魔術師という職業 (雨本咲)
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序文 オリヴィエ=コニアテスという少女

ちょっとずつ加筆があったり。


 1991年、7月29日。

 その日は夏の割には涼しく、通勤時間帯のロンドンは晩冬を思わせる冷え込みに襲われていた。

 七月も終わりに近づいているのに冬物のコートを引っ張り出してきた大人達が大通りを歩くロンドンの街並みの、その中のたった一つ。

 英国(イギリス)清教第零聖堂区必要悪の教会(ネセサリウス)の女子寮内では、ある少女が窓際に座って機嫌よく歌っていた。

 紫紺の瞳と濡烏色の髪。服装は寝起きであろうと察せられる寝間着。小さな顔にやや不釣り合いな銀縁の眼鏡は若干歪んでいて、年季を感じさせる。

 その少女の名は「オリヴィエ=コニアテス」といった。

 オリヴィエはイギリス清教の異端審問官(インクジショナー)にして、イギリス清教第零聖堂区必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師であり、イギリス清教最大の切り札でもある。

 オリヴィエは齢11にして、一人前として認められた一人の魔術師としてイギリス清教に所属している。

 必要悪の教会(ネセサリウス)の戦闘要員が完全実力主義だというのは魔術師間では周知の事実だ。故に実力を計る為の魔術的なトラップがロンドン中に張り巡らされていて、中には死者が続出する様な苛烈な物も生まれてしまう。たった11歳のオリヴィエが一人前の魔術師として所属していると聞いた者は口を揃えて驚愕の言葉を発する。

 完全実力主義の必要悪の教会(ネセサリウス)が、そんな11歳の少女を雇っているなんて、と。その少女は天才に違いない、と。

 後に14歳でルーン魔術を極める者なども所属する事になるのだが、実際の所、オリヴィエは天才と呼ぶに相応しい実力を持っていた。

 だが、オリヴィエはそれだけの魔術師ではない。

 この世の如何なる魔術師も持ち得ない特性を、オリヴィエは持っていた。

 

 オリヴィエの特性。それは、使える魔術のレベルの高さにある。魔術を修める者ならば誰もが知っているであろう、禁書目録(インデックス)と呼ばれる、目を通せば廃人コース間違いなしの邪本悪書の坩堝。一部とはいえ、オリヴィエはその知識を持っている。

 大英博物館、ルーブル美術館、バチカン図書館、モン=サン=ミッシェル修道院。

 世界中に散らばって封印された魔導書の原典を読んで、記憶し、保存する。ただの人間には予想もつかないことだが、魔導書の原典を記憶するということは人間をやめるという事と同義だ。

 純度の落ちた劣化版の写本ですら、目を縫い精神を守っても洗礼を受け続けなければならない程苛烈な猛毒だ。原典ともなれば、そこに秘められた脳を侵す毒の威力は計り知れない。その上、魔導書の原典は魔法陣効果によって永遠に生き続ける。写本と違って処分できない。

 だから教会は、猛毒を殺す為に更なる猛毒(オリヴィエ)を生み出した。

 猛毒すら殺す更なる猛毒。それこそが、オリヴィエ=コニアテスという少女に課せられた呪いだったのだ。

 オリヴィエが記憶するのは、禁書目録(インデックス)に登録された危険な魔導書のほんの一部、だ。だが、されど一部。

 それは、たった一冊でも目を通せば廃人コースは免れない禁忌の書だ。そこに記された魔術は、並大抵のものではない。

 時間操作、治癒魔術、死者蘇生、錬金術、精神操作。

 並の魔術師では手を伸ばしても届かないような、物理法則を軽く飛び越えてしまう魔術の数々。

 オリヴィエの脳内に保管されている魔導書の冊数はほんの数十冊程に過ぎない。禁書目録(インデックス)に登録された10万3000冊などという数字には遠く及ばない。

 だが、オリヴィエを決して見くびってはならない。オリヴィエという少女には『魔術師である』というアドバンテージが存在するのだ。魔術を使えないのならば脅威はなかった。だがオリヴィエは、魔導書の記憶者である以前に一人の魔術師であった。

 オリヴィエは数十冊の魔道書で得た魔神級の魔術を、ありとあらゆる魔術と混ぜて更なる高みへと昇華した。

 オリヴィエがその小さな両手いっぱいに抱えた、世界の法則を捻じ曲げるという強力な力。世界中から恐怖を集めずには居られないその強大すぎる力の代償に表通りを大手を振って歩けなくなったが、オリヴィエはそれでよかった。更なる高みの魔術を行使する力を手に入れたオリヴィエを、戒めるものは何もなかった。何故ならオリヴィエは、誰よりも探究心にあふれた魔術師だったからだ。

 

 誰が呼んだか魔導書図書館。

 オリヴィエが覚えた数十冊と、それらを組み合わせてオリヴィエが生み出した更なる高みの魔術。

 それは凡庸な魔術師には評価すら出来ず、黙って見上げる他にできることがなかった。

 オリヴィエの魔術は生死の理念を覆し、時空の制限を覆し、質量の保存を覆し、思念の概念を覆した。

 まるで奇跡を見ているかの様だった。オリヴィエの魔術を目にした多くの魔術師は口を揃えて言った。「天才だ」と。

 

 だがオリヴィエに言わせればそれは正しくない。

 魔術師に天才などいない。魔術師という存在自体が、人種そのものが、才能というものを悉く持ち合わせなかった負け組の成れの果てだからだ。

 才能を持たずに生まれた。何もないのに何かを得てしまった。それを失った。失うという事を防げなかった。防げなかった自分の無力を知った。力を求めた。

 力を求めたその先で、才能を持たなかった人間は魔術師になる。

 そしてオリヴィエもまた、負け組の一人だった。

 オリヴィエは才能など持たずに生まれた。手は薄汚れていて、服は泥まみれだった。その薄汚れた手を取って導いてくれたのが聖人でも人間でもなく魔術師だった。ただそれだけのことだった。

 

 才能を持たなかった少女は手を伸ばした先で、自由を代償に力を手に入れた。

 力を求め続ける少女の物語は、たった一通の手紙で一変する。




 いかがでしたでしょうか。
 いやーしょっぱなから厨二感えぐいですね! これだから厨二病は!
 インデックス並の魔術師を作りたいと思った結果、若干過剰にキャラ付けし過ぎたかもしれないです! 多分大丈夫だと思いたいですね!
 では、序文はこの辺りで目を離して頂いて、
 本編に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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賢者の石という奇跡
第1話 手紙と準備


最後のあたりをちまちまっと加筆しました。


 7月29日。

 今日は7月の割に、というかここ数カ月に比べて大分冷え込んでいた。北のほうでは大荒れの可能性もある、とテレビの天気予報は告げている。

 ロンドンの朝は非常に落ち着く。煉瓦造りの街並みには自動車のエンジン音とクラクションが響き、排気ガスと霧の様な雨のせいで窓の外は仄白い。そして早朝は殆どの場合は地面がほんのり濡れている。必要悪の教会(ネセサリウス)に所属する魔術師・オリヴィエ=コニアテスは、霧と排ガス立ち込めるロンドンの朝を大層気に入っていた。

(色んな国について知りたいところだ…日本(ジャパン)なんてどうだろう。サムライの朝を見てみたい)

 なんてことを考えつつ、11歳らしからぬオリヴィエは身支度を整える。

 着古したシャツにネクタイを締めて―――これまた11歳らしくない行動だが―――スカートを履き、トレードマークの黒いパーカーを羽織った。

 このパーカーはオリヴィエ特製の霊装だ。オリヴィエの独学で発明した布──神様殺し(ロンギヌス)の槍に貫かれた聖人を包み込んだ物を忠実にコピーした布地だ──を使用し、オリヴィエの技術で作ってみた産物だ。縫い方や布の織り方といった細かい要素それぞれに魔術的な意味があり、特に星の光を浴びると術式の効果が増強されるという特徴がある。これを着ている限り、特に夜はオリヴィエに傷一つつかない。オリヴィエが作った霊装の中でもトップクラスの出来の良さを誇る、謂わばオリヴィエの最高傑作と言えるものだ。

 最高傑作の出来に惚れ惚れしながら鼻歌を歌いつつ、やかんに水を張って湯を沸かす。

 ぶくぶくと泡のたつ音をBGMに窓の外を眺めると、窓の方に一羽のフクロウが止まっているのに気がついた。

 フクロウの大きな黒い双眸がオリヴィエを見つめていた。白色混じりの薄い茶色をした羽が一枚、ひらりと落ちる。

 フクロウの嘴には手紙のような紙切れのような、白い紙が咥えられていた。不思議に思って、オリヴィエはフクロウの咥えている手紙を手にとってみる。

 それは上質な紙だった。封筒の四つ角、それぞれに獅子、蛇、鷲、穴熊があしらわれている。

 宛名のところには「イギリス清教 第零聖堂区 必要悪の教会 オリヴィエ=コニアテス様」と書いてあり、送り主の所には「ホグワーツ魔法魔術学校」とエメラルド色の字で表記されている。

 ほぐわーつ?とオリヴィエが疑問に思いながらナイフで封を開けると、オリヴィエの表情は一変した。紫紺の双眸は見開かれ、小さな口が開いて塞がらない。数秒の逡巡の後、オリヴィエはすぐに上司に連絡する。同時にオリヴィエは魔術で瞬間移動し、手紙をまっすぐ聖ジョージ大聖堂へ持っていった。彼女自身ではおおよそ判断のつかないような内容が、手紙には書いてあったのだ。どうやらさっき沸かした湯を紅茶にして飲めるのはしばらく後になりそうだ。

 

最大主教(アークビショップ)様!」

 

 ダァン!という大音を鳴らし、オリヴィエは戸を蹴破るように開け放った。大きなステンドグラスには珍しくカーテンがしてある。一筋の明かりすら入ってこない程隙間がなかった聖堂の中は、一気に明るくなった。聖ジョージ大聖堂は必要悪の教会(ネセサリウス)の本拠地で、必要悪の教会(ネセサリウス)の長はここにいる事が多い。ここに居なければランベス宮に行くことになっただろうが、その心配は要らなかったようだ。

 聖堂の中には、一人の女性が座っていた。

 

「なぁに?」

 

 座っている女性が怪訝そうに答える。肌は白く、差し込んだ光を反射して光っている様に見えた。銀の髪留めでまとめた身長の数倍の長さにもなる金髪がさらりと揺れる。そのまま宝石屋に売りに出せそうな黄金の髪は、大きな戸から差し込む朝日を浴びてキラキラと輝いていた。柔らかい印象を与える青い目は、サファイアのように美しい。だがついさっきまで聖堂の中が真っ暗だったという事もあり、眩しそうに目を細めている。彼女の名はローラ=スチュアート。彼女こそが必要悪の教会(ネセサリウス)の魔術師を統べる者にして、イギリス清教の最大主教(アークビショップ)だ。

 

「私の寮にこのような手紙が」

 

 オリヴィエはローラに駆け足で近づき、手紙を差し出して渡した。手紙を受け取ったローラの表情はあからさまに面倒臭そうな様子だったが、手紙に目を通していくにつれて一気に険しく変化していく。

 

「ふぅむ……? これは……なるほど」

 

 ローラは、眉をひそめて手紙に目を通す。一介の魔術師に過ぎないオリヴィエならまだしも、ローラほどの人間がこの様な表情をするというのは、オリヴィエからはとても珍しい様に思えた。

 ローラは常に先を読んでいる。常に3手先を考え、会談ではありとあらゆる謀略を張り巡らす。才能で全部片付けるようで不本意だが、天性のトップ、と言ったところか。だから予想外のことは滅多にない。故に、ローラの反応はオリヴィエにとっても意外なものだった。

 全部読みきるとローラは天を仰ぎ、そしてふう、と息を吐いた。

 

「ホグワーツ魔法魔術学校、ね……ダンブルドアの狸、このようなことまでし始めるとは。……オリヴィエ。あなたに命じるわ」

 

 ローラはオリヴィエに目を合わせた。サファイアのような瞳がオリヴィエをじっと見ている。まさに真剣そのもののローラの表情はいつものようなおどけたような風ではなく、式典で見せる様な神妙な面持ちだった。

 ローラのかしこまった表情は、オリヴィエに真剣に聞く様に強制していた。普通の人間ならば迫力で逃げ出してもおかしくない程の気迫だ。オリヴィエはローラの気迫に押されながら、求められた通り真面目に返事をする。

 

「はい、ローラ様」

 

「このホグワーツ魔法魔術学校なる魔術結社(マジックキャバル)に潜入しなさい」

 

 急な指示にオリヴィエはう、と一瞬だけ言葉を詰まらせた。必要悪の教会(ネセサリウス)に魔術師として所属しているものの、オリヴィエは基本的に後方でのんびりこしている。世界の禁忌に近い魔導書を記憶する魔導書図書館は、外交的な意味合いでも外に出ることは好ましくないからだ。監視の不行き届きなんかで難癖を付けられると、面倒くさいどころの話ではない。だが、頭を振って迷いを振り払う。そしてオリヴィエは、

 

「……はい。了解致しました、ローラ様。謹んでお受けいたします」

 

 と、目を伏せて了承の意を示した。オリヴィエは昔の思い出に想いを馳せる。かつて、オリヴィエの掌が泥で薄汚れていたあの時。オリヴィエの手を優しく取って、泥水の底なし沼から引き上げてくれた恩を思い出す。ローラからの命令は一度だって背いてはいけないと、心に決めた事を思い出す。ならば従わなければ、筋が通らないというものだ。

 

「じゃあオリヴィエ。今からこれらのものを買いに行きなさい。案内人は付けてあげるから、あなた一人で」

 

「……は、はい」

 

 ───オリヴィエにとっては予想外の展開である。

 だが動揺は表情に出さず、声は決して震えたり裏返ったりしない様に、至って落ち着いて返事をする。

 オリヴィエの返事に気を良くしたローラは、オリヴィエに手紙の2枚目を手渡した。そこには、魔法の杖(火の魔術専門なのか?)やら教科書(魔道書の事だろうか?)やらと、必要な物が羅列されている。

 まあ、魔術結社(マジックキャバル)に潜入するときに文化の違いに留意するというのは常識だ。魔術の行使にはまず信仰心という防壁があるという前提がある。宗教が前提にあるということは宗教ごとの常識があるということで、潜入の時は異文化に触れることも多いからだ。そんな事をオリヴィエが考えていると、外で車のブレーキ音がした。

 オリヴィエが不思議に思って外の方へ向くと、深緑色の車が停まっていた。高級そうな一台の車だ。

 

「もう来たの。魔法省の石猿共もこういう時は仕事が早くなるのね。オリヴィエ、行きなさい」

 

「わかりました。ローラ様も是非お元気で」

 

 オリヴィエは回れ右して、聖ジョージ大聖堂の外へ歩き出す。日の指す外は、先刻よりも少々気温が高くなっていた。心なしか太陽の位置が少し高くなっている気もする。オリヴィエが深緑色の車に近づくと、運転席から出てきたスーツの男に握手を求められた。ローラが後ろから、今回の任務の協力者だという声を飛ばす。怪しいタクシーの類かと思っていたオリヴィエは急いで態度を改め、スーツの男と握手をした。

 スーツの男は丁寧な言葉遣いでオリヴィエに話しかけた。

 

「あなたがオリヴィエ=コニアテスさんでよろしいですね?魔法大臣じきじきの指示により、迎えに参りました。今からダイアゴン横丁へ向かいます」

 

 魔法大臣?だいあごん横丁?オリヴィエには理解のできない単語が続いたが、とりあえず黙って指示を聞くことにしたオリヴィエは後部座席に腰を下ろした。足をぶらぶらさせながら周りの街を見回す。まだ普通のロンドンの街並みだ。

 すぐに帰れるといいな、とオリヴィエは窓の外を眺めながら思った。

 

 発車してから10分ほどかかって、車が停止した。

 スーツの男に声をかけられ、オリヴィエは車から下車する。オリヴィエがスーツを着込んだ男に案内されて入ったのは、薄汚れた古いパブだった。

 オリヴィエが入ったパブは、普通に歩いていたら見つからないようなひっそりとした佇まいの店だった。「漏れ鍋、という有名な店です」とスーツの男は言っていた。買い物なのにパブ、というのは珍しい。酔拳でも使うのだろうか、とオリヴィエは思った。頭上にクエスチョンマークを浮かべながら店に入ってみると、とんがり帽子とローブを着たトンチキな格好の人々が屯していた。

 

「さあ、買い物に行きましょう」

 

 スーツの男が言った。火の象徴武器(シンボリックウェポン)の杖や魔道書が、こんな薄汚れた古いパブで買えるのだろうか?とオリヴィエは思った。

 スーツの男は、オリヴィエの手を引いて歩き出した。行き先はどうやら、店の裏側だ。男とオリヴィエが店の裏側へ行くと、男は突然、店の周りを囲っている煉瓦壁の煉瓦を叩きながら数を数え、杖で三回、コツコツコツと叩いた。

 その時、突然に変化が起こった。煉瓦壁がグネグネと変形し、アーチを形作ったのだ。

(……今、術者から魔力は感じなかった。という事は壁の方が霊装なのか?じゃあ杖の意味はなんだ?)

 オリヴィエは目の前で起こった現象を分析する。どうやらこれから潜入する魔術結社(マジックキャバル)は独自の魔術形態を築いているようだ。

 となればオリヴィエに仕事が回ってきたのもなんとなく理解ができる。大方、魔術結社(マジックキャバル)に潜入すると同時にこの魔術結社(マジックキャバル)の魔術形態について解析してこいという事なのだろう。有用性が認められれば既存の魔術に組み込む事も辞さない、オリヴィエにうってつけの仕事と言えるだろう。

 突然首を傾げたりなんだりと側から見れば奇行としか思えない行動をするオリヴィエを、スーツの男は変な物を見る様な目で見ていた。オリヴィエにしてみれば、スーツの男達の方が変である。確かに服装の工夫で魔術は増強できるが、それにしたってとんがり帽子とローブというのはトンチキすぎやしないだろうか、とオリヴィエは思った。

 

「まずは教科書です。そのあと鍋や秤、望遠鏡などを買い、最後に杖と制服を買います」

 

 スーツの男のその言葉を皮切りに、二人は動き出した。

 教科書と言う奴は魔導書とはまったく違うものだと言う事を、オリヴィエはすぐに知ることになった。教科書を買ったのは「フローリシュ・アンド・ブロッツ書店」だったが、そこには宗教防壁の「し」の字も知らないような明らかに無宗教の人もいたし、試しに本を手にとって読んでみても、魔導書特有の汚染が全く感じられなかったからだ。魔導書図書館とあだ名されるオリヴィエが言うのだから間違いない。

 書店に教科書として並んでいる本の中にはふざけた紀行文などもあり、一瞬ひねり千切ってやろうかと思った。

 オリヴィエはなんとなく、今回はいつもの潜入任務とは違うものがあるかもしれない、と感じていた。

 鍋を買ったり、薬問屋へ行ったりした時もその感覚はつきまとった。

 ダイアゴン横丁の人々ときたら、魔術に関してちっとも知らないのだ。

 鍋屋であった老人は術式の「じ」の字すら知らない様だった。

 薬問屋で材料を量り売りしていたおばさんは天使の力(テレズマ)なんて聞いたこともないと言う。

 洋装店で働く女性に魔法陣を書いて見せてと言っても「そんなもの知らないし必要ない」の一点張りだった。

 それどころか魔法名すら持たないと言うし、箒屋の前に張り付いていた少年はクィディッチがどうだ寮がどうだと語り始める始末だった。

 ダイアゴン横丁での買い物は、オリヴィエにとって全くもって不思議なことばかりだった。

 他にも色々ありつつも必要な備品はオリヴィエの腕の中で高く積み上がり、持ち物一覧につけてあるバツ印は全てについた。

 オリヴィエは自分の持っている物をうさんくさそうに見やった。オリヴィエの持っている杖は火の象徴武器(シンボリックウェポン)には使えそうにない代物だったし、変身術やら闇の魔術に対する防衛術やら魔法生物飼育学やら訳の分からない学問を大真面目に書いている本がうず高く積み上がっていたし、あからさまに学校の制服っぽいローブを仕立てられた。

 これから一体どうなるのだろうか、と、オリヴィエは溜息をついた。

 

「今日から一ヶ月間は、漏れ鍋に泊まってもらいます。入学式の日は9月1日です」

 

 と告げて、スーツの男はそそくさと帰って行ってしまった。協力者がそんなあっさり帰っていいのか。空はまだ青く、日は高い。今日はまだ長そうだ。スーツの男は、まだ仕事があるのだろうか。よもやもう家に帰ったなんてことはあるまい、とオリヴィエは思う。そんな事があれば、任務が終わり次第ローラに報告する事もオリヴィエは辞さないだろう。置いていかれたオリヴィエは、山の様に積み上がった荷物をもう一度眺め、不安を吐き出す様にため息をついた。

 

「入学式、って…私は学校に行くのか?」

 

 呆然と呟く。オリヴィエの隣に立っていたカラフルなローブの男性が「そうだとも」と断言した。言うまでもないが、オリヴィエの知らない人だ。

 

「君、ホグワーツの新入生だろ?いやあ、君達はついてるよ。なんせ今の校長は世界一偉大な魔法使いのアルバス・ダンブルドアだからね!君はもしかしてマグルの出身かい?ダンブルドアの元で学べるっていうのはすごい誉れ高いことで───」

 

 男性のナゾの解説をオリヴィエは聞き流す。魔術結社(マジックキャバル)に潜入するときは文化の違いがつきものと言っても、あまりに変化球すぎやしないか、とオリヴィエは苦い顔になる。

 この魔術結社(マジックキャバル)ではオリヴィエが居る元の集団とは全く違った文化体系を築いている可能性がある。というか、絶対そうだとオリヴィエは思う。だが、こういう時こそ適応に力を入れるべきだ。

 新しい文化に適応できれば、新しい宗教の伝説を知る事ができる。すると術式の幅が広がり、手数が増える。

 新しい魔術を生みださなければ魔術師とは言えない、というのは常識だが、オリヴィエは特にその意識が強い魔術師だ。既存の術式に新たな要素を足して新しく魔術を生み出す。要素が多いほど複雑な効果をもたらせると言うこともある。時に無節操だと言われるオリヴィエの貪欲さだが、この貪欲さは魔術師として重要なものだ。

 だからといって、今まで全く触れることのなかった完全なる異文化にすぐに適応できるほどオリヴィエも人として完成していない訳で。

 案の定、オリヴィエは漏れ鍋の中で完全に孤立していた。

 漏れ鍋に泊まれと言われても、お金なんて持っていない。オリヴィエとて一応手持ちは有るのだが、スーツの男が店で出していたお金を見るに、ダイアゴン横丁では全く違う通貨が使用されているらしい。繁盛していて騒がしい店の中の様子との対比で、いつにも増して虚しさを感じさせられた。

 オリヴィエが頭を抱えながらその辺に座り込むと、後ろから誰かに肩を叩かれた。びっくらこいたオリヴィエが立ち上がると、愛想の良さそうなおじさんが話しかけてきた。

 

「貴方がオリヴィエ=コニアテスさんかい?魔法省の人から話は聞いてるよ。さ、上に上がって」

 

 そのおじさんは歯が抜けていて、胡桃のような顔立ちをしていた。頭髪はやや寂しいので、結構な歳なのかもしれない。態度や先程のスーツの男とのやりとりを見るに、バーテンダーか何かじゃないかとオリヴィエは思った。

 バーテンはオリヴィエを連れて、洒落た階段を登った上の階に行った。奥に続く廊下の脇に無数の部屋がある。真鍮の板に部屋番号が1からナンバリングされていて、オリヴィエとバーテンは「5」と書かれた部屋の前で立ち止まった。

 

「これがお客さんの部屋。荷物はもう部屋に上げてあるよ。じゃ、ごゆっくりどうぞ」

 

 と告げて、バーテンは下へ降りていった。

 オリヴィエは、部屋を見渡した。ベッドが一つと、樫材(オーク)の家具に暖炉がある。そしてベッドの上には、今日買ったオリヴィエの荷物が無造作に置いてあった。それと、オリヴィエのスーツケースも。

(ローラ様……まあ、準備の宜しいことで)

 オリヴィエは静かに息を吐いた。ローラの準備の良さは身に染みてわかっているオリヴィエだが、矢張りこの手際の良さには毎度脱帽する。とりあえず荷物を開けようとして周囲を見回したオリヴィエがふと目に止めたのは、ー文字の書いてある紙切れだった。この紙切れだけは覚えがなかったので見てみるとそこには、見覚えのある自身の上司の筆跡でこう書いてあった。

 

親愛なる(Dear)オリヴィエへ

 潜入任務ご苦労様。とりあえず必要な備品は全部揃えられたみたいね。一段落付いたようだから、わたしからも伝言を伝える事にするわ。

 通信手段については通信用の術式を使うのがベストよ。日が落ちた後に、他の者にバレることがないよう、術式を使用する時はなるべく隠すように。声でなく、文字を使った物がいいわね。

 差し当たっての問題は資金になるかしら。そうでしょう? その事なのだけれど、ダイアゴン横丁にある「グリンゴッツ銀行」という建物の227番金庫にあなた専用の資金が保管されているわ。あなたの為だけに用意した物なのだから、ありがた~く使うように。

 それじゃあ、次の通信——9月2日を楽しみにしているわよん♪

 最大主教(アークビショップ)ローラ=スチュアートより 愛を込めて』

 

 相変わらずどこまでも準備のいい上司だ。上司からの手紙片手に、オリヴィエはやれやれと頭を振る。

 ややふざけた文体なのはローラの性格上問題ではない。細かいことはさておき、潜入にあたっての注意事項を聞けたのはオリヴィエにとってはプラスだ。それに、最大主教(アークビショップ)直々に活動資金を提供して貰えるのはありがたかった。……オリヴィエの給料から引かれる、なんてことはないと信じたいが。

 オリヴィエはふと、時計──ポケットの中に忍ばせてある懐中時計だ──を見た。まだ昼食の時間帯である。

 ダイアゴン横丁をじっくり回りたいが、まずは昼を食べなければ。腹が減っては戦はできぬとはよく言ったものだ。極東の諺らしいが、実に的確だとオリヴィエは思う。

 オリヴィエは、潜入にそなえてその前に一旦教科書類に目を通しておこう、と立ち上がる。だが迂闊にも、その瞬間にオリヴィエの腹からぐうう、という音が。

 

 とりあえず、銀行でお金を下ろそう。




 魔術サイドのザ・黒幕さん(私命名)ことローラさんが登場していましたね! ローラさんは土御門に変な日本語を教わる前なのでエセ古文使いではありません。綺麗なローラさんですね!
 さて、オリヴィエがダイアゴン横丁に行きましたね。ふと思ったんですが、グリンゴッツっていくつぐらい口座があるんでしょう。魔法界で唯一って言うし、億超えてるんでしょうかね。
 では、この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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第2話 邂逅と魔法

 7月30日。

 オリヴィエは、漏れ鍋で朝食をとっていた。昨日は細かいところまであまり目が行かなかったが、街にはオリヴィエと同級生くらいの子供達が居る事に気付いた。漏れ鍋にはスミレ色やエメラルド色のローブを着込んだ珍奇な格好の大人や明らかに人外の風貌をした老婆なども居て、オリヴィエは一層胡散臭そうな目を向ける。

 子供達が居ることについてはまだ納得できる。だが、大人達のトンチキな格好には納得できない。どいつもこいつも派手な色のローブととんがり帽子を着込んでいるのだ。まだ色がマシなら大丈夫だっただろう。実際、オリヴィエは今回のためにしつらえられた服装は黒いローブと三角帽子だった。だが、スミレ色やエメラルド色は流石に目立つ。この魔術結社(マジックキャバル)の魔術師は、世間に合わせる、という事を知らないのだろうか。

 オリヴィエはふと自分の杖を眺めた。スーツの男に薦められた杖の専門店『オリバンダーの店』で買ったその杖は、店主の弁では「(ニレ)の木と不死鳥の尾羽根、二〇センチ、しなやかで振りやすい」との事である。だがオリヴィエとしてはどうにも胡散臭いというのが本音だった。

 今回オリヴィエが潜入する魔術結社(マジックキャバル)では独自の文化が発展している、とオリヴィエは一応理解した。だが、それにしたって胡散臭さは拭えない。近頃の魔術結社(マジックキャバル)は年々狂信集団(マッドカルト)化が進んできている、という噂話を以前オリヴィエは耳にしたのだが、今回は既存の常識から外れすぎていないだろうか。

 この魔術結社(マジックキャバル)では独自の魔術を『魔法』と呼称しているあたり、文化そのもの、引いては魔術的な地盤や基本的な思想が十字教系統のオリヴィエ達とは違うのだろう。だが、杖を振って呪文を唱えるという単一の固定された記号で、多彩な魔術───魔法だったか───が使い分けられると言うのは、俄には信じ難い。

 杖を振って呪文を唱え、MP消費で魔法をポンと出せればどれほど楽だろう。だがそれができないから魔術師が存在し、魔導書が存在し、霊装が存在するのだ。

 本当にそんな魔術があれば魔術師はこんな苦労していないだろうな、と思いながら、オリヴィエは変身術の本を開いた。適当に開いたページには、『マッチ棒を針に変える魔法』について記述されている。挿絵に解説付きの親切設計だ。だが解説は小難しそうな───普通の十一歳から見れば、という客観的な評価でだが───文章がズラズラと並んだ嫌がらせのような一品であった。ただ、説明としては一応筋が通っているという事もオリヴィエは認める。一見出鱈目に見えるこの魔術結社(マジックキャバル)の魔術にも、それなりの理論は存在するのだろう。オリヴィエが触れて来た今までの魔術体系とは壊滅的に系統が正反対なだけであって。

 だが、魔導書図書館と渾名されるオリヴィエに言わせればそもそもここにおける魔術の定義から滅茶苦茶だ。一応複雑な工程を踏む物もあるようだが、基本的には魔法の媒体は杖であり、魔術における術式の構築や象徴武器(シンボリックウェポン)が云々などの過程を飛ばしてポンと出せてしまう(ことになっている)。そんな百均の便利グッズみたいなものが存在したら、文明はこれほどまで発達していなかったに違いない。

 しかしながら、オリヴィエの常識で滅茶苦茶であっても侮る事はできない。なにせ魔術の形態とは、掲げられるその名の通り『なんでもあり』だからだ。魔力と魔力操作の技能、術式があれば魔術は形式を問わない。『停滞する者魔術師に非ず』というのはオリヴィエの持論で、新しく生み出すのが魔術師の本分なのである。

