未来の花 (ZANGE)
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序章 黎明の鬼
黎明の鬼


第1話


寒い夜空に紫色の光が満ちゆく

 

彼は誰時

 

山林の獣道に一陣の風が吹き抜けていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドクン、ドクン、ドクン!

 

とうに忘れて久しい感覚

 

死が、死神がすぐそこまで迫っている

 

走れ、走れ、走れ

走れ!走れ!走れ!

 

肺が潰れようと、脚を止めるな!

 

血が流れようと、脚を止めるな!

 

腕を動かせ!足を動かせ!

 

考えるな!

今は何も考えるな!

 

一歩でも前へ!

一歩でも東へ!

 

夜明けは近い

 

あの死神から一歩でも遠くへ逃げる!

 

速く!速く!もっと速く!

 

逃げろ!逃げろ!逃げろ!

 

息がうるさい!

 

心臓がうるさい!

 

黙れ!黙れ!黙れ!

 

逃げろ!もっと早く逃げろ!

 

右へ走れ!

 

左へ走れ!

 

飛び越えろ!

 

追い付かれる、追い付かれる、追い付かれる!

 

死神がすぐそこまで来ているぞ!

 

もうすぐだ

行け!走れ!走れッ!

 

あの山の向こうから

 

僅かに朱色が差してきた

 

もうすぐだ

夜明けは近い

 

太陽が昇る頃には死神も追っては来れまい

 

それだけは間違いない

 

腕がなくなろうと構わない

 

脚がなくなろうと構わない

 

もうすぐ夜明けが来る

 

アレは死だ

 

自分にとっての死だ

 

死から逃げろ!死から逃げろ!死から一歩でも離れろ!

 

本能が恐怖する!

 

頭痛がする!吐き気がする!

 

それでも逃げろ!

死神よりはマシだ!

 

今日を生き抜けば俺の勝ちだ!

 

生きろ!生きろ!生きろ!

 

生きたい!生きたい!まだ生きたい!

 

走れ!走れッ!走れッッ!

 

もう少し、あと少し、夜明けまであと少し!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『!!??』

 

ぽーんと地面が飛んで、空に落ちた。

 

見上げれば、首のない身体が、向こう側に立っている。

 

「いやだ・・・まだ、死にたくない・・・」

 

立ち尽くす身体の向こうに、死神が見えた。

 

「た、助けてくれ・・・」

 

残った身体も瞬く間に細切れの肉片に変わり、地面へと散らばり落ちる。

 

「あのニンゲンがいったいーーー」

 

その呟きを拾う死神の姿は既になく

 

朝日の中でぼろぼろと焼け、消えゆく肉片。

 

嘗て誇った鬼としての力が、存在が、全て消滅していく。

 

最後に残った頭部も、差し込む朝日の中で消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・思い出した」

 

顔の至る所に刺青の入った男の呟きが、日陰の中にポツンと落ちる。

 

その刺青は、男の罪を表すもの。

 

男は嘗て罪人だった。

 

しかし、一人ではなかった。

父親がいた。

 

父は、罪を繰り返す子を嘆き、苦しんだ。

 

呵責の末、父親は死を選んだ。

自殺だった。

 

男は一人になった。

彷徨い歩き、流浪の果てに、二人の親子と出会った。

 

何も無い男にも優しく接してくれた、唯一の安らぎだった。

 

男にとって、かけがえのない存在だった。

 

居場所だった。

 

生きる理由だった。

 

もう二度と大切な人を失わないよう、男は強さを求め、磨き抜いた。

 

しかし、それも全て失った。

 

二人の死因は、毒だった。

 

男は、修羅と化した

 

そして鬼舞辻無惨と戦い、文字通り鬼となった。

 

力を求めて、強さを求めて、己を鍛え続けてきた。

 

「何故、強くなろうとしたのか・・・」

 

男は、鬼を殺すつもりなど無かった。

 

鬼は、ニンゲンを喰らうモノ。

 

それは自然の摂理だから。

 

男もまた、鬼であるから。

 

だから、その鬼がニンゲンを喰らう姿を見ても、何も思うところは無かった。

 

その、雪の結晶のような、かんざしを目にするまでは。

 

「・・・恋雪・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日も差さぬ獣道を、一陣の風が駆け抜ける。

 

暗い暗い道の先、闇夜のような絶望の心に、黎明の光が微かに灯る。

 

「そうだ・・・俺の名は、狛治」




続ける事が目標


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滝行

第2話
Side:猗窩座


日本が誇る、三名瀑。

 

なかんずく、そのスケールの大きさ・水流の激しさ・力強さにおいて他の追随を許さぬものと言えば、おそらく大半の者が『華厳の滝』と答えるだろう。

 

約100メートルの高さから降り注ぐ滝の水量は、雨の日には毎秒10トンを超える。

 

古来、滝行は不可能と言われる所以である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水と言うより、ただただ全身を貫くような轟音と、全身をバラバラに打ち砕くような凄まじい水圧を身に浴びながら、男は岩場に立ち構えた。

 

「術式展開ーーー」

 

「破壊殺・脚式・・・」

 

男には、超えるべき目標がいる。

 

今の実力では、確実に勝てないであろう、六ツ目の剣士。

 

幾度となく目に焼き付けた、その立ち姿を幻視する。

 

その剣士と相対した際の重圧に比べれば、こんな滝行など可愛いものだった。

 

記憶を取り戻しても、変わらずに追い求め続けたもの。

それは何者にも、何人たりとも侵されない強さ。

 

嘗ての守るべき者達は、既にない。

 

しかしそれでも、この命に意味があるとするならば、我が一身を賭してそれが何なのか見極めるのも一興。

 

所詮、死して地獄に落ちる身。

人殺しの鬼の身で、あの世で三人に会えるハズもなし。

 

この身は修羅。

 

ならば、至高の領域を目指すもまた良し。

 

「流閃群光!」

 

「飛遊星千輪!!」

 

連続で繰り出される絶技。

その脚技を前に尚、無傷で立てる者はおそらくこの国に5人といまい。

 

幻視の男は、中でも最強の技を持つ一人だった。

 

剣士の技。

触れれば身体が吹き飛ぶような斬撃が無数に襲いかかる。

 

その太刀筋に寄り添う。

夜闇に煌めく三日月のような、無数の月牙の追撃。

 

刀剣でありながら、まるで鞭のように襲いかかり、その鞭の至る所に月牙が生えてくる。

 

正しく、降り注ぐ滝の一粒一粒を全て避け続けるようなもの。

 

全ての斬撃を躱す事は不可能。

 

故に、全てを打ち落とす!

 

「終式・青銀乱残光!!」

 

散らす、散らす。

降り注ぐ全ての水飛沫が、男に当たる事なく散ってゆく。

 

「オオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

もっと速く、もっと多くの打撃を!

 

足りない!

まだ足りない!

 

「オオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

 

もっと!もっとだ!

 

この程度で至高の領域などと、笑わせるな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時は遡る。

男は鬼を滅した後、その発端となった惨殺現場へと戻って来ていた。

 

何故、ここに戻って来たのかは、自分でも分からない。

 

ただ、なんとなく、足が向いた。

 

それだけの事。

 

そこは、山村の離れにポツンと建つ小さな一軒家だった。

 

ドアは開けっ放しのまま。

おそらく、他に家族はいないのだろう。

日光を避けながら、その家屋に素早く入り込む。

 

血の、むせかえるような臭いが辺りに漂う。

 

腕と内臓の無い大きな死体が1つ。

顔の無い小さな死体が1つ。

 

常であれば、湧き上がるような食欲が、その顔の無い死体を見てしまうと、不思議と消えていくのだった。

 

まだ死んでから、さほど経っていない。

 

今は午前、日が差している。

本格的な埋葬は夜になると決め、男はせめてもと、物言わぬ遺体となった二人を綺麗にしようと思い立った。

 

ふと、思えば、

男にとってその作業は、初めてでは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

床の間に二つ布団を敷き、その中へ二人を静かに寝かせた。

 

顔の位置には、布きれを被せてある。

 

ついでに、血の匂いがしなくなるまで、部屋中の掃除も済ませた。

 

これには相当に時間も手間も掛かったが、

物言わぬ二人を眺めているより、身体を動かしていた方が、気が紛れた。

 

男は手を合わせて目を閉じる。

偽善、という言葉が頭を過ぎる。

それでも今だけは、こうしていたかった。

 

「・・・・・・・・・」

 

そこを通りがかったのは、偶然でしか無かった。

この二人の事など、男は全く知らない。

二人を殺した鬼の事も、男は知らない。

 

ついぞ忘れて久しい、死を悼む心が、そこにはあった。

 

腰元から、遺品となった簪を取り出して見つめる。

芯は真ん中から綺麗に折れ、雪の結晶のようなつまみ細工はバラバラに砕けていた。

 

見るものが見れば、小さな破片さえ欠けてはいない事が分かるだろう。

 

彼女とは違うと知りつつも、男の心は過去へと飛んでいた。

果てしなき強さを求めた、幾百星霜の過去へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、どれだけの時が過ぎただろうか。

 

日没を迎える頃、玄関へ人の気配が立っていた。



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走馬灯

第3話
Side:猗窩座

一人称が分かりづらいですが、そのままお付き合いください。


「この家の者か?」

 

男はそう尋ねたが、返事が無い。

 

夕闇に立つ背格好から見るに、兄弟だろうか。

 

昨日までの男であれば、おそらく無視していた。

場合によっては殺していたかもしれない。

 

しかし今はそういう気分ではなかった。

もし家族であれば、面倒だが、せめて経緯くらいは説明してやるかと、男が立ち上がった瞬間ーーー

 

ダンッッッ!!!

 

地面を踏み締める音がしたかと思うと、男の背に拳筋が迫っていた。

 

ヒラリ、と。

攻撃を軽々と躱し、男は部屋の奥へと降り立つ。

 

少し驚く。

『まだ若い人間でありながら、思い切りの良い事だ』

 

しかし男にとっては、その程度。

他の人間と比べて少しばかり強い程度の事は、脅威でも何でも無かった。

 

子猫が戯れついて来るようなものである。

 

追撃もない。

見れば、その人間は遺体の前に立ち尽くし、全身をぶるぶると震わせていた。

 

その光景に、男の記憶に漣が走る。

 

ふと、人間からポツリと呟きが漏れた。

 

「・・・嘘だろ、父さん・・・あゆみ・・・」

 

男は口を開きかけ、そこで動きを止めた。

 

先ほどから記憶がざわざわと騒めく。

走馬灯のように、過去の光景が目の前の光景と重なって見えていた。

 

攻撃を受けたのだから、反撃しても良かった。

そうすればこの人間は一瞬で挽肉になるだろう。

 

しかし、その選択肢はすぐに消えた。

 

人間から、悲しみが伝わってくる。

 

この人間は既に察している。

ただ、少しでも長く、現実から目を逸らしているだけだ。

 

「・・・・・・・・・」

 

人間は無言のまま、遺体を確認しようともしなかった。

ただ、何かを耐えるように立ち尽くしている。

 

古い記憶と重なる。

弱い人間は、嫌いだ。

 

ややあって男は口を開いた。

 

「その二人は、鬼に喰われて死んだ」

 

 

 

ゆらりと、幽鬼のような表情で此方を振り向いた人間。

その瞳の奥には、どこまでも空虚な怒りが満ち満ちていた。

 

『少しばかり武道の心得があるようだが、まるで子供だな・・・だが・・・』

 

男には、人間の感情が手に取るように理解できた。

出来てしまった。

 

一つボタンを掛け違えれば、猛獣のように向かってくる事も、決して止まらない事も、視線から全て察せてしまった。

 

だからこそ、突き放すように男は言い放った。

 

「悔しいか?だが、それはお前が弱いからだ。弱い者には何の権利も選択肢もない。圧倒的な強者の前では何も守れない。それがこの世界だ」

 

人間の動きがピタ、と止まる。

 

まだ爆発させるには怒りが足りないと、

熱い感情がグツグツと煮詰まっているのだろう。

 

嵐の前の静かさのような、ピンと張り詰めた空気の中、男は続けた。

 

「強くなければ、何も持って帰って来られない。

 弱い者は、生きることさえ許されない。

 弱者は何も守れない!」

 

男は忌々しい記憶を全て思い出していた。

だから、ほんの少しだけ、人間がどんな反応をするのかに興味があった。

 

「・・・お前は何をしていた?」

 

「・・・見殺しにした、と言ったら?」

 

弱い人間は、何も守れない。

故に男は、少しだけ人間を試す事にした。

 

「殺す!」



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忘れたもの

第4話
Side:雑魚人間


ダンッッッ!!

 

地面を踏みしめる音と共に、人間の拳が男の顔面へと迫る。

 

しかし、その拳は空を切る。

 

「お前は弱い」

 

その声は人間の背後から聞こえた。

 

『いつの間に!?』

ゾワリと背筋が凍るような悪寒を感じ取り、咄嗟に男と距離を取る。

 

「ちょうど日も暮れたか」

 

そう言って男は家の外へと出て行く。

しかし、その所作は自然体でありながら、隙のないもの。

 

チラ、と家の中を見る。

人間にとっても、今ここで暴れるのは本意ではない。

 

油断せず外に出ると、魔法のような薄明の空が広がっていた。

その色が、ひどく血と死を連想させる。

 

見殺しにしたーーー

 

自然体で立つ男へ向かい、

躊躇わず、全力の拳を振り抜く。

 

「どうして見殺しにした!!」

 

振り抜いた拳が、男の掌に収まっていた。

しかも、どれだけ力を込めてもピクリとも動かない。

 

対する男は無表情だった。

 

大人でも倒した事のある拳が、全く効いていない。

しかし、そんな事は関係ない。

二人を見殺しにしたこの男は許せない!

 

ならばもっと強い攻撃を!

もっと体重を乗せた一撃を!

 

「ガアッ!」

 

最高のスピードとタイミングで繰り出した裏拳。

それが男の顔面に当たると思った瞬間、視界がブレた。

 

「弱いな、人間」

 

気付けば地面に転がっていた。

お腹が焼けるように痛む。

殴り飛ばされた、と気付いたのは、痛みを自覚してからだった。

 

「弱者に教える事など何もない。

 知りたければ、俺に一撃でも入れてみろ」

 

歯噛みする。

男にとって、これは戯れでしかなかった。

 

侮辱だった。屈辱だった。

これだけ許せないと思える存在が、歯牙にも掛けていないという事実が許せなかった。

 

何よりも、弱い自分が許せなかった。

 

「クソ、がぁッッッ!!!」

 

立ち上がる。

殴る。

当たらない。

 

「クソ!」

 

振り返りながら、回し蹴り。

受け止められて、投げられる。

 

「クソ!!」

 

立ち上がる。

拳を振り上げる。

当たらない。

 

「ガアッ!!」

 

無我夢中で両の拳打を放つ。

当たらない。

払われる。払われる。

当たらない。

 

「ぐぅッ!」

 

視界がグルンと反転する。

また何も見えなかった。

痛む腹部を押さえながら立ち上がる。

 

「クソッ!クソッ!クソガァ!」

 

立ち上がる。

殴る。殴る。殴る。

 

払われ、避けられ、

当たらない。

 

「グッッ!」

 

三度目に空を見上げた時、男は此方に背を向けていた。

 

「そこまでだな。

 お前なような弱者には、何も守れない・・・」

 

そう言って去りゆく男。

 

必死に起きあがろうとする。

しかし、もはや体が言う事を聞かなかった。

力が足りない事への悔しさで視界が霞んでいく。

 

「くそッ!くそッ!畜生!!

 逃げるな!卑怯者!

 いつか必ずお前に一撃入れてやる!

 必ずだ!だから逃げるな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日が暮れた頃。

 

精一杯、二人を埋葬した場所。

盛り土に板が立っているだけの、名も無い墓。

 

その墓前に、何故か昨日の男が立っていた。

 

「は?」

意味が分からない。

 

ひと晩経って落ち着いてみると、

『ひょっとして父さんの昔の知り合いだったのか?』

という疑問も浮かんでくる。

 

しかし、今まで見た事も聞いた事も無い相手。

そんな縁も薄い男が、今更何の用だ!という思いもあり。

 

理屈では無い部分で、男の姿を見ていると、沸々と昨日の怒りが湧き上がって来てしまう。

 

「ここに何のようだ!?」

 

「・・・忘れ物だ。

 安心しろ。すぐに去る。

 お前とも、二度と会う事はないだろう」

 

そう言って、男は踵を返す。

 

『忘れ物?』

 

見れば、板の前に小さな白い包みが置かれていた。

それが何なのか考えるより先に、怒りが勝ってしまう。

 

「ふざけるな!こんなもの!」

 

気付けば白い包みを男に向かって投げていた。

 

その包みは男の背に当たると、結び目が解けて落ちる。

 

バラバラと、その中身が散らばっていく。

大小様々な破片には見覚えがあった。

あゆみがいつも好んで付けていた、簪だった。

 

「そうか」

 

何故か、男は怒らなかった。

それどころか、地面に落ちた破片を一つ一つ拾い上げると、包みごと目の前へと差し出してきた。

 

まるで「お前が墓前に供えろ」と言わんばかりの態度だった。

 

その時見えた男の瞳が、印象的だった。

まるで澄み切った水晶のような、深い青色をしていた。

優しい色だった。

 

少なくとも悪い心を抱いてここに来たのではないのだと、分かってしまう。

 

素直に受け取ると同時に、ひと晩考え抜いて、一番気になっていた疑問が口から出た。

 

「父さんとあゆみを殺した鬼は、どこへ行ったんだ?」

 

「・・・俺が殺した」

 

何となく、そう何となく朧げに察していた事。

 

目の前の男の強さ。

乾いた血痕。

綺麗にされていた屋内。

 

『見殺しにした』

その真意。

 

その全てのパーツがハマり、ストンと納得出来てしまった。

 

この男と比べて、自分は一体何なのだ。

何も守れなかったどころか、気付きすらしなかった愚か者だ。

 

『変わりたい!

 何よりも弱い自分を変えたい!!』

 

気付けば、頭を下げていた。

 

「オレの名はけいごだ!

 頼む!

 オレを強くしてくれ!!」

 

 

 

 

 

 

 

ただただ沈黙。

 

無言の間がしばらく流れる。

 

不安に押しつぶされそうになりながら、恐る恐る顔を上げてみる。

 

と、

 

この世の物とは思えない生き物でも見るかのような、

とてもとても嫌そうな男の顔が、そこにはあった。




カッコよく去ったつもりが、大事な遺品を持ったままだった事に気付く、うっかり狛治さん。

けいご君の問いに正直に答えたのは、投げた包みが当たったから。


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素流の弟子

第5話
Side:猗窩座


その日から『けいご』と名乗る押しかけ弟子との奇妙な日常が始まった。

 

特異な事に、けいごは鬼の力を見せても全く逃げなかった。

寧ろ全部教えろとせがんでくる始末。

これ以上の脅しは無用。

完全にお手上げだった。

 

日中は、生きるために金を稼げと言い渡し。

人里離れた場所で、日の暮れた時間帯から師弟の時間が始まる。

 

ほとんどが見取り稽古と実践。

不器用な俺には、師範の真似は出来そうにない。

 

人間が寝ている間は、自らの修行に充てている。

最近では流れる滝の水滴を全て打ち落とすのが目標だ。

これが出来た時、俺はまた一歩至高の領域へと近づくだろう。

 

元より鬼と人間では膂力が天と地ほど異なる。

人間が身に付けるべきは、人間の技。

剛拳の最たる鬼の技は、何の参考にもならない。

 

やむを得ず、素流の技を教える。

 

師範から継ぐ筈だった技。

今更という思いもある。

 

しかし、俺はこれしか知らない。

 

絶えて久しい技術。

歴史から消えて無くなるかと思っていた技術だが、けいごには才能があった。

 

もし真っ当に生きてさえいれば、何かしらの門流を開いていたかもしれない。

そう思えるほどの才能と、不屈の精神が彼にはあった。

 

『変わりたい!』

あの言葉は、嘘では無かった。

 

弱者は、平気で嘘を吐く。

本当の強者は、戯言をも実現させる。

だから、嘘でない言葉は、心地がよかった。

 

しかし、いくら才気煥発な子供と言えど、俺に勝つなど、100年早い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、師匠が強すぎる!」

 

そんなたわ言を言いながら、

いつまでも地面に横たわる弟子の頭上へと、体重を乗せた踏み付けを落とす。

 

「よっ、と!」

 

寸前。

相手は反転し、四つ足で地面を蹴って距離を取り、再び構える。

 

「いいぞ!まだまだ行けるな」

 

思いの外、元気そうな弟子の姿に、ギアを一段階上げる。

 

血鬼術は使わない。

無闇に傷付けぬように、両の手のひらは開いたまま。

掌底の構えで左脇を締め、右手はゆるりと前へ伸ばす。

 

相手との距離によって右手の位置は自在に変わる。

闘気を感じずとも、一対一ならば、これで良い。

 

「来い」

 

「いきます!」

 

そう言うと、けいごは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 

次の瞬間。

けいごの拳は一足一刀の間合いに迫っていた。

 

そこから無呼吸で繰り出される拳打乱打を、右手で全て打ち払っていく。

 

今使っている技は、鬼の視力と膂力に頼ったものではない。

 

拳が繰り出される一瞬の兆し。

手足の動きと距離を正確に見極め、打撃の軌道を読む。

 

剣の達人が間合いと呼ぶ感覚を、男は右腕で行っていた。

 

目の前の弟子ならば、いずれ会得するであろう事を確信しながら。

 

一分にも満たぬ拳打の末、弟子が息を乱した瞬間ーーー!!

その胸へと掌底を放つ。

 

パァン!!!

 

まるで銃声のような音が山に響き渡った。

 

背後の樹木へと強かに叩きつけられ、

「カハッ!!」

弟子は大地へと崩れ落ちる。

 

「・・・・・・・・・」

 

さすがに、やり過ぎただろうか?

最後はほんのちょっと、鬼の膂力が滲み出てしまったかもしれない。

 

倒れた弟子を見る。

反応がない。

 

仕方ない。

頭から水でもぶっかけてやろう。

と考えた瞬間。

 

嫌な予感でもしたのだろうか。

不意にがばっと跳ね起きた。

 

「いッッッ、てぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!」

 

「なんだ元気じゃないか。心配したぞ」

 

「『なんだ元気じゃないか!』

 じゃねえよ糞爺!

 どんだけ馬鹿力なんだよ!?」

 

「お前なら大丈夫だ」

 

「はあ!?

 師匠と違ってオレは普通の人間!!

 死んでからじゃ遅いんだってば!!」

 

「手加減はした。問題ない」

 

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

とても非常に物凄く大きな溜め息を一つ。

これ見よがしに見せつけるように吐き出してくる。

 

鬱陶しい。

しかし、少々やり過ぎてしまった事実は否めない。

 

「・・・食事にするか?」

 

「師匠の手作り!」

 

キラキラした目で、何かを訴えて来る。

鬼は普通の食事などしないから、味付けなど分からないと言うのに。

 

「・・・味は保証しないぞ」

 

「やった!!

 今日は仕事の帰りに取れた鮎があるんですよ」

 

なるほど。

やけに突っかかってくると思ったら、それが理由か。

わざわざ粗野な言い方に変えてまで・・・

 

「現金なヤツだ・・・」

 

何がそんなに嬉しいのか。

途端に元気になった弟子は、足取りも軽やかに家へと帰っていく。

 

その後を追いながら、自らの両手を見詰める。

 

「・・・糞爺、か」

 

鬼の力に、人間の技術。

双方を極めた先に、新たな強さが薄らと見えてきた。

 

人に技術を教えるというのも、強くなる道の一つなのかもしれない。

幸い、時間は無限にある。

 

けいごを見ていると、不思議と過去に教わった技が鮮明に思い出される。

よく出来た弟子だった。

 

決して口にはしないが。




今夜の料理
『至高の焼き鮎』

煉獄さん「うまい!うまい!うまい!」


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鬼にならないか

第6話
Side:弟子


「けいご、お前はどこまで強くなりたい」

 

師匠から放たれる攻撃。

拳打、掌底、突き。

 

まともに受けられない威力のそれを、

右手でいなし、払い、避ける。

 

「理不尽な、鬼から、自分と、周りの人を、守れる、くらいです!」

 

中段突き、下段突き、双手突き。

逸らし、打ち払い、避ける。

 

「鬼の性質や血鬼術については教えたな。

 なりたての鬼ならもう負けないだろう。

 どれくらいの鬼より強くなりたい」

 

乱打、乱打、乱打。

両手で払う払う払う払う払う払う!

 

「そりゃ、師匠を、倒せる、くらいです!」

 

「ほう・・・」

 

そう呟くと師匠は獰猛な笑みを浮かべた。

 

いやいや待ってよ師匠なんでそんなに怖い笑顔してるの。そもそも師匠以外の鬼を知らないんだから仕方ないでしょう。目標が師匠って言ったら、可愛い師弟のほのぼのストーリーじゃないか!!そんなに気合い入れないで!こっちは人間だって事忘れてない!?

 

なるほどこれが走馬灯かと思うほどに、思考が高速回転していく。

故に、途中までは過去最高の反応が出来たと思う。

 

上段蹴り、回し蹴り、二段蹴り。

躱す、打ち払う・・・

 

『あ、無理』

 

なんだ今の技は。

下半身と頭部へほぼ同時に打ち込まれ、気付けば倒れていた。

 

しかし悲しい哉、倒れる事に慣れてしまった身体は、考えるよりも先に起き上がってくれる。

意識があるのに倒れていたら、平気な顔して追撃が来るからだ。

 

それに最後の二段蹴り、あんなヤバい技を出して来るって事は、恐ろしく機嫌が宜しくない。

 

良くないのではない。

寧ろ良いのだ。良いから困るのだ。

どんどんテンションが上がっていって、体のいいサンドバッグ代わりにされるんだ。

 

さて、師匠の機嫌はどうだろう・・・?

今ので、少しは元に戻ってくれてると嬉しい。

 

恐る恐る師匠の顔を伺う。

と、実に楽しそうな表情で待っていた。

 

『あ、これマズいやつだ』

 

「いやいやいや!ちょっと待ってくださいよ!」

 

「・・・けいご、素晴らしい提案をしよう」

 

「はい?」

 

もう、嫌な予感しかしない。

この笑顔を見たら、人喰い熊だって逃げ出すに違いない。

 

「お前も鬼にならないか?」

 

「・・・は?」

 

イマナンテ?

思考がフリーズ。

説明プリーズ。

 

「お前も鬼になれば、俺の攻撃を受けても死にはしない。

 そうすれば百年でも二百年でも鍛錬し続けられる。

 お前の才能なら、いずれ俺より強くなれる」

 

なるほど。

つまり鬼になったら、手加減無しの師匠に今後何百年もサンドバッグにされ続けるって事だな?

 

「死んでも嫌です」

 

こうなった時の師匠は人の話を聞かないから困る。

なんとか元のテンションに戻って貰うしかない。

まったく、とんでもない師匠だ!

 

さて、そうなると・・・

今日はプランBでいきますか。

 

「人の身で俺を倒すと言い張るか!良いだろう!

 お前の成長が楽しみだ!!」

 

『術式展開』

 

師匠の足元に、雪の結晶のような模様が浮かび上がる。

 

ああ、始まった・・・

 

『破壊殺・羅針』

 

師匠の血鬼術。

全方位の気を感知するとかいう謎の武人理論で、例え背中から攻撃しても避けられてしまう。

 

「さて、けいご。おさらいをしよう」

 

弱点と言えば、闘気の無いものには反応しない事。

 

「素流の構えは、自分の身を守り、相手の牙を折るために突き出した腕と、相手を牽制し、倒すためにやや引いた腕をもって相手と相対する」

 

例えば、見えない位置から石を投げたとする。

これは投げた人間の気を感知して避けられる、らしい。

 

「腰は低く、両足は親指の付け根に体重をかけ、踵は皮だけが大地に触れるようにやや浮かしておく。そして体の重心を常に真ん中に置く事で、あらゆる角度から攻撃されても対処できるように立つ。これが基本」

 

一方で、目の前にある落とし穴を感知する事はできない。

よく分からないが、そこに気は無いからだそうだ。

 

「我が師、素山師範は、強く優しい人だった・・・

 だが、この世にはどうしようもなく卑怯で弱い人間もいる。

 けいご。お前の敵は腕っ節の強い鬼だけではない。

 血鬼術には、人の心が反映される。

 お前は人の心を見抜く人になれ!」

 

原理は分からないが、要するに、人の手を離れて時間が経過したものは、師匠の感知に引っ掛からないのだと思う。

とは言え、並の罠なら師匠の観察力で気付かれてしまう。

 

「では、師の言葉に従って伝えよう。

 弱い『お前をボコボコにやっつけてやる』

 そして『生まれ変わって』強くなれ!」

 

必要なのは、分かっていても避けられないような罠。

ここ数日間、早朝の時間帯に作っておいた、心理の穴を突いた罠の数々。

プランBをーーー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、相手が強くなれば強くなるほどテンションが上がってうっかり手加減を忘れてしまう師匠と、鍛えれば鍛えるほどに罠師としての成長著しい奇妙な弟子との交流は、約1年に渡って続けられた。




あの台詞が言わせたかっただけのギャグ回。


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旅立ち

第7話
Side:弟子


「師匠」

 

「なんだ?」

 

「熊鍋、美味いでしょう?」

 

「そうだな」

 

生姜・大蒜で炒めて臭いを取った熊肉に、春告げキノコ、沸騰させて灰汁を取った春の山菜を混ぜて、味噌を溶いた熊鍋。

 

おそらく冬眠から起きてきたのであろう、哀れな熊。

よほど腹が空いていたのか、手当たり次第に襲い掛かっていた彼が出会ったのは、鬼。

あわれ、秒で食卓のメイン食材に成り果てていた。

 

普段はあまり食事を取らず、放っておけば鍛錬ばかりの師匠だけど、時折獣肉が手に入った日だけは、一緒に食事を取るようになっていた。

 

「師匠」

 

「なんだ?」

 

「オレの罠作りも、上手くなったでしょう?」

 

「そうだな。よくあの発想に至るものだ」

 

師匠に対して磨きに磨かれた罠師のスキル。

 

自然界で並ぶ者のいない強者を想定して磨かれた技術は、長じて大型の獣だろうと難なく捉えられるまでに成長していた。

 

ちなみに、趣味で鰻や蟹等の魚介類も取れる。

 

もし仮に、この世界に鬼が存在しなければ、

もうこの技術だけで食べていけるんじゃないかとも思う。

 

「師匠」

 

「なんだ?」

 

「力仕事も、大人の十倍はこなせるようになりました」

 

「そうだな。それだけ稼げれば大したものだ」

 

日中、身体を鍛えると同時に日銭を稼ぐために始めた日雇い仕事。

 

師匠の馬鹿力に鍛えられた今となっては、

土木作業、荷運び、農作業の手伝いなど、肉体労働の現場ではどこでも重宝されるようになっていた。

 

「師匠」

 

「なんだ?」

 

「・・・オレ、強くなりましたよね?」

 

「ああ、そうだな。

 血鬼術を使う鬼にも、相性次第では負けないだろう」

 

正直言って、師匠の強さは反則レベルで、まともに戦ったら勝てるわけがない。

しかも、身体が欠損してもすぐに治る。まるで爪か髪の毛のように。

 

オレが編み出したのは、死なないための体術に、武器と罠を組み合わせた戦い方。

 

鬼は倒せない。

だから、動けないように捕らえる。

そうすれば、いずれ朝日で消滅させることができる。

 

それに、日の出まで生き延びれば、鬼は逃げる。

故に必要なのは、身体を拘束し、足止めするための罠の数々。

正直、人間の力で戦いを挑むよりは、よほど勝ち目があると思う。

 

「師匠」

 

「・・・」

 

「何を悩んでいるのか知りませんけど、

 やることがあるなら、行ってきて下さい。

 オレなら、大丈夫ですから」

 

「・・・気付かれていたか」

 

漸く諦めたような表情をした師匠へ、嘆息して答える。

 

「1年間、鍛えて頂きましたから」

 

「・・・そうか、もうそんなになるのか」

 

「はい」

 

素っ気ないように見えて、意外と面倒見のいい師匠である。

端座して目を瞑るのは、過去に思いを馳せているのかもしれない。

 

やがて整理がついたのか、しばらくして口を開いた。

 

「けいご、俺は今夜にもここを発つ。

 おそらく戻っては来ないだろう」

 

「はい」

 

「ゆっくり話せるのも、これが最後かもしれない。

 聞きたいことがあれば今のうちに聞いておけ」

 

「分かりました。

 では、いくつか聞いておきたい事があります」

 

いつか、こんな日が来ると―――

鬼という生命を知れば知るほどに、鬼を師匠に持つ事ほど、この世に稀有な例は他にないだろう事は分かっていた。

 

その夜、オレは師匠と話をした。

『鬼狩り』『呼吸』『柱』『鬼の出生』『十二鬼月』

そして、長年探しているという『青い彼岸花』のこと。

 

師匠の過去と、人間としての名前も教えて頂いた。

 

人間を喰う鬼は悪。

人間を殺す人間もまた悪。

 

強い者が正義などと安易な事は言えないが・・・

少なくとも、どれだけ強くなろうとも、軽んじられる生命に憤りを感じられる師匠で良かったと思う。

 

弱者には、何も守れないーーー

 

この世界を強く生き抜くには、もっともっと力を付けなければならない―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先ほどの礼だ。

 これをお前にやろう」

 

そう言って、別れ際に師匠が渡してきた物は、

なんて事はない普通の黒帯と、花火玉だった。

 

「素流道場はもうないが・・・

 お前に師範代の称号を与える。

 今日より素木慶吾(しらきけいご)と名乗れ」

 

お前は俺と違って頭が良いから、一回見れば覚えるだろう。

そう言いつつ、『素木慶吾』という字を地面に書いてくれた。

 

「ありがとうございます。師匠。

 ・・・でも、道場を再興する気はないですよ?」

 

「構わない。道場どころか何も無いんだからな。

 だが、もしこの先、教えを乞う者が現れた時に、許可なく技術を教える事を許す。

 お前は自由だ。自由に生きるために、強くなれ」

 

「それなら、分かりました」

 

「それともう一つは、餞別だ。

 これを打ち上げた時、もし近くにいれば、一度だけ駆け付けてやる」

 

「ありがとうございます。

 それは使い時が難しいですね」

 

「こればかりは運次第だ。

 運次第なんだが、そうだな・・・

 何故か、お前なら上手くやれる気がする」

 

「何ですか?その信頼感は」

 

「・・・勘だ」

 

「なるほど、勘ですか。

 それは馬鹿に出来ないですね」

 

「ああ、上手くやれ」

 

「はい、上手くやります」

 

「・・・」

 

「・・・」

 

「じゃあな、慶吾」

 

「師匠、お元気で」

 

 

 

草木も眠る丑三つ時

 

月明かりに照らされた獣道を一人の鬼が駆け抜ける

 

目指すは浅草

 

 

 

 

 

序章 黎明の鬼-終-




『素木慶吾』について
『素』と『慶』の字を師範から継がせました。
素山でなく素木なのは、未来への成長を期待しての事です。
また『吾』には防ぐという意味があり、守るための力である事を意味しています。


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幕間 夜桜に潜む鬼
夜桜に潜む鬼 壱


第8話
Side: 猗窩座


「鬼にしては妙な気配だ・・・

 お前達、何者だ?」

 

「珠世様!そいつは危険です!離れて下さい!」

 

「いいえ、愈史郎。残念ですがもう遅い。

 この鬼がその気なら、私たちは既に殺されています。

 何故ならこの人はーーー」

 

「俺を知っているのか?

 ・・・なら、話は早いな」

 

右手で顔を覆った瞬間。

人通りを歩くために変えていた狛治としての顔から、猗窩座としての顔に作り替える。

 

「な!?・・・上弦の、参!?」

 

「そうです。上弦の参、猗窩座。

 あの男、鬼舞辻が十二鬼月を作った時から、長い時を上弦として生き続けている最上位の鬼」

 

「詳しいな。古参の鬼か?

 闘気は弱いが、何か不思議な力を感じる。

 無惨様の名を語って無事な事といい、特別な力を開花させた者のようだな。

 ちょうどいい。お前に聞きたい事がある」

 

「貴様・・・!!

 珠世様!お下がり下さい!」

 

「・・・愈史郎、少しだけ時間をちょうだい。

 私も、貴方に聞きたい事ができました。

 私たちを襲わないというなら、貴方の問いに答えましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慶吾と別れて一日半、俺は浅草の地に到着していた。

 

数年ぶりに無惨様に直接呼ばれたので参じたが、貿易商の住居にお姿は見られなかった。

おそらく外出中の事と思うが、もしかすると別の潜伏先を見つけている可能性もある。

 

鬼の始祖たる無惨様は全ての配下の鬼の位置や考えを知り、遠くにいながら超能力のように話しかける事が出来るが、逆に配下の鬼は無惨様の位置を知る事はできない。

 

鳴女の転移術で呼ばれなかったと言う事は、急ぎの用件ではないと思うが、早いに越した事はないだろう。

 

『・・・ここで待っていても仕方ないな』

 

そうと決まれば、人間だった頃の顔に変え、用意しておいた和装に着替える。

紺色の着物を黒帯で結び、首元には白い袴下が覗く着流し姿。

 

時折、稽古中の音を鉄砲と勘違いして、熊などの凶暴な獣が出たのかとわざわざ確認に来る人間もいたので、慶吾に言われて用意したものだが、存外役に立つものだ。

 

そうして人込みに紛れ、浅草の街並みを散策する。

 

まるで昼間のように街灯が周囲を明るく照らし、夜だと言うのに、多くの人間が出歩いている。

立ち並ぶ商店街の軒先には赤い提灯が綺麗に並び、高い建物のガラス窓からは常に明かりが漏れていた。

 

『確か、ガスと電気と言ったか。

 夜中が明るいとは、時代も変わったものだ。

 しかもこの光は鬼に害はない。

 これほど人間がいる場所を出歩くのは、何百年ぶりか』

 

プァァァァァン!

警笛の音に振り向くと、路面電車が多くの人間を乗せて走っていた。

 

『アレも電気の力と言う・・・

 速さは大した事ないが、なかなかの力だ。

 あの重さの鉄の箱を、あの速さで動かすのは、鬼の力でも出来るかどうか・・・

 破壊するだけなら造作もないが』

 

強い闘気を持つ者を探りながら、浅草の町を音もなく歩いている。

と、街並みの一角に、どこか違和感を感じた。

 

地面を見、前を見、空を見る。

 

立ち並ぶ民家の一角。

どこから見ても、ありふれた木製の塀である。

しかしここから、慶吾の罠術のような微かな違和感を感じる。

 

「・・・確認しておくか」

 

『術式展開・羅針』

 

足下に雪の結晶のような紋様が浮かび上がり、

その紋様が瞬時に大地を伝って大きく広がってゆく。

 

 

 

ある日、滝行の中で『羅針』を使うと、全ての時が止まったかのように、一瞬全ての水飛沫の一滴一滴の位置、動きを肌で感じられた。

本来、水には闘気など無い。

しかし、仮想敵として滝の流れと対峙し続ける内に、何かがカチリとハマった。

 

この日、弟子の罠を全て事前に察知し、文字通り秒殺された慶吾が絶望したのはまた別の話。

 

それから血鬼術『羅針』は更に深下した。

今では周囲半径50メートルの生物の形や動き、無機物の動きや違和感まで感じ取る事ができる。

ただし、長時間使い続けると相当に消耗する。

 

 

 

一瞬で広がった紋様は、既に消えていた。

 

「・・・なるほど、ここか」

 

一見変哲のない木塀に手を当て、踏み出す。

と、そのまま身体ごと壁に吸い込まれていく。

 

『鬼の気配がする・・・視界を誤認させる血鬼術か』

 

壁の向こう側には、外から見たのでは分からない、大きな洋館が建っていた。

 

「ほう・・・」

 

広い庭に桜の木が並んでいる。

ちょうど、美しい桜色の花びらが洋館の灯りに照らされていた。

 

とても鬼の住む場所には見えない。

 

人間らしさを持つ鬼。

それは長い時を生きる鬼か、上弦並みの強さを待つ者に限られる。

 

無惨様の血の薄い者。

或いは、血に負けないほどの自我を持つ強者。

 

おそらくは前者だろう。

 

洋館の入口に、男女二人の鬼がこちらを警戒するように立っていた。

 

どこか妙な気配を持つその二人へ向けて、

俺は上弦の参、猗窩座として立ちはだかった。




江戸時代の人間にとって、都会の印象は炭治郎と変わらないんじゃないかなと思いました。

珠世さんは、絶対に外せない人物の一人です。


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夜桜に潜む鬼 弐

第9話
Side: 猗窩座


「女に危害を加える気はない」

 

信じようと信じまいと勝手だが、俺は相手の目を見ながらそう答える。

その言葉に、珠世と呼ばれた和服の女性は踵を返した。

 

「では、交渉成立ですね。

 立ち話もなんですから、中へお入り下さい」

 

彼女が愈史郎と呼ばれた男に耳打ちする。

彼は俺をひと睨みした後、先に洋館の中へと入っていった。

 

『この二人、人間の血の臭いがほとんどしない』

 

現時点で彼女に争う気がない事は分かるので、彼女の進む後をそのまま付いて歩いていく。

 

鬼が人間社会の中で財力を築く事は非常に難しい。

そもそも、人間を食べる本能をある程度抑える必要があり、その上で人間にとって価値ある物を売り込まないといけない。

 

例えば、上弦の陸。

堕姫は長年、遊郭のトップとして君臨し続けている。アイツ自身は弱いが、兄はなかなか強い。

その他にも上弦の伍のように、趣味の壺が高値で売れるようになった鬼もいる。あの壺の何が良いのか、俺にはさっぱり分からんが。

しかし、そのような鬼は稀である事に変わりはない。

 

この洋館は彼女たちの財力を端的に表している。

なるほどこれならば、俺が知らない鬼で、無惨様からある程度の自由裁量権を許されていたとしても頷ける話だ。

 

この時、猗窩座は珠世の事を勘違いしていたのだが、この事がお互いにとって最良の結果を生みだす事になる。

 

 

 

テーブルに向かい合って座り、カップに注がれた紅茶と呼ばれる薄紅色のお茶を飲む。

 

「・・・味がしない」

 

素直な感想を言うと、目の前の珠世は笑ってテーブル中央の容器をこちらに差し出してきた。

 

「はじめは皆さんそう言われます。

 こちらの砂糖を入れて飲んでみてください」

 

彼女は美味そうに紅茶とやらを飲んでいる。

 

闘気は弱いが、弱者ではない。

少なくとも、俺の名を知りつつ対応できる者に、弱者はいない。

ならば信用しても良かろうと、砂糖をカップへ入れて飲んでみる。

 

「・・・これなら飲めるな」

 

そう言うと、それまで少なからず感じていた緊張感が薄れていくのを感じた。

 

ふぅ、とひと息吐き。

彼女がカップを置いた瞬間、その弛緩した空気は一気に張り詰めたものとなる。

 

「まずお聞きします。

 あなたはこの一年、どれほど人間の血を食べましたか?」

 

「おかしな事を聞くものだ。

 鬼の俺にそれを聞いてどうする?」

 

「それは、貴方の答え如何によります」

 

彼女の強い視線は、鬼であり、人間でもあった。

 

「・・・この一年は、山奥で人間の弟子を育てていた。

 獣の肉を喰らいはしたが、人間は喰わなかった。

 信じる信じないはお前の勝手だがな」

 

「なるほど、それで・・・

 貴方の言葉を信じましょう。

 何より、貴方からは血の臭いが薄い」

 

「物好きな鬼だ・・・

 今度は俺の質問に答えて貰おう。

 この辺りの地に無惨様が貿易商として住んでいる筈だが、どこに行かれたか知らないか?」

 

「この地に!?

 ・・・いえ、私たちはとある人間を治療するためにこの地に来ただけで、あの男の足取りは知りません」

 

今の驚きようは、真実に迫っていた。

どうやら彼女たちは、たまたま浅草に来ていただけのようだ。

 

「そうか・・・仕方ないな。

 しかし、お前たちは医者なのか?」

 

「え?ええ。西洋の医術を少々嗜んでいます」

 

医者。

という単語に俺は苦い過去を思い出し、興味本位で尋ねた。

 

「ついでに聞くが、解毒の薬なども調合できるのか?」

 

「?ええ、もちろんです。

 何の毒か分かればすぐ治せますよ」

 

「そうか・・・

 もし俺が人間だった頃に、お前のような医者の知り合いがいれば、俺は二人を失わずに済んだのかもしれないと思ってな・・・

 いや、これは忘れてくれ」

 

「・・・貴方の過去に何があったのかは知りませんが、もし貴方が助けたいと願う人がいれば、力になりますよ?」

 

「鬼は医者いらずだと思うがな」

 

「あら?

 人間の弟子を取られていたのではないですか?」

 

「慶吾か、アイツはそれほど弱い人間ではないが。

 そうだな。人間は怪我もするし簡単に死ぬからな。

 もしかすると、その時は頼むかもしれん」

 

「ええ、その時は是非」

 

「・・・医者なんてのは、本当に治せるかどうかも分からない癖に、鼻持ちならないヤツらばかりだと思っていたが、そうでない人間もいるんだな。

 ありがとう、珠世。礼を言う」

 

「構いません、私は鬼ですので」

 

この瞬間、俺は珠世を信用する事にした。

 

「しかしこれでは借りが出来てしまう。

 何か俺にできることはないか?」

 

「えーと、そうですね・・・

 私は今、鬼の血について研究しています。

 本来、人間なら死ぬはずの病気も、鬼なら治せます。

 この性質を上手く利用する事で、人間のまま、難しい病気も治せるようになる可能性があるのが鬼の血なのです。

 貴方には、その研究のお手伝いをお願いしたい」

 

「・・・それは、俺の血で良いんだな?」

 

「はい。貴方の血をほんの少々頂ければ、それで十分です」

 

「分かった。それならば問題ない」

 

その研究にどれほどの血が必要なのかは分からないが、もしあの時、医者の知り合いがいたら、という思いのまま。

俺は立ち上がって右腕を切り落とし、おもむろに机の上へと置いた。

 

「これで頼む」

 

「・・・え?」

 

目が点になっている珠世の目の前で、直ぐに右腕を生やして元に戻す。

 

「もし、素木慶吾と名乗る男が怪我をしていたり、誰か人を助けたいと願っていたら、助けてやって欲しい。頼んだ」

 

それだけ伝えると、用は済んだとばかりに客間を後にした。

 

廊下を歩いていると、先ほどの男とすれ違う。

 

「猗窩座・・・

 珠世さんに何もしてないだろうな?」

 

「愈史郎、と言ったか。

 俺がその気なら、お前など2秒で無効化できる。

 彼女の騎士を気取るなら、お前はもっと強くなれ」

 

「貴様に言われずとも分かっている!」

 

「そうか、それなら良い。

 彼女は強い人だが、戦いには向かない。

 いつの時代でも、医者は必要だ」

 

「猗窩座・・・

 お前はどうやってこの場所を見つけた?」

 

「それくらい、自分で考えろ」

 

「・・・・・・」

 

「・・・じゃあな」

 

「貴様に頼むのは業腹だが・・・

 珠世様のためにも俺は!

 もっと強くならなければならない!」

 

「・・・桜の木だ。

 外からは見えなかったが、塀の外に桜の花びらが散っていた。

 それで違和感を感じた」

 

「・・・やはり、そうか」

 

「じゃあな、愈史郎」

 

「・・・ありがとう、猗窩座」

 

「・・・狛治だ」

 

愈史郎の、まるで敵に塩を送られたかのような、悔しそうな表情に興味が湧いた。

 

コイツはきっと、強くなる。

どこまで強くなるか、楽しみだ。

 

『慶吾とどちらが強くなるだろうか・・・』

 

 

 

月明かりに照らされた夜桜は、より儚さを感じる美しさだった。

 

 

 

 

 

幕間 夜桜に潜む鬼-終-




今回、愈史郎は珠世からの言いつけで、何かあった際に逃げ出す準備をしていました。

猗窩座は水以外だと緑茶とか飲んでそう。
そして珠世さんと言えば紅茶。
(↑2021/10/8 修正)


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第一章 鬼と呼ばれた男
鬼と呼ばれた男


第10話
Side: 鬼舞辻無惨


頭を下げて片膝を付き、臣下の礼をとる鬼。

江戸時代に鬼にして以来、強さに貪欲な姿勢はずっと変わらない、猗窩座の姿を流し見る。

 

「お呼びにより参上致しました。

 無惨様」

 

本日の商談も恙無く終え、ダークグリーンのスーツに白いネクタイ姿のまま、書斎の椅子に座る。

まるで猫のように縦に細長い瞳孔を、手元の資料に向けたまま素っ気なく応じた。

 

「例のものは、見つけたのか?」

 

「関東中の山々を調べましたが、存在も確認できず・・・

 青い彼岸花は見つかりませんでした」

 

いつもの結果報告か。

まったくもって代わり映えのないことだ。

 

「で?」

 

「鬼狩りの刀は、一年中陽の当たる山で採れる砂鉄と鉱石で作られると聞きました。

 そのような場所にも調査の手を広げるべく、

 見込みのある人間を一人、育てておりました。

 青い彼岸花について、人間の立場で調査をさせようと思います」

 

なるほど、そういうことか・・・

 

「ほう・・・それで、何か見つかったのか?」

 

「調査はこれからですが、無惨様のご期待に応えられるよう、これからも尽力致します」

 

しかし、遅い。

鬼は死なぬからか、考え方が遅い。

これは私が指導してやらねば。

 

「お前は何か、思い違いをしているようだな。

 猗窩座!」

 

目の前の存在を押し潰さんと、声に物理的な威圧を込めて放つ。

腕、肩、脚と、猗窩座の身体に罅が入るように。

 

「たかが人間。

 それをたった一人育てたから、何だと言うのだ?」

 

ひと言放つ度、圧力は次第に増す。

すぐに頭、腹、胸と亀裂が広がってゆく。

 

「私の望みは、日の光を克服すること。

 そのために青い彼岸花を手に入れること。

 これまで何百何千と鬼を作った筈だ。

 それなのに未だ叶わぬ・・・」

 

全身、罅のない部位がないほどに圧殺する。

 

「お前は得意げに人間を育てたと言うが、

 たった一人の人間に何が出来る?

 なぜもっと多くの人間を使おうと考えない?

 数年ぶりの報告がそれだけか・・・」

 

しかし、ここで容赦はしない。

その誤った認識ごと、思い違いを粉砕してやろう。

 

「猗窩座!

 猗窩座!!

 猗窩座!!!」

 

おっと、私の書斎が血反吐で汚れては面倒だ。

 

全身の細胞が軋みをあげる程の威圧を止める。

 

しかし、あの猗窩座が認めた人間か。

人間などどうでもいいが、猗窩座の成長に繋がるなら良かろう。

 

「だが、人間に調べさせるという発想は悪くない。

 引き続き、調査人数を増やし、捜索に当たれ。

 足手纏いはいらん。お前が認める人間だけでいい。

 下がれ」

 

「ハッ」

 

ふと見れば、猗窩座のいた場所には、血の一滴すら落ちていなかった。

なるほど、面白い進化をしているようだ。

 

「・・・猗窩座」

 

退出しかけたところへ声を掛けておく。

 

「・・・?」

 

「私の前で貴重な血を一滴も流さぬその気概は認めよう。

 では行け」

 

強くなれ。

もっと強くなれ、猗窩座。

 

「ハッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・鳴女、黒死牟を呼べ」

 

べん

 

「ここに・・・」

 

琵琶の音が鳴り響いた瞬間、

目の前に六ツ目の鬼が臣下の礼を取っていた。

 

「頼みがある」

 

「ハッ・・・何なりと・・・」

 

「ひと月ほど猗窩座の行動を監視し、私に報告して欲しい」

 

「猗窩座に・・・

 何か、ありましたか・・・?」

 

「このところ行動が読めないことがある。

 鬼の呪いを克服しかけているのかもしれない」

 

「まさか・・・

 猗窩座に限って謀反など・・・」

 

「それはない。真面目で忠実な男だ。

 仮にそうだとしても、私に勝てると思うか?」

 

「お戯れを・・・私に勝てぬ者が・・・

 どうして無惨様に勝てましょうか・・・」

 

黒死牟に対し、視線を送る。

「今は畏まらずとも良い。

 ・・・と言っても、お前は聞かぬだろうな」

 

「ハッ・・・

 無惨様は・・・主人でありますゆえ・・・

 どうか・・・このままで・・・」

 

「・・・黒死牟、覚えているか?

 十二鬼月には、私と出会う前から鬼と世に騒がれていた者がいる」

 

「お懐かしゅうございます・・・

 無惨様が・・・

 十二鬼月をお作りになられた時・・・」

 

「修羅と化した人間が、真実の鬼となった末に至る高み、私はそれを楽しみにしている。

 私とは異なる過程で、進化を果たすのではないかとな」

 

「確かに・・・いつか私を倒すのだと・・・

 その日を・・・楽しみにしている・・・

 自分がどこかにおります・・・」

 

「今の猗窩座は、これまでと何かが違う。

 何かの殻を破ろうとしている。

 あるいは、頸の弱点を克服する可能性もある。

 もしかすると・・・

 もし、猗窩座が更に強くなろうとしているのなら、止めるな。

 ただ、私に知らせるだけでいい」

 

「承知・・・しました・・・

 万が一・・・謀反の疑いありと思わば・・・?」

 

「その時は、私自ら処断する」

 

「御意・・・」




本当は猗窩座の事がお気に入りの無惨様。
自分に忠実で、強さに直向きな向上心がある内は、多少の事にも目を瞑るくらいお気に入り。

→上弦の壱、黒死牟がログインしました。
 透き通る世界を会得しているため、猗窩座の探知にも絶対に気付かれないチートです。


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藤の香

第11話
Side: 沙代


藤の花の香りがする

 

甘いような、爽やかな、優しくて落ち着く匂い

 

桜が咲いて散って、気温が暑くなってくる頃

 

紫色の花がたくさん、滝のように垂れ下がって

 

夜空に煌めく天の川のように、綺麗で幻想的な藤の棚

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待って待って待って。

 みんな歩くの早いよ!」

 

「だって、遅いじゃん」

 

「そうだよ、もっと早く歩いてよ」

 

「・・・・・・」

 

「もう、待ってあげてもいいじゃない」

 

「さーちゃん、早く行こうよー」

 

「楽しみだねー」

 

「そうだねー」

 

「・・・先に行ってるぞ」

 

今日は、お花見の日。

 

と言っても、桜ではなく、紫色の藤の花。

 

見るだけじゃなくて、花を摘んで、持って帰る。

 

匂いが強いので、嫌いな子は嫌いだけど、わたしは好き。

 

ちょっと離れて、ふんわり香るくらいがちょうど良い。

という気持ちも分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はむ、はむ、はむ」

 

「おい!おれのにく!」

 

「うわーん!勝手に取ったー!」

 

「・・・・・・うまい」

 

「あなたたち、人のご飯は取らないの!

 って、聞くわけないか」

 

「おにぎり、美味しいーーー!」

 

「お弁当美味しいねー」

 

「ねー」

 

「たしかに普段のご飯よりは、美味いけど・・・」

 

遠出をして、疲れたところで、お昼はお弁当でひと休み。

 

藤の花を眺めながら、みんなでがやがや食べる。

 

年も全然違うから、ご飯はいつも賑やか。

 

好き嫌いもたくさんある。

ケンカもする。

 

ケンカでご飯をダメにした時は、ふだんは怒らないお姉ちゃんが怖かった。

食べ物のうらみはこわい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいにおいが・・・

 う〜〜〜ん!届かない・・・」

 

「おれの方が早い!」

 

「ぼくのほうが大きい!」

 

「・・・・・・・・・臭い」

 

「みんな、取った花は袋に集めるから。

 バラバラに捨てないように」

 

「さーちゃん、取れたー?」

 

「きれいな花ー」

 

「いいにおいの花ー」

 

「こんなもので、本当に鬼が・・・?」

 

お弁当の後は、お花摘み。

 

藤の花を、たくさん集めて持って帰る。

 

持って帰った花は、たくさんたくさん、つぶして小さくする。

 

別に取れた木の皮を粉にしたものと、合わせて混ぜる。

 

お水をちょっと入れたら、お花の香りがずっと続くお香ができる。

 

お香は毎日使うから、お花もたくさん集めておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウチまで競争!」

 

「あー、ズルい!待ってよ!」

 

「・・・・・・ふぅ」

 

「今日は疲れたんだね。本当によく寝てる・・・」

 

「さーちゃんだけ、いいなぁー」

 

「つかれたー」

 

「わたしも歩きたくないー」

 

「ったく、お前ら、わがまま言わずに歩け。

 俺なんか荷物持ってんだからな」

 

「私を先導してくれて、疲れたのだろう。

 よく寝ている・・・

 それと、荷物ありがとう。力持ちだな」

 

「・・・チッ。いいんだよ」

 

ゆらゆら揺られて、夢の中。

 

楽しい楽しい遠足。

 

みんなで歩いた山の道も。

 

みんなで食べたお弁当も。

 

ぜんぶ、ぜんぶ、楽しかった。

 

「また来たいな・・・悲鳴嶼さん・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おにが くるよ おにが くるよ

くらくなったら おにが でるから

はやく おうちに かえろうよ

ふじの はなの おこうを たいて

 

わがままいうと おにが くるよ

いじわるすると こわい おにが

なかよくしないと みんなをたべに

やみの なかから やってくるよ

 

おにが くるよ こわい おにが

おそろしいかおに つりあがった め

するどい きばを むきだした

こわい こわい おにが くるよ

 

くらい よるは おこうを たいて

おにの きらいな ふじの はな

あまくて やさしい ふじの におい

ふじの はなの おこうを たいて




この頃の獪岳はご飯が無い描写があったりします。
そこから、皆に追い出されて死にかけるまでは、協調性があった説など、どうでしょう。


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御嶽山へ

第12話
Side: 猗窩座


「オオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

哀しき男の慟哭が、寂れた境内に響き渡る。

 

ガン!

 

ガン!!

 

ガン!!!

 

原型の分からない、潰された肉の塊。

悲しみの拳を振り上げ、殴り続ける者。

声を殺し、その惨劇を見ている事しか出来ない者。

 

「・・・あ・・・ああ・・・」

 

「・・・グ・・・ェ・・・」

 

ガン!

 

グシャッ

 

ガン!!

 

ゴシャッ

 

殺意を込めた両の拳が振り下ろされる度、

鮮血が辺りに飛び散り、壁を、床を赤黒く染めていく。

 

「・・・ひ・・・ぁ・・・」

 

「・・・ガ・・・カ・・・」

 

ガン!

 

バキッ

 

ガン!!

 

ゴキッ

 

骨が折れ、肉が潰れる。

生々しい音が、静かな寺院に響き渡る。

 

「・・・あ・・・ぁぁぁ・・・」

 

「・・・ア・・・ァ・・・」

 

ガン!!

 

ボキッ

 

ガン!!!

 

グシャ

 

ガン!!!!

 

ブシャッ

 

地獄は終わらない。

骨は砕け、肉は飛び散り、血は流れても、再生は止まらない。

鬼は打撃では死なない。

 

地獄は終わらない。

肉を抉り、骨を砕く生々しい感触が拳から伝わってくる。

しかし、今手を止めれば、最後の一人まで殺される。

 

「オ・・・オオ・・・

 オオオオオオオオオオオオ!!!」

 

男の慟哭は、まだ続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弱過ぎる!」

 

目の前に転がる雑魚鬼。

 

狛治の格好で歩いていると、偶にこういった雑魚が襲いかかってくる。

 

「今までよく生き残ってこれたものだ。

 お前のような雑魚が」

 

ゆっくりと瞳を閉じ、開く。

 

「な?!・・・じ、上弦の、参!?

 も、ももももも申し訳ーーーーー」

 

瞳に刻まれた文字を目にした瞬間、雑魚鬼は綺麗な土下座をキメた。

何度となく見たその光景に、ため息が漏れる。

 

「この辺りで強い鬼や人間を知っているか?

 正直に答えればよし。そうでなければーーー」

 

「は、はい!しかし、鬼狩りは言うに及ばず、

 この辺りには貴方様のような強い鬼はおりませぬ」

 

「分かった、言い方を変えよう。

 お前の知る中で、最も強い鬼か人間は誰だ?」

 

「は、はい。そうなりますと・・・

 御嶽山の方に縄張りを持つ、鎌鼬を操る鬼は私より遥かに強いです」

 

「ほう・・・」

 

「敵を近付ける事なく、相手を切り裂く血鬼術・・・

 視界に映るものは全て射程圏内です」

 

「なるほど、珍しいな。

 風の血鬼術かーーー」

 

それだけ聞ければ十分だ。

次の目的地は御嶽山に決まった。

 

大地を蹴り、一瞬で20メートルほど離れた大樹の枝に移動する。

 

後には、膝を付いたまま、周囲をキョロキョロと見回す鬼だけが残された。

 

 

 

夜中の山々を、風を切って駆け抜ける。

 

鬼は夜目がきく。

辺りが見渡せるよう、山林の海を泳ぐように枝から枝へ飛び移ってゆく。

 

「釣れるのは雑魚ばかり・・・」

 

無残様との謁見の後から、普段から狛治の和装姿で行動をするようになった。

 

目的の一つは、鬼からの情報収集。

もう一つは、人間に見つかった時の対策。

 

先ほどのような雑魚の相手は面倒だが・・・

鬼の姿では、強い人間を探すという目的に反する。

 

人間にも強者はいる。

柱の称号を持つ鬼狩りなどもそうだ。

 

才能を持ち、尚鍛え抜いた人間は強い。

俺の求める至高の領域、過去にはその領域に近い者とも相対してきた。

 

そして慶吾との修行が、人の成長を見せてくれた。

いずれ強くなる人間は、おそらく若い頃から何か強い才能を持っている。

 

強い人間を、強くなる人間を、侮らない方がいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどから、まるで鋭い刃物で力任せに切り裂かれたかのような木が散見される。

 

鎌鼬の鬼とやらの縄張りなのだろう。

どうやら、根本の幹から切り倒すほどの力は無いらしい。

それは良い。

 

しかし、この先から感じる鬼の気配。

それに人間の血の匂い・・・

 

「食事中か?

 いや、それにしては・・・」

 

妙だ。

人間の気配も感じる。

 

「まさか、戦っているのか・・・?」

 

探りを入れるか。

 

『術式展開・羅針』

 

足下に雪の結晶のような紋様が浮かび上がる。

その紋は大地を伝い、瞬時に広がって消えた。

 

『鬼・・・1

 生存者・・・3

 死者・・・7』

 

「1人は外か。近いな。

 ・・・会ってみるか」




次回、獪岳死す!


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頭痛

第13話
Side: 獪岳


その天災は、何の前触れもなく、空から舞い降りた。

 

短髪の黒髪、涼やかな青い瞳、紺色の着流し姿。

一見、穏やかな表情をした人間に見えるが、普通の人間は空から降って来たりしない。

 

ただ立っているだけで、なんて力強い存在感だろうか。

 

この男と比べれば、さっきの鬼なんて、

ただの人殺しでしかない。

 

この男を例えるなら、

たった一人で、木々を薙ぎ倒し家々を吹き飛ばす巨大な台風と向き合うようなもの。

 

相対するだけでも喉が詰まって息苦しい。

 

ジッとこちらを見ていた目と、目が合ってしまう。

瞬間、死を連想したーーー

 

 

 

 

 

つい数時間前、生まれて初めて鬼と出会った。

子供の俺にとってそれは、紛う事なき死の具現だった。

 

確実に殺される!

いやだ!

いやだいやだいやだ!!

死にたくない!

 

まだ死にたくない!!

 

その鬼が、

「ガキ、一人か?・・・馬鹿なヤツだ。

 大人しく藤の香に守られていれば、

 こんなに早く死ぬ事もなかったのに」

と呟いた刹那ーーー

 

心に湧いて来たのは、死への恐怖に勝る、怒りだった。

『なぜ俺が死ななければならない

 なぜ俺が殺されなければならない

 俺を寺から追い出したアイツら・・・

 アイツらのせいで・・・

 俺が殺されなければならないのか!!』

 

「ふーん?

 オマエ、人間にしては良い顔するなぁ・・・

 良い鬼になれる素質がある」

 

『なんだ?鬼になる?

 俺を殺して喰うのでは無かったのか?

 そもそも鬼は人間の言葉を喋るのか。

 会話ができるのなら、何か助かる手はないか?』

 

「だけど、弱いガキはダメだ。

 あのお方がお認めになる筈がない。

 それに、ククク・・・俺はガキの肉が好きなんだ。

 オマエはちょっと育っちまってるが、関係ない。

 恨むなら、こんな所にいる自分を恨むんだな」

 

その言葉を聞いた瞬間、血が沸騰するような怒りが、

冷たい冷たい暗い思考に切り替わった。

 

手をついて、額を地面に擦り付けるようにして懇願する。

 

「頼む!俺を見逃してくれ!

