名家のウマ娘 (くうきよめない)
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プロローグ
トレーナー室での団欒


 

 

 

 天気予報では今日一日晴れとの情報だったが、数時間前から雲行きが怪しくなっていた。

 

 ぽつりぽつりと降ってきた雨はやがて土砂降りに変わり、ターフでトレーニングをしていたウマ娘達やそのトレーナーは大慌てで校舎に戻る。

 

 個人的に雨はあまり好きではない。理由は色々あるが、第一に自分はウマ娘のトレーナーというのがある。

 

 今みたいな大雨が降ると、外で行うトレーニングはやり辛くなるし、レースの時にはターフが不良バ場になってしまう。それを加味して普段のトレーニングを行わなければならないのだが。

 外で練習していたウマ娘のほとんどは校舎に戻ったのか、窓の外に映るウマ娘は最初に見た時より大幅に減っていた。

 

 それでもターフの上に立っているのは0ではなく、この不良バ場に慣れるために少数はトレーニングを継続している。

 

 そんな姿にかつての自分達の姿を重ねる。

 圧巻の勝利を飾った阪神大賞典や、あまり思い返したくない秋の天皇賞の時も雨だったか。それらがもう遠い記憶のようで、つい懐かしいと感じてしまう。

 

 季節は冬。

 

 寒さに弱い自分は、これ見よがしにトレーナー室の暖房をかけ、ぬくぬくしながら仕事をこなしていた。テキトーにつけてたテレビには、レースを終えた後のウマ娘達がウイニングライブを行う姿が映る。

 

「トレーナーさん? いるのでしょう?」

 

 感傷に浸り油断をしていると、コンコンとドアをノックする音と聞き慣れた声が耳に届いたため、慌ててテレビの電源を落とす。

 

 入ってきたのは、『名優』メジロマックイーン。

 

 春の天皇賞を二連覇し、その他菊花賞や宝塚記念といったG1レースで優駿を飾った僕の担当ウマ娘だ。

 

「やあマックイーン。足の調子はどうだい?」

 

「今のところ怪我の治り具合は順調ですわ。全力で走ることはまだ叶いませんが、日常生活においては何も問題ありません」

 

「そうか、よかった」

 

 かの有名な復活劇、トウカイテイオーが1着を取った有記念から幾何の時が流れた。その有記念の数ヶ月前にマックイーンに左脚繋靱帯炎という怪我が見つかり、今はその休養中というわけだ。

 

「それにしても今日はどうしてここに? 君はまだ実家で療養中じゃなかったっけ?」

 

「そうですわね……。特に用事があるわけではなかったのですが、こうして足の調子も良くなってきたことですし、久しぶりに学園の中を歩いてみたいなと思いまして」

 

「それでたどり着いた場所がここと」

 

「ええ。それに、いい加減トレーナーさんのそのご尊顔を拝みたいと思いまして」

 

「定期的に会いに行ってるじゃん……」

 

 マックイーンは怪我をしてからというもの、医者からあまり外を出歩かないよう言い渡され、基本メジロ家に引きこもり状態となっている。

 学業の方はどうなんだと疑問に思ったが、そこは流石の優等生。家でもきちんと勉強しているらしく、同学年のウマ娘達に遅れはとっていないそうだ。

 

 マックイーンが家に引きこもっている間にトレーナーである僕が何もしないわけにはいかないため、彼女の怪我の状態を確認するだけでなく、メンタルケアなどもきっちり行なってきた。

 

「定期的にと言いましても、週に三回は些か少なすぎませんこと? お忙しいのは承知なのですが、もう少し家の方に来ていただきたいのですが……」

 

「いや、だって行くたびにもてなしてくれる爺やさんとかに凄い申し訳ないし」

 

 そう、マックイーンの実家はあの名家であるメジロ家だ。

 

 慣れてきたとはいえ、一般庶民である僕にあの門を何度もくぐらせるということはある種の拷問に近い。

 

 さらにマックイーンに会うだけなのに、行く度に高そうなお茶やお菓子を振る舞ってくれる。

 出されたものに遠慮して手をつけないというのも失礼なので、ついついいただいてしまい、美味しいと申し訳ないの感情の板挟みになるのが本当に辛い。

 

 これだけでも精神的にキツいところがあるのだが、執事やメイドから時折「これでマックイーンお嬢様の今後は安泰だ」だの「マックイーンお嬢様のお子様の顔が見てみたい」だの聞こえた時は思わず頭痛を覚えた。

 

 それより週三回ってそんなに少ないかな? 面会をしに行くのが週に三回ってだけでメールや連絡はほぼ毎日しているんだが……

 

 まあ言い訳じみたことを考えていても仕方がない。自分はメジロマックイーンのトレーナーだ。彼女の意向にはなるべく従うとしよう。

 決してここで無理に逆らったら後が怖いとか考えているわけではない。

 

「……分かった、これからは君の家に行かせてもらう頻度をもう少し増やしてみるよ」

 

「あら、よろしいんですの? 半分冗談で言ったつもりでしたのに。こういうのは言ったもの勝ちですわね」

 

 このガキ……今すぐそのもちもちのほっぺたをこねくりまわりしてやろうか。

 

 しかし言ってしまったからには後には引けない。次行く時には、爺やさんになるべく僕へのもてなしは控えめでいいということをさりげなく伝えておこう。

 

 マックイーンの足が順調に回復していることに安堵しつつ、なんだか彼女のいいようにされていることに若干恐怖を覚えながら、僕は仕事に戻るためパソコンと向き合う。

 

 とは言っても真面目にキーボードを打つだけでは退屈なので、その間マックイーンには雑談に付き合ってもらった。

 

 春までには学園に完全復帰するだの、脚の怪我が治った暁には復帰戦だの、ドリームトロフィーリーグでの活躍も視野にいれるだの、休養中ついスイーツを食べすぎてしまっただの……最後のに関しては、復帰時にしっかりと減量してもらうことを約束に見逃した。

 

 ここ最近の僕のことも聞かれたが、特に目立ったことはない。マックイーンの事を第一に、事務仕事やレースやトレーニングの研究を続ける毎日だ。

 

 そもそも、トレーナー業というのはかなりブラックである。

 

 完全週休二日制ではあるが、レースの研究や担当ウマ娘のトレーニング、その他諸々の事務作業などで休日という休日がほとんどない。もしこの仕事にやりがいを感じていなかったら、ウマ娘がいかに恐ろしいかということに気がついた時点で辞めている。

 

 大して面白い話も無かったため、僕の話は日頃の愚痴となってしまったが、マックイーンはそれも楽しそうに聞いてくれた。

 

 

 決して長くない時間が経ち、相変わらず他愛のない会話をしていると、ふと彼女は思い出したかのように新しい話題を振る。

 

「そういえばあれはどうなったんですの? トレセン学園の入学試験」

 

「あー、あれね。うん、今年も大変そうだったなあ……」

 

 トレセン学園の入学試験は受験希望者が多く、筆記、実技、そして面接と三つの項目があるため、普通の学校とは違いその全てを12月中に終わらせる傾向がある。

 

 もっとも、受験を終わらせるのであって、筆記の採点はまた別だ。ただでさえ人手不足のトレセン学園。例に漏れずトレーナー達もその稼業に駆り出される。

 

 こういうところだぞ、ブラックって言われるのは。

 

「それでも収穫はあったのでしょう?」

 

「まあね。今年の受験生はみんな逸材だよ。入学前だからまだ荒削りだけど、どの娘も磨けば確実に光るものを持ってる」

 

 担当科目の都合上、実技のテストしか見ていないが、どのウマ娘も鍛えがいがありそうな子ばっかりだった。きっと彼女たち達は今後のトゥインクルシリーズで輝かしい戦績を残すのだろう。

 

「あ、そういえば受験生の中にはあの子達もいたぞ。ほら、最前列で君とトウカイテイオーを応援していた」

 

「まあ! もしかしてサトノダイヤモンドさんとキタサンブラックさんのことですの⁉︎」

 

 お、おう。

 

 そんな言葉を発することもできないほど、マックイーンは勢いよく食いついてくる。そんな押され気味の僕の姿を見て我に帰った彼女は、コホンと咳払いをしながら姿勢を正す。

 

「それで、トレーナーさんの言ってる子達というのは……」

 

「うん、確かその子達で間違いないよ。試験の後に話しかけられたんだ。主にマックイーンのことについてだけどね」

 

「ふふ、あなたが私のトレーナーとして話しかけられるという事は、彼女達に顔を覚えられていたという証拠ですわ」

 

「世間の大半は悪人として認識してるだろうけどね」

 

 メジロマックイーンは左脚繋靱帯炎を発症した。それはウマ娘にとって不治の病と称されるほどの怪我であり、たとえ回復したとしても元のように走ることはできないと言われている。

 

 そんな怪我が、トゥインクルシリーズで大活躍中のマックイーンに見つかったのだ。それに世間が大騒ぎをしないはずがない。

 

 しかし、まもなくそのメジロマックイーンの口から復帰宣言がなされた。

 

 もちろんそれを歓喜し祝福してくれる人も多かったのだが、怪我をした彼女にこれ以上走らせるのか、この復帰宣言はトレーナーのエゴではないのかという声も続々と出てきた。

 

 それに関してはごもっともだ。普通ならばこのまま引退という流れであっただろう。だが、マックイーンは自分の声を全国に届けんとばかりに、もう一度走ると宣言した。

 そんなマックイーンに対して心配こそあれど、怒りや批判といったものをぶつけるのはお門違いであろう。

 

 ならばその感情はどこへ行くのか。

 

 それは彼女の周りの人間だ。その中でも最も怒りの矛先が向きやすいのは彼女のトレーナー、つまり自分ということになる。

 当時の自分はこれは仕方のないことだと自分に言い聞かせたが、世間からのバッシングはとても耐えられるものではなかった。

 

 それに、自分もやはり心のどこかでマックイーンの走りをもう一度見たいと思っている。なので、マックイーンを無理矢理走らせようとしているのではないかという批判を完全に否定することも出来なかった。

 

 そんな罪悪感もあって、自分は一度マックイーンのトレーナーを降りるためトレーナー業自体を辞めようと決意したことがある。

 その時は理事長室に辞表を出しに行く途中、ゴールドシップに拉致されてマックイーンのいる所まで連れていかれ、彼女に渋々と事の顛末を話すと思い切りぶん殴られ数日間意識が無かったことがあるが、それはまた別のお話。

 

「ま、僕は世間のヒールいひゃいいひゃいひゃい!」

 

 僕の自虐が気に障ったのか、マックイーンは僕の頬を思い切りつねる。

 

 だってしょうがないじゃん! 事実なんだし! 

 

「全く、バカなことを仰らないでくださいます? あなたが批評されるということはその担当ウマ娘も批評されるのと同義ですのよ? そもそも、私達は一心同体を誓いあった者同士。あなたは自分一人を貶めてるつもりでも、私にとっては……って聞いてますの!?」

 

「聞いてるよ。でも手加減してくれないからほっぺたが滅茶苦茶痛くてさあ。もうちょっとでマックイーンのほっぺたみたいになるところだったわ」

 

「なっ、私の頬はもちもちでもぷにぷにでもありませんわ!」

 

 もちもちともぷにぷにとも言ってないのに、そう言った単語が出てくるということは自覚しているのだろう。

 やはり今からでも彼女に減量をさせるべきかと考えたが、ぷんすか怒るマックイーンを見るとその気も削がれてしまった。

 

「はいはい悪かったって。今のマックイーンは夜中にスイーツ食べて太り気味になってたあの頃とは違うもんな?」

 

「……ええ! そうですわ!」

 

 おい、なんだ今の間は。

 

「そ、それより話を元に戻しませんこと? ほら、サトノダイヤモンドさん達の受験結果とか」

 

 マックイーンに訝しげな視線を向けていると、彼女はわざとらしく咳払いをして話を逸らす。この件は後で徹底的に問い詰めさせてもらおう。

 

「まだ結果は出てないし確実なことは言えないけど、実技に関しては特に問題なかったよ。僕の担当した受験生の中では群を抜いていたね」

 

「……あの、自分で聞いといてなんですけどそういう個人情報というか機密事項というか、そういうの私に話しても大丈夫なんですの?」

 

「んー、大丈夫か大丈夫じゃないかで言ったら大丈夫じゃないんだろうけど、まあこれ以上外部に漏らさなかったら別にいいんじゃないかな。僕はマックイーンを信用してるから大丈夫だと思ったんだけど」

 

 そう言った瞬間、マックイーンの耳がピクっと反応し、尻尾がゆらゆら揺れ始める。

 

「そ、そうですか。私達はここまで共に駆け抜けてきた関係なのです。信用し合っているなんて当然ですわ」

 

 と言ったものの、彼女の尻尾ゆらゆら耳ぴこぴこというかわいい動きは止まっていない。

 恐らく無意識なのだろう。こう言った小さなところで好感度を上げることができる。

 

 ちょろいぜ、将来が心配だ。

 

「あ、そういえばトレーナーさん。今の情報、テイオーには伝えてもよろしいですか?」

 

「僕とマックイーンが信用し合ってるってこと?」

 

「じゃなくて! サトノダイヤモンドさんとキタサンブラックさんの受験についてです!」

 

 ああ、そっちか。まああの二人は受験の日にトウカイテイオーと会っていたみたいだし問題ないだろう。

 

 手でオッケーマークを作ると、マックイーンはスマホを取り出し、チャットアプリでトウカイテイオーと情報を共有する。

 

 それにしても、マックイーンにとって自分のことを慕ってくれる子が後輩となるのだ。悪い気はしないだろう。

 

 そんな青春真っ盛りな彼女に、僕は大人気なく羨ましいと感じてしまった。

 

 サトノダイヤモンドだけでなく多くのウマ娘から慕われているマックイーンを見ていると、後輩から慕われるということのなかったという自分の悲しい事実が心を抉りにくるため、ゴミ箱に蓋をする要領で過去の記憶を押さえつけ、悲しみをグッと堪える。

 いや、後輩と仲が悪かったわけではない。むしろ良かったのだが先輩として敬われている感は一切無かった。

 

 閑話休題

 

 そんなマックイーンの姿を羨ましく、そして微笑ましいと感じつつ仕事に戻った。

 

 青春真っ盛りのキラキラしている彼女を横目に、理事長に笑顔で押し付けられた……頼まれた仕事をそそくさとこなしていく。あの人僕のことを労働マシンかなにかと勘違いしてないか? この前も新しい仕事を振られたんだけど……

 

 ああそうだ。その新しい仕事といえば、マックイーンとも共有しておかなければならないものがあったな。

 

「なあマックイーン、ちょっといいか?」

 

「はい? なんですの?」

 

「実は僕に新しい仕事が割り振られていてね。マックイーンも無関係じゃないから聞いてもらいたいんだ」

 

「よろしいですわよ。私達は一心同体。そんなことお茶の子さいさいですわ」

 

 ここ来る前にマルゼンスキーとでも会ったの? というツッコミを飲み込み、なるべく笑顔を作って内容を伝える。

 

「理事長からの命令で新しくもう一人ウマ娘を担当しなくちゃならな」

 

「は?」

 

 全てを言い終わる前に、マックイーンからは考えられないほどの低い声が聞こえ、彼女のスマホがメキィッと嫌な音をたてながら犠牲となった。

 

 

 



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怪しい雲行き

 

 人類という生き物は、ここ数千年で高度に成長した存在だ。文明や言語が栄え、争いと発展を繰り返し、悪い言い方をすれば、実質この星の絶対的な支配権を握っていると言っても過言ではない。

 

 そんな人類と古来から良好な関係を保ち、人類と酷似した機能を持つ全く別の存在

 

 ウマ娘

 

 そんな彼女達の最も得意なことは走ること。彼女達は主に決められたレースでその実力を発揮するが、レース以外では走らないというわけでもない。

 時速70kmほどで走るウマ娘は、それに見合った強靭な肉体を持っており、仮に彼女達に本気で激突されたとなったら人間などひとたまりもない。

 

 今ではしっかりとした法整備により、凄惨な『事故』を極力減らすことに成功している。まだきちんとウマ娘に対する法が制定されていなかった時代は、ウマ娘が人にぶつかって死んでしまうということがザラにあったらしい。

 

 そしてウマ娘は女性しか存在せず、皆が整った顔立ちをしている。女性しか存在しないのでは繁殖活動ができないではないかと思うかもしれないが、そこは問題無いらしく、先程述べたようにウマ娘と酷似している存在である人類と子孫を増やすことが可能である。

 

 だが、彼女達がいかに容姿端麗とはいえ、うっかり自分を殺してしまうような存在と契りを結びたいと思う人はほとんどおらず、恋愛感情をぶつけられることがほとんど無いらしい。

 そのため、ゴールドシップのようにそもそも恋愛感情があるかどうか分からないウマ娘を除いて、彼女達は多少……いや、かなり愛が重いところがある。

 

 数年前まではこのトレセン学園でも、トレーナーが担当ウマ娘ごと『なぜか』行方不明になってしまう事件が度々起き続けていたと聞いたことがある。今では理事長や生徒会により対策が取られ、そういった不祥事は九割程減ったとのことだ。

 それでも0にならないところを見るに、ウマ娘という存在の恐ろしさが滲み出ている。

 

 ここまでの内容をまとめると、ウマ娘という生き物は人類よりも遥かに優れた身体能力を有しており、主に走ることを得意としている。

 そして、皆揃って容姿端麗であるが、種族的な立場から親愛はあっても恋愛感情をぶつけられることがあまり無いため愛が重い。

 

 

 さて、何故自分がウマ娘という存在を今一度確認しているかというと、目の前でスマホをギャグ漫画の世界かと思わせるくらいの壊し方をした、身体能力お化けからどう生還しようかと考えているためだ。

 

 まだ、まだ諦めるな! 諦めなければ道は開ける! 

 

 週刊少年誌に載ってそうな青い臭いセリフを頭の中で反芻しながら助かる方法を模索したが、恐怖の元凶が壊れたスマホを片手に笑顔で接近し始めたところで諦めがついた。

 

 大人しく、素直に理事長からのお願いという名の死刑宣告を受けた日のことをマックイーンに話す──

 

 

 

 ***

 

 

 

「昇格っ! 君には新たにもう一人ウマ娘を担当して欲しい!」

 

 今朝、唐突に呼び出しがかかったので何事かと思ったら、話が始まった瞬間理事長がちょっとよく分からないことを言い出した。

 

 自分の対面に座る一見少女にしか見えない女性はこのトレセン学園の理事長である秋川やよい、そして隣に座る緑色のお姉さんはその秘書である駿川たづなだ。

 

 彼女達は常日頃からウマ娘達のために尽力しており、その他トレーナーを生業とする自分達にも手厚いサポートをしてくれる存在だ。まあブラックなのだが。

 

「えっと……今なんて? 聞き間違いじゃなかったらウマ娘をもう一人担当しろって……」

 

「肯定っ! メジロマックイーンを担当し、輝かしい功績を評して、君には担当ウマ娘の増員をしてもらいたい!」

 

 担当ウマ娘が増えるということをこの人達は理解しているのか? 

 

 トレーナーとウマ娘というのは、常に一定の距離を保って接し続けないければならない関係だ。

 近すぎず遠すぎず、これを徹底しなければならないと、トレーナー見習いの時に先輩から嫌というほど叩き込まれた。

 

 自分だって今や一端のトレーナーだ。マックイーンとはそこそこ良好な関係を結べているだろう。

 

 トレーナーとしては新人の方の自分だが、今のところマックイーンとのいざこざはあまりなく、平和にトレーナー業を続けることができている。

 

 だが担当ウマ娘が増えるとなると話は別だ。

 

 まず今まで一人に集中していたものを、複数人に増やさなければならない器用さが求められる。

 しかし、これは中央のトレーナーライセンスを取得した人ならば恐らく問題無いだろう。それができないレベルでは中央のトレーナー試験には合格することができない。

 

 問題はやはり、その担当ウマ娘達との距離感だ。

 

 つい先日、複数人のウマ娘を担当していた地方のトレーナーが、その担当ウマ娘達に襲われたという話を耳に入れたばかりだ。ここで言う『襲われた』というのは、もちろんあっちの意味でだ。

 

 黒沼トレーナーやおハナさんみたいなベテラントレーナーなら問題ないのだろうが、自分みたいな新人からしたら恐怖話でしかない。何せ今後の人生が掛かっているのだ。

 

 よし、ここは断ろう。

 

 自分のことを高く買ってくれている理事長には申し訳ないが、今はマックイーンの怪我のこともある。この状況で他のウマ娘のトレーニングを満足に指導できるとは思えない。

 

 後やっぱり怖い。単純に恐怖。

 

「理事長、それは大変喜ばしいお話なのですが、自分にはまだ荷が重いと思うので辞退させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「驚愕っ!? 君は若くして功績を挙げた素晴らしいトレーナーだ! その力を、まだ担当のついてないウマ娘や、これから入学してくる新入生のために奮って欲しいのだが……」

 

 僕の否定にしょんぼりしてしまう理事長に少々罪悪感を覚えてしまう。

 

「……でも自分には怪我をしたマックイーンがいます。それを放って他のウマ娘を担当するなんてできません」

 

「それは……確かにそうだな。君は第一にメジロマックイーンのトレーナーだ。怪我をしている彼女のことを懸念する気持ちは十二分に分かる。だが、現状トレセン学園では人手が不足っ! このままでは未来あるウマ娘達が実力を出しきれないままこの学園から去ってしまう! 懇願っ! どうか、どうか検討してほしいっ!」

 

 そう言って理事長は僕に対し頭を下げる。

 

 自分だって他のウマ娘が実力を発揮できないままでいるというのは気持ちの良いものではない。とはいえここで了承してしまえば、最悪僕が死ぬ。

 

 それに実績を残したとはいえ、それはただマックイーンが凄かっただけの話だ。謙虚でもなんでもなくて単なる事実。

 まだ新人の域を抜け出せない自分は、複数人のウマ娘を器用に担当するだけの自信が無い。

 

 やはりここは心を鬼にして断ろう。とりあえず優先すべきはマックイーンのことだ。

 

 眼前には未だに頭を下げ続けている理事長。

 そして諦めろと言わんばかりの目をしたたづなさん。

 

 その二人を交互に見て僕は決意する。

 

「マックイーンの怪我が完治したら大丈夫ですよ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「なんと言いますか……押しに弱すぎませんこと?」

 

「僕もそう思う」

 

 高級スイーツ店の予約を約束になんとかマックイーンを宥めすかせて、件の経緯を話し終える。

 

 いや仕方ないじゃん。あの理事長にあそこまで頼まれると断りきれない。

 

「それにしても私の他にウマ娘を担当することになるのですか……」

 

「いや、マックイーンの指導にも手を抜くつもりはないよ?」

 

「それは……まあそうしていただけると幸いなのですが……」

 

 そこにあったのは先ほどのような怒りではない。かつて一心同体を誓ってから、互いに言いたいことは言い合うようにしていたのだが、珍しくマックイーンは何かを言い淀むような姿を見せていた。

 

「はあ……何を考えているかは知らないけど、僕はマックイーンの担当を降りる気は無いし、むしろ今後も君の走りを近くで見続けたいから土下座してでも担当を続けさせてもらうつもりだよ」

 

「え? でも以前担当を降りようとして私が平手打ちを……」

 

「そんな事実は無い。いいね?」

 

「いいわけありませんわ」

 

 ちっ、ダメか。

 てかあの時のあれは平手打ちじゃなかっただろ。パーじゃなくてグーだったよ。

 

「……正直な話、私不安でしたの。不治の病とまで言われる怪我をして、もうかつてみたいには走れないと言われて。それでも貴方と共に走り抜けたいと思ったから今日までリハビリを続けてきましたわ。でもそこに先の件。お前はもういらない、走らなくていいと、トレーナーさんがそんなことを言うはずないと分かっていても、そう考えざるを得ませんでしたわ」

 

「……すまん。君にそんな思いをさせてたなんて、配慮が足りてなかった」

 

「謝らないでくださいませ。貴方が評価されているということは私にとっても誇りなのですから」

 

 マックイーンはそう言うが、彼女の表情からはまだ不安の色が取れていない。先程スイーツという切り札を使ってしまったので、それ以外で彼女の機嫌を取る必要がある。

 

「ほら、僕に出来ることならなんでもするよ。さっきのスイーツとはまた別で」

 

 ありきたりかもしれないが、今の僕に切れる最大のカードだ。これがダメなら靴を舐めるしかない。

 

「……なんでもいいんですの?」

 

「君が望むことならなんでも」

 

 マックイーンはそうですかと呟いて少し考え込む姿を見せる。

 

 あの、せめて可能な範囲にしてくださいね? そんなに考え込まれると不安になるんですけど……

 

「……トレーナーさん、このお願いはまだ先に取っておいて良いですか?」

 

「え? ああ、急に何かって言われても思いつかないよな」

 

「そうではないのですが……いえ、トレーナーさんが気づいてないなら構いません。お願い、忘れないでくださいませ」

 

 そう言ったマックイーンは何故か見るからに上機嫌になった。一体全体何をお願いされるのだろう。

 

 まあ、何はともあれマックイーンの機嫌が直ったようでよかった。ここにきてまで彼女を不安にさせてしまうのはトレーナー失格に他ならない。

 彼女はまだ走れないとはいえ、ウマ娘にとってメンタルケアは重要だ。それがきちんとできているかは疑問だが。

 

「あら、もうこんな時間……トレーナーさん、私はここで失礼させていただきますわ」

 

「うん? もう帰るのか?」

 

「ええ、特に用事があるわけでもありませんでしたし、貴方とお話ができたので」

 

「そうか。まあそこそこの頻度で会ってはいるんだがな」

 

「その頻度、増やしてくださるのですよね?」

 

「へいへい、わーってますよー」

 

 そう言いながら、マックイーンを正門まで送ろうと立ち上がりコートを羽織る。

 

「見送りなら大丈夫ですのよ? 家の者を遣わせますし、今日も実家に戻るだけですので」

 

「それでも一応ね。学園内とはいえ、暗い夜道を女の子一人で歩かせるのはあまりよろしくないでしょ」

 

「もう、本当に大丈夫ですのに……なら、見送りの代わりにしてほしいことがあるのですがよろしいですか?」

 

 ……嫌な予感がする。なんだ、靴を超えて足を舐めろとでも言われるのか? 

 

「そ、そんなに身構えないでください……。貴方はただ後ろを向くだけで結構ですので」

 

 マックイーンに言われたとおりにその場で後ろを向く。

 すると後ろを向いた瞬間、背中に何かが抱きついてきた。

 

「ちょっ、マックイーンさん!?」

 

「少し静かに」

 

「あ、はい」

 

 背中に飛び込んできた正体は言わずもがな、マックイーン。

 

 ウマ娘である彼女に抱きつかれた状態なため身動きを取ることができず、さらに発言まで封じられてしまい、僕にできることはこの気恥ずかしい状況を耐え忍ぶだけだった。

 

 その状態でどれほどの時間が経っただろうか、彼女が口を開く。

 

「これからも、私と共に駆け抜けていただけますか?」

 

「……愚問だね。さっきも言った通り、僕は君の担当を降りる気はないし、君の隣に立てるように努力を怠らないよ。なんたって僕達は『一心同体』だからね」

 

「……その言葉が聞けただけで充分ですわ」

 

 マックイーンは僕の背中から離れ、そのままくるりと背を向けて扉へ向かう。

 

「トレーナーさん」

 

 落ち着いた彼女の声音は、僕にこの時間が永遠のものであるような感じに錯覚させる。

 

「これからも、よろしくお願いしますわね?」

 

 そう言って部屋を後にした彼女の頬は少し紅潮していた。それは恐らく自分もそうなのだろう。

 

 自分だってトレーナーである前に一人の男だ。マックイーンとは歳が離れているので億が一にもありえないが、彼女のような美少女に抱きつかれたら恥ずかしくもなる。

 

 そして言い逃げのように部屋を出た彼女を見届け、

 

「もう一人ウマ娘を担当しろって……マジかあ……」

 

 真っ二つにへし折れたマックイーンのスマホを見て現実に戻るのだった。

 

 

 



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輝く一等星

 

 雨はとうに止んでおり、既に日は沈みきり、寮生に定められた門限はとっくに過ぎ去っている時刻となっている。

 

 そのため、学園内の暗い夜道を歩いているウマ娘は、この場において私しかいない。

 

 ふと空を見上げると、そこにはまばらに光る星々がある。

 トレセン学園は都市部にあり、満天の星を見られるというのは停電でも起こらない限り叶わないだろう。

 それでもなお薄く輝き続ける一等星を見て美しいと感じ、私は情趣を覚える。

 

 そういえば、私が今見てる星の輝きというのは、何万年、何億年と昔に放たれた光だということを同室のイクノディクタスさんから教わった覚えがある。

 

 そんなことを思い出しながら今日あったことを振り返る。

 

 

 …………

 

 

 何やっちゃってるんですか私はああああああああああああああああ!?!? 

 

 

 え? いきなり後ろ向いてくださいって言われて何も疑うことなく従うトレーナーさんもトレーナーさんですが、そこに後ろから思い切り抱きつくなんて淑女としての欠片もありませんわよね!? 死ぬの? 私死ぬんですか!? 

 

 

 放たれた星の光が後になって目に届くように、自分の行為が後に羞恥となって自分自身に届いた私は、頭を抱えて蹲ってしまう。

 

 彼と会うこと自体は別に珍しいことではないが、トレーナー室で時間を共にするということは久しぶりであったため、つい気分が昂まってしまった。

 

 トレーナー室に微かに漂う彼の匂い、そしてそこで繰り広げられる他愛もない会話。

 それだけで、最後の奇行を行わせる程度には、私の気を狂わせることは充分すぎた。

 

「もしかしてバレました……? 私がトレーナーさんを好きってことがバレました……?」

 

「なんでバレてねえと思ってんの?」

 

「ひゃああああああああああああああああ!?!?」

 

「おいおいそんなでかい声出すなよ。今海王星にいる土星人と通信してんだから抑えろって」

 

 私の独り言に反応したのは、美しい芦毛をたなびかせ、レースでは後方から凄まじい追込をみせるトレセン学園きっての変人……ゴールドシップだ。

 

「ゴ、ゴールドシップさん……? き、急に後ろから声をかけてこないでくださいます!?」

 

「いやあ、マックイーンが一人で面白そうなことしてっからよ」

 

「……面白そうなこと? 私第三者目線からしてどのようなことしていたんですの……?」

 

「ダンゴムシみたいに丸まって地球にトレーナーへの愛を語ってたな!」

 

「やってません! やってませんわ!! ……本当にやってませんわよね?」

 

「なんでお前が不安になるんだよ」

 

 どうやらゴールドシップの言うようなことはやっていないらしい。

 羞恥からか、ついさっきまでの記憶があやふやで、自分が何をしていたかをはっきりと覚えていない。

 

「それで、どうして貴方はここにいますの? もうとっくに門限の時刻は過ぎていますのよ?」

 

「だってマックイーンが学園に戻ってきてるって聞いたから大人しく待ってたのに、このゴルシちゃんの所に姿を現さないからよ。こっちから会いにきてやったぜ!」

 

「本当に大人しくしていたかは疑わしいのですが、どうりで今日は学園内を平和に歩けていると思いましたわ……」

 

 彼女のことは決して嫌いではない。

 ただ絡まれると高確率で面倒事が襲ってくるので、つい避けてしまう。

 それでも憎めないウマ娘なので、こうして相手をしているわけなのだが。

 

「んで、何悩んでんだ?」

 

「……え?」

 

「さっき聞いた感じ、マックイーンのトレーナー絡みってのは分かんだけどさ。いつも世話になってるマックイーンのために、悩みくらい聞いてやろうと思ってな」

 

「……貴方がそんな殊勝な態度を取るだなんて、何か企んでるのかと勘繰ってしまいますわね」

 

「どっちかって言ったら企んでるぜ」

 

「さようならゴールドシップさん、スピカの皆さんにはよろしく伝えておいてくださいまし」

 

「冗談だって! この程度で拗ねんなよ!」

 

「はあ……私、家の者を待たせているので、そろそろ本当に失礼しますわ」

 

「ちょっと待てよ、まだ何があったか聞いてねえぞ?」

 

 

 ……これは話さないと帰れなさそうですわね。

 

 

「べ、別に聞いてて面白い話ではありませんのよ?」

 

「あたしはマックイーンの話ならなんでも面白いと思うぞ」

 

「何故でしょう……貴方に言われるとあまり良い気はしませんわ……」

 

「いいから話せって! 早くしねえと火星探査機ゴルシちゃん3号が全宇宙にマックイーンがトレーナーの隠し撮り写真集見てニヤニヤ」

 

「あああああああああああああ! 分かりました! 分かりましたので少し黙ってくださる!? ていうかなんで知ってますの!?」

 

「え、冗談のつもりだったんだけど……マジなん?」

 

「……ゴールドシップ、貴方は今私の悩みを聞いていただけ。いいですわね?」

 

「いやでも」

 

「い い で す わ ね ?」

 

「……うっす」

 

 

 少しゴールドシップがよく分からないことを言っていたが、それを無かったことにして私は先程トレーナー室で行った一連の行為を彼女に話した。

 

 正直あれだけの痴態を晒した後なので、彼女であれば何を言っても笑い飛ばしてくれるだろう。

 

 そう思っていた。

 

 

「お前、何やってんだ」

 

「ちょっ、また真顔ですの!? せめて笑ってくださいます!?」

 

「いやだって……他の担当ウマ娘が増えるの嫌だからってバッド入って嫉妬して最大限に自分の匂いをトレーナーに擦り付けるって」

 

「しーっ! 声が大きいですわよ! もしこんな情報が生徒会の耳に入ったら私ここにはいられませんわ!」

 

「おう安心しろ。あたしちょうど今生徒会の奴らに狙われてっからよ」

 

「貴方はいっつもそうでしたわね!!」

 

 ゴールドシップは冷静な雰囲気を醸し出しながら、自分がとんでもなく危険な吊り橋を渡っていたことをサラッとカミングアウトする。

 

 これが生徒会の耳に入ったらとんでもない。

 決してそんなことはないのだが、十中八九私とトレーナーが淫らな関係にあると疑われてしまう。

 

 地方のトレセン学園では特に"そういった"不祥事が多いらしく、事中央に至っては厳しい監視体制が敷かれてある。

 

 とどのつまり、このままここに居続けるのはマズイということだ。

 

「ゴールドシップさんっ……貴方覚えておきなさい……!」

 

「およ? 元はと言えばいつまで経っても奥手なマックイーンのせいなんじゃねえか?」

 

「なっ!? 私、今回はかなり勇気を出してアプローチしましたわ!」

 

「おいおい、その程度で勇気を出したなんて言ってもらっちゃあ困るぜ。そこまで行ったんなら抱きついてキスして告白までしろってんだ!」

 

「キ……キスに告白だなんて……む、無理ですわ! 私にはまだ……」

 

「そういうところじゃねえのか? お前とトレーナーの関係が進展しねえのはそういうところなんじゃねえのか? このままの関係が嫌ってんなら一歩踏み出せよ! 男だろ!? 富士山のてっぺん目指して這い上がれってんだ! 目指せキリマンジャロおおおおおおお!」

 

「うるさいですわよ! そもそも私ウマ娘だから女」

 

「おい! 見つけたぞゴールドシップ!」

 

 ゴールドシップに反論しようとした時、私でもないゴールドシップでもない第三者の声が外野から発せられる。

 

 

 生徒会副会長であり、『女帝』と呼ばれるに相応しい佇まいであるそのウマ娘

 

 

「やっべ、エアグルーヴのとっつぁんだ! 生徒会室にネザーゲート開通させたのがバレちまったみたいだな!」

 

 本当にこのウマ娘は何しているのだろうか。一度本気でしばかれた方が良いのではないかと思う。

 

「というわけでマックイーン。お前のトレーナー、もたもたしてっと取られちまうかもって話、忘れんなよ! じゃあな!」

 

「えっ、そんな話──」

 

「おい本当に待て! 生徒会室のあの珍妙な物体をなんとかしろ! ブライアンは見当たらないし、会長は駄洒落がウケなかったことで拗ねておられるし、風紀委員は別で問題を起こすし……ああ、胃が……」

 

 エアグルーヴ副会長も相当苦労なさっているのですね……

 

 ただでさえ立場上苦労人なのに、そこにゴールドシップという特効薬の無いウマ娘を相手にするなど、並のウマ娘では本当に胃に穴が空いていてもおかしくはない。

 

 

 それにしても、取られてしまう……か。

 

 確かにトレーナーさんは多くの人やウマ娘と交流がある。

 普段は私が目を光らせているので問題無いが、それでも私の目を盗んではトレーナーさんに接して自分の匂いを残す卑しいウマ娘もいる。

 

 あの方は私のトレーナー、私だけのトレーナーのはずだ。永遠では無いにしろ、この関係が続くと思っていた。

 だが、もうすぐそうじゃなくなると考えると胸が張り裂けそうになる。

 

 分かっていたことだが、どうやら自分はかなり独占欲が強いらしい。

 

 トレーナーさんの、ナンバーワンではなくオンリーワンのウマ娘。彼にとって、ただ一つの一等星であったはずだ。

 その立場が、今は顔も名前も分からない新たなウマ娘に崩されてしまう。とても穏やかな気分ではいられない。

 

 もういっそトレーナーさんに自分の思いを打ち明けてしまおう。

 

 そんなことが私の頭を過ぎった。

 しかし、自分からガツガツ行くというのも淑女としてどうなのか。

 

 私はメジロのウマ娘。

 それを誇りだと思っているがゆえに、相手がトレーナーさんとはいえ、ホイホイと殿方を求めるというみっともない真似はできない。

 

 それでもトレーナーさんを取られるのは嫌だ。

 例え強欲だと言われようと、トレーナーさんもメジロ家の誇りも我が物としたい。

 

 ならばどうすれば良いか、そんなの考えるまでもない。

 

 

 私の足を懸けて、私の脚で駆けて

 

 この怪我を乗り越え、トレーナーさんから告白させてみせますわ! 

 

 

「おい、何自分は関係無いみたいな顔してるんだメジロマックイーン。お前もゴールドシップの関係者として、後日生徒会室に呼び出しだからな」

 

「……え?」

 

 

 



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始まりの季節

 

 

 

 トレーナー専用の寮からトレセン学園までの距離はそれほど長くない。

 歩いて学園まで行くには多少時間がかかるが、車を出すには短すぎるほどの距離だ。

 

 この短い道のりを、わざわざ車を出してまで移動して地球温暖化に加担しようとは思わない。

 それならば変わり映えのない通勤路に目を向けた方がまだマシだ。

 

 そんな道のりを歩いていると、「ああ、自分がウマ娘だったら一瞬で学園に着くんだろうな」と考えてしまう。

 あいにく、僕の母親は普通の人間であり、そもそも僕自身男なため、そんな妄想は万が一にでもありえない。

 

 道路や街路樹、そこそこ多い乗用車、ウマ娘専用の通路、至って普通の光景だ。

 

 しかしそんな普通の道のりでも、木々の隅々に咲き誇った満開の桜を見れば、ああ、今年もこの時期がやってきんたんだなと特別感を覚えてしまう。

 

「だから言ったじゃない、大事な日の前は早く寝なさいって!」

 

「だってだって! 緊張して中々眠れなくって!」

 

 ゆっくりと歩いている僕の横を、二人のウマ娘が物凄いスピードで駆け抜けていった。

 顔すらも確認できないほどのスピードだったため、誰だったかは分からなかったが、口ぶりからするにおそらく新入生だろう。

 

 桜が舞い、新入生を目の当たりにして特別感の増す通勤路。

 

 そして先程の新入生であろう二人組よ。

 新たな門出に水を差すようで申し訳ないことを言うが

 

 君達多分遅刻だ。

 

 ま、僕も僕でかなりギリギリの時間なんだけど。

 

 

 

 ***

 

 

 

 場所はトレセン学園、体育館裏にて

 

「だから言いましたよね? 大事な日の前は早く寝てくださいと」

 

「だってだってー、緊張して中々眠れなくってー」

 

「……喧嘩を売ってるのなら買いますわよ?」

 

「すみませんでした」

 

 怖い笑顔を見せるマックイーンに、ノータイムで謝罪をする。

 

 マックイーンをからかうのは楽しいが、これは洒落にならないやつだと瞬時に悟った。

 彼女を怒らせると本当に怖い。

 

「今日は新入生の皆さんにとって大事な日というのを本当に理解していますの?」

 

「してるんだけど、人前に立つのってやっぱ苦手でさあ。マックイーンだけでなんとかならない?」

 

「ダメに決まってますわ。新入生の皆さんは私だけでなく、貴方からも話を聞きたいと思っていますわ」

 

「ほんとかよ……」

 

 新入生を目の当たりにした直後なので言う必要はないかもしれないが、今日はトレセン学園の入学式の日だ。

 中央のトレセン学園に入学できるほどの才能を持った選ばれしウマ娘達が、皆目を輝かせながらシンボリルドルフ会長の話を聞いている。

 

 本日のメインイベントは入学式だが、もちろんこれで終わりというわけではない。

 

 入学式の後、毎年恒例の行事として新入生への講演会がある。

 

 これは誰でもできるわけではなく、トゥインクルシリーズで活躍したウマ娘とトレーナーの中から選ばれるものだ。

 客観的に見たらとても栄誉あることだが、僕の大勢の前で話すのが苦手という性格上、やりたくないと思ってしまうのは仕方がないだろう。

 

 それでは今までのマックイーン関連の質問を大勢の記者からされた時はどうしていたのだと思うかもしれないが、僕は大抵のことはマックイーンのためと思えば切り抜けられる。

 

 今回も例に漏れずその思考だ。

 

 何よりマックイーンがここまでやる気なのだ。トレーナーである僕が駄々をこねる訳にはいかない。

 

「全く、しっかりしてください。貴方がそんなでは私やメジロ家にも傷がついてしまいますわ」

 

「それはマズイ。君に恥をかかせる訳にはいかないな」

 

 気合を入れる為に両手で頬をぺチッと叩く。

 

「ふふっ、それでこそ私のトレーナーさんですわ」

 

 マックイーンも僕の真似をして気合を入れる。

 

 なんだその仕草、かわいいな。僕がやったらキモいだけだけど。

 

「それはそれとして、事前に作っておいた台本は持っていますの? それと喋っていると喉が渇くので水分は必須ですわ。後、お手洗いは大丈夫ですの? 私達の出番までには済ましておいてくださいませ」

 

「君は僕の母親か?」

 

 なんだろう、僕ってもしかして信用無い……? 

 

 ここにきて何故かとてつもなく過保護になったマックイーンを怪訝に思いながら、事前に作っておいた講演会用の資料にもう一度目を通す。

 

 大まかな流れとしては、まず新入生への挨拶。次にレースの経歴や細かな裏話。そして最後に質疑応答と言った形だ。

 与えられた時間の関係もあり、特に変わったようなことはせず簡素なものとなった。

 

 これでいいのか? と思わなくもないが、大事なのはマックイーンの声を新入生に届けることだ。

 彼女達は期待や希望を持って入学してきたが、それと同時に不安も少なからず抱いているだろう。

 そんな時の、憧れの先輩から貰う声やアドバイスというのは非常に心強い。

 

 さて、昨日のうちにリハーサル的なのは終わらせたし、最後の確認も終わったところで、現状体育館内がどうなっているか確認しよう。

 

「……トレーナーさん? 何をしていますの?」

 

「覗き見」

 

「言い方。傍から見たら不審者にしか見えませんわね……」

 

 そう言いつつも、マックイーンも中がどうなっているのか気になるらしく、覗き見の態勢に入る。

 

 僕とマックイーンがこそっと窓から体育館を覗くと、すでに入学式は終わっており講演会はもう始まっていた。

 壇上にはマックイーンのライバルであるトウカイテイオーと、彼女の所属するチーム〈スピカ〉のトレーナーが立っている。

 

 〈スピカ〉のトレーナーは、ベテラン中のベテランだ。その実力はトレセン学園の5本の指に入るとまで言われている。

 彼はベテランなだけあって、こういった場も慣れているのか、全く緊張している素振りを見せていない。

 

 流石は僕の憧れの先輩だ。

 ウマ娘を見つけてはすぐに足を触りに行こうとするところが玉に瑕なのだが……

 

 そしてトウカイテイオーはというと、これまた緊張のきの字も見せていない。むしろ生き生きしている。

 元々彼女は目立ちたがり屋なウマ娘なので、人前に立って話すなど造作もないことなのだろう。

 

「流石テイオーですわね。私も彼女のああいった所を見習わなければなりません」

 

「……リスペクトしてるんだな」

 

「当然ですわ。なんたって私の『ライバル』ですもの」

 

 そうだよな、マックイーンとトウカイテイオーは、同時期にトゥインクルシリーズで有名になった存在だ。

 春の天皇賞でもしのぎを削った者同士ということもあり、お互いがお互いを意識するなと言われる方が難しいまであるだろう。

 

「まあ、テイオーも凄いウマ娘だと思いますわよ。私の次に」

 

「負けたくないのは分かるけどその言葉で台無しだよ」

 

 二人が走った春の天皇賞の時に、なぜMT対決ではなくTM対決なのかという死ぬほどどうでもいいことに拘っていた彼女だ。

 こういうところを見ると、年相応の反応だなと感じる。

 

 だが、彼女のそれは普通の負けず嫌いとはまた少し違う。

 もちろん彼女にも負けたくないという気持ちはあるが、それがトウカイテイオーに対しては人一倍強いというものだ。

 

 マックイーンが活躍していた時に、トゥインクルシリーズで彼女の障害となりうる可能性のあるウマ娘なんて片手で数えるほどしかいなかったので、仕方がないのかもしれない。

 それだけにマックイーンが化け物染みた強さを見せていた証明にはなる。

 

 僕のよく知る真の負けず嫌いというのは、普段は飄々として態度で掴めない性格をしている癖にありとあらゆる手段を使って勝ちをもぎ取る芦毛のトリックスターや、本番のレースはもちろん、模擬レースや練習ですら負けたくないという意志を見せつけてくる不退転の意思を持った栗毛の大和撫子のことを言う。

 

 前者は少し分かりにくいかもしれないが、どちらも物凄い勝ちへの執念が見受けられる。

 

 まあ、これらは比べるものではないということを補足しておこう。

 

『よーし! じゃあこれでボクからの話は終わりだよ! 最後に質問ある人は挙手を!』

 

 彼女達の講演が一区切りついたのか、トウカイテイオーは質疑応答の時間に入ろうとする。

 

 やはりトウカイテイオーの人気は凄まじく、彼女に質問したいウマ娘の多さは手を挙げる新入生を見ただけでも一目瞭然だ。

 

 その中でも一際大きく手を挙げて目立つウマ娘が一人

 

『はい、はいはい! はーい!』

 

『お、元気いいねー。じゃあそこの背の高い黒髪の子!』

 

『やった、私だ! えっと、私キタサンブラックって言います!』

 

『……え、キタちゃん? ほんとに? お、大きくなったね……』

 

 おーい、トウカイテイオー、これ講演会だぞー。我を忘れてる場合じゃないぞー。

 

 しかし、キタサンブラックの成長ぶりに驚く気持ちは分からなくもない。

 マックイーン達がキタサンブラック達と初めて出会った時は、背も低くまだ幼い子供だった。

 しかし現在はと言うと、背の高さはトウカイテイオーを優に越しており、他にも色々成長している部分がある。

 

 現にマックイーンなんて空いた口が塞がらないほど唖然としている。

 その姿はお嬢様(笑)だ。

 

 あ、今自分の胸に目を落とした。

 大丈夫、希望はあるよ。同じメジロ家のウマ娘の中ではダントツで小さいけどね。何がとは言わないけど。

 

「……言いたいことがあるならはっきり言ってくださいまし」

 

「そんな気を落とさなくても痛あああ!?」

 

 まだ言いたいことの半分も言ってないのに、足を踏まれた。

 本気ではないだろうが、ウマ娘の脚力で踏まれた時の痛みは人間に踏まれた時の何十倍も痛く感じる。

 

 思うに、マックイーンはまだ中等部が故、本当に心配する必要はない。

 この学園には最速の機能美と呼ばれる高等部のウマ娘だっているのだ。先頭の景色は譲らない。

 

 キタサンブラックはトウカイテイオーに認知されていたことに感動を覚えつつ、質問に入る。

 

『あ、あの! テイオーさんはどうしてトゥインクルシリーズで本気で走れたんですか? どうしたらテイオーさんみたいになれますか?』

 

『んー、まずボクみたいになりたいって考えはやめた方がいいかな』

 

『えっ、どうして……』

 

『ボクにもね、最初は憧れの人がいたんだ。その人みたいになりたい、その人と並びたいって思う人が』

 

 恐らく、トウカイテイオーの言う憧れの人とはシンボリルドルフだろう。

 彼女はレースで活躍する前からシンボリルドルフに執着していたことは記憶に新しい。

 

『でもね、気づいたんだ。目指してるだけじゃ勝てないって。だからね、キタちゃんだけじゃなくて皆んなにも、目標とする人がいるなら、その人に勝ってやる、追い抜いてやる! って気持ちで走って欲しいんだ!』

 

 裏を返せば、この発言はトウカイテイオーからシンボリルドルフに対しての宣戦布告となる。聡い生徒会長様がこれに気が付かないわけがない。

 皇帝と帝王の対決、今からでも楽しみだ。

 

『それとね、ボクがトゥインクルシリーズで本気になって走れた理由は、皆が支えてくれたのもあるんだけど、一番はやっぱりライバルの存在かな』

 

「っ!」

 

 おっと、このライバル発言の対象は十中八九マックイーンのことだろう。

 ここで自分の名前が出てくると思わなかったのか、マックイーンも驚きの表情を見せている。

 

『あの、そのライバルって……』

 

『そうそう、マックイーンのことなんだけどねー。入学したての時はマックイーンより早く練習をやめるのが嫌だったからよく張り合っちゃって、日が暮れても走ってたこともあったよー』

 

 たはは、と笑いながら昔を懐かしむトウカイテイオー。

 

 それはそれとして、そんなことしてたのかと目を向けると、マックイーンはふいっと顔を逸らす。

 彼女のオーバーワーク気味なところは昔かららしい。

 

『あ、あの、テイオーさんのライバルであるマックイーンさんは、テイオーさんから見てどんなウマ娘ですか?』

 

 ここで質問者が変わったのか、キタサンブラックに変わってマイクを持つのは鹿毛のウマ娘だ。

 

 いや、質問者が変わったというよりキタサンブラックからマイクを掻っ攫ったと言った方が正しいな、うん。

 

 ……ん? あのウマ娘は……

 

「……え、ダイヤさん? トレーナーさん、あの子って……」

 

「うん、サトノダイヤモンド本人だね」

 

「……」

 

 またマックイーンが胸部に目を落として落ち込んでしまった。

 

 それにしても、さっきのキタサンブラックもそうだが、二人とも成長速度が凄まじい。

 何がとは言わないけど。

 

「ふんっ!」

 

「おっと危ない。二度も同じ手に引っかかる僕じゃグハァッ!?」

 

 マックイーンの足踏みを回避したと思ったら、二段構えで今度は鳩尾に肘が飛んできた。

 本気ではないだろうが、ウマ娘の腕力で鳩尾なんて以下略。

 

「痛い……マジで痛い……。てか僕何も言ってなかったよね?」

 

「トレーナーさんが邪な考えをしている気がしたので」

 

「なに、エスパータイプか何かなの?」

 

 解せない。

 しかし、邪な考えをしてしまっていたことは確かなので、今後お嬢様の機嫌を損ねない程度には反省しよう。

 

『ボクから見たマックイーン? うーん、ライバルなのはもちろんなんだけど、ボク達クラスも一緒だからよく話すんだ』

 

 マックイーンがトウカイテイオーと話す所は度々見たことがある。

 ある時はバチバチに火花を散らせていた時もあるが、楽しげに話している時も多い。

 

『だから、友達以上、仲間でライバルってところかな』

 

「テイオー……」

 

 間近で二人の争いを見てきた自分にとって、トウカイテイオーの「友達以上、仲間でライバル」という発言にしっくり来た。

 

『マックイーンはフォームも綺麗でレースの展開も上手で、走ってる時は風みたいに速くて、すっごいウマ娘なんだよ!』

 

 トウカイテイオーにべた褒めされたマックイーンは、顔を赤くしつつも毅然さを保とうとしている。

 ちなみに、しているだけて顔が緩んでいるため保ててはいない。

 

 それにしても、マックイーンとトウカイテイオーの関係は素晴らしいものだ。

 互いが互いを尊敬し高め合う。

 

 

 良い話だなあ……

 

『ボクの次にぃ』

 

「んなっ!?」

 

 良い話だったのになあ……

 

 

 こうしてみると、もしかすると二人は似たもの同士なのかもしれない。

 いや、どちらかと言うと似た者同士になったの方が正しいかな。

 

 トウカイテイオーの挑発にまんまと引っかかってしまったマックイーンは、先程とは別の意味で顔を赤くする。

 

 ……煽り耐性低すぎない? 

 

「テイオー……っ! トレーナーさん、私達も行きますわよ! テイオーなんかに負けてはいられません!」

 

「張り切るのはいいけど、僕達の出番は次の次だからね。落ち着いてね」

 

 掛かっているかもしれません。一息つけるといいのですが。

 

 

 



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憧れの姿

 

 

 

『あの、ビワハヤヒデ先輩は体調管理で気をつけてることはありますか?』

 

『バナナを食べることだ。バナナは栄養価が高く、ビタミンやミネラル、食物繊維が多く含まれているため重宝しているな』

 

『あ、はい! 健康面で気をつけてることってなんですか?』

 

『うむ、バナナを食べることだな。バナナを食べると、美肌効果や貧血予防、暑い時期には熱中症予防となり、様々な効果が期待できる』

 

『あ、次私! ビワハヤヒデ先輩のおすすめダイエット方法はありますか?』

 

『やはりバナナを食べることだな。バナナは多くの種類の糖を含んでおり、それぞれ体内に吸収される速度が違う。そのため血糖値の上昇が緩やかとなり、脂肪を溜め込むことを防いでくれるのだ』

 

 バナナばっかりじゃないか。

 バナナが優れた果物だと理解した上で言わせてもらうが、バナナに可能性感じすぎだろ。

 

「バナナはダイエットにも有効……バナナを組み込んだスイーツなら実質0カロリーですわね!」

 

「そんな訳ないでしょ。今度バナナを使ったスイーツ作ってあげるからその認識は改めなさい」

 

 先程のトウカイテイオーの講演が終わり、次はビワハヤヒデの番だ。

 

 彼女は有記念こそトウカイテイオーに敗れたものの、菊花賞を始め、宝塚記念、春の天皇賞など数多くのG1レースを勝ち取っている。

 

 さらに、走ったレースはほとんどが1着か2着。競走成績を見ると、もう笑いが出てくるほどの強さだ。

 三強と呼ばれたBNWの中でも頭一つ抜けており、他のウマ娘と大きく差を付けたと言ってもいい。

 

『む、誰だ今私の頭がデカイと言ったのは! 私の頭はデカくない!』

 

 言ってない。そんなこと誰も言ってない。

 言ってないけど多分僕のせいですねごめんなさい。

 

 唐突に訳の分からないことを言い始めたビワハヤヒデに新入生達はポカンとしているが、在校生達からすれば「ああ、また始まったな(笑)」くらいにしか思ってないのだろう。

 むしろ一種の伝統芸くらいの認識なのかもしれない。

 

 話が逸れ、時間も来てしまったためビワハヤヒデの講演の時間はここで終わりとなった。

 

『姉貴、もう終わりだ』

 

『ま、待てブライアン! このままでは新入生達に私の頭がデカイと思われたままになる! 新入生の諸君、私の頭はデカくない! デカくないからなあああああああああああ!』

 

 妹のナリタブライアンにズルズル引き摺られるビワハヤヒデを見て、我々も新入生も苦笑いを浮かべる。

 

「……さあトレーナーさん、次は私達の番ですわよ! テイオーばかりにいいところは見せられません!」

 

「はいはい。マックイーンお嬢様のためにも頑張りますか」

 

「その意気ですわ! それと、はいは一回!」

 

「張り切りすぎでしょ」

 

 重い腰を上げて体育館内へと向かう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「新入生の皆さん、ごきげんよう。メジロマックイーンですわ」

 

 マックイーンが舞台裏から新入生の前に姿を現すと、黄色い歓声がワッと上がる。

 分かっていたことだが、やはり年度代表ウマ娘に選ばれるだけあって、マックイーンの人気は物凄い。

 あまりの感激からか、新入生の中には見るからに大はしゃぎしだす子もいる。

 

 いや、あれサトノダイヤモンドじゃん。君は何回か会ってるだろ。

 

 僕自身、サトノダイヤモンドと話したことはあまり無い。

 その少ない会話から彼女はしっかり者だという認識をしていたが、それを改める必要があるかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、なんか僕に視線が集まっている気がする。

 舞台裏から出てきたのは、大人気を博すメジロマックイーンと、冴えない一人の男……ああ、そういうこと。

 

 マックイーンからマイクを渡され、ハウリングしないことを願いながら口を開く。

 

「えー……メジロマックイーンのトレーナーです。今回話すのはほとんどマックイーンなのですが、以後お見知り置きをということで」

 

 簡素な挨拶にでもきちんと拍手を送ってくれる新入生。いい子達だ。

 

 マックイーンのトレーナーと認識されて表舞台に出ることの多かった自分にとって、今回の挨拶は少し新鮮だった。

 

「さっそくなのですが、時間も押していることですし、まずは私のトゥインクルシリーズでのレース成績をお話しますわね」

 

 と、言った感じで始まったマックイーンの講演会。

 当初の予定通り、彼女の競走成績をはじめとする様々なことを語った。

 

 初めて制したG1レースの菊花賞のこと。メジロライアン、メジロパーマーに続いて勝ち取った宝塚記念のこと。そして、メジロマックイーンを語る上で外すに外せない春の天皇賞連覇のこと。

 

 もちろん良かったことだけではない。

 一回目の春の天皇賞の後、出走した宝塚記念では惜敗の二着。

 京都大賞典では勝利したものの、次の秋の天皇賞は1着でゴールしたが、他のウマ娘の進路を妨害したと見なされ18着に降着。

 追い討ちをかけるように、その後のジャパンカップ、有記念で敗北した。

 

 苦い思い出だが、過去を美化し、良いところだけを新入生に伝えるわけにもいかない。

 トゥインクルシリーズで走るには、相応の覚悟を持って走らなければならないという意識を持って欲しいと考えている。

 

 一通りマックイーンの話が終わり、早くも質疑応答の時間へ入ることにした。

 質問をするべく手を挙げたウマ娘は、トウカイテイオーやビワハヤヒデの時と負けず劣らず多い。

 全員が質問できるというわけではないので、申し訳ないが人数絞らなくてはならない。

 

「はい! マックイーンさんはレース前のルーティーンとかありますか?」

 

「ルーティーン、というほどでもないのですが、私はレース前に心の中で必ず勝つと誓います。トレーナーさんに、友に、メジロ家に、そしてライバルに」

 

「マックイーンさんの趣味はなんですか?」

 

「そうですわね……やはり休日にスポーツ観……し、食後に紅茶を飲むことですわ」

 

「マックイーンさんの好きな食べ物ってなんですかー?」

 

「それはもちろんスイーツですわ! 最近では駅前のケーキ屋さんのモンブランが絶品で……」

 

 ちょっとマックイーンさん? 化けの皮剥がれるのが早すぎんよー。

 

 このままじゃまずいと感じ、意図的にマイクをハウリングさせる。その音で我に返ったマックイーンは、顔を赤くしながら小声で謝罪する。

 

 まあ新入生もそこまで気にしてないだろう。

 むしろ、マックイーンの意外な一面を見ることができたのを喜んでいる。

 

 ほら、サトノダイヤモンドとか飛び跳ねてる。君マックイーンのことになると暴走しすぎじゃない? そう考えると、唐突にキタサンブラックが苦労人に思えてきた。

 

「ええと、じゃあ気を取り直して次の人」

 

 マックイーンは少し声を震わせながら次のウマ娘を指名する。

 ここでピンと手を挙げたのは、満を辞しての登場か、サトノダイヤモンドだ。

 

「サトノダイヤモンドです。私はトレーナーさんに質問があります」

 

「え、僕に?」

 

「はい。マックイーンさんの今後、そして復帰戦。それらをどういう風に考えているのか、あなたの口から教えてください」

 

 そう言ったサトノダイヤモンドの表情は真剣そのもの。先程の腑抜けた雰囲気とは違い、今の彼女は凛としたお嬢様だ。

 

 ウマ娘にとって、トレーナーという存在は必要不可欠。

 どんなに優れたウマ娘でも、トレーナーが付かないと実力を引き出せないまま引退してしまうなんてこともある。

 

 だが、トレーナーという存在がプラスの方向ばかりに働くわけではない。

 トレーナーの中には非人道的な行いをする奴もいる。

 そんなトレーナーは即刻処分を下されるのだが、非人道的な扱いを受けたウマ娘は、心に傷を負いトレセン学園を去ってしまうという事件もあった。

 

 自分はサトノダイヤモンドからそのような人間達と同じように思われているのかもしれない。

 

 彼女達に話しかけられたトレセン学園の時間の日を思い返す。

 その時のサトノダイヤモンドは「マックイーンさんはまた走れるようになりますか?」ではなく、「マックイーンさんはお元気ですか?」だ。

 

 もちろん、サトノダイヤモンド自身マックイーンの走りをまた見たいという気持ちは強いだろう。

 しかし、彼女はその気持ちを仕舞い込んでマックイーンの身を案じたのだ。

 まだ小学生ながら、その判断をしたことは敬服に値する。

 

 だからこそ言わせてもらおう。

 あの日、自分はマックイーンとメジロの使命を共に背負ったということを。

 

「まず最初に、マックイーンがもう一度走ることを決意したのは彼女自身の決断だ。そこを理解して欲しい」

 

 先程のハウリングで使うのは最後だろうと考えていたマイクをかざす。

 

「そして復帰レースについて、まだ詳しいことは言えないんだけど、一応決まってる。マックイーンの発症した怪我は再発しやすい。だから、レースや練習の後に細かに足の調子を確認して、少しでも異常を感じたり、ドクターストップがかかった場合はすぐに休養に入るつもりだ」

 

 サトノダイヤモンドは一言も口を挟まない。

 

「何かあったら責任は僕が取る。そうメジロ家とも約束したしね」

 

 そう言ってマックイーンに目配せすると、彼女はやれやれと言わんばかりに僕の隣に並び立つ。

 

「今トレーナーさんが言ったことが全てです。私はまだ走りたい、勝ちたい。そんな思いを持って、もう一度ターフに立つことを決意しました」

 

 僕に代わってマックイーンが話の主導権を握った。

 

「怪我をして走ることができなかった期間、私を応援してくださった皆さん。そして、私の側で支えてくれて、私のために行動してくれて、私の勝利を信じてやまなかった人のためにも、ここで新たに宣言します」

 

 マックイーンは一息ついて、僕の方をちらりと見る。

 

「私はこの先、誰が相手でも負けません。最強の名を懸けて、誰よりも早くゴールを駆け抜ける姿をお届けしますわ!」

 

 …………ほんと、大きくなったよ。

 

 出会った時から、他のウマ娘に比べて精神的に成長していたマックイーン。

 あの時より、彼女の背中が大きく感じられる。

 

 その顔だ。自分の勝利を信じてやまない君のその顔が僕は……

 

「……マックイーンさん、そしてトレーナーさん。私の質問に答えていただきありがとうございました」

 

 先程の張り詰めた表情から打って変わって、サトノダイヤモンドは笑顔で席に座った。

 今更ながら、彼女が僕に対して棘を含んだ言葉を投げかけてきたことに違和感を感じる。

 

 さては僕のこと試したな? コノヤロウ。

 

 何はともあれ、彼女の質問の答えになっていたかは分からないが、納得したのならそれで良いだろう。

 結果良しならオールオッケーだ。

 

 すると新入生の最後列で、どこかで見たことのある芦毛のウマ娘が勢いよく手を挙げる。

 

「はいはいはーい、マックイーンはトレーナーのことが好きなんですかー?」

 

「ええ、それはもう大す……って何故貴方がいますのゴールドシップさん!?」

 

「あたしがいるとかいないとかいらないとかどうでいいんだよ! 今はマックイーンがトレーナーのこと好きかどうかって話してんだ! 誰だ今あたしのこといらないって言った奴!」

 

 何故か新入生に紛れてマックイーンに質問をするゴールドシップ。

 

 これは良いのかと主催の生徒会の方に目を向けるが、鬼の形相のエアグルーヴ以外気にしてないように見える。

 シンボリルドルフなんてニッコニコだ。なんでだよ。

 

 そしてゴールドシップの質問で流れが変わったのか、新入生達も一気に騒ぎだす。彼女達もアスリートの前に一人の女の子だ。しかも恋愛話が大好物な年である。

 

「マックイーン、無理するな。答えたくないなら無理して答える必要はないよ」

 

「い、いえ。メジロのウマ娘として、投げられた質問には全て返答してみせますわ」

 

 メジロ家関係なくない? 

 

 変なところで意地を張るのは彼女の悪い癖だ。

 

「私はトレーナーさんをお慕いしています。そして好きかどうかについてですが、皆さんが考えているような恋愛としてではなく、親愛としての意味ならば、トレーナーさんのことを好意的に思っていますわ」

 

 ……嫌われてなくて良かった。

 

 こんな大勢の中で大々的に嫌いですなんて言われたらショックで二年は寝込める。

 

 それにしても、こんなピーキーな質問をよく上手いこといなせたな。

 返答次第では僕の首が飛ぶ可能性があったが、首の皮一枚繋がった感じだ。

 

「え? でもマックイーン、トレーナーに抱きついて身も心も一つになるって言ったんじゃねえの?」

 

 終わった。

 

 これが虚偽の発言であり、言った本人がゴールドシップとはいえ、この発言で僕が痛い目を見るのはもう目に見えている。

 

「なっ、言い方を考えてください! 私達は一心同体だということを再確認しただけですわ!」

 

「でも抱きついたってことは否定しないんだな?」

 

「…………」

 

 ばか。まっくいーんのおばか。かしこさとれーにんぐたりてない。

 

 一瞬収まったかと思われた新入生のざわめきは、今この瞬間最高潮を迎えた。

 口笛を吹き、歓声を上げ、もう体育館内はめちゃくちゃだ。

 

 先のゴールドシップの発言から、マックイーンはいつの日かのことを話したと推測できる。

 

 なんでよりによってゴールドシップなんだよ。せめて他のウマ娘にしておけよ。

 

 マックイーンが話しただけあって、微妙に本当のことなのがゴールドシップの発言を更に否定しにくくしている。

 

 ……よし、逃げよう。

 

 事の発端はゴールドシップだが、墓穴を掘ったのはマックイーンだ。

 つまり、僕は何も関係ない。何も悪くない。

 

 完全に動かなくなったマックイーンに注目が集まっているうちに、僕は消えるように舞台からフェードアウトし、そのまま通路を通り、体育館の裏口へそそくさと向かう。

 

 ここまで来ればもう大丈夫だろう。

 後はここを脱出し、トレーナー寮に逃げ込むだけだ。

 

 自由を手にするべく、ドアを開けると……

 

 

「待っていたぞ。貴様がここに来」

 

 

 エアグルーヴの顔が見えたのでそっとドアを閉じた。

 

「閉めるな! 先程のメジロマックイーンの発言、生徒会副会長として聞き逃せん! あれがどういうことか聞かせてもらおうか!」

 

「……誤解と言ったら?」

 

「貴様の言い訳は生徒会室で聞こう。バンブーさん、お願いします」

 

 エアグルーヴが合図すると、横から竹刀を持ったウマ娘、バンブーメモリーがひょこっと現れる。

 

「了解っス、エアグルーヴ先輩! 学園の風紀を乱す者は何人たりとも、この風紀委員長であるアタシから逃れられないっス! さあ堪忍するっスよ!」

 

「待ってくれ。これじゃあ完全に僕が黒確定みたいじゃないか。この場合マックイーンも連れていくべきだろ」

 

「まずは当事者である貴様に話を聞くだけだ。そもそも、そこで貴様が無罪を証明できれば何の問題も無い」

 

「一心同体なのでここは平等にマックイーンも道連れ……連れて行くべきだと思います。……ねえバンブーメモリー、なにその手。どうして僕の腕を掴んでるの? ちょ、痛い! レンジャロールはやめて! ウマ娘とは言え年下にその担ぎ方されるの恥ずかしいんだよ! やめ、やめろおおおおおおおおおおおおお!」

 

 

 



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瞳の先には

 

 

 えたいのしれない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか、レースの後にウイニングライブがあるように、センターで踊ることができないと自分自身を完全否定したくなるような時期がやってくる。それと似たようなのが来たのだ。

 

 ゴールドシップによって全てが崩された自分にはもう何も残っていない。

 

 残っているとしたら、羞恥と惨めさに押し潰され、消えてなくなりたいとまで考えてしまう哀れなウマ娘だけ。

 

 いや、もう何も考えたくない。思考を放棄したい。そんな時に限って思考はフル回転だ。なんでですの。

 

 極め付けに、いつの間にかトレーナーさんまでもがいなくなっていた。

 せめてあの場に彼がいれば、私にとって地獄のような状況を上手く収めることができたかもしれない。

 一体どこへ行ってしまったのだろうか。

 

 自分やトレーナーさんに代わって、あの場を収めてくれたルドルフ会長には後でお礼を言っておかなければならない。

 もしあの方がいなければ、自分はあのままステージの上で立ち尽くす地蔵となっていただろう。

 

 あ、ゴールドシップにも後でお礼参りをしておかなければ。

 

「マックイーンさーん!」

 

「ダ、ダイヤさん!? どうしてここに!?」

 

「えへへっ、シンボリルドルフ会長が特別に通してくれました」

 

 ステージ裏で密かにゴールドシップさんへの復讐を企てていると、何故かダイヤさんが手を振って私の前に現れる。

 

 会長は何を考えているのだろう。

 あの方のことだ。何も考えてないというわけではないだろうが、ああも笑顔を絶やさないと逆に不気味だ。新入生の前で怖い顔を見せるよりは良いのだろうが。

 

「……さっきはごめんなさい。その……マックイーンさんのトレーナーさんに審訊するようなことをしまって……」

 

「……ダイヤさんのあの発言が、トレーナーさんに本心を伝える良いきっかけとなりました。感謝はすれど、ダイヤさんを恨むなんてことはありませんわ」

 

「で、でも……!」

 

「トレーナーさんも、きっと気にしていませんわよ。あの方は小さな事でどうこう言い出すような方ではありません」

 

「……とても信頼なさっているんですね」

 

「ええ、それはもちろん!」

 

 彼と出会ってからかなりの時間が経っている。

 伊達に長年の付き合いではない。

 

「じゃあアタシの質問もトレーナーへの思いを伝えるきっかけになったって事でいいか?」

 

「良い訳ないでしょうゴールドシップッッ!!」

 

「敬称略!?」

 

「貴方にさん付けなんてまどろっこしいですわ! これでも喰らいなさい!」

 

「あだだだだだだだ! 背骨はそっちには曲がらねえよおおおおお! 背骨とムカデは関節命いいいいいいいい!」

 

「やかましいですわ!!」

 

 アルゼンチンバックブリーカーを決める私に、ゴールドシップは猛烈な悲鳴を上げる。

 私が味わった心の傷に比べれば、この程度なんて事ないだろう。心の傷は一生癒えないが、体の傷はいつか消える。ゴールドシップなら尚更だ。

 

「あ、あの……」

 

「ああ、すみませんダイヤさん。この白いのはゴールドシップ。奇人変人を集めたこのトレセン学園において、最も厄介度が高い酔狂人のようなウマ娘ですわ」

 

「アタシが側にいるから普通に見えるだけでお前も大概だぞ?」

 

「何か言いまして??」

 

「イエナニモ……」

 

 冗談もほどほどにしてほしい。

 トレセン学園の良心とも言える私が変人の部類だったら、この学園は既に崩壊していてもおかしくない。

 

「あ、あの存じてます! この前のグランプリ宝塚記念、素晴らしかったです! 有記念に続いて宝塚記念でも勝利を収めてしまうなんて……!」

 

「お前ゴルシちゃんの活躍知ってんのか? いいぜ、合格だ! 今日からお前は、ムチュ・チッシュ登山隊員第一号だ! これで凱旋門賞でも宝塚連覇でも成し遂げてみせるぜええ!」

 

「え、ええと……」

 

 まずい。ゴールドシップの変人っぷりにダイヤさんがついていけてない。

 

「初対面の方にそのノリはおやめなさい。貴方にまともについていけるウマ娘なんて、ナカヤマフェスタさんくらいしかいませんわ」

 

「おいおいゴルシちゃんの交友関係舐めてもらっちゃあ困るぜ! まず〈スピカ〉のやつらだろ、ジョーダンにマックイーンにナカヤマに──!」

 

「〈スピカ〉の皆さんはともかく、トーセンジョーダンさん達なら……今私いませんでした?」

 

「お、マックイーンも一緒にムチュ・チッシュに登りてえのか?」

 

「そうじゃありません! ていうかなんなのですかむちゅちっしゅって!」

 

「パキスタンにある未踏峰だな」

 

「話のスケールが壮大すぎますわよ!」

 

 何が怖いって、そんな未踏峰でもこのウマ娘なら登頂してしまいそうなのが一番怖い。

 先月、瀬戸内海で鯨を釣り上げたとかいう訳の分からない記事で新聞に載っていたウマ娘だ。正直何をやらかしてもおかしくはない。

 

「……ふふっ」

 

「? どうかしまして、ダイヤさん?」

 

 ゴールドシップのめちゃくちゃ発言にツッコミ続けていると、ダイヤさんがとても楽しそうに微笑む。

 

「いえ、私がいつも見ているマックイーンさんはいつもクールで冷静な方でした。でもこうして間近で接すると、マックイーンさんの意外な一面が色々見れて楽しいなって」

 

「う……」

 

 新入生であるダイヤさんにいい顔を見せておかなければならないのに、ゴールドシップのせいで普段と同じ対応を取ってしまった。

 

 これではダメだ。今からでも優雅で気品のある姿を見せなければ。

 

「メジロのウマ娘として、スイーツを食べる時と野球観戦をする時は、ハイテンションでぶち上げていかなければなりませんわ」

 

「後ろで私の声真似をするのやめてもらいます!? しかも妙に上手ですわね!?」

 

「おう、最近アタシ声帯模写も練習しててな。今のところマックイーン、ジョーダン、そしてマックイーンのトレーナーの声なら出せるぜ」

 

「なっ、トレーナーさんの声も……? あの、ゴールドシップ、後で少し用事が……いえ、決してトレーナーさんの声で色んな言葉を囁いてもらおうとかは考えていませんわ!」

 

「やっぱお前も大概だよ」

 

 理性をフル活動させ、なんとかトレーナーさんの囁きという悪魔のような誘惑に耐える。

 

 危なかった。後少しでダイヤさんに更にみっともない姿を見せるところだった。

 ところでダイヤさんの顔が少し引き攣ってるのは何故だろう。またゴールドシップが何かやらかしたのだろうか。

 

「うーむ……なら、もうすぐ開催のファン大感謝祭で焼きそば売るの手伝ってくれたら、マックちゃんの望みを叶えてやらんでもないぜ」

 

「そんな甘い言葉で私が釣られると思いまして? 是非ともやらせていただきます。調理でも売り子でも食材調達でもなんでもやりますわ」

 

「もういっそ清々しいくらいの手のひらドリルだな」

 

 一度振り払ったはずの悪魔が、私の欲望を押さえつけた天使を薙ぎ払い鎮座する。

 

 言質は取った。後はトレーナーさんに言ってもらいたいセリフ集を作ってゴールドシップに提出するだけだ。勝ち確ですわ。

 

「……そ、そういえば、マックイーンさんはそのファン大感謝祭で何をされる予定なんですか?」

 

「私ですか? ……何かをするかしないかと言われたらするのですが、何をするかはまだ言えませんわね」

 

「そうなんですか? じゃあ当日を楽しみに待っていますね!」

 

「ええ、そうしてくださいませ」

 

 そう言ったダイヤさんはあまり長居はできなかったのか、別れの言葉を告げていそいそと教室の方へと走っていく。

 よく考えてみれば、今は入学式が終わって間もない時間ということになる。この後、クラスでHRなどがあるはずだ。それに遅れるわけにはいかないのだろう。

 

 さて、ダイヤさんとゴールドシップとの会話で落ち着きも取り戻せましたし、とりあえずトレーナーさんを探しに行きましょう。

 

「本当にあれだけでよかったのか?」

 

「……どういう意味ですの?」

 

「別に言っちゃっても良かったんじゃねえのかって話。ダイヤ嬢なんかが聞いたら飛び跳ねて喜ぶぜ」

 

「そのように喜んでいただけると嬉しいのですが、大騒ぎになるからトレーナーさんが黙っとけと仰ってました。それより、この話は私達と生徒会の皆さんしか知り得ないはず……いえ、もうなんでもありません……」

 

「盛り上がるから、アタシは言ったほうがいいと思うけどな」

 

 トレセン学園で行われる二大ファン感謝祭のうちの一つ、春のファン大感謝祭。

 

 それは所謂文化祭のようなものであり、生徒がそれぞれ出店やイベントなどを自由に行うことができるというものだ。

 今現在私が知っているものでも、美容室や喫茶店、劇にオペラにヒーローショーなど、数え出したらキリがない。

 

 その中でも、毎年生徒会によって行われるイベントは異常なほどの人気を博している。

 私達はウマ娘という存在である以上、行って最も盛り上がる行為は走ることだ。

 ある時は駅伝、またある時はハードル走など、様々なイベントが開催された。

 

 しかし今年はそれらのような捻ったものではない。

 己の持つ物全てを賭けて、勝利を手にするために誰よりも速く走り、誰よりも早くゴールを駆け抜ける真剣勝負。

 

「感謝祭で行われる模擬レース。そこが私の実質的な復帰戦ですわ」

 

 ライバルへの闘志を燃やし、先程の誓いを胸に一歩を踏みしめる。

 

 

 

 ***

 

 

 

 入学式と講演会が終わった後の一時

 

「ブライアン、少し聞いてくれないか?」

 

「どうした会長。何か問題があったか?」

 

「いや、そうではないのだが。講演会中に思いついたことがあってな」

 

「……言うなら早くしてくれ」

 

「ありがとうブライアン、では。『ウマ娘が得意なことをtalking』。どうだ? これは得意とtalkの進行形を掛け合わせた自信作なんだが……」

 

「……面白いと思うぞ。是非他の奴にでも聞かせてやったらどうだ?」

 

「そうだろう! では片付けを終わらせて、エアグルーヴを探しに行くとしよう」

 

「女帝様も苦労人だな……」

 

 

 



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ツッコミ上手◎

 

 

 昨日は酷い目にあった。

 

 なんとか僕とマックイーンが不埒な関係にあるという誤解は解けたが、ああも長時間正座をさせられると心労が溜まっていく。最後の方に至っては足の感覚がなかった。

 

 エアグルーヴの方の誤解はすぐに解けたが、厄介だったのはバンブーメモリーの方だ。彼女は何というか、言葉が通じないところがある。熱血で常に前向きでいるのは結構だが、もう少し人の話を聞いてほしい。ロジカルシンキングをモットーとするエアシャカールと対談をさせてみたいものだ。

 

 ちなみにどうやって助かったかと言うと、後からやってきたシンボリルドルフとナリタブライアンによってバンブーメモリーが取り押さえられ、晴れて身柄が解放された。その時の気分はまるで、極悪犯罪人が刑務所から釈放された時のようだった。シャバの空気は美味いぜ。いや、そんな経験はないんですけどね。

 

 兎にも角にも、バンブーメモリーの猪突猛進な所は何とかしてもらいたい。風紀委員という立場上厳しく取り締まらなければならないのかもしれないが、もう少し人の話を聞いてほしいものだ。

 

 いや、僕の扱い方が下手だっただけか? このようなことは二度とごめんだが、万が一またバンブーメモリーに追い回されることがあったら適当にあしらう方法でも考えておこう。

 

 

 昨日の無駄に疲れた出来事を思い返しつつ、デスクワークの作業に一息入れる。

 コーヒーを片手に、山のように積まれた資料をチラ見して仕事とコーヒーの両方に苦味を覚えてしまう。たしかにこの仕事はやりがいがあるし嫌とは思っていないが、このようにあからさまに事務資料が積まれてあると多少ナイーブな気分にならざるを得ない。

 

 机の上に積んであるのは新入生のデータ一覧だが、これは入学試験時の物となるので、仮のものに過ぎない。

 

 ウマ娘の身体的構造は未だ解明されていないところが多いが、彼女達には"本格化"という体が急激に成長する期間というものが存在する。

 試験時にはそれらしいウマ娘はいなかったが、試験から入学までのこの短い期間で"本格化"を迎えた者もいるかもしれない。つまり、手元にあるデータには一部誤りがあるかもしれないということになる。修正も僕の仕事の内というところは納得いかない。

 

 何故こんなことをしているかというと、自分自身忘れかけていたが、もう一人ウマ娘を担当しなければならないという責務が残っているからだ。

 正直、新人の域で燻り続けているようなトレーナーにとって担当ウマ娘を増やすことは、第一次世界大戦前にバルカン半島に居座り続けるくらい危険なことである。

 

 この事実に目を背けて何ヶ月か過ごしてきたがそろそろ限界だ。マックイーンも学園に復帰することができたため、いよいよ真面目に取り掛からなければならない。

 

 もちろんマックイーンが復帰できて残念とは微塵も思っていない。だがそれとこれとは話が別だ。今現在頭を悩ませているという事実は変わらない。

 

 ほんとどうしよう……

 

 もう一度資料に目を通すため、積まれた山から一枚取ろうとすると、ノックの後にドアが開き……

 

「邪魔するでー」

 

「邪魔するなら帰ってー」

 

「あいよー」

 

 パタリとドアが閉められた。

 

 ……さて、この資料を片付けるか。

 

「って何でやねん!!」

 

「これほんと好きだね、タマモクロス」

 

「おっちゃんこそ、いつも付き合ってくれておおきにな」

 

 トレーナー室に入ってきたのは『白い稲妻』タマモクロス。

 数々の重賞を制覇しており、芦毛のウマ娘は走らないというジンクスを消し飛ばした内の一人だ。とても負けん気が強いが、小柄故に見た目が可愛いので他のウマ娘達に可愛がられてしまうことが多い。

 いつかあった金船障害という名のふざけたレースでは、幼稚園児が着るスモックを着せられてたっけ。本人の前では言えないが、あれは非常に面白かった。それと同時に、魔法少女の服を着せられたヒシアマゾンの写真が学園中に広まったことも追加しておこう。

 

「それで、今日はなんでこんなところに?」

 

「せやった。今日はおっちゃんに渡したいもんがあってな」

 

「……おっちゃん呼びはやめてくんない? まだ僕若いんだぜ?」

 

「おっちゃんはおっちゃんや。今更呼び名なんて変えられへん」

 

「おじさん臭くて嫌なんだよなあ……子供のままでいてえよ……」

 

 自分は若い。まだ若いんだ。中高生の時と比べたら体力は衰えているかもしれないが、まだまだ体は動かせる方だと自負している。

 年齢的に見ても若い。若いはずなのにどうしてこんなに虚しいんだ……

 

「何女々しいこと言うてんねん。ウチが今日ここに来た理由はこれを渡しとうてな」

 

「これは……『割引券』……?」

 

「おう! おっちゃんには世話になったさかい、少しでも恩返ししとうてな」

 

「世話って……僕は別に何も」

 

「あん時、おっちゃんのアドバイスが無かったら、ウチはあの怪物には勝てんかった。決めとった作戦シカトしたさかい、トレーナーにはシばかれたけど……ウチはあのアドバイス聞いて良かったと心の底から思ってるで」

 

「タマモクロス……」

 

 彼女の言うあの時とは、秋の天皇賞のことだろう。

 そのレースでタマモクロスはいつもの追込ではなく先行の作戦を取り、詳細は省くが、その作戦によりその年の天皇賞はタマモクロスが勝利を収めた。

 

 自分がやったことと言えば、あの怪物を後ろから捉えることは困難だとタマモクロスに伝えただけで、実際のところ何もしていない。それでも関わったことは事実なので、タマモクロスのトレーナーには土下座をしに行ったのが懐かしい。本来首が飛んでも文句は言えないのだが、結果が結果だけになんとか許してもらえた。

 

「なにしけたツラしとんねん。ウチはアンタに感謝しとる言うてるだけやろ?」

 

「そう……だな。うん、素直に受け取っておく。どういたしまして」

 

 それでええんやと快活に笑うタマモクロス。彼女との付き合いはサブトレーナー時代からのものなので、聞き慣れた笑い声に僕も自然に頬が緩んでしまう。

 

「うわ、おっちゃん何ニヤニヤしとんねん気色悪」

 

「急に辛辣! 今割と良いシーンだったじゃん!」

 

「すまんすまん。ウチいっつもツッコミする側やから、たまにボケるんも悪ないなあ」

 

 今のボケなの? ボケにしては結構実感こもってなかったか……? 

