幻影のウマ娘 (ReA-che)
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プロローグ

今のウマ娘人気とか、それに伴ってむかーしやっていた競馬ゲームで作り上げた全戦全勝無敗のチート馬とか
いそうでいなかった競走馬の名前だとか、数年ぶりにリハビリで小説書きたくなったとか
色んな思いが溢れて書きました

尚中の人は競馬知識ゼロのゲームとJRAの本気CMだけ見てた人なのでコースの説明とか色々おかしいですがそこは突っ込まんといてください


日本の中山レース場

その待合室で一人のウマ娘は自身の勝負服を身に纏い、扉の前で座り込んでいた

 

根元のみ黒のが残る白髪のショートカットにオレンジの猫科を思わせるような鋭い眼光は

自身の下半身、いや二本の足に向けられていた

 

「……」

 

 

ふと触れる足は武者震いかあるいは恐怖が故か

一向に震えが収まらない

 

「大丈夫…きっと大丈夫……大丈夫……。」

 

言い聞かせるように呟き、足の震えを隠すように数度大げさに貧乏ゆすりをする

しかし落ち着こうと思えば思うほどその声すら震え

ウマ娘の少女は唇を噛み締める

 

(何を怖がってる…、これが私の選んだ道でしょ…)

 

震えておぼつかない手で近くのペットボトルを握り締め、中の水を飲み干してゴミ箱へ投げ捨てる

付け根のみ黒い少女の白髪がその動作でふわりと揺れた

 

(これで何本目…?何をそんなにイラついてるの?…何を焦ってる?)

 

自らの行動に自分自身疑問符を浮かべる

しかしその気持ちを押さえることは出来なかった

 

「__次、出番です」

 

「…わかりました」

 

不意に待合室の戸がノックされ、扉の向こうから業務的で単調な連絡のみが入り

ついに出番かとそのウマ娘は重い腰を上げた

 

 

 

 

 

 

『来たぞーッ!』

 

 

少女が会場へ入るとそれだけで観客は歓声を上げ

その歓声に対して少女は勝負服の外套を手で翻し、軽く手を振るのみで答える

 

「さぁやって参りました有馬記念、天候に恵まれ非常にレース日和となっています」

 

軽く息を吐いて少女は実況者の声に耳を傾ける

辺りには自分と同じこのレースを走るウマ娘が15名

そしてその15名は自身に殺意にも似た眼光を向けて佇んでいた

 

「一番人気、1枠1番『走路の魔神』イオタファントムが入場しました」

 

実況に名前を呼ばれた少女、イオタファントムはその場で駆け足ぎみにゲートへ移ると反転して観客席へペコリと頭を下げる

 

上がっていた歓声はその行為で怒号のように大きな物となった

 

「連勝記録が掛かっていますイオタファントム

本日も自慢の脚力で無敗神話を守れるか、それとも破られてしまうのか」

 

刹那実況の言葉にイオタファントムは顔をしかめる

彼女は知っていた、観客のほとんどは自分の勝つところを見に来ているわけではない

むしろ…

 

(…私が誰かに負けるところ、誰かが私に勝つところを見たいって顔してるわね)

 

レースに参加する他のウマ娘達に似た血走ったような目を向ける大多数の観客へ

震える身体を必死に隠してイオタファントムはその口元に不適な笑みを浮かべる

 

 

「__上等じゃない、目にモン見せてやるわよ」

 

 

 



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"私"が捨てられた日

記憶の中の母さんはいつも厳しかった

物心のつく前からハードなトレーニングは勿論、私の子なのだから当然だと人間で言う高校入試でやるような問題文を解く幼少期の毎日

 

かつて日本のレース界を席巻した『英雄』ディープインパクト

それが母さんの名前だった

そんな母さんの元に生まれた私を含む姉たちは

生まれた時から『英雄』の娘たる実力を求められた

 

他の姉たちはまだ良かった

英雄に至らずともその片鱗を幼少期から周囲に見せつけ

ディープの血は強しを日本中にしらしめた

 

対して私は何処までも凡庸だった

大きすぎず小さすぎずの身の丈は見た目同様長年に渡って普通の脚力しか産まなかった

 

初めてレースに出た年は母さん以外は優しかった

何度惨敗してもそんなこともあると励ましてくれた

2年目に入ると励ましてくれる人は一人、また一人と消えていき

裏で成果を挙げられない私を嗤う側に回った

 

この頃から少しでも成果を出さないと、と焦った私は文字通り死ぬ気でトレーニングした

何度も血反吐を吐いて地をのたうち回ったし

限界ぎりぎりで走り続ける度に脚の骨が軋んで激痛が襲う程走り込んだ

 

けどそれでも現実は残酷で

私の才能は何一つ開花なんてしなくて‥

 

3年目には私の味方は誰一人としていなくなった

 

それでも走るのだけは辞めなかった

 

ウマ娘としての本能か、結果が追いつかなくても、誰に何を言われようと走るのだけは好きだったから

例え私に先頭の景色なんて見れなかったとしても

レース中のあの数分の時間だけ

私は自由になれたから‥

 

「アールゼットインパクト、君は今日限りうちとは何も関係ない

どうぞ好きなところへお行きなさい」

 

「え‥」

 

だからこそ、地方だけれど死ぬ気で勝ち取ったトレセン学園への入学を控えたこの日

なんの前触れも無く唐突に執事を通して絶縁状を叩きつけられて

何がなんだかわからないまま着の身着のまま実家を追い出された

 

怒りや絶望のよりも真っ先に頭に【なぜ?】と言う言葉だけが反芻した

レースじゃ大した成果を残せない勉学も並み、それでもようやく念願叶ってトレセン学園の切符を掴んだのに

それは一瞬で水の泡になって消えた

 

フラフラとした足取りは地を掴んでいるのか怪しかった

吐き気を催すような身体の震えは止まることは無く視界の端にはチカチカと星が飛び散り気を抜けばこのまま気を失う事が出来そうで

しかしウマ娘という人間より無駄に丈夫な己の肉体がそれをすることを許してくれず

真っ暗になりそうな視界に死人が如く足取りで、生まれてこの方トレーニングと勉学以外に費やす時間が無かった為に家から数歩出ればもう勝手のわからない街をひたすら彷徨い歩いた

 

「あはは‥最後くらい顔見せろってのよね」

 

ここ最近ろくに顔を合わせない、実家を追い出された今日など遂に終始一度も顔を見せなかった自身の母に思わず悪態が溢れる

 

(結局愛されなかったってことか‥

どいつもこいつも私を、自分の家の名声を保つ道具程度にしか思ってなかったってわけ)

 

乾いた笑みと悪態とは裏腹に胸が痛む

愛されてない自覚はあったけど腐っても血のつながりのある家族だった

『穀潰し』や『恥晒し』と罵られようともいつか見返してやるとどんなに苦しいトレーニングも耐え忍んできた

それも今日で終わりだ

 

「‥このまま死んじゃおうか」

 

ふとそんな言葉が口から溢れ

すぐに首を振る、そんな事が出来無いのは最初からわかっていたから

 

(何て、そもそもそんな事が出来たら私はもうこの世にいないでしょ)

 

死にたくても死ねない、本心では死にたくないと思う気持ちもあるが何よりその一歩を踏み出す一瞬の勇気すらない

 

このまま無駄な時間だけを過ごし、誰にも知られず朽ち果てて、孤独のままに死んでいくのだろう

 

こうして誰にも愛されず期待もされなかった『アールゼットインパクト』と言う名のウマ娘はデビューすることすら叶わずひっそりとそのレース生涯に幕を降ろした

 

 

 

 

 

 

 

かに思えた‥

 

 

 

 

 

 

 

「__君、おい君、大丈夫か?」

 

声がする

真っ暗な意識の中を

誰かが自分に語り掛ける声がする

 

「‥見たところ外傷も無さそうだし‥‥

しかし寝てるにしてはなんでこんな所で‥?

おーい起きれよいい加減、身体痛めるでこんなトコで寝てたら」

 

最初は自分の事では無いだろうと思って寝続けては見たがどうやら声の相手が心配そうに言ってる相手は自分だったようだ

少し控えめな強さで肩を揺すられ

流石にこれ以上たぬき寝入りを決め込むのは申し訳ないとゆっくり目を開く

 

「あ、起きた‥」

 

「ヒッ」

 

声の主を視界に入れた瞬間、思わず素で悲鳴が上がった

目を開けてすぐに飛び込んできたのはまるで死人のような見た目をした男だった

顔立ち自体は整っているのだろうがろくに栄養のあるものを食べてないのか顔色が悪く

頬はコケて目には光がなく虹彩はドロリと濁っている

 

子供が相手なら確実に泣かれるような見た目を、その男はしていた

 

「あぁ、すまん‥怖がらせたか?」

 

「あ、‥いや」

 

だがそんな見た目と裏腹に、男から放たれる酷く優しげな声色に見た目で判断した申し訳なさですぐにいっぱいになった

 

「んで、聞きたいことがあるんだが

まず君はなんでこんな所で寝ていたんだ?」

 

「ごめんなさい、家を勘当されちゃって

行く宛もなくさ迷ってたらここに辿り着いたみたいで」

 

ふと辺りを見渡すと寝る前には暗くて気づかなかったが大きな敷地の建物の門の前で眠りこけてしまったようだった

 

「‥そうか、行く宛がねぇ」

 

目の前の男はふむ、と顎に手を添えて少しばかり考え込んだ後

1尺ばかり時間をおいてクイッと親指で後ろの建物を差し小さく笑みを浮かべる

 

「‥ならしばらくうちに来るといい

なに、ウマ娘の一人くらいなんとかなる」

 

「‥いいんですか?」

 

あぁ、と軽く相槌をうち

男は後ろの大きな建物、よく見れば結構くたびれた外見のそれへ入っていく

アールゼットインパクトは素早く体を起こしてそのあとをついていった

 

 

 

 

 

そこは寂れた牧場だった

手入れは怠っていないのか、使い古された施設や道具などはくたびれてこそいても

綺麗に手入れがされており一種の味のような趣がある

 

「‥へぇ」

 

「そんな珍しいか?」

 

辺りをキョロキョロと見渡してると、ふと先行で歩いている男からそんな声がかかる

 

「実家にいたときはあまり外に行くことが無かったので色々と新鮮ではありますね」

 

少し照れくさそうに笑う男を尻目に

初めて見るような物がほとんどな牧場をキョロキョロと見渡す

次第に中庭と思わしき場所に自身もよく見慣れたあるものを見つける

 

「ターフ‥?」

 

それは実家で毎日目にしていたターフ(芝地)だ

牧場ということもあり放牧の為に用意されたであろうそれは、都会の実家よりも幾分か広く

それでいて芝は綺麗に整えられている

 

「あぁ、放牧用のな

これでも昔は大きな牧場だったから、その名残だ

今では客が来ることすらほとんどないけど、俺にできる範囲で管理し続けてる」

 

「‥ということはここは一人で?」

 

「ここは、も何も

この牧場は今は俺しかいねぇ

文字通り俺一人で動物達の管理をやってるよ」

 

男の告げた事実に目を見開き、驚きを顕にする

建物を含めた広範囲を目の前の男は一人で切り盛りしていると言うのだからこれが驚かない筈がない

 

「飼育員や修繕員さんはいないんですか‥?」

 

「昔はいたんだけどな、何年か前に経営が傾き始めた時にみんないなくなっちまった」

 

そう言って瞳を閉じ、少しばかり寂しげに笑う男を見てその姿に目が離せなかった

 

「‥両親や親戚は‥‥」

 

そしてふと零した言葉に思わずハッとする

少し考えればわかることだ、対して歳も行ってるわけでも無さそうな男が一人で切り盛りしてるという時点で気づくべきだった

 

「5年ほど前に事故で同時に、な‥

親類とは親父の代に牧場の方針で揉めてから連絡も取れねぇ」

 

首を振って遠くを見つめるようにそう呟いた男は

ただでさえ小柄な身長も相まってとても小さく見える

 

(‥同じだ)

 

妙に納得がいった

自分自身、何故出会ってすぐの男の元で世話になることに対してあまり疑問を持たず

すぐに肯定的になれたのか

 

(さっきあったばかりなのに何故信用できるのか

今わかった、この人と私は親と死別したか否かは別として

天涯孤独の身という点で一緒なんだ)

 

状況に差異はあれど根は同じ

お互いに孤独なのだ

しかし、だからこそ信頼できた

 

(‥この恩は、必ず返す

私の生涯を賭けてでも‥必ず)

 

大きく頷き決意を新たにする

元々捨てられて行く宛も身よりもない死んだも同然の状態だ

拾ってくれた恩人に尽くす余生でも悪くはない

 

この時ようやく運命の歯車は音を立てて回り始めた

 

 

「そうだ‥名前、当面一緒に過ごすんだ

名前を教えてくれないか?」

 

「‥イオタ、イオタって呼んで

元の名前は好きじゃない」

 

ふと名前を聞いた男に少女、アールゼットインパクトは元の名前のアールゼット(英語表記でRZとなる、Rはレース、Zは英語の最後の単語に当たるため、レースに出る最後のディープ産子ということになる)を捩り

ギリシャ語で数字の最後の9を指すイオタと言う咄嗟に考えた偽名を口にした

 

「わかった、俺は未来(ミキ)、君塚(キミヅカ)未来(ミキ)だ

これからよろしくイオタ」

 

「うん、よろしくキミヅカさん」

 

お互いに笑い合い、これから先を考えて表情を引き締める

そんな折、アールゼットインパクト改めイオタの前にある新聞の一部が目に止まった

 

「‥え?」

 

「あ、ないと思ったらこんなところにあったのか‥」

 

新聞を手に取り震えるイオタを他所に紛失してしまったと思い込み半ば諦めていたらしい未来はそりゃ見つからんわと顔を引つらせた

 

「昨日の夕刊だから知ってる内容しかないと思うけど

何か目新しいものでもあったか?」

 

「昨日の夕刊なの!?これが!!?」

 

未来から告げられる事実にイオタは目を見開く

それもその筈、新聞には

 

【シンボリルドルフ 七冠達成】

 

イオタの認識では生まれるより前の出来事であり、当人はとっくの昔に引退してしまっている人物についての見出しがでかでかと書かれていた

 

 

 

 

 



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翌日

早くもストックが無くなりましたが一応頭の中では完結まで物語は考えてあります
ま、それを文章にするのが難しいんですがねぇ…


牧場主こと君塚未来の元へ引き取られて一晩を越した

簡素で使い古された、それでいて手入れが良いのか古さはあっても妙に清潔感のあるベッドの上でイオタは目覚めた

 

