私と鋼鉄の少女 (朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次))
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第一章 ~ Rebirth ~
村と私と鋼鉄少女


東方の執筆の合間に書いていた手慰みです。
結構な長さになってしまったので投稿してみました。

一応プロットとしては連載が書けるほどではあるのですが、まずは短編としてテスト投稿。
状況を見て連載するかどうか考えようと思います。




 ここにある男がいる。

 なんとも冴えない風貌で、10人が見れば10人とも「取り立てて印象に残らない男」と同じ印象を抱くのではないか。そんな感じだ。

 

 しかし彼は善良な人間であり、常に心の平静を願う男だった。

 できるだけ波風を立てず、誰にも迷惑をかけない。

 毎日真面目に仕事をし、夕食には少しばかりの酒を嗜む。

 休日には唯一の趣味である映画を鑑賞するために何軒かのミニシアターをはしごする。

 多くの他人にとっては退屈で平凡であろうが、彼はそんな幸せが好きだった。

 

 だった――そう、彼は過去の人なのだ。

 30を半ば過ぎ、一般的には脂ののった働き盛りの中年。

 まじめである事だけが取り柄の彼は、あまりにもあっけなく死んだ。

 酒は少量、煙草も吸わず、3駅先にあるオフィスには健康のためと歩く。

 食事は腹八分目。睡眠は毎日7時間。

 そんな彼なのだが、気が付いたときには胃に大きな病巣が見つかり、かつ手遅れだったのだ。

 

 病室で管をいくつも繋がれた彼を見舞いに同僚たちが毎日やってきた。

 彼はそれなりに人望があったようだ。

 入院して1週間。

 多くの人に見守られながら彼はあっさりと逝った。

 病気で弱った肉体に、追い打ちをかけるように併発した肺炎のせいだった。

 

「ああ、ビールが飲みたいな……」

 

 それが彼の今わの際に発した言葉だった。

 その顔は笑っていたという。

 果たして彼の人生が幸せか不幸せかは彼しか知らない。

 ただ、駆けつけた同僚たちを少しばかり悲しませる程度には充実していたようだ。

 

 そしてこの出来事は彼の生涯の終わりだったが、しかし始まりだったのだ。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「困ったなァ……」

 

 私はそう呟くしか無かった。

 それは青天の霹靂というには色々と超越しすぎた状態に放り出されたからだ。

 

 思えば私は前世で平凡な男だった。

 前世というのは自分が生まれる前に別の人生を生きており、そしてその記憶があるからそう表現している。

 

 私は胃癌を患い、そしてあっという間に死んだのだ。

 なのに私はここにいて、それとはまた別の次元の事柄で途方に暮れている。

 前世の記憶がある。そんなことは現状を思えば取るに足らないと言い切れる。

 なぜなら生まれ変わりを経験した私は、とんでもないことを体験しているのだから。

 

「本当に困ったなァ……」

 

 それは思わず同じセリフを繰り返してしまう程に。

 

 私の生前の趣味と言えば、昔の映画を見るか、インターネットでネットサーフィンを楽しむくらいだった。

 それは例えば現実ではあり得ないファンタジーの世界や、絶対に体験できない悲しい戦争、または絶世の美女との溶けるようなロマンス。

 そんな非現実感を物語の主人公に感情移入することで仮想体験できることがたまらなく楽しかったからだ。

 

 まじめで平凡だと言われ続けた私。

 それは確かにそうだろう。

 けれどもそれは、自分の中の感情を表に出すのが苦手だっただけの話だ。

 

 私が部屋で映画を見ていれば、時には大声で泣いたり笑ったり、興奮して奇声をあげたり。

 そのくらいのことはしていたのだ。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

 いい加減現実逃避はやめよう。

 さて私の混乱の理由、それは私の横にいる女性たちに起因する。

 

 彼女たちはその小さな身体で精いっぱい背伸びをし、私に向かってアピールを繰り返す。

 たしかに彼女たちは私から比べると親子とも言えるほどに小さい。

 しかしその見た目は驚くほどに美しい。

 

 映画の中の主人公であれば、こんな可愛らしい女性とのロマンスを楽しんだり、時には駆け引きをしたりできるのであろう。

 だが私はその方面ではちと弱い。

 私の前の生涯の中で、恋や愛なんてものはたった一人としか知らなかったのだから。

 

「ねえ司令官、わたしたちなら貴方の役に立てると思うのだが」

「そ、そんなの当然よ! 私は一人前のレディーなんから!」

 

 しかし残念ながら彼女たちは、ロマンスの方向で私に詰め寄っている訳ではないのだ。

 まったく平凡でしかない私に向かって彼女たちは司令官と呼び、しきりに私に命令をしてほしいと言い寄っているのだ。

 

 しかもだ。暁も、響と名乗った白髪の少女も、決まってセーラー服を着ており、そして背中にやたらと物騒な重火器のようなものを背負っている。

 

 まったく訳が分からない。

 しかしそんな重たそうな物を背負うなんて、彼女たちは力持ちなのだなァ。

 

「ちょっと無視しないでよ!」

「不死鳥の名を持つわたしでは不満なのかい……?」

 

 またも現実逃避を試みた私に、涙目の彼女たちがさらに詰め寄ってきた。

 しがみ付くように縋る彼女たちの体温は暖かく、そして感触は柔らかい。

 不埒な意味ではなく、ただそう思った。

 たとえ背中に背負うものが物騒だとしても、その印象はただの少女にしか私には見えないのだ。

 本当に困っている。どうしていいか分からないのだ。

 

 この状況は私のなんとも緊張感のなさのせいであるが、現実は割と逼迫している状況だと言える。

 何故ならば――――

 

 

 いや、そもそもの事の起こりは半年前に遡る。

 病気で死んだはずの私は、気が付くと草原に立ち尽くしていた。

 生前好んで着ていた白い綿のシャツにブルージーンズ、それと革のサンダル。

 どう考えてもこんな自然あふれる場所に来るような格好ではない。

 

 私が住んでいたのは日本で一番人口が密集していた都市であったから、こんな風景なんて車で数時間は移動しないとお目にかかれないだろう。

 だが奇妙なのは、少し離れた場所にいくつかの田畑が見えるが、その周囲にある小道は赤土がむき出しの粗末なもので、路肩に電信柱が集落があるであろう方向に向かって続いているが、全て木製のレトロなものなのだ。

 

 こげ茶色の木製電柱は、隙間をコールタールのようなものでコーキングしてあったりするが、こういう電柱は私が幼いころにはすべて撤去され、今はコンクリート製の物しかないはずだ。

 その電柱についている街灯もまたおかしい。すすけた白い傘に丸灯のようなもの。

 まるでここら一帯が戦時中のような様子なのだ。

 とはいえ私のその知識も、せいぜい教科書で習った程度のものでしかないのだが。

 

 とにかく私は死んだと思ったら、昭和初期のような田舎に立ち尽くしていたという事だ。

 

 そんな私が混乱していると、通りかかった畑の持ち主が声を掛けてきた。

 

「お前さん、こげな場所でなぁにしとるんかね?」

 

 野良仕事で赤黒く焼けた健康的な肌をむき出しにした小柄な男。

 彼は真っ白な、それでいて一本だけ抜けてしまった前歯をむき出しにしてにっこりと笑った。

 呆けていた私は、その笑顔に一瞬で毒気を抜かれ、そして救われた気分になった。

 

 私は彼に――いや、百田さんに早口で事情を話した。

 きっとそんな私を彼は辟易しただろうに。

 それでも私の話を一通り聞いてくれた彼は、やはり私を安心させる笑顔でこう言ったのだ。

 

「なーんかアンちゃんのいう事はよう分からんけど、落ち着くまでうちに来たらどうだい?」

 

 なんだか私は無性に泣きたくなった。

 とにかくこうして、私は彼の住む村に世話になる事となったのだ。

 

 この村は漁村であり農村である。

 漁師の農家が半々というところで、私が感じたままの印象を言えば、まさに昭和初期というイメージそのままであった。

 なので私があの田畑の傍で見た電柱などから思った印象は間違いじゃなかったという事だ。

 村の中には商店などはなく、漁協の事務所の脇にある小屋がその代わりをしている。

 あとは特に何もない。いくつかの民家と、漁や野良仕事の道具を生産したり直したりする鍛冶屋が一軒あるのみ。

 

 私が百田さんとその奥さんと色々話したところ、私の思う常識的な文化知識は、ここでは全く非常識になるという事が分かった。

 彼の奥さんはいかにも肝っ玉母さんという風体で、恰幅のいい体型と、大きな口を開けて笑う印象的な素敵な女性だった。

 

 私の境遇を話すと(自分は死んだのに、何故かここにいる事も含めて)、その突拍子もない話を真剣に聞いてくれ、あまつさえその目に涙を浮かべて私に同情をみせたのだ。

 百田さんもやはり同様で、しきりに「お前さん大変だったな~」と何度もうなずいてくれた。

 私はその無垢なまでのいい意味での無防備さに、何というか完全に毒気を抜かれたというか、知らない場所であるという不安感が一気に霧散していくのを感じた。

 

 百田さん夫妻は、ようしなら任せろと頼もしく言うと、そのまま村長に掛け合い、村の空いているこじんまりとした一軒家を世話してくれた。

 そこは港のはずれにある、堤防の根っこの部分に建っている家だった。

 漁師が道具小屋にしていたというが、私が見たところ、一人で住むには勿体ないほどの広さである。

 具体的には玄関の扉を開けると、小上がりになっている10畳ほどの居間を囲むように土間があり、立派な台所と和室が二部屋、土間から奥に続く場所には私が二人は入れるような風呂と汲み取り式の便所がる。

 掃除さえきちんとすれば、これはもう立派な家だと思う。

 それを家賃などはいらないからというのだから驚きである。

 この無償の賃貸を許可した村長という老人もまた、百田夫妻に負けないほどにお人よしで、やはり私の境遇に同情を見せたのだ。

 こうなるとなんだか私は恐縮してしまい、逆に所在無げな気分になってしまう。

 

 ただやはり、働かざる者食うべからずというルールは普遍である。

 家賃がいらない代わりに、私に出来ることをして村に貢献してくれとのことである。

 それならば私も罪悪感が募らずに済むのでこの申し出を受けたという訳だ。

 

 それから私は彼らの役に立ちたいと、その日の漁を終えてきた漁師たちの網のほころびを直したり、昼間畑に出払ってしまう人たちの代わりに家畜の世話をしたり、または鍛冶屋の親方の下働きなど色々と働いてきた。

 年齢層が高いこの村であるから、力仕事に従事する若い人は少なく、そしてそれぞれが村を担う職を持っている関係で、隙間的に手が足りない部分を埋める人材がいなかったのだという。

 そんな折に私という来訪者はまさに渡りに舟だったようだ。

 

 30人ほどしか住んでないこの村であるが、数か月も経つといつの間にか私はここの住人として彼らに認知されたようで素直に嬉しい。

 村長や親方、ごつい漁師、ご近所さん。それにもちろん百田夫妻も。

 彼らはことあるごとに私を気にしてくれるのだ。

 今では酒を飲む仲となった連中もいる。

 

 また日に二度食べる食事は、百田家で世話になっている。

 一応村長から日銭を貰ってはいるのだが、奥さんがここで食べなさいと、いつまでも迷惑はかけられないと固辞する私にとても寂しそうに言ってきたため、罪悪感に負けて今でもお世話になっている。

 百田夫妻は熟年に差し掛かった夫婦であるが、悲しいことに子が出来ないと言っていた。

 きっと彼らは私を子のように見ているのだろう。そして私もそのことが満更でもなかったりする。

 ここに来て一番最初に知り合ったという刷り込みだけじゃない恩や情が彼らに感じるのだ。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 私という人間のことを、この村の人たちはどこか賢者のように見ている節がある。

 それは非常にくすぐったく恐縮してしまうことではあるが、それには理由がある。

 というのも、ここらの人の半分はきちんと字が読めないのだ。

 

 それは色々話を聞くと分かるのだが、学校に行くという習慣が無いようなのだ。

 大きな町にでも行けば違うらしいが、僻地の農村部には、学校に通って学ぶよりも、まずは家の労働力としてカウントされるのが子供の役割とのこと。

 まさに昭和初期の状況であると思うが、とにかくそういうものだという。

 

 そんな事情であるから、普通に字を読み書きできる私は、彼らに変わって漁協の会報だったり、週に一度届く新聞などを読み聞かせたりしていたのだ。

 娯楽のないこの村であるから、新聞を読むときは村中の住人がやってきて、まるで朗読会のようなことになる。

 皆が楽しいならば別に構わないのだが、本当の意味で隅々まで読まされるのは内心で辟易してたりもするが、如何ともしがたいだろう。

 

 ちなみに新聞の名前で分かったのだが、ここは、この国は「帝国」というらしい。

 誰に聞いても帝国としか言わないのだからそうなのだろう。

 その上に大日本とかもついておらず、ただ帝国と呼んでいる。

 

 それと不思議なのは30半ばのだらしない体型だった私は、何故か学生だったころのほっそりとした身体になっていた。肌の張りやしわのなさを見ても、どうやら20歳前後の姿をしているみたいだ。

 大変不思議ではあるのだけれど、それはそれで歓迎できることなので、私としては問題ない。

 まあ百田夫妻が私を子供のように扱うのは、この風体にも由来するのだろうな。

 

 閑話休題

 

 まあそうして、文字が必要なシーンになると呼び出され、漁協の経理なんかを手伝ったりする際の暗算の正確さだったりなどで、私はこの村の知識担当のような人間として重宝されるようになったのだった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 村に来て数か月たった頃、私の運命というか、日常が一気に変化する兆しが訪れた。

 その日は随分と早くに目が覚めた。今思えば虫の知らせのようなものだったのかもしれない。

 

 掃除はしているものの、最低限の家具しか置いていない我が家であるから、私は和室二部屋に手を付けず、今に布団をひいて寝ている。

 我が家にあるものと言えば、少しの食器とそれを収める小さな木製の棚。飴色の箪笥と卓袱台。それにふかふかの綿の蒲団、そんなものだ。そしてそれらは村の人たちの余り物を頂いたのだ。

 

 そもそも私は一日の大半を村の手伝いで過ごすから、家にいる時間は少ない。まして私は独り者だ。

 起きて半畳寝て一畳なんて言い回しもある。私にとって広すぎる家は持て余し気味である。大げさな家具は今のところ必要がない。

 

 この家の土間に面したガラス扉は刷りガラスではあるが、カーテンなどはつけていないため、日の出の光がまともに差し込み、それが私の眠りを妨げたようだ。

 とはいえそれは苦痛なものでは無く、大変すがすがしいものではある。

 とにかくそうして目を覚まし、漁協で購入した雑な造りの歯ブラシに塩をしたものをもごもごとしながら、寝間着のままで外へと出たのだ。

 

 私の家は海に面しているから、朝霧が煙る中を寝ぼけ眼のまま、海へと歩いてみた。

 湿っぽい潮風だが、早朝の涼しさの中は存外気持ちがいいものだ。

 これはある種の日課のようなもので、なんとなく毎日そうしている。

 

 ただこの日だけはその様子が違っていた。

 私は塩で歯を磨き、それを海に向かって吐き出そうと海面をなんなく覗き込んだのだ。

 するとそこに「彼女が浮いていた」

 

 白と黒のセーラー服を着込んだ黒髪の少女がだ。

 思わず私は町の女学校の生徒が水死して流れ着いたのかとドキリとしたものだ。

 ただ奇妙なのは、彼女は仰向けに浮かんでおり、目はしっかりと開いていた。

 

「…………」

「…………」

 

 そして私と彼女の視線が交差する。

 黒髪に白い肌。一見すると典型的な日本人の特徴に見えるが、その瞳は青かった。

 

 正直に告白しよう。

 その時の私はまるで心臓を鷲掴みされたかのように動けなかったのだ。

 というよりも、私の拙い脳が考えること放棄したともいえるだろうか。

 とにかくその普通ではありえないシチュエーションに私の思考は止まり、ただただ彼女と睨みあうこととなった。

 

「やぁ……」

「……どうも、なのです」

 

 何とも間抜けな私のセリフ。

 それに返事をする彼女もまた何とも間が抜けていた。

 

「つかぬ事を聞くけれど、何をしているんだい?」

 

 果たして私の言葉は適切なのか?

 そんなこと私は知らない。

 

「まあ、浮いてます」

 

 そう彼女は無表情でつぶやくように言った。

 私から見てもそのくらいは分かるけれど。

 事実彼女は浮いているのだから。

 

「そうじゃなくてだね、なぜそこで浮いているのか理由を知りたいんだよ。正直私は君を見て死ぬほど驚いたんだ」

「それはごめんなさい。でもレディーを見て死ぬほど驚くなんて失礼よ!」

「はぁ、それは申し訳ない。でもまぁ、とりあえずそのままではあれだろうし、こちらに上がってきたらどうかな? お茶くらい出すよ」

「あ、ありがと」

 

 彼女は急に興奮したように声を荒げたが、私は何か気に障る事でも言ってしまったのだろうか?

 まあそれはいい。とにかくこのままこうしていても仕様がないと、私は彼女に手を伸ばした。

 なんだかよくわからない彼女だけれど、こちらの手を素直に握り、何故か恥ずかしそうに上陸してきた。

 もしかするとああして浮いているところを見られることは、彼女の本意では無かったのかもしれない。

 丘へ上がってきた彼女はずぶぬれで(海に浮かんでたのだから当たり前か)、見てて非常につらいものがあるため、私はそそくさと家へと誘った。

 

「べ、別に疲れて浮いていた訳じゃないんだから!」

 

 大人しく私の後をついてくる彼女の言ったセリフ。

 そうか疲れて浮いていたのか……。

 どうにも若い子は苦手だなと再確認する私であった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 ずずず、と差し向った彼女と私の茶をすする音だけが響く。

 あれから私は海に浮かんでいた彼女をわが家へと招待した。

 

 彼女はちらちらと意味ありげな表情を私に向けながらも、とくに不満もなくここまでやってきた。

 

「あー、そろそろ話をしようじゃないか。とまぁ名乗りもせずに本題というのも無粋であるし、お互いにσ自己紹介でもしようじゃないか。私の名前は佐々木勝という。この村で世話になっている小間使いだよ。私のことは佐々木とでも呼んでくれ」

「わたしは特III型駆逐艦1番艦の暁よ。司令官、よろしく、なのです」

 

 綺麗な正座をしたまま、卓袱台の湯呑みを両手で持ったまま、うつむき加減でいた彼女は、私の名乗りを聞くと、それまでとは表情を変えてはきはきと名乗った。

 彼女、暁と言ったか。しかしトクサンガタクチクカンなんて名字はおかしいし、私を司令官と呼ぶのもよくわからない。

 私をからかっているのだろうか?

 

「あの、少しいいかな? 司令官ってどういう意味だい? 文字通りの意味であるなら、私は至って普通な一般人でしかないし、勿論高度な軍事訓練を受けた事もないのだが……」

「でも司令官は私を見つけたじゃない。だから司令官なのよ」

「は、はぁ……そうか……?」

 

 私は思わず怪訝な表情をしたと思う。

 けれども彼女はその大きな碧眼をまっすぐに私に向け、むしろ私が何を言っているの? という表情を向けている。

 たしかに私は海面に浮いている彼女を見つけた。だがそれは私が海沿いに居を構えていたからの偶然であって、もし私が見つけなかったとしてもいずれは漁に出る船などに発見されたのではないか?

 ともかく私はその印象をそのまま彼女へぶつけてはみた。しかし――

 

「司令官だから見つけたのよ。私たちは適性のある人間にしか御することはできないのよ。だから私をみつけ、丘に上げてくれた貴方は司令官なの」

 

 彼女は一気にそれを言い切ると、どこか満足気に茶をすする作業に戻った。

 まあ彼女が私を司令官と呼ぶのはひとまず置いておこう。

 しかし彼女への疑問はまだ尽きない。

 

「それはいいとして、トクサンガタクチクカンとはどういう意味だい? いや駆逐艦という言葉は知っているよ? それは私の住んでいた国で、大昔に起きた戦争で使われていた船にそういう名称があるという意味でね。けれども見たところ君はただの少女にしか見えないしな。悪いのだけど、詳しく説明してくれないかな?」

「んー……いいわよ別に――――

 

 それから私は彼女の説明を黙って聞いた。いや、呆気にとられて言葉を放つのを忘れてしまったというのが正解ではあるけれども。

 それほどまでに彼女の話す言葉は難解で、そして突飛だった。

 私自身が前の生涯を知っているという突飛なエピソードはこの際棚に上げるとして、だ。

 

 トクサンガタクチクカンは特III型駆逐艦1番艦であり、その言葉の通り彼女は少女の姿をした戦争兵器であること。

 それは胡散臭い表情の私に対し、彼女は背中に巨大な砲台のオブジェを瞬時に出すことで無理やりに理解させられた。何かのトリックである可能性はゼロでないにしても。

 

 そして彼女は私が知っている歴史に実際に登場した、日本の海軍の駆逐艦暁とおなじ魂を持つ存在で、ある時を境に彼女たちは登場したのだという。

 そのきっかけや経緯は彼女自身も分からなく、ただ存在しているのだからそういうものだという認識である。

 さらに驚くことに、彼女だけではなく、有名な戦艦や空母なども一通り存在しているのだという。

 

 彼女の独白が私にとって特に衝撃的だったのは、あくまでも彼女の言葉を信じるならば、世界にはたくさんの司令官や提督がいて、それぞれが暁のような艦娘と呼ばれる少女型兵器を運用しているのだという。

 そして司令官たちは、深海から突然現れる深海棲艦(シンカイセイカン)という化け物から人間社会を守るために日々戦っているのだという。

 深海棲艦たちは航海をしている船を襲ったり、港に強襲し破壊活動をしたりと、まさに人間と深海棲艦の戦争状態なのだという事だ。

 

 まったく、どこの怪獣映画だという話にしか思えないが、そういえば時折村の皆に読み聞かせる帝国新聞にも、どこかの港が襲われたという記事があったな……。

 

 そして私を一番呆然とさせたのは、彼女が言う話が本当ならば、私がいまいる世界はかつての日本とは別の違う場所なのではないか? という予想が確定してしまうという事柄についてだ。

 

 たしかに百田さんと出会ったあの日、私はここらの成り立ちに酷い違和感を持った。

 それに実際に村で生活しながら思ったのは、年号が全く知らないものだったり、村全体が昭和初期のような生活レベルをしているにも関わらず、漁師たちの駆る漁船には高度なディスプレイが搭載された電気制御の機関部があったりとチグハグだったのだ。

 

 私は自分の境遇の目まぐるしい移り変わりと、新たに生活の基盤を確立しなければならない忙しさで、そういった考察をいい意味でも悪い意味でも放棄していたようだ。

 

 そうか、ここには暁のような少女のような兵器が当たり前な世界なのか。

 何というか、言葉を失うというのはこの事だな。

 善良であり、できれば波風は小さく、つつましく生きることを美徳としていた私の価値観はあまりに脆く崩れてしまった。

 それはそうだろう。ここで生きるという事は、いくら私が非常識だと思っている事も、それが常識なのだと受け入れなければ生きていけるわけがない。

 

 百田さんから特にそういった話が無かったのだって、今になって考えてみれば当たり前だ。

 自分が常識だと思っていることを、わざわざ他人に説明する訳がないじゃないか。

 ははは、なんだろう……滅入るな。

 

「司令官……?」

 

 私はどのくらいの間、自分の思考に埋没していたのだろう。

 突如無言となった私の肩をゆすり、我に帰してくれたのは暁だった。

 彼女はいつの間にか私の隣におり、心配そうに私を見上げている。

 だから私は彼女に言うのだ。

 

「とりあえず話は分かった。私が司令官云々とかいう件はまぁ、この際は置いといて。では暁、君はこれからどうするんだい? 君がいう事を私がすべて信じたとして、じゃ君はこれからどうする?」

「……艦娘は命令されてこその存在よ。だから司令官にわたしを使ってほ……し……い……」

 

 そう言いつつ彼女は急にうつろな表情になり、そして私の膝に倒れこんでしまった。

 

「お、おい、暁! どうした?!」

 

 私は慌てて暁に駆け寄る。

 どうにも様子が可笑しい。

 

「ああ、もう司令官でも何でもいいから! とにかくどうしたのか説明してくれ!!」

「……しれ……い……かん…………」

「なんだ!? 暁ぃ!! 暁、おいっ!!」

 

 もはや意識があるのかないのか分からないほど、彼女は衰弱しているように見える。

 私はとにかく彼女の上半身を抱えるようにして呼び掛けるしかなかった。

 冷たい海に浮いていたからこうなっているのか?

 どうすればいい? こんな少女を死なせてたまるかよ。

 

 動かない。

 駆逐艦暁、でも抱き上げた彼女は軽く、そして柔らかい。

 そんな彼女が冷たく、もっと小さくなっていくようだ。

 何か私に出来ることは無いのか!

 もっといろんな話を聞きたいというのに。

 

「しれい……かん……」

「なんだ暁! なんでも言ってくれ!」

 

 暁の力のない瞳が私を射ぬく。

 そして彼女は言った。

 

「………………おなかがすいたのです」

 

 何というか、体中の力が一気に抜けてしまった。

 ……脱力感で。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 あの日から暁は我が家の一員となった。

 それはまるで家族のように。

 居間以外に使われることが無かった我が家の、南向きの和室は彼女の部屋になった。

 私が朝目が覚めたとき、あるいは暁が日の出を眺めに部屋から飛び出してきたとき。

 そこにあるのは静寂ではなく、どちらかの「おはよう」という挨拶があるのだ。

 私と暁はまるで家族みたいな距離感へと変化したという訳だ。

 百田夫妻には事情を話し、そしてそれ以降、私は暁と食事をすることにした。

 

 私はきっと寂しかったのだろう。

 なぜ私が生まれ変わりという事に遭遇したか分からない。

 そして本来の日本ではありえない世界へと移動した意味も分からない。

 それでも一つ分かっていることは、私は一人法師であるという事実だ。

 つまり私はこの世界の誰とも接点がまったく無いという意味で。

 

 血のつながり、または培ってきた文化の中での同族としての接点。

 この帝国という国は、もしかするとある時を境に枝分かれした、IFの世界なのかもしれない。

 それは中途半端に私の世界との共通点があるからだ。

 けれどもやはりそれは私の都合のよい推測であり妄想でしかない。

 だからこそ孤独なのだ。

 この国の過去のどの時間にも、私という存在は無いのだから。

 

 暁が言うには、少女の姿をした彼女たち――――艦娘のような兵器を使役する素養が私にはあるらしい。

 というのも彼女たちの本質は、巧くは説明できないけれど、妖精のようなものが実体化した存在なのだという。

 その妖精のようなものは、彼女たちが関わる全てに宿っており、それらと意思疎通をすることが出来る人間が司令官になれるようだ。

 普通に会話を交わすだけならどんな人間にもできるが、こと命令するとなれば、普通の人間だと拒否されると暁は言う。

 

 仕組みはどうもそういう事であるらしい。

 けれども私は、たとえそうだとしても彼女たちを兵器として戦いにいけと命令することはしたくなかった。

 それは私が生きてきた前の生涯の中で培った倫理観や常識に引きずられているからだろう。

 私はきっと、銃を持って誰かを殺めることはできないし、それを彼女たちに代わりにやれとも言えないし言いたくない。

 いくら彼女たちが美しい少女の体をしているとしても、そこに内包する力は、人間なんて瞬きをする前に屠ることが出来るだろう。

 なぜなら彼女は深海から現れるバケモノを唯一、排除できる存在なのだから。

 

 とにかく私はあの日、暁を海で見つけた日に、深夜になるまで彼女と語り合った。

 私の境遇も含めて余すことなく。

 そして彼女の境遇を聞き、暁を家族としてここに置くと私が宣言したのだ。

 

 なぜそうしたか。それは彼女の境遇もまた切ないものであったのだ。

 どうやら司令官が拠点とするエリアを鎮守府というらしい。

 そしてそこではさまざまな艦娘、つまり暁と同じような存在が日々建造され、敵と戦うために切磋琢磨しているという。

 それだけならば、平和を守るためなのだと頼もしく思う。

 けれども暁がもともと所属していた場所は、彼女たちは日々酷使されていたのだという。

 

 私のつたない歴史の知識で言えば、駆逐艦とはその身軽な動きから、艦隊の中では遊撃をするような位置づけだったように思う。

 素人知識でもなんとなく想像はつく。

 戦争なんて一つの大きな攻撃力を持つ大砲だけでは勝てない。

 そのために海軍ではさまざまな役割を持った船たちが船団を組んで、敵にむかうのだ。

 けれどもこの世界での常識では、彼女たち駆逐艦は、やがてあまり戦力として見られなくなることが多いらしい。

 

 特に彼女が所属していた鎮守府の司令官は、そんな彼女たち駆逐艦をまるで小間使いのように酷使し、その結果、暁はその鎮守府がある海域のはるか沖で、深海からのバケモノの一撃を喰らい轟沈したのだ。

 それは彼女本来の能力であれば問題なく躱せた攻撃だったという。

 しかし彼女は日々の酷使による消耗を碌に回復させてもらえないまま、その任務を強いられたのだ。

 結果彼女は轟沈し、そのまま海の藻屑となって消えるだけだったらしい。

 

 しかし何の因果か彼女は轟沈した状態で意識を失くし、気が付いたら私のいる港に流され、そして私と出会ったという訳だ。

 それを聞いた私は兵器としての彼女ではなく、その人間的な部分に同情し、だからこそ彼女が私の家族になるということを衝動のままに提案したのだ。

 暁は無表情だった。

 けれども目じりは小刻みに震えていた。

 私にはそれで充分であった。

 

 それがたとえ、一人法師の私の寂しさを解消させるための打算であったにしても、だ。

 

 ちなみに、あの時死ぬほどに衰弱していた暁であるが、空腹のせいだった。

 そして私は慌てて百田さんの家に飯を頼みに行ったのだが、暁に拒否された。

 なぜなら彼女の食事とは、簡単にいえば油だったからだ。

 彼女たちは普通に私たちと同じものを食べることができるが、それはある種の娯楽のようなものであって、本当の意味での栄養になるものは機械のように油なのだ。

 

 私は小さく軽い暁を背負い、そして苦笑いしながら鍛冶屋の親方のもとに駆け込み事なきを得た。

 なんとも間抜けな話だ。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「司令官、これはどこに置けばいいかしら?」

 

 元は網元の倉庫だった汚いが、無駄に大きい建物を暁はせせこましく動き回る。

 

「ん、隅に積んでおいてくれ。あとで親方が来たら相談するから」

「わかった。危ないから避けててね」

「了解」

 

 私の返事と共に、暁は普通の人間では考えられないほどに重い荷物を軽々と持ち上げた。

 そして私の指示した場所にそれを下ろすと、こちらを振り返り、そして笑った。

 彼女と共に過ごすようになってから一週間。随分と暁の表情は豊かになった。

 

 彼女が元いた場所からここへ来るまでのいきさつを私は知っているが、その件が彼女本来の天真爛漫さを押し込めていたのだろう。

 しかし私たちはあれから毎日、互いが眠りにつくまでの間、障子一枚を隔てた距離で色々な事を話したのだ。それこそ百田さんが暁を見て娘に欲しいと鼻息を荒くしたり、力持ちの彼女を見て鍛冶屋の親方が弟子にしたいと三顧の礼をしたりのような他愛もない話。

 またはお互いの身の上の話や、それにまつわる余り笑えないエピソードなど。

 

 お互いの境遇はまったく次元の違うものであるから、話はいくらたっても尽きなかった。

 だから毎晩、どちらかが眠ってしまうまでそれは続くのだ。

 打ち解けてみると彼女は割と饒舌だったりする。

 なぜか自分は一人前のレディーなのだとしきりアピールしたり。

 ただ私から見ればそれは、幼い少女が目いっぱい背伸びをしているようにしか見えず、思わず含み笑いをしてしまったり、あるいはそれを彼女にばれてしまい、説教をされたり。

 

 そんな事をして過ごしていたら、少しは私のことを信用してくれたようだ。

 私もまるで妹ができたようで楽しかった。

 

 私は彼女を村の人たちに紹介し、これから彼女は村の一員として皆の役に立ってもらう事を話すと、皆はもろ手を挙げて歓迎してくれた。

 そしてやはり艦娘のことはここらでは常識だったみたいだ。

 彼女を村長をはじめ、皆に紹介すると、それぞれの反応はどこか畏怖を込めたものであったし、彼女に司令官と呼ばれる私のことを、今まで以上に歓迎して貰えるムードとなった。

 

 村長の話では、ここらの地域では深海のバケモノは来ないという。

 それは何故かは理由は分からないらしいが、現状そういう被害はないのだとのことだ。

 しかし大きな街の方面に行くとそういう被害はあるし、将来いつここが被害遭うかなんて誰も分からない。

 この村の半分は海で仕事をしているから、そういう漠然とした不安は皆の中にあったという事だ。

 そこに私が艦娘に命令できる人間だということが分かり、皆は安心したのだろう。

 

 私は彼らに隠し事はしたくないので、自分の倫理観がひどく彼女に命令することが嫌なのだと伝えると、皆は笑って「俺たちだっていやだよ。こんな可愛い子を戦になんか出せるか! でもな、いよいよとなれば、彼女と肩を並べてどうにかすればいいんだ」と言い切ったのだ。

 

 私は信じられなかった。もちろんいい意味での驚きという意味合いで。

 そう、そういう発想が私には思いつかなかったのだ。

 こんなに良くしてくれている村人たち。

 よそ者である私を快く受け入れてくれた優しい人たち。

 そんな人たちが、私のまだ知らない恐ろしい化け物に蹂躙される。

 そんなことを真剣に想像などしていなかったのだ。

 

 私は考える。

 この人たちが私の目の前で惨たらしく襲われることを。

 それは嫌だと私は思う。

 

 逆に私の傍らで笑っている少女を見やる。

 私は彼女に死ねと言えるだろうか?

 家族として受け入れた彼女が、たとえその本質は兵器だとしても言えるだろうか?

 それはNOだった。

 

 だが、村の人たちがいう選択肢、それはどうか。

 なるほど、守り守られ、それはいいじゃないかと思える。

 それならば私は胸を張って彼女の隣に立とうと思える。

 

 そんな単純な思考を思い、生前の私を併せて思う。

 こんなに感情を上下することなんて終ぞ無かったなァ。

 でもそんな自分を悪くないと思う私がいる。

 

 その決意と共に、私は本当の意味でここの村民となれたのだった。

 そしてそれを皆に宣言すると、やはり皆は笑顔で答えてくれた。

 嬉しかった。

 私を、そして暁を受け入れてくれたことが。

 

 その時鍛冶屋の親方が提案をした。

 それは暁が家族だとしても、その成り立ちは人のそれとはやはり違う。

 だからこそきちんと彼女が整備できる場所が必要なるだろうと。

 ならばその場所を村が提供し、技術的な補助は親方がしたいという提案だ。

 

 私はその提案に抵抗はなかったし、暁も嬉しそうにしてた。

 そこで新たに私の自由にしていい場所として、我が家から少し離れた海沿いにある網元の倉庫を頂いたという訳だ。

 そして時折海で見つかる資源――――艦娘たちの血肉となる資材をいくらか貰うことが出来たのだ。

 それらの資源は、漁師たちの船を維持していくのにも使われているため、漁の最中に資源が見つかると、漁師たちはそれを持ち帰るのだ。

 

 船の燃料といえば化石燃料で、そしてそれはお金を出して買うものだという私の常識が壊されてしまった。こういう部分も私が本来いた世界との違いなのだろう。

 もはやそれはそういうものなのだと流す余裕が私の中には生まれつつあるのだけれど。

 

 そんな訳で私と暁は、今朝から倉庫を綺麗に掃除し、資材の整理を行っていたという訳だ。

 ここは昭和と平成と未来が混ざったような不思議な世界であるが、何故か掃除機のようなものは無く、私は箒や濡れた新聞紙、雑巾を使って、それこそ額に汗しながら掃除を進めていく。

 力持ちの暁は重たい物の移動や模様替えに専念してもらう。所謂適材適所というやつだ。

 もっとも私には暁が持っている荷物を持つことはそもそもできないのだ。何とも悔しくあるが仕方ない。

 

「……ん?」

 

 気が付くと暁がドラム缶を持ち上げたまま、じーっとそれを眺めている。

 

「暁、食事の時間はまだだよ。さっき朝食を摂ったばかりだよ?」

「わっ、別におなかが空いている訳じゃないもん! 一人前のレディーはそんなはしたないことしないんだから!」

「わかったわかった。でもひと段落したらおやつを食べような」

 

 私の指摘に暁は顔を真っ赤にして慌てている。

 どうにも一人前のレディーには少しだけ遠いようだ。

 そして彼女はおやつの力か、独楽鼠のように動き始めたのだ。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 私たちの生活は思ったよりも上手く行っている。

 彼女はまるで妹のように甲斐甲斐しく私に世話を焼き、逆に私も兄のように世話を焼く。

 彼女の料理の腕前は大したことがないので炊事は主に私の仕事だ。

 

 そうして毎日変わらずに朝がはじまり、暫くするとそれぞれの役割のために村へと出ていく。

 私は家畜の世話や漁協での帳簿付けなどや、その都度頼まれる細かい仕事を請け負い、暁は主に鍛冶屋の手伝いや漁師の船の塩梅を見たりする。

 誰かの役に立つという行為は、小さくとも積み重ねることで誰かの信頼を勝ち取ることが出来る。

 暁もまたそうしてこの村に溶け込んでいったのだ。

 

 もともと愛くるしい見た目であるし、力持ちでもある。

 私としては彼女本来の使われ方をさせて上げれないことを心苦しく感じているが、彼女はこうして穏やかな日々を送るのも悪くないと言ってくれている。

 私はそれが本音なのかどうかは考えることを止めにしてる。

 それは私がそうじゃないかと彼女に問うても、彼女から違うのだという答えしか出てこないからだ。

 だからもう私はそれでいいと思っていた。

 

 暁は村の中を一人歩きしても、通りすがる村人から声を掛けられ、私が遠巻きにそれを見る限りでは、誰もが彼女と笑顔で談笑している。

 私はそんな日々がずっと続いていけばいいと思っていた。

 しかし自分の思惑と、世の流れは別のものだったようだ。

 いくら私が平穏を望んでいても、この世界には明確な人間の敵がいる。

 そう深海から現れるというバケモノのことだ。

 

 人間はバケモノからの侵略と戦っているのだ。

 私の住む村周辺は襲われていなかったというだけで。

 

 そしてとうとうその兆しが表れたのだ。

 それは今日の昼間の出来事がきっかけであった。

 

「し、司令官ッ!!!」

 

 私は自宅で漁協の帳簿のチェックをしていた。

 窓から差し込む暖かな日差しと、畳のいい香りで少しだけ舟をこぎながら。

 

 そんな時に突然、暁の悲鳴のような声で我にかえった。

 彼女は背格好が暁自身と同じくらいの髪の白い少女に肩を貸しながら家へ飛び込んできたのだ。

 その彼女はやはり暁と同じようなセーラー服を着ていたが、その大部分は血で濡れていた。

 

「……状況は分からないが暁、とりあえず落ち着くんだ。大けがをしているようだから、親方の所へ連れていこう。……その娘も艦娘なんだろう?」

 

 私は取り乱す暁の頭を撫でて落ち着かせる。

 いつもなら子供じゃないのよと顔を真っ赤にして怒るのだが、いまは小刻みに震えながら涙を浮かべている。

 

 私は暁から白い少女を受け取ると、草履をひっかけて外へと出た。

 暁は私を一瞥し、こくりと頷くと鍛冶屋に向かって走って行った。

 白い少女のことを話に行くのだろう。

 

「Пом……оги……т…………」

 

 背中の少女が何事か呟いた。

 何を言っているかは聞き取れないが、私は黙って足を速めた。

 油を飲む艦娘なのに、その血は酷く生臭かった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「佐々木君、大丈夫なんかい?」

「ええまぁ、後は見守る事しかできないかと思います」

「なんとも歯がゆいもんだの……」

 

 鍛冶屋から親方に言われ、私と暁の倉庫へと移動していた。

 それは親方の見立てが、彼の技術でどうにかなるものでは無いという判断のためだ。

 そして冷静になった暁から、彼女がドッグと呼んでいる倉庫へ移動しようと提案してきた。

 

 さらには騒ぎを聞きつけた村の人が集まってきており、床に横たわる少女を囲むようにして、各々心配そうな眼を向けている。

 百田さんの奥さんは動かない彼女を暖めるように一生懸命撫でており、百田さんは私の横で同じ質問をもう3度している。

 

「司令官、暁にまかせて」

「……頼む」

 

 暁は決意の表情で私に言った。

 私はその静かな気迫に押され、息を呑むだけだった。

 

 暁は少女を撫でている百田夫人の肩をいたわるように撫で、そしてそっと場所を空けさせた。

 少女の横にたたずむ暁は、静かに目を閉じ、まるで何かに祈るようにその小さな手を前に掲げた。

 するとどうだ、私の目に信じられない光景が現れたのだ。

 

「響、今治してあげるからね……」

 

 薄暗い倉庫の壁にある小さな窓から差し込む一条の光は、宙を舞う埃をを輝かせ、まるでスポットライトのように暁と少女を照らした。

 そして彼女の祈りに呼応するように、辺りの空気が一変する。

 誰もがその光景に目を奪われ、口を開くものは誰もない。もちろん私もだ。

 そして、やがて……

 

「!!」

 

 どこからか二等身にデフォルメされたような、20センチくらいの少女が現れたのだ。

 

「!!」

 

 その少女が現れると暁は安心したような表情となり、その場を離れ、私の横に立った。

 

「司令官、もう大丈夫だよ」

 

 暁のその言葉に、一同がほっと胸をなでおろす空気になった。

 私はその少女から目を離すことができず、ただ手だけを暁の頭に乗せて労をねぎらった。

 

「!!」

 

 人形の少女はしきりに何かを話しているが、その意味はよく分からない。

 が、倉庫の脇に積み上げていたいくつものドラム缶や鉄の塊が空中をふわりと浮き、そして横たわる少女の体に向かって吸い込まれていった。

 

 暁の言葉で安心した村人たちは、後で詳しい話を聞かせてくれと私に言うと、それぞれ戻っていった。

 峠を越えたのなら大丈夫だろうと判断したのだろう。

 

 そして数時間後、彼女は暁と並んで茶を飲んでいるのだった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「私の名前は響だよ。よろしく、司令官」

 

 彼女――響はあまり抑揚のない口調でそう言った。

 血まみれでここへやってきたのが無かったことのように。

 

「私は佐々木勝というんだ。好きに呼んでくれてもいい。いまは暁と家族のように暮らしている」

「艦娘と家族……司令官、あなたは不思議な人だね」

「自分でもそう思う」

 

 彼女は暁型2番艦の駆逐艦で響と名乗った。

 暁とは姉妹のような関係なのだという。

 そう言われてみれば着ているセーラー服も同じだな。

 

 卓袱台の前で並んで座っている二人を見比べる。

 どちらも小柄な少女であるが、片方は黒髪で、もう片方は輝くような白っぽい銀髪だ。

 しかし蒼い目を含め、顔の造形は似ている。姉妹というのも頷ける。

 

 そして私は名乗ったきり湯呑みを見たままの響に気になっていた事を聞くことにした。

 今回の出来事は私が知らない事柄が多すぎるし、何か嫌な予感がする。

 心の中ではそれを拒否しているが、聞かないわけにはいかないだろう。

 

「それで響、君はどうして血まみれだったんだい? 暁の様子もおかしかったし。詳しい話を聞かせて欲しい」

 

 私がそういうと、二人は一瞬目をあわせ、そして頷き合うと私を見た。

 二人の間ではこの件について何か示し合わすことがあるようだ。

 そして口を開いたのは響だった。

 

「私は姉さんと同じ鎮守府にいたんだ。姉さんから話は聞いているだろうけれど、私もまた扱いは酷い物だった。だから私は任務失敗のタイミングで逃げ出そうとしたんだ――――

 

 彼女の独白は、彼女自身の身の上だけの話で留まらなかった。

 私の中を流れている血液が一気に逆流するような、それほどにショッキングな内容だ。

 

 響は暁が轟沈したことを知り、意気消沈していた。

 それは日々酷使されて消耗していく体力や精神的なものを削り、響は何もかもが嫌になったというのだ。

 それは暁と同じであるし私にも理解ができる。

 

 暁は轟沈したが、彼女は中破して海に浮いていたのだという。

 やがて同僚と鎮守府に戻り、そこの司令官に上申をし、待遇が改善されないなら逃げ出そう、そう決意して戻ったのだという。

 

 しかしそれは叶わなかった。

 それは鎮守府自体が無くなっていたからだ。

 響が任務で沖にいる間に、深海のバケモノがその鎮守府を襲ったのだという。

 そこの司令官は艦娘たちを無理な運用を強いていたというが、逆にそれが仇となったのだ。

 実入りのいい遠征にほとんどの艦隊を行かせ、かつ有力な艦娘のほとんどが鎮守府にいない状況だったという訳だ。

 

 襲いくるたくさんの深海のバケモノ。

 彼女の鎮守府は成すすべなく消えてしまったとのこと。

 

 それだけならば自業自得だと言えるが、話はそこからだったのだ。

 暁たちの話によると、その鎮守府がある場所は、この村から北に数百キロの場所で、バケモノたちはその周囲を荒らしまわったら、きっと南下してくるのだと言うのだ。

 

 それはつまり、この村が襲われる可能性が高いという事になる。

 私の嫌な予感は当たり、そしてこの世界の現実を、本当の意味で受け入れる決断をしなければいけないようだ。

 

 それに暁が響を直すために呼んだ人形のような少女――――彼女もまた妖精らしいのだが、暁が彼女を呼んだことにより、あの倉庫を中心に鎮守府が作られる事になるという。

 それが妖精の役割であり、存在理由なのだから。

 

 暁が祈るような表情をしていたのは、後から聞けば祈っていたわけではなく、こうなることを予感した彼女が、私にたいして済まないという気持ちになったからなのだった。

 なんとも優しい兵器である。

 

 そして冒頭の状況につながるわけだ。

 ここを守るために、または私の役に立とうとするために、彼女たちは私に決断を迫る。

 村長をはじめ、村人たちに危機を知らせるために外へ出た私に縋りつくように。

 

「本当に困ったなァ……」

 

 何度目かになる同じセリフを私は呟く。

 それは心の中では既にどうしなければいけないかを分かっているから。

 だとしても私は怖いのだ。

 

 村人が脆くも蹂躙されることが。

 あるいは彼女たちが傷つくことが。

 そして一人法師に戻ってしまうことが――――

 

 私はなんて独善的な人間なのだろう。

 それを恥じるも止めることもまた、出来ない。

 

「司令官……」

 

 二人の苦しそうな表情が私を射ぬく。

 知っているのだろう。私が彼女たちが言う、艦娘たちを使役する素養とやらがあるのなら。

 私が苦悩していることを。

 

 それでも危機はすぐそばにある。

 だから私は……

 

「暁、響、行くぞ」

「暁の出番ね? 見てなさい」

「司令官、作戦命令を」

 

 前に踏み出してみることにしたのだ。



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葛藤と私とロシア少女

短いです。


 この村では佐々木の倉庫を中心に、村人総出でいくつかの建物が建設されている。

 とはいえ実際の建設の主な部分を担っているのは、人形のような小さな娘たちである。

 彼女たちは妖精と呼ばれる不思議な存在で、その身長はほんの20センチもあるかないかという程であるのに、どこからか集まってきてせっせと働いている。

 

 そして彼女たちが造り上げた施設は、宿舎を兼ねた割と大きな建物を中心に、赤いレンガを積んだ倉庫に工廠。船の建造や修復などを行うドックなど、佐々木から見ればかなり本格的な海軍基地の様だった。

 つまりはここがこの村を含めた周辺一帯の防御を担当する鎮守府となったという訳だ。

 

 佐々木は宿舎の建物の入り口の前で呆然と立ち尽くしている。

 彼がある種の決断をし、そして村人たちにその同意を得た後に、この件は動き出した。

 それは彼が想像する以上のスピードでだ。

 

 佐々木が村長を始め、村人すべてに危機が迫っていることを相談した日、村人全員を集めた会議へと発展した。

 とはいえ深海からの脅威は、この世界ではすぐそばにある危機として当たり前に認知されていたし、佐々木が思ってるよりもそれは至極当然のように受け入れられた。

 それぞれは多少暗い表情にはなったものの、それが佐々木に直接的な責任があるものでもない。

 それよりも既に艦娘が二隻存在している事実が、彼らを前向きにさせたのだ。

 

 彼らは深海の脅威には艦娘が有効であること知っている。

 それはなんら特別な事ではなく、あくまでこの世界の常識だからだ。

 けれども彼らはむしろ、佐々木が艦娘たちを粗末に扱いたくないという、ともすれば甘い思想に対して、逆に同情を寄せた。

 なぜなら佐々木がこの世界の本来の住人ではないという事柄が、すでに村人たちに認知されているからだ。

 そしてそれはこの村本来の気質というか、おおらかすぎる程の村民性があるからかもしれない。

 

 ならばと村長は、様々な意見が出切ったのを見計らい、村人たちに宣言をした。

 

 ”このことはこの村すべての問題であり、それぞれがそれぞれの役割を果たさなければいけない。

 そしてその責任の多くを佐々木一人に負わせるものでもない。

 彼が出来ることは確かに多いかもしれない。

 しかしそれに甘んじていれば、彼は一人疲弊してしまう。

 だからこそわしたちは彼を労わろう。

 彼が泣いていれば私たちも一緒に泣こう。

 なぜなら彼は既に私たちの仲間なのだから”

 

 村長の演説は、普段の彼のおっとりとした好々爺然としたものではなく、遠い昔に戦争を経験したことによる危機感と、村人を束ねていることによる慈愛と責任に満ちた毅然とした言葉だった。

 言い終わった村長は少しはにかむように微笑したが、村人はそれを拍手で迎え、呆然と地べたに座り両脇の艦娘たちに心配そうに見られている青年の周りに自然と集まった。

 

 お願いしますよ。俺らもなんかできることがあればいってくれ。船の事なら任せろ。今日は赤飯を炊きましょう――――彼らは口々に彼に労わりの言葉や鼓舞の言葉を投げかけた。

 それは彼に丸投げしようという調子ではなく、村長の言葉を体現したようなものだった。

 それにより佐々木の決意は確固たるものへと変化し、そしていらない甘さを捨てるきっかけとなったのだった。

 それほどに彼らの優しさは、無機質な都会で生活していた佐々木に沁みるものがあったのだ。

 この人たちのために、自分が傷つくことも吝かではないと思えるほどには。

 

 翌日村長は政府のある中央へと連絡を取った。

 深海からの脅威を察した時の国民の義務でもある。

 そのことにより佐々木はこの方面の司令官として正式に着任することとなったのだ。

 

 なぜこれほどの素早さで着任に至ったか。それはこの世界の政治背景に関係する。

 

 まず前提として、世界中の沿岸部の人口密集地は深海の脅威に瀕している。

 そしてかなりのエリアがすでに被害に遭っている。

 しかし各国の首都はおおむね内陸に存在しており、そこにまで深海の脅威は現状、至っていない。

 つまり、海運の要である大規模な港湾エリアのみ正規軍を大量投入して防衛を行っている。

 

 それ以外の中規模以下のエリアはどうか?

 それは限りある資材、およびマンパワーを投入するまでに至っていない。

 各国政府からすれば、重要なエリアさえ無事ならば、極端な話はそれで問題ないのだ。

 

 資源には限りがあるし、守らなければいけない人間は既に安全域にいる。

 それは非常に冷徹な話ではあるが、人材的にも限界があるのだ。

 なればこそ政府は、合理的に考え、被害を最低限に収めるために動くしかない。

 

 そこである時を境に出現した艦娘たちの存在である。

 彼女たちは人の願いや強い意志に反応して現れるという。

 ただし政府の研究筋でも確かなことは何もわかっていない。

 ただ一番最初に現れた場所では、被害に遭った港で、人々が阿鼻叫喚の状況となっていたとき、港の端に打ち捨てられていた古い船が突如輝き、やがてそれは艦娘となり敵を排除したという。

 

 以降、まるでシンクロニシティのように世界の各地で同様の現象が確認されたのだという。

 人の願いという部分に因果関係がありそうであるが、だからと言って、必ずしも同じ状況でそうなるとも断言できない状況というのが政府の見解だ。

 

 ただしその現状が起こった事と無関係ではない事柄がある。

 それは司令官や提督と呼ばれる人間の存在だ。

 本来の司令官や提督という言葉が持つ意味は、基本的に軍の中の役職である。

 しかしここで言う言葉の意味は、役職ではなく、資質としての意味となる。

 つまり艦娘たちと問題なく意志疎通ができ、かつ命令をきかせることが出来る人間のことだ。

 

 艦娘が現れた時、必ずそのそばにはその資質のある人間がいるのだ。

 現在かなりの研究が進んでいる艦娘たちであるが、その部分だけは解明できない。

 そもそも当の本人である艦娘たちも明確な理由があってその人間を認める訳では無いというのだ。

 なんとも曖昧な話ではあるが、無意識的にそうなんだと思うという。

 

 その艦娘と司令たちは最初の艦娘が登場して以来、各地で爆発的に広がっていったのだ。

 

 そして政府はそれを利用することを決めた。

 正規軍に対し、傭兵のような立場としてだ。

 しかしただの金銭的な利害では、人の気持ちを動かすことは難しい。

 そこで政府は、司令官が国に登録することで、鎮守府の規模に応じた物資を定期的に送り、階級もその働きに応じて送られる。当然その階級における給与も与えられる。

 

 そこに大義を加えるのだ。

 お前たちが国の要なのだと。

 それは周辺住人の扇動なども含め、時間をかけて作られた状況なのだ。

 それらが世界に浸透した時、これは大きなシステムとなって成立したのだ。

 しかし裏を返せば住民自治の範囲で頑張れという暗に丸投げのようなものであるが。

 それほどに人が足りないのも事実であるから、仕方のない事情なのだろう。

 

 今回村長が中央への連絡と共に佐々木はこの方面の鎮守府司令として着任した。

 そして施設も最低限ではあるが完成した。

 暁たち艦娘もいる。

 

 そう、物語はこうして大きく動き出すのだった。

 その中心に佐々木というどこか頼りない青年を添えて。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 深海棲艦がやってくる。

 これは響がここへやってくることでもたらされた情報である。

 私は人間の脅威である深海のバケモノとやらをまだ見たことは無いが、響が命からがら逃げてきたことを考えれば、普通の人間など簡単に殺されてしまうのだろうな。

 

 私はなぜ響がここへ来たのか、それがどうしても気になって聞いてみた。

 すると暁の気配を感じて、ここへ来たというのだ。

 彼女もまた暁と同様に過酷な労働を強いられ、そして疲弊した。

 意志ある兵器である彼女は、精神的に相当追い込まれるほどになったのだ。

 

 暁が言うには響という存在は、あまり自分の感情を外には出さず、何事も冷静に対処しようとする気質だという。

 ただそれは、小さなシコリすらガス抜きすることもなく全てを抱えてしまうという側面も含む。

 それに自己犠牲の精神が強く、暁から見れば、時折それは破滅的にも見え危うく感じたとのことだ。

 

 そんな彼女が逃げ出そうと考えるとは、相当劣悪な条件だったんだろう。

 本来は命令を受けることが存在意義の艦娘たちなのだから。

 

 しかし司令官に上申し、待遇を改善してほしいと訴えようとしたまではいい。

 中破したままの危うい状態で鎮守府に戻り、司令官に会おうと考えた彼女だったが、待っていたのは思いも寄らない鎮守府の崩壊と、そこにいた深海棲艦たちの猛攻であった。

 

 結果、彼女を含む艦隊のメンバーは散り散りになって逃げたのだ。

 元々ひどく消耗していた彼女たちが、そこから逃げ出すことの困難さは相当なものだ。

 

 響は本当に怖かったのだろう。

 彼女が私にその話をしたとき、彼女はその白い顔をさらに青くして震えていた。

 私は子供をあやすようにしか出来なかったが、よくもまあここまで辿り着いてくれたものだ。

 

 何というか私が彼女たちにどこか入れ込んでしまうのは、きっと彼女たちの存在に私がシンパシーを覚えるからだ。

 それはその存在の儚さというか、轟沈すると泡のように消えてしまう所や、彼女たちの個という存在はたしかに私の傍にいるのだが、世界各地にはたとえば無数の暁がいたりするのだ。

 

 それは何というか、私の常識からすれば非常に不可解ではあるのだけれど、しかし現実にはそうなのだ。

 しかし私が出会った暁という少女。最近はそこ響という少女も加わり、彼女たちと寝食を共にしたことで、彼女たちにはしっかりとした個性があることが分かる。

 暁は変に大人ぶろうろするが、残念ながら行動が伴わない。

 響はクールな感じではあるが、私が料理をしていると興味深そうに覗きにくる。

 一緒にするか? と問うと、別に興味はないのだと言う。

 でも終わるまで横で見ている。

 たとえ世界にたくさんの暁や響いたとしても、その行為は彼女たちだけの個ではなかろうか?

 

 たしかに彼女たちは兵器だ。そして何かあれば消えてしまう。

 でも私はどうだ。私という存在こそがひどく曖昧だろうと思う。

 確かに私はここにいるが、確かに私は胃を患って死んだのだ。

 けれどもここにいて、また別の人生を営んでいる。

 もしかするとこれは胡蝶の夢というやつではなかろうか?

 

 非常に現実感を伴う、けれどもただの夢。

 私がここで泣いたり笑ったりしても、それはいつか、あるいは急に泡のように消えてしまうのではなかろうか?

 なにせ何事にも確証が無いのだから。

 

 いけない。どうにも思考が重たい方向に沈んでいく。

 そらはこんなにも青いというのに。

 私はきっと不安なのだ。

 いずれここに来るだろうバケモノと対峙することが。

 いや、違う。

 もっと私の本質の汚さ、傲慢というやつだな。

 ここで手にした新しい幸せを手放したくないのだ。

 そんな利己的な自分を嫌悪してしまうけれど、とにかく私は怖くて仕方がないのだ。

 そんな益体もないことを考えていた時だった。

 

「やぁ司令官、魚雷が欲しいから工廠に来てほしいのだが」

 

 私は先ほどから我が家の前の海に繋いでいる、小さな船の上でぼんやりとしていたが、いつの間にか響がすぐ傍にいて我に返った。

 工廠――私にはもともと馴染のない言葉であるが、妖精たちがこさえた工場のような施設だ。

 ここは主に彼女たちの装備を作ったりする場所で、鍛冶屋の親方がいまは仕切っている。

 実際の作業のほとんどは妖精たちがするらしいが。

 

「ああ、わかったよ。ボーキサイトとやらがいるんだろう?」

「ほう、少しは勉強したようだね、司令官」

「そりゃね。これから大変な目に遭いたくないからな。私はきっと誰よりも臆病なんだ」

 

 そう、私は勉強した。

 そうは言っても彼女たちに無理やり詰め込まれたのだ。

 彼女たちの司令官として働くことを決意した私に。

 

「……司令官は、私が守るよ」

 

 小船のヘリに腰かけたまま海を眺めている私を横で、私を見上げている響はささやくように、だが強い意志を込めた言葉をつぶやいた。

 その澄み切った瞳はただまっすぐに私を見ている。

 どうにも気恥ずかしいが、彼女たちはいつもまっすぐだ。

 

「ありがとう響。そうだ、君の言っていたありがとうの言葉はなんだったかな」

 

 そう、響は言葉の端々でロシアの言葉を話す。

 私は露骨に話題を逸らそうとしたのがばれないかとひやりとしたが、彼女は少し微笑み、そして言った。

 

「ああ、えっと……Спасибоだよ」

「すわしーば」

「Спасибо」

「すぱしーば」

「うん……まあいいよ。でもロシア語も要勉強だね」

「それは困ったなァ。ならたまに響に教えて貰おうかな」

「まったく、のんきな司令官だね(……でもそれも悪くないね)」

「ん? 何か言ったかい?」

 

 響が何かを言ったように思ったが気のせいか。

 そして彼女はくるりと背中を向ける。

 

「……別に。そろそろ戻るよ」

 

 そう言って彼女は工廠のある大きな倉庫の方へ歩き出した。

 

「ああ、もう少ししたら私も行くよ」

 

 私の言葉に片手を挙げて去っていく響。

 その小さな背中を私はぼんやりと眺めていた。

 不安なのは私だけじゃないのにな、と自嘲しつつ。

 

 

 

――――つづく。




説明会っぽく、話はあまり動いてませんでした。

プロットはありますがメインではないので、書けたtimingで投稿するという感じです。

※誤字修正

船の建造や修復などを行うドッグなど>ドック


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私と白い軍服と

第三話です。


 佐々木が住み着き今はもう住人として馴染んだ頃、村は当初とは別の姿へと変貌していた。

 それは彼が鎮守府の司令官として着任したことをきっかけとしてだ。

 各地に点在する鎮守府を統括している中央の大本営海軍部は、その地に鎮守府を設定すると同時に契約を結ぶことで互いに利害関係が成り立っている。

 

 つまり実際に被害にあう地方側は、司令官を中心に防衛を行い、中央は活躍に見合った資材や物資を提供する。

 中央側のメリットとしてまず、大いに面子が保たれる。それは国土が脅威に侵されているということは、他国から見れば国力が低いとみられるのだ。しかし実際問題、資源には限りがあるし、人員不足も深刻である。国の中枢の防衛は絶対条件であるし、結果、地方は見捨てざるを得ないのだ。

 しかし特殊な人材である各地に出現する司令官たちに、国は防衛のための大義名分と最低限の維持費を与えるだけで、強大な戦力を手にすることが出来るわけだ。

 

 正規軍を動かすとなれば、そのコストは計り知れない。

 相当数の人間が動くし、そのためには大量の資材を投入しなければならい。

 それは国にとって非常にまずいことである。

 しかし被害地域付近になんらかの条件で自然発生する司令官たちは、当該地域に最初からいるというメリットがあるため、国はそのあと押しをしてやるだけでコストは最小限で済む。

 当然、当該地域もまた、ただ蹂躙されるだけだったものが、司令官率いる艦娘たちに守られる訳だから、そのメリットもまた計り知れない。

 

 加えて二次発生的なメリットもある。

 それは経済効果だ。

 中央から物資の輸送などで、様々な人間や艦娘たちがその地域に出入りする様になる。

 そして人間の出入りも多くなれば、そのこに物流が生まれ、その周囲にいる人間のために市が立ったりもする。

 その結果は当該地域の発展という結果が付いてくるのだ。

 もちろんその規模に大小にはあるにしても。

 

 佐々木の住む村は、当初の人口は30人ほどしかいなかったが、今は200人超まで増えている。

 それはこの村からそれほど離れていない沿岸地域の漁村などから、深海からの脅威に備え逃げてきた人たちが入植したからだ。

 駆逐艦響がこの地に逃れてきた際、そう遠くない時期に深海からの脅威がここらの地域を襲う。

 その情報がもたらした影響という訳だ。

 そして実際に鎮守府が設営されたことでその信憑性が増した。

 

 村長は急激な人口増に対して不安点はあるにせよ、今後の事を考えると労働力は必要であると柔軟に対応した。

 もちろん様々な人間が入り乱れることで治安が悪化したり、元々の住人との小競り合いなども発生する。それについて村長は、中央に常駐できる憲兵の派遣を要請することで対処した。

 現在は憲兵の駐在所も建設され、それは目に見える効果を発揮している。

 

 しかし悪いことだけではない。

 元々村民の高年齢化に頭を悩ませていた村長であるが、こうして沢山の人間の流入で、いずれ婚姻関係に発展しそうなカップルが生まれたり、家族単位で移住してきたものも多数いるので若者や子供も増えたのだ。

 

 そのため、規模は寺子屋の域を出ないが学校ができ、隣町から逃げてきた医者によって診療所もできた。雑貨屋を営んでた者は商店を出店し、少ないが食事処なども増えている。

 皮肉なものだが戦争は金になるのだという事だろう。

 

 さて、では村の方に目を向けてみよう。

 

 なだらかに湾曲した入江の中心にあるこの村であるが、元々漁業を主な産業としていたせいで、村の中心にそれほど大きくはない船が4艘ほど停泊できる規模の港があった。

 それが今は大幅に拡張され、軍艦が問題なく停泊できる規模となっている。

 これはあれから随分と集まってきた妖精たちが主導で行われた。実際にその作業を目の当たりにした佐々木たちであったが、村人たちはそういうものだという心持で見ていたが、佐々木だけはまるで大掛かりな手品でも見ているように呆けていた。

 

 そしてそのドック部分を見るようにして鎮守府の中心である司令部の建物があり、その両脇にいくつかの倉庫群と工廠がある。

 これらの施設は100人ほどの艦娘たちが生活出来るように設計されているらしく、いきなりこんな巨大な建物の主となってしまった佐々木は思わず呆気にとられていた。

 暁たちの言であるが、どんな新米司令官でもまずはこの規模から始まるという常識なのである。

 

 生まれ変った港はもはや一地方の村規模の施設のレベルを超えており、その港を囲うように左手の方から沖に向かって細長い堤防すらもすでに作られている。

 

 つまるところ、村の領域のおおよそ右半分は鎮守府のエリアとして占有した格好となる。

 そしてその反対側の左半分のエリアは、居住区と新しく増えた商業区が混在したようになっていた。

 もはや村という段階では無いのだろうが、急な発展に中の人間の認識が追いついていないという状況であろう。

 

 こうして新しく産声をあげた佐々木の属する村の、新しい物語は確実に進んでいた。

 いまだ困惑を隠せない佐々木と共に。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 私は己の分に全く見合っていない椅子に座り居心地が悪いと本日10数回目の溜息をついていた。

 それは私が司令官に着任したことにより建設された、鎮守府の司令室にいるからだ。

 

 私のために用意された(とはいえ、作ったのは妖精たちであるが)机は、重厚な造りの大振りなもので、きっとオーク材やマホガニー材などで拵えたものと思う。

 座っている椅子もまた、しっとりとした黒い革で出来た大きなものだ。

 身長の高い私なのに、まるで計ったかのようにすっぽりと心地よく納まる。

 

 赤く豪奢なカーペットラグ、その前には一枚板のローテーブルを挟むように、やはり黒革の応接ソファが設置されている。

 私の背には大きな出窓があり室内を明るく照らし、右側の壁際には大きな本棚。

 また南国の植物が観賞用においてあり、それらが醸し出す落ち着いた雰囲気が小市民でしかない私をさらに憂鬱にするのだ。

 

 ちなみに中央から正式な辞令を携えてやってきた軍人に、「決まりの物だから」と白い海軍将校の制服を渡され、着任中はこれを着る義務が発生するのだと伝えられた。

 仕方がないので着てはみたが、どうにも着慣れないフォーマルな軍服は、まるで七五三みたいだと辟易してしまった。

 暁たちは似合うと言うが、私はいつまでたっても慣れることは無いように思う。

 

 そんな私の心情を知らぬ二人の艦娘たちは、ソファーに座って百田夫人が持ってきてくれたオレンジジュースを飲んでいる。

 なんとも微笑ましい光景であるが、すこし小憎たらしくもある。

 そんな私が何となく彼女たちを眺めていると、暁が思い出したようにこちらを振り返り言った

 

「ねえ司令官、少し考えてみたんだけれど、遠征に行かなくてもいいのかしら?」

「そうだね、こういった束の間の平和を楽しむのも悪くないけれど、近海の偵察を兼ねた遠征をおこなうのも悪くないとは思うよ」

 暁の意見に最もだと響は頷くと同調した。

「……遠征ねぇ」

 

 たしかそういうのもあったなと私は生返事をうめく。

 遠征というのは、物騒な海を各鎮守府に属する艦娘たちを運用し、海運などを行う事だ。

 今や世界の海は、いつ深海からの脅威に襲われるか分からない。

 その為に民間の船のかわりに我々がそれを行うのだ。

 そしてその任務が成功すれば、中央からそれに見合った評価と対価を受け取ることが出来る。

 これは鎮守府の運営維持費の大部分を占めるという事だから、彼女たちは未だ目立った動きを見せない私を怪訝に思ったのだろう。

 なにせ海に出てこその艦娘たちなのだから。

 

 私が正式に着任した際に担当官からもらった書類の束の中に、遠征に関してもしっかり記載されていた。

 実際に遠征をおこなう際は、この官舎に作られた通信室から無線で中央へ連絡し、任務として受理することになる。

 しかし私にはそれを行う前にしたいことがあったのだ。

 

「なあ暁、響」

「なあに?」

「なんだい司令官」

 

 私が呼び掛けると、二人は私の執務机の前にやってきた。

 その表情は初任務を命令されることへの期待感で溢れているように見える。

 しかし私の希望とは、遠征ではなく別のことだ。

 

「いやな、遠征についての書類は見た。現状君たちしかいないけれど、二隻で出来る遠征もあるが――――」

「うん! そうよね。近くの遠征ならいけるわ!」

 

 暁は身を乗り出してそう主張してきた。しかし響は私の言葉尻に思うことがあるのか、無言のままこちらを見ている。

 やはり響は冷静なんだな。

 

「まあ待ってくれ暁。少し考えたのだけど、君たちが所属していた鎮守府には君たち以外の艦娘たちがいたんだよな?」

「それはそうよ、あそこの鎮守府の規模はここに比べたら何倍も大きいもの」

「そうだな。そして響が逃げてきたという時も、他の船は散り散りに逃げたと聞いた。じゃあほかの艦娘たちはどこへ行ったのかな? 命令をすべき司令官はいないと言うのに」

「あ…………」

 

 色々な事があったせいか、その事に気が付かなかった事に彼女は顔を青くした。

 しかし落ち着かない様子の暁の横で、響は強い視線でこちらを見ている。

 相変わらず無言ではあるけれど。

 

「……私からは言いづらかったのだけど、司令官がそこを気にしてくれて嬉しいよ。暁姉さん、実はあの日別れた仲間の中に雷と電もいたんだ……」

「えっ…………」

 

 響の言葉に暁は絶句し、顔を青くした。

 私の方を見ていた彼女は、弾かれたように響に詰め寄る。

 そもそも雷や電とはいったい誰だ?