 

「それで、この『割引券』とやらはなんの割引券なんだ?」

 

「それはウチの屋台の割引券や」

 

「屋台?」

 

「おう。次のファン感謝祭、ウチの得意料理のたこ焼きで一発店出したろか思ってな。おっちゃんには是非来てもらいたいんや」

 

「ファン感謝祭……」

 

「ん? どないした、なんかあったんか?」

 

「ああ、いや何でもない」

 

 そっか、そういえばもうすぐだったな。

 

 今年の春のファン大感謝祭、そこは僕とマックイーンにとって一つのターニングポイントとなる。何せ今回のメインイベントである模擬レースでは、マックイーンが走ることになっているのだ。

 怪我をして長期間走ることが出来ていなかったマックイーンにとって、これはかなり苦しい戦いになるだろう。久々のレースだからという理由もあるが、何せ相手が相手だ。マックイーンにも引けを取らない猛者達が参加する。

 

 それでも彼女は走りたいと言った。だったら彼女を支えるしかない。

 勝ちたいというウマ娘の願いの手助けをするのが仕事だ。どんな時も彼女の背中を押してあげなければならないからね。

 

 感謝祭はもうすぐと言ったが、マックイーンが走ることはまだ公表していない。言ったら確実に騒ぎになるのと、たまたま居合わせたフジキセキからサプライズの方が面白いと助言を貰ったためだ。

 そのため、この事を知っているのは僕とマックイーン、生徒会の面々、そして何故か一緒にいたフジキセキということになる。

 

「おー、そういえばマックイーン次の感謝祭で走るんやろ? 頑張ってな」

 

「いや、なんでだよ。なんで知ってんだよ」

 

「え? 何でって今朝ゴルシが張り紙片手に情報ばら撒きよったで?」

 

 よし、あいつには今度アグネスデジタルをけしかけてやろう。

 具体的には彼女にゴールドシップの腰痛が酷そうだとでも伝えておけば、指をワキワキさせながら躙り寄るだろう。

 これだけで充分な起爆剤になるはずだ。

 

「まあそんな暗い顔すんなや。ウチのたこ焼きでも食べてって元気出しとき!」

 

「ああ、そうするよ。君のたこ焼きをおかずに食べるご飯は美味しいからね」

 

「ふふーん、おっちゃんも分かってきたやん。粉物と一緒に食う炭水化物はほんま最高やで」

 

「分かる。あれの良さが分からない人は人生の10割損してると思う」

 

「そうそう、人生の10割……ってそれ全部やないか! そこまで粉物に命賭けてへんわ阿呆!」

 

 やっぱこの子は打てば響くな。おもしろ。

 

「ありがとうタマモクロス。割引券、是非使わせてもらうよ」

 

「おう、ごっつ美味いの作ったるさかい、楽しみにしとってな」

 

 白い稲妻ことタマモクロスは自信満々に宣言する。

 なんだかんだ面倒見の良い彼女だ。今の僕の過酷な状況も見越して気を使ってくれたのだろう。この子には世話になりっぱなしだ。

 

「さてと、これ以上アンタと楽しく話しとると、アンタのとこのお嬢様に刺されそうやし、ウチはこの辺で退散させてもらうで」

 

「ん? 何の話」

 

「ほなまたな!」

 

 そう言ってタマモクロスは元気よく部屋を飛び出してしまった。

 飛び出した瞬間チラと横を見て笑った気がした。そこに誰かいるのか…………あ。

 

「トレーナーさん……? 私がいない間に随分と楽しそうでしたわね?」

 

 ……どうやら、自分は担当ウマ娘を怒らせる才能を持っているのかもしれない。

 

 

 



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賢さ不足

先日の誤字報告の件、ありがとうございましたm(_ _)m



 

 

 

 ウマ娘のトレーナーというのはとても難易度の高い職業だ。

 

 コミュニケーション能力やビジネスマナー、チームワークといった社会的に見て当然に必要となってくる職務遂行能力はもちろん、ウマ娘のトレーナーとして思考・判断・分析能力が多分に求められる。

 

 自分の見てきた中で、今までに職場を去って行った者も珍しくはない。

 トレーナーという仕事の多忙さについていけなくなった者、担当のウマ娘と上手く付き合うことが出来なかった者、トレーナーとしての実力不足を感じてしまった者、ウマ娘に対し非人道的な行いを続けた者。

 最後はやめたというよりやめさせられたの方が正しいが、これらの通りトレーナーという職業に付いてからも困難が待ち続けている。

 たとえベテランのトレーナーでも一筋縄ではいかないのが現状だ。

 

 ましてやここは中央。ウマ娘にとって中央のトレセン学園に入学することは容易ではないと同時に、我々トレーナーを志す者達も中央のトレーナーになることは目を瞑って針に糸を通すほど困難と言ってもいい。

 苦労して難しい試験に合格し中央のトレーナーになれたとしても、その後に待ち構えているのは先程述べた困難ばかりだ。

 

 さらに、ここにいる限り身の安全は保障されない。人間よりも遥かに身体能力の高い存在がうじゃうじゃいるような場所だ。いつどこで何が起きてもおかしくない。

 

 自分も何度心が折れそうになったことか分からない。

 もうやめてしまおうかと考えたことは両手の指の数を合わせても足りないだろう。

 

 それでも自分はここにいる。自分だけではない。先輩や後輩、同僚も多くがこの仕事を続けている。

 ウマ娘の願いを叶えたい、自分の夢をウマ娘に託したい。そんな単純、しかして大きな望みから、彼らはここに残ることを決意している。

 

 ここで仕事をしている奴らはみんなバカだ、大バカだ。

 

 もちろん、それは僕も例外ではない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ねえ、そろそろ機嫌直してくれない?」

 

「……」

 

「タマモクロスと話してただけじゃん。マックイーンが怒る理由なんて無いって。痛っ! なんで叩くんだよ!」

 

 トレーナー室に来て早々無視を決め込んでいたマックイーンが、僕を無言で殴る。

 タマモクロスと話してたのがそんなに気に食わなかったのか……? もしくは話の内容がいけなかったのか? いやでも変な話はしていないし……

 

 落ち着いて考えよう。

 マックイーンは「私のいない間に随分と楽しそうでしたね」と言った。それすなわち、マックイーンのいない間に起こった事象に限るということだ。

 それが先程タマモクロスと話していた時なのか、それとも別のことなのか。後者であれば全力謝罪でなんとでもなるが、前者はもうどうしようもない。何を言っても地雷を踏み抜く気がする。

 

 よし、ここは後者に賭けよう。なーに、僕は運が良いんだ。

 

「タマモクロス先輩と、随分仲がよろしいようですわね?」

 

 そんなわけなかった。幼子でも分かるようなことを、何真面目に考察しているんだ。やはり希望的観測のみで話を進めるのはよろしくないらしい。

 

 いや、もう一度落ち着いて考えよう。自分はただタマモクロスと話していただけ。たしかにタマモクロスとは仲が良い部類ではあるかもしれないが、それだけで理不尽な扱いを受けることは納得がいかない。

 そうだ、ここはきちんと彼女と話すべきだ。そこそこ長い時間を共にしてきた僕達ならば、話し合いでこのよく分からないすれ違いに対処できるだろう。

 

「私と話す時よりも随分と楽しそうでしたね?」

 

 こっっっっわ! え、なんかオーラ出てるんだけど。話し合いとかそういう雰囲気じゃないんですけど。

 

 いやいや、そんなことを考えている場合じゃない。何か弁明をするためにも言葉を模索しなくてはならない。

 

「い、いやそんなことはない。タマモクロスとの会話は楽しいけど、やっぱり共に過ごしてきた時間が一番長いマックイーンだよ」

 

 これでどうだ。ちょろ……こういう場面で流されやすいマックイーンには有効ではなかろうか。

 

 言い終わると同時に、マックイーンはズイッと顔を寄せてくる。超至近距離ということもあるため気恥ずかしさに襲われるが、ここで目を逸らせば命が危ない。耐えろ、耐えるんだ。

 

 実質的な時間は10秒ほどだろうか。永遠とも感じられる時間が過ぎ、ようやくマックイーンの顔が僕の顔から離れていく。

 

「はあ……今日のところはこの辺で勘弁してあげます」

 

「お、おう……なんかマックイーン、最近遠慮がなくなってきたね」

 

「……そ、そんなことありません! 先の私の言動は、1ウマ娘と1トレーナーとしての関係を毅然としたものとするためですわ!」

 

 この子、もう一人ウマ娘を担当しなければならないことを忘れているんじゃなかろうか。もし忘れていた場合、今度こそ命が無くなるかもしれない。

 

 なんにせよ、この場で命を散らすという事態は回避することができたようだ。こうも命の危機に晒されることが多いと、昔の自分では簡単にメンタルがブレイクされてしまっていただろう。今そうならないのは成長した証か、それとも学園内で日常的に見受けられる異常な光景に慣れきってしまったのか。

 個人的には前者であればいいなと願うが、残念ながら100人中100人が後者と答えるであろう結果に終わるのがオチなので心の内に秘めておこう。

 

「まあ、そのことはいいですわ。先に今日のトレーニングメニューを確認させてください」

 

「おっ、そうだったな。先日の講演会で君には賢さが著しく不足していることが判明したから、当分賢さを鍛えるために将棋漬けだ」

 

「え、ちょ、賢さが不足ってどういうことですか! 直近のテストの点数は凄い良かったというわけではありませんでしたが……そ、それでも学年上位に位置するだけの点数は取っていますわ!」

 

「講演会、抱きつき、墓穴掘り」

 

「っ!?」

 

 この3つの単語で何か察することが出来たことは流石であると褒めるべきだろうか。もちろん、途中で逃げ出そうとしたことは伏せておく。

 

「……あ、あの……ちなみに将棋の対戦相手は……?」

 

「グラスワンダー」

 

「ひいぃっ!? む、無理ですわ! あの方私がどんな手を使っても完膚なきまでに叩きのめしてくるんですもの!」

 

 それは君が飛車と角行しか使わないからじゃないかな。

 

 どんなに優秀な駒を持っていても、それを活かし切るだけの戦術を用いなければなんの意味もない。それは将棋のみならず、全てのことに当てはまる。無論、レースも例外ではない。

 

「いいかいマックイーン。レースから長らく離れていた君に欠けているのはレースでの勘、つまり周りを見渡す力だ。むしろ体力面の問題に関しては、リハビリ中にある程度戻ってきてる。後少し調整すれば問題ないだろう」

 

「……トレーナーさんが私のためにと考えてくださっていることは理解しました。で、ですが将棋は……グラスワンダーさんとの将棋だけは……!」

 

 嫌がりすぎだろ。何をどうやったらそんなに将棋でトラウマ植え付けられるんだよ。

 

「ダメ。もう頼んじゃったし、後には引けないよ」

 

「くっ……こうなったらトレーナーさんをゴールドシップの登山隊に入隊させるしか……!」

 

「お、おい、物騒なこと言うのやめてよ……」

 

 まずゴールドシップが絡んでいるという時点で嫌な予感しかしない。

 あの破天荒という文字をウマ娘にしたようなやつが言うんだから、どうせ未踏峰を制覇するとか言い出すのだろう。死んでもごめんだ。

 

「感謝祭も近いというのにどうしてこんなことを……」

 

「感謝祭……」

 

 マックイーンにとっては感謝祭=模擬レースという認識になっている。もちろんレースには真剣に望んでもらいたい。だが感謝祭の目的はファンもウマ娘もみんなが楽しむというもののはずだ。もしかしたら、今のマックイーンには模擬レースが重荷になりすぎているのかもしれない。

 

 ……よし。

 

「ねえ、マックイーン。一つ提案があるんだが」

 

「はい、なんですの?」

 

「感謝祭当日、一旦レースの事を忘れて楽しんできたらどうだ?」

 

「ちょっと何を仰っているのか分りませんわ」

 

 うーん、ダメか。

 

「なら言い方を変えよう。レースに真剣なのは結構だけど、少し根を詰め過ぎじゃないか?」

 

「それは……」

 

「頑張る事は良い。だが行き過ぎると却って体調不良やメンタルへの影響に繋がる」

 

「うっ」

 

 過ぎたるは及ばざるが如し。やり過ぎることはやり足りないことと同じように良いこととは言えないということわざだ。

 

 自己管理というのは思った以上に難しく、かくいう僕もマックイーンにとやかく言えた口ではない。深夜に栄養ドリンクを飲んで仕事をやり過ぎてしまう日も……いや、これは仕事を押し付けてくる学園が悪いな、うん。

 

「とにかく、当日は設営とかでターフも使えないんだし、気を抜くわけじゃないが少しくらい肩の力を抜いてもいいんじゃないかなって話」

 

「むぅ……」

 

「まだ納得いかない?」

 

「そうではないのですが……そんなことをしていて勝てるのでしょうか?」

 

「何事も焦りは禁物だ。今はコンディションを整えることが大切だよ」

 

 マックイーンが全盛期の走りに戻ったかと聞かれたら、それはノーと答える。しかし、短い間でここまで実力を戻せることができたのは彼女の努力の賜物だ。自分はまた見守ることしかできなかったのだが。

 

「……分りましたわ。では今のうちに周るところを決めておきましょう」

 

 そう言ってマックイーンは鞄から感謝祭のパンフレットらしきものを取り出し、今までの口ぶりに反して楽しげにチェックを付けていく。

 僕それまだ配られてないんだけど……

 

「あ、楽しんでとは言ったけど、流石に飲食系は制限させてもらうよ。食べるならレースが終わってからだね」

 

「うぐっ……そ、そうですわよね。ス、スイーツ……」

 

 マックイーンはしょんぼりしながら飲食のところにバツの印をつける。

 スイーツに対する執着が半端じゃないな。レースが終わった時用のために、少しお高いケーキでも買っておこう。

 

「感謝祭の計画が決まりましたわ! 当日が楽しみですわね、トレーナーさん!」

 

「うんうん……うん?」

 

「どうかしましたか? あっ、トレーナーさんの希望を聞いてませんでしたね。えっと、トレーナーさんの好きそうな場所は……」

 

「えっと、ちょっと待って」

 

「なんですの?」

 

「僕?」

 

「ええ」

 

「てっきり君はトウカイテイオーやゴールドシップと周るのかと……」

 

「…………あ」

 

 途端にマックイーンの顔がみるみる赤くなっていく。彼女からしたら、誘う過程をすっ飛ばして予定を立てていたので恥ずかしいという気持ちは分からんでもない。ここはどういった反応をすべきか……

 

 あ、まずい、危険信号だ。マックイーンがプルプル震え出した。どうやら悩んでる暇は無いらしい。

 

「よ、よし、僕と周ろう! 一緒に周ろう! どこに行こう! マックイーンの望むところならどこでも、ちょ、ま、速っ!?」

 

 全てを言い終わる前に、マックイーンは顔を赤くしたまま部屋から飛び出していった。

 

 忘れてはいけないのは、彼女達は思春期真っ盛りの女の子だということ。

 ちょっとした外的要因で簡単に心が揺さぶられてしまう不安定な時期だ。トレーナーというのは、ウマ娘の身体的な面だけでなく、精神的な面もケアしなければならない。

 

 それ故に、世間的にトレーナーという職業がどう言った評価を受けているのかというと

 

 

 ウマ娘のトレーナーというのはとても難易度の高い職業である。

 

 

 



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小休憩

感想、評価等を付けてくださり本当にありがとうございます。
引き続き「名家のウマ娘」をよろしくお願い致します。



 

 

 

 学園からさほど遠くない河原に、一人の男……まあ僕なんだけど、もう一人、黒髪で背の低いウマ娘が寝そべっていた。

 

「……てことがあったんだ」

 

「"てことがあったんだ"だけ言われても、それだけじゃ何があったのかライス分かんないよ……」

 

 マックイーンが飛び出していった数時間後、グラスワンダーから任務完了の連絡が届いたので、マックイーンには今日のトレーニングは終了という旨の指示を連絡しておいた。

 

 なんというか、ここ2日で一気に歳を取った気がする。マックイーンじゃないが、ここ最近自分も自分で根を詰め過ぎていた気がしなくもない。

 

 そういうわけで、一度気分をリフレッシュしたかったこともあり、散歩という名のサボりで河原まで歩いていると、見覚えのあるウマ娘とばったり出くわしたというわけだ。

 

「……ねえライスシャワー、君から見てマックイーンはどう見える」

 

「え、マックイーンさん? えっと、マックイーンさんは強くてかっこよくて……えっとえっと、ライスの憧れだよ!」

 

 そうか、憧れか……だったら尚更今日のことを話すわけにはいかないな。講演会での痴態をライスシャワーが耳に入れてなかったらの話だが……もう遅いか、すまんマックイーン。君の尊厳は守りきれそうにない。

 

 マックイーンとライスシャワーは何かと縁のある関係だ。

 トレーナーとしてマックイーンの側にいることが多く、二人が話している所をよく見かける。同じステイヤーということもあり、互いが互いを高め合う良いライバル関係を構築している。いつかマックイーンが言ってたか、「私はライバルが多くて幸せ者ですわ」と。

 

 ライバルというのは、己を高みに連れて行ってくれる存在だ。どんなに強くても、どんなに速くても、競い合う者がいなければ強みを出しにくい。これは阪神大賞典でのマックイーンのことを言っているのか、それともあのレジェンド的な存在であるウマ娘のことを言っているのか……

 

「それで、マックイーンさんのトレーナーさんはどうかしたの?」

 

「どうかしたかって聞かれたらどうかしたって答えるしかないんだけど……何て言ったらいいんだろう、喧嘩……じゃないし……」

 

「け、喧嘩しちゃダメだよ! マックイーンさん、トレーナーさんのこと大好きなんだから! ライスも一緒にごめんなさいしてあげるから謝りに行こう?」

 

「いや喧嘩じゃないって……力強っ!?」

 

 ライスシャワーは普段おどおどしているため忘れがちだが、彼女もウマ娘だ。当たり前だが僕なんかより全然力も強い。

 

「落ち着いて! 本当に喧嘩じゃないんだって!」

 

「ほんと? ほんとに喧嘩じゃない?」

 

「ああ、ほんとほんと」

 

 良かったぁ、と呟くライスシャワーに多少罪悪感を覚える。

 あれは見方によれば喧嘩にも見えなくないため、心優しい彼女を騙すような形になってしまい心が痛い。でも、本人は喧嘩とは思っていないためノーカンだろう。それでもマックイーンには謝らなければならないのだが。

 

 どのようにマックイーンお嬢様のご機嫌を取ろうか考えていると、どうやら難しい顔をしていたのか、ライスシャワーは気を使うようにこちらの顔を覗いてくる。

 

「ライスね、落ち込んだり元気が無くなった時は本を読むの。ライスはあんまり本に詳しくないんだけど……ロブロイさんから教えてもらった本は凄く面白いんだよ」

 

「本か……」

 

 活字は嫌いではない。むしろ小説などを読むのは僕にとっての娯楽の一つだ。

 

「マックイーンさんのトレーナーさんは好きな本とかあるの?」

 

「僕? 僕は……」

 

 よく考えてみれば、自分には好きな本が無いのかもしれない。有名な文学作品からライトノベルまで様々な種類の本を読む人間だ。一概にこれが好きというものがパッと思い浮かばない。

 

「……いや、これといって好きな本は無いな」

 

「だったらライスの好きな本教えてあげる!」

 

 そういってライスシャワーは普段のおどおどした態度からは考えられないくらい楽しそうに話し出す。

 

 それから数分経ち、ライスシャワーとの本(絵本)談義も一息つき、門限的な意味でウマ娘達にとってそろそろ厳しい時間となってくる。自分の好きな絵本を紹介できて満足なのか、ライスシャワーは笑顔で立ち上がる。

 

 昔の彼女とは大違いだ。ライスシャワーは僕の担当ウマ娘ではないが、大きく成長したなと思わざるを得ない。

 

「ライスは感謝祭のレース出ないけど、マックイーンさんのこと応援してるからね!」

 

「もう当然のように知ってるのね」

 

 この情報漏洩にもなんとも思わなくなってきた。そもそも発端がゴールドシップの時点で既に諦めはついている。

 

 トレーニングに戻るライスシャワーを見送り、もう一度河原に寝そべる。

 

 日はもうすぐ沈むといった頃合いであるが、人影は思った以上に少ない。デジタル化が進んだ今、外で遊ぶ子供達はそう多くない。社会人も仕事が終わったらこんな河原に行かずに街に繰り出すだろう。

 ウマ娘達も、もう門限が近いため先程のライスシャワーのようにトレーニングを終わりかけている者しかいない。つまり、この場には僕一人ということになる。

 

 第三者の視点で見れば完全に不審者のように映るだろうが、人の目がないこともあり僕にはノーダメージだ。

 

 大きなため息を吐きながら、学校に出る前に目にした張り紙を思い出す。その張り紙が、知らない誰かによって書かれた物なら一蹴することができただろう。

 内容は感謝祭の模擬レースのこと。そして張り紙の作成者はおそらくゴールドシップ。良くも悪くも、こういった時の彼女の情報は信用できてしまうのが悔しい。

 

 もう一度ため息を吐き空を見上げる。その空には一枚の紙が漂っており、それは僕の懸念事項である張り紙と全く同じ物だ。

 

『テイオーvsマックイーン』

 

 シンプルに、力強く書かれたその文字は、かつて二人が激突した春の天皇賞を思い出させるには充分すぎる代物だった。

 

 

 



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見据えたもの

 

 

 

 河原でライスシャワーと駄弁ってから半日が経過した。

 いつもより数時間早く起きてしまい、学園内にあるトレーナー室目指して重い足を動かす。

 

 寝起きはそこまで強くない自分だが、一度目が覚めてしまえばあとは問題無いほどに朝は強い。

 それよりも問題は昼だ。昼食を取った後のあのうたた寝気分にはどうしても抗うことができない。学生時代も昼休みの後の授業でよく居眠りをして叱られていたのが懐かしい。

 

 既に感謝祭の準備は始まっており、時間帯が時間帯なためまだ人はいないが、校内にそれらしき痕跡はいくつも見受けられる。

 この感謝祭は学園外の人も見物しに来る。それにより、一層気合を入れる子もいるのだろうが、大半は楽しみたいという一心で行なっているのだろう。

 

 生徒の中にはレースの日と感謝祭の日が被ってしまい、感謝祭に参加できないと嘆いていた子もいたっけ。

 気持ちは分かる。僕も昔、部活の大会と文化祭が被ってしまい、文化祭に参加できなかったことがある。

 まあ、あの時参加できたとしても屋上でサボるか図書室で本を読むかの2択なため関係無かった。あれ? 目から塩水が……

 

 感謝祭がもうすぐだということを実感させられながら歩きつつ、割り振られた仕事の量を考えげんなりする。

 どういう原理かは分からないが、感謝祭が間近に迫っているのと同時に事務仕事も増えてきた。このまま見て見ぬふりを続けていると、マックイーンの練習にも影響が出てくるかもしれない。

 そのため、朝早くに起床してトレーナー室で少しでも仕事を終わらせておこうという算段だ。

 

 鉛のように重い足をえっちらおっちら動かし、ようやくトレーナー室に到着する。

 

「夢のゲート開いて〜……ん?」

 

 何で鍵が空いてるんだ? あれ、昨日閉め忘れたっけ? この学園に限って空き巣は考えられないし……

 

 怪しげにそろーりと中を覗くと……

 

「あ」

 

「あ……おはようございます、トレーナーさん……」

 

 部屋の中にいたのはマックイーンだった。

 

 何故ここに? 何故こんな時間に? 

 聞きたいことは山ほどあるが、それよりも一番気になるところがある。

 

「どうして僕の上着着てるの?」

 

「えっ……えーと……は、春先とはいえ朝はまだ寒くて……ダメでしたか?」

 

「いや、問題ないけど。ただその上着、トレーナー室に放置してたやつだから洗濯できてないんだ。だから新しいのを……」

 

「いえ、大丈夫です! これが良いのですわ!」

 

「お、おう。そんなに気に入ったのか」

 

 それそこまで高いやつじゃないから、質感が良いかって聞かれたらそうでもないんだけど……

 

 だが、マックイーンは意外と庶民的なところもあるし、何より彼女が気に入ったのならそれでいいだろう。

 

「それで、マックイーンはどうしてここに? 今日は朝練とかもなかったはずだろう?」

 

「……そうでしたわね。トレーナーさん、先日は見苦しい姿を見せてしまい申し訳ありませんでしたわ」

 

 そう言ってマックイーンはペコリと腰を折り謝罪をする。

 なるほど、彼女も彼女で色々悩んでいたようだ。だったら、ここは彼女を不安にさせないように大人の対応を取るべきだろう。

 

「いいって、気にしないで。僕の方こそすまなかった。君の気持ちを汲み取ってあげることができなくて」

 

「そんな、トレーナーさんが謝ることはありませんわ! 今回の件は全て私が……」

 

「何もかも一人で抱え込もうとするところは、君のよくない癖でもあるよ。それに、君と僕はなんだったかな?」

 

「……一心同体」

 

「そう、だから一人で背負おうとするな。君のミスは僕のミスでもある。互いが互いにカバーしあってこその一心同体じゃないかな?」

 

「……ありがとうございます、トレーナーさん。模擬レースも近いしトレーナーさんの近くにウマ娘が群がるしで私少し焦っていたのかもしれません」

 

 前者はともかく後者は怖いので聞かなかったことにしよう。

 

「ですがもう迷いはありません。感謝祭の模擬レース、必ずや一着を掴んで参りますわ!」

 

 よし、なんとかマックイーンの調子も戻すことができたようだし、これで及第点だろう。

 

 いやあ、よかった。

 このままだと調子を戻せないままもう一人ウマ娘を担当して、僕の命の保証が効かなくなるところだった。

 これは半分冗談、半分本気なので、運命の綱渡りをしていたことは僕以外知る由もない。

 

「まだ始業の時間にはほど遠い時間ですし……なんなら今から朝練でも」

 

「いや、トレーニングは放課後に回そう。先にやっておきたいことがある」

 

「やっておきたいこと?」

 

「ああ、模擬レースの条件。そして対戦相手についてだ」

 

 対戦相手と聞いた瞬間、マックイーンの表情が少し強ばる。

 それもそうだ。相手はあの不屈の帝王、トウカイテイオー。

 魑魅魍魎が集まるこのトレセン学園においても、彼女は指折りの実力者と言える。

 

 僕ですら知っているようなことをマックイーンが知らないはずがない。

 

「その表情だと、誰が出走するかはもう知っているみたいだな」

 

「ええ、なんなら昨日、本人から直接宣戦布告をされましたわ」

 

「また話が早いこと……」

 

 相手がマックイーンだと知った時、嬉々として宣戦布告をしにいくトウカイテイオーの姿がありありと目に浮かぶ。やれやれという風にマックイーンはトウカイテイオーのことを話すが、実際彼女も対抗心は丸出しだ。

 

「今回の模擬レース、条件は芝2400m、東京レース場と全く同じコースだね」

 

「東京レース場の2400というと……ダービーやジャパンカップ、オークスと同じ条件ということになりますわね」

 

「そうだね。さらにトウカイテイオーはダービーで勝利している。向こうは勝ちのプランを立てやすいというわけだ」

 

「うっ……私東京の2400にはあまりいい思い出が……」

 

 ああ、そういえばマックイーン、一回目の春の天皇賞の後のジャパンカップ負けてたんだったか。

 あれはジャパンカップというより、あの時期の調子が悪かったというわけでレース自体に罪は無いと思うんだが……

 

「何はともあれ、トウカイテイオーにはダービーの勝利経験がある上に、彼女にとって得意な距離だ。マックイーンも中距離は苦手じゃないが、中距離を主戦場とするトウカイテイオーにどこまでペースを乱されずに走るかが鍵になるな」

 

 マックイーンの本質はステイヤー。

 3000mを超えてからが本領発揮と言っても過言ではない。

 

 200mしか差が無いと思うかもしれないが、3000mの菊花賞と3200mの春の天皇賞はまるで別物だ。

 トウカイテイオーは菊花賞を走っていないが、彼女の春の天皇賞での着順を見れば、3200のレースが如何に魔境かよく分かる。

 

「ということは、作戦の変更とかはないのですか?」

 

「無いね。復帰早々に今までとは別の走りをしろって言われても少し難しいと思う。それに、感謝祭までもう時間もないしね」

 

 作戦を変更してもマックイーンなら遂行しかねない気もするが、今は彼女の思うよりに走らせたらいいだろう。

 トレーナーとしてどうなんだと言われるかもしれないが、怪我明けの彼女にどうしてあげればいいのか手探りの状態だ。

 それに、トレーナーだからこそ今後のレースも見据えての指示をしなければならない。

 

「とにかく、重く考えすぎる必要は無い。このレースで勝ちたいっていう君の意思は尊重するし君に勝って欲しいとは思うけど、今はレースの感覚を取り戻す方が先決だ」

 

「分かりました。トレーナーさんの言う通り、このレースで感覚を取り戻し、ついでにテイオーにも勝ってみせますわ」

 

「ついでにて……」

 

 やはり対抗心を抑えることは難しいらしい。

 

 うーむ、まずいな。彼女の意識はトウカイテイオーにしか向いていないのかもしれない。

 誰かを意識してレースに臨むというのは悪いことではないが、意識しすぎるというのも問題なんだが……

 

「トレーナーさん、貴方少し勘違いをしていませんこと?」

 

「え?」

 

 何を考えているのかを察したのか、彼女は呆れ顔で僕に指摘する。

 

「レースにおいて、何を優先すべきか、何を照準に定めるべきか。私がそれを理解できていないとお思いで?」

 

 ……そうだった。このウマ娘の名前はメジロマックイーン。

 かつて最強と呼ばれた彼女が、こんな当たり前のことを理解してないはずがない。

 最近の言動が少々頭が悪かっただけで、本来の彼女は冷静沈着、心平気和な存在だ。

 

「マックイーン、僕から言えるのはただ一つ」

 

 マックイーンは真剣な眼差しで僕を見つめる。

 

「一緒に勝とうな」

 

「っ、はい!」

 

 この日、改めて彼女と共にメジロの使命を共に背負うということと、仕事が全く終わってないということを認識させられた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「っく、さっむぅ〜。くっそ、さすがのゴルシちゃんでもこんな時期にテンガン山の頂上でアイスバケツチャレンジやるのは無謀だったか……ん? あそこにいるのは……マックイーン? ちょうどいいや。おーい、マックイーン! ちょっとその上着貸してくれねえか? ゴルシちゃん凍えて風邪引きそうでよー」

 

「……せん」

 

「え、なんて?」

 

「あげません!」

 

「お、おう……行っちまった。何だったんだあいつ」

 

 

 



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嵐の前のバカ騒ぎ

 

 

 

「おお……今年も気合入ってんなあ……」

 

 感謝祭当日、仕事を終わらせようと早朝出勤をすると、朝のうちから感謝祭の出し物の準備をするウマ娘もちらほら見られた。

 

 色とりどりの飾り付けと、まるで夏祭りかと思わせるような屋台がズラリと並んでいるため、今いる場所が本当にトレセン学園かを疑ってしまう。それだけ彼女達が本気だということだ。

 

 普段と違う雰囲気を楽しみながら学園を歩いていると、見知った顔が元気に駆け抜けているのが目に入る。

 

「あれ? マックイーンさんのトレーナーさん?」

 

「おや、キタサンブラックじゃないか。どうしたの、こんな時間に……って、聞くまでもないか」

 

「はい! 私、お祭りって聞くとどうしても血が騒いじゃって。だから今からでも生徒会に直談判して盆踊りをやってもらおうかなって!」

 

「うん、やっぱり聞いてよかった。そういうのは事前に言っとくべきだし、そもそも新入生はまだ出し物とかはできないよ」

 

 それと、急遽そんなことをしだしたらエアグルーヴの胃が死ぬ。

 

「うぅ……やっぱりそうですよね……ダイヤちゃんの言う通り、生徒会を買収しておくべきでした……」

 

 それもおかしいよね? アドバイスの観点がおかしいよね? 

 

 キタサンブラックも中々だが、サトノダイヤモンドも頭のネジが飛んでいるのかもしれない。

 まあ面倒くさがりなナリタブライアンならともかく、真面目なシンボリルドルフとエアグルーヴが賄賂まがいものを受け取るはずがないだろう。

 

「シンボリルドルフ会長にはダジャレ百選を渡して……」

 

 やっぱりシンボリルドルフもダメかもしれん。

 

「ま、まあ君達にとっては初めての感謝祭なんだし、色々見て回る方を優先した方がいいんじゃないかな? 今回の目玉である模擬レースとか」

 

「レース!」

 

 お、おう、やけに食いつきがいいな。

 

 でもまあ、キタサンブラックがここまで食いつくのも無理はない。彼女は昔からトウカイテイオーのファンだ。そのトウカイテイオーのレースが見れるとならば、彼女は地の果てまでも追いかけ続けるだろう。

 

「レースって、テイオーさんが出走するやつですよね! そうですよね!?」

 

「そう! そうだからちょっと一旦離れよっか!」

 

 絵面的に色々まずいことになる前に! 

 

「あっ、ごめんなさい……あたし興奮しちゃうとつい周りが見えなくなっちゃう癖があって……」

 

「うん、そうみたいね……」

 

 天然ほど怖いものはない。古事記にもそう書いてある(書いてない)。

 

「そ、それで、レースのことって……」

 

「ああ、知っての通り、このレースには君の尊敬するトウカイテイオーが出走する」

 

「やっぱりそうですよね! それにマックイーンさんも出走するって聞きました!」

 

「相手がトウカイテイオーなだけに胃が痛い話だけどね……」

 

 マックイーンの勝利を信じていないわけではない。だが、今回は相手が相手だ。

 

 レースに絶対は無い。だからこそどんな相手でも警戒を怠ってはならない。

 その相手が、絶対を継ぐ意志を持ったウマ娘なら尚更だ。

 

「えっと、あたしはテイオーさんを応援してるんですけど、マックイーンさんも応援していて……えっと、ええっと……」

 

「気を使わなくてもいいよ。君がトウカイテイオーのファンだということは周知の事実だ。無理をする必要はない」

 

「そ、そうですか? でもでも、マックイーンさんも応援してるのはほんとなんで! 今日のレース、ダイヤちゃんと一緒に見に行きます!」

 

「ん、そうしてくれ。ところで、そのサトノダイヤモンドはどこに? 一緒じゃないのか?」

 

「ダイヤちゃんなら、さっきゴールドシップさんと話してて……そのままどこか行っちゃいましたね」

 

 いや、止めろよ。親友がろくでもない目に遭うかもしれないんだぞ? 

 

「ダイヤちゃん、ゴールドシップさんと話してる時焦ってたように見えたけどどうしたんだろ……?」

 

 だから止めろよ。そこまで見てたんなら止めてあげてよ。

 

 今更サトノダイヤモンドの身を案じても無駄なので、成仏できるように祈っとこう。南無阿弥陀仏。

 

「あっ、あたしそろそろ行かなきゃ。トレーナーさん、マックイーンさんに頑張ってくださいって伝えておいてください! それじゃあ!」

 

「おう、じゃあね」

 

 何かを思い出したのか、キタサンブラックは急ぎ足で離れていく。なんだか嵐みたいな子だったな。

 それに先程の走り。トレセン学園に入学する前からそうだったが、彼女の走りは入学試験の時よりさらに磨きがかかっている。今からでも、彼女がトゥインクルシリーズで走るのが楽しみだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

『さあさあ! 今年もやってまいりました、春のファン大感謝祭! 今回も学園外から大勢な方々が来てくださり、委員長である私的にもとても光栄であります! こうも人が多いとトラブルの可能性がなきにしもあらずです! 皆さん、安全にはくれぐれも気をつけて、感謝祭を楽しむよう共にバクシンしていきましょう! では手始めに、感謝祭を楽しむ委員長的10ヶ条を……ちょわっ!? マイクを取り上げるのをやめてください!』

 

 何やら騒々しいアナウンスと共に、感謝祭のスタートが合図される。それと同時に学園には多くの人がなだれ込み、あっという間に前に視界が悪いくなる。

 人混みが得意ではない僕にとって、この状況はあまり心地の良いものではない。どうにかして人の少ないところに行けるといいんだが……

 

「さあトレーナーさん、行きますわよ。時は金なり、1秒たりとも無駄にできませんわ!」

 

 ……うちのお嬢様がそう言うんだ。多少のことは我慢しよう。

 

「おっと、危ない。それにしても人が多いな。途中ではぐれたりしないといいんだけど」

 

「……それなら、こうすれば良いのですわ」

 

 そう言いながら、マックイーンは僕の手を握る。

 これはあれか、俗に言う恋人繋ぎというやつではなかろうか。

 

「すぐに迷子になってしまうトレーナーさんのために、私が貴方のことを見守ってあげます」

 

 ……ほう、言うようになったじゃないか。

 

「そっか、なら今日一日はこれで行こう。いやあ、本来僕がエスコートしなきゃなんだけど、マックイーンがそこまで言うならこの状態で一日過ごすしかないね」

 

「えっ、いや手を繋ぐのは人混みに揉まれてる時だけにしとこうかと……」

 

「いやあ、マックイーンと手を繋いだまま感謝祭を回れるなんて光栄だなあ!」

 

「ちょっ、腕をブンブンするのをやめてくださいまし! ああもう、どうしてこういう時に限ってペースを乱されますの!?」

 

 

 

 

 

 

 結局恋人繋ぎをやめてから数分、校舎内にあるとある一室に辿り着いていた。

 

「ここは?」

 

「どうやらここでは劇をするようですわ。なんでも、タイトルが『うさぎとかめ』とのことで」

 

 確かこのクラスにはグラスワンダーがいたはずだ。

 つまり、その同期であるセイウンスカイやスペシャルウィーク達もいることになる。

 

「まあ時間もあるし、ちょっと覗いてみるか」

 

「そうですわね」

 

 僕とマックイーンは劇の邪魔にならないよう、そろりとドアを開けて中を覗くと……

 

「いっけえええええええええええええええ!! 差せええええええええええええええええええ!!!」

 

「もっと根性出せよ!! お前ならもっと速く走れるはずだあああああああああ!」

 

「ここでお前が負けたらあたしの賭けてた人参なくなっちまうんだよおおおおおおおおお!!!」

 

 反射的にピシャリとドアを閉めてしまった。

 

 今のはなんだ? 本当に『うさぎとかめ』か? 

『うさぎとかめ』で、ギャラリー……主にゴールドシップとナカヤマフェスタから「差せ」とか「賭け」とか聞こえちゃいけない単語が出てきた気がしたんだが。

 いや、見切りをつけるにはまだ早い。あれはあくまでもギャラリーがおかしかっただけに過ぎない。

 もう一度ドアを開き、役者の方に目を向けると……

 

「あらあら〜、スペちゃ……かめさん頑張ってますね〜。お天気もいいことですし、少し休憩しましょうか〜」

 

「っく! グラ……うさぎさんには負けない! お母ちゃんと日本一のカメ娘になるって約束したんだから!」

 

 カメ娘ってなんだよ。そんなの聞いたらお母ちゃん泣くぞ。

 

 それより、これ人選ミスってないか? 

 かめ役のスペシャルウィークはともかく、うさぎ役がグラスワンダーなのはかなりまずい気がする。

『うさぎとかめ』という話は最終的にかめ、ここで言うスペシャルウィークが勝つ話だ。

 物語でのうさぎの敗因は、かめに対する闘争心があまりにも低かったというのがある。そんなうさぎ役を、負けず嫌いランキング第1位(僕調べ)のグラスワンダーがやるとなったら……

 

「うさぎさんはまだ休憩してる……行ける! このままゴールに……って、グラスちゃんなんでゴールするの!?」

 

「あらあら〜、どんなことでもスペちゃんには負けたくないっていう私の悪い癖が出ちゃいました」

 

「グラスちゃ〜ん!!」

 

 こうなった。いや、まあ予想はついてた。

 これで終わりなの? 物語のオチとしては悪くないし、正直面白かったから僕としては有りだと思うけど……本当にこれで終わりなの? 

 

「くっくっく、アタシの勝ちだな。さあ、出すもん出しな」

 

「ちっ、くそっ! これでいいんだろこれで!」

 

 こっちはこっちでギャンブルが続いていた。

 ベットしているものが人参とはいえ、中等部がやる劇の結果の行き先でギャンブルなんてやるなよ。

 彼女達も弁えているだろうが、遊び程度のものだったからまだしも、これがエスカレートしていったらとんでもないことになる。

 

 内心げんなりしていると、ゴールドシップがこちらに……というよりマックイーンに気がついて意気揚々とこちらに近づいてくる。

 

「お、マックイーンじゃねえか! 例の件ならこの後あたしの焼きそば屋に……」

 

「こらお前達! 学園内での賭博はやめろとあれほど言ったのが分からんのか!」

 

「やっべ、エアグルーヴのにいつぁんだ! 逃げろ逃げろー!」

 

 エアグルーヴの出現により、あっという間にゴールドシップ達の姿が見えなくなる。

 なんだったんだ、あいつら……

 

「そういやマックイーン。ゴールドシップのやつ、例の件とか言ってたけどなんのこと?」

 

「いえ、私に心当たりはありませんわね……ん? 何か忘れているような……」

 

 そっか。ならきっとゴールドシップの戯言だろう。

 マックイーンも本気で何のことか分からないようだったため、僕達は深く考えず次の場所を目指した。

 

 

 

 

 

 

『トレセン学園、よいとこ、一度はおいでよ劇場』

 

「……なにこれ」

 

「さ、さあ?」

 

 ここは確か……チームカノープスの部室だったか? 

 

 部室前には立派な劇場と、落語でなどで使うめくりが置いてある……これミスマッチだろ。

 そこそこ多い観客を前に、既に劇場ではカノープスのメンバーが劇を行なっている。

 

「なになに、演目の内容は……『セカンドインパクト』……は?」

 

 某汎用人型決戦兵器を彷彿とさせるようなお題が確認されると共に、劇場の雰囲気からどうやら劇は終盤に向かっているのが感じ取れる。

 

「行きなさい、ターボ!」

 

「イクノ!?」

 

「誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!」

 

「っっだりぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 そのまんまじゃないか。しかもそれ、セカンドインパクトじゃなくてサードインパクトだし。

 

 主人公役であろうツインターボが、ヒロイン役のナイスネイチャを助け出して終了。観客はスタンディングオベーション、拍手喝采、皆が歓声を送っている。

 

 ……僕か!? 僕がおかしいのか!? 

 このツッコミどころ満載の劇に疑問を抱いている僕がおかしいのか!? 

 

 そう思ってマックイーンの方を見ると、彼女は彼女で苦笑いを浮かべているように見えた。

 よかった、おかしいのは僕ではなく世間の方だと認識できた。

 

「つ、次行くか」

 

「そ、そうですわね」

 

 

 

 

 

 

 その後、そこそこ多くの出し物を回り

 

「少し疲れたね。休憩できる場所があればいいんだけど」

 

「あ、ならあそこなんてよいのでは?」

 

 マックイーンが指さす方向には、喫茶店をモチーフにした模擬店があった。

 

「いいね、少しお茶かコーヒーを飲んでいこうか。お邪魔しまーす」

 

「おや、いいところに来てくれたねぇ。今ちょうど新作の紅茶が完成したところなんだ。君も是非モルモ……お客さんとして試飲してはくれないか?」

 

「お邪魔しましたー」

 

「まあまあ、待ちたまえ。私達がここで会ったのも何かの縁だ。今なら特別に無料で私の紅茶を提供しよう」

 

「タダって言葉より君の紅茶っていう言葉のせいで信用ならないんだよ、アグネスタキオン!」

 

 模擬店に入ると出迎えてくれたのは、その色で紅茶と呼ぶには無理があるだろうという怪しげな色をした試験管を持ったアグネスタキオンだった。

 

「いいじゃないか。君と私の仲なのだから、少しくらい実験に付き合ってくれたまえよ」

 

「これはどういう意味ですの、トレーナーさん?」

 

「誤解です、マックイーンさん。アグネスタキオン、君何私達ズッ友だよねみたいなノリで話してんの? 僕達ほとんど接点ないよね?」

 

「細かいことは置いておいて、君は黙って試験薬を飲んでくれればいいんだよ」

 

「ついに薬を紅茶とすら言わなくなったな……」

 

 ここまで飲めと催促されていてなんだが、ここはハッキリと断るべきだろう。アグネスタキオンの実験に付き合わされた人は、大抵はろくでもない目にあって帰ってくるのだ。弱みを握られない限り、付き合えと言われて承諾する人はほとんどいない。

 

「ふむ、これ以上君に勧めても無駄なようだな……ならばマックイーン君。君が飲んでみる気はないかい?」

 

「わ、私!? ……申し訳ないのですが、私この後レースが控えていまして……」

 

 さすがはマックイーンだ。後のことを考え、不安要素を排除している。自己管理が徹底している証拠だ。

 

「そうか、残念だ。この薬にはカロリーを消費しやすくなったり、太りにくくなったりと様々な効果があるのだが……」

 

「ありがたく頂戴致しますわ」

 

 前言撤回、誰だ自己管理ができているとか言ったやつ。

 

 アグネスタキオンの言う薬の効果は本当なのだろう。

 しかし、彼女のことだから薬のデメリットについては何も伝えないつもりなのだろう。

 つまり、薬のいいところだけを見せて、悪いところ、デメリットは隠しているということになる。これで仮にアグネスタキオンに抗議しても、嘘はついてないないの一点張りになるだろう。

 

「マックイーン、レースのこと忘れてないかい?」

 

「……はっ! いけませんわ……もう少しでタキオンさんの甘言に乗せられるところでした……」

 

 どうやら先日のグラスワンダーとの賢さトレーニングは無駄に終わったようだ。もっと厳しいのを彼女に依頼しておこう。

 

「むむぅ……もう少しで上手く行くところだったのに……」

 

「悪いね、アグネスタキオン。実験ならまた別を当たってくれ。それじゃあ」

 

「ふむ、それならばやはり君に試してもらうしかないみたいだな」

 

 どうしてそうなる。わざわざ僕達にこだわる必要もないだろうに。

 

「マックイーン君も、実際のこの薬の効果が気になるだろう?」

 

「……ええ、それは少し……かなり少し……すごく少し気になっていますわ」

 

 それはもう興味津々と言っても過言じゃないんだわ。

 

「ほれほれ、彼女も相当気になっているようだし、ここで君が治験をして成功ならば、マックイーン君のモチベーションや体型などがさらに保ちやすく……」

 

「ええい、やればいいんでしょやれば! こんな薬一気に飲み干してやらあ!」

 

 この後実験に失敗し、僕の体が緑色に光りだしたことは言うまでもない。

 

 

 



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勝利の女神も

 

 

 

「おー、おっちゃん! 遅いわ、待っとったで……ってなんやその顔色!? 変なもんでも口にしたんか!?」

 

「ちょっと究極的に変な物を口にね……ほら、アグネスタキオンの……」

 

「ああ……そら災難やったな……まあ、なんや、ウチのたこ焼き食って元気出し、ほら」

 

「うん……ありがと……」

 

 あの後、緑色の発光が収まらない自分は学園中から不本意な注目を浴びせられ続けていた。知り合いから事情を聞かれると、アグネスタキオンの一言を出しただけで先のタマモクロスのように奇怪な目が憐れみの目に変わるのがなんとも言えない。

 

「それより、マックイーンのレースもうすぐとちゃうんか?」

 

「そうだね。あの子は今準備中だよ」

 

「なるほどな。にしても、えらい派手にやるみたいやな。G1レースやないのに勝負服て」

 

「感謝祭の目玉で体操服着て走るってほうが見栄え悪くないか?」

 

「それもそうやな……って、なんやあれ?」

 

 タマモクロスと他愛の無い会話を続ける中、僕と同等、もしくはそれ以上に目立つウマ娘が駆け抜けていく。

 

「あ、マックイーンさんのトレーナーさ……ん? なんで緑色に光ってるんですか?」

 

「全部アグネスタキオンのせいだから気にしなくていいよ。君の方こそ……どしたのその格好」

 

 話しかけてきたのは、キタサンブラック曰く、ゴールドシップに連れて行かれたというサトノダイヤモンドだった。

 ただ普段のサトノダイヤモンドと何が違うかと言われるとそれは明白で……

 

「これですか? ゴールドシップさんのやきそば屋のお手伝いをする時にこの衣装を渡されたんです。世間では売り子をする時にはこの格好をするって言われて。似合ってますか?」

 

「う、うん。皆注目してるよ……」

 

「そ、そうですか? 少し恥ずかしいですね……」

 

 えへへ、と照れるサトノダイヤモンドだが、その服装は祭りのはっぴと穴あきジーンズ、サングラスを頭の上にかけ、何故かエルコンドルパサーのマスクをするという奇天烈なものだ。

 

 訳の分からない嘘をつくゴールドシップもゴールドシップだが、誰もが一発で分かるような嘘を信じるサトノダイヤモンドもやばいやつ、もしくは天然なのかもしれない。

 天然ほど怖いものはない。古今和歌集にもそう書いてある(書いてない)。

 

「なんや嬢ちゃん、おもろい格好しとるなあ。どうや、うちのとこの売り子やってみぃへんか?」

 

「それはすごく魅力的な提案なんですけど……今からマックイーンさんのレースを見に行く予定があって……」

 

「そっか、そりゃ残念や。そしたらうちも行こか。かわいい後輩達の走り、しっかり見届けてあげなな!」

 

 店じまいを始めるタマモクロスを他所に、彼女から貰ったたこ焼きを頬張る。

 

 うん、美味しい。

 こういった機会で何度か彼女の料理を食べたことはあるが、そのどれもが乙な味である。

 

 タマモクロスのたこ焼きを食べていると、サトノダイヤモンドが僕を、正確には僕の持っているたこ焼きを凝視している。

 

「ん、どした?」

 

「あ、いえ、トレーナーさんが食べてる物って……」

 

「たこ焼きの事? これがどうしたの?」

 

「見たことない食べ物だなあって……」

 

 ……これは驚いた。

 たこ焼きというのは、祭り等の出店で必ずと言っていいほど見かけるほどの食べ物だ。祭りの風物詩と言っても良い。この時代、たこ焼きを見たことがない人というのはかなり珍しいだろう。

 

 詳しいことは知らないが、サトノダイヤモンドの家はとても有名な資産家だと聞いた。マックイーンとは毛色が違えど、お嬢様ということになる。

 そんな家に産まれたウマ娘、名家のウマ娘はだいたい世間知らずだ。ソースはマックイーン。彼女が自動販売機に10000円札を入れようとした時は流石のゴールドシップも引いていた。

 

 そんな世間知らずの箱入りお嬢様は今、手元にあるたこ焼きに興味津々と言う訳だ。

 

「よかったら一個食べる?」

 

「いいんですか!?」

 

「うん。あ、でも爪楊枝が一本しかないや。おーい、タマモクロス。爪楊枝をもう一本……」

 

「それではいただきます!」

 

「え、ちょ!?」

 

 静止の声をかける前に、サトノダイヤモンドは僕の使っていた爪楊枝を使ってたこ焼きを口に頬張った。

 

「うーん、熱いけど美味しいです! ……トレーナーさん、どうかしましたか?」

 

「ああ、いや、なんでもないよ……」

 

 サトノダイヤモンドが気にしてないならいいか、とはならない。相手が中等部は言え、いや、相手が中等部だからこそ流石にこれはダメだろう。

 当の本人は未だに頭部にクエスチョンマークを浮かべており、首を傾げている。

 

 これはあれか。箱入りお嬢様だと思ってたけど、結局ただの天然だったってオチか。

 

「あ、さっきウチのこと今呼んだか……って、なんやこの雰囲気。おっちゃんなんかやらかしたんか?」

 

「いや、僕じゃなくてサトノ……」

 

 待てよ。ここでタマモクロスにさっきのことを迂闊に話すのは非常にまずいのではないか? 

 彼女のことを信用してないわけではない。しかし噂や内緒話はどこから漏れるか分からないのだ。もしさっきのことがマックイーンの耳にでも入ったら……

 

 慌てて周りを見回し、周囲を警戒する。

 もしさっきの出来事を見ていた人がいた場合、真っ先に口封じをしなければならない。

 

 しかし、先程までそこそこいた人もレースの観戦に行っているようで、ここには僕達三人しかいなかった。

 

「ほ、ほんまどないしたんや!? そんな青い顔で周り見回して!?」

 

「トレーナーさん大丈夫ですか……?」

 

「問題ない。それよりサトノダイヤモンド。君がさっきたこ焼きを食べたのはここだけの秘密だ」

 

「え? どうして……」

 

「どうしても。そんなことよりレースだ。もうすぐマックイーンの出番だから早く行こう」

 

「は、はあ……元はと言えばトレーナーさんが言い出したことじゃ……」

 

 お嬢様に食べ歩きというあまりマナーの良くない行為をさせてしまったというのを後ろめたく思い、僕は彼女にこの場で食べ歩きをしたことの公言を禁じた。

 

 決してマックイーンにビビっているわけではない。

 

 ……ビ、ビビってなんかないんだからね! 

 

 

 

 ***

 

 

 

 今回開催される模擬レースは、模擬と付いてはあるが実際に行われるレースとほとんど違いがない。

 出走するウマ娘も多く、観客は十分、電光掲示板もターフの向こう側に据え付けられており、ゲストとして普段レースの実況をしている方達も招いている。何も知らない人からすれば、GⅠレースと勘違いしてもおかしくはないだろう。それほどの設備、環境、そしてウマ娘が揃っている。

 

 そしてレースに出走するウマ娘の中でも、異彩を放つ存在が二つ。

 

「あ、テイオーさんだ! おーい、テイオーさーん!」

 

「マックイーンさーん! 頑張ってくださーい!」

 

 赤い勝負服を身に付けたトウカイテイオー、そして白い勝負服を身に纏ったメジロマックイーンだ。

 

 彼女達の人気は凄まじいものであり、観客席は熱気と興奮に包まれている。

 

「おお、やっぱあの二人はウチに負けんくらいごっつ人気やなあ。いつか勝負してみたいもんやな」

 

「あ、いたんだ」

 

「まずウチに負けんくらいの所ツッコまんかい! そしてあの流れでウチがおらんかったらおかしいやろ! それともなんや、小さくて見えませんでしたーなんて言うつもりか? 誰がチビやねん阿呆!」

 

「言ってないじゃん……」

 

 口に出してないだけで。

 

「それよりタマモクロス、君はこのレースの行方をどう見る?」

 

「あ、なんや急に。アンタは自分の担当するウマ娘が信じられんのか?」

 

「そうじゃない。ただこのレースに対する第三者の目線での意見が欲しいだけだ」

 

「……おっちゃんには悪いけど、ウチはテイオーの方が優勢やと考えてる。2400はテイオーの得意な距離や。ウチもあの時のダービーやジャパンカップを見とったから分かる。さらにマックイーンは怪我の休養明けや。正直、有りえん大差をつけられてもおかしくない」

 

 ま、普通そうだよな。

 

 ウマ娘にとって不治の病と言われる怪我を背負い長期休養をしていたマックイーンと、三度の骨折を乗り越え有記念で劇的な復活を遂げたトウカイテイオー。

 文字に起こしてみればトウカイテイオーの方が有利なのは間違いない。

 

「なんや、怪我のことやっぱり不安か?」

 

「そりゃあ、ね。ぶっちゃけレースの行き先よりも不安だよ」

 

 どれだけの時間が経っても、あの日マックイーンが怪我をした時のことが頭から離れない。

 忘れてはならないことだが、その記憶が常に僕の判断を迷わせる。

 

「いつまでも女々しいやっちゃな。マックイーンの走りがここまで戻ったのは、おっちゃんとマックイーンの二人の努力が引き起こした奇跡や。アンタ自身がその奇跡を最後まで信じてやらんでどないすんねん」

 

 そう、だよな。そうだ。

 不安はある。気掛かりなこともある。

 もしかしたらマックイーンの怪我が再発して、二度と走れなくなってしまうかもしれない。それでもあの子は、僕達は走り続けると決めたんだ。

 

 そんな状況で今僕にできることは……

 

「分かったんならその腑抜けた顔を……」

 

「頑張れええええええ! マックイーン!!」

 

「どわあ!? 急に大声出すなや! アンタ緑に光っとるのと相まって注目の的やで……」

 

「自分の担当ウマ娘を応援しないトレーナーがどこにいる!」

 

「限度っちゅうもんがあるやろ!!」

 

 タマモクロスがなんか言ってるが、今の僕には彼女の言葉が右の耳から左の耳に抜け出ている。

 

 僕の大声がマックイーンに届いたのか、ゲートに入る直前のマックイーンは困ったような顔で手を振ってくる。

 

「私も負けません! マックイーンさーん、頑張ってくださーい!!」

 

「むむう、テイオーさーん! 応援してまーす!!」

 

 負けじと、サトノダイヤモンドとキタサンブラックもそれぞれ応援する方にエールを送る。

 

 これでいい。僕にできるのはこの程度だ。

 

「ああもう! レース始まるで! 目ぇかっぽじってよう見ときぃ!」

 

「……耳じゃなくて?」

 

「細かいことはええねん!」

 

 タマモクロスと漫才をしていると、ウマ娘達の枠入りが完了していた。

 

 そしてそのままゲートが開き、十数名のウマ娘達が出走する。

 

 

『さあゲートが開いた。選ばれしウマ娘達がトレセン学園のターフを駆け抜けます。先頭に立ったのはツインターボ。後続をグングンと引き離しています』

 

 後続のウマ娘達を引き連れ先頭に立ったのはツインターボ。

 逃げ切り圧勝、さもなければ失速惨敗というレースが多いかなり個性的なウマ娘だ。G Iレースなどの大きなレースでの勝ち星は見られないが、彼女も油断ならない存在と言える。オールカマーでは、マックイーンを破ったライスシャワーを打ち破り、見事1着で勝利を収めている。彼女のはちゃめちゃなレース運びにペースを乱されるウマ娘も多い。

 

『そして注目のウマ娘、メジロマックイーンは中段四番手についております。そして二バ身離れてトウカイテイオー。その後ろをピッタリマークするのはナイスネイチャとなっております。殿で様子を伺うマチカネタンホイザも怖い存在と言えるでしょう』

 

 展開としてはかなり良い。先行逃げ切り型のマックイーンとしては、このレース運びは理想的だろう。

 

 ただ、怖いのはやはり後ろに控えるウマ娘達だ。

 トウカイテイオーはもちろん、有記念3年連続3着のナイスネイチャ、目黒記念でライスシャワーを破ったマチカネタンホイザも脅威となりうる。そんな強豪達を背にマックイーンがどこまで逃げ切れるか……

 

『前半の1000メートルを通過してタイムは1分ちょうどと計測されました。スタート直後からここまでツインターボが大きく大きく差を引き離しています。2番手に準ずるレリックアース、少し焦りが見えます。それに釣られて後方のウマ娘達が一気にペースを上げてきた!』

 

「あちゃー。あの娘らスタミナ持たんかもしれんなあ」

 

「このレースは一瞬でも冷静さを欠いたら厳しいだろうからね。マックイーン達はちゃんと自分のペースを保ててるみたいだ」

 

 ツインターボの大逃げによりペースを乱されたウマ娘達が続々と前に躍り出る。

 

 そんな中、マックイーンを始めとするウマ娘達はそのスピードに惑わされず、自分の走りを貫く姿勢が見られる。

 

『さあ3コーナーと4コーナーの中間、殿だったマチカネタンホイザも徐々に距離を詰め始めています。ナイスネイチャも虎視眈々と前を狙っているぞ! トウカイテイオー、メジロマックイーンはどこで仕掛けるのか!』

 

 長年マックイーンの走りを見てきたから分かる。

 

 仕掛けるならこのタイミングだと言うことを。

 

『来た来た来た来た! メジロマックイーンだ、メジロマックイーンが前方のウマ娘達をかわして先頭のツインターボに迫る!』

 

 よし、タイミングは完璧。

 マックイーンは前に位置するウマ娘達を華麗に避けて、一気に先頭との距離を縮める。

 

『4コーナーのカーブに入ってツインターボの先頭はここで終わり!』

 

 そしてそのままツインターボをも追い抜き先頭に躍り出る。ここまで来れば後はもうマックイーンの独壇場だ。

 

 相手が、トウカイテイオーでなければ。

 

『ああっと!? ここでメジロマックイーンに狙いを定めてトウカイテイオーも2番手に上がってくる! 残り400m、直線勝負となった! 外からナイスネイチャとマチカネタンホイザも追い縋る!』

 

 真の勝負はここからだ。この距離でのトウカイテイオーの直線の伸びは凄まじい。

 

『マックイーン先頭! マックイーン先頭! 脚色は衰えないどころかさらに加速する! だがここで負けじとトウカイテイオー! マックイーンとの差を縮める! その差は二バ身、一バ身!」

 

 差させないと言わんばかりに、マックイーンはさらに速度を上げる。しかしそんなことはお構いなしに、トウカイテイオーはマックイーン以上のスピードを出す。

 

『メジロマックイーンが逃げる! トウカイテイオーが追いかける! 外からテイオー! トウカイテイオーが接近する!』

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「はああああああああああああああああ!!」

 

『全く並んでゴールインッ!! メジロマックイーンか!? トウカイテイオーか!? ゴール前、ハナ先が完全に揃っていました! そして3位争いに勝利したのはナイスネイチャ!』

 

 どちらが勝ったかの判断が難しかったのか、キタサンブラックとサトノダイヤモンドは真っ先に食い入るように電光掲示板を見つめる。

 

「これは……」

 

「写真判定……!」

 

 電光掲示板に大きく写真判定の文字が映っていた。この雰囲気、会場のこの盛り上がり。それらは二人が争った春の天皇賞に負けず劣らずのものだ。

 

「なんや……あの二人、怪我する前より強くなっとるんやないか……?」

 

「白い髪と勝負服がキラキラ光って綺麗だったからマックイーンさんが勝った!」

 

「燃えるような赤い勝負服がかっこよかったからテイオーさんが勝った!」

 

 タマモクロスらは三者三様にレースの感想を溢す。

 

 当時復活は絶望的と言われていた二人が、その当時以上の力を付けて戻ってきた。これには完全に僕も予想外だ。

 

 レースに絶対は無い。

 

 その言葉が骨身に染みるほど、今日のマックイーンの走りは冴え渡っていた。

 

 

 しかし……

 

 

「お、結果が出たみたいやで!」

 

「テイオーさん!」

 

「マックイーンさん!」

 

 

 ゴール直前、マックイーンの足が僅かに鈍った。それを見逃すほど自分も間抜けではない。

 

 

『トウカイテイオーだ! トウカイテイオーです! 激闘を制し、見事春のファン大感謝祭の一大イベントの優駿を飾ったのはトウカイテイオーです!』

 

 電光掲示板には、1着の欄にトウカイテイオーの番号、2着の欄にはマックイーンの番号が掲示されている。

 その差はハナ差、最も悔しい負け方だ。

 

 着順が確定した後の盛り上がり、地鳴りのような歓声。

 

 そんな中、自分は何かを堪えるように佇むマックイーンを見守ることしか出来なかった。

 

 

 



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想い片手に

 

 

 

 感謝祭の片付けは後日行われるため、散らかった学園内を一人のウマ娘を探すために歩き回る。いつの間にか体の発光は収まっており奇々怪々な視線を送られることは無くなった。

 

 レースの後、タマモクロス達に一言告げてからマックイーンの元へ向かおうとしたが、既に彼女はその場から立ち去っていた。

 彼女の後を追おうと、同じレースに出走していたナイスネイチャやマチカネタンホイザにマックイーンの行方を聞いてみても、有力な手がかりは掴めなかった。トウカイテイオーにも聞こうとしたが、彼女も彼女で姿が見えなかったので見つけ次第聞いてみることに決めた。

 

 校門を見張ってたフジキセキからはマックイーンが外に出たという旨の連絡は受けていないため、まだ学園内にいるのは確実だ。

 

 先程送った連絡に反応を示していることを願いながらウマホを開くが、彼女からの返信は無いどころか既読すらも付いていない。正直、こうなった場合もうお手上げに近い。

 

 担当ウマ娘とはいえ、こうして追い回すような真似をするのは良くないのかもしれない。一人になりたい、一人にさせて欲しい、そんな時があっても何も不思議ではない。

 

 だが、話さなければ何も始まらないのもまた事実だ。言わずとも分かる、理解し合えるなんてものは幻想だ。それは一心同体を誓い合った僕達でも不可能に近い。

 

 だから、あのレースの最後に一体何が起こったのかを聞かなければならない。このまま彼女を一人にしても何も前に進まない。

 

 そんな思いを胸に、彼女を探す足を早める。

 

 

 

 ……ん? 何か今背中に視線を感じたような……気のせいかな? 

 

 

 

 ***

 

 

 

 マックイーンを探し出してから数分、彼女の行きそうなところを隅々まで探したが、その全てが無駄足に終わった。トレーナー室を始め、グラウンド、体育館、彼女の所属する教室。

 さすがにトイレや更衣室には入れなかったので近くにいたウマ娘に協力してもらったが、それでもマックイーンが見つかることはなかった。

 

 残すは各チームの部室付近のみ。

 自分はチームを作っているわけではないので、マックイーンが行くような場所とは考えられない。しかしそこを探さないわけにはいかないので、部室周辺をゾンビの如く徘徊する。

 

 〈カノープスの〉部室……〈リギル〉の部室……そして〈スピカ〉の部室……ん? 誰かいる? 

 

 〈スピカ〉の部室付近で人の気配を感じ、茂みに隠れながらそーっとその方向を見る。

 そこにいたのは、探していたメジロマックイーン、そして同じく姿が見えなかったトウカイテイオーがいた。

 

「なんですの、テイオー。こんな所に呼びつけて。まるで青春ドラマの1ページみたいですわね」

 

「茶化さないでよ、マックイーン。さっきのレースの最後、一体何があったのさ」

 

「……なんのことだかよく分かりません」

 

「っ、とぼけないでよ! 気付いてないとでも思った!? 最後の一瞬、君は明らかに減速した! あれが無かったらボクが負けてたかもしれなかった!」

 

 真剣な顔で質問をするトウカイテイオーだが、マックイーンにはぐらかされたことにより激昂する。

 

「…………やっぱりまだ脚が……」

 

「左脚の怪我は完治しています。痛みは感じませんし、レースで再発したなんてことはありえません」

 

「……また走れるんだよね?」

 

「貴方に心配されずとも、私は走り続けます」

 

「じゃあなんで……?」

 

「……今回のレースにおいて、私より貴方の方が速かったというだけですわ」

 

 マックイーンはそう答えるが、彼女の目は明らかに何かを隠しているような目をしている。この位置からの僕が分かるんだ、トウカイテイオーがそれに気が付いてないはずがない。

 

「……どうしても答える気は無いんだね」

 

「……」

 

 トウカイテイオーの返答にマックイーンは黙りこくってしまい、そのまま沈黙が流れた。

 

「じゃあいいよ。君が話したくないんだったらボクはこれ以上聞かない。今回は君の口車に乗ってあげる」

 

 頑なに事情を話そうとしないマックイーンに、トウカイテイオーは背中を向ける。ただその様子には諦めや失望と言ったような感情は含まれていない。

 

「でも、これだけは覚えといて」

 

 トウカイテイオーは首だけを動かし、横目でマックイーンを見ながら言い放つ。

 

「ボク、こんなので君に勝ったなんて思ってないから」

 

 その言葉に、ずっと握りしめられていたマックイーンの左手がより強く握りしめられた。

 

 トウカイテイオーの迫力は、さながらどこかの皇帝を思い出させるほどのものだ。

 

 前に聞いたことがある。

 昔、皇帝に対して当時は無謀に近い要求をしてきたウマ娘がいた。そのウマ娘の付き添いの娘曰く、その時の皇帝の返しはこの世のものとは思えなかったと。

 今のトウカイテイオーは、それに負けないほどのものなのだろう。

 

「次は全力の勝負、できるといいね」

 

 そう言い残し、トウカイテイオーはその場を立ち去る。この場に残されたのは、儚げな、しかしてどこか後悔の残る表情のマックイーンだけだった。

 

 その表情のまま、マックイーンはずっと握りしめていた左手を開く。

 

 そこにあったのは、欠けた蹄鉄が一塊。

 

 

 ……なるほど、そういうことか。

 

 

「私だって……私だって、あんな不本意な終わり方……!」

 

「納得、いかないよな」

 

「ト、トレーナーさん……!? いつからそこに……」

 

 急に現れた僕に、マックイーンは驚きの表情を見せていた。

 

「あー……すまん、盗み聞きするつもりはなかったんだが……」

 

「はぁ……まあ構いませんわ。聞いての通り、今回は私よりテイオーの方が速かった」

 

 落ち着きを取り戻した彼女は、どこか自嘲気味な様子で僕に語る。

 

「情けないですわね。あれだけ大勢の前で1着を取ると宣言しておきながら、あれだけ貴方に勝利を誓っておきながら、結果がこれですもの。これでは、トレーナーさんにも応援してくださった皆さんにも申し訳が……」

 

「その蹄鉄、さっきのレースの時に使ってた物でしょ?」

 

「……」

 

 不意に言葉を挟んだことにより、マックイーンはまたしても黙りこくってしまった。

 

「沈黙は肯定とみなすよ。ゴール直前、君が一瞬だけ減速したのは僕にも分かった。最後の最後で落鉄して、バランスがほんの一瞬だけ崩れた。でも、あのレースの勝敗を決するには充分過ぎる要因だった」

 

 マックイーンは左手にある蹄鉄を再度握りしめる。

 

「もしかしたら原因は怪我にあるんじゃないかって思ったけど、君から言い出さないということはそうじゃないってすぐに気が付いたよ」

 

 これは一種の信頼関係だ。レース後、異変があればすぐに伝える。これを事前に決めていたため、最悪の事態を想定することはなかった。

 

「負けた理由が道具のせいってのはカッコ悪いからね」

 

 マックイーンは沈黙を貫く。

 

「ライバルにそんな姿は見せたくなかったんだろうね」

 

 マックイーンは沈黙を貫く。

 

 ……

 

「ま、今回は理由が理由だ。仕方がなかった、運が無かった」

 

「…………え……? いやっ、ちがっ……」

 

「このレースはマックイーンに勝利の女神が振り向かなかった。天に見放されたって訳だ」

 

「そ、そんなの……」

 

「レースで勝つためには運も必要だ。今日に限ってその運が無かった。これはどうしようもない。諦めるしかない。マックイーン、君もそう思ってるんだろ?」

 

「ち……違う……私は…………私はそんなことは……!」

 

「ん、言ってみ?」

 

「ぁ…………」

 

 これだけ彼女の心を揺さ振れば充分だろう。

 

 マックイーンの頭を撫でると、彼女の目からは大粒の涙がポロポロと流れ出した。

 

「…………勝ちたかった……勝ちたかった、勝ちたかった勝ちたかった!!」

 

 何かの糸が切れたかのように、マックイーンは心の内を曝け出す。

 

「僅差で負け? 運に恵まれなかった? そんなこと関係ない! そんなの知ったことじゃない! 私はただ勝ちたかった! 勝って証明したかった! メジロマックイーンは、今後も最強のウマ娘であり続けるということを! 他でもない、貴方と共に!!」

 

 マックイーンの独白は続く。

 

「私の今日のコンディションは完璧でした。それ故に悔しい……! テイオーとだってもっと良い勝負ができていたはずなのに……!」

 

 それは後悔か、懺悔か、それとも彼女の欲望か。

 

「あんな不甲斐ない形で終わってしまって……私は……私は!!」

 

 頭の中では分かってる。今回のは事故だ。道具の手入れを怠らない彼女にとって、防ぎようがない事故だ。

 

 そんなことは分かっている。それでも納得がいかない。

 

「マックイーン」

 

 不意に名前を呼ばれたことにより、目に涙を浮かべたまま彼女はこちらを向く。

 

「まだ負けていない、これは勝ちの途中だ。君の強さを、君の想いを、もっと見せつけてやろう」

 

「っ……!」

 

 オレンジ色に輝く太陽とカラスの鳴き声が寮の門限の時間を告げ、マックイーンは目に浮かべていた涙をこぼし、再び赤子のように泣きじゃくる。

 

 そんなマックイーンの泣き声は、日が暮れるまで辺りに響き渡った。

 

 

 

 

 

 

「少しは落ち着いた?」

 

「…………はい……その、トレーナーさん、連日みっともない姿を見せてしまい申し訳ありません……」

 

「いいって、気にしないで……って前もこんなやり取りしたね」

 

「そうですわね」

 

 マックイーンは少し大人びた表情でふふっと笑う。

 彼女が成長したようで嬉しいような、なんだか少し悲しいような。

 

「その……お洋服なんですけど……」

 

「ああ、マックイーンの涙と鼻水でベトベトだよ」

 

「は、恥ずかしいので言語化しないでくださいます!? もう、どうしてそういうところのデリカシーは無いんですの!!」

 

 赤い顔をして僕をポカポカ殴るマックイーンに苦笑いを浮かべる。

 

 あんまり成長してないかな。やっぱりマックイーンはマックイーンだ。

 

 ……あの、ウマ娘のポカポカは人間で言うところのボコボコなのでそろそろやめて欲しいんですけど……

 

 そう思ってると、マックイーンは急に叩くのをやめ不安気な表情を見せる。

 

「……トレーナーさん」

 

「ん、どした?」

 

「私、勝てるのでしょうか? 今後トゥインクル・シリーズに復帰して、勝利を収めることが……」

 

 先程のことで自信がなくなったのか、マックイーンはいつになくらしくないことを言う。

 

 ……しょうがねえなあ。

 

「よっこらせっと!」

 

「へっ、きゃわっ!? ちょっ、ど、どうして私を持ち上げますの!? 降ろしてください! ていうかその掛け声はなんですの!? もしかして重いとでも……」

 

「その顔だよ、その顔。落ち込んでる顔は君には似合わないっての!」

 

「っ……!」

 

「ここからだ、マックイーン。ここが君の新たなスタート地点だ! 世間に見せつけてやろうぜ! これが新しいメジロマックイーンだってことをさ!」

 

「分かりました! 分かりましたからいい加減降ろしてください!!」

 

「ああ、ごめんごめん、マックイーンの反応が面白くってついね」

 

 そうだ、マックイーンはここからだ。これで終わりなはずがない、ここで終われるはずがない。

 彼女の闘志はまだまだ燃え盛っている。勝ちたいという欲望に抗えるウマ娘はいない。

 

「それより、なんか重かった気がするんだけどもしかして太」

 

「ふんっ!!!」

 

「がはあっ!?」

 

 僕の一言を聞いた瞬間に、マックイーンは即座にみぞおちに拳を入れる。

 

 あ、これまずい、明らかに余計なこと言った。

 意識が……

 

「今日のことは感謝していますわ。ありがとうございます、トレーナーさん」

 

 ど、どういたしまして……

 まだかろうじて意識保ってるけどもう限界……

 

「…………それと……その……実は私、貴方のことが……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 言ってしまった。

 この思いは来たるべき時まで隠しておこうと思っていたのに、言ってしまった。

 吹っ飛ばした後でこんなことを言うのはロマンの欠片も何もないが、ここで言わなければいつまでも伝えられない気がしてならなかった。

 

 今この気持ちを伝えてしまったら確実に彼を困らせてしまうことなんて分かっている。私はまだ学生の身分。対して彼は成人だ。

 少なくとも、学園を卒業するまでは伝えるべきではないと思っていた。だがもう我慢できない。

 

 貴方が好きだ。どうしようもなく好きだ。

 

 こうしていつも寄り添ってくれて。自信が持てなくて弱気になった時に、あの日の気持ちを思い出させてくれて。貴方と一緒だったらどこまでだって行けそうな気がして。

 

 一時期は貴方の方から告白させようとしていた。けど、それでは遅すぎる。

 どうせもう一人担当ウマ娘が増えるのだ。だったら、ここで貴方を私のものにすればいい。そうすれば貴方を取られる心配もなくなる。どこのウマ娘の骨とも分からない輩に掻っ攫われてはたまったものではない。

 

 トレーナーさんは告白を受け固まっている。

 恐らく返事に迷っているのだろう。でも聞かなければならない。

 

 そしてゆくゆくは……

 

 

 

 

 

「あの……返事を聞かせてもらってもよろしいでしょうか……あら、トレーナーさん? ト、トレーナーさん、もしかして気絶してますの!? う、嘘でしょう!? 返事をしてください、トレーナーさん!!」

 

 

 あんなに勇気を振り絞ったのに!!! 