「ふぁ‥まだこんな時間か‥」

 

あくびを噛み殺しながらベッドから出る

仕事の手伝いにはまだ少し時間があるが、二度寝するのはあまり好きではない

何より‥

 

「走らないとモヤモヤするし、ちょっと身体動かしとこ‥」

 

毎日朝起きてから日課にしていたランニング

実家は出てこれからここで仕事をしていく身としては、もう学校に未練は無い、だから走らなくても別に良い

レースに出るわけでもないのに走って自身を鍛え上げるのは全くの無駄ではあるのだが

物心ついた頃から現在に至るまで、毎日毎日雨が降ろうが雪が降ろうが朝と夜に必ずターフを走っていた

 

故に走らなくても良いが走っておかないと身体が違和感を訴えてくるのだった

 

「‥よし、こんな物かな」

 

手鏡片手に小さな折りたたみの櫛を使って軽く寝癖を直し、無地のTシャツとホットパンツのみ身につけて身支度を完成させる

 

(‥だいぶ侵食が進んできてるな)

 

手鏡を小さな机の上に置き、指先で自身の白髪に触れる

元々は母親譲りの暗い鹿毛色だったのだが

厳しいトレーニングと座学で身体がバラバラになるような疲労感を毎日味わってるうちにいつの間にやらストレスで色が抜け落ちてしまった

 

今では根本に暗い鹿毛色がわずかに残る程度である

 

「あんまり好きじゃないのよね、目立つし」

 

根本に残る鹿毛色はよくよく近くで光に当てなければ暗すぎて黒に見える

耳としっぽも合わせて白黒で老けて見えるのが本人的には嫌だった(実際には多少なりとも手入れはしているのと年齢もあって艶々で自然な白髪という不思議な仕上がりになっている)

 

ほっと一息ついて深呼吸

まだ僅かに睡魔を訴える脳に強制的に新鮮な酸素を送り完璧に意識を覚醒させる

 

「‥行きますか」

 

覚醒させた意識がまた微睡みに落ちないよう

イオタはドアを開けて部屋の外へ出てターフへ向かった。

 

 

 

 

 

 

「思ったより朝露溜まってるな‥」

 

イオタは家を飛び出した際に履いていたターフ用蹄鉄のついた練習にもレースにも使えるシューズで芝を踏みしめ思った事を口にした

 

日が昇ってだいぶ経つ日中と夜のうちの水分が芝にたまり、それが乾ききる前の早朝ではターフの見せる顔はガラリとその姿を変える

 

そして本来ウマ娘と言うものは走るという行為が大好きであり

その大好きな行為が出来なくなるというリスクというものに非常に敏感で

詰まるところをいうと本当の早朝にターフを走るウマ娘はほとんどいない

 

理由は単純で芝を走るなら舗装路用の靴裏がゴムで出来てるシューズが使えず

蹄鉄付きシューズを使用しなければならないのに濡れた芝地と言うのはあまりにも相性が悪いからだ

 

硬い蹄鉄と極端に低い路面の摩擦係数と言うのは一度滑れば踏ん張りなど効きようがない

 

それこそレースを控えたウマ娘なら本番が良バ場である保証などどこにも無いため

天候が荒れることも視野に入れて走るものもいるが誰も好き好んで走る者などいない

 

だが逆にイオタはそんな踏ん張りの聞かない芝地が意外と好きだったりする 

 

「おっと‥危なっ!?あっぶねぇ‥」

 

一瞬でも気を抜けば即転倒しかねない程グリップの効かない状態で自分の脚質とその日のターフの状況に合ったステップへ手探りながら切り替えていくその感覚

 

うん、やっぱり好きだとイオタは軽く頬を綻ばせた

 

(よし‥とりあえずこれで少しペースを上げてみよう)

 

少し走りある程度転倒する恐れを感じないステップへ身体が切り変わればそれを暫定とし

一度軽く走ってた見ようと体勢を僅かに低くして加速し始める

 

(滑る‥けど、これはこれで楽しいわね‥!)

 

そしてコーナーに入る前に体を起こして僅かに減速すると

重心をコーナー内側へ落として曲がりながら蹄鉄のグリップを最大限に効かせる為にわざと少しずつ加速して荷重を載せる

 

本来であればそのまま僅かに滑る程度に抑えて立ち上がって行くのが一番早いのだが、まだ暫定仕様でステップのツメが甘い分予想に反して身体がコーナー外側へズルズルと滑って行く

 

が、似たような事を実家にいた頃から何度もやっていた為慣れており変に慌てることもない

滑り過ぎたら修整を入れて、逆に微塵も滑らなければコーナー速度が遅くなるためちょっとステップを強くして

そうやって地道にその日の芝状況に合うステップを編み出していくのも中々に楽しい

 

(ここから立ち上がって‥よし!

駆け込めッフラットアウト_____ッ!!)

 

____ドンッ!

 

グルリとコーナーを周り、直線へ出れば脚力を全開にし後ろ足で濡れた芝を一気に蹴り上げる

刹那、当然のごとく靴底の蹄鉄は一気にグリップ力を失う

 

(怖っ!?けど楽しぃいい!!)

 

転倒すれば大怪我は免れない為

転倒するギリギリを見極めて一歩、二歩、三歩と素早く交互に足を出す

右足を出したら右へ、左足を出せば左へある程度速度が乗るまで身体がフラつきながら加速をしていくその様はアクセル全開で自身の大出力に耐えきれずにふらつく往年のレーシングカーのようだ

 

(摩擦力の低い路面じゃ体格からの歩幅や脚力に関係なくスムーズな脚裁きが物を言う

特に私らウマ娘なんて人間と比べて何倍にも踏み込む力が強いから神経質にステップを踏んでちょうどいいくらい)

 

一度は安定したと言え相変わらず足場は悪い

その状態でさらに加速となると上半身は慣性で矢のように進むのに対して下半身は摩擦力の低い芝地のせいで滑りバランスが最悪なまでに悪い

 

(…40km/hってとこ?まずまずね)

 

慎重なステップで現状出せるギリギリまで速度を上げ

外ラチの柵間の通過時間で最高速度を大まかに割り出す

 

(さぁ…もう一本行きますか!)

 

コーナー手前で前かがみに落としていた体をすっと上げる

途端に空気抵抗が増え風に煽られた身体がグラリと振られるも挙動を落ち着かせてコーナーイン側へ荷重をかけて曲がっていく

 

この日はそのまま2〜3周全開で走り続けてクールダウンに入った

 

 

 

 

 

 

「…中々速いな」

 

クールダウンを終えて入口まで戻ってくるとふとそう声をかけられる、目を向ければそこには未来の姿があった

 

「あっ…すいません…いつもの日課で走らないと落ち着かなくて」

 

「いや、気にしなくていい

…軽く見させて貰ったがフォームは誰から教わった?」

 

まずは許可を取らずに勝手にターフを走った事を謝罪するイオタだがそれに関して気にしていないと未来は口にし

続いて走る際のフォームは誰からの受け売りかと問う

 

「…大元は母さんから…です、でも面と向かって教わった事は無くて、家にいたトレーナーともあんまり方向性が一致しなかったので

ほとんど独学に近いです」

 

「…途中でステップを変えたり敢えて滑らせてたのは?」

 

「芝の状況なんて日によって違いますからね、母さんのフォームをベースにしてその日の状況に合わせて多少即興で変えてます

それに個人的にちょっと滑りながら走った方が速い気がするんですよね、恐怖で体感速度が上がるだけかもしれませんが

それに今日はステップのツメが甘かったのか特大ホームラン並に滑りましたし…」

 

走りを見ていて何か違和感があったのか

イオタの返答に未来は納得したかのように何度か頷く

 

「なるほど、いやフォーム教わって無いにしては嫌にスムーズだったから気になってな…

とはいえ独学でこれか…。」

 

「何か問題でも?」

 

最後の方で少し言い淀んだ未来に何か不味いことでもあるのかとイオタは聞き返すがすぐに未来は首を横に振って続けた

 

「いや確かにまだまだツメの甘いところはあるけど

基本的なフォームはあれで合ってる…まぁ個人差で色々変わってくるところもあるがね」

 

「…随分と詳しいですね」

 

問題点があるわけではなく基礎は出来てる事を未来はイオタに述べた

しかし今度は逆に一介の牧場主にしては随分と詳しいと口にするイオタへ未来はその理由を告げた

 

「それについては、ここのターフは広いからさ

俺がガキの頃はよくトレセン学園の合宿所にもなってたのよ」

 

「ガキの頃は…?」

 

「そ、だからある程度のレベルなら身体にあったフォームかどうかは見てるだけでわかるけど…」

 

合宿場として貸し出してる期間があれば多少なりとも賃貸料が入る、しかし現在生活苦と言っている様子からもうずっとここは合宿所として使われていないのだろう

 

「…ずっと昔の話だ、当時はそれこそ広いターフさえあればどこでも良いって感じだったからな

URAの上層部がウマ娘の育成に効果がありと見込める所にだけ指定合宿として以降の訓練合宿はその指定された場所にのみ絞り込むように取り決めを作ったのさ」

 

現在シンボリルドルフが七冠を取ってすぐと言うことはイオタが元いた時代より当然ながらウマ娘に対する訓練や設備の質は悪い

しかしそれよりも前となるとレースシーンを取り巻く環境は劣悪と言っていいくらいこと更に悪くなる

 

ただ勝つことが重視され、オフィシャルも何もなくURAが名ばかりの効力しかなかったトキノミノルら第一世代からノーザンテーストら第二世代

そしてトレセン学園が作られ秋川やよい理事長が就任し、初めて取り決め等が公式化された黎明期

それこそ真実とデマが入り乱れ、それに翻弄された結果引退やこの世を去るウマ娘も少なからずいたテンポイント、ミスターシービー率いる第三世代

 

そしてちょうど第三世代からの入れ代わりでトゥインクルシリーズも生まれ、現在は史上初の七冠を達成したシンボリルドルフらの第四世代だ

ウマ娘の適正距離別レース、多様で信頼性のある訓練法や治療法が確立され

より安全で歴代類を見ない程熱狂の出来るスポーツへとレースは進化した

 

しかし一方でURA上層部はそれまで懇意にしてきた訓練施設等を様々な理由で一方的に打ち切った

ウマ娘達が活躍し、トレセン学園やURAの浴びる光が強ければ強い程

その分運営の裏側に潜む影も濃くなっていった

 

「合宿所として貸し出してた頃は随分繁盛してたらしいぜ

俺の覚えてる限りだと小等部だった頃のミスターシービーとシンボリルドルフが来てたのは覚えてる、それ以前だと俺の記憶にないくらい昔だがノーザンとトキノミノルか」

 

「おおぅ…知らない人がいないクラスのビッグネームが…」

 

「うちのターフは国内の牧場でも上から数えたほうが早いくらいの広さはあるからな…

これでも無名時代のミスターシービーとシンボリルドルフとはよく遊んでたぞ」

 

未来のその言葉を聞いてイオタは先程まで自分が走っていたターフへ目を向けた

自分の時代には既に引退済みだがレースに出るウマ娘もそうでないウマ娘も例外なく全員が憧れを抱くようなウマ娘だ

 

(…往年のチャンプがここを走ってたわけね)

 

イオタはターフ全体ヘ目を向け、テレビや書籍でしか見たことのない時代の王者に思いを馳せる

ここにあるものが見た若き英雄達はどんな姿だったのか、何を思ってここを走っていたのか

 

(ま、その辺りは本人のみぞ知るって____)

 

軽く鼻を鳴らして意識を現実へ戻す、憧れがないわけではないがレースに関わることのない以上虚しくなるだけだ

 

けど…

 

「…ちなみにミスターシービーさんとシンボリルドルフさんってどんな人でした?」

 

英雄達の裏側、プライベートでの素顔の話が聞けるならちょっと面白いかもしれない

 

「シービーは自由人だったな…あと天然でちょっとだらしなくて、何故か『お姉ちゃん』呼び強要されたっけ」

 

「お姉ちゃん呼び…」

 

刹那イオタは予想とは斜め上の方向へぶっ飛んだ英雄達の過去の所業に早くも後悔することとなった

 

「あぁ、流石に恥ずかしすぎて『シービー姉ちゃん』で落ち着いた」

 

「いや重要なのは決してそこじゃないですよね!?」

 

ミスターシービーの事を天然呼ばわりしていた未来の方も天然が入っているのではと考えたがさすがに口にはしなかった

 

得てしてこういったものは本人に自覚などないのだから

 

「つ、次行きましょう

ルドルフさんはどんな感じだったんですか?」

 

「シンボリルドルフは…お互い小等部ってこともあったからかな、合宿期間の自由時間はよく遊んでたけど

気弱なのに負けん気と理想が人一倍強くてしょっちゅう泣いちゃう子だったな」

 

「へぇ…意外っちゃ意外ですけどありえそうでなんとも言えないです…」

 

「あとダダ子ですぐ拗ねるけど構わなかったら大泣きする

普段もダダ子の時もすぐ感情的になって大泣きするから『泣き虫ルナちゃん』ってあだ名が付いたくらい」

 

「何やってんだ皇帝…」

 

イオタは自身の中の皇帝像にヒビが入り音を立てて崩れていくのを感じ取りながら精一杯の引きつり笑いを披露した

 

 

 

 

 

 



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初めてのお手伝い

ストックが切れてから初めての投稿だと言うのとシンプルに忙しくて筆が乗りませんでした
ようやく形になったので投稿。


「そう言えば、何か私にお手伝いできること無いですか?」

 

牧場での思い出話を聞いて一区切りがついてからイオタは未来へそう言う

別に手伝えと言われた訳ではないが、無理にここに置いてもらう以上ヒモのように何もしないのは気が引けたのだ

 

ここに置いて貰うならそれ相応の対価として労働をする、まだ幼く齢10に満たないイオタ自身そうするのは当たり前だと本能で思っていた

 

「…本来なら君のような幼い娘を働かせるのは気が引ける

だが確かに何の気なしに追加で一人養える金がある訳じゃないし、幼いとは言え人間より力のあるウマ娘の君が手伝ってくれる事がありがたいのは事実だ」

 

本当なら遊び、学ぶ事が本業の子供に仕事の手伝いをさせるのが気が引けるのは事実で

それが出来ないくらい切羽詰まってるのも事実だった

 

