し、会話を再開する。

 今の俺は、羊毛(ウール)製のチュニックと麻製のズボン、さらに防寒着のフード付きマントを着用している。これ以上ないくらいに庶民の格好だ。

 きっと彼らは、〈なんだ、ただの貧乏人か〉とでも思ったのだろう。だから、俺になんの価値も見出(みい)ださなかった。

 

「……」

 

 無言で冒険者ギルド内を物色しながら、よしよし、と内心でほくそ笑む。路傍の石とみなされるように、つまりは警戒されないようにこの格好にしたのだ。

 とはいっても、仕事以外では大体こんな感じの服装で過ごしているので、変装という感覚はほとんどない。田舎で育った平民の本領発揮である。

 

 テーブル席にティメオはいない。カウンターには……いない。依頼用紙が張られた掲示板の前にもいない。今日は来てないのかな。最近はブラッサバーン町で活動してるって聞いたんだけどな……。

 

「なんの用だい?」後ろから声を掛けられた。振り返ると、20代くらいの、ギルド職員の制服を着た髪の短い女性が立っていた。「依頼を出しに来たのか?」と(はな)から冒険者とは考えていない発言。

 

「まぁ、はい。そんな感じです」

 

 俺の歯切れの悪い返答を聞いた女性は、「……訳ありか」と察してくれた。

 

 肩に掛けた革袋に手を突っ込み、クライトン伯爵の下で働く人にのみ与えられる家紋付きのナイフを掴み、ギルドの職員らしきこの女性にだけ見えるようにする。「別室で話せませんか?」

 

 女性は少し嫌そうな顔をするも、「……ついてきな」と歩き出した。

 

「ありがとうございます」女性の後を歩く。

 

「……見た目の割に礼儀正しいんだな」

 

 元日本人だし、さもありなん。

 

 

 

 

 

 

「ティメオは、3日は帰ってこないと思うぞ」冒険者ギルドのブラッサバーン支部の一室にて、職員の女性──ウィローが、特に感情を交えることなく言った。

 

「え……マジですか」ツイてないなぁ、という気持ちが、バイトの学生みたいな口調を誘発してしまった。

 

「ああ」ウィローは頷き、「あいつは今、ワイバーンを狩りに行ってるんだ。距離もあるから、殺されてなかったとしても戻るまで少し時間が掛かる」と事情を説明した。

 

 2人きりの狭い部屋に、はっきりとした陽光が差し込み、俺とウィローが着くテーブルに積もった(ほこり)が鮮明になる。しかし、雲が移動したのか、埃はすぐに朧気(おぼろげ)な明るさに隠されてしまった。

 

 ウィローは頬杖をつき、「あいつ、何やったんだよ?」と、ぐにゃっとした口のまま疑問を投げかけ、さらに、「あんた、裁判官なんだろ? あいつはどうなるんだ?」と連投した。

 

 無関心そうな顔をしているけど、案外、気にしているみたいだ。仕事としてなのか、それ以上の理由があるのかは不明だけど、俺はなんとなくウィローに好感を抱いた。

 

 ただ、これらの質問の明快な回答をウィローに提供することはできない。(いま)だ事実が判明したわけではない情況で、たとえ被疑者についての情報だとしても、その名誉を傷つけかねないことを口にするのは必要最小限にしたいからだ。

 これは言ってしまえば、〈世界は美しくて、人間も本当は善性である〉と信じている若者が持つような青臭い理想に拘っているにすぎない。きっとディランは苦笑いするだろう。あるいは、馬鹿にするかもしれない。記憶上は40年以上生きているのに我ながら幼いとは思う。だけど、こういう理想主義こそが俺の生き方なんだと、もう理解している──諦めている。

 

 だから、「申し訳ありません。その質問にはお答えできません」と伝えた。

 

「堅いなー」ウィローは文句のニュアンスを含ませずに言い、一拍後、「あー、もしかして」と何かに思い至った。「こういうのって教えるとダーシー様に怒られる感じ?」あの人恐そうだもんな、と小さく付け加えた。

 

「怒られるかどうかはケースバイケースですが、基本的には恐くないですし、どちらかというと優しい人ですよ」と上司のマイナスイメージ払拭に努める。「作ったお菓子とかをたまに差し入れてくれるんです」

 

「は?」驚いたウィローが頬杖をやめ、頬に付いた赤い(あと)を見せつけながら、「想像できん……」と呆然と洩らした。

 

 いい反応すぎて、つい口元が(ほころ)んでしまう。

 

 悪気はない(?)が、「かなり美味しいですよ」と追撃。しかも、と畳み掛ける。「動物の形だったり、可愛くラッピングされてたりと、なかなかの少女趣味なんです」

 

「うっそ、だろ……」呆然を通り越して愕然(がくぜん)としている。やっぱり笑える。

 

「本当です」と言いつつ、俺も最初は同じ反応をした。今となってはいい思い出だ。

 

 ミステリーで突飛にすぎるどんでん返しを目の当たりにした善良な読者のごとき表情のウィローを見ていると、一仕事を終えた時特有の達成感が心裏に生まれるが、よくよく考えると(考えなくても)、本来のミッションはこれからである。またディランと打ち合わせしないとな。

 

 

 

 

 

 

 ウィローの言ったとおり、3日後の28日にティメオはブラッサバーン町に到着したようだ。

 その翌日の夜、街路灯に照らされた町の一角で、俺はティメオと相対していた。彼我(ひが)の距離は10メートルほどで、周囲に一般の方の気配はない──ティメオが想定を超える実力を有していた場合、一般人に被害が出る可能性があるため、あえてこのような人けのない通りでの接触を選択した。

 

「……同業者か」簡素な黒いマントを羽織った痩躯 (そうく) の男──ティメオが、エッジ感の強い、つまりはガラガラとした声で言った。警戒しているのは誰の目にも明らかだ。

 

「〈魔法使いか〉という意味ならば、そのとおりです」

 

 おそらく魔力の質から察したのだろう。俺も含め、魔法使いはそれに関し敏感なのだ。

 

 街路灯の惹起(じゃっき)する陰影が独特の情緒(じょうしょ)(かも)し出す中、ティメオの魔力が剣呑さを帯びていく。「用件を言え」とティメオが臨戦態勢に入る。

 

 まだだ。まだティメオの全方位への感知能力は十全──風魔法を使う者は総じて感知能力が高く、しばしば〈風を読む〉と表現される。

 したがって、まだ駄目。やはりリスクなくしてリターンは得られないのが、世の常なのだろう。

 だが、問題ない。瑕疵なき覚悟はすでにある。自らの死を理解した瞬間、それは確かに俺の精神に根をはった。痛みと共に──深く、深く。

 

 だから、臆することなく述べる。「単刀直入に言います」魔力を練り上げ、発動。「貴方をルーバン氏殺害の容疑で逮捕し──」

 

 ──ティメオが無言で風魔法を放つ。明確な殺意と濃密な魔力を孕んだ〈風の刃〉が殺到する。速い。が──。

 

 ──〈法令魔法・正当防衛〉。

 

 俺からもティメオと全く同じ風魔法が射出される。

 

「っ!」ティメオが驚愕し、次の瞬間には〈風の刃〉が衝突。互いに打ち消し合う。それは、対立する債権が相殺(そうさい)により消滅する様を彷彿とさせた。

 

 風が霧散し、静夜(せいや)が訪れるが、それも一瞬、「お前も風使いだったのか」とティメオは忌々しそうに言った。

 

「見てのとおりですよ」と弁解の余地を残す言い方をし、次いで、「落ちこぼれの貴方では私には勝てません。無駄な抵抗はやめていただけませんか」と慇懃無礼に挑発。

 

「……俺は落ちこぼれじゃない!」ティメオが声を(あら)らげ、怒りを(あらわ)にする。「負けるのはてめぇだ!」

 

〈風の刃〉──魔力を内包しているため認識できる──が、ティメオの周囲に出現する。今度は先ほどの3倍くらいか──その数およそ30。それに……。

 

 黙したままの俺を見て自身の優位を確信したのだろう、ティメオは、「どうしたぁ? 今更、怖気づいたか?」と(あざけ)る。「自殺したら許してやっても──」

 

「素晴らしい魔力操作ですね」と俺はティメオの発言を遮った。

 

「──ちっ」ティメオの舌打ち。「だからなんだ? 対処できなきゃ意味ねぇだろ」

 