 

 

 



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宝石の名前

 

 

 

 体全身が怠い。

 

 感謝祭も無事に終わり、マックイーンと新たなスタートを切った僕は、謎の痛みと倦怠感に襲われていた。

 

 朝起きると、僕は何故か変な態勢で寝ていたので休むことができなかった。しかし倦怠感についての説明はつくのだが、痛みについてはどうも心当たりがない。

 特にお腹当たりが痛い。

 

 おっかしいなあ、昨日変なものでも食べたかなあ? でも昨日何食べたかって言われたら……あれ? 

 昨日何してたっけ? 確か〈スピカ〉の部室裏でマックイーンの想いを曝け出させて、ここが新たなスタート地点だって言って…………あれえ? 

 

 昨日のある一点から記憶を思い返すことができない。本当に何をしていたのだろうか。思い返せないと言うことはそこまで大切なことではないのかもしれないが……

 

 まあいいか、いずれ思い出すだろう。

 

 楽観的な考えを持ち、今日も今日とて朝早くトレーナー室に向かう。感謝祭が始まる前も仕事が多い、感謝祭が終わってからも仕事が多い。

 仕事の多さについて100個や200個文句を言いたいところだが、理事長やたづなさんの方が明らかに仕事の量が多いように見えるので、この気持ちは墓場まで持っていくことに決めている。

 

 タングステンのように重い足をえっちらおっちら動かし、ようやくトレーナー室に到着する。

 

「ここで〜今〜輝きた〜い〜……あれ?」

 

 なんで鍵が空いてるんだ? と、思ったが、前にも同じことがあったのを思い出す。

 

 あの時はマックイーンが部屋にいたっけ。だが、彼女は一日休みのはずだ。

 今日は感謝祭の片付けなので、出し物には参加していないマックイーンはやることがないというのもあるが、昨日あれだけのレースをした後に休息を取らせないというのも酷なものである。

 

 休みと言ってもトレーニングが休みというだけで、彼女がここに絶対いないというわけではないが、昨日のレースについては全部曝け出した訳だしマックイーンである確率は低いだろう。

 

 じゃあ誰だ? 空き巣か? 

 

 前回と同じようにそろーりとドアを開けると……

 

「……え?」

 

「あ、トレーナーさん、おはようございます!」

 

「ああ、おはよう……じゃなくて、どうして君がここに? どうやって入ったの?」

 

 トレーナー室にいたのは意外も意外、サトノダイヤモンドだった。

 

「どうって……この部屋元から開いてましたし……」

 

「え……マジで?」

 

「マジです」

 

 僕としたことが、昨日ここの鍵を閉め忘れていたらしい。そもそも昨日の記憶があやふやな時点で鍵をかけるもクソもないのだが。

 

「あー……でもどうして君はここに? マックイーンなら今日は休みだから、ここに来るより直接尋ねるか後日に回した方がいいと思うんだけど……」

 

「いえ、今日はマックイーンさんではなく、トレーナーさん、あなたに用事があって伺いました」

 

 僕に? はて、僕は一体彼女に何かしたのだろうか。

 

 …………

 

 いや、したじゃん。まさかたこ焼きの件がマックイーンにバレたとか……! 

 

「サトノダイヤモンド、一回落ち着こう。あれはそうじゃないんだ。誤解なんだ。だから一緒にマックイーンに謝る言い訳を考えて……」

 

「ト、トレーナーさん? 一体何の話をしてらっしゃるんですか?」

 

「あれっ?」

 

 もしかして違うのか? いや、違うのなら好都合だ。この事は仕事の件と一緒に墓場まで持っていこう。

 

「んんっ、取り乱して悪いね。それで、僕に用事ってなんだい?」

 

「はい、今回はこれをトレーナーさんに渡したくって」

 

「なになに……」

 

 サトノダイヤモンドから受け取ったプリントを見ると、そこには『トレーナー契約書』と書かれた文字が…………ん? 

 

 新入生が入学して即トレーナーと契約を交わすことは禁止されているわけではないが、それは物凄く稀有な例だ。

 あまりにも予想外すぎる事態に状況が飲み込めず、サトノダイヤモンドとプリントを交互に見るが、彼女の表情を一切変わらず、依然ニコニコしたままとなっている。

 

「サトノダイヤモンド……これは一体……?」

 

「見ての通りですよ?」

 

 サトノダイヤモンドは笑顔を絶やさずに答える。

 

 決して嫌というわけではない。むしろ彼女のような優秀なウマ娘を担当できて光栄だとも思う。

 けれど、それは僕の気持ちの話だ。サトノダイヤモンドの真意が定かではない。

 

「サトノダイヤモンド、君は新入生だから分からないかもしれないが、トレーナー選びはウマ娘にとって最重要と言っても過言じゃない。今後のレース人生に関わるからね」

 

 トレーナーと上手く関係を築けず、レースであまり結果を出せなかったウマ娘も大勢いる。

 

 本来こんな考えはしてはいけないのだが、トレーナーは何人か担当を持つことができるため、誰か一人でも結果を出すことができたら万々歳となる。

 しかし、ウマ娘はそうではない。

 彼女達にとってレースは一度切りだ。トゥインクル・シリーズで輝けるのは人生でその瞬間だけなのだ。

 

「……君が憧れのメジロマックイーンと同じチームに入りたいからという理由でこの契約書を持ってきたのなら、僕は……」

 

「はい、私はあなたのことを見てこの契約書を持ってきました」

 

「突き返……なんて?」

 

 今何つった? 

 

「私はトレーナーさんのことを見て契約を結ぼうと思いました」

 

「え……でもどこでそんな要素……」

 

「あなたがウマ娘のことを第一に考えていらっしゃるということは、昨日の一件で拝見させていただきましので」

 

 昨日の一件? 

 昨日は感謝祭があってレースが終わって…………まさか……! 

 

「見てたのかよ……」

 

「えへへ……あの後気になって付けちゃいました……」

 

 えへへじゃないが。

 バツが悪そうに頬をかくサトノダイヤモンドに、体の力が抜けるような感覚を覚える。

 

 あれ見られてたのかあ……マジかあ……

 そういえばマックイーンを見つける前に誰かの視線を感じた気がしたが、あれはサトノダイヤモンドの物だったのか。

 

「はあ……全く、盗み見は感心しないぞ」

 

「でもトレーナーさんもマックイーンさんとテイオーさんのやり取りを盗み聞きしていましたよね?」

 

「ちょっと何のことか分からないですね」

 

 なんでそこまで見てるんだよ。これもうストーカー被害として訴えた方がいい気がしてきた。

 成人男性と美少女ウマ娘、世間はどっちに味方すると思う? 圧倒的に美少女ウマ娘の方ですね本当にありがとうございます。

 

「ふふっ……」

 

「? どうかした?」

 

 何も言い返すことができないためしらばっくれるしかない僕を見て、サトノダイヤモンドがとても楽しそうに微笑む。

 

「いえ、今までは憧れの存在だったトレーナーさんやマックイーンさんと、こうして楽しく会話ができるのがなんだかおかしくって」

 

「う……」

 

 そう言った彼女の笑顔はとても眩しく輝かしい。

 いかんいかん、新入生であるサトノダイヤモンドにいい顔を見せなければならないのに、つい僕のポンコツ具合が出てしまった。気を引き締めなくては。

 

「…………お二人はとてもそっくりなんですねぇ……」

 

「ん? なんか言った?」

 

「いえ何も! それよりそろそろ契約の話に移りませんか?」

 

「そうだったね。でも本当に後悔しないかい? 一応契約後、ずっとそのトレーナーでなければならないっていう規定は無いからいつでも変えられるけど……」

 

「私はあなたがいいんです!」

 

「……分かったよ。それじゃ、この契約書にサインして……」

 

 サトノダイヤモンドの持ってきた契約書にサインをしようとした瞬間……

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああ! トレえもんさあああああああああああああああん!」

 

「うるせえよ朝っぱらから! 誰がトレえもんだ!! それよりどうしたマックイーン、君がそんなに取り乱すなんて。キャラ崩壊なんてレベルじゃないぞ……」

 

 トレーナー室に乱入してきたのは、昨日とは別ベクトルで大泣きしながら喚いているマックイーンだった。

 こいつレースで負けた時よりも感情を出してないか……? 

 

 こんなマックイーン見たことがない。

 サトノダイヤモンドも、そんなキャラが崩壊したマックイーンを見て若干……というよりかなり引いている。憧れのウマ娘がこの様であるので、サトノダイヤモンドにとってかなりショッキングな映像となってしまっただろう。うちの担当ウマ娘がごめんね。

 

「ああ、トレーナーさん! ゴールドシップが! トレーナーさんの声! 焼きそば! 売り子!」

 

「待って、何言ってるか分かんない。ほら落ち着いて、一個一個要点を摘んで話して?」

 

 僕の一言にマックイーンは口を開きかけたが、その間きっかり2秒。

 マックイーンは一瞬で普段の彼女の様子に戻り、スンとした表情を見せる。

 

「…………いえ、やっぱりなんでもありませんわ」

 

「えぇ……」

 

 なんなんだよ一体……

 

「あら、ダイヤさんもいらしてたんですか。ご機嫌よう」

 

「お、おはようございます、マックイーンさん……」

 

 マックイーンは何事もなかったかのようにサトノダイヤモンドに挨拶し、優雅に微笑む。その姿は、まるでどこかの名門のお嬢様のようだ。

 

「それでは私は失礼しますわ。少しゴールドシップに脅迫……交渉しなければならないことができたので」

 

 なんだろう、今回に関してはどうしてもゴールドシップは悪くない気がする。むしろマックイーンが悪役にしか見えない。

 

 トレーナー室を出るまでは優雅に振る舞っていたマックイーンだが、部屋を出た後猛ダッシュをしたのが音で分かった。

 

 ……このことはメジロライアンにでも報告しておこう。彼女ならきっといい話のネタにしてくれるはずだ。

 

「……ええっと、マックイーンも普段あんな娘じゃないんだ。その……なんていうか……たまにアホになるっていうか……」

 

「そ、そんなところも含めて私はマックイーンさんを尊敬していますので……」

 

 サトノダイヤモンド、それは少し無理があるぞ。

 

「とりあえず、これをたづなさんのところに持っていけば契約は締結されるよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 サインが入った契約書をサトノダイヤモンドに手渡す。

 こうしてみると、マックイーンと契約を交わした時がなんだか懐かしく思える。あの時は僕も本当の意味で新人だったため、不安や懸念も多かった。

 過去の話をしだすと長くなってしまうので、この話はまた別の機会に取っておこう。

 

 トレーナーと契約するのに憧れを持たないウマ娘はいない。

 そもそも、トレーナーと契約できなかったため、レースに出走することすら叶わなかったウマ娘もいるのだ。ここに入学してくるウマ娘は皆レースに出て走ることを目標としている。

 目の前の契約書を見て目を輝かせているウマ娘も、その内の一人だ。

 

「これから一緒に頑張ろうな、ダイヤ!」

 

「っ……はいっ! 不束者ですが、よろしくお願いします!」

 

 この日、新たにサトノダイヤモンド、もといダイヤが僕の担当ウマ娘に加わった。

 

 

 

 後日談というか、今回のオチ。

 

 マックイーンにこのことを伝えると、意外なことにあっさりと承諾した。もっとごねるかと思ったが、相手がダイヤなのもあり見知った顔であるというのがあったのだろう。

 何故か頬を紅潮させてボイスレコーダーを持っているのが甚だ気になったのだが、聞いたらなんだか恐ろしいことになる気がしたのでやめておいた。それは少し離れたところでボロボロになっているゴールドシップが物語っている。

 

 一体何があったんだよ……

 

 

 




これにてクソ長プロローグは終了です。

次回から、第一章『マックイーンは迫りたい』が始まります。


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第一章 マックイーンは迫りたい
新たな日常


 

 

 あの日の残響が、今尚胸にある。

 あの日の無念が、今尚脳にある。

 あの日の悔しさが、今尚心にある。

 

 息をするのが苦しい。肺が痛い。脚が重い。

 

 体中が悲鳴を上げ、視界が霞む。

 

 それでも前に進まなければならない。

 あの背中に、あの大きな背中に追い付かなければならない。

 

 脚はもう限界。体力も限界。この程度でへばっておきながら、何が『最強のステイヤー』か。

 

 今の自分を動かす原動力は、意地と根性、そして勝ちたいという欲望だ。それがなければとっくの昔に私は走るのをやめている。

 

 必死に腕を伸ばし、少しでも抗う。

 

 ……届かない。伸ばした手が空を切る。

 

 何度も何度も手を伸ばすが、その度に伸ばした手は空振りする。

 

 もう諦めた方が楽なのだろう。

 

 次がある。次勝てばいい。

 そう考えた方が確実に楽なのだろう。

 

 諦めて、諦めて、諦めて……

 

「走れっ! マックイーンッ!」

 

 それでも……それでも私はっ…………! 

 

 

 

 ***

 

 

 

 第一章『マックイーンは迫りたい』

 

 

 

 春のファン大感謝祭が終わり、数ヶ月が経過した。

 その間何もありませんでしたー、というわけではなく、まだかまだかと噂されていたマックイーンの『公式』復帰戦が行われた。

 感謝祭のレースはあくまでも非公式なものであるため、彼女の戦績に加算されることはない。もっとも、記録に残らないだけで記憶には残り続けるのだが。

 

 そしてマックイーンの復帰戦に関して。

 感謝祭であれだけのレースをしていた彼女だが、トゥインクル・シリーズに復帰して早々重賞レースというのも厳しいだろうと思い、まずはオープン戦で肩慣らしを提案した。

 

 マックイーンにとってこれは良い前哨戦となるだろう。

 

 

 そう思っていた時期が、僕にもありました。

 

 

『マックイーン先頭! マックイーン先頭! 並ぶ者なくゴールイン! 貫禄の強さだメジロマックイーン! 2番手のウマ娘に10バ身以上の差をつけて圧勝です! 復帰レースで絶対を見せつけました!』

 

 今でも実況のセリフが脳の中で繰り返される。誰もがマックイーンの勝利を確信していただろうが、こんな大差で勝利するとは考えていなかっただろう。

 

 だって、あれ……ええ……? 何バ身あったんだよ……少なく見積もっても14、5バ身はあったぞ……

 

 これではただのタイムアタックだ。レースとかそういう次元の話じゃない。

 

 彼女はいつも予想の遥か上を行く走りを見せる。今回も今までも、そしてこれからも。

 

 

 というわけで、マックイーンがトレーニングにもレースにも完全復活したこともあり、今はグラウンドでトレーニングを行っている。

 こうして普通にトレーニングをしているだけだが、怪我でそれができていなかった期間が長かったことにより、なんだか昔のような日常に戻ったような感じがする。

 

 

 そしてもう一人。

 この日常が昔のようなものではないと認識させてくれるウマ娘が、マックイーンにも負けない気力でターフを駆ける。

 

 

「ダイヤー! 最後まで集中しろー!」

 

「っ、はい!」

 

 サトノダイヤモンド。

 純情可憐なお嬢様であり、かの有名な資産家、サトノ家に産まれたウマ娘。物腰柔らかな言動に反して、精神は頑固。彼女の意志の強さは、まさにダイヤモンド級と言ったところだ。

 

「はぁ……はぁ……走り終わりました……」

 

「お疲れさん。はい、水分補給」

 

「ありがとうございます、トレーナーさん」

 

 スポーツドリンクを手渡されたダイヤは、走り終わった直後にも関わらず上品にそれを飲み干す。こうしたところを見ると、彼女も本当にお嬢様なんだなと実感させられる。

 

「トレーナーさん、今の走りはどうでしたか?」

 

「最初の頃に比べたらだいぶタイムも縮まってるね。これならそう遠くないうちにデビューも視野に入れられそうだ」

 

「本当ですか!? やったあ!」

 

「ただ喜ぶのはまだ早いよ。ダイヤはコーナーを曲がった後の直線での伸びが怪しい。苦しい時こそ足を上げて前に出る。これを意識すればもっと速く走れると思う」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

 ダイヤからはもっと速く走れるようになりたいという強い意志を感じる。

 

 風の噂では、ダイヤと仲の良いキタサンブラックはチーム〈スピカ〉に入ったとのことだ。キタサンブラックの脚を触って蹴っ飛ばされるスピカのトレーナーの様子が容易に想像できる。

 

 そんなダイヤの走る意味とは、ライバルであるキタサンブラックに勝ちたいからか、はたまた別の理由からか……

 

「ダイヤさん、とても調子が良いようですわね」

 

「マックイーンさん!」

 

「お疲れ、マックイーン。ほれ、君にも」

 

「ありがとうございます」

 

 ダイヤと同じく、ちょうど走り終わったマックイーンがスポーツドリンクを受け取る。

 

 彼女も彼女でお嬢様だ。気品あふれる今のその姿は、まさしくメジロ家の令嬢と言っても疑問はない。

 稀にとてもお嬢様とは思えないような言動をするのが玉に瑕だが、それも含めてメジロマックイーンというウマ娘を形取っている。

 

「今の私の走りはどうでしたか?」

 

「流石はマックイーンと言った走りだね。だけど前半の加速が少し足りていない気もした。リズムとタイミングをしっかりとイメージして、そのイメージを体で表現してみたらいいと思うよ」

 

「なるほど、リズムとタイミング……アドバイス感謝いたしますわ」

 

 実際マックイーンの走りは完璧に近い。だが、近いのであって完璧ではない。

 そもそも、改善点を一つ修正したところでまた別の改善点が出現するため、完璧な走りができるウマ娘など存在しない。その改善点をより多く潰したウマ娘がレースで勝つことができる、と僕は思っている。

 

「流石です、マックイーンさん! 私、マックイーンさんのレースが今からでも楽しみです!」

 

「ありがとうございます、ダイヤさん。トレーナーさん、次のレースはもう決まっていますの?」

 

「あー……本当はGⅡ、GⅢで慣らしていくつもりだったんだけど、この前のオープン戦であれだけの走り見せつけられたらもうどれに出してあげたらいいのか分からなくなっちゃって……秋には確実に走れると思うんだけど」

 

「そうですか……」

 

 そう言ったマックイーンは何か考え込むような姿勢を取る。彼女の希望があるのなら、彼女の意思に従いたいところだ。

 

「あの、どうしてマックイーンさんは宝塚記念を走らなかったんですか? マックイーンさんの実力なら圧勝してもおかしくないと思うんですけど……」

 

 マックイーンのレースについて、ダイヤは誰しもが考えるであろう疑問をマックイーンにぶつける。

 

「単純に出走登録が間に合わなかったというのもありますけど、私は既に宝塚記念は制していますので。今の目標は、まだ取ったことのない冠を取りに行くことですわ」

 

 まだ取ったことのない冠というと……ああ、マックイーンの言いたいことが大体分かった。

 彼女の勝利したレースは、菊花賞、春の天皇賞、宝塚記念。春から夏にかけてのレースは勝っているが、秋から冬にかけてのレースでは勝利を収めていない。

 

 そんなマックイーンの考えることは、端的に言えば負けたレースの『リベンジ』だろう。それは秋の天皇賞、ジャパンカップ、そして有記念ということになる。

 

「マックイーンの言いたいことは分かったよ。要は秋シニアの3レースを走りたいというわけだろう?」

 

「ただ走るだけではありません。走って勝つ、勝って走るのですわ」

 

「君ならそう言うと思ったよ。なら忘れないうちに秋の天皇賞とジャパンカップの登録用紙だけもらいに行こうか。有記念は十中八九マックイーンが選ばれるだろうし」

 

 季節的にはまだ夏真っ盛りだが、今からでも準備をしていても損はない。むしろアドバンテージだ。早速この後用紙を取りに行こう。

 

 そんなことを考えていると、ふと自分もかなり汗をかいていることに気がつく。

 

 秋のレースの予定を立てている時は気がつかなかったが、このままでは熱中症になってもおかしくない。それを注意喚起する立場のくせに、自分がそうなっては元も子もないな。

 

 それにしてもあっつい……今日の最高気温何度だ……? 

 

「走り終わったのに汗が止まりません……こういう季節はどこか涼しい場所に行きたいですね……南半球とか」

 

「南半球は今真冬だから逆に辛いと思うぞ」

 

 うーむ、涼しい場所か。でもそんな都合の良い場所あるわけ……

 

 ……いや、ある。いい感じに夏を満喫できて、さらにトレーニングも捗るような場所が。

 

 僕がそれに気がつくのと同時にマックイーンもそれに気がついたようで、ニヤリと笑みを浮かべる。

 ……その笑みの浮かべ方は他の所ではしないようにね? トレーナーさんとの約束だよ? 

 

「トレーナーさん、もうすぐあの時期ではありませんか?」

 

「そうだね。もうすぐあの時期だからあれをしなくちゃいけないね」

 

「? お二人とも何のお話をされてるんですか?」

 

 僕とマックイーンが指示語だけでの会話している中、当然ダイヤはそれについていけるはずもなく、頭上に疑問符を浮かべている。

 

「ダイヤさん、トレセン学園に入ったからには今のうちに覚悟しておいて方がいいですわよ。もうすぐ、私達ウマ娘にとって非常に重要な行事が待っていますので」

 

「…………い、一体何が始まると言うんですか……?」

 

 第三次世界大戦……じゃなくて

 

 季節は夏、夏と言えば夏休み、夏休みと言えば……諸説あるが海、海といえばそう……! 

 

「選ばれしウマ娘のみが行くことを許される、トレセン学園名物『夏合宿』だ」

 

 

 



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乙女心と夏の海

夏合宿編にはゲストウマ娘がチラホラ



 

 

 夏合宿

 

 それは7月から8月の間にかけて行われる行事であり、秋のレースを目指すウマ娘にとって非常に大事な時期である。

 この夏をどう過ごすかで秋のレース結果が変動すると言っても過言ではない。

 例を挙げるなら、ビワハヤヒデなんかがそうだ。彼女は夏前から注目されていたが、夏を越した菊花賞でさらに頭角を現した。BNWの中でも一際大きな存在だっただろう。

 ……ん? なんか悪寒が……

 

 夏合宿は選ばれしウマ娘のみが行けるとは言ったが、実際のところ参加条件がすごく厳しいかと聞かれたらそういうことはない。参加条件はトレーナーがついているかどうか、もしくはトレーナーはついていないがちゃんとした責任者がいるかどうかということになる。

 

 ウマ娘はトレーナーが付くのが前提なことが多い。

 もちろんトレーナーの付いてないウマ娘も教官という立場の人が面倒を見てくれるが、その場合行動が制限されてしまう。

 

 少し話が逸れたな。とどのつまり、僕の担当ウマ娘であるマックイーンとダイヤは問題ないということだ。

 

 この夏合宿を使わない手はない。

 

 例に漏れず、僕もその夏合宿の計画を実行するのだった。

 

 

 

 早朝

 

 

「私、夏合宿なんて初めてなのでとてもワクワクします!」

 

「もう……遊びじゃないんですのよ。今回はあくまでも夏合宿。徹頭徹尾トレーニングを行い、秋のレースや今後に向けて己を磨くことが最優先ですわ」

 

「そうだぞ、ダイヤ。ウマ娘にとって夏というのは一年で最も重要な時期だ。ここを疎かにしては勝てるレースも勝てないよ」

 

「貴方は自身の格好を鏡で見てからその発言をしてくださいます!?」

 

 おっと、僕としたことがはやる気持ちを抑えきていなかったようだ。

 

 今の自分の姿は、フランクなTシャツとサングラスを身につけ、大きな浮き輪とビーチボールを抱えたなんとも言葉にし難い格好をしている。

 

「まあ冗談は置いといて。ダイヤが加入してからというものの、マックイーンの復帰レースやなんやらで親睦を深められるような機会がなかったから、今回の夏合宿がちょうどいいと思ってね」

 

「でしたら最初からそう言ってくださいますか……? それにしても、貴方はそういったところが本当に甘いですわね」

 

「ウマ娘のことを第一に考えていると言ってもらおうか。……ん? どうしたダイヤ。さっきから微動だにしてないけど」

 

 手荷物や必要な道具を車のトランクに放り投げながらマックイーンと軽口を叩いていると、さっきまで楽しそうにぴょんぴょん跳ねてたダイヤの動きが急に止まった。

 

「えっと……私のことをそこまで考えてくださっていたことが嬉しくて……」

 

 …………

 

「よし、夏合宿はトレーニングもこなしつつ、全力で楽しむことにしよう!」

 

「そうですわね! やはり夏といえば夏休みですわ! たくさん食べて遊んでトレーニングしましょう!」

 

「……食についてはほどほどにね」

 

「…………はい」

 

 3人で協力しながら各々の荷物をトランクに詰め込み、なんとか出発の準備が整う。

 

「よーし、それじゃあそろそろ出発するから車に乗り込めー」

 

「分かりましたわ」

「分かりました」

「はーい」

 

 あらかじめある程度冷房を効かせておいた車の中に、僕を含めた4人は車に乗り込む。

 

 

 そう、4人が。

 

 

「いやちょっと待ってください。なんか自然に混ざってますけど、どうして貴方がここにいるんですか、セイウンスカイさん!」

 

「あら、バレちゃいましたか。いい感じにこのまま気づかれないと思ったんだけどな〜」

 

「こんなのバレるに決まってますわ! というかいつからいらしたんですか!?」

 

「マックイーンさんがダイヤちゃんに遊びじゃないーとか言ってるあたりかな?」

 

「一番最初!!」

 

 セイウンスカイとマックイーンがコントを繰り広げている中、ダイヤは不思議そうに僕の方を見る。

 

「トレーナーさん、今回はセイウンスカイさんもご一緒されるんですか?」

 

「あの娘のトレーナーに頼まれちゃってなあ……一人増えるくらいなら問題なかったし、こっちにも利があると思ったから受け入れたんだよ」

 

「そういうことで〜す」

 

 僕の説明に、目の横にピースサインを掲げたセイウンスカイがおちゃらけた様子で反応する。

 

 ちなみにセイウンスカイのトレーナーは僕の後輩であり女性だ。彼女はいつもセイウンスカイに振り回されているため、ついついお節介を焼いてしまうことが多い。そんなこともあり、セイウンスカイとそこそこ話す仲となってしまった。

 

 マックイーンもツッコムのに疲れたのか、少し息を切らしているものの平静を保とうとしている。

 

「聞きたいことは山ほどありますけど、その利とはなんなんですの?」

 

「それは単純だよ。セイウンスカイは曲がりなりにも実力者だ。彼女の走りやレースの展開は、君達に良い影響を与えると思ってね」

 

「……たしかにそうですわね」

 

 ダイヤはともかく、マックイーンもなんとか納得してくれたようだ。

 よかった、このままだとセイウンスカイを路上に捨てて合宿の地へ向かう羽目になってしまうところだった。

 

「おお、トレーナーさん、私のことを高く買ってくれて感激ですな〜。マックイーンさんやダイヤちゃんみたいに、私のこともそういう感じで呼んでくれたらもっと感激しちゃうな〜」

 

「ウンス」

 

「……あのー、もうちょっと可愛い呼び方あるんじゃないですか? セイちゃんとか」

 

「ウンスカ」

 

「…………やっぱりセイウンスカイでいいです……」

 

 なんでだよ。可愛いだろ、ウンスカ。

 

「トレーナーさん、そろそろ出発しませんか? 予定の時間よりだいぶ遅れているようですが……」

 

 ウンスカ呼びについて抗議しようとしたが、ダイヤが不安気な表情で出発を提案したのでそれを引っ込める。

 

「おっとすまない。セイウンスカイのわがままに付き合ってたらもうこんな時間じゃん」

 

「ええっ、私!? 私のせいなんですか!?」

 

「ほら三人とも行くぞー、車乗れー。なんならセイウンスカイは走って行ってもいいぞー」

 

「「了解」」

 

「ちょっ、乗ります乗ります! 乗せてってください!」

 

 こうしてようやく車を出す準備ができた。なんだかここまででもうお腹いっぱいな気もするが、実際合宿は始まってすらないことに気がつき、先行きが不安になってしまう。

 

「そういえばトレーナーさん、今回の合宿はどこに行くんですの? 前回は確かかなり近場だったようですが……」

 

 当たり前のように助手席に座るマックイーンが今回の合宿の行き先を尋ねてくる。

 マックイーンが知らないのも当然だ。だって伝えてないもん。

 

「それは秘密ね」

 

「……勿体ぶらなくてもいいではありませんか」

 

 少し拗ねた様子を見せるマックイーンだが、どこに行こうが私のやることは変わりませんわと言わんばかりにすぐに興味を失い、窓の外を眺める。

 

 後方ではダイヤとセイウンスカイが楽しそうな会話を繰り広げており、それをBGMにしながらアクセルを切った。

 

 

 

 数時間後

 

 

 

「……ふぅ、ちょっと長めに運転したし、ここらで休憩するか」

 

「ちょっとじゃありませんわ! かれこれもう四時間は車に揺られていますわよ! 私達はどこに向かっているんですか!?」

 

「だからそれは秘密だって」

 

 高速道路に乗って数時間移動していたが、流石にみんなも疲れてきたのでサービスエリアで休憩することになった。

 

 いやあ、久しぶりの長時間の運転は中々体に応える。最後に運転したのはいつだったか。

 

 いつのまにかダイヤも車から出てきており伸びをしている。まだ途中ではあるが、彼女にとって乗用車での長旅は初めてだったのだろう。

 

「それにしても、こんなに時間がかかるのなら、いっそ飛行機やフェリーを使った方が良かったのでは……?」

 

「流石に四人分の飛行機代となると予算がなあ……」

 

「そんなことでしたら私が出すこともできますよ?」

 

「教え子にそんなことさせるわけにはいかねえよ」

 

 それをやってしまうと金銭面の問題以上に倫理的な問題が出てきてしまう。教え子のウマ娘にたかるトレーナーという最悪の構図は作りたくない。

 

 にしても、パッと飛行機代を出すとか言えるダイヤの金銭感覚もかなり問題じゃないか? もうお嬢様が怖いよ……

 

 するとダイヤに遅れてセイウンスカイも車からのっそりと出てくる。だが彼女の表情は硬く、青い顔をしており、なんだか気分が悪そうだった。

 

「どうしたセイウンスカイ。もしかして車酔いか? 一応酔い止めならいくつか持ってるけど……」

 

「えっ、い、いやあ、私は簡単には酔いませんのでお気遣いなく〜……あっ、そうだ! キング達へのお土産見とか見なきゃなので、私ちょっと売店見てきますね〜」

 

 そう言ってセイウンスカイはヨロヨロと歩き出す。

 そんな彼女を不自然に思いよく見てみると、彼女の向かう先は売店ではなく別の方向だった。

 

 あ、そうか。

 

 ボソッと一言

 

「…………トイレか」

 

「ねえええええなんでわざわざ言うんですかああああああああああああ!?!? 乙女としてトイレに行きたいとか言えないからセイちゃんずっと我慢してたのにいいいいいいい!!!」

 

 

 

 Now loading……

 

 

 

「あ、お帰り、さっきは悪かったよ。デリカシーがなかった、ごめんなさい」

 

「……」

 

 あちゃー、セイウンスカイ完全に拗ねちゃった。いや僕が悪いんですけどね、はい。

 あの後マックイーンとダイヤから立て続けに批判をくらった。特にマックイーンからなんかはボロクソに言われた。本当に反省してます。

 

「ほら、なんか奢ってあげるから。なんでも言ってみそ」

 

「……じゃあにんじん焼きとにんじんジュースとにんじんアイス」

 

「多いなあ……」

 

「なんでもって言ったよね?」

 

「言いました。行きましょう」

 

 セイウンスカイの言われるがままに彼女の欲しいものを買って回る。

 先程の要求よりも明らかに多かったような気がするが、ここでまた何か口を挟んだら面倒なことになる気がしたので、何も言わずに彼女の欲しい物を全て買った。

 

「にゃははっ、これだけ買ってもらったんなら許してあげなくもありませんな〜」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 買ったものを袋に入れて大事そうに抱え笑顔なセイウンスカイを見て、なんとか事なきを得たという実感を覚える。

 

「それにしてもトレーナーさん、ここまで結構な時間運転してましたけど、後何時間くらいで到着する予定なんですか? セイちゃん狭いところ苦手だから、車もあんまり得意じゃないんだけど……」

 

「まだ半分も行ってないよ」

 

「……まじ?」

 

「大マジ。だから次トイレ行きたい時はちゃんと言ってね」

 

「トレーナーさんが何も反省してないことだけは伝わりましたよ」

 

 

 

 それからさらに数時間後

 

 

 

 かなり朝早くに出発したこともあり、車に揺られ続けたマックイーン達は、流石に耐えられず睡魔に負けてしまっていた。

 

「もう食べられませんわ……」

「もう食べられません……」

「もう食べられませんな〜……」

 

 いやどんな寝言だよ。食べることしか考えとらんのか。

 

 長かった車での旅もそろそろ終わりが近く、ナビは目的地まであと少しであることを示してくれる。

 

 ……少し寄り道して行くか。

 

 ナビの指示に従わず、敢えて遠回りの道を選ぶ。

 道を外れるたびにナビが近道を提案してくれるが、それら全てを無視して移動する。

 

 そして目的の場所に到着すると、車を止め外に出た。眼前に広がるのは、世界で最も大きな海である太平洋だ。潮風が顔を打ちつけ、そんな感覚が少し鼻をくすぐる。

 

「むにゅ……」

 

「ん? ああ、起こしちゃったか。おはよ、マックイーン。と言ってももう夕方だけどね」

 

「はあ、おはようございます。もう到着したのですか?」

 

「いや、もうすぐ。今はちょっと寄り道中だよ」

 

「そうですか。それよりここはどこですの? 見たことない景色のようですが……あら、水平線? ということはここは太平洋側ですの?」

 

「高知県」

 

「……は?」

 

「高知県」

 

「…………はあああああああああああああああ!?」

 

 マックイーンが今までに聞いたことないような声をあげる。

 そんな奇声が聞こえたのか、何事かと寝起きの様子のダイヤとセイウンスカイものそのそと車から出てくる。

 

「マックイーンさんどうしたんですか? そんなおかしな……とんちき……変わったお声をあげて」

 

「だ、だってダイヤさん、ここがどこか分かってますの!?」

 

 ダイヤの気を使えてようで何も気を使えてない発言が気にならないくらいマックイーンは動揺している。

 そんなに驚くことかな。

 

「うーん? トレーナーさん、ここってもしかして高知……それも高知レース場の近くかな?」

 

「お、よく分かったね。もしかして行ったことある?」

 

「うんにゃ、私は行ったことないよ。でもウララが写真とか見せてくれてたんだ」

 

 ウララ、もといハルウララというと、確か高知レース場を主戦場としていると聞いたことがあるな。中央は主に芝のレースが多いため、ダートが得意な彼女にとっては不利な場なのだろう。

 

「こ、こんなに遠いところに来るのであればもっと色々と準備を……」

 

「ほら、落ち着いてマックイーン。なんか飲み物買ってきてあげるから」

 

「……私も行きますわ」

 

「私も行きますー」

 

「お、トレーナーさんの奢りですか〜?」

 

「はいはい」

 

 近くにあった自動販売機に移動し、それぞれに欲しい飲み物を一本ずつ買ってあげる。

 

 ふと、そんな僕らのことを物陰からじっと見ている存在に気がつく。

 なんだろうと思いチラッと横目で見ると、運の悪いことに目が合ってしまいなんだか気まずい雰囲気が流れる。しかもその存在の容姿が容姿なだけにさらにまずい。主に僕の社会的立場が。

 

 それは見た目が完全に五歳か六歳くらいのウマ娘。いわゆる幼女というやつだ。

 

「トレーナーさん、どうかされましたか?」

 

「えっ、いやあなんでもないなんでもない。さっ、飲み物も買ったことだし行」

 

「ねえ」

 

 なんとか誤魔化そうとするが、その幼いウマ娘が声をかけてきたことにより全てが破綻する。

 

 本当にまずいな、大の大人と幼女の絡みなんて会話してるだけでもしもしポリスメンされかねない。

 

「ねえ、そこのおじさん」

 

「お、おおおじさんじゃねぇし!」

 

「そんなことはどうでもいいの。あたし、おじさんにお願いがあるの」

 

「どうでもよくない! 僕はまだ二十代前半……おい離せセイウンスカイ!」

 

「ほいほ〜い、トレーナーさんはこっちで大人しくしていましょうね〜」

 

 おじさん扱いに納得がいかないので、まだそう呼ばれる歳ではないことを小一時間ほどかけて説明しようとしたが、セイウンスカイに取り押さえられてしまった。

 

「お願いなら私達が聞きますわ」

 

「お姉ちゃん達に任せてみて?」

 

 僕の代わりにマックイーンとダイヤが聞こうとするが、その幼いウマ娘はフルフルと首を横に振る。そんなウマ娘にマックイーンとダイヤは困ったような顔をして僕の方を見てくる。

 

 はあ……

 

「それで、お願いって何? そもそも君は」

 

「これ」

 

「……これは手紙? どこかに届ければいいの?」

 

「あそこのレース場にリョウジっていう人がいるの。その人に届けて欲しい」

 

「自分で渡せばいいんじゃないのか?」

 

 そのウマ娘は、僕の質問にまたしても首をフルフルと横に振る。

 

 ははーん、僕理解っちゃった。さては好きな人宛の手紙だな? 少し早い気もするけど、そういうお年頃だから恥ずかしがってるのか。

 

「いいではありませんか。どの道レース場には行くのでしょう?」

 

「それになんだかロマンチックですよ!」

 

「ここで断ったらトレーナーさんの評価ただ下りですよ〜?」

 

 なんで君達こんなノリノリなんだよ。

 

「分かってる、分かってるって。それじゃあ、この手紙をレース場にいるリョウジって子に届ければいいんだね?」

 

「そう、お願い」

 

「分かったよ。でも、最後に一ついいかな」

 

「なに」

 

「僕はまだおじさんと呼ばれるような年齢じゃないぞ。そもそもおじさんの定義から説明を……お、おいやめろ! 腕を離せ! 僕はまだおじさんじゃない! おじさんじゃなあああああああい!」

 

 三人がかりで抑えられ、抵抗することも叶わず車に出荷されてしまう。

 

 幼いウマ娘はそんな僕達のバカな様子を見て、見た目に反してとても大人びた笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 おじさん扱いされたことにより、流石の僕も厨房に入っていきそうになったがなんとか平常心を取り戻した。

 

 約十二時間に渡る車での旅を終え、ようやく目的の宿に到着する。時刻は夕暮れ時に差し掛かっていたため、今からトレーニングというのも厳しく、元々その予定ではあったがトレーニングは明日からということに決定された。

 

 ご飯を食べ風呂に入り、後はもう寝るだけだという態勢になってから、なんとなく外に出てみたくなった。

 

 少しくらいふらっと外に出ても問題ないだろう。

 

 そう思い一人で宿を飛び出してみる。ここら辺の土地勘はまるでないが、なんとなくでそこら辺を歩き回り、とうとう海岸に辿り着いた。

 

 暗闇の海の中に波の音が響き渡り、多少の恐怖を感じてしまう。辺りを灯すのは空に浮かぶお星様だけ。

 

 自分はこうして何も考えない時間というのが嫌いではない。

 ただ、こうして広大な海を眺めて時間を無為に過ごすというのは初めてなので、なんだかとても新鮮に感じる。

 

 何も考えず海を眺めていると、不意に後ろから背中をポンと叩かれる。

 

「おやあ? トレーナーさん、こんなところで奇遇ですなあ」

 

「っと、セイウンスカイか。こんな時間にどうした。事前に決めてた消灯時間はとっくに過ぎてるはずだが?」

 

「早く寝ないと……とか、フラワーみたいな小言は聞かないよ。私が寝る時間は私が決める! どん!」

 

「さいですか……」

 

 時間にルーズというわけではないが、こういったことを厳しく取り締まろうとは思わないので多目に見てやろう。

 

 そんなセイウンスカイは、バケツにクーラーボックス、懐中電灯、そして釣り竿という如何にも釣りする気満々ですよと言った感じの道具を引っ提げている。

 

 えぇ……君今から釣りするの……? 

 

「お? トレーナーさんもこれが気になっちゃってしょうがない感じですか?」

 

「気になるも何も、こんな時間帯から釣りするのかなと思って」

 

「夜釣りというのも乙ではありませんか〜。ささ、トレーナーさんも。私の予備の釣り竿貸してあげますから」

 

 釣りなんてやったことがないので断ろうとしたが、どうせこの後もぼーっと海を眺めているだけなので釣り竿を手に取りセイウンスカイの見よう見まねでルアーを海に投げ入れる。

 

 

 数分後

 

 

「…………釣れねえ……」

 

「あはは、ルアー釣りって基本的に難しいですから。ま、気楽に待ちましょうよ。楽しくお話しでもしてさ」

 

「お話しねぇ……僕みたいな人間と話しても何も面白いことないと思うんだけど」

 

「ちょっと自己肯定感低くないですかね。私はトレーナーさんとこうしてるだけで楽しいですよ? ……もしかして……これが恋!?」

 

「そういうのいいから」

 

「ありゃ、釣れませんなぁ。トレーナーさんもお魚さんも」

 

 何も上手くねえよ。

 

「でもトレーナーさんといて楽しいってのは本当ですよ? いっそ私のトレーナーになってみる気はありませんか?」

 

「そんなこと言い出したらあいつ泣くぞ……」

 

「にゃはっ、たしかに」

 

 彼女の口ぶりからするに、おそらく本心ではないのだろう。一見チグハグのように見えるセイウンスカイ達の関係だが、彼女達は彼女達で独特の信頼関係を保っている。その証拠が皐月賞、菊花賞での勝ち星だ。

 

「それに、僕にはもうマックイーンとダイヤがいるからね。今のところ担当ウマ娘を増やすことは考えてないよ」

 

「なーんだ、残念」

 

 そう言ったセイウンスカイは相変わらず砕けた雰囲気だ。僕も彼女のことはよく分かっているつもりなので、こうした冗談めかした会話というのは心地よい。

 

 

「…………もっと早くアプローチしてたらなあ……」

 

 

 …………

 

 今のは冗談なのか、それとも無意識に出た言葉なのか。

 

 聞いたことのないようなセイウンスカイの低い声に僕はほんの少し動揺する。

 

「……あっ、トレーナーさんルアー引いてる! ぼーっとしてないで巻いて巻いて!」

 

「えっ? やべ、ほんとだ! でも、ちょ……これむず!」

 

「ロッド持つ手をちゃんと固定して……もう貸して! 私がやり……ああ! 逃げられた!」

 

「うーん、意外と難しいな……」

 

 逃げられてしまったものの、こうしてやったことないものをやってみるというのは悪くない。むしろ楽しいとさえ感じてしまう。

 

「まあ、こればっかりは経験ですから」

 

「悔しいな……もう一回!」

 

「お、トレーナーさんも分かってきましたね〜。私も負けてられませんよ!」

 

 

 釣果、ゼロ

 

 

 



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淑女としての在り方

 

 

 

 セイウンスカイと夜釣りをして何の成果も得られずド深夜に宿に帰宅し、そのことがマックイーンにバレてしばかれた次の日。

 

 僕達四人は本格的にトレーニングを開始するために近場の砂浜に来ていた。トレーニングということで、彼女達はジャージ姿なので、水着でのサービスシーンと言った物は存在しない。残念だったな。

 

 さて、今マックイーン達は、せっかく海に来たこともあるので砂浜でのトレーニングを行なっている。砂浜トレーニングでの特徴は大きく分けて二つ。

 

 まず、砂浜は普通の地面と比べて流動性が高く、すぐ変形してしまう性質を持っている。そのため、クッションのように衝撃を吸収してしまい、反発を受け取ることができず、非常に走りにくい。

 

 そして、砂浜は滑るということだ。

 前述の通り、砂浜は力を加えると大きく変形する性質を持っている。そのため、力を吸収したり、また押し込もうとした時に足を取られて滑ってしまう。

 ビーチフラッグなどを想像してもらったら分かりやすいだろう。足で踏ん張りきれず転んでしまった経験なんかはないだろうか。

 

 そして砂浜練習の利点は、反発によって受け取った鉛直方向の力を前に変換しやすくなるという点だ。実際に、後半速いウマ娘と遅いウマ娘との一番の違いは、進行方向の力ではなく、鉛直方向への力の差ということが分かっている。

 

 これらの点から、砂浜でのトレーニングは極めて効率が良い。しかし、それは正しい走り、正しいやり方で行わなければその効果も薄まってしまう。

 

「くっ、砂に足を取られて走りづらいです……」

 

「結構力入れてるんだけど思ったより前に進みませんなあ……」

 

 ダイヤもセイウンスカイも、この手の練習には慣れていないのか四苦八苦しているようだ。

 

 そんな中、一人のウマ娘が余裕の表情でダイヤとセイウンスカイを追い抜いていく。

 

「おお、はっや~い」

 

「さすがマックイーンさんです!」

 

 何度か夏合宿を行なっているマックイーンにとって、この程度はお茶の子さいさいと言ったところなのだろう。

 

 二人はそんなマックイーンを真似して走ろうとするが、いまいちコツが掴めていないように見える。

 

 ここは一つ助け舟を出してやろう。

 

「砂浜で上手く走れるようになる方法は主に三つ。一つ目は足を地につけた時の反発を効率よく受け取ること。二つ目は受け取った反発の力をきちんと前に変換すること。そして三つ目は足を地につける時間を出来るだけ短くすることだ」

 

「ええっと……」

 

「どゆこと?」

 

「正しいフォームで足を速く動かすってことだ」

 

「なるほど……それじゃ、いっちょやってみますか!」

 

「ああっ、待ってくださいスカイさん!」

 

 ゴールの旗で二人を見守っているマックイーン目掛けて、セイウンスカイは先程のアドバイス通りに砂浜を走りこなす。そんなセイウンスカイを追いかけるようにダイヤも走るが、セイウンスカイとの差は広がるばかりだ。

 だが、二人とも確実に良くなっている。セイウンスカイは自分の担当ウマ娘ではないためあれだが、夏を超えた後のダイヤの走りが実に楽しみだ。

 

 

 そんな二人を、砂浜から少し離れた路上でポツンと見つめるウマ娘が一人いた。

 

 なんだかこちらに来てからというもの、マックイーン達以外のウマ娘を見かけることが多いなと思ったが、ここはレース場の近くだ。選手やそれに憧れたウマ娘達が大勢いても不思議ではない。今いる彼女もおそらく高知レース場を主戦場としてる選手なのだろう。

 

 マックイーン達を見つめるウマ娘は、マックイーンやセイウンスカイと同じく芦毛のようだ。

 

 いや待て、よく見たら彼女、どこかで見たことあるような気が……

 

「トレーナーさーん! 指示されたメニューは全員終わりましたわー!」

 

「ん? ああ、すぐ行くよ!」

 

 マックイーンに呼ばれたことにより、もう少しで思い出せそうだったものが霧のように消えてしまう。

 

 体力的にまだ元気そうなマックイーンに対して、残りの二人は疲労困憊といった状態だ。セイウンスカイに至っては、どこかの団長を思い出させるようなポーズで熱い砂浜にぶっ倒れてる。止まるんじゃねぇぞ……

 

 マックイーン達の元へ向かう途中、なんとなく気になって後ろを振り返ると、先程までいたウマ娘は既に踵を返しており、そんな彼女の背中は少し哀愁が漂っているようにも感じた。

 

「トレーナーさん? 何を呆けてますの?」

 

「ああ、悪い。次の練習メニューは……」

 

 

 

 

 

 

「あー、疲れたー!」

 

「私もう動けません……」

 

 トレーニングを終え、疲弊困憊な様子で宿に戻る。日の入りと共に撤収したため、宿に帰っている間に辺りはすっかり暗くなってしまっていた。

 

 よほど疲れていたのか、ダイヤとセイウンスカイは宿に着いて早々にへたりこんでしまう。

 

「二人とも、部屋までもう少しだから我慢して。それとセイウンスカイ、君はまだ余裕あるでしょ」

 

「あちゃ〜、これもバレちゃいましたか。昨日に引き続き、トレーナーさんの目を誤魔化すことはできませんね〜。でも歩くの面倒なんでトレーナーさんが連れてってくれませんか?」

 

「マックイーン、二人のことをお願いしてもいいかい?」

 

「分かりました。さあ二人とも、明日に備えて早く疲れを取りますわよ」

 

「申し訳ないです、マックイーンさん……」

 

「えっ、私の扱い雑じゃないですか!?」

 

 マックイーンはダイヤをおんぶし、セイウンスカイを片手でズルズル引っ張っていく。

 

 ダイヤはともかく、セイウンスカイはいつもあの調子なのでまあ問題ないだろう。

 

 そんな彼女達を見送りつつ、自分も早く休むために部屋に向かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 男には泣いていい時が三つある。

 

 一つ目は生まれた時。

 

 二つ目は親が死んだ時。

 

 三つ目は……

 

「……ん? ああっ!? これシャンプーじゃなくてボディソープじゃん! 最悪、髪の毛べっとべと! クソッ、目にボディソープ入った! 泣きてえ!」

 

 一日の疲れを癒すために、僕は宿内にある温泉に入っていた。

 

 もちろん一番疲れているのはウマ娘である彼女達だが、日に当てられ続けていたら、ただ立っているだけでも疲れは溜まってしまう。いっそ僕も体を動かそうと思ったが、最後に運動したのがいつだったのかを思い出すことができずに断念した。

 

 と、まあこんなバカみたいな独り言を言っているのも、今この宿に宿泊しているのが僕達だけなので誰にも聞かれる心配はないからだ。もしこんな茶番が誰かに聞かれたら恥ずかしさで顔に火がついてしまう。

 

 体を洗い流し、一息ついたところで僕は湯船に浸かる。合宿はまだ始まったばかりだというのに、ここ二日間で一ヶ月分以上の疲れが溜まったような気がする。

 今まではマックイーン一人を見てれば良かったが、今回からはダイヤに加えてセイウンスカイまでも面倒を見ている。僕にかかる負荷は実質三倍だ。

 

 何度も言うが、もしこの仕事にやり甲斐を感じていなかったから真っ先に労基に助けを求めている。あれ? もしかしてこれがやり甲斐搾取……? 

 

 今すぐトレセン学園に勤務実態がどうなっているのか問い合わせようとした時、温泉の扉がガラリと開いた。

 

 おかしいな。この宿には僕達四人、つまり男は僕しかいないはずなんだが……あの後に僕達以外の人が泊まりにきたのかな。

 

 こんなに人が少ないのに無視を決め込むと言うのもあれだろう。軽い挨拶くらいしておくか。

 

「全く……ダイヤさんは部屋に着いて早々寝てしまうし、スカイさんはどこかへ行ってしまうし……」

 

 …………え? ちょっと待ってくれ。なんで? 本当になんで? 

 

「あら、私以外に誰か……って、えっ!? もしかしてトレ」

 

「きゃあああああああああああああああああ!」

 

「ちょ、どうして貴方が悲鳴をあげるんですの!? 普通は私が悲鳴をあげるところでは!?」

 

 うるせえ、こんなの言ったもん勝ちだ。

 

 男湯に入ってきたのはまさかのマックイーンだった。

 

 落ち着け、僕は大人だ。大人なら大人らしく余裕を持った対応を見せよう。

 

 とりあえずマックイーンに背を向け、彼女のことを極力見ないようにする。もちろんタオルを巻いているので、万が一があっても最悪の事態にはならないはずだ。

 

「なんでマックイーンがここにいるの」

 

「それはこっちのセリフですわ! 何故貴方が女湯に……」

 

 ん? 女湯? 

 

「いや、ここ男湯だけど。ほら、あそこ見てみてよ」

 

 僕は都合良くデカデカと"男湯!"と書かれた場所を指差す。

 

「え、あ……もしかしてここ本当に男湯ですの?」

 

「そうだよ。てか昨日も入ったんじゃないの?」

 

「…………っっ!!!」

 

 音から察するに、その場にへたり込んでしまったのだろう。年頃の少女が何かの手違いで異性の温泉に入ってしまったのだ。その精神的苦痛は計り知れない。

 

「違うんです……こちらに女湯の暖簾が掛かっていたから今日はこちら側なのかなと……」

 

「えっ、いや、僕が入る時は男湯の暖簾が掛かっていたんだけど」

 

「どうして……」

 

 マックイーンは相変わらずその場から動く気配はない。

 

 あの……そろそろ動いた方がいいと思うんですが……

 

 このままこの状態が続くと社会的に抹殺されかねない。

 

 今の状況は、男湯に男性トレーナーが一人と美少女ウマ娘が一人というなんとも犯罪的な状況だ。

 

 マックイーンは恥ずかしさで我を失っており、顔を隠して何やらぶつぶつと呪文のような言葉を発している。

 

「とにかくあれだ、マックイーン。とりあえず君はここを出るべきだ。今なら多分誰も見てな……あの、マックイーンさん? 何をしてらっしゃるんですかね?」

 

 あろうことかマックイーンは自分の体を洗い流し始めた。

 

 いや、あの。

 

「何を今更恥ずかしがっているんですの? 私達は一心同体。こんなことなんてことはありませんわ」

 

 先程まで赤面していたマックイーンはどこに行ったのだろう。人格変わった? 

 

 賢者タイムならぬ賢バタイムに突入したマックイーンは静止を全て無視し、悠々と湯船に浸かってくる。

 

「いや、本当にまずいって。合宿先で担当のウマ娘と混浴しましたなんて知られたら普通にクビだから。僕は先に出るよ。これ以上は……おい、手を離せ!」

 

「その時はメジロ家専門のトレーナーとして雇って差し上げますわ! それに、こんなチャンス簡単に逃してたまるものですか!」

 

 やばい、マックイーンの目がやばい。完全に理性を失っている。

 

 身の危険を感じたため、なんとか抵抗するが、人間がウマ娘に勝てるはずもなく、そのまま抑えられてしまう。

 

「ふふっ、もう逃げられませんわよ、トレーナーさん。あら、意外と鍛えてるのですね」

 

「よし分かった、話をしよう。今ここで僕の言うことを聞いてくれたら高級スイーツでもなんでも買ってあげよう。もちろん、それに見合ったトレーニングメニューも考えるから体重のことも気にしなくていい」

 

「私にとって、今目の前にいる貴方が最高のスイーツですわ」

 

 終わった。僕に取れる行動は二つ。

 一つはこのままマックイーンに身を任せること。もう一つは勝算のない抵抗をして力尽きること。どちらにせよバッドエンドだ。

 

 前略お母様。先に死にゆく息子をお許しください。

 

 社会的な死を悟り、獄中での飯は美味いのかななどと考えていたその時だった。

 

「ふっふーん、作戦大成功〜! トレーナーさーん! お背中流し……ます……よ…………」

 

「あ」

 

「あ……その、もしかしてお楽しみ中でしたか……?」

 

 唐突に乱入してきた第三者によって、マックイーンの思考も停止している。

 

 生き伸びるなら今がチャンスだ。

 

「助けてください! セイウンスカイ様!」

 

「ええっ!?」

 

 

 

 

 

「本当に申し訳ございませんでした」

 

 僕達の目の前で地べたに頭を擦り付けて土下座をするのは、メジロ家の誇りをどこかに捨ててきたらしいメジロマックイーンだった。

 

 運良くセイウンスカイが現れてくれたおかげで僕の貞操は守られ、取り返しのつかなくなる一歩手前でギリギリ踏みとどまることができた。

 

 セイウンスカイ曰く、我に帰ったマックイーンはしばらく動くことはなかったらしく、着替えさせるのが大変だったとのことだ。

 

「マックイーンが正気に戻って良かったよ。だからそんな気にしないで」

 

「いえ、そういうわけにもいきません。大切なトレーナーさんに、あのような不埒な行為をしてしまった自分を私は許すことができません。今から太平洋の奥底に沈んできます」

 

「ちょっと待て、早まるな」

 

 先程とは別の意味で目がやばいマックイーンをセイウンスカイと二人がかりで取り押さえる。

 

「離してください! 私は……私はもうお天道様にもメジロ家にもトレーナーさんにも顔向けできません! ですので私は先に逝きます! 地獄でゴールドシップを待つのですわ!」

 

 ゴールドシップが地獄行き確定みたいな言い方やめろ。

 

「おい、暴れるな! セイウンスカイ、何か縛れる物ない?」

 

「たまたま偶然ロープを持ってますよ」

 

 何で持ってるんだよ。絶対何かに使う気だっただろ。

 

 そんなツッコミをしてる暇はないので、なんとかマックイーンを椅子に縛り付け大人しくさせる。

 

「……トレーナーさん、さっきの状況も中々でしたけど、マックイーンさんを縛り付けてる今のこの状況もまずくないですか?」

 

「言うな。僕もちょっとそう思ってる」

 

 なんでこう、行動全てが犯罪っぽくなるのだろう。もう生きるのやめようかな。

 

「マックイーン、さっきのことなら僕はもう全然気にしてない。自分で自分のことを許せないって言ってたけど、僕は君のことを許すからさ」

 

「……全く気にしてないと言われたらそれはそれで心に来ますわ」

 

「あー……普段と違うマックイーンが見れて新鮮だったなあ……なんて」

 

「私はもうダメです! この縄を解いてください! 誉も私も浜で死にますわ!」

 

 どうしろってんだよこれ。

 

「セイウンスカイ、これなんとかならない?」

 

「えぇ……ここで私に振るんですか?」

 

「頼む、今頼れるのは君しかいないんだ」

 

「もう、しょうがないなあ〜」

 

 口ではこう言いつつも、セイウンスカイはニヤニヤしながら暴れるマックイーンに近づき、何やらこそこそと耳打ちをする。

 

 次の瞬間、マックイーンの動きがピタリと止まり、何かに縋るような顔でセイウンスカイを見る。そんなセイウンスカイはサムズアップをし、マックイーンを縛っているロープを解き出した。

 

「あの、トレーナーさん……」

 

「はい、何でしょうか」

 

「……どうでしたか?」

 

「どう、とは」

 

「その……私の、裸体と言いますか」

 

 これもう詰んでるだろ。何言ってもセクハラになる気しかしない。セイウンスカイのやつ、マックイーンに何言ったんだ。

 

 その元凶は口笛を吹いて楽しそうにこちらを眺めている。後で覚えてろよ。

 

 マックイーンの裸体に関しては、きちんとタオルが巻かれていた上に、なるべく見ないようにしていたので僕から言えることは何もない。

 

 …………ほんとだよ? 

 

 だが、ここで何も言わなくてもたどり着く場所は死地だ。何か無難ことを言っておかなければ。

 

「……普段から鍛えている証拠が見られるとても健康的な体だと思いました」

 

「…………私のことを意識してくださいましたか?」

 

 これ素面ってマジ? 何かアルコールの類を摂取したか疑いたくなるレベルなんだけど。

 

 ……しゃーない、この現状を打破するためには、僕も多少吹っ切れる必要がある。

 

「何を今更。僕は昔から君の虜だよ」

 

「……そうですか……ふふっ。私の虜……私の虜……」

 

 僕は昔からマックイーンの(走りの)虜だ。嘘はついてない。

 

「丸く収まって良かったですね、トレーナーさん」

 

 少し離れたところでニヤニヤしていたセイウンスカイが、いつのまにか僕の近くに寄ってきていた。

 

「ああ、何とかね」

 

「それで、実際どうなんですか?」

 

「会話をする時は修飾語を使うことをおすすめするよ」

 

「もう、分かってるくせに〜」

 

 セイウンスカイはからかうように肘で僕の横腹を突いてくる。

 

 そんなこと言われなくても分かっている。

 自意識過剰でも何でもなく、マックイーンは僕に明確な好意を寄せている。もしそうでなかったら、先の行動をしたマックイーンはただのクソビッチということになってしまう。そうは思いたくない。

 

 どんな形であれ、彼女の気持ちにはいずれ向き合わなければならない。頭では分かっている。

 

 今はこれでいい。まだこのままでいい。

 僕は成人でマックイーンはまだ学生だ。彼女の気持ちを見て見ぬ振りでも構わない。

 

 だが、それをし続けてしまった結果が今回の件だ。マックイーンの気持ちに上手く向き合うことができていなかった証拠だろう。

 

「早急に手を打たないと、今後もっと大変なことになるかもしれませんよ?」

 

「……ご忠告痛み入るよ」

 

「にゃはっ、分かればいいんですよ、分かれば。それにしてもトレーナーさん、今回の超功労者であるセイちゃんに何かご褒美とかあってもいいんじゃないですかね?」

 

 そう言えばそうだな。解決したかと言われたら微妙だが、今回はセイウンスカイのおかげでなんとか問題を解消することができた。そんなセイウンスカイに、僕は掛けなければならない言葉があるはずだ。

 

「セイウンスカイ」

 

「ほいほい、何でしょう! ご褒美ならスキンシップとかがご希望ですなあ。あっ、ハグとかどうです? なんならキスでも……」

 

「君が温泉に入ってきた時、『作戦大成功』って言ってたけど、あれは一体全体どういう意味だ?」

 

「…………さて、明日も早いことですし、今日はゆっくりとお休みしましょうかね」

 

「おい、誤魔化そうとするな。大方、僕が温泉に入った後に暖簾を入れ替えて、マックイーンやダイヤを騙すつもりだったんだろ?」

 

「いやあ、そんなことないですよ? どっちかって言ったらマックイーンさんが入っちゃったのが予想外っていうか」

 

 ふむ、つまりセイウンスカイは直接僕に悪戯を仕掛けようとしていたと、なるほどね。

 

「よし、セイウンスカイ、そこに直れ。今から夜通し説教を……ああっ、逃げた! マックイーン、捕まえるの手伝ってくれ! あいつ生かしちゃおけねえ!」

 

「えへへ……トレーナーさんが私の虜……」

 

「君はいつまでやってんだよ!」

 

 この後一通り騒いだ僕達は、全員揃って事の経緯を全く知らないダイヤに説教を食らう羽目になった。もちろん、彼女の憧れであるマックイーンも例外ではない。

 

 

 



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滾る闘志

 

 

 夏合宿が始まってから数日が過ぎた。その間、トレーニングをしたり、時には気分転換として海で遊んだり、日焼け止めを塗り忘れたダイヤの肌が焼けてしまい爆笑してたらぶっ飛ばされたりと色々あったが、特に大きなこともなかったので割愛する。

 

 マックイーンが風呂場で暴走するというトラブルがあったものの、関係性が崩れるといったことは特に無く平常運転そのものだ。むしろ彼女との距離が少し近くなった気がする。これは良いことなのだろうが、その過程が過程なだけに口をへの字にする他ない。

 

 マックイーンとの距離が近いことについてダイヤに勘繰られたが、口八丁手八丁(笑)に言い訳をして誤魔化すことができた。彼女は世間知らずなところが多いが、こういったところは妙に勘が鋭い。

 ダイヤが担当ウマ娘になってからまだ数ヶ月しか経っていないが、もしかしたら彼女に僕やマックイーンの悪いところが移っているのかもしれない。今後の行動には気をつけようと思いました。まる。

 

 セイウンスカイは相変わらずだ。時にトレーニングをサボり、時に僕にちょっかいをかけたりと中々やりたい放題である。だが、それも彼女の持ち味ではあるので深くは咎めたりしない。セイウンスカイは何かに縛られず、自由にさせるのが一番伸びると、僕はそう思っている。

 まあそれはそれとして、毎回悪戯されるというのも癪なので今度仕返しでもしてやろう。噂によると、彼女は極度の猫舌らしいので激熱おでんでも食わせてやればいいだろう。今からでも反応が楽しみだ。

 

 

 夏合宿の内容をノートに記録し終えた僕は、相変わらず眠ることが出来ず、一人で宿を飛び出し夜の海に向かう。腕に嵌めた時計の短針は既に1の文字に差し掛かっており、灯りという灯りも手元にある懐中電灯しかないので、目の前に広がるのは真っ暗闇の海だけだ。

 

 ここに何をしに来たかと言うと、この前セイウンスカイに教えてもらった釣りのリベンジだ。負けっぱなしは性に合わない。大物とまでは行かなくても、今度こそ多少の成果を上げたいものだ。

 ちなみに、ついて行きたそうにしていたセイウンスカイはマックイーンによって取り押さえられていた。今頃は布団の中でどう抜け出そうかとでも考えているのだろうが、ああなったマックイーンに逆らえる奴はいないので大人しく諦めたほうが吉だろう。

 

 え? セイウンスカイは宿で休んでるのに、お前は一人で夜釣りなんてずるいのではないかって? うるせえ、これが大人の特権だ。

 

 心の中で誰にも届くことのない言い訳をしながら、僕はルアーを海に投げ入れる。一人ということもあり、何かトラブルが起こった時に対処しにくいのが面倒だが、まあなんとかなるだろう。

 

 

 

 数十分後

 

 

 

「だああっ! やっぱ釣れねえ! 何がダメなんだ。釣り竿か? ルアーか? それとも僕の実力不足か?」

 

 十中八九一番最後だろうなと思いつつ、僕は釣りの才能が無いことを悟る。前回の釣りの最後に釣れかけたのは奇跡だったのかもしれない。

 こんなところをセイウンスカイに見られたら笑れること間違いなしだ。あいついなくてよかった〜。

 

 こんな夜中に外出しておいて今更かもしれないが、このまま続けていても明日の体調に影響するかもしれない。仕方ない、帰ろう。帰って不貞寝でもしよう。

 

 今日の内に成果を上げることは諦め道具の片付けをしていると、誰かしらの気配を感じた。これは第六感が働いたと言っていいのだろうか。

 恐る恐るその元凶であろう人物の方を見ると、そこにはマックイーン達の砂浜特訓の際、こちらをじっと見ていた芦毛のウマ娘がいた。そう、この間も思ったが、この娘、どこかで見たことあるような気が……

 

「少しいいか」

 

「……いいけど、こんな時間に女の子が一人でぶらついてるのは感心しないね」

 

「あなたには私の耳と尻尾が見えていないようだな」

 

「冗談だよ。それで、僕に何か用かい?」

 

 冗談にマジレスされたことを悲しく思いながら、要件を尋ねる。

 

「この地に中央のウマ娘が来ていると聞いて興味が湧いてな。盗み見のようで申し訳ないが、何回か練習の様子を覗かせてもらった」

 

「知ってる。君が見ていることはこちらからも見えていたよ」

 

「……」

 

 見ていたことがバレてないとでも思っていたのか、芦毛のウマ娘は顔を逸らして少し顔を赤くする。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。誰が深淵だ。

 

「……それで一つ頼みたいことがある」

 

「それは僕にかい? それともマックイーン達に?」

 

「どちらかと言えばあなたの担当ウマ娘にだが、あなたにも関係のない話ではない」

 

 ふむ、夏合宿も凄く余裕があるわけではないが、特別焦るような予定も無いため別に構わないだろう。

 

「私の頼みは一つ。今日の昼にあなたの担当ウマ娘を連れて高知レース場に来てほしい」

 

「なるほど、要はマックイーン達と戦いたいということか」

 

 芦毛のウマ娘は黙ってコクリと頷く。

 

 地方のウマ娘を見下しているわけではないが、中央のウマ娘と地方のウマ娘が勝負をしても結果は目に見えている。それも、こちらにはメジロマックイーンにセイウンスカイ、期待のルーキーであるサトノダイヤモンドもいる。この面子に勝つためには、灰被り姫と呼ばれるくらいの怪物を連れて来なくてはならない。

 

 だが今回はコースの条件が中央とは全く異なる。高知レース場のバ場は芝ではなくダート。つまりマックイーン達にとっては不利な状況での戦いとなる。それはこの娘も分かっているだろう。

 そうまでして中央のウマ娘であるマックイーン達と戦いたい理由は……いや、詮索するのも野暮な話だ。

 どちらにせよ高知レース場に行く予定ではあったのだし、断る理由もない。それに、ダートでの走りは今後のトレーニングにも繋がる可能性がある。

 

「分かった。その頼み、聞き入れよう」

 

 その言葉を聞いた芦毛のウマ娘は一瞬パァッと笑顔になるが、そのまた一瞬で毅然とした態度に戻る。面白いなこの娘。

 

「感謝する。それでは明日の12時にレース場にて待つ」

 

「ああ、了解した」

 

 最後に淡白な会話を交わし、芦毛のウマ娘は僕に背を向ける。しかし、背を向けただけで歩き出そうとはしない。そんな彼女を不審に思い、声をかけようとした瞬間に彼女の方から声をかけられる。

 

「なあ、もう一つ聞きたいことがあるのだが、構わないか?」

 

「……これが最後だぞ」

 

「ありがとう」

 

 背を向けられているため顔こそ見えないが、声の抑揚から芦毛のウマ娘の緊張が窺える。

 何を聞かれるのかは検討もつかないが、少なくとも恋と言ったような甘酸っぱいものとはかけ離れていることは明白だ。

 

「…………グリは……」

 

 波の音がより一層強くなり、彼女の首まで揃えられた髪の毛が風によって揺れるが、それでも彼女の声だけははっきりと届いた。

 

 

 

「……オグリキャップは元気にしているか?」

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここが高知レース場ですか……地方のレース場に来たのは初めてです」

 

「私もここに来るのは初めてですわ。随所に古い歴史が感じられる造りが素晴らしいですわね」

 

「うんうん、ウララの言ってた通りだね〜」

 

 次の日、本来普通のトレーニングだった予定を踏み倒し、僕達は高知レース場に来ていた。なんでも彼女達はここに来るのが初めてらしく、各々感想を口から零している。

 

「でもトレーナーさん。私達いつものトレーニングと同じ格好で準備しろって言われたのでそうしましたけど、今日は見学だけじゃないんですか? ご丁寧にシューズまで用意されてますけど……」

 

「うん、だってレースだもん」

 

「「「は?」」」

 

 おっと、皆さんこういう時は息が合うんですね。

 

「……トレーナーさん、ここのレース場には見たところダートのコースしかないようですが」

 

「私達が走るのは主に芝のコースですわ。貴方がそれを理解してないはずがないとは思いますが、これにはどういった意図がありますの?」

 

「簡単だよ。ダートのコースは芝に比べてはるかに路盤が柔らかい。だから、脚部への負担を和らげたりパワーアップが見込めるんだ」

 

「つまり、砂浜で特訓してたのは今日ここで走るためのものだったってわけですか?」

 

「そういうことだ、セイウンスカイ」

 

 正確に言えば、砂浜特訓により彼女達の脚部がどれほど成長したかを確認するものだ。元々ダートのコースが得意でない彼女達が、今日どれほど走れているかによって特訓の成果が分かると思ってもらって構わない。

 

「状況は理解しましたわ。それで、私達はここのレースに参加するんですの? それとも、それとはまた別に私達の対戦相手がいるとかですの?」

 

「それは……いや、後でのお楽しみということにしておこう」

 

「もう、トレーナーさんたら夏合宿が始まってからというものの、隠し事が多すぎませんこと?」

 

 そう言ってマックイーンは文句たらたらにぶーたれる。

 

 すまない、マックイーン。その君の質問の答えに関しては、答え難いんだ。

 

「あの、トレーナーさん。その手紙は……」

 

 マックイーンの姿に苦笑いをしながら鞄から例の物を取り出すと、その様子を見ていたダイヤが僕の手元の物に反応する。

 

 さて、今日ここに来た理由は二つ。

 一つは芦毛のウマ娘の申し出兼マックイーン達のトレーニング。そしてもう一つは、手元にある封に入った手紙を届けなければならないというミッションがあるからだ。

 

「ここに来た時、あのちっこいウマ娘に渡された手紙だよ。頼まれたからには流石に届けないわけにはいかないでしょ」

 

「トレーナーさんって意外と律儀なんですね」

 

「君は僕のことを一体なんだと思ってるんだい?」

 

 悪気はないのだろうが、ダイヤの何気ない一言が心にかすり傷を付ける。

 もしかして僕のこと嫌い? 契約交わしたあの日の言葉は嘘だったの? 

 

「んー……なんて言う名前でしたっけ? 確か……リョウマ!」

 

「リョウジだよ」

 

 それだと土佐藩の偉人か超人テニスプレイヤーになってしまう。お前はトレセンの柱になれ。

 

「日本の夜明けは近いぜよ! なんつって」

 

「……君、坂本龍馬以外で高知で有名なものって他に知ってるの?」

 

「えっ…………いやあ、それにしてもそのリョウジ君、見つかりそうにないですなあ」

 

 セイウンスカイのやつ、もしかして高知に関する知識が坂本龍馬しかないのでは……? 