「…改めて俺からお願いする

手伝ってくれ、君の力が必要だ」

 

故に未来はイオタから手伝いを申し出たのではなくあくまで自分から手伝ってほしいと言う事にした

 

「…当然、と言ってはそこまで考えて戴いてる以上言えませんね

けど、こっちは無理を言ってここに置かせて貰ってる身なんです、置かせて貰ってる身で何もしないなんてそんな罰当たりな事するつもりありませんから」

 

勿論イオタの返事はOKだった

何ならそうするのが当然とまで思っていたが、未来の思いを聞いて認識を改める

 

まだ幼い自身を汲んでくれ、その上で向こうから手伝ってほしいと改まってお願いしてくれた

 

その気遣いが嬉しかった

 

「私からもお願いします、ここで働かせてください

私に手伝わせてください」

 

「あぁ、よろしく頼む」

 

故にイオタからも働きたいとお願いすることにした

真意を察してかイオタのお願いを受け入れる未来の表情は終始穏やかなものだった

 

 

 

 

 

「それじゃあまずは最初の仕事を覚えて貰うが…」

 

「はい!」

 

現在未来とイオタの二人は作業着に着替えて厩舎に集まっていた

二人とも白無地のTシャツにオーバーオール、長靴タイプの安全靴といういかにもな格好であり

イオタの分はまだ用意が間に合わなかった為に未来が子供の頃に使っていた物のお下がりを使っている

 

「まずは厩舎の掃除からだ、動物たちが邪魔になるから一度放牧させるぞ

牛とか豚みたいな大型の動物は一匹一匹ターフに出してくれ」

 

「わかりました!」

 

最初の仕事は夜間のうちに糞尿で汚れた動物達の厩舎内の掃除から

指示を聞いたイオタは元気よく返事を返すと動物たちに振られた番号付きの手綱を引いてターフへと一時的に放牧する

 

「ここからはスピード勝負だぞ

万が一にも脱走出来る作りにはしてねぇが絶対はありえねぇ

それに、ごく稀に暴れだすやつもいるからな」

 

「なるほど…!」

 

戻ってきたイオタに渡されたのは一本のデッキブラシと藁をかき集める土木農具のフォークだ

 

「とはいえ最初は慣れないだろうから自分のペースでゆっくり確実に出来る範囲で急いでくれ

今は覚えることが優先だからな」

 

「わ、わかりました」

 

さすがに今まで一人で仕事をこなしていただけありイオタへ指示を飛ばしながらテキパキと素人目に見ても早くそして確実に厩舎内をキレイにしていく未来に圧倒されながら見様見真似で厩舎内の掃除を始める

 

 

 

 

 

 

「よし、ここはこんなもんだ

後はここの動物を戻してヤギ、羊、鶏、兎の厩舎に行くぞ

少し休憩挟むか?」

 

「い…いぇ…ゼェ…だ、大丈夫です…」

 

約30分後、一滴の汗も流さず涼し気な顔で次の指示を出しつつ一度休憩を入れるかと提案する未来と全身汗だくになり息を切らしながらそれを拒むイオタと言う対象的な二人の図が出来上がる

 

「そうか、あまり無茶はしないように

…次のところが終わったら絶対休憩取らせるぞ」

 

「お、お気遣いなく」

 

端から見ても疲れ切った様子のイオタに、それでも必要ないと言ってすぐに聞いてくれるようなタマでないことを感じ取った未来は次の作業が終わり次第強制的に休憩を取らせる事に決めた

 

「いくら何でも初日でテキパキとこなせる奴なんかいねぇ

それを踏まえれば十分上出来だよ

動物の搬入は俺がやっとくから一度息整えときな」

 

「あ、ちょ…」

 

言い終わる前に背を向けてターフへ向かった未来へイオタは項垂れてしまった

 

(早ぇえ…あの人……

何で人間なのに私より作業早くて私より重い物運んで私より疲れてないの…?)

 

現状仕事の足しか引っ張ってないのではとイオタは未来へ申し訳なさとどんな鍛え方をすればああなるのかと心配な気持ちでいっぱいになった

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、午前の作業はこれで終わりだ

午後の作業は一時間半程度昼食と休憩挟んでから再開だ」

 

「……お疲れ様でした」

 

少し時間を飛ばして正午になり

午前の仕事が全て終わる、途中搬入中の動物たちが一斉に興奮して暴れだすと言う災難に見舞われ二人して牧場内を駆けずり回るというハプニングもあった

最終的に手慣れている未来が一人でどうにかしてしまったが慣れない仕事と暴れる動物を抑え込むことに体力を使い果たしたイオタは足腰がガクガク震える程に疲労しきっていた

 

「すごいな君塚さん…今でこんな仕事量を一人で回してたなんて……」

 

しかし元々それらを全てひっくるめて未来は一人でこなしていたのだ

体格以外全て体の構造で劣る筈の未来が一人で、その事実はイオタは舌を巻くしかなかった

そしてそれと同時に自分一人でも仕事を回せるようになり早く未来に楽をさせてあげたいと強く思った

 

(今は大丈夫でもあのやつれ方…そのうち本当にぶっ倒れちゃうよ)

 

今なら病的なまでにやつれ、死人のような形相をしてる未来にも納得が出来る

慣れてるとはいえあの作業量を毎日毎日こなしていたのでは疲れなど一向に取れないだろう

しかもそれは午前だけの話であり午後にはまた別の作業がある

 

(君塚さんは覚えるのを優先しろと言ってくれたけどそれじゃダメ

覚えるのも早く終わらせるのも平行しないとね)

 

道のりは遠く険しいなと小さく溜息を吐きながらイオタは建物内へ戻ろうとする

 

ゴオォ___ォオッ

 

「…ん?」

 

ふとその時、遠くから近づいてくる轟音に気づいた

あたりに響くその音は飛行機のようだがジェット機のように甲高い音ではなく

レシプロやヘリコプターのように不規則な低音でもない

 

自然とイオタの足は建物を通り過ぎ、牧場の目の前の通り沿いまで来ていた

 

ゴォオオ___ゴォッ_____…ボォオオオ

 

通り沿いに出るとその音はより一層鮮明に聞こえてきた

一体何が来ると言うのか、イオタは体を強張らせながら近づいてくる謎の音により一層注意を払う

 

____ゴォオォ…ボォンッ!

 

「…車?」

 

奥のコーナーを抜け、姿を表したのは少し古臭い赤茶色の平べったいコンパクトカー

そしてその車はイオタの視線も気にせずに牧場の中へ入っていく

 

「…!?一体あれは…」

 

急に入ってきた車にはイオタは気圧される、というのも今までイオタは実家にあった無駄にデカイ車や移動用のリムジンなど

大きく静かな車しか見たことがなかった

 

目の前にある車はそれらには属さない、小さいがボディが横長でかつ耳を塞ぎたくなるような爆音で耳障りな筈なのにどこか新鮮で心地良いとさえ感じた

 

バコッ___

 

金属同士の連結がむりやり外されるような決して耳に心地よくはない音と共に運転席のドアが開く

 

「え…?あれ……?"君塚"さん?」

 

運転席から降りてきた人物を見てイオタは更に驚愕する

太陽の光が当たるたびに全く違う色の輝きを見せる不思議な銀色の髪

左目尻に涙の形の入れ墨や血色が良く肉付きもしっかりしていて、かつ背丈は低いがその顔立ちは牧場主の君塚未来とそっくり同じだった

 

(…てか君塚さん顔立ちは良いと思ってたけど

もうちょっと太ったらこんなカッコいいのか…)

 

未来は泣く子も大泣きしそうな顔をしているが、ひとえに悪すぎる顔色とやつれた頬、生気の無い瞳がそれぞれ強い主張をしてホラー映画も真っ青な見た目になっている

だが一つ一つの顔のパーツは中々に整っていた

そして同じ顔でネガな部分が全く無い目の前のこの人物は当然な如く美形であった

 

「…誰?お前」

 

目の前の人物は訝しげに眉をひそめながイオタを見つめかえす

刹那ゾワリとイオタの背筋に冷たいものが走るような錯覚を感じた

 

 

(こ、怖いなぁ…この人…)

 

まさに蛇に睨まれた蛙だ

ひと睨みで人の身動きを止められるような人間など世界広しと言えどどれだけいるだろうか

 

「あ、えっと…君塚さんにお世話になってます

見習いのイオタって言います」

 

「ふーん…」

 

怪訝な表情は変わらないものの

未来の名前を出したことにより多少目の前の人物から向けられていた圧は軟化した

 

「___おい来るなら連絡くらいしろよな」

 

ふと真後ろから聞こえた言葉に後ろを振り向くと建物の玄関に背を凭れる未来の姿があった

 

「おぅ、暇だから来たぜ」

 

「ったくいつもそれだな

ともかくウルセェからエンジン切れ、動物達がビビるだろうが」

 

「へーへー」

 

未来の姿を見つけると先ほどと打って変わって嬉しそうに暇だから来たと宣う目の前の人物に当の未来はこめかみに手を添えて溜息を吐きながらまず車のエンジンを切れと言う

 

茶化しながら車の空いた窓越しにエンジンを切ると

地響きのようにあたりに反響していた音が消えて一気に静かになる

 

「君塚さん…この人は?」

 

恐る恐るイオタはこの人物が誰なのか未来に問う

未来の話では家族は誰もいないと言うことだが未来そっくりで親しげなこの目の前の人物は一体誰なのか気になったのだ

 

「あぁ…こいつは」

 

言われて未来はイオタの方へ向いてひと呼吸置く

そして少しだけ面倒くさそうに口を開いた

 

「こいつは綾瀬(アヤセ)雅(ミヤビ)、俺の親戚の弟だよ」

 

 



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綾瀬雅という男

期限を決めてやっていた趣味が思った以上に進まず、それに伴って執筆も遅れに遅れて何とか2ヶ月ちょっとぶりの更新です
大まかな流れは作ってあるので構想に時間はあまりかからないのですが日常パートはやはり難しい!


「未来兄ぃから紹介があった通り、俺は未来兄ぃの従弟の雅だ

ここで見習いやるってなら今後顔を合わせる機会も多いだろ、よろしくな」

 

先程までの険悪な雰囲気はどこへやら

未来が来た事で雅がイオタへ向けていた敵意は今はすっかり成りを潜めていた

 

「見た目はアレだが俺が一番信用してる奴でもある

…性格はちっと難があるかも知れないけどな」

 

「おい」

 

雅の見た目をアレな物扱いをした挙げ句性格についても触れた未来に雅は速攻で食い下がるが

その様を見てイオタは思う

 

(…まぁ確かにカタギの人には見えないね)

 

目立つ髪色、目立つ位置に入った入れ墨

粗暴な口調と敵意は無いとわかっていても感じる圧と貫禄は控えめに言ってヤクザの駆け出し

又はギャングか金貸しだと言われても違和感がなかった

 

「まぁ一度置いといて

後は昼飯でも突きながら話そうや」

 

「何でお前の分まであると思ってんだよ

ねぇよ当然」

 

「は!?」

 

「こうなるから事前に連絡しろって言ってんだろこのバカ助!」

 

現在時刻はお昼時、未来のあんまりな紹介に食ってかかっていた雅も腹が減ったのかナチュラルに御相伴に与ろうとするものの察知した未来から待ったが掛かり

第2ラウンドが始まろうとする

 

「…っと続きは中でにしよう

悪いなイオタ、腹減ったろ」

 

「あ、いえ…」

 

しかし未来は流石に大人だといったところか

話し込んで同じくお昼をお預けされていたイオタへ向き治ると話を無理矢理切り上げ謝罪と共に建物内に入るように促した

 

イオタはイオタで話し込んでる中でお昼を催促するのが厚かましいと思ったのか生返事を返すのがせいぜいだったが…

 

 

 

 

 

「本当に何も無いのか?

割とマジで腹減ってるんだけど」

 

「…しょうがねぇな、秘蔵のチキンラーメンでも出してやろう」

 

「チョイスよ…まぁ好きだけど」

 

移動中のこと、空腹に苛まれ再び食い物の有無を尋ねる雅に未来は小さなため息を1つ吐くとストックしていた即席麺を出すことに決めた

 

「悪ぃな、うちがもうちょい運営に余裕があれば

もっと他のモンも出せるんだが」

 

「…いや、なんだかんだ出してもらえるだけ感謝してるよ」

 

もてなす側の未来が言うのもおかしな話だが

大した物を出せない事を軽く詫びると雅から帰ってきたのは素直な感謝である

 

(…なんだかんだ二人とも本当に仲いいんだなぁ…)

 

そしてそんな二人の3歩程後ろを歩くイオタは、二人の表情を交互に見ながらそう思った

 

「さて、じゃあ追加で作るとするか…」

 

二人は建物内の一際大きな扉の前で止まり、未来はそう呟いて小さく息を吐いてひと呼吸入れてから扉を開ける

 

「…おぉ」

 

イオタの口元から無意識に声が溢れる、扉を開くと

そこは広々とした、おそらく昔は従業員達が使っていたであろう食堂だった

 

「二人とも先に座って待ってな」

 

未来はそう言って調理場へ姿を消す

残されたイオタと雅はそれぞれ2つ返事で対面するように食堂の椅子に腰を掛けた

 

「____で?」

 

腰を掛けた瞬間、雅は表情を変えずにイオタへ問いかける

 

「未来兄ぃは人一倍悪意に敏感だから、お前をここに置いてる時点でお前の人となりについてはについては別に疑っていない

けど何もこんな貧乏所帯にいるってのが引っかかるな、俺としては理由を話してもらえると納得できるからありがたいんだが」

 

「それは…」

 

別に目の前の雅は当初のように敵意を向けてくるわけではない

しかしただでさえ自分の生活さえ苦しいはずの未来が、今になってイオタのような小さい子供のウマ娘を雇ったのか気になるのだろう

 

「…私、行くところがないんです

名前は言えませんが、母は界隈では名のしれた競争バで

姉たちもそんな母の血を証明するかのように色んなレースで勝利を収めてました」

 

「…」

 

独白のように、時をまたいだ事を伏せてこれまでの事を話し始めるイオタの表情を見て

それが嘘偽りのないものであることを確信した雅は、黙ってイオタへ続きを促す

 

「それでも私なりに頑張ったつもりでした

寝る間も惜しんで勉強して、走って、きっと私にはみんなみたいに才能がないから

みんなと並び立つには人一倍の努力が必要なんだって

気づいたら鹿毛だった頭も芦毛みたいに真っ白になりました

それでも…やっと掴めたんです、地方だけどトレセンへの入学を」

 

気づけば声は震えていた

やっぱり心の奥底では振り切れていなかったのだと、改めてイオタは確証した

 

「けど、駄目だったんです

認めて貰えなかった、中央に言った姉や地方でもデビューから勝ち星を上げた姉たちと、入学は決まっても一度も一等を取ることがなかった私は

入学さえ許されずに絶縁状を叩きつけられました」

 

「…それで行き場を失った時に未来兄ぃが拾ったって訳か」

 

雅の言葉にイオタが小さく頷くと想像より複雑な状況に雅は深々とため息を吐いた

 

「わかった、そういう事情なら俺ももう何も聞かねえ」

 

「何の話だ?」

 

「いや、何でも」

 

ちょうど戻ってきた未来が料理を片手に何の話をしていたのを聞いてくるがイオタが口を開くより先に雅が何でもないと返す

 

「ふぅん…ま、いいか」

 

深く詮索しない未来は運んできた料理を次々とテーブルへ置いた

 

 

 

 

 

 

 

 

「_____うっま」

 

運ばれてきた朝食を囲み3人で手を付ける(雅だけ即席麺だが)

とイオタは驚愕で目を見開く

 

「未来兄ぃの飯ってめちゃうまいよな」

 

「いやマジで美味いですよこれ…」

 

味を知ってる雅はイオタに出された料理の数々を見ながら悔しそうに言うと賛同するようにイオタも絶賛する

 

「大袈裟なんだよなぁ…元々好きで手伝いはしてたけど

独りになってそこそこ長いんだからある程度できるってだけだぜ?」

 

「…これでそこそこなら君塚さんの将来のお嫁さんは相当なプレッシャーでしょうね」

 

謙遜するように大したことはないと言う未来に呆れたようにイオタはツッコミを入れる

当の本人はあまり納得の行かないような顔で頬を人差し指でポリポリと掻いており、謙遜ではなく本当に大したことないと思ってることが伺えた

 

「で、午後からの予定は?」

 

「イオタに手伝って貰いながら各房の動物の餌やり、かな?