 まあ、オリヴィエが『魔法』を納得するにはまだ時間がかかりそうだが。

 やれやれ、とオリヴィエは溜息を吐く。先の展開を案じながら、朝食ワンセットを食べ終わったオリヴィエは席を立った。英国式朝食(イングリッシュブレックファースト)は味という観点において、イギリス料理の中では一線を画す。何処かの学者はこの事を一言でよく示した。「イギリスでまともな食事を食べたければ三食すべて朝食にしろ」と。

 これはイギリス人もネタにする程の有名な冗談だが、イギリスの料理は基本的にマズい。イギリス人は料理をする時、とにかく茹で過ぎ・焼き過ぎ・煮過ぎに定評がある。食べ物を親の仇のように煮込みに煮込んだ後、旨味がたっぷり出た煮汁を全て捨て、クッタクタになった野菜や魚に調味料をドバドバかけたものを食べる。これの何が美味いのかオリヴィエには理解が出来ない。何の因果かイタリア料理を口にした時、あまりの美味さに涙が出そうだった。

 漏れ鍋で時間問わず朝食用のメニューが頼めたのは、オリヴィエにとっては救いだったと言えるだろう。オリヴィエは意外と食事にこだわるのだ。ちなみに、オリヴィエはトーストにマーマイトを大量に塗る。

 閑話休題(そんなことはおいといて)

 そんな漏れ鍋の中は、任務への不安を抱えるオリヴィエの心中とは裏腹に昨日と変わらず繁盛している。この店はロンドンの街と魔術結社(マジックキャバル)を繋ぐ窓口のような場であるようだ。老人からオリヴィエと同年代くらいの子供といった、老若男女問わず多くの魔術師がここを訪れている。

 オリヴィエはカウンターに向かって財布を取り出す。食事を調達する為に昨日の内に銀行に寄って、貯金をおろして来たのだ。魔術結社(マジックキャバル)独自の機関とは、また珍しい。そういう点も含めて、今回の任務は特別なものがあるのかもしれない、とオリヴィエは思った。

 オリヴィエが向かったその銀行───グリンゴッツとかいう名前だった───というのもまた出鱈目で、働いているのは小鬼だと言うのだ。だがこの世には吸血鬼(カインの末裔)のような人外の種族も存在する訳だし、オリヴィエが知らないだけで小鬼という種族もあるのかもしれない。どれだけ信じ難くても信じなくてはいけない時もある。まあ小鬼がどうたらとかは置いておき、防御力は御墨付きだろう。『宝の他に潜むものあり』なんて意味深な事が書いてあるくらいだ。余程自信がなければ書けない台詞である。

 オリヴィエが財布の中から銅貨を数枚出すと、カウンターに立っている胡桃顔のバーテンが急に黙った。呆然としたように、小声で、喜びの台詞を呟いている。ついさっきまで常連客らしき人物と親しげに喋っていたというのに、何があったのだろう。

 バーテン以外の周囲の客達も同じ反応だ。時間が止まったような静寂が空間を支配している。客は全員同じところを見ていて、ぽかんとした顔でじっと見つめていた。

 やがて店のあちこちで椅子を動かす音がいくつも重なった。奥に居た客や退屈そうにパイプをふかしていた老婆も立ち上がり、やれ「嬉しや」だのやれ「光栄だ」だのとのたまった。何事かと思ってオリヴィエが周囲を見回すと、後ろで大勢の大人に握手を求められていた一人の少年と目があった。

 少年は、オリヴィエと体つきが大差無いほど華奢な体だった。背が低く、そして猫背気味だ。隣には身長と横幅が普通の2、3倍程もある大男が立っているから、身長差で更に小さく見える。オリヴィエとばっちり合った目は明るい緑色をしていて、アーモンドのように大きい。髪はくしゃくしゃの黒髪で、特に後頭部の髪がピンピンはねている。前髪の向こうにうっすらと稲妻型の傷っぽいものが見えるが、あれはなんだろうか。

 周囲の大人達が大喜びで少年に近付いていく。中には芸能人に会った瞬間のように鼻息を荒げている者もいた。周りの反応とは対照的に少年がただ一人困り顔をしていて、反応の差が大分大きいように見える。

 少年を見た大人達がしきりに「ハリー・ポッター」と叫んでいるので、それが少年の名前なんだろう、とオリヴィエは推測した。

 オリヴィエは何故だか、彼がやんごとなき出身のような気がした。女の勘、という奴か。

 至って平静を保っていたオリヴィエの精神とは対比して、店の中は歓声と歓喜の渦だった。全員見た所は大の大人の筈なのだが、子供のようにはしゃぎ、騒いでいる。そこまでに大人達を熱狂させるハリー・ポッターという少年に興味が湧いたオリヴィエは、

 

「ハリー・ポッターって何者なんですか?」

 

 漏れ鍋に居た客の一人に聞いた。オリヴィエの単純な興味という事もあるのだが、これから潜入をしていく上ではこの世界の知識をなるべくつけておくべきだからだ。何度も言っているように、順応は術式の幅に繋がる。そしてオリヴィエは、その為の努力を惜しまない。オリヴィエは、側にいた青白い顔の神経質そうな若い男に話しかけた。若い男は今にも白目を剥きそうな顔で、

 

「ポ、ポ、ポッター君の事かね? か、彼は、な、『名前を言ってはい、いけないあの人』をう、打ち倒した、い、いわば英雄の、よ、ようなもの、だ。ま、魔法使いなら、ぜ、ぜ、全員、し、知っている、人間だよ」

 

 と、片目を痙攣させながら言う。なんだか申し訳ないような気分になって「ありがとうございます」とオリヴィエが頭を下げると、若い男は失神しそうになりながらポッターのところへ歩いて行った。病人のような顔色といい異常にどもる話し方といい、あの男、一度病院に行った方が良いのではないか? 少なくとも、ターバンから臭うにんにくの臭いは早急に解決すべきだ、とオリヴィエは内心で悪態をついた。実はオリヴィエ、毒舌なのである。

 若い男の話を反芻し、オリヴィエは目を伏せる。若い男がハリー・ポッターについて評価した、『英雄』という言い方が引っかかったからだ。

 如何なる魔術師も、正義のために力を振るっていない。それはオリヴィエも同様だ。

 魔術師は誰もが利己的で、誰もが自分の為に魔術を使う。本来歩むはずだった人の道を外れ、教えに背くような事をしてでも、叶えたい願いがあるからだ。その胸に魔法名として刻んだ願いを叶える為に、魔術師は魔術を使う。

 英雄、と。そう呼ばれる魔術師が居たとしたら、そいつは余程のはぐれ者か傾奇者かお人好しに違いない。

 そう思いながらさっさと会計を済ませた。

 さっきの若い男の話に出てきた『名前を言ってはいけないあの人』とは何者なのだろう。

 オリヴィエは一歩一歩を踏みしめるように歩き、部屋に戻る。木材を基調とした部屋を今一度ゆっくりと見回し───特に意味はなかった───オリヴィエは早速ベッドに倒れこんだ。

 真っ白な視界の中で、オリヴィエはポケットの中に入っていた杖を眺める。まず頭で考えてみるのがオリヴィエのやり方ではあるが、ものは試しとも言う。一度教科書を真似てやってみる、というのも一興ではないだろうか。オリヴィエはふとそんな思考に駆られた。

 オリヴィエはベッドの上に散乱している本の山の中から、適当に呪文学の本を開いた。パラパラとページを捲り、指差しで適当に呪文を選ぶ。

 オリヴィエは教科書に記述されている呪文を呟き、『手の動きを忠実になぞるべし。発音に注意せよ』という本の通りに杖を振った。ビューン、ヒョイがコツらしい。

 

「ヴィンガーディアム・レヴィオーサ」

 

 すると、オリヴィエの体内の魔力が杖に吸い取られていった。まさか、と思いながら待つと、呪文学の本が勢い良く浮いて天井にぶつかる。天井に穴を開けんばかりの勢いで激突した本は重力に引かれ、ぼすんという音を立ててベッドに落下した。オリヴィエが慌てて呪文学の本を見ると、物を浮かせる魔法らしい。オリヴィエは、浮かせているにしては元気が良すぎるだろう、と呆れるポーズをとっている。だが、内心では密かに溜息をついていた。

 オリヴィエは今まで、MP消費でポンと魔術を出せる筈がないと信じていた。そんなことが出来たら、自分の願いのために道を踏み外す魔術師は居ない。魔術師の為に人間をやめたオリヴィエは不要だ。そんな世界は、ありえない。だが内心、そんな魔術があったら良かったのかもしれない、とも思っていた。

 

 そして今この瞬間、証明されてしまったのだ。この世界に、『魔法』というものが存在し、杖を振っておまじないを言うだけで行使できるという事が。

 

 オリヴィエの思考に停滞と空白が訪れる。

 

「しかしながら……」

 

 呆けたように杖を構えたままのオリヴィエは、一人呟いた。

 

「こんッな滅茶苦茶なやり方で魔術が使えるなんて悔しいんですけどーっ!」

 

 オリヴィエはベッドを転げ回りながら、悔しい悔しい悔しい、とじたばたする。一通りじたばたし終えるとふと正気に戻って、

 

(いや、落ち着きなさいオリヴィエ。

 これはあくまで魔法。魔術とはおそらく細部に差異がある。魔力を使用する、と言う部分は変わらなかった。ただ、魔力の提供と詠唱しか術者には負担がないという点で魔術との違いがある。

 魔術なら、もっと、こう……術者任せに傾く筈。そこで魔法と差異が生まれるのか。

 多分だけど、魔法を行使する過程は全部杖が行っているっていう解釈になる。

 詠唱を行うのは術者だけど、記号を示し、異法則を現世に持ってくる過程は杖が肩代わりしてる。杖万能かよ!

 元になってる神話や伝承がないのは……多分一から生み出すタイプなんだろうな。だから元々存在している呪文を学ぶだけで一人前になれる。魔術師じゃそうは行かないけど、元の神話・伝承がないってのは結構縛りになるからだ。神話や伝承を使わないのは、既に右手で綺麗に字を書ける環境が整っているのに左足で鉛筆を握る練習をするようなものなんだし。

 詠唱に使用される言語は……断定はできないけどヨーロッパの時代背景からしてラテン語辺りが怪しい。

 杖はどんな魔術も半自動でやってくれる万能の霊装といえるか)

 

 つまり、魔法使いとは劣化版魔術師みたいなものだ。元々ある魔法をなぞるだけで殆どは新しく生み出さず、発動は大体杖任せ。オリヴィエがさっき物を浮かせようとした時に勢い余って天井に衝突したのは、オリヴィエが魔術師としてより洗練された魔力精製を行っていたからだ。普通の魔法使いはおそらく、もっと精製効率が悪いという事なのだろう。故に、洗練された魔力が通された杖がオーバーフローを起こしたのだ。

 これは、魔法に必要な魔力が、少なく質が悪いものでもつつがなく発動できるという解釈もできる。それほど杖の性能が良いのだろう。ただ、その性能の高さが魔法使いの魔力の粗悪化を招いたと考えられるが。

 魔術と魔法、両者を比較してみると、魔術の方が圧倒的に威力は優れている。それに、既存の呪文をなぞることが多い魔法に比べて術式も多種多様で手数も多い。何より、発動過程を杖に任せている魔法使いに比べ、魔術師個人個人の処理能力は圧倒的に高い。

 しかし、魔法にも利点はある。それは、魔術よりも発動が圧倒的に早いことだ。魔術は霊装を作ったりなんだりで、発動に時間がかかる。それに、大規模な魔術の場合神殿をセッティングしたりで長い場合数十年、錬金術なんかは数百年かかるとされる。だからこそ魔術戦は先を読み合い魔術的な罠を見破る頭脳戦になるのだが、魔法はほぼノータイムで発動できる。これは魔術では再現できない利点であり、アドバンテージになる。

 恐らく、魔法と魔術は本来同じものだ。だが、魔法は「杖という万能機を用いていかに早く現象を起こすか」に進化したのに対して、魔術が「あらゆる道具を用いて、時間をかけてもいかに質の良い現象を起こすか」に進化したと考えられる。

 これは、RSA暗号を解くために魔術師は全部手計算で解いているのに対し、魔法使いはコンピューターに任せているようなものだ。魔術師の方が個人の処理能力が高いが、魔法使いの方が解き終わるのは圧倒的に早い。

 そこで、だ。

 

「魔術にも魔法にも、それぞれ利点がある。魔法のメカニズムについて完璧に調べ上げ、魔術に組み込むことが出来れば、更に洗練された魔術を生み出せる!」

 

 オリヴィエは、部屋の中で快哉を叫んだ。




 オリヴィエちゃんが魔法を習得しました! これでハーマイオニーデビューですね(?)
 ちなみにオリヴィエ、禁書目録本編では24歳になります。(禁書本編を1巻初版年の2004年だと仮定して)すげーお姉さんですね。
 今気づいたんですけど、あとがきって書く事がないですね。ということで、
 この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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第3話 出発と列車

 9月1日。

 1ヶ月も滞在していれば漏れ鍋の朝にも慣れてくる。オリヴィエはベッドから起き上がると、慣れた手つきで洋服に袖を通した。白いブラウスにネクタイを締め、膝丈のスカートを履く。黒いハイソックスとローファーも忘れずに履き、そして漏れ鍋に来てからの習慣で、足まで届く長いローブを羽織った。漏れ鍋で暮らしていると、ローブを着ていない方が逆に目立つ。どうせ潜入先では毎日この服を着るのだから、先に着替える練習をしておいてもバチは当たるまい。ただしオリヴィエのパーカーの防御力は欲しいので、実のところ店でしつらえてもらったのは予備にしてある。今袖を通したのは、元々のパーカーに丈とそれっぽい装飾を足したオリヴィエの自己流制服(ハンドメイド)だ。

 オリヴィエが漏れ鍋で過ごし、1ヶ月経った。時間の流れとは存外早いものだ。光陰矢の如しとはよく言ったもので、よもやオリヴィエも齢11にしてこの言葉の意味を理解するとは思ってもみなかった。せいぜい60か70くらいで理解するくらいが丁度いい人生なんだとオリヴィエは思う。

 オリヴィエが潜入するのはホグワーツ魔法魔術学校、通称ホグワーツ。ローラは魔術結社(マジックキャバル)と言ったが、実態は魔法について教える学校だ。

 ローラが情報の統制で人を動かすのは日常茶飯事なので、今回もそんな感じなのだろう。大方、オリヴィエに魔法について学ばせる事でイギリス清教の手管を増やしておこう、とでも考えたんじゃないか、とオリヴィエは推測した。魔術に関して異常に向上心旺盛なのはオリヴィエの性で、一番手っ取り早く効率的に魔法を取り入れるのがオリヴィエだと思ったのだろう。

 ホグワーツ魔法魔術学校入学式は今日行われ、明日からは学生生活兼潜入任務が始まる───だから、普段は前から使っていたくたくたの洋服を着ていたのに、今日はぴかぴかの制服を着ている───。オリヴィエはこの一ヶ月間、魔法界の情報収集に努めてきた。魔法の種類、ホグワーツの科目、政治について、タブーや禁句、流行のもの、伝統あるスポーツ『クィディッチ』について、ホグワーツの歴史や内政まで、魔法界で調べられることは殆ど調べ上げた。ホグワーツには動く階段や隠し通路があるそうなので、それは入学してからじっくり調べれば良いだろう、とオリヴィエは考える。

 魔法界、というのは、魔法を扱う者達によって構成されるもう一つの社会だ。オリヴィエは先月まで魔法界を魔術結社(マジックキャバル)と勘違いしていたが、よくよく考えれば既存の魔術結社(マジックキャバル)と比較して規模が段違いだ。魔法界の支配圏は、オリヴィエが推測するところによると地球全土。ローマ正教の支配圏に匹敵するか上回る程の規模だ。魔術結社(マジックキャバル)の中でも近代西洋最高と評される(S)()(M)()だって世界中の支配には至っていないというのに。

 オリヴィエ達魔術師のように宗教がベースになっていない分、内部分裂や宗教革命によって派閥ごとの敵対が少なかった、という歴史的背景も大きい。オリヴィエ達教会は大体国ごとに勢力が分かれているが、魔法界の場合は、大きな『魔法界』という1団体が世界全体を支配している、といった感じだ。

 また、魔法使いは誰もがなれる訳ではないらしい。魔術師は基本的に凡人が才能を求めてなるものだが、魔法使いは才能に依存するところが多いとか。オリヴィエは一ヶ月前に『魔法使いよりも魔術師の方がスペックが高い』と評したが、全く逆だった。魔法使いは生まれつき(恐らく無意識で)魔力を精製し扱う能力があるのだ。だが、杖という万能機に頼ることでその才能を溝に捨てた。それは生まれ持った才能に胡座をかいているのと同義だ。宝の持ち腐れという奴だ。

 そして才能に依存する部分が大きい為、魔法界には名家という概念が存在する。魔法使いは、長く続く旧家に優秀な子供が生まれる事が多いのだとか(勿論、そうでなくても優秀な子供は生まれる時は生まれる)。

 代々魔法使いのみで繁栄してきた純粋な魔法使いの一族は純血と呼ばれる。純血が魔法界において尊ばれ、逆に非魔法使い───マグル、と呼ばれる───出身は差別を受ける傾向にあるのだそうだ。だが、純血であることに固執するあまり失敗を重ね結局破滅した純血の家も珍しくない。近頃は魔法界も混血化が進み、マグルの血を引く魔法使いも増えているのだが、長い年月をかけて浸透した差別意識は簡単に取り除けないようだ。

 調べてみてオリヴィエはとても興味深いことに気づいたのだが、こちらの世界には撃墜術式は伝来していないらしい。

 オリヴィエの世界では、『十二使徒ペテロが主に祈るだけで魔術師を撃墜した』という伝承から生まれた撃墜術式が広く浸透している。故に現代魔術師は、簡単に飛べるが簡単に堕とされる、という現状だ。必要悪の教会(ネセサリウス)では必修とされているものの余りにポピュラーすぎて使いどころがなかったのだが、魔法使いは撃墜される心配なく空を飛ぶらしい。それも、魔女の軟膏は塗らず箒に跨るだけなんだとか。

 箒は意思を持つことがあるそうなので、杖と同じく箒側が処理を行っているのだろう。ちなみに魔法使いの飛行にも撃墜術式は効くという検証結果が出ているので───この為にわざわざロンドン郊外まで出て調べた苦労には見合った成果だ───いざという時には重宝するだろう、とオリヴィエは思った。例えば、飛ぶのが下手なやつが暴走して6メートルくらい飛び上がった時とか。まあ、そんな間抜けは滅多に居ないだろうが。

 他にも大分収穫があった。ホグワーツは聞くところによると全寮制で、四つの寮に分かれているとか。グリフィンドール、スリザリン、ハッフルパフ、レイブンクローの四つであり、各四寮にはそれぞれ違った特色がある。

 グリフィンドールは騎士道精神に溢れた勇猛果敢な生徒が集まる寮だ。正義感が強く、信念を貫き通す強さを持つという。英雄を多く輩出し、世間的にはグリフィンドールが人気らしい。現校長も元グリフィンドール生らしいのだ。但し、若干思い込みが激しい節があったり無謀で向こう見ずな傾向があるなど、欠点も少なからずあるようだ。

 スリザリンは伝統ある家系を重んじ、人間との混血を嫌う、所謂純血崇拝の傾向があるらしい。禁句とされてはいるが、穢れた血、なんて貶し文句もあるくらいだ。実際純血の者が多く、マグル出身者は一握り程しか居ないという。また、悪の道に走る者───オリヴィエに言わせれば魔術を修める者に悪も善も無いのだが───が多いのだとか。だが、高貴さなどに代表される貴族的な一面もあり、一概に悪であると断じることは出来ない。

 ハッフルパフは静かな精神的美徳を持ち、誠実で心優しく、勤勉で謙虚、公平な生徒が多い。他三寮に比べて功績が霞むと言われているが、謙虚で誠実な性質故に名声への欲が少ないという特徴による。何より、ホグワーツ四寮において最も闇の魔法使いの輩出数が少ない、という美点を持っている。

 レイブンクローは知的好奇心や創造性に長けた知性ある生徒が多い。独創性が高く、孤高の存在、というイメージもあるのだとか。だがホグワーツにおいて最も個人主義的な寮でもある。自身より下の人間を見下し、成績を上げるためには周囲の人物を蹴落とす事すら辞さないエゴイスト的な一面もあり、知的な多様性を持つ一方でいじめなども散見されるとか。

 このように、どの寮にも美点と欠点が存在する。情報収集中は、話を聞いていた常連客同士が『どっちの寮がいいか』などと言い争う場面もあったが、結局の所順位などないのだ。大の大人が些細なことで言い争うのはオリヴィエ的にやや見るに耐えなかった───しかもオリヴィエに「どちらに入りたいか」なんて聞いてくるのだ───正直どちらでもいい───が、寮生同士の敵対関係が把握できたので結果オーライだと思いたい。

 ここまで情報を集められたのは潜入には丁度良かった。漏れ鍋の常連さんと親しくなって正解だったらしい、とオリヴィエは感じる。これだけの情報をもたらしてくれたのは全て漏れ鍋に通う常連の魔法使い達なのだ。「マグル出身で魔法界について知らない」と話すと、彼ら彼女らは気前よく教えてくれた。人付きあいもたまには悪くはないものだ。

 

 さて、場所は変わって下のパブだ。オリヴィエは脳内で、今まで集めた情報や学校の予習分を反芻する。別に予習はしなくても平気なのだが、情報は多いほうがいい。建前上とはいえホグワーツに潜入するのだから、成績が伸び悩んで退学、なんて事態は避けたいという狙いもある。

 オリヴィエは、漏れ鍋の出入り口に歩いていく。ホグワーツへはキングス・クロス駅から、11時発の列車に乗る。駅には結構人が居るらしく、迷わないように注意するように、という常連さんのアドバイスをもとに、オリヴィエは常連さんに道案内を書いてもらう事にした。右手には切符とホームへの道案内を、左手にはトランクを乗せた大きなカートを携え、ガラガラと音を立てながら店内を歩いていると、常連さん達からしきりに声が飛んでくる。

 

「オリヴィエちゃん、いってらっしゃい!」

 

「ホグワーツを楽しんでこいよ!」

 

「スリザリンだけは入るんじゃねえぞ!」

 

「バッカお前、ハッフルパフにこそ入るなよ!」

 

「レイブンクローが一番いいわよ!」

 

 様々なアドバイスに感謝。だが主観と偏見が大いに混じっているのは頂けないな、とオリヴィエは遠い目をする。1ヶ月間ずっとこんな調子だったのだ。だが、悪い気はしなかった。

 オリヴィエはずっと必要悪の教会(ネセサリウス)の女子寮の中で生きていた。だから、沢山の人に話しかけて貰えるだけで、ちょっと嬉しかった。

 

「みなさん、ありがとうございます」

 

 オリヴィエは右足を軸に回転して振り返った。

 

「───いってきます!」

 

 オリヴィエは出入り口のドアに手をかける。

 ドアを開いた先には、1ヶ月前となんら変わらない、騒がしいロンドンの街があった。

 

 

 

「ひ、広い……」

 

 場所はキングス・クロス駅、9番線プラットホーム。オリヴィエはやたらガラガラ鳴るカートを左手に携え、右手に持った道案内の羊皮紙と駅の案内図を交互に見比べていた。裏技的に魔法界のプラットホームもあるが基本的にマグルの駅なので、魔法使いのローブを着たオリヴィエはとんでもなく浮いている。ちなみにオリヴィエは、自信満々で店を出たが駅自体の利用は初めてだ。

 駅舎の見上げるほど高いアーチ型の天井はガラス張りで、青い空がよく見える。壁は歴史を感じさせる煉瓦造りで、情緒もへったくれもないコンクリート打ちっ放しの必要悪の教会(ネセサリウス)女子寮とは大違いだった。

 あまりにも広い駅に、オリヴィエは目眩を覚えた。心の拠り所を求めるように、オリヴィエは再度切符を確認する。『キングス・クロス駅 9と4分の3番線 11時発』大丈夫だ。きちんと合っている。現在時刻は10時40分。充分余裕があるし、まだ焦らなくても良い。道案内の紙───オリヴィエに対してとりわけ気前の良かったおばちゃんが書いてくれたもので、妙にリアルな図解と解説付きの逸品───によれば、9と4分の3番線は9番線と10番線のプラットホームの間の改札口、そこの柵に入り口があるらしい。

 オリヴィエは件の柵を眺めた。なるほど確かに若干の魔力を感じる。

 オリヴィエが右手に持っていた道案内の羊皮紙には、先程は見当たらなかった『思い切ってまっすぐ走って行く』という文言が浮かび上がっていた。どういうメカニズムかは存じ上げないが、()()()()魔法がかかっているらしい。もっとも、写真の中の人だって動くこの世界では大して驚きもなかった。

 

「思い切って、って……無機物にか……?」

 

 ゆっくりと柵に手を伸ばすと、金属の冷たい感触は伝わって来ない。不思議に思って見てみると、指先が柵にめり込んでいる! オリヴィエは一瞬、短く悲鳴をあげそうになった。が、すんでのところで強引に飲み込む。オリヴィエはホラーに弱いという訳ではなかったが、下手なスプラッター映画よりもよほどぞくっとする絵面だった。

 不思議な話だが、どうやら本当に柵をすり抜けて行けるらしい。やや心臓に悪かったが、結果オーライというわけだ。認めたくはないが。

 身をもって柵の安全性を確認したオリヴィエは、もう半ばやけくそでカートを押した。カートがどんどん柵に引き寄せられて行く。3、2、1、ぶつかる───というところで、検証の通りきちんとカートは柵をすり抜けた。これ、仮に通り抜けなかったとしたらどうするのだろう。

 

 すり抜けて着いた場所は、マグル側のプラットホームとは似ても似つかない雰囲気の場所だった。プラットホームには紅色の蒸気機関車が停車していて、天井に張り付いたような煙が立ち込めていた。マグルのプラットホームには現代風の電車が停まっていたから、その差は歴然だった。改札口の筈だった場所は鉄のアーチがかかっていて、『9 3/4』と書いてある。どうやら、無事に到着したみたいだ。

 プラットホームには、もう既に沢山の生徒で溢れかえっていた。先頭の2、3両はもう生徒で埋まっているし、乗れるコンパートメントを探している生徒も少なくない。流石世界最高峰の魔法学校。生徒数も一級品だ。

 オリヴィエはカートを押しながら後ろの方の号車に向かった。先頭の方から生徒が埋まって行っているし、後ろの方が人には会いにくいはずだ。オリヴィエは別段人嫌いという訳ではないし、沈黙には強い方だと思う。だが、オリヴィエは一般的な11歳に比べて口下手だ。漏れ鍋の常連さん達は向こうがよく喋ったので聞き役に徹するだけで良かったが、子供同士だと何があるかわからない。だから、人は避けられるなら心理的には避けたい。まあ、オリヴィエが人を避けるならどうせコンパートメントに『人払い(Opila)』をかけるから、陣取る号車は特に前だろうと後ろだろうと関係がないのだが、心理的に後ろの方が安心する。これ、なにかの現象名は付いているのだろうか。

 プラットホームのどこかから、不機嫌そうなふくろうの鳴き声が聞こえた。耳を澄ませばヒキガエルっぽい鳴き声も聞こえるし、足元には色とりどりの猫が歩き回っていて、うっかり踏んでしまいそうで怖い。そういえばペットの持ち込みも許可されていたっけ、とオリヴィエは思い出す。もっともオリヴィエは生き物と触れ合うのがそこまで好きではないし、オリヴィエはなぜか動物を飼うのが壊滅的に下手だ。ペットは飼わない方が得策だろう。オリヴィエの精神衛生の為にも、オリヴィエに飼われるペットの為にも。

 最後尾から3つ目の号車の前で、オリヴィエはピタリと止まった。ここぐらいでもういいだろう、とオリヴィエはカートを方向転換する。カートに乗っているトランクは一見するとオリヴィエ一人では持ち上がらなさそうだが、実のところそうでもない。このトランクも実はオリヴィエが作ったお手製(ハンドメイド)の霊装で、とある魔術がかけてある。故に、非力な少女のオリヴィエでもカートごと軽々と持ち上げられた。本当はトランクだけでも大丈夫だったのだが、お節介焼きの例の漏れ鍋のおばちゃんがカートをくれたので断りきれず持ってきてしまったのだ。

 時間帯に加えて最後尾近くということもあって、オリヴィエ以外には誰も居なかった。コンパートメントにも廊下にも人っ子一人いないし、車内はやけに静かだった。オリヴィエは適当なコンパートメントを見繕って、カートを押し込んだ。

 

(T)れよ(P)(I)この(M)(I)は我(M)が穏(S)(P)と化(F)(T)

 

 オリヴィエはトランクの中からルーンのカードを取り出し、コンパートメントの入り口に貼り付けた。変な模様が描かれたただの紙にしか見えないが、それでいてれっきとした魔術の道具である。このルーンはオリヴィエのオリジナルで、ルーンを書いた一種の御札だ。御札が浄化の効果をもたらすのも地脈の制御という特色があるからで、御札の効果をルーンの魔術に重ねる事によってより効果的な地脈の制御が可能になるのだ。その上大量に貼り付けたルーンの回収作業も短縮でき、一石二鳥のメリットがある。オリヴィエが今発動したのは『人払い(Opila)』という非常にポピュラーな術式だ。詳しい内容は省くが、地脈や龍脈を制御することによって『なんとなく近寄りたくない』場所を作る効果がある。つまり、人が寄り付かない空間を生み出す事ができるのだ。

 また、オリヴィエは『ノタリコン』という技能を持っている。ノタリコンの元ネタは、ユダヤ教を起点とした神秘主義思想・カバラだ。カバラは『セフィロトの樹』をはじめとした近代西洋魔術に深く関係する思想で、オリヴィエでなくても魔術師ならば誰でも知っている基礎的な知識として知られている。そして、ノタリコンというのははギリシャ語で速記者という意味だ。アルファベットの頭文字を取って繋げることで新しい言葉を生み出すというもので、長い詠唱を大幅に短縮する事ができる。感覚的には日本のあいうえお作文みたいなもので、必要悪の教会(ネセサリウス)では殆どの魔術師がノタリコンを使っている。

 人払いを済ませたオリヴィエは、ほっと息を吐いた。窓に寄って外を見ると、オリヴィエの方を見ている人は居ない。オリヴィエの方からは見えるのに向こうからは見えないなんて、まるでマジックミラーみたいだった。

 オリヴィエは座席に座って、トランクを開く。トランクの中には何も入っておらず、なにかの入り口のようなものが裏地にあるだけだった。オリヴィエは躊躇いもせずその入り口に手を突っ込み、なにかをまさぐるように手を動かす。オリヴィエが手を引き抜くと、その手には魔法瓶の水筒と、読むのに二時間はかかりそうな分厚いハードカバーが握られていた。