 

「今日はメインとなるレースも無さそうですし、あまり人が集まるような日ではなかったのではないですか?」

 

 そうだなあ。忘れない内に事を済ませておきたかったのだが、仕方がない。また日を改めるとしよう。

 

「おっ、珍しい顔じゃのぉ」

 

 今日中に手紙を届けることを諦めかけた時、見知らぬおじさんが僕達へと話しかけてくる。

 

「ええっと、あなたは一体?」

 

「おっと、自己紹介が遅れちゅう。ワシは坂本という者や。以後よろしゅう」

 

「あ、これはどうもご丁寧に。ぼ……私は中央でウマ娘のトレーナーをしている……」

 

 坂本と名乗る人と、一通り挨拶や名刺交換を済ませる。どうやらこの方、この地でウマ娘のトレーナーをやっているらしい。つまりは同業者ということになる。

 

「それで坂本さん。ぼ……私達に何か御用で?」

 

「ここに中央のトレーナーとウマ娘が来るってワシの担当ウマ娘から聞いてのぉ。後、喋り辛いんやったら"僕"でも構わんぞ」

 

 坂本さんに自分のことを"僕"と呼ぶ癖を一瞬で見抜かれ、なんだか気を使わせたみたいで申し訳なく感じる。

 

 ……おい、後ろの三人。笑ってるんじゃあないよ。いくら僕の『私』呼びが似合っていなかったからって爆笑してるんじゃあないよ。

 

「おまさんがメジロマックイーンのトレーナーで間違いないか?」

 

「ええ、そうですよ」

 

 後ろの三人を無視して坂本さんと会話を続ける。後で何かしらの制裁は加えておこう。

 

「ほんなら、おまさんは今回ワシのライバルっちゅうことやなあ」

 

「っ、あなたがあの娘のトレーナーということですか?」

 

「あの娘だけじゃわからんぞ? まあ落ち着いとーせ。時期にワシの担当ウマ娘も来る……と、噂をすれば来よったな」

 

 坂本さんの視線に釣られてその方向を見ると、そこには昨晩出会った芦毛のウマ娘がいた。

 

 彼女が現れるのと同時に、後ろで笑い声が収まり、辺りが一気に緊迫した空気に包まれる。そのまま彼女はマックイーン達を一瞥し、短い銀髪の髪を揺らして僕の前に佇む。

 

 

 あの後、分かっている情報から多少なり君のことを調べさせてもらったよ。

 

 芦毛であること、地方のウマ娘であること、中央での在籍期間が存在していたこと。

 

 

「待たせて悪かった、メジロマックイーンとそのトレーナー」

 

 

 そして何より、そんな彼女の口から『オグリキャップ』という名前が出てきたこと。

 

 

「ああ、待っていたよ。()()()()()()()

 

 

 そんな彼女は、中央のウマ娘にも負けず劣らずの闘志を瞳の中に轟々と燃やしていた。

 

 

 



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土の香り

 

 

 

 フジマサマーチというウマ娘をご存知だろうか。端的に説明すると、かつてカサマツレース場という地方のレース場で活躍していたウマ娘だ。

 

 主な脚質は逃げ、ダートの短距離からマイルを得意としていることがデータから読み取れる。さらに、競走戦績を見るに彼女はカサマツレース場であのオグリキャップに二度も勝利している。東海ダービーの順位も四着と悪くなく、間違いなく強者だ。

 

 しかし、問題はその後。

 フジマサマーチには中央への在籍期間が存在している。彼女に対して既視感を覚えていたのはそれが理由だろう。

 彼女の中央での戦績はお世辞にも良いとは言えない。四戦四敗、その全てが最下位という結果だ。カサマツに戻った後のレースでも結果が振るわず、それ以降はここ、高地レース場で走っているということが分かっている。

 

 そしてフジマサマーチは芦毛である。オグリキャップとの芦毛対決と言われたら真っ先にタマモクロスを思い浮かべる人が多いだろうが、それ以前にカサマツレース場ではオグリキャップとフジマサマーチの芦毛対決が行われている。

 

 

 と、まあ調べることができたのはこのくらいだ。もっと時間をかければさらに多くのことが分かるのだろうが、あまり時間が無かったため、少々中途半端になってしまっているが、そこは許していただきたい。

 

 ここまでたらたらとフジマサマーチというウマ娘について語ったが、今回はそんなウマ娘に対して勝負を挑まれたという形だ。目と目が合えば、ではないが、彼女の瞳の中の燃え盛る闘志を感じ取り、挑まれた勝負を断りづらかったというのもある。

 

 銀色の髪をたなびかせ、週刊少年漫画の主人公顔負けの戦意を剥き出しにしている。

 

 そんな闘志の塊のようなフジマサマーチは、名前を呼ばれたことにより少し驚いたような顔をしていたが、すぐに元の表情に戻り不敵に笑った。

 

「あなたに名前を教えた記憶は無かったはずだが?」

 

「今はこれ一つで様々なことが調べることができてね。良い時代になったものだよ」

 

 これ見よがしにスマホを片手にクルクルと回す。例え少ない情報でも簡単に調べ上げることができるのがこの電子機器の良いところでもあり悪いところでもある。良い子のみんなはインターネットの使い方には気をつけようね。

 

「ふっ……では改めて、私の名前はフジマサマーチ。今日この場に来ていただいたことに感謝する、メジロマックイーンのトレーナー」

 

「そりゃどういたしまして。僕の方は自己紹介はいらないみたいだね。それじゃあ早速……」

 

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいます!?」

 

 僕とフジマサマーチとの間に大慌てでマックイーンが入り込んでくる。そういえばマックイーン達にはフジマサマーチについて何も話して無かった、というか話さなかったな。それでは彼女達も困惑してしまうだろう。

 

「これはどういうことですの!? えっと……フジマサマーチさんと仰いましたか。貴方は私達のトレーナーさんとどういう関係ですの!?」

 

 あ、そっちか。レース云々とかそういう話かと思った。

 

 マックイーンの後ろではダイヤとセイウンスカイがうんうんと首を振る。いや、ダイヤはともかくセイウンスカイのトレーナーは僕じゃないからね?

 

「メジロマックイーン、それをお前に言う義理は無いが……昨晩少し話した程度の仲だ」

 

「つまりトレーナーさんが深夜に不埒な行いをしたということですわね。ダイヤさん、スカイさん、今すぐ110番通報ですわ」

 

「曲解が過ぎるだろ。そしてそこから警察への連絡の判断があまりにも早い」

 

 そして不埒な行為をしたのはマックイーン、君自身だろう? 大声で反論したかったが、恐らく言ったところで社会的体裁が悪くなるだけであり、ダイヤの憧れのマックイーン像をさらに崩壊させる可能性があったので、喉まで出かかった言葉を唾と一緒に飲み込んだ。

 

 誤解を解くついでに、どういった経緯でこのレースをやることになったのかを説明する。その際、最後の最後まで僕に疑いの眼差しが向けられていたことがかなりきつかった。

 

「なんや、おまさんとマーチは知り合いやったんじゃのぉ。そしたら話は早い。マーチ、早いとこ中央の人達に今回の条件教えたり」

 

「了解した、坂本トレーナー」

 

 坂本トレーナーは僕達のバカみたいな会話を笑い飛ばす。

 おかしいなあ、さっきまでシリアスな展開だと思っていたのに、マックイーンが介入した瞬間急に流れが変わったような気がする。やはりマックイーンはギャグのウマ娘だったのかもしれない。

 

「今からレースの条件やコースについて説明したいんだが、構わないか?」

 

「あ、ああ大丈夫。お願いします」

 

「では、今回のレースは右回りのダート1600m、幸いなことにここ数日雨は降ってないため良バ場だ」

 

「うっ、ダート、それもマイルですか……短距離やマイルのレースは不得手なもので……」

 

「私も〜。距離は凄い苦手って訳じゃないけど、ダートってなるとどうしてもね〜……」

 

 レースの条件を聞いたマックイーンとセイウンスカイはそれぞれ苦言を漏らす。

 それはそうだろう。二人は元々中〜長距離を得意としている上にダートと来た。整備された芝の上を走り続けてきた彼女達にとって、ダートという未知に不安を抱くのも無理はない。

 ダイヤはまだデビューしてないためイマイチピンと来ていないようだ。だが、多分彼女もマックイーン達と同じく芝の長距離に適正を持っているだろうことから、彼女もこのレースの条件は厳しいだろう。

 

「いや、全員が走る必要はない。自分勝手で申し訳ないのだが、今回は一人走ってもらうだけで充分だ」

 

「……して、その一人とは」

 

 聞くまでもないかもしれないが、フジマサマーチにご所望の人物を問いかける。

 

「……メジロマックイーン、私は今日、お前に挑むためにここに来た!」

 

 ビシッと指を差されたマックイーンは一瞬だけ怯んだが、こちらもこちらで一瞬で表情を戻し余裕の笑みを浮かべる。

 

「貴方が私にどんな理由を持って挑んでいるのかは存じませんがいいでしょう。私、メジロマックイーンは、売られた勝負と数量限定高級スイーツは必ず買うと決めているのですわ!」

 

 フジマサマーチの宣戦布告に、マックイーンは絶妙にダサい言い回しで返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 高知レース場は一周1100mの右回り。特徴的な点は、1、2コーナーの半径が3、4コーナーの半径より小さいといったところか。

 

 今回のレースは1600mということもあり、3コーナー奥のポケットからレースが開始される。

 そこから最初のコーナーまでの距離は150m、スタートダッシュが肝心ということだ。さらに、内ラチ沿いは砂が深いため、一概に内枠有利とも言いづらい。最終直線は200mと、あの中山レース場の308mよりも短い。

 

 

「フジマサマーチさんって、あのオグリキャップさんのライバルだったんですね」

 

 マックイーンとフジマサマーチがレースの準備をしている間にコースの見学をしていると、セイウンスカイも観覧席に行き着く。

 彼女にも走ってもらうつもりでいたが、そうではなくなってしまったので、そのことを謝罪すると、「いやあ、私も走りたかったな〜。でも仕方がないから、本当に仕方がないから頑張って応援しましょうかね〜」と、棒読みで言われた。謝罪返せや。

 

「戦績だけ見ればオグリキャップの方が勝ってはいるけど、フジマサマーチがオグリキャップに二度勝利していることに変わりはない。なんにせよ、侮れない相手だよ」

 

「つまり、マックイーンさんがどれだけダートに適応できるかってことですね」

 

 そんな話してたっけ? いや、まあそうなんだけど。

 

 メジロマックイーンとフジマサマーチ。この二人を比較するなら、マックイーンの方が実力は上だ。中央で戦果を上げ続けているウマ娘と、地方のウマ娘では差がある。

 しかしこのレースは違う。マイル且つダートはマックイーンにとって未知の世界だ。物凄く悪い言い方をしてしまうと、ハンデがあるという言い方がしっくりくるだろう。

 

「あれ、そう言えばダイヤは?」

 

「ダイヤちゃんならさっきまでマックイーンさんと一緒にいたはずなんですけど……」

 

「私のことお呼びしましたか?」

 

 噂をすればなんとやら、話題に上げた瞬間に横からダイヤが現れる。

 

「お帰り、ダイヤちゃん。マックイーンさん達と話してたみたいだけど何かあったの?」

 

「はい……せっかくマックイーンさんと一緒に走れる良い機会だと思ったので、私も出走させて欲しいと駄々を捏ねてみたんですけどダメでした……」

 

 いや何してんだよ。レース前に迷惑かけてるんじゃあないよ。

 もしかしてマックイーンだけじゃなくてダイヤもギャグの存在になりかけているのかもしれない。ほら見ろ、あのセイウンスカイでさえも苦笑いだぞ。

 

 本気でしょんぼりするダイヤを他所に、いよいよ二人のレースが始まろうとしている。

 

「……それにしても公式戦でもないのにこんな贅沢なレース場の使い方をしてもよかったのか……?」

 

「ええちゅうことや、そんなもん気にせんといて!」

 

「うわあ、びっくりした!」

 

 なんとはなしに発したボヤキに反応したのは、いつの間にか僕達の上の席に鎮座していた坂本トレーナーだった。

 

「おまさんら、中央のウマ娘達がここに来ることは有名になっちょった。ほれ、あそこの観覧席見てみ」

 

「ん? おお〜、凄い人集りですね〜」

 

「皆さん、マックイーンさんとフジマサマーチさんを見に来たのでしょうか?」

 

 坂本トレーナーに言われた通り別の観覧席を見ると、そこには先程までいなかった多くのウマ娘達がキャッキャしている。

 ダイヤの言う通り、多分ここにいる人やウマ娘は大体があの二人のレースを見にきたのだろう。強いウマ娘が走るところは誰だって見たい。僕も見たい。

 

「っと、そんな話してたらもうゲート開くぞ」

 

「そうでした。マックイーンさーん! 頑張ってくださーい!」

 

「マックイーンさ〜ん、頑張れ〜」

 

 ダイヤとセイウンスカイは離れたところからマックイーンに激励の言葉を贈る。それに気がついたのか、マックイーンは少しだけ口角を上げたような気がした。

 

 その次の瞬間ゲートは開く。

 先程も言ったように、最初のコーナーまでの距離は長くないため、スタートダッシュが肝心だ。果たして……

 

「やった、良いスタート……あれ?」

 

 マックイーンはスタートダッシュを決めたかと思いきや、みるみるうちに減速してしまう。その一瞬の隙を突いて、フジマサマーチがすうっと前に出た。

 

「トレーナーさん、これは……」

 

「やっぱりバ場適正の差が出たか……」

 

 ダートは芝と違ってパワーが必要だ。最終直線だけならまだしも、一歩一歩を走るために要求される力がまた違ってくる。パワーよりもスピードが要求される芝を走り続けたマックイーンにとって、不利であることは間違いない。

 

 序盤のダッシュに手こずったマックイーンは、苦し紛れに態勢を持ち直し、フジマサマーチから3バ身ほどの差をつけられるもののなんとか食いつく。そのまま最初のコーナーを走り抜き最初の直線に入り、マックイーンも負けじとフジマサマーチとの距離を詰めにかかった。

 

「ああっ!? マックイーンさん!」

 

 直線に入りマックイーンが追い上げてきたところでフジマサマーチの蹴り上げた土がマックイーンにもろにかかってしまう。これも芝とダートの違いだ。フジマサマーチもわざとではないだろう。

 

 土をモロに被ってしまったせいで、せっかく詰めかけていた差も水の泡となってしまう。マックイーンはフジマサマーチとの差を詰めることができないまま1、2コーナー、そして向正面を走り抜ける。

 

「トレーナーさん、これ結構まずくないですか……?」

 

 この状況には流石のセイウンスカイも険しい顔だ。

 

「……レース展開、逃げウマ娘としての適正、そしてダートの走り、これを見るにどれをとっても素晴らしいと言える。さすがはオグリキャップの最初のライバルと言ったところだな」

 

「感心してる場合じゃないですよ! このままじゃマックイーンさんが……! マックイーンさん、勝ってくださーい!」

 

 冷静にフジマサマーチの分析をする僕を揺さぶりながら、ダイヤはマックイーンを応援する声に一層気合を入れる。

 

「いくらおまさんとこのウマ娘が優秀とはいえ、バ場も距離も適正が合わんかったらうちのマーチにはかなわんよ」

 

 大きな声で応援するダイヤと固唾を飲んで見守るセイウンスカイの後ろで、坂本トレーナーは快活に笑う。彼はフジマサマーチを信頼し、勝利を確信している。なんにせよ僕達に勝ちはないと思っているのだろう。

 

 3コーナーを通り4コーナーに入る。相変わらずフジマサマーチとマックイーンの距離は縮まらず、後は直線勝負を残すのみとなった。

 

「ど、どうしよう……このままじゃマックイーンさんが……」

 

「……マックイーンさん」

 

 マックイーンの敗北が脳裏にチラついているのかダイヤは大慌て、セイウンスカイは苦言を零していた。

 

 ふむ。

 

「……勝負有りだな」

 

「なっ、トレーナーさん、それはどう言う意味ですか! このレースを捨てるというのなら私……!」

 

「違う。マックイーンの顔、よく見てみて」

 

「顔って……え、笑ってる……?」

 

 なあ、マックイーン。そろそろ慣れてきただろう?

 心の中でそう語りかけた時、マックイーンと目が合ったような気がした。

 

 その瞬間、轟音と共にコースの一箇所に物凄い砂の柱が聳え立つ。もちろん、その原因は我らがお嬢様に他ならない。

 

「なっ、なんじゃあのスピード!?」

 

「速っ!?」

 

「す、凄い! やった、やった! マックイーンさん!」

 

 4コーナーを過ぎ最後の直線に入った瞬間、マックイーンは驚異的な末脚でスパートをかける。芝を走っている時よりは流石にスピードが落ちてしまっているが、それでも尚とんでもないスピードであることに変わりはない。

 坂本トレーナーを始め、ダイヤとセイウンスカイも驚きを隠せていない様子だ。

 

「でも、ダートってパワーとスタミナも必要なんでしょ? マックイーンさんならスタミナは分かるんだけど……」

 

「セイウンスカイ、君達がここに来て行っていた練習メニューは何かな?」

 

「それは砂浜での……もしかしてあれが?」

 

「そういうこと」

 

 走るコツさえ掴めばこっちのものだ。200mという物凄く短い直線でも関係無しに、マックイーンは一瞬で加速しフジマサマーチに並ぶ。フジマサマーチも余力を残していたらしく、マックイーンに追い抜かされまいと最後の力を振り絞り、マックイーンより少し前に出る。

 

 だがこちらは『名優』メジロマックイーン。どんな舞台であろうと、一流を演じてみせるのだ。

 

「凄い! 二度目のスパート!」

 

「またスピードが上がりましたね〜」

 

「……」

 

 フジマサマーチが前に出た直後に、マックイーンは二度目のスパートをかける。坂本トレーナーなんか空いた口が塞がらないといった状態だ。

 

 マックイーンが二度目のスパートをかけたことにより一気に勝負がついた。結果は2バ身差でマックイーンの快勝。その結果にダイヤもセイウンスカイも手を合わせて喜んでいる。

 

「これは……この条件ならマーチ優勢じゃろ思うたんけど……完敗や!」

 

 坂本トレーナーはそう言って頭を下げる。いや、別に勝ったらとか負けたらとかそう言ったデスゲームはしてないからそこまでしなくていいんだけど……

 

「トレーナーさん、私マックイーンさんのところに行ってきます! 早くお祝いの言葉を贈りたいので!」

 

「あー……それはちょっとだけ後にしたほうがいいんじゃないかな?」

 

「いえ、待てません。私もう行きます!」

 

「私も〜!」

 

 ダイヤとそれに便乗したセイウンスカイは早速マックイーンの元へ走り出した。

 自分もいち早くマックイーンの元へ向かい、労いの言葉をかけたり足の調子を確認したいのを抑えていたのに仕方がない。マックイーンの元へ向かった二人を追う前に、もう一度走り終えた彼女達を見る。

 

 レースを終えたマックイーンとフジマサマーチ。そんな二人の会話は、この場所からでは遠すぎるために聞き取ることはできなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 先頭の景色でゴールを切り、息を整える。

 

 危なかった。レースの序盤、中盤でかなり差を広げられた時は本当にもうどうしようかと思った。もし砂浜での厳しいトレーニングが無かったら、最後の最後までコツを掴めず差が縮まるどころかさらに広げられていてもおかしくはなかっただろう。

 

 ……雨が降っていたわけでもないのに、シューズもジャージもドロドロですわ……。これは宿に戻って早急に泥を落とさなくては。

 

「メジロマックイーン」

 

 シューズやジャージの泥を気にしていると、息の乱れたフジマサマーチさんが声をかけてくる。

 

「……今回のレース、受けてくれて感謝する。さすがは中央のウマ娘だな」

 

「こちらこそ感謝致します。貴方の強さ、この身を持って知らされましたわ」

 

「……お前が言うと皮肉にしか聞こえんぞ」

 

 うっ……そんなふうに聞こえてしまいましたの?

 

「ふふっ、そんな顔をせずとも、お前がそんなことを言う奴ではないということは見て取れる」

 

「な、なんだか申し訳ありません……」

 

「気にするな」

 

 故意ではないが、私の失礼な発言にフジマサマーチさんは片手で制す。寛大な方で助かりました……

 

 そういえば、なぜ彼女はわざわざレース場を借りてまで勝負を行ったのだろうか。ただ勝負をするだけなら最悪コンクリートの上や砂浜でも構わないはずなのに。

 

「あの、一つ聞きたいことがあるのですが」

 

「なんだ?」

 

「どうして、このレースの対戦相手に私を選んだのですか?」

 

「……私は、とあるウマ娘相手に宣言したんだ。お前よりも永くレース場に立ってみせる、と」

 

 とあるウマ娘というのはオグリキャップさんのことだろう。フジマサマーチさんがオグリキャップさんのライバル関係だったということは、レース直前にトレーナーさんから聞いている。

 

「だから私は走り続けている。でも、それは強い相手に挑戦し続けなければ意味がないと思ったんだ。それに、お前を見ているとなんだかそのウマ娘を思い出してしまってな」

 

 えぇ……私、オグリキャップさんのように大食いではないのですが……

 

「…………そしてあの二度目のスパート……」

 

「どうかされましたか?」

 

「いや、正しい努力には、正しい結果が伴う。力ある者は常に相応しい結果を求められる。そう思っただけだ」

 

「……?」

 

 フジマサマーチさんはそう言って意味深に笑うが、私には何も分からない。彼女のようにもっと長く走れば分かるのだろうか。

 

「なあ、私からも一つ聞いていいか?」

 

「ええ、構いませんわ」

 

 フジマサマーチさんはレース前の剣呑な表情ではなく、クールな笑みを浮かべ右手を差し出してくる。

 

「また、私と走ってくれるか? マックイーン」

 

「……もちろんですわ、マーチさん」

 

 その右手を取り、固い握手を交わした。

 今の時間帯は夜でもなく、夕焼けが映えるような時間ではないが、炎天下に照らされたマーチさんはここの誰よりも輝いているような気がした。

 

 眩しい日差しに加え、ほのかに香る土の匂いが夏という季節をより際立たせる。

 

 願わくば、彼女のレース人生がさらに良いものとなりますように……

 

 

「マックイーンさあああああん!」

 

「ぐえっ!」

 

 そんないい感じの雰囲気は、突如飛び込んできたダイヤさんによってぶち壊される。遅れてやってきたセイウンスカイさんも悪ノリのような形で私達に戯れつく。

 

 ああもう! どうしていつも最後が締まらないんですの!!

 

 

 



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夏の醍醐味

 

 

 人間の体は泳ぐのに適していないと考える。

 

 そもそも泳ぐのに適していた場合、この体にヒレや水掻きが付いていないのはおかしいだろう。我々の祖先は水中よりも陸の方が生活に適していると考えたため、わざわざ肺呼吸を習得して酸素を体に取り込んだ。その結果、我々はこうして地に立ち生活することができている。

 

 それならば僕は祖先達を心から尊敬しよう。生涯不自由な水中で暮らし続けるなどまっぴらごめんだ。自分が陸型の哺乳類でよかったと常々思う。

 

 水泳や水中で行う競技の選手達は超人だ。多分人知超えし者に違いない。本当に人間か? 

 

 さて、ここまでで何が言いたいかというと、冒頭の通り人間は泳ぐのに適していないということ。これは子供の頃から変わることなく考え続け導き出した答えだ。

 

 

 

 夏合宿最終日。流石に最後の日までみっちりとトレーニングを詰め込むというのも酷だと思い、最終日である今日を一日休日にした。

 彼女達が真っ先に向かったのは海。その間宿でゆっくり過ごそうかと思っていたのだが……

 

「行きますわよ、ダイヤさん!」

 

「きゃっ、冷た! やりましたねマックイーンさん! ついでにマーチさんも巻き込んじゃいます!」

 

「お、おい! 何故私に……ぶはっ!?」

 

 前にウマ娘と人間の体の構造は酷似しているということは話しただろうか。どちらにせよ、外見からは耳と尻尾くらいしか違いはない。違いはないはずなのに、ウマ娘である彼女達は楽しげに海水に浸かり水の掛け合いをしている。

 

 何が楽しいのだろうか。甚だ疑問である。

 

 海で楽しそうに水を掛け合うダイヤ達に訝しげな視線を送っていると、先程まで彼女達と一緒に遊んでいたマックイーンが、悠々自適にビーチパラソルの下で体育座りをしている僕の元へやってくる。

 

「ずっとそんなところにいては退屈ではありませんこと?」

 

「いや別に。やることが無いってだけだよ。マックイーンはみんなと遊んできな」

 

「でしたらトレーナーさんも一緒に海で」

 

「断る」

 

「……トレーナーさんも」

 

「断ーる!!」

 

「もう、なんなんですの! 構って欲しいのか欲しくないのかハッキリしてくださいます!?」

 

 マックイーンは僕の態度が気に食わないのか、砂浜を蹴って激昂する。仕方がないじゃないか、泳げないんだし。

 

「全く。貴方は大抵のことはできるお方だと思っていましたのに、どうして泳ぎに関しては何年経ってもポンコツですの?」

 

「マックイーン、よく考えて欲しい。僕はウマ娘のトレーナーだ。常日頃どうやったら君達がもっと速く走れるようになるかを考えている。そんな君達は今海で泳いだりしている、実質僕も泳いでいるだろう?」

 

「話の流れで記憶飛びましたか?」

 

 呆れ顔のマックイーンについそっぽを向いてしまう。

 

 へっ、別に泳げやしなくたって日常生活に支障は無い。そもそも、学校の水泳の授業が終われば大人になってから泳ぐ機会なんて早々ないだろう。よし、今大学のサークルや友達で海やプールに行く話をした奴表に出ろ。少し話をしようじゃないか。

 

「はあ……もうトレーナーさんを誘うのは諦めますわ。私はダイヤさん達ともう少し遊んできます」

 

「ん、懸命な判断」

 

「そ の ま え に」

 

 僕の言葉を遮り、マックイーンはずいっと体を寄せてくる。

 

「いい加減、私達の格好について触れるべき点があるのではないですか?」

 

「……やっぱり褒めなきゃダメ?」

 

「ダメに決まってますわ! 何のために夏合宿の前日、ダイヤさんとこの水着を買いに行ったと思ってるんですの!」

 

 急遽誘ったフジマサマーチを除いて、今のマックイーン達は水着は水着でも学園指定のスクール水着ではなく、ショッピングモール等で売っているような可愛らしい水着を身につけている。先程名前が上がったダイヤもフリフリの水着を着用している。

 

「それで、水着について感想を聞かせていただけると嬉しいのですが」

 

「ああ、似合ってるよ。マックイーンだけじゃなくて、ダイヤも」

 

「……そうですか、ありがとうございます」

 

 ……え、なんか変なこと言った? ちゃんと褒めたよね? なのになんでちょっと凹んでるの? 

 

「はあ、まあいいですわ。乙女心の分からないトレーナーさんにこのようなことを聞くこと自体が間違っていました」

 

「おっとマックイーン、その発言は訂正してもらおうか。僕は人の感情の揺れ動きには人一倍敏感だと自負している」

 

「そう思っているのは貴方だけですわよ」

 

 マックイーンに真顔で言われた。ゴールドシップに揶揄われて顔を真っ赤にしたり、スイーツを見ると途端に表情が緩くなるあのマックイーンに真顔で言われた。結構に心に来るな、これ。

 

「そ、それより、セイウンスカイの様子が見えないんだが、あいつはどこに言ったんだ?」

 

「スカイさんなら、少し奥で浮き輪を使っていますけど……どうして浮き輪があるのにビート板を持っているのでしょうか?」

 

「よし、今すぐセイウンスカイを浮き輪から引き摺り下ろすぞ。あいつ多分泳げない」

 

「え、トレーナーさん!? 貴方も泳げないのではないのですか!?」

 

「何、僕も成長したんだ。この程度の距離なら多分大丈夫だって」

 

 今までの仕返しにとセイウンスカイの足を引っ張りに海に入って彼女を浮き輪から引き摺り下ろしたところまでは良かったのだが、結局まともに泳ぐことができず、セイウンスカイ共々溺れているところを救出されたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 波乱の夏合宿もいよいよ終わりに近づいている。僕達はフジマサマーチや坂本トレーナーに挨拶をするため、最後に高知レース場にやってきた。

 

「いやー、いっぱいトレーニングもしたし、ご飯も美味しかったし、夏合宿楽しかったな〜……最後のトレーナーさんの奇行以外」

 

「なぜ自分があんなことをされたのか、君の薄い胸に手を当てて考えてみることだね」

 

「はい、セクハラ。もし言われたのが私じゃなかったらトレーナーさん速攻刑務所行きですよ? それにマックイーンさんの方が薄いって分かってます?」

 

「ちょ、お二人の言い合いで何故私に飛び火するんですの!? わ、私だって……私だって少しは成長してますわ!」

 

「あーあ、トレーナーさんが泣かせたー」

 

「泣かせたのは君だよね?」

 

 セイウンスカイに胸のことをいじられて立ちすくむマックイーン。

 彼女は自身の胸を成長したとのたまうが、担当ウマ娘のスリーサイズを把握しなければならないトレーナーの身から言わせてもらうと、残念ながら最初に測った頃とほとんど変わっていない。どんまい! 

 

「もう、トレーナーさんもスカイさんもマックイーンさんを虐めるのはやめてあげてください! 胸なんて小さくたっていいじゃないですか……マックイーンさん!? どうしたんですか!?」

 

 慰めのつもりで放ったダイヤの言葉がトドメとなり、マックイーンが膝から崩れ落ちる。ダイヤに悪意が無いのが尚タチが悪い。

 ちなみに、見た目的な問題では一番年少のダイヤが強調されている。何がとは言わないけれど。

 

「ま、ダイヤはともかく、その件でマックイーンとセイウンスカイが争ってもどっこいどっこい、五十歩百歩、ドングリの背比べってわけだ。今後の成長に期待しようね」

 

「スカイさん、貴方は右から攻めてください。二人であのスカした社畜トレーナーをとっちめるのですわ」

 

「おっけー。覚悟してくださいね、トレーナーさん。セイちゃんが本気出したからには、海の藻屑となってもらいますよ?」

 

「よし、かかってこい。力では勝てないけど、君達をどうこうする方法なんていくらでもあるんだぜ?」

 

 一触即発。そんな言葉がこの場にしっくりくるだろう。マックイーン&セイウンスカイVS僕という構造が出来上がり、ジリジリと間合いを取りあっている。

 

「お前達は帰る間際まで何をしているんだ」

 

「……命拾いしましたわね」

 

「次は無いですよ?」

 

 そんな雰囲気に割って入ったのはフジマサマーチだった。それにより、この場が戦場と化すことはなくなったが、その代わりにマックイーンとセイウンスカイの鋭い眼光が僕に突き刺さる。

 だが残念だったな、君達をどうこうする方法というのはハッタリじゃないんだ。その方法を使えばウマ娘の一人や二人昏倒させることなど容易い。本当のところ、この手段はなるべく使いたくないが、そんな機会はそうそう訪れないだろう、ガハハ……あれ、これフラグ……? 

 

「お前達が来てからというものの、なんだかこのレース場付近が騒々しく感じていたよ」

 

 ごめんなさい。うるさい集団でごめんなさい。

 

「ただ、帰るとなると、それはそれで寂しいな」

 

「……出会いあれば別れあり。これが今生の別れというわけではありません。私達が走り続ける限り、いずれまた共に走る機会があるはずですわ」

 

 少し悲しげな表情を見せるフジマサマーチに、マックイーンは笑顔でそう告げる。

 

「そうですね。次は私もマーチさんと一緒に走れるように頑張ります!」

 

「私も〜。またウララと一緒にここに来るから、その時は併走してくれると嬉しいなぁ〜」

 

「……そうだな。これで終わりというわけではない。あいつにも、お前達にも、誰にも負けないくらい私は永く走り続けてみせるさ」

 

 マックイーンに続いて、ダイヤとセイウンスカイもフジマサマーチとのレースを約束する。

 時刻は夕方。こう言ったいい感じのシーンというのは大体夕焼けであり、このシーンも例に漏れず綺麗な夕焼けだ。

 

 ウマ娘ズの青春ストーリーを見ながら、最後の一仕事をするためにこの場所に来た時と同じように鞄から一通の手紙を取り出す。

 あの日から一日一回はレース場に足を運んでいるのだが、この手紙を僕達に授けたウマ娘と同じくらいの年齢の男の子は見当たらなかった。頼まれたことを遂行できないまま帰るのもなんだか気分が良くないのでどうにかしたいものなのだが……

 

「おまさんらもう帰るんやか?」

 

「うわああ!? びっくりしたあ!」

 

 手紙の処遇をどうしようか迷っていた時に、後ろから坂本トレーナーに話しかけられる。頼むから急に現れて声をかけるのをやめてほしい。

 

「すまんすまん。なんか難しそうな顔しちょったき、ついな」

 

 この人はついで僕の心臓を縮めに来ていたのか。

 

「……まあいいです。それより坂本トレーナー、一つ聞きたいことがあるのですが」

 

「ん? どいた?」

 

「実は僕達、この手紙を届けてほしいと言われてそれらしき人物を探しているんですけど、中々見つからなくてですね」

 

「ほう、手がかりちょかは?」

 

「リョージという名前の人に渡してほしいと」

 

「リョージ? なんや、ワシのことやないか」

 

「……え?」

 

 じゃあ坂本トレーナーが僕達の探している人……? いや、そう決めつけるのはまだ早い。もしかしたらただ名前が同じだけかもしれない。

 

「あの、他にレース場にいるリョージという名の人……小学生くらいの男の子っていませんか?」

 

「いや、ここら辺でリョージっちゅう名前は聞いたことないなあ」

 

 え、本当に坂本トレーナーが……? 確かにあの幼いウマ娘は同年代の子とは一言も言っていなかったが……

 ま、まあ叔父と姪といったような関係も捨てきれない。むしろそれであってくれ。そうじゃなかったらただの事案だ。

 

 心の中で懇願しながら手紙を渡す。それを受け取った坂本トレーナーは封を開け中身を見ると、すぐさま目を見開いた。

 

「おお、この名前は……!」

 

「……もしかしてお知り合いだったんですか?」

 

「この手紙の主はワシの幼馴染のウマ娘や! ワシらが小さい頃によく遊んだものやな!」

 

 ………………は? 今何と言った? あの幼いウマ娘と坂本トレーナーが幼馴染? 

 

「あの娘、ワシに病気を隠しとってな。そいでちょうど小学生に上がると姿が見えんくなっての。それ以降手紙を書いても返事は来んし顔も出さんしで不安じゃったき。病気のことを知ったんも、結構後のことや」

 

 ちょっと待て、本当に待ってくれ。頭が混乱して、周りが見えなくなってきた。もしかしたら事案よりもまずいかもしれない。

 

 僕達に手紙を渡してきたウマ娘は見た目小学生くらいの年齢だった。しかし、そのウマ娘のことを坂本トレーナーは幼馴染と称している。坂本トレーナー曰く、かつてそのウマ娘は病気を持っており、小学生に上がるタイミングで行方を眩ましたと。そして今日まで連絡が取れていなかった。

 

 いや、僕達が見たウマ娘は、坂本トレーナーの言うウマ娘の子供である可能性も……でもそれだと僕達に頼む理由が見当たらないし……

 

「ワシと同い年ということは、あの娘ももう結構年をとっちゅーなあ」

 

 大人に成長し、高知レース場でウマ娘のトレーナーをしている坂本トレーナー。

 直接ではなくこうして間接的に手紙を渡そうとした、見た目が完全に小学生のウマ娘。

 

 その二人が幼馴染である。ここから導き出される結論はつまり……

 

 

「懐かしいなあ……どうやったか? その娘、元気にしとったか?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 夕暮れに合宿の地を出発したため、真夜中の高速道路を走る羽目になっている。

 時刻が時刻なだけに、後方の席に座るダイヤとセイウンスカイはぐっすり眠っているため、車内はとても静かである。だがマックイーンは未だに起きており、寝ないのかと問いかけても、「私までもが寝たらトレーナーさんがいよいよ退屈になってしまうでしょう?」と返された。じゃあ行きの時の爆睡は何だったんだよ。

 

「……夏合宿、色々ありましたわね」

 

「そうだね。海でトレーニングしたり、フジマサマーチとレースをしたり、誰かさんが男湯に飛び込んできたり」

 

「最後のはいい加減忘れてくださいます!? あれはスカイさんが暖簾を入れ替えたのが悪いのであって、私はそれに巻き込まれただけですわ!」

 

「でも僕を押し倒したのは事実だよね?」

 

「なんだか唐突に高いところから飛び降りたい衝動に駆られましたわね。今ドアを開けますわ」

 

「早まるなって」

 

 ここは高速道路が故に、そんなことをしたら大事故で明日朝一のニュースになってしまう。トレセン学園のトレーナーとそのウマ娘が事故っちゃいましたー、なんて洒落にならない。

 

「はぁ……せっかくセンチメンタルな雰囲気でしたのに、トレーナーさんのせいで台無しですわ」

 

「また来ればいいさ。これが最後なわけじゃないって君自身が言っていたことだろう?」

 

「それはそうなのですが……」

 

 それでも尚暗い表情を見せるマックイーン。フジマサマーチとの別れはきちんと済ませている様子だったが、やはり寂しいものは寂しいのか。

 そう思っていたが、横目で見る彼女は何か別のことを気にしているようにも見えて……

 

「……どしたの、何か気がかりなことでもあるの?」

 

「……トレーナーさんは、どうしてあの時嘘をついたのですか?」

 

 嘘? 僕がマックイーンに? 

 

「あの地を離れる直前の、坂本トレーナーとの会話です」

 

「っ、聞いてたのかよ……」

 

「聞こえてしまった、の方が正しいですわ」

 

 あの会話を聞いていたということは、マックイーンも僕達に手紙を託したウマ娘の正体に気がついているのだろう。

 

 マックイーンの指摘する僕が嘘をついていたという場面は、それすなわち坂本トレーナーの『元気にしていたか?』という質問に対しての答えのはずだ。その質問に『元気にしていました』と答えた。これを嘘と捉えるかは人それぞれ。それに……

 

「あんな非科学的なことに嘘も何もないでしょ……」

 

「それもそうですわね」

 

 マックイーンはあっさりと肯定の意を示す。同じウマ娘だけに思う所があるのか、依然としてマックイーンの表情は明るくない。

 かく言う自分も、その事実に気がついた時は混乱もあったが悲しくもあった。

 

 認めたくはないが、そのウマ娘はもうこの世には……

 

「……もし、私がいなくなっても、トレーナーさんは私のことを覚え続けてくださいますか?」

 

「縁起でもないことを言うのはやめろ。仮にそうなったら地の果てでも君を探しに行くよ」

 

「ふふ、それが聞けて安心しましたわ……」

 

 そう言ったマックイーンからは、後ろの二人同様の寝息が聞こえてきた。寝ないのかと問うた時に強がってはいたが、彼女もかなり限界だったらしい。安心しきった彼女の表情がなんとも言えない。

 

 今なら分かる。どうしてあの幼いウマ娘が、最後に大人びた笑顔を浮かべていたのかが。

 

 不思議と恐怖は無かった。マックイーンとダイヤ、ここまで来たらおまけでセイウンスカイも付け加えてやろう。

 

 必ず彼女達の夢を叶えてみせる。そう思わされた夏の終わりだった。

 

 

 




ストックが少なくなってまいりましたので毎日投稿は一旦終了です。


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スポーツとスイーツって語呂が似てませんこと?

 

 

 

 夏が終われば秋が来る。そうは言っても、秋になったところで夏の暑さが消えて無くなるというわけではなく、最高気温が30℃を超える真夏日になるなんてことは珍しくない。

 そんなクソ暑い中、多くの学生は夏休みが終わり学校に呼び出されて絶望を味わうだろう。諸説あるが、そもそも夏休みというのは夏季の暑熱を回避するためのものである。しかし、秋になってもこの暑さでは、一ヶ月休みにした程度ところでという話になってくるので、もう一ヶ月くらい夏休みを延長してもいいのではないかと思う。

 あ、嘘。社会人には夏休みとか関係ないからやっぱいらねえや。学生はもっと苦しめ苦しめ。

 

 秋が来るということは、ウマ娘のレースも本格化すると言うことだ。もちろん夏の間にもGⅡやGⅢといったレースは行われてはいたが、GⅠレースは10月に入るまで行われない。マックイーンが最初の目標としている秋の天皇賞なんかは10月の最後の最後だ。

 秋に入ったこのタイミングからなら約二ヶ月ほどの時間がある。だからといって気を緩めてはならない。二ヶ月あるからといってトレーニングをサボったり、体重管理を怠ったりした場合には目標のレースで負けてしまう可能性グンと上がる。マックイーンなら前者はともかく、後者はすごく不安だ。隠れてスイーツバカ食いとかしていないだろうか。

 

 少し未来の話になるが、ダイヤのデビュー戦をいつにするのかも考えなくてはならない。トレーナーにとって、もしかしたらこの時期が一番多忙なのかもしれない。いや、いつも忙しいんだけどさ。

 

 ウマ娘にとってもトレーナーにとっても、秋は勝負の時期だ。夏のトレーニングをレースでいかにして発揮できるか、これが勝負となってくる。

 練習で発揮できないことを、本番で都合よく発揮できることができるのなんて漫画の世界だけだ。そのため、今日も元気いっぱいマックイーン達のトレーニングプランを考えている

 

 

 はずだったのだが…………

 

 

「かっとばせええええええ、ユ・タ・カ!! ゴーゴーレッツゴー、ユ・タ・カ!!」

 

 そこには、満員御礼の野球場で、人目を気にせず大声ではしゃいでいるとても令嬢とは思えない誰かさんの姿。どうしてこうなったんだ……

 

 話は数時間前に遡る。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日、マックイーンは唸っていた。トレーナー室の真ん中で唸りながら歩いていた。何かしらのコンタクトを取ろうにも、声をかけるのすら躊躇わせる雰囲気を漂わせているため、部屋の隅っこでダイヤと一緒に大人しくしているしかなかった。

 

「……今日のマックイーンさん、絶対変ですよね?」

 

「ああ、いつもに比べたら様子がおかしいな。もしかしたら今日はアホの日なのかもしれない」

 

「ア、アホの日ってなんですか……?」

 

「文字通りアホになる日だよ。ダイヤもマックイーンのアホな姿に心当たりがあるでしょ?」

 

「いえ、私はそんな……あ、でも……あー……」

 

 否定しきれてないじゃないか。おいマックイーン、今一度自分の姿を見つめ直せ。

 

「くっ、マックイーンさん……! あなたがどんな姿になっても私は……私だけはあなたのことを……!」

 

「と、いう冗談は置いておいて、今日のマックイーンは本当に何か悩んでるみたいだね。レースが近いってこともあるし、ここでコンディションの調整ミスというのは避けたいんだけど……」

 

「嘘だったんですか? マックイーンさんのアホの日っていうのは嘘だったんですか?」

 

 当たり前だが、ウマ娘も人間と同じようにストレスを抱えるし、悩みだって抱くだろう。体調が良い時もあれば悪い時もある。体調が悪い時にトレーニングを行っても効率は良くない。それだったら、いっそのこと調子を取り戻すことに専念したほうが良いまである。

 

「いいですかトレーナーさん。たしかに私は世間知らずのウマ娘です。騙されてしまうことだって多々あります。でもマックイーンさんを出汁にしてまでそれをされてしまうとですね……」

 

 それに、マックイーンはこの秋から冬にかけてはかなりのハードスケジュールとなる。ならば今の期間に少しずつ休みを入れておくの手ではないか? 

 どちらにせよ、この調子のままトレーニングをしても、得られるものは少ないだろうね。あまり余裕があるわけじゃないけど、ここは一旦休みに……

 

「トレーナーさん、聞いているんですか!?」

 

「あ、聞いてなかった。なんて?」

 

「もう! マックイーンさんをネタにしてまで私は揶揄わないでくださいってことです!」

 

「ごめんごめん、ダイヤの怒る姿が可愛くってついね」

 

「……そういうのはマックイーンさんに言ってあげてください」

 

 ダイヤは頬を膨らませ、ぷいと顔を背ける。

 

 言ってから思ったんだが、マックイーン相手ならまだしも普通は担当ウマ娘にこういうことを言うのはまずいのではないか? どうしよう、もしかしたら明日には豚箱行きかもしれない。

 

「それより、いい加減マックイーンさんに話を伺いましょう」

 

「そ、そうっすね。このまま熊みたいに歩いてるマックイーンを放置するわけにはいきませんからね」

 

「なんで敬語なんですか……?」

 

 明日も美味しいご飯が食べられるかどうか分からない状況に置かれていることに恐怖しつつも、これ以上マックイーンを野放しにはしていられないので覚悟を決めて話しかけることにした。

 

「……なあマックイーン。何か悩みがあるんなら聞くけど……」

 

「この……は……ない……でも……近いことですし……」

 

「マックイーン? おーい、マックイーンさーん?」

 

「でも……を見な……不調にも……チケットも……なって……」

 

 だめだ、完全に自分の世界に入ってる。僕の声が全く聞こえていない。

 

「よしダイヤ、作戦会議だ。君は今のマックイーンが何か変なことをしないように見張っておいてくれ。その間に僕はゴールドシップを連れてくる」

 

「ゴールドシップさんを連れてきた方が変なことになりそうですけど……」

 

 でもこの現状を並大抵のことで突破出来るとは思えない。それこそゴールドシップを連れてきたり、今ここでマックイーンに食事制限を課したりしなければ……

 

 打開策を見出すためにダイヤと悩んでいると、マックイーンからハラリと一枚の紙が落ちる。それを拾い上げ、ダイヤと共に内容を確認する。

 これは……チラシ? スタジアムで行われる野球の案内。それも開催日は今日…………あっ

 

 僕とダイヤが全てを察した時には、物凄いスピードでそのチラシを奪い取ったマックイーンによってそのチラシは引き裂かれていた。

 

「マックイーン……君は……」

 

「マックイーンさん……」

 

「ち、違います! べ、べべ別にスポーツ観戦をしに行きたいというわけではなくてですね!? たまたま、偶然そのチラシを持っていただけですわ! さ、さあトレーニングです! 今日もビシバシとご指導よろしくお願い致しますわ!!」

 

 いや、君がスポーツ観戦好きなのは知っているからそこまで焦る必要はないとおもうんだが。あれか、大事なレースを控えているのに、趣味にうつつを抜かしていると思われるのが嫌なのか。

 

 全く、しょうがないお嬢様だ。

 

「今日は夏の間の疲れもまだ残ってるだろうし休みにしようと考えていたんだけどね」

 

「わぁ、それは良いお考えですね。私も久しぶりに実家へ帰って両親と顔を合わせたいなと思っていたところなんです!」

 

「そう言うわけで、後はマックイーンの意見も聞いておきたいなと思ったんだが、どうやら今日はトレーニングの方を望んでるっぽいから、休日はまた後日に……」

 

「あ、あ──! なんだか夏の疲れが出てきたような気がしますわね。そ、それに、私も今用事を思い出したところですし、今日は休みを希望しますわ」

 

 棒読みが過ぎるだろ。名優の名が泣くぞ。

 

「とりあえず満場一致ということで、今日のトレーニングは休みとする。それぞれ体調やコンディションを整えるように」

 

「はい!」

「分かりましたわ」

 

 そんなこんなで、今日は一日休日とすることが決定した。もっとも、休日なのは彼女達ウマ娘だけであり、自分は普通に仕事をこなさなければならない。

 ええっと、夏合宿の間の報告書の提出と、新しいトレーニング用品の仕入れと、ウマ娘によって破壊されたトレーナー寮のドアや部屋の損害費の計算…………おい、なんだこれは。襲われたのか? 僕がいない間に他のトレーナーは担当ウマ娘に『襲われた』のか? 道理でトレーナー寮のドアがおかしなことになっていたわけだ。

 

「あ、あの、トレーナーさん」

 

 他のトレーナーが成仏したことに黙祷を捧げていると、マックイーンはオドオドとした態度で話しかけてくる。

 

「どうした、マックイーン。何か不都合でもあるの?」

 

「い、いえ、そうではないのですが……トレーナーさんは今日のご予定は…………大量にありそうですわね……」

 

「あ、この山積みの資料のこと? これなら一日徹夜すればなんとかなるからへーきへーき」

 

「それは平気と言って大丈夫なのでしょうか……?」

 

 なに、学生時代にエナドリ飲んでオンラインゲームで三徹した僕に怖いものなんてない。良い子は真似しないでね。

 

「こんな事務仕事よりも担当ウマ娘の方が何倍も大切だよ。それで、今日の僕は実質暇と言っても過言じゃないけど、何かあるの?」

 

「そう言われたら逆に躊躇ってしまうのですが……」

 

「いいから」

 

「わ、分かりましたわ。んんっ、ぐ、偶然ここに先程の野球観戦のチケットが2枚あるのですが、同行していただける方が見当たりませんの。ですので、トレーナーさんがどうしてもと言うのなら連れて行ってあげなくもありませんわよ?」

 

 マックイーンは何故か挑発気味にスポーツ観戦へと誘う。もし僕が同行するとなった場合、交通的な面で車を出せる僕が連れて行くという形になると思うんだが。

 それにこれってあれじゃない? もっとラブコメ的な雰囲気が出されてもいいやつじゃないの? いや、担当ウマ娘とそういう関係みたいになるのはそれはそれで駄目なのだが。

 

 自身満々な顔をした彼女のほっぺたをこねくり回してやりたいという欲求を抑え、このまま彼女の策に乗るのも癪だと感じたので何か反撃の手を打たねばならない。

 

「あ、そういえば三女神像の前でゴールドシップが暇そうにしていたよ。なんでもマックイーンと一緒に種子島で火縄銃を作るんだとか」

 

「えっ」

 

「良かったじゃないか、暇そうなやつがいて。早速ゴールドシップにマックイーンが探してるって連絡を……」

 

「分かりました! トレーナーさん、一緒に行きましょう! 私と共にスポーツ観戦へと参りましょう!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 そして話は冒頭へと戻る。

 

 僕達が位置するのは、応援席ではなく試合全体を見渡すことのできるグラウンドから少し離れた席だ。

 相変わらずマックイーンは後日声が枯れてしまうであろうような大声を出して応援しており、周りの人からもちょっと引かれている。

 

「ほら、トレーナーさんも盛り上がっていきますわよ! ああっ、次の打者とピッチャーは前年度のドラフトで争った選手ですわ!」

 

「落ち着いて、頼むから落ち着いて。それと、僕は野球にそこまで詳しくないから雰囲気でしか楽しめないんだよ」

 

「なっ!? そ、そんなの人生の半分損しています!」

 

「……ちなみに残りは?」

 

「そんなのスイーツに決まっていますわ!」

 

 どうやらこのポンコツお嬢様の脳内は野球とスイーツの二つで構成されているらしい。なんて分かりやすいんだろう。

 

「そういえば、今日はどうして僕を誘ったんだ? 野球の話ができる人なんて探せばいるとおもうんだけど……」

 

「うっ、ト、トレーナーさんなら私がスポーツ観戦が趣味ということを知っておられるので安心なのですが……メジロ家のウマ娘以外ではこのことについて話しているのはダイヤさんくらいなもので……」

 

 なるほど、要はスポーツ観戦が趣味ということを知られたくないのか。僕は別にいいと思うんだけど。

 その旨の内容をマックイーンに伝えると、

 

「い、いけませんわ! メジロ家は常に優雅に高貴であらねばなりません! 故にこの趣味が世間に知られるなどあってはならないのです!」

 

 マックイーンは早口に捲し立てる。だから申し訳程度の変装用具として耳を隠すような帽子を被っているのか。

 

 いやあ、君が中々はっちゃけたことしてるのは周知の事実だからそんなの今更だと思うんだけど……マックイーンが趣味を隠したいと言うなら、それを知っている僕もこのことを墓まで持っていくことにしよう。

 

 今のところマックイーンの応援しているチームは勝っている。野球に詳しくないとは言ってもルールくらいは把握しているので、どう言った展開かは分かる。だが、選手の名前までは分からないので、結局雰囲気でしか楽しむことができない。

 

「あっ、次の打者は満を持してユタカですわ! きゃあああああああああ! ユタカああああ! ユタカああああ!」

 

 うわ。こんなにはしゃぐマックイーンをかつて見たことがあっただろうか。いや、ない。

 

 ユタカと思しき打者はバッターボックスに立ち、ピッチャーが投げるのを待つ。そして最初の一球目を…………スルー、見送った。ボール球というわけではなく、ストライクボールを見送ったようだ。

 

「ユタカああああああああああああ! どうして振りませんの!? 今は点差が開いていて押せ押せムードですわ! 流れはこちら側にあるのです! 多少強引にでもバットに当てに行くべきですわああああああああああ!」

 

 こっわ。え、マックイーンってこんなキャラだった? こんな漢字の漢と書いて漢の中の漢みたいなこと言うキャラだった? 

 

 僕が漢マックイーンに恐怖していると、早くも二球目が投げられる。次は狙いに行ったのか、ユタカはそのボールに向かってバットを思い切り振るが…………スカッ。ピッチャーの見事なフォークボールにまんまと騙されストライクを取られてしまう。

 

「ユタカああああああああああああ! どうして振るんですの!? これまでの試合の相手ピッチャーの投げる球種からしてフォークボールを多用してくることは自明の理でしたわ! それなのにこんなあっさりと騙されるなんて情けない! 私はそんな選手を応援した覚えはありませんわよおおおおおおお!」

 

 もうどうしろってんだよ。ユタカが可哀想だ。

 

 その後マックイーンの応援するユタカは三振を取られてしまい、敢えなくバッターボックスを去る。

 

「ああ……ユタカ……」

 

「まあまあ、試合はまだ始まったばかりだよ」

 

「そ、そうですわね、私も声を出して応援しなくては。ファイトですわああああ! ほら、トレーナーさんも!」

 

「はいはい。頑張れー」

 

 

 しかし、マックイーンの応援していたチームが大きくリードしていたのも束の間。相手チームがヒットを多発し、得点が一点差になるまで追いつかれる。そのたびにマックイーンの応援という名の奇声が響いたが、ここまで来ると場の流れでマックイーンと同じように応援する人も増えきていたのでそこまで目立ちはしなかった。

 

 そして点差は動くことなく一点差でリード、拮抗した勝負が続きいよいよ9回表の相手チームの攻撃だ。ここの攻撃を凌ぐことができたらマックイーンの応援するチームの勝利となる。

 

「この回を抑えれば勝利ですわ! 気を引き締めてください!」

 

 マックイーンは初回から9回までずっとこの調子だ。明日声が枯れるのは確定だろう。

 

 今の状況はツーアウト、ランナー1、3塁だ。ピンチでもありチャンスでもある。

 

 ピッチャーが一球目を投げる。ストライクだ。電光掲示板には黄色の光が灯る。そして二球目を投げる。またしてもストライクだ。黄色のランプがもう一つ並ぶ。いい流れだ。この調子ならば勝てる可能性は充分にある。

 

「あと一球……あと一球……」

 

 固唾を飲んで見守るマックイーン。その表情は真剣そのものだ。

 

 そして三球目。ピッチャーが全力投球と言わんばかりのフォームでボールを投げると…………

 

 

 カキーン

 

 

「…………は?」

 

 バッターが打ったボールはいい感じの角度で飛び、そのまま正面の電光掲示板にぶち当たる。つまりはホームランだ。

 既に塁には二人の走者が出ているため、バッターと合わせて三人がベースを踏むことになる。これで相手側に三点追加、一点のリードがあったため二点負け越しているということになる。

 

「あ…………あ……そんな……」

 

 まだ負けたわけではないのに、マックイーンはうまく言葉を発せないほどに落ち込んでいる。それは本気で応援しているからこその感情なのだろう。僕もマックイーンが負けた時は凄く悔しい。応援している人やウマ娘が負けた時の悔しさはよく知っているつもりだ。

 

 でも、自分は野球に詳しくない。野球にわかな僕としては、マックイーンのように本気になれたりは…………待てよ。このままマックイーンの応援するチームが負けたらどうなる? 

 チームが負けることによってマックイーンの調子が上がるどころか下がる可能性だってあり、今日を休日にした意味がなくなってしまうわけで…………

 

「も……もうおしまいですわ……今ので流れが……」

 

「うおおおおおおおおおおおおお! まだ逆転できる! まだ終わっちゃいない! 勝ってくれえええええ!」

 

「ト、トレーナーさん!?」

 

「どうしたマックイーン! 君はここで諦めるのか!? 君の野球に対する気持ちはそんなもんなのか!?」

 

「……トレーナーさんも分かっていただけたのですね。最後の一回、全力で応援しますわよ!」

 

 ああ! マックイーンの調子を下げないようにするためにも勝ってくれ! 

 

 三点の失点があったものの、それ以上は失点することなく最後の勝負、9回裏に突入した。僕達の応援が届いたのか、最初のバッター、そして次のバッターが次々とヒットを打ち、ランナーは満塁といい流れが作れている。

 喜んでいたのも束の間、あっさりと二人の打者が打ち取られ、ツーアウトと追い込まれた状況になってしまった。

 

 そして泣いても笑ってもこれが最後、バッターボックスに立ったのは……

 

「ユタカああああああああああああああ! 先程の汚名返上ですわよおおおおおおおお! 私達に勝利を届けてくださいませええええええええ!」

 

 前半でマックイーンにボロクソ言われてたユタカが、球場のファン全員の期待を背にバットを構える。

 

 一球目、空振り。

 

 二球目、またしても空振り。

 

 あっさりとツーストライクを取られてしまい、マックイーンが過呼吸状態になる。やばい、このままじゃ本当にマックイーンの調子が……

 

 最後の一球、ピッチャーがボールを投げ、ユタカがバットを振ると……

 

 

 当たった。それも素人の僕でも分かるような良い当たりだ。

 

「や、やりました! あとはこれがアウトにならなければ……!」

 

「……ん? なんかボールこっちに飛んできてない?」

 

 恐らくホームランなのだろうが、ユタカによって打ちあげられたボールは僕達の方向に向かって落ちてくる。

 

 人が多いこともあって変に動くこともできない。ものすごいスピードで落下してくる硬式野球のボールが体のどこかに当たったら最悪怪我も考えられる。せめてグローブがあればまだ救いはあったのだが、そんなものを持っているわけがない。

 ここで考えられる最悪の結果はマックイーンの怪我だ。調子を上げるために野球観戦に行ってホームランボールで怪我しましたなんて本末転倒もいいところである。せめて、せめて彼女だけは……! 

 

 迫り来るホームランボールに対し、マックイーンを庇おうと覚悟を決める。

 

 さあ、かかってこい! 

 

「マックイーン! 君は僕の後ろに」

 

「フンッッ!!」

 

 素手で取りやがった。怪我覚悟で守ろうとした相手が素手でボールを取りやがった。ウマ娘のフィジカルってすげー……

 

「きゃあああああああああああああああああ! ありがとうユタカー! ありがとうー! きゃあああああああああああ! オオーオオーオオオー♪ 勝利ーのー……」

 

 …………まあマックイーンが楽しそうだしいいか。ユタカが満塁サヨナラホームランを打ったことにより、マックイーンの応援していたチームの勝利となる。

 これで明日からもトレーニングができそうだし、結果良ければオールOKだ。

 

 マックイーンがホームランボールを手にしたということは、ボールを追っていたカメラに捉えられたということであり、ボールを持って大はしゃぎしているマックイーンの姿が全国中継に流されたということを今の僕達は知る由もない。

 

 

 



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宣戦布告

誤字が多くて本当に申し訳ないです……


 

 

 マックイーンの趣味がスポーツ観戦ということが世間にバレ三日間メジロ家に引きこもり、メジロライアン達に引っ張られようやく彼女がトレセン学園に姿を現してから数日後。

 

 メジロマックイーン立て篭り事件のせいで結局トレーニングの時間が短くなってしまったが、この際仕方がないと割り切り、今では普通にいつものトレーニングを行なっている。

 

 いよいよ秋の天皇賞やその他GⅠレースも間近に迫り、学園内は多少ピリついた雰囲気が流れていた。ジュニア級なら朝日FSやホープフルステークス、クラシック級なら主に菊花賞や秋華賞、シニア級なら天皇賞やジャパンカップ、有記念などを目標としている。

 

 うちのお嬢様も例に漏れず秋のGⅠレースを目指している。

 それについて聞きたいことがあったので、先日彼女と話をしようとしたら……

 

「……汚名返上ですわ……ここで勝たなければ私のプライドとメジロ家の誇りが……」

 

 暗い顔をしてぶつぶつと呪詛のようにこれを繰り返していた。

 

 彼女は別の理由でピリついており、野球好きということがバレてしまったのがかなり応えたようだ。ちなみに、その件以降マックイーンのファンが急増したらしい。ここ最近彼女はレースにも出てないのにどうしてなのだろうか。

 

 いつまでも拗ねていては時間が勿体ないというのはマックイーンも理解しているため、復帰当初は半ばヤケクソ状態だった。今ではかなり落ち着いている。

 

 なんにせよ、今こうして普通にトレーニングができているので良しとしよう、うん。

 

 

 今日は併走トレーニングとはまた別のレース形式でのトレーニングだ。

 この半年近くでダイヤにもかなり力が付いた。まだマックイーンに並ぶほどの実力ではないが、ここからの伸びでマックイーンと同等、もしくはそれを凌駕する実力を備えてもおかしくはない。

 必死にマックイーンの背中を追い縋るダイヤの姿を見て、そんな考えが頭をよぎった。

 

 

 ふとここでマックイーンの走りに違和感を覚える。走り方ではなく走り、つまりはレース展開だ。

 レースはタイムアタックではない。故に他のウマ娘との駆け引きが必要となってくる。例外なのはサイレンススズカとツインターボくらいのものだろう。

 

 今のマックイーンの走りは一見すると彼女の走りに他ならないが、先程の緩急を付け相手を惑わすようなあの走りはまるで……

 

 僕がマックイーンの走りに誰かの姿を重ねかけた時、背後に誰かの気配を感じた。思い切って後ろを振り返ると

 

「……すぅー、ふぅー。よし、いつまでもこうしていられない! 行動しなくちゃ何も変わらないんだから!」

 

「…………トレーナー、そう言ってからもう30分くらい経ってる……トレーナーが行かないなら私が行きます…………」

 

「ま、ままま待ってくださいミーク! いきなり話しかけるのは緊張します! きちんと挨拶の言葉を考えてから……」

 

 何やら面白げな漫才を繰り広げているコンビには見覚えがあった。片や白毛のウマ娘、片や僕と同じトレーナーを生業とする人間の女性。ウマ娘の方について詳しいことは分からないが、トレーナーの方についてはなんとなく知っている。

 

 容姿から察するに、彼女は数多くの優駿ウマ娘を育てた名門トレーナー一族『桐生院家』の後継……

 

「イメージトレーニング……イメージトレーニング……よし、流れをおさらいしておきましょう。まずは……」

 

「どうかされましか? 桐生院トレーナー」

 

「って、うひゃああ!? いつからそこに!?」

 

「僕はここから動いてませんけど……」

 

「そ、そうですか、取り乱してしまいすみません……」

 

 これもしかして話しかけなかった方がよかった? 話しかけられるのを待った方がよかった? 

 

「それより、桐生院トレーナーと話すのは初めてでしたね。挨拶が遅れて申し訳ない」

 

「あ、あはは、私達って実は同期なんですけどね……」

 

 ……え、まじ? 僕ここに来てからそこそこ経つけど……嘘でしょ? 

 

「……いや、その……なんかすみません」

 

「大丈夫ですよ、こちらこそ急に話しかけてすみません、って、なんか謝ってばかりですね」

 

(ほぼ)初対面でこんなに謝罪が続く会話なんて早々ないだろう。僕の人間関係構築の下手くそさが窺える。

 

「…………トレーナー、目的忘れてる……」

 

「ああ!? そうだった!」

 

 白毛のウマ娘に指摘され、本来の目的を思い出したらしい桐生院トレーナー。

 はて、名門のトレーナーが僕のような三流トレーナーに何のようだろうか。

 

「マックイーンさんのトレーナー、まずは私の隣のウマ娘を紹介させていただきますね。この子はハッピーミーク。凄い素質を持った子なんですよ!」

 

「………………こんにちは……」

 

 ハッピーミークと紹介されたウマ娘は、簡素な挨拶と共に頭をぺこりと下げる。表情に変化が表れにくいのか、先程から真顔を貫いている。

 

「僕はここでメジロマックイーンとサトノダイヤモンドのトレーナーをやっている者だ。よろしくね、ハッピーミーク」

 

「…………はい、よろしくお願いします……あの、聞きたいことがあるんですけど……」

 

「ん? なんだい?」

 

「……あなたは、トレーナーの男なんですか?」

 

「ミーク!?!?」

 

 は? 今この白いのサラッととんでもないこと言わなかったか? 

 ハッピーミークの言うトレーナーとは桐生院トレーナーのことだろうし……

 

「ミーク、ダメですよ! マックイーンさんのトレーナーが困っちゃうじゃないですか! うちのミークが本当にすみませんでした!」

 

「…………しょぼーん……」

 

 そこじゃないでしょ。気を使ってもらうのはありがたいけどそこじゃないでしょ。まず否定しなさいよ。

 

「僕は気にしてないんで大丈夫ですよ」

 

「本当ですか? ありがとうございます……。はああ、どうしてこう上手くいかないんだろう……今日だって挨拶しようとしただけなのに……」

 

「…………トレーナー、また目的忘れてる」

 

「あっ、そうでした! このままだとミークの紹介しただけ……待ってください、目的忘れてた理由ってミークのせいじゃないですか?」

 

 ハッピーミークの指摘がマッチポンプなことに気がつく桐生院トレーナー。漫才師としても彼女達は中々いいコンビなのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、先程まで漫才をしていたはずの桐生院トレーナーは、表情が真剣な面持ちに変化する。

 

「来月の天皇賞、メジロマックイーンさんが出走するとお聞きしました。……そのレースにうちのミークも出走する予定です」

 

 贔屓目無しに見ても、次の天皇賞で最も注目されるのは我らがメジロマックイーンだろう。そんなマックイーンのトレーナーである僕に、このタイミングで担当ウマ娘を引き連れて話しかける桐生院トレーナー。

 つまりはあれか。

 

「宣戦布告ってわけですか」

 

「えっ…………はい、そうです!」

 

 絶対違うやん。最初の『えっ』はなんなんだよ。

 

「……すみません、本当は同じレースを走ると決まったので、同期のトレーナーということもあり挨拶をしにきただけなんです……」

 

 律儀。僕がだらしないだけなのかもしれないけど、それだとしても超律儀。

 

「これは自信を持って言わせてもらいますが、うちのマックイーンは強いですよ?」

 

「それはミークだって負けてません! なんせこの子はこのトレセン学園でも屈指の素質を持つ子…………ミーク? 何やってるんですか?」

 

「…………写真撮ってます。トレーナーが憧れだって言ってた人と話……」

 

「ミ、ミミミミーク!? そう言うことはいちいち言わなくていいんですよ!」

 

「でもトレーナー、機会があればお茶にでも誘……」

 

「わあああああ! わあああああああ! 今!? それ今言うんですか!?」

 

 は、話が進まねえ……

 

 ハッピーミークが何かを言いかける度に、大声を出してそれを遮る桐生院トレーナー。よっぽど聞かれたくないことでもあるのだろうか。

 

「と、とにかく! 秋の天皇賞では私の担当ウマ娘であるミークも出走します。お互い悔いの無いレースにしましょう。ライバルとして!」

 

 桐生院トレーナーは右手を差し出してくる。

 

 レースはウマ娘の戦いではあるが、それと同時にトレーナーの戦いでもある。レースでウマ娘が勝つということは、ウマ娘の能力とトレーナーの指導力が評価されるということだ。

 ウマ娘を勝たせてあげたいという気持ちが一番だが、他のトレーナーに負けたくないという競争心が生まれてもおかしくない。

 

 まあ僕の場合は本当にマックイーンが凄かっただけなので、マックイーンの勝利によって僕までも称賛されるというのはなんとも違和感が半端なかったが。

 

 桐生院トレーナーは名門の一流トレーナー。対して僕はマックイーンのおこぼれにあやかる形となってしまった三流トレーナー。

 自分では釣り合わないと彼女のライバル発言を否定しようとしたが、差し出された右手と熱意のこもった目を向けられてしまってはそれをすることもできない。

 

「……ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 

「っ、はい! それでは私達は失礼します! 行きますよ、ミーク! 天皇賞までみっちりとトレーニングです! メジロマックイーンさんを徹底的に分析しますよ!」

 

「…………むん……!」

 

 そう言って僕に背を向けて歩き出した桐生院トレーナー達は見るからにやる気に包まれている。

 

 これは自分もうかうかしていられない。マックイーン達にばかり気合を入れさせておいて自分が抜けていたら本末転倒だ。少しでも僕にできることをこなして、彼女達をサポートしなければならない。

 

 今回桐生院トレーナーと話して分かったことは二つ。

 一つは秋の天皇賞にマックイーンの脅威となり得る可能性のあるウマ娘が出走すると判明したこと。そしてもう一つは、桐生院トレーナー、後ろから見たら実はポニーテールだということだ。これ超重要。

 

「トレーナーさん、そろそろよろしいですか?」

 

「あ、ごめん、待っててくれたんだ。結果はどうだった?」

 

「ダイヤさんは途中まで私の背中にぴったりと張り付いてきていたのですが、一定の距離を超えると私とダイヤさんの差がどんどん離れていきまして……走り終わってからあの状態ですわ」

 

 マックイーンの目線の先には、水分片手にターフに倒れ込んでいるダイヤの姿があった。……大丈夫、あれ? 死んでない? 

 

 流石に心配になり、彼女の近くに寄り声をかける。

 

「お、おーい、ダイヤ? 大丈夫かい?」

 

「コヒュー……コヒュー……だ、大丈夫です……も、もう少しだけこのままで……」

 

 だめみたいですね、呼吸がおかしい。

 先程のマックイーンの発言からして途中で引き離されたらしいが、裏を返せば途中まではマックイーンに食らいついていたということだ。彼女もとんでもない素質を持っている。

 

 ダイヤの方は回復してからまた話すとして、今は先に話すべき相手がいる。

 

「……トレーナーさん、少しよろしいでしょうか?」

 

「奇遇だね。僕も君に聞きたいことがあるんだ」

 

「先程の、私の走りについてですか?」

 

「ああ、今までの君の走りとは少し違った気がしてね」

 

「……やっぱりトレーナーさんに隠し事はできませんわね」

 

「うん、昨日こっそりスイーツ食べてたことも知ってる」

 

「な、なぜそれを知っていますの!? あっ、いえ、違うんです! 食べたと言ってもほんの少しだけで……誤差ですわ! 誤差の範囲内ですわ!」

 

 聞いても無いことをベラベラと話し出すマックイーン。こういうことを言われたらまず情報源を問うのが定石だが、今の彼女にはそれすらも考えられないほど焦っている。

 ちなみに、僕のこれはブラフなので情報源もクソもない。つまりはマックイーンが自滅したということだ。

 

「体重の減量はまた後で考えるとして、今は君の走りについて聞かせてもらってもいい?」

 

「言い出したのはトレーナーさんですのにっ……!」

 

 顔を赤くして拳を握り締めるマックイーン。

 

 おっと、暴力はやめていただこう。君の腹パンには少々トラウマがあってね。

 

 マックイーンの暴力に怯えていると、彼女はため息をついて話し出す。

 

「自意識過剰と言われても仕方がないかもしれませんが、次の天皇賞で多くの方が私をマークしてくると思っています」

 

「それは間違いないね。最悪、完全に囲まれると考えた方がいい」

 

「その状況に陥ってしまったのが、かつての阪神大賞典ですわ。幸いなことに、出走人数が少なかったため抜け出せないことはなかったのですけど」

 

 確かにあの時のマックイーンは他のウマ娘にかなりマークされていた。敵はメジロマックイーンただ一人、そう言わんばかりの徹底ぶりだったのが印象深い。

 

「もしかしたら天皇賞でも同じことが起きるかもしれない。そんな状況にさせないために、走り方を変えてみたってことか」

 

「はい、負ける可能性は少しでも削っておきたいので」

 

 マックイーンは真剣な表情で僕を見つめる。

 

 正直に言って意外だった。彼女は己の走り方を曲げないものだとばかり思っていた。いや、違うな。変えたところも全てひっくるめてメジロマックイーンの走りだ。彼女の走りや信念が曲がった訳では無い。

 

「見た感じ悪い走りではなかったし、僕は君の考えに従うよ。無責任とも取れる言葉だけど、僕は君のことを信頼してるからね」

 

「貴方が隣にいてくれるだけで充分すぎるほどですわ」

 

 僕の言葉にマックイーンは柔らかに微笑む。

 

 マックイーンにそんな気はないだろうが、今の彼女の言葉は中々に考えさせられるものがある。

 またしても何も出来なかった、またしても彼女に全て丸投げするような形となってしまった。共に走ろうと言ったのに、僕は彼女に何もしてあげられない。昔からそうだったが、日に日にそう言った感情が強くなっていくような気がする。

 

「それよりトレーナーさん、先程話されていたあの女は一体誰なんですの?」

 

「え? ああ、桐生院トレーナーのこと? 彼女は名門トレーナーを輩出している桐生院家の後継なんだってさ。実は僕と同期だったらしいよ」

 

「『だった』とか『らしい』とか言ってるあたり、貴方は知らなかったみたいですわね……」

 

 いやあ、本当に申し訳ないと思っています、はい。

 

 桐生院トレーナーのことは前から知っていた。ただ、僕にはサブトレーナー期間というものがあったため同期というのをあまり意識したことがないというのがある。

 その点、噂によると桐生院トレーナーはトレーナーライセンス試験をトップで合格したらしく、サブトレーナーとして活動しなくてもよかったのだろう。

 

 同期というのは一人のトレーナーとして独立した時のことであろうから、活動年数だけで言ったら僕の方が長い。でも悲しいかな、トレーナー業は年功序列ではないので、ベテランだろうが新人だろうが一番に見られるのはやはりその人の能力だ。

 

 話が逸れたが、そんな桐生院トレーナーの担当ウマ娘はハッピーミークと言う子。なんとなく知っている気はするが、やはり詳しいことは思い出せない。

 それが表情に出ていたのか、マックイーンが不安気に僕の顔を覗いてくる。

 

「どうかされましたか?」

 

「マックイーン、もしかしたらこの天皇賞、一筋縄ではいかないかもしれない」

 

「ふっ、望むところです。油断せず、しっかりと気を引き締めて勝利を掴みに行きますわ!」

 

 気合いは充分、それが空回りしている様子もなく、心身共にコンディションは万全だ。

 

 しかし、あのハッピーミークというウマ娘。桐生院トレーナーが育成しているのもあってなんだか嫌な予感がする。

 

 ……少し調べてみるか。僕にできることはこのくらいなのだから。

 

 

 

 

「それはそれとして、さっき桐生院トレーナーのこと『あの女』って言った?」

 

「言ってません」

 

「言ったよね?」

 

「言ってませんわ」

 

 



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秋は夕暮れ

 桐生院トレーナーと話しをしてから数日後。いよいよ目標の天皇賞まで一週間を切った。

 

「おっちゃーん、マックイーンが天皇賞出るって聞いたからちょいと邪魔する……ってなんやその顔!? 3時間飯抜いたオグリみたいな顔になっとるで!」

 

「ん、ああ、タマモクロスか。僕そんな酷い顔してた? せいぜい一食抜いたオグリキャップくらいだとは思うんだけど」

 

「それはそれで大概やと思う」

 

 タマモクロスの言うように、今の僕はそれほど酷い顔をしていたらしい。しかし今日は珍しくバッチリ睡眠を取ったので、それが疲労から来ているものではないということはよく分かっている。

 

「ほんでなんや、またマックイーン関係でなんかあったんか? あんたもええ加減学習せんとあかんで?」

 

「うん、前回の件は半分くらい君のせいだけどね」

 

「細かいことはええねん。ほら、何があったか話してみ? 口に出したらちょっとは楽になるかもしれんで?」

 

「……ほんっと、君はお人好しだね」

 

「アンタに言われたくないわ」

 

 タマモクロスと軽口を叩きながら、僕は先日の一件以降調べ上げた資料を取り出し、それを彼女に無言で手渡す。

 

「ん、なんやこれ、ハッピーミーク? このウマ娘がどないしたんや?」

 

「そのウマ娘が天皇賞に出走するんだ」

 

「ほーん。せやけど、マックイーンなら大抵のウマ娘は敵やない……ん? んん??」

 

 どうやらタマモクロスもハッピーミークの異常性に気がついたみたいだ。

 

 ハッピーミークの脚質は先行、もしくは差しであり、これについては特におかしいところはない。マヤノトップガンのように変幻自在に脚質を変えられるようなウマ娘ではないことが分かっている。

 

 問題はそれ以外だ。まずハッピーミークは芝にもダートにも適正がある。バ場を問わず走れるウマ娘というのは中々存在せず、パッと思いつくのでもアグネスデジタルくらいなものだ。

 そしてさらに、彼女はバ場の適正だけでなく、短距離、マイル、中距離、長距離、全ての距離に適正がある。

 つまり、どの距離、どのバ場でも己の実力をフルに活かせるということだ。

 

 なんか、もう、ズルじゃない? こんなんチートじゃん。

 

「おいおい、なんやこれ……この学園にこんな実力者がおったなんてウチ知らんかったで……」

 

「僕もだよ。まさかここまで様々な方面で適正の高い子がいるなんてね」

 

「見た感じこのハッピーミークって娘、直近のレース結果も絶好調やな。おっちゃん、これは分かっとると思うけど……」

 

 厳しい戦いになる。タマモクロスはそう言いたげな目をしていた。

 

 実際、ハッピーミークの素質はとんでもない。そんなウマ娘にあの名門、桐生院家のトレーナーが付いたらそれはもう鬼に金棒だろう。実力だけの話をするならば、ハッピーミークはマックイーンに引けを取らないほどだ。

 

 ただ一つ。一つだけ明確にこちら側に有利になるような情報が与えられている。それは簡単。ハッピーミークはメジロマックイーンをマークしてくるということだ。

 

「おっちゃん? おーい、さっきからボーッとしてるけど聞いてるか?」

 

「聞いてる聞いてる。タマモクロスは将来保育士になって子供の面倒を見るって話だろ?」

 

「そうそう、将来保育士なって……ってなんでやねん! ウチはクリークちゃうねんぞ!」

 

「似合ってると思うけど。もしかしてお世話される側が良かった?」

 

「ウチに喧嘩売るとはええ度胸やな。ちょっと表出ろや」

 

 何故僕の周りのウマ娘は皆気が短いのだろうか。もっと大らかになればいいのに。そんなことを言えばさらに大目玉を喰らうのが確定しているので、これは墓場まで持っていこう。

 

「そんなことはどうでもよくて、タマモクロスはどうしてここに?」

 

「どうでもええて……まあええわ。お宅のお嬢様が天皇賞出るって聞いてな。世話になっとるおっちゃんとこのウマ娘ってのもあるし、声掛けとこ思ってな」

 

 ああ。そういえば前も話したが、秋の天皇賞はタマモクロスにとって思い出深いレースだ。彼女も何か考えさせられるところがあるのだろう。

 

「ありがとう。やっぱり君は面倒見がいいな」

 

「面倒見るばっかりがええことやないってのは分かっとるんやけどなあ……。こないだクリークにも言われたばっかりやねんけど、こればっかりはどうしても……」

 

「それだとしても、誰かのために何かができるというのは素晴らしいことだと思うよ」

 

「ははっ、おおきにな」

 

 実際、誰かのために何かをしてあげようとは思っても、それを行動に移せる人はごく少数だ。

 

「そういえばマックイーンはどないしたんや? もう授業終わっとるはずやろ?」

 

「今日もトレーニングの予定だし、もう少ししたらくるんじゃない……かな……」

 

「ん? どした、おっちゃん。ドアの方見て固まって……」

 

 目先の方向にいたのは、いつのまにかトレーナー室に入ってきていたマックイーン。

 

 ……あれ? これデジャヴでは? 