あとはそろそろ出荷先を決めなきゃいけないのが何頭かいるからその打合せは俺が」

 

ふと即席麺を啜っていた雅が未来へ休憩後は何をするのかスケジュールを聞く

お手伝いのイオタは初日であるためできる仕事も限られる為に一瞬悩んでから午後の手伝いは牧場内の動物達への餌やりで済ませようと決める

その後やる予定の打合せは電話でのものだがまだイオタでは対応が出来ないため未来一人だ

 

「どうする?昼も走るならターフ開けとくぞ?」

 

「いいんですか?」

 

朝も走っていた為に昼休み中も走るならターフを開けておくと未来が告げるとやはり走りたかったのかイオタはそう言って笑みを浮かべた

 

「お、走れるんだ?」

 

「独学でまだまだ荒削りだが基礎はできてるからな、ちょっと凄いぜ?」

 

イオタが走ることに以外にも雅が反応を示す

次いで実際に見たときのリアクションを想像してか未来は笑いながら言った

 

 

 

 

 

昼のターフは朝露で湿りバ場の悪い黎明や早朝のものと違い

晴天に包まれた空とカラリと干上がったターフは絶好のスピードアプローチポイントでもある

 

____ドッ

 

右足を力強く杭を打つように踏みしめれば足の形にターフも凹む

 

____ドッ

 

慣性の力で前に押し出る体を後ろ足でターフを蹴り上げ更に速度を上げ左足を踏みしめる

またしても左足の形にターフが凹む

 

(朝露の溜まった早朝のターフもテクニカルで面白いけど

やっぱりトップスピードの載る良バ場のターフはシンプルに楽しいわね)

 

現在イオタは保てる限りの速度域でターフを高速周回していた

 

「へぇ…特出した速さは無い、ステップもコーナーアプローチも甘い…けど全体的なバランスは取れてるな

アイツ本当に独学か?」

 

「あぁ、そもそも独学じゃなければもっと基本的な所が出来てるはずだ

そこを考えれば確かにイオタの走りはてんでなっていないんだが…」

 

「…それでも疾いな」

 

ターフをぐるりと回ってイオタがコーナーを立ち上がる

その姿を見届けながら外ラチの外で雅と未来が思い思いに意見を述べた

 

「おっ…立ち上がってきたぞ

脚力は中々のものだが…何か違和感が残るな」

 

「流石に気づいたか」

 

「あぁ、もしかしてだけどアイツ本格化突入してないだろ?

それも初期段階すらまだ…」

 

本格化と言うのはウマ娘の成長にはかかせないもので、本格化を迎えることによってそのウマ娘の才能が開花すると言って過言ではない

また本格化を迎え、数年程度の短い期間でウマ娘の体は一気に作り変わる、本格化突入は個人差にもよるが中等部から高等部でその成長の頭打ちが見える事から10歳前後程度には本格化に入るか前触れが起こるのが通説であり本格化に合わせてそのウマ娘のデビューも決まる

 

「あぁ、アイツはまだ本格化に入ってない

いわば超晩熟型か」

 

「それであれなんだろ?恐ろしいやつだな」

 

大体のウマ娘は10歳前後で本格化する

それを踏まえれば齢10歳で本格化の片鱗が見れないイオタは超晩熟型であると未来は踏んでいた

そりゃ本格化した同期のウマ娘相手の模擬レースも戦績は振るわない筈である

 

(…だが疑問な所もある、イオタの話から実家はそこそこ以上の名家であるはずだ…

その名家がイオタの特性を見逃すのか?晩熟型だからと見捨てるのか?…わからない)

 

ふと浮かんだ思考に引きずられながら

未来はイオタの走りに意識を集中させる

 

(アイツはきっと速くなる、シービー姉ちゃんとルナちゃんを見ていた時より確実にわかる

周りから馬鹿にされようが見放されようが走り続け、磨き上げた努力に才能が加わればきっと類を見ない戦績を叩き出すだろう)

 

目の前の直線を目一杯に加速していくイオタと目があった

イオタは汗こそ流してるものの、その体躯や齢に見合わないハイペースでコーナーに消えていく

 

(あぁ、本当になんて走りをしやがるんだ)

 

ウマ娘を見てワクワクするなんていつ以来だろうか

久しく忘れていてとっくに抜け落ちたと思っていた感情が

イオタの走りを見るごとにまた少しずつ火が入っていくのを実感する

 

「本当に、震えるほどにシビレるぜ___」

 

口元から不意に溢れた未来のそんな言葉に答えるものは誰もいなかった

 

 

 

 



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成長

急いで書き上げたので誤字脱字、又は文章の構成がおかしくなってるかもしれません
それと時間軸がおかしなことになり始めてたので過去話遡って修正かけてます


イオタが未来の牧場へ居候するようになってから2年の月日が流れた

 

「___ふぁ…朝か」

 

部屋の簡易ベッドから身を起こし一度大きく背伸びをする、ここに来たときよりもわずかに身長が、ショートだった髪も背中につくぐらいまで伸びた

2年の歳月は成長期も相まってその容姿をガラリと変える

 

「今日も走るとしますかね〜」

 

ひと呼吸起きベッドの真横にある古ぼけたナイトテーブルに手を伸ばし、愛用のヘアゴムを取り出すと髪を一本へ括る

流石に長過ぎると結い始めたのがまだ半年程度前のことなので未だに真ん中で結えてるか自信がなく

一度括ってから鏡で何度か確認をしてからベッドを抜け出す

 

「走り終わったら未来さんに声をかけて…

朝ごはん食べたら厩舎の掃除しとこうかなぁ、でも今日は配達があるんだっけ…」

 

2年も一緒にいれば多少は気心のしれた間柄になり、今のイオタは未来を君塚ではなく下の名の未来に敬称を付けて呼んでいる

そしてそんな未来と昨夜のうちに立てた今日の予定を寝間着から軽装に着替えながら振り返りつつ今日一日の予定を立てていく

 

「よし、こんなもんかな」

 

一通り着替えが終わると部屋の入り口に立て掛けてあるランニングシューズを手に取り部屋を後にした

 

 

 

 

 

 

 

−−−−−ドグッ

 

まだ空が薄暗く、月が辺りを照らす黎明のターフに湿気を充分に吸った重い土が打音のような音と共に後ろ足で蹴りあげられ宙を舞う

 

−−−−−ドグッ

 

まだ初春の時分、日中こそ温かい日差しではあるものの日の登っていない今の時間は加速するたびに強烈に襲いかかる空気の壁は肌を刺すように冷たい

 

「ハッ…!ハッ…!」

 

しかしそんな中を温度を感じさせずに空気を切り裂くが如く駆け抜けるイオタ、その姿は放たれた弓矢の如くブレがない

 

(相変わらずこの時間のターフはトリッキーで、面白いけど隙がない!)

 

ハイペースのまま駆け抜けコーナーに入る手前で一瞬両足が沈み込む勢いで制動を掛け、今日飛び込めるギリギリの速度を見極めてコーナーへ侵入していく

 

(でもこのひりつくようなスリルと速く走れたときの陶酔感はたまらないわね!)

 

飛び込んで最初の頃はのりに乗った速度が影響し、摩擦係数の少ないターフを滑るように入り込む

挙動が落ち着いてから滑るギリギリをパーシャルステップで持ちこたえコーナーの出口が見えたら全開で駆け出す

 

自身の持てる全力で走ることはここに来てからニ年間、その前は実家で物心つく頃からずっと続けている

風が強く吹こうが、大雨が降ろうが、雪が降ろうがこの日課だけはやめてない

 

そんなイオタを持ってしても朝露が芝に溜まった黎明のターフは気が抜けないものだった

 

大雨が降れば水の抵抗で雑に走らない限りはある程度の安定が得られる、雪が降ったのなら思い切って滑らせっぱなしにした方が返って速い

 

でも黎明のターフは滑る芝と滑らない芝が混在しており、ステップを踏みながら瞬時に判断しなければならない

 

怖気づいて警戒したままさほど濡れてない芝を走れば当然遅い、かと言って警戒しなさすぎて濡れた芝を全開で踏み込めば転倒待ったなしだ

 

(こればっかりはやっぱ経験、足を踏み出す前に一瞬で判断してステップの強弱を決めて、踏み込むときには躊躇なく…

踏抜くなら踏抜く、セーブをかけるならセーブをかける!)

 

半端な走りが一番遅い、繊細でなおかつ大胆な走りでなければただのロスで終わってしまう

とはいえ状況に応じてパワー任せにまとわりつく芝を蹴散らしたほうが良いときだってある

 

(ここのターフだったらどんな子相手でもいい勝負できそうね)

 

それらすべてを網羅してる自覚はイオタにはあった

乾いた芝、濡れた芝、凍った芝

季節により、時間帯によりそれぞれ違う状況の芝を毎日

多い日なら朝昼晩、少なくとも朝晩2回は必ず走ったことにより生まれた経験

ここでだったらどんなウマ相手だろうと負けない自信があった

 

(ま、そんな日はこないだろうけどね

ここの生活は好きだから)

 

ニ年経とうがトレセン学園への憧れが消えたわけではない

けどここで過ごして、ここでの生活を手放してまで行きたいとは思わないし、それ以上に未来に迷惑などかけられない

 

(それに、今の夢はG1より未来さんの牧場を復興することだし…)

 

おそらくお人好しの未来なら行きたいと言えば学園に連れて行ってくれるかもしれない

しかし先程述べたように、今は憧れこそ残ってはいても牧場再建の生活を捨てるほどでもない

故の現状維持だ

 

(だからって走ることには手を抜かないけどね、なんだかんだ体力つければ配達楽だし!)

 

一歩、また一歩と駆ける足のペースを上げて、これが午前のラスト一本だとイオタは決める

 

(最後は思いっきり攻めてみようか!)

 

右に左にと大きく踏み出す脚に合わせて、地面で吸収しきれないパワーに負けた蹄鉄が浮き上がって芝との摩擦はどんどん少なくなる

すると出した脚に連動するように身体は左右に滑るように加速していく

 

(足裏に感じる芝との接地感が極端に減ってきた

パワーと芝に乗った水分に負けて滑走してる____!)

 

ニ年間も同じ芝を走ればその場その場の走り方も完璧に覚える、そして、ニ年間も経てばあの頃よりトップスピードだって当然伸びていた

 

「ハァッ…!ハァッ…!!」

 

荒い呼吸音と芝と土を強烈に蹴り上げる音が黎明のターフに木霊する

チラリと内ラチと外ラチに視線を向けてイオタはトップスピードの計測に入った

 

(…50Km/hってとこ?だいぶ載せられるようになってきたわね)

 

時速50キロ、それが今の朝霜だらけの重バ場での最高速度であり、良バ場なら苦がなく巡航出来るイオタのトップスピードだった

 

もちろん現役で走る競走バや猛者揃いの中央トレセンの生徒達からすれば50キロと言うトップスピードはなんの変哲もない数値だ

 

しかしイオタの年齢、いまだ本格化を迎えていない現状、ぬかるんだターフと言う条件を合わせれば一気にその異様さは際立つ

 

(流石に他じゃ同じことは出来ないだろうけど、ここでなら慣れたもんね)

 

ラスト一本も残りは最終コーナーのみとなると、顔を顰めて否が応でも真剣な表情になる

これからやることはこの数ヶ月空想でのみ組み立てる事が出来た限界コーナリングの一つである

 

(せっかくだし"アレ”、やってみるか)

 

速度はそのままに目の前のコーナーへ、ラインを目一杯アウトよりにとって僅かに減速すると

そのまま内ラチの柵を掠めるようにイン側へ切り込んでいき

 

−−パンッ

 

(つぅ!っぶねぇ!?寄せ過ぎか!?

…いや……)

 

勢いそのままに膝先を擦る

刹那左足にビリッとした痛みが走り、思わず目測を見誤ったかと勘繰るが次の瞬間には構わずにコーナリングを続けた

考えれば当然ではあるが、普段と同じ速度で普段よりマージンを削ってインに寄せた分コーナーを走る距離は短くなる

たとえばいつもは5センチ開けるなら今日は数㎜

タイムで測ればコンマですら変わりはないだろう、しかし体感でも速ければやる理由としては充分だ

 

(これはこれで速い!!)

