最も不器用な三冠ウマ娘 (Patch)
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雨に歌えば

 紫陽花の葉に容赦なく水の(つぶて)が叩きつけられる。幸いにも蕾はまだ硬く、咲く気配はまだ遠いものだ。

 梅雨にしては少し早い。春と言うには少し遅い。蒸し暑さと冷たい雨が交錯する黒い雲の下で、すっかりと水に浸かった革靴が既に散った桜の花びらを踏みつける。

 春先にはあれほど美しかった桜の花びらは茶色く変色し、地面に散らばっている。この雨を吸ったそれにはかつての面影はない。こうなってしまえばもうゴミと区別がつかない。

 

 今年も桜はよく咲いた。

 日本では春の受験シーズンとなると『桜咲く』という慣用句が用いられる。厳しい北風に耐え春の陽気の下で華開く喜びと、入学試験に合格した喜びを重ねて唄う、いかにも風流な言葉だ。

 俺は去年から日本ウマ娘トレーニングセンター学園で競争ウマ娘を鍛えるトレーナーとして勤務している。かつてからの夢だった。去年の桜は今年よりもより一層大きく、華やかに見えた。

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称『トレセン学園』には毎年中等部・高等部問わず、多くのウマ娘が入学する。彼女たちも『桜を咲かせた』人物たちだ。彼女たちはここでトレーニングを重ね、国民的エンターテイメントである『トゥインクルシリーズ』で競争ウマ娘としてのデビューを目指す。

 

 だが、咲いた桜が散ることは宿命なのだ。

 トレセン学園は国内最大級の規模を誇るウマ娘専用教育機関である。だが、トゥインクルシリーズで活躍し、注目を浴びるようなウマ娘は数えるほどしかいない。入学してきたウマ娘の多くはその現実に打ちひしがれて学園を去っていく。

 俺が受け持っていたチームは解散した。ひとりが夢を諦めて退学すると、支柱が折れてしまったかのように、所属していたウマ娘のほとんどはチームを抜けていき、数人は退学していった。

 レースで勝てなければ意味はない。トレーナーとして彼女達を勝たせることが彼女達のためになる。そんなことはわかりきっているはずだったが俺はそんな行き過ぎた競争に少しだけ疲れていた。

 べつに植物が好きという訳ではない。花さえ咲かせていない地味な紫陽花を愛でていたのは、ただこの遅々とした歩みを紛らわせるなにかを探していて、目についたものがその紫陽花だったというだけだ。

 既にこの歩みも止まりつつある。よく水を溜め込んだ革靴が俺を歩かせまいと足を掴んでいるようで、トレセン学園までの道がやけに遠く感じられた。

 

 赤信号で足を止める。車道のアスファルトは車の(わだち)に沿って削られており、大きな水たまりができている。

 覗き込むと水たまりには情けない男が写っていた。今にも泣き出しそうでとても見ていられたものではない。

 幸いにも今日は雨だ。このまま泣いてしまってもその涙は雨とは区別がつかないだろう。

 そんなことを思っていると、目の前を大きなトラックが横切った。水たまりの上をタイヤが横切ると大きな水しぶきが上がり、男の顔は見えなくなった。もう一度その顔が写ったときには、情けない男はずぶ濡れになっていた。

 

 信号が青になる。俺はまた歩みを進める。

 そのとき、もう一度大きな水しぶきが上がった。駆け抜けていく誰かが、水面に写った情けない男の顔を踏み潰して行った。

 この速さはきっとウマ娘だ。顔を上げると傘も差さずに駆け抜けてゆく背中が見えた。雨だと言うのにその足取りは軽い。非常識なウマ娘だ。まるでこの雨を楽しんでいるかのようで、苛立ちさえ覚える。服だって彼女のせいでずぶ濡れだ。

 今度会ったら注意してやろう。水をかぶった腹いせではない。そもそも公道を全力疾走することは禁じられている。

 

 その『今度』は想定よりも早く訪れた。

 

「ごめんなさい!水かかっちゃったよね!よかったら使って!」

 先ほどのウマ娘が俺に声をかけてきた。雨の中で走るという非常識なウマ娘ではあるが、そのあたりの常識は持ち合わせているらしい。差し出されたタオルを手に取ると、水が染み出すほどに濡れていた。

 

「いや、ビショビショじゃないか。」

「あー、そういえば今日は雨だったね。」

 雨に打たれながら言っていいセリフではない。

 

「キミ、ウマ娘だろう。名前は?あと、どうして雨の中走っていたんだ。」

 

「非常識だなぁ。相手に名前を訊ねるときは、まず自分から名乗るべきじゃないかな?」

 そう言って、目の前のウマ娘はからからと笑った。黒い雲の下には似合わない晴れ渡った笑顔がそこにあった。

 

「アタシはミスターシービー。そのバッヂを見るに、キミは新人のトレーナーさんかな?」

「いや、今年で2年目だ。」

「へぇ〜そうなんだ。じゃあ、学園で会ったらその時はよろしくね。」

 

「あと、走ってた理由だけど、『楽しそうだったから』かな。それじゃ。」

 

 そう言って、また彼女は駆けて行った。楽しげな足取りには変わりはない。だがその姿は先程までとは違い、何か物足りなさを感じさせるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

「タオル、洗濯して返すか。」

 

 

 彼女が置いて行ったタオルも、俺も、雨に打たれてずぶ濡れだ。ならばもうヤケクソだ。傘なんか必要無い。

 傘を閉じて水たまりを踏みつける。その水面はもう情けない男の顔を写さなかった。

 

「Doo-dloo-doo-doo-doo-doo……」

 

 I'm singing in the rain.

 Just singing in the rain.

 

 意味もなく歌いながらスキップする。晴れやかな気分とまではいかないが、少しだけ楽しかった。

 

 

 

 

 



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濡れ鼠と花

 トレセン学園に到着した後、トレーナー室に向かう。

 どんな零細トレーナーであっても、教室ひとつぶんほどの部屋がひとりにつきひとつ貸し出されるのだ。流石は日本一の規模を誇るトレセン学園といったところだ。

 だがひとりで使うには広すぎる。チームは解散し、この部屋を訪れる者は居なくなった。そのため、ひとりで煙草を吸いながら新聞や論文を眺めている時間が増えた。

 不甲斐なさを実感する。レースのデータを調べあげ、様々な研究論文を読んで、トレーニングに取り込んだ。チームの仲を深め、メンタルを安定させるために様々なレクリエーションも行った。夏合宿では海にも山にも連れて行った。だがそれはチームのウマ娘のためにはならなかった。

 

「まともな練習がしたい。」

「もっと強くなりたい。」

「もう、諦めたい。」

 

 彼女達はそう言って去っていった。ウマ娘の気持ちを尊重すると言えば聞こえは良いが、結局のところは引き止めることが出来なかっただけなのだ。

 

「どうしたもんかね……。」

 椅子に腰掛け、部屋を眺める。日が出ていないため薄暗い。誰も居ない代わりに論文が印刷されたコピー用紙の束があちこちに置かれていた。

 

 担当するウマ娘がいなければ、トレーナーは何もすることができない。もちろん、何もしていないトレーナーは解雇される。

 チームに勧誘するために名簿でも眺めようか。そう思ったとき扉が鳴った。

 

 

 

 

「入るわね。」

 聴きなれた声がして、落胆した。

 

 

「やあ、ハナ。調子はどう?」

「いつも通り、という答えでは不服かしら。貴方もまたいつも通りみたいね。」

「嫌だなあ、『水も滴るイイ男』だなんて。聞き飽きちゃったよ。」

「その楽観的な姿勢だけは尊敬するわ……。」

 

 目の前の女性は頭を抱えて深いため息をついた。

 彼女の名前は東条ハナ、俺の同僚のトレーナーだ。チーム『リギル』を結成し、採用された初年度から目覚ましいまでの活躍をしている。

 

「ほら、タオル。煙草も消しなさい。」

「いや、いいんだ。雨に歌えば、晴れやかな気分になる。」

「意味分かんないこと言ってないで、早く拭きなさい。」

 

 タオルを被せられ、わしゃわしゃと乱暴に頭をこねくり回される。

 

「もしかして、『雨の中閉じた傘を振り回して歌いながら踊ってた男』って貴方じゃないでしょうね。今朝の不審者情報で流れてきたわよ。」

「たぶん俺だな。」

 彼女はまた、深いため息をついた。

 

「貴方、最近変よ?私ならいつでも力になるわ。リギルのサブトレーナーになることを上に打診してもいい。悔しいけど、スクールの成績は確かだったんだから。」

「そんなことより──」

 

「そんなことよりって何よ。せっかく人が心配してるって言うのに。」

 

「──マルゼンスキー、あいつは大丈夫か。クラシックに出られないんだろう。」

 

 マルゼンスキーはリギルに所属するウマ娘だ。これまで4戦し、全てにおいて勝利している。デビューして1年目のジュニアクラス王者を決めるレース『朝日杯ジュニアステークス』に関しては13馬身差をつける大差で勝利した。だが彼女は規約によってクラシック三冠に出ることは出来ない。

 

「……相当、堪えているみたい。だけど大丈夫よ、あの子は強いわ。」

「俺なんかより、あいつを支えてやってくれ。」

「……そうね、そういうところだけは変わらないのね、安心したわ。」

 

 

 

「あと、コレ。」

 白い冊子が机に置かれた。

「今度の選抜レースの出走表。良い子をスカウトしなさいよ。」

 笑顔で背中をバンバン叩かれた。結構痛い。

 

 

「それじゃあ、行くわね。」

「ああ、そうだ。ちょっと待って。」

 

 離れていく彼女を呼び止める。「何よ」と言い、少し不機嫌そうだ。

 

「俺もこれから『おハナさん』って呼んだほうがいいかな…?」

「勝手にしたら。」

 おハナさんは呆れるかのように鼻を鳴らして、振り返らずに歩いて行った。

 



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小さな灯火

 どこか遠くで雷が鳴る。雨脚は強くなり、窓に打ち付ける音に勢いが増す。

 この部屋はどこか薄暗い。憂鬱な気分にはぴったりなそれは、俺をもっと暗いどこかに誘い出そうとしているようだ。

 トレーナーになる前、トレセン学園はもっと輝いて見えた。ウマ娘たちが共に切磋琢磨する姿、ウィニングライブで喜びを爆発させる姿、悔し涙を呑みながらも、次こそはと駆ける姿。そのどれもが人間の俺には手に入らないものであり、憧れでもあった。

 

 部屋は以前として薄暗い。憂鬱な気分を紛らわせるために、もう一度煙草に火をつけた。

 口先に灯る火は、この部屋を照らすには心許ない。でもそれは無いよりかは幾分かマシだ。

 大きく吸い込むと火は大きくなる。熱を帯びた温かな赤と形容し難い苦味と甘い香りがゆるやかに広がっていく。ゆっくりと吐き出せば、暗闇の中に白い煙が漂って消える。

 煙草の灰が落ちて、冊子の上に乗る。慌てて振り払ったが、ただ汚れを押し広げてしまっただけだった。

 

 彼女には悪い事をしてしまったな。

 償いなどではないが、せめて彼女の優しさには報おうとその冊子を広げてみることにした。

 黄ばんだ肌触りの悪い粗悪な藁半紙には滲んで潰れた活字と、殴り書きのようにも見える小さな文字が並んでいた。

 素人目に見てもそれはかなりの達筆であった。皮肉などではない。少しのズレもなく印刷された文字に並行に並ぶそれは彼女の性格をそのまま表しているようで、少しだけ心が和む。