 

「……なあ、おっちゃん。ウチはそろそろ退散させてもらうで。まだ死にたないからな」

 

「引くタイミングを見誤ったな、タマモクロス。この前はそのせいで酷い目にあったんだ。今回は君も弁明に協力してもらおうじゃあないか」

 

「い、嫌や! アンタあのマックイーンの目が見えてないんか!? あれは確実にウチを殺そうとしとる目や! てかなんでおっちゃんそんな力強いねん! 火事場のバカ力にも程があるやろ! ちょっ、やめっ……マックイーン、一旦落ち着きな? 落ち着いて、落ち着き……う、うわあああああああああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

「すみませんでした。まさか私の応援のために来てくれただなんて……。つい先日も私からトレーナーさんを奪おうとする不埒な輩が現れたもので焦ってしまって……」

 

「うん、それが誰だか知らんけど、碌な目に合わん気がするからウチは関わらんようにするわ」

 

 マックイーンは目のハイライトを消して部屋に入ってきたが、まだギリギリ理性が残っていたようで、タマモクロスがマックイーンの応援に来たと説明をすると即座に我に帰った。多分これが僕だけだと信じてもらえてなかっただろう。悲しいね。

 

「ちょうどいいタイミングでマックイーンも来たことだし、トレーニングの前に見てもらいたいものがあるんだ」

 

「見てもらいたいもの?」

 

 疑問符を浮かべるマックイーンに、先程タマモクロスにも見せた資料を渡す。

 

「これは……先日話されてたハッピーミークさんについての資料ですか?」

 

「ああ。見ての通り、どれを取ってもかなりの高水準だ。次のレース、君にとっての一番の脅威となりうると思ってね」

 

「……たしかにこれだけでもとても強いウマ娘というのが分かりますわ。先行や差し策を我が物とし、バ場と距離を問わずに走れる。オールラウンダーとしては申し分ないですわね」

 

 そう言ってマックイーンは少し考え込む。対戦相手の情報というのは大切だ。確認しておいて損はない。

 

「直近のレースも勝ち続けとるし、天皇賞は中距離とはいえマックイーンの得意な距離とは言い難い。アンタのこと信じてないわけやないけど、これだけ見たら向こう側に分があると思うで」

 

「それはデータ上の話ですわ。レースに絶対はありません。タマモさん、貴方が一番よく分かっているはずですわよ?」

 

「……それもそうやな、悪かった。ウチはアンタのこと応援しとるで。気張りや、マックイーン」

 

 痛いところを突かれたのか、タマモクロスはマックイーンの言葉に一瞬だけたじろぐ様子を見せる。

 

「ふふっ、ありがとうございます。さあトレーナーさん、天皇賞まで後少し。今日も張り切ってトレーニング……あら、そういえばダイヤさんはまだ来てませんの?」

 

「いや、休みとかの連絡は来てないからもうすぐ来てもおかしくないんだけど……」

 

 今一度自分のウマホを確認するが、ダイヤからの連絡は無い。真面目な彼女が無断でトレーニングをサボるとは考えられないので、何かトラブルに巻き込まれたりしていないか心配になる。

 

「……ん? なんか変な声聞こえんか?」

 

「あ、ああ、それもだんだんこっちに近づいているような気が……」

 

 足音、それもドタドタと走るわけではなく、どこか上品さを感じさせられるような足音が一つ。

 

「………………マックイーンさあああああああん!」

 

「ダ、ダイヤさん!?」

 

 バタリとドアが開き、そこから現れたのは嬉しそうな表情をしたダイヤだった。何かしら暴走気味ということはマックイーン関連で何かあったのだろう。だが、当の本人は身に覚えがないように見える。

 

「遅かったじゃないか、ダイヤ。てっきり何かトラブルにでも巻き込まれたのかと思ったよ」

 

「? ここは学園内ですよ?」

 

「うん、だからこそだけど」

 

 正直、トレセン学園の敷地内は日本でも有数の危険な場所だと思ってる。人間と似たようで人間を遥かに超えた身体機能を持つウマ娘がわんさかいる場所だ。壁や天井が破壊されていても何ら驚かない。

 

「は、はあ、トラブルには巻き込まれてないんですけど……。そうです、私のことなんかはいいんです! 今日はマックイーンさんのために様々な人が駆けつけてくれたんですよ!」

 

「私のために?」

 

「はい! もうすぐ来るはずなんですけど……」

 

 ダイヤがドアの方を見ると、釣られて僕達もそちらを向く。横目に見えたマックイーンは、応援されるのが素直に嬉しいのか、少し表情が緩んでいる気がする。

 ダイヤが呼んでくれた人というのは一体誰なのだろうか。一人目が扉の向こうから現れて……

 

「うおおおおおおお! アタシのファイティングスピリッツが宇宙を天元突破だせ! よっしゃ、行くぞマックイーン! ゴルシちゃん号で火星の王になってやるぜ!」

 

「こんなことだろうと思いましたわ! ダイヤさん、元いた場所に返して来てください!」

 

「そ、そんな殺生な……ちゃんとお散歩もしますしご飯も用意します!」

 

「いいえ、うちでは飼えません! トレーナーさんもそう仰っていますわ!」

 

「ト、トレーナーさん、お願いします! 私精一杯お世話するので!」

 

「…………なあ、お前らアタシを超えるボケするのやめてくんねえか?」

 

 邂逅一番に訳の分からないことを言い出したゴールドシップは、さらに訳の分からない言葉で対応されたマックイーンとダイヤに対して真顔になる。やべーやつの対処法はさらにやべーやつをぶつけるというのが確実だということがよく分かる。

 

「冗談は置いておいて、何しに来ましたの? もしかして貴方がダイヤさんに呼ばれたという……?」

 

「おうよ! なんならアタシだけじゃないぜ! おいお前ら! さっさと入ってこい!」

 

「お、お邪魔します……」

 

「お邪魔しまーす!」

 

「失礼します」

 

 ゴールドシップに呼ばれて三人のウマ娘が部屋に入ってきた。

 

「ライスさんにウララさん、それにイクノさんまで……!」

 

「こ、こんにちは、マックイーンさん」

 

「マックちゃん、応援に来たよ! てんのーしょー? って言うのに出るんだよね!」

 

「同室なのでわざわざお邪魔させて頂く必要はないと思ったのですが、せっかくなので皆さんと共に激励の言葉を贈りたいと思いまして」

 

 かつて春の天皇賞で激戦を繰り広げた相手でもあるライスシャワー。そのライスシャワー繋がりでマックイーンと何度か会話をしているのを見かけたことのあるハルウララ。そしてマックイーンと同室でもあり、大阪杯や宝塚記念を共に走ったイクノディクタス。マックイーンにとってもそこそこ関わりのあるウマ娘達が集まってくれた。

 

「なんや、こんなに人集まるんやったらウチいらんかったとちゃうか?」

 

「そんなことありません。タマモさんの激励もしっかりと心に刻み込みましたわ」

 

「……そか。それにしても、アンタは幸せ者やな。こんなにええ友人がおって」

 

「ええ、私は世界一の幸せ者ですわ」

 

 マックイーンは口角を少し上げて、しみじみとした様子でそう言う。

 

「おーい、なんだそのシケた雰囲気はよ。ほら、黙ってこっちで応援されろよっと!」

 

「きゃっ! き、急に持ち上げないでください! というか、天皇賞はまだ後日ですのよ! なのにこんな祝勝会みたいな空気感……」

 

「おっ、なんだ? 勝つ自信がないってのか?」

 

 ゴールドシップの挑発染みた一言に、マックイーンの眉がピクリと上がった。

 

「……言いましたわね、ゴールドシップ。いいでしょう! ここまで皆さんから期待されているのです。メジロ家の誇りに懸けて、最高のレースをお届けしますわ!」

 

「マックイーンさん頑張ってください! 私も声を枯らして応援します!」

 

「ラ、ライスもダイヤちゃんに負けないくらいおっきい声で応援するね!」

 

「マックちゃん、お寿司! 買ったらお寿司行こー! エルちゃんに美味しいお寿司屋さん教えてもらったんだー!」

 

「ここまでのマックイーンの体重管理は想定の範囲内です。これならば当日も問題は無いでしょう」

 

 マックイーンの宣言に、各々が激励の言葉を贈る。ダイヤも、ライスシャワーも、ハルウララも、イクノディクタスも、みんなマックイーンのために駆けつけてくれたと考えると、トレーナーとしても感謝の気持ちでいっぱいだ。

 同時に、友達が少ない僕にとって友達が多いっていいなーという感情をも抱かせてくる。大人になったら中高の時の友達なんて疎遠になるものだろうが、それでも羨まずにはいられない。

 

 そんな彼女達の楽しげな光景を遠巻きに見ながら、何かが足りないような気がした。

 

「ん、どうしたよ、マックちゃんのトレーナー。そんな鳩が豆鉄砲飲み込んだような顔して。なんか悩みでもあるなんなら、このゴルシ様が一億万円で解決してやるぜ。ローンも可だ」

 

 ゴールドシップ、君はどこぞの豚をモチーフとした救いのヒーローか何かか? 

 

「いやなに、トウカイテイオーの顔が見えないなと思ってね。天皇賞の出走名簿に彼女の名前は無かったはずだから来ない理由は無いと思ったんだけど……」

 

「……まあ、あいつにも色々あんだよ。それはアンタが心配することじゃねえ」

 

 何か含みのある言い方だな。そう思ったが、いつになく真剣な表情でそう答えるゴールドシップを前に、僕は言葉を発することができなかった。

 

「そんなことより、アンタもこっち来いよ。隅っこで見守ってるだけじゃ退屈だろ?」

 

「ちょ、そんな引っ張らなくても……」

 

 ま、まずい。このままではいい感じの空気感に僕という不純物が紛れ込んでしまう。ウマ娘達がそのような雰囲気でいるときに、無闇に間に入り込むのは厳禁とされている。ちなみに教祖はアグネスデジタル。

 

 人間がウマ娘の力に叶うはずもなく、ゴールドシップにズルズルと引き摺られる。

 

「お、やっとこっち来たわ。ほら、アンタからもなんか言っとき?」

 

「いや、僕はいつでも言えるんだけど……」

 

「なんやいちいち細かい男やな。こういうのは雰囲気っちゅうもんが大切やと思うで?」

 

「そ、そうかなあ……?」

 

 タマモクロスにそう言われてマックイーン達の方を見ると、彼女達もこちら側を見て何かを期待するような眼差しを向けていた。

 

 あ、これ逃げられないやつだ。

 

「……君がいつか言っていた秋シニア三冠。それを達成したウマ娘は非常に少ない。その意味が分かるかい?」

 

「ええ。生半可な実力や覚悟では達成できない。そのことは重々承知していますわ」

 

「それでも、僕は君なら達成できると思っている。その初戦である天皇賞。勝ちに行こう、マックイーン!」

 

「っ、はい!」

 

 僕が拳を差し出すと、マックイーンもそれに応えてくれるように拳を軽くぶつけ返してくれる。

 天皇賞までもう日はない。いくらマックイーンのことを信じてるとは言え、日にちが近づくに連れて不安になってくるのは仕方がないだろう。一度抱いた不安はたとえ小さなものでも急激な速度で肥大化する。幸いにも僕はそう言ったことを隠し通すことが得意なので、彼女に余計な事を考えさせているという事はないはずだ。

 

 

 外の景色は既に薄暗くなっており、ますます秋を感じさせる頃合いとなっていた。

 

 

 



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もう一つの成長

 

 

 

 天皇賞当日。夏合宿が終わってからというものの多少のトラブルはあったが、ここまで概ね予定通りにことが運んでいる。とは言っても、まだマックイーンの目標のもの字のレースすら始まっていないのが現実だ。しっかりと気を引き締めなければならない。

 

 今の時間はレースが始まる数時間前であり、混雑が予想されるためレース場への移動を早めにしている。車を使って東京レース場に移動しており、特にこれといって不自由はない。車という割とプライベートな空間であれば、マックイーンもレース前のこの時間に精神を落ち着かせることができるだろう。

 

 そう思っていた。

 

「はああ? ゴルシお前本気か? 小さくて食べやすいし、こういった場で売り出すんやったらたこ焼き一択やろ!」

 

「タマモこそ何言ってんだよ! 焼きそばにはなあ、夢と希望が詰まってんだ! あたしは何がなんでもゴルシちゃん特製、スペシャル激辛焼きそばを売り捌いてみせるぜ!」

 

「いえ、焼きそばやたこ焼きも悪い選択肢ではありませんが、やはりここはコストパフォーマンスを考えて塩結びを売り出すのが最善だと考えます」

 

「今日はマックイーンさんが主役なんです! マックイーンさんと言えばスイーツ、甘い物、そこに焦点を当てるべきです!」

 

「にんじんにんじん! 私はやっぱりにんじんがいい! だっておいしいもん!」

 

「仕方ねえ、こうなりゃ全部ミックスだ! 今から究極のたこそばにんじんスイーツ塩結びを作り上げてやらあ! うおおおおお、ファイアアアアアアアアアア!」

 

「うるせえよ! レース前なんだからちょっとは静かにしろよ!」

 

 どうしてこうなった……

 

 元々マックイーンとダイヤだけを連れて行く予定だったけど、いつの間にかなんか増えてた。マックイーンの応援についてきてくれるのは嬉しいが、彼女の集中を乱されるならばゴールドシップくらいなら道端に放り捨てても許されると思う。

 

「ご、ごめんね、トレーナーさん。ライスがいるからだよね……ライスのせいで……ごめんなさい……」

 

「君は悪くないんだよ、ライスシャワー。だから泣かないで。僕がわるいみたいになっちゃうから」

 

「あー! トレーナーがお米泣かせた!」

 

「ライスちゃんを泣かせる人は私が許さないんだかねー!」

 

「おいやめろ! こちとら運転中だぞ! 見てる、ポリスが見てるから!」

 

 運転中の僕にちょっかいをかけるゴールドシップとハルウララにすぐ近くにいた警察官は少し反応を見せたが、何を思ったのか苦笑いで僕達のことを見逃してくれた。ありがたいはありがたいのだが、本当にそれでいいのか警察官。

 

「大丈夫か、マックイーン? もし気が散るようであれば全員窓から放り捨てるけど」

 

「貴方も大概ですわね……。別に問題ありませわ。この程度で集中を乱していては、このレースはもちろん、今後のレースにだって勝てるはずがありません。これはある種のトレーニングでもありますわ」

 

 だいぶそれっぽく正当化してましたけどそれってつまりはうるさいってことですね分かります。

 だがまあ、ガチガチに緊張して走れなくなるよりかは全然いい。そう言った意味では彼女達の存在はありがたいと感じる。緊張がほぐされすぎるのもあれなんだけど……

 

「おっ、マックイーンあんま緊張してないみてえだな。よっしゃ、あたしのファイティングスピリッツで緊張のお裾分けしてしてやるぜ!」

 

「誰のせいですの誰の! というか、髪が乱れてしまうので頭を撫で回さないでくださいます!?」

 

「だから大人しく座ってろって! 困ってる、ポリスが困った顔でこっち見てるから!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 紆余曲折ありながらもなんとかレース場に着き、控室にマックイーンを送り届けて時間を潰しながらダイヤand moreを引き連れレースを見るための場所を確保しようと思ったのだが……

 

「うへぇ、これ何人おるんや? ただただエッグい人数ってのしか分からんわぁ……」

 

「私これ知ってるよ! こういうのって、人がゴミのようだ! って言うんだよね!」

 

「だ、だめだよウララちゃん! そんな言い方しちゃ!」

 

 レース場はほぼ満員と言っても過言じゃないほどの人がいた。僕自身担当ウマ娘をGⅠレースに出走させるのは久々だったので感覚が鈍っていた。

 マックイーンの復帰戦の時もかなりの観客がいたが、今日はそれよりも人数が多いことは見て取れる。

 

「あれ? イクノディクタス、ゴールドシップの行方を知らないかい?」

 

「ゴールドシップさんでしたら先程、『あたしのとんかつ弁当でこのレース場の奴らを虜にしてやるぜ!』と宣言してどこかへ行かれましたよ?」

 

 何しに来たんだあいつは。てか焼きそばでもたこ焼きでもないのかよ。車内での会話は一体なんだったんだ。

 

「それにしても本当に凄い人数ですね……。怪我をする前のマックイーンさんがレースをする時と同じくらいかそれ以上な気がします」

 

「そりゃそうさ。今日はマックイーンが復帰して最初のGⅠレースな上に、マックイーン一強ってわけでもなさそうだからね」

 

「? それはどういう……」

 

「お久しぶりです、メジロマックイーンさんのトレーナー」

 

 僕の発言にダイヤは首を傾げるが、間髪入れずに僕でもダイヤでもない第三者が口を挟む。

 

 それにより、この場にいるハルウララ以外になんとも形容しがたい空気感が流れる。

 その第三者の表情はなんとも真剣なものであり、その闘志と熱意でこちらの身が焦がされそうであった。

 

 まさに一触即発、そう思わせるほどには僕と彼女の間でバチバチと火花が交錯しあっている。

 

「お久しぶりです、桐生院トレーナー。そんな張り詰めた表情だと、綺麗なお顔が台無しですよ?」

 

「えっ、綺麗? わ、私が? ほ、ほほ本当ですか!?」

 

 ……あれっ? もしかして返す言葉間違えた? こういうのって最初は軽口や冗談で済ますって漫画で見たんだけど。まあ桐生院トレーナーが美人なのは否定しない。

 

「え、ええ本当ですよ、はい。それよりも、今日はトレーナーとして、お互い良いレースに……」

 

「そ、そうですか……ふふっ、少しは男の人と仲良くなれたかな……?」

 

 だめだ、聞こえちゃいない。

 最後の方何を言っているのか分からなかったが、その時既に彼女は上の空状態だった。

 

「って違ーう! 今日はミークの大事なレースの日なのに、ちょっと憧れの人に褒められたからって……!」

 

 お、おう、思ったより感情の起伏が激しい人なんだな。

 

「……今日のために、メジロマックイーンさんのレースを沢山見て研究させてもらいました。このレース、私達が勝たせていただきます」

 

「望むところです。こちらも少々御宅のウマ娘について調べさせてもらいました。なんとも常識外れな能力をお持ちで……」

 

「ふふっ、それがミークの強みですよ」

 

 そう言うということは、桐生院トレーナーもハッピーミークのとんでもない適正の広さに一度は度肝を抜かれたことがあるのだろう。あれを見れば驚くのは当然か。

 

「それでは失礼します。そろそろレースの時間なので、ミークのところへ行っておこうかと」

 

 そのまま桐生院トレーナーは人混みの中に姿を消す。終始毅然とした雰囲気だったが、所々口元が緩みかけていたというアンバランスさがなんとも言えない面白さだった。

 

「さて、場所も確保できたし、僕はそろそろマックイーンのところに……え、何。何この雰囲気」

 

 おや皆さん、これはゴミを見る目ですね。ダイヤやタマモクロス、イクノディクタスはともかく、あのライスシャワーまでにもこのような目を向けられる機会なんてそうそうないだろう。

 

「……ここにマックイーンがおらへんでよかったな」

 

「ええ。もし彼女がここにいたら、この後レースどころではありませんでしたね。先程の発言はあまりにも考え無しと言わざるを得ません」

 

「トレーナーさん……そういうところじゃないかな……」

 

「……」

 

 うわぁ、とでも言いたげな目をしながら、言葉は違えど僕を責め立てるような口調で各々口に出す。ダイヤに至っては何も言葉を発していないが、こういった彼女の態度が一番怖い。

 

「マックちゃんのトレーナーさんはあの女の人のこと好きなの!? すごくきれいな人だったもんね!」

 

 やめてくれ、ハルウララ。傷口に塩を塗るようなことはやめてくれ。

 

「……あ、あー、レースも近いし、僕もそろそろマックイーンの所に向かおうかなあって……ひ、引き続き場所取りをお願いしてもいいかい?」

 

「おう、焼きそばとたこ焼き買ってきてくれるんなら引き受けたるわ」

 

「ならば私はにんじん焼きとにんじんジュースを」

 

「は? いや、それくらい自分で買ってこい……」

 

「さっきのこと、マックイーンにバラされたくなかったら……分かっとるよな?」

 

 こ、こいつら……人の弱み握ってるのをいいことに……! 

 

 タマモクロスとイクノディクタスはニヤニヤとしながら僕の方を見る。

 思ったんだが、イクノディクタスって真面目そうな感じだけど、こう言ったところはノリが良いんだな。今この状況ではいい迷惑にしかなっていないのが腹立たしい。

 

「っ……ああっくそ! 分かったよ、買えばいいんでしょ買えば!」

 

「なんや、随分物分かりがええやん。ほれ、ライス達も今のうちに欲しいもん言っとき?」

 

「ラ、ライスはいいよ……迷惑になっちゃうし……」

 

「今更遠慮なくていいよ。お金に余裕がないわけじゃないし、一人二人分の買うものが増えようとも問題は無いからね」

 

「そ、そう? じゃあ、おにぎりと串焼きと、にんじんパンとにんじんコロッケ。あと、フランクフルトとお好み焼きと……」

 

 待って多い多い多い。え、それ全部一人で食べるの? 今言ったものだけでも三人分くらいの量じゃない? 

 

「マックちゃんのトレーナー、知ってる? ライスちゃんって、オグリさんにも負けないくらいの大食いさんなんだよ!」

 

「ふぇぇ!? ラ、ライスそんなに食べないよ! スペシャルウィークさんと同じくらいは食べるけど……」

 

 トレセン学園二大大食いウマ娘の一人であるスペシャルウィークと同じくらいの大食いって……彼女の小さな体のどこにあんな量の食物が入るんだ……

 

「それじゃ、マックイーンを見送る前に言われたもの買ってくるよ」

 

「あ、トレーナーさん、私も行きます!」

 

 マックイーンの元へ行こうとすると、今まで無言を貫いていたダイヤが同行を宣言する。

 

「分かった。それじゃ、君達は少し待っててね」

 

「持ってきたもん冷えとったらもう一回買わせたるから覚悟しときな?」

 

「注文多いなあ……」

 

 彼女達の図太さにげんなりしながら、僕はダイヤと共にレース場の内部を歩く。

 レースまでは少し時間があるので、今のうちに頼まれていたものを買っておこうと雑に店の中を歩いているのだが、メモを取っていたわけではないので正直全部が全部を覚えていない。なので、テキトーに彼女達が好きそうなのを見繕い、出費を最低限にして買い物を済ませた。ケチと言いたいなら言うがいい。タマモクロスよりかはマシだ。

 

「トレーナーさん、そろそろマックイーンさんのところへ向かいませんか?」

 

「ん? ああ、もうそんな時間か。ありがとう、教えてくれて」

 

「いえ、いいんです……」

 

 そう言ったダイヤの顔は普段より暗めに見えた。もうすぐ彼女の憧れでもあるマックイーンのレースだと言うのに、何かあったのだろうか。

 僕はマックイーンだけでなくダイヤのトレーナーでもある。このようなちょっとした変化にも気付いて対応しなくてはならない。

 

 売店を後にし、パドックへ向かう途中に事情を聞いてみる。

 

「なあダイヤ。もうすぐマックイーンのレースなのに何かあったのか? 表情が優れないみたいだけど……」

 

「……トレーナーさん、先程桐生院さんにかけた言葉は本心なんですか?」

 

 おっと、気にしていらっしゃったのはそのことでしたか。自分の蒔いた種で悩ませておいてそれを解決してあげようなどマッチポンプもいいとこだ。

 

「いやあ、あれは軽い挨拶というか冗談というか……」

 

「いくら世間知らずの私でも、あの場であの発言は誤解を生みかねないことくらい分かります」

 

 やっぱり? 僕も言った後よくないって思った。

 

「それにタマモさんも仰ってましたけど、あの場にマックイーンさんがいたら大惨事でしたよ? 分かってると思いますが、マックイーンさんはトレーナーさんのことをとてもお慕いしているので、そういったことに過敏なんです」

 

「悪かったって。今後は発言に気をつけるよ」

 

「そうしてください」

 

 ダイヤは腰に手を当てて、幼子を相手にするような感じで僕に説教をする。

 マックイーン大好きウマ娘な彼女にとって、レース前に不安材料となるようなことをトレーナーである僕が作り出してしまったのが許せなかったのだろう。改めて自分の未熟さが窺える。

 

 入学して半年と少しのウマ娘に的を得た説教をされて少し落ち込む。僕なんかよりダイヤの方がしっかりしてるし……

 

 そんな僕の様子を見かねてか、ダイヤは背伸びをして両手で僕の頬っぺたを挟んでくる。

 

「もう、悪いと思っているならきちんと前を向いてください。あなたがそんなではマックイーンさんだって不安になりますよ?」

 

「……ごめん。僕は君達に助けられてばかりだな」

 

「こういう時は、謝罪の言葉よりも『ありがとう』と言われた方が嬉しいものです」

 

「……ああ、そうだね。ありがとう、ダイヤ」

 

「ふふっ、どういたしまして!」

 

 ダイヤはゆっくりと僕の頬から手を離す。

 まだまだ彼女は世間知らずで危なっかしいところがあるが、内面的にもこの半年と少しでだいぶ成長していたらしい。きっとこれはトレセン学園の奇人変人と関わった結果だ。もちろん、この奇人変人の中にはマックイーンも含まれる。

 

「さあさあ、早くパドックへ行きましょう! マックイーンさんの復帰初のGⅠレース、それを間近で見られるなんて感激です! もたもたしていられません……! トレーナーさん、私の手に捕まってください!」

 

「え、いや、さっき買った食べ物とかあるから……って、ちょ、待っ」

 

 ダイヤは僕の空いている手を取り人混みをかき分けて走り出す。

 

 彼女のマックイーンに対する暴走癖は入学当初から全く変わっていないらしい。

 

 

 



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勝ちに行こう

 

 

 

 レースが始まる数刻前、僕とダイヤはパドックでマックイーンを待ち伏せする。そこには、今日のレースに出るために気合充分と言った表情で、他のウマ娘達が続々とターフへ向かっていた。

 一人、また一人と僕達の前を通り過ぎて行き、ようやく見知った顔が現れる。

 

「トレーナーさんにダイヤさん。ここまで来てくださいま……貴方達は何をしていましたの?」

 

「いや……ウマ娘って凄いなって……うっぷ」

 

 ギャグ漫画のごとくダイヤに引っ張られ宙を舞った僕は、案の定三半規管を刺激され胃酸が逆流しそうになっていた。

 アニメやゲームならこういったものに虹がかかるのだが、残念ながらこれは現実だ。万一にでもゲロってしまえばここは地獄絵図になってしまう。

 

「そんなことよりマックイーンさん、今日のレース頑張ってください! 私、一番大きな声で応援させていただきますので!」

 

 そんなことよりってなんだよ、誰のせいだと思ってんだ。さっきの感心を返してほしい。

 

「ふふっ、それはスタンド前を通る時が楽しみですわね。そんなダイヤさんの期待に応えるべく、私も皆さんに最高のレースをお届けしますわ」

 

「はい!」

 

 マックイーンの言葉に尻尾を振るダイヤは、まるでご主人に遊んでもらう時の犬のようだった。

 彼女は今日のマックイーンのレースをそれほど楽しみにしていたということである。その気持ちは僕も同じであり、一緒に応援に来てくれたタマモクロス達、そしてマックイーンのファン達も変わらないだろう。

 

「……トレーナーさん? トレーナーさん! 聞いていますの?」

 

「ああ、少し考え事をしていてね」

 

「全く、レース前だというのに、トレーナーである貴方がボーッとされていては私も身が入りませんのよ?」

 

 僕の態度が不誠実に見えたらしく、少々マックイーンがご機嫌斜めだ。レース自体にはあまり関係ないと思うが、レースの後が怖い。

 

「ごめんごめん。ほら、機嫌直してよ。しかめっ面だと可愛い顔が台無しだよ?」

 

「なっ、か、かわっ……!」

 

 ちょろ。さすがマックイーンだ。

 

 顔を赤らめモジモジするマックイーンを見るに、少なくとも不調ではないことが確認できる。

 

「き、急にそういうことを言うのはやめてください。私にも心の準備というものがありまして……。そ、その言葉、私以外に使ってはいけませんわよ? トレーナーさんの場合あらぬ誤解を生んでしまう可能性がありますので」

 

「は、はい、そうっすね」

 

 マックイーンの言葉につい先ほどの桐生院トレーナーとの会話が思い返され、気を抜けば苦虫を噛み潰したような顔をしてしまいそうになるほどの後ろめたい気持ちになる。

 いや、桐生院トレーナーに対してかけた言葉は『可愛い』ではなく『綺麗』だ。マックイーンにかけた言葉とは少し意味合いが違う。それに、桐生院トレーナーとの会話は大人の駆け引きというやつだ。

 ノーカンノーカン、あれはマックイーンの言う『そのセリフ』には含まれない。

 

 だからダイヤ、そのゴミを見る目をやめなさい。非人道的なことをした犯罪者を見るかのような目で僕を見るのをやめなさい。

 

「トレーナーさん、顔が青いですわよ? 先程もあまり体調が優れない様子でしたし、私のことは気にせず休んでいただいても……」

 

「い、いや、問題無い。酔いは収まってるし、健康体そのものだよ」

 

「そうですか? なら良いのですが……あら、あの方は……」

 

 僕の体調を気にするマックイーンの思考は、一人のウマ娘によって霧散される。

 

 彼女の視線先には、白い毛並み、白い勝負服、そして無表情と、なんとも分かりやすい特徴を持った適正お化けのウマ娘、ハッピーミークがいた。

 向こうもこちらに気がついたようで、彼女の眉が少しだけ上がったような気がした

 

「ご機嫌よう、ハッピーミークさん。今日はいいレースにしましょう」

 

「……あ、メジロマックイーンさんと……トレーナーの彼氏」

 

「は?」

 

 出会い頭にとんでもないことを言い出すハッピーミークにマックイーンはノータイムで反応し、瞬時に僕のことをものすごい目で睨みつけてくる。

 

「……ハッピーミーク、念の為に聞いておくが、トレーナー……君のトレーナーである桐生院トレーナーの彼氏って言うのは誰のことを指しているんだ?」

 

 質問の答えと言わんばかりにハッピーミークは小さく僕のことを指差し、

 

「…………あなた」

 

「トレーナーさん、詳しく説明してください。今、私は冷静さを欠こうとしていますわ」

 

 マックイーンの目からハイライトが失われた。おかしいな、今日のターフは良バ場のはずなのに、ここだけ重バ場になっている。

 だが、僕と桐生院トレーナーが付き合っているという事実はどこにもないので、今回の件に関してはいくらでも否定できるのが幸いだ。

 

「マックイーン、よく聞くんだ。まず、僕と桐生院トレーナーが付き合っているなんて事実はどこにもない。きっとハッピーミークの勘違いか何かだ」

 

「…………でもトレーナーはあなたとのツーショットを見てニヤニヤしてました。正直気持ち悪かったです」

 

「トレーナーさん???」

 

「ま、待って! それは本当に知らないし不可抗力だ! それに、ツーショットの写真があるってだけで付き合ってるとは限らないでしょ!?」

 

「恋人でもない異性と二人っきりで一枚の写真に収まるのもいかがなものだと思いますわよ?」

 

 ああ言えばこう言うとはまさにこのこと。レース前の大切な時間にこんな無駄な言い合いを続けるべきではないというのは分かっているが、一歩引けばなし崩し的にマックイーンの調子と僕の立場が決壊するという引くに引けない状況が出来上がっていた。詰みじゃん。

 

「はぁ……トレーナーさんもマックイーンさんも、いつまで睨み合ってるんですか? レース始まってしまいますよ?」

 

「「すみませんでした」」

 

 一連の流れを微妙そうな顔付きで見ていたダイヤはいよいよ耐えきれなくなったのか、ため息をつきながら僕達に注意する。

 どうにも彼女には頭が上がらない。ダイヤはマックイーンを慕っているようだが、客観的なヒエラルキーはダイヤの方が上だろう。

 

 あれ? 僕はマックイーンにも頭が上がらないから……実質僕が最下層にいるってこと? 

 

「見苦しい姿を見せてしまい申し訳ありませんわ、ハッピーミークさん。ですが今日のレース、私が勝たせてもらいますわよ?」

 

「……望むところです。私も、あなたのレースを沢山見て勉強しました。それにトレーニングも……絶対に負けません……」

 

「……それはとても楽しみですわね」

 

 少しの間のマックイーンとの睨み合いの末、ハッピーミークは一礼して先にターフへ向かう。

 

 あまり話したことはないが、普段無表情からの程よく小さい声で話すハッピーミークからは考えられないほど、最後の言葉には熱が感じられた。それほど彼女が本気だということだ。

 

「さて、私もそろそろ参りますわ。これ以上ここで時間を消費していては、私抜きでレースが始まってしまいますもの」

 

「楽しみにしてるよ、ウイニングライブでセンターを飾る君の姿を」

 

「ふふっ、存分に期待してくださいませ。それと、今日のレースの作戦についてなんですけど……」

 

「言わなくてもいい、君のやりたいことは分かってる。どんな走りをするか、どのタイミングで仕掛けるか、誰を参考にしたか」

 

「……やはり、トレーナーさんに隠し事はできませんわね」

 

「うん、だから重ねて言うけど夜中にこっそりスイーツ食べようとするのはやめようね?」

 

「よ、余計なお世話ですわよ! そもそもイクノさんに止められてますし!」

 

 それはつまり一人だと自制できていないってことになるんですけど大丈夫なんですかね。後でイクノディクタスには何かお礼をしておこう。

 

「コホン、それでは行って参りますわ。最高のレース、ファンの皆様にも、私の応援に来てくださった方々にも、そしてトレーナーさんとダイヤさんにも、お届けしてみせますわ」

 

「ああ、勝ちに行こう、マックイーン」

 

「っ、はいっ!」

 

 僕とマックイーンは手を高く上げてハイタッチをし、彼女は僕達に背を向けてターフへ歩き出す。

 マックイーンが表舞台に出たのと同時に、会場からは溢れんばかりの声援が聞こえてくる。

 これはもたもたしてられない。僕達も早くタマモクロス達の元へ向かわなければ。

 

「あの、トレーナーさん。先程の会話から、今日のマックイーンさんの作戦は違うように聞こえたんですが……」

 

「それは……いや、実際にそのめで確かめた方がいいか。というわけで秘密だよ」

 

「むぅ……けち……」

 

 確かにダイヤの予想は的中しているが、それをここで詳しく説明してしまっては面白くない。

 

 そんな悪戯心を胸に抱き、膨れっ面をしたダイヤと共に観覧場所まで向かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おっそいわおっちゃんら。もうレース始まるで……ってなんや、随分しんどそうやけど。体調でも悪いんか?」

 

「い、いや、なんでもない……ほんとに……」

 

 このままではレースに間に合わないかと思い、ダイヤは途中で僕の手を掴み全力ダッシュをし、またしても僕の体は宙を舞うこととなった。

 二回目だからといってそれに慣れるわけでもなく、相変わらず三半規管は悲鳴を上げ続けていた。

 

「おいおい、マックちゃんのレース前だってのに大丈夫かよトレーナー。ほら、あたしのドリンク分けてやっから体調戻せよ」

 

「サンキュー、ゴールドシップ……まっず! なにこれ!?」

 

「青汁」

 

「なんでこの状況でそんなもん持ってんだよ! てか君は今まで何してたの?」

 

「あたしの格好見て分かんねえか? 売り子だよ、売り子。途中でお米にも手伝ってもらったし、商売上がったり叶ったりだぜ」

 

 ゴールドシップとライスシャワーは、祭りの時に使用するハッピのようなものを着ており、ライスシャワーに至っては何故か頭に豚のぬいぐるみが乗せられている。

 ま、まあ本人も満更でもなさそうな顔してるしいいか。深くは考えないでおこう。

 

『さあ、ウマ娘達が続々と枠入りを完了しています』

 

『みんな気合充分、誰が勝ってもおかしくありませんよ』

 

 実況、解説の声が聞こえ、なんとかレースに間に合ったということが実感させられる。

 

『ですが一番人気はやはりこのウマ娘、史上最強のステイヤーとも名高い、メジロマックイーン!』

 

『怪我を乗り越えた後の初のGⅠレース、前回のオープン戦も素晴らしい走りでしたし、好走を期待したいところです』

 

『そして二番人気はハッピーミーク!』

 

『ここ最近の彼女も調子が良さそうですからね。メジロマックイーンとの一騎打ちを期待してしまいます』

 

 やはりマックイーンは圧倒的一番人気か。今更彼女がこんなことを気にするとは思えないが、それがプレッシャーにならないことを願う。

 

「マックイーンさん、見た感じ落ち着いてるように見えるね。レースのことについて考えてるのかな……?」

 

「いえ、マックイーンはああ見えて結構愉快な性格をしています。あんな真面目な表情をしていても、レース後に何のスイーツを食べるかなどということを考えていてもおかしくありません」

 

「イ、イクノさんのそのマックイーンさんに対する謎の信頼はライスには分かんないよ……」

 

 さすがはマックイーンと同室であり、彼女のことを近くで見続けてきたイクノディクタスだ。彼女の言う通り、マックイーンがレースに関係ないこと、主にスイーツのことを考えていてもおかしくない。

 

 そんなマックイーンも何事もなくゲートに入り、それに追従して他のウマ娘も続々とゲート入りをする。

 

「マックイーンさーん! 勝ってくださーい!」

 

「マックイーン、気張りや!」

 

 ダイヤ達も各々マックイーンへの声援を送る。

 僕も声を出した方がいいのかもしれないが、大の大人がみっともなく声を荒らげるのもどうかと思ったので心の内に留めておこう。

 これ感謝祭の時の僕の悪口? 

 

 一人でバカなやり取りを行い、多少の緊張を紛らわす。こうでもしないと落ち着かない。

 

 その間に全員のゲート入りが終わり、出走態勢が整う。レース場にいる人達は今か今かと彼女達の出走を待っており、この熱気が爆発する時の歓声と地響きがとんでもないことになることは始まる前から分かる。

 

 さあ、マックイーン。秋の初戦のレース、君の思うように勝ちに行くんだ。

 

『さあ、スタートしました。各ウマ娘、いっせいにゲートを飛び出します。おおっと、これはどうしたことかメジロマックイーン』

 

『普段スタートした直後に先頭集団に位置する彼女が後方からのスタートとなるのは珍しいことですよ』

 

『これは失策、はたまた狙い通りか。依然マックイーンは集団後方、多くのウマ娘の背中を追う形となっております』

 

 レースが始まって直後、いつもなら集団を先導するような先行策を取るマックイーンが最後方とまでは言わないが、かなり後ろに位置している。

 これによって、会場からは多くの悲鳴が上がった。それはそうだ、ここにいるほとんどの人達はマックイーンの強い勝ち方を知っている。なのに今日の彼女はそうじゃない。失望したり気を落としたりしてしまう気持ちは分からなくもない。

 

「ああっ! マックイーンさん! マックイーンさんが!」

 

「ううっ……ダイヤちゃ……離し……苦しいよ……」

 

 マックイーンの後方スタートにより、悲鳴を上げたのは観客だけではなかった。ダイヤは目の前の光景が信じ難いらしく、無意識に近くにいたハルウララの首を締める形で彼女を揺さぶる。可哀想に。

 

『メジロマックイーンが後方に沈んだのと同時に、ハッピーミークが前に上がってきます。いや、ハッピーミークだけじゃない。他のウマ娘達も彼女に続いてメジロマックイーンとの距離をグングン引き離します』

 

『メジロマックイーンにとっては久々のGⅠレース、やはり厳しいところがあるのでしょうか』

 

 レースは早くも第2コーナーを回り向正面半ば。隊列は縦長となっており、多くのウマ娘は今のうちに後方に位置するマックイーンと距離を置きたいと思わせるようなハイペースでレースが進んでいる。

 

「ど、どうして? どうしてマックイーンさんはあんな後ろにいるの? どうしてみんなはスピードを上げてるの?」

 

「ええ、不可解です。百歩譲ってマックイーンが後方スタートなのはまだしも、彼女を意識しているならば、ここは速度を落として後半に足を溜めるのが定石なはず……」

 

 ライスシャワーとイクノディクタスもこのレース展開に困惑している。ダイヤは相変わらずハルウララの首を絞めているし、この空間もレースとは別の意味でカオスと言ってもいい。

 だが、いつもうるさいタマモクロスとゴールドシップが静かなのは意外だ。タマモクロスは似たような経験をしているからまだしも、あのゴールドシップまでも……いいや、聡い彼女のことだ。もしかしたらマックイーンのやりたいことに気がついているのかもしれない。

 

『ややハイペースな展開となった天皇賞秋。1000メートルの通過タイムは……なんと57秒5!』

 

『前方を走るウマ娘の体力が持つかどうか心配ですね』

 

 レースは早くも後半戦、1000メートルを過ぎ第3コーナーへと差し掛かる。先頭集団のウマ娘達はすでに苦しそうな顔をしており、そのうちバテるという雰囲気を漂わせている。

 その中でもハッピーミークはまだ余裕のありそうな表情をしており、少しずつ順位を上げて行っている。

 対してマックイーンは未だ後方。ハッピーミークとの差は実に10バ身を超えている。

 

「マ、マックイーンさん! 頑張って!」

 

「マックイーン、まだこれからですよ!」

 

「マックイーンさーん! 頑張ってくださーい!」

 

「うぅ……ここは天国……?」

 

 首を絞められ若干一名天に逝きかけているが、ダイヤ達は諦めずにマックイーンを応援する。とはいえ応援しているのは彼女達だけであり、周りの観客達は既に諦めムードが漂っていた。

 

『いよいよレースも終盤戦。前走る娘達は苦しいか、必死に走る、必死に走る。体力の限界が近そうに見えます』

 

『このスピードでは流石にハッピーミークも表情が辛そうに見えますね』

 

 ハッピーミークが順位を上げた以外に目立ったところは無い。それはマックイーンの順位に変動がないことを意味する。

 展開が薄いまま、彼女達は第4コーナーを過ぎ最後の直線へと入った。それと同時に今まで飛ばしてきたウマ娘達が失速する。2000メートルというあまり長くない距離とはいえ、ペース配分を考えなかったらああなるのも当然だ。

 

『さあ最後の直線! やはり伸びてきたのはハッピーミーク! 二番人気の実力を見せつけます! 速い、もはや独走状態です!』

 

 実況解説観客中継、もはやどれもマックイーンに意識が向いていない。スタートの時点でメジロマックイーンは『終わった』と考えられている。

 

「マ、マックイーンさんが……」

 

「マックイーン……」

 

 ライスシャワーとイクノディクタスは固唾を飲んでレースを見守っているが、周りの空気に呑まれてしまっている。

 

「……いえ、まだです」

 

 そんな中、ダイヤが一際芯の入った声を出す。

 

「マックイーンさんはここからです。そうですよね、トレーナーさん?」

 

「……それ僕のセリフなんだけどなぁ」

 

 ピンチをチャンスに変える。それこそ、我らがメジロマックイーンだ。

 

『なっ、後ろから驚異的な末脚を見せるウマ娘がいるぞ! メジロマックイーン、メジロマックイーンだ! 多数のウマ娘を抜き去り、一気に二番手にまで躍り出る!』

 

 追込ウマ娘もビックリな末脚でレースを巻き返すマックイーン。彼女より前にいるハッピーミークに狙いを定めて最終直線でスパートをかける。

 

 事前に悟ったであろうダイヤとタマモクロスとゴールドシップを除いて、他の娘達は言葉が失われていた。誰しも、あまりにも予想外の出来事が起こると言葉など発せなくなるものだ。

 

『マックイーンが凄い足で迫る! しかしハッピーミークも負けてられない! 体力も残りの距離も僅か! 苦しいぞハッピーミーク!』

 

「よっしゃ、そこだ、マックイーン!」

 

「やりたいことやれたんやろ? あとは走り切るだけやで!」

 

 ここまで何も言わなかったゴールドシップとタマモクロスがマックイーンに対して声援を贈る。それを聞いてライスシャワー達は我に返ったように見えた。

 

『マックイーンがハッピーミークに並ぶ! マックイーンが並ぶ! そのまま一騎打ちに……』

 

 他の追随を許さない、今のマックイーンにはこの言葉がよく似合う。

 

『ならない! 一騎打ちにはならない! マックイーン先頭! 1バ身、2バ身と差が開いていく! まさにトリックスター! 余裕の表情! メジロマックイーン、今一着でゴールインッ!』

 

「やったああああ! マックイーンさん!」

 

「うぇぇぇ!」

 

「ああっ、ダイヤちゃん! 死んじゃう! ウララちゃんが死んじゃうから離してあげて!」

 

 終わってみれば二着のハッピーミークに3バ身差をつけてのマックイーンの快勝だった。あの走りっぷりを見せられては文句の一つも出ない……と、思っていた。

 

「ん? どうしたの、イクノディクタス」

 

「……やはり分かりません。何故マックイーンはあのような危険な手段を……? 最終直線であれだけの実力が発揮できるのなら、最初から彼女の強い走りをすれば良かったのでは?」

 

「うーん、まあそうなんだけど……強いて言うなら、小細工かな?」

 

「…………は?」

 

 何言ってんだこいつと言いたげな目でイクノディクタスはこちらを見てくる。

 言いたいことは分かるよ。でも小細工を舐めちゃあいけない。どんなに小さなことでも、それがどのように影響するかなんて誰にも分からないからね。

 

「今回のレースについて僕が説明しても良いが……おーい、そんなところで隠れてないで、いい加減君もこっちに来たら?」

 

 側から見たら虚空に話しかけているようにも見えるかもしれないが、僕は確信を持ってその方向にいるだろう人物に呼びかける。

 物陰から出てきたのは、案の定……

 

「ありゃ、バレちゃってましたか。トレーナーさんの目は誤魔化せませんね〜」

 

「ああ、バレてたよ、セイウンスカイ。そこにいることも、マックイーンに悪知恵入れ込んだのも」

 

「おっと、人聞きが悪いですよ。私はマックイーンさんに、勝つ手段を教えたあげただけですよ〜」

 

「物は言いようだな……」

 

 夏合宿で共に行動し、マックイーン達にも多少なりとも影響を与えたセイウンスカイは気の抜けた態度で受け答えをする。

 

「それでスカイさん、これは一体どういうことですか? トレーナーさんの話だと、マックイーンにあの作戦を教えたのはあなただという話でしたけど」

 

「簡単だよ。マックイーンさん、レースが始まった時点で後ろにいたでしょ? 普段は前にいるのに」

 

「ええ。それもあって、多くの人はマックイーンは厳しいと…………いえ、待ってください、まさか厳しいと思わせるのが……!」

 

 イクノディクタスは瞬時に気がつき、信じられない表情でセイウンスカイを見る。

 

「お、察しがいいねえ〜。そう、それが目的。私達が気がつくんだったら、一緒に走ってる娘達は気付かないはずがないよね? だからマックイーンさんが後ろにいるうちに距離を取りたかった。距離を取ればマックイーンさんに勝てると思っていた。マックイーンさんが後方から差しにくるなんて誰も考えてないだろうからね〜」

 

 実際セイウンスカイの言う通りだ。マックイーンが差しや追込の作戦を取るなんて誰が想像できただろうか。まさしく死角からの一撃、意表を突いた作戦だ。

 

「君達は最初から分かってたんだろう? タマモクロス、ゴールドシップ」

 

「ウチは昔似たような作戦取っとったからな。マックイーンのやりたいこと、なんとなく分かってしもたわ」

 

「あたしのこと誰だと思ってんだ!? マックイーン検定準一級合格者、ゴールドシップ様だぜ!」

 

「……なんやねんそれ、どんな問題が出るんや?」

 

「マックイーンの体重は先月からいくら増加しましたかとかそんな感じだな」

 

「やめたれやそんな検定するの……」

 

 なにそれ、今度僕も受けさせてもらおう。もちろんマックイーンには秘密にして。

 

「それよりおっちゃん、こんなマックイーンに聞かれたら殺されそうな会話しとる前に行くべきところあるんとちゃうか?」

 

「言われなくてもだよ。タマモクロス、一旦みんなことを頼む」

 

「任せとき。マックイーンも勝った後一番最初に見たいのはあんたの顔やろうしな。ほら、はよ行き?」

 

 そう言ってタマモクロスは僕の背中を押す。

 ああ、お礼は後で言っておこう。今は秋シニアの一冠目を達成したマックイーンを讃えるために、彼女の元へ向かうのが先だ。

 

「ウ、ウララさん! 戻ってきてください! 私が強く抱きしめ過ぎたばかりに……」

 

「あわわわ……ウララちゃんが……ウララちゃんが……!」

 

「まだ息はあります! 人工呼吸を早く……!」

 

「…………なあ、おっちゃん。さっきの言葉、やっぱ取り消したらあかんか?」

 

 僕は一目散にパドックへ駆け出した……! 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、トレーナーさん。迎えに来てくれましたの?」

 

「ああ、そうだよ。そう言う君は、思ったより落ち着いてるんだね」

 

「今は人目がありますもの。ここが個人的な空間であれば今すぐにでも貴方に抱きつき……なんてこと言わせますの!?」

 

 えぇ……勝手に自爆しただけじゃん……

 

 あのカオスな場をタマモクロスに放り投げ、控え室へ向かう途中のマックイーンを捕まえる。

 落ち着いているように見えるとは言ったが、彼女の内心は喜びの気持ちで一杯のはずだ。それを自制できるのはさすがとしか言いようがない。その調子でスイーツの我慢も頑張ってくれ。

 

「紆余曲折あったけど、秋シニア一冠目おめでとう」

 

「ありがとうございます。と言っても、あの走りではやはり違和感は拭えませんわね……」

 

「どんな走り方でも、最初にゴールを通過したウマ娘がそのレースの勝者だ。君は確実に勝つためにあの走りをしたんじゃないのかい?」

 

「……その通りですわ」

 

 元々マックイーンは自分の走りを信じるタイプのウマ娘。勝利のために己の走り方を変えることは少なくとも僕が担当した中では初めてだ。

 臨機応変。これも一つの成長と言ってもいい。

 

「どちらにせよ、セイウンスカイにはお礼参りをしとかないとね。夏合宿が終わってから妙に静かだなと思ったらこんな爆弾を仕掛けてたとは……」

 

「でも、そのおかげで勝てたのも事実ですわ。あまり彼女を責めないでください」

 

 いや、責めるとかじゃないんだけど……セイウンスカイに手玉に取られたのが何というか……

 

 マックイーンの勝利を讃える気持ちとセイウンスカイにしてやられ腑に落ちない気持ちの板挟みにされていると、背後から二つの影が迫ってくるのに気付く。

 

「…………あの、マックイーンさん……少し時間いいですか……?」

 

 そこには先程までマックイーンと一位を争ったハッピーミーク、そしてその後ろで心配そうに彼女を見守る桐生院トレーナーの姿があった。

 

「ええ、構いませんわ」

 

「…………今日のあなたの走り、ビデオで見たのと全然違った……いつものあなたはあんな走り方しない……」

 

「そうですわね。いつもなら……尤も、ここでは昔ならと言うべきでしょうか」

 

 マックイーンは自信ありげに、しかしどこか自嘲気味に言う。

 

「…………あなたは勝つために手段を選ばなかった」

 

「違いますわ。私は、勝つために手段を変えたのです。一昔前の私は自分の走りに固執していました。ですが、勝てる方法があるのにそれを試さないでいるのは損ではありませんこと?」

 

「…………それは……」

 

「己の走りを信じるのは良いことです。決して悪いことではありません。ですが、探究心を捨ててしまってはその先へは辿り着けはしないと思いますわ」

 

 たしかに、ちょっと前のマックイーンからこんな言葉が聞けるとは到底思えない。

 怪我以前のマックイーンは自分の走りを貫いていた。それはそれであまりにも強かったのだが、今の彼女はその時とはまた別の強さを感じる。

 

「…………あなたの言うその先って……」

 

「もちろんウマ娘たるもの、より強くなることですわ。メジロ家の誇りと、一心同体を誓ったトレーナーさんに懸けて」

 

 マックイーンは自信満々にそう言うが、多数の優秀なウマ娘を輩出している名家と僕の名前が並べられているという事実に無性に背中が痒くなる。プレッシャーがすごいなぁ……

 

「…………今回はあなたの勝ちです……あなたの方が一枚上手だったのは認めます…………でも……」

 

 ハッピーミークはきっとマックイーンを見返す。

 

「次は負けない」

 

「私は、次も勝ちを譲るつもりはありませんわよ」

 

 普段無表情であまりはっきりとは喋らないハッピーミークから、想像もつかないくらい低い声音が聞き取れた。さらにマックイーンはそれに臆することなく言い返す。凌ぎを削った者同士、レースの後でも火花を散らしているのがなんともウマ娘らしい。

 

 そんな二人を見守っていると、同じく二人を見守っていた桐生院トレーナーがこちらに近づいてくる。

 

「今日はありがとうございました。さすがはメジロマックイーンさんですね」

 

「ええ、マックイーンは凄いんです。でも、それに負けないくらいハッピーミークもいい走りでしたよ。まるで普段のマックイーンのような……」

 

「そうなんです! 私とあの子は日夜マックイーンさんが出走したレースを研究をしていてですね! レース前の実況を聞くだけでなんのレースか分かるほどになりましたよ!」

 

 そ、そんなに? そこまでするなら他のところに労力を回した方がいい気もするんだが……

 

「……それでも届きませんでしたけどね。結局私はミークを勝たせてあげることができませんでした」

 

「……勝負の世界ですからね。担当ウマ娘が負けてしまって自分を責める気持ちはよく分かりますよ」

 

「……あなたにもそんなことがあったんですか?」

 

「むしろこれを経験しないトレーナーはいないと思いますよ。僕なんてマックイーンが負けた暁には、自分のせいだと思い込んで一晩寝れなかったことなんてザラにありますよ」

 

 場の雰囲気を和らげようと、冗談めかして桐生院トレーナーに話す。実際、内容は冗談ではなく事実ではある。

 

「……やっぱりあなたは凄い方ですね」

 

 え? 今の会話のどこに僕の凄い所があったの? 

 

「うん、次は負けませんよ! いずれはミークと私でマックイーンさんとサトノダイヤモンドさんを下してみせます!」

 

「……マックイーンとダイヤは強いですよ。返り討ちにさせてもらいます」

 

 勝っても負けても最後は握手さ、某国民的アニメのオープニングに倣って、僕と桐生院トレーナーは手を取る。

 その際、真横からとんでもない圧を感じた気がするが全力で無視した。ちょっと今いい所だからさ。

 

「あ、そうだ! もしよければあなたにもこれを使って欲しいんです!」

 

 急に宗教勧誘のおばちゃんみたいなことを言い出した桐生院トレーナーは、懐から一冊の本を取り出……いや、その大きさの本どこにしまってたんだよ。

 

「えっと、これは一体……?」

 

「それは我が桐生院家に伝わる『トレーナー白書』と言って、ウマ娘育成の極意が書かれてあるんです」

 

 ほう、あの名門である『桐生院』家の……

 

 興味深く思い、パラパラとページを捲る。

 

「ライバルに塩を送るわけじゃないですけど、同じ栄冠を目指す者としてそれを使ってもらいたくて……。あっ、そのページに書いてあることはオススメですよ! なんでもレース序盤に囲まれた時、持久力を抑える方法が……」

 

 そこまで聞いて僕はそっと本を閉じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 日本から遠く離れた異国の地、フランス。

 背丈が高くブロンドの髪に青い瞳を持つ一人のウマ娘は、とある一本の中継を見ていた。

 

『一騎打ちにはならない! マックイーン先頭! 1バ身、2バ身と差が開いていく! まさにトリックスター! 余裕の表情! メジロマックイーン、今一着でゴールインッ!』

 

 画面に映っているレースの勝敗が決すると同時に、そのウマ娘は中継を切る。

 

「Heh, On dirait qu'il y a encore des gens intéressants au Japon(へぇ、日本にはまだまだ面白そうなウマ娘がいるみたいだ)」

 

 荒々しく好戦的に、人前では絶対に見せないような顔で、そのウマ娘は不敵に笑う。

 

 

 



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次なる相手は

アンケートにご協力いただきありがとうございました。
これからは出来次第投稿するように致します。


 秋も深まり、つい数日前まで夏の暑さが抜け切れていなかったはずの気候は、誰かの親父ギャグに呼応するかのごとくすっかり冷え込んでしまっていた。

 

 夏が好きか冬が好きかという議論において、その季節によって意見が曖昧になる人もいるだろうが、僕は一貫して冬を嫌っている。

 寒いのが苦手というのもあるけれど、そんなことを言い出したら暑いのだって苦手なため冬を嫌う理由にはならない。

 

 大きな理由の一つは、その季節の服装だ。

 聞こえようによってはまるで僕が変態のように聞こえてしまうかもしれないが、自分は厚着をするのがあまり好きではない。洗濯物は増えるし動きにくいし、何より寒さで神経が鈍ってしまう。

 そんなことを回避するために、小学校に一人は存在したであろう年がら年中半袖半ズボンの元気少年を真似たこともあるが、秒で風邪を引いたため二度とやらないと誓った。

 

 寒さで神経が鈍るということは、書類を書く手やパソコンのキーボードを打つ手も中々進まない。ある程度時間が経てば慣れやら暖房器具やらで幾分マシにはなるとはいえ、その分の仕事の遅れを取り戻すことはできないのでそれを考慮して時間を使わなければならない。

 時間は有限、時は金なり、とまでは言うつもりはないにしろ、自分の思うように手が動かないというのは中々にストレスが溜まるものだ。

 

 だが、何も悪いことだけじゃない。

 たしかに寒いと体の動きが鈍くなるが、僕の場合それに反比例するかのように自分の考えがまとまりやすく、思考力が高まる……気がする。

 気がするだけなので、実際本当にそうかどうかは分からない。でもそうだと思い込むことは案外役に立つこともある。プラシーボ効果、大事。

 

 そんな冴えた思考(笑)を持つ僕は、すっかり暗くなった夜のトレセン学園の敷地内を、散歩がてらに一人で徘徊する。

 既に学生達の門限は過ぎているので不審者として通報されることはおそらくない。不本意ながら、春の一件で生徒会の面々とは顔見知りなため、彼女らは僕がトレーナーであることを知っているはずだ。

 

 寒いの苦手なのに何してんの? 馬鹿なの? と思う人もいるだろう。けれど、こうでもして無理矢理にでも頭を働かせないと現実逃避で布団に潜ってしまいそうになってしまう。

 

 一度思考をクリアにし、ポケットから携帯端末を取り出す。

 そのままウマッターを起動して懸念事項が本当に現実かどうかを確認すると同時に、つい先日のことを思い返す──

 

 

 

 ***

 

 

 

 マックイーンが天皇賞を快勝した次の日

 

「と、言うわけで、今からここでマックイーン天皇賞勝利おめでとう会の二次会をやろうと思ってるんだ」

 

「思ってるんだ、じゃあないんだよ、ゴールドシップ。ここ僕のトレーナー室なんだよ。決して君達の遊び場というわけではないんだよ」

 

「なんや、ケチくさいなぁ。男やったらここはビシッとキメ顔で許可するもんやで?」

 

「なんでそっち側なの、タマモクロス? 君はこっち側だよね? 止める側だよね?」

 

「トレーナーさん、やりましょう。天皇賞が終わった後に藁人形を持って桐生院さんの名前をぶつぶつ呟きながら釘を打ってたマックイーンさんのためにもやりましょう」

 

「ダイヤ、君までそんなこと……待って、今なんて言った?」

 

 嘘でしょ? メジロ家の誇りと気品はどこに行ったの? 

 

 人を呪わば穴二つ、実際マックイーンが桐生院トレーナーに実害を与えたわけではないと思うが、それを聞いてからジャパンカップや有記念において嫌な予感が絶えないのはなぜだろう。

 

「ってことで、ダイヤ嬢もこう言ってんだし、いいよな?」

 

「何をもっていいと判断したの? さっきの話を聞いて思うところとかないの? おい、目を逸らすな。こっちを向け」

 

 さすがのゴールドシップでもマックイーンの奇行を擁護することはできなかったようで、どんなに彼女を揺さぶっても目を逸らし続けていた。

 

「全く……貴方達、一体何を騒いでますの?」

 

 ここに来て諸悪の根源が姿を現す。こうなってるのはほとんど君のせいだよ。

 

「やっと来やがったか、マックイーン! ほら、お前のために高級スイーツ大量に買ってきたぜ! もちろん、ツケはお前のトレーナーってことで」

 

「ス、スイーツ……! くっ、お、お気持ちは嬉しいのですが、私は天皇賞がゴールではありませんの。この先、ジャパンカップや有記念も見据えて、食事制限はしっかりと……」

 

「いや、さらっと流されたけどなんで支払いが僕なの?」

 

「なんや、ケチくさいなぁ。男やったらここはビシッとキメ顔で支払うもんやで?」

 

「だからなんで君はそっち側なんだよ!」

 

 先程からタマモクロスが使い物にならないので、全てのツッコミを僕が担う状況となっている。どうしてこうなった? 

 

「ええ、そうです。私はメジロのウマ娘。高級スイーツという甘い言葉に騙されてはいけませんわ。次の休みにはライスさんとウララさんと出かける予定もあるのです。ここで誘惑に負けては……負けてはっ……!」

 

 めっちゃ迫真じゃん。分かっていたことだがスイーツに懸ける思いが尋常じゃないなこいつ。

 

 高級スイーツという単語にもがき苦しみ葛藤する様子を見せつけられては、こちらとしてもなんだか可哀想に思えてくる。

 しかし先の彼女の発言の通り、ジャパンカップと有記念が後ろに控えてるのもまた事実。ここで文字通りスイーツの甘い誘惑に負けてしまっては元も子もないだろう。

 

「マックイーンさん、もぐもぐ、大変そう、もぐもぐ、ですね……あっ、これ美味しい!」

 

 どうやらサトノダイヤモンドさんに人の心は無いようです。

 

 スイーツを前に悶々とするマックイーンの目の前で、ゴールドシップの買ってきたスイーツ(代金僕持ち)を頬張るダイヤが畜生にしか見えない。

 幸いなことに、マックイーンは全意識がスイーツに集中しているため、美味しそうにスイーツを食べるダイヤに気が付いていないことだろうか。

 それにしてもこの光景は中々シュールだな。

 

「あぅ……ト、トレーナーさん、少しだけ……ほんの少しだけで構いませんわ……。なので私にスイーツを……」

 

 屈したなこいつ。やはり桐生院トレーナーから貰ったトレーナー白書を読ませようか。

 

 依然マックイーンは懇願するかのような目で見てくるが、あいにく僕は彼女ほどちょろくはない。

 それがトレーナーとしての業務に関わってくるのなら尚更だ。ウマ娘の体重管理はそのウマ娘本人が行わなければならないとはいえ、それにトレーナーが関わるなというのも無理な話だろう。

 

 そんなわけで、今この時期に太りやすい体質のマックイーンがスイーツを口にしたら結果は目に見えている。ここは心を鬼にしてスイーツを取り上げなければ……

 

「ト、トレーナーさん……!」

 

 こ、心を鬼にして……

 

「……一品だけね」

 

「やりましたわ! 勝利を勝ち取りました! さあゴールドシップ、早く私にスイーツを!」

 

 屈した。僕もトレーナー白書を読んだ方がいいのかもしれない。

 いや、少し考えてほしい。マックイーンが普段絶対にしないような表情をして上目遣いでお願いされたら心が揺らいでしまうのも仕方がないのではないだろうか。

 

 許可を出した瞬間に人格が変わったかのような勢いでゴールドシップにスイーツをせがむマックイーンを横目で見つつ、己の意志の弱さにげんなりしてしまう。

 

「……なあ、うちらが持ってきといてなんやけど、マックイーンに食わせてええんか?」

 

「よくないよ。でもここで我慢させたら余計によくないことになるのが目に見えてて……他の食べ物ならまだしも、マックイーンはスイーツのこととなると暴走するし……」

 

「まあまあトレーナーさん、もぐもぐ、今日くらいは、もぐもぐ、許してあげましょうよ」

 

「飲み込め! 飲み込んでからしゃべれ」

 

 とても箱入りのお嬢様とは思えない食べ方をするダイヤについ勢いよくツッコんでしまう。

 ここ最近ダイヤの優秀さとポンコツさの浮き沈みが激しすぎる気がするんだが……

 

「ゴクン……先月のマックイーンさん、スイーツほとんど食べてなかったじゃないですか。幸いなことにジャパンカップまでまだ時間もあるんですし、ここら辺でマックイーンさんのスイーツ欲を解放させておくのも一つの手では?」

 

「それはそうなんだけど……」

 

 まだ時間はあるという言葉は悪魔の言葉だ。この言葉に痛い目を見せられた人は多いのではないかと思う。

 具体的に言えば、夏休み終了一週間前に宿題が全く終わってないにも関わらず、まだ一週間あるとたかを括り最終日の夜に泣きながら終わらせたり……嫌な思い出が蘇ってきた。この話やめよう。

 

「ダイヤの言う通りやと思うで。それに、仮にマックイーンの体重が増えたとしても、うちらが併走トレーニングでもなんでも付き合ぉうたるから」

 

「まあそれなら……どっちみち、今更マックイーンを止めるつもりはないけどね」

 

「なんや、ほな気にする必要もなかったな。やめやめ、うちも食ったるわ。何せおっちゃんの奢りのスイーツやし」

 

「そこだけ気に食わないんだよなあ……」

 

 タマモクロスは笑いながらマックイーンとゴールドシップの間に入っていく。そんな彼女達の顔を見てたら、代金が僕持ちということなんて些細なことに思えて……いや、ゴールドシップめちゃくちゃ安堵してるじゃん。今の会話の間にどれだけマックイーン暴走してたんだよ。

 

「モンブランにショートケーキ、マカロンにガトーショコラ……! どれもこれも美味しすぎますわ!」

 

「おいこら待てお前、一品だけっつったよな? 何どさくさに紛れて何品も食べようとしてんの?」

 

「こ、これは仕方がなかったのです! スイーツが美味しいのがいけないのですわ! それとトレーナーさん、貴方最近少し口が悪くなってませんこと?」

 

 誰のせいだと思ってんだよ。

 

「僕の口調なんてどうでもいいんだよ。ゴールドシップ、マックイーンからスイーツ取り上げて」

 

「あらほらさっさー!」

 

 僕がパチンと指を鳴らすと、ゴールドシップは機敏な動きでマックイーンの手からスイーツの乗った皿を取り上げる。

 

「ああ、スイーツ! 私のスイーツ! 返してください! その子がいないと夜も眠れませんの! お願いします……後生ですから……!」

 

「ほら、有終わったらいくらでも食べていいからさ」

 

「……その言葉、忘れないでくださいまし」

 

 ようやくマックイーンは自分の目的を思い出したらしい。彼女はただでさえ太りやすい体質なのだ。これ以上食べたら確実に取り返しのつかないことになるということを、ギリギリ残った理性で判断したのだろう。

 

「よし、よく我慢した。さあ、今日もトレーニングだよ。食べた分だけ走る。ジャパンカップに有記念、一気に駆け抜けよう。行くぞ、マックイーン、ダイヤ!」

 

「おー!」

 

「お、おー……ですわ」

 

 元気よく右手を天に掲げるダイヤに比べ、マックイーンはスイーツのことをまだ引きずってるらしく活気が無い。

 でもあそこから立ち上がっただけ良しとしよう。それに、トレーニングをしていたら気分も変わるに違いない。

 

 そんな彼女達に苦笑しながら、ターフへ向かうべくドアに手をかけると……

 

「た、たた、大変ですトレーナーさん!」

 

「うわあびっくりしたあ! どうかしましたか、たづなさん?」

 

 僕がドアを開けるより先に、ドアの向こうから突如現れたたづなさんによって開かれる。

 

 それにしても、あのたづなさんがここまで焦った様子を見せるなんて珍しい。しかもはっきりとトレーナーさんと、僕のことを名指しで呼んできた。

 

「き、緊急、緊急速報です! トレーナーさんにメジロマックイーンさん!」

 

「練乳?」

 

「緊急ね、そうはならんやろ」

 

 この頭スイーツはもうダメだ。

 

「それでたづなさん、何かあったんですか? マックイーンかダイヤが何かやらかしたんなら僕もそれなりに責任を取るつもりなんですけど……奉仕活動とかで手を打ってくれませんか?」

 

「ちょ、私達が何かしでかした前提なのやめてもらえます!?」

 

「私達何もやってませんよ!」

 

 ぶっちゃけこの二人が学園内で何か問題を起こしたと聞いても何も驚かない自信がある。少し前ならダイヤに関しては疑っていたかもしれないが、今となってはもう完全に問題児の部類だと思ってる。

 

「そんなことじゃありませんよ! トレーナーさん達はニュース見てないんですか!?」

 

 ニュース? はて、何かめぼしいものはあっただろうか。

 

「えっと、少しドタバタしてて見れてなくて……」

 

 ここに来てなんだか本格的に嫌な予感がしてきた。

 マックイーンが桐生院トレーナーに呪いのような行為をしているということが発覚した時は冗談で嫌な予感がするとは言ったが、今はそれの比じゃない。

 冷や汗が流れ、まだ知りもしない事実に怯えてしまっている。

 

 頼む、どうかこの嫌な予感が杞憂であってくれ……! 