 

最短距離を最速で走るために内ラチのあるイン側目一杯まで寄ったまま、体に掛かった横Gに速度を殺されないよう慎重にパーシャルステップでグルリと向きが変わりるのを待つ

そして視線がコーナー出口に完全に向けれるようになると打って変わって全開に駆け出す

 

 

(立ち上がりは慎重に、アウト側いっぱいいっぱいまでを許容に滑らせて…ここだ!!)

 

進路を外ラチに取ったとは言え速度が速度である、慣性で滑っていく身体を体幹と長年の経験による細やかなステップでいなしていくがそれでもズルズルとコーナーの外へ外へと流れていく

とはいえ焦らず慎重に事を運ぶしかない

一度この速度で飛び込んでしまえば修正は難しいし焦れば柵と目出度くお友達である

 

(ぅ…おっ!?)

 

身体を外ラチへ寄せに寄せて、足先にチリッと言う小さな音とともに微細な衝撃が襲う

それと同時にイオタはここ最近目標に掲げていたことの一つが達成出来たことにほくそ笑む

 

『アウト・イン・外ラチ走法』

 

それがここ最近のイオタが目標にしていたコーナリングである

大元はいつも使っているアウト・イン・アウトと言うレース技術のさらにコーナー速度を高めた版だと思っていただきたい

入り口で目一杯アウトによったらイン側内ラチにぶつかる勢いで飛び込んでいき、視線がコーナー出口を捉えたらクリッピングポイントから速度を落とさないように緩い弧を描くように全力で駆け出して外ラチ数mmまで寄せて抜け出す

先程の微細な音と衝撃はイオタの蹴り上げた足先、ランニングシューズの蹄鉄が外ラチを掠めた際に発生したものだ

 

(ようやく形にはなった…!私の理想のコーナリングその1…

あとは精度を煮詰めるだけね!)

 

もちろん難易度は恐ろしく高く、さらに言えば正気の沙汰ではない

並のウマ娘ならばあまりにも危険で絶対に不可能な芸当である、それでいて獲られるものは自己の満足感とコンマ数秒程度タイムが縮まるくらいだろう

 

だがそのコンマ数秒を侮ることなかれ、レースに関して言えばコンマ差を笑うものに走者である資格はないのだから

 

 

 

 

「未来さん、朝ですよー」

 

「…おー……」

 

目標を達成出来たことにより幸先のいい一日のスタートを切ったイオタは着替だけ済ませてその足で未来を起こしに行く

未来は普段から早起きではあるが低血圧であるために声を掛けにいかないと自身が決めた朝食の時間ギリギリまで出てこない

これでも去年くらいまでは朝の支度はすべて未来がやっていた為に遅れることなどなかったのだが

今は朝食の用意はイオタが頼み込んでやっており、やることがなくなってしまった未来は余った時間ベッドの上で倦怠感と格闘するようになった

 

「とりあえずベッドから出ましょう?」

 

「あー…悪いなぁ…」

 

掛け布団の掛かったまま座り込んでいた未来から掛布団を引き剥がしイオタはベッドから離れる

それを皮切りに未来も意識が覚醒しだしたのか大きく伸びをすると前日から近くに用意している着替えに手をつける

 

「…出てもらっていいか?」

 

「あ、すいません」

 

そして未来は素知らぬ顔をして居座り続けるイオタに避難の目を向ける

素でやっていたのかハッとなって軽く謝罪してからイオタは出ていった

 

(…内ラチに膝を当てるほど……か、随分と攻め込んでるみたいだな…)

 

イオタが出ていってから未来は着替えながらイオタが退出する際の足運びにいつもより少し違和感があることを見抜いていた

無意識下で患部を庇い身体に負担がかからない程度にバランスの狂った足運びからおそらく左側の膝を柵に軽く当てたと未来は推測する

 

(そろそろいつも通り走るだけじゃ飽きが来る頃だろ

元々見様見真似でもそこそこに走れていたアイツのことだ、ルーツを司る母親の走りを守り、この2年でいろんな走り方に手を出して、そこに自分の走りを見出そうと殻を破ってる最中だ…)

 

それ故に限界点を超えた際のイオタの素質が解る訳だが同時に怪我を誘発するリスキーさも当然高い

着換えの終えた未来はイオタの待っているであろう部屋の扉の向こうを見つめ小さくため息を吐く

 

(思ってたよりもこの段階にくるのが早かったな…まぁいい

近々書庫から合宿所時代のトレーニングメニューでも引っ張り出してきてみるか、アイツにもいい刺激になるはずだ)

 

 

 

 

「えーっとこっちが市場に下ろすやつ…こっちが旅館で…これは精肉店のやつ」

 

朝食を終えたイオタは現在厩舎の隅から引っ張ってきた配達用の巨大リヤカー(仮称山田くん一号)を建物の入り口に置き

本日の配達する荷物と届け先の確認をしていた

牧場である以上ただ動物を育てている訳ではなく、豚や牛、羊に鳥など食用にできるものは屠畜から食肉加工まで未来がこなしている

一度はイオタが引き受けようとしていたのだが実践であまりのショッキングさに気を失ってしまった為にこればかりはいまだに未来だけの担当だ

 

「…今更ながら絵面がすごいな」

 

一緒に荷物の伝票を確認しながら未来は目の前の光景の異常さに口を挟む

元々は一般的なサイズ(最大積載量300キロ)のリヤカーであるのだが、一回に沢山積んだ方が効率がいいしトレーニングにもなるとイオタが未来に依頼し、リヤカー(山田くん一号)はその積載量を500kgまでを許容に荷台の改造が施されており、当然荷台の長さも通常の倍近くまで伸びている

そしてそんな大きなリヤカーを引くのは年齢的に小学生の小柄なイオタである

 

「わかってると思うが安全にな、飛ばすのは構わんが怪我と事故だけはするなよ?」

 

「わかってますよ、『公道は俯瞰で見ろ』でしょう?」

 

配達を任されるようになってから、未来から課せられた条件がいくつかある

一つは歩行者や車、他のウマ娘達に走りで迷惑をかけないこと、自分より速いのが来たなら張り合ったりせず、近づいてくるのがわかった時点で端へより先行させること

これは積荷がある為、車や普通のウマ娘より早く走れるわけがないので基本すぐに譲る事で少しでも交通トラブルのリスクを減らすためだ

 

もう一つは交通量、通行人やあたりを走る車やウマ娘たちの流れを自己中心ではなく一歩引いて広く見ること

走る以上独りであっても一人ではない、周りにいるのは常に自分以外の他人でありどんな動きをするかなんてわからない

そのためたとえ目の前で何が起きても対処できるよう予め警戒しておけと言うことだ

 

最後に必ず無事で戻ること

怪我や事故はもってのほか、変なのに絡まれ追いかけられたら最悪荷物は捨て置いてでも帰ってこいと言われている

 

この3つがイオタが配達に出る条件だ

 

「よし、こんなもんかな…」

 

「今日の配達先を考えると午前目一杯使って正午には戻れそうですね」

 

「今日も走るか?」

 

「もちろん!…お披露目したいのあるので見てもらえます?」

 

「あぁ、わかった」

 

あらかた荷物を積み終えると、未来は額にじわりと浮かんだ汗を拭い今度は大きめの氷を残った隙間にみっちりと詰め込んでいく

更にその上から厚めの木の板で蓋を閉める為、この季節なら配達時間も加味するとぶっちゃけ氷は必要ないのだが精神衛生上一応、である

 

「それじゃあ、いってきますね」

 

「おぅ、いってらっしゃい」

 

低く腰を落としてリヤカーをグンと引く、引っ張られたリヤカーがゆっくりと動き始めるとイオタは出発する事を告げた、対して未来は簡素に返答し、イオタを見送る

普段はピクリとも表情を動かさない割に、穏やかな表情を浮かべながら

 

 

 




もう何話か挟んだら閑話として現代側も書いていこうと思います


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配達

色んなことが重なりすぎて鬼の忙しさの中執筆
実に4ヶ月ぶりの更新となります


勾配がキツめの坂が続く山道を山田くん一号(リヤカー)を引きながらイオタは駆けていた

 

(慣れてはきたけど重いな…)

 

速度にして約30km、通常であれば永遠に走れそうだと錯覚するそのスピード、しかし500kgもの重りを引いてる今は全く別の顔を見せる

 

(普段走る分には気にも止めないような緩い坂も山田くんはすぐに反応するわね…)

 

引き手のイオタが身軽でも引いてる山田くん一号(リヤカー)はそうも行かず

慣性の法則に従ってありとあらゆる坂を検知し、時に引き手が腹部にめり込み、時に背中が荷台に押される

 

(けど、まぁこの程度なら大丈夫…)

 

最初の頃は上り坂一つで滝のような汗をかき、下りともなれば荷台に踏み潰されるのではないかと常に気が抜けなかった

だが今はこの程度ではなんてことはない

 

(こういうトレーニングは、いま自分の限界がどこなのかわかるからいいわよね)

 

何度も言うようであるが、本格化を迎えてない以上どんなに鍛えても筋力やスタミナの許容が増えるスピードはとても遅い

だがそれでも人よりは早い為に数ヶ月も続ければどれほどの物になったか体感できるほどにはやるやらないで違いが出る

 

(さ、早く配達終わらせてターフでも走ろっと)

 

 

 

 

 

 

街に降りるとイオタはウマ娘専用レーンを山間と同じ時速30kmのまま走り続ける

当然辺りをランニングしてる他のウマ娘達より遥かに遅いスピードな為、用意に追い越しできるよう目一杯左に寄って走っていた

 

(…うん、相変わらず周囲の目が痛い)

 

端から見ればウマ娘とはいえ幼い子供が自身の体よりも大きいリヤカーを苦もなく(表面上は)引いている光景は明らかに異様な物で

あちらこちらから注目を浴びていた

 

(ここまでは良いペースで来れた…この先に公園があったと思うからそこで一度休憩を入れよう)

 

周りの目を意に介さず走り続け

ふと荷台に括り付けた時計を見るとかれこれ2時間程走り続けている計算になる

丁度両足がわずかに疲労感を訴えて来たところなので少し行ったところにある公園で一時休息を取ろうと考えた

 

「…確かこの辺だったはず」

 

配達のルート上にある公園ではあるが利用する事がないため

記憶上の場所に自信がない

 

(あ、あったあった…)

 

少し先へ行き、目的地が見えてきたことで表情が明るくする

 

「ぷぅ〜…今日は暑いなぁ」

 

公園の中へ入るとゆっくり速度を落としていき

あたりに何もない広場になっている場所へリヤカーを停車させると深々と息を吐いた

 

(今日の配達先は4件だから、このあと一時間もあれば卸し終わる…

帰りは空荷だから飛ばせるぞ〜♪)

 

リヤカーの脇に常に備え付けた水筒を手に取り、中のスポーツ飲料を一口煽って笑みを浮かべる

適度にバラストがあり、低高速の特性がガラリと急に変わる公道で走るのはターフで走るのとはまた別の楽しさがある

 

(ん…?)

 

そんなこんなで休憩を終わらせ、また公道へ出ていこうとしたとき、ふと視界の端に映った一人のウマ娘がいた

 

(芦毛の子…か)

 

そのウマ娘は少し暗めの銀髪と大きめの赤青配色のハチマキを身に着けており

身長は目測だがイオタと同等かそれよりも低く、であるにも関わらずスーツを着ていてあまりにも不自然な格好をしており、どうやら飲み物を購入したいのか自販機にお金を入れてからウンウンと唸っている

 

「あ"?」

 

(あれっ?)

 

ついに商品を決めたようで意気揚々とボタンを押すも商品は出てこなかった

というよりその子が他のボタンを押しても商品が出てくる気配は一向に感じない

 

「は…?え"!?出てこーへんがな!

せやったら金返せや!?」

 

慌てた様子で芦毛のウマ娘はお釣りの返却レバーを引くもおつりすら出てくる気配を感じない

 

俗に言う【飲まれた】というやつだ

 

「ぐっ!?…こッのォ〜〜!!」

 

遂には痺れを切らした芦毛のウマ娘が自販機の中央部に鋭い蹴りを叩き込む

辺りにバゴンッという鈍い音が響き渡ると商品の取り出し口からはあらゆる商品が、釣り銭口からはジャラジャラと小銭が出てくる

 

(うっわぁ〜…)

 

「一本でええ!一本で!

あ〜ホンマ腹立つわ〜!!」

 

余程苛ついたのか他の商品や小銭に目もくれず、出てきた目当ての缶飲料を一本だけ手に取ると肩を怒らせながら歩き出す

その様を少し離れたところで顔を引きつらせながら見ていたイオタだったが

不幸なことに芦毛のウマ娘が振り返りバッチリと目が合ってしまった

 

「何見とンねん!

見せモンとちゃうぞコラァ、シバくど!?」

 

(うわ怖っ…ヤクザかよ…)

 

割と洒落にならない眼光で睨まれたのでイオタはそそくさと目線を外し、今度からあの芦毛のウマ娘がいるときはなるべく近寄らないようにしようと考えながら足早に公園を去った

 

 

 

 

 

 

「…じゃっ、きっちりありますね?」

 

「んー、いつもありがとうねぇ〜」

 

現在イオタは最後の配達先である精肉店にて積荷の伝票と引き渡す荷物に違いがないかのチェックを終えて帰るところであった

 

「気をつけて帰るんだよ?」

 

「はーい、わかってます

また来ますね〜!」

 

精肉店の店主の老婆の言葉にイオタは手を振り返し店をあとにする

 

(終わった終わった〜♪

これなら午後一には牧場につくわね!)

 

荷台にくくりつけた時計で時刻を確認するもいつもよりかは少し早めの時間をさしている

今日は積荷が重い精肉である中で最速のタイムを叩き出していた

 

(もうちょっと慣れてきたら荷台をまた延長してもらおう…)

 

まだ先は長いがこのペースであれば数ヶ月以内にさらに重いリヤカーを引けるだろうと推測し笑みを浮かべ、地面を強く蹴り込んで駆け出す

 

イオタの引くリヤカーは空荷とはいえ何かを引っ張ってるとは思えない速度でロケットのように加速していった

 

 

 

「く〜…!!ついに買っちゃったぜ!!

カーボンフルカスタムのロードバイク♥

オーダーメイドだから300万もしたけど僅か3kgの車体は伊達じゃねぇ!これならウマ娘なんかメじゃねぇな!!

