クモ行き怪しく!? (風のヒト)
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プロローグ・蜘蛛の話

 どう頑張っても基本コメディー寄りです。


 僕はその日よりずっと前に生まれた……

 

 でも知識を欲し、今の僕になったその日を……僕は誕生日にしたよ。

 

 僕は人間を食べたこともある。

 ……でもちゃんと、野菜や果物や虫も食べてたよ。

 何せ僕は飛び切りの雑食だからね!

 

 人は賢いけど、群れてなきゃさほど脅威じゃなかった。

 せいぜい罠に誘い込んでいるのかどうかさえ気を付けていればホントにたいしたことはなかった。

 

 

 ……僕の誕生日前まではね。

 

 あの日、僕は一人で森を探索している男と出会った。

 よーく覚えているよ、嫌な感じを全身から出してあの男はたった一人で僕を探していたんだからね。

 しかも僕を見つけて対峙したとき、笑ったんだよ? ニタァって感じでさ。

 

 後に分かったけど、彼はここに住む原住民族から依頼を受けた『ハンター』だったのさ。

 

 話を戻すけど、そのとき笑った男は僕に跳びかかって来たんだよ。

 あれは凄かったねぇ…… なにせ今まで見たことのないようなスピードで、気付いた時には思いっきり頭を蹴られてたよ。

 それからは酷いもんさ、殴る蹴る、肘に膝、掴んで投げたりもう好き放題!

 ああ、死んだなこれって本能的に感じたころ(まぁ、その当時は本能しかなかったけど)

 僕さ…… 見えたんだよね。

 

 

 その男から湯気みたいな、纏っている何かがさ……

 

 で、驚いて飛び退いたんだけどそのスピードがさぁ、その男より明らか速かったんだよ。

 うん、勝った…… 渾身の体当たり一発でけーおーさ、優勝賞品はその男。

 

 でもその後が大変だったね、なにせ男と同じ様な何かを僕自身も出してたんだから。

 力が溢れるけど力が抜けるっていう、訳の分からない状態さ。

 まぁ本能の塊みたいな状態だったからかすぐにコツを掴んで大事にならずにすんだよ、今言うならコツは抗わないで受け入れる感じかな?

 

 アレは楽しかったね、纏えば体は軽く感じるし頑丈になる、極限まで引っ込ませれば誰も僕に気付かなくなって狩りが楽、おまけに疲れも吹っ飛ぶ。

 いつの間にか周りの生き物の気配? っていうのかな? そんなものも感じることが出来るようになったしね。

 

 でも一番はその力を使って僕は初めて『楽しい』と感じて初めて『遊び』をしたんだ。

 

 つまり僕はその日から知的生命体と呼べるに相応しい存在と……

 

 うん、急に難しいことを言ったけど実はよくわかんないんだ…… その日を切っ掛けにたくさんの本を読んだんだぞっていう知的アピールをしたかったんだけど唐突過ぎて失敗しちゃったな。

 とにかくその日は僕が僕になった誕生日さ!

 誕生日プレゼントの知性で僕は今まで毛ほどに興味を持たなかった読書ってやつをしたのさ。

 

 ……最初は絵しか分かんなかったけどね、でもでもこっそり学校覗いて勉強したから字も覚えたし数学もバッチリさ!

 

 幾ら気配を消せるとはいえ、こんな異形の巨体がよく学校なんかをこっそり覗けるなぁ、とかそんな疑問があるかもしれないね。

 

 そこは僕の不思議能力の出番さ!

 僕はここにいながら世界中に散った僕の分身達を通して世界中を見ることができるのさ!

 ……その代わりとても弱い上にあっという間に成長して塵も残さず死んじゃうんだけどね。

 

 そんな欠点を秘めているけど、僕はこの能力【ともだちの輪】(ワールド・ワイド・ウェブ)をとても気に入ってるんだ。

 

 ……友達いないし、能力の媒体も自分の生んだ『分身』じゃん、と常々思うけどね。

 

 ま、そんなことはともかくとして、僕はこの能力によって学校で勉強したり、都会に行った気分で一人孤独にシティー派気取って森の愉快な動物相手に優越を感じたり、どっかの国やらマフィアやらの機密情報を聞いてその証拠文献を書いたりとかもう世界も夢も広がりまくりって奴さ!

 

 ……そうだ

 

 ……やっぱり唐突だけど僕の夢が何か聞いてくれるかい?

 よく考えなくても君に拒否権ないし、そもそも君が話を聞いているのかどうかも微妙に怪しーからなぁ…… 勝手に喋るけども。

 

 どのみち僕の夢を語って、あと二言三言でこの長い長い自分語りとも、子に昔話を聞かせる親の様な光景ともとれるコレも終わるんだ、時間的にも丁度良いや。

 

 さて、僕の夢の話だけども……

 僕の夢はね、一人どころか一匹の僕には叶えることが非常に難しいものなんだよ。

 

 『友達』をつくること、それが僕の叶えられなかった夢さ!

 

 ……何だかどこかで僕の事を哀れな目で見ている存在がいる気さえしてくるほど、僕の夢ってアレだなーって思ったよ。

 長い間考えたけど、こればっかりは能力が使えるようになったあの時みたいに、第三者が介入して突然変異を起こすことぐらいしないと無理と悟ったさ。

 

 何せ空腹を感じたら理性も何もかも吹き飛ぶからね。

 ここだけ他の野生動物でも滅多にないほどのワイルドな種族的特徴を有しているってのもなー。

 しかも種族的って言ったけど、そもそも僕って能力云々以前に生まれた時点で突然変異してる個体らしいんだよね。

 

 ……もしかしたら、お腹減った時に考える事さえ放棄するのって僕だけのモノかも。

 

 うわー、そう考えたらなんか凹むなぁ……

 頼むから君はこうならないでくれよ?

 

 

 

 じゃあ、最後に君のことを赴くままに語ってみるかな?

 

………

……

 

 まず、ありがとう。

 君にしてみれば偶然さ、ただそれだけ。

 でもね? あの日、僕の前に出来たあの『裂け目』

 そこから見えた途方もなく遠い所、もう閉じてしまったあの場所。

 君と過ごした時間は短いどころの話じゃないけど……

 『友達』になってくれてありがとう。

 

 こんな『化け蜘蛛』の願いを叶えてくれてありがとう!

 

 そして、ごめんなさい……

 

 救うためとはいえ、人として生きられる可能性を奪ってしまって。

 

 僕のもう一つ、とっておきの能力。【蜘蛛の糸】(カンダタ・ロープ)

 

 【蜘蛛の糸】(カンダタ・ロープ)……

 遠い場所で読んだ本を基にした能力。

 分身の糸が届くなら、僕の『友達』を…… 救う能力

 

 僕の命と、友達からの半分を代償に発動する他人の意見を求めない身勝手な能力!

 

 友達が対象なのに、発動にその友達の許可不必要で勝手に代償として色々奪うところが、僕の人生のすべてをかけても友達が出来ないことを暗に示していると思うよ。

 最後まで僕の能力は名前負けだったね。

 

 ああ、もう足の感覚さえ無くなってきた…… 目も霞んできたよ……

 

 面と向かってごめんなさい、って言いたかったなぁ……

 

 君にありがとうって言いたかったなぁ……

 

 君とお喋りしたかったなぁ……

 

 僕の……

 

 友、達

 

 

 



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プロローグ・少年の話

 

 少年は、その生涯の終わりを確かに感じていた。

 

 

 事の始まりは数日前の体調の変化だった。

 その日少年は突然激しい頭痛とそれに伴う吐き気に見舞われた。

 しかし、気付いた時には寧ろ今までより冴えた気さえ感じるほどの健康体となっていた。

 少年はその研ぎ澄まされた感覚について深くは考えなかった。

 「神様がくれたご褒美」心の底からでなく、そうならいいなとそんな程度だった。

 

 数日後、それはご褒美などではないと悟った。

 何せ町中に虫の様な不気味な何かが溢れかえっている光景が視えたのだ。

 しかも、それが視えるのはどうやら自分だけの様だった。

 もし自分が驚いたら黙るタイプでなく騒ぐタイプなら今頃特殊な病院へ入院していただろう、つーか、いくら市の名前とはいえ本当に蟲が寄ってこなくてもいいだろう、とずれた考えで頭を抱えた少年はその日学校を休んだ。

 

 幾らかの食欲を犠牲に何とかその虫っぽい何かが見える日常に耐えて二日目、少年は新たに視えるものが増えたことに気付く。

 いや、もしかしたら今まで気付かなかっただけかも知れないが、生憎確かめる術もない。

 

 いわゆる幽霊が視えた。

 

 恐いので話し掛けたことが無く本当に幽霊か分からないが、交差点近くの電信柱で『あの轢き逃げ野郎マジ許さねぇ……』と延々呟いていた奴がいたので幽霊で間違いないだろうと少年は結論付けた。

 

 このとき、少年は初めて自身に芽生えた能力を楽しもうと考えた。

 

 もっと幽霊を視たい!

 

 実のところ少年の精神は限界寸前だった。

 何せ寝ても覚めても周りはよくわからない、便宜上『虫』と思っているなにかだらけ、しかもそれらに触れられる事実に気付いてから外出も億劫なのだ。

 未だに足の裏や手で反射的に潰したときの何とも言えない感触が残っている。

 

 そんな最中にようやく自分の理解の範疇に入る存在が視えたのだ。

 この時点で『どうせ視えるなら知っている存在だしなんとなく嬉しい』という少し常人とずれている感性を持ってしまったと、少年は露ほども感じてはいなかった。

 自分と同じく虫の様な何かに囲まれて不安になっている者、そんなことお構いなしに徘徊する者、如何わしい店にいい笑顔で入っていく者、一週間に一・二人のペースで出会えた。

 昼夜問わず視える事もあって、少年は幽霊を探すのに夢中になった。

 事故の多発地帯、無理心中した家の焼け跡、曰く付きの場所に少年は足を運び続けた。

 

 そして、少年はその廃ビルに辿り着いた。

 

 何かいる。

 多くの霊的な現象が集まる場所を梯子し続け、短時間で急成長した少年の第六感はその5階建ての廃ビルに目を付けた。

 廃ビルの入り口はまるで洞窟の様にぽっかりと開いており、どうやって侵入しようかと正規の方法で入ることをまるで考えていなかった少年は入口の状態を理解し、これは運命やもしれぬと喜び意気揚々と廃ビルへと足を運んだ。

 しかし、少年の予想とは逆にその廃ビルには期待していた何か…… 少年側からすれば期待しているのは幽霊だけだが、まったくその存在を感じなかった。

 期待外れかつ予感もはずれ、少年は大いに落胆した。

 4階まで探索したところで少年は先ほどの何かいる、という予感は間違えであると結論付けたが何も発見が無いというのも悔しいので、せめて屋上からの景色を見ようとそのまま屋上まで階段を駆け上った。

 

 壊すことを前提で考えていた屋上の扉も既にドアの機能を果たしていないほど壊れており、僅か数分で少年の廃ビル探索は終着点へと辿り着いたのである。

 屋上は周りを本来の色が分からないほど赤黒くなっている柵で囲まれ、タイルの裂け目からは風で舞、雨に晒された結果生えたであろう背の低い雑草が所々に群生して、その野晒しされた年月を感じさせた。

 少年はそんな屋上の現状に見向きもせず、そこからの景色を見ていた。

 

 景色をざっと見まわしては、ふと気になって友達の家を探したり自分の家がどの方向か目で追ってみたりと、今回の収穫の無さが余り気にならなくなる程度には景色を堪能していた。

 

 そして、いつの間にかまっすぐ歩きだした終点である柵のすぐ傍まで来たとき、少年はその柵の上に自身の握り拳ほどの突起があることに気付く。

 

 それはよく見ると突起ではなく、柵の色と似た色をした蜘蛛だった。

 

 無言で目を見開いた少年に気付いたのか、その赤黒い蜘蛛は器用にその場でワサワサと足を動かし、顔を少年へと向け、互いに見つめ合うことになった。

 ……正確には今まで見たことのない大きさの蜘蛛を不意に至近距離で見て思考を停止しているため、少年の方は蜘蛛が自分を意識したかの様に此方側に顔を向けたことには気づいていないので見つめ合っているとは言い難いが。

 数週間前の少年ならあと一分は硬直していたが、曲がりなりにも怪奇現象に片足を突っ込んだ身分である今では思考停止時間は僅か5秒足らずにまで短縮され、そこで初めて少年と蜘蛛は互いに意識して見つめ合うことになる。

 

 本物の蜘蛛だけど何か違う

 

 最初は虫の様な何かと少年は思った。

 次には蜘蛛は実体があることを理解する。

 しかし、自身の内にある感覚がこの蜘蛛は『蜘蛛ではあるが、自身の理解を超えている』と告げている。

 ならば廃ビルを前にしたときの『何かいる』という何かとはこの蜘蛛の事ではないだろうか?

 少年の脳内は疑問と推測で満ち溢れていたが、そこには一切の恐怖がなかった。

 有象無象の虫のような何かにも、行動の目的にし必死に探している幽霊にさえ感じている恐怖心をこの奇妙な蜘蛛に対して感じなかったのだ。

 それに関して少年は一切の疑問を抱かなかった。

 その蜘蛛をじっくりと観察し、視てしまったからだ。

 

 見たことのないものを前にした好奇心を、自分一人しかそれを視れない寂しさを。

 ここ数週間のうちに自身の心境と似たものを感じているソレを、この奇妙な蜘蛛が抱いていることを。

 

 そして、少年は蜘蛛と糸の繋がった巨大な蜘蛛の幻を視た。

 

 蜘蛛に出会うまでの少年の視る行為は、詳しいものならば【霊視】だと分かっただろう。

 しかし蜘蛛と繋がっているとはいえ、世界そのものを超えた先にいる存在、まして存在の感情を視るまでに至ったそれはもはや【霊視】とも違う特異な何かである。

 

 ここまで異形な何かを視ても、少年の心に恐怖は無かった。

 だが、驚きはあった。

 それはそうだ、握り拳ほどでも蜘蛛ならば十分に大きいというのに、この幻の蜘蛛は大人の人間よりも一回りも二回りも大きくさらに実際に出来るかどうかは別として、ライオンやら象やらを捕食してても様になるくらい獰猛そうな姿をしているのだ。

 それでも怖くなかった。

 

 驚くと無言で硬直する悪癖を持つ少年だがその口は動き、言葉を発した。

 それは驚きからくる叫びや奇声の類ではなく、質問だった。

 

―――友達が欲しいの?

 

 何故そんな質問をしたのか、少年は理解できなかった。

 しかし理解が出来ていないうちに蜘蛛からの肯定を感じ取った。

 

―――じゃあ、友達にならないか?

 

 そして、頭が追いつくよりも早く返答し、その驚きよりも早く蜘蛛からの驚き交じりの肯定を受け取った。

 

 

 しばらくして、少年と蜘蛛はお互いに理由は違えど人を超えた視力をもってして夜の景色を楽しんでいた。

 あのときから互いに言葉を発したりせず、少年も考えることを半ば放棄している状態だが、それでも少年と蜘蛛の間に心の垣根は存在しなかった。

 

 少年にとっては非日常にあって初めての安らぎを。

 蜘蛛はその数十年の生において初めての友を。

 

 少なくとも、この日は両者にとって忘れられない日となることは確かだった。

 

 これから起こる終わりも含めて。

 

 最初に気付いたのは蜘蛛の方だった。

 自分のいる柵が激しいとまではいかないが、揺れているのだ。

 蜘蛛は文献からこの島国が地震の多い国だと知っているし、この地震が大事に至らないものだという動物的感覚もあり分かるのだ。

 だからこそ、隣で恐怖によって顔を歪め全身を震わせている少年の反応が尋常でないと分かったのだ。

 

 蜘蛛の感覚は確かに鋭く、この地震が家屋を倒壊させ地割れさえも引き起こす類のものでないと感じることが出来た。

 しかし、その蜘蛛の鋭い感覚とは別に、少年もまた人知を超えた『視る』感覚を備えている。

 少年は視たのだ、この地震が自然現象でなくたった一人の人間が起こしたという事実を。

 その人間の悪意を。

 最高峰の霊能力者が絶望を感じるほどのソレを少年は無防備な心で感じてしまったのだ。

 

 当然、蜘蛛はそんなことを知る由もないし、少年も自体のすべてを理解している訳ではない。

 寧ろなぜそうなるに至ったのか何もわからずに人への純粋な憎悪のみをぶつけられているのだ。

 だが、天災か人災か、自然現象か超常現象か、この認識の際が一人と一匹の運命を決めることとなる。

 自分達の後方に天高く上った光球。

 蜘蛛はそれを最初は花火だと思った。

 同時に何故にこの時期と時間なのだという当然の疑問が沸いた。

 勿論それは花火ではない、結局のところ蜘蛛はあの光球が何であるか全く理解できなかったのである。

 例えそれが何か分かっていたとしても、それに怯えた少年を同行できなければ意味はないが。

 少年はその光球を見た、そこに一人のオールバックの男を視た。

 一度たりとも会ったことはない男であったが、何故か鮮明な全身像が脳内に映った。

 もう少し、視ることをしていたらその奥底にある悲しみを理解できたかも知れない、しかし、そこに辿り着くまでに彼を構成している人への憎悪を視続ける精神力を少年は持っていない。

 だからこそ驚きによりその場に立ち続けてしまう少年の個性を超えた本来の危機回避能力が働き、一歩、後ろへと少年を歩ませた。

 後ろと言っても彼の後ろには柵以外は何もない、そして、その柵も落下防止を目的として作られてからあまりに年月が経ちすぎている。

 

 あって無いようなもの、少年の身体を支えることなどできる訳もなく。

 

 

 自分が落ちていくのが分かった。

 

 

 

 少年は、その生涯の終わりを確かに感じていた。

 

 

 

 

 動体視力とか、視るとかじゃなくて世界はゆっくり進むのか。

 下には虫の様な…… いや、もしかしたらこいつらは妖怪と言うやつらかも知れない。

 落ちた先に妖怪がいるとは、もしや早まって地獄に来たのか。

 

 ここが地獄と言うならば。

 天から伸びるこの白い糸は、きっと。

 蜘蛛の……



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彼時々クモ

 そこは辺り一面、緑だった。

 上を見上げれば日の光が緑色に見えるほどに葉が茂り、下を見れば見たことのない造形の草が生えている。

 ならば上を覆う葉を持つ大木の茶色は見えないのか? という疑問はびっしりと絡まっている何かの蔓で見えないという答えが即座に返ってくる。

 前人未到という文句が付きそうな場所に、その人影はポツンと存在していた。

「……」

 樹海の中心で無言のまま仁王立ちをしているかに見える光景だが、彼の頭は混乱の極致に達しており、実際は呆然としているだけである。

 なにせ彼からしたら数分前まで自分はこんな緑一色の場所と程遠い灰色のコンクリート溢れる街並みにいて、しかもそこはある日突然に未確認生物と幽霊まで溢れかえったところにいたのだ。

 そして、奇妙な友達が出来た次の瞬間には止めとばかりに人生の終焉を感じるフリーフォールである。

 ここまできて彼は、ならばここは死後の世界ではないかと思いつく。

 なぜかおしゃぶりを咥えた偉そうな子供が「何を頓珍漢な事を!」と怒っている光景を幻視したが、それと関係なくここが死後の世界でもなくそもそも自分は死んでいないと先ほどの考えを否定する。

 これが霊視に目覚めていたが故の直感であるとは知る由もなかったが、彼はこの考えを疑わなかった。

 では、ここはどこなのだろう? という当然に湧き上がる疑問に答えるべく、その判断材料を集めるために周りを見回すその瞬間。

 彼は周囲に漂う鉄と生臭さを合わせた異臭を感じた。

 

 そこには化け物が寝転がっていた。

 だがパーツの一つ一つは既知の生物に似ており顔や全体的なフォルムはライオンのようで、四肢は鳥の様な硬いかぎ爪を持ち、体毛は茶色で大きさはライオンのそれでなくカバやゾウの中間ほどの大きさだ。

 ここまでの大きさではなかったが、彼が視た虫のような何かよりは既存の生物に似ていたため、彼のお家芸と化した驚きによる無言の棒立ちをするほど驚きはせずに済んだが、それでも驚いたことには変わりなかった。

 ゆっくりと逃げるための体勢をとりかけたところでこの化け物の様子がおかしいことに気付く。

 最初は寝ていたと思っていたその化け物は良く見ると腹のあたりが一切上下に動いていない。

 それもそうである、何故ならこの化け物は腹の部分が骨しか見えない程にぽっかりと空いていたのだ。

 更によく見てみると、もはやこの化け物は骨と皮だけの存在であり、首と胴体は切り離されて、腹の噛まれた様な傷を見るにどうやら捕食された後、つまりは食べカスなのだと分かった。

 ならば、ここにはこれよりも強い捕食者がいると判断し、急いでその場を離れようと足に力を込めたとき自身が裸足であると気付く。

 そして、この違和感からようやく自分が裸足どころか服も着ていないと理解したのだ。

 今までのジェットコースターばりの怒涛の急展開に着いていけなかったというのもあるが、裸だが寒くないという肉体の変化と、もう一つの要因がこの裸の事実の発覚を遅らせていた。

 

 自身の身体が血濡れだったからだ。

 しかし血濡れと言うには語弊がある、何故なら血はところどころの乾燥しポロポロと剥がれ落ち全体的に赤黒く変色していて、濡れていると言い難いからだ。

 この化け物が喰われていたときに近くにいたのか?

 それならば急にこんな樹海の真っただ中にいる理由の説明にはならないが、立ち尽くすに至るまでの記憶が曖昧なのは、眼の前で行われたであろう捕食劇の衝撃的光景と自身も同じように喰われるかもしれないという極度の緊張による気絶か何かと説明が出来る。

 

 浴びるほどの血が乾くほどの時間気絶をしていて無事なのか?

 

 先ほどより激しく否定の言葉が頭を駆け巡り、明確な答えを視せようとしているが同時にまだ早いという考えと先に視るものがあるというアドバイスめいた何かが脳内を駆け巡る。

 頭の中に別の何かがいるという異物感を感じるがどうすることもできず、そのアドバイスに従うように体が半ば勝手に動く。

 少しも迷うことなくその場から化け物の死体へと体が動き、より細かくその死体の詳細が視覚情報として脳へと伝わる。

 不思議と嫌悪感や吐き気はなかった。

 それはこの数週間で嫌になるほど視た異形や自ら進んで視ていた中にいた生前のグロテスクな死様の状態の幽霊に慣れたためでなく、まるで生まれた時からこの状況に関するマイナス面の感情を持っていないかの様なのだ。

 そして、瞳を覗き込み彼はそれと目が合ったとき、自身の目を見開くほどに驚いた。

 目が合ったとは言っても化け物と目が合った訳ではない、その握り拳ほどの大きさの瞳に映った自分と目が合ったのだ。

 ただ自分の姿が映ったくらいでは幾ら驚きに伴う棒立ちと無言をお家芸として持つ彼でも流石に驚きはしない。

 

 その姿が自分の憶えている年の数分の一ほどしかない外見になっていれば、彼でなくとも十分驚くだろう。

 

 混乱のあまり絶叫することも、現実逃避をするようにその場を走って逃げることもせず、目を大きく開けたその子供を視続けていた。

 

―――――――――

 

 頭上の太陽がやや西に傾いた頃、彼は湖にいた。

 

 ひとしきり驚いた後、血を落としたいとふと思うとこの湖までの道のりが脳内に描かれていた。

 上空から見れば樹海の中心に真っ青な穴が開いているようにも見えるほど澄んだ水と綺麗な円形型の湖は、とても気持ちのいいところであった。

 粗方血を洗い流した後、今後の行動を考えつつぼんやりと浮かんでいた。

 何となくその場でうつぶせ状態になり、湖を覗いたところピラニアに似た魚の群れが共食いをしあっている様を見つけ慌てて湖から這い上がった。

 うかうかしていたら喰われる! そう確信した彼は頭の中にある拠点らしき記憶を頼りに、迷いない足取りで湖を後にした。

 

 

 湖からそう遠く離れていない場所にそれは存在していた。

 ここらの木は他の木と違う種なのか、背が少し低い代わりに胴回りが他の木に比べ一回りも二回りも太い。

 一本の木を残して周りの木は幾らか刈り取られており、近くには畑らしきスペースまであった。

 更に他の場所と違い様々な色の花が均一に咲いている。

 誰が見ても自然沙汰でなく何者かの手が加えられているのは一目瞭然だった。

そして、その何者とはおそらく……

 

 この木にもたれかかって死んでいる大蜘蛛なのだろう。

 

 先ほどの化け物の死体とは違い、まるで昼寝をしているかのようなそんな穏やかな雰囲気があった。

 それが先ほどの死骸の様に腹部が抉れていてもだ。

 

 蜘蛛を覗き込んだとき、彼の中にある思いが、記憶が、止めどなく溢れだす。

 

 知性を得た時からそれゆえに孤独になってしまったことを

 彼が生涯唯一の友となったことを

 自身が救われたことを

 勝手に代償として『人として』の半身を差し出されたことを

 そして蜘蛛自身の半身が今の自分と共になっていることを

 そのことを最後まで謝ってくれたことを

 友となってくれたことを同時に最後まで感謝してくれたことを

 

 色々な思いが一気に彼へと押し寄せたが、彼は穏やかにその蜘蛛を視ていた。

 

「ありがとう、友達……」

 

 それは彼がこの地に生まれて初めて発した言葉だった。

 

―――――――――

 

 周りの景色が緑からオレンジ色に変わる頃、彼は屋根のある場所で休憩していた。

 文化的な場所に唐突にいるが、それまでに至る経緯はこうだ。

 あの後蜘蛛をあの場から運び、おそらくその蜘蛛の恩恵である自身の記憶の一部を頼りに柔らかい地面を探して棒を使い、一心不乱に穴を掘り大蜘蛛を弔ったのだ。

 蜘蛛を動かすことも穴を掘ることも、普通ならばこんな子供に出来るはずもないのだが蜘蛛と融合したせいか、はたまた素なのか一切気付いていなかった。

 身体能力云々はとにかく、彼は蜘蛛を土葬し終え木に戻り、そこでツリーハウスがあることを思い出した? のだ。

 

 自信を助ける方法や友達に対する考えはえらく不器用な蜘蛛だったが、手先はかなり器用だったらしく木はちゃんと板に加工され、食べた獣の革はなめしてちゃんと利用していた。

 床に敷いてある絨毯は見事なトラ柄の何らかの獣だ、手触りがすごくいい。

 クローゼットには蜘蛛が着るにはちょうど良い服らしき布が几帳面に畳まれて仕舞ってあった。

 最も目を引くのは部屋の三分の一を占める割合で置かれた紙でなく布で作られた本らしき束である。

 彼とは違う記憶が、つまり自身に残る蜘蛛の記憶がこれらが自身の知性の象徴であると告げている。

 何気なく広げた本に書いてあったものは馴染みない記号の羅列に彼は感じたが、それも一瞬の事で次には問題なくそれが文字であると認識し、読めていた。

 水回りは近くに湖があり手元には水袋と思しき水の入った袋さえある。

 衣食住、ついでに幾許かの娯楽まで完備と、当初考えていた野晒上等なサバイバル生活に比べれば段違いの住みやすさである。

 

―――――――――

 

 なら手始めにまず食事を、夕飯でも食べようかと考え畑へ向かうべく外へ降りる。

 

―― お腹減ったなぁ……

 

 そんなことを考えていた。

 

―― 食べたいな、食べたいな…… お肉もいいな食べたいな。

 

 空腹を強く感じる。

 

―― 食べる、肉が喰いたい、ニクガタベタイ……

 

 空腹は飢餓へと変わり、考えというよりも本能のそれに変わる。

 

―― タベルタベル、ニク、ニク!

 

―――……

 

 簡単な単語すら忘れ、全てが飛んだ頃。

 

「シァアアアアアッ!!」

 空気を鋭く吐き出したかのような、甲高い雄叫ともとれない音と共に

 

 彼の後頭部が開いた。

 

 開いたといっても切られたわけでもないし、脳が見えることもない。

 後頭部に口があったのだ。

 その口は人のそれより、蜘蛛の…… それも彼をここへと生み呼んだ大蜘蛛のそれとうり二つの口であった。

 彼のいた世界ならば実在したかもしれない二口女でさえ畏怖を感じるだろう牙を携え、その先には死しか待っていないような暗闇で口の奥は見えなかった。

 

 そしてメキリと、骨を鳴らしたかと思えば今度は肩から腰にかけて赤黒い毛で覆われた彼の腕よりも太い蜘蛛の脚が体から飛び出た。

 一見皮膚を突破ったかのように見えるが、よく見ると付け根の皮膚はそこだけブラインドのようになっており傷は一切ない。

 脚はピクピクと忙しなく動いていたが、彼が腕を組むと一斉に動きが止まる。

 そしてそのまま彼はおもむろに、ブリッジをくり出すかのように思い切り仰け反った。

 腕を組んだ状態のためまるで一人でジャーマンスープレックスをしているかのような滑稽な絵図は一瞬で終わり、蜘蛛の脚が地につき後に残ったのは蜘蛛に似た異形だった。

 人の部分は段々と蜘蛛の部分に吸収されるかのように沈んでゆき、頭頂部に隠れていた複眼が爛々と真赤に輝くころには人の体の様な模様を宿した一匹の蜘蛛と成り果てていた。

 

 蜘蛛は畑に目もくれず、暗くなった木々の中へと迷うことなく走り出すとおもむろに跳躍し、木の枝を飛びながら弾丸のような速度で消えていった。

 

―――――――――

 

 しばらく木々を飛び回った蜘蛛だが、剥き出しの野生により獲物を捕捉するとスピードはそのままにほとんど音を立てず獲物の真上の枝まで移動した。

 その獲物とは下で小型の昆虫を長い舌でベロリと絡め捕り食事をしているアリクイに似た生き物だった。

 気づいていないことを笑うこともせず、緊張するといった感情さえ持ち合わせていないとばかりに蜘蛛は己の中にある捕食プログラムに従うかのように淡々とした動作で飛び降り、その勢いを利用した脚の一撃でもってアリクイに似た生き物を仕留める。

 

 そして『キシシ』と笑うとも生理的なものとも分からない声を発するとともに食事が始まった。

 最も柔らかい部分を見極めそこから牙を突き立て肉を咀嚼する。

 そこにうまいだのまずいだのといった味覚を感じることは無いらしく、荒々しいながらどこか淡々とした調子で喰い続ける。

 

 そしてディナーが骨と皮だけになったころ、蜘蛛は巣として認識した先程のツリーハウスへと戻っていった。

 巣へ近づくにつれ体の支配権が戻るのか、そもそも支配しているのかも疑問だが彼の意識が徐々に覚醒していた。

 

 巣が見えるまで移動した頃、彼はこのプログラムの様な淡々とした蜘蛛は友達なりの過保護という奴の表れなのかとぼんやり考え、深い眠りについた。

 

 結局、彼が彼として完全に目覚めたのは次の日の昼頃まで掛かってしまった。



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彼一時クモ

 

 彼は正確な時間の流れは分からないが半年ほど経ったな、と太陽が昇った回数を大雑把にそのすこし小さくなった指で折り数えてどこか他人事のような感想を抱いていた。

 あれから蜘蛛になって野生の何かが剥き出しになる現象こと自称【蜘蛛化】、自身の意思のせめぎあいなどで苦しむかと思いきやそんなことは一切なかった。

 数度の行動を経てこの蜘蛛化は朝夕の二回、体調に若干左右されているみたいだがほぼ同じ時間に起きると分かったため、生活のパターンを早々に確立させたのだ。

 

 それは蜘蛛化する前数十分程を周辺の散策に辺り(散歩とも言う)蜘蛛化してオートで食事をし、蜘蛛化の帰巣性を利用してやっぱりオートで帰る。

 空いた昼間は畑に栽培してあった人参と大根の中間の様な野菜を食べ、その後は読書を中心に雑多な家事を行う、というパターンで生活をしてからここ半年、彼からしたら何もトラブルはない状態であった。

 そんな毎日の生活で生きるために必要なことを抜かして欠かしていないのが先ほど挙げた読書ともう一つ。

 

「……」

 就寝前に蜘蛛を埋めた場所で行う墓参りである。

 墓参りと言っても話し相手代わりの面が大きく、手を合わせながら彼は心の中で今日一日起こったことを報告している。

 

――今日は蟹の様なおっきい何かを夜に喰ったようです。 魚介類は貴重なので贅沢だけど上の口にも味覚を感じる機能が欲しかった……

 

 ほぼ全てが今日何を食べたかの報告で終わるが……

 

――ま、色んなもの食べられるのもこの過保護な蜘蛛化のおかげ。 今日も一日ありがとう友達

 

 そう締めくくると彼は明日も朝は早いと、早々にツリーハウスへ戻り触り心地の良いハンモックを揺らしながら眠りについた。

 

 彼は知らないしこれからも知ることはないだろうが、実は彼の言う【蜘蛛化】は大蜘蛛が意図して与えた機能ではない。

 それどころか、大蜘蛛自身が忌み嫌い唾棄すべきと生前感じていた自身のバッドステータス以外のなにものでもないのだ。

 だが、少年の生まれ持っての捕食本能が異常と呼べる領域にあるはずもなく、大蜘蛛からすれば無いも等しい。

 故に深刻なほどの暴走もせず、本能から程遠い朝夕二回の変化という規則性まで生まれたのだ。

 元・人間だからこそ大蜘蛛の人生と共にあったこの重大なコンプレックスはいとも簡単に完全コントロール一歩手前まできたのだ。

 予期せぬこととはいえ、自身の人生最大級のコンプレックスを継承させた人物からほぼ毎日そのコンプレックスで生きていますありがとうと報告されている大蜘蛛はきっと苦笑い必須であろう。

 

 大蜘蛛と彼の正反対の気質や体質は、この蜘蛛化を始めとする彼の精神や肉体に歪な変化をもたらしていた。

 それは順風満帆に近い状態とはいえ、変なものが視えるという理由で疲れ果てるほどだった彼がこのサバイバル生活で特にストレスを感じていないところだったり、単純に蜘蛛の肉体が組み込まれていることだったりと大小様々である。

 

 そんな自分の変化どころか、これが後の人生すべてに影響するとは露知らず彼は生まれ変わる前よりずっと安定した心境の基、爆睡しているのだった。

 

―――――――――*

 

 朝になり、さっそく知る由もない蜘蛛の恩恵により規則正しく起きた彼は、その寝ぼけ眼を覚まそうと目に手を当てる。

 そのとき、閉じた瞼にぬちゃっという音と共に粘着性の高い何かがくっつくのを感じ、慌てて手を離した。

 恐る恐る目を開け手を見ると、手は全体的に白くべたつくなにかがべっとりとくっ付いていた。

 このとき咄嗟に自身の下半身を確認した彼の表情は再犯を犯した犯人のそれに近い表情だろう。

 しかし、下半身周辺に白い惨状は見られず別の生理現象が天に向かって自己主張しているだけだった。

 ではこの白いのは何だ? という疑問とともにふと下げた視線の先に、同じく白い何かが付着した両足をその目に捉えた。

 恐る恐る右手で左手の白い何か持ち上げてみると、かなり糸を引くもののガムや納豆というより多めに水を入れて練った小麦粉に近い感触だと感じた。

「……」

 ここで久方ぶりに彼は驚いて固まった。

 かなり糸を引いていると思っていた白い何かは、自身の左手首の内側から次々に溢れていると分かったのだ。

 左の手首に顔を近づけてみると、彼の背中の脚が出る部分と同じく皮膚がブラインド状になっており、その下にあるらしい穴から出ているのがわかる。

 

 蜘蛛である点から考慮するとこれはおそらく『蜘蛛の糸』という奴だろう。

 内側の足首にも同様の穴があったことを確認しつつ彼はそう確信した。

 だからってこんな寝小便というか夢の精というか、そんな感じで出てこなくてもと彼はばつが悪いと思いながら両手両足の糸らしきものを拭った。

 止め方はなんとなく『とまれ』と念じたら止まっていた。

 とりあえず蜘蛛化も時間も近かったので、彼は慌てて小屋から飛び出ると森へと猛スピードで突っ走っていった。

 

―――――――――*

 

 朝の運動兼食事たる蜘蛛化も終わり、普段ならツリーハウスで読書の時間となっているが彼は外にいた。

 それも新しい玩具を買い与えてもらった子供の様な(実際姿は子供だが)表情で数週間前に食べた獣の頭蓋骨のいくつかを並べていた。

 そして、並べ置いた所から数メートル下がる。

 彼の頭の中には蜘蛛を模した全身タイツのヒーローがいた。

 今現在彼の服装は下着なしで大蜘蛛の特殊な構造の服を羽織っている、云わば裸ポンチョな状態でそして気分は赤青全身タイツヒーローだ。

 この野生生活始まって以来のとち狂った光景である。

 子供でなかったら到底許されない絵で、誰も見ていないという解放感が更に彼をダメな方向へと加速させる。

 

 そして、そのヒーローが糸を出すときの特殊な指の動きを模しながら腕を思いきり突き出す!

 

 が、特に何も起こらなかった。

 

 はて? 何か間違えたか、と一連の動作が正解だといわんばかりに不思議そうな顔をして手首の出糸突起らしき所を覗き込む。

 ちょろんと糸が少しばかり手首から出ているばかりだった。

 朝の様なべた付く糸ではなく、何十何百の釣糸ほどの太さの糸が束になり糸を出す穴と同じパチンコ玉ほどの直径で一本の糸となっている、正真正銘の蜘蛛の糸だった。

 試しにつまんでひっぱて見ると、少しの異物感と共に引っ張った分だけ糸が出てくるではないか。

 

―――糸の出方が手動だった……

 

 この世界初めての落ち込んだ理由がこれである。

 念のため、両手両足全てためしたが全て手動だった。

 他にも、糸は体内にある内は液体状であり出糸突起から少しでも滲み出ると一瞬で凝固することで糸となっていること、朝のときのような粘度の高い糸も出したい方を念じれば出ることや、同じ様に止まれと思えばそこで糸が終わる事や普通の糸なら少し時間を掛ければ釣糸ほどの透明度に出来る事が分かった肝心の勢いよく飛ばす方法は分からなかった。

 その後しばらくブルーな表情で体育座りしていじけていたが、ふと思いついた先端に石をつけるというワイヤーナイフ的発想はうまくいき、それなりに満足した顔で石を振り回しハンマー投げのまねごとをした。

 調子に乗って糸をかなり出していたら徐々に空腹に見舞われたため蜘蛛化の時間帯が早まり焦ったが、これによって糸を出すとその分腹が減ることが分かった。

 

―――――――――*

 

 その翌日、眠りから目覚めた彼にまた変化が起きる。

 溺れる感覚と共に飛び起きた彼は殺虫剤を喰らった虫の様に転げまわった。

 口に含める量の限界を超えて大量の白くそしてネバつく、もはや疑いもなく糸だと分かったが、それがなんと口内でも生成出来るようになったのだ。

 溺れるほどに溢れる固体化する前の糸で驚きの余り閉じた唇に糸が張り付き、零れた糸はあろうことか鼻に達したところで固体化し、綺麗に二つの穴を塞いでしまった。

 

「んーー! う゛ーん!! ん゛ん゛ー!!!」

 

 数分は叫びながらもがいていたが、やがて白目をむき、そして本人の意思と関係なくまるで魚の様に体が跳ねるだけとなった。

 

 ここにきてまさかの命の危機である。

 

 野生生物による弱肉強食の掟によって喰われそうになったわけでも、過酷なサバイバル生活の果てに飢餓におかされたわけでもなく、寝ゲロに近い形で自分の人生の幕をもう一度下ろそうとしているのだ。

 釈迦が助けるために垂らした蜘蛛の糸がカンダタの首を絞めているかのような光景の最中

 

「シァアアアアアッ!!」

 

 彼を助けたのは釈迦ではなくやはり蜘蛛の方だった。

 甲高い声と共に開かれた後頭部の口だが、ここでは呼吸は出来ない。

 本命は脇腹に三か所づつある気門である。

 蜘蛛化の際にほぼ完全に蜘蛛になると人型の部分が大蜘蛛に沈むように同化するため、当然人間と違う方法つまり蜘蛛と同じ呼吸方法をとる必要がある。

 それが両脇腹に三か所ずつ存在する気門である。

 本来は蜘蛛の身体の腹部にあるものだが、今は完全に蜘蛛化をせず人間の状態を保ったままのため脇腹に気門が現われた。

 しかし、これは生きるための彼の本能と蜘蛛の本能とが呼吸を最優先するという同じ目標を持ったために半々の状態になっただけであり、未だ意識は半覚醒状態の自動操縦である。

 自身の身体の動きを傍観者側で考えられることが出来た彼は蜘蛛の脚が器用に顔についた糸を取ってゆく。

 空気に晒された糸はいつの間にか綿のような状態になっていて簡単に取れた。

 口の中に詰まっていた分は糸状でなくプルプルした状態で口内を見事に模った塊だったが、同じように空気に触れてしばらくすれば口の周りと同じく、量的に綿あめの様な糸の塊になった。

 顔に着いた糸を粗方拭い去ったころ、蜘蛛化の進度が上がった。

 どうやらこのまま完全に蜘蛛になって朝の狩りを行うようだ。

 いつもより意識を保った状態で徐々に蜘蛛化した影響により、いつもよりはっきりした意識の基、彼は糸の使い方をワクワクしながら考えている。

 

 この状態、彼にとっては他人の運転する車に乗っているようなものであった。

 

―――――――――*

 

 昨日と同じく彼は昼頃になって体の操縦権を取り戻すと、窒息死しかけたことも忘れて口から糸を吐き出す。

 もはや彼の頭にある心配事は下の穴からも糸が出るのではないかということぐらいである。

 そして、彼が糸の特性を理解するのと同時に目の前には綿の山が出来ていた。

 

 口に関しては意識すれば手足よりも粘度の高い糸を痰の如くつくれた。

 といっても捻り出した感覚は痰ではなく口内のいたる所から勢いよく唾液が出てくるものだったが。

 ならばと手足と同じような粘り気のない糸を出そうとすれば、今度は白いさらさらした唾液の様な液がとめどなく溢れただけであった。

 どちらも空気に晒されてしばらくすれば綿のようになった、ただ後に出したにもかかわらずさらさらした方の糸が先に綿上に固まり、最初に出したドロドロの糸は外側は綿状だが中はまだドロドロとしていた。

 どうやら手足と違って糸の粘度ではなく濃度を調整できる代わりに普通の糸が作れないのだと結論付けた。

 

 彼の認識はその程度であるが、実際は体の内部全体に劇的な変化が起きていた。

 それは殆どの生物が行う行為である排泄でその変化が分かる。

 

「……」

 

 彼の排泄物が繭だった。

 

――え、今日って産卵日だっけ?

 

 等とふざけたことを考えることも出来ず、彼が出来たのは尻を拭くことくらいだった。 意味のないことだが。

 近くの枝に掛けてあった服を着てようやく意識が戻り、彼はその場に産み落とした繭をまじまじと眺める。

 次いで顔を近づけてみるも臭いはしなかった。

 さらに落ちていた枝で繭をつつくがかなり複雑に絡み合っているのか分解せずにコロコロと転がるだけだった。

 意を決して何度も何度もかなり力と勢いを入れつついたところようやく破けたというか複雑に絡まった糸がほぐれた。

 破けたところから見えた中身は危惧していた子蜘蛛の群れではなくただの便だった。

 

 彼の口の糸は実は彼が思っている以上に全身に変化が起きている結果の産物であった。

 今現在彼の口内を潤わしている液体が唾液ではなく大半が『濃度の限りなく薄い糸』であることがそれを物語っている。

 唾液を出す器官はそのままに、それ以上に働く器官が創られる。

 内臓の一つ一つが過酷な環境で生きられるようにと、彼とその原因の蜘蛛でさえも計り知れないところで変化したのである。

 あの繭も意味がある。

 摂取した物が有害なモノならば吸収される前に繭に包んでしまえばどれほど生き延びる確率が上がるかは想像しやすい。

 雑食生物の排泄物の臭いを消し去れることで匂いを追ってハントする敵性生物をどれほど煙に巻けるだろうか。

 

 

 どちらの有用性も一生彼は気付かないかもしれないが……

 

―――――――――*

 

 色々な意味で悪いものを綺麗さっぱり置いてきた彼は、部屋のある部分を見ていた。

 そこには他の布製の本と違い布を製本する技術があるにもかかわらず、わざわざ巻物の状態で書かれた書物が大量にあった。

 巻物が山積みになっているところだけ何故か書店等にある特設コーナー風にレイアウトされており、ご丁寧にプラカードまで用意してある。

 そのプラカードには『蜘蛛でも出来る簡単文明の発展シリーズ』と書かれていた…… が、それより気になるのはその文字の下に描かれているタコの様な禍々しい絵である。

 邪神か何かを思わせる何とも形容しがたい雰囲気を放っているため今までなるべく視界に入れないように生活していたが。

 

――今になってようやく気付いた、多分これ蜘蛛だな……

 

 これも内面が蜘蛛に、さらに正確に言うならば彼の半身たる大蜘蛛に近づいたが故に気付いた事である。

 糸も穴という穴から出せるようになったのだし、と彼は山積みになっている巻物からシリーズの一巻を取ると、紐を解き地面に置いて転がし開いた。

 書き始めのスペースには『作者の言葉』という表題とともに、ほかの文字よりやや大きな文字で書かれており目を引くような工夫が施されていた。

 そこにはこう書かれている。

 

『この本は僕が野生溢れる生活環境で知性溢れる生活をするにはどうすればいいかを実体験を基に、誰でも簡単にできる方法でお答えする本です。』

 どうやらハウツー本という奴らしい、これでこの過酷な生活を乗り切れるかもしれないと彼は他者からどう見ても過酷に見られない今までの生活を思い出した。

『僕の様な非力な女性でもきっとなんとかなります、さぁ! この知性の欠片を持ち存分にエンジョイしてください―著者アラーニェ=フレンズより』

 

 彼は一旦巻物を読むことをやめ小屋から出て大蜘蛛の墓の前まで来ると――

 

 墓前で思い切り土下座した。

 

――今まで男だと思ってました! すんませんしたァアーッ!!

 

 まさかの事実である。

 しかし、よく考えれば自分を生み呼んだのならば女性では? と今更ながら気付いたのだ。

 

―――――――――*

 

 友達への謝罪も済み、彼は再び巻物を読み始める。

『まず第一に文明の発展は火です。』

 

――まったくもってそうだな!

 

『しかし、僕たち蜘蛛にとっての発展は糸です。まずは糸を出せるようにしましょう!』

 

――第一関門は突破していたのか俺は……

 

 何かツッコミどころがあった気がしたが、彼はスルーして巻物を読み進めた。

『ここまで読んだアナタは無事、糸を出したようですね!』

 糸は出せたが無事ではなかったな、と思いつつも読み続ける。

『では、次に以下の材料を用意しましょう!』

 そこには材料として『乾燥した木の棒数本・同じく木の板(平べったくある程度の厚みがあるものならば木の皮でも代用可)・楕円形の石とその他大きな石数個・成長した千本草』と書かれており、唯一知らない千本草に関しては詳細な特徴と分布、それらすべてを台無しにする千本草のイラストらしき何かが記載されていた。

 

――数分後

 

 石はそこらにあるのでともかく、乾燥した板も棒も小屋そのものの材料の余りなのか小屋の隅に置かれていた。

 千本草に関してもかなり近場に群生していたためすぐに集めることが出来た。

 千本草は特定の木を雁字搦めにするように生えており、パッと見は針だらけのロープに見える。

 その生態は木の皮を食べる動物からその鋭い針状の葉で木を守る代わりに木からある程度の栄養をもらう共生の関係でこの生存競争を生き抜いている草だ。

 巻物によれば葉は新芽でさえ大型の動物の毛皮を貫通するほど硬く鋭く、成長すると最大で五寸釘ほどの大きさとなるため、そのまま釘として使い森の中でツリーハウスも作れると書いてある。

 多分それを使っているであろう所に住んでいるので相当の信憑性だ。

 そんな硬い葉をどうやって取るんだ? という疑問に対し巻物には『千本草の葉は茎に繋がる部分が脆く、掴んで横に捻るだけで取れます。これは動物が突き刺さったままでは暴れたときに自身や木が傷ついてしまう恐れがあることや死んでも突き刺さったままでは木に栄養が行かないため、早急に地面へ落ちてもらうためです。その代り驚異的なスピードでまた生えます。』と書かれている。

 ひと際大きな葉を気を付けて掴み捻ると、音も無く簡単に取れた。

 とりあえず幾つか葉をもぎ取り、こうして必要な道具は僅か数分で揃えられたのだ。

 さて次は何をするのだろうとワクワクしつつ巻物を開く。

 

『では、材料を揃えたらまず石で円を作り、一本だけ木の棒を残して後は石の円の中に入るように折って入れます。それが出来たら残した棒と同じ大きさの溝を板の端の方に千本草を使ってほりましょう!』

 何かの儀式だろうか? と更にワクワクしながら準備をこなし、巻物を広げる。

『そこに棒を立て、掌に石を持ち、その石越しに棒を支えてください。そしてここで腕から糸を出し、棒に糸を1・2回巻きつけたらここが肝心です! 友達に糸を交互に引いて貰い摩擦を……』

 

 ここまで読んで彼はこれが火起こしだと気付いた。

 

――さっき蜘蛛の文明の発展は糸だって書いてあったじゃないですか!?

 

 彼のツッコミどころはそこだった。

 次いで友達もいない時に書いた本なのに複数人を必要とする紐錐式の発火方法であることも気付き、何とも言えない気分になった。

 意気消沈した彼だが、地面に転がった巻物の火起こしの行に続きがあることに気付く。

『もし僕の様に偶々偶然ひょんなことから近場に友達がいないという状況があるかもしれないので、一人でこのまま火を起こす方法も一応記しておきます。』

 これはありがたいとその友達云々の書体が震えていることを無視し、続きに目を走らせる。

 

『その人より多い八本の脚使えよ』

 

 思わず地面に巻物を叩き付けた。

 

 何で投げやりなんだよとか、しかも蜘蛛限定のハウツー本かよこれとか、一言で表すなら「理不尽」である。

 そもそも彼は半分ほど蜘蛛で人間の手足も勘定に入れるなら十二本という蜘蛛以上に多い手足を持つ珍生物だが、彼は自分の意思で残りの脚を生やすことも、ましてや自在に操ることも出来ない。

 寧ろ操られている方である。

 

――折角、焼いたジューシーな肉を食べられると思ったのに……

 

 火の使い道を現在食事以外にまったく思い付いていない驚愕の事実の発覚と共に、ある変化が訪れた。

 

 誰かが、落胆し跪き頭を垂れる自分の頭を慰めるようにそっと撫でたのである。

 久しぶりの硬直後、顔を上げるとそこには赤黒い毛で覆われた異形の脚があった。

 

 気付けば左右に四本ずつある蜘蛛の脚がいつもの時間でも、命の危機でもないのにそこにあった。

 

 今まで他人事のように朝夕は半身の蜘蛛に食事を委ね、自由に動く昼でさえ畑にある野菜を貪るだけで食に関して無関心、おまけに火という文明の起源さえも頭の片隅にしかなかった彼が、初めて食と火という野生からの脱却を目指したことにより、【蜘蛛の糸】(カンダタ・ロープ)によって生まれた自身の身体の所有権を完全に握ったのだ。

 こんな馬鹿らしい一連の流れでも前へ進む者は成長するのである。

 

 

 数分後、火が付いたことによって喜んでいたが、夕刻の蜘蛛化が何時になっても始まらず原因が、脚が自在に使えるようになったからかと気付いた時には既に明かりは星と火だけとなっていた。

 

 

 森に肉を焼く音が聞こえるようになったのは火起こしから二晩経った出来事だった。



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○○○のち友達

「じゃあ、あの網のトラップやら何やらも全部その巻物に書いてあったの?」

「ァイ……ソーでスゥ……」

 その問いに、酷くかすれたうえに小さい子供の声が答える。

 答えた方の声はその後も喋っているが、ときにカエルが鳴いた様な声になり、ときに小鳥の様にやかましく裏返ったり、はたまた声が詰まり無言だったりとハッキリ言って何を喋っているのかは分からないが、それでも楽しそうな雰囲気だけは伝わる。

「あー…… ごめんなさいねボウヤ、うまく聞き取れないわ」

「ずィばせん……」

 先ほど質問した声の主は、謝った部分は分かったらしくすまなそうな顔をして誤った声の主の頭を優しく撫でた。

 謝った声の主は『あ゛ー、ァあー……』と発声練習をする、同じ音と言葉を発しているつもりだがまったく違う音が口を開く度に出るあたり重症である。

 ボウヤと呼んだように、この声の出ていない存在はどう見ても子供だった。

 年の頃多めにして十二、三で小柄な体躯、赤黒い髪は腰まで伸び目元も隠れてしまっている。

 ここまでならば都市の路地裏や貧民街にいる子供と大差はない、しかし貧民街の子供と違い小柄だが痩せ細っている訳ではなく血色も良い。

 ましてここは弱肉強食が世界の掟たる大自然のど真ん中だ、どちらかといえば野生児と言った方がしっくりくる。

 だがこの子供はそのどちらとも判別の付かない格好をしていた。

 

 とても鮮やかな緑色の和服を着ているのだ。

 

 この緑の海にある意味溶け込んでいる色合いだが、それ以外は何もかもがミスマッチである。

 この不思議な少年と出合ったのは数分ほど前の事である。

 

―※―※―※―※―※

 

 その日、森の入口には妙齢の女性と大柄な初老の男性がやってきた、女の方は護身用のナイフを腰に、男は手作りらしき竹棒と荷物の入っているらしい風呂敷を持っていた。

 森の入り口付近にその住処を持つ原住民の村の門番であろう屈強な若者がいた。

 二人のうち一人がこの村の者であったため、若者は見慣れないもう一人が村が依頼したハンターとそれを迎えに行った人物だと気付く。

「あなたが依頼を受けたハンターですね?」

 分かり切っていることだが、門番としての決まり故に確認する。

「ええ、そうよ」

 そう言いながら差し出されたハンターライセンスは確かに本物であった。

「こちらにどうぞ、長がお待ちです」

 確認も済み、若者は木でできた門の奥から人を呼ぶ。

 どうやら彼も長のもとに同行するようだ。

 護衛だろう、自身ではなく長の。

 

「あなたが依頼を受けたハンターの方ですね?」

 広場らしきところで老若男女様々な人がいる中、中心にいる赤色の目立つ羽で造られた冠らしきものを被った老人がどうやら長らしく、先ほどの門番が聞いた質問と同じことを聞いてきた。

「ええ、数年前に新人とはいえプロハンターが無残にも死んでしまった…… なーんてせいで誰も依頼を受けなくなっちゃった村の依頼を受けた酔狂なハンターは私よ」

 同じことを質問されたために皮肉気に答えた。

「誠に申し訳ございません!」

 それに対し、長はそう叫ぶと次には広場にいた人々全員が土下座をしてきた。

「んー…… こんなことで村総出でそんなことしないでちょうだいよぉ、大丈夫よ怒ってないわ」

 

―― しっかし、ホントに書面通りなのね……

 

 その書面通りというのは『自然への平身低頭・ゲザド族。とても腰が低く、ジャポン独自の謝罪スタイルに似た謝罪方法をする文化を持つ』という一文である。

 怒ってないという言葉を受け、広場にいた民全員が顔を上げ胸を撫で下ろしたところを見計らい、依頼内容の確認を行う。

「それじゃ以来の確認だけど、数年前にやんちゃしてた人喰い大蜘蛛ちゃんが、ここ数年はその消息がパッタリ途絶えちゃって…… それだけならいいんだけど、今度は入れ替わるようにして大蜘蛛ちゃんの出現地域から大方決まった時間に煙が上がるのを目撃しちゃって、それが何なのか分からんないから確認して来てねってことでいいかしら?」

「ええ、その通りです。あの大蜘蛛が突然現れ、森からの退却を余儀なくされて数年…… 今度は入れ替わるように何者かが森の奥にいるやもと何が何やら分からないのです!」

 一族の男数人が喰われ、退治に行った新人といえどプロハンター一人が犠牲になるほどの化け物蜘蛛がいる場所。

 そこに上がる決まった時刻に上がる煙というあからさまな人が暮らしているという痕跡は確かに得体のしれないうえに恐怖だろう。

 しかし今回のハンターは新人ではないらしく特に恐怖することもなく、早い所依頼を済ませたいとそのまま大蜘蛛が出たポイントや煙が上がっている場所周辺の地形を聞くと

「じゃ、今日入れて三日までに帰らなかったら御愁傷様ってことでこの番号に連絡しといてね」

 と村の門番に紙を渡す。

「分かりました」

「あ、それと……」

 今度は先ほどの紙とは違い薄ピンクのかわいらしい紙を門番の若者に渡す。

「こっちはプライベートな番号よ、何時でも掛けてきてね♥」

 若者の手に紙を乗せ、そっと両手で持って握らせると色っぽくウインクをした。

 まさかのトリプルパンチを受け、若者はフリーズした。

 

 固まってしまった彼を心配するかのような表情をして、彼の意識の有無を確認するため…… 先程まで村の外からこの森まで大柄な男のハンターを案内していた女性が目の前で手をひらひらとする。

 彼の目には目の前で動く細い手は映さず、先程の男の不気味なウインク顔がこびり付いていた。

 

―――――――――*

 

 

 森に入った男は邪魔にならないように腰に風呂敷を竹棒ごと巻きつけると、手ごろな木を見つけ跳躍ひとつで枝へ飛び乗り、そのまま木から木へと飛び移って移動する。

 まるで弾丸のような速度で跳んでいるが、移動の音は聞こえてこなかった。

 それでも男は下に獣がいるのが分かれば迂回し、決して真上を跳ばないよう気を付けている。

 そして数分もしないうちに長から説明された大蜘蛛が良く出没する、先ほどより高さの低い木が群生するポイントに辿り着くとより静かにその低い木へ飛び移り、葉にその身を潜ませる。

 

―― 近くに大型生物の気配無し、ね……

 

 男は周囲に自身の脅威となる生物がいないことを【円】で確認するとポケットから小さいタブレット型の端末を取り出し、何回か操作をすると人の掌ほどの大きさをした赤黒い蜘蛛の写真とその説明文が載ったページを表示する。

 そこには蜘蛛は通称『血錆蜘蛛』とその特徴的な体毛と血の色からそう呼ばれていること、密林などに幅広く生息してさほど珍しくもなく、雑食性であり、空腹時は眼が真赤になり獰猛かつ俊敏だがそれ以外では温厚で鈍重という二面性を持つ生物であること、などが記されている。

 

―― 目撃証言の体毛の色と一致、節操なく何でも食べちゃうことも一致、おまけに生息条件も一致…… 大蜘蛛の方はコレの突然変異体とかそういったものかしら

 

 突然変異などと突拍子もないことに見当をつけたように思えるが、男たちが身を置く世界は原則から外れた例外の中であり、突然変異なぞ極当たり前に起こるケースだ。

 そもそも原則すら分からない動植物を追い求める人物が同僚であり同期であることも少なくない。

 それが『ハンター』なのだ。

 

―― となると人と一緒に生活は厳しいわねぇ…… 普段は大人しいけどお腹がすけば見境ないみたいだし……

 

 ページの続きには蜘蛛を飼おうとした人物が空腹時に餌を与えようとしたところ、跳びかかって耳を噛み千切られた事件があると怪我の写真付きで書かれていた。

 それを踏まえ、男の頭の中に推測が浮かぶ。

 

 大蜘蛛が血錆蜘蛛の巨大な変異種かつその蜘蛛が消えた後に上がるようになった煙が人が生活しているからだと仮定した場合、一つは煙を上げている人物が蜘蛛を退治し、何らかの理由でそこで生活しているケース。

 もう一つ、血錆蜘蛛の習性やら何やらさえも変異し人と生活しているケース。

 正直お伽噺レベルのぶっ飛んだケースだが無いと言い切れない。

 

 そして、何らかの能力により大蜘蛛を手なずけているケース……

 

―― これが一番厄介になるかもねぇ…… そうじゃないか悪い人じゃないことを祈りましょうか

 

 等と推測と自身の考える最悪のケースにならないことを祈り、男は大蜘蛛の目撃場所で最も煙が上がる地点の近くである湖へと向かった。

 

―――――――――*

 

―― とりあえず人がいることは確定みたいね

 

 困った様な顔をして男は縄のようなものを眺めていた。

 移動中に何か細いものに当たる感触がしたので、その場を勢いよく離れた瞬間に横から何かが真横を掠めたのである。

 それはよく見ると網であり、どうやら踏んだ重みで網が飛んでくる罠が仕掛けられていたようだ。

 網は細く透明な糸で造られており、見え辛くなっている。

 しかも、網の結び目に一つ一つ針が仕込んである。

 罠は湖に着くまでにタイプの違う罠が数十個設置されており、時折先客の獣が引っ掛かっていた。

 

―― 恐ろしく器用ね…… 落とし穴にトラバサミ、かすみ網他多数が全部手製かつ糸以外は現地調達の様ね。

―― 全部罠の種類が違うけど、目的は侵入者撃退じゃなくて狩猟目的ってとこかしら。

 

 どれも設置されている場所が鳥や獣が多く足を踏み入れる場所にあり、人が行かない所や餌が用意されている罠があることから男はそう結論付ける。

 男は警戒の仕方を完全に対人のそれへと移行し、竹棒を手に持ち直接視界に入れなければ分からないほど自身の存在や音を消して近くの木へ潜み、上空を見回す。

 そろそろ情報通りならば煙の上がる時間帯だからだ。

 

 数分もしないうちに、ほぼ目と鼻の先で細い煙が上がった。

 

 男はそれを確認すると、その場所へとゆっくり移動する。

 煙の上がった個所が固定であることから、おそらくそこは拠点なのだろう。

 その近くならば大掛かりな罠が設置してあってもおかしくはないので慎重に行くのだ。

 

 そして、煙の上がる場所に辿り着いたとき男がそこで目にした光景は――

 

 

 

 うまそうに串肉を口いっぱい頬張る子供だった。

 

―※―※―※―※―※

 

 その後、あまりに予想外かつ気が抜ける光景を目の当たりにして緩んでしまったのか、その子供に発見され『ぃンぐぇん……?』とかすれた声で呟かれたときは思わず身構えたが――

「ぃンぐぇん、い…… と。ひーとー!」

 どうやら声が出ないらしく、それでも必死で『人』と自分を指差し言ったと分かる頃には串肉を差し出されていた。

 串を受け取ると、実に嬉しそうな顔をした。

 慎重に来た挙句思わず身構えてしまった自分が馬鹿馬鹿しく思えるほどの無警戒ぶりである。

 こうして男と奇妙な子供は食事を共にしたのだった。

 

―――――――――*

 

 食事も終わり、男があちこちに仕掛けられた罠について訪ねたところで話は冒頭へと繋がる。

 喋れない己と悪戦苦闘する子供に見かねて風呂敷からメモ帳とペンを取り出す。

「ねぇボウヤ、喋れないんなら無理しないで筆談にしなさいな。 …… 文字は書けるかしら?」

 そう言って渡したが、子供は紙とペンを受け取ると字は書けるらしく何かを書くとメモ帳を男に返す。

 そこには丁寧な文字で『筆談の提案、ありがとうございます。ですが、私が喋れないのは暫く喋らなかったことが原因の一時的なものですので、すぐに会話可能な状態まで回復しますので筆談でなくて大丈夫です』と書かれていた。

「まぁ! 礼儀正しい子なのね…… 一体どれくらい喋らなかったのかしら?」

 予想外な字の綺麗さと文章に驚きつつも男は子供に質問する。

 すると、子供は男に指を一本突き出した。

「へぇ、一ヶ月も」

 男の言葉に子供は首を振る。

「……ねん、でず」

「一年!? ボウヤ本当に大丈夫なの!」

 予想以上に自分と子供の『暫く』のスパンに違いがあったことに、先程の筆談以上の衝撃が男に走る。

「回復力には自信がぁりまず」

「本当だ、さっきより聞き取りやすいわ……」

 ならばと男は質問する。

「じゃあ訊くけど、ボウヤってどこから来たの? 服装はジャポンっぽいし……」

 いくら罠の作成に長けていようと子供は子供。

 ならば罠などお構いなしに来るであろう大蜘蛛がうろつく森で生き抜くのは不可能、故にこの子供は大蜘蛛の消息が途絶えてから来た子供だと推測し、蜘蛛の事は知らないとしてこの質問をした。

「ジャポンでぃあないでず…… じぶんでぼ、ょくわがりまぜん…… この森で生まれだどぼいえまずし…… 違うども言えまず」

 問いに関する答えはイエスともノーともとれるし、どちらとも言えない実に要領を得ない言葉だった。

「んー…… つまりどういうこと?」

「えっと…… 良ければ詳しく話しますげど、立ち話も何ですし家に来まぜんが?」

 どんどん聞き取りやすくなる声とは反対に、その正体が分かり辛くなっていく子供に興味を持った男はその指差す方向にあるツリーハウスへ行く提案に頷いた。

 

―――――――――*

 

「あらあら、中はジャポン風なのねぇ…… オシャレだわ!」

 男が言う通り、外から見ればツリーハウスそのものだがその中は御手製の畳を敷き詰めた床を始め、囲炉裏まである。

 その中でも目を引くのは、何故か飾ってある女物の和服だろう。

 それに気づいた男は「もしかしてボウヤの勝負服?」と聞いたが、帰ってきた答えは――

「いえ違いますよ、着れますけど観賞用ですよ? 綺麗でしょう! 初めての大作なんですよ!」

 という完全に治った本来の声での自慢だった。

 確かに大作というだけあって綺麗なダークレッドの生地に見事な蜘蛛の巣の刺繍が施されていた。

「あら、かわいい声してるじゃない? それとこの着物の刺繍は見事ねぇ! 特にこの蜘蛛の巣の刺繍がいい味出してるわぁ……」

 男はその色と蜘蛛の巣に何かを連想し、疑問が音となって出た。

「あっ! 大蜘蛛!!」

 それは色と蜘蛛の巣しかない共通点だったが彼の脳裏には、会ってもいない大蜘蛛の姿が浮かんだ。

「ボウヤひょっとして大蜘蛛のこと知ってるんじゃないかしら?」

「えっと、それも含めての自分の話なんで…… とりあえず聞いてくださぃ……」

 それもそうねとジャポン風の家という事もあってか不格好ながらも正座をした男を見て、子供はここに至るまでの二年間を静かに話し始めた。

 

―― こことは別の遠いところに住んでいたこと

―― そこで大蜘蛛の分身に会って友達になったこと

―― 気が付けばこの場所にいたこと

―― それが友人たる大蜘蛛が命と引き換えに起こした奇跡だということ

―― 自身の半分が蜘蛛となったこと

 

 大蜘蛛に産み呼ばれたなどとファンタジーもいいところな話であったが、男は「大丈夫、信じるわ」と優しく笑みを浮かべてくれたおかげで子供は自信をもって話を進める。

 

 話が進み、自分の力で蜘蛛の半身を操れるようになってからのことになったとき、子供の目には年相応な輝きを持って、続きが語られる。

 それは『蜘蛛でも出来る簡単文明の発展シリーズ』の概要と実際の結果の報告といっても過言ではなかった。

 罠の作成を始めとするサバイバル術の話までは男も聞いていたが、ここで完全に趣味の領域たる裁縫の話になった辺りで、その輝きは最高潮に達する。

 やれ蜘蛛の糸の先端をうまいこと粘着質かつ極小にすれば千本草の様な針穴無き針でも容易に裁縫を行えるとか脚を使えば機械も道具もいらずに生地は作れるとか、糸に相性が良い染料の基になる材料がある場所はどこで、染料にするにはどういう手順で加工すればいいのか等、もはやそこに故郷への哀愁もなければ蜘蛛となった葛藤の話もなかった。

 

 かといって蜘蛛化したことによる葛藤はもとから微塵も無いが……

 

―――――――――*

 

「……という訳でいつかは服に関する自分の店とか持ちたいですね!」

「…… こんな事になっても夢を忘れないなんて、なんていい子なのかしら!」

 話の終わり、男は感動するポイントがあったのか、涙を滲ませながら拍手をしていた。

「いやー、人と会うなんてこっちに来て初めてだから話し込んじゃいましたよ!」

 子供の言う通り、大分話し込んだらしく既に外は赤く染まっていた。

「話相手ならここの原住民なんてどうかしら?」

 言ってから子供が急に黙って俯いたのを見て、男はこの子供の半分かも知れない大蜘蛛がそこの原住民を数名喰らったことを思い出す。

 

―― そういえばここの人達を何人か食べた記憶が残っているのよね…… 下手なこと言っちゃったわ……

 

 どう切り出して謝ろうか考えるところで、子供が顔を上げる。

「その発想はありませんでした!」

「やだ、この子意外とアホの子?」

 子供は男が思っているほど繊細ではなかった。

「アホの子とは何ですかアホの子とは! そんなこと言うと夕飯は用意しませんよ!」

「ゴメンなさいね、…… 夕飯て、一緒に食べる予定だったのね?」

「寝具は最初ハンモックでしたけど今では布団ですよー! こちらも、もちろん手作りです」

「この気持ちが母性本能をくすぐるってやつなのかしら?」

 

 料理に平然と毒性の強いキノコを使用し、うまそうに食う姿を見て流石にそれを食すのは断ったが。

 

―――――――――*

 

 その後、朝には両名とも規則正しく起き出し朝食をともにした。

「朝飯後すぐで悪いのだけれど、ちょっとお仕事しなくっちゃ」

「仕事ですか?」

 朝食のキノコのスープ(渋々毒キノコ抜き)のお椀を片している子供に男は今思い出したという顔をしつつ、告げた。

「ええ、依頼者は伏せさせてもらうけど内容はボウヤに関係あるから喋るわね。…… 内容はここ数年途絶えた大蜘蛛の消息と入れ替わるようにして現われた煙を起こす何者かの調査よ」

 へー、という顔をしている子供に男はビシッと指差す。

「前者はほぼ間違いなくボウヤを産み呼んだ大蜘蛛で、後者は100%ボウヤ自身よ」

「あ、やっぱり?」

「で報告なんだけ、ど…… 大蜘蛛が死んだ証拠が欲しいのよ。写真を撮ればすぐに戻すから……」

 そこで一旦言葉を切り、申し訳なさそうな顔をして子供を見る。

「アナタの親兼友達のお墓を暴かせてもらいたいのだけれど……」

「ああ、いいですよ?」

 即答だった。

「そうよね…… お墓を暴かせるなんて許されな…… いいの!?」

 駄目元での頼みがまさかの即答のOKに、男は芸人張りのスピードでツッコミを入れる。

「ただしこちらのお願いに応えてくれればですが」

 不意に子供の目つきが真剣なそれとも異なる、ギラギラした獲物を狙うそれへと変わる。

「ッ!?」

 それは男を即座に飛び退かせるには十分な迫力だった。

 

―― いやだわ、反射的に退いたけど…… すっごい眼ね

 

 なお警戒する男を前に、子供はすっと立ち上がると右手を男の方へ伸ばす。

 そして、ぶれるほどの勢いで子供の上半身が急に動く――

 

―― 来る!?

 

 と、男が【堅】をしつつ竹棒を槍のように構えたのと

「俺と友達になってください!!」

 と、頭を下げたのはほぼ同じタイミングだった。

 

「……え?」

 思わず竹棒を持った態勢を維持したまま、男は呆けた声を出す。

「……」

 対して子供は右手を差し出し、頭を下げたまま硬直している。

 

―― うう、やっぱ交換条件っぽく言ったから怒ってるのか? いやでもタイミングここしかない気がしたし…… でも変な威圧感するしやっぱ怒ってんのかなぁ……

 

 数年間誰とも会っていないことと半身たる大蜘蛛の対話のない人生経験を受け継ぎ、さらに無駄に【念】の威圧を感じたために、その状態から動けないでいた。

 ここで子供が顔を上げていたらこの後の展開は劇的に違うものとなっていた。

 それは一番穏やかで少なくともスリルなどという言葉と無関係な世界に生きていただろう。

 

 しかし、彼は顔を上げずに待ったのだ。

 

 そして、運命の瞬間が訪れる――

 

「……んもう! 可愛すぎよボウヤ! いいわ、友達でもママでもなってあげちゃう!」

 男は物凄い勢いでその手を握る。

 ただの緊張からここまで変な威圧を発するほどに他者に飢えていた子供の、精一杯の頑張りを叶えない道理などないと、男は子供の手をがっしりと痛いくらいに力強く握ったのだ。

 

 

 

 オーラを纏った状態で。

 

 

 

「あっ」

 

 

 それはうっかりした男の声か、はたまた自身を圧迫する予想外の何かにあげた子供の声か、はたまたそのどちらともなのか。

 どちらかを確かめることと同じぐらいどうでもいい理由で、彼は経験上二度目の死に瀕した。

 

 力が抜ける感覚、しかし反するように力が溢れる感覚。

 身体の自由はきかない、されど見える風景の速度は遅く、考えるスピードは速く。

 感覚のプラスとマイナスの狭間にいるその最中、脳内に広がるのは今の瞬間からここに産み呼ばれるまでの逆再生。

 

 ここに来てからの記憶なぞ一秒の半分以下より更に短い時間で終わり、代わりに脳内に響くのは自分以外の声と映像。

 

 

 若い男に滅多打ちにされる光景

 

―― あれは凄かったねぇ…… なにせ今まで見たことのないようなスピードで、気付いた時には思いっきり頭を蹴られてたよ

―― それからは酷いもんさ、殴る蹴る、肘に膝、掴んで投げたりもう好き放題!

 

 次には少々ぼやけて若い男から湯気のような何かが出ている光景

 

―― 僕さ…… 見えたんだよね

―― その男から湯気みたいな、纏っている何かがさ……

 

 次には急に視界がぶれたかと思えば若い男はバラバラになり、そこで映像が途絶える。

 途絶えたのも束の間、次には湖に映る蜘蛛が若い男と同じように湯気のような何かを身に纏っている光景がうかぶ

 

―― 力が溢れるけど力が抜けるっていう、訳の分からない状態さ。

―― まぁ本能の塊みたいな状態だったからかすぐにコツを掴んで大事にならずにすんだよ、今言うならコツは抗わないで受け入れる感じかな?

 

 

―― 抗わず、受け入れる……

 

 その瞬間、彼の何かが目覚める。

 倒れ行く体を支えたのは、床を歪ませるほど強く踏ん張った己の足だった。

 

―――――――――*

 

「…… ボ、ボウヤ?」

 男は困惑していた。

 反応からしてうっかり精孔こじあけて殺しかけたと思った、だがそう思って焦る時間も与えないほどに早く子供が【纏】をしたのだ。

 

 使えないふりをして己を捕らえた捕食者か、はたまた一秒にも満たない間にコツを掴んで入門したとんでもない天才か…… 男の頭には凶悪な蜘蛛の顔と天真爛漫な子供の顔の二つが浮かんでいた。

 男の生死を分けるかもしれない子供は、息を整えるとその口を開いた。

 

「すいません、立眩みしまし、た?」

 何故か疑問形で頓珍漢なことを口走った。

 そう思ったのも束の間、子供は自分の手と男を交互に見て不思議そうに尋ねた。

 

「あの、この湯気なんですか?」

「天才の方ッ!? ……ゲッホ!」

「わー! 大丈夫ですか!?」

 苦しくなって竹棒を杖代わりにする自分の背中をさする子供が、秒よりも早く【念】を習得したのだと確信した男は息苦しい状態にもかかわらず笑った。

「ねぇボウヤ、さっき友達になれってアナタ言ったじゃない?」

「はい」

「同じ釜の飯を食べた時から私達はとっくのとうにお友達よ」

「マジか!?」

 その目は先ほど男を臨戦体制に移行させた圧は無く、純粋な光があった。

「アルゴ=ナウタイ」

「?」

「私の名前よ。これは友達からの助言だけど、次から友達つくるときはせめて名前くらい聞いてからにした方が良いわよ」

 ここでようやく自分と男は互いに名前を名乗っていないことに気付いた。

 ならばと彼は男、アルゴに向かって己の名はそのままに、姓を友人兼第二の生みの親たる大蜘蛛から受け継いだその名前を口にする。

「透、えっと言い難いからトール…… 俺はトール=フレンズです!」

 そういって差し出された手を、今度は互いに力強く握った。

 

「さて、私とトールちゃんはこれで互いに友達って呼べる仲になった訳だけれど、友達なんだから素の調子で話してOKよ?」

「あいよ、アルゴ!」

 びっくりするぐらい砕けてきた。

「うん! そんな感じのが気が楽でいいわ…… それで本題なんだけど」

 急に真面目な顔をしたので思わずトールはごくりと唾をのむ。

「さっき、一回目に手握ったときなんか湯気見たいなのが視えたわね?」

「あっ! 視えた視えた!」

 トールの頭には先ほどの湯気の様なものを纏った自分とアルゴの姿が浮かぶ。

 

「ゴメンナサイ! あのとき私はトールちゃんを殺しかけたわ!」

 急に土下座をされ、トールは困惑した。

 なにせ自分の感覚では立眩みをした程度なのだ、それなのに殺す殺しかけるなどと物騒なことが起きていたのかと情報を処理できずただあたふたしていた。

 彼は走馬灯まがいの光景の事はまったく覚えていなかった。

 

―――――――――*

 

 あれからアルゴの土下座をして涙ながらの謝罪が終わる頃にはすっかり日が真上に昇っていた。

 謝罪の後にトールが聞いたのは身体から出るオーラなる生命エネルギーを自在に操る【念】という技術だった。

 誰にでも習得可能な技術でありながら長い修行を経てようやくオーラを感じ、精孔なるところからオーラを自在に放出出来るようになりそこから更に修行し続けてようやく形になるものらしい。

 精孔を開くには瞑想等により徐々に開かせる方法と、相手にオーラを呼び水として当て一気に開かせる方法の二種類があるとのこと。

「前者はともかく後者は外道な方法とか言われてて…… オーラの感覚が掴めないとそのまま放出して死んじゃうことがあるし、実際死ぬ確率の方がずっと多いのよ」

 そんな中、僅か一秒にも満たない時間で咄嗟にコツを掴み【念】の基本【纏】をすることが出来た自分は稀代の才能の持ち主らしい。

 

 実際は半身たる大蜘蛛、アラーニェ=フレンズが【念】を使いこなしていたためであり、透の部分だけではそのまま死んでいた。

 トールは走馬灯紛いの記憶の遡りの事など憶えていないため、アルゴはそんなことなど知らないためにここに稀代の才能の持ち主が誕生してしまった。

 そんなすごい才能が自分の中に眠っていたのかとトールは驚いていたが、そういえば幽霊見れたのも変な蟲っぽいの視れたのも【念】か! 等とずれたことで納得した。

 

―― それじゃあ今でも見れるかもしれない! 運が良ければアラーニェに会えるかも!

 

 アルゴの話そっちのけでトールは透時代の感覚を必死に思い出し眼に意識を集中させていたが、別に特別なことしてないなーと気付き力を抜くと、何故か物凄い疲労感に襲われた。

 

 身体を支えきれなくなるほどになり、倒れかけた自分を支えたのは驚愕の顔をしたアルゴだった。

「……トールちゃん、習ってもいないのに【凝】まで! 【念】の使い方は後日教えるから今日のところはもう寝なさい! 枯渇して死ぬわよ!」

 

 自分の才能が怖い、と嫌味でなく本当に恐怖して彼は意識を手放した。




タイトルの空欄に入るのはオカマです。
本当にありがとうございました。

※誤字修正(2014/05/10)
※脱字修正(2014/08/31)
※誤字修正(2014/09/19)


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友達ところにより先生1

「どう? まだ疲れてる?」

「いや、もう大丈夫」

 

 前回オーラの使い過ぎによる疲労困憊で意識を失ったトールが目覚めたのは次の日の朝だった。

 心配したわよ~! から始まる自分の身を案じた抱擁は友達というよりまるで親のような、先生のようなむしろ人慣れした熊の様なそんな雰囲気で言葉に出来なかった、その後「あら、いやだわ」なんて言いながら赤面して照れ隠しする様は別の意味で言葉に出来なかった。

 そして急にハッとした顔をすると、友達の墓を案内してくれとハッとした勢いかベアハッグに近い形で抱きしめられた、場所を教えて数分後にいくつかの禁止事項を言渡して物凄いスピードで依頼者のところへ行った。

 火の禁止は報告する前に煙が上がると都合が悪いという向こうの理由だが、【念】の使用禁止は感覚で身の丈に合わない技を使って自滅する場合が自分にあるからだと言われたからである。

 その例が【凝】と呼ばれる技の使用だという。

 【凝】は応用技という位置づけであり、【練】と呼ばれる技術を体得してから覚える技とされておきながらトールは【練】など出来ずまして知る由もない。

 その状況で【凝】の使用は才能としか言えなかった。

 

 しかし、【念】及び【纏】のコツを文字通り一瞬で掴んだのはトールの中のアラーニェが体で覚えていただけで半分の人間たる透は才能のさの字も無い。

 より正しくいうならば、アラーニェは人より丈夫な体を持ち、尚且つ本能で動いていたために攻撃によって無理矢理精孔を開かれた状態となっても助かったのであって、肉体は凄いが念能力に関して実は突飛したものは持っていない。

 だが、透の部分には確かに【霊視】の才能がある。

 その視る感覚が偶々なのか根本が同じなのか【凝】と似通っていた。

 足して二で割った体質は奇妙に噛み合い、その結果一人の人物が類い稀なる才能を持っている様に見えるのだ。

 そんな偶然が起こっているとは知らず、トールは空いた時間を利用し水浴びに行く。

 頭の中にあるのはアルゴの事を【念】を教えてもらっているときは師匠と呼ぶか先生と呼ぶか否かとズレた悩みしかなかった。

 

―――――――――*

 

「ただいま~! もう火使っていいわよ。…… そしてお待ちかねの修行タイムと洒落込むわ」

 水浴びを終え、小屋で裁縫をしているところに帰ってきたアルゴはそう言うなりトールを外に招く。

 トールは修行なのか、と割と軽くやるのかと思っていたら本格的にやるようなニュアンスの言葉だったので気合を入れるため素早く着替えて外に出た。

「よし! 来たわね…… あらその格好は?」

「胴着! 山吹色の染料の作り方は巻物になかったのでオリジナルです!」

 修行といえば彼の中ではこの服装だった。

 ふと思い立ってから服の再現に一年、染料の完成にさらに一年掛かっていたりする。

 そして背中と胸の蜘蛛の字を納得するに至るまで織るのに三年掛かった。

「気合十分ね~…… って、なんでそんな悲しそうな顔してるの?」

 元ネタを知っている存在がいるかどうか分からない世界なので予想していたスルー気味のリアクションだが、分かっていても心にクるものである。

 なんでもないです。と気持ちを入れ替えて、トールは修行に専念することにする。

「それじゃ改めて言うけども、私のせいとはいえ【念】に至るまでの過程たる心身を鍛える段階をふっとばしちゃった歪な念能力者が今のトールちゃんの現状よ……」

 本当に気にしてないですよ。と言いながらこくりとトールは頷く。

「という訳で【念】の基礎たる【纏】をやろうと思うんだけど…… その前にいいかしら?」

「何ですか、師匠?」

「あらん、私は師匠より『先生』って響きとか『アーちゃん』って気軽に呼んでもらえる方が……」

「アーちゃん先生」

「まさかの合わせ技!?」

 素直な良い子だった。

「呼びはそれでOKね! ……ってそうじゃなくて貴方のポテンシャルを測りたいから一つやってほしいんだけど。 ちょっと身を潜めるというか存在感を押し殺すなんてこと出来るかしら?」

「隠れる感じですか?」

 突拍子もなく存在感を消せ等と言われたが、特に気にすることなくトールは実行しようと質問する。

「ええ、獲物を狩るときに身を隠すでしょ? あの感じよ」

 やれと言われて出来れば苦労しない場面だが伊達に産み呼ばれてから狩りと裁縫と読書で生活していたわけではない。

 裁縫と読書は関係なかったが、狩りでとっくに身を潜める苦労をしていたトールはあっさりと己の存在感を薄くした。

「あらま! やっぱり野生児が【絶】を既に体得してるのが多いって話は本当なのね~」

 感心したように笑顔でアルゴは言う。

「【絶】?」

「それも【念】の基本技の一つなのよ。精孔を閉じて身体から一切のオーラを発さない技、ついでにそれは気配を消すだけじゃなくて内部に溜まったオーラが自然治癒力を高めて、怪我の治りや疲労の回復速度も上がるオマケ付きなのよ」

 へー、と存在感の希薄になった自分の体をまじまじと見る。

「それじゃあ、普段からこの状態で生活すれば何かと便利ですねアーちゃん先生」

 すると目の前が急に暗くなったので何事かと顔を上げると、アルゴが微弱なオーラを纏った指で軽く凸ピンをした。

 直後、指ではなくまるで拳で殴られたような痛みが額に広がった。

「ッ!? ぐぅ……!!」

「ごめんなさいね、今のがすっごく痛いのは【絶】は外部に一切オーラを発さない性質上他人のオーラから身を守る方法がないからなの。 今の凸ピンだって【絶】以外の垂れ流し状態でもここまで痛がらない威力よ?」

 凸ピンをした場所をそのゴツゴツした手と対照的に優しい手つきで撫でながら、アルゴは【絶】の欠点を説明する。

「それじゃトールちゃんが【絶】を出来ることと【念】は臨機応変に使うべきものだって分かったところで、ようやく修行に入るわよ!」

 そう言ってアルゴはトールの体をゆっくり起こす。

「じゃトールちゃん、【纏】をやってみてちょうだい!」

 言ったアルゴは自分も【纏】をする、手本を見せてスムーズに【纏】を行わせる配慮である。

「こうですか? よっこいしょ!」

 気の抜ける掛け声とともに、トールの身体はユラユラと揺れるオーラに纏われる。

「そうそう、次やる時は掛け声禁止ね? それじゃあ、修行その一瞑想的なことしましょ」

「的な?」

「まぁ聞きなさいな、トールちゃんの【纏】は当たり前だけれど未熟よ。精神面の未熟さがそのままオーラに現れていると言ったところね」

 そう言ってアルゴはトールの心臓部分を指差す。

「オーラを扱うには確かに体力が必要だけど、それ以上に精神面によるところが大きいわ。 心が出来てなきゃ身体をいくら鍛えても唯の肉塊同然なの…… だからって疎かにしちゃいけないわ、スキンケアとか嗜みだし」

 今度は自分の厚い胸板を指差す。

「まぁ、ようは『静』ね、身体は『動』よ。冷『静』に行『動』するのが【念】を使う上でのある意味完成形ってところかしらね?」

「なんかカッコイイなそれ!」

「カッコイイよりカワイイって言ってよ~」

 いや可愛くはないとはこの場面で口が裂けることが無ければ言えなかった。

「で、結局瞑想『的』なって何するので?」

 なにやらカワイイポーズをするオッサンから全力で目を反らしつつトールは修行の説明を促す。

「そうねぇ、トールちゃんってお裁縫は趣味で得意というか特技よね?」

「むしろライフワーク」

 胸を張って答える。

「それでね、単調な作業を繰り返してると何も考えない時間てないかしら?」

「もしや……」

「お察しの通りだと思うけど、トールちゃんはそのままお裁縫すると楽しんじゃうだろうし完成形を思い浮かべたりとかして考えちゃうわよね? だから布に延々と手縫いしてもらうことにするわ、もちろん模様を作るのは禁止ね」

 丁度いい布と大量にある白い糸を渡すと、アルゴは最近造った安楽椅子に腰かけると早々に寝てしまった。

 

―――――――――*

 

「ふぁわあ~…… あらやだ! 寝すぎちゃったわ!」

 欠伸と伸びをして起きたアルゴは日が沈み周りが真っ暗になっていることに気付き、慌てた。

「火を使えばいいのに…… トールちゃんも寝ちゃったのかしら?」

 そうぼやいて部屋を見回したとき、部屋の隅に月明かりを真赤に反射して輝く幾つもの点が蠢いているのを捉えた。

 暗さに慣れたときアルゴはその正体に気付く

「トールちゃん?」

 疑問形なのは今までアルゴが視たことのない姿、背中から脚を生やし、隠れていた複眼が開いた蜘蛛の状態である。

「ん……? アーちゃん先生起きたんですか?」

 どうやらアルゴの想像以上にトールは無心だったらしく、今まで黙々と手縫いをしていたらしい。

 その証拠に布の厚みは糸によって三倍ほど厚くなり、山の様にあった糸はあと数メートルほどしかなかった。

 しかし、アルゴはそんなことより今のトールの姿の方が気になった。

「トールちゃん、そのワイルドな姿は何かしら?」

「えっ? ああ、いつの間にか出てきてら」

 ポケットから落ちたハンカチを仕舞う様な手軽なノリで、トールは脚や複眼を引っ込めた。

「これは前にも言った通り、代償の半分ってやつ兼過保護な友達が残して逝った形見みたいなもんかな?」

「信じてなかったわけじゃないけど、ホントに半分蜘蛛なのねぇ……」

 特に何でもないように話していたアルゴであるが、その一方で血錆蜘蛛の特徴がほぼそのまま出てきていると、あの一瞬で見た情報をまとめてそう結論を出していた。

「んでアーちゃん先生、この瞑想的なやつ、結果はどうですか?」

「もう文句なしよ! ご褒美にハグしちゃおうかしら?」

 そうですか! と疲れた指をほぐすようにするように見えて実際はハグ牽制の為に手を振りながら、トールは嬉しそうに笑う。

 

「じゃ、集中して一週間ほどやりましょ」

「マジですか? ちょっと本気で糸出すんで準備に一日とご飯多めに食べさせてください!」

 

―――――――――*

 

 糸を準備する際の一日、張り切り過ぎて糸を一気に出し過ぎてしまい急激な空腹感を感じたとき、アルゴが尋常ならざるスピードでトールから離れた。

 何してんだ? と不思議そうに聞いたトールを見てさらに驚いた顔をしてアルゴが「何ともないのトールちゃん?」と聞いたのでトールは質問に質問で返されちゃったと思いつつも、尋常じゃないくらい腹が空いたとフラフラしつつ率直な今の状態を言う。

「そう、喋れるのね」

 それだけ言うとアルゴはさっさと飯を作りに行ってしまった。

 

 喋れることが奇跡に見えるほど自分は空腹で弱々しく見えたのかと首をかしげるトールの目は赤く爛々としていた。

 

 料理を持って来たアルゴは食べる前に何気ない調子で「ねぇ、私っておいしそう?」と聞いてきた。

 それに対しトールは暫く考えた後「硬くて食べるのが大変そう」とだけ答えると、行儀よくされどかなりのスピードで食べ始めた。

 

「今度からお腹空かせちゃダメよ」

 何気ない風に言った身を案ずる言葉は不思議とトールの耳に残った。

 

 次の日からトール専用アルゴ式瞑想である布のエンドレス手縫いの日々が始まった。

 アルゴはその間、トールの集中をなるべく切らさないために今まで共同で行っていた家事を全て担当し、終われば飯の時間まで安楽椅子で本を読むか横で本当の瞑想をしていた。

 休憩時間は食事と風呂のみ、しかし睡眠中と風呂の間は【絶】状態である。

 また、【念】以外にも『蜘蛛でも出来る簡単文明の発展シリーズ』でもカバーしきれていなかった調理方面など家事に関わる幾つかも教えてくれた。

 何故家事まで? と疑問に思い聞いてみれば「トールちゃんの修行プログラムって実は私の花嫁修業にやったことが基礎になってるのよ」と返ってきた。

 自分がやってるのが花嫁修業だという事とこの男が花嫁を目指していた衝撃の事実に目の前にいるのがもしや自分の行く末かと一瞬脳裏をよぎるが、かろうじて黙殺することに成功した。

 

 あれから一週間、人生で最も糸の消費の激しい日々であったと後にトールは思い返すであろうほどに糸を使った。

 その証拠に手縫いをし続けた布はブロックと呼べるほどに立体的厚みを得ていた。

 修行の成果を確かめるかとアルゴに言われ、外に出る。

「よーし、じゃあ【纏】やってみてちょうだい! もちろん手縫いのときを思い出して、ね」

 

 トールは目を瞑り、手縫いのときの静かな感覚を思い出す。

 されど手は動かさず、座ることなく立った状態でただ静かに。

 

 目を開けたトールの全身はそんな彼の心の様に静かに、力強くオーラに包まれていた。

 

「おお! 手縫いって凄いな!」

「いや凄いのはトールちゃんよ、考案しといて言うのもなんだけど花嫁修業で【纏】が上達したのなんて、もしかしたらトールちゃんだけかも?」

 せめて手縫いで【纏】が上達したと言って欲しいなとトールは思った、口から出たのは乾いた笑いだが。

「ま、トールちゃんも私達と一緒で常識なんてオジャマなだけってわかったところで、ステップ2の【練】といきましょうか?」

 言うと同時にアルゴが纏うオーラが多く強くなる、超人という言葉が似合うこれがどうやら【練】らしい。

「おお! 超サイヤ人!」

「そのスーパー野菜人ってのは知らないけど、平時より多くのオーラを生み出して纏うのが【練】よ。質のいい【纏】をしてないと多く出したオーラを纏いきれないわよぉ? やってみて?」

「オラ、ワクワクしてきたぞ!」

「あら、やる気満々じゃない?」

 トールの頭には今着ている道着も相まってかの有名な力に覚醒する名場面を思いだして力む。

 

 しかし、何も出なかった。

 最初はそんなものよとアルゴは慰めるように肩に手を―― 置けなかった。

 トールは何かを決心した顔をすると、棚から巻物一冊取り出し外に飛び出したからだ。

 ポカンとしたアルゴを残して数分後、トールは帰ってきた。

 

 ボサボサの髪はショートカットになり、おまけに髪も眉も金色に染まっていた。

 

 そしてアルゴがイメチェンかしらと問うより早く、栗がどうだの叫んだかと思えば、彼の全身から勢いよくオーラが放たれる。

 たった数秒ほどの持続だったが、どうみても【練】だった。

 

「…… 出来たぞ、アーちゃん先生!」

 

 巻物にコツでも書いてあるのかと思い読んでみれば『密林で出来るファッション~髪染編~』という内容だった。

 

―――――――――*

 

「アーちゃん先生、修行しよう!」

 昼食を狩りに行ったアルゴがツリーハウスに帰るなり、急にそう言ってきた。

「あらん、やる気満々なのはいいけど今も立派に修行してるじゃない?」

「んー? あれもそうだけど俺が言ってる修行ってこう武術とかそういうのの修行かな」

 その言葉にアルゴは目を見開いて驚く。

「トールちゃん、武術を習いたいの!?」

「い、一応は?」

「そっか、武術ねぇ……」

 トール以上にキラキラした目をしてアルゴは興奮した口調で武術と繰り返す。

「よーし! 私を一介の武芸者と見抜いたトールちゃんに敬意とご褒美として、教えてちゃうわ! 私の全てをね」

 その顔はまるで家業を継ぐと言い出した息子をみる親父の様な母親の様な、そんな顔をしていた。

 

 こうしてトントン拍子で武術の修行が決まったが、ちなみにトールは別にアルゴが武術を体得していると見抜いた訳ではない、常人より修羅場を経験しているだろうなと思った程度であり、普通に身体を鍛えるくらいにしか思っていなかった。

 それと何より髪も眉も染めたのだし。

 

 さっそく外に行くよう言われ、小屋の前の開けた場所で向かい合うトールとアルゴ。

「私が教えられるのはアイジエン大陸方面の武術だけども。武術の修行って一言で言っても、最初に何やるかトールちゃん分かる?」

「地味に体鍛えたり滝に打たれたりして精神をアレするんじゃないですか?」

 いまだニヤニヤと笑う上機嫌なアルゴの問いにトールは透時代に読んだ漫画の修行風景を思いだし、一番無難な答えを言う。

「まぁ、体を美しく鍛えるのはデフォで入っているとして。トールちゃん、ちょっと歯を食いしばって腰に力入れてみて?」

 何だろうかと思いつつも言われた通りにすると、目の前のアルゴが消えたかと思えば、腹に鈍い痛みを感じ立っていられず膝をついた。

 痛みに出てきた涙で霞む視界にはすぐ傍で拳をつくり自分を見るアルゴがいた。

「いってぇ……」

 腹に力が入らず、絞り出すように言いながらトールは立ち上がる。

「いきなり何すんですかぁ…… 胃の中のもんぶちまくかと思いましたよ」

「御免なさいね、いきなり。でも普通はぶちまけながら失禁する一撃なのよ?」

 いきなりの攻撃に対しての謝罪と共にアルゴはしれっと恐ろしいことを口にする。

「森暮らしの恩恵か蜘蛛の恩恵か両方か分からないけど、基礎体力とか耐久力は既に並み以上だったりするのよトールちゃんって?」

 衝撃の事実である。敢えて言うがアルゴはこの事実を今伝えてさっき殴ったことを有耶無耶にするつもりでもある。

「マジか!?」

「マジよ。ってことで初っ端から型教えちゃうから真似して一日繰り返していきましょうか」

 物凄い大雑把かつざっくりとした修行方法だが、やはりと言うべきか実際は一つ一つ丁寧に繰り返し、型を何日も実演してくれた。

 アルゴの流派は空手よりも中国拳法に近く、元々アイジエン大陸でもマイナーな流派だったがそれに輪をかけるようにメジャーな流派である心源流の上陸により自分が入門した数十年前の段階で既に門下生が五人しかいなかったそうだ。

 さらに基本の型や派生の方も動物やら虫やらから発想を得た、よく言えば独特ハッキリ言えば奇妙な構えで実はとても理に適った構えなのだが、一見では実戦で使えるのかどうか疑わしい所も過疎化の理由らしい。

「なんでそんなところの門を叩いたんですか?」

「…… 道場が実家に近かったのよ」

 俗な高校の志望理由みたいな理由だった。

 

「そう! その雄を食べちゃいそうな迫力こそ蟷螂の構え、略してカマカマよ!」

「その表現と略称やめろッ!!」

 型の模倣はかなり速いペースで合格ラインまで到達した。

 アルゴ曰く珍妙な型ほど習得が早く尚且つキレがいいらしい。

 何かコツがあるのかしらと教えたアルゴの方が逆に質問をするほどである。

 それに対し、伊達に戦隊ヒーローやライダーの変身ポーズ果てはアメコミのヒーローに至るまで真似してた訳じゃないですよ! と爽やかな笑顔と共に珍妙な構えをして答えたが残念ながらアルゴに意味は通じなかった。

 

 体術の型を覚えると、次に棒術の型が待っていた。

 棒術か、と言ったら竹棒で叩かれて「棍術よ!」と怒られた。なにか強いこだわりがある様だ。

 棍術はしなりを利用した攻めと堅実な守りという割とシンプルな構成の型であった。

「棍術はあまりかっこよくないですね?」

「私でさえいまだに奇怪と思う構えをカッコイイっていっちゃうトールちゃんには同意しかねるけど、まぁこれがシンプルなのは初めのうちだけよ?」

 にやりと笑ったアルゴの意味深な言葉の意味が分かったのは守りの型を習得した後である。

 

 同系統の武器による攻撃に対し、棒の中心で防御するという内容の型の練習中それは起こった。

「よっし! 本命の型にいっちゃうわよトールちゃん!」

 竹棒を縦に振り下ろしながらそう叫ぶアルゴに、困惑しながらもトールは両手に持った棒の腹で受け止めようとする。

「今回は先に謝っとくわ! ごめんね!」

 竹棒がぶつかった瞬間にその部分がぐにゃりと曲がり、トールの顔に竹棒の先端が思いきり当たった。

「むぎゅ!?」

 くぐもった悲鳴とも鳴声ともつかない音を発し、トールは当たった衝撃に従って後ろ方向へ倒れる。

 しばらくして棒を杖代わりにし、立ちあがった彼の顔には竹棒の先端部分の丸い跡がくっきり残って、その中心にある鼻からは血がとめどなく流れていた。

「これがこの武器の本来の姿よ」

 トールの顔に一撃を与えたアルゴの竹棒は三分割され、それぞれが鎖で繋がれた奇妙な形状になっていた。

「三節棍……?」

「あら! 博学なのね」

 鼻血をアルゴに拭われながら、トールは奇妙な竹棒の名前を言い当てる。

「いや、正確に知ってるのはもっと関節部分多いし何か電気出るけど…… あっ! オーラパワー繋がりじゃん!」

「うーん、時折トールちゃんは理解出来ないこと言うけど、オーラとは関係ないわよ?」

 武器の名前を当てた次には訳の分からない関連性を持ち出され、一応そこの部分は否定しておくアルゴ。

「ハハ、三節棍にまつわる自分の話は置いておくとして、それホントに三節棍?」

 偏った知識として知っていても実物は勿論まして使用しているところなぞ見たことも無い。

「ホントに本物の三節棍よん」

 見る? と近づいてきたアルゴにさっきのお返しとばかりに一発浴びせようと突きを放つが、あっさりと三節棍により棒を絡めとられ、その勢いのまま遠くに投げられてしまう。

「わー、三節棍とか初めて見ましたよ!」

「おぉ、不意打ちしといてそんな風にスルーしちゃう子も初めて見たわよ」

 

 

「そういえばトールちゃん、さっき三節棍渡したとき仕組みどのぐらい分かったかしら?」

「んー? 鎖以外は金属部品使ってないんだなぁって」

 真新しいたんこぶをこさえた頭で思い出しトールは答える。

「なるほどねぇ…… 念のため聞くけどぉ、ここらで武術の修行やめてもいいのよ?」

「ここまでやっといてそりゃないよアーちゃん」

 急に修行の終わりを提案するアルゴにトールは考える間もなく断る。

「そっか、それじゃあ三節棍の技を教える…… その前にすることがあるわ!」

 それは、とアルゴはすぐには答えず間を置く。

 一体何なのかとトールは胡坐から正座になり続きを待つ。

 

 

「それは…… まず三節棍を用意することよ!」

 正座の姿勢で顔面から落ちた。

 

「当たり前でしょう素敵なアーちゃん先生? って顔してるわねぇ、うつ伏せで分からないけど」

「いや、あったりめぇだろアーちゃん? って顔してるぞ、今の衝撃で鼻血が再発して血塗れで分かり辛いけど」

 そこは先生付けてもいいじゃない! とアルゴはいじけたがトールが鼻血を拭い終わる頃には持ち直した。

 

「実はこの三節棍はね、私のお手製なのよ」

「えっ、免許皆伝のときに師匠から渡された形見の品とかじゃないの!?」

 彼の中で勝手にあった竹棒を渡すと同時に力尽きる血だらけの老師と涙ながらにそれを受け取る在りし日のアルゴの光景は音もなく崩れた。

「そんな大げさな話しじゃないわよぉ、というかただでさえ過疎ってる流派で師匠殺しで免許皆伝とか悪夢よ」

 何だ期待して損したなぁ、という言葉がトールの顔に浮かんだ。

 

―― それって期待通りの展開なら私を殺さなくちゃいけないことに気付いてないのかしら?