 不器用ながらも真っ直ぐに、自分なりの誠実さをもって、誰にでも優しくに接する姿はまさにトレーナーの鑑と言えるだろう。俺は今、その彼女の優しさに触れているのだ。

 出走表にはウマ娘の出走名が並ぶ。ウマ娘の出走番号の上に◎(二重丸)、○(丸)、△(三角)と彼女なりの評価がつけられていた。出走名の横には得意とする脚質、芝、ダートへの適正、ウマ娘がもつ癖や弱点などが事細かに書かれている。これだけひとつの本が書けそうだ。敵に塩を送るというのはきっとこういうことを言うのだろう。だがこれを塩と言うのは少し役不足かもしれない。

 

 ページをめくっていくと、ひときわ書き込みの多いウマ娘の枠があった。

 印は◎(二重丸)。脚質は自在。逃げも、追い込みも可能らしい。距離適正はマイル・中距離・長距離と隙が無い。トレーニング次第ではスプリンターにも、ステイヤーにもなれると言う。スピード、脚力、スタミナ、すべてにおいて優れているが、何よりも精神力が一番の武器らしい。苦しさに耐え、ただでさえ優れている身体能力をさらに引き上げると言う。

 彼女がそこまで評価したこの『シンボリルドルフ』というウマ娘の名は覚えておかねばならないだろう。

 

 またページをめくる。

 すると、先ほどとはうって変わって、ほとんど評価が書き込まれていないウマ娘の欄があった。

 印は☆(星印)。「未知数、おそらくスプリンター」とだけ書かれたその隣には滲んだインクで『ミスターシービー』と書かれていた。

 

 

 

 



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面白いトレーナーさん

「ねえ、トレーナーさん。ここは禁煙だよ?」

 

 不意に後ろから声をかけられる。何か面白いものを見つけたかのような弾んだ声だ。この声は聞き覚えがある。

 

「見に来てくれたんだ、選抜レース。」

「……ここからターフが見えると思うか?」

 

 今日は選抜レースが行われる。だが俺は学園の隅にある焼却炉の横でもくもくと紫煙と戯れている。もちろんここからターフを見ることなどできない。

 

「お前は出ないのか、選抜レース。」

「嫌だなあ、私はウマ娘だよ?立派な出走名があるんだから、それで呼んでよ。」

 

 はあ、とため息をつく。それと同じくして淡い紫色の煙が辺りに広がった。

 

「ミスターシービー、どうしてお前はここにいるんだ。」

「観覧席に退屈そうな顔をしたトレーナーさんが居なかったから、探しに来たの。おハナさんに聞いたら、此処に居るって言ってた。」

 

 

「ハナのヤツ、余計なことを……。」

「こんな理由じゃ不服かな?」

 

 

 

「その退屈そうな顔、やめたら?あとタバコもね。タバコなんか吸っててもモテないし、そんな顔してたらせっかくの色男が台無しだよ?」

 

 黙っているとシービーが俺に言った。

 何も好きでこんな顔をしているわけではない。その理由も知らずにからかうような口調で続けるそれに苛立ちを覚える。だがそれに対して上手く返す言葉が見つからない。本当のことを言ったとしても、それはただ哀れになるだけだ。

 

「俺をからかうなよ……。」

「悔しいならさ、アタシのレースを見てよ。どうせスカウトするコも決まってないんでしょ?」

「いや、シンボリルドルフをスカウトする。」

 

「ああ、ルナちゃんか。」

 手で口元を押さえながら、ミスターシービーがそう言った。

 

「何がおかしい。」

「ルナちゃんは今日の第10レース、アタシは今日の第11レースを走る。この意味、トレーナーさんならわかるよね。」

 

「お前まさか……!」

 

 どんなときでも、第11レースは観客が多くなる。それは第11レースがメインレースと呼ばれているからだ。

 メインレースは競争の最後を締めくくる花形であり、強いウマ娘が出ることになる。ミスターシービーはそのシンボリルドルフ以上の才能を持ち合わせているとでも言うのだろうか。

 

「良い顔になったね。」

 ミスターシービーはそう言ってから口元を押さえて笑った。

「まあでも、ルナちゃんはまだ本格化の(きざ)しが来てないみたいだから。」

 

「そういうことか……。」

 理由を知って落胆する。だが、本格化前であるにも関わらず、準メインレースを走るということに、シンボリルドルフの底知れない強さを感じた。

 

「今日のメイン、3コーナーの前に立っててよ。面白いものが見られるかもよ。」

 

「早仕掛けでもするのか?」

 

 

 俺の言葉を無視するかのように、ミスターシービーは続けた。

 

「面白かったらさ、アタシをスカウトしてよ。トレーナーさんとならもっと、面白いものが見られると思うんだ。」

 

 

 

 

 

 

 



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トレセン学園 第11R 芝1600m 選抜レース

 シンボリルドルフは快勝した。1000mという短距離レースではあったが、距離延長があったとしても勝てると確信するほどの力強い走りであった。

 これが本格化前の走りと言えるのだろうか。コースの取り合いや駆け引きが目まぐるしく行われるため、忙しい短距離レースであったからか入着後に疲れが見える。だがそれでも膝に手を付いたりせず、堂々と歩く姿はその名に違わぬ『皇帝』のような威厳があった。惜しみなく送られる拍手と歓声に決して傲り高ぶることはなく、深々と礼をして彼女はターフから去っていった。

 

「すごいよね、ルナちゃん。」

「そういえば、どうしてアイツをルナって呼んでるんだ?」

 

「ああ、それはね。」

 そう言ってシービーは前髪を引っ張って指し示した。

「額の流星。あのコのヤツは三日月みたいでかわいいでしょ?だから小さいころはルナちゃんって呼ばれてたらしいの。」

 

「アタシの流星は消えちゃったんだよね。だから、そろそろ『本格化』が始まる時期なの。」

 

 ウマ娘の体には謎が多い。『本格化』もそのひとつだ。

 本格化が始まるとウマ娘の身体能力は飛躍的に向上する。その兆候はウマ娘によってそれぞれ違う。シービーのように流星が消失することもあれば、流星が発現する例もある。髪や体毛の色がすべて変わるなど、大きく変化することもあれば、単に競争成績や走りが良くなったり、食欲が増大したりと、軽微な変化をすることもある。

 トレーナーはその兆候を見抜き、チームにスカウトする。ウマ娘はトレーナーの元でトレーニングを重ねてようやくメイクデビューを果たすのだ。

 

 

「ミスターシービー、発走準備を済ませなさい。」

 

 後ろからハナの声がした。

 

「おハナさんもここで見て行ったら?カップルにはお似合いの特等席だよ?」

「意味のわからないことを言ってないで、早く準備をしなさい。」

 

「じゃあ、行ってくるね。トレーナーさん。」

 そう言って、シービーは弾む足取りで駆けて行った。

 

 

「貴方、ミスターシービーをスカウトするつもり?」

 ハナは俺の横に立って、そう呼びかけてきた。

「いや、本命はシンボリルドルフだ。」

 

「ルドルフなら、もうウチのチームに入ったわよ。2つ返事で許可してもらったわ。」

 

「じゃあ、ズタ袋でも被せて拉致するしかないな。」

 

「貴方ね、そんなことが許されると思ってるの?拉致してチームに所属させるなんて上層部が黙っていないだろうし、そもそもそれは犯罪よ?」

「しないって、冗談だよ。そもそも俺がそんなヤツに見えるか?」

 

「貴方のことだから、やりかねないわ。まあ、蹴られて終わりでしょうけど。」

 思わずため息が出てしまう。俺はそんなにも人望が無いのだろうか。

 

「じゃあ、体も鍛えるとするか。」

「本当に貴方って人は……」

 ハナも頭を抱えて深いため息をついた。

 

 

 

 

「ミスターシービー、アイツはどんなウマ娘なんだ?」

 返事は期待できないが、話題を変えるためにシービーについて訊いてみることにした。

 

「私の出走表、ちゃんと見たの?あの子はおそらくスピードに恵まれたマイラーかスプリンターよ。でも、それ以外はまだわからないわ。」

 

「どうしてわからないんだ。」

 そう言うとまたハナは頭を抱えた。

「ほら、始まるわよ。理由は見ていればわかるはずだから。」

 

 ファンファーレが鳴り、ゲート入りが開始される。シービーはと言うと、そわそわ、ウズウズと落ち着きが無い。

 

「まさか……」

 ゲートが開いた。

 

「あの子の弱点は出遅れ癖。スピードには恵まれているけれど、あれではまともに戦えないわ。」

 

 ミスターシービーは盛大に出遅れ、ポツンとひとりだけ最後方に取り残された。

 いくらスピードに恵まれていたとしても、相手は同じウマ娘だ。マイルや短距離では駆け引きをする一瞬のためらいが敗北に繋がる。ただでさえ忙しいマイル以下のレースでの出遅れは、すでに敗北が決まったようなものなのだ。

 

 天気は晴れているが、今日の馬場は長く降り続いた雨により重か稍重と言ったところ。加速するとしても、これでは力が抜けてしまう。追い込みには不利な馬場状態なのだ。ここから巻き返すことなど圧倒的な実力差が無ければ不可能だ。

 

 レースは淀みなくハイペースで進む。先頭は集団となって固まり、シービーまで15馬身ほど離れていた。

 先頭が3コーナーに差し掛かる。だが、様子がおかしい。先頭のウマ娘がしきりに振り向き、後ろから来る誰かを警戒している。

 コーナー中間で先頭のウマ娘は馬群に飲まれかけた。それでも後ろを振り向くのをやめなかった。

 

 ようやくシービーがコーナーに入る。

 そのとき、目が合った。彼女の薄い唇が微かに動いた。

 「見ててね、トレーナーさん。」そう言ったようにも見えた。

 

「それでも善戦をするのが、ミスターシービーの恐ろしいところよ。」

 ハナがひとりごとのように呟く。だがそれは見当違いなものだ。

「いや、あいつは勝つ気でいるらしいぞ。」

 シービーの脚に力が入るのがわかる。先頭集団はそれに合わせるかのように速度を上げた。

 

 

 足音に重厚感が増す。直線を向いた。

 ここから全員がスパートする。

 

 

 

 



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天馬を継ぐ者

 それは戯れのようにも見えた。

 空を飛んでいるのだろうか。

 

 

 誰もが内を避けて走る。地面は降り続いた雨によって柔らかい。何度もウマ娘が踏みつけたために芝が抉れ、大きく荒れている。これでは走ることもままならない。運が悪ければ転倒し、選手生命が絶たれる。

 残りは直線のみ。コーナーは無いため、外を走ることで受ける不利はない。できるだけ状態の良い芝を踏みたい。

 

 そんな思いが一瞬の隙を生む。先行するウマ娘が横に広がり、馬群がほんのわずかに減速する。追い抜くには充分すぎるそれを彼女が見逃す訳が無い。

 

 ミスターシービーが一気に加速した。

 初めて彼女に会ったときの走りとは違う。物足りなさなど、どこにもない。だが、その走りはどこか見覚えがあった。

 

 

 長いストライド、そのたびにふわりと浮く華奢な身体。空に羽ばたかんとするような加速。馬群さえ突き抜ける抜群の脚さばき。

 