 見逃してくれるなら、たくさん子供がいるところに案内します!」

 

『どうせ死ぬなら、道連れにしてやる!

 俺は、俺を殺そうとしたアイツらを、決して許さない』

 

嗚呼、この瞬間、俺は悪魔に魂を売ったのだーーー

 

『どんな手を使ってでも生き延びてやる!

 そして必ず、強くなる!

 強くなって、俺を殺そうとする鬼も必ず殺す!

 そのために、必ず生き延びてやる!』

 

その言葉に何を思ったのか、目の前の鬼はニタァと笑い。

「よし、案内しろ。

 ただし、嘘だったら・・・

 オマエを生きたまま、指先から一本一本切り落として、全身をゆっくりと貪り喰ってやる。

 ククク・・・どんな声で泣き叫ぶか、楽しみだなァ」

 

もう、引き返せない。

鬼を案内する間、ズキズキと偏頭痛が止むことはなかった。

 

 

 

そして、俺は境内の外縁に焚かれた藤のお香を静かに消し、鬼を招き入れた。

今日まで俺を育ててくれた、みんなの住む、悲鳴嶼さんの寺に。

 

そして、皆が泣き叫ぶ声を聞きながら、今しかないと逃げ出した。

 

 

 

嗚呼、だけど・・・

嗚呼、だけど・・・

やっぱり罰が当たったのだろうかーーー?

 

さっきの鬼が、まるで小さく見えるくらい、死を感じる存在に、またすぐ出会うなんて・・・

 

視界がチカチカと明滅する。

ようやく止まったと思っていた偏頭痛が、またズキズキと頭を蝕み始めた。




獪岳君には、偏頭痛持ちになって貰いました。
身体のどこかに常の痛みを抱えている人というのは、どうしても他人に厳しく当たってしまうものです。それが子供なら尚更。


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生殺与奪の権利

第14話
Side: 猗窩座


着地の体制から、ゆっくりと立ち上がる。

 

「人間。この先で鬼を見なかったか?」

 

『鬼』という響きに、

目の前の子供は明らかな反応を見せた。

 

どうやら当たりらしい。

 

「・・・知っているようだな。

 仲間を置いて一人だけ逃げ出したのか?」

 

「・・・・・・・・・」

 

何も言わないところを見ると、これも当たりのようだ。

 

「お前に良いことを教えてやろう。

 残る仲間はもう、あと2人だけだ。

 2人を喰い終われば、鬼は必ずお前を追ってくる。

 逃げたところで、ほんの少し寿命が延びるだけだ」

 

子供の反応が無い。

先ほどから頭を押さえ続けているが、

恐怖で頭がおかしくなったのか?

 

目と目が合うと、ぽつりと呟いた。

 

「・・・アンタも、鬼、なのか?」

 

「・・・そうか、分かるのか」

 

どうやら、ただの子供ではないらしい。

変装は不要と、上弦の参としての姿を晒す。

 

すると、子供の変化は劇的だった。

目を見開いてわなわなと震えたかと思うと、急に地に伏せて頭を下げた。

 

「頼む!俺は強くなりたい!

 俺を鬼にしてくれ!」

 

『・・・今日は土下座をよく見る日だ』

 

うんざりしながらも、洞察力は悪くなさそうな子供に、ほんの少しだけ興味を寄せる。

 

一つ、試してみて、生き延びれば良し、

弱ければ死ぬのが少し早まるだけだ。

 

「・・・良いだろう。

 ただし、鬼に弱者は要らない。

 もし俺の攻撃を無事に避ける事ができれば、

 お前を認めてやる」

 

顔を上げた子供の顔面に向け、高速の突きを放つ。

鼻先で寸止めした瞬間、風が流れ、髪の毛が舞い上がった。

 

「次は当てる。構えろ」

 

急いで立ち上がろうとする子供。

頭は悪くなさそうだし、足腰も山で鍛えられていそうだ。

 

「そうだ。

 お前は子供だから、特別に手加減をしてやろう」

 

ゆるゆると身体が縮み、見た目は猗窩座のまま10歳程度の姿になる。

ずり落ちそうになる着物の腰紐をギュッと巻き直し、構える。

 

「服がぶかぶかで動き辛いな・・・」

 

ぴょんぴょんと飛んだり跳ねたりする姿は、可愛い子供そのもの。

ぶかぶかになった着物の裾がヒラヒラと舞う。

 

ダン!!

『術式展開・羅針』

 

そのままヒラリと舞い上がり、高速の攻撃を振るう。

『破壊殺・空式』

 

拳打!

掌打!

手刀!

蹴撃!

回し蹴り!

 

ドドドドドン!!!!

 

と、空気が破裂するような音が響き渡り、

遠くの方から木がメリメリメリと倒れ込む音が聞こえてくる。

 

ズシーーーーーン!!!

 

「・・・・・・・・・」

 

音のした方角から、子供の方へと視線を移す。

 

我が身可愛さに、たった一人で逃げて来た子供。

絶望的な力量差に慄くかと思いきや、顔色は変わっていないようだ。

 

これは思っていた以上に拾い物かもしれない。

 

左拳を引き、開いた右手を前に構えを取る。

 

「一撃だ。

 この一撃を避けられたら、お前を認めてやる」

 

見様見真似だろうが、目の前の子供は半身の構えを取った。

相手からの打撃面を減らすという意味では、良い判断だ。

 

ただし、もし避けられなかった時は、全身が挽肉になる。

そこまで考えているのかどうかは分からないが、少なくとも覚悟は決まったようだ。

 

右半身の構え。

右足を半歩前に、左手を引いた構え。

 

重心の位置など考えてもいないのだろう。

けれども、左右のどちらにも避けられるように、左右の中心に重心を置いているようだ。

 

『弱者が死ぬのは、弱いからだ・・・

 弱者は、強者の前では生き死にすら選択できない』

 

「全力を出せ!!!」

 

離れた位置から、大砲のような左拳を放った。

衝撃波が生まれ、構える子供へと真っ直ぐに突き進んでいく。




どう足掻いても逃げられない事を悟った獪岳。
強者の心理に敏感な彼にとって、猗窩座は鬼門。


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強くなるために

第15話
Side: 猗窩座


「・・・避けられなかったようだな」

 

ボタボタと夥しい血が溢れ出し、地面を濡らす。

 

「グ・・・ゥゥウガアアアアアアア!!!!!」

 

肘から先の無い右手を押さえながら、目の前の子供は獣のような叫び声をあげる。

 

「所詮、その程度だったか・・・」

 

ザッザッザッ・・・

一歩ごとに体の大きさを元に戻しながら、

痛みに叫び続ける子供の下へ、ゆっくりと近づく。

 

「ああアアアアア!!!

 グゥゥゥウウウウウウウウウウ!!!」

 

亡くした右腕から、ボタボタと命がすり減っている。

その命の前に立つ。

 

「さて・・・

 苦しむのが嫌なら、ひと思いに殺してやる。

 お前はどうする?」

 

ボロボロに涙を流しながら、それでも、子供とは思えぬほどの気概でこちらを睨み付けてくる。

今にも倒れそうな身体にも関わらず、最期の闘気が揺らめいて見えた。

 

「ぐぅぅぅぅ・・・俺は、獪岳・・・

 鬼、俺はまだ・・・生きているぞ・・・」

 

血の気の引いた顔で、それでも闘志を失わない。

子供ながら、生への強い意志を感じる。

 

約定は『俺の一撃を無事に避ける』こと。

 

無事ではない。

無事ではない、が・・・

この人間の持つ闘志までは消せなかったか・・・

 

「・・・そうか。

 ならば獪岳、お前は何を望む?」

 

既に危険な量の血を流している。

目も虚ろで、視界もぼやけてきているのだろう。

望み次第では、彼を認めてやってもいいと考えていた。

 

「俺は、強く・・・強くなりたい・・・

 俺を見下した鬼も、俺を認めない人間も・・・

 絶対、絶対に・・・許さない・・・

 絶対に生き延び・・・てやる・・・」

 

もし生き延びる事ができたならば、この少年はきっと強くなる。

 

「・・・良い闘気だ。

 弱い者を鬼にはできないが・・・

 その気概に免じて、少しだけ手を貸してやろう」

 

そこで獪岳は気を失った。

 

倒れそうになる彼を支える。

血は流れ、肉は削げ、骨が覗く右腕の先を手刀で綺麗に切断し、切断面へと包帯を直接当てて圧迫止血を施す。

 

くるくると包帯を巻く行為が懐かしい。

 

あの人間時代、隣の道場の人間が陰に陽に襲い掛かってきては戦り合う事が多く、日常的に怪我はつきものだった。

俺自身が怪我を負う事は稀だったが、中には闇討ちのような受けざるを得ない攻撃もあり、そんな時は師範が怪我を手当してくれた。

 

俺の包帯を見るたびに恋雪が泣くのには、困ったものだが・・・

今思えば、あの頃から背後の気配にも目を光らせるようになっていたのかもしれない。

 

慶吾との訓練以降、着物と一緒に入れておいたものだが、案外役に立つものだ。

 

「・・・これで、しばらくは大丈夫だろう」

 

気を失ったままの獪岳を優しく背負うと、俺は鬼のいる場所へと歩いて向かった。

 

「・・・獪岳、死ぬな。

 恐怖を知るのは、決して悪いことでは無い。

 その目に焼き付けろ。鬼の姿を。

 そして生き延び、強くなれ」

 

 

 

月が照らす静かな山道を、一人の鬼が一人の子供を背負って進む。

その巨大な気配に、獣たちは身を潜めて物音ひとつ立てなかった。




獪岳は、獪岳。


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疑いは晴れた

第16話
Side: 猗窩座


境内に辿り着く前から、様子がおかしいとは感じていた。

 

あれから更に時間が経っているというのに、

生き残った二人の闘気が消えていない。

 

それどころか、鬼の方の闘気が弱ってきている。

 

まさかとは思いながら、音がする寺の戸を開く。

 

「―――――――――」

 

骨を、肉を抉り、血が飛び散る音が室内に響いていたーーー

 

血溜まりの中に首から上がグシャグシャになった鬼が、馬乗りになった大きな人間の下でピクピクと痙攣している。

絶え間なく頭を潰され続け、今や再生する力もなく、闘気を大きく削ぎ落とされていた。

 

それを成した人間を見る。

目に光がない。

まさか、見えていないのかーーー

 

その光景を、なんと表現すれば良いだろうか。

全身の細胞が歓喜するのを抑えられない。

まさか人の身で、しかも目も見えぬというのに、己の拳のみで・・・

 

あの鬼はもはや生きてはいない。

死んでいないだけだ。

 

この男は強くなる。

それは予感などではなく、もはや確信だった。

 

ああ、だが、実に惜しい。

おそらくは今まで、自らを鍛えた事もないのだろう。

その拳は怒りに身を任せただけの、拙いものだった。

 

この出会いに感謝を述べたいが、今は落ち着こう。

今この男と拳を交えたとしたら、せっかくの才能を消す事になってしまう。

 

この男とはいずれ、お互いが最高の状態で、一対一で闘ってみたい。

しかし、それは今ではない。

 

「お前が悲鳴嶼行冥か?」

 

よほど鬼に集中していたのだろう。

血濡れの大男は自分の名を呼ばれ、初めてその顔をこちらへと向けた。

 

「私は悲鳴嶼行冥ですが、あなたは!?

 いや、どなたかは存じませぬが、お願いがあります!

 この子を連れて、今すぐここを離れて頂けませんか!?

 コイツは恐ろしい人喰い鬼!

 今は私が抑えていますが、顔が無くなっても死なないのです!」

 

今にも消え去りそうな、細い小さな闘気の持ち主が、彼の後ろに隠れている。

ここに来るまでに7人の子供の亡骸を見た。

あの子供が、最後の一人なのだろう。

 

『・・・・・・・・・』

 

「知っている。

 獪岳、という少年に聞いて来た」

 

「獪岳が!?

 彼は無事なのですか?」

 

「今は怪我を負っているが、生きている。

 ・・・失礼する」

 

目が見えない。というのは都合が良かった。

鬼としての力を解放し、ボロボロになっていた鬼を素早く奪い取る。

 

「弱い鬼など、あのお方には必要ない」

 

話の間に再生しかけていた、その耳にだけ聞こえるようにボソリと呟く。

その身体がビクリと恐怖に震えた瞬間―――

 

左手で手刀を放ち、一瞬で五体をバラバラにする。

 

落ちてきた首を掴み、開けっ放しの戸の外へ放り投げ、その眉間へ向けて包丁を真っすぐに飛ばす。

境内に立つ木の幹へ顔の串刺しが出来上がる。

 

と同時に、バラバラだった残る身体は全て簀巻きにし、身動きが取れないようにしていた。

 

この鬼は大事な血を流し過ぎている。

再生力も限界に近い。

もはや自力で助かる道は無いだろう。

 

『お膳立ては整えた。

 あとは、好きにしろ』

 

「これでいい。

 あとは朝日で自然消滅する」

 

「な!?

 あなたは、一体・・・!?」

 

振り返り、大男を改めてみる。

着物の隙間から覗く素肌は全身に血管が浮き出ており、凄まじい拳打だった事が伺える。

 

限界を超えた打撃にも長時間耐え得る筋肉。

素晴らしい才能だ。

 

「俺は猗窩座。

 行冥、台所から包丁と縄を借りたぞ。

 それから、そこにあった筵も」

 

「え?ええ、それは構いませんが・・・

 あの人喰い鬼は大丈夫なのですか?」

 

「問題ない。

 お前の攻撃でアイツは血を流し過ぎている。

 再生する力も、もう残ってはいない。

 直に陽が昇り、消滅するだろう」

 

「そう、なのですか・・・

 いえ、いきなりのことで頭が追い付かず・・・

 失礼。危ないところを助けて頂き、ありがとうございます」

 

「感謝は不要だ。

 あの鬼はお前が倒したようなもの。

 俺は止めを刺しただけに過ぎない」

 

「私には鬼に対する知識が、殆どありません。

 あのまま殴り続ける事に意味があるのかどうかさえ、分かりませんでした。

 重ねて、御礼申し上げます」

 

着物を返り血に染めたまま、無骨に頭を下げる大男。

悲しみを怒りに代えて力戦奮闘する姿に、人間だった頃の最期を思い出す。

 

「・・・行冥、お前は強い。

 俺は長く生きているが、目も見えぬ人間が素手で鬼を倒すところを初めてみた。

 いつの日か、鍛え抜いたお前と一対一で戦ってみたいものだ」

 

「私は、強いのですか・・・?

 私はただ、この子達を守りたかった。

 せめて、最後に残った沙代だけは・・・

 私には、それだけでした・・・」

 

「そうか・・・

 実は、もう一つ話がある。

 獪岳はここには戻って来ない。

 強くなりたいという本人の希望だ」

 

「そうですか、獪岳が・・・分かりました。

 彼の才能は、このような場所に収まるものではありませんでした。

 お金と機会さえあれば、と何度考えた事か・・・

 貴方のような強い人がいるなら安心です。

 ところで、最後に彼と話すことはできますか?」

 

その言葉に、行冥の背後に隠れていた子供がビクッと震えた。

 

「・・・・・・」

 

「・・・だ、そうだ。

 獪岳、話せるか?」

 

そう言うと、戸口の方から彼の声だけが聞こえてきた。

 

「・・・悲鳴嶼さん。

 こんなに、強かったんだな・・・

 目も見えないのに・・・」

 

「獪岳!怪我は無事なのか!?」

 

怪我を推して立ち上がろうとする行冥を、獪岳の声が制止する。

 

「来るな!・・・来ないでくれ。

 俺は、もうここには戻らないと決めたんだ。

 もう二度と、殺されるのを待つだけの弱者にはならない!

 俺は、強くなると決めたんだ!」

 

去りゆく決意を前に、行冥は力なく腰を下ろした。

 

「・・・そうか。

 すまない、私がもっと強ければ・・・」

 

「・・・悲鳴嶼さんは、俺を認めてくれた。

 それだけで十分だ」

 

ぽろぽろと、行冥の瞳から涙がこぼれ落ちる。

 

「・・・そうか、元気でな。

 最後に助けを呼んでくれて、ありがとう獪岳」

 

「ッ俺は!・・・俺が!!!

 生き延びるために、みんなを・・・!!

 この鬼を・・・」

 

胸の前で手を合わせながら、こぼれ落ちる涙を止めようともせず、行冥は泣き続けた。

 

「・・・知っている。

 この鬼が楽しそうに喋っていた。

 皆が殺された事は、腸が煮えくり返る思いだ・・・

 しかし、私はお前一人が死ねば良かったとは思わない。

 それにお前は戻って来た。心強い助っ人を連れて。

 この鬼がなんと言おうと、私はお前を認める」

 

「ッ!!

 悲鳴嶼さん・・・沙代・・・」

 

バタンーーー

そこが限界だったのだろう。

戸の向こうで獪岳の倒れる音がした。

 

「獪岳!?」

 

「待て、行冥。

 獪岳は片腕を失い、大量の血を流している。

 止血はしたが、危険な状態に変わりはない。

 俺が医者に連れて行く」

 

「ッ!!

 彼を、頼みます」

 

「心配するな。

 生きる事に関しては油虫より図太い。

 ・・・また会おう、行冥」

 

 

 

戸口の外、壁にもたれ掛かるようにして倒れている獪岳を背負う。

 

『術式展開・羅針』

 

朝日が昇るまでの間、最短経路で街へと戻る。

 

悲鳴嶼行冥。

久しく見なかった強者の名前を心に刻みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・夜分にすまない、急患だ」

 

「貴様、どうやってここを見つけ出した!

 とっとと帰れ!」

 

「まあ!大変な大怪我だわ!!

 愈史郎!早く治療の準備を!!」

 

「はい!珠世様!!」




獪岳は、自分の行いを最後の最後まで謝りません。
しかし、自分を認めてくれた悲鳴嶼さんの事は認めています。
そして、例えどんな理不尽であっても、強者には従う習性を持っています。


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上弦の壱

第17話
Side: 黒死牟


「ただいま戻りました、無惨様」

 

六ツ目の剣士が音もなく書斎に現れ、

片膝をついて即座に臣下の礼を取る。

 

「ご苦労。それで?」

 

スーツ姿の男。

鬼舞辻無惨は立ったまま本を読みつつ、報告を聞いていった。

 

「結論から申し上げて・・・

 猗窩座自身に謀反の心配はないかと・・・」

 

「そうか」

 

会話と、パラパラとページを捲る音だけが、静かな室内に落ちていく。

 

「はい、このひと月観察しましたが・・・

 強い人間を探す事と自らの修行・・・

 猗窩座の行動は、それだけでした・・・」

 

「私の見立ては正しかったようだな」

 

「はっ・・・ただ・・・

 人間であろうと鬼であろうと・・・

 強き者に重きを置いていることが・・・

 少々、気掛かりでした・・・」

 

パタンーーー

本を閉じる音がして、パラリとまた次の本を開く音が響く。

 

「人間に情を寄せないかとお前は危惧するわけか」

 

「御意」

 

「構わん。捨ておけ。

 それより猗窩座は強くなっていたか?」

 

「間違いなく成長しております・・・

 これまでの修行で何か掴んだのか・・・

 完全に気配を絶っていた私を・・・

 幾度か牽制してきました・・・」

 

「ほう!

 偶然ではないのか?」

 

そこで初めて無惨は顔を上げた。

 

黒死牟は強い。

上弦の壱、というのは伊達ではない。

修練の果てに会得した感覚で、予知のような先読みができる。

 

気取られるという事は、有り得ない筈だった。

 

「あの距離からの攻撃、偶然ではあり得ませぬ・・・

 元々、闘いに身を置く者・・・

 殺気の感知には優れておりましたが・・・

 人間との交流で、何かを掴んだのでしょう・・・」

 

「なるほど。

 透き通る世界とやらは?」

 

「そこまでは、まだ・・・

 入り口には立っていると思いますが・・・」

 

「未だその程度か。

 血戦をすれば序列が変わると思うか?」

 

「今であれば、必ず私が勝ちましょう・・・

 童磨も相性がいいので負けぬでしょう・・・

 しかし十年後は、正直分かりませぬ・・・」

 

「十年か」

 

本を捲る音が途切れ、主人が思考に浸る時間を、黒死牟は静かに見つめていた。

次に主人が口を開いた時、その実現に全力を尽くすのみ。

 

おそらく台風の目は猗窩座になるだろう。

 

「私は“変化”が嫌いだ。

 殆どの場合、それは“劣化”に他ならない。

 序列が変わるのは、いつも新たな配下が加わった時だけだ。

 序列から落ちた者が、血戦によって地位を取り戻した例を、私は見たことがない」

 

「はい・・・」

 

「しかしごく稀に、“進化”する者もいる。

 私とお前がそうだ。

 あの最強の剣士との邂逅を経てなお、生きること、前に進むことを諦めなかったゆえに、今がある。

 私は弱点の一つを克服し、お前は透き通る世界を会得するに至った。

 だが、黒死牟。再びあのような者がこの世に生を受け、私たちの前に立ちはだかったとして、お前は勝てるか?」

 

「それは・・・

 申し訳ありませぬ・・・」

 

最強の鬼の全身が、ぶるりと震えた。

それは武者震いか、あるいは・・・

 

「良い。許す。

 あのような男が、この世にそう何人も現れてはたまらぬ。

 だが、もしもの時は、私は過去を克服しなければならない。

 そしてあの男を前に立てる者は、今は私とお前だけだ」

 

「はっ・・・」

 

「二人ならば戦えるだろう。

 しかし勝てるかと問われれば、断言できぬ。

 私たちは限りなく完璧に近い生物だが、未だ先があるのだ」

 

その時、無惨の表情に浮かんだのは、怒り。

生涯で唯一、天敵とも言える相手への、冷めやらぬ激情だった。

 

「・・・お前があの男を葬った後、日の呼吸の使い手は二人で念入りに絶滅させた。

 実に、呆気ないものだったな」

 

「はい・・・」

 

「生まれながらの強者は、その技術を伝える事はできても、決して同じ高みに導く事はない。

 鬼狩り共に赫刀の使い手がいないのがその証拠だ。

 故に私は、配下の鬼から進化する者が出てくるのをずっと待っていた。

 才だけでなく、向上心を持ち、努力する精神を持った者を」

 

「猗窩座に、その兆しがあると・・・」

 

「少なくとも、嘗て私に忠実でいながら、

 鬼の呪いを解いた者はいなかった。

 もしかすると、私たちの領域まで這い上がってくるかもしれぬ」

 

「では・・・」

 

「十年も要らぬ。五年だ。

 五年後に猗窩座と童磨の血戦を行う」

 

「はっ・・・恐れながら・・・

 無惨様にお願いしたき儀がございます」

 

「構わん。言ってみろ」

 

「私も、猗窩座と手合わせしたく・・・」

 

「・・・なるほど。

 ではこうしよう。

 上弦の序列を一対一の勝ち残り戦で決める。

 観戦は自由だが、参加できるのは五年後の上弦六名のみ。

 自分より上位者に勝った者、最後まで勝ち残った者には望みの褒賞を取らせる。

 采配は黒死牟、お前に一任する」

 

「はっ!有り難き・・・」

 

「些細が決まれば連絡しろ。

 十二鬼月を集める」

 

「はっ!

 委細、お任せください・・・」

 

「それと、黒死牟。

 時間が足らぬと思うなら、お前から猗窩座に助言しても良い。

 お互い、意地もあろう。

 どうするかは任せる」

 

「はっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「縁壱、お前から唯一逃げ果せた主と共に・・・

 私は・・・過去を乗り越えてみせる・・・

 たとえ、お前の生まれ変わりが現れようと・・・

 お前以外の者に、私は負けるわけにはいかない!

 そうだ・・・そのためであれば私は・・・」




無惨様の雰囲気がちょっと変かもしれません。
もし、唯一認めるビジネスパートナーと二人だけの場があれば、案外まともな事を言うんじゃないかなという妄想です。

子供猗窩座が放った空式の先に、実は黒死牟がいました。
ただ、威力の落ちた攻撃が当たるわけもなく、猗窩座は気のせいだったか?と思っています。

ちなみに黒死牟が本気で殺気を消せば、猗窩座からは絶対に発見できません。
今回は単純に、猗窩座の探知範囲が異常拡大していたことを知らなかっただけです。


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弱さ

第18話
Side: 獪岳


目の前に鬼の顔がある・・・

 

俺を虫けらのように殺そうとした、憎い鬼の顔が。

 

力なく項垂れるその顔を、拳で思い切り殴りつける。

 

殴る。

「死ね!」

 

殴る。

「死ね!」

 

殴る。

「死ね!!」

 

既に意識も無いのだろう。

口から虚なダミ声が漏れる。

 

ダミ声が漏れる度ーーー

衣服が、

手が、

足が、

かまいたちにあったかのように浅く切られ、血が流れ落ちる。

 

「つッッッ!」

 

切られた瞬間は熱いが、それだけだ。

傷口も浅い。

 

自分が路傍のゴミのように見下されていた、あの目。

殺そうが殺すまいが己の気分次第という、あの瞳。

自尊心を木っ端微塵に打ち砕かれた、あの瞬間。

あの時の心の叫びに比べれば、なんて事はない!

 

アレだけ恐ろしい存在感だった鬼が、今はもう怖さを感じない。

 

弱い!

弱い!!

なんて弱い!!

 

思い切り脚で蹴った。

「とっとと死ね!」

 

落ちていた石で頭からぶん殴った。

「俺は虫ケラとは違う!」

 

目を、鼻を、口を、大きな石で殴りつけた。

「俺はお前とは違う!!」

 

鬼からはもう、一滴の血も流れなかった。

 

「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」

 

 

 

手が痛い。

足が痛い。

血が滲み出ていた。

 

視界が霞む。

血を流し過ぎたかもしれない。

 

「・・・・・・?」

 

視界が明るくなった気がして、

ふと、空を見上げる。

暗かった空の色が、青に染まっていく。

 

「あ・・・・・・」

 

ほんの数瞬前まで燃え盛っていた、汲めども尽きぬ怒りの炎。

それなのに、自分でも驚くほど自然な、落ち着いた声が漏れ出ていた。

 

暁降ちーーー

空が、世界が青い光に照らされて見える。

どこまでも広がる青、青、青。

 

言葉が出ないほどに、綺麗だった。

 

そして見上げた空は大きかった。

ちっぽけな寺に立つ自分が、殊更ちっぽけに見えた。

 

何か、小さな自分が洗い流されていくような、不思議な感覚だった。

 

「・・・強くなりたい・・・」

 

視界が滲む。

 

「ギィ、ゥゥゥゥゥゥ・・・」

 

視線を落とす。

日の出が近い事を感じ取ったのだろう。

動くことすら出来ず、ただ呻き声をあげるだけの鬼がいた。

 

小さかった頃、セミの羽を引きちぎった時の事を思い出す。

気まぐれな子供の機嫌一つで死んでしまう、ちっぽけな虫けら。

そう思ってしまえば、不思議ともう、どうでも良かった。

 

「・・・・・・」

 

鬼は間もなく消滅する。

 

どうせなら、罪の意識も一緒に消して欲しかった。

 

 

 

 

 

夜明け前の境内を歩く。

 

小さな黒い影がいくつも倒れていた。

 

子供の死体。

 

今朝までは、元気に走り回っていた顔が浮かぶ。

 

近づくに連れて、みんなの姿が鮮明に見えてくる。

 

「・・・グ・・・うぐ・・・」

 

オレガコロシターーー

 

ソウダ、オレガコロシターーー

 

オレガ鬼ヲヨビコンダーーー

 

「・・・グゥ・・・ゥゥゥ・・・」

 

あの青い空を見てしまったからーーー

 

頭がズキズキと痛みを訴える。

 

視界が滲んで、何も見えなくなる。

 

あの時は、こうする他に生き延びる道は無かった。

あまりにも無力だった。

 

鬼は、もうすぐ消える。

けれどもそれは結果論で、あの時感じた絶望から言えば、夢物語に過ぎない。

 

俺の現実、俺の罪は、間違いなくここにある。

 

誰が悪い?

俺が悪いのか?

いや、そんな事はない!

殺したのは鬼だ!

鬼が悪いんだ!

 

「ククク・・・俺はガキの肉が好きなんだ」

 

嫌だ!

死にたくない!

 

「ガキ、一人か?・・・馬鹿なヤツだ」

 

嫌だ!

死にたくなかった!

 

「ククク・・・どんな声で泣き叫ぶか、楽しみだなァ」

 

嫌だ!

俺は死にたくない!

 

「一撃だ。

 この一撃を避けられたら、お前を認めてやる」

 

堂々たる立ち振る舞いをした、別格の鬼。

 

「彼の才能は、このような場所に収まるものではありません」

 

「最後に助けを呼んでくれて、ありがとう獪岳」

 

悲鳴嶼さん・・・

 

「全力を出せ!!!」

 

右手!?

俺の右手がーーー!!?

 

 

 

 

 

「ハッ!?」

 

「フン、やっと起きたか」

 

ぼんやりとした頭で、声のした方を見る。

 

全く知らない男がそこにいた。

 

薄青藤色のショートヘアに、シャツの上から白袴を着た少年が立っている。

 

「お前は大怪我をしていた。

 ここに運ばれたので治療をしたが、数日間意識がなかった。

 ちゃんと覚えているか?」

 

大怪我。

という言葉に反応して、右手を見る。

そこには慣れ親しんだ腕が存在しなかった。

 

左手で、残った右肩を掴む。

 

「・・・はい。覚えてます」

 

「ふむ、記憶の混濁も無し、と。

 体の方は後で詳しく検査する。

 珠世様に報告してくるから、少し待っていろ」

 

 

 

 

 

誰も居なくなった部屋。

 

一人になった途端、失った右腕がズキズキと疼き始めた。

 

「イタい、イタい、イタい。

 でも、そうか・・・

 やっぱり、夢じゃないのか・・・」




獪岳→大怪我で寝てた
珠世→日々の業務・薬の作成中
愈史郎→珠世に言われて頻繁に患者を診ていた
猗窩座→愈史郎に言われて隠れ家を離れていた


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悲鳴嶼さん

第19話
Side: 悲鳴嶼行冥


「あの人は化け物

 みんなあの人が

 みんな殺した」

 

脳内で沙代の言葉が何度も何度も繰り返される。

 

命を賭して鬼と戦ったというのに、

今の自分は何なのだろう。

 

「沙代にだけは、労って欲しかった

 ありがとう、と言って欲しかった」

 

誰もいない牢屋の中に、独白が溢れる。

 

消えた鬼。

血塗れの私。

7人の子供の死体。

 

まさかと思う沙代の告白によって、

この身は容疑者として牢屋へと入れられた。

 

碌な弁明もできず、この身は刑を待つばかり。

もし無実が証明出来なかった時、命は無いだろう。

 

脱力感が全身を覆う。

分からない。

何も分からない。

 

「子供はいつも、自分のことで手一杯だ」

 

まだ4歳の子供。

恐怖に怯えるのは、仕方のないこと。

 

それでも、この仕打ちはーーー

と考えてしまう。

 

「子供はいつも、周りの事なんて見ていない」

 

鬼は塵と消え、その存在を証明できるものは何もない。

幸いだったのは、何かを拘束していた痕跡が残っていたこと。

拘束痕のある死体は無かったこと。

 

「鬼の存在を知る人がいれば・・・」

 

鬼の伝承を知ってはいても、鬼がどういう存在なのかを知る者はいなかった。

しかも、私は目も見えないのに素手で倒してしまった。

 

助けてくれたあの人でさえ、初めて見たと言っていた。

この事実が、私の話を余計に荒唐無稽なものとしていた。

もはや誰も信じてはくれないだろう。

 

「確か、猗窩座、と言っていた。

 あの人と獪岳が証言してくれれば・・・」

 

しかし獪岳は腕を失い、意識を失うほどの出血だったと言う。

医者のいる人里は遠い。

治療に時間も掛かる事だろう。

 

沙代の証言で、皆が私を恐れていた。

子供たちは、喉を掻き切られて死んでいたらしい。

 

「私は人殺しではない!

 その上、あの子達を殺した罪で裁かれるのだけは!

 私には耐えられない!!」

 

誰も近寄ろうとしない座敷牢。

重犯罪者のみが入れられる牢屋に、悲鳴嶼行冥の叫びが消えていく。

 

 

 

取調べに多少の疑問点はあったものの、

鬼の存在を知らず、また唯一の生存者の証言を鑑みて、

悲鳴嶼の味方をする者は、誰もいなかった。

 

また、唯一の証人たる獪岳は治療中。

猗窩座も獪岳の治療中は、愈史郎の

「もし珠世様を危険に晒したら、二度と治療しない」

という言葉に従って身を潜めていた。

 

「あんな小さな子供たちを殺すような

 人間が生きているなんて許せない。

 人殺しは早く殺してくれ」

 

そんな声も後押しして、あと一日遅ければ、悲鳴嶼は死刑を執行されるところだった。

 

だがその日、類稀なる直感に従って、鬼と対する組織の当主は動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君が人を守るために戦ったのだと

 私は知っているよ。

 君は人殺しではない」

 

『嗚呼、この人は私が一番欲しかった言葉を・・・』

 

藤棚に紫の花が咲き乱れる場所で、

守り抜いた子供からは化け物と呼ばれ、

人殺しと呼ばれた悲しき男・悲鳴嶼行冥は

鬼殺隊当主・産屋敷耀哉と出会う。

 

悲鳴嶼行冥、18歳。

産屋敷耀哉、14歳。

 

この時、悲鳴嶼は産屋敷の立ち居振る舞いを見て、

己より四つも歳が下だとは思えなかったと言う。

 

 

 

 

 

第一章 鬼と呼ばれた男-終-




第一章のテーマ。
鬼と呼ばれた男、鬼上司たる無惨様の登場会。
表の主人公は猗窩座。
裏の主人公は悲鳴嶼さんです。


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幕間 本当の言葉
本当の言葉 壱


第20話
Side: 沙代


みんな、殺された・・・

ひめじまさんは許しても、わたしは許さない・・・

 

 

 

あの後、ひめじまさんと一緒にみんなを埋めてお墓を作った。

時間がなくて、文字の入っていない板を立てただけのお墓が七つ。

 

朝、村の人が来て、話をした。

 

「こんな血まみれになって、何があったんだ?」

 

だから、ぐるぐる巻きになった方を指差して、伝えた。

 

「あの人は化け物。

 みんなあの人が、みんな殺した」

 

でも、村の人と一緒に見た時、あの化け物は消えてしまっていた。

 

それから、事情を聞くと言われて、

ひめじまさんが連れて行かれてしまった。

 

ようぎしゃ?

どういう意味?

分からない。

 

みんな、身寄りなんていない。

ひめじまさんは、大人の話が終わったら帰ってくる。

 

そう、思っていたのに・・・

 

 

 

日が沈んでも、ひめじまさんは帰って来なかった。

 

その夜。

一人の夜は、とても怖かった。

なんでひめじまさんは帰って来ないんだろう?

 

もう一度、鬼が来たらーーー

今はひめじまさんも、誰もいない。

 

私も、みんなみたいに・・・

みんなみたいに動かなくなる!!

 

物音を立てると、鬼が来るんじゃないかと怖くなって、家の端っこの方でじっと静かに座っていた。

ぜんぜん眠れなかった。

 

長い、長い夜が明けた。

次の日、別の村の人がやって来て告げた。

 

「沙代ちゃん。

 もう安心して良いよ」

 

どういう意味だろう。

そう思っていると、その人は続けた。

 

「悲鳴嶼は捕まった。

 だから、もう安心して良いんだよ。

 ひとまず、この寺から離れて・・・」

 

ひめじまさんが捕まった!?

 

「え・・・いぁ・・・」

 

声が!?

声が出ない!!

 

「ぃぇ・・・いぁ・・・」

 

ダメ、ちがうの・・・

そうじゃなくて、ひめじまさんが、なんで・・・

 

「よしよし・・・

 よっぽと怖い目に遭ったんだね。

 でももう大丈夫。大丈夫だよ」

 

ちがう・・・ちがう・・・

だれか、ひめじまさんを・・・

ひめじまさんをたすけて!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご飯はおいしかった。

お布団も暖かかった。

よく眠れた。

 

でも、声が出なかったから、

誰もひめじまさんの事を教えてはくれなかった。

 

そんな時、家の外から立ち話が聞こえて来た。

 

「おい、聞いたか?

 子供達が殺された寺の話・・・」

 

「ああ、本人は鬼が出たと言っていたらしいが」

 

「鬼なんかどこにもいなかったと聞いたぞ」

 

「生き残った小さな子供がかわいそうだ・・・」

 

「念のため、墓を掘り起こしてみたら、本当に子供たちは殺されていたらしい・・・」

 

「結局、犯人は誰なんだ?

 鬼なんて本当にいるのか?」

 

「伝承の話か。分からん。

 少なくとも知り合いに見た者はいない。

 しかし、事実として子供たちは殺された。

 生き残った子は、みんなが殺されたのを見ていたらしい。

 今は声も出なくなっているそうだ・・・」

 

「かわいそうに・・・

 よほど怖い目に遭ったのだろう」

 

「このままいけば、悲鳴嶼が犯人。

 という事になるのか?」

 

「金目のものも残っていたし、盗人の仕業でもないらしい。

 それに見つかった時、悲鳴嶼は全身血塗れだったそうだ。

 他に容疑者がいないとなれば、そうなるだろう」

 

「子供たちを引き取っていたのは、

 わざわざ殺すためだったのか?」

 

「怖いな・・・」

 

「ああ。だが、今は大旦那様の座敷牢にいる。

 そう怖がることもないさ」

 

「しかし、目も見えない人間が、

 わざわざそんなことをするかね?」

 

「相手が子供なら、目が見えなくても・・・」

 

「まるで鬼だな・・・」

 

 

 

 

 

気付いたら、村の人の家から抜け出していた。

 

走って走って、走り抜いた。

 

どこを走ったのか分からない。

気付いたら夜になっていて、みんなのお墓の前にいた。

 

『みんな、お願い!!

 ひめじまさんをたすけて!!!』

 

 

 

「おい、そこの子供。

 沙代、と言ったか。

 行冥はどこへいった?」




沙夜が一人で夜を過ごす間、村の大人たちはビビってました。

猗窩座の活躍により、村人にも疑念を抱く人もチラホラ。
しかし証拠がないので・・・


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本当の言葉 弐

第21話
Side: 猗窩座


未だ襲撃の痕跡が残る境内に、ポツンと一人佇む幼い影。

行冥の後ろに隠れていた子供が、そこに立っていた。

 

「ーーーーーー!」

 

俺の声に振り返るなり、すぐに近付いてきて、

服の袖を引っ張りながら、何かを訴えようと口を開く。

 

しかし、声が出なかった。

 

口は動く。

手も足も問題なく動いている。

しかし、話す時に喉が動いていない。

 

「ショックで声を無くしたか。

 俺の言葉は分かるか?」

 

「ーーー!」

コクコクと頷いて返す。

 

「よし。声以外は問題ないな。

 獪岳が意識を取り戻した。

 行冥がどこにいったか知らないか?」

 

「ーーー!!」

ふるふると首を振る。

 

眉を寄せたと思ったら、袖を引っ張る力が強くなる。

この辺りに気配がない事は分かっているが、何か情報を知っているのかもしれない。

 

「どっちの方角だ?」

 

「ーーー!」

コクリと頷いて、指を刺した。

 

小さな指が示す先。

人里から離れた場所に、大きな屋敷が建っている。

 

「分かった。お前も来るか?」

 

「ーーー!」

コクコクと頷く。

 

「口を開くな。掴まってろ」

 

軽く沙代を抱き上げると、屋敷へと向けて地面を蹴る。

瞬間、夜空に姿が消えた。

 

大地を蹴り、枝を蹴り、幹を蹴り、風となって夜空を駆け抜ける。

 

 

 

瞬く間に屋敷の前に立っていた。

 

「着いたぞ」

 

そう伝えると、沙代は胸にしがみついていた手を離し、パッと地面に飛び降りる。

辺りをキョロキョロと見渡して場所を確認すると、再び袖を引っ張り始める。

その行き先は大きな屋敷ではなく、離れの方に向かっていた。

 

「なかなか良い度胸だ。

 その先だな?」

 

声の代わりに、大きく頷く。

二人して屋敷の裏手へと回った。

 

人目に付かないような場所に、木造の格子が見えてくる。

 

「・・・牢屋か。

 沙代、ここに何かあるんだな?」

 

「ーーー!」

コクコクと頷いて、袖を引っ張る力が強くなる。

 

「ちょうど誰もいないな・・・」

 

遠慮なく手刀を振るい、木格子を外す。

手足で薪が割れるのだから、この程度のことは容易かった。

 

牢屋の中を眺める。

最近までここに人が閉じ込められていたような、生活の気配があった。

 

よくよく床を見れば、誰かが正座していた跡のようなものが見える。

その正座の跡から、だいたいの脚の大きさが読めてくる。

 

おかしい。

この脚の大きさには見覚えがあった。

 

「まさか、ここに行冥が?」

 

「ーーー!」

コクリと頷く。

 

「人間の悪意が牙を剥いたか。

 しかしそうなると、行冥の命は・・・」

 

「ーーー!!」

ふるふる、ふるふると首を振って、涙を流す。

 

「そうだ。まだ殺されたと決まったわけではない。

 しかしそうなると、この屋敷が怪しいな・・・」

 

「ーーー???」

頭をコテンと傾けて疑問を浮かべる。

 

「行冥が誰かに陥れられたとしたら、

 犯人は土地の権利を狙う人間の可能性が高い。

 そういうヤツらは、大抵大きな屋敷に住んでいるものだ」

 

「ーーー!!!」

プンプン!怒ってます!というような表情。

 

思わず苦笑が漏れる。

しかし、笑ってばかりもいられない。

 

ここから先は、鬼の時間だ。

膝を着き、沙代と目線を合わせる。

 

「沙代、お前は家に帰れ。

 ここから先は俺一人で探る」

 

「ーーー!!」

ふるふる、ふるふると首を横に振る。

 

「危険だ。それに、足手纏いになる。

 お前は家に帰れ」

 

「ーーー!!」

瞳に涙を浮かべながら、首を横に振る。

 

「分かった。後で結果は伝える。

 だから今日のところは家に帰れ」

 

「ーーー!!」

いやいやと、首を横に振り続ける。

 

「・・・何故そこまで嫌がる?」

 

「いえ、いあ、あー。

 あーう、あいお。

 あーいあ、あーいお」

声にならない声が、微かな音となって空気を震わせる。

 

「・・・何が言いたいのか分からん。

 しかし、鬼をも恐れぬ気概は気に入った。

 一緒に来るなら、命の保証は無い。

 それでも付いて来るか?」

 

「ーーー!」

コクリと頷く。

 

「分かった。

 しばらくの間、お前を守ってやる。

 俺から勝手に離れるなよ」

 

「ーーー!」

首に手を回し、抱きついて来る。

 

「・・・チッ」

首にしがみ付く沙代を、そのままくるりと背中に回し、右手だけで背負う格好になる。

 

「いくぞ。

 しっかり捕まって、口を閉じていろ」

 

膝にグッと力を込め、一瞬で屋根瓦の上へと飛んだ。

 

「ここから先は、絶対に物音を立てるな。

 いいな?」

 

「ーーー!」

コクリ。

 

二階の窓を開け、そのまま静かな闇の中に溶け込んでいった。



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本当の言葉 参

第22話
Side: 猗窩座


忍び込んだ天井裏は、人が余裕をもって歩ける広さの空間が広がっていた。

 

つま先を梁にかけ、ゆっくり体重をかけていく。

 

軋む音すらしない。

なかなか良い木材を使っているようだ。

 

強度を確認したところで、

後ろに付いてくる沙代へ、音を抑えて声をかける。

 

「沙代、俺の背に乗れ」

 

「ーーー!」

コクリと頷き、飛び乗って来るのを、右手でしっかりと背負う。

 

振り向かないままに、静かに告げる。

 

「ここからは絶対に物音を立てるな。

 壁や柱にも当たらないようにしろ。

 言う事を聞かずに落ちた時は、死ぬと思え」

 

「ーーー!」

真剣な表情になり、沙代はコクリと頷き返す。

 

「行くぞ」

 

スッ、スッ、スッーーー

 

柱に手を当てながら、物音一つ立てずに梁を渡っていく。

 

スッ、スッ、スッーーー

 

緊張しているのだろう、掴まっている首が少しずつ絞まってくる。

大の大人でも苦しいと感じる締め付け。

 

しかし、数多くの柱の刃が届かなかった上弦の首である。

生半可な硬さではない。

 

「・・・・・・」

 

一通り歩けるところは見終わった。

その中に、どこからも入る経路の見つからない空間がある。

 

『壁か、この先が怪しいな・・・』

 

器用に梁と梁に足をかけ、地に体重を下ろし、

素流の構えを取る。

 

『術式展開・羅針』

 

足下に雪の結晶のような紋様が浮かび上がる。

その紋は木目を伝い、瞬時に家中へと広がって消えた。

 

『やはりそこか・・・』

 

所詮は木材。

柱を傷つけぬよう、静かに真っ直ぐ手刀を振るい、スパッと壁をくり抜いて穴を開ける。

 

音を立てぬよう、くり抜いた壁をそっと横に置いておき、穴の中へと侵入する。

 

いる。

おそらくは行冥の行き先を知る人間が真下にいる。

 

穴を開けて中を覗くのは愚策。

耳をすませば、無駄に大きな声が天井裏まで聞こえてきた。

 

「チッ・・・

 産屋敷とやら、面倒な事を・・・」

 

「だが、これであの土地には誰も・・・

 この一帯は手に入れたも同然・・・」

 

「邪魔者の悲鳴嶼もいなく・・・

 あとは、あの子供さえーーー」

 

ガターーー!

 

止まる間もなかった。

居ても立っても居られず、背中から飛び降りたらしい。

 

「ーーー!?!?」

 

しかし降り立った天板の脆さを知らず。

 

バキバキバキバキーーー!!

そのまま板をぶち抜いて、沙代は部屋に落ちていった。

 

「何事だ!?」

 

まさか落ちるとは思っていなかったのだろう。

上手い着地などできる筈もなく、落ちた際に足を挫いたらしい。

沙代は蹲って、ただ目の前の男を睨み付けていた。

 

『チッ・・・

 これだから後先を考えない子供は・・・』

 

「ーーー!!!」

 

一方、落ちて来た子供の顔を見るなり、驚いた表情から一変。

男は不敵に笑った。

 

「・・・愚かなガキだ。

 わざわざ自分から殺されに来たか」

 

「むーーーーー!!

 んーーーーー!!!」

 

動けず、声もあげられないその姿を見て、男は嗜虐心をそそられたのか、完全に警戒を緩めて話し始めた。

 

「・・・私が憎いか?

 そうだ。あの土地を頂くために、

 無実の罪で悲鳴嶼を捕まえたのは私だ」

 

「むーーーーー!!!」

 

「だが、結果的にそれを成せたのは・・・

 沙代、お前のお陰よ」

 

「ーーー!?」

 

「私たちが寺に辿り着いた時、お前は言ったな」

 

『あの人は化け物

 みんなあの人が

 みんな殺した』

 

「ーーー!?」

 

「まったく、どこまでもバカな子供よ。

 お前達の言う化け物は、どこにも居なかった。

 あの場にいたのは、血塗れの悲鳴嶼行冥と、お前だけ」

 

「ーーー?!」

 

「ありがとう、沙代。

 お前の証言が、悲鳴嶼を容疑者にしたのだ。

 ・・・私の言っていることは、分かるな?」

 

「ぃぇ・・・ぃぁ・・・ちが・・・」

 

「ククク、バカなりに理解したようだな!

 邪魔が入ったお陰で死んではいないが・・・

 もう二度とこの地へ戻る事はあるまい。

 私の計画を遮る者は、もういないということだ・・・」

 

「わた・・・ちが・・・」

 

「最後にキサマを、ここで殺せばな!!!」

 

飾ってあった剣を取り、無慈悲に振り下ろす。

 

「死ね!!!」

 

 

 

パキィィィィィィィィィィイイイン!!!

 

振り下ろされた刃が半ばから折れ、壁に突き刺さる。

 

「然らば」

 

貫手による刺突。

 

「カハッ・・・なん・・・だ・・・と」

 

ズン!

仰向けに倒れた死体。

胸には、綺麗な穴が開いていた。

 

「バカは貴様だ。

 行冥は、お前のような弱者がどうこうできる者ではない」

 

何一つ理解できなかったのだろう。

目を見開いたまま倒れているニンゲンは放っておいて、沙代の方を振り返る。

 

「まったく、落ちたら死ぬと伝えたーーー」

 

「ひ!・・・ヒュ・・・ヒュ・・・」

 

呼吸すらままならず、こちらを見るなり、ガタガタと震えるだけの子供がそこにいた。

 

「・・・そうか、俺が怖いか。

 ・・・だろうな。それが普通だ」

 

左手の中には、まだ赤く脈打つ心の蔵が握られている。

赤い血の滴るそれを掲げ、ポタポタと垂れる血を口に含む。

 

「・・・ふぅ。

 こんなクズの血でも、人間の血は、

 いったい何年ぶりになるかーーー!?」

 

 

 

ドクンーー!!

 

赤い・・・

 

紅い・・・

 

久し振りのニンゲンの血ーーー

 

「ぐ・・・これは・・・!?」

 

心臓が強く脈打つ!

 

抗えない衝動が全身を駆け抜けていく。

 

まるで鬼になったばかりの頃のように、流血から目を離せない。

 

「く・・・グ・・・」

 

ドクンーーーーー

 

『血を啜れ!』

 

ドクンーーーーー

 

『血を喰らえ!!』

 

ドクンーーーーー

 

『ニンゲンの血を喰らえ!!!』

 

「カッ・・・ガ!・・・グ・・・」

 

視界が真っ赤に染まる。

全身の血の一滴に至るまで、鬼の食人衝動が身体を動かし始めた。

 

『ニンゲンの血を喰らい尽くせ!!!』

 

「グゥ・・・グ・・・ガァ!」




唐突な鬼ムーブ!!
たぶん、新鮮なハツが嫌いな鬼はいないと思うんだ。


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本当の言葉 肆

第23話
Side: 沙代


ぐるぐると目の前が回って、何も考えられなくなる。

 

『ひめじまさんは、わたしのせいで・・・?』

 

ぐるぐる、ぐるぐると落ちていく。

 

『わたしのせいで、殺されそうになったの・・・?』

 

ぐらんぐらんと、地面が傾いていく。

 

『わたしのせいで・・・みんな・・・』

 

ぐわんぐわんと、耳鳴りがひどくなる。

 

『みんな・・・みんなが・・・』

 

目の前が赤く染まっていく。

 

『助けてくれた、あの人まで・・・』

 

声が出ない。

 

『ダメ・・・!』

 

何も話せない。

 

『ダメ・・・!!』

 

何も言えない。

 

『ダメ・・・!!!』

 

何も伝えられない。

 

『みんな助けて!!!』

 

 

 

 

 

 

 

「・・・えっ?」

 

まただ。

また、気付いたらお墓の前にいる。

 

でも周りにはなんにもない。

 

真っ白な場所。

 

なんだか、世界がふわふわしてる。

 

「沙代」

 

聞こえるはずのない声に、思わず振り向いた。

 

『えっ?』

 

「沙代・・・

 悲鳴嶼さんなら、元気にしているよ」

 

『どうして・・・?』

 

「悲鳴嶼さんは、優しい人のところにいるよ」

 

『・・・みんな?』

 

「・・・・・・大丈夫」

 

『みんな!』

 

「さーちゃん、ずっと一人でこわかったねー」

 

『みんな!みんな!』

 

「でも、その人はこわくないよ」

 

「全然こわくない」

 

『お姉ちゃん!』

 

「沙代。

 悲鳴嶼さんは心配いらないわ・・・

 だからもう、あなたは我慢しなくていいの」

 

『待って!みんな、どこ!?』

 

「じゃあな、沙代」

 

「はくじって人にもよろしく」

 

「・・・・・・生きて」

 

「さーちゃん、ばいばい」

 

「ばいばーい」

 

「元気でね」

 

「その人を、頼んだわよ」

 

その世界は薄く薄く、真っ白に包み込まれ、

真っ白に弾けたーーー!

 

『狛治さんを、頼みます・・・』

 

 

 

 

 

 

 

「だめえええええええええええええええ!!!!!」

 

「な!?」

 

閉ざされていた音が、響いた。

 

動かなかった喉が、震えた。

 

諦めていた声が、届いた。

 

スーーーッと

鬼気の食人衝動が周囲から薄れていく。

 

「・・・沙代、お前・・・」

 

「絶対にだめなの!!」

 

「お前、声が・・・」

 

「食べちゃだめなの!!!

 わかった?」

 

「・・・ああ、分かった。

 こんなクズは、もう食わない」

 

掌の上のモノを、放り投げる。

ぽっかり開いた穴。元々あった場所に、ストンと落ちる。

 

「約束する?」

 

「ああ、約束だ」

 

「嘘付いたら?」

 

「別にどうもしない。

 鬼は嘘吐きだからな」

 

「はくじさん!

 約束をやぶっちゃ、だめなの!!」

 

「ーーー!?」

 

「大事な約束は、やぶっちゃだめ!」

 

「沙代?

 お前・・・?」

 

「約束は守るものでしょ!?」

 

「あ・・・ああ、そうだな。

 約束は、守らないとな・・・」

 

「む〜〜〜〜〜〜〜」

 

「・・・・・・なんだ?」

 

「む〜〜〜〜〜!

 うそつきのにおいがする!」

 

「!!?」

 

「あなたからは、うそつきのにおいがします!

 だから、うそをつかないように、これからはわたしが見張ります!」

 

「・・・好きにしろ」

 

「好きにする〜〜〜」

 

「気のせいか・・・?

 ・・・はぁ、子守は苦手だ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「獪岳、キライ」

 

「・・・猗窩座さん、どうして沙代がここに?」

 

「・・・なりゆきだ」

 

「ふっくくく。

 しかし、ずいぶん懐かれてますね・・・」

 

「・・・言うな。俺は知らん」

 

猗窩座の頭の上から、元気に顔を覗かせる沙代。

 

「しかし、あの人見知りの沙代が、こんなにも人に懐く姿は、悲鳴嶼さん以外で初めて見ましたよ」

 

「人見知り?

 コイツはそんなタマじゃない。

 初めから馴れ馴れしかったぞ?」

 

「そうですか?

 では、よほど好かれたんでしょう。

 それで、連れ帰ったということは、育てるんですか?」

 

「・・・コイツのおかげで行冥が無事な事も分かった。

 その過程で、行冥と沙代を殺そうとした地主を殺した。

 いまさら、帰るところもない。

 それに、気になる事もある・・・」

 

「気になること?

 沙代がですか?」

 

「そうだ。それが分かるまでは、しばらく預かろうと思う。

 俺がいない間は、獪岳。お前に任せるぞ」

 

「・・・嘘、ですよね?

 顔を見るなり、ひと言目がキライ。ですよ?

 聞いてましたよね?」

 

「獪岳、キライ!」

 

「ほら!」

 

「獪岳、お前は心が弱い。

 だから最初はそこらの鬼の巣に放置してやろうと考えていた・・・」

 

「えッ!?」

 

「しかし、お前は運がいい。

 沙代が元気に育っている限り、お前に修行を付けてやる事にしよう」

 

それを聞いた獪岳。

見惚れるような、綺麗な土下座ポーズを決める。

 

「分かりました。

 謹んでお受けしましょう。

 ・・・沙代、俺を許せとは言わん。

 だが今だけはよろしく頼む」

 

「絶対、いや!」

 

「・・・やっぱり無理そうです」

 

「馬鹿野郎、それくらいで折れるな。

 ・・・行冥が許したんだ。

 心を尽くせ。いつか許してくれるさ」

 

「い〜や〜な〜の〜!!」

 

 

 

「ほらね、愈史郎。

 私の言った通りでしょう?

 あの男は、鬼舞辻や他の鬼とは違う」

 

「たしかに、少し変わってますね」

『ああ、珠世様は今日もお美しい・・・』

 

 

 

 

 

幕間 本当の言葉-終-




幕間の内容は、元々のプロットだと二話くらいで終わる予定でした。
後半はノリと勢いで生まれています。
さて、どうなることやら・・・


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第二章 鬼の弟子
鬼の弟子


第24話
Side: 猗窩座


夜闇に紛れ、剣戟の音が山奥に響き渡る。

 

「小賢しい鬼だ!

 姿形を変えたとて、鬼殺隊の目を逃れることなどできぬと知れ!」

 

「ほう。素晴らしい闘気だ。

 貴様、柱だな!!」

 

豪快で力強い太刀筋。

しかも隙が無い。

 

決して手を抜いているわけではない。

しかし、あと一歩が踏み込めない。

 

間と隙の作り方が抜群に上手い。

戦いの最前線で磨き上げられたものだということが分かる。

 

鬼の不死性を活かし、無理やりもう一歩踏み込んだ。

 

殴った筈の腕が斬り飛ばされる。

 

思わず口端が上がる。

 

「良いぞ!!

 ならこれはどうだ!?」

 

空に飛び上がり、瞬時に復元した両拳を振るう。

 

『破壊殺・空式』

 

無数の衝撃波が空から剣士を襲う。

 

対する剣士は、ここで初めて呼吸を技に乗せた。

 

「炎の呼吸、肆の型ーーー」

 

『盛炎のうねり』

 

ガガガガガッ!!!

 

全ての衝撃波を、炎波打つ渦状の斬撃が撃ち落とした。

 

ストンーー

その様を見ながら、静かに大地に立つ。

 

「素晴らしい技だ。

 炎の呼吸の柱と出会うのは初めてだな」

 

「お前のその強さ、十二鬼月だな。

 しかも人間の格好をしている・・・」

 

「これは失礼した。

 弟子が服装にはうるさいんだ」

 

右手で顔を覆い、和装を脱ぎ捨てる。

上弦の参として、男の前に立ちはだかった。

 

「俺は猗窩座。

 お前の名は何と言う?」

 

「煉獄槇寿郎だ」

 

「では槇寿郎。

 どうしてここへ来た?

 ここは俺ともう一人しか知らぬ、死者の眠る地。

 お前のような柱が来る場所ではない」

 

「そのもう一人から聞いたのだ。

 この地に強い鬼がいたとな。

 その強さ、お前がそうだな?」

 

「そうか・・・あの馬鹿が。

 それで、アイツは鬼狩りになったのか?

 それともーーー」

 

「鬼に教えるはずがないだろう!

 貴様の首は、ここで俺が貰い受ける!」

 

「・・・なぜだろうな?

 柱たちはみな、人の話を聞かない」

 

「当然だ。鬼は殺す。

 それ以外はない」

 

「槇寿郎、お前は強い。

 だが、この闘争に集中し切れていない・・・

 問うが、何を焦っている?」

 

「!!!」

 

力強い剣線が煌めき、斬られた手足が瞬時に再生する。

 

「愚問だったな、良いだろう!

 ならば、お前を倒して聞けば良いだけのこと!」

 

腰を落とし、右掌を前に、左拳を引く素流の構えを取る。

 

『術式展開』

 

足元へ、雪の結晶の紋様が浮かび上がって消える。

 

『破壊殺・羅針』

 

鬼気が高まり、瞳が金色に輝く。

 

『破壊殺・砕式ーーー』

 

右手を振りかぶり、思い切り大地を砕く。

 

『万葉閃柳』

 

大地が砕け、円環紋様のひび割れが走る。

 

「チッ!」

 

咄嗟に飛び上がって避けた相手の動きを、金色の瞳が追いかける。

 

『破壊殺・脚式ーーー』

 

大地から気を吸い上げるように、右脚に気を込める。

 

『流閃群光』

 

一、二、三、四、五!!!!!

上方向に向け、瞬時に五度。

蹴り上げられた脚先から気が爆発する。

 

「炎の呼吸、参ノ型ーーー」

 

身動きの取れない空中。

間断なく襲い来る爆発的な闘気の圧に対し、剣士は次の技を放つ。

 

『気炎万象』

 

振り下ろされる太刀筋は弧を描き、炎の軌跡が閃光を撃ち落とす。

 

「これが上弦の強さか!!」

 

受け身では勝てないと見たか。

大地に着地するや否や、そこから剣士は攻勢に出た。

 

燃え上がる炎のような羽織を風にはためかせ、一直線に突き進む。

 

「壱の型、不知火!」

 

一閃。

袈裟斬りに斬り込む。

 

「良いぞ!槇寿郎!

 もっとだ!

 全力を出せ!!」

 

ドン!!!

 

技と技が真正面からぶつかり合う。

 

空気が、震えた。




この親父、昔はカッコ良かったんですよね・・・

というわけで、
『ダメ親父を今一度、洗濯いたし申し候』


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炎柱

第25話
Side: 猗窩座


大地に足を付け、剣を大きく振りかぶる。

 

「炎の呼吸、伍の型ーーー」

 

『炎虎!!!』

 

その太刀筋が生み出すは烈火の猛虎。

燃え盛る虎が、敵を切り刻まんと牙を剥く。

 

 

 

「素晴らしい闘気だ!槇寿郎!」

 

素流の構えから、無数の突きを繰り出す。

 

『破壊殺・乱式!!!』

 

その全ての拳に闘気を乗せて爆発させる。

圧縮された拳圧が、無数の衝撃波を生み出す。

 

 

 

ドドドドドン!!!!!

ぶつかり合った衝撃が、周囲の木々を大きく揺らす。

 

 

 

舞い上がった土煙が晴れていく。

 

「ハァ、ハァ・・・」

 

全身から血を流しながらも、一つとして致命傷を負っていない炎柱の姿がそこに立っていた。

 

「・・・槇寿郎、お前は強い。

 今まで出会った柱の中でも別格の強さ。

 しかも、本調子ではない」

 

「ハァ、ハァ、ハァ・・・ふぅ」

 

「槇寿郎、何を焦っている?

 俺たちは、強い者には敬意を払う。

 それが自然の摂理だからだ。

 見ろ。お前の力強い斬撃も既に完治した。

 怪我も病気も、鬼ならば瞬く間に治せる」

 

「!?」

 

「鬼になろう、槇寿郎。

 お前も人間の限界を感じた事はあるだろう。

 鬼になればもっと強くなれる。限界を超えられる。

 報復を恐れるなら、お前の家族は俺が守ってやる。

 だからーーー」

 

「くっ・・・否!断じて否!俺は炎柱!

 炎柱の煉獄槇寿郎!!

 鬼になるくらいなら、俺たちは共に死を選ぶ!」

 

「・・・そうか、残念だ。

 何がお前を悩ませているのかは分からないが、

 俺は全力のお前と戦いたかった・・・」

 

「要らぬ世話だ!

 鬼に心配される筋合いなどない!」

 

「そうか・・・

 ならば速やかに制圧し、

 慶吾の行方を聞き出すとしよう!」

 

心静かに、構えを取る。

より深く深く、根を張るように大地を踏みしめ、腰を落とす。

目を閉じ、鬼気を集中させていく。

 

「ォォォォォオオオオオオオ!!!!」

 

まるで冬景色のように、雪の結晶が周囲に舞い降りる。

 

綺麗な景色に見えたのも束の間。

恐ろしい風切り音が空から鳴り響く。

 

『術式展開ーーー』

 

ドォン!!!

 

ダウンバースト。

猗窩座を中心に極度の冷気が空から降り注ぎ、周囲を凍てつかせていく。

 

草木も枝葉も、大地さえ、雪の結晶に包まれていった。

 

 

 

炎柱は目の前の事象を呆然と眺め、背筋が凍るのを感じていた。

燃え盛るような特徴的な髪が、毛先から凍り付いてゆく。

 

「ああ、そうか・・・。

 許せ、杏寿郎、千寿郎。

 大した才能もない己は、ここまでのようだ」

 

瞳を閉じる。

大切な人の顔が浮かんでは消えていく。

 

心の奥に小さく残ったもの。

それは、ちっぽけな男の矜持に過ぎない。

 

この身は炎柱。

心を燃やしてこそ、炎。

 

『お館様、御免!』

 

剣を肩に担ぐようにして大きく身体を捻り、奥義の構えを取る。

 

「すぅ〜〜〜〜〜」

 

ゴオッ!!!

 

周囲に陽炎が揺らめく。

赤熱した炎が全身から立ち昇る。

 

「炎の呼吸、奥義!!!」

 

『瑠火、先に逝く』

 

「玖の型 煉獄!!!」

 

大地を蹴り、目にも止まらぬ速さで突き進む!!!

 

 

 

「終わりだ、槇寿郎!!」

 

両の拳に闘気を圧縮させ、散弾銃のように爆発させて撃ち出す。

 

『終式・青銀乱残光』

 

無数の光がパッと花開いたかのように流れる。

それは、超高速で繰り出される、百発もの連撃だった。

 

 

 

 

 

瞬間、懐かしい声が響いた。

 

「師匠〜〜〜!!!