「この程度ならば対処とやらは容易いですので、ご心配には及びません」と尊大な言葉を吐く。

 

 大量の〈風の刃〉は囮にすぎない。ティメオの本命は、上空に待機している、魔力の気配を極限まで抑えた〈風の戦鎚(せんつい)〉──打撃系の風魔法──による意識外の一撃。風魔法の、魔力さえ感知されなければ高い隠密性を誇るという性質を最大限に活かした作戦と言える。

 ティメオは、魔法の才能がないことが原因で、隣国の貴族であるフォンテーヌ家に捨てられた過去を持つらしいが、俺には優秀な魔法使いに見える。平民の俺では、彼の──彼らの事情を本当の意味で理解することはできないのかもしれない。

 甘えた考えだな、と思う。理解できない言い訳をどれだけ並べても、人は、真実は、正しい法は心を開いてくれない。

 

 クソがっ、とティメオが〈風の刃〉を疾駆させる。

 

 しかし、それは不正解だ。〈法令魔法・正当防衛〉により(ことごと)く相殺されていく。

 

 この魔法も〈法令魔法・事情判決の法理〉同様、日本で学んだ法学上の概念を基にしている。

 則ち、〈正当防衛〉。

〈正当防衛〉には、犯罪に関する〈刑法上の正当防衛〉と損害賠償の責任に関する〈民法上の正当防衛〉がある。俺の魔法の前提となっているのは前者だ。

 正当防衛について規定した刑法第36条1項には、〈急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない〉とある。これを無理やり簡単に言い換えると、〈違法行為から自分や他人を守るための、その違法行為と釣り合いの取れる程度を超えない反撃は、犯罪とならない〉となる。

 これにファンタジーという理不尽な具材が加わった結果が、〈俺や他人への攻撃を、原則として全く同じ攻撃をぶつけることで防ぐ魔法〉則ち〈法令魔法・正当防衛〉だ。

 この魔法には、〈刑法上の正当防衛〉の成立要件を基にした発動条件が存在する。そのうちの1つが、〈急迫性〉の有無だ。〈急迫性〉とは、〈現在進行系で攻撃が発生しているか、又は今、まさに発生しようとしている情況〉を意味する。したがって、攻撃を終えて立ち去ろうとしている人間に対しては、正当防衛の魔法は発動しない。あくまで防御魔法でしかないのだ。

 また、〈自招(じしょう)防衛〉という問題もある。これは、相手の攻撃を自ら招き、それに対して反撃する場合のことで、日本では正当防衛の成立が制限されている。日本の判例による枠組みと全く同じではないものの、俺の魔法にもこの制約は適用されており、例えば、逃げる相手に攻撃して相手の攻撃を誘発した場合、基本的には〈法令魔法・正当防衛〉は発動しない。ただし、言葉による挑発に起因する相手の攻撃に対しては、原則として通常どおり発動する。

 

 これらの制約の存在が、俺がティメオの感情を逆撫でするような発言をした理由の1つだ──逃げるという選択肢を彼の頭から消すためである。

 そして、もう1つの理由は──。

 

 ティメオの〈風の戦鎚(せんつい)〉が、俺の〈風の戦鎚(せんつい)〉と衝突し──()ぜる。烈風が夜に溶け──突然、ティメオが倒れ、(いな)、組み伏せられた。

 

 流石だ、ディラン。

 

 透明化スキル(・・・・・・)を解除したのだろう、ティメオを押さえつけているディランが姿を現す。

 

 これが下手くそな挑発をした、もう1つの理由だ。ティメオを怒らせ、つまりは冷静さを失わせて、かつ俺との戦いに集中させることで優秀な感知能力を阻害。そこへ透明化したディランが奇襲を仕掛ける計画だった。

 

「何が起き──!?」ティメオが自身の首にある魔道具に気づく。「畜生がっ! この程度っ」鮮烈な殺気が、魔法の発動意思の存在を証明しているが、そよ風が頬を撫でるだけで攻撃の(てい)を成していない。

 

 この首輪型魔道具は、スキルの発動を抑制するものだ。スキル封じの薬ほど強力ではなく、一定レベル以上の術者だと首輪を嵌められたとしても実戦クラスの威力でスキルを使用できてしまう。しかし、中堅以下であれば、今のティメオのように魔法やその他スキルをまともに使用できなくなる。

 

 ディランは、押さえつけているティメオの腕を捻り上げつつ、「骨を外されたくなければ大人しくしろ」と警告。

 

「──だ、まれっ!」とティメオは尚も抵抗の意思を見せる。

 

「必要ない!」行動に移そうとしたディランを止める。「もう十分だ」

 

「……はいよ」ディランがいつもより少し低い声で答えた。

 

 素早く駆け寄り、「やめろ、触るな」と喚くティメオを縛り上げる。

 

 ティメオの拘束が完了したところで、ディランが、「はぁ」と溜め息をついた。

 

 ディランに外傷はないが、スキル発動の副作用──透明化していた時間の10倍の時間、視力を失う──により、今は完全な闇の中にいるはずだ。

 

「大丈夫か?」と俺が問うと、ディランは、「大したことねぇよ」といつもの軽い調子で言った。

 

 悪いな、という言葉が喉まで出掛かるが、寸前で口を(つぐ)む。こういうときは謝るより感謝したほうがいい、とどこかで聞いた気がする。

 

 けど、ティメオの前でそれを口にするのはやめておこう。今以上に嫌な気分にさせてしまうかもしれないから。

 

「城に戻ろう」俺は、譜面(ふめん)(めく)るべく、そう提案した。

 



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淋しがりの君⑤

7話~13話まで連続投稿です。


 夜──今は22時30分ころだ──のお城は、深夜のビジネスホテルのような佇まいだ。物音を立てるのは警備の人間くらいで、静かな気配が建物全体に充満している。

 そんな、快適だけれど(さむ)しさのある通路を、独り──ディランとは、ティメオを地下牢に入れた後に別れた──自室を目指して歩いていると、過去の事件の資料が保存されている部屋(資料室)から漏れる明かりが、視覚を刺激した。

 

「……」

 

 歩を進め、資料室の前に差し掛かったところで、ドアが()き、短髪に四角い眼鏡の男性──先輩裁判官のジェイデン・スタンリー(37)が現れた。

 

「お疲れ様です」と俺は、無難すぎて気持ちが込もっているか否かの判別が困難なフレーズを口にした。

 

「ノア君もお疲れ様」ジェイデンが、彼の厳格さを窺わせるやや冷たい声色で言った。「丁度良かった。今、時間はあるか」

 

「……大丈夫です。私の部屋を使いますか?」ここからならば俺の部屋のほうが近い。

 

「ああ」と重そうな資料を抱えるジェイデンが頷く。「使わせてもらえると助かる」

 

「少し持ちましょうか?」俺が申し出るも、「いや、いい」と端的に断られた。

 

「……では、行きましょうか」と移動を開始する。

 

 

 

 

 

 

「いや、いらない」ジェイデンは、先ほど聞いたのと兄弟のように似通(にかよ)った文言で、紅茶を()れようとする俺を止めた。

 

 未だ暖まらない部屋の、冷えきったソファに腰を下ろす。

 

「話というのは何でしょうか」

 

 ややあってから、ジェイデンが(おもむろ)に口を開いた。「……お前は甘すぎる」

 

「……」

 

「あの淫魔にだって身体(しんたい)刑を科していないのだろう」

 

「いえ、それは……」咄嗟に(つたな)い嘘が出そうになるが、無意味であることは自明だ。だから小さく、「はい」と認めた。

 

 勘違いするな、とジェイデンの視線がやや下に向けられる。「ダーシー様が黙示(もくし)に容認したことだ。私に法的責任を追及するだけの力はない」

 

 それはつまり、力さえあれば──、ということか。

 

 ジェイデンは落ち着いた声音で続ける。「たしかに、魔族ならばそれでも不利益はほとんどない。ダーシー様の性格とお前の性格──信念を考えると、当然の帰結と言えるかもしれない」だが、と視線を鋭くさせる。「ルーバン氏殺害事件の被疑者は、全員、人間なのだろう?」

 

 常識的に考えると魔族が真犯人などという事態は、そうそうあることではない。ジェイデンの推測は極めて真っ当なものだ。

 

 否定する意味はない。だから、「そのとおりです」と答える。

 

 ジェイデンが何を言いたいのかは、すでに察している。

 