 

「なあ響、雷と電って君たちの仲が良い艦娘なの――――」

「仲が良いどころじゃないわっ! 私たちの妹なのよっ!!」

 

 暁はまたも私の言葉を遮り、涙を目じりに浮かべ、叫ぶようにして言った。

 その剣幕に私は思わず背もたれに身体を預けてしまった。

 それはそうだろう。彼女たちは兵器とはいえ、身内の行方が分からないのだから。

 そんな暁を宥めるように響は彼女の肩を抱き、そして言った。

 

「司令官、先ほどの言葉は何か含みがあるように聞こえたよ。何か考えがあるのかい?」

 

 さすが響だ。察しが良い。

 私は取り乱す暁の横に立ち、錨のマークの帽子を取るとその頭に手を置いた。

 いつもは「子ども扱いしないでよ!」と怒鳴るが、今は静かに私を見上げている。

 

「あると言えばあるんだ。まあそれは不確かな考えでしかないんだが、普段は岡の上にいる君たちが、港や施設が壊滅したとして、それでみんな消えてしまうのかな? ってさ。少なくとも響と一緒にいた艦娘たちは逃げたんだ。きっとどこかにいて、怖くて隠れているんじゃないかって思ったんだが――――

「っ……! なら司令官、私に捜索に行かせて! 響、貴方も来てくれるでしょ!?」

 

 生きているかもしれない、その可能性に行き着いた暁が、必至の形相で私を掴み揺らす。

 私の身体はまるで小枝のように揺れる。小さくともやはり彼女は軍艦なのだ。

 

「落ち着くんだ暁姉さん。せっかくの司令官の軍服が駄目になってしまうよ。とりあえず司令官には何か考えがあるんだ、最後まで話を聞こうよ」

 

 響の言葉に暁は私をつかむ手をはずし、ばつが悪そうに背を向けた。

 普段は子供っぽい彼女の姿はすっかりと消えている。

 いや、むしろ捨てられた子犬のように震えているのだ。

 不安で押しつぶされそうなのだろう。

 だから私は出来るだけ穏やかな口調を心がけ言った。

 

「心配なのはわかる。だから私は考えたんだ。暁、君が言うように捜索をしてみようと。そうすれば君の妹、雷と電と言ったかな? それ以外の仲間たちだってここへ来られるかもしれない。遠征やなんかはそのあとでもいいと思うんだがどうだろうか?」

「行くわ! すぐにでも!」

「ああ、私も当然行くさ。まかせて欲しい、司令官」

 

 さっきまでの暗い表情が嘘のように今は笑顔の暁。

 そして静かな闘志を漲らせる頼もしい響。

 そうして私たちは、他の艦娘たちを探すための算段をするためにその日は徹夜をしたのだった。

 

 もちろん次の日ひどい寝不足になったのは私だけだったけれど。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 その日の朝、私は多くの人々と港にいた。

 すぐ傍の海面に立っている暁と響を見送るためにだ。

 私たちの事は基本的に、どんな事柄も村長たちに報告することにしている。

 当然、今回の事も伝えた。その結果がこの状況である。

 見れば私よりも心配そうな表情面々ばかりだ。

 

 今日の空は雲一つなく、風は少しだけ吹いている。

 沖を見渡せば白波が立っていないほどに穏やかだ。

 これだけ見れば平和そのままであるが、彼女たちがこれから向かうのは、深海からの脅威に襲われるかもしれない海域なのだ。

 

 人々は口々に彼女たちを勇気づける言葉を投げかけ、そして彼女たちはそれに手を振り応えていた。

 その中で私だけは憂鬱を隠せない。

 自分が提案したことだとはいえ、彼女たちが心配なのだ。

 もしかすると帰ってこないかもしれない。

 そんな最悪の想像が頭の中に浮かんでは消える。

 

「大丈夫だよ司令官。必ず私たちは仲間を連れて帰るから」

「そうだよ司令官! この暁に任せてよね!」

「ああ、もちろん姉さんの事も任せてくれ」

「何よもう! 私の方がお姉さんなんだからね!」

 

 私のことを彼女たちはあっさりと見抜く。

 だからこそ思う。

 彼女たちは大量生産の無機質な兵器なんじゃない。

 彼女たちひとりひとりが、唯一の存在なのだと。

 だから私は笑顔で見送る事にした。

 

 そう私はただ待っているだけでいいのだ。

 あの分不相応に豪華な司令室で。

 私は――――彼女たちの司令官なのだから。

 

 彼女たちが浮いている水面に歩み寄り私は努めて明るく言った。

 こんなに張った声なんていつ出したか思い出せないほどに元気よく、だ。

 

「行って来い暁」

「暁の出番よ。見てなさい!」

 

 そして

 

「響、ダ……いや、До завтра」

「……っ!! 司令官、До завтра」

 

 棒読みの私のロシア語。

 響が教えてくれた「また明日」という言葉。

 

 二人は私に微笑みかけると、くるりと背負向け沖に向かった。

 私は滑るように遠ざかっていく彼女たちを見ている事しかできない。

 その歯がゆさは今まで味わったことが無い感覚で、どうにも遣り切れない。

 

 そんな思いを海へ投げ捨て、私は司令室へと戻るのだった。

 彼女たちの帰りを待つために――――

 

 

 つづく




筆が進んだので投稿。

誤字確認が自信ないのであったらお知らせください。

どうしても物語の序盤は説明が多くなりがちですが、あまりに説明口調だとつまらないので、三人称による状況描写と、一人称による主人公目線の本編というスタイルで進めてみることにしました。
今後は5000字程度で投稿という感じで行こうと思います。

私の主人公はどうも冗長気味になり申し訳ないです。
あと基本ヘタレが多いという……。



5/14修正

暁は身を乗り出してそう主張してきたが、暁は私の言葉尻に思うことがあるのか

暁は身を乗り出してそう主張してきた。しかし響は私の言葉尻に思うことがあるのか

そのほか全体的に見直し、言い回し、描写を加筆修正しました。

9/29修正

ドック→ドック

・10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正

2015・2・22修正
 暁のセリフを全体的に修正


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私とメルヘンの関係性

 

 この星における海洋部分が占める割合は実に7割なのだが、そこを英知によって生み出された船舶により、そのすべてを人は支配していた。

 だがいつからか深海棲艦と呼ばれる脅威が猛威を振るい、凄まじい勢いで人間の領域を侵した。

 戦力を持たない民間の船舶は、何の前触れもなく深海から現れる脅威に、まるで木の葉のように沈没することとなる。

 

 そこで各国は国の威信にかけ、それらを排除しようと試みたが、現代兵器をもってしてもその足元にも及ばず、逆に被害を増大させてしまったのだ。

 結果、国の重要施設は深海棲艦からの被害を免れるために、沿岸部から遠い場所に移すこととなったのだが、逆にそれは海運を封じられるという、国の経済にとっては非常に効率の悪い方向へシフトせざるを得ないという事になる。

 

 いくら航空網が発達した現代とはいえ、航空機のキャパシティの関係上、大規模な輸送などは海運の足元にも及ばないのだ。

 そういうコストの観点から見ても、正常な海運を復活させることは、各国の至上命題となった。

 

 そしていつからか艦娘とそれを制御できる人間の出現により、事態は少しばかりの好転を見る。

 艦娘たちの自立した判断と、人間の知恵による作戦の融合。

 それは以前の軍事作戦とはまた次元の違うもので、その成果は非常に素晴らしいものとなった。

 

 ならば艦娘たちを制御できる人間を国が支配すればいいのであるが、現実はそうはいかない。

 それは艦娘たちに感情が宿っているからだ。

 

 感情があるということは、つまるところ無機質な機械になりきれないという事でもある。

 そしてそれは嫌なことはしたくないという自己主張があるという事だ。

 基本的に艦娘たちは上官の命令を聞くことを前提とした存在であるが、それもコミュニケーションが成立してのことなのだ。

 

 それは兵器としては非常に不完全なものであるといわざるを得ないが、現実としてそんな艦娘に頼らなければいけないのも確かである。

 その艦娘たちの上官である司令官や提督と呼ばれる者たちは、元々軍事訓練を受けてきた軍人ではないのがほとんどだ。

 

 という事は、まったくの素人が突如必要にかられ、血なまぐさい前線に立つという事を意味する。

 実際は艦娘たちが前線を任されるのだが、兵器である艦娘たちに感情がある以上、任務外では人間的な関係を結び、共に生活をしている。

 そこには親愛の情が沸くことも珍しくはないし、当然その家族に似た感情は、彼女たちが目の前で傷つくことに躊躇をしたりもするのだ。

 それは職業軍人には絶対に許されない感情だろう。その躊躇が人を殺すかもしれないのだから。

 

 中には彼女たちを酷使し、目的だけのために行動する司令官もいるのだが、それはいつか破綻する。

 そういう気難しい兵器である以上、絶対的な規律の上に成立する正規軍では中々馴染めないという訳である。

 

 それでも正規軍に属する司令官も当然いるし、軍の作戦行動で艦娘たちの大艦隊が深海棲艦を屠るという事もある。

 しかし割合的に言えば、軍に属さない司令官たちのほうが多いのだ。

 なぜならそのほとんどが、国が守り切れない地方沿岸部に住む地元の人間なのだから。

 彼らは国の平和よりも、自分の目に見える範囲の平和が欲しいのだ。

 

 それは当然の思考であろう。

 国が描く遠い未来の礎として投資があるとして、その為に切り捨てられるのは大部分に属さない小数派なのは合理的に判断すれば当然なのだから。

 しかしそれは当事者となれば話は変わってくる。

 

 俯瞰して大局を見極める責任がある国家と、目の前で同朋が次々と蹂躙される様を見ている一般市民。

 そこに意識のギャップが生まれるのは自然なのだ。

 ゆえに自然発生した提督たちは、地元から離れることを嫌う。

 つまりはそういうことである。

 

 その為に生まれたのが国家と司令官の間の契約関係である。

 

 その結果、多少は人間たちの領域を取り戻すことが出来たが、一か所を防衛すればまた別のどこかが被害に遭うというイタチごっこもまた続いていくのだろう。

 

 とある著名な自然科学の学者が論じた言葉であるが、そもそも深海棲艦とは、星を汚しきった人間に対する自然からの鉄槌だと言う。

 古来から人間はその肉体的弱さを克服するために、知恵を絞り発展してきた。

 火を御し、暗闇を逃れ、道具を作り強大な獣を殺した。

 それはやがて世界を己がものと支配するまで進み、寿命も遥かに伸びていった。

 

 自然から見ればそれは非常に不自然なのだと学者は言う。

 本来淘汰されるべき数が減少せず、ただがん細胞のように人口増やしていく。

 それは他の生物の領域を侵し、逆に本来いるべき生物が淘汰される。

 

 その歪さは自然界の法則を壊してしまった。

 その反動がこの理屈の分からない深海棲艦という脅威である。

 

 これを論文とし、学会で発表した学者であったが、根拠もなく現実を見ていない愚か者であると一笑に付された。

 しかし皮肉な事に、人間の英知の結晶である現代兵器をもってしても、脅威は無くならなかった。

 

 むしろ方向性が違うだけで、同じような存在である艦娘たちが現れた。

 艦娘たちは人間の最後の希望と思われたが、果たしてそれは真実なのだろうか。

 それは未来の歴史学者たちが判断するのだろう。

 

 ――――そして今日もどこかで艦娘たちは戦っている。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「……ん……々木君……佐々木君っ!!」

「……あ、はい?」

「そーんな沖ばっかり見てたって仕方ないしょ」

「そう、ですね」

 

 私は暁たちが出港してから、結局やることがみつからずに港に来ていた。

 とはいえ、ここへきてもやることが無いのに変わりはないが。

 しかしせめて彼女たちの無事を祈ろうとこうして海を見ていた。

 

 そんな私に午前中の野良仕事を終えた百田さんが傍に来ていた。

 肩をゆすられるまで全く気が付かなかったのだが……。

 どうにも落ち着かなく、しかしこうして何もしていないと思考の海に引きずり込まれてしまううようだ。

 なんとも情けない話であるが。

 

「すいませんね、なんか。なんというか手持無沙汰で落ち着かないんですよ」

「まあね。そら佐々木君は心配だよな。でもそんな顔しとったらあのチビちゃんたちが悲しむよぉ」

「そうですうね、はい。出来るかは分かりませんが、努力してみます」

 

 私の沈んだ表情を百田さんは大丈夫だと笑い飛ばしてくれる。

 この人の底抜けの明るさと、いい意味での能天気さには本当に救われる。

 まったく知らない土地に放り出された私であるが、彼ら夫婦と初めに出会ったのは本当に僥倖だったのだろうな。

 

「ま、チビちゃんたちはワシらの孫みたいなもんだぁ。村のみんなだってそう思ってるよ。だから佐々木君だけが抱えんでもいいんよ」

 

 私よりも遥かに小さいが、その心根は私よりも遥かに偉大な百田さんは、私にそういうと「ああ、腰が痛い」と言いながら笑って去っていった。

 ふさぎ込む私を心配しての事だろう。

 

「さて、私に出来ることをしに行きますか」

 

 空元気なのは一番自分が知っているが、それでも腹から声をだし自分を鼓舞する。

 そして今や私の管理下になってしまった巨大な施設に向かって歩いていく。

 工廠と呼ばれる鉄臭い建物に。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「やあ、君たち元気かな? 少し頼みがあるんだけどいいかい?」

「!?」

「!!」

 

 私が工廠エリアにある赤煉瓦で作られた建物の鉄扉を開けると、中にはアイヌ民族の伝承でフキの葉の下にいる小人のように愛らしい「妖精さん」たちがいた。

 彼女たちは私の声を聞くと、ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねながら私の足元に集まってきた。

 

 彼女たちは本当に動く人形という風に見えるが、なかなかどうしてそれぞれ個性があって面白い。

 何やら作業服の様なものを着ている娘もいれば、魔法使いのような娘もいる。

 見た目は皆違うが、共通している事は全員がびっくりするくらい働き者という事だろう。

 

 この鎮守府が本職の大工が地団駄を踏んで悔しがるほどに早く完成したのは、そのほとんどが彼女たちの働きの結果なのだ。

 とはいえただ働きではなく、きちんと食事を与えなければへそを曲げて何もしなくなる。

 

 今は鎮守府の食堂を仕切ってもらっている百田夫人をはじめとした村の婦人部の方々が言うには、この小さい体のどこに消えていくのかと思う程に食べるのだという。

 そしてその大部分が何故か甘いものが好きだとのこと。

 この村でとれる麦で作った水飴が一番人気らしく、それを用意するとちょっとした奪い合いに発展するほどの騒ぎだと百田夫人は笑いながら言っていた。

 

 さて私がここへ来たのは、暁たちが出かけている間にできることをしたいと考えたからだ。

 それは私が中央の大本営海軍部と契約をした際、この地域初の鎮守府の司令官に着任したことへのはなむけなのか、ある程度まとまった資材が送られてきたのだ。

 それをここで使う事により、艦娘たちの装備などを作ることが出来るのだ。

 私はそれを海軍部の担当官からもらった冊子で知ったのだが、実際にするのは今回は初めてである。

 

「……すっかり忘れてたとも言うがね」

「??」

「なんでもないさ。じゃさっそくお願いしてもいいかな?」

「!」

 

 自嘲する私を不思議そうに見上げる妖精さんであったが、私が武器の開発をお願いすると、我が意を得たりという得意気な顔で愛らしい敬礼をして見せた。

 

「あの冊子によると、私が使う資材の量を決めなきゃいけないんだよな?」

 

 言葉話せぬ妖精さんに聞いてみると、そうだとばかりに頷いている。

 そして早くしろとばかりに期待の表情の妖精さん――――いや、いまは4人ほど集まっているから妖精さんたちは、それぞれの手にハンマーのようなものを持って待ち構えている。

 なんとも微笑ましいが、本当にそんなもので作れるのだろうか?

 

 まあいい。

 工廠の傍らに詰まれた資材は油に火薬のようなもの、そして鋼材といわれる塊に、アルミニウムの材料であるボーキサイトの塊。

 何というかおおざっぱだなぁなんて思ってしまう。

 しかしこれで出来てしまうというのは正式な書類にも書いてあるのだからそうだろう。

 資材はそれぞれある程度の決まった規格があるのか、みな同じような形をした四角形の物だ。

 それをいくつずつ使うのかで出来るものが変わるとある。

 

 何やら最低限の量は決まっているらしいが。

 では早速やってみるとするか……。

 あまり彼女たちを待たせるのも良くない。

 なぜなら既に飽きてきたのか、一番後ろにいた妖精さんが寝転がっている。

 

 やはり私に軍事的な知識は無いからとりあえず最低限の資材を使ってみるか。

 とりあえず全部10個ずつだったな……。

 

「じゃあ妖精さんたち、これで頼むよ」

「!!」

 

 私が数を指定し、これで頼むと言えば、彼女たちはうんうんと頷き、そしてカンカンと凄い音でそれらを叩き始めた。そして――――

 

「…………うーん、これはすごいな」

 

 まったく、本当にこの世界は私を事あるうごとに驚かせてくれる。

 何というか、物理の法則を真っ向から否定したような不可思議な現象。

 いや私は既にこれでもかという不可思議を知ってはいるが。

 それはもちろん暁たちのことであるが。

 

 しかし今起きたのは、何やらカンカンと騒がしく彼女たちが作業し始めたと思ったら、暫くするともわりと白い煙が立ち込め、そして煙が消えるとそこにはドラム缶があったのだ。

 しかもドラム缶の上には、紺色のセーラー服を着て白い帽子をかぶった妖精娘がおり、作業をした妖精さんとハイタッチをしている。

 

 もうなんと表現していいか分からない……。

 とにかく私はもうこれが普通なのだと自分に言い聞かせ(かなり拒否しているが)、それから暫く作業に打ち込むのだった。

 

 なにせ私が暁たちにできることは、言葉をかけることと、こうして装備を用意してあげること位しかないのだから。

 何より、彼女たちが帰ってきたら、彼女たちの妹や仲間たちが一緒にいる事だろう。

 私は彼女たちとこの村を護るために、こして武器を作っていようと思う。

 ただ黙って待っていると、何というか気が狂いそうになるというのもあるが……。

 

 なあ暁、響。

 私はきっと理不尽で利己的な男だよ。

 だって君たちが無事ならばそれでいいなんて少しは思うからな。

 でも君たちはきっと家族を連れてくるよな。

 

 だから私は待っているよ。

 こうして不思議な妖精さんたちと、ね。

 

 ――――しかし、さっきからドラム缶ばかりできるのは何故だろう?

 使えそうなものは魚雷らしきものが1個できたっきりだ。

 どうにも私にはこの手の才能は無いらしい……。

 

 暁に資材を無駄にしたと怒られる未来しか思いつかないな……。




ついに艦娘たちが出ない話になってしまいました。

でも妖精さんの不思議について書きたかったのでごめんなさい。

次回は話が進みます。

ちなみに私がこれを執筆しているコンセプトとしては、シリアスの皮をかぶったほのぼのという設定を下敷きにしています。


※修正

10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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私と危機と慟哭と

 人類が海へ出るようになってから早幾年月。

 その起こりはいかだの様な船と呼べない代物だったかもれしない。

 しかしいつしか人類は、他の生物にはない知恵を使い、その行動範囲を拡げてきたのだ。

 

 最初は純粋な好奇心だったのだろう。

 自然から見れば人類などノミ以下のモノでしかない。

 一度大波でも受ければそれは即、死につながるのだ。

 事実、水平線の向こうに何があるのかを知りがった者は例外なく死んだのだから。

 

 そもそも波打ち際ではさざ波のような小さなものに見えても、一度外洋へと出れば、そこには台風でもないのに人の身長を遥かに超える高さの大波がうねっていたりもする。

 それをいかだから少々発展した程度の船で突き進もうとするなどは自殺と呼んでもいいだろう。

 自然は人類の希望欲望など関係なく無慈悲に生命を奪うのだから。

 

 それでも人類はあきらめなかった。

 好奇心の上に屍を重ね、それはやがて少しずつ歩みを進めていったのだ。

 何という探求心!

 その恐れを知らない探求心は、いかだでしかなかった船を、帆船、蒸気船と発展させ、その素材を長距離の航行に耐えるように木材から鋼鉄製へと変化させた。

 

 そして人類はとうとう水平線の向こうに何があるのかを突き止めたのだ。

 そこに果ては無く、ただ別の土地があった。

 そしてそれは探求心の次に生まれた心、己の欲望を満たすという事に発展する。

 

 未開の土地。それを切り拓けば無数の可能性を秘めた土地になる。

 そこには資源が、増えすぎた人口を受け入れる土地があった。

 しかしそれは、血塗られた歴史の序章にしか過ぎない。

 新たな土地も無限ではない。

 さらにはそこに元々住んでいる人間もいた。

 

 世界は拡大を続けていく物では無く、ただの大きなパイにしか過ぎない。

 それを冒険の果てに知った人類、いや、そのもう少し小さなコロニーでる”国”の指導者たちは、己の利権を確保するために戦うことを選択したのだ。

 同胞である人類同士で。

 

 そして探求心を満たすための器だった船は便利な道具へと変化し、あるものは商いのための輸送を行い、あるものはその頑丈さを生かして武器を積むと軍艦として戦争に使った。

 道具は所詮道具でしかなく、扱う人間によっては破壊しか生まない。

 その道具に感情はないし必要ない。

 なぜならそこに利便性のみしか求められていないのだから。

 

 そんな物言わぬ道具であった軍艦に、個としての感情があったとしたらどうなるだろうか。

 加えて、過去の悲しい記憶の欠片が残っていたとしたら。

 

 フランスの小説家、ジュール・ヴェルヌはこう語っている。

【人間が想像できることは、人間が必ず実現できる】

 彼はその著作の中で、地底や深海を見聞きし、80日間で世界をめぐる。

 果ては人を大砲に載せて月へと向かう。

 

 そうなると佐々木がいる世界もまた、人類の向かうはずだった進路の一つなのかもしれない。

 なぜなら人類は今や、海だけではなく深海そして宇宙にすら手を伸ばしている。

 

 ただの空想でしかなかったジュール・ヴェルヌの著作は、今は現実として成立しているのだ。

 ならば物言わぬ道具が言葉を話し、誰かを想ったとしても……

 きっとそれは必然だったのだと後に誰かが言うのだろう。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 響という存在は冷静であり、どこか他人から一歩引いたような印象を持たれる。

 その飄々とした振る舞いには己の感情を乗せたりはしないからだろう。

 しかし今、彼女の中には激しい感情が渦巻いていた。

 それは自分の姉であり、いや姉であろうとする暁が突出しているからだ。

 暁の行動は自分の死を厭わないとも見える危うさを孕んでいるように響には見えるのだ。

 

 かつて響と暁は同じ艦隊に所属していた。

 それは第六駆逐隊と呼ばれていた。

 とはいえ、彼女たちが最近まで所属していた鎮守府での話ではない。

 彼女たちの中に何故か存在する遠い昔の記憶の話である。

 そこでの彼女たちは今の様な意志ある兵器ではなく、鋼鉄でできた軍艦だったのだ。

 それが己の体験として、その時の生々しい感触が今も残っている。

 

 彼女たちは極東にある小国で造られ、世界と戦っていた。

 相手は多勢に無勢、だのに彼女たちの国は強大な敵を震撼させるほどに活躍していたのだ。

 その第六駆逐隊所属、暁型2番艦の響は今、自分の過去と共鳴する負の感情に苛まれている。

 

 それは”無念さ”という感情だ。

 加えて、喪失感も混ざっているかもしれない。

 

 響は自分たちが戦ってきた戦争の中で、よほど悪運が強いのか、終戦を迎えるその時にも存在していたのだ。

 そんな彼女を人は不死鳥と呼ぶことすらある。

 しかし響自身はそれを皮肉でしかないと自嘲せざるを得なかった。

 

 なぜなら最後まで存在し続けたという事は、姉妹たち、または仲間たちが次々と消えていく無念さをこれでもかという程に味わった事を意味する。

 最終的に彼女は、敵であった国への戦後の賠償として贈られた。

 その国の言葉で「信頼」という名前を付けられたのは、皮肉中の皮肉であろう。

 

 それほどの辛酸と苦渋の舐めてきた彼女の現在の状況は、普段かぶっている冷静な仮面を自ら剥ぎ取り、大声で叫びだしたくなる衝動に駆られていた。

 

「暁姉さん、危ないから下がってッ!!」

 

 必死で叫ぶ。けれどもそれは暁には届かない。

 彼女の表情はある種の狂気を孕んでいる。

 目の前に転がる光景にだけ意識が向き、響の、いや己の置かれた危険な状況に気付いてないのだ。

 自分が助けなければ――ただそれだけの一念は、周りに気を配る余裕を奪っている。

 

 暁型の一番艦であり姉としての自負がある暁は、以前の記憶においても仲間の援護を敢行し、その結果、敵の集中砲火を浴びて沈没した。

 第六駆逐隊において、最初の犠牲となったのは彼女なのである。

 足の速い駆逐艦だからこその宿命である言えばそれまでであるが、だからこそ彼女たちの今世においての精神的な結びつきは強かった。

 

 そしてその強い想いが皮肉にもこの状況を生みだしている。

 なぜなら狼の群れの中に放り込まれた子羊のように怯える、自分の妹の姿を見てしまったから。

 同じ艦隊、同じ暁型の駆逐艦である二人の妹。

 その大切な存在である二人は今、窮地に立たされていた。

 彼女たちはその背に岩場を背負い、さながら背水の陣という状況だ。

 

 この状況は元々、佐々木司令官の号令のもとに行われ、そして暁と響は仲間の艦隊と別れた海域へと捜索に来ていた。

 それは無事ならば助けたいという佐々木の想いを元に計画されたわけだが、その代わりに現場の暁たちが深海棲艦に襲われる可能性を孕んでいる。

 

 そもそも佐々木は司令官に着任したことで、自らの鎮守府で艦娘を新たに建造することができる。

 それは既に確立された方法で、既に彼が行っている装備の開発と同様の手法によってだ。

 生態のよくわからない妖精たちの力を使い、相応の資材を持って造られる。

 だからこそ彼は着任後に新規の建造を行い、自分の戦力を確保すれば良かったのだが、彼は既にいるだろう艦娘――――つまり暁たちがいた鎮守府の散り散りになった艦娘たちを呼ぼうと考えたのだ。

 

 それは彼の人間的な弱さかもしれないが、暁たちはそれを受け入れた。

 むしろ積極的にそれをしたいと希望を述べたほどだ。

 佐々木としても彼女たちに提案する日のぎりぎりまで悩んでいたのだ。

 なぜならそれは結果的に、彼女たちに被害が及ぶかもしれない為である。

 木乃伊取りが木乃伊になる、その言葉が文字通り、彼女たちに降りかかってもおかしくはない。

 

 それでも佐々木はそうすることを選んだ。

 彼本来の平和ボケした日本人の平均感覚と、臆病と紙一重の優しさ。

 そんなものが混ざりあい、彼はこの世界の常識をすべて受け入れることを良しとしなかったのだ。

 

 そして今、考えうる最悪の状況が暁と響のもとに降りかかっている。

 響が仲間たちと散り散りになった海域、その周辺を捜索していた二人は、そこからそう離れていない海域に小さな島を発見した。

 その島はソラマメのような形をした岩場の多いもので、暁は入江の部分を確認してみることにした。

 入江の部分であれば、外から発見されにくい、きっと妹たちもそう考えたのではないか――――暁はそう思ったのだ。自分ならばそうする。それは燃料には限りがあるからだ。

 現実的に鎮守府を失った艦娘は、燃料切れと共に沈没するしかないのだ。

 ならばどこかでその消費を抑えるために隠れている可能性の方が高い。

 

 そして暁の予想通り、彼女の妹たちはそこにいた。

 今まさに轟沈の危機を迎えつつあるという絶望的な状況で。

 壁を背にして逃げ場のない妹。

 2隻の中型の深海棲艦は、そのマリオネットのように青白く無機質な表情に、わずかな笑みを浮かべている。

 その笑みはひどく獰猛なもので、怯えて震えている無力な駆逐艦を蹂躙することに快感を得ようとする恐ろしいものであった。

 

 深海棲艦に2方向から囲まれている駆逐艦までの距離はわずか10メートル。

 目をつぶっていても砲撃はあたる距離であった。

 じりじりと嬲るように5インチの死神の鎌を振りかざす。

 いつでもお前を殺せるのだ、無言のプレッシャーはそれを主張している。

 

 そんな光景を見た瞬間、入江の入り口にいた暁は、響に状況説明をせぬままに高速で飛び出した。

 彼女を支配した激情は、己の中に流れる液体を一瞬で沸騰させ、そして出しうる最大の船速で飛び込む事を選択したのだ。

 

「雷ッ! 電ッッ!! 伏せなさい!」 

 

 自らが砲弾のように暁は突っ込んだ。

 どこへ? 妹たちと敵の間へだ。

 暁が選択したのは自分が盾になる――それであった。

 敵が砲弾を発射すれば、その距離から考えるに間に合わない。

 ならばと暁が敢行した方法は、1隻に体当たりをし、その反動でもう一隻の前へ立ちふさがる事。

 そうすればきっと、冷静沈着な一つ下の妹がどうにかしてくれるだろう。

 つまり彼女は、自分が犠牲になることを決めたのだ。

 

「おねえちゃんッ!」

 

 いったい誰が叫んだのだろう。

 血相を変えて追いすがった響か、それとも妹たちか。

 

 その時一瞬の沈黙が起き、そして入り江には無慈悲に砲弾の発射される音が反響した。

 後、沈黙――――火薬の匂いだけが漂っていた。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 元々私は待つという事はそれほど嫌いじゃなかった。

 なぜなら私は極めて普通に生きてきたからだ。

 

 普通というのは存外苦痛なもので、ある一定の生活リズムを保つことを強いられる。

 ではどれほどの人間にそれが出来るのだろうか。

 毎朝私がオフィスに行くと、誰かしらが寝不足や二日酔いで出社してきていた。

 それは小さな事かもしれない。

 

 例えば残業の後に愚痴を言い合うための同僚たちの飲み会。あるいは出会いを求めての合コン。

 自宅で自分の趣味にのめり込み、あと少しだけと午前様。

 そこには小さな欲望があって、それを我慢したとしても特に困らない。

 けれど別にいいじゃないかというのも人間なのだ。

 

 人の生き方は人間の数だけあり、どれが正解でどれが不正解かなんて無い。

 他人から見て苦痛であることがその人間の幸せなんてこともあるのだし。

 なのでこの考えはあくまでもこれは私の主観でしかないのであるが。 

 

 とにかくそこらじゅうに転がる欲望をひと時我慢し、自分のペースを保つという事は、小さなストレスを抱えながらもそれをするという事になる。

 しかし私はそれを行っていた。

 元々の気質が、美味しいものは最後に食べるというのが私であるから、もしかするとそれは自然なことなのかもしれないが。

 とにかくそうして、趣味であったり何か小さな欲望は全て休日の前夜まで我慢していた。

 

 その後に味わう幸福感は爽快であると感じる私は、多少マゾヒストの気質があるのかもしれないにしても……。

 

 しかしそれは現代日本での治安の良さの中での話だ。

 日本は深夜にジャージ姿でコンビニに買い物に行ったりしても安全であるし、一区画にいくつもの自動販売機があっても釣銭を奪われることはほとんど無いという国だ。

 それは多国の人間には不思議に思われるレベルの治安の良さなのだ。

 だからこそ私の様な小市民が、自分の好きなように生き方を選ぶことが出来た。

 

 しかし例えば中東諸国であったり、東ヨーロッパの小国群であればそうはいかない。

 中には自動小銃を片手に出歩く若者が当たり前で、週末の夜にはロケット弾が降り注ぐ国だってあるのだ。

 だから私の生まれは幸運であり、日本人は割と特殊なのだと思われるが。

 

 とにかくそういう待つという行為は、たとえ苦痛であってもそれほど大したことじゃない。

 しかし今、私はその身を焦がして待つという行為を初めて味わっている。

 

 司令官用の革の椅子に深く腰掛け溜息をつく。

 次の瞬間はその辺をうろうろと歩き回り、忙しなく時計を覗く。

 それを何度も繰り返すが、悲しいことに時計の針はそれほど進んではいない。

 

 突然叫びだしたい衝動にかられ、宿舎を飛び出しドッグへと向かう。

 そこには妖精たちがうろうろしているばかりで静かなものだ。

 

 落ち着かない私は冷静になろうと自宅に戻り、茶を沸かすための湯を沸かす。

 急須に入れる茶葉は百田夫人から頂いたものだ。

 彼女が毎朝煎じる香ばしいほうじ茶。

 しかし立ち昇る芳香も、残念ながら私の心は落ち着かない。

 それは卓袱台の向こうに、彼女たちの小さな姿がおぼろげに見えてしまうからだ。

 

 私はなんと残酷な命令をしてしまったのだろう。

 仲間を増やしたければ、新たに建造をすればよかったじゃないか。

 彼女たちはつまるところ兵器だ。

 辛抱強く説得すればどうにかなったかもしれない。

 

 でも、それは違う。

 私がこの重圧に耐えきれないだけの逃避だ。

 平和しか知らない私には重すぎる重圧に、いま負けそうになっているだけだ。

 

 少し陰った今日の空は、まるで私の心を表しているようだ。

 暁は、響は、今どうしているだろう。

 冷たい海に沈んでいやしないか。

 

 こんな苦痛は初めてだ。

 大切な者の無事を願う”待つ苦痛”は初めてだ。

 私はそして、初めて神に祈った。

 名も知らぬ神に。

 

 今の私の状況はすべて現実だ。

 人間と深海棲艦がその存在をかけて戦っている戦争状態なのだ。

 もはやぬるま湯に浸かった幸せを享受することは許されない。

 

 だからこそ思う。

 過去の軍人たちの偉大さを。

 彼らもまた、私以上に感じていたはずだ。

 自分の部隊の無事を。

 

 司令官はきっと孤独なのだ。

 死地へ部隊を送りながら、無事で帰ってきてほしいと願う。

 その矛盾した想いは決して交わりはしない。

 なぜなら犠牲の出ない戦争などは絶対にないからだ。

 それでも過去の司令官たちは願うのだろう、その二律背反な想いを。

 

 この我が身を引き裂かれそうな感情の正体はなんなのか。

 淡泊すぎる人生を営んでいた私には知らない感情なのだ。

 

 そんな時、我が家の玄関を激しく叩く音がし、私は弾かれるようにそちらを見た。

 

「佐々木君っ! チビちゃんたちが帰ってきたよ!!」

 

 そこには血相を変えた百田さんが私を呼びに来た姿があった。

 

「……百田さん、すいませんっ!!」

「お、おい佐々木君っ! そんな焦らなくたっ――――」

 

 しかし私は、恩人である百田さんを突き飛ばすように走り出していた。

 彼は何かを叫んでいたが、そんなこと気にしている余裕は無い。

 とにかく私は急いだ。靴を履くのも忘れて。

 

 きっとこれほど懸命に走ったことなど今までなかったのではないか。

 それくらいに走る。

 自分の心臓がこれでもかという程に鼓動し、息が苦しくなる。

 素足のままの私の足は、舗装されていない道で小石を踏み抜き激痛が走る。

 

 そんなことはどうでもいいのだ。

 無事か? 無事なのか?

 ただそれだけのために走った。

 

 いた。彼女たちはそこにいてくれた!

 ドッグのある埠頭に立っている。

 白いセーラー服が赤く滲んでいる二人が。

 その瞬間、私の頭は沸騰した。

 

「あ、司令官――――

「司令官いま帰った――――

「暁! 響!!」

 

 そして私は沸きあがる衝動のままに彼女たちに抱き付いた。

 2人は目を見開き驚いているがそんなことは関係ない。

 小さな彼女たちは大きな私に包まれ見えなくなった。

 戻ってきてくれた。ただそれだけの事で、私は泣きたくなってしまった。

 

「い、痛いよ司令官……ちゃんと戻ってくるって言ったでしょ!」

「司令官、さすがにこれは、恥ずかしいな……」

「うるさいっ! 無事に帰ってきてくれてありがとう……」

 

 苦しそうに身じろぎする暁と響をさらに強く抱きしめる。

 そして大の大人が声をあげて泣く。

 何ともしまらないとは思うが、私は感情の赴くままにさせていた。

 それでいいと思った。

 なぜならそれを止める術を私は知らないから。

 

 いつの間にか、周りに村人が集まっているのを知らなかった。

 きっとそれほど長い時間、私はそうしていたのだろう。

 その後私は”泣き虫司令官”というあり難くない二つ名を頂くのだが、今の私はそんなことは知らない。気にすれば私はもう村の中を歩けないだろう……羞恥で。

 

 だが今はただ、抱きしめている彼女たちの温もりが嘘ではないのだと実感したいのだ。

 詳しいことは後でいくらでも聞けばいい。

 

 そして漸く落ち着いた私は彼女たちを放し、号泣のせいか、はたまた羞恥のせいで赤くなった己の顔を冷やすように手で仰ぐ。

 そこで漸く私は気が付いた。

 暁たちの背後にたたずむ2人の少女に。

 

 

「中々情熱的な司令官ね……これからが思いやられるわ」

「はわっ、はわわわわ……し、司令官さん、初めまして、なのです……」

 

 なんとも微妙な顔をした、暁たちと同じセーラー服の2人がこちらをきな臭い表情で眺めていたのだった。

 私の頬はさらに熱く、赤くなってしまった……。

 村人たちの笑い声と共に――――

 

 

 つづく




少しずつお気に入りも増えて嬉しいです。
ほとんど萌え的な要素のない小説ですが、少なからず気に入ってくださる人もいると感じ、もっと連載を続けてみようと思います。感謝します。

※誤字誤用修正

その大切な存在である二人は今、浅瀬に逃げ込んでいた妹たちを追い込まれていた


その大切な存在である二人は今、窮地に立たされていた。

船側

船速

その他何か所か誤字誤用を修正。



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会議は踊り、私と少女はワルツを踊る

サブタイ が おもい つかない


 帝国の中心である帝都には、その上下を分断するように大河があり、北と南を繋ぐようにいくつかの橋がある。その河は幅が15kmにも及び、川岸に立って向こう側を望むと、その果てしなさに絶句するほどである。

 それらは巨大な鋼鉄のつり橋で、無数の支柱を設ける事で完成されており、基本的には誰でも自由に通行することが出来きる広い大陸での物流の要となっている。

 だが帝都のある立地の関係上、戦略的な意味でもこの橋は生命線であると言えるが、しかしそれを軍だけで独占出来ない台所事情がこの国にはあった。

 

 それは元々帝都があった場所は、現在の場所よりも遥か東の沿岸よりにあったのだが、深海棲艦による被害を考慮し、元々は内陸の大きな貿易都市であった場所に遷都したのだ。

 その為、この都市の議会の承認によって作成された巨大な橋を全て防衛のためと接収するわけにもいかないのである。それはこの橋が前述の通り、貿易都市としての生命線であるからだ。

 かといって新たに建設するには時間的余裕もない。結果、現在の形に落ち着いているのだ。

 

 しかし内陸に帝都を移動するのは非常に問題がある。それは海運にダメージがあるということだ。

 この国はある程度の化石燃料や鉱物などの資源はそれなりに採掘が見込める。

 だが経済的な消費だけではなく、防衛にもその資源を割かなければならない現状であるから、海運による輸入も当然必要となる。

 

 その為に艦娘を要した輸送作戦を使う必要があるのだが、それが軸となり現在の位置に帝都を移したのだ。

 それは大陸を流れる大河が海にまで繋がっていることに起因する。

 それにより、帝都の最東部に海軍の基地が作られ、そこが国中にある鎮守府の総元締めである大本営海軍部だ。。

 その海軍部のある港を中心に、様々な輸送作戦が行われているのである。

 艦娘たちは大河を数百キロ下り、その後予定されいる海域へと航路をとる。

 それは沿岸に本拠地を構えるよりは圧倒的にロスが多いのだが、深海棲艦から襲撃に対して安全だ。

 その上、多少艦娘たちの苦労が増えたところでそれは問題ではないというのが政府の見解である。

 つまり政府側にとって艦娘は完全なる消耗品であるのだ。

 轟沈すればまた新たに建造すればいいという訳である。

 その是非はまた別として、である。

 

 そして今、国の鎮守府を束ね、海運の元締めである海軍部の一室で、とある会議が紛糾していた。

 その議題は正規軍の斥候部隊が深海棲艦の大規模な発生地点を観測したことについてである。

 

 そもそも深海棲艦の発生基準は解明されていないのだが、海軍の研究機関が開発した高深度熱探知装置により、とある海域の深海に、深海棲艦と思われる大群がいるという事が分かったのだ。

 基本、定期的に沿岸警備を担当する部隊が哨戒任務を行ってはいるが、それとは別に一般にはその存在が公開されていない斥候部隊が別口で哨戒を行っている。

 それは一般の部隊には配備されることが無い機密にあたる技術を使っているからだ。

 前述の高深度熱探知装置も当然それにあたる。

 そして、それは偶然見つかった。

 南方大陸と北方大陸の領海が交わる、所謂排他的経済水域と呼ばれる海域であった。

 

 そこで観測された熱反応の中に多数のflagshipと思われる戦艦タイプが複数確認されたのだ。

 flagshipと識別される深海棲艦は、艦娘の艦隊に強化改修を極限まで行ったとしても被害は免れないと言われる強敵である。

 それが複数いるとなれば放置できるはずがない。

 

 海軍部は近い未来に国家規模の大規模な輸送作戦を計画しているデリケートな時期であった。

 それは北方の大国との共同で行われ、この国の艦娘技術者をその国に技術指導の名目で貸与され、その代わりに多大な資源を見返りに提供される。

 そしてその後、両国間の安全な航路を確保するための一大軍事作戦へと繋がるのだ。

 これは長年距離を保っていた両国が、ここにきて友好条約を結び、西方国家に対抗するための布石とする目的がある。

 

 資源も技術も潤沢にある西方国家、それに比べ南方国家は技術に秀でているが人口が多いために資源が常に不足しており、北方は資源が潤沢でも技術的には他国から遅れているといわざるを得ない。

 これでは三すくみの状況に足りえない。ならば二つの陣営による睨みあいに持っていこうというのだ。つまりは冷戦構造である。

 

 深海棲艦は世界共通の敵である。その認識は各国の足並みは揃っているといえよう。

 しかしいずれその脅威は取り除かれると考えられている。

 それは希望的観測でしかないといわざるを得ないが、よしんば脅威が無くなったとしたら、各国首脳は国策として艦娘の技術を自らの国へフィードバックすることを目論んでいるのだ。

 

 なぜなら各国がそれぞれ開発しその技術を競い合うコンピューターの演算処理能力に、艦娘の自立した知能を搭載したらどうなるか。それは素人が考えても答えは簡単だろう。

 見た目は少女であるが、その能力は凄まじい戦闘能力を有する艦娘たち。

 その小柄な身体に高性能な頭脳を搭載することが出来たなら、弾道の軌道が予想できる弾道ミサイルよりも恐ろしいだろう。

 近年のミサイル防衛の技術については、各国ともに高い水準にあるのだ。それは地上と衛星による連携により、瞬時に座標を特定し、迎撃することが可能となっている。

 

 だが艦娘たちはどうだろうか。

 彼女たちは搭載された装備を普段は消しておくことができる。

 つまりは普通の人間のように行動ができるのだ。

 加えて彼女たちに国境なども関係ない。それはほとんどの国が海岸線に面しているからだ。

 艦娘たちは自在に海面上を移動できる。

 それにより彼女たちはどこからでも対象の国へと侵入が容易なのだ。

 あとは考えなくてもわかるだろう。

 

 まして彼女たちは基本的に軍人の気質を踏襲している。

 それでも人間に近い感情を有している部分については懸念があるが、コンピューター制御にすることで支配できる問題であると考えられている。

 完全に支配できる高出力の人型兵器――その彼女たちがもし核兵器を隠し持ったまま自爆テロを行えば、証拠が残らないままにその国の重要なポイントを破壊できるのだ。

 そう考えると、なんて恐ろしく、なんて便利な兵器なのだろうか。

 ましてコストも通常兵器に比べると圧倒的にローコストであると言える。

 まさに究極の兵器である。

 

 もちろん民間レベルにその技術をダウンロードすれば経済的にも相当の発展を見込める点も見逃せないのであるが。

 少なくとも大昔から現在まで、軍事的なイニシアチブを取れる事が、国際社会での発言力が強くなるのはもはや常識なのだ。

 ならば有事が終わればいつまでもそんな未知の技術を放っておく訳がないのは道理だろう。

 当然艦娘たちだけではなく、深海棲艦にもそれが当てはまる。

 

 そんな未来構想がある中で、その輸送作戦が頓挫してもおかしくない問題が発見されのだ。

 そこで帝国上層部は、この脅威の殲滅作戦を最高の優先度で実行を命じた。

 

 しかし会議はいつまで経っても終わる気配はなく、それはやがて軍の中で水面下に対立している二つの派閥による権力闘争の色が濃くなってきたのだった。

 ひとつはこの帝国の軍の統合参謀本部からの出向組。そしてもうひとつは生え抜きの海軍士官たち海軍部の首脳陣だ。

 

 基本的に統合参謀本部は陸海空軍の一番上に位置し、その長を全ての軍のトップである皇帝がいるとされているが、実際は陸軍の力が強い。

 ただしその権力は強大であるから、基本、総参謀の命令権は強すぎるほどである。

 しかし近年、軍の中での重要度は圧倒的に海軍が占めていると言えよう。

 それは世界中の経済を疲弊させている要因、深海棲艦のせいである。

 

 海中から神出鬼没でやってくる深海棲艦たちを排除するには、陸軍では到底太刀うち出来ない。

 そこで海軍が率いる艦娘が防衛にあたるわけだ。加えて契約している各地の鎮守府の防衛もある。

 各国の目下の敵は深海棲艦であり、隣国との小競り合いに力を割く余裕などない。

 結果、海軍の発言力は日に日に優ってきているのは当然であろう。

 

 そう言う訳で国家元首ラインの派閥と、海軍のラインの派閥による主導権争いが事あるごとに起こるのだ。

 統合参謀本部の本音としては艦娘関係の管理管轄を陸軍の元へと移動したいう物があり、海軍側はそれを絶対に阻止したいという両者の思惑がそこには見えかくれしている。

 その為、今回の深海棲艦の大規模討伐作戦のイニシアチブをどちらが取るかで揉めに揉めているのであった。

 なんともお粗末な物であるが、いつの時代も組織には権力闘争はつきものなのであろう。

 

 そしてその割を一番喰うのはいつも下っ端なのである。

 当然、民間レベルで軍と契約をしている各鎮守府もそれに当たる。

 

 ――――当たるのだ。

 

 それは契約の条項の中に、国の危機際した場合、出兵の義務が生じるという条項があるからだ。

 そして世の流れは無情にも状況は変化している。確実に。

 それは佐々木にとっても関係のない話では無かったのだった。

 

 彼がそれを望んでいないにしても、である。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 

 何というかここも騒がしくなったものだ。

 それは暁と響以外の艦娘であり、彼女たちの妹だという雷と電がやってきたからだ。

 女三人寄ればかしましい等と言うが、四人いるならどうなってしまうのか?

 それが今の鎮守府の状況という訳である。

 そして私はそれとはまた別の心労めいたものに苛まれている。それは――――

 

「だから司令官っ、暁型っていうのはね……ってちゃんと聞いてるの? ってもう! ぽろぽろカスをこぼしてるし。もーしょうがないなぁ! 雷が拭いてあげるから大人しくしててよねっ!」

「大丈夫だって。私は子供じゃないのだから……」

「言ってる傍からこぼしてるじゃない! いいからじっとしててよね!」

「ああ、うん……はい」

 

 ここは私の執務室で、私は司令官のはずだ。

 だのに何故か私は駆逐艦である雷に事あるごとに世話を焼かれ、そしてその様はまるで私の母親のようである。

 元々30年と少しの人生を歩んでいた私である。

 その私が、実の娘だと言ってもおかしくないような娘にこうして世話を焼かれているのだ。

 

 たしかに私は今、3時のおやつを呼ばれており、カスをこぼしてしまった。

 けれどもこれは、百田夫人が持ってきてくれた差し入れのせいなのだ。

 今私が食べているこれは、小麦粉に膨らし粉を入れて揚げた物に黒砂糖をたっぷりと塗した揚げドーナツのようなもので、私の生前の常識でいう所の”さーたあんだぎー”の様なものだ。

 そりゃこぼすだろう。ぱさぱさしてるから。

 何というかこのぱさぱさ感がいいのだ。一緒に飲んでいる玄米茶がまたいい組み合わせである。

 そんなことはどうでもいい。

 とにかくこれは決して私がだらしない子供だからなのではなく、このお菓子がそういう仕様なのだと彼女に言いたい。

 

 いや、言ったところで「はいはい、わかったから」と何というか”やれやれ、仕方ないわね”的なニュアンスであしらわれるのだろうな。

 これはもう今朝から続くこのやり取りで私は学習してしまった。

 

 そもそも何故こんな状況になっているかであるが、それは4人に増えた私の鎮守府所属の艦娘たちが、何やら私のいないところで話し合ったらしく、”秘書艦”という役割を不公平なく決めたとのことで、毎朝被らないようなローテーションで彼女たちはここへ詰めているのだ。

 

 とはいえ今の私の仕事のほとんどが、艦娘を派遣する遠征についての書類であったり、またはこの鎮守府の決裁書類であったりと事務仕事ばかりなのだ。

 なので別に秘書とやらがいなくてもそれほど困りはしないのだ。

 

 村長からも村人の総意であると、鎮守府の仕事だけに専念してほしいと言われているので、私はこうしている訳である。

 それは私が昼間から村の中をうろうろしていると、もし突然深海棲艦に襲われたら対処できないだろうという懸念を持たれ、村人が不安になるからだという。

 確かにそうなのかもしれないけれど、どこか寂しいものがあったりもする。

 しかし私が入植したころに比べ、今は相当に人口が増えているから、昔の様にはいかないのだろう。

 

 それはさておき、秘書がついた私は、少しばかり窮屈だなァと内心ぼやいていたのだった。

 

 因みに彼女たちはそれぞれ個性があり、暁はお姉さんぶりたいが、やってる事は子供染みていたりするう。響はクールな装いなのだが、実は激情家でもあり寂しがりでもある。

 雷は何というかその強気な発言が目を引くが、私にしてることは世話女房のようで、何ともややこしい。そして電は――――内気だがまじめな頑張り屋さんってところか。見てて非常に和む。

 

 外見的特徴の話になるが、雷と電は驚くほどにそっくりで、まるで双子の姉妹なんだというレベルで似ている。

 特に背格好はほとんど一緒であるし、どちらも同じ栗色の髪色をしているのだ。

 ただ雷は肩ほどで切りそろえられてあり、電は雷より長い髪を後ろで結っていたりするので、そこで彼女達を見分けるのが分かりやすいかもしれない。

 

 私は当初、二人の違いに気付かずに呼び間違えたものだが、その度にレディーに対して失礼であると暁にお小言を貰い、雷電姉妹には非難の目で見られた。

 まあ名前を間違うのは失礼なことであるが、私みたいに出会ってから日が浅いということは考慮してほしいものだと独り言ちる。

 

 そう言えば私が元々住んでいた海沿いの家はまだ残してあるけれど、今は私もこの鎮守府の宿舎に住んでいる。

 それは緊急事態に対応するためという事柄もあるが、実際はここの食堂のおかげで食事に頭を悩ませなくて済むという事もある。

 私の知らないうちに村の中で色々と取り決めがされたらしく、かなりの村人がこの鎮守府で働くようになっていたのだ。

 おかげで私は自分の仕事だけに集中できることもあり、それは素直に嬉しい。

 何というか恩ばかり増えていくのでそこは困ってしまうけれども。

 それと暁たちの強い希望もあった。司令官なのに鎮守府にいないなんて言語道断であるとそれはそれは勇ましく言われたものだ。たしかにそうかもしれないな。

 

 しかし他の鎮守府と比べれば、ここにいる人数などたかが知れている。

 何故ならここには私と暁たち4人、それと住み込みで働く村の人たち位しかいないのだから。

 他の鎮守府など100名近い艦娘がいるらしいから、ここの少なさが良くわかるだろう。

 あまり多くても私には把握しきれないだろうから別に構いやしないのだが。 

 

 私は暁たちが寝泊りしている部屋の横にある小部屋を貰っているのだが(執務室と無線室に近いため)、夜になると暁たち4人は今まで出来なかった姉妹団欒を楽しんでおり、その声が非常に大きいのだ。

 最初は微笑ましいとは思っていたのだが、毎日になると少し辛い。

 もうこの執務室のソファで寝泊まりしてもいいのではないかと思うほどには。

 

 そんなことを言えば、あるものは怒り、あるものは涙目で私を責めてくるのだろうからしないのだが。

 でも今後、さらに艦娘たちが増えたとしたらと考えたらうすら寒いものを感じる。

 

 そう、まるで女子高にやってきた男性の教育実習生とはこういう気持ちなのではないか。

 確実に女社会になるだろうこの鎮守府の未来を思うと、私は少しばかり逃げ出したいなんて思ったり思わなかったりする。

 なんというかまあ、途方に暮れつつ書類に判子を捺す私であったのだ。

 

「ほらもう、司令官元気ないじゃない? 大丈夫? どこか痛い? そんなんじゃダメよぉ!」

「あ、はい……」

 

 とにかく私は非常に憂鬱なのだ。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「司令官さん、お茶が入ったのです」

「ん……ありがとう電」

 

 今日の秘書艦は電のようだ。

 私が書類と睨めっこをしていたら、今日何度目かのお茶を淹れてくれた。

 ただお盆を胸に抱いたまま、私の左肩のあたりから顔を少しだけ伸ばして私の手元を覗き込んでいる。 なんだかぷるぷる震えているのは、身長と共に座高も高い私であるから、小さい彼女は背伸びでもしているのだろう。

 

「ん、何か気になるのかい?」

「あ、いえ、その、覗いてごめんなさいなのです……」

「いや別に、覗かれて困るものは無いけれど……気になるのかい?」

「はい、いや! えっと、その、はいなのです……」

 

 電は何やら慌てた様子で私の横から机の前まで走って行った。

 何ともすばしっこいものだ。

 

 私が先ほどから読んでいたのは”遠征”に関わる書類だ。

 遠征とは帝国から依頼される長距離輸送などの事である。

 今や世界中の海に安全などないと言ってもいいだろう。

 その為に輸送もしながら深海棲艦を排除できる艦娘たちがそれぞれの国の海運を担っているという事だ。

 

 私は一つ考えがある。

 それはまだこの周囲の海域がそれほど危険ではない事があり(いずれはそうじゃないにしても)、ならば今のうちに駆逐艦で出来る遠征を色々してみようという考えだ。

 それに便乗してではないが、ついでに暁たちが所属していた鎮守府の艦娘たちの捜索活動も出来たらいいなという意味も込めて。

 

 4人となった我が鎮守府の艦娘であるが、彼女たちに言われたのだ。

 特に暁であるが、私たちを護ろうとしてくれる気持ちは理解しているし、嬉しいけれど、だからと言って自分たちに遠慮して新い建造などを躊躇などはしないでほしいと。

 

 そこで私は自分自身のエゴイスティックな気持ちを、彼女たちに無意識に押し付けていたかもしれない事に気が付いた。

 確かに私はある一定レベル以上の感情を彼女たちに抱いている。

 それはこの世界に生まれ変った私と、過去に軍艦であった彼女たちという、ある種の前世の記憶を持っている暁たち。

 そこに私は強いシンパシーを感じ、そして無意識的に同朋のような気持ちでいたりする。

 それは私にとっての問題であり、それは彼女たちになんら関係はないのだ。

 

 それでも私は彼女たちと家族の様な親愛の情で結ばれているという思いは多少なりともあるし、彼女たちだってそこは否定しない。

 でも私はどこかで、今の位置から歩み始めたくはないという気持ちがあったらしい。

 もしかすると今のように彼女たちと関われなくなるかもしれない――そんな思いが、今いる面子でどうにかしてやろうという気持ちを産み、それを彼女たちに押し付けてしまったのだ。

 

 私は軍事についての知識は無い。あるとしてもあくまでも歴史で習う程度の物と、戦争映画で描写されている程度の物しか知らない。

 それはつまり全くのド素人という意味なのだ。

 そんな私に彼女たちは夜遅くまでレクチャーをしてくれた。

 

 駆逐艦は所詮、駆逐艦の役割しかできないのだと。

 速い脚で敵をかく乱しつつ魚雷を撃つ。あるいは敵を引きつけ戦艦などを動き易く立ち回る。

 夜間の隠密作戦なんかも彼女たちは得意だという。

 しかし足が速いということは、その分軽量であるということで、つまりは装甲が薄く壊れやすいということにつながる。

 

 つまりは様々な種類の軍艦は、それぞれに役割があり、それらが艦隊を組むことで素晴らしい成果を上げるように出来ているという事らしい。

 

 暁は私たちを心配してくれるのならば、艦隊を組める準備をしてほしいと言ったのだ。

 それが私たちを護るという事なんだと付け加えながら。

 

 その話を聞いて(あるいは説教)、私は思ったのだ。

 彼女たちと一方通行では無い絆を紡ぐために、私は色んな意味で学ばなければならないし、決断をしなければならないと。

 

 そんな訳で私は遠征をし、資材を貯めようと決めたのだ。

 建造についての書類を見たが、それなりの規模の建造を行うには、大量の資材がいるのだ。

 暁たちを沈めないために、強く大きな戦艦なんかを造りたいと私は思う。

 

「…………ふふっ」

 

 思わず私は自嘲する。そんな私を電は不思議そうに見ている。

 

「どうしたのですか? 司令官さん、急に笑ったりして。びっくりしたのです」

「ははっ、いやね、私は何というか箱入り娘を持った過保護な父親みたいだなと思ったんだ」

「はぁ……よく、わからないのです」

「分かられても困る。恥ずかしいからね。とりあえず電、お茶をもう一杯もらえるかい?」

「はい! なのです!」

 

 とにかく私はそうして前に進んでみる事にしたのだ。

 ベテランの司令官たちに聞かれたら、笑われるか呆れられる動機によって。

 

「なあ、電」

 

 私は机の上で両手を組み、少し”司令官”っぽいだろうポーズで彼女を見た。

 ごくりと息を飲む電。

 

「みんなで遠征、行ってくれるか? 何度も行ってもらう必要があるけれど」

 

 私がそう言うと、電は真剣な表情でこちらを見つめ、そして暫く黙った。

 そして顔をあげると、強く強く頷いた。

 

「ありがとう。忙しくなるけれど、きっと君らを護るからな」

「はい!」

 

 私と艦娘たちの距離。

 その正解はさっぱり分からないけれど、私は私のい場所を護るために前に進もう。

 小さくとも頼もしい彼女たちがいるのだから。

 共に戦う戦友――――実に素敵な響きだと思わないか。

 そして私は工廠へ行くと電に告げ、執務室を後にしたのだった。

 

 

 つづく

  




うん、全然話が進まない。すいませんねほんと。

まあゴールは見えているので長い目で読んでいただけたらと思います。

その関係で少し書き溜めを行いますので、次の投稿は週末を予定しています。


※修正

雷と電の特徴についての描写に誤りがあるとの指摘があり

雷も電も栗色の長い髪を後ろで結っていたりするので~



少し長くなりましたが、

 外見的特徴の話になるが、雷と電は驚くほどにそっくりで、まるで双子の姉妹なんだというレベルで似ている。
 特に背格好はほとんど一緒であるし、どちらも同じ栗色の髪色をしているのだ。
 ただ雷は肩ほどで切りそろえられてあり、電は雷より長い髪を後ろで結っていたりするので、そこで彼女達を見分けるのが分かりやすいかもしれない。

創作活動

捜索活動

10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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そして幕は開いた

 

 政府主導の排他的経済水域への進攻作戦は滞りなく遂行された。

 それは識別信号がflagshipと推定された、深海棲艦の群れのせん滅作戦である。

 観測された海域に潜む深海棲艦は、斥候部隊の計測した限りでは、30を越すほどの濃い反応であるという。

 

 その為に大本営海軍部は本作戦のために主力級艦隊を用意し、この作戦に掛ける意気込みがどれほど本気であるかを示した。

 この作戦には4つの艦隊が組まれたのであるが、その第一艦隊と第二艦隊の旗艦には、限界までに強化改修を行った大和型戦艦大和、そして長門型戦艦長門を置き、そしてその周囲には火力を重視した護衛艦を配置するという物だ。

 第三、第四艦隊に至っても、金剛型戦艦と空母を万遍なく配置した万全の物だった。

 

 そもそもflagshipやeliteと識別される深海棲艦は、たとえば同じ軽巡洋艦であったとしても、その能力は一クラス上以上の能力を発揮してくるのだ。

 それに強化を行っていない通常の艦娘の艦隊で遭遇した時の轟沈する割合は相当に高い。

 