 さっきトランクに魔術がかけてあると言ったが、その魔術は『縮地』という。道教神話に出てくる技で、所謂仙術に分類されるものだ。これもまた地脈を使ったもので、千里先でも目の前であるように距離を縮める事が出来る。このトランクが繋がっているのは、オリヴィエの自室だ。自室に繋がる鞄には何も入れる必要がない。だからオリヴィエのトランクは異様に軽かったのだ。荷物が少ないと心も軽くなる。オリヴィエはあまり重いものを持つのが好きではない───むしろ好きなやつを見てみたいものだ───ので、まさにうってつけと言っていいだろう。

 オリヴィエは早速ハードカバーを机の上に開いて、自室から持ってきた魔法瓶を開けた。立ち昇る温かな湯気と、鼻腔をくすぐる上品で深みのある香ばしい香り。そう、紅茶である。漏れ鍋で飲んでみた紅茶やコーヒーも悪くはなかったのだが、やはり自分自身の舌で厳選した茶葉で淹れた紅茶は味が段違いに良い。久々のティータイムが列車の中、というのは興がなくてよろしくないが、1ヶ月ぶりにゆっくりと楽しめたのだ。それをまず喜ぼう、と思いながら、オリヴィエは魔法瓶に口をつける。

 それと同時に、乗車を急かす汽笛が鳴り響いた。もうすぐ、列車は動き出すだろう。

 

 

 

 オリヴィエは本を読むのが速い。魔導書図書館として世界中で魔導書を読み耽った賜物か、普通に比べて圧倒的に速く読める。速読などの特別な技術がある訳ではなく、単に文字を追うのが速いのだ。

 案の定、ハードカバーももう読み終わってしまった。縮地のトランクがある分、次の本もすぐに取り出せるので特に問題はない。

 顔を上げたオリヴィエがふと時計を確認すると、もう昼時も近くなっていた。今は12時。なるほど、道理で空腹を感じる訳だ。

 窓の外を見ると、外の景色は自然に囲まれた牧場になっていた。羊や牛が放牧されていて、だいぶ広い。列車のスピードを感じさせるように、野原や小道はびゅんびゅん通り過ぎていった。煉瓦やコンクリートに囲まれた都会暮らしではなかなかお目にかかれない、心が洗われるようなのどかな景色が窓の外に広がっている。

 オリヴィエは紅茶のおかわりと次の本をトランクから取り出す。トランクから取り出した魔法瓶を開けると、「かぽっ」という音と一緒に、湯気が滑らかにねじれながら上へ上へと立ち昇っていった。それと同時、紅茶の香りに反応したように、オリヴィエのお腹からぐうう、という音が。

 

「……お腹空いたなぁ」

 

 天を仰ぎ、オリヴィエは呟く。話で聞くには12時半ごろに車内販売が来るらしい。なんでも、多彩な種類のお菓子が楽しめるという。───今から人払いを解いておくべきだろうか。

 オリヴィエは立ち上がって、コンパートメントのドアに貼り付けた御札を剥がした。今頃になってコンパートメントに入ってくる物好きも居ないだろう。というか、オリヴィエとて話し相手が要らない訳ではないのだ。沈黙に強いだけで、一人に強い訳ではない。それに、人払いをしたといっても大人数が苦手なだけだ。仮に今頃コンパートメントに入ってくる物好きが居たとしてもそこまで大人数では来まい。大人数で来ても、そんなにコンパートメントに入らない。いざとなれば武力行使も辞さない方針で行けば、なんとかなるだろう。

 オリヴィエは苦笑いし、魔法瓶に口を付ける。長編ものの冒険小説を開いていると、17章中8章に差し掛かったあたりで通路でガチャガチャという大きな音がした。えくぼが特徴的なおばさんがニコニコ笑いながらドアを開ける。おばさんが携えているのは大きめのカート。なるほど、噂をすればというやつだ。車内販売のお出ましである。

 

「車内販売よ。何かいりませんか?」

 

 オリヴィエは首をもたげて、カートの中身を見た。カートの中にお菓子が山積みになっている───一種類ごとに一個で丁度満腹になりそうだ───。バーティー・ボッツの百味ビーンズやら、蛙チョコレートやら、明らかにゲテモノお菓子が並んでいる───絶対に買いたくない、と思った───が、中にはドルーブルの風船ガムやかぼちゃパイや大鍋ケーキなど()()()なのもあった。オリヴィエは比較的()()()そうなお菓子を選んで、ゲテモノお菓子を買わなかった分やや多めに買った。これで大体満腹になるだろう。

 車内販売はゲテモノお菓子の殿堂であるとオリヴィエはたった今理解したが、まともな奴はふつうに美味しかった。かぼちゃパイは手作りと比較しても遜色ない出来だったし、ドルーブルの風船ガムは膨らみすぎて驚いたこと以外はふつうに美味しいガムだったし、大鍋ケーキは買って帰りたいと思うほどオリヴィエも気に入った一品だった。そしてやはり、甘い物があると紅茶が進む。元々オリヴィエが紅茶党である事も相まって、紅茶とセットにすることによってお菓子の消費スピードはぐんと上がった。

 

 窓の外の景色は、さっきまでののどかな雰囲気と打って変わって荒涼としていた。うっそうとした暗い色の森、同色の丘、曲がりくねった川が視界に入る。空は曇っていて、何処と無く不安を感じさせる暗さだった。

 紅茶とセットだとお菓子は食べ過ぎてしまう。ちょっとお菓子を多めに買い過ぎただろうか。3時くらいまで待つか、と考えていると、コンパートメントのドアが開いた。栗毛の少女と、丸顔の少年だ。栗毛の少女は新品の制服に着替えていて、自信に満ち溢れている感じがする。あと若干出っ歯だ。丸顔の少年は、栗毛の少女の態度とは逆に半べそだった。

 

「ねえ、ちょっと。あなた、ヒキガエルを見なかった? ネビルのがいなくなったの」

 

 栗毛の少女が言った。少女は、何処と無く人を小馬鹿にしたような喋り方をする。自信に満ち溢れているような雰囲気といい、威張っているような感じがした。

 ヒキガエルなんて見かけただろうか。オリヴィエは思い出そうとするが、いなかったはずだ。というか、ペットに逃げられる飼い主って大分間抜けだとオリヴィエは思う。

 

「見ませんでしたよ。見たら多分覚えてますよ、私記憶力いいので。見たらお伝えしますね。あ、かぼちゃパイいります? 紅茶もありますけど」

 

 オリヴィエは片手でかぼちゃパイを差し出す。少女は「あら、どうも」といって受け取った。栗毛の少女はコンパートメントに入ってきてオリヴィエの向かいに座り、オリヴィエの紅茶を待った。オリヴィエが自分で誘っておいて何だが、この栗毛の少女、なかなか図々しい性格なのかもしれない。

 

「ありがとう。ねえ、あなたってマグル出身? それとも魔法使いの子供だったりするのかしら。私はマグルの出身なの。私以外に魔法族が家にはいなくて、私が初めてなんですって。私、とっても驚いたわ。ホグワーツって世界一の魔法学校なのよ。そんな学校に入学できるなんてとっても嬉しいことよね。それで私、教科書は丸暗記したの。これで足りるかもわからないくらいだわ。そうそう、あなたはどの寮に入りたい? 色々調べてみたんだけど、私は断然グリフィンドールね。偉大な魔法使いや魔女を何人も輩出したんですって。ダンブルドアもグリフィンドール出身なのよ。でも、レイブンクローも悪くないわ。ああ、スリザリンはあんまり嬉しくないかもね。スリザリンは悪の魔法使いの巣窟って言われてるの。絶対、性格悪いに決まってるわ。───私、ハーマイオニー・グレンジャー。あなたは?」

 

 ハーマイオニーはそれを一言で言い切った。恐ろしい肺活量と滑舌である。アナウンサーになれるのではないだろうか、とオリヴィエは思った。

 それと、オリヴィエは名前の言い方の違いに気づいた。若干だが、ファーストネームとファミリーネームの繋ぎ方が違う。思い起こせば、漏れ鍋の彼ら彼女らもそうだった。魔術師か魔法使いか、どちらかがずれているようだ。

 そして、ハーマイオニーはオリヴィエが出した紅茶をぐいっと飲んだ。「おいしい」と一言呟き、席を立つ。この少女、話す為だけに座ったのだろうか。ふつうに人からはうざがられそうだが、オリヴィエにとっては丁度いい相手だった。オリヴィエは口下手なので、ハーマイオニーのように勝手に喋ってくれる人間は話さなくていい点がありがたい。だが、ハーマイオニーはやや思い込みが強いようだ。漏れ鍋の常連さん達と同じく、寮の優劣を語ろうとしている。そこだけは若干相容れなかった。

 

「私はオリヴィエ・コニアテスです。紅茶、気に入って頂けて嬉しいです」

 

 オリヴィエは先程の違和感を、ハーマイオニーに合わせる事で解決した。漏れ鍋の人々がそうだった点で、少なくとも魔法界はこういう発音なのだろうと予測したからだ。魔法界で生活するときは、こっちに合わせる事にしよう。

 ハーマイオニーは「オリヴィエね、よろしく」といってコンパートメントを出て行った。

 ヒキガエル、一応探してみるか。

 

 

 

「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていってください」

 

 車内にアナウンスの声が響き渡る。結局ヒキガエルは居なかった。通りすがりのハーマイオニーに聞いたが、見つからなかったらしい。オリヴィエが「もし見つかったら、失くさないように気をつけるように伝えてください」と言うと、ハーマイオニーはわかったと言って先頭の方にスタスタと歩いていった。

 列車はどんどん速度を落とす。オリヴィエはアナウンスに従って荷物を放置し、通路の生徒集団の中に加わった。通路にいる生徒は年上が殆どだったし、そして年上は大体背が高い。オリヴィエが人の波に流されながらアワアワしていると、気がつけば列車の外にいた。

 そこは小さなプラットホームだった。灯りは極端に少なく、日は完全に落ちていて、プラットホームは薄暗い。視界の隅に入った看板には、ホグズミード駅と書かれていた。空はどっぷりとした深い暗闇に包まれていて、まばらに星が瞬いている。空気は冷たく、冬のような冷たい夜風にオリヴィエは体を震わせた。

 オリヴィエがその場になんとか留まっていると、頭上にランプがゆらゆらと近づいてきた。光を追って光源を探すと、

 

「イッチ(一)年生! イッチ年生はこっち! ハリー、元気か?」

 

 常人の数倍の大きさの大男が人波の向こうで笑っている。漏れ鍋でハリー・ポッターの隣にいた、ひげ面の大男だ。確か漏れ鍋の店主の知り合いで、ハグリッドという男だ。

 

「さあ、ついてこいよ───あとイッチ年生はいないかな? 足元に気をつけろ。いいか! イッチ年生、ついてこい!」

 

 ハグリッドの案内で、オリヴィエ達一年生は駅を出た。ハグリッドは、険しくて狭い小道を降りていく。右も左も真っ暗で、はぐれたら何があるかわからないところだった。多分森の中なんだろうな、とオリヴィエは思った。二回ほど、誰かが鼻をすする音が聞こえた。

 

「みんな、ホグワーツがまもなく見えるぞ。この角を曲がったらだ」

 

 大きな歓声があがった。狭くて小さな小道が一気に開け、大きな湖の側に出たのだ。反対岸には大きな山があり、天辺に城がそびえ立っていた。大小様々な塔が集まっていて、光が漏れ出す窓の一つ一つが、背後の夜空と相まって星のように光り輝いている。

 

「四人ずつボートに乗って!」

 

 ハグリッドが大声を出した。いや、ハグリッドはずっと大きい声を出していたので、きっと平常運転なのだろう、とオリヴィエは思った。

 ハグリッドは、岸辺に繋がれている小舟を指差した。誰も乗っていないボートにオリヴィエが乗ると、その後に名も知らない同級生が3人続いた。

 

「みんな乗ったか?」

 

 四人乗りのボートを一人で占領して乗っているハグリッドが言った。どれだけ重いのだろう。少なくとも、3倍はありそうだとオリヴィエは思った。

 

「よーし、では、進めえ!」

 

 ハグリッドが号令をかけると、全部のボートが一斉に動き出した。ボートは湖面を滑るように進んでいく。これも一種の魔法なのだろうか、とオリヴィエは思った。今更ながら、魔術に比べて魔法は便利である。

 ボートはスムーズに湖を渡った。山の上に乗っている城は、近くに行くとより一層大きく見えた。これがホグワーツの校舎だ。迷わないといいな、とオリヴィエは心の中で密かに願った。

 

「頭、下げぇー!」

 

 ハグリッドが声を掛けた。声に従って頭を下げると、オリヴィエ達一年生を乗せたボートは蔦のカーテンを潜り、その影にある大きな崖の入り口に入った。その先のトンネルを潜ると、若干開けて地下の船着き場に到着する。オリヴィエはボートを降り、岩と小石の上に立つ。

 

「ホイ、おまえさん! これ、おまえのヒキガエルかい?」

 

 全員が下船した後のボートを調べていたハグリッドが声を出した。ヒキガエル、という単語でオリヴィエはなんとなくわかっていたのだが案の定、列車で会ったヒキガエル探しのネビルだった。ネビルは「トレバー!」と叫びながらヒキガエルを受け取る。

 一年生達一団は再びハグリッドの後ろについていった。ハグリッドはランプを掲げながら、岩の道と湿った草むらを先導した。

 城に入る石段を全員登り、一年生達は大きな樫の木でできた扉の前に集まった。ハグリッドは

 

「みんな、いるか? お前さん、ちゃんとヒキガエル持っとるな?」

 

 と話しかけて二度目の確認をし、大きな握りこぶしで樫の木の扉を3回叩いた。




 初の一万字超えです。やったね。
 今回書かせて頂いた人払いの御札云々の話とか縮地トランクとかは私のオリジナルです。破茶滅茶魔術理論、お楽しみ頂けたら幸いです。
 次回は組み分けです。オリヴィエちゃんは何寮に組み分けられるでしょう。(めちゃくちゃ迷いました)お楽しみに。
 では、この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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第4話 帽子と寮生

 ハグリッドが叩くと、扉が開いた。

 扉の向こうからスタスタと歩いてきたのは、背の高い厳格そうな魔女だった。黒髪をきっちり後ろでまとめていて、エメラルド色のローブを着ている。常に気を張っていそうな女性で、逆らうべきではないな、とオリヴィエは思った。

 

「マクゴナガル教授、イッチ年生の皆さんです」

 

 ハグリッドが言うと、

 

「ご苦労様、ハグリッド。ここからは私が預かりましょう」

 

 マクゴナガル教授は扉を大きく開けてオリヴィエ達一年生を迎え入れた。

 その先にあったのは広い玄関ホールだった。一軒家がまるまる一個入りそうな広々とした空間で、面積も高さも尋常ではない。松明の灯りはゆらゆらと揺れていて、松明の柔らかい光が石壁を照らしていた。

 オリヴィエ達は玄関ホールを横切ると、奥の小部屋に通された。

 マクゴナガル教授はそこで一年生達に挨拶し、ホグワーツについて軽く説明をした。そして、これから組分けの儀式がある、といって去っていった。教授の話はオリヴィエがもう知っている内容だったので、オリヴィエはあまり真面目に聞いていなかった。覚えるべきことは、良いことをすれば加点、悪いことをすれば減点ということくらいだろうか。流石世界最高の魔法学校。きちんと生徒に秩序を守る事を強制するシステムがきちんとできているらしい。

 周囲を見回せば、他の一年生は顔を見合わせて不安を共有していた。組分けの時に何か試験があるのかも、とか、そんな感じの話だった。

 試験、という線は悪くないだろうが、無いだろうな、とオリヴィエは思った。オリヴィエは予習をしていたし、ハーマイオニー・グレンジャーなんかは教科書を丸暗記していたらしいから、試験が出来る新入生は居るだろう。だが、入学前から魔法が使えない新入生はそれより遥かに多い。そもそもこれから魔法について知っていく訳なのだから、入学前から魔法について知っている必要はないだろう。寮ごとに生徒に特色があるというので、組み分けの基準があるとしたら内面の話だろうな、とオリヴィエは考えていた。

 だが不安が広がるのは速く、気付けば多くの生徒が組分けを怖がっているようだった。みんなあまり口を開かなかったが、雰囲気だけで丸わかりだ。唯一落ち着いているハーマイオニー・グレンジャーは、試験にどんな呪文は出るか確かめるように小声で呪文を呟いている。近所の生徒はハーマイオニーの呟く呪文を聞かないように必死そうだった。

 空間中に緊張の糸が張り巡らされているようだった。どこを見ても怯えたような表情の生徒がいる。恐怖とは理性を奪うものだ。オリヴィエは周囲の様子を見て、それを痛感した。誰か緊張を破る者が現れてもいいんじゃないか、とオリヴィエが思った途端、後ろから悲鳴が聞こえた。

 なんと、後ろの壁をすり抜けて20人程のゴースト達が現れたのだ。今まで色々なものを見てきたオリヴィエだったが、ゴーストは初めて見た。そもそも幽霊狩り───十字教の教義では、死人は勝手に現世をふらふらしてはいけないのだ───は、『オカルトの検閲と削除』を旨とするロシア成教の殲滅白書(アナイアレイタス)とかの仕事で、魔女狩りに特化したイギリス清教は管轄外なのだ。

 胴体は濁った真珠のような白で、若干透けている。ゴースト達は下で目を白黒させる新入生を無視して、頭上を悠々と横切っていった。

 

「もう許して忘れなされ。彼にもう一度だけチャンスを与えましょうぞ」

 

「修道士さん。ピーブズには、あいつにとって十分過ぎるくらいのチャンスをやったじゃないか。我々の面汚しですよ。しかも、ご存知のように、奴は本当のゴーストじゃない───おや、君たち、ここで何してるんだい」

 

 ふわふわと浮きながら、2人のゴーストが議論をしている。ひだがある襟付きの服とタイツを纏ったゴーストが、発言の途中でオリヴィエ達一年生に話しかけた。だが、吃驚しているのか緊張しているのか、はたまた警戒しているのか、誰も答えない。状況を見兼ねたオリヴィエが、なるべく丁寧な言葉遣いを心がけて答えた。

 

「新入生なんです。これから組分けの儀式があります」

 

 何人かがオリヴィエの方を見た。若干目立ってしまったのか、同級生達の視線が痛い。

 

「そうかそうか。ハッフルパフで会えるとよいな。わしはそこの卒業生じゃからの」

 

 隣の太った修道士がオリヴィエ達に微笑みかけた。そして、そこに被せるように「さあ行きますよ」という厳しい声が聞こえた。準備を終えたのであろうマクゴナガル教授である。

 

「組分け儀式がまもなく始まります」

 

 マクゴナガル教授がキビキビと言うと、ゴースト達は1人ずつ壁を抜けて部屋を出ていった。

 教授はオリヴィエ達に、一列に並ぶように指示を出した。オリヴィエはスタスタと歩いて先頭に立つ。若干手間取っているな、と思って後ろを見ると、みな足運びがのろのろしている。その動きは、どうにも場に漂う緊張感を体現しているようだった。

 一年生達はマクゴナガル教授を先頭に部屋を出て、再び玄関ホールに戻る。そして、さっきは見向きもしなかった右側の大広間に入った。扉の手前でも、小さなざわめきが聞こえてくる。何人居るのだろうか、と考えていると、マクゴナガル教授は早足で扉を開けて進んで行ってしまった。オリヴィエは急いで、教授の後ろに続いた。

 玄関ホールと大広間を隔てる二重扉のその先には、夢の中でも見ないような幻想的な空間が広がっていた。大広間に足を踏み入れた瞬間、オリヴィエは息を飲んだ。

 外と比べては勿論のこと、玄関ホールよりも断然明るい。天井の高さも面積の広さも規格外だ。空中には何百、いや何千という数の蝋燭がふわふわと浮いていて、これが照明の全てだと思うとオリヴィエは目が眩みそうだった。蝋燭の並ぶ上方よりも更に上、大広間の天井には、深みのある黒の中に点々と瞬く小さな光があった。オリヴィエは前に本で読んだ事を思い出す。大広間の天井はあたかも空に開いているように見えるが、そういう風に見える魔法がかけてあるらしい。オリヴィエは星が好きなので、室内で星空を眺められるのは非常に嬉しかった。

 大広間には大きな長テーブルが平行に4つ、それと上座にもう一つ長テーブルがある。4つのテーブルには上級生達が既に着席していて、金色のゴブレットと金色の大きな皿が乗っている。4つ、ということは、各寮ごとにテーブルが分かれているんだろうな、とオリヴィエは推測した。上座のテーブルの方にはホグワーツの教授方が座っていて、真ん中の一際豪華な椅子には校長のアルバス・ダンブルドアが居た。

 マクゴナガル教授は教授方の座る上座の長テーブルまで歩いて行き、オリヴィエ達一年生を、教授方に背を向けるように並ばせた。

 四つのテーブルから、見定めるような視線が何百という数で飛んでくる。オリヴィエは今まで学校には行っていなかった───ずっとイギリス清教での仕事にに従事していたのだ───し、ダイアゴン横丁や漏れ鍋でもこんな大勢と目を合わせていなかったので、視線を何百人から向けられるのは慣れていない。オリヴィエが必死に目を合わせまいと目を泳がせていると、マクゴナガル教授が4本足のスツールを持ってきたので、オリヴィエはこれ幸いとばかりにスツールを凝視した。

 マクゴナガル教授は、4本足のスツールの上に古ぼけた三角帽子を乗せた。その帽子はいくつかの破れ目があって、ところどころ継ぎ接いで直してある。それに、とても汚かった。オリヴィエは帽子をじっと見つめた。この帽子はただの汚らしい三角帽子では無いと、オリヴィエは直感で理解していた。オリヴィエは魔法界に来て久々に、何も知らないわくわく感を味わっていた。なにせ、様々な情報を与えてくれた漏れ鍋の面々だが、組分け儀式については全員口を揃えて「その日のお楽しみ」とはぐらかしたのだ。

 何か仕掛けがあるだろうと思って見つめていると、広間中が水を打ったようにしんと静まり返っている事にオリヴィエは気がついた。広間に居る生徒全員が帽子に注目している。そして、とうとう帽子に変化が起こった。

 帽子の破れ目がもぞもぞと動き出して、人の口のように開いたのだ。オリヴィエは思わず息を飲んだ。全員の視線が帽子という一点に集まる中、帽子は開いた口を器用に動かし、歌い始めた。

 

「私は綺麗じゃないけれど

 人は見かけによらぬもの

 私をしのぐ賢い帽子

 あるなら私は身を引こう

 山高帽子は真っ黒だ

 シルクハットはすらりと高い

 私はホグワーツ組分け帽子

 私は彼らの上をいく

 君の頭に隠れたものを

 組分け帽子はお見通し

 かぶれば君に教えよう

 君が行くべき寮の名を」

 

 組分け帽子はそれからも歌い続けた。内容は至ってシンプルで、各寮の性質の紹介だった。グリフィンドールは勇敢、ハッフルパフは勤勉、レイブンクローは聡明、そしてスリザリンは狡猾。帽子はそう歌った後、「かぶってごらん!」と新入生に語りかけた。

 帽子が歌い終わると、4つのテーブルにお辞儀をする帽子に広間中の人間が拍手喝采した。オリヴィエも勿論、組分け帽子に惜しみない拍手を送った。明かされなかった組分け方法は実に単純、あの帽子をかぶるだけだったのだ。だが、今なら漏れ鍋の魔法使い達が組分け儀式の内容についてはぐらかしたのか、その意味が理解できる。というのも、オリヴィエは帽子が運ばれてから、ずっとわくわくしていたのだ。帽子の意味や動き、歌の内容について、オリヴィエは未知を楽しんで聞き入っていた。元々聞いていたら、その楽しみはなかっただろう。休暇に入ったら感謝を伝えに行かなければならないな、とオリヴィエは再三漏れ鍋の人々への恩義を実感した。

 マクゴナガル教授が前に進み出る。片手には羊皮紙の巻き紙を持っていて、何かのリストが書いてあるようだった。

 

「ABC順に名前を呼ばれたら、帽子をかぶって椅子に座り、組分けを受けてください───アボット・ハンナ!」

 

 マクゴナガル教授が名を呼ぶと、金髪で三つ編みお下げの少女が前に出てきた。ハンナはスツールに座り、帽子をかぶる。帽子が大きいのか、帽子をかぶると目が隠れて見えなくなっていた。ABC順ということは、オリヴィエは『コニアテス』なのでC、結構早い方だ。

 大広間にひとときの沈黙が訪れる。そして組分け帽子は、沈黙を破って叫んだ。

 

ハッフルパフ!

 

 瞬間、右のテーブルから大歓声が上がった。ピンク色の頬を更に赤くして、ハンナはハッフルパフのテーブルに向かう。さっき会った、太った修道士のゴーストがハンナに向かって手を振った。

 その後も何人かが組分けを受けたが、どうにも組分けの所要時間は不定期だった。かぶった瞬間に寮を叫ばれる者もいれば、しばらく悩まれる者もいる。帽子をかぶると寮がわかるというが、帽子は一体何を見ていて、どんな魔法がかかっているのだろうか。帽子の歌に遵守すれば読心のようだが、それだけを信じるわけにはいくまい。ただ、仮に帽子に読心の魔法がかけられていたとしたら、それは大きな発明だ。頭の帽子をかぶせるだけで胸の内は全部お見通し。相手の魂胆を見破ることが勝負の趨勢を大きく左右する魔術戦には重宝するだろう。是非、必要悪の教会(ネセサリウス)にも一つ頂きたいものだ。

 

「コニアテス・オリヴィエ!」

 

 思案していると、とうとうオリヴィエの名が呼ばれた。オリヴィエは早歩きで列を抜け、スツールに向かう。さっきと違って、全員の視線が間違いなくオリヴィエに注がれていた。それを自覚した途端、平静を保っていた心臓が大きく跳ねた。オリヴィエが一人前の魔術師として活動していて落ち着きがあるとはいえ、緊張くらいはする。一見すれば感情的にならなさそうなオリヴィエだが、普通より沸点が高いだけであって年相応に緊張も恐怖もするのだ。

 オリヴィエが帽子を頭に乗せると、帽子の裏地という黒が視界の約半分を覆い隠した。オリヴィエは唇を固く噛みながら、組分け帽子の言葉を待った。

 

「ほう」

 

 頭の中で低い声がした。さっき歌を歌った、組分け帽子の声だった。帽子の独り言が全て聞こえるシステムなのだろうか。

 

「なるほど、なるほどのう、すばらしい才能じゃ。未知への探究心……それと好奇心や向上心に溢れている。頭も良い。騎士道精神も持ち併せている。なんと、更に高みの存在を目指したいという大きな野望も持っている。機知と熟慮、そしてここ一番の豪胆さ。フーム、いやはや難儀な者が来たのう。どこへ入れたものか……?」

 

 組分け帽子の呟きが全部聞こえた。どうやらオリヴィエをどの寮に入れるかで迷っているらしい。なるほど、やっとわかった。組分けの所要時間が人によってまばらなのは、こういう風に帽子が迷うからなんだろう。複数の寮の特徴を併せ持っているとこういうことがあるのか、とオリヴィエは納得した。組分け帽子が言っていた内容は、オリヴィエの性格の分析の様なものだろう。探究心や向上心は魔術師としては一般的だし、機転や熟慮は強いて言えばこれも魔術戦の賜物だと思われる。騎士道精神もまた然りだ。オリヴィエの大きな野望、というのは魔神───魔界の神、ではなく魔術を極めすぎて神の領域に片足を突っ込んでしまった人間、という意味───の事だろう。オリヴィエは将来的に魔神を目指しているのだ。

 真剣に迷ってもらっているところ悪いのだが、オリヴィエ的には、魔法について深く学んでいるならば寮は関係ないと思っている。つまり、どこでもいい。

 

「どこでもいい、とはまた珍しい。特定の寮を求める者は多いが、寮に何も求めない者は滅多に見ないのう。選択はしない。ならばやはり、才覚のみで考えねばならんのう。はて、どうしたものか……」

 

 組分け帽子は長く唸っていた。こうだと言えばああだと言い、じゃあこうだと言ってまた戻ってくるという事を繰り返して、オリヴィエを何分か拘束した。いつまでたっても寮の名を呼ばれないオリヴィエに懐疑的な目を向ける生徒もぽつぽつ居て、オリヴィエは視界の下半分をなるべく見ないようにした。

 

「あの、私本当にどこでも構わないので、ランダムでいいので決めちゃって下さいよ」

 

「それはいかんな。君には大きな才能が秘められている。凡人とは言えないほどのな。君は偉大になれる素質、そして大きな野望を持っている。それこそ、世界に影響を及ぼす程のね。その才能を決して無駄にしてはならない。それを開花させるには寮という環境が非常に重要なのだよ。例えば、君が抱く更なる高みへの野望、狡猾さ、魔法の才能。これはスリザリン生の特徴なのだが、君の中に存在する知的好奇心や独創性、探究心はレイブンクロー的な要素なのだ。それに、騎士道精神やここ一番の大胆さはグリフィンドール的でもある。フーム、面白いが非常に迷う……」

 

 知りませんけど、そんなこと。それと『狡猾』は褒められている気がしない。こっそりそう思いつつ───帽子には筒抜けだが───静かに組分け帽子の独り言を聞き流す。そこまで迷われるくらいなら、オリヴィエが行きたい寮を行った方が早いかもしれないと思い、オリヴィエは考えてみた。

 

「……そうだなぁ。うーん、グリフィンドールはゴリ押しされたけど、グリフィンドールもグリフィンドールで問題アリだし、レイブンクローは悪くないけどそれでもグリフィンドールみたいに裏面もあるし。ああでも、悪い裏面があるからって何が変わるかって感じかぁ。でもなぁ……スリザリンが悪い寮とは聞くけどどこも変わらない様な気がするんだよなぁ……」

 

「そうとも限らん。スリザリンが闇の魔法使いを多く輩出したという事実もまた存在するのだよ。まあ、他の三寮からも輩出されてはいるんだが、そこは数の勝利という事だ。私はスリザリンが良いと思うのだが、君ならまっすぐレイブンクローを選ぶと思ったよ」

 

「あ、やっぱり聞こえるんだ。私はどこでもいいんですけど、レイブンクローは一筋縄で行かない人が多いようで。あなたには見えるでしょうが、諸事情でこちらに来てまして、厄介な人がいるのは好ましくないんです───素性が割れたら面倒だし───。そこは多分スリザリンもなんだろうから、消去法でグリフィンドールかな、とは今思いましたね」

 

「グリフィンドールか。悪くはあるまい。グリフィンドールは君を勇敢な英雄に育てる事だろう。私はスリザリンを押そうと思っていたが、スリザリンとグリフィンドールはコインの両面とよく呼ばれるのだ。つまり、良くも悪くも紙一重ということなのだよ。寮生同士の仲は悪いみたいだがね」

 

「いや、でもなぁ……グリフィンドールはなんか相容れない感じはあるんですよ。ハッフルパフじゃだめですか?」

 

「ハッフルパフかね?フーム……慈愛の心と献身性が欠けておるな」

 

「あーはいはいそうですか……。うん、言われてみればそうです。だめです。えーじゃあどうしましょう。スリザリンかレイブンクローだとスリザリンですかね」

 

「フム、なぜかね?」

 

「スリザリンって寮対抗杯を6年連続取ってるじゃないですか。それにクィディッチの成績も優秀だし。私は自分の学びに従事したいんです。寮対抗杯とかクィディッチとか、そういう事の切磋琢磨は他に任せておきたいんですよ。あと魔法薬学に興味があるので教授に気軽に質問がしたいです」

 

「ホー、なるほどな。前者は置いておくが、後者は確かに合理的だ。フム、よろしい。君の選択を尊重して……スリザリン!