 ストップ!ストップ!!ストップ!!!」




戦闘終了。


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悪巧み

第26話
Side: 猗窩座


大の男を背負った和装の鬼。

懐に荷物を抱えた和装の人間。

 

不思議な組合せの二人。

珠世達の隠れ家へと襲来した。

 

「珠世!愈史郎!

 急患だ!!開けてくれ!」

 

「すみません!

 血が流れ過ぎて、今にも死にそうなんです!」

 

愈史郎はイライラしていた。

 

毎度毎度、どこから患者を拾ってくるのか。

何の連絡も寄越さず、いきなり現れては治せと言うばかり。

 

子供に、幼児に、今度は何だ?

ただでさえ沸点の低いこの男は、有り体に言えば怒っていた。

 

「五月蝿いぞ!猗窩座!!

 何度も言うが、珠世様を危険に晒す真似はやめろ!

 いったい今度はどんな患者・・・だと!?」

 

愈史郎の背後から、スッと珠世が姿を表す。

担がれている人間を一見して、目を見開いた。

 

「!!・・・この方は・・・」

 

「その隊服、鬼殺隊の人間じゃないか!

 そんな危険人物を連れて来るな!

 珠世様を危険に晒す気か!?」

 

喚き続ける愈史郎に対し、猗窩座の斜め後ろに立っていた慶吾が腰を低くして訴える。

 

「すみません!すみません!

 ウチの師匠がすみません!!

 でもお願いします!!

 この人を死なせるわけにはいかないんです!」

 

「この髪、この羽織。炎柱の一族ですね。

 しかし柱ともあろう方が、いったいどうして?」

 

ぺこぺこと頭を下げる弟子に対して、無愛想なこの男。

「ハァ」とひと息吐くと、バツが悪そうに顔を逸らして答える。

 

「・・・すまん。調子に乗ってやり過ぎた。

 治せるなら、なんとか治してやって欲しい」

 

もちろん、その言葉を聞き逃す愈史郎ではない。

 

「はぁぁぁぁあああああ!?

 加害者はお前か!?」

 

至極もっともな反応である。

不詳の弟子は、今度は地面に頭を埋め込む勢いで頭を下げる。

 

「すみません!すみません!ホントすみません!

 吹き飛んだ手足は氷に漬けて持って来ました!

 これでなんとか繋げられないでしょうか?

 この人の奥様は不治の病で死にそうなんです!

 まだ小さなお子様もいるんです!

 だから何とか治してあげてください!!」

 

「・・・不治の病に、子供か。

 この男が背負っているものは分かった。

 しかし珠世様に危害を加える可能性がある人間をーーー」

 

そこに、小さくも確かな声が響く。

 

「愈史郎」

 

「はい!」

 

珠世の瞳は目の前の男ではなく、どこか遠くを見ているようだった。

その焦点が、愈史郎へと向けられる。

 

「そういう事情であれば、できる限りのことはやってあげましょう」

 

「分かりました!珠世様!」

 

そのあまりにも綺麗な手のひら返しに、慶吾の顔が怪訝に歪んだ。

 

「・・・師匠、なんなんですか?コイツは?」

 

耳打ちする慶吾に対し、猗窩座は諦めたように答える。

 

「・・・そのうち慣れる。

 腕も良いし、悪いやつではない」

 

そんなコソコソ話を鬼の聴覚が聞き逃す訳もなく。

愈史郎の罵声が飛んだ。

 

「そこの馬鹿二人!

 無駄に喋る暇があれば患者を運ぶのを手伝え!」

 

「!そうでした。師匠、急ぎましょう!」

 

「分かった。

 珠世、恩に着る」

 

無愛想だが、猗窩座の声には僅かな安堵の色が混じっていた。

 

「私はまだ死ぬわけには参りません。

 もしこの方に私が斬られそうになったらーーー」

 

「俺が必ず止める」

 

「・・・分かりました。

 あなたの強さを信じましょう。

 でも、次はやり過ぎないでくださいね」

 

そう言って微笑む珠世に、猗窩座は再びバツが悪そうにそっぽを向いた。

 

「猗窩座ぁ!!

 珠世様と楽しく喋ってないで、

 とっとと患者を治療室に運べ!!

 今夜は徹夜だぞ!!」

 

「では、よろしくお願いしますね」

 

「ああ、分かった」

 

勝手知ったる他人の家。

猗窩座は真っ直ぐに治療室へ向かった。

背中に残る微かな命の灯火を感じながら。

 

「槇寿郎、死ぬな・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、それとーーー」

 

「なんだ?」

 

「この方の治療がひと段落ついたら、一つお願いがあるのですが」

 

そう言って振り返る珠世の表情は、悪巧みを企てる鬼そのものだった。




ここから少し話が飛びます。

ちなみに慶吾が平謝りしているのは、事の発端が自分にあって、もし二人が戦えばこうなると分かっていたから。


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炎柱の葛藤

第27話
Side: 槇寿郎


い草の香る和室に、綺麗な声色が響き渡る。

 

「槇寿郎。あなたが無事で本当に良かった」

 

その言葉を耳にするだけで、心地良さに心を揺さぶられる己がいる。

 

綺麗な顔立ちに、14とは思えぬ佇まい。

着物に羽織姿の若い男が目の前に座している。

 

稀代の鬼殺隊当主、産屋敷耀哉。

まるで未来を見通すかのような人並外れた直感と決断力で、資産を大きく伸ばし、鬼殺隊を非公式ながら政府にも認めさせた傑物。

その頭脳は全ての隊士の顔と名前を記憶しており、声の持つカリスマ性も相まり、クセの強い隊士達や柱達の心の支えとなっている。

 

「百年以上、情報すら掴めていない上弦の鬼。

 その参と交戦したと聞いて、ずっと心配していた。

 さあ、私にも元気な顔を見せてくれないか?」

 

尊敬すべき主人の言に、じっと下げていた面を上げる。

 

「じゃあ、聞かせてくれるかな。

 ここ数日で、あなたの身に何があったのかを」

 

「はい、実は・・・」

 

一度は失ったはずの両足と右手。

下弦の鬼とは比べ物にならない強さを持つ、真の上位者。

圧倒的な強さに加え、驚嘆すべき再生力を持つ上弦の参。

 

義手義足ではない、本物の自分の手足の感覚。

それを施した珠世という鬼と、そこで見た信じられない出来事について、槇寿郎は詳らかに話した。

 

信じられないけれども、事実として起こったこと。

それに伴って生じた心の変化。

 

悩みに悩んで、それでも答えの出ない問いを、ずっと心に問いかけながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の見たことは、以上になります」

 

全てを語り終えると、槇寿郎は剣士の命とも言うべき刀を目の前に置き、再び頭を下げた。

 

「私の処分は如何様にも。

 ただし、家族には寛大な処置を賜りますよう、伏してお願い申し上げます」

 

目の前に置かれた刀を、産屋敷耀哉は大事そうに撫でた。

 

「ありがとう、話を聞かせてくれて。

 槇寿郎の話を、私は全て信じるよ」

 

「しかし、お館様ーーー」

 

産屋敷耀哉は口に人差し指を当てて、槇寿郎の言い分を遮ると、ゆっくりと話し始めた。

 

「今から話すことは、時が来るまでは、私と煉獄家だけの秘密にして欲しい。

 実は、珠世さんの存在は産屋敷家にも伝わっているんだ。

 始まりの呼吸の剣士がいた時代、彼女はどうやってか無惨の呪いを解いたらしい。

 そして今も、鬼舞辻無惨に復讐するために、この国のどこかに潜んでいると」

 

「そんな、まさか・・・

 しかし、そう考えれば腑に落ちる点が・・・」

 

「私は槇寿郎の話を聞いて確信したよ。

 珠世さんは鬼だけど、私たちの敵じゃない。

 無惨討伐に際しては、寧ろ協力し合える余地がある」

 

「しかし、彼女もまた鬼です」

 

「そう、その通り。だから、槇寿郎。

 時が来るまでは内緒にしておいて欲しい。

 直接見た君はともかく、他の柱は納得しないだろうからね」

 

「はい。ことは隊の士気に関わります。

 それに、彼女は例外中の例外でしょう。

 彼女のような存在が他にもいるとはーーー」

 

「そう、まさにそこなんだよ、私が聞きたいのは。

 次は私から質問をしてもいいかな?」

 

「はッ!何なりと」

 

「上弦の参、猗窩座。

 彼は、私たちの敵なんだろうか?

 それとも、味方になり得るのか?

 直接交戦した君の率直な意見が聞きたい」

 

「お館様、それはーーー」

 

それは悩みの中心の、正に核心だった。

意を決し、お館様に話を切り出そうとした瞬間ーーー

 

 

 

トントントンーーー

 

 

 

襖が叩かれる音がして、あまね様の声が聞こえてきた。

 

「お話中、失礼致します。

 煉獄瑠火様がご到着されました」




煉獄瑠火さん。
公式情報が少な過ぎて、妄想の産物になりそう。
割り切って、進めるしか。


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煉獄夫妻とお館様

第28話
Side: 槇寿郎


「来たようだね。ちょうど良いところだから、

 そのまま部屋まで入ってもらえるかな?」

 

「承知致しました」

 

あまね様の声が聞こえてから2分ほど経った頃、下座側の襖の向こう側から、声がした。

 

「お館様、失礼致します」

 

襖を開けた先には、座礼をした着物姿の女性。

 

その女性が顔を上げると、お館様の息を呑む音が聞こえた。

 

不治の病による闘病生活が嘘のように、血色の良い肌色。

艶やかな口元に、肌荒れ一つ見当たらない顔立ち。

後ろで括った長い黒髪は、若い頃の艶を取り戻したかのよう。

 

穏やかな中に一本芯の通った、凛々しい赤い瞳は変わらないまま。

蒼い花柄のあしらわれた着物の裾から覗く手は健康そのもので。

その体は力強い若さに満ち溢れていた。

 

「・・・本当に、瑠火・・・なのかい?」

 

ポカンと口を開けて固まる、お館様の珍しい姿。

 

「はい。正真正銘、煉獄槇寿郎の妻。

 瑠火でございます」

 

その言葉を耳にして初めて、お館様はゆっくりと頷いた。

 

「そうか、そうか・・・

 良かった、瑠火。良かった、槇寿郎・・・」

 

僅か4歳にして当主の座に就かざるを得なかったお館様は、常に落ち着いていて周囲に慌てる姿など見せた事がない。

そんな、滅多に感情を見せないお館様が、声を震わせていた。

 

 

 

 

 

お館様の希望で、お館様の目の前に槇寿郎と瑠火は並んで座っていた。

 

「私は今、奇跡を見ているのだろう。

 だけど、瑠火。君の姿を見て感じたことをありのまま言うけれど、その身体には、何か秘密があるような気がする。

 ・・・ここでの話は他言無用にするから、教えてくれないか」

 

瑠火はチラリと槇寿郎を見る。

槇寿郎が頷き返すのを見て、覚悟を決めた。

 

「仰る通りです。

 私の肺はほとんど壊死しかかっており、その治療には、僅かですが鬼の細胞が使われたと聞きました。

 そのため、直接日の光を浴びても死にませんが、1時間以上日向にいると少しずつ呼吸が苦しくなり、やがて満足に動けなくなります。

 とは言え、日傘を差していれば長時間の外出も出来ますし、鬼舞辻無惨の呪いもありません。

 そしてもう一つ、この身体は血を必要としません。

 普通に年老いていきますし、日輪刀でなくても、斬られれば死ぬそうです」

 

「そうか・・・

 教えてくれてありがとう。

 槇寿郎も、死ぬほど悩んだだろう。

 よく話してくれたね」

 

槇寿郎はその言葉に頭を下げる。

 

「買い被りです、お館様。

 笑って下さって構いませんが、私は愛する人を失うことが何よりも、死ぬよりも怖かった。

 今ここにいる事さえ、妻が一緒でなければ、果たしてどうだったか・・・」

 

瑠火もまた頭を下げる。

 

「私も同じです。お館様。

 鬼の力を借りてまで生きることの意味・・・

 私もまた、幼い子供たちがいなければ、夫と共に果てていたことでしょう」

 

お館様は全てを包み込むように、優しく語りかける。

 

「槇寿郎、瑠火も・・・良いんだよ。

 我ら一千年の悲願は、全ての元凶たる鬼舞辻無惨と、人に仇なす鬼。

 それに相対するものは、姿形がどうあれ、私は同志だと思っている。

 珠世さんのようにね。

 今後もし、鬼の中から鬼殺隊の者が現れたとしても、その心が善で、人を食べないのであれば、私は受け入れるつもりだよ」

 

お館様の前にいると、今まで不安だった心が安らぐのを感じる。

その心のままに、深く頭を下げる。

 

「お館様のお心に、深く感謝致します。

 煉獄家一同、本日より尚一層、お館様と共に死力を尽くす所存です」

 

お館様は微笑んで「ありがとう」と言うと、改めて居住まいを正した。

 

私たちにも緊張が走る。

 

「私の代で、必ず鬼舞辻無惨を殺す。

 これは私の決意であり、そのためならば、この身を擲つ覚悟がある。

 そして今、状況が動きつつある。珠世さんの事だけではない。

 鬼舞辻をも動かしかねない、大きなうねりのようなものを感じるんだ」

 

お館様の直感が、何かを掴もうとしている。

それは、どれだけ強い柱であろうと、どれだけ権力を持った者であろうと、余人には到底測り得ぬもの。

 

「実は最近、とても有望な子が鬼殺隊に入ってくれたんだ。

 悲鳴嶼行冥、というんだけれど、初めて鬼と遭遇して、夜明け近くまで素手で殴り続けたらしい。

 しかも彼、盲目なんだ。信じられないだろう?

 でも私は彼から直接その話を聞いて、これは真実だと感じた」

 

「正直、俄には信じがたい話ですが、他ならぬお館様の直感であれば、信じる他ありませぬ。

 いずれその者が柱となった時、全ては証明されるでしょう」

 

「そうだね。その行冥が言っていたんだ。

 夜明けの直前、既に殺されたと思っていた子の一人を連れて、助けに来てくれた人がいたと。

 その者は猗窩座と名乗り、鬼の生態を熟知していたらしい」

 

言うなれば、幼少から常に死と隣り合わせに生きてきたお館様だけが、生きるために身につけた閃きの力。

悲鳴嶼行冥という有望な者を見つけられたのも、常軌を逸するように神経を使ってのことだろう。

 

「瑠火。率直な意見を聞かせて欲しい。

 君から見て、猗窩座という鬼はどう感じたかな?」

 

「猗窩座、狛治さんのことですね・・・

 とても優しく、そして悲しい方だと思います」

 

「狛治と言うのは?」

 

「彼が人間だった頃の名前です」

 

「そうか・・・

 人間時代の名前を使う鬼なんて、初めて耳にしたよ。

 彼は、人間の記憶をちゃんと覚えているんだね」

 

「はい。そのようです。

 病弱な父親をよく看病していたと言っておりました」

 

「たしかに、今思えば、妙に手慣れていたな」

 

「今日は体調が良いんだ。

 二人とも、少し長くなっても構わないから、

 その話、詳しく聞かせてくれるかい?」

 

「はい。

 では、私が目覚めてから、初めて狛治さんとお会いしたところからーーー」




煉獄瑠火。
彼女の存在抜きに、槇寿郎を魔改造する事は出来ないと思います。


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狛治さんと慶吾さん

第29話
Side: 瑠火


「だから、師匠〜。

 その件はもう何度も謝ってるでしょう?

 いい加減に許してくださいよ〜」

 

小動物のように、狛治さんの後ろをちょこちょこと歩き回る少年。

 

「何度も言わせるな、慶吾。

 俺は許すと言っているだろう。

 強くなるためには、お前が何をしようが構わない。

 強い柱と戦えた事にも感謝している」

 

狛治さんの方は、慶吾と呼んだ少年の方を見向きもせず、ズンズンと歩いていた。

 

「だから、そこじゃなくて〜。

 戦いを止めた事、絶対根に持ってるでしょう?」

 

「それは・・・・・・許さん」

 

ボソッと囁くような呟きはしかし、離れていても普通に聞こえる声量である。

それだけで、表裏のない人柄が垣間見えた。

 

「ほら〜〜〜〜〜」

 

「しつこいヤツだ。

 これでも感謝している。

 俺は槇寿郎に死んで欲しく無かった。

 圧倒的な力で捩じ伏せるつもりだった。

 だが、最後の奥義・・・槇寿郎は、死ぬつもりだった。

 もしお前が止めなければ、珠世でも治せたかどうか・・・」

 

「師匠・・・

 それって、タテマエですよね?」

 

ピキッ。

そんな音が聞こえてきそうなほど、狛治さんのこめかみに青筋が立っていた。

 

胸の前で、左手の指を一本一本曲げてパキパキと鳴らす。

 

「ほう?

 今夜は久し振りに100人組手と行こうか」

 

「いーやーでーすー!!

 100人って、全部師匠じゃないですか!?」

 

「そうだが?」

 

「『そうだが?』じゃないですよ!

 どこが100人組手なんですか!?」

 

「ちゃんと構えや技を変えているだろう?」

 

「あーもう!これだから脳筋の人たちは!!」

 

「大丈夫だ、慶吾。すぐに慣れる。

 何事も登山だと思うから疲れるんだ。

 底無し穴に転がり落ちると思えばいい」

 

「だから、いーやーでーすー!!

 それってオレに選択肢は無いって事じゃないですか!?」

 

「慶吾、弟子に選択肢などある筈がないだろう?

 もしそんなものがあるとしたら、それはお前が弟子でなくなった時だけだ」

 

「あー」「うー」と頭をガシガシ掻きながら、慶吾くんは折れた。

 

「あー、もう!分かりましたよ。

 じゃあ夜のために、今から準備して来ます!

 新しい罠、楽しみにしておいてくださいよ!」

 

「ようやく諦めたか。怠け者め。

 お前こそ、覚悟しておけよ。

 槇寿郎には不発に終わったがーーー」

 

「オレを殺す気ですか!?!?」

 

狛治さんは慶吾くんに対して、ニッコリと笑った。

 

「勘違いだよ、慶吾。

 俺はお前の限界を見極めているだけ。

 お前が手を抜かなければ死ぬことはない。

 それに・・・」

 

「それに?何ですか?」

 

「ここには珠世もいる。

 俺には医術の事は分からないが、槇寿郎のように、手足が欠損したくらいでは死にはしないだろう」

 

 

 

『あの人の手足が!?』

 

そう思った時には、私は動き出していました。

一人用の病室の外に出ると、狛治さんと慶吾くんが並んでいて、驚いた様子でこちらを見ていました。

 

「あの人は、槇寿郎さんは無事なの!?」

 

しかし、その時は分かりませんでしたが、治療直後の身体です。

急に視界がぐるっと歪んだかと思うと、急に床が近付いてくるのをどうすることもできませんでした。

 

 

 

「慶吾!珠世さんだ!」

 

「分かりました!」

 

痛みはありませんでした。

おそらく、倒れる私を狛治さんが支えてくれたのだと思います。

 

「・・・すみません。

 お手間を、かけて・・・」

 

意識を失う前に視界に映ったのは、狛治さんの悲しげな表情でした。

 

「何故、謝る?

 病で一番苦しいのはお前だ。

 ・・・今は無理をするな」




分かりづらいですが、瑠火は鬼の細胞を取り込むことによって、いくつかの能力を得ています。
部屋の外の様子が視えたのも、そのお陰です。


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狛治さん 前編

第30話
Side:瑠火


「この修行バカども!!!」

 

その日、溜まりに溜まった愈史郎さんの怒りが、屋敷全体を揺るがした。

 

「お前らが次々に患者を連れて来るから、珠世さんも俺も大変なんだ!

 いったい誰がみんなの食事まで見ていると思っているんだ!!

 慶吾と獪岳!お前らは働いて日銭を稼げ!!

 猗窩座と沙代!お前達は患者の対応や機能回復を手伝え!!

 従わない者は、明日から飯抜きだからな!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、またここに来たのですか?」

 

「・・・これも仕事だ。

 槇寿郎は死んでも俺の助けは受けたくないと言う。

 沙代とは仲良くやっているようだが」

 

「夫は柱の中でも上位の強さでした。

 剣士として、男の意地があるのでしょう。

 敗れた相手に助けられて、今は戸惑っているだけだと思います」

 

「そういうものか」

 

「あなた、勝負に負けた事は?」

 

「・・・チッ」

 

「あるようですね。

 それなら、その負けた相手に手を差し伸べられたら、どうしますか?」

 

「・・・・・・・・・殺す」

 

「ほら、そういうことですよ」

 

「忌々しいが、理解した」

 

「・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

窓から覗く外の風景には、

朝からしとしとと雨が降り続いていた。

 

無言の空間に、静かな雨音が聞こえてくる。

 

そんな静かな時間も、すぐに終わる。

きっとこの人は、人と話すのが好きなのだろう。

 

「元気になったら、したい事はあるか?」

 

「そうですね。

 一番は子供達の成長をこの目で見届けることです」

 

「お前たちの子か。きっと強くなるだろう。

 名前は何だ?覚えておきたい」

 

「それは・・・今は内緒にしておきます」

 

「そうか、警戒心の強い事だ。

 だが『今は』という事なら、いずれまた聞くぞ」

 

「ええ、それで構いません。

 あなたと、珠世という方は、他の鬼とは少し違うようですから」

 

「当たり前だ。

 そこら辺の雑魚と一緒にするな。

 珠世も、あれほどの腕を持つ医者はいない」

 

『そういう意味ではないのですが・・・

 まぁ、良いでしょう』

 

「私は、いつ夫と会えますか?」

 

「病気が完治したと珠世が判断した時だ」

 

「そうですか・・・」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

「・・・その病気は感染る可能性があると聞いた。

 俺や珠世は平気だが、槇寿郎は人間だ。

 完全に治ったと判断するまで待て」

 

「・・・分かっております。

 それでもせめて、ひと目と思っただけです」

 

「・・・分かった。

 見るだけで良いんだな。

 それなら、少し待っていろ」

 

「え?あの・・・?」

 

そのまま何の説明もなしに、すたすたと部屋を出て行ってしまう。

 

それから、外で騒がしい音が聞こえてきたと思ったら、今度は赤色の奇妙な目の模様が描かれた紙切れを持って戻ってきた。

 

「あの、何を・・・」

 

「少し目を瞑っていろ」

 

夫をも退けた鬼が近づいてくる。

いざ生きられると思ったら、また子供達に会えると考えたら、私に触れようとするその手が怖かった。

 

でも、実際に額に当たる手の感触は、まるで昔から病人の看病に慣れているかのような優しい手つきで、不思議と今触れているのが鬼だという事を全く感じさせなかった。

 

夫のように、日々の鍛錬を欠かしていないことが分かる手。

 

「目は瞑ったままでいい。

 見えるだろう?」

 

目は閉じたままだと言うのに、視界が広がっていく。

『これは、廊下?

 廊下を歩いているの?

 扉の取手が目線より上にある・・・』

 

低い視点は、まるで子供の視点で世界を見ているかのよう。

 

いえ、実際に視界を共有しているのでしょう。

視界の低さを考えると、おそらく沙代ちゃん。

なんて不思議な・・・

これが、血鬼術・・・

 

そして、扉を開いた先には、ベッドの上に座って外を眺めている、夫の姿があった。

こちらを見ると、少し表情が和らぐ。

 

何かを話しているようだけど、音は聞こえない。

見えるだけ。

 

それでも、四肢の殆どを失う重症だったと聞いて、ずっと心配していた心の重荷が、すっと溶けて行くのを感じる。

 

『ああ、お元気そうで良かった・・・』

 

手も足もあるその姿に、じんわりと心が満たされていく。

 

 

 

 

 

そうしてどれくらい、目を閉じていたのか分からない。

 

ふと目を開くと、病室にあの人の姿はなかった。

 

『本当に変わった鬼・・・

 害意もなければ、血の臭いもしない。

 いったい、どうして鬼になったのだろう』

 

ふと、外に目を向ける。

番傘を手に雨道を歩く和装姿がチラッと見えたような気がした。



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珠世さん

第31話
Side: 瑠火


まん丸な月が、敷地を明るく照らし出していた。

 

獪岳さん、慶吾くん、沙代ちゃんの三人が、あの人と対峙している。

夫の鍛錬の様子をよく見ていたから、なんとなく分かってしまう。

 

あの人の立ち回りは圧倒的だった。

獪岳さんはまだ力量不足。

沙代ちゃんはサポート役。

 

唯一の勝機は、全く行動の読めない慶吾くんだけ。

 

「遅い!!」

 

「獪岳!一旦引け!」

 

「ぐっ!クソ!!」

 

「慶吾、次はお前だ!」

 

「残念、そこです!」

 

「な!?

 こんなところまで落としーーー」

 

「今だ!沙代ちゃん!!」

 

「えいっ!えいっ!」

 

「チッ!!ゲホッゴホッ!!

 な、なん、ゲホッゴホッ!!

 いき、が、ゴホッゴホッゴホッ!」

 

「特製粉わさび爆弾です!

 獪岳!反撃だ!!」

 

「・・・ハッ!!

 いや、呆けてる場合じゃない!

 やってやる!やってやるぞ!!」

 

「かいがく、いけー」

 

「ゲホッゴホッゴホッ!

 き、さま、ゴホッゴホッゴホッ!

 ちょう、しに、ゴホッゴホッゴホッ!」

 

「まずい!師匠が目を瞑った!

 獪岳、引けええええええ!!」

 

「え?」

 

雪結晶の紋様が地に走る。

 

「グハッ!!」

 

物凄い勢いで殴り飛ばされた獪岳さん。

そのままの勢いで家にぶつかり、壁を破ったまま動かなくなっていた。

 

「「あ!」」

 

「かべ、こわれちゃった・・・」

 

「マズい!愈史郎さんに見つかったら・・・

 え?師匠が消えた!?逃げたな!!」

 

「お〜ま〜え〜ら〜」

 

「ゆ、愈史郎さん!?

 違うんです!これには訳がーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふっ」

 

広い敷地で遊んでいるとしか思えないやり取りに、思わず笑ってしまう。

 

「瑠火さんも、だいぶ元気になりましたね」

 

先ほどから診察をしてくれているのは、珠世さん。

鬼、という事だが、恐怖は感じられない。

彼女は人間の側に立つ存在だった。

 

息を吸ったり吐いたりしながら、診察は進んでいく。

 

「ええ、おかげさまで。

 はじめは、本当に、悩みました・・・

 息子達に、どんな顔をして会えば良いのかと。

 でも、あの子達を見ていると、色々と考えるのが馬鹿らしくなってしまって・・・

 それに、貴女のような鬼もいると知れました」

 

珠世さんの手が、肌の上から内臓の動きを丹念に確認していく。

 

「・・・私は、私のような鬼を二度と生み出さないために、研究を続けているのです。

 貴女は見ず知らずの、しかも鬼である私を信じてくれました。

 たとえこの身は鬼であろうと、信頼には信頼で応えたい。

 貴女をご主人とご子息に会わせます、必ず」

 

胸の辺りをとんとんと優しく叩かれる。

何をしているのかは分からない。

でも、信頼しているお医者さんに触れられるのは、不思議と心地よく、安心感があった。

 

「・・・貴女の苦労は、私には想像もできませんが。

 貴女の心は、人間よりも、人間らしいですね」

 

珠世さんの手が止まる。

診察を終えたのか、慣れた手つきで開けていた衣服を元に戻していく。

 

「やめてください。

 私は・・・褒められるような者ではないのです・・・」

 

和服の帯を自分で巻きなおしながら、私は提案した。

少しだけ、ずるい言い方で。

 

「・・・ねえ珠世さん。

 私が元気になったら、煉獄家にご招待させて下さい。

 もちろん、愈史郎さんも。

 恩を返すは人の道。

 どうか、煉獄家を不知恩と言わせないでください」

 

「・・・ずるいですね」

 

そう言って、困ったように珠世さんは笑った。

 

「ええ。ずるいんです」

 

自信を持って、衒わない素直な言葉を送る。

すると根負けしたように、珠世さんから笑顔が溢れた。

 

「ふふふっ・・・

 では、煉獄家の名誉のために。

 その時はお伺いさせて頂きます」

 

「ええ、喜んで。

 静かな夜に、軒先で風鈴の音を聞きながら月を眺めている時間が、とても風情があって良いんですよ」

 

「風鈴ですか・・・

 それは楽しみですね」




その後
「ちなみに、猗窩座さん達は招待されないんですか?」

「いえ、その・・・夫が・・・」

「あ、その・・・すみませんでした」


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狛治さん 後編

第32話
Side: 瑠火


晴れた日は大抵、あの人がやってくる。

 

夜は鍛錬、昼は病人の世話と、休む事を知らないような働きぶり。

 

一度「休まないで大丈夫ですか?」と尋ねたら、

「鬼は眠る必要がないし、休みたいとも思わない」と言われた。

 

「でも、偶には気分転換でもどうですか?」と言ったところ、

「今は任務の指示もないから、十分気分転換になっている」とのこと。

 

いったいどんな大変な職場なのだろうかと疑問に思ったのも束の間、よくよく考えたら上弦の参ほどの者が上司と呼べるのは、一人しかいない事に気付く。

 

気付いて、知らぬ間に、ここにいる方々にかなり毒されて来たなと苦笑が浮かんだ。

 

そう。

ここでの生活にも、だいぶ慣れてきた。

慣れてきたからこそ、心が急いてしまう。

 

早く子供たちに会いたい。

でも、今のままの姿で会って、どうしよう。

 

『せめて、元気な姿を子供たちに見せたい』

 

そんな事を考えながら、満足に動かせない身体に、もどかしさを感じていたある日。

 

 

 

とんとんと、ドアを叩く音と共に、

「瑠火、入るぞ」

と、いつもの声がする。

 

「どうぞ」

と了承を告げると、ドアが開いていく。

 

不思議な事に、今まで一度たりとも、都合の悪い時にドアが叩かれた事はなかった。

強さを極めんとする者。

おそらく何かしらの気配を敏感に感じ取れるのだろう。と結論づけ、これ以上詮索するのを止めた。

下手に藪を突きたくはない。

 

そんな不思議な力を持つ鬼が、今日はどうした事か、部屋に訪れるなり私の身体をじろじろと見つめてくる。

しかし、邪な悪意を全く感じない。

 

おそらく何かしらの意味があるのだろう。

と、目を逸らしながら妙な居心地の悪さに耐えていると、いつの間にか至近距離に来ていた彼に、不意に両肩を掴まれた。

 

「!?」

 

「瑠火!」

 

「な、なんですか?」

 

いえ、別に鬼だから怖いとか、そういう事ではないのです。

ただ、心の奥まで見通すような青の瞳に見つめられると、どうしても緊張してしまうのです。

 

「・・・そろそろ歩けるんじゃないか?」

 

「へっ?」

 

咄嗟に変な声が出てしまったのは、きっとあの人が悪い。

 

詳しく話を聞くと、ここ数日で私の身体中の血の巡りがどんどん良くなっていたと教えてくれた。

そして今日、体内を循環する血の巡り、筋肉を通る血管が元気な人間と同じくらいまで回復したと。

 

難しい事は分からなかったけれど、元気に歩けるかもしれないという期待が、微かな不安を上回った。

 

早る心を抑えながら、

「歩いてみたい」と伝える。

 

すっと履き物を用意してくれ、身体の向きを変えるのも、慣れた手つきで支えてくれた。

 

それでも、私が一歩を踏み出せずに逡巡していると、

「最初は危ないかもしれないから」と、優しく肩を貸してくれた。

 

「すぅーーー。

 ふぅーーー」

 

深呼吸を一つ。

そして、前に身体を押し出す。

 

『杏寿郎!千寿郎!』

 

ふと、二人の幼い笑顔が脳に浮かぶ。

 

無意識の内に、勢いよく前のめりに倒れそうになる私の身体を、隣の鬼はうまく力を流すように、まるでそこにいるのが当たり前だったかのように支えてくれた。

 

「よく立ったな。

 体に負担はないか?」

 

まるで地に足が吸い付いているかのような安定感。

肩を支えられている限り、私が倒れる事はないと、はっきり分かった。

 

「ええ、問題ありません。

 それより、少し歩いてみたいと思います。

 このまま肩をお借りしていても構いませんか?」

 

「構わない。好きなように歩けばいい」

 

その言葉に勇気を貰い、一歩、二歩。

ゆっくり、ゆっくりと。

足を前に、足を前に、一歩ずつ歩き始めた。

 

一歩進む。

 

楽しい。

この歩みの先に、杏寿郎がいる。

 

また一歩進む。

 

嬉しい。

この歩みの先に、千寿郎が待っている。

 

一歩進む。

 

幸せ。

この歩みの先で、槇寿郎さんが待っている。

 

まだ進む。

 

明るい。

こんなにも私は動けたのか。

 

まだまだ進む。

 

心地いい。

身体が全然苦しくない。

 

まだ歩ける。

まだ歩ける。

 

大丈夫。

私は大丈夫。

 

私はこんなにも元気ーーー

 

 

 

 

 

気付いたら、密閉された窓際に行き着いていた。

 

「猗窩座さん。

 もし私がこの窓を開けたいと言ったら、どうしますか?」

 

「瑠火・・・俺を、恨んでいるか?」

 

「・・・鬼は、憎いです。

 知り合いを何人も殺されました」

 

「そうか・・・」

 

「知り合いが一人、また一人といなくなる度に、

 この世に鬼がいなくなる事を夢見てきました」

 

「そうか・・・」

 

「何故何も言い返さないのですか?あなたは強い。

 こんな病弱な人間一人、殺すのは簡単でしょう?

 それとも、今は殺さない理由でもあるのですか?」

 

「・・・俺に、お前は殺せない」

 

「あなたは夫を殺しかけていて、

 どうして私を殺せないなどとーーー」

 

「でも恋雪・・・それだけは、出来ないよ」

 

「・・・え?恋雪?」

 

「・・・え?あ!!」

 

「・・・猗窩座さん。話して下さい。

 納得のいく話であれば、私はこの恨みを一生背負って生きていきます」

 

「・・・つまらない話だ」

 

「それは私が決める事です」

 

真剣さを声に乗せると、その思いが届いたのか。

彼は観念したかのような表情を見せた。

 

一瞬、ふっと身体が浮いたかと思うと、凄まじい早技で、私の体は病室のベッドの上に戻っていた。

しかも、全く痛みを感じさせずに。

 

この人は優しい。

その優しい人が鬼となった理由を、私は知りたかった。

 

彼は右手で和服の胸元を弄りながら、青い瞳を彼方へと向けて話し始めた。

 

「・・・ずっと昔、口先ばかりで、何一つ守れなかった男がいた・・・」

 

そうして、狛治さんは人間だった頃の話を教えてくれたのです。




正直な話、ストックが切れました。
さて、どこまで続けられるか。


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鬼殺の刀

第33話
Side: あまね


「あまね。

 僕の部屋に飾ってある刀を持って来てくれないか?」

 

「分かりました」

 

 

 

鬼殺隊当主、産屋敷耀哉。

私の夫は生まれつき身体が弱い一族で、自室に飾られているこの二振りの刀も、一度として満足に振るう事は叶わなかった。

 

扱いが下手だとか、そういう話ではない。

持ち上げて、振り下ろす。

この単純な動作さえ病弱な身体に大きな負担となり、立てないほどに憔悴してしまう。

 

鬼殺隊の魂、日輪刀。

それを生み出せるのは、刀鍛冶の里の人間のみ。

 

その刀鍛冶の長、鉄地河原家でも有名だった人が、かつて鬼殺隊当主のために、特別に打ってくれた刀。

そして今代の長、鉄地河原鉄珍さんが、身体の弱い夫のために打ってくれた脇差。

 

私が持っていても仕方ないと、常々言っていた二振りの刀。

屈強な柱の人たちが扱うには、少し短く、軽いそれ。

 

大切に降ろし、丁寧に布で包む。

私には何も感じられないけれど、持つ者が持てば、この刀はその人の資質に合わせて色を変える。

 

久し振りに訪れてくれた客人、それも柱の方を待たせてはならないと、私は日輪刀を両手で抱えると、その場を後にした。

 

 

 

 

 

「さて、槇寿郎、瑠火。

 話しづらいことも全部話してくれてありがとう。

 それで、二人はこれからどうするつもりか聞かせてくれるかな?

 私としては、君たちの意見を尊重しようと思っている」

 

「それは・・・」

 

「それは私からお話しさせて頂きたく存じます」

 

「うん。

 良いのかい?槇寿郎?」

 

「お館様。私からもお願い致します。

 もし私が妻の立場なら、同じ事を言っていたでしょう」

 

「そうか。分かったよ、槇寿郎。

 瑠火、話してくれるかい?」

 

「はい、お館様。

 私は鬼に助けられ、一命を取り留めました。

 当然、この事実を快く思わない者もいるでしょう。

 人の心を持つ鬼達に救われて得たこの力。この命。

 これからは弱き人を守るため、鬼殺隊士として全うしたく存じます」

 

「・・・槇寿郎、柱として君の意見が聞きたい。

 瑠火は隊士として、どのくらい強くなると思う?」

 

「はい。

 今すぐ最終選別を受けたとして、問題なく突破できる実力はあります。

 その後、どこまで成長するかは正直なところ、私にも分かりません」

 

「すると、既に呼吸や型を幾つか使えるのかい?」

 

「はい」

 

「それは凄い。

 日頃から君の姿を見ていたとは言え、素質がなければ成し得ない事だ」

 

「はい。私も驚いております」

 

「瑠火。君の行く道は、険難な道だ。

 意思を貫き通すための、その力。

 私にも見せてくれないか?」

 

「はい、お館様。

 私は日輪刀を持たぬ身ですが、それでも宜しければーーー」

 

「実は、君がこの部屋を訪れた時から、必要になる気がしていたんだ。

 あまね。あの刀をここに」

 

「はい」

 

襖を開け、座礼。

二振りの刀を持ち、夫の元へと届ける。

 

珍しい事に、届けられた刀の封を、夫は手ずから解いていった。

 

「瑠火。こちらにおいで」

 

「はい!」

 

産屋敷家の持つ、二振りの刀。

『鬼殺』と銘打たれた、赫く力強い一振り。

『悪鬼滅殺』と銘打たれた、短く軽い脇差。

 

「これは、私が持っていても使い道のないものだからね。

 良かったらこれを使って見せて欲しい」

 

「恐れ入ります。

 それでは、拝借致します」

 

差し出された二刀を瑠火さんが恭しく受け取ると、夫は嬉しそうに微笑んだ。

 

「槇寿郎、瑠火。今はまだ日も高い。

 刀は預けておくから、また日没頃に見せて貰えるかな?」

 

「「はい」」

 

 

 

 

 

二人が退出したのを見届けると、私は夫を抱き寄せ、膝枕の体勢になって貰った。

 

「あなた、お疲れ様でした」

 

「ありがとう、あまね。

 少し、疲れたみたいだ・・・

 もう少しだけ、このままで・・・」




煉獄瑠火の強さは、夜に限って言えば、経験値の少ない現時点でも戊に匹敵します。
鬼は夜にしか出ないので、隊士として生きるには支障ありません。


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赤き炎

第34話
Side: あまね


日没から間もない宵の口。

 

一人、赫い刀を持った瑠火さんが立っている。

その視線の先、広い庭園には試し斬り用の巻藁が並んでおり、それらをぐるりと囲うように篝火が焚かれていた。

 

「すぅぅぅぅぅぅぅーーー」

 

燃えるような呼吸は、炎の呼吸の証。

それが、女性用の黒い隊服にかかる。

私にも見えるということは、正しく強者の証。

 

「ふぅぅぅぅぅぅぅーーー」

 

彼女を最も良く見渡せる庭先に夫、産屋敷耀哉。

私と槇寿郎様がその左右に並ぶ形で座っていた。

 

本来であれば、私は一歩引くべき立場。

このような形になったのは、瑠火さんの希望があってのこと。

それについては二人とも「瑠火の頼みなら」と何も言いませんでした。

 

「・・・いきます」

 

開幕の合図は、静かな、凛とした声音と共に。

大地に膝が着くほどに腰を落とし、腰元の刀に手をかけた瞬間に始まった。

 

「炎の呼吸、壱の型」

 

『不知火!』

 

その身に炎を纏うかのような、目にも止まらぬ踏み込みからの、斬り払い。

気付けば巻藁が一つ、宙を舞っていた。

 

先日まで重病人だったとは思えぬほどの軽やかな動き。

槇寿郎様の力強い型とは異なり、軽やかで美しい型だった。

 

「次!」

 

「はい!」

 

槇寿郎様が声を掛け、それに応える形で瑠火さんは次の目標へ向かう。

 

「炎の呼吸、弐の型」

 

『昇り炎天!』

 

下段に構えた刀を、上に向けて一気に振り上げる。

その軌跡は、猛る炎の円を描く。

 

「参の型」

 

『気炎万象!』

 

振り上げた刀に追従するように飛び上がり、上段から激しく振り下ろす。

炎の軌跡は二つ目の円を描いた。

 

息つく間もない連続技で、二体の巻藁がほぼ同時に斬り落とされる。

 

「次!」

 

「はい!」

 

槇寿郎様の声に応えるように、瑠火さんの声に気合が籠る。

 

腰を落とし、腰元で刀を大きく振り被る。

 

「炎の呼吸、肆ノ型」

 

『盛炎のうねり!』

 

正面全てを薙ぎ払うかのような、炎の剣筋が描かれる。

渦巻く炎が前方の巻藁を三体まとまて吹き飛ばした。

 

「次!」

 

「はい!」

 

上体を捻り込むように、上段に構えた刀を大きく振り被る。

彼女の柔らかな身体が、引き絞られた弓のようにピンと張り詰める。

 

「すぅぅぅぅぅぅぅーーー」

 

彼女の口元から、これまでになく大きな吐息が漏れる。

 

「炎の呼吸、伍の型」

 

『炎虎!!!』

 

ヒュッ!

 

私にはその剣筋が見えなかった。

気付いたら既に振るわれていた。

 

認識出来たのは、解き放たれた剣先から烈火の如き猛虎が走り、残る五体の巻藁を全て根こそぎ吹き飛ばしてしまった。

という事実だけ。

 

パチパチパチパチーーー

 

静寂を割って、拍手の音が響く。

 

「見事だったよ、瑠火。

 死病から回復しただけでなく、この短期間で炎の呼気を身に付けるとは、見事と言う他ない。

 よほど、槇寿郎の姿を見てきたんだね」

 

瑠火さんが刀を納め、夫に向かい礼をする。

顔を上げた際に浮かべた微笑みは、母と妻、双方の強さを感じさせるものだった。

 

「槇寿郎。君の妻は、本当に凄い人だね」

 

「ありがとうございます。

 しかしお館様。まだ終わりではありません。

 続いては、演武をご覧頂きたいと存じます」

 

「まだ続きがあるのかい?それは楽しみだ。

 彼女を見ていると、私まで元気になっていくようだよ。

 じゃあ、見せてくれるかな」

 

「承知致しました。

 それでは、失礼仕ります」

 

ヒュン

風が吹いたと思ったら、瑠火さんと対峙する位置に槇寿郎様が立っていた。

 

日輪刀を履いた隊服姿。

ただ立っているだけなのに、長年柱として生き抜いてきた威風が漂っている。

 

瑠火さんとは違う。

力強く頼もしい立ち姿。

今でも彼が鬼に負けたなど、信じられない思いだった。

 

「瑠火、二刀を抜け」

 

「はい」

 

対する瑠火さんは、両手に刀!?

 

右手に赫い刀。左手に脇差を持ち、二刀をだらりと構えていた。

まさか非力な女性の身で、そのような選択をされるなんて。

流石に無謀ではないでしょうか。

 

しかも、相手は槇寿郎様。

 

どきどきしながらも、ふと夫の方を見る。

と、今日一番の真剣な瞳で、食い入るように二人を見つめる姿があった。

 

ああ、この瞳だ。

この瞳をされる時は、何かが起こる。

 

私もまた、二人の方へ視線を戻した。

 

「・・・参る!」



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剣の舞

第35話
Side: あまね


刀同士が擦れ合う音が、辺りに響き渡る。

 

「・・・綺麗」

 

それは、剣の舞だった。

些かも手加減など感じさせない速度で斬撃を繰り出す槇寿郎様と、

柳に風と、いなし、躱し、受け流していく瑠火さん。

 

まるで未来が見えているかのように、軽い足運びでサラリと動いては、左右の刀で須く攻撃を受け流していく。

 

まだ刀に慣れていないのか、少しだけぎこちなさはあるものの。

緩急を付けて力強く、しなやかに、軽やかに、二刀を振るうその姿は、舞姫そのもの。

 

「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー!!」

 

瑠火さんの口元から、先ほどよりもずっと力強い呼気が漏れる。

よく見ると、首元に玉のような汗が浮かんでいた。

 

病気になる前に、瑠火さんの舞を見せて貰った事がある。

ひらひらと蝶のように華麗に舞う姿が印象的だった。

 

あの時の舞が思い出されるような、華麗な舞踊。

私にはその凄さは分からないものの、何か物凄いことが起こっているに違いない。

 

そしてそれを信じているのでしょう。

槇寿郎様は攻撃の手を緩めないどころか、その剣戟は激しさを増していく。

 

必死な様子で、決して諦めず、瑠火さんも食らい付いていく。

凄まじい集中力。

何一つ見逃さないというような瞳。

 

その執念に痺れを切らしたように、槇寿郎様が距離を取った。

 

キンーー

 

納刀し、腰を深く落とした抜刀の構え。

口元から赤々とした炎の呼気が漏れる。

 

「炎の呼吸、壱の型ーーー」

 

「不知火!」

 

ダンッ!

 

 

 

瑠火さんもまた腰を深く落とし、真っ向から正面へと踏み込む。

 

「焔の呼吸、壱の型ーーー」

 

「焔心!」

 

キィィィン!!!

 

一瞬で二人の立ち位置が入れ替わる。

二人は抜刀したまま、互いに背を向けて残心の構え。

 

そうしてしばらくすると、槇寿郎様が夫の方を向き、立礼した。

 

「ふぅ」と息を吐き、少し疲れた様子の瑠火さんも、こちらを向いて立礼する。

 

 

 

 

 

「槇寿郎、瑠火。

 二人とも、心が震えるような、見事な演武だったよ。

 もし鬼殺隊が本懐を遂げたその時は、呼吸の技術は演舞と共に未来へ伝えていくのが良いだろうと、私の遺書に書いておく事にするよ」

 

その言葉に、私は虚を突かれた。

夫は普段、決してそのような冗談を言う方ではない。

それほどまでに二人の姿が、夫に大きな影響を与えたのでしょう。

 

「さて、それじゃあ、これからの話をしよう」

 

穏やかな音の中に、芯のある言葉が流れ込んでいく。

 

「瑠火、君の実力なら、今すぐにでも最終選別を突破できるだろう。

 しかし、私たちは鬼殺隊という組織で動いている。

 太陽という弱点を抱えたまま、一人で任務へ行くのは危険だ。

 そして、その秘密を共有できる隊士も、他にいない。

 そこで、槇寿郎」

 

「はッ!」

 

「瑠火が正式に隊士となった暁には、可能な限り君たち二人で任務に臨んで貰うことにするよ」

 

「はい!

 しかし、お館様。それではーーー」

 

「瑠火、槇寿郎。

 二人には、普段の任務の傍ら、私から極秘の任務をお願いしたい。

 珠世さんのような、鬼の中から真に信頼できる者を味方に引き入れて欲しいんだ。

 叶うことなら、狛治君も。

 ただ、いきなりそれは困難だろうから、まずは彼の関係者を引き入れたい。

 これは、彼らと出会った事のある君たちにしか出来ない任務だ。

 どうだろう。引き受けてくれるかな?」

 

そう言って微笑む夫は、とても嬉しそうだった。

 

 

 

 

 

第二章 鬼の弟子-終-




Q:瑠火、強くなり過ぎでは?
A:不治の病を結核だと仮定しています。
 肺をまるごと鬼の細胞で作り変えました。
 その結果、修行なしでも全集中・常中が出来ます。
 ただし、呼吸を使わない時は普通の人。
 血鬼術も使えません。


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幕間 弟子達の挽歌
弟子達の挽歌 壱


第36話
Side: 獪岳


「チッ!」「クソッ!」「カスが!」

 

偏頭痛がする度に、荒れた言葉が吐き出される。

 

黒い振袖が汚れるのも気にせず、目の前の木を蹴り付ける。

人生で未だ嘗てないほど文句を垂れながらも、修行には真剣に取り組んだ。

 

何故なら、俺は弱い。

弱いままでは、奪われる。

弱いままでは、馬鹿にされる。

弱いままでは、いつか死ぬ。

 

それが俺には、耐えられない。

 

意気込みだけでは、強くはなれない。

俺が強くなれる方法を見出さなければ・・・

 

 

 

師匠の猗窩座さん。最強。

いまだに強さの底が見えない。一番の目標。

仮に鬼にして貰っても、勝てる気が全くしない。

修行は死ぬほど厳しいが、今の俺には丁度いい。

女には優しい一面がある。

 

兄弟子の慶吾さん。変態。

師匠に一矢報いる事の出来る唯一の人間。

あり得ない発想の持ち主。

勝負において、あれほど頭が回るものかと驚愕する。

ただし、この人の技は全く参考にならない。

 

珠世さん。凄い医者のお姉さん。

失った右腕を治してくれた。

偏頭痛の薬もくれた。

人間を食べないし襲わない鬼。本当に鬼?

強いのか弱いのか分からない。

でも、絶対にこの人と戦おうとは思わない。

 

愈史郎。強い。

ムカつく野郎。珠世さんの金魚の糞。

珠世さん同様に人間を食べない鬼。鬼って何だ?

口でも力でも敵わない。

珠世さんが絡むととても面倒くさい。

 

槇寿郎さん。化け物。

鬼殺隊の炎柱。柱とは最強の称号らしい。

師匠と一対一でまともに戦える。

人間の中では最強。ただし慶吾は除く。

俺が目指す強さに近い気がする。

 

瑠火さん。攻撃が当たらない。

槇寿郎さんの奥さん。美人。

病気が治ったと思ったら、急に強くなった。

息を吸うと強くなれるらしい。呼吸法?知りたい。

師匠に一撃入れるのが目標らしいと、沙代が教えてくれた。

信じられない。本気だろうか?

 

沙代。

師匠が甘い。

悲鳴嶼さんと生き延びてくれて良かった。

嫌われているのは仕方ない。

 

 

 

その沙代と今、墓参りに来ている。

師匠命令。強制だった。

 

猗窩座さん曰く

「向き合え」

 

愈史郎曰く

「邪魔だ。とっとと行け」

 

槇寿郎さんからは筆を渡された。

「後悔のないように」

 

瑠火さんからは墨を渡された。

「ちゃんと行って来なさい」

 

特に瑠火さんの有無を言わさぬ笑顔には、背筋が寒くなった。

 

でも、考えてみれば良いタイミングかもしれない。

そうでもなければ、自分からは動かなかっただろうから。

 

「ここ」

 

沙代の指差す先には、

名もない七本の板が野ざらしになっていた。

 

「ここか・・・」

 

やり方なんて知らないけれど、一応拝んでおく。

 

『恨みたいなら恨め、許せなんて言わない』

 

そして、名もない木の板を抜いていく。

 

筆で名前を書いた常磐木を一本一本立てていった。

 

向きを変え、真っ直ぐ立つように調整する。

 

多少はお墓っぽくなっただろうか。

 

その俺の様子を、沙代はずっと見ていた。

 

『そんな目で見られてもな・・・』

 

こうしてお墓の前に立っていても、

故人を悼む気持ちは、特に湧いてこない。

 

『お前らも、俺も、何も変わらない。

 死ぬのは、弱いからだ。

 生きるには、強くならなければならない。

 ああ、強いと言えば』

 

「悲鳴嶼さんは、強かったよ・・・」

 

「獪岳」

 

「沙代?」

 

いつの間にか俺の側に立っていた沙代が、俺の手に触れた。

 

瞬間、死んだアイツらが目の前に立っていたような気がした。

 

「ーーーーー!」

 

思わず目を擦ってもう一度見る。

 

しかし、そこにはもう、誰もいなかった。

 

気のせいかと、沙代の方を見る。

 

だが、その瞳はどこか遠くを見つめていて、

目の前の景色を映してはいなかった。

 

不思議に思って、もう一度お墓の方を振り返る。

と、急に突風が吹き抜けた。

 

「ぐっ!」

 

細めた視界の先に、またアイツらの姿が見えた。

 

「ーーーーーーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かいがく、いこう」

 

沙代が俺の手を引いて歩き出す。

俺は頷いて、沙代と一緒に歩き始めた。

 

一度だけ、振り返ってお墓を見る。

 

「お前らは、そこで待っているんだな・・・」




登場人物の紹介回。

今回の幕間の時系列としては、
槇寿郎と瑠火が鬼殺隊に戻る直前となります。


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弟子達の挽歌 弐

第37話
Side: 慶吾


立板の周りに、紫色の千日紅が並んで咲いていた。

 

「あゆみ・・・

 オレ、強くなったよ」

 

笑いながら、のんびりと大地に胡座をかく。

 

「師匠以外の知り合いも増えた。

 槇寿郎さんも生きている。間に合ったんだ。

 あの人は元々強いから、助かったようなものだけど」

 

一人、空の向こう側を見つめるように、語りかけていった。

 

「そういえば、槇寿郎さんとの出会いは、最悪だったなぁ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は、鬼か?」

 

突然目の前に現れた男。

燃えるような髪の色、燃えるような色の羽織を、黒い衣服の上から羽織った男が、右手の刀を突き付けながら言い放った。

 

「・・・は?

 オレが、鬼?」

 

「銃も持たず、夜な夜な獣を刈り続ける者がいる。

 おおよそ、人間の為せる術ではない。

 ・・・お前の事だな?」

 

見ただけで分かる。目の前の男は強い。

鍛えられた体格、隙のない構え、目線、そして今の時代に似つかわしくない獲物。

 

「オレは鬼じゃない!人間だ!」

 

「・・・だろうな。獣の血の臭いしかしない。

 まったく、とんだ無駄骨だ」

 

そう言うと男は興味を失ったかのように、踵を返そうとした。

その背中は、強者の威風を纏っていた。

 

「・・・鬼なら一人知っているよ」

 

「なに?」

 

その言葉に、再び男の視線がこちらを向くのを感じる。

 

師匠も去って久しいこの頃。

果たして自分は強くなっているのか、知りたかった。

自分の領域が、師匠以外の者にどれだけ通じるのか、試してみたかった。

 

「オレの家族は、鬼に殺された」

 

「そうか。それで、自身の手で仇討ちがしたいのか?

 やめておけ。奴らは日光か、この特殊な刀でしか滅ぼせない。

 特殊な闘法を身に付けない限り、ヤツらは倒せん」

 

目の前の男であれば、たとえ鬼用の罠であっても死ぬことは無い。

そんな予感が、期待が、どくどくと心臓から全身に行き渡っていく。

 

「いいや。必要ない。

 仇討ちなら、オレを鍛えてくれた人が、代わりに果たしてくれたよ」

 

「ほう?お前の師は誰だ?言ってみろ。

 ひょっとしたら、知っているかもしれん」

 

だから、その気になって貰う事にしよう。

幸い、ここはオレの領域。

 

「いいや。おじさんは絶対知らない。

 だって、オレを鍛えてくれた人も、鬼だったから」

 

「なんだとーーー?」

 

一歩引いて、足下の草むらに隠していた蔦を引く。

 

ヒュンーーー

 

男の立っている場所に向けて、大量の矢が放たれた。

 

「ふん!」

 

男が抜刀した刹那、矢は全て切り落とされていた。

 

何をしたのか、全く見えなかった。

ゾクゾクと身体が高揚していく。

 

『やった!この人は強い!』

 

頭の中で、高速で戦術を組み立てながら、

一足飛びに男との距離を空け、林の中に逃げ込んでいく。

 

「おじさん、強いね!

 オレを捕まえられたら、全部教えてあげるよ!」

 

脚も手も、何をするにも引っ掛かる蔓の罠。

 

少し歩いただけで、丸太や矢が飛び交う地帯に、

避けた先にピンポイントで設置してある落とし穴の数々。

 

そして、師匠の花火を参考に作った、特製の手投げ爆弾。

調味料を混ぜ合わせて作った粉爆弾の数々。

 

対鬼用。

正確には対師匠用に用意した、えげつない罠を、今宵は全て披露しよう。

 

あの人には、それくらいしないと勝てない。

おそらく、師匠レベルの強者だ。

 

色々考えていくと、ワクワクして来る。

 

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

 

 

 

 

 

 

「・・・鬼が人間を鍛え育てる筈がない。

 気紛れにせよ、いずれは喰うつもりだろう。

 ならば、いずれ鬼は戻ってくる。

 面倒だが、あの子供は保護しておくか」




『鬼さんこちら、手の鳴る方へ』
この言葉が大正時代の東京に存在したかどうかは分かりませんでしたが、盲鬼はあったようなので、妄想で補完しました。


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弟子達の挽歌 参

第38話
Side: 慶吾


「罠か、懐かしいな!

 元水柱との修行を思い出す!」

 

まるで次に訪れる罠が分かっているかのように、炎のような男は次々に襲い掛かる罠を全て掻い潜り、時に払い落とし、距離を詰めて来る。

 

足の裏に目が付いているかのように、落とし穴に掛かったと思った瞬間に避けられる。

丸太や矢などの飛び道具は、一瞬で斬り払われる。

飛び出す竹槍も、発動してから斬って避けられる。

 

そもそも、直感的に罠の設置場所を避けながら進んでくる。

 

『あの人、対応が早過ぎる!

 獣用の罠どころか、鬼向けに開発した罠が全て躱される!』

 

「・・・そろそろ鬼ごっこは終わりにしないか?」

 

気付けば目の前の開けた場所に回り込まれていた。

 

『ちくしょう、早い!

 だけど、その場所は・・・』

 

落ち着いて、全ての仕掛けを頭の中で組み立てながら、男の前に姿を現す。

 

「おじさん、めちゃくちゃ強いですね。

 ひょっとして、十二鬼月よりも強かったりします?」

 

「坊主、よく知っているな。

 俺は鬼殺隊が炎柱、煉獄槇寿郎。

 無論、十二鬼月も斬っている」

 

「へー、それは凄いですね。

 オレは素流の素木慶吾と言います。

 先日、師匠から師範代の称号を頂きました。

 尤も、道場も何もありませんが」

 

『柱!!この人が!?

 師匠と戦える数少ない人間という、あの!?』

 

鬼殺隊と出会う可能性は考えていたが、いきなり柱と出会うなんて。

流石に想定外だった。

 

『しかし、この人が相手ならば、

 師匠用に開発した新しい罠を試せる』

 

「今からオレの最後の罠を仕掛けます。

 もし槇寿郎さんがそれを突破できたら、師匠の事を話しましょう」

 

「慶吾と言ったな。良いだろう。

 俺は継子を持たぬ身なれど、

 若者の挑戦を受けられぬとあっては柱の名折れ。

 どこからでも掛かってくるがいい」

 

「ありがとうございます。

 ではーーー」

 

足元に隠しておいた蔦紐をつま先で引く。

と、オレの立つ場所だけを避けるように、男に向けて全方位から矢が放たれる。

 

瞬間、背後に飛び退いて矢継ぎ早に罠を発動していく。

 

矢は一刀のもとに全て切り落とされ、返す刀が目の前へと迫って来ていた。

もし後退しなければ、既に負けていただろう。

 

男を中心に正面、側面、背後からと、次々に丸太が放たれる。

 

通常、刀では切り裂けぬそれを、目の前の男は造作もなく斬り捨てていく。

 

その男の足元へ、ころころと転がった丸い煙玉から、もうもうと煙が立ち上がる。

 

周囲に煙が満ちていく中、周囲の投石器から放たれた岩が弧を描き、幾重にも男に襲い掛かる。

 

フウゥゥゥゥゥゥゥーーー

 

男の口元から、炎のようなものがチラついて見えた。

そこからは怒涛だった。

 

男が刀を振るう度に、炎が舞い、岩がまるで紙のように切り払われていく。

 

煙に乗じ、足元に転がしておいた特製爆弾。

花火を作ろうとして出来なかった、火薬の成れの果てが、爆発する。

 

「炎の呼吸、肆ノ型」

 

男を中心に炎の渦が生まれ、その爆発を飲み込んでしまう。

 

そこへ紫色の玉を一つ、投げ込んだ。

 

煙で視界が遮られる中、男がそれを勘だけで切り落とした瞬間、辺りに白い粉がばら撒かれる。

 

植物の根から作った麻痺毒。

 

男が呼吸の使い手であるならば、先の爆発で少なくなった酸素ごと吸い込んで、これで終わり。

後は距離を取って待つだけ。

 

 

煙で何も見えぬ中、キン!という納刀の音が聞こえた。

 

「炎の呼吸、壱の型!」

 

ダン!

 

大地を蹴る音が響く。

 

ダダダダダン!!!

 

煙を吸わないよう十分な距離を取っていたはずなのに、何かを蹴る音が一瞬で迫って来る。

 

気付けば男は目の前にいて、刃が目前に迫っていた。

 

『!?』

 

その刹那、世界がゆっくりと感じられた。

この距離、この速度で迫り来る攻撃は、連日に渡り死ぬほど身体に叩き込まれたもの。

 

男の目線が、刃の動きが見える。

 

無意識の内に体が動き、迫る刃を潜り抜け、男の懐へと両拳を叩き込む。

 

「カハッ!」

 

それと時を同じくして。

脇腹に激痛が走ったと思ったら、体ごと吹き飛ばされていた。

 

強かに木に背を打ち付けられ、地面に落ちる。

 

「しまった!!」

 

意識が朦朧とする中、男が駆け寄って来る音がする。

どうやら、オレの負けらしい。

 

「・・・ちく、しょう・・・」

 

そこでオレは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・俺に一撃入れるとは。

 なかなかに末恐ろしい子だ。

 鬼に鍛えられていたと言っていたが・・・

 あながち、嘘ではないのかもしれん。

 隠よ!いるか!?」

 

「ここに」

 

「佐伯か。この者の手当を頼む。

 応急処置の後、拘束して我が家へ運んでくれ」

 

「承知致しました」

 

「俺は少し休んでから戻る。

 頼んだぞ」

 

「ハッ」




呼吸を極めつつある柱とでは、引き出せる身体能力に差があります。
体勢を崩しつつも、反撃で放たれた蹴りを受けて、慶吾は撃沈しました。

結構ヤバい毒を使ったので、もしあと10分も耐えられれば、慶吾は勝っていました。


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弟子達の挽歌 肆

第39話
Side: 慶吾


「ここは・・・?」

 

ぼんやりする頭で辺りを見渡していると、突然大きな声が響いた。

 

「うむ!ここは煉獄家だ!」

 

驚いて声の方を見る。

と、燃えるような髪型をした子供が、姿勢の良い正座姿で座っていた。

 

「・・・どなたですか?」

 

それにしても、どこかで見たような髪型だな。

とぼんやりと考えていると、再び溌剌とした声が返って来た。

 

「申し遅れた!

 俺は煉獄杏寿郎と言う!」

 

「ああ、これはどうも。

 オレは素木慶吾です」

 

子供ながら、とても真っ直ぐに挨拶をされたので、思わず真っ直ぐに返してしまった。

 

「うむ!慶吾殿、すぐに父上を呼んでくる!

 少し待っていて欲しい」

 

「あ、ああ・・・」

 

畳の上に敷かれた布団の上に、自分は横になっていた。

全身がズキズキと痛む。

それは、師匠との地獄の鍛錬を思い出すような、懐かしい痛みだった。

 

『ここはどこだろう?』

回らない頭でぼんやり考えていると、その男は襖を開けてやって来た。

 

「ようやく目を覚ましたか」

 

さっきの子供が、修練の果てに強くなったとしたら、こんな大人になるのだろうか。

 

存在感がまるで違う。

強者の放つ覇気に当てられ、オレの頭脳はようやく少しずつ思い出していった。

 

「・・・槇寿郎さん?」

 

「そうだ。記憶はあるようだな。

 あの後、お前は三日三晩も眠っていたのだ。

 身体に不調はないか?」

 

「ああ、手当てをして下さったのですね。

 ありがとうございます。

 不調と言っても・・・特には。

 全身の痛みはありますが、慣れてますので」

 

痛みを堪えながらも、身体を起こして槇寿郎さんの方に向き直る。

 

「そうか。頑丈な身体をしているな」

 

その傍らに腰を落ち着けると、槇寿郎さんは単刀直入に切り出してきた。

 

「約束通り、聞かせて貰うぞ。

 お前を鍛えた鬼の事を」

 

「そうでしたね。

 しかし・・・お腹が空きました。

 食事をしながら話す、というのはいかがでしょう」

 

「分かった。そうしよう。

 半刻後には昼餉の時間だ。

 お前も一緒に食べるといい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして訪れた食事の場。

家族団欒の席に飛び入り参加の体で招かれたオレは、食事を取りながら、鬼に家族を殺されたところから起きた全てを話した。

 

「・・・・・・」

 

しばらく無言の時が流れる。

その静寂を破ったのは、幼い赤子を抱いた、顔色の白い奥方だった。

 

「あなた、今よりもっと強くなりたいのなら、

 鬼殺隊に入る気はない?」

 

「瑠火、なにを!?」

 

「もしそれで強くなれるのでしたら」

 

「慶吾!お前もか!?」

 

「それは良い!