 

 だが、僕の思いは、

 

「マックイーンさんの次のレース、ジャパンカップにブロワイエが参戦の意を示しました!」

 

 たづなさんから発せられたレースと名前によって、いとも容易く打ち砕かれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……夢じゃなかった……」

 

 ウマッターで『ブロワイエ』と検索すると、インターネットの海にはジャパンカップにブロワイエが出走するという情報で溢れていた。

 中にはマックイーンとブロワイエのどちらが強いかなどといった論争も起きており、界隈は大盛り上がりな状況にある。

 

 この前のハッピーミークと同様、強いウマ娘同士のガチンコ勝負は僕も見たいが、当事者にとってこうも連続で胃に穴が開くようなことが続くと厳しいものがある。

 しかも今回は相手が相手だ。甘いことは言ってられない。

 

 もちろんマックイーンに無理をさせるつもりはない。予定通りにトレーニングをし、休みもちょくちょく入れることができれば、ジャパンカップの日には万全のコンディションで臨むことができるはずだ。

 そこに間違いはない……ないんだけど……

 

「どうしてこうもまあ……ついてないというかなんというか……」

 

 冷たい風が頭を打ちつける。

 ジャパンカップでもマックイーンは勝ちをもぎ取ってくれると信じているが、すぐに不安になってしまうのは僕の悪いところだ。せめて少しでも彼女のために何かしてあげたらと思うのだが……

 

 歩き続けながら頭を悩ませ続けていると、背後から誰かの足音が聞こえてくる。

 こんな時間に誰だろうと思い、チラリと後ろを見ると

 

「やっぱり想像以上に悩んでるみたいだな。よう、元気にしてるか?」

 

「ああ、あなたでしたか。見ての通りですよ、沖野トレーナー」

 

 チームスピカのトレーナー、沖野トレーナーがいつもの棒付き飴を咥え、飄々とした態度でこちらに歩いてきた。

 

 

 



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もどかしさ

 

 ウマ娘に関わる仕事をする人間であれば、ブロワイエというウマ娘を知らない者はいないだろう。絢爛なマントと古式ゆかしき衛兵のような勝負服に身を包み、フランスレース界のトップを張っているウマ娘である。

 

 ヨーロッパ最強のウマ娘と言っても過言ではなく、その強さはあのエルコンドルパサーをも差し切り勝利を勝ち取った凱旋門賞で十二分以上に証明されているだろう。

 まさに、てん良し、中良し、仕舞い良しの「完璧なウマ娘」と言った所だ。

 

「ブロワイエがジャパンカップに出るって聞いて様子を見に来たら、これまた酷い有様だなぁ」

 

「うるさいですね、ほっといてください」

 

 沖野トレーナーとの仲は決して悪くはない。むしろトレーナーとして尊敬している。だが直接話すのはあまり得意ではない。なんかこう、めちゃくちゃイジリ倒してくる部活の先輩のような感じが……

 

「……僕に何か用事でもあるんですか? あなたが用も無しに話しかけるとは思えないんで」

 

「おいおい、辛辣だなぁ。せっかく悩んでる後輩の手助けでもしてやろうと思ってんのに。ほら、最近困ってることとかないか? 俺にかかれば大抵のことは解決してやるぞ?」

 

「そうですか。では最近僕のトレーナー室に入り浸っているゴールドシップをどうにかできませんかね。この間は部屋でお好み焼き作り出したんですけど」

 

「……わり、それは無理な話だ」

 

 いや注意しろよ。チームスピカもといゴールドシップのトレーナーはあんただろうが、手綱はちゃんと引いとけよ。

 そう抗議したかったが、それを言ったところで「俺は放任主義なんだ」と返されるのがオチなのでこれ以上の追及を断念した。

 

「はぁ、まあいいです。それで、本当に何の用なんですか? 側から見たら暇そうに見えるかもしれないですけど、ジャパンカップのことだけじゃなくてダイヤのデビューのことや日々の事務作業で手一杯で……」

 

「そう焦んなよ、焦って周りが見えなくなるのはお前の昔からの悪い癖だ。お前は予期せぬ事態ってやつに弱いもんなあ?」

 

「む……」

 

 いつもこの人には言いたいことが山ほどあるが、今この状況では何も言い返す言葉が無かった。

 沖野トレーナーは普段軽薄な態度を取っているにも関わらず、発言や行動などは的確だ。ウマ娘を見つけては足を触りに行くというセクハラ染みた行動を除いては。

 

「……降参です。やっぱ僕はあなたには敵わないみたいですね」

 

「はっ、お前が俺に勝とうなんざ100年早いってもんだ。悔しかったら彼女の1人でも作って俺に自慢して来るんだな」

 

「帰っていいですか?」

 

 そもそもあんたも独身だろうが。その点では劣っているどころか五分、イーブンだ。

 せいぜいこの人と仲が良い女性なんておハナさんこと東条トレーナー、スピカの一員であるサイレンススズカに……なんだろう、何故こんな負けたような気持ちになるのだろう。中等部のマックイーンをカウントするとなんだか本格的に負けたような気がするし……帰ろ。

 

「待て待て待て待て、本当に帰るやつがいるか! 悪かった、冗談だ。まさかそんな落ち込むなんて思ってなくてよ」

 

「……沖野トレーナーはいいですよね、恵まれてて」

 

「は? 何がだ?」

 

 なんだこの人、鈍感系主人公か何かか? そういうのは異世界行ってからやってもらえませんかね。

 

 テキトーな軽口を言い合ってる間に、後日体調を崩しそうな勢いで体が冷え込んでしまう。今の服装はこの寒さに見合ったものではないため、余計に寒く感じる。

 一応明日は休日であり、トレーニングの予定も無いため多少は無茶をしても大丈夫なのだが、できればしんどい思いはしたくない。

 

「あの、本当に僕帰っていいですかね? 寒いの苦手なんで、これ以上こんな格好でここにいたら風邪引くし、本当に用があったんならまた後日に……って、おっと」

 

 寒さに震えながら帰宅を促していると、沖野トレーナーから突然何かが放り投げられた。

 

 これは……棒付きキャンディ? それもこの人がよく咥えてる種類の……

 

 怪訝な目で沖野トレーナーを見ると、予め何個か持っていたのか、彼は新しいキャンディを取り出し、ニヒルな笑みを浮かべながらそれを咥える。

 

「なぁ、ちょっとばかし俺に付き合わねぇか?」

 

 

 

 

 

 

 辿り着いた場所は都内某所のバー、どこに連れ回されるのだろうと思っていたが、そこは意外にもすっきりとした場所だった。

 普段アルコールの類を摂取することがあまり無いので、僕の酒やカクテルに関しての知識はゼロではないにしろほとんど知らないと言ってもいいほどのものだ。

 だが、マスターの後ろに並んでいる酒やワインは素人の僕から見ても高級そうに見える。それだけならまだしも、いつも金欠と嘆いている沖野トレーナーがここの常連だと聞いた時は半信半疑だった。

 

「マスター、いつもの」

 

「かしこまりました」

 

 ところがどっこい、沖野トレーナーは慣れた様子でオーダーを通し、マスターと呼ばれた男性も、そのオーダーを理解しているようだ。どうやら沖野トレーナーがここの常連というのは本当のことらしい。……ふむ、沖野トレーナーは何か錬金術でも使っているのだろうか。今度さりげなく聞いておこう。

 

「そちらのお客様はどうなさいますか?」

 

「うぇ、僕? あー……僕はお酒ダメなんで、オレンジジュースをお願いします」

 

「かしこまりました」

 

 マスターに僕の渾身のボケを変わらぬ笑みで返されてしまい少しばかり悲しくなる。逆に沖野トレーナーには伝わったようで、彼は僕の言葉を聞いてから吹き出してしまった。良かった、ネタが伝わる人がいて。

 

 オーダーを通してからものの一分足らずで沖野トレーナーのカクテルとオレンジジュースが出される。

 まずは一杯、と言わんばかりに沖野トレーナーはグラスに口をつける。僕もそれに倣ってオレンジジュースの入ったコップ手に取り……いや、オレンジジュースて。注文しといてなんだが、やっぱり適当なカクテルとかにしておけばよかった。

 

「まずは秋の天皇賞、メジロマックイーン一着おめでとさん」

 

「え、ああ、ありがとうございます。沖野トレーナーも見てたんですね」

 

「そりゃ見るだろ。なんせ、一世を風靡したメジロマックイーンの久々のGⅠレースだからな。あの最後の末脚、是非うちのチームに欲しいってもんだ。おっと、そんな怖い顔すんなよ。別に引き抜きとかは考えてねぇから」

 

 沖野トレーナーのチームに欲しいという発言につい反応してしまい、威嚇するように彼を睨みつけてしまう。

 実際マックイーンが取られてしまうと考えると物凄く嫌な気持ちになる。本人がそう希望しない限りは僕から手放すことはないと断言しよう。これが父性か……

 

「天皇賞の次はジャパンカップ、そして有記念ってとこか? そしてそのジャパンカップの相手はブロワイエと……なかなかハードなスケジュールだな」

 

「マックイーン本人が秋シニア三冠を目指すと言ったんです。だったら僕はそれを全力で支える……支えるだけですよ」

 

「……ほーん、支えると……」

 

 支える、という単語をつい言い淀んでしまった。

 今の僕は、本当に彼女達を支えてあげられていることができているのだろうか。最近これについてばかり悩んでいるが、トレーナーを生業とする者、少なくとも僕にとっては切って切れない悩みだ。

 早い話、僕は彼女達に何もできてないんじゃないかということだ。

 

「……何考えてるかはよく分からんが、大方自分が担当ウマ娘に対して何もできてないって感じてうじうじしてるってところだろうよ」

 

「なんで分からないって言ってるのにそんなドンピシャで当てられるんですかねえ!? 後うじうじはしてない!」

 

「うじうじしてるだろ……。まあなんだ、なんで分かるかってーと、お前のとはちょっと違うが、俺にも似たような時期があったからな」

 

「えっ……あの軽薄な態度でいつも東条トレーナーを怒らせて金欠金欠騒いでてイキリキャンディみたく飴咥えてる沖野トレーナーにもそんな時期が……?」

 

「ほとんど俺の悪口じゃねえか! てかこの飴は……いや、なんでもない。とにかく、飴についてはちゃんとした理由があるんだよ!」

 

「前半の内容は否定しないんですね」

 

「……」

 

 墓穴を掘ったな。これが沖野トレーナーに対する初勝利だ、やったぜ。こんなんでいいのか。

 

「……俺もお前と似たような時期があってよ」

 

 あ、そのまま続けるんですね。

 

「俺は今も昔もトレーナーとしての指導スタイルは変わってないんだが、どうも自由に走らせるという俺の理念と合わないウマ娘が多かったみたいでな。続々と退部者を出したもんだ」

 

 今やリギルに並んでトップレベルのチームとなったスピカにそんな過去があったなんて俄には信じられない。

 

「そんなこんなで、俺にも多少ブルーな気持ちになった過去があったってもんだ。ま、そん時はとあるウマ娘の走りを見てそんな気持ち吹き飛んだんだけどな。あ、マスター、同じのをおかわりで」

 

 とあるウマ娘というのは十中八九サイレンススズカだろう。たしかに自分の惚れた走りを見ると嫌なことなんて吹き飛んでしまうのは分からなくもない。だが、それだけで悩みが解決するならば苦労はしないのもまた事実だ。

 

「とにかく、俺から言いたいのはいつまでも難しく考え過ぎんなってことだ」

 

「えぇ……もっとこう……具体的なアドバイスって有りませんかね?」

 

「無い! 答えは自分で見つけるんだな。それができなきゃいつまでも三流トレーナーだぞ」

 

 ちっ、ダメか。

 まあ沖野トレーナーの言うことはもっともだ。この悩みを無関係の人に解決してもらっても意味が無い。答えを知るのは当分先になりそうではあるけれど。

 

「……分かりました。とりあえずは直近のレースに全力投球してみます」

 

「おう、それがいい……っつっても、まさかジャパンカップにまたブロワイエが出走するとは俺も予想してなかった」

 

「またって……あ、そういえば前にスペシャルウィークが……」

 

「そうそう、あん時のスペの末脚と言ったら……! まあその後の有ではグラスワンダーにハナ差で負けたんだがな」

 

 スペシャルウィークのジャパンカップと言うと、あのとてつもない強さでブロワイエ含む他のウマ娘を圧倒した伝説のレースだ。あのレースを見た時は僕も開いた口が塞がらなかった。

 

「なんにせよ、一ミリも油断はできないぞ。ブロワイエの実力は本物だ。ワンチャンあるや小細工なんかは通用しない。実力一本勝負ってところだな」

 

「ええ、分かってますよ。天皇賞の時のような手段は使えません。だったらマックイーンは自分の走りをするしかありませんから」

 

 天皇賞はほとんどのウマ娘がマックイーンをマークしてきたが、ジャパンカップではそう言ったことはないだろう。前走で相手を騙すような走りをしたから警戒されるというのもあるけれど、相手があのブロワイエというのが大きな理由だ。付け焼き刃の技術で勝てるとは思えない。

 

「……なあ、少し変なことを聞いてもいいか?」

 

「はい、なんですか? 沖野トレーナーの言うことは9割変なことだと思いますけど」

 

「一々言葉に棘があるな……。いやなに、もし、もし万が一メジロマックイーンがジャパンカップに負けたら、あいつはその後のレースをどうすると思う?」

 

 何を聞かれるのかと思ったら、なんだそんなことか。

 

「関係ないですね。例えジャパンカップに負けようとも、彼女のレースに対する姿勢は変わりません。むしろそれすらも強みに変えますよ」

 

 裏では悔しくて大泣きするかもしれないけど、それを励ますのは僕の役目だ。

 

「そうか……ならいいんだ。これならテイオーとも……」

 

「ん、なんですか? トウカイテイオー?」

 

「ああいやなんでもない! そうだ、テイオーに憧れてスピカに入部してきたキタサンブラックってウマ娘のこと、お前は知ってるか?」

 

「キタサンブラックですか? ええ、一応知ってますけど。ダイヤのライバルですし」

 

「そのキタサンブラックなんだが、来年デビュー戦が決まってなぁ」

 

「………………は?」

 

 えっ、キタサンブラックってダイヤと一緒に入学してたよな? つまりは新入生ってことだ。そして来年ってことは……

 

「もうすぐじゃないですか! それにキタサンブラックって新入生ですよ!? 流石に早すぎじゃないですか!?」

 

「そんなことねえよ。スペなんかはトレセン学園に来てから一週間でデビュー戦だったからな。それに、キタサンブラック本人が早く走りたいって言うんだからそれを拒むなんてことはできねえ」

 

 薄々感づいてはいたが、やはり本人による希望か。それを尊重するのもなんだか沖野トレーナーらしいな。

 

「それで、そっちのサトノダイヤモンドはいつデビュー予定なんだ? その感じだと少なくとも来年ってことは無さそうだが……」

 

「……ダイヤのデビューは再来年、キタサンブラックの一年後ってとこですかね」

 

「となると、再来年になるまで二人の戦いはお預けか。二人ともとんでもない才能を持ってるからな、今からでも走りが楽しみだ」

 

「それに関しては全面的に同意しますよ」

 

 成長したダイヤとキタサンブラックがどんな勝負を繰り広げるのか、まだ遠い未来ではあるものの、ついそれに胸を弾ませてしまう。

 

「そろそろ潮時だな。分かってるとは思うが、今目を向けるのは目先のレースだ。担当ウマ娘について悩むのはいい。だが難しく考えすぎるな。ありのまま、自然体でいれば自ずと答えは出てくるもんさ」

 

「……その答え、一人で導き出せますかね」

 

「別に一人で考えろなんて言ってねえよ。お前には信頼できるウマ娘が少なくとも二人……場合によってはもっと多いだろ?」

 

 ……担当ウマ娘のことで悩んでいるのに、そのことを担当ウマ娘に話すのもどうなのだろうか。

 

「ヒントを出すと、一番最初のアドバイス……もとい軽口を思い出してしっかりと自分を見つめることだな」

 

「は、いやなんのこと……」

 

「さ、帰るぞ帰るぞ。お前もさっさとそれを飲み干せ」

 

 全くこの人はいつも僕を振り回すんだから……

 

 残ったオレンジジュースを一気飲みし一息つく。

 

 そんな沖野トレーナーのことを尊敬している僕も僕か。なんだかんだで言うことを聞いておいて損は無い。

 こういった性格故に彼を支持する人は多く、特に新人トレーナーなんかからはかなり人気である。女性トレーナーが近づくとサイレンススズカが少し離れたところで物凄い目で牽制しているという情報も付け加えておこう。

 

 先程の会話で何かを得られたかと言われたらそれは少し怪しい。でも、何かを得るためのヒントは掴めたかもしれない。悩んでいる時に彼と話すと、何かを掴めるんじゃないかとすら思わせてくるのはもはや魔法か何かじゃないかと疑ってしまう。

 

 今回も例に漏れずそれだ。さすがは沖野トレーナー、期待を裏切らない。

 

「あ、悪りぃ、俺金欠だから今夜の飲み代奢ってくんね?」

 

 ……さすがは沖野トレーナー、期待を裏切らない。

 

 

 



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勝利は我が手に

誤字報告で指摘して頂いたのですが、ハーメルンなら点が二つの『馬』を使えることに驚愕してます。


 穏やかな日曜日の昼下がり。空には雲一つ無い晴天が広がっており、もし今日が平日ならば授業中にこのポカポカ陽気と戦わなければならなかったかもしれないと思わせるほどの快晴だ。メジロのウマ娘として授業中に居眠りなど許されないので、こういった天気の平日は下唇を噛んででも目を開けとかなければならないのがとても辛い。

 

 そんな11月にしては暖かい気候の中、私は二人の人物と共に学園の外に出てきている。普段ならばここの二人の枠はトレーナーさんとダイヤさんなのだが、今日はまた別の顔ぶれ……

 

「ライスちゃん、マックちゃん! はやくはやくー!」

 

「もう、そんなに急ぐと転んでしまいますわよ?」

 

「大丈夫大丈夫! 私いつもダート走ってるからこれくらい……ってうわわ!?」

 

「ああっ、ウララちゃん!?」

 

「ほら言わんこっちゃない……」

 

 私達の前を元気よく小走りしていたウララさんは、ものの見事にすっ転んでしまう。その転びっぷりもなんだか彼女らしくてなんだか微笑ましく感じてしまう。キングヘイローさんが彼女の世話を焼く理由も分かる。

 

「ラ、ライスのせいだ……ライスがウララちゃんと外を歩くから……」

 

「それは少し……いえ、かなり考えすぎだと思いますが……。ウララさん、大丈夫ですの? 怪我をしているようでしたらコンビニで絆創膏を買ってきますわよ」

 

「ううん、大丈夫、だってウララ強いもん! それに転んだら運が良くなるって教えてもらったんだ! なんか気の流れ? っていうのが良くなるみたい! だからわたし、何度転んでも立ち上がるよ!」

 

「ウララちゃん……!」

 

 ただ転んだだけなのにどうしてここまで素敵な話になるのだろうか。雑誌の特集の『元気を貰えるウマ娘』という紹介文が彼女にぴったりだと思わせる。

 

「お、おい! こっちでウマ娘が一人倒れてるぞ!」

 

「き、救急車を呼んで! この子血を流しているわ! ……ん、これ鼻血……?」

 

「あなた大丈夫なの!? しっかりして! ……なに、ウマ娘ちゃんまじ尊み? 変なこと言ってないで意識保って!」

 

 ウララさんの前向きっぷりに感心していると、いつのまにか後方が騒がしくなっていた。何か騒動でもあったのか。まあ大したことはないだろう。私達はそれを気にせずに足を前に進める。

 

「それでウララさん、今日は一体どこへ連れて行ってくれるんですの? 確か以前、天皇賞が終わった後にお寿司を食べに行こうと言ってた気がするのですが……」

 

「そうそう! マックちゃんのてんのーしょー一着おめでとう会のにじかいってやつ? エルちゃんに教えてもらったお寿司屋さんに一緒に行って、これからも頑張ってねって言いたくて!」

 

「ライスも、マックイーンさんの一着を改めてお祝いしたかったから。これで終わりじゃないっていうさのは分かってるけど、これからも応援したかったから!」

 

「ウララさん、ライスさん……」

 

 不覚にもうるっと来てしまった。私の周りにはこんなにも素晴らしい友人がいるということに感謝しなくてはならない。

 

「きゃー! 倒れてる子の鼻血が急に!?」

 

「早く! だから早く救急車を呼べって!」

 

「まだ意識があるわ! ……ウマ娘ちゃんマジ天使……? 訳の分からないこと言ってないでしっかりして!」

 

 うるさいですわね。今少しいいところなので騒ぎが起こるなら後にしてほしい。

 

「お二人とも、本当にありがとうございます。ここまで応援されては、後のレースも負けるわけにはいきませんわね」

 

「うん! ウララも目一杯応援するね! でもね、この前のてんのーしょーでマックちゃんを応援したのにあんまり覚えてないんだ。なんでだろう?」

 

「そうなんですの? たしかにあの時はウララさんの元気な声が聞こえなかったような……」

 

「き、きっとウララちゃんが声を出しすぎて疲れちゃったんだよ! それにお客さんも多かったし、ウララちゃんだけじゃなくてみんなの声も届きにくかったんだよ!」

 

「そうなの? だったらもっとおっきな声で応援するね! うっらら〜!」

 

 ウララさんはライスさんの言葉を真に受けているが、彼女の挙動からそれが嘘や誤魔化しの類だというのは見て取れる。

 でも、ライスさんのことだ。きっと優しい嘘というやつなのだろう。彼女が意味もなく人を騙したりするはずがない。

 まあそれはそれとしてウララさんの身に何があったのか気になるので、後でトレーナーさんにでも聞いておきましょう。

 

「あっ、とうちゃーく! ここだよ、ここ! ここがエルちゃんに教えてもらった美味しいお寿司屋さん!」

 

 天皇賞の日にウララさんに何があったのかを考えながら歩いていると、いつのまにか目的の場所に着いていたようだ。一見普通の寿司屋、それも回らない方の寿司屋のように見える。

 

「ね、ねぇマックイーンさん」

 

「どうしたんですの、ライスさん?」

 

「あのね、いらないお世話かもしれないんだけど、もうすぐジャパンカップなのにお寿司食べてて大丈夫なのかなって……」

 

「問題ありませんわ。私、スイーツ以外の食べ物なら自制は効く方だと自負していますの」

 

 裏を返せばスイーツとなると我を忘れてしまうことがある。あれだけは頭では分かっていてもその衝動を抑えることが難しい。

 

「それに、トレーナーさんからも少しは羽を伸ばしてこいと言われましたわ。ブロワイエが出走表明する前の話ですけど……」

 

 流石のトレーナーさんでもブロワイエがジャパンカップに参戦することは予想出来なかったみたいだ。それを聞いた時のトレーナーさんの顔は一生忘れない。

 

 ここまで他人事のように聞こえるかもしれないが、私もブロワイエの出走を聞いた時は思考が停止した。その後今すぐにでもがむしゃらにトレーニングをとも考えたけれど、まず優先すべきはコンディションを整えること。こればっかりはトレーナーさんに頼り切りというわけにもいかない。

 落ち着いて冷静に、メジロのウマ娘たるもの、焦りは禁物だということは重々承知している。

 

「そっか……! なら今日は食べすぎに注意して、明日からまたトレーニング頑張ろうね! ライスも併走に付き合うよ!」

 

「ふふっ、ありがとうございます」

 

「もー! ライスちゃんもマックちゃんも、もたもたしてたらわたしが一人でお寿司食べちゃうよ!」

 

「今行きますわ! さぁ、ライスさんも」

 

「うん!」

 

 ウララさん先頭に、私、そしてライスさんが続く形で建物に向かって歩いていく。

そしてウララさんが元気よく引き戸に手をかけると……

 

「おっすし〜、おっすし〜……あぎゃっ!?」

 

「ウララちゃん!?」

 

 どうやら戸に鍵がかかっていたらしく、引き戸を左に引こうとしたウララさんは勢い余って横に倒れてしまう。

 

「だ、大丈夫ですの!?」

 

「う、うーん……あれ、お星様? いつの間にかお昼ご飯が夜ご飯になっちゃった?」

 

 ウララさんは倒れた衝動で頭を強く打ちだいぶ混乱しているようだ。私はフラフラとした足取りになっている彼女を抱き抱え、強打したであろう彼女の後頭部を優しくさすり介抱する。

 

 最初こそ「うぅ……」と呻き声をあげていたが、ものの数秒で落ち着きを取り戻したようでいつもの彼女への復活も早かった。

 

「あ、あれっ? これって……」

 

「あら、ライスさん? どうしたんですの?」

 

「マ、マックイーンさん……この張り紙……」

 

 ライスさんが指を指す方向には、戸の横に貼られた一枚の張り紙。

 すっかり元気になったウララさんと一緒にその張り紙に目を通して内容を確認する。

 

「『本日、貸切により休業日』……と書いてありますわね」

 

「きゅーぎょーびって……ええっ!? おやすみってこと!?」

 

「そうみたいだね……せっかくのマックイーンさんのお祝いなのに……。はっ、もしかしてこれもライスが一緒にいるせいで……!」

 

「だからそんなことありませんわよ!」

 

 ライスさんのすぐに卑屈になってしまうところは見方によっては謙虚ともとれるが、彼女のそれは極端なので悪徳とも美徳とも取れてしまう。

 

 そんなライスさんのことで頭を悩ませていると、戸の鍵が開く音が聞こえ寿司屋の中から一人の男性が出てきた。

 

「おーおー、外で凄い音がしたと思ったから何事か思ったら、ウマ娘さんらそこで何して……ん? あんたらどっかで見たことあるような……」

 

「もしかしてここのお寿司屋さんの大将さんですの? 申し訳ありません、お騒がせして。何分休業とは知らなくて……」

 

「おっ、もしかしてうちの寿司を食いに来てくれたのかい? それはすごい嬉しいんだが、書いてある通り今日は貸切でねぇ……」

 

「えー!? おじさん、どうにかならないの!?」

 

「ウ、ウララちゃん! ダメだよ無理言っちゃ!」

 

「本当ならウマ娘のお客さんにも食べてもらいたいんだが、予約してるお客さんが貸切希望とのことでなぁ……」

 

 今更なんだが寿司屋を貸切とは一体どういう状況なのだろう。メジロ家でも出来ないことはないと思うが、そもそも寿司屋を貸し切るという発想がまず出てこない。

 

「ここでごねていても仕方がありませんわね。今日は別のところで食事を済ますとしましょう。大将さん、私達はまた後日に伺うことにしますわ」

 

「へい、いつでも待ってまっせ」

 

 見るからに残念なそうな面持ちのウララさんをライスさんと慰めながらこの場所を後にしようとする。

 エルコンドルパサーさんお墨付きの寿司屋というのが少し気になっただけに、自分も少し残念だ。

 

 また今度来ればいい。ジャパンカップや有記念が終わった後にでも。

 

 そういった言葉でウララさんを慰めていると、私達の前に一台の車が止まる。その車は、運転席と助手席の側面の窓は透明になっているが、後部座席の窓は何かしらの細工がされており、誰が乗っているか分からないような作りになっている。

 

 メジロ家以外で私の知っている仲だと、車を運転するのはトレーナーさんくらいだ。でも運転席には私の見慣れた顔はない。

 車の止まった場所も、この寿司屋に行くと言うなら分からなくもないが、それにしても不自然だ。

 まるで意図的に私達の前に駐車したような感じがする。

 

 そのような要因が重なり、不思議に思った私とライスさんは顔を見合わせる。どうやら彼女にも心当たりは無いようでキョトンとした顔になっていた。

 

「……ん、あれ? この車……」

 

「えっ、ウララちゃん知ってるの!?」

 

「ううーん、どこかで見たような……」

 

 ウララさんが考え込んでいると、唐突に車のドアが開き、ライスさんがそれにビクリと反応する。

 ウララさんに心当たりがあるということは、彼女の知りあいである可能性があるのだが……

 

 そう思っていると、車からは長身で金髪で、先日ジャパンカップの出走表明の会見で見たことあるウマ娘……

 

「あー! 思い出したー!」

 

「Oh, nous nous rencontrons à nouveau. Comment allez-vous ?(おや、また会ったね。元気にしてたかい?)」

 

「あっはははは! やっぱり何言ってるか全然分かんない!」

 

「D'après ce que je vois, je peux dire que vous vous en sortez bien.(その様子だと、君が元気だということがよく分かるよ)」

 

 ウララさんとそのウマ娘は顔見知りのようで、言語が通じてなくても楽しげに会話をしている。

 いや、隠す必要もない。ウララさんと話しているウマ娘は……

 

「ブロワイエ……!」

 

「ウララちゃん、あのブロワイエさんともお友達なんてすごい……!」

 

 なんてライスさんは呑気に言っているが、この光景は異常だ。

 なぜ彼女が日本いるのかに、なぜこの場所来たのかに、なぜウララさんと顔見知りなのか、あげ出したらキリがない。

 

 混乱していると、ウララさんと話していた、もといコミュニケーションを取っていたブロワイエの興味がこちらに向いたようで、私達の方を見て口を開く。

 

「Hmm, la fille aux cheveux noirs est aussi très jolie et fragile. Et l'autre enfant est ……Oh. (ふむ、黒髪の子も儚げで実に可愛らしい。そしてもう一人の子は……おや)」

 

 ライスさんを見て微笑んでいたブロワイエの顔は、私のことを見てから少し崩れたような気がした。

 なんでしょう、私何かしましたか……?

 

 それからブロワイエは少し考え込むような仕草をしていたが、何か思いついたようで、まるで幼い子供が悪巧みを考えるのようにニヤリと笑みを浮かべる。

 

「Si vous avez le temps, que diriez-vous d'un repas ensemble ? (もし時間があれば、一緒に食事なんてどうだい?)」

 

 ブロワイエはウララさんの方ではなく、何故か私に目を向けて言葉を放つ。

 英語ならまだしも、流石にフランス語は分からないのでブロワイエが何を言っているのかは雰囲気で察するしかない。

 先程の不敵な笑みのこともあり、もしかすると悪口を言われたのかもしれないと一瞬考えたが、世界のブロワイエがそんなことをするはずが無いと思い即座にその考えを切った。

 

 ならばなんだろう、もしかして宣戦布告だろうか。

 一応私は公にジャパンカップに出走することを宣言している。ブロワイエが私の顔を知っていたかは分からないが、その線は大いにあると考えられる。

 

 ……いいでしょう、その宣戦布告、受けて立ちますわ! 勝負の前から相手に呑まれていてはいけませんもの!

 

「ブロワイエさんはこう言ってます。『時間があるのなら食事でもどうか』と」

 

 ブロワイエが出てきた後部座席とは反対側から通訳らしき女性が出てきて…………え?

 

 何を言われたか一瞬理解できず、ブロワイエと通訳の女性を交互に見てしまう。

 

え、食事? どうして私達と? ウララさんとは面識があるようですし、私にとってもジャパンカップで戦わなければならない相手ですが……

 

「Ne soyez pas si inquiet, Mejiro McQueen. Je veux juste manger des sushis avec vous les gars.(そんなに警戒する必要はないよ、メジロマックイーン。私は君達と共に寿司を食べたいだけさ)」

 

「っ!」

 

 内容は相変わらず分からなかったが、ブロワイエは今たしかに『メジロマックイーン』と言った。

 

「『警戒する必要はない、私はあなた達と寿司を食べたいだけだ』、だそうです」

 

 通訳の方により、先程のブロワイエの言葉が日本語に翻訳される。

 

 警戒する必要はない? 無理な話ですわ。だって私とブロワイエが話すのはこれが初めて、しかも私はまだ名乗ってすらいません。それなのに彼女は私の名前を知っている。それはつまり……

 

 ブロワイエは依然私の方を向いており、それに釣られてウララさんとライスさんも私の方を見ている。どうやらこの場の決定権は私にあるようだ。

 

 レースの前に対戦相手に情報を与えてしまう可能性を考えると断った方がいいのだろう。でもそれはブロワイエも同じな筈だ。ここで彼女がこうして私達を食事に誘うことには何か意味があるはず……

 

 私は一度深呼吸をし、呼吸を整える。

 

「メ、メルシー」

 

 私のカタコトのフランス語を聞いて、ブロワイエは柔らかく微笑んだ。

 

 

 

***

 

 

 

「へい、お待ち! マグロ一丁!」

 

「Voici ...... Ça a l'air très savoureux. (これは……とても美味しそうだ)」

 

「うわー! 美味しそー!」

 

「本当だね! ライス達はいいから、先にブロワイエさんが食べて……って日本語分かんないからどうしよう……」

 

「うーむ、九州の方言は難しいぜよ……」

 

 いえ、フランス語は九州の方言ではないと思うのですが……

 

 少し離れたところでブロワイエとライスさんとウララさんが盛り上がっている。

 ライスさんはブロワイエとなんとかコミュニケーションを取ろうとジェスチャーで伝えようとしており、その姿がとても可愛らしく周囲を和ませている。

 

「このような形で突然食事に誘うような形になってすみません……ええっと、メジロマックイーンさんですよね?」

 

 おっと、私はこちらに集中しなくてはならない。今はブロワイエの通訳さんとお話し中だ。

 

「ええ、私がメジロマックイーンで間違いありません。ブロワイエさんに食事に誘っていただけるのもとても光栄だと思っていますわ」

 

「そう言っていただけると助かります。何分ブロワイエさんが突然言い出したことですから、私も驚きで……」

 

 通訳の女性はどっと疲れたような様子をしている。彼女もブロワイエの付き添いということで、今この時もかなり気を張っているのだろう。疲れてしまう気持ちも分かる。

 

「ところで、ジャパンカップまでまだかなり日がありますのにどうしてブロワイエさん達は日本に? お答えできないようでしたら構わないのですけど……」

 

「……こちら側から誘っておいて答えないというのも不誠実ですね。口外しないというのであればお答えできますがよろしいですか?」

 

「ええ、口は固い方だと自負していますわ」

 

 私はどこかの噂をすぐに撒き散らす不沈艦とは違う。

 

「では……以前、ブロワイエさんがジャパンカップに出走した時のことを覚えてますか?」

 

「覚えていますわ。あの時はスペシャルウィークさんとの対決でしたわね」

 

「その時の彼女は、飛行機での長旅と記者の取材が相まってかなり疲弊してました。もちろん、レースの方に影響があったかと言われたらそうではないんですけど」

 

「それで早めに日本に……」

 

「はい、当時もここのお店に来たんです。そしてここに来る途中に出会ったのがあちらのウマ娘の方でした」

 

 そう言って通訳の女性は、寿司を喉に詰まらせライスさんに背中をさすってもらっているウララさんの方を見る。

 なんだか点と点がどんどん繋がっていく。ブロワイエの早めの来日、ここのお店に来た理由、ウララさんとの出会い。既にほとんどの疑問が解決してしまった。

 

 ウララさん達の方を見ていると、通訳の女性が僅かに微笑む。

 

「どうされましたの?」

 

「いえ、ブロワイエさんがあんなに楽しげなのは久しぶりだなと思いまして」

 

 ブロワイエは凱旋門賞の覇者だ。それにより、それ相応の立場であることは間違いない。特別扱い、VIP待遇。そんなことも珍しく無いはずだ。

 故に行動や言動が制限される。周りからの印象を崩すわけにはいかない、常に毅然とした立ち振る舞いが要求される。それを続けるには多大なる精神力が必要だ。そしてそれにはいつか必ず限界が来る。そう、メジロのウマ娘としての品格を保つために糖質制限をしていた私のように……違いますか、違いますわね。

 

「これを見ると、ブロワイエさんがご自身で日本のレースに出ることを決めたのも納得がいきます」

 

「えっ、ジャパンカップ出走はブロワイエの独断ということですの!?」

 

「ええ、そうですよ。なんでも、とあるレースを見てから日本にさらに興味を持ったとのことで……」

 

「Mejiro McQueen」

 

 通訳の女性の言葉を遮るような形で、ブロワイエは私の名前を呼ぶ。彼女の手は招き猫のような手招き……ではなく、隣の椅子をポンポンと叩いている。

 話の途中なのでどうしようかと考えていると、通訳の女性は行きましょうと言いブロワイエの元へ向かう。

 私はその後を追いブロワイエの隣に座り、何も注文しないというのもあれなので、食べすぎにならない程度の量の寿司を注文をして食事をする。そしてそのまま沈黙が……

 

 ……気まずい! 話すことがない!

 ウララさんとライスさんは二人で話しているし、残された面々は実質私とブロワイエとだけだ。ま、まずは自己紹介でもしたほうが良いのだろうか? でもブロワイエは私の名前を知ってるし……

 

「Ouf, vous n'avez pas à être si nerveux?(ふっ、そんなに緊張しなくてもいいんだよ?)」

 

「へっ!? あっ、えーと……」

 

「『そんなに緊張しなくても構わない』、だそうです」

 

 見抜かれてた。私はそんなに険しい顔をしていたのだろうか。

 

「お見苦しいところをみせて申し訳ありませんわ。貴方とこうして話すのは初めてなもので……」

 

「『Je suis désolé que tu aies dû me voir comme ça. Parce que c'est la première fois que je te parle.』」

 

「Hmm……Vous avez un côté différent, plus joli, que lorsque vous faites la course. Oui, bien sûr, c'était magnifique aux courses. (ふむ……君はレースの時とは違って可愛いらしいところがあるんだね。ああ、もちろんレースの時も美しかったけど)」

 

「『あなたはレースの時も美しいが、普段は別の可愛らしさがあるのですね』、だそうです」

 

「レースの時って……」

 

 やはり間違いない、ブロワイエは私のことを『知っている』。

 

「S'il te plaît, n'aie pas l'air si effrayé. Tu as ruiné ton joli visage.(そんな怖い顔をしないでくれよ。せっかくの可愛い顔台無しだ)」

 

「『そんなに怖い顔をしないでください。可愛い顔が台無しですよ』、だそうです」

 

 またしても顔が強張ってしまっていたことを指摘される。でもこればかりは……

 

「……ブロワイエさん、貴方はなぜジャパンカップに出走しようと思ったんですの?」

 

「『Pourquoi avez-vous décidé de participer à la Japon Cup ?』」

 

「Parce que j'ai vu une certaine fille aux cheveux cendrés faire la course. Je me suis à nouveau intéressé au Japon.(とある芦毛のウマ娘のレースを見てね。再び日本に興味が湧いたんだよ)」

 

「『一人の芦毛のウマ娘のレースを見て日本に興味が湧いたから』、だそうです」

 

 合間合間に食事を取っているため腹は満たされていくが、その腹の探り合いは終わりそうにない。

 

 この芦毛のウマ娘を私と考えるのは些か自意識過剰かもしれない。でも、これが私だとするならばブロワイエが私の名前を知っていることに合点がいく。

 ここは一つ勝負に出てみよう。

 

「……私は貴方が出走予定のジャパンカップに出る予定です。誰であろうと勝ちを譲るつもりはありませんわ」

 

「『Je vais faire la même course que toi. Je ne vais pas concéder la victoire à qui que ce soit.』」

 

 私の言葉を訳した通訳の女性の言葉を聞いたブロワイエの表情は楽しげだ。捉え方によっては宣戦布告にも捉えられる私の言葉……まあそうなのだが、ブロワイエには通用していないのかもしれない。

 

「J'ai vraiment hâte d'être au jour de la course. Parce que je pourrais être capable d'écraser une fille forte comme toi.(レース当日が実に楽しみだ。君のような強いウマ娘を捩じ伏せることができるかもしれないからね)」

 

「Dis donc!? Mademoiselle Brouillé!?(ちょっと、ブロワイエさん!?)」

 

「Je plaisante.(冗談だよ)」

 

 ブロワイエが笑いながら何かを言ったら通訳の女性が驚きの声を上げた。

 

 な、なんでしょう今の。何か挑発的なことを言われたのだろうか。だとしたら私も同じようなことを言っているので構わないのですが……

 

「あの、ブロワイエさんは何と仰ったんですの?」

 

「あ、いえ……『レースの日が楽しみだ』、と」

 

 どうやら通訳の彼女が何かを隠していることは見て取れる。だが、それを聞き出すのは躊躇ってしまった。

 

「Faisons une bonne course, Mejiro McQueen. Soyons clairs sur ce qui est le plus fort.(良いレースにしよう、メジロマックイーン。どちらの方が強いか、白黒つけようじゃないか)」

 

「『良いレースにしましょう。どちらが強いかはっきりさせましょう』、だそうです」

 

 上等ですわ。それでこそ戦い甲斐があるというものです。

 

 私が頷くのを見ると、ブロワイエは最後の寿司を口に入れ席を立つ。

 

「Merci pour la nourriture. C'était délicieux, Oncle(ごちそうさま。美味しかったよ、大将)」

 

「あ、会計はこちらで済ませます。後、ブロワイエさんは感謝を……」

 

「前も言ったろ? 翻訳は必要ねぇ。顔見りゃ分かるってもんよ」

 

「……そうですね。では会計の方を……」

 

 通訳の女性が会計を済ませている間にブロワイエがこちらに歩み寄ってくる。

 すると真っ先にウララさんがブロワイエの前に飛び出した。

 

「もうすぐお別れだね。でもまたすぐに会えるよ! わたしも今度九州に行くからね!」

 

 ウララさんはもしかして本当にブロワイエが九州から来たと思っているのだろうか。どういった経緯でそうなったのかが気になるところだ。

 

「Haha, je peux toujours obtenir de l'énergie de toi. Je suis triste de vous dire au revoir.(ははっ、やはり君からは元気を貰える。別れが惜しいよ)」

 

 まずいです、通訳の方がいないともう本当にジェスチャーくらいしかコミュニケーションの手段がありませんわ。

 

 ブロワイエも言語が通じないと分かっているだろうが、そのまま彼女は視線をウララさんからライスさんに変える。

 

「Je n'ai pas pu te parler beaucoup cette fois, mais nous nous reparlerons un jour.(君とはあまり話せなかったが、またいつか話そう)」

 

「え? え、えーと……お、おーけー?」

 

 ライスさんは訳もわからず頭の上で丸を作る。実際どう返答すればいいのか分からないのは私も同じだ。

 

「Mejiro McQueen」

 

「は、はい」

 

 そして最後は私。

 ブロワイエは私の名前を呼んで私の目を見る。そして私とブロワイエの背の高さの違いから、私を見下ろすような形でニヒルな笑みを浮かべると、

 

 

「La victoire est à moi」

 

 

 そう一言放ち、ブロワイエは私達に背中を見せた。

 

 ばいばーい! と、ウララさんの声が店に響く。通訳の女性は会計を済ませ、私達に軽い挨拶をしてブロワイエの後を追っていく。

 

「ブロワイエさん、最後なんて言ったんだろうね」

 

「それは分かりませんわ。でも……」

 

 意味は分からない、言葉は通じない。ないと思いたいが、先のブロワイエの発言は仮に私のことを下に見たものだったのかもしれない。

 

 でも、そんなことはどうでもいい。

 一番最初にゴール板を通過するのはこの私、メジロマックイーンなのですから。

 

 私は、店を後にするブロワイエの背中を目に焼き付けた。

 

 

 




流石にフランス語は翻訳機を使いました。

もしフランス語つよつよニキがいましたら、ここはこの表現の方がいい等をことをご指摘いただけると幸いです。


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想いの乖離

 

 

 なんやかんやあってジャパンカップ当日。レース開始の数分前、僕達はレースが一番良く見えるスタンドにて待機していた。

 

 

 と、軽く言ってはみたが、ジャパンカップまでのなんやかんやの部分が気になる人が大多数だろう。レースの前にその話を少しだけさせてもらいたい。

 

 あれはマックイーンがライスシャワー達と食事に行った翌日のこと、僕が沖野トレーナーとバーに行った日の翌々日ということになるな。

 マックイーンはスイーツに対する欲望を自制するのが難しい。彼女のスイーツ欲を抑えるのは至難の業だ。

 そのためスイーツ以外の食べ物でもそう言ったことがないか不安視していたのだけれど、特にそのようなことはなく、ジャパンカップに向け気合を入れてトレーニングをしていた。

 

 いや、気合いが入りすぎていた。

 

 もちろん、ブロワイエがジャパンカップに参戦するという意思表明があったのでそうなることもわからなくもない。でも、それにしてもだ。

 何かあったのかと聞いても「なんでもありませんわ」の一点張り。そこをなんとかするのがトレーナーの仕事だろと言われたらぐぅの音も出ないが、無理にでも彼女の本音を聞き出そうとするのは逆効果にしかならない。

 

 それに、そんなマックイーンのことを心配していたのは何も僕だけじゃあない。

 マックイーンのことを一番近くで見ていたダイヤだってそうだ。普段マックイーンをよく見ている彼女にとってもその時のマックイーンは些か奇妙に感じたらしく、度々声をかけている様子を見かけた。

 そんなダイヤにもマックイーンは僕に対する態度と同じような感じであったため、原因は他のところにあることが分かったが、そこから先は分からない。ライスシャワー達と出かけた日に何かあったのか、はたまた……

 

 とはいえ、マックイーンの調子は良好そのもの。ストップウォッチに映る数字は普段よりも良いものだ。

 このまま放っておいても彼女はジャパンカップを勝つことができるのかもしれない。

 

 けれどそれは本当に我々が言う『一心同体』なのか。

 邪魔をするな、余計なことをするな。もし僕が何も知らないマックイーンの一ファンだったらそう思ってしまうだろう。

 僕には前科がある。マックイーンの左脚を壊しかけてしまったという重罪が。

 

「……レーナーさん」

 

 それでも……それでも僕はメジロマックイーンのトレーナーだ。この状況を放っておいていいはずが無……

 

「トレーナーさん!!」

 

「わひゃい!? な、なんだダイヤか……どうした、急に大声なんか出して?」

 

「さっきからずっと呼んでましたよ! トレーナーさんの方こそどうしたんですか? やっと返事をしたと思ったらそんな気持ちわ……変な声を出して」

 

「今もしかして気持ち悪いって言おうとした?」

 

 歳が離れていようがいまいが異性から気持ち悪いと言われるのは中々心に来る。今でこそある程度大人になったから耐えることができたものの、もし学生時代にこんなこと言われたら涙で枕を水没させていた。

 

「なんや、そんな辛気臭い面して。もうすぐマックイーンのレースやっちゅうのになんかあったんか?」

 

「いや……何もない。うん、何もないよ」

 

 ほんまかぁ? と言わんばかりのジト目で僕のことを見るタマモクロス。個人的にはなぜ君がここにいるのかをジト目で問いただしたいところだ。でもそんなことをすれば本当に気持ち悪いと総スカンを喰らうことが確定している。

 

 前回の天皇賞と同じく、タマモクロスをはじめとした面々が当たり前のようについてきていた。

 春のファン感謝祭から何かと気をかけてくれているタマモクロス。最近よくマックイーンのトレーニングに付き合ってくれているライスシャワーとハルウララ。マックイーンの体重管理に協力してくれているイクノディクタス。なんかいるゴールドシップ。

 そして僕のもう一人の担当ウマ娘のダイヤ、と。

 

「うおー! 今日はおっきな声で応援するぞー! マックちゃーん、がんばれー!」

 

「ウ、ウララちゃん、マックイーンさん達まだ出てきてないから……」

 

「その応援、マックイーンが出てきた時に取っておきましょう。それにしても今日は……いえ、今日も人が多いですね。やはりそれだけ注目されているということでしょうか」

 

 イクノディクタスが視線をスタンドや観客席に移すのに釣られ、他の面子もその方向に視線を移す。かくいう僕もその視線移動に釣られており、レース場の人の多さを目の当たりにしている。

 今日はGⅠレースの開催日、それもジャパンカップ、さらに注目の出走ウマ娘はと言えば……

 

「そらそうやろ。今日のレースにはマックイーンだけやない、あのブロワイエまで出走するんや。むしろ人が集まらん方がおかしいっちゅうもんやろ」

 

 メジロマックイーンを抑えて圧倒的一番人気のブロワイエ。一度ジャパンカップでは敗れているとは言っても、欧州最強、凱旋門賞の覇者といった肩書きは伊達じゃない程の人気を誇っている。

 

「で、でもでも、マックイーンさんだって負けてませんよ! だって今日のために猛特訓しましたもん! ね、トレーナーさん?」

 

「……ああ、そうだね。マックイーンは勝つよ」

 

「……トレーナーさん?」

 

「……え、あ、いやなんでもない。マックイーンの練習風景は僕達がよく知ってるからね。例え相手がブロワイエでも心配は無いさ」

 

 歯切れの悪い返事をしてしまいこの場に少しばかり気まずい空気が流れてしまう。

 

「……あー、ゴルシちゃんちょっとマックイーンからの伝言伝え忘れちゃってたぜ。『レース前になると不安で不安で仕方ありませんの……是非トレーナーさんの顔を見て安心したいですわ』、だってさ」

 

「いや、絶対嘘でしょ。第一、仮に君の言うことが本当だったとしてもマックイーンが君にそんなこと言うはずが無いよ」

 

 今日はやけに静かだなと思ったら、急にとんでもないことをゴールドシップは言い出した。場の雰囲気を和らげようとしてくれているのだろうが、少なくとも今の僕にとっては効き目は無い。

 

「ってちょっと、何」

 

「いいから早く行ってこいよ。マックイーンならアンタの顔見ただけで泣いて喜ぶぜ?」

 

「ああもう分かった、分かったから押すな! そもそも最初からマックイーンのところには行くつもりだったから!」

 

「んじゃ、にんじん焼きとにんじんジュース、よろしくなー!」

 

 それが狙いか。

 

 前回と同じく、相変わらず僕はパシリにされるらしい。年下のウマ娘に気持ち悪いと言われかけ、パシリにされる。

 なに? 僕前世で大罪でも犯した? 

 

 ゴールドシップだけに欲しい物を買うというのも不公平なので、全員分の希望を聞いて回る。

 その時にいい笑顔で大量に注文していたタマモクロスとイクノディクタスだったが、安心しろ。君達の言ったことはほとんど忘れた。

 

「それじゃ、ちょっと行ってくるよ。くれぐれも僕がいない間に問題起こすなよ?」

 

「それはアンタがいれば問題起こしてもいいってことか?」

 

「ちげぇよ!!」

 

 やはり沖野トレーナーにはゴールドシップの管理をきちんとお願いしておこう。このレースが終わったら彼のトレーナー室にカチコミだ。

 

 ……ゴールドシップがいるとはいえ、しっかり者のタマモクロスとイクノディクタスがいれば大丈夫だろう……大丈夫だと思いたい。

 

「あっ、トレーナーさん、私も行きま……」

 

「ダイヤ、あいつ一人で行かせてやれ」

 

「ゴールドシップさん……でも……」

 

 その場を後にする直前、そんな会話が聞こえてきたような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 気分は好調、不安要素は無し、体重管理もイクノさんの協力の下完璧、今日の状態は天皇賞の時をも上回っている気がする。これなら普段以上の実力が出せそうだ。

 

 私は年度代表ウマ娘に選ばれた時に授与された白い勝負服を身に纏い、控室の鏡を前にして精神統一を図っていた。

 

 レースまではまだ時間があるため、心を落ち着かせる余裕は充分にある。その分の時間は好きなことでも考えるとでもしよう。

 駅前のスイーツのこと、新しくオープンしたクレープ屋さんのこと、ゴールドシップに教わった駄菓子のこと……スイーツに関することしかありませんわね。スイーツ以外で何か他に好きなものは……

 そう、例えば一緒にいると安心できて、私のことを大切に思ってくれていて、他の誰にも取られるわけにはいかないような人とか……

 

 そこまで考えて私は自分自身の頬をぶん殴った。

 何が好きなものでも考えようですか! これではただの好きな人ではないですか! それも殿方でこれに当てはまる人と言ったら……! 

 

 生じた煩悩を振り払うべく、私は自分以外には誰もいない部屋の中をゴロゴロと転がり回る。

 レースと青春、どちらが大切かと言われたら選べないほどに私は彼に惹かれているのは事実だ。でもそれはレース前に考えるようなことじゃないだろう。考えたとしても、それは私と彼の信頼関係くらいなもの。決して色ボケた話ではない。

 

 2、3分転がり続けた後、服についた埃を払うと、もう一度鏡の前に座り現実と向き合う。

 

 真っ先に考えたのは今日のレースのこと、もといレース相手であるブロワイエのことだ。あの時共にした時間は長くなかったけれど、体格や一瞬見えた脚の筋肉などはまさに一流のウマ娘と言われるに相応しいものだった。

 

 そんな強者が私の前に立ちはだかる。私だって一人のウマ娘だ。相手が強くてがっかりするなんてことが今までになかったわけではない。

 

 でも今回は不思議と不安はなかった。

 だって、私には応援してくれる友人が、共に競ってくれる仲間が、そして最も信頼を寄せる彼がいますもの。

 

 今一度気合を入れていると、コンコンとドアが2回ノックされる。

 誰ですの、ここはお手洗いではありませんのよ。

 

「ス、スペちゃん! 応援したい気持ちは分かりマスが、このタイミングはまずいデスよ!」

 

「え、でも私がジャパンカップ走った時はみんなこのくらいに来てくれたと思うんだけど……」

 

「でもここまで来たってことは、エルも引くつもりはなかったってことですよね?」

 

「そ、それはそうデスけど……」

 

 声から判断するに、ノックの主はスペシャルウィークさん、エルコンドルパサーさん、そしてグラスワンダーさんの三人のようだ。何かあったのだろうか。

 

「どうぞ、鍵ならかかっていませんわ」

 

「あっ、お邪魔しまーす! マックイーンさんがブロワイエさんとの対決ってことで応援に……って、どうしたんだべかそのほっぺた!? ちょびっと腫れてるっしょよ!?」

 

 あ、私としたことが先程自分の目を覚ますために頬を殴ったことを忘れてました。事の経緯を詳らかに話すわけにもいかないし、何か上手く誤魔化さなくてはならない。

 

「これは……トレーニングの一環ですわ」

 

「ト、トレーニングの……! それは一体……!」

 

「こうして己の頬を叩くことで、辛いトレーニングにも耐えうる忍耐力をつけるのです」

 

「な、なるほど! 私も今日から試してみますね!」

 

 自分でこんなこと言っておいてなんだが、スペシャルウィークさんはまさか本当に信じているのではないだろうか。私は時たまこの方の純粋さが怖くなる。

 

「マックイーンさん、スペちゃんに嘘を吹き込むのはやめてくださいね〜?」

 

「……すみませんでした」

 

「えっ、嘘? 嘘だったんですか!?」

 

 むしろなぜ気が付かないのか。そう問いただしたかったが、グラスワンダーさんが怖かったのでやめた。

 

「信じるスペちゃんもスペちゃんデスが、マックイーンも大概デスね。言動がますますゴールドシップに似てきています」

 

 …………は? 

 

「聞き捨てなりませんわ、エルコンドルパサーさん! 訂正してくださいまし! 私はあの異様と奇怪と奇天烈を足して割らないようなウマ娘とは全然違いますわよ!」

 

「ゴールドシップの普段の言動と、さっきのマックイーンの発言を比べてみてから反論するといいデスよ」

 

 返す言葉がありませんわね。ぐうの音も出ませんわ。

 

「マ、マックイーンさん!? その小刀は一体どこから!? そんなの持ってたら銃刀法違反ですよ!」

 

「スペちゃんツッコむところを間違えてますよ! マックイーン、アタシが言い過ぎました! だから自害しようとするのはヤメテ!」

 

「止めないでください! 私は……私はもう生きていけませんわ! もうこの身を以て償うしか……!」

 

「あーもうどうしたら……! グラス、あなたからも何か言ってあげてください!」

 

「……過ちを認め、己の矜持を正そうとするその姿。それを阻もうとするとは……エル、腹を切りなさい」

 

「グラス!?」

 

 なんにせよ、本当に自害しようなどとは一ミリも考えていない。ただ、己の言動を恥じているのは確かだ。このままでは、いつかゴールドシップが言っていた『彼女の影に隠れているだけで私も変人の部類』という言葉が本当になってしまう。それだけは避けなくてはならない。

 

「はぁ……それで、貴方達は一体何をしに来たんですの? こう見えて私は暇ではないのですよ?」

 

「いや、こうなった原因はマックイーンにありマスからね?」

 

 うるさいですね、しばきますわよ。

 

「そうだった! 今日はみんなでマックイーンさんの応援に来たんですよ!」

 

「私の……応援……?」

 

「はい! 私もジャパンカップでブロワイエさんと走ったのもあって、マックイーンさんには勝って欲しいなって思って!」

 

 意外だった。決して仲が悪いとかそういうわけではないが、私とスペシャルウィークさんは関わりがあるかと言われたらそんなことはない。

 学年も違えば世代も違う。ましてや同じチームというわけでもなく、強いて言うなら今日のように同じレース、同じ相手と戦うくらいしか共通点はない。

 その強いて言うならの内容だけで、彼女は私の応援に来てくれた。心強いと言ったらありゃしない。

 

「……ありがとうございます。これでますます負けるわけにはいかなくなりましたわね」

 

「あれっ!? 私もしかして凄くプレッシャーをかけるようなこと言っちゃいましたか!?」

 

「大丈夫ですわ。むしろ勇気づけられました」

 

 慌てふためくスペシャルウィークさんを前に、私は片手で彼女の不安を止める。

 

「アタシもアタシも! ブロワイエとは一回だけ一緒に走ったことがありマス! そう、それは遠き異国の地、フランスでのこと……」

 

「長くなりそうなので私から先に言わせていただきますね〜。私はブロワイエとは走ったことはありませんが、エルとスペちゃんが苦戦するという事実だけで彼女が相当の実力者だと認識しています。それでも、怪我を乗り越えたマックイーンさんなら勝てると信じてます。なので、今日はあなたの『不退転の覚悟』、見せてもらいますね?」

 

 話を遮られ『グラス〜……』と落ち込むエルコンドルパサーさんを他所に、グラスワンダーさんは私のことを応援してくれつつ、今日のレースの覚悟を問うてくる。

 

「望むところです、諦めるなんて言語道断ですわ。私の勇姿、しかと目に焼き付けてくださいまし」

 

「はい、楽しみにしてますね〜」

 

 相変わらず落ち着いた表情で微笑むグラスワンダーさん。これで人一倍負けず嫌いというのが末恐ろしい。

 

「ふふっ、飛ばされてしまいましたが、最後はアタシの番デスね! トリを飾るのにふさわし……」

 

「あっ、マックイーンさん、そろそろ出走の時間じゃないですか?」

 

「そうですね〜。もうそろそろ向かわないと、マックイーンさんの不戦敗になっちゃいますからね〜」

 

「ケ!? スペちゃん!? グラス!?」

 

「ええ、では行って参りますわ。最高のレース、皆さんにお届けしますわね」

 

「はい! 頑張ってください!」

 

「応援してますね〜」

 

「ああっ、行っちゃう……! マ、マックイーン、負けたら承知しませんよ! もし負けたら、アタシ考案地獄のトレーニングメニューをこなしてもらいますよ!」

 

 二人の応援とエルコンドルパサーさんの激励だか脅迫だかよくわからない声を背に、私は部屋を後に三人と別れターフへとと続く通路を歩く。

 

 先程のスペシャルウィークさん達をはじめとして、今日も多くの私の友人が応援に来てくれている。彼女達から多くの激励を受け、気合も入り緊張も解れ、残るはこの東京レース場を全力で走るだけの状態となった。

 

 ……これ以上欲張るのは強欲すぎるかもしれないが、あともう一押し、背中を押してくれる何かが欲しい。そうすれば私は実力の120%の力を出せる気がする。

 

「Mejiro McQueen」

 

 そんなことを考えていると、不意に後ろから声をかけられる。明らかに発音が日本語ではない上に、私は先日この声を聞いたことがあるため声の主はすぐに分かった。

 

「ブロワイエさん……」

 

「Faisons une bonne course aujourd'hui. Pas de regrets pour l'autre……Attendez, excusez-moi un instant.(今日はいいレースにしよう。互いに悔いの残らないよう……待って、少しいいかな)」

 

「えっ、ちょっ、ブロワイエさん!?」

 

 雰囲気だけで彼女の伝えたいことを理解しようとしていると、ブロワイエは私の方に顔を近づけ手を伸ばしてくる。それも急だったため、抵抗する暇もない。何をされるか分からず、ぎゅっと目を瞑ると……

 

「Regarde, il y avait de la poussière dans mes cheveux.(ほら、髪に埃がついてたよ)」

 

 私はブロワイエの声に反応して目を開く。

 ブロワイエは私の髪に触れたと思ったら、次の瞬間に放しており、彼女の手には小さな埃が……え、埃? 

 

 ……そういえば、先程控室で床を転がり回りましたわね。その時についたのでしょう。対戦相手にみっともないところを見せてしまいましたわ。

 

「あ、ありがとうございます、ブロワイエさん」

 

 ブロワイエが『ありがとう』という言葉を知っているかどうかは分からないが、私の感謝の気持ちは伝わったらしく、彼女は笑顔で対応する。そのままブロワイエは手を振ってこの場を去り、一足先にターフへと向かった。

 

 今から私はあの方を倒さなくてはいけない、超えなくてはならない。

 

 口先だけならどうとでも言えるが、ブロワイエに勝つのが容易ではないことくらい分かっている。それでもこのレース、負けられない。勝たなければならない理由がある。

 

「あっ、やっと見つけた。控室にいなかったから探したよ」

 

 ブロワイエの時同様、またしても後ろから声をかけられる。

 この声は聞き間違えようがない。私にとって最も信頼を置くことができ、最も私を信じてくださる方……

 

「トレーナーさん!」

 

「やあ、さっきスペシャルウィーク達に会ったよ。マックイーンならもうレースに向かったって言われてね」

 

 タイミングが良いのか悪いのか、なんにせよ入れ違いにならなくて良かった。

 バツが悪そうに頬をかくトレーナーさんに、私は苦笑してしまう。

 

「それにしても、こんなレース直前にどうかされましたの? もしかして作戦変更の予定でして?」

 

「いや、そんな予定はないよ。まあなんて言うか……ちょっとレース前に君の顔が見たくなってね」

 

 ……あら、あらあらあらあら。

 

「そんなに見たいのでしたら、存分にご覧ください! その分、私は貴方の顔をじっくりと拝見させていただきますので!」

 

「それはちょっとやめとこうかな」

 

 どうして。物事には対価が必要だ。ギブアンドテイク。私はトレーナーさんになら顔を見られ続けてもいいと思っているのに。

 

 とはいえ、私も少し調子に乗った発言だとは自覚している。

 

 でも、今日くらいはいいですわよね。このまま調子に乗らせてもらうことにしましょう。

 

「それでは、私はそろそろ本当にターフへ向かわなければならないところなのですが、その前に貴方の愛バに何か一言あってもいいと思いますわよ?」

 

「……今日のマックイーンなんか変じゃない?」

 

「そんなことありませんわ! さあ、もう時間がありませんわよ!」

 

「そうだなぁ……」

 

 トレーナーさんがそう言った瞬間、レース場の方からとてつもない歓声が聞こえてきた。きっとブロワイエがターフに姿を現したのだろう。さすがは一番人気の座を私から奪っただけある。

 

「……分かってるとは思うが、このレースに勝つのは簡単じゃない。世間の評価もどちらかといえばブロワイエ寄り。その証拠に君は二番人気だ」

 

 ブロワイエの強さは重々承知している。それはエルコンドルパサーさんが走った凱旋門賞の時からよく分かっているつもりだ。

 

「だったとしても僕は君を信じてる。だからマックイーン、相手や周りの評価なんて気にするな。いつだってライバルは自分自身、だろ?」

 

 ……ああ、この人はいつだって私の背中を押してくれる。隣にいてくれるだけで励みになる。

 だったら私はそれに応えなくてはならない。最高の勝利を飾るために。

 

「マックイーン」

 

 トレーナーさんは優しい声音で私の名を呼ぶ。

 

「行ってらっしゃい」

 

「っ、行って参りますわ!」

 

 最後の一押し、貰えましたわね。

 

 ここまで私のことを信じてくれているトレーナーさんのためにも、みっともない姿を見せるわけにはいかない。

 勝つ、ただそれだけ。

 勝たねばならない理由……私とトレーナーさん、二人ならどこまでだって突き進める、そのことを証明するためにも……! 

 

 

 

 ***

 

 

 

 彼女は強い。きっと僕なんていなくても勝ってしまう。

 

 

 さっき僕は嘘をついた。今日のレース、直前にマックイーンの元へ向かうつもりはなかった。

 レースの作戦等のミーティングは前日までに済ませてあるし、当日になって僕にできることなんて無いに等しい。

 

 ダイヤ達と別れてからここに来る途中に何度も考えた。行ってどうする、何ができる、と。

 頑張れ、信じてる。そんな当たり障りのないことを言うだけの存在になっているのではないか。考えれば考えるほどネガティブな思考に陥ってしまう。

 

 唯一自分自身を評価できるところがあるとすれば、それをマックイーンに悟られていないであろうこと。

 担当ウマ娘を不安にさせることが、如何にトレーナーとして最悪かを僕は知っている。それだけは避けなければならない事項だから。

 

 

 何にせよ、今はマックイーンの勝利を信じることしかできない。

 

 ブロワイエの歓声にも負けないほどのそれを浴びるマックイーンを尻目に、僕はダイヤ達のいる観客席に戻ることにした。

 

 

 



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奥の手

評価や感想をいただけると作者は泣いて喜びます。

あと一章は今年中に終わらせる予定です。


「あっ、お帰りなさいトレーナーさん! マックイーンさんの様子はどうでし……いえ、今はトレーナーさんの方が問題みたいですね」

 

「何であんたが息切らしとるんや? 逆やろ」

 

「う、うるせぇ……こちとら、普通の、人間、ぜぇはぁ……だぞ……」

 

 マックイーンと別れた後、普通にダイヤ達の元へ向かっては間に合わないと思ったため全力疾走をした結果、ものの見事に体力が底を尽きた。

 天皇賞の時はダイヤが一緒だったこともあり、ウマ娘である彼女に手を引かれ……もとい引っ張られたため時間を気にする必要は無かった。だが、その分酔いが酷かったためにどちらが良かった悪かったと言う話になればどっちもどっちだ。

 

「それでそれで、アタシらの注文の品は買ってきてくれたんだろうな?」

 

「…………さて、そろそろレースが始まるな。今回はブロワイエ以外にも強敵が多い。油断せずに行こうか」

 

「おい、こっち向けよ。まさか何も買ってないってこたぁねぇだろうな?」

 

「ええい、うるさいうるさいうるさい! てか何君達は当たり前に僕に買ってもらおうとしてるんだ! そんなもん自分で買え自分で!」

 

「ご、ごめんなさい……ライスが沢山お願いしちゃったから……ライスのせいで……ライスのせいで……!」

 

 えっ

 

「いや、これはライスシャワーのせいじゃなくて……」

 

「あー! こいつお米泣かせたー!」

 

「トレーナーの風上にもおけんわ!」

 

「彼女の弱みにつけ込み自身の怠慢を正当化しようとするとは……」

 

 ああくそっ! めんどくさいノリになってきた! 

 

 そんな時、やんややんやと僕のことをからかい続ける状況を黙らせるかのごとく、東京レース場にファンファーレが鳴り響く。

 

「……ん? どうしたダイヤ。そんなゲートの方じっと見て」

 

「マックイーンさん、随分落ち着いているように見えるなと思って……トレーナーさん、マックイーンさんとどんなお話をされたんですか?」

 

「別に、大したことは言ってないよ。ただ行ってらっしゃいって言っただけ」

 

「……そうですか。そうですか、ふふっ」

 

 ……な、なんだよ、なんだよその笑顔。本当に僕はそれくらいしか言ってないんだぞ。今の会話のどこに笑う要素があったんだよ。

 

「おい、よそ見してっと始まっちまうぞ」

 

「ああ、悪い」

 

 ダイヤと話しているうちに、ほとんどのウマ娘の枠入りが終了していた。

 マックイーン本人は内枠、この東京芝コースでは有利な枠だ。先行脚質な彼女にとってはもってこいと言ってもいい。

 

『さあ次々とウマ娘達が枠入りを済ませます。最後に大外枠、ブロワイエが入ります』

 

『外枠でありながらも人気を博す彼女の実力、是非期待したいですね』

 

 そして今回最も注意すべき相手、ブロワイエはマックイーンとは対照的に大外枠。基本的に外枠のウマ娘は人気を集めるのが難しいはずなのだが、それをねじ伏せて彼女はそこにいる。

 それだけの人気と実力がブロワイエにはある。

 

 でも、それはマックイーンだって負けてない。

 

『スタートしました。各ウマ娘まずまずの出だしです。外枠、一番人気ブロワイエは少し下げる形でしょうか。その間に二番人気のメジロマックイーンが意気揚々と前に出ます』

 

「マックイーンさーん!」

 

「マックちゃーん! がんばれー!」

 

「マックイーン、気合だー!」

 

 内枠有利なことを活かし、持ち前の集中力で好ダッシュを決めるマックイーン。対してブロワイエは外枠且つ作戦が差しであろうこともあり中団より後ろ側に位置する。

 

『おおっと、後続を一気に突き放して飛び出したのはメジロマックイーン! メジロマックイーン先頭のまま、各ウマ娘第1コーナーをカーブしていきました』

 

「マックイーン、天皇賞の時の違って初っ端から飛ばしとるみたいやな」

 

「そうですね。ですがあれこそ本来の彼女の走り……いえ、何かがおかしい気が……」

 

 誰が見ても分かるように、マックイーンの走りは前回の走りと大幅に異なる。そのことに気がつきつつも、タマモクロスとイクノディクタスはどこか違和感を覚えたようだ。

 

 それもそのはず、今日のマックイーンは先行策ではなく逃げ。

 サイレンススズカやツインターボほどの大逃げではないが、マックイーンの走りは会場の観客や実況、解説を少々どよめかせていた。

 

「トレーナーさん、どうしてマックイーンさんは逃げてるの?」

 

 普段のマックイーンを知っている者なら至極当然の疑問をライスシャワーは僕にぶつける。そう思っていたのはライスシャワーだけでなく、ダイヤやタマモクロス、イクノディクタスも頭に疑問符を浮かべているようだった。

 ハルウララとゴールドシップはそれを気にせず大声でマックイーンの応援を続けているのは放っておこう。

 

「理由は二つ。一つ目は多人数からマークされて囲まれるのを避けるため。マックイーンなら抜け出すことは難しくないだろうけど、それに胡座をかいて何も対策をしないというわけにはいかないからね」

 

 レースにおいて、執拗なマークをされることは珍しくない。ただ問題は、それが重なりあって四方を囲まれてしまうことだ。そこから抜け出すことに力を使ってしまい最終直線で足が前に行かなくなってしまっては元も子もない。

 

 それに、元々マックイーンは逃げ先行を得意とするウマ娘だ。前回のような奇策を使う走りをするというわけではない。

 

「なるほど。たしかに囲まれないという点では逃げという手段は理に適っていると思います。ですが、そうだとしてもわざわざ逃げをする必要はあるのでしょうか? あれでは無駄に体力を消費してしまうだけな気もしますが」

 

「まあ落ち着いて、イクノディクタス。二つ目の理由は簡単、相手がブロワイエだからだよ。あれが相手は、半端な作戦じゃあ意味がない。なるべく序盤に差をつけておく必要がある」

 

「ですから、あのペースだとスタミナの問題が出てきます。それに、あなたが言っている考えでは、天皇賞であなた方の作戦にかかったハッピーミークさんと同じではないのですか?」

 

「スタミナ面に関しては問題ないよ。今先頭を走ってるのが誰なのか、それをもう一度見たらね」

 

「……ええ、そうですね」

 

 2400という中距離において、春の盾を二度も勝ち取ったマックイーンであればこのくらいのスピードなら問題ないはずだ。他のウマ娘に囲まれてスタミナを無駄に消費させられるよりはよっぽど安上がりとだろう。

 

『向こう正面の中間を通過。各ウマ娘3コーナーへ向かいます。先頭は相変わらずメジロマックイーン、1200を通過、リードは1バ身。まだブロワイエに動きはありません。他のウマ娘も必死にメジロマックイーンに食らい付きます』

 

 と、今日のマックイーンの動きを解説している間にレースは早くも中盤と差し掛かっていた。ここまでにブロワイエに動きはない。やはりマックイーンをマークするわけではなく、後方から一気に差しにくるみたいだ。

 

「ブロワイエ、随分余裕そうに走ってますね」

 

「ああ、それだけの実力が彼女にはある。体力勝負なら負けないだろうけど、単純なスピード勝負となると……」

 

 弱気な発言をしてしまったのが悪かったのか、僕の言葉の途中でブロワイエは見て取れるほどにスピードを上げる。

 

「来たっ……!」

 

「すごーい! 九州のウマ娘って速いんだね!」

 

 まだ終盤直前だというのにもう仕掛けてくるブロワイエ。これが何を意味しているか。

 

『ここで来た! ここで来たぞブロワイエ! 世界のブロワイエがここで仕掛けた! メジロマックイーンが3コーナーと4コーナーの中間に差し掛かったところでブロワイエが順位を上げていきます!』

 

 間違いない、彼女はマックイーンの心を完全に折りに来ている。

 逃げや先行が有利なこの東京芝2400において、差しで大差をつけ完全勝利。これがブロワイエの思い描く勝利のビジョンだろう。

 

「おいおいおいおい、これまずいんとちゃうか? あんだけあったブロワイエとの差がもう無くなってきとるで!」

 

「いえ、マックイーンさんももうすぐ第4コーナーに入ります。恐らくここで……」

 

 入学前からマックイーンのレースに駆けつけていただけあって、マックイーンの仕掛け所をばっちりと把握しているダイヤ。

 

 彼女の言う通り、マックイーンもギアを上げてブロワイエのスピードに対抗する。

 

『ここでメジロマックイーンもスパート! 2バ身まで迫ったブロワイエを懸命に引き離そうとします!』

 

 マックイーンもスピードが上がったことにより、勝負は完全にマックイーンとブロワイエの一騎打ち。一着は確実にこの二人のどちらかだろう。

 

「マックちゃーん!」

 

「マックイーン!」

 

「マックイーンさん!」

 

 手を挙げてマックイーンを応援するダイヤ達の隣で、僕も心の中で彼女の名を呼び手を握りしめる。

 

 しかし、そんな応援とは裏腹にブロワイエは加速を続け、最終直線に入る頃にはマックイーンと並んでしまう。

 

「あかん、並ばれたら今までの苦労が水の泡や!」

 

「それに、ブロワイエはまだ体力を温存しています! このままでは……っ!」

 

 タマモクロスとイクノディクタスの言うように、マックイーンは不利な状況に置かれてあることは間違いない。

 でも、まだ手はある。あの夏の日、合宿で見せたあれが……

 

『なんとメジロマックイーン、ブロワイエに並ばれたと思ったらさらに加速! これまでは余裕を見せていたのか、二度目のスパートだ!』

 

「よしっ、来た!」

 

「マーチさんとのレースで見せた二度目のスパート!」

 

 僕とダイヤが喜ぶ中、タマモクロス達は驚愕の表情を見せている。

 それもそのはず、これはマックイーンの奥の手として今まで誰にも言っていない。そのため、学園の生徒で知っているのは合宿にいたマックイーン、ダイヤ、セイウンスカイだけとなる。

 

 これを使えば勝てる。実力一本勝負とはいえ、このカードを切ればどんな強敵にも立ち向かえる。

 

 

 

 それが慢心だと気づくのは、その直後だった。

 

 

 

「……は?」

 

『な、なんとメジロマックイーンに合わせてブロワイエも加速! マックイーンを逃さないと言わんばかりのスピードでまたしても並ぶ!』

 

 ブロワイエの実力を見誤ったか? 今までは遊ばれてたということか? なぜ二度目のスパートをかけたマックイーンに追いつける? なぜブロワイエが追いつくことを想定しなかった? なぜ、なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ

 

「っ……!」

 

 ブロワイエの脅威的な末脚に圧倒され言葉も出ないどころか、頭に浮かぶのは疑念と後悔ばかりだ。

 いつか沖野トレーナーに「お前は予期せぬ事態に弱い」と言われた気がする。ああクソ、これでは彼の言う通りではないか。何がヒントを得られただ、僕は何も変われていない。

 

 言葉が出ないのは僕だけではなくダイヤ達も同じなようで、空いた口が塞がらないといった状況だ。

 無理もない。ブロワイエのあの走りを見せられて我を忘れない人なんて、死ぬほど前向きな性格を持つ人かただの変人だ。そんなの早々……

 

「うおおお! マックイーン、根性見せろおおおおお!」

 

「マックちゃーん! まだまだここからー!」

 

 ああ、いたわ。死ぬほど前向きなウマ娘と、トレセンきっての変人が。

 

「……うちらも黙っとる場合やないな」

 

「ライスも、ライスもウララちゃんみたいに声出さなきゃ……!」

 

「ええ、我々に出せる最大限の声量でマックイーンに激励を飛ばしましょう」

 

「そうですね! マックイーンさーん!!」

 

 ブロワイエの走りに動じずマックイーンを応援するハルウララとゴールドシップを見て、残りの面子もより一層声を出す。

 

 レースは残り100メートルをきった。

 並んでいると実況されてはいるが、僅かながらにブロワイエの方が先行している。このままのスピードであれば負けは確実、さらにブロワイエにはまだ余裕の笑み。

 

 粘れ、粘るんだマックイーン。最後の最後まだくらいつけば……

 

 

 

 その時だった。マックイーンの蹴り上げた芝が異常なほど宙に舞い、それと同時に彼女がさらに加速、三回目のスパートをかけたのは。

 

 それもただのスパートじゃない。今回のそれは一回目、二回目とは比にならない速度だ。

 

 ブロワイエもこれには笑みを失い、焦りの表情を浮かべる。だが時すでに遅し、残りの距離が短かったというのもあり、マックイーンは一瞬でブロワイエを追い抜きゴール板を通過する。

 

『えっ……あっ、メジロマックイーン! メジロマックイーンだ! ブロワイエを華麗に抜き去りメジロマックイーンが一着でゴールイン!』

 

 自分の仕事を忘れるくらい実況も呆気に取られていたようだ。それほどマックイーンの走りが凄かったということに他ならない。

 

「……あっ、やった……! 勝った勝った! マックイーンさんが勝ちました!」

 

「マックちゃーん! おめでとー!」

 

「マックイーンさん、おめでとう!」

 

 ダイヤ達はマックイーンの一着を確認すると誰よりも早く大喜びする。それに連鎖して周りの観客からも次々と歓声が上がり、マックイーンがゴールして一拍遅れての歓声がレース場中に鳴り響いた。

 

 正直、先程の光景が未だに信じられない。

 百歩譲って、これがただ三度目のスパートをかけただけなら僕だってダイヤ達と一緒に無邪気に喜んでいた。でも、あれはただの加速じゃない。

 

 タマモクロスの顔をちらりと見ると、案の定彼女も驚いた顔をしていた。

 

 

 誰かが言った。

 

 時代を作るウマ娘は、必ずこの領域に入る。自分も知らない剛脚、限界の先の先……

 

 

 そこまで考え僕はこの場を去ろうとする。

 本来ならすぐにでもマックイーンの所へ向かわなければならない。怪我の確認はもちろん、彼女を褒め称える言葉をかけてあげたい。

 

 でも、今は少しだけ考え事がしたい。一人で考える時間が欲しい。

 

「おい、どこ行こうってんだ」

 

 足を後ろに向けた瞬間、ゴールドシップから声をかけられる。普通ならマックイーンのところに行くと考えるのが妥当だろうが、ゴールドシップはどこへ行くのかと敢えて聞いてきた。

 それほどまでに僕は張り詰めた顔をしていたのだろうか。

 

「なに、ちょっと雉を撃ちにね」

 

「……マックちゃんが待ってんだ。あんまり長すぎると大きい方だと思われっぞ」

 

「余計なお世話なんだよなあ……」

 

 せっかく言葉を濁したのに台無しだよ。

 

 真面目腐った顔で問いかけられたと思ったら、彼女なすぐにいつもの調子に戻り笑いながらダイヤ達に紛れる。

 

 今度こそこの場を後にし、人混みをかき分けてなんとか人気のなさそうな場所にたどり着き、ゆっくりと目を閉じる。

 

 瞼に映る光景は先程のレースの最終場面。マックイーンの剛脚が光ったあのシーン。

 おそらくあれは『領域(ゾーン)』。分かりやすく言うなら天衣無縫の極みのようなもの。

 

 噂程度にしか聞いたことがなかったため、あの場で一瞬何が起きたか分からなかった。それだけ珍しいということだ。

 

 マックイーンが、メジロマックイーンが時代を作るウマ娘であることに疑いようはない。故に、今日の彼女の走りを見せつけられて、今まで上手く整理のつかなかった焦りの正体が言語化された。

 

 

 自分は本当にマックイーン達の隣に立っていていいのか。 

 

 

 マックイーンの成長は嬉しい。今日だって彼女がゾーンに入ったと確信した時は胸の高鳴りが半端じゃなかった。

 

 それと同時に劣等感も感じた。

 自分が三流トレーナーであることなんて分かっている。こんな三流トレーナーのもとで、超がつくほどの一流ウマ娘を好きなようにさせておくことが気に入らないと言う声も知っている。

 

 いてもいなくても変わらない。

 

 それがメジロマックイーンのトレーナーである僕だ。いたところで何もできない。

 

 そんな事実に気がついてしまった今、焦りや不安は一層加速していく。

 

 こんなの、独りよがりで、身勝手で、筋の通っていない、幼い子供がする癇癪のようなものだということは分かっている。

 それでもそう考えずにはいられない。

 

 そしてもう一つ、気がついてしまったことがある。

 

 このように、所詮自分は大人になりきれない程度の存在だ。関係性が重要視されるこの仕事に置いて、こんな自分はこの仕事に向いていないのだろう。

 

 

 秋シニア三冠、残るレースは有記念のみ。

 

 

 

 湧き立つレース場を見て、一つの決意を胸に抱く。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……っはぁ……はぁ……」

 

 過去経験したことないような息切れとともに、気がついたら私はゴール板を通過していた。

 なんだ、何が起きた。先程までの記憶がいまいち鮮明じゃない。もっと正確に言えば、二度目のスパートをかけた後のこと。直線での記憶にまるで靄がかかっているようだ。

 

 それでも全く覚えてないわけじゃない。二度目のスパートをかけた後、応援に来てくれた皆さんの声をはっきりと耳に残っている。

 

「J'ai perdu. Je ne pensais pas qu'ils avaient laissé une si bonne méthode derrière eux.(負けたよ。まさかあんな奥の手を残しているとはね)」

 

「え……? あ、はい……?」

 

 まだ息切れが続く中、ブロワイエが私の後ろから話しかけてくる。何を言っているのか分からないが、彼女は私の後ろから話しかけてきた。

 ここでようやく私はこのレースの結果を知る。

 

 勝ったのだ。あのブロワイエに勝ったのだ。

 

 今にも大声を上げガッツポーズを決めたくなったが、観衆の目に晒されている状況、気品を保つためにも舌を噛んで我慢した。

 

 その我慢した言葉の代わりに、私は先日調べた言葉を彼女に告げる。

 

「Un pour tout le monde, tout le monde pour un」

 

 この言葉を聞いて、ブロワイエは面食らったような顔をした。私は笑みを溢しながらブロワイエの後ろを見る。

 

 私の見る方向が気になったのか、ブロワイエもそちらを向く。

 そこにあったのは、ダイヤさんをはじめとした私の応援に来てくれた友人達。

 

 ブロワイエはようやく先程の私の言葉を理解したようで、呆れたように、でもって笑いながら私に手を差し伸べる。

 

 もう言葉はいらない。

 ブロワイエの目には、次は絶対に負けないという強い意思が込められている。

 私も負けじと、上等だ、と言わんばかりに彼女の手を取った。

 

 その瞬間、ブロワイエがターフに姿を現した時よりも大きな歓声が上がり、レース場は大盛り上がりとなる。

 それは私の友人達である彼女らも例外ではない。ダイヤさんに至っては近くにいたウララさんを抱きしめ、彼女の顔を青くさせていた。

 ウララさんが天皇賞の時に記憶が無いと言っていた原因って……

 

 そんな彼女達らしい姿を見て、自分も早くその場に行きたいという思いが強くなる。走り終わった後で疲れているにも関わらず、そんな所に行けば余計に疲れることは目に見えている。

 それでもいい。それでも、このレースの余韻は今しか味わえない。

 

「……あら?」

 

 ブロワイエとの握手を終え、皆さんの所に向かおうとした時、この場にいるはずの人がいないことに気がつく。

 

 始めは暴れるダイヤさん達に隠れて見えないのかと思っていた。

 でも違う。彼女達の周りのどこを見渡してもいないのだ。

 

 今、一番声をかけて欲しいあの方が。

 

「トレーナーさん……?」

 

 

 



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番外編:いつか叶えるその日まで

番外編です


 

「……知らない天井ですわね」

 

 朝目覚めたら知らない天井だった、なんて事態がまさか現実で本当に起きるとは思わなかった。そしてそんな状況でも意外と冷静な自分にも驚いている。

 

 視界に入るのは見慣れた寮の天井ではなく、全く見たことがないのかと言われたらそんなことも言えないほどの普通の天井が目に映っていた。

 

 そう、普通の。

 

 何かがおかしいことを察し、寝ていたベッドから体を起こして周りを見回す。

 

 やはりここは私の知る場所ではない。その証拠に、寮では二人で一室を共有するはずなのだが、私のルームメイトであるイクノさんの姿がどこにもなかった。

 メジロ家でもない。私は家の構造をよく知っているつもりだ。記憶が正しければ、自分が今いる部屋は存在しないはず。

 

 ではここは一体どこなのでしょうか。

 

 昨日の記憶を引っ張ってきても、普通に学園生活を送り、普通にトレーニングして、普通に就寝した記憶しかない。

 寝る前の日課である、トレーナーさんの写真を眺めてから寝るというのも忘れていない。

 あ、でも昨日はお気に入りの写真を整理していましたっけ。それでいつもより少し就寝時間が遅くなってしまったのは覚えている。

 

 そのような感じで昨日の行動を振り返ってみるが、いつもと変わったところは特に無い。あったところで、この妙な状況に繋がるとは思えない。

 

 とりあえず誰かに連絡してみましょう。

 幸いスマホなら近くのテーブルの上にある。これを使ってテキトーにゴールドシップでも呼びつけ……あら? 

 

「……これ、私のスマホではありませんわね……」

 

 あまり電子機器の類に詳しくない私でも分かる。これは自分の機種ではない。

 新型? と言えばいいのだろうか、少なくとも私は見たことない機種だ。

 

 しかし、ロック画面はメジロ家の紋章。私は昔からロック画面にこれを使用しているので、このスマホが自分の物である可能性は高い。

 

 いや待ってください。メジロ家の紋章であるだけなら、アルダンやブライトの可能性だって捨てきれません。

 

 確認する方法があるとすれば、ホーム画面を見ればいいだけの話だ。

 なんせ私のスマホのホーム画面は……

 

 ロックの解除にパスワードを入力すると、ドアが3回ノックされる。

 

 それが唐突だったもので、スマホを床に落としてしまった。そんなことには目もくれず、私はドアの方に目を向ける。

 

 朝起きたら知らない場所で困惑している中、誰かも分からない相手と顔を合わせなければならないかもしれないということは恐怖に他ならない。

 

「マックイーン、起きてる? 起きてるなら開けてほしいんですけどー」

 

 しかしそんな恐怖も束の間、ドアの向こうからはトレーナーさんの声が聞こえてきた。

 

 なぜトレーナーさんがここに? どうして? というか本当にトレーナーさん? 声の似ている他人ではないだろうか。

 

「マックイーン? 返事がない、ただの屍のようだ……」

 

 あ、これトレーナーさんですわね。

 

 そう確信を持った私はそろりとドアを開けて彼の姿を確認する。そこにいたのは間違いなく私のトレーナー。そのはずなのだが、なんだか違和感を覚える。なんかこう、少し歳を取ったというか……

 

「お、やっとでてきた。今日は随分と遅い起床だな。普段僕にはさっさと起きろーなんていう癖に」

 

 ニヤニヤしているトレーナーさんとは裏腹に、私の心中は穏やかではなかった。今の彼の発言もよく分からない。これではまるで私とトレーナーさんが同居しているような言い方だ。

 

 ……それはそれで有り、むしろそれを望んでいるまでありますわね。

 

 いやそうじゃなくて! 