 

 帽子が叫んだ。すると右から2番目のテーブルからはじけるような盛大な拍手と歓声があがった。あそこがスリザリンのテーブルのようだ。ふとスリザリンのテーブルを見ると、他に比べて人が少ないように思えた。スリザリンは悪評をよく聞くし、不人気なのかもしれない。組分け帽子の発言を見ると本人の意思も考慮されるらしいので、適性があっても本人の同意がなければ別の寮になるのだろうか。

 オリヴィエがテーブルに歩いて行くと、色々な人に話しかけられた。若干ぐったりとしたオリヴィエは、ゴーストの向かいの席に着いた。向かいのゴーストの服は血でべっとりと汚れていて、顔はげっそりと痩せこけていた。目は虚ろである。オリヴィエは、あんまり関わりたくないな、と思った。

 

 組分けはその後、つつがなく終了した。

 オリヴィエの近所にも人が座っている。しかも同級生だ。青白く、顎の尖った少年───ドラコ・マルフォイという名だった───とか、ドラコの腰巾着らしき2人のごつめの少年達、クラッブとゴイルとか、他にも同級生がいっぱい座っている。全員が全員若干性格の悪そうな顔立ち───オリヴィエの気の所為だと信じたい───で、オリヴィエ的にはどうにも居心地が悪い空間だった。

 全員が刮目したであろうハリー・ポッターは、グリフィンドールに組分けられた。ポッターは帽子をかぶってもオリヴィエと同じくしばらく迷われ、グリフィンドールの分けられるや否や大々的な歓声に迎えられながら───ポッターを取った! という快哉の叫びとかだ───歓迎されていた。グリフィンドールのテーブルが歓喜に沸き立つ中、ドラコはスリザリンのテーブルから濃密な怨嗟の視線を飛ばしていた。一体ポッターと何があったと言うのだ。

 全員の組分けが終わると、校長であるアルバス・ダンブルドアが立ち上がった。この校長のダンブルドアという魔法使い、どこで話を聞くにも「偉大な魔法使い」と言われるのだが、意外にも想像を絶する変人かもしれない。というのも、ダンブルドアは立ち上がると、二言、三言言わせてくれと言った後「わっしょい」「こらしょい」「どっこらしょい」「以上」とだけ言って座ったのだ。生徒全員が拍手したからつられてオリヴィエも拍手したが、一体何に拍手しているのかわからなかった。ダンブルドアは話を終え、座ると同時に手を叩いた。するとあら不思議、全員の前に置いてあった金の大皿の上にご馳走の数々が現れるではないか。

 ローストビーフなどの肉料理やじゃがいものボイル、グリル、フライ、ヨークシャープディング(ローストビーフの付け合わせによくあるシュークリームの外側みたいなやつだ)、豆と人参、ドバドバかけられるようにたっぷり用意されたソース類、それと、場にそぐわないハッカ入りキャンディ。広い世界の中で比較するとイギリス料理はまずいと言うが、そんなイギリス料理の中では珍しく美味しい部類の料理が山程並んでいた。

 歯磨きの時以外は口に入れたくないと心底嫌っているハッカが入ったキャンディを除いて、オリヴィエ的に大満足のラインナップである。オリヴィエは自制心という箍を外し、思うがままに食べたいものを食べた。このご馳走ときたらどれもこれも美味しくて、これから毎日この出来の料理を食べられる事に対して一周回って恐怖した。

 だがオリヴィエは些末ごとを気にしない。それらは一旦保留の箱に入れておいて、まずは目の前の豪勢な料理をいただこう、とナイフを取った。

 

 皆が腹を満たすと、そのタイミングを見計らった様に豪勢なディナーに取って代わって皿の上に現れたのはこれまた豪勢なデザートだった。

 世界中の味を集めた様なアイスクリーム、糖蜜パイ、エクレアやドーナツ、トライフル(カスタードやスポンジケーキ、フルーツなどを器のなかで層状に重ねたスイーツ)、フルーツ、そしてオリヴィエの大好物のアップルパイが金の皿の上で煌びやかに光っていた。

 オリヴィエは他の魅力的なスイーツ達には目もくれず、ひたすらアップルパイを食べた。オリヴィエは偏食な訳ではないし、甘いものに関してアップルパイ以外嫌いな訳ではない(オリヴィエが嫌いなのはセロリとハッカとゲテモノくらいだ)。ただ、甘いものの中でアップルパイがそれはもう本当に好きなだけなのだ。なにより紅茶に合う───オリヴィエの主観で、だが───。

 オリヴィエはアップルパイを頬張りながら周りを見渡した。グリフィンドールのテーブルでは、希望通りグリフィンドールに分けられたハーマイオニーが銀のバッヂをつけた上級生と授業について話していた。饒舌に話しているハーマイオニーと、スリザリンのテーブルで自慢話とマグル差別話を長々と語るドラコの姿が重なった。あの2人、マグル出身とマグル差別主義者という正反対の立場ながら気が合いそうだった。しかし、オリヴィエのような口下手ならまだしも、普通の人があれだけの長話をされたらうんざりするに違いない。だがハーマイオニーやドラコはまだ中身のある事を言ってくれるからまだ良い方だ。一番嫌がられるのは喋りが下手なくせに中身のない話を長々と話すことである。だからオリヴィエは長々と話せないのだが。

 

「ああ、君の生まれはどうなんだい? そういえば聞いていなかったけど。ええと、オリヴィエだっけ?」

 

 噂をすれば、というやつだった。ドラコがオリヴィエに話を振ってきた。オリヴィエの意識は完全に思考の海の中にどっぷり浸かっていたのだが、名前を呼ばれていきなり現実に引き戻された。急に振られて面食らったオリヴィエは、反射で「えっ」と言ってしまった。これ以上変な目で見られたくはないオリヴィエは周りに気付かれないように息を吸って、

 

「はい、そうです。あ、敬語は要らないか。私はオリヴィエ・コニアテス。よろしく。それで、生まれの話? 実は私、捨て子だから両親について知らないの。だけど、私を拾って育ててくれたのは

 

 魔術師、と言おうとして、飲み込んだ。捨て子というのは本当で、拾ってくれたのは最大主教(アークビショップ)ローラ=スチュアートだった。ローラは実は魔術師だから何ら嘘は言っていないのだが、魔術師であるオリヴィエが魔法について知らなかったのと同じで、魔法界には魔術は浸透していない。ここでオリヴィエが魔術師と口走ると、変な目を向けられるかもわからない。建前以上とはいえ潜入するのだから、寮内で変に孤立するのは避けたかった。

 

「───魔女、だよ」

 

 一瞬の空白を誤魔化すように、オリヴィエはからからと笑ってみせた。だがしかし、オリヴィエ自身が笑うのに慣れてない上に笑い方が変だった所為で、空気が若干変になる。話を振ってきたドラコはと言えば、なんだか気まずげな顔をしている。捨て子、という単語の所為だろうか。それとも、少々溜めたのが意味深に聞こえてしまったのかもしれない、とオリヴィエは思った。だが、オリヴィエは別に親が居ない事を気にしていないし、ローラが実の親の様なものだから実の親には興味がないので、特にコンプレックスは無い。そうやって本人よりショックを受けるのは11歳という幼さ故の感受性の高さの所為だろうか。流石に一端の責任を感じたオリヴィエが「ドラコの方はどう?」と話題を投げると、ドラコはこれ幸いとばかりに自分の家柄を自慢しだした。

 この一連の流れの中、オリヴィエの真正面に座っているゴースト、血みどろ男爵(ブラッド・バロン)は、虚ろな顔で虚空を眺めながら何も食べずに座っていた。オリヴィエがさっきローストビーフを頬張りながら聞いたら、ゴーストに食事は必要ない(当然だ)と言われた。血みどろ男爵は話しかければ答えてくれたが会話に積極的ではなかったと思う。それと、やたら尊大な口調で寮対抗杯の獲得を寮生に呼びかけた。今年も取れば7年連続。全学年で寮対抗杯を獲得する生徒が現れるだろう。なるほど、素敵な箔になることだろうとオリヴィエは思った。だが、オリヴィエの仕事はそこではない。オリヴィエは1人意識を他に飛ばしながらアップルパイを頬張っていた。

 最後の一つと決めたアップルパイをもそもそと飲み込んだタイミングで、丁度よくデザートが消えた。残念だが、楽しい夕食時は終わってしまったようだった。しかし不満は上がるまい。全員が全員、好きなだけ食べて好きなだけ飲んだ事だろう。全員満腹でこれ以上食べようがない程───勿論オリヴィエも例に漏れず好きなだけ───食べたはずだ。

 デザートが消えると、上座のテーブルに座っていたダンブルドア校長が立ち上がった。ダンブルドアは全体を見回し、咳払いをした。

 

「エヘン、皆、よく食べ、よく飲んだ事じゃろう」

 

 ダンブルドアはそう言い、生徒への注意喚起を行った。端的にまとめれば、

 ・敷地内の森に入ってはならない。

 ・廊下での魔法の使用の禁止。

 ・クィディッチの参加希望者はマダム・フーチ───白髪金眼の鷹のような容姿の女性───に申し出る事。ただし1年生は参加不可。

 ・痛い死に方をしたくない人は今年いっぱいは4階右側の廊下に入らない事。

 という事だった。最初の3つは一般的な学校でも有り得る物だったが、4つ目の注意は引っかかる。『今年いっぱい』と指定していることは、去年まではそういう事はなく、来年は解決されるという事だろうか。まあ、今年いっぱいということは1年間の猶予があるという事だ。今考えても仕方あるまい。ちなみに、ジョークだと捉えられたのか少数ながら笑っている生徒も居た。オリヴィエも無意識で聞いていれば笑っていた事だろう。痛い死に方をしたくない人は、なんて言い回しが面白くない訳がない。

 その後の校歌斉唱は、悪い方向で想像以上だった。『校歌』という単語を聞いた瞬間教授方の表情が強張った時点で、まともではないだろうとは勘付いていた。4言だけ話すという奇行を成し遂げたダンブルドアなら何かあるはずだと思ったが、まさか校歌にメロディーがないとは思わなかろう。一瞬は面食らったが、その後はオリヴィエも乗ってきて、ふざけた歌詞をとびきりゆっくり歌ってやった。どうやら一番遅かったのはオリヴィエではなかったが、久々にはっちゃけられたとオリヴィエは思った。オリヴィエはそもそも、ふざけるのは嫌いではない。きちんとやることをやっていれば万人にふざける権利がある、とオリヴィエは思っている。無論、何もせずただふざけるのは言語道断だ。

 歌い終わると、何が琴線に触れたのかはわからないがダンブルドアが涙を流した。ダンブルドアは涙を拭いながら、寮に戻るように全員に呼びかけた。

 スリザリンの一年生は、監督生ジェマ・ファーレンの後ろについて歩いて行った。ジェマは一年生に対して至ってフレンドリーに接し、スリザリンの伝統や誤解、素晴らしさを演説した。ジェマは中々オリヴィエの中では───寮の優劣を語っていたという点を加味しても───好印象だ。もっとも、魔法界に来てからハーマイオニーやドラコといった人物とばかり会ってきた所為かもしれないが。

 スリザリン寮はホグワーツ城の地下室で、迷路のような廊下の先にある石の壁が入口だった。入口の前で合言葉───2週間ごとに変わるらしいから掲示板を注意するように、とジェマのアドバイスがあった───を言うと扉が開く。先の談話室は大理石に囲まれた荘厳な雰囲気で、天井が低かった。壮大な彫刻が施された暖炉ではパチパチと火花が弾け、天井からは緑色のランプが下がっている。そして窓の向こうには水が張ってあり───ジェマ曰く、ホグワーツ湖らしい───仄かに魚っぽいものは見えた。暖炉や緑の光の暖かみと、石造りの冷たさが共存している不思議な場所だった。

 女子寮には、緑のシルクの掛け布がついたアンティークの4本柱のベッドがいくつか置いてあって、ベッドカバーには銀の糸で模様が刺繍されていた。天井からは銀のランタンが下がっていて、丸い窓からも、星と月の頼りなくて青白い光が差し込んでいる。壁にはタペストリーが飾ってあって、ジェマ曰く有名なスリザリン生の冒険が描かれているらしい。

 オリヴィエは、明日は報告のために寝るのが遅くなるだろうから早く寝ようと、テキパキとパジャマに着替えた。ベッドに入ると、シルクでできた掛け布が思っていたより心地良い。それに、湖の水が窓に打ち寄せる穏やかな音は、何かの波動を伴っているのか疑うくらいに安心する音色だった。

 

 オリヴィエは満腹だったこともあり、あっという間に深い眠りに落ちた。




 はい。オリヴィエちゃんはスリザリン生になりました。
 ギリギリまでスリザリンかグリフィンドールか迷いましたが、私はスリザリンひいてはスニベルスをゴリ押ししております。私利私欲です。
 これからオリヴィエちゃんが絡むのはスリザリン生が多くなりますが、オリヴィエちゃんは寮別差別はしない子なので寮関係無く話してくれると信じております。口下手ですが、実は話したがりなのです。魔術オタクってやつです。
 あと、確証はありませんがオリジナルのグリフィンドール生を出すかもしれないです。ダメな人は読まない事を推奨します。
 では、この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)
 ちなみに。原作ではスリザリン寮は「地下牢」と訳されていますが英語版「dungeon」はニュアンス的に「地下室」が近いらしいのでこの小説では「地下室」を採用しました。


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第5話 教授と授業

 ふくろうの羽搏き。

 

 皿を弄る甲高い音が嫌でも耳に届いてくる。人は多く、駄弁りと囁きが部屋に充満している。角度のついた日差しが大きな窓から差し込み、半分寝ぼけたままの重い瞼を刺激する。

 非の打ち所がない、完璧な朝。

 ホグワーツ魔法魔術学校は、新学期が始まってから幾度目かの朝を迎えていた。

 

「はぁ…ふぁ」

 

 昨日は2日の報告の為に夜更かしした分、普段よりも寝るのが早かったのにまだ眠い。オリヴィエは、全生徒が朝食をとる食堂で大欠伸をした。

 ―――ちなみに欠伸をしたときに涙が出てくるのは、欠伸の時の表情が無意識に涙腺を刺激するからだそうだ。前に聞いた事をふと思い出したオリヴィエは瞼に涙を溜めながら、テーブルに並ぶ朝食に手を伸ばした。

 

「あら、素敵な欠伸。何時まで起きてたのよ」

 

 隣に座っていた少女がオリヴィエに言う。金髪に青い瞳の少女だ。やや皮肉るような感じの言い方だったが、これはイギリス人としては普通と言えるものである。それどころかこれは大分優しい言い方だとさえ思えた。スリザリンは他の三寮から孤立しているから集団意識が強いと聞いていたが、よもやこれだけ早く実感するとは思うまい。まだ出会って1週間と経たないと言うのに、とオリヴィエは思った。

 

「昨日はすぐ寝たよ。でも眠りが浅かったのか普段の寝不足が祟ったか……まあでも、いつもの事だよ。―――ダフネ」

 

 オリヴィエはトーストにバターとマーマイトをたっぷり塗りながら、少女―――ダフネ・グリーングラスに返した。ダフネは短く息を吐いてスクランブルエッグを皿に取る。ダフネはオリヴィエと同じスリザリン生で、オリヴィエのベッドの隣だった。どうやらスリザリンの伝統にもれず名家の出身らしく、『グリーングラス』という家は魔法界では有名らしい。

 

聖28一族(Sacred Twenty-Eight)を知らないなんて、貴方どこ出身? イギリス、どころかヨーロッパの魔法使いなら大体知ってるわよ」

 

「イギリス出身だけど育ての親が魔法界から離れて生きてたの。魔法界に来たのはほんの1ヶ月くらい前」

 

「へえ。変わってるのね」

 

 ダフネと話し始め、グリーングラス家を知らないと言った直後のやりとりだ。オリヴィエは咄嗟に、極自然な理由をでっち上げた。『捨て子で身寄りがなく、魔法界から離れて生きていた育ての親の魔女に拾われて魔法を習いながら育った』という筋書きだ。多分、これなら疑われる事も邪険に扱われる事もないだろう、とオリヴィエは我ながら感心する。少しでも違和感を感じさせれば疑われ、最悪寮内で孤立する事もあろう。今後の学園生活において、寮内で孤立するのはなるべく避けたい事だった。

 魔法界に名家が存在するというのは知っていたが、聖何々族という風なランクがあるのは初耳だ。ダフネ曰くスリザリンにも多く居るそうで、同級生だけでダフネ以外にもパンジー・パーキンソンやミリセント・ブルストロード、セオドール・ノット、それとドラコ・マルフォイなんかも聖28一族の出身らしい。特にマルフォイ家は聖28一族の中でも富豪で、だから嫌に金をかけられるんだそうだ。

 ダフネとは初日の授業で隣の席だった辺りからたびたび話をする仲で、ダフネを経由してパンジー・パーキンソンやミリセント・ブルストロードとも話をする。そこまで親しい訳ではないが、話し相手が居るというのは精神的にはプラスだ。パンジーはどことなく―――失礼な気がするが―――パグ犬っぽい顔立ちで、キーキー声でグリフィンドール生を貶しているのをよく見かける。ミリセントは体が大きい所謂武闘派で、グリフィンドールに敵対心があるのは間違いないがパンジーのように口で貶すことは少ない。二人とも意地悪い感じだが、スリザリンの風潮にもれずスリザリン生には親切だ。

 スリザリンは悪評をよく聞くが、6年連続で寮対抗杯を取っているように優秀である事は間違いなかった。グリフィンドールのポッター―――初日からひそひそ話の肴にされていて哀れに思った―――と因縁がある(らしい)ドラコも、自慢が多いのとマグルを差別する事以外には難が見当たらなかったようにオリヴィエは思った。

 授業自体は、予習をしていれば難なく乗り越えられるものだった。強いて言えば魔法史の授業がいやに眠くなるくらいだ。魔法史の教鞭をとるビンズ教授はホグワーツ唯一のゴーストの先生で、昔暖炉でうとうとしていたらうっかり体を置いてきてしまったらしい。ビンズ教授の物憂げで一本調子な話は何故か眠気を誘い―――催眠術でも使っているんじゃないかと本気で思う―――寝ないように必死に羽根ペンを握っていると、気付けば授業が終わっている。予習で本を読み込んでいなければ絶対に詰んでいた、とオリヴィエは思う。

 変身術は意外に難儀だった。変身術は入学式の案内をしたマクゴナガル教授の担当だったが、マクゴナガル教授は授業が始まるが否や変身術の危険性や心構えを説き、ふざけるのは授業を受ける資格がないと説教を始めた。オリヴィエの予想の通りかなり厳格だったようだ。それに、『物を変化させる』という学問は、ノートに取った複雑な理論が理解できてもいざやるとなれば話は別だ。最初の授業で出された課題はマッチ棒を針に変えるというものだったが、杖による魔法の処理にまだ不慣れなオリヴィエは勿論、クラスの全員が苦戦した。オリヴィエは反則的に魔術の力で理論を補強しなんとかコツを掴んだものの、オリヴィエ以外に変えられた者は少なかった。

 『闇の魔術の防衛術』のクィレル教授は、青白くて、どもりで、体調が悪そうで、そしてにんにく臭かった。頭に巻いているターバンはゾンビを退治した時にアフリカの王子に貰ったらしいがどうにも秘密が隠されていそうで、上級生の先輩はターバンの中に道具を隠していると推測していた。授業は実に退屈で期待外れ感が否めないものであり、肩すかしを食らった気分だった。

 その代わり、オリヴィエの心を躍らせたのは天文学だった。夜空を眺めて星をじっくりと観察するのは、さらなる魔術の研鑽にも―――星空を魔法陣として組み込む魔術の使い手として―――繋がる。オリヴィエにとって魔術師としても一人の少女としても楽しさを感じるものだった。どのくらいかといえば、授業ということを忘れるくらいには。

 逆に授業に行くまでが難関だった。階段は動くし、扉はトラップ付きだし、道はいやに入り組んでいた。ゴーストが壁をすり抜けるときはドッキリするし、ポルターガイストのピープズは時と場所を問わず邪魔をしてくるし、管理人のフィルチは生徒達を下らない理由で処罰しようとする。道を聞こうとしても教えてくれるのは同寮の先輩くらいのものだ。先輩がいなくて他寮生にうっかり話しかけようものなら、胸元の蛇の刺繍を見られた瞬間音の速さで遠ざかられる。廊下に居ても何処と無く遠巻きに見られている気がするし、こういう時にはスリザリンの嫌われぶりを実感するというものだ。寮差別を気にしないオリヴィエとて、流石に精神に来る。

 難儀な1週間を回想し、オリヴィエは息を吐きながら苦く笑った。側に座るダフネはオートミールに砂糖をかけながら、

 

「そうそう、今日は魔法薬の授業よ。グリフィンドールと共同でね。ほら、魔法薬の先生のスネイプ教授ってスリザリンの寮監でしょう? だからスリザリンを贔屓してくれるんですって」

 

 やや上ずった声で、かつ「グリフィンドールと共同で」という所だけ憂鬱そうに言う。

 ―――魔法薬学。オリヴィエが興味津々だった教科のひとつだ。オリヴィエの仮説によれば特異な材料に無意識下で魔力を込める事によってあらゆる効果を顕現させるという訳なんだが、実際にやってみない事にはわからない。カラクリを知りたいのもオリヴィエが楽しみだった一因だが、それ以上に単純な向上心だ。オリヴィエは魔術師として薬を作ったりした事がなかったので、更なるスキルアップを目指したかった。

 スネイプ教授は、土気色の顔に大きな鉤鼻が目に付く人で、肩までのねっとりとした長い黒髪の前髪を左右に分けている。目は黒で、ローブの色も真っ黒。遠目から見るとまるで育ちすぎた蝙蝠のようであった。

 ついでに言うが、魔法薬学はスリザリン生が得意とする事が多い教科らしい。実際、スリザリンの寮監であるスネイプ教授は魔法薬学の先生だ。スネイプ教授がスリザリンを贔屓してくれるというのも、少しばかりは耳にした事がある。スネイプ教授のスリザリン贔屓が、スリザリンが毎年寮対抗杯を獲得できるカラクリの一つなんだそうだ。

 だが、オリヴィエの仕事は魔術と魔法の融合を進めることであって、寮対抗杯を獲得することは二の次。そんなことはオリヴィエには関係のないことなのだ。オリヴィエは牛乳を入れたティーカップにポット入りの紅茶を注ぎながら、内心で呟いた。

 

 

 

 さて、時間は進んで件の魔法薬の授業。

 最近どうも心地よく感じるようになってきた地下室特有の冷気を浴びつつ、オリヴィエは魔法薬学の教室になる地下室の一角に座っていた。

 オリヴィエから3つほど離れた席に、ダフネやパンジー、ミリセントに加えてドラコとその腰巾着が座っている。パンジーはいつもドラコのそばにいるので、パンジーに誘われてダフネやミリセントはあっちに行ったのだろう。―――そんな訳で、オリヴィエは離れた場所でぽつんと座っていた。

 グリフィンドール生に対して、スリザリンでよく悪口を聞くからか若干悪意よりに捉えてしまう傾向にオリヴィエは気付いた。無論優秀な生徒は居るだろう。ハーマイオニーなんかは典型的だし、マクゴナガル教授もダンブルドア校長もグリフィンドール出身らしい。だが、どうにも元気が有り余っている感がある―――活きがいい、とも言えるかもしれない―――。ここ1週間グリフィンドール生を観察していたが、どうにも落ち着かない。まあ、年齢的に考えれば当然かもしれないのだが。

 冷え冷えとした雰囲気の、大理石でできた壁の模様を眺めていると、視界を誰かが横切った。多分同級生だ。ローブに入った刺繡には獅子があしらわれていたので、グリフィンドール生だとわかる。影の姿だけがオリヴィエの視界に入り込んだ。影はオリヴィエの眼前で立ち止まり、言った。

 

「―――ええと、隣に座ってもいいかな?」

 

 同級生にしては大人しい声色だが、決して低い声ではない。年相応のやや高い声で、なんというかお人好しそうな感じがした。グリフィンドール生にしては物腰が柔らかい。声からして男子だろう、とオリヴィエは予想し、影の顔を見た。

 そこにいたのは、オリヴィエが予想した通り少年だった。普通とも平凡とも表現できる大人しそうな顔立ちの、知らない少年だ。髪は焦茶で短く、これまた平凡な髪形だった。表情作りは柔らかく、声と同期してお人好しそうな雰囲気だ。唯一緑の瞳が特徴的で、瞳だけが鮮やかな印象を残していた。

 少年はオリヴィエを見た。オリヴィエが顔を上げると、少年の視界に蛇の刺繍が入る。瞬間、少年がげっという表情を浮かべ、目を忙しなく泳がし始めた。

 全くもって心外なオリヴィエは端に寄り、「どうぞ」と手で指した。少年は若干引き攣った笑みを浮かべ、オリヴィエに感謝を述べる。

 

「えっ、と。アー、ありがとう。ここ以外空いてなくて。―――はじめまして。僕はアルバート・ラーゼス。アルって呼んで。君はなんて言うの?」

 

「オリヴィエ・コニアテス。よろしくね、アル」

 

 少年改めアルバートは、オリヴィエの隣にそっと腰を下ろした。アルバートは椅子に座ってから、オリヴィエと若干距離を取った。

 ほどなくして担当教授のスネイプ教授がやって来て、授業が始まる。

 スネイプ教授はまず、柔らかい猫撫で声で出席を―――妖精の魔法の担当教授であるフリットウィック教授と同じく―――取った。そして、ハリー・ポッターに来た辺りで少し停止し、

 

「ああ、さよう。ハリー・ポッター。われらが新しい―――スターだね」

 

 ドラコとその取り巻きがクスクス笑いをした。スリザリン生はおおよそ冷やかし、グリフィンドール生はおおよそ不快感をあらわにした。

 教授は虚ろな黒の目で生徒全体を見渡した。温かみなどは微塵も無く、虚無の擬人化のような佇まいだった。

 スネイプ教授はイメージそのままの静かな雰囲気で、呟くように話し始めた。

 

「このクラスでは、魔法薬調剤の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ。―――このクラスでは杖を振り回すようなバカげたことはやらん。そこで、これでも魔法かと思う諸君が多いかもしれん。フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち昇る、人の血管をはい巡る液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……諸君がこの見事さを真に理解するとは期待しておらん。我輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえふたをする方法である―――ただし、我輩がこれまでに教えてきたウスノロたちより諸君がまだましであればの話だが」

 

 静まり返っていた教室は、より一層シンとした。スネイプ教授は呟くように静かに話しながら、教室にいた全員を静まり返らせる力があった。

 大演説を聞いた生徒の中には、自分がウスノロではないと一刻も早く証明したがっている生徒だっていた。そんな生徒―――主にハーマイオニー・グレンジャーだが―――は椅子に浅く腰掛けて前のめりになり、発言したそうにうずうずしていた。

 演説後の静けさを真っ先に破ったのは、他ならぬスネイプ教授だった。教授は途端に「ポッター!」と叫んだのだ。

 

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」

 

 授業記録として残しておこうと羊皮紙と羽根ペンを取り出すオリヴィエの横で、アルバートが「うげ」と小さく呻いた。そりゃそうだろう。授業をする前から授業で習う事を聞くなんて意地悪もいいところだ。―――ちなみにアスフォデルとニガヨモギは植物の一種で、教授の言った工程を踏むと非常に強い眠り薬になる―――『魔法の薬草ときのこ1000種』に書いてあった―――実際、ポッターはどうにもできずに隣の少年と顔を見合わせたり目を泳がせたりしていた。スネイプ教授は真面目腐った顔を保っていたが、口元だけは正直に笑っている。そして苦戦するポッターを後目にハーマイオニーが右手をぴんと伸ばして答えたがっていた。こっちはこっちででしゃばりたがりではないだろうか、とオリヴィエは溜息を吐いた。意地悪な問題を出す教授も教授だが、ここででしゃばるハーマイオニーもハーマイオニーだ。一種の授業妨害である。ポッターは逡巡ののち、観念して素直に「わかりません」と答えた。

 

「チッ、チッ、チ―――有名なだけではどうにもならんらしい。ならばポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいと言われたら、どこを探すかね?」

 

 ペン先を紙の上でさらさらと踊らせつつ、これまた難解な問題だ、とオリヴィエは嘆息する。ベゾアール石は大抵の毒に対する解毒剤になるため魔法薬ではよく使われ、石というものの鉱物の類ではない。山羊の毛や食物繊維で構成されているもので、探すべきは山羊の胃の中だ。だが「石」という先入観のせいで鉱山などを答えかねない。というか、そもそも聞かれた当人のポッターは何が何やらといった面持ちで視線をおうむ返ししている。失礼に当たるのは重々承知だが、どうにも笑える光景だ。オリヴィエの三つ先の席で、ドラコ達が我慢しきれずに腹を抱えて笑っている。流石に我慢するべきだろうに。ポッターはなるべくドラコを見ないようにしながら、またも「わかりません」と答えた。その近くで、ハーマイオニーが座ったまま更に手を伸ばしていた。

 

「クラスに来る前に教科書を開いて見ようとは思わなかったわけだな、ポッター。え?」

 

 そりゃあ誰だって目を通しはするだろう。ポッターも「そりゃ目は一応通して来たけどさ……」という面持ちをしている。だが即答出来るほどまでに隅々まで記憶するのなんてハーマイオニーかオリヴィエくらいのものだ。つまり、変人なのだが。

 ハーマイオニーの指先がまだプルプルしている。そろそろ下ろしていいんじゃないか。流石に疲れてきただろうに、とオリヴィエは苦笑した。

 教授はくつくつと笑いながらポッターを見ていた。単純に生徒をいびりたいのかポッターが嫌いなのかは判別がつかないが、後者だったとしたら教授はポッターに何をされたというのだ。曲がりなりにもポッターは生徒だというのに。

 

「ポッター、モンクスフードとウルフスベーンの違いはなんだね?」

 