 そうなれば、慶吾殿は先輩という事になるな!」

 

「あーうーあー」

 

楽しい家族だ。

皆が揃ってて、何より明るい。

そして、とても懐かしい。

 

目頭が緩むのを瞬きで隠しながら、オレは言葉を続けた。

 

「師匠からは、別れ際にこう言われたんです。

 『お前は自由だ。自由に生きるために、強くなれ』って。

 だから、鬼殺隊に入る事が、自由に強くなるための道なら、オレは進んでその道を行きましょう。

 オレみたいな犠牲者を出さないために、人喰い鬼を殺す事にも、躊躇いはありません。

 ただ、力及ばずに死ぬのは構いませんが、もし明らかに死ねと命令された時は、一も二もなく抜けさせて頂きます」

 

この家族は、良い人達だ。

しかも、強い。

こんな人達がいる組織なら、そこで強さを磨くことも悪くない。

そう思えた。

 

「良かった・・・

 私はもう、医者から長くないと言われています。

 あなたのような強い方が加われば、この子達も安心です」

 

「・・・え?」

 

「・・・母上?」

 

「瑠火・・・」




慶吾の過去編は、ここまでです。
どうせ助かるのですから、湿っぽい話はなしで。

ここから紆余曲折を経て、槇寿郎は上弦討伐を決意します。
それにいち早く気付いた瑠火が、慶吾に助けを求める。
そんな流れになります。


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弟子達の挽歌 伍

第40話
Side: 瑠火


その日、大事な話があると伝えて夫を呼んだ。

 

真剣な表情で私の言葉を待つ夫に向けて、

三つ指をつきながら、しずしずと丁寧に頭を下げる。

 

「槇寿郎さん、お願いがあります。

 私を鬼殺隊士として戦わせて下さい」

 

瞬間、夫の顔から優しさが消え、戸惑いと怒気が溢れ出した。

 

「は!?

 何を言う!瑠火!

 せっかく助かった命を、無駄に散らす気か!」

 

こんなに取り乱す夫を見るのは、私の病気が決して治ることはないと言われた時以来だろうか。

その様子に、不謹慎ながらも、心が温かくなる。

 

しかし、ここで引くくらいなら、そもそもこんなことを口にはしない。

頭を上げ、ずっと溜め込んでいた思いを伝える。

 

「助かった命だからです。

 前々からずっと考えておりました。

 もしもこの身体が生きる事を選べたなら、

 私は、貴方や子供たちと共に在りたいと」

 

「瑠火、その思いは嬉しい。

 嬉しいが、無謀が過ぎる。

 鬼どもはそのように容易い相手ではない。

 柱の私とて、猗窩座には敵わなかったのだ・・・

 もう二度と、お前を失いたくはない。

 頼むから考え直してくれ」

 

優しく諭すような夫の言葉が心に波紋を呼び起こす。

波紋はやがて凪ぎ、静かな決意だけが残った。

 

固い決意を込めて、夫の目を見つめる。

 

「では、もしも私が、狛治さんから一本取れば、隊士として戦うことを認めて下さいますか?」

 

「そんな事は不可能だ!!

 何を言い出すかと思えば・・・

 鬼殺隊士を、我々を舐めるな!!」

 

その時、偶々近くにいたのか、珠世さんが驚いた様子で話しかけてくれた。

 

「お二人とも、少し声が大きいですよ」

 

あっと驚いた様子で、夫が頭を下げる。

私の命が助かったと聞いて以来、この様子。

夫の中では、お館様と同じくらい尊敬すべき人になっているらしい。

 

「珠世さん、失礼致しました」

 

「いえ、気を付けて頂ければ大丈夫です。

 それよりも、瑠火さん。本気ですか?」

 

「え?」

 

「知りませんでしたか?

 鬼は、普通の人よりも耳が良いんですよ」

 

「それはつまり・・・」

 

「はい。

 申し訳ありませんが、聞こえておりました。

 ですが、槇寿郎さんの心配も尤もです。

 普通の人より少し強い身体になったとは言え、

 貴方は普通の人間です。

 せっかく助かった命です。

 いたずらに危険に赴くのは、医者としても看過できないのですが・・・」

 

その言葉を受けて、夫の目が『それみたことか』と訴えてくる。

正直、少し鬱陶しい。

 

「珠世さん。

 お館様に恩を受け、鬼殺隊に夫を持つ者として、ただ座して待つことは、生きているとは言えません。

 力ある者は、その責務を果たさなければなりません。

 私は、死にに行くのではありません。

 生きるため、使命を果たしに行くのです」

 

「・・・決意は固いようですね。

 ですが、どれだけ言葉を並べようと、

 力がなければその責務は果たせませんよ」

 

「珠世さんの言う通りだ」

 

訂正。

夫がかなり鬱陶しい。

 

「珠世さん、本当にありがとうございます。

 しかし、私の決意は揺らぎません」

 

「そうですか・・・

 しかし、困りましたね。

 貴女が槇寿郎さんくらい強ければ、私からは何も言いませんが。

 医者としては、貴方が死なないと保証ができるまでは、そのお願いに頷くことはできません」

 

決して意志を曲げない者。

過度に心配し、認めぬ者。

立場上、看過できぬ者。

 

膠着した状況を破ったのは、この場に現れた最強の鬼だった。

 

「面白い話をしているな。槇寿郎」

 

「猗窩座・・・」

 

「瑠火、聞こえていたぞ。

 まさか俺から一本取れると、本気で思っているのか?」

 

「はい。

 煉獄家の者に、二言はありません」

 

「ほう・・・」

 

「・・・・・・」

 

「なるほど、良い目をしている。

 少しは楽しめそうだ。

 良いだろう、立ち合いを認めよう。

 一本と言わず、一撃でも俺の防御を抜くことができれば、強者としてお前を認める」

 

「猗窩座!?」

 

「心配するな、槇寿郎。

 女を甚振る趣味はない。

 こちらから一切の攻撃はしないと誓おう。

 それに、このくらいの条件が無ければ面白くない。

 瑠火、覚悟は良いか?」

 

「その条件で構いません」

 

「では決まりだ」



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弟子達の挽歌 陸

第41話
Side: 瑠火


焦茶色の着物に、くすんだ藍色の動き易い野袴姿。

ただの数打の刀を腰帯に佩き、庭に立つ。

 

相対する狛治さんは、紺色の着物を黒帯で締めた人間の姿。

構えもせず、両腕をだらりと下げたまま立っている。

 

つまり、まだ私は敵と認められていない。

まずは彼に、その認識を改めてもらうことから始めなければ。

 

 

 

月明かりに照らされ、二人の立ち合いが始まる。

 

「立会人は、この煉獄槇寿郎が行う。

 一撃でも猗窩座に攻撃を当てることができれば、瑠火の勝ちとする。

 猗窩座は一切の攻撃を行わないこと。

 もしこれを破った場合は、すぐに立ち合いを止め、その方の負けとする。

 両名とも、それでよろしいか?」

 

「構わない」

「構いません」

 

「では、始めッ!!」

 

『この一戦で、煉獄家の未来を切り拓く!!』

 

「フゥゥゥゥゥゥゥーーー!!」

口元から炎の呼気が漏れる。

 

先手必勝ーーー

腰を低く低く、大地に深く落とし、抜刀の構えを取る。

 

「炎の呼吸、壱の型!」

『不知火ーーー!!』

 

「!!!」

 

速攻で振り抜かれたその一撃は、しかし、目の前の男には通用しなかった。

 

「その技は既に見た。

 槇寿郎の技はもっと力強かったぞ」

 

人差し指と親指で、刀の切っ先を掴まれている。

それだけで、両手に握る刀が全く動かなかった。

 

『うそ!?』

 

彼がパッと指を離した瞬間、刀を戻し、意識を切り替える。

 

『弱気になるな!

 今はただ、全力をぶつけることだけを!』

 

庭先で夫の鍛錬する姿を、ずっと見てきた。

刃が振るわれる音で、その良し悪しが分かるほどに。

それらを全力でぶつける。

 

「フゥゥゥゥゥゥゥーーー」

 

「炎の呼吸、弐の型!」

『昇り炎天!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始まりの呼吸以来、数百年の歴史を持つ、炎の呼吸。

その全てが、狛治さんには通用しなかった。

 

「・・・もう終わりか?」

 

力の差はまるで赤子と大人。

構えを取らせるどころか、全く相手にされていない。

 

ただ不思議なことに、あれだけの型を続けた後にも関わらず、身体は少しも疲れてはいなかった。

 

『不思議ですね。

 絶望的な状況にも関わらず、身体はまだ動く。

 今なら、もっと呼吸を深められそうな気がします』

 

「スゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー」

 

「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー!!」

 

口元からチラチラと覗くだけだった炎が、急に溢れ出す。

 

ドクンーーー!

 

「スゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー」

 

「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー!!」

 

呼気が夏の陽光のように輝き始める。

 

ドクンーーー!!!

 

身体中に熱い血が巡り、力が漲ってくる。

 

『身体が熱いーーー』

 

チラと狛治さんの方を視る。

 

『なに、これ・・・』

 

視える。

身体が透き通って視える。

内臓や筋繊維一本一本の動きが、綺麗に視えている。

 

不思議と今なら、いけそうな気がした。

 

試しに狛治さんに向けて、壱の型の如く、

今の呼吸のままで腰元から刀を振り抜く。

 

「なーーー!?」

 

まるで狛治さんの動く未来が分かるかのように、先回りをして、その右腕を切り落としていた。

 

身体が熱い。

そして、軽い。

 

振り返ると、そこには鬼の姿をした猗窩座さんが立ち尽くしていた。

 

「新たな呼吸を生み出したか。

 ・・・お前の勝ちだ、瑠火。

 その瞳、至高の領域に近い」

 

バチンーー!

切り落とした右腕が瞬時に元に戻る。

 

「瑠火。お前の言葉は正しかったと認めよう。

 女の身でありながらその強さ。敬意を表する」

 

「ハァ、ハァ、ハァ・・・」

 

一撃に全ての集中力を要した。

全身から汗が噴き出し、疲労が一気に押し寄せてきたような感覚を覚える。

 

「槇寿郎!

 立ち合いは終わりだ!」

 

「瑠火!!」

 

ふらっと倒れそうになる体を、駆けつけた槇寿郎さんが支えてくれた。

 

全身が疲れてはいても、とても晴れやかで、爽やかな気分だった。




痣の発現はありませんが、覚醒を果たしました。
ただし、肺以外は普通の内臓なので、長時間の維持はできません。


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第三章 鬼の血
素流の血脈


第42話
Side: 猗窩座


炎柱、煉獄槇寿郎。

その妻にして俺に一撃を入れた強者、煉獄瑠火。

 

長かった治療が終わり、二人の姿を見送った後のこと。

 

「槇寿郎。それに瑠火。

 あの二人はまだまだ強くなる。

 それにしても、随分と長居したな・・・」

 

見た目は人間そのもの。

紺色の着物を黒帯で結んだだけの、着流し姿で俺は呟いた。

 

「そうですね。

 愈史郎がいい加減に出て行けって言ってましたよ。

 師匠、次はどこへ行きますか?」

 

相槌を打つのは、初弟子にして、無尽蔵の発想を持つ男。

灰色の着物の上から藍色の羽織を纏って立つ、慶吾。

 

「猗窩座さん、俺も着いて行きます」

 

まだまだ未熟極まりない、押しかけ弟子の男。

黒い着物を青帯で結んだ着流し姿の、獪岳。

 

「はくじー、どこかいくの?

 ひめじまさんに会える?」

 

怖いもの知らずな、小さな子供。

無邪気に笑いながら、俺の体によじ登ろうとしているのは、沙代。

 

「あーもう。お前ら、うるさい。

 基礎は教えただろう。

 俺はしばらく一人で修行をする。

 お前らも好きなようにやれ」

 

「そんな事言わないでくださいよ。

 自由にって言うなら、師匠に着いて行きますよ」

 

「俺も」

 

「わたしもー」

 

どうしてこうなったのか。

生来、他人と深く関わることなんて、師と恋雪を除けば皆無と言える。

何がこいつらをそうさせるのか、全く理解できない。

 

盛大なため息が漏れる。

 

「仕方ない。ではこうしよう。

 お前ら一人一人に課題を課す。

 課題を乗り越えた時、上の領域に立っている筈だ。

 そうすれば、次の稽古を付けてやる」

 

そう言うと、あからさまに嫌そうな表情を見せる慶吾。

残りの二人は、頭に疑問符を浮かべていた。

 

「・・・分かりました、師匠」

 

「課題、ですか・・・?」

 

「勉強、キライ」

 

『勉強』という言葉を聞いて、口端がにやりと持ち上がる。

俺がそんな迂遠な道を選ぶわけがないだろう。

 

「安心しろ。勉強などと生温いことは言わん。

 素流の修行は実践あるのみ。

 ではまず慶吾から言い渡す。

 『一対一の戦闘で槇寿郎に勝て』

 お前の得意な罠に引き込んで、やつを捻じ伏せろ」

 

「師匠、質問があります!」

 

「言え」

 

「将棋や囲碁ーーー」

 

「却下だ。

 戦闘以外認めないから、そのつもりでやれ。

 しかし戦闘であれば、あらゆる手段を使う事を許す。

 お前の得意分野だろう?」

 

「はい。

 ソウデスネー・・・」

 

口から魂が抜け出ている。

普通なら年単位での研鑽が必要になるだろうからな。

それでも慶吾ならば、万が一がある。

この男は、通常の物差しでは測れない。

おそらくは、槇寿郎にとっても・・・

 

「次、獪岳」

 

「は?え?はい?」

 

「なんだ獪岳。

 言いたい事があるなら、とっとと言え」

 

「その、本気ですか?

 今言ったこと」

 

「無論だ。

 やりたくなければ、やらなくていい。

 そうなれば、もはや弟子でも何でもないがな。

 せっかく拾った命だ。好きに生きろ」

 

そう伝えると、獪岳は背筋を伸ばして直立の姿勢を取った。

分かりやすいことだ。

ある意味、大物だな、こいつは。

 

「は、いえ!

 分かりました!」

 

「ならばいい。お前は、

 『鬼殺隊に入り、甲(きのえ)階級まで昇り詰めろ』

 お前には格闘戦の才能がない。

 だが、型に沿った動きは悪くない。

 一度素流から離れ、実戦の中で自分の型を学び直せ」

 

そう伝えると、目を点にして固まる獪岳。

 

「・・・獪岳。

 やるか、やらないのか?」

 

「え、あ、はい!

 やります!」

 

「吐いた言葉は違えるなよ。

 お前はまだまだ未熟だが、化ける可能性がある。

 俺の弟子を名乗るなら、これくらいはこなして見せろ。

 俺と打ち合えるまで、闘気を練り上げて来い」

 

そこまで伝えて漸く、獪岳はやる気のある顔を見せた。

 

「はい!」

 

「よし。

 では最後に、沙代」

 

「はーい!」

 

「良い返事だ。

 お前には一番大事な役目がある。

 『もしこの二人が腑抜けていたら、俺に知らせろ』」

 

「わかった!」

 

「連絡にはこの花火を使え。

 慶吾、聞いていたな?

 この花火はお前に預けるが、沙代が使うと言ったら打ち上げろ」

 

「まだその花火あったんですね。

 いえ、分かりました」

 

「よし。ではーーー」

 

「はくじー?」

 

「なんだ、沙代」

 

「この花火をつかえば、はくじに会えるのか?」

 

「そうだ。

 ・・・慶吾、花火の数は限られている。

 無闇矢鱈と使わないようにな。頼んだぞ」

 

「それなんですが、師匠」

 

「なんだ」

 

「オレ、花火も作れるようになりました。

 まだまだ失敗作も多いですが、十個に一個は作れます」

 

花火師、という言葉が脳裏を過ぎる。

一体この男は、どこへ行こうというのだろうか。

一度その頭の中を見てみたいものだ。

 

「・・・お前は何でもありだな。

 それなら火薬の管理は任せるが、沙代に怪我をさせるなよ」

 

「分かりました」

 

「では最後に、俺からの頼みだ。

 青い彼岸花の情報があれば、知らせてくれ。

 詳しいことは分からないが、見た目が青い彼岸花だ。

 この世のどこかに咲いているらしい。

 それ以外のことは、好きにすればいい」

 

『これでいい。

 これで数年は自分の修行に専念できる。

 瑠火と立ち合った時の感覚・・・

 あの眼。まるで未来を視ているかのような、あの動き・・・

 あの技を会得できれば、また一歩、俺は至高の領域に近づけるだろう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、珠世に別れを告げ、俺が屋敷を飛び出した直後のことだった。

 

「鳴女」

 

べん!!!




この章は鬼側の話になります。


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十二鬼月

第43話
Side: 猗窩座


街並みから景色が一変、気付けば無限城に立っていた。

 

無惨様による緊急召集。

そう意識を切り替えて周りを見渡すと、一堂に数多くの鬼が視界に入る。

 

誰か十二鬼月の上弦がやられたのかとも思ったが、どうやら違うらしい。

一体何が起きている・・・?

 

「来たか・・・

 待っていたぞ、猗窩座・・・」

 

とりわけ強い存在感を放つ、六ツ目の剣士。

俺が知る限り最凶の頂きに君臨する鬼、上弦の壱・黒死牟。

口数が少なく、一人でいる事の多い黒死牟が珍しく話しかけてきた。

 

その立居姿を目にするたび、この男に勝つという強い思いと、勝てるのかという相反する思いが心に浮かぶ。

 

「何の用だ?」

 

「・・・すぐに、分かる・・・」

 

それだけ言うと、黒死牟は去っていった。

 

『・・・気のせいか?

 今、笑ったような・・・』

 

目の前で起きた事が信じられないでいると、不意に背後から気配を感じたので横に一歩避ける。

 

「猗窩座殿ー!って、あれ?

 おっとおっと!待っておくれよ猗窩座殿!」

 

「・・・・・・」

 

何も聞かなかったことにして、そのまま歩みを進める。

 

「猗窩座殿!

 猗窩座殿!

 猗窩座殿ー!」

 

首元まで伸びる真っ赤なしゃつ、袴を西洋のべるとで留めるという異様な出立ち。

頭から血を被ったかのような見た目の鬼。

上弦の弐・童磨が、にこにこと気持ちの悪い笑顔を顔に張り付けて向かって来た。

 

しきりに肩に回そうとする、うざったいその手を一つ一つ避けていく。

しかし童磨は一向にやめる気配がないどころか、その手の勢いは徐々に増していった。

 

「・・・いい加減、その手をやめろ」

 

「やァやァ、そんな酷いことを言わないでおくれ。

 猗窩座殿がいつまでも来ないものだから、俺は凄く心配したんだぜ!」

 

「ヒョッ」

 

相槌を打つような拍子で、無造作に置いてある花柄の壺から不意に声がした。

 

「猗窩座様。

 お元気そうで何より。

 これでようやく、十二名が揃いましたかな?」

 

ズヌヌヌヌーーー

一体その壺のどこに体が入っているのか。

目と口が逆位置、頭から子供の手が無数に生えた、およそ人とはかけ離れた姿の鬼。

上弦の伍・玉壺が、活けられた花のように壺から身体を生やして言った。

 

「いやはや、私はもしや貴方がやられたのではと、心が踊った・・・

 ゴホゴホン!

 心配で胸が苦しゅう御座いました。

 ヒョヒョッ」

 

「怖ろしい怖ろしい・・・」

 

玉壺の声を遮るかのように、襖の陰から別の鬼が声をあげた。

 

「暫く会わぬ内に、玉壺は数も数えられなくなっておる。

 黒死牟様の様子、集められた十一名の十二鬼月・・・

 不吉な丁、奇数!

 怖ろしい怖ろしい・・・」

 

小柄な体躯に、体の半分はあろうかという、大きな顔。

額には大きな瘤があり、左右からそり返った二本の角が生えている。

上弦の肆・半天狗は、常に何かに怯えるように振舞いながら、こちらを見下ろしていた。

 

「ほらなぁ。だからおめぇ、言っただろう。

 猗窩座さんがやられるわけないだろうってなぁぁ」

 

痩せ細りながらも鍛えられた体躯に、長い手足。

上半分が黒髪、下半分が緑髪の男、上弦の陸・妓夫太郎が着物姿で歩いてきた。

 

「お兄ちゃん!

 もう分かったから言わないでってば!」

 

その後ろからついて来るのは、妓夫太郎の妹の堕姫。

コイツ自身は弱いが、二人は合わせて一人の鬼。

整った顔立ちと器量で、外見は全く似ていないが、時折兄妹だと感じる時がある。

特に、敵と見定めた者を睨む時の目が似ていた。

 

「妓夫太郎。また少し強くなったか?

 お前の挑戦ならいつでも受けるぞ」

 

「いやぁ、猗窩座さんにはまだまだ敵わないっすよ」

 

この場には下弦の鬼も集められていたものの、上弦の鬼に話しかけてくるような者はおらず、自分の世界に浸っているか、遠巻きに眺めているだけだった。

 

特に、下弦の伍・累。

白い着物を赤い帯で締めた、白髪の子供。

あいつには、上弦を恐れているような節がない。

闘気も悪くない。

もし生き残ることができれば、下弦の壱まで上り詰める可能性もあるだろう。

 

 

 

「無惨様が・・・御見えだ・・・」

 

その黒死牟の声を聞いて、即座に反応しない者はいなかった。




短い場面だけど、この場に妓夫太郎がいると思うと、ほわほわする。


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入れ替わりの血戦

第44話
Side: 猗窩座


「青い彼岸花はどうした?

 鬼狩り共はどうした?

 産屋敷一族はまだ生きているぞ」

 

無惨様の出現に、全ての鬼が頭を垂れる。

下弦の鬼共は座礼の姿勢を取り、上弦の鬼は銘銘の姿勢で膝を着いて礼を尽くす。

 

「私が十二鬼月を作った理由は何だ?

 答えよ猗窩座」

 

膝を着き、視線を下げたまま答える。

 

「はい。強い鬼を造ること。

 無惨様のご期待に応えることが十二鬼月の役目です」

 

「それなのにお前たちは何故何百年も見つけられぬ。

 強い鬼は十二体も必要ないということか?」

 

ビキビキーーー

あまりの怒りに、青筋を立てる音が無限城に響き渡る。

 

「ヒイイッ!

 御許しくださいませ!」

 

「返す・・・言葉も・・・ない・・・」

 

「如何したものか・・・」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

「申し訳ありません無惨様。

 吉原にも情報は・・・」

 

「私は、貴様らを甘やかしすぎたようだ。

 柱にやられるような弱い鬼も、向上心のない鬼も必要ない。

 これからはもっと死に物狂いでやってもらう」

 

そこから先の無惨様の話は、まさに青天の霹靂だった。

 

「今より五年後・・・

 最強の鬼、序列を決める血戦を行う。

 上弦の鬼全員で入れ替わりの血戦を行うと心得よ。

 その前座として、下弦も同数の上弦に挑んで貰う。

 これはふるいだ。

 私が言ったことが理解できないような者は、十二鬼月には必要ない」

 

それは、未だ嘗てない発言だった。

面を上げぬまま、その場に伏せる皆に動揺が走る。

 

「黒死牟、些細を」

 

「ハッ!」

 

無惨様の信任を受け、黒死牟が立ち上がる。

この場で立ち上がるなど異例の事だが、黒死牟は特別だった。

根底にあるのは、異次元の強さ。

強い者にのみ許される特権。

 

「お前たち・・・無惨様の言葉を、とく心得よ・・・

 私からは・・・内容を伝える・・・

 まず前座として・・・下弦の鬼には・・・

 同数の上弦の鬼に・・・挑んで貰う・・・

 下弦の者は・・・勝てぬまでも・・・

 無様な戦いなど・・・見せぬことだ・・・

 無惨様のお言葉に反する者は・・・

 十二鬼月を・・・剥奪する」

 

下弦の鬼共から、息を呑む音が聞こえた。

 

弱い者は死ぬ。

強き者だけが生き残る。

淘汰されるのは自然の摂理に他ならない。

 

黒死牟は続ける。

 

「そして上弦は・・・まず陸と伍が戦い・・・

 そこで勝った方が・・・肆と戦う・・・

 更に勝った方が・・・参と戦い・・・弐と戦い・・・

 最後に・・・この私、壱と戦う・・・」

 

『なるほど。

 下の階級の陸から順に入れ替わりの血戦を行うということか。

 問題は決着方法だが・・・』

 

「分かった。

 勝敗はどうやって決める?」

 

「良い質問だ・・・猗窩座。

 此度の血戦は・・・無惨様の肝入り・・・

 それゆえ・・・私が立会人を務める・・・

 本人が・・・負けを認めた時・・・

 私が・・・勝敗を判断した時・・・

 無論だが・・・無惨様の許可なく・・・

 吸収することは・・・決して許さぬ・・・」

 

「黒死牟殿!

 ではあなたの立会人はどなたが務めるので?」

 

「童磨。それは・・・」

 

「良い。構わぬ、黒死牟。

 最後は私が立ち会おう」

 

「無惨様がですか!?」

 

「黒死牟の血戦は過去数百年にも三度しかなかった。

 私としても興味がある。

 それに、私以外には務まるまい。

 判断が必要な戦いになるとは思えぬが・・・」

 

その時、無惨様の目線が一瞬、こちらを向いたような気がした。

おそらく気のせいだろう。

 

「もしも黒死牟を倒すような強者が現れた時は、

 その者の願いを一つ、何でも叶えてやろう」

 

おそらく事前の話もなかったのだろう。

黒死牟が珍しく慌てていた。

 

「無惨様!?」

 

「何か不安でもあるのか?」

 

「・・・ございませぬ。

 必ずや・・・勝ってみせましょう!」

 

「それでいい。

 上弦の壱と言えど、甘えは許されぬ。

 無論、下弦も、在野の者も、五年後までに入れ変わりの血戦を挑み、勝てば参加資格を得られ、負けた者は失う。

 あるいは鳴女のように有用な者は、負けても罷免することはない。

 せいぜい私の役に立て」

 

べん

 

その琵琶の音を最後に、再び唐突に無惨様は姿を消した。




おおよその心持ち。
無惨『黒死牟が乗り気なので、任せておけば大丈夫だろう』

黒死牟『無惨様のお言葉は絶対。五年後を目指し、はげめ』

童磨『あれ?猗窩座殿、なんだか強くなってない?』

半天狗『玉壺はともかく、猗窩座はおそろしい・・・』

玉壺『そんな御無体な・・・でもそこがいい・・・』

妓夫太郎『困った。俺はともかく、堕姫をどうしよう・・・』
堕姫『わーん!助けて、お兄ちゃん!』


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下弦の陸

第45話
Side: 猗窩座


猗窩座(あかざ)殿!」

 

「・・・・・・」

 

ヒョイ

馴れ馴れしく触ろうとする童磨(どうま)の手を避ける。

 

「猗窩座殿との血戦(けっせん)はいつ以来だろうか!

 五年後が楽しみだ!」

 

「俺は・・・」

 

視線を童磨の、その更に奥、最凶の剣士へと向ける。

 

「必ずお前を殺す」

 

ゾワリーーー!!!

瞬間、濃密な鬼気が周囲を覆うように溢れ出す。

 

「そうか・・・

 励む・・・ことだ・・・

 待っているぞ・・・」

 

息が詰まるような殺気と共に、

フッと、黒死牟(こくしぼう)は姿を消した。

 

「さよなら、黒死牟殿!」

 

「・・・・・・」

 

ふと、手を開くと、

じわりと、汗ばんでいた。

 

『まだまだ遠いな・・・』

 

「あれぇ?

 君たち、もう疲れちゃったのかい?」

 

童磨の声にふと振り返ると、下弦(かげん)の鬼の大半が倒れていた。

どうやら今の殺気に耐えられなかったようだ。

 

しかし僅かながら、耐えている者もいる。

 

着物姿の小柄な女、下弦の(いち)姑獲鳥(うぶめ)

彼女は額に汗を浮かべながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

西洋のスーツとやらを着た男、下弦の()魘夢(えんむ)

姑獲鳥同様、あの殺気の中でも立ち上がる実力を持ち、周りの鬼が倒れているのを恍惚とした表情で見下ろしていた。

 

見たところ、仮に柱と相対したとしても、一対一なら負けない程度の実力はあるようだ。

とは言え、その程度であれば、五年後まで生き残れるかどうかは分からない。

 

『相手が槇寿郎と瑠火だったとしたら、

 勝ち目は無いだろうな』

 

地に這いつくばっている残りの有象無象(うぞうむぞう)は、そもそも五年後まで生き残れるかどうかも怪しい。

 

特に情けないのが、下弦の(ろく)響凱(きょうがい)

身体中に埋め込まれた小鼓を鳴らすことで、周囲の空間に斬撃を飛ばすという血鬼術を持つ新参者。

 

ヤツの血鬼術(けっきじゅつ)は、この無限城(むげんじょう)を根城に無惨様の信頼も厚い、鳴女(なきめ)の能力と非常に似通っている。

 

そう考えると、恐ろしい可能性を秘めているのかもしれないが・・・

あまりにも弱い。弱過ぎる。

泡を吹いて倒れているあの様では、五年後まで生き残っているかどうかも怪しい。

 

鳴女よりも弱い鬼などが、どうして下弦に選ばれたのか理解できない。

仮にも無惨様が選ばれたのだから、何か可能性を秘めているのかもしれないが・・・

 

「・・・起きろ、響凱」

 

腹を蹴り上げ、無理やり意識を覚醒させる。

 

「グッ!

 痛ッッッ!」

 

「雑魚が、この程度で倒れるな。

 仮にも十二鬼月に選ばれたのなら、少しは無惨様の役に立て」

 

「グッ・・・あ、猗窩座様!?

 あ痛ッッ!」

 

「響凱。

 貴様も十二鬼月の端くれなら、あらゆる手を尽くして強くなれ。

 弱者には何も守れない。何も成せない。

 お前が自分に自信を持てないのは、お前が弱いからだ」

 

そこへ、珍しいものを見たかのように、童磨が話に割って入ってきた。

 

「猗窩座殿?

 一体どういう風の吹き回しかな?」

 

「・・・無惨様は、十二鬼月の強化をお望みだ」

 

「あー!

 なるほどね!」

 

「響凱、貴様は雑魚だ。反吐が出るほど弱い。

 その様子では柱ですらない鬼狩りにも勝てない。

 五年後と言わず、俺が今すぐ殺してやりたいほどだ・・・」

 

俺の言葉に響凱の顔がどんどん暗く俯いていく。

強面で図体も大きい癖に、思いの外繊細なヤツだ。

 

「だが、その能力は悪くない」

 

その言葉に光明を見出したのか、顔を上げてこちらを見つめてくる。

 

「・・・小生(しょうせい)は・・・

 小生は、どうすればもっと強くなれますか!?」

 

「・・・匂いで分かる。

 人間を喰って強くなるには、限界があるのだろう?

 ならば、そこから先は頭と技を鍛えることだ。

 自分の能力を深く理解し、勝つために自らを鍛えることだ」

 

喰えないからと言って、それが弱い理由にはならない。

そう呟いて踵を返す。

 

手がかりは与えた。

あとはその能力を、どう磨き上げるか。

 

『所詮は下弦の陸。

 明日、鬼狩りに敗れたとしても不思議はない』

 

そう思い、鳴女を呼ぼうとしたところ、背後から名前を呼ばれた。

 

「猗窩座様!

 どうか小生にご教示頂けませんでしょうか!?」

 

どうやら、少しは根性があるようだ。

 

思わず口端がニヤリと弧を描く。

 

「・・・・・・・・・言ったな?」

 

振り向いて、一歩を踏み出す。

場にどよめきが走り、様子を見ていた他の下弦も、童磨も、一歩下がって道を開ける。

 

これは悪魔の契約だ。

相手は強くなりたい。

俺は技を試したい。

 

相手は鬼。

手足を消し飛ばそうが、頭を引きちぎろうが、決して死にはしない。

 

今まで人間の弟子では試せなかった事が、コイツ相手なら遠慮なく出来る。

 

座して頭を下げる響凱に、笑顔で声を掛ける。

 

「立て、響凱」

 

「はい!」

 

「俺は、お前が泣こうが喚こうが容赦はしない。

 その代わり、お前は必ず強くなる。

 それでも付いてくるか?」

 

「・・・はい!」

 

弱者は嫌いだ。

弱い奴は正々堂々とやり合わない。

勝てないからと醜い手を使う。

弱い奴は辛抱が足りない。

 

だが、強くなろうとする弱者は、嫌いではない。

 

響凱。

こいつは地獄を見ることになるだろう。

その代わり、その心を忘れない限り、必ず強くしてやる。

 

「鳴女!

 俺たちを一緒に、どこかの山奥へ飛ばしてくれ」

 

べべん




その後・・・

姑獲鳥「おバカさんねえ」

魘夢『あれは死んだかなぁ』

半天狗「怖ろしい怖ろしい・・・」

童磨「猗窩座殿、楽しそうだったなぁ」

妓夫太郎「良いなぁ。俺も鍛えて貰おうかな・・・」

堕姫「お兄ちゃん!?」


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鼓打ち

第46話
Side: 猗窩座


見上げれば朧月夜。

どことも知れぬ山奥の、灯り一つない山麓に、相対する鬼が二体。

 

「響凱、今ここで血鬼術を使ってみろ」

 

「はい・・・」

 

ポン!

何も無い場所から、三本の鉤爪で引っ掻いたような斬撃が飛ぶ。

 

裂けた左腕が、一瞬で再生する。

 

「もっと力を込めろ!

 本気でやれ!」

 

ポポポポポン!!

 

三本の斬撃が五つ、計十五もの斬撃が上下左右から迫る。

 

しかし、避けない。

避ける必要がない。

 

手足の肉が裂けるが、血が流れ落ちるよりも早く、一瞬で再生される。

 

「よし、次だ。

 鼓打ちと組み合わせて攻撃して来い」

 

「は、しかし・・・」

 

「無用な心配だ。

 さっさと始めろ」

 

「承知しました。

 では・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう充分だ響凱、終わりにしよう」

 

「グ、ハァ、ハァ、ハァ・・・」

 

およそ一刻に渡り、響凱の能力を確認した。

 

発動条件は小鼓を叩くこと。

小鼓を叩くことで、鉤爪で引き裂いたような斬撃が飛ぶ。

 

連続で打てばその分、効果は連続で発動する。

叩く強さの強弱によって、鉤爪の数は三本から五本と変化する。

 

能力の効果範囲は、およそ響凱が視認できる範囲。

効果範囲を超えると、全ての効果が無効化される。

 

この能力の一番の特徴は、空間に直接作用するということだ。

例えば、三間先の枝を切り落とそうとすれば、その間に他の木があっても影響を受けることなく、目標の枝だけが大地に落ちる。

 

ただし、木の幹を斬り倒すほどの威力はない。

 

「面白い能力だ。

 それより問題は、貴様の攻撃が生温いことだ」

 

「小生の攻撃が・・・?」

 

「貴様は今まで何人の鬼狩りを喰った?

 柱と交戦したことは?」

 

「普段は屋敷に籠っているので、鬼狩りとの交戦経験は少なく・・・

 柱とは出会ったこともありません」

 

「それでよく生き残れたものだ。

 柱相手に、この程度の斬撃は何の意味もない。

 脅威でない攻撃など、あってはならない弱点だ」

 

「弱点・・・」

 

「そんな貴様に素晴らしい提案をしよう」

 

にっこりと笑顔で告げる。

 

「お前も素手で戦えるようになれ」

 

「はい・・・は?」

 

「見れば分かる。お前の弱さ。

 鬼の力を全く活かせていない。

 下弦の称号も、能力の可能性を見越して選ばれただけだ」

 

「そんな、小生が・・・」

 

「響凱、なぜお前が強くなれないのか教えてやろう。

 強者との実戦経験が足りないからだ。

 力がない。経験も向上心も足りない。

 何より自分より強い者と戦う覚悟がない」

 

「覚悟ーーー」

 

「だが喜べ響凱。貴様は鬼だ。

 百年でも二百年でも鍛錬し続けられる。

 死ぬこともなく、いつまでも強くなれる」

 

「小生でも強くなれる・・・」

 

さて、まずは体ごと心をへし折ってやろう。

人として、所詮一度は死んだ身。

二度も三度も変わらない。

 

「では始めようか。

 構えろ」

 

そう言うと響凱は前傾姿勢を取り、両手を小鼓に添えた。

緊張からか、額から一筋の汗が流れ落ちる。

 

脅威を感じない攻撃は、何の意味も成さないことを教えてやろう。

 

「まず百回死ね」

 

「はーーー?」

 

その先の言葉を発することもなく、響凱の両腕と頭が宙を舞った。




この頃の響凱は、腹にしか鼓がありません。
無惨様の血があるとは言え、これでは斬撃を飛ばすだけの雑魚です。
煉獄零話の笛鬼の方がよっぽど強いような。。。


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成長と進化

第47話
Side: 猗窩座


「グ・・・ゥ・・・ル・・・」

 

尖った耳、柊の葉のような刺々しい額の痣、肩まで届く伸びた髪。

右目に『下陸』と刻まれた首から上だけの鬼の口から呻き声が漏れる。

 

彼方此方へと吹き飛んだ四肢が、流れ落ちた血を伝って元に戻ろうと、ズルズル、ズルズルと地を蠢く。

 

「理解したか?お前は弱い。

 柱が相手なら、今のままでは生き残る術はない」

 

首と胴が繋がり、手足が繋がり、細胞が再生されていく。

 

「小生は・・・小生の鼓は・・・」

 

既に百は四肢を吹き飛ばしている。

しかし意外にも心折れる事なく、響凱は立ち上がってきた。

 

「良い覚悟だ。

 短時間で死ぬことに慣れてきたな。

 褒めてやる」

 

グッと大地を深く踏み締め、右手を前に、左手を引いて構える。

 

『術式展開ーーー』

 

雪の結晶の紋様が辺りに広がり、周囲に粉雪が舞う。

そのまま空に飛び上がり、両腕から衝撃波を放つ。

 

『破壊殺・空式!!』

 

ガガガガガッ!!!

響凱の動きを封じるかのように、その周囲へと無数の衝撃波が飛ぶ。

 

「死ね」

 

身動きを封じた上で、頭上から勢いを乗せた拳を振り下ろす。

 

「小生はーーー!!」

 

ポポポポポポポン!!!

 

無数の斬撃が猗窩座を襲う。

額、頬、首、腕、胸、腹、膝と全身に切り傷が走り、血が飛び散る。

 

無数の返り血を頭上から浴びながらも、響凱は鼓を叩き続けた。

 

「ぬるいッ!!」

 

グチャメキッ!

 

肉が潰れ、骨が折れる感触が拳に伝わるが、構わずそのまま大地まで、拳を振り下ろす。

 

ドンッ!!!

 

大地に罅が入るほどの衝撃。

 

響凱だったものの原形は既になく、辺りには小さな肉片が飛び散っていた。

 

それらの肉片は地面を蠢きながら、くっついては再生し、くっついては再生を繰り返し、徐々に形を取り戻していく。

 

やがて人の形を取り戻した響凱に向けて、伝える。

 

「何故拳を使わなかった?」

 

随分と考え込んだ後、響凱は訥々と語り始めた。

 

「・・・すみません・・・

 小生は、鼓打ちが好きなのです」

 

その答えは予想外のものだった。

 

『好き、か・・・』

 

「人間の記憶が残っているのか?」

 

「・・・つまらない話です。

 小生は鼓打ちと書き物が好きでしたが、

 残念ながら才能がなかった・・・

 だから、そのことを馬鹿にした連中を!

 俺は!見返してやりたい!!」

 

粗暴な、いかにも鬼らしい大柄な体躯の中に、線の細い書生の姿が垣間見えた。

 

初めて聞いた本音から、繊細な性格が見て取れる。

思い違いをしていた。

戦士ではないのだ。この男は。

 

拳より頭を使わせた方が伸びるかもしれない。

好きにやらせてみるのも手か。

 

「そうか。

 それがお前の生き様なら、やり遂げて見せろ。

 御託はいい。結果で示せ」

 

結果と聞いて落込んだのか、響凱は俯いてしまった。

 

「猗窩座様・・・

 小生の血鬼術は・・・無価値でしょうか?」

 

『出会った頃の槇寿郎の目を思い出す。

 馬鹿なやつだ。

 全ての鬼を知る無惨様に選ばれた意味を、

 全く理解していない』

 

「響凱。鬼は死なない。

 自分が弱いと思うなら強くなれ。

 無価値と思うなら価値を作れ。

 時間はいくらでもある」

 

「!?」

 

「それに、お前の血鬼術は発展途上だ。

 楽器といえば鳴女もそうだが、はじめから今の能力が使えたわけではない。

 血鬼術は成長する。

 己を圧倒するような、強者とのギリギリの闘いが、能力を深く進化させる。

 これは鬼も人間も同じだ」

 

「成長・・・小生の血鬼術が、進化・・・」

 

「そうだ。自分の身体を見ろ。

 この短時間で鼓の数が増えているだろう。

 無価値かどうかは、鍛錬の先に判断すればいい」

 

その言葉に、響凱はハッとして自分の身体を見直す。

 

「小生の鼓が・・・!」

 

両肩・両腿、そして背中に新たな小鼓が発現していた。

 

「・・・あ、ありがとうございます!

 猗窩座様!!」

 

感謝しきり、といった様子の響凱に向けて、にこにこと笑顔で告げる。

 

「その調子で強くなれ、響凱。

 では早速、新たな能力を見ようか。

 構えろ」

 

「はい!

 ・・・はい?」

 

「遅い!」

 

再び、鼓を打つ間もなく、その両腕と首が宙を舞う。

ぽーんと、飛んで落ちてくる首を受け取り、その耳元で囁く。

 

「下弦の鬼は殆どが柱によって殺される。

 まずは生き残る術を身に付けることだ。

 そのことを、戦闘経験の少ないお前には実戦で教えてやる。

 覚悟しておけ」

 

手加減が必要ない相手との鍛錬は、初めてのこと。

思わず口端が吊り上がるのだった。




この章の主役は猗窩座です。
響凱はおまけ程度に思っていてください。

口調については、書生だった過去と、強くなって見返したい鬼としての願望から、二面性を表現しています。
しかし、響凱のキャラは表現が難しいですね。
グルル・・・としか言わないんだもん!


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雪山の遭遇

第48話
Side: 猗窩座


ザク、ザク、ザクーーー

 

足を踏み出す度、雪を踏み締める音が辺りに響く。

 

「・・・・・・寒い」

 

「分かりきったことを言うな」

 

綿の詰められた着物に羽織を纏った人間姿の鬼が二人、雪に埋もれながら夜の山道を歩いていた。

 

 

 

 

真夜中から日中にかけて、雪が降り続いた。

日が沈んだ後、ようやく外に出ようとするも戸が開かない。

 

戸ごと、降り積もった雪を蹴り飛ばした先には、一面の雪景色が広がっていた。

江戸の時代を思い出すような、綺麗な銀色だった。

 

「・・・・・・」

 

吐息が白に染まる。

初めて目にする一面の雪景色に、思わず目を奪われていた。

 

「嗚呼、猗窩座様!なんてことを!」

 

無地の着物に、花柄の羽織を纏う大柄な男。

人間の姿をした響凱が、吹き飛んだ戸を見るなり声を荒げていた。

 

変身は鬼狩りに見つからないよう覚えさせたのだが、

人間の記憶が強く残っていたため、習得は思いの外早かった。

 

本人が言うには、想像するのは慣れているらしい。

 

「この雪では鍛錬ができない。

 響凱、下山するぞ」

 

「また急ですね・・・

 少々お待ちください。

 保存食をまとめて用意します」

 

「そうか。任せる」

 

響凱という男は、頭は悪くないがプライドが高く根暗な鬼だった。

そのプライドを木っ端微塵に砕き、磨り潰し、吹き飛ばした後に残ったのは、割と頭の回る有能な男だった。

 

 

 

 

 

 

「・・・?」

 

ふと僅かな闘気を感じた。

 

「どうされました?」

 

進行方向から少し逸れた先を見つめる。

 

「この先に大型の獣がいる」

 

「それは良いですね。

 捕らえて食糧にしましょう。

 方角は?」

 

「こっちだ。行くぞ」

 

「はい」

 

目立たぬようにと、遅々とした歩みを止め、高い木々の枝を足場にしながら、二人は山上を一気に駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・おかしい。

 何だ?この奇妙な気配は・・・?」

 

この先に大型の獣の闘気を感じる。

その近くにあった人間の気配が、急に消えた。

 

拭えぬ違和感に立ち止まり、意識を切り替える。

 

『術式展開・羅針』

 

慶吾との修行で身に付けた、罠を見破るための血鬼術を使う。

 

探知に引っかかる者がいる。

確実に何者かがいるーーー

 

しかし、いる筈の場所から闘気を感じない。

こんなことは初めてだった。

 

『獣に殺された可能性もある。

 しかし、本能が違うと告げている』

 

このまま進むべきか否か。

未知の事態に、本能が警鐘を鳴らしていた。

 

『赤子にすら薄い闘気があった。

 こんなことは初めてだ』

 

「響凱」

 

「何でしょうか?」

 

「この先に、得体の知れない存在がいる。

 もしもの場合は、お前は血鬼術で逃げろ」

 

「・・・まさか、柱ですか?」

 

「違う。柱ならば闘気で分かる。

 その闘気が全く感じられない。

 そこにいるはずのない、異物のような何か・・・」

 

「既に死んでいるのでは?」

 

「・・・いや、違う。

 俺はこの違和感を突き止めに行く」

 

「分かりました。

 何かあればすぐに撤退しましょう」

 

「いざという時は、迷うなよ」

 

「分かっております」

 

人間姿のまま、意識を戦闘状態に切り替える。

 

響凱もまた、同じように意識を切り替えたことを確認すると、俺たちは再び夜山を駆け抜けた。




という訳で、鳴女に飛ばされたのは雲取山でした。


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植物のような男

第49話
Side: 猗窩座


「俺の家族に危害を加える者は、

 何人(なんぴと)であろうと容赦はしない。

 腹を空かせているのは気の毒だが、

 それ以上こちらに来れば、命を奪うこととする」

 

グオオォォーーーーー

 

その男に敵意を向けた熊の咆哮(ほうこう)は、そのまま断末魔の叫びとなった。

 

 

 

 

 

『馬鹿な・・・

 動きが見えなかった・・・』

 

八尺(はっしゃく)ほどの大型の熊の首がストンと落ちる。

 

仕留めたのは額に(あざ)のある、闘気のない植物のような男。

 

幾度となく周りを見渡しても、他には誰もいない。

 

あの男がやったのだ。

 

視線の先にいる植物のような男。

右手に携えた、小さな(まき)割り用の斧だけで。

 

あんな小さな斧で、熊の太い首があんなにも綺麗(きれい)に切り落とせるはずがない。

しかし現に、なす術もなく熊の首は落ち、大きな身体が雪の中へと倒れている。

 

背筋に戦慄(せんりつ)が走る。

 

もし引き返すのであれば、ここが分水領(ぶんすいりょう)だったのかもしれない。

 

しかし、最早遅かったーーー

 

響凱(きょうがい)と二人、無言で遠く離れた木の上から見ているにも関わらず、その男の視線は確実にこちらを捉えていた。

 

猗窩座(あかざ)様。あの人間は不気味です。

 筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い恐怖を感じます。

 ここは引き返しませんか?」

 

「もう遅い。既に見つかっている。

 ここで逃げれば怪しいと教えるようなものだ。

 それに、あの男に興味が湧いた。

 少し、話をしてみたい」

 

「・・・いざとなれば逃げますよ?」

 

「分かっている」

 

ストンと木から飛び降り、植物のような男の方へ向かって雪道を歩いていく。

 

その間も、男の視線が外れることはなかった。

 

鬼の能力ならば、一足で間合いを詰められる距離まで近づいたところで、男から声をかけられる。

 

其処(そこ)童子(どうじ)殿。

 このような夜更けに何用ですか?」

 

優しい、穏やかな声音だった。

しかしその声を聞いた瞬間、まるで蛇に睨まれた蛙のように、そこから先へ一歩たりとも足を踏み出せなくなる。

 

久しく感じていなかった、強者との邂逅(かいこう)

羅針(らしん)が闘気を感知しない男。

無意識の内に、額から汗が流れ落ちる。

 

至高(しこう)領域(りょういき)』という言葉が脳裏を過ぎる。

 

まずは対話だ。

この男が本物かどうかを知らなければならない。

もし本物ならば、不用意な攻撃は死に繋がる。

 

「そこの熊を追っていた。

 お前が倒したのか?」

 

「そうでしたか。倒したのは私です。

 突然の大雪で、あなた方もお腹を空かせているのでしょう?

 もし私達に危害を加えないと約束して頂けるなら、

 獲れた血肉(ちにく)を分けてあげてもいいですが、どうしますか?」

 

植物のような男の瞳。

怒りも憎しみもなく、殺気も闘気もない。

 

不思議だ。

しかし、その瞳に全てを見透かされているかのような気がしてならない。

 

「連れと話がしたい。

 少し時間をくれ」

 

「どうぞ」

 

視界から決して男の姿を外さないように、響凱へと言葉をかける。

 

「響凱、お前とはここでお別れだ」

 

「え、何故ですか!?」

 

「今の会話を思い出せ。この男は血肉と言った。

 ああ見えて、俺たちのことを知っている。

 そしてあの立居振る舞い。強者に違いない。

 つまり、お前は足手纏(あしでまと)いだ」

 

「そんなまさか・・・!

 とても鬼狩(おにが)りには見えませんが・・・

 しかし、確かにあの男は得体が知れません。

 本当に人間なのでしょうか・・・?」

 

「響凱。

 お前も五年後を目指しているのだろう?

 俺もそうだ。至高の領域が目の前にあるならば、

 我が幾百星霜の武の道は、前にこそある」

 

「正確にはあと四年と少しです。

 ・・・仕方ないですね。分かりました。

 必ずまた無限城(むげんじょう)でお会いしましょう。

 小生もまだまだ、強くなりますので」

 

「ああ、妓夫太郎(ぎゅうたろう)ならともかく、堕姫(だき)を相手に無様な負けを晒してみろ。

 その時は俺が殺してやる」

 

「殺すってそんな、冗談に聞こえませんよ・・・

 冗談ですよね?そうですよね?」

 

「俺は嘘が嫌いだ」

 

「嗚呼、そうだ。

 この人はこういう人だった・・・」

 

()らば、響凱」

 

「さようなら、猗窩座様」

 

鬼の姿となり、背中の鼓を叩く。

と、一瞬にしてその場から響凱の姿が消える。

 

懸念が無くなったことで、俺は改めてこの不気味な男に向き直った。




当初のプロットだと、ここで猗窩座が炭十郎と戦う予定でしたが、キャラが勝手に動きました。

こういう時は、流れに身を任せます。


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炭売りの青年

第50話
Side: 猗窩座


「私は竈門(かまど)炭十郎(たんじゅうろう)という」

 

「そうか。炭十郎と言うのか。

 俺は猗窩座(あかざ)

 

「早速で申し訳ないが、できれば、

 貴方も手伝ってくれると助かる」

 

「手伝う?何をだ?」

 

「コイツの解体だ」

 

そう言う炭十郎の指は、仕留めた(くま)を指していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ・・・

 このくらいで良いだろう」

 

炭十郎は多くを語る人間ではなかった。

しかし俺の問いかけには必ず返事を返してくれた。

 

子供は好きかと聞かれたので、

「行動に際限(さいげん)がなく、面倒(めんどう)(きわ)まりない」

と答えた時、ニコリと笑ったことが炭十郎の唯一の感情表現だった。

 

いつしか炭十郎の口調は柔らかくなっていた。

 

「ありがとう猗窩座、助かったよ」

 

「構わない。慣れている」

 

皮を剥ぎ、内臓を取り、血抜きを済ませた肉を、頭部、手足、胴体に切り分けて、持ち運べるよう袋へ詰めていく。

もはや、慣れたものだった。

 

最後に残った毛皮を別の袋へと詰め込むと、俺たちはどちらともなく立ち上がった。

 

炭十郎の顔色は少し悪く、身体は痩せ細っていた。

何も知らない者が見れば、弱者としか映らないだろう。

にも関わらず、解体作業にも疲れた様子はなく、慣れた手つきで作業を進めていた。

 

この植物のような男を注意深く観察して、ようやく気付いたことがある。

 

ごく自然体(しぜんたい)で、呼吸法(こきゅうほう)を使っている。

あまりに自然。一切の無駄が無い。

今まで倒した柱にも、ここまで呼吸を極めた者はいなかっただろう。

 

そして今もなお、俺の破壊殺(はかいさつ)羅針(らしん)が闘気を感知しない。

俺は一体何と話しているのか、まるで植物を相手にしているようだった。

 

『面白い。

 俺が目指す至高の領域。

 今までは漠然(ばくぜん)としたものだったが、

 この男ならば何か知っているかもしれない』

 

「炭十郎。育ち盛りの子供が沢山いるのだろう。

 解体した肉と毛皮は、全て持っていけ。

 その代わり、俺と立ち会ってくれないか?」

 

「私は貴方のような武人に請われる身ではない。

 病弱な、しがない炭売(すみう)りですよ」

 

穏やかな微笑(ほほえみ)()やすことなく自然体のまま、炭十郎は答える。

 

謙遜(けんそん)が過ぎるな、炭十郎。

 俺の前で爪を隠すのはやめろ」

 

「・・・では、熊肉のお礼に少しだけでしたら。

 それと、立ち会いに際して約束をして頂きたいのですが」

 

「何だ?」

 

「私では貴方に致命傷(ちめいしょう)を与えられないでしょう。

 しかしそれでは勝負が付かない。

 なので貴方の首を切ることができれば、私の勝ちとさせてください」

 

穏やかな口調で、まるで今日の天気の話でもするかの如く、その言葉は静かに俺の耳に響いた。

 

常の己ならば激昂して、目の前の男の頭蓋(ずがい)を砕いていたに違いない。

 

だが、今は違う。

いとも容易くそれを成せると言ったのだ。

目の前の男は。

 

思わず口の端(くちのは)が吊り上がる。

 

「分かった。それでいい」

 

「それともう一つ」

 

「何だ?」

 

「日取りは、私の体調の良い日にさせてください」

 

「分かった。

 それは俺も望むところだ」

 

「最後に一つ。

 これは忠告なのですがーーー」

 

「何だ?」

 

「俺の家族に危害を加える者は、

 たとえ鬼であろうと、容赦はしない」

 

初めて向けられた殺意に、死を感じたーーー

 

この男にとって守る者は、家族なのだろう。

俺にはもう、そんなものは残ってはいないが・・・

 

「・・・俺の名は狛治。

 我が妻、恋雪の名にかけて、

 正々堂々とやり合うことを誓おう」

 

「・・・良いでしょう。

 では袋を持って、私に付いて来てください」

 

「どこへ行く?」

 

「貴方が追い込み、私が仕留めた熊です。

 先ほどは解体まで手伝って頂いた。

 ここは猟師の習いとして、家で熊鍋をご馳走しましょう」




まだ戦いません。

本来の予定では、猗窩座が炭十郎に負けて殺されそうになるところを、ギリギリで響凱が助け、代わりに死ぬという筋書きでしたが・・・
何故か生き残ってしまいました。


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竈門家 前編

第51話
Side: 猗窩座


「にくだ!」

 

「美味しい!」

 

「美味しいねえ!」

 

「ああぁぁぁあ!!」

 

「はいはい。

 (しげる)、ちょっと待っててね」

 

子沢山(こだくさん)とは聞いていたものの、まさか五人兄弟とは。

 

食事中だろうと何だろうと、コイツらには関係ない。

常に二人以上の声が家の中を飛び交い、その活発さに圧倒される。

 

珠世(たまよ)の屋敷での日々を懐かしく感じる。

 

『そう言えば、鳴女(なきめ)に呼び出されたことをアイツらに言ってなかったな・・・

 一人で修行するとは伝えていたし、目標も与えた。

 今頃は修行に明け暮れている頃だろう』

 

「・・・・・・」

 

狛治(はくじ)さん、騒がしくて申し訳ない。

 久し振りのご馳走なんだ」

 

「いや、考え事をしていただけだ。

 気にするな、炭十郎(たんじゅうろう)

 それよりも、そこのお前」

 

一人だけ(はし)も付けずに兄弟達の世話をしている長男を呼ぶ。

 

「え?はい!

 何ですか?」

 

「お前は肉が嫌いなのか?」

 

「そんなことないです!好きです!」

 

「そうか。

 それならこれも食え」

 

ずい、と自分の為に用意されたお椀を少年の目の前に差し出す。

 

「ええ!?そんな、貰えないですよ」

 

「遠慮をするな。

 俺はさっき、新鮮な肉を食ってきたばかりだ」

 

炭治郎(たんじろう)。遠慮は美徳だが、

 人の好意を受け取ることもまた、

 相手を思いやることなんだよ」

 

「父さん・・・分かりました!

 では、いただきます!」

 

意識を切り替えた少年の行動は早かった。

差し出しされたお椀を受け取ると、今までの遠慮を投げ捨てる勢いで、ガツガツと平らげていく。

 

見る見るうちにお椀は空になっていた。

 

「ふぅ。美味しかったです!

 狛治さん、ありがとうございます!」

 

屈託のない笑顔が眩しい。

 

感謝されるほど、大したことはしていない。

にも関わらず、他者からこんなにも感謝を向けられる事などーーー

 

「・・・いい食いっぷりだった」

 

考えてみれば、周囲の他者を優先するような性格の子は俺の周りには居ない。

しかしそれも当たり前か。

守るべき者、守られるべき大人を失った者ばかり。

 

全員が全員、生きる事への執着が強い、変わり者の集まり。

沙代(さよ)もいつしか、遠慮がなくなっていたしな。

 

『炭治郎と言ったか・・・』

 

「ああーーー!

 兄ちゃんだけずるい!」

 

「にくー!」

 

「みんな、少しは取っておかないと。

 明日の分がなくなっちゃうでしょう?」

 

「・・・炭十郎。今夜くらいは良いだろう。

 肉ならまた取ってくればいい」

 

「狛治さんがそう言うなら・・・

 葵枝(きえ)、残りの分も出そう」

 

「あら、珍しいですね。

 分かりました」

 

葵枝と呼ばれた、幼子を背負った奥方が台所へと向かう。

 

「炭十郎の言葉は正しかったな」

 

「炭治郎が分かりやすいだけですよ」

 

「何?狛治さん、父さんは何て言ってたの?

 ・・・言ったのですか?」

 

「炭治郎は『我慢強い子』『兄弟想いの優しい子』と言っていた。

 反面『抱え込み過ぎて心配なところもある』とな」

 

「へえ〜〜〜。

 父さんが・・・」

 

「炭治郎、お前の父は凄い男だ」

 

「そうなの?

 ・・・そんなんですか?」

 

頑張って敬語を使おうとする炭治郎には悪いが、俺に敬語は不要だ。

 

「お前は礼儀正しい子だ、炭治郎。

 とは言え、慣れない敬語は使わなくていい」

 

「・・・・・・」

 

顔を真っ赤にして恥ずかしがる炭治郎を見て、長女が笑う。

 

「ふふふ・・・

 お兄ちゃん、赤くなってる」

 

「・・・・・・はい」

 

「炭十郎の話だったな。

 八尺(はちしゃく)大熊(おおぐま)を仕留めたのは炭十郎だ。

 あっという間に熊の首を切り落としたあの早業(はやわざ)

 およそ人間業(にんげんわざ)ではない」

 

今思い出しても、ゾクゾクする。

もし得物(えもの)が鬼狩りの刀だったとすれば、俺を殺し得る斬撃。

背筋が凍るほどに、その技は冴え渡っていた。

 

思いを巡らせていると、当の本人から申告があった。

 

「狛治さん、子供たちには伝えていないんです」

 

「何故だ?

 子供は強者に憧れるもの。

 子を強く育てるのも親の務めではないのか?」

 

竈門家(かまどけ)は代々、神楽(かぐら)を受け継ぐ者。

 強さは、無用な厄介事(やっかいごと)まで呼び寄せてしまう。

 それでは駄目なのです」

 

『厄介事・・・』

 

「そうか・・・そうだな。

 このことは他言無用(たごんむよう)にする。

 しかし、いずれ継ぐのだろう?」

 

「時が来れば」

 

「そうか」

 

炭治郎を見る。弱い。圧倒的に弱い。

まだ子供故に仕方のないことだが、話にならない。

この子供が強くなるなどと信じられないが、継ぐのはこの子だろう。

 

周りの兄弟へと気を配る配慮。

少しでも親の負担を減らそうとする心。

笑顔で家事を手伝う振舞い。

綺麗事の塊のような子供だが・・・

甘い。甘過ぎる。

 

自分の事を二の次にしているせいで、自己鍛錬(じこたんれん)が全く出来ていない。

人間の時間は有限(ゆうげん)

このままでは成長が見込めない。

 

この世はそれほど甘くない。

もし炭十郎がいなければ、野獣か強盗か賊か、或いは鬼か。

この家の者は抵抗できないまま、奪われるだけだろう。

 

しかし考えてみれば、何故このような地に炭十郎のような強者が住んでいるのか・・・

何か秘密があるのだろうか。

 

 

 

鍋が空になった頃、小さな子たちは、うつらうつらと船を漕ぎ始めていた。

 

「炭十郎、今夜は冷える。俺が火の番をしよう」

 

「狛治さんも雪山を越えられて、さぞお疲れでしょう。

 ここは私が見ておきます」

 

「お前が早々に仕留めたお陰で、体力が有り余っている。

 一宿一飯(いっしゅくいっぱん)の礼だ。これぐらいはさせて貰おう」

 

「そうでしたか。

 では私もご一緒しましょう」

 

「そうか。分かった」

 

まるで事前に話を決めていたかのように、どちらともなく居残るよう話が進んでいく。

 

「葵枝。こちらは大丈夫だから、

 子供たちを寝かしつけたらお前も休みなさい」

 

「分かりました。

 炭治郎、禰豆子(ねずこ)。行きますよ」

 

「はい!」

「はーい!」

 

葵枝が三男の茂を、炭治郎が次男の竹雄(たけお)を、禰豆子が次女の花子(はなこ)を連れ立って、寝室へと下がっていく。

 

炭治郎と禰豆子の二人は、(ふすま)を閉める際にぺこりと頭を下げてから去っていった。

 

『この礼儀正しさは、うちの馬鹿弟子達に爪の(あか)(せん)じて飲ませたいくらいだ・・・』

 

 

 

 

 

人の気配が去った静かな場に、炭十郎の呟きが溢れる。

 

「狛治さん。

 炭治郎と話してくれてありがとう。

 あの子はいずれ、ヒノカミ神楽を継いでゆく。

 貴方のことは一生忘れないだろう・・・」

 

「炭治郎か。不思議な子だ。

 見ていると、昔を思い出す。

 しかし、そうか・・・

 ヒノカミ神楽と言うのか」

 

「ああ、その舞を後世に伝えゆく約束なんだ。

 私はまだ、炭治郎に伝え切れていない。

 貴方が私との約束を守るなら、

 三日後、私も約束を果たしましょう」

 

「二言はない。

 それに、お前の家族を見ていると懐かしい気分になる。

 約束のついでだ。お前の家族も守ってやろう」




明けましておめでとう御座います☀️

この絡み、セリフが、イメージが難しい・・・
しかし考えてみれば、そりゃそうだろう。
まさか猗窩座が炭治郎の父さんと同じ食卓を囲うことになるとは思うまい。

あまりにイメージが湧かないので、アニメ版の声を思い浮かべながら作りましたが、どこまで近づけたことやら。


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竈門家 後編

第52話
Side: 猗窩座


「グルオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

容易く人の命を刈り取る一撃。

目の前の熊から、その剛爪が容赦なく振るわれる。

 

『もっとだ。もっとよく注視しろ』

 

肌を掠めるほどの至近距離。

振るわれる剛腕を、僅か一寸ほどの間合いで全て躱していく。

 

頬を撫でる風が心地よい。

 

『あの時、瑠火(るか)は何かを掴んだ・・・』

 

元よりこの程度の攻撃ならば、見てからでも十分避けられる。

 

しかし、目指すべき境地はそこではない。

 

腕、脚、腰、そして目線。

相手の動きの起点を見定め、攻撃の流れを読む。

 

腕を振り上げる。

腕の角度、膝の屈伸、脚の伸び、胸筋の向き、腰の捻り、自分との間合い、そして目線。

一連の動きの流れを読み取り、訪れる攻撃を予測する。

 

次はこう来る。

その予測した攻撃線をなぞるように身を置いておく。

そして、当たる瞬間に避ける。

 

当たる筈の攻撃が当たらない。

獣の脳は混乱をきたしていることだろう。

 

『ひと晩、炭十郎と話して確信した。

 俺の羅針(らしん)は反応しない。

 そして超一流の呼吸の使い手であり、

 瞬間速度はおそらく俺より上』

 

あのような傑物が在野に埋もれているなど、信じられない。

病弱なことが、つくづく悔やまれる。

俺が勝てば、炭十郎には鬼になって貰おう。

そして、永遠に鍛錬し続けるのだ。

 

『だが、まずは勝つことだ。

 そして俺に勝機があるとすればーーー』

 

狛治として。

人間の姿のまま、血鬼術に頼らず、ただ五感を駆使して避け続ける。

 

 

 

 

 

「・・・ここまでか。

 獣にしてはよくもったな」

 

「ゴッフ、ゴフッ・・・グルル」

 

眼前の獣は既に息もあがり、闘志も薄くなっていた。

しかし逃げない。逃げられない。

 

野生の勘が、背を向ければ死ぬと理解しているのだろう。

 

「悪いが、炭十郎との約束だ」

 

「グルルルオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

咆哮(ほうこう)と共に繰り出される、決死の一撃。

四つん這いの体勢から剛腕が振るわれる

 

一歩踏み込む。

 

振り下ろされる左腕を右手で受け止め、

左手で心の臓を抉り出す。

 

「グルル・・・グル・・・ル・・・」

 

赤い血の(したた)るソレを、

目の前でガブリと喰らい尽くす。

 

受け止めていた腕から力が抜けていく。

 

ズン、と

雪の積もった大地へ、重い体が横たわった。

 

ドクドクと胸元から血が流れ出し、白い大地を赤く染めていく。

 

ゆっくりと、その瞳から光が失われていくのを見届ける。

 

「・・・・・・」

 

空を見上げる。

今日は朝から日が出ていなかった。

今夜辺り、また吹雪くかもしれない。

 

視線を落とす。

獲物の毛皮は、ほぼ無傷の状態。

まるで銃弾に撃たれたかのように、胸元に小さな傷跡が残るのみ。

 

『毛皮を丁寧に切れば、価値が上がる。

 血抜きの後、そのまま持っていくか・・・』

 

その思考は既に、人間で言うマタギのもの。

慶吾(けいご)と出会い、暮らす内に、人里で金を得るための知恵が身に付いてしまっていた。

 

 

 

 

 

その後、熊を背負ったまま竈門家(かまどけ)に戻った狛治の姿を見て、誰もが怯えて近付こうとしなかった。

しかしそんな中、長男の炭治郎だけは怖がることなく近付いて出迎るのだった。

 

「おかえりなさい、狛治さん。

 大きい熊ですね」

 

「炭治郎、お前は怖くないのか?」

 

「その熊は俺達のために獲ってきたものでしょう?