もはや公道じゃ俺が無敵だぜ〜ッ!?」

 

そしてその先には何やらブツブツとつぶやきながらピッチリとしたサイクルウェアを着たロードバイクに跨った青年が一人、時折ウマ娘専用レーンにハミ出ながら走っている

 

「あ…?ナニよ?重たいリヤカー引いたロリウマがこのフルカーボンで武装した俺様に煽りくれちゃう訳ェ?」

 

帰りしなで飛ばしたい気分だったイオタはその青年の斜め後ろに位置づけ、こちらにハミ出てこない時に追い越しを掛けようとタイミングを伺っていた

 

「上等だぜ!こっからついてこれっかよーー!…ってあれ?」

 

刹那、勝負と勘違いした青年が加速すると同時にウマ娘専用レーンから外れ本来の走行ラインである車道に移る

その速度は彼自身が天狗になるのもやぶさかではなく、目測で50kmは超えていただろう

 

しかし常日頃からターフや公道を自身の限界ギリギリまで追い込んで走ってきたイオタからしたら幾分眠く

 

むしろ車道に戻ってくれたのをこれ幸いと青年のロードバイクが止まってると錯覚してしまうような瞬発力で一気に横並びになるといとも容易く前へ前へと差が開いていく

 

「は、はぇえ…さ、300万もした俺のフルオーダーメイドのフルカーボン製ロードがリヤカー引いたウマ娘に負けてるぅ…?」

 

追い越されてしばらくは必死に追いかけていた青年もいくら待ってもダレずに加速し続けるイオタのスタミナとどんどん視界の端で小さくなっていくその背中とリヤカーのリアビューに戦意が削がれてスローダウンを余儀なくされた

 

 

 

 

 

「ついたついた〜…」

 

更に時間が過ぎて、イオタはリヤカーを引いたまま牧場の正門をくぐる

太陽の位置は丁度真ん中程、時計を見れば正午手前を指していた

 

「おっ…雅さん来てるんだ」

 

牧場内の駐車場に見慣れた赤茶色の古臭いスポーツタイプのハッチバック車を見つけてはここ最近姿を見せていなかった雅の物だと結論づけるとリヤカーを裏の倉庫に置き、近くの水道から水をホースで引っ張ると軽く荷台を洗い流す

 

「おゥ、精が出るなガキンチョ」

 

「あ、久しぶりです雅さん」

 

ある程度流し終えると背後から声を掛けられ振り返る

そこには案の定雅の姿があった

 

「最近頑張ってるんだって?街の方で噂になってるぜ?」

 

「?噂になるような覚えはないんですが…??」

 

「リヤカー引いてバカッ速のウマ娘がいるって話なんだけどお前じゃねぇの?」

 

「…私ですね、多分」

 

噂になるようなことには本当に心当たりのないイオタであったが次いで雅から放たれたリヤカーを引いたウマ娘と言う単語を聞けば自分であると納得せざるを得なかった

 

「今日のこのあとの予定は?もう終わりけ?」

 

「いや、まだいくつか残ってますけど

まぁそんなに忙しくは…どうかしたんですか?」

 

午後からの予定を聞かれるものの、特に特別なことがあるわけでもないためいつも通り動物たちの世話だけである

慣れてきた今では決して暇ではないが言うほど忙しくもない

 

「じゃ、夜に予定空けといてくれよ」

 

「はぁ…わかりました…?」

 

 

 




さぁここからいよいよ物語は本編へ向けて進んでいきます。


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東ノ庄峠

というわけでイオちゃん強化訓練編です


昼食を済ませて午後になり

いつもの如くターフへ出るも雅から夜に向けてなるべく体力を温存しておいて欲しいと待ったがかかり

何をするかもわからないが雅が言うならと渋々、その日初めて2年走り続けた昼のターフ走を断念した

 

そして夜になり____

 

「イオタに悪いこと吹き込もうとしてんじゃねェーよ」

 

「心外だなァ…あいつなら大丈夫だって思ったから誘ったんだぜ?」

 

現在は軽装に蹄鉄付のシューズを持って待っていてくれと言う雅を言葉通りの格好に着替えて下に降りて来たところなのだが、呼び出した本人の雅は何故か未来に詰め寄られめいた

 

「イオタのことだからよっぽどなことはないと思うけどな、それで何かあってみろよ?

俺は本気でキレるからな?」

 

「わかったわかった…心配性なのは相変わらずだなぁ」

 

何やら揉めている、と言うのはわかるが

途中から聞いていたが為に内容を理解出来ないイオタは「やっぱり今日の昼は走りたかったなあ」と考えながら雅の所有する古いスポーツタイプのハッチバック車の横で持ち主の雅を待つことにした

 

 

「おぅ、またせたな」

 

「いえ…」

 

少し待ってから雅は未来に詰め寄られていた為に少し疲れの残った面持ちでやってきた

 

「まぁ乗ってくれや」

 

「あ、はい」

 

雅が車の鍵を開け、一足先に車両に乗り込む

その様子を確認してからイオタもドアを開き固まる

 

「…?どーした?」

 

「あの、これはどうやって乗り込めば?」

 

助手席のドアを開けた瞬間、イオタの目に映ったのは窮屈そうなシート(フルバケ)と乗り降りを阻害しそうなシートの後ろ側からダッシュボード側までをつなぎ合わせる二本の鉄の棒(サイドバー)だった

 

「跨いでこいよ、最悪踏んづけてもいいから」

 

「…あと何でこの車後ろにジャングルジム付いてるんですか?」

 

跨いでこいと言われ、戸惑いながらも椅子に座るイオタは

周囲に視線を張り巡らせ、ふと思ったことを口にする

 

「横転対策」

 

「横転するってことですか!?」

 

その言葉を聞いた雅は愉しそうに笑いながらそういった

そしてそんな雅の言葉に車が転がるようなことをするのかと青ざめた様子でイオタは問いただす

 

「冗談だよ、半分な

万が一転がった時は乗員の保護に役立つってだけ」

 

「な、なぁんだ…」

 

抗議の目を向けたイオタに流石に半分冗談であることを伝えると胸をなでおろす様子を見ていたずらっ子のような笑みを浮かべる

 

そう、冗談であると言ったがそれは"半分"である

そして万が一転がった場合と行ったのだ

絶対に転がらないとは言っていないのである

 

そのことにイオタが気づくのはすぐあとのことだった

 

 

 

「ど、どこ向かってるんですか…?」

 

「ん?まぁもう少しまて」

 

乗り心地が悪く轍やギャップを拾うたびに襲いかかる激しい揺れに耐えながら

イオタはまだ目的地につかないのかと辟易とした

もうかれこれ30分近く暗い山道を通っている

 

「あった、ここだ」

 

街頭が少なく、車のライトを消せば真っ暗になるであろう狭い山道を抜け

その途中にあった墓地の少し先の左角を曲ったところで数百m程の直線に出た

 

どうやら目的地はここのようだ

 

「…あの?一体ここで何をするつもりで?」

 

「シートベルト、ちゃんと締め直しとけ」

 

ふと疑問に思ったことを口にするイオタだが雅から帰ってくる返答は自身の望んでいたものとは全く違っていた

 

「…ふぅ」

 

助手席に取り付けられた4点式のシートベルトを締め直すイオタの横で雅は小さく深呼吸をするとハザードを炊いて左右に車体を蛇行させながら直線の突き当り、山の下りへ入っていく

 

「あ、あの…これには何の意味が?」

 

「タイヤ暖めてるんだよ

あと走ってるときに喋るな、舌噛むぞ」

 

そしてゆっくりと山を下り1つ2つとそこそこ急なコーナーを抜け

左斜下りのコーナーの途中にある家の入口を雅はジッと見つめる

 

「…あの家に何かあるんですか?」

 

「ん?…家主がいるときはあの入口付近に車が止まってるんだ

そん時にここ走ると通報が来るから、車があるときはあまり長居は出来ないんだが…」

 

その日は雅が指す家に車は止まっていなかった

 

「さ、ここからは喋ってる暇はねぇぞ

シンデレラ城のミステリーツアー開園だ」

 

言葉と共にその家の先のコーナーへ飛び込むと途中でギアを2つ落とし2速全開で立ち上がる

 

ボォオッ____プワァアアアッ

 

立ち上がると同時に低音の轟音が鳴り響き、かと思えば次の瞬間にけたたましい高音に音が切り替わり

 

イオタが今で体験したことのない強烈な加速で目の前の右コーナーへ差し掛かる

 

(ぶつかるッ!?)

 

速度は3桁を越え、普通で考えればあの世行きの速度でコーナーへ飛び込む

イオタは恐怖に目を閉じようと瞬間

 

ギュンッ

 

ヴァッバァンッ__ワァアアアッ

 

強烈な横Gと共に景色が一気に後ろへ流れ、ギアを変えた際のエンブレの音(速度的にヒールアンドトゥ)が響き渡ると再びけたたましい高音を撒き散らして次のコーナーへ向けて僅かな直線をロケットのように加速していく

 

(うわぁあ!?音が!?カーブが!!?)

 

初めての体験にイオタの思考はもうグチャグチャになり

車は大きな鳥居のあるキツイ右コーナーを抜けてゆるい左手コーナーへ入った

 

___ガチャンッ

 

突き出たマンホールをタイヤで乗り上げ、車体の後ろに金属を叩きつけたような大きな音が鳴り響く

 

(ひぃいい!?何!?何!!?)

 

しかし当の雅は気にすることなく、むしろ跳ねて暴れる車体をきっかけに一気に向きを反対に変えて続く少しキツめの右コーナーをクリアした

 

(ま、また鳥居!?)

 

 

続くキツめで長く、何故か中腹辺りが外側におじぎしたガードレールのある左コーナーを抜けると

 

今度は一般的な神社サイズの鳥居があり、車はその先の緩い右コーナーを終始けたたましい高音を響かせて駆け抜ける

 

(な、何キロ出てるんですかこれぇええ!?)

 

そして車は右コーナーを抜けるとこの道唯一のロングストレートに出る

 

車速はどんどん上がり、耳の痛くなるような高音が鳴り響き

車の挙動は助手席のイオタですら感じ取れるくらいに不安定に右に左にと小刻みに揺れまくる

 

少し先には緩い左コーナーがあり、見える範囲のコーナーの真ん中には地蔵があるのが見えた

 

(ひゃ、160___!!?)

 

ふとスピードメーターを覗き込んだイオタの目には時速160キロを指す位置にいる針だ

しかも直線の後半になるに連れまだまだ下へと針は降りていく

 

(しょ…正気の沙汰じゃない…)

 

それほど長く無い筈のストレートを抜けるのも永遠かと錯覚する程の緊張が張り詰めた中

 

ふとイオタはコーナーの真ん中にある地蔵と目があった気がする

 

そして車はまだ加速を続けていく、徐々に地蔵の姿がはっきりと見えてくるが車の加速は終わっていない

スピードメーターは怖くて見れなかった

 

(あ…ダメだコレ、私死んだわ)

 

そう思った次の瞬間、ドンッと言う衝撃と共に車体が前につんのめると地蔵はイオタの視界の端にものすごい早さで消えていき

 

何事もなかったかのようにコーナーをクリアしたイオタを載せた車は次のコーナーへ向かって突っ込んでいく

 

「170ちょいか…久しぶりだからって腕が鈍ったな俺も」

 

(いやいやいやいやいや!!!)

 

その後も右に左にと何個かのコーナーを抜け

3つ目の鳥居があるキツい左コーナーを抜けるとゆるい下りの直線に入り、普通に走っていればコーナーだと気づかなそうな緩い右カーブを抜け

その先にあった自販機を通り過ぎたあたりから雅は一気に車を減速させる

 

____ギャンッ

 

そしてその場で車体を180°ターンさせると

 

今度は上りを走る為に再びアクセル全開で走りだした

 

 

 

 

「3分29秒、まぁこんなもんだろ」

 

上りを登りきり、その場で再度180℃ターンで向きを変えてから雅はポケットからストップウォッチを取り出して停止させた

 

口ではこんなものかと言っていたがその実納得は行っていないのか、その表情は思ったより伸びなかったと怪訝なものだった

 

(に、人間じゃねぇ…この人)

 

ピンピンとした雅とは対象的にヘロヘロかつゲロゲロに片足を突っ込みそうな勢いのイオタは内心でそう思った

 

人間よりウマ娘のが精神や身体が優れていると言う理論があるがこと雅においては撤回しなくてはいけないかもしれない

 

「…で、夜に山まで連れ出してひとしきり暴走行為に勤しんだわけですが

これが私を呼んだ理由ですか?」

 

「おぅ、いつものターフと公道を配達がてら走るだけじゃ飽きる頃だろうと思ってな」

 

これのために呼んだのかと問えば悪びれもなくそんな発言が返ってくる

こういうことでこの人に正論を言っても無駄かもしれないとイオタは内心頭を抱えた

 

「今ので3分29秒、イオタ

お前だったらどれぐらいのタイムを出せると思う?」

 

「は…?」

 

そんなイオタを知ってか知らずか、雅はそう言うと笑いながらストップウォッチをイオタへ掲げた

 

「お前、2年前から走るときのシューズ変えてねぇだろ」

 

「うッ」

 

意味がわからないという顔で雅を見つめ返すとふと、なんの脈絡もなしにそんなことを言われた

 

そして雅の言うそれは当たっている

 

走る為のシューズはいわば消耗品、一般的な寿命は個人差はあれどおおよそ半年と言われている

 

それをイオタは成長期でありとっくにサイズも合わなくなり人より手入れはすれどボロボロになったシューズを履いていた

 

別に未来に新しいシューズを買ってもらえなかった訳ではない、配達で使っているシューズはこっちの時代に来てから買って貰ったやつを使っているのだ

 

ただし、二人生活するので割とカツカツな状態なので安物なのだ

 

使い古したシューズはボロでサイズこそ小さくなるが元の世界の最新型、それもディープ家はそこそこ裕福であった為にシューズだけはお高めのいいやつを買い与えられていた為に全開で走ったときは性能に雲泥の差があった

 

「そうだなぁ…俺が走り始めた時のタイムを考えたとして

この山をイオタが4分フラットを切って走れたら、新品のレース用シューズをお前にプレゼントしてやろう」

 

「…マジっすか?」

 

本来であればただでプレゼントをしても良いと雅は考えていたが自身の不器用な従兄にどことなく似てるイオタはそれでは遠慮して受け取らないだろうと思ったのだ

 

そして何よりそれじゃ面白くなかった

 

「さぁ、楽しいゲームの始まりだぜ〜?」

 