 そこで海軍部は今回の作戦を迎えるにあたり、およそ正気の沙汰ではない保険をかけたのだ。

 それは少し前にとある地域の鎮守府が深海棲艦の襲来によって、いくつか壊滅したのであるが、そこから逃れたと思われる艦娘たちを海軍部は相当数保護したのだ。

 それらを壁として敵に特攻させ、そこに大火力の海軍艦隊で一気に味方もろとも十字砲火で殲滅するという物だ。つまりは拾い物の艦娘たちを大規模なデコイに仕立て上げるという訳である。

 

 それは人道的見地から考えても非情すぎる作戦と言えるが、帝国側の認識として艦娘はあくまで消耗品でしかないという物が常識なのだ。

 逆に大和型や長門型あるいは金剛型戦艦のような主力を賄う戦力に関しては、その維持コストの高さから、できるだけ消耗は避けたいという合理的な観点から優遇されているだけの事でしかない。

 そして司令官という存在は、そのような扱いを受ける艦娘のケアをし、ハンドリングするためのいち役割としかとらえていないのだ。

 所詮、正規の士官ではない司令官たちも消耗品という事である。

 

 こういう事が民衆へ悪感情を植え付け、政府への批判的思想につながらないかという事も考えられるが、基本的な一般人の艦娘への認識は、政府の積極的なプロパガンダ工作により「自分たちの盾となって深海棲艦の脅威から護ってくれる頼もしくも健気な存在」という方向に誘導されているので問題は無かった。

 

 それはTVドラマや日々のニュース、果ては映画の中で艦娘たちがドラマチックに戦い、そして傷つき斃れていく様を繰り返し刷り込み続けられたからだ。

 娯楽の中に狡猾にもぐりこんだメッセージは、勧善懲悪を好む一般大衆には好意的に捉えられ、そして深海棲艦という巨悪に対する憎しみだけが増幅される。

 その成果のため、爪の先ほどの疑いも政府に持つものはいないのだ。

 

 しかしそれは別に帝国だけに限らず、世界各国どこもそれほど違いは無かった。

 そう言う訳で反政府的なネガティブキャンペーンを心配すること無く、海軍部は非情で合理的な作戦を堂々と遂行することが出来るという訳だ。

 

 そもそも民衆からすれば、自分たちの周囲の安寧が守られているならば、たとえそれが遠いあるいは近い将来に起こる困難の火種なんだとしても、その可能性に思い至る者はほんの一握りでしかないのだ。

 飯が食えるか。娯楽という快楽はそこにあるか。つまるところ、そこがクリア出来ていれば問題ないのだろう。

 

 それらの背景を含みながらも状況は時間と共に変化していく。

 本日未明に行われた深海棲艦の一大殲滅作戦。

 

 まだ太陽が昇る前に帝都の港を発った大艦隊は、静かに水面を滑るようにしながら大河を河口に向かって進んでいく。

 その見た目からも華麗で凛とした国内最大級の戦艦である大和を旗艦とした第一艦隊を先頭に、無数の艦影が霧にむせぶ水面を行く。

 もし既に明るかったならば、河の周辺に住む人間はこの光景に息を飲んだ事だろう。

 それほど圧倒的な雰囲気をまき散らしていたのだ。

 

 艦隊が海に出た頃には既に周囲は明るくなっていた。

 それは遥か彼方にある水平線から溶けたような赤い太陽が昇らんとしている。

 そんな中、大和を護衛するように寄り添う軽巡洋艦の五十鈴は油断なく周囲を警戒しながらも大和に向かって声を掛けた。

 

「大和さん、天気も私たちを応援してくれているようですね」

 

 赤い特徴的なセーラー服を身にまとった長良型の二番艦である五十鈴はどこか軽い口調でそう言った。

 しかしよく見ればその表情には若干の強張りがあった。

 

「たしかに今日は素晴らしい天気になるようですね。でも五十鈴、気を抜いてはいけませんよ。たった一つの綻び、それが戦局に影響を与えることは、私たちだからこそ一番理解している筈です。でも、そうね、肩に力が籠りすぎも良くないかもしれないですね」

 

 大和の鈴の音を転がしたような声に、思わず五十鈴は呆けた表情で彼女を魅入ってしまった。

 それは無理も無いだろう。大和の朝日を受けみずみずしく輝く大和の長い黒髪。そして何より大和撫子を体現したような楚々とした見た目の中に、力強い意志の力を漲らせている。

 五十鈴はそんな大和に目指すべき目標の頂を見たのかもしれない。

 そしてその窘めるような言葉の中に包むような優しさが見える。

 

 五十鈴は怖かったのだ。今日の作戦の事を思うと。

 本日のために最大限の改造と強化改修も行われ、万全であるはずであった。

 しかし五十鈴の中には理由は分からないけれど、なんとも言い知れぬ不安の様なものがあったのだ。

 普段から彼女たちは正規軍に席がある関係で、遠征などの輸送任務よりは実際に深海棲艦の殲滅作戦に赴くことが多い。

 そういった経験や練度は、民間の司令官たちの鎮守府に所属している艦娘と比べれば一段も二段も秀でていると言える。

 そんな優秀である彼女の中にあるのは、この作戦の裏に潜むきな臭さだった。

 

 深海棲艦がそこにいる。ならば彼女たち艦娘の役割はそれを叩くこと。

 それはまるで完成された数学の公式のように変えようがないことだ。

 それは五十鈴も分かっている。

 むしろ普段の作戦では深海棲艦を殲滅することに喜びを感じすらする。

 ――――私は生きている! そんな気持ちになれるからだ。

 

 しかし今回の作戦はどうだろうか。

 降ってわいたように深海棲艦が集中している場所が発見されたという。

 なら叩けばいい。簡単な道理だ。

 けれども今まで深海棲艦はどう動いてきたか。

 まるで幽霊のように突如現れ、そのゲリラ戦にも似た神出鬼没な恐ろしさを世界に振りまいてきた筈である。

 

 どこから来るか分からないからこその恐怖。

 それは前もって作戦を立て、周到に準備することが出来ないからこそ生まれるウィークポイントとなるだろう。

 そもそも守らなければいけない前提がある側が弱いに決まっているのだ。

 それもほいほいと身軽に拠点を動かすことがままならない人間たちだからこその弱さ。

 

 だのに今回はまるで狙ってくださいとでも言っているかのような状況とも言えるではないか。五十鈴はそんな風に感じたのだ。

 けれどもそれに根拠はない。まして自分たちは司令官に命令されてこそ動ける存在なのだ。

 しかし今は動き出した作戦の最中である。五十鈴の不安が周囲に伝播して士気が下がったら目も当てられないだろう。

 だからこそ無理をして大和に軽口をたたいたつもりだったのだ。

 

 母のように微笑む大和。

 五十鈴は少し救われたような気持ちになったが、自分たちの数時間前に発っている、所属は違うが自分たちと同じ艦娘たちの事を思うと心に影が差した。

 それは先発した艦隊がおおよそ艦隊と呼べないような編成だったからだ。

 

 所属のなくなってしまった艦娘たちが集められ、既に深海棲艦のいる海域に配置しているだろう。

 後は大和たちが到着すれば一斉攻撃が開始される。それは人間の平和を勝ち得るための戦いでもあり、彼女たち同朋の惨たらしい最後でもある。

 その鉄槌をくださねばならない大和の中には暗鬱としたものが人知れず燻っている。

 けれど彼女はそれを口にしない。なぜなら彼女は彼女以外の艦娘を束ねる立場にいるからだ。

 しかし彼女の憂鬱など関係なく、その時はやってきたのだった。

 

 快晴の空の下、地図の上では国同士の境界上であるというのに、大和を筆頭とした大艦隊たちの目にはどこであろうと変わらない水面がそこにあるだけだった。

 ただ一点普通ではないのは、先発していた艦隊とは呼べない艦娘たちの群れがまるで黒い壁のようにある一点を包囲しているからだ。

 そして彼女たちのいる場所の数百メートル先には黒々とした何かがうごめく渦の様な物がある。

 これは深海棲艦が現れる前触れとしてよく見られる物であるが、これは普段の任務で見る物とは比べ物にならない大きさであった。

 これを見ている誰もが無言であったが、ただ一点共通しているのは、全ての艦娘の顔から血の気が失せている事だ。

 

 ただし前方で壁を作っている無所属の艦娘たちは絶望感。後方で構える正規艦隊の艦娘たちには悲壮感。表面的には同じでも、その胸に去来している感情の質は違っていた。

 誰もが始まるその瞬間を待っている。とにかくこの息詰まるような膠着状態だけは脱したい、その一念だけであった。

 そんな時、第一艦隊所属で一際重装備をまとった重雷装巡洋艦である北上が無言で大和の真横に移動してきた。

 

「……大和さん」

 

 北上は限界まで改造を施された白い姿であったが、その身に纏わせた雰囲気は暗い。

 

「どうしました北上さん」

 

 そう返した大和もまた、普段の凛とした表情をここに来て微妙な物へと変化させていた。

 その時が迫っているという重圧に、さすがの彼女とて簡単に割り切れないのだ。

 

「…………もう、やっちゃいましょ。明日は我が身かもしれない。そうでしょう?」

「…………配置についてください。合図は私が出します」

「りょーかい。…………大和さん、皆分かってますから、一人で背負わなくてもいーんですよ。それじゃ」

 

 北上の気遣いに内心感謝をしつつも、大和は努めて普段通りを装った。

 それでも旗艦である彼女は、これから背負うだろうおぞましい記憶を、自分が悪役になる事で、皆の重圧を背負わ無ければならない――――そう決意していた。

 それは彼女の記憶の中に残る忌まわしい記憶。そう何故か艦娘たちに存在する別の世界で鋼鉄の軍艦だったころの記憶がそうさせているのだ。

 

 彼女は決していい意味ではなくこう呼ばれていた。「大和ホテル」と。

 それは彼女が所属していた国の戦時中に支配していた土地にあった高級ホテルの名前だ。

 なぜそれが彼女の通り名となっているのか。それはその存在すら完全に秘匿されながら鳴物入りで建造された大和型戦艦、大和。

 それは今までの戦艦を遥かに凌駕するスペックの元に開発されたのだが、実際はほぼ活躍すること無く泊地に停泊していたことに由来する。

 それは当時の海軍の運用方針による結果でしかないのであるが、それでも火力も最大規模を持ち、多額の建造費を要して造られた割には活躍らしい活躍は皆無。

 加えて国民が英雄視していたのは長門や陸奥ばかりであった。

 

 そんな記憶が、彼女の精神を病的なまでにある事に固執させる。

 つまりは軍艦としての本懐を遂げたい――――その一転のみなのだ。

 だからこそ彼女は誰よりも先頭に立たねばと考えている。

 それが針の先ほどの小さな油断を呼びこんだ。

 戦場ではたったそれだけの油断が戦局をひっくり返す事などいくらでもあるというのに。

 

 その時、海鳥が甲高い鳴き声をあげて、彼女たちの上空を通り過ぎた。

 沈黙が支配していた場が、そのきっかけで動き出した。

 張りつめた弓から放たれた鋭い矢のように。

 

「……さあ、やるわ。砲雷撃戦、用意!!」

 

 全ての後ろ向きな感情を振り切るように、大和の号令が響いた。

 第二艦隊の旗艦である、長門もそれに合わせ、周囲を鼓舞する鬨の声をあげた。

 

「よし! 艦隊、この長門に続け!」

 

 誰かがあげた悲鳴ともつかない怒号はたちまち戦場を伝播し、普段の任務ではあり得ない雰囲気を作り上げていく。

 最前線の艦娘たちはまるで死兵の如く、海面が盛り上がり、今にも大挙して押し寄せそうな深海棲艦を包囲したまま特攻を開始した。

 それらが叫ぶ、己を鼓舞するはずの咆哮は、幼い少女でしかない声で発せられるため、まるで阿鼻叫喚の地獄絵図を展開する。

 それはそうだろう。年端も行かぬ少女の絶叫が幾重にも重なっているのだから。

 

 ただ実際には円状に方位し、そのまま距離をつめる形で特攻を行っているため、深海棲艦に逃げ場はない。後はそう、後方で待ち構えていた大艦隊が火を噴くのを待てばいいだけなのだ。

 

「あれ……? おかしいよ?! 敵が逃げていく……」

 

 居場所を失くした艦娘たちが、後は同朋から背中を撃たれて逝くのみだという、半ば捨て鉢の心境で突撃する中、誰かがそう言った。

 事実、多数の戦艦ル級のflagshipと思われる艦影が次々と彼女たちの決意を嘲笑うかのように水底へと消えていく。

 

 しかし坂道を転がり始めた石はもう止まらない。止めることが出来ない。

 ほぼ軽巡洋艦と駆逐艦で構成された捨て駒に向かって、彼女たちとはまた別質な咆哮を上げた大艦隊の雪崩は、今まさに炸裂寸前となって迫っている。

 ――――その時だった。

 

「後ろッ! 敵正反応ありますッッ! 後方の駆逐艦、転回してください!!」

 

 悲鳴染みた号令を誰かが発した。

 しかし誰もそれに反応できない。

 それは誰もが冷静に状況を把握できたものがいなかったからだ。

 そしてそれは誰よりも息巻いていた大和とて同様であった。

 

 次の瞬間、彼女の後方の水面が盛り上がり、正規軍艦隊を扇状に包囲するように、100を超える深海棲艦の群れが突如現れ、前方に意識を集中させていた大和たちの背中に向かって容赦のない十字砲火を開始したのだ。

 そう、周到に用意していたのは深海棲艦の方だったのだ。

 大和たちは言うなれば、無防備に蜘蛛の巣に飛び込んだ憐れな蝶だ。

 

 その日、大破した第二艦隊の旗艦である長門に率いられた満身創痍の艦娘が10と少し、本部に戻ることが出来た。

 そして勝ちを確信していた海軍部の首脳陣を絶望、あるいは虚無感に叩き込んだのだった。

 

 ――――――――全艦隊、壊滅という信じられない報告によって。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 私はまたも自分の執務室の中でぼんやりと待っていた。もちろん、私に付き従ってくれている艦娘たちをだ。

 というのも彼女たちは今、遠征に出かけているからだ。その帰りをこうして待っている訳だが、思えば司令官としてこの鎮守府に着任してから2か月ほどになるが、基本的に私の仕事の多くは待つことなのだ。

 それは結局のところ、彼女たちが某かと動かなければどうしようもないのだから。

 

 とはいえ待っている間にもやることは多い。

 それは例えば装備の開発であったり、あるいは新しい艦娘の建造であったりだ。

 正直に告白すれば、私は建造については乗り気ではなかった。

 それは私が元々戦争という物になじみが無いというか、戦後教育の中で無意識に禁忌するようになっていたからか、もしくはそのどちらもかもしれないが。

 そういうものと、自分のリアルな戦いへの恐怖感から、少女であり個としての意思もそれぞれあるが本質は兵器である艦娘をこれ以上増やしたくなかったのだ。

 

 加えて私は、暁型というあの子たち4人との関係性が心地よく、周りの状況が激しく変化することを嫌ったというのもある。

 これは私が家族ごっこをしたいだけか、真の家族愛によるものかは私には分からないが。

 しかし暁がかつて私に言った言葉によって、少しだけ考えを変えることにした。

 それは、ちゃんとした艦隊を組むことによって、自分たちが安全に任務を遂行することが出来るという事だ。

 私は己の独りよがりな考えによって、それについて完全に失念していたようだ。

 とにかく私は、その言葉をきっかけに新規建造を行ったのだ。

 

 しかしそのことにより、資材をある程度潤沢に貯めておく必要性が大いに増したため、暁たちの遠征による報酬をあてにしなければならなくなった。

 そして私の書類仕事も大いに増えたのであるが……。

 

「提督、そんなに眉間に皺を寄せていると老け込んでしまいますわよ」

 

 書類を片付けながら、相変わらず栓のない事を考えていると、私の机の横にもう一つ置かれた机に座る女性に窘められた。

 そんなにしかめつらをしていたのだろうか?

 

「自分では中々気が付きませんからね。愛宕さんの仕事は順調ですか?」

「ええ、提督の書類にはあまり手直しすることはありませんから楽なものですわ」

「なるほど。私もある程度片付いたので、お茶でも飲みませんか?」

「いいですねぇ。では一休みしましょうか。ふふっ」

 

 そういって柔らかな笑顔を浮かべた愛宕さんは、給湯室へと向かうために部屋を出ていった。

 彼女の薔薇の様な残り香に、思わず呆けてしまう。何か香水でもつけているのだろうか?

 彼女はしなやかな金色の長い髪を腰辺りまで伸ばしおり、女性としてはかなり豊満でありながら、それでも見事なスタイルをした人だ。

 

 そう、彼女が私が初めて行った建造で生まれた愛宕さんなのだ。

 例の妖精にいくらかの資材を渡し、そして煙の中から出てきたのが彼女だ。

 愛宕さんは高雄型と呼ばれる型式の重巡洋艦だという。

 重巡洋艦とは大型の巡洋艦で、その搭載された火力は駆逐艦の非じゃないそうだ。

 私はその手の知識は鈍いから良くわからないが、暁たちが言うには駆逐艦の何倍も凄いらしい。

 特に暁は、女性としての愛宕さんを尊敬しているらしく、鎮守府にいるときはまるで姉をしたう妹のように後ろをついて回っている。

 

 彼女の他に二人、ここのメンバーは増えている。

 それは軽巡洋艦の木曾さんと、駆逐艦の島風だ。

 二人は今、ここにおらず、暁たちと艦隊を組んで遠征中だ。

 彼女たちもまた、何というか非常に個性が強く退屈しない。

 島風は何故か私を司令官とは呼ばず、お兄さんと呼び後ろをついてくる。

 彼女の見た目からすると、どうみても私の娘という感じにしか見えないのだがなぜだろうか。

 

 愛宕さんはあまり資材を使いたくないという台所事情もあるが、それよりも落ち着いた性格からか、私が普段しているような事務仕事を卒なくこなしてくれるし、そういった本来の秘書仕事を苦にしないところがあるため、現在はほぼ専属のような形で秘書艦を務めて貰っている。

 本当に彼女には頭が上がらない。

 

 因みに暁たちは私を司令官と呼ぶが、彼女は提督と呼ぶ。

 この違いはなんなのか聞いてみたのだが、その方がしっくり来るとのことで、私にとってはなんとも要領を得ない話だ。

 なので好きに呼んでもらっている。

 そもそも彼女たちは私が佐々木勝という名前なのだときちんと把握してくれているのだろうか?

 まあいい。

 

「お待たせしました提督。珍しく紅茶の茶葉が手に入ったので淹れてみましたよ」

 

 そうしていると静かに扉をあけて愛宕さんが戻ってきた。 

 銀色のお盆の上に、白い陶器のティーセットが二組あり、それを優雅に持ちながらも、片手で器用に扉を開けることができるのは凄いなぁと思う。

 

「紅茶ですか、いいですね」

「ふふっ、お茶請けは羊羹なんですけどね。百田さんお手製の」

「まあ、そういうのも悪くないでしょう。ではいただきますか」

「はい♪」

 

 南向きの窓から陽が射し込み、部屋の中はぽかぽかとしている。

 そんなゆっくりとした午後を満喫するかのように、私と愛宕さんは差し向って応接に座った。

 

「…………」

 

 お互いに特に口を開くこともなく、静かにお茶を喫む。

 しかし沈黙は苦にならず、ただ時間だけが過ぎていく。

 今日はほとんど仕事はこなしてしまったから、後はもう少し頑張れば一日は終わる。

 

 暁たちは今頃帰路についているだろうか?

 私が行かせた遠征は、民間の輸送船の護衛任務だ。

 何事もなく帰ってこれればいいが……。

 

「提督、また難しい顔をしていますわよ? あの子たちが心配なのは分かりますけれど、もっと信頼してあげてくださいな」

 

 私がそんなことを考えていると、私の顔じっと眺めていた愛宕さんに気付く。

 

「……やはり分かりますか?」

「分かりますよう。だって提督がそんな顔をしているときは、いつもあの子たちの事を考えているに決まってますもの。なんだか妬けてしまいますわね?」

 

 品よくティーカップを傾けながら彼女は冗談めかしてそう言う。

 名前は純和風ながら、欧州調の整った容姿をしている彼女には紅茶が似あっている。

 

「あはは、愛宕さんには何でも御見通しですね……。しかしいつまでたっても慣れない物ですね」

「それが提督の良い部分でもありますから大丈夫ですよ。きっと彼女たちもそれが分かっているからあんなに一生懸命になれるんです」

「そういうものでしょうか?」

「そういう物です。提督は考えすぎるだけなんですってば」

「ははっ、貴方には敵わないななぁ」

 

 何を言ったところでどうにも彼女には色々と見透かされているようだ。

 それにしても彼女は懐が深いな。彼女はいつだって心の余裕を崩さない。

 見習いたいものだと感心してしまうな。

 深く落ち込みそうな私の心は持ち直し、また頑張ろうと気合を入れる。

 

「じゃ暁たちが帰ってくるまで続きをやりますか」

「はい♪」

 

 私の心の不安を誤魔化すかのような空元気な言葉に、やはり彼女は優しく返事をしてくれる。

 建造――――悪かなかったなぁとしみじみ思う。

 私は愛宕さんに心の中でありがとうと呟き、自分の机へと戻るのだった。

 

 そんな緩やかな私の鎮守府であるが、それを嘲笑うかのように世の中は激しく動いていた。

 そして人間だれしも、先の事を知る方法などあるわけもなく、ただ起きてしまった出来事に対して右往左往するしかないのも真実である。

 

 

 

 ――――つづく

 

 




ばたばたしていて推敲しきれてません。申し訳ない。

週一投稿が定番化しそうです。

※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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私は無様に立ち尽くす

 遠征から戻った暁たちであるが、ある者は入渠し傷を癒し、ある者は食堂で思い思いの食事を楽しんでいる。

 私は港で皆が戻ってきたのを迎えた後、事務仕事で鈍った身体を伸ばすように鎮守府の中を散歩していた。

 

 この鎮守府は何というか無駄に広い。しかし中にある施設はどれも物々しい雰囲気を放っている。

 それはそうだ。トップに座る私がただの素人だとしても、ここは軍事施設に違いないのだから。

 それでも所属している艦娘たちは少ないから、この施設の6割を占める整えられた芝生は、村人たちの憩いの場として開放してあったりする。

 もちろん何か間違いがあっては困るし、時折視察にくる大本営海軍部の担当官の目もあるから、解放している区画にはフェンスを張り、直接艦娘と関われないようには配慮してある。

 ただ村の居住区に、非番の艦娘が散策することは自由にできるのだけれども。

 

 村の中での彼女たち艦娘の存在とは、何というか年齢層の高い村人たちの共通の孫や姪っ子という感じがしっくりくるだろう。

 いつもニコニコして歩いている駆逐艦たちなんかはまさにそんな感じだ。

 愛宕さんはその醸し出す大人の女性のような雰囲気に、村の青年たちは目を奪われるようだし、木曾さんなんかは逆に、最近増えた若い女性たちに黄色い歓声を受けたりしている。

 もしかすると深海棲艦の被害に遭うかもしれない――――そんな思いで暗くなりがちな気持ちを、一時でも忘れられる清涼剤のような効果があるのだろうな。

 

 私はそんなことを思いながら、相変わらず慣れない海軍将校の制服姿で歩く。時折見かける村人たちと会釈を交わしながら。

 フェンス越しであるが、彼らは私を見かけるとどこかほっとしたような表情となる。

 こんなご時世だ、私の様な存在が、彼らの守役として身近に居れば無意識にそうなるのだろう。

 ただ週に一度、一週間分まとめて届く帝国新聞は、どこの海域で艦娘が人の盾となって散っただの、彼女たちの犠牲を賛美するような記事が毎日紙面を飾っているのを見ると、私はどうしても暗くなってしまう。

 

 たしかに深海棲艦は恐ろしくも強大な存在なのだろう。

 被害にあって滅んでしまった鎮守府も多数あるのも知っている。

 実際に暁たちが元々所属していた鎮守府だってそうなのだ。

 そんな恐ろしい存在と真っ向から戦える彼女たちは賞賛されて当然だと私も思う。

 けれど、と私はそれを素直に受け入れられずにどこか”もやり”とした想いを抱いてしまう。

 

 私が司令官としての立場を自分なりに納得し、他の司令官もしているであろう鎮守府の通常業務をやるようになってからもう数か月は経つだろう。その中で多くを占める任務は遠征と呼ばれるものだ。

 それを行うのは、この辺りの海域の哨戒を行ったり民間の船を護衛したりとその内容は様々であるが、それに応じた報酬を資材という形で受けることが出来るからだ。

 もちろん運営費という名の金銭も与えられる。それは本来であれば国がしなければいけない地域の警備活動を、私たち民間側に属する鎮守府が担っているからに他ならない。

 

 けれどもやはり、それは危険を伴うことであるし、実際に彼女たちはその任務の最中に何度も深海棲艦に遭遇し、そして戦っては傷ついて帰ってくる。

 幸いまだ轟沈という、生命の消滅には至っていないが、私はいつも気が気じゃない。

 だから彼女たちが遠征から帰ると、実際にどんな事があったのか、あるいはどんな気持ちになったのっか。あるいは後を引くような怖さを抱えてはいないかなど、報告書とは別に一人一人、話を聞くようにしている。

 それは私の偽善でしか無いか、または自己満足の様なものかもしれないが、何というか彼女たちの存在意義として命令に従い、司令官はそれを事務的に廻していくというだけなのが嫌なのだ。

 実際に私が前線で傷つくことは無いにしても、心の負担の様な物は一緒に抱えていたいと思う。

 

 彼女たちは任務の最中に敵に遭遇すると、旗艦を命じている艦娘がまず私に無線で状況を知らせてくる。

 それはどういう行動を踏むのか私の判断にゆだねられるからだ。

 普段は普通の村人と大差のない私が、この時ばかりは最前線にいて、非情な現実からは逃れられないのだと思い知らされる。

 彼女たちはいくら女性の姿かたちをしていても、やはり本質は兵器であり、鎮守府の性質は海軍のそれなのだ。だから私はその時、努めて冷静に判断を下そうと心がける。

 それは銃を持つのが彼女たちだとしても、引鉄をひくのは私の役目であるし、深海棲艦の命の幕引きは私でありたいと思うからだ。

 だとしても実際に深海棲艦を仕留め、水底に沈めた実感までは私に伝わらない。

 だからこそ話を聞くしかないのだ。

 

 けれども彼女たちから聞く、報告という名の個人面談での話の内容はひどく生々しい。

 人類の敵だと言われている深海棲艦――――彼女たち……敢えて私は彼女たちと言おう――――とにかく彼女たちは艦娘に命を刈られる際、例外なくこの世を呪うような言葉を残すという。

 深海棲艦たちは暁たちの様などこにでもいるような少女の姿ではなく、人間離れした容姿をしているが、それでもその中心にいるのは女性の姿をした何からしい。

 それが恨み言を置き土産に消えていく。何とも後味の悪い話ではないか。

 

 そこが私には解せないのだ。

 深海棲艦は人を襲う。確かにそうなのかもしれない。

 しかし私が知っている人類の歴史では、ここと変わらず沢山の人間が血を流す戦争が繰り返しあった。

 けどそれは理由はどうであれ、人間同士が何かのために戦ってきた。

 尊厳のため、信じる神のため、あるいは外交の一環としての戦争。

 それは何かを護ったり奪うための理由が必ずそこにあった。

 

 なのにこの世界はどうか。

 この世界の歴史のある時点から突然深海棲艦という人類の敵が現れ、そしてそのために艦娘と呼ばれる人類の武器も現れた。

 なら深海棲艦は何のために戦っているのだろうと疑問に思うのだ。

 たしかに深海棲艦は人類を襲う。でも奪わない。ただヒトが憎いとばかりに襲うのだ。

 それは私からするとひどく歪に感じるのだ。

 

 現在の状況は深海棲艦が人を襲い、艦娘がそれから人を護るために命をかけて戦うという構図だろう。

 それはまるで私たちの力が及ばない、我々を超越した何かによるマッチポンプな代理戦争のようだと邪推してしまうのだ。

 それは私の飛躍した考えかもしれない。

 しかしそう思わなければ余りにも艦娘たちに救いが無いじゃないか。

 ただ生み出され、使役され、そして沈んでいく。

 では彼女たちの幸せはどこに見出せばいいというのか。

 

 彼女たちそれぞれに等しくある遠い過去の軍艦としての記憶。

 その全てが同じではないにしても、決して明るく幸せな記憶などでは無いだろう。

 そんな彼女たちは、今の少女然とした姿で使いつぶされるために存在している。

 その上、感情という厄介なものまで持ち得ながら、だ。

 そして敵である深海棲艦もまたそうなのかもしれない。

 

 私には何の大義もそこに無いように思えるのだ。

 こんな事を思うなんて私がある意味人間の敵のような思想なのかもしれない。

 けれどもただ、人類が艦娘たちに依存するしかない現状を見ていると、その異様さを感じるのは如何ともしがたいと思うのだ。

 人類とはそんなに柔な筈はないと私は思う。それは歴史が証明している。それはあくまで私の知っている歴史に限るが。

 けれども強靭さを身に着けるには、痛い目に遭わねば学習しないのも真実だろう。

 ならばすべてを艦娘に依存しているこの世界とは一体何なのだろう。

 私はここへきて、流されるままに今の立場に至る間、そのことについて考えてきた。

 なぜなら考える時間だけはいくらでもあったのだから。

 それは私の傍らにいる、鋼鉄の少女たちとの距離が近くなれば近くなるほどにだ。

 彼女たちと言葉を交わし、あるいは触れ合う事でその体温を感じ、確かに彼女たちは心を持ち生きているのだと知る。

 

 だからこそ村人が毎週楽しみにしている帝国新聞の記事を見るたびに、私はなんとも胡散臭さを感じてしまうのだ。

 

 とはいえ、それを暁たちに話す気もないのだが。

 少なくとも彼女たちの意志の根底には、過去の記憶による無意識的なものがあるにせよ、私の役に立ちたいという意思を感じる。

 それはあり難いし、正直うれしくも感じる。

 だからこそ私は、私だけはそこに甘えきってしまうことだけはしないと決めている。

 その為に考えることをやめてはいけないと強く思うのだ。

 もしかすると、明日居なくなってしまうかもしれない彼女たちの想いという物をを無駄にしないために。

 

 そんなことを考えていると、いつの間にか私は堤防の突端まで歩いてきてしまったようだ。

 少し湿り気のある海風が私の頬を叩く。

 とはいえ一年中温暖な気候であるこの辺りの風は、朝晩でなければ特に寒くは感じない。

 

 私は堤防の上へと登り、テトラポットが詰まれた外海を見ながらそこに腰かける。

 堤防の中は穏やかで波は無いが、やはり外海は白波が立っている。

 私はのんびりとそれを眺めながら、釣りでもしたら魚が釣れないだろうか? なんてどうでもいい事を考えてしまうのだった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 すっかりと秘書艦として板についてきた貫禄のある愛宕は、割と遠方までの遠征を終えて帰ってきた艦隊の旗艦を務めた軽巡洋艦である木曾と歩いていた。

 今回の遠征では幸運にも被弾すること無く帰還した木曾は、事務仕事をひと段落させ、食堂で茶を喫んでいた愛宕を誘い、こうして散策へと出かけたのだ。

 

「なあ愛宕さん、アンタはここの司令官をどう思う?」

 

 艦娘たちもいない静かな埠頭を並んで歩いていた木曾と愛宕であったが、暫くの無言のあと、木曾が急にそう言った。互いに前を見つめているまま。

 

「ふふふっ、木曾さんは遠征でお疲れになっているのかしら? 質問の意味が良く分からないわぁ」

 

 同じ大戦の記憶はあれど、今の本質は新たな個性を手にした二人の間に、不思議な緊張感が走る。

 愛宕はいつもの突き抜けた明るさを持つ印象とはどこか違う、木曾の真意を探るような目をしながらも、器用な笑顔を添えている。

 

「いやそう構えるな。俺は別にあの司令官をどうこうしようとは思っては無い。ただな、何というかあの人の目指すところが見えなくてな……。それが少し気になっていたんだ」

 

 横を並んで歩いていたはずの愛宕が、木曾の前に立ちふさがるように立ち、普段は決して見せない様な気迫を漲らせた彼女に木曾はたじろぐ。

 それでも持ち前の心根の強さで踏みとどまるが、言葉じりは残念ながら少しぎこちなかった。

 

 木曾が自分を建造した司令官と触れ合った日数はまだ多いとは言えないが、それでも彼女は事あるごとに彼を観察してきた。

 それは彼女がどこか戦いの中に美学を見出すきらいがあるからだ。

 とはいえ戦いを賛美するというよりは、戦いそのものに生きがいを感じるという意味で。

 だからこそここの工廠の中で自分が生み出された時、目の前にいた自分の司令官の第一声を聞いて、彼女はひどく混乱を覚えたのだ。

 彼は言ったのだ。「造ってしまって申し訳ない。できるだけ傷つかないように運用する」と。

 

 その後彼の求めるままに、既にいた暁型駆逐艦たちと水雷戦隊を組み、いくらかは遠征任務などをこなしてきた。

 元々艦娘には生まれてすぐに本能的に感じる自分たち艦娘の使命というか目的のようなものを無意識にに知る。

 それは司令官の命令下による敵との戦いやそれに付随する遠征などの軍事活動の事である。

 木曾はどうも自分の司令官はそれを積極的に行おうと言う風には見えなかったのだ。

 しかしそれが命令というならば仕方がないとも思う。それが司令の求めるものならば、だ。

 ならばなぜ、自分は生み出されたのだろうか? それが彼女は知りたかったのだ。

 別に危険を避けた任務のみをえり好みするならば、駆逐艦だけで用は足りるのだから。

 

 だからこそ、自分よりも少し先に生み出された艦娘である愛宕にその真意を尋ねた。

 それはあのどこかふわふわした印象の司令に聞くのは憚れる雰囲気があったからだ。

 それに愛宕は司令官と意思の疎通がうまいと木曾には思えるのだ。

 だからこそ自分の知らない司令官の考えを知っているかもしれないと。

 

「そうね、たしかにあなたの様な気質からすると、あの方の考え方はきっと理解できないのかもしれないわぁ。でもね、木曾さん。彼は彼なりに戦おうとしているみたいよぉ」

 

 いつの間にか先ほどまで漂わせていた尖った雰囲気を今は消し去り、愛宕はいつもの様に優しげな口調で答えた。しかし木曾は納得できないという表情だ。

 

「何というか抽象的すぎて分からないな。敵など外海に出ていけばいくらでもいるだろう? ならばそれに備えて資材を蓄え、戦力を増していくというのが正解だと俺は思う。でもあの司令は、俺たちが傷つくことこそを恐れているように見える。なら彼が俺たちを生み出す行為は矛盾ではないのか」

「矛盾……そうかもしれないわね。でもあの人もまた、矛盾を感じているみたいよ? そもそもの在り方に」

 

 愛宕の言葉は抽象的だった。

 それは何かを連想させるには色々と材料が足りないと木曾は思う。

 

「矛盾……在り方……ならば司令は何と戦うというのか!」

 

 自分の理解できない事柄に思わず苛立ちを覚えた木曾が、愛宕に詰め寄る。

 だがその愛宕は優しげな笑顔を崩さずに、黙ってある方向を指さした。

 思わずつられてそちらを向いてしまう木曾。

 

「……司令」

 

 何とも暢気そうに堤防に座る佐々木司令官の姿が見えた。

 その太平楽な姿に、木曾は毒気を抜かれてしまったように身体の力が抜けた。

 

「木曾さん、思うことがあるのなら直接聞いてみなさいな。あの人はちゃんと答えてくれるわ。そしてそれを聞いたら、きっと貴方もあの人への見方が変わると思うわよぉ」

 

 そういうと愛宕は木曾の背中をぽんと押し、そして自分は踵を返すと鎮守府本部に向かって歩き始めた。

 木曾は何かを言おうとしたが、背中を向けたまま手をひらひらと振っている彼女を見ると、言うタイミング自体を失ってしまった。

 そして彼女は感情のやり場を失い、それを振り切るように二、三度頭を振ると、司令官のいる堤防へと歩き始めたのだった。

 

「……それを聞いて、貴方が受け入れられるならば、だけどね木曾さん――――――――

 

 少しうつむき加減のまま歩く愛宕の呟きは木曾には届かない。

 そしてその表情は普段の愛宕からは想像出来ないほどに険しい物であった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「ふぅ、やっと落ち着いたのです」

「何言ってるのよ電。そんな疲れた中年みたいな事言わないでよね」

「でも雷おねえちゃんの格好でそれを言われたくないのです」

「う、うるさいわね……、まあ確かに気持ちいいけれども……」

 

 まるで風呂上がりのようなラフな姿のまま、自分たちに与えられた和室の畳でごろごろと転がる雷と電は、そのだらしない格好のまま何やら言い合いを始めた。

 これはもう彼女たちの恒例行事の様な物で、遠征などでの戦いで傷つくと入渠【にゅううきょ】を行うのだが、その入渠とは本来の軍艦の修理の様とは少し違う。それは何というか艦娘専用の温泉のような施設なのだ。

 実際彼女たちは傷が癒えるまでそこに浸かり、回復仕切るとほかほかと湯気を立ち昇らせてそこから出てくるのだ。

 何とも不思議な話であるが、妖精のすることだからと誰も不思議には思わなかったりする。

 

 遠征が終わるたびにどこかしら傷つく彼女たちは、鎮守府に戻ってくると佐々木司令により、すぐさまここへ入れられる。

 その少し過保護なまでの扱いに、元の鎮守府での扱いが悪かった暁を筆頭とした駆逐艦たちは、これを諸手を挙げて歓迎したものだ。

 実際、入渠すると気持ちが良いのだ。

 かといってそれなりの資材を消費するので、ただ入りたいからと言って入れるものでもない。

 そんな訳で彼女達は今、遠征空けの入渠を楽しみ、こうして呆けていたのだった。

 

「そう言えば暁姉さんたちはどうしたの?」

 

 ふと雷は仰向けのまま気怠そうに電に尋ねる。

 

「えっと、司令官がいないから探しに行くって言ってたのです」

 

 電は相変わらずほわんとした表情のままそう返した。

 

「司令ねぇ。どうせいつもの様に海でも見てるんじゃないの?」

「かもしれないです。はふぅ」

「ふーん、まあいつもの事か。それよりも電、いつまでも溶けた顔してないで髪を梳きなさい。癖がついちゃうじゃない!」

「はわわっ……んーでも、もう少し……こうしていたいのですぅ……」

「ちょっと寝ないの電! 風邪ひくわよ!」

「……なのです…………」

 

 そんなのんびりと時が流れる駆逐艦の部屋に、暁が血相を変えて飛び込んできた。

 

「電、雷、大変よっ! 今すぐ工廠まで来て!」

 

 今にも寝そうになっていた電とそれを嗜める雷。

 だが暁の声を聞くと反射的に飛び起きた。

 それほどに暁の声には鬼気迫るものがある。

 

「ど、どうしたの暁姉さん?!」

「はわわわっ、驚いたのです! どうしたのですか?」

「いいからっ! 今すぐ来てっ!」

 

 暁はそう言い放つと、そのまま乱暴にドアを開けると走って行ってしまった。

 あとに残された二人は顔を見合わせたまま首をかしげる。

 しかし暁の態度には尋常じゃないものがあり、そして制服も着ないまま後を追うのだった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

「何もしゃべるな! 今治してやるからっ! 愛宕さん、木曾さん、ありったけの資材を持ってきてくれっ!!」

 

 雷と電が工廠にたどり着いたとき、中は異様な緊張感に包まれていた。

 先に来ていただろう響はただでさえ白い顔を青くしたまま立ち尽くしているし、彼女たちを呼びに来た暁はその瞳から涙を滝のように零しながらも、工廠の中のコンクリートの床に横たわる何かを暖めるようにしきりにさすっている。

 

 夕方に差し掛かったこの時間帯、現代のように照明が沢山あるわけではないために中は薄暗い。

 そのために雷と電は状況を理解することが出来なかった。

 ただならぬ事が起きている事だけは何となく理解したけれども。

 

 そして何より、普段は声を荒げる事など皆無な自分たちの司令官が絶叫している。

 その声に二人は我に返ると、彼の傍まで近づいてみることにした。

 そして思わず絶句する。

 

「なっ……」

「ひ、ひどいのです……」

 

 そこにあった光景は、自分たちと同じだろう艦娘の変わり果てた姿だった。

 一人は小柄で細身の少女で、黒髪を二本に束ねている。

 そしてもう一人は端正な顔立ちをしているが大柄な女性で、輝くような長い黒髪を後ろで束ねている。

 二人の状態は誰もが目を背けたくなるような惨状で、赤いセーラー服の白い部分が自分の物だろう血液で真っ赤に染まっていた。

 

「愛宕、何やってんだ! 早く持ってきてくれっ!!」

「司令官、落ち着いて! ねえ落ち着いてよぅ!」

「……すまない暁」

 

 錯乱したように横たわる女性の横で叫び続ける佐々木司令を、自分も嗚咽を漏らしながらも必死ですがりつく暁。

 ついさっき自分たちを呼びに来た時の剣幕はどこかに消え失せ、ただのか弱い少女のように儚げになっていると雷と電は思った。そしてこんな司令官は見たことが無いとも。

 それよりも、と漸く目が慣れたのか、この惨状の正体がなんなのかを彼女たちは理解した。

 

「これって……大和さんと五十鈴……?」

 

 暁の呟きは正しかった。

 しかし彼女に答えをくれるものは誰もいなかったが。

 

「これは……どういうこと……なのですか……?」

「来たね、電。私にもよくわからないが、愛宕さんと木曾さんが外海への境界あたりで彼女たちを見つけ、ここまで曳航したみたいなんだ。それにしてもこれは酷いよ……」

 

 電の呟きに立ち尽くしたままであった響が答える。

 よく見ればその薄い唇は小刻みに震えていた。

 横たわる大和と五十鈴を見て怖くなったのだろう。

 響は普段のように気丈な態度を装うとしているようだが、残念ながらそれは失敗だったようだ。

 

「提督っ! これで全部ですわ!」

「ありったけ持ってきたぞ!」

「ありがとう二人とも。妖精さん、これでいいか? これで二人を治せるか?! 頼む、早くなんとかしてくれ! 私に出来るならなんでもするから……」

 

 佐々木は愛宕たちが持ってきた資材をひったくるように奪おうとして、自分では持てない重さである資材をその場に落とす。それでも佐々木司令は周囲に集まってきた妖精に叫んだ。

 彼のあまりの剣幕に工廠妖精たちは一瞬怯えた表情を見せるが、それも彼の真剣さを感じ取ったのか、やがて大和たちの周りに次々と集まり始める。

 

 通常の破損であれば、艦娘たちは自らの足で入渠する。

 しかし今の大和たちは、ほぼ限りなく轟沈した状態であると言えるのだ。

 ここに運ばれた時、大和の意識は既になく、かろうじて意識のあった五十鈴がただ「大和さんを助けて……」とだけ曳航する愛宕に伝えると、もう役目は終わったとばかりに意識を手放したのだ。

 

 元々彼女達を見つけたのは佐々木司令だった。

 堤防の上でとある事で木曾に詰め寄られていた時の事だ。

 その見た目は女性であっても、やはり艦娘は兵器である。

 そんな木曾に襟首を掴まれた佐々木は逃避とばかりに目を晒したとき、港の入口あたりの海面が真っ赤に染まっているのを見つけた。

 佐々木は慌ててそれを木曾に向かって叫んだのだが、話を逸らすなと窘められる。

 結局は愛宕が普通ではない佐々木の様子にその方向を確認すると、たしかに海面は赤く染まっている。

 

 愛宕の目でそこを確認すると、どうやら轟沈寸前の艦娘が浮いていると分かったのだ。

 それを聞いた佐々木の動きは早かった。

 さっきまで木曾に持ち上げられんばかりに捕まれていたというのに、彼女を半ば突き飛ばすように放すと、普段のおっとりとした彼からは想像できない速度でそこへ向かって走って行ったのだ。

 とはいえ、彼は生身の人間であるから、突端まで着いたとてそれ以上どうしようもない。

 しかし彼は白い海軍将校の制服姿のまま、潮の流れのはやい港の出口付近の海に向かって飛び込んだ。

 

 慌てて後を追いかけてきていた愛宕と木曾は、まるでその後先を考えない佐々木の行動に呆れると同時に愛宕は佐々木を、木曾は浮いている艦娘をと瞬時に役割分担をし、海に飛び出した。

 そして工廠まで来たという訳であるが、そこにはたまたま何かの用事で佐々木を探していた暁と響がおり、佐々木たちのただならぬ姿に絶句したという訳だ。

 そして暁は気丈にも自分の姉妹を呼びに行き、響は惨状に固まったという訳だ。

 しかし島風は元々工廠の中で連装砲の整備を行っていたようだが、喧騒に包まれている間に何故かそこから消えていた。

 

 顔をくしゃくしゃにしながら号泣しながら大和たちにすがりつく佐々木。

 だが暁と響が彼を無理やり引き剥がすと、工廠妖精たちは山積みとなっている資材を使い、大和たちの修理作業を開始した。

 工廠の中は「放せ」と叫ぶ佐々木の声以外は、きわめて静かなものだった。

 いくら艦娘と言えども、こうなっては出来ることなど無いのだから。

 

 佐々木の脳裏には、暁が、あるいは響がここへやってきたときの事がフラッシュバックしていたのだ。

 もしあの時、彼女達が復帰しなかったらここにはいないだろう。

 彼にとって艦娘は今や、自分の半身のように思っているところがある。こうして取り乱すのも不思議はないだろう。

 

「戻ってこいっ!!」

 

 そして喉を切り裂くような彼の絶叫が再度、静まり返る工廠の壁に反響するのだった。

 それを彼の艦娘たちは悲痛な顔で見ているしか出来なかった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 工廠では流れ着いた大和と五十鈴を治そうと佐々木を筆頭に作業が行われている。

 それは普段は静かなこの鎮守府に響き渡るほどの喧騒だった。

 当然その声はフェンスの向こうを歩いていた幾人かの村人に届き、何事かと人がそこかしこに集まり始めていた。

 鎮守府で何かが起きるという事は、即ち深海棲艦に関わる事を連想してしまうのは当然だろう。

 

 この騒ぎを重く見た鎮守府の食堂を任されている百田夫人は、ゲートに集まる人々に事情を説明し、これ以上騒がないように説明をする。

 深海棲艦が攻めてきた訳では無いのだから、落ち着いたら事情を説明するとそれは丁寧に。

 人々はそれでも不安な顔を隠せなかったが、ある意味この村の顔役となりつつある百田夫人の言を不承不承受け入れつつ帰路に就いた。

 

「まったく、どうなっちまうんだろうねぇ……。まああの子の事だから心配はないだろうけど」

 

 百田夫人はそう呟くと、この騒ぎが落ち着いたらきっと皆腹を空かせるだろうと食堂の面々に何か温かい汁でも作ろうと号令を出した。

 

 ふと彼女が今は誰も居ない食堂のテーブル席を見た。

 そこには特徴的な黒いリボンを二本、上に向かって立てている派手な服装の艦娘、駆逐艦島風がぽつりと座っていた。

 何かを飲食するでもなく、ただ静かに空中の一点を見つめ、じっとしている。

 百田夫人はそれを怪訝そうに眺めると、彼女に向かって声をかけた。

 

「おや島風ちゃん、あんたは皆のところにいなくてもいいのかい?」

 

 百田夫人はすべての事情を知っている訳では無いが、少なくとも今、工廠では傷ついた艦娘を治そうと大騒ぎになっていることだけは把握している。

 島風は普段から艦娘たちが集まっている輪にあまり近寄ろうとしないのを彼女は知っていたが、こんな緊急事態のさなかに涼しい顔をしている彼女を見ると少し解せないと感じたようだ。

 しかし島風は百田夫人を一瞥すると、「……別に」と素っ気なく返事を返し、そして宿舎に向かって歩いていってしまった。

 

「まったく、変な子だよ」

 

 彼女は取り付く島もない島風の様子に肩をすくめると、こうしていても仕方がないと厨房へと入っていった。

 あとに残されたのは静寂のみ。

 

「……ほら、始まったよ。お兄さん」

 

 島風の言葉は誰にも届かない。

 そしてその真意も――――

 

 

 ――――つづく。

 

 




土曜の10時に予約したはずの今話なのですが、修正を行ってたら再度日時を設定することを忘れ、そのまま投稿されてしまいました。
なので今週分の投稿をこれとします。

良かったら感想など頂けると嬉しいです。

※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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鋼鉄の脆さ

遅くなりました。


 

 佐々木の鎮守府には司令室に据えられた応接セットとは別に、独立した応接室がある。

 広さ自体はせいぜい八畳程度であるが、あらゆる来客を想定されているため、そこにある調度品は上品なもので統一され、内装もまた控えめながら上質な雰囲気を演出されていた。

 床に敷き詰められた絨毯は毛足の長い紅色の物で、そこに設置されているソファは、司令室に置かれている物よりも遥かに豪華だ。

 光沢のある木目のローテーブルを挟み、茶色の柔らかな革であつらえた三人掛けと二人掛けのソファ。

 そして今、この部屋には三人の人間がいる。二人はソファに座り対面しているが、片方の人間の傍らに立つものが、何とも不思議な緊張感を醸し出している。

 

 座っている人間の片方はこの鎮守府の司令である佐々木。

 そして向かい側に座るのが、大本営海軍部に所属する、この方面担当の連絡管の女性である。

 彼女の名前は佐藤某という名がしっかりとあるのだが、互いに「司令官」「連絡管さん」としか呼び合わないため、気が付くとお互いに名前についての認識は消えていた。

 もちろん本人たちはそれに違和感など持ち合わせてなどいないのだが。

 

 この構図は鎮守府の行う活動の性質上、とくに違和感のあるものではないのだが、佐々木司令の傍らに立つ女性――――重巡洋艦であり現在は佐々木の秘書艦を務めている愛宕が、まるで子猫を庇う親猫のごとき物騒な視線で、管理官を睨みつけているのだ。

 

「あ、愛宕さん……? 管理官さんも驚いてるから、ね? わ、私が話すから少し外してくれないかなァ……」

 

 ここにいる人間の中で、つい最近まで普通の一般人だった佐々木が、この雰囲気に耐えきれず口を開いたのだが……。

 

 ――――じろり。

 

 愛宕の鋭い一瞥で、あっと言う間に日和った。

 司令官としては何とも情けないものであるが、彼はつい最近までただの一般人なのだ。

 前世の記憶とはいえ、数々の修羅場を潜ったであろう愛宕の睨みに勝てる法などあるわけもない。

 そんな愛宕は「……ふう」とため息を一つ付き、そして漸く口を開いた。

 

「……そうですか。では提督、私はこれで失礼しますわぁ。でも”何か”ありましたら、すぐに! ……私を呼んでくださいね?」

「わ、わかった……」

 

 愛宕はそう言うと、もう一度管理官の女性をにらみつけ、「ふんっ」と鼻を鳴らすとそのまま部屋から出ていくのだった。

 後に残されたのは、なんとも気まずい空気。

 向かい合う佐々木と管理官は、どちらともなく閉じた扉を見るとほっと溜息をつくのだった。

 とはいえ彼女もここへ遊びに来たわけでもない。その為彼女は少し咳払いをし、佐々木へと空気を戻す自己主張をするのであった。

 

「あー……何というか申し訳ありません。彼女も悪気があるわけではないので。それはそれとして、今日はどのような用向きで? 遠征に関しての報告は滞りなく挙がってるかと思いますが」

 

 佐々木はどこか探るような眼差しで彼女を見たが、それに対して彼女は意味ありげににやりと笑い、佐々木を緊張させる。

 

「司令官、それほど構えなくても大丈夫ですよ。確かに今回私が派遣された理由は、海軍部の将軍閣下の肝いりに因ってですが、あくまでもそれは形式的なものに過ぎないのですから」

「なるほど、形式的ですか……。つまりそれは、色々もう分かってらっしゃるという事ですね」

「つまりはそういう事です。だからこそ、書類に残らない所での事情聴取をしたいと閣下はお望みなのです」

 

 管理官の言葉に滲むのは、海軍部が既に大和たちがここにいる事を知っているというものだと佐々木は読み取った。それは事情聴取を記録に残さないという発言があるからだ。

 つまりそれは、大和たちが存在すること自体が、海軍部側にとって何か都合が悪いことがあるという事になる。

 それが面子の問題なのか、または別の問題を孕んでいるのかは現時点で佐々木には判断が付かない事であろうが。

 

 そして彼女の言葉に佐々木は二、三度頷くことで返事をすると、ソファの背もたれに深く背中を預けて黙り込んだ。それは考えを整理する時間が欲しかったからだ。

 管理官にもそれが伝わったようで、愛宕が運んできたすこし冷めてしまった紅茶を飲むためにティーカップを手に取り、佐々木から視線を外す。

 佐々木はその気遣いに感謝し、考えをまとめることに専念することにした。

 

 彼が思うことはそれほど多くは無い。

 ひょんな事からここへやってきた大和と五十鈴。

 結局のところ彼女達の処遇をどうするかしかないのだから。

 

 先ほどの愛宕の不機嫌さの理由もここにある。

 あの日、大和たちがここへ流れ着いた時の様子は、荒事に慣れている暁たちとて目を覆いたくなるような惨状であったと言える。

 いやむしろ、艦娘たちの生き様を彼女達だからこそ、あの状況は異常であったと感じたし、その後になって大和たち自身の口から聞かされた経緯が明らかになると、なおさらにその思いは増したのだ。

 元々の出自が一般人でしかなかった佐々木とて、あの凄惨な様はおかしいと感じた。

 

 佐々木が今日まで己の艦娘たちと鎮守府を運営してきた中で、彼は艦娘の成り立ちや生きる意味など、彼女達の本質にかかわる話を色々と聞いていた。

 それは兵器であるが人間でもある彼女達と向き合うためには、その思想を知らなければ軋轢しか生まないだろうと考えたからだ。

 

 生まれ、育ち、生き方を選び、やがて死んでいく。それが人間だ。その過程に個人差はあれど、誰しもがスタートとゴールはおおむね一緒だ。

 しかし艦娘は人間的な感情を持ちながらも、深海棲艦と戦うこと刷り込まれているという所が人間の違いだ。そしてそれは両者の間に決定的な溝を隔てていると言っても過言ではないだろう。

 それは極論ではあるが、死ぬ事を目的としているとも言えるからだ。つまりはその一点があるからこそ、人間が使い、彼女達は使われるという構図が成立してしまうのだ。

 

 それは言うなれば絶対に対等になりえないという証拠でもあろう。

 ただ佐々木と言う素人はある意味異端だ。なぜなら彼はこの世界の生まれではないのだ。そもそも艦娘と言う存在自体が彼にとって非常識でしかない。

 彼以外の人間にとって艦娘とは、一般人には人間の守役であり、一部の人間にとっては体のいい道具だ。だが佐々木にとっての艦娘はファンタジーそのものという風に見えた。それはもちろん出会って間もない頃の話であるが。

 

 だからこそ佐々木はその生まれもあり、何とか彼女達を同列見たいと考えた。

 その為には知るしかない。艦娘一人ひとりに個性があり感情があるというのなら、暁が、あるいは響が、いったい何を考え、何を思い、何を望むのか。その全てを知ったうえで、何が出来て何が出来ないのか判断しようと佐々木は対話を続けたのだ。

 

 そして彼が至った結論は「よくわからない」であった。

 いくら考えたところで艦娘という存在は、彼にはただの人間以外の何者にも思えなかったのだ。

 兵器であると言うのは彼女達自身の言葉だ。けれども佐々木は思う。

 なら深海棲艦が根絶された後は? 彼女達はもう用済みだと解体されるのだろうか。

 もしくは過去の歴史のように、ただ便利だっただけの道具が人間同士の殺し合いの道具へと転化されるのだろうか?

 どちらにしても佐々木にしてみれば受け入れがたい物だという結論だった。

 

 そこで彼は決意したのだ。

 色々考えうる事はあるが、大前提として私は彼女達を自分と同じと扱う。

 それに異を唱える者は多いだろう。当事者たる艦娘の中でも拒否する者もいるだろう。

 それがどうした。私は私が思う未来を手に入れるために、拒否する者とも対話を繰り返そう、と。

 

 そう考えた彼であったが、言うなればそれは自分の我が通らぬなら通すまで突き通すという単純な物だ。それはひどくエゴイスティックな物だろうが、自分の意志が揺らいでいる時点で誰にも共感をしてもらえないのも真実だ。

 佐々木がここへやってきてからの目まぐるしい変化がある日常の中で、彼もまた日々変化をした結果がこれだった。

 

 少なくともそれは、彼の艦娘たちには浸透していった。

 愛宕や木曾のように彼のこれだけでは無い真意を知る者は、積極的にそれを受け入れ、暁たち駆逐艦は彼に父親の様な父性を求めた。島風は誰からも一定の距離を保ち続けるが、その視線の先には必ず佐々木がいる。そして何より、この鎮守府のある村の面々が彼を好意的に受け入れていた。

 そして今回の大和の件で、佐々木の想いと彼の艦娘たちの想いは完全に一致した。

 佐々木の表に出さない真意と、艦娘の同胞を守りたい想いと、その方向性は全く一緒ではなかったにせよ、大和たちをここへ置くのだという結論は一致したのだ。

 

 だからこその愛宕の態度であったのであるが、その彼女のむき出しの敵意に佐々木は内心苦笑いをしてしまったが、彼は彼でこの状況を打破するため、自分は努めて冷静でいなければと己を戒めるのだった。なぜなら自分は彼女達の司令官なのだ――――その想いが彼をただの素人から責任者の顔へと引き締める。

 

「将軍閣下のお察しの通り、大和と五十鈴という艦娘はここにいます」

 

 佐々木は沈黙を破るときっぱりとそう言った。

 管理官は既に出された紅茶を飲み終え、静かに佐々木を見ている。

 彼女は佐々木の言葉に何か言おうとするが、彼がそれを遮るように言葉をつづけた。

 

「それについて報告することは吝かでは無いのですが、その前にひとつ、聞かせてください。現在の大和たちの立場はどういう物なのでしょうか? 質問を返すようで恐縮なのですが……」

 

 佐々木は現在の政府の立場を知るためにこの質問を投げかけた。

 彼が思う国という集合は、いつだって面子という物を大切にする。

 それが良いか悪いかという話ではなく、現実としてそういう側面はあるだろう。

 これが国と言う大きなコロニーからすこし尺度を下げ、例えば自治体であったり会社などに目を向けてみてもやはり同様であろう。

 

 そこから懸念されるのは、その面子のために大和たちが処分されないかという事柄だ。

 しかし現在の佐々木の立場は、ある方面の防衛をつかさどる鎮守府の司令だとはいえ、実際は雇われ社長のようなもので、上ににらまれれば即解任なども考えられるのが現状だ。

 そういう立場から佐々木がどんな主張をしたところで、それを叶える力が無いのだ。

 とはいえ、それを実際に受け入れるかどうかはまた別の話にしても。

 

 そんな彼の懸念を含んだ言葉に、彼女はやけにあっさりと内情を話し始めた。

 その表情になんの裏も感じられなかった佐々木は内心驚く。

 

「そうですね、はっきり言ってしまえば席自体外れていると言ってもいいでしょう。あの作戦の後、本部に戻った少ない艦娘からはっきりと大和以下第一艦隊はすべて轟沈をしたと報告があがっていますし」

「なるほど、轟沈……ですか。では私からの報告としては――――

 

 彼女の言葉に佐々木は一先ず安堵すると、今回の経緯と現在の状況について包み隠さずに話すことを選択した。

 

 あの日、大和たちがこの鎮守府に流れ着いた際、この静かな鎮守府は蜂の巣を突いたような喧騒に包まれた。

 それは流れ着いたのが例えば駆逐艦などであったならあそこまでの騒ぎにはならなかったろう。

 しかし実際に轟沈寸前となって消えかかったのが大和となれば話は変わってくるのだ。

 

 それはとりわけ大和型や長門型と呼ばれる戦艦が、彼女達艦娘の中で特別な存在だという事に由来する。

 彼女達に存在する、遠い昔の記憶の中で、大和型や長門型はその国の象徴と言うだけでなく、当時の技術の粋を投入されて建造された別格の戦艦と言える。

 とはいえ大和型である大和には、その機密性から国民の認知度は低く、単純な名声という意味では後世の人間の判断となってしまうのだが。

 ともあれそういう背景は、当時の記憶を引き継いでいる艦娘たちにも畏怖の念を抱かせ、そして憧れへと繋がる。

 そんな大和が轟沈するという事柄は、彼女達にとっては非常にショッキングだったのだ。

 

 木曾と愛宕によって工廠まで曳航されてきた大和と五十鈴。

 それは偶然、木曾と愛宕が堤防にいたからだ。もし彼女達がいなければ、大和たちが一命を取り留めることは叶わなかったかもしれないだろう。

 その時木曾は堤防にいた佐々木ととある討論をしており、愛宕はその少し前に司令部に戻ろうと堤防淵を歩いていた。

 その際に佐々木が偶然海に浮かぶ大和たちを発見し、無謀にも彼は潮の流れの速い港内と外海の境界付近に飛び込んだ。

 

 感情の赴くまま飛び込んだ彼であったが、所詮人の身であるから、結局は大和たちを救助するには至らず、突然の出来事に呆然としていた木曾が慌てて飛び込むことで事なきを得た。

 愛宕は既に司令部へと向かっていたが、佐々木の叫びを聞きつけると慌てて引き換えしてきた。

 普段は温厚な佐々木が声を荒げる事は皆無なため、何か起こったかと彼女は慌てたのだ。

 そこで騒ぎの正体を知った愛宕は、木曾との一瞬のアイコンタクトの後、それぞれ佐々木と大和たちと分担し救助した。

 

 水を大量に飲んでしまった佐々木を木曾は背負い、大和と五十鈴は愛宕が曳航し工廠までやってきた。

 しかし意識を取り戻した佐々木は、凄惨な状態である大和たちを見ると周囲の人間が驚くほどに取り乱し、まるで自分の娘の危機に瀕した様に必死になり大和たちを救助した。

 

 結果、二人は命を取り留めたのだが、体力のあった大和は二日で動けるようになり、そしてこうなった顛末を佐々木たちに話すことが出来た。

 しかし五十鈴は未だ部屋から出てくることすら出来ない。彼女の肉体的な消耗は既に治っていると言えるのだが、心の方の損傷は癒えてはいないのだ。

 無謀な作戦。同胞を捨て駒のように扱う側に立った自分。断末魔の悲鳴。圧倒的優位に居たはずが、気が付けば四面楚歌となった狂った戦場。

 轟沈寸の大和を曳航するという使命を己に課すことで、何とか保てた意識は、彼女が救助されたこと確認した途端、五十鈴の張りつめた精神を一気に緩めた。

 そして安堵と共に意識を失ったが、目を覚ましてみて改めて彼女に襲い掛かったのが恐怖だ。

 それは艦娘の使命を果たそうとする艦娘としての意識を上まり、感情に左右される脆い人間の意識を蝕んだのだ。

 

 有体に言えばPTSDという物だろうと思われる。

 五十鈴は恐怖以上に良心の呵責を無意識に感じているのだろう。

 気がついて暫くは己の髪を掻きむしり奇声を発する。自傷行為に走るなど、誰かが傍にいなければ危険な様子であった。

 それを過ぎると海に対し過剰な反応を示すようになり、結果部屋から出る事が出来なくなった。

 今は交代で誰かしらが五十鈴の傍で世話をしている。

 

 逆に大和はその気丈にふるまいつつも痛々しい姿を見せた。

 戦艦の中でも相当上位に位置する大和であるから、元々の肉体は丈夫だったのだろう。

 そのおかげか復活は早かったが、佐々木に事情を説明しながら、どこか周りに自分を責める事を求めるような卑屈な言動が目立ったのだ。

 あの海軍部が本腰になって遂行された一大作戦の現場での責任者として第一艦隊旗艦を務めた彼女は、己の責任でこうなった。もっと適切な指示が出来たならあたらかよわき艦娘たちを死なせずに済んだのだと繰り返し発言した。

 

 それは事の次第がはっきりすればするほど、大和が己を罰したいのだと望んでいる事が佐々木たちに伝わった。

 もちろん佐々木がそれをすることは筋違いであるし、彼の艦娘たちとて同様だ。

 本来は海軍部所属の戦艦である大和に、佐々木がどうにかできる権限など無い。

 しかし佐々木は今日まで大和の好きに行動させることを許していた。

 それは大和の言動が周囲に暗い影響を与えたとしても、彼女の意識の糸がたゆんだ結果、巻き起こるだろう自体の方が深刻だと考えたからだ。

 戦艦の中でも特別な大和型。それが自暴自棄に鎮守府で暴れでもしたら佐々木たちに成すすべなど無いのだから。

 

 こうして佐々木はそれら今日までの顛末を、管理官に包み隠さずに話したのだった。

 それは彼の個人的な感情論を一切省いた、正確な報告に過ぎなかったのだが、その内容だけに部屋が薄暗くなる時分までの長い時間を要したのだった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「んー……、さすがに疲れたな」

 

 未だ慣れない軍服の重さで肩が凝った。

 それはまあ、昼から夕方になるまで堅苦しい話をしていたのだから仕方がない。

 私は上着を脱いでハンガーに掛けると司令室のクローゼットにしまいこみ、シャツのボタンを上からみっつほどはずし、思い切り後ろに反るようにして伸びをした。

 随分と長い時間座っていたから、血が下半身に溜まっていたのか、思わず立ち眩みがする。

 

 とっくに管理官は帰ってしまったが、とりあえず私の思う最悪の結果だけは免れたようだ。

 その代わりに面倒事を背負う羽目となったのだが。しかしまあ、我儘を通させて貰ったのだからそれも仕様のない話か。

 

 ふと傍らの壁掛け時計に目をやる。

 今はもう19時を過ぎたところだった。

 ……ヒトキュウマルマルとか言うのだったかな? どうにもその手の用語にもまだ慣れないな。

 そう言えばすこし腹が減ったな。食堂に向かうか。

 どうにも考えることが多すぎて、ここにいてはどうにも落ち着かないというのもあるが。

 すこし腹に何か詰め込めば、もう少し頭の回転も早まるだろう、か。

 そうして私は廊下へと続く扉を開けた。……開けたのだが。

 

「何をしているんだ? 島風。こんな暗い廊下で立っているなんて、驚かすんじゃないよ」

「……お兄さんを迎えに来たんだ。ご飯でもどうかなって」

 

 何とも奇抜な衣装を好む島風だが、彼女はどうにも協調性というものが欠如しているようで、いつも一人でいる。

 ただ何故か私を兄と呼び、周りに誰も居ないときに限るが、すこし饒舌になる処を見せてくれるのだ。

 しかし今はどうにも様子が可笑しい。

 なぜなら彼女が私を食事に誘う事など今まで無かったからだ。

 どういうつもりだろうか?