 もう死んでいるようですし、俺なら平気です」

 

炭治郎の声は、心なしか震えていた。

 

この子は優しいから、本当のことを言ってはいない。

怖いのは熊ではない。

 

それを、子供らしからぬ自制心で抑えている。

大した胆力だった。

 

『・・・将来、化けるかもしれないな』

 

「そうか。

 それで、炭十郎は?」

 

「父さんは少し体調が優れないようで、今日はまだ横になっています」

 

「そうか。

 なら炭治郎、お前が解体を手伝え」

 

「ええ!?

 でも俺、解体はやった事なくて・・・」

 

「誰でも初めては同じだ。

 俺の手元を見ながらやってみろ」

 

「はい!分かりました!」

 

「よし。

 ではまず、毛皮を綺麗に拭くところからだ。

 汚れてもいい布を持って来い」

 

「はい!」

 

炭治郎が率先して動いている様子を見て、他の兄弟達も興味を持ったのか、こちらへと恐る恐る近付いてきた。

 

 

 

 

 

その日は炭十郎が起きてくることはなく、炭治郎との解体作業は、周囲が暗くなるまで続けられた。




炭治郎は、においで色々なことが分かります。
なので今回は兄弟達に先んじて動くことが出来ました。

しかし一方で、猗窩座の強さを兄弟の誰よりも感じ取っています。
炭治郎の中では、破格の存在感を持つ父さんの友人。という立ち位置です。
子供って、親が信頼する人の事は、割とそのまま信頼できる事が多いんですよね。


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至高の領域

第53話
Side: 猗窩座


「手斧だと!?

 バカにしているのか、炭十郎!!」

 

目の前に立つ植物のような男。

 

眼前で手を交差させ、手斧を右手に、ただ振り抜くためだけの構え。

相変わらず、闘気が全く感じられない。

 

ヒュンーーー

 

風が吹いた。

 

嫌な予感がして、思わず後ろに飛び下がる。

 

着地と同時に、両腕が地面に落ちた。

 

「!?」

 

先ほどまで俺が立っていた場所に、手を交差させた同じ構えで炭十郎が立っている。

 

『同じだ。あの時と。

 何も見えなかった』

 

炭十郎が口を開く。

 

「次は首を斬る」

 

そのひと言で否応にも理解させられた。

この男が本気なら、今の一撃で終わっていた。

 

思わず大地を踏み締める。

 

『術式ーーー』

 

「いや、ダメだ」

 

羅針は使えない。

使ったところで意味がない。

それどころか、逆に意識の雑音を生んでしまう。

 

『落ち着け。

 動きをよく見ろ。

 機先を読め』

 

腰を落とし、手を交差させての構え。

つまり一足に間合いを詰め、真横に振り抜くための予備動作。

 

しかし、分かるのはそれだけだった。

 

『隙が無いーーー』

 

その目線は俺を見ていない。

だが、確実に一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を見られている。

 

見るのではなく、全体を俯瞰(ふかん)して視ている。

闘気と共に攻撃の意思が感じられず、どこから攻撃が来るか予想が付かない。

 

口元は構えた腕で隠れており、呼吸の機も読めない。

白い吐息すらも上手く隠しており、呼吸によって重心が動くこともない。

 

俺が侮辱(ぶじょく)されたと感じた構えは、その実、全く隙のない構えだった。

 

「炭十郎。お前は正しい。

 人間でありながらその強さ、敬意を表する」

 

心を静める。

深く腰を落とし、大地を踏み締める。

右手を前に、左手を引いた素流(そりゅう)の構え。

 

『至高の領域ーーー

 この男なら知っているのかもしれない』

 

「全力で挑ませてもらう」

 

大地を蹴り、空へと飛び上がる。

 

『破壊殺・空式』

 

無数の拳圧が炭十郎に襲いかかる。

拳法家でありながら遠距離から放たれる攻撃は、正に初見殺し。

 

ガガガガガッ!!!!

 

この程度の技で倒せはしないだろう。

しかし、少なからず捌くために手数を要する。

その隙に、一気に勝負を決める。

 

『破壊殺・滅式』

 

着地と同時に両腕を引き、右膝が大地に着くほどに両の膝を曲げる。

そこから、真っ直ぐに拳を放つ。

 

卑劣な行為もーーー

 

姑息な真似もーーー

 

卑怯な手もーーー

 

最強とは、全てを薙ぎ払い、意志を貫き通せる者のこと。

 

鬼気を全力にして放たれる、最大威力、最大速度の突き。

 

空式の拳圧に追い付かんと、最大最速の拳が迫る。

 

その絶大な威力は大地を抉り、肉ごと骨まで貫く。

 

「オオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

 

 

 

 

当たるはずの拳が、空を切る。

 

『なん・・・だと・・・!?』

 

避けた素振りはなかった。

にも関わらず、振り返れば炭十郎は無傷でその場に立っていた。

 

思わず声が漏れる。

 

「バカ、な・・・」

 

視線が、大地が近づいて来る。

 

分からない。

この男が何をしたのか。

 

分からない。

この男にいつ斬られたのか。

 

分からない。

何故、俺の攻撃が通り抜けたのか。

 

ただ一つ、確実に言えることはーーー

 

「勝負は、ついた・・・」

 

落ちそうになる首を両手で支え、繋ぎ止める。

 

「見事だ炭十郎・・・

 俺の、完敗だ・・・」

 

軟弱だと、取るに足らない存在だと思っていた。

まさか、まさか人間にやられるとは・・・

 

「だが!

 俺は必ずお前を倒す!!」

 

構えを解き、俺を見つめている炭十郎へと言葉を送る。

そしてそのまま、その場を後にしようとした。

 

「狛治さん・・・ガフッ!」

 

聞いた事のある、嫌な音がした。

刹那、とても大きな、大空のような闘気が揺らいだ。

 

ドクンーーー!!!

 

バッと振り返る。

血を吐き、前のめりに倒れゆく炭十郎の姿が見えた。

 

「炭十郎!!」

 

(まばた)きの間に移動し、思わず抱き止める。

 

「フゥー、フゥー、フゥー・・・

 ありがとう、ございます、狛治さん・・・

 『透き通る世界』の戦闘は、消耗が大きい・・・」

 

呼吸を整えながら、(かす)れた声が聞こえてくる。

 

その中に、聞き慣れない言葉があった。

 

「『透き通る世界』?

 何だそれは?」

 

「フゥー、フゥー、フゥー・・・

 すみません、狛治さん。

 このまま、家まで送って頂けませんか?」

 

今、俺がその気になれば、炭十郎は容易く死ぬ。

にも関わらず、炭十郎からは恐怖や畏怖(いふ)といった様子は微塵も見られない。

 

そして何故か『透き通る世界』という言葉が、俺の心を捉えて離れなかった。

 

「・・・分かった。勝者に従う」

 

「ありがとう、ございます・・・」

 

病弱というのは、本当だった。

もはや、歩く体力すらないように感じる。

 

「背負っていくぞ」

 

「はい・・・

 それから、狛治さん」

 

それは、考えての行動ではなかった。

昔、こうやって親父を医者に連れて行ったことがあった。

 

背中に負ぶっていると、不意に耳元で声がした。

 

『大丈夫だ、狛治』

 

「!?」

 

バッと振り返ると、顔色の悪い炭十郎が、不思議そうな顔でこちらを見ていた。

 

やがて何かを得心(とくしん)したように、柔らかな笑顔を浮かべ、

川の細流(せせらぎ)のような、落ち着いた声で話しかけてきた。

 

「先ほどの質問ですが、貴方は既に入口に立っている。

 あとは気付くだけ。きっとすぐに会得されるでしょう。

 『透き通る世界』とは・・・」

 

「・・・ゆっくりいくぞ」

 

人と鬼。

静と動。

植物と獣。

 

決して交わることのない、その道において孤高(ここう)を極める二人。

 

この夜、二人は友となった。




原作にもありますが、この細流(せせらぎ)という表現、詩的で好きです。


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幕間 小生、十二鬼月の末席を汚す者
小生、十二鬼月の末席を汚す者 壱


第54話
Side: 響凱


小生の名は響凱(きょうがい)

十二鬼月の末席を汚させて頂いている。

 

先日、上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)様の殺気に当てられ、無様にも意識を失ってしまった。

あの場には十二鬼月が全員揃っていた。

小生は序列でも最下位で、真っ先に倒れてしまった。

情けない限りだ。

 

十二鬼月の中でも、上弦の鬼の強さは別次元。

下弦の鬼は数年で鬼狩りの柱にやられることが多い。

しかし、上弦の鬼はここ百年、顔ぶれが変わっていないと聞く。

とりわけ黒死牟様は、十二鬼月最凶。

今の実力では仕方ないゆえ、精進あるのみ。

 

すぐさま猗窩座(あかざ)様に蹴飛ばされ、意識を取り戻したのも、やむを得ぬこと。

むしろ、文字通り天と地ほど実力差のある方から、声をかけて貰えただけでも僥倖と言えるかもしれない。

同じ上弦である他の方々から向けられる視線には、路傍(ろぼう)(いし)を見つめる以上の意味合いは何も感じられなかった。

 

しかし、同じ下弦である鬼たちから向けられた、小生を塵屑のように見下す目、目、目。

語らずとも分かる。

 

『馬鹿なおとこ』

『死ねばいいのに』

『雑魚が調子に乗るな』

『どうでもいい』

 

等しく小生を見下しながら、負と無の感情が入り混ざったもの。

この視線を小生はよく知っている。

 

よく知っているが故に、心の奥から沸々(ふつふつ)と怒りが湧いてきた。

 

『小生はーーー

 無価値と断じられることが!

 他の何よりも許せない!!

 必ず貴様らを見返してやる!!!』

 

この瞬間は怒りのあまり、生来の引っ込み思案な性格すらもが形を潜めていた。

目の前に目標とすべき強者がいる。

気付けば、猗窩座様に弟子入りすべく啖呵を切り、頭を下げていた。

 

「猗窩座様!

 どうか小生にご教示頂けませんでしょうか!?」

 

猗窩座様は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

 

無理もない。

それは猗窩座様以外の列席者も同様であった。

むしろ小生に対し、より深く侮蔑(ぶべつ)罵倒(ばとう)に似た視線を送る者が多くなったように感じた。

 

これは賭けだった。

 

鬼社会は無惨様を筆頭とした、完全なる実力主義社会。

そして、基本的に鬼は群れない。

交渉や情報の擦り合わせが行われることなどない。

完全なる上位下達(じょういかたつ)の組織である。

 

もっとも十二鬼月もまた、他の鬼に関心など持たない。

無惨様以外の者が下位者を使役することも稀と言える。

 

故に、下位者が上位者の意向を変えるには、入れ替わりの血戦を挑み、勝つことが求められる。

そう、勝たなければ何も言う権利すらない。

 

そこへ、先の言である。

小生は十二鬼月になりたての下弦の陸。

対する猗窩座様は上弦の参。

上から数えれば、三と十二。

 

本来、殺されても文句は言えないほどの愚行であった。

しかし、このまま周囲の者に侮られ続けて生きるくらいならばーーー

 

無謀、浅慮、無鉄砲、実力を弁えない分不相応(ぶんふそうおう)な振舞い。

しかしそれは、小生の心に残った、なけなしの勇気。

 

 

 

「立て、響凱」

 

やがて、猗窩座様の口元が弧を描いた瞬間、小生の運命は分岐した。




なんと響凱が主役。
(需要ないだろ・・・)

幕間と言うより、外伝的な意味合いが強いかも。
少しだけ響凱のターンが続きます。


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小生、十二鬼月の末席を汚す者 弐

第55話
Side: 響凱


これは後から聞いた話ーーー

 

鳴女と呼ばれる鬼は、血鬼術で異空間・無限城(むげんじょう)を創り出した。

 

鬼の拠点。

これだけでも十分有用な能力なのだが、彼女の本領は寧ろここから。

その無限城の内部構造を自在に作り替えること。

無限城を基点とした、現世と無限城との瞬間転移(しゅんかんてんい)

この転移が強力無比な能力で、十二鬼月以外では唯一、無惨様の側近として気に入られている。

 

つまり鬼も人も、あの琵琶女(びわおんな)が把握する限り、どんな場所へも瞬間移動が可能になるということ。

人間だった頃、何かの書物で『四次元空間では二点間の距離が零になる』と読んだことがある。

正しくそのような能力なのだろう。

 

他のどんな鬼よりも無惨様のお役に立っている、唯一無二の能力。

同じ楽器を扱う鬼として、嫉妬(しっと)羨望(せんぼう)がないまぜになった負の感情を心に認めざるを得ない。

 

べんっ!!

 

 

 

小生は猗窩座様と共に、見知らぬ山奥に立っていた。

 

「響凱、血鬼術を使ってみろ」

 

そこから始まった、血反吐を吐くような地獄の特訓。

鬼でなければ、いや、鬼であるからこそ実現可能な、絶え間ない死の円舞曲。

 

「死ね」

あまりにも楽しそうに(つむ)がれるひと言が、全て本気で、全て現実に容易く行われるとは、思いもしなかった。

 

死んでは死に、また死んでは死ぬ。

何度も、何度も。

正直、地獄の責め苦でさえ、あそこまで酷くはないだろう。

 

猗窩座様を相手に、小生にも僅かながら有利な点がある。

当初はそう思っていた。

 

その唯一の利点。

攻撃の間合いを活かし、凌ぎ続けるしかない。

 

猗窩座様は徒手空拳(としゅくうけん)

対して小生の斬撃は任意の空間に届く。

 

速度も威力も、全てが及ばない小生唯一の希望はしかし、残酷なまでに木っ端微塵に砕け散った。

 

『破壊殺・空式!!』

 

遠く離れた距離から、凄まじい拳圧が飛んでくる。

威力で劣る小生の斬撃で相殺できるはずもなく。

迫り来る拳圧を、小生はただ呆然と見上げていた。

 

文字通りの百殺し。

抗いようのない濃密な死の経験が、小生の身体に鬼というものの存在定義を否応なく刻み込んだ。

 

そして小生にとっては、そのような訓練が、ぐうの音も出ないほど効果的だった。

 

僅か数時間の特訓で、小生の鼓の数は一つから六つに増えていた。

その内の四つは、相手の重力を垂直方向に傾けるもの。

残りの一つは、あれほど羨んだ転移能力だった。

 

この瞬間、小生の師は猗窩座様と決まった。

祖は無惨様であることは言うまでもないが、師は猗窩座様である。

 

まさか大量の人間も食わず、無惨様の血を分けて頂く以外の方法で、こんれほど短時間で鬼血術が進化するとは。

信じ難いが、実際に目の当たりにすれば、納得せざるを得なかった。

 

ポンッ!

ポポン!

 

「面白い血鬼術だが、あまい!

 転移も攻撃に使え!」

 

嗚呼、今日も猗窩座様の地獄の特訓が始まる・・・




もうちょっと続きます。


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小生、十二鬼月の末席を汚す者 参

第56話
Side: 響凱


「・・・響凱と・・・言ったか・・・

 ・・・猗窩座は、どこだ・・・?」

 

猗窩座様と別れて数日、山を離れるべきかどうか悩んでいたところ、

目の前に最凶剣士(トラウマ)が不意に現れた。

 

「・・・こ、ここ、黒死牟様!!?」

 

走馬灯が蘇る。

 

以前は殺気を当てられただけで意識を失った。

 

あれから随分と死に鍛えられたお陰で、今ではより強く、その強大な鬼気を肌で感じられる。

 

不思議な感覚だった。

山を登れば登るほど、より遠く感じる。

今の方が、以前よりも尚、遠い。

 

こちらを値踏みするような目と目が合う。

 

「・・・どうした・・・?

 ・・・殺気は、抑えている・・・」

 

そこにいるだけで感じる、凄まじい存在感。

 

はっきりと分かる。

鬼とか人間とか以前に、生物としての格が違う。

師ならともかく、小生の如き者が気軽に相対して良い相手ではない。

 

ゆっくり、冷静に両膝を着き、平伏して頭を下げる。

 

『ここで答えを間違えれば、小生は死ぬ』

 

下弦の陸と上弦の壱。

同じ十二鬼月とは言え、その実力には天と地ほどの隔たりがあった。

 

からからに乾いた喉に、ごくりと唾が流れる。

 

「猗窩座様は、ここにはおりませぬ。

 今ごろは、気に入った強い人間と戦っていることでしょう」

 

「・・・そうだ・・・その人間・・・

 お前も・・・見たのだろう・・・

 どのような人間だった・・・?」

 

何故ーーー?

最初に感じたのは疑問だった。

 

黒死牟様までもが、あの不気味な強さの男のことを知りたがるのか・・・

 

嫌な予感がする。

背中を這いずるような、嫌な予感が。

 

ひょっとしたらーーー

もしかしたらーーー

 

そんなことはあり得ない。

そう、自分に言い聞かせていた不安が、再び頭をもたげてくる。

 

「額に痣のある、不気味な、植物のような男でした」

 

「痣者・・・植物のような・・・

 まさか・・・その男・・・」

 

ぶつぶつと思考しながら呟くこと数秒。

僅かな思考の後、黒死牟様は小生に命令を下した。

 

「響凱・・・

 猗窩座の元へ・・・案内せよ・・・」

 

「承知しました。案内致します。

 その前に、お願いしたき儀がございます」

 

小生は腹に力を入れて、言葉を紡いだ。

 

「・・・言ってみろ・・・」

 

「猗窩座様は、その者との勝負を心から望んでいます。

 至高の領域へ至り、貴方に勝つために。

 ですから勝負が決するまでは、どうかお待ち頂けませんでしょうか」

 

「・・・・・・」

 

瞬間、細切れになった体が、雪の残る地面へと落ちた。

 

『痛い・・・』

 

慣れたもので、僅か数秒で体が再生する。

何度となく殺される内に、事前に意識して殺されると、再生速度が上がる術を身に付けていた。

 

平伏した体勢のまま、再度声をかける。

 

「そこを何とか、お願い致します」

 

細切れになる。

 

再生する。

 

土下座する。

 

微塵切りになる。

 

再生する。

 

土下座する。

 

ミンチ肉になる。

 

再生する。

 

土下座する。

 

繰り返すこと数分。

最後にため息のような音が聞こえた。

 

ハッとして頭を上げると、濃密な殺気を至近距離で浴びせられる。

 

「・・・次は・・・ない・・・」

 

それだけ言うと、黒死牟様の手から刀が霧消した。

 

「猗窩座に・・・伝えておけ・・・

 負けることは・・・許さぬと・・・

 ・・・また来る・・・」

 

現れた時と同じく、唐突に黒死牟様の気配が消えた。

 

張り詰めていた緊張の糸が切れる。

かろうじて繋ぎ止めていた意識も、そこで途切れてしまった。




このところ過去一忙しく、投稿が遅れてすみません。


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小生、十二鬼月の末席を汚す者 肆

第57話
Side: 響凱


「見事だ炭十郎・・・

 俺の、完敗だ・・・」

 

猗窩座様が敗れたーーー

 

『そんな!?

 そんな馬鹿な!!』

 

遠見のきく場所から二人の立ち会いを見ていたが、小生の目には何が起こったのか全く理解出来なかった。

 

思わず立ち上がり、猗窩座様のところへと向かおうとした刹那。

 

ふと気になって、少し離れた場所に立つ黒死牟様を見た。

 

『!??』

 

「あ・・・あ・・・」

 

溢れ出す獰猛な歓喜。

 

そこにあるのは、気の遠くなるほどの時を経て、漸く倒すべき獲物を見つけたかのような、汲めども尽きぬ歓喜の感情だった。

 

あの無表情なお方に、このような一面があったなどと、初めて知る。

 

歓喜と殺気がないまぜになったような濃密な鬼気が渦巻く。

 

「・・・縁壱・・・・・・」

 

すっと、腰元の刀に手をかける。

 

『月の呼吸、漆ノ型ーーー』

 

「月映え」

 

いつ抜刀したのか、分からなかった。

刀を振り下ろしたと思ったら、既に納刀していた。

 

そしてその視線の先には、あの人間の姿があった。

 

あの人間もまた、目にも止まらぬ速度で手斧を振り抜き、迫り来る剣圧を見事に逸らした。

 

しかし、気付くのがやや遅かったと見える。

今の攻防で傷を負ったのか、血を吐いていた。

 

猗窩座様が見ていない合間に起きた、

刹那の攻防だった。

 

「病に・・・侵されていたか・・・

 しかしあの呼吸・・・危険だ・・・

 ここで・・・殺しておかねば・・・」

 

ザッ、と。

一歩を踏み出しそうになったところで、黒死牟様は足を止めた。

 

視線の先には、負けたばかりだと言うのに、あの人間に手を貸す猗窩座様の姿があった。

 

何か少し話をしたと思ったら、その背に人間を乗せて歩き始めた。

 

その心の機微は、小生には分からないもので。

 

「そうか・・・お前は先に・・・

 逝ったのだったな・・・」

 

何かを懐かしむような表情で二人を見つめる黒死牟様が、何を思っているのかも、何も分からなかった。

 

「・・・響凱・・・」

 

「ハッ!」

 

突然名を呼ばれ、地面に擦り付けるほどに頭を下げる。

 

「猗窩座に・・・伝えておけ・・・

 血戦で・・・待っていると・・・」

 

「ハハッ!」

 

それだけ伝えると、以前に現れた時と同様に、その重厚な存在感が霧散するようにフッと消えていった。

 

顔を上げると、そこには足跡だけが残っていた。

 

「今のが鳴女の血鬼術・・・」

 

おそらくは無限城へと移動したのだろう。

そして無限城から、この国中へと瞬時に移動ができる。

 

小生の血鬼術では、まだまだ敵いそうにない。

 

あの人間を背負って歩く猗窩座様の姿を眺め見る。

 

「猗窩座様・・・

 小生には、何が何だか分かりませぬ・・・」

 

しかし、黒死牟様の言付けだけは、確と伝えなければ。

 

「猗窩座様・・・

 小生、今は会う顔がございませぬ。

 黒死牟様の言付けは文を送らせて頂き、

 しばらくは人の姿で野に下ろうと思います」




この暇つぶしに生まれた作品を見て下さっている方へ

今の忙しさに慣れるまで、しばらく週一回の更新とさせて頂きます。
理由は単純に、責任が増えたが故の、時間的なリソース不足です。
人間は慣れる生き物なので、その内慣れるかと思いますが、それまでは鈍亀の更新で気長にお待ち頂ければと思いますm(_ _)m


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小生、十二鬼月の末席を汚す者 伍

第58話
Side: 響凱


蛙の合唱が響き渡る深夜。

町外れの畦道(あぜみち)

月明かりに照らされて男の輪郭が浮かび上がる。

 

「こんなところで出会うたぁ、実に運が良い!

 その気配、十二鬼月だな?」

 

「そうだ。

 若輩ながら末席を汚している。

 そういうお前は、ひょっとして柱か?」

 

宝石を散りばめた派手な額当てを着け、花火のような化粧を左目の周りにした男。

 

「俺は柱じゃねぇ。が、いずれ柱になる男!

 ここでド派手にお前を倒せば、晴れて柱だ!」

 

そんな派手な大男が包を開くと、大きな刀身の二刀が煌めいた。

 

 

 

(おと)の呼吸、(いち)(かた)ーーー』

 

(とどろき)!!!」

 

どんな攻撃が来るのかと構えていれば、目の前の地面が爆発した。

辺りに濛々と煙が立ち込める。

 

「・・・目眩(めくらま)しか」

『だがーーー』

 

ポンッ

 

『小生の鬼血術は、空間ごと切り裂く』

 

五条の斬撃が空間ごと切り裂き、土煙の向こう側の景色を映す。

 

しかしそこには影も形も、罠さえも無かった。

 

『!!?』

 

ゾクっと嫌な予感が背筋を走る。

 

咄嗟にしゃがみ込み、首元に迫っていた刀身を躱す。

 

しかし相手は二刀流。

 

もう片方の斬撃が避けた先へと迫る。

 

キンッ!

 

刃物が擦れ合う音が辺りに響いた。

 

その間に距離を取る。

弾かれるとは思っていなかったのか、相手はこちらの様子を注意深く見詰めていた。

 

「なんだそりゃあ・・・?

 その地味な鼓、鬼血術だろう。

 それがどうして(ばち)なんか持ってるんだ?」

 

血鬼術で生み出した長さ三尺ほどの棒を右手に、派手な男と対峙する。

 

「これは鼓枹(こふ)と言う。

 察しの通り、太鼓の撥のようなものだ。

 実際のものよりは、かなり長いが・・・」

 

手元で鼓枹をくるくると回す。

くるくる、くるくる、くるくる。

 

「地味というのは、取り消せ!」

 

ポンッ!

 

腕を背中に回す事なく、鼓枹で背中の鼓を打つ。

 

瞬間転移。

一瞬にして男の背後へと移動する。

 

「なッ!?」

 

そのまま、男の脳天(のうてん)目掛けて鼓枹を振り下ろす。

 

ドン!

 

火薬が爆発する。

 

確実に当たると思っていた打撃は、火薬玉に当たって弾かれていた。

 

男は振り向く事なく、隠し持っていた火薬玉をばら()きながら、前へと飛んでいた。

 

「おいおい!

 地味に派手な血鬼術を隠し持ってるじゃねぇか!」

 

手元でくるくると鼓枹を回しながら、間合いをはかる。

 

「小生にとって、鼓打ちは大切なもの。

 お前は自分にとって大事なものを貶されて、黙っていられるのか?」

 

「ハッ!そんなもの、答えは一つだろうが!」

 

男はそう言うと、こちらに見せつけるように両手の大刀をグルグルと回し始める。

 

「ド派手にやり返す!!」

 

その回転が目にも見えないほどの速さに到達すると、男の周囲に爆発が発生する。

 

『音の呼吸、伍の型ーーー』

 

鳴弦奏々(めいげんそうそう)!!」

 

ドドドドドン!!!

 

掠ったものを次々と爆発させながら、回転する斬撃が襲い来る。

 

棒術の要領で迎撃するも、相手は鬼狩用の日輪刀。

はっきり言って分が悪い。

 

斬撃を受けた鼓枹は寸断され、更に爆風で吹き飛ばされていった。

 

『ここだ!』

 

ポポンッ

 

空いた両手で、ほぼ同時に腹と背、二つの鼓を打つ。

 

並の相手なら一撃で終わる、瞬間転移と空間攻撃の合わせ技。

その上、武器を失ったと見せかけ、相手を油断させての一撃。

 

しかし目の前の男に油断や慢心はなく、その僅かな動きから攻撃を察知し、素早く飛び退いて回避していた。

 

「厄介な血鬼術だ。

 だが、お前自身はそれほど強くない。

 付け焼き刃の棒術で、俺様に勝てると思うなよ!」

 

「・・・五月蝿い人間だ。

 そんなことは小生が一番よく分かっている」

 

右手に新しい鼓枹を生み出して回す。

くるくる、くるくる。

 

ポポポポンッ

 

転移に転移を重ね、反撃の間も与えず男のいる場所を次々に切り裂いていく。

 

ポポポポポンッ

 

「ハッ!やるじゃねぇか!」

 

逃げる。逃げる。逃げる。

男は次々に襲いくる斬撃を全て躱しながら、ジッとこちらを見ていた。

 

「だが、この程度の攻撃で俺様が!」

 

避ける。飛び退く。躱す。

徐々にだが、男の避ける動作が小さくなっていく。

 

「やられるわけねぇだろうが!」

 

斬撃を擦り抜けるようにして、男の大刀が伸びるように迫る。

 

『この男、強い!

 本当に柱じゃないのか!?』

 

首元に迫る刃をギリギリで避けるも、切っ先が急に曲がり、鼓枹を持つ右手が腕ごと切り落とされた。

 

すんでのところで、左手で背中の鼓を打つ。

 

ポンッ!

 

だが、相手の男の瞳は、まるで未来を見通すかのように、既にこちらの転移先を向いていた。

 

「そこだ!!」

 

『しまった!!』

 

鳩尾から脳天まで冷たい危機感が突き抜け、ゆっくりと時が流れゆく。

 

転移先へ先回りされたかのように、喉元へ刃が迫ってくる。

避けられない。

 

ザクッ!

 

喉に刃が食い込んでいく。

 

右手の再生は間に合わない。

 

転移も間に合わない。

 

やられると覚悟した瞬間、刃が少しずつ喉から抜け落ちていった。

 

「うおおおお!」

 

派手な男の叫び声があがる。

生命を脅かしていた刃が首元から離れ、男の体が後ろへと飛んでいく。

 

『・・・危なかった・・・』

 

左大腿部の鼓。

 

唯一左手が間に合う位置にある血鬼術。

 

その効果は、相手の重力を後ろに回転させること。

 

強力な血鬼術ではあるものの、効果範囲はそれほど広くない。

間合いの仕切り直しに一度だけ使える、初見殺しの技。

 

しかしそれでも、首と右腕を再生するには十分な時間だった。




せめてリーチのある獲物がないと、師匠に近づけもしなかった、響凱の修行時代。


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小生、十二鬼月の末席を汚す者 陸

第59話
Side: 響凱


『潮時か・・・』

 

このまま続ければ、お互い無事には済まない。

仮に勝ったとしても、何かを失ってしまうような予感がする。

 

伏せた手はまだ残っている。

しかし、男の分析力は末恐ろしいものがあった。

 

これ以上は続けるべきではない。

 

それに何故だか、奇妙な感覚が芽生えていた。

 

小生はまだ強くなる。

それはこの男と戦ってみて分かったこと。

 

そして、この派手な男もまだ強くなる。

 

不意に、師匠が人間の剣士と戦う姿がフラッシュバックした。

 

『人間でありながらその強さ、敬意を表する』

 

「・・・猗窩座様・・・」

 

 

 

「ハッ!次々に奇妙な技を使いやがる!

 だがなぁ、人間様を舐めんじゃねえ!!」

 

二振の大刀を繋いでいた鎖を断ち切る。

 

更にリーチの長くなった獲物を振り回しながら、派手な男が迫る。

 

しかしーーー

 

ポポンッ

ポポンッ

 

右肩、左肩、左大腿部、右肩大腿部の小鼓を次々と打つ。

 

「クソッ!またか!!」

 

決して小生に近づけはしない。

上下左右、あらゆる方向に重力が変化する手札を、次々に切っていく。

 

男は重力の変化するままに、軽やかに飛び回りながら体勢を崩すことなく耐えていた。

 

果たしていつまで続ける気だろうか。

目の前の男は、諦めることをしなかった。

 

「人間、お前の名は?」

 

効果範囲の狭い血鬼術。

その範囲から外れ、元の重力へと戻る度、男は何度でも立ち向かって来た。

 

「チッ!いい質問だから答えてやる!

 俺は忍界隈で派手に名を馳せた男・・・

 宇髄、天元様だ!」

 

男は再び後ろへと飛ばされそうになった瞬間、地面に大刀を突き立てた。

 

その大刀を足場に、瞬時にこちらへと跳ぶ。

 

鎖の端を持ち、極限まで伸ばされた大刀が、首を切り落とさんと迫る。

 

ポンッ

 

「宇髄天元」

 

右手の鼓枹が、背中の小鼓を打っていた。

 

「小生、響凱と申す者」

 

その対象は、宇髄天元。

 

男の姿がパッと消える。

再び現れた場所は、身動き一つ取れない空中だった。

 

今の一瞬で、藤の花の毒を塗られた針を打たれていたらしい。

痺れて動かない右腕の代わりに、左手で腹の小鼓を連続で打つ。

 

「十二鬼月の末席を汚している」

 

ポポポポポンッ

 

『音の呼吸、肆の型ーーー』

 

「響斬無間!!!」

 

ドガガガガガッ!!!

 

わずかひと振りとなった大刀を目にも止まらぬ速度で振り回し、四方からほぼ同時に迫る全ての斬撃を、生み出す爆風が逸らしていく。

 

この人間の最も恐ろしいところは、その超人的な聴覚だった。

 

ほぼ同時。

つまり、ほんの僅かな出がかりの差。

真空が生み出す僅かな音から、全て的確に対処していた。

 

「ハッ!この程度の攻撃でーーー

 この宇髄天元様をやれると、思うなよ!!」

 

元気な声とは裏腹に、天元の全身からは血が噴き出している。

どれほど防ごうとも、小生の斬撃は空間ごと斬り裂く。

 

しかしこの男は、傷に構わず防御を捨てて攻撃を選んだ。

 

『こいつ、痛みが無いのか!?』

 

周辺に小さな何かをばら撒きながら、男の大刀が鎖鎌のように空中から放たれる。

 

『今のは、藤の毒針。

 転移対策か!?

 しまった!!逃げ場がーーー』

 

 

 

「響凱!目を閉じるな!!

 耳を澄ませ!活路を開け!!」

 

ありし日、猗窩座様に扱かれた日々が脳裏を過ぎる。

 

 

 

大刀が首元に迫る。

 

左手が叩けるのは一度きり。

 

ポンッ

 

キィンーーー

 

斬撃が弾いたのは、男でも毒針でもなく、迫り来る大刀だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ!派手に逃げられたな!

 アレが十二鬼月か、地味にやるじゃねえか!」

 

宇髄天元は木の幹に腰掛けながら、全身に負った切り傷を手当てしていく。

 

「天元様ーーーーー!!!」

 

昇りゆく朝陽の向こう側から、愛する嫁達がやってくるのが見えた。

 

「早いな。さすが俺の女房だ。

 ・・・俺も派手に修行するか。

 十二鬼月が相手でも、譜面を完成させられるようにならないとな」




更新が遅くなって申し訳ないです。
今しばらくは亀の歩みになりそうです。


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第四章 弱者と強者
青銀乱


第60話
Side: 猗窩座


ひゅるるるるるるーーーーー

 

ドォン!!!

 

ひゅるるるるるるーーーーー

 

ドドォン!!!

 

 

 

東の空に、大輪の花火が咲く。

 

大地から光が昇っていきーーー

 

夜空にパッと、光の花が咲き誇る。

 

わいわいがやがや、と。

花火について楽しく騒がしい子供たちの喧騒(けんそう)を離れ、一人、空を見上げているところに声がかかる。

 

「美しいものですね、狛治(はくじ)さん」

 

「・・・・・・ああ」

 

ドドドドォン!!!

 

ひゅるるるるるるーーーーー

 

ドドォン!!!

 

ひゅるるるるるるーーーーー

 

ドォン!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少しの間の後、特別大きな花火が夜空に舞った。

 

ピカっと閃光が輝き

中心部から赤色の花が開き

外周部に青色をした大輪の花が咲く

 

大輪の花は青色から銀色に輝きながら消えていった。

 

ドォン!!!

と、遅れて音が聞こえてくる。

 

まさに職人芸。

その見事な花火を目にした瞬間、狛治と呼ばれた男が(おもむろ)に立ち上がった。

 

炭十郎(たんじゅうろう)

 急な話で申し訳ないが、今すぐここを発つ」

 

「えっ!?」

 

思わぬ方向から声があがる。

二人して見ると、お盆に乗せたお茶を運んでくる炭治郎(たんじろう)の姿があった。

 

「もう行っちゃうんですか?」

 

「ああ。馬鹿弟子が俺を呼んでいるらしい。

 呼ばれたら行くと、約束したからな」

 

お盆の上にある湯呑みを手に取り、ひと口に飲み干す。

 

「ふぅ・・・美味い。

 ちょうど良い温度だ。

 ありがとう炭治郎」

 

ポン、と。

寂しそうな表情を見せる子供の頭を撫でる。

 

炭治郎達と過ごす日々は、不思議と不快ではなかった。

この糞みたいな一生の、唯一の思い出を想起させる。

 

「炭治郎。笑って見送ろう。

 ・・・狛治さん、武運長久(ぶうんちょうきゅう)を祈っています」

 

「いずれ必ずお前に勝つ。

 ・・・それまで死ぬなよ、炭十郎」

 

「・・・・・・」

 

「そんな顔をするな。

 ()らばだ、炭治郎」

 

「うん」

 

「父のように強い男になれ」

 

「うん」

 

花火に照らされて、炭治郎の笑顔が垣間見えた。

寂しさをぐっと(こら)えた、男の笑顔だった。

 

頭から手を離し、炭十郎へと目線を送る。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

元より、一つの道を極めんとする者同士。

それ以上の言葉は要らなかった。

 

それから音もなく、男の姿は夕闇に消えていった。

 

 

 

 

 

ひゅるるるるるるーーーーー

 

ドォン!!!

 

ひゅるるるるるるーーーーー

 

ドドォン!!!

 

「・・・父さん、俺にもヒノカミ神楽(かぐら)を教えて欲しいんだ。

 今までみたいに近くで見るだけじゃなくて、もっとしっかりと」

 

「・・・大変だぞ。習い始めの頃は。

 息も絶え絶えになって辛い。

 それでもやる覚悟があるか?」

 

「うん!やるよ、俺。

 それでみんなを守れるくらい、強くなるんだ」

 

「そうか・・・分かった。

 それなら、明日の朝から始めよう」

 

「うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

賑やかな時間が終わり、夜空に静寂が訪れる。

 

見上げれば満天の星が輝いていた。

 

「ありがとう、狛治さん・・・

 果たすべき約束が、増えてしまったな・・・」




アニメもキリの良いところで、原作や考察をもう一度見返しておりました。
柱になる順番などは、諸説あって難しいですね。
エンディングまでのプロットは固まりましたので、第四章を再開します。

鈍亀更新は、もうちょっと続きそうですm(_ _)m


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沙代と獪岳

第61話
Side: 猗窩座


花火の打上げ場所が見渡せる、小高い場所へ辿り着く。

夜空には静寂が戻り、地上では数え切れないほどに並ぶ屋台が賑わいを見せていた。

 

「・・・そこか」

 

 

 

紺色の着物を黒帯で締めた普段の着流し姿のまま、花火を見に来た人達で、がやがやと賑わう人混みの中へと入っていく。

そのまま見知った闘気を持つ人物へ向かい、人の流れの隙間を縫うように歩いていった。

 

やがて土手の坂道に馬鹿弟子の一人を見つけると、音もなくその背後に立つ。

 

「獪岳」

 

「うわッ!!

 あ、猗窩座さんか・・・

 え?猗窩座さん!?

 今までどこ行ってたんですか!?」

 

飛び上がるほど驚いたのは、黒い着物姿の年若い少年。

普段は無愛想な方で、ころころと表情が変わっていく姿は新鮮だった。

 

「まだまだだな。

 俺がその気なら、お前は死んでいたぞ」

 

「そんな、今のは殺気が無かったからーーー」

 

その時、棒に刺さった猫の飴細工を両手に持ち、自分を目掛けて突撃してくる懐かしい子供の姿が見えた。

 

「はくじーーーーー!!!」

 

ぴょん、ぴょんと飛び跳ねる沙代の持つ飴細工が、服に当たらないようにサッと持ち上げ、肩車に乗せた。

 

花柄の着物が、紺の着物の上に明るく映える。

 

「かいがくをたおせー!」

 

無邪気な言葉にも、一理ある。

久し振りの邂逅だ。

寧ろその方が俺たちには相応しい。

 

「それもそうだ。

 獪岳、どれだけ成長したか見てやろう」

 

「はぁ!?」

 

両手で沙代を支えつつ、獪岳の鼻先を掠めるように、足刀での寸止めを放つ。

 

「え、ちょ、待っ!

 猗窩座さん!」

 

「安心しろ。

 手加減はしてやる」

 

騒ぎになると面倒なため、決して当たらないように足技を繰り出していく。

 

前蹴り

髪の毛が舞い落ちる

 

「待っ!」

 

半回転からの後ろ蹴り

着物の袖が切れる

 

「ちッ!」

 

二段蹴り

膝と胸を僅かに掠める

 

「クソッ!」

 

回し蹴り

目鼻の先を掠める

 

「ふッ!!」

 

始めは避け切れていなかった獪岳の動きが、少しずつマシになってくる。

 

「ようやくその気になったか」

 

口端が持ち上がる。

さて、獪岳はどこまで反応できるだろうか。

 

反応速度を見極めながら、同じ蹴り技でも少しずつ速度を上げ、反復することで限界を引き出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このくらいで良いだろう」

 

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・っす!!

 ありがとうございました!」

 

息も絶え絶えに、河川敷に立ったまま膝に手をつく獪岳。

 

そんな獪岳に少しだけ助言を送る。

 

「反応速度は悪くない。その速さはお前の武器だ。

 だが、最後まで反撃してこなかったな。

 相手の力量を見極めるのは良いが、見極めたなら更に一歩、踏み込んで見せろ。

 今のままでは、どれだけ修行して強くなろうと、強者に媚び諂う未来しか見えない」

 

以前から自覚はあるのだろう。

復讐心は人一倍強く、強くなるための努力を惜しまない、努力家の一面を持っている。

だがそれも、自分が安全な場所にいる限りの話。

 

獪岳には闘う者としての覚悟が足りていない。

 

「・・・はい」

 

 

 

いくら守られているとは言え、それなりに動いた後にも関わらず、肩の上に乗っている沙代は元気一杯だった。

 

「かいがく、弱い?」

 

「今のままではな。

 だが、切っ掛けは与えた。

 あとは本人の心次第だ」

 

「かいがく、強くなる?」

 

「当たり前だ。

 誰の弟子だと思っている。

 それにもし弱いままなら、俺が強制的に根性を叩き直してやる」

 

「ふーん・・・

 そうだって、かいがく」

 

「・・・チッ・・・

 そう言えば、猗窩座さんはどうしてここに?」

 

その表情は純粋なもので、嘘や駆け引きとは無縁のものだった。

とすれば、あの花火を用意した犯人は自ずと決まってくる。

 

「・・・そうか、そういう事か。

 慶吾め、やってくれる」

 

いつの間にか辺りから人気が無くなっていた。

それは、花火の後にしては不自然な光景だった。

 

「獪岳!!」

 

「はい!」

 

何やら不穏な空気が辺りに漂っている。

肩に乗せていた沙代を持ち上げ、意識を切り替えた獪岳へと渡す。

 

「沙代を守れ!!

 これは命令だ!」

 

「はい!」

 

その手を放した瞬間、直前まで立っていた地面が陥没するほどの衝撃が走る。

 

見れば、巨大な鉄球が地面に突き刺さっていた。

 

 

 

「・・・鬼は、滅するのみ」

 

「・・・見違えたぞ、行冥」

 

そこには、鬼殺隊を示す隊服を見に纏った、悲鳴嶼行冥の姿があった。




2月は十日間隔の投稿でしたが、なんとか3月には七日間隔での投稿が出来そうです。

やはり人間は慣れるもの。


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柱と上弦

第62話
Side: 猗窩座


ブンブンブンブンブンーーーーー!!!

 

ソレは日輪刀(にちりんとう)と呼ぶには、あまりにも異質な獲物だった。

 

強いて言えば、武芸十八般が一つ、鎖鎌(くさりがま)に近い。

 

長い鎖に繋がれた、刺々しい鉄球と手斧。

鎖鎌のように、手斧を左手に構え、右手で鎖を持ち、先端の鉄球を振り回している。

人の顔より大きな鉄球が凄まじい勢いで回転する音が周囲に響く。

 

既に人払いは済ませていたのだろう。

周囲からは人気がなくなっていた。

 

悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)という、盲目の男。

鬼殺隊の黒い隊服の上から、南無阿弥陀仏と仏文字が刺繍された草色の羽織を羽織っている。

この一年、死ぬ気で鍛えたのだろう。よく視れば大きく、そして引き締まった筋肉が伺える。

 

軽い鎖鎌の分銅とは異なる、重量のある鉄球を軽々と振り回す姿。

今まで数多の鬼狩りを見てきたが、紛れもなく強者の一角。

行冥は、まさに柱と呼ぶに相応しい闘気を纏っていた。

 

「ふッ!」

 

僅かなひと呼吸の間に、鉄球が目の前へと迫る。

 

避けようと思えば避けられるソレを、両腕を眼前に突き出し、敢えて身体で受け止める。

 

ずざざざざーーー

 

あまりの威力に、思わず後ろへと圧されていた。

目を見張る成長に、心が躍り始める。

 

視線は行冥から逸らさないまま、呆けている馬鹿弟子へと叫ぶ。

 

獪岳(かいがく)!!

 沙代(さよ)を連れて離れろ!」

 

「分かりました!」

 

「かいがく!

 ひめじまさんがーーー」

 

「ごめん沙代。

 でも、ここにいたらダメだ!」

 

「ひめじまさーーーーん!!」

 

 

 

獪岳達が離れたことを確認すると、

受け止めた鉄球をそのまま投げ返す。

 

行冥は鎖を器用に操り、眼前に迫っていた鉄球を逸らすと、再び元のように回転させていた。

 

手のひらから流れてしまった血を舐める。

 

「久しいなァ、行冥。

 嬉しいぞ。お前の強さ。

 その練り上げられた闘気、柱だな?」

 

鬼殺隊と鬼、相対すれば戦闘は必至。

にも関わらず、過去の因縁が二人の間に会話を生んでいた。

 

「忘れる筈もない、その声。

 今なら分かる。貴方も鬼だったのか・・・」

 

「そうだ。

 改めて名乗ろう、俺は猗窩座(あかざ)

 

岩柱(いわばしら)、悲鳴嶼行冥だ。

 上弦の鬼が、一体何を企んでいる!?」

 

「企むだと?くだらん。

 企んでいるのは、貴様ら鬼狩りの方だろう。

 まさか、アレを利用されるとは思わなかったぞ」

 

「それはーーー」

 

「大方、あの馬鹿が、やらかしたのだろう。

 慶吾(けいご)は後でシメておくとして・・・

 行冥。あれからどれだけ強くなったのか、俺が興味があるのはそれだ」

 

「やり合う前に一つ聞きたい。

 獪岳と沙代を、どうするつもりだ?」

 

「どうもしない。

 あいつらが勝手に付いて来ているだけだ」

 

「・・・虚偽(きょぎ)は述べていないようだな」

 

「当たり前だ。

 嘘や卑怯は、弱者が使うもの。

 至高の強さを目指す俺には必要ない」

 

「そうか。

 しかしーーー」

 

「行冥。

 これ以上の問答は不要だ」

 

ダンーーー!!

地面を大きく踏みつけ、右掌を前に、左手を引いて大きく腰を落とす。

 

「ここから先は、力で押し通してみせろ」

 

素流の構えで、行冥と相対する。

 

 

「是非もなしーーー!」

 

ジャララララーーー

 

鎖が生き物のように行冥の周囲を舞う。

 

「!?」

 

気付けば、鉄球が目の前へと迫っていた。

しかも先ほどまでの生温い速度ではない。

 

受け止めれば腕ごと持っていかれそうな威力のソレを、後ろに飛んで避ける。

 

術式展(じゅつしきてん)ーーー』

 

血鬼術を発動させる間もなく、横から抉り込むような角度で手斧が首元へと迫っていた。

 

「ハッッ!!!」

 

闘気を込めた右の拳で、手斧を側面から叩き落とす。

しかし、手斧の硬度は非常に高く、武器破壊までは至らなかった。

 

ダンーーー!!!

 

地面を強く踏み締める音が響くーーー

 

「岩の呼吸、弐の型ーーー」

 

見れば、行冥の足が伸びる鎖を大地に縫い付けていた。

 

天面砕(てんめんくだ)き!!』

 

いつの間にか、空高く打ち上げられていた鉄球が、頭上から振り下ろされる。

 

破壊殺(はかいさつ)脚式(きゃくしき)ーーー」

 

驚嘆すべき事だが、行冥の攻撃には間というものがない。

鉄球、手斧、鎖が生き物のように蠢き、一つを避けたと思った瞬間には次の技が迫っている。

 

流閃群光(りゅうせんぐんこう)!!!』

 

その流れを断ち切るが如く、振り下ろされた鉄球へ、威力の高い乱れ蹴りを放った。

 

鉄球を再び空へと打ち返した好機に、行冥へ向かって走り始める。

 

鎖が生き物のように左腕に巻き付いて来る。

 

巻き付いた鎖ごと腕を切り落とす。

 

次の瞬間には左手が再生する。

 

トンーーー

 

瞬時の攻防を経てたどり着いた場所。

そこは既に、こちらの間合いだった。

 

「破壊殺・脚式ーーー」

 

行冥は後ろへと飛び退きながら、手斧と鉄球を見事に操っていた。

 

左右から挟まれるような形で二つの獲物が迫る。

 

だが、そんなものは関係ない!

 

飛遊星千輪(ひゆうせいせんりん)!!!』

 

右から迫る手斧を一歩で置き去りに

左から迫る鉄球を飛び越えて

空中へと回転しながら連続で飛び蹴りを放つ。

 

ガガガッ!!!

 

周囲に衝撃波が生じるほどの威力。

辛うじて鎖で受け止めたものの、行冥の身体は対岸へと吹き飛んでいった。




この二人、全然本気じゃありません。


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盲目と悲哀と

第63話
Side: 猗窩座


あの盲目の男は、この程度で倒れてくれるような並の人間ではない。

 

すぐさま追い打ちをかけるべく、空中へと飛び上がった。

 

破壊殺(はかいさつ)空式(くうしき)!!!』

 

瞬時に六発、虚空を拳で打ちつける。

と、そこから放たれる衝撃波が吹き飛んだ相手を追いかけていく。

 

ダン!!

 

しかし、行冥(ぎょうめい)は受け身を取る事なく大地を蹴り、瞬時に反転して空へと飛び上がっていた。

 

六発もの衝撃波が全て空を切る。

 

スタッ

と、対岸の岸辺に立ち、行冥は自然体でこちらを見据えていた。

 

その距離、優に六十間はある。

ここから盲目の人間がどう動くのか、興味が湧いた。

 

手のひらを上に向け、人差し指をクイクイッと曲げて挑発をする。

しかし、彼の表情は変わらない。

 

「さて、どうする・・・?」

 

呟きが洩れた瞬間、闘気が揺れた。

 

 

ジャララララララララーーー

 

見れば、手斧が頭上高く伸びている。

 

上へと視線を向けた瞬間、恐るべき勢いで鉄球が正面から迫って来ていた。

 

『手斧は囮か!』

 

先からの手合わせで学んだことがある。

行冥は長い鎖を自在に操り、絶え間ない攻撃を仕掛けてくる。

この攻撃も、避けて終わりではない。

 

ゆえに、次の攻撃に繋がらないよう、止めるか弾き返す必要がある。

 

破壊殺(はかいさつ)砕式(さいしき)ーーー」

 

右拳を大きく振りかざし、闘気を溜めるーーー

 

万葉閃柳(まんようせんやなぎ)!!!』

 

迫る鉄球を、上面から思い切り殴り落とす!!

 

ドゴッッッ!!!

 

「グッ!」

 

『鉄の純度が高い!?

 それに吸い込んだ太陽光が灼けるように熱い!』

 

鉄球の動きは止めたものの、右拳は焼け爛れ、肉はぐちゃぐちゃ、手の甲からは骨が飛び出していた。

 

その傷も一瞬で元に戻る。

 

 

 

その刹那の逡巡が、行冥にとっての僥倖だった。

 

人間離れした跳躍力で河川の上を飛び、

空中で、鉄球の勢いに引かれるような軌道を描いていた片手斧を掴む。

 

左手に片手斧、右手に鎖を持ち、全集中の呼吸を更に深く、強く体に行き渡らせる。

 

(いわ)呼吸(こきゅう)()(かた)ーーー」

 

鎖、手斧、鉄球と共に、鷹の如く空から襲い掛かる。

 

瓦輪刑部(がりんぎょうぶ)!!!』

 

必殺の呼吸、必殺の間合い、そしてーーー

 

術式展開(じゅつしきてんかい)ーーー」

 

その言葉が響いた瞬間、辺りの空気が凍った。

 

 

 

 

 

「素晴らしい闘気だった。褒めてやる」

 

真冬のように冷たい蒼い闘気が全身から立ち昇る。

 

行冥の鬼のような膂力から繰り出される猛攻はまさしく、必殺の呼吸だった。

もし首に直撃していれば、確実に死んでいただろう。

 

しかし、その一つとして当たることはない。

まるで未来を先読みしたかのように、全ての攻撃を避けていた。

 

行冥の背筋に、冷たい汗が流れ落ちる。

 

底冷えするような金色の瞳が、哀しげに笑いかける。

 

「行冥、お前に至高の一端を見せてやろう・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ、ハァ、ハァ・・・」

 

「無駄だ、行冥。

 お前の攻撃はもう当たらない」

 

岩柱(いわばしら)悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)は持てる力の限りを尽くし、猛攻を仕掛けた。

 

しかし、届かない。

 

鬼殺隊の最高戦力たる柱が、全ての攻撃を避けられるなどと、悪夢以外の何ものでもない。

 

上弦(じょうげん)(さん)猗窩座(あかざ)の両足は、その場から一尺も動いてはいなかった。

鎖も手斧も鉄球も、攻撃をされる前から既に避けており、広範囲の技はその出掛かりを衝撃波で潰す。

 

目が見えないからこそ、行冥は何かが変わった事を明敏に感じていたようだ。

 

だが、そこまで。

最後まで見えない何かを突き止めようとしていたが、

それが何なのか、今の彼の力量では悟ることができなかった。

 

しかしながら、だからと言って諦めるような者が、僅か一年で柱に届く筈もない。

 

「この見えぬ目は、本質を見抜く・・・

 お前達鬼にできることは、必ず人間にもできる!」

 

 

 

その叫びは、炭十郎(たんじゅうろう)との修行の日々を思い出させる。

 

『お前ら人間にできて、俺にできないものなどない!』

 

最近のことのはずなのに、もう随分と昔のことのように感じられる。

 

 

 

「・・・お前は正しい。

 この『透き通る世界』は人間から教わったものだ。

 これでもまだ、ヤツの全力には及ばないだろうが・・・」

 

「何、だと・・・!?」

 

「世界は広いぞ、行冥。

 柱より強い人間も、世に隠れているものだ」

 

「・・・・・・その者の名は?」

 

「それは言えない約束だ。

 行冥も短期間でよくぞここまで鍛錬した。

 お前はまだまだ強くなる。

 次に相見える時を楽しみに待っているぞ」

 

さぁ、馬鹿弟子の闘気は・・・

意識を次へと切り替え、立ち去ろうとするのを、行冥が呼び止める。

 

「・・・待て!!

 私を殺さないのか!?」

 

「・・・・・・」

 

コイツは一体何を言っている。

何のために沙代(さよ)が命をかけたと思っている。

 

まったく理解できない。

やはり柱たちはみな、人の話を聞かないのだろうか。

 

「そんな事をして何になる?

 二度とお前と戦えなくなるじゃないか」

 

「は・・・?

 それでは何故、あの地主を殺した!?

 何故沙代を拐った!?

 私を追って来るためではなかったのか!?」

 

その時、沙代と獪岳(かいがく)が駆けてくる声が辺りに響いた。

 

「はくじーーーーー!!!」

 

「悲鳴嶼さーーーん!!!」

 

元気いっぱいに駆けてくる沙代。

猗窩座の腰元へ全力で体当たり、体をよじ登り、肩車をせがむ。

沙代、髪の毛を引っ張るのだけは、ちょっと痛いからやめようか。

 

そこへ遅れて、獪岳も合流する。

 

「沙代・・・?」

 

先ほどまでの覇気が抜け落ちたような、そんな弱々しい呟きが行冥の口から溢れた。




柱になりたての悲鳴嶼さんなら、このくらいの強さなのかなという妄想です。
全集中の呼吸・常中を行うと、どんどん身体が強く鍛えられるようですし。

猗窩座の透き通る世界は完璧ではありません。
血鬼術で五感の感覚を底上げして、ようやくといったところです。


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沙代と悲鳴嶼さん 前編

第64話
Side: 沙代


めのまえに、ひめじまさんがいる。

 

あいたかった!

 

あいたかった!!

 

ずっと、しんぱいしてた!!!

 

行冥(ぎょうめい)!!

 お前は一度、ちゃんと沙代(さよ)と話せ!!」

 

はくじさんが、別れる前にそう言ってくれたから、わたしもゆうきをだせた。

 

「ひめじまさん!

 みんなのところにいこう?」

 

ひめじまさんは、こまったような顔で、かいがくのほうをむいた。

 

「どういう・・・?」

 

「あー・・・

 あの後、みんなのお墓を建てたんだ。

 一緒に墓参りに行こうってことだと思う」

 

おはかと聞いて、ひめじまさんは泣いていた。

 

「・・・そうか、ありがとう。

 じゃあ、みんなで行こう」

 

「やった!

 ひめじまさんといっしょ!」

 

「・・・沙代、獪岳(かいがく)

 お前たちは、皆を守れなかった私を、弱かった私を恨んではいないのか?」

 

うらむ・・・?

きらいになるってこと?

 

「なんで?」

 

「・・・・・・」

 

「俺も疑問だな。どういう事?」

 

ひめじまさんは、向こうをむいてしまった。

 

「・・・私は・・・わたしは・・・

 バケモノなのだろう・・・?」

 

『バケモノ』

そうだ。そうだった。

なんでわすれていたんだろう?

 

わたしのせいで、ひめじまさんがつかまったんだ。

わたしのせいで、ひめじまさんがーーー

 

「ちが、ちがう、ちがうの!

 ひめじまさ、ごめ!ごめんなさい!!

 わたしが、わたしのせいで・・・

 うぅ、ひっく、うわあああああああぁぁぁ!!!」

 

「あー、沙代、泣くな。泣くな。

 悲鳴嶼(ひめじま)さん、俺たちは誰もアンタを恨んじゃいないよ。

 俺も沙代も、あの時弱かった自分が許せないだけだ」

 

「お前たちがそのつもりでも、現に私は殺されかけた。

 お館様がいなければ、どうなっていたか・・・」

 

「悲鳴嶼さん。

 あの場には、簀巻きにされた鬼の身体が残っていたはず。

 村の誰もそれを見なかったのか?」

 

「・・・いや、最初の数人は見ていたと思う。

 そう言えば、誰も鬼のことを信じないのは、今考えれば・・・」

 

「やっぱりそうか。

 これは後から猗窩座さんに聞いた話だけど・・・

 事件の後、沙代は恐怖で喋れなくなっていたらしい。

 そんな沙代を利用して、悲鳴嶼さんを殺そうとしたのは地主の野郎だ。

 あの野郎、寺の土地権を手に入れるために、沙代を口封じして、悲鳴嶼さんを殺そうとしたんだ!」

 

「な!?

 ・・・いや、確かにそれならば・・・」

 

「沙代と猗窩座さんは、悲鳴嶼さんを探すために地主の家に乗り込んだ。

 そこで地主の野郎がぺらぺらと喋っているのを聞いてしまって・・・

 その場で沙代も殺されかけた。

 だから、猗窩座さんがあの野郎を・・・」

 

「ひっく、うああぁぁぁぁ・・・」

 

そうだ。

わたしが、わたしがーーー

 

「ごめ、ごめんなさい・・・

 ひめじまさん・・・わたし・・・」

 

「・・・そうか。

 ・・・そうだったのか・・・」

 

そんなわたしに、ひめじまさんは、ほほえんでくれた。

やさしく頭をなでてくれた。

 

「・・・すまなかった。

 お前たちの思いに気付いてやれなかった・・・」

 

「うわああぁぁぁぁぁん!!!

 こわかったよぉぉぉ!

 ひめじまさぁぁぁぁん・・・」

 

ひめじまさんの手はあったかくて、なみだが止まらなかった。

 

猗窩座(あかざ)さんから、あらましの事情は聞いてる。

 あの人も口下手だから、詳しいことは墓参りの時に話すよ。

 悲鳴嶼さんも、煉獄(れんごく)さんみたいに、(はしら)の一人なんだろ?

 任務で忙しいだろうから、墓参りの日は合わせるよ」

 

「獪岳、槇寿郎(しんじゅろう)さんを知っているのか?」

 

「そんなに話した事はないけど。

 みんなのお墓に名前を書くために、筆を貸してくれた。

 それに猗窩座さんとまともに戦える人だったから、強烈に覚えてる。

 悲鳴嶼さんも、負けないくらい強かったけどな!!」

 

「そうか、あの御仁が・・・

 ありがとう獪岳。

 だが私などは柱の中では新参者に過ぎない。

 猗窩座がその気なら、私は死んでいただろう。

 あの御夫妻のように、精進あるのみ・・・」

 

「いい。

 俺が弱かったのが悪いんだ。

 それにアイツらは、家族が来るのをずっと待ってる」

 

「ふ・・・そうか、家族か。

 変わったな、獪岳・・・」

 

「よせ、俺の頭を撫でるな!」

 

「ふふふ・・・

 かいがく、てれてる」

 

「照れてない!

 ・・・それと、悲鳴嶼さんにお願いがあるんだ」

 

「なんだ?

 私にできることなら・・・」

 

「俺に、育手(そだて)の人を紹介して欲しい」

 

スッと、ひめじまさんの顔がきびしくなった。

 

「・・・・・・それは」

 

カァァァァァ!

カァァァァァ!!