 オリヴィエがペンを持ってモンクスフードの「m」を書こうとした瞬間、ガタン! と音がした。見てみれば、ハーマイオニーが椅子から立って手を伸ばしている。ハーマイオニーが伸ばした手は、地下室の低い天井に届かんばかりに垂直にそびえていた。

 

「わかりません。―――ハーマイオニーがわかっていると思いますから、彼女に質問してみたらどうでしょう」

 

 ポッターは半ば諦め気味に、至って落ち着いた口調で言った。なるほど、ポッターの中で教授は低評価大量生産ラインを構築したらしい。

 ポッターの冗談に、数人が笑い声を上げた。そこで笑ったのはもっぱらグリフィンドール生―――隣に居たアルバートも小さく吹き出していた―――オリヴィエがさっと目をやると、真面目腐った顔を急いで繕っていた―――で、スネイプ教授を筆頭としたスリザリン陣営は苦い顔をしていた。スネイプ教授は不快そうに、「座りなさい」とハーマイオニーに言った。そして教授は、ポッターが無礼な態度を取ったとしてグリフィンドールから一点を引いた。

 

「さて、さて、さて―――無知なる我らが英雄に代わって我輩の問いに答えられる生徒は居ないものかね。ふむ、ではそこの―――コニアテス。今の三つの問いに答えてみたまえ」

 

 ―――なぜ私をチョイスするのだ。

 オリヴィエは急に呼ばれて、一瞬身を固くした。見渡せば、クラスにいる生徒達がオリヴィエを見ていた。見られている。ここで間違えればスリザリンから点を引かれるだろうか。スリザリン贔屓といっても建前上で減点くらいはするだろうし、同級生からはぶかれたりはしないだろうか。寮内での孤立は望ましくない。ここは落ち着いて、一つ一つ丁寧に答えていこうと思い、オリヴィエはゆっくりと立ち上がった。

 

「まず、アスフォデルとニガヨモギは、教授の仰った工程を踏むと強力な眠り薬になります。強力すぎる故に死ぬまで起きないとも言われ、通称『生ける屍の水薬』と呼ばれます。次に、ベゾアール石は大抵の毒に対する解毒剤になります。山羊の毛や食物繊維などで構成されていて、山羊の胃の中を探すと見つかります。そして、モンクスフードとウルフスベーンは両方ともトリカブトを指す言葉で、別名『アコナイト』とも呼ばれます。故に違いはありません。トリカブトは強い毒性を持ちますが、脱狼薬に使われるなど魔法薬ではよく用いられます。―――いかがでしょうか」

 

 オリヴィエは普段よりもゆっくりと話し、一言一言を噛みしめるように言った。

 教室はしんと静まり返っていた。他の生徒達がオリヴィエを見ている。オリヴィエは視線から逃げるように、自分の机上に置いた教科書の文字を目で追っていた。

 教授が押し黙る。そして教授は、ゆっくりと口を開いた。

 

「よろしい。完璧な回答である。―――ところで諸君、なぜ今の回答を全部ノートに書きとらんのだ?」

 

 ばさばさ、と紙を取り出す音が一斉に鳴った。全員が紙の上で急ぎ足にペン先を踊らせる中、オリヴィエは教授の声をしかと聞いていた。

 

「ミス・コニアテスの完璧な回答で、スリザリンに五点加点」

 

 そりゃどうも。

 

 その後の授業も、ポッター延いてはグリフィンドールにとって状況は良くなっていかなかった。

 教授はこの授業で『おできを治す薬』を教えた。教授は、生徒達が干イラクサを計ったりヘビの牙を砕いたりしている脇をぬうように歩き、間違った事をしていると注意していった。スリザリン生の中でもお気に入りらしいドラコを除いて、全ての生徒が教授から注意を受けた。オリヴィエの脇でヘビの牙を砕いていたアルバートが、やや不機嫌そうに角ナメクジを鍋に入れた。

 

「けっ、スネイプのやつ。スリザリン贔屓はどうにかならないのかな」

 

「と、私の前でそれを言うの?」

 

 アルバートはぼそっと呟いただけだったが、オリヴィエは耳聡く見つけて冗談っぽく返してみる。アルバートはさっと顔色を変え、しどろもどろになりながら弁明した。

 

「あ、いやーその、君を悪く言った訳じゃないんだ。あくまでスネイプ―――『教授』の、スリザリン贔屓に言及しただけであって。アー、えっと、そうだ。君、さっきのすごかったね。僕は感心したよ。あんなスラスラ答えられるなんてすごいや。それに、君は凄く親切な人なんだね。なんというか、その、偏見みたいのがあったんだ。ごめん。えっと―――コニアテス、さん?」

 

「オリヴィエでいいよ。それに、寮ごとに確執があるのはわかってるから気にしてない。それより、ドラコが角ナメクジを完璧に茹でたみたいだからあっちを見てみ―――

 

 オリヴィエが言いかけた瞬間、強烈な緑が地下室に充満した。シューシューという音が響き渡る中、オリヴィエが主を探すと、ネビル・ロングボトムが半べそになりながらねじれた小さな鉄の塊をどうにかしようとしていた。あれは大鍋だろうか。どうもロングボトムが失敗して大鍋を溶かしてしまったらしいのだ。机からこぼれ落ちた薬が石の床を伝って部屋中に伝播しながら靴裏を溶かしていったので、オリヴィエは咄嗟に足を上げて椅子の上に避難した。ロングボトムは大量の薬が直接かかったらしく、全身に出来たおできの痛みに苦悶しつつ大声で呻いていた。

 

「バカ者!」

 

 スネイプ教授が怒鳴る。教授はマントの下から杖を取り出して一振りすると、部屋中に広がっていた失敗した薬がたちまち消え去った。

 ―――無言呪文!

 オリヴィエは内心、感動に咽び泣いていた。入学式直前にハグリッドが見せた小舟を動かす無言呪文も然りだが、キチンと魔法を修めた大人はこんなことができるのか。単純な術式構築の練度か、魔力錬成の効率化か、はたまた別の要因か。ともかく、授業の疑問点を含めて授業後に教授に質問せねば。オリヴィエは考えながら、ロングボトムに同情混じりの視線を向けた。

 

「おおかた、大鍋を火から降ろさない内に山嵐の針を入れたんだな?」

 

 教授がつかつかと歩きながらロングボトムを責め立てたが、ロングボトムはおできが鼻にまで広がってきて、大泣きしていたので答えるどころではなかった。ロングボトムの隣の少年に対し、医務室へと連れて行くように、と教授は苦々しげに指示した。それから教授は隣で作業をしていたポッターと友人らしき少年へ向き直った。

 

「君、ポッター、針を入れてはいけないと何故言わなかった? 彼が間違えば、自分の方がよく見えると考えたな? グリフィンドールはもう一点減点」

 

 教授がまたも減点した。本当に話を拝聴願いたいのだが、ポッターとグリフィンドールに一体何をされたと言うのだ。

 三つ向こうの机で、ドラコが腹が捩じ切れそうなくらいに大笑いしている。ポッターを笑いたいなら談話室で物真似でもして笑いをとっていれば、少なくとも平和だというのに。気持ちは理解できない訳ではないが、もう少し場を弁えるべきだとオリヴィエは思った。別に、人間誰しも馬が合う人間と合わない人間が居るのだから、嫌いな人間がいたりそいつを嘲笑ったりするのは否定しないが、最低限の倫理観と社会性は人間としてあって然るべきである。オリヴィエは溜息を吐きながら、アルバートに山嵐の針を渡した。

 

 教授は結局、スリザリンへの加点はすれどそれ以上の減点は行わなかった。

 全員が薬を煎じ終わったのを見計らってからドラコが作った魔法薬を露骨に褒め、教授はスリザリンへ五点加点した。

 ロングボトムが事故を起こしてから一時間後、授業が終わって地下室から出て行くドラコは得意げだった。

 

「見たかい、あのロングボトムの間抜け顔。あいつが僕と同じ聖28一族の出だなんて、考えるとぞっとするよ。あいつなんて穢れた血や出来損ないの失敗作(スクイブ)と変わらないじゃないか」

 

 それからドラコは鼻高々に自分の作った魔法薬を自慢し、ポッターに家族が居ない事や先刻の減点の件で嘲った。

 アルバートは不快そうに顔を歪め、羊皮紙と教科書と筆記用具を乱雑に抱えてつかつかと歩いていった。アルバートが居なくなったのを見計らったようにダフネやパンジーがやってきて、「グリフィンドールなんかとつるまない方が良い」「アルバートはマグル生まれだ」とオリヴィエに忠告していった。

 

「私を心配してくれたのかな? ありがとう。でも、私はあんまり寮が違うとか生まれが違うからって区別するのはよくないと思う。あ、じゃあ私はスネイプ教授に質問したいことがあるから、先に戻ってて」

 

 オリヴィエが言うと、ダフネ達は顔をしかめて地下室を出ていった。ダフネ達が居なくなった軌跡を目で追いながら、オリヴィエは羊皮紙と羽根ペンを携え、授業の後片付けをしていたスネイプ教授のところへ小走りで近付いていった。

 

「教授、失礼します―――いくつかお聞きしたいことがあるのですが」

 

 教授が不機嫌そうな顔のままにオリヴィエの方へ向いた。

 オリヴィエが聞いたことはちょっと多過ぎたので、ここにはきっと書ききれないだろう。




 「でも先生! コニアテスが無知だったら恥ずかしいのは先生です!」
 「だまらっしゃい!」
 先生の事を教授と読んでいるのは、どうやら原作ではprofessor(=大学の『教授』)らしいからです。間違ってたら即座に直します!!!
 次回はネビル落下事件です。早い話が飛行訓練ですね。オリヴィエちゃんは動くのか! 動かないのか! ご自身の目で確かめて頂ければな、と思います。
 では、この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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第6話 飛行と地下室

 飛行イベ+翌日のオリヴィエ
 的な回になっているはず。


 スリザリンはホグワーツの嫌われ者である。

 

 スリザリン以外の三寮は悉くスリザリン生を嫌い、またスリザリン生は他寮生を嫌う。特にグリフィンドールからは蛇蝎のごとく嫌われ、グリフィンドールとスリザリン両者は因縁の好敵手(ライバル)と見なされている。両者の因縁はホグワーツの創設者が存命だった1,000年以上前から続いていると言うが、真偽は定かではない。

 ともあれ、スリザリンが他寮生から嫌われているのは周知の事実だ。特にグリフィンドールとは壊滅的に馬が合わず、互いは互いをしょっちゅう罵り合う。ならば無理に接触を起こすのは間違っていよう。それでもこういう事が起きるのは、なんらかの陰謀でも絡んでいないと説明がつかないとオリヴィエは思いたい。

 

 ―――飛行訓練は木曜日に始まります。グリフィンドールとスリザリンとの合同授業です―――

 

 つい数日前のスリザリン寮談話室、掲示板にはそんなことが書いてあった。朝特有のひんやりとした地下の空気は寝起きだろうとすっきりとした気分にさせられる。掲示板のその脇には『来週からの合言葉』の張り紙、正面には難しい顔をしたオリヴィエ。隣に居たダフネは憂鬱そうに、もう一個向こうにいたドラコは得意げに、それぞれ完璧に同じタイミングで息を吐き出したものだ。

 

「こんな授業もグリフィンドールみたいなところと一緒なの? 気分が悪いわ」

 

「僕は楽しみだね! やっと学校で僕の飛ぶ様を披露できるなんて!」

 

 ダフネはあからさまに嫌そうにうげぇと言い、ドラコはふんすと踏ん反り返りながら、朝食を求めて食堂へと歩いて行った。両者の反応は実に対照的だったが、根底にある思考回路は変わらないとオリヴィエは考えている。ダフネが憂鬱そうなのは単純にグリフィンドールが嫌いだからで、ドラコが得意げなのは大嫌いなグリフィンドール―――特にポッター―――に自分の素晴らしい飛行を見せつけてやりたいという思惑が入り込んでいるからだ。双方共にグリフィンドールが嫌いなのは変わらず、そして寮ごとのいがみ合いを嫌うオリヴィエとは相容れなかった。

 ―――箒飛行、か。

 掲示物の「飛行訓練」という一節を、オリヴィエはゆっくりと指でなぞった。飛行術式は幾度か試した事があったが、ペテロ系の撃墜術式があるせいで―――ついでに、飛行術式は魔女の得意分野だからオリヴィエは堕とす側だ―――実戦で運用したことは未だない。撃墜術式が効くとはいえ、魔法界では深く浸透している箒飛行には、少々とは言えない好奇心があった。

 もっとも、魔法使いの家の子供はオリヴィエよりも余程空を飛びたがった。

 数日前に飛行訓練が予告されるや否や、まず初めに箒飛行について語ったのはドラコ・マルフォイだった。ドラコはいつ何時たりとも口を閉じることは無く、自身の飛行体験―――なぜか、毎度毎度マグルのヘリコプターを危うく躱したところで締めくくられる―――をしょっちゅう話していたし、一年生がクィディッチの寮代表選手になれないのが残念だ、と不満をこぼしていた。ドラコの自慢話がうるさかったのかあまり長々と話したがったスリザリン生は少なかったが、飛行訓練を心待ちにする同級生はグリフィンドールやスリザリン問わず存在した。グリフィンドールのテーブルに耳を傾ければ、クィディッチの話や実家に居た頃の飛行体験がひっきりなしに話題に上がっていたし、クィディッチとサッカーのどちらが面白いかという論争をしているグリフィンドール生も見受けられた。―――悲しい事に、話に耳を傾けようと近くで立ち止まっていると「うげ」という声と共にしっしっと追い払われてしまうのだが。

 ともあれ、飛行訓練が一年生に大きく影響を与えたのは誤魔化しようのない事実である。魔法使いの家の子供のみならず、マグル出身の生徒も期待感を口にしていた。とりわけ飛行訓練に必死だったのはハーマイオニー・グレンジャーで、体を使った実技教科は不得手なのか、箒の扱いのコツを図書館で仕入れてはグリフィンドールのテーブルで垂れ流していた。ハーマイオニーの話に()()()()()()いれば箒にも()()()()()()居られるとでも思ったのか、ネビル・ロングボトムが必死になってハーマイオニーの話に聞き入っていた。―――ついでにロングボトム、ドラコによくいじめられていて、今朝も送られてきたガラス玉を危うく盗られる所だった。

 

 

 

「あら、オリヴィエじゃない。次は飛行訓練よ、外に出ましょう」

 

 最近耳に馴染んできたダフネの声に、オリヴィエは意識を現実に引き戻された。横にはパンジーやミリセント、ついでにドラコや取り巻き達も居る。どうやらオリヴィエは、ここ一週間でドラコを軸としたスリザリン中心グループの端くれになりつつあるようだった。

 ポケットから取り出したアンティークものの懐中時計を見ると、三時半前を指していた。空は青く晴れ渡り、さわやかな微風が吹き抜けている。芝生が風でさわさわと揺れる緩やかな坂を、校庭を横切りながら下っていくと、平坦な芝生が現れた。遠方には暗色の森、反対側には所謂『禁じられた森』が見え、誰も居ない芝生の面に二十本の箒が並べられている。小走りで側に駆け寄ったオリヴィエがじっくりと観察していると、何もしていないのに箒がプルプルと小刻みに震えていた。

 程なくして、グリフィンドール生もやってきた。ポッターやハーマイオニー、初回の魔法薬からオリヴィエと組む事が多いアルバート―――友人が居ないのだろうか―――や、ポッターの友人らしい赤毛の―――ドラコ曰くウィーズリーなんかが歩いてやってくる。ポッターはスリザリンとの合同授業が余程嫌なのか、しかめっ面を隠しもせずに歩いてきていた。それを見たドラコが、「なんだいあのポッターの顔は」と吹き出していた。

 グリフィンドール生もスリザリン生も勢揃いした。グリフィンドール生がやってきた後すぐに現れたマダム・フーチは、鷹のような黄色の目と健康そうな体をせかせかと動かしながら、

 

「何をボヤボヤしているんですか―――みんな箒の側に立って。さあ、早く!」

 

 ガミガミと怒鳴りながら指示を出した。

 生徒達がおずおずと、或いは悠々と、箒の側に立った。マダム・フーチは

 

「右手を箒の上に突き出して―――そして、『上がれ!』と言う」

 

 と掛け声をかける。すると全員が一斉に、「上がれ!」と叫んだ。オリヴィエも無論叫び、あっさりと手の中に箒を納める。オリヴィエの予想通り、箒の方で処理が行われているようだ。少し遠くに居るドラコは余裕綽々で持ち上げていたし、ポッターも難なく引き寄せている。箒の実技には自信がなさそう―――だからこそ、図書館から引っ張って来た飛行のうんちくを語っていたのだろうし―――だったハーマイオニーや上がれの声が震えに震えているロングボトムは上手く上げられていないようだ。どうにも、箒の操作は術者の精神状態に大きく左右されているようだった。

 全員がなんとか箒を手に納めたのを見届けたマダム・フーチは、箒への正しい跨り方をやってみせた。これがまた難関で、殆ど予習無しだったオリヴィエは何度も何度も修正を受けた。ずっと自慢話を垂れ流していた割にはドラコがずっと箒の握り方を間違っていたので、ポッターとウィーズリーがあからさまに大喜びしていた。

 

「さあ、私が笛を吹いたら、地面を強く蹴って下さい。箒はぐらつかないように押さえ、二メートルくらい浮上して、それから少し前屈みになってすぐに降りて来て下さい。笛を吹いたら、ですよ。一、二の―――

 

 笛の音の前に、せっかちな誰かが風を切る音が真っ先に耳に入り込んだ。オリヴィエが急いで主を探せば、トラブルメーカーのネビル・ロングボトムが、必死に箒にしがみつきながら上へ上へと上がっていくではないか。「こら、戻ってきなさい!」とマダム・フーチが叫ぶ。だが、ロングボトムは恐怖にかられて何も言えず、ひっひっと浅い呼吸を繰り返した。掃除機に吸われるが如き滑らかさで、スーッと上昇していく。ロングボトムは声にならない声を情けなく撒き散らしながらぐんぐんと上昇していった。2メートル、3メートル、4メートル―――ロングボトムの上昇は止まらない。

 オリヴィエはその様子を、大人しく見守っていた。一瞬は撃墜術式で落とそうかとも思ったが、自由落下と違って撃墜術式を使ったら余計な効果を足してしまう可能性がある。重症か、最悪死ぬ。オリヴィエが見たところあの高さから落ちてもせいぜい骨折くらいだろうし、自由に落下させておこうではないか、とオリヴィエは踏み止まったのである。

 誰もが、落ちたあとのロングボトムの怪我の心配をしていた。ロングボトムが落ちるや否や医務室に駆け出さんと構えている生徒が、ちらっとオリヴィエの視界に入った。そして、最高点まで上がった箒からバランスを崩して転落したロングボトムは、地面に向かって真っ逆さまに落ち―――なかった。

 あろうことか、箒がロングボトムを拾ってまた上昇を始めたのだ。

 どよめきが起こった。

 6メートルどころではない。10メートル、15メートル、上下に大きく揺れながらさらに上がっていく。ハーマイオニーが息をのんだ。ドラコが腹を押さえて必死に笑いを堪えていた。ロングボトムは半分失神状態で、箒にしがみついているのが精一杯だった。オリヴィエには、ロングボトムが再度動き始める直前の一瞬に、箒に不可視のなにかが纏わりつくのが見えた気がした。正体を見極めんと目を細めようとした瞬間、

 

妨害せよ(インペディメンタ)!」

 

 マダム・フーチが杖を振った。オリヴィエには、杖の先から魔力が噴出して箒に入り込むのが見えた。魔術師たるオリヴィエには、魔力の流れが見えるのだ。入り込んだ魔力は箒の制御を上書きし、箒は上昇していく勢いを一気に静止した。箒はゆっくりと下降する。ロングボトムがへなへなと脱力するのが、遠目からもよく見えた。グリフィンドール生の群れからは安堵の、スリザリン生の群れからは失望の、溜息が一斉に出た。

 

 ―――だが、魔法の効果を一切無視して、箒は激しく動き始める。

 

 完全に油断していたロングボトムは、勢いに振られて大きく吹っ飛んだ。気の弱い女生徒がきゃあと小さく叫んだ。寮を問わず、全員が息をのんだ。そしてロングボトムを吹っ飛ばした箒は、自分の勢いで吹っ飛ばしたにも関わらず、あろうことか甲斐甲斐しくロングボトムを拾いに行くではないか。全くの予想外の展開に、全体からは再度どよめきが起こった。

 全員の目が箒とロングボトムに集中する中、オリヴィエは、目一杯の力で親指をガリガリと噛んでいた。オリヴィエの見立てが正しければ、これは魔術師オリヴィエ=コニアテスとしての緊急事態だ。なぜかと言えば単純で、箒は甲斐甲斐しくロングボトムを拾いに行っていたのだ。まるで、

 ―――まるで、何者かに停止されるのを待っているかのように。

 つい先刻、箒はマダム・フーチの妨害を無視して動き始めた。これは、マダム・フーチの魔法を上回る出力で箒に干渉する何かがあったからだと考えられる。そしてオリヴィエの中で、そんな事が出来るのは魔術師くらいだと推測される。ここに居るのはひよっこも良い所の魔法使いの卵達で、教師たるマダム・フーチを超える魔法をかけられる人間など居ないからだ。ついでに先刻、オリヴィエにはロングボトムの箒に干渉する力が見えていたのだが、それは魔法とは異なる純度の魔力であり、生み出せるのは魔法使いではなく魔術師だ。

 つまり、こういう事になる。

 この中には魔術師が紛れていて、ロングボトムの箒の暴走を隠れ蓑に、箒を操ってほかの魔術師をあぶり出そうとしているのではないか、と。そうでもなければ、魔術師がロングボトムの箒を動かして、ロングボトムが落ちても態々拾いに行く理由の説明がつかない。仮に理由が他にあるとして、それが一体どんなメリットになるというのだ。

 だとすれば、だ。オリヴィエは干渉するべきではない。オリヴィエの仰せつかった任務は、魔法学校にて魔法を学ぶ事や魔法界について見識を広げる事なんかだ。ロングボトムを救う事でも正義の味方ごっこをする事でも、ましてや下手に目立って変な風に見られる事ではないのである。ここで変に介入して目立ったとして、任務が進む訳ではない。ならば此処は傍観に徹していようではないか。魔術師もなるべく無視で良い。敵魔術師を追求するのは任務に入らないし、今はまだ泳がせておいても支障はない。クリスマス休暇にでもイギリス清教へ持ち帰って、上司に指示を仰ごう。

 この場はオリヴィエが収めるものではない。多分、きっと、恐らく、ロングボトムを救う人間が現れるだろう。何も箒の制御を魔法で乗っ取る必要は無いのだ。ロングボトムさえ救えれば方法はいくらでもある。オリヴィエは、鼻を鳴らす事で傍観の決意を固めた。

 

「ネビル―――ッ!」

 

 噂をすれば、である。そらきた、勇敢なグリフィンドール生だ。オリヴィエは冷ややかに周囲を見回すと、箒を掴むポッターが目に入った。流石、魔法界の大英雄様である。

 ポッターはマダム・フーチやハーマイオニーの制止も聞かず、箒にヒラリと跨ると、箒飛行未経験を感じさせない『こなれ感』でスムーズに飛び上がった。グリフィンドール生は皆歓喜の声を上げていた。グリフィンドールの女生徒はキャーキャーと黄色い声を上げていたし、ヒューヒューと口笛を吹いている生徒が居たり、赤毛のウィーズリーが感心の意を口にしていたりしていた。スリザリン生も呆然とポッターを見上げるのみで、唯一ドラコが不快そうにポッターを睨んでいた。

 ポッターはスルリと上昇し、ロングボトムに近寄った。ロングボトムは必死に箒にしがみつきながら、顔は泣きべそのぐっちゃぐちゃだった。ポッターが「ネビル!」と叫ぶと、ロングボトムはほっとするやら何やらで手を離し、校舎の方へ大きく吹っ飛んでいった。無論、ポッターは見逃さない。ポッターは急加速してロングボトムを追うと、ロングボトムが校舎の凸凹した煉瓦壁にぶつかる直前でしっかりとロングボトムを掴んだ。ポッターはそのまま、ロングボトムの重量を受け止めるように縦回転しながら高度を下げ、芝生の上に軟着陸する。

 沈黙が流れる。

 芝生に埋もれていたポッターはやがてのそのそと這い上がり、ロングボトムの意識を確認しながら、マダム・フーチを呼んだ。マダム・フーチは二人の所へ駆け寄ると、

 

「―――ネビルが失神しているわ、医務室に連れて行かなくては。それとハリー、あなたも医務室です。あんな無茶をして……早くマダム・ポンフリーに見せなくてはいけません」

 

 そう言って二人を医務室に連れて行った。オリヴィエ達生徒に、箒に触らない様にきっちりと言いつけてから。先刻の異様な高揚感から打って変わって、場はシンと静まり返っていた。マダム・フーチが返ってくるまでそのまま沈黙が続くかと思われたが、少しの静寂を破って笑い出したのはドラコだった。

 

「あいつの顔を見たか? あの大間抜けの」

 

 スリザリン生が―――オリヴィエを除いて―――げらげらと笑った。あんまり皆が笑うものだから、オリヴィエも弱々しく苦笑いした。

 ドラコの冷やかしに呼応するようにお喋りを始めるスリザリンの面々だったが、無論、グリフィンドール生は良い顔をしなかった。アジア系の顔をした美少女のグリフィンドール生は一歩踏み出して、

 

「やめてよ、マルフォイ」

 

 と咎めた。しかし、その程度でスリザリンの悪戯精神は止まるまい。ドラコの隣で突っ立っていたパンジーは最高に意地の悪い顔を作ると、アジア系のグリフィンドール生へと冷やかしの矛先を向けた。

 

「へぇ、ロングボトムの方を持つの? パーバティったら、まさか貴方が、あんなチビデブの泣き虫小僧に気があるなんて知らなかったわ」

 

 くっくっく、とパンジーは喉の奥で笑った。オリヴィエは小声ながら「ちょっと、パンジー……」という台詞が出かかっていたが、小声だった所為か、スリザリン生の集団から上がった笑い声にかき消されてしまった。調子に乗って来たドラコは、山賊も腰を抜かすくらい滑らかな動きでロングボトムの落下跡地を捜索し、一つのガラス玉を持ち出した。

 

「御覧よ! ―――これは皆知ってるだろう? ロングボトムのばあさんが持ってきた馬鹿玉だ。ロングボトムがこれを失くしたことに気づいたとき、どんな顔をするんだろうな」

 

 ドラコが持ち出したのは、白い煙が中で渦巻いているガラス玉だった。つい今朝方、ロングボトムが掠め取られかけていたものである。あれはロングボトムの婆さんが送ってきたものだったのか、とオリヴィエは今更事実を知った。

 グリフィンドール生サイドから猛烈なブーイングが上がった。特に赤毛のウィーズリーは激昂して箒を掴みかけたが、ハーマイオニーが何度も制止の言葉を口にしたおかげで渋々ながら大人しくなった。文句の嵐の中に突っ立っているドラコは、なぜかもわからないほどドヤ顔で、偉そうに踏ん反り返っていた。

 

「返してほしいなら、ロングボトム本人が取りに来れるように隠しておかないと。そうだな……木の上、なんてのはどうだい?」

 

 ドラコはそう言って、箒に手を伸ばした。

 が、箒に触れる瞬間、遠くからマダム・フーチの大きな声が聞こえるのに全員が気づいた。勿論ドラコも気づき、俊敏な動作で箒を置くと、ガラス玉を明後日の方向に放り投げ、何事もなかったかのように平然と立っていた。

 

 ごたごたがあったせいで、授業時間は大幅に減少していた。マダム・フーチの指示に従いながら浮いて、基本的な動作を確認するだけにとどまった為、オリヴィエとしてもあまり収穫のない授業になってしまった。強いてオリヴィエの記憶に残ったことはと言えば、自慢をしまくっていただけあってドラコの飛行がうまかったことくらいでしかなかった。

 

 

 

 そして、翌日。

 

「一週間が終わる―――!」

 

 隣でガッツポーズを決めたアルバートの声に、オリヴィエはビクンと肩を震わせた。

 ホグワーツの一週間は5日だ。月曜日から木曜日まで6時間―――天文学を入れれば7か―――授業、金曜日は昼までの授業で土日は休みである。所謂完全週休二日制というやつだ。―――そして一週間最後の日たる金曜日の最後の授業こそ、スリザリンが寮監のスネイプ教授が担当する、魔法薬学である。

 オリヴィエはひんやりとした冷気漂う地下室の中で、ふうと小さく息を吐いた。1ヶ月も過ごせば慣れ親しむ大理石の壁とやけに低い天井、対して未だ慣れない、ズラリと並ぶやや不気味なアルコール漬けの動物達。ここ第三地下室にて、オリヴィエ達スリザリンとグリフィンドールの一年生の一週間は終了した。一月目ではあるが、休日の気配はいささか甘美である。

 やっと、一週間が終わったのだ。休日だろうと平日だろうと寮暮らしなホグワーツでは感動が薄いが、それでも休日は心踊る。オリヴィエはホグワーツでやらないといけない事が山積みだからだ。ホグワーツの構造を分析し、隅から隅まで探索し、図書館に通って―――故にしばしばハーマイオニーと遭遇するが、どうも避けられているようだ―――魔法界について理解を深め、授業の予習をしておくだけで土曜日が終わっている。せめて予習だけは平日にやっておかねば、とオリヴィエが危機感を抱いたのはつい先日の事で、つまるところ今はスリザリン生の知り合いの集団に真っ直ぐ飛び込んでいくべき時間ではなかった。

 オリヴィエは教卓をチラと見やった。前方を横切るアルバートがはければ、オリヴィエのお目当てがしっかりと見える。土気色の肌と鉤鼻、ねっとりとした黒髪。そう、我らがセブルス・スネイプ教授である。スネイプ教授が魔法薬学のみならず魔法に関しては殆ど全方位カバーだと最近聞いたオリヴィエは、前回と同じように羊皮紙と羽根ペンを携え、革靴(ローファ)をかつんと鳴らしながら、教授へ質問をしに歩いて行った。

 オリヴィエが遠慮がちに「教授。少し、よろしいでしょうか」と話しかければ、授業の後片付けをしていた教授の無愛想な顔がオリヴィエの方を向く。表情全体から「よろしくないです」という雰囲気が驚くほど伝わってくるような、いかにも鬱陶しそうな顔だ。だがしかし、ここで負けるのは魔術師の名折れである。オリヴィエは若干空気の読めない無邪気な生徒を装って、

 

「いくつか、質問させて頂きたいのですが」

 