 

「愛宕さんたちはどうした? 管理官を見送ってくれとお願いしていたのだが、まだここへは戻ってこないんだ」

「……何か話があるとか言って、あの大きい人の所に行った。他の人は知らない」

 

 相変わらず愛想のない話し方だな。

 とは言え、食事に誘われているのに別の話をした私が悪いか。

 

「大きい人……ああ、大和か。そうだ島風、大和が正式にうちの所属になるぞ。これでお前たちの負担も少しは減るだろうな」

「……どうでもいいよそんなこと。どうせもう止まる事なんてできないって」

 

 胡乱気に話す島風のいつもと変わらぬ口調が、急に厳しい物へと変化し、私は思わずどきりとする。

 彼女は時折こういった抽象的な発言をする。

 今は暗がりの廊下でその表情が良く見えないから、余計に私の中の何かに響いた。

 

「……どういう意味だ?」

「…………知らない。食事は今度でいいや。じゃあね、お兄さん」

「お、おい、待てよ島風。……って速いなあいつ」

 

 私の言葉に返事を濁した島風は、急に踵を返して走り去ってしまった。

 一体なんなのだろう。

 止まる事は出来ない? それは確かに普通の人間が味わうことが出来ない日常に足を突っ込んではいる。

 しかしそれは今に始まった事ではないし、これからだってそうだろう。

 深海棲艦という敵が、世話になったこの村を襲うという未来がある限り。

 でも島風の言葉は、どうにもそのことを指している訳では無いような気がする。

 一度きちんと腹を割って話してみなければいけないな。

 しかしそれを躊躇する気持ちが私の中に沸きあがっており、何とも解せない。

 島風のあの何でも見透かした上で何かを諦めたような目を見ているとそう思ってしまうのだ。

 

 私は暫くそこで立ち尽くし、島風が走って行った廊下の先を見続けていた。

 何も物音がしない静かで暗い廊下。

 ただいつまでもここにいるわけにもいかないなと、私は食堂に向かうのだった。

 あれだけ感じていた空腹感は、今は何故か消えていたけれど。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 食堂につくと中にはまるで私を待ち構えていたかのように、私の艦娘たちが勢ぞろいしていた。

 その奥には凛と背筋を伸ばして座る大和の姿も見える。

 事実彼女達は待っていたのだろう。なぜなら全ての瞳が不安げに私を見ているからだ。

 

 管理官を見送るように申し送っていた愛宕さんにも、詳しい話はあとですると言い伝えてあるため、ここに管理官との話がどうなったか知る者はいないのだから仕方がないのだろう。

 

「……司令官?」

「提督……」

 

 一人、また一人と私の周りに艦娘が集まってくる。

 なあ木曾さんよ、その殺意の籠ったような視線は止めてくれないかな。

 愛宕さん、いつもの余裕のある表情が消えていますよ。 

 暁、泣きそうな顔をするなよ。

 響、お前も気になっているんだろう? そっぽを向いてるが青い瞳はこっち向いているじゃないか。

 雷、いつもの強気な発言はどうした? 電はもう泣いてるのか。困ったな。

 

 私はちびっこ4人の頭を撫でると、あえて何も言わずに彼女達の横をすり抜け食堂の奥へと向かう。

 そして大和が座っているその横に私は立った。

 ここへ運ばれてきたときは、後ろで一つにまとめられていた彼女の美しい黒髪は、今はお下げ髪に纏められている。

 私が何も言わずじっと大和を見つめていると、視線を左右にすこし動かした彼女は、躊躇いがちに口を開いた。沈黙を嫌ったのだろう。

 

「提督殿、私は、その……」

 

 私はえへんとわざとらしい咳払いをし、大和の言葉を遮る。

 そして私は言ったのだ。

 

「大和さん、貴方のおかげでもう一つ艦隊が組めるようになった。これから私の命令を聞いてくれるだろうか?」

 

 私がそう言うと、後ろの方では様々な反応を感じた。

 ある者は安堵の溜息を洩らし、ある者は喝采をしている。

 そのどの反応も、私の言葉を歓迎してのものだ。

 彼女達の祈るような視線を見ていたら、すこし意地悪してみたくなったのだ。

 だからすこし溜めてみたのだけれど、それを言ったら酷い目に遭いそうだから黙っておこう。

 

「あの、提督殿、私は……いえ、はい、よろしくお願いします」

 

 どうにも自信なさげに彼女はそう言った。

 事情は分かる。色々な葛藤が彼女の中に渦を巻いているのだろう。

 だけど私はその返事が気に入らなかった。我を通すことを決意した今の私には。

 

「大和さん、私は貴方がここへ来てから色々と調べてみたんだ」

「……は、はぁ」

 

 私の言葉の意図がつかめないのだろう。

 彼女は困ったような顔で首をかしげる。

 

「私がこの鎮守府を預かるようになった時、海軍部から様々な艦娘について詳しく書かれた資料を貰った。その中に大和型戦艦である大和さんの事も当然書いてあったよ」

「……はぁ」

「大和型戦艦は最高クラスの戦艦なのだろう?」

「はい、そう言われてますね……」

 

 そう、彼女は大和型戦艦の大和。

 私の知っている元の世界でも、誰でも一度は聞いたことがある名前の戦艦だ。

 軍事的な話が詳しい人間にとっては、長門や陸奥の方が有名らしいが、私の様な素人にとっては大和の方が圧倒的に有名なのだ。

 まあ、それは宇宙を航行したりするオハナシのせいだったりするが……。

 

 それでも戦争が終わった後も人々に違った形で認知されるという事は、大和が凄いのだという事を証明する一端になるのではないだろうか?

 とにかく、今は自虐的な気持ちと自信の喪失、目的を失った虚無感、それらが混じり合いこういう反応となっているのだろうが、私は私の意志と目的のためにそれを否定する。

 だから私は言葉を変えた。

 背筋を伸ばし、大和に向かって努めて冷たい口調で声を張り上げる。

 

「立て! 大和。司令官である私が立っていると言うのに、貴様はそこでのうのうと座っている訳か。いい身分だな、大和ッ!」

「はっ、失礼したしました提督殿」

 

 上官らしい私の言葉に、反射的に大和は立ち上がった。

 がたんと言う音と共に、座っていた椅子が後ろに凄い勢いで飛んでいく。

 ……後で修理をしなければな。

 

「貴様は私に言った。私の命令を聞くかという問いに、はいと」

「はっ、その通りです!」

「なら貴様のその腑抜けた返事はなんだ。ふざけているのか? それとも素人司令官だと馬鹿にしているのか?」

「いえ、そのようなつもりはありません。私はただ、……ただ……その……」

 

 言いよどむ大和。威勢よく立ち上がった割に、その表情は弱弱しい。

 女性ながらそのすらりとしたスタイルの良い長身の彼女が俯きぼそりと呟く姿が、余計に弱弱しさを演出している様だ。

 だから私は彼女の胸ぐらをつかんで揺すった。

 ……絶対に口に出しては言えないけれど、なかなか重いな。

 

「誰が私から視線を外していいと許可した! こっちを向け大和。貴様の気持ちなどどうでもいい。ただ私の命令を聞くと貴様は言ったのだ。つまりこれより貴様は私の艦娘としてこの鎮守府の所属となる。それは間違いないか?」

「はい、その通りです」

「なら私が貴様に最初の命令を下そう。それはこの鎮守府に所属する艦娘全員に言い渡してある私の絶対的な命令だ。……愛宕、こちらへ」

「はぁい提督」

 

 私の豹変に息を飲むように動きを止めていた後ろの面々であるが、私の急な呼び掛けに愛宕さんはすぐさま応じ、大和の横に直立不動で立った。聡明な彼女だ、私の意図に気が付いたのだろう。

 私は大和の胸元をつかんでいた手を離し(重かったからではない)、愛宕さんに視線を移す。

 そしていつもはしない尊大な口調で彼女に問いかけた。

 両手を後ろ手にくみ、何となく偉そうな態度を添えて。

 

「その気の抜けた返事をやめろ。まあいい、愛宕、今着任したこの無知な艦娘に、私の発した絶対尊守の命令を教えてやってくれ」

「はぁぃ……いえ、はい提督! それは”港を出たら必ず生きて戻れ”でありますぅ! それはどんな命令よりも優先される事柄でありますぅ!」

「その通りだ。ありがとう愛宕、戻ってよし」

 

 私の言葉に彼女は見事な敬礼をすると、そそくさと木曾さんたちの元へと戻っていった。

 私は心配そうな顔でこちらを食い入るように見ているちびっこ達に似合わないウインクをし、大和からは見えないように唇に人差し指を当てる。余計な事は喋るなと言う意味だ。

 暁たちは私の激昂がポーズでしかない事に漸く気が付き、それぞれこくりと私に頷き返した。

 さて大和に向き直る。が今度は使見上げる事はしない。

 そもそも女性にこんな事をしたの自体、初めてなのだ。

 できればもうやりたくはない。

 

「大和よ、聞いたな? これが貴様も必ず守らなければいけない私の命令だ。私はどうやら独善家らしい。だが私はこれを曲げることは一切ないと断言する。私と、この村と、私の艦娘以外はみなクソッタレだと思っているのだからな。だが貴様は先ほど私の元へ来ると言った。今更撤回は出来ないぞ?」

「…………はいっ」

「ならいい加減、その辛気臭い顔は止めて、誇り高い大和型戦艦の名乗りを見せろッ!」

「はっ、…………大和型戦艦ッ、一番艦、大和ッ。推して参ります!」

「それでいい。では楽にしてくれ」

 

 思うことが色々あるだろう大和は、しゃんと背筋を伸ばし、そして名乗った。

 その両目からぽろぽろと涙を零しながら。

 なあ大和さん。辛かったろうな。

 本当にこの世界は悲しいことばかりだよな。

 でも、私は君とは違って人間だが、この世界の誰とも違う別な生き物さ。

 だからさ、私は君たちをどうしても兵器とは思えないんだ。

 だから守ってみせるよ。君や、私の視界にいる人たちすべてを。

 

 私は心の中で彼女にそう呟くと、彼女の肩を優しく叩き、踵を返す。

 女性の泣き顔など長い時間眺めているなんて失礼だろうからな。

 

 私が一歩、また一歩と木曾さんたちの元へと歩み進める。

 彼女達からは口々に良かったと安堵の声と、私に頑張ったという言葉を投げかけてくれる。

 本当に君たちは人間と変わらないよな。

 兵器はきっと、こんなに笑ったり泣いたりなんかしないと思うよ私は。

 

 木曾さんは私の肩を見直したとばかりに小突く。結構痛い。

 ああ、愛宕さん。貴方の笑顔だけが私の拠り所ですよ。

 そして私の腰めがけて次々と飛び込んでくるちびっこ駆逐艦たち。

 ああ、もういいだろうか? いいよな、私は目いっぱい虚勢を張ったのだから。

 そうして私は飛びついてくる暁たちの勢いのまま、後ろに向かって無様に崩れ落ちた。

 

「ど、どうしたの司令官?!」

「はわわわわ! 司令官さんが倒れたのです!」

「ああ、暁……似あわない事をするもんじゃないな。気を抜いたら腰が抜けたよ」

 

 そう言いながら私が苦笑いすると、次の瞬間食堂は笑いに包まれた。

 何ともしまらない私であるが、これでいいのだ。

 皆が口々にやはり司令官はダメだなあと笑っている。

 司令官は私がいないとダメね! と雷が偉そうにふんぞり返っている。

 ふと見れば、食堂の入り口にさっきはどこかへ消え去った島風が心配そうにこちらを覗いていた。

 なあ島風、そんな心配ならここへ入ってくればいいじゃないか。

 と言ったところで来ないのだろうが。

 

 ああ、そうだ。

 こんな啖呵を切ったのだ。

 もう私は戻れないぞ。

 それでもいいさ、私は決めたのだから。

 このクソッタレた世界の根底へと踏み込むことを。

 大和と五十鈴、こんなのを見てしまったら尚更にその決意は強くなる。

 だから私は床にへたりこんだままの情けない姿で皆に言ったのだ。

 「皆に大事な話があるんだ。聞いてくれるかな」と。

 それは本当の意味での、わたし自身がここの住人となる産声の様なものとなったのだった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 この日、海軍部に戻った管理官は、夜になり既に多くの人間がいなくなった本部の奥にある、幹部の部屋へと向かった。そしてその足取りは焦っているように非常に速かった。

 それは兼ねてから将軍自ら目をつけていたとある鎮守府の司令官、その本人に将軍が欲したある任務を行う事の了承を取る事が出来たからだ。

 

 扉の直前まで早歩きをしてきた管理官は、そこで足を留めると、静かに重厚な扉をノックした。

 

「長官、ただいま戻りました」

「……入れ」

 

 扉の奥から年配の者だろう、年季の入った野太い男の声がする。

 管理官は息を整えると扉を開けて、中に入るとすぐさま敬礼をする。

 中は幹部の部屋であるのに、ひどく質素な内装だ。

 しかし執務机だけは大きく立派だった。

 その背後には帝国旗と海軍旗が交差するように立て掛けられ、その横には帝国の海域全体を記した海図が壁を覆っている。

 

 部屋の中は机の上で灯っているアルコールランプの明かりだけしかなく非常に暗い。

 しかし机に寄りかかるようにして立っている男性は、彼女の敬礼にその巌の様な手で答礼をした。

 彼女は彼の事を長官と呼んだ。つまり彼はこの海軍部を統括する全ての艦隊の長、連合艦隊長官と言うポストに就く男だ。

 とはいえ、つい最近までは階級は現在と同じ大将である物の、長官は別のものが就いていた。

 つまりは今回の失態で先任が更迭され、今は彼がその立場にいるという事だ。

 

 彼の名前は東郷。

 常に現場目線で戦況を判断する、海軍叩き上げの強者だ。

 今は年老いたとはいえ、その眼光は衰える事を知らない。

 そんな彼は掲げていた手を下すと、酷く柔和な表情へと変化させ、彼女に応接に座るよう促した。

 

「さあ聞かせてくれ。彼は何と答えた。その時どんな表情をしていた。すべて聞かせてくれ」

 

 その日、この部屋は明け方まで明かりが途絶えることは無かった。 

 

 

 

 ――――つづく。

 




出張から戻り、そのまま投稿しました。
全て一人称で書かれてた物が気に入らず、再度三人称へと変更をしたりしたため、時間がかかってしまいました。
正直まともに推敲してないため、あちこちおかしいかもしれません。
勢いで描いたままですので^^;

出来るだけ見直ししつつ、近いうちに修正しようと思いますが、もしおかしいところあったら指摘くださるとうれしいです。

※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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ライスの位置の重要性

「うーん……こんなもんだったかなぁ」

 

 私は人気のない厨房でひとり、とある料理の下ごしらえをしている。

 と言うのも本日はこの村が町へと規模を大きくしてから一年が経ったとのことで、元々この村に住んでいた人間と、新しくここへ入植した人間との交流を深めようと、ちょっとした祭りを行っているのだ。

 その為、いつもは婦人部の多くがこの鎮守府の厨房で働いてもらっているのだが、こういう催しは大事なことであるから、祭りが行われる今日と明日の間、ご婦人たちには暇を出したのだ。

 因みに愛宕さんや大和(大和にさんをつけたら嫌がられた。愛宕さんは……無意識につけてしまう)も、地元の人と触れ合いたいと町へ出張っている。

 力持ちの彼女達だ。何かと役に立つだろう。

 

 そもそもこの鎮守府にいて食事をする者は、はっきり言って少ない。

 なぜなら私と艦娘たちの総勢は10人に満たないのだ。職員の人たちはそれぞれ賄いを食べている様であるし。

 加えて彼女達はローテーションで遠征に出るため、常に3食食べるわけでもない。その結果、せいぜい5人分くらいあれば用は足りる。

 まあ週に2日は全員が一堂に会する様にスケジュールを組んでいるから、その日だけは全員分いるのだが。

 加えて艦娘たちの食事とは、ある意味では娯楽の様な物で必須では無い。

 彼女達が動くエネルギーはもっと別な物があるからだ。

 ただ美味しい物を食べると幸せな気持ちになるという部分は私たち人間となんら変わらないため、出来るだけ私と同じものを彼女達も食べられるようにしているのだ。

 

 ……とは言っても、その量は表面的な人数分とは明らかにかけ離れた量なのだけれども。

 

 まあいい。しかし今日はちびっこ駆逐艦4人と、その引率旗艦として木曾さんが遠征に出ている。

 燃料を輸送する大型タンカーを目的地まで護衛する任務だ。

 私がいるこの鎮守府は、大陸の南端付近にあるため、産油国までの海路が付近を通っている。

 その為、輸送船団を護衛する任務が必然的に多くなるのだ。

 そして立地の関係からその任務をほぼ毎週という頻度で行っているため、依頼者の覚えも良くなり、報酬がすこし割増しでもらえるというおまけつきだ。

 基本的にクライアントの依頼は、海軍部が事務的に処理し、我々の鎮守府に遠征任務という形で降りてくるのだが、派遣の際に我々は依頼者と顔を合わせるため、それが回数を増すたびに「あそこの鎮守府はなら間違いないな」という信頼が増していくという訳だ。

 会えば他愛のない話を交わしたり、互いの近況などから情報交換をしたりと、普段では知りえない他の地方の話も聞けるのも副産物としては素晴らしいだろう。

 

 そもそも戦力として判断すると、私が彼女達をただ過保護に扱っているだけで、実際私の駆逐艦たちの能力は高い。

 それは管理官との談話の中でそれを理解したのだが、一から鎮守府を立ち上げた時、最初に所属している艦娘と試行錯誤しながら実績を積み上げていくのが常識なのだという。

 しかし暁たちは最初からその能力の限界近くまで改修が施してあり、駆け出しの鎮守府にいるような艦娘ではないという事だ。

 彼女達が元々いた鎮守府では、彼女達を酷使する過程で練度が上がっていき、さらに効率を上げるために近代化改修を繰り返し行われたのだ。

 それが私の元へ転がり込んできたのだから、私はある種のずるをしたような物だろう。

 

 事実、私が直接建造を行った愛宕さんや木曾さんは、最初の頃は任務を行うたびに中破して戻ってきたのに、ちびっ子たちはかすりもしないで涼しい顔で帰ってきたものな。

 私はその様にかなり驚いたものだが、愛宕さんが言うには、戦艦、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦と直接戦闘を行う艦を比べてみると、元々の戦闘能力には大きな差がある。

 しかしそれは練度を重ねていくことで、初めて真価を発揮するもであり、まっさらな状態ではこの上下関係はまったく宛にならないということだ。

 大和型や長門型と呼ばれる戦艦だけは別格とも言ってたが。

 

 とにかく、そんな私の鎮守府であるが、村が育って一年経ったという事は、ここもまた一年とすこし、何事もなく運営し続けることが出来たという事だ。もちろん誰一人脱落することもなくだ。

 それは最近では近隣に限るが深海棲艦を倒すための任務を引き受けてもいるが、大破することはあっても、必ず無理をせずに引き返すことを徹底させている結果だろう。

 

 話はそれたが、今日遠征に行っている我が第一艦隊であるが、木曾と以下ちびっこ4人に加え、今回は五十鈴がそれに参加している。今日私が料理を作っているのはそれが関係しているのだ。

 数か月前、大和と五十鈴がここへ転がり込んできた時、色々と騒動はあったが、大和は海軍部の許可を裏で貰ったのだが、ここの所属になる事を了承してくれた。

 しかし五十鈴はあの凄惨な結果となった政府の作戦の後、精神を疲弊してしまい、自分が艦娘であることを嫌がるように部屋から出てこれなくなった。

 それは海を見るとあの時の恐怖がよみがえり、パニック状態に陥るからだ。

 

 無理も無いと思う。

 なぜなら通常の作戦で艦隊が決壊したと言う単純な物ではなく、自分たちと同じ艦娘を生贄にした作戦という負い目を背負いながら、その上でなす術なく彼女達は敗れたのだ。

 大本営海軍部の正規艦隊という、この国の中で一番上に君臨している集団という自負もあったろう。

 それがあの無様をさらした上で、轟沈寸前に追い込まれたのだ。

 自分の矜持もあったもんじゃない。つまりは心がおられたのだろうな。

 

 それから彼女は私たちのサポートにより、時間はかかったが、少しずつ回復した。

 初めは酷いものだった。五十鈴は肉体的にはすっかり回復しているのに、食事すらまともに摂れなかったのだから。

 それを艦娘だったり百田さんたち婦人部の面々であったりが、宥めすかし、時には叱咤激励しながら辛抱強く彼女に寄り添った。

 そして数か月が経ち、彼女は漸く表に出てくるようになり、私が日々行っている港内の散歩に付き合うようになった。

 

 五十鈴は艦娘たちとは割と早く打ち解けた。

 それは同胞であるからこそ得られるシンパシーの結果なのだろう。

 しかし彼女は人間に対して酷く懐疑的になっていた。

 それはあの作戦を強いたのは人間であるし、それ以前の作戦でも本人たちには抵抗のある作戦があったのかもしれない。

 そういう物が積み重なり、そしてあの日が引き金となる事で結果私たち人間を嫌悪したのだろう。

 

 だからこそある程度回復した五十鈴が、私と私の艦娘たちとの関係性を見て、いやそれに加え新しくここへ参加した大和との距離感を見て、彼女はある一定の距離を保ちながら私を観察するようになったのだ。恐る恐る私の散歩について回るようになったのはその為だろうな。

 それは随分と不躾な視線を私に向けたり、あるいは否定から入った口論を投げかけられたりと、かなり荒れたものから始まったのだが、私は彼女の好きにさせていた。

 そもそも私にメンタルヘルスの観点から彼女達の相談に乗るなんて高度な事はできやしないし、その知識もない。

 現代に生きていた時ならいざ知らず、ここでは欲しい本が直ぐに手に入るような便利な環境もない。

 それでも彼女の状況は理解できるから、私が出来るのは彼女に私を好きなだけ観察させる事だったのだ。

 

 どうやらそれは結果的に正解だったようで、私が自分の艦娘たちに何か害のある命令を下す存在ではないという事は理解して貰えたようで一先ず私は安堵した。

 まあ日々の散歩と言う名の、堤防での日向ぼっこに対しては、相変わらずグータラ司令官だのと罵声を浴びてしまうのだが。

 まあそれは決して間違ってはいないのだから反論はしないがね。

 

 そして昨日の夜だ。私はいつもの様にどの遠征を行うか等を愛宕さんと協議しながら書類を漁っていた。まあそれはいつもの事なのだが。

 倉庫にある資材の在庫を踏まえ、今後の建造や開発、そして艦娘を維持していくためのランニングコスト、それらを考慮したうえでの行動計画を練る。

 いずれここに深海棲艦の大群が押し寄せる可能性も考慮し、ここの防衛を兼ねた哨戒任務も常に行わなければならない関係で、二つの艦隊を動かさなければならないのだ。

 軽巡洋艦を旗艦にし、駆逐艦で固めた水雷戦隊による遠征。そしてこのほど参加した大和を旗艦にした愛宕さん、そしてやたらと機動力の高い島風を加えた鎮守府近海の哨戒任務。

 因みに通常は大型戦艦を動かすと消費する資材は多いのだが、現在ここの所属艦娘の数が少ないため、相対的にはそれほどきついとはいえない程度のコストで大和を動かすことが出来るのだ。

 

 しかし所属の艦娘が少ないという事は、コスト面では優秀でも、彼女達の疲労を考えると回数をこなすという事は難しいのが現実だ。

 そうすると、行う任務や遠征は厳選し、なるべく割のいい物を選択する必要があるのだ。

 なので私は優秀な秘書である愛宕さんと、毎晩遅くまでその事で頭を悩ますという訳だ。

 

 この日も御多分に漏れず、かなり遅くまで仕事をしていた。愛宕さんに「提督、フタフタマルマルを過ぎましたわぁ」と言われるまで、そんなに遅くなっていたのかと気付かなかった位には。

 私は彼女にすこし休憩をしようとお茶を頼み、彼女が厨房に向かうために部屋を出た後に、五十鈴はやってきた。

 

 もう寝る前だったのだろう。普段はその長い黒髪を頭の両サイドで縛っている彼女が、その時は全部下ろしたままである。

 私は書類を眺めたままだったので、誰かが入ってくる気配を感じ、「あれ愛宕さん、何か忘れ物でも?」なんて声を掛けたのだが、返事は無かった。

 おかしいなと顔を上げてみれば、そこにうつむいた五十鈴が立っていたのだ。

 

「提督、すこしお話があるのだけど」

 

 五十鈴は私に視線を合わせることを躊躇うようにしながらそう言った。

 彼女の口調はかなり芯の強さを感じさせる物だったが、残念ながらその語尾が震えており、空元気であることが容易に知れた。

 私は彼女の雰囲気に、何かを必死に決意しここへやってきたことを悟り、敢えて私は黙る事にした。

 それは忙してしまえば、彼女のせっかくの決意を不意にしてしまうことを恐れたからだ。

 だから私は彼女の目をまっすぐ見ながら、椅子に深く背中を預けた。

 やがて彼女はぽつぽつと呟くように口を開いた。

 

 彼女の言ったことを要約すれば、未だ海が怖い事。けれども周りに甘えなければいけない現状が苦痛である事。その中で自分がどうすればいいかが分からない事。

 そんな事を鼻をすすりながら私に主張した。それでもまだ自分の考えが纏まっていないのか、所々支離滅裂な事もあったが、どうやら私に指示が欲しい様だった。

 言い切った後、彼女はキッと私を睨むように仁王立ちしていた。それは彼女本来の気丈さを曲げずに保とうとする、折れた心の奥底に残る最後のプライドなのだろう。

 

 私は考える。何が正解であるのかを。

 しかし私は誰かの人生の方向を決めてしまえるほどの人生経験はないし、傲慢でもない。

 だが確かに五十鈴は私の言葉を欲していた。それは私が頼りなくとも司令という立場でここをまとめているからだ。

 そして多少自惚れるならば、五十鈴がここへ来てからの私と艦娘たちの接し方を見て、多少は信用をしてくれたのだろうと思う。

 ならばせめて、決定はできなくとも後押しくらいはしてやらねばと思ったのだ。

 

 私は彼女に言った。出来るだけ毅然とした口調で。

 それは後押しする私の言葉が不安気であれば、彼女とて納得など出来ないだろうから。

 

「別に海に出なくともいいだろう。何をしていいか分からないのに、無理して何かしようとしなくてもいいんじゃないか」

 

 そう言った私の言葉に、五十鈴はぽかんと呆けた顔で固まった。

 今思えば何とも胡散臭い逃げ口上のようで自分ながら呆れるが、しかしそれは紛れもない私の本音でもあった。

 そもそも私がこの鎮守府を運営している一番の理念とは、何かの正義感に駆られての事ではないのだ。

 世話になったこの村が危機に瀕する可能性があり、たまたま私にはその危機に対する切り札である艦娘と絆を交わす素養があった。ただそれだけなのだ。

 確かに今は多少なりとも確固とした目的意識は持っている。けれどもそれは後付けでしかないのだ。

 なので私のその意見はあくまでもプロの司令官のそれではなく、人間としての感情に沿った考えだ。

 

 そんな私の言葉に五十鈴は暫くの間呆然としてたが、一言「ばっかみたい」と私に向かって呆れたように言い放ち、そして馬鹿みたいと何度も繰り返しながら笑った。何かを吹っ切るかのように、いつまでも。

 やがて彼女は疲れたのか、何度か深呼吸をして自分を落ち着けると、私が思わず見惚れるような敬礼をしながら凛としてこう言った。

 

「五十鈴です。水雷戦隊の指揮ならお任せ。全力で提督を勝利に導くわ。よろしくね」

 

 そして先ほどとは違う、ごく自然な微笑みを私に見せてくれたのだ。

 どうやら彼女は自分を取り戻したらしい。

 それが私の言葉に因ってというよりは、元々彼女が考えていた気持ちの最後の部分で整理が付かなかった所を私の言葉で確認をしたのだろう。艦娘とは、そう簡単に折れてしまう程やわな存在では無いのは暁たちとの付き合いで何となく理解している。

 とにかくそうして、五十鈴は自ら私の元に着任すると宣言したのだ。

 

 とはいえ、いきなり深海棲艦との戦いに割り振るほど私は阿呆では無い。

 だからこそまずは無難な遠征で調子を取り戻してもらおうと、木曾さんに裏から支えて欲しいと頼んだ上で今日の遠征に組み込んだ。

 雷なんかも「私に任せなさい! もっと私を頼ってもいいのよ」と勇ましく出かけていった。

 そんなことがあり、私は五十鈴の帰りをただ待っているのが苦痛で、こうして料理をしていたのだ。

 未だ恐怖感は消えていないだろう彼女が戻ってきてくれた事の感謝を、何かおいしいもので労ってやろうという事だ。

 

 そうは言っても私の作る料理など、所詮やもめ男の雑料理でしかないのだが。

 何というか私という人間は、自分の好きな物にはとことん凝るが、それ以外に関しては至極どうでもよいと考えてしまう処がある。

 料理に関しては残念ながらそれに当たり、最低限自炊できるレベルのものだ。

 いや下手くそという訳では無いと思う。ある程度の長い期間、私は一人暮らしを営んで行けたのだから。ただ凝った料理などしないから、ひどくレパートリーが少ないという意味合いである。

 

 そもそも一人暮らしとなれば、一度に作る量などたかが知れているし、食材はその都度必要な分だけを購入するのみだ。

 なぜならそれは、例えば卵なんかいつまでも冷蔵庫に入っているのだが、いつ購入したものかなんてわからないほどに減らないのだ。

 調味料とかは別にいい。しかし生鮮食品ならばそうはないかない。パック詰めの肉や魚なんか、その日に使いきれないなら、それは確実に腐らせるだろう。

 たまに思い付きで冷凍庫に余った肉などを保存したりもするが、数か月後、真っ白に霜のついた何かよくわからない塊を発見し首をかしげるというあり様なのだ。

 何というか一人で食べる量などたかが知れているし、加えて朝はシリアルと牛乳などで済ませる関係で、まず米なんか炊いたりしない。

 その結果、私のレパートリーはかなり偏ったものしか出来ないという結果となる訳だ。

 

 そんな私が本日作っているのはカレーだ。カレーだけは少しばかり自信があるのだ。

 それは幼少の頃、私はおばあちゃん子であった。そして夏休みなどの長期休暇があれば、田舎の祖母の家に休みの間中滞在してたものだ。

 祖母はたまにしか会えない孫である私を猫っかわいがりするのだが、基本的には古い人だ。私に振舞ってくれる料理の99%は和食となる。

 

 そこで使われる食材の多くは、祖母が自分の畑で作ったものばかりなため、どれを食べても驚くほどにうまいと感じた。

 そもそも売り物じゃないため、肥料なども感覚でやっているようだし、見栄えなんかどうでもいいという作り方のため、きゅうりやナスはスーパーで見かける物の倍くらい大きいのだ。

 大人になってから知ったのだが、それは単純に肥料が多すぎてカリウム過多という状態であるらしい。

 でも何というか、身内のひいき目が多大に入ったとしても、私にとっては自宅じゃ絶対に味わえないご馳走だったのだ。

 まあ都会では見らない素朴な田舎の景色の中で、一日中走り回ったりした後に食べる食事は格別に美味いと感じてしまうのもあるだろうけれど。

 

 しかし祖母は、何というかこんな地味な物ばかりで悪いと思うらしく、そこで祖母なりに知恵を絞って色々な洋食もどきを作ることがある。

 それは例えばみそ仕立てで味わうと確実に和食なのだが、チーズが乗って焼いているグラタンもどきなどだ。

 まあ祖母が目指した所謂グラタンではないにせよ、私的になはなんら不満のない仕上がりなのだ。

 しかし祖母はそれが気に入らないらしく、ある時彼女は何というか不適な笑みを浮かべつつ、「今夜は期待してほしい」と言った。

 私は何やら良くわからずに頷いた物だが、気合の入った彼女がその日の夜に出してくれたのが祖母特製ライスカレーだったのだ。

 

 カレーライスじゃない。ライスカレーである。

 カレーライスだ! と喜ぶ私に何度もライスカレーであると訂正してくるあたり、何かしらのこだわりが彼女にはあるのだろう。

 ならばと私は彼女のカレーを見てみた。

 黄色い。そう黄色いのだ。

 今私がカレーを作ると、スーパーで買った某かのカレールゥで作るのだがら、出来たカレーの色は赤茶けた色合いになるだろう。もちろん私以外が作ったとしても同様に。

 だが祖母のカレーは明るい黄色なのだ。

 

 要は小麦粉を焦がさないように丹念に煎った物と、カレーの粉末で作った自作のルゥなのだ。

 普段食べるものとは違うのだが、食べてみればなるほど、ライスカレーか! と妙に納得した記憶がある。何というか優しい感じの味つけで、尖った感じが一切ないのだ。

 まあ祖母が主張するように、カレーとは別物のライスカレーという料理という事だ。

 

 私は今回、この祖母のライスカレーを私の艦娘たちに振舞うのだ。

 時折、思い出したかのように定期的に作っていたこの田舎のカレーを。

 というのも、TVか何かで小耳に挟んだのだが、神奈川県の横須賀あたりが発祥の海軍カレーというものがある。

 それは海に出ずっぱりの海軍兵に、曜日感覚を失くさないようにするために、決まった曜日にカレーを出すというのが始まりだったらしいが、今では一種の名物の様な物になっているという。

 場所は違えど私がいる鎮守府だって海軍の様な物だ。そんな短絡的な連想ゲームの結果、このメニューに決めたのだ。

 そしてこの村の商店を何度か見たのだが、所謂カレールゥという物は置いてなかった。

 しかしカレー粉は置いてある。なので必然的にカレーを作ろうと思えば、結局自作ルゥでやるしかなかったのだけれども。

 

 そんな訳で五十鈴たちが戻ってくるまでの間、こうしてカレーを作っているのだが、既にルゥは作ってある。基本的に例外なく大食いな艦娘たちの事を考え、飯を五升ほど炊くという前提での作業だったから、本当に骨が折れた。

 それは炒っている粉を焦がさない様にするために、常に鍋を振り続けなければいけないのだから。

 なので面倒な工程であるそれを真っ先に終わらせた。おかげで厨房はおろか、広い食堂中に香ばしいカレーの香りが漂っている。

 そして同時進行でスープのベースとなる出汁の様な物を煮込んでいる。

 というのもカレールゥと同様に、顆粒のコンソメのような物も売ってなかったのだ。

 

 水のみで作ってしまうと、うすうっぺらい味になってしまうだろう。

 そもそも現代で売っているカレールゥには、様々な旨み成分が最初から入っている。

 その為特別何かをしなくとも平均的に美味いカレーが出来上がるのだ。

 しかし自作ルゥにそんなものは入っていない。ならば自分で作るしかないだろう。

 と言っても、ここにはインターネットなど便利な物はないから、ブイヨンだののレシピなんか調べようもない。

 そこで私は村の肉屋から譲ってもらった大量の鳥ガラを、地物の玉ねぎやら葱やらと煮込み、鶏がらスープを作る事にした。大きな寸胴鍋二つ満杯にだ。

 

 無骨なガスコンロの火加減をこまめに調整し、沸騰せず、表面がこぽこぽと泡立つ程度で数時間煮込む。

 それとは別の寸胴鍋を二つコンロに掛け、それぞれにじゃが芋やら人参、玉葱を大振りに切った物を炒めていく。加えて肉は豚の肩ロースの様な物を切り落としただけの飾り気のない物だ。

 それらがしんなりと火が通ったら、出来上がった鶏がらスープを入れていき、さらに煮込む。

 馴染んだところで火を止めて、作ってあったルゥを投入し、大きな木べらでかき混ぜていくと、企んだ通りの祖母のライスカレーが出来上がった。

 後は蓋をしておけば余熱でいい塩梅に馴染むだろう。

 

 私は語るだけなら足したことは無いが、実際に作業をしてみると夕方までの大作業を終え、汗びっしょりになったシャツを脱いだ。

 薄暗い厨房で一人、ランニングシャツで涼む。

 

「うーん、疲れたなァ……」

 

 そう一人ごちるも、応えるものは誰も居ない。

 満足感の満ちた程よい疲れに思わずにんまりと笑ってしまう。

 これを食べたらみんなはどんな反応を見せてくれるだろうか?

 喜んでくれるだろうか?

 

 料理の醍醐味は、実はこうして食べ手の表情を想像しているこの時が最高潮なのではなかろうか?

 そんな他愛もないことを思いつつ、私は暫くの間、妄想にふけるのだった。

 しかし――――

 

「あー……飯を炊くのを忘れていたな……」

 

 そして私は慌てて流しへと走るのだった。

 何とも間抜けな話であるが、敢えて言おう。

 飯を炊く作業が一番大変であったと。

 

 電気仕立ての炊飯器なんて便利な物はここにはない。

 ガスで炊く、大きな業務用の炊飯器しかないのだ。

 大きな羽釜がガス台に乗っかっているタイプの物だ。

 4升は入るだろう大きな羽釜。それに米を入れ、無心に研いでいく。

 涼んで引っ込んだ汗が、また猛烈な勢いで流れてくる。

 その鬱陶しさに辟易しながらも、何とかその作業を終え、羽窯をガス台にセットした。

 

「…………これじゃあ足りないかも……しれんなァ……」

 

 既に完成した大きな寸胴2つのカレー。

 それを改めて眺めると、4升程度の米じゃあ足りない気がしてきた。

 いや、きっと足りないだろう。

 本当にあの娘たちは、見目麗しい女性の姿の癖に、やたらと食べるのだ。

 横で食べてる私が思わず食べるのを忘れてしまう程に。

 

 そうして私はもう1つ4升の釜へ米を投入するのだった。

 いやはや、本当に疲れたなァ……。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「提督、帰ったぞ」

 

 厨房での作業を終えた私は、思ったよりも疲れたのか、すっかりと暗くなってしまった食堂の椅子に座っていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 そんな私を現実に引き戻したのは、遠征から戻ってきた木曾の声であった。

 

「ああ、ご苦労さん。報告はあとでゆっくりと聞くことにするよ」

「んっ、何か良い匂いがするわね! 司令官、なんなのこのおいしそうな匂いは!」

 

 木曾の報告に応えていると、彼女の脇から次々と駆逐艦のちびっこ達が飛び出してきた。

 そして雷は目ざとくライスカレーに気が付いたようで、目をきらきらさせている。

 まあ待ちなさいよ。静かだったこの部屋が一気に騒がしくなり、私は思わず嬉しくなる。

 彼女達を遠征に送り出すたびに、こうして戻ってきてくれた時の騒がしさが堪らなく愛しい時間へと変化する。

 

 一応、遠征のさなかに何かがあれば、その通度無線で連絡が取れるにしても、やはりこうして彼女達が元気に動いている姿を見るまでは安心できない物なのだ。

 まあそれは私がいつまでたっても小心者だから仕方がないのだけれども。

 

「はっはっは、雷は腹ペコなのか? この匂いは私が作った食事のものだよ。それよりも今回の遠征はそれほど難易度の高い物ではないけれど、被弾した者はいるかい?」

「司令官、今回は誰も被弾しなかったわよ」

「お、暁、良くできました。疲れただろう?」

「もう! 頭をなでなでしないでよ! 子供じゃないって言ってるでしょ!」

「いいじゃないか暁。無事に帰ってきて嬉しいんだよ、私は」

「……もう。しょうがないわね!」

 

 私が皆の安否を確認していると、暁が得意満面で答えてくれた。

 小さい体を目いっぱい反るようにしている。

 私は何というか嬉しくなり、彼女の頭を無遠慮に撫でまわす。

 何とも撫でやすい位置にあるのだな。ちびっこ達の身長だと。

 そんな私たちを周りは微笑ましいというような視線で見ている。

 それに気が付いた暁は顔を真っ赤にして暴れだした。

 とはいえその抵抗は心底嫌だという物では無いのだけれども。

 そうしていると今度は響が私の横にやってきた。

 

「やれやれ。司令官、貴方はいつもそれだね」

 

 彼女は私を呆れたように見上げているが、何故かそこから動こうとはしない。

 

「なんだい響。君も撫でて欲しいのかい?」

「…………べつに」

 

 うん、最近私は彼女の事を理解出来てきた気がする。

 

「わ、私は撫でてほしいのです!」

「電は素直でいいな。よしよし、今回もありがとうな」

「はわわ。ありがと、なのです」

「ったく、相変わらず甘い提督だな。それより提督、何か忘れてやしないか?」

 

 ちびっ子と戯れる私を呆れるように眺めていた木曾が、意味ありげに笑う。

 そんなものはとっくに気が付いているさ。

 君の後ろに隠れるようにして佇む五十鈴の姿は最初から気がついていたのだから。

 

「ほら、行けよ五十鈴」

「わ、分かってるわよ。押さないでもいいでしょうに」

 

 まるで年の離れた妹を促すような様子で木曾は五十鈴の背を押した。

 彼女はたたらを踏みながら私の前にやってきたが、何というか気まずそうな顔で微笑した。

 きっと照れくさいのだろう。

 

「やあ、五十鈴」

「な、なによ」

「おかえり。無事に帰ってきてくれてありがとう」

 

 そういう私の言葉に、ハッとするような表情をした五十鈴だが、すぐにくるりと背を向けてしまった。

 こうして何事もなく帰ってきてくれた。その姿を見れたのだ。

 なんにせよ彼女はこうして、全てではないにしても自力で恐怖を振り切ることが出来た。

 それはきっと、私が想像するよりも遥かに凄いことなのだ。

 だから私はもうこれ以上何も聞く必要を感じなかった。

 そうして私は背を向けている五十鈴の肩を叩くと、皆に向けて叫んだ。

 なぜならしんみりした空気はもういらないのだから。

 

「さあみんな、疲れているだろうが、とりあえず着替えてここにまた集合してくれ。私の祖母の直伝のライスカレーを作ったんだ! 好きなだけおかわりしてもいいぞ!」

「ライスカレー? カレーライスじゃないの?」

「違うよ暁。ライスカレーだ。ほら、早く行った行った!」

 

 私の号令に皆は笑みを浮かべると、我先にと宿舎に向かっていった。

 遠征で相当に腹を空かせていたのだろう。

 しかしあの勢いだと米が足りなくなるかもしれないなァ。

 今から炊いたほうが良いだろうか?

 それよりも、だ。

 

「ほら島風、そんなところで覗いてないで、お前も一緒に食べろ。ほら、こっちきて手伝え」

 

 いつの間にか帰ってきていた島風が、暗がりの柱の陰からこちらを伺っていた。

 協調性のあまりない島風だが、なんだかんだ言ったところで皆を心配しているのだ。

 私はそんな彼女の不器用さが愛しくなり、こちらへ手招きする。

 彼女は何やらぶちぶちと悪態をついているようだが、結局は来てくれるのだ。

 

 さあカレーを温めなおそう。

 私も思えば朝から何も食べていなかった。

 こうして五十鈴が無事に復帰した夜は私のライスカレーで祝ったのだった。

 町から戻ってきた大和や愛宕さんたちも混じって盛大に、大騒ぎ。

 その中で私は、確かに幸せを感じていた。感じていたのだ。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 佐々木の鎮守府は、昨晩は相当に盛り上がった。

 それは今まで精神的疲弊に悩まされていた五十鈴が、正式に任務に復帰したことを皆で祝っていたからだ。

 佐々木のふるまったライスカレーはおおむね好評であり、それに気を良くした彼は、普段はあまり飲まない酒を出してきて皆に振舞った。

 それからは無礼講のどんちゃん騒ぎとなり、皆が皆、楽しく時間を過ごしたのだ。

 

 五十鈴の復帰がよほど嬉しかったのか、佐々木は普段の物静かな様子を崩し、素直に酒の勢いに任せたのだ。

 酔うと笑い上戸になるのか、佐々木は駆逐艦たちをまるで娘のように猫可愛がりしてまわり、しかしその勢いに辟易した島風や暁には逃げられ、その様子をやはり酔っぱらった愛宕や木曾が腹を抱えて笑い

転げるという程だった。

 

 そんな楽しい時間はやがて終わり、それでもその余韻を失くしたくないのか、静かに飲んでいた大和が、皆で広間で雑魚寝をしようと提案し、皆もそれに乗った。

 酒で程よく疲れた身体を横たえ、それでも眠るのが勿体ないと皆はそれぞれ周りの者と話し込んでいたのだが、一人また一人と遠征の疲れに身をゆだねていく。

 

 やがて皆が静かな寝息を立てたのを確認すると、佐々木は安心したように目を開けた。

 彼の酔いはとっくに醒めており、だが雰囲気を壊したくないと酔ったふりをしていたようだ。

 

「……良かったな、本当に」

 

 暗い天井を見上げながら彼は言った。

 その言葉には、彼の嬉しさが多大に籠っている。

 ただ待つのみ。それしかできないという歯痒さは、いつも彼に苦悩を強いている。

 そして海軍部の東郷長官から持ちかけられた事柄も控えており、それがさらに彼の心をかき乱している。

 

「まあそれでも、やるしかないんだ。きっとやれるさ」

 

 彼は思わず漏らしてしまった呟きに、一人苦笑する。

 だがそんな彼の言葉に返事をするものがいた。

 彼の横で眠っていたはずの大和だった。

 

「提督、貴方ならきっと大丈夫です。それに私もいますから……」

「大和か。寝ていたんじゃないのかい?」

「ふふっ、私は皆が楽しそうにしているのを眺めているうのが楽しかったので、それほど飲んではいないのですよ」

「そっか。ははっ、まいったな」

 

 本音の漏れた呟きを聞かれた佐々木は気まずそうな姿に、大和はしのび笑いをする。

 

「なあ、大和。近いうちにここも人数が相当増えるぞ」

「それは、新たに建造を多数行うのですか?」

「いや……」

 

 仰向けに寝ている大和に佐々木は静かに身を寄せると、他には聞こえないように彼女の耳元へ彼はつぶやいた。そして続きを言おうとして、言葉を飲み込む。

 

「君も参加していたあの作戦……、あれで生き残った艦娘、全てをここで引き受ける」

 

 そして言った。息を飲む大和。

 佐々木の鎮守府での穏やかな日々、それが彼女の心をある程度落ち着かせていた。

 だが今の言葉で大和はあの日の凄惨な映像が鮮明に脳裏に蘇った。

 思わずびくりと身体を震わせる。そんな大和の横で肩肘をつく姿勢の佐々木は、遠慮がちに彼女の肩に手を置いた。

 おずおずと彼女の肩をさする佐々木。大和は震える自分の手をその手に重ねた。

 触れ合う肌から伝わる佐々木の熱は、何とか彼女を落ち着けたようだ。

 そんな大和の様子を見て、佐々木は先をつづけた。

 

「これはもう決定なんだ。私の我を通すために、これを引き受けるという盟約を海軍部のお偉いさんと私は交わしたのだ。君がまだ、色々と複雑な想いを抱えているのを知っているが、それでも私はこれを受け入れたのだ――――

 

 何かのスイッチが入ったように、佐々木は自説を大和に打ち明けていく。

 それでも彼女の肩をさすりながら、気遣うことは忘れてはいないが。

 

「とにかく大和、私はこの前皆に話した目的をはたす為に、これを利用する。なあ大和、私は酷くエゴイストなのだと最近気が付いたんだ。それでも私はこれをやめる気はしない」

「……提督、私は貴方を信じています。だから、そのまま進んでください。私は、あの時死んだのです。そして貴方にその命を拾ってもらった。だから、私は貴方に従います……」

 

 そう語る大和の瞳は、佐々木の瞳を真っ直ぐに射抜く強い物だった。

 そこにある種の決意が見える。

 佐々木はそんな大和を見つめ、やがて「頼りにしている」と静かに呟き、そして仰向けになり眠った。

 彼女は暫くその寝顔を眺めていた。

 そして彼の額にかかる前髪をその細く長い指先で整えると、彼に寄り添うようにして眠った。

 

 しかしそんな2人を見つめる8対の目がある事を2人は知らなかったようだ。

 2人の寝息が本格的な眠りになった事を確認すると、それらは示し合わせたようにむくりと起き上がった。

 

「なあ愛宕さん、なんだか腹が立たないか? 司令官は全部一人で背負うつもりでいるよないつも」

「まぁねぇ、でもそれが彼の奥ゆかしいところだと思うわぁ」

「でも、司令官はいつも頑張っているもん。私を一人前のレディ扱いしないけど……」

「……私たちが支えてやればいいのさ。簡単だよ」

「司令官さんは、いつも電たちを護ってくれるのです」

「まあ私がいるから心配ないんだけどね!」

「お前だってそう思うだろう? 島風」

「……別に。お兄さんは私たちが何を言ったところで行くとこまで行くと思うよ。……まあ、のろのろしてたら私が引っ張るけどね……」

「素直じゃないわねぇ」

「まあ五十鈴は提督のために働くわ!」

「なら本人に言ってやれよ」

「……………」

 

 8人はこそこそと額を寄せ合い、横で眠っている佐々木と大和を眺めながら言葉を交わす。

 佐々木が思っている以上に、ここの艦娘たちは彼を信頼しているのだ。

 こうして佐々木の寝顔を肴に、艦娘たちのおしゃべりは朝方まで続いていくのだった。

 

 因みに、翌朝目覚めた佐々木を、大和以外の艦娘たちに囲まれ、大和の扱いは贔屓であるという説教が襲った。どうやら彼への信頼と、個人の心情はまた別の話だったらしい。

 そして正座をしたまま8人の艦娘たちに囲まれ、繰り返し「そんなつもりは無いのだ」と言い訳をする佐々木の姿は、まるで浮気がばれた亭主が女房に怒られる姿に似ていると、百田夫人を始め婦人部のお茶請けとして随分役に立ったというが、それはまた別の話である。

 

 

 ――――つづく。




完全にインターミッション的なお話となってしまいました。
というのも、次話あたりからテンポが速くなっていき、エンディングまで加速を続けていく予定なのですけれど(あくまでプロット上)、そうするとほのぼのっぽい話とシリアスな本編がどうにも同梱しづらいのですね。
それはまあ私の技量が圧倒的に足りないせいもあるのですけれど。
そんな訳で、今回はこんな感じで佐々木の心情吐露と、五十鈴をタグに加えるためのエピソードを中心になりました。

因みにカレーの話は私の祖母のカレーについての割とノンフィクションなエピソードだったりします。

いやしかし、お気に入りが初めて500を越えました!本当にありがとうございます。
とても励みになり、嬉しいです。
しかし感想があまりこないのは、気に入られていないのかとすこし心配になってしまうのですが、お気に入りと評価ポイントを見ると、まあいいのかと安堵しております。
でもすこし寂しいので那珂ちゃんのファンやめます。

日本代表の勢いも芳しくないですし、来週からはまた土曜更新でいけると思います。
では失礼します。


※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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私と戦艦の娘

『提督、現在製油所近海の輸送路付近へと到着した、送れ』

『了解。現在の速度を維持したまま、付近の警戒を続けてくれ、終れ』

 

 海上にいる佐々木の第一艦隊の旗艦、木曾との無線通話を終えた佐々木は、疲れたように執務室の椅子に背中を預けた。

 現在第一艦隊は旗艦の木曾を筆頭に、五十鈴、暁、響、雷、電の総勢六名で、補給の要となる製油所からのタンカー輸送海路の哨戒任務を行っている。

 現時刻はヒトサンマルマル。もう間もなく一番気温の高い時間帯を迎える。

 

 この鎮守府のある地域は、南西諸島と呼ばれる大小様々な島により形成された地域と、大陸沿岸を含んだ西方までの沿岸部のエリアを管轄としている。

 帝国において最重要な航路の一つであるこの地域は、戦略的な意味合いから、多数の鎮守府が設置されているが、佐々木の鎮守府は西方との境界付近にあるため、製油所付近の海域の防衛任務が多くなる。

 

 ただ所属している艦娘の分母が他の鎮守府から比べると圧倒的に少ないため、大本営海軍部の求める要請の全てをこなせる事は出来ていない。

 しかし他の鎮守府からの遠征もあるため、弱小鎮守府であるここの重要性はそれほど無いといえよう。

 有体に言えば、全く宛にされていないと言える。

 

 そもそも鎮守府の成り立ち自体そういう物なのだ。

 最初の規模はどこも小さく、そこから各々司令官たちの方針によって進歩の速度も様々である。

 ゆえに佐々木の鎮守府は、設立自体が日数的に浅く、必然的にまだ発展途上であるため、結果的に重要視されていないだけだ。

 

「愛宕さん、本部からの電文は届いているかい?」

 

 目頭を押さえるようにしていた佐々木が、ふと傍らで事務作業をしていた愛宕に声をかけた。

 

「いいえ提督。今のところ何の反応も無いですねぇ」

「そうか。それは良かった……と、言ったら怒られるだろうが、まあ良かった」

「提督、それは言わぬが花ですわ」

「そうだな――――」

 

 佐々木は愛宕と何やら含みのある会話を交わしていたが、それを遮るように無線の声が執務室に響く。

 

『提督、敵艦隊を発見した。内訳は軽巡ホ級に駆逐ハ級が二だ。交戦を行っていいか、送れ』

 

 無線機のスピーカーから響く木曾の声に焦りの色は無かった。

 それを感じた佐々木はさりげなく深い息をひとつ付くと、無骨な太いコードのついたハンディタイプのマイクに向かって冷静に指示を飛ばした。

 

『……数はそれほど多くは無いな。単縦陣で一気に殲滅せよ。尚、何か想定外の事態が起こった場合、木曾の判断に任せる。状況終了後の報告で構わない、終れ』

『了解、任せてくれ。終れ』

 

「ふふっ」

「……どうかしたか?」

 

 通信を終えた佐々木を見て、愛宕がくすりと笑う。

 そんな彼女を佐々木は怪訝そうに見る。

 

「いえ、提督も随分様になってきましたね、と思ったのです」

「ああ、そうか。うん、そうかもしれんなぁ。まあ必死って事だよ私も」

 

 

 苦笑いを浮かべる佐々木に愛宕は労いの意味を込め、お茶を淹れた。

 それを受け取りながら彼はこれまでの事を思い浮べる。

 今や、相当に練度の上がった己の艦隊を彼は信頼している。

 後は状況終了の報告を待てばいいのだ。

 

 彼がこの鎮守府の主として着任してから約二年。

 その間に増えた艦娘の数はそれほど多くはない。

 それは他の鎮守府から比べれば、実際ありえないほどに規模の小さい鎮守府であると言える。

 しかし彼は己の信念を持って、増やそうとはしなかった。

 

 正式な軍事訓練を行った人間から見れば、それは怠慢とも取るだろうし、あるいは成長していないと取るかもしれない。

 けれども佐々木はいい意味でも悪い意味でも素人でしかないのだ。

 素人がたとえどれだけこの任務に携わろうと、本職にはどうあがいても追いつけない。

 それは冷酷な判断であったり、合理的に切り捨てる非情さであったりと、主に精神面での意味合いでだ。

 艦娘とは人間と軍艦の両方の特性を持っている。

 しかし厳密に言うと人間ではないのだ。

 ある種、工廠での作業だったり、生み出した装備についている妖精と同じようなものである。

 つまり、近代化改修などをおこなう際の触媒として艦娘を使う事は、効果的に言えば海軍部が太鼓判を押すほどにその結果は著しい。

 

 しかし彼女達は人間であり軍艦である。その為、触媒となった艦娘がどうなるかと言えば、普通の女性に戻ってしまう。まるで憑き物が落ちたようにという言い回しもあるが、文字通り軍艦たる本質は消え失せ、艦娘の時の記憶も曖昧なままの無垢な人間の女性がそこに残るのだ。

 それはある角度から見えれば非常に残酷な事であろう。轟沈し本当の意味で死を迎えるよりはましだとて、それなりの年齢に達した親も兄弟もいない少女が、どうやってその後生きていけばいいのだろうか?