 

「む、絶佳(ぜっか)か」




絶佳の鳴き声はイメージです。
盲目の悲鳴嶼さんの鎹鴉なので間違いなく優秀だと思いますが、情報が無いのでセリフは割愛。

獪岳の言う『家族』の中に、自分は入ってません。
そのことに悲鳴嶼さんは気付いています。

沙代は6歳なので、小学一年生レベルの漢字を入れてます。
(何故6歳かと言うと、悲鳴嶼さんが柱になった時期だから)
珠世さんと槇寿郎さんが、喜んで教えたりしたんじゃないかなぁ。


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沙代と悲鳴嶼さん 後編

第65話
Side: 獪岳


「みんな、ひめじまさんーーー先生が来たよ」

 

七本の墓板に向かって、沙代(さよ)が優しく声をかける。

その小さな右手は、悲鳴嶼(ひめじま)さんの左手と繋がれていた。

 

沙代の声を聞いて

フッと、風が止んだ。

 

あの時のような突風はもう、吹かなかった。

 

ひょっとしたら、またみんなの姿が見えてしまうかもしれないと内心ビクビクしていたけれど・・・

 

もっとも、アイツらが本当に姿を見せるとすれば、それは俺ではなく隣に立つ偉丈夫、悲鳴嶼さんに対してだろう。

 

「・・・みんなの名前は、獪岳(かいがく)が書いたのか?」

 

「ああ、頼める相手もいなかったからな。

 それでいいって、煉獄(れんごく)さんにも言われた」

 

「そうか・・・

 ありがとう、獪岳」

 

「いや、良くはないだろ。

 ちゃんとしたやつを悲鳴嶼さんが書いてくれよ」

 

「いや・・・これでいい。

 みんなも、そう言っている」

 

「えっ!?」

 

ふと見上げれば、悲鳴嶼さんはいつも以上に滂沱の涙を流していた。

 

「悲鳴嶼さん・・・?」

 

「ああ・・・ああ・・・」

 

悲鳴嶼さんは虚空に向かって話しかけていた。

その見えない瞳は、墓板の向こう側を向いている。

 

「そう・・・だったのか・・・」

 

けれどもきっと、悲鳴嶼さんにはアイツらが見えているのだろう。

変わらない、アイツらの姿が。

 

「私の方こそ、すまなかった・・・」

 

一瞬だけど、俺にさえ見えたんだ。

アイツらが一番会いたがってた悲鳴嶼さんに姿を見せないはずがない。

 

「お前たちを、守ってやれず・・・」

 

ふと、沙代の方を見る。

彼女もまた、涙を流していた。

瞬きもせずに、涙が頬を伝って落ちる。

 

その姿は、どこか年齢にそぐわない、神秘的な雰囲気を纏っていた。

 

「そうか・・・ありがとう・・・

 獪岳は・・・」

 

俺の名前ーーー

アイツらはきっと、俺のことを恨んでいるだろう。

 

自然と、墓前に向かって手を合わせた。

今なら、アイツらに声が届くかもしれないと思ったから。

 

『恨みたければ、恨めばいい。

 許す必要もない。

 俺は、お前らの分まで鬼を殺す。

 そうして、地獄に落ちればいい・・・

 ただ、そこで見ていてくれ』

 

無言で祈る。

決して神には頼らない。あんなものに(すが)りはしない。

 

聞いた話だと、人里離れた寺や御堂こそ、鬼に狙われるのだ。

信じられるはずもない。

 

ただ、アイツらが悲鳴嶼さんを見守っていることには、不思議と納得するものがあった。

 

「そうか・・・分かった・・・

 お前たちが・・・」

 

悲鳴嶼さんが何を話しているのかは分からない。

ただ俺はこの場にいない方がいい気がして、ゆっくりと一歩、後退る。

 

「獪岳、だめ」

 

いつの間に気付かれたのか、すぐに沙代に呼び止められた。

その小さな左手が俺の服を掴む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『先生ーーー

 獪岳を追い出したのは・・・』

 

「そうか・・・

 たしかにそれは獪岳が悪いな・・・

 でも、もう許してやってくれないか?」

 

『でも・・・私たち・・・』

 

「あの後、もし獪岳が戻って来なければ・・・

 私と沙代は、もっと酷いことになっていたかもしれない」

 

『先生は、獪岳の肩を持つのーーー?』

 

ざわり、と周囲がざわめくーーー

 

「そうじゃない・・・

 獪岳がやった悪いことは悪いことだ・・・

 けれど、そこにばかり目を奪われて・・・

 その後の行いまで全部悪いと決めつけるのは良くない・・・

 お前たちには、そういう偏見を持った人間になって欲しくないと、私は思う」

 

『・・・バカだなぁ、先生は・・・

 俺たちは、もうーーー』

 

「そうかもしれない・・・

 でも私は、またいつの日か、お前たちと会いたいと思っている・・・」

 

『うん、そっか・・・

 じゃあ俺たちも、待ってるよ・・・

 また明日が来る日を・・・

 何十年でも、待ってるよ・・・』

 

「そうか・・・ありがとう・・・」

 

 

 

『獪岳!!』

 

金縛りのように動けず、口も動かせず、ただ悲鳴嶼さんの横で眺めているだけだった俺に、不意に声をかけられる。

 

「・・・・・・」

 

『お前のせいで、私たちは殺された・・・』

 

「・・・ああ」

 

その時だけは、自然と声が出た。

 

『お前のせいで、俺たちは明日を失った・・・』

 

「・・・ああ」

 

『・・・だけど・・・

 先生を助けてくれたことだけは、感謝してる・・・』

 

「・・・・・・」

 

『私たちはーーー』

『俺たちはーーー』

 

『ずっとお前を見ている』

 

「・・・ああ、見ていてくれ。

 それでも俺はーーー」

 

『お前がこちらに来ることはないーーー

 けれど、私たちは先生の言葉を信じているーーー

 いつかの明日、また会う日が来るかもしれないーーー』

 

「・・・・・・」

 

『その時まで、先生をーーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビュウーーー

と突風が吹き抜けた。

 

目の前には、墓板が立っている。

 

『白昼夢、というやつかーーー?』

 

どうも、頭がぼーっとしている。

 

朦朧(もうろう)としていた頭に、ポン、と大きな手が乗せられる。

 

その時だけは、その手を振り払うことができなかった。

 

『ああ、温かい・・・』

 

その大きな手に守られていたことが、今になって伝わってくる。

 

やがて、悲鳴嶼さんは言った。

 

「獪岳・・・

 お前の覚悟は分かった・・・

 お前に、育手(そだて)を紹介しよう・・・」

 

「先生ーーー」

 

「ふ、懐かしいな・・・

 私にとってはお前も家族の一人だ・・・

 それを、忘れるな・・・」

 

それだけ言うと、悲鳴嶼さんはその場に膝を付いて、みんなに向けて冥福を祈り始めた。

 

 

 

「・・・・・・」

 

ふと、こちらを見ていた沙代と目が合う。

 

「・・・なんだよ」

 

「・・・獪岳、変わったね・・・

 今の心を忘れなければきっと、もっと変われるよ・・・」

 

「沙代、お前ーーー」

 

不思議に思って声をかけるも、その瞳は既にどこか遠くを見つめていた。

 

もう一度、お墓の方に目を向ける。

細めた視界の先に、またアイツらの姿が見えた。

そんな気がしたーーーーーー




今週は比較的移動時間が取れたのと、前後編でキリが良いので連投します。

獪岳の言う『煉獄さん』は父上の事です。(弟子達の挽歌 壱)

たまーに、沙代の言葉が大人びているのは、そういう仕様です。
数値化すると、巫力5000くらいはある、かも・・・?
それは冗談として、個人的には沙代は『隠』だった説が好きなので。


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馬鹿弟子と鬼

第66話
Side: 猗窩座


静けさを取り戻した川辺の一角。

色とりどりの花火を打ち上げた、その夢の跡。

 

そこに、慶吾(けいご)はいた。

 

隠れもせず、実に堂々と、和装の腕を組みながらヤツは立っていた。

 

 

打ち上げ花火というのは、危険な代物だ。

一つ間違えれば暴発し、脆弱な人間など容易く吹き飛ばし、一生残らぬ火傷を負わせる。

ゆえに花火職人は、たかが年に数回あるかないかの花火大会のために命を賭けている。

パッと咲いて散る、桜の花びらのように。

 

それを片手間で成し遂げる慶吾。

元々手先の器用さと発想力は人並外れていたが、まさかあの危険物を解体して会得するとは、予想だにしなかった。

 

 

コイツは職業花火師として働いた方が、世の役に立つのでは?

と思わず感心したくらいである。

 

「あ、師匠!」

 

無遠慮に呼ぶ声に、一瞬毒気を抜かれそうになる。

 

とは言え、コイツがあの花火を使わなければ、行冥(ぎょうめい)、ひいては鬼狩りどもに見つかることはなかった。

 

低く、他の底から唸り声をあげるように、馬鹿弟子の名を呼ぶ。

 

「慶吾。

 覚悟は、できているんだろうな・・・?」

 

「ふーーー」

 

馬鹿弟子はニヤリと笑い、

流れるような動作で大地に土下座を決める。

 

「すみませんでしたァァァ!!!」

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

無言の時が流れる。

 

そうか。

つまりコイツは、こうなると分かっていたわけだ。

 

「慶吾、頭をあげろ」

 

「はい!」

 

俺には無惨(むざん)様のような趣味はない。

 

頭を上げさせると、事情を聞くことにした。

 

「お前ほどの男を唆したのは、誰だ?」

 

「それが・・・オレにも分からないんです」

 

「・・・詳しく話せ」

 

 

 

花火を打ち上げるに至った経緯を、慶吾は少しずつ話し始めた。

 

当初は沙代(さよ)が「はくじはくじ」と、あまりにも呼び続けるために、花火を一発打ち上げて呼び出すだけのつもりだった。

 

川辺で花火を用意していると、どこから話を聞きつけたのか、近所の花火師達がわらわらと集まって来て、気付けば花火大会の様相となってしまった。

 

その時は、師匠は花火が好きだから、一発だけ花火を上げるよりも、見て貰える可能性が上がるという打算もあった。

 

しかし、この地域のお祭り好きな人の気質は予想を超えていた。

 

いつの間にか近所の屋台がどんどん集まって来て、いったいどこにこれだけの人が住んでいたのかと思うほど、見物客で溢れていた。

 

この時、慶吾は嫌な予感がした。

真綿に締め付けられているような、フワッとした悪寒。

何か途方もなく大きな掌の上で動かされているかのような・・・

 

しかしもはや流れに逆らうわけにもいかず、やがて青銀乱の大輪が夜空に咲いた。

 

「そして師匠が降り立ち、そこに柱が現れた・・・」

 

煉獄(れんごく)槇寿郎(しんじゅろう)さんならともかく、見知らぬ柱。

 

さすが鬼殺隊と感心すればいいのか、いつの間にか人払いも済んでいた。

戦いにならない筈もなく。

激戦の音が辺りに響き渡った。

 

終わった・・・嵌められた。

これはもう、何も言い訳できない。

 

しかし一体どこから・・・?

 

こんな思い付きで始まった花火大会に、柱が派遣される。

その違和感。不気味さ。あり得なさ。

 

まさか鬼殺隊は、未来を見通すことができるのか・・・?

 

そんな答えの出ないもやもやを抱えながら、もはや逃れられぬと悟り、師匠が来るのを待っていた。

 

 

 

「・・・なるほどな」

 

そんな呟きが零れ落ちた刹那、凄まじい闘気を持つ者がこの地に唐突に現れた。

 

「この闘気ーーー!!」

 

「ぐっ!!」

 

 

突然目の前に、血の色の如き赤い旋風が舞う。

 

そしてーーー

 

「お前かぁ?

 猗窩座(あかざ)さんに鍛えられた、人間の弟子っていうのは。

 それにしゃあ・・・ひひっ。

 全身土だらけで、みっともねえ格好だなああ?」

 

ぼさぼさの髪に、上半身裸の異常に痩せた男。

肋骨(あばらぼね)は浮き上がり、骨盤が見え、腹には内臓がないかのようにくびれている。

 

全身に鬼特有の幾つものアザを持ち、それらは痩せ細った体格と相まって醜いシミのようにも見える。

男はその醜い顔をボリボリと掻きむしりながら、慶吾を上目遣いにねめつける。

 

「お前を殺せば、俺も猗窩座さんに鍛えて貰えるなああ?」

 

上弦(じょうげん)(ろく)妓夫太郎(ぎゅうたろう)が、突如としてこの地に舞い降りた。

 

 

続けて、冬でもないのに霰のような吹雪が舞う。

 

「うーん、残念。

 さすが猗窩座殿のお気に入りかな。

 あの柱には逃げられちゃったよ」

 

にこにこと屈託なく笑い、穏やかな声で優しく喋る鬼。

 

「でも・・・

 お気に入りを勝手に壊すのは良くないよね。

 だから、深くは追わないことにしたよ」

 

地獄の閻魔のような、黒い帽子に黒いマント。

 

「やあやあ、また強くなったねえ、猗窩座殿。

 今日はお願いがあって来たんだ」

 

男が頭にある帽子をとって軽く掲げると、長い白橡(しろつるばみ)色の髪をした頭のてっぺんが赤く、血を被ったかのように染まっていた。

 

虹色の瞳の左目には「上弦」、右目には「()」の文字。

 

上弦の弐、童磨(どうま)と共に。




投稿が遅くなりました。

遅くなった分、何か面白いサプライズが欲しいなって思ってたら、こうなりました。
この広げた風呂敷を、さてどうしましょう(笑)


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拾い子と馬鹿弟子

第67話
Side: 猗窩座


妓夫太郎(ぎゅうたろう)

 俺に何の用だ?」

 

この世で最も鬱陶しい男を極力視界から排除しつつ、妓夫太郎へと声をかける。

 

話を振ると、妓夫太郎は他人を見下したような態度を改め、恐る恐る口を開いた。

 

「・・・猗窩座(あかざ)さん。

 俺は、もっと強くなりたいんだ」

 

「?

 俺から見てもお前は相当強くなった。

 上弦に至ったということは、真の強者の証。

 その調子で一層励むといい」

 

「ああ、いや、そうじゃねえんだ・・・

 そうじゃなくて、そのぉ・・・」

 

「???」

 

いつもの覇気は形を潜め、ボソボソと喋る妓夫太郎の様子を訝しんでいると、鬱陶しい男が割り込んできた。

 

「猗窩座殿!

 妓夫太郎は俺が紹介した者故、俺からもお願いする!

 彼に稽古をつけて貰えないだろうか?」

 

馬耳東風。

普段であれば、右から左へと聞き流す男の言葉だが、妓夫太郎が絡むとなると無視するわけにもいかない。

 

しかし、俺の聞き違いでなければ疑問が残る。

 

「何故、俺に頼む?」

 

俺は上弦(じょうげん)(さん)

対して妓夫太郎を導いた目の前の鬼は、今や上弦の()

 

信念や意思が全く感じられず、話す言葉にも感情が籠らない、酷薄な鬼。

しかし、非常に認めがたいことではあるが、俺よりも序列は上。

その男を差し置き、何故敢えて自分に頼むのかは疑問だった。

 

「ああ、その、童磨(どうま)さんは・・・」

 

またしても言いづらそうに妓夫太郎の口がどもっていく。

コイツは上弦になっても、序列に律儀なところがあるな。

 

「俺は人にものを教えるのが不得意だからなあ。

 それに、俺の血鬼術(けっきじゅつ)は相手を近づけさせずに殺せるから、妓夫太郎の血鬼術とは戦い方も違って上手く教えられないんだ」

 

なるほど。

それならば理解できる。

 

脳内で特訓する光景を何百何千と思い描く。

 

強者。

それも近接戦闘のできる者。

・・・悪くない。

 

妓夫太郎ほどの者が相手なら、あの技を完成させられるかもしれない。

 

「妓夫太郎、俺にどうして欲しい?」

 

妓夫太郎へと向き直り、声をかけると、彼は片膝を立てて姿勢を正した。

不意に彼の腰元からもう一人の妹、堕姫(だき)も現れ、二人は並んで頭を下げる。

 

「俺を強くして欲しい!!」

「五年後の序列戦で、あの壺野郎をぶちのめしてアンタに挑めるくらいに!」

 

妓夫太郎はともかく、あのプライドの塊のような妹までもが頭を下げている。

 

玉壺(ぎょっこ)のヤツ、何かしたな?

ヤツもまた、五年後の序列戦に思うところがあるらしい。

 

口端がニヤリと吊り上がる。

おもむろに慶吾(けいご)へと視線を送った。

 

「オレはお邪魔みたいなのでーーー」

 

馬鹿弟子が慌ててこの場を立ち去ろうとするが、そうはいかない。

和服の首根っこを捕まえ、妓夫太郎の前へと突き出す。

 

「一つだけ条件がある。

 この馬鹿弟子に「参った」と言わせることができれば、お前を強くしてやる」

 

その条件を耳にした瞬間、妓夫太郎が暗い愉悦に微笑む。

 

「・・・いいんですかぁ?」

 

「構わない。だが、殺すなよ。

 コイツが喋れないほどの致命傷を受けた場合も、この話は無しだ。

 生かさず殺さず、コイツの心を折れ。

 参ったと言わせれば、お前を鍛えてやる」

 

最後まで条件を聞いた妓夫太郎は、なんだそんなことかと心底安心したように、獰猛な表情で嗤う。

 

「お前、いったい猗窩座さんに何をしたんだぁ?

 命令だから殺しはしないが・・・ひひっ。

 俺の血鬼術はなあ・・・

 拷問にはもってこいなんだよなああ!!

 お前が泣き叫ぶ姿が、目に浮かぶなぁぁ!!」

 

対する慶吾は、既に顔面蒼白だった。

壊れた人形のように首を曲げながら、俺の方に幽鬼のような顔を向ける。

 

「・・・・・・し〜しょお〜〜〜?」

 

「なんだ?」

 

「鬼ですか?!」

 

「なんだ、お前も鬼になりたいのか?」

 

「遠慮しておきます!

 それより、どう考えても勝ち筋が見えないのですが!?」

 

「罰だからな。

 だが、勝ち目がない勝負も面白くない。

 お前の好きな死に場所を選べ」

 

「どうして死ぬ前提なんですか!?」

 

「なら、せいぜい死なないよう、全力を出せ」

 

「もういやだ!この師匠〜」

 

「・・・あるんだろう?

 何の準備も無しに、お前が俺を呼ぶはずがない」

 

「ええ、まぁ・・・準備はしてましたよ」

 

「使え」

 

「ッッ!

 はぁ〜〜〜〜〜。

 分かりました!!!」

 

大きなため息を吐き終わる。

と、ようやく慶吾の目付きが変わった。

 

勝利への執念、計算高い者の、負けず嫌いが故の覚悟。

 

彼らは、自身の得意分野では絶対に負けられないという決意と覚悟を持つ代わりに、それ以外の事には驚くほど無頓着で、始めから勝ち負けを放棄することも多い。

 

彼らの中で負けて良いことは遊びであって、勝負ではない。

だが、負けられない覚悟がある場合、彼らは獰猛な修羅と化す。

 

その覚悟は、身体の強さや磨かれた技術でもない。

心というあやふやなもの。

しかし、俺は知っている。

最後の最後、全てを決する土壇場で勝利を引き寄せるのは、心だということを。

 

「・・・楽しみだ」

 

果たして慶吾がどこまで成長したのか・・・

 

人間は弱い。

だが、人間は成長する。

その驚きを、もう一度見せて貰おうか。




童磨はおまけ。


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堕姫と妓夫太郎

第68話
Side: 慶吾


月明かりの下、山林を泳ぐように4つの影が跳ぶ。

 

まるで軽業師(かるわざし)のように枝から枝へと移りながら。

まるで(むささび)のように木から木へと飛びながら。

 

眼下に生い茂る、地元民ですら近づかないような獣道を悠々と跳び越えていく。

 

 

たどり着いた先は、暗い森の奥地にある人工の広場。

木を切り倒し、草を刈り、土を耕す前の、多くの切り株が残った凸凹(でこぼこ)のステージ。

周囲を高い針葉樹に囲まれながら、そこだけは綺麗な月影(つきかげ)が差している。

 

草むらが風に揺れる音と、虫の音色が耳を撫でる。

周囲にいる獣たちはジッと息を潜め、暴風が通り過ぎるのを待っていた。

 

 

 

「遅いわね」

 

凶々しい花柄模様の四本の帯が、鞭のようにしなり、四方から襲い掛かる。

 

「こっちは人間なもので」

 

この日のために新調した特別性の手甲を当て、全ての帯を弾いていく。

手甲で弾き、軽やかな足捌きで避け、上半身を捻って躱し、帯を潜り抜ける。

 

「ふぅん。思ったよりも骨があるわね・・・」

 

左目に「上弦(じょうげん)」、右目に「(ろく)」と刻まれた美しい鬼。

身体に巻きついた花柄の帯がしゅるしゅると(ほど)けていく、とシミひとつない綺麗な女の肌があらわになる。

 

八本に増えた帯が周囲を威嚇するかのように、ゆら、ゆら、とうねっていた。

 

「そういうお姉さんは、つよかわです」

 

「はぁ?どういう意味よ」

 

先ほどの倍の数の帯が襲い掛かる。

十重二十重(とえはたえ)に迫り来る帯を手甲で弾き続けていく。

と、強い殺気を感じ、咄嗟にバク転で距離を取る。

見れば、折り重なった太い帯が直前までいた大地に突き刺さっていた。

 

絶え間ない攻撃が止まった、一瞬の隙。

 

『好機ーーー!!!』

 

無防備になった相手に向けて駆け出す。

 

重なり合った帯が一斉に相手の周囲へと戻り、防衛陣を敷く。

 

『今さら慌てて引っ込めても、遅いーーー!!』

 

暴れ回る帯を掻い潜り、相手の鳩尾に掌底を放つ。

その様を、相手の瞳がジロリと追っていた。

 

「遅い。あくびがーーー!?」

 

堕姫(だき)が後ろに跳んで避けようとした瞬間、ちょうど足元の切り株に当たったらしく、隙が生まれる。

 

「ハッ!!!」

 

体制が崩れた刹那に攻撃が当たり、その身を十尺ほど吹き飛ばす。

 

フゥー、と息を吐き、素流(そりゅう)の構えを取る。

 

「強くて、可愛いって、ことです!」

 

「ッッ!!」

 

こんな攻勢で鬼を倒せるはずがない。

しかし、勝利条件が相手を殺すことでない以上、少なからず意味はある。

 

この調子でいけば、なんとか降参せずに夜明けまで時間を稼げるかもしれない。

そんな楽観的なことを考えていたのがいけなかったのだろうか。

 

静観していたもう一人の殺気が、ふと高まっているのを感じた。

 

「ふぅん・・・」

「お前、分かってるなぁぁ」

 

それまで様子を伺うだけだった兄の方が戦場に降り立つ。

兄妹二人が並び立った。

 

「「でも(なぁぁぁ)」」

 

「どんなに頑張っても、所詮は人間」

「みんなぶっ壊しちまえば、意味ないんだよなぁぁぁ!!」

 

妹の堕姫の操る帯が天まで立ち昇ったかと思えば、雷の如く降り注ぎ、全ての切り株が一瞬で叩き潰される。

 

兄の妓夫太郎(ぎゅうたろう)が軽く腕を振るうと、血の斬撃が放たれ、全てのごみをを吹き飛ばす。

 

一瞬の後、何もない更地だけが残る。

草むらに仕掛けた落とし穴も、踏めば作動する罠も、引っ掛かれば作動する罠も、根こそぎ吹き飛ばされてしまった。

 

「結構、苦労して作ったんですけどね。

 破壊は一瞬ですか・・・」

 

しみじみと呟く。

切り口の角度や刺にも拘って作った、苦節3日間の苦労が水の泡だった。

 

その姿があまりに自然体だったからか、妓夫太郎が訝しげにこちらを見つめていた。

 

「お前、俺たちが怖くないのか・・・?」

 

目の前の上弦の鬼は、一体何が言いたいのだろうか。

たかが人間一人に、上弦の鬼が二人がかりだぞ!?

正直ふざけるなと言いたい。

今すぐにも逃げたいに決まっている!

 

「何を言っているんですか!?

 怖いに決まってるじゃないですか!!」

 

「その割にはお前、全く怖がってないよなぁ?」

 

「ああ、そういうことですか・・・

 毎日師匠に扱かれれば、すぐに分かりますよ?」

 

師匠は長年、相手の闘気を見てきたからか、相手の限界を見極めるのがとても上手い。

その上で、ぎりぎり限界の攻撃を容赦なく放ってくる。

 

怖いという感情で動きが鈍ることは、師匠の前では死に繋がる。

一般人が、逸般人(いっぱんじん)になるくらい容易い事だった。

 

その感情が伝わったのか、妓夫太郎はひひっと笑う。

 

「へぇ。いいなあお前。いいなあ。

 人間の癖に猗窩座(あかざ)さんに鍛えて貰えるなんて、ねたましいなああ!」

 

妓夫太郎は、不気味に脈打つ鎌を両手に持ったまま、その爪先でボリボリと自分の頭を掻きむしりながら語る。

 

「ねたましいなあああ!

 死んで代わってくれねえかなあぁあ!」

 

その爪は肌に深く食い込んで、赤い傷跡を残す。

よく見れば男の身体はあちこちが傷だらけで、常に血が滴っていた。

 

その勇姿を見て、堕姫は勝ち誇ったかのように胸を張る。

 

「アハハハハッ!

 兄さんが本気になったら、アンタなんてすぐ死ぬことになるんだから!」

 

 

 

「・・・いや、殺したらダメだからなぁ?」




書ききれないけど、移動も含めるとそれなりに時間が経過しています。


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参と弐

第69話
Side: 猗窩座


「アハハハハッ!

 アンタをぶっ殺して、アタシたちが最強になるのよ!」

「・・・お兄ちゃんの言葉、ちゃんと聞いてるよなぁ?」

 

「鬼!悪魔!

 二人がかりなんて卑怯じゃないか!?」

 

 

 

流石の慶吾も二対一はまずいと感じたのか、迷わず周囲の森の中へと身を躍らせた。

 

慶吾のことだ。

準備した罠がこれだけという事はないだろう。

一対一になるよう、今頃は頭を巡らせているに違いない。

 

妓夫太郎たちも、慶吾を追いかけて森へと入っていった。

 

 

「猗窩座殿、あの子が心配かい?」

 

その声を聞いた瞬間、闘気を限りなく零に近づける。

 

コイツまでここに現れたという事は、何かある。

無惨様の依頼か、上弦の壱に感化されたか。

 

前者ならば、無惨様の機嫌次第。

後者ならば、面倒なことになる可能性が高い。

 

心底嫌ではあるものの、コイツから情報を得なければならないようだ。

 

「ああ、心配している」

 

発した声は、無感情の棒読みだった。

それでも、童磨はニコーっと笑顔になる。

 

相変わらず、感情にゆらぎが感じられない。

気持ち悪い。

そして、うざったい。

 

「やァやァ、嬉しいなぁ。

 でも心配いらない。妓夫太郎の血鬼術に人間は耐えられない。

 ほんの少しでも掠めれば、それで勝負は終わりさ」

 

「・・・・・・」

 

「柱でもない、たかだか人間一人。

 血鬼術を使うまでもないと思うけど、条件が条件だからね。

 それでも、猗窩座殿は心配かな?」

 

「妓夫太郎は強い。

 上弦の月まで昇り詰めた実力は認める。

 ただの人間の慶吾より強いのは間違いない」

 

「んー、それなら、何が心配なのかな?」

 

「仮に俺と妓夫太郎が戦えば、百回やって百回俺が勝つ。

 だが俺と慶吾が百度戦えば、数回は慶吾が勝つ。

 あの人間には、読めないところがある」

 

「うーん、そうかあ・・・」

 

ヒュンーーー

と、金色の扇が鼻先を掠めた。

 

ピキッ!!

怒りで血管が浮き出るのが自分でも分かる。

 

「何の真似だ・・・

 俺への接触無用は、無惨様もお認めになったことを忘れたか?」

 

「猗窩座殿は人間を育てて、どうするつもりかな?」

 

童磨は閉じていた扇を鋭く打ち下ろし、開いた。

いつもの酷薄な笑顔ではない。

普段は飄々として本心を見せない上弦の弐としての姿。

 

『前者か・・・』

 

『上弦』『弐』と刻まれた虹色の瞳。

その瞳の奥から間違いなく見られている。

 

返答次第では、慶吾もろとも殺される。

納得のいく理由を述べなければならない。

 

「青い彼岸花は、日中だけに咲く可能性がある。

 調査には人間の協力者が必要だ。

 だが弱い人間は少し山を歩くだけで獣や野良鬼の餌食になってしまう。だから、使える人間を育てている」

 

「うーん。なるほどね。

 本当にそうだとしたら、これまで全く見つからなかった理由としても頷けるよね・・・

 しかしだよ猗窩座殿、そう考える根拠はあるのかな?」

 

童磨、ではない。

その向こう側で見ている無惨様にご納得頂かなくてはならない。

今、まさにここが勝負処。

 

「彼岸花は種を作らない。根で増えていく。

 水仙と同じだ。赤い彼岸花の根からは、赤い彼岸花しか生まれない。

 赤い彼岸花が咲いている場所を探しても、青い彼岸花は決して見つからない。

 そして赤い彼岸花が咲く場所は、環境を選ばない」

 

「根から増える植物の特徴だね。

 それで?」

 

「青い彼岸花はおそらく特殊な個体だ。

 見た目も赤い彼岸花とは異なるかもしれない。

 だが、そうだとしても青い花は珍しい。

 同じ条件で極稀に生まれてくるような特殊な個体なら、無惨様がとうに見つけていると思う。

 そのために無惨様は鬼を増やされているのだから。

 何百年も見つけられていないことを考えると、特定の条件でしか咲かない特殊個体の可能性が高い」

 

「あー、なるほどね。

 それで鬼が立ち入れない日中を人間に探させるんだね」

 

「そうだ。

 ここ数百年、人間の生活は随分と変わった。

 人間の中には俺たちにない発想を持つ者もいる。

 青い彼岸花を見つけられる可能性は上がる筈だ」

 

童磨はスッと広げた両手の扇を重ね合わせた。

 

「うんうん。

 猗窩座殿の言うことにも一理あるね。

 でも、未確定の情報である事実は変わらない。

 これは俺のわがままなんだけど、無惨様もお認めになった事だから。

 ごめんねえ」

 

シャンシャンシャリン!

 

閉じた扇を開く。

隙間から凍てつくような白い煙が生まれ、その中から氷の人形が姿を現す。

『結晶の御子』

 

「猗窩座殿は、短期間で凄く強くなったよね。

 でも不思議だよね。人間と関わって強くなるなんて。

 だから、ずっと戦ってみたかったんだ。

 今なら俺を倒せるかもしれないよ」

 

童磨は話しながら『結晶の御子』を三体作り上げる。

 

「・・・確認する。

 無惨様が、戦うことをお認めになったんだな?」

 

「そうだーーー」

 

パリィィィンーーー

 

童磨と同等の能力を持つとは言え、所詮は氷。

結晶の御子が全て、一瞬で粉々になる。

 

「何、今の!?

 凄い速かったね!

 目で追えなかったよ」

 

「わかった。手加減はしない。

 お前を殺す」




多忙の極みで、投稿が遅くなりました。


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甲と柱

第70話
Side: 慶吾


「おまえ、人間にしてはやるなぁ」

 

血鬼術(けっきじゅつ)で生み出された、赤黒く脈打つ不気味な鎌。

いかにも何らかの能力が付与されていそうなソレを、躱し、手甲で逸らし、必死に避ける。

 

両手から放たれる猛攻に、一瞬たりとも気が抜けない。

一度の瞬きが死に繋がる。

 

堕姫(だき)と呼ばれた妹の帯とは比べ物にならない、隔絶した強さ。

表情を見るに、おそらくは全く本気ではないソレを捌きながら、次の手を打つ。

 

 

「この人間!

 とっとと兄さんにやられなさいよ!!」

 

大地に大きく空いた落とし穴の底から、堕姫の罵声が飛んでくる。

 

攻撃を上手く躱しつつ、追い詰められている振りをしながら、あと一歩のところで誘導した落とし穴。

意識の隙間に差し込むように、堕姫の傲慢な心につけ込んだ手は、これ以上なく決まった。

 

落とし穴の底には(ふじ)の花の毒を塗った竹槍を用意してある。

解毒ができるまで、一人では抜け出せまい。

 

 

しかし、ようやく一人を足止めできたと思ったら、息を吐く間もなく妓夫太郎(ぎゅうたろう)が前線に躍り出てきた。

 

この鬼こそ、まさに上弦の一角。

長い両手から繰り出される鎌の軌道は変幻自在。

師匠と同じく、全ての攻撃が死に繋がる。

 

「ーーーッ!!」

 

ギンッ!!

紙一重で攻撃を受けながら、足元の石ころを蹴り飛ばす。

 

プツンーーー

糸が切れる音がして、目の前の鬼に向けて毒入りの矢が放たれる。

 

鏃が風を切る音に反応し、一瞬視線を寄せた後、妓夫太郎は左腕を大きく振るった。

 

血鬼術(けっきじゅつ)()血鎌(ちがま)

 

血の斬撃が飛び、迫り来る矢を全て吹き飛ばす。

 

刹那の隙に、大地を蹴って距離を取る。

 

その際、用意していた罠を作動させることも忘れない。

堕姫の落ちた穴を目がけ、巨大な大岩が落ちていく。

 

妓夫太郎も追撃を止め、妹の救助を優先させたようだ。

 

「ッッは!はぁ〜、はぁ〜、はぁ、は・・・」

 

瞬きも、息を吐く間もない、凄まじい猛攻だった。

堕姫はともかく、妓夫太郎はヤバい。

このままでは逆立ちしても勝てない。

 

「フゥ、フゥ、フゥ、フゥーーー・・・」

 

『これは師匠と戦う時のために、とっておきたかったんだけど・・・』

 

 

 

岩柱(いわばしら)悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)さんが現れたのは、偶然ではない。

 

師匠には話していない内容がある。

それを話せば、師匠に打ち勝つための秘策が全てバレてしまうから。

 

ある日オレは煉獄(れんごく)夫妻に誘われて、目隠しと耳栓をされたまま、とある場所へと連れて行かれた。

そこで産屋敷(うぶやしき)耀哉(かがや)という人と会い、一つの取引を交わした。

 

不思議な人だった。

生命力のない、まるで死人のような雰囲気を纏いながらも、幽玄の狭間に佇むような、超常の存在感。

人間では計り知れない視点で、この世を俯瞰しているかのような・・・

 

槇寿郎(しんじゅろう)さんを始め、明らかに人間を辞めている強者達が膝を付いて、一様に並んで最敬礼の姿勢を取る。

 

『ああ、この人が鬼殺隊の当主なのか』

 

誰よりも強靭な肉体をもって、或いは誰よりも明晰な頭脳をもって、荒々しい鬼狩りの人たちの復讐心を一身にまとめ上げているのかと思っていたけれど、それは大きな誤りだった。

 

彼は天気の話でもするかのように話し始めた。

 

慶吾(けいご)くん、今日は急な申し出にも関わらず、来てくれてありがとう。

 君は鬼殺隊(きさつたい)ではないから、私を敬う必要もない。

 どうか気楽に話を聞いて欲しい」

 

「分かりました」

 

その言葉を聞くだけで、自然と心地良くなる不思議な声だった。

 

「君たちは、鬼に家族を殺されたと聞いた。

 もし君たちが望むなら、鬼殺隊に席を用意したいと思うんだけど、どうかな?」

 

心の奥まで染み渡るかのような、不思議な声。

彼は君たちと口にした。沙代(さよ)獪岳(かいがく)のことも話に聞いているのだろう。

ただ、勝手に知られていたとしても、不思議と嫌な気持ちは湧いて来なかった。

 

「家族を殺した鬼は、絶対に赦さない。

 全身を細切れに引き裂き、ひき肉にしても殺し足りないくらいだ。

 だが仇を討ち、オレ達を鍛えてくれたのは師匠だ。

 オレ達が目の前の鬼をどうするかは、オレ達が決めます」

 

その言葉は予想していたのだろう。

声に小さな揺らぎもなく、彼は続けた。

 

「分かった。私たちはその意志を尊重しよう。

 それに槇寿郎からも、君はかなり強いと聞いている。私たちの組織で言う、甲くらいの実力はあると思う。

 そこで話は変わるけれど、君は十二鬼月(じゅうにきづき)を知っているかな?」

 

「十二鬼月のことは、師匠から教わりました。

 上弦(じょうげん)下弦(かげん)のこともです」

 

「やっぱり君の師は、特別なんだね。

 叶うことなら私も一度、会ってみたいと思うよ」

 

ざわりーーー!

その瞬間、周囲は驚きに包まれた。

 

「お館様(やかたさま)!」

 

額には横一文字に走る傷跡、南無阿弥陀仏と仏文字の染められた羽織を纏う大男が堰を切ったように声を漏らす。

 

「ありがとう行冥。

 でも、不思議と大丈夫な気がするんだ」

 

彼が穏やかに話す度、心地よい風が心に吹き抜けるようだった。

柱の皆にかける声は特に、心からの安心を感じる響きだった。

 

「お館様、お戯れが過ぎます!」

 

煌びやかな宝石の縫われた派手な額当てを着け、布で髪を覆った男が再度諫める。

 

「ありがとう、天元(てんげん)

 槇寿郎も、そんなに見つめないで欲しい。

 (みんな)に心配をかけるつもりはないんだ」

 

つくづく、不思議な人だった。

お館様と呼ばれる人を前に、あたまを下げている誰一人として、一対一で勝てる気がしない。

本物の強者が、不思議なくらいに彼を慕っている。

 

その穏やかな声が、不意にこちらへと向けられる。

 

「ここにいる(はしら)たちは(みんな)、抜きん出た才能がある。

 血を吐くような鍛錬で自らを鍛えて死線をくぐり、十二鬼月をも倒している。

 自らを鍛え抜いたからこそ分かる強さ。限界を超えた死線。

 その一歩を踏み出す勇気が、甲と柱を大きく分ける。

 君は、本当に強い鬼と戦うには、その才能を磨き切れていないのではないかな?」

 

それは師匠と別れてから、ずっと考えていたことだった。

 

十二鬼月に打ち勝った者。

確かに、柱と呼ばれた人たちは凄まじいほどの覇気を纏っている。

たとえ自分の場に誘き寄せたとして、果たしてどれほどの勝率か。

 

「おっしゃる通りです。

 今のオレでは槇寿郎さんには勝てません。

 他の方にも敵わないでしょう」

 

「・・・やれば、分からんがな」

 

ボソリと槇寿郎さんが何かを呟いたが、聞き取れなかったので無視する。

 

「そこで提案があるんだ。

 私たちは君たちに人間を強くする方法を教える。

 君たちには倒した鬼の情報を私たちに教えて欲しいんだ。

 今ここにいる柱の(みんな)にも、管轄があってね。

 鬼を倒してくれるのは嬉しいことなのだけれど、君たちのことを知るまで、何が起こったのか調査をする必要があったんだ。

 より強い鬼が縄張りに現れた可能性もあるからね。

 人が日輪刀(にちりんとう)も持たずに鬼を倒すのは、本当に珍しいことなんだよ」

 

あやしい。

どうにも話が美味すぎる。

当主がわざわざ一介の人間を呼び出して、それだけという事はないだろう。

 

『・・・確認しておくか』

 

「・・・それだけですか?

 師匠のことを教えろとは言わないんですか?」

 

刹那、空気が凍った。

上から目線での言い分に、柱たちから殺気が向けられる。

 

その凍った空気さえも凍てつかせるような、優しくも絶対零度の覚悟を乗せて、彼は口を開いた。

 

「鬼の始祖、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)は、千年以上昔の私の遠い祖先の血筋に当たる。

 そして鬼舞辻無惨という怪物を一族から出してしまったせいで、私の一族は呪われている。

 私も殆ど目が見えないし、一人では立って歩くこともままならない。

 我が一族、唯一の汚点であるヤツは、私たちが、私たちの代で必ず倒す。

 そのためならば、私はたとえどんなことでもするつもりだよ」

 

この時この瞬間、オレは鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉の求心力と、その奥に煮え滾る決して消えない炎を垣間見た。

 

その炎はとても馴染みのある感情だった。

だからこそ、その言葉は心にストンと落ちてきた。

この人はきっと、こちらから何かを話すまで、聞いてくることはないだろう。

 

だとすると、この場でこの人から幾つかの言葉を引き出すことができれば、残る懸念も解消できる。

 

オレは鬼殺隊当主、産屋敷耀哉さんに向かい、頷いた。

 

「分かりました。

 ただし、オレたちからも要望があります。

 聞いて頂けますでしょうか?」




槇寿郎はこの中で唯一、本気の慶吾と戦ったことがあります。

日曜にアップロードしたかったのですが、多忙の極みで遅れてしまいました。すみませぬ。


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技と術

第71話
Side: 慶吾


「すうぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・」

 

思い切り息を吸い込み、丹田(たんでん)に力を込める。

 

肺から全身へと、呼吸が巡り廻る。

人の潜在能力から、更なる力を引き出す技。

 

一人の天才によって江戸時代に生み出され、その後も連綿と続く歴史の中、人の手によって研鑽を重ねてきた、基本五呼吸の型の一。

 

シィィィィィィィィィーーー!!!

 

風を斬り裂くような荒々しい呼気が口端から漏れる。

 

 

「よくもまあ、やってくれたわね・・・

 底は竹やりだらけの落とし穴。

 しかも、丁寧に藤の花(ふじのはな)の毒が塗られていて、

 解毒するまで動けなかったわ・・・

 もの凄く癪に触る。もの凄くね」

 

心に怒りを(たた)えながら、ゆらりと現れた堕姫(だき)の声が背後から響く。

 

よほど自信があるのか、怒りに我を忘れているのか。

わざわざ声をかけてくれるとは、随分とオレを侮っているらしい。

 

「お前は、アタシが殺す!」

 

血鬼術(けっきじゅつ)八重帯斬(やえおびぎ)り!!!』

 

全ての帯を四方八方に伸ばし、獲物をぐるりと取り囲む。

まるで竹で編まれた網かごのように縦横に編まれた帯を、中心にいる獲物に向かい一気に収縮させる。

 

 

その声が聞こえるかどうかの刹那、振り返ってつま先に力を込める。

 

パチン、と。

手甲(しゅこう)に仕込んでいた爪が飛び出し、両手の甲を覆う。

 

それは、緑色の爪。

猩々緋砂鉄(しょうじょうひさてつ)猩々緋鉱石(しょうじょうひこうせき)を原料として打たれた、鬼を殺すための武器。

慶吾(けいご)を強く育てるため、とある風の呼吸の使い手が考え、刀鍛冶によって打たれた、無二の日輪刀(にちりんとう)

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)ーーー」

 

塵旋風(じんせんぷう)()ぎ!!!』

 

呼吸を込めた莫大な力で大地を蹴り、螺旋状の小竜巻を纏いながら一直線に進む。

 

囲い込むように迫り来る帯は全て、竜巻に触れた瞬間、ズタズタに切り裂かれて弾け飛んでいった。

 

「えっ?」

 

怒りの表情から一転、顔に浮かんだのは戸惑いだろうか。

 

堕姫の目に、オレは映っているだろうか。

よしんば気付けたとしても、対応は間に合うまい。

先ほどまでとは異なる加速、この緩急の差こそが最大の武器。

 

しかしそこへ、凄まじい速度で割って入る影があった。

 

堕姫の首をあと一寸で斬り落とせる。

その寸前で刃が弾かれる。

 

ギィンーーー!!

 

弾いたのは凶々しい鎌。

 

妓夫太郎(ぎゅうたろう)

その技量、その強さは正に上弦(じょうげん)

 

「チッ」

 

距離を取り、更に深く、更に強く呼吸を体内で練り上げていく。

 

 

「おめぇは本当に頭が足りねぇなぁ。

 せっかく可愛い顔に生まれたんだからなぁ。

 顔は大事にしろよなぁ」

 

地面を削ぎ取るような威力の旋風を受け、堕姫はその身体に多くの切り傷を負っていた。

 

妓夫太郎がその傷を優しく包み込むように撫でると、触れたところから傷は消え、元の綺麗な肌へと戻っていく。

 

一通り綺麗にした後、妓夫太郎の首がゆっくりとこちらを向いた。

 

「お前、思ったよりもやるなぁあ。

 さすがは猗窩座(あかざ)さんの弟子だなぁ。

 妬ましいなああ、妬ましいなああ」

 

妓夫太郎の爪先が顔に深く食い込み、そのままボリボリと頭を掻きむしる。

 

「しかも、猗窩座さんに技を教わっておきながら、鬼狩(おにが)りの技も使えるとはなぁ。

 許せねぇなぁ。許せねぇなぁ。

 それだけ強けりゃ、もう手加減する必要もなさそうだなぁ・・・」

 

ボリボリと掻きむしった先から、赤い血が滲み出て滴ってゆく。

その傷だらけの顔が、ニヤリと怪しく歪んでいく。

 

「俺の可愛い妹を傷付けた報いは受けさせなきゃなぁ。

 取り立てるぜ、俺はなぁ・・・

 やられた分は必ず取り立てる。

 死ぬときグルグル巡らせろ。

 俺の名は、妓夫太郎だからなああ!」

 

『血鬼術・()血鎌(ちがま)!!』

 

血の付いた両腕を左右に振る。

流れ落ちる赤い血が斬撃となって、それぞれが意志を持つかのように弧を描いて舞い、恐ろしい速度で向かって来る。

 

『あの血の斬撃、自由に動かせるのか!?』

 

ガガガガガッ!!!

 

避けても戻って来そうな血鬼術を両手の爪で全て打ち落とし、足先で次の罠を発動させる。

 

案の定、血鬼術と同時に踏み込んで来た妓夫太郎が、目の前に鎌を振り下ろしていた。

 

「お前、少しはやるなぁあ。

 でも、意味ねぇんだよなぁ」

 

「それはどうかな?

 仕掛けはまだまだある」

 

妓夫太郎の左側から、オレの立つ場所を除いて一斉に矢が放たれる。

その射程範囲には、妓夫太郎だけでなく堕姫も入っている。

 

その矢を視認した瞬間、妓夫太郎は不思議なことに左目を瞑った。

 

『えっ?』

 

矢の飛んでくる方向の目を瞑る。

それは、襲い来る矢を無視する行為。

 

そのまま、両手の鎌が振り下ろされる!

 

ガキィィィ!

 

辛うじて鎌の柄を手甲で受け止めるも、凄まじい膂力(りょりょく)で押し込まれる。

 

「ぐッ」

 

右膝が地面に着く。

鎌の刃先が眼前に迫り、額に迫る。

寸前の差で、妓夫太郎の動きが止まった。

 

「チッ!藤の花か!?」

 

待ち望んだ好機に、集中力が極限まで高められる。

世界がゆっくりと回り始める。

 

妓夫太郎の声を耳にしながら、ゆらりと力を抜いて体を前に倒す。

 

何度も何度も頭の中で思い描き、考えなくても身体が動くほどに繰り返し修練を重ねた、詰将棋(つめしょうぎ)が如き戦闘の流れ。

罠と、呼吸と、技とが一体となった瞬間に生まれる、師匠を倒し得る可能性の一つ。

 

全ての感覚が一斉に開き、脳が恐ろしい速度で回転する。

 

悲鳴嶼(ひめじま)さんはこれを『反復動作(はんぷくどうさ)』と呼んでいた。

 

『風の呼吸・()ノ型、昇上砂塵嵐(しょうじょうさじんらん)

 

水が流れ落ちるように自然と身体が動き、低い姿勢のまま、砂塵が舞い上がるが如き牙が振われる。

 

「バカ、な・・・

 こんな、ガキに・・・」

 

ぽとりーーー

妓夫太郎の首が落ちる。

 

「あと一人!」




上弦の首にも届き得る攻撃。
ただし届くとは言っていない。


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上弦の陸

第72話
Side: 慶吾


上弦(じょうげん)(ろく)妓夫太郎(ぎゅうたろう)

おそらくは柱すら凌駕し、師匠に伍するほどの強者。

 

油断から生じた隙を突き、奇跡的に其の首を落とした。

 

『最大の障害を排除できた。

 これなら刻限の夜明けまで時間を稼げそうだ』

 

戦いの最中にも関わらず、そう、意識を緩めてしまったのがいけなかった。

 

意識の隙間を縫うように、気付けば鳩尾に強烈な一撃を受けていた。

 

「ごふっ!」

 

肺の中身を全て吐き出され、遠くまで飛ばされてしまう。

視界の隅に、花柄の太い帯が揺蕩(たゆた)っているのが見えた。

 

堕姫(だき)!?

 あの矢を受けて動けたのか!?』

 

首を回して背後を見ると、あわや大木にぶつかるという寸前。

空中でくるりと身体を回転させて樹木の幹へと足を着け、そのままスタッと大地に降りる。

 

随分と離されてしまった。

 

集中して耳をすませるが、追撃は来そうにない。

いずれにせよ、妓夫太郎を倒した今が好機。

焦らず、迅速に、戦える状態で戻らなければならない。

 

ゆっくりと息を吐き、呼吸を整えていく。

息を吸い込み、ゆっくりと吐き、それを繰り返す。

 

 

 

 

 

木々の隙間から微かな月明かりが差している。

そこに一人、夜空を見上げる堕姫の姿があった。

 

妓夫太郎の姿はなかった。

上弦と言えど、通常の鬼と同じように崩れて消え去ったのだろうか。

 

「あら。まだ生きていたのね」

 

こちらへ振り返った堕姫の額には、逆さに『陸』と刻まれた第三の瞳が開眼していた。

 

『陸の目が二つ?

 そう言えば、妓夫太郎は斬られる直前、不自然に左目を閉じていた。

 あの左目がそうなのだとしたら・・・

 妓夫太郎は妹を守ろうとして・・・?』

 

思考に意識を傾けていると、不意に堕姫が声をかけてきた。

 

「アンタ、名前は?」

 

「・・・慶吾(けいご)だ。素木慶吾(しらきけいご)

 師匠に付けて貰った名だ」

 

「ふぅん、そう・・・慶吾ね。

 アンタに一つだけ忠告してあげるわ。

 その程度の実力でアタシたちに勝てるなんて思わないことね。

 兄さんはアンタが死なないようにずっと手加減してた。

 それなのに、よくもやってくれたわね・・・

 もう手加減なんてしない。

 人にやられたことは、人にやって返して取り立てる。

 それが、アタシたちの生き方よ!」

 

堕姫の殺気が膨れ上がり、それに呼応するかのように帯がゆらゆらと立ち昇る。

今までは感じなかった強者の覇気。

背後にゆらゆらと、焼け付くような焔を幻視する。

 

何百年と人を喰ってきたのだろう、決して人とは相容れぬ鬼。

にも関わらず、その姿を何故か、綺麗だと感じてしまった。

 

『目つきが変わった。

 人間を見下すような目つきから、真冬を生き抜く一匹狼のような、他を寄せ付けぬ気高さすら感じる目つきに。

 それに額の目・・・

 あの目から妓夫太郎と同じ威圧感を感じる』

 

脳が鳴らす警鐘に従い、初手から全力でいくことに決めた。

 

先手必勝。

左右の腕を振るい、袖下へ隠していた小さな刃物を両手に持つ。

手首の回転を利かせ、左右の木に潜む隠し罠へと投擲。

 

プツンと糸が切れ、先ほどに倍する量の毒矢が堕姫の左右から放たれる。

唯一の逃げ場は、自分のいる正面のみ。

 

故に、どんな攻撃が来ても対処できるよう、腰を落とし、目を凝らしていた。

 

そして見た。

額の瞳がまるで独自の意志を持つかのように、きょろきょろと左右の矢を瞬時に確認したと思ったら、全ての帯が身体を大きく囲うように丸くなり、帯の球が出来上がっていた。

 

全ての矢が帯の守りに弾かれ、大地に落ちる。

 

『反応速度が格段に早くなった。

 あの額の目、妓夫太郎の血鬼術か・・・?』

 

帯が解かれると、中から無傷の堕姫が現れた。

 

「無駄よ。

 今のアタシに死角はないわ。

 でも、その矢はちょっと面倒ね。

 少し本気で掃除してあげる」

 

しゅるしゅると、無数の帯が身体に巻きついていく。

一本また一本と巻きついていく度、元の着物姿に戻っていく。

 

そして全ての帯が巻きついた時ーーー

美しい黒髪に三対の(かんざし)を差し、躑躅(つつじ)の花のような鮮やかに赤紫が映える躑躅色(つつじいろ)の花柄の小袖(こそで)に、黒い紋様の入った白い仕掛(しかけ)を羽織り、重なり合った紅い梅の花のような梅重色(うめがさねいろ)の帯を、花魁(おいらん)のようにふっくらと前結びにした女性が立っていた。

 

堕姫は「ふふっ」と艶やかに微笑むと、前帯を解きながら、くるくると舞い始めた。

 

帯が解けて伸びていく度に、美しい肌が月夜に照らされていく。

 

「兄さんの技、一度やってみたかったの」

 

その時、第三の瞳が頷いたような気がした。

 

血鬼術(けっきじゅつ)ーーー」

 

円斬旋回(えんざんせんかい)回転斬(かいてんぎ)り』

 

カッーーー!!!

 

 

 

辺りの山々に、轟音が鳴り響いた。

息を潜めていた獣は一目散に逃げ出し、鳥たちは一斉に遠くへと飛び立っていく。

 

咄嗟に空中に飛び上がったオレの目に映ったのは、一瞬にして切り拓かれた大地だった。

今の今まであったはずの森が堕姫を中心に吹き飛ばされ、そこだけぽっかりと広場が広がっていた。

 

根本から斬られ、吹き飛ばされた木々が周辺を押し倒すように折り重なり、逃げ場のない、すり鉢状の舞台となっていた。

 

『これが、上弦の鬼・・・』

 

ストンと大地に降り立つと、堕姫の瞳がこちらを見据えていた。

 

「これでもう、お得意の罠は使えないわね」

 

見れば花魁姿から、肌も露わな元の衣装に戻っていた。

 

周辺に飛ばしていた帯が集まってきて、再び腰元に戻ってくる。

すると、長く美しい黒髪が毛先から銀髪に染まっていく。

 

両手でかきあげられた艶やかな銀髪が華麗に舞う。

 

「ふふっ。

 今なら参ったと言えば、命だけは見逃してあげるわよ?」

 

「・・・悪いけど、ここで諦めたら、後で師匠に殺されるんで」

 

「そう・・・それなら・・・

 兄さんにしたのと同じように、喉笛掻き切って死になさい!」




古い芸ですが
お殿様ドリーム、帯回しです。
「よいではないかー、よいではないかー」
「あ〜れ〜」


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もう一つの戦い

第73話
Side: 猗窩座


元は緑が生い茂る豊かな山林だった。

それが今や見渡す限り、木々は吹き飛び、大地は抉れ、季節外れの氷の世界が広がっていた。

 

その荒れ果てた地でニコニコと笑いながら佇む鬼。

上弦(じょうげん)()童磨(どうま)

 

「うーん。

 猗窩座(あかざ)殿は本当に強くなったねえ。

 ・・・でも、それじゃあ俺は倒せないぜ」

 

凍った世界の中の、ひときわ目立つ氷像。

人型の氷像がぶるぶると震えたかと思えば、表面を覆う氷の粒が弾き飛ばされ、中から無傷の鬼が現れた。

上弦の(さん)・猗窩座。

 

「・・・鬱陶しい技だ」

 

童磨の強みである、遠距離攻撃とその手数の多さ。

猗窩座の鍛え抜かれた護りの技。

 

どちらも攻めるに難く、相手に致命傷を負わせるに至らないまま、鬼の再生力のおかげで千日手の様相となっていた。

 

「つれないなァ。

 さっき岩柱(いわばしら)を完封した技、まだ先があるんだろう?」

 

拳が繰り出す連撃も、両手に持つ扇で悉く弾かれる。

近づけば近づくほど空気中の冷気が強まり、ほんの僅かに攻撃が遅れてしまう。

 

格闘戦だけなら負ける要素はない、にも関わらずこの体たらく。

全くもって鬱陶しい。

 

業腹だが仕方ない。

このまま無惨(むざん)様に情けない姿を見せるわけにもいかない。

 

「・・・・・・」

 

スッ、と。

自然に素流(そりゅう)の構えを取る。

 

全身から放たれる闘気を限りなく薄く、無駄な動きをなくす。

 

威嚇するような足音もなく、静かに右掌を前に、左手を引いて大きく腰を落とす。

 

術式展開(じゅつしきてんかい)ーーー』

 

小さな雪の結晶が足元から次々と浮かび上がり、蒼い闘気が全身から立ち昇る。

 

スッ、と。

目を閉じ、身体から闘気が抜け落ちたかのように無となる。

敵を倒すという意識が、肉体から離れていく。

 

『・・・恋雪(こゆき)・・・』

 

目を開けた瞬間、見渡す世界が真っ白な銀世界に包まれる。

周囲を覆っていた氷の更に上から、真っ白い霜が降りていく。

 

破壊殺(はかいさつ)空式(くうしき)ーーー」

 

 

『!!?』

 

ふと、今の今まで感じていた慶吾(けいご)の闘気が消えそうになっていく。

 

『馬鹿弟子が、妓夫太郎(ぎゅうたろう)に本気を出させたか』

 

 

両手に溜め込んだ気を練り上げないまま、無造作に童磨に向けて放つ。

 

目も絡むような真っ白な輝きが走る。

 

拳を向けた先には、ただ何もない空間が広がっていた。

 

 

「妓夫太郎が約束を違えた!

 まだ続けるようなら、追いかけて来い!」

 

直撃はした。手応えもあった。

しかし、ヤツがこの程度で死ぬはずもないという、奇妙な信頼感があった。

 

去り際に言葉を投げつけると、俺は慶吾のいた場所へと急いで向かった。

 

 

 

 

 

ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー

 

何もない大地に風が吹く。

 

サラサラと霜は溶け、冷たい空気が風に乗って流れていく。

 

寒風の流れる先、何もない大地から遠く離れた場所に、一本の指が落ちていた。

 

それは小さな小指だった。

ピシッ、罅が入ったかのような音を立てると、心臓を失ったはずの血管がドクン、ドクン、と鼓動を始める。

 

血管が伸びていき、やがて血肉が生えてくる。

指から手、手から腕、腕から胴、胴から五体が、あり得ない速度で細胞分裂を繰り返し、復元されていく。

 

そうして、元通りの姿になった童磨は口を開いた。

 

「あぶなかったぁ・・・

 本当に死ぬかと思った」

 

鬼と化してから、否、人間だった頃も含め、初めて感じた死の恐怖。

生まれて初めて感じた、感情の揺れ。

 

周囲が真っ白に包まれた時に、生死の権を奪われたような気がした。

 

『あー、これ死ぬかも』

 

防御の刹那、かつて感じた事のない焦燥感に駆られるまま、瞬時の判断で小指を切り飛ばしていた。

 

指一本ともなれば、無惨様の血の濃い上弦の弐と言えど一瞬で再生とはいかず、再生には数分を要した。

あの人間に意識を取られていなかったら、もし本気で自分を殺すつもりだったら、全ての細胞ごと消し飛ばされていたかもしれない。

 

もしも、そうなっていたら、

たとえ不死身の鬼の肉体と言えど・・・

 

「うわぁ。急に身体が震えてきた!

 何だろうこれ・・・何だろう・・・

 これが恐怖、これが感情というやつかなぁ」

 

生まれて初めて感じる自らの感情は新鮮で鮮烈で、戸惑いと共に、いつまでも浸っていたいと思える不思議なものだった。

 

生まれてこの方、他人が普通に感じるはずのものを、自分の心は何も感じることはなかった。

無惨様と初めて出会った時でさえ、その力を怖いと、敵わず悔しいと感じたことはなかった。

まさか自分の中に、こんな人並みの感情があったなんて。

 

「わぁ、本当に存在したんだね。こんな感覚が。

 これが生きてるってことなんだ。

 ありがとう、猗窩座殿。ありがとう」

 

それは、生まれて初めて他人に対して抱いた感情だった。

自覚すると、急に世界が明るく開けたような、不思議な感覚が五体を包み込んでいた。

 

 

夢うつつの中にいると、突然脳に直接言葉がかけられ、現の世界へと呼び戻される。

 

「・・・はい、無惨様。

 ・・・はい、はい。

 承知致しました。

 ではそのように」

 

言葉が聞こえなくなる。

先ほどまでこの目を通して観察していた無惨様の意識も、離れていったのかもしれない。

 

 

急な景色が切り変わり、気付けば万世極楽教の導師の席に座っていた。

 

「ああ、血戦の日が楽しみだなぁ・・・

 本気の猗窩座殿ともっと戦えるように、俺も強くならないと」

 

この男、妓夫太郎のことは既に忘れていた。




童磨の言い回しが難しい・・・
上弦召集の時と、その後で口調が違うので、相手によって口調を変えてるのは間違いなさそうなのですが・・・

さて、引き続き仕事は多忙を極めておりますが、
なんとか一週間投稿だけは続けたいと思います。


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決着

第74話
Side: 猗窩座


一陣の風が吹いた。

 

白い風ーーー

ほとんど足音も立てず、木々をすり抜けるように流れ、大地を駆け抜ける。

 

草木も、枝葉も、羽虫もーーー

遮るものなど何もない。

 

最後に、見上げるような高さに折り重なった木々の壁を一足飛びに乗り越えーーー

その風はもう一つの決戦の大地へ降り立った。

 

 

妓夫太郎(ぎゅうたろう)

 慶吾(けいご)は無事か?」

 

猗窩座(あかざ)さん!?

 すみません。毒は取り除きましたが怪我が酷くて・・・」

 

倒れ伏す馬鹿弟子を見る。

見た目は五体満足ではあるものの、出血がひどく、骨も何本か折れてそうだった。

 

解毒が効いたのか、顔には薄らと血の気が戻ってきている。

口元に手を当てると、手のひらに微かだが呼吸を感じられた。

 

「まだ生きている。

 俺は急いでコイツを医者に連れて行く。

 生きていれば、修行は改めてつけてやる。

 妓夫太郎、それで構わないな?」

 

「はい・・・

 やり過ぎてしまい、すみません」

 

「気にするな。

 そう簡単に死ぬような男じゃない。

 それより、コイツは強かったか?」

 

全身血だらけの慶吾を背中に背負いながら、妓夫太郎へと声をかける。

 

「・・・(はしら)にも届くかと」

 

「そうか」

 

そう言って立ち去ろうとしたところ、側で静かに座っていた堕姫(だき)から声があがる。

 

「待って!」

 

「何だ?」

 

今は一刻を争う。

強い言葉と共に、ジロリと睨みつける。

 

堕姫は一瞬怯んだ様子だったが、キッと強気に睨み返してきた。

 

『・・・』

 

今まで見たこともない反応だった。

その気概に免じて話を聞く姿勢を取る。

 

「どうした堕姫?

 用件を早く言え」

 

「・・・もう終わったわ」

 

背負っていた慶吾の姿が消え、堕姫の手には梅色の一本の(おび)が握られていた。

 

「この中にいれば、これ以上血を流すことなく、安静に運ぶことができるわ。

 治療の際は、帯を切れば元に戻るから」

 

「便利な血鬼術(けっきじゅつ)だが・・・

 どういう風の吹き回しだ?」

 

渡された帯を眺める。

その中には確かに、瀕死の怪我をした慶吾の姿が映っていた。

 

「そ、そんなの、どうだっていいじゃない!

 ソイツが死んだら、兄さんが困るでしょう」

 

堕姫はぷいっとそっぽを向いていた。

鬼が人間を助けようとするなど、確かにおかしな話だ。

 

「ああ、そうだよなぁ。

 俺の妹にここまでさせといて、

 こんなところで死んで貰っちゃあ、困るよなぁ」

 

「・・・堕姫、感謝する。

 望むなら、妓夫太郎と一緒に強くしてやる」

 

それだけ言い残すと、師と弟子はその場から消えるように空を駆けていった。

 

 

 

 

 

「・・・慶吾とか言ったな。

 アイツ、人間にしては強かったなぁ」

 

「・・・・・・」

 

無言。

その空間が居た堪れず、妓夫太郎は頭をガシガシと掻きむしる。

 

そして大きな溜息を一つ吐くと、仕方ないとばかりに口を開いた。

 

「猗窩座さんの話だと医者がいるらしい。

 あの様子なら、死にはしないだろ」

 

「・・・ほんとうに?」

 

堕姫がゆっくりと顔をあげる。

まるで、怯える子供のように。

 

「大丈夫だ。アイツは強い。

 それに、お前の血鬼術もある」

 

「・・・うん」

 

うっすらと世界が青く色付いてくる。

あと一刻もあれば太陽が昇るだろう。

 

「・・・・・・じゃあ、帰るか」

 

妓夫太郎が手を差し出す。

 

「あれだけ言われてたのに・・・

 ごめんね、お兄ちゃん」

 

「これから強くなればいい。

 そうだろ?」

 

「うん」

 

差し出された手を取る。

 

 

 

 

 

ヒュウウウウウウウウーーーーー

 

突風が吹き抜ける。

 

二人の影も消え、後には何も残らなかった。




堕姫との戦闘シーンはカット。

様子を伺っていた妓夫太郎。
その力が100%乗った状態の堕姫。
柱とも単独で戦える強さにパワーアップした堕姫と互角に戦う慶吾。
このまま日が昇りかねないと妓夫太郎が手を出して終了。

首を切られて生きているとは想像もしなかった慶吾の負け。
( ゚д゚)『上弦って首を斬っても死なないの!?』


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幕間 成長と限界と
獪岳と鳴柱


第75話
Side: 獪岳


『クソッ!