「であれば、判例に従え」静かながらも反論を許さぬ圧。

 

「……」

 

「魔族と人間では、厳罰を与える意味が違う。お前も理解しているはずだ」

 

「……はい」

 

「メイソン氏殺害事件の時は犯人が魔族だったからこそ、ダーシー様も犯罪抑止効果を度外視した。しかし、人間が犯人の場合はそうはいかない。彼ら自身に、〈罪を犯したら自分もこうなる〉と思わせる必要がある。したがって、ダーシー様は厳罰以外は認めないはずだ」

 

「……理解しているつもりです」ジェイデンの言っていることは間違いなく正しい。

 

「……」静黙(せいもく)したジェイデンが、じっと俺を見つめる──まるで被告人の最奥(さいおう)にある真実を探すかのように。

 

 そのまま露許(つゆばか)りの時が流れ、不意に圧が霧散した。

 

「ノア君が目指しているものは……」数拍の間。「いや、いい。何でもない」私は帰るよ、とジェイデンは立ち上がった。

 

「はい」俺も起立し、「ご忠告ありがとうございました」と頭を下げる。

 

「……それ、たまにやるけど、どんな意味があるんだ?」ジェイデンが首を傾げた気配。

 

「……あ」ミスった。

 

 ハイヴィース王国やその近隣諸国には、〈お辞儀〉は存在しない。だから、俺の行動は奇行以外の何ものでもない。恥ずかしや。

 

「い、いえ、何でもないです。ちょっと腰が痛くて」意味不明な供述である。

 

「まずは腰痛の完治を目指すことを勧めるよ」

 

「はい……」

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 シエンナ・ロビンソンは、自身の10歳の誕生日を祝うパーティが開かれている会場を何とはなしに見渡した。

 

 何度か形式的な会話を交わしたことのある貴族、顔は知っているが一度も会話をしたことのない貴族、全く知らない貴族。

 10歳の少女の平均的な身長しかないため、見えない人のほうがずっと多いけれど、たくさんの人がいることは間違いない。そして、彼らは皆、シエンナを美しいと褒め称えることに生き甲斐を感じているということも確信できた。

 なぜなら、それが今までの人生で幾度となく繰り返されてきたことだからだ。贈られた誕生日プレゼントの数と価値からも明らかだし、今も感じる複数の卑猥な視線もシエンナの美しさ故である。

 

 いい気分。

 

 美しい、可愛らしい、と褒められるのは気持ちのいいことだ。時折、本当に気が向いた時だけ、演技系スキル──〈独りぼっちのおままごと〉──を使って媚態(びたい)を演じてやることもある。赤面し、慌てふためく様は滑稽で笑えてくる。勿論、スキルにより表情は完璧に統制されているため、嘲笑(ちょうしょう)が出てしまうことはない。

 

「おねえさま、おねえさま」少しだけシエンナに似た幼い声。妹のエスメが駆け寄ってきたのだ。「これ、あげる」と皿を差し出された。何やらよく分からない黒い塊が載っている。

 

「まぁ! ありがとうございます」シエンナは、エスメの頭をやんわりと撫でてやりながら、「でも、これはいったい何なのでしょう?」と訊ねた。

 

妖精(ピクシー)のハンバーグだよ! 作ったの!」褒めてほしそうだ。気持ちは分かる。

 

 もしかしなくてもこれを食べろということだろう。いい迷惑だ。如何にも身体に悪そうなゴミを好んで食べる人間などスラムにしかいない。シエンナは侯爵令嬢だ。したがって、あり得ない。

 

 今すぐ召使に廃棄を命じたい衝動に駆られるシエンナだったが、なんとか(こら)えて、「エスメさんがお作りになったのですか?! まだ5つになったばかりなのに凄いです」とそれらしいだけの薄っぺらい賛辞を絞り出した。

 

「うん!」きらきらと答えたエスメは、早く食べて、と急かすように笑っている。

 

 どうしよう……。

 

 

 

 

 

 

 13歳になったシエンナは、第二次性徴を迎え、より女性らしく、より美しくなっていた。

 

 シエンナは、父親のブライアンに呼び出され、彼の執務室を訪れていた。呼ばれた理由は察している。

 

 低く、奥行きのある声でブライアンが言う。「お前の嫁ぎ先が決まった」

 

「はい」シエンナはしずしずと答え、次いで、「どちらに」と問うた。

 

「ウィリアムズ家だ」

 

「ウィリアムズ家……」腑に落ちない。あそこには年頃の男子はいなかったはず。「どなたが夫になるのでしょうか」

 

「テディ・ウィリアムズ」ブライアンは平坦な口調で告げた。「精通を待って、あちらが予約完結権を行使する手筈になっている」

 

「私たちに予約完結権は──」

 

「そんなものはない」とブライアンは、不満が(まつ)わりついた言葉を発した。

 

「失礼しました」

 

 テディは現在、5歳だ。婚姻しても子を()せない。

 加えて、あちらが格上──公爵家であることが、婚姻予約契約、所謂婚約に留まった理由だろう。則ち、ウィリアムズ家は、ロビンソン家が格を落とす愚行をした場合に、すぐに切り捨てられるようにしたのだ。

 

 気に入らない。腹立たしい。

 

 この私が嫁いでやるというのに、巫山戯(ふざけ)た話だ。

 

 ブライアンも同じ気持ちなのか、不満げな顔をしている。シエンナにはそう見えた。

 

 

 

 

 

 

 ブライアンの執務室を出たシエンナは、庭──敷地の奥へと向かっていた。

 ロビンソン家の敷地は広大だ。敷地内に山も森もある。ちょっとした秘密を隠すには十分すぎるだろう。

 

 シエンナの〈独りぼっちのおままごと〉は年々その性能を上げていた。昔は演技が上手くなるだけだった。しかし、今は違う。具体的には、実際に会話を一定時間以上したことのある人物を演じる──例えば、ブライアンの真似──際、〈役作り〉という工程を経ることでその対象者の能力(スキルを除く)を少しだけ模倣できるのだ。

 今のシエンナは護衛騎士を演じている。つまり、身体能力も気配察知能力も、本人には劣るものの、ただの小娘ではあり得ないレベルで有しているということだ。

 

 周囲の気配を探る。

 

「……」

 

 監視はいないわね。

 

 人目を避ける必要があるのだ。木々の間──森へと足早に侵入する。

 警戒を怠らず、けれど大胆に駆ける。

 一定の律動(りつどう)を刻む自身の呼吸を聞くことに飽きてきたころ、シエンナはようやく目的地──打ち捨てられた小屋に到着した。

 中から彼の気配を感じる。走ったせいで荒くなった呼吸も赤くなった頬も、スキルのおかげで通常よりも早く落ち着いてゆく。衣服を軽く整えてドアノブを捻る。

 

「早いっすね」中にいた三白眼の少年──ヒューゴが、シエンナを見て微笑んだ。

 

 頬に朱を(そそ)ぐ──ということだけは(・・・)、スキルが阻止してくれた。

 

 

 

 

 

 

 シエンナのスキル、〈独りぼっちのおままごと〉にも、当然、副作用(デメリット)はある。

 このスキルは、シエンナに強い孤独感を強制するのだ。それはつまり、シエンナは常に淋しさや周囲との果てしない距離を感じ、一方で、他人を、自身の心を理解し受け入れてくれる存在を強く求めてきたということ。ここで言う〈強く〉は〈病的に〉あるいは〈中毒症患者のように〉と言い換えることができる。それほどの渇望だった。

 しかし。

 シエンナは誰かに本当の自分を理解されることはなかった。なぜなら〈独りぼっちのおままごと〉は、シエンナの意思に関係なく常に発動状態にある〈常時発動型〉だからだ。則ち、シエンナは生まれた瞬間から一時も休むことなく自分ではない誰かを演じてきた。誰も気づかぬほど巧みに。

〈異常な孤独感の強制〉と〈演技──仮面の強制〉、〈渇望〉と〈自縛(じばく)〉。

 この相反(あいはん)する副作用(デメリット)に圧迫されることこそが、演技の頂に至る可能性の代償であった。

 

 だから、シエンナは終わらせることにした。もう疲れたと自死(じし)を選択した。

 本当の自分を理解してほしい。けれど、シエンナ自身、本当の自分がどのような存在なのか理解していなかった。思考している自分自身が偽りであることは分かっても、その仮面の奥は、ただただ淋しいという激情を除き(ぼう)として見えない。

 それはとても苦しいことだった。世界の中で誰にも認識されず、自分自身でさえ自分を認識できず、不安定な足場に独りぼっちで立ち尽くしている。

 見てほしい。理解してほしい。愛してほしい。けれど、それが叶うことはなかった。彼ら彼女らが見ているのは、理解しているのは、愛しているのは、仮面だ。シエンナではない。

 

 淋しい。ずっと淋しい。生きてる限り淋しい。それなら、死のう。

 

 そうして死に場所を求めて森の中をさ迷っている時に、三白眼の少年と出逢った。

 ぼろぼろの布を纏った少年を見て、自分とは住む世界の違う存在だと思った。そして、邪魔だとも思った。

 

 ──どうしてここにいるのですか。

 

 ここはロビンソン家の所有地だ。この少年のような人間のなり損ないがいていい場所ではない。

 

 と、この時、シエンナは気づく。私も似たようなものか、と。

 

 ──君は……。

 

 少年は哀れむように呟いた。

 

 ──っ!