 天馬だ。天馬が目の前で翼を広げたのだ。

 かつて『天馬』と呼ばれたウマ娘と同じ走りだ。

 俺の憧れたウマ娘だ。

 

 『天馬』と呼ばれた彼女ほど豪快な走りではない。それは、彼女とシービーの体格差のせいもあるだろう。だが、上体を上手く使い、沈み込みようなフォームと、ストライドの長い脚の動きはそっくりだ。

 豪快さの他にも『天馬』と呼ばれた彼女との違いがある。シービーの脚には綿毛の上すら踏んで駆け上がれるような、まるで踊っているかのような、そんな『自由さ』がある。何者も、彼女を縛ることはできない。それは重力さえも同じことなのだろう。

 

 

 

 勝負はその一瞬で決着した。ターフの上では湧き上がる歓声と拍手に対して、ミスターシービーが深々とお辞儀をしていた。

 

 

 

「ねえ、トレーナーさん、面白かったかな。」

 シービーはこちらに歩み寄ってくる。飄々としたいつもの姿ではない。勝負を決めに行ったという自信と、その勝利を確信したという余裕がその顔に現れていた。

 

 勝負とはもちろんスカウトのことだ。どうやら彼女は一度の走りでふたつの勝利を手にしてしまったらしい。

 

 

「ミスターシービー、ちょっと良いかしら。」

「なあに、おハナさん。」

 

 ハナは手元でタブレットをいじりながら、シービーに呼びかける。

 

「どうして先行策を取らなかったの。貴女なら最高のスプリンターを目指せるわ。貴女の出遅れ癖もリギルに入ってくれるなら──」

 

「だって、レースが始まったら、そこは私たちの世界。でしょ?」

 遮るようにしてシービーが言う。その言葉には、何か信念めいたものが感じられた。

 

「それに、生憎だけどスカウトは先約があるんだ。リギルに入るのもいいけど、その先約次第かな。」

 

 屈託の無い笑顔でこちらを見た。泥だらけの姿は、まるで野山を駆けずり回った少年のようで、いつかの自分の姿と重なる。

 走ることが好きならば、走ればいいのだと。走ることは自由でいいのだと。そう言われたような気がした。

 

 

「トレーナーさん、面白かったかな?」

 

 シービーが振り向き、もう一度言った。

 

「ああ、面白かったぞ。」

「じゃあ、契約は成立だね。」

 

 柵越しに右手が差し出される。泥にまみれたそれを、俺は強く握った。

 シービーが笑う。

 整った容貌に大きな黒い目。その姿は俺の憧れたウマ娘、『天馬』に似ていて、少年のような人懐っこさを感じさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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退屈そうな顔

 私が彼を初めて見たのは、雨の日だった。

 

 

 ボサボサの髪で、ヨレヨレのベスト。合皮の革靴は水たまりの中に浸かっていて、傘を差しているというのに背負っているリュックはぐっしょりと濡れていた。

 彼は花の咲いていない紫陽花の前で立ち止まり、それをずっと眺めていた。

 彼に何があったのかはわからない。憎むようで、いたわるようなその目と傘を差しているのに雨を気にもしていないような出で立ち、生気の感じられない退屈そうな顔はどこか可笑しかった。

 

 今日はとても良い天気だ。こんな土砂降りの雨だから、散歩が楽しくなる。スキップをして進んで、水たまりの上で飛び跳ねる。なんて自由で楽しいんだろう。

 ゲートもない、前を走るウマ娘も、追ってくるウマ娘もいない。レースでも練習でもないから、思いっきり走る必要もない。だから私は気の向くまま、自分の力のままに思いっきり走りたくなる。

 

 私の考えていることは、たぶんみんなとは違っていてあべこべなんだろう。

 

 雲ひとつ無い青空の良い天気のもとで、ゲートに入って、ダービーや有馬記念みたいな大舞台で、思いっきり走る。ずーっと先頭で、あるいは最終直線で大差をつけて、もう誰も追いつけないくらいのスピードでそのままゴールする。

 

 でも、そんなのじゃつまらない。誰が勝つかわかり切ったレースなんて退屈だ。レースはもっと楽しくて、面白くて、自由でいい。大逃げを打ってもいいし、向正面から追い込みをかけたっていい。だって、走っているのは私たちだけなんだから。

 ついでにゲートも無くなったほうがいい。狭いし、窮屈だし、ギシギシうるさいし、待ってる時間が退屈だ。

 

 

 走ることに常識なんか無い。才能に上限なんてない。レースは一瞬のやりとりで全てひっくり返る。そういうものだ。それが一番面白い。

 

 風が出てきた。なんていい日なんだろう。

 濡れた髪を手でかきあげると、水が首を伝って流れてゆく。こういうのを『水も滴る良い女』というのだろうか。

 視界が開けた。自由だ。その喜びに私の脚が弾む。水を吸わないアスファルトに蹄鉄が擦れる。雨粒さえも私の駆けるための足場になる。

 

 目の前に大きな水たまりが現れた。私はそれを思いっきり踏み抜いていく。水の上を駆けることだって、空を駆けることだってできるような気がした。

 

 

 

 

 妙な手ごたえがあった。水面を駆けた刹那、飛び散る水が何かにぶつかった。その感触は私の脚を掴んで離さない。

 

 

 引き返してみると、彼がいた。傘を差しているというのに全身が雨に濡れていた。当然ながら、私が水をかけてしまったのだろう。

 

 だが、苛立っている様子はない。先ほどのような退屈そうな顔で水たまりをみつめていた。

 

 

 その顔、やめたらいいのに。やっぱりどこか可笑しい。

 面白そうだったから、私は声をかけた。

 

 

 

 やっぱり、今日はとても良い天気だ。

 



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遠くて大きい星

「ねえ、トレーナーさん。この『スコアー』っていうのがトレーナーさんのチームなの?」

 

 目の前にあるプレハブの小さな小屋には『ScoAH(スコアー)』という手書きの表札が掛かっている。この部室を使うことは二度と無いと思っていた。

 

「ああ、そうだ。」

「じゃあ、ほかのチームのコたちは?」

 

「その話は中でする。冷房も付いてるからな。」

「良い部室だね。今のトレーナーさんには似合わないくらい。」

 

「そうだな、さあ、入ってくれ。」

 

 扉を開けると、あの頃から何ひとつ変わらない風景があった。

 出しっぱなしの紙コップ、傾いた椅子、忠臣の如く次の手を待つ将棋の駒に、崩れて散らばったジェンガ。

 冷房の電源を入れると、来客を歓迎するかのように元気な電子音が鳴った。

 

「シービー、チームのことなんだが」

「わかってる。解散したんでしょ。」

 

 シービーの発言に虚を衝かれる。いつもの宙に浮いているような、くだらない冗談を言う剽軽(ひょうきん)な姿からは想像できない発言だった。

 

「どうして、それを知っている。」

「少しくらい、片付けていけばいいのにね。」

 

 シービーは崩れたジェンガを手に取って、ひとつづつ積み上げはじめた。

 

「嫌だったか?」

 シービーは無言でジェンガを積み上げている。

 

「今ならまだリギルは受け入れてくれるだろう。俺からもおハナさんに口利きしてやる。」

 

 

「きっとこの『ScoAH(スコアー)』のトレーナーさんは面白い人なんだろうね。」

 

 俺の言葉を無視してシービーが話し始める。俺はその言葉を黙って聞いていることしかできなかった。

 

 

 

「部室にエアコンなんか付いててさ、こんな良い部室、そうそう無いよ。きっとスクールの成績も良くて、トレセン学園からすごい期待されてたんだろうね。あとこういうおもちゃまで買ってくれるみたいだし。」

 

 

「チームの名前が『ScoAH(スコアー)』って言うのもオシャレだよね。コレ、さそり座のお星さまの名前でしょ?みんなチームにお星さまの名前付けるの好きだよね。リギルとか、カノープスとかさ。」

 

 

「ああ、そうだ。」

 

 チーム『ScoAH(スコアー)』はScorpii(さそり座)のAH星から名前が取られている。

 さそり座AH星は赤色超巨星である。さそり座の一等星『アンタレス』よりも大きく、光度階級で言えば光度が高い。

 しかし、地球から遠く離れたその星は肉眼で見ることは難しい。ほかの星の輝きの中に紛れてしまう。

 ウマ娘の才能も同じだ。どれだけ素晴らしい才能を持っていたとしても、他のウマ娘の才能に隠れて見えないことがある。それを見つけ出せるようにと、俺はチーム名に『ScoAH(スコアー)』と付けた。

 

 

「トレーナーさんは悪くないよ。ウマが合わなかっただけ。ウマ娘だけにね。」

 シービーはひとりで小さく笑った。

 

「トレーナーさん、『ScoAH(スコアー)』ではどんな練習してたの?」

「どんなって、普通の練習だ。」

 俺は練習内容を言うのを憚った。俺の考えたトレーニングメニューは部員に不評であったし、それがチーム解散の原因であると自覚している。

 

「でも、他のチームはツイスターゲームなんてやってないよ?あと、棚に置いてあるインラインスケートもね。」

 しかしそれは、シービーの目を欺くことは出来なかった。諦めて白状することにしよう。

 

 

「ツイスターゲーム、インラインスケート、テレビゲームでレースゲームもした。他にはしっぽ鬼やむかで鬼、休みにはミニサーキットに行ってミニバイク、自転車に乗れないヤツはレーシングカートに乗った。冬はアイススケート、アイスホッケー、スキーもした。もちろん、基礎練習もするし、コースも走る。」

 ツイスターゲームは体幹を、インラインスケートとアイススケートはバランス感覚と下半身を、レースゲームはコーナーで斜行にならないブロッキングを教えるため。しっぽ鬼とむかで鬼はマークされた場合の切り抜け方を、ミニサーキットに行ったのは、まだ体ができていないウマ娘に遠心力の感覚を掴ませるため。アイスホッケーはレースでの接触を見越してのため。

 

「流石だね、トレーナーらしくなくて、すごく面白そう。」

 

 シービーがまた笑う。ニヤリと嫌な笑みは何かを企んでいるに違いない。

 だが俺は、彼女の言葉が何よりも嬉しかった。

 

 

 

「『ScoAH』に入ってくれてありがとう、これでまた()()()()()()()()()。」

「違うよ、トレーナーさん。これは()()()()()()()()()だよ。」

 

 

 

 

 

 

「これは『ScoAH』じゃない。もう一度新しいチームを組むの。さそり座の次の、てんびん座。チーム『カマリ』なんてどうかな。」

 

「良い名前だ。」

 

 

 

 

 

 てんびん座の最輝星。名前をズベン・エス・カマリと言う。彼女はきっとその輝きにも負けないくらいに輝くだろう。

 

 

 

「ほら、トレーナーさんの番だよ。」

 

 シービーはジェンガのブロックをひとつだけ持ち、無邪気に笑っている。

 あのときから崩れたままだったジェンガは今、高く積み上がっている。

 俺はそれを壊さないように、ゆっくりとブロックを引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 



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笑顔のイヤなヤツ

 疲れた。

 ダンスのトレーニング、歌のトレーニング、走りのトレーニング、彼女達をキッチリと管理する上でそれらの技能はトレーナーに不可欠だ。

 そして、それらから得られたデータをまとめ、次に活かさなければ意味はない。

 

 眼鏡を外し、髪をほどく。

 部屋にはひとりだけ。表計算ソフトの無機質なマス目と睨めっこするのはもう飽きた。羽を伸ばしても誰も咎める者は居ない。

 