 自分でもやっていて若干気持ち悪い営業スマイルを浮かべながら、羽根ペンを構えた。オリヴィエは羊皮紙の上に『Q&A』という見出しをさらさらと書き込む。教授は明らかに嫌そうな顔をしながら、「何だね」と言った。そりゃそうだろう。3、4回の授業と寮で偶にしか顔を合わせた事のない生徒に、こんなに質問責めにされたら、誰だってこんな風な()()()じゃない表情になる。しかも4週連続だ。だがしかし、オリヴィエは此処で下がってはならない。故に教授には一時の不快感くらいは我慢して貰おう。全ては、オリヴィエが忠誠を誓うイギリス清教の上司と、イギリスという国の更なる魔術的発展の為に。

 

「はい、まず一つ目です―――」

 

 オリヴィエが丁寧な口調で質問を投げかけた。今回の授業の疑問点であるとか、プラスアルファで補足を貰いたいところであるとか、関係ないが無言呪文についてであるとか、ホグワーツでオリヴィエが疑問に思っていた事は概ね教授に質問している。あれだけ嫌そうな顔をしていたスネイプ教授だったが、オリヴィエの質問については意外にも真摯に―――言うまでもないが、あの虚無の擬人化のような平坦な声でだ―――対応していたようにオリヴィエは思った。今まで見てきた生徒の事を『ウスノロ』と呼んでいた事や、ネビル・ロングボトムやポッターをはじめとしたグリフィンドール生に対してのあからさまな嫌がらせ―――可哀想なポッターは今回の授業も1、2点ほど減点されていたし、ロングボトムはまた大失敗して大泣きしていた―――の印象が強かった所為で、生徒はどいつもこいつも嫌いなのかと思っていたのだ。それを察知されたのか否かはオリヴィエには分かりようもないが、スネイプ教授は唐突にこんな事を言い出した。

 

「君が我輩をどう思っているのかは存じ上げんが、我輩はウスノロどもがどいつもこいつも嫌いだ」

 

 ―――急にどうした。

 オリヴィエの口をついて出かけた言葉は、鋼の意思で飲み込んだ。ただでさえオリヴィエの評価は低かろうに、急なタメ口は低評価以外の何者でもでもないだろう。故に、オリヴィエは出かかった言葉を丁寧に言い換えて、皮肉っぽくならないようにゆっくりと返事をした。

 

「突然どうなさったのでしょうか? 生徒が嫌いそうなのは薄々分かっていましたが……」

「ミス・コニアテス、我輩は生徒という皮を被ったウスノロが嫌いなのだ。その点君は他のウスノロに比べてまだ()()なウスノロだったろう。質問に答えてやる位は訳無い」

 

 ―――皮肉か。こっちは必死に皮肉っぽくならないようにしたのに。

 またも出かかった悪態を、オリヴィエはまたも鋼の意思で飲み込んだ。これはいかん。この悪態癖はそろそろ直さねば、とオリヴィエは密かに思った。既に記憶の海の彼方へ投げたっきり存在すら忘れてしまった方もいるかもしれないが、オリヴィエは毒舌なのである。オリヴィエは内心の悪態を抑え、会話を掘り下げる方に天秤を傾けた。

 

「はあ。まだ()()とは? 私は、あまり自分が優秀だとは思ったことがありませんが」

 

 これは社交辞令でも謙遜でもなく、オリヴィエの本心である。実際、数回の魔法薬の授業ではいずれも中の上くらいの出来で、早速魔法薬学の才能を花開かせた同寮のドラコ・マルフォイや、早くも才女―――スリザリンではガリ勉マグル、などと揶揄される事が多いが実力は本物だ―――として名を轟かせたハーマイオニー・グレンジャーなんかよりも出来は良くない。ついでに他の教科でも、変身術で若干上手く行った以外は中の上か上の下くらいで、オリヴィエよりも優秀な生徒は居る。褒められる道理は、ハーマイオニーやドラコに比べれば無いはずだが。それも察知したのか、スネイプ教授は平坦な声で、

 

「君は最初の授業で、我輩の問いを羊皮紙に書き取っていただろう。我輩の問いに正しく答えられるだけでは、ただのウスノロと変わらん。だが、授業をきちんと記録しておこう、という気概は、ただのウスノロに比べればまだ評価できよう。あの()()()()()()()()のグレンジャーよりも、余程()()であろうな」

「うわぁ」

 

 ―――おっと、うっかり出てしまった。

 ドン引きってやつである。哀れなハーマイオニーよ永遠なれ。そして何というか、スネイプ教授が嫌われる理由がなんとなくわかった気がした。

 しかしながら、唇を噛み潰してでも失言は防がねばならない、というオリヴィエの鋼の意思はあっという間に瓦解した。教授が怪訝そうにオリヴィエを見る。ブラックホールの深淵を思わせる真っ黒い教授の目が、「何がうわぁだ言ってみろ」とでも言いたげだ。オーララー。

 

「まあ、そんなことはいいんですよ。ところで、無言呪文ってコツとかあります?」

「先程も言ったはずであるが、1年生には不要であろう。―――強いて言えば経験を積む事であるな」

 

 ―――経験、とな。

 

「幾度となく魔法を使う事で、魔法の処理の仕方がわかってくるのであろうな。呪文(スイッチ)が無くとも魔法(中身)を切り替える事が出来る様になる。しかし魔法薬は―――」

「ほへえ」

 

 重要な部分以外は上の空で聞き流しながら、オリヴィエは無言呪文について考えていた。

 つまり、こういう事だろうか。本来魔法は、世界に出力する際に呪文(言葉)手振り(動き)が記号になるが、熟練者になると手振り(動き)だけの記号でも十二分に魔法を発動できる、と。―――ならば練習あるのみである。経験を積む事がコツという事は、また徹夜続きになりそうだ。オリヴィエは内心で肩をすくめた。

 

「―――であるが故に、この比率では間違いが生まれるのだ。……おや、ミス・コニアテス、聞いているのかね」

「……え? あ、はい、聞いていますよ。ポッターが飛行訓練で騒ぎを起こしましたね」

「聞いていないではないか」

 

 あれ? とオリヴィエは首を傾げる。全く別の事を考えて全く別の事を聞いていたのに、全く別の事が口から出てきた。

 ポッターがこの前飛行訓練で騒ぎを起こしたがあれにはオチがついていて、実はあの後ポッターは、グリフィンドール・クィディッチ・チームの代表になったそうなのだ。クィディッチというのは魔法界でメジャーなスポーツで、ボールが多くて空を飛ぶバスケットボールみたいなものだ。クィディッチの寮対抗戦は非常に白熱し、勝敗が寮対抗杯の獲得にも関係してくるらしい。そんなアツいスポーツの才能を見出された事によって、参加前からポッターが得た称号こそ、

 

「今世紀最年少シーカー、ねえ」

 

 オリヴィエが俯き、目を伏せながら呟く。教授の顔を見れば、人間これほどに嫌そうな顔ができるのか、というくらいにひどい、倍量の苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。そんなにポッターが嫌いか。それとも、教授もクィディッチに傾倒しているのだろうか。どっちにしても面白く、オリヴィエはくすくすと笑った。

 ふと気になって懐中時計を取り出すと、見えたのは『急がないと昼食を食いっぱぐれる時間』を示す短針。

 

「あ、私は失礼しますね。昼食を食いっぱぐれるので。それではまた」

 

 オリヴィエは言って、食堂へと向かうべく階段を上り始めた。精一杯の愛想を込めた、営業用のスマイルで。

 教授に魔法関係の事を聞けなくなると、オリヴィエは滅茶苦茶困るのだ。




 フォイはなんのために思い出し玉を話題に出したんだ……?
 ネビル落下事件発生ですね。事件と書いてイベントと読む。プラス、オリヴィエちゃんがスネイプ先生と急接近……な訳ないか。
 先生の事を教授と読んでいるのは、どうやら原作ではprofessor(=大学の『教授』)らしいからです。間違ってたら即座に直します!!!
 次回はオリヴィエちゃんは夜の徘徊に出ます。何が起きるか、想像がつきそうですがお楽しみに。
 では、この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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第7話 徘徊と三頭犬

ちょっと短めです。記念すべき7777文字。


 ホグワーツ魔法魔術学校では、日々の授業で大量かつハイレベルの宿題が出される。

 1メートル以上にも及ぶ長さを求められる論文だとか、授業内容をまとめたレポートの提出だとか、そんなやつだ。まるで大学の様な内容の宿題に、大半の新入生は困惑し、混乱し、苦戦する。そこに別分野の研究や習う必要のないスキルアップの為の学習その他が加わるともなれば、生半可な覚悟では遂行できまい。

 そんな状況に今いるのが、スリザリン寮所属の1年生、11歳の身長140㎝、得意科目は魔法薬と天文学の、オリヴィエ=コニアテスという少女だ。彼女はそれらの過酷な宿題に加えて、魔術師としての研究作業や魔法についての研究、日によっては上司ローラ=スチュアートへの報告があるなど、普通の学生にプラスアルファの仕事も多い。なぜなら彼女は、学生であると同時にイギリス清教の一員(オフィスワーカー)であり魔術師でもあるからだ。

 故に。

 

「今日もギリ日付超えた……けど終わったッ!」

 

 宿題の締め切りや先の見えない研究に追われて、日付が変わるまで起きている事だって珍しいことではない。

 現在の日時、10月19日24時20分。つまり、10月20日午前0時20分。

 場所はスリザリン寮談話室。普段から漂っている地下特有の冷気は、深夜ともなれば更に色濃くなる。

 大理石の壁に囲まれた広い面積の中には、大小の椅子や背の低い机などが並べられている。そして一番目立つ所では、地上だとまだ登場する機会がなさそうな暖炉がパチパチと燻っていた。

 その広い談話室のど真ん中に鎮座する肘掛椅子に座りながら、万年寝不足少女オリヴィエは溜息を吐いた。普段ならこの椅子は上級生が使っているのだが、今はその上級生すら寝静まっている。ここ数日は、段々と難しくなってきた授業内の宿題の処理に加えて、約半月かけて研究していた無詠唱魔術の研究や無言呪文の特訓なんかも入ってきたので、ずっと徹夜しっぱなしだったからだ。だが、その研究がやっと終わったのであった。

 これで、魔法の勉強に専念できる。ついでに無言呪文も習得したし、無詠唱魔術は不完全ながらも成立した。―――ちなみに、無詠唱魔術は魔術師なら誰でも使える代物ではなくなってしまった。特殊な形に変質させた術式に、オリヴィエが作った特殊な霊装を組み込むことにより、手振りだけで発動する。何度も発動する事によって段々と威力は増していくというおまけ付きだ。とはいえ変質させた術式もまだ数少ないし、魔術の特徴たる威力には期待しない方がいいので、まだ実戦運用は先の話だろうが、手振りだけでいいようにグレードダウンしたというのは画期的なはずだ。

 この数日間はあまりに遅くまで起きていたので、しばしば上級生に「まだ寝ないのか」と注意を受けたものだ。親切な上級生よ、あなたの後輩は徹夜の呪縛から解放されましたよ、と声高に叫びたい。勿論オリヴィエは勉強も研究も好きでやっているし徹夜には慣れているが、上級生を無駄に心配させるのはオリヴィエの良心がズキズキ刺激される。だが、明日からはゆっくり眠れる。先輩は安心してよかろう。

 オリヴィエはふと、ローブの裏に手を突っ込んだ。これもつい最近に生み出したもので、ローブ―――ここにかけた結界に、オリヴィエは歩く協会と名付けた―――の裏地と縮地トランクに魔術的な回路(パス)を繋ぐ事によって、ローブの裏に手を突っ込むだけで自室にアクセスできるという代物だ。これの開発も、オリヴィエの徹夜を推し進めた一因である。

 だがこれによって、いつでも自分好みの紅茶を飲める、という安心感が生まれたのだ。

 この日のために用意しておいた秘蔵の高級茶葉―――縮地トランクに入れば、秘密裏に自室へと帰れるのだ―――発覚すると面倒なのであまり高頻度では使えないから、とっておきの時だけだが―――で淹れた、いつもオリヴィエが縮地トランクから取り出すものとは一味違う紅茶―――先入れの牛乳もちょっと高めのやつだ―――を口の中に流し込んだ。普段使いの茶葉とは一線を画す、芳醇な香りと爽快感のある渋みは、連日仕事に追われるオリヴィエを癒すには十分すぎるご褒美である。そして今夜は奮発して、クロテッドクリームとジャムを乗せたスコーンも用意した。所謂「クリームティー」である。さくさくのスコーンに、濃厚なのにさっぱりとしているクロテッドクリーム、ジャムの鮮烈な甘みが口内いっぱいに広がる。オリヴィエは紅茶をそこに投入し、絶妙なハーモニーを十二分に楽しんだ。

 

 そして、カフェインで眠れなくなった。

 

 ―――誤算だったか……!

 自分へのご褒美を終わらせたオリヴィエが、ベッドに入ったが眠れない。シルクの掛け布の感触やマットレスのふかふか加減は初日から変わらないのだが、目をつぶろうが脱力しようが全く眠りに落ちない。研究が終わった徹夜明けだからと言ってはしゃぎすぎたのだろうか。オリヴィエは今まで世界一健康な生活をしていた、とは断言できないが、こんな夜遅くに紅茶を飲んだことは無かったのだ。完全にカフェインの覚醒力を見誤っていた……。

 ベッドの中で頭を抱えた。早く眠らないといけないのはわかっているが眠れない。かと言って徹夜する程何かに切羽詰まっている訳でもない。徹夜は慣れているから平気だが、朝になるまでの退屈を紛らわせるモノがない。一体どうしたものか。

 

「―――校舎内を出歩こうか」

 

 夜眠れない時はいっそ動いてみるのが効果的だと、オリヴィエは以前ローラから聞いた。夜間行動の大敵であり全生徒が嫌いな存在二大巨頭である、管理人のフィルチと騒霊(ポルターガイスト)のピープズを攻略できるのは基本的にスリザリンだけらしく、ついでに夜間に出歩いている教授はスリザリンの寮監(スネイプ教授)くらいのものらしい。これらの要素により、上級生曰くスリザリン生はホグワーツの夜闇を恐れずに歩き回れるらしいのだ。

 ここで、オリヴィエは『ホグワーツ校舎の捜査』という大義名分を思いついた。未だ入った事のない深部に調査の手を伸ばすのも悪くない。ダンブルドア校長が入学式で言及していた、4階右側の禁じられた廊下も気になるところだ。そんなこんなで、カフェインの覚醒力によって深夜に一人目が冴えてしまったオリヴィエは、『ホグワーツ校内を歩き回り禁じられた廊下の真相を暴く』事を一晩の目標に設定した。

 

 

 

 ―――しっかしまあ、広い校舎だこと。

 オリヴィエは心の中で、皮肉めいた感じになるように悪態を吐いた。ポケットの中の懐中時計は深夜0時50分を指している。3、4時くらいまではうろうろできるだろう。

 昼間と違って、深夜のホグワーツ校舎は底の見えない暗闇に包まれている。一方のオリヴィエはカンテラやランタンを持っていない。灯りが心許ないな、と思い、オリヴィエは右手の人差し指を立て、蠟燭のような小さい炎を起こした。手元を照らすならこの程度でよかろう。ついでに今は、自分―――炎は効果範囲に入らない―――に光を吸収させる魔術を使っている。これをすれば、相手の認識を阻害するとかいう面倒な事をせずとも、夜闇の中へ身を隠せるのだ。殆どで歩いている人間がいないうえスリザリンに伝わる夜間行動の心得もあるが、保険をかけておくに越したことはない。

 大理石の壁に反射して、かつんかつんという、自身の足音が小さく聞こえる。奥も全然見えないうえ道は入り組んでいる。スリザリン寮付近の迷路のような地下洞窟が、過去一で面倒に感じた。

 オリヴィエはなるべく足音を立てないようにひっそりと足を運びつつ、深夜のホグワーツ魔法魔術学校校舎巡りツアーの、記念すべき1カ所目へと向かったのだった。

 

 まずオリヴィエが向かったのは、図書館だった。いつも通っているのに何でまた、と聞く人間が現れるかもしれないが、そいつにはホグワーツ図書館についていささか無知であるという評価を下さざるを得ない。こんな深夜の、こんな人気のない時間だからこそ入れる場所があるのだ。

 そう、『閲覧禁止』の書棚である。

 この閲覧禁止ゾーンには、ホグワーツでは決して教えられる事のない『強力な闇の魔法』について記述した本が並んでいる。閲覧禁止と銘打っているだけあって、教授方の誰かのサイン入り許可証がないと本を借りる事ができないという管理の厳しさだ。この書棚に並べられた本を開ける事が許されるのは、教授のサイン入り許可証を以って借りるか、上級生になって『闇の魔術に対する上級防衛術』の授業を受けるかしかない。だがオリヴィエは、一刻も早くこの内容を知りたくて知りたくて堪らなかったのだ。

 オリヴィエは、閲覧禁止の書棚を隔てるロープをそっと跨いだ。今オリヴィエが使っている術式は、光を吸収できても音や存在をかき消すことは出来ない。大音を鳴らせば終わりだ。尤も、この嫌に広い校舎の中で聞き取れる人間が居れば、の話だが。

 火を起こした人差し指を並ぶ背表紙一つ一つにかざしていけば、一冊一冊の内容がすぐに見える。閲覧禁止の棚に居る書籍達は厄介で、背表紙に押された金の文字が剥がれていたり、全くの未知の言語で書かれていたりする事があった。だが閲覧禁止というだけあって古めかしい本や正体不明の本なんかがずらりと並んでいて、オリヴィエの好奇心を刺激された。世界中の禁忌を詰め込んだ禁書目録の記憶者としては、心が踊らない筈がない。オリヴィエは興味をそそられた物にひとつひとつ手をかけ、開いては記憶していった。オリヴィエは一つの本に手をかけ、そして引っ込める。何故か、といえば、その本は開いた瞬間叫び出すタチの悪い物だったからだ。無論そういった悪質な本は避けつつ、オリヴィエは本を開いては読んで覚え開いては読んで覚えを繰り返し、気付いた頃には30分が経過していた。その時間内で、オリヴィエは1年生の初歩的な授業―――1年生で習う事を馬鹿にしている訳ではなく―――どころかホグワーツでは決して学びようのない上級の闇の魔法を記憶することができた。例えば『最も強力な魔法薬』という本の、身の毛もよだつような結果の挿絵といった、結構()()()()表現の本も少なからずあったが、魔導書の精神汚染に比べれば赤子のようなものだった。

 

 満足して図書館から出た時、オリヴィエははたと歩みを止めた。

 ―――やりたい事が思いつかない。

 無鉄砲に寮から出てきたが、図書館以外に行きたい所が思いつかない。別に閲覧禁止書棚と禁じられた廊下以外は普段から入れる訳で、わざわざ夜に来てまで訪ねたい所なんて特にない訳だ。オリヴィエは考えあぐねて、人気のない部屋を片っ端から開けて行こうと考えた。もしかしたら、秘密の隠し部屋なんかも見つかるかもしれない。

 

 『とにかく何か面白いものを探す』という目的で散歩をしてみたが、そこまでの収穫がなかった。絵画が動いたりゴーストがうろちょろしたりしているホグワーツ校舎だが、部屋には工夫が殆どないようだった。開けてみれば廃教室だったり物置部屋だったり、そもそも扉だと思ったら壁だったりして、大した結果は残らなかった。強いて言えば、厨房へ入る方法も見つけたくらいだろうか。普段は大量の屋敷しもべ妖精(ハウスエルフ)が忙しなく働いているらしいのだが、深夜というだけあって誰もいなかった。今度暇なときを見つけて、日中に訪ねてみよう、とオリヴィエは思った。もしかしたらお菓子や食事をおすそ分けしてくれるかもしれないし。

 ついでにオリヴィエが気になったのが、とある部屋にあった大きな鏡についてだ。埃っぽい廃教室においてあって、誰が使いに来るのか皆目検討もつかないような立地だった。魔法の道具かもしれないと思って試しに映ってみたが、オリヴィエの姿が映し出されるだけだった。何でもかんでも魔法がかかっている様に感じる魔法学校においては珍しいただの鏡だったし、一体全体誰が映りたがるというのだ。まあ、どうせあの変人校長による理解不能の趣味なんだろうと、オリヴィエは記憶の彼方に投げておいた。

 大広間に久々に行って寮別得点の砂時計をじっくり眺めた後に、特に何もなかったな、とオリヴィエは校舎内に見切りをつけた。折角夜に好きなだけ歩き回れるのだからどうせ行けるなら外まで行ってしまおう、と、オリヴィエは外まで足を伸ばす事にした。まだ今年は未使用―――クィディッチ・シーズンは11月からだ―――のままのクィディッチ競技場の真ん中に立って選手の気分になった後、ホグワーツ湖の大イカを眺めたり、禁じられた森に入って魔法生物を観察したりした。一角獣(ユニコーン)やケンタウロスが居て、バレない様に遠目から見るだけではあったが、貴重な経験になったとオリヴィエは感じた。

 そしてオリヴィエは校舎の中に戻って、禁じられた廊下がある4階へ上がった。最後にして最大の目的を果たすために。

 

 ―――埃っぽい。

 現在地は、ホグワーツ城4階右側の廊下『禁じられた廊下』。余程痛い死に方をしたい人のみが入ることを許されるその廊下に、死ぬ気などさらさらないオリヴィエが最初に抱いた感想はそれだった。誰も彼も校長の言いつけを遵守しているのか、至る所に埃が層になって溜まっているし、角のあたりには蜘蛛の巣が張っている。むせて咳き込まない様に配慮しながら歩いて行けば、薄暗い廊下の先には分厚い木の戸があり、開けようとすると当然ながら鍵がかかっていた。

 ポケットの中の懐中時計は2時30分を指している。調査にかけられる時間は約1時間30分。一体何があるのかもわからないというのに、とんだタイムトライアルだ。だが、まあ―――悪くはない。オリヴィエはローブの裏から自身の杖を引き抜き、構えた。

 ―――開け(アロホモラ)

 これは魔法の方が手っ取り早いので、オリヴィエが杖を振る。と、鍵の開く軽快な音がした。―――呪文を言わなくてもいいのは隠密性に長けていて非常に良い。

 そしてなるべく音を立てない様に、オリヴィエはそっと戸を引く。オリヴィエがゆっくりと戸を動かして行くと、向こうに部屋があるのが分かった。ゆっくりと見えてくる小部屋。中を覗くと、そこには大きな『それ』が、我が物顔でずっしりと鎮座していたのが、真っ先に目に飛び込んできた。

 それは例えるとすれば、怪物犬とでも言うべき生物だった。床から天井までびっちりと埋める巨体、そして何より特徴的なのは、八岐大蛇を想起させる三つの首と三組の血走ったギョロ目。黄色く汚れた牙の隙間からは縄の様に涎が滴り、寝ているのか獲物を前にして舌なめずりしているのか判別がつきにくいが、ただ一つ、わかる事がある。この化け物の正体だ。三つの頭の犬といえば、魔術師でなくとも存在くらいは知っているだろう。―――ギリシャ神話に登場する冥界の番犬、三頭犬(ケルベロス)だ。

 ―――は。

 一瞬、オリヴィエの思考に空白が生まれた。

 その空白において、三頭犬が冷静さを取り戻す時間が生まれてしまったのはオリヴィエの失態だった。三頭犬はオリヴィエがぽかんとしている内に、オリヴィエが敵であると認識してしまったのである。そうなれば、三頭犬は速かった。雷の様な、低い唸り声がオリヴィエを威嚇した。見えないはずだから、匂いや音で勘付かれたのだろう。痛い死に方、とはこの三頭犬に食われるという事か。このままでは食われるが―――いや、まだ何かがある。

 オリヴィエは、長くない余裕の中で『それ』を見つけていた。三頭犬があんまり大きいから一瞬は見落とした。だが、オリヴィエの観察力を舐めてはいけないのだ。天井から床まで埋める三頭犬の巨体に敷かれて見えにくくなっていたが、三頭犬は下に『仕掛け扉(トラップドア)』を隠していたのである。

 ―――更にトラップは続いている!

 オリヴィエの目的は、禁じられた廊下の真相を暴く事である。ここから先に捜査の手を伸ばすには、三頭犬のトラップを突破しなければいけなさそうだ。オリヴィエは三頭犬の殺害も辞さない方針で、ローブを引っ掛けてまくり、裏から武器を呼び出した。

 先端から出てきた『それ』は、オリヴィエの小さな身には余るほど大きい銀の杖だった。頂点にはうずくまる天使と、背中に大きな天使の羽の彫刻がされてある。五大元素の内の一つ、『エーテル』の象徴武器(シンボリックウェポン)―――蓮の杖(ロータスワンド)だ。蓮の杖(ロータスワンド)はふわりと移動すると、オリヴィエの胸の中でしっかりと抱かれた。

 

万物(E)照応。(C)五大(T)の元(F)素の(O)元の(T)第五。(E)平和(O)と秩(T)序の(R)象徴(T)『司(S)教杖(P)』を(A)展開。(O)偶像の一。(F)神の(F)子と(F)十字(G)架の(L)法則(A)に従(A)い、(C)異なる(T)物と異(D)なる者(T)を接続(A)せよ(C)

 

 杖を抱きしめながら、オリヴィエは呟いた。すると蓮の杖(ロータスワンド)は、それに呼応するように頂点の羽を花の様に開かせる。それを見るとオリヴィエは唐突に、ローブの裏地から取り出した折り畳みナイフで蓮の杖(ロータスワンド)の柄の部分をメチャクチャに切りつけて傷つけた。オリヴィエを食い殺そうと首を伸ばしていた三頭犬は、ぴたりと動きをやめた。それが終わってナイフを投げ捨てると、オリヴィエはふう、と息を吐く。三頭犬はなんのことやらと止まっているが、やがて気づいた。

 時間差で、三頭犬の足がメチャクチャに切られている事に。

 蓮の杖(ロータスワンド)はエーテルの象徴武器(シンボリックウェポン)だ。エーテルは音や光を伝達すると()()()()()物質で、そしてエーテルには面白い性質がある。万物に似ている為に、蓮の杖(ロータスワンド)で他の四大元素を全て扱えるのだ。これに、形や役割が似ている物は性質や力も似てくる―――つまりは丑の刻参りの藁人形みたいなものだ―――という偶像の理論を当てはめれば、空間そのものに作用させてこんな遠隔攻撃も出来るのである。

 三頭犬は、足をメチャクチャに切りつけられた痛みで苦しみ、もがいていた。しめた。痛みで理性が飛んでいる今こそチャンスである。オリヴィエは隙を見て仕掛け扉を開け、三頭犬が落ち着く前に滑り込む。帰りの手を考えなきゃなあ、と考えつつ、オリヴィエは落ちている途中ながら下に迫る罠の存在に気付いていた。

 ―――植物?