 それはある意味佐々木と同じような境遇ではあるが、少なくとも一般常識と生きる知恵を兼ね備えていた彼とは違い、悪い意味で純粋培養の少女がそこにいるのだ。

 

 その対処措置として、世界共通の法が整備されている。

 それは艦娘人道保護法と言う名前で呼ばれているが、要はなんのバックボーンを持たない退役艦娘の生活を保護するための法律だ。

 触媒にされ、或いは何らかの理由において退役をする場合、その艦娘はそれまで所属していた鎮守府のある国家でその生命の権利を保障される。

 そして人間として生きるために戸籍が用意され、元の鎮守府がその本籍地に設定される。

 ただそれが適用となる条件としては、司令官乃至提督、またはそれに準ずる資格を有する者が後見人とならなければならないという物がある。

 

 それにより退役艦娘は表面上は普通の人間として生きていくことが出来るが、やはりそれは万全とは言えず、艦娘として所属していた間に心無い提督により性的虐待を受けPTSDを追っている者がいたり、艦娘時代の戦闘の名残で一般生活にアジャストできない者もいたりする。

 佐々木のいた世界での実例を挙げれば、過去にあったベトナム戦争に参加していたアメリカの兵士が、一般の生活に戻った後に、悲惨な記憶がフラッシュバックし神経が休まらずに疲弊をしたりなど、顕著なPTSDの症状を発した。

 その結果、薬物におぼれたり犯罪に走ったり等という社会問題に発展したのだ。

 それに似通った症状を発症する艦娘もいるという事だ。

 

 つまり退役したとはいえ、順風満帆な人生を歩める保障などはどこにもなく、一般の人間が親から生を授かり、教育され自分の人生を作り上げていくというプロセスが通常であるのに対し、彼女達は突然社会の荒波の中に、なんの生活を営むという経験を持たないまま放り込まれるという事なのだ。

 それは中々に難しい問題であるし、それを佐々木は新人司令官時代に与えられた海軍支給の運営マニュアルの中で知った。

 

 しかしそれは非常にマイルドに記載されており、この世界に懐疑的であった佐々木だからこそ達した結論だろう。

 その後彼は、繰り返しここへ現れる任務担当の連絡管に質問をし、いよいよ持ってその実情を把握した。

 

 しかし現実問題、多くの軍関係者や合理性を追求する司令官たちにとって、彼女達は消耗品であるという事実は変わらない。

 けれども佐々木はそれをどうしても受け入れられず、その代わりに繰り返し同じメンバーで出撃することで練度を上げる方法を選んだのだ。

 それの良し悪しなど彼は問題としていない。己でそれを選んだのだ。

 彼の内面では艦娘を触媒に使う事を、どうも家畜を屠殺にかけるようで嫌なのだ。

 ただそれは肉を食べる人間には文句を言えない常識である。

 佐々木とて肉は食うが、それでも納得できないというのは、それが理不尽でエゴイストな人間の本質という物かもしれないにしても。

 

 そんな事を考えながら、愛宕の淹れた茶の芳香を楽しんでいた佐々木の耳に、ザザッという無線の入電を表すノイズが聞こえた。

 

『提督、状況終了。製油所沿岸まで哨戒を行ったが、敵反応は見えない。判断を頼む、送れ』

 

 木曾からの報告であった。

 佐々木は時計をちらりと見る。

 現在の時刻はヒトゴサンマル。

 そして佐々木は無線のハンディを持つと、淀みなく指令を出す。

 

『ご苦労。もう一往復哨戒した後、敵反応がなければ帰投せよ。今回も無事終わったようだが、帰り道も気を抜くな。ご苦労、終れ』

『了解した。一往復した後、敵反応がなければ帰投する。終れ』

 

 ピッっという音と共に、司令室に静寂が戻る。

 それと共に佐々木は深い溜息もらし、傍らの愛宕に苦笑した。

 命令を出す際の毅然とした彼の様子。それが彼のセルフプロデュースの結果な事は、彼の秘書官である愛宕には知られている。

 それ故どうにも彼は気恥ずかしさを感じるらしい。

 

「提督、お疲れ様でした」

 

 愛宕の慈愛の籠ったようなねぎらいの言葉に、佐々木はさらに苦笑を深くした。

 

「ああ、ありがとう。それよりも愛宕、大和はどうした? 朝から見かけないが」

「ふふっ、提督は大和さんがお気に入りですからねぇ。なんか妬けてしまいますわ。彼女なら工廠にいるかと思いますよ。新しい装備を作るのだと意気込んでいましたからね」

 

 愛宕のからかうような口調に、佐々木はそんなことは無いのだと慌てるが、最近の鎮守府では彼と大和の間柄を弄るのがひとつの娯楽となっている。

 とはいえ少なくとも佐々木は、取り立てて彼女に対して何か特別な感情を抱いているつもりは無い。ただ彼女と五十鈴がここへやってきた顛末を考えると、何となく目が離せないという気持ちなのだ。ただ大和はその経緯からと元々の気質から、佐々木への忠誠心は非常に強いのかもしれないが。

 もっとも佐々木がいちいち必死に弁解するので、逆に皆が面白がっているという悪循環を起こしている事を彼はあまり理解していないのであるが。

 

「ああ、そういえば開発の許可を出していたな。では私も様子を見に行こうかな。愛宕さん、何かあったら全館放送で呼び掛けてくれ」

「はぁーい提督! 大和さんとのデート、楽しんできてくださいね?」

「……もう勘弁してくれ」

「ふふっ、いってらっしゃい」

「……行ってくる」

 

 結局最後まで愛宕にからかわれ、佐々木は逃げる様に司令室から飛び出していった。

 それを見て笑う愛宕。そんな一幕もありつつ、鎮守府の任務は無事終わった。

 後に残された愛宕は、佐々木の使った茶器を片しつつ、どこか満足気な表情を浮かべるのだった。

 

 それはどこか、彼の成長を嬉しく思う母親のごとく包容力に溢れたものである。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 工廠。それは鎮守府における兵器開発や新規艦娘建造のためのドックを含んだ施設の事であるのだが、実際どのようなものかと言えば、煉瓦造りのひんやりとした部屋の中、隅に詰まれた鋼材などの資材の一見するとまるで倉庫の様な場所である。

 

 入り口は両開きの大きな鉄製の扉があり、昼間の間、そこは開け拡げにされている。そうしないと中が暗いからだ。薄暗くなる夕方以降であれば、中にいくつか設置されているガス灯で中は明るくなるのでが、昼間は経費節減の一環として陽光のみを利用している。

 

 それは佐々木の方針なのであるが、彼は外の鎮守府と比べると圧倒的に遠征や任務を行う数自体が少ないと言える。

 しかしそれは各鎮守府を運営していくための経費を稼ぐための手段でもあるため、それが少ないという事は世知辛い話ではあるが実入りが少ないという事になる。

 

 佐々木の普段の方針として、この鎮守府沿岸から近海と呼べるエリアまでをカバーするように哨戒任務を行っているが、そこで遭遇する深海棲艦の多くは、エリートとカテゴライズされる強敵もちらほらと遭遇することはあるが、それでも戦艦や空母クラスの物は現在は確認されていない。

 海軍部はエリアを確保し続けることに対しての金銭的報酬を定期的に支給するため、それを各鎮守府の主な運営費用としている。

 しかしそれは確保し続ける事が困難なエリア程に高額であり、逆にいえば鎮守府近隣エリアであればそう高額な報酬は期待できないのだ。

 

 その為佐々木はこうして自主的に経費削減を行いながら運営の負担を減らしつつ、しかし己の艦娘たちには出来るだけ負担をかけない様にと日々知恵を絞っている。

 それは例えば彼女達の食事であったり月給であったりという部分だ。或いは間宮と呼ばれる食糧配給制度の利用であったり等である。その部分を削れば、日々生死を掛けて任務に臨む艦娘たちの士気を保てないだろう。

 特に間宮は甘味が有名であり、艦娘たちには例外なく好物なのだ。むしろ「間宮のアイスを奢るから、この任務は頑張ってほしい」などと言えば、鼻先に人参をぶら下げられた競走馬の如く、死にもの狂いで頑張るという程に効果は覿面である。

 

 そういう福利厚生の部分を高水準で維持するために、佐々木は人間達の経費を削るという選択をしているのであった。

 もちろん佐々木は当初の現代的思想で、ともすれば日和った弱腰の考えでそうしている訳では無い。

 それは佐々木が直接建造した愛宕や木曾たち以外の艦娘、暁を筆頭とした最初から練度の高かった艦娘を基軸に据えているため、最初からある程度の無理は聞いた事から生まれた発想なのだ。まして今は普通に建造することもままならない大和ですら着任している。

 

 つまり高練度の艦娘を中心とした少数精鋭をさらに高いレベルの練度に持っていきつつ、新造された艦娘たちをその艦隊に加えることで、安全に修練が出来るというサイクルを作り上げたのだ。

 ここに新たな新造艦娘を多数建造したとして、そこから現在の暁たちの練度まで持っていくには、鎮守府の規模的に散漫にならざるを得ない。

 だからこそ彼は、いずれ訪れる深海棲艦の災厄を念頭に起き、一点特化の精鋭を作るという選択肢を選んだのであった。

 

 艦娘側も司令官との付き合いが長くなれば、それなりに人間的な絆も増していく。

 その中で多数の艦娘で鎮守府が溢れていれば、司令官が一人ひとりと接する事は物理的に希薄になっていく。

 そうなればモチベーションを落とす者もいるだろうし、元々素人でしかなかった佐々木からしても、それはあまり歓迎出来ない事でもあった。

 結局のところ、彼の一番の目的とは、この世界の人間の敵である深海棲艦。その互いの生存を掛けたこの戦争をどうにか一人も欠けること無く行き抜き、その後、彼女達を普通の女性として戻してやることにあるのだ。

 初めてであった艦娘である暁に対し、彼はまるで娘の様な感情を抱いているが、そう言ったことも関係あるだろうが。

 

 その過程で彼が目的とするいくつかの事柄があるのであるが、それはそれで困難な事ではある。

 ただその後に訪れる、こうした幸せのためであるならば、彼はただそれを愚直に求めるだけだ。

 

 閑話休題。

 

 

 入り口が開け放たれた静かな工廠の中、日は入れど中は薄暗い。

 資材が詰まれた場所の傍らに、鉄でできた作業台の設置された区画がある。

 ここが主に工廠妖精たちによって装備が開発される場所であった。

 その作業台の横に、女性としては長身の紅白を基調とした特殊なセーラー服を身に纏った艦娘が、すこし難しい顔をして佇んでいた。

 彼女の名前は大和。今は背中に装備している艤装と呼ばれる物を外している。

 大和は机の上にいる妖精たちと、なにやら装備開発について相談をしていたようだ。

 そんな彼女の背に向かって声を掛けたものがいた。

 

「やあ、大和。作業の塩梅はどうだい?」

 

 声を掛けたのは佐々木だった。

 彼は勤務中は着用の義務がある白い海軍将校の制服姿であるが、もう随分とこなれ、似合っているように見える。

 そんな彼の声に、綺麗な眉を顰めながら神妙な表情でいた大和の顔が、まるで花が咲いたような笑顔になった。

 

「提督! いらっしゃったんですね。開発なんですが、どうにも材料の比率が決まらずに進んで無いのです。申し訳ありません」

「ははっ大和、そんな畏まらないでもいいよ。私は今でこそ司令官だの提督などと言ってふんぞり返っているが、君たちがいなければ何もできないのだから」

「そ、そんなことはありません! 提督はいつも立派ですし、私たちをいい方向へ導いてくれますから。……こんな私を、救ってくださ――むぅ?!」

 

 のんびりとした佐々木の呼び掛けに、まるで子犬が主人に駆け寄るように彼の傍へと小走りで掛けてきた大和だったが、どうにも言葉が暗い物へと転じてしまった。

 しかし佐々木はそんな大和を遮るように、彼女の頬を両側から挟むように右手でつかんだ。

 まるでひよこの嘴の様な顔になる大和。

 

「何度も言うけれど、そう簡単にぺこぺこと頭を下げるんじゃないよ。君にそうされたらこっちが恐縮してしまう。せっかくの美しい顔が勿体ないよ」

「ひょ、ひょんな、びひんひゃんて……」

 

 彼のからかうような口調の褒め言葉に、赤面しながら狼狽える大和。

 その何とも言えない様子に佐々木は思わず笑ってしまう。

 そして頬をつかんでいた手を放すと、まるで親戚の娘をあやす様に頭を撫でた。

 

「もう! 提督にかかれば戦艦大和も形無しですね。まるで子ども扱いです!」

 

 大和は羞恥からか彼に背を向け、そして少しばかり憤慨して見せた。

 とはいえ、その表情は怒っているというよりは、どことなく嬉しそうであるが。

 

「子ども扱いか。気分を害したならすまんな。でも何というか、君たちが私の娘であるというのは、非常にしっくりくるのだがね。私の胃をきりきりさせるほどに、いつも君たちは心配させてくれるのだから」

「……提督には敵いませんね。なんだか悔しいですけれど……その、嬉しいです」

 

 そんな大和の言葉を聞こえないふりをして、佐々木は作業机の上にいた妖精娘を一人、両手ですくうようにして持ち上げた。

 何とも不可思議な言葉を喋る、愛らしい人形のような姿の彼女は、嬉しそうに笑っている。

 それを見て他の妖精たちが我先にと佐々木の制服を掴んでは昇ってくる。

 それをあやしながら佐々木は大和に言った。

 

「随分ここにも馴染んでくれたみたいだし、私も本当に安心しているよ。それに今や君は私の切り札だ。確かに海に出すのは今でも怖い。けれど、私はいつか、君たちが本当の家族になれるように頑張るつもりさ」

「提督……」

 

 相変わらず妖精娘に視線を向けたまま話す佐々木であるが、先ほどの穏やかな口調とは違い、どこか厳しい物へと変化する。

 そしてそれを聞いている大和も自ずと姿勢を正した。そうせざるを得ない気配が今の佐々木にはあった。彼は大和の相槌を待つこともなく、言葉を続ける。

 

「それに最近の任務の結果を見ていると分かるが、どうやらこの海域に現れる深海棲艦の数が増えている。それも足の速い者ばかりだ。これがどういう意味か分かるか大和」

「それは……斥候という事でしょうか?」

「ああ、そうだろうと私も判断した。つまり、それほど遠くない未来に、ここは深海棲艦の本体が強襲してくる事が考えられる」

 

 そこまで言い切ると、彼は大和をしっかりと見た。その視線は厳しい。

 この鎮守府に来てまだそれほど長くない彼女には分からない事であるが、最初から彼を知る暁や響が今の佐々木を見たら、昔では信じられない程に変化したというだろう。

 もちろんそれは佐々木個人という意味では無く、司令官としての気迫の様な意味合いでだ。

 

 海軍の正規艦隊の旗艦を勤めていた大和が思わず息を飲むほどの気迫。

 それを彼女は感じている。

 どうしてこの人はこれ程までに私を委縮させる事が出来るのだろう? 大和はそう考えられずにいられなかった。

 しかし佐々木は、そんな大和の緊張を肩透かしする様に、口調を変えた。

 

「なあ大和、艦娘っていったいなんなんだろうな」

 

 その問いかけの真意を大和は理解できなかった。

 それは質問があまりにも漠然としているからだ。

 何故と問われようが、現実的に自分はここにいて、深海棲艦と戦うしかない。

 それをどうしてと問われても、正直彼女には何も思いつかなかった。

 小首を傾げるようにして黙る大和に佐々木は微笑み、そしてさらに言葉を続けた。

 

「なあ大和。前に話したろう? 私がこの世界で生まれた訳じゃないのだと。非常に滑稽無答な狂人の戯言のようだが」

「はい、にわかには信じられない事ですが、でも私は信じています!」

 

 すこし自嘲を含んだ佐々木の言葉に、大和は肌が触れ合う程に自分の顔を彼に寄せて肯定した。

 まるで子犬だな――彼はいつかも思った彼女の印象を密かに抱いた。

 

「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ。それでな、海軍発行の艦娘名鑑を眺めていると、君たちは私のいた国の過去の戦争で使われた軍艦たちの名前なのだ。その辺はよく分からないけれど、暁や響たちから聞いた、彼女達が軍艦であった時の記憶――――それはどうやら私の国の過去の出来事と繋がっているようだ」

「それが何かおかしいですか?」

「いや、この際何が正常で何が異常かなんて些細な事さ。それほどにこの世界は歪つなのだから」

「歪つ、ですか」

 

 鼻と鼻が触れ合うような至近距離。

 言葉を互いに交わしながらも、佐々木の視線は大和を射ぬいている様で、だがどこか遠くを見ているように彼女には思えた。

 

「いやね、私の世界の過去の歴史。それが君たちに何らかの関係があったとしてだ。では深海棲艦とはどういう存在かって話なのさ」

「あれは……敵です」

「そうだな。私たち人間の脅威であり、現実的に今もどこかで人々の住む場所を襲っているだろう。だからこそ私は気に入らないんだ。私は何度か母艦に乗船し、我が艦隊の任務に同行したことがある。その際に出くわした深海棲艦という存在。彼女達は――うん、敢えて彼女達と呼ぶが、君たち艦娘とどこが違うのだろうか」

 

 そこまで言うと佐々木は大和の両肩に労わる様に手を添え、そっと距離を離した。

 大和はすこし残念な表情を見せたが、彼はそのまま手を後ろに組むと、その場をゆっくりと歩き始める。

 その歩みの行先は無く、ただその場を回るようにうろつくのみだ。

 

「……提督、その考えは、その……危険です」

「危険かもしれない。だが誰もそこに疑問を抱かない。それこそ私は危険だと感じるのだ。最もそれは、私がこの世界の住人では無いという事が多いに関係あるにしてもね」

 

 そう言って佐々木はすこし考え込む様子を見せた。

 大和は黙ってそれを見ている。

 彼女は佐々木が見せるこの思索の様子が好きだった。

 普段はそれこそどこにでも居そうなほどに人畜無害な佐々木であるが、たまにこうして周りとは隔絶された様な雰囲気を纏って考え込む。

 その様子が大和にとっては儚げに見え、どうにも気になるらしい。

 

 そんな佐々木の頭の中には、この世界に来てからずっと抱いている思考が、改めて襲っていた。

 それは人間の敵とされる深海棲艦。その存在が、どうにも艦娘と表裏を一体としているように思えるという事だ。

 そうなれば何らかの理由で深海棲艦が人間を襲っているとして、その際に不幸にも轟沈を迎えた艦娘はどうなるのか? という事柄が彼には大きな疑問となる。

 と言うのも任務などで遭遇した深海棲艦と戦闘になり殲滅する。その結果、時折艦娘が発見される事があるのだ。

 

 それはごく稀な事であり、佐々木の鎮守府ではまだそう言った事例は無いのだが、他の鎮守府ではちらほら報告があるという。

 ではその艦娘はどこからやってくるのか。

 空中からか、あるいは海中からか。それはまるで幽霊のように突然、何もないところから現れるのか。

 けれど佐々木はそんな馬鹿な話があるかと考える。

 

 ならばどこからその艦娘がやってくるのか。

 佐々木が考えるにそれは、轟沈した深海棲艦なのではなかろうかという事なのである。

 彼が暁たちから、彼女達が元所属していた鎮守府の話を聞くに、そこでは無茶な運営をしていた弊害で、かなり頻繁に艦娘たちを轟沈させていたという。

 しかし同じ艦隊にいた時に暁は、轟沈した僚艦の残骸のような物は見たことが無いと言う。

 ただ海の底に消えていくのだと言うのだ。そしてそれは二度と浮いては来ない。

 

 深海棲艦が世界の脅威として存在し、その切り札として世界中には沢山の鎮守府がある。

 その数は万に達すると言われているが、正確な数は佐々木も知らない。

 その中で人間は長い間に渡り、深海棲艦との争いを続けている。

 しかしその数は一向に減る様子を見せないという。

 そして時と共に艦娘たちの総量も同じく増えている。

 

 佐々木にしてみれば、なぜそこに疑問を突き付けないのかという事が不思議なのだ。

 しかし彼とて、身近に迫る脅威を放置するなど無責任な事をするつもりは無い。

 ただ疑問点としてそれを持ち続け、盲目的になっている人間には見付けられない綻びの様な物を彼は捜している。

 それが言うなれば、彼自身がここへ生まれ変った意義のように考えているのだ。

 

 そして、その為に佐々木はとある事を本気で試そうと考えている。

 それは深海棲艦の鹵獲である。

 つまり本質を見極める為に対話を行おうという意図がそこにはある。

 もちろん佐々木もそれは危険な行為であると知っているし、下手をすれば人間社会に対しての裏切りととられる危うさを孕んでいるだろう。

 だからこそそれは完全なる秘密裡に行う必要があり、そしてその為には彼一人では難しい。

 

 かつて佐々木はそのことを己の艦娘に問うた。

 自分が行おうとする行為と、それに纏わる思想。

 その危うさを知った上で自分を助けて欲しい。

 しかし賛同できないのであれば、いつでも袂を分かっても構わないと。

 それはあの五十鈴が復帰出来たことを祝った晩の翌日の事だった。

 

 そしてそれは大和を含むすべての艦娘に受け入れられた。

 あの日から佐々木と彼女達は、本来の鎮守府における司令官と艦娘の関係性を越えた、ある種の運命共同体となったのだ。

 虐げられてきた暁たち。

 名分の無い作戦に絶望した大和たち。

 漠然と戦い続ける事に疑問を抱く佐々木の建造した愛宕や木曾たち。

 そして島風。

 

 けれども大和は、そんな佐々木を見ていると苦しくなるのだ。

 まるで夜が明けたら煙のように消えてしまうのではないか?

 彼女にはそんな風に思えてしまう。

 自分を水底から引きずりあげてくれた佐々木という男。

 恩人を越えた何か不思議な感情を彼に抱く大和は、佐々木が消えるなんて想像をしただけで気が狂いそうになる。

 だからこそ大和は、一緒に歩むと決めた今でも思わず躊躇してしまう。

 

「大丈夫だよ大和」

「え……」

 

 思索に耽る佐々木を見ていたはずの大和は、いつのまにか己の思考の海に埋没していた様だ。

 そんな彼女を彼はいつのまにか酷く優しげな微笑を浮かべて見ていた。

 素の表情を近くから佐々木に見られたじろぐ大和。

 そんな大和の感情を気にしないまま、佐々木は彼女肩に手を乗せ、語り始めた。

 大和はすぐ傍にある佐々木の唇が動くのが、まるでスローモーションのように見えていた。

 

「私はね、こんなにも暖かな場所を手に入れたのだ。それを絶対に手放したりしないよ。だから未来を見据えた上で私は動くんだ。だから大和、私の横にずっといて欲しいんだ」

 

 彼がそれを言った瞬間、大和は自分の頬が爆発するのでは? と心配になった。

 それほどに熱い。彼はいま何といった?

 自分の横にずっといて欲しい。

 それは一体何を意味しているのか。

 大和はまるで生娘のように心を揺らした。

 先ほどまでの暗鬱な心は今や、青天の空の様だった。

 

「……ふぁい」

 

 そうして暁の水平線から昇ってくる太陽より真っ赤な顔の大和の何とも間抜けな台詞が、静かな工廠に響き渡ったのだった。佐々木は何故かそんな大和を見て何度も頷いているが。

 妖精娘たちがそれを見てくすくすと笑っている。

 佐々木は満面の笑みで大和の返事を受け取ると、軽い口調でこう続けた。

 

「ありがとうな大和。やはり家族がたくさんいるのは幸せだなァ。うん、私とずっと一緒にいてくれ。きっと暁たちも喜ぶだろうなァ」と。

 

 そして急に機嫌の悪くなった大和は、無言で佐々木を工廠から追い出した。

 何か変な事を言ったか? と首をかしげる佐々木に「知りません!」とまるで攻撃を命じる際の号令のような凛とした声で彼女は怒鳴った。

 

 そしてその日、滞ってた開発作業を怒りの大和は成功させた。

 出来た装備は46cm三連装砲が2機も。

 最大射程40kmを超える化け物の様な最大最強の艦載砲だ。

 そして佐々木は、三日ほど大和から口を聞いてもらえなかったという。

 

 そんな佐々木の姿を見て、大和以外の艦娘は呆れた溜息を洩らすのだった。

 

 

 

 ――――つづく

 




相変わらずの冗長なお話ですが、お付き合いいただきありがとうございました。
前回に次回からは話が加速していくとの記載をしましたが、身内の不幸があり、どうにも話を展開させていく集中力が続かず、もう少し日常の延長のような話を投下することにしました。申し訳ない。

葬儀などでいなかった間も、艦これはiPadからのリモートによって遠征などは回していたりはしたのですが、デイリー建造すら行っていないという状態でして。執筆なんかもう、プロットを眺めては暇な時間にすこしだけ書き、気に入らず消しての繰り返しでした。

結局、未だ我が鎮守府にいない大和さんへの愛を込めた日常話が出来ていたという次第です。
ちょっと精神的に重たい話を書ける状態ではないので、しばらくの間はこんな感じなことをお許しください。

いやしかし、大型建造をしてもまるゆばかりが増えていく。モウヤメテ

※誤字修正
時折艦娘が発券される事があるのだ。>発見へ修正しました。

10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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蠢く

「航空母艦、加賀です。本日付けでこちらへ着任しました。佐々木提督閣下、以後よろしくお願いします」

「ああ、よろしく頼む。ここにはまだ空母がいなかったので、今後の活躍を期待する。いやしかし、閣下はやめてくれ。こんな若造であるし経験も浅い。なんにせよ柄じゃ無いからな。まあとにかく細かい諸々の事はすべて秘書艦である愛宕に一任してあるので、この後彼女に従い事務手続きなどを済ませてくれ。以上だ。下がってよし」

「はっ」

 

 私は今、海軍大本営の連合艦隊長官である東郷長官の肝いりでここへやってきた、正規空母の加賀と対面している。

 彼女は日本人女性の清楚な部分だけを集めたような凛とした女性で、セミロングの黒髪を頭の左側で纏めてあり、服は目の覚めるような青を基調とした弓道家のような袴を履き、胸当てをしている。

 私は空母とカテゴライズされた艦娘を初めてみたが、彼女は大和たち以下の艦娘の様な無骨で威圧感のある艤装は持たず、飛行甲板と呼ばれる物を西洋鎧のガントレットの様に腕にはめ、反対の手には弓を持っており、背中には日本の国旗を模した羽を持つ矢を収めた矢筒があった。いや、これが彼女たち空母の艤装と呼ぶべきか。

 

 彼女は着任の名乗りを終えると私に向かって綺麗な敬礼をして見せた。それに対して私は机の上に置いていた制帽を被ると、立ち上がって彼女に答礼する。最近ようやく様になってきたと愛宕さんに褒められた海軍式の敬礼だ。

 

 私は元々一般市民でしかなかったから知らなかったのだが、敬礼にもいくつか種類があり、しっかりとした作法を守る事が一つの礼儀とされている。

 私が知っているいわゆる敬礼と思っていたものは、実は陸軍式の物で、それを海軍でするのは間違っているという事だ。

 

 具体的には右手を額に沿えるという部分は一緒なのだが、腕の角度と掌の向きが全く違う。私は繰り返し愛宕さんに教育されて漸く慣れたものだが、海軍式は右の肘を前に突き出すようにし、そのまま真っ直ぐに指先までを上に伸ばす。そして掌を見せぬように内側に向けるのだ。

 

 これが陸軍式となると、右手の二の腕が地面と水平になるようにし、そのまま額まで一直線に指先を向けるのだ。前から見ると腕と身体の芯が綺麗な三角形を描くように見えるだろう。

 私が映画などで見知って敬礼だと思っていた行為はこちらの方だ。

 

 ただそれだけでは無く帽子を着用していないときは、手を添えることはせずに両手を体の横に沿え、相手から視線を外さないように頭をすこし下げるのみだったりする。

 こういった作法を守らない事は、自分が無知であるという以前に、相手に足して酷く失礼であるため、私の敬礼が完璧になるまで相当扱かれたものだ。

 

 そして数瞬、視線を真っ直ぐに合わせながら敬礼を交わしていた私と加賀であるが、何故か下がってもいいと伝えた後も彼女はそのままの姿勢で動かない。

 横で控えている愛宕さんも怪訝そうな表情をしているが、何か私に言いたいことでもあるのだろうか?

 

「……どうした?」

「いえ、東郷長官より聞き及んでいた貴方の印象と、実際にお目にかかった貴方の印象が随分違うなと思いまして」

「ふむ? 私は直接東郷長官とは面識は無いのだが、管理官を通して色々目を掛けていただいている事は知っている。しかし私の印象か。どうせ艦娘に甘い無能とでも聞いたのだろう?」

 

 そう言って笑うと、加賀の横で愛宕さんが苦笑しているが、何故か加賀は真剣な表情のまま言葉を発しない。

 しかし暫くそうしていると、やがて彼女はぽつりと言った。

 

「…………と思いまして」

 

 それは私や愛宕さんの耳にかろうじて聞き取れるかどうかという程小さな呟きで、彼女の表情を見ていると、私に言ったというより自分に何かを言い聞かせている様な口調に思えた。

 

「申し訳ないが、もう少し聞こえる様に言ってくれないか? 何か希望があるのであれば、今言ってくれた方が私としては嬉しいが」

「いえ、申し訳ありません。栓無き事でした。第一航空戦隊の誇りを汚さぬよう努めますので、以後よろしくお願いします。では提督、失礼いたします。愛宕さん、案内をよろしく」

「あ、はぁい? では提督、行ってきますね」

「?……ああ、頼む」

 

 彼女の言葉は何か含みがあるように思えたが、かといって棘があるような雰囲気にも思えない。

 それならばまた別の機会に聞ければいいだろう。私はそう考え、退室を許した。

 急に話を振られた愛宕さんは目を白黒させていたが。

 

 加賀と愛宕さんの出ていった司令室は静かな物だ。

 私の背にある大きな窓は換気のために開けているが、そこから暁たちの騒ぐ声がかすかに聞こえる。

 今日は特に遠征も任務も入れてはいない。きっと中庭に姉妹で集まって遊んでいるのだろう。

 最近は島風もその輪に入っているのを良く見るが、何せ速さという物に執拗なまでのこだわりを持つ島風が、漸く輪の中に入ろうという協調性を見せたことは嬉しく思う。

 まあ我の強さでしょっちゅう喧嘩もしているようだが……。

 

「今日は加賀。次回は金剛型と扶桑型の戦艦に潜水艦も数人来ると言ってたな。私に上手く接する事ができるだろうか?」

 

 二階にある司令室の窓から眼下を見ると、綺麗な芝生が緑の絨毯を作っているのが見える。

 私はそれを眺めながら、これから増えていく艦娘たちを思うと憂鬱になり、思わず口にだして愚痴を吐いてしまった。

 聞くものが誰も居ない事だけが救いではあるが。

 

 帝国各地で被害に遭い崩壊した鎮守府。その生き残りの艦娘を私の鎮守府で引き取る。それが私と東郷長官の間で交わされた盟約のひとつだった。付け加えるならば、崩壊した鎮守府の所属だった艦娘が直接ここへ来た訳では無く、ワンクッション挟んだ上でここに来てるのだ。長官の支配下にある、本来は海軍所属の艦娘が実践前に練度を上げるための修練施設。そこでリハビリをしていた様だ。そこで実践登用に足ると判断された艦娘が今回ここへ送られてくるのだ。

 つまり簡単に言えば、大和も参加していたあの作戦の生き残りという事だ。リハビリを終えたならそのまま連合艦隊に所属すればと、私は素人ながらに思うが、そうもいかない複雑な事情とやらもあるらしいな。

 

 鎮守府が崩壊したことで行き場を失った艦娘が、政府の連合艦隊で引き取るための試金石としてあの作戦を提示され、しかし実際は捨て駒にされただけのあの作戦。

 本能のレベルで敵と戦う事を刷り込まれたと言える艦娘が、所属する鎮守府を失くせば後に待っているのは解体処分というのが通常らしい。しかしその存在意義からほとんどの艦娘はその無茶な作戦を受け入れたのだという。私がその場にいた訳でも無いから、己の心情のみでそれをどうこういう事は出来ないにしても、何とも不条理な生き方だと嘆かざるを得ない。

 

 とはいえ結局は作戦決行寸前で深海棲艦のカウンターに遭い連合艦隊のほとんどが轟沈し、前線にいた捨て駒とされた艦娘は指揮系統が崩壊したことが幸いし、結果、それなりの数が生き残ったというのが事の顛末だ。

 私はそれを東郷長官との盟約を交わした事で知る事が出来たのだが、本来であれば花の連合艦隊の崩壊など、公的なメディアには絶対に載らない情報だろう。それは軍全体の士気の問題もあるが、それ以上に民意の誘導という部分でもマイナスなのだろうから。

 

 とにかく色々と問題はあるにせよ、ここの鎮守府の台所事情を考えれば、今回の異動に関して私は表面的には歓迎すべきことだろう。それはいくら私が備蓄資源に気を使っているとはいえ、動かせるマンパワーの限界から計算できる資源収集の絶対量を考えれば、大型艦の充実をここだけではかる事は現実的に厳しいのだ。

 

 本来であれば相当な量の資源を溶かして漸く建造できる大型戦艦や空母である。特に会敵した際に制空権を奪い、戦況を有利に持っていくためには空母の存在は欠かせない。しかし我が鎮守府には現在空母はいないし、今後も建造の目途はたっていない。

 そんな時に降ってわいたような話とはいえ、暁たちの様に練度が高い状態で艦娘を運用できる事は素直に喜ぶべきだろう。

 

 そしてその内訳に戦艦に空母や潜水艦という、喉から手が出るほどに欲しかった人材が含まれるのだから。これらを有することで、暁たちの負担をずいぶんと減らすことが出来る。それが彼女達の危険を減らす事につながるのだから。

 

 しかしこれには裏がある。それは加賀を始めとしたこれからやってくる艦娘達は、某かの長官の思惑が混ざった状態でここに来るという事が予想される点だ。

 彼が海兵として現役だったときは、歴戦の提督として名を馳せたと有名な東郷長官である。この世界の過去にあった戦争において、彼が率いて出撃した艦隊は負け知らずだったという。

 そんな彼が現場を去り海軍の幹部となった今でも、現場主義を掲げた方針で他の幹部や派閥と丁々発止を繰り返す事でも有名なのだ。

 

 それは厳しくもあるが、艦娘を人間の部下と同じく扱うという事でもあり、その部分は私にとっても同様の思想であるため好ましく思える。

 しかし有能な軍人とは、情報戦にも長けているという事がある。そうでなければ海千山千の他国の猛者たちを出し抜くことは出来ないだろうし、そんな中で生き抜いてきた彼が、幹部となった今でも、派閥的には小さいと言われてる彼が、未だ海軍内で多大な影響力を発揮しているという事実はそういう事なのだろう。

 

 私は私の目的のために大和たちを引き取ったが、その際に私の動向や思惑が既に長官に知られていたのだ。それは管理官を通して聞いたのだが、いやはや聞いた瞬間は背筋が凍った物だ。

 いやそれ以前に暁と響以降、他の鎮守府所属であった雷や電なども積極的に引き取った件なども含め、特に報告を上に上げる前にすべて知られていた事が非常に不気味に感じたのだ。

 

 私の目的。それは私がこの世界に生れ落ちた理由を突き詰め、その上で私が感じている不条理の原因をすべて明らかにすることだ。

 何故深海棲艦は人間を憎むのか。そして艦娘はどこからやってくるのか。その根底にある謎すべてを暴いてやりたいと私は考えている。

 それは結果的に艦娘と深海棲艦が戦うという現在の構図を覆す結果になると信じている。勿論それはいい意味でだ。そうなれば不毛な繰り返しとも思える現在の状況を覆すことができるだろう。そうなれば暁たちの生き方を、もっと彼女達自身のために色々と選択肢を用意し、自ら選択できるという事が許される世の中になるだろう。

 

 滑稽な話だと他人は思うだろうが、しかし何故か私にはそれが出来ると根拠のない確信がある。

 それは沸き立つ衝動の様な物で、ここへきて二年経ってもまだ鎮火すること無く私の心の奥底で轟々と燃えている。

 

 その為には深海棲艦と直接私が対話をしなければならない。しかし私はそのことで危険な目に遭うかもしれない。いや、必ず遭うだろう。彼女達は世界を震撼させている敵なのだから。

 しかし今の私には、私を支えてくれる仲間がいる。私の本当の気持ちを知ったうえで尚、私を支えようとしてくれる仲間が。だからこそ私は後ろを見ないで進む事ができるのだ。

 

 しかしあの日、大和がここへ来て一週間後にやってきた管理官が私に言った言葉。

 

「貴方がなさろうとしている事は、長官も把握されております」

 

 その瞬間、ただの綺麗な女性としか思っていなかった管理官の笑顔が、自然とも不自然とも取れるアルカイクスマイルに見えた。

 その時はなぜ私のことが克明に把握されているか理解できなかったが、それは考えても仕方がない事だろう。

 情報部の無い軍など無いのだ。情報を蔑ろにして戦争は出来ない。結局のところ、にこやかに世間話をする間柄だと思っていた目の前の女性は、ただの事務官などでは無く、情報畑の所属なのだろう。

 今までの彼女と私との会話はすべて分析され、もしかすると何処かに盗聴器でもあるのかもしれない。

 

 だが私はそれを責めるつもりもない。なぜならそれが彼女の仕事なのだろうから。

 ただ私の思想は大和がこの前言ったように危険な物だ。それを海軍のトップに位置する人間が把握しており、そしてそれを許容すると非公式であるが言ったのだ。

 私はそれを額面通りに受け取っていいのか未だに悩んでいる。今後どこかのタイミングで、一度直接会うべきだとは思うが、中々そうもいかないのが実情だ。

 周りの目もあるだろうし、それ以前に大本営のある帝都はここから遠い。一応管理官には直接会いたいという旨は伝えてあるのだが、長官もまた忙しいのだろう。

 

 そして長官との盟約の中で、私が深海棲艦とのコンタクトを持つ事と、他の鎮守府とは違った私の方針のみでここを運営することを認めて貰った。

 その事を認めて貰う条件としての艦娘の受け入れなのである。私が直接対話をし、納得ずくでここへ所属してもらうのとは違い、長官の下に一度保護された艦娘がここへやってくる。

 何というか現状は長官の手の上で踊っているような錯覚を起こすが、彼もまた何かの思惑を持っているのだろう。それが私の目的と交わるかどうかは分からないが、今はある程度同じ方向を向いているのだと思われる。そうでなければ私の我儘など通る訳もない。なぜなら私は素人丸出しの新参司令官なのだから。

 

 それでも私は止まる訳にはいかないのだ。私が見ている丘の上にある石。それを私は既に蹴りだしたのだから。後は何かにぶつかるまで転がるしかないのだ。

 

『おーい! しれいかーん』

『これから皆で鬼ごっこをするのよ! 司令官もおいでよ! 引きこもってばかりいたらだめよぉ!』

『なのです!』

 

 ふと見れば下で暁たちがこちらを見ていた。本日は特に任務の予定は入れていないから、それぞれが休日を楽しんでいる様だ。

 無邪気な笑顔。元気な姿。小さな身体で力いっぱい私に手を振っている。

 こうして見れば、彼女達は兵器などではなく、年端もいかない少女にしか見えない。

 そんな彼女達を見ていたら、こうして腐っていても仕方がないなと思える。

 

 

「私はまだ仕事があるんだ! 悪いが私はいけないが、せっかくの休みだ。後で間宮に寄りなさい。アイスを振舞うように言っておく」

『やったー!』

 

 私がそう言うと彼女達は嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねまわっている。

 ちょっとした出費で私もこうして元気をおすそ分けして貰える。そう考えれば安い物だ。

 アイスが食べれると喜んでいた彼女達だが、気がつくともうどこかに走って行ってしまった。

 うん、やはり最近中学校に入ったばかり位の初々しい少女たちにしか見えないな……。

 あのクールな響だって、口では興味がないなんて言いながらも結局は一緒に走り回っている。

 よし、頑張ろう。彼女達を安心して海に出せるように。そして終わりのない戦いを終わらせる事ができるように……。

 

「さあもう一頑張りするか。……ま、なるようにしかならんのだから」

 

 私はそう呟き、机へと突進する。さっきまでの暗鬱とした気分は既にどこかに消えていた。

 そんな気分に触発され、思わず下手くそな口笛を吹く。大好きだったアメリカの偉大なシンガーソングライターの曲。

 転がりだしてしまった石は、もう止められない。後は風に吹かれて(Blowin' in the Wind)結果を待つのみ、だ。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 

「おや、司令官じゃないか」

 

 私が事務仕事をあらかた片付けた後、すこし息抜きでもしようかと港へと散歩をしていたら、埠頭の突端に先客がいた。響だ。なんだかぼんやりと海を眺めている。

 そんな彼女は私に気が付くと、いつものように抑揚のあまりない口調で話しかけてきた。

 

「やあ響。Здравствуй(ズドゥラーストゥヴィ)」

「司令官、Здравствуй。もうすっかりロシア語の挨拶は覚えてくれたね」

 

 彼女と顔を合わせた時の恒例行事である片言ロシア語の挨拶。

 本当に片言なので私的には何とも気恥ずかしい話なのであるが、私を見上げる彼女の瞳は真剣で、まるでバイカル湖の水面のように透明なエメラルドグリーンだった。いや、私はバイカル湖を見たことがないけれど、深夜の国営放送で流れる環境映像ではそう見えた記憶があるだけだ。

 

「ま、挨拶だけはな。会話は無理だよ」

「それでも嬉しいさ。私がここに来た時、司令官は約束してくれたからね。ロシア語を覚えてくれると」

 

 そう言うと響は自分の横をぽんぽんと叩いた。隣に座れという事だろう。

 私が素直に座ると、彼女は納得したように二、三度頷き、そしてまた視線を海へと移した。

 

 ここは鎮守府と外海をどちらも見渡すことが出来る赤い灯台のある場所で、私のお気に入りの場所だ。

 何かあると私はここに来て、ぼんやりと海を眺めることにしている。

 堤防に囲まれた鎮守府の中はよっぽど強風でも吹いていなければ、さざ波すら起きないほどに穏やかだ。けれど外海はその日の天候で驚くほどに波が高かったり、または沖まで見渡せるくらいの穏やかな凪だったりと、様々な表情を見せてくれて飽きないのだ。

 何か考えを纏めようとか、あるいは何も考えたくないって時におあつらえ向きの場所でもある。

 

 とはいえ私だけの秘密の場所という訳でも無く、私の艦娘たちには知られている訳で、私がここでぼーっとしていると誰かしらが乱入してくることもしばしばだ。

 今日は響がそうだったという事らしい。

 

「間宮には行ってきたかい?」

「うん、おいしかったよ。ごちそうさま、司令官」

「どういたしまして。それより響、もう皆と別れたのかい? 何やら楽しそうに遊んでいたようだけど」

「……それほど私は子供じゃないさ。楽しくはあるけど、慣れないんだ。退屈じゃない時間という物が」

 

 そういって響は少しばかり揺るんだ表情をいつもの仏頂面へと戻してしまった。

 何というか彼女を見ていると、大人と子供が混ざり非常にアンバランスな様に見える。

 

 彼女が普段被っている帽子は暁姉妹共通の黒いキャップに錨のマークがある物だ。今もそれを被っており、風で飛ばないように手で押さえていた。

 しかし戦闘を伴う遠征や任務の際は白い帽子へと交換する。最初はクールな彼女であるから、そういった意味の拘りなのかと私は考えたがそうでは無かった。

 

 艦娘は鎮守府に所属するに当たり、そこの所属であるという事を大本営に事務的な登録を行わなければならない。

 それは例えばうちにいる愛宕さんと同じなまるで一卵性双生児の、いやクローンのように全く同じ見た目と能力を有した愛宕が他の鎮守府にも存在する事があるため、合同任務などで混同されないように識別を明らかにするという意図がある。

 

 まったく不思議な話であるが、理由を問うたところで実際そうなのだからどうしようもない。

 そして実際どうやって登録されてるかと言えば、「高雄型二番艦 愛宕 ○○方面××泊地 △△鎮守府所属」という登録名で、軍人のドッグタグの様な物が支給されるのだ。

 実際は半透明のIDカードのような物であるが、各自艦娘はこれを常に携帯する義務がある。

 

 そして響であるが、彼女は「特III型駆逐艦 響」では無く、ただ「 Верный (ヴェールヌイ)○○方面××泊地 △△鎮守府所属」となっており、細かい形式までは記載されない。

 それは彼女の生い立ちに関係しているらしいのであるが、私の国でかつてあった大きな戦争、それを幸か不幸か生き抜いた彼女は、その戦後に敵国だった国への賠償艦として引き渡されたのだ。

 その際、その国で改装された結果、Верныйというその国の言葉で「信頼できる」を意味する名前へと変わった。

 その出来事はこの帝国にはなんら関連性は無いのだが、それが彼女達が例外なく持ち合わせている過去の記憶のなせる技なんだろう。

 とにかく響を高練度域で改装を行うと、例外なくВерныйと識別される型式に変化するのだ。

 

 うちの響は、ここに来る前からВерныйへと改装されていたのだが、本人の中で拘りがあり、Верныйと呼ばれるより響でいたいと言うのだ。

 私はそれになんの抵抗も感じないし、彼女がそれで幸せならばそれでいいのだと思う。

 

 しかし今日の響はどこか変だな。

 そもそもこの場所へやってくる艦娘は、私を仕事に戻そうとする愛宕さんや、なんだか不思議な言葉使いとぶっきらぼうな話し方で他を寄せ付けない雰囲気を持つ木曾――と見せかけて、実はスキンシップをよく求めてくる木曾が多い。

 たまに島風や暁がやってくるが、それはこっそりおしゃべりをしたいかららしい。他人の目のあるとこで自分をさらけ出すのが恥ずかしい2人という事だ。

 だが響は今までここへ来たことはない。しかし今日ここへやってきたと言うことは、何か話でもあるのだろう。

 と言っても彼女は積極的に会話をするというタイプでも無いから、私から話を振ってみるしかないか。

 

「なあ響、何か悩みでもあるのか?」

 

 私もまた彼女と同様に海を眺めてそう言った。

 もうすぐ夕陽となり、水面の色が鮮やかになるだろうな。

 

「悩み……という物でもないけれど、最近司令官が私たちをあまり構ってくれないな」

「……そいつはすまん。そういう意識も無いのだがなァ」

「そのせいで暁姉さんは大和さんの後をつけ回し、レディの秘訣を盗むとか言っているし、雷はもっと司令官に頼って貰うのだと料理の勉強を始めたよ」

 

 私は前を向いているが、何というか顔の右の辺りがチリチリする気がする。

 ……きっと響は私を睨んでいるのだろう。怖くてそっちを向けないな。

 何というか響は普段は無表情なのだが、時折こうして逆らうことが許されないオーラを感じるときがある。

 

「……本当に重ね重ねすまん」

「続けるよ。電は何か思う所があるのか、普段飲んでいる牛乳の量が倍に増やしたよ」

「牛乳についてはよく分からないが、あんまり飲むと腹を下すかもしれんな」

「……そう言うことじゃないよ」

「すまん」

 

 その後も静かながらに変なプレッシャーを与え続けた響の、長い説教は夕暮れまで続いた。

 色々言われたが結局のところ、最近の私は大和や愛宕とばかり話しており、それ以外の子たちをぞんざいに扱っている様に彼女たちは感じているらしいという事。

 

 言われて確かにそうだったかもしれないと思い当たる事も無くはない。

 それはこれからやってくる新しい艦娘を受け入れるに当たり、いい部分だけを見れば戦略の幅がかなり拡がる。

 しかしそれは指揮をする私自身に、それを扱いきれる知識と判断力が備わっていてこそでしかない。

 それが無ければどんな強力な武器を持ったところで能力の十全を発揮できずに終わるだろう。

 そうなれば宝の持ち腐れでもあるが、戦場を混乱させ、マイナスの効果しか生まない可能性だってあるのだ。

 

 だからこそ私は、毎日遅くなるまで知識と経験においてはこの鎮守府の中で一番だろうと思われる大和に指南を受けていたという訳だ。

 私という存在はは、もはや私一人だけの物では無くなってしまった。それは彼女達の命を預かっているという責任があるからだ。

 それがある以上、私が素人なのだと言える訳もなく、敵はこちらの都合など考慮などしないで襲ってくるだろう。

 今の状況は極めて落ち着いてはいるが、この鎮守府からの近海エリアでは、斥候と思われる足の速い駆逐艦が見受けられる。

 それらはこちらを特に攻撃することもなく、まるでこちらを観察するかのように一定の距離を保ち、哨戒している島風などには近寄らないそうだ。

 

 こういった事から判断できるのは、近いうちに深海棲艦の攻撃が本格的になるのではないかという事。そしてその目的は、鎮守府を制圧しようという事では無いだろうかと私は思うのだ。

 それはここら一帯に特に資源が採掘される油田も鉱山も無いが、帝国全域に拡がる資源輸送のための海路がこの辺りを通っているからだ。

 補給路を断つ。これは遠い昔から選ばれてきた立派な兵法だ。

 

 私は私の目的のために様々な知識を求めているが、それも皆、鎮守府あってのことだ。

 そのため私は、今のこの落ちついている小康状態の間に、吸収できる知識は出来るだけ欲しており、空いた時間の大部分をその為に費やしている。

 

 そんな私の行動を考えれば、自分の部屋と司令執務室の往復のみだ。たまにこうして散歩をするが、艦娘たちと会話するっていう事だけで考えれば、大和と愛宕以外の娘に関しては、ほとんど無線を通しての物ばかりだったな。

 

 私はそんな事を考えていると、ふとある事に思い当たる。

 いや、ある情景を思い出せられたという方が正しいか。

 海の傍のボロ小屋。漁師が倉庫にしていたという古い一軒家。

 そこが元々の私の暮らす家だった。

 

 家具もほとんどなく、家の周囲を囲むガラス戸はカーテンも無いから日差しが強くていつも困っていたあの家だ。あそこで私は暁と出会い、そして響もそこにやってきた。

 私と2人が暮らした期間はそれほど長いものでは無いにせよ、毎晩私と彼女達は色々と他愛のない話を繰り返したものだ。

 2人は私が生きていた世界の話を繰り返しせがんできた。それは彼女達の戦ったあの戦争の後の話になるからだ。

 

 当時の彼女達は物言わぬ鋼鉄の軍艦でしかなかった。しかしその魂はしっかりと宿っており、自分の中で多くの日本人が必死に戦い、血を流す姿を見ていたのだという。

 だからこそ、自分たちの戦った後の世がいい物であってほしいと願うのは当然の事だろう。

 私は小さく幼いが、偉大な彼女達に、良い事も悪い事もすべて話して聞かせた。

 それでも君たちのおかげて幸せにくらせているよと感謝をしつつ。

 

 彼女達はそれは時折笑い、時折涙を浮かべて何度も聞かせてくれと私に催促をした。

 あれは彼女達にとって特別な時間だったのかもしれない。もちろん私にとってもそうだ。

 とはいえ私は自分の忙しさをいい訳にし、それらを放置してたのは事実だ。

 私は横にいる響の黒い帽子を取り、そして私の制帽を彼女の頭に載せた。

 何をするんだと怪訝な表情を一瞬見せたが、その後はなんだか嬉しそうに私の帽子を彼女は撫でた。

 私は彼女の帽子を被る。それは小さくて私の頭にはサイズが合わないけれど、この帽子は彼女の戦いの記憶と共にあるのだと思えば、何となく重く感じる。

 

「なあ響」

「なんだい」

「今度時間を作ってさ、あの家に雷も電もつれて泊りに行かないか? もちろん暁もさ」

 

 私の言葉に彼女は返事をしなかったが、大きく見開かれた瞳を見ると、私の答えは間違いでは無かったのだと思える。

 そして私は立ち上がると、薄暗い堤防を歩き始める。彼女も静かに私の後をついてきた。

 暫くして鎮守府が見えてきた頃、私の後ろから小さな声が聞こえた。

 

「……司令官、Спасибо」

 

 彼女独特のありがとうの言葉。

 だから私もそこに重ねたのだ。

 

「響、Большое спасибо」

「!!」

 

 ありがとうよりも、もっとありがとうと言う感謝を込めた言葉。

 無言で駆け寄ってきた響の手を取り、私たちは歩いていくのだった。鎮守府(ホーム)へ。

 

 

 そしてそれはその日の深夜の事だった。

 街が深海棲艦に襲われているという一報を私が受けたのは――――。

 

 

 つづく

 

 




加賀さん追加。

一日前倒しで投稿しました。いや、書けたからというのと、明日明後日が忙しいという私事のためですが。

皆さん台風には気を付けてくださいね。
慢心 ダメ 絶対


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落ちた撃鉄

注意

今回の話には東日本大震災を匂わせる表現と、それに対しての作者個人の認識が反映されている箇所があります。
これは私自身が当時、被災した人間としての体験を元にしているのですが、誰かを不愉快にさせる意図で書いた訳では無いことを先に明記しておきます。

もし震災の話を読みたくないという方は、ブラウザバックをよろしくお願いします。


 佐々木はかつて、災害という物を実体験したことがある。

 それは彼が昔住んでいた北関東での事であるが、その時の彼は平日であるのに自宅にいた。

 土日が休みである彼にとって、役所でなんらかの書類を取りになどの個人的な雑務は、中々休日だとこなすことが出来ないため、溜まっていた有給を使って平日に休みを取ったのだ。

 

 その日は晴れており、是幸いと彼は溜まっていた洗濯を終え、身支度をしようとリビングから自室に向かったその瞬間だった。

 ドンという大きな音と共に、部屋全体が縦に揺れたのだ。まるで近所に隕石でも落ちてきたかと彼は錯覚を起こしたが、そうではなく、その後数秒の間を置いて凄まじい勢いで辺りが揺れだしたのだ。

 ああ地震かと、彼は暢気にそう思った。だがしかし彼は思いなおした。これは異常だと。

 彼が住む地域は東京の秋葉原へ直結している特殊な鉄道の駅があるため、ベッドタウンとなっている。

 そして彼の自宅はその駅の一つの真横に建つ25階建ての新築マンションである。

 

 佐々木の部屋はその24階にあり、部屋数もそれなりにある大きな部屋だが、もちろんこれは彼個人に買える様な代物では無い。都心から離れているとはいえ、もし都心に建って居たなら億に達するだろう内装を持つマンションだ。だから少なく見積もってもその半額以上はするだろう。

 ここは佐々木が務める企業が一括して買い上げており、それを福利厚生の一環として社宅として提供されている物だった。これは主に関西にある本社から関東支社への出向組に向け

ての物だ。佐々木もその類でこの部屋を借りていたのだ。

 彼はここへ入る際、管理会社の人間からこう聞いた。

 

「このマンションの構造は、新しい免震構造で造られた最新の物なのです。ですから震度5程度の地震であれば、体感は震度2程度にしか感じないでしょうね」と。

 

 ならば今、目の前で佐々木が好きで集めたDVDを収めたラックが無残に倒れ、それを床に這いつくばって眺めている彼は――これはいったいどういう状況なんだ?!――彼はそう思わずにいられなかった。

 実際の時間は分からないが、彼にはその地震が止むまでの間が数時間にも感じた。

 

 やがてそれが終わると、彼は地震が起きた際の定番であるTVの国営放送をつけた。

 驚くことにこの地震は、観測史上最大の地震規模であり、その震源は東北から彼の住む県まで全てを含んだ広大な物だったのだ。

 彼の住む部屋の構造でもあれほど揺れたのだ、ならばそれ以外の地域はどうなっているのか? 彼はそう思い、故郷に住む両親に電話をしようと傍らの携帯を手に取ったが、暫くしてソファに投げ捨てた。

 単純につながらなかったのだ。恐らくどこかの基地局が壊れたか、同じように身内の安否を気遣う電話が殺到し混戦しているのだろうと彼は考え、落ち着いてからにしようと諦めた。

 

 彼は荒れてしまった部屋の片づけは今はいいと、ベランダへ向かった。未だ心臓の鼓動が速い。なので落ち着こうと煙草を吸おうと思ったのだ。

 そして彼はベランダに出て、いつものメンソールを咥えると、火を点けるついでに階下の景色を見た。

 24階に住む特権ともいえる絶景の景色を眺めるために。

 

 だが彼が見たのは、いつも見ていたのどかに拡がる緑色の田園風景では無く、そこら中の家の瓦が落ち、道路との境界に建って居る擁壁がほとんど倒れ、あちこちで渋滞の起こっている景色であった。

 彼は咥えた煙草に火を点けることも忘れ、ただ絶句した。

 

 その後色々あった。2,3日水が出なかったこと。物流が物理的に死に、商店に品物が届かず、あちこちの店では普段は温厚そうな人間同士が1本の水のペットボトルを奪い合う醜い小競り合いが多発したなど。

 それでもまだ、彼が住んでいる地域は軽い方だった。そこより北に行くたびに被害はどんどん酷くなっていき、極めつけは大規模な津波が北の沿岸部を襲い、痛ましくも相当数の人間を海に引きずり込んだのだ。

 

 その被害は相当なものであったが、むしろ日数が経つほどにその被害の傷跡は浮き彫りになっていった。政府の支援も後手に回りその混乱に拍車をかけた。

 それに加えて原子力発電所がメルトダウン寸前の状況になったと報道され、二次災害による混乱がさらに状況を混沌とさせていく。

 

 かつて関西で起きた大地震の教訓があったはずなのに、結局はスムーズに状況が改善されることもなかったようだ。

 

 津波に押し流されていく被災地。

 無音のまま、まるで深夜の環境映像のようにTV各局はその映像を繰り返し流した。

 佐々木はそれを眺めながら、不思議と現実感を受けない映像に、「9・11の同時多発テロの時のようだ」という感想を抱いた。

 実際その映像の結果、多くの人間の命が消えたのにも関わらず。

 

 彼がその災害で受けた直接的被害は大したものでは無かったが、その後次々と報道される被害情報を知り、いよいよそれが現実なのだと受け入れられた。

 人は自分の行いによって様々な岐路をたどる事が出来る。それは出来れば良い物であってほしいと願い、小さな物をすこしずつ積み上げ、やがてその素晴らしい結果にたどり着こうと努力する。

 しかし物事においてしばしば、自分の努力を無に帰すような事が起こり、その余りの理不尽さに途方に暮れる。

 災害という物は得てしてそういう物なのだ。

 人々の想いや希望を嘲笑うかのように一瞬で全てを奪い去っていく。

 佐々木は己の体験から、或いは時間が経って見えてきた状況を理解した時、それを本当の意味で理解した。と共に、それを忘れてはいけないのだと自分を戒めるようになった。

 いや、少なくともそれがあったという事を忘れないという事柄が、多分一番大事なことなのだと改めて認識させられたという所か。

 

 そして今、彼はまた別の災害の中にいた。果たしてそれは災害と言えるかどうかは疑問であるが、現実的にいま、彼の目の前では沿岸に近いエリアの家が多数燃えており、パニック状態の民衆が着の身着のまま内陸側へと逃走をしている。

 これだけ見れば災害であろうが、その原因は地震や火事、ましてや津波などでは無く、むしろそれよりも性質が悪い物だった。――――深海棲艦である。

 この光景は佐々木にとって、かつての災害を彷彿とさせる嫌な物に見えた。

 いやその時と決定的に違うのは、その中心に自分がいるという事だろう。

 

 現時刻は午前2時を過ぎであり、普通であれば誰もが寝静まっているであろう時間帯である。

 佐々木は溜まっていた事務仕事を愛宕に補佐して貰いつつ、深夜まで司令室にいた。

 やがてそれが一段落したため、彼と愛宕は遅い夜食でも摂ろうと食堂に向かった。

 この時間はもう間宮も婦人部の人間もいない。しかし佐々木が、愛宕の労をねぎらおうと軽い茶漬けでも振舞おうと厨房に入った――――その瞬間であった。

 

 本部を揺らすかのような轟音が響き、爆撃機の飛来する独特の爆音と共に、食堂に面した窓が数回フラッシュした。――ただ事じゃないぞ、これは――佐々木がそう思い、愛宕に向き直ったが、彼女の表情は普段の温和な物からは想像だにできぬほどに険しい物へと変わっていた。

 

「提督、深海棲艦の様です」

 

 言葉静かに、ただしっかりとした口調で彼女は言う。

 それを受けて佐々木は愛宕に一つ頷くと、さして焦るそぶりも見せずに司令室へと向かった。

 来るべきものが今来た。それは事前に心の整理が出来ていたからこその反応だ。

 響がこの鎮守府へ命からがら逃げてきたあの時、それ以降、彼はこの日の準備を整えてきたのだ。

 

 彼が部屋へ入ると、彼の艦娘は既にそこで待っていた。

 普段は幼さを見せる彼女達ではあるが、流石に深海棲艦には敏感だろう。

 しかし誰一人臆する表情では無く、静かに彼の命令を待つのみであった。

 

「提督、ご命令を」

 

 集まっている艦娘を代表する様に大和が言う。

 これは以前から佐々木によって決められていた事柄だ。

 有事の際は、その時の秘書艦が誰であれ、第一艦隊の旗艦は大和が務める。

 そういう決まり事だ。裏を返せば、その有事は大和を旗艦にせねばならないほど切羽詰まっているのだという意味にもなるのだが。事実、いまはその時なのだろう。

 

 有体に言えば、彼女のそれまでの武功もさることながら、やはり戦艦が旗艦を務めるというのは、艦隊の士気も格段に上がるという物だ。それは長門型に知名度は一歩劣るとしても、実の部分で言えば、大和は艦娘たちにとっては真のシンボルなのだから。

 それに加え、今日まで鎮守府が深海棲艦により襲われた時を想定し、数々行われた演習。それにより、大和の指揮には安定感がある事は既に証明されているのだった。

 

 佐々木は静かに前に出て、自分をまっすぐに見つめる己の艦娘の瞳をそれぞれ見つめ返した。

 彼はふぅと一つ、自分を落ち着けるための息を吐くと、背筋をすっと伸ばし、毅然とした口調で命令する。

 

「大和、加賀、愛宕、五十鈴、島風、響、準備を終えたらすぐに鎮守府港湾部へと展開し、速やかに敵を殲滅せよ。加賀はとにかく制空権を奪う事に専念してほしい。それ以外は求めない。いいな? 装備はとっておきを用意してある。一航戦の誇りとやらを私に見せて欲しい」

「はっ」

 

 刺すような視線の佐々木の命令に、加賀もまた強い視線を彼に返す。

 一見するといつもの能面染みた表情であるが、実際は彼女の中には様々な感情が渦巻いていた。

 それはこの鎮守府に来て最初の重大な作戦に臨むという燃え上がる気持ちであったり、遠征に出ていたため、大本営海軍部の例の作戦に参加できず、自分だけが五体満足で残ってしまった不甲斐なさであったりと様々な相反する気持ちだ。

 だがそれ以上に佐々木の一航戦の誇りという言葉に、彼女の士気は今、最上級な物へとシフトする。

 

「愛宕、君はいつも私を支えてくれたな。随分と助けられているよ。だが今日は、重巡洋艦の愛宕として私を支えて欲しい。敵に慈悲はいらない。君の中に隠れている獰猛さ、それを存分に発揮してくれ」

「はぁい、お任せ下さい提督。夜の戦い。わたし、得意なの」

 

 口調そのものはいつもの愛宕と変わらぬ人を喰ったような物だ。

 しかし今、彼女に浮かんでいる笑顔は酷く獰猛な物で、佐々木はそれを見て満足気に頷いた。

 

「さて五十鈴、君には戦況を判断し、それを艦隊に反映させるための索敵を中心に担当してもらう。こんな夜更けだ、君の働きがこの戦況を有利に持っていくための鍵になるだろう。特に海中の敵、それに注意してほしい」

 

 佐々木は五十鈴に向き直ると、どことなく挑戦的な笑みを浮かべてそう言った。

 お前にできるのか? そういう表情だ。

 それを受け五十鈴は、さして憤慨する様子を見せることも無く、逆に淡々と言い返した。

 

「愚問ね。敵の好きにはさせないわ。任せなさい」

「任せる。そして島風、響。言わなくても役割は分かっているな?」

「ああ、せいぜい敵を掻きまわして混乱させて見せるよ。不死鳥の名は伊達じゃない。その言葉の意味、ここで証明して見せるさ」

 

 佐々木は島風と響の前に立ち、言葉を続けたが、そこに具体的な命令は敢えてしなかった。

 それは彼女達への信頼が感じられる物であり、それを受けた二人は、それが当然であると自信をにじませている。

 

「私と連装砲ちゃんがいれば誰も追いつけないよ! 響、ちゃんとついて来てよね」

「島風、君こそ調子に乗って明後日の方向に行かないように気を付けたほうがいいよ」

 

 互いに方向性の違う駆逐艦。しかし佐々木はそこにいい意味での科学反応が生まれると信じていた。

 一見すると罵りあっている様に見える今の二人だが、その表情をそうでは無いことが分かる。

 それは互いを認めた上で行うじゃれ合いの様な物なのだった。

 佐々木はそんな二人の態度を満足気に眺めると、最後に己の艦隊の旗艦に指名した大和の前に立った。

 

 すっと伸びた背筋。凛とした表情。今の大和にはここへ転がり込んできた時の様な弱弱しさは一切感じられない。

 頼もしく力強い。その上美しい。すべての艦娘たちの頂点に君臨する、麗しき女帝の姿がそこにあった。

 

「大和、君には特に言うべきことはない。だが……強いて言うならば、大和型戦艦大和。その真骨頂を見せてくれ。出来るな?」

 

 佐々木の言葉には最大級の信頼があった。

 それは深淵を乗り越えた強さを彼女の中に見たからだ。

 確かに大和や五十鈴はここへ来て日が浅い。

 もしも人と人とを繋ぐ絆が培ってきた時間の長さでのみその強さを増す物ならば、暁たちを筆頭とした古参には永遠に追いつかないだろう。

 しかし大和は、あるいは五十鈴は、一度は艦娘である己を諦めた。

 諦めは心を殺す。死んだ心は並大抵の事では生き返らない。

 

 物理的な死――病気やあるいは事故、または天寿を全うしてなど、人の死に様は千差万別だ。

 けれどもそれは、その先は何もないという意味でもあり、死ねば後悔など出来ないだろう。

 しかし心が死んだ場合、それは生ける屍としてただ無意味な生を垂れ流すだけの傀儡でしかなくなってしまう。

 それは果たして生きているのと呼べるのだろうか?

 それが艦娘の場合は人間以上にデリケートな問題だろう。

 

 彼女達に等しく宿る軍艦としての記憶や気質。

 それは誇りであり生き様を方向付ける大切な柱だ。

 それが折れた時、彼女達はどう生きていけばいいのだろうか。

 生み出され、あるいは深海からサルベージされた艦娘。

 形は人間であっても、人間として育った経験のない歪な存在。

 

 そんな状態であった大和と五十鈴を蘇らせたのは佐々木であり、ここの艦娘であったり、この町の人々なのだ。

 それは期間が短くとも、酷く濃厚な結びつきであり、時間によって作られる絆の強さに匹敵して余りある時間だったといえよう。

 そして今、佐々木の言葉を受けた大和は、背筋をぴんと伸ばした美しい姿勢のまま、余裕の感じられる柔和な微笑みを浮かべ、一言だけ彼に対して言葉を発した。

 

「我が第一艦隊、その総員を持って提督に勝利をお持ちします」

 

 その言葉はここにいるすべての者の心の琴線に触れた。

 誰も皆、遣る瀬無いような、それでいて高揚するような不思議な感情で満たされた。

 連合艦隊の旗艦、大和型戦艦の大和。

 その本来の姿がここに復活したのだ。

 

 外ではきっと地獄絵図が展開されているだろう。

 少数でしかない佐々木の艦隊では多勢に無勢の不利な戦いになるだろう。

 だが今、彼らの中には敗北するという気持ちは一片も存在しなかった。

 充満する濃密な殺気。彼女達の士気は最高潮に達したのだ。

 

「第一艦隊、出撃せよ!!」

 

 最後に佐々木が腹の奥から響くような号令を飛ばす。

 そこには気弱な現代人の姿はもう無かった。

 己の部下を信頼し、勝ちだけを見据えた戦う人間の姿がそこに居るだけだ。

 

 

『はっ!!』

 

 そして彼の頼もしい艦娘たちは司令室から弾かれるように飛び出していくのだった。

 だが部屋にはまだ数人が残っていた。

 第一艦隊に組み込まれなかった木曾、暁に雷と電だった。

 ついさっきまで充満していた重苦しい空気は、大和たちが出撃したことで何とも微妙な物へと変化している。

 それは彼女達がそれぞれ浮かべている不満げな雰囲気のせいだろう。

 なぜ私を戦わせてくれない。あるいは護らせてくれないのか? ――そんな思いが手に取るように分かる。そんな表情だ。

 

「まあ、言いたいことは分かるが、まずは話を聞いてくれ」

 

 佐々木は柔らかく微笑むと、剣呑な表情の面々にそう言った。

 首をかしげる一同。この有事の最中に何をのんびりとしているのか?