 

 勿論気付いてはいない。

「で、手製だからもしや自分で三節棍用意すんのが第一段階だーってことですか?」

 しかも無駄に引き延ばしたため察せられた。

「ええ…… 今から教えるからパパッとつくっちゃいましょ」

 

 武術最終段階はこうしてどうでもよさげに始まった。



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友達ところにより先生2

「……ゴホン! ということである程度の太さがあればくり抜きの問題は楽に解決できるから、やっぱり大事なのは関節部分なのよねぇ」

 最後は若干声が掠れながらも三節棍の作り方を懇切丁寧に口伝し終えた頃には、真新しい三節棍がトールの手元にあった。

 ちなみに関節部分は鎖でなくとも丈夫な紐状のものならいいとのことなので自分の糸の束を使うことにした。

 関節部分は組み木に近い作りになっており、普段は一本の棒だが特殊な捻り方によって分解する仕組みになっていた。

 しかし、完全に固定されておらず意図的に遊び(・・)が設けられている。

 この遊びこそ最大のポイントである。

「私達の流派の棍術はしなり(・・・)が特徴であり重要な技よん。この関節部の余裕がどんな棒であれしなりを生み、元々しなるものは龍の如きうねりを可能とするというワケ」

 ただし、龍を飼いならすのは骨が折れるわ…… 最後の言葉はトールにではなく己に言い聞かせるように呟いた。

 

「ああ、一応言っとくけど三節棍の作り方は門外不出の技術なのよ? 故意に教えたり、免許皆伝に至るまでに挫折したら原則として口伝した師匠がア・レしちゃうの。 何かここまでで質問とかお願いがあったら聞くわよ?」

「何故それを先に言わなかったっていう質問と、それを先に言って欲しかったってお願いがありましたね」

 笑顔で言ったが彼の目は笑っていなかった。

 

 三節棍の技は熾烈を極め、彼の裁縫中毒生活に影響を与えるほどであった。

 具体的には筋肉痛で針も握れず、そもそも修行が終われば箸以外の物を持ちたくないほどに疲れ、風呂なぞ湯船で寝てしまい溺れかけるほどであった。これでも【絶】で回復力を速めている。

 そんな状態であるがトールの生活している場所は密林のど真ん中もいいところだ、そんな状態ならば二日に百回は死ぬ。

 ではなぜ彼は死なないのか? それは一重にアルゴのおかげである。

 彼? の厳しい修行と裏腹に行われる介添えの光景は子育てに精を出す父親か母親のソレだった。

 慣れるにつれ並行して【念】の修行さえ開始出来るほどになったが、それでもアルゴはトールの生命線だった。

 

 雨風日照り、ときに野生動物の群れと牙をむく自然なんぞお構いなし、たまに三節ではなく二節のヌンチャクをフェイントの様に持たされたりと熾烈かつ何処かとぼけた日々は続きそして――

 

 

 猛禽類を思わせるような甲高い風切音を伴う三節棍の回転は、腕の動きひとつで途端に獲物に食らいつく蛇の如き鋭い突きの一撃となった。

「どうですかアーちゃん先生……」

「んー…… おめでとうトールちゃん、合格よ免許皆伝!」

 オマケと言うか、どう考えても温情合格であったが気にせず、そもそも気付かずトールは素直に喜んだ。

 

「あれから【念】の修行もはかどったってもんだな」

 長く辛い修行だったが、武術の修行は【念】の修行のあくまで一環であるという認識を彼は最後まで崩さなかった。

 それを体現するかのように、彼は武術の修行開始前までまったく維持できなかった【練】の応用技たる【堅】で己の身を纏った。

「ありがとう、アーちゃん先生」

 感謝の言葉に返ってきたのはどことなく微妙な表情とぎこちないサムズアップだった。

 何故こんなにも微妙な表情なのか? それは【堅】を始めとする習得理由にあった。

 

―※―※―※―※―※

 

「こうなったら最終手段! 趣味の時間に【念】の修行をぶっこんじゃいましょう」

 突然アルゴはトールにそう言い放った。

 

 あれから武術の修行にも慣れ、並行して【念】の修業を本格的に再開してしばらく、一向に成長の兆しが見えないのだ。

 髪形変えて染めただけで【練】が出来た男なのだからと【練】を【纏】で留める応用技【堅】をさせたが、五分も続かなかった。

 しつこいようだが彼がすぐさま【念】が使えるのはその半身であるアラーニェのおかげなのでその後、急激に成長しないのは当然である。

 そんなことは知らず、アルゴは彼を追い込む形での修行を提案した。

 

「裁縫できる時間はトールちゃんが【堅】をしている間だけとします!」

「え……」

 トールの至福の時である『裁縫』の時間に制限を掛けたのである。

 まさに今、武術の修行の合間に裁縫をしているトールはその言葉を聞いて針を落とし、瞳の光は消え失せた。

「ヒドイ…… それは蜘蛛の脚を使わず手だけで裁縫をする練習をして倍近い時間有してしまう今の俺に対して何たる仕打ちですか!?」

「私も心苦しいわ…… っえ、脚使わずってことは地味に私と会った時から練習してたってことかしら!?」

 どうでもいいが実は蜘蛛の脚に頼らない裁縫の練習期間はもう二年ほどとなる。

 さらにどうでもいいが、アルゴはこういった仕事だと汚れるという理由で仕事中はオシャレなぞ二の次というスタンスの服装だったが現在は幾らでもトールがオーダーメイドで服を作ってくれるので格段にオシャレになった。

 トールの方もアルゴが要望する度に作れる服のレパートリーが増えるし、なにより着てもらえるため文句どころか感謝をしているのが現状である。

「トールちゃんは【纏】のときみたいに趣味が絡むとツボにはまるタイプなのよ。 だからこそ、この方法ならすぐ伸びるって私は思ったワケ!」

「んー…… でもなぁ、裁縫できないのはねぇ」

「それじゃあ、ちょっと恥ずかしいけど【堅】をしている間だけキッスをしてあげ……」

「よし、多少の時間的犠牲はやむを得ないね、うん!」

 恥じらう仕草と熱い視線を送るアルゴを見た瞬間、己が貞操と趣味の二つを天秤にかけ、犠牲とするものは趣味の時間の方だと決まった。

 

 やり始めに数本の千本草を指二本で折ってしまった以外は力加減をすぐに掴み、何事もなく【堅】の状態で裁縫は開始される。

 しかし、二・三分ほどで彼の額には汗の粒が見え始める、裁縫をしていても限界なのかしらとアルゴが思ったそのとき

「…… しゃーないな」

 そうトールが呟き、数回肩を回した次の瞬間には背中から八本の脚がメキリと音を立ててその姿をさらす、一本一本が鋏のような先端をしており器用に糸付きの針を掴むとかなりのスピードでそれでいて複雑に動いてゆく。

 その急な人外の動きをみて呆然として己の時を止めるアルゴと正反対に、トールの脚と手はスピードを増してゆく。

 そしてその動きも止まると同時に【堅】も途切れ、彼の手には縫いかけだったものは深緑色のそれは立派な作務衣となり完成していた。

「よしッ!」

「『よしッ!』じゃないわよ!」

 直後アルゴの拳骨がトールの脳天を襲う。

「何すんだアーちゃん先生この野郎!」

「そこは【堅】の時間伸ばすようにしなさいよ! 裁縫の技術上げて時間内に収めてどーすんのよ!?」

 まったくもってその通りであった。

「あと、野郎はないでしょうが!!」

 それは納得出来なかった。

 

「脚使うの禁止ね」

「御無体な!?」

 

 その後しばらく、トールは裁縫時に抗議するように脚をわしゃわしゃと動かすようになった。

 しかし、「虫なんて豪快に潰しちゃうワイルド系乙女には通用しないの♥」とまるで家に出た害虫感覚で引っ叩かれた。軽めの【硬】で。

 

*

 

 脚を禁止して以降、トールの【堅】は目に見えてその時間が伸びた。

 恐るべき執念である。

 

「ねぇ、トールちゃん?」

「どうしましたアーちゃん先生?」

「今最低合格ライン超えたわよ」

 トールは何のリアクションもしなかったのでアルゴは首をかしげたが縫っていた青色の色無地が完成し、針を置いたところでゴールを決めたサッカー選手の様なアクションをする。

 職人としても成長をしたようである。

 釣られて嬉しくなったらしいアルゴがハグをしてきたところでようやくトールは冷静さを取り戻した。

 

「さーて、ひとしきり喜んだところで早速【念】の修行その三と洒落込みましょう!」

「え? 早くない?」

「オーラに余裕がありそーだし、次はトールちゃんにとってやることは楽な奴だと思うからよ、【凝】を解禁するわ」

 ギョウ? なんじゃそりゃと一瞬思ったトールだが、【念】を覚えた初日にやってたなーと思い出し、あの時の感覚を頼りに目にオーラを集中させる。

「本来はこっちの方を【堅】より先にやるんだけど、トールちゃんは【凝】に関しては最初から難しいのをやらせちゃうわ」

「これで幽霊とか視るんですか?」

 急に霊なぞ言ってきたトールに面食らうが、違うと否定する。

「イケメンの守護霊なら大歓迎だけど関係ないわよ、これはよーくオーラを視る技で【隠】っていう技で隠されたオーラを見抜くのが一般的な使い方よぉ。一旦【凝】を解除してみて?」

 言われた通りに【凝】を解く。

「私が何してるか視えるかしら?」

「んー? なんか靄っぽいのが視えます」

「……アレ? ……ふぅ、これでどう?」

 見た通りの事を伝えたら妙にアルゴが焦ったが、もう一度見るとアルゴの周りには靄も霞みも掛かっていなかった。

「何も視えないです」

「そっか…… 私が衰えたんじゃなくて、トールちゃんが鋭いのかしら?」

「どしたのアーちゃん?」

 ぼそりと呟かれたアルゴの台詞をトールは聞こえなかった。

「いいえ何でもないわよ、気を取り直して今度は【凝】で私を視て、舐め回す様に視ても良いわよぉ……」

 誘惑するようなポーズをするアルゴに、目を反らせないどころかじっくり視るなぞどんな拷問だよと思いつつ後半以外言われた通りに【凝】でアルゴを視る。

 すると、先程まで【纏】も何もしていなかったアルゴに【練】状態のオーラが視えたではないか。

 セクシーポーズと合わさり無駄に迫力が増して不気味なこと此の上ない。

「これが隠す技術の【隠】で、それを見つける技術が【凝】よ。わかったかしら?」

「分かりました!」

 返事と同時に目を反らす。 辛いのだ、精神的に。

「いい返事ね、じゃあ今度は【凝】で裁縫ね? それが出来たら次は手とか足とかに【凝】をするの。それとご飯食べてて食休みしたら武術をしましょうね」

 後に目以外の場所の【凝】は可もなく不可もなくと言った状態と分かったが、それでも裁縫による飲み込みの速さは健在だった。

 それでも全てを裁縫に関連させるのもどうかと思い、ならばと花嫁修業を余すことなく【念】修行に応用する。

 例えば持っている物体をオーラで覆う【周】の修行の一環として、包丁とまな板に【周】をする事を行った。

 これが存外難しい。 包丁側にオーラを込めすぎればまな板ごと切ってしまい、ならばとまな板側にオーラを多く込めれば食品ごと覆ってしまい刃が通らないのだ。

 それでも料理の時間が延びれば腹が減るし裁縫の時間も少なくなる。

 趣味と食に関して彼の上達ぶりは眼に見えて早かった。

 

 一方武術方面のアプローチではほとんどコツを掴まなかった。

 型を教えて演武をするさまは中々なのに、組み手をすれば途端に下手以下と化すのだ。

 アルゴをしてカカシと言わしめたその棒立ちっぷりは最早伝統芸能の域であった。

 

―※―※―※―※―※

 

 過去を振り返り、主に組み手での失態を思い出してアルゴは未だ微妙な顔をする。

「そうねー、合格って言っておいてなんだけども、武術はともかくトールちゃんは【念】に関しては良く出来たと私も思うわ」

 持続時間だけでなく精度も上げるために裁縫中にアルゴがおもむろに念弾を飛ばしたり、【隠】で描かれた【念】の文字を読ませたりその他色々な課題を並行して与えていた。

 武術で【念】を習得したと言える【流】も組み手で全く出来ていなかったが、リラックスしているときに関しては割とうまい。

「そうですね、【発】の修行に関してもいい感じじゃないですかね?」

 言われてアルゴは幾分かマシである【発】の修行を思い出す。

 

―※―※―※―※―※

 

 粗方の【念】を花嫁修業によって体得した頃、トールは【発】の修行も本格的にすることとなった。

 その時間は当然裁縫の時間から捻出された。

 

 

 まず自身のオーラの系統を知るべく心源流に伝わる判別方法、水見式を行う。

 

 余談だが過疎化して存続危うい流派なのに何故心源流の方法を採用したのか質問したところ、一応オーラの性質で色の変わる草のエキスを染込ませた紙を用いる方法があるが草が希少で高いらしい。

 

 そういった経緯で他流派の方法である水見式によるオーラ診断を行うこととなった。

 まずは見本とアルゴが持っていた自前のコップに水を汲み【練】を行うと一瞬のうちにコップの水が底も見えない程真っ白に、つまり放出系の反応を示したのだ。

 ならば自分はと【練】をすれば小屋の中でなかったら風のせいでは無いかと思われるほど弱々しく葉が動いた。

 それでも確認のためもう一度行った結果、葉は同じ様に動いたためどうやら操作系らしい。

「まずは水見式の反応が顕著になるくらいに日がな一日コップとにらめっこする日々ね」

 コツは【練】を強めるのではなく真っ白い画用紙に好きな色を塗るように自分の我を込めるそうな。

 これに関しては裁縫一切抜きでコップの葉を通して自分を視る様に【練】を行い続けた。

 【練】の修行時の様にマンガの似たシーンの台詞を叫んだり戦隊ヒーローの真似したりと時に迷走し、たまに五月蠅いとアルゴに思いっきり拳骨されたりといった日々が続き――

 結果がコップの水をまき散らしながらコークスクリューの様に回転する葉であった。

 

―※―※―※―※―※

 

 そこから彼はオーラで強化した千本草でひたすら地面を掘り、その穴の底で逆立ちをし放出したオーラの反動で上に戻れば穴を掘ってできた土を操り埋めて、物質化させたオーラでならすといった【発】の修行などをすることとなる。

 その過程で自分が操作系以外では次いで放出系の習得がよかったらしく、アルゴ曰く放出系側によった操作系との事。

「そして見よ! この修業成果を!!」

 手首にオーラを集中させ、自身の斜め上にある木の枝目掛けて中指と薬指を掌に押し付けた奇怪なポーズをした手を突き出すとオーラを纏った蜘蛛の糸が勢いよく発射され、枝に命中した。

 二回ほど糸を引っ張り強度を確認すると、糸を手繰りつつ一気に前へと跳ぶ!

「ア~アア~!」

 ここまで蜘蛛のヒーローの模倣をやっといて、その雄たけびを上げるのはいかがなものかと思うことなく木から木へと飛び移り、半円を描く様に移動すると元の位置へ戻ってきた。

 

「どーですか! アーちゃん先生!!」

 オーラの放出と物体操作により、遂にトールは蜘蛛の糸を自力で飛ばすことに成功したのである。

 

「…… うふふ、武術はさておき成長は褒めちゃうわ。それじゃ、今度は最速でお昼ご飯を捕ってきてちょうだいな」

 了解と返事をしてトールは蜘蛛の糸のターザンロープで瞬く間に獲物を狩りに行く。

 それを見るアルゴの顔は成長した子を見るそれだった。

 

*

 

「なぁ、アーちゃんってハンターだけどさ、なんのハンターなんだ?」

 何かの獣の肉と野草の汁物を喰いながら何となく聞いた。

「うん? イイ男ハンター兼、受けた依頼をこなす依頼ハンターよ。と言っても協専ハンターと違って自分から情報屋とか通じて依頼を受けるけど、ぶっちゃけちゃうと何でも屋と実態はほとんど変わんなかったりするのよね」

「へー…… イイ男ハンターは別として仕事仲間とか友達とかいないの?」

 やけに自分の事情を聞いてくるなとアルゴは不思議がったが今更そんなことを遠慮する中でもあるまいと素直に、むしろどうして今まで話題に上がらなかったのだろうと思いながら答えることにする。

「仕事仲間は、ハンターやってる友達はちょっとしかいないけど仕事も頼まれるくらいに仲のいい趣味の合う友達なら結構いるわよ」

 趣味の合うの部分で何を想像したのかトールは小声で「うわぁ……」と呟いたが、幸いにもアルゴには聞こえていなかった。

「でも、急に私の事聞いたけど…… もしかして私に興味が沸いちゃったのかしら♥」

 いえ違いますと首が千切れるような勢いで横に振り即座に否定する。

「いや、アーちゃんがここに来て友達兼先生になってから二、三年くらい経つけど誰も心配しないのかなぁってさ」

 時が過ぎるのは早いものねぇ、としみじみしながらに汁をすすったアルゴは数年単位で時が経過した事実を完全に理解すると盛大に汁を向かい側にいたトールに吹き出した。

「きったねぇな!」

「ゴホッ! …… ごめんなさいねトールちゃん、そんな時間経ってたなんて思いもしなくって!? 子育てってホント熱中しちゃうものなのね!」

「子育てって……」

「もしかして頑張ったら母乳でるかも」

「唯でさえ水見式で白濁した水作れるんだからやめてくれません? というか何を焦ってるんだ?」

 

 焦っているのか詳しく聞くと、どうやら定期的に連絡を取っている情報屋が連絡のない自分を死んだものとして扱えば依頼が受けれず、このままではハンター業(無論、依頼ハンターの方)に支障が出るとのことだ。

 それでなくても友達に心配を掛けていることも焦りの一つだ。

 金の問題ではないらしいところがまた凄い。

 ケータイで連絡すればと言ったが、情報屋の方は直接会うのが鉄則らしい。

 実際に探して会い、詫びのしるしに幾つか割に合わない依頼をこなさなければならず数ヶ月はここにこれないらしい。

「それまでのんびり裁縫したりして待ってるさ!」

 笑顔で言ったその言葉は

「どっこい、【念】の修行最終段階をしてもらっちゃうわ!」

 同じく笑顔で言われた言葉に叩き潰された。

 

*

 

『己の【発】を完成させろ』

 

 【念】の修行はデフォルトであるとして。

 これが最後の修行内容であった。

 蜘蛛の糸を飛ばすのはそれはそれでオリジナル技だが、応用技に近いものであるらしい。

 とりあえず操作系に属する能力かつ実戦を想定してという注文付だった。

 といっても必ずそういうものでなくてもいいらしい。

「自由な発想が大事よん」

 去るときにウインクと共に言った言葉である。

 

―― そもそも実戦ってなんだ?

 

 詳しく聞く前にアルゴが飛び出したため、よくは分からないが自分の将来に関わるらしい。

 服作るのに戦闘能力っているのかと疑問に思ったが、もしやRPGよろしく幻の材料を仕入れるために秘境に行くのがこの世界の職人のデフォルトなのかと思いつく。

 が、すぐにそういった事を代りにこなしてくれるハンターと言う職業があると思い出す。

 

 ではなぜ、何故と頭から湯気が出るほど考えたトールは――

 

―― 自分の店は物理的にも自分で守れってことだなアーちゃん!

 

 という結論に至った。

 そうと決まればとトールは数少ない実戦に入るやもしれないアルゴとの組み手を思いだし、念能力のヒントを探ろうとする。

 

―※―※―※―※―※

 

 組み手の休憩時間中、頭のたんこぶを摩りながらトールは退屈そうに座っているアルゴに声をかける。

「俺の実力ってどう? 詩的に言って」

「最高の素材が織り成す残念なハーモニーってところかしら?」

「一言でハッキリ言うと?」

「弱い」

 どストレートだった。

「どこがどう弱い?」

「そうねー、まず攻撃に対して身が竦むのがひとつ、かろうじて防御しても予想外の行動にやっぱり驚いちゃうとこもひとつ、先を読ませない変幻自在さが強みの私らの流派の技を生かしきてないどころか頭真っ白になっちゃって単調な動きで強みを殺してるとこもひとつ……」

 他にも【流】や【周】のみ意識すれば妙にうまいのに体術と組み合わせると途端に三流以下に成り下がる等など問題点のバーゲンセールがこの日開催された。

 

―※―※―※―※―※

 

―― 欠点しかねぇじゃん!

 

 思わず木が縦にヒビ割れるほどに頭突きをかましてしまった。

 トールの考える通り、彼に戦闘面におけるキラリと光るものなぞ無いどころかどす黒い闇が広がっていた。

 唯一の戦闘に関係するやもしれない能力は、幼い頃から戦隊ヒーローやライダーの変身ポーズ等の模倣から培ってきたカッコよく言って『演武』くらいである。

 彼の型の一つ一つはとても綺麗であり魅せるのだ。

 演武がうまかったからこそ彼は温情合格でギリギリ免許皆伝したのだ。

 ちなみにちゃんと道場で習っていた場合トールが免許皆伝に至るのは今の習得状況から判断するに人生全てをつぎ込んでギリギリである。

 

―― 真似とかなら得意なんだけどなぁ……

 

 トールは思いつく限りの知っている動きを再現する。

 それは最近習った型だったり、子供の頃から真似した歴代ヒーローのポーズだったり果てはアルゴのセクシーポーズであったり脈絡も考えもなく体が覚えている動きを半分無意識に行っている。

 辺りが暗くなっても終わらず、結局空腹に耐えきれなくなったところでようやく彼の動きは止まった。

 

 この日からアイデアが浮かばなかったトールは同じことの繰り返しの日々となった。

 元から一つの事に全神経を集中し、他の物事を疎かにするきらいのあったトールは裁縫さえすることをさえも億劫になり、生活が成り立たなくなるギリギリのレベルまでいってしまった。

 これが不測の事態に対して硬直までしてしまうほどの異常な弱さに繋がっているのだが、当の本人は気付かない。

 

 朝起きたら【纏】をして【練】して【堅】をして系統別の【念】をして、それが終われば答えのない問題を前にひたすらに動き続ける。

 早朝の【念】修行が行えるのは頭でなく体が覚えているからだが、徐々にだが確実に精度が落ちてきている。

 

 遂に食事までも疎かになってきたのだ。

 

 始まりという最も大切な期間を一人で生きた弊害が、没頭という病気となって彼の生命を静かにだが確実に奪おうとしているのだ。

 

 そんな状態で延々体を動かし続けることなど出来る訳もなく、彼はその場で大の字に倒れた。

 血錆蜘蛛特有の空腹のサインである真赤な眼が爛々としているにも関わらず、頭にあるのはそれでもまとまらないアイデアだった。

 

―― ……

 

 やがて考えることも出来なくなった彼は、力なく目を瞑ったが――

 

「シァアアアアアッ!!」

 変わるように化物の口と複眼が開かれた。

 数年ぶりに外へ出た本能の塊である。

 

 大蜘蛛はあのときから変わらぬ生への執着心によって森を駆けまわる。

 しかし、その動きは以前とは比べ物にならなかった。

 一瞬の【練】による脚力の強化によって得た加速を利用し、【絶】の気配遮断で移動するそれはまさしく化物。

 蜘蛛化して一分足らずで、大蜘蛛は獲物を見つける。

 

 それは奇しくもこの世界に産み呼ばれ、最初に喰った獣と同じ種だった。

 

 そして同じ様に跳びかかり、喉元に食らいつく。

 

 しかし、あの日と決定的に違う点がもうひとつ……

 今の大蜘蛛は疲弊しきっていたことだ。

 

「グルルルァア!!」

 極限の空腹と疲労に力を失った牙は、命を喰らうまで至らず獣の鉤爪に腹部を抉り切られながら吹き飛ばされた。

 そのまま一本の木にぶつかり、木を曲げ赤く染めながら重力に従って力なく木にもたれかかるように落ちる。

 そして大蜘蛛の姿は徐々に小さくなり、最後には背中に鉤爪と分からないほどの切傷を負った子供の姿に戻ってしまった。

「あ…… ぐ、あぁ……」

 傷の痛みと失血、そして極度の空腹により白濁した意識の中、トールは目の前の木を支えによろよろと立ちあがり獣側を向く。

 時が経つにつれ死に近づいたからなのか、はたまた死から遠ざかるためなのか徐々に痛みの感覚が無くなってきたため彼は何とか立ちあがれたのだ。

 しかし、立っただけだ。

 なけなしの命が直接細胞に命令しているかのように、ただ立ったのだ。

 

 待てば死ぬ、誰が見てもそれは明らかだった。

「グルルルァア!!」

 ただ目の前の獣はそれが分からぬほどに錯乱していた。

 もしかしたら自身をここまで傷つけた目の前の化物が、自分に限らず種族全体の脅威となると感じ敢えて傷の回復に回す体力を殺す労力に変えたのか、しかしどちらであってもトールを殺すという選択肢に変わりはなかった。

 吹っ飛んであいた距離など感じさせず、寧ろ助走をつけるいい状況であると言わんばかりに加速した獣は最高のタイミングで自身のトップスピードをもって間合いに入り、トールの血と自分の傷から流れる血で濡れた鉤爪で容赦なく頭を狙った一撃が放たれた。

 

 木が倒れる大きな音が響き渡る。

 しかし、倒れたのは木だけでありトールは依然としてその場に立ち続けていた。

「……」

 別に獣が攻撃を外したわけでもトールが幽霊の様に触れられなくなったわけでもない、単純にトールが攻撃の瞬間にフラリと頭を下げ回避したのだ。

「グル、ルルァア!!」

 獣はなお諦めず何度も爪を振り下ろすが、まるでその風圧でよろけるかのような動きで全て回避する。

「……」

 トールは満身創痍だというのに苦しがるような様子も表情もなく不気味なほど静かで無表情だった。

「グルアアアアアァ!!」

 それと正反対にまるで攻撃が当たらないことに業を煮やしたかのように、獣は喉の傷から血が噴き出すほど吠えるとそのまま跳びかかった。

 

 少し遅れてトールもまたふらりとした状態から想像できないスピードで獣に向かって跳びかかった、しかし真正面からぶつからず体を捻り込んで牙と爪を避ける。

 そしてそのまま彼は蜘蛛の方ではなく己の人のそれと変わらぬ口を大きく開き喉元の傷に噛み付いた。

 ただ噛み付いただけではない、傷の中に顔を突っ込みそのまま肉を喰らっているのだ。

「ギ、ギギギャガガガァアア!!」

 血を吐きながら奇怪な声を上げ、獣は何度かその場でトールを振り落とそうと跳ね続けたが、やがて膝をつき横に倒れる。

 生きたまま喰われるという壮絶な最後を味わったその眼からは血が涙の様に流れていたが、やがてその眼は体の奥に引っ込む。

 トールが内側から目の視神経を引っ張り喰らったからだ。

 生のまま肉を、内臓を喰らい、喉が渇けば血を啜る。

 すでにトールの意識は攻撃を回避するところで途絶えていた。

 では今どうして動いているのか? 本能の象徴たる蜘蛛化もせず動いたあれは何なのか、それは誰にも分からない。

 

 獣を喰いつくし、その空になった腹の中で眠るトールの四肢には痣が出来ていた。

 

 それはまるで糸が巻き付いたかのような痣だった。



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友達ところにより先生3

 

「トールちゃん、元気にしてたかしらー?」

「あれ? 割と早い帰りだねアーちゃん」

 トールの凄惨たる食事から二日後、木の上の小屋にアルゴが帰ってきた。

「土産話のひとつぐらい持って来た?」

「実はまだお仕事中なんだけど、一旦帰って来たのよ。 それと土産話はさておきちゃんとお土産はあるわよ」

 そう言ってアルゴはトール手製のリュックの中から何かを取り出し、トールに渡す。

「ん? おお! ファッション雑誌じゃん!」

 それが最新の流行を網羅した本だと分かるとすぐさまページをパラパラと捲る。

「予定より早い帰りになっちゃったけど、課題はこなせたかしら?」

「んー」

 本に夢中になりつつも答えた。

「あら! 早いじゃない? じゃあ、本を読み終えちゃったら早速見せて頂戴な」

「ああ、これは後の御楽しみにして今見せるさ」

 そう言いつつもあとここだけ読ませてというトールにアルゴは母性溢れる笑顔で待ってくれた。

 

―――――――――*

 

 宣言したページも読み終わり、修業の成果を見せると言ってトールは立ちあがる。

「うし、じゃあさっそく見せるかな?」

「それって部屋の中でやって大丈夫なの?」

 必殺技とも言われる念能力は十人十色だが、中には必殺技に相応しく常人が出せる限界を軽く超えた破壊力を出す念能力もある。

 そんな能力を間近で見てきたアルゴは思わず口に出すが、トールは気楽な調子で大丈夫と言うばかりである。

「平気だよ。 んじゃ、見せるけどアーちゃん、好きな色は何色?」

「んー? そうねぇ ……強いて言うなら紫かしら」

「好きな模様は?」

「模様? ところでこの質問は発動条件かしら?」

 制約や誓約を課すことで念能力は掛け算式に強くなり、そのルールが多く、破った場合のペナルティが大きいほど強くなることもあるとトールに教えている。 

 故にアルゴはこの質問がその類いかと聞いたのだ。

「あー、能力にはそれが一応あるっちゃあるけど、これはそういうのじゃないよ?」

 そう言いながら、トールは戸棚を開け何かを探している。

「模様が無ければ好きな花でもいいよ」

「そーねぇ…… なら紫陽花ね、知ってる?」

 知ってるよー、と戸棚に顔を突っ込みまるで尻が答えているかのような姿勢になる。

「可愛いお尻だこと、眼福だわー」

 ぼそりと言ったそれはトールの耳に入らずとも、鳥肌を立たせるには十分な気持ちが込められていた。

 それも束の間、あったあったと言いながら戸棚から取り出したのは、物凄く濃い紫色のドロドロした液体が入った瓶だった。

 トールは瓶のふたを開け、指を突っ込み液体をつける。

 次におもむろに【練】をすると、舌を出し紫色の液体滴る指を舐める。

 袖をまくり、手首が見える様にするとそこにオーラを集中させる。

 次の瞬間には紫色の糸が物凄い勢いで噴出したのだ。

 

「よし……」

 そういうと目にも止まらぬ速さで手が、糸が縦横無尽に動く。

 糸は動きつつもその形があらわれ始め、それはまるで奇術師が何もない所から不思議と共に物を出すように、しかしそれでいて布で隠すべき秘密も無い力技な不思議現象である。

 

「かんせーい、紫陽花をモチーフにした家紋付きの涼しげな駒絽着物にしてみました」

 僅か数秒後にはその手に見事な紫色の和服があった。

 それだけでなく、肌襦袢や帯も完備している。肩を合わせるとサイズはぴったりで肌触りも良かった。

 

「服を一式瞬時に仕立て上げる能力、これが俺の【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)です!」

 

 裁縫という行為に対する思い入れがそのまま形となっていた。

「あら綺麗、…… って、肝心の戦闘用の能力は?」

 美しい和服に心奪われつつ尋ねるアルゴにトールは自慢気な顔を困り顔にする。

「一応あるけど、見る?」

「あるのね、どんな能力?」

「ここだと何壊すか分からんし、外で見せるよ」

 その言葉に嬉しそうに口元を緩める、どうやら殺傷能力はあるのだろう。

 

 言われた通りに先へ外に出ると、すぐ後からトールは棒を持って出てくる。

 その棒をアルゴに渡した。

「やっぱりトールちゃんは器用よね、私よりいい作りよ」

 渡された棒が三節棍だと分かり、触るまでそうと分からないほどのそのつくりをアルゴは褒めた。

 だが、念能力を見せるのになぜ自分に三節棍を渡すのか不思議に思ったアルゴは聞く。

「でもなんで私に三節棍を渡したのかしら?」

「単純に作りを見てもらいたかったのと…… 攻撃して欲しいからね」

 そう言いながら、トールは【練】をして構える。

 

 自分に三節棍を持たせ、自身は素手。しかも【念】あり。

 トールを最も間近で見ていたアルゴをして異常と思わすほどの状況を彼自身がつくったのだ。

「トールちゃん、死んじゃうわよ?」

「ぶっちゃけやりすぎたと思ってます、三節棍無しでお願いします」

 付け加える様に余り攻撃しないようにとも言ってきた、なんともしまらない。

「良い判断ね」

 ビビりと言われても仕方ない状況で、そう言ったアルゴだが少しばかり【凝】をした拳で殴ることにはした。

「ちよっと痛いわよぉ!」

 足に力を籠め、次の瞬間にはトールの眼前まで迫る。完全にその拳の間合いに入った。

 が、そのまま殴らずにフェイントを決め背後に回り込み裏拳を放つ。

 

「ッ!?」

 だが、ノーガードの背中に当たる直前、何かが拳と背中の間に割って入った。

 トールが背後に拳をまわしてガードしたのだ。

 次にはこめかみに蹴りを放つ。

 しかし、今度はそれを肘でガードされた。

 

 一旦距離をとるとアルゴは拳を開き、手刀のような形にすると体全身をまるで蛇の如くゆらりゆらりと揺れながら構える。

 

―― 防御するなら隙間から一撃当てちゃいましょ

 

 ゆえにこの蛇の如き構えをとる、どうやらアルゴは念能力そっちのけで武芸者として火が付いたようである。

 一方のトールは先ほどの拳と肘を見るのみで構えもとっていない。

 そこを指摘なぞせず好機とばかりに蛇行しつつアルゴは突きを放つ。

 以前までのトールならここで動かず一撃をもらうが、今は瞬時に対応し【流】で拳にオーラを多く移動させながら防御する芸当さえ見せた。

 しかしアルゴの突きはここで大きくうねり、あろうことかガードを通り抜け首の後ろに狙いを定めるに至ったのだ。

 急所以外の何ものでもないところに放たれた突きは肉に当たる感触はしたが、とても首とは言いづらい感触だった。

 

 それも当然である、なぜなら彼の突きはまたしてもガードされたからだ、肩で。

 

 それはそれで痛いでしょ!? と思わずトールの顔を覗き込んだが、ギョッとした。

「……」

 全くの無表情なのだ、ただ眼だけはこちらを見ているが感情というものを一切感じられなかった。

 

―― ヤバイ……

 

 腕を勢いよく戻した瞬間に脇腹に一発蹴りを放つが、バネのように上がった足の裏によってまたもやガードされた。

 

―― なら一撃の威力を上げるまで!

 

 ゆらりとした状態から一変して力強い動となり、直線的にトールへと突進するように走る。

 そして腰の入った拳がトールの腹に迫る。

 

 その瞬間、腹をへこませた上に体を極限まで折り曲げトールは回避した。

 もはや驚くことなどせず、アルゴは下がった頭をボールのように蹴り上げようとする。

 しかし、トールはくの字のまま後転し蹴りを回避した。

 あげた足をそのまま踏みつけの形でトールの頭目掛け追いかけるように放つが、トールは腕の力で後方斜め上に跳び避けた。

 距離をとり、できた僅かな時間にトールは初めて構えた。

 鳥を連想するその構えは主に空中技を主体とする構え、自分から仕掛けるようである。

 

―― 何時でも来なさい!

 

 アルゴは構えを変えなかった、向かってくるのなら叩き潰すのみ。静かに力を込める。

 そして、トールはアルゴの予想通り向かってくる途中、宙に舞った。

 飛翔からの蹴り、ならばリーチの差を生かしてがら空きの腹を狙う!

 

 そして放たれた蹴りと拳、しかしここでアルゴの予想外の出来事が起こった。

 

―― この子、拳に蹴りを当ててきた!?

 

 本来ならば頭部を中心に狙うその構えで、吸い込まれるようにアルゴの拳に蹴りを合わせたのだ。

 その反動を利用し、トールはもう一度別の足で蹴りをアルゴはまた拳を放つ。

 まったく同じ相殺を起こし、いざ根比べかと思った矢先――

 

 鳥がべしゃりと地面に落ちた。

 

 今度はどんなことをしてくれるのかと、ワクワクしながら構えるアルゴを前にトールは生まれたての小鹿の方がまだしっかりした足腰だと思うほどガクガクした足で辛うじて立つと無表情のまま、顔に見合った感情のない声でまいったと言った。

「へ?」

 急なギブアップ宣言に思わず声を出したアルゴだが、構えは解いていない。

 相手の感情が全く読めないからである。

 しかし、徐々にその無表情は痛みに歪んでやがて情けない涙目になった。

「イッテー! 無理、もう無理です! 肩も痛いし限界です!」

 先程までの威圧感はどこに行ったのか、そこには全身の痛みに悶絶する小さな者がいるだけであった。

 

―――――――――*

 

「なるほどね、それがトールちゃんの能力って訳ね……」

 結局痛みで動けないでいたトールを所謂お姫様抱っこで小屋まで運び、布団に寝かせて痛みを訴える両足と肩に濡れたタオルを当てた。

 しばらくして痛みも引いたところで、さっきの攻防の種明かしを聞いた。

 

――【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)

 攻撃に対し自動で『防御』『回避』『反撃』の何れかを行う能力

 

「正直最初は強い能力だなって浮かれてた」

 実際は使い勝手が悪かった、三つの行動のどれを行うかは事前に自分で選択しなければならず、選択を誤れば自爆する。

「考えたけど例えば、物凄い遅い代わりにその分パワーのある攻撃がきたとしても選択したのが『防御』なら絶対避けないし『反撃』で相殺なんてもってのほか!」

 逆に回避しても行動が終わるまでは反撃できないわけだ。

「ん? ずっとオートなの?」

「いや、攻撃が来たときオートで能力そのものは常時待機任意解除、【絶】状態でも内在オーラを勝手に喰って発動しちまう」

 唯一の手動はオーラ操作だけ、何にもしなければ【纏】状態のまま行動するそうだ。

「あら? 【練】じゃなくて【纏】なの? というか垂れ流し状態でも【絶】状態でも常時待機状態って【念】じゃなくて呪いじみてるわねぇ?」

「ちょっ! やめてってそういうこと言うのは! ただでさえモノホン見てた上に身に覚えのない変な痣が出来たし……」

 そう言ってまくってみせた手首と足首には確かに細い糸が何重も巻き付いたように見える痣があった。

「あらら、痣はファンデーションで何とかなるかしら?」

「いや問題はそこじゃないでしょ」

 なら別の問題個所はとアルゴは軽く考える。

「つまりは相手の【凝】どころか【硬】のところを【纏】ないし【絶】で殴っちゃう可能性があるってこと…… とんだじゃじゃ馬ねぇ」

「そーですね……」

 中々に難儀な能力であるが、自分相手に初めてあそこまで戦いが出来たのだ、使い方さえ間違えなければそう悪いものでもない。

「よーし、組手やっちゃおっか?」

「やめて下さい怪我人ですよ?」

 トールは一段と辛そうな顔をする。

「なら私のマッサージテクニックで極楽浄土を体験させてあげようかしら?」

「身体治ったわー、組み手しましょう」

 怪しい手つきで迫るアルゴを前に、どの選択肢でも死んだなこれと諦めながらそれでも組み手を選んだのだった。

 

―――――――――*

 

「はいじゃあ、その【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)は何があっても絶対他人に話しちゃダメよ? アーちゃん先生との約束ね」

「ふぁい……」

 攻撃を敢えて回避させ巨木に激突し、防御されたのをいいことに左手でジャブの嵐を叩きこんでいる間にオーラを右手に集中させ見え見えの一撃を当てられ、反撃しようかと構えれば【周】により強化された石を何発も投げられ全弾撃ち落とさせられた挙句念弾を撃たれたりと、能力の弱点と言える部分を突かれまくられた結果、傷だらけでオーラ切れ寸前になり倒れた。

 しかし、ただ負けたわけではなく何発かはアルゴに当たったし能力を解除して自ら一撃を当てに行ったりもした。

 ただ、彼の肉体のスペック(主に関節の可動範囲)を超える動きは出来ないことやそれでいて自身の肉体の損傷を無視するかのような無茶な姿勢や行動をすることも明らかになった。

 これらを前提にして出した結論が能力の完全秘匿だった、当たり前だが。

「能力は知っちゃった私がお墓まで持ってくからいいとして。 …… 逆にいい様に操られちゃう操作系なんて初体験よ私? ホント操作系の能力、っていうか【念】なの?」

「それ知っててよくあそこまで容赦なくハメ技しますね? あと【念】です純然たる【念】による現象です」

「いや、能力発動中のトールちゃんの無表情が何だか怖くて、防衛本能が働くっていうか」

 アルゴの言う通り、能力発動中のトールは不気味なほど無表情で攻撃を受けてもそれが変わらないのだ。

「ありゃ能力の副次効果だっつーの! 行動の妨げになんないように痛みとかそういうのが表に出ねーんだよ!」

 いらんお節介だがな! とトールは憤慨する。

 

―― 痛みよりどちらかって言うと、あの動けなくなっちゃう悪癖のためでしょうね

 

 アルゴは、そう推測するが口には出さなかった。

 無意識に悪癖をカバーするためにしたものかと思うが、トール自身考えずに言ったものと思われる「いらんお節介」という言い方にどうも得体の知れない第三者の介入を感じたからだ。

「ま、あの能力はいつの間にか出来てたオマケ的能力だからしゃーないとして、【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)の方も使いこなす修行しねーと」

「割と気になる発言だけどスルーしちゃうわ…… ところで【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)はどんな制約や誓約があるの?」

 もしかしたら危険な制約や誓約がある場合もあると心配し、聞く。

「ん~、まず俺の力量や糸の出せる限界を超える服を作れないのは勿論だけど、俺の知識や技術で作れないものは無理。 一旦自力で作ったりして練習してものにしないと」

「まぁ、当たり前っちゃ当たり前ね」

「あと何つーか特殊な力のある服とかは無理無理、そんで最低でも全体の三分の二は俺の糸じゃないとダメ、逆に俺の糸ならさっきみたいに直に出さなくてもストックの糸を使ってOKむしろ推奨。 んで生産できる原料は糸だけだからボタンとかは別途で用意しないと」

「あの染料舐めたのは何故?」

「直出しなら色つけるには染めたい色を一定量舐めなきゃダメってのは、オーラで微妙な色の変化をさせるのが苦手だから後付で付けたものだな、やっぱ習得難しいんだね六性図的に。これくらいかな?」

 つまり自分の糸で普通の服を一瞬で仕立てる能力であった。

「トールちゃんがお裁縫に人一倍思い入れがあるのは知ってたけど、まさか念能力に至るほどとはね……」

「まーね、でも俺の糸のデメリットが消えなかったのはちょっと残念だけどなー」

「デメリット? そんなのあったの?」

 デメリットとは聞き捨てならない、何故なら今やアルゴの手持ちの服は全てトール産だからである。

「ん? まぁ気を付ければいいだけなんだけどさ」

 そう言うと、机に置いてある糸を持ち、その反対の手には手首から糸を数センチ程巻き取って持つ。

「そしてまずはこの出してから充分時間の経った糸の端を囲炉裏の火に入れます」

 当然ながら糸は端の部分が燃え出し黒焦げになった、それでも市販の物よりだいぶ燃えるのが遅かったが。

「こっから本番、すぐ出した糸を端っこだけ燃やしまーす」

 端を囲炉裏の火に近づけた時、変化が起こる。

 糸がまるで肉が焼けるような音を立て溶けだしたのだ。

 それだけでなく、溶けだした部分が導火線の様に上へ上へと伝わり、熱いと言って離したトールの持っていた端にまで到達し、糸は全て粘り気のある白く濁った液体になった。

「これがデメリット?」

「そ、充分乾燥させないと火とか高温で溶けるんだよな蝋みたいに。ちなみに乾燥って言ったけど別に出したばっかのが湿ってる訳でないし水洗いしたら溶けやすい状態に戻ることもないけどさ」

 その乾燥に掛かる時間は大体二時間ほどだそうだ、さっき言ったストックの糸を使うこと推奨というのはこれを考慮しての事だろう。

「あと糸出しすぎるとすっげー腹減る」

 推奨の理由の大半はこっちのようだ。

 これらが現状トール自身が把握している念能力の全容だった。

「二つとも自分を操るタイプなのね、出した糸使って相手を操る能力とかは考えてみたの?」

「毛ほども考えなかったです!」

 長らく一人で生きてきたため、対象に他人という選択肢を入れる発想が彼には無かった。

 

―― 一応争いごとに関して心配は多少、ホント多少だけど無くなったとみていいかしら?

 

「なぁアーちゃん、いま思い出したけどさ、何でまた実戦を意識した念能力を~だなんて言ったんだ? 俺の将来に必要らしいから覚えたけども」

 あのとき聞きそびれたことを思いだし、いまトールはそれを聞いた。

「ええ、まずトールちゃんはここから出てお店を構えたいのよね?」

「おう! そろそろ夢に向かって歩きたいお年頃だし」

 一瞬の迷いも無かった。

「あら、トールちゃんって幾つ?」

「ここに産み呼ばれる前と合わせて21か22くらいですかね」

「…… 意外とお兄さんだったのね?」

 アルゴの思った約倍の年だったが、一度若返ったとか言っていたのを思い出す。

 が、成長期と思われる肉体であるにも関わらず会ってから数年経っても外見に髪を切った以外の変化がみられないことも思い出し深く考えないようにした。

 むしろ合法であると喜ぶことにする。

「そうね、ならもう少し経ったらハンター試験受けてプロハンターにならないとね?」

「おう! ……ん?」

 流れで返事をしてしまったが、なにか変な事を言ってると遅れて気付く。

「なして?」

「いい、トールちゃん? アナタが都会の中心でお店を構えて暮らして、いざその内に秘めた蜘蛛がバレたら魔獣認定で即ハンターが捕獲に来るわ」

 言われて思い出す自分が人外という事実。

「追い打ち掛ける様に言っちゃうけど国民番号がトールちゃんには無いし…… そこは流星街出身とかなんとかで誤魔化せることも出来るけど、やっぱりある程度の身分がないとどうにもならないときって社会には多々あるでしょ?」

 言われてみれば確かにそうである。

「そこでプロハンターよ! 有無を言わさぬ信頼を勝ち得るし、軽く人外な連中に紛れ混んじゃえばトールちゃんの異常性も分からないでしょ? 実際私という異端が社会でうまくやれているのもプロハンターという身分あってのものだしね」

「いや、この際アーちゃんがマイノリティーだっていう自覚があったんだという驚きは無視するけども流石にハードル高くない? 身分云々言う前に死んじまうぞ?」

 毎年プロハンターになる試験で何十何百と死傷者が出ると本で読んだことがある。

「そういうと思って、まず第一歩としてトールちゃんにお仕事を持って来たわ」

「お仕事?」

「身分はこっちで保障、ついでにうまくいけば強力なコネクションを手に入れられるかもしれないチャンス付き♥」

 うまい話である。

「うまい話にゃ裏があるものだけど……」

「そりゃね。 ほら、私最初にお仕事中だけど一旦帰って来たじゃない? 実はそれに関することなのよ、前から準備してましたみたいな風に切り出してごめんなさいね?」

 どうやら何か想定外なことがあったらしい。

「まぁ、私のハンター仲間がいるんだけどね、その人の知り合いが服のオーダーメイド専門のお店を開いたのよぉ……」

 あ、なんか嫌な予感するなとトールは感じた。

「それで友達が張り切っていいとこの人をお客として紹介したのね…… でも」

「不慮の事故で仕事が出来ないので代わりに俺が仕立てろと?」

 残念惜しいわ! なんて言いながらでも残念賞よと頭を撫でる。

「正解は『プレッシャーに負けて逃げちゃった』でした~!」

「んな逃げ出すほど心臓に悪い客相手に初仕事しろとおっしゃるか……」

 トールの顔は赤錆色の髪と正反対の青色と化した。

「大丈夫! 失敗しても失うのは私と仲間の信用よ、命じゃない分ハンター試験よりマシよ?」

「信用を失うのは『社会的な死』とも言うじゃんか!?」

 自分は無名なので信頼も信用もくそもないが、アルゴとその友達はプロハンターである。

「うーん、じゃあ断っちゃいましょうか? やっぱりほのぼのと片田舎から徐々にやっていく方がトールちゃんに合ってるもの」

「いや、NOとは言ってないよ?」

「トールちゃんのそういう何だかんだでやるところ、私好きよ?」

 この男、意外と野心があったりする。

「やっぱり男は度胸よねー」

 荷造りをするトールの背に愛嬌も持ってみない? と暗に『オナカマ』に誘うコールをしたがレスポンスは無かった。




 絶対ハンター以外で何かあったでしょうよ?


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山にはクモが掛かるでしょう1

 

「産み呼ばれて? 初めての航海と飛行船はどうだったかしらトールちゃん?」

「良いもんだな、魚とか案外捕れたし海の幸もここ何年と喰ってないし」

 船旅よりそこで食べた物の方に数倍関心があったのが実にトールらしかった。

「さっき乗った飛行船は景色良かったなぁ、飛行機と違って窓大きいしゆったりしてるし」

 飛行機と言ったとき何故だか微妙な顔したアルゴだが、伸びをしているトールは気付かなかった。

「んで移動はさておき、こっからどこに?」

「お仲間のハンターに会うのよ、お昼時だしレストランで待ち合わせしてるの」

 レストランかぁ、と目をキラキラしているトールに流石に店を喰い尽すような健啖家ではないがそれなり以上な食べっぷりなため赤字かしらとアルゴはある種の諦めの気持ちがあった。

 そんなことは彼の前では絶対に顔に出さないが。

 そうこうしているうちに、目当てのレストランへと着く。

 予想より豪華なためにトールは緊張するが、アルゴと共に入り彼が案内係に二言三言話すと彼らを奥の個室へと案内する。

 雰囲気からしてVIP対応かも知れない。

 そんなことを思いつつ上品な仕草で案内係が開けたドアの先に、アルゴの友達がいた。

 

「来ましたワネ。 マイフレンド、アーちゃん!」

「来たわよ~、キューちゃん!」

 その人は何というか小っちゃいオカメさんが派手なメイクとファッションをしてるというインパクトがアルゴに勝るとも劣らないであろう見た目をしていた。

 

 うわ、濃いなぁ…… それがこのアルゴの友達に対して思った率直な感想だった。

 

―――――――――*

 

「と、定番の挨拶はこれくらいにシテ…… アーちゃん、このカワ美い子はもしかしてお話にあった仕事をしてくれる子? アナタの若い燕?」

「そうよぉ、この子は私のお友達で大切な教え子♥ トール=フレンズちゃんよ」

 その肯定は前半のみか後半も含めてか問い詰めたかったが、紹介されて挨拶しないのは凄く失礼という意識と答えを聞きたくないという葛藤が「トールです、初めまして」と辛うじて挨拶した。

「アラ、礼儀正しいワネ! この子やっぱりカワ美いワ~!!」

「そうでしょ? トールちゃん、この人が私の友達のキューティー=ビューティーちゃん! 一ツ星(シングル)のカワ美ハンターなのよ!」

「気軽にキューちゃんって呼んでもいいんでスヨ?」

 手を差し出され、握手をするも彼の頭の中は「カワビ」? という謎のフレーズで一杯だった。

 出会って一分足らずだが既にツッコミを入れるべき個所が多すぎて何も言えない。

「あララ、ひょっとして無口なタイプかシラ?」

「あんまり人と会わなかったから人見知りなのよ」

「何それポイント高スギ!」

 女が三人寄れば姦しいだが、二人だしその内一人はオッサンである。

 そしてトールが喋らないのは人見知りのせいでない、どう反応していいか分からないからだ。

 結局仕事の話の前にご飯食べちゃいましょうと話は進み、こうして今ではテーブルに色とりどりの料理が置かれていった。

 

「見た目によラズ、中々の食べっぷりじゃナイ?」

「お恥ずかしいです」

 恥ずかしいと毛ほども思ってなかったが反射的に言った。

 こういった店では一品一品の量が少ないと思いきや意外と多かったのがトール的には好印象だった。

 出来ればゆっくりシエスタと洒落込みたいが、今回は仕事があるため真面目に話を聞く。

 話す相手が不真面目極まりない格好だが三年間インパクトの塊であるアルゴと寝食を共に過ごし、おまけに何かにつけ総出で土下座をして謝罪してくる一族と会っている彼は初めこそ驚いたがものの一品食べ終わる頃にはキューティーに慣れた。

「お腹も膨れたとこロデ、お仕事の確認をしまショウ。 仕事はワタクシの知り合いが逃げたのでその代りの職人として服を作る事デス、お客様はあのククルーマウンテンに居を構える暗殺一家『ゾルディック家』の奥様方ということでございマス! 質問はあるかシラ?」

「質問じゃないですけどお客の情報は今知りました」

「ごめんなさいね、普段は守秘義務とかは特には無いのにこれだけは受ける気が無かったら言えないの」

 どうやら暗殺一家だというのに情報を秘匿する気は普段ないらしい。

 その一家が秘匿とするというのは一体何事なのだと二重にショックを受ける。

「まぁ、友達の書物に地元じゃ有名観光スポットとか書いてあったの思い出したけど、なんで今回に関しては秘密なんだろう?」

 言っててトールは実際に寸法を測る都合上直に接触する危険性があるなと考え付く。

「奥様がスリーサイズは旦那にもトップシークレットと仰いまシタ」

「そんな理由かよ……」

 真面目なこと考えた自分が恥ずかしくなるぐらいのどうでもいい理由だった。

「ちょっとトールちゃん、乙女にとってスリーサイズは命と同価値のものにしてトップ・シークレットなのよぉ?」

「アナタもこの道で仕事をするのなら覚えておきなサイ!」

 この道を志す自分にとって否定出来なかった。

「で、アーちゃん。 別にアナタを疑う訳じゃなくて確認なんだケド、トールちゃんの腕前はいかホド?」

「そうねぇ、今私とトールちゃん自身が着ている服がこの子の作品ということと…… トールちゃん、今キューちゃんに服を仕立ててあげなさいな」

「ああ、それが一番手っ取り早いかな?」

 そんなに早く作れるの? と首を傾げるキューティーをじっと視る。

 少しだけ改良された能力は彼の霊視を変な方向に進化させ続けた延長線上に存在、彼女のヴィジョンを映し出し最適な物を知識から引っ張り上げる。

 次いでカバンの中から針や後付の小物などを取り出し、目当ての塗料を見つけるとぺろりと舐める。

 

―― 知識存在、色再現可、材料生産可、技術相応。 【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)発動

 

 そして彼の腕は二本でありながら蜘蛛の様に何本にもあるような残像を生み、その動きの中心でまるで何もない空間から引っ張り出す様に徐々に服が完成していく。

 そしてその途中経過を見ていれば、何時の間にか彼の手は止まり、その手には一着の服と何かがあった。

 キューティーのミニマムサイズに合った虎柄のド派手なタイトワンピと同じ柄の大きなリボンである。

「どうぞ」

 そう言ってトールはキューティーに服を渡す。

「正直驚きまシタ! 能力者なのは分かってましたケド、まさか服飾関係専門の念能力を持ってるなンテ」

 しかもこれカワ美い~!! と服を抱きしめクルクルとその場で回るキューティー。

「とりあえずその服は着る場合は二時間ほどおいてからで、その間高温で溶ける可能性がありますから」

「制約かシラ? ま、二時間ほどで溶ける心配もなくなるのならかなり凄い能力じゃナイ?」

「じゃ、合格ってことでいいわね? キューちゃんが気に入るのならかなりいい線いってるもの」

 カワ美いが何なのか今だよくわからないがそういった方面では一流らしい。

「文句ナシ! トールちゃんが合格なのがわかったとこロデ、仕事をするうえで何か要望はあるかシラ?」

「そうですね、糸と布はいいとしてボタンなどの小物は能力関係なしに自作なのでそこが自信ない所でしょうか?」

 骨を削ってボタン等を作ったことはあるが、流石に宝石やらチャックやらは自作とはいかなかった。

 それにしたって何の獣か分からない骨を使ったボタンなど身に着けたくは普通ないだろう。

「ああ、そこら辺は大丈夫よ。 キューちゃんが逃げちゃった子のお店にあるの持って来たから」

「元々ワタクシが用意した物だシネ」

 派手なピンク色のケースを持ってきて開けてみれば、なるほど確かに良い品質らしい服飾品が所狭しと入っていた。

 その様はまるで宝石箱である。

「今は一時半ね、そろそろゾルディック家から迎えの車がくる手筈になっていルワ、行きまショ」

 そんなことを言いながら外に出て見れば確かにお高そうな大きな車があり、中から執事服を着た見るからに執事が一人、中には同じくドライバー役が一人いた。

「キューティー=ビューティー様御一行ですね。 どうぞこちらに、ゾルディック家までご案内させていただきます」

 

―――――――――*

 

 現在トール一行は無事にククルーマウンテンのやや近く、ゾルディック家の私有地一歩手前の門までやってきた。

 何でも正式名称は試しの門だが地元では別名黄泉への扉らしい。

 そんな風に地元の観光局が紹介していますと執事が言っていた。

 そんな馬鹿でかい門の前に眼鏡をかけた執事が一人礼儀正しく立っている。

 ここまで案内していた執事が言うにはここから先は車は入れず申し訳ないが徒歩でお願いしますとのこと。

 そして、ここから先の案内は私ではなく目の前にいるゴトーなる執事が代わって案内するらしい。

 ゴトーは恭しく礼をすると、自分が試しの門を開けますのでと行こうとするところ、アルゴが止めた。

「ちょっといい? 試しの門なんて言われたら私、試されたくなっちゃったわ♥」

 一瞬引いたような表情をしながらもゴトーはすぐに表情を柔和なものにし、構いませんと門の脇に移動する。

 そして「えい♥」等と遠慮がちに片手で可愛らしく、オイなにぶりっ子してんだオッサンと思いながらも目をやると、扉は四番まで開く。

「アーちゃんもカワ美いワネ、わざと手加減してか弱さを演出しつつも開けるときにウインクをしてアピールも忘れない…… あの執事はアーちゃんの事、意識せずにはいられないこと必須!」

 横でそう分析するキューティーに色々突っ込みたかった。

 しかし、アルゴの事を意識せずにはいられないのは確かだろう…… 今晩、夢に出なければいいが。

「…… では、御二方もご自分で御開けになりますか?」

 表情は戻せても青い顔と一粒の汗までは隠せなかったゴトーは、そう言いながらこちらに向かう。

 門の向こう側とはいえアルゴの近くにいたくないのだろう。

「そうですワネ、では軽く」

 荷物を預かろうとするが片手で十分とキューティーは宣言通り片手で軽々三の扉を開ける。

 

―― なんだこいつら片手で立て続けに開けやがって!

 

 化物かと心の内でツッコミを入れた瞬間、扉の向こうで手を振っているモノホンの化物と目が合った。

 これは自分も片手で行く流れじゃねーか! と無駄なプレッシャーが彼の心に生まれた。

 実際誰もそんな流れと思っていない。

 さて、あなたの番ですねと言わんばかりにゴトーがニコニコとこちら見る。 繰り返すがそんなことは一切ない。

 そしてやるっきゃねーなとトールは腹をくくって、自分も荷物をゴトーに預けないままに扉の真ん中に片手を置く。

 

―― そうだ! 【念】を使えば!

 

 と一瞬思うトールだがそういえばあの二人が特別【念】で強化した素振りは無かったと思い出す。

 自信のない見栄っ張りは一秒に満たない合間にそんなことを考えていざどうしようかと更に考え……

 

 

「凄いじゃない! トールちゃんも成長したわねぇ!!」

 そう言いながら拍手するアルゴとキューティーの目には片手で五の扉を開けるトールがいた。

「お見事です」

 どうやらゴトーもこれは予想外らしく拍手をしてくれた。

 いやーどうもどうもと照れるトールはさてもう行きましょうかと、すぐ行くことを提案し何事もなく歩きはじめる。

 結局トールは片手で64tにもなる五の扉を開けたのか? 実はそんなことは無い、ズルをしたのだ。

 【念】を使った訳ではない、種はこっそり彼が背中から袖と足元へと伸ばした蜘蛛の脚である。

 右手の袖、そして足元に伸ばした蜘蛛の脚によって数倍の押す力と踏ん張りを得てさらにアルゴたちと違い、表情にこそ出さなかったが全力を以てして開けたのだ。

 

 

 こうして開けたこの扉が彼の数奇な運命の具体的始まりになろうとは流石に思いもしなかったが。

 

 

 しばらく進むと何やら「コー、コー」という何かの声が聞こえ、何事かと視線を向ければ大きな何と言っていいか分からない四足歩行の獣がそこにいた。

「これは数年ほど前から旦那様が躾けた番犬のミケでございます。 家族と試しの門から来た者以外を噛殺すよう徹底しています」

 それ以外は何も考えておりませんと最後に付け加えて言ったゴトーの言葉通り、トールの目にもミケが何を考えているのか分からなかった。

 話しによれば扉の横にいたおじさんは守衛じゃなくてこのミケが殺した侵入者の掃除をする掃除夫だそうだ。

「旦那様は、まぁ、珍獣を飼うのが好きな方でしてミケ以外にも何匹か飼っています」

「確かに珍獣ねぇ……」

「ネー」

 アンタらも充分珍獣だよ。 この場で二名の思考がシンクロした瞬間である。

 更に進むと、今度はドレッドで執事服を着た少女が一人立っている門や更に奥にある家などがあった。

 少女はカナリアという執事見習いで、成長の一環としてあそこの守備を任されており、奥の家は執事用の住まいらしい。

 本邸まで試しの門あるいはミケから始まる隙を生じぬ数段重ねの布陣によって相当なセキュリティであるとはゴトーの弁。

 本当に仕事を失敗しても生きて帰れるのだろうかとかなり不安になる。

 しかし、こうして長いこと歩いてはいるが危険らしい危険は特にない、それに暗殺者一家の私有地という色を抜いてみて見れば自然も豊富だしいいところだなとトールはふと思った。

 確かに周りには見たことのない野花や、よく見ればリスのような小動物もいる。 殺気や敵愾心があるのはあくまで人間そのものや人が手配した存在だけなのだろう。

 

―― そんなこと考えれば幸せの青い鳥だ!

 

 少し気分もよくなったトールは上を向いて歩こうと言わんばかりに上を向けば、木のてっぺんからパタパタと健気に羽を動かす真っ青な色の鳥がこちらに向かって来るのが見えた。

「あれ」

 思わず声と指差しをしてしまったが今現在はアルゴだけでなくキューティーもゴトーもいる。

 ましてや仕事中なのだし、何しているんだろうと急に恥ずかしくなったが時すでに遅し、皆トールを見た後に指差した方に目を向けていた。

 慌てていや違うんですと何が違うのかよくわからない弁解の言葉をだそうとする――

 

 

 ―― 余裕すら与えずに、青い鳥はトール達のすぐ上で爆発した。

 

 

―――――――――*

 

「ミルキにはしっかり反省をさせておく。 すまなかった」

 本邸に着き、応接間にて待っていたのはそんな謝罪の言葉だった。

 どうやらあの鳥が爆発したのはこのゾルディック家現当主たるシルバ=ゾルディックの話によると、彼の子供達の一人で今親父に頭を掴まれて無理やり頭を下げている次男坊のミルキなるこの丸っこいのが仕込んだ物らしい。

 要約すると『オレはミルキ! 暗殺一家のポッチャリ系次男で特技は暗殺道具の作成とかコンピューター関係! よく道具の実験で今日みたいに失敗して周りに被害を与えちゃうのと引き籠りが板についてるのが玉に瑕かな? よろしくね!』という人物の様だ。

 さらに中世の西洋貴族風ドレスを身に纏い未来を感じさせるスコープを装着した、今まさに物凄い人物が怒り心頭といった様子でやって来た。現在・過去・未来全部網羅である。

 しかもどうやら奥方らしい。

 なら息子を叱って当然と思いきやその内容は「話しを聞けばそこのボウヤに爆弾がバレてたらしいじゃない! ちゃんとバレないようにしなきゃダメでしょ!」という感じだった。

 さらに内容をよく聞けば父親の言う反省させるというのはどうやら拷問部屋で拷問することらしい。

 本邸へ入りまだ一時間と経っていないがトールはこの仕事を引き受けたことを後悔しはじめた。

 しかし、逃げる訳にも行くまいと現実に目を向けて見れば丁度的外れなお説教が終わったようだ。

 大変御見苦しいものを…… や、アルゴのいいのよぉというここは万国共通らしいやりとりもあり。

「では、そろそろお仕事の方のお話を…… ところで、服を一から作る話しでしたのに随分と人数や荷物が少ないようですが?」

 現状ミシンの一つも持っていない。

「一旦お店に戻るおつもりで? 依頼した内容はオーダーメイドで服を30着、機密情報を話す事も踏まえて三ヶ月間所謂缶詰め状態とお伝えしましたが?」

 機密情報の部分は物凄い此方に近づき、絞り出すように言った。

 

―― オイ三ヶ月缶詰っつーか軟禁とか知らんかったぞ!? ってか30着を三ヶ月とか常人に対してどんな無茶振り!?

―― そりゃこの仕事貰ってきた奴らも逃げるだろうな

 

「ええ承諾しておりマス、仕事道具が少ないことに関しましてはこの子がいれば事足りますノデ」

 もし、トールが人より幾分か頑丈で食い意地が張ってなければこの場で吐いていただろう。 プレッシャーで。

「あら、この子が?」

 少しの驚きとキュインという謎の機械音と共にスコープ越しに目が合う。

「ええ、全部私が行います」

 何とか目を逸らさずに言う。

 とりあえず参考にと先ほどキューティーに作ったタイトワンピとリボンを見せると、すんなり依頼は受託された。

 

 こうしてトールは一人執事に案内され、仕事部屋兼軟禁場所となる部屋にいるのである。

 

―― おかしい、何故俺一人だけここで奥さんと対峙する羽目に!?

 

 自分を置いてけぼりに話は進み、その過程でアルゴとキューティーは奥さんの機密情報に触れないので外にいて専用の外線でトールと連絡を取って何かあれば来ればいいということになりちゃっかり軟禁から解放されていた。

 旦那たるシルバは「依頼主は妻でオレじゃない、そっちで勝手にやってくれ」と早々にミルキを連れてというか担いで噂の拷問部屋に行ってしまった。

 そんなこんなで現在はかなり広い部屋で何やら数冊のスケッチブックを持った奥さんとテーブルを挟んでソファーに座りながら向かい合うことになった。

 奥さんは早々に執事を退室させると暫くして【円】を展開しながら虚空を見つめてブツブツ何かを呟いている。

 恐い、ひたすらに怖い、正直何してるのか意味不明だし、意味は無いが【堅】で防御姿勢をとりたいほどの不気味な負のオーラが奥さんから漂っていた。

「……ふぅ、失礼しました。 もういいでしょう、ではその、サイズの方を…… 此方の誓約書に喋らない旨を記入していただきませんこと?」

「あの…… もう大丈夫です、採寸は済んでます」

 ポカンとした奥さんの顔がそこにあった。

「見ただけで、その、サイズとか把握できるので……」

 眼には自信あるのでとぼそりと付け足す。 奥さんは暫くすると物凄く笑った。

「もう! そういう特技があるのなら話さないと! 言うべきことと言ってはならないこと、理解が出来ないほど幼くは無いでしょう?」

 暗に「サイズを口外したらどうなるか分かってんだろ? ん?」と言っていることが分かり、ハハ…… と乾いた声で笑うしかないトールだった。

「では、懸念事項も無くなったところですし! 此方を」

 そういって奥さんはトールにスケッチブックを渡す。

 何かとみて見ればそれは全て女性物のデザイン画であった。

「私唯一の趣味ですのよ!」

 その口調はようやく趣味の話が出来るという嬉々とした感情が窺えた。

 なんでもデザインに関しては一仕事終えた後とか特にインスピレーションが沸いてくるそうだ。

 友達の書いた本に似た様な感じでナイフを作る殺人鬼がいるなんてページがあったなぁと思い出しつつも、その眼は真剣にデザイン画を見る。

 少し躁気味な言動に反してデザインの大半はやや落ち着いたゴシック調のドレスが多く、ドレスでなくとも濃紺が何とも艶やかな和服などそのセンスは素直に驚かされた。

 かと思えばもう一冊のスケッチブックにはフリルをふんだんにあしらった可愛らしいドレスをはじめとした大人ではなく子供をメインとしたデザイン画が占めていた。

「それは末の子をイメージしたの。 いかがかしら、私のデザインは」

「素晴しいです。こういうデザインって大半は砂上の楼閣となりやすいものですが、コレはどれも斬新で大胆ながらしっかり現実を見ています!」

 ええ、だってそれは暗殺と同じですもの。と答えた奥さんには少し引きつった笑いで返すしかなかった。

 では、お話もこれくらいにして末の子を呼んできますわと奥さんが部屋を出て行った後も暫くトールの顔は笑顔から戻らなかった。

 

―――――――――*

 

「さ、カルトちゃん! 採寸も服のリクエストも済んだことだし行きましょうか」

「はい お母様」

 こうして呼びに行った時間の方が長いという僅か数秒の採寸をゾルディック家の末っ子、カルト=ゾルディックでも済ませる。

 

―― 一人10着ずつ、これで20着つくるけどじゃあもう10着作る一人は…… 聞いてもまずは20着、つまり奥さんと末っ子の分を作ってから教えるっていったけど……

 

 それを深く聞くなと奥さんの笑顔が言っていたのでそれ以上は何も言わなかったが。

 何だか今日はここに来るまででかなりの精神力を摩耗した気がする、疲れたし本格的な仕事は明日からやろう…… そう決めて思いっきり伸びをする。

 とりあえずさきほど採寸のときにどういった服がいいのかを聞いたメモと奥さんの要望であるデザイン画を眺めながら、キューティーの用意した小物と自身が用意した糸と染料を見比べていると、ドアをノックする音が聞こえた。

『トール様、御夕飯を御持ちしました』

「はい、今開けますね!」

 疲れたとは何なのか、機敏な動きで執事が自分で開けると断るより早くドアを開けた。

 そこには大きなカートに何やら高そうな食器に盛られた料理があった、この日初めて心からの笑顔を浮かべたトールである。

「こちらのボタンを押していただければ直ぐに我々が駆け付けますので、御用の際はお気軽に…… それではごゆっくり」

 執事が見えなくなった瞬間、いただきますの声がトールから漏れる。

 服を作ってお金貰えてしかも食事まで用意とは至れり尽くせりだなぁ…… 食事開始から数十分、デザートの手作りであろうプリンを食べながら、昼間と真逆の心境に至った現金者はのんびりとしていた。

 後にボタンを押し、執事を呼んで食器類を下げて貰い食休みも兼ねた瞑想をして、シャワーを浴びる。

 そして一人で使うには大きいふかふかのベッドにダイブすれば意識は夢の中だ。

 朝になれば決まった時間に起きるのでモーニングコールは断ったが朝食は希望通りの時間帯である。

 朝食が来るまでは【念】の軽い運動、そして朝シャワー終われば朝食。

 言ってみれば通るもの、執事付という制限付きとはいえ広大な土地を散歩可能、環境の違う自然は良い刺激である。

 そして帰れば昼食が待っている。おやつはマフィン、勿論いい香りの紅茶は欠かせない。

 それをテラスで楽しみながら、またしても言ってみれば通るもの、書庫から持ってきてもらった本を読みながら優雅に読書、屋敷に沈む夕日が何ともいえない。

 夕食までの時間はアルゴから欠かすなと言われている瞑想、他人の家という環境で過去最高のリラックスした状態のそれは中々のものである。

 終われば夕食で今日は羊肉らしい、勿論美味、デザートはアイス無論手製。

 シャワーを浴びてまたベッド、至福である。

 

 こんな調子でトールはノルマである30着中20着を僅か三日で達成した。初日は何もしていないので実質二日が作業日数である。

 仮にも超能力者やら仙人と常人に呼ばれる力たる念能力を、惜しげもなく服飾関係に使っているのだ。この程度の常人離れな技ならば十分にトールでも可能なのである。

 朝食を終えて食器を運ぶ際に次いでともいう感じで「あ、すいません。依頼の服とりあえずの20着完成したんで納めたいんですが……」と言ったら流石の執事達もまさか三日で達成すると思っていなかったらしく、えっ と一言漏らして一瞬だが呆けた顔をしていた。

 執事はそれでもすぐに顔を戻し、お待ちくださいと言って部屋を出る。

 すると数分もしないうちに数人の執事が丁寧に服を運んでいく、全員女性であることから試着もそのまま行うのだろう。

 

―― そして、数十分後

 

 こうして先程仕立てた新品の服を身に纏った奥さんと末の子と対面して座るトールがそこにいた。

「不躾ですが専属としての道はいかがかしら?」

 どえらいジャブだ、どうやら相当気に入られた様である。

 どうしていいか分からずに「いえ、まだ修行中の身ですので」と、お前は流れの剣客か何かかと心のうちにセルフツッコミを入れたが奥さんはどうやら納得したらしい。

「では雇用の件はまたにして、残りの10着のお話をしましょう。カルトちゃん、新しいお着物をお義父様達に見せてあげなさい」

「はい お母様」

 そして、カルトが部屋を出ると奥さんはトールと再び向き合う。

「先に聞いておきますが、貴方の目は映像越しか写真でもサイズがお分かりで?」

「……? 写真はちょっと無理だと…… 映像の方も生憎未経験なもので、全身がクリアに映っていれば把握可能だと思いますが、結局やってみなければ何とも……」

 ここにきてからアルゴのタブレット型端末でいくらか映像は観てもサイズまで測れるかはやったことが無く微妙である。

「そうですか…… ミルキ、準備は出来て?」

「勿論だよママ」

 流石は暗殺者の次男坊と言うべきか、音も無くスッとミルキが大型のタブレット端末を片手にトールの真横に現れた。

 そして端末の画面をトールに見せるようにして映像を写すよう操作する。

 その画面に映し出されていたのは巫女服の様なデザインを着て人形遊びに夢中になっている子供だった。

「最初に言っておきますが、この子の事は他言無用。あなたがキューティー=ビューティー並びにアルゴ=ナウタイのお二人から信頼されているからこそ、こうしてお見せしていることを忘れずに……」

 禍々しいオーラを放ちながらの文字通りの念押しに、早く帰りたいという忘れ掛けていた気持ちを思い出す。

 とりあえずこの場をすぐ去りたいので「…… 承知しております」と言うや、端末に映し出される子供を食い入るように見詰める。

 ここで一度確認の様だが、トールが一目見ただけで分かるのは『霊視』の歪な進化による副産物である。

 【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)による派生ではない。霊能力が念能力と同義の世界において唯一真の意味で霊能力なのだ。

 その眼はやはり通常では捉えられないモノを映す。

 

―― アレ何だろう?

 

 アレ(・・)という表現にしたのはよく見ていた霊の類とはやや形状が異なっているからだ。

 人の顔の様な、はたまた木の節くれや穴が顔に見えるのと同じ類のそれか、白い煙に丸い穴が二つに半月型の穴が二つの穴の下にぽっかり空いていた。

 見間違いかも知れないと一度強く瞬きをして目を擦り、もう一度見るがやはりその朧げな何かはそこにいた。

 霊と言うには何というか儚いというか弱々しい気がするが、かといって【念】の類かと言えば生々しくハッキリとしている。

 どちらかで判断すると何処か矛盾するそれはどうやら自分が今まで出会ったことのない、ずばり未知との遭遇というやつだ。

「どうかしら?」

「ええ、問題有りますがサイズの方は大丈夫です」

 集中してみている最中、奥さんに経過を尋ねられ反射的に率直な今の状態を言ったものだから奥さんもミルキも首を傾げた。

 問題あるの? と。

「えっと、差し出がましいでしょうし胡散臭いかもしれませんが、この子お祓いか何かした方がいいかと……」

 ここで一旦言葉を切り奥さんの方を向くと、意を決してトールは言う。

「…… なにか(・・・)います」

 その瞬間、彼の身体はソファーに座りながらも後ろに急速に動いた。

 何事かと覚醒した意識が目にしたのは異様に伸びた爪を横から突き出した奥さんだ。

 トールの言葉を聞いた瞬間、奥さんは弧を描くようにトールに向かって突きを繰り出し、発動した【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が回避行動をとったようだと理解した次に感じたのは足の違和感。

 後ろに仰け反る反動で勢いよく上がった足に引っ掛かったテーブルがあろうことか蹴りあがる形で空中を回転したのである。

 突きが放たれてから1秒、奇跡的に大きな音を立てつつも綺麗に元の状態で脚から落ちるテーブル。

 それより気になるのはテーブルが落ちる前に聞いた二つの何かが刺さる音、スコンという小気味良い音の正体は元通りに落ちたテーブルにあった。

 独特の形状をした針がテーブルに深々と刺さっていた。

 そして飛んだテーブルに遮られた視界の向こう側には何時の間にか長髪で死んだ魚みたいな目をした男がそこにいた。

「イルミ、ダメよ。これはあくまで警告なんだから」

 突きをしていて何言ってんだとトールは思ったが、伸ばした腕は本来なら鼻っ柱を掠めるコースであると気付き、殺す気は無かったのかと納得した。

 いきなり攻撃したこと自体にはまったく納得していないが。

 そして、このロン毛はどうやら自分を殺す気で針を投げつけたらしい、よく見れば針は微弱ながらもオーラを纏っていた。人の脳天と心臓に突き刺さる程度の威力は持っていたことは明らかだ。

 この重厚なテーブルが頑丈で助かった。

 仮に脳天を貫くつもりで【周】をしていたならテーブルの奇跡は意味のない茶番だったであろうが。

「まぁ、死んでないから警告としては十分成功ってことでいいじゃない、母さん」

「すげぇ暴論だなイル兄」

 どうやら長兄らしい。

「違うよミルキ、暴論じゃなくて結果論さ」

「それもそっか」

 そっかじゃねえよ馬鹿野郎! とトールは声を大にして言いたかったが、この状況でそれは死にに行くようなものだとすぐに思い直し、とりあえず奥さんが手をどけてくれるのを待った。

「さて、荒っぽい真似をして御免なさい。まさかアレを映像越しで見抜くなんて思いもしなかったもの。私、驚いてしまいまして……」

「まぁ、驚くと手を出してしまうことは自然な事ですから……」

 手を出すの範囲を超えているが、姿勢を戻す奥さんに自身も姿勢を戻しつつトールは能力発動の副次効果で動かし難い口を無理に動かし今後の円滑な会話の為に同意する。

「貴方の見たアレ(・・)…… その存在に関してはこの場で忘れていただけないかしら?」

「分かりました。私が気になるのはどういったデザインの服が似合うかなので」

 あの子はオリエンタルな格好が似合うだろう。現実逃避の様にそう考えるトールの目にはテーブルにふかぶかと刺さった針を抜きつつ無表情で此方をじっと見るイルミがいた。

「服? …… ああ、さっきカルトが嬉しそうに見せてた服を作ったのってキミなんだ」

「それも知らないで何でここにいるのさ? イル兄」

 全く持ってその通りである。

「いやー、何か家の秘密に近づく不届き者の気配を感じたからちょっと来てみれば外部の人間にアレ(・・)が見破られたものだから、つい」

 つい、で人を殺せる奴が遂に来てしまったとトールは体が内から冷えるのを感じた。

「オレはどーでもいいけどさ、コイツが案外動ける奴でよかったよなイル兄?」

「そういえばあなたは確か、門を片手で五まで開けたと聞きましたが単なる怪力と言う訳じゃないのね」

 キュインと鳴ったスコープは警戒の意か興味の意かは分からなかったが、注目されたのは確かだろう。

 それより気になったのはイルミのトールが門を開けた情報に対する「そうだね」というさらっとした反応だ。

 

―― この人絶対俺のこと見張ってたよ……

 

 いかにも、もう知った情報だと言わんばかりの反応はトール達の来訪を知っていて、この家族に害あるものかどうかずっと視ていたのだろう。

 そして今まさに家のトップ・シークレットを知った途端に害ある存在と判断し、即座に消しに掛って来た。

 トールの予想は大体正解だった。間違いはずっとの部分、イルミはトールをずっと監視している訳ではなかった。

 ただ時間的な問題だけで行為そのものはずばり的中である。

「中々良い服だったよ、オレもオーダーメイドで欲しくなっちゃった」

「こだわりの強いイル兄が気に入るなんてよっぽど良い出来なんだな」

 意外そうにミルキは言う。

「そうかな? オレ、ファッションとか全然興味ないし」

 そんな特徴的な服着てどの口が言うか! とトールは思ったがミルキもそう思ったらしく、眼だけでイルミの全身を見つつ小さく「えぇ……」と声を漏らしていた。

「どうかな、母さん? この際だし家族全員分作ってもらったら?」

 とんでもない提案をする。

「パパはともかくお義父様もお義母様もこういったのは無駄遣いと思っている節があるし、お義祖父様は無関心だしで納得してくれるか分からないわ……」

 

――よし! この三重結界を破ってみよ!

 

 心の内で勝ちを確信してガッツポーズをしたがるほどに喜ぶトール。

「ふぅん…… ねぇ、服をもう一着作る余裕ある?」

「ありますよ」

 浮かれすぎて本当のことを言ってすぐさましまったとトールは後悔した。

 彼の視線の先のイルミは彼が言うのもあれだが変わらずの無表情ながらも、どこかニヤリと笑った様な気がした。

「じゃあ父さんの服を一着作ってくれない? 料金は割増でもいいから、オレが払うし」

「ま、まぁ…… そんな親孝行だなんて!」

 続けざまに「親孝行さ」とも言えば隣で奥さんは感極まった様に膝から落ちて号泣した。

「こうしてはいられないわ! あなた! あなたぁ! イルミが親孝行ですってーー!!」

 かと、思えば急に立ち上がるとスカートの裾を両手で持ち、絶叫しつつ物凄いスピードで部屋を去って行った。

 さっきの父親を呼びに行ったようだ。

 

―― 断りづれぇ……

 

 彼の脳裏にはイルミと言う巨大な蜘蛛の造り出した巣に掛かるビジョンがあった。




 テンプレートだっていいじゃないゾルディック家だもん


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山にはクモが掛かるでしょう2

 

―― アーちゃん、貴方は元気にしているでしょうか?

―― ちゃんとご飯は食べているでしょうか?

―― 俺は元気でご飯もちゃんと食べてます……

 

「客人を招いての食事なぞネテロのジジイ以来じゃないかの?」

「そういえばそうだな。オレの記憶が正しければ二十年くらい前か」

 

―― 何故か伝説の暗殺一家と一緒に食事をしていますが……

 

「うーん…… これは予想外」

 此方を見て首を傾げるイルミにそれはこっちの台詞と言いたかった。

 

 なぜなにどうしてこうなったと矢継ぎ早に脳内に浮かぶ言葉の返答は一着の服である。

 

―※―※―※―※―※

 

 父親ことシルバの服を一着作れとイルミに頼まれトールはうっかり了承したために引けなくなり、早足で自室に戻った。

 そしてまるで忘れものでも取りに帰ったかのようなとんぼ返りで戻って来たトールが仕立てたのはシルバがあの日来ていた服と上下ともまったく同じ一着だった。

 部屋の中を監視せず、仕立ての現場を目撃していないイルミもそろそろ座ろうかと思ったミルキも、父の服を取って来たのかとありえない考えが浮かぶほどにその服はその日シルバが来ていた服そのものだった。

「ホラ、あなた! イルミの親孝行がこっちで待ってるのよぉ!」

「ったく、そんな引っ張らんでもいいだろう……」

 そしてトールより遅れて奥さんがシルバを連れてやってきた。

 シルバが初めてトール達と会った時と同じ服を着ていたのをミルキは確認すると、ああやっぱり同じ服だと再認識する。

「あら、もう服が出来たのね…… まぁ! いま着ている服と同じじゃない!?」

「え、ええ。今旦那様が着ていること自体は偶然ですが、いきなり新しい服といってもデザインが気に入らなければ邪魔でしょうし、それに質には自信がありますので初めてお会いした時に見た服とほぼ同じものを仕立てさせていただきました。 それでも細部は多少動きやすいように変えてありますが」

 イルミの圧と奥さんのオーバーリアクションに負けて服を仕立てるに到ったトールであるがそれでも服に関しては妥協その他一切はしない、常にその時出せる全部を使う。

 トールもトールでイルミらゾルディック家の大半の者達とベクトルこそ違えど、同じだけの狂気染みた執着心と高いプライドを持っていたことをさす証拠だ。

 

 これの恐ろしいところは本人が無自覚である事でもそれを裏付ける能力でもなく、蜘蛛と交わる前からの性分であることだろう。

 

 シルバはトールから服を受け取ると、その言葉通りなのか定めるために目と手でもってじっくりと確かめる。

 ここまで言っておきながらトールは心の内で南無三と叫ばずにはいられなかった。

 体感時間数分に感じる数秒の静寂、それを破ったのはトールのゴクリと鳴る喉…… ではなく。

「フフ…… なるほど確かに動きやすいな」

 シルバの笑いと何かを納得するものであった。

 これはどういった意味の笑いと納得なのか? ただ緊張を延ばされたトールはそう言いたい衝動に駆られながらも、言う胆を持っておらず静かに拳に力が入るのみだ。

「親父これを持ってみろ」

「何じゃ、そんな面白いのかその服?」

 トールの後ろの扉から聞こえた声にぎくりとしながらゆっくり振り向くと、そこには手を後ろに組んだ老人がカルトと共にいた。

 悠々と自分の横を歩くこの老人、ほぼ間違いなくシルバの親父さんたるゼノだろう。

 

―― お気に召したかどうか言うかと思ったら着々と家族が集合してきたんですけど!?

 

 人知れずショックを受けるトールなど誰も気にせず、否、何故かカルトが座敷わらしか何かの類のようにじっとトールを見ているが、それ以外の者達はトールの作った服を持つゼノを見ていた。

「ほう、確かにこれは面白いのう!」

「だろう?」

 そして服の評価は『面白い』であった。

「のう、おぬし刺繍は出来るか?」

「出来ますよ」

 良加減服の評価を聞きたいのに、またしても別のしかも質問であった。

 それでも反射的に答えてしまう自分に、服飾関係も【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が発動しているんじゃないのかとありえない疑問が浮かぶ。

「これ、なんて書いてあるか読めたりするか?」

 ゼノは自身の服を指す。

「しょうがいげんえき、墨文字が見事ですね」

「気に入った、わしも数着仕立ててくれんかのう」

「オレの分も頼もうか」

 

 聞きたかった問は注文という形で答えられた。

 

―※―※―※―※―※

 

 こうして晴れてほぼゾルディック家全員の服を仕立てることになり、注文を聞き終わる頃には丁度昼食時となったので家族の食卓に呼ばれたのだった。

 

―― 何だか知らないけどえらく気に入られたなぁ、俺……

 

「まさかこんなところで暗殺者に相応しい服を仕立てる職人に会おうとはのう」

 

―― 何!? 俺の服ってそんな物騒なの!?