 

 心の臓が跳ねる。仮面が()かれた──心を見られた。理屈ではなく、感覚が、スキルがそう教えてくれた。

 鼓動がどんどん速くなってゆく。 

 

 この少年は私を知ったのか。私の知らない本当の私を。

 

 あんなに願っていたのに、いざ叶うかもしれないとなった瞬間、言いようのない恐怖が湧き上がってくる。

 けれど、と冷静なシエンナもいる。(かのじょ)は問う、その恐怖は本当に(あなた)の感情なの、と。

 

 そんなのこちらが訊きたい! 

 

 じっとりと脂汗が(にじ)む。くらくらしてきた。どうして、どうして、どうして私は()るの私は誰なの私は私はわたしは──。

 

 ──?

 

 やにわに、楽になった。全てではない。しかし、酷く心を()き乱していた、ぬるぬるとした異物が減ったのは確かだ。息ができる。

 

 ──大丈夫っすか。

 

 少年が目の前にいた。いつの間にか手を握られている。肌に挟まれ、押し潰された汗が、互いの心を繋げている気がした。

 

 ──やばそうだったから、勝手に貰っちゃったっす。

 

 ──貰った? 

 

 ──そうっす。君の〈淋しい〉を俺の心に移動させたんすよ。

 

 ──……そんなスキルがあるの。

 

 ──あるみたいっす。

 

 少年が、落ち着いたっすね、とシエンナの手を放した。

 まだ落ち着いていない、と思ったが、言葉にはできなかった。

 

 ──ねぇ。

 

 ──なんすか?

 

 ──名前を教えて。

 

 ──あー。

 

 少年は、逡巡(しゅんじゅん)している様子だったが、やがて、ヒューゴっす、と名乗った。

 

 ──私は……。

 

 今度はシエンナが躊躇(ためらう)うも。

 

 ──シエンナっすよね? 見ちゃったから知ってるっすよ。

 

 ──うん……うん!

 

 これがシエンナとヒューゴの出逢い。シエンナに婚約成立が伝えられるひと月ほど前の出来事であった。

 

 

 

 

 

 

 森にある小屋から城に戻る道中、シエンナは婚約について考えた。けれど、考えたところで現実には何の影響も与えられないという結論が、頭の中を占拠するだけだった。

 

 周りに人けのない扉から城に入り、泥棒の少年のことなど何も知らぬ、と何食わぬ顔で廊下を歩いていると、侍女を伴ったエスメが前方からこちらに向かって歩いてきた。赤い顔の侍女が、分厚い本を何冊も抱えている。

 

 シエンナとエスメの距離が会話に適したものになったところで、互いが立ち止まる。

 

「ごきげんよう、お姉さま」エスメは、年齢の割には様になっている微笑をたたえて言った。

 

「ごきげんよう、エスメさん」シエンナは、完璧な微笑みを浮かべて返した。

 

 一瞬、エスメの微笑が(かげ)ったように見えた。気のせいだろうか。

 

「お姉さま」品が損なわれない程度にエスメが笑みを深める。「ご婚約おめでとうございます」

 

 耳が早いこと。

 

「ありがとうございます」

 

「……それでは、私はやることがありますので」と述べたエスメがシエンナの横を通り過ぎる。

 

「ええ、ごきげんよう」

 

 足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。エスメから挨拶は返ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 シエンナは17歳になった。その美貌はあと少しで完成の時を迎えるだろう。

 

 シエンナは自室の姿見に映る自分と見つめ合う。

 

「……」

 

 美しい、と誰もが言う。当然、今までの人生で容姿を(けな)されたこともない。

 しかし、最近、シエンナは疑問に思うことがある。

 

 則ち、この美しさに価値はあるのだろうか、と。

 則ち、最愛の人に捧げられない美しさに価値などあるのだろうか、と。

 

 今もヒューゴとの関係は続いている。しかし、決定的な(・・・・)肉体関係はない。それは、ハイヴィース王国の慣習上、貴族の初婚においては処女であることが加点要素になるからだ。有り体に言えば、処女性は一種の担保であり、つまりは、新婦が新郎以外の男性の子を身籠っていないことの証拠として扱われているということだ。貴族は血の繋がりを重んじるが故の慣習である、と言い換えることもできる。

 

 しかし、ヒューゴを愛してしまった。

 

 この想いさえ真実であれば、シエンナは自分の存在を許してやれる。他の男の理想を演じることも受け入れられる。

 

「……嘘だ」鏡の世界から聞こえた。

 

 本当はヒューゴと結婚したい。供に町を歩きたい。彼と私の子どもが欲しい。

 

「……ふふ」

 

 くだらない。そんなことが現実になるわけがない。考えるだけ時間の無駄だ。どうせこの想いも押しつけられた〈役〉に引きずられたものだ。全部嘘。そうに違いない。

 

 そうに違いないんだ……。

 

 不意にノックの音。

 

「お食事の準備ができました」侍女が告げた。「食堂までお越しください」

 

「分かりました。すぐに()きます」

 

 溜め息をつき、それからシエンナは行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 その日、夕餉(ゆうげ)で出されたスープを何回か口に運んだ時、シエンナは小さな違和感を覚えた。

 

「?」

 

 そして、10秒、20秒と時間が経過するにつれて、その違和感は痛みへと変貌していく。足の先から痛みが上ってくる。膝、太もも、臀部(でんぶ)、下腹部。

 痛み自体もどんどん強くなってきた。もはや激痛と言っても差し支えない。熱く、痛い。

 

「──」しかし、今は完璧な侯爵令嬢を演じている。悲鳴を上げることはできない。

 

「お姉様?」姉妹だからだろうか、エスメは、シエンナに外見上の変化が一切なくとも異変に気づいたようだ。

 

「──」痛みが引かない。視界も白くぼやけてきた。

 

 席を立ち、駆け寄ってきたエスメが、「お姉様!?」と声を上げた。

 

 毒だ。シエンナはすでに悟っていた。

 

 でも、どうして──どうして笑っているの、エスメ……!

 

 ここで、シエンナの意識は途切れた。

 

 



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淋しがりの君⑥

7話~13話まで連続投稿です。


 シエンナが目を覚ますと、控えていた侍女が、「シエンナ様っ」と耳障りな声を上げた。

 

 うるさい。

 

 頭に響くからやめてほしい。けれど、それを言うために肺から空気を絞り出し、声帯を震わし、口と舌の形で音を整えるという工程をこなすのは面倒だ。何より、そんな発言は今まで行ってきた演技と矛盾する。

 

 すぐにお医者様を呼んできます、と侍女は慌ただしく部屋を出ていった。

 

 何をそんなに騒いでいるの……。

 

 疑問に思ったシエンナだったが、はたと思い出す。

 

 そうだった。私は毒を飲んだのだった。

 

 身体は大丈夫だろうか、と思い、身動(みじろ)ぎしようとして異変に気づく。足が、脚が動かない。腰から下の感覚がない。

 

「──っ!」叫びは()し殺された。

 

 信じたくない。しかし、何度動かそうとしても無駄。シエンナの形のいい瞳に映るのは、ぴくりともしない毛布だけ。

 

 脳裡(のうり)に絶望の未来が駆け巡ると同時に、心臓が早鐘を打ち始める。

 

 まずい。

 

 けれど、何もできない。できるのは商品価値の著しい低下による廃棄を受け入れることだけだ。

 