 

 今はトレーナーさんにこの状況がどうなっているのかを問いただすのが先だ。彼のことだ、どうせゴールドシップとでも組んで私にドッキリでも仕掛けているのだろう。

 

「あ、あの、トレーナーさん。ここは一体どこですの? 私、目が覚めたらこんな所にいたのですが……」

 

「トレーナーさん? 今日はまた懐かしい呼び方をするんだね。それにどしたの、ここがどこかなんて。僕達の家に決まってるじゃないか」

 

 …………『トレーナーさん』が懐かしい呼び方? 私達の家? どういうことですの? 

 

「大丈夫か、マックイーン? その歳で痴呆とは可哀想に……」

 

「違いますわよ! これは、なんというか……そう、寝ぼけてただけですわ!」

 

 寝起きということで、それを盾にいくらでも言い訳を効かせることができるのが幸いだ。

 

 というか、これは本当にどういうことなのだろうか。

 知らない場所のはずなのに、そこには私の知っている人。

 疑問や疑念は尽きないが、それを他人に言ったところで信じてもらえるかは分からない。

 

 ここは一つ、普段通りに行ってみましょう。

 

「こほん、トレーナーさん。私達そろそろトレーニング行かなければならない時間ですわよ。早く準備して学園に向かいませんこと?」

 

「あれ、今日はトレーニング休みだって昨日伝え忘れてた?」

 

 いきなり出鼻を挫かれた。私にとっての昨日は普通に学園で過ごしていたのでそんなこと知るはずがない。

 

「も、もちろん覚えてましたわよ! ただ、休みとはいえ体を動かしたいなーと思っただけです!」

 

「おっ、引退してもなお走りたいとは。さっすがメジロマックイーン」

 

「ええ、当然ですわ。なんせ私はメジロ家のウマ娘今なんて言いました?」

 

 なんだか彼の口からとんでもない内容が聞こえた気がする。

 

「さっすがメジロマックイーン」

 

「違います、ちょっと戻ってください」

 

「マックイーン、起きてる?」

 

「戻りすぎですわよ!? ふざけてるんですの!?」

 

「ごめんごめん。『引退してもなお走り続けたいとは』って言ったんだけど」

 

 …………What? 引退? 私が? レースを? 

 

 これは流石に普段通りに行くとは言えない。悪い夢でも見てるのだろうか。

 

「……本当にどうしたの? 体調が悪いんだったら寝てもらってていいんだけど……」

 

「いえ、大丈夫……大丈夫ですわ。トレーナーさん、最後に一つだけ聞きたいことがあるんですけど構いませんか?」

 

「ん、なに?」

 

 知らない場所、見たことないスマホの機種、少し歳を取ったように見えるトレーナーさん。極め付けは彼の口から出た私が既にレースから身を引いているという発言。

 

 ここまで来たら一つの仮説が浮かんでくる。それはあまりにも非現実的で信じ難いものだ。例えトレーナーさん相手でも信じてはくれないだろう。

 

 私は最後のピースを嵌めるため、この状況がどういったものかを決めつける決定的な質問をする。

 

「私と、貴方は一体どういった関係か教えてくれませんか?」

 

 私の質問にトレーナーさんは……

 

「え、何って……夫婦に決まってるじゃん」

 

 そう言って彼は恥ずかしげに頬を掻き…………え

 

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?!?」

 

 

 

 

 

 最初はとてつもない違和感に襲われていたが、少し時間が経つと自分でも驚くほどにこの状況をすんなりと受け入れることができた。

 私は既に学園を卒業していること、その学園でサブトレーナーを勤めていること、トレーナーさんと、その……ふ、夫婦なこと……

 

 そう、そうですわ。確かそんな感じだったと思います、ええ。さっき取り乱したのは昔の夢を見ていたからですわ。私がまだ選手として緑のターフを走っていた時の夢を何故か昨日までの記憶と勘違いしていただけですわね。

 

「あ、これ美味しいです!」

 

「そうだろ? この前君と出かけた時に気に入ってたデザートを再現してみたんだ」

 

 ひとしきり騒いだ私をトレーナーさんは不思議そうに見ていたのも束の間、今では二人で昼に差し掛かった朝食を取っていた。

 トレーナーさんのご飯は美味しい。とても美味しい。でもなんでしょう、この敗北感。

 

「そうだ、ちょっと昼から二人で出かけない?」

 

「今日? 別に構いませんけど……何か用事でもあるんですの?」

 

「いや、別に用事ってわけじゃないけど。なんとなくマックイーンと外歩きたいなーって」

 

 これは所謂デートというやつだろうか。

 私とトレーナーさんは夫婦。学生とトレーナーという関係ではない。つまりどんなことをしても問題にはならない。なんて素晴らしいのだろうか。

 

「そういうことでしたらご一緒しますわ」

 

「それじゃ、早くご飯食べて支度するか。行きたい所とかある? 何分思いつきだから目的地とか全く決めてなくてさ」

 

 逸る気持ちを抑えて冷静に答えると、今度はどこに行きたいかを問われる。

 正直な話、私はトレーナーさんと一緒であればどこだっていい。なんなら家でのんびりするのも悪くない。

 

「そうですわね……ここは無難にショッピング、いえ、映画も捨てがたいですし……スイーツの食べ放題なんかも……」

 

「……よし、全部行こう」

 

「ぜ、全部ですか!? 流石にそれは今からだと時間が足りないと思いますが……」

 

「大丈夫だって。今日は珍しく二人とも休み取れたんだし、全力で遊ばなきゃ損じゃん」

 

 私が選手として現役の時と違い、今の彼はとてもアクティブだ。やはり生徒とトレーナーという関係に縛られていたのがあるのだろうか。

 

「はぁ、分かりました。今日はとてつもない過密なスケジュールになりそうですわね、トレーナーさん」

 

「マックイーンなら問題ないだろ? あと、いつまで『トレーナーさん』呼びなの? まあ昔に戻った感じがするし、それはそれで悪くないんだけどさ」

 

 ああ、そうだった。昔の夢を見ていたということもあり、それに引っ張られてつい彼のことをトレーナーさんと呼んでいた。いつものように彼のことを……

 

 いつものように……? 

 

「ん? どしたの」

 

「いえ、なんでもありませんわ。それより、今日一日は貴方のことをトレーナーさんと呼んでもよろしいでしょうか?」

 

「え、それは別に構わないけど……なんかあった?」

 

「少々昔の夢を見ていたようで……」

 

 なぜか今日は『トレーナーさん』という呼び方の方がしっくりくる。結ばれてからというものの、私は彼のことを名前で呼んでいたはずだ。それなのにどうして……? 

 

「まあ、呼び方なんてどうだっていいじゃん。そんなことより、さっさと外出る準備しようぜ〜」

 

「ええ、そうしますわ」

 

 私は未解決の疑問を、残されたデザートと一緒に飲み込んだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 外に出てまず最初に向かったところは映画館。ショッピングは荷物のことを考えると後の方が良いし、食後すぐというのもあったのでスイーツ食べ放題も後回しとなった。私としてはスイーツ食べ放題はどの時間でも構わないのですけどね。

 

 デートで映画館に来たら、ほとんどのカップルはラブロマンスを見るだろう。彼ら彼女らはその雰囲気を楽しみ、上映が終わった後でも長時間余韻に浸る。

 

 私達も例に漏れずそれを見る…………わけがなかった。

 

「この『優美なる平日』っての良くない?」

 

「これも良さそうですわよ、『カフェストーリー』」

 

 私達が選んでいたのはものの見事にB級映画ばかり。恋愛のれの字もない。それでこそ私達らしいというのもありますけれど。

 

 それにしても先程からどれを見るかという話で停滞している。事前に決めとけばよかったものの、このお出かけ自体がトレーナーさんの思いつきなのでそうも言ってられない。

 

「どれを見るか迷いますわね……」

 

「おっ、だったらこの『不沈艦ムーンホクサイ』ってのはどうだ? あんまり長くないしおすすめだぞ」

 

「そうなのですか? ではこれを……ってなんで貴方がいるんですか、ゴールドシップ!?」

 

「いやぁ、ポップコーンの神様があたしを呼んでる気がしてよ。そんでここに辿り着いたら、なーんか見たことある二人がいたからつい話しかけちゃったぜ」

 

 てへぺろ、といった感じで私達に話しかけてきたのはゴールドシップ。学生の頃は散々迷惑をかけられたが、なんだかんだ未だに付き合いのあるのは腐れ縁としか言いようがない。

 そんなことよりポップコーンの神様とやらを詳しく。

 

「やあゴールドシップ、久しぶり。今日は一人かい?」

 

「ん? ああ、今日はゴルシちゃん一人だぞ」

 

「そっか、なら君も一緒に映画見る?」

 

 ……は? この男今なんつった? 

 

 今日は仮にも私とのデートのはずだ。決してゴールドシップが嫌いというわけではない。でも今日は二人でのつもりだったのに。

 

「んー、いや、アタシはいいや。この後ひよこの選別するバイト入ってからさ」

 

「ありゃ、それは残念。マックイーンの旧友ってことであの子も喜ぶと思ったんだけどね」

 

「……お前ほんと乙女心分かってないのな」

 

 トレーナーさんにゴールドシップがつっこむという珍しい構図ができている。タチの悪いことに、トレーナーさん自身は恐らくボケたつもりがない。こういうところは昔から変わっていませんのね……

 

 不思議そうに首をかしげるトレーナーさんを無視し、ゴールドシップはそれじゃあなー、と言い元気よく映画館を後にする。

 ポップコーンの神様云々言っていたが、彼女は映画館に何をしに来たのだろうか。相変わらず彼女の言動は意図を読めない。

 でも、こうして気を遣ってくれたことは感謝ですわね。

 

「行っちゃった……。それじゃ僕達も行こうか、マック……イーンさん? もしかして怒ってらっしゃいます?」

 

「いいえ、怒ってません」

 

「いや、怒ってますよね? ほら、耳とかめっちゃ後ろに……」

 

「怒ってません」

 

「…………はい」

 

 しばらくトレーナーさんには反省してもらおう。今日は私とのデートなんです。私だけを見てればいいのです。それを分からせるためにも、しばらくはこのままでいましょうか。

 

 ちなみに、このすぐ後にゴールドシップから今日のお出かけの感想を120文字以内で書けとの連絡が来た。なんですの、ウマッターにでも投稿しろと言うのですか。

 

 私は彼女の連絡を既読無視した。

 

 

 

 

 

 映画を見終え、次に向かったのはスイーツバイキング。

 現役時代と違い、体重のことを気にせずにスイーツを食せるというのは私にとって至高の極みだ。でも、太りやすい体質なのは変わっていなかった。そのため日々のランニングは欠かすわけにはいかない。たまに学園の生徒達に混じって併走するなんてこともよくある。

 

 食事制限は無いが、実質食事制限のようなものを背負うのは中々に堪える。

 それでもスイーツを食べたい。スイーツを食べたい……っ! 

 

「お、見ろよマックイーン。これすげぇ美味しそう」

 

「こっちにはモンブランにマカロンに……メロンパフェ! メロンパフェもありますわ!」

 

 そんなわけで、我慢は体に毒、今を楽しむ、明日は明日の風が吹くと自分に言い聞かせてスイーツバイキングを楽しむことにした。

 私が我慢していてはトレーナーさんも気を遣ってしまう。

 

「お、お客様? 他のお客様のご迷惑になるので流石にその量はお控えいただきたく……」

 

「ご、ごめんなさい……ライスのせいで……ライスがいっぱい食べちゃうからこのお店が……」

 

「え、いや、そこまでではないのですが……」

 

 二人で楽しむためにも……

 

「……あれライスシャワーじゃね?」

 

「ああもう! どうしてこうなりますの!」

 

 見て見ぬふりもできず、私は取り皿をトレーナーさんに預けてライスさんの下へ向かう。

 

「ちょ、ちょっとよろしいですか? ライスさんこっちに」

 

 店員さんと話しているライスさんの手を引いて部屋の端に連れる。

 

「あれ、マックイーンさん? 久しぶりだね! マックイーンさんもスイーツの食べ放題に来てたの?」

 

「ええ、そうです。そうなんですけど! ライスさん、貴方スイーツ取りすぎですわよ!」

 

 彼女の持っていた取り皿には、かつてのオグリキャップさんやスペシャルウィークさん顔負けの量のスイーツが盛られていた。

 

「うぅ、ごめんなさい……。でもライス、学園にいた時からすぐにお腹空いちゃって……」

 

「食べることは悪いことではありませんけど、それでお店や店員さんを困らせてはいけませんわ。あと私の分が無くなります」

 

「……最後のが本音だね」

 

 おっと、つい本音が漏れてしまった。でも、他者に迷惑をかけてはいけないということで飲み込んでもらおう。

 

「ライスシャワー、久しぶり。相変わらず君はよく食べるね」

 

「あっ、マックイーンさんのトレーナーさん」

 

 見かねてトレーナーさんも私達の下へやってくる。

 

 ……これこの後の展開見えましたわ。見た感じライスさんは多分一人でここに来ている。それはトレーナーさんも分かっているだろう。ならば彼が取る行動といえば……

 

「ライスシャワー一人なの? だったら僕達と一緒に食べる?」

 

 やっぱり! この浮気性! 先程反省したかと思えば全くしてない! 

 

 ライスさんと共にするということは、あのカップル恒例のイベントが楽しめないということだ。た、例えば、あ、あーん、とか? 

 

 とにかく、ライスさんには申し訳ないが断ってもらおう。埋め合わせと言ってはなんだが、今度ウララさんやゴールドシップを連れてどこかに行こう、そうしましょう。

 

「で、でも今日はマックイーンさん達二人で来てるんでしょ? それに、ライスがいるとみんな不幸になっちゃうから……」

 

 …………

 

「そんなことありませんわ! ライスさんがいるだけでみんな笑顔になります! ねえ、トレーナーさん?」

 

「え? あ、はい、そうっすね」

 

「トレーナーさんもそう言ってることですし、行きますわよ、ライスさん!」

 

「う、うん、分かった。ライスもいっぱい食べるぞ、おー!」

 

 この後めちゃくちゃスイーツ食べた。

 

 

 

 

 

 本日最後のイベント、ショッピング。

 ショッピングとは名ばかりで、実際買いたいものも特になく、アクセサリーなどの装飾品店を冷やかし、日用雑貨や食料を買い込むだけのものとなるだろう。

 でもそれがいい。それでいい。こう言ったThe日常生活といったようなものが、私にとってスイーツを食べる時と応援している球団が勝つことくらい幸せなのだ。

 

 この幸せをトレーナーさんとの二人きりで味わいたい。

 

 

 そう思ってましたのに。

 

 

「いやあ、マックイーンさんのトレーナーさんのおかげでジュース儲かっちゃいました〜。ありがとうございま〜す」

 

「お前……あのはちみつドリンクの値段が高ぇよ……そして絶対カロリーも高ぇよ……」

 

「大丈夫ですって。どこかの誰かさんみたいに太りやすい体質じゃない限り気にすることないですよ〜」

 

「それもしかしなくても私のことですわよね!? そんなことよりスカイさん、なぜ貴方がここにいるんですか!?」

 

 げんなりしたトレーナーさんにダル絡みをするセイウンスカイさん。そして何故か私が流れ弾をくらう。

 今日はなんだか知り合いとよく出会う。それも今日というトレーナーさんとのデートの日に限って。

 

「私は普通にフラワーとお出かけしてただけですよ? でもはぐれちゃってさあ。なんか電話も繋がりませんし。そしたら偶々マックイーンさん達を見かけちゃいまして〜」

 

 貴方もですか。貴方もゴールドシップと同じ口ですか。

 

 でも、スカイさんはなんだかんだ言って聡いウマ娘だ。偶然出会ってトレーナーさんにはちみつドリンクを奢らせるというのは中々だが、なんだかんだこの状況を察して身を引いてくれるはず……

 

「あっ、そうだ! トレーナーさん、今日の晩御飯奢ってくださいよ! どうせこの後外食するんですよね?」

 

 ……はあ? 

 

「奢ってって……ニシノフラワーどうするんだよ。探さなきゃいけないんじゃないのか? なんだったら手伝うし」

 

 …………はあ??? 

 

「いえいえ、フラワーには私がいなくなったら先に帰っといてと伝えてるんで。久しぶりにマックイーンさん達と会ったんだから、こうしてお話したいなあ〜なんて」

 

 そう言ってスカイさんは私の方をニヤニヤした顔で見て……この方……っ、分かっててこんなことしていますわね……! 

 

 からかい上手のスカイさんに見事に手玉に取られていることが腹立たしい。気を抜くと、グーにしている右手からついストレートが放たれてしまいそうになる。

 

「まあ僕は別に構わないけど。今更一人増えたくらい……」

 

 そこまで聞いて私はスマホを思い切り握り締める。

 

「……きつくはないと思ったけど今日はあまり持ち合わせがなくてね」

 

 あら、私としたことが、ただスマホを握りしめただけのはずなのに木っ端微塵にしてしまっていた。

 トレーナーさんは私の粉々になったスマホを見て青ざめている。よかった、私の気持ちが伝わったようですわね。

 

「ありゃりゃ、それは残念。私もそろそろ帰らなきゃフラワーに怒られそうなので、ここでお暇させていただきますね〜」

 

 スカイさんは相変わらず態度を崩すことなくその場を去ろうとする。トレーナーさんは私のスマホ(だったもの)が気になるのか、まだそれに釘付けとなっている。

 

「それでは失礼しま〜す! トレーナーさん、次は一緒にご飯行きましょうね〜! 二人きりで〜!」

 

「うるっさいですわよ! 早く帰りなさい!」

 

 にゃはは〜、と笑いながら今度こそスカイさんはこの場を後にする。

 

 彼女が私のトレーナーさんを憎からず思っていることは薄々分かっていた。

 ……分かってましたけど! トレーナーさんは私のパートナーなんですわよ!? それなのにあんなストレートに浮気を促そうとするとは……! 

 

 彼女も本気ではないだろうが、今後も目を光らせておかなければならない。

 

「あー……マックイーン……さん。その、なんていうか……」

 

 私がスマホを握り潰してから大人しくしていたトレーナーさんがようやく口を開いた。

 

「……なんですの?」

 

「……ごめんな。今日は二人で出かけるって決めてたのに、君の意に反するようなことばかりしちゃって」

 

「全くですわ! 少しは反省してください!」

 

「うぐっ……スミマセン……」

 

 はぁ……まだ自覚があっただけマシですわね。

 

 これで「なんのこと?」などと言われた暁には家の力を使ってトレーナーさんを監禁かつ『教育』を施さなければならないところだった。

 

「……なあ、マックイーン」

 

「今度はなんですの?」

 

「今日は楽しくなかった?」

 

 この方は何を言っているのだろうか。

 私とトレーナーさん二人のお出かけでありながら、見知った顔を見かけるとまるでナンパ師の如く声をかけ、映画を除けば結局二人で過ごした時間なんてほとんどなかった今日のお出かけが楽しかったと? 

 

 

 そんなの……

 

 

「……楽しかったに決まってますわ!」

 

 この思いに嘘はない。私にとっては充分すぎる。

 

 トレーナーさんは「良かった」と一言。

 

 夕日が眩しく、なんだか映画のワンシーンのような良い雰囲気となったこの空間。それに呼応するかのように私の顔とトレーナーさんの顔が近くなっていき……えっ!? 

 

 こ、ここでしますの!? キで始まってスで終わる行為をここで!? だ、ダメですわ! 人目もありますし! 

 

 そんな心の中の抗議も虚しく、私の頭の中の天使と悪魔も提携したようで、考えることをやめこの場の雰囲気に流されることにした。

 

 

「……イーン……」

 

 

 これをするのは初めてではない。でも、いつまで経っても慣れない。慣れないが、その度にいつも新鮮な幸福を味わうことができる。

 

 

「……ックイーン……!」

 

 

 そんなことを考えているとトレーナーさんと私の顔がさらに近くなる。

 ああ、今日はなんて素晴らしい日なのだろう。こんな日常がいつまで続いていけば……

 

 

「マックイーン!」

 

「ああもう、さっきから誰なんですの!? 私とトレーナーさんの逢瀬を邪魔しようとしているのは……って、あら?」

 

 私とトレーナーさんの口が合わさる直前、何者かが私の名前を連呼し邪魔をすることに苛立ちを覚え、ついそれに反応してしまう。

 

 すると気がついたらトレーナーさんはいなくなっており、この場にあったのはベッドと布団、そして私の名前を呼んだであろうイクノさんだった。

 

「おはようございます、マックイーン。随分と楽しそうな様子でしたが」

 

「えっ? お、おはようございます。あの、つかぬことをお聞きしたいのですが……ここはどこなんですの?」

 

「まだ寝ぼけているみたいですね。寮ですよ、トレセン学園の寮」

 

 つ、つまり今まで見ていたのは……

 

「夢……? もしかして夢オチ……!?」

 

「なんの夢を見ていたかは……まあ大体想像つきますが、目も覚めたところで時刻も確認してみてください」

 

 イクノさんの言った通り壁にかけてあった時計を見ると、針は始業の10分前を指しており……って

 

「遅刻じゃないですか!? どうして起こしてくれなかったんですの!?」

 

「何度も起こしましたよ。その度にあなたはトレーナーさんトレーナーさんと言って一向に起きる気配を見せず……」

 

「わあああああ! わあああああ! 分かりました! 分かりましたのでそれ以上はやめてください!」

 

 この日、私は初めて学園に遅刻した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ……眠い。

 

 授業を終え、私はいつものトレーナー室へと向かう。

 

 別に睡眠不足というわけではない。むしろ睡眠時間は十二分に取ってある。だが眠い、とてつもなく眠い。今すぐ部屋に戻ってベッドインしたいと考えるくらいには眠い。

 

 その理由は明白、今朝見たあの夢のせいだ。

 

 睡眠には主に二つの性質がある。浅い眠りのレム睡眠と、深い眠りのノンレム睡眠だ。寝ている間はこの二つの睡眠を繰り返す。

 夢を見ている時は眠りの浅いレム睡眠なため、体はリラックスしていても脳は記憶の整理などで普段と同じように活動している。

 

 そのためか、今日の朝はなんだかちゃんと睡眠を取った気がしなかった。

 一時間目には間に合ったものの、授業には全く集中することができなかったし、このままではこの後のトレーニングも危うい。

 

 どうしたものかと考えながら廊下を歩き、トレーナー室の前まで辿り着く。そこからはなんだか楽しそうな声が聞こえてきた。

 私は静かに部屋のドアを開く。

 

「はいダイヤさん、お手つきですね〜」

 

「ええっ!? こちらの陣じゃなかったんですか!?」

 

「ははっ、甘いなダイヤ。今読まれたやつの下の句は……これだろ?」

 

「トレーナーさんも違いますね〜」

 

 トレーナー室にいたのはトレーナーさん、ダイヤさん、そしてグラスワンダーさんだった。

 

「トレーナーさん? 何をしていますの?」

 

「あ、マックイーン。いやなに、グラスワンダーが百人一首持ってきたからさ。ちょっとやってみようと思ったんだけどこれ結構難しいね」

 

 ひゃ、百人一首? 

 

「マックイーンさんもどうですか? 私達じゃ全然ダメで……」

 

「おい、一緒にするなよ。僕は君より2枚も多く取ってるんだからな」

 

「五十歩百歩とはまさにこのことですね〜」

 

 確かに良い賢さトレーニングにはなるとは思うが、いかんせん眠気が凄くてまともに集中できるかどうか怪しい。グラスさんの上の句を読む声で寝てしまう自信がある。

 

「……? マックイーン、今日はまた随分と眠そうだけど、なんか夜更かしでもした?」

 

「いえ、そういうわけではないのですが……私のことはお気になさらず。トレーニングも問題なくこなせますわ」

 

「でも無理は良くない。そこのソファで休むといいよ」

 

「……ええ、それではお言葉に甘えて……」

 

 トレーナーさんの言葉に従い、私はソファに腰掛ける。

 その瞬間、夢の内容も含めて今日一日の疲れにドッと襲われる。目を閉じてしまえば今にも眠ってしまいそうだ。

 

「しっかし難しいな、百人一首って。そもそも和歌を覚えるって機会ってのがないもんな」

 

「私もです。あっ、グラスさんのおすすめのお歌ってありますか?」

 

「私のおすすめですか? そうですね〜、こういうのは和歌単体を探すのも良いですが、詠んだ人から探すのも有りだと思いますよ? 例えば小野小町の……」

 

 ソファに座っているとドンドン眠気に襲われてしまい、次第に目を開けることが厳しくなっていく。このままでは私はここで熟睡してしまうだろう。

 でも、どうせ寝てしまうのだったらあの夢の続きを……

 

 

 

『思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを』

 

 

 



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宝石の未来

評価、感想、誤字修正、誠にありがとうございます。

加えてランキングを覗いてみると、当ssが12位にランクインしてました。これからも精進するので、よろしくお願い致します。


「本気……なのか?」

 

「ええ。伊達や酔狂でこんなことを言うと思います?」

 

 理事長室、この場にはいつものようにたづなさんはおらず、僕と秋川理事長が一対一で対面している。

 そんな秋川理事長は驚愕の表情を見せている。いつものように二字の熟語を言う余裕もないようだ。

 

 机の上に置いてあるのは辞表、差出人は言うまでもなく僕。その内容は今月一杯、有記念が終わったらトレーナー業を辞めるというもの。

 

 あのジャパンカップの日、僕は決心した。

 この心のしこりを取り除くためにトレセン学園を去るべきだと。

 

「……理由を聞いてもいいか?」

 

「理由、ですか。僕にはこの仕事は向いてなかった。ただそれだけですね」

 

「っ、そんなことはない! 現に君はメジロマックイーンと共に素晴らしい功績を積み上げている! それに、君の担当するもう一人のウマ娘、サトノダイヤモンドも最近調子が良いと聞いている! それなのになぜ君はこうも自己評価が低いんだ!」

 

「別にマックイーン達が凄いのは僕のおかげじゃないですよ。トレーナーが誰であろうと、あの子達の実力は変わらない……むしろ高くなっているまでありますよ」

 

 僕は自嘲気味に笑いながら言う。

 でも悲しきかな、この自虐ネタは理事長にとってお気に召すようなものではなかったようだ。

 

「……もしかして、本当の理由はメジロマックイーン達のためとでも言うつもりか? だとしたら笑止! それは大きな勘違いで……」

 

 むしろ的外れな詮索を促してしまったらしい。

 

「そんな大層な理由じゃないですよ。これは僕……俺自身の問題です」

 

「……」

 

「それでは失礼します。ああ、マックイーンとダイヤの移籍先に宛てはあるので、決まり次第また報告しにきますね」

 

「……これは一応預かっておく。でもまだ受理はしない。有記念の後、もう一度ここへ来なさい。その時にもう一度話をしよう」

 

「……分かりました」

 

 簡素な会話を終え、僕は理事長室を後にする。

 

 これでいいんだ。

 これでもう無駄に多い仕事も、レース相手のことも、時たま浴びせられる世間からの冷たい言葉も気にしなくて済む。

 

 僕はウマ娘達によって繰り広げられるレースが好きだ。

 でもそれはトレーナーという仕事に就かなくても一観客として楽しむことだってできる。

 ならば僕はそれになろう。今後は遠くで彼女達を見守ろう。

 

 あっ、新しく住む場所を決めとかないといけないな。転職先も見つけないといけないし……

 一旦実家に帰省するか。ちょうどその頃には正月だしな。今からでも楽しみだぜ。

 

 

 

 ……マックイーンの隣に立てるように努力を怠らないって約束、守れなかったなあ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 最近のトレーナーさんはなんだか変です。

 

 

 私の最近のちょっとした悩みはそれに尽きる。

 

 トレーニングメニューはきっちりと考えてくれるし、走りのアドバイスやレースのコツなど細かい所も指導してくださるので、トレーナーとしての彼は申し分ないほどだ。

 

 でも何と言ったらいいのでしょうか、心ここに在らずと言うか、なんだか彼が無気力なように感じてしまいます。

 

 私ですら気が付いている異変にマックイーンさんが気が付いていないはずがない。

 とは言っても、彼の変化は些細なものだ。何か嫌なことでもあったのかなと、そう流してしまっても仕方がない。

 

 それでも、私に出来ることは何かあるだろうか。

 お節介と言われても、いつもお世話になっている相手だ。ついそんなことを考えてしまう。

 

「聞いて聞いてダイヤちゃん! あたしね、来年の1月にデビュー戦なんだよ! ああっ、夢にまで見たトゥインクル・シリーズ……! 今からでも走るのが楽しみだよ……!」

 

「……もう、キタちゃん。それはお耳にタコができるほど聞きました。私はまだなのにキタちゃんだけずるいよ」

 

「だってだって、本当に楽しみなんだもん! 天皇賞にジャパンカップ、大阪杯に有記念! 走りたいレースが沢山だよ!」

 

 私よりも先にデビューが決まったキタちゃんは、これ見よがしに私の前で大はしゃぎをする。

 ちなみに、彼女がこうしてはしゃぐのは初めてではない。先の通り、もう何回も彼女のデビュー戦の話を聞いている。

 ずるい。私も早く走りたいのに。

 

「あっ、でもダイヤちゃんと一緒に走れないのは残念かな……」

 

「キタちゃん……」

 

 初めてキタちゃんのデビュー戦の話を聞いた時、私も彼女と走りたいという一心でトレーナーさんにデビューを早めてもらうようにお願いした。

 

 結果はご覧の通り。

 普段ウマ娘のことを良く考えてくれて、ウマ娘の意思を尊重するトレーナーさんは珍しく私の提案を更に強い意思で否定した。

 いや、良く考えてくれるから否定したのだろう。そうでなければ、彼が私の言葉を否定した時あんなに苦しそうな顔をするはずがない。

 

「キタちゃんは私のことなんて気にせずにデビューしてきて? そんな気持ちじゃ簡単に負けちゃうよ?」

 

「ええっ!? それは困るよ!」

 

 キタちゃんの大げさなリアクションについ笑みが溢れてしまう。

 私はいつもキタちゃんから元気を貰っている。彼女に負けないよう、私も頑張らなくては。

 

「あっ、そろそろトレーニングの時間だ」

 

「私もそろそろ行くね。トレーナーさんとマックイーンさんを待たせちゃいけないし」

 

「うん、それじゃあね、ダイヤちゃん!」

 

「また明日ね、キタちゃん」

 

 キタちゃんと別れ、私はトレーナー室に歩き出す。

 

 さて、キタちゃんとの会話で話が逸れたが、本題は今から私が向かう先にいるトレーナーさんについて。

 何か違和感を感じているのは間違いないけれど、それが何なのかが見当もつかない。

 この前の、天皇賞の時のように考えていることが分かりやすかったならまだしも、今回はそれとは別だ。まるで私達にそれを悟らせないという意思さえ感じる……気がする。

 

 トレーナーさんは何かを隠しているのだろうか? 

 いやいや、秘密くらい誰にだってあるはず。

 

 私だってマックイーンさんやトレーナーさん、なんならキタちゃんにも話してない秘密はある。

 でも、なんだろう。今回のそれは秘密を秘密のままにしておいたらいけないような気がして……

 

 そもそも私とトレーナーさんは出会ってから日が浅い。

 気がつけば半年以上の付き合いではあるが、所詮半年だ。マックイーンさんとトレーナーさんとの信頼関係に比べればまだまだと言える。

 

 あーあ。こんな悩み、マックイーンさんならすぐに解決しちゃうんだろうなあ。

 

 そんなことを考えていると、件のトレーナー室の前まで来ていた。

 いつまでも悩んでいても仕方がないので、私は思い切っていつものようにトレーナー室の戸を開ける。

 

「こんにちは、トレーナーさん」

 

「よう、ダイヤ。今日も元気そうだな」

 

「当然ですよ。私も先にデビューするキタちゃんに追いつくために頑張らないといけませんから」

 

「そっか。あー……その件なんだが、なんというか……悪かったね」

 

「謝らないでください。トレーナーさんも考えがあって私のデビューを遅らせたんですよね?」

 

 トレーナーさんは黙って頷く。

 以前彼が言ってくれた。まだ体が完全に出来上がっていない今の状態でデビューすると、最悪の場合二度と走れなくなってしまうほどの怪我をしてしまうかもしれない、と。

 

「でしたら私は何も言いません。もう少しの間、マックイーンさんの背中を見て学びます」

 

「……そっか。でもそんなに悠長に構えてる暇も無いぞ。考えてたプランとしては、今の時期から一年後、つまり来年の秋くらいだな、そこでデビューの予定だったからね」

 

「えっ、ほ、本当ですか!?」

 

「ああ、本当だとも。世代は違えど、君とキタサンブラックがトゥインクル・シリーズで成果を挙げれば確実にレースで相見えることになるだろうね」

 

 ……やった、やったやったやった! 本当に私も近いうちにデビューできるんだ! 

 

 前にもトレーナーさんから近いうちにデビューできると聞いたが、デビューの具体的な時期を聞くと尚実感が湧いてくる。

 

 秋ということはやっぱりキタちゃんとは一つ世代が違ってくるけれどそんなの関係ない。

 私の頭の中は、デビュー戦と未来に繰り広げられるであろうキタちゃんや強いウマ娘とのレースでいっぱいだった。

 

 実際にターフに立ったらどういう光景が見えるのだろうか。レースの駆け引きを上手く成功させられるだろうか。

 あっ、勝負服! もしGⅠを走ることができるようになったら、私の勝負服はマックイーンさんと同じくらいとびきり可愛いのにしてもらおう。

 今からでも想像が膨らんで仕方がない。

 

「……どうせなら近くで見たかったなあ」

 

「ん? トレーナーさん、何か言いましたか?」

 

「いや、なんでもないよ。それよりダイヤ、マックイーン知らない?」

 

「マックイーンさん? いえ、私は知りませんけど……何かあったんですか?」

 

「さっき連絡が来てね、どうやら今日のトレーニングに少し遅れるらしい。返信しても既読付かないし、何かあったのかなって」

 

 マックイーンさんにだってトレーニングに遅れることくらいあるだろう。

 理由は様々、日直や掃除当番、先生のお手伝い等色々。

 

「普段日直とかでトレーニングに遅れる時は前もって連絡入れてくれてたんだけど、今日はトレーニング開始直前だったし、その理由も書いてなかったからちょっと意外でね」

 

「そうですね、それくらい急用だったってことでしょうか?」

 

「分からん。まぁなに、マックイーンのことだ。どのみち心配はいらないさ。さて、あいつが来るまで先にトレーニングを始めとこうか」

 

 トレーナーさんは笑ってその話を収める。そんな彼の姿はいつもと同じように見えた。

 

 やっぱり先程のことは杞憂だったのでしょうか? 

 

 そう思わされるくらいには今のトレーナーさんは普段と変わりない気がする。

 

 もういっそのこと直接聞いてみましょうか。

 

 トレーニングメニューを確認しながらトレーナー室の戸に手をかけるトレーナーさんに、私は思い切ってこれまでのモヤモヤをぶつようとする。

 

「今日は坂路トレーニングを中心に……」

 

「あっ、あの、トレーナーさん!」

 

「ん? どした、ダイヤ。そんな覚悟を決めたような顔して」

 

「少し聞きたいことがあるんですけど、お時間よろしいですか?」

 

「聞きたいこと? ああ、いいよ。時間に余裕はあああああああ!?」

 

 トレーナーさんはそこまで言ってから姿を消した。

 いや、違う。彼が手をかけていた戸が外から打ち破られ、それによってその戸の前にいたトレーナーさんごと吹っ飛ばされたのだ。

 

「ト、トレーナーさん大丈夫ですか……って大丈夫なわけないですよね!? 今救急車を呼ぶので……」

 

「けほっ、こほっ……なんだよ急に……。あ、ダイヤ、救急車は必要ないよ。特に痛いところとかは無いからね」

 

 えぇ……無事なのは何よりだが、どうして今のをくらって平然としていられるのだろうか。

 トレーナーさんはただの人間のはず。でも耐久力ならウマ娘並、あるいはそれ以上かもしれない。

 

「そんなことより今のは……」

 

 そうだった。トレーナーさんの頑丈さに目を奪われて、トレーナー室の戸を破壊したのが誰かを確認していなかった。

 

 私とトレーナーさんはその方向に視線を向けると……

 

「生徒会室にぃ〜、AEDを564台設置したのはぁ〜、どこのどいつだ〜い? アタシだよ!」

 

「知らねぇよ! この部屋どうしてくれるんだよゴールドシップ!」

 

 知ってた。こんなことを平然とやってのけるウマ娘なんて、ゴルシさんくらいしかいない。

 

 当の本人はトレーナーさんを吹っ飛ばしたことなんて気にもしてないようで相変わらずケラケラ笑っている。

 もしかして彼の頑丈さは周知の事実なのだろうか。

 

 そういえば昔、マックイーンさんがトレーナーさんに全力パンチをくらわせても彼は生きていたという噂を聞いたことがある。

 この数秒間でその噂の信憑性が高くなった。

 

「あっはっはー! ゴルシちゃん、マックイーンんとこのトレーナー室占領したり……って、なんだよ、いるのダイヤ嬢だけかよ。これじゃ面白さ半減じゃねぇか」

 

「さりげなく僕を省くんじゃあないよ。てかさっきの、僕じゃなかったら死人が出てたぞ」

 

「流石のアタシもあんたの頑丈さには引くわ」

 

「なに、もしかして喧嘩売ってる?」

 

「細けぇことはいいじゃねぇか! それよりも、このあたしがとっておきの情報持ってきてやったぜ! 鼻の穴かっぽじって良く聞きな!」

 

「汚い。普通に汚いからやめな、そういうこと言うの」

 

 どうやらゴルシさんはとっておきの情報とやらを私達、もといマックイーンさんに伝えるためにここに来たようだ。

 彼女はそのとっておきの情報とやらが書かれてあるであろう紙をトレーナーさんに渡す。

 

 ……紙に書いてあるならかっぽじる云々のくだりは何だったのだろうか。

 

「はぁ、なにこれ。出走予定……っ」

 

「トレーナーさん? どうかされましたか?」

 

 ゴルシさんに渡された紙を見たトレーナーさんは何とも言えないというような顔をした。

 私も何が書いてあったのかが気になり、ついノータイムで彼に質問を促してしまう。

 

「……ダイヤ、今日のトレーニングは自主トレに変更だ。僕はちょっと行かなきゃいけないところがある。いいかな?」

 

「え? ええ、それは別に構わないですけど……」

 

「ありがとう」

 

 トレーナーさんは手短にそう答えてトレーナー室から出て行く。

 

 トレーナーさんが見た紙には本当に何が書いてあったのだろうか。

 

「おーおー、普通ならあそこまで切迫詰まったような顔する必要ねぇのにな。なぁ、ダイヤ?」

 

「……ゴルシさん、あの紙には一体何が書いてあったんですか?」

 

「ん? いやあ、もうすぐ有だろ? だからそこで出走する予定のウマ娘の一覧を持ってきてやったってわけ」

 

 有記念の出走予定表? 

 たしかにそれだけならトレーナーさんが焦る必要はない。

 それをゴルシさんが持ってきたのはよく分からないが、少なくとも不安となる要素は……

 

「も、もしかしてマックイーンさんは出走できないとか……!」

 

「んなことねぇよ。むしろ、マックイーンはファン投票で圧倒的な一番人気だぜ。ま、あんたらのトレーナーがおもしれぇ顔してた理由はあれだが、とりあえずダイヤも見てみろよ、ほい」

 

「わわっ、と」

 

 ゴルシさんに投げ渡された紙を受け取り、自分もそれに目を通す。

 

 書いてあったのは、間違いなく有記念の出走予定ウマ娘一覧。

 そこにマックイーンさんの名前は……あっ、あった! ありました! よかったぁ。

 

 でもこれがどうしたんだろう。

 そう思いゴルシさんに目を向けると、彼女はその下を見てみろと言わんばかりに目線を飛ばす。

 

 そんな彼女の言う通りに再び紙に目を通す。

 マックイーンさんの名前の下には、私がマックイーンさんの次にレースをよく見たウマ娘の名前があった。

 

「これは……」

 

 トレーナーさんが焦ったような顔を見せた理由がようやく分かった。

 ゴルシさんもここにマックイーンさんがいる前提でここに来たということは、この情報をマックイーンさんにいち早く伝えるためだったのだろう。

 

「どうだ、面白くなってきただろ? なんせマックちゃんとあいつのレースだからな」

 

 ええ、面白いですとも。マックイーンさんに襲い掛かかる強敵との連戦という名の理不尽さが。

 

 

 拝啓、マックイーンさんへ。

 有記念、私はこれまで以上にあなたを応援させていただきます。

 

 

 



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名優と帝王

 

 

 最近のトレーナーさんはなんだか変ですわ。

 

 

 授業が終わりホームルームの時間、私はそのことが頭の中でいっぱいだった。

 

 そもそも、何かおかしいなと感じたのはあの日のジャパンカップの後。

 ゴール直後に皆さんがいる方を見ると、そこにはいつものように手を振ってくれるトレーナーさんがいなかった。

 とは言っても、ずっといなかったわけではない。いなかったのは数分足らずなもので、彼の姿はすぐに確認することができた。

 

 でもその姿はどこかぎこちない。あの日からずっと。

 

「それでは、今日のホームルームを終わります」

 

 担任の先生の一言と共に、我々学生には放課後という名の自由時間が与えられる。

 しかし、それは一般的な学生の場合だ。

 トレセン学園の生徒であるならば、放課後の時間の使い方といえばほとんどトレーニングだろう。

 特に私のようにもうすぐレースが近いウマ娘ならば、尚更それに励まねばならない。

 

 有記念まで時間がないのだ。やれるだけのことはやっておかなければ。

 

「マックイーンさん、駅前にすっごい美味しいスイーツ屋さんできたらしいんだけど、一緒にいかない?」

 

「えー! いいじゃんいいじゃん! あたし達も行きたーい!」

 

 クラスメイトの誘いに、私の固い決意はいとも簡単に瓦解しそうになる。

 喉の奥まで行きますという言葉が出てきているが、ぐっと堪えてその言葉を胃の中まで押し込む。

 

「……ッ、くっ、わ、私はもうすぐレースが近いので……え、遠慮させていただきますわ」

 

「いや、そんな迫真な顔で言われても……」

 

「でも、そっか。マックイーンさんはレース近いもんね。ごめんね、大事な時期にこんなこと言っちゃって」

 

「いえ、構いません。また誘ってくださると嬉しいです」

 

 私をスイーツを食しにと誘ってくれたクラスメイトのお二人には申し訳ないが、この時期にスイーツを食して体重を増加させるわけにはいかない。

 我慢我慢、もう暫くの辛抱ですわ。

 

 

 さてと、私もそろそろトレーニングに向かうとしましょう。

 行くのがあまり遅くなると、その分のトレーニング時間が減ってしまう。

 時はスイーツなり、一瞬たりとも無駄にできませんわね。

 

 今日のトレーニングメニューは確か坂路トレーニングだったななどと考えながら、私は鞄を手に取り教室を出ようとする。

 

「ちょっといいかな」

 

 扉に手を開けようとした瞬間、おそらく私に向けられたであろう言葉を聞きその手が止まる。

 

 声の主は聞き間違えるはずがない。

 私にとっての好敵手であり、私にとっての……

 

「テイオー……」

 

 振り返ると、そこにはテイオー……トウカイテイオーがいつもの笑顔で立っていた。

 

「どうかされましたの? 私これからトレーニングに向かうところなのですが」

 

「ねえ、マックイーン。今から付き合ってほしい場所があるんだ」

 

「ちょ、私の話を聞いていましたの!? これからトレーニングだと……」

 

「ちょっとだけだからさ! ほら、校門の前で待ってるよ!」

 

「あっ、待ちなさい! テイオー!」

 

 テイオーは私の話を聞かずに教室を飛び出す。

 このまま彼女を無視してトレーナー室へ向かうこともできるのだが、それはいくらなんでも可哀想だ。後日何言われるか分からない。

 

 はぁ……全く、仕方がありませんわね。

 

 私はテイオーの誘いに乗るべく、トレーナーさんに今日のトレーニングに遅れるという趣旨の連絡を入れてから、彼女の後を追う。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はちみつ硬め濃いめ多めで!」

 

「はい、硬め濃いめ多めですね」

 

 話が長くなるのだろうか、テイオーは屋台で彼女の大好物であるはちみつドリンクを注文する。

 

 どこを連れ回されるのかと思えば、行き先は私達がよく歩く河川敷らしい。

 テイオーのことだ、カラオケやボウリングといったアミューズメントな所に連れて行かれるものだと思っていた。

 もっとも、私にはそのように遊んでいる暇などないので、それが分かった瞬間帰っていたのだが。

 

「マックイーンは買わないの?」

 

「……貴方、私が今どういった状況にあるか知りませんの? 私は年末にレースを控えていますの。例えはちみつドリンクだったとしても、カロリーを抑えるために少しでも我慢を……」

 

 そこまで言って私から盛大なお腹の音が鳴る。

 

「……」

 

「……マックイーン」

 

「……なんですの、笑いたければ笑いなさい」

 

「あはははははははは! マックイーンってばおっかしー!」

 

「本当に笑いましたわね! 貴方はいつもいつも私の気に触ることを……!」

 

 私は、はちみつドリンク片手に大笑いするテイオーに掴みかかる。もちろん本気というわけではなく、彼女の肩を揺さぶる程度だ。

 

「もう、そんなに飲みたいなら買えばいいじゃん」

 

「う、うるさいですわよ! それに、どうせ買うのだったらもっとお腹に溜まる物を買いますわ!」

 

「でもはちみつドリンク飲みたいんでしょ?」

 

「……軟め薄め少なめで」

 

「は、はい、軟め薄め少なめですね」

 

 私達の言い合いを側から見ていた店員さんは苦笑いで私の注文に答える。

 そのままはちみつドリンクを受け取り、私とテイオーは例の河川敷へと足を運ぶ。

 

 こういった場合、それなりのムードや展開というものがありますのに、どうしてこうも締まらない雰囲気になってしまうのでしょうか。

 

「なんか久しぶりだね。こうやってマックイーンと一対一で話すのって」

 

「……そうですわね」

 

 実際そうだ。

 先程まであんなふざけた雰囲気ではあったが、私とテイオーがこうして面と向かって話すのは随分と久方ぶりだ。

 最後に彼女と話したのは、レースで悔しい思いをしたあの日以来だ。

 

 そう、春のファン感謝祭のあの日以来。

 

「マックイーン、まずは天皇賞とジャパンカップの制覇、おめでとう。凄かったよ」

 

「ありがとうございます。とは言っても、まだレースが終わったわけではないのですが」

 

「素直に喜べばいいのにー」

 

「私は最後まで気を抜くわけにはいきませんの」

 

「真面目だなー。でも、ボクもその気持ちちょっと分かるかも」

 

 テイオーはあのシンボリルドルフ会長のように無敗の三冠を目標としていた。

 ダービー後の骨折で結局それは叶わなかったが、彼女がクラシックの皐月賞や日本ダービーの間に気を抜いていた様子は一度も見かけたことがない。

 それ故に、私の気持ちがテイオーに伝わったのだろう。

 目標は、達成するまで生きた心地がしないから。

 

「それで、テイオー。そちらの……チームスピカの調子はどうなんですの?」

 

「なに、マックイーン、敵情視察? だめだよ、そんな調べ方じゃあ。もっとこう、颯爽と物陰から……」

 

「なんですか、その変な動きは」

 

 チームの様子を聞いただけなのに、何故かおかしな動きを始めたテイオーを見てつい110のボタンを押しそうになってしまう。

 見る人が見ればただの変質者だ。

 

「冗談だよ。えっと、なんだっけ。スピカなら順調順調! スペちゃんはドリームトロフィーでスズカを倒すんだーって意気込んでるし、ウオッカもスカーレットも喧嘩ばっかり。ゴールドシップは……マックイーンも知ってるか。そしてなにより……」

 

「なにより?」

 

 テイオーは勿体ぶったように一つためを作る。

 

「来月、ついにキタちゃんのデビュー戦だからね!」

 

 キタちゃん、もといキタサンブラックさん。

 ダイヤさんの親友であり、チームスピカに入部したウマ娘。

 

 何度か彼女の走りを見たことあるが、確かに光るものを持っている。でもまだ荒削りだ。

 私でも分かるのだから、あのスピカのトレーナーに分からないはずがない。

 それでも来月にメイクデビューということは、よほどキタサンブラックさんの意思を尊重したかったのか……

 

「マックイーン達はどうなの?」

 

「私達、ですか?」

 

「そうそう。ボク達の近況だけを話すのはフェアじゃないでしょ?」

 

「それもそうですわね」

 

 そう言って私は、ファン感謝祭以降の半年とちょっとの期間に何があったのかを語る。

 

 ダイヤさんが私と同じトレーナーさんの下で指導を受けていること。

 夏合宿ではスカイさんも含めた四人で高知県に行ったこと。

 そこでフジマサマーチさんというウマ娘とレースをしたこと。

 そして秋の天皇賞ではハッピーミークさん、ジャパンカップではブロワイエさんという強敵相手に勝利を収めたこと。

 

 この半年で色々あった。今この場で、テイオー相手に語り尽くせないほどには。

 

「そこでトレーナーさんは私にこう言ってくれたのです。『いってらっしゃい』、と」

 

「あはは、マックイーンってばほんとトレーナーと仲良しだよね」

 

 はて、何を今更そんな当たり前のことを。

 

「そんなの当たり前ですわ。テイオーこそ、スピカのトレーナーと仲がよろしいようですが」

 

「へっ、ボク? うーん、そうかなぁ? でも、どちらにしてもその場所はスズカが……」

 

 そこまで言ってテイオーは口を紡ぐ。

 それは意図したものではなく、自然なもののように見えた。

 

「スズカさんがどうしたんですか?」

 

「ううん、なんでもない。それよりマックイーン、そんなはっきりと当たり前なんて言って大丈夫なの? もしかしてトレーナーのこと好きなんじゃない?」

 

 テイオーは私を揶揄うようにニヤニヤとした顔をしている。

 

 トレーナーさんのことが嫌いなわけがないし、むしろ大好きまである。

 夢の中に彼が出てくるほどには私は彼のことを思っている。

 

「ええ、もちろん好きですわよ?」

 

「……え、今なんて?」

 

「だから、私はトレーナーさんのことが好きだと言いました」

 

「……それは、あれでしょ? ライク的な意味の……」

 

 む、そこを言わされるのは少し恥ずかしい。

 でもここで引くわけにもいかない。メジロのウマ娘として、常に堂々としておかなければ。

 

「もちろん、ラブの意味でですわ!」

 

「ぴえっ!?」

 

 言ってしまったー……

 でも後悔はない。なぜなら事実なのだから。

 それに、こうして公言しておくことで、彼の退路を塞いでおくのも一つの手ではなかろうか。

 我ながら完璧な作戦ですわね。

 

「なんなら、私はトレーナーさんに自分の思いを伝えていますわ!」

 

「ぴええっ!?」

 

 感謝祭の後、私は彼に自分の思いを伝えた。

 結局その思いは彼の耳に届いていなかったようですが。

 

「マ、マックイーンが……マックイーンが遠い存在に……」

 

 ……この娘、意外と純情なんですわね。

 経験豊富そうな雰囲気は……あるかと言われたらないですが、彼女の持ち曲からしてそういうのには長けていると勝手に思っていた。

 

「貴方、思っていたよりそういうのが得意ではないんですのね」

 

「……なにさ、笑いたけりゃ笑えばいいじゃん」

 

「……ふっ」

 

「ああああああああああああああ! マックイーン今笑った! ほんとに笑った! しかも大笑いとかじゃなくて小バカにする感じで! いいやいいいやい! ボクだって本気出せばコイビトの一人や二人できるんだからね!」

 

 いや、恋人が二人もできたらそれはまずいだろう。

 テイオーは今勢いでしか言ってないことがよくわかる。

 

 そんなテイオーを見ていると、なんだかつい笑みが溢れてしまって……

 

「ふふっ、あっははははは!」

 

「もー! まだ笑うの!? そんなにボクがおかしいの!?」

 

「あまり話さなかった時間が長かったのに、こうして貴方とおかしな話をするのがなんだか懐かしくって」

 

「マックイーン……」

 

「まあ、貴方がおかしいのは否定しませんが?」

 

「むきー!」

 

 テイオーは先程私が彼女にしたように、私の肩を揺さぶる。

 よしよし、これで主導権は私のものだ。

 

「はあ……真面目な話をするためにキミを誘ったのに、どうしてこうなるのさ……」

 

「あら、元はと言えば先に挑発してきた貴方のせいではありませんこと?」

 

「そうなんだけど! そうなんだけどさあ!」

 

「貴方がこれ以上何を言おうと、私優勢には変わりありません。さ、早く要件を言ってくださいます?」

 

「むむむ、納得いかない……」

 

 少しの間テイオーは顔を膨らませ負けを認めようとしなかったが、もうすぐ日が沈みそうなことに気がつき、急に真面目な顔をする。

 

 冬は日の入りが早い。いつのまにかかなりの時間をここで過ごしていたようだ。

 

「マックイーン、ボクね……有に出るんだ」

 

 しばらく黙っていたテイオーは、満を持したと言わんばかりにさらっとそんなことを言う。

 

「そう、ですか」

 

「あれ? 思ったよりリアクション薄いんだね」

 

「むしろ、何故貴方ほどの実力者がこれまでのレースに出ていないのかが不思議でなりませんわよ」

 

「ボクはキミと全力の勝負がしたいからね」

 

「全力の……」

 

 そういえば、以前テイオーと勝負した感謝祭の後、『次は全力で勝負ができるといいね』と言われたのを思い出した。

 

 なるほど、それでテイオーは有記念に……いやちょっと待ってください。

 

「ということはテイオー貴方、秋のGⅠレースの間私のことを試していたんですの!?」

 

「違うよ、ボクは出るべきレースのタイミングを見計らってただけ。本気のキミと勝負するためにね」

 

「はぁ、物は言いようですわね……」

 

 有記念には私以外の強いウマ娘も出走するというのに、こうも狙いを定められては春の天皇賞の二の舞になるのではないか。

 

 私はその疑問をテイオーに伝える。

 

「大丈夫。だって、ボクはゴールしか見てないから。キミに勝ちたいっていうゴールをね」

 

 ……ああ、そうだった。テイオーは同じ間違いを繰り返さない。

 私は彼女のことを甘く見ていたらしい。

 

 なら、私のやることはただ一つ。

 

「私は有記念で……」

「ボクは有記念で……」

 

 生涯幾度となく本気でぶつかりあえる貴方相手に……! 

 

「必ず貴方に勝ちます!」

「絶対キミに勝つ!」

 

 私とテイオー、二人の声が河川敷に響き渡る。

 

「「…………ぷっ」」

 

 その言葉が驚くほどにハモっていたためついつい吹き出してしまい、先程の緊張感が急速に崩れていく。

 

「あははっ、マックイーンってばそんな顔しちゃって!」

 

「テイオーだって、カッコつけすぎてこっちが恥ずかしくなってきますわよ」

 

「いいじゃん、カッコつけて恥ずかしくなるくらいが丁度いいんだって!」

 

 開き直ったテイオーは更に声を上げて笑う。私もそれに釣られて笑ってしまう。

 

 トレーナーさんの件で悩んでいたのに、ここに来て有にテイオーが出るという不安要素が増えた。

 でも、なぜか気分は悪くない。むしろ良い。

 なんなら悩みなんて吹き飛ばしてしまえばいいのだ。

 この脚で芝の上を駆けてしまえば、走りで己が強さを証明することができれば、このもやもやはきっと解消される。

 私は信じて走ればいいだけだ。

 

 ひとしきり笑った私達は、学園へ戻ることに決めた。

 

「もうすぐだね、有記念」

 

「そうですわね。今度こそ、負けても泣かないでくださいます?」

 

「そっちこそ、ウイニングライブでボクの後ろで踊ってもらうからね」

 

「口が減りませんわね」

 

「それは自己紹介?」

 

 日は既に沈んでおり、辺りは暗くなっている。

 私達は街灯のついた道をゆっくりと歩き、軽口をぶつけ合う。

 

 こんなに遅くなっては、帰ったらトレーナーさんに怒られるでしょうね。

 でも、こうしてテイオーと話せて良かった。

 本人は意図していないでしょうが、私の迷い心を断ち切ってくれたのですから。

 やっぱり、貴方は私にとっての憧れ。

 

 有記念、負けられない理由がまた一つ増えましたわね。

 

 寒い季節のはずなのに、私の闘争心は常に熱く燃え盛っていた。

 

 

 

 

 

 

「そういえばさ、マックイーンのトレーナーはボクが有に出るってまだ知らないんじゃないの?」

 

「そうでしょうか? あの方ならそのことも予測してそうな気がするのですけど」

 

「えー、ほんとかなぁ? 案外、ボクが出るって知って慌てふためいてるかもよ?」

 

「それはありませんわよ。なんたって私のトレーナーさんは冷静沈着、ちょっとやそっとのことでは動じませんので」

 

 

 



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センパイ

 

 

「……あなた、本当によかったの?」

 

「何よ、おハナさん」

 

「何よって、有記念のことよ。あの子の担当のメジロマックイーンが出走するって分かっているのに、そこにトウカイテイオーを被せるってどういうつもり?」

 

「俺は別にテイオーにはなんも言ってないぜ? そもそも有に出たいって言ったのはあいつ自身だからな。それに、おハナさんだってあの二人のレース、見たいと思ってるんでしょ?」

 

「それは……そうだけど」

 

「ならなんも心配いらねぇよ。テイオーのことだって、あいつのことだって。あいつは多少慌てるかもしれんが、これも良い経験さ。おっ、俺ってば後進育成に尽力する最高の先輩じゃね? やっぱ時代はチームスピカと俺……」

 

「おいこら沖野おおおおおおおおおおお! 沖野のバカはどこだああああああ!」

 

「どわあああああ!? あっつうううううううううううう!!」

 

 僕は沖野トレーナーのいる東条トレーナーのトレーナー室にノックも無しに突撃する。

 優雅にカップを傾け椅子に腰掛けていた沖野トレーナーは、僕の声に驚き盛大に中身をぶちまけていた。ざまあみろ。

 

「おまっ、ふざけんなよ! いきなり人の部屋入ってきてどういうつもりだ! てかなんで俺がここにいるって分かったんだ!?」

 

「ここ、私のトレーナー室なんだけど」

 

「アンタ探すのに真っ先にここ来ましたよ! どうせここだろうなって!」

 

「ここ、私のトレーナー室なんだけど」

 

 静かに横から口を挟む東条トレーナーを無視し、僕と沖野トレーナーは口論のような何かを続ける。

 

「はっ、俺を探してたってことは、もう有の情報はお前の耳に入ったってことか」

 

「そうですよ! よくも有でマックイーンにトウカイテイオーをぶつけましたね!?」

 

「それが? なにか? 問題でも?」

 

「言い方むっかつく……! あんな先輩風吹かせときながらよくものうのうと僕の嫌がることを!」

 

「別に嫌がらせなんてしてねぇよ。むしろ俺は先輩として後輩に良い指導をしてると思ってるぜ? 最高の先輩だろ?」

 

「自分で言うな自分で! 良い先輩なら後輩に飲み代たかったりしねぇんだよ! だいたいアンタはいつもいつも……」

 

 その瞬間、机が思い切り叩かれる。いわゆる台パンというやつだ。

 それを行ったのは僕でも沖野トレーナーでもない。

 

「お前ら……」

 

 とうとう痺れを切らした東条トレーナーは、彼女のトレーナー室で口うるさく言い合いをしていた僕達を睨みつける。

 もしこの世に重力がなければ、彼女の髪は逆立っていたに違いない。

 

「……なあ、どうするよ」

 

「……とりあえず正座しましょうか」

 

 僕達はこれ以上東条トレーナーの機嫌を損ねないように粛々と固い床に正座をする。

 

 大の大人が二人、みっともなく言い合いをした挙句に正座。自分で言うのもなんだが正直見てられない。

 

「ふぅ……まずはあなた、久しぶりね。あなたの担当のメジロマックイーン、随分と調子が良いみたいじゃない」

 

 えっ、この状況で始めるの? 

 

「え、ええ、そりゃマックイーンですし。ジャパンカップは肝を冷やしましたが、概ね順調でしたよ。……さっきまで」

 

「おっと、それはテイオーのことを言ってるのか? あちゃー残念、お前んところの自慢のウマ娘はこんなところで立ち止まるような存在だったってわけか」

 

「はぁぁ!? そんなわけないんですけどぉ!? 勝ちますぅ! なんなら僕なんていなくても勝ち」

 

 またしても始まった僕と沖野トレーナーの口喧嘩を止めるべく、東条トレーナーは僕の声を遮り再び物凄い勢いで机を叩く。

 そんな東条トレーナー相手に、僕と沖野トレーナーは縮こまることしかできなかった。

 それよりその机大丈夫ですか? 凹んでません? 

 

 幾分気まずい時間が流れたが、東条トレーナーはやれやれといった様子で口を開く。

 

「それで、あなたはここに何しに来たの? さっきの感じから察するに、そこのバカを探しに来てたみたいだけど」

 

 バカって……と小声で愚痴を漏らす沖野トレーナー。

 言いたいことあるならもっと大きな声で言った方がいいっすよ。その後どうなるか知らんけど。

 

「……そうでしたね。東条トレーナーの言う通り、僕がここに来た理由はそこのバカに文句を言いにです」

 

「おまっ、それが先輩への口の利き方か!?」

 

 うるせー、これくらい言わせてもらわないと腹の虫が収まらないんだ。

 沖野トレーナーにはせいぜい僕の八つ当たりに付き合ってもらおう。

 

 東条トレーナーと僕はそこのバカを無視して会話を続ける。

 

「でしょうね、そうだと思った。なら部屋の外でやってちょうだい。私には関係の無い話だわ」

 

 ごもっともだ。

 いくら東条トレーナーが僕の先輩だからとは言っても、僕と沖野トレーナーのいざこざ、まあ僕が一方的につっかかってるだけなのだが、それに彼女が付き合う必要はない。

 

「分かりました。東条トレーナー、迷惑かけてすみませんでした。さて沖野トレーナー、話は外でしましょうか」

 

「え、やだよ。寒いし」

 

 この男は……ッ! 

 

「だってーお前が勝手に突っ込んできたんだしぃー。文句言うためだけに尊敬する先輩を寒い中連れ出すのもどうかと思うぜ? 連れ出すなら暖房付いたとこ用意しろよ」

 

 中途半端に正論だから何も言い返せない。

 部屋の中は暖房がついているけれど、さすがに廊下には暖房は設置されてはいない。

 彼が尊敬に値する先輩かどうかはここ数分で疑惑の問題となったが、こちらの一方的な都合で冬の寒さに打ちのめさすのも……いや、沖野トレーナーなら別に良い気がする。

 

「だから、ここは私のトレーナー室だっつってんでしょうが! いい加減あんたは自分のとこの部屋なり部室なり戻って仕事を……」

 

 居座り続けようとする沖野トレーナーに東条トレーナーは激昂しかけるが、そんな彼女の言葉を遮り沖野トレーナーは話を続ける。

 

「それに、お前がここに来た理由は何も俺に文句を言いに来ただけじゃないんだろ?」

 

「ッ……バレてましたか」

 

「ああ、お前昔っからそういうのは分かりやすいよな」

 

 僕はそんなに分かりやすいのだろうか? 

 そう思い東条トレーナーの方を見てみるが、彼女は何がなんだか分からないといったような顔をしていた。

 なんだ、沖野トレーナーがおかしいだけか。

 

「……すみません、東条トレーナー。僕はさっき、本当のことを全部は言ってません。沖野トレーナーに文句を言いに来たのは本当ですが、それとは別に用があったんです」

 

「え、ええ、それは構わないのだけど……それは私には関係のあることなの?」

 

「場合によっては」

 

「……分かったわ、ならそれを先に済ませなさい」

 

「ありがとうございます」

 

 僕は東条トレーナーの気遣いに感謝の言葉を入れる。

 ここで変に前置きを作っても仕方がない、サクッと話してしまえばいいのだ。

 

「単刀直入に言います。お二方のどちらかのチームにメジロマックイーン、並びにサトノダイヤモンドの移籍を認めて欲しいんです」

 

「…………は? いや、え? どういうことよ、説明しなさい」

 

 東条トレーナーは理解が追いついてないようで、沖野トレーナーはポカンとしている。

 それはそうだ。こんなこと急に言われても混乱するだけだろう。

 単刀直入に言いすぎたな、失敗失敗。

 

「僕は……今月いっぱいでトレーナーを辞める予定なので、マックイーン達の移籍先を確保しておかないといけないんです。彼女達なら、学園トップの実力を持つスピカやリギルでも問題ないと思いましたので」

 

「……この際だから、辞める理由を詳しく聞くつもりはないわ。メジロマックイーン達の移籍についても考えてあげる」

 

「それでは……」

 

「でも、二つ聞かせなさい」

 

 東条トレーナーはピースのサインを作り、僕の前に突き立てる。

 

「一つ、あなたが辞める理由はやむを得ないものなのか。二つ、このことはメジロマックイーンに話してるのか」

 

 ……痛い所を突かれたな。

 

「……いえ、別に大きな理由があるわけじゃないです。それと、このことはマックイーン達には話してません」

 

「まあ、言えるわけがないわよね、この時期に」

 

 いずれ話すつもりではいたが、それは今じゃない。

 マックイーンは有記念を控えている。そんな大事な時期に集中を乱させるようなことは言えない。

 

「ならサトノダイヤモンドには言ったの? 彼女はまだデビューすらしていないでしょ?」

 

「それも……まだ」

 

 このことをマックイーンに言えない理由はある。だが、ダイヤに言えない理由はない。

 彼女のレースは一年後のことであるし、今言ってもその時期まで影響が続くとはとてもじゃないが思えない。

 

 それでも、僕はダイヤにすら辞職のことを伝えていない。

 いや違う、伝えることができない。

 

「……怖いんだな」

 

 沖野トレーナーが何かを察したように低い声で言う。

 

 ビンゴだ、ドンピシャだ、的を射ている。どこまで行っても僕は臆病で弱虫で優柔不断。

 それがここに至った経緯だというのに。

 

「一応聞いておくけれど、分かっているの? ここでトレーナーを辞めるってことは、逃げ出すことと同義よ。それと、あなたが辞めた後のメジロマックイーン達のことを考えたことあるの?」

 

「僕は……逃げることはそれほど悪いことだと思ってません。それに、マックイーン達のことを考えるのであったら、やはりリギルやスピカと言ったレベルの高いチームに移籍させるのが一番かと」

 

 逃げちゃいけないのは汎用人型決戦兵器に搭乗するパイロットだけだ。

 ただの一般人である僕には「逃げちゃダメだ」なんて言葉は荷が重すぎる。

 

「っ、あのねぇ、物事には絶対に目を逸らしてはならないことがあるのよ! 数年前のあのことだって……」

 

「まあまあおハナさん、落ち着いて落ち着いて」

 

 声を荒げかけた東条トレーナーを沖野トレーナーは両手で制す。

 東条トレーナーも冷静さを欠いたことを自覚したらしく、珍しく沖野トレーナーの言うことを聞いている。

 

「要するにお前の言いたいことは、『ちょっと理由あってトレーナー辞めたいけど言うのが怖〜い! 助けて〜せんぱ〜い!』ってことだろ?」

 

「……間違ってませんけどその言い方は相変わらず腹立ちますね」

 

「合ってんだからいいじゃねぇか。それで、うちかリギルに移籍をお願いしに来たと……うし、分かった。うちのチームで面倒見てやる」

 

「なっ」

 

 沖野トレーナーがあっさりと移籍を認めてくれたことに少し拍子抜けだ。

 期待をしていたわけではないが、彼は僕がトレーナーを辞めることを止めるものだと思っていた。

 それがこうもあっさりと事が進むと、何かあるのかを疑ってしまう。

 

「あなた、そんな簡単に……いえ、私からはもう何も言わない。このバカが引き受けた話だもの、やっぱり私には関係のない話だわ」

 

「まだ俺のことバカ呼ばわりすんのかよ……。まぁなんだ、とりあえず今日のところはお前も一旦帰れ。メジロマックイーン達に関してはスピカで受け入れてやるからよ」

 

「……ありがとうございます、沖野トレーナー。では後日、秋川理事長にマックイーン達の移籍先が決まったことを報告に……」

 

「でもな、一つだけ頭に入れておいてほしい」

 

 沖野トレーナーの顔はいつになく真剣だ。

 

「ウマ娘は思った以上にトレーナーのことを見てる」

 

「……肝に銘じておきますよ。それでは失礼します。迷惑かけてすみませんでした」

 

「おう、また来いよな」

 

 僕は二人に礼をして部屋を出る。

 廊下の窓から見える空は既に薄暗い。冬だからというのもあるが、思ったより長い時間あそこに居たらしい。

 

 今日は自主トレにしたため、沖野トレーナーの言う通りトレーナー寮に帰ろう。

 考えることは山積みだが、今は何も考えたくない。

 明日の自分が解決してくれることを願って、帰って寝よう、そうしよう。

 

「お前もさっさと帰れ!」

 

「ぐはっ!?」

 

 寒い廊下を歩いていると、僕が先程出てきた部屋からそんなやり取りが聞こえた。

 

 ……そういえば、沖野トレーナーに有記念の文句言いに来たのに、結局あんまり言えてないじゃん。

 

 

 

 ***

 

 

 

 トレーナー寮に戻るために、廊下よりもさらに寒い校舎の外を、道端に転がっていた石を蹴り飛ばしながら歩く。

 

 歩いている間、さっきの沖野トレーナーの言葉が頭から離れなかった。

 

 ウマ娘はトレーナーのことを見てる、か。

 

 そんなのは当たり前だ。

 僕だってマックイーンやダイヤのことはよく知っている。性格や趣味、完璧ではないにしろ、彼女達のことはよく分かっているつもりだ。

 それは、同じ時間を過ごしてきた彼女達だってそう。

 自惚れと言われたらそれまでだが、彼女らも僕のことをある程度知っているはず。

 

 沖野トレーナーは結局何を伝えたかったのかがいまいちよく分からない。

 あんな当たり前のことから何を汲み取ればいいのか。

 

「マックイーン、あれキミのトレーナーじゃない?」

 

「えっ」

 

 そんなことを考えていると、ふと前方から聞き馴染みのある名前が聞こえる。

 石を蹴りながら歩いていたため視線を必然的に下に向いてしまい、声がするまで前に誰かがいることに気がつかなかった。

 

「マックイーンと、トウカイテイオー……」

 

「おやおや? その感じだと、既にボクが有に出るってことは知ってるみたいだね」

 

「ああ、ついさっき君のトレーナーへ胸ぐら掴みにいったところだよ」

 

「それは流石にトレーナーが……いや、トレーナーだしいっか、いつものことだし」

 

 スピカのメンバーでも彼の扱いは割と雑なようだ。

 実際に胸ぐらを掴んだわけではないが、それくらいの勢いで彼の元に向かったのは間違いない。なんなら一発ぶん殴りたかったまである。

 とは言え、彼は何か悪いことをしたわけではないのでそれをするには躊躇せざるをえなかった。

 

「それで、なんでマックイーンはずっと顔を逸らし続けてるんだ?」

 

「……怒っていませんの?」

 

「なんでさ」

 

「その……理由も言わずにトレーニングに大幅に遅刻してしまったことについて……」

 

 なんだ、そんなことか。

 最初はどうしたのかと心配したが、マックイーンとトウカイテイオーが一緒にいるこの状況、なんとなく何があったのかは察することができる。

 

 マックイーンは本人から告げられたのだろう、トウカイテイオーが有に出ると。

 

「それについては問題ないよ。今日遅れたのは大事な用事だったんだろ? なら僕は何も言わない。そもそも今日は自主トレに変更してるしね。だからそんなシュンとしないで、なんか僕が悪いことした気になっちゃうから」

 

 何も怒ったりしてないのに、マックイーンは相変わらず項垂れたままだ。

 そこまで自責の念に駆られる必要は無いというのに。

 

「ねーねー、それよりさー! キミは僕が有に出走するって聞いてどう思った?」

 

 そんなマックイーンの陰鬱な空気を断ち切るようにトウカイテイオーは声を高くして僕に質問する。

 

「君が有に出るって聞いた時? 普通にめちゃくちゃ焦ったけど。やりやがったなって思った」

 

 はて、この質問に何の意味があるのだろうか。

 

 そう疑問に思ったのも束の間、トウカイテイオーは待ってましたと言わんばかりに飛び跳ねる。

 

「やりぃ、ボクの勝ち! それじゃ予想が当たったってことで、はちみつドリンク奢ってね、マックイーン?」

 

「なっ、そんな約束していませんわよ! まぁ、不甲斐ないことに私の予想は外れましたけど……」

 

 あーなるほどそういうことか、完全に理解したわ。

 どうやら僕が有記念のことを聞いてどういった反応をするかを予想されていたらしい。

 

「えー、つまんないの。じゃあマックイーンのトレーナーでいいや。なんかいい罰ゲームないかなー?」

 

「おいちょっと待て、それはおかしいだろ。なんで勝手に予想の対象にされた挙句罰ゲームを受けさせられなきゃならないんだよ」

 

「だってマックイーンがやらないって言うから。あっ、そうだ! ちょっとキミ、喋り方変えてよ! ボクと被ってるからさ!」

 

「は? 別に被ってないでしょ。てか君、話聞け。僕は罰ゲーム受けるなんて一言も……」

 

「ほらほら、一人称とか被ってるじゃん! まずは自分のこと『俺』って言うところから始めよう? さんはい!」

 

「……嫌だ。僕は『僕』だ。君と被ってるとか関係ないよ」

 

「えー、つまんないつまんないー!」

 

「はいはい。それより、君達ももう帰りな? 今からじゃもう暗いし、トレーニングはまた明日からすればいいさ」

 

 地団駄を踏むトウカイテイオーを適当にあしらい、彼女達に寮へ戻ることを促す。

 今からでもトレーニングはできるだろうけど、中途半端な時間になるのは目に見えてる。ならば今日一日ゆっくり休んで、明日からのトレーニングに備えた方がいい。

 

「べーだ! ボクと話し方被っちゃう人なんていなくなっちゃえばいいんだ! この三十路!」

 

「てめっ、おいコラぁッ! それ言ったら戦争だろうが! そもそも僕は三十までまだ数年あるんだぞ! おい、待ちやがれクソガキ!」

 

 もちろん人間がウマ娘に足の速さで勝てるわけがないので、本気で追いかけたりすることはない。

 そもそも、追いかけようとした時点でトウカイテイオーは遥か向こうへ逃げていた。

 あのガキ、次会ったらどうしてくれよう。

 

「あの、トレーナーさん」

 

「ん? どした、マックイーン」

 

 これまでの一部始終を静かに見ていたマックイーンが口を開く。

 

「いえ、その……何かあったのかなと。元気がないように見えましたので……」

 

「……いや、君の心配するようなことじゃないよ。さ、君も帰った帰った、有も近いんだ。明日に備えて今日は休みなさい」

 

「え、ええ。それではトレーナーさん、失礼いたします」

 

 マックイーンはトウカイテイオーを追うように小走りで寮へ向かう。

 

 ああ、そうさ。これは君の心配するようなことじゃない。

 最後まで君の足枷になるわけにはいかないのだから。

 

 

 ……ウマ娘はトレーナーのことを思った以上に見ている、か。

 

 

 



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既視感

 

 

 

 グランプリ、有記念。

 

 それは天皇賞秋、ジャパンカップに続き、秋シニア三冠を締め括る大レースである。

 人気投票で選ばれたウマ娘が優先的に出走することができ、まさしく選ばれし優駿達のみが参加できる格式高いレース。

 年の瀬の有の雰囲気というのは、もう今年も終わりなんだなと思わせられるものだ。

 

 そんな有記念が今年もやってくる。

 それも、今年は大スターである二人のウマ娘の出走が決まっている。盛り上がらないわけがない。

 

 その二人のウマ娘の出走が発表された日は、ウマッターや掲示板などは案の定と言った様子だ。

 どちらが速いのか、どちらが強いのか。

 そんな議論で溢れ返ったSNSは、感覚的に天皇賞やジャパンカップに引けを取らないどころか超えているまであるほどの賑わいだった。

 

 

 さて、ここまでは世間一般がどのような様子だったのかと言う話。

 ここからは我々、メジロマックイーン陣営の話をさせてもらおう。

 

 先程の紹介したスターウマ娘のうちの一人、メジロマックイーン。体重増減無し。

 ジャパンカップ後もしっかりとトレーニングをこなし、好物であるスイーツもしっかりと我慢できていた。頑張ったね。

 

 そんなマックイーンのトレーナーである僕から言わせてもらうと、彼女が負けるビジョンが見当たらないと言ったところ。

 これは贔屓目抜きのものであり、相手がどんなに一流のウマ娘であろうと今のマックイーンには敵わないだろう。

 

 だが、物事には常に例外が存在する。

 

 マックイーンとは別のもう一人のスターウマ娘、トウカイテイオー。

 彼女とマックイーンの関係は、一言で言えば好敵手。

 故にマックイーンにとって最大の脅威となりうるのはやはりトウカイテイオーだ。

 

 マックイーンは一度トウカイテイオーに勝ったことがある。

 でもそれはマックイーンの得意な距離での話だ。

 今回の有記念は2500m。3200mの天皇賞春とは訳が違う。

 

 自分は、マックイーンが勝つだろうと思っている。

 それでも、脅威となりうる対戦相手の顔がチラつくのは仕方がない。

 

 いや、違うな。勝つだろうじゃない、勝って欲しいだ。

 

 どうせこれで終わりなんだ。

 メジロマックイーンのトレーナーとして、彼女が一着でゴール板を通過する最後の姿を見届け……

 

 

 見届けて……

 

 

「トレーナーさん、信号青に変わりましたわよ?」

 

「あ、ああ、ごめん。ちょっと考え事してて」

 

 助手席に座るマックイーンに声をかけられてようやく我に帰りアクセルを踏む。

 

 今は有記念が開催される中山レース場へと向かっている途中だ。

 もちろん、いつものようにマックイーン応援隊を引き連れて車での移動だ。

 

「……そういえば今日なんか静かじゃない? いつもだったら道中君達が騒いでポリスに目をつけられるはずなんだけど」

 

「あん? お望みなら騒いだろか?」

 

 タマモクロスは僕の皮肉に即座にケチをつける。

 これ以上ポリスの困ったような顔を見るのはこちらとしても心苦しいのでやめていただきたい。

 

「今日は前回のジャパンカップや天皇賞と違い、ゴールドシップさんがいないからではないでしょうか? 確かテイオーさんとゴールドシップさんは同じチームのはずなので、そちら側にいると思われます」

 

 あー、なるほど、そういえばそうだった。

 イクノディクタスの言うように、ゴールドシップはトウカイテイオーと同じくチームスピカに所属している。

 ここにいないのも納得だ。

 

「……今日はゴールドシップがいないことでより集中できますわね。精神統一が捗りますわ」

 

「そんなこと言って、ほんとはちょっと寂しいんやろ?」

 

「なっ、そ、そんなわけありませんわ! たしかに少し物足りないなという気がしなくもないですが、別にあの方がいないからといって私に何か利があるというわけでは……」

 

「マックイーン、時には素直になることも必要ですよ。寂しいなら寂しいと素直に言うべきです」

 

「だから違いますわよ! むしろ文句しか出て来ませんわ! この前だってトレーナーさんの部屋のドアを破壊したりして……」

 

 ぶつぶつとマックイーンは呪詛のようにゴールドシップへの文句を垂らし続ける。

 なんだ、喧嘩するほど仲が良いというやつか。この場合喧嘩でも何でもなく、マックイーンの一方的なものだが。

 

「ゴールドシップがいないのは分かったけど、それにしても静かじゃないか?」

 

「そうやな、まるで後ろの連中が息してないみたいな……あ」

 

「どうしましたか、タマモクロスさん……あぁ」

 

 タマモクロスとイクノディクタスは何かを察したような声を漏らす。

 一番後ろの座席に座っているのはダイヤ、ライスシャワー、ハルウララだったはず。

 先程から彼女達の声が聞こえてこないことに疑問を抱いたわけで……

 

 ちょうど信号に引っかかってしまい、後ろを確認する時間が取れた。

 体を捩らせて、タマモクロス達が何を見たのかを確認すると……

 

 そこにあったのは、すやすやと眠る三人の姿。

 今日のレースがよっぽど楽しみだったのだろう、昨日の夜あまり眠れていないのかもしれない。

 

「……これは起こすわけにはいけませんわね」

 

「……そうだな」

 

 車内には割とほっこりとした雰囲気が漂う。

 これでマックイーンが集中できるのなら御の字だ。

 

 ……赤信号により止まらざるを得ないこの時間、先程の考え事を思い出してしまい、心中穏やかではなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 勝負服に着替え、ターフへと向かう通路を歩く。

 

 秋シニア三冠の最後のレース、有記念。グランプリの頂点に立つウマ娘が今日決まってしまう。

 その緊張感により、つい武者震いをしてしまった。

 

 いつかマーチさんが言っていたっけ。

 

『正しい努力には、正しい結果が伴う。力ある者は常に相応しい結果を求められる』

 

 私に求められているのは、私自身が求めるのは勝利という結果だ。それは決して揺るがない。

 

 そして正しい努力。

 

 私は今日まで夏合宿を始めとした多くのトレーニングをこなしてきた。多くの歓声を身に浴びた。多くの想いを背負ってきた。

 

 たまに脱線することはあったけれど、秋シニア三冠を制覇するという目標に向かって一直線に突き進んできた。

 それにより、秋の天皇賞とジャパンカップの勝利という結果が出たのは誇らしい。

 

 

 そして、このような最終決戦でよく聞く言葉を思い出してしまう。

 

 

『やれるだけのことはやった』

 

 

 ああ、なんて甘美な言葉なのだろうか。なんて心地の良い言葉なのだろうか。

 これではまるで負けても悔いはないみたいに聞こえるではないか。

 やれるだけのことはやったから、たとえ負けても仕方がない。反省はすれど、後悔はしない。

 そういうことなのだろうか。

 

 否、断じて私はそう思わない。

 

 負けて悔いがないだなんて、勝利への執念が足りていないとしか思えない。

 絶対に勝ちたい、絶対に一着を取りたい。そんなレースなら尚更だ。

 その想いを裏切らないためにも、死に物狂いで勝利を掴みにいかなければならない。

 

 私は勝つ。

 ここまでの行ってきたトレーニングに嘘はない。でも、自分は思った以上に貪欲なようだ。

 

 そう、私にはまだまだやれることが多いというのに。

 

「マックイーン」

 

 自分の勝ちたいという気持ちに向き合っていると、ふと背後から声をかけられる。

 いつものようにトレーナーさんやダイヤさんが激励の言葉を送りに来てくれたのかと思ったが、今回はそうではなかったようだ。

 

「あらテイオー、レースの前だというのに随分と余裕そうな顔をしていますが」

 

「だって楽しみだからさ。この後、ボクがセンターのウイニングライブがね」

 

「それはお可愛い妄想ですわね。貴方には私の後ろで踊ってもらうことになりますの。もちろんセンターは私」

 

「なにぃー?」

 

「なんですの?」

 

 レースまで間もないというのに、私達はターフへと向かう他のウマ娘のことを考えず睨み合いをしてしまう。

 

 でも、今の短い会話にテイオーからの勝利への固執は存分に感じた。

 

『ボクがセンターのウイニングライブ』

 

 この言葉で何を目標としているのかはバカでも分かる。

 もう、あの頃のライバルだけに固執するテイオーはいない。それは無論、私に対しても言えた話なのだが。

 

「……今日はあの白い勝負服なのですね」

 

「うん、やっぱり有はこれで走りたくってさ。マックイーンこそ、あの時貰った白い勝負服じゃなくて黒い勝負服じゃん」

 

「ええ、やはり最後の一冠はこちらの勝負服を使いたかったので」

 

 特に理由があるわけではない。ただなんとなく、なんとなくこちらの黒い勝負服を着たかった。それだけだ。

 

 そんな会話を続けていると、ターフはもう目前だ。ここを通り抜けたら観衆の視線を浴びることになる。

 

「……お先にどうぞ?」

 

「いえいえそちらからどうぞ」

 

「いやいや、どうぞどうぞ」

 

「……」

 

「……」

 

 ……何も成長していない。

 

 こうなったら、どちらが先に入場するかはあれで決めるしかないだろう。

 テイオーも今から何をするか分かっているようだ。その証拠に拳を握りしめている。

 

 では、行こう。いざ尋常に。

 

「「じゃんけん、ポン!」」

 

 テイオーはグー、私はパー。

 私の勝ちだ。前回は私が負けたのだから、今回はテイオーから……

 

「あっち向いて」

 

「……は?」

 

「あっち向いて!!」

 

「見苦しいですわよ! さっさと負けを認めなさい!」

 

「ぐぬぬぬぬ……レースではこうはいかないんだからね! 覚えとけー!」

 

 捨て台詞を吐いてテイオーはターフへと駆ける。

 自分でも阿保なことをしていたなとは思うが、こういう小さなことでも譲るわけにはいかない。

 

「君達何やってんだよ……」

 

 ちょっとした優越感に浸っていると、呆れたような声が聞こえ……って

 

「ト、トレーナーさん!? み、見ていらしたんですの!?」

 

「まあね」

 

 恥ずかしい。ここまできてあんなやり取りを彼に見られていたなんて恥ずかしいにもほどがある。

 

「こ、こほん、あれは一旦……いえ、未来永劫忘れてください。……あの、トレーナーさん」

 

「ん、なんだい?」

 

「私、勝ちますので、勝って私が最強のウマ娘だと証明してみせますので」

 

「…………な、なぁマックイーン」

 

「はい?」

 

「……いや、なんでもない。気をつけてな」

 

「ええ、それでは行って参ります!」

 

 なんだか歯切れが悪いようにも感じたが、レース前に彼と話せただけでも充分引き締まった。

 

 勝つ、ただそれだけ。

 

 私はターフへの一歩を踏み出し、地鳴りのような歓声を身に浴びた。

 

 

 

 

 

 

「いや〜、テイオーやマックイーンみたいなキラキラしたウマ娘を相手にするのは、このネイチャさんには中々に荷が重いですな〜」

 

「でもネイチャ、そんなこと言って一着しか狙ってないって顔してるよね」

 

「なっ、そ、そんなことないって、タンホイザ。ま、まぁ本気で走ることには変わりはないですケド……」

 

「よーし、ネイチャもやる気だし、私も頑張らないと! やるぞー、えい、えい、むん!」

 

 枠入り直前、各々レースに向けての行動を取る。

 会話で緊張をほぐす者、ルーティーンをこなす者、レースの前に取る行動はウマ娘によって様々だ。

 

 私には特にルーティーンのようなもうのはないが、心を落ち着かせるために深呼吸くらいはする。

 

 うん、万全だ。調子も良い。これなら最高のレースを、最高の結果を叩き出せるはず。

 

『各ウマ娘、続々とゲートに収まります』

 

 私の枠は外でも内でもない真ん中。

 

 他のウマ娘がゲートに入る中、私も例に漏れず指定された枠へと収まる。

 

 

 見ていてください、トレーナーさん。私の走る姿を。

 

 

 その時、ついよそ見をしてしまった。そのよそ見の方向は言うまでもなく、トレーナーさんやダイヤさん達のいるスタンド。

 

 

「…………えっ?」

 

 

 私の目に映ったのは、ジャパンカップを走り終えた直後同様のもの。トレーナーさんの姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

 



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お前に俺の

 

 

 

『ゲート開いて一斉にスタートしました。各ウマ娘まずまずの出だしとなりますが……おおっとメジロマックイーン出遅れたか、中団より後方に控えています』

 

 ……見れるわけがない。

 

 スタンドからは少し離れた人気の少ない通路、そこで僕はターフの方向を背にして突っ立っていた。

 

 今日のレースが終われば自分はトレーナーでもなんでもなくなる。

 

 メジロマックイーンのトレーナーとしてレースを見るのがこれが最後だ。

 見届けなければならない、目に焼き付けなければならない。

 

 この職をやめることを決断したのも後悔はないのだろう? 