 なんだこの爺は!?』

 

左目の下に大きな傷痕を負い、長い口ひげをたくわえた白髪の爺。

全身の傷痕を見るからに、まともな経歴の持ち主ではなさそうだった。

 

「ほれほれ、どうした?

 片足のジジイ相手に、手も足も出んのか?」

 

相手が持つのは、ただの木の杖。

一方こちらは真剣を手にしている。

 

だというのに、爺が繰り出す普通の木の杖。

義足である右足の支えに使うような杖相手に、全く斬り込めない。

 

「チッ!元柱(もとはしら)だか何だか知らねえが!

 死んでもしらねえぞ、クソジジイ!!」

 

慣れない真剣を振りあげる。

『殺す』くらいの気概で挑まなければ勝てない。

 

「なんじゃそのへっぴり腰は!

 そんな太刀筋で(おに)が殺せるか!!」

 

たった一歩ーーー

踏み込んだ瞬間、気付いたら吹き飛ばされていた。

 

「がはッ!!」

 

勢いよく大地をゴロゴロと転がって、止まる。

 

「・・・・・・」

 

この隻脚(せっきゃく)の爺は古強者だと、認めざるを得ない。

 

地面を握りしめながら立ち上がる。

口の中の砂と一緒に唾を吐くと、赤い血が混じっていた。

 

『懐かしいな・・・』

 

猗窩座(あかざ)さんがいなくなってから、こういった組手は久し振りだった。

あの人間離れした(しご)きに比べれば、どんな痛みにだって耐えられる。

 

そもそも爺が本気なら、とっくに俺は動けなくなっている筈だ。

 

「舐めやがって・・・」

 

しかし闇雲に立ち向かって勝てる相手じゃない。

何か手を考えなければ・・・

 

『そう言えば、慶吾(けいご)のヤツが言っていたな。

 格上相手には攻撃の手数を増やせと』

 

側に落ちていた真剣を左手(ひだりて)で拾い、逆手に持つ。

 

『そもそも、こんな握ったこともない刀を頼りにするからいけないんだ。

 俺は俺のやり方で、この爺を倒す!』

 

 

猗窩座さん達の戦いに付いていけない時、自分に唯一できることは攻撃ではなく、注意を逸らすことだった。

 

どんな者も注意を逸らさられれば、力が緩む間が生じる。

 

そして、昔から手癖が良いとは言えない俺は、身近にある物を思い通りに投げ当てるのが得意だった。

 

 

逆手に持った刀を投げ槍のように大きく振りかぶりーーー

肩、腕、手首へと力を流すようにして、思い切りぶん投げた。

 

すぐさま刀を追いかけるように走り込む。

 

 

『何をしてでも最後に俺が勝つ!

 刀を切り払った隙に、砂をぶつけて怯ませ、その義足をへし折ってやる!』

 

立ち上がる際に右手に握り込んでいた砂。

それを水平に振りかぶった瞬間ーーー

 

それまで温厚だった爺が、烈火の如く爆発した。

 

「この馬鹿者!!

 刀を投げ捨てるとは何事じゃあ!!!」

 

視界一面、黄土色の地に白い鱗紋様(うろこもんよう)の羽織が翻った。

 

『!!?』

 

 

「戦いの場においては、予期せぬこと、初めて遭遇する事態全てを即座に理解し、対処しなければならない」

 

以前、猗窩座さんが俺たちに教えてくれたことだ。

 

理解できるし、納得も共感もできる話だった。

だからこそ、いざ戦いの場に立てば、覚悟と集中力を持って挑むのは当たり前のこと。

 

 

なのに、全く反応できなかった。

気付けば、投げたはずの刀を手にした爺が、背後に立っていた。

 

「は?」

 

ただ速いだけなら、猗窩座さんの姿を散々見てきた。

たとえ動きに追従することは叶わなくても、視界の隅で動いたと感じた瞬間に身体が反応するくらいのことはやってきたつもりだ。

 

だが、この爺の動きは、異常だった。

最高速度に至る加速が普通じゃなかった。

 

ゼロが瞬間的にイチになるかのようなーーー

鬼でもない、生身の人間が出していい速度じゃない。

 

「愚か者め。刀を捨てるな」

 

刀の柄頭で後頭部を殴られ、俺は意識を失った。

 

 

 

 

 

「南無・・・」

 

行冥(ぎょうめい)!!

 お前が推薦してきたヤツは、とんだじゃじゃ馬じゃぞ!」

 

「・・・元鳴柱(なりばしら)から見て、どうですか?

 この子は、芽はありそうですか?」

 

「ふん、どうだかな・・・

 刀を思い切りぶん投げるヤツなんぞ、

 剣士としては落第もいいところじゃ!」

 

「・・・・・・」

 

「じゃが」と前置いて、桑島(くわじま)慈吾朗(じごろう)は続けた。

 

「この小僧は、儂の動きが見えていた。

 真面目に修行すれば、ひょっとすると化けるかもしれんな・・・」

 

「では・・・?」

 

「まぁ、よかろう。

 望み通り、明日から修行をつけてやる」

 

「ありがとうございます、桑島様」

 

「ふん、礼などいらん。

 儂は鬼殺(きさつ)の剣士に相応しいか試しただけじゃ」

 

悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)が、その大きな背中で倒れ伏す獪岳(かいがく)を背負う。

 

「俺にしてやれるのは、ここまでだ。

 あとはお前の努力次第・・・

 強くなれ、獪岳・・・」

 

「なんじゃ?

 小僧とは知り合いじゃったのか?」

 

「ええ・・・

 昔、寺で身寄りのない子供たちを育てていました。

 血の繋がりこそありませんでしたが、仲良く、家族のように暮らしていました・・・あの夜、鬼がやって来るまでは。

 獪岳は、その時の生き残りです」

 

「そうじゃったか・・・

 同じ鬼殺の道を歩むとは、縁じゃのう」

 

「・・・自分で決めたことです」

 

(はしら)元柱(もとはしら)

二人は近くにある小屋へと向かい、しばし言葉を交わし合った。




食べかけの桃を投げて当てるのって、重心が安定しないから難易度高いと思うんですよね。


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壱の型

第76話
Side: 獪岳


ただの人が、鬼と対等以上に渡り合うために生み出した、呼吸(こきゅう)の技。

 

何百年と研鑽されてきた呼吸の(かた)を大別すると、五つの系統に分類される。

 

その基本(きほん)五呼吸(ごこきゅう)の中でも、こと速度において右に出るものはないと言われるのが、(かみなり)の呼吸。

 

なかんずく、圧倒的な速度で一直線に移動し、相手に何も気付かせぬ内に斬る、神速の斬撃を繰り出す抜刀術がある。

 

 

刀を納刀した状態で、前にある獲物をよく見ながら、腰を低く低く落として構える。

 

「雷の呼吸・(いち)(かた)ーーー」

 

鯉口を切り

大地を蹴り

抜刀するーーー!!!

 

霹靂一閃(へきれきいっせん)!!』

 

目にも止まらぬ速度で突き進み、目の前の巻き(わら)を斬り飛ばした。

 

 

スゥッと、抜いた刀を静かに納刀する。

斬り飛ばされた巻き藁の上半身が、ドサッと大地に落ちる。

 

「・・・チッ。

 これでもダメか・・・」

 

『何か違う。何かが足りない。

 足運びも腕の振りも同じはずだ。

 ジジイと俺、一体何が違う・・・?』

 

巻き藁を前に思い悩んでいると、不意に声がかけられる。

どうやら、見られていたらしい。

 

「たった半年で、よくここまで雷の呼吸を使えるようになったのう」

 

「・・・本当のことを言ってくれ。

 今の俺には足りないものがあると」

 

獪岳(かいがく)、自分を卑下(ひげ)するな。お前には才能がある。

 それは努力の才能じゃ。

 今はまだ分からんかもしれんが、目標に向かって努力できるということは、誰にでもできることじゃない」

 

「チッ!

 じゃあどうして壱の型が使えないんだ!?

 教えてくれよ、なぁジジイ!」

 

師範(しはん)と呼べ!!

 ・・・儂はお前に雷の型全てを教えた。

 何故だか分かるか?」

 

「ここの修行が簡単だったからか?」

 

「違う!

 確かにお前は始めから身体ができていたが、

 それだけでいきなり全ての型を教えたりはせん」

 

「・・・じゃあ、何だ?」

 

「理由は一つ。

 お前が(かげ)の努力を惜しまない人間だったからじゃ。

 まだまだ未熟じゃが、僅か半年で全ての型を覚えられたのは、儂の呼吸、腕の動き、足運び、刀の流れをよく見て覚えようと、何度も何度も繰り返した証拠じゃ」

 

「壱の型は使えていないがな」

 

「はぁ〜。まったくお前も頑固じゃのう。

 まぁ、雷の呼吸の使い手は総じて激情家が多い。

 感情的になるなとは言わんが、制御する術も身につけねばな」

 

「おい、ジジイ。

 説教するつもりなら、俺は修行に戻るぞ」

 

「だから師範と呼べ!!

 ・・・オホン!まぁ聞きなさい。

 相手を見て、近付いて、斬る。

 そう頭で考えておる内は、壱の型の深奥(しんのう)には至れんのじゃ。

 『剣鯉口を離るるとひとしく、敵二ツにならざれば居合にあらず』と言ってのう。

 『斬る』という因と果を限りなく(ぜろ)に近付けるのが、この技なんじゃ」

 

「わけの分からないことをごちゃごちゃと。

 じゃあなにか?

 ジジイが(おに)を斬ると思ったら、もう鬼は斬れてなきゃおかしいってことか?」

 

文上(もんじょう)を読めば、そういうことになるのう」

 

「ハッ!馬鹿馬鹿しい!

 そんなことができるなら、とっくの昔に鬼のいない世界になってるだろうよ。

 それより師範、もう一度『霹靂一閃』を見せてくれ。

 今度こそ、壱の型を身につけてみせる」

 

「はぁ、まったく頑固なヤツめ・・・」

 

そうは言いつつも、根は優しく純粋で、頑固一徹なところのある師範は、持っていた杖を刀代わりに居合の構えを取った。

 

それだけで、全身の身の毛がよだつ。

 

ゴクリと、唾を飲み込み、

相手を中心に据えて、中段に構えを取る。

 

「ゆくぞ獪岳!

 雷の呼吸、壱の型ーーー」

 

何度も何度も繰り返し見た動き。

幾度となくこの身で受けた技の威力。

 

意識を集中しろーーー!!

 

攻撃の起点を読め!!

 

「霹靂一閃!!!」

 

来ると感じた瞬間、鳩尾に一撃を受けていた。

 

綺麗な弧を描いて吹き飛ばされる。

今日も、美しいとすら感じる技の冴えだった。

 

『クソッ!

 今の俺には受けることすら・・・

 相手の先の先を取る。

 この速度、この威力こそが壱の型』

 

()から(ろく)の型はいい。修行の果てに近付けるという確信がある。

しかし壱の型だけは、根本の何かが会得できないまま。

 

『この痛みを忘れない内に・・・』

 

そう心を奮い起こしながらも、綺麗に入った一撃の威力に、あえなく意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、俺は桑島(くわじま)師範に告げられた。

 

「獪岳、もうお前に教えられることはない。

 今から最終選別(さいしゅうせんべつ)に行ってこい」

 

晴天(せいてん)霹靂(へきれき)だった。

この時俺は珍しく、本気で食い下がった。

 

「おいジジイ!

 俺は壱の型が使えないと言っているだろう?

 俺はまだ、アンタに教わりたい事があるんだ!」

 

しかし、この時ばかりは、ジジイと呼んだ事にも反応せず、桑島師範は俺の目を覗き込むように見ながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「獪岳、お前が行き詰まっておることは、儂が一番よく分かっておる。

 じゃが、こればかりは儂からは教えられん。

 こんな片足の引退したジジイにはな。

 ここでいくら儂の真似を繰り返しても無駄なんじゃよ」

 

「だったら諦めろって言うのか!?」

 

「それは違う!!!」

 

「!?」

 

師範の声は、まるで声の雷が落ちたようだった。

 

「獪岳よ、諦めるな。

 儂が諦めておらんのに、お前が先に諦めてどうする?

 努力で無理なら、実戦の中で乗り越えれば良い。

 それに、お前がもし壱の型を会得すれば、それは新たな鳴柱(なりばしら)が誕生する時じゃろう」

 

「鳴柱・・・俺が・・・?

 槇寿郎(しんじゅろう)さんや、悲鳴嶼(ひめじま)さんのように・・・?」

 

「そうじゃ。

 無論、途中で逃げ出したり、責任を放り投げたり、努力を怠った場合は別じゃがのう」

 

「柱・・・俺が・・・あの強さに・・・」

 

頑固親父にしては、珍しく楽しそうに未来のことを語るものだから。

 

「どうじゃ獪岳?

 最終選別を受けるか?」

 

この時俺は、一も二もなく頷いていたのだった。




この獪岳が本当に尊敬している、圧倒的な強さを持つのは猗窩座。
だから、それより下の桑島師範のことは遠慮なくジジイと呼ぶし、こき使うことにも抵抗がない。

心で尊敬はしてるけど、話し方は善逸に対するそれに近い。
当座の目標ではあるものの、目指すべき頂きではないと理解しているから。
そんな遠慮のない獪岳と、優秀な弟子の向上心に満足気なお爺ちゃんでした。


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訪問者

第77話
Side: 悲鳴嶼


そこへ辿り着いた時、既に辺りには血の匂いが漂っていた。

 

『遅かったか!?

 いや、まだ小さな気配を感じる!』

 

鎹鴉(かすがいがらす)の相棒、絶佳(ぜっか)が教えてくれた場所へと降り立った悲鳴嶼(ひめじま)行冥(ぎょうめい)

彼は(おに)の気配のする屋敷へと、迷わず乗り込んだ。

 

おそらく油断していたのだろう。

鎖で繋がれた鉄球を放り投げ、鬼の頭部を背後から容赦なく潰した。

 

日輪刀(にちりんとう)とは、刀剣(とうけん)のみを指す呼称ではない。

陽光山(ようこうざん)で太陽光を十二分に含んだこの鉄球もまた、鬼の(くび)ごと破壊することで、鬼を葬り去ることができる。

 

ボロボロと消えゆく鬼の気配の先。

今まさに鬼の手にかかる寸前だったのだろう。

年端も行かない少女が、幼い少女を庇うように抱きしめていた。

 

おそらくは姉妹だろうか。

感じられる気配がよく似ていた。

 

そして周囲に死者の臭いが二つ。

おそらくは少女らの両親のものだろう。

 

咽せ返るような血の匂いのする室内で、二人は震え、泣いていた。

 

「南無・・・」

 

『少女らの目に、私はどう写っているのか。

 化け物を倒した化け物だろうかーーー

 いや、過ぎたことを蒸し返すのはやめよう』

 

恐怖、悲しみ、そして憎悪ーーー

愛する者を理不尽に奪われた憎しみが消えることはない。

 

しかしそれでも尚、この少女らもまたいつの日か、今日助かったことを喜べる日が来るといいのだが。

 

ただ生きるために必死だったあの日から、(たくま)しく成長したあの二人のようにーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひめじまさーん!

 おきゃくさまだよーーー!!」

 

岩柱(いわばしら)の屋敷に、沙代(さよ)の元気な声が響き渡る。

沙代は悲鳴嶼さんともっとたくさん話すために、岩柱の屋敷に住み込みで、家の手伝いなどをこなしていた。

 

「分かった。今行こう」

 

起きてしまった過去が変わるわけではない。

しかし、少し前までは考えられなかったような安息感を心のどこかに感じながら、悲鳴嶼は玄関へと向かった。

 

 

「突然押しかけた無礼を、お許しください」

 

助けたはずの少女たち。

隠によって親戚の下へ送られたはずの二人が、目の前に立っていた。

 

あれから半月は経っている。

何故今更になって自分を訪ねてきたのか(いぶか)しんでいると、年嵩の少女がぺこりと頭を下げた。

 

「私は胡蝶(こちょう)カナエ。

 こちらは妹のしのぶです」

 

「何故、ここに?」

 

「場所は(かくし)の方に聞きました。

 悲鳴嶼様には、鬼から助けて頂いたお礼もろくにしておらず、申し訳ございませんでした。

 私たちを、妹を助けて頂き、本当にありがとうございました」

 

「姉さんを助けてくれて、ありがとうございました」

 

妹の方も、姉に続いてお礼を述べる。

 

「両親の葬儀も無事、終わりました。

 遺体の損傷も少なく、納棺できました。

 全ては悲鳴嶼様のお陰です。

 本当にありがとうございました」

 

姉妹の二人からは、お互いを思い遣る心と、両親への愛惜が、言葉の端々から深く感じられた。

 

『しかし、それを伝えるために来たにしては・・・』

 

妹の方からは、緊張の奥に隠しきれない憎しみの心を感じる。

姉からも悲しみと決意の心を感じた。

 

悲鳴嶼行冥は今の自分が抱く感情を、言葉で表す術を持たなかった。

おそらくは、この後に語られるであろう姉妹の話を少しでも先延ばしにしたかったのかもしれない。

 

「わざわざ遠いところをよく来られた。

 お茶くらいしかないが、上がっていくといい」

 

「あのーーー」

 

「沙代、二人を客間に案内してくれ」

 

「はーい!」

 

何か言いかけていた姉の言葉を遮るように、隣に立っていた沙代に案内を任せる。

私に呼ばれたことが嬉しいのか、沙代は子供らしい笑顔を向けてくる。

 

「私は茶を用意してくる。

 沙代にはまだ早いのでな」

 

普段の屋敷管理は隠に任せている。

しかし沙代がいる時は、昔のように自分で茶を淹れることもあった。

 

「カナエさん、しのぶさん。

 こっちです」

 

少女たちは、この自分たちよりも小さな子の利発さに感心しながら、カナエは笑顔で、しのぶも表情を和らげながら着いていく。

 

その姿を見ながら、悲鳴嶼は思う。

 

『やはり、沙代に隠は似合わないな。

 もし鬼が皆、猗窩座(あかざ)殿のような者ばかりなら・・・

 いや、これは考えても詮ないことか』




悲鳴嶼「ひょっとして私の日輪刀は、少し変わっているのだろうか・・・?」

槇寿郎「問題ない(始まりの呼吸の剣士以外は、皆同じだ)」


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試練

第78話
Side: 悲鳴嶼


「実は、悲鳴嶼(ひめじま)様にお願いがあって参りました」

「私たちに、鬼狩(おにが)りになって(おに)(くび)を斬る方法を教えて」

 

出されたお茶にも手を付けず、姉妹はお互いに頷き合うと、迷わずそう口にした。

 

「・・・・・・」

『哀れな・・・』

 

鬼に襲われる、などということさえなければ、家族の愛に包まれて、幸せに暮らしていたことだろう。

こうなってしまったことへの、理不尽とも言うべきすべての運命が、(いと)わしく、(あわ)れで(たま)らない。

 

鬼への復讐心。

その気持ち自体は、痛いほどに理解できてしまう。

頷いて、育手(そだて)の元へ送るのは容易いことだった。

 

だが一時の感情で、この子らの未来を奪ってはならない。とも思う。

鬼殺隊(きさつたい)に入れば、穏やかな人生など望むべくもない。

この子らにはまだ明日が、未来があるのだから。

 

しかしながら、覚悟を決めた子供を相手に、上手い言葉が見つからない。

黙していると、横に座っていた沙代(さよ)が不意に口を開いた。

 

「おねえちゃんは、鬼がきらいなの?」

 

瞬間、しのぶの感情が爆発した。

 

「嫌いに決まってるでしょう!!

 目の前で父さんと母さんを殺されたのよ!?

 この憎しみを忘れて生きるなんて、私にはできない。

 できるわけないじゃない!!」

 

「しのぶ!!」

 

姉の声にハッとして、しのぶは渋々と席に座り直す。

 

そこへ、何でもないことのように沙代が言った。

 

「でも、鬼にもいい人はいるよ?」

 

「は?」

 

絶対零度の声が、しのぶの口から漏れる。

 

一方で姉のカナエは、静かな凛とした雰囲気から一転、沙代の方に身を乗り出して言った。

 

「沙代ちゃん!

 今の話はどういうこと!?

 詳しく教えてくれる?」

 

「ちょっと姉さん、落ち着いて!」

 

今度はしのぶの言葉にハッとして、恥ずかしそうに座り直すカナエだった。

 

「私ったら、申し訳ありません・・・

 でも、鬼は元々、私たちと同じ人なのだと、(かくし)の方に聞きました。

 人でありながら、人を喰らう。

 美しいはずの朝日を恐れる。

 そんな悲しい鬼と分かり合うこと、救うことはできないのかと。

 そう、私は思うのです」

 

聞き違いでなければ、この子は「悲しい鬼を救いたい」と述べた。

そんなこと、つゆほども考えたことはなかった。

 

『それが本心からの言葉ならば、正気の沙汰ではない』

 

もし猗窩座(あかざ)殿と出会うことがなければ、そう冷たく突き放していたかもしれない。

 

しかし今、カナエの言葉を頭から否定することはできなかった。

 

沙代が私の方を伺う気配がしたので頷くと、カナエの方を向いて話し始めた。

 

「わたしたちも鬼にみんな、ころされた。

 生きのこったのは、わたしとひめじまさんと、かいがくだけ。

 ひめじまさんが、ずっと鬼をたたいてくれたから、わたしたちはたすかった。

 でも、かいがくを助けたの、はくじ。

 はくじ、つよい。鬼だけど、やさしい」

 

沙代の(つたな)い言葉に、ところどころ私が補足を入れながら説明していく。

 

「ひめじまさんを探すのも、てつだってくれた。

 わたしたち、いちばん大きな家を探した。

 その家の人、私たちの家、ほしがってた。

 みんな死んで、だれも使わなくなったから・・・

 ひめじまさんもいなくなればって言ってた。

 ひめじまさんまで、いなくなる。

 そう思ったら、こわくなった。ゆるせなかった。

 でもわたし、小さくて弱いから。

 あの人に、つかまりそうになったとき。

 はくじ、助けてくれた。

 人間ころしたの、その時だけ」

 

鬼が、人間を襲わず、喰わず、それどころか人間の子供を助ける。

しかもその子供が今も無事に生きている。

鬼を知る者が聞けば、荒唐無稽のひと言に切って捨てる内容だろう。

 

まして相手は子供、たとえ夢か戯言と言われても致し方なし。

まだ心の傷も癒えていないだろう、二人に聞かせるには少々酷な内容だったかもしれない。

 

しかし最後まで真剣に聞いていたカナエの声には、どこか決意すら感じられた。

 

「沙代ちゃん、話してくれてありがとう。

 今の話、私は信じるわ。

 だって、鬼は元々人間なんだもの。

 何かの拍子に人間の心を取り戻したとしても、何もおかしくはないじゃない」

 

「・・・嘘をついてるとは思えないけど。

 それでも私は、鬼が嫌いよ・・・」

 

「だいじょうぶ。

 たぶん、はくじは、とくべつ。

 わたしも、鬼はきらい」

 

その言葉に、初めてしのぶの気配がやわらかいものに変わる。

 

「なぁんだ、そっか。

 心配して損した」

 

「しのぶ。

 しんぱいした?」

 

「だって、良い鬼もいるなら、

 鬼の頸を斬る時に、あなたは良い鬼ですかー?

 それとも悪い鬼ですかー?

 なんて、毎回聞かなきゃいけないじゃない?」

 

「ふふふ・・・」

 

おそらくこの明るさが、しのぶ本来の性格なのだろう。

 

思えば、子供たちとこうして卓を囲むのも懐かしい。

ふと気付けば、自然と含み笑いを浮かべてしまっていた。

 

三人の視線がこちらに向いたのを感じる。

 

しのぶは笑われたと思ったのか「もう、笑うことないじゃない!」と怒っていたが、それが余計に笑いを誘った。

 

『この子たちは、最後まで沙代の話を聞いてくれた・・・

 話の内容を馬鹿にしようともしなかった・・・』

 

今の話は、誰にでもできる話ではない。

そもそも信じて貰えないからだ。

 

なら、もう少し話してみても良いだろうか。

 

「すまないしのぶ、君を笑ったわけではない。

 だが、鬼を相手に悠長なことを語る余裕など、私たちにはない。

 悪鬼滅殺(あっきめっさつ)。鬼は見つけ次第、頸を斬るべし。

 そうしなければ、次の瞬間に誰かが殺される。守るべき誰かが死ぬ。

 それに、沙代が言った鬼のことなら心配要らない」

 

三人が静かに聞いてくれていることを確認して、話を続ける。

 

「狛治。鬼としての名を猗窩座と言う。

 数多の鬼の中でも、三番目に強い上弦(じょうげん)の鬼。

 彼とは本気で戦ったことがあるが、正直に言えば、今の私では勝てないほどに強い。

 私が生きているのは、彼が戦いを楽しむことを優先し、相手を殺すことに頓着しなかったからに過ぎない。

 基本、鬼は人を喰う必要があり、より多く喰った鬼ほど強くなる。

 だが彼に関しては、何らかの理由によって、これを克服できたのかもしれない。

 何より、沙代が懐いているところを見るに、彼の鬼は人間の心を持っているように思う」

 

あまり長話をするのは得意ではないものの、猗窩座という鬼に関しては、自分でも驚くほどにスラスラと言葉が出てきた。

 

猗窩座殿は鬼だが、我らが憎むべき存在ではない。

何度も会う内に、そう、心が認めてしまったのかもしれない。

 

ただ、そんな特例中の特例に早々出会うことなどない。

二人には現実を理解して貰わねば、特に姉の方は危険なことに首を突っ込みかねなかった。

 

「しかし、そんな鬼は他に見たことがない。

 沙代の言う通り、彼だけが特別な個体なのだろうと思っている。

 鬼は夜に隠れて人間を喰らい、そのことに僅かな呵責(かしゃく)もない。

 我ら鬼殺隊にとっては、しのぶーーー

 君の持つ、鬼を憎む心の方が、大多数の感情だと思う」

 

その言葉に、しのぶは「ほら姉さん」と姉へ声をかけていた。

それでも今の話に一筋の光明を見出したのか、カナエの雰囲気が変わることはなかった。

 

『随分と、ちぐはぐな子たちだ・・・

 上背(うわぜい)を見るに、戦いに向いている姉の方は、鬼を救いたいと言い。

 反対に小柄(こがら)で戦いに向いていない妹の方が、鬼殺の心を持っているとは・・・』

 

理想を抱くのは構わないが、鬼殺隊に入りたいと思うなら、実力を証明しなければならない。

鬼殺隊の任務は、常に死と隣り合わせ。

 

二人の覚悟を試すにはどうすればいいか。

そのことに思考を傾けながら、二人に告げる。

 

「ついてきなさい」

 

 

 

 

 

 

 

自分が常日頃から修行に使っている、巨大な岩がある。

大の男の背丈と同じくらいの大きさのそれ。

 

二人の姉妹には山のように見えていることだろう。

 

「これから私が出す試練を成し遂げることができれば、鬼殺隊の剣士となれるよう、育手を紹介する」

 

「ホント?」としのぶが声を弾ませる。

 

「あの、育手とは?」とカナエは戸惑うように尋ねてきた。

 

「剣士を育てる者たちのことだ。

 育手は何人もいて、各々の場所、やり方で剣士を育てている。

 多くは元々、力のある隊士だった者たちが、何らかの理由で引退し、後続の者たちを育てることに心血を注いでいる。

 育手の下で修練を積み、そして『藤襲山(ふじかさねやま)』で行われる最終選別(さいしゅうせんべつ)を生き残ることができれば、晴れて鬼殺隊の隊士として認められる」

 

そう伝えると、しのぶが「悲鳴嶼さんに教わりたいのに」と不満を口にする。

 

私は笑いを堪えながら、淡々と告げる。

 

「私は私の任務がある。

 それに、強くなるために己の鍛錬もある。

 人を教え育てる余裕はない」

 

「はくじに負けちゃったから?」

揶揄うようなしのぶの言葉を遮るように、カナエが「わかりました」と答えた。

 

「そして育手の下へは、二人別々に行って貰おうと思う」

 

「え・・・?」

しのぶの戸惑いと怯えが伝わってくる。

 

『私も甘くなったものだ・・・』

沙代と出会う前なら無視していただろう、その感情に言葉を重ねる。

 

「君たち二人は、見たところ体格に大きな隔たりがある。

 同じように剣技を磨いたところで、持って生まれた筋肉量は変えられない。

 特にしのぶ。君の腕では、鬼の頸を斬るのは困難だろう。

 姉と同じ道を歩みたいなら、自分に合った戦い方、呼吸を身に付ける必要がある。

 だから、別々の育手の下で修練を積むのが良いだろう」

 

思わず長くなったが、しのぶが納得した様子を見て、修行用の岩の上に片手を置いて告げる。

 

「試練は簡単。

 この岩を動かしなさい」




悲鳴嶼「私のお茶、誰も飲んでくれなかった・・・」


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岩を動かせ

第79話
Side: しのぶ


「あ〜〜〜〜〜!もう、何なのよ!!

 こんなの、動かせるわけないじゃない!?」

 

巨大な岩に背をもたれかけ、疲労困憊(ひろうこんぱい)といった様子のしのぶが憤慨している。

 

「これは、さすがに・・・

 悲鳴嶼(ひめじま)さんの、ようには・・・

 いかないわね・・・」

 

その横でカナエが手を膝について呼吸を整えながら、巨大な岩を見つめていた。

 

 

二人の脳裏に、悲鳴嶼さんの言葉が蘇る。

 

「南無阿弥陀仏・・・」

 

ズズズーーー

悲鳴嶼さんが念仏を唱えながら岩を両手で押し込むと、巨大な岩はこともなげに動いていく。

 

数尺も動かしたところで、悲鳴嶼さんは手を止めた。

 

「これは私の日頃の稽古の一つ。

 私はこれを一町(いっちょう)、押すことができる」

 

その言葉に、しのぶが反発して声を荒げる。

 

「そりゃ、悲鳴嶼さんはできるかもしれないわよ!

 でもこんなこと、私たちに出来るわけないじゃない!!」

 

悲鳴嶼さんは岩に手を当てたまま、諭すような声で話し始めた。

 

(おに)は人を喰らうほどに強くなる・・・

 そしてこんな岩など簡単に破壊できるようになる」

 

岩肌を撫でながら、空を見上げる。

 

「・・・強くならなければ、誰かが死ぬ。

 自分か、仲間か、守るべき者か・・・」

 

その言葉には、不思議と実感がこもっていた。

それ以上何も言えなくなって、しのぶは口を噤んだ。

 

「出来る出来ないではない。

 出来なくとも、やらねばならない。

 力が及ばずとも、何を犠牲にしようともーーー

 己のすべてを賭してやり遂げろ」

 

厳しい言葉の中に、悲鳴嶼さんの葛藤が込められているように感じられた。

 

鬼狩(おにが)りになるとは、人の命を背負うとは、そういうことだ」

 

「・・・・・・」

 

「出来ないのであれば、諦めて家へ帰るといい。

 力を示せぬ者に、鬼殺隊(きさつたい)に入る資格はない」

 

 

それから悲鳴嶼さんは鍛錬だと言って、どこかへと出掛けていってしまった。

 

悲鳴嶼さんの試練は、大の大人でも出来そうにない理不尽なもの。

けれど、その後に続けて言われたことが分からないほど、私たちはもう、誰かに甘えて生きていけるような身の上ではなかった。

 

「・・・しのぶ」

 

「姉さん・・・」

 

ふと見上げた姉さんの表情は、諦めてなんかいなかった。

だから私も、挫けそうになっていた情けない顔をパンっと叩く。

 

「いいわ!やってやろうじゃない!」

 

「何か思いついたの?」

 

人差し指をビシッと大岩に向けて、自信満々に宣言する。

 

「この岩を動かすなんて、私たちには無理よ!

 ううん。大人だって無理だと思う。

 だから、他の方法を考えましょう!」

 

それを聞いた姉さんは、首を(かし)げた。

 

「うーん。それはそうなんだけど・・・

 そういうのって、ズルにならないかしら?」

 

「悲鳴嶼さんは条件なんて何も言わなかったし。

 『力が及ばずとも、何かを犠牲にしようとも』って言ってたわ。

 それってつまり、自分にできなければ何を使っても構わないから、とにかく動かせってことだと思うの。

 だから大丈夫よ!」

 

「・・・たぶん」と、しのぶは小さな声で呟いた。

 

姉さんは苦笑して、それでも今の言葉を反芻(はんすう)しながら、最後に大きく頷いた。

 

「・・・うん、確かに。そう言ってたわ。

 そうすると、さしずめ私たちは一休(いっきゅう)さんね。

 しのぶ、あなたはどうやってこの岩を動かすのかしら?」

 

姉さんは、上座に座るお姫様のように、袖で口元を隠しながら、私に難題を問いかけてきた。

 

仕草が可愛い。姉ながら、ずるいと思う。

でもそんな簡単に思い付くのなら、とっくに提案してる。

 

「・・・今は思い付かないけど。

 姉さんは、何か思い付いた?」

 

「うーん・・・えーと・・・

 誰か強い人に手伝って貰うとか?」

 

「・・・さすが姉さん。

 町の男の人をみんな(とりこ)にした魔性(ましょう)の姉。

 いきなりえげつないことを思い付くわね」

 

「うう、聞かれたから答えただけなのに・・・

 しのぶが辛辣(しんらつ)過ぎる」

 

よよよ、と。

お姫様のような泣き真似をしてみせる。

 

「はいはい」としのぶが聞き流すと、姉さんはペロリと舌を出して(おど)けてみせた。

これで大体のことは許されるんだから、やっぱり魔性の姉だと思う。

 

「でも、こんな辺鄙(へんぴ)なところに来る人なんて、悲鳴嶼さんの関係者しかいないんじゃない?

 親しい人なら、この試練のことを知ってるかもしれないし。あの黒い布を被った人達じゃあ、たぶん力不足でしょ」

 

「たしかにそうね。

 他に良い手はあるかしら?」

 

「分からないわ。

 だから、探しに行きましょ?」

 

くるっと体の向きを変えると、ずっと軒先からこちらを見ていた沙代(さよ)ちゃんに声をかけた。

 

「沙代ちゃん!

 この試練を終えるまで、この家にお世話になっても良いかしら?」

 

元気に声をかけると、沙代ちゃんは首をコテンと傾けた。

 

「しのぶ、ここに住むの?」

 

「うん!一日じゃできそうにないし。

 そうしようと思うんだけど。

 ・・・ダメ、かな?」

 

そう言うと、沙代ちゃんは嬉しそうにはにかんだ後、真面目な表情になった。

 

「ううん。わたしはうれしい。

 でも、それを決めるのはひめじまさん」

 

「そうよねぇ」

ため息と一緒に落ち込んでいると、いつの間にか私の目の前にいた沙代ちゃんが、私の手を取っていた。

 

「ひめじまさんはやさしいから。

 きっと、だいじょうぶだと思う。

 わたしからもお願いしてみる。

 その代わり、二人にお願いがある」

 

「なに?何でも言って」

 

「二人とも、りょうりはできる?」

 

その言葉に、しのぶとカナエはお互いに目を見合わせた。

 

「「もちろん!!」」



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家族ごっこ

第80話
Side: しのぶ


ガラリと、玄関の戸が開かれる。

ぬっと、戸をくぐるように現れた大柄の人影へーーー

 

「おかえりなさい、悲鳴嶼(ひめじま)さん!」

 

私は元気いっぱいに明るい声をかけた。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

気まずい沈黙が流れる。

ちょっとお茶目が過ぎただろうか。

 

戸を開けたままの格好で固まってしまった悲鳴嶼さんへ、隣にいる姉さんが静かに声をかける。

 

「本日もお疲れ様でした」

 

「おかえりなさい、ひめじまさん」

 

悲鳴嶼さんの顔が、ゆっくりと沙代(さよ)ちゃんに向けられる。

 

「・・・ああ、ただいま戻った」

 

まるで沙代ちゃんを見て、ようやくここが自宅だと思い出したような振る舞いに、思わず笑みが溢れる。

 

だってそれは、あの鬼を一瞬で倒した超人的な姿とは似ても似つかない、普通の人の姿だったから。

 

「悲鳴嶼さん、晩ご飯は楽しみにしててね!」

 

悲鳴嶼さんはスンと鼻を鳴らして「そうか」と呟いた。

 

「・・・お前たちが作ったのか?」

 

「そうよ!私と姉さん。

 沙代ちゃんにも手伝ってもらったわ」

 

「すみません。

 家にあるものを勝手に使わせて頂きました」

 

「わたしがおねがいした。

 ひめじまさんに、ごはん、作りたかったから」

 

沙代ちゃんが心配そうに付け加えると、悲鳴嶼さんは心配ないと宥めるように、その頭にポンと手を置いた。

 

「・・・そうか。どうりで良い匂いがする。

 沙代が許可したのなら、私から言うことはない」

 

その振舞いには家族に対するような親愛が感じられて、私にとっての姉さんが、悲鳴嶼さんにとっての沙代ちゃんなんだって。

なんとなくだけど、そう感じた。

 

 

 

夜は冷えるからと、みんなで囲炉裏(いろり)を囲みながら晩ご飯をとることになった。

 

囲炉裏の周囲に、山菜(さんさい)のお浸しと岩魚(いわな)の焼き物、(きのこ)の味噌汁とおにぎりが並んでいる。

 

「美味い」

 

私の作った味噌汁をひと口飲んだ悲鳴嶼さんが、思わずといった風に呟いた。

 

「それは、しのぶが作ったんですよ」

 

横にいる姉さんが嬉しそうに答える。

何をやっても姉さんには勝てない私だけど、こういった事は昔から得意だった。

 

「他は姉さんのが何でも上手じゃない」

 

「しのぶは手先が器用なんです。

 昔から庭から材料を採ってきては薬師(くすし)の真似事をしていて、しかも本当に薬を作ってしまうんです」

 

「しのぶはりょうり、すごく上手。

 人に教えるのも、すごく上手。

 わたしも、おにぎり、教えてもらった」

 

姉さんの言葉に重ねるように、沙代ちゃんが純粋な瞳で私を見つめてくる。

こんな風に、姉さん以外の人から本気で誉められるのは慣れていなくて、私は恥ずかしさで俯いてしまう。

 

「・・・型を知り、型を破る。

 生まれつき特別な才能を持つ者は、新たな独自の呼吸を生み出すことが多い」

 

悲鳴嶼さんがポツリと呟いた。

それは、ただ感じたことをそのまま述べただけなのかもしれない。

 

呼吸とか、分からない言葉もある。

しかしその言葉は、私の心にスッと入り込んで、心の奥の方に根付いて忘れられないものとなった。

 

 

悲鳴嶼さんの手が、目の前のおにぎりへと向かう。

その指が小さな、ちょっと形の崩れた丸いおにぎりを掴んだ。

 

「あ・・・」

 

悲鳴嶼さんの横に座る沙代ちゃんがソワソワし始める。

その視線は悲鳴嶼さんの手に釘付けだった。

 

私と姉さんの視線も、自然と悲鳴嶼さんの口元へと向かう。

 

持ち上げると崩れそうになるソレを、悲鳴嶼さんは一気に口の中へと放り込んだ。

 

もしゃり、もしゃりーーー

 

誰も言葉を発さず、静かな時間が流れる。

その中に、咀嚼音だけが響いていた。

 

つーーー、と。

悲鳴嶼さんが唐突に涙を流す。

 

「ああ・・・懐かしい・・・。

 この小さいのは、もうないのか・・・?」

 

私と姉さんが涙を見てギョッとしている傍ら、沙代ちゃんは立ち上がって台所へと向かう。

 

「持ってくる!」

 

「ああ・・・お代わりを頼む」

 

悲鳴嶼さんはその後、もっと歪な形をしたおにぎりも含めて一つも残さず、全て美味しそうに平らげていた。

 

『ちょっと個性的な感性の人なのね』

そんな事を思いながらも、沙代ちゃんが終始ニコニコと嬉しそうだったので、私も姉さんも何も言わなかった。

 

後でこっそりと沙代ちゃんが教えてくれた。

「ひめじまさんが泣くのは、いつものこと。

 だから、気にしなくていいよ」

 

「あれが普通なんだ・・・

 やっぱり、ちょっと変わってるかも・・・」

 

この時ばかりは隣にいた姉さんも、私を(たしな)めるようなことは言わなかった。

 

 

 

「カナエ、しのぶ・・・

 沙代に色々してくれてありがとう」

 

沙代ちゃんが寝静まった後、私と姉さんは悲鳴嶼さんに呼ばれ、再び囲炉裏を囲んでいた。

 

「ふふん。

 そんなの当たり前よ」

 

「こら、しのぶ!」

 

胸を張る私と、嗜める姉さん。

そんなやり取りを見て、悲鳴嶼さんは珍しく穏やかな微笑を浮かべていた。

 

「ふふ・・・構わない。

 山菜は近くで採ってきたのだろう?

 二人とも試練を達成するまでの間、もし行くところがないのなら、ここで過ごすと良い」

 

「え、いいの?

 やった!」

 

悲鳴嶼さんに認められた気がして、私は飛び上がって喜んだ。

 

「ただし、これだけは注意してもらう。

 私が任務で不在の間は、絶対に夜は出歩かず、必ず藤の花のお香を焚いておくこと」

 

真面目な表情で話す悲鳴嶼さんへ、姉さんは神妙な顔で頷いた。

 

「鬼が、出るのですね・・・

 お香の事、よくよく承知致しました」

 

悲鳴嶼さんは頷くと、「最後になるが」と前置いて、私たち二人を交互に見つめた。

 

「これは個人的なお願いになるが・・・

 沙代の友人になって欲しい」

 

緊張した面持ちの私にかけられたのは、そんな、なんてこともない、優しい言葉だった。

緊張していたのがバカらしく感じて、自然と口調も砕けてしまう。

 

「なあんだ。

 そんなの言われなくても、沙代ちゃんとはもう友達よ」

 

「そうか・・・

 それなら、安心だな」

 

悲鳴嶼さんは穏やかな微笑みを浮かべていた。




沙代「ひめじまさんが泣くのはいつものこと」

しのぶ「え?あれが、ふつう・・・?」

カナエ「とても感情移入し易い方なのかしら・・・」

悲鳴嶼「南無・・・」



投稿が遅くなり、恐縮ですm(_ _)m


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薪割り

第81話
Side: しのぶ


目が覚めると、右手に違和感を覚えた。

 

ぼんやりとした頭で『何か変だな』と思いながら右手の方を見てみると、沙代(さよ)ちゃんが眠っていた。

私の右手を胸に抱きかかえながら。

 

沙代ちゃんを起こさないように、そっと上体を起こす。

 

『そういえば、昨日は三人一緒に寝たんだっけ・・・』

昨夜のことを思い起こしながら目を擦っていると、思わず欠伸が出てしまう。

 

「ふぁ・・・あぁ・・・」

 

それにしても今朝は不思議と爽やかな気分だった。

こんなにも優しい気持ちで起きられたのは久し振りで、右手を無理矢理に引き剥がすのも気が引けてしまう。

 

「沙代ちゃんも、寂しかったのかな・・・」

 

小さな友達を眺めながら反対の手で優しく髪を撫でていると、まぶたがピクリピクリと動く。

『起きるかな?』と思っていると、すぐに沙代ちゃんはムクリと起きてきた。

 

「んー・・・ふぁ・・・。

 おはよう、しのぶ。

 よくねむれた?」

 

目を擦りながらも、こちらの体調を気遣ってくれる。

可愛い。

もし自分に妹がいれば、こんな感じなのだろうか。

 

「うん!すごくよく眠れたよ。

 ありがとう、沙代ちゃん」

 

「じゃあ、明日もいっしょにねる。

 みんなでねるの、わたしも楽しみ」

 

沙代ちゃんから笑顔で請われたお願いに、私は嫌と答えることはできなかった。

夜、寂しくて悲しい気持ちになるのは、私も一緒だったから。

 

「・・・じゃあ、一緒に寝よっか」

 

「うん!」

 

 

 

姉さんはどこに行ったのかな。

そう思い外に出てみると、パァン!という殊更高い音が聞こえた。

 

音がする方へ近づいていくと、そこには悲鳴嶼(ひめじま)さんがいた。

 

切り株の上に立てられた丸太へと、斧が真っ直ぐ振り下ろされる。

パァン!と高い音がして、綺麗な薪が出来上がっていく。

 

その光景を見て、居候の身であることを思い出した。

『そうだ、私も手伝わなくちゃ』

 

悲鳴嶼さんが薪を持ち上げる途中で声をかける。

 

「おじさん、その薪割り、私がやる」

 

「・・・私はまだおじさんと呼ばれるような年齢ではない」

 

「じゃあ、悲鳴嶼さん。

 私がやるから」

 

もう一度「悲鳴嶼さん」と呼ぶと、しぶしぶ持っていた手斧を渡してくれた。

受け取ると、両手にズンと重さがのしかかる。

 

思っていたよりも随分と重たい。

持ち手ではなく、頭に近い方を両手で持つ。

 

丸太の上に立ててあった薪に向けて、両手で斧を持ち上げ、振り下ろす。

 

パン!

という音と共に、薪が割れる。

 

「・・・狙いが甘い」

 

後ろで見ていた悲鳴嶼さんから声がかかる。

 

「貸してみろ」

 

渡した斧を悲鳴嶼さんが振り下ろすと、ひときわ高い音が鳴った。

何よりその薪は、真っ直ぐ綺麗に割れていた。

 

「すごい!

 おじさん、目が見えないのにどうして分かるの?」

 

「・・・頼むから、おじさんはやめてくれ」

 

「あっ、悲鳴嶼さん!」

 

「うむ・・・

 しのぶ、お前は同年代の子と比べて小柄だ。

 どれだけ鍛えても力は弱点となるだろう。

 ゆえにーーー」

 

トンーーー

 

新たに立てた薪に、悲鳴嶼さんが軽く切れ込みを入れた。

 

「鍛えるべきは、力ではなく技。

 技は、少ない力で何倍もの結果を出す。

 例えば、この切れ込みを狙って真っ直ぐに振り下ろすことができれば、弱い力でも薪は半分に割れる」

 

手渡された手斧を受け取る。

今度は更に頭に近い方の柄背を両手で持つ。

 

薪の中央に真っ直ぐ描かれた切れ込みを見詰め、振り上げた斧をただ真っ直ぐに振り下ろす。

 

パン!

 

「あれ!?

 ・・・さっきよりも力を入れなかったのに・・・」

 

目の前で割れた薪は、綺麗に真っ二つになっていた。

 

「それでいい。

 力は重要だが、全てではない。

 ・・・考え続けることだ。

 しのぶならいずれ、斧など使わない方法も生み出せるかもしれない」

 

「・・・すごい!!

 悲鳴嶼さん、ありがとう!!!」

 

『斧を使わない方法なんて分からないけど、今の感触は忘れたくない』

 

 

 

その後、姉さんが朝ご飯を呼びに来るまでの間、私は今の感触を忘れまいと、手にタコができるまでずっと薪割りを続けていた。

 

そんな分かりやすい怪我が隠し通せる筈もなく、食事中のぎこちない仕草で、姉さんだけでなく沙代ちゃんにもバレた。

 

「もう!

 どこにも居ないと思ったら、こんなになるまで!

 午後の試練、しのぶは参加禁止!」

 

「え〜!!

 だって、仕方ないじゃない・・・」

 

「しのぶ、やりすぎ」

 

「がーん!

 沙代ちゃんまで・・・」

 

 

 

結局それから一週間もの間、私は姉さんの挑戦を側で見続けるだけの日々を送った。

 

そして、私と姉さんが揃って試練に再挑戦する日、悲鳴嶼さんは「数日間は戻らないだろう」と言い残し、出張任務に出掛けていった。




しのぶは事件の後から、毎夜うなされるようになりました。
カナエがそんなしのぶを抱きしめることで無理やり眠らせていました。
(ここまでは公式設定)

沙代は、そんなしのぶの心を鎮めるために、無意識に力を使っています。
沙代のお陰で、しのぶは悪夢に魘されずに済んでいます。

その事にカナエは気付き、誰よりも感謝しています。
悲鳴嶼さんも、沙代が手を握り締める直前までの、しのぶの魘される声に気付いています。


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姉妹の力と

第82話
Side: しのぶ


「ふっ!

 ぬぐぐぐぐぐぐぐ・・・

 こぉの!!

 い・い・か・げ・ん・に!!

 うごき・・・なさいぃぃぃ!!!」

 

・・・私の見間違いかな。

いま、姉さんが押している岩が、微かに動いたような気がしたのは。

 

 

ここ一週間でコツを掴んだのか、カナエ姉さんは、ある一点からいつも同じ方向へ岩を押すようになった。

 

息を吐きながら押すと、ちょうど力を入れやすいとか。

あんな大岩を相手に何を言っているのか、私には全く意味が分からないけど。

 

私の姉は町一番の器量良し。

胡蝶(こちょう)家は、断じてお猿さんや超人(ちょうじん)の家系じゃないはずだけど。

 

『・・・うん。

 これ以上考えたらいけない気がする』

 

でも、ここ一週間の努力で分かったことがある。

今までお淑やかだと思っていた姉が、その恵まれた体躯と能力で真っ向から課題に向き合おうとしていた。

足りないものは努力で補えば良いという発想で、ここ数日で物凄い力を付けているような気がする。

 

ただそれは、純粋な筋力や膂力(りょりょく)だけではないと言っていた。

悲鳴嶼(ひめじま)さんが押している姿を見て学んだの、と言っていたけれど・・・

 

でも、姉さんが何かコツを掴んだとしても、全然足りやしない。

仮に姉さんが十人いても、百貫(ひゃっかん)を超える大岩が動かせるわけないじゃない。

 

『私も何か別の方法を考えなくちゃ』

 

ぐーぱー、ぐーぱー。

両手両指を閉じたり開いたりして、動きを確かめる。

もう大丈夫そう。

 

ぐーぱー、ぐーぱー。

悲鳴嶼さんと比べて、あまりにも小さくて、力も弱い手。

でも、私には考えがあった。

 

沙代(さよ)ちゃん、ちょっと貸りたい道具があるんだけど」

 

私は沙代ちゃんに納屋(なや)へと案内して貰い、そこで必要な道具を探していった。

 

 

 

「姉さん、これでどう?」

 

「考えたわね、しのぶ。

 この方法なら、悲鳴嶼さんが帰ってくるまでに動かせるわ」

 

私たちが手にしているのは、農耕用の(すき)だった。

 

作戦は、こう。

大岩の周りの土をぐるりと掘り返す。

姉さんが押しやすいと言っていた側の岩下へ木を差し込む。

てこの原理で、思い切り向こう側へ岩を転がす。

ダメそうなら、土を掘る量を増やして、繰り返す。

 

少しでも大岩が動けば、たぶん悲鳴嶼さんの試練は合格すると思う。

 

でも姉さんは、ここで満足しなかった。

岩が倒れる方向に切った丸竹を並べておいて、更にそこから、てこの原理で動かせるだけ動かしてみたい。

 

「目指せ、一町(いっちょう)!」と意気込んでいた。

 

うん。最後のひと言は聞かなかったことにしよう。

丸竹を切ってくるのは、私にもできる。

 

「じゃあみんな。

 帰ってきた悲鳴嶼さんを、アッと驚かせてあげましょう!!」

 

「はーい!」

「おー!」

 

沙代ちゃんも、小さな(くわ)を持ってやる気満々。

 

私たちには後がないの。

使えるものは何でも、全部使ってやるわよ。

 

私たち三人の知恵と力を合わせて、この試練を乗り越えてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

任務から帰ってきた悲鳴嶼さんが、呆然と立っている。

 

「・・・まさか、これをお前たちが!?」

 

普段は凛とした姿で出迎えるはずの姉さんも、この時ばかりはふらふらと倒れそうな脚を叱咤しながら、ゆっくりと頭を下げた。

 

「お疲れ様です、悲鳴嶼さん。

 ご無事で、何よりです」

 

「・・・あぁ、うむ。

 しかし、お前たち、これをどうやって・・・」

 

私もすごく疲れていたけど、悲鳴嶼さんの驚く顔を見たら、ちょっと元気が湧いてきた。

 

「悲鳴嶼さん、こっち」

 

困惑している悲鳴嶼さんの手を取って、元々大岩があった場所に案内する。

掘り下げた地面、使用した木の棒、竹の線路へと、その手をそっと重ねた。

 

梃子(てこ)・・・

 それに車輪か・・・」

 

梃子の原理を使えば、弱い力を何倍にもすることができる。

加えて丸竹を車輪代わりにすれば、もっと少ない力で大岩を滑らせることができる。

 

「これを・・・自分たちで、思い付いたのか」

 

「私も姉さんも、頭は悪くないの。

 もっとも、姉さんは負けず嫌いだから、本気で一町動かす気だったみたいだけど」

 

「はい、しのぶの言う通りです。

 もし、あと数日お時間を頂ければ、一町ほども動かしてみせましょう」

 

「姉さん、私は嫌よ」

 

「しのぶ!?」

 

「だってーーー」

 

低い声で「もういい」と、悲鳴嶼さんは呟いた。

 

「もう十分だ。二人とも・・・」

 

悲鳴嶼さんの大きな手が、頭に乗せられる。

 

「私は君たちを認める」

 

そう言った悲鳴嶼さんの頬が、柔らかく微笑んでいた。

 

「・・・ホント?」

 

「ああ」

 

「では、育手(そだて)の方を紹介してくださるのですか?」

 

「二人とも責任をもって、腕の立つ者を紹介しよう」

 

「〜〜〜〜〜!

 やった!!!」

 

思わず悲鳴嶼さんに飛び付いて、服をよじ登っていく。

 

「カナエ、しのぶーーー

 よくぞ、やり遂げた」

 

悲鳴嶼さんの首に抱きついて、意味もなくぺしぺしと肩を叩いた。

 

姉さんは穏やかに微笑みながら「ここに来て良かった」と呟いていた。

 

 

 

 

 

翌朝、私たちは沙代ちゃんにお別れを告げて、それぞれの育手の元へ向かった。

 

「寂しいけど・・・

 またね、沙代ちゃん」

 

「しのぶは、だいじょうぶ。

 これから、がんばって」




気付けば、前回の投稿から1ヶ月が経ってました。
転職活動やら何やらの影響が、思っていたよりも大きいようです。

しばらくは、月1〜2の投稿になると思いますm(_ _)m


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気概

第83話
Side: 響凱


響凱(きょうがい)

 

ただ名前を呼ばれただけ。

たったそれだけのことで、身体の芯から凍えるような震えが走る。

 

『畏敬』『畏怖』『恐怖』

隔絶した存在を前に、喉から込み上げる恐れの感情を飲み込みながら、咄嗟に畳に額を擦り付けるように平伏する。

 

「・・・もう食えないのか?」

 

『ああ・・・』

嗚呼、遂に、このお方に知られてしまったのか。

否、最初からこのお方に隠し事など出来ようはずもなかった。

 

数々の言い訳が脳裏を駆け巡る。

しかし相手はあの猗窩座様すら従える絶対的強者。

取り繕う言葉も、口にする無意味さを考えれば虚しいばかり。

 

諦観にも似た覚悟を決めて頭を上げると、そこには無言で無惨(むざん)様が佇んでいた。

 

何か喋ろうとするも口だけが動き、カラカラに乾いた喉からは、どうしても声が出てこない。

 

まさに、蛇に睨まれた蛙。

 

「・・・・・・・・・はい」

 

辛うじて喉から絞り出せたのは、それだけだった。

 

「そうか、その程度か・・・」

 

その言葉に自然と頭が下がり、俯いてしまう。

せっかく猗窩座(あかざ)様に鍛えられ、地獄のような時間を過ごして尚、小生には何も為せぬのか。

 

「では、下弦(かげん)の数字を剥奪する。

 最後に何か申し開きはあるか?」

 

頭上に伸ばされた手のひらが、視界に影を作る。

地獄の沙汰はしかし、想定よりも優しいものだった。

 

『剥奪だけ・・・殺さないのか?

 もしまだ生きられるなら、下弦の称号などなくとも、小生はまだまだ強くなれる』

 

「・・・ありませぬ」

 

「ほう?」

 

目の前のお方から放たれる空気が変わる。

何かが琴線に触れたのだろうか。

珍しいものを見た、とでもいうように、その口が弧を描いた。

 

「では聞き方を変えよう。

 貴様はまだ強くなれるか?」

 

いったい、どういう意図があるのだろう・・・

目の前に無惨様が現れた時点で、死は確定したものと思っていたが。

 

ただ一つ確かなことは、ここが鬼としての分岐点ということ。

次のひと言で小生の今後が決まる。

 

『ここではいと答えれば、助かるのだろうか・・・

 それとも地獄に齎された蜘蛛の糸かーーー』

 

射貫くように突き刺さる視線。

嘘は赦さぬと、全身に凄まじい重圧を感じる。

 

鬼と化しても、死は怖い。

否、寧ろ簡単には死ねない身体だからこそ、より一層死が怖くなったかもしれない。

 

生きたい。死にたくない。

どうすればいい。どうすれば助かる。

脳内をぐるぐると無意味な言葉が並び、そして呆気なく血に沈む姿を幻想してしまう。

 

刹那の間に何度も何度も死を思い浮かべていく内、自然と猗窩座様の特訓で死にかけた記憶が蘇ってきた。

 

其れはある意味、直接的な死よりも辛く苦しい記憶だった。

 

『・・・そうだ。弱い鬼はただ死ぬのみ。

 過酷な生存競争の中にしか活路はない。

 空虚な言葉を取り繕おうと、このお方の御前では不敬。

 小生もまた生きよう、猗窩座様のように』

 

「はい」

 

『猗窩座様の教えは、地獄の門番も裸足で逃げ出すものなれど、強くなれることだけは、間違いなくそうだと言える』

 

面を上げ、事実だけを簡潔に伝える。

 

「・・・・・・」

 

しばらく無言で佇んでいた無惨様は、その手を元に戻した。

 

「・・・ふむ、猗窩座の教育は悪くないようだ。

 その気概に免じ、剥奪は保留とする。

 これからも励むがいい」

 

 

 

現れた時と同様、唐突に姿を消した無惨様のいた地を夢現に眺めながら・・・

 

無惨様の言動から、小生の考えが全て読まれていたのだとすれば、辻褄が合うことに気が付いた瞬間。

 

ぶわりと滝のような汗が全身から噴き出した。

 

「・・・猗窩座様の元へ行かねば・・・」




色々あって無事に転職が叶いましたので、久々の投稿になります。

そろそろ忘れ去られていそうですが・・・

構想だけは最後まで作ってあるので、もし一人でも読んでくれる人がいれば、続けたいと思います。


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血の定め

第84話
Side: 無惨


ピチョンーーー

 

ピチョンーーー

 

赤い血が溜まる透明な試験管へ、別の紅い液体が流れていく。

 

新鮮な赤い血へ、紅色の血が触れた瞬間ーーー

 

後から入った紅色が赤色を物凄い勢いで侵食し、やがて赤色は消え去ってしまう。

 

混ざり合った血は、ほんの僅かではあるものの、元の紅色とも異なる亜紅色に変化していた。

 

「何故、私の血液のみが鬼を生み出すのかーーー」

 

 

 

ピチョンーーー

 

ピチョンーーー

 

亜紅色の血を、新鮮な赤い血に垂らしていく。

 

しかし、もう二度と侵食は起こらない。

 

亜紅色に変色した血が他の血を侵すことはない。

 

決して混ざり合わず、境界線をくっきりと浮かび上がらせながら、二つの血が同じ試験管内に在る。

 

「鬼と化した者の血と、何が異なるのかーーー」

 

 

 

ピチョンーーー

 

亜紅色の血に、再び紅色の血を垂らす。

 

亜紅色の血がより鮮明に輝いた瞬間、黒ずんでボロボロに焼け爛れたようになってしまった。

 

「血の量に耐え切れぬ者は、細胞が壊れる」

 

赤黒い塵がこびり付いた試験管を破棄し、また別の試験管へ視線を送る。

 

亜紅色の血が入った試験管が立ち並ぶそこへ、枷とも呪いとも言うべき思念を送る。

 

するとカタカタと試験管が揺れ、血が沸騰し始める。

 

管の底から大きな気泡がブクブクと溢れ、湯気が立ち上っていく。

 

「ひとたび血が暴走すれば、血管を破り、皮膚を膨らませ、やがて身体中から溢れ出す・・・」

 

血から目線を外すと、ただの液体に戻る。

 

まるで何事もなかったかのように、静かに試験管が立ち並んでいる。

 

その血は黒ずみ、ただの血に戻っていた。

 

「この血が孕む絶対服従の制約ゆえ、私が死ねば全ての鬼は滅びる。

 そうだとしても、全ての決定権は私にある・・・」

 

 

 

「決して老いず、病にも侵されず、怪我もせず、四肢の欠損すらも瞬時に治る。

 この力、限りなく完璧に近い生物だ。

 何百年も経とうと言うのに、今もこの身を焼く、忌々しい傷跡・・・

 それも太陽を克服すれば、癒えるだろう」

 

朧気な記憶の奥底にある『青い彼岸花』。

 

病を治し、人を鬼に変えた成分を持つ、特殊な花。

 

何百年も、一千年近く探しているが、見つからない花。

 

あるいは、何百と生み出した配下の鬼から、奇跡的に太陽を克服する者が出てくるかとも考えたが、いまだそのような鬼は現れない。

 

「そして、猗窩座・・・」

 

上弦の鬼でありながら、制約を自らの力で乗り越え、鬼という枠を超えつつある者。

 

これまで制約を外せた者など、長い生の中でもーーー

いや、もう一人だけいたか。

 

太陽を克服できなかったとしても、可能性は拡がるかもしれない。

 

人間の科学の進歩は凄まじい。

特に西洋の技術には目を見張るものがある。

 

それは、生きるために闇に潜み、死を恐れない鬼にはないものだ。

 

鬼としての可能性を、科学で読み解くことができれば・・・

 

「・・・それに、響凱。

 猗窩座の監査役として使えると思っていたが、肝心な時に離れるとは・・・

 だが、これでまた猗窩座の元へ向かうだろう」



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第五章 鬼殺隊
最終選別 壱


第85話
Side: 獪岳


山の中腹へと続く石段を軽やかに登っていく。

 

左右には季節外れの藤の花が咲き乱れ、花の香りが鼻腔を吹き抜ける。

 

懐かしい香りを全身に吸い込みながら、長い階段を登り切る。

 

「よっ、と」

 

最上段の左右に立つ木柱を潜り抜けると、そこには年の近い男女が思い思いに立ち並んでいた。

 

パッと見ただけで、強そうなヤツも、大したことなさそうなヤツもいる。

 

その中でもひときわ目立つ、変なお面を被った二人組が視界に入る。

 

『あの変なお面は・・・

 ジジイの言っていた鱗滝(うろこだき)門下か』

 

鱗滝という元水柱(もとみずばしら)の剣士も、引退後は育手として後進の育成に努めていると聞いた。

 

一人前の剣士として認められる前の段階で、元柱(もとはしら)に稽古を付けて貰える運の良い者などひと握り。

 

そもそも、引退まで生き抜くことのできる柱が少ない。

 

数多いる鬼の中でも上澄みの強者、十二鬼月(じゅうにきづき)

あのとんでもなく強い鬼と遭遇すれば、柱でも命を落とす危険は大いにある。

 

それを聞いた時も、納得しかなかった。

 

猗窩座(あかざ)さんより強い人間なんて想像もつかない。

 数合打ち合えるだけでも化け物なのに・・・』

 

元柱に育てられたということは、あの二人組も何かしらの才能を見出されたのだろう。

 

とりわけ、右頬に傷跡のあるキツネ面を被った男は、相当にやるようだ。

立ち姿を見れば分かる。全く体幹がブレていない。

こんなところにいる鬼など、ものの数ではないだろう。

 

『アイツは、まず生き残るだろうな』

 

同門と思われる、もう一人の方は・・・

お面を顔ではなく髪にかけ、ぼーっと突っ立っているだけのように見える。

正直、何を考えているのか分からない。

 

ただ、凪いだように静かな両目の奥から、ありふれた筈の悲しみが垣間見えた気がした。

 

「・・・チッ」

 

目を逸らし、改めてこの場に集った面々を流し見る。

 

この場に集った全員が腰に刀を()いていた。

日輪刀(にちりんとう)と呼ばれる、鬼を滅することのできる特別な刀を。

 

全員、ここにいる意味は理解しているのだろう。

さすがに今更震えたり、泣いたり、縮こまる者は見当たらなかった。

 

 

 

そこへ、どう見ても剣士には見えない和装の男が現れる。

 

「やあ、みんな集まってくれたようだね」

 

その穏やかな声を耳にした瞬間、不思議な心地よさが全身を突き抜けた。

思い思いに集っていた面々が、急に静かになる。

 

「この藤襲山(ふじかさねやま)には、君たちの先輩にあたる子たちが生け捕りにした鬼がいる。

 君たちが見て来た通り、山の(ふもと)から中腹にかけて藤の花が一年中咲いているからね。鬼は外に出ていけないんだ」

 

男は集った皆を慈しむように目を細める。

しかしその左の瞳は白く濁り、片目しか映していない様子が窺える。

 

「そして、ここから先には、藤の花はない。

 ここまでたどり着いた君たちなら、この意味は分かるね。

 ここで、今日から七日間、生き残って欲しい」

 

病に侵されているのだろう。

その額から上は紫色に変色していたが、痛みも苦しみも感じさせないほど、自然な佇まいだった。

 

その半歩引いた位置には、陰から支えるように女性が立っている。

 

「七日後の夜明けまで生き残ること。

 それが最終選別(さいしゅうせんべつ)の合格条件だよ。

 では、行っておいで」

 

ほぼ全員が同じような心地よさを感じていたのか。

その言葉を皮切りに、思い思いに集っていた面々がハッと気付いたように駆け出していく。

 

 

 

『最終選別』

 

鬼殺の剣士として認められるための、最後の試験が今、始まる。




唐突なお館様の登場。

もし元気だったらと仮定すると、案外来ちゃうんじゃないかと思うんだ。

『うん、彼が噂の子だね・・・』


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最終選別 弐

第86話
Side: 獪岳


「久し振りの美味そうな獲物だ」

 

「オイ、俺が先に見つけたんだから、コイツは俺の獲物だ」

 

「馬鹿言うな、先に獲った方が喰うに決まってる」

 

醜い顔の鬼共が、醜い争いをしながら此方に近付いてくる。

 

一歩間違えれば自分もこうなっていたと考えると、悍ましさに唾を吐きかけたくなる。

 

「・・・雑魚共が、いきがるなよ」

 

唾棄すべき、醜く成り下がってしまった鬼達へ聞こえるように、言葉を発する。

 

すると鬼共が一斉にこちらへと向き直り、口々に汚い言葉を発してくる。

 

「ああ?