 

 料理が運ばれてくる間、自分の服の事で話すゼノとシルバに耳を傾けるが自分の服がそう評価されていて驚くばかりである。

 原因は彼の作る服…… その原材料たる糸にあった。

 実はこの糸、電気に対する金属の様にオーラが伝わりやすい材質なのだ。

 暗殺一家で通っているがその実、最終的に周りにバレずターゲットを仕留めれば良いという考えで真っ向勝負をすることも少なくないため、一秒以下の【流】の速度、コンマ数ミリのオーラの攻防力の差が暗殺完了までの時間短縮ないし時に命を救うのである。

 そんな中で特別に仕込んでいる訳でなく服そのものが頑強な鎧たりえるというのはこの一家にとって暗殺しやすい…… つまりは動きやすい(・・・・・)服と言えた。

 産み呼ばれてからこの糸製の服しか身に纏っていないトールはこれが標準であるため、例えるなら生まれついての富豪と同じだ。オーラがスムーズに流れないという貧しい状態が分からない。

 

 この糸がトールの【流】と【周】に多大な貢献をしていることさえも彼は知らない。

 

 唯トールが今わかる事は緊張していても旨い物は旨いということだった。

 

―――食後

 

「では、ここにいらっしゃる人数分…… 五着ずつの計25着の追加で宜しいですね?」

「オレのは一回り大きめに仕立てとけよ? 服なんてすぐ縮んじまうからな」

「そりゃオレみたいなせーちょーきの奴のセリフで、ブタくんのは服が縮んだんじゃなくて肥えたからだろ? なぁー、もっかい言うけどオレの服は兄貴みたいな奇抜なのじゃなくて普通のカッコいいのにしろよ」

「ッチ!!」

 何気に一番難易度の高い注文をする子供は三男坊のキルアという子だ。

 奥さんがぼそっとこの子は正当な後継者なのよと言ったが唯の自慢の子発言なのか、扱い分かってるだろうなぁ? あん? という類のものなのか…… 多分後者だろうな。

「これ奇抜かなぁ? ただ針を刺しやすい機能重視の服なのに」

 正直この中で『服』が一番奇抜なのはイルミである。他がゴーグルやら目立つ体型、洋風の家に和装なだけで服そのものが奇抜なデザインではない、次点で物凄く物騒な刺繍が施された服を着ているゼノ位のもので残りのメンツは着てる本人が奇妙なだけである。

「では、期限の方は当初の三ヶ月としてそれまでに出来れば何時でも納品という形でどうでしょう?」

「ええ私は構いませんので……」

 早く切り上げる為に期限をそのままにトールは即刻自室に戻って行った。

 

 背後からの追跡者に気付かずに。

 

*

 

「……」

 用意されている部屋に無事戻ったトールは思わぬ展開から負った精神的疲労からソファーに落ちるように座るとぼーっとそこからテラス越しの景色を眺めていた。

 

―― 服は夕飯食った後でも遅くないしなぁ…… つーか三ヶ月も一応あるし、そんな長居したくないけども

 

「ふぅー……」

 腹の具合など諸々からそう判断し、今は英気を養うべきだとしてソファーに身を預けて肺の空気と共に力を抜く

 

「わッ!!!」

「んあ?」

 

 自分の中の空気をすべて吐き出したまさにその瞬間、自分の背後から大声が聞こえた。

「何だよ気付いてた? オマエ全然驚かないな」

 後頭部から聞こえる声は少年のもの、多分次期当主と言われているキルアなる少年だ。

 何故多分なのかそれはトールが顔をあげたり振り向くかして後ろを見ないからだ。

 否、見えないのだ。

「おい、こっち向けよぉー 拗ねたのならあやまっからさ」

 

―― ビックリして首つったんじゃ阿呆!

 

 普段の野生から離れ、尚且つ安心しきったタイミングというどんぴしゃりな瞬間、そんな時に驚かそうと動く彼は確かに神に愛された暗殺界の申し子なのかもしれない。

「あーもーオレの負けってことでいいよ」

 一向にこっちを向かないトールにキルアは根負けしたようで、自らトールの前に動いて対面する形になった。

 まぁ、トールはこの状況で少しでも首を動かせばぴきりと鋭い痛みに襲われるとは彼の知る由もないことだが。

「やっぱオマエみたいな職人系のヤツって総じて頑固なの? オレんとこはそーでもないけどさぁ」

 キルアはトールが母親経由で父、祖父と気に入られている人物と認識し興味をそそられ部屋まで付けてきた。

 最も興味をそそられた部分は自分と同い年くらいの子供という認識によるものであるが。

 

 実際自分の長兄と同じくらいの年齢であり、その対象のトールは首の筋肉がほぐれることに全意識を集中させていたりする。

 

「その服飾関係? の世界に入ってどんくらい? オレは生まれて二時間後には電気ショック受けてたらしいんだけどさー……」

 キルアは質問しているにも拘らずトールの返答も待たずにべらべらとそしてふらふらと動きながら喋っている。

 余程同い年の子と話す機会が嬉しいらしい。

 後ろ向きのまま彼が何となくテラスまで踵一歩踏み込んだ時にトールは「あっ ちょ」と口を開いた。

「ん? どーした」

「え? えー、と…… うん色々聞かれたものだからどう答えていいか分からなくてね」

 そう言ってお茶を濁すが実際は急に首の緊張が解けたもので思わず声が出ただけで、まさか首つったのに必死で話の八割も聞いてませんでしたアハハー、なぞ言えるものではなかった。

「それもそうだな、んじゃあ名前! オレはキルアね! オマエは?」

「トール、トール=フレンズって言います」

 自己紹介からようやく始まった会話は、互いの好物の話にまで続いた。

 しかし、それも唐突に終わりを告げる。

「でさー…… ぅおあ!?」

 話途中に急にキルアが宙に浮かんだ、いやよくみれば何時の間にやら横にいたイルミがまるで猫を掴むようにキルアを持ち上げたのだ。

「あ、兄貴……」

「ほらキル、午後の勉強の時間だよダメじゃないか時間は守らなきゃ」

 どうやらお勉強の時間の為、迎えに来たようだ。

 それが本当に机でやる一般的な勉強なのかは置いておくとして。

「なんだよもうそんな時間かよ」

 持ち上げられたままキルアは不満たらたらという調子だ。

「んじゃ、オレはもう行くけど話の続き聞かせろよな? あと敬語禁止!!」

「う、うん」

 イルミが元から尋常じゃない目を殊更尋常ならざる雰囲気にして此方をじっと見る様に気圧されて反射的に了承したが果たして良かったものか。

「じゃ、話し相手よろしくね」

「あ、はい」

 イルミは去り際にそう言って消えていった。

 勉強終わりにまた話し相手になってくれという意味か?

 

 それでもトールは未だにソファーに座り外を見ていた。

 

――やべぇ、あの兄ちゃん来たのに驚いて腰抜けちゃった……

 

 ついさっき命を狩りに来た人間の思わぬ来訪は子供のドッキリの比ではなかった様である。

「ふぅー……」

 まぁ、それでも一分そこらも落ち着けば力も入るだろう、そう考えてゆっくり息を吐く。

 

 

 

 

「やっぱり気付いてたんだね?」

「んあ?」

 どうやらこの家族は全員暗殺界の申し子らしい。

 

*

 

 奇しくもキルアと似たタイミングでトールの呼吸を止めに掛ったのは自分の正面、つまりテラスの影から現れたカルトだった。

「お母様は別として、イルミ兄さん達にも隠れるのが旨いって言われてたけどお世辞だったのかな?」

 いやいやそんなことはないと言おうとしたが、己の体が再起動する頃には別の話題に変わりそうだ。

 珍しい物を見る目と品定めする目の半々の様な態度で見るカルトがトールの全身を見終わる頃にようやくトールの体に踏ん張るだけの力が戻って来た。

「何か御用ですか?」

「あ、敬語とかいいから年下に敬語なんて嫌でしょ? 兄さんも禁止したし」

「いえですがお客様ですし……」

「なら客のニーズには答えなよ、ボクがいいって言ってるんだから、分かるよね?」

 

――なんでイライラしてるんだこの子は!?

 

 現在カルトは察する事が大分下手になったトールでさえ分かるほどにイラついていた。

 

―― 何かのストレスを執事でなく今後会わなさそうでかつ明らかな弱者たる自分に向けてきたんか!?

 

 つまりはやつあたりだとトールはあたりを付ける。

「あー、じゃあなにか用でもあるの?」

 それでも自分から話さなければ更にイラつかせるだろうとダメージ覚悟で聞く、実際に肉体的ダメージを受けるかもしれない事を考えればこのぐらい平気だ。

「…… 無いよ」

 

―― これ理不尽の類ですわ

 

 実のところ、カルトはトールが部屋に帰った時からずっとテラス側に隠れていた。 勿論用があったから。

 

 

 トールを殺すという大事な用が。

 

 

 カルトは、いや、このゾルディック家の半分ほどはキルアに対し屈折的というべきか歪んでいるというべきか、ともかく異常な執着心ともいえる愛情を持っている。

 『キルアはこうあるべきである』そういう考えを前提にその型に彼を押しこもうとする傲慢な愛。

 他者には冷酷に、家族は温かく。 そうあるべきだとカルトはこの年にして至っている。

 だから外に興味を持つことも本当はあってはならないし、そもそも興味の中に他人がいればその分自分を見てくれないではないか。

 周りが色褪せれば自分を見てくれる、その考えに至ったカルトはトールを消すために尾行する最初の一歩を踏み出す事に何ら躊躇いはなかった。

 母には怒られるだろうが兄さんが自分を見てくれなくなる事に比べれば耐えられる、だから直ぐに広間から窓枠に足を掛けて一気にここへ来た。

 そうしてテラスに潜み手に持ったナイフを投げ刺すか直接刺すかの二択しか考えられなくなったとき、トールは部屋に戻って来た。

 あとはポジションが定まるのを待つだけだと息をひそめるカルトを前に、なんとトールは迷いなく自分のほぼ直線状にあったソファーに座り込むと何をするでもなしに此方をじっと見続けているのだ。

 

―― バレてる!?

 

 目の横を汗が一筋流れたのは決して暑いせいではなかった。

 だが、その動揺もごくりと唾液と一緒に飲みこみバレて何もしてこないのならと素早く一撃を与えて殺すという全てを投げ捨てた行動に出ようとした瞬間だった。

 そのとき大きな声と共に背後から現れた…… 声で分かる、キルアがトールに会いに来たのだ。

 しかもあろうことか自分の射線上にキルアを移動させることまでやってのけた。

 キルアは相当嬉しいらしくそわそわとせわしなく移動する為カルトはかなり焦った。

 このまま近づかれてたら流石に気付くし、なにより今コイツを殺すという目的がありましたなどと見つかった時に言えば兄は自分を嫌うかもしれない。

 だからキルアがテラスに半歩踏み出した時、カルトは全身の毛が逆立つ感覚を覚えるほどに焦った。

 それを救ったのは殺したい相手、何故か不自然に呼びとめてまでキルアのテラス進行を止めたのだ。

 

 そしてキルアが去って行き、目的が無くなってしまった。

 

 それにしても慇懃無礼だとカルトは考える。

 部屋に帰って来て自分が出る今の今までずっとこっちを見てけん制していたにも関わらず、敬語を使いあまつさえ何か用かとのたまったのだ。

「…… 用なんて知ってるくせに」

「え? さっき無いって言ったでしょ、あるの?」

 口に出さなければ何も無かったとみなすのかコイツ! 暗殺を未然に防いでおきながらなんて言い草だとカルトはムッとしてナイフを思いっきりトールの眉間に向かって呼び動作もなく投げつけた。

 しかし、眉間にたどり着く前に半ば予想通り柄の部分を片手で掴み、刃は顔を貫く前に止められてしまった。

「ッ……!?」

 予想通り…… だというのにカルトはまるで蛇にでも睨まれた蛙のようにトールの顔を見て青ざめ、その場から動かなくなった。

 

―― イルミ兄さん!?

 

 彼の顔に身内でも恐ろしいあの無表情が重なった。

 いや、あの兄にしたって感情と言う物はちゃんと存在している。

 何時だったか、キルア絡みの事で執事が粗相をしたときのことだ、あの時の顔は負の感情をドロドロに溶かした様な…… 幼心に逆鱗に触れてはならないと感じたほどだ。

 

 それに比べてコイツの表情はどうだ、一見すると怒っている様に見えてその実何も感じさせない。

 負も正も何も感じさせず、ただひたすらに『無』

 それでいて何事かに燃えている事を本能的に感じ取らせる矛盾、全てがカルトにとって初めてのことだった。

 

―― ああああああ!? 遂に末っ子まで俺をころ、ここここ殺しに掛かって…… あばばばばッ!! 生きるため以外に向けられる殺意とはかくも恐ろしいものなのですね助けてアーちゃんヘルプミー友達!!

 

 内に燃えている何事とは動揺と恐怖と混乱である。

 互いに種類は違えど頭の中はぐちゃぐちゃの混乱状態、止まった均衡を崩したのはトールの方だ。

 掴んだナイフを逆手に持ちかえ、気付いた時には瞬時にその刃の間合いまで詰め寄ったのだ。

 

「ァ……」

 

 死と言う現象を常に間近に見て育ってきた、それだけでなく一流の暗殺者になるべくこの年で既に何度も死ぬ目にあって来たカルトだ、模擬とはいえこの間合いまで侵入を許した経験もあればそれを往なす術も心得ている。

 だというのにこの瞬間素人と何も変わらぬ反応をカルトはしてしまった。

 しかし、常人より優れたカルトの目にはその変わらぬ反応をするまでのトールの軌跡を克明に捉えていた。

 予兆殺意一切無しの文字通り『不意打ち』

 原因経緯共に何も感じさせず、おそらくは死ぬ瞬間さえ何も感じないであろう。

 技術ではあるが無味無臭の毒薬に近いなにか。

 故に反応は一周回り普通の人間と大差ないものとなった。

 

 だが、兄の声も二度と聞こえぬと悟った己の耳が拾ったのは数回の金属音。

 無残に裂かれたと思った肺には嗅ぎ慣れぬ他者の香り。

 光宿らぬガラス玉となり果てなかった両の眼には自分のとは違いシンプルだが決して粗末でない和装が広がる。

 そして止まる筈だった心臓は逆に激しく鼓動し、それと別に静かに鼓動する別の心臓の動きさえ感じる。

 

 トールがナイフを刺すどころかほぼ抱き寄せるような姿勢をとったのだ。

 トールはカルトの命を奪うために行動した訳ではない、かといってカルトを何らかの奇襲から守った訳ではない。

「うん、やっぱりこの程度じゃ気付かれちゃうね」

 金属音の正体は例の如く何時の間にか其処にいたイルミがカルトの背後から頭頂部をギリギリ触れないポイントで投擲した針をナイフで弾いた音。

 行動判断の一つ『身につけている物体や遮蔽物を利用しなるべく肉体に損傷を与えない行動をする』という判断をする【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)の防御が発動したが故のポジションにトールは移動させられたのだ。

「何だ、危ないだろ?」

 パニック気味に問う脳内に反して必要最低事項を絞る様に言う能力発動状態のトールはそれでも危険性を指摘する事はやめなかった。

「可愛い末っ子の覚悟を引き継ぐつもりで軽くやっただけさ、でも失敗してるし今後はヤらないよー…… 末っ子の為にはね」

 絶対今後も投げる気だと確信めいた答えに至る半面二度とこんなところくるかと覚悟する。

 奥底ではまた会いそうだと諦めが見え始めてはいるが……

「客にこんなこと頼むのもアレだけどさー オレ、今からキルと一緒に社会見学も兼ねてほぼフルメンバーで仕事行くことになったから家にいる家族はミルキだけだしカルトのこと見といてくれない? キミみたいなタイプのソレを間近で浴びせられた経験まだこれにはなくてね」

 ソレとは即ち戦場の空気、しかもおぼろげな自覚ながら己もそこにいるであろうある種の狂人の類の放つ空気である。

 そして、カルトを執事に任せなかったのはカルトが我慢が得意な一方、我慢しなくてもいい時には柔らかく言えばヤンチャであるため見守る側が怪我してしまうことが多々あるため。

 やはり、家族の秘密に触れたばかりかキルアに興味を示された段階で彼の中では排除したい対象上位にランクインしているのだろう。

 即排除しないのは母親も気に入っているためである。

 よって不慮の事故で死んでもらえれば万々歳なため滞在中、キルアになるべく接触させず遠慮なく不慮の事態を多発させることにイルミはしたのだ。

 先ほどの針はオーラを殆ど込めていない彼なりの話のとっかかり方法であり、本当に殺す気はなかった。(死ねば嬉しい誤算ではある)

 しかしそのおかげで、カルトが未だ殺害するに絶好のポジションにいるに関わらず動かないことから精神的に参ってしまったことを見抜くと、自分の事は棚に上げてそうなったのはおまえのせいだから責任もって様子見てろと約束を叩きつけた。

「それじゃ、頼んだよ」

 仕事を受けている立場であるからか性格からかは掴めないが、押しに弱いであろうとふんでイルミはこの状況を生む前にしたように、執事に任せろなどと言った返答を発現する前にその場から消え失せた。

 

「……」

「……」

 

 後に残されたのは未だ動かない末っ子と能力と流れについていけず固まってしまった蜘蛛っ子だけとなった。




 もし、誤字脱字疑問難問ドラえもん等ございましたらお気軽にどうぞ


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山にはクモが掛かるでしょう3

 

 三分、この時間和装の二人は無言であった。

 しかし、無音ではなかった。

 風が吹く音もあったし布がこすれる音も、木製の品が何かの原因で軋む音もあった。

 二人の内の一人、トールはこれらの音耳に入れ気を紛らわせつつ現在の状況をどうすれば何事もなく収められるかに思考を費やしていた。

 なにせ三分前には唐突にナイフを投げつけるという凶行で己の命を獲らんとした存在が、トール側からしてイルミの話を殆ど聞いていない為何故かは知らないが固まって動けないとはいえ、懐にいるというこのデンジャラスゾーンで下手に動くことも出来ず、ナイフを手放す事も出来ず妙案が浮かぶまで姿勢を維持していた。

 

「…… ハッ!?」

 

 一方カルトは今になりようやく意識を完全に取り戻した、そしてどこかネコ科の動物を彷彿とさせるその瞳がゆっくりと上を向き、トールと目が合う。

「うゎわああッ!? …… イタッ!!」

「あぶなッ!」

 驚き、思わず後ろに跳ぶが後頭部を何か固い物に強かに打ちつけそこを抑えつつしゃがむ。

 その正体はトールが逆手で固く握っていたナイフの峰、トールはよもや刺さったかと心配してナイフをとりあえずソファーに置き、ぶつけたところをみるため屈む。

 心配した事態はなく、ただ頭を打っただけに過ぎないカルトは直ぐ持ち直し、姿勢を正そうとする。

 そしてかなり至近距離でトールとカルトは向き合った。

 

 そこからカルトの動きはまさに疾風迅雷だった。

 

「わあああああ!!」

 産声よりも大きな声で叫び、そのままカルトは地を走るというより蹴るともいうべきスピードで一気に外へ走り去った。

 まだ両の手で数えられる年とはいえ初めてだった、家族や執事以外にあそこまで距離を縮められたのも。

 初めてだった、殺し損ねた事も。

 初めてだった、兄以外で頭が一杯になることも。

 いや兄の中に『理想の兄』という己を見ていたカルトにとって、真の意味で初めて他者で思考が埋まった瞬間である。

 

―― いったいあいつはなんなの!?

 

 カルトの心にうずまく大半が未だ己自身何なのか分からないが、そのうちの一つは直ぐに分かる。

 

 恐怖心。幼いころ…… 今も十分幼いが、今の半分ほどの年にあった幽霊やら妖怪やらといった『漠然とした未知の何か』に抱いていたあの感覚、それがトール=フレンズという形を模して今自分を襲っているのだ。

 

―― 恐い、そう、恐い…… ほんとに恐い?

 

 ただそれだけではないと言う、疑問符が浮かんだ時ようやくカルトは足を止める。

 そして、それは何であるかと決して動いたせいだけでない早鐘を打つ心臓に手を置き、考えるだけの冷静さを取り戻すため目を閉じ息を吸うとより多く息を吐く。

 

 して、この世界にもあるかは定かでないが『二度ある事は三度ある』という言葉がある、それは同じ『人』にではなく単に同じ『事』が二回ある事は三回あるのだという意味なのかもしれない。

 

「おーい」

「んあ!?」

 声を掛けられ目を開けると、そこにはナイフを持ったトールがいた。

 

―――――――――*

 

―――数十秒前

 

 トールはテラスから地を蹴り出て行ったカルトを見て、頭を最大限回転させていた。

 

―― 俺、あの長男にあの子を頼むって言われたよな?

―― あの状況下の頼むってのはつまりお守ってこととみていいよね?

―― つまり留守中にあの子に万が一でもあったら俺の責任っすよね?

―― でもあの子ことカルトはどっかいっちゃったよな?

―― もしその間に何かあったら即死もんですよね?

―― 目ぇ離しちゃ駄目だよな…… な?

―― 追っかけねぇと、不味いよな!?

 

 この間、十秒。

 

―― あ、このナイフも無くしたとかで機嫌損ねてもアウトっぽいな、持ってかねーと

―― 肝心の場所は? まだ目で大丈夫…… 【円】とかあんまやりたくねーってかあんま出来ん

 

 トールはちょっと前まで強張っていた足を軽く動かしてほぐすと、テラスから出る。

 そして、狩りのときそうしていたように足にオーラを集中させて、飛ぶ。

 

 姿勢を低く、気取られないように小さな音を立てるだけで。

 トールの阿呆なところは動きが完璧に狩りのそれである点だ、何故子供を探すのにその子供が規格外とはいえ狩るつもりで行くのかと。

 それも彼が思考は置いておくとして動くという点において融通が利かないことが災いしている。

 それでもカルトが数十秒かけたところを【念】込みとはいえ数秒でたどり着くと獲物(と表記してカルト)が見える頃には、【絶】で身を潜めつつ距離を詰める徹底の仕方は阿呆と言うより他はない。

 

 手を伸ばせば触れる距離でようやく「あ、ここまでしなくていーじゃん別に」と気付き、正面に回って声を掛けた。

 こうして、思わぬ形でカルトは諺を経験したのである。

 

―――――――――*

 

 カルトの思考はこのとき冷静とは言い難かったが、混乱はしていなかった。

 

―― コイツ、ボクを殺りにきたんだ!

 

 無音でナイフを持った奴が来たという状況下でこう考えるのは決して不自然ではない。

 そしてカルトの度重なるトールによってもたらされた驚きと元から培ってきた暗殺者としての教育が今、この瞬間生きた。

 肉体操作により鋭利な刃物と化した右手をトールに突きだしたのだ。

 やぶれかぶれではない、考えられるベストの動きである。

「……」

 一方のトールは持っていたナイフの腹で突きを何なく受け止める、彼には普通にそれを行う実力はあるが無論今回の動きも能力の恩恵である。

 

―― うっわ、また来た!? でもナイフも壊しちゃうわけにゃいかんし……

 

 トールは万が一でもナイフを壊したことによって起こるいざこざを回避するため、文字通り【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)を防御から回避に切り替える。

 だが、避けることはカルトの方が先に考えていた。

 あの一撃は出来れば致命傷ないし痛手を負えばいいというもの、本命はその反動と隙を利用する事による後方への退避。

 

―― 森の中なら逃げ切れる!

 

 森と言えどゾルディック家にとっては慣れ親しんだ庭であり、広大な土地の地図という地の利がある。

 家の者が彼の狼藉を知れば処分する、だからそれまでの間悔しいが逃げに徹する。

 

 テラスまでの距離から二倍近く移動し、木々の間に身を潜めながらカルトは己の勝利条件を整え、これならば勝てると笑みさえ見せた。

 

 

 

 そんなカルトの誤算は多くあれど、特に大きいのは二つ。

 

 一つは、一番来る可能性の高い母親含めた家族が出払っている事をフリーズして聞いていなかったこと。

 

 

 もう一つが

 

 

「ねぇ、あれは危ないんじゃない?」

「ッ…!!?」

 

 身を潜めるカルトの背後から声を掛ける、この阿呆が森という地形において自分以上にその恩恵を得ていることである。

 

―――――――――*

 

―― い、今アイツ何処に!? 木の上なら来ない!?

 

 それからの時間、カルトにとって一生忘れられない時間となっただろう。

 なにせ、何時その時が自分の一生の終わりとなるか分からない時間だったのだから。

 

 カルトはあの後、袖に仕込んでいたイルミ製の針を投げ、その針の結末も見ずに草むらから垂直跳びで木の枝に飛び乗ると、そのまま木の間を飛んで逃げた。

 針の結果など見なくても分かる、どうせ当たりはしないと決めつけ全てを逃げるために注いだのだ。

「…… あぶね」

 事実トールは眉間コースの針を首を傾げる形で難なく回避させられている。

 そして自分のすぐ後ろの木に刺さった針を引き抜くと、カルト同様木に飛び乗り糸を使ってカルトより高い位置から追跡を開始した。

 

 武器を拾ったのは紛失の責任をとらされたくないから。

 追いかけるのは目を離したらあの長兄に何されるか分かったものじゃないから。

 

「おーい」

「ひッ!?」

 だから彼はカルトの真上からまた声を掛ける、せめて大人しくしてもらうために。

「~~~ッ!!」

「あ、ちょっと!」

 それがこの追いかけっこの現状維持に貢献しているに他ならないという事実など全くトールは分かっていない。

 

―― 上は駄目、じゃああの木の洞は!?

「ねぇ、ちょっと話を……」

 

―― あの怪鳥の巣の中なら?

「ここの鳩って大きいね」

 

―― もうシンプルに土の中なら……

「ほらそんなとこ入ってると服汚れるよ?」

 

 悉くトールに見つかってしまった。

 それでも諦めないカルトは今、息を潜めている。

 というより潜める他ない場所にいる、開けた場所…… 湖のその中

 

―― ここなら、もしかしたら……

 

 ここは自分もあまり来た事が無く、本当に追いつめられたが故に心身ともに疲れた己に鞭打ってそれでも音をたてず静かに潜ったのである。

 割と透明度が高いため、底に沈んでいる大きい倒木の間に身を隠す。

 息を止める事なぞ日頃の拷問で慣れきっている。

 不意に投げ出されたのなら五分そこら、しかし呼吸を整えてからの飛び込みならば八分は固い。

 更なる訓練(という名の拷問)で幾らでも伸びる可能性があるが現時点では体格的にこれが限界。

 

 本来屋敷側に逃げれば良かったものの、トールの声を掛ける位置が悉く屋敷側だったためにこんなところまで追い込まれてしまい、この選択肢をとらざるをえなくなってしまった。

 いくらかフェイントの様に蛇行して此処まで来たのだ、せめてこの数分で少しでも遠くにアイツが行けば屋敷に逃げれると、カルトは水中で膝を抱えじっと待つ。

 極力動かず、呼吸の時間以外何も考えない。少しでも長く水中にいるために思考を暇潰しに浪費する事もせず、ただ、じっと時とあの訳の分からない存在が過ぎるのを待つ……

 

 

…… はずだった。

 

 そろそろ浮上を考え始める頃、ふと己の隠れる場所が暗くなるのを感じた。

 このとき、カルトはアイツが来たのかと恐る恐る顔を上げ、あの血錆の様な髪色をしたのがいるのかと目を見開くがそこにいたのは全く違う存在だった。

 

―― なんだコイツ!?

 

 全身を青色の鱗で覆われたそれはどうみても『魚』であった。

 しかし、サイズは魚でなくクジラ、そして特徴的なのはその口。

 自分が立っていたとしても優に丸のみ出来るほどの大口、そしてその口から覗く中はまるで拷問器具の様で、飲み込む動作で全てを削らんばかりに内部全体に歯が生えていた。

 湖の上からのぞく程度では、「ああ、こんなのもいるんだ」と言ってすぐ興味を失うであろうそれだけの存在、それは怪魚側からしても同じだ関わることのできない陸の生物に現を抜かす暇などないからだ。

 だが、いま自分は水中にいる。

 ならば分かりやすく怪魚は反応する、捕食と言う形で。

 

―― ヤバイ!? 武器は全部アイツに使って……

 

 カルトは肉体操作より武器を使う方が得意であった、ただ出来ない訳ではないがこの水中と言う状況下でこの怪魚を屠るだけの肉体をまだカルトは得ていなかった。

 泳いで逃げるにも分が悪すぎる、まだ真っ向勝負した方が勝機があるほどだ。

 

 ほどなくしてカルトは覚悟を決める、右手をスッと上げた。

 降参ではない、証拠に右手は見る見るうちに魔獣と言われても差し支えない形状へと変化していく。

 

 徹底抗戦、これがカルトの出した覚悟。そも生き延びるために飛び込んだ場所で生を諦める事なぞするはずもなかった。

 

―― 大丈夫、アイツに比べれば遥かにマシ。 だって何なのか分かるもん

 

 この絶望的状況よりもどん底な存在認定された者の顔を浮かべ寧ろ笑みさえ湛えてみせる。

 自力じゃ屠るだけの威力は出せない、ならばあの怪魚が自分に向かってくるときそれを利用して突き刺すほかに方法はない。

 見極めてやる! そう言わんばかりの迫力があった。

 怪魚も格好の餌を前に逃げだす情も無ければ、そこで待ち続けるという知恵も無かった。

 

 怪魚がさらに巨大になる、否、そう感じるほどに急接近する。

 カルトが狙うのは自分を飲みこむその瞬間、鱗と言う鎧の内側からの破壊が唯一の勝機。

 失敗は許されないしする気もない。

 

―― まだ、まだだ、もっと引きつけて…… 次には食べられるというその瞬間まで

 

 カルトの目から怪魚の全体が映らなくなる、それほどの接近、見えるはその内の肉。

 周りの水がそこに吸い込まれるのを感じた。

 

―― ここだッ!!

 

 しかし、カルトの突きは下にスライドしたとしか思えないほどの急な怪魚の方向転換によって空振りに終わる。

 

―― そ、そんな…… ? いや、なにか様子が、変?

 

 急いで追ったカルトの目に映る怪魚は顔がひしゃげていた。

 その脳天には見慣れた己の……

 

―― ボクのナイフ……?

 

 気付いた時には体が引っ張られる感覚、何時の間にか巻かれていた糸が自分を上へ上へと釣り上げている。

 バシャリと水面を破って外に出たとき、カルトは糸を引く赤錆色の髪を見る。

 

 そこでカルトの目は一転して暗闇しか見えなくなった。

 

―――――――――*

 

 暗い世界に家族がいた。

 

 あの背中は飛び乗ると嗜めつつも肩に自分を乗せてくれる父のだ。

 あの背中は自分の知らない事を教えてくれる祖父のだ。

 あの背中はちょっと人間か分からない高祖父のだ。

 あの背中は何時も近くにいてくれる母のだ。

 あの背中は少し恐いけど家族の事を考えてくれる兄のだ。

 あの背中はあまり動かない兄のだ。

 あの背中はボクの嫌いな、人じゃないナニカだ。

 

 みんな、背中を向けている。

 

 皆背中を向けている。

 

 そんな皆の前に誰かいる、そんなの分かってる。

 

 あの背中はボクの大好きな兄さんのだ。

 みんな兄さんを見ている、でも兄さんはボク達も……

 

 その内兄さんは歩き出した。

 前に、唯、前に。

 

 他の家族より後ろにいるのにボクはそれでも手を伸ばす、でもやっぱり届かなくて……

 

 それどころかボクはそのままどんどん下に落ちて行った。

 心の中で何かが揺らいだのを反映するように、下へ、唯、下へ。

 

 家族の姿も見えなくなって、そこで初めて手を伸ばした。

 こんなになるまで声も出さなかった。

 

 ただ、恐くて。

 落ちていくことじゃなくて、伸ばしても、張り裂けんばかりに叫んでも……

 

 家族の誰も反応しないんじゃないかって考えるのが怖くて。

 

 でも、その手は確かに何かを掴んだんだ。

 

 掴んだそれは妙にサラサラで手触りが良かった。

 

 驚いたボクが家族の事も思考から外してその手に掴んだ何かを見ようとしたとき――

 

――― 世界は白くなるほどに光り出した。

 

 

 

 

「ぅん……」

「ああ、目ぇ覚めた?」

 

 ピントの合わない目をカルトは数度の瞬きで無意識のうちに合わせる。

 その間に一歩遅れて戻って来たのは柔らかい何かに包まれる感覚。

 

―― ベッド?

 

 クリアになった視界が最初に捉えたのは、ベッドに隠れる自分の体…… そして傍らにいる…… トール。

 彼は構造上近くに座るためソファーでなく簡易な椅子に座ってなるべくベッドに近づいて座っていた。

「…… 何でいるの?」

「そりゃ湖から引っ張り上げた瞬間に気ぃ失ったキミをこうして介抱? してたから」

 トールにしては実によくまとめたセリフである。

 辺りを見回すと、こんなことになった最初の光景…… つまりは彼に貸し与えられた部屋だと気付いた。

 少しそれに気付くのが遅れたのは日が落ち部屋全体が夕焼けに染まっていたからだろうか。

「結構ボク寝てたんだね?」

「動いてた時の数倍はね」

 カルトは衣服をちらりと見る。

「服…… この長襦袢ボクのじゃないけど」

「俺が作ったヤツ、キミのボロボロでグチャグチャだし着てた和服もだけど修繕してそこにあるから」

 指差すベッドの反対側に、まるで今まで激しい動きに付き合わされた形跡の無い見事な状態で立てかけてあった。

 カルトはこうなるまでの事は全部夢だったのではないかと、そんな訳ないと思いつつもどこかそう感じた。

「あっ! これ返すね。 あのときナイフは使ったけどちゃんと綺麗にしたからさ……」

 言ってトールはカルトに投げつけられた武器をご丁寧に布に包んで返した。

「やっぱり夢じゃなかったな」

「?」

 漏れ出たようなその微かな音はトールの耳に唯の雑音としてしか伝わらなかった。

 ベッドに置かれた武器を何処かぼうっとした調子で眺めるカルトの隣でトールは緊張していた、そして少し得体の知れない感覚も持っている。

 それら全てカルトが妙に大人しいからである。

 彼が今までの行動で気付きあげたカルトのイメージではここらで何か武器の一つでも飛んでくるものと思っているからだ。

 なのでそれを防ぐために一つ一つ丁寧に態々斬られにくい織り方で織った布でもって包んで渡したのである。

 この男、十に満たない子供にも親切心ゼロかつ警戒心マックスであった。(場合が場合の為多少仕方ないだろうが)

「ねぇ、何でずっとそこにいるの? 目も覚めたしさっさと追い出せばいいじゃん」

「……」

 トールは無言である場所を指差す。

 見れば、カルトがしっかりとトールの裾を掴んでいた。

「あっ……」

 

―― あのとき掴んだのは……

 

 トールから手を離し、その手をじっと見つめながらカルトはあの夢を思い出す。

「…… こんなの振り払えばいいのに」

「出来なかったよそんなこと」

 カルトから離され、掴んだ状態の皺がくっきり残った裾をみてトールはそのときを思い出す。

 

―※―※―※―※―※

 

 あのとき、トールは色々済ませベッドに寝かせたカルトの横に座りさて濡れタオルか何か置いた方がいいかしら? と思った瞬間、まるでサバンナの獣が獲物を食らうような速度で服の裾を掴まれた。

「うおッ!?」

 攻撃と判定されなかったため【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が発動しなかったのだ。

 

―― 罠ッ!?

 

 そう思いニヤリと笑うカルトの表情を想像し、顔を見る。

 

―― 絶対違ぇ! 苦悶の表情浮かべて歯軋りしてらっしゃる!?

 

 ギリギリとまるで油の切れた機械の様な音を鳴らしている、しかもぶっちゃけ親族以外に見せてはいけない家の顔状態である。

 しかも、離すように手をこじ開けさせようとするも万力のような力を加えていて下手すると毟る勢いである。

 【念】で強化すればいけない事もないが仮にも体調不良の子供であるため、万が一でもあってはいけないと耐えるしかなかった。

 

―― 歯軋りうるさッ! ああ片耳塞げらんねぇ!?

 

 こうして今の今まで彼はじっとそこにいた。

 彼にとっての不幸は「それ脱げばいいじゃん?」と言ってくれる第三者がいなかったことである。

 

―※―※―※―※―※

 

「そっか、出来なかった…… かぁ」

 カルトは、その胸中が何かで満たされていく感覚を覚えた。

「ねぇ、えっと……」

「ん?」

 ここでカルトは何か難しい顔をする。

 

「名前なんだっけ?」

「トール=フレンズだよ」

 つい数日前に名乗ったよな? と顎に手をやる。

「そっか、ボクはカルト…… カルト=ゾルディックだよ」

「いや知ってるって、この前聞いたじゃん」

「ボクの口から言って無いよ…… それに知ってる訳ないよ?」

 

 知ってると言ってるのに知らないというカルトに顎に手をやり更には首を傾げたが、それもすぐに何故か納得した。

 それは……

 

 

―― ま、こんな風に笑う子は確かに知らんな

 

 年相応の笑顔をした子供がそこにいた。



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山にはクモが掛かるでしょう4

「ねぇ、トール」

「…… なに?」

 年相応の何処か楽しそうな声音で相手の名を呼ぶのと対照的に、トールは外見不相応の何処か勘弁してほしそうな調子で返事をした。

 

 あの日から何故かあれほどまでにイライラしつつ攻撃してきたカルトは一変して楽しげに話しかけて来るようになった。

 それだけなら万々歳であるが攻撃するところは回数が減ったとはいえ「これぐらい何ともないでしょ?」という理由に差し替わって不意に何か投げたり刺したりしてくるのは相変わらずである。

 そして気がつけば其処にいる。黙っているとその距離感と容姿も相まって座敷童子っぽく最初の数回は遂にこっちの世界でも霊的な存在を見るようになったかと驚いた。

 しかし、本人的には悪意ゼロの様である。そうトールが結論付けたのは得意なんだと態々写真立に入れてプレゼントされたトールの切絵だ。

 なのでトールはこうしてカルトを前にしても臨戦態勢をとらずに座っているのである。

「戦ったことってある?」

「そりゃあ、多少は」

 トールの脳内でこの世界二人目の友人にして珍獣との組手を思い出す。

「どれくらい命を懸けて戦ったの?」

「えっ、命? いや、確かにある種命がけっちゃあそうだろうけどもそんなに…… あっ、でも『狩り』はしょっちゅう命がけだね、頻繁にやらなきゃ死んじゃうし」

 彼にとって戦闘と狩りは別種である。

 そも彼にとっての戦いと言うのは『食べる事以外での命のやり取り』か若しくは好きだった特撮モノのシチュエーションと同じか似ているかなときである。

「ふーん、じゃあさ『戦いに負けない為にはどうしたらいい?』」

「んー? なるだけ戦わなきゃいい」

 基本的にあの大自然で暮らしながら産み呼ばれる前の常識をもとに行動している彼にとって争い事は避けるべきと根本にある。

 そもそも【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)がなければまともに動けないのだし。

 カルトはその考えは無かったという表情を一瞬する。

「そっか、じゃあボク行かなきゃ」

「今日はキルアと一緒に勉強か? 行ってらっしゃい」

 手を振って部屋を出ていくカルトはこれから行う『勉強』が拷問の類である事等微塵も感じさせない。

 いや、下駄を履いているのに全くの無音で移動している所はその片鱗と呼べなくもないが。

 

―― もう『勉強』の時間帯で何やってんのか大体分かるようになっちゃったなぁ

 

 本来なら追加の注文から二・三日で納品可能であるが、何となく感じる無言のプレッシャーを前に期日二カ月を切った。

 執事からの扱いが食客になって久しい。

 

―― とりあえず今の内に服、仕立てとくか……

 

―――――――――*

 

「じゃあ昨日言った問題の答えを聞かせてもらうよ? 『戦いに負けない為にはどうしたらいい?』」

 敷地内の森で、イルミは自分達で切った切株の上に座るキルアとカルトにまるで宿題チェックする小学校の先生の様に聞く。

「簡単だって! 向こうよりすっげー強くなればいいだろ?」

「ハイ、キルア不正解。敷地内50周決定」

「ええ~!?」

 答えが不正解な事と罰が自分の中で最もつまらない部類に入る『ランニング』であるためぐでっとした調子で後ろに倒れ込む。

「じゃカルトの答えは?」

「……『なるべく戦わなければいい』」

「正解、今日は休日」

「はぁ? ちょっとまてよ兄貴! 戦わないのが正解ってどういうことだよ!?」

 納得できるものでない為キルアは寝そべった体勢から起き上がり、そのままイルミに喰ってかかる。

「んー正確には正解はないんだけど。オレ達はあくまで暗殺者なんだから気付かれる前に殺るのが原則、戦う事態になっちゃだめさ」

「えー、でもジイちゃんとか親父は『割に合わない仕事』のときの話でめっちゃ戦ってたじゃんかー」

「中にはどんなに隠れたって絶対見つけて来る奴とかいるけど、そういうのは例外。何百という内の戦闘が避けられない一人、だからなるべくってこと」

 

―― 流石に探知系の能力とか持ってる奴は戦わざるを得ないしなー…… それに、父さんみたいなキルはちょっとなー

 

「うぎぎ……」

 まだ半分以上納得していないという調子のキルアだが、これ以上言っても返せないと判断して悔しそうに走って行った。

 カルトもキルアが見えなくなると家に戻る為切株を立つ。

「あ、カルト聞きたいことがあるんだけどさ」

「なに? イルミ兄さん」

 くるりとイルミの方を向く。

「さっきの答え、何か誰かが言ったのをそのまま言ったみたいな調子だったんだけど……」

 ジロッとカルトを見る、この感じは半分位当たりを付けているのだろうと素直に答えることにカルトはした。

「トールだよ、戦った事とかあるだろうし聞いてみたんだ」

「ふぅん、アイツやっぱり経験豊富?」

 此処にトールがいて発言者がアルゴなら即座にトールの投げやりなツッコミが入るが、そういう意図ではない。

「どうだろ? 何かあんまり無いように言ってたけどもしかしたらはぐらかされたのかもね。でも『狩り』の経験は多いみたいだよ、自分で言ってた」

「『狩り』ねぇ……」

 顎に手をおくイルミをカルトは少し見て、口を開く。

「ねぇ、イルミ兄さん。トールの言ってる『狩り』ってさ……」

「暗殺と同義かもね」

 この瞬間、トールは大きなくしゃみと言い知れぬ不穏な何かを感じた。

「戦うことを『狩り』って言うくらいなんだ、オレがさっき言った事を体現している人間かもねトールは……」

 事実は文字通り狩りで生活しているだけである。

「でも、服屋さんでしょ?」

「兼業かもしれない、少し気になるしミルキに調べさせよっかな」

 こうして世にも珍しい服を仕立てる傍ら人を仕留める男、トール=フレンズが誕生した。

 本人が服を仕立て終えたそのとき、知る由もない場所でだ。

 

 

 

 

 

 

「それでトールの夕食に毒を仕込んだのかい?」

「うん、ミルキ兄さんの調べた結果待つより簡単かなって」

 思わぬ休日を貰ったカルトは、その時間を利用してそんなことをしていた。

 つまり仕込んだ毒を食べても何ともなかったら同業者であるという危険極まる判別法だ。

「一言いいかなカルト、暗殺者でも毒の効く人はいるよ?」

「えっ!? どうしよう、一応麻痺系の毒だから手遅れにはならないと思うけど今の内に執事に言っておかなきゃ」

 かなり珍しくイルミが常識的な事を言って突っ込んだ。

「なら面白そうだし続行」

 結局続行させるあたりやはりズレている。

 

「夕飯前に帰ってこれてよかったー」

「あ、今日はランニングか」

 二人の視線の先では夕飯が運ばれるまでの間談笑しているトールとキルアがいた。

 何だかんだ言ってトールも徐々に馴染んできた、毒されてきたと言ってもいいかもしれないが。

 

―― 俺、何で家族に紛れて一緒にメシ喰ってんだろ?

 

 まだそんな感じの疑問が残ってるため完全には馴染んでいないのがせめてもの救いだろうか?

 視覚的にも黒か白かの髪色の中、赤錆色は浮いていた。

「いただきます」

 しかし、食事が運ばれてから全くそんなことを遠くの所へ追いやってしまうトールの切り替えっぷりはこの家族に引けを取らないレベルである。

 

「なぁ、このゲームやろうぜトール」

「ああいいよ」

 食後にキルアはトールを部屋に招いてゲームの対戦をやる、家族でゲームをやるのはミルキか自分だけでそのミルキも大戦をするタイプで無い為、ここぞとばかりにやる。

「がんばれーキルア」

「……」

 何故か今日は二人ほどギャラリーがいるが。

 

 

 何故かじとーという音が聞こえそうなほど見られたが実害も無く、それでも何となくトールの第六感がイエローと判断する為、ゲームを終わらせると自室に直ぐ戻りシャワーを浴びて髪を乾かし、歯を磨いて直ぐに就寝した。

「寝たね」

「うん」

 その様子をネコ科の動物の様な目で見届けたカルトとイルミはテラスの陰からそっと離れ、現在ミルキの部屋に向かっていた。

「気付いて食べない感じかと思ったらがっつり食べて焦ったよ」

 全く焦った様子もなく言ってのける。

「でも全然痺れた様子も無かったし……」

「あとはミルキの情報で裏付けってとこかなー」

 

―――――――――*

 

「御前ら酷くないか!?」

 地下にある次男坊の部屋で、その部屋の主は床に大の字になり頬を赤くして叫んだ。

「開口一番『分からない』なんて言うミルキのが悪い」

「あとふんぞり返った姿勢がイライラしたから、つい」

 手のスナップを利かせてヒュンヒュン音を出すカルトのビンタをミルキはまともに喰らった。

 それもこれもイルミが言ったように、「成果はどう?」と聞いた途端にそう言ったからである。

「御前らホントに短気だなチクショウ! 調べた情報話すから暴力はやめろ!! あと、ふんぞりかえってる訳じゃなくて体型的にこれがデフォだよ!」

 ビンタの衝撃で自分ごと倒れた椅子を立て直すと、再びドスンと音を立てて椅子に座る。

 机の上に束ねておいてある今回の情報収集結果とおぼしき紙を掴む時には既に頬の椛も消えていた。

「仕事のときも使ってるヤツで調べてみたけど『トール=フレンズ』なる人間は何をどう探しても該当しなかったぜ? 調べても『機密』とか俺ら一家みたいな『都市伝説』とかそういうんじゃなくって一切データが出てこないんだよ」

「裏の顔はでしょ? 少なくともアイツ服屋じゃないか」

 誰も知らないで顧客はとれない、当然の考えである。

「だからそれも出ないんだって!」

 それもそうだ何せまだ正式にデビューしていないのだから。

「だからアイツの関係者らしい二人のハンター調べたけどさ…… ますます訳わかんなくなった」

 疲れた様に眉間を指で揉みほぐすミルキの腹に乗っかった二組の写真付き資料にその疲れの元凶たる珍獣二名が笑顔でいた。

 

『キューティー=ビューティー/かわ美ハンター』

 彼女のハント対象である『かわ美い』というのは依然不明である(可愛い、美しいを両方兼ね備えている何かという説あり)

 主に若い女性ハンターの所謂ファッションリーダー的ポジションにあり、そのカリスマ性と斬新な発想が他に類を見ないモノとして(そういった女性達の心をハントしたとして)一ツ星(シングル)となる。

 又、非公式ではあるがハンター協会副会長に最近就任したパリストン=ヒルの親衛隊長を彼が副会長になる前から名乗る。(これは護衛部隊という意味で無く、熱心なファンという意味での俗称と思われる)

 

『アルゴ=ナウタイ/イイ男ハンター兼依頼ハンター』

 本人はあくまで専門はイイ男の方であると言っているが、彼(若しくは彼女? 以下、便宜上彼とする)が一ツ星(シングル)として評価されているのは依頼ハンターとしての側面である。

 彼独自の情報網は依頼を受ける為だけでなく、あらゆる方面に顔が利き尚且つ一定の信頼を得ている。

 その繋がりは表向き敵対ないし不可侵とされる者同士をも繋げさせ、別種の世界を展開しているとさえ言われることから情報通の間ではその情報網や繋がりを一緒くたに『オカ魔界』と呼んでいる。(この繋がりが不要な争いを悉く水面下で回避した業績も彼の一ツ星(シングル)たる理由の一つである可能性有)

 

 この両名、非常に親しい間柄であることが判明している。

 

 

 資料は数ページほど存在したが、一ページ目にしてカルトは軽い眩暈を感じた。

 眩暈と言うより脂っこい物を食べすぎた胸やけに近い感覚である。

「…… 何これ?」

 カルトに次いで資料を読んだイルミも、そう言ってミルキを見る。

「それはオレも調べ終わって言ったよ、全てとまでは言わないけどその冗談みたいな内容は真実だよ」

 もう役割は終わりだと疲れた様に言って資料をそのままイルミに押し付けると、ミルキは机の引き出しから別の紙の束を取り出し、PCの画面を付ける。

 火薬、配線、薬品等々察するに爆弾の資料と思われる。

 ただ、その中に置いて動物図鑑があるのは何故だろうか?

 ここにいても用は無いのは明白で、カルトとイルミは謎と精神的疲労という結果を受け取り彼の部屋を後にした。

 

―――――――――*

 

「えー…… では追加分については?」

 

「俺も親父も文句なしだ」

「オレ達兄弟の分も問題なしだね」

 納品期日、それぞれに渡した服はどれもこれも問題ないようでそれどころかキルアに至ってはこの場で着た。

 

「では私は……」

「ああそうでしたわね、そこの者が案内しますわ」

 スッと執事の一人がトールに向かって一礼すると案内をする。

 帰る訳ではない、洗濯する執事の人に洗い方をレクチャーしに行くのである。

 それが終わり、色々言って「是非今後とも御贔屓に」で占めもう懐かしくなった珍獣二人のもとへ帰って初めて終わりなのだ。

 

 思い返せば産み呼ばれた森とどっこいどっこいの危険性だと、執事に案内され廊下を歩くトールはしみじみ思った。

 

 

 

「…… で、簡単にまとめますと全部色落ちの心配皆無なんで普通にジャブジャブ洗っちゃって結構です、和服も糸が良いんで洗濯機にブチ込んで平気ですね。ただ、へたりが早くなるんでそういった点から手揉みが好ましいです、二年に一回は洗い張りすると尚良し」

 執事が目を丸くする。

 主に「えっ そんな適当でようござんすか?」という風に。

 舐めて貰っちゃ困る、繊細とは無縁の大自然の中で育った友達の糸なのだ、織りは繊細極まるがその他は野生の丈夫さである。

「注意点があるとすれば、この通り糸が特殊なんで修繕する際に代わりの糸を見繕っても違和感があるのでそこが難点ですね」

 言ったら其処の点に関しては都度貴方を呼びますと言われた。

 

―― お付き合い決定すか

 

 

「じゃあ、割と頻繁に来るんだね?」

「そうだね、うん」

 レクチャーが終わり、廊下を歩きつつカルトと会話する。

 何時の間に其処にいたのかと聞いたら「もう帰っちゃうのかと思って」と言われた。

 

―― キミも割と頻繁にいるよね?

 

「また帰ってこいよな?」

 廊下の突き当たりで待ち構えていたキルアはニカッと笑う。

 

―― それ逆じゃね? つーかキミもいたの?

 

「来るのを楽しみにしてるよ? それより先に仕事でばったり会うかもね?」

 視線を上げれば鬼面より恐い能面がいた。

 

―― 暗殺者と被る仕事って何だよ一体……

 

 出来れば行きたくない、そう思う彼の考えとは裏腹に最低半年に一回はくる羽目になる未来は【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)を持ってしても回避できなかった。

 

―――――――――*

 

―――パドキア共和国・『何処かの料理屋の個室』

 

「んもう心配したのよぉー、トールちゃん!!」

「…… そ、そっか」

 麓から送られ、待ち合わせ場所の料理屋に着くなりアルゴの熱烈なハグを受けるトールは少し引きつつも甘んじて抱擁を受ける。

 何だかんだで無事に再会出来て嬉しいのだ。

「結局専属みたいなポジションになっちゃったけど大丈夫ですかね?」

 元々代理ということで受けた依頼である為、そこらの事を心配しキューティーに問う。

「全然大丈夫! そういったチャンスがあるお仕事を前に逃げだした子の方が悪いんですカラ、寧ろそこまで気に入られた自分自身を誇ってもいいノヨ?」

 無問題で大絶賛だった。

「とにかくトールちゃんは初仕事を終えたっていうことで好きなだけ食べて飲んでいいの! それだけのことをしたんですもの!!」

「その通リ! ワタクシも信用を失わずに済んだのだし、言うこと無しの万々歳ですモノ!」

 含むものも無い純粋な言葉と、それでも表しきれない想いを大盛りの料理として振る舞う二人にトールは涙を流す代わりに生唾を飲み、ありがとうで伝わらない気持ちを満腹まで食すことで伝えた。

 

 

「最初から階段上らず飛ぶ勢いだったけど、どうだった初めてのお仕事は?」

「いや色々無我夢中で、まだ信じられないくらいさアーちゃん」

 正しくは(生き延びるため)無我夢中で(今生きているのが)信じられない位である。

 肝心要の部分を省略していてもなお伝わる過酷さだ。

「そうよねぇ…… 私も初めての仕事かなり大変だったわ~」

「アーちゃんの初めてってどんなでしタノ?」

 微妙に嫌なフレーズでキューティーが聞く、彼女も知らないようだ。

「マグマの近くにしか産まないトカゲの卵のか・い・しゅ・う♥ ちょっとでも【念】が乱れればお肌ドロドロよ~ん」

 別種のというかダイレクトに危険な依頼である。

 もしやそのトカゲとはサラマンダーではないか?

「しかも偶々産卵に立ち会っちゃったのよ! 思わず最後まで見ちゃったわ」

 まぁ、卵の回収依頼だから心を鬼にしたけど…… 色々台無しである。

「だから私もトールちゃんの気持ち分かるわ、ちょっとはしたないけどコレで仕事が終わったって事分からせてあげちゃう♥」

 言い方に思わず臨戦態勢一歩手前までいくが、アルゴが取り出したのは長方形の紙だった。

 眼の前のそれは預金通帳、しかも自分名義である。

「こんなの何時の間に?」

「私が依頼で飛びまわってるときよん、森から出るときに何かと入用でしょ?」

 アルゴはトールの思っていた以上に自分の事を考えてくれていた。

「驚くのはまだよ~? ほら、じゃ~ん!」

 片手で器用に開いた中に記載されていた数字は……

「いち、じゅう…… え? ちょっとまって!? 宝くじ一等連続当選か何かしたのかこの数字!?」

 予想より大分ゼロの数が多かった。

「大幅な追加注文分と今後とも宜しくって言う意で色付けて云々ってとこかしらね? この金額は」

「でしょうネ、それとあの一家の金銭感覚のせいも入っているんでショウ」

 予想以上の金額に喉の急激な渇きを覚え、水をがぶ飲みするトールを眺めながらアルゴとキューティーは分析する。

「げふッ…… ふぅ、落ち着くのにピッチャー全部空にしちゃったよ」

「そう、落ち着いたの? じゃあ、次のお仕事の話しちゃいましょうか」

「すいませーん、ピッチャーの水追加お願いしまーす」

 ゾルディックで鍛えられたトールは更なる仕事というイレギュラーな事態を前に機能停止を寸出で拒んだ。

「水飲んで落ち着きたいから話し待っててくれない?」

「いいわよー」

「かまいまセン」

 仲良く返事をしてデザートのプリンを口にする二名は素直だった。

 

 暫くしてピッチャーの水が運ばれると、トールは「失礼」と一言謝り丼鉢に水をなみなみ注ぐと一気に飲み干した。

 この調子だとあと二杯も飲めば空になる。

「よし! 話して」

 言って二杯目を注ぐ。

「実は又、キューちゃんとこの人の代理なんだけどー、心源流の道着を仕立てるお仕事なんだけどねぇ……」

「オゲッフ!? ゲホゴホ!!」

 水こそ吐き出さなかったがトールは盛大にそれはもう盛大に噎せた。

 

―― 思っくそ他流派じゃねぇか!?

 

 そのツッコミはそのせいでついぞ出てこなかった。




 ちなみにゾルディック家の参考資料は漫画と旧アニメと大部分ドラマCDです。

※誤字修正(2014/05/12)


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全国的に予備試験ですがところによっては晴れる見込みです

 

―― 機種変、しようかな?

 

 森を離れ早二年、アルゴとも仕事の関係上別々に暮らしているここは前よりいくらかパドキア共和国に近い。

 アルゴが名を貸してくれたおかげで手に入れた場所と同時期に購入して二年になるケータイを見つめ、トールは真面目に悩んでいた。

 機種変と言っているが実際はもうケータイを携帯することをやめるか悩んでいるレベルである。

 スパイダー06型という蜘蛛の形そのものだったという一点で購入を決めたそれは、ほくほく顔だったその時の顔を曇らせる内容ばかり掛かって来た。

 その殆どはゾルディック(あの家)が原因である(他はアルゴかキューティーの仕事の手伝い)

 

 放棄を悩む切っ掛けは二つの要件に関する電話。

 一つは今から数週間前の電話、彼の中で通称『三連ゾルディック事件』

 一日で奥さん、イルミ、カルトと立て続けに電話が掛かって来たのである。

 地味に驚いたのはイルミにはケータイの番号を教えていなかったのに掛かってきたことだ。

 内容は何とキルアが反抗期で、母親と次男を刺して家出したから何か知らないか? というか其処にいないか? である。

 奥さんは息子の反抗期のショックと自分の顔面を躊躇い無く刺した事の嬉しさで要領を得ず、続くイルミで内容を把握し、最後にカルトの消え入りそうな声と力強い負の感情籠る電話によって一旦ゾルディック家に訪れる羽目になった。

 そして、帰ったときにベストタイミングでやって来た宅配から荷物を受け取ってそれをおいた瞬間に鳴ったケータイからはアルゴの声。

『はぁい、トールちゃん元気ぃ?』

「かろうじてー」

 正直な答えである。

『そういうなら元気ってことね、荷物届いたかしら?』

「あー届いたよ、まだ開けてないけど」

『なら開けてごらんなさい』

 そう言うのでケータイをスピーカー状態にして、テーブルに置くとダンボールのテープを切って開ける。

 大量の梱包材を除けると、重厚なナイフが一本と神社などでよく見ていた、この世界風に言うとジャポン式のお守りが一つ入っていた。

『見たかしら?』

「ナイフとお守りが入ってたよ」

『もっと奥の方も見るのよ』

 へいへいとさらに梱包材を除けた先に、ハガキほどの大きさのカードがあった。

「まだ何かあっ…… 『ハンター試験名応募カード』ってもしや」

『そう、本格的にお仕事する為の第二ステップがやってきたのよー』

 しかも御丁寧にアルゴが関係者でサインしている。

「…… これで切りぬけとナイフで、そんでもって合格祈願にお守りをどうぞと」

『さ、レッツチャレーンジ!』

 もっと他に道は絶対あったはずだと強く考えたのは震える手でエントリーをした後であった。

 

 

―― よし! 試験が終わったら機種変しよう

 

 合格したらと決意しなかったところが実に彼らしかった。

 

―――――――――*

 

―― 港町ってのもいいもんだなぁー

 

 トールは長く伸びた道路を歩いていた。

 

 登録の次の日に来たハンター試験案内の紙には日時と船に乗るという事以外は『場所・ザバン市』としか書いていなかった。

 乗った船はよせばいいのに大シケの海を突き進んだ。

 帆が盛大に破けたところを縫ったり何人か海に落ちた人を糸で釣ったり、繭の様にして揺れる船内で安定した寝床を確保するなどと中々エキセントリックな船旅であった。

 そして今日早朝、ドーレ港なる場所へと無事にたどり着いたのである。

 船長によれば予定では昼より少し前になるはずだったがかなり早い到着らしい。

 

 船長はじめコック等も黙っていたが早く来る羽目になったのはトールが飯を食いまくって食料が尽きかけたからである。

 尚、この船は来年のハンター試験から試験内容に各自で飯をまかなえという内容が追加された。

 

『ハンター試験受験者の先輩としてアドバイスそのいち、公共の乗り物は使っちゃダメよ! 歩かなきゃ』

 

 と言う訳でザバン市まで彼は徒歩で行くことにしたのである。

 単に港の人混みが苦手だったというのもあるが。

 ここまで彼は自分のペースでのらりくらりとやってこれたのであった。

 そのマイペースもここで終わりかもしれない。

 

―― どこだここ……?

 

 道に迷ってしまったのだ。

 道が獣道になってからというものやたらに獰猛な野生生物に出くわすので、縄張りに入ってしまったのだろうと推測し大自然のマナー的に考えて命のやり取りをするとき以外に縄張りに入るのは大変失礼なので、迂回したり少し戻ったりしているうちにゴーストタウンにぶち当たった。

 ここなら大丈夫だと意気揚々と歩きだし――

 

 その結果が目の前にいる老婆を筆頭とした仮面の群れだった。

 

 一体なんぞと思ったがきっと特殊な風習を持った民族だろうと、ゲザド族を思い出す。

 特に武器になる様なものも持っていないし敵対している訳でもないと確信。

 

―― あれか、熱烈な歓迎的な奴か? ゲザド族のアレは凄かったなぁ、まさか総出で土下座してきて思わずこっちも土下座したっけ……

 

 蜘蛛と融合して以降、建物から落ちる原因になったあの波動から人の底知れぬ悪意を感じ、蜘蛛から孤独を読み取るほどの【霊視】を持っていた彼のソレは対人関係絶望的な蜘蛛に引っ張られるように他者の感情にすっかり鈍感になっていた。

 かといって老婆達に悪意は無いのだが。

 

「ドキドキ……」

 そんな風に警戒心ゼロのトールはここの中心人物と思しき老婆がなにやらむにゃむにゃと言っているのが微かに聞こえた。

 何だろうかとトールが顔を近づけ、耳をそばだてたその瞬間――

 

「ドキドキ二択クイ~~~ズ!!」

 

 老婆が目を見開き、あらん限りの大声を上げた。

………

……

 

「そう、『沈黙』が正解さ」

 驚きで気絶に近い状態から回復したとき、老婆は拍手していた。

「さぁ、あの一本道を行きな二時間ちょっとで目的地さ。一本杉の下の一軒家にいる夫婦を訪ねなさい」

 指さす方を見れば仮面の人が壁にしか見えないカモフラージュがされた扉を開ける、中には真っ暗であるが道がある。

 なんだか分からないがどうやら道を教えてくれたようだとトールは判断した。

「おお、ありがとうございます」

「礼を言われたのは初めてだよボウヤ、頑張りなさい」

 

 これで道に迷わずに済むと暗い一本道を進みながら安堵するが、そもそもこちらはザバン市と逆方向であった。

 

 

 さてそろそろ昼飯かという頃、彼は一本杉の下にある一軒家に到着した。

 彼の中では親切な民族の代表とされている老婆の教え通り、家に住む夫婦に会うため扉をノックする。

 「すみませーん!」と大きな声を出すが返事は無い。

 すると中からドタバタと物が激しくぶつかる音が聞こえた。

 白昼に夫婦喧嘩勃発か!? ならば出直すべきかとどうすればいいか分からず、トールは先ほどより大きな声で

「お取込み中すみませーん! 出直します!」と改めて言う。

「ちげーよマセガキ!」

 そんなツッコミと共に開かれた扉から出てきたのは、女性を抱えたキツネ目の獣というより狐の化物だった。

 奥には傷つき血を流し倒れた男がおり、絞り出すように「つ、妻が……」と言っている。

「よ、他所の奥さんをその…… 無理矢理はよくないかと?」

「色事から離れろってんだよ! どーみても化物が人攫ってる場面だろうが!?」

 何故か狐っぽいのに怒られたトールだが、釈然としない表情だった。

「え? 貴方達人間じゃないですよね?」

「ハァ?」

 トールはキツネ型の化物と女性、奥で倒れている男を指差し()()()()を喋る。

 

「だって、貴方達同じ種族でしょ?」

 

―――――――――*

 

「わっはっはっは! ハナっから正体に気付いてりゃただ揉めてる様にしか見えんわな!」

 後から来た奥さんを名乗るキツネ型の化物もとい凶狸狐四人とトールは食卓を囲んでいた。

「ハハハ、すいませんなんか考えてた段取り潰した挙句に昼食まで御馳走になって」

 そういうトールに先ほど化物役をやっていた旦那の凶狸狐が「いーっていーって」と上機嫌に言う。

「しっかし、よく子供たちの変化を見破ったな? つーか気付けたんだ?」

「眼の良さだけは昔から自信がありますから、多分それで」

 視力が良いだけでなく【霊視】が人に対しての効力のほとんどを失った代わり、人外へのシンパシーによって人外に対しての効果が引き上げられたためである。

 トールは昔っからナナフシとか見つけるの得意だったなーと思い出していたが、それは純然たる彼の特技であって全く関係ないことだった。

 もし、ヒトやらに擬態する未確認生物でもいようものなら見破っていただろうが。

 

「トール殿、貴方は十分に能力を見せてくれました、合格です。昼食後試験会場へと案内しましょう」

 男に化けた息子の凶狸狐はトールに合格を言い渡す。

「むぎゅ?」

 トールは出された鳥の唐揚げに夢中であったため聞いちゃいなかった。

 その後の話題からトールは、偶々この凶狸狐一家がハンター試験関係者か何かで善意で会場まで案内してくれるのだろうと納得した。

 

 こうしてトールは予備試験の存在を知らずに合格したのだった。

 

「ではトール殿、早速参りましょうか。しっかり掴まって下さいね?」

 食事も済み試験会場まで行くのに息子凶狸狐は己を飛行できる状態に変形させ、いざトールを連れて飛び立つ瞬間

「重ッ!?」

 トールがしっかり掴んだ足首を軸に、息子凶狸狐は思わぬ重量に弧を描き地面に顔から激突した。

「む、息子ぉ!?」

 慌てて駆け寄る凶狸狐一家、息子凶狸狐は娘凶狸狐の肩を借りてふらりと立ち上がった。

「トール殿、不躾な質問ですみませんが体重は如何程で?」

「あ、130㎏位ですかね?」

「ひゃ、130ですか!?」

 大蜘蛛一匹背負い込んでいるようなものであるトールの体重は見た目に反して重かった。

 結局、息子では運べないので急遽旦那凶狸狐が彼を運ぶことになった。

 

――うわー、気持ちいい!

 

 飛行船とまた違った空の旅はトールにとってとても楽しいものだった。

 緑の上を飛び、遠くに見える都市のごみごみとした建物の群れも全てが新鮮だった。

 途中鳥の群れが近くを飛びかかった際に、あれだけ喰ったにも関らず景色そっちのけで蜘蛛の糸を出して捕まえようとした彼はやはり花より団子だったが。

 

 そんな数十分の空の旅もザバン市近くの目立たない路地裏という終着点を迎えた。

 二人とも地面に立つと、凶狸狐は目の前で人間の男に化ける。

「ふぅ…… さて、とりあえず会場の入り口に案内しよう」

 試験会場の住所が書いてあるだろう紙を取り出しながらそう言って前を歩く凶狸狐についていったが、初めてみる町にキョロキョロしていたらはぐれかけた。

「手、繋いでくか?」

「迷子になりかけて言うのもアレだけどこの年になって手を繋ぐのはちょっと……」

 その後年齢を言えば「くそう! 化かされただと!?」と、とても悔しそうな顔をしたり等愉快な事があったりしてようやく目的地に辿り着いた。

「ここ飯屋ですね?」

「ああ、そうだ飯屋だ。だがここがハンター試験の会場さ、うまい化かしだろ?」

 なるほどこれならここが世界中から応募者が殺到するハンター試験の会場とは夢にも思わないだろう。

「さてと、会場には来たが試験開始は明日の朝方になる。この近くの宿に泊るか、会場で待ち続けるか二つあるがどうする?」

「泊まりで」

 殺気が溢れているだろう会場に長居したくないと即決だった。

 こんなときお金を持ってて本当によかったと思う。

 アルゴとキューティーには一生頭が上がらないし足を向けて寝ることも出来ない。

 

 しかしアルゴはナイフを持っていく代わりに三節棍は持って行くなと言われた、どうしようもないとき現地で作る修行の一環だそうだ、ふざけるな。再会したら頭突きして顔面に蹴りいれてやる。出来れば。

「なんかヤル気に満ち溢れているが、会場に今すぐ行く方に変更するか?」

 即座に断り、宿屋へ向かった。

 

 着いた場所は飯屋にほど近い、ビジネスホテルだった。

「いらっしゃいませ! ご宿泊ですか?」

「ああ、『大変恐縮だが』コイツが一泊程泊まりたいそうで、部屋はあるかい?」

 笑顔が眩しいフロントは一瞬表情が強張ったが、すぐに笑顔に戻る。

「はいございますよ! ではこちらにフルネームでお名前をお書き下さい!」

 ここで普通は本人が書くものだが、そのまま凶狸狐が名前を書く。

「ではこちらがお部屋の鍵になります、誠に申し訳ございませんがモーニングコールのほう、現在事情により承っておりませんのでご注意ください」

 そして、凶狸狐に促され部屋に入る。

 そのホテル独特の雰囲気を持つ部屋で、トールはこの世界に来る前の世界で旅行に行った時を思い出す。

 

――ああ、前の世界が少し懐かしくなっちゃったな……

 

「んじゃ、もう一回言うけど試験は明日の朝方な? んでここが一番大事さ、よく聞いてくれよさっきの飯屋で注文で『ステーキ定食』を頼みな、そうすると次は焼き方を聞いてくる『弱火でじっくり』こう答えれば会場に案内されるって寸法さ」

 ほんの少し昔を思い出していたら、凶狸狐が重要なワードを言ってきたので慌てて説明を聞く。

「ステーキ、定食…… 弱火、じっくり…… うし、大丈夫!」

「そうか、さっき財布を握りしめてたけどここの代金はタダだから気にすんな、もう帰るけど機会があったらまた来てくれよ。もっかい案内するからな!」

 そっかじゃあまた! と言うと凶狸狐は何がツボにはいったのか大笑いして去って行った。

 トールは首をかしげるが、考えても分からなかったので考えるのはやめてのんびり風呂に入ることにした。

 

――凶狸狐一家から貰ったおすそ分けを食べるかな?

 

 サバイバル生活なのに火をつける発想に至るまで数ヶ月を有した実績は伊達じゃないマイペースぶりであった。

 

―――――――――*

 

 翌日、常に起きる時間きっかり目覚まし時計も無く起きたトールは、しばらくしてホテルから出る際のチェックアウトで戸惑ったくらいで特に気負うこともなく飯屋にやって来た。

 

「いらっしぇーい!!」

 飯屋に入ると、料理を作りながらオヤジが気だるそうな顔してそれに見合わない声量で出迎えてくれた。

「ご注文は?」

「ステーキ定食」

 ピクリとオヤジの眉が動く。

「焼き加減は?」

 そう聞かれ、トールは自信満々に答える――

 

「じっくり弱火で!」

 

「うん? あ、あいよー!」

「お、お客さんカウンターにどうぞ!」

 何となく歯切れの悪い返事と共にこれまた何故かぎこちない調子でカウンター席に案内される。

 暫くしてそこにはじっくり弱火で焼き上げたステーキ定食を食べるトールの姿があった。

 食べ終わっても何も起こらなかった。

 

――アレ、何も無いの?

 

 暫くしても何もないので同様の注文を今度は単にステーキで注文する。

 しかし、ただステーキが注文通りの焼き加減で目の前に置かれるだけだった。

 『定食ステーキじっくり弱火』、『じっくり弱火のステーキ定食』と立続けに注文をするが注文通りの品がくるばかりである。

 オヤジとウエートレスが心の中でトールに頑張れと応援を送るまでに彼は注文をするが、後半は『じっくり定食ステーキ弱火』など訳の分からない裏メニューの様な注文になったがそれでもオヤジはステーキ定食を作りウエートレスはそれを運んだ。

 

 誰かこの子に正しい注文を教えてやって…… とオヤジとウエートレスがもうトール自身の力では無理と悟り第三者の介入に期待する方向で店の扉をチラチラ見始めた頃――

 

 扉は開かれ、本当に救世主が現れた。

 

 口をあんぐり開けた凶狸狐と言う名の救世主が



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蜘蛛のち出会い、ところにより再会するでしょう

「い、いらっしぇーい!!」

 トールを運び終えた晩に来た受験者も合格し、ナビゲーターとして再びこの地にやって来た旦那凶狸狐はオヤジの出迎えボイスと肉を焼く音をBGMに口をあんぐり開けていた。

 何せ昨日送り出したはずのトールがいまだここで飯を食べているのだ、とっくに試験会場まで行っているものとばかり思っていた凶狸狐は驚いた顔のままトールに歩み寄る。

「ちょっとちょっと、なんでアンタがまだここにいるんだ!?」

 小声で話しかけられたトールは振り向き、凶狸狐に気付いた。

 凶狸狐以上に驚きつつなぜここにいるのかコイツもコイツで不思議がる。

 それも、入口付近でこちらを見ている旅人らしき三人組を見て自分と同じように案内できたのかと納得する。

 トールは素直に合言葉を忘れましたと言おうとしたが、怒られそうなので多少の冗談を織り交ぜワンクッション置いてから喋ることにした。

「ほら、昨日ホテルで言ったでしょ? 『じゃあまた』って」

 不敵な笑みと共に言った言葉は凶狸狐に衝撃を与えた。

 まさか自分達の変化を直感で見抜くような実力者、と勝手に思っている人物が合言葉を忘れるなどとまったく考えていなかった凶狸狐は、なぜ合言葉を知っていていまだここに居続けているのかを純粋に問うたのだ。

 その認識を前提にもう一度自分がこの場に来るという予知めいたものを、昨日のホテルの段階あるいはもっと前から感じ、しかもその直感を信じて時間ギリギリまでこの場に居続けたのかと凶狸狐は戦慄した。

 あれは今年は落ちるから来年も世話になるというジョークではなかったのだと。

「なるほど、そういうことだったのか……」

「ええすみません、後ろの人達も試験を受けに来た人ですよね? 一緒に試験会場に行きたいのですがいいでしょうか?」

 凶狸狐の納得の言葉を自分が合言葉を忘れたのを察したものだと思ったトールは、すまなそうにお願いをする。

「ああ、アイツらもそういうのは大丈夫だろうし構わねーぜ。オヤジ! 『ステーキ定食』」

「焼き加減は!」

「『弱火でじっくり』だ」

「あいよー!!」

「お客さん方、奥の席にどーぞ!」

 OKが出てほっとするトール以上にオヤジとウエートレスの方が安堵していた。

 

―――――――――*

 

 相乗りになった三人組が何やらハンター試験の過酷さやらハンターとはそもそも何ぞやと話している最中、トールは黙々とステーキを食べていた。

 ステーキはオヤジ達の頑張ってこいという気持でも表しているのか、かなり厚切りだった。

 

―― フツーの牛もいけるけど、やっぱ焼き方変えて欲しかったな~

 

 本日十枚目のじっくり弱火の焼き加減のステーキを食べつつそんなことを考えていた。

「ねぇ君、名前なんて言うの? オレはゴンっていうんだけど?」

 水を飲み口の中が空になった丁度いいタイミングで三人組で一番最年少と思われる緑色の服を着た少年が話し掛けてきた。

「ん? トールって名前だよ」

 続けて長身のスーツがレオリオ、和服とは違う民族衣装を着ているのがクラピカだと紹介される。

「トールって凶狸狐の話じゃ、見た瞬間に変化を見破ったらしいけどどうやってわかったの?」

「眼には自信があるからね」

 視力が良ければ見破れるやもと本気で考えている故の発言をするトールに、どんな視力だよ…… とレオリオは呆れて突っ込む。

「いや、この場合は視力の事でなくて慧眼若しくは観察眼という意味合いだと思うぞ? レオリオ」

 何やらカッコイイ解釈をしてくれたクラピカには大変申し訳ないが本当に視力の事である。

 間違いを訂正すべきなのか自分が間違っているかも知れないから訂正しなくていいのか迷っている彼を救ったのは地下に到達したことを告げるベルの音だった。

 地下に着くと地下道の様なトンネルの中に物凄い殺気立った人間が物凄い人数いた。

 皆エレベーターから降りてきた自分たちを見ていたがそれも少しの間だけで、すぐに視線が集中する気配が無くなった。

 どれぐらいいるんだろうとキョロキョロしながら疑問を言うゴンに「君たちで406人目だよ」と答えた声はやや上の方から聞こえた。

 地下道の壁をはしるパイプの様なところに腰を掛けていた声の主である全体的に丸い男は人当たりのいい笑顔を浮かべながら自身の名はトンパだと自己紹介をする。

 顔が豆みたいな形の小男から406と書かれたプレートを受け取りつつ、自分たちも名を名乗る。

 トンパは10歳から35回テストを受けたベテランらしく、親切にも有望株の常連を何名か教えてくれた。

 紹介の途中、突然悲鳴が聞こえたので何事かと声のする方を見れば両腕のない男がいた。

 その原因は44番、通称『奇術師』のヒソカと呼ばれる男の凶行らしい。

 何でも去年は試験官含めて20人ほどヤったらしい。

 その説明を聞いた段階で近づかないことは確定したが、あの服のデザインはトールにとってカッコイイと感じるものだったのでまじまじと見ていた。

 

―― ああいうタイプの服は作ったことないからなぁ、着てる奴がアレな奴じゃなかったら是非じっくり見たいんだけどな

 

 そんなことを考え、興味深そうにヒソカを見ていたトールにトンパは不気味なものを見るような微妙な顔をしていたが。

「そ、そうだ! 気分転換とお近づきのしるしってことでこれで乾杯しないか?」

 すぐに柔和な顔つきに戻り、トンパはどこからか人数分の缶ジュースを取り出すと皆に渡す。

 トールはさっそく飲もうと缶のプルタブに指を掛けようとしたとき、誰かに後ろから声を掛けられた。

「なぁなぁ、その格好もしかして同郷か?」

 振り向くと鎖帷子だか黒装束だかを組み合わせた服を着たスキンヘッドがいた。

「ジャポンの人?」

 この自分の野袴スタイルを見て同郷というのなら、何故か日本に非常に近いどころかほぼ同一と言ってもいい未知の島国『ジャポン』の出身者であろう。

 若しくは本当に日本の可能性もあるが。

「そうそう! いやー、まさか自分以外のジャポン人にこんなところで会えるたぁな! オレはハンゾー…… ああいや外人向けの発音じゃなくていいか。半蔵ってんだ、よろしく!」

 どうやらジャポン出身者の様である。

「はぁ、どうも俺もトールって言ってますけど透でも通じますかね? よろしく」

 言うと半蔵は「そーか透ってのか!」と言いながら勝手に手を握りブンブンと振る。

「でも俺はジャポン出身じゃないですよ」

「へ? ジャポン独自のイントネーションの名前でその格好でか?」

 とりあえず考えなしに正直に話したが、じゃあどこ出身なんだという当然の質問にまさか大蜘蛛に産み呼ばれました等と言えず、さりとて気の利いた嘘も言えず要所を暈したり記憶が曖昧だの言った結果――

 

「そうか、苦労したんだなぁ…… オレもオレで過酷な人生歩んでるなんて思ってたけどよ、所詮井の中の蛙って奴だったな…… オレに出来ることがあったら言ってくれ、力になるぜ!」

 半蔵の中でトールは『妊娠中のジャポン人の女が漂流の果てに未開の密林に流れ着いたところでトールを産んで力尽き、それ以来親切な人に拾われるまで孤独な生活をし、母の形見でジャポンの文化に思いを馳せる薄幸な子供』ということになり、涙ぐんで今度は固く手を握った。

 一方のトールは訳が分からずただ戸惑うばかりであった。

 

 向こうを見ればトンパが何やらゴン達に謝っていて気になったので、半蔵と別れゴン達のところへ向かう途中に突然地下道全体に騒がしいベルの音が鳴り響き、トールはトンパの謝罪内容を聞くことなくその場に立ち止った。

 

 ベルの音はトンパの座っていた様なやや上の位置にあるパイプにいつの間にか立っていた口髭を蓄えた紳士風の男が持つ、小ぶりの人の顔に酷似した良く分からないものから発せられていた。

 大方が注目したのを確認すると紳士風の男は音を止める。

「ただいまをもって、受付時間を終了とさせていただきます」

 どうやら受付終了のお時間の様だ。

「では、これよりハンター試験を開始いたします」

 試験開始を告げ、男は集団の先頭に当たる場所にふわりと着地すると地下道を歩くよう先導する。

 ここで、男は一応確認のためにとハンター試験は過酷で怪我や死者など毎年の事なのでそれでも構わない方のみついてくるよう言うが、一応という言葉を付けた男の予想通り誰も歩みを止めなかった。

「承知しました。第一次試験405名、全員参加ですね」

 分かりきった確認をした後、男の歩くスピードが急に速くなる。

「申し遅れましたが私は一次試験担当官のサトツと申します。これより皆様を第二試験会場までご案内させていただきます」

 遂には走らなければ到底追いつけないスピードにまで達する。

「? 二次試験会場って一次試験は?」

 半蔵の質問に速度はそのままにサトツはくるりと振り向き答える。

「もう始まっていますよ? 第二試験会場まで私について来ること、これが一次試験でございます」

 到着時刻・場所は一切不明、ただサトツについて行く耐久レースという一次試験はこうしていつの間にか開始された。

 

―――――――――*

 

―― よかった~、いきなり周りの奴らをぶっ倒せとかいう試験じゃなくて……

 

 何時間か分からない耐久レースの方が予想していた血で血を洗う壮絶な戦いより、彼の主観的には割と簡単に聞こえるほどに彼の体力は伸びていたため、ここにいる以前にあった学校の持久走で体力差から友達と約束していたのに一緒に走れなかったあの頃にリベンジすべくトールはゴン達を探していた。

 すると近くで「反則だー!」と叫ぶレオリオの声がしたので人をかわして向かうと、何やら揉めているようだ。

「おーい、みんなー」

「おお、丁度いい聞いてくれよ! このガキこの試験にスケボー持ち込んでんだぜ!?」

 ほうそんな用意周到な子供もいるのかと、レオリオの影になっているその子供を見る為ひょいと顔を出す。

「…… へ?」

 そこには、見知った銀髪の少年、というか自分が仕立てた服を着た少年がいた。

「うおお!! トール!? 何でお前こんなとこにいんだよ!?」

 これは厄介なことになりそうだと直感したトールは顔をそらした。

「こっち向けっての! ただの服屋のお前が何でハンター試験受けてんだよ!?」

 逸らしただけで回避出来る訳もなく、すぐさまキルアは回り込んで目を合わせようとする。

「キミたち知り合いなの?」

 この反応にゴンは率直に聞いてきた。

「コイツ、オレん家の服全部仕立ててるヤツ。この服もトールが作ったんだぜ」

 見せるように服を引っ張る。

「へぇ、キミ服屋だったんだね」

 すごいやとゴンはキラキラした目でトールを見る。

「何か喋れよトール! もしかして親か兄貴に言われて追って来た…… わけないか、自分で探すもんなあいつら。でもオレがここにいるなんて絶対言うなよ」

「一応どこにいるか知ってるかとか電話着たけどね、試験の参加は偶々だよ…… あと言わないから、うん」

 トールが喋らなかったのはこれを報告した方がいいのか迷っていたからである。

 それもキルアが言うなと言ったからその意思を尊重したと言えばまぁ大丈夫だろうと判断し、言わないことにした。

 

―― そもそもキルアが試験にトールがいたとか言わなきゃバレんし大丈夫か……

 

 まさか試験会場に家族がいるなど全く思わず、約束してしまった。

「あっ! そーだ、このガキがスケボー持ってきたこと何とか言ってくれよトール!」

「ガキじゃねーよ、キルアって名前あんだよオッサン」

「オレにだってレオリオっつー名前があんだよ! あとオッサンじゃねぇ! オレはまだ19のお兄さんだ!!」

「「「えっ!?」」」

 キルアもゴンも、トールですら嘘だろうと驚いた。

 

――チョイ上くらいだと思ってたらまさかの年下……

 

 ちなみに先ほど会った半蔵は同い年くらいだとトールは思っているが実際は18である。

「そこで他人のフリしてるクラピカァ! お前も、もしかしてもうちょい年上だと思ってたなんてことないよなぁ?」

 さっきのトールの様に顔をそらす。

「終いにゃ泣くぞコンチクショウ!!」

 荒れるレオリオをトールが宥めている間にゴンとキルアは自己紹介して意気投合していた。

「ってゴン! そいつのスケボー注意しろって何時の間にか降りてるし……」

「別に試験官はただついて来いって言っただけだからいいんじゃないの?」

「ゴン君の言う通りじゃない?」

「テストは原則持ち込み自由なのだぞレオリオ」

「あと、降りて走っても疲れねーぞ? レオリオ」

 フルボッコである。

 

「なんで息ピッタリ何だよぉー!?」

 理不尽な仕打ちだと叫ぶレオリオを笑いながらゴメンと謝る頃にはトールは全員呼び捨てで呼んでいた。

 

 

 そんな怒鳴るほど元気だったレオリオの体力も開始40㎞付近で尽きかけたり、気力で吹き返したりと途中にあったが順調に進んでいった。

 道が上り階段になったあたりからゴンとキルアは集団のトップの方に、レオリオとクラピカは集団の中心からやや下方に体力の関係で分かれてきたため、トールはどちらについていったらいいものかと迷ってどっちつかずの位置にいた。

「よう、透! やっぱ苦労してきた人間はちげーな、こんなもん屁でもねぇって顔してるぜ」

 どうしようかと思った矢先、近くにいた半蔵がトールを見つけ話し掛けてきた。

「ついさっきまで話してた奴が限界きて倒れちまってよぉ、よかったら代わりに話相手になっちゃくんねーか?」

 どうやらこの人は余程のお喋りの様だった。

 トールもこのままでは誰かとペースを共にするという密かなリベンジマッチが達成出来なくなるところだったのでOKする。

「そうか! で、まずはここだけの話オレ実は忍者なんだよ」

「ええ、忍者!?」

 馬鹿野郎声がでけぇと怒られたが、先ほど話していた男もそれより前に話していたトンパにも出だしにこの文句を言っていたため受験者のほとんどは彼が忍者であるということは知っていたりする。

 だが、受験者の殆どはそもそも忍者を知らないためこの反応は実は嬉しい半蔵だった。

「んでオレは幻の巻物である『隠者の書』を探すためにハンターになりてぇのさ、噂じゃハンターでもなきゃ入国出来ねー国にあるっぽくてな」

 そう言って渡した名刺には『雲隠流上忍・半蔵』と書いてあった。

「しかも上忍!?」

「おお、そこの凄さも分かっちまう? いやーまいったまいった!」

 忍者の事を知っているうえに身分にも反応してくれたのが相当嬉しかったのか、かなり浮かれ調子である。

「なら、その隠者の書探しはもしや御上からの奪還の任で?」

 忍者物の作品でありがちな書が盗まれたーというシチュエーションを思いだし、時代劇風に振る舞う。

 その言葉を言った瞬間、半蔵は浮かれ調子から一変して鋭い目でトールを見る。

 しかしそれも誰にも気づかれない程一瞬の事で、すぐに顔を戻すと「んなわきゃねーって!」と調子を合わせて否定して別の話題を話す。

 

―― コイツ、どんな鋭さしてんだよ!?

 

 実はドンピシャな内容だった。

 忍者や侍が未だいるジャポンに時代劇は無く、トールが思い浮かんだ時代劇の定番はここではほとんどが秘匿とされている内容に非常に酷似しているのだった。

 

 

―― 同業者…… まさか?

 

―――――――――*

 

 気持ち口数が少なくなった半蔵に疲れているのかと思うが、すぐにトールはもしや忍者っていうか修行の定番の重い装備とかをしている影響なのではと閃き勝手に忍者ってすげーなと尊敬していた。

 その忍者も忍者で勝手に湧いた疑惑に囚われかけているが……

「ハッ ハッ ハッ…… ぬぅおおおお!!」

 そんなちぐはぐな雰囲気は後ろから驀進する半裸ネクタイがぶち壊してくれた。

 レオリオが破れかぶれな格好で一気にここまで来たのだ。

「よぉトール! そんなちんたら走ってっとおいてっちまうぜ~!!」

 そういいつつもペースは上がらずトールと並走している、どうやらランナーズハイで高揚して服を脱いだ訳ではないようだった。

 クラピカもレオリオと同じペースで走っているが、この場合は彼に合わせて走っているのだろう、顔にはまだまだ余裕があった。

 半蔵は半裸ネクタイ状態のレオリオをポカンとした表情で見ていたが、頑張れよとエールを送る。どうやらその泥臭いまでの必死さが気に入ったらしい。

 そうこうしているうちに階段の先から地上の光が見え始める、長い階段もあそこで打ち止めの様だ。

 

 かといってそこはゴール地点ではなかったが。

 

 階段を超えた先は湿原だった。

 サトツの説明によればここヌメーレ湿原はここにしかいない珍妙な生物が多く生息し、その生物のほとんどが様々な手段で人間を騙し捕食する生態という通称『詐欺師の塒』だそうだ。

 そんな殺意満々の湿原を超えて二次試験会場に行くようだ。

 汗だくのレオリオに手拭いと水を渡しつつ説明を聞くトールは、この広大な湿原に無数に住んでる生物がよく人間喰うだけで生態系がまかりなっているなとどうでもいい疑問を浮かべていた。

 

 説明の最中、急に背後からサトツを嘘吐き呼ばわりするものが現われる。

「あ、猿だ」

 ボソリと言ったトールの一言をクラピカは聞き逃さなかった。

 その後にサトツを嘘吐き呼ばわりした奴はどことなくサトツに似た猿を見せ、人面猿という非力な代わりに人に化けることと話術に長けていて他の生物と連携して人を喰らい、特に新鮮な人肉が好みの猿であると説明したところでその顔に無数のトランプが突き刺さり、皮肉にも自己紹介をしたことになった人面猿は連携していたサトツ似の猿ごとヒソカに殺された。

 そして、人面猿はどこからかやって来た鳥によって鳥葬された。

 

 この間、トールの頭の中はあの猿はどんな味がするのかという事と、ヒソカに投げられたトランプをとったサトツを見て彼の方が武器にトランプが似合いそうだという、やはりどうでもいいことが考えられていた。

 

 口での説明から、実際の騙しの手口を見た後にその末路まできっちりみせるという仕組んでいたのか? と思わず疑ってしまうほどに完璧なチュートリアルも終わり、再びサトツはハイペースで歩きだし残る受験生312人も走り出す。

 半蔵は先ほどの人面猿に騙されかけたために対策としてサトツのすぐ近くで走るため、その旨を(騙されかけたことはきっちり省いて)伝えるとさっさと先頭に行ってしまった。

「俺達も行くかな」

「待ってくれトール、一つ頼まれて欲しいのだが私とレオリオを先導してくれないか?」

 えっ! とトールとレオリオは驚く、もっともトールの驚きはそこまで信用されていたのかという驚きであるが。

「理由はある。先程人面猿が我々を騙そうとして姿を見せたとき君は一目見て『猿だ』と言った、つまりすぐあれが試験官などではなく猿だと気付いたのだろう? 予備試験でも同じ様に凶狸狐の変化も一瞬で見破っていたそうじゃないか。それに、眼には自信があるのだろう?」

 つまり騙されねーからナビを頼むって事か! レオリオが簡単に言いたいことをまとめて言う。

「いいよ、じゃあ俺は三歩先位を行く感じで走るからさっきと同じペースで!」

 初めて他人に頼られたトールは断る理由もなく、むしろ嬉しそうにナビを務める。

 ナビと言っても目的地は分からないが。

 

「あれは人影じゃないな亀だね。あそこは地面じゃなくて蛙だし、危ないって言ってる声は人じゃなくて烏だよー」

 見抜く力を最大限に生かせる場にいた彼のナビはクラピカの予想よりも大分良いものだった。

「声まで見破るとかホントにどんな視力してんだ?」

「だから観察眼のことだと言ってるだろう?」

 これについてはトールの主観でレオリオが当たり、本来の合否はクラピカが掠っている程度である。

「さっきゴンが早く来いだなんて無茶言いやがったがよぉトール、いまゴンはどこにいるか分かるか?」

「うーん、試験官含めて先頭がどこかわかるけど誰がゴンかは今の俺じゃちょっとそこまでの特定は難しいかな?」

 実際、いま視力を強化すれば難なく特定するくらい出来るのだが――

 

『ハンター試験受験者の先輩としてアドバイスそのに、【念】は無闇に使わない方が吉!』

 なんでも【念】が使えることが試験官に分かると自分だけ無理難題を吹っ掛けられたり、逆に高評価をもらえたりと試験の合否に良くも悪くも物凄い影響するそうだ。

 アルゴは最初に前者のタイプの試験官にあたり落ちたそうだ、次年度は後者のタイプだったらしいが。

 故に今精孔は一般人同様のダダ漏れ状態、不安で仕方ない。

 この状態でも解除を心掛けていなければ自分の【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)は内部のオーラを勝手に消費して発動してしまうので気分は褌一丁で戦場にいる武士である。

 ていうかせめて三節棍かそれもだめなら棒でもいい、欲しい。

「ああ、別にゴンがどこか何て分からなくても充分役立ってくれてるから元気出せって?」

 武器的意味での裸一貫状態を嘆いていたことをゴンが見つけられないことで落ち込んでいたと思ったレオリオはトールを励ます。

 よく話を聞いていなかったので曖昧にどうもと言って誤魔化すトールにレオリオはニッと笑う。

「しかし、走り始めてもうそろそろ昼になるが、いまだ第二試験会場とやらは影も形も見えないな」

 バッグから取り出した時計を見て言うクラピカにトールはピクリと反応する。

 

―― そろそろ飯時だ……

 

 そう思えば途端に空腹を感じる。

 ここらの動物を仕留めて食べたいところだが生憎そんな時間は無い。

 

―― 鳥みたいなのが丁度よく通りかからないかなー

 

 左袖に収納してある餞別でもらったナイフの柄に左手首の糸を巻きつけながらキョロキョロと見回す。

 文字通りカモがいたらワイヤーナイフモドキで仕留めて喰うつもりである。

 詐欺師の塒だと言われている場所で間抜けなカモがいる訳ないだろうが。

 

 そして何気なく見た背後に、さきほど人面猿を啄んでいた鳥と同じ種類の鳥を見つける。

 

―― 間抜けなカモ発見!!