「はぁ……。」

 

 上着を脱ぎ、シャツのボタンをひとつ、ふたつと外す。

 

 そのとき、ドアが2回叩かれた。

 慌てて上着を羽織る。眼鏡をかけて、髪を纏める。

 

 うまく纏まらない。必ずどこかからはみ出す髪がある。櫛は手元にない。時間もない。ドアを一枚隔てて誰かが居る。こんな姿をアイツ以外に見せる訳にはいかない。

 

 

「おハナさん、居る?おかしいなー……。」

 

「居るわよ、入って来なさい。」

 

 

 私の心配は杞憂に終わった。いつもと変わらないヘラヘラとしたイヤな顔が現れる。雨など降っていないのにヤツの髪は濡れていた。

 

「で、今日は何の用?貴方、水を被るのが大好きなようね。」

「良い男だから、水のほうから寄ってくるんだよ。」

 

 呆れる。

 確かにこいつの顔立ちだけは良い。彼の冗談を否定できないのが少し悔しい。

 スクールの成績も私より良かった。良いのは顔立ちだけではなかった。とても悔しい。

 それなのに、彼の考えていることは突拍子もないことばかりで理解ができない。いつも『リギル』が練習をしているコースの片隅で彼のチーム『ScoAH』はツイスターゲームをしていた。インラインスケートを履いて、校内を走り回っていることもあった。しっぽにつけたシュシュを取り合っていることもあった。

 

 どうしてこんなヤツが、と私は何度も考えた。『ScoAH』も決して弱くはないチームだった。だがその理由は理解できなかった。そして、あれだけ楽しそうにしていた彼のチームが解散した理由も、私には理解できなかった。

 

 

「寒いでしょう。コーヒー、暖かいのがそこにあるわ。」

 もう一度パソコンに向き合ってデータの整理をする。彼の顔と睨めっこするよりはマシだ。

 

 

「気が効くねぇ、ありがたくもらうとするか。」

 彼はコーヒーを注いで、ソファーに寝転がり始めた。

 

「それで、びしょ濡れなのはどういうこと?」

「これ、コーヒー豆変えた?」

 

 私の言葉を無視してコーヒーについて尋ねてくる。シービーと言い、こいつと言いどうして私の周りには言うことを聞かないやつがあつまるのだろうか。

 

「シービーと水風船で遊んでたんだ。いやーアイツは強くて困るよ。」

 

 そんなことだろうと思った。それも彼なりのトレーニングなのだろう。

 本来ならばそんな風に遊んでいられるほどの暇はない。ウマ娘の能力は『本格化』をもってピークに達する。そこから少しの上昇と下降を繰り返し、一定の期間それを維持した後、緩やかに下降していく。

 不思議と彼はその能力の引き出しが上手い。私にはできないことを独自のトレーニングで平然とやってのける。

 

「ねぇ、おハナさん。それってゲーム?楽しい。」

 こうして私の心を逆撫でにするのも上手い。

 

「またチームを組んだんでしょう?貴方のお気に入りのミスターシービー、あの子をどうする気?このままじゃ短距離は厳しいと思うけど。」

 

「俺は放任主義なんだよ。自由にのびのびとしているのが一番良い。」

 そうした結果がチーム『ScoAH』の解散だったことをコイツは学んでいないのだろうか。

 

「それに、アイツはスプリンターじゃない。ミスターシービーは未来の三冠ウマ娘だ。」

 呆れた男だ。夢見がちでバカな男だ。現実を見ているというところだけは私が勝っているかもしれない。

 私には彼ほどの才能がない。だから徹底した分析によってウマ娘の能力を測っている。大きく開いた差を埋めるためには努力するしかないのだ。この身を削り、トレーナーとしてウマ娘をレースで勝利させる。その実績をもって、彼を超える。

 既にマルゼンスキーが結果を残してくれた。だかそれもチーム『ScoAH』の解散によってできた偶発的な勝利でしかない。今度こそ私はシンボリルドルフと歩むことで、彼とミスターシービーを超えなければならない。

 

「そう、でも覚えておいて。差させはしない、先頭は譲らない。最後に勝つのはチーム『リギル』だから。」

 

「良いねえ、その決め台詞。そんな貴女にハイ、プレゼント。」

 

 ヤツはヘラヘラと笑って、半紙を差し出して来た。イヤな顔だ。顔立ちが整っているだけに、腹が立つ。

 半紙には毛筆で大きく『果たし状』と書かれている。

 

「シンボリルドルフをさ、借りられないかと思ってね。なんならおハナさんでもいいんだけど。」

「良いわ、ウチのルドルフは負けないから。」

「おーっ、乗り気だねえ。流石おハナさん。じゃあコースの脇で待ってるから。」

 

 そう言ってヤツは私のトレーナー室から立ち去った。私はすぐにルドルフに電話をかける。

 

「ルドルフ、良いかしら。今からシービーと模擬レースよ。」

「唐突ですね、ですが分かりました。迅速果断、すぐに参ります。」

 

 

 

 

 

 コースの脇にはミスターシービーとあの男が立っていた。

 

「ルナちゃん、今日は楽しもうね。」

「ああ、だがまさかこのような形で対決するとは思っていなかったよ。」

 

 私の目の前の地面。芝ともダートとも言えない場所にはカラフルなビニールシートが敷かれていた。

 

 

「それでは!!チーム『リギル』とチーム『カマリ』の!!チーム対抗ツイスターゲームを開始する!!」

 

 賽は投げられた。

 物理的にも、賽は投げられた。赤色と6の目を指し示す。

 

 果たし状を良く読まずに、賽を投げることを許可してしまったのは私だ。

 

 

「先手!ミスターシービーは赤の6!!」

 

 

 私は思わず頭を抱えた。

「あれぇ〜?どうしたのおハナさん?」

 彼はヘラヘラと笑っている。

 嫌な顔だ。だがそれは以前の彼のような、屈託の無い笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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一輌二輪の二人三脚

「おーいシービー、来週の水曜日と木曜日、出かけるぞ。」

「いいねぇ、海に行く?山に行く?」

 

 外はすっかりと夏の景色に変わっている。今週の金曜が終われば夏休みだ。

 すでにデビューした上級生たちは合宿で居なくなる。まだデビューしていない私たちがのびのびと練習コースを走り回れるのはこの期間くらいだ。

 

「山だ。良いサイクリングコースがあってな、ウマ娘も自由に走れる特別区間でもある。」

「じゃあ、夜はカブトムシ取って、花火もしなきゃね。宿はどうするの?」

 

「コテージが取ってある。すまないがキャンプだ。」

「楽しそうだねぇ、にんじんがいっぱい入ったカレーがいいな。」

 

「ああ、そうしよう。ところでシービー──」

 トレーナーが顎に手を添えた。忙しそうにしているためか、少しだけ髭の剃り残しがある。私のために努力している証だ。

 

「──お前、自転車には乗れるか?」

 

 

 

 自転車はよくヒトが乗っている乗り物だ。ペダルを漕ぐことで楽に速く進むことができるらしい。

 だが、私たちウマ娘にとってはそんなものは必要ない。軽く走るだけで自転車くらいなら追い抜いていける。そもそも乗る必要が無いし、欲しいと思ったこともない。

 

「いや、乗ったこと無いよ?」

 

「そうかー、いやぁー残念だなぁ〜。」

「えっ?なんで?走っていいんじゃないの?」

 

 トレーナーはタバコを咥えてニヤリと笑う。火はついていない。

 こういうときは絶対何かがある。

 

「せっかくのサイクリングコースなんだ。楽しまなきゃ損だろう。」

「でも自転車持ってないし……」

 

「言うと思ったよ。部室の扉、開けてみろ。」

 

 言われた通りに扉を開けると、新品の赤い自転車が2台停まっていた。街中で見るものとは少し違う。カゴがついていない。ハンドルは変わった形にねじ曲がり、ペダルは幾分か小さい。

 

「備品の審査が通らなくて自腹で買ったんだ、高かったんだぜコレ。」

 

 トレーナーの考えていることはわからない。自転車よりもウマ娘は速く走ることができるのに、私のためにこんなものまで買ってしまっている。

 でも、そこがトレーナーさんの面白いところだ。

 

 

「この靴を履いて、ペダルに嵌め込む。大事なのは勢いだ、スピードが出れば出るほど自転車は安定する。やってみろ。」

 

 

 レース靴に似た靴だ。でも、いつも蹄鉄が付いている部分には奇妙な出っ張りがある。言われた通りにペダルに足をかけるとカチャリと小気味良い音がして、足が抜けなくなった。

 

「思いっきり踏み込め!」

 

 右脚に渾身の力を込める。後輪が回り、ちぎれた芝が巻き上がると同時に私の視界がゆっくりと右に傾いていった。

 

「あらららら!?」

 自転車と私はパタリと倒れて芝の上に寝転がる。

 

「はっはっはっは!」

 トレーナーは笑いながらタバコに火をつけた。

 

 

「ウマ娘の脚力はヒトのそれよりも強い。右足と左足の力の差は走る上で軸がブレる原因になるんだ。そんなウマ娘が自転車に乗るとこうやって転ぶ。」

 

 

 差し出された手を取ると、グイッと持ち上げられる。彼のタバコの煙が顔にかかった。煙の匂いが髪に付かないか心配だ。

 

「キャンプ、楽しめたらいいな。」

 そう言ってトレーナーは歩いて行った。

 

 

 私はもう一度ペダルを踏む。また同じように転倒した。

 見上げてみれば、私の視界の先には雲ひとつない青空が広がる。雨の日も良いけれど、今日はいい天気だ。タダで起きるのがもったいない

 寝転がって大きく息を吸い込むと芝の匂いと私のシャンプーの匂い、そして微かにタバコの匂いがした。

 

 タバコ、やめればいいのにね。

 

 

 

 

 

 

 



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美味しくて、楽しくて、優しくて

「シービー!ハンドルは振ってもいいが、軸はブレさせるな!」

 

「はぁ…はぁ…はぁ………。」

「はい、お疲れさん。」

 首元に冷たいペットボトルが押しつけられる。中身は100パーセントキャロットジュースだ。凍らせてあったようで、中に氷が浮いている。

 

「どうだ?楽しめたか?」

「楽しかったけど、走るよりも疲れたかも……。」

「そうだろう、お前はまだ力任せに走ってるだけだからな。ウマ娘の脚力でバランスを取って走るとなると、全身の筋肉を使うことになる。明日は体のあちこちが筋肉痛のはずだ。」

 

 確かに、体のあちこちの筋肉が引きつっている感覚がある。普段使わない筋肉を総動員してバランスを取っていたのだろう。

 

「だが、1週間で自転車に乗れるようになるとは、大したモンだ。俺がガキのころは1ヶ月はかかったぞ。」

「面白そう……だったからね……。」

 まだ息が上がっている。うまく喋れない。今日はぐっすり眠れそうだ。

 

 

「じゃあその努力に免じて、寝てていいぞ。メシは俺が作るから。そのあとは花火だ。」

「なに言ってるのさ、キャンプの醍醐味は飯盒炊爨(はんごうすいさん)でしょ?」

 

 

「まぁ…、そうだな。」

 

 トレーナーは私のことを気遣っているのだろう。でも飯盒炊爨なんて楽しいことを独り占めにするなんて許せないな。

 『やれやれ』とでも言いたげな顔で、呆れたようにトレーナーが続ける。

「じゃあ、俺は火の管理をするから、野菜の皮むきを頼む。にんじんはいくつかフードプロセッサーにかけてくれ。たくさんあるけど、つまみ食いし過ぎてカレー食べられない、みたいなことにはならないようにな。」