 そんな疑問が浮かぶのが手に取るように見える。

 

「では指示を伝える。復唱はいらないぞ。まずは木曾と暁、君たちは居住区に展開し、上陸してきた敵から住民を守る任務を行ってもらう。それに伴い、怪我などを負った住人を発見した際は、個人の判断で救助するかどうかを決めてくれ――――

 

 木曾と暁は彼の指示を静かに聞いていたが、救助をするかしないかの判断をという部分に差し掛かったところで、口には出さないが眉をすこし顰めた。

 しかし佐々木はそれを指摘することもなく淡々と指示を述べ、最後にすこしだけ解説を加えた。

 救助をする人間としない人間がいるという事に彼女達は引っかかった様だが、災害について知識があった佐々木からすればなんら疑問の浮かばぬ事柄でしかない。

 

 医療用語で「トリアージ」という物があるが、それは主に大量の患者が同時発生するケースに使用される事が多い用語である。

 具体的には患者の優先順位をつけ、その順番で治療を行うための合理的なシステムの事だ。

 それは主に災害などで必要となるシステムなのだが、実際治療される側からすれば、後回しにされるなど許せぬ事だと不満を持つ人間もいるだろう。

 しかし実際は、治療を行う人間の数には限りがある。まるで映画やテレビドラマの凄腕外科医など実際にはいないのだ。

 だからこそ、軽傷の人間は後回しにし、緊急性の高い患者を優先する。それと同時に「もう手の施し様のない患者」についても後回しにする。

 

 そうしないと回しきれないのだ。心情云々の話はこういった緊急性の高い現場では優先されない。

 医者も神様ではないのだ。ただの技術職のひとつに過ぎない。

 そうすることで効率的に命を救うことが出来き、結果やみくもに治療を行うよりも遥かに多くの人々の命を救うことが出来るという訳だ。

 

 これと同様の事を佐々木は木曾たちに求めたに過ぎない。

 そもそもこの鎮守府に所属する艦娘自体少ないのだから。

 そこをかみ砕いて説明する事で、彼女達はどうにか納得をしたようだ。

 救えるだけ救う。だが本質を間違えないでほしい。

 佐々木の求めることはそこのみだった。

 

「よし、では行け。無線連絡は木曾に任せる。できるな? 木曾、暁」

「当たり前よ! 一人前のレディなんだから、たくさん救って見せるわ!」

 

 暁は力強くそう言い、木曾は愚問であると言葉を発せず頷くのみだ。

 そして佐々木が敬礼をすると、2人は答礼し、足早に部屋を飛び出していった。

 彼はその後ろ姿に二、三度何かを確認する様に頷くと、最後に残った雷と電の姉妹へと振り返った。

 

「さあ雷、電。君たちには一番重要な作戦を任せようと思う。それは非常に困難が付き纏うだろうが、私には君たちこそが適任だと思っている。それは私の自惚れなのだろか?」

 

 彼は芝居がかった台詞を回すが、小さな駆逐艦たちは勇ましくそれに応えて見せた。

 

「司令官、この雷にまっかせなさい! 雷、司令官のために出撃しちゃうからねっ」

「電の本気を見るのですっ!」

 

 元より彼の中に彼女達の誰一人であってもその実力を疑ってなどいなかった。

 佐々木は2人を手招きし、自ら腰を落として彼女達と同じ目線に自分の視線を合わせた。

 その醸し出す不思議な雰囲気に歴戦の戦い人の魂を持つ2人が息を呑む。

 彼は2人を抱き寄せるように両腕で抱えると、自分の顔に2人の顔を寄せた。

 一瞬にして羞恥で頬を染める姉妹。まるで桜貝のような小さ耳に触れんばかりの佐々木の唇。

 姉妹は不謹慎にも甘ったるい意味で心臓が跳ねた。

 そうして呟かれる佐々木の言葉。

 

 それは状況に反して非常に危険な言葉だった。

 それでも彼はそれを命令した。

 ――――指示では無くだ。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 時刻は夜半を過ぎ、夜露が辺りを濡らしている、本来であれば静かな夜の風景が広がっている筈の鎮守府は、今は前線の姿へと変わっていた。

 

 鎮守府を構成する様々な施設は、港湾部を中心に広大な敷地を持って居る。

 その中心に司令部本棟があり、言うなればここが一番の心臓部であると言える。

 しかし今ここを襲っている深海棲艦は、司令部など目もくれず、ただ人が密集している居住区をピンポイントに破壊活動を行っていた。

 

 闇夜に近いはずの辺り一帯が、敵空母から飛び立った爆撃機によって赤いフラッシュが定期的に周囲を照らしている。

 その明かりで浮き上がるのは、先兵を務める醜悪な姿の駆逐艦らしき無数の姿。

 幸いまだ、表面上ではあるが死傷者は出ていない様であるが、いくつもの建物が半壊していたり火災が発生していたりする。

 

 ここらを包囲陣形で取り囲んでいる深海棲艦たちの数は、50を超しているだろう。

 その中でひときわ異様に目立つ容姿の深海棲艦が一人、薄笑いを浮かべて水面に佇んでいた。

 その容姿は艦娘と変わらぬ少女の姿をしており、黒い裾野短いドレスと、艶のある黒髪が特徴的だ。

 しかし彼女が人ではないと自己主張している部分がある。それは額の左右から上に伸びる角の様な形状の部分だ。

 その姿は日本古来から伝わるアヤカシ――――鬼の様であった。

 

「……シズメシズメ……モウワタシハシズマナイ……ダカラシズメ…………」

 

 その時彼女の能面の様な顔が少しだけ陰り、まるで呪詛の様な言葉が漏れた。

 その漆黒の瞳の向こうには、赤々と燃える集落だったモノ。

 そんな彼女を護衛する様に両側に立つヲ級と呼ばれる深海棲艦の空母は、彼女の言葉を受け、夜だというのに夥しい数の艦載機を空へ放った。

 もっとも、艦娘の空母が使用している様な旧日本軍の戦闘機の様な姿では無く、むしろ近未来的な流線型と攻撃的な鋭角を持つ洗練されたフォルムをしている。

 それに呼応するように、深海棲艦の巡洋艦も次々と沿岸部をめがけて突撃を始めた。

 

「――――ッ?!」

 

 そんな時だった。鬼の少女の右横にいたヲ級空母が凄まじい勢いで後ろへと吹っ飛んだのは。

 頭に載るように搭載されているまるで生き物の様なヲ級の艤装が、豆腐を床に落とした時のように弾け飛んでいた。

 

「……ダレダ……ハッ…………アナタハマサカ…………」

 

 鬼の視線がその方向をさす。そこに居たのは――――

 

「もうこれ以上好きにはさせませんッ! 戦艦大和、夜戦を敢行しますッ!」

 

 46cm三連装砲を最大に換装した佐々木の艦隊の旗艦、大和であった。

 鬼の呟きをかき消すように、辺り一帯に凛々しい声が響く。

 そしてその名乗りと共に、ヲ級から放たれた艦載機が一気に爆散した。

 

「提督、これで一航戦の誇りの一端、見せられたでしょうか? 鎧袖一触……私にとって貴方たちは所詮その程度の存在です」

 

 闇夜の中から現れた正規空母、加賀の”空を制するため”に生み出された艦戦。苛烈な風と書く、零の後継として生み出された烈風。加賀もまた佐々木がこの日のために準備してきた最大級の装備を、これでもかという程に換装されていた。それが一気に一帯の空を制圧しただけの話であった。

 そして次々と闇から飛び出す色とりどりの艦娘たち。

 

「皆さん、遠慮はいらないわ。全主砲薙ぎ払え! 鎮守府には足一歩でも踏み入れる事は許さないッ」

 

 こうして鎮守府の存亡と、人々の生命を掛けた激しい戦闘の火蓋は切って落とされた。

 火薬の匂いが周囲を覆い、鉄の塊が飛び交う。

 そうここは紛れもなく戦場であった。

 

 

 つづく

 




まともに推敲してません。あと10万以内で完結しますので、それまでは勢いのまま書ききりたいと思います。

※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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戦場に咲いた華――前篇

 佐々木は己の艦隊を信じていた。それはこの鎮守府を預かる司令官としての責任の上での意味でもあるが、一番は己が彼女達と接した短くはない時間で作られた絆によるものだ。

 

 信用と信頼という言葉がある。これは一見するとどちらも同じように思えるが、実際はその中身には大きな違いがある。

 信用とはその個人の過去の実績、或いは他人からの評判などによる物から来る信憑性の上で成り立つ。例えば戦艦長門は過去の戦争で、その実績も名声も最大の物を持つ。

 それがこの世界では艦娘として戦艦長門が存在しているが、佐々木の鎮守府にもしやってきたなら、彼はその実績を信じ、何の疑いを持つこと無く様々な任務に重用することだろう。事実、戦艦長門はその余りある能力を用い、結果を残すだろうから。そう言った意味で、積み上げた実績からくる信用性というのは安心できるだろう。

 

 しかし信頼となればそうはいかない。信用が実績から来る片方向の期待の表れならば、信頼はお互いに両方向の気持ちの通い合いがあってこその状態だ。言うなれば、未来に対して恐れがあろうとも、躊躇なく進める安心感がそこにあると言えば良いのだろうか。互いに背中を預けられる無意識な安心感。それの名を信頼と呼ぶ。

 こればかりは過去の実績がどれほどあろうが、個人の人間性や相手への精神的な部分での結びつきが可能にする事柄となり、一朝一夕ではこうはならない。

 勿論信頼を作り上げる事に、互いを観察する時間は必要であるが、かといってそれだけがすべてでは無い。

 ほんのふとした瞬間、小さな出来事が積み重なる。あるいは己の中に隠れた願望や願い、それを相手が無意識に汲み取った時など、きっかけ等はそこら中に転がっている。そう言ったものが重なり、いつしか互いを無意識的に信用する。そうして信頼が出来上がるのだ。つまりは他人に見せることを躊躇してしまうような己の本質を曝け出したとしても信じられるという気持ちなのだろう。

 

 そして今、佐々木は司令室の窓際に立ち、赤々と染まる闇夜の空を眺めていた。

 その視線は非常に落ち着いたもので、いま己の本拠地たるこの町が襲われている事に焦りを覚えている風には見えない。

 

 実際彼は落ち着いていた。それは自分が成すべき事はすべて成したからだ。後は己の信頼する艦娘たちが、やるべき事を終えた報告をここで待つだけでいいのだ。

 そもそも艦娘を用いた戦闘において、司令官のするなど多くは無い。

 それは戦局が常に流動的であるため、映画やゲームのようにリアルタイムでいちいち細かい指示などしていたら、それを聞き、その上で実行するという間に余計なタイムラグが生じる。それを悠長に待って居てくれるほど敵は優しくないのだ。

 

 だからこそ艦娘は普段から演習を重ね、練度という名の経験を積む。

 単縦陣、複縦陣……――――陣形は過去の経験から作戦立案家が時代を重ねて作られた戦術であり、その歴史は古代まで遡るほどに信頼性のあるルーチンだ。

 けれどもそれは、前もって戦闘開始から終了までの道筋をきっちりと予想し尽したり、あるいはコントロールし切れる物でも無い。それは自分たちも作戦を用いるならば、当然相手もそうなのだから。

 ある意味じゃんけんの仕組みの様な物で、全ての作戦にはそれぞれ長所もあれば短所もある。その相性の悪い作戦を相手が用いた時、こちらは臨機応変にそれに対応せねばならない。

 

 その為艦娘を用いた戦闘のほとんどは、ある程度の道筋は事前に決めるが、実際の戦闘でその通りにならなかった時には旗艦を務める者が司令官の変わりに現場を仕切る。

 兵器である艦娘の一番の利点であり最大の武器がそこなのである。

 戦局を己の体感の上で素早い判断をし、そしてその対策をすぐさま反映させる。通常兵器ならばこうはいかない。的を外した砲弾はそのままどこかへ消えるだけだし、後手を踏んで状況が悪くなればただやられるだけだ。

 

 だからこそ、佐々木は事前の作戦立案と兵站に徹したのだった。

 特に兵站を整える事について最大の労力を己に課したと言っても良いだろう。

 兵站とは装備品の開発、整備や、補給物資の充実、その輸送経路の確保など、主に後方支援とも言える範囲の話ではあるが、実際はこれが高いレベルで維持充実出来ているかで戦況が有利にも不利にも傾く重要な部分だ。

 極端な話いくら前線の兵の練度が高くとも、兵站が整っていなければ、自分たちよりも遥かに練度が低い敵と相対していたとしても、思いがけず苦戦したりもする。それほどに兵站とは戦争において重要な部分なのである。

 

 佐々木はこれに忠実であろうとした。そもそも彼は元々、ただのいち一般市民でしかなかった。むしろそれが幸いしたとも言える。

 彼は言葉の上にクソがつくほどに真面目な性格だ。そんな彼は鎮守府の司令という立場に就くにあたり、文字通り頭を抱えて悩んだ。

 それはそうだ。昨日まで毒にも薬にもならぬ素人が、いきなりある日を境いに地域を守るために何かを殺せ。だが出来るだけ被害は少なく、ローコストでそれを維持せよなんて言う無理難題を押し付けられたとも言えるのだから。

 

 そこに大義名分や、目の前に救うべく命があったとしても、それとこれとは話は別だ。

 だからこそ彼は、彼自身の性格を最大限に生かしたのだ。

 何も知らないという事は、変な癖もないという事だ。彼は司令職に就いた結果、大本営海軍部にとあるお願いをしたのだ。それは軍事に関わる書物をなんでもいいから手当たり次第に送ってほしいと言う物だった。

 本来軍人とは、例えば士官学校だったり、新平訓練であったりと座学で学ぶという過程を誰しも通る。

 本来そこで学ぶべき知識を、佐々木は寝る間を惜しんで本を読みふける事で無理やり吸収したのだ。

 

 とはいえ、実戦経験の伴わない知識はそれほど役に立たないのが常だ。

 しかし生真面目な彼はそれを分かったうえで、ならば素人なりに基本に忠実にやろうと思ったのだ。

 その結果、戦争に必要だと思われる行為はすべて、基本通りに行ったのだ。

 それは慣れてくると見過ごしがちな小さな部分に至るまで、余すこと無く今日までそれを続けてきた。

 

 今回の有事。これは響が佐々木の元へやってくるきっかけとなったあの日に知らされていた事柄だ。

 彼はそれを聞き、その上で自分に出きるだろう事をいくつか愛宕などと協議し、そして水面下でその準備をしてきた。

 実際には日々鎮守府を維持するための必要な資源とは別に資源の備蓄を行った。それは戦闘行為を艦娘が行うと、多量の弾薬燃料が消費されるからだ。加えて加賀の様な航空母艦が運用する艦載機は、消費した分の補充を行う際に、その原料となるボーキサイトが大量に消える。

 その当時この鎮守府には航空母艦はいなかったのだが、将来を見据えてとの愛宕のアドバイスによりボーキサイトもまた大量に備蓄されている。

 

 それに加え、通常の備蓄を使い日々高レベルの装備開発を秘密裡に行ってきた。

 その最たる物は今大和が装備している46cm三連装砲と言う、現時点での最大威力を持つ主砲だろう。

 これはこの鎮守府に大和がやってきた事が幸いした。と言うのも装備開発とは、やはり工廠妖精の手を借りて行う部分は建造と変わらないのだが、それと大きな違いは開発をおこなう際に艦娘が必要になる点だろう。

 妖精と艦娘が精神的にリンクすることで、その艦娘の種類に因んだ装備を開発することができるうのだ。とはいえ、狙ったものが必ず出来る訳では無く、その範囲の物が出来るというだけであるが。

 

 そしてこれら今日までに佐々木が準備した装備の中に烈風と呼ばれる艦載機もあるのだが、航空母艦を持たなかったこの鎮守府では開発すらできない代物だ。

 これに関しては長官である東郷とのパイプを使って用意した。単純にそれ相応の資源を渡して融通して貰っただけだ。もちろんそれに交換条件は付けられたが、背に腹は代えられなかったという訳だ。

 

 こうして佐々木は大和だけでは無く、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦に至るまで、現時点で用意できる最大の装備を用意してきた。

 ただしそれは今日まで愛宕と大和以外に知らされてはいなかったのだけれども。と言うのも目の前に素敵な装備があったとしたら、使ってみたくなるのも心情という物だ。

 しかし強い武器にはそれなりの弊害がある。それは消費する弾薬などコストも大きくなるという部分だ。

 その為佐々木は、止む無くこれを機密として愛宕たちに緘口令を強いたというのは余談である。

 

「…………茶でも淹れるか」

 

 とはいえ、やはりただ待つことは存外苦痛なのは今も変わらぬ佐々木である。

 静かな部屋にぎりりと彼の歯軋りの音が響く。司令官としてここを動けない自分が恨めしいのだ。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 大和の心はいつになく落ち着いていた。それは今、多数の深海棲艦に囲まれ、上位種と思われる異質な鬼に睨まれているという、一見すると多勢に無勢、危機に見えるこの時にであってもだ。

 彼女が遭ったとてもじゃないが連合艦隊とは呼べないあの崩壊劇。それを乗り越え、今は新たな仲間と共に同じ方向に向かって大和は歩んでいる。艦種の隔たりを越えた絆が彼女に自信を与えているのだ。

 既に後方の憂いは無い。人命救助は木曾たちがしっかりとこなすだろう。ならば大和は敵を屠るのみに集中すればいいのだ。

 

 彼女の視線の先ではまるで独楽鼠の様に忙しく、島風と響が海上に螺旋の軌跡を描いている。

 それはスラロームのように敵の合間を切り裂き、それに焦れた敵が右往左往している。

 愛宕は普段は隠した本来の獰猛さを剥きだしにし、重巡洋艦の本領発揮であると主砲を十字砲火し、その射線にいる敵はもれなく蹴散らされている。

 

 しかし本来、艦船の砲撃という物の命中率は恐ろしく低い。それはそうだ。水面は常に波を起こして船体を揺らすし、敵は止まっていてくれるほど優しくはない。現代兵器の熱探知による追尾するミサイルの様な機能などついていないのだ。それを当てるには風向きであったり湿度であったり、敵の動きさえも予測し、砲身の方向や角度を決めねばならない。それでは余程の接射でもしなければ中々に当たらないのだ。

 

 しかし今、愛宕の撃ち出した砲弾は面白いように敵を粉砕していた。

 それは大和との距離を常に一定に保ちながら航行している五十鈴のお蔭であった。

 彼女は装備している艤装とは別に、その手に探照灯と呼ばれるサーチライトを持っている。

 これを敵のいる場所に向かって照射することで、夜においては一方的に攻撃することが可能となるのだ。愛宕はただ、五十鈴が照らす場所に向かって砲撃すればいいのだ。

 とはいえこれにはリスクがある。当然探照灯を使う五十鈴の居場所が敵に丸わかりになってしまうという事だ。

 

 事実、佐々木のいた世界の過去の戦争で、実際にこれを行った艦が敵の集中砲火を浴びて轟沈した。

 実際にこの鎮守府にもいる暁は、その作戦を行い沈んだ。これは元々佐々木と暁が一緒に暮らしていた家で、毎晩行われた四方山話の中で、彼女自身が彼に語った話である。

 つまりは五十鈴は現在非常に危ない状態であるのだが、何故か彼女の表情は自信に満ち溢れた様な表情である。それは何故ならば――――

 

「へっへーん、どっこ見てるの? こっちにおいで~。連装砲ちゃん、一斉射撃だよ!」

「無駄だよ。五十鈴には触れさせない。……Урааааaaaaaaaa!!」

 

 先ほどは敵の攪乱をしていた駆逐艦二人が、突如闇の中から現れ、五十鈴に砲身を向けた敵に対して一撃を浴びせるからだ。五十鈴に向けて攻撃態勢となっていた敵は、彼女達のすれ違いざまに放たれる浅い砲撃にたたらを踏んだ。

 その敵は深海棲艦の本能なのか、反射的に視線を島風たちに向け、表情は無けれども怒りを露わにして追いかけ始める。すると今度はその背に向かって愛宕の容赦ない砲撃が襲い掛かる。

 戦闘が開始して数分、数の暴力で圧殺されてもおかしくは無かった佐々木の艦隊は、今や戦況の主導権を握っているといってもいいだろう。

 積み重ねた絆は、互いの信頼の元に素晴らしい連携を発揮させているのだ。

 

 そんな中、佐々木の艦隊初の航空母艦である加賀は、序盤で制空権を奪うという仕事をやってのけた後、大和の後方に佇んだまま周囲を静かに眺めていた。

 彼女の中にあるのは静かな興奮と戸惑いだ。

 

 正規空母である加賀は、その史実に於いてはかなり波乱の歴史を辿ったと言える。

 元々彼女は加賀型戦艦として作られたのだが、未完成のまま航空母艦へと改装されて産まれた。

 しかし改装自体が手探りの状態であったため、改装当初はあちこちに欠陥があり、特に顕著だったのが特殊な煙突を配置したせいで、その周囲の温度は常に40度を越えており、およそ居住できる状態では無かった。それを揶揄して「海鷲の焼き鳥製造機」なんて呼ばれた等というエピソードもある。さらにはそのせいで乱気流が産まれ、艦載機の発着に弊害をもたらした。

 それら欠陥による弊害もあったのか、艦内の風紀は乱れに乱れ、自殺者や逃亡者も多かったという。

 

 始まりは決して華々しい物では無かった加賀であるが、その後大幅な改装を経て、その速度は非常に遅いという欠点はあるが、長期航行に向き、かつ積載量がどの空母よりも多かった為、その後の作戦では重宝されたという歴史を持っている。

 そしてその最後は、ミッドウェーで行われた大規模作戦の中で、火災による被害から内部から爆発し沈没に至ったと言われている。

 しかしその海戦の生存者の中から出た証言で、駆逐艦萩風の魚雷による自沈処理の結果で最後を迎えたというのもあるが、戦局の混乱した中での錯綜した情報が多々あり、その信憑性は謎である。

 

 この作戦失敗は、開戦の時点で軍内の気運が非常に楽観したものが漂っており、それが慢心を生んだ結果だと言える。そしてその結果、それまでは健闘していたのがこれをきっかけに軍は完全に勢いを失い、敗戦へと進んだとも言われている。

 

 そんな波乱を生きた加賀が今、艦娘としてここにいる。彼女は元々所属していた鎮守府で、この過去の記憶と経験からか、非常に規律に対し厳しく守る様に徹していた。

 それは慢心が生む結果がどうなるのかを人一倍知っていたからだ。しかし多くの艦娘はその気風を煙たがり、司令官ですら煩がった。その結果彼女はその性能がありながらも冷遇され、それが皮肉にも彼女一人が生き残るという皮肉な結果を生んだ。

 

 彼女がいた鎮守府はその間に深海棲艦の攻撃を受けて崩壊。それは加賀が常々警告していた慢心の結果だった。

 司令官は自分の気に入った艦娘だけを優遇し、他は加賀のように延々と資源を確保するためだけの遠征に行かされる。

 当然装備も限られた艦娘以外は充実していなかったし、練度も遠征に耐えうる程度にだけ改修され、その後は放置。

 その結果、急な深海棲艦の襲来に対応できるほどの戦力を持って居なかったその鎮守府は、ほぼ無抵抗のまま更地となったのだ。

 

 その後、遠征地からその積載量最大にまで資源を積んだ加賀が戻り、後処理に来ていた海軍部の東郷の手の者によって彼女は回収されたのだった。

 慢心――加賀が一番嫌う言葉だ。さりとて人間にはいつだって陥り易い物でもある。

 それが加賀の目前で繰り広げられる事は、内心で悲鳴をあげたいほどに彼女は恐れる。

 空母の中で最大級の能力を持ちながら、最大の犠牲者を出した過去の記憶を持つ彼女だからこそだ。

 

 そんな加賀は東郷の肝いりでここへ来ることとなった。例の作戦への参加では無く、佐々木の鎮守府へ行くべきだと強い後押しがあってのことだ。

 その時東郷に言われた言葉を彼女はことあるごとに反芻する。

 

「彼は君が信じるに足る人物だ。彼は素人であるが、誰よりも本質を見ようとしている。だから私は君を使いつぶす事よりも、彼に預ける事を選んだのだ。せいぜい君の経験で彼を揉んでやってほしい」

 

 様々な意味で求心力を失くしていた加賀に東郷が言った言葉だった。

 その時の彼女は、その言葉の真意をすべて理解した訳では無かったが、失意の自分にはそれもまた相応しいかもと、半ば捨て鉢に佐々木の元へ来ることを承諾した。本来ならば死に場所を探して、例の作戦へと名乗りを上げるつもりだった加賀は、ふと素人の男に使われるのもいいかと思えたのだ。

 しかし今、朧げではあるが、東郷の言いたかったことが分かった気がしたのだ。

 

 加賀が見てきた司令官とは、あくまでもこの世界の話に限るが、碌な人間では無かった。そう言った意味で彼女は人間自体に絶望しているとも言える。

 しかし佐々木と言う人物は、知識や経験は東郷が言うように素人の付け焼刃程度しかない。だが彼は加賀が艦娘として産まれてから見た人間の中で、誰よりも見ている場所が違うという事に気が付いたのだ。

 

 佐々木は目の前にある戦局を重要視していない。その先にある何かを覗こうと必死なのだ。それが加賀にとっては驚きであったのだ。裏を返せば戦果による名声も地位も、一切に欲していないという事の表れでもある。

 彼にとって艦娘という存在は兵器でも道具でも無く、言わば己の家族のように振舞おうとする。

 少しでも傷つくことを嫌がるし、出来るだけそうならない様に事前に計らおうと努力する。

 加賀は最初、なんて甘い男なのだろうと感じた。しかし周りの話を聞くうちに、それは表面的な物でしかない事を知った。

 

 艦娘を傷つけない為に取る方法としては大まかに二つある。一つは難易度の低い海域のみにしか派遣をしない事。もう一つは、傷つかないための最善を尽くした運用をするという事。佐々木が取ったのは後者の方法だった。

 未熟な自分を認めた上で、過去の文献から学べる、その都度訪れる危機を乗り越える方法を貪欲に取り入れるのだ。

 それは熟練し、ある程度自分なりの方法論を身に着けてしまった人間にはなかなか出来ない事だ。

 だが彼は自分は素人であるから最善を尽くすしかないのだと、少しでも優れた方法があればすぐさま取り入れる。そこには一切の躊躇もない。

 

 本人は必死だからそうしてると言うが、加賀からするとそれは彼の人間性による照れからの諧謔に過ぎないと思っている。

 なぜなら彼は自分以外の事のために、自分の時間のほぼすべてを費やしているのだから。

 鎮守府を統括する司令官の仕事は多岐にわたり、ただ机でふんぞり返っていればどうにかなるほど簡単な物じゃない。

 時には即決即断で判断を求められる緊張感のある瞬間もあるが、実際の業務のほとんどが事務的な物で占められている。

 それを日々こなすだけでもそれなりに労力が必要な事であるし、それに加えて海軍部から来る拒否権のない任務。日々の兵器開発――――などに掛る労力だって必要だ。

 

 そうすると彼が自分のために使える時間などたかが知れている。そんな中で佐々木は素人から脱却し、己の艦娘を出来るだけ傷つけ無いために最善を尽くすための努力をする。作戦立案に関わる知識や、兵器の知識。様々な海域の天候に関わる知識など、それはそれなりに形となっている今でも止めること無く続けている。

 それは主に、通常業務が終了した後の時間を使って行われるのだ。文字通り寝る間を惜しんで。

 加賀はそんな佐々木を見て、一筋縄ではいかない老獪さを持つ東郷が、なぜ彼を買っているのかの一端が見えた気がした。

 

 それと共に、これらの戦の先にある何を求めているのかも。

 それを自分も見てみたい。加賀はそう思った。

 ならば己の命を彼に預けるのもいいだろうと考えたのだ。

 

 そして加賀は克と目を見開くと、弓を静かに構えた。

 続けて彼女は叫んだ。いや、吠えたという方が正しいか。

 暗闇の中、常に平静である事を良しとする航空母艦の咆哮が、周囲の空気を震わせた。

 

「死にたいものはどこにいますか? ここを通るというならば、私の矢が全てを切り裂くでしょう。……いえ、邪魔だから消えなさい!」

 

 加賀の手元がぶれた。それほどの速射だった。彼女の弓から放たれた矢は、空中に解き放たれた瞬間、その姿を戦闘機のそれへと変え、一直線に敵に向かった。

 それはまるで闇夜を引き裂く火の鳥の様に、狙われた敵すらも思わず魅入った程に。

 そして訪れる轟音と、その結果一撃で肉片と化す深海棲艦の群れ。

 蒼き麗人の本質は修羅であった。

 

 そして――――

 

「ふふふっ、さすが一航戦は伊達じゃありませんね。これならば提督もお喜びでしょう」

 

 そう言って朗らかに笑うのは、目まぐるしく動く戦場の一番の中心で、勇ましく腕を組み佇む大和であった。その先には深海棲艦の鬼が睨むように浮いている。鬼は目視できるほどの殺気を大和に向かって放射している。

 しかし大和はそんな気を削ぐかのようにふるまう。緊張感が漂う前線には不釣り合いとも思える、彼女がいつも携えている和傘。それをくるくると指で弄びながら、大和は鬼に向かって妖艶に微笑んで見せた。

 そんな大和の指先が鬼を差し、そして次に己の首元へと移る。雰囲気に呑まれたのか、鬼は戦闘行動に移ること無く大和が描く指先の軌跡を追った。

 

「見えますか? ここにある紋を。これは私の誇りであり、存在意義なのです。私はこれを背負い、ここにいる。貴方に理解できるでしょうか? いえ、別に返事は結構ですよ。なぜならこれはただの誇示に過ぎないのですから。今起こっているこの状況、これは間違いなく私たちの危機です。けれど――――貴方さえ消えれば後は有象無象に過ぎません。そして今、私を信じて露払いに徹してくれている仲間がいます。ならば、後は私が貴方を倒せばいいだけ……でしょう?」

 

 妖艶な笑みが一転、凄惨な笑みへと変わる。瑞々しく潤んでいた大和の桜色の唇は、突如三日月のような鋭角を描き、勇ましく胸の前で組まれていた両の手が、静かに開かれていった。

 それと共に四基の三連装砲の十二の砲門が、金属の擦りあう甲高い音を立てて動き始めた。

 やがて鈍色に輝くそれらがぴたりと止まった。

 

「茶番はここまでです。私たちの家をこれ以上土足で踏みにじる事は許しません。武蔵、信濃、見ててくださいね。これが戦艦大和ですッ……!」

 

 闇を引き裂くかの様な大和の口上と共に、彼女の背にある砲口が一斉に火を噴いた。

 それは周囲一帯だけでなく、水平線の彼方まで届くほどだった。

 100メートルも離れていない距離で正対していた大和と鬼。

 その結果がどうなるかは火を見るよりも明らかだった。

 

 その刹那の事だった。一切の抵抗を見せない敵に、どこかおかしな思いを抱いた大和が見たのは。

 そう確かに笑っていたのだ。その鬼は――――

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

「暁、早く来い。置いていくぞ」

「ま、待ってよ! 暗くて見えないんだから!」

「立派なレディが聞いてあきれるな。ほら、手を引いていやるから来いよ」

「…………大丈夫だもん」

 

 あちこちで轟音の響く中、木曾と暁は司令部本棟から一直線に居住区を目指して走っていた。

 本棟から居住区までの直線距離は約1㎞。海上であれば一足飛びに移動できる距離であるが、今は事情が違う。

 彼女達が佐々木から与えられた役割は人命の救助。その為海上移動を行う事で敵に補足される事は困るのだ。ゆえに彼女達は陸上を己の足で移動せねばならない。

 日ごろから肉体の鍛錬に余念のない木曾は、なんなく全力疾走をシテ見せるが、暁はそうはいかないようだ。

 彼女は駆逐艦であり、海上に居さえすれば木曾なんかよりもよっぽど速く動くことが出来る。それが駆逐艦の特色であるからだ。足の遅い駆逐艦など、ただの的でしかないのだろう。

 しかし丘の上の暁は、ただの少女に過ぎない。その結果、顔を真っ赤にして走る羽目になっていた。

 

 普段から大人の女性に憧れる暁の自尊心に配慮した木曾は、さりげなく速力を抑えて走っていたのだが、残念ながらそれでも暁には速かったらしい。

 いっそ背負って行く方速いかな? 木曾はそう考えるが、言ったところでへそを曲げるだけだとその考えは放棄したのだった。

 

 しゃがみこんで荒い息を整える暁。そんな彼女に手を差し伸べた姿勢で木曾はふいに首をかしげた。

 木曾の手を握ったものの、一向に引っ張る事をしない木曾を暁は怪訝そうに見た。

 

「どうしたの?」

 

 暁はそう尋ねるも、木曾は闇夜の空の一点を見つめたまま動こうとはしない。

 だが暫くして呟くように口を開いた。それは暁に言うというよりは、自問自答の様な口調であった。

 

「……おかしいな。海上での戦闘音は聞こえるが、丘の方向での戦闘音はしない。電探にもそれらしい反応は返ってこないな」

「大和さん達がみんなやっつけちゃったとか?」

「いや、それはあり得ない。別に大和たちの戦力を疑う訳でも無いが、単純に奴らが向かってから時間があまりたっていないからな。……何か意図があるのか?」

 

 そうして数秒、木曾は動かなかったが、暁が彼女を現実に引き戻すように木曾の手を強く引いた。

 

「よく分からないけど、今も怖くて動けない人たちがいるかもしれないわ! だから私たちはその人たちを守るだけよ!」

「あ、ああ、そうだな。結局は今私たちに出来ることをするしかない。しかし暁、少しはレディに近づいたんじゃないか?」

「あ、当たり前じゃない! 私は立派なレディなんだから。行くわよ、木曾さん!」

 

 そうして2人は漠然とした不安はある物の、少しでも被害を減らすために居住区へと急ぐのだった。

 たとえ丘の上だろうと、その機動力が落ちるだけで背中の艤装はいつでも出せる。

 木曾は密かに獰猛な笑みを浮かべ、すぐさま敵に襲い掛かれる準備とばかりにその思考を戦闘の時の物へとシフトさせた。

 暁は木曾に褒められた事をうれしく思い、不謹慎ながらスキップを踏んでいたけれども。

 

 夜はまだ始まったばかりだ。

 こうして終わりの始まりとなったきっかけの日は動き出したのであった。

 

 ――――つづく




大和は口上の時、きっとガイナ立ちしてるはず。そんなイメージで書きました。

夏イベ前の備蓄モードだというのに改二ラッシュに新任務ラッシュ。蒼龍改二に明日は榛名が改二。鋼材と弾薬がマッハで泣けてきますね。

まあ大和型もうちは居ないし、陸奥は居れど、長門もいない。だけど空母は軒並み90オーバー。なんてチグハグな鎮守府なんだろう。

皆さんは備蓄頑張ってますか?


※修正

大和の三連装砲についての描写に指摘があったため修正。

4門の三連装砲の

4基の三連装砲の

加えて若干の描写を加筆。

10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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戦場に咲いた華――中篇

注意

戦闘シーンの表現に、一部生々しい表現があります。
グロ表現とまではいかないと思ってはいますが、苦手な人は避けてください。


 

 

 

 人々は逃げ惑っていた。それは何かを冷静に考えた上でなどでは無く、ただ恐怖から逃れたいという本能から来るものだった。

 事の始まりは田中という漁師を営む夫婦からであった。漁師という物は早朝から海に出て、朝方に港に戻ってくる。このご時世であるから、遠洋に出れば深海棲艦の脅威があり漁は難しい。

 しかし昨今この地域は佐々木の鎮守府の、鎮守府近海への哨戒により、港から見える範囲に限ってはそれほど危険性は無かった。

 その為この町は何とか漁業を維持しており、田中もまた今日の漁を無事に終えて帰ってきた。

 

 とはいえ遠洋に比べると成果の方はどうしても見劣りするものがある。ある意味五目的にその日に捕れる物にはバラつきがあり、特色と言える漁は出来ないのだ。

 しかしそれらを干物等に加工し、町内で消費する程度の量は確保できており、それらが町人たちの食卓を彩っている。それは娯楽のそれほどないこの時代では、食事そのものが娯楽だったりするため、割と無視できない事柄でもあるのだ。

 

 しかし漁師の仕事は海に出て魚をを捕るだけでは無い。いやむしろ丘に上がってからの仕事の方が細かく面倒であるかもしれない。

 それは漁に使った網などの道具が、結構な頻度で痛むからだ。破れた網では魚は捕れない。そのため漁から戻ると彼らはそのほころびを直す為に作業をしなければならないのだ。

 加えて捕ってきた魚の加工もしなければならない。現代のように専門の人間が待ち構えていて、完全な分業が出来るならいざ知らず、ここではそれぞれがそれぞれの仕事をこなさなければならないのだ。

 

 その日、田中夫妻は港からほど近い小屋で夫は道具の修理、妻は魚の加工をしていた。所詮二人であるから休み休みやっていた。夕方になり、それは一段落したため、夫婦は予め作っておいた弁当で夕食を摂る事にした。

 小屋の入り口は開け放しにしていたので、潮風が部屋の中を吹き抜ける。田中は妻のこさえた握り飯を食べながら、何となく小屋の入り口に立ち、夕暮れの水平線を眺めていた。

 

「なんだか今日は風がおかしいな。明日は海が荒れるかもしれん」

 

 長年の漁師のカンは、海が時化ることをしっかりと感じ取っていた。それは漁師だからこその特殊技能と言えるかもしれない。漁師にとって天気とは一番の敵だ。それはどれほど完璧に整備した船だとて、大波相手では何の役にも立たないのだから。荒れた海では漁船など、濁流に翻弄される木の葉に等しい。ゆえに漁師は天気に対しては非常に敏感でなければならない。

 

「この所は佐々木さんとこのお嬢さんたちのお蔭で安全に漁ができましたからね。蓄えもそれなりにありますし、明日はお休みしては?」

「……うーん、ま、そうだな。休むか?」

 

 生真面目さが取り柄の夫は休む事をしない。普段からそんな夫の体調を気にしていた妻は、是幸いと夫に休みを勧めた。

 もっとも仕事しか知らない海の男には、何もない休日の方が辛いという気持ちもあるが、それを健気な妻にいう程彼は無粋では無いようだ。きな臭い顔をしながらも、結局は休む事にした。

 そんな宵の口の一幕であったが、彼は明日休むなら尚更、仕事を残しておくのは嫌だとその日は遅くまで網の修繕や、網を仕掛けるためのブイ(buoy:所謂浮き。網の仕掛け以外にも様々な物に利用されている)に張り付いた貝を剥がしたり等を続けた。もちろん妻もそれに付き合ったのである。

 

 そんな単純作業も没頭すれば時間の経過などあっという間である。二人が気が付いた時には、辺りはすっかりと暗くなっており、小屋の中から外へと漏れる明かりが、逆に周囲の暗さを強調するかのようである。

 

 田中は作業の手を止めることも無く、何本目かの煙草を咥えて火を点ける。あと少しで仕事は片付くな、等と考えながら。そんな時であった。急に外が気になったのは。

 無言で立ち上がった夫の様子を怪訝そうに見る田中の妻であったが、彼はそのまま戸口まで進んでいくと外を眺めた。

 

「……ん? 外に何かいるのか?」

 

 これもまた長年の漁師のカンと言えるのか、とにかく田中は暗闇の周囲へと目を凝らした。そしてすぐに、見なければよかったと後悔した。それは彼が戸口から暗闇の中にひょっこり顔を出した時、彼は何かと目が合ったことを感じたからだ。その正体は暗闇に浮いた鈍く光る対になった赤い光の群れであった。

 

 その瞬間、田中は悲鳴を上げたい衝動に駆られたが、喉元へとせりあがる空気を逆に飲み込んでしまった。本能が声を上げることを拒否したのだ。それほどに彼の目に飛び込んできた光景はおぞましかったのだ。人間は極限を越えた恐怖に瀕した時、逆に声が出ないものだ。

 

 田中が見た光景。それは漁船が幾隻も停泊しているいつもの築港に無数に浮かぶ、異形の集団の姿だ。

 赤く輝く一つ目。骨格だけがせり出したような鋭角の顎。そこにいたのは深海棲艦の駆逐艦の群れであった。

 

「あ……、ああっ……」

 

 田中は声を上げる事を躊躇する。しかし屋内にいる己の妻を逃がすために呼び掛けたくもある。その反する考えが短い時間で何度も行き来した。首筋を伝い落ちる汗が妙に生々しく感じる。

 彼のその葛藤は実際はどれほどの時間であったか。そんな彼の恐怖を他所に、深海棲艦の群れは活動を開始した。

 

 まるで漁師夫婦など目に入らないかのように、ただ居住区方面へと無差別な砲撃をばら撒き始めたのだ。実際深海棲艦にとって人間個人などは有象無象の存在でしかないのかもしれない。人間が歩く過程で蟻を踏みつぶした事に気が付かないのと同様に。

 

 こうして佐々木の護る町は火の海へと変化したのだった。

 それはたった数十分の出来事である。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 阿鼻叫喚とはまさにこの事であろう。人々が寝静まった夜、突如襲来した深海棲艦の集団。それらは人の都合など御構い無しに無差別攻撃を開始したのだ。

 それなりに発展した佐々木の町であるが、役場や鎮守府の施設以外の建物はほぼ木造建築である。それが深海棲艦の砲弾の雨に晒された時、その結果はあまりに脆く瓦解することとなった。

 その際に起きた火災による二次災害により、その被害範囲は徐々に広がりつつある。

 

 人々は貴重品などを確保する余裕もなく、着の身着のままで逃げだした。それに対し若干の遅れは見せたが、鎮守府より狂ったようになり響く敵襲来を知らせるサイレンと、佐々木による冷静に避難をしてほしい旨の放送によって、人々はすこしばかりの落ち着きを見せて規則的な避難を開始した。

 

 と言うのもいずれここに深海棲艦が襲いにくるという事柄は規定事項であった。それは響がもたらした情報によるものであるが、佐々木は黙ってこの日を迎えた訳では無い。来るのが分かっているならば、対策ねってそれを待てばいいのだから。

 

 佐々木はまず町長を介して有事の際の避難訓練を徹底させた。それは所謂義務教育の際にするような形式染みた避難訓練では無く、それよりもずっと実践的な物だ。

 第一に細かく区分けした地区に責任者を設け、その下にリーダーを幾人か配置する。そしてそれぞれが受け持ちの人員を決められた避難経路をたどり、災害避難場所にしていた地区まで引率するというルールを作った。

 そして定期的にサイレンが鎮守府から発せられ、そのタイミングでそのリーダーと責任者たちは避難訓練を開始する。これを一週間のうちに一度、予告されないタイミングに行われてきた。

 例えばそれが土曜日に行われたとして、週明けのどこかではなく、すぐに日曜日に再度サイレンがなる事もある。暦上は翌週になっている訳だから間違っている訳でも無い。

 ただ人は不思議な物で、翌週と聞くと月曜日以降を思い浮べる。それは心のどこかで訓練が面倒であるという気持ちがあるから自分の都合のよい判断を勝手にしている為だ。

 佐々木はそういう人の気持ちが油断するタイミングを計ってサイレンを鳴らす。中には何も起こっていないのにと不満を漏らす人間もいないわけではないが、それが有事に備えるという事の本質であるため、佐々木はそれを無視した。

 

 そして今、その経験はしっかりと実り、当初の混乱はあった物の、おおむね順調に避難が出来ているようだ。

 有事の避難場所として設定した場所は、街の外へと出て1kmほど進んだ場所にある。休耕地であるいくつかの畑だ。そこは傍にため池があり、緊急の際の飲み水にも利用できる。そしてその池のほとりには、妖精が建てた倉庫があり、その中には町人の人口分の食糧と毛布、種類はそれほど多くないが医療品が備蓄してあった。それらは町人が二週間ほど生活を維持できる程度の物である。

 そこに続々と町人が集まっており、各リーダーが混乱を鎮めるようにしながらも点呼を行っていた。

 

 寝間着姿の幼子を背負った婦人。家族が無事だったことを喜び合う人たち。反応はさまざまであるが、人々はやがて空が赤く燃えている町の方向を無意識に見た。

 いまあそこで佐々木たちが戦っている。そして必ず彼らは町を取り戻してくれる。そんな無言の信頼がそこにはあった。

 

「……頑張ってくれよ」

 

 誰かがそう呟いた。そしてそれは、そこにいる人間の総意であるという雰囲気に周囲は包まれた。

 そんな時であった。女性の叫びがこだましたのは。

 

「誰かッ、うちの子は見ていませんか!?」

 

 半狂乱となり我が子を求める母親の姿であった。

 すぐさまリーダーたちを中心にその子供を探す事となったが、暗闇の中で、しかも混乱孕んだ人々の中で冷静に捜索することは中々に難しい。

 先ほどまでそこにあった、安堵に近い気配が一転、混乱の気配が周囲に伝播し始めたのだ。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 作戦開始を告げてから、もうどれくらいの時間が経ったのだろう。

 私はいま、執務室の自分の椅子に腰かけ、ある一点を食い入るように見つめている。

 それは机の上に置かれた無骨な機械。黒い四角の箱、無線機だ。

 いくつかのスイッチと、周波数を調節するためのアナログなつまみ。

 昔の固定電話のようならせん状のコードが付いたハンディタイプのマイク。

 そしてここから何本もの配線が床を辿って壁へと消えていく。

 それは外への配線と、受信した時のスピーカーへと繋がっている。

 

 私は偉そうに足を組み、ただ黙ってそれを見ていた。

 先ほどまでは激しい戦闘のものと思われる爆音が聞こえていたが、今は割と静かな物だ。

 それでも時折、砲弾が発射された時の独特な炸裂音がこだましている。

 何とも歯がゆい物ではあるが、私ができることはこうして待つだけしかないのだ。

 しかしいつ無線が入り、状況が動いた結果、指示を求める私の艦娘たちのために、こうして無線の前に張り付いている。

 

 いっそ最後まで連絡など来ずに、目の前のドアを開けて彼女達が笑顔で戻ってきたらなんて考えてみるが、そんな甘い状況では無いことは分かっている。

 

 ――――戦争には勝ちたいけど、命は助けたいって……おかしいですか?

 

 ふと電が私に言った言葉が脳裏に浮かぶ。

 控えめで気弱な電が、ここへ来たばかりの頃私に言った言葉だ。

 戦う事を刷り込まれた兵器である彼女の、ともすれば大きな矛盾を孕んだ言葉。

 私はそれを聞いた時、明確な返事を彼女にして上げることが出来なかった。

 電は少しだけ悲しい顔をし、面倒なことを言ってすいませんと頭を下げた。

 

 私は「おかしくないよ」と言えなかった事を後悔している。

 それは彼女の考えに私が否定的では無かったからだ。

 むしろ私も彼女の考えに賛同する部分が多大にあるのだ。

 ただそれを即答するには難しい問題だったというだけでしかない。

 けれども彼女が欲しかったのは肯定の言葉だった。

 それを私は言えず、その結果訪れた数秒の無言は、彼女にしてみれば否定されたと誤解を与えてしまったようだ。

 

 今回の件について私が以前から予測して準備をしていた。そして直接的な町の防衛戦に関しては大和率いる第一艦隊に一任した。

 たった6人の私の艦隊……敢えて私は隻と言わず人と数えるが……これは勝算あっての事であるから、特に問題では無い。そもそも大和たちが負ければ私たちは生きていられないだろう。ならば信じてやるしか無いのだ。

 そして住人の安全確保には木曾と暁を向かわせた。我ながらこの人選は正しいと自負している。

 責任感が強く、常に冷静であろうとし、状況を一歩引いた目線で見ようとする木曾。そしてすこし間の抜けた処はある物の、暁もまた責任感が強い。

 何とも凸凹したコンビではあるが、暁の場合、姉妹と組ませるよりも冷静になれるのだ。これは今までの演習で理解したのだが、今回の件には最適だろうと思っている。

 

 そして雷電姉妹には、彼女達にも言ったが、一番面倒であろう任務を任せた。

 それは深海棲艦の鹵獲【ろかく】だ。つまり生きたまま保護し、とある場所へと連れてくるのだ。

 その後、私はある事を試そうと思っている。それは非常に危険が伴い、また倫理的にも問題があるだろうと自分でも思っている。

 しかしその結果、もしかすると私が常々疑問に思っていた事柄のいくつかが明らかになると踏んでいるのだ。

 

 ――――戦争には勝ちたいけど、命は助けたいって……おかしいですか?

 

 電の言った言葉、それへの私の回答としては随分と遅くなってしまったが、この任務を彼女に割り当てた事がその答えなのだという事だ。

 しかし電は思い詰めると周りが目に入らない事がある。この任務での危険性があるならば、その筆頭は電が雰囲気に呑まれる事だ。敵である深海棲艦に同情するあまり、冷静な判断ができずに自分が傷ついてしまう。それが私の一番恐れている事である。

 だから雷を一緒に行かせた。それは彼女がいつも電を気にかけ、気丈にふるまい、場をコントロールしようとしてくれるからだ。

 もし電が雰囲気に引きずられた時、雷は彼女を引っ叩いてでも落ち着かせるだろう。

 雷の実際の気質は、決して表面的な明るさから読み取れるだけのものじゃないと私は思っている。きっと頭の中では様々な事を常に考えているのだろう。

 それは電のように表に出しはしないけれど、雷こそ本当の意味での平和を願っているのだ。その為に彼女は自分を犠牲にすることも厭わない。

 

 雷はたまに私の執務室に一人でやってくることがあるが、まるで私の母親の様に自分をもっと頼っていいのだと、ひどく包容力のある笑みを見せてくれる。

 しかしそれは言葉通りの意味では無く、屈折した形の甘えだ。大人である私に甘える口実として、頼っていいのだと言う懐の深さを見せながら、私にスキンシップをせがむだけでしかない。

 それは彼女の心には他人に見せないストレスを抱えているという裏返しだと思う。だからこそ私は、じゃそうさせて貰うよと膝上に抱き上げ、彼女がそのまま眠ってしまうまで好きにさせている。

 

 今回の件に関して、電のストッパーの役割を彼女に任せてしまうのは非常に心苦しい物があるのだが、この時ばかりは私も甘えさせて貰う。そうでなければこの任務は決して上手く行かないだろう。

 理想を掲げた感情のままに真っ向から突き進む電と、それが危険に至るギリギリを見切ってセーブさせる事ができる雷。この姉妹の絆、それを私は利用するのだ。私の目的のために。

 けれどもその結果は、きっと彼女達のためにもなるのだと私は信じている。

 

 ――――戦争には勝ちたいけど、命は助けたいって……おかしいですか?

 

 今度はその問いに、私はしっかりと「間違っていないよ、電」と言えるように今は突き進むだけだ。

 

 ふと時計を見る。そして私は無線機のマイクを手に取った。

 大和たちの状況を確認するために。その状況如何で、電たちを突入させるタイミングが決まるのだ。

 

『こちら佐々木。五十鈴、状況はどうか。送れ』

 

 無線独特の電子音が繰り返されるが、返事はいつまで経っても返ってこない。

 いやな汗が背中に吹き出るのを私は感じた――――

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「……え、なにこれ」

 

 五十鈴はそう呟やいた。その言葉は驚愕というよりは、今目の前で起こっている状況を受け入れたくないという否定が感じられた。

 

「や、大和さんッ!」

「大和……」

 

 そして敵を攪乱するために、敵の合間を縦横無尽に動き回っていた島風と響がその異常な様子に気が付き、思わず足を止めた。

 

「え?」

 

 何より当の本人である大和が、現状を全く理解できなかった。

 彼女は己の背中に最大積載量まで換装された46cm三連装砲で目の前にいた鬼を薙ぎ払ったのだ。

 そしてその結果、無残にも爆散すると思われた鬼の姿は消えており、自分の脇腹から黒光りする鋭角の艤装らしき物が生えていた。

 ――――真っ赤な鮮血で彩られながら。

 

「……イタイ? ネエ、イタイ?」

 

 大和はゆっくりと声の方を見た。自分の右後ろ。身長の高い大和からすると、相当低い位置だ。

 そこに居た。それはまるで子供だった。くりくりとした丸い眼。胸元が大きく開いたワンピースタイプの黒いパーカーを着こみ、細い首にはチェック柄のマフラーを巻いている。

 その上位種と思われる小柄な深海棲艦の臀部から、まるで生き物の様な艤装が伸び、そしてその先端が大和の背中から前腹を貫いていた。

 

「…………こふっ」

 

 大和が呆然とそれを見つめていると、彼女の口から小さな咳払いと共に鮮血が吐き出された。

 それを顔に浴び、無邪気な笑顔を浮かべていたそれの凄惨さが増した。

 子どもは無邪気に生きている虫を殺しては笑う。そんな無意識な残虐性がそれにはあった。

 それを見た大和以外の艦娘は一瞬で我に返った。吐血するというのは相当に危険な状況なのだ。

 そして誰かが叫んだ。悲鳴、或いは怒号。

 自分たちの旗艦を傷つけられた。それだけで彼女たちには充分だったのだ。

 

 殺意のみを剥きだしにして暴れるには。

 

 そして目の前にいる敵など何するものぞと言わんばかりの勢いで、全ての艦が大和に向かって殺到した。いや正確に言えば、彼女を刺したその深海棲艦に向かってだ。

 その射線上にいる敵は一瞬で屠られた。非力な駆逐艦である島風や響に至っても、立ちふさがる敵の顔面と思われる部分に直接砲口を押し当て、零距離から発射する。その結果敵は後頭部から真っ赤な脳漿を撒き散らして沈む。

 

 航空母艦の中でも最も大きな積載量を誇る正規空母である加賀。今回、佐々木の下へと着任して、初めての大きな戦闘となった。

 冷静で合理性を何よりの美徳とする彼女の均整の取れた美しい顔が、今は怒りの表情を剥きだしにして走っていた。

 本来であれば後方から艦載機を飛ばして敵を翻弄するはずの彼女が、まるで巡洋艦のように走っているのだ。その手に持った弓を握る白い手は、怒りの余りに凄まじい握力で握られており、よく見れば血が流れている。何も出来ぬままに仲間を失う。それを今の加賀に許せる訳など無いのだ。

 

 愛宕に至っては砲弾すら撃つこともなく、背中にぶら下げた錨を手に、物理的に立ち塞がる敵を排除しつつ最大船速で進む。普段の彼女が見せる何事にも動じない余裕は既に消えている。その表情はまるで夜叉。ただ敵を殺す事のみに特化していた。

 

 翻って五十鈴に表情は無かった。それ故に他人が見たら肝が冷えるだろう。それはゆらりとした怒りの雰囲気が、まるで具現化したかのように彼女の背に浮かんでいたからだ。

 高性能な電探を装備し状況を有利に持っていくための、言うなれば裏方に徹していた彼女であるが、今は能面の様な表情で、それでいて苛烈に大和を救おうと奔った。

 

「死ねえええええぇぇぇぇッ!!!」

 

 誰かが叫んだ。いや或いは全員か。

 そして大和のすぐ横で、耳を塞ぎたくなるようなおぞましい破裂音が周囲に響いたのであった。

 生のトマトを力任せに握り潰したかのような、そんな音だ。

 

 ピピッ、ガッ――――佐々木からの無線の呼び出しを示す電子音が静まり返った海上に広がったが、それに応答する者はいなかった……。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

 木曾と暁は今、軍艦が具現した存在と言える艦娘がだ、丘の上で戦っていた。

 艦娘とはその特殊な装備から、海上をまるでミズスマシのように高速で移動する。

 それがアドバンテージとなり、本来は命中精度のひどく低い砲撃を、かなりの高確率で命中させる事ができるのだ。

 つまり離れていては当たらないのならば、近寄って確実に当てればいい。そんな事を現実に行えるのが艦娘なのである。

 

 ならば丘の上ではどうか。それは巨大な銃を持った少女が戦っているだけと言えよう。

 少なくとも艦娘の耐久力は通常の人間には比べもにならない程にあるだろう。

 それは人間であれば即死するような鉄の砲弾をその身に受けても服が破れる程度で済むのだから。

 しかしそれは海上であればの話である。

 

 丘の上では海上での機動力はゼロになり、実際の機動力はその艦娘個人の肉体に依存するのだ。

 つまり重い物を持てると言うだけで、速さ自体は普通の人間よりすこし速い程度にまで落ちる。

 確かに装備の威力は恐ろしい物があるにしても、それは当たってこその話でしかないのだ。

 

「こ、このっ、当たんなさいよッ!」

「暁、無駄撃ちするな。隅に追い込んでから撃て」

「分かってるわよ! もう、ほんとすばしっこいんだからッ!」

 

 深海棲艦の駆逐艦のイロハと識別されるシリーズ。

 それが今、彼女達を翻弄していた。

 海上であれば木曾たちは全く苦労しないであろう駆逐艦に、今はいいようにされている。

 たしかにそれら個人の戦闘能力は低い。しかし丘の上でも気にすること無く、それらは空中を浮きながら自由に動くのだ。

 しかしそれだけでは無く、彼女達が苦労しているもう一つ大きな理由があった。

 

「お、お姉ちゃんこ、怖いよぅ。お母さんどこー……」

「大丈夫だ、必ず俺たちがお母さんのところへ連れていく。だからしっかりしがみ付いているんだぞ」

「う、うん……」

 

 それは木曾の背中で泣き喚く少女を守りながら戦わなければならないからだ。

 

 人命救助と逃げ遅れた住人の保護を任務とした木曾たちが、町に到着した頃にはほとんどの住人の避難は終わっていた。

 それは佐々木が繰り返し行ってきた避難訓練の賜物であるが、それでも混乱の最中に親とはぐれた少女がいたのだ。

 

 彼女達は海側から避難場所である町の外への方向に向かって、しらみ潰しに町内を確認するために移動していた。

 それはこの襲来が海側から始まっているため、何か被害があるならば、最初に敵が襲ったであろう位置に近い方だろうと踏んだからだ。

 

 そして木曾と暁は、瓦礫の中から小さな泣き声を聞いた。

 それは普通の人間であれば見逃しただろう小さな物だ。

 しかし深海棲艦と戦うために通常の人間の何倍もの身体能力を有する彼女達であったからこそ発見に至った。

 

 それからの2人の動きは速かった。互いに頷き合うと、一足飛びに瓦礫へと殺到し、信じられない勢いで、さっきまで家だった残骸を素早く、それでいて丁寧に取り去った。

 そこには瓦礫の隙間に膝を抱えて丸くなった少女がすすり泣いていた。

 

「もう大丈夫だぞ。俺たちが来たからな」

 

 木曾は男勝りな口調を好むが、この時ばかりは女性的な優しにあふれた笑顔で少女を労わった。

 少女は助かった安堵からか、木曾に飛びつき大声を上げて泣いた。

 しかしそれがいけなかった。瓦礫がどかされよく通るようになった声が、敵を呼び集めてしまったのだ。

 慌てて木曾は少女を背負い、暁を伴って外へと出た。しかしそこには鈍い赤色の明かりを発したおぞましい姿の深海棲艦が多数浮いていたのだ。

 その数は約10隻。彼女達を包囲するように半円形に展開していた。

 

「いいねえ、こういうの。血が滾るよ。せいぜい俺を楽しませてくれ」

「み、見てなさい。突撃するんだから!」

 

 瞬間、2人は戦闘態勢を取る。暁はその背中に艤装を出現させ、木曾は背中の少女を気遣い、その手に20.3cm連装砲を出現させた。

 2人のセリフは少女を安心させる為に張った虚勢だ。状況は多勢に無勢、芳しくない。

 しかしそこから逃げ出すほど、彼女達は甘ったれてはいない。

 こうして敵を倒すでは無く、少女を無事に親元に届けるという難しい任務が開始されたのであった。

 

 佐々木の鎮守府の夜はまだ明けない――――

 

 

 つづく

 




今回できりの良いところまで行けず、3話で終わるという感じになりました。申し訳ありません。

なんで鎮守府付近にレ級がいるんですかねぇ……(白目)

もし艦これのゲームで1-1にレ級出てきたら誰もやらんやろね。

次回でこの話は大きな展開を見せつつ、戦闘が終結する予定です。


備蓄モードに入っている我が鎮守府ですが、ボーキが全然たりません^^

そして月初めのエクストラステージ攻略で、バケツ50溶かすという愚行。

もう\(^o^)/

米帝になればええんや……(遠い目)

皆さんはきっとうまくやり繰りしてるんでしょうね……


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戦場に咲いた華――後篇

遅くなりました。


 

 例えば……恋人に連絡が取れなかった時の事を考えてみる。

 

 貴方は愛するあの人と、「今夜食事をしよう。待ち合わせはいつものカフェで」そんな約束を交わす。

 とは言え直接会話するわけでは無く、昨今のスマートフォン文化の中ではかなりメジャーな簡単なテキストをやりとりするアプリケーションによってだ。

 

 今時は電話をするよりこっちの方が手軽で速い。敢えて言えば仕事中にだってこっそり使う事もできる。そんな便利さから、ほとんどの人間かこの手のアプリを重宝してるだろう。貴方と彼女もそうだ。

 

 時計は午後七時過ぎ。貴方は面倒な仕事を漸く片付け、トイレの洗面所の鏡で身だしなみを整えると足早にオフィスを後にする。その際何人かが貴方を飲みに誘うが、それを上手く躱しつつ。

 彼女の仕事の定時は午後八時までだ。互いに同じエリアのオフォス街で勤めているから、その中間地点にあるシアトル系のカフェがもっぱらの待ち合わせ場所になっている。

 

 貴方は恋人とのひと時を思い、華やぐ心を押さえつける事に苦心しながらも、無意識に足早になっている事にも気が付かずにカフェへと歩く。

 そうして貴方はカフェへとついた。カウンターで”今日のブレンド”のショートサイズを注文しながら貴方はちらりと席の物色。――――よし、喫煙エリアは空いているな――――そして灰皿と水を一緒にソーサーに載せ、目当ての席について一服を始める。

 

 自分の紫煙と他人の紫煙が混ざりあい、周囲は何とも言えない臭気に包まれてしまうがどうでもいいのだ。何せ朝の一服を自宅でしたきり、貴方は喫煙していなかったのだから。都会のオフィスビルは今や、喫煙者にとっては厳しい世界に成り果てた。

 こうして貴方は彼女が仕事を終え、身支度をしてここへやってくるまでの一時間弱の時間を楽しむのだった。

 

 ふと貴方は左手首に目をやる。そこには無理してローンで購入したスイス製のクロノグウラフがある。アナログ表示とデジタル表示が両方あるタイプの物だ。

 その時刻は既に午後十時を回っている。貴方は一人の時間を過ごすことも決して苦痛では無いため、漸くここで彼女が相当に遅刻をしている事に気が付いた。

 

 そして鞄から米国製の最新式のスマートフォンを取りだす。そして左側面にあるスイッチをチェックした。これが下にあるとすべての音が出なくなるのだ。スイッチは上にある。

 どうやら彼女からの連絡も無かったようだ。そして次にテキストをやり取りするアプリケーションを立ち上げてみる。そっちは数十件の会話が溜まっていた。その旨の表示がちかちかと光っている。

 

 しかし会話のログが溜まっているのは飲み仲間と会社関係のグループがいくつかで、彼女の物には更新が無かった。

 念のため電話のアプリケーションも確認するが、着信履歴には仕事関係の物があるばかりで、彼女の表示はやはり無かった。

 

 そうして訪れる何とも言えない胸騒ぎ。――事故にでも遭ったのか? いや、或いは自分では無い誰かとの逢瀬か? そんなはずはない。だが連絡は無い。

 そして貴方は彼女の番号をコールする。繰り返される呼び出し音。しかしそれは途切れ、不在を示すメッセージが流れる。

 きっと気が付かなかったんだとさらに鳴らす。そしてまた同じことの繰り返し。何とも言えない焦燥感が貴方を襲い、普段はそんなことする筈もない貴方が、まるで壊れたレコードの様に何度もコールしては画面に悪態をつくという行為に走る。

 

 そして思考は加速していく。根拠のない疑い、自分への卑下。不毛にも程があるというのに、その得体の知れない怒りの矛先は必然的に彼女へと向かう。

 貴方はすっかりと客のいなくなったカフェの中、近寄りがたい雰囲気を振りまきいつまでもそうしている。そろそろラストオーダーだと告げたい店員を躊躇させながら。

 

 そんな時スマートフォンが光を放つ。それは着信を知らせる物で、ディスプレイには彼女の写真が表示されている。貴方は反射的に着信した。

 

「ごっめーん。急に残業が入ってしまってさ。携帯はロッカーの中だったから連絡できなかったよ。ほんと、ごめんね?」

 

 彼女はそんなことを矢継ぎ早に言った。それはそうだ。昨今のオフィスでは、コンプライアンスの観点から、情報端末をオフィスに持ち込めないのは常識だ。貴方もまた同じような業種で働いている。少し考えれば分ったはずだ。

 しかし貴方はほっとした気持ちから一点、自分で作り上げてしまった邪推からの怒りを彼女にぶつけてしまった。

 しようと思えば連絡くらいできただろうに。自分は数時間もここにいたんだぞ、と。

 

 平謝りをする彼女。気まずい沈黙。

 結局のところ、冷静さを欠いた貴方の一人相撲でしか無かったのだが、そのせいで彼女とは気まずくなってしまった。

 たった一本、連絡が取れない事で、人は時折普段は隠れている本性を現すことがある。

 それはきっと相手への思いが強ければ強いほどそうなるのだろう。

 それが取り返しのつく範囲の話であればいいのだけれども――――

 

 では話を本筋に戻そう。佐々木は今、まさにそんな心持ちであった。

 それは大和たちに連絡を取ろうと何度も無線で呼び出すも返事が無かったからだ。

 元々の性格もあるが、自分の艦娘たちを素人なりにではあるが安全に任務に赴けるようにと自分なりに業務に励んできた成果もあって、彼はこういう時こそ冷静にいなければと考える。

 しかし状況が状況だ。何度も呼び出せどもスピーカーは無情にもノイズが鳴るだけである。

 それが尚更、彼の懸念を助長していった。

 

「…………クソッ」

 

 忙しなく立ったり座ったりを繰り返していた佐々木は、そう口汚く罵ると、工廠妖精が造り上げた小型無線機を携帯し、部屋を飛び出した。

 念のために護身用に支給された軍刀を携えはするが、そもそも剣術など知らない彼には何の役にもたちはしないだろう。それでもそれを携えるほどの小さな理性はあったようだ。

 彼が蹴飛ばすように開けたドアが軋む音だけが無人の部屋に響き、そしてすぐに周囲は沈黙に包まれた。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 轟と周囲の空気を巻き込み、木曾の右手に装備された20.3cm連装砲の二つの砲口から、相手の装甲を突き破るために開発された――いわゆる徹甲弾が発射された。

 それはしゅるしゅると聞く者の魂を凍らせるような独特な音を発し、そしてそれは対象に向かって着弾した。

 徹甲弾の先端には比較的柔らかい金属がまるで帽子のように被っているが、砲弾の芯の部分にはタングステン鋼と呼ばれる、重くそして硬い合金で出来ている。

 着弾と同時に帽子の部分は弾けるように爆散するが、それを突き抜けるように鋼の塊が相手の分厚い装甲を、まるでバターの塊にナイフを突き立てた時のように食い破る。

 

 それをまともに受けた深海棲艦の駆逐艦がどうなったか? それは全身是金属とも思える異形の彼女達が、一瞬にして砕け散る事となった。

 木曾を取り囲んでいる深海棲艦たちの赤い瞳がたじろぐように瞬く。

 

「ふっ、今夜の俺は少々荒っぽいぞ。そりゃあそうだ。お前らは人の家に土足で上がり込んでんだからな」

 

 周囲に火薬の匂いを漂わせながら木曾は言い放った。しかし次の攻撃にすぐさま移れるよう、油断無きよう残心する事は忘れない。

 しかしそれでも彼女達が圧倒的に人数で負けている事実は変わらない。木曾の砲撃で、しかも近距離からの攻撃で殲滅したとはいえ、まだ敵の6隻は無事でいるのだ。

 まして木曾はその背に年端もいかぬ少女を背負い、常に背中に意識を向けながら戦っているのだ。これでは万全であるとは言い難い。

 

 すると敵は、それを嘲笑うかのように左右から挟撃をしかけてきた。木曾は密かに舌打ちをし、自分が次にどう動くかを瞬時に考える。

 彼女は聞き腕である右手に砲塔を出現させているが、本来であれば両手と腰回りなどに装備を持つ。しかし今、彼女の左手は背中の少女を支えるために使われているし、その為背中に艤装を出すことも出来ない。それは非常に不利である事は間違いないのだ。

 

 艦娘の艤装とは、ある意味攻撃の制御装置のような物だ。艦娘たちはその成り立ちに合わせ、様々な形状の艤装を持つが、本質はすべて一緒である。

 物理法則を真っ向から否定した存在ではあるが、艤装の中に見た目以上の弾薬や燃料を備蓄しているし、それをすぐさま砲塔へとリンクさせ、発射させる事が出来る。

 だが木曾は本来艤装に任せオートマチックにその作業が出来ると言う行動を封印し、手動に近い作業を行いながら戦っている。

 

 言葉らしい言葉を発することもしない深海棲艦の駆逐艦。それはまるで本能のみで破壊行動をしているようにも思えるが、時折こうして相手の裏を掻くような行動を見せる。

 木曾が倒した敵が崩れ落ちるその刹那、両側から凄まじい速度で深海棲艦が迫ってきた。

 

「くっ……俺を舐めるんじゃない!」

 

 木曾は決断した。砲塔のある右手側の敵に一撃を加えることを。

 ならば反対側はどうするのか。それは左肩で敵を受け止めるのだ。

 もとよりダメージは覚悟の上だ。それよりも大事なことは、背中の少女に傷をつけぬ事。

 木曾はそれを覚悟し、行動に移そうと重心をずらした。

 その瞬間――――

 

「レディを無視するなんて失礼ね!」

 

 暗闇の中から飛び出した暁が、不敵に笑って砲口を木曾のがら空きになっている側を守る様に構えた。

 轟、轟。重なる発射音。それは示し合わせたかのようにシンクロし、そして迫っていた敵は呆気なく地面へと叩き付けられた。

 

「お子様のくせにやるじゃないか。少し見直したよ。ご褒美に頭を撫でてやろうか?」

「お子様いうな! もうっ! そうやっていっつも馬鹿にして!」

 