 

「おわぁ! なにしやがんだトール!?」

「後ろに敵がいるのか!?」

 鳥を見るや否やトールは袖から出るほどに糸付ナイフの糸を伸ばすと身体を回転させた勢いに合わせ左手を振る。

 その勢いによって投げ出されたナイフは二人の間を通り抜け、鳥に突き刺さる…… 事無く猛スピードで進む何かによって弾かれたのである。

 常人より自慢の眼が、ナイフを弾いた物の正体がトランプであると捉える。

 とりあえず糸を手繰り寄せナイフを回収し、嫌な予感と共に顔を上げれば現われたのは奇術師。

 

 間抜けなカモはトール自身だったようだ。

 

「ヒ、ヒソカ!?」

 レオリオがうわずった声を上げ、その存在感からか一歩後ろに下がる。

 それによりレオリオはトールの左半身が重なるような位置となったため、ナイフに糸が付いた状態では右に持ち替えれず万が一があればナイフが振れないので、手を引いてどいて貰おうとしたときと、ヒソカが前進しそれに反応してレオリオがさらに一歩後ろに下がったタイミングが見事一致し――

 

 レオリオは盛大に後ろにこけた。

 

 強制的に向けさせられた霧だらけの空に猛スピードでトランプが通過したのが見える。

 慌てて起きたレオリオが見たのは、自分を心配そうに見るトールと二刀流の木刀で何とかトランプを弾くクラピカの姿だった。

「うーん♣ 404番の君も中々やるじゃないか♦」

 トランプを弄びながらヒソカは嬉しそうに言う。

「てめェ! なんのつもりだ!?」

 素早く折りたたみ式のナイフを構えながらレオリオは吠える。

「んー? 試験官ごっこだよ♥」

 くつくつと笑う。

「この一次試験があまりにもぬるくてね♣ これじゃ何人も残っちゃうからボクが少し厳し目に選考してあげることにしたんだ♦」

 「今のところ合格者はゼロだけど♣」 と言っておもむろに見せた一枚のトランプは絵柄が分からないほどに血がべったりとついていた。

 言い知れない恐怖が悪寒となって三人を襲う。

 クラピカは走っている時以上に額に汗が浮かび、レオリオは「ふざけんな!」と強がるが僅かに足が震え、トールは最後の晩餐は豪華な物が食べたいなと諦めと現実逃避の合間に意識が飛んでいた。

「あれれ♠ 何もしてこないのかい? なら五秒あげるから何かして御覧よ♦」

 「ほら、い~~ち…… に~~……」と余裕綽々な態度で数を数え始めるヒソカを前に、クラピカは三人別方向に同時に逃げることを小声で提案しすぐさま実行した。

 

 

 が、トールはその場から動かなかった。

 

「トール!?」

「何やってんだあの馬鹿!?」

 トールの愚行に二人は足を止めないながらも驚きを口にする。

「へぇ…… やっぱり君、面白いね♥」

 一方のヒソカは満面の笑みを浮かべながらゆっくりとトールに近づいてゆく。

 

 なにやらまるでトールが真っ向から迎え撃つためにその場にとどまっているかのような雰囲気であるが、実際はフリーズして動けないだけである。

 万一の際にナイフを振るう何ぞと考えていた割には直視した瞬間にこの様だ。

 唯一レオリオはビビッて動けないんじゃないかと考えていたが、自分をわざと転倒させヒソカの攻撃から助けてくれたということに彼の中でされた場面を思いだし、少なくともあの状況下で他人を助けられる余裕のある人物なのだからアイツに勝てないまでも動けないことはないだろうと考えを否定した。

 

 トールは自らを囮にして自分達を逃がそうとしている。

 これがレオリオとクラピカの導き出した答えだった。

 

 実はこの二人以上に最も見当違いな考えを持っていたのはヒソカである。

 そもそも彼がここまで嬉しそうに三人にちょっかいを出してきた原因はトールだ。

 ヒソカは選考という名の殺戮を終え、知り合いから渡された発信機を頼りにそのポイントへ行く途中で彼らを見つけた。

 先程殺した連中はどれもこれも熟しきって腐っていたり果実にも満たないつまらない奴ばかりで欲求不満だったヒソカは、彼らこそ自分の求める人物かはたまた将来有望な青い果実かと期待し、とりあえず驚かせるために二人の間から先導している子供の頬を掠めるコースでトランプを一枚投げた。

 

 そのトランプを投げたまさにそのとき、ターゲットの子供がこちらを見たのだ。

 そして次の瞬間には投げられたナイフによってトランプは弾かれた。

 

 ヒソカは攻撃を察知したこともそうだが、なによりそのときの眼に痛いほど興奮した。

 

「良い眼だねぇ♥ とても素敵な『捕食者』の眼だよ!」

 彼はトールがここにとどまっている理由を自分を狩るためと読み間違えるほどに空腹時の彼の眼からその奥にいる本性(蜘蛛)が視えたらしい。

 一歩また一歩と歩を進め、遂に手を伸ばせば届く位置までヒソカはトールに近づいた。

「トール! てめェに二度も借りはつくらせねーぜ!!」

「その通りだとも!」

 その当の本人がいい加減現実に戻るのとクラピカ・レオリオが腹を決めてヒソカに左右から攻撃したのはほぼ同時であった。

「ふ~ん♣ 君たちも結構いい顔してるよ♥」

 少し後ろに上体を引いただけで難なく攻撃を回避したヒソカは、そのままレオリオの持つナイフとクラピカの木刀を蹴り飛ばすと、まずは一人とでも言わんばかりにレオリオの背後に回る。

 そしてそのまま攻撃をしようと…… したところでゴツンと彼の頭部から鈍い音がした。クラピカがヒソカに一撃を与えたそれが仲間の持つルアーであると気付く。

「ゴン!?」

 レオリオ達の叫ぶ声が聞こえたため、心配になったゴンはキルアの制止も聞かずにここまで来たのだ。

 ヒソカが自分の攻撃に当たった今が攻め時と、ゴンはそのまま釣竿で攻撃を続けるようとするが。

「これは思わぬ収穫だね♦ 君も仲間を助けに来たのかい?」

 それよりも早く、ヒソカがゴンの首を掴みつつ顔を覗き込んだ。ルアーが当たった部分が赤く変色しているがダメージを受けている様子はなかった。

 纏わりつく様なプレッシャーにピクリとも動けぬゴンを、ニヤニヤしながらヒソカが見つめる事数秒

「うん! 君も合格だよ♥」

 どうやら全員ヒソカの謎基準を合格したらしい。

 実に清々しい顔で「バイバイ♠」と言ってヒソカは去って行った。

 

 残されたゴン達は先程の攻防に意識飛ばして参加していないため気力を消費していないトール以外、すぐには動けなかった。

 

―――――――――*

 

 なんとか落ち着きを取り戻し、ヒソカが殺したと思われる動物の死骸を辿り彼らは何とか二次試験会場である大きな建物に着いた。

 しかし、受験生たちは建物に入らず扉近くで待機していた。

「すげーな生きて帰ってこれたのか? もう無理だと思ってたよ」

 一体みんな何でここで待機しているのだろう、そしてさっきの湿原よりも凶暴な唸り声が建物内から聞こえるのはなぜだろうと不思議がっていると、受験生たちの間からキルアがこちらを見つけてサラッと酷いことを言いつつ小走りで来た。

「なんかヒソカの基準的に見て俺らは合格らしくてさ、なんとか生き延びたって事らしい」

「それアイツに目をつけられたってことじゃね? ま、御愁傷様だな」

 その言葉に半永久的な死亡フラグが立っていることに気付いて落ち込む面々を尻目に、ゴンは皆がなぜここにとどまっているか理由を聞く。

「そんなん簡単さ、ここの看板に書いてあんだろ? 試験開始が正午からでまだ時間じゃないからだよ」

 指さす方向にある看板には確かに『本日正午・二次試験スタート』と書いてある。

 建物にあった時計は正午まで少し時間があることを伝えていた。

 その僅かな時間も受験生たちは万一の事態に備えるため、座ったりせず辺りを警戒している。

 警戒している最大の要因はBGMと化している扉の向こうから聞こえる猛獣の唸り声のような音のせいだが。

 

「なぁトール、あのときは助けられちまったなぁ…… ありがとよ」

 一段落つき、レオリオはヒソカのトランプから自らを守ってくれたことに対しての礼を言う。

 一方のトールは当然何の事か分からず首をかしげるが、とりあえずお礼を言われて無反応は失礼なので表情は別としてサムズアップをしたらレオリオも良い笑顔で同じくサムズアップしたので意思は伝わらないまま成立してしまった。

 その後レオリオの後ろに半蔵を見つけ、トールは彼にお疲れ様と言おうと半蔵のもとへ走る。

「そういえば言うの遅くなったけど二人とも怪我はない?」

 今更といえば今更だが、ゴンはそれでも二人がヒソカに怪我を負わされていないか心配する。

「大丈夫、私もレオリオもここまで無傷さ」

「おうよ! オレのハンサム顔もこの通り無事って訳さ…… つっても湿原抜けても無傷なのはナビどころかヒソカ相手に庇うことまでしてくれたトールの功績だけどよ」

 レオリオの言葉にクラピカは頷く、その話を聞きゴンはそのキラキラした目で半蔵と話すトールの後姿を見る。

「えっ、アイツそんな動けるの!?」

「なんだ? お前トールと付き合い長いんじゃないのか?」

 不思議そうにレオリオが問う。

「まぁ、二年間くらいつってもずっと家にいる訳じゃないけどさ」

「そんなにいて分からないものなのか?」

「だってアイツ服屋だぜ!? それにオレが会うときは何時もソファーでぐでっとしてるか飯食ってるかだし、つーか服仕立ててるとこも見た事ねーよそういえば!!」

 それは単にキルアの『勉強』時間が多くはカルトより先に行うため、カルトに付き合ってぐったりしているときにキルアの自由時間が重なるためである。

 キルアは改めてトールに興味を、それこそゴンと同じくらい意識する事になった。

 同様に謎多き子供として二人もトールを見た。

 

 当の本人は半蔵から貰った兵糧丸をキラキラした目で見ていたが。

 

 互いにずれて行く認識の中、それを正すことなくむしろ運命がそれを加速させるかのように試験会場の扉が開いて行った。

 




カナリアにやった奥さんの攻撃方法って何なんでしょうね?


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再会前線停滞中。丸焼きのちお寿司、ところにより危険人物が来るでしょう

 我慢出来ねェ、投稿だー


 

 正午となりゆっくりと開く扉に皆目が釘付けとなる。

 それだけでなく多くの者は何時でも対処できるようにと得物を手にし、臨戦態勢に入っている者すらいる。

 そうさせるほどに扉の奥からなり続けている音が受験者にとって脅威と感じるほどに荒々しかったのだ。

 

 それだけに、その音の正体がラフでメッシュな服装で丁髷だらけの髪形な女性の後ろの大男の腹の音だと分かった時には皆一様にポカンとした顔をした。

 ポカンとしているうちに話はどんどん進み、気が付けば第二試験は女と大男、メンチとブハラの二人の美食ハンターに指定された美味い物を喰わせることだと説明され、頭が働くころには一回目の課題料理として『豚の丸焼き』を作って来いと試験が始まった。

 受験生たちは口々に「さっきの終わりの見えないマラソンよりマシだな」といった内容をぼやきつつ森の中へと走って行く。

 それはゴン達一行も例外ではなく、先程のマラソンで失った体力などとっくに回復し森の奥へと走る。

「いやー、料理って言われたときは自分の家事能力の無さに絶望したけどよ、丸焼きってんなら楽勝だぜ!」

「そうだな、今回は豚をいかに早く見つけるかが勝負の分かれ目になりそうだ」

 恐らくは半分ほどが二次試験前半で脱落するだろうとクラピカが推測し、それぞれが五感を限界まで研ぎ澄まして豚またはそれに近しい生物を探す。

「あ! 今『ブーブー』って鳴き声が聞こえた! あっちだよ!」

 そして野生児ゴンが森の中にあふれている無数の音の中から見事に豚らしき生物の鳴き声を聞き分ける。

 そして、声のする方向へまさに猪突猛進といった勢いで駆けて行く。

 が、その勢いも声の主を視界に捉えたところで減速する。

 

 想像していた豚より明らかにデカい、ゴンどころかレオリオの背丈をも超えている。

 そして凶暴だと一瞬で判断できるほどに目つきが鋭く、サイの角の様に発達した鼻はまともに喰らえば自分が肉塊まっしぐらだと容易に想像できる。

 そう、試験官ブハラの言う豚とは世界で最も凶暴な豚、グレイトスタンプのことだったのだ。

 だが驚いたのもほんの数秒、グレイトスタンプがこちらに向かって突進を仕掛ける頃にはゴン達は各々の方法で回避する。

 確かにグレイトスタンプの凶暴さは恐ろしい存在である、しかし、それ以上の凶暴性と恐ろしさを併せ持つヒソカという人物に会ったゴン達にはグレイトスタンプに後れを取ることはなかった。

 いの一番に攻撃し、グレイトスタンプを仕留めたゴンにより頭部が弱点と判明すれば残るクラピカとレオリオも楽にしとめることが出来た。

 むしろ仕留めたグレイスタンプを担ぎながら他のグレイトスタンプによる攻撃を回避する方が難しかったと感じるほどである。

 

 …… だが、そんな彼ら以上に――

「あれ? トールの奴は何処行った?」

「そんな、森に行くまで私とレオリオの間にいたはずなのに!?」

「なんか森に入った途端にすっごい勢いで横に曲がって行ったよ?」

 

 トールは森の中を縦横無尽に駆け回っていた。

 そして現在は既に豚を仕留めて焼いていた。

 

 ホテルの風景で故郷の日本を懐かしがっていたくせに、大自然に対しても懐かしいと思う気持ちが彼にあった。

 人間部分と蜘蛛部分の歪さを証明する反応だが、やはり今回も一切気にすることなくマイペースにそして得意の狩りをハイペースでこなしたのだった。

 豚はとっくに狩ったそれも三匹、ただし純然たる実力で無く運が八割実力二割で仕留めた。

 木から木へと高揚する自信の気分に身を任せ移動をし、偶々川を見つけたためならば近くに豚がいる可能性が高いと地面に着地。

 その下に一匹のグレイトスタンプの頭部が……

 そして目の前にいたグレイトスタンプが自身を潰すために襲い掛かるも、咄嗟に繰り出した糸ナイフによって足をひっかけ、それによって勢いのまま自分を飛び越えて行き……

 後ろにいたもう一匹に頭突きをお見舞いする形でダイブし、残ったのは死にたてほやほやの豚三匹である。

 思わぬ収穫に吃驚したトールはゆっくりと予想外だったもう一匹がいた場所を思わずじっと見る。

 

 これだけならば、運が良いの一言で済んだ。

 しかし、彼が良いのは悪運である。

 

 悪運とはつまり……

 

「あれれ? バレてた♦」

「カタカタカタ……」

 

 

 不運の事でもある。

 

 

―――――――――

 

「悪いね♥ 豚をもらった上に火まで起こしてくれるなんて♣」

 トールが何気なく見た方向には何故かヒソカと謎の顔面針男がいた。

 かなり怖かったのでトールは見逃してもらおうと二匹の豚を献上することを早々に決断し、こうして傍から見れば三人仲良くキャンプファイアな絵図に至る。

 とりあえず針男は分からないにしろヒソカの方はゴキゲンになったと、トールは心の内でほっと胸を撫で下ろす。

 ヒソカがゴキゲンな理由は豚をくれたからではなく、偶々トールを見つけ針男に「あの子がボクの注目してる一人だよ♥」と紹介しながら後をつければ流れる様に豚を仕留め、おまけに自分達の存在に気付いていたという予想以上の人物であったと思ったからなのだが。

「カタカタカタ……」

 トールは近くまで来たこの針男に嫌悪感に近いものを感じていた。

 その顔が何故か非常によく出来た作りモノの様に思えてならないのだ。

 別に肌の質感が違うとか、針だらけという点以外でパーツが変であるとかそういうことは無い、ただ何となく偽物の気がしてならないのである。

「そんなに見るんならボクを見てほしいな♥」

「理由なく見ねーよ!」

 言ってハッとした、フレーズがあまりに酷似していた為にアルゴとのやり取りの様に返してしまった自分の迂闊さに死を連想した。

「…… トールは気付いてるんだよヒソカ」

 突然針男はカタカタ言うのをやめ、顔の割に高い声で…… トールが聞き慣れたくもない声で普通に喋り出した。

「もしかして知り合い?」

「オレん家の服全部仕立ててるのコイツ」

 

―― うぁわあああわ、もし、もももこいつもしやぁあああ!!?

 

「オレ、キル見つけたら連絡してって言ったよね?」

 

―― イルミだコイツぅうう!?

 

 変な男かと思ったら変な長男だと分かり、常人なら泡吹いて気絶しかねない状況の最中それでも思考のフリーズで済むのはある意味凄い…… のだろうか?

「ま、でも端から会話聞いてたけど会ったのも偶然らしいし本人から口止めされてたし、しょうがないか」

 言い訳を言うために思考がようやっと整った時には気付いたら嵐は去っていた。

「キルが喋るなって言うのに此処にいるだなんて喋ったらお礼に強力なヤツ刺してるところだったよ」

 あのときの判断は正しかったらしい。

「キミのそれ、バレたの初めて?」

「んー、バレて生きてるのはトールだけじゃない?」

 またも物騒極まりないものに名を刻んでしまった事に落ち込む。

「へぇ♣ ボクの目も狂って無かったということかな?」

 

―― 物凄い興味持たれた上に変な箔まで付いちゃったーー!!

 

 目の前の豚よりもおいしそうだと思われていることを視線でビンビンに感じながらも、トールは慣れた手つきで丸焼きの準備と火起こしを終え、興奮状態だったとはいえちゃんとゴン達と一緒に行動していればなぁ、と後悔した。切に。

「ん~、焼きあがるまで暇だねぇトール♦」

 

―― うわ~、ばっちり名前憶えられてる……

 

 ショックで泣きたくなる。

「ところでトールはトランプのダウトって知ってるかな?」

「ん? 知ってるけど……」

 友達とトランプで遊んだ記憶が懐かしい。

 思い出のあるゲームを知っているかを問われ、トールはなんの考えも無しに答えた。

「そっか♣ じゃあやろっか、三人で♦」

 

―― 知らねぇって言っとけばよかったよ畜生!!

 

 ニコニコと慣れた手つきでシャッフルするヒソカと手招きして車座をしようとしている針イルミを見てまたもトールは後悔した。

 

 こうして暇つぶしという名目で森林公園のど真ん中で始まったダウト。

 何時の間にやら豚が焼きあがるまでに最も負けた人物が豚を運ぶことになった。

 勝敗は三回行って意外や意外、全員一敗の横並びである。

 そして豚の焼き加減から最終ラウンドであろう四回戦目……

「はい、上がり」

 こうしてヒソカとトールの一騎打ちとなる。

 トールはゲームに全神経を集中し、負けるもんかと奮闘している。

 こうなったトールは方向修正も出来なきゃヒトの話も聞きゃしない。

 もはや目の前の二人が危険人物であるなど、そんな認識は無かった。

 一枚、また一枚と次々にカードが減り、ときに増える。

 そして……

「ハイ♥ ボクの勝ち♣」

 

 勝敗は決した、かのように思えた。

 

「…… 嘘吐き」

 トールはそう言うとヒソカの出したトランプを引っ手繰る。

 その絵柄はコールと同じ数字、この時点でトールの敗北……

 しかし、トールは当然のように端を掴むとその上に張り付いていた嘘を引き剥がしたのだ。

「嘘がバレたら負けだよね?」

 彼は見抜いてしまったのだ…… 奇術師の薄っぺらな嘘を。

「フフ♠ そうだねボクの負けだよ!」

 それは彼をこれ以上ないほどに興奮させる事実でしかないが。

 

―――――――――

 

「あ! おい、トール急にいなくなりやがって! どこ行ってたん…… だってうおお!?」

 森を抜け、二次試験会場に到着したトールを見つけたレオリオは急にいなくなって心配した反動で怒り気味に話しかけながら近づき、そこで豚3匹によって身体が隠れていたヒソカと目が合った。

「ヒソカ!?」

 続いて気付いたゴンは驚き、クラピカは豚を置いて臨戦態勢をとっている。キルアは少し距離を置き音もなく死角側に移動する。

 ヒソカは何をするでもなく不気味なほど爽やかな笑顔で「やぁ♥」と挨拶をし、トールに豚を一匹渡すと「早く試験官に豚を渡さないとね♠」と丸焼きを持って走ってくる他の受験生の大群を指差す。

 色々聞きたいが今はそんな時間は無いと判断し、各々急いで豚をブハラのもとへ持って行った。

 

「で、どうしてトールはヒソカと行動していたのだ? しかも豚まで持ってもらうとは……」

 ブハラが驚異的スピードで豚を喰っている間、クラピカは気になっていたそのことを聞く。

「え? …… ぐ、偶然会って勝負して俺が勝ってヒソカが罰ゲームで豚を運ぶことに……」

 何をしていたかと思い返してみれば自分でも訳が分からない状況だと感じた。

 そして、まさか森のど真ん中でトランプして遊んでましたと心配されていた手前言うに言えず、半端に説明してしまった。

「ヒソカに勝っただぁ!? ったくホラも大概にしとけよトール?」

「全くだ、服屋がどうすりゃ殺人鬼に勝てんだよ?」

「それがホラじゃないんだよね♣」

 呆れたようにポンポンとトールの頭に手をやるレオリオと内容の荒唐無稽さで呆れて頭の後ろで手を組むキルアの後ろからそんな粘着質な声が聞こえた。

 振り返ったレオリオとバネの様に跳ねて距離をとるキルア、それ以外も全員視線がヒソカに釘付けである。

「全く持って完敗さ♦ とっておきのタネも見破られちゃったし♥」

 内容に反比例するように嬉しそうに話すヒソカだが、これ以上は興奮が抑えられなくなっちゃうと小声で呟くと何処かへ行ってしまった。

 

――あ、完全に目ぇ付けられましたわこれ……

 

 タイプは違うが似た様な変態的友達と過ごしていた故の感覚がトールにそう悟らせる。

 波乱が余計に起こりそうな事態に思わず目を覆った。

 しかし、注目したのは何も変態だけではない。 純粋に凄い人を見る目で見てくれている子供だってすぐ近くにいるのだ。

 一方は疑いの目で見ている。

 残念ながらその両方に気付いていないが。

 そして、彼の平穏な人生終了の合図の様にドラの音が響き渡る。 二次試験前半は豚を持って来た者75名は全員合格とのこと。

 

「おかしいぞ!? 明らかに奴の体積より食べた量の方が多い!」

 真面目に何事かを考えているクラピカの隣で暢気にしているコイツも規模こそ負けるが同じ芸当が出来ることをクラピカはまだ知らない。

 

―――――――――

 

「予想以上に残っちゃったし、厳しめに行くよ!」

 勘弁してくれと青ざめるトールに反しメンチが出した課題は何と寿司であった。

 

―― おお、寿司! 知ってる寿司!!

 

「スシぃ? あー、何か兄貴が喰って旨いって自慢してたけど…… だー! 聞いときゃよかったー!!」

 他のメンツはヒソカでさえも頭に?状態だった。

 

―― よしこのままなら一抜け出来るやも?

 

 明るい未来が待っていると、周りを見回し魚を得る為に外に出るタイミングを伺うトールに光り輝く男が一人。

 半蔵である。

 誰がどうみても「あ、コイツ知ってますわ」と思わせる、必死に笑いを堪える姿勢は物凄く目立っていた。

「……」

 それに対してトールは眼を見開くというリアクションだ。

 

 しかし、それは呆れたとか何で忍者名乗ってんだあの馬鹿と思ったとかそういうのではない。

 

―― 流石、流石忍者だ……

 

 賞賛と恐怖故のリアクションである。

 

 半蔵はジャポン出身、まず間違いなく寿司は知っているし食べている可能性もある。

 だが、あの態度は疑似餌! きっと情報かく乱のために握り寿司しか認めていないのに巻き寿司など微妙に違うものを作り、自分はこっそり作った握り寿司を持ってゆくに違いない!

 

―― 侮りがたし、忍者侮りがたし……

 

 トールがそんな深読みをするが、当の本人は全くの素であった。

 どちらかが引っ込めばどちらかが出っ張る、真面目と暢気はそうして世界レベルで比率を合わせているのだろう。

 

「魚だぁ!? こんな森のど真ん中に魚がいんだよ!!」

 驚き振り返れば何故かレオリオが寿司の要たる食材を大声で言いふらしていた。

 

 その瞬間、会場の三分の二は魚を求め森の中に消えていった。

 予想外の展開に慌てて追いかけながらもトールはちらりと半蔵を見る。

「しまった! オレ以外に寿司を知ってる奴が居やがったのか!?」

 盛大に自爆したセリフと共に、風の様に森へ駆けてゆく半蔵がいた。

 

―― 瞬時にこのイレギュラーな事態に対応した!?

 

 そう思ったのは半蔵のセリフが決め手となり慎重にその場に残っていた三分の一を一人残らず森へ移動させた…… 様に見えたからだ。

 流石忍者と言う名の超人と感心しながら魚を糸で釣るトールの頭には【念】使いが超人と世間一般で言われている知識など存在していなかった。

 

―――――――――

 

「うーん、ネタの方はまぁうまいこと切ってるんだけど握りが強いし握ってる時間も少し長いかな…… 不合格!」

 そんな評価を受け取り、がっくりしてトールは余った自分の寿司を食べていた。

 彼の修行は何故か花嫁であって板前の修行ではないし、嫁になる条件が板前…… 旦那が帰ってくると「へいらっしゃい! なんにしやしょう? 風呂、寿司、今日は新鮮な私も入荷したよ!」とか言ってくる嫁なんて嫌だ。

 そもそも彼は花嫁になる気などさらさらないし。(同時にアルゴはなる気があるということ)

 ズレたネガティブ思考かつ合格を諦めたオーラをトールは纏っていた。

 『飯炊き三年握り八年』…… 握りを極めるには最低十数年の修行が必要と言う厳しい言葉をトールは知っているからだ。

 同時に試験官が求める寿司がそういったレベルのものであると気付いたからでもある。

 それでも早々に諦めの感情があるのはアルゴやキューティーが試験官によっては「そんなん出来るか!!」とツッコミを入れざるを得ない試験が行われる場合があるという先人達の教えを聞いているのが一番大きい。

 

―― まさか審査の目をここまで厳しくさせるとは…… 忍術は妖術の類で無く情報を操る術であるとかテレビで観たような気がするけど本当なんだなぁ

 

 もうトールの中で半蔵の一連の大ポカは忍術にまで昇華されていた。

 その半蔵はどうしていいか分からずに不細工な寿司を作り続ける機械状態である。

 

―― でも半蔵はどうやって合格するんだろう? …… 俺如きが考えても無駄か

 

 これから永遠に始まらないであろう半蔵のとんでも忍法を楽しみに自分は敗北の身であると受け入れ、川魚なのに臭みが少ないなどと寿司を満喫していた。

「トール、随分余裕の様だが何か策でもあるのか?」

 握り方をあーでもないこーでもないと模索し合うゴン達から一歩引き、一回審査員に寿司を出しただけであとは自分で寿司を作っては食べ続けているトールの態度を余裕と受け取りクラピカは尋ねる。

「策? どっかの誰かさんが何とかしてくれるさ…… 食べる?」

 丁度半蔵が何度目かの挑戦の為に近くを通ったので、皮肉っぽく言う。

「その自信はどこから…… スシは頂こう、他人と比較することで何か攻略の糸口になるやもしれないからな」

 出所不明の自信に困惑するも、トール作の寿司を小皿で受け取る。

 クラピカは当たり前だがまったく諦める気は無いらしく、それどころかメンチの見よう見まねで多少ぎこちないながらも備えてあった箸で寿司を食べようとする。

 同じ方法で食べることで新たな発見があるか試みているのだ。

 自分はもう諦めているので、トールは持っている寿司の知識をクラピカに教えることに力を注いだ。

 当初の予定では自分が合格してそこから教えるつもりだったので順番と展開が変わっただけだ。

 

 しかし、アドバイスを受け何度かトライしたクラピカ達だが結果は惨敗…… 遂にメンチの腹は微妙な寿司の数々によって満たされてしまった。

 

「今回の合格者はゼロ人よ!!」

 

 恐らく審査委員会に電話で高らかに言うメンチに数人の例外を残し動揺が広がる。

 例外の一人はブハラとメンチを挑発してもノッてこないことに興ざめ。

 もう一人はめんどくさい事になっちゃったな~、と速攻で弟を連れて帰る事を考え。

 

―― さぁ、最高のどんでん返しを見せてくれ忍者!!

 

 最後の阿呆はわくわくして一人を見。

 

―― 煙玉と閃光弾で撒けるか……?

 

 その戦犯はこうなった腹いせに自分が槍玉に挙げられる前にどう逃げるか、そんなことを考えていた。

 




 全く今回の話と関係ありませんがトールの次元移動のモチーフはセレビィの「ときわたり」なもんでハンター世界と彼のいる世界は数年のズレがあるという設定(ハンター世界の方が彼からして過去)


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誤報であったことを謹んでお詫び申し上げますが訂正いたしません

「…… っちゅー訳で彼らは皆ハンターには向いてなんだってことかの?」

「いえ、完全に私の方のミスです…… 未知に対する挑戦は皆一様に存在していた事は認めます……」

 

 ハンター試験の常連らしいレスラーの何ちゃらがこんなん納得出来ねーゼと殴りかかったあげく小蠅を払うように吹き飛び数秒、地上に舞い降りた老人ことネテロ会長を前にしてメンチの態度は180度変わった。

 次いで当人を指差しながらあのハゲの発言にムカついて我を(というより試験を)忘れていましたすいません、と色々な意味で素直に謝罪すると試験官を降りるので試験の結果は無効にしてくれとまで言いだした。

「いや、試験官は続行してもらおう…… その代わりに新しいテストの方ではキミも実演という形で参加ってのはどうじゃ?」

 そうして出た新たなお題は何と『ゆで卵』

 

 怒涛の急展開の最中トールは……

 

―― すげー、これが本当の口寄せの術なんだ!

 

 まだ忍者万歳思考だった。

 

 

 

 あれよあれよと乗った飛行船が着いたのはメンチの指定したまるで真剣で真っ二つに斬られた様な山、その名もズバリ『マフタツ山』というそうだ。

 そしてメンチはその谷のそばでおもむろにブーツを脱いだと思えばまるでコンビニにでも行ってくるような気軽な調子で底の見えない谷へと飛び込んだ。

 ネテロの話ではここに生息するクモワシなる生物の卵を獲りに行ったとのこと。

 何でも陸上生物から卵を守るため谷に糸張ってそこに卵を吊るしているそうだ。

 それを聞いてトールは親近感を覚える…… 事など無く卵やそのクモワシもうまいのだろうかと考えていた。

 そんな下らない事を考えているうちにメンチは谷からひょっこり顔を出した。

「っと、こんな感じで下の卵を獲ってくるのよ! 次はアナタ達の番」

 気軽に言ってくれるなと先ほどのレスラーを始め多くが、谷へと促すメンチとは逆方向に一歩足が行く。

 

 まともな神経を持つ奴がそんなこと出来る訳が無い!

 

 それが約半数の者達の率直な感想だった。

 

「っしゃー! こーいうのだよ想像してたのはさ!」

「単純明快、サービス問題の類だろうな」

「ゴン、トール! どっちが早く卵獲って戻るか競争しようぜ?」

「よーし、負けないよキルア!」

「えっ 俺も参加すんの?」

 

 そんな調子で楽勝と言わんばかりに飛び下りる半数は確かに何処かネジ一本飛んでいる存在なのだろう。

 心・技・体これら全てがある意味壊れている存在こそがハンターを名乗るにふさわしい…… そういうことなのだ。

 

 

「オレの勝ちーって、素直に喜べないんだけどトール?」

「食い意地張っててごめんね」

 獲って来た卵を何処で用意したのか巨大な釜で茹でている中、キルアは不満たらたらといった調子だった。

 原因は競争していたにも関わらずトールが知った事かと卵を五個ほど抱えて持ってきたからだ。

「さっきスシを何個も食べていたではないか?」

 トールはクラピカに寿司を教えている間も作ってはパクパク食べていた。

「トールはスッゴイ喰うぞ? 家に来たとき出されるだけ食べるから、どこまで喰えるかステーキを出し続けたときがあんだけど二頭分喰いやがったぜ?」

 そんな実験されていたのかという衝撃がトールに走った。

「じゃあトールってあの試験官みたいに豚七十頭も食べれるの?」

「いや流石に無理かな?」

 多分ではあるが【念】で消化を強化してるとか何かしているのだろう。

 そうこうしている間に卵が茹で上がった様だ。

 メンチはこれまた何処で用意したのか市販の卵と食べ比べてみろと普通のゆで卵も一緒に配る。

 五つの卵と一緒に渡すとき少し微笑まれたのはご愛嬌である。

 すぐさま市販の卵を「うん、まぁうまい」と一口で食べ終わると、次いでクモワシのゆで卵を一口で食べきらず半分ほど食べる。

「……」

 無言であった。

「すっごいおいしいねトール?」

 それでもゴンが間違いなくトールがうまいと感じていると分かった。

 しかし、これはゴン以外でも分かるだろう。

 

 何せ残りの卵をいっぺんに頬張ったのだから。

 

―――――――――

 

「ホッホッホ、やはりこの空気は実に心地よい…… 本来ならわしはこのまま帰る予定じゃったが、このまま同行することにするかの」

 その言葉に一瞬豆の様な顔の小男ことマーメンは半眼になる。

 つまりネテロがここにいるのなら自分は彼の代わりに仕事をせねばならないからである。

 仕方ない人だな、と咳払いと共に気持ちを切り替える。

「コホン、次の目的地までの到着予定時間は明日八時です。五分前にはアナウンスが入りますのでその間は自由時間ということで、運転に影響がなければ基本的に何をしていても構いません」

 運転に影響が無ければのフレーズは、明らかに一人の老人に向けて言われていた。

 ここでようやく夜の空に飛び立った二次試験合格者48名の間に安堵の声が上がる。

 ゴンとキルアは早々に飛行船内探索に出かけて行った。

 トールも誘われたが色々あって疲れたのでやんわり断った。

「ったく今日一日で一カ月分位の気力と体力を使った気分だぜ」

「同感だな、日記でも書いていたのなら今日のことだけで数ページは使いそうだ」

 流石に参ったらしくレオリオもクラピカもぐったりした様子だった。

「今のうちにしっかり休んどかないとな、喉乾いたし水貰ってくるけど二人ともいる?」

「おう、頼むぜ」

「すまないな、私達は毛布を貰ってこよう」

 そう言ってトールは水を取りに食堂らしい部屋まで歩いて行った。

 

「しっかし、あと試験てのは幾つあるんだろうな?」

「年によって違うが、大体が五・六回ってとこだから残り三・四回だろうな」

 レオリオの疑問に答えたのはひょっこり現れたトンパだった。

 彼も二次試験を合格していたようである。

「まだまだ道のりは長く険しいということか」

 クラピカの言葉に隣ではレオリオが露骨に嫌そうな顔をした。

「つっても気をつけた方がいいぜ? あの進行役が言ってたのは『次の目的地』ってだけだし、もしかしたらこの飛行船こそが第三次試験会場の可能性もある。受かりたきゃ今こそが気を引き締める時だぜ?」

 したり顔でそういうとトンパは去って行った。

 

 

「で、実際のとこさっきの話本当だと思うか?」

「試験の回数に関しては本当に経験から導きだしたものだろうが、最後の方は嘘だな」

 毛布を貰い、もたれかかる為に丁度いい場所を探しながらレオリオはクラピカにトンパの話を何処まで信じているか聞いた。

「オレもそう思うぜ、まぁアイツが賭場にいるガラの悪い奴にそっくりな顔してたってだけで判断したけどよ」

「私が嘘と判断した理由は三つだ、先に紹介された常連の連中が明らかに気を緩めているのが一つ、そして彼らが毛布を貰っていることが二つ……」

 なるほど、確かに言われてみれば気を抜くなといったトンパ自身も肩の力を抜いていたとレオリオは思い出す。

「んで、最後の一つは?」

「トールが今のうちにしっかり休んでおくべきだといったからだ」

「えらくトールを信頼してるじゃねーか、トンパの嘘たる理由よかそっちの理由のが気になるぜオレは」

 ここまで共にして分かったがクラピカはこういった場面において他人が言っていたからということであっても、それが外れる可能性を常に考慮している節がある。

 それ自体は別にいい、万が一の時にすぐさま対処すべく身構えることは悪いことではないし、むしろそういう姿勢だからこそこちら側が思い切りのいい行動をとれるのだから。

 だからこそレオリオは自分からしたら何気なかったトールの一言が、クラピカにとって此処での行動指針に値するほどのものになったのか気になったのだ。

「…… トールは、二次試験後半のスシを作る段階で既にこうなることを予見していた可能性がある」

「はぁ!?」

 レオリオはあらん限り目を見開く、それもそうだ一体どんな理攻めの言葉が出てくるのかと思っていたのに出てきた言葉はファンタジーもいいところなのだから。

「一回だけ試験官にスシを出して以降、トールは余裕を見せ自らのスシを食べていたので何か策があると思い聞いてみたら『どこかの誰かが何とかするさ』と自信たっぷりに答えたのだ」

「それ神頼みと同じ意味なんじゃねーのか?」

 その時の自分の心境に重ねて呆れ気味に推測する。

「いや、あのニュアンスは名前を知ってて敢えて言わない皮肉さが込められていた…… ときにレオリオ、キミはマダム・シャローという人物を知っているか?」

「あん? 銀河の祖母とか言われてた詐欺師が逮捕されてから注目された通称預言者だろ? 結局そいつも予言のいくつかが自作自演とバレて豚箱行きだけどよ」

 急に問われた関係のない人物に、レオリオはその当時TV番組を騒がせていた記憶を思い出す。

「…… まさかトールが預言者とか抜かすんじゃねーだろうな?」

「そうじゃない、マダム・シャローは確かに名が売れてからは自作自演を行っていたが、そうなる前のいくつかはそんなことを行わずに事を的中させていたそうだ」

 じゃあやっぱり預言者じゃないかとレオリオは頭を軽く掻く。

「後の暴露本で語った彼女の弁では、自分は他者の何倍広く物事を見、何倍も速く思考することができるそうだ。つまり初期の彼女の予言とはその実周囲の大小様々な物事を観察した推理だったのだ」

 そうだったのかとレオリオは素直に感心する、しかしそれがトールとどう繋がるのだろうか?

「トールに初めて会ったとき、一次試験、両方を思い出せレオリオ。彼は持っているだろう? 類稀なる観察眼を……」

 その瞬間、レオリオはまるで米神に電気が走ったかのような感覚を覚えた。

 

 一体、彼はどんな風に世界を見ているのだろうか? そして何を考えているのだろうか? トールが歩いて行った方を見て二人はそう考えていた。

 

 

 

 

 

「っくしゅん!!」

 ダン、と右足で地面を強かに踏みつけ、両手に水を持つゆえに口を塞ぐことも出来ずさりとて体液を入れるわけにもいかず両手を左右に伸ばしてくしゃみをする。

 誰もいない廊下でよかったと鼻を啜りつつ不幸中の幸いとトールは思う。

「そのくしゃみするとき右足が上がる癖、治ってなかったの? 暗殺のとき困るでしょ」

 驚きと出やがったなという気持ちの半々で急な問いかけに振り向くと、針男と化したイルミがいた。

「今水持ってるからそういうドッキリはやめてくれイル……」

「ストップ、さっきは言い忘れてたけどこの顔の時はギタラクルって名乗ってるから」

「とにかくやめてくれギタラクル」

 名前を呼びかけた瞬間に手で制すのはいいが、その手の隙間に針を構えるのはやめてほしい。

 おかげで暗殺なんかしねーよと突っ込むタイミングを失ってしまった。

「そうそう、オレ向こうで休むけど此処狭いしキルに何時はち合わせるか分からないからオレに話しかけちゃ駄目ね」

 言われなくとも話しかけないっての、と言う前にイルミはさっさと行ってしまった。

 その後ろ姿を見ながら、今日一日を振り返りまさかゾルディック二人に無関係のハンター試験で巡り合うとは本当に思わなかったと息を吐く。

 

 

「世界は狭いなぁ……」

 

 

 ぼそりと言ったその言葉は、この広大に広がる世界に対してあまりに小さすぎた。

 

―――――――――

 

―― トイレの場所くらい看板か何かで案内すればいいのに…… ったく

 

 あれから数時間、貰った毛布に包まってすぐに寝たトールの意識は急激な尿意と共に覚醒し、トイレを求めて彷徨い何気にピンチだったりしていた。

 二人に水を持って行く前に何杯も飲んだのが原因だろうとぼんやり考える。

 何気なく見た時計は午前三時過ぎほど、まだ二・三時間は寝れそうだ。

 

―― 地味に道迷っているな、俺

 

 ザバン市と逆方向に進むという快挙を成し遂げた彼にとってこの程度の飛行船で迷うことは造作もないことなのかもしれない。

 あの大自然の中、道に迷わなかったのは帰巣本能のおかげか。

 目の前のT字路を前にして左を選んだことは行動学の見地からしてトールは人に分類されると言えるのかは疑問ではある。

 そうして曲がった先には見慣れた銀髪がいた。

「おおうキルア?」

「…… ん? トールか、どしたの?」

「トイレ行ったら道迷った」

 寸出て気付いて止まったトールは彼がよく見れば蛍光灯の光を反射するほどに汗を掻いている事に気付いた。

 対してキルアはトールの間の抜けた答えにフッと笑った。

 イラつきと興奮から殺意に変わりかけたソレが霧散していくのが分かった。

「あとどうしたはこっちのセリフなんだけど? こんな時間にそんな汗だくで何してたんだ?」

「向こうの部屋に行けば分かるよ、説明すんのもめんどくさいくらい眠いからさ」

 そういって大欠伸する。

「待って、タオルやるからこれで汗拭いとけって」

「ん、あんがと」

 袖から出したタオルを受け取るとキルアは頭をガシガシと拭きながらトールの来た道を遡る様に去って行った。

 

「…… でよー、このままハンターになったらよぉ……」

「……ッハ! オマエなんざデビュー三秒で即死だっての……」

 途中すれ違った二人組は次の試験でリタイアする事になるが、少なくとも死ぬことは無かった様である。

 

 

 

―― さて、向こうの部屋に行きゃ分かると言われて行っていたけど……

 

「オレのかちぃ……」

「おやおや、新しい挑戦者かな?」

 

―― なにしてんだろ?

 

 トールが部屋に入って目に飛び込んできた光景はやり切った顔で寝むりかけるゴンと華麗なリフティングを披露しているネテロだった。

 一体全体どういう組み合わせだろうか。

「キミは確かこの子達と一緒に谷へ飛び下りとった子じゃな」

「ええ、そこで偶然汗だくだったキルアに会って、何してるか聞いたらここにくれば分かると言っていたので来たんですが……」

 実際何しているのか分からないので聞いてみたら、ネテロの戯れで彼からボールを奪い取ったら試験合格扱いにするという破格の条件でボールの奪い合いをなんと昨日の夜八時過ぎから今までずっと行っていたそうな。

「そんな長時間運動してたんかい…… ほら、ゴン! バンザイしなさいバンザイ」

 寝ぼけつつバンザイするゴンのランニングシャツを脱がすとトールは自分の袖からまたも手品の様にタオルを取り出し、ボーっとしているゴンの体を拭いた。

 風邪でも引いたら可哀想だ。

「ゴン、着替えは?」

「最初のぉ…… 所、に置きっぱな…… しぃ~」

 リュックごと置いてきたという旨の内容をかろうじて言うとそのままゴンから聞こえてくるのは規則正しい寝息だけとなった。

「ちょいといいかい?」

 さて着替えをどうするかと考えるトールは後ろからネテロに肩を叩かれ振り向く。

「なんでしょ、っぐ…… ハハ!」

 向いた瞬間トールは笑いを禁じえなかった、何故ならば呼んだネテロが何ともファンキーな輝くアフロヘアーになっていたからだ。

 しかも背後にフィーバーというデカイ文字をこれまたネオン看板の如く輝かせつつポージングも欠かしていない。

「なんですかそれ?」

「高密度に圧縮したオーラをちょいと形変えてやっただけじゃよ、ぶっちゃけ宴会芸」

 そこまで笑ったのはおまえさんが初めてだけど、と言ってアフロと文字は霧散した。

 随分と高等技術を有する宴会芸である。

「んで、やはりおまえさん使えるようじゃの?」

 かまをかけると言うほどでもないが、そういう意図を含めた物であったようだ。

「ええまぁ、一応隠してたんですけど……」

 これは最初から他の試験官にもバレていたかと落胆気味に答える。

「安心せい、年の功からくる勘であってお主が特別下手ってわけじゃないからの。隠してた理由は聞いても?」

「先生のアドバイスで、使える事が試験官側にバレると評価に大きく影響が出るとのことで、その対策として」

 これも正直に話すとネテロはホッホと笑う。

「確かに試験官によっては大きな加点となりうるし、だからこそ辛口になる場合もあるからのォ。賢明な判断じゃな」

 言ってネテロは暫し顎髭を弄り何事か考えると、蹴ったボールを左手でキャッチする。

「どうかな? おぬしも挑戦してみんか? 勿論、ボールを獲ったら即ハンターで……」

 挑発気味にニヤリと笑う。

「使ってもよいぞ?」

 つまり【念】込み…… 【発】の如何によっては数秒で勝ちの可能性もあるし、一方的な展開にもなりうるというのに相手の【発】も知らずにネテロは勝負を挑んでいる。

 苛酷こそ己の望むものであり、乗り越えた先に浄土があると言わんばかりの老人の背後には確かに観音の片鱗があった。

「さて、返答は?」

 ネテロの一連のゲーム参加を誘う言葉はこの上なく流麗かつ緩やかに行われたが、是、トールの念能力者発覚から御誘いのまでの間に数秒コイツと遊んでもおもしろいんじゃね? と考えたのは疑いの余地も無く、それはトールが己の思考に脳みそを限りなく回転させ自らの時を止めないよう踏ん張る状態に置くことでしか、ネテロの発言を理解出来なかった事に起因する。

 つまり、返答は……

「謹んでお断りさせて頂きます」

 辞退の即行である。

 

「そりゃまたどうして、こんなチャンス滅多にないぞ?」

 滅多にあってたまるかと思うし、それで合格する奴も滅多にいないだろう。

「いやこの二人が出来ないのに俺じゃ無理ですって…… それに」

 そこで切るとトールはタオルに引き続き今度は懐から『黒』と刺繍のされた小さな巾着袋を取り出す。

 紐を緩め、そっと掌に口を向けると袋から少量の黒い砂の様な物が出た。

 右手にスプーン一杯程の山が出来ると、躊躇い無く口へ運ぶ。

 そしてトールが未だ上半身裸で膝に乗っけたままのゴンの両脇から腕を出して包み込むような姿勢になると【練】をする。

 

―― 【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)発動

 

 淀みなくそして高速でゴンの周りを手が動き始める、その軌跡には黒い線が視えた。

「ほほう!」

 事態を興味深げに視ていたネテロが感心の声を上げた時には、半裸だったゴンは脱がしたランニングシャツと同じ黒いランニングシャツを着ていた。

「俺のは戦闘向きじゃないんで勝負になりませんよ、ちなみに着せたまま仕立てるのはちょっとした宴会芸です」

 両名共に超人技で宴会の場を盛り上げる事が出来るのは全くもって暇を持て余した何とやらである。

 

―― それに積極的に動くんじゃ受身の【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)でどうしようも出来ないし……

 

「ホッホッホ、こういうおもしろいものが観れるのも現場の楽しみじゃのぅ!」

 もうひと眠りしてきますと部屋を後にするトールとゴン、それに出て行ったキルアと自分の想像以上に面白いものが観れてご機嫌なネテロは上機嫌でダンベルを持ち上げる。

 

 彼がゆっくり運転してくれと頼んだ粋な計らいは……

 

「やっと…… 戻れたぁ……」

 

 二人の子供より迷って睡眠時間の減った蜘蛛の方が恩恵を受けていた。

 

 




 明らかその場で考えた課題で、釜はメンチの自前だとして市販のゆで卵を人数分用意したのはマーメンさんかね?
 「マッハで用意してくれない?」みたいな? 大釜も込みだとしたらマーメンの仕事からくるストレスもきっとマッハでヤバい。
 と思ったらそうでもないッぽい、やったね!(多忙で無いとは言って無い)


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天気は下り塔1

悪かった 割と充電 手こずった


 

 円柱、そう言う以外にどう表現していいか分からない建造物の頂上に、飛行船は到着した。

 

「制限時間は72時間、試験内容は生きて下まで降りる事」

 ここの試験官の伝言だと言ったマーメンの言葉が終わると、彼を乗せて飛行船は去って行った。

 『トリックタワー』という名称の円柱の何処にトリックがあるのか、飛行船が見えなくなる頃には受験生達はうろうろと円柱を歩きだした。

 下まで降りる事と言われ、誰しもが考えた壁を伝って下りるという方法は既に全員の思考から外されている。

「ゲッ ゲッ ゲッ ゲッ」

 不気味な声で無く醜悪な顔をした怪鳥に、実際壁を降りた挑戦者が朝食にされたからだ。

「ねぇ、トール」

 さて何処に降りるトリックがあるのかと本腰入れて探そうとするトールに声が掛かる。

「どしたゴン?」

「この服、オレのにそっくりだけどトールの?」

 首から一部を引っ張り出して見せたのはトールが昨日仕立てた服だった。

「ああそれ俺のってかゴンに仕立てたヤツだから貰ってくれよ」

「あ、そうなの? ありがと、途中で寝ちゃったけど汗も拭いてくれたみたいだし」

 この異常者渦巻く場所でちゃんと御礼の言える純粋ないい子は貴重だなぁと、トールは思った。

 しかし、別の観点から言えば彼も()()()()()()純粋さだということでもある。

 自分の様なパンピーが…… と思っている存在も、何処か他人の干渉に左右されない自己完結的な思考を有している異常者である。

「ちょっと待てよ! オレにタオル渡す感覚で服作ったのかトール!?」

「え、うん?」

「どうやったんだよそれ、明らかにおかしいだろ!?」

 キルアのもっともなツッコミがトールを襲う。

 離れた場所であーでもないと話しているレオリオ達はともかく、実はこの中でキルアが一番常識を心得ているのではないだろうか?

「いやー…… まぁ、何だ企業秘密で勘弁してくれない?」

 対するトールは許してくれという表情で口の前で人差し指を立てる。

「オレにとっちゃ二年越しの疑問なんだぞ」

 喋ろうとしないトールにキルアは眉間にしわを寄せつつ距離も寄せる。

「いやもうホント勘弁して…… ほら! いまそれよりトリックタワーのトリックの方を解き明かさなきゃ、ね?」

「そーだよキルア、今はトールの秘密よりそっちの方を暴かなきゃ不合格だよ?」

 ゴンの助け船もあり、キルアは詰め寄る足を止める。

 それでも不満たらたらですという表情で腕を組みつつじとーっとトールを見る。

 そういう視線の様は何処となくあの母親の血を感じさせられた。

 その様子に、ゴンは少し考えると柏手一発と共に名案浮かんだ顔をする。

「そんなに気になるんならさ、トールより先にトリックタワーを降りたら教えてもらうってのはどう?」

「おっしゃそれでいこう!」

 キルアはナイスアイデアとゴンに手を向け、意図に気付いたゴンも手を出しハイタッチを決める。

「待ってろよトール! ここのトリックもお前の秘密も解き明かしてやるかんな!」

「えっ ちょと、待つ訳ねぇよ! や、そーじゃなくて!?」

 走って行くキルアとゴンにトールはズレたツッコミしか言えなかった。

 

―― 俺の意見は!?

 

 当の本人を無視し、ゴンに至ってはレオリオ達も協力を仰いでいる。

 

―― 協力求める思考の余裕あんのに俺の意見は!?

 

 それは再度トールに衝撃をもたらした。

 そもそもトールがキルアに【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)を秘密にしているのは、念能力の秘匿という一般的意識の他にもう一つある。

 

 実は口止められているのだ、ゼノそしてシルバの両名から直々に……

 

―※―※―※―※―※

 

「あのぅ…… 何か私の服に不備等ありましたのでしょうか?」

 ゼノ及びシルバからの呼び出しと言うだけで何事かという話だが、今回に至っては人払いまでさせている。

 それはゼノがさらっと「イルミとカルトも仕事に出したなシルバ?」という質問から、人払いが家族まで対象に入っている異常事態であった。

「いやそういう訳ではない、キルアのことで話があるだけだ」

 シルバの言葉にそれはそれで問題だよとトールは思う。

「確認じゃがおぬしは【念】が使えるな?」

「ええ、多少は……」

 隠す必要もないので正直に言う。

「では服を作るとき、何らかの【念】を行使しているかな?」

「はい」

 これも隠す方が絶対に不味いので答える。

「ならばキルアの前では服を作ることはやめてくれないか」

 ゼノから引き継いで出たシルバの言葉は御願いだった。

「構いませんが、それは【念】の秘匿ということですよね? 一応【念】を使わなくとも裁縫そのものは可能ですけど……」

 最初の問からトールはそう判断する。

「ああ、【念】を使わなければ別に構わない。つまりは何であれ【念】をキルアの前で行使してはならないということだ」

 その言葉にトールはある事に気付き、首を傾げる。

「でも、割と遠くとはいえその場にいたのに末の子は思いっきり使ってましたけど」

 そうなのだ、カルトは何時の間にか【念】を未熟ながらも習得しており、その報告に人間ロケットと言うべきスピードでもって突っ込んで来たときの驚きは今でも覚えている。

「流石に一発殴ったわい…… まぁ、キルアだけに【念】を教えとらんことには理由があるんじゃ…… それはワシらの昔話でもある」

 言ってゼノは備えてあったコップの水を飲む、少し長い話になりそうだ。

「えっと、なにかこの家のディープな秘密に触れそうなんですが…… 私に話していいんですか?」

 なのでトールはすかさず止める機会を作る。

 初めてここを訪れた際に同じくディープな秘密に触れて殺されかけたからだ。

「よほど言いふらさなければ何もせんわい。王様の耳はなんとやらとな…… 殺人鬼である前に人間なんじゃよワシらも」

 差し詰めトールは井戸の中にいた哀れな人かはたまた穴そのものか、いずれにせよその話の様に喋ったら自分の末路は幸せで無く辛いものだろう。

 だからトールはその話ってこっちの世界にもあったんだなと思う他に自分を誤魔化す方法は無かった。

 

――― これはワシがようやく二桁の年になったときの話じゃがな……

 

―※―※―※―※―※

 

―― いかん! 思い出したらますますキルアに教える訳にはいかなくなっちまった!

 

 ゼノの遠い目まで思い出しトールはそこでようやく現在の時間軸に意識を戻した。

 とりあえず周りを見渡すと皆中心付近ではなく淵の方から何か探しているらしく、あまり動かなかったトールはポツンと取り残されたような状態だった。

 幸いなことにキルアもゴンも色々探している真っ最中だった。

 

―― 俺も探さねーと不味いな

 

 とりあえず端から端まで歩いてみるかと歩き出す。

 するとその瞬間にまるで世界レベルで妨害でもされているかの様な強烈な向い風が吹いた。

 おまけに風は砂塵を含んでおり、そういう対策をした格好でない者は皆一様に手や腕で顔を覆う。

 トールも例に洩れず、構造上大きい袖で主に目を守ろうとする。

 だが、目は守れたものの少なくない砂塵を吸いこんでしまったトールは鼻に強烈な違和感を覚えた。

 当然、体は侵入した異物を追い出そうと反応する。 

 それはトールだろうが人ならほぼ誰でも起こるものであり、珍しい現象ではない。

 

 所謂くしゃみである。

 

 しかし、くしゃみの際の動きと言うのは独特のものであり、状況等によって千差万別の軌道を描く。

 彼の場合、それは臍の高さまで上がった右膝がその独自性を物語っていた。

 

「っくしゅ!!」

 

 スタンダートの部類に入る声と共に右足が地面に勢いよく戻ったとき、何故か彼はくしゃみのことを指摘したイルミの声を思い出した。

 

 

 

 

 

「……」

 打ちつけた右足から落ちる感覚を味わい、目を開けたトールが認識したのは壁だった。

 

―― ふふん、もうワープとか頓珍漢な考えはしないぞ! あの衝撃で床が抜けたんだな? 脆い材質で出来た隠し扉ってとこかな?

 

 微妙に違う推理を脳内で披露しつつも彼なりに少しだけ成長したのか、慌てることなく今の自分の状況を認識する。

 彼の立ってる場所はこの部屋の隅っこの様で大きさは多分であるが日本人的感覚から導きだして16畳程だろうと推測する。

 大きさがあっているか、壁側からくるっと内側を見る為トールは振り向く。

 

「また会ったねトール♥」

 

 すぐさま見上げた決して高くない天井に自分が落ちた穴が無いことを確認するとトールは来世では静かなくしゃみをする人でありたいと心から強く願った。

 

「もう行こうかと思ってたけど、日頃の行いが良かったのかな? 最高のプレゼントだ♠」

 日頃何しているのか全くもって不明だが、少なくとも善行でないことだけはハッキリと分かる男は笑顔で言ってのけるとトールに近づく。

「もう行ってていいよ、いくらでも待つから……」

 恐怖等の感情が一周回って疲れになった様で、米神を押さえながら投げやり気味に言う。

「そういう訳にもいかないのさ♣ ご覧よ♦」

 指差した方を見ると扉があり、そこにプレートがかけられてある。

 

 

 この部屋では上限四名を待たずに出発してもいいし、好きな人数になるまで待ち続けてもいい。但し、来た者は例外なくこの部屋から出発しなければならない

 

 

 課題の道と銘打ったプレートにはそう説明が書かれていた。

「つまり御一人だろうが四名様だろうが構わないけど、来た奴は全員強制参加と?」

『その通りだ』

 トールの言葉に答えたのはヒソカではなく、機械越しの音声。

 声の方を見ると、天井際の壁にスピーカーがあった。

『このトラップタワーの数あるルートの一つ、課題の道ではそのプレートの様な形で各部屋ごとに課題が明示されており、その課題をこなさなければ次の部屋に進む資格が与えられない難コースだ!』

 そして諸君の健闘を祈ると定型文で締め、音声は止まった。

 説明通りならこの全員出発という部分が次の部屋に進む為の課題と言うことなのだろう。

「そういう事だから早くイこうよ?」

 ニュアンスに何か引っかかるものを感じるが、ここであと二名を待ったとしても他にどんなイルミやコイツみたいなの(ヤ  バ  イ  奴)が来るか不安なので、それなら仕方ないと彼はヒソカに続いた。

 開けた先の部屋はかなり長い長方形で、自分達の通って来た扉と向こうに続く扉まで遮蔽物も何もなく唯一風変わりなのは向こうの扉の前に細い台座と上に乗っているスイッチらしきものと、向こう側の配置に合わせるようにこちらには看板が立っていることである。

 

 向こうのスイッチを押す事、但し道具を使って押しても無効。必ず自らの体を使って押す事

 

 これは絶対このスイッチまでになにか仕掛けがある。

 そう判断したトールと同じ様な事をヒソカも考えたらしく、トランプを八枚取り出すと一斉に投げつける。

 トランプはいずれも部屋の真ん中ほどでそれぞれ左右の壁と床、そして天井に二枚ずつ突き刺さる。

 すると刺さった場所の床がどういうハイテク仕様なのか、足の親指ほどの大きさの穴がスライドで開いたかと思えば、勢いよくそこからその大きさの黒い槍が飛び出してきた。

 トールの肩ほどの長さまで伸びると飛び出す勢いと同じ速度で黒い槍は引込んだ。

 全部引込んでからヒソカは今度は空間のど真ん中ストレートコースでトランプを投げる。

 トランプはスイッチの台座に刺さったが、その軌道上に槍は一切出なかった。

「なるほど♣ 槍が出るより速く走るか何も触らないようにスイッチまで行くかの二択ってことか♠」

 検証終了♦ とトランプを投げた方の指を曲げると、放たれたトランプはまるで意思があるかのようにヒソカの手へ帰って来た。

 

「ま、正直楽かな♥」

 

 そういって小細工抜きで駈け出し、ボタンを押すヒソカにトールは内心同意した。

 

―――――――――

 

 その後五つほど課題をこなしたが、どれも一か八かというレベルではなくヒソカが交互に課題をクリアし合うことを提案し、それに同意するくらいには心の余裕もあった。(同意を得られずとも強引にそうならざるを得ない状況に彼はしただろうが)

 

―― こういう得意なのに当たり続けてるからだろうなぁ

 

 トールの『こういう』のとは木々の生い茂る植物園の様な部屋の課題で、そこに放たれているネズミを三匹生け捕りしろというものである。

 そうして今はヒソカが七つ目の課題である囚人との戦いに精を出していた。

 

 本来なら囚人四人対受験者四人という構図でこの広いステージを目一杯使い一斉に戦うのであろう。

 二分以上『相手側より戦闘可能人数が下回った状態ならば敗北』というルールなのでトール狙いの囚人も、そもそも二人なので逃げに重きを置こうと考えている囚人もいた。

 そう、『いた』

 二分と言わず二秒で囚人達は散って逝った。

 人数的不利とかこの部屋まで来る疲労とか、そういうハンデなど存在しなかった。

「まったく、ここまで来るのに時間だけ掛かっちゃって退屈だよ♠」

 

 それもそうだ常時切り札の男(ジョーカー)が最初から場に出ているのだから。

 

 

「もしかしたらこの部屋で最後かな?」

 その部屋は今までと違い、扉近くに看板や壁にプレートがかかっておらず真っ直ぐ進めと薄暗い道が続いているだけだった。

「最後くらい楽しませてくれるものだといいな♥」

 

―― その最後は俺の番だけどね☠

 

 ヒソカの言葉と場の雰囲気にラスボスという単語が浮かび、若干おかしなテンションになっている。

 一緒に歩く手前、警戒して遅く歩きたいがヒソカの歩みに合わせぐんぐん歩いているうちに道は終わる。

 何も無いのかと思った壁の下に良く見れば何かの欠片が散乱してる。

 それがズタズタに切り裂かれたプレートだと気付いた時に、目の前の壁が音を立て向こう側に倒れる。

 どうやら隠し扉の様だ。

 

「…… 待ちわびたぜヒソカ」

 

 そこには顔面に決して軽傷ではなかったであろう傷痕を持った男がいた。

 意図的でなかったら失明していない事が奇跡としか言い様のない眼は負の情念を感じさせ、その眼はある一点を見つめ続けている。

 その一点がトールを飛び越えその後ろにいる人物であることは明瞭だった。

 ヒソカがどんな表情をしているかゆっくり後ろを振り返る。

 ひどく退屈そうな顔がそこにあった。

「なにしたんだ?」

「去年の試験はもっと退屈でね♣ 早くクリアしちゃって暇だったから遊んだんだけど…… 脆すぎて少し壊しちゃった♥」

 どじっ娘ですとでも言いたげな声音だったがただ不気味なだけである。

「貴様に付けられたこの傷の恨み! それを晴らすべくオレは試験官としてではなく一人の復讐者として貴様を殺すと誓って生きてきた!!」

 

―― コイツが去年ヒソカに半殺しにされた試験官かよ!?

 

 何してくれてんだお前という気持ちでもう一度ヒソカを見る。

「試験官だから命と眼までは獲らなかったのに、気絶する寸前にボクに不合格を言い渡したんだよこの人♠」

 至って普通の判断だとトールは思った。

「酷いと思わない?」

「ああ、酷いと思う」

 同意を得て嬉しそうにヒソカは笑うがトールの酷いに掛かる対象はコイツである。

「さぁ、ヒソカ…… もう語る事は何もない! そのガキ退けて命のやり取りといこうぜ?」

 これは巻き込まれないようにしなければとヒソカを前に出す為横に一歩出る。

 しかしヒソカは前に出る事は無く、退屈そうにトランプを弄びながら

「嫌だね♣」

 と言い切った。

 

「「はぁ?」」

 その返答にトールと男の声は見事に重なった。

「だって今はキミの番じゃないか♣」

「そうだけど向こうが指名してるじゃん」

 巻き込まれたくないのでやんわりと言いつつも断る方針を変えない。

「おい、何の話だ?」

 事情を知らない男はその内血管が切れるのではないかという位青筋を立てている。

「ちょっとした御遊びだよ♦ ここは課題の道だろ? だから課題が何個もあるだろうから交互にクリアしてて、この部屋の順番がトールなのさ♥」

 男は怒りの矛先をすぐにでもぶつけたい衝動にかられ、小刻みに震えている。

 終いには爆発しそうだ。

「キミがどんなにボクと戦いたいかは分かるけど……」

「戦いたいのではない! 真っ向から挑んだ上で殺したいのだ!」

 指差し力強く指摘する男にヒソカはめんどくさいなぁ♣ とぼやきつつも再び喋る。

「キミと戦う事は本来、この部屋の課題じゃないんだろ? この部屋の前にあったズタズタのプレート…… あそこに書かれてあったであろうことこそが本当の課題のはずだ♠」

 プレートをズタズタにしたのもキミだろ? と言って聞けば男は頷く。

「部屋に設置してたカメラでボクがどの道に来たか確認して先回りしたんだろ? キミは今年復讐者として来たとか言ってるけどボクは今年も受験生なんだ、そんな勝手が通るんならこっちもある程度の自由がなくちゃ♥ プライベートでないんだから問答無用じゃいくらなんでも駄目だろう?」

 

―― コイツ、自分が原因の癖に公私混同すんなっていけしゃあしゃあとよく言いやがるなオイ

 

「ッチ! 分かった、先にこのガキ伸したら次はオマエだ。それでいいな?」

 

―― 意外と素直だな!?

 

「ん、いいよ♣」

「じゃあ一旦この部屋から出ろ、扉が閉まるが決着がつけば再び開く仕組みにしてある」

「まぁ気楽にヤりなよ? トール♥」

 流れるように、来た扉を戻るヒソカに抗議する暇は無かった。




 初期ではアルゴはツンデレぶっきらぼう系おっさん、トールは服キチじゃなくランジェリーキチでおっさんにも容赦なくブラジャー装着を迫る感じでしたが、ガイアが私にそれはやめろと囁いたのでやめました。
 しかし開始数話に女っ気が全然無かったのでアルゴをアーちゃんにした判断は正しいと思ってます(曇りない目)


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天気は下り塔2

「何だその顔はよぉ? 文句があんなら素直に言えや」

「っけ! 言っても無駄な事は言わねぇよ」

 トールがまさかのトリを務める事になった頃、レオリオとトンパは簡素な部屋で睨み合っていた。

 紆余曲折あり、ゴン達とトンパはこの部屋で五十時間も過ごす羽目になったのである。

 トンパが新人潰しだと分かった事も輪を掛けてレオリオはイライラするが、こうなってしまったのは自分のせいでもある為、強くは言えずこう愚痴るしかなかった。

「せめてトールがいればなぁ……」

 明らかに合格する意思が無い奴に比べてもマシであるし、マシ以上に裏表のない良い奴とレオリオは思っている。

「仕方ないよ、オレが競争だなんて言ったときは隠し扉も知らなかったし五人も通れる道があるなんて尚更分からないよ」

 人数ぴったりの道がある確率なぞ相当低い、ならばそれを見つける為に払った代償がトールの離脱というかトンパの加入なのだろう。

「トールと言えば、キルアの家の服を全て仕立てていると言っていたがどういう経緯でその関係に至ったのだ?」

 クラピカはキルアの家が暗殺一家と知り、ならばトールはどういう風にそんな特殊な家の者と知り合ったのか気になりキルアに聞いた。

「最初は母親が呼んだ服屋の代理で来たらしいんだけど、作った服を親父もジッちゃんも気にいって何時の間にか家族全員の服作ることになったんだっけか? 多分そんな感じ」

 母親とはあまり喋りたくないという苦手意識がキルアの根底にあった為、母親の説明しかなかった序盤のトールの紹介はあまり聞いていなかった様だ。

「トール自身も気に入られているのではないのか? 家族と一緒に食事もしているような発言もあったが」

「そうだな、一言で言うなら憩いの場みたいな感じかな? 少なくともオレはそう思ってる」

 どんな感じだよとレオリオは突っ込む。

「まぁオレの場合トールと会うときは暗殺のあの字も無い状態だし、自分家で言うのも変だけどリラックス出来るって言うかさ……」

 要するに勉強の合間に子犬と戯れる感覚である。

「一番上の兄貴と一番下のカルトっていう家族以外眼中に無しって奴らもトールとは積極的に会ってたし、もしかするとあいつらも休みたかったんじゃねーのかな?」

 今はどうか分からないが最初期は両名共に思っくそ暗殺する気満々で積極的に接触していた。

「一番下って、何人いるのキルア?」

 兄貴の存在は飛行船のときに聞いたがそれ以外にもいることは知らなかった為ゴンは聞く。

「ああ、オレ入れて…… 五人?」

「なんで聞くんだよ」

 何故か疑問形での答えにレオリオが不思議に思って言うが、一番不思議そうなのは言ったキルア本人だった。

「誰か遠方の地にでも幼少の頃連れて行かれた記憶でもあるのか?」

「いやそういう訳じゃないけど何か影薄くてさ…… うん、五人だ五人!」

 クラピカが一つの可能性を聞いたが違うらしく、キルアはこれ以上考えるのが何故か急に馬鹿らしくなり五人と結論付けた。

「ま、要はトールはオレん家で唯一の暗殺に無関係な一般人てこと!」

 話題を無理矢理トールに戻したキルアのこの発言が果たして本当に彼の意思なのかは分からない。

「暗殺者に囲まれて平然と飯食える一般人って何だよ……」

 黙って話を聞いていたトンパだが流石にそれは変だと指摘する。

「単に食い意地張ってるか気にしてないかじゃないの?」

 暢気に言うキルアにトンパは何かを思い出したような素振りを見せると一瞬で顔を青くする。

「どうしたオマエ、気分悪そうじゃねーか?」

 いけ好かない奴と思いつつも医者志望らしく、トンパの変化に気付いたレオリオが心配する。

「いやそうじゃなくてよぉおまえらと初めて会った時、そんときのトールを思い出してな……」

「それが何でオマエの顔が青くなんだよ、つーか、今考えれば一服盛ろうとしてた事実に気付いたオレらの方だろ? 顔青くすんのはよォ!」

 どちらかというとレオリオの顔は真っ赤だが言分はまったくもってその通りである。

 しかし、今はそうじゃないとレオリオを手で制する。

「その件は悪かったって! 今はそうじゃなくてトールの話なんだよ!」

「へいへい、オレ達を落すための話なら承知しねーからな?」

 レオリオは引くとソファーにどかりと座る。

「で、トールの何を思い出したの?」

 キルアが話の続きを催促する、気になるようだ。

「…… オレが何人かの常連を紹介したときヒソカが受験生の腕消したの覚えているよな?」

 うん、衝撃的だったしとゴンが頷く。

「そのときジッと見てたんだよ、トールは…… 他の奴らと違ってすごく興味深そうにあのイカレをよ」

「よし歯ァ食い縛れよ?」

 一瞬で自分たちに不安を与えるホラと判断したレオリオは肩を鳴らす。

「嘘じゃねぇって!? これに関しちゃホントなんだって!」

 レオリオは拳を下ろす、残念な事に彼が嘘を付いていると思えなかったからだ。

「そんでキルアの話聞いて、もしかしたらトールもオマエ側の人間かもしれねぇって考えちまってな……」

「なッ!?」

 レオリオが驚きの声を上げる。

 声を上げてはいないがそれ以外の者たちも、大小あるが内心似た状態だ。

「トールが暗殺者かなにかってか? んなわきゃねーだろ! アイツがそんな…… ああ、クソ!!」

 言いかけたレオリオはそこで止め、苛立ちをソファーを蹴って誤魔化す。

 その先を言おうとしたとき、それはキルアを否定する発言になると気付いたからだ。

「うーん、オレはトールからそういうのは感じなかったけど……」

「ゴンの言う通りさ、第一同業者なら気付くっつーの」

 呆れたようにキルアは言う。

「ま、親父やジッちゃんレベルなら一切を隠す事も出来るだろうけどさ?」

 暗殺者のお墨付きとそんなことは無いという自信から来る軽口で場はトンパの発言前の空気に戻る。

 

 戻ったからといって可能性が0ではないという気持ちは残ったままだが……

 

「じゃあ後で本人に聞いてみようよ! 『トールって暗殺者なの?』ってさ!」

 ゴンのアイデアにクラピカでさえも力が抜け、ズルッと崩れた。

「あのなー…… もし仮に万が一っていくらでも頭に付けた上で言うけどよ、それで暗殺者だったとしてYESと言うとでも思ってんのかゴン?」

 それ以前にトールが試験に落ちて会えない可能性もあるがそれに関しては満場一致で無いだろうという意識が根底に存在していた。

「キルアは名乗ったじゃん?」

「オレらは特別なの!」

 言って凸ピンをする。

「ッテ! むぅ、もしかしたらトールもトクベツかもしれないじゃんか」

 おでこを押さえながらも後で聞く気であることは変わらないようだ。

「そもそも暗殺者の可能性すら低いのにどんな確率だよ……」

「少なくとも試験に合格する確率よりかは低そうだ」

 クラピカの発言にレオリオは全くだぜと同意した。

 

―――――――――

 

―― 俺、恰好良く言っても仕立屋なんだけどなぁ……

 

 男とタイマンする事になったトールはどうしてこうなってしまったのかと自分の職業を思い出していた。

「安心しろガキ、オレはヒソカ以外の者なら負けを認めた時点でやめてやるつもりだ……」

 それは朗報だ。

「しかし、無傷で済ませる気は無いぞ?」

 どこからか曲刀を取り出し、ギュンギュンと音が出るほどの回転をさせつつ不敵に笑う。

「前哨戦といったところか、アイツ何ぞ目じゃない手品を見せてやろう」

 ふっ、と力を込めると先ほどよりオーラが明らかに増えている。

 

―― やべぇ、念能力者だコイツ!

 

 反射で自身もオーラを纏ったことは決して間違った反応ではない。

「なんだオマエも使えるのか? なら出し惜しみなしだ!」

 曲刀をもう一本取り出す、この時点でトールは自分の行動が完全にミスだと判断した。

 次にそれを放り投げて新たに二本曲刀を取り出し、四刀流になったところで血の気が引いた。

 しかし、ヒソカとかイルミ(ア イ ツ ら)に比べりゃまだマシと足に力を入れて男を見る。

「これぞ無限四刀流! 指の二、三本くらいは覚悟しとけよガキ!!」

 勢いよく回転しつつ投げられた二本の曲刀はトールの方向に向かって真っすぐ飛んでいくが、トールの方へ向かわず素通りする。

 一体何を? と気になるトールの前に男は曲刀を投げた際、自分も向かって来ていた。

 

―― やべッ!? 俺もナイフってもう無理!!

 

 ナイフを取り出そうとしたトールはその時間は無いと悟った。

 

 【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)発動の際、彼は構えていればその発動の瞬間より少しだけ早くそれを察知できる。

 イメージは赤い光、警告ランプの様に光る脳内のソレはそれが光った瞬間から消えるまでの間【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が発動している証拠であり、己の意思で動けない時間そのものである。

 この際、彼に残された行動の自由はオーラに関する事と思考する事、例外的に眼を動かすことのみである。

 さらに光がある間は『攻撃』『回避』『防御』の変更を出来ない。

 

 彼が選んでいたのは『防御』…… 選んでいたというより設定を変えたのが試験開始前なため、変えていなかったというの方が正しい。

 

―― ナイフ持つ前に『回避』に設定しておきゃ…… って俺何に『防御』してんだ?

 

 向かって来ているとはいえ曲刀の間合いではまだないし、発動するにしては遠すぎる。

 では何に? という疑問はストレッチをするかのように後ろに伸ばした両手が答えた。

 何かを掴んだ瞬間、能力は解除され残すは余韻の様に動かない表情だけとなり目の前の男しか見ていないトールは動けた瞬間に全力で後ろに下がる。

 何を掴んだのか隙をついて確認するトールの両手に収まっていたのは何と二本の曲刀。

 いやなんでだよと驚くトールの耳に何かを落とした様な金属音がする。

 男の方から聞こえたそれに警戒しつつ見据えると、全く予想もしていない恰好の男がいた。

 

 曲刀を離し、膝から崩れ落ちて呆然としていたのだ。

 

「ば…… 馬鹿な!? 一切見ずに曲刀を…… そんな、ありえん…… オレの、オレの一年間は…… ぅ、ぁあ……」

 実はこの男ことトガリは飛ぶ曲刀をとるに半年、死角から見ずにとるまでさらに半年訓練を積んでいた。

 つまり先ほどのトールの行動は彼の一年間が全くの無駄であったと言うに等しい行為であった。

 

 さらにヒソカの前哨戦と捉えていた子供相手にその芸当をやられたことによって彼の心は今、完璧に折れた。

 

「ぁ、ああ…… ぁ……」

 膝から落ちた姿勢のまま、さらに崩れる事も立ち上がる事もなく、虚ろに天井を見たまま大きく開けた口から反比例する掠れた声を出し続けた。

 

「……」

 どうしていいか分からずキョロキョロしつつもトールは一応警戒しながら曲刀を拾うと一旦離れて置き、【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)を発動して風呂敷を仕立てる。

 それに先ほどの曲刀を全部包み、横にそっと置いた。

 

―― どうしよう、何か分からないけど気絶とかさせた方がいいのかな? というかもう気絶してるんじゃないのかこれ?

 

 トガリの状態が分からないトールだが漠然とそれは可哀想だと思い、躊躇った。

 

 

 別に気絶しているかどうかを賭けの対象にしている訳でもないのでもう心苦しいがひと思いに殴ってしまおうかと構えた瞬間、ゴトリと音がして扉が開く。

 今度は片方だけでなく、トガリ側の壁も開いた。

 部屋の一部始終を見ていた三次試験官のリッポーがトガリを再起不能と判断して課題クリア扱いにしたのだ。

 つまりは合格と言う事である。

「終わったのかい?」

 言ってヒソカが入ってくるが、終わったのかと聞いた割に明らかトールに向けているあたり、彼の終わったのかという質問はむしろどうやってトールが勝ったのかという意図で聞いたようだ。

 己が気になった捕食者の(自分の様な)目を持つ少年が一体どのような結末を男に与えたのだろうか気になったヒソカの目に飛び込んできたのは戦意を失い心さえも折れた復讐者の姿だった。

 

―― おや、中々えぐいね♥

 

 てっきり肉体的苦痛の果てにでも殺すのかと思っていたヒソカにとって変化球であった。

 元々の考えもトールにとっては変化球通り越して死球もいいところだが。

「いい趣味してるねキミ」

 指差してトールを見る。

「えっ? 全然凝って無いんだけど……」

 それが丁度トールの無地の風呂敷と重なる指し方だったことと、趣味=裁縫と言う思考があった彼は無地の風呂敷だし趣味ならもっと創意工夫を凝らすという旨を言う。

「そうなんだ♣ ちなみにだけど何したらこの人こうなったの?」

「さぁ? 気付いたらあんな感じになったから困ったよ」

 気絶したんだろうと結論付け、さらにブツブツ言っていたトガリの言葉を聞き取れなかったトールにとってこの状態は何が原因かさっぱりだった。

「そっか♠ じゃ、もう行こうよ? これで最後みたいだし♦」

「あ、うん……」

 トールの反応をトガリに興味が無いが故のものと思い、ヒソカもそれに同意したように男への薄かった興味が遂に0となり、部屋を後にする。

 

 こうしてトールとヒソカの第三次試験はジャスト七時間で終了した。

 

 

 

―― 俺だけはまだ三次試験終わって無いんですけどこれぇ!!

 

「フフ♦ まさか二回もトールと暇な時間が出来ちゃうなんてねぇ♣」

 この広いフロアの隅で、トールとヒソカは二人っきりだった。

 ヒソカが再び話しかけるまでにまだ一時間しか経過していない、つまりまだ残り時間六十四時間である。

 他の受験生がいつ来るか分からないため、トールの頭には自分たち以外ゴン達でさえ来ないかもしれないという最悪の未来さえ浮かぶ。

 どうしようか…… 一応向こうの方にトイレや簡易だが食堂、仮眠施設もある。

 問題は目の前のが何処行ってもついてくる点だ、流石に連れションされたときは命の危機とは別の危機を感じた。

 この勘はアルゴ他オナカマの皆さんから(自分からして)厳しく鍛えられているので、それ故に外れてくれと願う。

 せめて他人、もう知り合いじゃなくていいから第三者がいて欲しい。

 体験から神を割と信じているトールの願いをまるで聞いて叶えた様に、扉が音を立てて開いた。

 

 おっしゃあ! と心でガッツポーズをするトールは気持ちキラキラした目で扉から見える影を見る。

 

「カタカタカタ…… あれ、二人だけ?」

 

―― 俺に何の恨みがあるんだ神よッ!!?

 

 動かない身体に反比例して気持ちはマントルに迫る勢いで沈んだ。

 

―――――――――

 

「そっか、幻獣ハンター志望なんだ」

「ああ、まだ誰も知らない生物を見つけたいんだ」

「なんつーか任務とはいえ資格だけ欲しいとか言ってるオレからすればすっげぇ輝いてるぜポックル!」

 あれから三時間ほどして、精神的に潰されそうなメンツとのトランプゲームが怒涛の百ゲーム目に差し掛かろうかとしたとき、トールにとっての救世主が塔を降りてきた。

 救世主の名は半蔵とポックル、彼らの話ではもう一人一緒に同行していたが道中深い怪我を負ってしまい、本人の頼みもあって残念ながら置いてきたのだそうだ。

 そして今、お喋り好きの半蔵という共通の知りあいがいたことから三人はこうして仲良く語らうまでになった。

「まだ新種とか発見した事無いけどハンターになったらためしに秘境とか行ってみたいな」

「秘境かぁ…… ロマンだよな!」

「新種渦巻く雰囲気抜群だもんね」

 実は目の前で話しているコイツこそが新種である。

 そしていまハンター試験と言っているのに純粋にハンターらしい活動を視野に入れている人物がポックルのみという訳の分からない状態でもある。

「ここまできといてアレだけど自分の力不足を感じるよ、タワーで真っ向勝負する羽目になったときにハンゾーがいなかったら負けてただろうし…… 猛獣やらに真っ向勝負して圧勝とは言わないまでも往なせる様にはなりたいもんだな」

 自虐的にフッと笑う。

「いやいや、オレは職業柄そういった技が必要な訳であって御前には御前の仕事に合った技能が必要だろ?」

 褒められて頭を掻く半蔵だが、何が必要かということは冷静に言う。

「それでもある程度はさ、だって嫌だろ? 新種を発見した人じゃなくて新種の生物に喰われて有名になったとか……」

「そんときは仇をとってやるさ!」

 

 

 喰われんのは前提かよと三人の間に大きな笑いが起こった。

 

 

「ボクらといるときより随分楽しそうじゃないか♣ 妬けちゃうね?」

 遠目にそれを眺めていたヒソカは近くでカタカタしているイルミに話しかける。

「カタカタカタ…… 別に? トールがどうしようがオレは気にしないよ」

「その割には見てたけど♠」

 人を見ることに長けたヒソカにとって視線というものは口ほどにものを言うも同然である。

 以前奇術師という職業からそれが磨かれたのかとその事を言ったイルミに対しヒソカのボク人見知りだから視線が気になるんだ♥ というまさかの返答に怪訝な顔をしたのは記憶に新しい。

「オレは気にしないよ…… オレはね」

「じゃあ一体誰が気にしてるんだい?」

 ニュアンスからそう聞いたヒソカにイルミの返答はカタカタ鳴るだけという、ギタラクル的無言だった。

 それでも興味深そうに見てくるので根負けしたように溜息を吐く。

「…… 本来の仕事からかなり逸脱してるってだけは言っとく」

 それだけ言うともう何も話さないと視線も合わせず等間隔でカタカタ言うだけの不気味な人物に成り切ってヒソカから離れて行ってしまった。

「話相手いなくなっちゃった♣」

 

 そう言ってトランプタワーを作り始める彼の背は割と寂しそうだった。

 




日常的にナイフや針を二年間ほど投げられ続けていた彼に死角は…… 無い訳無いじゃないですか。


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島は絶好のクモ日和1

「おお! みんなー!!」

 制限時間残り一秒以下、ポックルとハンゾー両名とも慰めの意でトールの肩に手を置いてから実に三分。

 ゴン達は何故かトロッコに乗って時間ギリギリにやって来た。

 道中の経緯が非常に気になるが、まずは合格をおめでとうと第三次試験合格者二十数名へその旨を知らせるスピーカーからの声をBGMに駆け寄る。

「トール! …… って、ああ!!」

「どしたのキルア?」

 レオリオとトンパがぐったりしている事が分かるくらいの距離まで来て、最初嬉しそうにトールの方へ手を振るが次には悔しそうにトロッコから飛び降りた。

「勝負だよ! トールより先に着いたら色々説明するって内容で! つーか言いだしっぺはゴンだろ?」

「あっ、すっかり忘れてたよ」

「どのみちこの時間では勝負に負けていただろうがな」

 頬をペシペシ叩いてレオリオとトンパの意識を戻しながら言うクラピカの言葉通り、残り時間がほぼ終了時刻のキルアとゴンがいくら勝負を覚えていても勝つことは無理だろう。

 すっかり忘れていたのはトールも同じで、思いだして初めてヒソカと一緒でよかったと安堵した。

「ん…… ぅ、ぉお…… ようトール! どうだ、無事か?」

「いやそりゃこっちのセリフだよ」

 戻りたての意識で朦朧としているレオリオこそ無事かどうか聞かれる側だ。

「それよりもよぉ、トールがあのとき待っててくれりゃ五人で通る道にこんな奴こなかったんだぜ? オラ! とっとと降りろや!!」

 ゴミの様にトンパをトロッコから外に放り投げる。

「ってて…… ちゃんと降ろしてくれよ! のわぁッ トール!?」

 顔を上げ、トールと目があった瞬間トンパは驚きと恐怖の混じった顔で塔の端の方に逃げた。

「え? 俺ってそんな不意に見てビビるほど威圧感あるの?」

「あるわけねーだろ」

 不思議がるトールにキルアがズバッと斬り込みを入れる。

「何だ無関係か」

「いや一応関係あるよ?」

 トロッコはどうやらお手製らしく、下のタイヤはキルアのスケボーでハンドルがゴンの竿の様で、それをはずしながらゴンがトールの質問に答えた。

「どんな関係?」

「うん、トールってさ……」

 そのときフロア全体に巨大なものが動く地響きと、久しぶりに感じる太陽からの本物の光が差し込む。

 時間になり塔の出口が開いたのだ。

 ゴン達は一旦話すのをやめ、アナウンスの通りに外へ出る。

 外の空気は海の近くという事もあって少し塩辛いが、それでも心地良いものだ。

 多くの受験生がそう思うなか、そこには一人のパイナップルヘアーの男がいた。

 彼こそが試験官リッポーである。

「諸君、三次試験合格おめでとう。これで残りは四次と最終試験を残すだけとなった」

 あと二つ、初回でここまで来るとは思わなんだとトールはアルゴから荷物が届いた日を思い出す。

「四次試験は私の後ろに見えるゼビル島が舞台だ、トリックタワーと違って自然豊かなフィールドだ」

 確かにこの距離でも島が青々としているのが分かる。

「早速あの島に向かってもらう訳だが…… その前にしてもらうことが一つ」

 パチンと指を鳴らすと、何処からともなくキャスター付きの変なものと一緒に男が現れる。

 

「クジ引きだ…… 狩る者そして狩られる者を決める、ね」

 

 四次試験、それは一つの島を舞台にした期限一週間で行われるプレートの奪い合いサバイバルゲーム……

 己、そしてクジ引きで決まったターゲットが三点、その他が一点。

 合格点は六点…… それを聞いた瞬間、ほぼ全ての者が胸元のプレートを外して思い思いの場所に隠す。

 トールも他の者に倣いプレートを服の中にしまった。

 

―― 余裕あったら縫い込んどこ

 

 生み呼ばれる前から切符等を靴下に挟んでおくタイプであったりする。

「ではタワーを脱出した順番でクジを引き、引いたらそこに見える船に乗ってくれ」

 そんな算段をするトールの肩にぽんと手が置かれる。

 振り向くとヒソカがいた、恐かった。

 

 慣れた自分が……

 

「なに?」

「トールの方が先に扉を通ったから一番はキミだろ?」

 言われるとそうだった気がする。

 別にヒソカでもいいだろうと譲ろうとすれば

「一番って注目されて苦手なんだ♣ ボク人見知りだし♥」

 衝撃の発言に思わず目を剥き、嘘こけオマエ目立つパフォーマンスばっかしてんじゃねぇかと言えなかった。

 ここで譲り合っても時間の無駄(どうせ自分が負ける)と判断してクジまで歩く。

 

「なッ!? トールが一着だったのかよ!?」

 まさかの人物にレオリオが驚く。

「なんだアイツ言ってなかったのか? …… ああ、言う時間も無ぇか」

「えっと、ハンゾーさんだっけ? トールがどれくらいでクリアしたか分かる?」

 隣に丁度いたハンゾーが反応する。

 知っている感じだったため、気になったゴンがそのタイムを聞く。

「ああ、オレ達が下に到着したときが開始十時間後で透が言うにはその三時間前には着いたそうだから七時間位じゃないか?」

「化物かよ!?」

 五十時間はペナルティとはいえそれが無かったとしても自分たちより相当早いタイムにレオリオは理不尽な存在だと叫ぶ。

「まぁ、化物はアイツと一緒に降りることになった奴だけどな」

 トールがクジを引き終わり、次に来た人物を顎で指す。

 それは紛れもなくヒソカだった。

「げっ! トール、ババ引いちまったんだな」

 意図していない方だろうがレオリオのある種言った通りのババ(ジョーカー)である。

「…… ねぇ、もしかして全部塔の攻略ヒソカがやってたなんてトール言ってた?」

 やけに静かに問うキルアに半蔵は彼を瞬時に闇世界の住人と見抜く。

「いや、何でも二人の通った道は課題の道とか言っていくつか課題をクリアすると降りれるらしかったんだが、ヒソカ側の提案で交互に課題をすることになったと自分で言っていたぞ」

 それでも半蔵はあくまで普通に答える。

「…… そっか、ありがと」

 番となりクジを引きに行く半蔵にお礼を言うと、キルアは固く拳を握る。

 

―― トール、本当に闇世界の住人(オレ達側の人間)か…… オマエの口から言わせてやるからな

 

 キルアの中でハッキリと普通で無いと結論付けられたがあくまでトール自身の口から言わせる事を誓った。

 おちょくられたと感じたからだ。

 暗殺者として生きることに嫌気が差していることは事実だが、そのために培ってきた技術に自信を持っていることもまた事実。

「なぁ、ゴン」

 自分の番を待つゴンにキルアは話しかける。

「トールにさ、質問すんのやめてくんね? オレが直接聞くから二度手間だぜ…… つってもどうせはぐらかすから結局無駄だし」

 それでもこうして念を押すって事は絶対自分で聞きだしたいからだろうと、ゴンはすぐに気付いて頷いた。

 

―――――――――

 

「さっきの話の続き言ってくれよ? ゴン」

 島に向かう船の中でトールはキルアと喋っていたゴンを見つけると気になっていた話の続きを言うように促す。

「ゴメン! オレ忘れちゃった」

 流石に無理があるだろうと思う言い訳だが、トールはそっかとだけ言って向こうに行った。

「今思えばこういう言わないんなら聞かないって態度、怪しいよなぁ」

 不機嫌そうにキルアは海を眺めるトールを見る。

 当の本人は本当に忘れたと信じている。形ある嘘は直ぐに見破るくせに言葉や態度による嘘は全然見抜けないのは全く持って性質が悪い。

 実はこの船に乗った幾人かはトールによって島での行動方針がいくらか固まってしまった者達がいる。

 そうと知らずにトールが今している事は、バスガイド風に案内したものの受験生のピリピリした空気に耐えかねて逃げるように退散したインカムの女性と話をしている。

 話の内容は島で食べられる物は何かということであった。

 

 身内が手で顔を覆う寸前になりそうなほどのマイペースである。

 それでも気さくに話しかけてきた子供という認識で話している女性にとって癒しであった為、知っている限りの食材を教えてもらっている。

 情報というこの状況でとても貴重なものをちゃっかりもらっているところも尚腹立たしい。

 

 それぞれの感情を乗せた船は気持ちの整理をさせるには多少短い時間でゼビル島に着いてしまった。

 

 受験生達は皆甲板に集められた。

「それでは下船方法と今一度ルールの確認です! まず下船方法は先ほどのクジを引いた順番で一人ずつ二分置きにスタートしてもらいます、期間は一週間、六点分集め終えたら期間終了時にこの場所へ戻って来て下さい! 一応言っておきますが六点集めてなくてここにきても失格ですし、六点分集めていてもここにいなかった場合は失格となります」

 なるほど、二分間インターバルがあるとはいえ二分はあの変態と島で二人っきりの時間があるということか。

 

―― こいつはもう俺のとっておきを使うっきゃない

 

 トールは足首が見える位に袴を上げる。

「それでは一番の方スタート!!」

 

 トールは振り返ることなく森の中へ消えて行った。

 

―――――――――

 

 皆の視界から完全に消えたと断定できる距離まで普通に走ったトールは、そこから【念】を使い常人の速度を超えた。

 ネテロ会長が自分を【念】使いと知っている事とトリックタワーで【念】を実際使ったことから、アルゴの教えそのさんである『【念】を使っていいと断定できるなら使っちゃいましょう』を守るときが来たと判断したからだ。

 ちなみにそのごまで存在し、それぞれ『万一面接があれば正直に』と『筆記試験だったら駄目で元々と考える』である。

 今はそんなことどうでもいいとトールはひたすらに走る。

 それもまるで島を塗り潰すかのように蛇行しながら走っている。

 目的が頭の中にちゃんと存在しているトールはともかく、彼の監視役は終わりが分からない為に面倒くささと合わせてトールの倍ほど疲労を感じている為、クジ運がないなと憂いた。

 一方のトールは監視役の気配を感じ、一体全体何者だと警戒しながら走っていた。

 姿などを確認したいがあからさまにヤバイのがいる為放置して自分の作戦を遂行する事にしたが気になるものは気になる。

 ならば振り切るまでと足に力を込める、本当なら木々を飛んだ方が圧倒的に早いが目的達成の為に地面を走らなければならないため、選択肢から除外する。

 

―― まず、走り切らないと……

 

 ゼビル島はやや瓢箪形で、スタート地点はくびれに位置する部分である。

 そして今トールはスタート地点から見て右部分を埋めるように走っている。

 図らずも手にした時間という貴重品を、人が来る前に…… 貴重品である内に使いきる為少々痛くなってきた脇腹に手を当てつつ、それでも走った。

 

 

 

「ゼェ…… ゼェ……」

 全員が下船する頃、トールは手頃な木の上で息を整えていた。

 体力気力ともに大幅に削れてしまっている。

 気力に関しては走って消費したのではなく、彼の察しの悪さのせいである。

 

―― まさか監視役がいるとは……

 

 一先ず目標を達成した彼は、走っている間中ずっと考えてきたことを行った。

 即ち自分をずっと追いかけている者の確認である。

 こういう時に限ってトールの選択肢は確認というのに先手必勝というべき手段で一気に距離を詰めた。

 流石に監視役も慌てて原則不干渉の例外と判断し、自分は監視役だと言ってライセンスを見せた。

 

 このお騒がせ野郎と、どっと沸いた疲れに気だるくなりながらも強く思ったが実際どっちもどっちである。

 

―― とりあえず、近くの水場に行こう…… 腹も空いたし

 

 トールは走っているときに見つけた水場へ向けてほどほどの速度で木々の間を移動した。

 

―――――――――

 

―― イケる

 

 水場で軽く体を拭くと、近くにいた蛙を捕まえ頭から生で食べ始めた。

 火を使いたいがそれでは場所を知らせる様な物だと思い、生で食うことにしたのだ。

 まるで遠い日の事の様だが火を使わずにサバイバルお気楽生活をしていた経験と獣を生で喰い続けた実績のあるトールにとってこの行為は何ら抵抗も体に有害である事もない。

 抵抗があるのも見るのが有害なのも監視役の者だけである。

 生だし、しかも生け捕りでそのまま頭から食べたために激しく痙攣する胴体をもろともせず喰い続ける様は餓鬼か物狂いである。

 しかもこれで二匹目だ。

 その食事の傍らトールはナイフと己が糸、そして森から取って来た丁度良い棒で何かを作っていた。

 良質な肉体のポテンシャルをクソみたいに調理した感じとまで言われた彼の武術であるが、技術面では文字通り人外の存在が器用に作り上げたのは三節棍。

 思えば二次試験の豚を調理している時ぐらいしか作れる環境で無かったが、まさかの乱入者達によって今の今まで制作出来る機会が無かった。

 島を無駄に駆け回り、監視役を襲いに掛かった次に蛙の踊り食いしつつ武器を作るという驚きのラインナップに監視役はヒソカ以上の狂人という評価を下している。

 

 しかし、一連の行動は監視役にビビってまさかの特攻をした以外はほぼ計画通り、戻った体力が計画実行の条件。

 そして、最後に残った蛙の両足が喉を通るのが開始の合図。

 

―― さーって、いっちょサーチアンドデストロ…… はしないけどやりますか

 

 トールは、まるで地面にいる必要はもう無いと言わんばかりにもう一度木に登る。

 

―― なにせ俺の【円】の範囲は……

 

 

 

―― この島の半分になったからな

 



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島は絶好のクモ日和2

 

 映画にはパニック映画というジャンルがある。

 天災人災問わず理不尽な状況に置かれた人間の様子を描くのがそれだ。

 災害内容は地震台風、起き上がった死者や消えなかった怨念、そして未知の生物の侵攻。

 

 共通点は『恐怖』

 それも頭に絶対的な、や逃れられないという言葉が付くもの……

 

 

 

「ヒュー…… ヒュー……」

 力なく、仰向けに倒れる男の呼吸は明らかにうまく出来ていなかった。

 

 自分は度胸のある方だと思っていた、刺し違える覚悟もあった。

 しかし、全て無意味だったと改めて思った。

 

 彼の内には恐怖しか存在していなかった。

 

―※―※―※―※―※

 

 それは数分前のこと、男は気配を殺しつつも木に寄りかかりこのテストをどう動くか考えていた。

 運の悪いことに自分の対象である受験生が誰か分からず、動きの傾向が全く持って不明だからだ。

 ならターゲットに限らず静かに他の受験生を探し油断している間に一太刀浴びせてプレートを取ろうと腰を上げる。

 

 その瞬間、彼の目の前に逆さまの子供が降って来た。

 

 それが三次試験を一位通過した子供だと気付くと同時に自分の武器であるサーベルを振るが、まるで攻撃が最初から分かっていたかのように子供の持っていた棒でその手を叩きつけられ、子供に刺さるはずの刃は虚しく地面を刺した。

 ならばと蹴りを繰り出す前に子供は自分を木に押し付ける。

 押しのけようと力を込める前に子供が手を離し地面に降りた。

 どうやらロープか何かで体を固定していたらしい。

 子供が両手を離しているのに木から離れられないのはなぜかと思ったとき、四肢に違和感を感じる。

 

―― クソッタレ! 縛られたな……

 

 一体どこに縄を仕込んでやがったと抵抗するが、しっかり固定されているらしくビクともしなかった。

 男は懐にあるサバイバルナイフを取り出そうにも関節を外したりする縄抜けの方法を体得しておらず、学んでおけばと後悔する。

 しかし、男はまだ諦めてはいない。

 問答無用で命をとらないことからこの子供はプレートだけ取ることが目的と推測し、そこからまた奪い返す機会があるとふんだ。

 なら今やることはプレートの隠し場所を教えて穏便にこの場を済ませることだと顔を上げる。

 

 そこで男の思考は止まった。

 

 洞のように深く、何も感じさせない眼が自分を見ていた。

 その眼が逸れるまで自分が子供にベタベタとあちこち触れられていたことに気付かなかった。

 

―― ナンダ? コイツハオレニナニシヨウトシテルンダ!?