 

「はーい。」

 

 にんじんをひとつ段ボールから取り出してピーラーで皮を剥く。10本ほど剥いてから、じゃがいもと玉ねぎに取り掛かった。

 後ろではトレーナーさんが釜に火を入れている。そのついでにタバコにも火をつけていた。

 

「野菜もらうぞ。あとは待つだけだからな。」

 楽しそうな彼に、あの雨の日の面影はない。

 

「ん?どうした?シービー?」

「いや、楽しそうだなって。」

「じゃあ、火の番するか?」

「そういうことじゃないよ。」

「???」

 

 ニブいなぁ、と言いそうになる。でも言葉にするのはやめておいた。勘違いされるのは避けたいし、ひどい顔をしていた頃なんて思い出して欲しくない。

 チーム『ScoAH』の解散は彼にとってとてもショックな出来事だったのだろう。それでも彼はまたチームを結成して「カマリ」のトレーナーとして私と歩むことを選んでくれた。

 ゼロからのスタートにマイナスは要らない。今はただプラスの方向に歩んで行きたい。トレーナーさんとならもっともっと面白いものが見られるはずだ。

 

「できたぞー!トレーナーさん特製の超甘口にんじんカレーだ。」

 タバコを咥えながら陽気に話す彼はまた、陽気に笑っている。

 

「いただきまーす!」

 

 スプーンでひとくち口に運ぶ。細かくすりつぶされたにんじんの甘味が優しい。

 

「どうだ?ウマいか?」

「美味しいよ、今まで食べたカレーの中で一番ね。」

 

「そうかー!!」

 

 ありきたりな褒め言葉に大きく体を広げて喜んでいる。

 コレが本当にトレーナーなんだろうか。さっきまで考え抜かれたトレーニングをしてくれていた彼とは思えないし、なんだか子供みたい。

 でも、そういうところが面白いんだけどね。

 

 

 

 

 

 



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キャンディー

 カレーの鍋は空になり、日が暮れる。山の中に居るためか、少しだけ肌寒い。

 

「シービー、これ。覚えてるか?」

「タオルがどうかしたの?汗なんてかいてないよ?」

「覚えてないのか?雨の日に貰ったタオルだよ。」

 

 俺はシービーと出会っていなければ、こんなふうにトレーナーを続けていたかわからない。

 初めて出会ってときにこのタオルを手渡された。びしょびしょに濡れていたけれど、過去を拭い去ってくれた大切なものだ。

 

「いいよ、持っててよ。アタシとの出会いの記念にさ。」

 いたずらっぽく笑う。その笑みには照れ隠しもあるのだろう。

 

 

「なんか、しんみりしちゃったね。」

「そうだな……。」

 昼間の騒々しいセミの鳴き声に代わって、ヒグラシが鳴く。ヒグラシもセミの一種だが、物悲しい鳴き声は夏の熱気を少しだけ冷ましているようだ。

 

「なあ、トレセン学園は楽しいか?」

「どうしたの、急に。変なものでも食べた?」

 

 トレセン学園はウマ娘のための学園だ。トゥインクルシリーズやドリームトロフィーリーグというレースを開催していて、ウマ娘たちはそれを夢見て走る。

 だが、夢破れるウマ娘も多い。レースで勝つことができない、デビューすらままならないというウマ娘は学園を去ってゆく。俺はそんな厳しい世界に身を置く彼女たちに幸せになって欲しい。全てのウマ娘の幸福を願っている。

 もしかしたら、『現実を見ろ』と笑うヤツも居るかも知れない。

 競争社会なんだ。勝者はひとりだけ、勝てば多くの夢を壊してしまうことになる。それでも俺は彼女たちの幸せを願わずにはいられない。

 

 

「不満とか、嫌なこととか、あったら言ってくれ。」

「そうだなぁ……。」

 シービーが首を傾げる。しばらくして何か思いついたように耳がピンと跳ねた。

 

「タバコ、やめたほうがいいよ。臭いし。」

「タバコか……。」

 

 ウマ娘は繊細な生き物だ。メンタルの状態によって運動パフォーマンスは大きく変わる。不調であれば目に見えるように結果として現れる。彼女が嫌だと言うのなら、できるだけ彼女の前では吸わないようにしよう。

「タバコの代わりにさ、これ。」

「ガキが食うモンじゃないか、こんなの。」

 手渡されたものは棒付きキャンディーだった。URAの協賛企業が製造している公式グッズで、蹄鉄のマークが描かれている。

 

「トレーナーさんにはぴったりだと思うよ。」

「どういう意味だ、それ。」

 シービーがニヤニヤと笑う。子供っぽいというのはお互い様じゃないのか。

 

「あーでも、ライターは要るかな。」

「……? どうしてだ?」

 

「だって、花火。するんでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 



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小さな種火と消えない炎

 蝋燭にライターで火が灯される。そこに火薬の入った房を近づけるとパチパチと小さく火花が散り始めた。

 

「おまえ……、真っ先に線香花火かよ……。」

「いいじゃん、花火に順番なんて決まってないよ?」

 

 小さな火種は燃え尽きるまで力いっぱいに火花を散らす。だけどそれは器用な人が持ってこそだ。

 

「あっ……。」

 

 私が持っていた線香花火はすぐに種火が落ちてしまった。

 地面に落ちたあと、最後の力を振り絞るかのようにひとつ、ふたつと小さな火花を散らして、黒く萎んでいく。

 

 

「種火が落ちない線香花火があればいいのにね。」

 

 

 

 

 私は線香花火があまり好きじゃない。どちらかと言えば好きな部類に入るのだろうけど、最後まで種火を落とさずに居られたことがない。

 ふつふつと沸騰しているかのような姿は愛嬌がある。大きくなろう、大きくなろうとたくさんの火花を散らすのは、きっと彼らの夢なんだろう。

 でも私が線香花火を持つと、すぐに種火を落としてしまう。これから大きくなるはずだったのに、これからもっと華やかになるはずだったのに、私のせいで彼らはその夢を追うことが出来ずに力尽きてしまう。

 地面に落ちて黒く萎んでしまう種火の姿はどこか物悲しい。楽しいはずの花火が、私のせいでどこか白けたものになってしまう。だから私は最後に線香花火をすることがあまり好きじゃない。どうせなら、最後に大きな吹き出し花火をして明るい気持ちで終わりたい。

 

 

「質の良いものは落ちにくいとは聞いたことあるが、それは無理だろうな……。」

 

 

 トレーナーさんが買ってきた花火は、夏になればどこにでも売っているような手持ち花火と吹き出し花火のバリューパックだ。ひとつで500円もしない。花火業界にとって夏は稼ぎ時だ。その体制を批判するわけではないけれど、これでは質が良いと言えるものは入っていないだろう。

 

 

「トレーナーさんは器用だね。」

「いや、そうでもないぞ。」

 

 トレーナーさんが持っている線香花火は大きく大きく火花を散らしていた。彼岸花のような眩しい花びらがとても綺麗だ。

 

「ポイントは種火の近く持つこと!線香花火の火花はあんまり熱くないからな。」

 

 だがそれも数秒すれば小さくなる。やがてひとつも火花が出なくなり、穂先で黒くなって萎む。

 

 

 

「花火ってさ、消えるとき…、少し悲しいよね。」

 

 

 

 種火を落とさずとも彼らの命は短い。だからこそ花火は美しいのだろう。

 

「なんだ?やけにしおらしいじゃないか。」

「ちょっと感傷に浸りたい気分なの。」

 

 

「そういうモンなのかな、花火って。」

 

 トレーナーさんは気まずそうに頬を掻く。花火は好きだけど、やっぱり私のせいで華やかさも白けてしまう。

 

 

 

 

 

 

「そうだ、シービー。面白いものを見せてやろう。」

 少しの沈黙のあと、トレーナーさんが何か思いついたかのように話し始める。

 

 

「どれが良いかな〜っと。おっ?コイツならイケるな!」

 

 トレーナーさんはガサガサと花火を漁る。吹き出し花火をひとつ手に取ると、水の入ったバケツを持ってきた。

 ゆっくりと花火を蝋燭に近づける。目の前で鳳仙花のような眩しい光が咲いた。

 

「何するの?」

「良いから見てろって。」

 

 トレーナーさんはその花を水面に近づける。反射した光も綺麗だ。

 花はさらに水に近づいていく。

 

「ほら、見えるか?シービー。」

 手持ち花火は水中に沈んだ。それでも穂先の花は美しく咲いている。

 

「花火は儚くなんかないさ。こうして力強く咲いているんだ。」

 

 驚きに言葉を失う。それでもトレーナーはゆっくりと続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウマ娘だって同じだろう?短い全盛期を力いっぱいに走り抜けるんだ。その美しさは花火なんかの比じゃ無いさ。」

 

 

 

 

 

「トレーナーは特等席でそれを観られる、いやー贅沢なもんだねぇー」

 

 

 

 

「俺はそんな風に生きてみたいって思うよ。」

 

 

 

 

 彼はどこか遠い目をした。

 数秒、水中に咲く炎に見惚れていると、彼がまた悪戯っぽく笑う。

 

 

「しんみりしててもしょうがねえ!コツは教えた!次は線香花火で競争といこうぜ!」

「うん、いいよ。競争だったら、負けられないね。」

 

 また線香花火に火をつける。

 

 

 

 

 

 

「よっしゃー!!俺の勝ち!!」

「もう一回、次は負けないから。」

 

 

 何度火をつけても、やっぱり種火を落としてしまう。

 でもその光はいつもより華やかで、少しだけ眩しい気がした。

 

 

 

 

 

 



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秋雨と彼女

 芝は少しだけ黄色味を帯びてくる。たくさんのウマ娘がその上を走るため、だんだんと短くちぎれていく。

 風は冷気を纏い、雨と晴れを繰り返す。これでは外でトレーニングができない。コロコロと様子を変える秋の空はどこかシービーと似ている。

 

 

「おいシービー、ポヨンポヨン弾むだけがバランスボールのトレーニングじゃないぞ。しっかり重心を落として、膝で挟んだ状態で止まってみろ。」

 

「はーい。」

 

 シービーがバランスボールに座り直す。膝で挟んで静止したかと思うと、ずるりと左側に転げ落ちた。

 

 

 

「おい、大丈夫か?」

「結構難しいね……。」

 

「どこもぶつけてないよな?捻ったりもしてないよな?」

「大丈夫だって、トレーナーさん、この夏でやけに世話好きになったんだね。」

 

「ああ、そろそろデビュー戦も考えなくちゃいけないからな。」

「もう、そんな時期なのかぁ。」

 

 

 

 春はクラシック級とシニア級が分かれて争う春GⅠレースのシーズン、夏は1000mを始めとする短距離から2000mまでの中距離重賞が中心に行われるサマーシーズン。秋はクラシック級で名を挙げたウマ娘と歴戦のシニア級がぶつかり、その年の最強ウマ娘を決める秋GⅠレースのシーズンが続く。

 

 ジュニア級のメイクデビューは初夏から冬にかけて行われることが多い。これにはウマ娘の『本格化』という要素が絡む。

 ウマ娘の『本格化』は非常に大きな個人差がある。流星や体毛の色、食事量の変化など発現した際の症状なども様々だが、『本格化』する年齢も様々なのだ。小学生の時期に『本格化』の兆候が現れてしまい、トレセン学園に飛び級で入学する者も居れば、『本格化』に至らずにヒトと変わらない生活を送り、一生を終えるウマ娘も存在する。