 下にあったのはツタの絡み合った植物の様なものだった。普通に考えればクッションなのだが……先刻の三頭犬に続いてロクな物ではない事は察する事ができる。無鉄砲に戸を開けて痛い目を見たばかりな訳だし、此処はさっさと燃やして対処した。植物が無くなればそこそこの高所からの落下だったが、幸運にも、オリヴィエは箒を使わない極東の飛行術式を―――実戦で使った事はないが―――一応使えるのである。術式の効果で軟着陸し、フワフワ浮きながら―――落とし穴なんかがあってもおかしくないので―――オリヴィエはその先の部屋へと進んだ。

 

 現在時刻は2時40分。いいスタートである。




 スネイプ先生の足を噛んだ三頭犬が足を傷つけられるって面白いですね! それを狙いました(後付け)
 はい、ということでフワフワのフラッフィー突破です。フラッフィーっておっかないのに名前はかわいいですよね。ハグリッドのネーミングセンス……
 次は鍵部屋から始まり、攻略するまでです。トントン拍子ですね! やったー!
 では、この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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第8話 試練と景品

 植物を燃やして落下した先には、松明の頼りない明かりに照らされた廊下があった。学校ぐるみでこの施設を作っているのなら、罠には校長あるいは教授方が参加している事になるだろうか。となれば三頭犬は魔法生物飼育学(ケトルバーン教授)、植物は薬草学(スプラウト教授)になるだろう。変身術や妖精の魔法も後々登場するだろうか、とオリヴィエは考えた。そして、もう隠れる必要はなかろうと、オリヴィエは姿を隠す術式を解く。これから先の戦闘の可能性に備えて防音の術式をかけておき、オリヴィエはふわふわと浮きながら―――落とし穴がない保証がない―――、先に続く部屋へと進んで行ったのだった。

 

 ―――鍵が飛んでいる。

 

 先の部屋は、眩いばかりに輝く天井の高い部屋だった。天井はアーチ状になっていて、通路の延長線上には鍵のかかった―――ついでにアロホモラは効かなかった―――扉、見上げた先には、無数に羽ばたくきらきらの鳥が居る。そして驚くべき事に、それぞれの鳥には鍵が1つずつくっついていたのだった。

 扉のドアノブからは魔力の線が伸びていて、忙しなく飛び回っている鍵鳥の群れの中に潜り込んでいた。この扉と鍵鳥には魔術的な繋がりがあるようだ。オリヴィエの少し先の場所に箒が浮いているのが見えた時、扉と鍵鳥とがオリヴィエの脳内でぴたりとはまった。

 ―――あの鍵鳥の内正しい一つが扉の鍵なのか。

 そして、箒に乗って探して来い、という事なのだろう。手がけた教科は言わずもがな妖精の魔法(フリットウィック教授)だ。あの数多ある鍵鳥の中から本物を探し出し、逃げ回る鳥をひっ捕まえて、扉に差し込め、と。

 

 ―――手間がかかる。

 

 オリヴィエは毒づいた。三頭犬に続き、悪趣味なトラップである。これほど手が込んでいる訳だから、この先にはさぞや豪華な財宝が眠っていよう。オリヴィエは冒険の先に待っている成果に胸を膨らませながら、鍵鳥を眺めた。

 魔力の流れを見るに、これもまた魔法で飛ばしているらしい。この鳥は恐らく魔法によって全自動(フルオート)で動いていると思われるが、術者の負担する工程には違いがある事を除けば、原理的には多分箒飛行と変わらないだろう。そして箒飛行と原理が同じならば、あの魔術も効くわけだ。その魔術を使った方が、扉を吹っ飛ばしたり大真面目に鍵を探し回したりするよりも賢明な判断と言えよう。オリヴィエはばたばた言わせながら飛ぶ鍵鳥を見て、にやりと笑った。飛び回って逃げる鳥を捕まえるよりも、墜とした鳥を捕まえる方が、いくらかは速い。オリヴィエはそう思って、高らかに叫んだ。

 

「術者を担ぐ悪魔達よ、速やかにその手を離せ!」

 

 オリヴィエの声がアーチ状の天井に当たって、反射した。拡散して響く、鈴のようなオリヴィエの声。ほんの一瞬の静寂が訪れ、そして、変化は突然に起こった。

 鍵鳥がぴたりと運動を止め、そしてひとりでに落下を始めたのだ。

 冷たい石の床に鍵がぶつかって跳ねる、冷涼な音が、アーチ状の天井に反射して響いた。オリヴィエは直立不動でそれを眺めながら、全部の鍵鳥が墜ちるのを静かに眺めていた。からんからん、という音が反響する。オリヴィエはその余韻の中を歩いて周り、ドアノブから伸びる魔力の線と結びついている一匹を探して回った。

 ―――おお、見つけた。

 オリヴィエは立ち止まった。それは他のとは雰囲気の違う、明るい青の鍵鳥だ。鍵の部分に、ドアノブから伸びている魔力の線が絡みついていた。オリヴィエは屈んで鍵を広い、それを鍵穴に差し込んだ。ひねると同時、カチンという澄んだ音が鳴る。―――どうやら当たりの鍵を引いたようだった。

 

 戸を引けば、今度はすぐに次の部屋が現れた。そこは黒に包まれた真っ暗闇で、オリヴィエは慎重に足を踏み入れた。そしてオリヴィエの足が床に接した瞬間、眩いばかりの光が部屋を包んだ。

 オリヴィエは一瞬、手をかざして目を覆った。目が光に慣れてきたのを見計らって手を戻せば、オリヴィエの視界に入ってきたのは大きなチェス盤だ。オリヴィエは黒い石でできた駒の方に立っていて、反対側には白い石でできた駒がある。駒は皆顔がないのっぺらぼうで、オリヴィエよりも背が高かった。白い駒の向こうには扉があって、守るように駒が配置されている。どうやら先に進むには、チェスで戦って勝つしかないようだ。恐らく手がけたのは変身術(マクゴナガル教授)だろうか。一層時間のかかりそうな問題に、オリヴィエは今までよりも一際大きく溜息を吐いた。

 確認すると、現在時刻は2時50分。チェスの試合時間は大抵1時間〜4時間くらいだが、仮にこれから三つの試練があってそれらを40分で攻略するとして、ここでかけられる時間は最大で30分だ。無茶にも程がある。

 だが、それでこそ試練だ。楽々攻略できるようなぬるい洞窟だったら探検する価値も無い。オリヴィエは己を鼓舞するように一度深呼吸をし、一歩足を踏み出した。

 

女王(クイーン)、私と代わってください」

 

 仰々しく頭を下げながらオリヴィエが言うと、クイーンは素直に応じた。クイーンがチェス盤から降り、空いた場所にオリヴィエが入る。相手である白側のポーンが2マス進むのが、開始の合図になった。

 

 チェスというのは実に頭を使うゲームだ。常に3手先を予想するのが基本で、相手の誘いを読んで避け、罠を張り、そこへ誘導する。短絡的に考えていてはたちまち負けてしまうゲームだ。故に魔術戦とは非常に重なる部分は多く、魔術戦に慣れているオリヴィエからすれば盤上のシミュレーションの様なものだった。これなら新人教育も楽になるし、ロンドンに張ってある試験用のトラップの3分の1は減らせるだろう。

 

詰め(チェックメイト)です、王様(キング)。道を開けて頂けますか?」

 

 オリヴィエは盤上に立って、それを宣告した。オリヴィエの好プレーによって20分で決着したゲームは終わりを告げ、チェス盤にはもういくつかの駒しか残っていなかった。取られた駒はと言えば、叩き割られた後にチェス盤の外へ雑に投げられる。故にチェス盤の外には、累々と積み重なった白黒の破片が山の様に存在しているのだった。驚くことにこのチェスは、駒が自ら動き、駒を取るときは容赦なく叩き割る。オリヴィエが取られそうになった時、あの残骸の様に粉々になるのかと一瞬で想像し、震え上がったものだ。

 オリヴィエがチェックメイトをかけると、キングは冠を取って頭を下げ、オリヴィエに道を譲った。オリヴィエは時計を見て、現在時刻が3時10分である事を確かめ、次の部屋へと進んだのだった。

 

 

 

 ブァーブァーという低い唸り声と、崩れる石床。棍棒がオリヴィエの髪をかすって、一房が切断された。棍棒が頭上まで迫るオリヴィエは、飛行術式と魔術による跳躍でぎりぎり避けた。

 

 ―――妨害せよ(インペディメンタ)! 裂けよ(ディフィンド)! チィッ、粉々(レダクト)―――ッ!

 

 オリヴィエは跳躍しながら壁と壁とを跳ね回り、身体強化魔術を展開しながら杖を振り回した。

 眼前には愚鈍そうな生物が居る。4メートルを優に超す背丈は天井に届かんばかりであり、肌は鈍色、頭はそれに反して異様に―――アホの証拠か―――小さい。格好は原始人のように汚らしく、ひょろりと長い腕で棍棒を引きずっている。がっしりした短い足は、先程背の低いオリヴィエを踏みつけようとした。なにより不快なのは体臭で、掃除を怠った公衆トイレと放置した生ごみの臭いを混ぜた様な、不快感を異常に誘発させる悪臭があった。

 不潔でのろまで頭が悪い―――トロールだ。

 チェスの部屋の先、そこはトロールの居る部屋だった。足を踏み入れるや否やトロールはオリヴィエに襲いかかり、咄嗟に引き抜いた杖でかけた麻痺呪文(ステューピファイ)を物ともしなかった。―――こればっかりはなんの教科か見当もつかなかった。三頭犬と被るが魔法生物飼育学だろうか。

 トロールは動きこそ遅いが、怪力で力任せに振り回す棍棒は脅威だ。トロールは魔法耐性があるものの、魔術師の使う魔法には弱い。だが、体は丈夫(タフ)に出来ているらしい。動きを妨害し、体を裂き、粉々にさせる魔法をかけたが、トロールは起き上がって反撃をしてきた。

 高速戦闘に合わせてオリヴィエは魔法で攻撃しつつ、強化魔術で補助をしていたのだが、魔法を含めた魔術の同時展開(マルチタスク)は体に負担がかかっていた。

 ―――厄介だ。

 オリヴィエは舌打ちをしながら撃て(フリペンド)を放った。体が大きいトロールには、攻撃は容易に中る。トロールは吹き飛び、壁にぶつかって蜘蛛の巣状の亀裂をいれた。そしてトロールは、何事も無いかのようにまだ起き上がる。

 ―――いや、違う。

 機敏な動きで撹乱しながらトロールを観察していたオリヴィエは、ある一点に気が付いた。ただでさえ愚鈍なトロールだが、撃て(フリペンド)を食らった後は、初めに比べて格段に動きが鈍くなっていたのだ。つまり、トロールは直接与えられる外傷に比べ、外側からの衝撃には弱いと言うことになる。

 ならば話は簡単だ。徹底的に物をぶつけてやればいい。

 

 ―――浮遊せよ(ウィンガーディアム・レヴィオーサ)

 

 オリヴィエは、初めて使った魔法を脳内で詠唱した。最初は調整がうまくいかずに本が吹き飛んだが、出力の調整はバッチリだ。何も立ち入る隙などない。そしてオリヴィエの魔法で浮いたのは、戦闘において大量に出た無数の瓦礫だった。

 トロールが棍棒を持って、高く振り上げた。頭上すれすれまで迫ったそれを、オリヴィエは盾の呪文(プロテゴ)で防御してから跳躍し、悠々と杖を振って、瓦礫を弾き飛ばす。

 

 ―――撃て(フリペンド)―――ッ!

 

 瓦礫の数々が、勢いに乗って一点に収束した。瓦礫は風を切り、トロールの呆れるほど肉のついた図体に衝突した。頭の先から爪先まで、余すところなく、全部に。

 トロールが汚い声で呻いた。ゴオオウ、とエンジンのような音を立てながら、膝から崩れ落ちるように、トロールは凸凹の床にキスをした。

 すぐに立ち上がってきませんように、と願っていた甲斐あってか、トロールは昏倒しているようだった。大分苦戦したが、突破したようだ。

 現在時刻は3時30分。まずまずと言ったところか。次は体を使う試練ではありませんように、と願いながら、オリヴィエは壊れた物品ひとつひとつに直れ(レパロ)をかける。

 そしてオリヴィエは、鍵のかかっていない戸を開けたのだった。

 

 次の部屋に入室した瞬間、背後と前方に炎が燃え盛った。前方には黒い炎が、後方には紫色の炎がある。

 部屋の中心にはぽつんとテーブルがあり、7つのフラスコと大きな巻紙が乗っていた。

 紙には複雑怪奇な文章が書いてあって、炎を抜けて進む為に必要な魔法薬、戻る為の魔法薬、毒薬、イラクサ酒があり、どれが正解かを当てる物だと記述している。オリヴィエは思わず飛び上がってしまうかと思うくらい歓喜した。このようなパズル系の問題はオリヴィエの得意分野なのだ。

 テーブルの上に整然と並ぶフラスコはそれぞれ大きさや形が異なっており、中にはそれぞれ液体が入っている。今回の担当教科は絶対に魔法薬学(スネイプ教授)だと、すぐにわかった。魔法薬が使われているという点もあるが、この試練はいかにもスネイプ教授がやりそうなものだったからである。

 上機嫌なオリヴィエは巻紙を手に取り、声に出して音読した。

 

「ふむ。

 

『前には危険 後ろは安全

 君が見つけさえすれば 二つが君を救うだろう

 

 七つのうちの一つだけ 君を前進させるだろう

 

 別の一つで退却の 道が開ける その人に

 

 二つの瓶は イラクサ酒

 

 残る三つは殺人者 列に紛れて隠れてる

 

 長々居たくないならば 何れかを選んでみるがいい

 君が選ぶのに役に立つ 四つのヒントを差し上げよう

 

 まず第一のヒントだが どんなに狡く隠れても

 毒入り瓶の居る場所は いつもイラクサ酒の左

 

 第二のヒントは両端の 二つの瓶は種類が違う

 君が前進したいなら 二つの何方も友ではない

 

 第三のヒントは見た通り 七つの瓶は大きさが違う

 小人と巨人のどちらにも 死の毒薬は入っていない

 

 第四のヒントは双子の薬 ちょっと見た目は違っても

 左端から二番目と 右の端から二番目の 瓶の中身は同じ味』

 

 ―――と。成る程ね」

 

 オリヴィエは確認するように、文章を何度も読み上げた。皮肉っぽい書き方は何ともスネイプ教授らしい。オリヴィエは爪でテーブルをかつんかつんと叩きながら、七つの瓶をじっくりと眺めていた。

 

 ―――まず考えるのは、第四のヒントにある『双子の薬』。左端から二番目と右端から二番目にあるこれがイラクサ酒だとすれば、第一のヒントに従って、3つのうち2つの毒薬の位置は確定する。残るは毒薬1つと、前進の薬と、後退の薬だ。第二のヒントで供述されている通り『()()()()()()()友ではない』両端の2つの薬は、裏を返せば後退の友であるとも読める。つまり、どちらかは後退の薬だ。イラクサ酒の左になるから、左端は毒薬で確定する。ということは、後退の薬は右端だ。残っているのは左から3つ目と4つ目の2つで、入っているのは毒薬か前進の薬。そして第三のヒント。『小人と巨人のどちらにも 死の毒薬は入っていない』、つまり一番大きな瓶と一番小さな瓶のどちらにも毒薬は入っていないということだ。残っているのは小瓶と普通の瓶だけ。つまり、正解は―――!

 

 オリヴィエはぱっと顔を上げ、巻紙をテーブルに置いた。左から3つ目か4つ目は毒薬か前進の薬である。第三のヒントによれば小瓶と大瓶には毒は入っておらず、そして、中身が未だ不明なのは小瓶と普通の瓶しかない。つまり前進の薬は、一番小さな瓶に入っていると導き出されるのだ。

 オリヴィエは手を伸ばして、一番小さな瓶を手に取った。中に入っている液体を一気に飲み干すと、全身に氷を流し込んだような、冷ややかな感覚が広がった。だが決して、死の猛毒やアルコールを摂取したような感覚ではない。今この瞬間確信する事ができる。オリヴィエは確実に、正解を引いたのだった。

 オリヴィエはその感覚を持ったまま、黒い炎の中に突っ込んでいった。炎が舐めるように肌に当たり、くすぐったい。見るだけで火傷をしそうな凶悪な見た目の炎だが、熱は全く感じず、へんてこな感覚だった。

 炎の海を渡り、前に進んだ。それが終わると、次の部屋に出た。次の試練は如何なる内容か、オリヴィエは想像を膨らませた。未だ出ていない天文学(シニストラ教授)ならオリヴィエに分があるが、魔法史(ビンズ教授)なら最悪だ。どうかオリヴィエの得意教科でありますように、と思いながら、オリヴィエはその部屋を見渡した。そこは今までよりも荘厳で、広く、そして―――()()()()()()

 

 

 

 何もなかった、というのは語弊があるかもしれない。だが、三頭犬や魔法チェス、トロールがあった今までの部屋に比べれば、そこは物が全くと言っていいほどなかった。古代ギリシャの神殿を思わせる荘厳な内装だが、目立って何かが置いてあるわけではない。オリヴィエは罠の可能性も踏まえつつ、慎重に前進を始めた。

 部屋の中心に到着すると、シンプルなデザインの机の上に何かが置いてあった。手の平サイズの真っ赤な石で、何処から差し込んでいるのかも分からない光を反射してキラキラと輝いている。オリヴィエはそっと手を伸ばし、それを手に取った。罠を警戒していた、というのもあったが、その石は、なんだか触れるだけで壊れてしまいそうな、繊細な空気を纏っていたのだった。

 石には魔力が流れていた。膨大な量の魔力だ。魔力の流れ方や構造は非の打ち所がなく、まさに完璧と言っていい。未だ効果は見当もつかないが、この石ならば、如何なる効果を付与しても上手く行くだろう。オリヴィエは舌を巻いた。扱える魔術が桁違いな為に魔術に関しては辛辣なオリヴィエだが、そんなオリヴィエでも手放しで賞賛できるような、優れた魔法の一品だったのだ。並大抵の魔法使いでは、こんなクオリティの高い魔法道具を作れる筈がない。最早これは、魔術師が作ったと言っても納得のいく品だった。ダンブルドアの所有物だろうか。

 部屋の向こうに扉は無く、先に罠は続いていない。正真正銘、この摩訶不思議な石こそがトラップダンジョンの景品だった。

 ―――興味深い。

 オリヴィエは石を眺めながらにやりと笑った。この石について非常に気になる。正体や効果、製作者、気になる事が山積みだ。徹底的に解析したい。これだけクオリティが高いのだから、魔法界においても魔術界においても価値のあるものに違いないのだ。これは凄いものに違いないという期待感は、オリヴィエに流れる魔術師の血を騒がせた。―――尤も、我楽多であればこの警備の意味はない訳だから、ただの石ころであるはずがないのだが。

 オリヴィエは一瞬、ローブの裏に仕舞ってトンズラしようとした。だが、これだけ厳重な警備をされているのだ。石がなくなったら何が起きるのかわからない。ということで、オリヴィエは杖を取り出した。

 ―――そっくり(ジェミニオ)

 血のように真っ赤なその石をコツコツと叩くと、引き伸ばされたように2つに分かれた。なんという事のない双子の呪文だ。触れると更に分裂するという特性があるのが難点だが、それはオリヴィエの知ったことではない。オリヴィエは分裂させた偽物の石を机上に放置し、本物の石をローブの裏と繋がっている自室に仕舞った。現在時刻は3時45分。起床時間の前に寮まで帰るのには余りある時間だった。

 

 さて。

 

 オリヴィエは自室にある石の感触を確かめながら、踵を―――といっても、浮いているので足裏は使っていない―――返した。炎の部屋に入り、再び燃え盛る炎を後退の薬で退け、倒れたまま失神しているトロールの部屋を抜ける。そしてふとチェスの部屋で足を止め、粉々になったまま放置されているチェスの駒の残骸を目に留めた。このまま放置して帰るのは、魔法をかけた張本人であるマクゴナガル教授に申し訳ない。立つ鳥跡を濁さずという極東の諺にならって、全て修復して帰ろう、とオリヴィエは思った。そこでオリヴィエは杖を取り出し、振った。

 ―――直れ(レパロ)

 ひとつひとつを対象に魔法をかけていくと、しばらくすれば全ての駒が完璧に修復された。一度粉々にされてしまったことなど見る影もない。直れ(レパロ)の効果に気をよくしたオリヴィエは、悠々とチェス盤を横切る。扉を開けて鍵鳥の部屋を通り過ぎ、空を飛んで仕掛け扉のすぐ下まで来た。

 ―――しかし、困ったな。

 オリヴィエは首をひねった。なにせこの上には三頭犬(ケルベロス)がよだれを垂らして座っているのだ。しかも、オリヴィエに足を傷つけられた怒りのままに。とにかく困った時は麻痺呪文(ステューピファイ)妨害呪文(インぺディメンタ)が一番だ。蓮の杖(ロータスワンド)の切り裂き攻撃はもう使ったし、あれは不安定な状態だと心理的に使いづらい。三頭犬(ケルベロス)と目が合うや否や真っ先に魔法を打ち出すため、杖を構えながら、オリヴィエは仕掛け扉を開けた。

 無論、上には巨大な三頭犬(ケルベロス)がのっかっていた。しかし先刻聞いた、地獄の底のような唸り声は聞こえてこなかった。

 聞こえてきたのは安らかな寝息と、なぜかハープの音色、そして―――優しげな老人の声だった。

 

「おや、オリヴィエ。もう帰ってきたのかね?」

 

 背筋が凍った。

 オリヴィエ全身で最大限の警戒をしながら、スーッと上昇した。その警戒を表すように、指の先が無意識で震えていた。段々とオリヴィエの視界に入ってきたのは、ホグワーツにおいて知らない者は居ない大魔法使い―――アルバス・ダンブルドアその人だった。

 

「アルバス・ダンブルドア―――!」

 

 オリヴィエが小さく言うと、ダンブルドアはにこりと笑った。―――だが、そこには裏があるように思えてならない。十分に上昇すると、オリヴィエは床の上で飛行術式を解除する。革靴(ローファ)のかつんという音と共に、オリヴィエは表情を険しくした。この老人は、オリヴィエから石を奪還しに来たのだろうか。少なくとも、力づくで突破するのはできなさそうだった。

 

「おお、そうじゃとも。驚くのも無理はあるまいな。だがそうじゃのう……君がこの中に侵入した事に気づいた時のわしの方が、少しばかり強く驚いたかね」

 

 ダンブルドアはキラキラと輝く半月形の眼鏡の向こうから、オリヴィエをじっと見つめた。だが、ここで気圧されてはいけない。オリヴィエは平静を装って、軽く笑う。驚異を吐き出すように、息をゆっくりと吐いた。大丈夫だ。決して恐れる事など無い。

 

「―――え、ええ。そうですか。ところで校長はなぜここに? 真逆、この三頭犬と添い寝するためにいらっしゃった訳ではありませんでしょうに」

「確かに、フラッフィーと添い寝しに来た訳ではないのう。―――その様子ならば君は気付いておらんじゃろうが、わしとローラが知り合いなのじゃよ。君が潜入している事も知っておる。……おお、それでは語弊があるのう。実はな、君を入学させようとしたのはわしなのじゃ」

 

 ダンブルドアは悪戯っぽく笑った。そんな馬鹿な、と思いつつもオリヴィエは、入学通知を持って行った時のローラの言葉を思い出していた。

 『ダンブルドアの狸、このようなことまでし始めるとは』。

 ―――つまり、ローラとダンブルドアは知り合いだったのだ。そして恐らく、オリヴィエが侵入した事を問題にしていない。でなければ、こんな悠長に雑談などしないからだ。

 

「そうだったんですか。そういえば、他でもないローラ様がおっしゃっていましたか。……でしたら校長は存じ上げていらっしゃるでしょうが、私はイギリス清教第零聖堂区必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師―――言ってしまえば対魔術用魔術師(アンチマジックウィザード)です。ローラ様(上司)の指令に基づき、ホグワーツの調査を行っています。そしてこの石の調査も、ホグワーツの調査に含まれる。ですので、必要悪の教会(ネセサリウス)に持ち帰り、調査させて頂きます。校長もそれは織り込み済みでしょう? ローラ様から校長からかは察りかねますが、どちらかから提案があったのでしょうし」

「おお、まさしくその通りじゃとも。ローラから『狸の山城(ホグワーツ)に運んだ賢者の石はイギリス清教で保管させてもらえないかしら。どうせ壊してしまうならイギリス清教(こっち)で解析してからでも良いでしょう? 信頼できる部下がいるのよ』と言われた時は猜疑心が抜けんかったがの。じゃが、正解だったようじゃ。君は教職員の仕掛けたあの罠を一人で突破してみせた。ニコラスの石を預けるのに十分な実力じゃよ。―――のう、一つ、聞きたいのじゃが」

 

 ―――ニコラス。かの有名な錬金術師、ニコラス=フラメルか。まさかダンブルドアと知り合いだったなんて。

 ダンブルドアは三頭犬(ケルベロス)―――改めフラッフィーの側に寄った。オリヴィエは唾を飲んだ。

 

「その石は賢者の石という。君は知っておるじゃろうが、卑金属を黄金に変え、永遠の命を授ける石じゃ。そして、その石は君の手の中にある。君は、それをどう使うかね?」

 

 ダンブルドアはオリヴィエの心の中まで見透かすように、オリヴィエを見た。優しそうなその目が、オリヴィエに何かを求めている。

 ―――なんだ、その質問は。

 オリヴィエはきょとんとした。そんなの簡単だ。オリヴィエは、純金にも永遠の命にも興味は無い。ただ目指すのは魔術の極み―――魔神ただ一点だ。そしてオリヴィエは、心の中で思った素直な言葉を、包み隠さず言った。

 

「そうですね―――ローラ様のご意向に従って……というより私の好奇心で、構造を解析して、錬金術師に見せて……そうしたらすぐに壊してしまいます。結局の所、錬金術という学問で重要なのは過程なのですよ。魔法界の方にはピンと来ないかもしれませんが、魔術師―――特に錬金術師は、出来上がった産物ではなくそこの過程を重要視します。最終目標は錬金でも賢者の石でもなく、人間の魂を天使に昇華する大いなる業(アルス=マグナ)なのですから。所謂完全なる知性主義(グノーシズム)ですね。そして私もまた、賢者の石そのものには興味がない訳です。私が目指すのはただ一つ―――いや、これは言わないでおきましょう。ともあれ、他人から貰った便利品を我が物顔で魔術に使うのは、魔術師の名折れです。ですので、まあ……製造過程と構造が解析できたらお役御免でさっさと壊しますね。―――それが何か?」

 

 オリヴィエは人差し指を立ててくるくる回しながら解説した。ふんふんと相槌を打ちながら聞いていたダンブルドアは、あの穏やかな顔を更にニコニコさせながら言った。

 

「おお、それはよい事じゃ。賢者の石を躊躇いなく壊せる人間は珍しい。君が最初に賢者の石の守りを突破してよかった。賢者の石を手にした者は殆ど、純金や永遠を求めて狂ってしまうのじゃ。……なんとも愚かなものじゃよ、オリヴィエ。欲しいだけの純金や永遠の命など、誰一人として幸せにしない。人間はどうも、自分にとって最悪な物を欲しがる()()があるようじゃ」

「そうですか。お褒めに預かり光栄です」

 

 「さあ、寮に帰りたまえ」と扉の方を指したダンブルドアの横を、オリヴィエは歩いて通り過ぎた。古めかしい木の戸を押し、埃っぽくて蜘蛛の巣の張った四階右手の(禁じられた)廊下に帰還する。そしてオリヴィエは、帰路につくのだった。涼しいスリザリン寮内の、心地の良いベッドの中へ。




 オリヴィエちゃんが賢者の石ゲットです! プラス、スーパートントン拍子に謝罪を。
 これでクィレルが来ようとスニベリーが来ようとハリーが来ようと安心ですね。ダンブルドアも安心してロンドンに行けるというものです。
 次回はハロウィンです。オリヴィエちゃんはハロウィンの騒動の中でどう動くのか。多分多くのハリポタオリ主と動きは変わらないと思いますが、「なんだこいつ書くの下手だなあ」と思いながら読んでいただけましたらと思います。
 では、この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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第9話 祭宴と騒動

 一日に一万字書ける人は一体何者なんだろうかと考えて、赤の他人だと結論づけた今日この頃。


 深夜0時のスリザリン女子寮、オリヴィエは通信用霊装を起動した。今日は数日に一度の報告の日だからだ。魔力を通した羊皮紙に、オリヴィエの思った通りの言葉が浮かび上がる。

 

最大主教(アークビショップ)様、潜入捜査―――もとい学園生活は、恙無く進行しております。最大主教(アークビショップ)様が画策なさった通り、私は無事魔法の技術を魔術に転用する研究をしています。無論、魔法の熟練度も上げています。―――何か私に指示が有れば、回りくどい事をせず直接おっしゃればもっと早くやりましたけれど』

 

『報告ご苦労よオリヴィエ。11歳にしては中々の観察眼を養ったようね。嬉しい成長だわ。でも、ちょっと遠回りをした方がいい理由が私にはあるのよ、オリヴィエ。詳しくは言えないけどね。―――それと、ローラで構わないと何度も言っているでしょう? 私とあなたは上司と部下であり、義理の親子でもあるのだから。何か奇妙な事や変わった事があれば、「クリスマスにでも言おう」ではなくて()()()()()私に伝えなさい』

 

 通信用霊装に文字が浮かび上がった。心の内で考えていた事を言い当てられ、オリヴィエは再三、ローラには敵わないと感じる。我ながら恐ろしい上司を持ったものだ。オリヴィエは深く息を吸い込み、霊装を操作した。

 

『―――では、ローラ様。いくつかお言葉を賜りたいのですが』

 

『ええ、言ってご覧なさい』

 

『1つ目ですが、同級生に敵魔術師が紛れ込んでいる可能性が高いという事について、今後の私の動きを変える必要があるのかという事。2つ目は、賢者の石の今後の扱いに関する事について。―――そして3つ目は、ローラ様が私を魔法学校に入れた()()()意図について、です』

 

 羊皮紙には『―――』という間が表示された。オリヴィエがじっと眺めていると、ぽつりぽつりと字が浮かんできた。

 

『成る程ね。オリヴィエ、あなたは本当に素敵な観察眼を持っているものだわ。よく成長した。

 では、順を追って答えましょう。

 1つ目だけれど、特に動きは変えなくていいわ。敵魔術師が居るのは大した緊急事態ではないし、そこであなたが動く必要はない。危害を加えられそうだったら迎撃する、くらいのスタンスで行けばいいんじゃないかしら。

 2つ目はあなたがダンブルドアに答えたようにすればいいわ。あの爺の事だから、どうせ賢者の石を壊す根性があるかとでも聞いたんでしょう? あなたが扱いたい様に扱って、用がなくなれば壊してしまって構わない。元々壊す予定だったみたいだしね。

 最後は3つ目についてね。あなたは今、もしかして私の陰謀の駒にされていると考えているのかもしれないけれど―――それは全く的外れよ』

 

 オリヴィエは息を呑んだ。

 

『私があなたを魔法学校に入れた理由は単純、あなたに学園生活を送らせたかったから。

 必要悪の教会(ネセサリウス)の狭い女子寮の中で、偏った価値観に基づいた凝り固まった人生を送らせるのは、忍びないと思ったのよ。勿論、「魔法と魔術の架け橋」の役割を与えるのも目的の1つだったけどね。―――だからオリヴィエ、ホグワーツであなたはイギリス清教の事情を考えなくていいのよ。普通の人間として、一人の魔法使いの卵として、あなたがしたいように動きなさい。「魔術と魔法を融合させる」なんてあなたの知的好奇心次第で構わないわ。「魔術師としての正しさ」よりも、「人間としての正しさ」を考えなさい。私が言うのは、それだけ』

 

 そう言って、ローラは通信を切った。オリヴィエは、文字越しながらもローラがウィンクしたように思った。オリヴィエの脳内では、ローラの悪戯っぽい笑みが再生されていたのだった。

 ―――『人間としての正しさ』、か。

 ぼんやりと考えながら、オリヴィエは通信用霊装をトランクの中に戻し、絹の掛け布の中に潜り込んだ。オリヴィエの意識は、微睡みの中に溶けていった。

 

 

 

 無機質なようで柔らかい、最早慣れ親しんだ光で目を覚ました。

 

 スリザリン寮は地下にあり、日の光はさして入らない。まぶた越しに眠りかけの脳を刺激するのは、天井から吊るされた銀のランタンだけだ。

 ―――新聞は?