 木曾の軽口にぷんすか! と口をへの字に曲げる暁。

 だが木曾は背中に冷たい汗をかいていた。砲撃では無いとは言え、深海棲艦の質量をまともに身体へ受ければさすがの彼女でも無事には済まないだろう。

 この少女を親元へ送り届けるまでは、少なくとも中破は出来ない。何故なら動きが極端に緩慢な物へとなってしまうからだ。

 そうなれば少女を守り抜く事など難しいだろう。木曾は内心そう考え、暁をからかいつつも感謝した。

 

「暁、ならお前が一人前のレディだと証明して見せてくれ。これから俺は避難場所へ向かって駆ける。敵に背中を晒してだ。お前は俺が無事に辿りつけるように背中を守ってくれ。……できるか?」

「へ……?」

 

 木曾がそう言いながら浮かべた微笑は、先ほどまでのからかう様なものとは違い、確かな信頼をにじませていた。

 そして呆ける暁。彼女にとって木曾は、何というか近寄りがたい存在であった。日ごろストイックに身体を苛める木曾をどこか怖いと感じていたし、駆逐艦を嘲るような雰囲気を見せるからだ。

 もちろん木曾にそんなつもりは無いのだが、寡黙さと感情表現の少なさから、暁はそう思っていたのだ。

 

 けれど今、木曾は確かに暁へ信頼を見せている。

 非力だと自分でも感じる所がある暁であるが、いつか自分も大舞台で活躍してみたい――彼女は人知れずそう思っていた。あの大和のような、凛として勇ましい艦娘になりたくて。

 暁は今、木曾の信頼をその身に受け、恐怖とは違う身体の震えを感じている。それは武者震いという奴だろう。そして彼女は喜びで緩んだ表情を引き締める為に、頬をぱんっと自分で叩き、努めて頼もしそうな表情を作ると木曾のこう言った。

 

「ふふっ、暁の出番ね、見てなさい! 木曾の背中はしっかりと守るから、精一杯走りなさいな!」

 

 その容姿からすると年端もいかぬ少女が虚勢を張ってるように見えなくもないが、木曾には頼もしさを感じたようだ。

 木曾の目は黒髪の少女が勇ましく腕組みしながら自分を見上げる暁の姿が写っているが、眼帯で隠した”もう一つの目”には、かつてバタビヤやガダルカナル、そしてキスカなどを歴戦した戦人の魂が爛々と輝いているのがたしかに見えた。

 

「ああ、お前に背中は任せた。……行くぞっ!」

 

 木曾はにやりと暁を見ると、空いている拳で暁の胸を小突いた。これは絆の結びつきのある兵士たちがやる儀式のような物かもしれない。

 暁もまた、木曾の胸を小突き返す。もっともぷるぷると震えてしまう程に背伸びをしてであるが。

 

「さあ木曾、行きなさい。ああ、貴方たちはダメよ?」

 

 暁の号令に全く後ろは見ずに走りだした木曾。それに釣られる様に敵駆逐艦は一斉にその後を追おうとしたが、くるりと振り返った暁の瞳が鈍い赤色を放っている事に気が付き、動きを止めた。

 

「行っちゃだめって言ってるでしょ? 貴方たちは暁と遊ぶんだからね?」

 

 にこりとあどけない笑顔を浮かべた暁が無警戒に一歩前にでた。

 敵駆逐艦は無意識に一歩分下がる。

 感情など一切見せることは無い深海棲艦が一歩下がった。

 それをさせる雰囲気を今の暁が持って居たという事だ。

 

 一目散に村の外へと向かう木曾の耳に、いくつにも重なる炸裂音と、何かが破裂するような鈍い水音が交互に聞こえてきた。

 

「あーあ……始まっちまったなぁ。ったく、スイッチ入るまでが長いんだよ。本当に世話がやける」

 

 背中で気絶する少女に気遣いながらも疾走する木曾は、敵に同情しつつ自嘲気味にそう言った。

 その言葉が意味するものは、勝利への確信のみであった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「雷おねえちゃん」

 

 闇の中、二人の小柄な少女が疾走していた。

 月明かりが周囲を照らしているとはいえ、夜の砂浜を全力疾走するのは普通の人間には出来ない芸当だ。さもありなん。彼女たちは艦娘だ。通常の人間とは違う視界を持って居る。

 少女たちは雷と電という名の駆逐艦の姉妹である。己の司令官に言い渡された任務のため、こうして人の目を避けた移動をしていたのだ。

 

 もちろん人の目だけでは無く、深海棲艦に見つかる訳にもいかない。彼の存在は艦娘と同様に電探と呼ばれるレーダーを持つ個体もある。その為2人は容易に動ける海の上を避け、こうして砂浜を移動していたという訳だ。

 そんな時先頭を走っていた雷は妹である電の呼び掛けに振り返ると、電はそこで足を留めていた。

 

「なによ。急がないと間に合わないわ!」

 

 雷が強い口調でそう窘めるも、彼女は一向に動こうとはしない。雷はやれやれと溜息をつくと、電に歩み寄った。そうして肩を抱くと、異変に気付いた。

 

「電? ……アンタ」

「雷おねえちゃん……」

 

 震えていた。電は小刻みに震え、そして俯く。雷は内心で天を仰いだ。こうなった電はやっかいだというのを知っていたからだ。

 

「アンタ、怖いの?」

「……怖い、かもしれないです。こうしている間にも、誰かが傷ついて……でも、敵だって傷ついてるです……その敵だってひょっとしたら……」

 

 電は常々平和を願っていた。彼女が思う平和は、ある意味理想の極限の様なものだ。それは誰もが傷つくこともなく笑っている……そんな像である。

 艦娘である自分。しかし魂は歴戦の軍艦の魂を持つ存在。そんな中電の過去は数々の戦火を潜り抜けたが、その任務のほとんどが護衛任務であった。時には轟沈した敵艦の乗組員を救助をしたりもした。

 そう言った過去の記憶はしっかりと彼女の魂に刻み込まれ、いま艦娘として再び生を受けた際の性格や理念が決定付けられたのかもしれない。

 ゆえに彼女は戦う事を忌避する所がある。

 

 敵を倒す。その言葉だけ見れば大切な者を守るための名分としては充分に成り立つだろう。

 しかしそれは表面的な物でしかないのだ。敵を倒すという言葉の真意は、己の何かを守るために、相手を殺すという事である。

 人間同士の喧嘩であれば、どちらかが戦闘不能に陥った時点で終わる。それはそこを踏越えることは禁忌にあたるからだ。

 人間社会という一つのコロニーでは、思いのままに殺すことは出来ない。それを許せば社会的なシステムが成立しないからだ。

 

 しかし戦争状態となれば話は別だ。大義のため相手を殺さねば、自分たちが死ぬのだ。簡単な方程式だろう。極端な話、死にたくなくば殺せ。それに尽きる。

 戦争をコントロールしている上層部にとっては、人の生き死にするら机上の数字でしかないのかもしれない。しかし前線に近ければ近いほど、それは生々しい現実でしかないのだ。

 

 電は誰よりもそれを理解している。理解した上で、他に道がないかと考える。

 それが果たして正しいことかどうかは誰にも分からない。ただ一つ言えるのは、それを考えていい状況では無いという事だ。

 しかし雷はそんな風に苦悩することが出来る我が妹をうらやましいと感じた。

 理想論は現実主義者にとっては矛盾した様に見られてしまう。だがそれは、諦めた者のいい訳でもある。誰だって理想の気持ちよさに浸るだけでは無く、それを実現出来たらと思う。

 しかし理想を突き通すという事は、好き好んで茨の道を行くことだ。

 

 誰にも理解されず、ただ誹られるのみだ。何故なら誰もそれを実現できると信じることが出来ないからだ。そうなれば必然的に孤独であるしかない。苦しく悲しい道だ。それを突き進み、理想を突き通すという事は並大抵の気概では心が折れてしまう。それくらい人の心と言う物は柔らかく壊れやすい。

 

 それでも今の電は当時の屈強な駆逐艦ではない。幼く未熟な人間の魂も持って居るのだ。

 彼女が持つ理想とその苦悩の板挟みは、時折こうして歩みを止めてしまう事になる。

 だが、と雷は考える。電、貴方は一人じゃないのよと。

 

「顔を上げなさい、電」

 

 雷は電の肩を抱いた手を放し、今度は両肩に手を置いて彼女の顔を覗き込んだ。

 

「ふぇ?」

 

 笑った。雷は月夜の中でにっこりと。

 それは誰が見ても頼もしく感じる様な、そうまるでお日様の様な笑みだ。

 

「元気がないわねぇ。そんなんじゃダメよ! 電には、私がいるじゃない! 私だけじゃない、暁や響。大和さんたち……それに、私たちを信じてくれる司令官もいるのよ! こんなとこでしょげてたら、アンタがしたいことできないじゃない!」

 

 電は思った。この姉はどうしてこうも明るく輝けるのだろうと。

 自分が挫けると、いつも当たり前に現れて、当たり前に尻を叩いてくれる。

 やはりこの姉には叶わないと。彼女もまた自分とは違った苦悩を抱え、それでも無理をして笑っている事を知っている。けれども今は、ただこの姉に縋ろう。

 そうして電は顔を上げた。そこにもう怯えは見えなかった。

 

「もう大丈夫みたいね。行ける? 電」

 

 笑顔のまま腕組みをして勇ましく問いかける雷。

 電はそれに強く頷くと、艤装から錨を外してその手に持った。

 

「電の本気を見るのです!」

 

 そんな妹を満足気に見た雷は、無駄にした時間を取り戻そうと、先ほどよりも速い速度で疾走を開始した。

 その背を追いかけながら、電は小さく礼を言った。ありがとう、と。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 大和を刺しているのはレ級とカテゴリーされる戦艦だった。

 大本営海軍部に長らく正体を掴ませず、それでいて苦渋を舐め続けさせていた事から、ゴーストやunknownと呼ばれていたが、大和たちも参加した例の作戦で最終的に連合艦隊を壊滅状態にまで追い込んだことではっきりと識別され、レ級戦艦とカテゴライズされたのだった。

 

 それが今、大和を貫いて涼しい笑顔を浮かべており、その光景を見た佐々木の第一艦隊の面々は一瞬で血を沸騰させ、夥しい数の深海棲艦をまるで炉辺に転がるゴミの如く屠りながらレ級に殺到しようとしていた。

 

 夜の海は漆黒だ。月の光を吸って余計に黒い。それはまるで地獄の深淵を覗いている様な気分にさせる。その中で大和とレ級だけが浮き彫りになっている様に愛宕以下の艦娘には見えた。それ以外の時間が止まっている様に。

 

 愛宕、五十鈴、加賀、島風、響。何れもがその瞳を赤く輝かせ、殺意を漲らせている。

 それらが声にならない怒りの咆哮を上げ、今まさにレ級に叩き付けんとするその刹那、か細くも、だが有無を言わさない迫力を孕んだ声が響いた。それは大和であった。

 

「……落ち着いてください。この大和、この程度の傷では沈みません。それよりしっかりしなさい。貴方たちの役割はなんですか? ここで私の仇を討つことですか? 私たちの役割はいつだって一緒の筈です。人々の平和を勝ち取る、その為に尽くすことですッ!」

 

 大和の口上は凄みを増していき、今まさに腹を鋭利な刃物で突かれてる者の弱弱しさは消え失せていた。そして彼女のために結集した艦娘たちの目から赤い光が消えた。

 

「さあ皆さん、それぞれの役割を果たしなさい。加賀、貴方が取り乱してどうします。さあ、今は貴方がここを仕切ってください。私には私の役割がありますから」

 

 大和が吃と顔を上げ、そして命令を下す。そして笑った。

 

「大和さん……」

 

 生死を共にし、誰よりも大和を慕う五十鈴が心配そうに言う。

 しかし大和はにこりと笑ったまま、頷いた。彼女もまた頷き返す。

 そして名指しで旗艦代理を言い渡された加賀は、大和を一瞥すると皆に言った。

 

「後は大和に任せましょう。私たちは有象無象を片付ければいいだけ。行くわよ」

 

 先ほどとは違い、本当の意味での冷静さを取り戻した加賀の能面の様な顔。

 それは熱く燃え上がった面々に不思議な安心感を与えた。

 そして彼女たちもまた、何かを決意した表情で頷きを交わし合う。

 

「さあ待たせましたね。ここが戦場である以上、貴方の行為を卑怯と罵る事はしません。ただし――この戦艦大和をこれくらいで沈められるとは思わない事ですッ!」

 

 頼もしい仲間たちが次々と前線に復帰していく中、不気味な笑顔で大和を刺していたレ級を不敵な笑みの大和がそう言い放つ。

 

「……? イタクナイノ?」

「おかしなことを言いますね。痛いに決まっているでしょう? でも、この程度の傷、唾でも付けておけば治ります。ですから……今度は私の番ですっ!!!」

 

 そう言い放った大和は、あろうことか自分を貫くレ級の触手染みた艤装には目もくれず、そのままレ級の細い首を掴むと持ち上げた。

 レ級の臀部から伸びた艤装は、大和に持ち上げられる事で引っ張られる。それと共に大和の腹部からぶちゅりと嫌な音がして血が噴き出るが、大和の表情は変わらない。

 ただ無表情。氷の様な視線がレ級を貫くだけだった。

 

 レ級はこのあり得ない敵の行動に不思議な感情が沸き上がる。

 それは恐怖と言う感情であるが、レ級にそれは分からない。

 深海棲艦には様々な種類がいるが、とりわけレ級は変わっていた。

 とある条件下に突然変異のように生まれるのだ。

 

 泊地を支配することで生まれる空港や港湾そのものを具現化したような、大型の深海棲艦は色々いるが、それは分かり易い条件で生まれる。

 つまりは人間の拠点を奪う事で、力ある深海棲艦がさらに大型の物へと進化し、そして知能は人間を遥かに凌駕する。

 しかしレ級だけは深海棲艦たちにも分からない。ただ気がついたらそこにいるのである。

 

 加えてレ級はその見た目通り、中身も子供の様な知能しか持たない。

 だからこそ戦艦のカテゴリーであるのに砲撃だけではなく雷撃や航空戦も出来るというふさげた存在のレ級が、子供の様な無邪気さで、ただ無差別に殺戮行為を行う。

 それは他の深海棲艦の様な人間や艦娘への恨みによる憎悪の様に、しっかりとした理由で暴れる訳では無いのだ。

 ゆえにレ級は神出鬼没。それぞれの地域を仕切っている大型深海棲艦にもある意味では制御することが出来ない存在と言えるのだ。

 

 そんなレ級が今、目の前にいる本来であれば取るに足らない存在のはずの艦娘に怯えた。

 ぎりぎりと万力の様に占められる己の首。レ級は丸い瞳を大和と己の首を行き来させた。

 ”イタイ デモ ウゴケナイ ナンデ?”

 恐怖で身体が硬直するという経験をレ級は知らない。それ故なぜ自分が今動けないのかが理解できない。

 

 深海棲艦にとって呼吸は特に必要とはしない。そもそも存在が人間や艦娘とは異なるのだ。

 しかしぎりぎりと己の頸が絞められ、表皮から筋肉へ、そして骨へとそれは伝わり、みしみしと軋む。

 単純思考しかできないレ級でも、この状況が危険な事だけは分かった。

 だから本能的に動かした。艤装を。

 

「ッ……!!」

 

 ぐぷっと言う音がし、さらに大和の腹部から鮮血が噴き出る。

 そして一瞬、大和の整った眉が顰められるが、ただそれだけであった。

 いや、さらに頸を締め付ける力が増した。

 

「ッ!?」

「ふふっ、ふふふっ……貴方でも表情が変わるのですね」

 

 まるで残念でしたとでも言う様な表情で大和は笑った。

 レ級は恐慌する。大和の凄惨さに。

 己が振りまく恐怖が今、すべて自分に返ってきている。

 ふとレ級は思う。この音は何だろうと。

 金属が擦りあう様な甲高い音。

 ぎりぎり、きりきりと。

 混乱からか、瞳を黄色や青に変化させるレ級の瞳に、その音の正体が写った。

 

 それは大和の艤装から発せられる音だ。

 彼女の身体を中心に、在りし日の戦艦大和の船底をイメージさせるような重厚な艤装。

 今存在する艦娘の誰よりも大きく雄々しいその艤装に換装された四つの砲塔。

 そしてそれぞれに三つずつ存在する砲口、つまり計十二の砲口がすべて、レ級の顔を狙っている。

 

 その口径は四十六センチ。それは装填されている砲弾の大きさだ。

 最大射程四十キロメートルに達すると言われるまさに化け物の主砲。

 レ級には夜の闇の中だというのに、それらが何か綺麗な物に見えていた。

 規則的な円を描きそびえ立つ砲塔は、たしかに機能美の粋であると言える。

 しかしそれらは敵を殺すための武器だ。そしてそれはすべてレ級を向いている。

 迫る死の匂い。感情に鈍いレ級はそれを何故か美しいと感じたのだ。

 

「…………シヌ?」

「ええ」

「…………イタイ?」

「ええ」

「キエル?」

「はい」

 

 周囲では加賀を筆頭とした艦娘たちが獅子奮迅の活躍で次々と深海棲艦の数を減らす。

 旗艦の大和の身体を張った叱咤に、今や彼女達は輝きを取り戻した。

 飛び交う砲弾。炸裂する魚雷に爆雷。空気を切り裂く艦載機。

 ここは確かに最前線だ。だのに大和とレ級の周囲の空間だけが、周りから切り離されたように静かだった。

 視線を交わし合う大和とレ級。無意味に繰り返される不思議な問答。

 その時レ級が初めて身じろぎをした。大和の手から逃れようと。

 

「キエタクナイ」

「………………」

「キエタクナイッ!」

「………………残念です。貴方は生きていてはいけない」

「ヤダ ヤダ ヤダッ!」

 

 まったく表情が変化しないのに、何故かレ級の瞬きをしない瞳から涙が零れた。

 それはレ級にとっても無意識だったのだろう。レ級はそれを不思議そうに見るが、その後まるで幼子の様に手足をばたつかせて叫んだ。

 その声は機械的な声色である事には変わりがないが、確かにレ級の感情が載っている。

 

 大和は考える。きっと今、自分は悲痛な表情をしているだろうと。

 しかし――――

 

「またいつか会いましょう。今度は――――私たちの側で……ごめんなさい」

 

 加賀は最後だと思われる戦艦と空母に爆撃を行った。

 激しい爆発と共に、敵は静かに沈んでいった。

 そんな彼女の耳に、今日の戦闘の中で一際大きな炸裂音が届いた。

 それに続いて、何かが破裂するような音も。

 

 五十鈴を見る。愛宕を見る。島風と響を見る。

 それぞれがそれぞれの敵を仕留め、水面に浮いていた。

 返り血でその美しい顔を真っ赤に染めて。

 そして互いに顔を見合わせ、そして頷く。

 これはきっと勝利だ。何故なら自分たち以外に誰も居ないからだ。

 自分たちは町を防衛出来たのだ――加賀はそう思えど、何故か気持ちは沈んでいる事に気が付くのであった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 

「お前たち無事かッ!!!」

 

 大和たちは港に戻ってきた。もっとも大和自身は愛宕に簡易的な止血を施され、その上で肩を貸してもらっての物であるが。誰もが口を閉ざし、どこか重苦しい凱旋となった。

 そんな一同を出迎えたのは珍妙な姿の佐々木であった。辛うじて制服は着ている物の、その背には工廠妖精によって小型化されてるとは言え、人間の佐々木が背負うには大きいだろう無線機がある。

 その姿はまるで入学したての小学生がランドセルを背負っているようだ。

 

 加えて佐々木は抜き身の軍刀を右手に携えているが、全く剣道を知らない彼であるから相当に不恰好な物である。そんな彼が悲痛な表情で大騒ぎしているのだ。

 

「…………くっ」

「あは、あはははははは!」

「ふふっ、ふふふふふふ……」

 

 そんな彼を見て誰かが耐え切れずに含み笑いを洩らす。それがきっかけとなり、笑いは次々と伝播した。それも腹を抱えるほどの馬鹿笑い。普段表情をあまり外に出さない島風ですら涙を流さん程に笑い転げていた。加賀など顔を背けているが、その肩は小刻みに揺れている。

 

「お、おい、大和、け、怪我してるじゃないか! だだだ大丈夫か?! 私は無線に出ないから心配で心配で……」

「くっ、くふっ……て、提督、傷に響くので笑わせないでください、ふふふふ……」

「お、おう? でも入渠したほうが良いぞ?」

「くふふふふふふふふっ!」

 

 一人取り残されぽかんと首をかしげる佐々木。

 彼には気の毒であるが、艦娘たちは彼の間抜けな姿を見て漸く自分たちが無事に帰投出来たことを実感できたのだ。この一生懸命で真面目で、それでいて頼りない自分たちの司令官の慌てる姿を見て。それが張り詰めていた彼女たちの心を弛緩させたのだ。

 愛宕に肩を借りている大和すら声をあげて笑っている。まあとにかく全員無事だったのだから良いかと佐々木はひとまず安心することにした。半ば捨て鉢であるが。

 

 それもやがてさざ波となり、それぞれは落ち着きを取り戻した。

 それと共に面々は居住まいを正し、横一列に整列した。

 島風が、響が大和を見る。五十鈴もまた彼女を見た。

 愛宕は肩を貸していた大和を慎重に離すと、彼女を見て頷いた。

 それを見て大和も察する。そして重たい足を引きずりながら一歩前に出た。

 

「提督、第一艦隊、帰投しました」

 

 愛宕のコートを切り裂き、それを止血帯変わりに腹部に巻いた痛々しい姿であるが、直立して敬礼を見せる大和はやはり、連合艦隊の旗艦を務めただけある威厳と気品に溢れていた。

 その凛とした姿に一瞬見惚れた佐々木であったが、軍刀を地面に突き刺すと帽子を直して大和に答礼した。

 

「………………」

 

 だが俯き気味な佐々木は一言も言葉を発しない。

 そんな佐々木を怪訝そうに一同は見ている。

 帰投の際の言葉は、ある種の儀式の様な物だ。

 互いの無事を確認し合い、そしてこれで終わりなのだと気持ちに区切りをつけるそんな儀式である。

 しかしいくら待とうと佐々木は何も言わない。ただ敬礼を維持したまま俯くだけだ。

 大和も一同を見回し首をかしげた。

 

「……おかえり」

 

 そして長い時間が経ち、一言だけ佐々木がそう言った。

 それは鎮守府を預かる司令官の言葉では無く、ただ家族を待ち、漸く無事に会えた事に感極まったただの男の言葉だった。

 佐々木は泣いていた。何かを言おうとしても、嗚咽がそれを邪魔をする。

 そこから捻り出たのはおかえりという言葉のみ。

 彼の艦娘たちはそこで本当に勝利したのだと実感できたのだった。

 

 その後、気が緩み苦痛を訴えた大和の声をきっかけに、一同は鎮守府へと戻ることにした。

 大和は愛宕と五十鈴に両脇から抱えられて。佐々木に報告を終えた事で、一気に痛みが身体を襲ったようだ。

 頑丈な大和と言えど、今回の傷は深かった。ともすると轟沈してもおかしくはない程に。

 それを見せなかったのは彼女の信念とプライドの強さからだけでしかない。

 

 皆が大和を気遣いながら入渠施設に向かって歩いていく。

 しかし佐々木が一緒にいない事に島風が気付いた。

 

 彼女達が丘に上がった地点からもう二百メートルは歩いただろうか?

 振り返った島風は佐々木の姿を探した。

 すると彼はまだそこにいた。あれほどに感動の再会となった場所に佇んでいる。

 遠目ではあるが、島風には佐々木が無線機に向かって何かを話しているのが見えた。

 しかしその表情はとても冷酷な物に見えた。

 

「……お兄さん?」

 

 島風が見ているのに気が付いたのか、佐々木が彼女を見ると手を振ってよこした。

 その表情はいつもの柔らかい物だった。

 気のせいかな? ――――島風はそう思うことにした。

 

「お兄さん早くぅ! もうおっそーい!」

 

 とにかくこうして、強襲した深海棲艦からの防衛は、無傷とはいかなかったが、轟沈者を出すこと無く終えることが出来たのだった。

 しかし町には沢山の傷跡が残っている。明日からはその復興に忙しくなるだろう。

 敵を排除したら終了――――そうならないのが人間社会なのだから。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 戦闘の爪痕はあちこちに残っているが、明け方近く、町はひと時の休息を得た。

 避難場所では子供が行方不明となり騒ぎとなっていたが、木曾と暁が無事に連れ戻し、人々は安心することが出来た。

 避難していた住人達は鎮守府から発せられた安全宣言を持って、それぞれが岐路についたが、深海棲艦の攻撃により住居を破壊された者たちは鎮守府エリアの緩衝地区に仮設テントが用意され、混乱が起こることは無かった。

 これら町のインフラに関わる復興や、個人レベルの被害については町主導で明日以降、順繰りと解決に向かうだろう。もちろん佐々木の鎮守府も、それのバックアップを行う事を約束している。

 

 そんな中佐々木は、海沿いの道を倉庫群に向かって歩いていた。

 朝陽の昇る寸前の海が赤々と輝いており、その絶景を彼は眩しそうに目を細めて眺めている。

 

「暁の水平線に勝利を……か。勝つには勝ったが、むしろこの後の方が大変だな……」

 

 佐々木はそう呟き、止めていた足を進めた。

 今の彼の表情には、普段の柔和な物は無かった。

 ただ無表情で何を考えているかが伺えない様な類の物だ。

 

 彼の艦娘たちは激戦の疲れのため、被弾の少ない者は既に床に入っている。

 細かい報告などは後でいいと佐々木が許可したのだ。

 大和は大破状態だったため、早々に入渠している。

 恐らく数日は動くことが出来ないだろう。それほどに彼女の状態は酷かった。

 その為現在の鎮守府は静まり返っており、起きている者は限られていた。

 

 司令部本棟から港湾部を横切り、佐々木はとある倉庫の前に立つ。

 彼はそこで一つ、深い溜息をつくと、赤い錆止めで塗られた鉄製の大きな扉を開いた。

 扉が開くと真っ暗だった倉庫内が朝陽で照らされるが、奥までは見渡せない。

 光に照らされた部分だけが舞う埃に反射し、何とも言えない光景を作りだしている。

 

「司令官、遅かったわね」

「……待っていたのです」

 

 佐々木が中へ一歩踏み出すと、どこからか彼に声が掛った。

 彼はそれを受け帽子を深く被りなおすと、その声の方向へと向かった。

 その先に居たのは雷と電である。何れも強張った表情をしており、瞳は左右に忙しく動いていた。

 彼はそんな二人を労う様に頭を撫でると、雷に明かりをつけるように言った。

 無言でうなずいた雷は、壁際にあるいくつかのガス灯をつけて回るのだった。

 

 ガス灯は蛍光灯の様にスイッチを押してから直ぐに明るくなる事はない。

 じわり、じわりと光量を増し、かなりの時間をかけて周囲を照らす。

 とは言ってもガス灯の周囲の限られた範囲しか照らすことが出来ず、室内すべてを賄うには至らないが。

 

「雷、電、つらい事をさせたな。後は私が引き受けるから宿舎に戻りなさい」

 

 ガス灯を付け終えた雷と、迷いのある表情の電に向かって佐々木がそう言った。

 その表情には、どこか有無を言わさない何かがあった。

 

「私は最後まで居るわ。途中で投げ出すなんて嫌よ」

 

 吃と表情を曇らせた雷が言う。その隣で電も頷いている。

 佐々木は仕様がないなという風に溜息を一つ。

 

「辛くなるかもしれんぞ? それに今後私を信用できなくなるかもしれない」

 

 佐々木は直立不動のまま、二人を見下ろした。

 雷は普段の彼からは想像出来ない迫力に、一瞬たじろぐが、勝気な表情になると言い返した。それに電も続く。

 

「私は駆逐艦の雷よ。司令官よりもたーくさん修羅場を知っているわ! あまり私を見くびらないことね!」

「わ、私も電です。見た目はこんな風ですけど……だから逃げないのです!」

 

 じっと二人を睨む佐々木。重苦しい沈黙が辺りを包む。

 けれども姉妹もまたそこから視線を外さない。

 そんな沈黙がいつまでも続くと思われたその時、佐々木が口を開いた。

 

「なら最後まで付き合ってくれ。私の我儘に――――

 

 そう言って佐々木は振り返った。

 煉瓦で作られた倉庫の内壁際にいくつかのベッドが並んでいる。

 そのベッドには真新しいシーツが敷かれ、そしてその上には何かが寝ていた。

 

 何か。そう何かだ。つまり寝ているのは人間では無いという事だ。

 そこに寝ていたのは――――深海棲艦。

 ここを襲っていた張本人の姿である。

 ただし四肢は拘束され、口には猿轡が噛ませてある。

 

 佐々木が雷と電に出した指令。

 それは息のある深海棲艦の鹵獲であった――――

 

 

 つづく

 

 




※修正
10月15日 大本営表記を大本営海軍部に修正


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私と眼鏡について

 深夜の静かな廊下にこつこつと靴音が響く。しかしこの時間であるのに施設の中は昼間の様に煌々と明かるい。それはここが軍関係者の中でも特に機密レベルの高い区画という事が関係している。

 ここは帝都の東部に本拠地を構える大本営海軍部の地下なのであるが、一般兵も出入りする本来の地下区画のさらに奥深くにある。

 帝都を上下に分断する大河。そこに接する様に海軍部はあるのだが、この区画はこの大河の丁度真下まで伸びた地下通路の奥にひっそりと存在している。

 

 廊下を歩いていた男はやがてとある無機質な大型ドア……と言うよりはハッチの前に立った。

 そしてそのすぐ脇にある端末に何事かを打ち込むと、ハッチに横にある鏡の様な物に顔を寄せた。

 これは人間の瞳にある虹彩の細かなパターンを認識して開錠するタイプの認証システムらしい。

 するとハッチはその大きさから感じられる威圧的な質量を全く感じさせない様な軽やかさで静かに開いた。

 

 そこには家具などの調度品が一切置かれてない真四角の部屋で、奇妙な事に床、壁、天井に至るまで真っ白なのだ。

 男はその真ん中まで進むと、どこからか男性の声がした。

 

「お疲れ様です長官。暫くお待ちください」

「ああ、頼むよ」

 

 長官と呼ばれた男――連合艦隊長官である東郷は、柔和な返事を返すと静かに瞳を閉じた。

 すると少し部屋が振動し、そして壁の外から機械的な音が微かに聞こえ始めた。

 つまりここは部屋丸ごとエレベーターになっており、幾重にもあるセキュリティーを解除できる人間だけが下へ降りることが出来る区画という事だ。

 システムによる厳重な認証。そして最後は人間による目視の確認その上で漸く、軍の上層部の中でも限られた人間にしか知らされていない場所に行けるのである。

 ここはただ”ラボ”とだけ呼ばれており、地面から1kmほど下にある。

 そしてここで行われているのはラボの名の通り、とある研究が24時間体制で行われているのだ。

 

 東郷が静かに直立していると、やがてかすかに部屋全体が揺れ、そして静寂。

 どこからか「お待たせしました長官」との呼びかけが聞こえ、真っ白だった壁の一方向が静かに開いた。

 プシュッというエアの抜ける様な音と共に、彼の視界が眩い明かりに包まれる。

 目を閉じていたと言うのに、瞼の向こうが真っ赤に感じるほどの光量だ。

 そして呼び掛けに頷いた東郷がそっと目を開いた。

 

 そこは地下空間と呼ぶにはあまりに広い場所であった。

 ドーム型のベースボールスタジアムがすっぽり入るほどの規模に見える。

 そして中にあるいくつもの大型実験機械と、丁度人間一人が入れる大きさのガラス製シリンダーが夥しく連なっている。

 

 東郷は区画ごとに実験に没頭する研究員を尻目に、速足で奥へと進んだ。

 そうすると一際高いパーティションで区切られた場所へと辿り着いた。

 パーティションにはドアがあり、その横には簡易的な更衣室がある。

 彼はそこに入ると、制服のジャケットを脱ぎ、白い化学繊維製のつなぎを着込んだ。

 そしてラテックスの手袋をし、袖口や足首などを密閉するためのテーピングをすると、顔がすっぽりと包まれる程の大きさのゴーグルを装着する。

 その後彼はドアに進むと、足の位置にある四角く赤いボタン上の突起を蹴った。

 

 ブーンという機械的な音と共にドアが開き、彼は中の暗がりへと足を進める。

 そうするとドアが勝手にしまる。彼のさらに前にドアがもう一つあるがそちらは開かない。

 暫くすると全方向から強烈な風が彼を襲った。これはエアシャワーである。

 見えない大きさの埃すら吹き飛ばすための施設だ。つまりこの先はクリーンルームという事だ。

 やがて風が止むとドアが自動的に開く。すると彼の正面からエアシャワーとは別の性質の強風が吹いた。

 これは中と外との気圧に差を設けている為だ。その為空流は一方通行に外へ向かって流れる。

 そうすれば外から異物が入ることが無いという訳だ。それほどに気を使う何かがこの先にあるという証拠でもある。

 

「ご苦労さん。首尾はどうかね?」

 

 クリーンルームに入った東郷が部屋の中にいる数人にそう声をかけると、研究員らしき数人は一斉に実験の手を止め、彼に歩み寄ろうとした。

 しかし東郷は無言のまま手を振り、そのままでいいと合図を送る。

 そして研究員の中の年長と思われる男が一人、彼の傍へとやってきた。

 

「長官、工程は滞りなく進んでおります。状況としては最終フェーズに達しているでしょう。後は長官の

許可を頂けさえすれば完了できます」

 

 彼は興奮気味にそう言った。政治的背景などは関係なく、ただ純粋に知的好奇心を満たしたいという欲望が見え隠れしている、そんな表情を浮かべている。

 東郷は彼が気が付かない程の刹那、眉を不機嫌そうに顰めたが、それが彼に伝わらない様に表情を取り繕う。そして彼は研究員に言った。「なるほど、ご苦労だったな。だが最終段階に入る前に、彼女と少し話をさせて欲しい」と。

 

 男はすぐに実験に移れない事へ不満そうな顔をしたが、表情を改め、東郷を部屋の奥にある異質な場所へと誘った。

 そこは無数の機器が所狭しと並んでおり、それらから伸びたコード類は、ただ一か所につながっていた。さらに奥にあるガラス製シリンダーの台座にだ。

 そして研究員が壁にあるパネルのボタンをいくつか操作すると、暗かったシリンダー内がライトアップされ、中の様子を浮かび上がらせた。

 

 シリンダーの中はグリーンの半透明な液体で満たされており、その中心には年若き女性の姿が浮かんでいる。

 彼女は衣服を纏っておらず、瑞々しい肌を曝け出しているが、胸、鼠蹊部など女性的な部分には申し訳程度に機器が覆っており、最低限の尊厳は守られている。

 そして彼女の身体のいたる所にはコード類が直接つながれているのが痛々しいが、彼女自身は目を閉じ無表情だった。

 研究員の男は東郷に向かってハンドサインで人差し指を下に振り下ろした。話してもいいと言う合図だろう。

 東郷はそれに一つ頷くと、吃とした表情を柔らかい物に変えて彼女に呼び掛けた。

 

「……美。調子はどうだね」

 

 彼は研究員に配慮し、彼女にかろうじて聞こえる程度の声量で呼び掛けた。

 眼鏡をかけ髪をお下げ髪にした”我が娘”の名前を呼びながら。

 その声に反応するように、シリンダーの中の彼女が静かに目を開き、そしてこくりと頷いた。

 かすかに笑みを浮かべているが、どうやら声を発することは出来ない様だ。

 

「すまんな。時代が時代だとはいえ、我が子をこんな目に遭わせるダメな父親だな私は……」

 

 それは普段、歴戦の提督して名を馳せた強兵の姿では無かった。

 娘の安否を過保護に気遣うだけの一人の父親の姿である。

 つまりこの実験の被験者は彼の愛娘だったのだ。

 そんな彼女は心配するなとでも言うように、笑みを絶やさぬまま首を数回横に振った。

 

 この地下研究所は、東郷直属の秘密機関である。

 これは彼が現役の提督時代から行ってきた彼独自の理論に基づいて行われてきた研究の延長上にある。

 彼は常々疑問を抱いていた事柄。つまりは深海棲艦と艦娘の類似性について。

 これは突き詰めれば深海棲艦から艦娘を作ることが出来るのでは? という予想の元に進められた。

 

 本来は妖精の手によって建造される艦娘であるが、時折、敵艦隊を撃破した時に自然発生的に艦娘が現れる事がある。

 という事は某かの作用によって、深海棲艦から艦娘が生み出されたという予想が立つ。

 しかし理論とは常にその現象が起こる事で証明される物で、予想のレベルでは保守的な軍では採用できる訳が無い。

 

 それに深海棲艦=艦娘の関係が理論的に成立してしまうと、積極的に艦娘を運用している海軍に非難が集まる可能性もあり、声高にこれを言える状況では無い。

 それはそうだろう。この関係が成り立つという事は、ある種のマッチポンプの様な物に見えるかもしれないのだから。

 まして世論とは、それが真実であろうがなかろうが、世の流れによって誘導されていく物だ。

 だいたい軍という組織の在り方自体、一般市民からは懐疑的に見られる物であるのだから。

 

 実際に軍の中では、「国民の安全を守る」という本来の理念とは関係の無い、人間同士の権力争いが常に起こっている。

 それは組織とは長くなれば腐敗するものだからだ。何かを成すために組織化されるが、いつの間にか組織を存続させる事が目的にすり替わるのだ。

 こればかりは人間と言う生き物の性の様な物だから、これは今後も人間社会が続く限り消えることは無いだろう。

 

 そんな中東郷は常に現場主義であったため、戦力の合理性を追求した結果が、限りある資源を消費せずに艦娘を確保する方法として、深海棲艦から艦娘を生み出す方法を求めたのだ。

 現場において最大の信頼を集める名提督。彼はそれを最大限利用し、一般企業にも協力者を募り、この

研究所を完成させた。名目は新装備開発のための秘密ラボと言う物である。

 特に目立った派閥を持たず、中立派の実力者とみられている東郷だが、自分が育てた者たちに信奉され、やがて彼らが出世し、軍の中枢へと昇っていく。

 彼らは表立っては東郷を持ち上げないが、裏では彼のシンパとなり、陰ながら彼をバックアップする。

 

 それは常に現場を重視し、人を育てる事に力を注いだ彼の人間性に因る物だが、広がった人脈はまるでキノコの菌糸の様に複雑に領域を拡げていったのだ。

 それが今の彼を支えている。そして表面上力を持ついくつかの派閥にも屈する事も無く、己の野望を実行することができるのだ。

 

 そして近年、彼の進めてきた研究はある程度の理論として成立する程の結果を見た。

 それは鹵獲した深海棲艦の肉体を解剖した際に見つかる水晶の様な結晶に、一定のパターンがある事に辿り着く。これは戦艦、空母、巡洋艦などの艦種ごとに明確な違いがある。

 そしてこの結晶体には、現実のエネルギーとして観測できる物があるのだが、それは何故か成分が分析出来ない。しかし分析器には数値として現れるそれを、この研究所では【霊的因子】と呼んでいる。

 

 その霊的因子に適合する人間に、それを移植することで、普通の人間を艦娘化することができるのだ。

 いや、現状は出来るだろうという予測の段階でしかないのであるが。

 しかし動物実験ではある程度現実的な方法論の立証は出来ている。

 この霊的因子をマウスに移植すると、とある方向性を持ち変異するのだ。

 凶暴性を持たぬままに、ただ肉体が強化される。

 これは相当数の実験データを積み重ねた上で、蓄積された結果だ。

 後はそう――――現実の人間による人体実験を残す所である。

 

「私は良い父親では無かった。仕事にかまけてお前の成長する姿を見ることも出来なかった。それでも私はお前を愛しているよ。たとえこの後、お前の心が変わってしまったとしても……お前はいつまでも私の娘だ……」

 

 それは祈りであり懺悔であった。

 シリンダーを隔てて見つめ合う親子。

 東郷の独白に、ただ優しい視線を返す娘。

 それももう終わりだ。目じりに光る涙を袖で拭うと、東郷はいつもの厳しい表情へと戻し、シリンダーの中の娘に背を向け言った。

 

「では始めてくれ」

「いいのですか?」

「なら私は一生彼女に縋りつくよ。そういう訳にもいくまい。始めてくれ」

「ハッ」

 

 東郷は気遣う様な若い研究員の言葉に冗談めいた口調を返すと、年長の研究員に合図をを送った。

 頷きを返した研究員は東郷に離れる様に言い、実験の最終工程を開始した。

 数々の機器が稼働し、シリンダー内に青い閃光が何度も走る。

 部屋全体が微振動しながら、壁一面にある様々なディスプレイの数値が目まぐるしく変化する。

 

「霊的因子移植実験。被検者第一号佐藤秀美。適用因子はタイプLC。現在時刻はゼロヒトマルマル……」

 

 正規の大実験とも言えるこの実験。これを余すところなく記録するため、年長の研究者が録音を開始した。もちろん映像も記録されているだろう。

 東郷は部屋の隅で壁にもたれかかると、口を真一文字に結んだまま、静かに我が娘の変容を見続ける事に専念した。

 死神の鎌を振りおろすのは自分だ。その思いから彼は逃げない。

 この人類の存亡を掛けた戦いにおいて、個人の想いなどは些細な事柄だ。

 東郷はそう信じる。心の奥底には別の感情を隠しているにしてもだ。

 幸か不幸か娘は霊的因子に適合した。してしまったのだ。

 それを娘に伝えた時、彼女は静かにそれを受けた。

 本音は拒否してほしかったが、そうはならなかった。

 

 元々彼女を東郷が運用する諜報機関に入れたのは彼自身だ。

 父親の背中を追いかけ、女学校を卒業すると女だてらに軍に志願した。

 彼はその瞬間から娘を娘扱いしなくなったが、それでも内心は愛娘だ。

 常に彼女の行動を密かに見てきた。

 実際彼女には状況を冷静に判断し、分析する能力に秀でていた。

 だからこそ少しは愛娘を手元に起きたいという欲望は無いとは言えなかったが、彼女を自分の組織に入れたのだ。

 

 そしてその後はとある新参の鎮守府へ、任務遂行のための管理官として送り込んだ。

 それは東郷のアンテナに引っかかった同類が司令官に就いたからだ。

 それの監視と思考誘導のためのエージェントが彼女の真の任務である。

 実際に彼女は素晴らしい報告を彼にもたらした。

 個人的に彼女は彼に対し少しばかりの罪悪感を抱くほどに打ち解けるまで、その任務は続いた。

 

 そして半年前のことだ。東郷個人のとあるプロジェクトを実行するにあたり、本格的にその司令官をスカウトしようとしたタイミングで、その鎮守府は深海棲艦の群れに襲われた。

 その結果、東郷が彼に会うというタイミングを失ってしまったが、変わりに彼女が適合したという報告が研究所より届いたのだ。

 

 彼の鎮守府は大規模襲撃を収めたという功績で名をあげる事となった関係で、復興に乗じて大規模な改築が褒美として与えられた。

 そのタイミングで彼女は任務を外れ、研究所に移されたのだった。

 初の人間の艦娘化実験のために。

 

 そして……実験は成功を持って完了した。

 これ以降、深海棲艦との戦いにおいて、彼の運用する艦隊にはとある指令が加えられるだろう。

 『撃沈した死体の確保』という指令が。

 

 成功を持って沸き立つ研究室。

 実験の終了後、東郷は人払いをした。

 

 実験機器は今や音を立てず、部屋の中は静寂に包まれている。

 照明を落とした部屋には、一人の老人の嗚咽だけが響くのだった。

 

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 私は今日も仕事をしている。それは私の執務机に山積みとなった書類を片すというルーチンワークの為だ。

 私は以前の襲撃を撃退した事と、深海棲艦鹵獲の功績により大佐へと任ぜられた。

 将官では無いが、充分提督と呼ばれるに違和感がない階級だと言われた。

 本来であれば歴戦の艦長がそう呼ばれる敬称らしいのだが。

 私のいた国であれば東郷平八郎や山本五十六などが有名であるが、彼らは元帥だ。

 つまり彼らはほぼ海軍の頂点であり、こちらで言えば海軍部におわすやんごとなき方々に相当するも私には関係ないだろう。

 

 聞くに私らの様な野良鎮守府での階級の最高位は大佐であると言うから、私はもう登りつめてしまったという事だ。

 差し詰めしがないノンキャリアの星って所だろうか? 言ってて哀しくなるが。

 おかげで支給される給料も上がり、暁たちに間宮の甘味を振舞う回数も増えたという物だ。

 だいたい収入が増えたところで、基本的に鎮守府に缶詰となる私たちには使う場所などほとんどないのだ。

 それに階級が上がり、運用する艦隊がそれなりに練度が高い事で、私の管轄する地域に出来た新しい鎮守府の纏めの様な仕事も増えた。

 それはこの地域全体を防衛するための哨戒任務を行う際の配置や、報酬の資源の振り分けなど、主に事務仕事であるのだが、結局はそのせいで私の時間が削られ、机には決済待ちの書類の山が出来たという訳だ。

 

 あの日、この町が襲撃された日。町では幸いな事に死者は出なかった物の、相当数のけが人と、火災により棲家を失う家庭が多くいた。

 襲撃の爪痕は悲惨な物であり、いつまでもそのままにしておく事は出来ない。

 それは現実的な復興をと言う意味もあるが、見る者にあの日の記憶を蘇らせる要因となるからだ。

 だからこそ鎮守府の予算を使ってでも、最低限のインフラを復興させるために私は急いだ。

 

 そんな時に帝都での大佐への任命式だ。

 慣れない社交の場であり、私の場違い感は凄まじい物があったが、随行してもらった愛宕のお蔭でなんとか乗り切れた。

 しかしその甲斐あってか、復興のための予算を引き出す事が出来たのだ。

 私に政治は出来ないが、素人だった時の小市民感覚でゴリ押した。

 そもそも誰が偉いかなんて私には分からない。肩にある線や星の数で判断しろって話しではあるが、私は興味の無い物は覚えられないのだ。

 日々の仕事で手一杯なのに、そんな事まで覚えられるかと言う話だ。

 

 この昇進にはおまけがついてきた。それは今後配備されるだろう、所属をうしなった艦娘たちのために、艦娘の寮が増設されたこと。それに付随し、鎮守府の中心である本棟もまた新しく改築されたのだ。

 大佐までもなると、今までの様に好き勝手に振舞える事が出来なくなり、変わりに政府には結果を強く求められる。

 拒否すれば表面的に被害は無いにせよ、政府からの補助が受けられなくなる。

 まあ結局のところ拒否権は無いのだが、ならばせめて利用できるものは利用しなければと思う。

 何とも私も黒くなった物だが、家族である暁たちが守られるなら望んで黒く染まってやることに抵抗などもとより無い。

 

 だがこの事で政府からの鎮守府へのテコ入れが始まり、重要な人物がいつ鎮守府にやってきても体裁が整えられる様に改築が施されたのだ。

 私の鎮守府は所属する艦娘自体は少ないのだが、練度だけは高い。

 それは外の鎮守府の艦隊と演習を行っても圧倒出来るほどにだ。

 そうなれば所属人数が少なくとも、地域を束ねるという名分にはなるらしい。

 まあそれほどに人材不足で、何かあった時に責任を擦り付けられる為の措置とも思う。

 大和や五十鈴と言う、ある意味で政府の失態の生き証人がいる事も関係しているだろう。

 それはまあ、言わぬが花だろうが。

 

 とにかくこうして、思ったよりも早くこの街は復興を遂げた。

 この事があって、さらに人口を増やしたこの街であるが、町長は泣きそうになってた。

 人が増えれば仕事も増える。これは道理だ。

 百田さんも今や、町長を補佐する秘書として仕事をしている。

 この前の会合で呑んだ際、しきりに「畑に戻りてぇよぉ」と愚痴ってた。

 それでも古参の村人だった人々は、なんだかんだで忙しくする事となったが、私も私でこんななのだから、一緒に苦労しようじゃないかと密かにほくそ笑む私である。

 百田の奥さんもまた、この鎮守府では手放せない人材であるし。

 彼女と婦人部のメンバーは今や、ここの食堂で政府派遣の間宮と一緒に仕切ってくれているのだから。

 

 私はそんな物思いに耽りながら、無意識的に書類仕事に精を出す。

 そんな私の艦隊も、今は三つ運用している。

 第一艦隊は大和を旗艦に、霧島、加賀、龍驤、北上、木曾が所属している。

 彼女達は今、演習のために出ている。夕刻には帰るだろう。

 普段はここの周辺海域から、深海棲艦が占拠している拠点を叩きに動いている。

 因みに島風は第一艦隊の控えとしている。必要に応じて木曾と交代だ。

 

 第二艦隊は五十鈴を旗艦に暁たち四人と曙がいる。

 彼女達は主に遠征を中心に動いてもらっている。

 この鎮守府の位置に関係するのだが、産油国からの燃料輸送の航路を防衛するための護衛任務がメインとなる。

 

 そして第三艦隊は潜水艦による編成だ。

 伊58を旗艦に、伊8、伊19、伊168の四人で運用している。

 彼女達は敵に何かをさせる前に、海中からの雷撃で蹂躙できる特性を持つため、第一艦隊が敵拠点などを攻める際に、密かに随行し、挟撃を行ったりなどの支援行動を中心に働いてもらっている。

 

 つまり、私の元にいた暁を始めとした艦娘……まあ途中で着任した大和たちまでを含めた者以外の、金剛型戦艦霧島。軽空母の龍譲。元々は球磨型の軽巡洋艦だったが、二度の改装を経て重雷装巡洋艦となった北上。駆逐艦の綾波型八番艦の曙。そして伊号潜水艦の面々。

 彼女達が例の政府の作戦で捨て駒にされ、所属を失っていた艦娘たちだ。

 

 ここにやってきた頃には、誰もが五十鈴の時と同じだったり、この制服を着た私に対し、憎悪の様な敵意を持つ者ばかりで苦労した。

 それでも今は、何とか打ち解ける事が出来たのだから、深く語る事はしない。

 それに今は彼女たちもまた、私の家族と思っている。一筋縄ではいかない個性をそれぞれ持ったアクの強い子たちだが、それもまたいい物だ。

 

 こうして人数を多少増やした私の鎮守府であるが、私は今、とある人物を迎える為に待っている。

 現在時刻はヒトヒトマルマル。もう間もなくここへやってくるだろう。

 

「愛宕、政府からの人材が来るのは正午であっているか?」

「はい提督。って待ち遠しいのは分かりますが、もうその質問は三度目よ?」

 

 横で仕事をしている秘書艦の愛宕に聞くも、呆れ顔だ。

 いやしかし、新しい仲間が来るとなれば存外嬉しい物だ。

 それがまして、書類仕事が得意な事務屋の適性を持つ艦娘となればなおさらだ。

 正直私と愛宕だけでは手が足りないのだ。

 

 これは先々週の話ではあるが、非公式ながら東郷長官から直々に電話を貰った。

 それは多忙で中々会う事が出来ない事への謝辞から始まったのだが、話の内容の多くは先の襲撃事件の鎮圧したことへの労いと、その結果私が行った深海棲艦鹵獲についてのこまごまとした打ち合わせだ。

 この事について私は管理官とのやり取りを介して彼の了解は得ていたが、その変わりにと彼とは「そのうちお願いをすることがあるので、その時はよしなに」と漠然とした内容の約束事をしていたのだ。

 

 電話の内容の最後で、彼は言ったのだ。そろそろ”お願い”の取り立てをさせて欲しいと。

 私は思わず身構えた。彼の物腰は温厚そうなのだが、その実、海千山千の猛者の集う海軍の中で君臨している手腕は、私の様な木端提督では叶う訳が無いのだから。

 しかし彼が言った事はあまりに意外で、私は拍子抜けしたものだ。

 

「……一人の娘をそちらで預かってほしい」

 

 彼はやや溜めた後、そう言った。

 一人の娘とは艦娘をと言う意味だろう。

 艦娘ならば既に霧島を筆頭に幾人もここへやってきたが、それとは別枠という意味なのだろうか?

 そう疑問を持った私であったが、彼の”頼む”と付け加えられた言葉に込められた得体の知れない力強さに、深く追求することを止めた。

 

 その艦娘が今日、ここへ来るのだ。

 彼はその艦娘は非常に私の役に立つだろうと言っていた。事務仕事ならば教えなくとも完璧にこなすとも。

 これは私がいま、一番求めている手腕だろう。ならば私はもろ手を挙げて歓迎するのみだ。

 しかし長官は最後に、「くれぐれも彼女の事を頼む」と念押ししていたのが印象的だったな。

 

「提督、そろそろ時間ですが、私が門まで迎えに参りましょうか?」

 

 そうこうしているうちに、正午になったようだ。

 書類書きの手が止まっていた私に、愛宕がにやりと笑みを浮かべてそう言った。

 相変わらず貴方は私を弄るのが好きなようで。

 本当に彼女は有能だが、絶対に勝てない。

 まるで年の離れた姉のように。

 

「いや、行くよ。ずっと座っているのも飽きたからね」

「ええそうでしょうとも。提督は私から浮気して若い娘に会いたいでしょうから」

「浮気って……私はそんなふしだらではないぞ。ただ、その、あれだ。猫の手も借りたいときに、その猫が向こうからやってきたのだ。ただそれだけだよ」

「はいはい、そうでしょうともそうでしょうとも」

「もう勘弁してくれよ……」

「ふふっ、では勘弁してあげます。行きましょう、提督」

 

 私が自分で行くと言えば、また弄られる。

 そもそも浮気と言うが、君を妻にした記憶など無いぞ。

 とは言え、愛宕には口で勝てる訳もないので、早々に白旗を上げ、私は門へと急いだ。

 愛宕を伴って。

 

 門に着いた私は、警備を担当している憲兵を労い、こちらにやってくる黒塗りのセダンを待つ。

 セダンは高級車特有の全く音を感じさせない滑らかさで、門内に入り、ロータリーをくるりと回って私たちの前に止まった。

 やがて後部ドアが開くと、眼鏡を掛けた細身の女性が降りてきた。

 彼女は微笑を浮かべると、綺麗な敬礼をして着任の名乗りを挙げた。

 

「提督、旗艦大淀お供いたします。前線艦隊指揮はどうぞお任せ下さい」

 

 何とも人好きのする笑顔だ。

 彼女はスカート丈は短いが、青と白のオーソドックスなセーラー服で、装甲の様な物が付いたブーツに刺繍のある太ももまでのソックスをはいている。

 勝気そうな大きな瞳と、棚引く光沢のある長い黒髪が白いリボンが印象的だ。

 

 それよりも、私はこの娘に見覚えがあった。

 かつてここへ管理官としてやってきた、眼鏡で”お下げ髪”のあの娘だ。

 今はその姿の名残りは、大きな眼鏡と微笑みのみしかないにしても。

 

「君は……」

「大淀です。提督、これからは貴方の傍で。よろしくお願いしますね」

 

 きっと私は呆然としていたのだろう。

 事実、答礼をすることも忘れていた様で、愛宕に突かれ慌てて答礼をした。

 なるほど、長官の話はこの事を意味していたのか。

 ならば彼女の出自にも何かあるのだろう。

 詮索したいことは山ほどあるが、今はいい。

 今は彼女の着任を喜ぶべきだ。

 だから私は彼女を見据え、こう言った。

 

「ああ、こちらこそよろしく頼む。君の着任をうれしく思うよ」

「はい!」

「提督は若い女が好きですからね、それはよろしくするでしょうよ」

「お、おい愛宕、よさないか!」

「ふふふっ」

 

 まったく、最後までしまらないが、とにかくこうして、管理官あらため大淀が私の鎮守府に加わった。

 私は家族が増えた事をうれしく思っていたが、その裏で動いていたのだ。

 私が求める真実の、その本質の様な物が。

 

 そして鎮守府襲撃以上の激動の日々が始まった事を、この時の私はまだ知らない。

 

 

 つづく




エタってませんよ!

お盆の連休明けから尋常じゃない仕事量があり、中々執筆できませんでしたが、とりあえず一話だけ投稿します。

これは言うなれば閑話です。補完とも言うかもですが。
実は元々任務娘を艦娘化して佐々木の鎮守府に所属させるという前提で話を作っていたのですが、この前のAL/MI作戦において大淀が実装されました。
そのため、大淀として作中に登場させた訳ですが、これが無かったら矢矧とかにしてたかもしれません。

一応、前回の話で一章は終わっているので、二章への繋ぎの回が今話なのですね。
今後はかなり話しが動いていくかと思いますが、二章の序盤では個人的に艦娘との日常話をすこしやりたいと思っています。
どこかのあとがきで「この話はシリアスの皮をかぶったほのぼのです」と書きましたが、現状それが詐欺状態ですので、本来の空気にすこし戻したいなと思います。

シリアスっぽい話って書いててストレス溜まるんですよね。
こと艦これって史実なんか重たいエピソードしかないですから。
いくらねつ造した二次創作だとて、まじめな話を書こうとすれば重たくなりがちで、書いててきついなあーと思います。

なので書きたいんですよ日常を。
曙にクソ提督って言われたいじゃないですか(白目)

ま、そんな訳で、今後の更新も頻繁にとはまいりませんが、ぼちぼち更新していくつもりなので、今後ともよろしくお願いします。

朧月夜 


追伸

祝!401建造落ち(建造できたとは言ってない)
祝!ビスマルク改三(いるとは言ってない)
祝!中部海域追加(出撃している時間は無い)

忙しくて新要素を全く体感していません。ボスケテ
因みに今日は深夜一時まで仕事をし、こんな時間に投稿してます。
/(^o^)\


※修正
・10月15日大本営表記を大本営海軍部に修正


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断章 ~intermission~
私と子羊の話


 

 

 時刻は現在午前を中ほど消化した頃、佐々木の鎮守府の二階にある彼の執務室では、彼と秘書の愛宕に加えて、ここ最近着任したばかりの大淀が忙しなくそれぞれの業務に勤しんでいた。

 

 佐々木の階級が上がった事に比例し、その仕事量もまた増えた。それはこの鎮守府の運営だけに限らず、この西南諸島領域に点在する鎮守府の統括業務もあるからだ。

 元々一般人でしかなかった佐々木が、なぜそれほどの仕事を任されているかは、普通に考えれば不可解である。

 そもそも軍の体質と言う物自体、情報の取り扱いに関してはデリケートなほどにデリケートであるのだから。

 しかしそれには背に腹は代えられない事情が軍と言うより、世界的な状況によりあるのだ。

 

 と言うのも妖精と艦娘に唯一命令が出来る特殊な存在である提督と呼ばれる人種は、この人類の存亡を掛けた戦線において非常に貴重であると言える。

 しかし物量を持って押し寄せる深海棲艦の事を考えれば、素質のある人間が軍への門を叩き、その素質を開花させるまで待って居られるほどの時間的な余裕などは無い。

 ゆえに自然発生的に現れる提督……その出現タイミングは様々ではあるが――それは例えば突如深海棲艦に襲われた漁村でだったり、或いは岸壁で海を眺めていた青年が、たまたま遠征任務で通りかかった艦娘とコミュニケーションが取れたりなど、ケースは様々だろうが。

 とにかくそうして現れた人材を、軍は物資や設備を後押しする事で容易に運用する事ができるのだ。

 

 それ故に正規軍と扱いは一緒にされず、与えられる階級もいわばその鎮守府の規模を示す符号の様な扱いとなっている。特に報酬を与える基準の様なものか。

 しかし佐々木の鎮守府の様に功績があり、かつ一般的に見て過剰と言える戦力を抱えてしまった場合は例外的な措置が行われるのだ。

 佐々木が大佐に任ぜられたタイミングで、政府の手により彼の鎮守府が大幅に拡大拡張されたなどがまさにそれである。

 部屋は豪華に。ドックも拡張され、工廠などもより快適に作業が出来る様に最新鋭の機材などが配置された。

 

 何故この過剰とも思えるテコ入れが入るか。

 それはひとえに内戦の火種を前もって抑え込むためである。

 国連の決議により、艦娘は対深海棲艦のみにしか運用出来ないとされている。

 それは形骸化した国連の中で、唯一効力のある国際条約として成立していた。

 艦娘とは有体に言えば、人型の万能兵器である。

 大きさは人間のそれと変わらないが、その戦闘能力は現代兵器を凌ぐほどだ。

 

 確かに彼女達は旧時代の兵器を日常的に用いている。

 しかしそれは深海棲艦に有効なダメージを与える唯一の方法だからだ。

 だからと言って彼女達が現代兵器を装備出来ないという事では無いのだ。

 深夜の闇の中、音も立てず艦娘達が他国の海岸線に接近し、重要施設を攻撃したらどうなるだろうか。

 或いは幸せそうな家族に扮して他国に入国し、要人に接近した後に艤装を呼びだしたなら?