 そして、ウマ娘は冬から春にかけての出生率が高いというデータもある。そのため、出来るだけ多くのウマ娘がレースに出走できるようにと、メイクデビューは初夏から冬という長期間にかけて行われるのだ。

 

 

「俺の見立てでは10月末から11月を目処にデビュー戦を組みたい。異論はないか?」

 

「ちょっと遅めだね、大丈夫なの?」

 シービーは首を傾げて言う。もちろん遅めのデビューには理由がある。

 

 

「これまでずっと体作りのトレーニングを行なってきた。よく考えてみろ、まだ少ししかコースを走ってないだろう?」

「確かにそうだね。」

 

 これまでチーム練習でやってきたことは、基礎トレーニングに水風船にツイスターに自転車、雨の日はバランスボールとゲームと将棋。休みには外に出かけて様々な体験をした。

 これはシービーが気まぐれに外を走ることを見越してのことである。雨の日も晴れの日も、気分が乗れば彼女は外に走り出す。

 どれだけ速くともまだ彼女はデビュー前である。重いトレーニングを課すことは怪我の原因になる。それだけは避けねばならない。

 

「これから、本格的な練習になる。デビュー戦に向けてしっかりと追い切っていこう。」

 

「わかったよ。じゃあ、外を走らなきゃね。」

「おい待て!外は雨だぞ!!」

 

 静止を振り切って、シービーは外に駆け出していく。

 

「ほら!こんなにもいい天気だよ!!」

 彼女は大きく手を広げて、その身で雨を受ける。

 

 

 秋の雨は春よりも冷たい。それでも彼女は無邪気に笑っている。

 レースは時として、その雨よりも冷たく、冬の雪よりも冷酷になる。彼女はまだそれを知らない。

 だが冷酷な冬を知るからこそ、花開くものがある。実るものがある。

 俺は彼女が実りをつけるまで、それを暖かく見守ろう。

 

 

 

 

 




みんなー!オラに高評価を分けてくれー!!


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蹴りたい扉

 ラジカセがファンファーレを鳴らすと赤旗が挙げられる。シービーがググッと伸びをしてから、ゆっくりとゲートに入った。

 そこから数秒、金属がきしむ音がして、扉が開く。

 

 

「おいシービー、ゲートは一番初めに行われる勝負なんだ、しっかり集中しろよ。」

「いや、集中してるはずなんだけどね?」

「お前の脚はとても良い。スピード・パワーは先行してこそ活きる。出来るだけ良い位置につけて、コーナーの一瞬で抜き去っていく。お前の脚ならできるはずだ。」

 

 シービーには出遅れ癖がある。

 彼女はゲートに入った後、ソワソワとして落ち着きを無くしスタートのタイミングを逃してしまう。落ち着いているな、と思ったときには上手く出ても体が硬くなり、二の足がつかない。ゲート練習を楽しげに行っているときは、扉を触ったり、金網をいじってみたりとやりたい放題だ。

 

「ねえ、なんでウマ娘のレースってゲートがあるんだろうね。ヒトみたいに一列に並んで、パーンって音鳴らせばいいと思うんだけど。」

「いや、ファンファーレに驚いてるお前じゃ無理だろ……。」

 

 

 ウマ娘は姿こそ似ているが、ヒトとは大きく異なる部分がある。圧倒的な身体能力はヒトのそれを遥かに凌駕する。それは聴覚に関しても同じだ。

 レース前に行われるファンファーレ、そして観客が行うファンファーレへの手拍子。白熱したレースに熱狂して上げられる歓声などは、本来であれば競争の障害になる。

 ウマ娘の精神は繊細なものであり、そういったストレスは走りに大きな影響を及ぼしてしまう。

 

 ウマ娘が一番かかりやすい傷病は、繋靭帯炎でも、骨折でも、屈腱炎でもない。胃炎と胃潰瘍だ。今日、歴戦のウマ娘がレース前に減量するのは、何もレースのためだけではない。内臓への負担を減らし体調を整えるという側面もある。

 しかしながら、近づいてくるレースの緊張によって全く食べられなくなってしまうこともある。よく食べていても遠征先の土地で水や食べ物が合わず、体調を崩してしまうこともある。

 

 

 かつては銃声やスターターによる大きな音で競争をスタートすることもあったという。日本では旗が用いられた。

 だが旗がはためく様子や音でさえも落ち着きを無くしたりパニックになるウマ娘が居たために、ロープ式のスタートになった。

 ロープ式のスタートにも問題があった。コースの内ラチから外ラチにかけて渡されたロープが上空に跳ね上げられたらスタート、というものだが、風で揺れてしまうロープではスタートのタイミングが分かりづらく、出遅れやフライングが絶えなかった。観客からもスタートしたかどうか見えづらい。強風のときはロープがウマ娘に絡まるというアクシデントも起きる。

 

 

 

 

 ゲートはアメリカで開発された。日本の発明品ではない。

 だが現在使われているものは我が国オリジナルのものだ。ウマ娘の競争環境について、諸国にしばし遅れを取ったが今や巻き返しの時にある。

 一列に並び、公平さはしっかり確保される。脚が引っかからないように支柱はできるだけ排除されている。前にあるものは金網と扉だけ。開く際も極力音がしないようになっている。

 

 

 だがそれでも、ゲート入りは難航する。

 ゲートの適正試験に落ちたためにダービー出走を逃してしまったウマ娘も居る。彼女には確かな実力があったが、ゲートだけは苦手だった。観客はそれを面白がり、観客席の柵を叩いて音を鳴らしたり、大声を上げたためにパニックを起こしてゲートから出られなかったのだ。

 うずくまり、『やめて!やめて!』と泣き叫ぶ彼女の姿はとても痛ましかった。それを笑う観客の顔を殴ろうとも思った。観客の顔が変形しようとも醜悪な(ツラ)であることには変わりない。だがURAの職員に止められてしまった。

 『ダービーに出られなくとも、あの子にも、貴方にも未来がある。』と言われた。だがそんなものはどこにも無かった。その後彼女はレースに出られず、学園を去ってしまったからだ。

 

 

 シービーに関しては、ゲートから出ることには出るので試験に関しては問題ないと思われる。問題はレース内容だ。

 

 

「ねぇ、そろそろ走っていいかな?」

 シービーは開いたゲートをつまらなそうに出たり入ったりしていた。

「そうだな、じゃあこのゲートを開いたらゴール板まで、1600m走って来い。」

 

「じゃあ、頑張らないとね。」

 顔にはやる気が満ち溢れている。こういう時は大体二の足がつかない。

 

 

「閉じるぞ。」

 

 

 

 赤旗を上げ、ラジカセのスイッチを入れる。けたたましい音がひとりだけのレースのために鳴った。

 

 ゲートが開くと同時に一陣の風が吹き抜けた。冷たい風に目が覚める。

 

 

 

「すごいな、あいつは。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




投稿が遅れた言い訳

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府中の空に

 メイクデビューは明日にまで迫った。コースは府中の1600m。

 東京レース場はトレセン学園から最も近いレース場だ。トレセン学園の練習コースは東京レース場を模しているため、感覚も掴みやすい。このままの調子を維持できればいいスタートを切ることができるだろう。

 

 だが、レースの内容は当日になってみなければわからない。メイクデビューは、まだ実際のレースを走ったことがないウマ娘が多く出走する。緊張感や気合いが悪い方向に作用しやすいのだ。ひとりウマ娘が動揺すればそれは出走する全てのウマ娘に伝わる。

 前を急ぐあまり、斜行や接触という不利を受ける場合がある。緊張のあまりゼッケンのホックや靴のベルトを締め忘れ、脱落させて競争中止となってしまう場合もある。以前中山レース場で行われたメイクデビューでは、9人のウマ娘がゼッケンの脱落によって競争を中止した。

 レースというものはただ速ければ勝てるというものではない。その時の時刻、気温、湿度、馬場状態、枠順、体調、観客、そして運。挙げればキリがないほどの要素が複雑に絡み合うことで成立する。

 

 

「おはよ、トレーナーさん。どうしたの?そんな怖い顔して。」

 いつもの様子でシービーが部室に現れた。のっそりと、いや悠々と歩く姿に緊張感は見られない。

「ごめん、寒いと思うけど、着替えるから外に出てて欲しいな。」

「いや、その必要は無い。今日の練習は休みにする。」

 こちらをチラリと一瞥して、シービーはスカートの下からハーフパンツを履いた。

 

「そう、じゃあ今日は河川敷をプラッと流してくるね。流石に上をトレーナーさんの前では着替えられないから、早く外に出て欲しいな。」

 

「ダメだ。今日は走るな。」

「トレーナーさん、隠れてタバコ吸った?」

 

「もしかして、緊張してるの?」

 制服のポケットから棒付きキャンディーが差し出される。受け取らずにいると、シービーはそれを机に置いた。もうひとつ取り出して、彼女が口に含む。

 

「今日は休養に充てるんだ。走ること以外なら何をしてもいい。スイーツビュッフェに行ってもいい。俺が奢る。一日中ゲームをしてもいい。俺が相手になる。ルドルフも今日は休養日のはずだ。だが、今日は10時には寝るんだ。」

 

 シービーの最終追い切りはとても良いものだった。だがここで走ってしまえば、その感覚は()()()してしまうだろう。

 練習が連続してしまうと、どうしても効率の良い楽な道を選びがちだ。それはもう『いつも通り』のパフォーマンスではない。一旦走ることから離れて、適度な緊張感と余裕を持たせるべきなのだ。

 

 

「それを最初に言って欲しかったな。」

 後ろに絞られていた耳がこちらを向いた。

 

「今日は何がしたい、シービー。」

 こう見えてもシービーは年頃の女の子だ。ブランドバッグを見に行きたいとか、化粧品が欲しいとか言われたら相当な出費を覚悟しなければならない。この提案をするのも彼女の走りのためだ。

 どんなものが来るのだろうか、心臓の鼓動が速くなる。息が切れているのはタバコのせいだけではないだろう。

 やっぱりタバコやめようかな、そう思いキャンディーを手に取るとシービーがゆっくり話し始めた。

 

 

「映画、映画が見たい。でっかいスクリーンで。トレーナーさんも一緒に。」

 良かった。これならばそこまで出費はかさまない。だが映画を見るにあたってはいろいろと問題がある。

 

「何を観に行く?でも、映画館は暗くて狭いぞ。人気の作品なら人もいっぱいだ。音も大きい。大丈夫なのか?」

 

「大丈夫。だって、今の流行りはわかんないし、観たいヤツは映画館じゃやってないもん。」

「……? どうやって見るんだ?」

「視聴覚室があるじゃん。」

 

 そう言うとシービーがスマートフォンを差し出してきた。

 

「これなんだけど。見たことある?」

 シービーが見たいと言ったものは、海外の傑作映画だった。妻と不倫相手を射殺した疑いで無期懲役を言い渡された主人公が、劣悪な環境の刑務所で奮闘し、希望を追って生きてゆくといったヒューマンドラマだ。

 

「一度だけ、な。」

「良かった。私のお気に入りなんだよね。」

 

 

 視聴覚室には映像資料とともに、映画作品も多数収蔵されている。その中にこの作品はあった。

 シービーは最初こそ大きな音に困惑していたが、しばらくして慣れたようだった。

 