 オリヴィエは寝ぼけながらも手を伸ばした。だが、極度の近視であるオリヴィエは無論空振り。仕方ないので、手探りで探し出した使い古しの銀の丸眼鏡をかけ、窓辺に落ちている紙束を探した。眼鏡によって急にクリアになるオリヴィエの視界は、視界の端に新聞を見つける。夕べにあらかじめ置いておいたクヌート銅貨の代わりに、分厚い新聞がそこに置いてあった。魔法界の新聞―――不思議な事に写真が動く―――といったら、やはりこれだ。―――日刊予言者新聞。

 オリヴィエは何かを確かめる様に、新聞の右上へ目線を移した。書かれていたのは日付で、西暦1991年10月31日、ハロウィーンと書いてある。

 

「―――そうか、11日前か」

 

 オリヴィエは確かめるように口にした。あの禁じられた廊下の先に広がっていた、オリヴィエを試す為の試験場の事を。賢者の石を守護する様々な罠を攻略し、手にした賢者の石。あの血のように真っ赤な石は今も必要悪の教会(ネセサリウス)女子寮の一室に転がっている事だろう。オリヴィエ自ら手がけた一種の―――ともすればウィンザー城や処刑(ロンドン)塔とも張り合える程に強固な守備の―――魔術要塞の中で。

 本日は西暦1991年10月31日。世間的な観点から見れば、ハロウィーンの日だ。

 ハロウィーンとは、秋の収穫を祝い悪霊を追い出す古代ケルト人の祭りが起源だ。米国ではジャック・オー・ランタンなどを飾り、仮装した子供たちが近所の家々からお菓子をもらう催しになっているが、窓際部署とはいえイギリス清教所属―――すなわち十字教徒のオリヴィエにしてみれば聖徒日(オール・セインツ・デイ)の前日という認識に他ならない。しかしながら、ジャック・オー・ランタンとは即ち『彷徨える魂(居るべきでない存在)』である。十字教の『死者は天国・地獄・煉獄のどこかに行き、現世をふらふらする幽霊は偽物かそこさえも締め出された悪人とされる』という教義によって()認定される悲しき存在だ。そういうのは基本的に幽霊狩り特化のロシア成教では重要な日の筈で、殲滅白書(Annihilatus)とかは大忙しなんだろう。イギリス清教の仕事は魔女狩り―――そんなオリヴィエが魔法学校に通っているのだ―――なので、オリヴィエには1ミクロンたりとも関係ないが。

 元々はケルト人のお盆に近いサウィン祭が、十字教の聖人の祝日である聖徒日(オール・セインツ・デイ)と混ざったものらしく、それが現代風に軟化した結果が現在のハロウィーンなんだとか。イギリス清教が支配するこの英国の地においても宗教的意味合いは薄れ、お菓子を貰える日くらいの認識となっている。そして辺境とはいえ英国領土に存在するホグワーツ魔法魔術学校であっても、ハロウィーンの馬鹿騒ぎの波は押し寄せていた。なにせ朝から校舎中に美味しそうなお菓子の匂いが漂っていて、誰も正気を保てなかったのだ。オリヴィエでさえ若干浮かれたのだから、他の生徒は尚更だ。―――30年後くらいになって、極東の首都で起こる大騒ぎに比べれば大人しいが。

 

 回想しながら紅茶を啜り、小さく息を吐く。トーストの最後の一欠片を口の中に放り込み、授業終わりで上機嫌なオリヴィエは食堂を出た。出てすぐ、夜まで待ち切れないように漂う、パンプキンパイの香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。存在するだけで気分が良くなるいい匂いが、そこらじゅうに漂っていた。

 

「こんなにいい匂いがしているのに、お菓子は夜までお預けなんて残念ね。オリヴィエもそう思わない?」

 

 大きく息を吸ってから、ダフネ・グリーングラスが言った。ドラコ・マルフォイ率いる一団の末端らしいオリヴィエは、同じくドラコと付かず離れずの距離を保っているダフネと親しい。お菓子が楽しみで若干浮かれていた事を見透かされていたようで、オリヴィエは一瞬言葉に詰まった。オリヴィエは咳払いをして、

 

「まあ……今日1日のやる気になったんだしいいんじゃないの? 今日の授業は終わったし、午後いっぱいを適当に過ごせば夕食の時間はすぐでしょう。今だろうが夜だろうが結局は食べられるしね。それに、ハロウィーンの本分はそこじゃないんじゃなかったっけ?」

 

 と、さりげなく話題をずらした。ダフネは不服そうな顔をして言った。

 

「そんなの分かってるわよ。詳しい事は知らないけど、元々は脅してお菓子を貰う行事じゃないんでしょう? オリヴィエ、あなたマグルみたいな事言うのね」

「脅して、って。それとマグルは関係ないでしょう……」

 

 オリヴィエがやれやれと言った風に首を横に振った。「相変わらずのマグル贔屓。そういうところが嫌われるのよ」と、ダフネはにやっと笑った。ダフネのみならずスリザリン生は―――純血の生徒が多いからか―――純血主義者が多いが、今の言葉が冗談半分なのは明白なので、オリヴィエもくすくすと笑う。

 オリヴィエはダフネと並んで歩きながら、図書館へと向かった。オリヴィエのここ最近の趣味の為で、一日一冊、図書館の本を片っ端から覚えるのだ。ホグワーツの図書館には『閲覧禁止』書棚でなくても興味深い本が―――稀に下らない(ロックハートとかいう作者の)本も見かけるが―――大量に並んでいる。それを放置するのは、魔導書図書館の異名をとるオリヴィエとしては看過できない。ホグワーツは何万冊という蔵書数を誇り、7年間毎日通っても飽きない程―――蔵書数を5万冊として、一年に9ヶ月図書館通いを7年間続けると、2〜3日に一冊で大体ぴったり読み終わる―――豊富な種類の書物が存在するのだ。卒業するまでに図書館の本全てを記憶していくというのが、オリヴィエの目標になっていた。

 

「―――えっと、私は図書館に行こうと思うんだけど、ダフネはどう?」

「私はいいわ。今日はそういう気分じゃないし……あのガリ勉マグルとばったり会ったら気分が悪いじゃないの」

 

 オリヴィエは真鍮のプレートを指差しながら、ダフネも図書館に誘ったが、あっさりと断られてしまった。―――ガリ勉マグル、とはハーマイオニー・グレンジャーの意だ。スリザリン生らしいダフネの物言いに苦笑いし、オリヴィエは「じゃあ、夕食の時に」と言ってダフネと別れ、一人で図書館に入った。

 ホグワーツの図書館はいつも静謐な雰囲気だ。オリヴィエはその雰囲気が好きだったが、息苦しさを感じる人間も少なくないだろう。分厚い本が見上げるほど高く積まれている圧迫感なのか、それとも司書のマダム・ピンスがいつもむすっとした表情でカウンターから睨んでいるからなのか、それは推し量りようもない事だ。だがホグワーツの図書館は常に高度な知識を与えてくれる。それだけは確かだ。

 オリヴィエは洒落た本屋のような木製の書架の前に立った。ずらりと並ぶ革の背表紙を辿り、今日記憶する一冊を探す。未だ『a』の目次から抜け出せない事には蔵書数の多さを感じるが、それでこそ覚え甲斐はあるというものだ。

 背表紙を指でなぞりながら、題名の頭文字を小声で読み上げた。『al』……『am』……『an』……あった。昨日覚えた本の次にある分厚い本だ。

 今日の一冊―――『ヨーロッパにおける魔法教育の一考察(An Appraisal of European Magical Education)』。

 開いて読んでみれば、題名の通り魔法学校について書いたものだった。図書館で特に記憶したのが閲覧禁止の書棚だったせいで、図書館の蔵書は危険な魔法の本なのかと勘違いしていたが、案外普通の本も多いのだ。

 この本は、ホグワーツ以外の魔法学校についても記述されている。魔法の教育機関は世界各国に数あれど、国際魔法使い連盟に認められた魔法学校はたったの11校しか存在せず、その内の一校はホグワーツだ。ホグワーツ以外にも、世界には、フランス語圏のボーバトン魔法アカデミーや北欧の最北にあるらしいダームストラング専門学校、アメリカのイルヴァーモーニー魔法魔術学校などがあり、他にも極東やブラジル、アフリカ、オセアニアなどに存在するようだ。特にボーバトンとダームストラングはホグワーツと並ぶ由緒ある魔法学校で、かつてホグワーツと三校共同で三大魔法学校対抗試合(トライウィザードトーナメント)という催しを行なっていたらしい。各校の代表者が三つの危険な試練に挑む事で優劣を競っていたが、負傷者が出すぎた為、最後の開催から今に至るまで約200年間開催されていないようだ。禁止される程苛烈な試練、一度くらいは見てみたいとオリヴィエは思った。

 『ヨーロッパにおける魔法教育の一考察』を一通り読んで、オリヴィエはふと気付いた。というのも―――『ヨーロッパにおける魔法教育の一考察』とは全く関係がないのだが―――、毎日蔵書を記憶しに来ているオリヴィエと肩を並べられるくらい高頻度でハーマイオニーが居るのだが、今日はどこにも見当たらないのだ。この広い図書館の中で特定の人物を探すのは至難の業だが、オリヴィエとハーマイオニーは興味の方向性が似ているのか、一日に一回は手に取る本が被るのである。なので否が応でも顔を付き合わせるのだ。少女漫画あるあるで『本を取る時に手が重なる』というものがあるが、それが毎日起きる訳だ。―――無論、そこにロマンスはない。

 真面目で勉強熱心なハーマイオニーはとにかく本を読み込んでいる。一年生ながら既に才女として名を馳せた要因は十中八九、いや100%本のおかげだろう。そんなこんなでオリヴィエとハーマイオニーはよく会うのだが、グリフィンドール生とスリザリン生という関係性のせいか、図書館の中でそこまで会話は発展しない。まあ静かな図書館の中では流石のハーマイオニーもあのアナウンサー並みの饒舌っぷりが鳴りを潜め、ただでさえ口下手なオリヴィエが相手なのだから、当然といえば当然だ。オリヴィエは特にハーマイオニーと話す理由もない訳だし。

 まあ、そんな事は些事だ。今日は気が向かなかっただけかもしれない。そこはオリヴィエの推し量りようもない事だが―――気が向いたらグリフィンドール生に聞いてみよう。

 そう思いながらオリヴィエは、『ヨーロッパにおける魔法教育の一考察』を閉じた。そして書架の空白にそれを戻し、図書館から退室した。

 

 本能的に寮に帰ろうと歩き始めたオリヴィエはふと思い立って、校内徘徊を始めた。いつもの事であり、教授の誰かに見つかって咎められるところまでがワンセットだ。―――スリザリン生だから避けられているのか、他寮の監督生にはとやかく言われないのだが。

 ―――ああ、今日はハロウィーンだな。

 今日は何処へ行ってもそう感じる雰囲気だった。一部の元気なグリフィンドール生は『フィリバスターの長々花火』なんかを爆発させかねない勢いだったそうだし、オリヴィエはより夕食時が楽しみになった。

 ふらふらと廊下を歩いていると、何処ぞから話し声が聞こえてきた。記憶と照会してみると、グリフィンドール生のラベンダー・ブラウンと、噂をすればハーマイオニーのようだ。さりげなく近付くと、結構鮮明に聞こえる。聞くに、こんな会話だった。

 

「ハーマイオニー、あんまり、その……気にしない方がいいわよ。ロンだってそんな、悪気があった訳じゃないと思うし……ねえ、今日はハロウィーンよ。夕食の時にきっと素敵な食事があるわ。トイレの中で過ごしてちゃ勿体ないわよ」

「―――悪気が無くて、あんな事は言わないわ……なによ、あんな風に言う事ないじゃない。『スリザリン生の方がましだ』なんて……ううっ」

 

 オリヴィエは、ハーマイオニーが図書館に居なかった理由に丁度いい説明がついたと思った。大方、ブラウンが言う『ロン』―――記憶と照会するに、赤毛のウィーズリー―――が、ハーマイオニーの悪口を言ったのだ。ハーマイオニーの性質や伝聞、今の発言から推測するに、「知ったかぶり」―――ハーマイオニーが授業内で豊富な知識を披露するのは有名な話だ―――だの「偉そう」だのと言い、「それならスリザリン生の方がまだましだ」とでも付け足したのだろう。ウィーズリーの中でそれがただの軽口だったのか本気の罵倒だったのかは推し量りようもないが、ハーマイオニーの心には深く突き刺さったのだろう。そして今、トイレの中に籠っている、と。ハーマイオニーは実に豊かな感受性を持っているようだ。

 壁に寄っ掛かりながら二人の会話を聞いていると、会話が途切れ、女子トイレから俯いたブラウンが出てきた。ハーマイオニーは側に居ない。ブラウンの説得は失敗したようだった。

 ―――立ち直れるといいけど。

 まあ、人間そこまで軟弱ではない。晩餐の甘美な匂いを嗅ぎつければひょっこり出てくるだろう。ついでにウィーズリーと和解すると良い。ハーマイオニーは特に放っておいて損は無いが、夕食時になっても全く姿を見せないようなら様子くらい見に行ってもよかろう。オリヴィエはそう思い、トイレの側から離れた。

 

 

 

 校内を一通りぶらぶらした後、寮に戻ったオリヴィエが次に寮を出たのは、夕食を取るためだった。無論他の寮生も一緒だ。全員―――かはわからないが、キッチンに待機していた美味しいお菓子を朝から待っていたのである。それはオリヴィエも同じで、誰にも気付かれないようにスキップしながら大広間―――ハロウィーンの装飾がされていて、とても煌びやからしい―――に向かっていたのだった。

 大広間に入ってみると、本当に素晴らしい装飾がなされていた。見上げる程に高い天井には大きなかぼちゃがくり抜かれた、ジャック・オー・ランタンがふわふわ浮いていた。天井近くでは蝋燭が揺らめいて、空には生きた蝙蝠が黒い大きな塊となって飛び交っている。そして入学式の様に4つの長テーブルと金の大皿が用意されていて、蝋燭の暖かな光を反射して照っていた。

 ダンブルドアが手を叩くと、テーブルの上に現れたのは山の様に用意された豪勢な料理だ。入学式の時と同じく、イギリスの伝統を引き継ぐじゃがいも料理も目についたが、ハロウィーンらしくかぼちゃ料理が多い。かぼちゃパイやかぼちゃケーキの様なお菓子は勿論、主食になる様なアレンジもされている。

 ―――そういえば、ハーマイオニーが居ない。

 グリフィンドールのテーブルを眺め、オリヴィエは思った。精神的に重傷だったのだろうか。気が向いたら見に行こう、とオリヴィエは考えつつ、ご馳走にまた目を向けた。

 オリヴィエは元ネタに倣って自然の恵みに大いに感謝し、皿に料理を取り始めた。いずれも入学式と変わらず絶品であり、オリヴィエはささやかな幸せを全身で味わう。オリヴィエがかぼちゃパイに齧り付こうとすると、突然響き渡ったドアの開閉音によってそれは妨げられた。

 現れたのはクィレル教授だった。教授は全速力で大広間を駆け抜け、ダンブルドアの席へ一直線に向かった。全員の視線が教授に向かって降り注いだ。テーブルに縋りながら、消え入るような声で、教授は言った。

 

「トロールが……地下室に……お知らせしなくてはと思って」

 

 言ったきり、教授は気を失って倒れた。最前列にいた生徒からざわめきが起こり、それはあっという間に伝播した。嘘を疑う猜疑心とトロールが侵入したかもしれないという動揺が生徒の脳内を一斉に走り抜け、大混乱になった。

 スリザリン・テーブルでも混乱の渦が起こった。ドラコ・マルフォイなんぞは、いつもの尊大な態度は何処へやら顔面蒼白だった。やっつけようと言う者が居たり真っ先に逃げようとする者がいたり、寮が地下であるだけに他寮よりも混乱は大きかった。

 ダンブルドアが杖から紫色の火花を出し、やっと騒ぎは落ち着いた。しかし動揺の波は未だ引かなかった。

 

「監督生よ―――すぐさま自分の寮の生徒を引率して帰るように」

 

 ダンブルドアが重々しい声で言った。一拍置いて、スリザリンの監督生・ジェマが声を張り上げた。各テーブルから監督生の声が上がる。ジェマは大声で指示を出し、付いてくるように言った。

 オリヴィエは席を立ちながら、万が一にもあり得ない状況だと思った。ホグワーツは曲がりなりにも世界随一の魔法学校であり、警備は並大抵のものではない。トロールのような力任せの馬鹿が侵入できる訳がないのだ。だが、オリヴィエの魔術師としての感覚は、トロールの気配を感じ取っていた。一度やりあったのだから間違いない筈だ。本当にトロールが侵入したのだ。

 しかし、クィレル教授の言った場所と気配の座標が違う。トロールは地下ではなく、もっと上層階に居た。2階をうろうろしており、3階へ上がるかどうかという動きだ。クィレル教授の情報が不正確だったのはさておき、そうなると一つ困った事があった。

 ―――ハーマイオニーが近い。

 ハーマイオニーが居るのは3階女子トイレの中だ。そして彼女は、トロール侵入騒ぎを知らない。オリヴィエがやりあったトロールと同程度の強さであれば、優等生のハーマイオニーとはいえ手も足も出ないかもしれない。オリヴィエが異常なだけで、同級生は皆ただの11歳なのだ。恐怖で体が動かず―――などという展開は想像する事など容易い。

 ―――でも、これは私が動く時じゃ……

 『「魔術師としての正しさ」よりも、「人間としての正しさ」を考えなさい』

 二の足を踏んだオリヴィエに、ローラの言葉が頭をよぎった。

 魔術師として正しい()()()()判断は真っ直ぐスリザリン寮に帰る事だった。ここはオリヴィエの出る幕ではなく、悪目立ちは逆効果だからだ。しかし、人間としての正しい判断はそうではないのではないだろうか。ここでオリヴィエがするべき『人間として正しい判断』は、監督生に従って寮に帰る事ではないのではないのだろうか。

 そう考えていると、体が勝手にスリザリン生の集団から離れていた。

 

 

 

 耳を澄ませば、しくしくと啜り泣く声が耳に届いた。場所は3階廊下、女子トイレの入口付近だ。近くには見当たらないが、トロールはじわじわと近付いてきているという実感がオリヴィエにはあった。

 オリヴィエは、ゆっくりと一歩踏み入れた。中には、木製の個室と洗面台がいくつか行儀良く並んでいる。個室の中の1つには鍵がかかっていて、泣き声はその中から聞こえていた。オリヴィエは革靴(ローファ)を鳴らしながら近づき、3回ノックをした。こんこんこん、という小さな音が、狭い部屋の中で反響した。

 

「―――誰?」

 

「オリヴィエ・コニアテス」

 

 ハーマイオニーがしゃくりあげながら涙声で聞いたので、オリヴィエは短く答えた。ハーマイオニーは一拍置いてから、ぐずぐずの声で言った。

 

「なんで……こんな所にいるのよ。あなた、スリザリン生じゃない」

 

「―――寮なんて関係ないでしょう」

 

 オリヴィエは静かに言った。ハーマイオニーはまたしゃくりあげ、「冷やかしに来たのね」と、敵意を孕んだ声で返した。オリヴィエは眉を下げ、溜息を吐いた。そして、また個室の戸をノックした。

 

「冷やかしに来た訳じゃないの。―――とりあえず、個室から出てくれない? ちょっとしたトラブルがあって、危険が近づいてる」

 

「嫌よ。だって、私―――」

 

 ハーマイオニーが言いかけて、被せるようにブァーブァーというあの不快な声が聞こえた。無論ハーマイオニーも聞いていて、何かに気づいてぴたりと言葉を止め、個室の戸を少し開けて外を覗き見た。

 

「―――ッチ、来たね。手間が省けたよハーマイオニー、これがトラブルなんだよ」

 

 オリヴィエは、入口に現れた大きな影を睨みながら言った。鈍色のずんぐりとした巨体に反比例して小さな頭、つんと鼻をつく悪臭、原始人のような簡素な服装―――トロールがそこに居た。愚鈍なトロールはよたよたと部屋の中に入り、そのひょろ長い腕で棍棒を振り回した。個室を構成する木が崩れる音と、ハーマイオニーが叫ぶ声が重なった。結局の所戦うのか、とオリヴィエは溜息を吐いた。ハーマイオニーが見ているし、魔術は得策ではない。ここは身体強化魔術と魔法で応戦し、ハーマイオニーを逃がすことを優先しよう。オリヴィエは即座に杖を引き抜き、トロールの反対方向に杖先を向けた。

 ―――トロールよ動け(ロコモーター・トロール)

 トロールは杖の向いた方向に吹き飛んだ。移動するだけの呪文でも、魔力の練度さえ弄ればこうなる。壁に蜘蛛の巣状のひび割れを入れたトロールを尻目に、オリヴィエはハーマイオニーの手を掴んで、個室から強引に引っ張り出した。

 

「ハーマイオニー、逃げて! ここは私に任せて、早く!」

 

 オリヴィエが叫ぶと同時に、トロールが起き上がった。トロールは鈍い動きで棍棒を手に取り、オリヴィエとハーマイオニーに照準を合わせた。ハーマイオニーは引っ張られた勢いで転びそうになっていた。片足立ちでバランスを崩したハーマイオニーのその隙はトロールに見つかり、トロールはなんとかオリヴィエを迂回して、ハーマイオニーを殴ろうと棍棒を振り上げた。

 

「走って!」

 

 ―――退け(デパルソ)

 叫ぶと同時、オリヴィエは魔法を撃ち込んだ。トロールはまたも吹っ飛び、壁に衝突。宣告入れた亀裂を更に深めるように、トロールは壁にめり込んだ。

 

「なんで―――ッ!」

 

 ハーマイオニーが絶望に染まった叫び声を上げた。オリヴィエが急いで振り向くと、ハーマイオニーがドアノブをガチャガチャしながらドアを叩いている。驚いた事に、鍵がかけられているのだ。がたがたの足でドアノブに縋っていたハーマイオニーだったが、ドアノブを掴む手から力が抜けて、その場にへたり込んだ。

 その内、トロールは再び起き上がった。トロールは何度も壁に打ち付けられて満身創痍だったが、気力だけは未だ元気らしい。叫びと反響はトロールを挑発してしまったらしく、トロールは鼻息を荒げて立ち上がった。

 ―――トロール相手に、動けないハーマイオニーを守りながらはきつい。トロールは殆ど満身創痍だけど、自殺覚悟で殴られたらハーマイオニーの方に被害が出るかもしれない。ここはハーマイオニーだけでも逃さねば。応援も呼べない状況でどうすればいいんだ……

 

「ハーマイオニー!」

 

 オリヴィエの思考を分断するように、鍵の開く軽い音と大声が響いた。見れば、焦ったポッターとウィーズリーが女子トイレに駆け込んできている。

 ―――馬鹿じゃないの! 自殺行為だ。

 オリヴィエは信じられないという目で、ポッターとウィーズリーを見た。いくらハーマイオニーが心配だからって、一年生がたった二人でトロール退治に来たなんて無謀にも程がある。

 

「ハーマイオニー……?」

 

 ポッターはドアの傍にへたり込んでいたハーマイオニーを見て、思わず声をあげた。ポッターはハーマイオニーに手を差し伸べながら、庇うように前に立ち、トロールに視線を送っていた。

 

「そうか。さては、トロールを入れたのはスリザリン生だな。どうせスネイプの指示なんだろう」

 

「そんな訳ないでしょう。教授をなんだと―――ッ、危ない!」

 

 ウィーズリーに反論しようとしたオリヴィエの言葉は、途中で遮られた。視界の端に、棍棒を振り上げるトロールの姿があったのだ。オリヴィエが集中を欠いていた隙に、トロールはハーマイオニーとポッターに忍び寄っていた。棍棒が二人の頭上に迫る。ポッターはハーマイオニーを庇うべく立ちはだかり、棍棒の一撃に備えて目を固く瞑っていた。無論それをオリヴィエが見逃すはずもなく、オリヴィエは流れるような動作で、右手に持っていた杖を振り上げた。

 ―――まずは守るのが優先だ! (プロテ)

 

「―――ゴ……ッ!?」

 

「ヴィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 瞬間、オリヴィエの魔法に被せて別の魔法が発動された。ポッターのものかウィーズリーのものか、あるいはハーマイオニーのものか。オリヴィエの魔法は未発動のまま瓦解し、杖は半端な位置で静止した。

 トロールは白目を剥いて、膝から崩れ落ちた。床に倒れこんだ衝撃で発生した風が、砂塵を巻き上げる。眼鏡には堪える砂吹雪だった。それを目の当たりにしたオリヴィエは、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。オリヴィエの代わりにトロールにとどめを刺したのは、他でもない()()()()()()()だった。

 

「ねえ、ロン……?」

 

 ハーマイオニーが呆然と言った。それを時間差で聞き取ったウィーズリーが、高々と掲げたままだった杖をゆっくりと下ろした。ウィーズリーの放った浮遊魔法はトロールの棍棒を天井高く浮遊させ、落下の衝撃でトロールびとどめを刺していたのだった。

 

「ウン、あの、―――これ、死んだのかな」

 

 ウィーズリーもぼんやりと言った感じだった。オリヴィエも自我を取り戻しながら、

 

「―――いや、多分、ノックアウトされただけじゃないかな。でも……」

 

 被せて、集団の足音が聞こえた。そっちを見遣ると、マクゴナガル教授とスネイプ教授、クィレル教授が順番に駆け込んできていた。マクゴナガル教授は唇を真一文字に引き締めていて、顔面蒼白だった。予想されていた事態だったが、マクゴナガル教授の雷が今にも落ちそうなのは火を見るよりも明らかだった。

 スネイプ教授がトロールを覗き込んだが、クィレル教授はそれどころではなさそうだった。発作を起こしたように崩れ落ち、胸を押さえながら浅く呼吸を繰り返していた。

 

「一体全体、あなた方はどういうつもりなんですか」

 

 マクゴナガル教授が張り詰めた声で言った。場の空気が、ぴりりと張り詰めた。

 

「殺されなかったのは運が良かった。ですが、寮に居るべきあなた方がどうしてここに居るんですか?」

 

 教授がひんやりと目を細める。スネイプ教授が、裁縫針の先のような鋭い視線を向けた。部屋はしんと静まり返っていた。オリヴィエは口を開こうとして、小さな声に遮られた。

 

「マクゴナガル教授、聞いてください。―――三人は、私を助けに来てくれたんです」

 

 「ミス・グレンジャー!」と、マクゴナガル教授が声をあげた。ハーマイオニーは震え声で、淡々と言った。

 

「私がトロールを探しに来たんです。私……私、一人でやっつけられると思いました。―――トロールについては、本でたくさん読んで知っていたので」

 

 からんからんと音がした。ウィーズリーが取り落とした杖の音だった。何ということだろう。あのハーマイオニーが、しかも先生に対して、真っ赤な嘘を吐いている。一体どんな心境の変化が起きたというのだ。

 

「もし三人が私を見つけてくれなかったら、私、今頃死んでいました。ハリーは私を庇ってくれ、ロンは棍棒でトロールをノックアウトしてくれました。オリヴィエは真っ先に駆けつけてくれ、私を守りながら戦ってくれました。三人は誰かを呼びに行く暇もなかったんです。私は殺される寸前でしたし、真っ先に来たオリヴィエもトロールを遠ざけるので一杯一杯で……」

 

 言って、ハーマイオニーは黙りこくる。事実を巧妙に混ぜた虚偽だった。だが、オリヴィエもポッターもウィーズリーも、これをぶち壊してまで事実にこだわる性分ではない。三人は揃って、「その通りです」という風を装った。

 

「まあ、そういう事でしたらとやかくは言いませんが……。―――ですがミス・グレンジャー、何と愚かしいことを。たった一人で野生のトロールを捕まえようなんて、そんなことをどうして考えたのですか?」

 

 至極当然な疑問だった。ハーマイオニーは誰が見ても品行方正な優等生だ。それがどうして、こんなことを考えたのかは、誰もが疑問に思うはずだ。それを一番分かっているのだろう本人、ハーマイオニーは下を向いてうなだれた。マクゴナガル教授は小さく息を吐いて、その続きを告げた。

 

「ミス・グレンジャー、グリフィンドールから五点減点です。あなたには失望しました。怪我がないならグリフィンドール塔に帰った方がよいでしょう。生徒達が、さっき中断したパーティーの続きを寮でやっています」

 

 ハーマイオニーは俯きながら帰っていく。マクゴナガル教授はハーマイオニーから目を離すと、オリヴィエ達の顔を見ながら続けた。

 

「先程も言いましたが、あなた達は運が良かった。ですが、大人の野生トロールと対決できる一年生はそうざらには居ません。一人五点ずつあげましょう。ダンブルドア先生にはご報告しておきますから、帰ってよろしい」

 

 オリヴィエは小さく頭を下げ、女子トイレを出た。ポッターとウィーズリーも、オリヴィエの後ろについてくる。長い廊下を黙って突き進み、オリヴィエが階段を下ろうとした時、ウィーズリーが登り階段の一段目に足を乗せながら、独り言のように言った。

 

「二人で十点は少ないよな」

 

 いかにも不満そうな声色だった。ハーマイオニーの減点も引けば五点になる、とポッターが訂正する。完全に蚊帳の外なのは承知の上で、オリヴィエはぽつりと思った事を、迷わず口にした。

 

「私は申し訳ない事をした。私だけスリザリン生で、ハーマイオニーの減点お構いなしに一人で勝手に五点を持っていった訳だし。とどめを刺したのはウィーズリー、あなたな訳だから、私はゼロで、グリフィンドールがもう五点くらい貰えれば良かった。まあ、あなたの行動が無くても私はトロールをやっつけていたけど、するべきだったかしないべきだったかは分からないよね。でも感謝はしているよ。―――ありがとう、ウィーズリーにポッター。トロールを倒せたのは、あなた達のお陰だよ」

 

 思った事をそのまま出した結果、存外支離滅裂な文章になった。オリヴィエの発言がでしゃばりなのは火を見るよりも明らかだったが、だとしても口に出さずにはいられない。ポッターもウィーズリーも、オリヴィエの方を見ていた。ポッターは小さく息を吸って、吐くと同時に言葉も出した。

 

「感謝するのは僕こそだよ。―――ありがとう、オリヴィエ。それと、僕はハリーだ。『ポッター』って呼ばれるのは、先生かマルフォイだけで十分だよ」

 

 耳に飛び込んだ音声は衛星放送の如く遅延しながら脳に到達する。言葉の意味を理解したオリヴィエは、階段を一段下ったまま静止した。

 ―――感謝、された?

 オリヴィエは仕事上、感謝されることが滅多に無かった。必要悪の教会(ネセサリウス)は血で血を洗うような残酷な仕事や非人道的な仕事が多い。魔導書図書館など尚の事だ。故に、慣れないで反応が一瞬遅れた。ポッターが仄かに笑った。ローラの言う、『人間としての正しさ』の結果がやっとついてきた気がした。

 

「―――そう。ありがたく受け取って置くね。ええと、ハリー?」

 

 オリヴィエが、独り言じみた小声で言った。ポッターとウィーズリーは何も言わなかったが、きちんと伝わったのは不思議と分かった。場の空気がそれを如実に物語っていた。

 

 オリヴィエは黙々と階段を降り、大理石で出来た地下へと降りていく。石戸の向こうの談話室で上級生達がパーティーの続きをしていたが、オリヴィエは無視して、一目散にベッドに入った。どうにも今日は、オリヴィエにとって何か決定的な記念日のような気がしたのだ。

 

 

 

 人間関係とは不思議なもので、その後オリヴィエはポッター、ウィーズリー、ハーマイオニーと親しくなる。ポッターとウィーズリーはハーマイオニーと和解して仲良し三人組となり、オリヴィエは気がつくと、その三人組を四人組にしていた。寮を超えた友好関係、それは以前であれば寮内での孤立を恐れて避けていたかもしれない事だった。だが今となっては、オリヴィエはそれを恐れない。オリヴィエはイギリス清教の都合は考えない。オリヴィエは新しく、『魔術師としてではなく、普通の魔法使いとして学園生活をエンジョイする』という仕事を賜ったのだから。




 ハロウィンイベント終了! オリヴィエちゃんが仲良し三人組を四人組に拡張しましたね!
 そして謝罪しなければなりません。なんと一月も投稿していなかったのです。誠に申し訳ない。
 実の所、近頃は学校が始まった上、人類最後のマスターになった(FGOを始めた)影響で人理修復に忙しくしていた(小説そっちのけでゲームしていた)のです。しかも人理修復すら停滞中。
 いやはや申し訳ない。
 次はchristmasになります。万歳! 詳しい内容はまだ全くのノープランなのですが、遅筆は遅筆なりに頑張るので何卒お待ち下さいお願いします焼き土下座するので。
 では、この辺りで目を離して頂いて、
 次話に進んで頂ける事を祈りつつ、
 今話はこの辺りで筆を置かせて頂きます。(鎌池和馬先生風)


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