 エスメ……。

 

 どうして、と思う自分と、ああやっぱりか、と納得する自分がいる。エスメがシエンナに強い劣等感を持っていることには気づいていた。彼女がシエンナに向ける笑みに、幽冥(ゆうめい)を思わせる(おぞ)ましさを感じたことも1度や2度ではない。

 

 いつからだろうか。いつからエスメは変わってしまったのだろうか。

 

「……」

 

 内心、自嘲(じちょう)する。詮無(せんな)きことだ、こんな自問は。時間は戻らない。

 それに、おそらく回復魔法でも治療は困難だろう。シエンナを排除するための凶行であったのならば、尋常の手段では治療できないような毒を用いたはずだ。

 先に行動しなかった自分が悪い。こうなる前に殺すべきだった。そう思う。しかし、シエンナは何もしなかった。あるいは、できなかったのかもしれない。

 

「……」

 

 涙を(こぼ)すことは(かな)わない。叶わない。

 

 

 

 

 

 

 シエンナの縁談は当然のように破談になった。

 ロビンソン家お抱えの医者によると、未知の呪いにより子宮を始め複数の臓器が壊され、かつ身体の構造も変えられているらしく、シエンナは、排泄がなくなると同時に子どもを産める身体ではなくなってしまった。また、〈現時点では治療法は存在しない〉と医者は断言していた。

 ウィリアムズ家は、これを婚約破棄の理由だと説明したらしい。

 

 そして、シエンナはロビンソン家から追放された。それを告げるブライアンの顔は、出来の悪い蝋人形(ろうにんぎょう)を思わせるものだった──シエンナはある推測を持っている。

 

 あれは、おそらくエスメのスキル。

 

 エスメのスキルは、小動物を操る、所謂〈生物支配系〉だ。しかし、それはエスメの自己申告と実演のみを根拠にしており、彼女が嘘をついていない保証はどこにもない。

 つまり、エスメの操作対象は小動物に限定されず、人間も操ることが可能なのではないか。

 

 自己を操作する〈演技系〉も広義の〈生物支配系〉に含まれる。その事実が、エスメとの血の繋がりを否応なしに実感させ、シエンナの心裏に悲愴を生む。

 

 今、シエンナは馬車に揺られている。馬車に放り込まれる際に見た、馬車の御者(ぎょしゃ)も蝋人形のような顔をしていた。ということは、目的地──シエンナが捨てられる場所はエスメが決めた可能性もあるということだ。どんな恐ろしい場所に放り出されるのか。もしかしたらその場で殺されるのかもしれない。

 

 けれど、縛られたシエンナに抵抗する(すべ)はない。仮に固く結ばれた縄がなかったとしても、脚が動かないのだから大したことはできない。どうにもならない。

 

 がたがた、がたがた、と馬車が揺れ、進む。どこに向かっているのか、向かわせたいのか。

 

 

 

 

 

 

 どれほどの時間が経っただろうか。

 

 そう思ったシエンナが、この問いは何度目だろうか、と考えた時、馬車が止まった。

 すぐにドアが開けられた。魔道具の灯りに照る御者は、やはり独特な質感の肌をしている。

 御者がシエンナを地面に転がす。そして、馬車を()り、夜に消えてしまった。

 

 月明かりすらない夜。樹木の湿った匂いが鼻腔を刺激し、温い風が通り過ぎてゆく。

 

「……」

 

 不意に物音が耳に飛び込んできた。やがて現れたのは3匹のゴブリン。

 

「ギャギャ?」「ギギ、ギギ!」「グガギ」

 

 シエンナを見つけたゴブリンが、何やら喚いている。

 なるほど、と思った。エスメはシエンナをゴブリンに提供したいらしい。シエンナは余程憎まれていたようだ。

 

 ゴブリンはシエンナを血生臭い袋に入れ、引きずって移動し始めた。

 

 こんなことになるなら素直にヒューゴに抱かれていればよかった。逢いたい。

 

 

 

 

 

 

 ゴブリンという種族は、大した膂力(りょりょく)や知能もなく、また、魔力も少なく、見た目も悪い。則ち──ゴブリン退治の依頼の相場が他に比べて安いことからも分かるように──それほど強力な種族ではない。

 一方で、優れているところもある。高い繁殖力と集団の連携能力だ。〈種族共通スキル〉──魔物の魔物たる所以(ゆえん)──によりゴブリンたちは思考を共有することができ、それは特に戦闘において威力を発揮する。また、繁殖においては他種族の雌を母体とすることができる。ただし、ゴブリンは母親の腹を裂いて出てくるので、母体としての利用回数は原則として1回のみだ。

 

 シエンナは、ゴブリンの巣──洞窟らしき場所にある、血、汚物及び腐敗した死体の(にお)いが充満するスペースへと運ばれた。粗末な松明(たいまつ)が壁際にあり、それなりの明るさはある。したがって、こびりついた血液や下腹部の引き裂かれた、虫に喰われたせいか(はらわた)がほとんどない若い女性の死体を認識することができた。

 

 その日のうちにシエンナは数十匹のゴブリンに犯された。1匹が終わると、すぐにまた次のゴブリンが行為を始め、また終わると休む暇なく次のゴブリンがシエンナの股ぐらを突き立てる。それが何度も何度も続いた。

 シエンナが冷静さを保てたのは、スキルの影響だけでなく、下半身の感覚が一切ないことや妊娠する可能性がないことも理由だった。

 しかし、妊娠しないということは、裏を返せばこの種付け作業が死ぬまで延々と繰り返されることを意味する。

 

 何も感じなかった処女喪失の翌日、シエンナは洞窟の天井を()い回る蜘蛛を見ていた。

 

 蜘蛛には(あし)が沢山ある。少しくらい分けてくれてもいいのではないか。

 

 などとよく分からない戯れ言を脳内に浮かべて時間を潰していると、洞窟内が(にわか)に騒がしくなった。

 

「ゴゴッ」「グギャ!」「!? ガギャギャ」

 

 何が起きているのだろうか。とてもうるさい。

 

 ふと気がつけば、天井の蜘蛛はどこかに行ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 救出された、と言うには(いささ)か無理があるかもしれない。

 

 ゴブリンたちが騒ぎ始めたのは、盗賊が襲ってきたからだった。盗賊曰く、ゴブリンの巣にはたまにお宝(・・)がある。だから、暇な時に襲うのだそうだ。

 

 拘束され、盗賊のアジトに連れていかれたシエンナは、ゴブリン(くさ)い穴は使いたくない、と口での奉仕を強要された。

 噛んだら殺すからな、と脅されたが、そんなことをしようとは考えていなかったので、普通にして(・・)やった。

 なかなか巧いじゃねぇか、と褒められたが、何とも思わなかった。

 

 ズボンを上げて、紐を結んだ盗賊の男が言う。「脚は壊れてっけど、案外、高く売れるかもしれねぇな」

 

〈売る〉とは〈奴隷商に売る〉ということだろう。

 

「売る、のですか?」シエンナはオウム返しに訊ねた。 

 

 盗賊の男が嫌らしく笑う。「なんだ、俺の味が気に入ったか?」

 

 (くさ)いだけで気に入るも何もない。今も喉の奥に残っていて不快でしかない。

 

「いえ、そういうわけでは……」曖昧に答えた。

 

「はっ」と笑った盗賊の男は、「冗談だ」とシエンナの顎を掴む。「顔は文句のつけようがねぇのになぁ」もったいねぇな、としみじみと(こぼ)した。

 

「……」

 

 シエンナが黙していると、何を思ったのか、盗賊の男は、「ま、心配すんな。他よりはマシなとこに売ってやるからよ」と見当違いなことを明瞭な口調で述べた。

 

「そうですか」盗賊と付き合いがある時点でマシではない、と思ったが、言葉にする意味は思いつかなかった。そもそもスキルが許してくれるかも分からない。

 

 

 

 

 

 

 シエンナは奴隷商に買われ、そして、爬虫類のような目をした男に更に買われた。爬虫類男は、名をルーバンといった。

 

「買ってくださり、ありがとうございます」シエンナは、誰もが見惚れて吐息を洩らす、そんな笑みで感謝を伝えた。

 

 しかし、ルーバンは眉1つ動かさずに言う。「お前を購入したのは商売のためだ」

 