 この映画には、ブルックスという登場人物が居る。主人公とともに刑務所内の図書係をしている老人だ。彼は長期収監されており、仮釈放になるがそれを拒む。しかしながら彼は外の世界に放り出されてしまう。住居と仕事は与えられるが、刑務所に居る間にすっかり変わってしまった世界と自分の居場所の無さに苦しみ、彼は自殺してしまう。

 

 

 物語はクライマックスに入った。主人公は両手を大きく広げて、雨に打たれている。刑務所の中では雨に打たれる自由は無い。そんなちっぽけな自由を体いっぱいに噛み締めている。

 

 感動して泣くわけでも、内容に興奮するわけでもない。彼女の目はスクリーンの先、ずっと遠くのどこにもないどこかを眺めて感慨に耽っていた。

 

「自由って、なんだろうね。」

 映画は終わり、スタッフロールが流れ始める。それをぼんやりと眺めながら呟かれた言葉は、やけに耳に残った。

 

 

 



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東京 第3R 芝1600m メイクデビュー

前回『府中の空に」に大幅に加筆した部分があります。


「自由に走ってこい、あと、飴はもう口から出せ。」

 

 パドックでもシービーは棒付きキャンディーをなめていた。後方宙返りをしたかと思うと、片手で逆立ちをしてストップモーションを決めた。

 観客はそれに大いに沸いた。選抜レースの結果もあり、シービーは1番人気だ。

 彼女の身軽さには常々驚かされる。だが、それこそが彼女の武器だ。

 

「はい、舐める?」

 口から出したキャンディーが目の前に差し出された。

「舐めるわけないだろ。」

「じゃあ、これ。」

 新品のキャンディーがポケットから出てくる。

「ここは禁煙だからさ、口寂しいと思って。」

 

 

「じゃあ、行ってくるね。」

 キャンディーを受け取ると彼女は走って行った。地下バ道は薄暗い。光の方向へと駆ける足音は、自由への羽ばたきだ。

 レースが始まれば、そこは彼女たちだけの世界。俺たちは見えない高い塀に阻まれる。自由に、雄大に走るその姿を指を咥えて見ているしかない。誰もがその走る姿に憧れる。彼女たちの勝利を夢に見る。だがその想いは届かないことのほうが多い。

 この道を進めば、コースに出る。よく晴れているようで、光が差し込んでいる。

 11月は太陽の南中高度が低くなる。眩しすぎるその光に背をむけて、観客席へと歩いた。

 

 

 ファンファーレが鳴り始める。周りが準備運動をしている中、ミスターシービーはコースを眺めていた。やる気が入りすぎている訳でも緊張しているわけでもないだろう。その証左として、ゴールの先をしっかりと捉えている。

 10番ゲートに入り、姿が見えなくなる。だがそれも一瞬のことだ。

 

 

「いいぞ、悪くない。」

 

 出遅れもない、最終追い切りのときとまではいかないが、まずまずのスタート。外枠にも関わらず。するりと好位につけた。

 先頭はミナミカサブランカ、2番手にポピンズロウ、ミスターシービーは3番手だ。

 

 まだ序盤。勝負は4コーナーを抜けてからだ。1600という距離はシービーにも合っているはずだ。

 府中1600mは向こう正面から発走し、3コーナーと4コーナーを超えてスタンド前直線に入る。ここまで足を溜めることができれば、シービーの脚なら余裕で交わすことができるだろう。

 

 もう少しで3コーナーというところで、ポピンズロウの様子がおかしくなる。頭が上下に振れ、後ろを振り向いた。

 後ろには誰も居ない。だが、()()()()()()()()()()()

 

 彼女はミスターシービーを探していた。近づいて来る足音に動揺し、後ろを振り向いてしまったのだろう。

 その一瞬は勝負の上では長すぎた。飛翔を許すだけの時間をシービーに与えてしまった。

 

 ポピンズロウとミスターシービーの間はどんどんと開いていく。

 先頭に居るミナミカサブランカの脚質は逃げ。4コーナーまでに後続から距離を離せなければ馬群に沈む。横に並ばせるなんて論外だ。

 勝負は4コーナーを超えた直線。そこで粘れば勝てる。そんな常識は彼女の前では通用しないということを痛いほど知ったことだろう。

 

 

 

 

 

「飴、まだある?」

 

 レース後の血液検査を終えたシービーが話しかけてきた。

「楽しかったか?」

「そこそこかな。」

 溶けて角の取れた飴を差し出すと、嬉しそうに口に咥えた。

 

 

 

 

「今日は祝いだ!何か食べたいものは?」

「ショートケーキ、苺の乗ったやつ。」

 

 

 

 結果は5バ身差の圧勝だった。

 

 

 

 

 

 

 



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届かない4.3m

 後ろからのレースも検討したほうがいいのだろうか。だがシービーのことだ。型にはめられるようなトレーニングをしてもいいのだろうか。

 

 メイクデビューこそ、良いスタートを切ることができた。だが、続く黒松賞では出遅れた。向こう正面で追い込みをかけ、先行するイブニングスノウとの叩き合いの末にクビ差の辛勝という結果だった。

 そして、ひいらぎ賞では敗戦する。

 1着はピーチシャロー。クラシックへと名乗りを上げているウマ娘だ。

 入れ込んで大きく出遅れたシービーは焦りからか本来の走りが出来なかった。直線では彼女を捕らえるものの、最後の根性勝負で競り負けるという結果だった。

 

 シービーが持つ足の一瞬の切れ味はスプリンターやマイラー向けだ。そのことを考えると、彼女の適正は1600のマイルから2000までの中距離、行けて2400、といったところだろう。

 体力を温存し、コーナーで前に取り付く。直線で末脚を爆発させ抜き去っていく。そういった走りもできないわけではない。むしろ、ゲート難のある彼女には合っているかもしれない。

 だが、レースを走るのは彼女、ミスターシービーだ。俺がとやかく言うことではないのかもしれない。彼女の信念を歪め、信頼関係に亀裂が入るようなことは避けたい。

 

「三冠ウマ娘ねぇ……。」

 

 クラシック三冠、皐月賞・日本ダービー・菊花賞の3レース。それぞれ2000・2400・3000の中長距離レースとなる。シービーの距離適正を考えると厳しいレースだ。

 

 シービーの走りは素晴らしい。それは疑いようのない事実だ。既にシービーのクラシック制覇を期待する声もある。だが、距離適正を越えるということは、想像以上に難しい。

 3000mは超長距離レースに分類される。そして会場となる京都レース場外周りには3コーナーに『淀の坂』。向こう正面で追い込みをかけたとしても、失速すれば意味はない。下りで加速したとしても、脚の負担が増すだけだ。

 

「ハナにあんなこと言わなきゃ良かったなぁ……。」

 

 菊花賞は11月。考えていてもしょうがない。まずは出走が決まった共同通信杯と、皐月賞トライアルの弥生賞に専念するべきだろう。

 

 一息つくために胸ポケットからタバコを取り出す。だが、ライターが見当たらない。代わりに入っていたのは、ジェンガのブロックだった。

 

 

「あいつ……。」

 

 仕方なく、キャンディーを舐めることにした。袋を破いて口に咥えたときに、スマートフォンがけたたましく鳴った。

 

 

 

 

 



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幼く雄大な歩み

ミスターシービーの同期競走馬をモデルとしたオリジナルキャラクターが出てきます。


 ダートの練習コースでは8人のウマ娘が走っている。その中で一際目立つヤツが居た。

 

「すみません先輩、チームのこともあるのに。」

「いいよいいよ、気にすんなって。今日はオフだからさ。」

 

 スマートフォンにかかってきた電話は、カノープスのサブトレーナー、南坂からのものだった。南坂はスクール時代の後輩に当たる。

 彼はどうやら担当となったウマ娘について苦労しているようだ。

 

「で、見て欲しいってヤツは?」

「あの子です。」

 

 南坂がその”一際目立つヤツ“を指差した。

 一生懸命走っていることは良く伝わってくる。だが、腕はただブンブンと力任せに振られているだけで推進力になっていない。それどころか振られる腕のせいで肩が揺れ、直線であってもふらついている。

 

「もうデビューはしてるのか?名前は何と言う。」

「スインギーウォークです。一応、デビュー戦は勝ちました。」

「どうして芝を走らせない。」

「あのこのパワーならダートが一番かと。」

 

 

 スインギーウォークは群れの前目につけていた。だが、3コーナー、4コーナーと進むたびにジリジリと後退し、直線で突き放されてしまった。

 

 

「まだ幼いな。確かにパワーはあるが、精神の成長と体の成長が噛み合っていない。どうするつもりなんだ。」

「移籍も、視野に入れています……。」

「そうか、じゃあスインギーウォークを呼んでくれ。」

 

 南坂がスインギーウォークを呼ぶと、笑顔でこちらに駆けてきた。そして──

 

「みなみーーん!!!」

「ぐぇっ!?」

 

 南坂に飛びついた。

 

 

「熱い抱擁だな。」

 

「スインギーさん、こちらはチーム『カマリ』のトレーナーさんです。ほら、挨拶してください。」

「こんにちは!!」

 スインギーウォークは満面の笑みで挨拶をした。彼女がシービーと同世代とは思えない。シービーはやけに落ち着いているからそう見えるだけなのだろうか。

 

「突然だけど、チーム『カマリ』に入ってくれないかな?」

「やだ!!」

「スインギーさん!?」

 スインギーウォークは南坂を盾にして隠れてしまった。

「カノープスを離れる気はないそうだ、どうする?”みなみん“」

「先輩まで……。」

 

 

 

 

「あれ?トレーナーさんとスインギーじゃん。なにしてんの?」

「あーっ!シービーちゃん!!」

 

「楽しそうな話してるなら、アタシも混ぜてよ。」

「シービー、一体どうした?」

 

 今日の練習はオフのはずだ。いつものシービーならひとりで練習コースに来ることはない。

 シービーがひとりで走るとき、大体は校外を走っている。変わり映えしない景色は彼女の好むところではないからだ。

 

「いや、ゲームしたくて部室でトレーナーさんを待ってたのに、いつまで経っても来ないから。」

 そう言ってこちらに何かを放り投げてきた。手に取って見ると俺のライターだった。

 

「ゲーム!?ゲームがあるの!?」

「スインギーもやる?『デンジャラスダービー8』やろうよ。南坂さんも来てよ。」

 

「みなみん!行こ行こ!!」

「引っ張らないでください!スインギーさん!」

 

 スーツの袖を引っ張られ、南坂が引きずられて行く。なんというか、彼も大変そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで勝てないのー!!やだやだー!!」

 

 ゲームが始まってみると、スインギーは連敗続きだった。初めてこのゲームをするという南坂よりも着順が低かった。

 コントローラを放り投げて、手足をジタバタとさせて駄々をこねている。

 

 

「キャラクターの適正だよ。スインギーの使ってる『モモイロサクラモチ』はスピードはあるけどスタミナがない。だから回復アイテムをいっぱい取らなきゃいけない。アタシの『モジャモジャバナナ』はスタミナ多めのバランス型だから、回復アイテムをあんまり取らなくてもいい。」

 

 シービーはゆっくりと話しながら、今にも泣きそうなスインギーにキャンディーを渡した。

 

 

「レースも一緒だよ、いっぱい考えて強くならなきゃ。次は実際に走って勝負しようか。」

「わかった!絶対負けないよ!」

 