 

 まとまらない思考を戻したのは子供の声。

「プレート…… プレート……」

 この距離でようやく聞き取れるそれはプレートを求める声…… 余りに抑揚のない声。

「…… どこ?」

 このシンプルな問いに男は答えねば死という結果でさえ不明瞭な、それ以上のおぞましい何かが待ってそうな気がして狂いそうだった。

「コッ…… こっこ、しに…… 腰のところにぃぃぃい~~ッ!!」

 辛うじてそこまで絞り出す。

 言葉通り腰を念入りに探す子供はすぐにプレートを探り当てた。

 子供はプレートの番号を一瞥すると男のサーベルも地面から引き抜き、残りの精気を奪うかの様に男を見つつ距離をとると真上に跳んで行った。

 

 

「ァ…… ハァ……」

 行った。そう頭で理解してようやく男は緊張を解いた。

 まだ木に縛られているがそんなことはどうでもよく、もうあの子供もとい化物が去って行っただけで満足だと男は思った。

 

 そして男がどうにか気力をそこまで吹き返したそのとき、背後から何かが突き刺さる音が聞こえ同時に激しく突き上げられるような衝撃もあった。

 その衝撃で男は前のめりに倒れる。

 何故縛られた自分が前に倒れたのか不思議に思った男が振り返ると、そこには木を囲むように何本もの白い糸が地面にあった。

 それが自分を縛っていたものだと、さらに糸が木の裏側のところで切れていることに気付き、男は恐る恐る木の後ろを見た。

「ひッ!!」

 

 思わず尻餅をつく男が見たのは、先程子供に取られた自分のサーベルが木に突き刺さっている光景だった。

 

―※―※―※―※―※

 

―― いやー、あの人がビビりで助かったなぁ

 

 今回二人目の再起不能者を出してトールが考えていたのはそんなことだった。

 彼にとって男が異常に恐怖した顔になったのは武器を叩き落とされ木に縛られたからであり、あそこまでやられたからあんな顔をしただけであって、極論やった相手が自分でなくともあの局面になれば誰にでもああいう顔をする男だとトールは思ったのだ。

 これも自分に全く以て威圧感がないとキルアに言われたからである。

 

―― 一応、【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)を『攻撃』に設定してたけどやっといてよかったな

 

 それの発動で男の精神状態は今凄いことになっているのは言うまでもない。

 それでも警戒して眼を離さないようにゆっくり後退し、尚且つ遠距離から拘束を解いたことなぞ男にとって止めの様なものだ。

 それを知らないどころかトールは残念そうな顔さえ見せる。

 顔の原因はプレートの番号、たまたま【円】に掛かったとはいえ自分のターゲットの番号でないこと、それもさることながら……

 

―― 281って…… なんで281なんだよ畜生ッ!!?

 

 プレートの番号が一番の問題だった。

 そもそも自分の狩る対象である番号を持った受験生を知っているのなら、先程の男がトールからしてはずれか当たりか直ぐに分かる。

 それが分からなかった時点でトールは番号の持ち主を覚えていないか知らないかである。

 にも拘らずトールがここまで悔しがる理由、それは……

 

―― 誰なんだよ294番って!

 

 微妙に彼のターゲットの番号に近かったため。

 彼の失態の一つは受験生のプレートを覚えていなかった事…… ではなく

 

 

 

 

「いっきしッ!!」

 

―― あー、噂か? 参ったな80番あたりの姉ちゃんがオレに思いを馳せてる? 鍛え抜かれた肉体なのにハンサムでカッコイイ!! ってか!?

 

 プレートではなくしっかり顔を見て人と話すタイプだったことである。

 

―――――――――

 

―― 仕方ない、もっかいやろう……

 

 湖近くの木に戻ったトールは気持ちを切り替えて、もう一度狩り(ハント)を行うことを決めた。

 狩り(ハント)の方法は至ってシンプル、【円】を使って感知したモノの中であまり動かないモノの所へこっそりいって先程の様にプレートを獲る。

 

 知覚範囲は島の半分ほど。

 しかし、厳密に言うと【円】ではない。

 【円】とは纏っているオーラを広げて知覚範囲を広める技術、通常は半径2メートル以上かつその状態を一分以上キープして【円】と呼ばれるのだ。

 その定義で言うのならトールの最高記録は半径16メートルで3分キープ。安定と持続、隠密性をとるベストの範囲は半径10mそこらである。

 281番とトールとの間は少なく見ても500メートルはあった。

 その驚異の範囲のからくりは一心不乱に走り続けたあの行為。

 走る際にトールは足首から細く透明な糸を出していた。

 それを草や木、そして地面とくっつけながら糸を出し続ける。

 すると島を塗り潰すように走ったトールの足には、走った分だけ伸びて広範囲に広まった糸の始まりが二本ある訳だ。

 そして、そこにオーラを流す事によって電流の如くオーラが糸を伝い、その部分が【円】の役割を果たすのである。

 

―― んー、どうだ? こっから西に五・六百…… あと一分動かないなら候補だな

 

 まるで呼吸を止めているかの様に段々と苦しげな表情を浮かべ、一分と数秒の後にオーラを送るのをやめてその場にへたりこむ。

 

―― こりゃ後一回やるか行動にエネルギー回すかだなこりゃ…… 予想以上だ

―― 今日はこれで御終いにして、プレート集めが一段落着いたらゴン達を探そう…… でもキルア単独はちょっと勘弁な!

 

 【円】を広くしようとすればそれだけオーラを消費するのは勿論、それ以上に集中力や常時緊張し続ける状況に耐える精神力を消費する。

 ある段階まで来た場合はオーラではなく後者の関係で【円】を持続出来ないケースが多々ある。

 トールの【円】もどきといえるこれはオーラはともかく精神面が伴っていないにも関わらず島の半分をカバー出来てしまう。

 しかし、それは家一軒の電力を乾電池で補えるように無理矢理した様な力技、長時間の行使も連続での使用も容易に出来る訳が無い。

 しかもトールは二組のジョーカーを警戒し、【隠】を併用しているのだ。(それでも万一糸にそれらしき人物が掛かったらそこから全力で離れる気満々であるが)

 行動に出るか休憩するかの選択に彼が選んだのは……

 

 

 

「おっす、ポックル」

「うわぁ! トール!?」

 

 それは行動である。

 しかし、決めた相手は自分に友好的に接してくれた人物であった。

 トールは彼のプレートを奪うつもりが無かった為、それでも迂闊としか言いようがないが声をかけて姿を現した。

「どう順調? プレート取れた?」

「あ、ああ一応…… 一点だけどな」

 どうにも歯切れの悪い物の言い方だが、折角取ったのに一点だった落胆だろうとトールは思った。

「俺も一点だけど取ったぜ? …… そうだ! プレート交換しようよ、互いのが互いの三点分かもしれないし」

 互いに一点でもユニフォーム交換みたいな感じで、と締め括るそれをトールは妙案得たりといった顔で言う。

「…… オレの三点は…… いや、オレのは105番だ」

「? 俺のは281番だよ」

 何かを言いかけてやめたポックルにトールは多少不思議に思ったが対して気にしなかった。

「あっれ? 奥の方いっちゃったな」

 割と懐の深くにしまったが故に取り出せないプレートを引っ張ろうとしているトールをポックルは静かに見る。

 そして、それよりも静かに背負っていた矢筒から矢を取り出すとそれを短刀のように持って、強く握る。

「ちょっ、ちょっと待ってて?」

 その様子に気付かず、それどころか後ろまで向いてトールは両手を使って服の内を探る。

「……」

 怪しく光る矢尻が彼を捉える。

 そのときポックルの内にある光景はたった二日とはいえ彼と半蔵と命懸けの試験の合間に笑った記憶、そして四番目に引いたクジの数字。

 それがぐにゃりと混ざり今のトールの後ろ姿と重なったそのとき

「…… はぁ」

 矢は矢筒に戻っていた。

 

「お、あったあった!」

 念入りにしまっていたプレートを嬉しそうに取り出し、振り返ったトールが見たのは清々しく笑うポックルだった。

「なんかおもしろいこと俺、したかな?」

「案外そうかもな」

 頭に?を付けるトールにポックルは諦めた様に言葉を続ける。

「オレのクジで決まった番号はそれじゃないぜ? でもって最悪な事に持ち主も分かっててな」

「なるほどヒソカだな?」

 持ち主が分かって最悪ならばヒソカだろう、自分限定だが情報を知っている分イルミも入るが。

「ハハ、違うって」

 どうやら的外れらしく、ポックルは笑った。

「じゃあ誰よ?」

「おまえ」

 あっさり言ってのけた。

「マジデ?」

「マジ、でも奪う気無いから安心してくれないか?」

 手をひらひらさせて無害をアピールする。

「それじゃ試験どうすんの?」

「あと二人狩ればいいだけさ」

 言うのは簡単だ、しかしそれがかなり難しいことなのは間違いない。

「たった二日位とはいえ結構楽しかったんだ、その思い出に泥塗りたくないってだけだよ」

「ポックル……」

 トールは何かを考えるように俯いた。

 予想外の事に混乱しているのだろうか? だとしたら自分の想像以上に純粋な子だとポックルは思った。

 ハンターになると言ったらオマエの様なチビにそんなことが出来る訳ないと故郷の奴らに笑われた、去年の試験に落ちた時はそれみたことかと指差された。

 そんな中、同じく無謀な試験に挑む者とはいえ自分の夢を笑わずに聞いて、それどころか自分と笑いあってくれたのは本当に嬉しかったのだ。

 こんな自分より小さな子供が夢に向かって自分と肩を並べるどころか半歩先に行っている、それを足止めするのはどうしても出来なかった。

「よし! こうしよう!!」

「ん?」

 自分の中でプレートを取らない決心を高めていたら、急にトールはパンと手を叩く。

「ポックル、これとそのプレート交換しよう?」

 そう言って差し出してきたのは281番のプレートではなく406番、つまりトール自身のプレートだった。

「おまッ…… 何考えてんだ!?」

 全く持ってその通りだ、一体何をとち狂えば一点のプレートと引き換えに相手も自分も三点分となるプレートを差し出すのか?

 それもついさっきそのプレートを取らないと宣言した男に、だ。

「三点と一点じゃ釣り合う訳ないだろ!?」

「その一点分のプレートだけ(・・)じゃね、確かにそれだけじゃあ釣り合わない」

 その口ぶりはプレート以外も要求して成り立つ交換条件があるようだ。

「もう一個条件を付ければ同等になるよ?」

「もう一個? …… 何だよそれ?」

 もはやポックルに残された思考はその条件を早急に聞くことだけに絞られた。

 それほどの衝撃である。そりゃそうだ、一世一代の決心に近いことして出した損しかない約束事がギブ・アンド・テイクにまで何故か発展してるらしいというのだから。

 

 すぅ、と一呼吸する。

 

 

「俺と友達になってくれないか!」

 

 

 とてもいい笑顔だった。

 

「ハァ!?」

 とても困惑した顔である。

 

 一体どんな取引かと思えば予想の斜め上もいいところだ。

「だから友達に……」

「いや聞こえてないって意味の『ハァ!?』じゃねえって!? むしろ聞こえたが故のリアクションだよ!」

 態々繰り返そうとしたトールに矢の様なポックルのツッコミが待ったを掛ける。

「憐れみとか安っぽい自己犠牲ならやめてくれ」

「?」

 その可能性を思いついて言ったポックルにトールは本当に分からない顔をした。

「…… 本当に友達になりたいだけ?」

「うん、友達って損得勘定殆ど抜きの関係だけどそこに至るまでに一切無いかって言うとそうじゃないしね、()との関係とプレートが少なくとも同価値位あると思ってくれてると嬉しいかな?」

 ポックルが自分のターゲットがトールだと言ったとき以上にあっさり言った。

 言い終わったときトールはアレ? と違和感を感じ首を傾げるが、目を見開くポックルは視覚情報がまともに処理出来ていないようだった。

 

「あー、と答えは?」

 

―――――――――

 

―― いやー、いい日だな今日は!

 

 今日はこれ位にするかと帰った一応の拠点である湖近くの巨木の洞で、トールは二枚のプレートを見て微笑んだ。

 結果としては自分のプレートが無くなってしまったがもっとプライスレスなものが手に入った。

 

 ポックルは悩んだ末トールのプレートを受け取った。

 御礼と固く握手をし、この友情を茶番にはしたくないと残りの日数をプレート死守に専念する為森の中に溶け込むように消えて行った。

 消えてからトールはポックルに自分のターゲットを知らないかどうか聞けばよかったと気が付き、ショックで片膝着いた。

 

 それでも気を取り直して魚か蛙でも捕まえて夕飯と次の日の朝飯の準備でもするかと立ち上がった彼の顔すぐ横に何かが着弾した。

 

―― 何ぞ!?

 

 ダメージがトール自身に無い為【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が発動せず、素で横っ跳びをして伏せた。

 ギュッと三節棍を握りしめ息を潜めるが追撃も何らかを放った張本人の影も無かった。

 ならばせめて放たれた何かの正体を確かめようと、そっと近づく。

 それは木の隙間に入り込んだ白い物。

 おっかなびっくり三節棍でその部分を叩き、周りごと抉りだす。

 

―― 棚から牡丹餅? 森から流れ星?

 

 戸惑うトールが手にしたのは197番のプレートだった。

 一応【凝】で怪しい物かどうか確かめたり今の体調で出せる限界の【円】で警戒したが、何も無かった。

 

―― 何か知らないけど有難く頂戴しておこう

 

 どこぞの誰かも知らぬ存在に感謝してプレートを懐に入れつつ、湖へ向かった。

 

 

 

 一方、その誰かも知らぬ存在ことキルアは走っていた。

 自分を張っていた者に即座に気付いたキルアは遊ぶこと無く捕らえる。

 僅かに「兄ちゃん」と漏らしたのを聞いたキルアはソイツのプレートの番号からして兄が自分の目当ての番号だと仮説を立て、餌にして誘き寄せた。

 結果はどんぴしゃ、三兄弟の内余った分のプレートは今後面倒くさいので関わりたくないという意味合いと予想より時間を取られた腹いせに遠くにしかも北側と南側へと投げた、そして自分はすぐさま東側を行ったのは染みついた…… トール風に言うなら遁術である。

 本物の遁術使いは今読みを外してターゲットでないプレートを持って膝から崩れ落ちているが。

 彼が初日から飛ばしている理由は一つ、トールだ。

 しかもネックであった六点が初日で達成されたことにより、もはや彼を止める言い訳は無かった。

 

―― 待たなくてもいい、絶対見つけてやるからなトール

 

 島を踏破する勢いで走るキルアであるが、プレートの着弾地点に探している相手がいた事は完全に誤算である。

 



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島は絶好のクモ日和3

 

 翌日、トールも誤算を痛感していた。

 耳に残る一定のリズム、跳ねる水に薄暗い視界。

 

 単純明快、雨が降っているのだ。

 それも大雨という部類に入るやつだ。

 

―― こりゃ糸ズッタズタだな……

 

 【円】もどきのために出した糸は通常の糸と比べ細く脆い。

 彼も半分はそうなので表現がおかしいが本来の蜘蛛と同程度の強度なのだ。

 巣を張るようにすれば耐える事も出来るだろうが、生憎とそういう構造で無い為容易に切れる。

 だが、生き物に引っかかって切れたとしてもある程度の距離ならばオーラは問題なく伝う。

 しかし、今回の様な激しい雨となると全体的に細切れとなってしまうためオーラが流れなくなってしまう。

 何とも嫌なタイミングで雨が降ったものだと糸で括った生蛙をパクつきながら木の洞から雨に濡れる自然を見ていた。

 

―― いや待てよ、雨降ってるなら蛙もっといるやも? それならそう悪いことでも無い、ということにしよう

 

 トールは蛙の味を割と気に入っていたようだ。

 心という点において問題有だが人間寄りなのに対し、食に関しては蜘蛛というかソッチ寄りなのだろう。

 事実、食べられそうと思うゾーンが広く平気で口にする為、アルゴと生活する前はそうと知らず味基準で食材を選んだが故に朝昼晩と違った毒を持つ植物や動物を口にしていた時もあった。

 

―― よし! 捕まえるか

 

 食事と裁縫に貪欲なトールは立ち上がる。

 蛙にとって不幸な事は味を気に入られたことともう一つ。

 

 彼の服が天然の超撥水仕様なことである。

 

 

―― 捕まえたのはいいけどうっせぇ……

 

 木の洞は今、ゲロゲロゲロリと蛙の大合唱が始まっていた。

 いや輪唱かもしれない、ともかく五月蠅かった。

 じゃあ絞めればいいじゃないか? 当然にそう考えるが生で食べるなら死んでいるより生きたまま、出来る限りそのまま踊り食いの方が美味いのだ。

 主に口の中でピクピクと動く食感が彼の心を捉えた。

 どうせ今日の昼と夕飯で全て食べきり明日から魚に切り替えるのでそれまでの辛抱だと、紐で繋げて逃げないようにだけさせて鳴く事を許した。

 そのカエルの鳴声をBGMにトールは如何にしてあと四点稼ぐかを考える。

 事前準備がいる性質上もう一度島を走る必要のある【円】もどきはもう使えない。

 人がいる状態で駆け巡るとか、死なない自信はあるが鉢合わせすれば心臓に悪い。

 【円】もどきでなく【円】で慎重に移動する正攻法かとおぼろげに考える。

 まぁ、まだ時間もあるし今までの試験も何だかんだで合格をもぎ取っているのだ、イケるだろうとトールにしては珍しく裁縫以外で自信と余裕の心を持っていた。

 まだ調子に乗っていないのが幸いである、コイツが調子に乗った場合大概酷い事になる。

 

 その酷い事になる対象が高確率で自分以外の人物であるが。

 

―――――――――

 

―― ふぅ、今回もイケそうだな

 

 トールと違い確かな根拠を持って自信と余裕の心持っている人物がいた、294番半蔵その人である。

 半蔵は朝からの大雨を幸いと感じ、実際立て続けに二人のプレートを奪取しノルマを達成している。

 残りの日数は隠密に徹する、それは自分の領域だ。余程の事が無ければ誰にも見つからない自信がある。

 雨宿りも兼ねて気配を探りながら人のいない所を探していた。

 そうしていたところ、ある巨木の下が妙に蛙の鳴き声がするのを鍛え抜かれた耳が拾った。

 近づいてみると洞になっているらしく、しかも人一人ほど入れそうなくらい穴が広い。

 もっと近づくと蛙の鳴き声は反響しているのが良く分かる、どうやら洞の中は蛙で一杯らしい。

 

―― 多少気持ち悪いが、蛙追い出しゃ隠れ蓑になるか?

 

 周囲を警戒し、誰もいないと確認した半蔵は中腰でそっと中を覗く。

 そこは確かに蛙だらけであったが自然なものといえなかった。

 

―― 誰か先客がいんのか?

 

 蛙は糸で足を結ばれ外に出れないようになっていた、つまり明らかに人の手が加えられた証拠。

 そして人がいるならばと半蔵の頭が即時退避に切り替わる。

 

「おう、はん……」

 反射の領域、幼い頃から鍛えられた耳は聴力だけでなくその場所を立体的に感じ取り位置を把握する。

 ほぼ半蔵の後ろに繰り出されるのは裏拳の様なもの。様なというのは拳の形が正拳のまま水平に声の場所へ向かっているからだ。

 そして、その肝心の場所には拳のあと一尺ほど先にある、しかし届かない訳で無い。

 スピードに乗った右手首から伸びる物が現れる、俗に言う仕込み刀だ。

 

 つまり半蔵の裏拳の様な物の正体は超変則的居合術であった。

 

 その腕が後ろに伸びきった瞬間、半蔵は次手のために動きだす。

 理由は明白、肉の感触がしなかった。ただそれだけ、だがそれだけで相手の力量が高いと判断するに充分だ。

 後ろを振り向く余裕などない、その時間で相手が自分を戦闘不能ないし殺すに事足りたらどうするというのだ。

 だから半蔵は目の前の巨木へ飛ぶ、そして木を全力で蹴りその反動で後ろに向かってさらに斜め上へ飛ぶ。

 木の配置は覚えている、このまま飛べば後ろにも木がある。

 それさえも蹴って飛べば相手の後ろ斜め上という完全な死角からの一手が決まる。

 全ての算段が整ったと同時に足の裏に確かな木の感触、あとはこのまま足の腱を斬る様に斜め下に飛べばいい。

 位置の誤差修正の為に足に力を込める僅かな時間で敵を見る。

「なッ!?」

 そしてそのまま木に手を添えて急降下を驚きの声と共に急停止する。

 

 それもそうだ、なにせ持っている棒相手にバックドロップをかましたかのような姿勢で固まる見知った赤錆頭と目が合ったのだから。

 

「お~す、半蔵……」

 

 雨は何時の間にか上がっていた。

 

―――――――――

 

「すまねぇな、訓練の賜物ってやつでね」

「いや、俺も迂闊だったって」

 現在、トールと半蔵は蛙の声が響く木の近くでトールの風呂敷をシート代わりに座っていた。

 洞の中はトールしか入れない為である。

「誰もいねぇって思ったんだがオレもまだまだってことか」

「俺そんなに気配無かったか?」

「ああ、まぁな何処で会得したんだ?」

 やんわりと聞く。

「前言った森での生活の時かな」

 その言葉に半蔵は初めて会った時を思い出す。

 

―― 気配だけじゃねぇ、ありゃ蛙を使った虫遁の術、やっぱ同業者? いや、それにしちゃ色々ちぐはぐだ…… なんつーかこれを術と思ってねぇ節があるな?

 

 気付かれないよう観察する半蔵だが目の前にいるのは忍者に気配が無いと言われて喜ぶ奴しか映っていない。

「なぁ透、おまえ森で一人っきりで暮らしてた時期があるって言ってたけどよ、親切な奴に拾われるまでどう暮らしてたんだ?」

「え? 残してくれた本の知識で大分快適に暮らしてたけど……」

 ぴくりと半蔵の眉が動く、もしやと思ったからだ。

「その本って何が書いてあったんだ?」

「火起こしから裁縫、あと色んな国や町の話とか有名人の裏話もあったね」

 そしてもしやが核心に変わりつつある。

 それはトールの母親がジャポン人であるという半蔵の勝手な思い込みがある前提の推理。

 

―― コイツの母親、里抜けした忍だったんだろうな……

 

 女の忍には旅女郎の渾名を持つ者がいる、その名前の通り己が肢体でもって情報や武の力で入り込めない場所にいる要人暗殺をこなす。

 そして仕事の関係上、里に由来しない独自のパイプや情報を有する者もおり、長く仕事をこなしている者ほど自身の里にとって切り札とも脅威となりえる。

 そんな彼女らはときに()()()()()による事故死を遂げる者もいる。

 そういった境遇の者が子を宿したとしたら?

 答えは簡単だ、子を差し出す。差し出す先はお上とも言えるし天にとも言える。

 旅女郎に血の繋がりは必要ない、親の名も知らぬ子供が代を引き継ぐのだ。

 なら我が子を助ける為には里から出るしかない。

 まだ、里抜けした忍が自分の様な若輩者ならば捕まり次第折檻を受けるだけで済むやもしれない。

 しかし、旅女郎ともなると温情など無いだろう。

 なにせ諸刃の刃が遂に手を傷付けたのだから。

 

 無事とは言えないまでも里も国も捨てて逃げのびたとして、それでも生まれた子供に危険が及ぶかもしれない。

 忍の情報を与えてはいけない、されども一人で生き延びる術はそれしか知らない。

 なら忍術と知らせずに技術だけ書として書き記し、それを学んだ歪な者が出ても不思議ではないだろう。

 

 命を掛けた情がある、それだけは正解だった。

 唯、愛情と友情の差異はあるが……

 

「それで半蔵、プレートの方は順調?」

 トールの問に半蔵は思考を切り替える。

「おうよ、プレートの方は無事集まったんだがなぁ…… 聞いてくれよ!」

 半蔵は喋る、もうそれは一日喋れなかった反動というレベルで喋る。

 任務上何日も喋らないときもあるだろうに、一体そうなったときの反動はどうなるのだと思う位半蔵は喋った。

「198番って…… あのときの二分の一を外した時の絶望感はホントキツかったぜ……」

「へぇ~…… ん? ちょっと待てよ」

 その時を思い出して悔しがる半蔵にトールも何かを思い出し、服に手を入れる。

「おっ、これこれ。これってキルアが投げたヤツだったのか」

 服から出した手には197番のプレートがあった。

「あーッ!! なんでそれお前が持ってんだ!?」

 目当てだったプレートを持つトールに半蔵が指差す。

「偶然だよ偶然、キルアが投げたのが近くに着弾しただけだって」

 その運を分けてくれよと半蔵はターゲットで無いプレートを手に入れた時と同じような姿勢で吠えた。

「流石に運は…… あっ、じゃあこれと三点分のプレート交換しないか!? そうすりゃ俺はあと一点で合格だ!」

 やったぞという顔をするトール。

「ナイスアイデアだな、オレもプレートの嵩張りから解放されるし!」

 悔し顔から一変して良い顔で立ち上がると、パチンと指を鳴らす半蔵。

 案外ノリで生きているタイプなのかもしれない。

 それでもプレートを互いに逆の手で同時に渡すことを提案した。

 特に反対する理由もそもそも奪ってやろうなどというつもりも一切無い為即座に了承。

 半蔵は二枚六点、トールは五枚五点となった。

 

 服の裏地に五枚のプレートを付けていると半蔵は不思議そうな顔をする。

「透、お前その五枚で全部か?」

「うん」

 五個目の安全ピンを外しながら答える。

「自分のプレートはどうした?」

「昨日会ったポックルがターゲット俺だったからこれと交換してもらった」

 最後に付けた105番のプレートを見せながらさらっと言う。

「ふーん…… 一点のプレートとか!?」

 さらっと言った内容は衝撃的だったため流せなかった。

「うん」

「うん、っておまッ…… 何考えてんだ!?」

 奇しくもそのときのポックルと同じセリフで突っ込まれた。

「ちゃんと考えてるよ、プレート以外に要求したし」

「何要求したんだ?」

 自他共に三点扱いのプレートを渡すのに相応しい要求が気になり、半蔵は更に聞く。

「俺と友達になること」

「おまえは本当に何考えてんだ!?」

 繰り返し同じ言葉でツッコミをされたが、無理もない。

「何って友達……」

 これは本気で言っている、直ぐに分かった。

「お前がそれでいいならいいけどよォ……」

 呆れと他を通り越した頭痛が一瞬半蔵に襲いかかる。

 それを気だるげに溜息として吐き出した。

「職業的にオレが言うのもアレだけどよ、そーいう取引紛いの事しなくてもダチは出来るだろ?」

 言って半蔵はそういう感覚がそもそも無いのではとすぐさまトールを見たが、案の定分からないと言った感じで首を傾げていた。

 だが、確かにトールはわからないと思っているが、それは心の奥に友達という言葉に強く反応する何かを感じたからだ。

 

―― ある意味オレよか忍の才能あるかもな…… 諜報活動するにしちゃ対人スキルなさそうだけどよ……

 

 トールの本当の疑問に気付かず冗談ぽく考えるが、それ以上に悲しいとも半蔵は思った。

「…… 友達ってどうやって作るんだっけ? アレ、()どうやって……」

 だったら、自分に出来る事をしてやりたい。気がつけば半蔵は笑っていた。

「分からねぇってんなら体験してみろ! オレはもうダチだと思ってるぜ透?」

 今の自分こそがその実体験だと、親指で自分の胸を指す。

 

 トールは目を見開いて半蔵を凝視する。

 全力で驚いている感じであるがその実、衝撃は半分(・・)ほど。

 だから、驚いた顔のままに右手は握手を求めるように動いた。

「よ、よろいくお願いしま…… す?」

 まるで歯に麻酔でも打った後に無理矢理喋ったかのような呂律の回らなさかつ疑問形でその言葉を口にした。

「ハハッ! 宜しくな!」

 それを戸惑い、不慣れと受け取った半蔵は笑いながら手を握った。

 

―――――――――

 

「なるほど、索敵出来るなら雨上がりの夜は狙い目と?」

「大半は動きが鈍るからな、つっても向こう側も長けてる奴はうろついてるから隠密も出来なきゃな」

 あれからトールは違和感を感じつつも友達が出来た嬉しさが勝ち、こうして動き方まで教わっていた。

「移動かー…… ネックなのはキルアなんだよなぁ」

「そういや追っかけられてんだっけか? 殺さりゃしねーようだが、ああいう輩の追跡はヤバいだろうな」

 詳しくはぼかしたが、キルアに捕まるとヤバい旨は半蔵に伝えてある。

「けど運が良かったな透、オレはキルアがいた場所を知っていてしかも投げたプレートの着弾点が此処…… 幾らか移動ルートは絞れる」

 半蔵は枝で比較的濡れていない地面に島の地図を描く、頻繁に高い木に登って地形を見ていたそうだ。

「遥か格下相手だが一応プレートを投げて姿を暗ます様に移動してたから、この地点に来るまで少し掛かる。で、此処はターゲットの三兄弟が来る可能性があって後回し、さらにお前を探す為に島を塗り潰すように回るとしたらだ……」

 そこまで言って半蔵は今現在自分達がいる所としているバツ印から、キルアが昼間にプレートを獲った地点まで矢印を引く。

「こっちが逆に追っかけるように動けば鉢合わせすることが減る筈ってわけよ」

「おおー! なるほど」

 つっても過信すんなよ? と言うがそれでもノープランより遥かにマシである。

「となれば善は急げって奴かな?」

「だな…… ああ、そういやまだ兵糧丸はあるか?」

 トールは二次試験開始前に半蔵から兵糧丸を貰っていた。

「うん、なんか勿体無くてね」

 ちり紙に包まれた三粒の兵糧丸を出す。

「なら喰っとけ、眼が冴える成分入ってっから夜間活動に最適だ……」

 瞬間よしきたと言わんばかりに三粒噛み砕いた。

「うっわ、苦ッ! 臭ッ! カメムシと土そのものを濃縮したみたいな風味だなこれ……」

「…… って馬鹿野郎! 一気に三粒食ったら眠れなくなんぞ!?」

 トールは先程のプレートを間違えたときの半蔵のような姿勢で沈んでいた。

 思いだすのはカメムシが口の中に入るという幼き日の事件、あまりにあまりな兵糧丸の味にテンションダダ下がりである。

 蜘蛛的にもカメムシや土はNGらしい。

「やっぱ駄目か…… 正直オレもこの味は未だ慣れんしな」

 その味たるや半蔵が思わず三粒一気に食べた事を咎めるのを中断するレベルである。

 生でムシャムシャと蛙を頬張っているのを見てイケると思っていたせいもあるが。

「うっぷ…… 最後の蛙が口直しの為にあったとは思いもしませんでした」

 そして今も残った最後の一匹を頬張るトールに半蔵は悲惨な生まれの弊害かと、泥水を飲める方法を習ったあの頃を思い出す。

「んじゃあ行ってくる!」

「頑張れよ、オレもこっから誰にも見つけらんねぇくらい忍んでくぜ、なんせ『忍』だからな!」

 

 トールは地を蹴り消え、それを見送ることなく半蔵もその場から消える。

 

 半蔵が見送らなかったようにトールも一度も振り返らず森を駆け巡る。

 それは普通の事であり特に問題の無いことだろう。

 

 そう普通ならば。

 

―― よし、ここら辺かな?

 

 半蔵がキルアを目撃したであろう場所に立ち、ここから自分の夜の狩りは始まるのだとトールは気合を入れ直す。

 地点から一キロ離れている現実など知りもせずに気合いを入れ直す。

 

 

 トール=フレンズ、極度の方向音痴である。

 




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島は絶好のクモ日和4

暫く投稿空きます


―― 広がれ! 俺の【円】(コスモ)よ!!

 

 心の内の叫びの割には数メートルしか【円】は広がってはいなかった。

 第三者が心の声込みでその光景を見ていたら「しょぼい」と口を揃えて言っただろう。

 そんな【円】でも満足して一人頷くと、木々の間を走る。

 ちゃんと半蔵に言われた通り、雨水が落ちないように枝の付け根部分を踏んで飛んでいる。

 そして顔に被った頭巾は無駄に様になっていた。

 惜しむらくは本物の忍である半蔵は頭巾の類をしていないところだろう。

 

―― え~も~の~は~ど~こ~だ~?

 

 そして頭の中はアッパラパーもいいところである。

 開幕から何故トールはこんな状態なのか? それもこれもトールがちぐはぐなせいだ。

 ちぐはぐ…… 主に身体の方だが、彼の半分は疑いようもなく蜘蛛である。

 

 そう、体の半分蜘蛛なのだ。

 

 そしてその身体に与えられたのは半蔵の兵糧丸。

 兵糧丸には半蔵曰く『眼が冴える成分』が入っているそうだ。

 事実その通りで、ミント系の物がまず入っていた。

 残念な事にミント系は蜘蛛を始め多くの虫が苦手としており、彼が喰ったとき気持ち悪くなった理由の約四割がそれである。(恐ろしい事に残りの原因はその不味さである)

 それだけならばまだトールの持つ喰った物は吐き出してなるものかという食欲の方が勝り、惨事には至らない。 ただ気分が悪くなるだけである。

 致命的なのはもう一種類の『眼が冴える成分』の存在。

 

 即ち大量のカフェインである。

 

 それは彼の経口摂取による毒物無効を軽々突き破り、脳に多大な影響を与えた。

 理性や判断力その他色々な機能を抑え、本能部分を表層化させ興奮状態となるそれを人はこう呼ぶ――――

 

―――― 酔っ払いと……

 

―― 狩りだ! 狩りだよ! 次に行く為には何人狩るっけ? 一人でいいんだよね?

 

 こうなるとルート云々はもはや関係無いだろう。

 まぁ、そもそも道を間違えている段階で酔っ払ってようがそうでなかったとしても関係ないだろうが。

 

 そして、駆け巡る事数分……

 

 

「さぁ…… 存分に楽しもうよ? トール♥」

 

 

 トールは死に直面していた。

 

―※―※―※―※―※

 

――― 数分前

 

―― 獲物はどこなんだ? いないじゃないか!? 【円】はちゃんと展開してんの?!

―― してるって! 徐々にもうそれはじわじわと規模を縮めてるけど【円】はしてるっつーの!

 

 森を駆け抜けるトールは静かであるが、脳内はそうでなかった。

 

―― それで掠りもしないとかついてないにも程があるよ全く

―― いやついてるほうだと思うよ? 何となくだけどさ……

 

 一本、また一本と木を駆けるトールは一切口を動かしてはいない。

 

―― あーとーさー……

 

 と、ここで不意にトールは移動をやめて虚空を見るような姿勢で枝に止まった。

 

―― 普通に考えて()が出てくる展開はピンチのときでしょ!! 怪しい兵糧丸で出てくるとか残念にも程があるよ()!!

―― ()のが聞きたいし!? あとなんでそんなアッパーテンションなんだよ()()()()()!!

 

 虚空に向かってビシッと指差し、殊更口を噤んで喋らない現実に反して彼の脳内は二つ(・・)の意識が叫び合っていた。

 

―― うっさいおバカ! 最近ようやく夢から覚めたみたいにちょっとずつ干渉出来る様になったのに、サプライズが全部パーだよ、もう!!

―― 【円】の展開辺りはノッたけどオマエ何でこんな酔っ払いみたいな性質の悪さで絡んでくんだよ!? お前が醒めんのは酔いだよ馬鹿!!

 

 実際に酔っているので本当に性質の悪い酔っ払いなのだがまさか兵糧丸に大量のカフェインが含まれていてそれで酔った等という奇跡的悲劇が分かる訳もなく、奇しくも野生を止める理性の図となった。

 

―― そういえば、その反応薄々僕がいる事気付いてた?

 

 アラーニェの意識はサプライズが出来無かったことはさておき、どこか嬉しそうに聞く。

 どうやら互いの考えている事は分からないらしい。

 

―― そりゃあ俺の身体だし、なーんとなく……

 

 互いにぼんやりした概念の様に把握している為、漠然としか分からないが嫌な感情が無い事はアラーニェに伝わった。

 だからこそタガが外れているアラーニェは思わず走り出す。

 それがトールの肉体であってもだ。

 

―― おいこら勝手に動くんじゃねぇ!? 俺の自由はオーラの操作だけなんだぞオイ!!

―― 心配しなくても大丈夫だって任せて! 森で狩りとか僕の独擅場よこれ?

 

 酔っ払いに制止は馬の耳に念仏と同義である、速度を上げる制御を失った己の身体の中で必死に【円】を維持しながら透は溜息を吐いた。

 

―― もう少し警戒してくれないか!? この状況で不意打ちとか恐いぞ!

 

 しかし恐い物は怖い、なのでこれだけは言っておく。

 自分の意思で動いていないということも加点される。

 

―― んー、不意打ちに関しちゃ【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)とか便利な能力あるでしょ? 自分を操る能力とかよく思いついたよね

―― 自画自賛かい…… じゃじゃ馬押し付けといてよく言うよ……

 

 呆れたように言った瞬間、体はぴたりと止まった。

 

―― 待った

―― どしたん?

 

 身体は止まるどころかそこで腕を組み胡坐までかいている。

 それと同時にアラーニェの心が嵐の前の様に静かになっている、とそう感じ取れるほどに変化した。

 

―― まず確認だけどさ、【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)って透が考えた能力だよね?

―― うん、【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)を参考にしてピンときて形にしたぜ?

 

 どうにかこうにかあのときの重傷を乗り越え、空腹も満たして【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)の能力を漠然と感じ取り、その条件で己が正確無比に動くという部分を基本骨子として趣味に応用した能力が【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)である。

 

―― じゃあ、その参考にした【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)は誰の能力かな?

―― 二年前じゃあゾッとしたが、今のこの状況から察するにお前じゃないのか?

 

 問うた透が感じたのは物凄い勢いで首というか身体全体を横にシェイクする大蜘蛛の姿だ。

 

―― いやいやいや、僕の能力は産んだ子供を通じて世界を観る【ともだちの輪】(ワールド・ワイド・ウェブ)と、僕の命と相手の半身を了承なしで犠牲に友達を助ける【蜘蛛の糸】(カンダタ・ロープ)の二つしか持ってないよ!? しかも【蜘蛛の糸】(カンダタ・ロープ)に関しては僕自身の命の犠牲ありきなのに何で僕の意識残ってるのとか色々訳分かんない状態だよ!!

 

 つまりは【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)という能力は持っていないということである。

 

―― いやおいちょっと…… えっ? じゃあ【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)って何?

―― 僕はてっきり君が編み出した技だと……

 

 両者に無言の時が流れる。

 

 そして、まるで今までの会話は無かったと言わんばかりにトールの身体は再び動き出した。

 

―― あっ! この感じ、あの茂みの向こう人が二人いるぞ! いやー大量だわこれ狩ろう? それ以外の思考は省こう?

―― マジで!? いやーもう狩るしかないわー、僕この環境下で目的が狩りだから直前までなに考えてたか忘れたねこれ、もうホント野生剥き出しでゴメンナサイって感じっすわー

 

 両名とも得体の知れぬ何かを感じ、全力で忘れて尚且つ無かったことにすることでシンクロした。

 精神の安定は直前までの慎重な行動より繊細なものらしい。

 

 二人の一致した行動は一心不乱の狩り(ハント)である。

 

 パニック寸前でそれを回避する行動であるとはいえ、トールの動き…… 正確にはアラーニェが操作するトールの動きは迷い混乱その他の余計な動きは一切見られない。

 それに合わせるようにオーラも徐々にそして静かに消えてゆく、急にでなく徐々に確実に【絶】へと移行する。

 

 両名共に自身の領分に入れば『すぐさま思考を切り替える』ことが出来る辺り、一つの肉体に二つの精神が入っていても気が合う理由の一つだろう。

 

―― あそこの枝先に移動したら三節棍で気絶させるよ?

―― 了解、瞬間のオーラ操作はまかしとけ

 

 その地点となる枝にトールは飛ぶ、そして足からでも掌でもなく手の指をネコ科を思わせる形にし、その指からゆっくりと着地する事により無音での飛び移りを行う。

 とても先程まで頭の中で頭の悪い会話を行っていたと思えない業をやってのけるとするすると枝の先へ移動する。

 あとはターゲットがこの枝の下を通るルートで茂みを掻き分け来た時が勝負である。

 三節棍を両手で握り、枝を股に挟み込むと枝先の葉に隠れるようにゆっくりと挟んだ枝を支点に下へ体を移動させる。

 そして身体が完全に逆さになったとき茂みから二つの影が現れ、その顔が月明かりに照らされる。

 

―― ってありゃ、クラピカとレオリオじゃん!

―― なら狩り中止!! 目の前降りてヤッホーとか言ってみよう、掴みは大事だよ!

 

 本当にこの二人は思考の切り替えが早い…… 良くも、悪くも。

 

 そうと決まれば下に飛び込むタイミングは今となる。

 トールを操るアラーニェは一切迷いなく枝をしっかり挟んでいた足を開く、そうすれば当然重力に従い身体は落ちる。

 しかしただ落ちるだけでない、自由になった足は更に動きその足の裏が枝の裏に触れる。

 

 そしてそれを蹴って起こるは落下の加速、どうせ降りるなら派手にいこうという無駄なサプライズ精神とそれを可能にする無駄に良い運動神経が組み合わさった壮絶に無駄な演出が始まろうとしていた。

 

 そう、無駄な演出で始まる筈だったのだ。

 

―― なんぞ!?

 

 焦ったのはアラーニェ。

 身体が酔いによって理性から解放されたせいかはたまた不可思議な現象か、肉体のコントロールを完全に持っていた彼女の意思に反して、持っている三節棍をまるで真下に突き刺すように体が勝手に動いたのだ。

 傍から見ても分からないが頭巾によって隠された表情も、内面のあっぱらぱー加減と合わない無を思わせるソレとなる。

 

―― 【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が発動した!?

 

 その現象の正体をよく知る本来の身体の持ち主たる透は、今起こったことに気付くと焦りながらもオーラを操作し【堅】をする。

 状況は()()()()()()()()()()、発動したなら()()()

 諦めるとは生きることをではない、危険な状況になってしまったのだという事に対する逃げの姿勢に掛かる言葉だ。

 

―― 仕方ない、備えるぞ!!

 

 つまりはそういうことである。

 

 そして、【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)の行動は『攻撃』…… 避ける事なぞ毛頭なければ防ぐという訳でもない、攻撃に対してこちらも攻撃するのみである。

 

 結果として無駄な演出となる筈だった行動は、クラピカ・レオリオ両名の襲撃を防ぐという意味ある行動と成り上がってしまったのだ。

 

「ッ!?」

「うぉあ! 襲撃か!?」

 少し遅れて二人は各々得物を出し構えた。

 だが、現状優先すべきは三節棍が何を貫いたかであるためトールの肉体の視線は自分より先に地面に触れた三節棍の先……

 

 そこにあった『攻撃』の対象はこのハンター試験で身近になった、なってしまったトランプが一枚。

 

「アハハ♣」

 

 その柄が不気味に笑うジョーカーと気付いたとき、まるでその絵柄が本当に笑ったかのような声が聞こえる。

 但し、それは自分の後ろ…… 頭巾で顔を隠した珍客より二人の視線を後方にずらすほどの人物から発せられていた。

「挨拶代わり…… そのつもりで投げたんだけど♠」

 ゆっくりと警戒しつつ後ろを向けば、雲の隙間から差し込む月光をまるでスポットライトの様に浴びる道化師が……

「予想外の返事がきちゃったね♥」

 

…… ヒソカがそこにいた。

 

 会えて嬉しいと言いたいかの様に手を振るヒソカに最大限の警戒をとアラーニェは構え、透はオーラこそしっかり放っているが全てを投げだしてどこか遠くへ行きたいと強く思っていた。

 

 しかしそう長く現実逃避も出来ない状況となる。

 手を振るヒソカのその手には何時の間にか三枚のトランプが指の間に出現し、それに気付く瞬間と横に振られた手が勢いよく縦に振られる瞬間はギリギリ一致する。

 

 額、首、そして心臓に向けて時間差で放たれたハートのトランプはこの状況を作り上げる元凶の一端を担った能力によって地面に叩き落とされ、弾かれ闇夜に消え、最後の一枚は後ろの木に突き刺さった。

 

―― 【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)は『回避』に設定すんぞ! 心臓に悪い!!

 

「ほら♦ 来なよ?」

 そうヒソカが言いながらトランプを放った指をまるで招くように折る。

 指を反射的に見れば淡く光っているのに気付く、しかし、それがオーラであると気付くより早く…… その思考より確実に早く景色が右回転する。

 

―― トランプ!? 後ろから!?

 

 アラーニェが回転する世界から捉えたのは先程弾いたハートのトランプ、どういう原理だか知らないが一度弾いたトランプが後ろから弾いた時よりさらに速いスピードで戻って来たと…… それによって身体がそれを回避する為捻りながら逸れたと気付く。

 回転は後ろ、つまりはクラピカとレオリオ側を前に止まる。

 敵に背を向けるのは愚の骨頂というべきだが、致し方ない。 なにせ【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)()の攻撃にしか最善の行動をとることが出来ない、間をおかない連続攻撃ならまだしも一旦攻撃が終了してしまうとそのときのベストの動きという効果が制約の様にのしかかり、後先考えない状態で止まってしまうのだ。

 不味いと振り返ろうとするアラーニェは変化に気付く、僅かな風圧で頭巾が片側のみ大きくはだけた。

 

―― 掠ったな…… 紙一重すぎるね……

 

 手で頭巾の切れた端を抑える、動かねばならぬ状況だがこの事実が容易に動こうとする自分に警鐘を鳴らす。

 

「ト…… トール?」

 

 何故か困惑気味のクラピカの声が聞こえたが、変装(世間一般的には頭巾を被っているだけの認識)が完璧でクラピカから見える側の頭巾がはだけた今になって自分がトール=フレンズだと気付いた物だと処理する。

 意を決して頭巾を剥ぎながら振り返るとそこにはいい笑顔で頭巾を裂いたトランプを弄ぶヒソカがいた。

 この場面でそんな行動は普通憤りを感じさせるものだが、彼らに関しては何もせずにいたことをラッキーとした。

 

―― んでさ、アラーニェ……

―― なに?

 

 三節棍を握り直しつつ心の内でトールはアラーニェに話しかける。

 

―― さっき僕が出るのはピンチのときって言ったじゃん? 喜べよ、今ピンチだぜ……

 

 ニュアンスは完全に下手こいた後に「笑えよ」と言っているものだ。

 

―― ああうん、そうだね…… 僕からも一言いいかな?

―― おう、喝入れてくれ

 

 許可を得ると、アラーニェは申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに口を開く。

 

―― ゴメン、意識遠のいてきた

―― ざっけんなオイ!!?

 

 もう一度か細い声で「いやもうホントゴメン…… 頑張って」と聞こえた所で声は完全に途絶えてしまい、代わる様に身体の重さがかえってくる。

 

「さぁ…… 存分に楽しもうよ? トール♥」

 

―― 何が頑張れだバカ! しかもなんだこの身体スッゲーフラフラする!?

 

 こうしてトールは死に直面することとなったのである。

 

―※―※―※―※―※

 

 トールは何とか意識を繋ぎとめ現状何をせねばならぬかを考える。

 

―― あー、最初のトランプとセリフからして元々の狙いはクラピカとレオリオ…… まず俺が逃げたら二人ともアウトだろうな

 

 確かに最初の狙いは二人だが、元々は名刺代わりの一撃といった程度でありプレートを一つくれる位で見逃す予定であった。

 そして今トールが逃げた場合、ヒソカの取る行動は二人をスルーしてトールを追いかけることである。

 

―― 撃退、殺害…… 出来るわきゃないけども…… 話聞かなそうだし、プレートあげるから見逃してと持ちかけるより隙を見て二人逃がして自分もトンズラするのが成功率はびみょーに上かな?

 

 if…… そうなってしまうが彼がいなかった場合、ヒソカは戦う事を何とか抑えて交渉しただろう。

 この場面だけ見ればピンチの場面に颯爽登場した主人公のように見えるだろうが、広い目、全てを観る神の視点から見れば丸く収まる状況に一石投じた男であった。

 だが、それはもう誰にも分からない。

 今この場において分かる事は奇術師と仕立屋の異色マッチが始まろう事だけであった。

 

 三節棍を槍のように構え直し、姿勢を低く構える。

 

―― さっきのトランプ…… ()()()()()がギリギリ見切ったあれからみてオーラで指と繋がってた、多分トランプを操ったんじゃなくて引き戻したんだろう

 

 トールはアラーニェが残してくれた情報から操作系で無く紐状にしたオーラで引っ張った性質変化の変化系依存の能力と推測する。

 となれば初手はつまり――――

 

―― 【凝】で備えるっきゃないでしょ!

 

 目にオーラを集中させたのとヒソカが僅かに動いたのは同時、トールは動くヒソカに気を取られつつも自身の三節棍の異変に気付く。

 

―― オーラが三節棍の先端に!?

 

「ミスディレクションは奇術師の基本技だよ?」

 ヒソカは自身の【薄っぺらな嘘】(ドッキリテクスチャー)を見破られた事を意識していた。

 故に彼はもう一つの能力である【伸縮自在の愛】(バンジーガム)を隠すためにそれを利用した。

 

 最初のトランプには強く【隠】をする事に注ぎ込んだ【伸縮自在の愛】(バンジーガム)を、そして最後のトランプに敢えて半端に【隠】を施したのだ。

 見えた故の隙、そこに手品を仕込んだヒソカの読み通りに三節棍はそのままヒソカの上空を綺麗に飛んでいき、闇夜に消えた。

 三節棍の行方目で追ったトールにヒソカは一気に距離を縮める、その右手にはナイフより鋭利なトランプがある。

 それが半円を描くようにトールの胸元を斬り裂かんと動いた瞬間、トールは未だ顔と視線を三節棍が消えた闇に向けたまま脚力のみで後ろに大きく跳んだ。

 トランプは僅かに届かなかったがそれがどうしたと空ぶった右手を返す要領で今度はトランプを投げつける。

 方向転換が出来ない地に足が着いていない状態で、放たれたトランプは真っ直ぐトールへ向かう、ああ終わったなと思う脳内とは裏腹に身体が出した答えは両手をピンと伸ばすことだった。

 伸ばした途端両腕に全体重が一気に掛かった、自由がきく眼球が捉えたのは木の表面を掌で押し付け捻り上げる映像、そして地面に対し平行になりトランプを避けた自身の肉体があった。

 どうやら偶々いい間隔であった木々の間に跳躍した身体が入った瞬間、両手をつっかえ棒にして身体を止め、掌を反時計回りに捻って今度は上半身の力で身体を地面に対し水平にしてトランプを回避したようである。

 

―― どんな回避だ心臓に悪い!

 

 地面に足を着けながら頭の中で愚痴る、その愚痴っている間にまたトランプが後ろから来て回避する。

「ボクが奇術師ならキミは曲芸師だね♠」

 

―― 何相性ピッタリだね、みたいなニュアンスで言ってんだ畜生!!

 

 この場において自分の精神的支えは自身の能力でさえもそれに当て嵌まらないと確信した。

 ここまで動き、とりあえず回避は出来たがとりあえず攻撃を当てないことには何も進展しないどころかへばって自分が死ぬと気付いてはいるが、攻めるタイミングが分からない…… というかこんな化物相手に大立ち回りを演じ続けるのがそもそも間違いである。

 しかし、それでもやらねば自分も後ろの二人もトランプの錆になり果ててしまうと再びトランプを手に持つヒソカに対して袖からナイフを出して構える。

 そして両者とも一気に距離を詰める、一人は更に激化する戦いを望みながら、もう一人はもうなんでもいいから誰か助けてくれよと思いながらもそれを内に飲みこみながら。

 

 二人の武器の間合いが重なるそのとき、一方の望みは叶った。

「うあああああぁああッ!!」

 恐怖か、怒りか…… まるでそれら全てをドロドロに煮詰めたような感情がその叫びに込められていた。

 まだ誰も傷ついていないこの戦いでまるで親の敵とでも言わんばかりのそれは余りにも唐突であった。

 故にトールもヒソカでさえも一瞬止まった、止まってしまったのだ。

 その意識と身体に流れた一瞬の空白にまるでねじ込むように両者の間に誰かが割って入って来た。

 入って来た人物はトールを背にし、己の得物でヒソカに一撃を与えるべく叫びながら振り下ろす。

 

 その背は……

 

「クラピカ!?」

 

 このハンター試験で知り合った者の中でトールが最も知性的だと思っていた人物が、何の策もなく飛び掛かって来た事に対する衝撃と、ここでクラピカを庇わねば自分がこうして踏ん張っている意味が失われてしまうと様々な想いが重なり、トールは名を叫んだ。

「今は邪魔だよ、キミ♣」

 手を伸ばし掴もうとしたトールより早くヒソカの蹴りがクラピカの脇腹へ届く。

「ぐッ!?」

 クラピカはそのまま横に吹っ飛び、更には木に激突したがそれでも命はおろか意識も、そして闘志も失わず蹲りながらもその眼をヒソカに向けた。

 

 その眼はその闘志を体現するかのような緋色だった。

 

 眼が赤くなってるぞ!? と一瞬驚くトールだが、あるものに気付くと勝機が見えたと言わんばかりにそこへと突っ込む。

「その子の代わりに戦うとでも言うつもりかいトール?」

「…… と、トール……」

 冗談を言うような口調で問うヒソカと霞みかけるクラピカの目に映るトールは、吹き飛ばされたクラピカが落とした紐で繋がれた二刀の木刀を構えていた。

 

―― それに応える余裕はないよ!!

 

 そう思いながら、トールは右手で木刀を逆手に持ちもう一方の木刀を腋で挟むという奇妙な構えでヒソカに踊りかかる。

 その余りに真っ直ぐな攻めに何を企んでいるのかと薄く笑いながらまたトランプで横一閃、それに対しトールは全身の勢いを利用し突っ込むように跳ぶ。

 そのとき、ヒソカは何を思ったのかその場で右足を軸に回転した。

「がッ!?」

 能力を発動しながらも口から驚きの声が漏れたトールが見たのは真一文字に斬れた自分と自慢の服。

 トランプはヒソカの手から離れつつも横薙ぎをやめなかった、自身の【発】でリーチを伸ばした一閃はトールを斬ったのだ。

 

―― 思ったより浅い…… あの状態で身体を逸らして致命傷を避けたか♠

 

 血飛沫の向こう側に見えるヒソカは一撃が見た目よりダメージを与えていない事実に気付きながらも、血を流し無表情を一瞬崩したトールに興奮を覚えた。

 

 だからこそ更に快感を得る為に地面に無様に落ちるはずのトールを待てず自らも地を蹴り空中へ踊り出る。

 もっと歪み、叫び、抗いどういう手で活路を見出すのか? 彼は本当に強者なのか? 疑問が、願望が一気に溢れ出す。

 

 それがいけなかった。

 あと拳一つ分となった距離でヒソカは違和感に気付く。

 トールの身体が足が下がるだけで上半身が落ちない事態に。

 

 この距離になり、気付く…… 彼の木刀を持たない左手が、木に巻きつけられた糸によって身体を支えていた事実に。

 それを隠すため、糸にある程度のたわみと腹に力を込め水平にしていたことに。

 

「む♦」

 直後、目のあったトールから尋常でない量のオーラが吹き出す。

「うらぁああッ!!」

 雄叫びと共にトールは腋をひらき限界まで外側に力を加えた木刀を開放する。

 駄目押しだと言わんばかりにそのオーラで【周】をした木刀は、左手を軸に空中で回転したトールから鋭い斬撃となって放たれた。

 

「うおお!? んだこりゃあよぉ!?」

 蹴られ、更に木に激突したクラピカを診る為意を決してクラピカの元へ這いながら来たレオリオが見たのは、クラピカがよりかかっていた木が半分ほどのところで真っ二つとなり後ろに吹き飛ぶ絵だった。

 

 そこは丁度トールの【円】展開ギリギリほどの空間にあった木が断たれ、空の星が良く見えていた。

 

「ああ♣ いい…… 凄くいいよトール♦」

 その中心で木刀を構えるトールの前にいたヒソカは脇腹から血を流すも恍惚とした表情で立っていた。

 ヒソカはトールの状態に気付いた瞬間、自分のオーラをトールの糸の様に地面に飛ばし、ゴムの縮む力で下に逃げた。

 それでも少し間に合わず腹を少し切られたが、あの一撃から考えればかなり軽傷である。

 落ちる木々と葉に紛れ一撃与えようとしたが避けられ今に至る。

 

 これならもっと…… もっとヤッても壊れない

 

 静かに、されど穏やかでないオーラがヒソカの内から溢れだす。

 

―― くっそ恐い!!

 

 正直泣きたくなるが腹に力を入れ、木刀を構え数歩右へ行く。

 

―― 後ろの二人のために動いたね♥ 人としては正解だけど僕との対峙じゃ不正解♦

 

 何者にも縛られずし合いたい、その気持ちが勝ったヒソカは後ろの二人には興味のない旨を伝えるべく口を開く。

 しかし、それでもトールは頑としてその場を動かない。

 ならこのまま攻撃し続け後ろの二人に今は興味が無いということを態度で示すだけだと、トランプをまたどこからともなく取り出し構える。

 

 事は出来なかった

 

「……」

 彼の取り出したトランプが何かに射抜かれたのだ。

 そこにはAのカードに趣味の悪い()が一本……

 

 そしてポケットの携帯の震え…… これが意味する事に気付いたヒソカはこの場で携帯を取り出すと躊躇い無く通話ボタンを押した。

 

―――――――――

 

―― ああ、助かったホント助かった……

 

 いきなり電話し出したヒソカが二言三言喋った後、通話を切ると同時に「今回はここまでにしとこうか♠ バイバイ♥」と去って行った。

 トールからして死角になる様に放とうとしたトランプに刺さった物体を見なかった為、トールは何か知らないが助かったと虫の音が聞こえるほどの静寂さに戻ったところでようやく事態を飲みこんで、手頃な木に寄りかかった。

 

―― ありがとう、本当にありがとう!

 

 力の抜けた体とは別にトールにあったのは盛大な感謝の念だった。

 

―― ホント助かった、アーちゃん!!

 

 だが、その対象は割って入って来たクラピカでもヒソカの電話相手でもなく…… 夜空で星に照らされウィンクする幻影として見えた友達兼師に対してであった。

 彼の手には先の戦いで自分ごと斬られ真っ二つとなったお守りが握られている。

 

―――― 能力名【備えあればお構いなし】(オーラ・カプセル)

 

 物体に【念】を予め込め、その物体が破壊されたとき物体の占有者に込めた分の【念】が与えられ、同時にある程度の肉体的疲労と損傷を回復させる補助系能力……

 これこそトールがこの場にいないアルゴに感謝している理由である。

 つまり、真相はお守りに込めたアルゴの【念】がヒソカに切り裂かれた事によって発動した事によって瞬時に回復と通常のトールでは考えられない【念】を木刀に込められたのである。

 

「な、なぁ…… この木刀ってよぉ、実はカモフラージュで滅茶苦茶凄い名刀とかじゃねーだろうな?」

 トールがアルゴへ感謝をしているとき、レオリオは近くに吹っ飛んできた二刀一対の木刀をおっかなびっくり持ちながらクラピカに渡しつつ聞く。

「いや、仕込みで刃があるタイプもあるがこれは頑丈な材質の木で作られた、ただのクルタ二刀流用の木刀だ」

 言葉だけでは納得出来ないだろうと、レオリオから木刀をわざと刃に当たる部分を握る様に受け取る。

 それで木刀であるとレオリオは完全に理解した。

「ってーことは何か? トールは何でもねぇ木刀でここらの木を全部ぶった切っちまったってことかよ!?」

「そもこれがどんな名刀であれ、こんなことが個人の力でなしえること自体既に信じられないさ……」

 本当はもう一人の助力あってのことだが、それが分かる訳も無い。

 そして唯一人でその離れ業をやってのけた事になった男は、ひとしきり感謝をした後に彼らを見つけ小走りで駆け寄って来た。

 無事の確認と、何よりこの奇跡の大逆転を可能とした直接の切っ掛けを作った張本人たるクラピカにアルゴと同じ位の感謝を伝える為だ。

「おーい!」

 手を振りながらこちらに駆け寄るトールにさらに幼い影が重なるのを見て、クラピカは瞼が重くなるのを感じた。

「…… ってクラピカ!?」

「うお!?」

 駆け寄ると同時に意識を手放して倒れたが直前にクラピカの様子がおかしい事に気付いたレオリオが何とか頭を守る。

「クラピカは大丈夫なのかレオリオ?」

 真剣な表情で診るレオリオに不安な声音でトールは尋ねる。

「肉体的ダメージより精神的なもので限界がきたらしくて寝てるだけだぜ…… 一気に緊張が解けた反動ってとこだろ」

 表情が安堵のそれになったレオリオの言うとおり、確かに近づけば規則正しい寝息を立てているのが分かる。

「とりあえずここは目立ちすぎる、一旦落ち着けるところまで行こうぜ?」

 レオリオはそっとクラピカを担いで前を歩く、歩きながら聞けば近くに水場があるそうだ。

 

―――――――――

 

「まさかあの場でキミが止めに入るなんて思いもしなかったよ♦」

 暗闇の中、ぎらつく眼が対面する能面を捉える。

「オレも彼を見つけた途端こんなことになるなんて思いもしなかったさ、『無事に』ってことまで内容に入れたのは完全にミスだったよねコレ」

 能面はやれやれと肩をすくめるがいまいち感情が伝わってこない。

「んー♦ でもあの場で戦い続けるよりも邪魔者がいない所でヤり合う方がいいって気付いたから結果オーライかな?」

 邪魔者にはキミも含まれてるけどね♣ と続ける、どうやら彼にとって一番の邪魔者は止めに入ったコイツではなくトールの行動に制限を掛けていたクラピカとレオリオの方の様だ。

「ゴメンってば、今度依頼受けるとき少し割り引くからそれで勘弁してくれない? これ金額面も完全にミスったなぁ」

 あーやれやれ、と冗談めかした態度ながらどうやら本当に慣れない事をしているらしい。

「じゃあこれで今回の事は怒らないって事で♦」

「そうしてくれると助かるよ、ちなみにその傷は手当てしないの?」

 致命傷ではないが少量の血を地面に落とす脇腹の傷を指差す。

「これはこのままにしたいんだ♥ 余韻に浸りたいのとただのジンクスだけどボクが血を流すときは決まって面白い事が起きるんだよ♣」

 傷に手を当て付着した血を舐めると、その傷を負った時を思い出したのか身体を震わせて笑う。

 そんな異様な光景を前にしても男はフーンと言うだけである。

「それじゃあボクはもう行くけどキミは様子でも見るのかい?」

 闇に消える前に問う。

「いや、これであの程度の怪我しか負わないし回復してるだろ? 暫く視てなくても大丈夫だと思うんだ。塔の時も平気だったし、うん」

 割と大雑把なんだ♠ という言葉を残してその場から人影が消えた。

 

 この場から去ったトールであるが、その実まったくもって危機からは逃れていない事実に気付くことは今のところ無かったようである。



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島は絶好のクモ日和5

「ええ!! ヒソカと戦ったのトール!?」

 そんな子供の驚きが昼間の森に響いた。

 その次には「うるせーぞ! クラピカが起きるだろうが!!」というどっこいどっこいの声量と硬い物を殴った打撃音が響いた。

「…… それで話は本当なんだねトール?」

「うん、まぁ一応は……」

「すげぇぜトールは、なにせあそこら一帯を野っ原に変えちまったんだからな、しかも木刀で」

 水で濡らした手拭で騒ぎの火種となった子供ことゴンの頭にこさえたコブと、痛み分けとなったレオリオの手を冷やすトールは半ば納得いかないように肯定した。

 

 トール達はあれから水場まで移動した後、起きないクラピカを庇うように交互に見張りをしつつ睡眠をとった(戦闘で疲れているという理由から殆どレオリオが受け持ってくれたが)

 そして太陽が一番高くなる頃、こうして偶々とはいえゴンが通り掛かり現在に至る。

 

「しっかし、お前のターゲットがまさかヒソカとはなぁ…… なんでオレらはアイツに縁があんだよ」

 手の痛みが引いたレオリオはうんざりだと言うように溜息を吐く。

「それでゴン、どうすんだこれから? 三点稼ぐかヒソカ相手に挑むか」

 聞いてはいるが彼を見たときもう答えは決まっているとレオリオは思った。

 

 ゴンは、釣竿を握りしめ震えている。

 それだけでは怯えによってヒソカに挑む等という道を選ぶことは無いと確信するだろう。

 

 だが、同時に彼は笑っているのだ。

 

 つまり、答えは……

「勿論ヒソカからプレートを獲るよ!」

 コイツはそういう奴だと、レオリオは再度認識した。

「だからレオリオもトールもヒソカのプレートは獲らないでね、何処に行ったのかは教えて欲しいけど……」

 しかし続けて言った内容に信じられないモノを見るかのようにゴンを見た。

「待て待て待て! まさか一人でヒソカのプレートを獲るつもりか!?」

 ずいっと近づきながら言うレオリオにゴンは何を当然のことを聞いているのだというキョトンとした表情で頷く。

 その瞬間レオリオは脱力のあまり前のめりに倒れた。

「だってこんな人数でいったらヒソカに気付かれちゃうじゃん、それにそんな理由抜きでもオレは自分の力でやり遂げたい!」

 ただ挑戦したいと言うだけでなく、それはちゃんとした理由のあるものでありレオリオもそれが無謀で無いと分かり何も言わず姿勢を直した。

「ヒソカが何処行ったのかはよく見てなかったんで分からないんだごめんな、ただ脇腹斬ってたし激しく動いてはいな…… んー、余程の事がなきゃ多分アレでもどっかで休んでる、と思いたいなぁ……」

 本日三枚目の手拭を濡らし、今度はクラピカの顔を拭きながらトールはヒソカの動向を教えようとするが情報が無い事に気付いてそれでも何かないかと首を傾げて考える。

 完全に無意識なのか態々余っていた毛布を枕代わりに丸めていた物を外して膝枕に変えて顔を拭いていた。

 夏場熱い時にこうして同じ様に手拭で顔を拭く事をアルゴにされていたのが余程身にしみていたらしい。

 ちなみにその時、永久脱毛したがその努力以外に何かあったろうと思う硬い膝枕の感触からみた悪夢から覚めれば視界いっぱいのアルゴという寝ても覚めてもナイトメアな惨状に最初期、二度寝という気絶をしたが無理も無いことである。

 

 次には三人とも硬く目を瞑り眉間にしわを寄せ唸る。

 

 それでも良いアイデアも動向も分からずさてどうするかという無音が場を支配し始めた頃。

「…… んぅ……」

 眠りから覚めかける声が聞こえた。

 その小さな声の発生源の近くにいたトールが真っ先に気付き、今の声はもしやと下を見る。

 

 そのクラピカのぼやけた眼と自分の目が合ったとき……

 

「パイロ!!」

「トールですけど!?」

 

 思いっきり違う名で叫ばれながら鬼気迫る顔で自分に迫った。

 

―――――――――

 

「…… すまない、寝ぼけていたようだ」

「いや、気にしてないから大丈夫だよ」

 あの後確かめるように目を細めじっと見られた末になにかハッとして水場で顔を洗いに洗ってクラピカは謝った。

 そして自分が昼になるまでぐっすり眠っていた事実に追い打ちの如く気付くとさらに凹んで一生の不覚とでも言いそうな態度で再度謝罪をして来た。

「思えばあのとき私が前に出なければこんな失態を演じる事は……」

「いやあのときクラピカが突貫仕掛けなかったらヤバかったって! だから顔上げろって!」

 それでもまだ凹んでいるのか、隅の方でそっと膝を抱えて暗い表情で「まだまだ未熟だな本当に……」と呟いている。

「クラピカってやっぱり引きずるタイプだよねレオリオ」

「また緋の眼になってたしな、もしかしたら目が赤くなった反動でああなるんじゃねーか?」

 クラピカに聞こえないように口元を隠して喋る二人。

 が、落ち込んでいるクラピカはともかくトールにはばっちり聞こえた。

 

―― はて、緋の眼? なんだっけなぁ……

 

 その中でトールは緋の眼と言う単語に聞き覚えがあったようで、何処でだと思いだす。

 

―― ああ、アラーニェの『ゲザド族より珍しい民族・部族』の本にあったヤツだ

 

 彼の脳裏には一冊の本、『存続が危うい族』の項目のギュドンドンド族の次にあったクルタ族の頁が浮かんだ。

 彼女の【ともだちの輪】(ワールド・ワイド・ウェブ)によって実際に見て得た情報満載のそれは実は所在地まで記されていたかなりのお宝本(という名の当人達からして厄ネタ)であるが、著者の肉体朽ち果てた後管理しているのが半分未だ著者と別に何もしない少年(トール&アラーニェ)善性かつ情報の扱いがうまいオカマ(ア  ル  ゴ)というまさかのタッグが奇跡的に色んな民族・部族の危機を救っていたりする。

 

―― で、感情が高ぶると眼が真っ赤になる『緋の眼』が最大の特徴で、後何か同時に怒りで身体のリミッターがはずれやすいとか…… 緋の眼状態で死ぬと緋色のまんまになるから美術的に価値があって乱獲されて数減ったんだったな

 

 伊達ではないが酔狂で火も使わずに本読んで蜘蛛になって食べて寝てるだけの生活をしていただけあって、本の内容は粗方入っているトールは情報を脳内で引き当てる。

 しかし、何分データが少し古かった為に存続が危ういどころかクラピカを残して残る者達が皆殺しにされた事は知らなかった。

 それでもデリケートな問題だと判断して当人の口から出るまでは話題に出さないように決める。

「……」

 丁度そのタイミングでクラピカは立ち直ったらしく、腰を上げる。

 

 こうしてトールにとって幸運な事に、そして必死に探している当人にとって不幸な事にキルアを除いた四人が互いの近況を伝えあうに至った。

 

―――――――――

 

「なるほど、ヒソカの行方か……」

 昼食にそこらでもいだ果物や木の実を食べながら、まずは三人よっても文殊の文の字すらでなかった知恵をクラピカに期待する様に第一の問題として話題に挙げる。

「なんか知る方法ねぇか? クラピカ」

 殻をこじ開ける為に使ったナイフで切った左の指を舐めながらレオリオは聞く。

「んぐ…… 無かったらオレが島中走ればいいんだけどさ」

 レオリオがこじ開けようとしていた殻を歯で砕きながら食べるゴンは切羽詰まった様子は無い。

 そしてトールは先の戦いでどこかへ飛んで行った三節棍の代わりを、あれ拾われて仕組み知られるのはな不味いなぁ…… 一応門外不出なんだよなぁ、と思いながら作っている。

「ふむ……」

 クラピカは眼を閉じる、なにか少しでもヒントはないかと昨日の夜の事を思い出す。

 だが、脳内に映し出されるのは去り際の霞んだ視界が捉えたヒソカではなくそのもっと前……

 

 切れた頭巾から自分を視る、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは一瞬のことで次に頭巾を脱ぐことによって現れたその両目は普通の色と輝きであった。

 

―― 違う、あれは何かの見間違いだ! 第一トールの見た目からして四年前確実に親離れも出来ないような年齢…… 外に出れないうえに子供の人数は少ない、名前は絶対知っている筈だ

 

「なんじゃこりゃあ!?」

 そう自分に強く言い、ようやく当初のヒソカの足取りを掴むべくそこまで記憶を飛ばそうとしたところでレオリオの驚く声がそれを邪魔した。

「一体どうしたんだレオリオ……」

 中々に悪いタイミングだったために若干苛立ちながら眼をあける。

 そこに映ったのは数匹の蝶に纏わりつかれてあたふたするレオリオだった。

「あれかな? 薬品の中に蝶が好きな匂いを出すヤツがあったとかかな?」

「オレ知ってるよ! 蝶って匂いに敏感なんだよね」

 急にレオリオに集まった原因をトールとゴンはまじまじみながら推測する。

「お前ら蝶のうんちく語ってねーでこれなんとかしてくれよ!!」

 両手を顔の近くでブンブン振りながらレオリオは突っ込む。

 その滑稽な光景にクラピカは苛立ちが消え、可笑しさに笑みを浮かべながらも蝶の正体に気付く。

「レオリオ、左の掌をひらきながら前に出してみるんだ」

 うんちくじゃない具体的指示にレオリオはすぐさま左手を差し出すように前へ伸ばす。

 すると蝶達は顔ではなくその伸ばされた左手の方へ集まって行った。

「おお、なんだこの蝶は?」

「好血蝶…… 最大の特徴は名の通り好んで動物の血を吸うところで、トール達の言う通り蝶は匂いに敏感だがこの蝶は数百メートル以上離れた場所の血の匂いでも分かるそうだ」

 何かの本に書いてあった通りの事をそのまま喋ったかのようなクラピカの説明に、他の三人は「へー」と言葉を漏らす。

「つまりコイツらはオレが指切ったときの血の匂いを嗅ぎ取ってここまで来たっつーことか、なるほどなるほど…… って、血ィ吸うんじゃ顔に纏わり付くより厄介だっての!!」

 そう言って一度左手を大きく振って蝶を散らすと、その隙を突いて素早く鞄から絆創膏を取り出し患部に貼り付けた。

「これくらい大丈夫だと思ってやらなかったのが運の尽きか……」

 指の腹にガーゼ部分が来るよう貼られた絆創膏を眺めながら少し損をした様なトーンで言う。

 しかし、散らした蝶は依然としてレオリオの指を目指して飛んでくる。

「しつけーな! 血は吸えないだろ!?」

「だから匂いに敏感だと言ったろう? 好血蝶が来る理由は出血ではなく『血の匂い』なんだ、血が止まっても匂いがあれば来る……」

 そこまで言ってクラピカは何かを思いついたように下を向いて数秒黙ると、なにか浮かんだのか上がった顔は自信が読み取れた。

「ゴン、少しだがヒソカに当たるかもしれない方法を思いついたぞ」

「え!? ホント!」

 木の実を食べようとした手を止め、ゴンはその方法をより聞く為にクラピカに駆け寄る。

 

―――――――――

 

「なるほど、確かにヒソカは脇腹から血を出してたもんな」

「とは言っても出血をしている人間はヒソカだけでないだろうし、見つかるかはやはり運次第だが」

「ううん、闇雲に探すよりずっといいよ!」

 納得するトールとこれが自分の出せる限界のアイデアかと少し悔しそうに言うクラピカの前には数匹の好血蝶を紐で縛り、犬にリードを付けて散歩する様な絵図のゴンがいた。

「文字通りオレの怪我の功名ってことでもあるな!」

 一人巧い事言ったように笑うレオリオだが他三人は苦笑いである。

「そういえば皆はプレートどうなってるの?」

 少し微妙な空気を変える様にゴンが聞く。

「私はもうターゲットと自分ので六点分稼いでいる」

「んでオレはターゲットがポンズって名前でどういう人物か知ってるが、ゴンと同じで何処にいるのか分からねぇ…… まだ行動パターンが『待ち』一辺倒ってのも知ってるから可能性はあるぜ」

 レオリオの眼を見るまでも無く絶対に見つけると言う気概を感じる。

「トールは?」

「俺はあと一ポイントあればノルマ達成だな」

 やるじゃねぇかと言う意味を込めてレオリオは口笛を吹く。

「あと一ポイントならこれを受け取ってくれないかトール?」

 そう言ってクラピカが差しだしたのは118番のプレートだった。

「いいの!?」

「いいもなにもこれがいまだ私達の手元にあるのは、あのときトールがヒソカの前に立ったからだと私は考えている」

 同時に一緒にプレートを取ったらしいレオリオにクラピカが了解を得ようとしたがその口を開く前、目が合った瞬間に「いいに決まってんだろ」とサムズアップし了承した。

 

「ありがとう!」

 サプライズで誕生日プレゼントを受け取ったかのような感動と衝撃を受けたトールはプレートを受け取ると手を服の中に引っ込め、器用にその状態のまま懐の裏にプレートを付ける。

「これでプレートの問題はオレとゴンの二人だけだな」

 それに呼応する形でゴンは立ち上がる。

「それじゃオレ、もう行くよ」

 ヒソカと言う最悪な相手を探すというのにその眼は微塵も輝きを失っていない。

 それどころか輝きが増している様に感じられる。

 心配する事は無い、そう確信した三人は何を言うでもなく頷くと、ゴンはそのまま蝶の飛ぶ方向に合わせて草むらへと歩んで行った。

 

―――――――――

 

「ゴンは大丈夫だと思うが、まさかオレが苦戦するとはな…… 予想通りだぜ」

 そう岩に腰掛けて自虐するレオリオに二人はただ苦笑いするしかなかった。

 

 タイムリミットまで残り一日…… だというのに探せども探せどもポンズなる女性を見つけることは出来なかった。

 

―― 運悪いのとポンズって人の隠密性が高いのがマッチしてるのかね……

 

 トールはちょくちょく【円】を使って探索を行っていた。

 故に他の二人より少しは探索率が高く、何人か参加者を見つけていたのだが何れもターゲットのポンズでもなければなんとプレートさえ持っていないというはずれっぷりであった。

「こうやって小高い丘見てぇなところに来てみたけどよ、オレやクラピカじゃ森が深すぎて分かりゃしねぇ」

 そう言ってレオリオはさっきまで腰掛けていた岩の上に乗って更に高い所から森を見るが、唯緑が広がるばかりである。

「いや、別に俺も遠くがすっごく見えるって訳でもないし……」

 そりゃすまんかったとレオリオは岩から飛び降りる。

 

―――― そのとき何かが割れるようなピシリという鋭い音をレオリオは聞いた

 

「ん?」

 地面の方から微かに聞こえた音に、レオリオはしゃがんで地面を見る。

「どうしたレオリオ?」

「いや、なんか今変な音が聞こえてな」

 その様子にクラピカが何があったのかと近づいて聞きに来た。

「音? 私はなにも聞こえなかったが……」

「いや結構ちっせぇ音でよ」

「二人ともなにしてんのー?」

 二人して屈んで地面を見ているのを疑問に思い、景色を見ていたトールも小走りで来る。

 

「あっ」

「なっ!?」

「うおおお!?」

 

 音の正体…… それを掴むためにはこの場面を別の角度から見ることで可能となる。

 

 まずレオリオ、彼は体格に恵まれており筋力もある、つまり一般成人男性よりこの時点でやや身長そして体重ともに上回っている。

 次にクラピカ、身長は平均程度であり一見華奢な部類である、しかしそれでも鍛えており決してひょ(・・)ろい(・・)訳ではない…… またその身体には様々な武器が隠されており、数㎏はかさ増しされる。

 そして最後にトール、この中でも身長は低い部類というか子供にしかみえない、しかしその身体には大蜘蛛という存在が収納されておりコイツ単体で驚異の130㎏オーバー、軽い気持ちで担ごうとすると腰が酷い事になること間違いなしである。

 

 よって、この三人が集結した場合その場には大体240~250㎏ほどの重さが掛かる。

 

 まだこの段階ならいい、だがそこに地面を蹴る動作や飛び跳ねる行動そしてしっかり地面を踏んで走る行為により掛かる力はより増す。

 追い打ちをかける様に以前の雨によって大地は抉られている……

 

…… そしてなにより、()()()()()()()()()()()

 

―――――― つまり…… 音の正体とは

 

 地面の陥没であった。

 

―――――――――

 

「…… なるほど、バーボンはそんな罠を」

「それで出る訳にも下手に動く訳にもいかず、こうして安全の為洞窟の隅っこで大人しくしてたと…… そりゃ見つかんねーわ」

 

「アンタ達がここの天井をぶち破ってそれも台無しだけどね!!」

 

 遂に三人は落ちた先に偶然いたポンズと出会ったのである…… 四方八方からゆっくりと這いずる蛇を見てそれを幸運と取るか不幸ととるかは当人次第であるが。

 

 いきなり天井の崩落と共に現れた三名にポンズは混乱極まる表情を見せたがボディプレスの形で落ち、腹を抑え苦しがるレオリオと、後頭部を強かに打ちつけ珍しく痛みで転がり回る失態を見せるクラピカと、地面にぶつかることをダメージと認定し発動した【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)によって地面に三節棍を突き刺し、それを軸に反動を回転で押し殺す、スポットライトの様に当たる陽の光と合わせて見た目どう見てもポールダンスをしてるようにしか見えないトールの計三名のあまりに混沌具合を見て、ポンズは混乱が一周し早期に落ち着きを取り戻し始めた。

 そんな彼女が次に見たのは落盤により三人と一緒に落ちてきた大岩がバーボンの死体に見事命中している光景と無数の蛇が此方を目指して這いずるものであった。

 

 バーボンの攻撃スイッチがもろ入りましたねコレ……

 

 そう悟ったポンズはもう間もなく数百匹の毒蛇が我々に襲い掛かることを大急ぎで落ちた三名に説明し、現在に至る訳である。

 

「私を探した結果こうなるなんて…… もうプレートでも私の貞操でも何でもあげるからこの状況なんとかしてよぉー!!」

 何も展開が望めなかった状態から垂直落下式に文字通りの急展開であるが、命の危機が迫る手前混乱する訳にもいかずポンズの悲痛な叫びをBGMにクラピカ、レオリオ両名共に脱出する手段を考える。

 

「……」

 一方のトールであるが、普段であればもうこの時点で現実逃避に片足を突っ込んでいる。

 

―― どうする? 考えろ! 考えるしかない!!

 

 しかし、今回はその脳をフル回転させている……

 

―― 【念】で身体強化して一気に駆け抜ける? 無理だ…… 全員抱えて走り抜けるほど今の俺の強化は強くない、せいぜい一人か軽そうなポンズ抱えてギリギリだ

 

 元はバーボンという人間が仕掛けたものであるが、『当人が死んでいる』かつ『人でなく蛇に囲まれる』という現状が、自然の脅威として認識している為に人の悪意に比べて身近なそれは彼の精神を激しく揺さぶるに至らなかったのだ。

 

―― 全員オーラで覆ってガードする? いや、三人の精孔が開く可能性がある…… 二重の意味で死ぬ

 

 それ即ち蜘蛛の感性である。

 

―― 全員入る大きさの袋を仕立ててそれに【周】…… 無理、 【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)は服以外を糸のストックも無しに仕立てるには少し時間が掛かる、間に合わん……

 

 必死に、今の自分に何が出来るかを考える。

 

―― 防刃服…… 却下…… 糸の消費が尋常じゃない、出来て手袋三人分じゃあ意味が無い

 

 刻一刻と蛇はずりずりと音を立て近づいてくる。

 

―― 糸だして天井の穴から…… くそ! 天井にいる蛇が来るまでに全員のぼる時間がねぇ!

 

 上を見れば、そこにも蛇がいた。

 他の人間を見る、レオリオは頭を掻き必死な形相、クラピカも頬を落ちる汗を拭う素振りすら見せない…… ポンズも顔色が悪い通り越して真青である。

 

―― こりゃもう念弾飛ばしながら突っ走るか、抱えてロケットスタート繰り返すしか可能性が……

 

 そのとき、トールはこの世界に生み呼ばれて初めて『閃く』という感覚を得た。

 

―― 念弾…… ロケット…… まてよ、強化は無理でもあっちなら!?

 

 そのとき反射的にトールが見たのは、この洞窟のど真ん中、陽の光にあたって少し滑稽にも見える地面に突き刺さった三節棍である。

 同時に浮かぶは自分の先生である大柄なオカマの不気味なウィンク顔。

 

―― アーちゃん! 二度目の感謝! アンタが放出系でマジ助か…… まだ助かってねーや、続きは助かってから!!

 

 もはやこれしかないと、トールはそれに駆け寄った。

 

「皆! 俺にしがみ付け!!」

 

 そう叫んだトールは三節棍の一番上の関節部分に当たる所を握っていた。

 その様子に「何言ってんだこの子?」とポンズは困惑する、しかしクラピカそしてレオリオは何の疑いも無く言われた通りトールにしがみ付く。

 あのときのヒソカとの戦い、あの場でこそドローであったが今この瞬間にそれによって疑い無く自分の考えに乗ってくれるという二人からの信頼を勝ち得たのであった。

「ほら! アンタも早く!!」

 子供一人に必死な形相でしがみつく絵図は何とも言い難いものであったが、この状況から脱出出来るんなら何でもするレベルにまで達していた彼女は一瞬の迷いも疑問も断ちきり、むしろ一番強くトールにしがみついた。

「いくぞー! 3…… 2…… 1……」

 全員しがみついたことを確認したトールは、カウントダウンを行う。

 雰囲気とかそういうのではない、単純にオーラを三節棍に込めるために必要な極めて現実的な時間なのだ。

 

「発射ァアア!!」

 

 特に必要でない掛け声と共に、三節棍の一番下に込めたオーラを一気に、地面でなく上の関節部に向けて発射する。

 その瞬間、まるでロケットの如くトール達は地面に三節棍のパーツを一部残し、天井に向けて飛び立った。

 

「オイ、天井着く前に落ちんじゃねーかこれ!?」

 レオリオの指摘もその通りで、一気に飛んだが一気に減速もした。

「続いて第二ブースト!!」

 言うと同時に二段目の関節部に仕込んだオーラを発射する。

 しかしこれで上まで行くとはいえスピードが足りず天井の蛇の飛び掛かりをモロに浴びるとクラピカが気付く。

「…… からすぐさまラストォオ!!」

 そして最後の一個となった関節部から今度は下方向にオーラが発射される。

 そして全ての背景が線となり、止まった時見えたのは斜め上にのびる森とそこから差し込む光であった。

 

 地面に倒れたときトールは全てがうまくいったと実感した。

 三節棍の関節部に仕込んだオーラ、トール式の三段ロケット…… そして最後の一個を微妙に斜めにすることによってまた穴に落ちる間抜けな失敗の回避、これら全てである。

 しかし喜びに浸っている時間は無い様で、蛇とさらなる地面の陥没を恐れて四名はさらに数十メートル走る。

 そこで息を整えてようやくハイタッチをする様な状況となった。

「ぐぉおお……」

 が、クラピカとレオリオのハイタッチをそれぞれ片手で同時にこなしたとき、トールはその掌を中心に無数の針に刺さったかの様な鋭い痛みが全身に走り、とても立ってはいられずその場に倒れた。

「ぬ、ぐぐぐ……」

「どうしたトール!?」

 その倒れた衝撃も痛みとなった為にまたも変な声がトールから漏れる。

 

―― 祟った! 俺自身重いのにさらに三人加えて変則三段放出の御身飛ばしとか完全無理祟って精孔ズタボロだこれ…… つーか良く出来たよこんなん…… 一番祟られてるんじゃないかって思うのが【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が発動しないのはオーラ切れじゃなくて精孔の痛みがダメージ判定されてないからって確信出来るとことだけどさ……

 

 ちなみに『御身飛ばし』とは心源流で言う『浮き手』に相当する修行の事である。

「外傷は無いみたいだが、さっきのロケットみてぇなヤツでなんか無理したのか!?」

「あー、うん…… そんな感じ、全身痛くて立つのも億劫」

 とりあえずとクラピカは飛行船から失敬してきた毛布の一枚をトールの下に敷く。

「あのー」

 そんな三人に遠慮する様にポンズが声を掛ける。

 

 その手には自分のプレートである246番のプレートが握られていた。

「これを…… あの状況作ったのは私が遠因とはいえアンタ達だけど、言ったことは守らないとね」

 ポンズはそのプレートを寝っ転がるトールに握らせる。

「そのプレート狙ってたのオレなんだが……」

「アンタ落ちて地面にボディープレスかましただけでしょうが」

 その台詞にレオリオはショックを受けたような顔をするが、それ以上にショックを受けたらしいのは隣で小声でもって「地面に頭突きをかましただけ…… なのか?」と頭の打った場所らしき場所を触りながら虚ろな目になっているクラピカであった。

「それじゃあ私はこの辺で、それじゃあね」

 ヒラヒラと手を振り、そのままポンズは森の中に走って行った。

「レオリオ、はい」

 寝たままの姿勢でプレートを指で弾きレオリオに目当てのプレートを渡す。

「…… 今回も全面的に助けられちまったなぁ」

 足向けて寝らんねーぜ、と冗談めかして言うレオリオだが申し訳なさに偽りは無い様だ。

「いやこれから助けてもらうよ、痛くて動けねぇや」

 情けなく笑うトールに任せろと張り切って言うレオリオに同意する様にクラピカも頷く。

「まずは毛布あるし、背負うよりそこらの木を使って簡易担架作って運ぶとするか……」

 なるべく衝撃を与えない方がいいという判断の基、トールを診るレオリオに対してクラピカは丁度いい枝を探す。

 二分もしないうちに丁度いい枝を見つけ、敷いている毛布と合わせ担架を作るとそこにトールが転がる様に乗っかる。

「うし、いくぞー」

 頭側を持つレオリオの音頭のと共にトールを乗せた担架が持ちあがる

 

「ぐぉおおおお!?」

 

 と同時にボキリと良い音を立てながら枝が折れ、接触ダメージ判定とまではいかなかったが地面と触れ合った為に精孔からの痛みを受けたトールの何とも言えない声も響いた。

「おいクラピカ! 割と脆いぞこの枝!?」

「そんな馬鹿な!? ちゃんと力を加えたりして折れないものを選んだぞ私は!」

 真っ二つに割れた枝を見せながらクラピカに問うレオリオだが、クラピカも驚いている様で本当にしっかりとした枝を選んだことは間違いない様だ。

「…… 聞くがトール、体重はどれほどだ?」

 痛みながらもその質問に何時かの凶狸狐を思い出しつつ答える。

「総重量130㎏くらい」

 その答えにレオリオとクラピカは顔を見合わせ頬に汗を流した。

 本人としては蜘蛛の部分を含めたという意味で言ったのだが、それを知らずそして先のロケット脱出を火薬の類と認識している二人にとって『総重量』という言葉が意味するそれは決して良いモノで無かった。

「もっとだ! もっと折れない枝持って来いクラピカ! 両サイド三本位差し込めば大丈夫のはずだ!!」

「了解した!!」

 

―― なんだこの気合いの入れ方は?