月明かりとまばらな街灯だけが照らす薄暗い車内の中

ストップウォッチを片手に雅は不敵に笑った

 

 



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峠の洗練

少し急いで書いたために誤字脱字
話の展開が急だったりするかもしれませんが必要に応じて改変するのでよろしくお願いします


 

「………。」

 

僅かな街灯と自販機の明かり、そして申し分程度に星々の明かりが辺りをぼんやりと映し出す暗闇の中

雅はストップウォッチを片手にタバコをに火をつけ紫煙を燻らせていた

 

現在位置は東ノ庄峠と呼ばれる山道の市街地側の下りだ 

昔、雅が当時の悪友達とここを走っていた頃はこの場所が走り終わってからの集合場所であり

 

最初に走った下り→上りでは無く上り→下りのタイムを競っていた

 

そのため今は試走に出てるイオタはそれに習って最初は上りを走り上で折り返してから下って帰ってくるよう走らせているのだ

 

____カンカンカンッ

 

「…来たか」

 

静寂が支配する辺りを場違いな蹄鉄つきシューズでアスファルトを蹴る甲高い音が響いてくると、雅はフッと軽く笑みを浮かべる

 

少し待ってその音がハッキリ聞こえるようになると奥のコーナーからイオタに貸し出した作業用LEDライトの光が見え始めた

 

試走に出ていたイオタが帰ってきたようだ

 

「どうだ?コースは覚えたか?」

 

「まぁ…大体は、ですかね

それにしてもターフや普通の公道と違って狭いしラインは制御せざるを得ないで相当に難しいコースですね…」

 

最後の直線を抜けきり、雅の元へ戻ってきたイオタ

そして試走の一番の目的のコースを覚えれたかどうかに関してイオタは正直な感想を交えて話すと雅はいつになく真剣な表情で口を開く

 

「ま、走るってことはそれだけ奥が深いんだよ

一応測っといたけど、さっきのイオタのタイムはこれな」

 

「4分42秒!?」

 

雅からストップウォッチのタイムを見せられたイオタの表情は驚愕一色に変わった

 

「そ、そんなぁ…試走とは言え結構飛ばして走ったのに」

 

「すぐに達成できるようじゃ面白くねぇしな

改めて確認するぞ?このコースを往復で4分00秒以下で走れ!

そしたら約束通り新品のシューズを買ってやっから」

 

思っていたよりもタイムが芳しく無く

その状態で達成できる目標なのかとイオタの表情は一気に苦いものになった

 

「まぁ精々頑張るこった

今のままじゃ多分ムリだろうけどな〜」

 

「ぐッ…言い返せないのが悔しい……」

 

スパーっとタバコの煙を吐き出しながらからかうように笑う雅に対し顔を引きつらせるイオタ

だが途中で何かを思ったのか人差し指を顎の下につけ暫し考え込んだあと再び口を開いた

 

「…さっきの雅さんのタイムは3分29秒でしたよね?

もしも…もしも私が40秒切ったら他に何かくれたりします?」

 

「40秒?3分40秒ってことか?」

 

「はい」

 

「ほ〜ぅ…言うねぇ?

30秒台で走るってか」

 

イオタの追加の提案に雅はタバコの煙を一気に吸い込み、一瞬考えるように煙を止めてから

挑発するように目の前でほわぁっと紫煙を吐き出した

 

「いいだろう、そんな奇跡が起こったら追加でレース用シューズ4セット買ってやるよ」

 

「…約束ですよ」

 

「さらに俺のタイム抜いたら俺のシビックくれてやろうか?

相当弄り倒してるから売るにしてもそこそこ値段つくとおもうぜ〜?」

 

「なんか腹立ちますねぇ…」

 

絶対に無理だと断言するかのように、もし自分のタイムが抜かれるようなことがあれば自身の車を賭けると雅は言った

それほどまでに自分の叩き出したタイムには自信があるようだ

 

「んじゃ、早速タイムアタック本番

行ってみるか?」

 

「了解です、気合入れますよ〜!」

 

さて、あまり遅くならないうちにと雅は話を終わらせ

ストップウォッチに刻まれたタイムを0に戻してからイオタへ促す

対してイオタは試走とは違い全開で走る為気合を入れ直すと自身の頬を両手でバシバシと叩いてから雅へ促す

 

「タイムアタック本番行くぞ!

3秒前ー!!」

 

「っ!」

 

「2ぃー!1ぃー!」

 

カウントが始まるとイオタの表情は雅との雑談時とはうってかわって真剣そのものになり、カウントが0になるのを今か今かと待ち構えた

 

「ゼロ、Go!」

 

「しゃあッ!目指せ30秒台だぁ!!」

 

カウントがゼロになり、イオタは威勢のいい掛け声と共に全力疾走していく

そして最初の緩い上りの左コーナーにすぐにその後ろ姿は見えなくなった

 

「ま、良いとこ4分25秒ぐらいだろ…

それでもだいぶ、いやかなり速いんだがな」

 

イオタの消えたコーナーの先を見つめ、再び包まれた静寂と闇に紫煙を溶かしながら

雅は不敵にニヤリと笑っていた

 

 

 

 

一方その頃、東ノ庄峠上りを走るイオタは上りの最初の鳥居があるキツい右コーナーを抜けた所だった

 

(行ける…行けるんじゃない!?

結構速いぞ私、ひょっとしたら雅さんより速いかも!

絶対に30秒台出してやる!!)

 

カンカンカンッとアスファルトを蹄鉄が叩く音が小気味よく鳴り響く

現在速度はイオタの最高速に到達しているが普段と違って重りが無い分、上り坂でもグイグイと前へ前へ進んでいくのだ

 

「お地蔵さん見っけ!」

 

いくつかコーナーを抜けた先に、先程下り側で雅が170キロオーバーで飛び込んだ中腹に地蔵があるコーナーを視界に入れる

 

(車からだと多少狭く感じたけど、やっぱ生身だと全然広い!)

 

これならこの速度で行けるだろうと踏んだイオタは勢いそのままに地蔵があるコーナーへ突っ込んでいく

 

(あたり!このまま行け…!?)

 

コーナーへ入ってすぐは読みが当たったとばかりに口元に笑みが浮かんでいたがそれはすぐ悪い意味で裏切られることとなり表情が強張った

 

(…え?あれ?出口は…?)

 

試走のときも確かに多少は長いと感じたが、実際に限界ギリギリの領域で走ってみるとそのコーナーは飛び込んでから出口へ抜けるまでが異様に長く、いつまで経ってもコーナーが終わらない錯覚に陥りそうになる

 

(あれれれ…思ったよりコーナーが長い、これは不味い…)

 

イオタの背筋に冷や汗が流れる

現在は想定の中ではとっくにコーナーをクリアしてる計算であり、そうなるように限界ギリギリの速度で突っ込んだ

重力に負けてコーナーの外、対向車側へ弾かれていきそうなのを何とか堪えているがそれももうそろそろ限界だった

 

(ヤバいッ___アウトに膨らむ…滑る____!)

 

その瞬間視界がグルンッと一気にコーナーのイン側へ向く、足元は踏ん張ろうにも蹄鉄がアスファルトの上を滑走しガリガリと耳障りな音があたりを木霊している

 

(この___ッ)

 

反射的にイオタは足のかかとを軸に足先をコーナーと反対側へ向けて重力に押される身体を無理矢理捻じ曲げ駆け出す

 

上りであったが為に慣性までは働かない重力下では何とか蹄鉄がアスファルトに食い込む程グリップが回復し、窮地を抜け出すことが出来た

 

(ッぶねぇ〜〜!なんでこのコーナーにだけお地蔵さんが立ってるか何となく理由がわかったわ!!)

 

しかしこのコーナーを過ぎたから終わりと言うわけではない

イオタの視界には今度は先程雅が170km出した短くも長い直線が待っていた

 

(このコース唯一のロングストレート、ここが今の私の最大の泣き所よね…

僅かにカーブがかってるところも含めたとしても170以上出せる雅さんに対して私自身は70kmも出ない…)

 

なら少しでもアベレージを近づける為にギリギリまで突っ込みコーナー速度を高めるより方法はないと考えた

 

(仮に速度で負けたとしても

気合だけなら雅さんにだって負ける気はしない、行ッけェ!)

 

手前のコーナーでの減速はすぐに立ち上がって現在再びイオタの限界速度へ

 

(まだ…まだ…!)

 

トップスピードに達してからゆるいコーナーを抜け残る直線を速度そのままに駆け抜けていく

 

(もう…少し!)

 

そして直線の終わりであるコーナーが、まるで巨大な怪物が獲物を飲み込むためにぽっかりと開けた口のように眼下へ広がっていた

 

「ッ!」

 

ぞわッ…と全身の毛が逆立つような感覚に襲われ

気づけば本来目標にしていた減速ポイントの遥か手前からの減速を余儀なくされた

 

(だ…ダメだ怖すぎる)

 

さっきのことが尾を引いてか無意識に限界域でコーナーに飛び込むことに恐怖心を抱いていた

 

(攻めきれない…!)

 

思うように走れないまま気づけば山も上りきり、これから折返して下りに入る

 

(ここからは下り…上りみたいな誤魔化しや小細工は通用しない)

 

上りであれば加速しない限り重力は後ろに掛かり抵抗になるため、ある程度のミスは減速で誤魔化す事は容易だ

しかし下りは進路側に荷重が掛かり、不測の事態になったとき急制動でも止まりきれるかは技術や運次第になる

 

(ちょっと加速しただけで進む距離が全然違う…

走ることがこんなにも怖いと感じたのは初めてだ…ッ!)

 

そもそも蹄鉄とアスファルトは相性がよろしく無いためにしっかり足に力を加えて半ばむりやりグリップさせる

それを下りの全開ともなると加えた力が抜けるコーナーの出口付近では毎回に近い程グリップが抜けて滑り出す

 

(もう少しで下りのストレート、ドライコンディションで急な下りともなれば最高速も90前後まで伸びる筈…!)

 

蹄鉄からグリップが抜けて路面上を滑り暴れる足をそれ以上の力でむりやり押さえつけ下り続けること数十秒

目の前にまたもやこの峠唯一のロングストレートが見えてくる

しかし先程までと違うことを上げるとすれば

先程は無茶をしても修正の効く上り、今はワンミスが命取りになる下りと言うこと

 

(上りじゃ気にも止めなかった緩いコーナーが普通のコーナーに早変わりね)

 

速度が速度な為に緩いコーナーでさえ鋭くなったように感じる

 

(…見えた、お地蔵さんコーナー!!)

 

そして緩いコーナーを抜けて残りのストレートへ

視界の奥にはストレートの終わり、コーナー中腹に地蔵が立っている

イオタが思うに一番の難易度を誇るコーナーが見えてきた

 

(速度が遅い分ギリギリまで駆け込めッ

____フラットアウト______ッ!!)

 

持てるすべての筋力を脚へ集中し、全力で地蔵のあるコーナーへ

この頃には足裏から路面の設置感は消えかけ、勝手に右へ左へと身体が寄っていくのを何とか真っ直ぐに走らせていた

 

(さぁ___そろそろコーナー…ッ!?)

 

コーナー数十m手前、本来であればもう少し粘って減速といった所で

背筋に冷たい汗がとめどなく流れ、本能が警鐘を鳴らした

 

(クッ…ソォ!!)

 

反射的に減速したのも束の間、何とか本来の想定していた減速ポイントまで意地で加速しコーナーへ飛び込む

 

(少し速度が落ちた…けどこれなら!?)

 

地蔵のあるコーナーへ入ってすぐ、ズッ…と言う感覚と共に僅かに身体がブレてセンターラインギリギリまで身体が押し出される

しかしそれは想定内だ、ジワジワと外へ膨らみかけてるが反対車線を利用すればこのままの勢いでコーナーを抜けれそうであった

 

(え…ライト…?対向車か!!?)

 

目の前の木の葉を照らすライトが2つ、うち一つはイオタ自身が身につけてるLED作業灯の白い光

もう一つはハロゲン球特有の肌色に近い光だ

そして後ろには何も走っていない為に、それは必然的に対向車の存在が近くに有るということを示していた

 

(うぉおッ!?やばい…ッ!!)

 

間一髪

対向車の存在に気づきズルズルとセンターラインを割りかけていた進行方向へ制動をかけ

ギリギリ自身の走行車線に戻ってから対向車線から走ってくる小型トラックとすれ違った

 

(危ッな!忘れてたけどターフと違って公道だから車もいるのか!!)

 

あのまま気づくタイミングが遅れたらどうなっていたかを想像しイオタの背筋に再度冷たいものが流れた

 

『公道は独りであっても一人じゃない』

 

かつて配達の許可を得る際に未来の言っていた言葉の片鱗を感じていた

 

 

 

「…戻ってきたか」

 

缶コーヒーを片手に夜空を眺めてゆっくりと寛いでいた雅は遠くから聞こえてくるカンカンカンッという軽い音が近づいて来たことでイオタが近くまで戻ってきたことを察して視線を道路側へ戻す

 

ちょうど最終ストレートにある緩いコーナーから作業用LEDライトの明かりが見えてきた所だった

 

「__ほぅ____」

 

そして最終ストレートを走りきり、雅の横を通り過ぎた所で雅は手に持っていたストップウォッチを止めた

 

「ハァ…ハァ…あ〜怖かったぁ」

 

膝に手を付き中腰になりながら息を切らせるイオタに雅はストップウォッチを片手に近づいていく

 

「さぁ、イオタ…今のでどれくらいタイム出てると思う?」

 

「え、えー…?

そりゃもう4分切ってて3分57秒くらいですか?」

 

イオタの答えを聞いてから雅は満足そうに頷いてからおちょくるように悪い笑みを浮かべ、ストップウォッチをイオタへと見せた

 

「ブーー、4分22秒で〜す」

 

「嘘でしょう!?」

 

ストップウォッチを雅からひったくるように見るが結果は変わらない

4分22秒、あれだけ怖い思いをして走っても目標より2

2秒も遅いタイムだった

 

「いいかぁ?直線でただただ馬鹿みたいにかっ飛ばせばタイムが出るってわけじゃねぇ

ましてやこんな狭い山道なら尚の事な、もっと幅広く視点を持ってよく考えて走れよ」

 

「……」

 

「…ま、俺が思ってたよりかはいいタイムだったぜ?」

 

「…はぁ」

 

すっかり落ち込んでしまったイオタを慰めながらすぐそこの自販機で購入したスポーツドリンクを渡す

気落ちしながらもイオタは受け取ったスポーツドリンクを開けてチビチビと飲み始めた

 

「…あ、マズい」

 

「…?」

 

ふと山側の道路を眺めていた雅がボソリと呟く

その言葉を聞いたイオタが不審に思って雅の見ていた方向に視線を向けると赤いランプを光らせながら山から降りてくる車が一台こちらへ来ていた

 

「最初ので通報が入ったかぁ?今日はいなかったから大丈夫だと思ったんだがなぁ…

……イオタ、早く車乗れ」

 

「あ、はい」

 

スポーツ飲料に栓をして雅の指示通りいそいそと雅の車に乗り込んだ

 

「…さぁ、そのまま素通りしてくれると良いんだがなぁ」

 

同じく運転席に乗り込んだ雅が暗闇の中でも存在感を放つ赤いランプを回す車_____

パトカーに向かってそうつぶやきながらハンドルを手に持つ

 

「…あの、お巡りさんこっち見てません?