 

 つまり現在は深海棲艦に向いている彼女達の矛が、今度は人間に向かった時の脅威は想像するのは難しくないのだ。

 実際の彼女達の思想がどうであれ、そういう想像に人々は恐怖するという事だ。

 そうなると多数艦娘を保有する国は、かつての核兵器の様に威圧感を持つのと同義。

 それを国単位に縮尺して見てみれば同様に、各鎮守府の矛が国に向かえばどうなるのかと言う問題になる訳だ。

 その為、それなりの戦力と戦果を示した鎮守府は、大佐位に任ぜられた事を目安に正規軍へと組み込まれる。

 

 当然報酬も多くはなるが、正規軍の命令系統に組み込まれる以上、大本営海軍部の意向に沿った作戦行動を行わなければならない。

 ゆえに現在の佐々木は、己の鎮守府運営だけに留まらず、近隣の鎮守府の統括としての業務に携わる。

 彼の今の肩書は海軍大佐と言うだけでなく、西南諸島方面司令官と言う物も加えられているのだ。

 

 その業務は例えば、大規模作戦が計画された場合の前線本部としての拠点となったり、日常的で言えば各鎮守府の練度向上のための演習を行うための場の提供であったりと様々だ。

 その為の改修なのだ。演習場や入渠ドックだけに限らず、様々な人間が出入りするための内装の変更であったりなどである。

 本土のVIPが来ることもあるだろうし、体面と言う物も要求されるのだ。

 大使館が他国内であるのにその国の領土と認められるのと同様に、各鎮守府もまたその扱いと同じなのだから。

 

 佐々木は正規軍に組み込まれたタイミングで一度本土へと召還され、二か月と言う短い期間ながらも士官教育を受けて今に至る。

 彼本来ののんびりとした性格からすると、自分の望まない周囲の状況の変化に内心辟易したものだが、元々は企業で働く企業戦士であった事と、本来の生真面目な性格と、そして現在の彼の内なる目的のためにこの状況を受け入れる事にしたのであった。

 士官教育の際、彼はこの世界に現れてから初めて帝国本土の地を踏んだ訳だが、それまでふわりとしていた認識をここできっちりと固めるきっかけとなった。

 

 それは帝国の立地が、彼の知る日本とは全く別だったからだ。

 地図上で見ると彼の以前の常識で見れば、帝都がある場所はかつての極東の大陸である。

 そして日本国があった場所は、初めて艦娘が出現した象徴的な場所として存在している。

 もちろん領土としては帝国なのだが、各都道府県にあたる場所の要所要所に主要鎮守府があり、その周囲は発展している物の、それ以外の地域はかつての自然を取り戻した様に手つかずにされている。

 

 この世界の過去に何があったのかと佐々木は調べたが、どうやら彼が知っている国があり、それが何らかの歴史を経て現在に至ったという物では無く、昔からこのような国境配置のままだった事が分かった。

 それはまさに彼が別世界に居るのだと証拠を突き付けられた様な物で、彼の中で元の世界への未練を本当の意味で断ち切る切っ掛けとなったようだ。

 因みに彼が本土に居る間、とうとう彼は海軍部の連合艦隊長官である東郷との面会をはたしたのであるが、それはまた別の話。

 

 さて司令室では佐々木を中心とした面々がそれぞれ忙しく業務に勤しんでいたのだが、ふと大淀が顔を上げると佐々木に言った。

 

「提督、現在の備蓄資源のリストですが、先週までの作戦により、特に燃料弾薬の備蓄が心元ありませんね。追加の遠征をしますが宜しいですか?」

「……そうだね。第二艦隊には悪いけれど、今週は演習を減らし、遠征を中心にやって貰おうか。五十鈴に連絡。輸送用ドラム缶と輸送船の準備をヒトゴマルマルまでに。それと午後に予定していた彼女たちの演習はキャンセル。代わりに第一艦隊をあてる。で、第二は遠征準備を終えた後休養に充てる事。遠征出発は明朝ゼロキュウマルマルとする」

「了解しました。書類を作成しますので後ほど決裁をよろしくお願いします。では愛宕、第二艦隊に通達をお願いします」

「はぁい。行ってくるわね。提督、間宮はどうします」

「許可する。支払いは私に」

「うふふ、みんな喜ぶわぁ。では行ってきまーす」

「頼むよ。愛宕、君も一服入れて来るといい。どうも午後は休憩が取れ無さそうだ。大淀、君もその書類が出来たらそうしなさい」

「ありがとうございます提督」

 

 生真面目すぎるきらいのある大淀であるが、佐々木としても控えめながら自分の次の行動を予測し、それを嫌味にならない様な自然さで示唆をする彼女を信頼していた。愛宕もまた同様に。

 そもそも彼の中では適材適所を実践している限り、物事は滞りなく進むのだと理解している。それは彼が生粋の軍人に非ず、一般企業での社会人経験がそうさせているのだ。

 

「……愛宕、少し待ってくれ」

「はぁい?」

 

 第二艦隊への伝令へと向かうためにドアに手を掛けた愛宕を佐々木は呼び止める。

 その声に彼女はしなやかな金色の長い髪を棚引かせながら優雅に振り向いた。

 

「あー……、今回は大和は待機だ。そして旗艦は曙に変更」

「あーら提督ぅ、相変わらず大和さん贔屓なんだから~」

 

 旗艦変更を伝える佐々木の声に、愛宕の少し目じりの下がった瞳が猫の様に弧を描く。

 そして彼と大和を揶揄する恒例の佐々木弄りを開始した。

 もう随分とここの生活にも慣れた大淀も、顔を背けて肩を震わせている。

 

「勘弁してくれよ愛宕。確かに私は君たちのストレス発散の格好の的だと理解はしているが、今回はあれだぞ。ちゃんとした理由なんだからな」

「提督、大淀気になります。今後の艦隊指揮の為にその理由を聞かせてください」

「……大淀、君だけは彼女達に染まらないでいて欲しいと思っていたのだが。では聞かせてやろうじゃないか。演習で弾薬を過剰に減らしてどうするんだ。その為に遠征を増やそうとしているのに。コスト管理、つまりはそう言うことだよ」

 

 ついには愛宕の悪乗りに便乗を決め込んだ大淀を呆れ顔で見る佐々木。

 この鎮守府の提督として着任し既に五年。事あるごとに愛宕に弄られ続けた佐々木もついには学習したようだ。

 語尾が若干怪しい物だが、からかいに付き合うつもりは無いと涼しい顔で言い返す。

 だがしかし、女社会の中に男がただ一人。敵う訳などあろうはずもない。

 

「へぇ……ねえ大淀。今の聞いたかしら」

「ええ愛宕。提督は大和が大喰らい、そう言いたいのね」

「連合艦隊旗艦。全艦娘の華とも言える大和型戦艦大和。あの大和撫子と言う言葉をそのまま具現化した様な彼女が大喰らいと提督は思っていると。……これきっと大和は泣いてしまいますわね」

「ええ、そうね。でもやはり、ここは今後の艦隊指揮に関わりますので報告すべきでしょう」

「提督酷いわぁ」

「提督酷いです」

 

 示し合わせたかのように二人は茶番を続け、意味ありげに佐々木を見ている。

 佐々木は深い溜息をつくとニ、三度首を振り天を仰いだ。

 

「いい加減にしたまえ君たち。…………で、間宮のアイスでいいかね?」

「分かりました提督。この大淀、そこに最中を加える事で悔しいですが買収されましょう。今後の艦隊指揮のために」

「なあ大淀、君は艦隊指揮って言いたいだけじゃないのかい」

「提督ぅ。私、パフェも好きなの」

「ああもう好きにしてくれ。と言うか最初から甘味をねだれば可愛げもあるだろうに……。艦隊指揮より私の士気が下がるよ……」

 

 結局の所、佐々木は甘味を奢らされると言う不幸に遭うのであった。

 そう言えば扶桑型戦艦も来期にはここへ来ると言ってたな長官は、と現実逃避を開始しながら。

 そんな佐々木以外はほのぼのとした雰囲気で、昨今の司令室の業務は進んでいくのであった。

 艦娘とは言え戦い以外はただの女性に過ぎない。前線にさえ出ていなければ普段はこんなものだ。

 それは佐々木も理解しているし、それでいいとも思っている。

 多少出費はかさむとは言え、金などいくらあったって使う場所など無いのだから。

 それ以上に大淀が加入し、作業の能率が上がった事の方が佐々木には有り難い事なのだ。

 

 大淀が着任する以前は、日常の業務に加え作戦行動における計画立案などもこなさねばならず、定期的に本土へ戦果を報告するレポート作成など、事務的な業務が佐々木の仕事のほぼ九割を占めるため、現実的に愛宕と二人では限界が来ていた。

 軍事行動はどんな些細な事でも責任者の決裁がいるのだ。それは作戦行動中に何か問題が起きた際、その責任の在所を事前に明らかにしておくためだ。だからこそ彼が扱う事務仕事の量は多い。

 

 しかし大淀がその分野では非常に秀でていたため、司令室で行われる業務の中で書類作成は大淀、確認と決済は佐々木。そして司令室と艦娘の橋渡し役を愛宕が務めると言う役割分担が可能になった。

 彼女がここへ来た当初は、元々彼女が任務を司る本土との連絡管と言う立場でここへ出入りしていたが、今回艦娘である大淀としてここへ着任の際に若干のしこりが生じた。

 それはそうだろう。佐々木の動向や思想の類が東郷側へと筒抜けになっていた事実から、彼女が情報畑の人間であり、言ってしまえばスパイとしてここに来ていた事が明らかなのだから。

 普段は温厚で底の見えない愛宕は佐々木の態度や言動からそれを見抜き、絆の深いこの鎮守府の面々にはどうしてもその情報は拡散していく。

 そうなれば大淀が佐々木にに対し何か害を及ぼすのでは無いかと懸念し、彼女を過剰に警戒したのだ。

 ましてこの鎮守府には今や、大っぴらに出来ない独自の機密がいくつかある。

 

 しかし佐々木が本土の東郷との面会を果たし、彼との会話の中で互いの真意を確認したことで、大淀の出自が明らかとなった。その事でこのわだかまりは一応解消される事となった。

 もちろん佐々木が胃薬を手に色々と働きかけた努力の結果があるにしても。

 

 東郷に明かされた大淀の出自とは、彼女が東郷の実娘であり、かねてから彼の持つ研究部門で、妖精の手では無く人間の手によって艦娘を誕生させるというプロジェクトの被検者だと言う事だ。

 東郷は元々無限とも言える勢いで発生する深海棲艦と言う存在に対し、艦娘をそれに当たらせるという構図に限界があると考えていた。

 妖精の手によって産みだされる艦娘は、資源と条件さえ合えば、言うなればいくらでも建造する事が可能である。

 しかし連合艦隊の作戦行動で、敵艦隊を駆逐した際に艦娘が現れる事も彼は実体験として知っている。

 

 そうなると彼の中に疑念が生まれた。立ち位置が別と言うだけで、本質的な物は艦娘も深海棲艦も一緒なのではないかと。

 現在の帝国議会上層部ではこの戦争が終わる事よりも、どこかある程度の被害水準を維持したままで恒久的にこの状況が続くことを暗に望む節がある。

 それはシーレーンを確保するには艦娘を用いる必要があり、それがイコール世界経済を護る為の最後の砦となっているからだ。

 もしこれが出来なくなれば直ぐに飢える国も多数生まれるだろう。

 

 つまりは現在の状況の中で艦娘保有数が世界最大である帝国は、各国への発言権も最大と言えるのだ。

 艦娘を持てない国もある。それは妖精が物理的に発生しない国があるからだ。

 そしてそう言った国には何故か提督も出現しない。

 艦娘を運用するにはそれに付随する施設も必要だ。

 そうなればただその国へ艦娘を譲渡すれば済むという話では無くなる。

 

 その為艦娘を持てない国は帝国へと海岸線の防衛を要請する必要があるのだ。

 しかし帝国もおいそれとその国へ鎮守府を設立する事は難しい。

 それは深海棲艦もまた泊地を各所に作り上げる事があるからだ。

 そこには概ね姫級とカテゴライズされる強力な首魁がおり、小さな艦隊では歯が立たない。

 ゆえに帝国も敵泊地を撃破するには相当のコストを掛ける事になる。

 

 そこで帝国は考える。その国を救う”旨み”はあるのかと。

 要は現在の情勢の中で、艦娘を保有できるという事は、即ち強力な外交カードを持つ事と同義である。

 国同士に真の意味での友好など無い。それは自分たちが飢えながら他国の腹を満たす意味が無いからだ。

 そもそも何かの有事で隣国へ何かを施した後、自分たちの危機にその国が救いの手を差し伸べるかと言えば疑問だ。

 つまり国同士の友好とはあくまでも方便であり、その実はそこに利があるかないかである。

 これは帝国が傲慢であるという話では無く、どの国もそうであると言う話だ。

 ただ現在帝国が持つ国で、それ以外が持たざる国であると言うだけである。

 

 そんな帝国上層部の思惑の中で、現場主義を貫く東郷はそれを密かに問題視していた。

 現場主義とは前線主義である。苛烈な前線の中で状況を打開するためには、上からの目線と下からの目線を兼ね備えねば難しいだろう。

 机上の空論では無く、合理的かつ現実的。徹底的に希望的観測による皮算用を排除する。そうなると各戦端を優位にと言うよりは、つまるところ問題の元から断てという話になる。

 コスト的にもその方がよほど合理的であると言えよう。もちろんそれは出来ればの話であるが。

 

 確かに現状であれば東郷の思想は理想論でしかないと思われるだろう。

 もちろんそれは彼自身も自覚しているし、だからこそそれを声高に主張する事も無かった。

 しかし深海棲艦の謎めいた生態と、艦娘の生態には共通する部分が多数あり、それが何らかの意味があるとするならば、彼は地下でそれを追求しようと考えたのだ。

 表では厳格な指揮官のそれを演じ、その事で築き上げた名声と地位を最大限有効利用し、コネクションを拡げていく。

 そして自分に同調しそうな人間を吟味して仲間に引き入れるのだ。

 

 その結果出来上がったのが彼の地下研究所であり、霊的因子と呼ばれる艦娘の素の発見だ。

 その霊的因子は艦娘にも深海棲艦にも存在するという結果は、どちらも一緒なのだと言う歴史的発見でもある。

 しかしその因子は誰にでも適合するわけでは無く、対象外に植え付けようとすれば自壊してしまう。

 その様はまさに魂の結び付きとも言える不可思議な現象であるが、流石にそこまでは研究所でも証明には至っていない。

 

 とにかくそうして、自身が持つ諜報機関に属していた自分の娘がその第一被検者として適合した。

 彼は密かに葛藤するも、娘自身は毅然としてそれを受け入れた。

 そうなれば彼も覚悟をせざるを得ない。今後、この間違った戦いの構図を覆すことで娘に報いると決意を新たにしたのだった。

 

 そんな東郷が目をつけていた人材。それが佐々木だ。

 彼は自分の目的と同じ方向を見ていると知った。

 だからこそ目を掛けてきた。監視も常に置いておいた。

 そしてその極め付けとして大淀となった娘を与えた。

 最も佐々木自身がその思惑を完全に知る訳もない。

 

 本土で漸く対面を果たした二人であるが、東郷は自分の思いが間違っていなかったと内心で満足し、翻って佐々木は東郷の底の読めなさに困惑を覚えた。

 生粋の軍人と生粋の素人。青臭い理念と現実的で切実な理論。

 一見混ざりあっている様に見えるがその実は誰にも分からない。

 

 ただ佐々木自身、大淀が東郷の実子であると明かされた事には驚きと共に、少なくとも東郷は自分を信頼しているのだと言う思いは受け取った。

 それは彼の真剣な視線の中に、微かな父親としての慕情を感じたからだ。

 貴方の大事な娘を預からせて貰います。そう言う佐々木に彼は返事をしなかったが、別れの際に交わした握手の握りの強さをその返事と受け取った。

 理屈では無いが信頼するには足るだろう。乱暴に言えば戦国時代の婚姻外交の様な物か。

 娘への愛情を示しつつも敢えて大淀を佐々木に預ける。言ってしまえば人質だ。

 電話での会話の中、何度も頼むと念を押してきた真意がその証拠だろう。

 佐々木はそれを信じることにしたのだ。その上で実は東郷がそう言った姿を演じつつ、状況によっては娘を捨て駒にすることが出来る冷血漢だったのなら、その時は自分の見る目が無かったと諦めようと開き直った。

 そんな経緯もあり、それに加えて大淀自身の努力もあり、今はここの艦娘として馴染んだのである。

 

 佐々木は愛宕が部屋から退出して後、書類作成に没頭する大淀の横顔を眺めながらそれを思い出していた。

 やる事も考えることも山ほどある。しかし少なくともこの鎮守府の誰も沈めはしないぞと思いを新たにしながら。

 

「提督? どうかなさいました?」

 

 ふと視線を感じたのか大淀が顔をあげた。

 首を傾げるその仕草は年若い少女のそれだ。

 

「いや別に何も無いよ。ただいつも助けられているなと感じただけさ」

「は、はぁ」

「まあいい。なあ大淀、手を出してくれ」

「手、ですか?」

 

 要領を得ない佐々木の言葉に困惑気味の大淀。

 しかし佐々木は微笑むと彼女の前に手を差し出した。

 よく分からないまま手を差し出す大淀。

 佐々木はその手を握り、数度上下に振った。

 

「これからもよろしく頼むよ、大淀。では時間を取らせて悪かった。仕事に戻ろう」

「あ、はぁ、はい提督。大淀、頑張りますね」

 

 既に佐々木の視線は手元の書類に落ちていた。

 大淀は今まで握られていた掌を眺め、もう一度首を傾げると提督がよく分からないけれど満足そうだからいいかと自分も仕事に戻る。

 そして「大淀の握手も力強い握りでしたよ長官」と密かに考える佐々木であった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 この鎮守府の部屋割は割とおおざっぱな配置である。

 現在の人員は設立当初から比べるとかなり人数を増したものだが、艦娘自身がそれでいいと希望するのだ。

 かつて鎮守府が拡張された時にこの宿舎も同様に拡げられ、部屋数も相当に多くなった。具体的に言えば200人までの艦娘が不自由なく生活できる程の規模である。

 

 しかし現在の部屋割は艦隊ごとに大部屋で過ごしている。

 例えば第一艦隊は大和、霧島、加賀、龍驤、北上、木曾、島風。第二艦隊は五十鈴、暁、響、雷、電、曙がおり、第三艦隊伊号潜水艦の面々である伊58、伊19、伊8、伊168がいる。

 そしてその配置のまま同じ部屋で過ごしているのだ。

 

 これは元々大和が言いだした事なのだが、この街が深海棲艦に襲撃された例の事件。これは今後の為に教訓にしなければならないと、有事の際にすぐさま出撃出来る様に、艦隊は纏まっていた方が良いと主張した。それを佐々木は了承し、艦娘たちもそれでいいと受け入れた。

 最も大和は言葉じりで「とは言え、本音は一人でいるよりも皆さんと一緒にいたいという私の我儘を通すための方便なのですが」と照れくさそうに笑ったものだ。

 そんな経緯での部屋割りであるが、第二艦隊の部屋では現在、少しばかり喧騒が外へと漏れていた。

 

「曙ずるーい! 私も第一と演習がしたかったわ!」

「うるさいわね。あんたの場合、演習にかこつけてクソ提督と一緒にいたいだけじゃない」

「うっ……」

 

 声の主は曙と雷だ。とは言え大声を出しているのは雷であり、曙は自分の荷物を纏める作業に忙しい。

 曙は腰に手を当て勇まし気な格好で言い募る雷に面倒臭そうにそういうと、雷は図星を指されて黙ってしまった。

 

 愛宕からの伝令を受け、今日の予定が変更となった第二艦隊の面々であるが、旗艦である五十鈴により遠征の為の準備を行うための割り振りは済んだ。

 一人前のレディを自称する特Ⅲ型駆逐艦の長女である暁はまっさきにドラム缶のある倉庫へと走って行った。そうすれば佐々木に褒めて貰えると言う魂胆がそこに滲んでいるのだが、それを指摘するほど彼女の戦友たちは無粋では無い。

 

 大和を公私ともに尊敬する五十鈴は旗艦を任されている責任感から、暁の次に倉庫へと向かい、燃料などを積み込む輸送船の準備を始めた。生真面目な響や電もその後に続く。しかし第一艦隊の島風と配置変えを指示された曙に雷が噛みついた。

 とは言えそれはじゃれ合いの様な物で険悪な雰囲気という訳では無かったのだが。

 

 急遽遠征を言い渡された第二艦隊であるが、元々は近隣の鎮守府との演習が組まれていた。

 演習はここで行う物の、相手はそれなりの手間を掛けてここへやってくる関係上、自分たちの都合でその日になってからキャンセルなどは出来ない。

 その為、基本的には重要なシーレーンに当たる海域で深海棲艦の目撃報告があった地点の安全を確保するための作戦行動についている第一艦隊がその代わりとなったのだ。

 それは今日明日がタイミングが良く第一艦隊は静養日となっていたからだ。

 

 しかしその能力から消費の激しい大和を演習に使うなど出来ない。そこで大和が旗艦を外れ、まだ練度や経験の浅い曙をそこに充てると言うのが佐々木の判断であった。

 曙は東郷から託された訳在りの艦娘の一人であったが、彼女は元々壊滅した某鎮守府で建造されて間もない状態であった。

 そこで管理のずさんなままの遠征要員として酷使されていた。要は最低限の補給はされる物の、まるで道具の様に繰り返し遠征に行かされると言う物だ。

 運用コストの低い駆逐艦であるから、最前線の鎮守府では暗黙的に行われる行為でもあるのだが、曙は軍艦であった時の出来事や当時の酷使のされ方も相まって、上官に極度の不信感を持つ事となった。

 

 そんな彼女が遠征から戻ってみれば鎮守府は深海棲艦の襲撃によって壊滅しており、現場を調査に来た海軍部の者により回収された。

 その後捨て駒の様な例の作戦で前線に立ち、希望を失っていた彼女はそこで死のうと考えていた。

 だが皮肉にも彼女は生き残り、東郷の手の者に保護され、そこの施設でリハビリを受けた後にここへとやってきた。

 

 着任当初は酷いものであった。協調性の欠如していた島風とは別の次元で孤立したのだ。

 とにかく曙は目に映る物全てが憎いとばかりにかみついた。

 実際そう思っていたのかもしれないが、何せ口から出る言葉は辛辣な物ばかりであった。

 しかし状況を理解している大和や五十鈴を筆頭に、佐々木の艦娘たちは気長に彼女を見守った。

 それは佐々木から必要以上に踏み込むなと言い含められていたからだ。

 

 佐々木は曙の心情を全て理解していた訳では無いが、少なくとも五十鈴の時と状況は似ていると考えた。

 全ての事に絶望している相手に何を言えばいいのか。その答えは多分、何もないだろう。

 誰かが曙を元気づけようとしたところで、深いところまで落ちてしまった彼女の心から見れば、どんな優しい言葉であっても自分を蔑んでいるか見くだしている様にしか聞こえないのだ。

 だからこそ佐々木は最悪の結果にならない様にだけ注意し、曙が聞く耳を自分から持つまで受け身に徹した。

 

 東郷の施設でリハビリを受けたとはいえ、当時はまだ戦闘を任せる程の状況にはなっていなかった。

 そこで佐々木は彼女を愛宕の補佐として司令室付けにした。

 周囲に当たり散らす彼女ではあったが、同時に責任感だけは強かった。

 自分と言う物を失わないために、怠惰になる事で自分の評価を下げる事を嫌ったのだ。

 被害妄想ではあるとはいえ、他者に見くだされる事が一番許せない事だったからだ。

 

 佐々木はそれほど難しくはない書類の確認などを曙に任せた。

 彼女はこの鎮守府の最高権力者である佐々木に対し、言葉汚く罵る。

 しかし大淀も愛宕も軽くは窘める物の強くは言わない。

 佐々木も真剣に曙の目から視線は逸らさぬ物の、決して懲罰など与えない。

 

 悪態をつく曙は、無意識のうちに自分を罰してほしいと考えている。

 或いはこの線よりこっちへ踏み込むなと、まるで繁殖期の獣の様に威嚇をしている。

 しかし曙の言葉の刃は誰も傷つけなかった。

 それはそうだろう。彼女がそのつもりなのは佐々木たちは理解していたし、その上でその刃を受け止めていたのだから。

 そうなれば曙は困惑するしかない。そしてその困惑は自分の中に罪悪感として積み重なっていく。

 

 曙の性根は酷く優しいのだろう。

 望んで孤立しようとしていたのに、何故かそうする度に佐々木たちに申し訳ない気持ちばかりが増していくのだ。

 そんなある時、きっかけは些細な物であったが、佐々木が書類に手を伸ばした時に曙の手に触れてしまった。

 自分の思惑が何一つ望んだ結果とならず、いろんな意味で心が限界に来ていた曙は、その事で佐々木にかみついた。

 酷い剣幕で罵り、目につくものを佐々木に投げつけた。

 

 これには愛宕も制止に入ろうとしたのだが、佐々木は強い視線を彼女に飛ばしてそれを止めた。

 このクソ提督、死ね、畜生、ふざけるな、アンタらは全員死んでしまえ――――

 彼女は思いつく限りの罵詈雑言を咳き込む程の大声で叫び、手にしたインク瓶を投げつける。

 儀礼用の白い礼装では無く、黒色の通常礼装なのでそれほど目立たないにしても、佐々木はそれを頭から被り顔は真っ黒に汚れた。

 しかし佐々木は何も言わない。ただただ困った表情で曙を見るだけだ。

 

 やがて言う言葉も無くなった曙は、今度はその場に立ち尽くしたまま天井を見上げ、子供の様に泣きじゃくった。

 言葉にならない嗚咽は何とも痛ましい物であったが、そこに来て佐々木は彼女に歩み寄るとおもむろに抱きしめた。

 触るなと激しく暴れる曙であったが佐々木はさらに強く抱きしめるだけだ。そもそも艤装を装備していない艦娘の力はただの少女と変わらない。

 抱き留めたまま何も言わない佐々木は、ただ藍色の曙の髪を何度も何度も撫でた。

 それはまるで幼子にする様にだ。

 

 五分、或いは十分は経った頃だろうか。

 泣き疲れた曙はそのまま眠ってしまった。

 目じりから続く白い跡は涙が結晶化した物だろうか。

 佐々木はそんな曙を抱き上げると、司令室に繋がっている己の寝室に寝かせた。

 

「こうして眠っている顔を見れば年頃の娘にしか見えないよな……」

 

 インクで汚れた顔のまま、曙が眠る寝具の横に座ると佐々木はそう呟く。

 実際背中に艤装を背負っていない曙の姿は、セーラー服を纏った女子中学生の様だ。

 

「提督、後はお願いしますね。ふふっ、可愛いからって襲っちゃダメよ?」

 

 戸口で静かに様子を見守っていた愛宕は軽口を叩くが、佐々木は軽く手をあげて返事をしたのみ。

 そして愛宕は静かにドアを閉めた。

 ブラインドを下ろしてある佐々木の部屋が薄暗さに包まれる。

 やがて二時間も経った頃だろうか。

 目を覚ましぼんやりと目を開いた曙は左手の妙な暖かさに気付いた。

 

「…………ソ提督」

 

 暖かったのは己の手を握る佐々木の掌の温もりだった。

 そんな佐々木は布団の横に胡坐をかいたまま、曙の手を握った姿勢で眠りこけていた。

 その表情は何とも無防備な物で、余りの太平楽な様子に曙は呆れた。

 そしてどうしてこの男はこんなにも自分を気にするのだろうと考えてみた。

 

 曙は自分たち艦娘と言う存在をただの兵器だと考えていた。

 それは彼女の中に存在する遠い昔の記憶に由来する。

 駆逐艦と言う船はその火力は低く装甲も薄いが、その分機動性隠密性に長けており、大型巡洋艦では運用の難しい魚雷を搭載出来る。

 そんな特色から艦隊に配置されると旗艦の護衛を担当する事になる。

 

 曙はかつて参加した作戦の中で護衛対象艦を護れず沈め、被弾は弾除けとして動かなかったとされ、さらには作戦行動が失敗した要因であると言う評価を受けた。

 それは冷静に戦局分析をしたのなら正当性の無い評価であり、戦争末期の混乱の中でいわばスケープゴートとなった様な物であった。

 何か問題があれば全て曙が悪いと言う極論すればそう言う流れであったのだ。

 

 そんな歴史を持つ駆逐艦・曙が、何の因果か艦娘として再誕する事となった。

 軍艦としての力を持つ物の、人間の少女でもあると言う側面を持つ艦娘は、すぐさま彼女自身に葛藤を抱かせた。

 何も考えずに戦ってれば良い軍艦であればいいのに、なぜわざわざ人間の心を持つ歪な存在にしたのだと。

 敵国から国を護る為に生み出された曙と言う駆逐艦は、今度は深海棲艦と言う新たな敵から国を護るために駆逐級艦娘・曙として生み出された。

 だが所属する鎮守府の司令は、ある時は兵器として扱い、ある時は人間のように扱う。

 

 兵装はあるにしても人の身であれば消耗する。だから曙は休息が欲しいと要請する。

 しかし司令官は言うのだ。お前は兵器だろう、と。なら補給をすれば問題無いと。

 着任当初、遠征に出すための最低限の訓練として彼女は旗艦にされ、その為短い間であるが秘書を務めた。

 

 司令官の傍で慣れない書類仕事をする曙。ある時彼は彼女に言った。それは他愛もない軽口であるし、ストレスの溜まりやすい立場の彼のちょっとした愚痴の様なつもりだった。

 女性である曙に対しての冗談ではあるが、それを彼女は真に受けてしまい、業務中であるのに不真面目であるとこれまた生真面目に返してしまった。

 すると司令官は曙を罵った。上官に対して何たる口の利き方かと。お前は人であるのに優しさと言う物が無いのかと黙る曙を追い込んだ。

 

 それ以降彼女の扱いはお世辞にも良いものとは言えない待遇へと変わった。

 曙からすれば生まれたばかりで世俗に疎いのだから、そもそも司令官の言う言葉の裏までは理解など出来なかっただろう。

 しかし結果として彼女の待遇は酷い物になってしまった。

 

 そうなると彼女のある種トラウマとも言える、自分への理不尽な評価で苦しむ事となった。

 曙は考える。なら私は誰にも期待なんかしないと。

 自分は兵器でいいのだ。感情なんて異物でしかないと何度も心へ刷り込む。

 彼女にとって不幸だったのは、配置された艦隊に自分を理解してくれる艦娘がいなかった事だろう。

 それはそうだ。彼女が配置された艦隊の人員もまた、冷遇されていると感じているのだから。

 周囲に気を配る余裕などそもそも無いのだ。ただ終わりのないルーチンワークの中で、かろうじて自分を見失わない様に必死になるか無関心になる事だけが自衛手段だったのだ。

 

 だがこの司令官はどうか。

 どんな理由があるにせよ、自分はこの男をまるで親の敵のように接した。

 だのにこの男は怯むでも無く、それでいて目を逸らす訳でも無く。

 何も言わないがずっと自分を見ようとする。

 それは彼女自身、到底理解できる物では無かった。

 

 それに加え、彼の部下たちもまた同様に曙を見守るのみだ。

 そこにこの佐々木と言う不可思議な人間への信頼が垣間見える。

 気に入らないと思えど、心の底では理解できない感情もまた沸き立つのを曙は感じる。

 だから曙はその感情の正体を知りたいと、間抜けな顔で依然眠りこける佐々木を見る。

 それは無意識な物で、あれだけ邪険に扱った男が未だに己の手を握っている事に気付かない。

 

「……んぅ。寝てしまったか。お、曙、起きたみたいだな」

 

 どれだけの時間、曙は佐々木を眺めていたであろうか。

 とは言え特に変化もなく、寝息を立てたまま彼の顔が上下するだけの時間が過ぎただけだったが。

 そんな佐々木はふと目を覚まし、そして相変わらず儉の無い視線を曙に向ける。

 不意打ちにびくりと身体を揺らした曙だったが、佐々木は彼女の様子など気にせず言葉を続ける。

 

「泣いたらさ、少しはすっきりするだろう? 私もよく泣くんだ。大の男が年若い女に囲まれながらさ。情けないって思うかい? でも私は泣いてしまう。私はお前さんが何を考えているか知らないし、どんな事が今まであったかなんてそれこそ知る由も無い。でもな曙、私は知りたいんだ。お前さんが何を考えているかをね」

 

 佐々木は曙にそう言うと、また穏やかな表情で彼女を見たまま黙った。

 言うべきことは言った。後は君次第だよと言う所だろう。

 そんな佐々木を吃とした視線で見返す曙。

 沈黙が続く部屋。壁にかかっている時計の秒針が進む音だけが響く。

 そして、やがて――――

 

「ぷっ……くっ、あはははっ。何を知った風に言うわけ? あんたはカッコいい事言ったつもりかもしれないけれど、残念ね。そんな墨だらけの顔じゃカッコ付かないって……あはははは!」

 

 彼女は思いっきり吹きだした。

 今まで張り詰めてきた心の糸がふいに撓んだ反動か、彼女は大いに笑った。

 佐々木はなんともしまらない顔で頭を掻くだけだ。

 そして何となく自分の頬を撫でてみる。

 なるほど肌が不自然につるつるとしている。

 そんな彼をひとしきり笑った曙は、むくりと身体を起こすとわざとらしく佐々木の手を振りはらい、そして言った。

 

「じゃあアンタに聞かせてやるわ。なんで私がこんなにも機嫌が悪いかをね! 言えって言ったのはアンタなんだからね。最後まで聞かないと承知しないわよ……このクソ提督!」

 

 佐々木にはそんな悪態をつく曙の表情が、どことなく晴れやかに見えた。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「うるさいわね、アンタはアンタの仕事があるんだからさっさと行きなさいよ」

「うう……」

 

 曙は雷を睨みつけるとそう言い放った。

 そしてふっと表情を緩めると今度は意地の悪そうな笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。

 

「私だってクソ提督の側に居たいんだから変わるわけないでしょ。じゃあね遠征頑張って行ってきなさい。怪我なんかしたら許さないからね」

 

 そして曙の言葉に呆気にとられ立ち尽くす雷を余所に、彼女は笑顔で部屋を後にした。

 

「え? ええっ?! あの曙があんな事言うの? えっ、司令官の側にいたい……だ、ダメよそんなこと! 曙ー! あけぼのーー!!」

 

 言葉の意味を理解した雷は慌てて曙に追い縋ろうとするも、その相手は既に見えなくなっていた。

 

「……ま、いっか。って早く準備しなきゃ!」

 

 暫く誰もいない廊下の先を眺めていた雷であったが、我に返ると慌てて倉庫に向かって走りだした。

 佐々木と言う司令官とは、ここの艦娘にとって父親であり恋人であり弟の様な物だ。

 それぞれがそれぞれの想いを抱き絆を求めている。

 それはいつ沈んでしまうかも分からない綱渡りの日常の中で、唯一彼が戦いを忘れさせてくれる存在だからだ。

 

 佐々木は彼女達を愛しつつも戦いの場に送ると言うジレンマを抱えつつ、それでも出来るだけ無事でいられるようにと強く願う。

 しかしそれは彼女たちも一緒なのだ。誰もが抱える漠然とした恐怖や不安。

 それを慈しみあう彼と彼女達の関係は、関係の無い他人からすればただの依存に見えるやも知れ無い。

 だがしかし結局のところ、何かを護るのだと言う強い気持ちの起源とは、誰かを愛しいと感じる心なのだ。

 

 日常を護る為に非日常を繰り返すこの鎮守府の面々は、そうして今日も生きている。

 それぞれがそれぞれの愛しさを護る為に。

 

「綾波型八番艦・曙! 第一艦隊へと合流します。……見ててよね、このクソ提督!」

 

 

 




二章を始める前に、色々と一章の補足的な話と、日常的な話を挟みたいと思います。
と言うのも現実的な私の仕事が忙しく、中々重たい話を書きづらいと言う裏事情もありますが、それよりも一章の最後にあまりに唐突に艦娘が増殖したことがあり、かと言って物語で言うと転・結にあたる二章の中でその経緯を描写するには遅すぎると判断しました。

それに加えこの作品自体の設定が、かなりの独自設定をしいているため、その部分を明確にしたいと言う思いもあります。

いい訳染みてもいますが、始まりは暁と言う艦娘からスタートしたにも関わらず、物語を動かすためにキャラ個人の描写を疎かにしている自覚もありまして、本来であれば提督と艦娘との日常の触れ合いをもっと入れる予定でしたが、ストーリーを展開する事だけを重視した結果、自分では満足できない流れとなってしまいました。

そこで補足的な話と、本来挟むべきだった日常回を適度に断章としてしばらくやりたいと思います。

今回は曙さんが中心でしたが、今後は暁たち第六の話や、鹵獲した深海棲艦の話をやっていく予定です。

……この話もそうですが、投稿を急いだせいで推敲が間に合ってないため、そっちも空いた時間で修正したいとも考えています。
こんな事情で申し訳ありませんがお付き合いいただけたら幸いです。


※※※

念願のビスマルク建造を果たし、正月休みの間に一気にドライまでやりました。
実質二日位で完了しましたかね。
その後大和型と大鳳を狙い溶鉱炉をやり、結果全滅。
大量のあきつ丸とまるゆが出来上がりましたとさ。
やったね!カ号が増えるよ!やかましいわ。

もうすぐ冬イベきますね。
嬉しいね。備蓄しなきゃ……。

アニメは録画しながら見ています。
賛否両論が凄まじいですね。
ただ私的には現状満足しています。
四話の金剛型姉妹の茶番は長すぎてうんざりしましたが、他はまあおおむね満足。
如月さん轟沈で非難轟々吹き荒れてますが、中破進撃轟沈しないや旗艦は轟沈しないなどはゲームのシステム上の話でしかないと考えているので、まあ仕方ないなと思っていますね。

私的には頭からっぽで見ればいいんじゃないかなと思います。
エンディングを迎えてもいない段階で色々と考察するのもナンセンスですし、今後の展開で面白くなるかもしれませんし。

とりあえずは動く嫁たちが見れて満足ですかね。

それではさようなら。


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百花繚乱 そのいち

「はあなるほど。それではボーキサイトを多めにするのがポイントであると。なるほど分かりました。ではそのようにやってみましょう。すみませんいつも頼ってしまうばかりで。ええ、はい、いえいえこちらこそ。では後日演習の際に改めてご挨拶を。はっ、では失礼します中佐殿。いえいえ、はい」

 

 司令室では先ほどから佐々木が何者かと電話をしている。電話の相手は本土の鎮守府の提督である。

 東郷の仲介で広がりつつある彼の横の繋がりの一つであるのだが、難航していた装備開発のヒントを貰おうとご機嫌伺いがてらに電話を掛けたのだ。

 

 しかし提督業も板についてきた彼がどっしりと構えながらであれば絵にもなろうが、残念ながら彼の本質はワーカーホリックな日本人だ。

 何故か椅子から腰を上げた姿勢で、しきりに電話の向こうの先方に向かってペコペコと礼を繰り返しながら愛想笑いなどを浮かべている。

 丁寧にアイロンをかけられた海軍将校の礼装を身に纏いつつその動作をしている彼は、お世辞にも褒められたものでは無いだろう。

 その知らない人間から見れば妙な格好に、横で書類を纏めていた彼の秘書である愛宕は顔を背けて笑っていた。

 

「もー提督! その電話の仕方はみっともないので止めてくださいって言ったじゃない」

 

 佐々木の電話が終わった途端、愛宕は思わずそう窘める。

 艦娘にとって提督とは何物にも代え難い存在だ。鎮守府は各所に点在し、同型同種の艦娘もまた無数に存在する。しかしその艦娘にとっての提督はただ一人である。

 その存在が、自分よりも階級の下の者相手に腰が低すぎるのは我慢ならないらしい。

 しかし佐々木は何ともきな臭い表情で頭を掻くのみだ。そもそも彼にとってみれば階級とは添え物程度にしか考えていないのだ。

 提督としての経験や技量は先人には叶わないと考えている。それ故相手の階級が自分よりも低かろうとも後輩としての礼を尽くさねばと思うのであった。

 

「あはは……いや、そのなんだ、治そうとは思ってはいるんだが、何というかこう、癖になってしまっているんだよコレは……」

「だめです! 提督も今やいっぱしの大佐なんですから、誰かに見られたら恥をかきますよ。ねえ北上、貴方もそう思うでしょう?」

 

 愛宕はずずいと佐々木に詰め寄ると、目を半分ほど細め言い募る。

 そして彼女の剣幕に彼は思わず視線を泳がせる。

 その愛宕に突如援護射撃を要請された北上は、応接のソファに寝転がりながらどこか面倒臭そうに顔を上げたのだが、良い退屈しのぎを見つけたとニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。

 

「え、あー……まあ、そうね。うん、直した方がいいかな~アタシはそう思うね。それよりもさ~愛宕っちって提督の女房って感じがするよね~」

「なっ……何言ってるのよ北上! その、ほら、大和を差し置いて私なんか……」

「おーっと満更でも無いみたいよ? てーとく。そこんとこどーなのさ、提督的には」

 

 愛宕恒例の佐々木弄り開始の鐘が打ち鳴らされた……筈であったが、素朴な容姿とは裏腹に妙な老獪さのある北上は、どうやら矛先を愛宕に決めた様だ。

 北上は重雷装巡洋艦と言う軽巡洋艦から特殊な派生をする艦種なのだが、このほどこの鎮守府に着任したばかりだ。

 しかし他の鎮守府から見れば出撃回数も多くは無いここが退屈らしく、暇つぶしと称しては佐々木が集めている書籍などを読み漁るために司令室に入り浸っている。

 本日は第一艦隊の出撃は無いため、ここにいたのだろう。

 

「うーん、まあそうだな。こんな綺麗な女性(ひと)が私の女房なら皆に自慢出来るだろうなぁ」

 佐々木の答えに北上は含みのある笑みを深める。

「ほほーう、提督はこう言ってますがねえ愛宕っち。どーなのさー。この際ぱんぱかぱーんって言えばいいかな? ね? ね?」

 北上は先ほどまでの気怠さが嘘のように機敏に置き上がると、愛宕に詰め寄りその顔を覗き込んだ。

「えっ、いや、ちょちょっと北上何言ってるのよ! ててて提督の女房ってややや大和を差し置いてそんな……こっこっ困るわ!」

 

 佐々木の言葉は北上の言葉を真に受けた答えでしかない。

 愛宕と言う女性を見て妻だとしたらどう思うか? それに素直に答えたのだ。

 所が愛宕は人を弄繰り回すのは得意でも、存外逆襲には弱かったらしい。

 ニヤニヤしながら追いつめる北上の言葉に盛大に赤面しつつ目を白黒としている。

 

「いやー相変わらず愛宕っちは面白いねえ。大淀も居たらもっと遊べたけど、ねえ愛宕っち? 提督を見てみなよ」

「へっ?」

 

 北上が指を指すその先には、先ほどまでの会話など無かったかのように書類に没頭する佐々木の姿。

 小休止は済んだとそそくさと仕事に勤しむワーカーホリックの鑑である。

 愛宕はがくりと首をうなだれると机に力なく腰を落とし、冷え切った茶を飲んだ。そして苦み走った表情を浮かべるとぽつりと呟く。

 

「……そうよね、こういう人よね……いちいち反応するとこうなるのは分かってたのよ。大和もいつもボヤいていたもの……」

「まぁ……そうね、提督ってば曙じゃないけどクソのついた真面目人間だもんねー。じゃ愛宕っち頑張って! アタシは魚雷の整備と末の妹を弄りに行くわー」

「え、ちょっと北上貴方、引っ掻き回すだけ引っ掻き回してそれはってもういないし……はぁ……いやんなっちゃうわホント……」

 

 がっくりと肩を落とした愛宕は、それはそれは深い溜息をつくと、その原因たる男を見る。

 憎たらしい程に涼しい顔で書類と睨めっこをしていた。

 そんな姿をしばらく眺めていた愛宕は、その女性らしく丸みを帯びた肩をぷるぷると震わせると、おもむろに側にあった消しゴムを佐々木に向かって投げつけた。

 

「……痛い」

「…………知りません」

「あー……えー……なんかすいません」

「ふん……」

 

 どう見ても理不尽な八つ当たりを受けた佐々木であったが、当然のように愛宕の不機嫌の理由など思い至らない。

 ここで何かを言って余計にこじらせるのも嫌だと、彼はここに来ても日本人のダメな曖昧さを発揮する事にした様だ。

 それはとりあえず謝ってお茶を濁すと言う物だ。

 そんなこんなで今日も鎮守府は動きだしたのであった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 佐々木の執務室ではもうすぐ正午になろうかと言う時分を迎えていたが、佐々木と愛宕。そして先ほどまでは本土への無線連絡の為に席を外していた大淀が揃って机にかじりついている。

 

 この南西諸島領域にはいくつもの鎮守府が存在しているが、本土との連絡の際は電話では無く軍用無線を用いられる。

 それは電話の一般回線では傍受の危険性があるからだ。しかし軍用無線ではその国独自の暗号通信を組み込んであるため、たとえ傍受されたとしても、その暗号を解読するためのキーが無ければ理解は出来ないため、安全性を確保できる。

 防諜に気を使う理由は、対深海棲艦戦の為と言うよりは自国以外の国への対策である。実際艦娘の分野において、帝国は他国の追随を許さないほどにリードしている。それを手をこまねいて眺めている様なお人よしな国など無いだろう。暗号はその為の備えである。

 

「さてっと……そろそろ書類整理も一段落したな。そうだろう? 大淀」

 

 そんないつもと変わらぬ執務室の様子であるが、佐々木がふと顔を上げると、壁に掛けられている時計を一瞥し、そして何かの事務作業に没頭している大淀に声をかけた。

 

「そうですね、提督。とりあえず今週の作戦行動の計画書は済みましたし、資源確保の為の艦隊編成も終わりましたし……後はそうですね、近隣から陳情が上がっている近海エリアの哨戒について他鎮守府との折衝を行うくらいですか」

「そうだろうそうだろう。なら君たちは食事がてら暫く休憩をするといい。私は工廠にて装備開発を行った後、予定通り二日間の休養を取る」

 

 大淀は生真面目そうな表情で彼にそう返す。佐々木は彼女の卒のない言葉に満足そうに頷く。

 

「はぁ、そうですね。提督は働きすぎですからゆっくりとご静養下さいね。それより提督、どうしてそんなに大声なんですか?」

 

 妙に声の大きな佐々木に彼女は不審な表情をするが、佐々木は澄ました顔のまま、没とした書類を裏返すとサラサラと何事かを書き込み、それを大淀の前に滑らせた。

 

「(大淀、君がいない間に愛宕の機嫌が悪くなったんだ……)」

「(……提督、また何かやったんですか)」

「(私は何もやってない! 北上が何か言ってたから答えたんだが、その後仕事をしてたら機嫌が悪くなってた……)」

「(……北上がですか。よく分かりませんが、何もやらない事が原因では無いですかね?)」

「(どういう意味だ? )」

「(…………少しは考えてくださいね。提督、私たちは艦娘ですが一人の女性でもあるんですよ?)」

 

 佐々木はどうやら大淀に筆談での会話を求めた様だ。

 とは言えその内容は大淀を呆れさせるには充分な物だったようで、彼女の眉間には若干の皺が寄るがそれでも律儀に応じている。

 

「……んんっ! 提督ぅ? オシゴトは終わったんですか? 大淀、貴方も遊んでいる暇などあるのかしらね」

 

 わざとらしい咳払いと共に二人をじろりと睨んだ愛宕は、嫌味を相当ににじませた。

 びくりと肩を震わせる二人だったが、愛宕の剣幕に動揺したのか、そのまま筆談で会話を続けた。

 

「(提督、私まで怒られたじゃないですか!)」

「(私は提督。君は艦娘。そう言う事だよ)」

「(酷いです! 横暴です! 職権濫用です!)」

「……いい加減、仕事をしましょうね? 二人とも。ああ提督は休暇でしたっけ。それは気も緩みますわねぇ……」

「「すいません……」」

 

 そんな二人に愛宕の低い声色が飛ぶ。これには佐々木も大淀も反射的に頭を下げた。

 それほどに今の愛宕には逆らってはいけないという雰囲気がある。

 大淀は着任してからそれほど長くはないが、佐々木はそうではない。

 艦隊指揮や海戦について右も左も分からなかった佐々木をここまで育て上げたのは愛宕だ。

 他の艦娘も折に触れ彼を支えて来たが、それ以上に彼との時間を共有しているのは愛宕であり、その結果、階級上の優劣を越えた何かが出来上がっている。

 佐々木自身も秘書である愛宕には足を向けては眠れぬと感謝をしているが、それ以上に彼女には逆らってはいけないと言う思いも強い。

 

 愛宕と言う艦娘はある種昼行燈を演じていると言える。

 普段の天真爛漫な姿も彼女の本質の一端ではあるが、艦娘たちに例外なく存在するかつて軍艦であった時の記憶。それに影響されている本当の意味での彼女の本質は数々の修羅場を潜り抜けた猛者だ。

 

 ある時佐々木は戯れにそのことを彼女に尋ねたことがある。

 それは彼自身も今の自分の前の記憶がある事がきっかけであった。

 仏教の概念である輪廻転生の本質は、命と言う物は何度も巡るという処にある。

 それなれば誰しも前の生涯と言う物を持って居ても不思議では無い。

 そんな中、自分には何故かその記憶が鮮明にあるというのが佐々木の考えだ。

 むしろそう考えねば現状を理解できなかったという現実問題があるにせよだ。

 だからこそ艦娘と言う以前の常識では考えられない存在と接するにいたり、彼はそこを聞きたかったのだろう。

 もちろん彼女達の持つ記憶の舞台が、己のいた国の過去だからと言う部分があったにしても。

 

 その問いに対し愛宕は物憂げな表情で答えた。

 執務が終わった深夜、二人でその日の疲れを癒すために酒を入れていた事が彼女を饒舌にしたのだろう。

 

「私の過去の記憶は私自身の物であると言う実感はあるのよ。けれども同時に、沢山の人々の想いの重なった物でもあると言う実感もあるわ。それはそうよね。私はただの兵器に過ぎなかったのだから。鋼鉄の身体に油の血液が循環するだけの機械――――

 

 一度話し始めたらとめどもなく彼女の言葉は続く。

 佐々木は普段の様子とは違う凛とした様子の愛宕の言葉を一言でも聞き逃さぬように押し黙った。

 これは先人の言葉だ。自分たちの今を創った偉大な先人たちの。

 そういう身の引き締まる様な気分になったのだ。

 

 愛宕が言うには彼女たちの乗組員たちの様々な想いや記憶、それらが積み重なって艦娘愛宕の心や思想が出来上がっているのだと言うのだ。それは大和や他の艦娘も同様で、だからこそ曙はああいった状況に陥ったのだろう。

 その為軍事訓練なども受けたことが無い彼女が、高度な海戦知識を持って居たりするのは、彼女の乗組員の経験がそのまま生きているのだ。

 

「――――だからこそ、私たちは港に、提督の元に帰りたいと強く願うのよ」

 

 そんな言葉で愛宕は結んだ。

 その言葉に含む意味に佐々木はとある想いを強く感じた。

 そして愛宕はまた天真爛漫な仮面を被ると、少し肩を貸してくださーいとおどけて佐々木にしなだれかかったのだ。

 彼は「いいよ」とだけ答え、彼女が満足するまでの間、その絹の様な金色の髪を黙って撫でているのであった。

 

 そんな彼女の本質を垣間見た佐々木が、その後彼女に鍛えられたわけであるが、その様は中々に堂の入った物で、明け透けに言ってしまえばかなり怖かったのだ。

 その姿はまるで新兵を鍛え上げる歴戦の教官の様に。

 ゆえに佐々木には愛宕に対して逆らえないのだと言う反射的な何かが擦り込まれているのだった。

 

 そんな佐々木が愛宕をどうやって宥めよう(或いは逃げ出すタイミングを計ろう)かと考え始めたその時、控えめなノックの音が司令室に響いた。

 彼は救いの神が来たりと表情を緩めたが、愛宕に睨まれ慌てて目を逸らす。

 

「司令官、ごきげんようです」

「やあ暁。いらっしゃい」

 

 部屋の中の空気が何とも微妙な物が漂う中、ドア静かに開き澄まし顔の暁が入ってきた。

 本来の礼儀で言えば、入室を許可されてから入るのが正しいのだが、佐々木もそこまで煩くは言わない。いやむしろこの状況では大歓迎だっただろう。

 

 一人前のレディと言う物に拘りを持つ暁は、ほっと胸を撫で下ろす佐々木と大淀を尻目に、愛宕に向かって控えめにスカートのすそを持ちあげると淑女の礼をしてみせる。この鎮守府の中でも特に女性らしさを感じる愛宕に彼女は憧れているのだ。

 

「うふふ、暁ちゃん、今日も可愛いわね」

 

 そんな暁を微笑ましく愛宕は眺める。不思議な拘りがあるにしても、懐いてくれるのは素直に嬉しいようだ。

 

「えー! 暁は可愛いよりも綺麗って言われたいわ。だってその方がレディらしいじゃない」

「暁ちゃんはとっくに立派なレディよぉ。そう言えば暁ちゃん、今日はどうしたのかしら? 今日は演習も休みだったでしょう?」

「私が呼んだのさ。対潜水艦用装備の開発に一つ彼女達第六駆逐隊の手を借りようとね」

「……ああそうでしたか。ではいってらっしゃいませ、てーとく?」

「……あ、いや、愛宕さん?」

 

 愛宕は暁を撫でまわしながら微笑む。先ほどまでの剣幕はどこへやら。

 暁も大人しく撫でられている。佐々木が撫でると子供扱いの様で嫌だと逃げ回る彼女であるが、心酔する愛宕の手でならば満更でもないらしい。

 そんな暁に今日の用向きを尋ねた愛宕だが、彼女が返事をする前に佐々木が割り込んできた。

 だがぎろりと彼を睨み嫌味を返す愛宕にたじたじとなってしまう。

 

 元々は部下の扱いと女性の扱いの境界を見極められない彼のせいとも言えるのだが、何とも言えない雰囲気を感じた暁は頭の上にいくつもの疑問符を浮かべた。

 大淀と言えば自分から矛先が去ったとばかりに、佐々木と愛宕のやり取りに物見遊山を決め込む。

 佐々木は普段温厚である愛宕をここまで不機嫌にさせた理由を必死に考えるも、そもそもの原因の部分が無意識であるからそこに思い至る事も無し。

 いよいよこの雰囲気に追い込まれた佐々木は、様々な混乱の果てに一つの決断をした。

 そしてそれを世間では錯乱と呼ぶ。

 

「愛宕! 私が悪かった! 何でもするから許してくれ!!」

「ひゃっ、て、てててて提督ぅ?!」

「提督、大胆です!」

「はわわわっ! これが立派なレディ……」

 

 意を決した表情の佐々木は、おもむろに立ち上がると、思いっきり愛宕を抱きしめたのだ。

 所謂ハグ。或いは熱き抱擁。愛宕の女性らしく豊満な肉体に喰い込めとばかりに佐々木の右腕は強く彼女のウエストに回っており、左腕は愛宕の頭を掻き抱いている。

 予想の斜め上どころか大気圏突破したとも言える彼の行動に、愛宕の頭は一瞬で沸騰。目を白黒させて呂律が飛んだ。

 大淀はニヤニヤと眺め、暁は末の妹の様な口調で取り乱しつつ赤面し手で顔を覆う。もっとも掌は隙間だらけ、その間からしっかりと爛々と輝く瞳が見えているのであるが。

 

 その後盛大に取り乱す愛宕が羞恥から逃れようと佐々木を許し、そこに彼をお茶を誘うためにやってきた大和が愛宕だけずるいと大騒ぎをしたのだがそれはまた別の話。

 騒ぎが別の形で盛り上がる中、渦中の佐々木はそそくさと大淀へ自身の休暇中についての引き継ぎをすると、暁を伴い無事に司令室を脱出する事に成功するのであった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

「ふう、えらい目にあったな……」

「まったく、司令官はいっつも怒られているのね。愛宕さんみたいなレディを傷つけたらダメなんだから!」

「そうだなぁ、暁の言う通りだよ。私はどうにも間の悪い事をしてしまう様でね。埋め合わせはちゃんとしなきゃなぁ」

 

 司令室のある本棟を出た佐々木と暁は、港湾部を横切り工廠へとやってきた。

 煉瓦造りの工廠の扉を開け、妖精が集う作業場所へとやってきた所で佐々木は思わずボヤいてしまった。

 そんな彼の事情をいまいち理解していない暁だが、仕様が無いわねと呆れ顔だ。

 

 さて佐々木たちがここへやってきたのは、鎮守府近海では鳴りを潜めていた深海棲艦が、少しずつではあるが出没する事が報告されたのに起因する。

 かつてこの鎮守府を多数の深海棲艦が襲撃し、それを何とか撃退した佐々木たちであったが、その際戦艦レ級を筆頭に相当数を駆逐する事に成功した。

 残念ながら姫級と思われる首魁は騒ぎの最中に姿を消し、結果的に倒すことは叶わなかったのであるが、その後周囲の海は穏やかな日常を取り戻したのだった。

 

 しかしこの鎮守府のある立地は、大小様々な島によって構成された場所に位置し、大陸との間を縫うように主要なシーレーンがある。

 その海域に近い場所の島々の奥ばった所では、時折敵の存在が確認されたのだ。

 それらは積極的に行動を起こす事は無く、ただ様子を窺うのみの哨戒行動しかせず、かつ構成される艦隊はすべて潜水艦に限られるのだ。

 

 潜水艦はその活動場所は海中に限られる関係上、ダメージを与える方法は限られてしまう。

 しかし魚雷を発射する際には海面近くまで浮上する必要性があるため、航空母艦による爆撃や、爆雷を搭載出来る軽巡洋艦や駆逐艦でなら倒すことが出来るのだ。

 だが航空機爆撃での効果は薄く、実際は駆逐艦による爆雷投射を行う方が有効的である。

 その為には高感度のソナーによる海中の探査が必須である。

 

 爆雷は魚雷とは違い、海中に投下されると自重により沈下していき、敵に触れることで信管を作動させるか、または水圧により刺激を受けることで爆発する。

 ただ闇雲に落とすだけでは敵には当たらないのだ。だからこそソナーによる探査である程度の場所を特定し、その進行方向を予測した上で投下する必要がある訳だ。

 

 佐々木の鎮守府は彼自身が正規軍に組み込まれた事により、その責任が増している。

 その為今回の様な報告が上がった場合、その真偽を調査するための作戦行動は率先して行う必要があるのだ。

 しかしこの鎮守府が保有する装備の中には対潜装備は爆雷のみが一通り揃っているだけで、高性能なソナーなどは無い。

 

 そこで佐々木は本土の鎮守府の提督へと繋ぎをつけ、ソナー開発のヒントを貰った。

 その提督は東郷のシンパでもあり、佐々木は士官教育を受ける際に本土へと渡ったタイミングで東郷により紹介されている。

 その甲斐あって高性能ソナーや爆雷の開発方法について助言を貰うに至った。

 もっとも大和型を保有する現在の佐々木の艦隊との演習を約束すると言う見返りは必要ではあったのだが。

 

 助言の内容はシンプルであった。

 必要な資源は微量で済む物の、配分は相当にデリケートな事。

 そしてその配分はすんなりと聞きだせた。

 次に開発を行うのは駆逐艦でとの事。

 

 装備開発は箱状の装置の中で行われる。

 配分を決めた資源を妖精に預け、彼らはその装置へと融合する。

 その際担当の艦娘が装置と精神的なつながりを持つ事で結果をある程度限定できるのだ。

 精神を繋ぐとは、妖精が不可思議な手順を踏むと、その艦娘がトランス状態となり、表面上見えはしないが、精神では繋がるのだ。

 

 これは艦娘が佐々木のいた国の過去の戦争で使われた軍艦たちの魂を基としているのと関係があり、要はその艦に所縁のある装備が開発されやすくなると言う訳だ。

 この事情はその国の出身である佐々木には理解し易かっただろうが、この世界の人間には全く理解できない事柄であろう。

 ただこの艦種からはこの装備が開発されると言う、積み重なった結果からの傾向で判断しているのみだ。

 

 さて佐々木と暁が工廠へやってきたのだが、そこには既に先客がいた。

 かつて第六駆逐隊と呼ばれていた暁の姉妹たちだ。

 

「司令官、遅いわ! ずーっと待ってたんだからね!」

「ごめんな雷。電も響も待たせて悪かったな」

「別にいいさ。こうして来てくれたのだから」

「大丈夫なのです司令官さん」

 

 彼女達はわらわらと佐々木の元へとやって来る。

 雷などは言葉では憤慨して見せる物の、顔は笑っている。

 響は言葉少ないのはいつもと変わらないが、そそくさと佐々木の横へと走りよると手を握った。

 この四人の中では控え目であり何事にも遠慮がちな電は、一歩下がった場所にいる物の顔は嬉しそうだ。

 

 装備開発だけならば暁一人がいれば済むのだが、四人いるのには訳がある。

 それは現在の情勢が落ち着きを保っている為、同時には難しい物の艦娘たちを含む鎮守府所属の者に休暇を取らせようと言う事になったからだ。

 

 戦う事が宿命付けられた艦娘とは言え、極度の緊張状態を強いられる前線では、どうしても精神が疲弊しがちだ。

 しかし敵は待ってはくれない。その為、基本的に艦娘たちの休息は任務と任務の間に限られる。

 だが鎮守府の性格上、近隣への哨戒活動は密にせねばならないし、運営維持をしていくために資源の確保は絶対条件となる。だからこそ保有艦隊の主力以外は民間船の護衛などをしつつ資源を確保するための遠征に出る。

 

 そうなれば纏まって休むなど現実的に難しい。

 もちろん提督ともなれば、ただ彼女達を監督していればいいと言う訳にもならず、その後の作戦立案なども含め、彼女達以上に業務に拘束されてしまう。

 しかし現在は泊地のある場所から本土のある大陸間のシーレーンの確保は恒常的となり、鎮守府近海もまた落ち着いている。

 

 だからこそ佐々木は、現代の社会人的発想で、己の鎮守府のみならず、彼の担当となっている近隣泊地全てを連動させる事で、定期的な休日を実現するに至った。

 具体的にはこの南西諸島と呼ばれるエリアに属する鎮守府が、持ち回りで所定の海を哨戒するのだ。

 それは自分の鎮守府だけでは無く、南西諸島全域に及び、その結果、必ずどこかの鎮守府が手すきになるようにローテーション制を確立させたのである。

 これはそれまで激戦区であった南西諸島が現在落ち着きを取り戻している事が考慮され、大本営海軍部によって認可も受けている。

 このシステムが軌道に乗れば、いずれ北方海域などの過酷なエリアでも採用することが検討されるとの事だ。

 

 そして今回、佐々木の鎮守府がある泊地が休暇を取る事が出来る月番となった。

 そこで佐々木は兼ねてから計画していた事柄を漸くではあるが実行する事にしたのだ。

 それは暁とその姉妹の四人で、佐々木が今でこそ大きな街となったがかつては小さな村だったこの場所に迷い込んだ際に暮らしていた家に宿泊する事である。

 

 きっかけは響との会話の中で、佐々木が自分たちに接する時間が少ないと言う不満を述べた事だった。

 それを聞いた佐々木は、自分が提督として未熟だった為に愛宕や大和につきっきりで海戦のイロハについて必死で学んでいたにしても、あまりに配慮が無かったと反省した結果、初めて出会った艦娘である暁、そして次にやってきた響と共に、短いながらも暮らしていたあの家で泊り語らおうと約束していたのだ。

 

 その事を彼女達に話した際、それはそれは喜んだ。暁と響きはもちろん、それ以上に雷と電もだ。

 雷と電がここへ来た頃にはもう、鎮守府としての施設がある程度造られていた時期でもあり、彼女達はあの家にはほとんど寝泊りをしたことが無かったのだ。

 しかし暁たちはあの家での時間を幸せそうに語る事があり、それを雷たちは羨ましく思っていたようだ。

 それが今回の休暇で叶う事となり、佐々木がそれを伝えた数日前から彼女達は目に見えてキラキラと輝いていたのである。

 

 因みに今回の休暇は約二週間あり、その間の鎮守府運営は最低限行われているが、毎日必ず誰かしらが休暇になるようになっている。

 その最初の二日間を佐々木と暁型が取る事となったのだが、それ以外の娘のローテーションを組むのに佐々木は難儀した。

 

 艦娘の性質上、休暇だとはいえ外出にはどうしても制限が付き纏う。

 少なくとも近隣の街への外出は認められる物の、宿泊を伴う遠出は出来ない。

 そして外出できるエリアの条件は、陸軍の憲兵隊の管轄内に限られるのだ。

 それは秘密保持と対深海棲艦以外で艤装を装備出来ない艦娘の護衛の必要があるからだ。

 

 しかし難儀した理由はそう言った制度上の話では無く、単に皆が何かしら佐々木との休暇を望んだせいである。

 せっかくの休暇だ。普段ゆっくりと話す時間も取れない佐々木とのんびりしたいとそれぞれが考えたのは仕方が無いだろう。

 それほどにここの艦娘と佐々木の結び付きは強いと言う事なのだろうが、残念ながら佐々木の身体は一つしかない。

 そこで佐々木は大淀と徹夜し、何とか過不足なく彼が艦娘と接する事が出来る様に調整をしたのであった。

 

 佐々木は想いの質は違えども、こうして慕ってくれる事は素直に嬉しいと感じた。

 しかしその反面、女社会の中で生きていくことの大変さを改めて感じる事となったのだった。

 これが普通の会社であればたとえ女性比率が高かろうと、あくまで業務中に限って気を使えば済む話だ。

 しかし艦娘の場合は成り立ちからして違うのだ。要は父親であり恋人でありを本気で求めてくる。

 そもそも建造されて産まれる彼女達に、人間が成長の過程で得る経験と言う物が無いのだ。

 そうなればある種の刷り込みに近い現象が起きる。唯一の支配者とも言える提督を唯一の絆と思うのである。

 

 その中で佐々木は、その体質そのものに不満を感じることはある。

 けれどもそれを声高に言える情勢でも無い事も理解をしている。

 本来であれば女性としての青春を謳歌して然るべき年代であるのに、やはりそこは兵器であると言う前提がそれを阻害してしまうのだ。

 だからこそ佐々木はこの戦争をどうにか終わらせたいと願い、その為には努力を積み重ねる事以外は無いのだろうと割り切っている。

 

 とは言え、例えば演習の中で活躍した島風を褒めたとする。

 やあ、見事な活躍だったね。流石は島風だ。あの砲撃の雨を縫って見事戦艦を仕留めたな。そんなの当たり前だよ、だって島風は速いもん。などと微笑ましい提督と艦娘の語らい。そのついでとばかりに佐々木は島風を撫でたりもする。

 するとどうか。周囲で何やら竹でも割ったかの様な音がするではないか。

 佐々木は変だなと首を傾げる。そして辺りを見渡す。

 そこにはいつの間にか距離を詰めていた加賀がおり、例の無表情で佐々木を見ている。

 

「私も制空権を取りました」

 

 ぽつりと彼女は言う。ただしそこには何か有無を言わさぬ雰囲気があるではないか。

 くっきりとした瞳には、何かを佐々木に要求している様な色がある。

 十秒、或いは一分、とにかく佐々木は酷くそれが長い時間に感じてしまう。

 蛇ににらまれた蛙の如く、固まってしまう佐々木。だがしかしそこへ木曾が割って入ってきた。

 

「まあそこまでにしときなよ加賀さん。こいつも困っているじゃないか」

 

 流石は木曾だ。困った時に助けてくれるのはやはり君だなと佐々木は安堵する。

 建造当初はボーイッシュながらもどこかあどけなさを感じさせていた木曾は、今は幾度かの改造を経て重雷装巡洋艦となり、かなり尖った印象へと変わっている。

 そんな彼女が少しばかりニヒルな笑みを浮かべつつ、加賀の肩へ腕を回すと窘める様に言ったのだ。

 しかし木曾が繋げた二の句で佐々木は再度固まってしまう。

 

「まあ今回は俺も空母に連撃をお見舞いしてやったしなぁ。だから提督、俺を褒めてくれてもいいんだぜ? 何というかスキンシップも大事だしな!」

「……頭に来ました」

 

 こう言った事が日常の中で終始勃発するのだ。

 彼方立てれば此方が立たぬとはよく言ったもので、佐々木にしても艦娘たちにしても、個人個人に対して何か良くない思いがある訳でも無いのだ。

 ただしそこには感情があり、それぞれが抱える想いの質は別だとしても、共通するのは自分を一番に考えて欲しいと言う所か。

 

「……司令官さん、どうかしましたか?」

「ああ電、少しぼーっとしていたみたいだ」

 

 今回の休暇を喜び、こうして纏わりついてくる暁型たちを眺めていた佐々木であったが、思わずここに至るまでの苦労がフィードバックしたようで上の空になっていたらしい。

 そして佐々木はニ、三度頭を振ると、気を取り直して笑うのだった。

 

「さあ、面倒な開発をとっとと済ませて休暇と洒落込もうじゃないか。今日はみんなであのライスカレーを作ろう!」

 

 おー! と暁型の声がユニゾンする中、まあ大変ではあるけれど、だからと言って悪くは無いんだよなこの生活も――――と内心で呟く佐々木なのであった。




とりあえず投稿しましたが、近日修正予定です。
削れるとこもあれば足さねばいけない箇所が多すぎて^^;

◇◆◆◇

近況報告

イベントクリア! 攻略中に掘りも終了! > よーし祝杯だ! 夜の街に繰り出そうぜ! > その時に食べた生ガキに当たり入院←いまここ

詳細に書けないほど酷い状況で、現在は病室のWiFiでノートPC使って投稿しました。
とは言え脱水症状が酷いだけでどこか痛い訳でも無いので、点滴しながらぼーっとしてるだけなので暇なんですよね。

ただ集中力が続かないのでロクな推敲できてません。あ、それはいつも一緒か( ;∀;)
そんな感じです。皆さまも冬場の生ものは気を付けてくださいまし。


因みにうちの鎮守府にも漸く大和が着任しました!
レシピは信頼と実績の4662/20です。

イベはさっさと終えたので、現在はローちゃん(現在89)と香取先生(現在79)のレベリング中です。



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