 

 不思議がるトールがそれに気付く訳も無く、彼が動けるようになる最終日まで両名の不安が尽きる事は無かった。




このときプレートを渡すポンズの脳内では吐いた唾は飲み込めないということ以上に
・バーボンのプレートが取れない今、三点取るのは(既に数点分まとめて持っている人物が多いとしても)難しい、というかそんな気力ない
・なのでプレートを持っていてもそれ狙いの受験生が来るので危険度が上がるので持っていても無駄
・なによりここで渡して帰れば貞操云々誤魔化せる ※重要
こんな内容が上がっていたりする。


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クモは観測出来ても予報は出来ず

「ん~、まだ痛むけど…… 担がれるほどじゃないかな?」

 残り時間僅かとなり、スタート地点まで歩くトールは動作確認の様にその場を軽く跳ねる。

「頼むからそんなはしゃがないでくれよ?」

 そんなトールを見てレオリオは繊細な物を扱うかの様に言う。

 心なしかクラピカも少し離れてるように見える。

「いやだから誤爆誘爆の類はないから安心してってば……」

 何度目かになる否定の末、スタート地点に着く頃ようやく納得してくれた。

 

 スタート地点に着いたとき丁度良いタイミングで汽笛が鳴り響く、それと同時に試験終了と今から一時間を期間猶予とする旨の連絡が島中に響き渡る。

 と言ってもプレートを集めたらしい合格者達は五分としない内に集合したが。

「おーい! みんなぁ!」

 その声に三人が振りむくとそこには手を振りながらこちらに来るゴンと何処か不機嫌そうなキルアがいた。

「ようゴン、その様子だとあの変態野郎からプレートを掻っ攫ったみてぇだな?」

「ん、まぁね…… レオリオもあれからプレート取れたんだ?」

 ヒソカという存在からプレートを取れたにも拘らずその表情は何処かぎこちなかったが、今気付いたが当の本人がそこで愉快そうにこちらをみているからかとトールは判断した。

 そしてプレート取られてもちゃっかり合格してることにがっかりもした。

 

―― プレート取られたんだからそこは惜しくも敗退でいいだろうに……

 

 そう思うトールだが、自分から自身のプレートを渡した上に自力で狩った一枚以外は譲られたあげく、その内の三点分は自分のターゲットから三枚プレートを貰うことによって得たという訳の分からない戦績のコイツに思われたくは無いだろう。

「よっ! 無事合格ってとこだな透?」

「無事六点取れたんだな? スゲーな、こっちはお前の善意を無駄にしない様に隠れるので精一杯だったよ」

 トールに声を掛けてきたのはポックルと半蔵だった。

「二人も合格おめでとう」

 笑いあって握手する三人は男友達という言葉がしっくりきた。

 

 

「で、何でキルアはそんな不機嫌そうに俺を見るんだ?」

 あれから来た飛行船に乗り数分、島でもじっと見てきたキルアだが飛行船に乗る前に係の者に自分の苦労と合格の証である六枚のプレートを渡した辺りからますます視線がきつくなったため、今ようやくトールはその口を開いた。

「正直少し腹立ってる……」

「俺なんかしたか!?」

 まさかの立腹宣言に大きく仰け反るトール。

「いや確かにトールが原因っちゃそうだけど…… どっちかと言えばオレ自身にムカついてる」

 そう言われどう返していいか分からずに「そ、そうか」とどもり気味に言うだけで、場には何とも言えない気まずさが広まったとトールは感じた。

「だぁーもう! やめだやめ!!」

 と次の瞬間には何かを爆発する様にキルアが大きな声を出す。

「トール!」

「なに!?」

 ビシッと音が出る様な…… 否、本当に突き刺さりそうな威力と音でもってトールの名を呼びながら指差す。

 それに何か地雷でも踏んだのかと困惑の表情で原因をトールを探すが一向に原因は見つからない。

「お前は今から憩いじゃなくてオレのライバルに決定! 拒否権はねーかんな!!」

 言い切った、そんな満足げな顔でキルアはその場を去って行った。

 

―― え? ライバル宣言? 何で? つーかその前の『憩い』ってなに!? 俺はリラクゼーション効果かなんかあったの!?

 

 後に残ったのは訳が分からないと疑問符ばかり浮かぶ訳の分からない生物であった。

 その混乱は自分が機内放送で呼び出されるまで続いた。

 そして結局自分にゴンと共に自分に対して質問があったのではないのかと聞くことは叶わなかった。

 

 

「っちゅー訳で今からおぬしに幾つか質問をするが、最終試験に少し影響する程度で合否には直接関係ないもんでな、正直に答えてくれんか?」

 

 疑問の檻から解放したのは別の疑問ではあったが、それでもいけば分かる単純なものであった為に指定された部屋の襖風の扉を開け、まさかの会長と一対一で話す事になると思わなかったトールは正座の姿勢で背をピンと伸ばし現在に至る。

 あまりキョロキョロしたくは無いが、和室と言う他に言えない内装の部屋で一番目に付くのは「心」という一字である。

「では最初の質問じゃが、おぬしは何故ハンターになりたいのかのう?」

 そのストレートな質問にトールは、ここまで来るのに辿った日々や感じた事をまるで巻き戻すように思い出す。

「私は、そうですね……」

「別に採用試験って訳でも、まぁある種そうだが別に敬語とかはいらんよ? 慣れた口調の方が言いやすいじゃろ」

 飛行船で会った時もそんな畏まらんでもと思うとったしとネテロは笑う。

 それじゃあお言葉に甘えましてと、トールも姿勢も胡坐をかくように崩して答える。

「俺は別にハンターは目指してません、資格があればやりたいこと出来るし身分のこれ以上ない保証にもなる」

「ほう、やりたいこととは何かね?」

 若者の将来語りを楽しそうに聞く老人の図がそこにあった。

「平たく言えば『服屋』です、まぁここに来るまではしっかり都市に店建てる感じを思い描いてましたが……」

「この試験でなにかそれを変える経験でも?」

 髭を撫でるネテロは興味深そうに聞く。

「そんな感じで。まだ構想を練ってる段階なんで言葉で説明するとしっちゃかめっちゃかになりそうだけども」

「そりゃ気になるのう、しかし時間がそれを許さぬようで…… 次の質問といこうか」

 ネテロはクリップボードに挟んであった写真…… 自分を除きここまで合格してきた九名の写真をテーブルに並べる。

「この中で一番注目しているのは誰かね?」

 ああそういう感じ? と口には出さず思うとその代わり「一番かぁ……」と漏れた。

「一名だけじゃ無くていいと言ったらどうかね?」

「この191番のおじさん以外全員ですね、ヒソカとイ…… ギタラクルは眼を離したらヤバイという意味ですけど」

 この一名を除く全員と面識のあるトールは迷いなくそう答えた。

 そうかそうかと何かにその旨をネテロは記す。

「ではこの中で戦いたくないのは誰かの?」

 先の質問で悩むだろうと踏んでネテロは『一番』という言葉を外す。

「そりゃよっぽどのことでもなければ全員…… まぁ絶対戦いたくないのはさっきの二人がそうですね、特にヒソカとは戦闘どころか金輪際会いたくも無いです…… ギタラクルはまぁギリギリ数年に一回くらいなら許します」

 

 誰が聞いても本気のトーンであったと、トールの戦いたくない人物の項目に小さくされど存在感を放つ『備考・本気』の文字が記載された。

 

 

―― ああ~、【絶】気持ちええのぉ~

 

 面談も終わり、最終試験までの三日間割り当てられた自分の部屋でシャワーを浴びた後、ベッドに横たわるトールはそんな極楽気分だった。

 クラピカとレオリオの入る手前、そこにいるのにいきなり存在感希薄になった上にグースカ寝るとかある種のホラーなので自重していたそれを一気に解放したのだ。精孔は閉じているが。

 オーラの過剰放出が痛みの原因の為、精孔を閉じる【絶】は色々な面で効果的なようであった。

 

 一番嬉しいのは温かく、豊富な料理の提供であるが。

 

「おいしいなぁ…… 特に温かいのが良い、森じゃ火を使ったら場所バレそうだし使わず生で食べてたからやっぱ物足りなかったなぁ」

 大食堂で合格者は三日間バイキング形式の食事の為全員集合の中、人一倍皿に料理を盛って食べるトールは嬉しそうに食べる。

「そういえばトールってオレ達が木の実とか採って一緒に食べるまでそれ食べた事無かった感じだったけど何食べてたの?」

「生のカエル」

 

 場が凍りつく。

 

 彼なりの冗句か何かだろうかと思いこもうとするクラピカ達の期待を、キッチンを借りて自炊した料理を食べながら話を聞いてた半蔵が証人となり、しかも食べ方が踊り食いだといういらぬ補足説明と共に判明してしまった食堂は暫く静かだった。

「そういうときは水で高温になって湯を沸かせたり出来る道具とか持ってると便利だぜ?」

「なにその魔法みたいな道具欲しい」

 半蔵の言葉で眼を輝かすトールに今度はポックルが懐から何かを取り出す。

「こういう粉末状の物だけど、頼むから人間としての何かを売るのはやめてくれよ……」

 こんな状況下でトールにアドバイスした男二人はトールにとって掛替えの無い財産だろう。

 

―――――――――

 

 そして三日後、飛行船は最終試験会場に無事到着する。

 場所は荒野やら山奥を予想していた者が多い中、委員会の経営する宮殿風のホテルと最後まで多くの受験生の予想を裏切り続けた。

 その大広間で、横一列に並べられた受験生達の前にこれまでの試験官及び黒服とサングラスを着用した試験官達がいた。

 その中に一名見覚えのある人物がいた、トールが四次試験初日にテンパって殴り掛かった人物である。

 

 最終試験はネテロの説明によれば『負け上がりトーナメント』と言うべき代物であった。

 一勝すれば合格、負ければトーナメント表の上へ上へ…… そして試験敗北者は一名のみ。

 ルールは相手が「まいった」と言えば勝敗が決することと相手を死に至らしめた時はその人物が失格となる以外は時間さえも制限の無い勝負……

 トーナメント表の組み合わせの不公平さは今までの試験の成績を公平に判断した結果らしい。

 採点は極秘内容だがネテロ曰く『身体能力値・精神能力値・印象値』の三本柱からなり、特に最後の印象値なるハンターとしてのはかれない資質と言うべき何か…… それのウェイトが最も高いのだと言う。

 それは納得のいく説明だ、しかしである……

 

―― ハンター志望で無いオレの資質、はかれないとはいえ間違いすぎでは!?

 

 ボードに貼り付けられたトーナメント表にあった自分の番号の場所から分かる自分の戦闘回数は五回、つまり最多戦闘回数である。

 ゴンは分かる、あの年でという贔屓目を除いたとしても何というか惹きつけられるそれこそはかれない『なにか』を持っている。

 半蔵も忍者で本来ハンターとなるのが目的ではない事は知っているが、器が完成しているという面では素晴らしい。

ポックルはあの塔で語った夢はまさにハンターの夢であった。

 

 そしてそれに並ぶ自分、ぶっちゃけ訳が分からない。

 

 しかし「ちょっと俺の評価間違ってません?」等と言う訳にもいかず、第一試合となる半蔵とゴンの始まりの為、そのままわきに追いやられてしまった。

 

―――――――――

 

 ゴン対半蔵の試合は一方的であった。

 スピード、パワー、テクニック…… 全てが半蔵の方が上であった。

 しかし、ゴンの遥かに勝る負けん気が試合時間を一時間、また一時間と引き延ばしていった。

 そして三時間、体感時間はその倍…… 当人はさらに倍は感じたであろう地獄の様な時間。

 

 それでもゴンが「まいった」と言う事は無かった。

 

 それどころか何故か左腕をへし折られながらも試合はゴンのペースとなってゆく。

 結局のところ彼の敗因は「親父に会いに行く」と言ったときのあの真っ直ぐな眼だと思った、「会いたい」ではない自分から「会いに行く」と言い切ったあの眼、それを止められなかったから負けたのではなくそれを気に入ったからこそ、半蔵は『まいった』のだろう。

 それでも納得いかずに勝負しろと言うゴンにアッパーカットを決めて意識を沈めたのは御愛嬌だろう。

 大の字に眠るゴンを黒服がゆっくりかつ丁寧に運んでる最中、半蔵はネテロにアイツが起きたら合格を絶対取り消すと言う。

 だろうなとその場の殆どの人間が思っていた。

「そこは心配するな、合格は例えそれが不満な結果であろうが辞退を申請しようが覆せぬ事実じゃ」

 つまりゴンは不合格となる事態は無いので試合はこのまま進行するというわけである。

 

 そうこのまま、第二試合トール対ポックルが始まるのだ。

 

―― これ、使い捨ての武器じゃなければ爆発するもんでもないんだけどなぁ

 

 握り直すのはこの三日間でまた新たに作った三節棍である、広間の真ん中でこれを構えたときにクラピカとレオリオが三歩ほど後ろに下がったのは流石に苦笑いした。

 対するポックルは静かに眼を閉じている。

「では両者準備は整った様ですね?」

 トールにとって準備は三節棍を構える事ではない、ポックルと戦うことを覚悟する事である。

 その台詞にトールは頷く…… そしてポックルは閉じた時と同様静かに目を開いた。

「それでは第二試合、トールVSポックル!」

 

 黒服の声による試合の始まり、さてどうくるかと構えるトールを前にゆっくりとポックルは片手を上げた。

「始め!!」

 

「まいった」

 

 その声は別に張り上げた訳でもないのにいやに大きく聞こえた。

「え? あっ! 勝者、トール!!」

 流石の黒服も予想外の展開だったらしく一瞬呆けた声を出してすぐさま勝利宣言をする。

「……」

「なんでって顔だな?」

 まさにその通りである。

「オレさ、あの島でハンゾーに会ったとき戦いたいって言ったんだ」

 あの忍者相手によく正面から言えたなとトールは驚いた。

「三次試験のとき戦闘面ではハンゾーにおんぶにだっこでさ、そのときはオレの専門外だと思ったけど…… ハンターを目指す以上そうは言ってられない、このままじゃオレ試験も合格出来なければ万一合格してもすぐ死んじまいそうなそんな気がしたんだ」

 恐らくポックルは受験生の中で最もハンターという職業に真面目に向き合っている人間なのだとトールは感じた。

「だからオレはハンゾーに挑戦したい、前に進むためにも! それとオレに前に進むチャンスをくれた友人に恩も返したい!」

 友人と言われ、もうトールは満足だった。

 故に言葉に詰まったトールが出来た精一杯は手を差し出すだけだった。

「合格おめでとう」

 硬く手を握り言ったポックルの言葉はトールの中で眠るもう一匹にも届いた様な熱を持っていた。

 

―――――――――

 

 そんなある種清涼感すら感じさせる試合のあとだからこそヒソカとクラピカの試合は何処か不穏な雰囲気でヒソカの負け宣言で幕を閉じた。

 会場内に散らばる鎖鎌や投げナイフ、布槍…… 暗器の数々が少ない時間の中クラピカが全力で戦った跡があった。

 それらの猛攻を涼しい顔で片手で数えられるトランプだけで捌ききり、近づいて切り裂くかと思いきや行った耳打ちからの余裕をもった敗北宣言。

 

 しかし、その異様な雰囲気も気にしない受験生が二人……

 

 極度に高められた集中力によって互いが互いしか見ていない。

「第四試合、ハンゾー対ポックル!」

 二人とも武器らしい武器は持っていない。

 しかし、半蔵はゴンとの試合は体術のみかつ仕込み刀があることが分かっているがそれ以外の『本来の戦い方』は不明。

 ポックルとてメインが弓矢と分かるが、この局面でそれを使うかは分からないし、そも先の試合で彼は戦っていない。

 

 二戦目でありながら互いに手の内が分からないという状況。

 

「始め!」

 

 開始が宣言された瞬間、同時に行動を起こしたのはポックルであった。

 勢いよく腕を上から下に振る。

 それだけ、しかしそれだけの動作だからこそ忍者相手に先手を取れた。

 腕を振った結果放たれたのは一本の矢、短く金属製のそれは弓で弾くタイプではなく投擲するタイプのそれ。

「あめぇ!」

 眼前に迫る矢は危なげなく回避される。

 だが、次に半蔵が捉えたものは広範囲に広がる煙……

 

―― 忍者相手に煙幕かよ!

 

 そうは思うが慣れてるとはいえ数秒は有効な手、本来じっと息を殺し見つかる前に獲物を狩るポックルにとって障害物の無い地形かつ真っ向勝負は門外漢である。

 だからこそ彼は数秒だけとはいえ自分の領域を作り上げたのだ。

 

 そこから矢の一発でも放たれそうであるがそれは無かった。

 それを行えば自身の位置が一発でばれる。

 

―― 逆に考えれば一撃で行動不能にされる可能性がたけぇ

 

 そう考えた半蔵の予想を斜め上に物理的にいくように、なにかが煙の中から放物線を描くように飛び出た。

 握り拳ほどのカプセルだと判別した半蔵は爆弾の類かと推測すると同時にここまで山なりに投げて当たる訳も無いと、大きく後ろに退く為足に力を込める。

 しかしそのカプセルが半蔵の身長より二倍ほどの高さにあるときそこに唐突かつ急速に接近する影を見る。

「うお!?」

 着弾を前提に考えていた半蔵の動きの裏をかくようにそれはポックルが後から放ったであろう矢によって空中で破壊される。

 しかしカプセルの中身は爆発物の類で無く粉末状の何かであり、ダメージこそなかったが半蔵に多くが振り掛った。

 とっさに顔全体を庇った為顔面こそ何も無かったが、その身体には多くの粉が付着した。

 

―― んだこの粉?

 

 その疑問に答える事は無いが、煙幕が晴れたとき白い世界から戻りかけたポックルが大きく振りかぶってそれを投げた。

 それは今度は放物線を描くどころかさらに伸び、半蔵の斜め上あたりで天井に着弾する。

 着弾と同時にその周囲で先程と同じ様に煙が広がる。

 どうやら煙幕であったようだ。

 なぜそこに煙幕を放ったのか? その疑問の答えは半蔵がこの会場を目視で全て確認し、そこにある物をみていた彼の脳内でその答えが浮かぶ。

 その瞬間、常人のそれを遥かに超えた反射の領域でポックルの意図に気付いた半蔵は、その速度をそのまま身体で体現するかのようなスピードで翔ける。

 

 天井の煙幕はそのトリガーを引いた。

 

 直後、部屋全体に雨が降った。

 

「スプリンクラー狙い、んでオレにぶっ掛けた粉は水で高温になるヤツ…… だろ? ポックル」

 部屋全体が水浸しになる中、ポックルの背後に半蔵がいた。

「正解、良いアイデアだと思ったんだがな」

「全身大火傷必須となりゃ負け宣言してすぐに医者に掛からねーとやべぇけどよ! えげつねぇなこんにゃろう!」

 余裕で喋っているようだが、ポックルの腕は完全に半蔵が極めており少しでも捻ればゴンと同様折れるだろうと分かる。

「だが、あと一歩だったな」

「その姿でカッコつけられてもなぁ……」

 溜息混じりに言う通り、半蔵の今の恰好は真っ赤な褌一丁というなんとも言えない姿であった。

 あの一瞬、このままでは大参事だと半蔵は服を脱ぐというより脱皮の域でそのまま突っ込んできたのである。

 スプリンクラーからの水が自分に到達するその僅かな時間で起こした早業…… 凄いがこの姿だとイマイチその凄さが伝わらなかったりする。

「うるせぇ! 一分一秒無駄に出来なかったんだっての、水で分からんと思うがぶっちゃけ冷や汗ハンパねぇ」

 その言葉にウソ偽りは無い様だ。

「…… ま、今度は冷や汗じゃなくて泡吹かせてやるさ」

 一瞬だけ悔しそうに顔をしかめた後、今度は実に晴れ晴れとした顔で彼は『まいった』と口にした。

 

 

 

「びっくりするぐれぇしっくりくるな…… 何で甚平なのかは分かんねぇけど」

 浅葱色の甚平を着る半蔵はそんな感想を言う。

 試合も終わり、鉄部分以外ボロボロとなったために褌一丁で服を取りに廊下を走る半蔵というのも勝者なのにどうだと思い少し外に出て【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)で甚平を仕立てたのだ。

 浅葱色なのは一番染料が余っていた事と甚平なのは、何となく似合ってそうだからである。

「あの短時間でどうやって仕立てたんだっつーの」

 キルアの最もなぼやきは全員の疑問の代弁だったが、トールは下手な口笛を吹くばかりである。

 キルアからの追及をされたくないのにパッとした思いつきで駄目にしそうにするあたり抜けていた。

「ほれ、次はキルアの番だぞ?」

「わーってるよ、ったく」

 

 スプリンクラーの水も拭き終わった様で広間の真ん中に黒服が立つ。

 それを見たトールがキルアを促す、そして彼と同じくして動いた人物を見て……

 

―― うわちゃー……

 

 その対戦カードが狙ったかのようなソレだと今気付いた。

 




トールのポイントが高い主な理由
・トリックタワー最速クリア
・自分のプレートを譲ってからまさかの合格
・その多くのプレート獲得理由が譲渡というある種の人徳
・プレート獲得後も協力の姿勢を見せ能動的に活動
総評-四次試験でやらかし過ぎた
初戦ポックルだった理由
・ボドロが子供とは戦えぬとゴン達と一緒に指名したため
・ヒソカとギタラクルにしても『備考・本気』で刹那にまいったと言う可能性が高い
総評-死の恐怖と変な肉体のポテンシャルの生んだ喜劇


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クモ、強風に流される1

この時間に投稿時間を設定してみるテスト


「兄貴……」

「その通り」

 

 試合の始まりと共に針男から一気に能面系長髪男子となったギタラクル改めイルミは、淡々としてる様でどこか独特な調子の言葉のチョイスと共に手を上げる。

「オレを連れ戻しに来たのか?」

 頬に流れる汗を拭う余裕も無くキルアは問う。

「んー、そういう訳でもないよ? オレが試験に参加したのは偶然、むしろキルとトールがいてオレの方が驚いた位さ」

 さりげなくも無く会話に名が挙がったトールをキルアは反射的に見る。

「俺も試験参加したの言ったと思うけど偶然だから、つーか俺の方が驚いた自信がある」

 胃もたれした様な調子で答える。

「いや二次試験のときノ―ヒントで正体見破られたときの方がオレ驚いたよ」

 謎の張り合いを見せるイルミと、おいそんな最初から気付いてたのかよという類の感情が込められた視線をキルアとレオリオから感じる。というかレオリオに至っては「気付いたなら言えよ!」と怒られた。

「それはオレが内緒にして欲しいって頼んだからね、トールは約束守る人だし」

 アンタが何するか分かるんならすぐばらすけどな! とトールは心の内で訂正する。

 

 イルミはその独特な雰囲気のままキルアに家へ帰る様に…… 殺し屋へ復帰する様に説得と言う名の追い込みをする。

 

 おまえは熱を持たない闇人形…… 何も欲しがらず、望まず…… 唯一の歓びは人の死に触れたとき……

 

 イルミのその台詞はキルアを一歩また一歩と追いつめる様に這いずる蛇の様に絡んでいく。

 

―― もう一戦やろうぜトール! いまのであったまったからオレのコンボが火をふくぜ!

―― なぁトール! もっと薄くて軽くて丈夫な服作ってくれよー、今度の訓練きついぜー暑いぜー

―― っしゃあ! レアドロップ! この快感があるからやめらんねーんだよな!

 

 と、同時にいや嘘こけよと約一名がその言葉を真っ向から否定する思い出が頭を過る。

 

「大人げないぞ」

 トールの口からそんな言葉が出た。

 それは台詞があからさまに追い込むための物であるということよりもう二つの理由。

 

―― オーラぶつけるのは威圧もいいところだろうに……

 

 念使いでない常人にそれは素肌に熱風をぶつける様な、深海に裸で潜る様な行為に匹敵する。

 そしてもう一つ。

 

―― それでキルアが【念】に目覚めたらどうすんだってーの

 

 シルバとゼノとの約束である。

 言った後別にこれで目覚めても自分の責任ではないと気付いて少し後悔したが。

「ああ、確かにちょっとアレだったねごめんごめん」

 針の数本は飛んでくるんではないかと身構えたが、予想に反してイルミは素直に意図を察したかのようにオーラでの威圧をやめた。

 

 

 しかし、それでもイルミは止まらない。

 キルアはもう尋常ではない発汗量であり、呼吸も荒い。

 それでもキルアは口にする、もう人殺しはしたくないと。

 自分の意志で歩きたいと。

 

「ゴンと…… トールとクラピカと、レオリオとも友達になって…… なってみたいんだ……」

 

 そう振り絞って言った言葉に、レオリオがとっくにオレらはダチだろうがと啖呵を切る。

「そっか、友達ね…… なら君達を皆殺しにしよう、友達なんて邪魔なだけだもの」

 その軽い様な提案をポンと手を打って出した瞬間、トールは三節棍を構えた。

 

 たかだか二年ほどの付き合いだがそれでも分かる…… コイツは本気である、と。

 

 一触即発な状況、その状況は長く続くかと思いきや意外な援護射撃がそれを一瞬で消す。

「それはやりすぎなんじゃないかな?」

 構えるトール達の前にヒソカは何でもない様に移動していた。

「それに今皆殺しなんてしたらキミが不合格になっちゃうよ? 不合格って以外と凹むんだよね♣ 経験談だから間違いないよ♠」

 ヒソカの言葉に「そっかオレが落ちちゃキルが合格になっちゃうなー」と言って手の針を戻した。

 

 イルミはもう一度キルアと向き合う。

 そして攻撃するでもなく頭を撫でた。

 

 ただそれだけ…… しかし、そこから流れはイルミに取ってベストな結果と言えるものであった。

 

 

 

 イルミとの試合はキルアの敗北、後に行ったレオリオ対ボドロ戦に割り込んだキルアの拳がボドロの内臓を幾つか破裂させ骨を砕いた。

 他受験生を戦線復帰不可能にまで追いやったとしてキルアは不合格、そのまま強制送還となった。

「おかしいなー?」

 その凄惨な状況で呟かれた兄の声を聞いたのは一匹の蜘蛛だけだった。

 

 その結果を目覚めたゴンが聞いた結果、合格者の講習会に飛びこむように来てからのイルミとの対峙である。

 

「キルアの所に行く! それでキルアを連れていく!」

 半蔵に幾ら痛めつけられてもまいったと言わなかった時より強い輝きでイルミを真っ直ぐ見る。

「これこれ、言いたいことは色々あるじゃろうがまずは講習を受けてからにせんかの?」

 やんわりとしかし、しっかりとネテロは制止する。

 

 会長の一声でとりあえず講習は問題なく続く。

 

 ライセンスを渡された時は流石に緊張した。

 コレ一枚を貰うにこれだけ必死なのにさらに高みを目指しているアルゴ達はやはり色々な意味抜かしても凄い存在なのだと改めて感じた。

 

 その講習も終わると同時にゴンはイルミに詰め寄った。

 ゴンに関しては半蔵の件から合格者全員が心の内で満場一致でだろうなと思うのはこれで二度目である。

「キルアの居場所を教えてもらうよ」

「それ、トールに聞いた方がいいんじゃない?」

 まさかのキラーパスである、が良く考えなくても確かにそうだ。

「トール! 教えて!!」

「ホント良い空気吸ってんな御前……」

 レオリオが呆れ気味に突っ込んだ。

「ならトールと一緒に行けば?」

 キラーパスどころかオウンゴールである。が、よくよく考えてそれだとコイツと同じチームにいることになってしまうとハッとした。

 驚くトールにイルミはさらに続ける。

「ていうかそこの三人はどうでもいいとしてトールは絶対家に来てもらうよ、嫌だっていうなら実力行使も問わないけど……」

 なるべく傷つけたくないんだという言葉で〆た割に構えた針の数は多かった。

「ちょっ、まだ行く時期じゃないだろ!? なんだ絶対って!?」

「そういえばトール、もしかして試験中一回もケータイ見てない? というより持ってる?」

 慌てるトールを置いてけぼりにするかのようにイルミは全く関係ない様な質問をする。

「不意に鳴ったりして不利になったら嫌だし、集中してたから忘れてて電源一回も付けてないけど……」

 これとの会話で一々質問に答えろだ何だ言っても疲れるだけだと学んでいるトールは、なにをおいてもその質問にまず答えた。

「それじゃ付けてみなよ、そこに多分答えがあるから」

 さぁさぁほらほらとイルミにしては珍しく急かしてくる上に出すまで待ってるつもりらしいので、大人しくトールは割とどうなってるのか構造が気になる袖から妙にリアルな蜘蛛型のケータイを取り出し……

 

…… た、と同時に身体が真上に跳ねた。

 

「クラピカ! ストップ! ストップだ!!」

「今それされると会話が進まないからやめて落ち着いてクラピカ!!」

 急に発動した【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)に驚いて原因を見れば、なんとクラピカが蹴りの姿勢かつ爛々と緋色の眼を輝かせているのをレオリオと、さっきまで落ち着いて無かったゴンが落ち着けと必死に止めていた。

 一体何事かと聞けば、何でも蜘蛛を見るとブチギレて手がつけられなくなるそうだ。

 

―― 恐ッ!? なんでそんな狙い澄ましたかのような特徴持ってんの!? よく俺無事だったな……

 

 何度目かになる膝を抱えて闇を背負うクラピカを横目で見て今まで自分が無事だったという奇跡を感じながら、トールは改めてケータイの機種変を強く心に誓い電源を付ける。

 懐かしく思えるアルゴ達との一場面の待受けが映し出され……

 

「うお!?」

 

 そこに記された着信履歴100件と1000件の未開封メールの知らせ

 

 恐る恐るメールの一つを開く、そこにはたった一行「来て」や「待ってる」等とだけ書いてあった。

 さらに震える手で操作しそれらを調べると、全て同一人物からのモノであった。

 

 携帯一列全てを埋め尽くす、『カルト』の文字

 

「見た? 分かった?」

 正直分かりたくなかったと口にさえ出せなかった。

 電源を切って大体20日弱、着信・メール履歴を一杯にするとして最低ノルマ大体三十分に一回の通信。

 最も怖いのはもう保存件数を超えているので今現在本当は何件目なのか分からない所である。

 とりあえずこれから向かう旨をメールで伝えようと操作をする、がイルミにケータイを取り上げられそれは出来なかった。

「今メールしようとしたでしょ? 駄目だよ…… 今のカルトにそんな余計な刺激与えたらちょっとどういう行動するかオレも分かんないし」

 そう言ってケータイを返してくるが受け取り損ねたとしても通常の反応だろう。

「『兄さんは必ず帰ってくるけどトールは分からないから確実にボクの所に無事生きた状態で連れてきて!』これがオレがトール達の居場所が分かったことを連絡したとき母さんの電話を引っ手繰って言った言葉ね」

 

―― 何処行くか分からんって…… 放浪癖でもあんのか俺は

 

 あまりにもあれなのでイルミ側が折れて『依頼』という形で落ち着いたのだと言う。

「でもオレこのまま仕事で家に帰れないからどうしようかと思ってさ、丁度いいやって」

 キルアの件は最優先事項だろうがカルトの件はもうここらへんで投げやりになってきてると確信した。

「で、いつ行く?」

 行くよね? じゃないところに物凄い強制力を感じた。

 

「すいませんヒソカ様、イルミ様、そしてトール様はこちらの方へ」

 

 そして畳み掛ける様にビーンズがトールの精神を削る為だけに選んだような人選で別室に案内する。

 「もう、好きにしろよ……」レオリオ達はそんな悲壮な幻聴を聞いたという。

 

 というか幻聴と思う事にした様である。

 

 

「おぬし達に裏ハンター試験合格を言い渡す」

 部屋にいたネテロはそんな事を言った。

 ネテロの言うにはさっきのハンター試験合格はその実半分ほど、言うなれば半人前の状態であり本当のハンターになるにはその後【念】を習得しなければならないらしい。

「なるほど♣ ボク達は既に【念】を習得してるからそっちも合格ってことね♠」

「そうじゃ、その通知と【念】の習得という裏ハンター試験の内容を大々的に言ってはならんと釘を刺す為に呼んだ訳だな」

 このメンバーにどんな共通点があるんだと必死に逃れる為に考えていたその答えは彼の最終試験・裏試験の内容と同様実にあっさりとしていた。

「ま、それだけだから解散っちゅーことで…… あ、トール君はちょっとまだ話あるからの」

 三節棍を手に持って無かったら顔からコケたであろう見事なタイミングでネテロは一人だけ待ったをかけた。

 二人が退室し、ビーンズが茶を持って来た所でネテロは何かを企んだ悪ガキの様な楽しそうな笑みを浮かべる。

 

「さて話というか、わしからのお願いなんじゃが……」

 

―――――――――

 

「トール! …… 大丈夫?」

 今か今かとトールの帰りを待っていたゴンがその姿を見つけ駆け寄り、心配した。

「まさか試験終わった後が一番疲れるとは思わなかったよ」

 ゆっくり椅子に座るトールはかなり年上に見えたという、実際年上だが。

「一体あのメンツで集められて何があったんだ?」

「それまだ言えないんだよね、会長直々のお口チャック」

 レオリオが聞くが言えない為に遠い目をして秘密の旨を言う。

「よし、じゃあこのままキルアの所にいくか!」

 からのまさかの出発宣言である。

「いや、もう少しゆっくりしても罰は当たらんと思うぞ?」

 扉を開けながらそう言ったのは缶ジュースを持ったポックルだった。

「いやまだいたのか? みたいな顔されてもな、あんな世話になったのに何も言わずにさよならするほど恩知らずじゃないし」

「ポックル……」

 それに友達だろうがと缶ジュースをトールに渡して言う。

「その通りだぜ? 透」

 同じノリで半蔵も何かの包みを渡す。

「半蔵……」

 開けるとそこには六個の兵糧丸があった。

「この兵糧丸、試験分の余りだろ?」

 あ、バレた? と頭を掻いて笑う。飲み終わった缶をゴミ箱に捨てに行ってくれたが返品は受け付けてくれなかった。

「まぁでもこのままキルアの家に行くのは考え合ってだからさ…… 休憩挟むとさらに厄介になることと、ここで止まったらそのままズルズルいくって確信してるから」

 追い込み漁張りの逃げ場の無さである。

 若干不安ではあるが他の三人がいるなら大丈夫だろうとポックルと半蔵は互いに頷く。

 二人ともそれぞれの道を歩むために立ちあがる。

「ポックルはこのまま秘境にでも行くのか?」

 そう言う半蔵にポックルは笑って首を横に振る。

「いや、少し自分を鍛え直す事にするよ…… 結局誰にも勝てないままだしな、ハンゾーはどうするんだ?」

「オレは一旦国に帰るさ、でも何かあったら遠慮なく呼んでくれよ?」

 半蔵はクラピカ達に紙を渡す、ホームコードが記載された物の様だ。

 続いてポックルも渡す、ここでゴンがホームコードとは何ぞやという状態であったことが発覚した。

 トールは既に二人と、トランプ調の無駄に凝った紙と共にヒソカのホームコードを渡されている。

 

 そして二人と別れたトール達はパソコンの前にいた。

 ゴンは試験官のサトツに何か用があるみたいで行ったが、直ぐに帰ってくるようである。

 

―― とうとう自分でパソコンがめくれる日が来るとはなぁ……

 

 とりあえずゴンが来るまでにトールは自分のナンバーなどを設定しておくことにした。

「おーい!」

 そして丁度設定し終わったのを確認したかのようなタイミングでゴンが用事を済ませてやって来た。

 

 

 

「それでキルアはどこに住んでるの?」

「パドキア共和国のデンドラ地区にある標高三千七百越えの山、ククルーマウンテンってとこだな」

 どうしても自分の中で踏ん切りつくまでライセンスを使いたくないゴンを考慮して一般のビザでも行ける国だよーと言いながら地図をめくり表示する。

「此処割と近かったんだな、飛行船で三日ってとこだ…… 予約はこれでいいか?」

 すぐに予約を済ませる。

「そうそう、ハンターのページでジン=フリークスってめくってくれない?」

「え? いいけど……」

 不思議な顔をしてトールは言われた通りジンの頁をめくった。

 

「え?」

「ああ、やっぱり」

 そこにはクエスチョンマークと極秘情報の文字だけで構成された様な画面があった。

「俺の先生兼友達な人から聞いたことがあるんだけど、ジンって言えばハンター界の伝説(レジェンド)的人物だそうで」

 ちなみに電脳ページでこうなっている場合は余程の身分か権力を持っていないと情報のやり取りは出来ない。

「直接会って話すか会った人の話を聞くのが一番だな」

 トールの横でそのページを見ているゴンは、純粋に凄いモノを見る少年のそれであった。

 

 

 

「…… って訳でアーちゃんのお守りの御蔭もあって無事合格したけども……」

『なるほどねー、それで今ゾルディックさんのところに』

「まさか試験後間髪いれずに行く羽目になるとは思いもよらなかったって」

 パドキア共和国に向かう飛行船の船内、トールは久しぶりにアルゴと連絡を取った。

「出来れば電話じゃなくて直接会って合格を報告したかったけど」

『それが実は私も今忙しくてねぇ、トールちゃんが大丈夫でも結局私の方が時間取れなかったと思うわ』

 心底残念そうな声音である。

「そんな今忙しいのかアーちゃん?」

『詳しい事は言えないけどクソ忙しいったらないのよ! …… あらやだ私ったらお下品だったわねごめんなさい』

 アルゴが忙しそうにするとなると十中八九何でも屋に近い状態になっているとトールは今までの経験から推測する。

「そっか、俺もハンターになったし何か手伝えることあったら遠慮なく程々に頼ってくれよ!」

『その自分に出来る範囲なのを先に考慮して欲しいのやんわり言うトールちゃんダイスキ! それはそうと服屋さんの方はどうするの?』

 トールの夢と身分のためにハンター試験に送り出したアルゴは、その肝心の夢がどうなっているのかはやはり気になる。

「んー色々考え中でね、最初らへんは胸を借りるかもしれないけど…… いいかな?」

『勿論大歓迎よ! 借りるというか飛び込んできて良いわ!』

 そんなことすれば首骨がへし折れるか【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が発動するだろうなと浮かぶ。

「ま、それとは別件でもう胸をというか知恵を借りたいんだけどさ」

『あらん? なにかしら』

 一旦言葉を切り、【円】をだしてさらに周りを見回す。

 そしてその者がいないと分かりようやくトールはその内容を口にする。

 

 

『それじゃあ私もう行かなきゃ! トールちゃん、困った時は迷ってから私に相談するのよ! イイ男絡みなら反射レベルで電話してオッケー!』

「自分で考える事を放棄させない台詞からのイイ男ハンターとしてそのぶれない姿勢さっすがー! それじゃあな」

 なんだかんだ息ピッタリの奇妙な二人は電話越しでもやはり息ピッタリであった。

 

 電話を切ってふと見た窓から見慣れた国の景色が見え、トールは深く息を吐いた。

 

―――――――――

 

「あっ! あの山がそうなんだねトール?」

「そうそう」

 近くの町まで行く列車で靴を脱いで席の上に膝で立って山を指差すゴンにそうだとトールが頷く。

 が、トールはその様子を全く見ておらず買った駅弁を掻っ喰らっていた。

「もう昼食は食べたし夕飯時にはまだ早いぞ? その昼食もかなりの量ではなかったか」

「おやつ! いやなんかここ数日妙に腹が減ってさ」

 ビシッとマイ箸でクラピカを指しながら断言する。

「まぁ何でもいいけどよ、町に着いてからどうやってあの山に行くんだ?」

 呆れながらの質問にトールは一緒に買ったペットボトル入りのお茶を飲み干し答える。

「っぷは! …… 町に着く時間からして日に一本の観光バスに乗れるはずだから、それに乗るのが一番手っ取り早いね」

「観光バス!?」

 まさかの移動方法予定にレオリオは驚きの声を上げる。

「うん、あの山っていうかゾルディック家はこの国有数の観光スポットだからな」

 改めて口に出して言う事で再度あの一家がおかしいことを思い出す。

 

 

『えー、本日は号泣観光バスを御利用いただきまして…… それではこの地区が生んだ伝説の暗殺一家の説明を……』

 

「マジで観光の名所だし滅茶苦茶有名じゃねーか……」

「な、おかしいよな? 普通の暗殺者ってこう…… いや暗殺者に普通も何も無いのか?」

 事実に何と言っていいか分からない顔をするレオリオにトールも同意するが、やや毒されていたようである。

「だが、本当に山に行くようだな。我々の後ろにいる人物、明らかに一般人ではない」

 こっそり後ろを見るゴン達が見たのはどちらかと言えばハンター試験を受験していそうな顔をした強面二人組であった。

 そしてバスは予定通りのコースを走り、遂に見慣れた馬鹿でかい門の前でバスは止まった。

「こりゃまたでけぇな」

 

『えー、これはゾルディック家の正門でして、ここから先全てがゾルディック家の私有地となっております』

 

 庭のスケールでかすぎだろ!? とレオリオは突っ込んだ。

「俺、未だに迷うんだよな……」

「それは仕方ないんじゃないのか?」

 クラピカはそう言うが、トールの致命的な方向音痴ぶりは執事が焦って捜索隊を結成して探すレベルである。(放っておくと帰還を諦めてサバイバル生活をしだす事も含める)

 余りに一人で出歩いては迷って野生に帰りかけるのでミルキが半ギレになりながらも私有地内にいれば反応する発信機を作って持たせている始末だ。

 

『そしてこの門は別名黄泉への扉と言われており入れば最後、生きて帰る事はないとされておりまーす』

 

「その扉を何遍も出入りしてる俺は何なんだよ……」

 そのぼやきを聞いたレオリオはツボに入ったのか「ブッフォ!」等と吹き出した。

「ねぇトール、結局どうやってこの中に入るの?」

「ん? あそこにちっちゃい扉と小屋があるだろ、そこにその扉の鍵があるんだけど…… でもあそこはね」

 指差すその小屋には先程のガラの悪い二人組がずかずかと近づいて来ていた。

 一体何ぞと思い言葉を切って近づいてみると、あろうことか男達は中にいた中年の首根っこを掴んでどかし掛けてあった鍵を奪うと、気楽な調子で笑いながら扉を開けて入って行った。

「ゼブロさん! 大丈夫ですか!?」

「おお、トール君…… あのバスに乗って来てたのかい?」

 駆け寄るトールに気付いてゼブロは服の土を払いながら立ちあがる。

「後ろの子達は?」

「えーと、話すと長くなるんでとりあえず……」

 と、そこで先程男達が入って行った扉がゆっくりと開く。

「うおッ!?」

「あれは、さっきの!?」

 そこから僅かに覗く異形の腕が外に放り投げた物が、先程の男達の白骨となり果てた物が五人の前に落ちる。

 

「…… チリトリ取ってきますね?」



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クモ、強風に流される2

 騒いでいた観光客もバスに乗って行ってしまったため、もとの静けさを取り戻した門の前の小屋でトール達はゼブロに来た理由を話していた。

「なるほどキルア坊ちゃんのお友達でしたか」

「うん、キルアを連れ戻しに来たんだ!」

 臆せずゴンは言う。

「しかし、トール君は大丈夫だろうけど他の三人は……」

「俺が門を開けて、そのまま執事に頼んで家まで行けば何とか」

 心配するゼブロにトールがパッと考えたプランを口にする。

 しかし、何かに気付いたゼブロはハッとする。

 

―― そうだった、トール君は家まで行ける実力はあるけど……

 

「いや、やはり行けるとしても君だけで…… 執事を連れて行きなさい」

 トール=フレンズ、度重なる庭での行方不明騒動の末に使用人に至るまでフリーダムな放浪癖持ちの認識がなされていた。

 因みに毎度のことテラス100メートル付近、執事邸のすぐ裏など冗談みたいな場所で迷っていた為方向音痴と言う認識はされていなかった。

 ゼブロは考える、いくらフリーダムな部分があってもそれは彼一人であれば発揮されるものであって流石に友達がいる状況でそんな事はしないだろうと。

 しかし、彼が友達を連れてきた事というか友達が尋ねる事もゼブロが20年の勤務生活の中で一回もなく、全て前例の無い条件の中どういう自体が発生するかまったくもって未知数である。

 故に彼はトール一人かつ執事付きで行く事を提案した。

「ソレじゃ駄目だよ! オレ達は直接キルアに会うために来たんだ」

 その案はゴンによって却下された。

 と言っても残り二人もそしてトールもその案を受け入れる顔はしてなかったが。

「ところでよ、さっき門を開けるっつたがそれってあの黄泉への扉の事か?」

 レオリオの質問にそうだと答える。

「じゃあそこの扉は何なの?」

「その扉はそこで捨てられている男達の様な者のために設置されたもの、ですか?」

 当たっていた。クラピカの推測交じりの質問にゼブロとトールは顔を見合わせる。

 

 

「んぎぎぎぎぎ…… ビクともしねぇぜこの扉!?」

 小さな扉から行けば番犬ミケに喰い殺されるシステムを聞かされたゴン達は門から入ろうと扉を押していた。

「そりゃ片側2tの計4t、そして倍々に重くなるその名もズバリ『試しの門』ですからね、生半可な力じゃ開きませんよ」

 「2tだとぉ!?」と叫んでレオリオは肩で息をする。

 しかし、この扉以外から入れば先の男達の様に今度は夕飯となってしまう。

 なのでトールが扉を開けそれに同行する形で家に行くと再度言うが、ゴンが友達に会いに行くのに試されるあげくその実力さえないことが我慢ならないらしくそれならいっそ侵入者として入るとまで言いだした。

 片腕で器用に釣竿を使ってまで侵入しようとするので総出で止めた。

「うーん、正々堂々入りたいか……」

「あ、じゃあ町戻ってジムでトレーニングしよう! うまくいけばライセンスでタダだし」

 トレーニング、その台詞にゼブロはああそれでしたらと何かを思いついた様である。

 

「ふぅー、こちらです皆さん」

「ホントに扉開けやがったぜあのおっさん」

 ゼブロが何処かへ連れていくために自ら扉を開け一同は敷地内を歩いている。

 相変わらず何も考えてない鏡と洞の様な瞳を持つミケとの御対面など色々あって四人は一軒の家に着く。

「ここは我々使用人の住居でして、ああこの扉片側200㎏ありますので」

 扉は先程のリベンジとレオリオが開ける。

 

 全てが20㎏越えの住居に連れてきたゼブロの提案は、ここで一ヶ月生活して門を突破するというものだった。

 

「それで自分の力でキルアの所に行けるんなら願ってもないな」

「うん!」

「同意だ」

 胸を張って会いに行ってやると三人は喜んで提案を受け入れた。

 総重量50㎏の重り入りベストと下半身全体に巻くベルトを付けて物理的に胸を張るのが難しくなったが。

「よし、皆頑張ろうぜ! とりあえず今日はそれ着るだけになるけど明日は……」

「あれ? トールってなにか急がなきゃいけない用事があるんじゃないの?」

 合宿のノリで楽しくなってきたトールの言葉を遮ったのはゴンのきょとんとした顔で言った本来の目的であった。

「ま、一日位は……」

 物凄い勢いで泳ぐ目をしてかろうじて今日一日位と絞り出したそのとき玄関先に置かれた電話が着信を主張する電子音を響かせる。

 夕飯時に大変だなと思うだけで、さて夕飯と言えばどうしようかなどとトールは考えていた。

「トール様にお電話の様で……」

 それは一体なんじゃらほいとトールは溢れ出る嫌な予感を抑える為に努めて普通に受話器を取る。

「もしもし、お電話かわりましたトール=フレンズです」

『トール様ですね? 私、執事のヒシタでございますが……』

 電話の相手はトールの食事の配給をしてからそのままトールの担当の様になったヒシタという執事だった。

 余談であるが彼がほぼ固定された理由は食事量から常に食事を運び続ける魔の二時間と呼ばれる配給地獄を他の執事達が悉く回避した結果である。つまり尊い犠牲者であった。

「ヒシタさん、一体どうしました? というか、いることよく分かりましたね」

『敷地内に入る際には防犯上色々ございますので…… いえ、一応この電話は本当にいらっしゃるかの確認も含みますが』

 あの門でもまだセキュリティー不足だと申すかとトールは窓から少し見える門をちらりと見る。

『要件はですね、単刀直入に言いますとすぐ本邸の方へ…… カルト様がお気付きになられる前にどうか……』

 執事の間で短気とされるツートップの一人という認識が実はなされているカルトである

 

―― 執事が懇願するレベルって俺がいない間どうだったんだ一体?

 

 そのときトールの腹がまるで獣の唸り声の様に鳴った。

 余りに音がアレだったので野生の猛獣の接近かとシークアントが猟銃を担いで外に飛びだしかけたが制止した。

『? 今の音は獣か何かで?』

「いえ、オーダー待ちのベルみたいなものです」

 再度受話器の向こうでクエスチョンマークが浮かんでいそうであるが一先ず置いておく事にする。

 

―― もう夕飯時で遅いし、後日で良いんじゃないか?

 

 恐怖心に勝つ食欲を持っているけったいな生物はとりあえず夕飯を食べてからの旨を伝えるべく受話器に口を近づける。

「ええと、とりあえずもう遅い……」

 

―― いや待って、ここで全力で本邸に向かえば夕飯豪華な物にありつけるんじゃないの!?

 

 脳内で声が響く、他人の家でそこまで遠慮なく飯の算段がとれる微塵の羞恥も感じられない食欲が湧く。

「…… いや、直ぐ向かいますゆえ夕食には間に合うものと思われますので心配せずに」

 早口で捲し立てる。

『は、ハア…… しかし大丈夫でしょうか? 迎えの者をよこした方が……』

「いえ心配せずに、()が責任もって連れて行きますので!」

『え?』

 それでは! と時間が一分一秒でも惜しいのか、ヒシタの呆けて出た声さえも最後まで聞こえないままに受話器を置いた。

「それじゃいってくるね」

「えっ? えっと、キルアによろしくねー!!」

 振り返ることなく扉を割る勢いで飛びだし、自動的に閉まる僅かな間にもうかなりの距離まで走るトールに困惑したがキルアに会ったらそう言ってくれとゴンは声を張り上げた。

 

―――――――――

 

「…… 切れてしまった……」

 ツー、ツー、としか聞こえなくなった受話器を見つめヒシタは最後の捲し立てる様な言い回しの何とも言えない不可解さと、一人で本邸に向かおうとしているらしいギャンブルに大丈夫だろうかと莫大な不安に押し潰されない様に溜息を吐く。

 しかし、その不安を現実のモノとしていく段取りの様に、まず廊下を走る音が聞こえた。

 家族の者が近くにいる場合、それは御法度であり後でツボネの再指導待ったなしであるが緊急かつ家族の者が近くにいない場合は暗黙の了解として許されていた。

 そんなゾルディック家執事のルールが頭に浮かんだヒシタの前に、扉を開け入って来たのは右手になにやら持った髪を後ろで結っている同期の男だった。

「おいどうした? キルア様関連か?」

 家出及び親兄弟に傷を負わした罰として独房にて折檻を受けているキルアに関しての諸々が浮かぶ。

 普段なら逃げ出すという選択肢は薄いが、一度家出した事と何より彼の友達を名乗る侵入者未満が敷地内にいるという状況、その事をキルアが知ったとき果たして逃げないと言い切れるだろうか?

 だが、それに対し男は首を横に振る。

 このときヒシタはまず最初に浮かんだが敢えて言わなかった可能性を……

 それを言う前に共に手に握っていた物…… 格部屋に一つ供えられている電話と共にあるメモ帳の一枚を見せる。

 

―――― 夕飯は遅くなる

 

 たったそれだけの短い文章だが、その筆跡が誰のモノか覚えさせられているヒシタの頭にある人物が…… そして全てが繋がる感覚が襲う。

 

「…… カルト様がいなくなられたんだ」

 

 推測は今、確信へ変わった。

 

 

―― お前さぁ、ホントどーでもいいときに起きるなぁ……

 

 執事の何名かに困惑が広まっている一方、薄暗い森にて己の意思と無関係に疾走する身体で呆れるという何処か似たようなシチュエーションの中でトールは再び起き出したアラーニェにぼやいていた。

 

―― いやホント申し訳ない! でも御飯が僕を呼んでると思うといてもたってもいられず、つい……

 

 八本の足のうち二本を合わせ、拝み倒すように高く掲げる蜘蛛の映像が浮かぶ。

 

―― なんか食欲の権化みたいになってねーか? …… いやいいけどさ、本邸の場所分かる?

 

 それに対しトールは投げやりに許すとネックである目的地までの道のりが分かるか否かを問う。

 

―― 二重に失礼な! 君はともかく僕は道に迷うなんて間抜けでも食欲の権化でもない!

 

 力強い否定の言葉が返ってくる。

 それどころかその他にも趣味以外の事をおろそかにしてはいけないと、まだぎゃーぎゃー言ってくる。

 

―― ええい、一の言葉に十の返答からの今関係ない点の指摘とかお前は女子かっつーか俺のお母さんか!?

―― 重ね重ね失礼だな! 僕は女の子だしお母さんって年じゃ…… いや待って、【蜘蛛の糸】(カンダタ・ロープ)で生み呼ばれた事言ってる? えっ、それじゃ僕ってお母さ…… いやいや僕そういう経験ないし、って【ともだちの輪】(ワールド・ワイド・ウェブ)で出産経験豊富!? アレちょっとまってラブとロマンスないから無効よ無効!!

 

 予想外の乙女な葛藤と混乱が発生し、これは突いてはいけないゾーンだと()()()乙女との付き合いが長いトールはすぐさま別の話題を考える。

 

―― それはすまんかった! ちなみに本邸の場所知りたいんだけど、何処?

―― …… へ? えっと、それはね

 

 一瞬ポカンとしたらしいアラーニェは勢いを削がれそのまま大人しくなると、今度は道を教える為に思考をシフトさせる。

 トールは知らないが、年上の姉の様なそんなポジションに憧れていた彼女にとって頼られる事は至上の喜びなのだ。

 

―― よーし、ならあの木の上に乗って説明してあげよう

 

 手頃な所に背の高い杉の様な木を見つけたアラーニェはそこの天辺に狙いを定める様に手首を向け、オーラをそこに集中させる。

 するとそこから勢いよく白い糸がスパイ映画のワイヤー銃を彷彿とさせる様に、直球に蜘蛛の力を持つヒーローの様に飛び出す。

 木に絡まりついている事を二・三度引っ張って確認した後、今度は意識内のアイコンタクトという矛盾した意思疎通を彼と行う

 

―― ああ、了解

 

 普段察しの悪い人物とは思えないレベルで彼女のしたい事に気付くと、彼女よりオーラ操作がうまいトールは足にオーラを集中させる。

 木の方が弓なりになるほど糸を手繰り寄せ、次の瞬間身体はオーラの噴射と共に木の方へ飛んで行った。

 

―― 糸が掃除機のコンセントみたいに巻き戻ったりしないかな? 不便だよこれ

―― 出来れば本気で嬉しいけどそんな軽々肉体の仕組みを変えられてもその、困る

 

 複雑な気持ちで木に着くまでの僅かな間に糸の出る仕組みに不満を言う。

 そして手が木に届き、さて黒く染まり掛っているこの広大な庭のどんな光景と家までの道筋が広がるのだろうと顔を上げるトールの顔が見たのは……

 

「……」

 夜に映り替わる景色を謄写した様な濃淡の、見知った和服であった。

 と、そこで切れれば些か幻想的なものであったろうが、残念ながらその絵は高速で動く。

 

 オーラを纏った渾身の突きと言う動きが……

 

 その突きに突っ込むような形のトールの体に掛けられている呪いもとい【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)の選択は手をまるで逆上がりをするかのように枝を下から持つようにし、そのまま枝を上に押し出し急速に突きの射程から下に落ち逃げる。

 しかし、下まで完璧には落ちない。

 先程の糸に足を絡めつけ、そのまま逆さの状態で下に落ちる力は糸と木を結ぶ場所を支点に突きから離れる様に弧を描き、木の天辺より少し高いところまでまで上がる。

 

―― 糸! 早く糸だしてほら!

―― 分かってる!

 

 手首のオーラと共に放出された糸は斜め横にあった木に引っ掛かり、トールはそのまま引っ張られるようにその木まで移動する。

 思わぬ空中ロープの曲芸に胆を冷やしつつ枝に足を付けたトールが見る先程の木の上には、その高さも相まってまるで見下すようにこちらをみる、カルトがいた。

「……」

 

―― これは殺しにきたね、若しくは楽観的に見て半死半生くらいに留めるに僅かの可能性

―― そんなにキルアのこと言わなかったの癪だったのだろうか?

 

 まるで炎のように揺らめくオーラはまだ操作が未熟な事と内心かなりの衝動がある事を表していた。

「やっぱりトールは凄いや、良く分かったね?」

 だがその声音はとても嬉しそうであった。

 トールが来る事を独自のソレで察知したカルトは一筆したためると、門ならば此方の方が早いとばかりに自室の窓から飛び出して行った。

 そしてその道中、その目当ての人物が探す自分を探り当てたかのように急に目の前に現れたのだ。

 

―― 良く分かったって何が!? 攻撃のこと!? 分かんない、分かんないよ!

―― あれだろ気配殺して放った攻撃をよく察知したなとかその類だろ? 恐い!

 

 急に表れたのは向こうも同じなので、中の二人はその台詞の意図するものに気付かず恐怖した。

「でもそれはそれだから、兄さんと一緒だった一月についてちゃんと話してもらう事と少し鬱憤を…… トール?」

「な、何でしょうか?」

 急にトーンの下がったカルトにどもって裏返りながらも喋ったのは果たしてどちらなのだろうか。

 

「…… ねぇ! その眼はなに?」

 カルトが気付いたのはトールのその瞳の色…… 暗殺者として鍛え抜かれた視力を駆使しなくても分かる燃える様な赤。

 

―― オイ馬鹿! 睨んでんじゃねーぞ!

―― 知らないよ睨んでないよ!? 君の顔が恐いんじゃないの!

 

 明らかに癇癪起こす一歩前の雰囲気に内で二人は何が気に入らないのかこの顔面がと言いあう。

 この状態になって鏡を見たことの無い二人にとってその発言は単に目付きないし顔つきが気に入らないということから発展しなかった。

 

―― そうだ、微笑もう! 柔和な顔つきで何もカルトに対して負の感情がない事をジェスチャー付きで見せよう!

―― 賛成! だけど笑みと身振りだけじゃ伝わらないよ、文化の発展は言葉の発展さ! シンプルだけど言葉も添えるんだ!

 

 ビジョンに明確な質量が存在していたら硬く握手していたであろう協力の姿勢を見せ、トールの身体は動く。

 手を広げ敵対の意志がない事を、これぐらい許せるという心の許容を表現して無理して兄さん風を吹かすどこかぎこちない微笑みを浮かべ、口を開く。

 

「何でもないよ」

 

「そう……」

 そうすると場は一気が変わる。

 ただし、穏やかとかそういう温かなモノでなく……

 

「そうやって! ボクの知らない姿を見せて!! ボクの知らないところで変わっていくんだ!! トールも! 兄さんも!!」

 

…… 怒りを灼熱に変えた様な、それでいて鋭利な刃物の様な冷たい熱へと変わった。

 

―――― やっちまったァ!?

 

 蜘蛛と人間は互いに抱き合い身震いする感覚を共有した。

 

―――――――――

 

―― オマエ前回分きっちり働けよ!?

―― やるよ! このまま眠って疫病神扱いなんて僕は死んでも御免だよ! 死んでるかもしれないけどさ

 

 言ってイルミの針よりシンプルなデザインの銀色の針が避けたトールの胴体のあった場所を通りすぎて後ろの木に深々と突き刺さる。

 どうやら無骨なナイフで切り掛るよりスマートな方面に成長している様だ。全くいらない情報かつ分析である。

 アラーニェ主体で動く身体は今【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)を発動しないようにしてある。

 トールならともかく、戦闘に置いて自分の意志と関係なく動く能力があっても邪魔であり恐怖でしかないとのことである。

 能力を発動した回避が機械的かつ最小限、トール自身の回避が変則的かつ無軌道ならばアラーニェの回避は野生的かつ力強いと言ったものである。

 飛ぶ針をしゃがんで回避し、すぐさま来る肉体を改造してナイフ以上の切れ味を誇る縦の手刀を振り下ろすも手で地面を押すようにして後ろに跳ねる。

 そのままなんと後ろの木に刺さっていた先程のカルトの針を足場に飛んだかと思えば手首から出した糸ですぐさま向かいの木に移動する。

 それにカルトは舌打ちすると自分の後ろにある木のトールが入って行った葉で覆われている所に針を数本投げる。

「またそうやって知らない動きと道具で逃げて!」

 それがさらにカルトの機嫌を損ねた様だった。

 

―― そりゃある意味初対面だもん!

 

 そう思うアラーニェはトールの【絶】と合わせて近くの茂みで息を潜めていた。

 いままでの攻撃から【念】さえ習得しているモノであったらギリギリまぁ多分一発なら生きているだろうレベルの攻撃と狙い目から、完全に我を失っている訳ではないとアラーニェは推測する。

 

―― まだ謝って矛を抑える方向で行けるんじゃないの?

―― その言葉が分かるセンスと勘があるなら今頃俺のアドレス帳は倍以上の友達で埋まってる。

 

 その発言に軽く凹みながらもやるしかないと考える。

 間もなく、針がすぐ近くを通過した。

 不意に凹んだため、その緩みで気配が漏れた様だ。

「見つけたよ」

「見つかっちゃったよ……」

 思わず口に出たアラーニェだが、これはもう回避より防御も視野に入れるかと応戦するために構える。

 

―― 戦えるのか?

―― ぶっちゃけ避ける方面でなら四足歩行みたいな風に動いて誤魔化したけど、二腕二足で戦うのはきつい

 

 それもそうだ、彼女は元々手と足の区別も曖昧な八足かつ巨大なリーチと威力のある口、頑丈な鎧の様な肌を駆使して戦っていた大蜘蛛だ。

 なので人間状態なら現状出6~7割程度の実力でもだせれば良い方である。

 

 その十割を解放する方法…… 即ち蜘蛛化があるにはある。

 しかしあの姿になって自分を抑えられる自身がない…… 正直、今空腹なのだ。

 ならば半分ほど、足だけの蜘蛛化もあるがそれは自分には出来ないとアラーニェは感じている。

 それを自分が使えるボーダーラインはこの人間状態だと後頭部に位置する『口』が開くか否かだとアラーニェは確信している。

 そしてその『口』が開けば今の空腹レベルでは間違いなく、出来るのなら目の前の子供は夕飯と化し例え満腹であっても殺すつもりで動くと彼女は来て欲しくない未来を浮かべる。

 

―― 蜘蛛化(ア レ)は恐らく蜘蛛()人間()の拒絶反応故の産物…… 蜘蛛化そしてこの状態という人間化、この二つのプラスとマイナスの揺れ幅が身体に変化を及ぼしてる…… って感じだと思うんだよね?

―― つまり熱湯と氷の間で丁度いい湯加減になれば強いってことだな

 

 割と頓珍漢な方向で解釈しやがった人間部分だが、今はそれどころじゃない。

 自分の体の秘密とかより目の前の人物についてのご機嫌を取り戻す方法を教えて欲しいし考えて欲しい。

 姿勢こそ応戦の為にと何かの構えをしているが、その実地べたに這いつくばる様な格好の方がアラーニェの場合戦いやすかったりする。

 さて恥も外聞も気にせずこのまま四足歩行にシフトするかとするアラーニェは「あっ」と言った後固まった。

 

―― ヤバい……

―― どうした!?

 

 トールは焦った、それもそうだカルトが思いっきり右手を変化させて刺すか斬る気満々で向かってきたからだ。

 

―― これ以上動いたら腹減りで意識トびそう……

―― 寝てくれ、このタイミングでアレだし言いたいこと山ほどあるけどホント今寝てて疫病神!!

 

 そういう渾名ついちゃうよなーやっぱりね、どうも…… とまるで肝心な所で外して項垂れる何かのスポーツのキャプテンの様な哀愁を漂わせてアラーニェはまたしてもふざけるなと怒鳴りたいタイミングで眠りに着いた。

 

 そして身体の感覚がトールに帰って来たときと同時に、カルトの爪が彼の眼前に迫り……

 

「はぁ…… やっぱり敵わないなぁ……」

 

 そのまま止まった。

 

 カルトはあのとき、次で終わりにしようと考えていた。

 充分暴れまわり、潜んだトールを見つけたという行為で煮えた怒りが冷えた様だ。

 熱しやすく冷めやすい、執事がカルトをそう評価していたことは妥当であった。

 その気持ちが伝わったかの様にトールが最後の一撃を微塵も避ける素振りを見せなかったため、残っていた僅かな熱も冷えて止まったという次第だ。

「うん、いつものトールの眼だね」

 そして同時に眼の色が元の色になったことも後押ししている。

 

―― ほれみろ、やっぱりアイツの目付きが悪かったんじゃねーか

 

 同時に別の考えを確信に変える後押しもしたが。

「ほら、なにぼさっとしてるのさ? 家に帰るよ」

 今度は少し嬉しそうにトールの袖を引っ張って家に連れて行こうとする。

 

 それに抵抗できるほどトールの腹は満たされていなかった。

 

 そして悲しい事に道を覚えられるほどの集中力も無かった。

 

―――――――――

 

 本邸に行くと、ヒシタがホッとした様子で迎えてくれた。夕飯の準備がすんで御座いますという、嬉しい言葉と共に。

 夕飯はどうやらキルアとイルミもさることながらシルバも用事があり遅くなる様で家族バラバラで食事をとるとのこと。

 ゼノは先に食べ終わり、母は父の帰りを待ってからのためおらず、ミルキはだったら自室で食べると言ったが故にテーブルは彼とカルトの貸切状態だった。

「ねぇ? ボク、夕飯遅くなるって書置きしたよね? その割に早く帰って来たのに随分用意が良いんだけど……」

 先にかなり多めに皿を置いておくことで、配膳の手間を減らすという微妙なトール対策を施していたヒシタの空いた僅かな時間を見計らってカルトはワザとフォークを落とし、近づいた彼に聞く。

 ヒシタはゴトー程ではないがそれなりの期間勤めている執事だ、よってゾルディック家の人間達の癖と言うか傾向は心得ている。

 それが告げるに、この疑問を最後まで言わずジロッと此方を見るこの行為はあの母親から受け継いだもの。

 自分の中で出た答えがほぼ合っているとした上での追求である。

 家族間ならともかく、執事の自分が答えなかった場合の未来は暗いと真実を言うべく口を開く。

「…… トール様の判断でして」

「やっぱりね、それいつの頃?」

 やはり読み通りだった。

「トール様が使用人の家にいると分かりましたので、その際に」

「そんな早くに!? ボクが出たのは門をトールが通ったって反応が着てからだよ? 何て言ってたのさ」

 流石のカルトも連絡は直前にケータイの類でしていたモノと思っていた為、まさかほぼ出ると同時ぐらいだとは予想外であった。

「ここまでお越しになっていると分かりましたので、失礼ながらカルト様がお待ちになっている旨をお伝えしまして本邸の方へ向かうように…… そうしたら『もう遅い』とそこまで言いかけましたところ、急に心変わりしたように本邸に夕食に間に合うよう向かうと。それで迎えの者をと言えば直ぐにでも行きたいのか捲し立てる様に迎えを断りその代わり『ご自身が何かを連れていく』旨を話して、そこで電話は一方的に……」

 懇切丁寧にヒシタは説明をした後、一礼してフォークの代えとトールの食事を持ちに戻って行った。

 もう今なら彼も気付いているがきっと彼は最初、トールの言っていた事の殆どが分からなかったろう。

 

―― 『もう遅い』これはつまりボクが既にトールの事に気付いて出て行った事を指してる。

―― 多分気付いて無意識に言葉に出た、それでそのちょっとの間にボクとトールがかちあう時間を計算したら間に合うと出て行く事に決定

―― それでボクがいるから迎えをよこす事を拒否どころか『連れて来る』ってことか……

 

 彼の前では自分の行動はお見通しかと、カルトは次兄より多く食すのに行儀よく食べる大食漢が何を考えているのかと楽しそうに見た。

 

―― やはり、肉が違うな……

 

 そのとき考えていたのはそんな事であるが……



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クモ、強風に流される3

トールのいるゾルディック家の日常と侵入者のいる非日常


 何十台と並ぶPCモニターにその他の機器。

 それらとそして何より自分を冷やすためにエアコンの効いた部屋で、まるでホラー映画の様なおどろおどろしい曲が鳴り響く。

『やっほーミル元気?』

 軽い調子の言葉であるが、どこか熱と言う物を感じさせない抑揚の無い声がケータイから聞こえた。

「今、少し機嫌が悪くなったけど元気っちゃ元気だよ」

 少し小腹が減ったから何か食べるかと思って立ちあがりかけたときに鳴った為、ミルキは素直にそう言った。

『あっそう、元気なら良かったよ』

「何なんだよさっさと要件あるなら言ってくれ」

 長兄のマイペースぶりに最も長く付き合っている兄弟は一々付き合ってられないと早々に電話をした目的だけ聞こうとする。

『キルも元気?』

「とりあえず電気椅子に座らせてるだけだからスッゲー元気…… で要件は何?」

 ここでソレが要件の可能性が浮かんだが、キルアの事に関しては今回分かり切った事に兄の頭で分類されるだろうと踏んで要件を聞く。

『うん、カルトどれくらい暴れたっていうかトール生きてるー?』

 どうやらこれが本題らしい。

「それね、初日に数分庭で争っただけで後は何も無いぞ」

『え? 庭の木々が広範囲で刈り取られたとかその程度?』

「ねーよ、針刺さっただけで一本も折れてなければ斬れても無いぞイル兄」

 庭に幾つか設置されている監視カメラの映像を視ていたため正確に言える、そもそも監視カメラで観ているからこそイルミはミルキに電話した訳であるが。

『今回その程度で済んでよかったよ、どうしてイライラしてるかすら分からなかったし』

「それイル兄の言えた台詞じゃないよ……」

 まだキルアが腹にいた頃、理不尽を受けていたことからくる言葉の重みである。

『ミルはなんでカルトがあんなになったのか分かるの?』

「そりゃある意味似た者同士だしな」

 ミルキの発言に電話の向こうで「今度鏡でもプレゼントしよう」と呟かれたそれをミルキは聞き逃さなかった。

「そーじゃなくて中身の話だ!」

 額に青筋立てて思わず立ち上がる。

『中身?』

「そう、オレもカルトも気に入ったものがあれば全部知りたがったり欲しがったりするタイプだ」

 ドスンと音を立てミルキは座り直した。

「だからそれについて知らない事があったり眼を離したすきに新しいことがあると凄いイライラする、オレはそれが嫌だから部屋で見てるけどアイツはそこら辺甘いからな、そこが出来なくてイライラするんだ」

 ちらりとモニターをチェックしつつミルキは話を続ける。

「まぁ実際に見ようとする姿勢は評価するけどな、でもその癇癪を周りにぶつけるのは勘弁してほしい」

『なるほど、欲張りだなー』

 

―― 過程飛ばしてモノだけ手元に置こうとするイル兄が言うセリフじゃホントにないけどな……

 

 その豊かな腹の中にその言葉は溜まった。

「だけど理想が高すぎるっていうか自分のエゴを押しつけるところは駄目だな、その点オレはそれはそれとして別に叶う物を見つけるからいいけど、というか興味が人とか他の動物に向いてるのがそもそもナンセンスってヤツだよ」

『ミルは本当に点は高いのに残念だよねぇ、オレ用事あるからじゃあね』

 聞くだけ聞き、言うだけ言って電話は切れた。

 

「なんでオレの評価はいつも最後に落とされるんだよ!」

 

 ついでに次男もキレた。

 

―――――――――

 

「トールって器用だよね」

「というか型紙切ったりするからじゃないか?」

 その頃トールとカルトは何人もの人が連なる切紙を作っていた。

 

 あれからトールはカルトの要望に出来るだけ応えていた。

 自分がキルアを独占したようにでも見えたのだろうと、これをやろうと言われれば共にやり、これを書こうと言われればとりあえず詐欺だけはやめてくれと一緒にいる旨の誓約書に血判を押した、痛かった。

 というか二週間位経つが一回も独房から出てこないのは流石に大丈夫かと心配しているがミルキが色々担当しているとしか聞いていない。

「何考えてるの?」

「ん?」

 そのときその硝子みたいな目が自分を視ているのに気付き、ここでキルアの名前出すとまた面倒くさい事になると考えたトールは内心慌てて内容を考える。

「ほら、もう二週間経つしあいつらもそろそろ扉を開ける頃かなって」

「ああ、侵入者の事? 来ない方がいいのになぁ…… というか早すぎない?」

 切紙で作った人形の首を三つ切った所に忘れていない強い何かの想いを感じた。

 トールの予想ではあと一週間位経ってから来るだろうとその頃には悪感情も少しは薄れるだろうなと、期待もする。

「その読み、中々ですわね」

「お母様?」

 突然の背後からの声に振りかえるとそこには最近磨きのかかったゴシック調の服を着るゾルディック家の母がいた。

「侵入者達は今しがた一旦外に出てから自力で門を開けて入って来たんですの」

 どんなドンピシャなタイミングだとトールは少し脱力した。

「それでもうそろそろ執事見習いが守るラインに入る頃でしょうから様子見に、ね」

 外行きの帽子を被っているので本気でいくつもりなのだとファッションから推測する。

 同時にそういえば入って来たという事は怪我したゴンも含めて単独で開けられるようになったのだろうと、考えが辿り着き一体どんな成長だと更に脱力して深々と座り直しせざるを得なくなった。

「カルトちゃんと一緒にその友達を名乗る侵入者を観に行こうと思うのだけれど、その様子ではどうやら辞退するみたいね」

 カルトがついてくる事前提の部分は別に疑問は無かったがどうして自分が辞退なのか痛烈な疑問を残して去って行った。

 その様子、出掛けるかを問うのに深く座り直す人間に出掛ける事を聞くほど彼女の察しは悪くないはずである。

 

―――――――――

 

「じゃあこの縦編みのセーターは?」

「ああ、やっぱりそこは所謂乳袋が無い方がいい」

 トールは今、ミルキの部屋にいた。

 そこにあるのは等身大の何かのキャラのドールが一体。

「こう、さ何回も洗ってヨレた感じが欲しい訳よ」

「母子家庭四姉妹の長女で貧乏だからな、下の方一旦ほつれさせて手縫いしようか?」

 実は服の依頼で地味に多いのはミルキのそういった関係のものである。

 凝り症との相性が相当いいのか、互いに共鳴し合うのか細部にこだわる為にミルキがキャラに関する資料や漫画アニメその他を用意し、本の虫な側面を持つトールが毎度律儀に読み通す為遂にその手のコンテストで受賞する域に来ていた。

「その手縫い、結局ほつれを悪化せる方向にしてくれないか?」

「え? でも流石にやりすぎで…… ああ! 母親の方が!」

 何に納得したのかポンと手を打つ。

「分かってんじゃん! ここで家事不万能の母親がでしゃばるお決まりが無いと成立しないんだよ!」

「なら下のジーンズ部分に猫のアップリケは必須か?」

「それだ! 即発注な、デザインは14巻のおまけのデフォルメでいくか!」

 きっとこの広大な敷地内でこの二人にしか理解出来ないやりとりを繰り広げる。

 材料を取りに行くのとほぼ同タイミングで服を仕立てあげることも相乗効果で加わり、本日もトールの懐は温かくなった。

 

 ゴン達が覚悟と意地でカナリアに挑み、キルアが父親と話している間の出来事であった。

 

 やりきって心なし肌がつやつやしている状態で廊下を歩くトールが曲がり角を曲がると、一人の老人がいた。

「おお、もうおぬしも行くのか?」

 何処に? というのもどうかと思い曖昧に笑う。

「ま、苦労するだろうが孫を頼んだぞ」

 そのタイミングでゼノの後ろ、トールに向かい合うように見えたキルアが此方に気付き手を振る。

 リュックを背にしていることから出発のお許しが貰えたのだとトールはホッとする。

 

―― なるほど、ね

 

「ええ、任せて下さい」

 友達だものと心で誇り、胸を張る。

 その自信にゼノは満足したのか一礼して歩いて行った。

 

 後にそれの意味を理解するのと後悔するのは、半年もかからなかった。

 

 

「ふぅー、ここまで来れば流石に追ってこないだろ?」

「だからって廊下を走らんでも……」

 キルアはトールと会えた喜びと父親から公認されたことの相乗効果で母親に発見される前に家を飛び出していた。

 家が木々に隠されてきてようやくゆっくりと歩く。

「ったく豚君もさー、脇腹とっくに治ってんのにしつこいったらないぜ」

「ああ、それ確かミルキがやったんだっけか?」

 母親の傷が未だ治っていないのは彼女曰く息子のプレゼントという認識で一年くらいはこの傷の痛みを味わいたいためにわざと治癒を遅らせているそうだ。

 食事中にする方もする方だが、食欲が変わらない方も方である。

 

 二人は他愛もない話をしながら歩いて行く。

 他愛もないと言ってもここ二週間の互いがどういう風に過ごしたかであるから、鞭打ち電気椅子や熱湯鉄板云々不穏な単語が混じるが。

 事前にゴン達が向かっているとされてた執事達の住まいに行く間、キルアは実に楽しそうであった。

 しかし、その話題の振り方に不自然さを感じたトールは口を開く。

「なぁ、なんでゴン達がどうしてたのか聞かないんだ?」

 今まで聞いてきたのはトールがここでどう過ごしたかだけで、必要最小限度しかゴン達の名前はでなかった。

 その言葉にキルアはピタリと止まると顔を伏せる。

 

―― これはなんか踏んじゃったか!?

 

 カルトの件でやらかしている為に物凄く警戒し、トールは後悔する。

 だが、顔を上げたキルアは殺気立つどころではなかった。

「…… だって、それ本人から聞きたいじゃんか」

 全体的に白いカラーのキルアだからこそ、頬が赤い事が目立った。

 

―――――――――

 

「トール! こっち!」

 辺りも暗くなった頃、キルアはトールの手を掴むというより腕ごと抱え込むレベルで引っ張っていた。

「大丈夫だから! ほんともうただ一緒に歩むだけの機械と化すから引っ張らんで! それか糸だすから!」

 ミシミシいう腕が脱臼や骨折その他能力発動のスイッチまで起きぬよう、トールは必死について行った。

「一緒だから大丈夫とか油断してたぜ、ヒシタとゴトーの苦労が良く分かる……」

 

 8回…… この数字はトールがはぐれた回数である。

 

 珍しい茸や、染料に使えそうな花々を見る度にそこへふらっと行ってその後にキルアが見えなくなり勘で動く為、その度どこかに消えて行くのである。

 ゾルディック家で高祖父あたりまで方向音痴でなく放浪癖と認識されている状況、その中のキルアのみが例外なはずもなく凄く自由な人認定され、流石に片手で数えきれなくなったあたりで一発殴った。

 しかしそれを難なく回避され、その後の何かの顔も三度までに来て遂にこうなった。

 

 そんなこともあり、執事の住まいが見える頃にはすっかり辺りが暗くなってしまった。

「ったく、最初に走った分見事にチャラだぜ…… おーい! ゴン!! レオリオ! クラピカ!」

 

「あっ! キルア! トールも!」

 執事が察して開けたドアの向こうではゴン達がソファーに座っていた。

「皆様方お揃いですし、実はお泊りの用意をしておりまして……」

 そのゴンの顔面がズタボロであったのを見てトールは一体どんな鍛え方をしたのか? もしや顔面から激突して扉でも開けたのかと点で的外れな想像をする。

「あとほんの少しで準備が整う所で」

 ありゃあ痛そうだと、再会にはしゃぐ姿を見ながらトールは思った。

 

 見回すと怪我をしているのはゴンだけでなくもう一人いた。

「なので、もう一戦だけゲームを…… 安心して下さい本当に戯れですので」

 

―― あれ? カナリアちゃんも怪我してるぞ

 

 頭の包帯に気付く。

「今度の参加者は…… トール様、どうでしょうか?」

 

―― なるほど、あそこで互いに大クラッシュしたな!

 

 一人納得して頷くトールに周りから拍手が上がる。

「…… ん?」

「素晴らしい、所謂エキシビジョンと参りましょう!」

 一体何ぞと思う中、執事が十数人ゾロゾロと一体どこから湧いたのかと疑問が生じる隙を与えないほどスマートに囲むように集まった。

 

「では……」

 そう言ったゴトーを慌てて見れば何かを弾く……

 

 そして屋敷中の執事がまるでそういう幾何学的デザインの機械かと思うほどに全員の手が複雑怪奇かつ尋常でないスピードで交差し合った。

 その様に呆然としていれば次には何事も無く全員が同じ両手を握りこぶしにする姿勢で止まった。

「さて、どうでしょうか?」

 

―― いや、どうしたんですか?

 

 話を聞いていなかったトールは今のパフォーマンスの感想を聞いているのかはたまた別の事なのか、そもそもドーナツ状になっている所悪いがゴトーの顔を見てたので正直何してたのかも良く分からなかったと答えるべきなのか……  この家に来てから本当に困惑する事に困らないと、頭を掻き毟りたくなった。

 

―― とりあえず誰か、助けてくれ!

 

 ゆっくり誰ぞ助け船を出せる者がおるかと回る。

 レオリオは口をあんぐり開け、クラピカも眼を見開いて驚いている。

 それはゴンも同様であり残念ながら助けは出来なさそうだとキルアを見るが、ニヤニヤ笑ってこっちをみるばかりでありこの顔はゲームで自分の敗北が確定寸前か分の悪い賭けをしているときの顔だとすぐさま浮かび、こりゃ無理だとさらに体を回す。

 さてもう一周してしまうというところでトールは一人の男と目があった。

 もう、この人に聞くしかない…… 呼ぶときこそあれだが穏便に対処してくれるだろうと全幅の信頼を寄せて名前を呼ぶ。

 

「ヒシタさん!」

「御名答!」

 

 何故か名前を呼んだらゴトーが反応し、執事邸は拍手で包まれた。

 一体全体今度は何事だとヒシタを見れば、晴れ晴れとした笑顔でコインを見せていた。

「こりゃまたお前の眼の凄さを見せつけられたな」

「ああ、本当に素晴らしい」

「あれー? その向かいの人かと思ってたのに」

「フェイント五回位いれたろ? オレも引っ掛かりかけたぜ」

 

―― だから何なんだって!!

 

 それに応える声も拍手だけで、トールが分かった事は執事邸の食事もおいしかったという事だけであった。

 

―――――――――

 

「あーそれずっこい!!」

 町に着き、とりあえず腰掛ける場所に着いたときゴンはクラピカを指差して声を上げた。

 なんだなんだと話を聞けば、去り際にコイントスでイカサマをされてそれをクラピカが実践して説明していたようだ。

 そのゴトーはどうやらゴンに世の中正しい事だけじゃないという事を軽く体感させて教えたかったらしい。

 あの人は本当にキルアの事を考えている保護者の様な人だしと、トールはゴトーの顔を思い出すが出てきた顔はアルゴにウインクされて青ざめた表情だったが。

 トールがまともなゴトーの顔を思い出している間にゴンとキルアはなにやら言いあっていた。

「お前なぁ…… ヒソカにプレート譲られたのが納得出来ないのは分かるけどさ、一発ぶん殴ってプレート返すまでライセンス使わねーとか頑固云々以前にどんな縛りプレイだよ!?」

「だって一発殴るまで絶対使わないって決めたんだ! それを軽々撤回だなんてオレには出来ないよ!」

 この頑固さでハンター試験を合格したとも言える彼にそれを改めさせるのは再度ハンター試験を受ける方が簡単じゃないかと、トールも他のメンバーも似たような感想を抱いた。

「ああもう『まいった』…… オレの負けだぜゴン」

 その試験の様にキルアは引き下がる。

「それで、肝心の殴る相手(ヒソカ)は何処にいるのか分かってるのか? ゴン」

 髪をくしゃくしゃと掻きながら基本的な部分を聞くが、返って来たのは口を開けてポカンとした間抜け顔だった。

「薄々そんな気がしてたぜ……」

 気が抜けた連中に代わってレオリオは眼を軽く伏せながら言った。

 さてどうしようか、そんな微妙な空気が流れる。

「…… ヒソカが今何処にいるかは知らないが、いつ何処に行くのかは私が知っているよゴン」

 問題解決の法を持っていたのはクラピカだった。

 提起はあの最終試験の耳打ち…… そこからクラピカは講習後の僅かな時間に大分多くの事を彼から聞いた様だ。

「…… それが旅団(クモ)についてって事か?」

「ああ、旅団(ヤツら)旅団(クモ)と呼んだヒソカの話だ…… 『九月一日、ヨークシンシティで待つ』そう言って去って行った」

 空気は先程の緩みと違い、冷たさを感じる。

「ヨークシンシティって言えば一日から十日までの間、世界最大規模とか言われるオークションが開催する期間じゃねーか」

 世情に通じるレオリオがその日付と場所にその一大イベントを思い出す。

「あー、そういうところにそういう人達が来るってのは想像しやすいな」

「だね」

 ゴンとキルアも納得し合う。

「えっと、じゃあ九月一日にヨークシンシティに集合の流れか?」

 戸惑い気味にトールは他四人に確認する。

 実はトリックタワーを一人違う道を行った弊害でクモが何なのか分からない為に若干置いてけぼりだからだ。

 その確認にそれに皆満場一致という風に頷く。

「じゃあそれまでの間……」

「おおっと、ヨークシンには行くがオレは一旦故郷に帰らせてもらうぜ?」

 手を軽く上げレオリオがトールの言葉を遮って言った。

 聞けば医大受験のために勉強する為だと言う。

「そっか、オレその間今までの分キルアと遊ぼうとか考えてたのが少し恥ずかしいや」

 頬を軽く掻きながらゴンは言う。

「ハァ!? お前遊ぶつもりだったのか!?」

 その発言にキルアは信じられないとゴンに詰め寄る。

「ええ!? でも……」

「このままじゃヒソカに一発入れるどころかそこのトール(大飯食らい)にも拳の一発当たりゃしないぞ!?」

 言われてゴンはショックを受けた様でツンツンした髪でさえ元気が無いように見えるほどしゅんとした。

「そんなしょげるなよゴン、オレが強くなるとっておきの場所に連れてくからさ?」

「ホント!?」

 次の瞬間、さっきの倍ぐらいの元気で復活を果たした。

「それでトールはどうするんだ、暇なら一緒に来る?」

「え、俺? …… ちょっと頼まれ事をね、うん…… 暇じゃない」

 しどろもどろな返答に、なんじゃそりゃとキルアは首を傾げる。

「いやもう俺の事はいいじゃん、それよかクラピカはどーすんの?」

 露骨な話題逸らしだが、さして気にせずにクラピカは答え始める。

「ヒソカの情報もある通り来る可能性があるのだ、より深く関わる為にオークション参加のための資金集め兼コネクションを得る為に雇い主を探しハンターとして活動するつもりだ」

「…… ハンターとしての仕事かぁ、ソレどうやって見つけるの?」

 コンビニの求人誌? と聞いたトールにやや脱力しながらもクラピカは真面目に回答する。

「ハンターやその道の者向けに隠された斡旋所があるんだ、それを見つければ一般では請け負えない仕事を紹介してもらえる」

「へぇ、所謂ギルドがあるのか」

「割とゲーム好きなんだなトール」

 クラピカの説明をそう言い変えたトールにレオリオが呟く。

 

 

「それじゃあ九月一日にヨークシンで!」

 フライトの時間が迫る空港で、ゴンはさよならと言わずそう高らかに言う。

 ゴンとキルアの二人以外皆バラバラの目的地であったが、飛行『機』でなく飛行『船』である都合上そのフライトの時間は同時であった。

 そしてそれぞれの搭乗口にて五人は手を振り合い分かれて行った……

 

―― 急げ!

 

 皆が飛行船に乗り掛ったとき、トールは走っていた。

 しかも先程の和服姿ではなく地味な洋服と目深にニットの帽子を被るという彼にしてはかなり珍しい出で立ちだ。

 別れた瞬間、腹痛に見せかける様に前屈みかつ腹を抑える姿勢でトイレに駆け込んだトールはその場で服を脱ぐと自分を包むように【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)を発動、そして元々用意していたニットの帽子を被ると先程空港内で買ったバッグの中に先程まで来ていた和服を突っ込み、そのまま彼が乗るはずのゲートを無視して受付へ走る。

「ふー…… すみません、五分後のロカリオ共和国行きのチケットを購入した者ですがそれをキャンセルしまして…… えーと、これ! この四分後のこの飛行船に乗りたいのですが!!」

「いえ、その…… キャンセルは出来ますが急に乗船は無理が……」

 渋る受け付けにトールはバッグを開けるとそこから少し和服を引っ張りごそごそと何かを探す。

「これ! これでどうだ!?」

 探り当てたそれを余程慌てているのかまるでどこかの御隠居のおともが印籠を出すかのように見せたそれは、ハンターライセンスだった。

「え!? しょ、少々お待ちください!」

「少々待てないんで急いで下さい!」

 受け付けのマニュアルの最重要事項に記載されていた特徴と一致したそれを見せられ焦りながらも受け付けは何かを取り出す。

「はい申し訳ございません、失礼します!」

 取り出したカードリーダーにライセンスをスキャンさせ、数回タッチパネルを弄ると震える手でライセンスと機械から出てきた感熱紙をトールに返す。

「これでご希望の飛行船に、番号はそちらの紙に記載されていますので!」

「ありがとうございましたー!」

 言うや否やトールは飛び出して行った。

 

―― いーそーげー!

 

 身体検査パスポートのチェックetc.…… 全てを先に通知されていた為パスして僅か数十秒でゲートに辿りつく。

 

 

 椅子に座り、どちらかと言えば心労から肩で息をするトールは飛行機の様に狭い室内でなく本当に良かったと感謝する。

 

―― 嘘吐くのが下手なのは認めるけど、森でもないのに尾行するのは得意じゃねーんだよ……

 

 ようやく余裕が出来て買った缶ジュースを飲みながら、トールは文句の一つは言いたいと思っていた。

 

―― これ、予想以上に前段階で苦労しますよ…… ネテロ会長

 

 「そいつはすまんかったのう!」飄々と笑って髭を撫でる老人をトールは幻視したという。

 



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クモ、強風に流される4

こんな時間に投稿設定かつ充電完了しきって無い、が後悔は無い。



「ふぁああ~」

 昼下がりの公園のベンチ、暖かくなってきた外の空気を感じながら大きく伸びをする。

 欠伸をしながらのソレを犬の散歩をしていた女性にくすりと笑われ、こりゃいけないと身嗜みを整える。

 

―― 毎日机の上じゃ滅入っちまうしな、朝はジョギングしたり偶にジム行ったりするか……

 

 勉強の合間の気分転換に外に出たレオリオは向かいの噴水を眺めながら、乱れかけた生活のリズムと鈍り始めた自分の身体を正すためにそう決める。

 ゴン達は今頃どんな修行めいた事ををしているのだろうか、クラピカはちゃんと雇い主を探し当てただろうか、トールは一体何の用事があるのだろうか?