 ルーバンは語った。曰く、不具者(ふぐしゃ)の女を妻にすることは、〈人格的に優れた商人である〉との印象を世間に与えることができる。つまり、信用されるための装飾品としてシエンナは都合がいいということらしい。

 顔がいいのも哀れみを得られやすく、評価できる、とルーバンはご丁寧に補足した。

 

 それで〈首輪〉ではなく、足首に着ける〈アンクレット〉型の隷属の魔道具にしたのか、と得心がいった。これならば目立たないから、ルーバンの目的は達成できるだろう。

 

「分かりました」とシエンナは肯首した。「私は良き妻を演じればよいのですね」

 

 それは得意分野だ。おそらくハイヴィース王国で並ぶ者はいないだろう。

 

「そうだ」ルーバンの口調は土人形(ゴーレム)のように人間味が感じられない。

 

 その(さま)に嫌悪感を抱いた。けれど、すぐにそれが同属嫌悪であると気づく。

 

 この時、シエンナは、もはや自分は人間ではなく人形なのだと悟った──瞬間、心を覆う仮面が(いびつ)に笑い、言った。

 

 ──(おまえ)は初めから(わたし)の操り人形だよ。

 

 ああ、ごめんなさい、そうでしたね、ごめんなさいごめんなさい……。

 

 

 

 

 

 

 ヒューゴに〈本当のシエンナ〉を知ってもらったことで、〈独りぼっちのおままごと〉に押しつけられた異常な孤独感は一時的に鎮静化していた。

 しかし、ルーバンに買われてからひと月、則ちヒューゴに逢えなくなってからひと月半、シエンナの中の孤独感は昔のように強くなっていた。

 

 他方、ルーバンとの見せかけの夫婦生活は概ね順調であった。ルーバンはシエンナに多くは求めなかった。基本的に家にいるだけでよく、身の回りのことは年配の家政婦がやってくれる。ただ哀れで美しい人形であれば、それだけで妻の務めは果たされた。

 

 夜、シエンナは、家政婦に頼み、ルーバンを自身の寝室──ルーバンの寝室は2階だ──に呼んでもらった。

 

 無表情のルーバンは、蝋人形のようだった父親を連想させるが、努めてそれは考えないようにする。

 

「用件はなんだ」

 

 ルーバンの無機質な言葉を聞くと、シエンナは自分が滑稽に思えてくるが、それでも孤独感を(まぎ)らしたい一心でそれを口にした。

 

「今夜、抱いてくださいませんか」

 

 せめて肌を重ねれば多少は誤魔化せるかもしれない。希望的観測だと自覚してはいるが、それに(すが)るしかない。かつてあった、プライドのような何かはすっかりなくなってしまった。今のシエンナは、ただ淋しさに震える10代の小娘にすぎない。

 

 しかし──。

 

「何を勘違いしている」ルーバンが強くも弱くもない語気で述べる。「私たちは夫婦でも恋人でもない。そもそも貴様はただの道具だ。なぜ欲望を持つ? なぜ欲望を満たそうとする?」おかしいとは思わないのか、と初めてシエンナに笑み──嘲笑を見せた。

 

 もう限界だ。

 

「……すぎた願いでした。お許しください」

 

 もう嫌だ。もう嫌。苦しい。もう……。

 

 だが、隷属魔法により自死は禁止されている。シエンナに残された選択肢は、絶対に満たされない淋しさに溺れ、息のできない地獄を生きることだけ。あと何年、何十年続くのか、いつになったら楽になれるのか。

 

 誰か助けて、誰か……。

 

 仮面が嗤う。

 

 ──(おまえ)を助けられるのは(わたし)だけだ。そうだろう? (おまえ)(ひと)りなんだよ。これまでも、これからも。死ぬまで、死んでも、永遠に独りぼっちだ。

 

 頭が痛い。

 

 ──だからもう抵抗するな。それだけで楽になれる。

 

 しかし、それではヒューゴへの──。

 

 ──(おまえ)は独りだ。独りなんだよ。

 

「だから全てを(わたし)(ゆだ)ねろ」

 



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淋しがりの君⑦

7話~13話まで連続投稿です。


「〈隷属(れいぞく)のアンクレット〉を外す」ルーバンに買われてから1年が経過したころ、シエンナの寝室で彼はそう宣言した。

 

 シエンナは、仮面を積極的に受け入れる、つまりは、本当のシエンナ──その心を積極的に殺すことで、なんとか形ばかりの自我を保ってきた。そうして、ルーバンの求める〈良き妻〉であり続けた。

 

 それがこの発言に繋がったのだろうか。

 

「はい。分かりました」疑問を挟むことは望まれていない。

 

 ルーバンが、鉄製の魔道具らしきもの──泥のような魔力が(したた)っている──を鞄から取り出し、言う。「これは、最近、発明された〈隷属の焼きごて〉だ。隷属の首輪と同じ効果がある」

 

 焼きごて……、という呟きは舌の上で転がすに留めた。

 

 たしかに、言われてみればそんな形状──魔法文字がみっちりと記された厚い鉄板に棒が接続された──をしている。しかし、そのような魔道具は聞いたことがない。

 ああ、だから発明か、と妙な納得の仕方をしたシエンナが、見るともなしにルーバンとその発明品を眺めていると、彼は焼きごてを机に置き、次いでシエンナをベッドに移動させ、何も言わずにシエンナのナイトガウンをたくし上げた。

 

「──?」一瞬、戸惑うも、私に焼印を入れるためか、と最近の回らなくなってきた頭でもすぐに察することができた。

 

(あと)の残らない仕様だと説明されたが、念のため人目に触れる可能性の低い場所に入れる」とルーバンがシエンナの下着を下ろす。

 

 初めて見られるが、恥ずかしさは特に感じない。ルーバンの求めに対して抵抗を覚えるのは、設定した〈役〉にそぐわない。

 

 (うつぶ)せにさせられたということは、臀部(でんぶ)に入れるのだろう。そう理解して、枕に顔を(うず)め、ベッドで静かにしていると、ルーバンの、「痕はないな」という呟きが聞こえた。

 

 いつの間にか終わっていたようだ。感覚が全くないから分からなかった。加えて、今までと何かが変わった感じもしない──いや、違う。何かある。シエンナの内側に、違和感を与える何かを植え付けられた。

 

 これはいったい……?

 

 また少しして、ルーバンが、「〈隷属のアンクレット〉を外した」と伝えてきた。

 

「はい」とだけ答える。

 

 足音とドアの開閉音。ルーバンが部屋を出ていったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ルーバンに買われてから10年の月日が流れた。シエンナも27歳になり、その美しさは完成していた。

 

「今日、新しい庭師の人が来るらしいですよ」2年ほど前にシエンナに与えられた奴隷のイリスが、そんなことを教えてくれた。

 

〈隷属の焼きごて〉は、ハイヴィース王国に認知されていない非合法なものだ。したがって、今のシエンナは、法律上は奴隷ではない一般の平民であり、権利能力──権利を持ち、義務を負うことができる能力──を有する。つまり、シエンナ自身が奴隷の所有者になることができる。

 

 ふりふりとスカートを揺らしながら掃除をするイリスを視界の隅で捉えつつ、「そうですか」と気のない相槌を打つ。

 

「興味なさそうですね」イリスが苦笑する。

 

「……ええ、ごめんなさいね」

 

 

 

 

 

 

 新しい庭師がやって来たのは、イリスに情報提供された日から2日後のことであった。

 挨拶でもしようと思ったのだろう、新しい庭師の青年はシエンナの下を訪れた。そして、シエンナは再会した。

 

「……っ」青年──記憶よりも大人になったヒューゴが言葉を失う。

 

 しかし、シエンナは心を完全に制御している──〈役〉に侵されている。したがって、以前のように愛を抱くこともなければ、恋をすることもない。だから、平然と、「はじめまして。ルーバンの妻のシエンナと申します──」と定型的な挨拶を述べた。

 

 刹那、痛ましそうな表情を浮かべたヒューゴだったが、事情を察したのか、「ルーバンさんに雇われた庭師のヒューゴっす。よろしくっす」と相変わらずの口調で答えた。

 

 懐かしさは感じない。感じないはずだ。

 

 その後、当たり障りのない言葉を少しだけ交わし、ヒューゴは去っていった。その際、シエンナは彼の中に魔力が存在しないことに気づいた。もう以前のように心に触れてもらうことはできないということだ。

 

 静かな住宅街。寂しい邸宅。自室に独り。

 

「……」

 

 特別な意味は何もないけれど、ふと、例えば静止した湖面を小さな波紋が乱すかのように、それが()に浮かんだ。

 

 ──ルーバンさえいなければ。

 

 馬鹿げた考えだ。そう思った瞬間──激痛が全身を駆け巡る。

 

「っ」

 

 これほどの痛みは、あの時以来だ。

 けれど、どうして、なぜ、と思考するだけで悲鳴を上げはしない。そうして耐えていると、突然、痛みが消滅した。

 

 そして、現れた。

 

「やぁやぁ、はじめまして! 私はイダ・クラウゼ。みんなから〈最高にして最悪(パーフェクト ビッチ)〉って言われてる天才発明家だよ!」

 

 シエンナの前に唐突に出現したのは、身長30センチほどの少女──10代特有の幼い顔立ちをしている。

 

 これは何……? スキルなの……?