走ってるときならいざ知らず、今って何か悪いことしてます?」

 

「いや、この車に乗ってることじたいがな…」

 

パトカーは雅の車の近くになると減速して徐行程度の速度になるとゆっくり目の前まで走ってくる

 

「…止まりましたけど」

 

「やっぱそうなるよなぁ」

 

パトカーは雅の車の前でピタッと止まった

 

《はいっそこの車止まりなさい!》

 

そしてパトカーはサイレンを鳴らしながら雅の車に向けてスピーカーでそう言う

 

「なんですか?もう止まってるのに…」

 

「…はぁ、いいか?良くつかまっとけよ?」

 

そんなパトカーからの言葉と対象に呑気な事を言い放つイオタへ雅は小さくため息を吐いて車のエンジンを始動させるといきなり高回転でクラッチを繋いでロケットスタートを決めてパトカーからの逃走を開始する

 

《待てコラァーー!前のグランドッ!

エンジン切って止まれー!!事故るぞーッ!!》

 

逃走を開始するとパトカーは当然の如く赤灯とサイレンを盛大に鳴らしながらスピーカーで怒号を発して追いかけてきた

 

「雅さん何で逃げるんですか!

この車のどこが悪いんですか!?」

 

「バカヤロウ存在そのものだ!」

 

市街地側へ向けて雅は車を走らせる

当然後ろからパトカーが追いかけてくるが今の時間は通行量が少なく徐々に赤灯はルームミラーの端に消えかけていた

 

《ナンバー覚えたからなーーッ!!》

 

「おぅ一生忘れんなよボケが!!」

 

ルームミラーからパトカーが見えなくなる直前そんな言葉が聞こえてきたが雅は聞き慣れたと言わんばかりに吐き捨てるようにそう言った

 

 

 

 

「と、言うわけで

初めて夜の峠を走ってもらったけど、楽しかったか?」

 

「…そうですね、怖かったですが色々得るものはあったと思います…けど、最後のあれはスルーしていいものなんですか!?」

 

帰りの車内にて、あんなことがあった手前山側にはしばらく戻れない為にグルリと市街地を通って未来の牧場へ帰りつつ

雅はイオタに今日の感想を聞いていた

 

「気にすんな、夜の峠を走るってなったら通報は日常茶飯事だしな

いちいち捕まってたらキリねぇっつーの」

 

「そうかもしれませんが…」

 

反省の色が全く無く、逆に笑い飛ばす雅に講義する気力の失せたイオタはため息を吐いてそれ以上の追求を諦めた

 

「思いの外タイムが伸びなかったのは辛かったですかねぇ」

 

「それこそ練習あるのみだろ

別にチャンスは一度じゃないんだしな」

 

「あ、別に今日じゃなくても良かったんですね…」

 

「いや、今日あのタイム出せはどう考えても無理でしょ」

 

まぁ、そうですねと小さく呟くとイオタは窓の外の風景に目を向ける

いつも配達で通る道であったが夜だと違う顔を見せるため新鮮な感じがした

 

「ま、いつになるかわからないけどせいぜい励めよ

またの挑戦心よりお待ちしてまーす」

 

「…なぁ〜んかムカつきますねぇ」

 

冗談めかした雅の言葉に少しイラッと来るものの小さく笑みを浮かべる

 

(…未来さんにお願いしてあそこも走ってみようか)

 

そんな事を考えながら疲れからかイオタの意識は徐々に遠のいていった

 

 

 



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再会

2ヶ月ぶりくらいになります
日常パートは苦手…


いつもの日課にプラスして夜の峠でのタイムアタックを追加するようになり半年程が経過したある日のこと

 

その日は朝から分厚い雲に覆われた曇天の空だった

 

「それじゃあ行ってきます!」

 

「おう、気をつけろよ」

 

本日は天候が荒れそうなために早々と早朝のターフ走を切り上げ、いつもより少し早めに未来に声をかけて朝食を取ったあと雨ガッパを着込んで毎日の日課である配達へ勤しむ

 

先月から山田くん一号の荷台をさらに延長し、最大積載量は750kgに耐えられるよう補強を施し

重量分下り坂等で慣性力が強まる為に両方の車輪へ未来が後付でワイヤー駆動のブレーキを取り付けていた

持ち手脇にあるレバーを強く握れば強烈に作用し、ずっと握りっぱなしであればタイヤがロックするほどの代物である

 

(まだまだ慣れないなぁ…流石に750kgは重い…ッ)

 

一度に運べる量が増えた為に配達周期が緩まるかと思えば特段そうでもなく

寧ろ未来の加工した食肉や革製品等は中々に質が良いらしく単純に得意先の購入数が増えただけであった

 

(…ほッ)

 

牧場付近の山道下り、イオタはコーナーに入る直前にブレーキを目一杯引き絞りリヤカーのタイヤをロックさせてテールをスライドさせる

 

(こういう遊びも楽しいんだけど、無駄なロスが多いし突き詰めれば極力滑らせない方が速いわね)

 

コーナーの途中で後ろをロックさせて強制的にドリフトのような状態へ持ち込むということは素早くコーナーイン側へ進路を取れるとは言え急激に舵角がつくために抵抗が大きい

 

ハッキリと言ってしまえばあまり速くないのだ

 

(理想としては惰性で勝手に滑り出す超高速域で突っ込んでクリッピングを抑えたらグリップさせて立ち上がるのがいいけど、それはまだまだ難しいから煮詰めていかないとね…)

 

いまだ積荷がある状態では30キロ制限と言う縛りを設けてある

この速度なら750kgの荷物を引いた状態でもある程度の休憩を挟めば午後の仕事に支障が出ないレベルで身体の調整を行っているわけだがせっかく新しく覚えた技術も速度が低くて試せないのでは致し方がない

 

(明日からは+10km/hの40で走ってみるか…)

 

最終的には積荷満載のリヤカーで交通の流れに乗って走る

そんな事を思いながら遠目に見え始めてきた街中へ向けて一際強く足を踏み抜いた

 

 

 

「いっけね、降って来ちゃったか…」

 

本日の積荷を全て卸し終えた後、帰路についた信号待ちでポツリポツリと雨が疎らに降ってきた

 

(出荷した後で良かった…今日は革製品だから濡らしたくなかったのよね)

 

ちらりと後ろの荷台へ視線を移し、信号が青に変わったが為に視線を前に戻して発進する

 

「っ…これは」

 

その直後、一気にバケツをひっくり返したような土砂降りに変わった

 

(カッパなければ風邪引いてたなぁ…)

 

思わず苦い笑みが口に浮かぶ、身体の熱が抜けなかったり抵抗になるため普段はカッパを着るのなんて億劫だが今日は正解だと強く思った

こんな強烈な雨は配達するようになってそこそこ経つが五本指に入る

 

(台風と違って風がない分まだいいけど雨量だけならいい勝負じゃない!?)

 

辺りの道路は雨水で一気に黒ずみ何処を走っても足が水を蹴り上げる

早く帰ってシャワーでも浴びようとイオタは脚部に力を集中させて雨の町中をリヤカーを引いたままかっ飛んでいく

 

(…え?)

 

一気に辺りの景色が後方へ流れていく状況下でイオタの視界には信じられないものが飛び込んできた

 

(…あの芦毛の娘って)

 

それは以前公園で見かけたヤクザのような口調の芦毛ウマ娘の姿だった

しかしその姿はウマ娘専用レーンの路肩に座り込み、あの時はきっちりと着こなしていたスーツは乱雑にはだけており傘も差しておらず全身がびしょ濡れであった

そして死んでるのかと錯覚してしまうほどにガックリと項垂れた顔は濡れた髪が纏わりついており表情は伺えない

 

(……ほっとけないよね)

 

前に見かけた時は目があっただけで罵声を浴びせられできれば関わりたくは無かったのだが

あまりにも悲壮感の漂う状態に、初めて会った頃の未来の姿と重なって見えてしまった

故に放って置くことが出来なかった

 

「大丈夫ですか…?」

 

「な…なんやオドレは…」

 

心配に思い声をかけてみるが前回同様ヤクザのような口調で返答がある

大雨に打たれた寒さのせいか、はたまた時折聞こえる嗚咽が故かその声は震えていた

して何だと言われてもただのお節介であるためイオタは何も言わず芦毛の娘へ近づいていく

 

「あぁ、コケちゃったんですね」

 

「…あ?」

 

芦毛の娘は俯いたまま視線が上がらないためその視線の先を追ってみると

恐らく走っている最中に脱げたであろうシューズの片方が落ちていた

そしてそのシューズの底部、固定されているはずの蹄鉄が留め具が外れ、ズレて遊びのある状態になってしまっていたのだ

 

(走ってる最中に蹄鉄がこんな状態になったら急にバランスが崩れるから転んじゃうのも頷けるわね)

 

シューズの強烈なグリップを発生させる蹄鉄は単体でも元々接地面積はとても少ない

ましてやそれは平面に置いたときの話で、実際に身につけて走ってる時の接地面積はさらに極端になる

そんな状況でただでさえ大雨の中急に蹄鉄のズレが生じたらどうなるか

まず抵抗の増大で外れかかった側の足は強制的に急制動になり残った片側のみでその時の身体すべてを支えることとなる

 

当然そのような状態になればよっぽどこのような状況を想定して訓練でもしていない限りは転倒待ったなしだろう

 

「補修用のワイヤーありますから応急処置しときますね」

 

「あ…おい…」

 

芦毛の娘が何かを言った気がするがそれには答えることなくイオタは普段自身のシューズの手入れをする感覚で補修用に持ち歩いてる鋼のワイヤーを通していく

 

「へぇ…(リベットとワイヤーのセパレート…いや、リベットをカラーで包んで3点止めか

素材は希少な物じゃないけど質の良い物を使ってるし、高いレベルで性能と耐久性を求めたレース用ってわけ…)」

 

芦毛のウマ娘のシューズを片手に取り、造りをまじまじと見つめては感嘆の声を漏らす

本来シューズには靴底の素材やその素材の止め方にいくつか種類があり、練習用でターフもダートもアスファルトも走れる万能型のシューズは靴底が蹄鉄かゴム製(又は強化ゴム)の物であり、接着剤等で止めてあるか本体に溶着されてる物がほとんどだ

 

次にレース用の物となると靴底は蹄鉄のみになる

そしてその蹄鉄の止め方は複数に分類され、持ちの悪い順(価格順でもある)に[ワイヤー止め・カラー止め・ビス止め・ボルト止め・リベット止め]の5種類からなり、使う素材によって変わっては来るがそれぞれのメリットデメリットがある

 

また、一番強度の出るリベット止めを使ったシューズが言うまでもなく一番高い

 

(最低限の強度をリベットで補って、荷重変化で局所的に剛性不足に陥るからリベットを更にカラーで包んでガッチリ固定してるわけね)

 

さて、上記の通り重くなるためリベットは多様すればいいと言うものではない

だからこそ最低限の強度を保証する程度にしかリベットは打たれていないのだ

そしてそのままだと実際のレースでは強度不足であるためにリベットをカラーで包み強度の底上げを測ったのがこのシューズなのだろう

 

(で、それだけで仕上げたら固すぎるから外周部分はワイヤー止めにして力を分散できるようにワザと強度を落としてる訳ね)

 

しかし全部が全部その繋ぎ方であれば返って固くなりすぎ

て地面を蹴る感触がダイレクトになりすぎたり生半可な踏み込みじゃしならせるてグリップさせることも出来ずにピョコピョコとはね返されるだけになり性能をフルに使い切れない

 

そのため踏み込みで力のかかる部分は固く、そうでない部分は意図的に弱く作ってうまく力を分散させる

そう言う考えの元でこのシューズは作られてる様だ

 

「…はい、出来た

これでどうです?」

 

「え…お、おおきに?」

 

しかし今回はその構造が悪さをしたのか、手入れはされていたようだが部品の交換はしばらく行われていなかったようで

劣化したワイヤーが走ってる内に切れてしまい

シューズが強度不足に陥ったのをしばらくそのまま走り続けてズレてしまったのだろう

 

本来であれば完調へ戻すのに一度リベットやカラーを全部抜いてセンター出しをし直してからワイヤーで繋ぐのが良い訳ではあるが、それは機材が無いために応急処置でワイヤーでの止め直しだけである

 

「応急処置しか出来て無いんでなるべく早めにシューズ屋にでも持ってって調整してもらってくださいね」

 

「えらい世話になってもうて…」

 

「簡単なのしかしてませんから、それじゃ…」

 

シューズを返却し、いつまでも申し訳無さそうにしている芦毛の娘へそれだけ言うとイオタは走り去っていく

あまり遅くなると牧場で帰りを待つ未来が心配するからだ

 

「あ…行ってもうた…

ちゃんと礼も出来へんかったんに…

けど、えらいシブい奴やったなァ…」

 

 

その場に残された芦毛の娘は独特な関西訛りでどんどん遠ざかっていくイオタを見つめていた

 

「【君塚牧場】、かぁ…」

 

リアカー脇に書かれた唯一恩人への手掛りとして覚えた社用ステッカーの文字を声に出して言ってから穏やかな笑みを浮かべる

 

(後でしっかり礼にいかんとな

世話ァやかれてそのままっちゅーのは人情の街出身が聞いて呆れるで)

 

 

そんなことを考えながら、イオタの去った方面と反対側へゆっくりと歩き出す

先程まで鬱陶しいとしか思わなかった雨すらも、見知らぬ自身に手助けをしてくれたお節介焼きな彼女のお蔭で少しばかり心地がいいと感じた

 

 

 

 




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