 それは俺らのことか!?」

 

「舐め腐った小僧だ!」

 

「生きたまま喰ってやる!!」

 

鬼共が一斉に飛びかかってくる。

 

スゥッと息を吸い込み。

刀の柄に手をかけ、深く腰を落とした刹那の間に、勝負は決まった。

 

 

「カスが」

 

刀に付着した血を振り落とし、鞘に仕舞う。

 

雷の型を使うまでもない。

 

周囲には首と胴がお別れした小鬼が三体倒れている。

何も見えないまま首を斬られたのだろうその瞳は、驚愕に見開かれている。

 

小鬼の身体はやがて、霧のように霧散していった。

 

『コイツらは雑魚中の雑魚だな』

 

開始早々に襲いかかってくるような小鬼である。

空腹という感情のまま、何の備えも考えもなく、ただ視界に入って来た人間を狙ってきたと考えられる。

 

ここ藤襲山の中でも、とりわけ弱く知恵もない鬼だったのだろう。

 

「こんなヤツばかりなら、楽なんだがな」

 

最終選別(さいしゅうせんべつ)は、鬼を倒した数を競う場ではない。

別に急ぐこともないと、右手で刀の頭を撫でながら、ゆっくりと歩を進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

襲いかかってくる鬼共を斬り捨てながら道を歩くこと数刻。

強くもない鬼との戦闘にも飽きてきた頃、休むのにちょうど良い木が目についた。

 

木の幹をコンコンと叩く。

病気もなく、年輪の詰まった良い音が返ってくる。

 

見上げれば、ちょうど木と木の葉が重なり合って見えなくなる位置に、人一人が隠れられる隙間がありそうだった。

 

周囲を見渡すと、ちょうど罠を仕掛けやすそうな場所が見えてくる。

万が一、鬼が襲撃してきても対応できるよう、兄弟子仕込みの罠を張り巡らせていく。

 

「これでよし」

 

誰かが接近すれば鳴子(なるこ)が音で知らせてくれ、更に近付いてくれば罠が作動するようになっている。

これで少なくとも、仮眠中にいきなり襲撃を受けるようなことはないだろう。

 

「さて、少し休むか」

 

 

仮眠を取ろうと背を幹に預けて少し経った頃、小さな剣戟の音を耳が拾った。

 

キィンーーー

 

『!?』

 

すぐさま意識が覚醒する。

 

誰かが鬼と戦っているらしい。

 

手を耳に当てて、耳を澄ませる。

剣戟の音から、おそらくかなり強い剣士が戦っている様子だが、それでも押されているようだ。

どうやら、それなりに強い鬼が潜んでいたらしい。

 

刀を握ると、すぐに音のする方へと走り出す。

 

眠りを妨げられた恨みはなかった。

今はただ、強い鬼との戦闘に心を躍らせていた。

 

『ようやく、ようやくだ。

 今の俺はどこまで強くなれたのか。

 (きのえ)との差はどれほどなのか・・・』




ちょっと強くなって直ぐに意気がる、かわいい獪岳さん


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最終選別 参

第87話
Side: 獪岳


獪岳(かいがく)、俺が怖いか?」

 

「え!?」

 

「お前はいつも自分より強い者と遭遇した場合、逃げてもいいと思っているだろう?」

 

「う、それは・・・」

 

「お前には沙代(さよ)の安全を任せている。

 一人で逃げられるとは思わないことだ」

 

「・・・はい。

 逃げずにすむよう、もっと強くなります」

 

「獪岳、それは違う。

 相手より強いから戦う。

 相手より弱いから逃げる。

 それならば、この世に勝負など存在しなくなる。

 お前は何故強くなろうとしている?」

 

「それは・・・

 俺を見下した全てを見返してやるためです」

 

「そうか。

 その考えが逃げだと、自分で気付かないのか?」

 

「え・・・?」

 

「絶対的な強者は、10年経とうが100年経とうが、強者のまま変わらない。

 お前はそういう相手に、一生へりくだり続けるのか?」

 

「・・・一生・・・」

 

「その程度の覚悟で、本当の強者を見返すことができると思うか?」

 

「・・・猗窩座(あかざ)さん。

 それなら俺はどうすれば・・・」

 

「一つ覚えておけ。

 敵わぬ相手に相対し、時には逃げるのも良いだろう。

 だが、戦うべき時に戦わぬ者、戦えなかった者は、何も守れない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くからでも視界に入る根岸色をした大型の鬼。

身体中を守るように巻き付いた無数の手、手、手。

名は体を表すとすれば、まさに手鬼(ておに)と言うべき異形の鬼。

 

その右肩から伸びる、丸太のように太い右手に握られた人間。

今にも消えそうな命の灯火を目にした瞬間、思わず刀を握り締めていた。

 

(かみなり)呼吸(こきゅう)()(かた)ーーー』

 

遠雷(えんらい)!!」

 

離れた間合いから、雷の如き速度で斬撃が飛ぶ。

 

目にも止まらぬ一撃が、手鬼の右腕を切り落とした。

ドサリと、掴まれていた人間が地に落ちる。

傷だらけの姿をよくよく見れば、右頬に傷跡のある狐面(きつねめん)の男だった。

 

『コイツが負けたのか!?』

 

ギョロリと、手鬼の目が此方を捉える。

手に囲まれた顔、その口元がニヤリと笑った。

 

「フフフッ・・・見えなかったよ。

 なかなかすばしっこい小僧だなァ。

 でも、お前は後だ。

 鱗滝(うろこだき)の弟子を喰った後で、殺してやるよ」

 

切り落とした手が、ゆっくりと再生されていく。

まるで何事もなかったかのように、手鬼は狐面の男へと再び手を伸ばす。

 

「チッ!バカにしやがって!

 再生する間もなく、斬り刻んでやる!!」

 

『雷の呼吸、(さん)の型ーーー』

 

大地を大きく踏み込み、残像が見えるほどの速度で手鬼の周囲を回転する。

 

聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)!!!」

 

まるで庭木を剪定(せんてい)するかのように、周囲を回りながら手という手を切り飛ばしていく。

 

次々に伸びて襲い来る手は、(とぐろ)を巻いた毒蛇が無数に飛びかかって来るかのよう。

しかしその手も、高速で舞い続ける姿を捉えられずに空を切るばかり。

 

無防備に伸びた手を次々に斬り飛ばしながら、手鬼が最も警戒している首元に剣線を走らせる。

 

幾重にも首の周りを守っている手を少しずつ削り取っていくと、瞬間的に首元が視えた。

 

その隙を突くように、刀を瞬時に納刀する。

 

シィィィィィーーーーー

 

雷の呼吸にとって、全ての型の基本。

前傾姿勢から繰り出される、超高速の居合(いあ)いの一閃。

 

『雷の呼吸、(いち)の型ーーー』

 

霹靂一閃(へきれきいっせん)!!」

 

ドンーーーー!!!

 

「グッ!!」

 

首元から血飛沫が舞う。

 

 

「クソッ」

 

刀を振り抜くことはできたが、手応えが足りない。

鬼の首はまだ僅かに繋がっている!!

 

『また、斬れなかったかーーー』

 

そこからの判断は早かった。

 

『撤退』

 

手鬼の首が再生するよりも早く。

傷だらけの男を抱えて、その場を後にする。

 

道中、傷だらけの男が逃したのだろう、もう一人の狐面の男子が後を着いて来た。

 

「ありがとう」

 

その感謝の声も、後ろから女々しく響いてくる手鬼の叫び声に掻き消されてしまった。

 

「アァアアァ!!

 許さん!許さんんん!!

 鱗滝の弟子は全員殺す!!

 それから金羽織(きんばおり)の小僧!

 俺の首を傷付けた貴様は、地獄の底まで追いかけて必ず殺してやる!!」




手鬼を文字に起こすのには、メデューサを参考に。
また聚蚊成雷のイメージは、ロマンシングサガ3より分身剣。あの斬撃を雷っぽくした感じ。ただし現時点の獪岳の技は、熟練の域には達していません。

それから、この獪岳は桑島さんから頂いた鱗文様の金羽織を普通に着ています。自分が特別ではなく、未熟者であることを理解しているためです。


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最終選別 肆

第88話
Side: 獪岳


錆兎(さびと)!錆兎!」

 

錆兎と呼ばれた剣士。

おそらく今回の最終選別(さいしゅうせんべつ)、最強の男ーーー

 

彼は今、瀕死の重傷を負っていた。

意識も定かではなく、浅い呼吸を繰り返している。

 

普通の人間ならば、既に三途(さんず)(かわ)を渡り切っている。

あの異形の鬼に全身を掴まれ、握り潰される寸前で助かったものの、その傷は深く、内臓にまで至っていた。

 

ぐちゃぐちゃに握り潰された右腕はもう、一生使い物にならないだろう。

 

「ああ錆兎!錆兎!」

 

傍らで呼びかけ続けている男、名を冨岡(とみおか)義勇(ぎゆう)と言うらしい。

彼は幸いにも無傷だった。

 

あの手鬼(ておに)と錆兎が戦っている間、彼の指示で隠れていたようだ。

あの鬼の鱗滝(うろこだき)さんへの怨み、狐面(きつねめん)に対する異常な執着・・・

そしてあの強さを考えると、正しい判断だろう。

 

だと言うのに、この男、本当に鬼殺隊(きさつたい)の剣士になる気があるのかと疑うほどに覇気がない。

錆兎の容態を見てからは泣いてばかりで、何の役にも立ちやしない。

 

「泣くな冨岡!

 泣いている暇があれば手伝え!!

 コイツを見殺しにする気か!?」

 

「!?」

 

悲しみに打ち拉がれ、治療に動こうともしない鈍間(のろま)へ、思わず声を荒げる。

 

「血を流し過ぎている!

 とにかく止血だ!!

 服でも何でも破って使え!

 そのあと右腕は切り落とす!!」

 

錆兎の右腕は、刀ごと握り潰されたのか、あらぬ方向へと曲がっていた。

骨も肉もぐちゃぐちゃにされ、治療の可能性すら考えられない。

どう見ても、切るしかなかった。

 

「・・・すまない。俺も手伝う。

 しかし、右腕を切るのか・・・?」

 

情けない顔で、切らないでくれと俺を見つめる冨岡へ、事実を突きつける。

 

「冷静になれ!右腕はもうダメだ!

 確かに利き腕を切れば、剣士にはなれないだろう。

 しかし、それがどうした!?

 ここで死ぬよりはマシだろう?違うか!?

 お前は見殺しにしたいのか!?」

 

「ぐっ・・・錆兎、お前は・・・

 ・・・獪岳(かいがく)、頼みがある。

 錆兎の腕は、俺に斬らせてくれ」

 

ここまで言って、ようやく。

少しだけマシな顔つきになった冨岡へ、指示を出していった。

 

(みず)呼吸(こきゅう)には、痛みもなく斬る(かた)があると聞く。

 ・・・分かった。お前が斬れ。

 だが先に全身の止血を急ぐぞ。

 お前は両足の怪我を診てくれ」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まともな医療器具も知識もない、ただ傷口を縛って止血しただけの治療。

更には日輪刀(にちりんとう)を使った、右腕の切除。

 

日が天に差し掛かる頃に錆兎が目を覚ましたのは、本人の気力の賜物としか言いようがなかった。

余人であれば、とっくに彼岸(ひがん)へ渡っていただろう。

 

「ああ錆兎!錆兎・・・」

 

泣きじゃくる冨岡。

彼にとって、目の前の男がどれほど大きな存在なのかが窺える。

 

「義勇・・・男が、泣くな・・・

 見苦しい、ぞ・・・」

 

掠れた声で、途切れ途切れに話す、錆兎という男。

この男ですら倒せない鬼が最終選別に紛れ込んでいることに、若干の疑念が頭を過ぎる。

 

戦わずに済むなら、二度と戦いたくはない。

しかし、下手を打って目をつけられてしまった今。

夜という、ヤツらの戦場で逃げ続けるのは困難を極めるだろう。

 

「・・・・・・」

 

「ハハ・・・お前が、無事で・・・

 良かった・・・」

 

「何故俺を庇った!?

 お前一人なら、あの鬼を倒すこともできた!!

 それなのに・・・」

 

「さぁ、何故、だろうな・・・

 身体が、勝手に、動いたんだ・・・

 だが、アイツは、強かった・・・

 俺よりも・・・ゴホッゴホッ!!」

 

「錆兎!?」

 

これ以上は無理だ。

せっかくの時間を(さえぎ)って悪いが、会話に割って入る。

 

「冨岡、そこまでだ。

 それ以上無理をさせれば、本当に死ぬぞ」

 

錆兎の視線がこちらへと向く。

こちらが誰なのか探っているようだったが、

やがてその表情に、理解の色が広がっていく。

 

「・・・あなた、は?

 私を、助けて、くれた・・・」

 

「獪岳だ。錆兎と言ったな。

 利害の一致だ。感謝は要らない。

 今の自分の状態が分かるか?」

 

「アナタは・・・ええ。

 内臓が、かなり、やられて・・・

 右腕の、感覚は、もう・・・」

 

右腕は切除したのだから、当然の反応だった。

しかしこの錆兎という男、これほどの重傷にも関わらず、冷静だ。

こんな状態になっても、冨岡よりよほど強い。

 

「覚えているかもしれないが、右腕を斬った。

 もうどうしようもなかった。

 そしてこのままだと、お前は出血多量で死ぬ。

 患部に集中して、全集中の呼吸を使え。

 自分で止血しなければ、本当に死ぬぞ」

 

猗窩座(あかざ)さんとの稽古(けいこ)では、当たり前の技術。

煉獄(れんごく)さんから教わった、止血の呼吸を錆兎にも伝える。

 

「ぐ・・・

 痛ッ・・・」

 

スゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー

 

フゥゥゥゥゥゥゥーーー

 

スゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー

 

フゥゥゥゥゥゥゥーーー

 

錆兎は痛みに耐えながらも、患部に手を当てながら深く深く呼吸を重ねた。

すると、みるみる内に血が止まっていく。

 

『口頭で伝えただけで成せるとは・・・

 やはりこの男、天才か』

 

「・・・流石だな。

 そのまま安静にしていろ。

 日が昇ったら、山の入口まで連れて行く」

 

「待ってくれ・・・

 俺は、まだ、戦える・・・」

 

想いのこもった強い視線で訴えてくる。

重傷を負い、自力で身体を起こす事すらままならない男とは、到底思えなかった。

 

その言葉には、言霊(ことだま)が宿っている。

この男は本気だ。本気で死んでも良いと思っている。

しかし・・・

 

「無理をするな。どれほど強い者も死んだら終わり。

 お前達を狙ってあの鬼はまた来る。

 鱗滝さんの恨みだか知らんが、

 コイツ諸共、次に戦えば確実に殺される。

 それが分かっていながら・・・

 錆兎・・・あまり師匠を悲しませるな」

 

錆兎は、しばし目を瞑り・・・

そして、ハハッと笑った。

 

「鱗滝さん・・・分かった・・・

 ならば、せめて、見届け、させてくれ・・・」

 

大人しく休んでいれば良いものを・・・

呆れてため息も出なかった。

 

「・・・チッ。

 おい、義勇と言ったな!

 コイツを死なせたくなければ、お前が説得して連れ帰れ!」

 

唯一、錆兎の心を動かせるとしたら、この男しかいない。

しかし、冨岡からの返答は、あまりにも無情なものだった。

 

「・・・無理だ」

 

「おい!!

 ふざけるな!!

 せめてもう少しーーー」

 

「・・・頼む」

 

これほど真剣な表情もできるのだと冨岡という男を見直したところで、唯一の説得材料が僅か数秒で儚くも消え去った事実に気付く。

 

『これ以上コイツらに、何を言っても無駄か・・・』

 

「・・・チッ!

 俺は!お前らがどうなろうが、正直どうでもいい。

 あの手鬼の首を斬り落とせるなら、半死人の手を借りようが、何とも思わないからな!!」

 

こうして、対手鬼戦線が決まった。




一週間毎の1000文字投稿を目指してますが、今話は途切れるところが作れず。
投稿が遅くなりましたm(_ _)m

地元のマラソン大会に出るのに、少し走ってました(^^;


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最終選別 伍

第89話
Side: 獪岳


「ハァ、ハァ、ハァ」

 

走る、走る、走るーーー

 

己を殺し得る敵との逃走劇に、心の糸が張り詰めていく。

思えば口の中がカラい。喉の奥が焼けるようだ。

 

「フフッ、フフフフッ。

 お前はゆっくりと殺してやる。

 手足を引き千切って、それから内臓を抉り出し、

 肉も骨も虫ケラのようにすり潰してなァ」

 

ゆっくりとした口調の、愉悦した声が背中に届く。

自分よりも弱い子供を甚振(いたぶ)る事に、仄暗(ほのぐら)い快感を得ているのだろう。

 

しかし全身手だらけの癖に、思っていたよりも動きが速い。

大きな手を何本も生やし、まるで節足動物のように迫って来る。

 

「ハァ、ハァ、ハーーー」

 

果たして上手くいくだろうか・・・

 

この手は、刀を振り切ることが、できるだろうか・・・

 

あの日までは、悲鳴嶼(ひめじま)さんが守ってくれていた。

 

あの日からは、誰よりも強い猗窩座(あかざ)さんがいた。

ムカつくが、認めざるを得ない兄弟子もいた。

 

ジジイのくせに強い、桑島(くわじま)のジジイがいた。

 

死線の上を渡るのは、あの日以来。

自ら選んで渡ろうとしたのは、初めてだったーーー

 

「フフフフッ」

 

その声が妙に遠くから聞こえると思って振り返ると、手鬼(ておに)は立ち止まって不気味な笑顔を浮かべていた。

 

兄弟子の野生の直感には及ばないが、そんな俺でさえ嫌でも察する。

 

『コイツ、血鬼術(けっきじゅつ)が使えるのか!?』

 

手の肉の塊のような手鬼の姿勢が、僅かに左に傾くーーー

 

「来るーーー!!!」

 

ここから離れなければ死ぬーーー!!

 

脳が鳴らす警鐘に従い、咄嗟にその場を飛び退く。

 

つま先を掠めるように、地面から手が何本も生えてきた。

根岸色(ねぎしいろ)をした無数の指先が俺を掴まえようと、うねうねと蠢きながら迫る。

 

『だが、遅いーーー!!』

 

指先の関節を切り飛ばし、手首、肘、二の腕と、迫り来る腕を瞬時に切り刻む。

 

上腕のみとなった腕を蹴り、そのまま背後にあった木の枝に飛び乗った。

 

「仕留め損なったか。

 フフフフッ。

 でもこれで、逃げられないだろう?」

 

手鬼の言う通りだった。

地面は既に死地。

 

周囲を見渡せば、森の木に葉が生い茂っている。

枝から枝へ飛び移っての移動も、出来そうにない。

 

何よりもう、手鬼から目を離す事は出来なさそうだった。

 

「・・・仕方ない」

 

懐から火打石(ひうちいし)を取り出し、もう一つ取り出した導火線へと火を着ける。

 

導火線の先にある、ゲンコツ大の玉。

火が根元へと届く直前、それを手鬼目掛けてぶん投げる。

 

兄弟子曰く

「空に打ち上げる火薬を抜いたので、猗窩座さんに伝わらない失敗作。

 強いて言えば、武器としてなら使えるかも」

 

「なーーー!?」

 

ドォンーーー!!!

 

そんな失敗作の花火が、根岸色の大地に咲いた。




奥義、八宝大華輪。

誤字報告も、ありがとうございましたm(._.)m


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最終選別 陸

第90話
Side: 獪岳


「ア、アアア・・・

 アアアアアァァァ!!!」

 

手鬼(ておに)慟哭(どうこく)が山中に響く。

 

肉体の半分以上が消し飛び、まるで雷に打たれ裂けた枯れ木のような鬼の姿が、そこにはあった。

 

どうせ死なないからと、日輪刀(にちりんとう)以外の武器を軽んじた結果だろう。

 

ジジイから教わった事だが、十二鬼月(じゅうにきづき)でもない鬼には、千々に千切れた肉体はすぐに再生できない。

 

千載一遇の好機!!!

 

少し離れた場所にある茂みへ向けて、声を張り上げる。

 

村田(むらた)アァァァァ!!!!!」

 

「ああもう!!分かったよ!!」

 

茂みの中から藤の枝で作った隠れ蓑をパッと脱いで現れたのは、同じく最終選別(さいしゅうせんべつ)を受けている同期の剣士。

 

鬼に襲われそうになっていたところを偶々助け、ちょうど良いからとそのまま戦力に加えた、見た目も力量も普通で地味な男。

普通なら断られて逃げるかと思いきや、この村田、鬼殺隊(きさつたい)の剣士を目指す者にしては不思議と優しく気の良い男だった。

 

加えて剣術と呼吸(こきゅう)の扱いは良くて並だが、身体の使い方が巧かった。

 

彼の役割は大きい。

 

彼は抜刀するなり、その刀を思い切り投擲(とうてき)した。

剣士の魂とも言うべき刀を、文字通りぶん投げた。

 

僅かに紫色をした刀身の日輪刀は、綺麗な直線を描いて手鬼の身体へと突き刺さる。

 

そこからの変化は、劇的だった。

 

「ア・・・ァァァ・・・カ・・・

 ウ、ロコ、ダ・・・キィ・・・」

 

肉体の再生は止まり。

煩かった悲鳴も消え。

死にかけの虫ように、

ピクピクと痙攣(けいれん)するだけの肉塊と化す。

 

今ごろ、村田の持つ鞘の中身は、(ふじ)の花びらと蜜で紫色に染まっている事だろう。

俺も以前、兄弟子の思い付きでやらされた事がある。

効果は抜群なんだが、アレは後で洗うのが大変なんだ・・・

 

しかし、弱者の武器としては非常に優秀。

何故この一帯の鬼が山から逃げられないのかを考えてみれば、山を少し下るだけで最良の武器がいくらでも手に入るのだった。

 

手鬼へと視線を戻す。

おそらくは爆発の直前に庇ったのだろう。

身体の大半を消失させながらも、首周りだけは大量の手で固く守るように囲われていた。

 

 

 

錆兎(さびと)の言葉が蘇る。

 

「アイツの(くび)は硬い。

 俺の刀でも斬れなかった」

 

 

 

錆兎は強い男だ。

その錆兎でも斬れなかったとすると、(かみなり)の呼吸、(いち)(かた)で完全に斬り落とせなかったのも、偶然ではなかったのかもしれない。

 

しかし、満足に動けない今なら斬れる。

 

『まるで巻き(わら)の試し斬り。

 これで斬れなかったら、またジジイに怒られるな』

 

上体をグッと前に倒した前傾姿勢となり。

納刀した刀の柄を持ち、居合の構えを取る。

 

スゥ、と息を吸い込むーーー

 

『雷の呼吸、壱ノ型ーーー』

 

顔を上げると、怯えたような表情の手鬼と目が合う。

少しずつ動くようになった多くの手のひらが、震えながらもこちらを向いていた。

 

そんな事で鈍るナマクラなら、俺は今ここに立ってはいない。

 

霹靂一閃(へきれきいっせん)!!!」

 

ドンーーー!!!

 

雷の如き瞬足の抜刀術が、大地を駆ける。

 

 

ヒュウウウウウウウウーーー

 

風が逆巻くような音がする。

 

(みず)の呼吸、壱ノ型ーーー

 水面斬(みなもぎ)り」

 

静かに音もなく。

まるで水面に一雫の波紋が拡がるように、俺の技に重なるように合わせて放たれた刀身が、綺麗な弧を描いた。

 

ポトリ、と。

頸が落ちる。

 

 

この作戦の最後の要。

額に汗を滲ませた冨岡義勇(とみおかぎゆう)が、そこには立っていた。




村田、登場。

大雑把な設定ですが、原作8年前頃。
冨岡義勇と獪岳は二歳差で、獪岳の方が年下です。
もし獪岳が逃げ回らず、復讐に人生を注いでいれば、このくらいの歳で最終選別を受けていたのではないかなと思いました。


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村田の回想

第91話
Side: 村田


それで、何から聞きたい?

 

ああ、出会った最初の印象かぁ・・・

 

そりゃあ、物凄く生意気な子供だと思ったね。

『なんだコイツは!?』って。

 

だってさ、会っていきなり言われたのが、

「これから手鬼(ておに)を倒す。

 村田(むらた)、お前は今すぐ山を下りて、(ふじ)(はな)を枝ごと持てるだけ持ってこい」だよ!

 

酷いと思わない?

同じ最終選別(さいしゅうせんべつ)を受けている仲間に、いきなり「山を下りろ」なんて、とんでもないヤツに掴まってしまったと思ったよ。

 

「はぁ!?俺を失格にするつもりか!?

 それに手鬼って何だよ!?

 ・・・まさか、お前でもヤバい鬼がいるの!?」

 

思わず反論してしまった俺は悪くない。

 

残念ながら、俺の反論は無意味だったけどね。

 

え?どうしてかって?

 

・・・ほら、見てよ。

これが刀鍛冶(かたなかじ)の人に打ってもらった俺の日輪刀(にちりんとう)なんだ。

 

藤の花は境界線ではあるんだけど、花を取ってくるくらいなら、失格にはならないんだってさ。

もちろん、そこで夜をやり過ごしたりするのはダメだって言われたけどね。

 

ああでも、断れなかった一番の理由は、相手が悪かったってことだろうなぁ・・・

 

うん、そうなんだ。

最終選別初日の夜にさ、死角から鬼に襲われて・・・

もうダメかと思った時、アイツに助けて貰ったんだ。

 

・・・一瞬だったよ。

気付いたら、鬼の(くび)が落ちてて・・・

俺には何をしたのか、何も分からなかった。

 

あの瞬間に悟ったよ。

 

『ああ、俺はコイツには敵わないんだな』

って。

 

・・・悔しさ?

そんな感情を感じられるなら、まだ追いつける余地があるってことでしょ?

 

もっと遠くて、眩しかったーーー

 

寧ろ、さっぱりした感情だったかな。

ああいう男達が死なずに強くなり続けたら、いずれ(はしら)と呼ばれるようになるんだろうなぁ。

 

もちろん、俺の刃が無惨(むざん)に届くのなら、それに越したことはないけれど。

もし仮に、俺が志半ばで倒れたとしても、誰かの刃が無惨の頸に届けばいいと、そう思うようになったよ。

 

剣士としてだけなら、俺もそれなりに自信はあったんだけどなぁ・・・

 

ほら見てよ。

・・・ちがうちがう、左手の剣だこなんて、みんな同じだから。

手じゃなくて、刀だよ。

 

ほら?

この日輪刀を近くで見ても、色なんて分からないでしょう?

 

せめてもうちょっと青みがかってくれれば良かったんだけど・・・

 

・・・実力のある剣士が刀を握ると、色が変わるんだ。

だから別名、色変(いろが)わりの(かたな)って呼ばれてる。

 

俺が使う(みず)呼吸(こきゅう)は、青色。

でも、どう見ても普通の刀の色だよね。

 

残念ながら、適性が低いのかもしれないし、単純に修行不足なのかもしれない。

両方の可能性も・・・いや、両方だと思う。

 

鬼殺隊に入って、確かに剣の腕も大事だけど・・・

俺たち剣士が鬼と渡り合うには、全集中(ぜんしゅうちゅう)の呼吸が鍵なんだということがよく分かったよ。

 

人の何倍もの力を持つ鬼と戦うために、俺たちは全集中の呼吸を使う。

呼吸を使って、肉体の底力を引き出さなきゃいけない。

 

冨岡(とみおか)の水の呼吸の型は、綺麗だったなぁ・・・

もしも、元柱(もとはしら)の師匠の下で修行を受けていたら、今とは違っていたのかもしれないって、何度思ったか分からないよ。

 

でも、決してそれだけじゃないってことに気付けた。

 

うん、俺は弱くて未熟なんだ。

 

でも、たとえ弱くても、出来ることはある。

あの時、藤の花を使った作戦をやってみて、そう思えたんだ。

 

藤の花なんて、単なる鬼避けとしか考えてなかったけど、まさか、あんな使い方があったなんて・・・

 

実はあの後、一人の柱の方に偶然声をかけられたんだ。

 

・・・え?その方は誰かって?

・・・実は俺もよく分かってないんだ。

(まつ)りの(かみ)」って言ってたけど・・・

どう考えても、呼吸とは結び付かないよね。

 

手を伸ばしたって、雲は掴めない。

上を見上げれば、本当にキリなんてないけれど・・・

弱者には、弱者なりの戦い方がある。

 

確かにムカつくところもあるけれど、獪岳(かいがく)には感謝してるよ。

 

 

 

村田さん、なんて、そんな呼び方はよしてくれよ。

同期の仲間じゃないか。

 

うん。参考になったのなら良かったよ。

 

たとえ道は違っても、同期だからね。

 

それに錆兎(さびと)、君なら・・・

 

無惨を倒したい気持ちは、どこにいても、みんな一緒さ。




錆兎生存。
ただし、片腕欠損のため剣士にはなりません。

村田は晴れて冨岡さんの同期になります。

祭りの神は、お館様の護衛として来てました。


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柱合会議 壱

第92話
Side: 悲鳴嶼


天元(てんげん)。君は素晴らしい子だ。

 これからは音柱(おとばしら)として、人の命を守り、

 鬼舞辻(きぶつじ)を倒す一柱として、鬼殺隊(きさつたい)を支えてくれるかい?」

 

「はい!お館様(やかたさま)!!」

 

須磨(すま)、まきを、雛鶴(ひなつる)にもよろしく。

 これで柱合会議(ちゅうごうかいぎ)は終わりにしよう。

 槇寿郎(しんじゅろう)、あとのことは任せたよ」

 

「委細承知致しました」

 

 

 

お館様が退室された後、ポツリと声が溢れた。

 

「これで(はしら)も三人になったか・・・」

 

その囁きを、忍の末裔が耳ざとく拾っていた。

 

悲鳴嶼(ひめじま)さん、そりゃあどういう意味だ?

 ここには四人いると思うんだが・・・」

 

左目の周りに花火のような化粧を施した大男。

先ほど音柱を拝命した宇髄(うずい)天元(てんげん)の視線の先には、煉獄(れんごく)夫妻の姿があった。

 

「私は違うんですよ」

 

朗らかな笑顔で否定する和服の日傘美人を、宇髄は胡乱(うろん)な瞳で見つめる。

そんなバカな話があるかと、その態度は明らかに信じていなかった。

 

「・・・本当か?」

 

「宇髄、言葉を慎め。

 こちらのご夫妻はーーー」

 

続く言葉を、槇寿郎さんの意を感じて止める。

 

「宇髄、と言ったな。

 俺は炎柱(えんばしら)、煉獄槇寿郎だ」

 

「俺は音柱の・・・

 なんて、二度目の紹介は無用でしょう。

 なあ煉獄さん」

 

無礼な態度に、ピリッとした空気が流れる。

さりとて気にした風もなく、槇寿郎は言葉を続けた。

 

「これは妻の瑠火(るか)

 訳あって、私の補佐をして貰っている。

 柱合会議に出席したのは、お館様の許可を得てのことだ」

 

頷きはしたものの、それでも納得がいかない様子で、宇髄は質問を重ねる。

 

「ふーん。そォかい。

 アンタの嫁さんがこの場にいる理由は分かった。

 だが、派手に気に入らないな。

 炎柱の補佐官が、柱並に強いのはどういうことだ?」

 

短い付き合いだが、宇髄は冷静な男。

何か意図があって言葉を選んでいる事は明らかだった。

しかしさすがにこれ以上は看過できぬと膝を立てたところ、不意に槇寿郎さんの悲鳴が聞こえた。

 

「あ痛ッ!」

 

「あなた、いきなり新人の方を威圧するのは止めてください」

 

「コイツはお前を疑っているのだぞ」

 

「それはあなたの言葉不足が原因でしょう?」

 

「むう・・・

 だからって、つねることはないだろう?」

 

「口で言うより、効果的でしょう?」

 

「ぐ、むぅ・・・」

 

強者然とした立ち振舞いとは裏腹の、オロオロとした槇寿郎さんの様子に、宇髄はポカンと口を開けている。

 

一瞬即発とした雰囲気は、いつの間にか霧散していた。

 

『仲良きことは美しき哉・・・』

涙を流す私と対照的に、横にいた宇髄は破顔爆笑している。

 

苦しそうにお腹を抱えている宇髄へ、瑠火さんが直接声をかけた。

 

「この人は昔から言葉足らずですので、私の口からお伝えさせて頂きます。

 ただし、この事はお館様も認めた機密事項。

 柱である宇髄さん以外、他言無用に願います」

 

「お館様が?・・・なるほど、承知した。

 俺も忍の末裔。お館様の命は必ず守ろう」

 

「信じます」

 

瑠火さんの静かな言葉には、確かな重みがあった。

まるでお館様の奥方のような、凛とした雰囲気が漂う。

 

不思議と、宇髄からも揶揄うような言葉は出なかった。

 

「数年前、私は死の病を患っておりました。

 私自身、いずれ訪れる死は天命だと諦めておりました。

 珠世(たまよ)さんという、人の心を持った特別な鬼。

 長年の研究によって、人の生き血を必要としなくなった、誰よりも優しい医者の方に診て頂くまでは・・・」

 

「鬼」という単語が出た瞬間、宇髄の手は二振りの日輪刀へと伸びる。

と同時に発せられる殺気を、柳に風と流しながら、奥方の話は最後まで続いたのだった。




瑠火さんが剣士としての力に目覚めたら、槇寿郎は、全てにおいて頭が上がらないでしょうね。

という妄想でした(^^)


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柱合会議 弐

第93話
Side: 悲鳴嶼


じゃりんーーー

 

沈黙を破ったのは、二振りの分厚い大刀(だいとう)を繋ぐ鎖の音だった。

 

「・・・俺にはアナタが人間にしか見えない。

 だが、もし悪鬼と化したその時はーーー」

 

「私が斬る」

 

静かな、しかし反論を許さぬ声が、瑠火(るか)殿の傍らに立つ槇寿郎(しんじゅろう)さんから発せられた。

 

補佐官などという役目。

(はしら)に匹敵する戦力が、ただ夫婦だからという安易な理由で与えられたものでないことを、宇髄(うずい)天元(てんげん)はこの瞬間に認めた。

 

槇寿郎さんの燃えたぎるような視線に、(ようよ)う認めざるを得なかったのかもしれない。

 

「お二人とも、そんなにご心配なさらずに。

 あなたも、珠世(たまよ)さんの腕はよくご存知でしょう?

 あの方ならばいずれ、鬼を人に戻す薬も作って下さると、私は信じております」

 

瑠火殿が、珠世という者を心の底から信頼している事が伝わってくる。

 

もしも沙代(さよ)から話を聞いていなければ、もしも猗窩座(あかざ)殿と出会っていなければ、私は問答無用で珠世殿を斬っていただろう。

 

話を聞いていてさえ、鬼を人に戻す薬などハッキリ言えば御伽話。

何百年と鬼を研究しているという話が事実だとして、果たして本当に可能なのだろうか・・・

 

武器を背に仕舞いながら、宇髄の目が槇寿郎さんへと向けられる。

 

「煉獄さんよ、その覚悟を決して違えるなよ」

 

「・・・ああ。

 ではいつもの部屋に移動し、

 お館様から託された話に移ろう」

 

槇寿郎さんが奥方の治療のために、柱としての任務も果たしながらどれだけ奔走したかーーー

柱とて人間。人間の心は、からくりではない。

最愛の者を斬らねばならぬ心の痛みは、想像するだに恐ろしい。

 

しかし、それでも。

弱き者に成り代わり、刀を振るうのが我ら鬼殺隊(きさつたい)なればーーー

その責務もまた、刀に帰する時が来るのだろう。

 

 

槇寿郎さんが先導するように歩き出し、各々がそれに続いて歩く。

 

「私はお茶とお茶菓子を用意してきますので、

 皆様はどうぞお話を進めておいてください」

 

そう言って瑠火殿が列を離れる。

 

目が見えないからこそ分かる。

今離れていった彼女の呼吸は、一年前よりも遥かに力強く洗練されていた。

 

あの実力では宇髄が柱と疑うのも無理もない。

 

 

とある一室の襖を開け、常日頃から話し合いの場として利用している部屋の中へと入っていく。

 

既に用意されていた座布団へと各々が座ると、槇寿郎さんはすぐに話題を切り出した。

 

「話というのは、次の柱候補についてだ。

 いずれ柱になり得る才能を持つ者でも良い。

 柱不在地域の被害報告に、お館様も心を痛めておられる。

 そこで確かな目を持つ皆の意見・情報を共有したい」

 

なるほどと、納得がいく話だった。

柱の補充は、鬼殺隊にとって急務。

人並外れた才を持ち、天運を味方に付けた者でなければ務まらぬのが、柱という名の重みだった。

 

すると早速、宇髄が語り始める。

 

「そう言えば、派手な呼吸の型を使う剣士を見たことがある。

 一年前、お館様に同行した最終選別(さいしゅうせんべつ)で生き残ったヤツだ」

 

宇髄の話には心当たりがあった。

 

「もしや、獪岳(かいがく)のことでは?」

 

そう聞くと、宇髄は記憶を辿りながらといった様子で頷いた。

 

「あー、たしかそんな名前だったか。

 碧眼(へきがん)で派手な(かみなり)呼吸(こきゅう)を使う小僧だ。

 アイツはなかなか見込みがありそうだった」

 

「獪岳・・・ああ、あの世代か。

 何人かはいずれ(きのえ)に至ると言われているらしいな。

 息子の杏寿郎(きょうじゅろう)から聞かれたこともある」

 

「あの世代と言えば、冨岡(とみおか)錆兎(さびと)という者たちも優れていると聞いた」

 

「錆兎?

 ・・・誰だそりゃ」

 

その問いに誰も答えられないでいると、襖が開いて、瑠火殿がお茶を持ってやってきた。

 

「皆さんご存知の方ですよ。

 ほら、たしか隻腕(せきわん)(かくし)になられた」

 

その言葉に、一同が揃って頷いた。

「ああ、アイツか」と。

 

隠の中にあって、規格外の技量と呼吸の技術を持つ男がいる。

と言うのは、もはや鬼殺隊内では公然の話だった。

 

隠でありながら日輪刀(にちりんとう)の帯刀を許され、鬼との戦闘補佐までこなす者。

 

力強い(みず)呼吸(こきゅう)の型は、並の剣士よりよほど頼もしい。

 

「アイツが隠とか、あり得ねえだろ」

 

宇髄の言葉に、一同は苦笑を禁じ得なかった。

 

瑠火殿が配られたお茶を口に含み、束の間の休息を楽しむ。

『・・・良き味だ』

 

トン、と湯呑を茶托(ちゃたく)に置く。

 

「彼についてはお館様(やかたさま)がお認めになった事だ。

 きっと何か意味があるのだろう」

 

そう結論すれば、それ以上は誰も何も言わなかった。

 

お館様の並外れた直感力は、鬼殺隊の柱ならば皆が知るところだった。

そのお館様が決めたことならば、いずれ必ず意味が分かる日が来る。

 

「そう言えば、悲鳴嶼(ひめじま)さんが仰られた冨岡さんとは、私たちも任務でご一緒したことがありますよ。

 鱗滝(うろこだき)さまのお弟子さんで、流れるような美しい剣技をお待ちでした」

 

「あの無口な男か・・・あれは伸びるだろう。

 鱗滝さんも、良い弟子をもったものだ。

 言葉が足らないところは直した方がいいと思うが」

 

「そういうところも、あなたに似ておりましたね」

 

「・・・・・・」

 

槇寿郎さんの顔が赤く染まっていく。

 

前を見れず、下を向いてプルプルと両肩を震わせる。

口に含んだお茶を吹き出さなかった自分を、今だけは褒め讃えたかった。




杏寿郎
「なんと!?
 慶吾殿の弟弟子が鬼殺隊に!?
 よもやよもやだ。
 俺も早く一人前の剣士と認められたい!」


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柱合会議 参

第94話
Side: 槇寿郎


瑠火(るか)

元々、悪に対しては負けん気の強い性格だったが、ここまであけすけに話す人柄だっただろうか。

 

そんな詮無い事を考えながら周りを見れば、俯きながら肩を震わせている(はしら)が二名。

さりとてこの身に語ることもなし。

 

所在なく、手元の湯呑を空にしたところで、ホッとひと息を入れて落ち着いた。

 

そしてふと、場の空気が軽くなっていることに気付く。

 

鬼殺隊(きさつたい)の柱になるような暴れん坊が、お館様(やかたさま)ご不在のこの場で、簡単に大人しくする筈がないのだ。

過去には初対面のお館様に噛み付く者もいたと聞く。

瑠火は、その足りない部分を補ってくれていた。

 

『敵わないな』と苦笑が漏れる。

 

本人をチラと振り返れば、ニコリと笑顔で返してくる。

 

・・・やり方はともかく。

 

ならば私も、私の責務を果たそう。

 

「私も一人、気になる若者がいる」

 

そう語ると、笑いを堪えていた二人も空気を変え、話を聞く体勢を取る。

 

「一、二年ほど前、蛇のような鬼を斬った。

 その際に危ういところを助けた若者が、今は剣士を目指している。

 気になって様子を見に行ったが、独特の視点から相手の死角を攻める技術を持っていた。

 まだ危ういところもあるが、あの腕なら今年中には剣士になるだろう」

 

口下手な私の言を補うように、妻が言葉を繋いでくれる。

 

「たしか、伊黒(いぐろ)さんと仰いましたね。

 白い蛇の相棒、鏑丸(かぶらまる)くんといつも一緒の。

 最初は驚きましたが、慣れれば可愛らしいですよね。

 とても夜目(よめ)がきく方で、闇夜に隠れていたあなたにも気付かれたのをよく覚えています」

 

煉獄家(れんごくけ)の者がいかに目立つ髪色をしているからと言って、照らすものがなければ見える筈もなし。

 

忍の末裔が、その特殊な能力に興味を示した。

 

「へえ・・・なかなかやるな。

 参考までに聞きたいんだが、悲鳴嶼(ひめじま)さんなら同じことができるのか?」

 

「ふむ・・・私なら、音を立てる。

 その反響から位置を特定する・・・」

 

「マジかよ!?

 地味にやべえことやってんな!」

 

宇髄(うずい)の意見には同意するが、今言うべきことではない。

 

逸れそうになる話題を、悲鳴嶼は冷静に戻す。

 

「・・・槇寿郎(しんじゅろう)殿。

 その伊黒と申す者、聞けばまだ剣士ですらない様子。

 柱まで上がって来ると感じたのは、なにゆえでしょうか?」

 

「・・・目、だな。

 彼の目はきっと、この世界を憎んでいる。

 五十やそこらの鬼など、簡単に斬り捨ててしまうだろう」

 

『或いは、自分すらも・・・』

 

「・・・ならば、(きのえ)までは早いでしょう。

 夜に強い者は、生き残り易い」

 

「ああ、その通りだ・・・」

 

隣で茶のお代わりを注いでくれている瑠火から湯呑みを受け取り、ひと口飲む。

 

『護るものなき者は、必ず戦いの果てに倒れる・・・

 伊黒、お前の行く末が、そうならなければ良いが・・・』

 

湯呑みの中に浮かぶ自分の顔に、自暴自棄になっていた頃を思い出し、ゆっくりと被りを振る。

 

「伊黒さんは、きっと大丈夫ですよ」

 

その声に振り向くと、静かに微笑む瑠火の顔があった。

 

「・・・なぜ、そう思う?」

 

「勘です」

 

「ふっ、そうか・・・

 それなら、大丈夫だろう」

 

戦いにおいて時折、予知染みた動きを見せる瑠火の言う事なら、本当にそうなのかもしれない。

 

「私の思い当たる人物は、それぐらいだ。

 他に・・・悲鳴嶼、お前はどうだ?」

 

話を振ると、彼は一瞬言うべきか迷う素振りを見せたが、やがて重い口を開いた。

 

胡蝶(こちょう)ーーー

 という名の姉妹がおります」




この章はひたすら鬼殺隊側の話が進みます。
戦いはまだまだ先になりますm(_ _)m


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柱合会議 肆

第95話
Side: 悲鳴嶼


「姉のカナエは上背の高さとしなやかさを認められ、(みず)呼吸(こきゅう)の型に嵌らず、(はな)呼吸(こきゅう)を継ぐに至った。おそらく数年後には、花柱(はなばしら)として認められる域に立つだろう。

 妹のしのぶは小柄でやや力に欠けるが、非常に頭が良く薬学にも精通している。処方された薬は数知れず。既に皆も知っての通り、隊内の医療行為の改善は、彼女の功績に寄るところが大きい」

 

落ち着いて淡々と話す声の中に、ほんの僅かの誇らしさと寂しさを滲ませながら、私はあの二人の活躍を思い返していた。

 

人の世は、決して正しいばかりではない。

時には間違ったことが(まか)り通る場合もある。

 

(おに)と戦う者ならば、尚更、受け止めなければならない。

怒り、憎しみ、恨み、嫉み、悲しみ、苦しみ、暴力・・・

人間の持つ負の感情をーーー

 

しかしそれでも、あの二人は風雪に耐え、笑い飛ばしていた。

 

私の心配など、どこ吹く風と・・・

 

「俺は会ったことがないな。

 医療は地味だが、派手に大事だ。

 隊内に詳しい者がいるといないのでは、隊士の士気も大きく変わる。

 そのしのぶというのは、薬師(くすし)なのか?」

 

「・・・・・・」

 

薬師。

宇髄(うずい)の言に、そういう未来もあり得たかもしれぬ。

と、思いを馳せていたところ、瑠火(るか)殿が説明してくれた。

 

「しのぶちゃんは、立派な剣士ですよ。

 その上、薬師の仕事もこなす、立派な方です。

 あんな明るくて聡明な娘なら、私も欲しかったと思うくらい。

 ねえ、あなた」

 

「ぐ、ごほっ、ごほっ!

 ・・・うむ。

 あの年齢で、よくできた姉妹だと感心するな」

 

滅多に人を褒めない槇寿郎(しんじゅろう)殿までが、二人を認めている。

 

『・・・ありがたい話だ。

 煉獄(れんごく)ご夫妻が褒めていたと、後で伝えておこう』

 

夫妻のやり取りに、宇髄は手をひらひらと振りながら、槇寿郎殿の話を促した。

 

「・・・派手に嫁に会いたくなってきた。

 槇寿郎さんよ、お館様(やかたさま)の議題はそれだけか?」

 

「そうだな。以上だ。ここから先は自由討議とする。

 皆、気になる事があれば忌憚(きたん)なく話して欲しい」

 

槇寿郎殿の言葉にいち早く反応したのは、またもや宇髄だった。

 

「気になると言えば、地味に気になる鬼がいる。

 身体中に(つづみ)を埋め込んだ鬼で、名を響凱(きょうがい)と言う。

 十二鬼月(じゅうにきづき)の末席といっていたから、おそらく当時は下弦(かげん)(ろく)だったんだろうが・・・

 俺様ともあろう者が、仕留めることが出来なかったヤツだ」

 

宇髄から語られた十二鬼月の情報に、皆が息を飲む。

 

皆、知っているのだ。

下弦の陸ごときに梃子摺るような者は、この場にはいないと。

 

忍の末裔、宇髄(うずい)天元(てんげん)

並外れた観察眼と冷徹な実行力、加えて忍としての経験が、彼を歴代の柱でも上位の強さに押し上げていた。

 

「・・・強いのか?」

 

その宇髄が気になると言うのであれば、傾聴して然るべきだろう。

 

「正直、攻撃の腕は大したことねえ。

 おそらく戦慣れしてないんだろう。

 だが派手に厄介な血鬼術(けっきじゅつ)を使う」

 

「血鬼術か・・・」

 

千変万化の血鬼術。

初見殺し、状態異常、空間操作など優れた血鬼術にも様々あるが、脅威度は鬼自身の熟練度に大きく左右される。

故に、その鬼が脅威となる前に、迅速に倒さなければならない。

 

「言葉にするのが難しいんだが・・・

 (ばち)で鼓を打たれると、地面の向きが派手に変わる。

 横向きに飛ばされるのは、まだいい。

 最悪なのは、空に落とされる」

 

「「!?」」

 

さすがに十二鬼月と言うべきか、並大抵の血鬼術ではないようだ。

 

だが、それだけならばーーー

宇髄ほどの男なら、どうにかしそうなものだが・・・

 

「と言っても、永遠に続くわけじゃねえ。

 一定距離を飛ばされると元に戻るから、範囲は決まってるんだろう。

 もっとも、元に戻った時が一番危険だな。

 並みの隊士なら、受け身を取れずに落ちてお終い。

 上手く対処できたとして、ヤツは離れた相手を空間ごと斬り裂く血鬼術も使う」

 

「む・・・」

 

ここで響凱という鬼の異常性が浮かび上がった。

 

通常、血鬼術の持つ性質は一つに限られる。

その性質が強力になることはあっても、二つの要素を兼ね備える例は極めて稀と言える。

 

それこそ、何百年と生き続ける、上弦の鬼でもない限り。

 

「・・・それは厄介だな。

 鼓を使う鬼を見かけたら戦わずに退き、柱に伝達するよう御触れをだしておこう」

 

単体で重力操作に加え、遠隔攻撃をも操る鬼。

少なくとも(きのえ)以上の実力がなければ、対処は厳しいだろう。

 

鬼の情報を速やかに伝達することも、(かくし)の役目の一つ。

会議が終わり次第、話を通しておこう。

そう思ったところで、宇髄の顔が妙に真剣味を帯びたものになった。

 

「・・・そこなんだが・・・

 どう言うわけか、ヤツは好んで人を襲うようには見えなかった。

 寧ろ、慣れない血鬼術を試しているような節さえ感じられた。

 地味に逃げるだけなら、わざわざ追いかけては来ないだろう」

 

その言葉に、宇髄以外の者はピクリと反応を示す。

何とも言えない空気の中、静々と口を開いたのは瑠火殿だった。

 

「・・・それは不思議ですね。

 本当に十二鬼月なら、鬼舞辻(きぶつじ)の血も濃いはず・・・

 その鬼は、血を臭いを漂わせていましたか?」

 

その質問に、宇髄は顎に手を当てて考えながら返す。

 

「いや、断食でもしてんのかってくらい、地味に臭いはしなかったな。

 しかもそれで空腹を訴える様子もない。

 十二鬼月ともなれば擬態が上手くなるのかと、派手に疑ったくらいだ」

 

頭を傾げる宇髄を除いた三人の視線が交差する。

 

『よもや、猗窩座(あかざ)のような鬼が・・・?』

 

『猗窩座・・・』

 

狛治(はくじ)さんと関わりがあるのでは?』

 

それきり無言になってしまった三人から、何かを察した宇髄。

 

「オイオイオイオイ!

 三人とも地味に黙って、何か知ってるのか?

 それなら、俺にも教えて欲しいもんだな。

 第一ここは、情報共有の場じゃなかったのか?」

 

その言葉に、三人ともがサッと視線を交わす。

そして二人から視線を向けられた槇寿郎殿が、ややあって口を開いた。

 

「今から話すことは、例外中の例外。

 お館様も、無闇に広めることは認めておられない。

 柱以外には他言無用となるが、それでも構わないか?」

 

その言葉に宇髄は「ハッ!」と獰猛な笑みを浮かべた。

 

「上等だぜ」

 

この僅か五分後、彼は頭を抱えることになるのだった。




以下、修正してますm(_ _)m [2023.3.31]

蝶屋敷が出てくるのは、花柱として認められてからとなります。

また煉獄夫妻の計らいで、しのぶの作る薬が隊内に出回るようになりました。
二人にその重要性を知らしめた、珠世さんの功績と言っても過言ではないかもしれません。


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柱合会議 伍

第96話
Side: 瑠火


とくとくとくとくーーー

 

熱いお湯を急須へと注いでいく。

 

それを興味深そうに隣から覗き込んでいるのは、誰あろう鬼殺隊(きさつたい)当主(とうしゅ)耀哉(かがや)様。

小さい頃から存じ上げているとは言え、この距離感で接するのはいつ以来でしょうか。

 

お湯を入れて三十秒ほど待った後、俗に言う『(まわ)()ぎ』のやり方で、湯呑へと(ほう)(ちゃ)を注ぎ分けていく。

 

「なるほど、そうやって温度や濃さを均一にするんだね・・・」

 

まるで子供のように楽しそうに、微笑みながら話すお姿を久し振りに見たかもしれない。

傍にはあまねさんも控えているものの、手を貸す様子はない。

 

ふらりと唐突に現れて、気付けば今の位置にいらっしゃる。

 

こちらまで様子を見に出歩いて来られたのでしょう。

見たところ、本当に体調も良さそうなご様子。

 

焙じた茶の匂いが、ふわっと香る。

 

「ああ、良い香りだね」

 

「耀哉様も飲まれますか?」

 

「そうだね。

 せっかくだから、皆と一緒に頂こうか」

 

「分かりました。

 では参りましょう」

 

ひとつ、湯呑みが増えたお盆を持ちながら、(はしら)の皆が待っている部屋へと、ゆっくりと歩みを進めていく。

 

「少し気になってね。

 会議の方は、順調かな?」

 

「はい、実は・・・」

 

あまねさんの肩を借りながら、ゆっくりと歩まれる耀哉様と一緒に。

 

 

 

「「「お館様(やかたさま)!!??」」」

 

襖を開けた瞬間の皆の連携は、それは見事なものでした。

 

忽然と机が消えて道が開かれ、専用の座布団が敷かれ、あまねさんとお館様を気遣える位置へと各々が瞬時に動く。

各々の道で、呼吸の高みに到達された方々の動きは、夫をよく知る私から見ても感心してしまうほどに洗練されていました。

 

「そんなに気を遣わないで欲しい」と。

苦笑しながらも、お館様が席に着かれた瞬間、消えていた筈の机が元通りに現れました。

 

机から最も近い位置にいたのは、宇髄(うずい)さん。

 

今のは何?

ひょっとして忍術・・・?

 

いえ、これ以上は考えても無駄ですね。

 

ともあれ、ご健康なお館様のお姿を拝見できて、喜ばない柱はいないでしょう。

実の親のように愛し、尊敬してやまないお方なのですから。

 

「・・・瑠火(るか)から聞かせて貰ったよ。

 上弦(じょうげん)(さん)猗窩座(あかざ)という鬼についてだね」

 

皆の席に湯呑みが置かれたのと同時に、お館様が宇髄さんの方を向いて切り出された。

 

「畏れながら、その鬼が何者なのか、ご説明頂きたく存じます」

 

一歩も引かぬ姿勢で宇髄さんは前を向いている。

 

『悪鬼滅殺』

 

鬼は悪。

鬼が人を喰う限り。

それは、決して相容れない境界線。

 

「そうだね。

 彼の話をする前に、鬼舞辻(きぶつじ)の呪いと。

 その呪いを自力で解いた(ひと)の話をしよう」

 

そのお言葉に、お館様のご配慮に感謝する。

 

宇髄さんは誰よりも冷静で、計算高い人。

続きを聞く姿勢を崩さず、お館様をじっと見つめていた。

 

「鬼舞辻は、配下にした鬼をいつでも殺すことができる。

 だから全ての鬼は、決して彼に逆らえないんだ」

 

「!?」

 

お館様はゆっくりと、一部の者しか知り得ない事実を語られ始めた。

 

「例えば、十二鬼月(じゅうにきづき)には、

 鬼殺隊の柱は見つけ次第殺せ。

 鬼殺隊の本拠地を、産屋敷(うぶやしき)を探し出せ。

 ・・・青い彼岸花を探し出せ」

 

「産屋敷」と、ご自身で仰った瞬間、空気が震えたーーー。

 

お館様は時折、意地悪な物言いをなさる。

私は柱ではありませんが、皆の気持ちが一つになったのは間違いないでしょう。

 

圧力が増した部屋の中で、お館様が、そっと伸ばした人差し指を口に当てる。

と、皆が殺気を抑えて聞く姿勢を取った。

 

「そういった指示を出しているんだと思う。

 配下の鬼がどこにいて何をしているか、何を考えているかも、探ろうと思えば分かるそうだ」

 

一方的な生殺与奪の権利。

宇髄さんでさえ、その事実に息を呑んだ。

 

「つまり全ての鬼には自由などないと言える。

 ・・・その呪いを解かない限り」

 

場に沈黙が流れる。

人を喰らう鬼に同情の余地はない。

ないけれど、哀れな生き物とも思ってしまう。

 

雰囲気を切り替えるように、お館様はここでお茶をひと口飲み、ホッと息を吐かれた。

 

「ああ、美味しいね」と、珍しい笑顔でお館様が呟いた瞬間。

周囲から嫉妬の視線が私に向けられる。

 

そんなに思うくらいなら、今度柱の皆様にもお茶の淹れ方を教えてあげようかしら。

 

笑顔のまま、お館様が視線を私の方へ向けられた。

 

「そして・・・瑠火。

 彼女が今も元気でいることが、鬼舞辻と決別し、呪いを解いた(ひと)がいることの証明なんだよ」

 

「それはどういう・・・

 ・・・まさか鬼に!?」

 

流石に理解が早い。

立ち上がりそうになる宇髄さんを、夫が制する。

 

「宇髄、お館様の御前だ」

 

「・・・・・・失礼、仕りました」

 

天元(てんげん)。瑠火は間違いなく人間だよ。

 鬼の中にも、鬼舞辻を憎む者がいる。

 その人のことは、私も容認している。

 そしてできることなら、天元にも納得して欲しい」

 

ギリーーー

歯を食いしばる音が聞こえるほどに、宇髄さんは頭を下げて談判した。

 

「・・・畏れながら、ご説明次第としか申せません」

 

ここでお館様は、私の方を向いて涼やかに微笑んだ。

 

「瑠火」

 

「はい」

 

名を呼ばれ、正座のまま、すっと背筋を伸ばす。

 

「思い出すのもツラいかもしれないけれどーーー

 死病に蝕まれていたその身に何があったのか、もう一度話してくれるかい?」

 

畳に両手を付いて、上半身を前屈みに倒し、頭を下げる。

丁寧な所作で最敬礼のお辞儀を行う。

 

「承知致しました」

 

顔を上げる際、チラと槇寿郎(しんじゅろう)さんの方に目線を送る。

『この人も変わった・・・

 あの日から、お酒に呑まれることもなくなった』

 

軽くなった心のままに、お館様にも笑顔で告げる。

 

「ですが、悪いことばかりでもありませんでした。

 ・・・夫も優しくなりましたし」

 

付け加えた言葉に、場が和やかになったのを見て、私は詳しい経緯を話し始めたのだった。




お館様の雰囲気を言葉で伝えるのが、本当に難しい・・・


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柱合会議 陸

第97話
Side: ???、悲鳴嶼


破壊殺(はかいさつ)乱式(らんしき)!!」

 

一見隙間なく放たれる猗窩座(あかざ)の拳撃を、無傷でやり過ごす人間がいた。

 

「ハハハハハハ!!

 炭十郎(たんじゅうろう)!お前には何が見えている!!

 その眼、その力が至高の領域なのか!?」

 

全ての攻撃がいなされたにも関わらず、心底楽しそうに、まるで望んだ時が訪れた子供のように、邪気たっぷりに猗窩座は笑う。

 

笑いながらも、次々に繰り出される技の冴えは変わらない。

 

術式展開(じゅつしきてんかい)ーーー

 破壊殺・羅針(らしん)!!」

 

雪の結晶が舞うと共に、猗窩座の感知能力が拡がり。

 

「破壊殺・空式(くうしき)!!」

 

空中から拳撃の波動が連続で放たれ。

 

砕式(さいしき)万葉閃柳(まんようせんやなぎ)!!」

 

その拳は大地を割り。

 

脚式(きゃくしき)流閃群光(りゅうせんぐんこう)!!」

 

虚空への連続蹴りから攻撃が飛び。

 

「破壊殺・鬼芯八重芯(きしんやえしん)!!」

 

両拳から放たれる計八発の拳撃が広範囲を吹き飛ばす。

 

炭十郎と呼ばれた男は、その一つ一つが必殺の一撃を、まるで未来が見えているかのようにいなし、最小限の動きで避け切っていく。

 

数百年の鍛錬が、研鑽が全て通用しない。

絶望的な現実を目の当たりにしながら、猗窩座は笑みを深めていく。

 

「ハハハハハハ!!

 素晴らしい!素晴らしいぞ!!

 もっと全力を出せ、炭十郎!!」

 

両腕をだらりと交差させ、両脚を踏み締める姿勢からーーー

 

終式(ついしき)青銀乱残光(あおぎんらんざんこう)!!!」

 

同時に百発もの乱れ打ちが放たれる。

避けることなど不可能な、嵐の雨粒のような拳撃。

 

「約束を果たすまでーーー」

 

彼は視る。

ただそこに、そこしかないという場所へ、するりと身を滑り込ませた。

 

猗窩座の腕が斬り飛ばされる。

 

その男は人間の身でありながら、全くの無傷。

それどころか、猗窩座の首に美しいまでの一太刀(ひとたち)を入れていた。

 

「見事だ・・・」

 

まさに首の皮一枚。

死と隣り合わせの状況でありながら、仰向けに倒れこんだ猗窩座の表情は晴れやかだった。

 

「・・・いい気分だ。

 炭十郎、このまま首を斬れ」

 

「嫌だ」

 

「斬れ」

 

「嫌だ」

 

「・・・何故だ?

 鬼狩り共へ報告すれば、ゆうに家族が一生暮らせるだけの褒賞を貰えるぞ?」

 

「・・・身に過ぎたお金は毒にもなる。

 それに貴方が死ねば、炭治郎が悲しむ」

 

「・・・クッ、ハハハ!!!

 そうか、炭治郎が悲しむか!!

 アハハハハハハハハ!!!」

 

悠久の時を生きる鬼は、何か憑き物が落ちたような表情で、いつまでも笑い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・あの猗窩座を倒した人間がいるらしい」

 

その言葉を発するまでの葛藤、疑念、柱としての責任。

それら全てを考慮しても、お館様がいらっしゃる今、伝えておくべきだと思った。

 

その結果は劇的だった。

 

「・・・は?」

 

「真ですか?」

 

「馬鹿な!?」

 

騒がしくなった場を収めたのは、やはりお館様(やかたさま)だった。

 

「それが事実なら、とても興味深い話だね。

 しかし、彼の鬼はまだ生きている・・・

 行冥(ぎょうめい)、その情報は誰から聞いたんだい?」

 

「猗窩座自身からです」

 

「「「!?」」」

 

「そうか。それならきっと、事実なんだろうね」

 

「「!?」」

 

おとがいに手を当て、思考を千里の外に巡らせていたお館様が口を開く。

 

「・・・そのような御仁がいるなら、私が直接会おうと思う。

 皆も、その方とは絶対に争わないようにね」

 

「「「!!???」」」

 

こうして、ただでさえ人外魔境を支える多忙な隠達へ、この広い国から猗窩座を倒した人間を探す任務が新たに加わったのだった。




仕事が変わって電車に乗る機会がなくなり、ちょっとした隙間時間が全滅しておりました。

やっと鬼滅のアニメが観れたので、モチベを回復しつつ。


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