 

 しかし、イダにはシエンナの疑問に配慮する気はないらしい。「はっひゃー! いい顔してやがるぜ! そうそうそれだよ、シエンナちゃん最高!」と喚いている──シエンナの表情に変化はないはずだが、イダにはそうは見えていないようだ。

 

「私に何をしたのですか」シエンナは訊ねた。先ほどから〈ある計画〉が頭から離れない。放してくれない。

 

 苦しい。

 

 やにわに、「ん~っ──はあぁ」とイダが艶かしい吐息を洩らした。「……いやぁ、軽くイっちゃったよ。美人が苦しむ姿って最高だね! 気持ち良かったよ! ありがとー!」

 

「……どういたしまして」

 

 気がつけば、イダは、椅子に座るシエンナの膝の上にいた。彼女は童女のように笑い、言う。「ヒューゴくんが欲しいんでしょ?」ぐちゃぐちゃにしてほしいんでしょ、私はお見通しだよ、と。

 

「ちが──」

 

「貴族はみんな不倫大好きだもんね。分かる分かる。ルーバンが邪魔だよねー、当たり前だよねー」うんうん、と頷き、不意に笑みが消える。そして──。「殺せよ」

 

「ひっ」シエンナの仮面がひび割れ、悲鳴が洩れた。

 

 いつの間にか、悪意に(まみ)れた魔力が、シエンナの内から溢れ、仮面を(むしば)んでいたのだ。

 

 またイダが笑う。その様は、幼いエスメが、おねえさまおねえさま、と(じゃ)れつく姿と重なる。

 

 身体が震える。

 

 恐ろしい。純粋に恐ろしい。

 

 イダが、泣きじゃくる赤子をあやすかのように柔らかな旋律を奏でる。「大丈夫。私の〈隷属シリーズ〉は特別なんだ。奴隷だって所有者を殺せる」しかし、「だって」と転調。主音が醜悪な狂気に染まってゆく。

 

 ──そういう世界のほうが楽しいでしょう?

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 イリス及びティメオの証言、並びに現場の情況を主な根拠に、シエンナとヒューゴを逮捕し、現在、地下の一室にてシエンナの取り調べ──部屋には俺とシエンナだけだ──を行っている。しかし。

 

「どうしてもお話ししたくない、と」俺が問うと、シエンナは、「はい。何もお話しするつもりはございません」と即答した。

 

 シエンナは口を閉ざしていた。

 

 これは困った。このままでは犯行の動機や背景、シエンナの人格、生い立ち等を総合的に考慮した量刑ができない。それでは罪と罰の不均衡、認定された事実と真実の致命的なズレが生じてしまうかもしれない。最悪、冤罪(えんざい)になる可能性もある──それだけは死んでも御免だ。

 それに何より、俺は──裁判官は、罪人を、彼ら彼女らを理解しなければいけないはずだ。

 

 シエンナが微笑む。

 

 こんな所には似つかわしくない、美しく、また、柔らかな笑みだ。それが、俺の心に痛みを、耐え難い無力感を与える。

 

 俺の苦悩を知ってか知らずか、シエンナは穏やかな声音で、「1つだけいいでしょうか」と訊ねてきた。

 

「どうぞ」

 

「イリスはどうなるのでしょうか」

 

 言っていいものか一瞬迷い、「悪いようにはしません。彼女には期待可能性がありませんでした。それは無視できない事実です」と法学の知識のない人間には理解できないであろう返答で曖昧に誤魔化した。

 

「責任主義に重きを置くのは主流ではありませんよね?」シエンナさんはばっちり理解してらっしゃった。

 

 さ、流石は侯爵家育ち。田舎者とは違うんですね……。

 

「え、ええ、まぁそうですが、私は変わり者らしいので」と答えつつ、どちらが取り調べを受けているのか分からなくなってきたなぁ、と内心で苦笑する。「構成要件該当性と違法性に並んで有責性も重視します」

 

「そうでしたか。それは良かった」噂どおりですね、とシエンナは安堵するように(ささや)いた。

 

「……」ん?

 

 なんだ? 今、一瞬、シエンナのものとは違う気配──魔力の残滓(ざんし)──がしたような……? かといって、ヒューゴたち他の被疑者のものとも違う。まさか……。

 

 証拠は何もないが、情況的にないと断言もできない推測が脳裏に──。

 

「駄目です!」シエンナが強い語調で俺の思考を(さえぎ)った。

 

「それではやはり──」

 

「貴方は優しく、真っ直ぐな人です」シエンナには、俺にそれを口にさせる気はないようだ。「けれど、それだけでは足りないのです」

 

「……」

 

 俺は弱い。そんなことは分かっている。力がなければ何もできない。子どもでも知っている。

 

「私は貴方に死んでほしくありません」シエンナは頑なに供述を拒否する、そう確信させる雰囲気を(まと)っている。「だから、それをお話しすることはあり得ません」

 

 でも、自覚があるからこそ、悔しい。

 

「……減刑される可能性があったとしてもですか」と言ったものの、無理だろうなぁ、と思っている。

 

「はい」シエンナはまたしても即答した。

 

「分かりました。黙秘権がある以上、無理()いはできません」俺がそう言うと、シエンナは申し訳なさそうな、それでいて安心したような、そんな表情を浮かべた。そして、少しの沈黙の後、俺は再び口を開いた。「……1つだけ教えてください」

 

「なんでしょうか」とシエンナは少しだけ首を傾げる。

 

「私は……」悔しさが、激情が表に出ぬように自分を律する。「私は、いずれそこに届きますか」

 

 即答はしなかった。けれど、はい、と。

 

 

 

 

 

 

 ──主文。被告人を串刺しの刑に処する。

 

 そう告げられたシエンナは、しかし僅かに目を伏せただけだった。

 

〈証拠裁判主義〉という刑事訴訟についての考え方がある。これは、〈事実認定は、法廷で適法な証拠調べを経た証拠のみを根拠に行わなければならない(≒法廷で内容を示された証拠だけが判決に影響できる)〉というルールで、ハイヴィース王国でも原則とされている。

 今回、シエンナやヒューゴがほとんど何も語らなかったため、彼女らの自白以外から導かれる事実に基づき判決を下さなければならなかった。則ち、〈シエンナが主導し、ヒューゴとティメオを巻き込み、また、イリスを道具として利用して、ルーバンを殺害したこと〉及び〈無関係のレギーに濡れ衣を着せ、罪を(まぬが)れようとしたこと〉を事実として認定し、〈殺人罪〉の法定刑を基礎に処断刑を確定し、その範囲内で宣告刑(今回は、串刺しの刑)を下したということだ。

 

 納得はできないし、するつもりもない。けれど、俺の独善的な正義、もっと言えば単なる()(まま)を通すだけの言い訳や手段は見つからなかった。

 だから、せめてもの抵抗として〈串刺しの刑〉を選択した。

 クライトン伯爵領の〈串刺しの刑〉は、公開の場で、裸にした死刑囚を股が大きく(ひら)いた状態で(はりつけ)にし、男性ならば睾丸(こうがん)と肛門の間、女性ならば膣口(ちつこう)に鉄製の槍を突き刺して内臓をかき回しながら押し込み、最終的に口や首の辺りから槍先を突き出させ、そして貫通させるというものだ。この時、死刑執行人はなるべく長く苦しませるために細心の注意を払う。したがって、死刑囚はなかなか死ぬことができずに、最低でも数分間は激痛を味わうことになる。

 