 噴水から空を、それを通り越して遥か向こうの仲間達を見る様に顔を上げる。

 

―― ま、オレはオレが出来る事を精一杯やるだけだな……

 

 さて、気分転換はこれくらいとベンチからレオリオは立ち上がる。

「まず第一歩か…… そこでコソコソとオレの後を付けてるヤツにガツンと言う事から始めるかな?」

 

 そう言って彼は自然な動作で後ろを向く。

 

―※―※―※―※―※

 

「…… すいません、もう一度言って下さい」

「おぬしに【念】の教授をお願いしたいと言ったのじゃ」

 時は遡って裏試験合格通知を受けてただ一人残された場面。

 既にトールに渡された湯のみが空でなかったら流石に吹き出してしまうと確信出来る、爆弾発言がネテロから為された。

「というかそもそも教授って何ですか?」

「うむ、裏試験の合格条件は【念】の体得なのはさっき言った通りなのだがな」

 実に三分も経ってない話である。

「では【念】を覚えるというか扱える様にしようとして、自分一人では難しいじゃろ?」

 言われりゃ確かにと頷く。

「そこでまぁ【念】の使えぬ新人ハンターは暫く此方で大まかに居場所を把握していてな、そこに多くは心源流の師範代を裏試験官として送って【念】を手に入れる為に教授するようにしてあるのじゃよ」

 割とケアが出来ているらしい、同時にそれでもライセンスや最悪命が盗られる云々が多いのはあくまで【念】に関するソレだけで、後は知らないという姿勢でもある。

「で、この者に関しては君に担当してもらいたくての」

「いや、何でそうなるんだ」

 素だった、しかもそれにまったくもって同意と言わんばかりにお茶を出して傍らにいたビーンズも頷いた。

「心源流でも無ければ【念】も師範代の方々と比べるまでも無く覚えたてのぺーぺー、心・技・体どれも格下でしょうに」

 パッと思いつく限りでもこれだけアレだと自身が如何に力不足かを説明する。

「心源流云々は単にわしが師範だから選択肢に多いだけじゃな、心源流から習う事必須であればおぬしら三人もまだ合格じゃなければそれ以前に悪質な勧誘じゃろ? 流石に」

 ここでネテロはお茶、ではなく明らかにオレンジジュースであろう物を飲む。

「心技体は、まだ未熟であろうが…… アルゴ君に習っているし悪い方向には行っておらんと分かるしの」

「アーちゃんを御存じで?」

 ここでまさかその名前が出るとはと、素のままアーちゃんと言った。

「アーちゃんて…… わし、プロハンターは一応全部顔と名前を覚えとるし」

 さらっと言ってのける。

「それでも試験合格後にそっとわしの手を握ってウィンクしつつ番号渡されれば会長職の責務とか関係なく覚えるし、忘れとったら何かの能力受けたかボケが始まったか疑うわい」

「…… イイ男に年は関係ないそうで」

 身長190越えの大柄なオカマが老人に色目を使う場面が無駄に細部まで浮かんだ。

「【念】に関してはぶっちゃけ技量はあまり関係ないしな、それでも尚必要と言うならおぬしは合格の域じゃよ? あの道着見れば分かる」

「俺が道着仕立てた事知ってたんですか?」

 ゾルディック家の仕事の後、トールは心源流の道着を仕立てている。

 心源流じゃ無ければむしろ他流派であること等懸念していたが、結果は上々であった。

「そりゃさっきも言ったが師範じゃし、わし個人は別に道着を着なくてもいいしむしろぴっちりしたTシャツと短パンのラフな格好の方が好みじゃがな」

 そういえばゴン達と飛行船でボールを取り合っていたらしいときもタンクトップ姿だったことを思い出す。

「それに要はその者にとって合っているか? ここが最も大事じゃ…… 最高級の食材を使った所で納豆とビールは合わんし酷い事になるじゃろ?」

「宴会の余興でやられたのまだ根に持ってたんですか……」

 どんな例えだよと思ったがビーンズの呆れたツッコミから実体験だったようだ。いや、それでも酷い例えであるが。

「…… それで俺が一番合ってると?」

「本来はなんだかんだで面倒見の良いミズケン君という者に担当してもらう予定だったのを変更するくらいにはな」

 その名を聞いてトールは道着の仕立てについて急に担当にされたとぼやいていた男を思い出す。

「ミズケンさんってあの無精ひげの?」

「おお知っとったか、その髭で浮浪者っぽい奴じゃ」

 何気に酷い特徴の掴まれ方である。

「いや俺よりよっぽど説明うまいですよあの人!? 合ってる合ってない関係なく教えることに関しちゃうまいでしょ!?」

 なんで俺がと言いつつもホワイトボードなどを巧みに使っての説明が巧かった事は見た目のギャップと合わさって二年前の事であるのに克明に覚えていた。

「それでもじゃ」

 簡単だがされど断言したその言葉に、トールは一度大きく息を吐いた。

「…… 分かりました。でも無理だと思ったらすぐ連絡しますよ? 一番困るのは俺じゃなくて半端に教わるコイツですから」

 そこだけは強く、そして譲らないと言う。

「うむ」

 それだけであるが、最優先事項として通った事は分かる。その後もう一ついいかな? と指をピンと立てる。

「教えるタイミングなんじゃがな、最初はこっそり後を付けてくれんか?」

 それはなぜ? という疑問の眼でネテロを見る。

「この者のハンターになった理由なら近いうちに必ず【念】の習得の有無で躓く時が来る、それまでは接触しない方が良い…… 初めから教えると【念】のみに比重を置きやすくなってしまうからな」

 ハンターになった理由如何では此方側が最初から干渉するケースもあるが多くは【念】を必要とする場面に早期で遭遇するため稀だと言う。

 

 この右も左も分からない様な奴にいきなり試験官やらせるケースの方が稀というか本来やってはいけない類ではないかと思ったが。

 

―※―※―※―※―※

 

「や、やっほークラピカ元気ー? って元気か、アハハ……」

「トール……? ロカリオ共和国に行ったのではないのか? というか何故ここに、この部屋にいるのだ?」

 斡旋所で『ひよっこ以下』そして『まだ試験は終わっていない』と言われ、その意味を考え近場に借りた宿の部屋に帰りドアを開ければ申し訳なさそうにトールが部屋の椅子に座っていた。

 流石のクラピカも別の事に頭の容量を取られた上での出来事に、疑問符を浮かべるばかりである。

「えーっと、うん…… 何て言えばいいのか、試験の続きというか」

「なんで知っている!?」

 許可を得て隠れていたからである、と今言えばさらに混乱するだろうなどうしようとトールは頬を掻いた。

「とりあえず、さ…… 御飯食べながら話そうか?」

「…… そうしてくれ」

 ある種異様な光景に身構えかけていたクラピカであったが、その話の持っていき方に目の前にいるのはただのトールだと理解し、安心と力の抜ける感覚を両方感じつつ食事を一緒にすることにした。

 

 尚、偶然であるが同じ日にレオリオは稀と言われた脈絡の無い試験官側からの接触を果たし、その事をトールが知ったのは数ヶ月後だった。

 

 

「…… ではトールの用事というのは」

「うん、クラピカに【念】を教えてくれとさ…… そのクランベリーパイ半分貰ってもいい?」

 皿に隠れてそこから伸びるトールの手が物欲しそうに一切れだけ食べられたパイを指差す。

「全部取っていって構わないがその皿の塔を崩さないでくれよ」

 器用に皿を避けてパイを持って行く腕を見ながらクラピカはルームサービスで頼んだ品を必死に往復して運んだ宿の人間にこれ以上激務を与えないよう言う。

 咀嚼する音が聞こえるから無事に口にまで運んだのだろう。

「そのオーラを使う【念】とやらはどんなことが出来る?」

「んー…… 大体出来るかな? 実際見た方が早いか?」

 そう言ってトールは皿の塔改め皿の壁の向こう側から椅子を立ちクラピカの横に立つ。

「…… スーツは入り様?」

「…… ああ」

 一体何の質問だと問う前に、トールはおもむろに巾着袋から黒い砂状の染料を幾らか取り出し舐めると、手が高速で動きだした。

 その高速の動きはクラピカにゴトーのコイントスを思い出させるが、同時にその速度より速いと気付く。

 そしてその複雑な動きの中心で何か黒い物が創造されていく。

 

 それが何だか気付いたときには既にトールの手は止まり、一着のスーツがYシャツとネクタイを除いてそこにあった。

 

「こんな感じで俺は服が作れる!」

「そ、そうか…… 便利だな」

 反応は微妙だった。

「ああ、四次試験でクラピカの木刀で木と少しヒソカを斬ったのとか皆担いでロケット発射ーってやっただろ? あれも【念】で起こした現象ね」

「それは本当か!?」

 それを聞いた途端、クラピカは比喩であるが眼の色を変えてトールの肩を掴む。

「喰いつくとこそこぉ!?」

 そう叫ぶが普通、戦闘力を求められる類のハンター志望からして服を高速で仕立てあげるのと周りの木々を切り倒す威力が出せる事や人を担いで尚、上への推進力を持つエネルギーが個人で作れる方を比べると、後者の方が余程喰いつく。

 

 トールは知らないがクラピカの復讐という目的なら尚更後者に喰いつくのは必然である。

 それどころか激しくシェイクされて目の前の景色すらトールは分からなくなってきているが。

 

「…… すまない、丁度自分の力不足について痛感していたもので」

「いや、やっぱりこういうのってワクワクするもんだから仕方ないって」

 なんとかシェイクの回数が三桁に辿り着く前に止まり、ネガティブな空気を醸し出しつつ謝るクラピカにトールは的の外れたフォローをする。

 ルームサービスが必死になって皿を回収した頃、クラピカは気をトールは腹を落ち着かせた。

「それじゃその【念】という技術は何かから具体的に話してくとこから始めるか」

「そうしてくれ」

 トールはこの説明のために買った持ち運べる大きさのホワイトボードを使って、この教授を頼まれた次の日から少しずつどういう風に説明しようか考えていた中身を話し始める。

「…… でその中途半端に開かれてる精孔を意識的に開閉したり、所謂生命エネルギーにあたるオーラを留めたり多く放出したり…… オーラやそれに関する事を自在に操る術が【念】ってこと」

「では、トールが先程行った行為は……」

「それが一応さっき言ったそれらの【念】の集大成っていうポジションにあたる【発】だね、まぁ凄いざっくりな言い方だけど個性を生かした必殺技みたいなもん」

 頭の中に辞書が入っている様なと形容できるクラピカに対してトールはかなり頑張って説明した。

 クラピカの性格的に目的を教えず目先の修行に全集中させるより、最初に一切合切を教えていた方が良いと思ったからだ。

「【念】の体得にはどれほどの期間が掛かる?」

「精孔を開いて【纏】を体得すると言う意味なら、ハンター試験を合格する精神と肉体を考慮して大体五ヶ月。基本の四大行全部を使い物に出来るまでとなるとさらに一年もしかしたら早くて半年位…… らしいな」

 アルゴとネテロから大体これくらい掛かるであろうと言った期間を算出して割り出した平均日数を伝える。

「トールは精孔を開くのにどの位掛かったんだ?」

「うん、え!? あー、こんくらいかな……」

 しどろもどろ視線キョロキョロというダブルパンチをかますが、指はそれに反してピンと一本人差し指が伸びる。

「? …… もしかして一週間か?」

「…… 一日でしょ?」

「まぁ色々あってね、ってちょっと待って」

 まさか当てられるとは、とトールは観念したように答えるが何か引っかかり待ったをかける。

 その答えは窓の方から聞こえた。

 それだけならまだいい、クラピカと同タイミングで窓を見たトールは考える。

 

 問題はその声がとてもよく知るものである、しかもここにいる可能性が最も訳わからない人物。

 

「少し探しちゃったよトール」

 

 カルト=ゾルディックが、そこにいた。

 

―――――――――

 

「君は確か、キルアの……」

「まさかフライト直前に滑り込みでライセンス使って便を変えるなんてね、あれされると情報が一切秘匿されるから出回ってる裏技が使い物にならないし大変だったよ」

 クラピカを無視してツカツカとトールに歩み寄りながらカルトは苦労話をするように言いつつ余った椅子を引いて二人の間に割り込んで座る。

「つけてきたのか?」

「相変わらず白々しいね、仮にも暗殺者を少しの間とはいえ撒いといてさ」

 知らん知らんと首を振って否定するが、無駄に積み重なった実績がそれをカルトに肯定させることを阻んだ。

 ちなみに全くどうでもいいが、大変だったのはカルトではなく次兄である。

「態々来たとこ悪ぃけど、俺忙しいもんでさ」

「【念】を教えるんでしょ? じゃあボクとの修行の片手間に出来るし大丈夫だね」

 それは一体全体どういう横暴だコンチクショウとトールは米神をおさえて目を瞑る。

 そして次に開いた眼が捉えたのは一枚の紙を見せるカルト。

 シンプルなデザインのそれに目立つ自身の名前と赤い点…… 血判。

 

―― 一緒にいるってまだ続いてんの……

 

 早く過ぎ去れと碌に見ずに押したそれは少なくともこの持ち主が一回り成長するまでは一緒にいなければならぬ、そう読める内容であった。

「それに家から出て来る時にお爺様からよろしく頼まれたでしょ?」

 

―― 孫ってこっちかぁー

 

 正しくはキルアも入れて両方である。

「さっきから勝手だな」

「……」

 カルトからして後方、トールからはカルトに遮られた向こう。

 互いにその顔は確認できないが少なくとも穏やかなモノで無い位は容易に想像出来る声音だ。

「遊びの延長の様に来るのなら帰ってくれないか? 我が儘でそうしていて最も困るのはトールなのだぞ」

「…… ボクはボクの目的を果たすために外へ出たんだ。それを…… 遊びだって?」

 そこで言葉は切れたが、ここにイルミかミルキが居ればその後にこの言葉が聞こえただろう。

 

―――― 兄さんを連れだした侵入者め…… と

 

 その一触即発の空気に耐えられず、それでもこの場に居続ける為にとトールはカルトが横のテーブルに置いた誓約書の内容を確認するかと少し背もたれから身体を離し、手を伸ばす。

 

 このときトールは見誤った、キルアを外に連れて行った人物とそれの遠因で来たのに遊びと言われたその組み合わせと、カルトの許容量を。

 彼が空気に耐えられなくなったとき、カルトのオーラは不機嫌に揺れていた。

 つまり、このとき一触即発ではなく既に爆発していたのである。

 オーラを少し多く纏わせるラグが無かったら起こり得なかったタイミング。

 カルトの攻撃にトールの左手が範囲に入り込むという動きの妙。

 

 発動した【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)によって動いた彼の左手が裏拳としてクラピカの右頬に放たれようとしていたカルトの手を此方に引き込むように掴み止めた。

 

「止めちゃうの?」

「スイッチ入っただけだ。オーラを纏った拳を放てば悲惨な事になるぞ?」

 饒舌にならない舌を動かし、トールは熱の無い瞳でカルトを見る。

「恐いなぁ…… けど殺しはしないよ? むしろ修行時間を短縮させてあげようとしたくらいさ、ボクもこうして覚えたし」

 言ってカルトはトールが手を離すと少しおどける様に席を立ってベッドに倒れる様に座る。

 

―― 本当におっかないなぁ

 

 スイッチという単語と彼の瞳に殺す事を決めた瞬間の父と同じそれを見た。

 その場を離れる行為の根底にはその恐怖が存在していた。

「修業期間の短縮とは本当なのか? トール」

 どいた事で見えたクラピカはカルトの事等今はどうでもいいと言わんばかりに聞いてきた。

 何と言うか都合の良い部分だけ聞きとるそれは二人とも似てるとふと思った。

「短縮というか…… 【念】を相手にぶつけることによって精孔を一気にこじ開ける方法がある。それをすれば一秒で【念】を使える状態になる…… けど所謂外道の法って奴で生命エネルギーであるオーラが一気に放出する前に【纏】が出来なきゃ危ないけどさ」

 アルゴと長く付き合うある意味切っ掛けとなった場面を思い出しながらトールは素直に答えた。

「ならそれをしてくれ、時間が惜しい」

「話聞いてたよね?」

 コイツにこう言われたら御終いであろう台詞が出た。

「あと、殴ろうとするなカルト」

 ベッドの方では殴る理由が出来たとカルトが再び握り拳を作っていたので直ぐさま止めた。

「それやって死んでも駄目、そうじゃなくても修行期間を減らすどころか療養で入院じゃあ無駄な時間だぞ!?」

「だが、今私の目の前にはその成功例が二人もいる。そして行う者がその先人、成功の確立は充分高い」

 しかし、一方は半分が既に【念】を体得しておりそして人外の肉体を持ち、一方は生まれた時から絶え間ない拷問によるその延長線上にある日常光景の範疇と言い切れる家庭環境を持つ存在である。

 だがその事を知っていたとしてもその事を諦める様には見えなかった。

 我を通す熱が、何時かの少年が魅せたあの光がクラピカの眼にもあった。

 

「…… という訳で、もうどうしようもなくて」

『それで早速電話したのねぇ?』

 あのあとトールは「少し考えさせて色々相談させてくれ」と言って外に出た。

 ついでにカルトと同席させるのもあれだったので、クラピカも考えが変わるかどうかの猶予という体で気分転換を狙いに外へ出した。

 カルトはトールを追う事に優先し削った食事をいま部屋で取っている。

 そしてトールは目に付いたベンチに腰掛けて、暫く考えるもまとまらずこうしてアルゴに電話したのである。

『悩んで電話してくれて嬉しいけど、これに関して私はやっちゃだめともやりなさいとも別の方法の提案も無いわ』

「マジかい」

 ごめんなさいと謝って出たアルゴの返答はその様なものだった。

『だって、私とトールちゃんの事故だってこうして掛替えの無い関係を築く切っ掛けになったのだし、何よりクラピカちゃんって子と直接会った事も話した事も無い私が決める権利は無いわ』

「…… それもそうか」

 言われて見れば全然知らない人間の決定で人生が左右される選択をされるのは釈然としなければ納得も無く、むしろ怒りと恐怖を覚える。

「もし、無理矢理開く方法をとることになるとしてアーちゃんは直ぐ来れる?」

 せめて成功率を少しでも上げようと、トールは考える。

『例え直ぐ来れるとしても絶対に私がその子の精孔をこじ開ける事はしないわ』

 しかし、その言葉にあくまで出来るとしてもサポート役だとアルゴは断る。

『例え成功の理由を並べてその方法を迫る子でもね、それはアナタを信頼し信用しているから言えると思うわ。さっき言った赤の他人の言葉に左右される事と何ら変わりないもの、技術が私より下だとしてもね』

「……」

 その言葉にトールは黙った。

『それに精神の安定が重要な場面で下手に緊張されても失敗するだけよ?』

「…… ありがとうアーちゃん」

 礼を言って電話を切って空を見るトールの顔に迷いは無かった。

 

―――――――――

 

「本当に良かったんですか?」

「なにがかの?」

 心配そうな顔でビルの窓から空を見るビーンズの言葉に、ネテロはとぼけた様子で返す。

「分かっているでしょう、トールさんに【念】の修行を任せた事ですよ」

 ジトっという目で書類終わり、ゆったりお茶の時間を過ごすネテロのクッキーを食べて揺れる髪を見る。

「本来の担当予定だったミズケンさんをレオリオさんのところに向かわせて、代わりに今期合格の新人に任せるだなんて」

 今でもその判断は冒険というか無謀も良い所と思い、もう一度言った。

「心配性じゃの~」

 それの答えは暢気に間延びした声と欠伸だった。

「心配性じゃなくたって心配しますよ!? 一体彼にどれだけの可能性を見出したと言うんですか!?」

 突発的な申し出にそのとき書類作成に追われたビーンズはそれを抜きにしても、二人の未来を案じて声を大きくする。

「可能性は誰にも等しく存在するもんじゃ、肉体のポテンシャルが凄い事は認めるがのう」

 トールの試験応募時の紙をおもむろに机に出す。

「肩に触ったとき年齢24歳と書いておったのは本当の様だと確信したわい、あれ()()()()()()()()()()()()()()()()小柄なのだとのう」

 チラリとビーンズを見れば別の理由でツンとしていた。

「まぁそこは重要じゃない、あのとき言った様に『合ってるから選んだ』これに尽きるの」

 だから何がと言いたげなビーンズにネテロは続ける。

 

「あの青年にクラピカという子が合っているから選んだ、ホントこれじゃな」

 

「え? 逆、じゃないんですか……」

 何でも無い様に言った言葉にビーンズは目を大きくして混乱する。

「本人の手前そう受け取られるように言ったのは認めるが、クラピカの方が彼に合っていたんじゃなこれが」

 ホッホッホとネテロは笑う。

「いや笑ってる場合ですか!? というか本当に何故なんですか!?」

 小さな体を少しでも大きくする様に背を伸ばして両手を上げて声もあげる。

「ぶっちゃけフィーリングじゃしなぁ、言葉にするなら互いに欠けてて合わせて丸く収まると言ったとこかな?」

 クッキー二枚を割り、一個のクッキーの様に見せてネテロは手に持ったそれをパクリと食べる。

 といっても大きく欠けた方と三分の一ほど割れたペアで歪な楕円になっているが。

 怪訝そうな顔のビーンズに割れたもう一対の方を渡す。

「…… 復讐でハンターを志望した人物とあの天然少年が同等の歪さであると?」

 変な食べ方をして噎せて慌ててジュースを飲む目の前の様子と合わせて信じられないとビーンズは視線を向ける。

「…… げふぅ、同等?」

 話せる状態になったネテロが首を傾げる。

 

「はて、クッキーは均等に割れとったかな?」

 腹に収まれば関係ないがのう、と呟くネテロはゆっくりと目を閉じた。

 

―――――――――

 

「つまんないなぁ……」

 挑発するような声でカルトは言った。

 その横ではトールが壁に背を預けている。

 

「随分な物言いだな」

 そう言うがさして気にしない態度でクラピカは答えた。

「ホント、つまんないよ」

 今度は本当にそう思う投げやりな態度でカルトが続ける。

「そんなあっさり【纏】が使えるようになるなんてさ」

 無視してクラピカは目を瞑り、オーラを留める事に集中する。

 もう何を言っても反応しないだろうと判断し、そんなクラピカから視線を外してピクリともしないトールの方を向く。

「それで、トールの方がなんで疲れてるのさ?」

「…… 心労ってヤツだね、うん。無事出来てよかったけどさ」

 力無く立ち上がり、椅子に座り直す。

 

 結果から言えばクラピカは【纏】を見事体得した。

 片膝をつく位には消費したが、その後なんとか持ち直すとオーラは歪ながらもクラピカから出て行かずに周りを覆う様に止まった。

 その間一時もトールは目を離さずさりとて手伝う訳にもいかず、本人より精神を減らして見守り続けていた。

「うーっし、精孔開いた記念に今日は御馳走にしよう!」

「それはいつもと何が違うんだ?」

「それボクん家にいるときより豪華なの?」

 

―― コイツら結構息合ってんじゃねーか……

 

 散々言われたが、この日トールが食べた物の変化は精々ケーキ類が増えただけである。

 というかクラピカの祝いなのに本人はケーキを食べなかった。

 



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予報不能、修行荒模様

「森に行こう」

 恐るべき成長スピードで【練】を体得し出したクラピカと、自分の修行はいつになったら本格的に見てくれるのだと期待しているカルトの前でトールは突拍子も無く言った。

「やっぱり都会にいるのが苦痛なの?」

「本気で心配する表情やめて心にクる」

 幾度かトール捜索隊に紛れて探していた経験を持つカルトは、彼が都会アレルギーでも患っているのかと本当に疑問が湧きつつ問う。

「それは私の修行に必要なのか?」

「両方にな…… 今朝方連絡があって宿の目処がたったから今発表した」

「なら突発的に言わないで前々から言っておいてくれないか!」

 【練】をしながらの指摘に思わず一歩下がる。

 ノリと感覚で生きている存在は今日も予測不能であった。

 

 

「やってきましたログハウス、いやログホーム」

「家のみたいな山は無いけど自然豊富だね」

 大きな荷物を抱えながら二人が見上げたのは自然の真っただ中に存在する一軒の家である。

「…… ふぅ」

 その半歩後ろのクラピカは少し疲れ気味だ。

「あれくらいでへばってるんじゃ来ない方がマシじゃないの?」

 ここに来るまでの飛行船に乗っている間、【練】改め【堅】の持続を行っていた。

 この期間で破格の十五分とはいえ流石に限界が一度来て気絶する様に寝たり、その間に出てきた機内食を耐えきれずクラピカの分までトールが食べてしまったり色々あった。

「この程度、問題にならない」

 気合いで立ち上がるが実は煽っているカルトの方もかなり疲れている。

「よーし何時までもここで喋ってないで中は入るか!」

 納得出来ないのはトールが同じ事やって一番疲れていないことであるが。

 

 家の中は思っていた以上に広く、驚いた事に専用の発電所から電気がきていた。

「見ろ! 冷蔵庫あるぞ中何も無いけど!」

 はしゃぐトールに馬が合わないらしい二人だが、このときは同タイミングで息を吐いた。

「それにしてもよくこんな所を借りれたなトール」

「ああ、ライセンスですぐ借りれて資金面は試験の延長で必要経費だからって全面協会持ちになってるからな、食費全額は勘弁してくれって言われたが」

 タダ飯が一番うまいのだと言わんばかりに胸を張る。

「それで、今からもう修行するの?」

 荷を置き終わったカルトは肩をほぐしながら聞く。

 それを聞いてトールは備えられていた掛け時計をチラリと見る。

「んじゃあ、夕飯の材料とってくるのを修行とする! 尚、肉類を多めに!」

「トールはボクと一緒ね」

 間髪いれずにカルトが袖を引っ張る。

「…… 食材探してる間に放浪されると困るから」

 その言葉に最初の発言で文句の一言を言おうとしたクラピカは納得したように頷いて外に出た。

 

―――――――――

 

「…… その恐竜みたいな生き物は?」

「よく分からんが、けど旨そうだったからな」

 家の裏で喜々とし血抜きをしているトールの獲物は牛より二回りほど大きいトカゲの様な何かであった。

 一方のクラピカの手には絞められた鳥が三羽と大きな麻袋を担いだ姿である。

 クラピカを少し見るだけで直ぐに自分の作業に戻ったカルトの血抜きしている動物は、皮を剥がれたとはいえその荒縄より太い紐状の生物は蛇であると分かる。

「その袋は?」

 血に染まった指で麻袋を指す。

「一応、私が知っている食べられる種類の野草を採って来た」

「おお、鳥と合わせてチキンサラダだな! メインばっかで副菜を忘れてた」

 俺達も幾つか野草を採って来たんだけどさ、と見せたその量は確かに少ない。

 

―― この鳥はメインのつもりだったのだが

 

 その言葉は二人の成果の手前、言えなかった。

「その鳥、傷がないがどうやって捕まえたんだ?」

「幾つかの場所に即席の罠を仕掛けていた、野草はその間に採っておいた」

 それなら多く野草を採っている件は納得である。

「罠かぁ、そっか罠か」

 

―― 【念】を覚えてから全然使わなくなったなぁ

 

 以前はそこらじゅうに罠を張り巡らせて食い繋いでいたが、アルゴと出会い【念】を覚え、そして糸を飛ばせるようになってからは出掛ければ直ぐに捕まえられる様になったので罠はここ数年作って無いなとふと気付いたのである。

 急に何かを考える様な素振りを見せるトールにクラピカは怪訝な顔をするものの、既に血抜きを終えていたので自分とトール達が採って来た野草を洗って余計な葉等をとるためそのまま家に入った。

 

 

「…… 何か私に用か?」

 野草を洗い終わったクラピカのその背後からの怒気、それがカルトのものだと直ぐに気付く。

「オマエさ、修行する気が無いなら帰ってくれる?」

「それはどういう意味だ? 少なくとも不真面目な態度はとっているつもりはない」

 膨れ上がるのは怒気だけでない、クラピカは静かにオーラを強める。

「不真面目以前の問題だよ、修行してないもの」

 遂に振り返り対峙する。

「私が修行をしていない?」

 その言葉にクラピカのオーラにも少々の怒気が浮かぶ。

 しかし、その程度かとカルトは気にも留めず自分に宿る怒りを言葉にしてぶつける。

「この修行は【念】の修行だよ? なのにオマエがしたのは罠を張って野草を採るだけ、そこに【念】を使ったの? 態々肉食の大型爬虫類が多い場所をトールが選んだうえで食材を自分でとることを修行の一環にしているか分かってるの?」

「ッ!?」

 それはクラピカにとって衝撃だった。

「…… そうか、だからあのときトールは考える様に黙って……」

 そのときのトールの反応を思い出す。

「分かったらさ、さっさとここから……」

「すまなかった。これでは修行をしていないも同義だ、そして気付かせてくれてありがとう」

 「出て行って」そう言う前にクラピカは非を認めて頭を下げた。

「…… は? え、と」

 まさかここまで素直に認めるどころか礼を言われると思っていなかったカルトは先程の怒気も何も全て消え去り、逆に慌ててしまった。

「ふぃー…… やーっと血抜きと解体が終わったよ。そっちも終わったぁ?」

 そしてこのタイミングで現れたトールによって遂にカルトのそれは有耶無耶になって潰えた。

 

 こうして台所にはよく分からない肉と野草が並んだ。

「んじゃあ修行しますか」

 そう言ってデンと隅に置いたのは何百枚ものまな板とそれに相応しい数の包丁だった。

 発言と合わせて何がどういう修行なのか全く分からない二人は揃って無言のクエスチョンマークを浮かべる状態と化した。

「えーとね、これをこう置くじゃん?」

 一枚のまな板を調理スペースに置いて、さらにその上に肉を一枚置く。

「ほいでこれを持つ」

 一本包丁を取って包丁を持つ。

「それで右手でこうして左もこう!」

 そして食材を支える手と包丁を持つ手からオーラを放ち、それぞれを覆う。

「で、切る!」

 言葉の勢いとは裏腹に丁寧に肉はぶつ切りにされていく。

 

「こんな感じで事前に用意した調味料使って料理を作って下さい!」

 

「修行って言うには生ぬるいよトール」

 そう言ってカルトはトールの持っていた包丁を受け取ると残り半分の肉もぶつ切りにすべくオーラをこめる。

 そしてストン、ストン、と小気味いい音を響かせて切れた…… まな板ごと。

「あれ?」

「はい、まな板おかわり」

 慣れた手つきでバラバラのまな板をとって代わりのまな板を敷く。

「今度は私がやろう」

 今度はクラピカが包丁を持ち、カルトよりぎこちないながらもオーラを纏わせる。

「む?」

 包丁が肉の半分ほど切れ込みを入れて止まる、クラピカはそのまま力を込め押し切る様に右手の力を強めて……

 見事包丁がぐにゃりと根元から曲がった。

「なんとか俺が腹減って気絶する前にお願いするよ」

 

―― それ、全然時間足りない!

 

 心の叫びが一致した瞬間である。

 

 

「まさかこんな死屍累々な感じで夕飯を迎えるとは…… いただきます」

「…… こっちの台詞だよ食いしん坊」

 テーブルに並べられたチキンサラダや簡単な肉と野草のスープとある中、クラピカとカルトはテーブルに突っ伏す形で座っていた。

 クラピカに至っては余りの疲労にパンを枕にしている様に見える、というかそういうメインディッシュみたいである。

 その後すぐに気合いで顔を上げたが。

「俺もやってたときは余りの疲労に倒れて気絶したけど、先生が何か食べないとって口移しされそうになったから死ぬ気で立ち上がったなぁ」

 懐かしむトールの言葉にそりゃあんなのに迫られれば必死になるだろうなとカルトは無言で思った。

「うん、旨い! この肉のまったりした感じが野草のピリリとしたそれと合わさって、おかわり」

「頼むからもう少し味わってくれないか!」

 オーラの出し過ぎで小刻みに震える手を抑えながら必死にスープを飲むクラピカが思わず声を荒げる。

 

―― 何か爬虫類だらけな森だけど当たりみたいだな

 

 単に立地条件だけで決めた物件は当たりだと確信する。

「トールの食器をボクらと同じにしたのが間違いだよ…… まぁこのスープが思ったより美味しいのは同意するけど、この野草採って来たのトールだっけ?」

 そのピリリとする草をフォークで刺して見せる。

「近場に生えてたんだけどさ、生で食べてみて旨かったから幾つか採って来た」

「そんな野性児みたいな…… いや、野性児か。それよりそんな方法で仮にこれが毒草の類だったらどうするつもりだ?」

 もう一人のツンツン頭の野性児を浮かべながら呆れつつ注意する。

 それにトールは苦笑いで返すだけだ、生まれ呼ばれてから今日までその方法で生き延びてきたので反論したいが流石に()()()()()()()()()()()()()()()()という理由ではもっと怒られると分かっているからだ。

 

 その日の夜、クラピカは激しい腹痛に見舞われた。

 残る二人がケロッとしていたので慣れない環境で体調を崩したと扱われ、カルトからは軟弱者認定された。

 

 ちなみにトールが今まで食べて大丈夫だと判断した野草の約六割強は毒草の類である。

 

―――――――――

 

「なるほどね、こりゃ具現化系だ」

 

 クラピカが罠を使わず獲物を仕留めることが出来る様になり、それ以上に腹がとうとう毒草に慣れた頃、同時に【発】が行えるようになってきていた。

「ねぇトール、これくらい回れば合格?」

「バッチシだな」

 一方のカルトは最初に積んでいた経験差からまるでプロペラの様に浮いた葉を回転させていた。

 それでも喰らいつくクラピカの成長スピードは異常である。

 

 そしてクラピカ初の水見式の結果、水の中に水晶の欠片の様な物が出現し具現化系だと判明した。

「具現化系…… 【念】を物質化させることを得意とする系統か」

「だね、オーラを別の形状・形質に変化させるのが次に得意で操作と強化が並、オーラを飛ばすのが苦手ってなステータスになるな」

 操作系(こっち)は逆にオーラを飛ばすのが得意で変化が苦手だけどな、とざっくり習得率の説明をする。

「とりあえずカルトは最初、小石をオーラだけで動かす事からだな…… 外のなるべく風が吹く場所でやった方がいいらしい」

 素直にカルトは頷くと外に出ていった。

「…… 具現化系は、一人で戦う上で向いている系統か?」

 少し切羽詰まった様にクラピカはトールに聞く。

「んー…… 一人で生きていくには申し分ない能力かな? 物によるけど便利で壊れてもすぐ直せるというか再度具現化出来るし、持ち運び楽だし」

 さらにトールは考える様に顔をしかめる。

「ただ戦闘となると、そうだな強化系が安定して戦えるとして具現化系とか操作系は一芸特化な面があるし厳しいか」

 どうとでも言えるけど、とアルゴからの説明を自分なりに伝える。

「強いと言うより厄介っていうのが具現化と操作系かな?」

「そうか……」

 クラピカの顔には明らかな落胆があった。

 自身が無いわけではない、それでも復讐という目的を果たす道が少し遠のいた様な気がしてならないからだ。

「その、なんだ…… そうだ!」

 人の感情の機微に疎いトールでも分かりやすく落ち込んでいたクラピカに、トールはどうしたものかと言葉を考えるが出てこない。

 

 ならばと彼は自分の荷物を漁り、何個かの糸玉を抱えてクラピカの前まで駆け寄る。

「そいやっさ!」

 そして一体何だと思うより速く、彼はその糸玉を奇妙な掛け声と共に全て上へ投げた。

 

―― 【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)!

 

 その糸玉が彼の胸より少し上まで落ちてきたとき、その手はぶれて消える。

 眼がようやく慣れたと思った時には手が止まり、そこにあったのはクラピカが着ている服と似た民族衣装だった。

「…… 改めて触ってみて分かるが良い手触りだな」

 急に渡されてもどうしていいか分からずそれしか言えなかった。

「ちなみに一着数十万ジェニーから条件揃えば数百万です」

「そんな物をホイホイ出してたのか!?」

 流石に驚いたらしくツッコんできた。

「いや、最初は自分の店で数千ジェニー高くて数万ジェニーで売る計画立てたらさー、友達にアパレル業界潰すつもりかって怒られてね。俺の服が安価で手に入ったら他の人商売あがったりらしい」

 嬉しいやら何やらと腕組んで渋い顔をするトールにクラピカはその友達の判断が英断だと確信した。

「それで色々考えて最近商売始めた訳さ」

「それはあの大きなタッチパネル式の携帯購入と関係があるのか?」

 クラピカの指摘の通り、最近トールはそのタイプの機種に変更した後なにやらそのカメラ機能を使って何処ぞと会話したりこんな場所まで宅配のサービスを呼んでまで何やら送ったりを繰り返していた。

「イエス! 相手方が送って来たデザインを基に仕立て、またカメラ通話により要望を相談して仕立てたり即日仕立て発送するっていうサービスを開始したわけさ」

 かなり早い段階で軌道に乗ってきて正直恐いと〆る。

「で、何が言いたいかっていうと俺の能力って戦闘じゃあれだけど、一人で生きていくには申し分ないだろ? 鍛えれば何とかなるさ! うん、まぁ思いっきり友達に頼ってるちょいと情けない年長者の言葉だけどさ」

 結局よく分からない話になったが、多分何であれ使い方次第と言いたかったのだろうとクラピカは解釈する。

「そうか、落ち込んでる場合ではないな…… ん?」

 さぁ、気分を切り替えようかと思い立ったそのとき、何かおかしなことが耳に入ったとクラピカは感じてトールを見る。

「どしたん?」

「…… 今、私の聞き間違いだと思うが年長者と言ったか」

 それがどうしたんだと戸惑いながら頷いた。

「その年長者というのは誰の事だ?」

 瞬きもせずガン見するクラピカに押されつつ、やや震える手で自分を指差す。

「…… 私は確かに童顔の部類に入ると認識しているがそれでも18年は生きているぞトール?」

「あれその言い方、これもしかするともしかする? いや、色物の中に紛れて感覚鈍ったな」

 ふぅ、と息を吐きクラピカを正面から見る。

「俺、もう24になる」

「ッ!?」

 

 こんなことで会った時から一番驚いた顔されるとは思ってもみなかったとトールはどこか哀愁漂う顔で天井を見る。

 が、見た目抜きにしても行動も思考もアレなので自業自得である。

「こんなんでもそれなりに人生色んな事起きたよ、生まれてすぐに引っ越ししたり位が俺の移動距離の関の山かと思えばまさか、えーと今から4~5年前くらいか、ク…… あー、事件あって帰るに帰れないとこに生まれ変わるレベルで辺鄙な場所に来て無二の親友得たり暗殺一家に服仕立てたり、友達の濃ゆーい人とも友になったり最近じゃ、ハンター試験受けたりすぐさま教える立場になったりな」

 言って『半分蜘蛛なんですなんて話したら問答無用で殺しに掛かってこないよな?』と一瞬肝を冷やし、微妙に濁した。

 

「そうそう【発】の修行だけどさ、具現化系は初期の段階で形にする物が決まっていたらそれを具現化する事から始めるよ」

 なのでかなり強引に話を変えた。

「あ…… そんな早々からやるのか?」

 急に話題を変えて少し間が空いた返事であったが、それでもてっきり基礎からやるものかと、きっちり予想外である旨の返答をした。

「まぁ一生ものだしよく考えたうえで決めるのが普通だろうけど具現化系はイメージが大事だからね、利便性じゃなくて自分に適しているかどうかが一番…… 空想上の物やら生き物は少し特殊な方法とるけどね」

 操作系は操作したい物を日がな一日観察したりするからある種似ている所あるけど、と自分の系統に近い分分かる所もあるかのように言う。

「で、何かある? 何も無かったら普通に【纏】と【練】をやってて欲しいけど」

「…… 少し考えさせてくれないか、イメージしたい物があったが少し疑問もある」

 そっか、と特に急かす事も無くトールは出掛けて来ると言って玄関へ向かって行った。

 既に思考の中に落ちかけていたクラピカはそれに反射的に返事をする。

「しまッ……!?」

 その十秒後、やってしまったとばかりに声を上げて急いでドアを開ける。

 

 既に見えなくなった事実を把握すると、どうか今日は真っ直ぐ帰ってきてくれと祈ることしか出来ない虚しさで膝から落ちた。

 

 

―― 操る物…… 何にしようかな?

 

 小高い場所で風に負けじと小石を動かしていたカルトがそろそろ夕飯の頃合いであるしと一匹の恐竜もどきを狩って帰路を辿っていた。

 その脳内では自身が何を操作するかを考えていた。

 最初は単純に人を操って動かそうと考えていたカルトだが、「興味がある物や普段から使っている物の方が操りやすい」というトールの言葉から、他人に興味も無く兄と違って使う事も無い完全な無関心を貫いている自分に人を操る事は難しいと判断したからだ。

 トールという操作系の先人もその能力が自分を精密かつ俊敏に動かして服を仕立てるという特殊な能力の為参考にならなかったことも悩む起因の一つとなっている。

 操作系だけならあの糸は説明つかないのでアレは半永久的に具現化された物質ではないかと怪しんでいる。

 そんな神がかった【念】が出来るのかと言えば無理と言い難いのが【念】である。

 けど教えてもらう事はしない、知らない事はイライラするが結局何とも分からず本人の口から聞いて初めて分かる方がさらにイライラするからだ。

 今はトールの謎より自身の向上と思いなおすカルトは、何かを感じてその場で立ち止まった。

 

―― このオーラ、トールの……

 

 少し道から外れた所数メートルにいると、気付く。

 【念】を体得して家族や執事のオーラを感じ取れるようになったから分かるトールの何処か異質な感じ。

 動くと静かで止まると荒い、行動と感情全てがバラバラに見えて繋がる妙な感じ。

 『凄く近くに二人いる』あるいはぶれなく重なっていると言えばいいのか、おかしいのだ。

 しかもそれは無意識の一瞬、癖とかそういう刹那の時やなにかを考えているときになっているらしく、四六時中共にいるかそれしか興味を持たず見ていなければ分からない類だと、妙と言わない自身の家族を見て確信する。

 だから言わないし聞かない、トール自身も気付いていないことを世界で自分だけが知っているという事がとても心地良いからだ。

 

 さて、そのトールが今何をしているのかと気になり得意とも言える域に達した【絶】で近づく。

 知りたいから以外に、単に一人だとこのまま何処かへ行ってしまう可能性があるからというのもあるが。

 

 そして、木々を掻き分けた向こう側にいるトールは……

 

 一本の木に抱きついていた。

 

―― ? ……?

 

 普段から突拍子もない行動や脈絡の無い発言をするトールだが、それでも最終的にそれが的を得た言動であることが多々ある。

 だが、これは一体何なのだろうか? 修行なのか狩猟なのかはたまた何かの儀式なのか?

 増えてゆく脳内のクエスチョンマークを必死に抑えつつ観察すれば、ただ抱きつくだけでなく木の周りをぐるぐる回ったりおもむろに普段持っている変な棒を鞭の様に変化させ、そうして出来たわっかの中に入れたりとにかく自分の全部を使いながら木を覆うように囲むようにしているみたいだ。

 しかも何回もやっているらしく、木の周りの地面は抉れるほど丸く跡がついている。

 そして位置を少し横にして分かった、トールは木に抱きつく様に腕を広げるときも棒で囲む時も一切木に触れていない。

 

 気付いた所でだからなんだと言われても困るが。

 

 どうやら疲労が溜まるほどやっていたらしく、すぐに近くの手頃な岩に腰掛けた。

「トール」

「ん? カルトか、【発】はどうだった?」

 草陰から出てきたカルトにトールは手拭で汗を拭きながら修行の進み具合を聞く。

「余裕だよあれくらい、トールの方も修行?」

「うん、二人だけ色々やってて俺だけ何もしないってのもなーって思ったもんで」

 基本的に仲間外れを嫌う彼は単純に一緒になってやりたかっただけである。

「だけど一人でどっか行くのは勘弁してね」

「大変申し訳ございませんでした」

 

―――――――――

 

「まだ三日も経ってない内にボク言ったよね? 一人で出歩かないでって」

「……」

 その日、トールは正座させられていた。

 その脇にはまるでサンタを彷彿とさせるパンパンに何かが入った布袋がある。

「しかも食料をこんなに用意して『一人で森に行きたい』だって? コレはともかくボクが着いて行くのもダメな理由は何かな?」

「コレとは失礼だな、まぁ一人で行くのに反対なのは同意するが」

 顔を合わせぬまま指差されたクラピカがむっとするがトールの部分に関して同意されてしまった。

「いやホント何か掴み掛けた内にやっておきたいっていうか、それで二人がいるとちょっと危険と言いますか……」

 一方のトールはしどろもどろながらも自身のステップアップに必要な事とその際二人が近くにいると危険だということを言う。

 

 結局最後まで反対したカルトであるが、【念】を覚えた後も暫くいることを条件にようやく折れた。

 食料が詰まった袋を担いでドアをつっかえ気味に家を出たとき、こうまでしなくてよかったのではという疑問が湧いたが気合いで無視した。

 

 トールは駆ける、なるべく家から遠ざかり森の中心に来るようにと…… 迷わない様に足首から糸を出して。

 最初からこうすりゃ迷わないじゃないかバカ野郎! そう心の内で自分に怒りながら約二十分、ここらで大丈夫だろうと、パンパンに詰まった食料袋を前に置き丁度良くあった倒木に腰掛ける。

 

 そして、トールは息を深く吐く。

 

 集中するその耳に木々のざわめきも飛ぶ鳥の鳴き声も途絶えてゆく。

 

―― はい、じゃあ会話しようか

―― ここまで静かにきといてそんな感じ!?

 

 前腕を折って前のめりに倒れる大蜘蛛を彼は見た。



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予測不能、修行荒模様は続く

「……」

「……」

 大蜘蛛と父ちゃん坊やの安いコントが繰り広げられた同時刻、家の中は互いに紙をする音だけが聞こえていた。

 一方は読書、一方は切絵…… しかし、残された二人は己の限界を高めるべく現在も修行をしている。

 トールが裁縫でそうした様にクラピカは読書中、カルトは切絵の制作最中は【堅】をし続けている。

 といっても残り十分が限界であろうが。

 窓辺の椅子で本を読むクラピカと、反対側を向く様にテーブルで切絵を作るカルトの間には会話も視線も無い。

 初日であればカルト側が不快だと隠しもせず表に出すだろうがクラピカが素直に非を詫びた以降、無干渉程度に態度が微妙に軟化された。

 

 しかし、その関係は予兆も無く一瞬で崩壊した。

 

 

―― え?

 

 カルトの手が止まり、持っていた紙が落ちる。

 それほどまでの何か、怒気や殺意で説明のつかない重圧が自分の後方から発せられたのだ。

 これは一体何だとオーラを過度に出さずベストの状態まで持って行き、テーブルの上に乗りつつ後ろを振り返る。

 

 そこは、窓…… 光が差し込み逆光となるそこに一つの握り拳ほどのシルエット。

 この距離から分かるやや大型の蜘蛛だと判断出来るが同時にその蜘蛛がこの底知れないオーラを発している者でないとも即座に分かる。

 原因はその蜘蛛を凝視する人物、落とした本も気にせずただじっと鋭い目付きでされど異常なほどのオーラを纏って見ているクラピカだった。

「え!?」

 原因が分かると同時にカルトの眼がまた大きく開かれる。

 その異様なオーラ量に驚いた訳でもない、もっと単純にして最も訳が分からない現象に驚いたのだ。

「その眼!?」

 その燃える様な眼にカルトは思わず声を上げる。

「…… 知っているのか? この眼を」

 それに対するクラピカの反応は底冷えする様な冷酷なモノ。

 カルトのそれがこの眼を知っていてのことだと分かったからだ。

 

 だが、次の言葉をどうすれば予想出来ただろうか……

「…… トールと、同じ眼」

「なッ!?」

 今度はクラピカが驚愕に眼を見開く番となった。

 反対に鋭くなるのはカルトの眼。

「その眼、トールとどういう関係性があるの? 言ってもらうよ……」

 何をしてでもね、と【練】の域にまでオーラを発し、脅しの意味を込めて蜘蛛に針を投げ殺す。

 例え一戦交える事になっても絶対に聞いてやるとカルトは久々に殺気立ったのである。

「それは……」

「え?」

 ふらりと力なくクラピカがその場から立ち上がった。

「それは本当か!?」

「ええ!?」

 そして自分を遥かに凌ぐ喰いつき方でこちらに詰め寄って来た。

 二回目の虚を突く反応にカルトはただ混乱するだけであった。

 

―――――――――

 

「っくしッ!」

 地面に右足の跡がくっきり浮かんだ。

 

―― 風邪?

―― いや砂塵とかじゃね?

 

 労る様に大蜘蛛のビジョンは顔部分を上げる。

 それを心配するなと手拭で汁を拭いながら返事をした。

 

―― ま、それはそうと僕と何を話したいの? って分かり切ってるけどね

―― このところドイヒーの一途を辿る食欲についてが主だ。

 

 今こうして話してはいるが、実際はテレパシーの様に話している為現実のトールの口は物入れてモゴモゴ動いている。

 

―― そうは言ってもなんかお腹減るんだよ、なんというか満たされない感じ?

―― それは俺も確かに感じてる、確かに俺も食い意地張ってる方だがこっち来る前には兄に負けてたしここじゃオマエに負ける、けど何て言うか満足出来ないんだよなぁ

 

 あれだけ豪華な飯喰ってたのにとゾルディック家での食事情を思い出す。

 

―― まず腹が異常に減りだしたの何時頃だよ?

―― えーっと僕がちょくちょく干渉出来る位に置き始めた頃だから、ハンターの四次試験位だね! 本格的に食欲が増してきたのはその後からだけど

―― はい今原因分かりました、アナタです

 

 一分にも満たない原因の特定であった。

 

―― え? まっ、まって待って! 僕!? 僕こそが原因なの?

―― 時期がピタリと当て嵌まってんじゃねーか

 

 その程度の事じゃ完璧に僕のせいと決まった訳じゃない! と抗議の意味合いを込めて人の様に器用に立ちあがって浮いた足をわしゃわしゃ動かす。

 

―― 俺の推測ではこう、一つの身体に二つの意識が内包されて二倍エネルギー消費してるとかそこら辺を想像してたんだけどさ…… さらっと最初に言葉にしてみた『満たされない感じ』と当て嵌まらねぇんだよな

―― それなに? つまりこう精神的な問題ってこと?

 

 あー、そんな感じと適当な調子で何かの果物を食べながら相槌を打つ。

 脳内で繰り広げられるどこか緩い調子の話し合いであるが傍から見ると虚ろな眼をして一心不乱に食べ続けている少年にしか見えないので不気味としか言い様がない。

 

―― じゃあ逆に満たされてお腹いっぱいってときは最後いつだった?

―― その調子だと自分は覚えてる感じだな…… 多分俺も覚えてるな

 

 せーので言ってみる!? アラーニェはこのフレーズが言える日が来ると思わなかった様で急に凄く嬉しそうに、ギチギチと牙と鋏の中間の様な鋭利な歯を鳴らして、多分笑っていた。

 そして了承取らずに「せーのね!」と勢いよく言ってくるアラーニェにトールは、ああこいつは友達が家に来た時嬉しすぎて滅茶苦茶おもてなしして友達委縮させるタイプだと判断しながら頷いた。

 

―― せーの!

 

 

―― 蛙を食べていたとき!

 

 この瞬間、周囲の鳥が一斉に羽ばたいた。

 

―――――――――

 

「トールが私と同じ眼をしていた事は本当か?」

 眼の色も戻り幾分か落ち着きも取り戻した調子で再度クラピカはカルトに問うた。

「待った、ボクも色々聞きたいんだひとつ質問したら対価でこっちも質問することにしたい」

「…… 分かった」

 カルト側も冷静さを戻したようで、ゾルディック家独特の取引を持ってくる事が出来た。

「では三度目になるが言う、トールが私と同じ眼をしていた事は本当か?」

「うん、一度だけしか見てないけどそれでもハッキリとね」

 余程聞きたかった答えに、クラピカの反応は無言である。

「次はボクの番、その眼は何?」

 カルトはその眼という繋がりの前に眼そのものを聞く。

「クルタ族と言う種族特有の眼、感情の昂りによって赤く変化することから『緋の眼』と呼ばれている…… その緋色は世界七大美色の一つでかなりの価値があるそうだ」

 最後の呟く様な説明には、声量と裏腹に想像を絶する怨嗟が込められていた。

「トールの眼が変化したときの状況を教えろ、私の様なトリガーがあるならともかく不意に出るなら激昂でもしなければ変化しないはずだ」

「特に怒ってる様子は無かったよ、そういうキミだって言う程怒ってる訳じゃないね? …… 見たのはキミ達が来た日だ、多分脈絡も無いか急いでキミ達のところから飛んでいく様に出てったんじゃない?」

 頷くクラピカにカルトは少し嬉しそうに眼を細めた。

「その道中、ボクと鉢合わせしたんだけどそのときには既に眼が緋の眼とやらになってたみたいだよ」

「そうか……」

 

―― トールもオレと同じ様になにかトリガーを引いてこの眼になったのか?

 

 唐突に過去の経験を思い出し緋色になる事もあると聞いたが、それ以外にも自身の様に特定の物事(トラウマ)で反射的になってしまうケースもある。

「じゃあボクから最後の質問、その眼にどういう力があるの?」

「…… 力?」

 思いがけぬ言葉がクラピカの耳に届いた。

 

―――――――――

 

―― そうか、そうなっちゃうのか……

―― どこかどうだっていうことは頭の内で理解していたみたいだけど、実際言葉にしてみると案外凹むものだね

 

 鳥が羽ばたいた後、暗くなる静寂の森ではただ咀嚼の音がするだけだ。

 

―― まぁでもこれである程度は食欲制御出来るんじゃないか?

―― だね、ところでもう一つの疑問なんだけどさー

 

 あくまでも緩い調子で一人と一匹は話し続ける。

 

―― 君は戦いとか苦手な、というかぶっちゃけ細胞レベルで拒む感じだけど最近はどこか好戦的じゃない? 新技の修行開始したりして

―― 俺が嫌なのはドッキリだからね? 不意な攻撃とか失禁ものだよ

 

 それは嫌だなと自分のからでもあるそれが公衆の面前で噴水状態という失態を侵す日が来るかもしれない未来に割と本気で恐怖した。

 

―― でも、ね…… なんか知らないけどやっとかないといけない気がしてならない、半分使命感で動いてるんだよな

―― 天啓って言うヤツかい? 変な壺を買ったり買わせたりするんじゃないだろうね? それとも守護霊の働きかけ?

―― しねーよ、あと守護霊のポジションオマエじゃん…… なんというか漠然と死なない為にというより生きる為に必要な気がする? そういう感じだなもう半分

 

 どうやら本人でもよく分からない感覚らしい、トールの返答は要領を得なかった。

 

―― なんだ…… それでもこの三つともう一つはなんとかモノにしたいんだけどさ

―― そのうちの一つと半分は僕がいなきゃあれだしね、最後の一つに関しちゃ確かにこんなとこでもないと危ないしね

 

 その会話の終わりと同時に袋の食料が尽きた。

 そうするとトールの身体はおもむろに立ち上がる。

 

―― じゃあさっそくもう一つの方を

―― おまけからやっていくあたり君と僕の相性がなんでよかったのかすっごく分かるねこれ

 

 最後まで緩い調子を崩さず話した脳内で訪れる暫しの無言、その代わりの行動は上半身の服を脱ぐという行為となる。

 

 そして、身体をほぐす様に動かし精神統一の様に眼を閉じる。

 次の瞬間、彼の頭部が赤く光った。

 否、彼の髪に隠れ閉じていた複眼が一斉に開きだしたのだ。

 

―― それじゃあ……

 

「いきますか」

 

 そう言って開いたその眼は――――

 

―――― 左のみが緋色であった。

 

―――――――――

 

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ、キミ達は眼が赤くなるとどういう力が発現するかを聞いてるんだよ」

 クラピカは考える、この眼になって特別なことがあったかと。

「…… 直接の関係は無いが、筋力のリミッターが解除されて怪力になる。それくらいだ」

 その答えにカルトの目付きは鋭くなる。

「それだけじゃないでしょ? だったらそのオーラは何? あのときのトールもその眼になっていた時の動きもオーラの感じも違ったよ」

「…… オーラが?」

 緋の眼になってからのオーラを改めて感じた事は無い、それもそうだ特に何も影響がないと思っていたのだから。

「トールのときボクはまだまだ【念】を使いこなせなかったからハッキリとは分からないけど、今なら分かるよキミのオーラはあのとき明らかに普段より倍以上オーラが出ていたし、なにより感じが変わっていたよ」

 その指摘にクラピカは何かに気付いた様にハッとし台所へ駆ける。

 そうして持ってきたのは水をなみなみ注いだコップと野草の葉であった。

 そして、次にはあのオーラがクラピカから溢れ出た。

 一体何をしているのか、クラピカに隠れて見えない何事かを見るべくカルトは位置を変えて手元を見ようとする。

 

―― ボクの殺した蜘蛛?

 

 クラピカがじっと見ていたのは針が脳天に刺さった蜘蛛、先の質問からそれがクラピカの言う『トリガー』なのかと推測する。

 では何をしているのか、その答えはクラピカの翳した掌の先。

 

―― 水見式? 今さら?

 

「あれ、でもこれ?」

 具現化系と聞いていた反応と目の前のソレを合わせた違和感に気付く……

 

 そしてまた同時にとても濃厚な血の臭いにも気付いた。

「ただいまー!!」

 そして開くドア

 そこにいたのは何かの頭蓋骨をヘルメットの様に被り陽気に此方へ手を振る上半身血濡れかつ下半身の服はボロボロな腰みの状態という悲惨な何かであった。

「? トール? えっ!? 何、どうしたの!?」

「…… 一体何がどうしたらそうなるんだトール?」

 大混乱と困惑を二人に与えたかろうじてトールと分かるスカルヘッドは、なにがそんなに楽しいのかケタケタ笑いながらこっちに来た。

 あまりに濃い血の臭いに、慣れていないクラピカは思わず顔をしかめながら後ろに下がる。

 そのとき腰が当たり縁に置いていたコップが落ちて割れたがそれどころじゃない為、落とした当人は無視したがトールが気付いたらしくさらに近づいてコップの破片を取った。

「ダメじゃん割れたら拾わなきゃ!」

 言って小器用に破片を取るとボロボロな腰みのと化した服を漁り、赤黒い斑点だらけの元・白い手拭を取り出すとガラス片を包む。

「後で掃除しとけよー」

 指差し目線を合わせて初めて気付いた。

「トール、眼が……」

「うわっしょい!?」

 指摘された瞬間、トールは妙な声を出しながら眼窩から覗く赤い目ではなく何故か頭を抱える様に手をやって目深に骨を被り直した。

「…… 見た?」

 頭を押さえながら不安げにカルトと、特にクラピカを怯える様に見つつ聞く。

 そのとき二人の心情は一致した。

 

 肝心の部位である眼を隠さないでどうすると……

 

「…… いや、そのなんだ見えなかった。それよりシャワーを浴びてきたらどうだ?」

 なんというか今自分の目的が揺らぐような大きな物事の前に立っている、という事実が吹き飛ばされたクラピカはとうに色の戻った眼を疲れた様に瞑りながら悩みの種になっている緋色の内、洗い流せるほうをどうにかして来いと言えるだけだった。

「じゃあそうさせてもらおうかな!?」

 いまだ頭を骨ごと押さえながらそそくさと風呂場の方へ移動するトールは、廊下の扉の前でああそうだと言いながらピタッと止まった。

「俺、夕飯いらないから! お腹一杯だし直ぐ寝る!」

 そうして閉められた扉を前に、残された二人は信じられない言葉を聞いたと思わず無言で眼を合わせた。

 

「…… ふぅ」

 

―― クラピカがノータイムで()りに来ない辺り、見えてなかったみたいだな……

 

 脱衣所でトールは間一髪だったと力なく息を吐いた。

 ちゃっちゃっと風呂に入るかと、脱いだ頭蓋骨の中から露わになった彼の頭部は髪が血で固まってはいたがとっくに爛々と輝いていた複眼は閉じ切っていた。

 

 

 トールが早々に就寝し、それでも疲弊する食事も終わり風呂も入り終わった後、クラピカは何をするでもなく定位置になった窓際の場所で月を見ていた。

 いや、それは恰好だけで実際は思考の中を見ていた。

 有耶無耶になったとはいえ自分と同じ存在が、しかも先人がいた事に心の整理が追いつかなかったのだ。

 その問題の先人はその実なんの関係なく、ある種それよりも希少な存在であるのだが……

 自分の中にある情報だけで補填されたそれは軽く実態も何もないものであるが確実にクラピカを揺らした。

 

 そのとき、不意にクラピカのケータイが震えた。

 

 ディスプレイにはレオリオからの着信の文字。

「もしもし」

『よークラピカ! オレだ元気か?』

 電話越しのレオリオは今日のトールまでとはいかないがそれでも陽気だった。

「やけに陽気じゃないか、酒でも飲んでいるのか?」

『いやー、結構いい酒貰っちゃってよぉー』

 顔は見れないが何時かの様に下品な調子で笑っているのがすぐに浮かんだ。

「そうか」

 それだけ言ってクラピカは電話を切ったが、十秒経たない内に再度電話は鳴った。

「…… 何か用なのか? 私は酔っ払いの相手をしているほど暇ではないのだよレオリオ」

 額に青筋を浮かべ、持つケータイはミシリと音をたて始める。

『んな怒るんじゃねぇって…… 用ならあるさ、お前の【念】の師匠役がどんなのか知りたくってよ』

「その物言い、そうか教授する人間にあったか…… しかし、私ではなく教授する側の素性を気にするのは何故だ?」

 初日のトールの説明で試験合格者にこっそり【念】を教える裏試験官がいることを説明されている。

『おうよ、つーか今飲んでる酒が師匠のツテで入った酒でよ! 今グースカ寝ちまってるが寝る前に『裏試験官になんのも御免蒙るのにそのうえ担当まで急遽変更だと』って愚痴っててな、詳しく聞けば師匠が最初頼まれたのはクラピカだったそうだ』

 なるほど本当にトールが自身の担当になったのは突発的だったのだと裏付けされた。

『でよ、師匠がすげぇ良い人だからよぉ変えられたクラピカの師匠役がどんなヤツなのか気になってな、変な奴なら協会に文句言うの協力してやるぜ!』

 どうやらレオリオはその持前のコミュニケーション能力で師匠なる人物とかなり打ち解けたらしい。

 だがここで良い指導者に巡り合ってよかったで終わらず、もしや割を食ったかとすぐさま心配し確認してくるところこそが彼が好かれる本当の理由なのかもしれない。

「そうか、しかし私の師匠役はレオリオの心配する様な人ではないさ…… まぁ変という定義には当て嵌まるやもしれんが、その気持ちは受け取っておく」

『マジか? なーんか落ち込んでねぇか?』

 嘘には直ぐ引っかかる癖にこういった機微には鋭い人物なのだなとクラピカは再認識した。

「いや、落ち込んでいると言うより困惑している…… 自分の進む道が少し霞んだ気がしてな」

『余程じゃねーか、一体何があった?』

 レオリオの声に酔いの気が無くなっていた。

「まだ言えるほど整理がつかない、しかし悪い事では無い…… のかもしれん」

 確認する様に言うクラピカに電話越しのレオリオは黙って聞いていた。

『そうか、お前が悪くねぇってんならそれでいい…… でもよ、今度五人で会うときには笑える様にしとけよ? 沈んだ顔してたらゴン辺り何するか分かんねぇぜ?』

 そのときクラピカは、最初にあった船で放り出された人を助ける為に何の躊躇いも無く荒れた海に飛び込もうとしたときを思い出した。

「確かに、何をしでかすか分からんな」

 そして今はそんな存在がもう一人いる、コレは確かに分からないと同意したクラピカはフッと口元が緩んだ。

『だろ? んじゃあオレはこの辺で…… ヨークシンで会おうぜ? じゃな』

「ああ、それではな」

 

―― 確かに何をするか分からんな……

 

 気が付けばクラピカはある番号に電話を掛けていた。

 

『もしもし、クラピカ?』

「ああ、突然すまないな」

『いやいーけどさ何か用?』

 電話の相手はあの日番号を渡しあったキルアであった。

「その用と言えるほど大層な事ではないが近況を知りたくてな」

『あー、そのなんていうかすっげー強くなってるぜ? オレもゴンも!』

 濁す様な言い方だがそれが【念】の体得を指す事は直ぐに分かった。

「そうか、今何処にいるんだ?」

『天空闘技場ってとこ分かる? そこで闘ってる』

 確か世界第四位の高さを誇る建物にして勝ち上がるごとに上の階層へと進むシステムで闘技者が闘う、格闘のメッカであると頭の中の本を開く。

「そこで日夜戦ってる訳か」

『そ、でも四分の三くらい温い闘いだけど最近は骨のある奴増えてさ、ゴンのヤツまた腕へし折られたんだぜ? ハンゾーのときより手酷くやられたくせにもうとっくに治ったけど』

 電話から『キルアー! 誰と電話してるのー?』とゴンの声が聞こえた。

 どうやら本当に治ってピンピンしている様だ

『ああ、クラピカだよ』

 そう言えばゴンはかわってくれと、多分引っ手繰る勢いでそれを叩いたバチンという音も拾った。

『じゃあ後はゴンにかわるけどさ、オレが言うのもアレだけど悩みがあったら遠慮なく言えよ?』

 そう言って電話をゴンに投げ渡した様な音が聞こえた。

 

―― どうやらレオリオじゃ無くとも分かるほど覇気がないみたいだな

 

 困った様に髪を掻いた。

『もしもしクラピカ? 元気?』

「こっちの台詞だよゴン、聞けばまた腕を折ったらしいじゃないか?」

 クラピカの言葉にアハハ…… とゴンは何とも言えない調子で笑った。

『あっ! そうだクラピカ、こっちにさヒソカがいたんだ! っていうかオレ達の跡をつけてたみたいだけど』

「ヒソカが……」

 全ての情報元である戦闘狂…… そしてゴンの当面の課題たるあの底冷えする笑顔が浮かぶ。

『トールのことも追いかけようとしたみたいだけどトールの方が一枚上手だったみたいで断念したとも言ってた』

 確かトールはライセンスを詳しくは知らないがかなり巧妙なタイミングで使ったらしく、本業の暗殺者の追跡をも妨害させていた、事になったそれを思い出す。

 当人はただクラピカを追いかける事のみを考えていただけであるが。

「それで、奴に挑むつもりなんだな?」

『うん、明日対戦を申し込むつもり』

 きっとそうする筈だと思ったクラピカの言葉にゴンは答える。

『と言っても対戦の日時は暫く後だけどね』

「まったく…… 無茶ばかりしてる様だな? かなりキルアに怒られているんじゃないか?」

 図星の様でまるでボディーブローでも喰らったかのような声が漏れた。

『…… 実は、オレ達偶々闘技場で教授してくれる人に会ってさ…… 腕折ったとき凄い怒られたんだ、ビンタされたし』

 きっと裏試験官なのだろう、そしてその人もまた人格者なのだともゴンの態度から伝わってくる。

「だが、それでも止まらなかった…… だろう?」

「うん、止まったらジンがまた遠くなりそうだもん」

 ジン=フリークス、彼の父親にして目標である。

 

―― 目標…… か

 

「なぁ、ゴン」

『なに?』

 ここで一旦切るが、再度喋る。

 

『父親に会ったら、その後はどうする?』

 

―――――――――

 

「寝る時間は違うのに起きるのは同じ時間なんだ?」

「この程度で俺の腹時計は狂わんさ」

 割烹着姿で何かのスープの味を調えていたカルトが、絶妙なタイミングで起きてテーブルの椅子を引くトールに話しかける。

「ところでクラピカは? 寝坊?」

「さっき起きて顔洗ってた、ワンぺナでお昼の料理するのはアイツだけでいい? あとこの割烹着のウェイト増やしていいよ?」

 どっちも構わないけどソイツは珍しいなと顎に手を置くトールの横の扉が開く。

「本当にすまなかった、久しぶりに深く寝てしまってな…… あとトールにこの後で話がある」

 謝るクラピカは残る配膳と食器洗いも引き受けることを了承した。

 

 

「で、話ってなに?」

 すっかり馴染んだ重り入りのこちらはエプロンを用も終わり、置き場に畳んでおいたクラピカが来る。

「ああ具現化したいものが決まったんでな…… いや、実は最初から頭に思い浮かんでいたんだが、決めかねていた」

「へぇ! で、どんな物?」

 スッとケータイを取り出しながらトールは心なしかワクワクしながら聞く。

 

「鎖、だ」

 

 クサリ、つまりチェーン? と何故か言い直して聞き返すトールの言葉にクラピカは頷く。

「鎖ねぇ、ちなみに理由は?」

 多分自分だったら十割何となくと言いそうな男が何気なく聞く。

 

「そうだな……」

 

―― ジンに会ったら? …… うーん、正直考えたことないから分からないけどさ……

―― きっと、まだ歩いてると思う。今度はジンと一緒にさ!

 

―― だってそこで終わりじゃつまんないでしょ?

 

―― 出来ればキルアとレオリオとトールとクラピカも一緒に!

 

「得た繋がりを決して断たない様にしたいから…… だろうな」

 

 まるで自分に言う様なその言葉は何故だかとても印象に残った。

 

 



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鎖のち鎖、時々も何もやっぱり鎖でしょう

待たせたな(強気な土下座)


「トールって拷問の経験長い?」

「いや長くない、というかあれが拷問なら俺の人生の半分は拷問になっちまうんだが」

「じゃあ長いよ」

 昼食時、困惑する二人に対面する形で置かれた椅子は二つ。

 一つはクラピカの席……

 

 そしてもう一つは……

 

「そうか旨いか、今日の肉は私の仕留めたトカゲだからなアッハッハ!」

 らしくないバカ笑いをしつつクラピカはもう一つの椅子に座らせた()に語りかけていた。

 

 一体どうしてこうなったのか、それは時を少し遡る。

 

―※―※―※―※―※

 

「ではここにサインを…… はい、ありがとうございます」

 

 クラピカの具現化したいものが決まった翌日の昼、それは届いた。

 贔屓にさせてもらっている運送屋にサインをした後、後ろに控えた数人の男が入れ換わりで入って来た。

「どうも、『リフォーム・アート』の者ですが…… トール=フレンズ様ですか?」

「はいそうです、こんな場所まですいませんねなんか」

 さぁどうぞと招き入れたトールの顔はドッキリを仕掛ける人間のそれであった。

 

「あの…… やっておいてなんですが本当に大丈夫でしょうか?」

「大丈夫でしょう、私が先人です!」

 不安気な業者の一人にトールは胸を張って答える。

「そうですか…… それでは、今後ともリフォーム・アートをどうぞよろしく」

「…… ええ、是非機会があれば」

 

―― まっさか全員こういう専門の念能力者とは…… アーちゃんの知り合いは摩訶不思議すぎる

 

 僅か数十分のビフォー・アフターに驚くトールであるが、こいつも大概である。

 

―― これはアイツが帰ってくるまでに俺の分も終わりそうだな

 

 その予想通り、彼はアイツことクラピカが狩りを終えて帰って来るまでに全ての事を終えていた。

 

「何これ?」

 見慣れぬそれにそう言ったのは自分の身長に不釣り合いなワニを両手で頭上より高く掲げて持ってきたカルトだった。

「どうした? 早くドアを開けてくれないか?」

 後ろの方ですっかり慣れたどころかどちらかと言えば好きになりつつある例の毒草を中心に詰めた袋を担ぎ、さらにロープの様に蛇を丸めて空いた肩に巻いているクラピカが開けろと催促する。

「ちょっと持ってて」

 それに対する答えは持っていたワニを放り投げる事であった。

「なッ!? 待…… ぐぉおお!!」

 ワニをクラピカの方に投げるもその声を完全に無視し、カルトはその不思議な物…… ドアノブから出る鎖をマジマジと見る。

 二・三度触り、もしやと引っ張るとどういう原理なのか鎖がピンと張った瞬間ドアノブが回り扉が開いた。

 

「おかえりー! ありゃ? 開けたのカルトか」

 両手を広げ待ってましたと言わんばかりに帰宅を祝ったトールは目の前のカルトにありゃりゃと言った。

「クラピカはー?」

 その態度に一発かましてやろうかと思ったが大人げないとやめて不機嫌に外を指さしそのまま中に入って行った。

 

 指差されたクラピカは何がどうなってそうなるのか、ワニがまるで垂直落下して頭から丸のみした様な状態で被って右に左にフラフラしていた。

「おーい! 扉閉めるから遊び終わったら開けてねー!」

 

 無慈悲に扉は閉められた。

 

 

 

「それで、あの扉は何なのだトール?」

 一旦顔と髪を洗い、タオルで髪と顔を拭きながらクラピカは青筋を立てる。

 視線は元凶のカルトに向けられていたが肝心のカルトはまだ無視している上に拗ねた雰囲気を携えていた。

「あれはクラピカの修行のために用意したもんさ」

「私の修行?」

 性質の悪い悪戯かと思えば何やら違うらしい。

「具現化系の修行エクストラステージかつ入門も兼ねる『イメージ修行』の初歩…… 四六時中鎖と触れ合ってもらう」

 そのとき開けていた窓から風が吹き、ジャラジャラと音がした。

 その音の場所を反射的に振り返ったクラピカが見たのは、鎖。

 

 キッチンの扉代わりの暖簾が十数本の鎖になっていた。

 

「まさか……」

 椅子から立ち上がって家の中を走り回る。

 扉は全て玄関と同じ様な鎖の仕掛けが施されていた。

 階段や風呂場の転倒防止目的の手すりは全て鎖に変わり、飾られていた絵の入った額縁には無駄にクリアに映った鎖の写真になっていた。

「なッ……」

 とにかくなにかで鎖が目に付く廊下を抜け、辿り着いた自分の部屋の前でクラピカはポカンと口を開けた。

 そこにあったのは鎖の仕掛け付きのドア等という生ぬるいものでなく暖簾代わりの鎖よりさらに多く、完全に部屋の中が見れないほどに密集した鎖の壁であった。

 その鎖の壁から拳二個分ほど離れた天井から伸びた一本の赤い鎖を見つける。

 もしやとそれを掴み、グイッと引っ張った。

 

 そうするとそれに連動する形でもはや密集しすぎて音すら立たない鎖が、まるで神話か何かの海を割る絵の様に左右に分かれて壁の中に収納された。

 そして赤い鎖を離しても目の前の鎖の壁が戻らないことを確認して恐る恐る入った自分の部屋の光景を認識したとき、クラピカは本当に言葉を失った。

 

 結論だけ言えば、一面鎖だらけなのだ。

 

 カーテンが鎖になってるとか部屋の明かりの紐が鎖になっているとかクローゼットやその他が同じ様な鎖になっているとか、ベッドじゃなくて鎖のハンモックになっているとかもうそういう次元の話ではない。

 椅子とテーブルが鎖になっている。

 どういう原理なのか、網細工で出来た椅子があるのだからこれも出来るだろうと言う暴論が何の冗談か成立して実際にこの場にあった。

 椅子には申し訳程度の多分トールが仕立てたと思われる鎖柄のクッションと、鎖の外観を損ねないガラス製のテーブルの上部分が無駄に凝っていた。

 

 そして壁一面が鎖になっている。

 近づいて触ってみればどういう接着剤を使っているのか、全くそういった跡も無く鎖がピッタリそしてびっしり壁に張り付いているのだ。

 しかもただ単に鎖でびっしりなだけでなく色の違う鎖を使って幾何学模様を作り上げている。

 もうこの段階でアレだが……

 

 それどころか床も鎖になっている。

 だというのにスリッパ越しで伝わる感触はゴツゴツしたもでなく普通なのだ。

「どう? とりあえずどこみても鎖が観れる様に頼んでみたけど……」

 その声に力なく後ろを見ればトールが頑張りました、という類の笑顔でそこにいた。

 しかし、クラピカの視線は彼の顔で無く別の物に集中していた。

「俺も負けじと作ってみたんだ」

 

 その手には手作りらしき鎖製の上着があった。

 

―※―※―※―※―※

 

「とりあえず鎖に没頭できるようにしてみて早一週間、まさかあんな風になっちまうとは……」

 コイツは予想外だと言うトールであるが、それは紛れも無く本心である。

 その本能を超える唯一の才能…… 没頭する事に関して稀代の天才たる彼に没頭凡人という名の普通の感性を持つ人には彼の一歩は大股かつ無茶であった。

「鎖で縄跳びしながら自作曲とか言って『鎖ジャラジャラの歌』なんてのを急に笑顔で歌った時は流石にゾッとしたよ……」

 そうと知らないカルトからしてみればトールの所業は拷問から応用した何かにしか見えなかった。

 

―― 家以外にも拷問が日常になってる人っているんだなぁ

 

 修行というより苦行の域に達したクラピカのソレには拷問歴=人生のカルトでも少し引いていた。

 

 

 

「それでは散歩に行ってくるぞ!」

「ああ、うん…… その、気をつけてね」

 元気よく扉を開け放って行くクラピカの左手には鎖で繋がれた鎖が五本あった。

 見慣れると鎖に繋いだ複数の蛇を散歩に連れていくようにも見える。

 クラピカは最初の内はただ鎖を弄ったり観察したり資料を漁ったり普通のアプローチを掛けるだけであったが、三日目にして余程こたえたのかはたまた精神の安定を図るためか、鎖を生き物の類…… それもペット感覚で触れ合い尚且つ所謂ハイ(・・)な状態で冗談を言ったり一々大げさなリアクションをとったりするようになった。

 が、ふとした瞬間に素に戻るときがありその落差にうすら寒いなにかを感じる。

 自分の感覚的には初歩の初歩ぐらいであったがどうやらクラピカにはきついらしいとようやく感覚レベルで気付き始め、明日明後日辺りにもう一度業者を呼んでもとに戻そうと考えた。

 どうやらも何も、そもそもクラピカじゃ無くてもきつい点には欠片も気付いてはいないが。

 

「という訳で予定より大分早いですし胸張ったあげくこれですが元に戻していただきたく……」

『ええ、こちらも要望の段階で予想しておりましたので大丈夫ですよ。お急ぎでしたら明日の昼過ぎ頃でも構いません』

 クラピカを見送ってすぐ、ホントすみませんと電話越しにトールは謝るも特急をお願いする。

 かなり早いが、もう鎖の事を十分知っただろうと判断して今度は鎖断ちをさせるべく全ての鎖を取っ払い家を戻す依頼をする。

 そして電話を切ったトールは、今のカルトとの修行までの空いた時間を利用すべく立ちあがる。

 

―――――――――

 

「これでクラピカの奇行も収まってくれるといいんだけど……」

 

―― トールも十分奇行に走ってると思うけどね

 

 カルトは心配そうに呟くトールをみてそんな言葉が出掛かった。

 だが、そう思うのも無理は無い話であったりする。

 何故ならばカルトは自分の修行を見るまでに彼がそこらの木々を飛んだり跳ねたりして走り回る姿を見ている。

 しかも四足歩行かつ口にナイフを加えるという状態で、だ。

 しかし、彼の奇行や突飛な行動はそう見えるだけと思い込んでるだけあってスルーした。

「それで修行だけど……」

「紙の威力を出す方法を考え付いたんだっけか? 素で大木を穿つんなら充分だと思うけどなぁ」

 カルトは操る物を人でなく紙、特に自身で切った紙を操る能力に決めていた。

 近距離を紙の扇子、中~遠距離を扇子を用いた紙吹雪での攻撃とかなり練られたアイデアであり試し打ちされた時は恐かった。

 というか一つ一つを的確かつ無茶な姿勢で避けた為、身体が頑丈で無ければ【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)に殺される所であった。

 そして行き成り扇子で近接戦を仕掛けてきたが、よく鉄扇も使った事も無いのにそんな武器で闘えるなと聞いたらお母様も扇子(コレ)で戦えると言って瞬時にトールは納得した。

「動かないしオーラも纏ってない奴には充分だけど、実際はそんな事は滅多にないでしょ?」

 

―― 暗殺者だし多いんじゃないか?

 

 と思ったが念能力者という前提があった場合、直接戦闘に持って行かれる場合が多々ある。

 例外の多い世界、又はその向こう側にいるのである。

 元々【念】を抜きにして例外の向こう側にいる彼はその辺りの認識が薄い。

 だが、例外が日常と化し尚且つ不意打ちや奇襲の類にかなりの強さを持ってしまっているトールとの修行はカルトの暗殺者・念能力者としてのステップを階段飛ばして上げていた。

「そういう訳でコレ持ってて、身体の中心のところでしまってくれるといいんだけど」

「ん? さっきの紙吹雪の一枚か」

 カルトが渡したのは指の腹に収まるほどの大きさの紙切れ。

 綺麗な正三角形のそれはカルトが操作している紙吹雪の一枚だと直ぐに分かった。

 トールは言われた通りに紙を懐にしまう。

「あとちょっと離れてくれる? あの木のところくらいまで」

 これも言われた通りトールは指定された木までざっと十メートルほど離れる。

 

「それじゃあ避け続けてくれる?」

「…… え?」

 

 スッと此方を扇子で指したまさにそのとき、カルトから紙吹雪が舞う。

 その一片一片が正三角形になっているそれは、その鋭利な部分が一斉に此方を向き……

 

…… 一切の例外なく全ての紙が物凄い勢いで彼目掛けて飛んできた。

 

 そしてトールの頭も真っ白になった。

 

 紙吹雪はまるで一本の槍の様にトールの中心部を貫くべく向かってくる。

 しかし、当たるその寸前にトールの身体は柳の様にしなりながら横へ跳んだ。

 真相は力ないが故に柳の様にだらりと下がった身体が【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)によって勝手に跳んだだけである。

 紙吹雪は槍から形状を蛇のソレへと変え更に方向も変えてトールに向かう。

 だが、これも今度はその向かってくる風圧に負けた様に倒れた動きによって回避された。

 

―― 相変わらず何をどう見切ってるのか分からない動きだね!

 

 当の本人は今、一見仰向けに倒れた様で足と腹筋のみで地面すれすれで浮いている状態になったその衝撃でようやく意識が帰って来た。

 

―― っぶねー! こえぇ!

 

 その場から走りながら出てきたのはそんなものだった。

 威力は避けたトールの直ぐ先にあった木が大きく削がれていたのを見て直ぐに把握出来た。

 だからとにかくトールは走る、そして飛ぶ…… 何度かやられた紙吹雪の操作攻撃はこうすれば分散されるため、このまま近接戦に持ち込めるからだ。

 じゃあこうなること分かってるのだし気絶するなと思うだろうが、毎度問答無用だったため今回は最初にアクションがある分逆に分からなかったのである。

 奔るトールの周りに正体が紙だと信じられない穴が出来る。

「んぎぎ!!」

 能力発動中であるにも関わらずそんな声が漏れるほど、追跡されて攻撃が来る。

 木の枝を飛び移った瞬間、その下から枝ごと飲み込む勢いで上がって来た紙を飛び移って曲げた足の力と枝の反動をそのまま跳躍に変えて逆側に飛び、身体を極限まで折り曲げ衝撃を殺し着地する。

 

―― んだ畜生! 操作巧くなりすぎだろ!?

 

 先程まで自分がいた場所が紙に飲み込まれて細切れにされる様を下から見上げながら心の内で叫ぶ。

 その瞬間を、カルトは見逃さなかった。

 風、自分の周りで何かが大軍で動いている風の流れをトールは感じ、ハッとして周りを見る。

 上に登っていた部分以外がトールの周りを囲むように…… 蛇の如くとぐろを巻いた。

 

―― 蛇咬の舞!

 

 扇子の動きに合わせ、その上から蛇が獲物を食らいつく様に牙を剥き出して向かう。

 地面に向かって放たれた一撃に舞い上がる土煙をカルトは紙を操作して吹き飛ばす。

 その中心にはその原因となった地面の穴をジッと見つめる無傷のトールがいた。

「あーあ、最後の最後にとっちゃうか…… やっぱり」

「いや偶然だから、びっくりするぐらい奇跡だから」

 トールはあの一撃が襲い来るあの瞬間、懐から先程カルトが持っていろと言って渡した紙が風で服がはためいた時に出たのを見た。

 通常ならそんな事など直ぐに忘れるか印象にも残らないかである。

 しかし、次にその紙目掛けて蛇の頭が突っ込んだのを見れば覚えているのは当然である。

 

「マーキングと一定パターンの攻撃方法で威力と命中精度の確保か…… 恐いな」

 能力の説明を受けたトールは近場の水場でを勢いよく飲みながら心底怖そうに言った、がすぐさま水を飲んだためそんな雰囲気は微塵もでていない。

「じゃあそういう態度とってよ…… でもこれ最初にトールが紙を持ってたから出来たけど、実戦じゃ紙を刺さないとね」

 とは言うがトールが水をがぶがぶ飲む行為は彼なりの落ち着きを取り戻す方法であるので恐い反応はしていたりする。

 紙に関しては最初の一回は試運転を兼ねて紙を嫌々ながら持った状態で始めたらしい。

 

―― じゃあ防御にしてたらヤバかったなこれ……

 

 もう股関節を中心に変な音を立て始める回避になってきていたので、カルトの紙吹雪は時折防御した方がいいのではと思い始めた矢先の出来事であった。

「それじゃ紙じゃ無くて紙で付けた傷の方を追う様にすれば?」

 何気なく言った言葉にカルトは眼を開く。

「それだよ! ありがとうトール!」

 まだ試運転という感覚で行っている際の数少ない的確なアドバイスであった。

 カルトはそれを聞くと今日の食材で試しに行ってくると飛びだして行った。

 

 気付いてはいないだろうがここらの爬虫類を食材呼びしている時点で大分トールに毒されてきていた。

 

 

―― ようやく帰ってこれる様になったなぁ

 

 トールはその後まっすぐ家に、帰ってこれた。

 

―― いや僕の御蔭だけどね、もう僕の寝る時間が来ちゃったけど

 

 結局足から出した糸が途中で切れた為、なんとか起きていたアラーニェに導かれて家まで辿り着く。

 

―― 道中食べたし、夕飯は普通の量で済みそうだな

 

 彼の普通とは常人の暴食か過食レベルである。

 そんな事を考えながら何となくリビングの椅子に座っているトールの耳に二つの聞き慣れたくない音が入って来た。

 ジャラジャラと、地面を擦りながら鳴り続ける金属音。

 

 そしてそれより尚、気になるもう一つの音。

 

「ジャララ~~ジャラリ~~ジャラル~~ジャラレ~~…… ジャラロ~~♪」

 陽気、何処までも陽気だがなにか底冷えする様な物を携える音もしくは声、いや歌。

「右に~鎖~ひだ~り~にチェーン! けどセンターは~…… 譲らんぞ!!」

 歌詞なのか大事なアクセントなのかはたまた不安定なのか地面に鎖を思いっきり叩きつける音が響く。

「アア~鎖・イズ・マイライフ~…… ただいま」

「…… うん、おかえり!」

 何処で間違えてしまったのだろうと顔を覆いたい気持ちを抑えて、トールはクラピカに努めて明るく返事をした。

 クラピカは返事に満足げに頷くと右肩に担いだ皮膚が蚯蚓腫れの様に爆ぜたかなり大きな山椒魚の様な何かを台所に鼻歌交じりで置きに行った。

 

―― そっか、遂に両生類を食べる位好き嫌いが無くなったのか……

 

 こうして微妙にピントのはずれた事を考えてトールは己の正気を保とうとする。

 そんなトールの前にクラピカが台所から帰って来た。

「トール、すまないが新しい鎖を出してくれないか? 今日の得物を仕留めたときに先の方が砕けたらしい」

 左手に掴んだボロボロの鎖を見せるクラピカはいつもの表情であった。

 どうやら今は安定している様だ。

 

―― それはさっき歌ってる最中に叩きつけて壊したんじゃ?

 

 そう思ったが、当人があの状態の時をどうやら覚えていない様なのでやめた。

 そして今、鎖を新しく出す事はやってよいものかと悩む。

 

―― そろそろ取り上げよう……

 

 今日一杯持たせようと考えていたそれを放棄し、渡さない旨を言う為に顔をあげる……

 

 そして硬直した。

 

「どうしたトール?」

 その様子にクラピカは左手の鎖を外しながら不思議そうに彼の顔を覗く。

「それ……」

「ん?」

 でた言葉はそれだけ。

 そして同時に力なく人差し指がクラピカのある一点を指す。

 

「その鎖、なんだ?」

 指したクラピカの右手には真新しい銀の輝きを発する鎖があった。

「これは!?」

 右手をまるで拘束するかのように五本の鎖が巻かれていた。

 クラピカが気付いた事が引き金になったのか、鎖は音を立てるほどに回転しながら手首から上に伸びる。

 鎖の服の繋ぎ目を引き千切り露わになった右腕の鎖は右肩の所で複雑に絡まると止まった。

「こりゃオーラで覆われた鎖じゃない! 全部オーラで出来てやがる!?」

 【凝】でよく視れば微妙に透けている部分があることに気付く。

「ではこれは私が具現化した鎖!? …… くさり!?」

 クラピカは次には頭を抑えてその場に蹲った。

「クラピカ!?」

 そのまま動かなくなったクラピカに何事かと自分も膝を折って身体を近づける。

 そうすると何事かブツブツ言っているのが聞こえる、もしや体調の急激な変化かと耳を顔に近づける。

「…… ―――― ない……」

 それでも不明瞭なのでオーラで聴力を強化させる。

「…… ないぞ、あんなの私ではない…… あんな歌を歌っていたなど一生物の…… うぉおおおおおッ!!」

「があああ!! 耳がァアあ!?」

 耳をおさえるトールを跳ね飛ばし、叫んだままクラピカは二階に行ってしまった。

 

 後に帰って来たカルトがリビングで「クラピカぁ……」とうわ言を言ってもがき苦しむトールを見て、いつからそんな事が出来たのかと【円】を展開して二階にいる事を把握すると扇子を取り出して階段へ駈け出そうとしたが必死に糸で止めた。

 

 クラピカはそのまま部屋の戸を固く閉ざし、姿を見せる事は無かった。

 

 問題があるとすれば、そこがクラピカの部屋ではなくトールの部屋だった事である。

 

 どうやら鎖はもう見たくないらしい。

 

―――――――――

 

『それは多分言うなれば拒否反応が生んだ奇跡ってとこかしら?』

「拒否反応の奇跡?」

 鎖製のハンモックに揺られながらトールはアルゴと電話をしていた。

 予想の半分以下で具現化に成功した事とその他色々な心配事からこりゃ手に負えないと判断したからである。

『この具現化系のイメージ修行はね、本来なら具現化したい物を日常の一部にして馴染んだ頃にその一切を取り上げて欠けた物を補う形で自然に具現化させるってのは覚えてるわよね?』

「うん、二十四時間それがあることが当たり前の生活を送らせるって聞いたから頑張ってみたんだけど」

 その結果がこの鎖部屋である。今日の昼頃には撤去予定だ。

 ちなみにアルゴにクラピカが何を具現化したいかは伏せている。

 むしろアルゴ側からそれは言わないようにと釘を刺されていた。

『それでトールちゃんが張り切り過ぎたのが原因よぉもう! クラピカちゃんが普段と真逆なキャラになったのは過剰な接触から己を守ろうとしたのよ』

「なるほど、それが拒否反応ってこと?」

 アハハと高笑いするクラピカを思い出す。

「そうよ、それで修行の第二ステップの取り上げるという工程…… これが拒否反応によって見ているのに見ていない状態になって省略されたってわけ」

 見てるのに見てない? と没頭の天才は問う。

『詳しい反応を聞くにクラピカちゃんの行動は具現化したい物をまるでペットのように見立ててたんでしょ? つまり具現化したい物をそれじゃない別の物だと思い込んで距離を離していたのよ、身体は無理だから心をね』

 そう言われればと鎖に飯をあげていた事も思い出す。

『でも生活にそれが根付いているから心の欠けた部分を埋める様に具現化したんでしょうね。代償として具現化で心が安定して記憶の隅に追いやっていた事が出てきてあまりの恥ずかしさに引籠ったってところかしら?』

 つまり成果は出たが反動が大きかった…… それほど苛酷な修行であった、そういうことなのだろう。

『それより、クラピカちゃんは今から想像以上のスピードで【念】が進化するわよ』

「これ以上の速度でか!?」

 あまりの驚きに片方の足が鎖製のハンモックの網目に嵌った。

『ちょっと語弊があったわ、正確には具現化した物に特殊な能力を付加するっていう部分が早いってこと』

 アルゴからの事前学習に具現化系の特徴、例えば剣を具現化した能力者であれば『斬った相手を数秒麻痺にする』といった能力を付加したりして自身の能力の使い勝手を上げたり威力の底上げを図ったりする能力者が多い。

 そのことを事前にクラピカにも話している、特殊能力とそのさじ加減…… 制約と誓約。

『具現化系の能力って最初の物質を具現化するって部分が難産なのよ、それに対して特殊な能力の付加はあっさり出来る場合が多いの、具現化するって工程で充分なイメージが出来ていたりじっくり誓約や制約(ルール)を考えられる時間があったりするからね』

 つまりよほど難しい能力や、それ自体に別の強い体験が必要でない限りは最初の具現化修行の段階で同時にこなしてしまうから結果的に早く特殊な能力の付加が出来ている様に見えるそうだ。

「まぁなんにせよ順調に進んでくれればいいや」

『そうなのよねー…… そうそう、クラピカちゃんとカルトちゃんの能力が完成したらメールしてくれないかしら?』

「そりゃなんで?」そう聞くトールにアルゴはニヤリと笑った気がした。

 



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刺客は視覚で死角でしょう1

 

「ここにいたのか、トール」

「今度は絶壁に作られた何かの巣? お腹減ったなら言えば何か作るよ修行にもなるし」

 森の中から盛り上がる様に出た岩山に空いた穴の一つにクラピカとカルトは、互いに別々のルートで来たにも関わらず迷いなくそこにいた迷っていたトールを見つけ出した。

「ふぉめんほー、ほら飛んでた…… んぐ、空飛んでたのが目に入って夢中で追い掛けてたらこんなことに」

 プテラノドンの様な何かをまるで飛行機を追う子供みたいなレベルで追い掛けたトールはそのまま執念の追跡の末に巣まで行き、腹が空いたのでそれを食べていた。

 そして食べながらも、足の糸が切れて家どっちだっけと思い始めた所で二人がやって来た。

「それじゃあ帰るよ」

 そう言って背を向けるカルトと、トールより下がってカルトと挟む形で位置を取るクラピカの腋にはここの巣にあった巨大な卵がちゃっかりあった。

 二人ともすっかり食料の調達を基準にした生活形態が出来あがっていた。

 

―― 末恐ろしいよな

 

 だが恐怖したのは決してそっちの方ではない。

 二人とも自分だけの【念】を確立した事についてだ。

 特にクラピカ、あの後本当にアルゴの言った通り直ぐに特殊な能力を鎖に付加していた。

 それも五つも。これで【念】に関して言えばカルトとクラピカに差が完全になくなった。

 いや、クラピカの方がこのままカルトを抜いて行くだろうと推測する。

 それは才能ではなく単純な年齢差による肉体の発達加減によるものであるが。

 

 それよりトールが恐怖している事項が一つ。

 

 クラピカの能力の一つ、【導く薬指の鎖】(ダウジングチェーン)そしてカルトが新たに付加した紙の探知……

 

―― これ、俺のせいじゃないよな?

 

 二人ともサーチ系の能力を持っている事に自分の影響が大きいのではないかということである。

 

 

「…… ん?」

 家に着いた三人は卵を一旦置くべく台所に向かう。

 そのテーブルに何か見慣れぬ物があると、台所に詳しいトールが僅かな違和感で台所に完全に入る直前に視界の端に捉えて気付いた。

「なんじゃこりゃ?」

 それはテーブルの上に置かれたまな板に包丁で刺す事で止まっていた一枚の紙。

 紙が置いてあるだけ、あるいは包丁で刺さっているだけならばある種の恐怖や異様な雰囲気を演出するだろうが、わざわざまな板の上に置かれたことでどこか滑稽な雰囲気となってしまったそれ。

「…… あ! 侵入者!」

 故に、誰かが留守中に侵入してきたという重大な事実に気付くのにトールはともかくカルトもクラピカも数秒掛かってしまった。

 頭をようやく切り替え、紙吹雪を部屋全体に行き渡る様に撒く。

 次いで窓という窓を器用に紙で開けながら紙吹雪を更に外に拡散させる。

 数秒後、少し落胆した調子になるカルトの周りに紙が戻って来た。

「駄目だ、やっぱりもうここらにいないみたい……」

 いた方が逆に恐怖を感じるほど、既にその場には人っ子ひとりいなかった様だ。

 ので早々に置かれていた紙に書かれていた内容を読むため一応念の為【凝】で視てから問題ない事を確認し、包丁を引き抜き、紙を手に取った。

 

―――― 爬虫類渦巻く森での修行、いかがお過ごしでしょうか?