「じゃあ、今からね。」

「まってぇー!シービーちゃんずるーい!!」

 

 

 

 ふたりは笑いながら部室のドアを破壊して走り去った。

 

「なんか、すみません。」

 気まずそうに南坂が笑う。

「あいつらが楽しそうなら、それで良いさ。」

 

 どうして彼女たちがあそこまで楽しそうに走るのか、ヒトの俺たちにはわからない。姿形は似ていても、生物としては全くの別物だ。

 トレーナーは彼女たちの世界にただ間借りさせて貰っているに過ぎないのだ。彼女たちの走るという共通言語を理解するために、俺たちはもっと彼女たちから学ばなければならない。

 

 

「そうだ、こういうのはどうだ。」

「えっ?なんの話ですか?」

 

「留学だよ!『カノープス』から『カマリ』にスインギーウォークを留学させるんだよ!」

 

「唐突ですね……、どういうことですか……?」

「何も移籍させる必要は無い。所属チームを移さずに一緒に練習をすればいい。どちらにも良い刺激になると思うが、どうだ。」

「なんか、先輩らしい考えですね。」

 

 

 

 こうして、チーム『カマリ』に留学生が来ることになった。

 また一段と騒々しくなる。だがそれは、どこか懐かしくて『あいつら』と過ごしたチーム『ScoAH』での日々のようで、愛おしいものに感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




スインギーウォークについて
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共同通信杯に向けて

 スインギーウォークとミスターシービーがコースの上を縦横無尽に走り回っている。今日はカノープスが利用申請を出しているため、『スインギーウォークとの併走トレーニング』という名目でシービーも利用させてもらっている。

 

 側から見ればその様子はただの鬼ごっこだ。

 

 

「なあ、南坂。条件戦のことは考えてくれたか。」

「はい、スインギーさんに関しては私が一任されているので、出走許可をいただけると思います。」

「そうか。」

 

 シービーがスインギーウォークを追う。

 必死に逃げているが、まだ彼女に逃げ切るだけの脚はない。

 

「タッチ!スインギーが鬼ね!」

「まてー!!」

 

 本当にただの鬼ごっこだったようだ。

 黒鹿毛のふたりがはしゃぎながら駆ける姿はまるで姉妹のようで微笑ましい。だが、その裏にどことなく悲しさを覚える。

 

「もっと遊びたい歳頃だろうになぁ……。」

「そうですね……。」

 

 学園に所属するウマ娘は中学生から高校生まで。この学園に入っていなければ、友達の家で遊んだり、化粧を覚えてみたり、恋をしてみたりといろいろできたはずだ。

 それでも彼女達は、ここで走ることを選んだ。

 

 自由にのびのびと駆ける姿はレースとはまた違ったものだ。止まりたい時に止まり、休みたいときに休む。前にも、横にも、後ろにも進める。ぴょんぴょん飛び跳ねてみたり、転がり回ってみたり。

 

 スインギーがふらふらとよろけて、ぱたりと転んだ。泥だらけになっても彼女は笑顔だ。

 

 

 

「スインギー!シービー!話がある!こっちに来てくれ!」

 

 呼びかけると、ふたりはとてつもない勢いでこちらに向かってきた。

 

 

「楽しかったか?スインギー。」

「うん!楽しかったよ!おじちゃん!」

 

「おじちゃんって……。」

「おじちゃんのトレーニング、楽しいよね。」

「シービーまで……。」

 

 シービーはからかうように笑う。

 元気で、少し生意気で、愛嬌があって、そこだけは同年代の他の女の子たちと変わらない。

 

 

「よし、遊びはここまで!真面目な話だ。シービー、来週は共同通信杯だ。前回負けた相手、ピーチシャローも出てくる。直線での根性勝負、負けるなよ。」

 

「うん、了解。」

 

「シーちゃんレースに出るの!?見に行っていい!?」

「ダメだ。」

 

 スインギーの耳が垂れ下がる。あれほどまで元気だった姿がみるみるうちに小さくなっていくようだ。

 少しいたずらをしすぎたな。

 

「そのかわり、スインギーにもレースに出てもらう。ダートの1600、条件戦。場所は東京レース場。」

 

「あれ?それってアタシの出る共同通信杯と同じ日程じゃない?」

「そうだ。だから、見に行くんじゃない。走りに行くんだ。」

 

「頑張って走って、シービーの応援をしてやろう。な?」

「うん!」

 



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シービー戦法

「どうだった?スインギー。」

「楽しかったよ!……負けちゃったけど……。」

「そうか。楽しかったなら、ひとつ儲けだな。」

 

 

 スインギーウォークは8着だった。

 レースでは力いっぱい走っていたが、直線で伸びを欠いてしまった。追ってくる群れに飲まれて抜け出せなくなり、そのまま順位を下げてしまったのだ。

 レース内容こそもの足りないものだったが、今日は南坂が不在のため、心細さもあっただろう。それでもこうして無事に走り終えて、楽しげに戻ってきた。そこだけはしっかり褒めてあげなければ、彼女の努力は報われない。

 

 

 スインギーウォークが走った府中1600のダートコースは芝からスタートする。

 スタート直後は直線で、芝が斜めに切れ込んでいる。外枠に行けば行くほど長く芝を踏めることになるため、外枠が有利だ。

 現に今回の勝ちウマ娘は7枠、スインギーは6枠だ。ダートが得意なウマ娘だとしても、足に負担なく走ることができるアドバンテージは大きい。

 

 

 

「次はシービー、お前の番だ。ここで勝てばクラシックへの期待値も高まるだろう。存分に楽しんでこい。」

 

「わかった、じゃあこれ。」

 シービーは棒付きキャンディーを俺に向かって差し出してきた。

 

「いいよ、今日は自分で持ってきた。スインギーにやってくれ。」

「わーい!おじちゃんありがとー!」

 

「行ってくる。スインギーはいい子にしててね。」

 

 

 

 共同通信杯はクラシック期の先駆けとなる重賞レースである。

 芝1800m、前走から200mの距離延長と、スタート直後の2コーナーが勝負の命運を分ける。

 ミスターシービーは5枠8番。そして、前走で競り負けたピーチシャローは8枠14番の大外枠に入った。

 

 大外枠は最初のコーナーで外を走らされることになる。そして、ゴール前には長い直線と2mの坂が待ち受ける。

 断然、シービー有利な状況にある。ピーチシャローは先行ウマ娘。シービーの出遅れ癖を考慮しても、差し・追い込みがハマりやすく、後方待機が強いコースとなっている。

 

 

 あとはシービーのレース感覚を頼るしかない。

 彼女のスピードは先行してこそ活きるということに間違いはない。だが、それは使いどころを理解してこそのものだ。

 無理に飛ばせば直線で捕まる。出し遅れれば、突き放される。彼女に至ってはそんなことはないだろうと思うが、やはり不安なものは不安だ。

 レースに絶対は無い。走った後に残る結果のみ。

 

「シーちゃん頑張ってー!」

 

 元気に叫ぶ声とともにファンファーレが鳴り始めた。

 全てのウマ娘がウォーミングアップをやめ、ゲートへと歩いていく。

 

 

 少しの静寂のあと、ゲートが開いた。

 出遅れもない、いいスタートだ。

 ボールドライツ、ツルノヨイチが激しい先行争いを繰り広げる。ピーチシャローは3番手だ。

 

 

 だが、ミスターシービーは11番手。するりと内側に入り、前を伺う体制となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




15話「蹴りたい扉」の一節『ゲートはアメリカで開発された。日本の発明品ではない。」に「ここすき」が入っていたので読者の中に元コマンドー隊員が居ると判明した。


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東京 第11R 芝1800m 共同通信杯

 東京1800m、日本ダービーと同じ府中のコース。この世代の誰かが今年のダービーを獲る。

 

 トレーナーとしても、観客としても魅力的なコースだ。クラシック期の嚆矢となる重賞。コースは広く、まぎれも少ない。最後に迎えるのは長い直線と坂。ウマ娘の実力を見定めるには最も効果的なコースだろう。

 

「今日もよろしくね。」

 

 前走で一緒になったヤツが言葉をかけてきた。なんと言えばいいのだろうか、こいつは腹が立つほど爽やかだ。

 この余裕、この表情。私は必死になってここまでたどり着いた。細くて長い脚も、黒くて大きな丸い目も、私にはない。何度も砂を被って充血した目に、太くなった脚しかない。でも、これは勝負に必要なものだ。

 

 ゲート入りが開始される。こいつの弱点はゲートだ。府中の最終直線は長いけれど、近年は先行ウマ娘の勝ちも目立ってきている。ここで勝てれば、皐月もダービーも夢じゃない。

 閉塞感がある。鼓動がうるさい。その音の中からわずかに聞こえる金属音を探り出す。その音とともに、芝を蹴り上げた。

 

 

 

 絶対に負けられない。

 

 ダービーは最も運のあるウマ娘が勝つという。大外枠に入って勝ったものは居ない。最終コーナーを10番手以内に回らなければ勝てないというジンクスもある。

 それが何だって言うんだ。

 

「くそッ……!!」

 

 大外の不利はやはり大きい。内側へ入れない。外を回れば回るほどスタミナを浪費してしまう。

 だが、減速するわけにはいかない。先頭では逃げるふたりが争っている。距離にして8バ身ほど。

 

 そして、あいつは最終直線で『飛んで』来る。

 逃げを打ったふたり、ボールドライツもツルノヨイチもそれを恐れているのだろう。

 まともにやり合えば勝てるわけがない。そう言った絶望から私は逃げなければならない。

 

 向正面、ここではじりじりとポジションを伺いながら、脚を貯める。

 

「!」

 

 外から誰かが私の前に出た。

 こいつはポリスカレージだ。私のすぐ後ろにつけていた。

 

 

 

 

 だが、なぜここでポジションを上げた?

 まだ向正面の直線だ。

 

 

 胸の中に冷たいものが走る。

 

 なんだ、そういうことか

 私の半バ身後ろにヤツが迫ろうとしていた。

 

 

 

 

 後ろからグイグイと押される。

 それに合わせて、隣のウマ娘が加速し始めた。

 

 コイツを抜け出させてはいけない。そうすれば、勝ち目は無くなる。

 気合いを入れろ。

 気合いを入れろ、ピーチシャロー。

 

 脇を締める。そして肘で脇腹を強く打った。

 負けるのが怖い。痛い。痛い。

 

 

 

 全員がスパートに入る。

 

 

 ダービーを獲りたい。ダービーウマ娘になりたい。そうなるためには脚を止めてはいられない。

 ただ真っ直ぐに、ただ一番にゴール板を駆け抜ければいい。

 誰にも邪魔はさせない。誰にも、誰にもだ!

 

 コーナーを抜ける。逃げたふたりはもう一杯だ。

 根性なら、根性なら負けない。

 ついてくるな、ついてくるな!!

 残り300、ポリスカレージを競り落とした。

 いける、いける。

 

 

 だが、必ず最後にヤツが来る。

 

 

 

 直線では観客の歓声がこれでもかと浴びせかけられる。ダービーなら、これよりも大きくて、もっと派手な歓声が上がるのだろう。

 だがその声は、私に向けられたものではないのだと思い知る。

 

 

 半バ身、手を伸ばせば触れられる1.2mという距離は、どんなものよりも遠かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




うーん、書き直すかも

今回はピーチシャローちゃんの視点でお送りしました。


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