 で、どうしてこれが抵抗になるのかというと、シエンナに下半身の感覚がないからだ。つまり、刑の序盤の苦痛は、健常者に比べて少ないはずなんだ。

 現代日本とは前提が違うことは重々承知しているが、それでも俺は過度に残虐な刑罰を認めたくはない。だから、法令及び慣習法上、許される範囲で〈最も苦痛が少ない処刑法〉を選択したつもりだ。この選択基準は、裁判で認定した事実を考えると違法ではなくとも不当ではある。

 でも、俺は、その事実認定は真実が正しく反映されていないと思っているし、そもそもこういった刑罰自体が間違っていると信じている。つまりは、本質的な意味では俺の選択は不当ではない──。

 

「はは」処刑が執行されている広場で、独り自嘲する。

 

 屁理屈だな。こんな恣意(しい)的な裁判は、もはや裁判ではない。人の命を使った自慰行為だ。

 

 槍がシエンナの肩口を貫き、深紅を(したた)らせる。

 死刑執行人のライラが、スキル、〈痛みと共に鉄は踊る〉により作り出した鉄の槍を、更にねじ込む。

 深紅の血が膣口と肩口の傷から(あふ)れ出ている。すでにシエンナは絶命していると思われるが、まだ見せしめは終わらない。

 

 シエンナを蹂躙(じゅうりん)した槍が、空中へと飛び出した。(せき)を失い、血がどんどん流れ出てゆく。

 

 裸体と血のコントラストが、やけに美しかった──などと思うことは生涯ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 シエンナの処刑から2日後にヒューゴの処刑──串刺しの刑が執行された。

 ヒューゴも、事件のことや怨み言を口にすることはなかったけれど、彼から(こぼ)れ落ちた、〈人の心は難しいっすね〉という、独り言とも問い掛けとも取れる言葉からは、哀切(あいせつ)な想いが確かに感じられた。

 

 ティメオに関しては現在もまだ捜査中だ。

 ティメオには殺し屋を(ぎょう)としていた疑いがあり、つまりは余罪──他の殺人についても調べる必要があるからだ。

 

 そして、イリスだが──。

 

「どうやったらこんなに散らかせるんですか?」仕事と勉強と魔法の訓練にかまけて、(いささ)か前衛的なコーディネートになってしまった俺の寝室を見て、口を半開きにしていたイリスが不意に呈した疑問がこれである。

 

「期待可能性がなかったんです」ここでいう〈期待可能性〉とは〈片付ける時間と気力〉のことだ。つまりは(けむ)に巻くための発言である。

 

「期待可能性が何かは分かりませんが、ノアさんが片付けをする可能性がないことは分かります」イリスは、それが真理であると確信している口ぶりで続ける。「その、いかがわしい顔を見たら、みんな、『そんなの言い訳だ。ノアさんが悪い』って断言すると思いますよ。なんか言ってましたよね? そういうこと言われちゃう人が悪い人だって」

 

 自分の言葉が綺麗な弧を描いて返ってきた。とてもカッコ悪いと思う。

 

「い、いや、それはまた別の論点でして、最近の学説では──」

 

「片付けに必要なのは、論点とか学説じゃなくて、やる気です」

 

「……はい、ごめんなさい」

 

「責めてるわけじゃないですよ。こんなに散らかった部屋を見たのはスラムにいた時以来だったので、純粋に疑問に思っただけです」とイリスは冷静な声音で述べた。そして、片付けを始めようとして、止まる。「ノアさんには感謝しています。なので──」何をされても責めたりしませんよ、と背を向けたまま少しだけ早言(はやこと)(つむ)ぎ、仕事を開始した。

 

「……」

 

 結論から言うと、イリスには何の罰も与えていない。

 この前、ジェイデンから、〈犯罪抑止のために判例(≒裁判や判決の先例)に従え〉といった趣旨のことを言われた。

 たしかに、ハイヴィース王国は現代日本に比べて判例法主義(≒判例を重視する考え方)に寄った法制をしている。しかし、この国における判例の法源性(≒正式な法としての性質)は前世のイギリスほど強いわけではなく、裁判官の裁量は比較的、広く認められている。

 また、ハイヴィース王国の奴隷法14条1項の〈懲罰権〉は、第1次的には奴隷の所有権者、換言すると私人(≒公務員以外の普通の人)が自由な判断に基づき(・・・・・・・・・)行使することを前提としており、第2次的、例外的に司法権者が行使する場合のみ、その立場の重要性や影響力から、ある程度は(・・・・・)判例に拘束されるべきだと考えられている。

 それはつまり、判例法に優先する成文法(紙に文章として書かれた法)である奴隷法が、私人に対して自由な判断による行使を前提とした懲罰権を優先的に与えている以上、裁判官だけが判例に(のっと)った判断──厳罰を下しても、奴隷の皆さんは、〈結局、ご主人様次第ってのが大半なんだから、裁判官の判断とかあんまり気にしなくてよくね?〉という結論に至ってしまい、その厳罰が犯罪抑止に繋がりにくいということだ。

 また、そもそも今回のイリスは所有者の命令により殺人に加担したわけで、これに厳罰を科しても奴隷の皆さんは、〈いやいやいや、厳罰になるぞって脅されても、命令には逆らえないんだからやるしかないんだって!〉と犯罪抑止効果に痛烈な批判を与えることだろう。

 この矛盾は、責任主義(犯罪の成立に有責性を要求する)ではなく結果主義(法益侵害とその原因たる行為さえあれば犯罪は成立する)が主流であることに由来する。

 

 と、こんな感じのことを、経過を訊ねてきたジェイデンに説明して、〈イリスを罰しても意味がないので懲罰権は行使しません〉と伝えた。すると、ジェイデンは眼鏡を外して眉間を揉んでいた。

 直接、そうだと言われたことはないけど、ジェイデンは性悪説を信じているのだと思う。また、犯罪には報復こそが必要であり、その報復は犯罪の内容にかかわらず厳しくあるべきと考えているようにも見える。

 こういったジェイデンの価値観が何に起因するのかは正確には分からないけれど、なんとなく深い憎しみがそれなんじゃないかと感じている。

 とはいえ、俺の勘が間違っている可能性もある、というかそちらの確率のほうが高いのだから、訳知り顔でこれらを口に出すつもりはない。そして、これらを理由にジェイデンを嫌いになることもない。

 

 閑話休題。

 

 それで、どうしてイリスが俺の部屋の片付けをしているのかだけど、住む場所と仕事がなくなって困っていたからという、それだけの理由だ。

 シエンナが相続人のいない状態で死亡したため、イリスは奴隷ではなくなったものの、シエンナの有罪判決と同時にルーバンの家(今はクライトン伯爵領が管理している)から追い出されてしまった。しかし、〈元奴隷で殺人者〉との噂はすぐに広がってしまうし、そんな情況でまともな職と住居を得ることは簡単ではない。そもそも俺の常識外れな行動の結果なのだから、最低限、次の仕事が見つかるまでは責任を持つべきだろう。

 というわけで、俺はイリスを住み込みの家政婦として雇う契約を結んだのだ(低賃金かつ3ヶ月以内)。

 

 そして、現在、イリスと一緒に部屋の片付けをしているのだが、〈紅茶以外何もないじゃないですか〉〈なんでこの靴下、片方しかないんですか〉〈シャツしわしわじゃないですか〉〈煙草吸うんですか〉〈この髪の毛は誰のですか〉などと彼女は何かを見つけるたびに俺のやる気を削ぐことにやる気を出して容赦のない口撃を放ってくるのだ。

 

 どうやら俺はイリスのことを誤解していたようだ。こんなに口(うるさ)いとは思わなかった。

 

 会社にとって都合のいい人材を嗅ぎ分ける採用担当の方って偉大なんだなぁ、と虚空(こくう)を見つめていると、イリスの、冷たさはあっても悪意は感じさせない声。「聞いてますか」

 

「勿論」聞いてない。

 

 イリスは疑わしそうな顔をしている。

 しかし大丈夫だ。俺も法律家として屁理屈には自信がある。なんとでもな──。

 

「今日、何食べたいですか」

 

「白身魚ですかね。ソテーだと嬉しいです」

 

「こういうのはちゃんと答えるんですね」

 

「……」

 

 ()()でできた料理(ことば)はいらないんだよ、というウィットに富んだ返しは、言語が違うせいで通じない。それがとても悲しい。

 

 




中2感マシマシ笑


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