 我々二名は数日前にアルゴ=ナウタイが言った刺客の者でございます。

 明日、午後二時より奇襲を掛けることを前もって連絡しておくべく筆を取りました。

 突然の事でございましょうが、どうか身体・精神共に良好な状態で挑まれる事を望みます。

 奇襲につきましては明日の午後二時になり次第その瞬間に仕掛けますので場所等の要望御座いましたら前もって移動していただけたら幸いです。

 

 追伸、まな板及び包丁の代金は弁償します。

 

―――― アーノ=キュコウ ノウン=キュコウ

 

「……」

 無言でまな板を動かすトールはまな板の下に千ジェニーが一枚あるのを見つける。

 次いで一緒に紙を読んでいた二人に視線を合わせる。

 カルトが紙をトールの手からそっと奪うと、にこりと微笑み…… 直ぐ様怒りのソレに変え

「何なのコレ!?」

 

 盛大に紙を破った。

 

「あっ、俺の友達兼師匠が二人の【念】が一応の完成を見せたら連絡してくれって言って連絡したときに模擬試合やろうとか言ってたなそういえば」

「何で忘れてるんだそんな重要な事……」

 畳み掛ける間抜けなコンボにクラピカは頭痛がした様に米神をおさえて目を瞑る。

「そこはいいよトールだし、問題はコレだよ! 奇襲予告って何!? バカにしてんの、それとも向こうがバカなの!? あとなんで態々まな板に包丁で刺してこんなの置くの!?」

 紙を物凄い速さで細切れにしながら一気にツッコミどころをぶちまける。

 キルアといいミルキといい、この手のそれにツッコミを入れる様はゾルディック家が案外まともな常識を教えている事を感じさせる。

 あれで案外長男みたいな存在が例外なのかもしれない。

 

「まぁ何はともあれ最終修行実戦ってことだな、皆! 気合い入れていこう!」

 

 全てを放棄して〆に掛かったその言葉の前に怒りの紙と鎖が飛んできたが、腹立たしい事に掠りもしなかった。

 

 

 

「…… さって、もうそろそろ時間だな」

 家の近くの比較的木の少ない場所で、奇襲を待つという訳の分からない状況の中やるべき事を終えて待つ三人。

 トールは切株の上に置いた時計を見てそう呟く。

「ボクの紙には何も反応ないね」

「焼け石に水程度だが私の【円】にも反応がない」

 それぞれ奇襲するであろうアルゴからの刺客的な何者かを探す術を使うが発見出来ない、もしくはまだ範囲にいない様であった。

「アレ使わないのか?」

 薬指を指しながら言うアレとはクラピカの【導く薬指の鎖】(ダウジングチェーン)の事だ。

「…… 実はまだ完璧な物で無い、居場所の特定は実際に顔を見た人物かつ中規模の町程度の範囲にいなければ分からない状態だ。しかも詳しい仕組みも分かっていないからな、何か自分も知らない条件があるやもしれん」

「まぁ、能力の仕組みとかそもそも能力なのかも怪しいのだってあるし気長に付き合ってみるっきゃないよな、アハハ……」

 

―― 例外的に何度も探し続け、能力体得時から近くにいるトールならば更に広範囲でより明確に分かるだろうが……

 

 事前準備が可能かつむこうが向かってくるならそんなトールでもかなりの範囲を感知する【円もどき】(蜘蛛の巣)を持ってはいるがあくまで二人の修行なので手を貸しては意味がないと珍しく師匠的な立場から厳しくも妥当な判断をし、特に何もせずこの場にいるだけである。

 そして時計の針が一時五十五分を指したその時である。

「ッ!?」

「トール!?」

 トールが何の前触れも無くその場でカルトの身長より高く上に、何故か大股を開いて跳んだ。

 しかし、二人の眼はトールではなく別の物を見る。

 それは彼の後ろにあった木…… トールが跳んだ瞬間、木の表面がまるで爆ぜる様に飛び散ったのである。

 

―― こ、股関節が……

 

 事前準備なしで一気に動いた反動でそこが鈍く骨の軋む嫌な音を立てたが、表面上特に問題なく着地する。

 そんなトールの事など分かる訳も無く、カルトは周りに潜ませる形で撒いていた紙を操作し、トールと木の直線状に位置する空間を中心に紙吹雪を放つ。

 一方のクラピカもその方向を目視しつつ、【円】で後方も警戒する。

 

「いやー、紙はそのままにしていた方が良かったんじゃないでしょうか?」

「え?」

 

 突然の横からの声、振り向いたと同時に見たのは硬く握られた拳を自分に向ける男、そして衝撃。

 

 カルトが殴られ木に叩きつけられたと気付いたとき、クラピカは即座に地を蹴りカルトを殴り飛ばした男の頭を狙った一撃を繰り出す。

「この場では【円】より【凝】の方が正解さね!」

「なッ!?」

 その声と共にクラピカは突如目に見えない硬い何かが自身の側面に強く当たり、気付けばカルトと同様木に当たるまで止まらなかった。

 

―――――――――

 

「とりま、奇襲成功ってことでいいさね?」

「ですね兄さん」

 

 割と陽気なノリでハイタッチをかます男二人の前にクラピカとカルトは地面を転がっていた。

「そこのキミィ! キミがアー姐さんの友達で弟子でなんかもう家族的な、言葉で言い表せない関係のトール君だね?」

 そのうちの兄さんと言われた軽い雰囲気の男がトールを指差す。

「確かにトールですけど、その言い回しでアーちゃんとの関係まとめないでくれないか?」

 とりあえず杖代わりにしたいが三節棍は持っていないので股関節を休める意味を込めて切株に座っていたトールはそのままそこの部分だけは嫌そうに訂正を求めた。

「すみません、兄さんは言葉だけは適当なもので…… ええと、私達はもう察しているかもしれませんがアルゴお姉様がアナタ方の修行の総仕上げとして送った者でして、私がノウンで兄がアーノです」

 礼をして丁寧に説明する優男、改めノウン=キュコウ

「これはどうも…… じゃなくて!」

 流石にトールもおかしいだろうと声を上げる。

「おね…… いや呼称はこの際どうでもいいとして、まだ二時になってないんですけど!?」

「…… 違う、そこじゃないよトール……」

 立ちあがったカルトに指摘されるが、そうかな? という顔をした。

「えー? 五分前行動って常識じゃあないかい?」

「まぁ、確かに一理あるけど…… それ実際のとこ国によっちゃ逆に急かされてるみたいでマナー違反らしいぜ?」

 うんうんと頷いた。

「そうではなくて奇襲をあらかじめ予告した点と、こうして悠長に話をしているところが一番の問題点だろう!」

 次いで立ちあがったクラピカの渾身の叫びに答えたのはノウンだった。

「す、すみません! 戦闘において奇襲を防ぐという行動は重要だと思いましたが、やはり急にお会いするのも失礼かと思ったもので……」

「ちなみにあの包丁とまな板は?」

 力が抜けてもう一度地面にキスをしかけたところを踏ん張って耐えるクラピカに代わってトールが気になっていた謎を聞く。

「そりゃ恐怖の演出さね! 狙われているっていう緊張感を与える為に考案したんだけども、テーブルに穴あけるってのもどうかと思ってよぅ、なんか一杯あったまな板と包丁を失敬した次第さね」

 つまり変に礼儀正しく、そして変に凝った考えを持っているが故の奇怪な行動であった。

「あれホントみたいだね、あの二人ボクらのことバカにしてるんじゃなくて逆だからこそあんなことしてるし、筋金入りの変人だよ」

 呼吸も整えたカルトは既にダメージを受けた形跡はほとんどなかった。

「オレら変かねぇ? それとも遠回しな予告無し奇襲を受けたいと言うちょっぴり危険な向上心の表れ?」

「恐らくどっちもでは? それよりあの二人、【念】の戦闘経験は本当に素人でしょうが相当な原石というヤツですよ兄さん」

 前者に関してはすっとぼけもいいところだが、ノウンの一見柔和に見える顔つきからかけ離れた鋭い観察眼は二人に土埃だけで外傷が見られない事を見抜いた。

「そうさね、お前もオレも一旦注意引きつけたとはいえちょいと意識飛ばそうかって位にはオーラを込めたんだけど、ぶっ飛ばすだけに留まっちまったさね」

 へらへら笑っているアーノも油断なく構える、これ以上手加減していればこっちがやられてしまうと分かったからだ。

「あれ? 同じ流派じゃあないんですか?」

 その構えにトールが殆どない緊張感を更に無くす疑問の声を上げる。

「…… 逆にキミはアー姐さんと同じ流派なんか?」

 はいと返事をして構えれば物凄く驚かれた。

「私達は確かにアルゴお姉様をそう呼び慕ってますが、流石に…… あの流派はちょっと、その……」

「ぶっちゃけ初級の型に『椅子に座って食事しているときにやってきた敵を椅子を使用し撃退する型』なんぞが平然とある流派にはいれるかって話さね……」

 結構簡単なんだけどねぇと呟くトールであるが、クラピカとカルトにも教えようとしたがきっぱり断られている。

「えーっと、流派云々はどうでもいい話として…… 今日は二人の事宜しくお願いしますね」

 律儀にトールはお辞儀をする。

 

「はいはい、任されたさね …… でも、だ!」

「ええ、貴方も気を付けた方がいいですよ!」

 

 トールの言葉と礼に返って来たのは膝辺りを狙うアーノの念弾、そしてその念弾を跳べばあたる挟み打ちの形でトールの首へと向かうノウンのラリアットであった。

「ッ!?」

 だが驚きの声が出たのは後ろの二人。

 トールは【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)によってお辞儀の姿勢から足を揃えて後ろへけり上げる。

 それは言うならば青い全身タイツの超人ヒーローが空を飛ぶときの姿勢に酷似していた。この世界にその実写や漫画があるかは分からないが……

 とにかくトールは横に跳ぶでもなく二人の挟み撃ちとも言うべき攻撃に出来た僅かなスペースに身体を潜り込ませて回避した。

「うひゃー! あれをああいう風に躱すのさね!? なーらばノウンー!!」

 アーノが名を叫ぶと、すぐさまノウンは近くの草むらに入る。

 しかし、追えたのはそこまで…… 気配さえ消えてしまった。

「弟の行方は気になると思うけども、今はオレをだいちゅうーもーっく!!」

 アーノの声に振り向けば彼は既に数十メートルは上空に跳んだ。

 無邪気に笑いながらこちらに張り手でも繰り出すのかと言いたくなるほど勢いよく掌を此方に向けた。

「念弾だ!」

 カルトがそのオーラの集中具合に気付き声を出すより一歩早く、その場に念弾の雨が降った。

 

 

「おー、おー…… キミら相当センスいいさね! 【隠】で隠した念弾も多々あったのに、【凝】って熟練者でも忘れちまうってのは知らんのさね?」

 

―― 最も、このトールってのが見切りに重きを置いてる様だからその辺抜かりない様さね

 

 木々が爆ぜ、地面が無数に抉れた地面に降り立ったアーノが見たのは多少息が上がっているものの目立った外傷がやはりないクラピカとカルト、そして何を見ているのか分からないトールがいた。

 【凝】の修行が多めなのは、アルゴがそう指示をしたせいである。

 トールは理由はよく分からないが常時【凝】の様な状態であり、体質レベルで何か他人と違うであろうことをアルゴは知っている(トール自身は初めからそんな状態なのであまり分かっていない、アルゴにしても半分人間でない影響だと思っている)

 よって逆に【凝】の重要性が理解出来ていないと分かってもいる為、常時【凝】してるというとんでもかろうじて人間と同じになれと出来る訳の無い事を言うより【凝】の修行はちゃんとしっかりねちっこく丁寧にやりなさいとアルゴは念を押していたのだ。

 それが互いに【隠】か【凝】をするにらめっこという形で行ったのは訳が分からないが。

「いや、そのなんで……」

 「何で俺まで?」そこまで言えずにトールはその場から一気に跳んだ。

「…… これも回避しますか」

 そこには何時の間にか拳にナックルをはめたノウンがいた。

 

―― そんな!? この距離で分からないなんて!

 

 そこはカルトにとっても死線と言うべき位置、そこを容易く超えて彼はトールを攻撃したのだ。

 しかしそう驚くもカルトは直ぐ様忍ばせていた針を放つ。

 とっさ故に【周】をする暇は無かったが、そこは問題ではないとした。

 

―― 多分、アレは【絶】!

 

 【凝】をしている自分が見てもオーラが見えない、つまりオーラを纏わずだからこそ武器を使ったのだと判断したのだ。

「兄さん! 一旦集中してやりましょう!」

「え!?」

 だが、針はまるで小蠅をはらうかのように叩き落とされた。

 ナックル部分を特に使わない素手の所で、だ。

「了解さね!」

 本当に何でもない一撃だったようでそのままノウンはアーノの念弾とうまく連携し、避け続けるトールを見る見るうちにカルト達から離して行った。

「くそ!」

「待て! 無闇に追いかけるのは危険だ!」

 そのまま追い掛けようとするカルトをクラピカが止める。

「でもあいつらボクらの修行で来たくせに肝心のボクらを無視してトールを集中狙いしたんだよ!?」

 無策で突っ込むのは危険、しかしそうは言ってもこの状況は予想外だ。

「分かっている! だが、挟み撃ちになる様に移動し紙を操作して周りを更に囲むくらいは出来るだろう?」

「…… 分かったよ」

 コイツに言われるのは凄い癪だが今は素直に従う事にカルトはした。

 

 約三分、即席とはいえ早々出れない陣形を作り上げる。

 

 だが、この陣形はあっさり崩れ去った。

 原因は直接的攻撃にあらず……

「ぐ…… ぅ、ううう……」

 

「トール!?」

 

 目をおさえ無様に地面を転げ回るトールの姿、それを見た動揺は紙全体に伝わったのだ。

 

―――――――――

 

「あららのらぁー…… ノウーン、ちょっとやり過ぎじゃあないさね?」

「いえ、その…… まさかここまでとは思っていませんでして」

 この状況、どうやら向こうとしても予想外の事態だったようだ。

 

「ぬぐぁあああッ!?」

 戸惑う雰囲気を見せる二人の間を転げ回るトール、中々にシュールだがその実ピンチである。

 

「そりゃこんなんなる奴オレも初めてみたさね、それでもねぇ…… あ、よいしょ!」

 気の抜ける掛け声をいきなりアーノが言ったと思えば、カルトの背に物凄い衝撃が走った。

「ぐッ!?」

「なにッ!?」

 それは同時にクラピカにも起こったらしく、目の前の木から受身を取る事も出来ず腐った果実の様に地面へ落とされた。

「師匠役がこんなんなった衝撃はやっぱあれだろうけ、ど! それでも【念】が途切れないとかマジでキミら破格の成長スピードさね羨ましい」

 

―― 今のはこの男の念弾? やはり一発目の念弾と同じだ…… ()()()()()()()()()()()から撃たれた!

 

「ひー、ふー、みー…… まだいけるさね」

 何かを指折り数えたアーノはそう言うといまだ悶絶するトールに身体を向ける。

「目ぇがぁあああ!!」

 物凄い勢いでその場を転げ回るが気にせずアーノは口を開く。

「そこの二人と自分自身が不思議に思ってる様だからネタばらしっぽく言うけどね、アー姐さんはキミに対してオレら兄弟に『トールちゃんも修行が足りてないようなら遠慮なくやっちゃって♥』と言われてるんさね!」

 肝心の本人は目になにやらダメージを負ったらしく聞いちゃいないが、構わずアーノは念弾を放つ。

 しかもクラピカやカルトに放ったそれより小さくそれでいて勢いとオーラを込めた一撃だった。

「ああ、眼がぁあ――――」

 その瞬間、彼の声はピタリと止まりしっかりした足取りで起き上がり危なげなく念弾を躱わした。

「ありゃ!?」

「油断しすぎですよ兄さん!」

 言うと同時にノウンは起き上がったトールに直ぐ様蹴りを入れる。

 しかし、蹴りは上半身を後ろに大きく逸らすことで回避された。

「む!」

 それは想定内、そう頭の中でノウンは言うと足を地面に着けずにそのまま連続で蹴りを行う。

 

「……」

 だが

 それら全てはまるで自らの蹴りで起こる風に漂う木の葉の如き動きで全て避けられた。

「こなくそ!」

「あっ! 駄目です兄さん!」

 ノウンの制止も虚しく、アーノの念弾は放たれた。

 

 その掌からではなく、トールの()()から

 

 しかし、それですら危なげなく顎と上半身を引いて回避される。

「仕方ないッ!」

 そのまま虚しくアッパーから唯空中に向かうだけとなる筈だった念弾を、ノウンは傍から見て何もオーラを纏っていないその手で裏拳を放ち、念弾を直角にトールの引いた顔面に向かう様に軌道を修正した。

 その念弾がトールの胸元に吸い込まれる、そのときトールはその体勢のままなんと足を軸にまるで視えない遊園地のコーヒーカップにでも乗っているかのように回転して回避した。

 

「……」

 場は完全にトールの無言で支配された。

 

「…… 目がぁああああ!!」

 支配時間僅か四秒、猛威をふるった【俺の代わりに僕が踊ろう】(タランチュラ)が解除され、そのまま後ろに倒れると再びトールは目をおさえてその場を転がり回った。

 

 場の空気は完全にトールに支配された、訳ではなかった。



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刺客は視覚で死角でしょう2

「オレ達もしかしておちょくられてる?」

 兄弟の連携を華麗に躱わし、まるで今思い出したかのように目をおさえて再び転げ回るトールを指差してアーノは戸惑いながらノウンに問いかける。

「…… ですね、どうやら修行不足は私達の方みたいですよ兄さん」

 服の乱れを整えながらノウンは苦笑いして肯定する。

 ノウンの言葉を聞き、アーノは数秒難しい顔をして頭を掻く。

 そして考えが纏まったのか、よし! という声と共に柏手一発鳴らす。

「オレ達兄弟は今から全面的にキミ達二人の実践修行をする事に決めたさね! まーずーはー、そこの金髪のキミィ!」

 はいじゃあよっろしくぅー! というふざけきった掛け声と共に自分を挟む形でいたクラピカとカルトにそれぞれを指差す様にして、その指を勢いよく鳴らした。

 

 同時に二人は大きくその場を横に跳ぶ。

 森の中から飛んできた念弾は、二人のいた空間をただ通り過ぎた。

 

「うっそーん…… もしかして見破られてる?」

「一度被弾した場所に浸透し、二撃目が放たれる念弾…… だろう?」

「だから駄目だと言ったんですよ兄さん……」

 クラピカの言葉にノウンが悔やむように言う。

 その反応がクラピカの予想が正しい事を証明した。

「フハハハハー! よくぞオレの【寄生的衛星念弾】(サテライトショット)を見破ったな褒めてつかわす! …… あんま他所で言わないでね?」

 色々台無しである。もとから台無しな気もするが……

「っていうかあの一発でオレの能力気付くとかー! なにそれ頭良すぎさねッ!」

 ビシビシと何度も何遍もクラピカとカルトを指差しながら空に向かってアーノは騒ぐ。

 そして突如として近くの木々が一斉にざわめきだす。

 巻き起こる砂塵が晴れるとそこには紙性の扇子でナックル付きの拳を防ぐカルトと、その拳を止められたノウンが中心にいた。

 

「…… 甘いよ?」

「…… こちらも読まれてましたか」

 

 数秒の静止、先に動いたのはカルトの紙…… それがノウンの右足に襲い掛かかるも文字通り紙一重で躱わした。

 

「よく、私の次の攻撃が右の蹴りだとわかりましたね? これは私の方も気付いていると考えてよろしいので?」

 アーノの横まで距離を取り軽く砂を払いながらノウンはカルトに問う。

 

「単純にちょっとやそっとじゃ見れないほど強い【隠】でしょ?」

「なんだぁ、ノウンの方も分かったのさね?」

 答えたのはアーノ、しかし困ったなぁと笑うノウンの反応がアーノの時と同じように正しさをあらわしていた。

「兄さんも駄目でしたが私もダメでしたね」

「ええいお前の能力がバレたのにさらっと再びオレの駄目だしやめるさね!」

 アーノは地団太を踏んでノウンを指差すが本気で怒っている訳ではない、むしろまだおどけている様だ。

 

「まぁ、分かった所で長時間かつ戦闘中という集中力の削がれる環境の最中ノウンの【無色透明な盾】(クリア)を見続けるのは至難だと思う…… さね!」

 言葉の終わり、不意に指差した手を開き二人に向けたアーノはそのまま数発の念弾を放ってきた。

 しかし、二人とも喰らうものかと必要最小限の動きでそれを躱わす。

 だが、互いに右と左…… それぞれの足に力とオーラを込める。

 

「ならこれでどうだ…… って、んもう!」

 

 それは次に来るだろうアーノ曰く【寄生的衛星念弾】(サテライトショット)の攻撃、その射線上から逃れるべく大きく横に跳ぶためだ。

 横に跳びつつカルトは扇子を振るう、すると落ちていた紙吹雪が一斉に舞い始める。

 それを見たアーノが腰を落とし紙の迎撃に備えるも、カルトが扇子で指示したのは…… 自身の真後ろだった。

「ッ!?」

「見えてるよ?」

 そこにいたのは大きくナックル付きの拳を引くノウンだった。

 そしてノウンは見た、カルトが何故自分の【無色透明な盾】(クリア)を見破ったのか…… そのカラクリを。

 

―― 左目部分にオーラが無い、【凝】を右目に絞って精度を上げたのか!?

 

 ノウンはそのカラクリに気付くと同時にオーラは問題無いとして流石に身体をその場から逃がす時間が無いと判断し、ダメージを覚悟する。

 

「問題ないさね!」

 その声と共にノウンとカルトの間にまるで壁になる様に数発の念弾が上下左右から発射された。

 

 アーノの【寄生的衛星念弾】(サテライトショット)が予想以上にその発射角度に自由があったようだ。

 

「さっきのミス、帳消しですよ兄さん!」

 紙吹雪を防御に回した一瞬を突き、ノウンはカルトの懐に一気に詰め寄った。

 こうなれば次にダメージを覚悟するのはカルトの方である。

「少し戦線離脱させますね?」

 だが、ノウンと違い経験の浅いカルトではオーラの操作が間に合わない。

 つまり大ダメージ必須の覚悟、故に左腕を差し出す様にガードの仕草をする。

 

―― 駄目だ! 間に合わない!

 

 が、ノウンの斜め下から這い上がる様に迫る拳は自分の動作より遥かに速かった…… 狙いはガードを超えた脇腹、ただでさえ紙の操作にオーラを割いていた上にガードを超えた一撃、戦闘続行は果たして可能だろうか?

 

「こちらも問題ない」

 

 だがその覚悟と心配は先程のアーノと同じ意の台詞によって杞憂となって終わった。

 ノウンの拳がカルトの脇腹があった箇所を素通りする、そこにカルトの姿は既になかった。

「おりょりょ!?」

 クラピカが横から高速でカルトを掴んで離脱し、木々の間をすり抜ける様に移動し消えていった。

「兄さん」

 直ぐ様ノウンは片目を閉じて米神に手を当てているアーノを呼ぶ。

「…… 駄目さね、ありゃ浸透してる場所を把握して移動してる。当たりゃしないさね」

「それでも兄さんの撒き方ならいくつか仕込んでいた地雷型に一ヶ所は接触するはずでしょう?」

 地雷型、アーノの【寄生的衛星念弾】(サテライトショット)が発射される条件の一つ、オーラを纏った自分以外の人物の接触による発射をノウンは期待する。

「オレも一個くらいは発動するかもと思ったんだが一つも発動してないさね、そっちも見破られているか…… もしかして足が一歩も枝やら地面に着いて無いんじゃねーか?」

 それはどういうことだとノウンが口を開こうとした瞬間、森は再びざわついた。

 

―※―※―※―※―※

 

「…… お礼なんか言わないよ」

「別に私も期待してない」

 キュコウ兄弟から離れた場所で息とオーラを整えるカルトはクラピカを一切見ずに口を開く。

「あの弟の方、ボクがやる」

 二度も死線を越えた相手にカルトはそれで生きている自分が暗殺者の端くれとして我慢ならないようだった。

「構わんさ」

 反対されてでもやってやるというカルトの意志と裏腹にクラピカがだしたのは了解だった。

 そこで初めてカルトはクラピカの方を振り向く。

「我々にあの兄弟の様な連携をとることは不可能だろう? 仲介役のトールは下手な演技をしてまで参加拒否をしている以上個々で動いた方が勝機がある」

 仲介役が出来るかそれさえ不安な奴は現在も森で呻いて転がり回っているが、総スルー状態である。

「なら勝手にやらせてもらうよ」

「しかし、だ」

 いざ動こうとしたカルトを制する様にクラピカは話を続けた。

「何!? いつも思ってたけどキミ回りくどいよ!」

 やはりコイツから片付けるかと言い始めそうな勢いで詰め寄る。

「個々でやるということはあの兄弟も離さなければならないだろう…… 故に……」

 

―※―※―※―※―※

 

「ノウン! 四方八方紙だらけさね! でもよ……」

「見れば分かりますよ兄さん」

 ふざける様に回転したアーノだがその実、それで全てを見通したらしい。

 

―― 私達の右斜め上、あの木の枝の所は紙が無い!

 

「って人の話は最後まで聞くもん…… あぎゃらばらッ!?」

 最後の最後にいくら兄でも可笑し過ぎる奇声を発し、何事かと振り返るノウンが捉えたのは一瞬で大木に叩きつけられたアーノと対峙するクラピカの姿。

「兄さん!?」

 

―― オマエはこっちだよ

 

 声が聞こえた訳ではない、音も無かった…… しかし微かに己の第六感とも言うべき何かがおぼろげな気配を感じとり、気付けば己の服の袖がズタズタに引き裂かれていた。

「…… 次は削ぐ」

「…… 奇襲はアナタ達の方が巧い様ですね」

 

 

―― 故に、最初の攻撃だけは同時に行う

 

 たった一つ、シンプルな同時奇襲は見事に兄弟を分断した。

 

―――――――――

 

「ってー…… 容赦ない腹パンさねー」

 そう言って立ち上がるアーノだが、実際は拳を寸での所でガードしている。

 それでも予想外の速度であった為に激突した背中にはしっかりダメージが通った様だ。

 

―― あの速度、やっぱりなにか能力が関係してるな…… 踏み込む音もしなけりゃ地面も抉れてねぇ

 

 さらに考察をしようとするアーノにクラピカはそのまま攻撃を再開する。

「ッハ! 接近戦もイケる口さね」

 そうは言うが念弾を撃つタイプにインファイトは効果的である、だがアーノも単なる固定砲台の訳も無く応戦する。

 拳が、足が、肘が、それぞれ相手の意識を刈り取るべく交差するがどれも致命的な一打とならず、ぶつかり合うオーラがまるで火花の様に光っては散っていく。

 やや大きくクラピカが右の拳を引く、アーノは直ぐ様それに気付くと未だ笑みを崩さぬまま自身の左腕にややオーラを集中させガードの姿勢を取る。

 

 そして彼の笑みは弾かれた腕のガードと共に驚愕の顔に変わった。

 

「ちょい…… っとぉー!」

 そして迫るガードを超えたクラピカの攻撃を前にアーノは咄嗟に右手をすくいあげる様に伸ばすと念弾を真上に飛ばしてクラピカに回避行動を取らせ一瞬の隙を作ると、そのまま後ろに反動で倒れつつ距離を取った。

 

―― んだおいガード弾かれたぞ? 同量少し上程度に込めたオーラのガード弾くって強化系かコイツ

 

 おどけた態度は鳴りを潜め、慎重に距離を取り構える……

「って、オレはバカさね!?」

 …… こと約五秒、アーノはそのまま突っ込んできた。

 いきなりの行動に一瞬目を広げるクラピカだが、すぐさま迎撃に思考を切り替える。

 五秒先から無軌道の男(ト  ー  ル)と少なくない時間共に過ごした経験はどうやら無駄ではなかった様だ。

「ざんねーん、ってねぇ!」

 しかし、突っ込んできたアーノが人の神経を逆撫でする様な腹立たしい笑顔を見せたと思った次の瞬間、クラピカはそのままつい先ほどアーノにしたように吹き飛んだ。

 

―― ノーモーション? いや、多分アレは……

 

「その様子じゃあ気付いたみたいだし敢えて言っとくが原理は簡単、念弾をオレの服に浸透させてたってだけさね」

 土煙で半分隠れながらも立ち上がるクラピカを確認したアーノは自分の服を引っ張りながらしてやったりと言った調子で喋る。

「やっぱ思った通り仕掛けがあったさね、さっきの攻撃といい今の防御といい、そのオーラ量で防御や攻撃してるにしちゃあちょいと固すぎるし強すぎる」

 身体はかろうじて小さな切り傷や打撲で済んではいるがもはや長袖として機能しなくなった袖を破り捨て、土煙から出て来るクラピカをしっかりと【凝】をしたアーノはその正体を見た。

 

 右腕全体をまるで縛り付けるかのように巻き付いた鎖を――

 

―――――――――

 

「【隠】で消せるって事は、具現化した物質か…… 最初に【凝】した方が正解とか言って登場したのにこの体たらくは自分で言うのもアレだけど酷いブーメランさねぇ」

 お茶らけて【凝】をしながら言うアーノは、その軽い口調から反する慎重な構えを取る。

 

―― あの鎖、巻きついている部位のオーラ量が変わらねぇで威力が違うということは肉体を強化している可能性が高いな……

 

「ノウンがここにいなくてよかったさね」

 口と裏腹に冷静にクラピカの【念】を推測するアーノの眼はクラピカの鎖がまるで蛇の如く動き始めるのを捉えた。

 

―― 来る!

 

 この距離なら念弾で先手だと掌を向けるその瞬間、彼が見た鎖の移動場所は右足。

 そして念弾が到達するより速く、されど小さく地面が爆ぜる。

 

 クラピカの右足による踏みこみによってだ。

 

「うぉったぁ!? 何か喋って欲しいさね!」

「喋れば不意に攻撃する意味がないだろう」

 そのまま掌でクラピカの拳を受け止めて言うアーノに御尤もな台詞をクラピカは返した。

「厳しい意見の方がクるさね……」

 沈んだ口調で言うが攻撃にはたやすく対処している。

「けどもオレもお前のさっきの加速がその巻きつく鎖の強化から来るものじゃない事くらいはバッチシ分かっちゃったさね!」

 

 アーノの言う通り、クラピカのこの鎖の能力名は【癒す親指の鎖】(ホーリーチェーン)であり、緋の眼になることによって底上げされた強化系によって自己治癒力を強化する回復がメインの能力だ。

 しかしふと考えたのだ、トールも緋の眼というよりクルタ族の種族特性に気付いているだろうと。

 それはカルトの証言から意識的に何らかの能力を行使出来る段階に彼はいると推測する。

 その誤認が前提で彼の修行はいつ始まりいつ終わるか分からない生活に根付いた不意打ち気味な方法である。

 

 つまりこう言いたいのではないか? 『常に戦える、若しくは動ける様にしろ』と……

 

 であるにも関わらず緋の眼状態でしか実戦に向かない能力があっても意味がないのではないかとクラピカは考えたのだ。

 その結果編み出されたのがこの【癒す親指の鎖】(ホーリーチェーン)による部分的肉体の強化。

 緋の眼でないときは治癒でなく活性化に効果を限定しさらに鎖を巻き付けた箇所のみを強化するという範囲の限定、その二重の限定がそれを可能にした。

「あーらよっと!」

 だがその強化された蹴りはアーノにその勢いを利用され彼の後方に投げ飛ばされてしまった。

 

―― ぶん殴って鎖に当たって色々されるよか念弾当てて気絶ってな!

 

 手にオーラを溜めつつ警戒と一撃とを兼ねた意識を刈り取る念弾を撃つためそんまま勢いよくアーノは後方を振りかえり――

 

 その勢いを利用したクラピカのロケットの如き一撃が彼の腹を直撃した。

 

「ッグ…… ガァアアア!?」

 耐えきれず先程より激しく後方に飛ぶアーノだが寸での所で飛びかけた意識を繋ぎ、手のオーラを斜め下の地面に向けてまるで逆噴射の要領で放出する事で、着弾時の衝撃を利用し勢いを殺してなんとか大木に激突する前に、地面にややおぼつかないながらも足を付ける。

 そうして顔を上げればクラピカは更に勢いを付けてこちらにもう一撃与えるべく詰め寄ってきていた。

「なめるなァッ!!」

 しかし、おどけた表情から一変して覗かせた鬼の形相で口から少量の血と共に叫ぶともはや視認出来ないレベルで構えた手から瞬時に念弾が同タイミングで二発クラピカの腕に当たり胴を掠め、クラピカは地面へ倒れた。

 

―――――――――

 

「っく……」

「悔しそうに立ちあがるとこ申し訳ねぇがその表情はオレの方がしたいさね、恥ずかしながらやっちまった感が満載さね」

 口から血の塊を吐き出しながらアーノは言う。

 

「だが言わせてもらうさね、もうその攻撃は喰らわねぇってな…… 精々逃亡用に活躍させるんだな、その中指の鎖はよォ……」

 肩で息をしながらも笑うアーノはあの一撃で確かに見た。

 投げ飛ばしたクラピカの中指から伸びる鎖の先端が自分の眼と鼻の先まで伸びていた一瞬を。

 そして、その鎖を沿うように空中でこちらに高速で向かうクラピカの拳を。

「空間に固定した鎖を伝って高速移動たぁ良い能力さね、オレも名前を教えたんだからそっちも名前くらい教えてくれると嬉しいさね」

 

「…… 【解放する中指の鎖】(リリースチェーン)だ」

 同じく口の中を切ったのか、端から血を流しつつ立ち上がるクラピカは、その名前を何かの決意を込めるかのように言う。

 

―― 『束縛』のイメージが強い鎖に『解放』とは、余程強い別のイメージがある様だな……

―― それはさておき、念弾を序盤でばかすか撃っちまったし(大半はトール相手に撃った無駄弾だが)向こうはまだなんか切り札あるっぽいし…… そもそもオレ、条件付きだし困ったさね修行だけど負けそう

 

 あっさり脳内で負けの色が出てきたことを認める。

 さてどうしたものかと考えるアーノに思わぬ誤算が訪れた。

 

 それは対峙する二人の間にまるで隕石の様に飛び込んできた。

 一瞬クラピカはアーノの念弾かと構えるが、どうやら違うようだ。

 先程以上の砂煙が晴れて出てきたそれは小さく呻き声をあげ、しきりに首を動かしている。

 普段の自信満々な表情も無く、猫や蛇の様な気まぐれさや狡猾さ、そして獲物を嬲る残忍さを持った瞳は固く閉ざされている。

 

 弱り切ったカルトがそこにいた。

 

「いやー、ナイスタイミングさね兄弟!」

「私的には仕事が増えそうでバッドタイミングですよ兄さん」

 

 まるでヒーローは遅れて登場するとばかりに、今回最大の敵が森から現れた。

 

「手酷くやられましたね?」

「それでも充分情報稼いだからな? あっちの子は鎖を具現化して少なくとも複数特殊な能力持ち、親指は巻いた箇所の肉体強化! 中指は鎖伸ばしてそこの間を高速で移動するさね!」

 さらに小声で二言三言話し、一瞬クラピカを二人が見た瞬間…… 兄弟の反撃が始まった。

「出血大サービスってな!」

 両の手を広げると、完全に調子を取り戻したアーノはそう言ってオーラを集中させる。

 一見何も起きていない様に見えたそれは中心のカルトの髪が不自然に揺れた瞬間、【隠】の念弾だとクラピカは理解し横に飛んだ。

 一拍遅く行った【凝】をした眼が捉えたのは点で無く面で攻める念弾の猛攻。

 脚力の強化では追いつけないと悟ったクラピカは【解放する中指の鎖】(リリースチェーン)をさらに横へ飛ばす。

 先端が何も無い空間で止まった瞬間、今度はクラピカを引っ張る様に鎖が固定された先端部分へと一気に戻る。

 視えない念弾はクラピカの服の裾を少し削っただけで森へと消えた。

 

―― やはりまだ未熟だ…… 意識しなければ【凝】が途絶える

 

 己の技術の粗さを痛感するクラピカのその眼が一瞬早く身に迫る靄の様な影を捉えた。

「兄に感謝しなければならないな……」

「直前で兄さんが【凝】を意識させなければ当たってましたもんね私の一撃」

 単に強力な【隠】という能力、【無色透明な盾】(クリア)を持った弟の拳は鎖のまかれた左腕が防いだ。

 押す拳の勢いが強くなるというのにノウンのオーラはますます弱まる様に見えなくなる。

 【癒す親指の鎖】(ホーリーチェーン)による活性化で耐える左腕のオーラと【凝】をするためのオーラによる配分で手薄になる胴体が心配であるが、それでもオーラの流れが一切分からなくなるよりはいくらかマシであるため眼に更にオーラを込める。

 

「まったく…… 兄さんには感謝しなければ」

 

 そう言って笑ったノウンを見た瞬間、クラピカの視界は白で埋め尽くされた。

 

「グッ……」

「派手に落ちましたねぇ」

 自分の遥か頭上からノウンの声が聞こえる、どうやら自分は木の枝の高さから一気に落ちた様だ。

 

 様だ、というのはクラピカ自身今の自分の状況が分からないのだ。

 眼球がまるで強く押されたかのように痛み、何色だか分からない霞みが己の視界を塞いでいる。

 

―― これは、まるで太陽を直に見た様な!?

 

 この眼の痛みと現象を混乱しかける頭でそう感じ取る。

 そして次に浮かぶのは同じ様に眼をおさえて転げまわっていたトールと、つい先ほど眼を固く閉じていたカルト。

「まさか!」

「気付いた所でなんとやら、ですね」

 思わず出た声に反応したのは自身のすぐ上、何時の間にかノウンは近くまで移動していたようだ。

「それでは残念賞という事で」

 視力を封じられた状態で避ける事が出来ない、そして【堅】も間に合わないと悟ったクラピカのその正常な耳は、この生活で聞き慣れた一つの音を拾った。

「おや?」

 繰り出す拳が勢いに乗る前に、引っかかる感じを覚えて拳を見ればそこには数十枚の紙切れが逆側に押す様に引っ付いていた。

「これは!?」

 そして次にはクラピカと自分を挟むように下から無数の紙きれが寄せ集まって壁となり、彼の視界を紙の白で埋め尽くす。

 それは【凝】もしていない手で簡単に崩せるものであったが。

 

「…… もう消えましたか、正直ここら辺で倒れてくれないともう修行云々言ってる場合じゃないんですが粘りますねぇ」

 この状況も容易く崩してみせた。

 

 

「何故助けた?」

「駒は一つでも多い方がいい、それ以上でもそれ以下でもないよ」

 試しの門を開けられる腕力は伊達ではない様であるが、体格差からクラピカを持ち辛そうに運びつつカルトは本心を口にする。

「ソレともう一つ、眼は視えるか?」

「片目はまだ、でももう一方は比較的軽度」

 距離からしてようやく安全な場所まで来たと判断し、クラピカをやや乱暴に地面に下ろしつつ質問に答える。

「私の方は両目ともまだ回復しきってはいない……」

 閉じた瞳を指差す。

 だが、そうだと言うのに浮かべたのは笑み。

 これこそが反撃の糸口だと言わんばかりの表情。

 

「どうやら私の考えは当たりの様だな」

 風が、森を駆け抜けた。

 

 

「おー、いてて…… 今度もまた奇襲かねノウン?」

「片方目が未だ潰れて、もう一方は両目とも未だ使い物にはならない時間ですし、回復に回ると」

 つまりこっちが先に仕掛けりゃいいってことさね、とアーノが腹を摩りながら答える。

「持久戦狙いなら本来私達に分があるというか、そもそものスタイルですけどね」

「その例外なんだからアレさねぇ…… 速攻仕掛ける側に回るたぁな、常に自分のフィールドに引き摺りこめる訳が無いっていう教訓学ぶためにオレ達が修行してるみたいさね」

 指の皮が剥け、血が滴る拳をナックル付きのまま器用にハンカチで拭きとるノウンは困った様な顔で同意した。

 そしてハンカチを仕舞ったとき、彼らは回復のためにしていた【絶】から一気に【堅】にまでオーラを放出する。

「おいおいおいおい…… コイツぁどーいうことさね?」

 臨戦態勢を取ってからであるが無意識にとった様で、頭ではまだ理解しきれていなかった。

 故に敢えてアーノは口に出す。

 

「堂々と二人揃って正面からったぁ予想外もいいとこさね!」

 この異常事態を。

 

「なぁ、片目の方の視力はどんな感じよ?」

「…… あの集中加減ですし、開いている方は恐らくは殆ど影響を受けてないでしょうね」

 正面に現れたカルトに視線を一瞬合わせて小声で確認する。

 カルトの閉じられていない片方の瞳は片時も此方から逸らしてはいない。

 クラピカの方は両目を瞑っている状況から未だ視力は回復していないことが容易く確認出来る。

 

 にも関わらず二人はそのまま彼らの前に姿を見せたのだ。

 

―― 十中八九何か策があるかだろうな

 

 しかし、アーノがそう考えると同時に前の二人はそのままかなりのスピードで此方へ向かってきた。

 

―― んな!? 策があるにしろちょいとリスキー過ぎやしないか!

 

 だがそう驚いている時間も無いと判断したアーノは右の掌にオーラを込める。

「なら最終決戦だバカ野郎!」

 自身のオーラ量が残り少ない今、アーノはここで終わらせることを決める。

「受け止めろや!」

 

 そして念弾は放たれる。

 

 【隠】を施し、尚且つ直線ではなく弧を描く様にして用意周到にカルトではなく直前にクラピカの方へ向かう様に。

 だが、その念弾もそれまで撃った数多のソレと同じく何にも当たることなく突っ切って行った。

 

「まぁじで!?」

 片目に【凝】をしていたカルトがクラピカに攻撃が当たる瞬間、情け容赦なく蹴り飛ばしたのだ。

 あの兄弟の様な連携は出来ない、それは双方協力し合う連携が出来ないと言う訳であり、だからこそ片方がどうなろうが結果的に知った事ではないという互いが互いに好き勝手やる利害関係一致故の連携がそこにあった。

 それでも考えあってのことらしく、クラピカは一切木に当たることなく横に吹っ飛ぶ。

「逃しはしませんよ!」

 直後のノウンのセリフは吹っ飛ぶクラピカではなく蹴ったカルトに対してのもの。

 

―― 【光輝燦然たる矛】(ライト)!

 

 彼のもう一つの能力がカルトの眼を襲う。

 

―― やっぱり、光り方がさっきの比じゃ無い…… この喰いつき方、くやしいけどアイツの言った通りの能力……

―― 【凝】の強さに応じて強く光るオーラ!

 

 つまりはノウンの能力はその実【無色透明な盾】(クリア)がバレてから発揮される二段構え、アーノが下手に【隠】の念弾を撃つのも全てが布石。

 【凝】を意識し、さらに強く視る事を促し高まった所で発動させて行動の要となる視力を奪い取る。

 

 だからこそ、白く染まりやがて黒となる視界の最中……

 

 カルトは先程のクラピカよりも意地悪く笑う。

 

―― 最初に金髪の方からやっちゃる宣言してる以上、ノウンより先に仕留めんと示しがつかねぇ!

 

 妙なこだわりから跳ぶクラピカをやってやるぜと言わんばかりに狙いを定め…… 撃つ事は出来なかった。

 

―― 鎖でこっち来よった!?

 

 どういう訳だかクラピカは【円】を展開していないにも関わらず、最小限の動きでアーノの場所までピンポイントで【解放する中指の鎖】(リリースチェーン)を使い、自身を引っ張る形で空中を移動してきている。

 

―― 【隠】してるのにー! 焦ってるけど隠密厳守だっぜおい!?

 

 やや混乱あるものの、それでも来るなら来いとばかりにピンと伸ばした右手を更に左手で支えて狙い撃つ覚悟を決める。

 蛇行しているものの【隠】をする余裕も無いのか鎖を出している状態ならば道筋が予想出来るため、オーラを込める手に迷いはない。

 

―― そこだ!

 

 撃った念弾は奇策によって回避される事無く当たり前の様に確実に命中し、前のめりで腕を伸ばしたままクラピカは地に堕ちてゆくだろう。

 だというのに彼は、その様子を見る事が出来なかった。

 

 それより早く、アーノが腕を伸ばしたまま前に倒れたのだ。

 

―― 何が!?

 

 それを視界の端に捉えたノウンが驚き、アーノの方に顔を動かし…… 彼は見た。

 

 アーノの後頭部があったであろう場所に、向かい合う様にして倒れていたクラピカのその薬指から伸びた鎖がアーノの頭上の木の枝を使い、その先の形状もあってまるで鉄球クレーンの様に球型の鎖が鈍く輝いている事を。

 

「兄さッ……」

 そして彼もまた、最後まで何かを実行出来ずに視界が闇の中へ向かう。

 

―― 口に、これは…… 紙!? なぜ、今しがた両目は潰れたはず!

 

 口から順に顔面を覆い尽くす紙が眼を覆い尽くす前にかろうじて見たモノは、何か白い紙を握るカルト。

 それが何か、分かる前に彼は息を吸う事も吐く事も出来ずゆっくりと倒れた。

 

「視覚に…… 頼り過ぎたな」

 

 どちらともなく呟いたその台詞に応える者は無く、静寂を取り戻した森に吹いた風は【導く薬指の鎖】(ダウジングチェーン)を揺らし、ノウンの姿を模し頭の部分を強く握られクシャクシャになった人型の切絵を飛ばした。



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クモは晴れ、後またクモでしょう

待たせたな!(猛虎落地勢)



「キミ、視覚に頼ってないけど『眼』には頼ったよね?」

「むぐっ……」

 木に寄りかかって疲弊している中、衰えない鋭さを伴ったツッコミがクラピカを襲った。

 クラピカの最後の一撃、技こそ【導く薬指の鎖】(ダウジングチェーン)による探知攻撃だが自身のガードに回すためと攻撃の強化に緋の眼となり能力を発動させたのである。

 それだけならああも言う必要はないが、問題はその後で限界近い状態で能力を使用した事によって殆ど動けなくなりかなり嫌々カルトが兄弟含める三名をなんとか安全な場所まで運んだのである。

「その、本当に申し訳ないさね…… 修行してやんぜと意気込んで蓋をあけりゃ負けちまった上に意識が戻るまで適当な場所に運んでもらって」

「ここからは私達が運びますので」

 言うや否や丁寧に兄弟はそれぞれを担ぎ、元来た道を戻り始める。

 

「あぁあ~、眼がまだしょぼしょぼするぅ……」

「…… まだやってたんですかアナタ」

 

 

 道中フラフラさ迷っていたトールは呆れられた様な調子でノウンに引っ張られた。

 

 

「とりあえず、【念】の戦闘はどうだったさね?」

「単に格闘するだけでない推測やある種の謎解きに似た要素もありかなり奥が深いものだというのはよく分かった」

 家に戻り、何故か客の身分にあたる兄弟が茶を用意し感想を聞いてきた。

「それが分かりゃ充分さね、なんやかんやあったけどアー姐さんからのノルマは達成したさねヤッター!」

「色々不足気味な兄に補足を入れますと、私達は主に【念】の戦闘において常識の外である力を相手に柔軟な発想で戦えるか? そして、それを実行出来る程度に【念】を体得しているか? この二点が出来るのかを確かめていた訳ですね」

 発想と実行力、確かにこの二つは【念】の戦闘においてかなり重要な部分である。

「当初はオレらの攻撃八割防いで合格みたいなそんなノリだったんだがヒートアップしちゃった…… しかも負けたさね」

 ヤッターと万歳した姿勢から一瞬でアーノは沈む。

「へぇー、二人とも勝ったのかぁ! 俺は終始何も視えなかったしホント凄いな」

 トールは純粋な目で二人を褒めながら丼に茶を入れ物凄い勢いで飲んでいた。

「オレらの攻撃完璧に避けてなんでこの子そんなノリで平然と言えるの? オレらやっぱおちょくられてるコレ?」

「当人は絶対バレてないと思っているらしいんだ、悪気は無いのだし頼むからスルーしてくれないか?」

 アーノの疑問にクラピカが小声で答えるというかお願いする。

「それでも…… これだけは聞きたいさねトール君!」

「おっふぁ!? 何でしょうか?」

 急に大きな声で話しかけられたのでトールは噎せかけながらも返事をする。

 それに対し、アーノは一度深く息を吐くと戦闘時より真面目な顔でトールに詰め寄る。

 

「キミはアー姐さんの若い燕か!」

「何言ってんだアンタ!?」

 余りにも予想外な質問でトールは素で返した。

「そんなんじゃねぇから! 親友だし家族みたいなもんだけどそういうアレじゃないから! ホントそんなんじゃないから!」

 必死な三度に渡る否定である。

 過去に似た様なシーンがあった気がしないでもないが今は完全否定しなければという気持ちでいっぱいである。

 

 その言葉にアーノは座り直す。

「その言葉が聞きたかったさね!」

 そして物凄い笑顔で言われた。

「いやー、もしそうなら大事だし戦闘どうしよっかって迷っててねぇ」

 どんな迷い方だよ、躊躇いのされ方が物凄いアレだろとトールは言いたかったが気力が湧かなかった。

 

 

「なら最初にキミだけ重点的に本気で攻撃したの謝るさね! 勘違いの嫉妬ほど見苦しいものはないさね!」

「ですね、私の方からも謝罪を……」

 

 

 瞬間、カルトとトールは固まった。

「さって、帰るぞノウーン! 疑問が晴れれば居続ける理由無しさね!」

「兄さん! …… すみません兄がそそっかしくて、お姉様には私の方から合格の旨を連絡しますので」

 そう言って晴れやかな顔をして兄弟は来た時と同じように混乱を残して行った。

 

「二人とも、一体どうしたというんだ?」

 震える手と声でアルゴの写真データを見せこれが件のアー姐さんだと言ったとき、クラピカも全てを理解して固まった。

 

 

 

「しっかしまぁ、こんなにボロボロになるたぁね…… 服の方は新しく拵えてくれたけども」

「予想外でしたね、流石にハ……」

 そこから先を言おうとしたノウンの額に軽く衝撃が走る。

 アーノが凸ピンをしたのだ。

「『ハンデを与えすぎましたかね?』ってか? バッカおめぇ修行なんだから潰すつもりの全力でいってどうすんさね、若い芽を摘むんじゃ無くて育てるの!」

 その指でノウンを指差す。

「でも兄さん、トールさんに関しては寄生以外(・・・・)の攻撃方法も使ってましたよね?」

「オマエだって本来の【光輝透明という矛盾】(クリアライト)使ってたろがい、それ含めての謝罪さねさっきのは」

 苦い物でも食べたかのような表情でノウンの言葉を返す。

「つーかこれ使ってりゃ負けなかった~、なぁんてのは言い訳にならんさね。実戦なら言う前にポックリチーンてな」

 死者を弔うモーションをしながらアーノは続ける。

「だから今回の修行は成功オレ達惨敗ハイ御終いってことさね」

「フフ…… そう、ですね」

 アーノの飄々とした調子にノウンは納得して笑う。

「じゃ! 納得した所で早速行きますか」

「はい? お姉様は今お忙しいので電話での報告になるのでは?」

 早急に行くべきだと言わんばかりの歩み方にノウンは疑問符を浮かべる。

「そうじゃないんさねぇ、アー姐さんに会いに行きたいのは山々なんだがそれは無理なの分かってる。それより重要な所さね」

 アーノは人差し指を左右に振ってチッチとまるで分かって無いなというジェスチャーをし、その指を今度は自分の胴体に向けた。

 

 

「多分骨にヒビ入ってっから病院行くさね、呼吸が痛ぇ」

 

 アーノ=キュコウ、肋骨の不完全骨折により全治一週間である。

 

 

 

「もう行くのか?」

「ああ、半年とはいえ充分力を付けたと思うからな」

 兄弟の修行から少し、クラピカは斡旋所に再び行くと旅立ちの準備をし終えたのである。

「あと餞別の服はもういい、スーツと他数着でホント充分だ」

 荷物の圧迫と曲がりなりにも高価な服の為、まだ収入を得ていない自分がそう気軽に貰っても心情的に困るという遠慮の二点からスッパリ断ると、ケースを閉める。

 【念】を体得した事によって武器の類を大幅に減らせた故に、軽い。

「トールは約束の日までどうするんだ?」

「んー、カルトと暫く一緒にいる事になってるし向こう任せだなぁ、九月ちょい前にはヨークシンに何があろうが行くけど」

 あやふや無軌道な男はやはり予定もしっかりしたもので無かったが、ヨークシンに来る事だけは確実だろうと分かった。

「そうか、次はヨークシンで会おう」

 クラピカは玄関を開け、家を出た。

「おーい、クラピカァ!」

 そしてドアを閉め暫くした所で急に窓からトールは身を乗り出す様に開けて出ると声を上げた。

 

「行ってらっしゃい!」

 久しく言われなかったその言葉に、クラピカは笑って片手を上げた。

 

 

「アイツやっと行ったの?」

「クラピカならもう行ったよー、食休みしてから行けばいいのに」

 台所で皿を片づけながら聞くカルトにトールは窓を閉めながら答える。

 さてカルトはこの後どうしようかと考えながら窓から離れた瞬間、彼の両足も地面から離れた。

 何時の間にか後ろにいたカルトの扇子が、彼を横一文字に斬ろうとしていたのだ。

「じゃあ聞くけど約束の日ってなに?」

 

―― それ聞いてるんならクラピカが言った事も知ってるのにぃ! 何故聞いた!?

 

 攻撃の瞬間軽く意識がトぶものの、次にカルトの顔を見たらすぐ思考が働くようになった辺りトールもカルト限定で慣れてきたようだ。

「あー、簡単に言うと九月一日ヨークシンに仲間全員集合ってこと、名目上はゴンのリターンマッチだけど」

「なかま? …… もしかして侵入者達と…… 兄さん?」

 扇子を仕舞いながらカルトは聞く。

 その通りだと頷いた瞬間、居合の様に扇子がまたトールを切り裂くべく振るわれた。

 やはり扇子は空を切り、避ける動作で椅子に座ったトールはとりあえず落ち着こうとテーブルの茶を飲んだ。

 

 傍から見れば余裕すぎてティータイムと洒落込んでいる様にしか見えないが。

 

「ふーん…… 兄さんがヨークシンに」

「そういう訳だから八月最終週にゃ出発したい所存でありまして」

 何かを考えるカルトにトールは下手に出る様な調子で喋る。と同時に茶を飲むので全く下手に出ている感じは見受けられないが。

「分かった、ちょっと電話してくる」

 湯呑が空になる頃、カルトは顔を上げるとそう言って部屋に行ってしまった。

 

「お待たせ」

 トールが茶請けのお菓子を出して食べ始めた頃、カルトは機嫌よく現れた。

「なんか良い事あった?」

「これからね。そうそうヨークシンについては安心してよ、行けるから」

 その言葉にそうか良かったと最後の茶を啜った。

「だから安心してボクの修行を再開してくれていいから」

「やっぱそうくる?」

 彼の頭の中には服のオーダー表と修行メニューが混在していた。

 そのせいで彼はカルトの何がそう上機嫌なのかを聞かなかった。

 

 それが彼の運命をさらに苛酷に、そして傍から見て愉快な方へ導く事となる。

 

―――――――――

 

―― 今回の奴らは優秀そうだな

 

 窓から覗く月夜がまるで名画の様に見えるその部屋は、その雰囲気に合うピアノの音で満たされていた。

 

―― この一月で次の課題も楽々とこなせるだろうし、そうなるなら埋まっている分スクワラにはボスの身辺警護の強化に回らせるか……

 

 ピアノを弾く男…… ダルツォルネは今後入るであろう新人を数に入れた護衛の計画を立てていた。

 月光を背に浴びてピアノを弾く姿はそれだけを聞けばロマンチックな雰囲気や幻想的なソレを思い浮かべるだろうが、侍女の間では「なんか鼻につく」と密かに不評だった。

 

 見事な月が大きな雲に隠れ、室内は雰囲気重視の為にさほど明るくないキャンドル型のスタンドの明りだけとなる。

 そしてダルツォルネはピアノの鍵盤蓋をゆっくりと閉め……

 

―― そこかッ!

 

 椅子に立掛けていた刀を自身の背にいた人影に向かって背後に思い切り突き刺した。

「フン…… 他愛ないな」

 やや湿った感触、引き抜いた時に背に掛かる生温かいもの…… 再び顔を出した月光によって浮かぶ影からして心臓を一突きしたと確信する。

 自身を襲った者は何者なのか? それを確認すべく振り返ったダルツォルネが見たもの…… それは――

 

「…… それはこっちの台詞なの」

 

―――― 赤だった。

 

「な、に……」

 次いで来るのは腹部の衝撃、視界は一気に霞んでゆく。

 霞む視界が捉えたのもやはり赤、全身が赤く細い女性のシルエット…… その腕が自分を貫くその様子。

 そして、死を感じさせる意識の消滅故の黒…… 鈍重になる思考が最後に出した言葉は崇高なものでも誰かへのメッセージでも無く「刺したはずだ」という死にゆく者の言葉としては小さく、されど彼にとって人生最大の疑問であった。

 

「いっけない! ついこのまま殺っちゃったの……」

 ピクピクと動くも糸の切れた人形の様に倒れたダルツォルネの腹部に、未だ腕を刺したまま座り込む赤い女性のシルエットと場にそぐわない、お転婆少女の様な調子の声。

「だからよろしくね♥」

 ハートが飛び出しそうな声と共に現れたのは、ややがっしりとしたしかし同じ様に赤い男のシルエット。

 それが無言でダルツォルネの隣で同じ様にしゃがむと、女性のシルエットは言葉も無しに刺さった腕を常人では分からない速度で引き抜き、それに合わせて代わりに自身の腕を押しこんだ。

 

「ん~、やっぱり服に靴が合ってないの…… 今度買いにいかないとね~」

 

 液体を啜る不気味な音をバックに何でもない日常の事を喋るその声は、声質とその内容に関わらず酷く不気味に響いた。

 

―――――――――

 

「オレ達を一週間で再度呼んだ理由は何だ?」

 ラフな格好の男、芭蕉は当然の疑問をスクワラに投げかける。

「言っとくけど一ヶ月で予定組んだから流石に一週間じゃキツイわよ?」

「いや、契約のテストはもういいんだ」

 ヴェーゼの言葉に答えたのは最初の雇用テストに紛れていたもう一人の護衛であるトチーノである

「なら契約はキャンセル? …… いいえ違うわね寧ろ逆、このリズムは否定してるわ」

 彼らの口が開くより早く答えを知ったのはセンリツが心臓の鼓動からその正否を判断出来るからであろう。

「では合格と言う事か、一体何があったんだ?」

 率直にどんな予想外の事が起こったのかをクラピカは二人に聞く。

 それに二人が顔を一瞬見合わせると、スクワラが頷く。

 彼が説明する様だ。

「あー、驚かず聞いてくれ…… まず屋敷でモニター越しに話していた男がいるだろう? アイツはダルツォルネという名でボスの護衛団のリーダー、だった(・・)男だ」

 その言い方に、四人の目付きは明らかに変わった。

 

「お察しの通り、死んだっつーか殺されたよ…… 自宅で、つまりは暗殺だ」

 その事実に場はさらに静まる。

 

「しかもかなり厄介な奴に殺されたみたいだ」

「…… ちょっと待って、暗殺されたのに誰が殺したか分かるの?」

 続いたスクワラの言葉に大きな疑問を抱いたヴェーゼが割って入る。

「死体の状態があまりに特徴的だからな」

 シンプルな答えに合わせる様にトチーノは懐から一枚の写真を取り出した。

「うへぇ、コレがあの男か? 依頼のミイラより余程綺麗なミイラじゃねーか」

 芭蕉の言葉通り、その写真に収められていたのは高級な絨毯に横たわり腹に大きな穴を空けて干乾びているダルツォルネらしきものだった。

「ダルツォルネの自宅には他に数人の侍女がいたが、全員同じ様に腹やら胸やらに穴あけてミイラになっていた」

 続けて出した写真も同じ様なミイラであった。

「この殺され方で直ぐに分かる、殺ったのはここ数年いきなり名を上げ始めた殺し屋集団『レッド』だ」

 と言っても通称がレッドであって特定の名は無いがと補足を入れる。

「数少ない目撃証言が複数人の真っ赤な服を着た男女からこの通称だそうだ」

 それはもはや仮装集団と言っても過言ではない派手さだろう。

「そして死体は毎度干乾びてミイラ、格好も殺し方もここまで派手にも拘らず代表が『リコ』と呼ばれる女性という情報以外尻尾を掴む事が全く出来んらしい…… これも渾名っぽいしな。現に今回も監視カメラの類は全部クリアされてたしオレの犬で血の匂いを追う事も出来なかった、あれだけの量の血を扱ったにも関わらずにだぞ?」

 まいったと言った調子でチラリと窓を覗くスクワラの視線の先には日を浴びて眠るブルドッグがいたがアレに匂いの捜査をさせたかは定かでは無い。

「だがハッキリしていることがあるだろう…… ダルツォルネが依頼を受けて殺されたという事実が」

 クラピカの言葉に護衛二人は神妙な顔で頷く。

「実行犯の『レッド』を追うのは困難極まるが雇った奴を見つける事はそれより少しは簡単だ、それでもあくまで少しってレベルだが…… 加えてもう一つ問題がある」

 一旦切ったスクワラに一筋の汗が見えた。

 

「殺しのターゲットがダルツォルネだけじゃねぇ可能性が高い、というよりそもそもターゲットがダルツォルネ単独の可能性の方が低い」

 言って彼は疲れた様にソファーに身を預けた。

「さっき暗殺とは言ったがコイツの依頼は基本的に幹部全員等複数、噂じゃ小規模な組一つ丸々ターゲットなんつーのもやったらしい『皆殺し』が主な内容だそうだ」

 むしろ一人だけ殺したケースの方がレアらしい。

 今回もダルツォルネ以外にも複数人の侍女を殺しているので信憑性は高い。

「つまり、元リーダー殺害は唯の始まりであり雇い主(ボス)にも危険が及ぶと……」

「その通りだ」

 センリツの要約にトチーノは肯定する。

「そんな危険な状態で、正式な契約後ならともかく前にこんななら雇われても困るわ」

 もとより危険なのは承知の上だが流石に『狙われている』と分かり被害も出ている状態ならそういうのも無理ではなく、ごく普通の事である。

「そうなるだろうから言うが、雇う金額を40%増やすし実際危険な目に遭ったなら更に手当がもらえる」

「金が倍近く増えても危険がそれ以上に大きくなってるなら意味無いじゃない」

 また踏まれたいの? とヴェーゼは足をスクワラに向ける。

「まぁ待ちな、他にもなにかあるんだろう?」

 芭蕉の言葉に、足を向けられなんとも言えない表情をするスクワラに代わってトチーノが頷く。

「肝心なのはそこだ、危険度が上がれば金も増えるのは当たり前…… しかし、危険度が極端に跳ね上がるって訳じゃない」

 それは一体どういう事かという疑問が場を包む。

「なに簡単な話だ、こちらも対抗して殺し屋を雇ったんだ」

「それで安心しろって? 相手は新手の化物なんでしょ」

 こちらも同じ人種を呼んだから安全だと言う安直な物言いにヴェーゼは納得しなかった。

 

「…… それがあのゾルディック家でもか?」

 

 その名が出た瞬間、彼女は驚く顔をしたが声が出なかった。

 

―――― ゾルディック…… 曲がりなりにも『裏』の仕事をしている人間にとってそれはある種の伝説であり、確かに存在する暴力なのだ。

 

「その話、本当でしょうね? 嘘だとしたらゾルディックはチープすぎるわよ?」

「オレも嘘じゃねぇかと未だ思ってるが正式な連絡でな」

 言っている本人でさえ、動揺があった。

「…… 嘘じゃ無いみたいね、少なくともアナタにとっては」

 その鼓動に虚偽の類が現れていないことを聞きとったセンリツも驚きを隠せていない。

「オレ達二人はまだ会ってないがもう間もなくここに到着するらしい…… で、それでも抜けたいってんなら来る前に去ってくれ」

 数秒、彼女は足をおろし考えるとやがて腹を括った様に座りなおした。

 

「OK、どうやら全員契約成立だな」

 

 誰も席を立とうとしない状況を見て彼は言う、そしてその直後後ろの扉が開き侍女の一人が彼に耳打ちした。

「どうやら到着したようだ」

「なによ、結局考える時間なんてないじゃない」

 各々座り直したりなどする中、クラピカは微動だにせず考え事に集中していた。

 

 ゾルディックという単語から感じる途轍もなく嫌な何かについてである。

 

 必死に頭を回転させ、キルアやあのハンター試験に出てきたキルアの兄、そして母親と思いだすがやはり最終的に出て来るのは末っ子のアレ。

 

…… というより、その隣で暴飲暴食する赤錆頭のアレ

 

―― いや、そんな事は無い…… 彼はゾルディックの人間ではない。キルアは除くにしても末っ子のアレも未だ修行中と言う点も考慮すればあの兄やセオリー的に父親ないし母親が出て来る確率の方が上!

 

「あの…… アナタ大丈夫かしら? 何とも言えない心音もそうだけど、それ以前に顔色が……」

 緊張のリズムの中、余りに異質な心音を刻むクラピカに気付きセンリツが心配して声を掛ける。

 確かにクラピカの顔は青くなったり赤くなったり頭の色と合わせてまるで信号機の様であり、誰であれ一発で不安になる。

「いや、大丈夫だ……」

「お、来たみたいだな」

 クラピカの返答と被る様にドアをノックする音が響く。

 そして、クラピカが心を落ち着かせる時間など存在する訳も無く先程の侍女がスッと扉を開けた。

 

「え?」

 

 それは誰の声かは分からない、だがこの場にいた者達殆どの心の声であった事は間違いない。

 

 陶器の様な白い肌、そして深い闇の様なそれでいて作り物の様な眼、整っていながら…… いや、むしろ整っているからこそ精巧な人形のイメージを与える――――

 

―――― 子供が現れたからだ。

 

「ちょ、ちょっと! この子が雇った殺し屋、しかもゾルディックだって言うの!?」

「あ、いや……」

 問い詰められたスクワラはどう返していいか分からず言葉に詰まる。

 なにせゾルディック家を雇った位しか情報が行かず、そして現状子供が出てきて自分も困っているのだ。

 どうにかしてくれとトチーノを見るが、彼も驚きを隠せずどうしたものかと考えて視線が泳いでいる。

 

 もはや今の彼に出来る事は外で待機している犬達(相棒)を窓越しに見て助けてくれないかという妄想を浮かぶぐらいであった。

「一秒……」

「え?」

 不意に子供が口を開く。

 

「キミを殺すのに一秒もいらない」

 

 眼が、気配が、何よりも微かに強くなるオーラがそれが本当の事であると雄弁に語っていた。

 ゾルディックという看板のみならず自分という存在を紹介するこれ以上ない名刺となった。

 

 口を噤む、その場にいた殆どが、それは本当の事であると理解して飲まれたからだ。

 

―― 心音が? これは苛立ち?

 

 センリツは子供の音が変わるのを聞き取り顔を上げる。

 視線の先には音を聞かなくても人間関係の機微が分かるものならすぐに分かる苛立ちの目付きをして一人の人物、クラピカをじっと見ていた。

 しかし、当のクラピカはそんな視線などまるで気にしないという様に目を、いや、身体そのものが止まったままであった。

 異常、この場を『音』という観点から捉えているセンリツだからこそ分かるそれ、そして察知するここに近づくもう一つの足音。

 

「いやー、すみません…… 道に迷ったもんで」

 

 それは異様な空気に侍女が開けっ放しにしていた扉からひょっこりと現れた。

 もう一人の和装の子供―― 否、阿呆がはち切れる寸前の風船に等しいこの空間を容易く結った紐をとき情けない音を立て萎ませるが如く登場したのである。

 

 場は静かになるどころかより一層の音が響き渡る事になった。

 

 一つはガリガリと頭を掻く音、発生源は頭を抱える様にして件の音を出すクラピカである。

 この時点で異様であるがもう一つの異音がそれを助長する。

 それ即ち窓を無数に叩く音、そして吠え声のセット。

 

 庭にいたブルドッグが今にも飛びかからんとする勢いで窓に前足をぶつけつつこの部屋に向かって吠えているのだ。

「元気な犬ですねー…… ってクラピカ!?」

 外の犬を実際に襲い掛かってくる森の獰猛な獣からすれば可愛い方だという比べる対象を間違えた故に元気の一言で片づけたトールは視線を部屋に戻したその時、自分の仕立てた服を纏った人物を見つけて指差す。

 その部屋にいたカルトと当人以外がクラピカに注目する最中、本人は溜息に近い何とも言えない声を発するに留まった。

 その混沌とした状況でトールは何か考える様に数度首を傾げると、ハハンなるほどとでも言いたげな顔をした。

「えっと、実はまだボス? に話を直接していないので今から言ってきますね」

 そう言ってトールは扉に戻って…… またひょこっと首だけ出して侍女を見ると

「あのー、ボス? の部屋まで案内してくれません?」

 侍女は一瞬不気味なモノを見た怯えた表情をしたがすぐに表情を戻すとトールに続いて部屋を出た。

 

 そして部屋は時計が時を刻む音より大きな音がない静まった状態となった。

「何故、トールがいる?」

 その静寂を破ったのは軽い混乱から元凶がいなくなったことによる回復をみせたクラピカだった。

「ゾルディックにも食客っていう概念はあるし、あくまで殺す役はボク…… プライベートじゃないんだ、この答えで充分でしょ? ボクだって君の事は言わないから」

 自身の母がかつてそうであったようにゾルディックにも他者を受け入れるという概念は存在する。 …… 一応、という言葉が頭に付くが。

「待てよ、今の奴はゾルディックじゃないのか!?」

 声を出したのはトチーノだった。

 先程のよく分からない子供もゾルディックだとばかりに思っていた他の連中も同様の事を思ったという顔をする。

「そうだけど実力は保障する、というかボクより強いよ」

 その言葉にトチーノはチラリとセンリツを見た、彼女の表情は驚き…… それが真実であると確かめるのはそれで充分だった。

 それだけ言ってカルトも部屋から出ていった、どうやらトールに続いてボスのもとへ行くようだ。

「…… 最近のガキは大体化物か」

「いや、彼…… トール=フレンズに関しては私より年上だ」

 芭蕉の言葉にクラピカが訂正を入れる。

「実力も私が再度保障しよう、そもそも彼はプロハンターで私達の【念】の師なのだからな……」

「マジかよ……」

 プロハンターであるというだけでその辺りの証明たるに充分であるのにさらにそんな立場なら何も言えなかった。

「ていうかオマエも何者だよ、ゾルディックとその師匠役と知り合いというか同門というか……」

「成り行きでそうなっただけで私とゾルディック家に強力な繋がりがある訳でもなんでもないさ」

 キルアとはある種強力な繋がりと言えなくもないが、それは当然キルア個人との話でありキルア=ゾルディックとしてではない。

 

「そのトールとかいう奴、人格はどうなんだよ?」

 

 その言葉は絞り出すようにか細かったが、耳に残った。

 声を発したのは今まで黙っていたスクワラだった。

「それはどういう……」

 そこまで言ってクラピカは言葉を切った、いや切らざるを得なかった。

 

 なにせスクワラの顔はまるで生気が感じられない疲労困憊の表情であったからだ。

 誰もその様子に気付かなかったのはそれほどにトールが無駄に異様な雰囲気を纏っていた(異様というよりこの場に全く合わない能天気な空気を醸し出していただけである)事に他ならない。

 トチーノが心配そうに肩を叩いた所で漸く会話が出来るほどに落ち着いた様だ。

「あのとき、外の犬が吠えたな」

「ええ、そこの窓ガラスを涎まみれにしてね」

 ヴェーゼの言うとおりそこだけ粘度の高い唾液で汚れた窓ガラスがある。

「オレが犬を操作して命令をする能力者なのはもう知ってるよな? アイツは他の奴と違う命令をしてる」

 あの時の痴態はカメラにばっちり撮られている。

 

「オレの身に危険が及ぶなら吠えろって命令をな」

 

 それが本当だとしたらつまり……

「加えてオレは世話してる犬と吠え声で会話が出来る、アイツが吠えていた内容はこうだ『逃げろ! アイツは危険、喰われる!』少なくとも人間に言う内容じゃねーぞ」

 そんな内容を常時言われ続ければ混乱と焦燥に襲われて当然だろう、なにせ()しかその場にいなかった…… という認識なのだから(・・・・・・・)

「彼が危険かどうかは分からないけど、彼の心境もまた良く分からなかったわ…… リズムが不規則過ぎて掴みづらいの、少なくとも危害を加える類のものはなかったしアナタが全幅の信頼をしているから大丈夫だと思うけどね」

「…… まぁ、彼が何を考えているかを当てるのは確かに困難なのは同意しよう」

 

 センリツでさえその心の内が分からないアレは何なのか? 薄ら寒い感覚をクラピカを除いて抱いた。

 

―――――――――

 

―― 食客だかなんだか知らないけどクラピカと同じ職場で働きたかったって事だとはなぁ、ようやく謎が解けたよ

―― 一緒に暗殺者やらない? っていう勧誘かと思ったけどそういう事ならボクも反対はしないよ

 

 侍女に連れられ、絨毯を踏みしめながら彼と彼女は会話する。

 

―― こうなるまで結構怒ってたもんなオマエ、結構短気じゃないか?

―― こういう時は強気に出ないとズルズル闇社会GOGOだよ! 別に怒ってる訳じゃ無くてキミのためを思ってだね!

 

 自分の中で意見の食い違いが起こっていた為に様々な感情が錯綜する様は一人の人間という認識ではその全てを捉える事は難しい事である。

 真実はこの通り単純であって不気味な印象からは程遠いものであるが。




暫くやっぱり投稿遅れます


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ここで別地方のクモの様子です

タァイムスリップしたんだ()


 

「それでボス? ってどういう人なんですか?」

 

―― いい加減ボスっていう呼び方慣れたらどう?

―― 次で! 次で完璧に違和感無くす!

 

 先頭を歩く侍女に何気なくトールは聞く。

 それに侍女は少し困ったような顔をして「ええと……」と言葉に詰まる。

「それじゃ抽象的すぎて答え難いでしょトール」

 自分の後ろからカルトがひょっこりと顔を出した。

「あー、じゃあ性別と年齢? いや趣味の方から? それとも…… うーん」

 下手な合コンかお見合いの様な質問内容が次々と湧く。

「もう会ってみればいいじゃん」

「それもそっか」

 この結局振り出しに戻る感じが割といつものノリである。

 

 

「ふーん、アナタ達がパパが用意した殺し屋なのね」

「あ、私は一応殺し屋じゃない感じなんですけどね」

 その訂正に「え? じゃあアナタ何なの?」と言いたい疑問符を頭に浮かべるネオン=ノストラードに話がややこしくなりそうだと判断したカルトが外部からの助っ人の様なものだと説明してネオンは納得した。

 本当はこう、微妙に違うのだがそこらは大丈夫だろうと判断した。

 というのも彼女が正当な依頼者ではなく父親が真の依頼者だと分かったからと、なにより彼女自身そこら辺はかなり無頓着であろうと踏んだからだ。

 

―― コイツ凄く我儘そうでヤだなぁ……

 

 カルトはベッドに置いてある服を侍女に片付けさせながら話を聞くネオンにそんな事を思ったが、自分の事は完全に棚上げ状態である。

「ボク達…… ボク(・・)はあくまで殺し屋として呼ばれている訳であって護衛まで手を回せないから、なるべく外出は控えてね」

 そういう風に要約できる内容を伝えると途端にネオンは不機嫌となり猛反発をした。

「えー!? ショッピングも駄目! ランチに行くのも駄目! 駄目駄目尽くしじゃないッ!!」

 コイツ命狙われてる自覚あるのかとキレかけたカルトであるが、親抜きの初めての仕事で依頼者を八つ裂きないし傷つけるのは流石に不味いとギリギリ耐えると、爆発する前にサッサと出て行ってしまった。

「あっ! コラぁ!」

 出て行ったカルトに近くにあったクッションを投げるも、閉められた扉によって阻まれてポフンと間抜けな音を立てるだけに終わった。

「はぁ…… もう勝手に出てっちゃおうかなぁ」

 ベッドの様に大きなソファーに残されたもう一つのクッションを抱えてネオンは半ば本気で屋敷からの脱出を考え始める。

 

「あの~」

 

 そんな彼女に、別方向とは言え似た様に現状を全く把握していない声が掛けられた。

「まだ居たの? あっ、さっきのは冗談だからね! あの子に報告とかやめてよ!?」

 慌てて手を振り回しながら言うネオンだがどう見ても聞いても本気の呟きである。

「そんな面倒な事なんかしませんよ、私が声を掛けたのはソレについてですし」

 もっと面倒になる事態になりそうな壮大なスルーをしたトールがスッと指を指すのは彼女と侍女が持つ服。

「服がどうかしたの、もしかしてそういう趣味?」

 なにが『そういう』なのか分からないしネオンが何処か期待を込めた目をしているのも気付かないし、もっと言うなら脳内で美しく着飾りポージングをするアルゴも浮かんだが今回もなんとか黙殺することに成功した。

「その…… ありがとうございます」

 トールは丁寧に頭を下げた。

 

 

 

「…… とりあえずスクワラ、お前からボスにもう一度言ってくれないか?」

「ざっけんな! これ以上ストレス与えてエリザの仕事増やしたくねぇぞオレは!」

 戻ったカルトはネオンが不服そうだという事も含めて挨拶を終わった事をトチーノとスクワラに一応報告すると二人は物凄くウンザリした調子で釘刺し作業を押し付け合った。

「…… ローテーションを組んで見張りをするしかないか」

「なんなんだろうなあの脱出の才能……」

 どうやらネオンは家出同然の外出を過去に成功させているらしい。

 四方をスクワラが操作している犬がいるにも拘らずだ。

「なるほどな、とんだ我儘姫さんだ」

 殺し屋に狙われている状況での初仕事が御守になりそうだと芭蕉は頭を掻いた。

「言っとくけどボクは殺すために雇われてるから護衛とかやらないからね」

 スクワラとチラリとクラピカを見てカルトは無表情に言う。

「分かってるよ、一緒のトールって奴も護衛も交渉もやらせないから安心しな」

 トチーノはソファーに深く座り直りながら了承する。

 

「…… どうしよう、もう交渉しちゃったよカルト」

 

 再び場の空気が変わる。

 開きっぱなしの扉から侍女に先導されたトールが部屋に入るなり余計な事をした人間が浮かべる気まずそうな半笑いでカルトに言った。

「…… 結果は?」

 こなれた調子でカルトは理解するまで聞いたら疲れるだろう過程を吹っ飛ばしてシンプルにそれだけ聞いた。

「とりま暫くは大人しくしてるってさ」

「マジかよ!? どんな交渉したんだアンタ!」

 思いがけない朗報に心の底から嬉しそうな表情をしてスクワラは思わず立ち上がる。

「それがですねぇ……」

 そこまで言ってピタリと言葉が止まり、何事かと見ると話す姿勢のままトールが仰向けに倒れた。

「なに!? もしかして殺し屋の襲撃!?」

 慌ててヴェーゼが周りを見渡す様に立ち上がる。

「いえ、違う…… みたいね」

 それを否定したのは何故か耳を塞いでトールから半歩離れたセンリツである。

「違うって? あと何でアナタ耳塞いでるの?」

「彼から出る音がうるさいのよ、グルグルって獣みたいにね」

 何のことだと浮かんだ疑問は次の瞬間に響いた音と言葉がすべて解決した。

 

 

「あの、すみません誰か食べ物持ってません?」

 

 

―――――――――

 

「いや申し訳ない、貴方がチョコに見えるくらいお腹減りまして」

「恐い事言うんじゃねぇよ!?」

 急遽用意されたテーブル一杯の食べ物を胃袋に納めてワイングラスに並々注いだシャンパンをまるで水であるかのように飲みながら朗らかな調子でスクワラに謝罪した。

「驚いたわ、アナタ服屋もやってたのね…… しかも話題沸騰中の」

 ヴェーゼがトールの食べっぷりに呆れ頬杖を突きながら言う。

 

 トールが行った交渉の内容、それは『自分の為だけに好きな服を仕立てる代わりに大人しく家にいる』というものであった。

 

 実はネオン、結構な頻度でトールのネット服屋を利用していたのである。

 しかし身分上ホイホイと顔を明かせられないので希望の服を侍女を通して購入していた。

 見覚えがある服だったのでよく見れば案の定自分が仕立てた服…… 身内以外の客に直接会ったことが今まで無かった為に嬉しくなって色々言ったりサービスで服を仕立ててみたりしたところネオンが大層喜び、だったらショッピングは諦めるから色々服が欲しいと言われ、了承したのである。

 

 その瞬間前金代わりに何着も服を仕立てさせられたので急激な空腹により倒れてしまったが……

 

「服屋が本職ですけどね……」

 ちなみにヴェーゼが『も』と言ったのは殺し屋の助手の様な事もしてるという認識である。

 それに対してトールが思う副職はプロハンターの事であるが。

「……」

「あの、どうしましたか?」

 食事を運んでいた侍女を脈絡なくトールがじっと見たので困惑しながらも笑みを絶やさず質問する。

 

「…… デザートって」

「無ぇよ!」

 反射的にスクワラがツッコんだ。

「その、チョコなら……」

 そう言って侍女は申し訳なさそうに懐から自分の軽食用であろう市販の棒型のチョコお菓子を一つだした。

「エリザもそんな頑張らなくていいっつの!」

 声を荒げるスクワラに侍女は困った様に笑った。

「……」

「な、なんだよ?」

 トールはチョコを頬張りながら今度はスクワラと侍女を交互に見た。

 

「…… 姉弟?」

「どんな目ェしてんだこの野郎!?」

 何が気に入らないのか(トールには分からなかったが)ガウガウとまるで犬の様にスクワラが吠えた。

 その様子を見てゴクンとチョコを胃に収め、暫し考える様に腕を組むと。

 あ、そうかと言いたげに電球が光ったようなモーションを浮かべながら堂々と言う。

「…… あ、奥さんでいらっしゃいましたか!」

「まだ恋人だよ!!」

 遂に立ち上がって乱暴に指差しながらスクワラは発言を正した。

「あら? そんな秒読み段階の相手がいたのね、悪いことしちゃったかしら」

 ヴェーゼがエリザを見ながら呟き、侍女ことエリザは頬に手を添えて紅くなる顔を隠し冷ました。

「あ、いや、その……」

 対するスクワラはエリザの反応で照れて紅くなるやらヴェーゼとの一件を思い出してさらに赤くして今度は青くなったり忙しかったが。

 

「トールがいると何時もこうなる…… 緊張の糸が緩み、それでいて物事は前に進む」

 他のメンバーがそれぞれスクワラを茶化す様子を呆れたように観ながらクラピカは隣にいたセンリツに愚痴を言うように呟く。

「フフフ、そう言ってもそれが心地いいんでしょう? アナタの心音も大分穏やかなリズムを刻んでるわ」

 お見通しだと軽くウィンクしながら言われ、クラピカは少し困ったような顔でそっぽを向いた。

 

―― 彼がいると、暗い道を歩む決心が出来なくなるのだがな……

 

 解放を謳う中指の鎖を見ながらそれが良いか悪いかも分からずに、そっと鎖を握った。

 

―――――――――

 

「こんにちは、ご飯ありません?」

「開口一番そればっかか御前は!?」

 

 昼、集合を言われて広間に行く途中に会ったスクワラにトールはフラフラとした歩みで近づくとそう言った。

 この頃のトールは頻繁に呼ばれては服を作っていた、自身の糸のストックがすぐに無くなるほどに。

 故にトールは常に糸をその場で出して【蜘蛛の仕立て屋】(アラクネー)を発動させていた為に空腹なのだ。

「…… ドッグフードならあるけどよ?」

「いただきます」

 冗談で出したドッグフードをトールはほぼ引っ手繰る勢いで取ると、そのままボリボリとスナック菓子感覚で食べ始めた。

「マジで喰いやがった……」

 ザザーと豪快に袋から直接口にドッグフードを入れながら食べ進むトールの後ろをスクワラは引きつった顔で続いた。

 

―― 空腹は多分そういう類の制約か誓約だろうけどな……

 

 服を作っている様を間近で見ていた護衛連中は揃ってトールを具現化系能力者ないしその系統の【発】であると思っている。

 もしかしたら特質かも知れないが何れにしろ半永久的に物質を作り出すという能力は相当な物だろう。

 それに伴う制約や誓約で空腹とは些か軽いものだとスクワラは思うが、制約や誓約は本人の視点からして重いか重くないかの判断である。

 例えば自分の能力の制約は自身で操作している犬の世話を自分で行うというものである。

 自分としては大して苦でもない、しかし、例えばこれが犬に対してアレルギーを持つ者だったなら相当なものの筈だ。

 つまりは制約と誓約は他者や世間一般の価値観から決まるものではなくそれを強いる自身の価値観に左右されるのだ。

 トールにとって空腹というのがどの程度の苦痛なのかは分からないが自分が考えるよりは厳しい物なのだろうとスクワラは推測する、トールに喰われた分の代わりのドッグフードを部屋から取りに行かねばならない手間を考えながら。

 

 実際は糸が出る体質で、空腹は制約や誓約とほぼ関係の無いごく当たり前の現象であるが……



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暗殺地方に分厚い蜘蛛が1

序章


 

 早朝5時、それが今の仕事の始まる時間である。

「ちょっとバッハ! 他の皆置いて先行こうとしないの!」

「なんで…… ボクがこんな事を……」

 

 愚痴る隣にいるネオンは普段の洒落た服ではなくまるでそこらの学生の様なジャージ姿であった。

 その手には大量のリードが握られており、その先にはその数に見合う大小様々な犬達が嬉しそうに歩いていた。

 

 最近名の売れたマフィアの…… それも命を現在進行形で狙われているかもしれない状況下で自宅の庭で、そして多数の護衛付きとはいえなんと『犬の散歩』をしているのだ。

 癇癪持ちの我儘お嬢様が何故犬の散歩を? という疑問は念能力で多くの説明がつく。

 現在、ネオンの護衛を務めている中で最も多くそして身近な存在は『犬』なのだ。

 勿論ただの犬ではない、古参護衛の一人で操作系能力者のスクワラが自身の能力でそこらのブリーダーよりも遥かに連携と行動がとれる優秀な『念の道具』である。

 【念】の【発】には多くに『誓約と制約』がある、彼の場合は『飼い犬を全面的に面倒見る』がそうだ。

 そして、ここで発展として『自分以外の者の命令をある程度聞く』『自分以外の護衛をする』場合に『その対象が犬の世話の一部を受け持つ』と――

 

「クゥ~ン」

「よしよし、年長者としての自覚を持って宜しい!」

 

 スクワラ以外でもある程度の意思疎通が(何となく)可能なのだ。

 

 だからと言ってネオンが進んで世話をするとは思っていなかったが、実際は提案した本人が驚くほどすんなりとそして、今現在まで継続的に世話をし続けているのである。

 因みに、ネオンは【念】のことはこれっぽっちも理解しておらず大部分は身を守る為ではなく趣味の域でやっている。

 

―― どう考えてもこんなことする様なタイプには見えないのに……

 

 護衛の真似事はしないと言った矢先に早朝散歩に付き合わされたカルトは意外なものを見たという気持ちと、それ以上の面倒臭さを感じつつ、普段彼女が両手に持つリードの束と犬の内の片方を受け持ったのだ。

『ネオンの近くにいる犬といざこざをなるべく少なくする』

 こういった名目でクラピカ達も散歩その他諸々に少なからず付き合わされているが、カルトはその比が二倍である。

 それは何故か?

 

 トールが犬に懐かれない…… を通り越して威嚇されるわ委縮されるわで近づけない、酷いと気絶する犬さえ出た為近づくことを禁止されているのだ。

 どうやら、腹が減った時に視た彼の中に眠る蜘蛛が相当怖かったようだ。

「良いハンターってのは動物に好かれるらしいけど、俺は良くも無いしハンターでも無いからね! 気にして無いよ!」

 …… と、明らかに気にしているハの字眉で寂しそうに言ったトールの分も連携すべく世話が二倍になったのだ。

 ゾルディック家ならば自分のやり方を貫き『ごっこ遊び』の様な真似事などせずに独りでやるべきであろう。

 しかし、初の単独依頼である事そして先人暗殺者(という事にされている)トールの流儀を見たい事もあり彼流に合わせているのだ。

 根底から間違っているので間違いを指摘するという行為は最早意味を為さないだろうが、それでも敢えて間違いを指摘すると、トールがやっていることはネオンやスクワラ達と『友達』になる為に苦楽と寝食を共にしよう、ということなので早急に一人になった方が良い点である。

 

「ねー、アナタ中々扱い上手いけどペット飼ってたのー?」

「…… 家に色んなのがいてずっと戯れて育った」

 

 カルトの答えに、ネオンは「へぇ~」と言った後…… 少し間を置き口を開く。

 

「どう考えてもこんなことする様なタイプには見えないのに……」

 

―――――――――

 

「で、実際『レッド』は来ると思うか?」

 コーヒーを飲みながらトチーノはネオンの護衛をする犬の朝のブラッシングをこなすスクワラに問う。

「普通ならドン・ノストラードだけ殺って後は敵対組織に丸投げって可能性も有るだろうが……」

 ブラシに付いた毛を取り除きながら続ける。

「最初に殺られたのはウチのリーダーだったうえに相手は皆殺しで有名な殺し屋、ボスかドンかは先か後かの二択だろうな」

「だよなぁ……」

 うなだれながら飲むコーヒーは一層苦みを強く感じる。

「お前も一応ハンターなんだろ? なんか奴の情報仕入れたか?」

「そうだな、疲れた身体にコーヒーは沁みるって情報が最大の成果ってとこか?」

 収穫なしか…… と、ブラッシングを終えたチワワを庭に放ちながらスクワラは盛大にため息を吐いた。

 

―― チワワとかプードルって護衛として大丈夫なのか?

 

 トチーノはそんなことを毎度思ったが、ネオンが幾らか自分達が配属された最初期より丸くなったのはあれらの可愛さが切っ掛けなので聞くことは無かった。

 そんなことより問題はいつ来るか分からない殺し屋達である、如何せん出方が分からない為この屋敷から別のココより警備が行き届いたより安全な場所にネオンを移動させることも、移動中に突かれるリスクがあり実行に移すタイミングが掴めない。

 かといって安全な場所に行けたとしても、あの我儘お嬢様はヨークシンのオークションでなにが良いのか分からない人体のパーツを欲しがる(長年護衛をしているが未だに眼球やら皮膚やら挙句の果てには使用済みのティッシュまで欲しがるのは訳が分からない)それも自分の手で競り落としたいので行かなければならないのだ、命を狙われている可能性が非常に高いにも関わらず、自分達のコミュニティーでも無い世界中から様々な人間がやってくる日の、ヨークシンに。

 あの娘は何処かおかしいと、トチーノは思考を脱線させる。

 別に趣味についてどうこう言っているのではない、世界中には多種多様なコレクターが存在している。

 骨董品・ゲーム・カード・化石・宝石・コイン…… これらは『同好の士の数』が他より多いだけで中には鍋やらトイレットペーパーの芯やらハンガーにマンホールを集めているなんてのもいる。

 そんな何かに固執した者自身、或いはそんな彼らと深い関係にあるハンターという職種に身を置く自分が彼女の人体収集家という側面を否定的に見る事を拒んでいる。

 おかしいのは…… 度を越えた世間知らずの甘ったれなのか、はたまたそういう類の生まれながらに感情の一部が欠落した存在なのか。

 同じく長年護衛をしていたダルツォルネが死んだと聞かされた時の『無関心さ』だ。

 悲しむ事も、殺した相手に怒る事も、ダルツォルネ自身を不甲斐ないと怒る事も、なんだ残念と知っていた盾の一つが壊れたと言う事も、次は自分かと恐怖する事すらも無く。

 聞いてきたのは、今日出掛ける時に一緒に来る護衛は誰になるのかだった。

 死んだと聞かされた時には生前のあの鼻に付く性格からくるイラつきを思い出したがそれでも、少しは悲しくもあったし怖くもあった。

 

―― ただ死ぬかもしれないと思ってないだけならいいが、何時死んでも構わないって思ってたらあの脱走癖は今回も治らないだろうな

 

 ここまで考えてトチーノは思考を戻す、ここは自分がどれだけ考えても仕方ないからだし、今は関係無いからだ。

「ウチの殺し屋二人は今どうしてる?」

 一応一人は違うらしいがなと、トチーノは言葉だけの訂正を口にしつつ続ける。

「ゾルディックの方はなるだけ理由付けてボスの護衛モドキになってくれないかやってる」

 本人が聞いたら殺されかねないセリフである。

「トールの方は…… 屋敷を散歩してる」

「散歩ォ!?」

 呑気か! ていうか馬鹿か!? とトチーノは突っ込んだ。

 ボスもボスで散歩しているがそれはそれなのだ、一応。

「本人曰く、なんかあった時にサッと駆け付ける為に糸を張り巡らせている、とか言ってたが俺からすると道憶えているだけとしか…… いや、まぁ俺じゃあ気付かない何かをしてるかもしれんけどよ…… うん、多分」

 「そうであって欲しい」という願いだけは口から出る事は無かったがバッチリ伝わってしまったようだ。

「ゾルディックの方も新入りのクラピカからも自分より強いと言われてる、一応ウチの最高戦力だぞ?」

 採用試験時にクラピカの冷静な観察眼と銃弾を軽くいなす【念】の練度を喰らって知っているトチーノは、その存在からの証言を信じざるを得ない。

「だけど同時に『奇行に走る様に見えるけど実は理由があるから気にしないで』とも言われてっからな……」

「そもそも服屋と兼業ってのが訳分かんねーんだけども」

 本人に問われても副業はハンターで本業は服屋で暗殺者でも殺し屋でも何でもないとハッキリ言うが、彼らの中にトールに面と向かって「すみません、ご職業を伺っても?」と聞く様な者はいない為、初日にヴェーゼに訂正をしていても護衛メンバーとトールの間の認識の溝は深まるばかりである。

 唯一センリツだけはリズムで違和感を聞き取れる可能性が有るが、そもそも一人の身体に二人分のリズムという規則性もあったもんじゃないデュエット状態で本心が聴き取り難いという無駄かつ喜劇的でどうしようもなく悲劇な鉄壁ぶりである。

 一週間もしない内にスクワラを始めとした護衛達のトールへの印象は計り知れない童顔の青年から計り知れない奇行に走る年を誤魔化してる子供、但し、腕っ節は強い…… と落ちて来ていた。

 彼本人にとっては気軽に接してくれるというメリットしか無い状況だが。

 

 では、そんな計り知れない阿呆は今何をしているかというと。

 

―― あああああ!!!! どうしよう!!? コレ絶対怒られる奴&高い奴!!

 

 盛大に焦っていた。

 

―――――――――

 

―― ヤバいって! これは絶対 ヤバいって!

 

 心の中でくそったれ燃えがいまいち駄作だぜ、と言われそうな辞世の句を一句詠んだトールの前には無惨な光景が広がっていた。

 場所はパーティー会場と思しき広い部屋、幾つも丸いテーブルがあり、そのシミ一つない真っ白なテーブルクロスのフィールドの上にグラスが逆さまにピラミッド状態で積まれているのが印象的だ。

 使う予定がここ数日に無いのになんで積んであるのかは不明だが。

 そして次に目に入るのは広い部屋に負けない大きな、とても大きな絨毯である。

 最初、部屋に来たトールはその絨毯に目を奪われた。

 

―― ほう、これは『毛ガエル』の絨毯ですね

 

 何故かキザったらしい口調で屈みながら手で絨毯の感触を確かめつつ判断する。

 『毛ガエル』とは砂漠地帯が広がるミンボ共和国周辺に生息する蛙で、最大の特徴はその通り一見すると黄緑色の毛の塊に見えるほどの体毛である。

 乾燥から身を護る機能と、朝露を毛先に集め巣に貯めるという習性を持つのだ。

 因みに、毛ではなく皮膚が変化したものだが今注目すべきは素材としての面だ。

 汚れに強く踏まれ続けてもくたびれず、見た目も美しく触り心地も良い。

 但し、材料の特殊さとその他諸々の理由により機械で織る事は出来ず全てが手作業なのだ。

 つまり、長々と連ねたがこの絨毯は『金が掛かっており、尚且つ、金を掛けてますよ! と視覚に訴えてくる品である』と認識すればよい。

 

―― こんだけでっかい毛ガエル絨毯初めて見たなぁ! ふんふん…… ここがこうなって、こっちはこうで……

 

 四つん這いになって誰もいないパーティー会場の絨毯を縦横無尽に動くトールはデカいゴキブリにしか見えないだろう。

 この姿を誰かに見られて噂が伝搬されれば士気が著しく下がるだろうが気にしない、というかそもそも自分の痴態で士気が下がるとは微塵も思っていないので気にする以前の問題だ。

 そして、アラーニェは現在眠りに付いており誰も止める奴が存在せずカサカサと動いたのが運の尽きであり、新たな喜劇の始まり……

 フリフリと愉快に右に左に揺れていた尻に不意に何かぶつかり……

 

 ド派手な高い音が響き渡った。

 

―― いィッ!?

 

 急に出た音に飛び跳ね驚きつつも何だ何だと見ればそこには窓からの光を反射してキラキラと光る無数の破片。

 

 グラスのピラミッドはガラスのナイル川となっていた。

 

―― っちゃ!? わちゃッ!? やっちゃったッ!!?

 

 截拳道でも使えそうな奇声を心の内に発し、わちゃわちゃと両手を動かしながらもまずは何とかしようと一先ず破片を片付けようと無造作に大量のガラスの破片へ手を突っ込み掬おうとする。

 

 すると今度は何か糊付けされたものを無理矢理剥がすような音がする。

 

 ガラス片の鋭さを『自分に攻撃するモノ』として守るべく、下の絨毯ごと掬った瞬間である。

 

「ん゛ん……ッ」

 これには思わず変な声が漏れた、そもこの程度で傷つく俺と友達の皮膚ではないと、そこから【纏】までしている自分が量が多いとはいえガラス片で怪我をするかと…… 過保護か【俺の代わりに僕が踊ろう】(オマエ)は!? と、眼を閉じ項垂れる。

 が、何時までもこうしている訳にはいかないとトールは眼を開ける。

 早くこの場を何とかしなくては、さっきの音はセンリツでなくても屋敷に響いて耳に入った可能性がある。

 しかも今ここは暗殺警戒地域に指定されピリッピリした空気に包まれているマフィアのドンの娘の屋敷。

 前者の理由から下らないことで護衛の人達を動かすのは怒られ、後者の理由から弁償では済まずオトシマエを云々となるかもしれない……。

 

―― 全てを! 誤魔化さなくては!!

 

 今、喜劇の蓋が超速で開く。



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