 だったら早くスタンドに戻り彼女の勝利を願うべきだ。

 

 

 ……それなのに、それなのになんで僕は目を逸らし続けて……っ!

 

 

「らっしゃいらっしゃーい! 新鮮なダイオウイカから採りたての自然薯まで取り揃えてるよ! そこの冴えないお兄さん、ちょっと見てかない?」

 

「いや、今そんな気分じゃ……って、は?」

 

「んだよ、そんなこの世の終わりみてぇな顔してよ」

 

 一人ゆっくりと通路を歩いていると、突如として前方から声をかけられる。

 自己嫌悪に陥っていたためか、前に誰かがいることに全く気が付かなかった。

 そして声をかけてきた人物というのは……

 

「……ゴールドシップ」

 

「おう、みんなのヒーロー、ゴルシちゃんだぜ」

 

 大きなクーラーボックスと、きのこやたけのこなどがぎっしり詰まった袋を手に、ゴールドシップは僕の前に立ちはだかっていた。

 それはまるで、僕がこれより先に進むのをそしするかのように。

 

「……君と同じチームのトウカイテイオーの応援はどうした。ここで油を売っている場合じゃないだろうに」

 

「アタシが売ってんのは海の幸と山の幸だぜ」

 

「そういう話じゃないのは分かっているだろ。なんで君がこんなところにいるのかと聞いているんだ」

 

「そんじゃ、アタシも聞かせてもらうが、なんであんたがこんな所にいるんだ?」

 

「そんなのっ……」

 

 この先の言葉が出ない。

 なぜ自分はこのレースを直視することができないんだ?

 なぜ自分はこんなところで時間を持て余しているんだ?

 

 考えれば考えるほど、自分の気持ちと向き合えなくなる。

 

「……質問に質問で返すなと、そう教わらなかったか? 今は僕から君に質問をして……」

 

「ま、あんたにとってはこのレースが最後だからな。無理もねえよ」

 

 …………は? 今なんて……?

 

「大方、マックちゃんのレース見んのが怖ぇんだろ。なんたってあんた、ジャパンカップ終わった後から様子おかしかったもんな」

 

「は、いや、ちょっと待て。なんで君が知ってるんだよ。なんで僕がトレーナー辞めるってこと知ってるんだよ」

 

「え、トレーナーから聞いた」

 

 あんの野郎……! こういうのって普通誰かに教えたりするもんじゃねぇだろ!

 学園から出て行く前に何か一発大きな仕返しをしなければ気が済まない。今までの不満等々全てをそこに込めさせてもらおう。

 

「……なあ、お前何やってんだ?」

 

「君のとこのトレーナーにどんな仕返しかましてやろうか考えてる。マジで許さんあいつ。手始めに今まで奢ってきた飲み代全部請求してやる。見てろよ、領収書全部押さえ……」

 

「そうじゃなくてよ」

 

 ゴールドシップは持っていた荷物を全て降ろし、腕を組みながら何かを見定めるかのように僕のことを見る。

 

「お前、なんでマックイーンのレースも見てねぇんだよ」

 

「それは……」

 

 またしてもここで言葉に詰まる。

 頭の中ではきちんとした理由は出ているのに、それを声に出してしまったら終わりだと言わんばかりに口がその言葉を発するのを拒絶する。

 

「……別に僕が見てようが見てまいが結果は変わらない。マックイーンは……メジロマックイーンは最強のウマ娘だ。彼女の強さは一人で完結している。そこに誰かが入り込む隙間なんてない」

 

 マックイーンの強さは全て彼女一人で培ってきたもの。

 

 思えばそうだ。

 

 例えば秋の天皇賞。ハッピーミークに勝つために走り方を変えたのは彼女自身の判断。僕が何かを支持したわけでもなければ、何かを教えたわけでもない。

 さらにジャパンカップ。ブロワイエと競り合った時、彼女は己の限界を超えて『領域』に達した。これについても僕が何かを手助けしたわけではない。

 

 そんなマックイーンからしたら、僕と一緒にいるメリットはないわけで……

 

「……お前、それ本気で言ってんのか?」

 

「本気だよ。マックイーンは一流なんだ。僕なんていなくてもあの娘はやっていける。マックイーンのことを真に思うなら僕がこの学園から消えるのが最善……」

 

「嘘だな」

 

 ばっさりと、ゴールドシップは僕の言葉を否定する。

 彼女の一言により、まるで周りの時間が止まったかのような感覚すら覚える。

 

「……は、はっ、なんだよ、嘘って。今のどこに嘘の要素が……」

 

「だってお前、さっきからあたしの目ぇ見てねぇじゃん」

 

「……」

 

「どうせお前のことだ。成長し続けるマックイーンを見て、自分なんて必要ないって思いこんで……」

 

「や、やめっ……!」

 

 やめろ。それ以上はやめろ。

 それは僕自身が何かと理由をつけて肯定し続けたものだ。

 それを言われてしまったら……っ!

 

 

「逃げ出したかったんだろ?」

 

 

 ………………あ

 

 

 心の中で何かの切れる音がした。

 

「…………えに……」

 

「あ? なんだよ、言いたいことがあるなら大きな声で」

 

 

「お前に……お前に俺の何が分かるっ!」

 

 

 図星を突かれ、みっともなく声を荒げてしまう。

 

「ああそうさ、俺は逃げたかっただけだよ! 成長が止まらず勝ち続ける担当ウマ娘、トレーナーとしては喜ばしいことこの上ない! でもな……でもなぁ!」

 

 しかし、一度吐き出した思いは止まらない。

 決壊したダムのごとく、次から次へと己の激情が吐露される。

 

「お前らウマ娘には分からねぇだろうなぁ! トレーナーがいかに非力でいかに歯痒い思いをしているかが! 隣にいるにも関わらず、何もしてあげることができないこの無力感が!」

 

 口早に喋ったため息切れを起こしてしまう。

ゴールドシップはそれまでの僕の独白を黙って聞いていた。

 

「……俺はマックイーンに何もしてあげられていない。ダイヤにだってそうだ。二人とも元々の素質が高いから注目されている。そんな二人に金魚の糞みたいにくっつき続けるなんて……」

 

 罪悪感。

 

 この件を最も短く表せばこの三文字だ。

 

 自分に実力が無いなんて当の昔から分かっていた。一心同体とは口では言いつつも、それはマックイーンのことを思ってのことだ。自分が彼女と釣り合うなんて思った事は一度もない。

 

 そんな自分は彼女とトレーナーを続けるのに相応しくない。むしろ邪魔になる。

 

 そんな罪悪感故に、彼女達の側にいていられない。

 

 

「……トレーナーを辞める理由はそれだけだ。このレースを見ないのは、辞める決意が揺らぎそうだから。一度決めたことは貫くのが……っっっつ」

 

 言葉の途中で不意に頬に衝撃が走る。

 一瞬何が起こったのか分からなかったが、揺れる視界に、目の前にいるウマ娘が怒りに満ちた顔をしているのが映った。

 そこでようやく自分が殴られたことに気がつく。

 

「……何すんだよ」

 

「これでも手加減してやったんだ、感謝しろよな。なんならもう一発お見舞いしてやってもいいんだぜ」

 

 流石に次は本気で殴ってくるだろう。

 それでも怯えることはせず、ギロリとゴールドシップを睨みつけた。

 

「……はぁ、早くしねぇと終わっちまうな。お前さ、『隣にいるだけで何もしてあげられない』って言ったよな?」

 

「あ、ああ、そうだ。その無力感と虚無感、それはお前らには分からな」

 

「『隣に立ってくれるだけ』で、それだけであたし達ウマ娘にとってどんなに嬉しいことか、お前に分かるか?」

 

「……は」

 

 隣に立つ……だけ……?

 何を言ってるんだ。それだけで力になれたら苦労は……

 

「それと、マックイーンがレース前にいつもどこ見てるか知ってるか?」

 

「そ、そんなのゴールやライバルじゃ……」

 

「まぁ、それもあるんだけどよ。マックちゃん、ゲート入った後、一瞬だけお前の方見るんだぜ?」

 

 あいつ自身は無意識だろうがな、と笑うゴールドシップ。

 

 じゃあなんだ。ゴールドシップの言うことが本当なら、今日もマックイーンは僕がいるであろう方を見ていたわけだ。

 でも今日はレースがスタートした時、僕はスタンドにいなかった。

 それはマックイーンにとって精神的不安をもたらす要因であり……

 

 

そういえば、沖野トレーナーがこう言っていた。

 

『ウマ娘はトレーナーのことを思ったより見ている』

 

 

 ……行かなきゃ。

 

 

「はぁ、やっといつもの顔つきに戻りやがった。ただでさえ冴えない顔が、ここ一ヶ月見てられなかったっつの」

 

「素直に礼を言わせてくれよ……。この借りはいつか必ず返す」

 

「いいからさっさと行けっての。もうレース終わっちまうぞっ、と!」

 

「おわっ!?」

 

 ゴールドシップは僕の背中を強く押す。

 

 分かったよ、今僕がやるべきこと。

 

 僕はスタンドに向かって全速力で走る。

 

 

 

***

 

 

 

「これで良かったのかよ、トレーナー」

 

 虚空に話しかけているように見えるゴールドシップだが、実際はそうではない。

 ゴールドシップの話しかけた方向の物陰から一人の男性が、チームスピカのトレーナーである沖野が姿を現した。

 

「ああ、上出来だ……と、言いたいところなんだがなあ」

 

「はあ? アタシがここまで上手くやったってのにまだなんか文句あんのかよ!」

 

「いや、実際上手くいったさ。あいつがまた前を向いてトレーナーを続けていく。その目的は果たせたはずだ……はずなんだがなあ!」

 

 途中まで穏やかな表情をしていた沖野は途端に声を荒げる。

 

「お前、この話する際に俺の名前出すなって言っただろうが! お陰で俺が他人の個人情報垂れ流す屑みてぇじゃねえか!」

 

「お? 違うのか?」

 

「ちげぇよ! はぁ、この後あいつにどんな顔して会えばいいんだか……」

 

 沖野はがっくしと肩を落とす。

 それもそのはず、先程の状況を冷静に考えてみたら、沖野がメジロマックイーンのトレーナーにゴールドシップを向かわせたということに他ならない。

 

「ったく、あいつが前向いたんだから細けぇこと考えてないで喜べばいいのによ。寂しいからあいつに辞めて欲しくなかったんだろ?」

 

「ばっ、ばっか! 別にそんなんじゃねぇよ。あいつが辞めたら……ほら、あれだ、俺に奢ってくれる後輩がいなくなる! あいつの財布は俺の生命線だからな!」

 

「お前最低だな」

 

「う、うるせぇ。ほら、俺達も行くぞ。テイオーが勝つ姿、見ねぇとな」

 

「へいへい。ま、アタシも面白ぇもん見れたし満足だわ。あいつ、自分のこと『俺』って言ってたぜ? 笑い我慢するのに必死でよぉ」

 

 

 

***

 

 

 

 溢れんばかりの歓声が飛び交う中山レース場。

 スタンドにいる人と人との間を拭ってなんとか最前列に出ようとする。

 

「っはぁ……はぁ……」

 

 逃げる事は悪いことではない。

 

 つい先日、僕が東条トレーナーに言い放った言葉だ。

 この考えは今尚間違っていないと思っている。

 

 勝てない相手に無策に突っ込むのは愚か者の行いだ。世の中の理不尽に押し潰されるくらいなら逃げた方がまだマシと言える。

 逃げることが害悪ならば、某有名RPGに『逃げる』という選択肢は無い。

 逃げるは恥だが役に立つ、よく言ったものだ。

 

「っ、すみません! 通してください!」

 

 だが、逃げることは悪いことではなくても良いことでもない。

 この行為は時に問題を先延ばしにするどころか悪化させてしまうことの方が多い。

 逃げることによって解決できる問題ならば構わないが、そんなことはほとんどないだろう。

 誰しも、目を背けたくなるような事実に弱い。

 

 それを自分に当て嵌めるともはや笑いが出てくる。

 

 もし仮に、マックイーン達の隣に立ち続けるという罪悪感から逃れられたとしたらどうなると思う?

 答えは簡単だ、また別の罪悪感に駆られる。

マックイーン達から逃げてしまったという別の罪悪感に。

 

「くそっ、お願いします! 急いでるんです!」

 

 このまま逃げ続けることは簡単だ。事実から目を逸らし続けて蓋をする、それも一つの選択なのだろう。

 

 でも、事実からは逃げられたとしても、自分の気持ちからは絶対に逃げられない。いや、逃げてはならない。

 

 

 

 人混みを無理矢理掻き分けて、なんとかターフの良く見える位置に辿り着く。

 レースは終盤、先頭のトウカイテイオーは第4コーナーを周り最後の直線へと入っていた。

 

 マックイーンは……すぐ後ろだ、前から二番手。なんとか間に合った。

 

 

 もう迷わない。自分はどうするべきか。

 

 

 

「走れっ! マックイーンッ!」

 

 

 

 隣で信じる。それがウマ娘の……君の望みであるのなら……っ!

 

 

 



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マックイーンは迫りたい

 

 なぜ自分は走っているのだろうか。

 

 

 一つの疑問が頭の中を反復横跳びしており、上手くレースに集中することができない。

 

 有記念もいよいよ大詰め。先頭のウマ娘はもうすぐ第4コーナーに差し掛かろうとしており、スタンドからの歓声がより一層大きく聞こえてくる。

 2500mという距離は持久力を必要とされるが、物凄く長い距離かと言われたら決してそういうわけではない。

 

 それなのに、とてつもなく脚が重い。肺が苦しい。

 まだ最終直線にも達してないのに、体中が悲鳴を上げ、視界が霞む。

 出遅れた上に冷静なレース運びができないのだから当然だ。なんとも情けない。

 

『さあ第4コーナーに入った! ここでトウカイテイオーが抜け出す抜け出す! 一人、また一人と抜き去って先頭に躍り出る!』

 

 テイオーが仕掛けた……っ! ここで離されるわけには……! 

 

『トウカイテイオーに続いてメジロマックイーンも後を追う! やはり最後は二人の一騎打ちか!?』

 

 先頭のテイオーに追いつくべく、最後の力を振り絞りスパートをかける。

 

 今の自分を動かすのは、意地と根性、そして勝ちたいという欲望だ。それが無ければとっくに走るのをやめている。それなのに……

 

 ……届かない。距離が縮まるわけでもなく離されるわけでもない、ほとんど同速と言ったところか。

 もう体力的には次のスパートをかけることができるか怪しいレベルだ。

 そのため、今のままではこれ以上のスピードは出せない。

 

 息は乱れに乱れ、フォームもぐちゃぐちゃ。

 自分の走りではテイオーの大きな背中に迫ることができないのか。

 

 ……そんなの嫌だ。私は勝つと決めたんです。

 まだやれる、まだ……っ! 例えこの脚が壊れても……! 

 

『メジロマックイーンさらに加速! ジャパンカップで見せた末脚がここに来て光る!』

 

 中山の直線は短い。ここで一気に勝負を……

 

『いや、トウカイテイオーも加速! メジロマックイーンに抜かさせないぞと言わんばかりのスピードだ!』

 

 う……そ……。血反吐を吐く思いでスパートをかけたのに……

 

 私のスピードよりも更に速いスピードを出すテイオー。

 すぐ後ろを走っているから分かる、自分と彼女の距離が徐々に離れていることが。

 

 一瞬脳裏にチラつく三つの文字。

 

 

 諦める

 

 

 もう体力は残っていない。こうして走っているだけで奇跡みたいなものだ。

 

 

 ここで諦めて次の目標を定めた方がきっと楽なのだろう。

 

 

 次だ、次勝てばいい。

 

 ここで諦めて次のレースに向けて……

 

 

 

 

「走れっ! マックイーンッ!」

 

 

 

 

 ……聞こえた。私の最も信頼を寄せるあの人の声が、入り乱れる歓声の中からはっきりと聞こえた。

 

 それと同時に背中を押される感覚を覚える。

 

 そうですわね、諦めるなんて私らしくない。

 貴方が見ているのですもの。貴方が声を上げて応援してくださっているのですもの。

 

 ああ、やっと自分はなぜ走っているのかという問いに対して答えが出た。

 

 私は、大切な人のために走る。

 

 そう……

 

 

 貴顕の使命を果たすべく……っ! 

 

 

『さあ最終直線! ここで一気に捲ってきたぞメジロマックイーン! 強烈な末脚であっという間にトウカイテイオーを抜き去った!』

 

 体が軽い。先程まで思うように動かなかったのが嘘みたいだ。

 信頼する人の……好きな人の声というのはこんなにも力を与えてもらえるのか。

 

 ありがとうございます、トレーナーさん。貴方のおかげで私は……

 

 

「……絶対は……」

 

 

 っ!? 後ろっ……! 

 

 

「絶対はボクだぁぁ!」

 

 

『トウカイテイオーまたしても加速! 速い速い速い! メジロマックイーンの隣に並び立った!』

 

 やはりそう簡単には勝たせてくれませんわね。

 ここからは正真正銘の一騎打ち。お互い体力は限界のはず。

 

 真っ向勝負です! 

 

『トウカイテイオー! メジロマックイーン! 後ろにはもう誰もいない! 完全に二人の世界だ!』

 

 残り100m、私とテイオーは横並びの状態で標識を通過する。

 

 残り僅かにもかかわらず、ゴール板があまりにも遠い。最終直線に入ってから時間の流れが遅く感じる。

 

 ぐっ、あと一歩! あと一歩力強く踏み出せば先行できるのに……! 

 

 テイオー、貴方にだけは絶対に負けられない。

 トレーナーさんの思いを裏切るわけにはいかない。

 

『両者一歩も譲らない! どこまで加速するんだこの二人は! 不屈の帝王か!? 鋼の名優か!? 意地と根性と信念の戦いとなった有記念! 勝つのは一体どっちだ!?」

 

 

 いえ、一番は…………勝ちたいっ! 

 

 

「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」

 

『トウカイテイオー! メジロマックイーン! トウカイテイオー! メジロマックイーン! 今並んでゴールイン! 実況からではとても判別が付けづらい一着争い! 勝ったのはマックイーンか、テイオーか!』

 

 永遠にも感じられたレースが終わり、ゴール板を通過した私とテイオーは、それぞれ先程まで走っていた緑のターフへと崩れ落ちる。

 そのすぐあとに後続のウマ娘達が続々とゴール板を通過していった。

 皆本気で走ったのだろう、涼しい顔をしたウマ娘は誰一人としておらず、彼女達は息を整えるのに必死だった。

 

 かくいう私もそう。

 もうだめ、動く気力が全く起きない。

 

 全力のその先、限界すらも超えて走ったこのレースは忘れられないものとなるだろう。

 それほどまでに苦しく、激しく、そして楽しかった。

 応援してくださった皆さんの想いを、信じてくれたトレーナーさんの想いを、そして、私自身の想いを懸けて走ったのだ。印象に残らないはずがない。

 

 そうだ、結果はどうなったのだろうか。一番重要な事を忘れてはならない。

 

 正直、走っていた本人である私にもどちらが勝ったかが分からなかった。

 あの時、テイオーは前にも後ろにもおらず、完全に隣にいた。

 

「マックイーン」

 

 いち早く回復したテイオーは、私に電光掲示板を見ろと指を指す。

 

 そこにあったのは『写真』の二文字。

 

「写真判定…………ですか」

 

「一緒だね、あの時と」

 

 あの時……というのは、春のファン感謝祭の時だろう。

 確かそこで行われた時のレースも最後は写真判定だったはず。状況だけ見ればほぼ同じ展開と言ってもいい。

 ただ一点を除いて。

 

「お生憎様、あの時とは違い落鉄などしておりませんわ。今度こそ私は全力で走りきりました」

 

「やっぱりなんかあったんじゃん……」

 

 ……あれっ、もしかして私今墓穴掘りました? 

 

「ち、違うんですのテイオー! 確かにあのレースで私は落鉄しましたけど、それが勝敗に直結するかは分からないわけで……」

 

「はいはい。それも全部ひっくるめて、今日のレースで決着ってわけだよ」

 

 テイオーは呆れたように電光掲示板に目を移す。

 

 もうそろそろ結果が出てもいいはずだ。

 絶対に勝ったとは言えないが、手応えは感じている。それでも緊張のせいで汗が止まらない。

 

 固唾を飲んで見守る私達の前に表示された結果は……

 

 

「……同着……一位……?」

 

 

 同着の文字が浮かび上がると同時に、レース場は大盛り上がりとなる。

 うるさいくらいの歓声だ。もしレースに快勝した後これを聞いたらとても気持ちよかったに違いない。

 

 でも結果は同着。不完全燃焼にも程がある。

 今すぐにでも走り直して甲乙つけたいところだ。

 

「ちぇ、つまんないの。決着はお預けか〜」

 

「そうですね。これで1勝1敗1引き分け」

 

「違うよ、ファン感謝祭のレースはノーカン。だからボクの1敗1引き分け」

 

「強情ですわね」

 

「そっちこそ」

 

 全く……。私は本当に良いライバルを持ったものだ。こんなにも本気になれる相手がいるということに感謝しなくてはならない。

 

「……ボクね、この結果に満足してないんだ。だから……」

 

「奇遇ですわね。私も不完全燃焼気味ですの。なので……」

 

 

「「次は絶対に勝つ!」」

 

 

 私達は拳を突き合わせ再戦を誓う。

 

 次なる目標ができたからだろうか、テイオーに勝利したわけじゃないのに悪くない気分だ。

 

 一層大きくなる歓声に手を振って応えていると、見覚えのある二人が大きく手を振っていた。

 

「マックイーンさーん! 格好良かったでーす!」

 

「テイオーさん! おめでとうございまーす!」

 

 ダイヤさんとキタサンブラックさん、周りには私の応援に来てくれたタマモさん達とスピカのメンバーがそこにいた。

 昔と変わらない彼女達の姿に、私とテイオーは思わず吹き出してしまう。

 

 ダイヤさん達のいるところにトレーナーさんはいない。

 

 でも、きっと見ていてくれたはず。

 

 トレーナーさん、これからも目を離さないでくださいませ。

 貴方の担当ウマ娘が……貴方の愛バが走り続けるその姿を……! 

 

 

 

 ***

 

 

 

 レースが終わった後には、恒例行事であるウイニングライブがある。

 

 ステージに登壇しているのは、先のレースで同着一位を飾ったマックイーンとトウカイテイオーだ。

 僕は一人、会場の最後方で二人の姿を見守る。

 

 彼女達はいつも以上の輝きでパフォーマンスを披露しており、それを見ていたらなんだか今までのことが懐かしく思えてきてしまった。

 春の天皇賞を連覇したり、マックイーンが繫靭帯炎したり、復活してすぐに走ったり、夏合宿に行ったり……

 

 いや、思い出に耽っている場合ではないな。

 これからも僕は彼女のトレーナーであり続けなければならないんだ。

 

 後で理事長に話をしておかなければ。

 もちろん、辞めようとしていたことがバレたら大目玉なので、マックイーンやダイヤには内密に……

 

「あー! やっと見つけました!」

 

「おわっ!? びっくりした……なんだダイヤか」

 

 噂をすれば、ではないが、頬を膨らませたダイヤがズンズンとこちらに近寄ってくる。

 

「なんだ、ではありませんよ! どこに行ってらしたんですか!? マックイーンさんに声をかけてくると言ってから姿を眩ませて!」

 

「うっ、ごめんごめん。ちょっと別の場所で観戦しててね」

 

「もう、そうならそうと先に言っておいてください。トレーナーさんが迷子になったんじゃないかと思ってタマモさん達も心配してらしたんですからね?」

 

 そんなに信用無いの? 

 

「本当に悪かったって。ほら、落ち着いてマックイーン達のウイニングライブ見ようぜ?」

 

「……はぁ、分かりました。でも、これが終わったらみっちりお説教させてもらいますからね?」

 

 どちらにせよ、ダイヤには大目玉をくらうことになるらしい。後でこっそりキタサンブラックに彼女の諌め方を聞いておこう。

 

 ダイヤは先程までプンスコしていたが、ライブに集中するとなるとキラキラした表情でマックイーンのことを見ていた。

 それもそのはず、全力で走りきり、ファンの前でこんなにも華やかなパフォーマンスをする。そんなマックイーンやトウカイテイオーに目を奪われない人はいないだろう。

 

「……トレーナーさん」

 

「ん? どしたの」

 

「私も……あんな風になれるでしょうか? マックイーンさんのような、皆さんの……いえ、誰かの期待に応えられるようなウマ娘に……」

 

 彼女の目には、未来への希望だけでなく不安といったものも混じっているように見えた。

 誰しも未来に不安を抱えているが、今のダイヤはそれが顕著にあらわれている。

 

「私は家族のためにジンクスを破らなければならないのに……わぷっ!?」

 

「ま、そう考えすぎるなよ。今から未来のレースについてあーだこーだ言ってても仕方ないって。それに、来年の事を言えば鬼が笑うって言うだろ? なら、今笑ってる鬼を来年君の走りで泣かせてやろう」

 

「ちょ、ふふっ、頭撫でないでください、くすぐったいですよ。……全くもう、変な人」

 

「なんか言った?」

 

「いーえ、なんにも。マックイーンさんが綺麗だなと思っただけです」

 

 ああ、マックイーンのこの姿は何度見ても飽きないな。

 

 

 これからも、彼女の姿を隣で見ていたい。支えてあげたい。

 

 メジロマックイーンのトレーナーとして……

 

 

 最後の一音が流れ切るまで、マックイーンから目を離すことができなかった。

 

 

 




……もうちょっとだけ続くんじゃ


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幕間:許してください

 後日談、というか今回のオチ

 

 

 有記念も無事終わり、今年も残すところ後僅か……というか、今日は大晦日だ。

 

 この時期になると仕事が増えるのは何なのだろうか。この謎を解明するために何ヶ月かアマゾンの奥地に潜る必要がある。半年ほどの休暇を取ろうか。

 

 ウマ娘のトレーニングを見るならまだしも、正月になってまで事務仕事はしたくない。

 

 みんな頑張ってるんだし、僕も頑張らないと。

 その一心で取り組んだ結果もあってか、今ではほとんどの仕事が終わっている。昨日一昨日の自分に盛大な拍手を送りたい。

 

 さて、今トレーナー室にいるのは僕とマックイーンのみ。

 

 

 同室に男女が二人、何も起きないはずはなく……

 

 

「……」

 

「……」

 

「……まずは言い訳でもしたらどうなんですか?」

 

「あっ、あのなマックイーン、僕は……」

 

「うるさいっ! 言い訳なんて聞きたくありませんわ!」

 

 どうしろってんだよ……

 

 

 有記念のあの日、マックイーンとトウカイテイオーが同着一位を飾り彼女達を学園に送り届けた後、僕はすぐさま理事長の下へと向かった。

 

 元々有が終わったら来いとは言われていたので、僕がトレーナー業を続けると言い出すまで彼女は険しい表情をしていたのが忘れられない。

 あの明朗快活な秋川理事長にいらぬ心配を抱かせてしまったことが今更になって本当に申し訳なく感じ、死にそうになったのはまた別の話。

 

 もちろん、これ知っているのは僕と理事長、後は自分から伝えた沖野トレーナーと東条トレーナーの合計四人のはず……だったのだが。

 

「ゴールドシップから聞きましたわ。貴方、私に黙って学園を去ろうとしていたらしいではないですか」

 

 バレました、はい。

 

 いや、ゴールドシップにバレてた時点で薄々察してたんだけどさ。

 今すぐにでもスピカに突撃しに行こうかと考えたけれど、あの時彼女が喝を入れてくれなければ本当に自分は学園を去っていたかもしれないので、数日前部屋の戸を破壊されたこと諸共許してあげることにした。

 

 ゴールドシップの行為はマックイーンの為だったのだろうが、そんなことは関係なく、彼女には感謝しなければならない。

 こうしてまたマックイーン達のトレーナーを続けていくことを決断できたんだ。お説教の一つや二つ軽く乗り越えてみせるさ。

 

 まあそれはそれ、これはこれ。ゴールドシップに情報を漏洩した沖野トレーナーは後で絶対にしばく。

 

「あのー……その、違うんですよ、マックイーンさん。なんというか、半分くらいは僕はマックイーンのためにと思って辞めようとしてたわけで……」

 

「はぁ、この後に及んでまだ言い逃れですか。私、まだ謝罪の言葉を耳にしていないのですが?」

 

「この度は本ッッ当に申し訳ございませんでしたッッ!!」

 

 正座をし、僕は額を地面に擦り付けて土下座する。

 

 今回の件に関しては、勝手に僕が行動して勝手に自滅した結果だ。

 幸いなことに大事には至らなかったが、それは結果論に過ぎない。

 細心の注意を払っていたにしても、最悪の場合マックイーンのレースに影響が出てしまっていたかもしれない。てか出ていた。

 

 こうなったら許してもらえるまで謝り倒すしかない。

 なんだ、靴を舐めればいいのか。それとも足? 

 

「トレーナーさん、貴方、私に言ってくださいましたよね? 自分達は一心同体だと」

 

「はい、言いました」

 

「一緒に勝とうと言ってくださいましたよね?」

 

「はい、言いました」

 

「私のことを愛してると言ってくださいましたよね?」

 

「はい、言いま……待って、それは言ってない」

 

 勝手に記憶を捏造するんじゃあないよ。

 神聖ブリタニア帝国第98代皇帝もびっくりの記憶改竄だ。

 

「……トレーナーさん。私は、トレーナーさんだからここまで来れたのです。もし私のトレーナーが貴方でなければ、今の私は確実にありません」

 

「それは買い被りすぎじゃ……」

 

「いいから黙って」

 

「イエス、マイロード」

 

 途中で余計な口を挟んだことにより、マックイーンは静かな怒りを見せる。

 怖い、今すぐ実家に帰りたい。

 

「貴方がいたから今がある、そのことを忘れないようにお願い致しますね?」

 

「……ああ、もう間違えないよ。どっちかが欠けたら駄目になる。僕らは二人で一人、『一心同体』だ」

 

「ふふっ、及第点ということにしておいてあげます」

 

 先程までの鬼の形相をしたマックイーンはそこにはおらず、今の彼女は年相応の笑顔を見せている。

 

 不覚にも、彼女のそんな姿が可愛いと思ってしまった。

 

 いや、普段から彼女のことは可愛いとは思っている。

 だがそれは、犬や猫に対するようなものであって、決して恋慕という意味のものではない。

 

 今マックイーンに抱いた感情は、なんとなく前者のものではないと感じる。むしろそれは後者のようなものであり……

 

「っっずあぁぁぁ!!!」

 

「トレーナーさん!? どうされたのですか、急に地面に頭を打ちつけて!? ひ、額から血が!」

 

 ついさっきまで土下座を敢行していたのもあり、僕は思い切り地面に頭を叩きつけた。

 

 ウマ娘と親密になることは悪いことではないが、度が過ぎてしまってはならない。

 先の感情は確実に度が過ぎたものと言えるだろう。

 煩悩退散、年を越す前にこの邪念を払わなくては。

 

「だ、大丈夫ですか? 随分と痛そう……いえ、スッキリとした顔をされてますね」

 

「ちょっと心を落ち着かせるためにね」

 

「は、はぁ……」

 

 マックイーンは何がなんだか分からないと言ったような顔だ。

 彼女も大概鈍感で助かった。

 

「ま、まあそれはそうと、トレーナーさん。私、先の件について、貴方を許したわけではないのですよ?」

 

「えっ、まじ?」

 

「ええ。だって及第点ですもの」

 

 マックイーンは満点以外の回答を望んでいないらしい。

 部分点はくれたものの、彼女の採点基準はかなり厳しいようだ。

 

「しょうがねぇなぁ。僕は何をすればいい? 君に許してもらえるならなんでもするから……」

 

 

 その瞬間、廊下から轟音が響き渡り、トレーナー室の戸がバンッと開かれる。年の瀬のこの時間に誰だと思いきや、それは僕らにとってよく知るウマ娘だった。

 

「ダ、ダイヤさん!?」

 

「あ、マックイーンさん、こちらにいらしたんですね。トレーナーさんもこんばんは」

 

「こ、こんばんは。どうしたんだダイヤ、こんな日のこんな時間に」

 

「えへへ、マックイーンさんが秋シニア三冠を制覇なされたことのお祝い品が今日届きまして……」

 

 お祝い品? ああ、最近ダイヤがこそこそしてると思ったらそういうことだったのか。

 

「私の、ですか?」

 

「はい! マックイーンさんのためですから!」

 

「……私はライバルだけでなく、後輩にも恵まれていますわね。ありがたく頂戴致しますわ。ダイヤさんの言う祝いの品……を……」

 

 そのお祝い品が置かれているであろう廊下をマックイーンが確認すると、まるで充電が切れたかのように、彼女は笑顔のまま固まりそこから動かなくなった。

 

「……ダイヤ、君は一体何をマックイーンに送ろうとしたんだ。とんでもないもんじゃないだろうな」

 

「そんなことはありません! 大したものじゃないはずです。ただマックイーンさんのために少しばかり奮発してしまいましたが……」

 

 本当かなぁ? ダイヤの金銭感覚は正直信用できない。

 いつだったか、彼女は四人分の飛行機代を出すとか言い出したことがあったはずだ。

 お札を燃やして「どうだ、明るくなったろう?」と言っていても違和感はない。

 

 そうこうしていても時間がもったいないので、未だに廊下で固まっているマックイーンを部屋に連れ戻そうとする。

 その際、ダイヤの持ってきたお祝い品が目に入ってしまい……

 

「…………なあにこれ」

 

 視界に映ったものがあまりにも衝撃的すぎて、自分の目がおかしくなってしまったのではないかと疑ってしまう。

 

「もう、お二人ともどうされたんですか? そんなに素っ頓狂な顔をされてしまって」

 

「いや、これ見て驚くなって言う方が無理だと思うけど……」

 

 彼女が持ってきたのはクレーンゲーム。それもゲームセンターに置いてあるような大きさのものだ。

 最初の轟音はなんだったのかと思ったが、これは運ぶ時にどこかしらぶつけたのだろう。

 

 そして、ダイヤが持ってきたのはただのクレーンゲームではない。問題はその色だ。

 

 金、Au、1グラム約7000円超、装備を作るとすぐ壊れる。

 

 さすがに純金ではないだろうが、そのクレーンゲームは金色に光り輝いていた。

 

 僕はそっと戸を閉じる。

 

「……もう一回聞くね、なにこれ」

 

「何って、マックイーンさんの秋シニア三冠のお祝い品ですけど」

 

「規模がおかしいんだよなあ……。マックイーンなんてまだ固まってるし。マックイーン? マックイーンさーん?」

 

「はっ!? あまりに衝撃的でしたので思考がトリップしていましたわ……」

 

 マックイーンは片手を頭に抱え、よろよろとソファに座った。

 

 気持ちは分かる。

 もし外に放置されているあの筐体の値段を聞いてしまったら魂が飛び出てもおかしくない。

 やっぱり彼女の金銭感覚は狂っているのではないか? 財布の紐が緩すぎるというのも……

 

「お二人が偉業を成し遂げたので、私も気持ちを込めてお祝い品を選んだのですが、お気に召しませんでしたか……?」

 

 ……そんな顔でそんなこと言われたら何も言えないじゃないか。

 

「いいえ、ダイヤさん。貴方の気持ちは十二分に伝わりました。心から感謝しますわ」

 

「マックイーンさん……! 私、マックイーンさんのような誰かの期待に応えられるウマ娘になってみせます!」

 

「ええ、楽しみにしています」

 

 これが師弟関係というやつか。

 マックイーンの偉業達成により、ダイヤのやる気もますます上昇している。

 互いが互いを高め合える関係。まだライバルといったような雰囲気ではないが、この二人がぶつかることもそう遠くない未来なのかもしれない。

 

「開けろ! 生徒会だ! 廊下に位置してあるこの巨大な物体はなんなんだ! ええい、ドアを開けるぞ!」

 

 いい話だなーと思っていると、廊下から唐突にエアグルーヴの声が聞こえてきた。

 恐らく先の轟音を聞いて飛んできたのだろう。

 

 そして、そのまま彼女は僕のトレーナー室に侵入してきた。

 声がしたのはエアグルーヴだけだったが、戸の奥にはシンボリルドルフとナリタブライアンの姿も確認できる。

 

 ただ、怒髪天を衝く勢いのエアグルーヴと違い、ナリタブライアンは面倒くさそうな顔をしており、シンボリルドルフは顎に手を当てて何かを真剣に考えている。

 

「ち、違うんです、エアグルーヴさん! あれは私からマックイーンさんへのお祝いの品であって……」

 

「たわけっ! あんな巨大な物がこの部屋に入るか! そもそもどうやってあれをここまで運んできた!」

 

「それは、その……ちょっと家の者につっかえてしまった柱を取り外してもらったりして……」

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 か、可哀想に……。

 ついエアグルーヴの心中をお察ししてしまう。

 

「会長! あなたも何か言ってください! このままでは校内にあの筐体が鎮座することに……」

 

「ふむ、クレーンゲーム……送れない……」

 

「……か、会長?」

 

「ふふっ、クレーンを送れーん!」

 

「…………は、はぁ。と、とにかく、サトノダイヤモンド! お前は今から生徒会室へ来い! ゴールドシップ諸共長時間説教してやる!」

 

「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってください! まだマックイーンさんに話したいことが……ああああ、マックイーンさん、トレーナーさん、良いお年をー!」

 

 ダイヤはエアグルーヴにズルズルと引き連れられ、トレーナー室を去っていった。

 なんだったのだろうか、この時間は。

 

「……なんだかドタバタした大晦日ですわね」

 

「全くだ。さ、君もそろそろ寮に戻る時間だろ? 送って行こうか?」

 

「いえ、年越しはメジロ家の方で過ごそうと思っているので、外泊届を出していますわ」

 

「そうかい、なら校門まで送ってくよ」

 

「あら、何を言っていますの? 貴方も一緒に来るんです」

 

 …………は? 

 

「貴方、ダイヤさんが来る直前になんでもすると言いましたよね?」

 

「言ってますん」

 

「なんですかその返事」

 

 え、なにこれ? デジャヴ? なんか前にも同じことがあった気がするんだけど。

 

「えっと、僕今日何も準備してないんだけど。せめて行くなら菓子折りとか色々準備して後日改めてお伺いを……」

 

「あら、ご心配には及びませんわ。メジロ家にはトレーナーさんの着替えや生活必需品は勿論、ありとあらゆるものが揃ってます。それと、私達の仲ではありませんか。菓子折りなどとそんな気遣いは不要ですわ」

 

「ちょっと待って、お願い、話をしよう」

 

「それでも抵抗するというのなら、私は去年保留にしていた貴方の『私になんでもする』という権限を行使しますわ。それでは行きますわよ、トレーナーさん!」

 

「待って、ほんとに待って。まだ心の準備が…………ああああああああああああああ!!」

 

 

 

 第一章『マックイーンは迫りたい』 終

 

 

 




以下後書き

 ここまでご高覧いただきありがとうございます!
 プロローグも一章みたいなもんなんで、38話に渡る話がひとまず完結しました……!
 書き始めた当初はほとんど内容が決まってなかったのですが、こうして落とし所をつけることができてほっとしてます(笑)

 これは裏話なんですけど、最初は夏合宿の内容を書く予定なんて微塵もなかったんですよね。でもそれが無かったら話の内容がちょっと薄いかなと考え急遽取り入れました。

 途中で挟んだ番外編の内容は、個人的に凄く書きたかった内容なので消化できて良かったです。
 ただ、考えていた別の番外編で名家繋がりのファインモーションを登場させたかったのですが、それが流れてしまったのは少し反省……

 自分如きの作品でなんですが、もしよろしければ皆様の好きな話を感想に書いて頂けると幸いです。
 多少期間は空くかもしれませんが、続きの方もゆっくり書いていきます。

 それでは予告を

 第二章『ダイヤモンドは砕けない』、よろしくお願いします!



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第二章 ダイヤモンドは砕けない
磨かれた原石


※二章をご覧になる前に以下の点にご注意ください。

・レースの展開上、ウマ娘化されていない競走馬はアニメのように名前を変えて登場させて頂く場合があります。

・史実ではゴールドシップとキタサンブラックは同じレースを走ったことがありますが、当ssでは考えないようお願いします。

・一章に比べたら影は薄くなりますが、マックイーンは二章でもちゃんと重要人物です。

・キタサンブラックやサトノダイヤモンドはゲームやアニメではまだ出番が少ないです。なので、本家で不明なところは私の独自の解釈となってしまうことをお許しください。


それでは本編をどうぞ




 最初はただの憧れだった。

 

 

 

 幼い頃から応援していたウマ娘と、そのトレーナーともなる人に対して、私は高嶺の花のような存在だと思っていた。

 事実、トレセン学園に入学するまで実際に会って話すことはほとんどなかった。

 

 生意気ながらも入学式の日に『その人』を試すような口ぶりで質問をしてしまったことは今でも記憶に残っている。憧れの人であるうちの一人に、そんなことをしてしまったのは反省している。

 でも後悔はしていない。なぜならあれのおかげで『その人』は本当にウマ娘に対して真剣なんだなと知ることができたのだから。

 

 

 次に『その人』の魅力を知ったのは、『私の憧れ』が走ったファン感謝祭の時。

 

 惜しくも『私の憧れ』は負けてしまった。

 負けてすぐ姿を眩ませた『私の憧れ』を探すために学園を走り回っていると、偶然にも『その人』を見つけた。『その人』も私と同じく『私の憧れ』を探しているのだろうとすぐに分かった。

 声をかけようかと思ったが、なんとなく『その人』の後を付いていき、『その人』がレースで負けた『私の憧れ』を励ます所を目撃した。

 

『その人』にも言ったが、その場面を盗み見するつもりはなかった。たまたま、偶然。

 そのおかげで『その人』の良さをさらに知ってしまった。

 

 そこからの流れは早い。

 それらがあった次の日には、私は『その人』の下へトレーナー契約書を持って指導していただくことをお願いした。

 

 そして本格的に『その人』の下でのトレーニングが始まり、夏合宿、『私の憧れ』のウマ娘のレース、そして満を持して私自身のデビュー戦、重賞レース、クラシックレース等様々な出来事があった。

 

 私は『私の憧れ』のウマ娘に負けないくらい、『その人』と絆を結んだはずだ。

 そのおかげで私は目指していたものに手が届いた。

 これは一人では成し得なかったに違いない。

 

 それまでは、『その人』に対しての気持ちの変化はそれほど無かった。

 幼い頃に抱いていた時同様、『その人』に対して抱いていた感情は純粋な憧れだったはずだ。

 

 

 

 

 

 でもいつ頃だろうか、この気持ちがただの憧れではないと気がついたのは。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

第二章『ダイヤモンドは砕けない」

 

 

 

 メジロマックイーンが秋シニア三冠を達成してから一年と少しが経った。

 

 たった一年と思うかもしれないが、一年あれば色々なことが変わってくる。

 例えば、何かの技術を身につけるために、一年間真剣に取り組めばそれなりに成果は出せるだろう。

 新卒の社会人が仕事に慣れたり、学生の場合一つの教育課程を終えたりすることができる。

 

 その変化はトゥインクル・シリーズも例外ではない。

 一年あれば世代交代だってあり得るし、逆に一年通して無敗の覇王のようなウマ娘が現れる可能性だってある。

 この先、次のレースですら予測が難しいのだ。一年先などと到底見通せるものではない。

 

 何が言いたいかというと、一年というそれほど遠くない未来でも何が起こるかは分からないということだ。

 

 

 しかし、往々にして強いウマ娘というのは、未来をも予測させてしまうほどの絶対を見せ続ける。

 

 車を運転している僕の隣、助手席に座り『本日の主役』という襷をかけさせられている彼女の名前はサトノダイヤモンド。

 

 彼女はデビュー戦、そして今日行われたプレオープンで一番人気且つ一着という絶対的な強さを見せつけた。

 そのため、ダイヤは今トゥインクル・シリーズを出走するウマ娘の中でも一目置かれている存在となっている。

 

 そんな彼女は恥ずかしそうにかけさせられている襷を見てそわそわしており……

 

「……あ、あの、ゴルシさん。この襷恥ずかしいので外してもいいですか?」

 

「ダメに決まってんだろ! その襷はなぁ! 昨日徹夜して縫い込んだんだよ! トレーナーがなぁ!」

 

「トレーナーさんがですか?」

 

「ナチュラルに嘘をつくんじゃないよ。まあ、主役って点は間違ってないと思うけどね」

 

「ト、トレーナーさんまでもそんなことを……」

 

 ダイヤは自己主張の強い襷をかけているのが恥ずかしいのか、顔を赤くしている。

 

 先の通り、ダイヤはプレオープンを制した。

 今はその帰り道というわけであり、ダイヤが本日の主役という点では何も間違っていない。

 間違っているのはその襷を僕が作ったという点とそのレースが昨日だったという点だ。

 

 ちなみに、プレオープンが開催されたのは阪神レース場。

 ダイヤはだいぶ前の夏合宿の時、長時間車に揺られ続けることがいたく気に入ったらしく、彼女の強い要望で車での移動となった。

 ちょうど冬休みの時期なので多少無理しても問題はない。

 

 夏合宿の時と違い、そこそこ大きい車なので広さは問題ないが、いかんせん人数が多い。

 ここにいるのはダイヤとマックイーンはもちろん、ゴールドシップをはじめとするかつてマックイーンを応援してくれていたメンバーが揃っている。

 

「大丈夫ですわ、ダイヤさん。貴方はとても強いウマ娘です。もっと自信を持っても良いと思いますわよ?」

 

 僕の後ろに座るマックイーンは、自信なさげなダイヤにアドバイスの言葉を贈る。

 彼女の言うことは最もだ。自信を持たずしてレースに勝ち続けることは不可能である。

 

「マックイーンさん……。分かりました、ダイヤ、もっと自信を持ってみます!」

 

「その意気ですわ」

 

「誰かさんは自信満々で秋シニアに挑んで全部ダメになった時あったけどな」

 

「……何か言いまして、ゴールドシップ?」

 

 後ろの席でギャーギャーと騒ぎ出すマックイーン達。

 また始まったよこいつら……

 

 ゴールドシップがちょっかいを仕掛け、マックイーンがそれに反応するという一連の流れをもう何度見たことか。

 ツッコミ役であるはずのタマモクロスでさえも彼女達へのツッコミを放棄している。

 まともに止めようとしているのはライスシャワーくらいだ。

 ハルウララに至っては何が起こっているのかよく分からずニコニコしてるし、イクノディクタスはああ見えてノリが良いためこの状況を楽しんでいるように見える。

 

「もう結構な時間車に乗ってるってのに、あいつら元気だなあ」

 

「そうですねぇ」

 

 既に高速道路を降りており、大阪から東京への旅路も終わりが近い。

 

 この間かなりの距離があるように思えるかもしれないが、実際のところ休憩を入れても車で六時間もかからない程の距離だ。

 それでも六時間という時間は決して短くはないため、ただ車に乗っている側というのもそれなりに疲れる…………はずなのだが。

 

「今日という今日は許しません! ゴールドシップ、表へ出なさい! みっちりしごいてあげますわ!」

 

「おっしゃ乗った! アタシだってやられっぱなしじゃねぇんだ! マックイーンに蟹みたいに泡吹かせてやらあ!」

 

「おい、運転中だからせめて危険なことするなよ?」

 

 今にも運転中の車から外へ飛び出して行きそうな勢いのマックイーンとゴールドシップ。

 ここまで来たらもうポリスからの目は諦めるしかない。

 

 もう無理だ、なんとかしてくれ、タマモクロス。

 そう彼女に目線を送っても「無理やで」と言わんばかりの顔をされてしまった。ちくしょう。

 

「あの、トレーナーさん」

 

「ん? どした、ダイヤ」

 

「その、すみません。私のわがままで車で行きたいなんて言ってしまって」

 

 ああ、なんだ。そんなことか。

 

「構わないよ、このくらい。直前に言われたら難しかったかもしれないけど、ちゃんと余裕を持って言ってくれたんだ。スケジュールなんていくらでも立てられるさ」

 

「……そんなこと言って、私、トレーナーさんが徹夜してスケジュール練ってくださっていたこと知ってるんですからね?」

 

 なんで知ってんだよ、怖いわ。

 

「本当に大丈夫なんだって、もう慣れたから。それに、レースでは君のコンディションやモチベーションを保つことが最優先だからね。そのために前日入りもしてるわけだし」

 

「……でも」

 

「でももへちまもないよ。ウマ娘とトレーナーは一心同体、二人三脚だ。君は僕に気を使わず、存分に僕を利用するといいさ」

 

「……やっぱりあなたは変な人ですね」

 

「え、なに、唐突に罵倒された?」

 

 急な変人扱いにより、危うく握っているハンドルがぐらついてしまうところだった。

 

 危ない危ない、運転手である僕は、車に同乗している彼女達の命を預かっているのだ。そんな今、交通事故なんて起きたと考えると恐ろしい。

 そういえば、こんなこと前も考えたな。あの時よりも人数が多いから尚のことだ。

 

 

 

 そう思っていた矢先に

 

「っっ!?!?」

 

「きゃあ!」

 

「おわっ!?」

 

 青信号を通過しようと十字路に差し掛かった時、一台の車が信号を思い切り無視して僕達の車の前を駆け抜ける。

 それにより急ブレーキをかけてしまい、前の席にいた僕やダイヤはもちろん、後ろで暴れていたマックイーン達にも被害が及んだ。

 

 幸いなことに大事には至っていないが、後少し判断が遅かったら大惨事は免れていなかっただろう。

 自分の反射神経と動体視力を誉めてやりたい。

 

「びっくりした……心臓縮んだわ……」

 

「最近はここらへんで事故が多発していると聞きますからね。まさかこれほど危険な運転をしているとは思いませんでしたが」

 

 心臓を抑えるポーズをするタマモクロスとは反対に、イクノディクタスは今の状況を冷静に分析する。

 ライスシャワーとハルウララは最後方で目を回しており、マックイーンとゴールドシップは狭い座席でずっこけている。だからシートベルトをしろとあれほど。

 

「と、とにかくみんな無事か? 無事なら後ろの車つっかえてるしそろそろ出発したいんだけど……」

 

「んだよ今の車、許せねえ! ゴルシちゃん頭に来た! 車なんて乗ってられねえや!」

 

 そう言ってゴールドシップは車を降り出し……え? 

 

「おい、何して……」

 

「おっしゃー! 今から学園まで競争じゃーい!」

 

 何言ってるんだこいつは。

 たしかにここからならトレセン学園は遠くはないが、わざわざ車から降りて走ろうなんて考えるやつは……

 

「お、なんや、勝負か? 受けてたったろうやないか」

 

「それでは僭越ながら私も。ここからならば良いスタミナトレーニングになるはずです」

 

「みんなはしるの? じゃあわたしも! うっらら〜!」

 

「ま、待ってよウララちゃん!」

 

 え、ええ……なんでツッコミ不在なんだよ。

 何度も言うがタマモクロス、君はツッコミ担当だろ? 君がそっち側に行ったら手がつけらなくなるんだよ。

 

「もう、貴方達? 戻ってきなさい。トレセン学園の生徒として、みっともないまねはよすべきですわ」

 

 ここに救世主(メシア)がいた。

 やっぱり頼れるのは一番長い付き合いでもあるマックイーン……

 

「一番最初に着いたやつはトレーナーの奢りでスイーツ食べ放題なー?」

 

「スイーツゥゥゥゥゥゥ!!!!!」

 

 ……嘘だよな、マックイーン。

 

 頼みの綱であったはずのマックイーンまでもが陥落してしまったため、車内に残ったのは僕とダイヤのみとなる。

 

「……皆さん、行っちゃいましたね」

 

「どうしてこうなる……。あいつら帰ったら覚えてろよ……」

 

 まだ明るい時間帯であるため門限という面では心配ないだろうが、迷子にならないかだけ本当に心配だ。

 これでもし僕の監督不行き届きと言われたら、それを提言した人間をボコボコにしてやりたい。

 あの面子をコントロールしろって言う方が無理なもんだ。できるやついるならやってみろ。

 

「……トレーナーさん、少し私の話を聞いてもらってもいいですか?」

 

「? 少しと言わずいくらでも聞くけど、どうした?」

 

「その、私の走る目標についてです」

 

 そういえば、デビューして数ヶ月経とうというのに、ダイヤのそう言った話はあまり聞いてこなかったな。

 

 トゥインクル・シリーズに望むにあたって、目標を持って走るウマ娘は多い。

 マックイーンならば春の天皇賞の連覇、トウカイテイオーならば無敗の三冠と言ったように、誰しも目標や憧れを抱いて走っている。

 もっとも、彼女達を突き動かす一番の原動力は底知れないほどの勝ちたいという欲求に他ならないのだが。

 

 運転に集中しつつも、僕は真剣に話を聞く態勢を整える。

 

「私の目標は二つあります。一つはGⅠレースで勝つこと。私の家系のウマ娘はGⅠで勝てないというジンクスがあるんです。そして私はサトノ家にようやく産まれたウマ娘。だから、それに勝って家族をよろこばせてあげたいんです」

 

 ああ、道理で彼女は時々ジンクスという言葉を漏らしていたわけか、合点がいった。

 

 それにしても、GⅠレースでの勝利を目標か。

 

 レースの世界において、GⅠどころかGⅡやGⅢといった重賞を制覇することはそう簡単なことではない。故にそれらを目標とするウマ娘は珍しくない。

 ダイヤはそれに加えて家族のためというのがある。走る理由には充分すぎるものだろう。

 

「なるほどね。GⅠ制覇、いいじゃないか。となると、次はそのGⅠに出場するための場数を踏まなきゃいけないな」

 

「場数?」

 

「現状君はメイクデビューとオープン戦の二勝。これだけだとGⅠに出走すらできない可能性がある。そうだな……よし、次のレースはGⅢきさらぎ賞だ!」

 

「……とうとう私も重賞を走れるんですね」

 

「おうとも。ここを勝てば、今から一番近いGⅠである皐月賞に出走できるしね」

 

 先の通り、ダイヤは現在二戦二勝。

 次に予定しているきらさぎ賞を勝てば、クラシックへの挑戦権を余裕を持って得られるだろう。

 

「君ほどのウマ娘なら、GⅠ勝利のみならず、"皇帝"や"英雄"のような無敗の三冠すら叶えちゃうかもな」

 

「無敗の三冠……わ、私、頑張ります!」

 

 レースで勝つことは簡単なことではないと言った後にこんなことを言うのもあれだが、ダイヤなら無敗の三冠を叶えたって不思議ではない。むしろその可能性は充分にある。

 最初に持っていた夢や目標を叶えるウマ娘は一握りだが、それは挑戦してこそのものだ。

 

 夢や目標はその都度形を変えていく。

 いつかダイヤがGⅠ勝利という目標を叶えた暁には、また別の目標を胸に走るはずだ。

 それを焚き付けるのもトレーナーの仕事。これからも彼女と足踏み揃えて走っていかなければならない。

 

 

 これまで話していた間車は進み続けており、ようやくトレセン学園の近くになってきた。これ以上長話はできないため、先程から気になっていたことを彼女に伝える。

 

「それで、ダイヤ。さっき目標は二つあるって言ってたよね? その二つ目を聞かせてもらってもいいか?」

 

「そうですね。私の二つ目の目標、それは……」

 

 僕の問いにダイヤは一つ間を置く。

 

 GⅠレースと来たら次に何が来るのか。自分にはなんとなく予想がついていた。

 

 

 

「私、ライバルのキタちゃんに勝ちたいんです!」

 

 

 



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額に煌めく

直接ストーリーには関わりませんが、今回から名前をもじったウマ娘が登場します。もしよかったら元ネタを考えてみてください。


 キタサンブラックというウマ娘をご存知だろうか。

 

 明るく元気で、どんなことにも積極的にチャレンジする行動力を持つ、お祭り大好きなウマ娘……と、彼女の幼馴染であるサトノダイヤモンドから聞いた。

 自分の目から見ても、キタサンブラックというウマ娘はそのように映っている。

 

 キタサンブラックは、ダイヤより少し早くデビューしたため、世代が一つずれている。

 そんな彼女のデビュー戦からクラシックデビューまでは上々だった。

 デビュー戦からプレオープン、さらにはGⅡスプリングステークスを一着で制し、彼女の憧れであるトウカイテイオーと同じく無敗でクラシックに挑むこととなった。

 

 しかし現実は非情なもの。憧れ、それもトウカイテイオーという実力者と同じ道を辿ることはそう簡単なことではない。

 

 キタサンブラックの皐月賞とダービーは、それぞれ3着という惜敗、14着という大敗に終わった。

 皐月賞はまだしも、日本ダービーに至ってはスプリングステークスと皐月賞の連続出走という結果だ。

 まだデビューして間もない彼女にはキツいローテーションだったのかもしれない。

 

 そしてなによりも悔しかったであろうことは、皐月賞もダービーも同じウマ娘に負けたということだろう。

 正直、キタサンブラックを始めとした強豪を抑え、皐月賞とダービーの二冠を達成したそのウマ娘は格が違うように見えた。

 そのウマ娘がダービーを勝った瞬間、多くの人の脳裏に三冠を達成するのではという考えを過ぎらせたに違いない。

 

 夏を越え、GⅡセントライト記念を制したキタサンブラックは、最後のクラシックの冠を取るために菊花賞へ出走した。

 

 彼女の実力なら、たとえ相手が誰であろうと菊の勲章を取れる実力は充分にあったはずだ。

 キタサンブラックだけじゃない、他のウマ娘達だってそう。誰が勝ってもおかしくなかった。

 

 それでも、世間はそんな考えは有していない。

 皐月賞とダービーを制したそのウマ娘は骨折で菊花賞を回避。世間ではそれを惜しむ声が相次いだ。

 それはまるで、トウカイテイオーが骨折で出走を回避した菊花賞の時のようだった。

 

 その年の菊花賞は、キタサンブラックが本命不在と言わせないほどの見事な走りで制した。

 でも、彼女も嬉しい反面複雑な気持ちを抱いていただろう。

 事実、その本命は菊花賞には出走していなかったのだから。

 

 キタサンブラックは間違いなく強い。実力は高い。心配なのは精神面だ。

 彼女はチーム〈スピカ〉のウマ娘であるため、心配は必要ないと思われる。

 彼女、その二冠ウマ娘にあまり固執しすぎないといいのだが……

 

 

 

 ***

 

 

 

 京都レース場。

 スタンドにはそこそこ多くの人がおり、その一番前で僕らはレースが始まるのを待つ。

 

「せっかくのダイヤさんの重賞レースだと言うのに、皆さんが応援に来れないというのはなんだが寂しいですわね」

 

「誰のせいだと思ってんの?」

 

 ダイヤがトゥインクル・シリーズ二勝目を挙げて車で東京に戻っていたあの日、何人かのウマ娘がその車を飛び出してトレセン学園まで全力疾走するという事件が起きた。

 ウマ娘専用の通路があるとは言え、万一にもウマ娘と一般の通行人が衝突すれば目も当てられないようなことになる。

 

 それを踏まえてか、URAのお偉いさんは厳重注意を下した。…………僕に。

 

「そ、それはその……スイーツをダシにしたゴールドシップが悪いわけで……」

 

「マックイーン」

 

「本当にすみませんでした」

 

 マックイーンは腰を90度に曲げて平謝りをする。

 

 厳重注意とは言っても、それは形だけのものであり、むしろ憐れみの目すらも向けられた。

 やっぱりお偉いさん方もトレセン学園の問題児については把握しているようだ。

 

 その厳重注意の結果として、チームでの移動を除く、大勢のウマ娘を引き連れて行動するということが禁止されてしまったわけなのだが。

 

「あれに懲りたら、自分はちゃんとツッコミ役だということを自覚してゴールドシップの相方を努めるんだね」

 

「貴方は一体何を言ってますの?」

 

 ちっ、ダメか。体よくツッコミ担当を押し付けられると思ったのに。

 

「もう、お二人とも。今日私のレースなんですよ? どうして漫才をされているんですか?」

 

 ターフに姿を現した体操服姿のダイヤは、僕達を見つけると真っ先にこちらに近寄ってきた。

 一連の会話を聞いていたのかは知らないが、彼女は心なしかげんなりしているように見える。よし、ツッコミ担当は彼女に押し付けよう。

 

「漫才してるとかしてないとかそれは置いておいて。今日は初めての重賞レースだ。気分はどうだ?」

 

「はい、バッチリです! でも、やっぱりどこか緊張しちゃって……」

 

「ダイヤさん、大切なのは自分自身を誰よりも信じることですわ。まずは落ち着いて深呼吸。はい、ひっひっふー」

 

「ひ、ひっひっふー」

 

 こいつわざとやってるのか? 

 深呼吸でラマーズ法を促すとかそんなベタなボケされてもツッコんでいいのか判断に困る。

 

「ふぅ……なんだか少し落ち着いてきました」

 

 本当に落ち着いたの? それお産の時のやつだぞ? 

 

「ま、まあ君がそう言うなら大丈夫なんだろ。重賞とはいえ、あまり体を縮こませないこと。いつもと同じように走るんだ。いいね?」

 

「はい! それでは行って参ります!」

 

「ファイトですわー!」

 

 ダイヤはゲートに向かうべく、僕達の下を離れた。

 ここを勝てば文句無しに皐月賞へ挑戦できる。今は彼女の安全と勝利を願い……

 

「あ、そうだ。ダイヤ、一番大事なことを伝え忘れてた」

 

「っとと、一番大事なことですか?」

 

 僕の急な呼び止めに、ダイヤも急ブレーキをかける。

 

 レースを走る上で一番大切なこと。それは人によってそれぞれ違う。

 勝つこと、ファンを集めること、そのレース自体に参加すること。

 もちろんそれらは大事だが、まだレース経験の浅いダイヤにはやはりこれが一番大切だろう。

 

「楽しんで走ってこい!」

 

「っ、はい!」

 

 拳を突き出す僕に呼応するように、ダイヤも同じポーズで今日一番のいい返事を返し、ゲートへと向かった。

 

 そんな彼女の姿は、かつてのマックイーンの姿と被って見えて……

 

「……? なんですか、私の顔をジロジロと見て。私に見惚れるのは構いませんが、今はダイヤさんのレースに集中するべきです」

 

「うーん、今更だけどやっぱ君あの有の後から遠慮なくなったよね?」

 

「ええ。だって私には走る理由ができたんですもの」

 

「へぇ、どんな理由?」

 

「それは秘密ですわ!」

 

 なんでそんなこと自信満々に言ったんだよ。気になるじゃんか。

 

 秋シニア三冠を叶えたマックイーンの走る理由か。

 なんだろう、ライバルであるトウカイテイオーに勝つといったところか。

 

 レース場にファンファーレが響き渡り、出走するダイヤ含む九人がそれぞれ枠入りを済ませる。

 

『最後にサトノダイヤモンドが収まって態勢出来上がります』

 

「あっ、トレーナーさん、そろそろ始まりますわよ!」

 

 おっと、いけないいけない。

 マックイーンの走る理由は大切だが、今は目先のことに集中しなくてはならない。

 

 今回のレースはGⅢであるきさらぎ賞。京都レース場の芝1800m。

 向正面直線を延長した2コーナー奥のポケットからのスタートとなる。そこから3コーナーまでの直線が約900mと長い特殊なコース形態だ。

 二つしかコーナーが無く直線が平坦なこともあり、各ウマ娘の上がり差がつきにくい。

 そのため最後の直線だけで差し切るのは難しく、差しや追込のウマ娘はペースが緩んだところで前と差を詰めておく必要がある。

 

 基本的に差しを得意とするダイヤ。外回りということもあり差しはかなり有利ではあるがはたして。

 

『スタートしました。サトノダイヤモンド好スタートを切りました。クロムカップボードもいいスタートです。まずは向正面いっぱいに使っての先行争いですが……』

 

「よしっ、いいスタート!」

 

 綺麗なスタートを切ったダイヤは、先行争いに参加することなくすっと後ろに下がる。

 その隙に他のウマ娘が前に出て、結果的にダイヤは中団より少し後ろに控える形となった。

 

『過去二戦はいずれもノーステッキ、真価が問われるサトノダイヤモンドが後方四番手、それから後ろに二番の……』

 

「ダイヤさん、理想的な位置取りですわね」

 

「ああ、このまま冷静さを保てれば……」

 

 最初の長い直線でダイヤは良い位置をキープしつつ、先頭のウマ娘は3コーナーの外回りコースに入る。

 

『先頭は五番のインザストーレートです。サトノダイヤモンドは中団でまもなく前半の1000mを今通過、59秒から1分。予想よりは速いペース、平均ペースで流れています。ピンクのゼッケン、サトノダイヤモンドはいつ仕掛けるのか』

 

 ダイヤは未だ中団、そろそろ仕掛けなければ厳しくなってくる。

 

 そう思ったのも束の間、1200mを通過したあたりでダイヤが少し加速した。

 

「トレーナーさん、これなら……!」

 

「ダイヤ、仕掛けたな。後は前のウマ娘達にブロックされなければいいんだが……」

 

 じわりじわりと前と差を詰め、最終コーナーを回り最後の直線へと入る。

 

 前にはウマ娘が三人。ダイヤの末脚ならこの娘達を避けて前へ出ることは容易いはずだ。

 

「ダイヤさーん! そこですわー!」

 

「ダイヤー! 一気に差せー!」

 

 僕とマックイーンの声援が届いたのか、ダイヤは少し笑みを浮かべて本格的にスパートをかける。

 

『サトノダイヤモンドはまだ保ったまんま! 額に光るダイヤの印! サトノダイヤモンドが上がってきた!』

 

 一気に先頭に躍り出たダイヤはそのままの勢いで後方との距離を突き放す。

 一バ身、二バ身。こうなっては無重力状態だ。

 

『外から他のウマ娘も上がってくるが、先頭は抜けた! サトノダイヤモンド! これぞ煌めく逸材だ! サトノダイヤモンド完勝!』

 

「よっし! 勝った!」

 

「流石はダイヤさんですわ! 二着に三バ身以上離してのゴールだなんて!」

 

 初の重賞レースだというのに、これだけの強さを見せつけての完勝。それもここまで三戦無傷。

 いやはや、我が教え子ながら末恐ろしいな。

 

 歓声が溢れ、それに手を振り応えるダイヤ。

 そんな彼女はこちらに気がついたようで、出走前と同じく駆け足でこちらに向かってくる。

 

「トレーナーさん、マックイーンさん、私やりました! 一着です!」

 

「おめでとうございます、ダイヤさん。最後の直線、素晴らしいキレ味でしたわ」

 

「おめでとう、ダイヤ。これで三連勝、無傷でクラシック戦線に挑むことになるな。溢れる才能、原石がついに輝きだすってところか」

 

「そ、そんな、大袈裟ですよ。この勝利は、普段指導してくださってるトレーナーさんやマックイーンさんのおかげです」

 

 褒められ慣れてないのか、ダイヤは体を捩らせて赤い顔をする。

 別に大袈裟でもなんでもなく、ダイヤはとてつもない才能を有している。

 百億歩譲って僕の指導が良かったとしても、最後の直線の伸びは彼女の才能、そして人並み以上にしてきた努力の賜物だ。

 そこななんの疑いはない。

 

「あっ、私そろそろ行きますね。ウイニングライブの準備もしなきゃいけないので」

 

「おう、ちゃんと水分補給と汗の処理忘れるなよー」

 

「わ、分かってますから! そんなこと大きな声で言わないでください!」

 

 ダイヤは先程とは別の意味で赤い顔をしてターフを去っていく。

 

 はて、僕は何かまずいことを言っただろうか。

 水分補給はもちろん、汗の処理だって大切なことだ。それを怠ると風邪を引きかねない。

 

「……貴方、そういうデリカシーの無いところは昔から変わっていませんわね」

 

「え、でも大事じゃん、汗の後処理」

 

「はぁ……」

 

「わ、悪かったよ、僕が悪かった。だからそんなゴミを見るような目はやめてくれ」

 

 正直ちょっと狙ったところはある。

 あれだ、やるなと言われたらやりたくなるやつ、カリギュラ効果に違いない。

 

「それにしても、無敗でクラシックに挑戦だなんて、なんだか懐かしい気持ちになりますわね」

 

「そうだな。なんせ、君のライバルであるトウカイテイオーもそうだったんだ。それもここまで快勝と来た」

 

 骨折で菊花賞を回避したとはいえ、トウカイテイオーは皐月賞と日本ダービーも無傷で冠を頂戴している。

 トウカイテイオーの他にミホノブルボンや『皇帝』シンボリルドルフ、さらにはあの伝説的な『英雄』もクラシックを無傷で挑戦している。

 

 そんな彼女達と同じ条件のダイヤが注目されないはずがない。

 

「もしかしたら本当に叶えちゃうかもな……無敗の三冠」

 

「……ええ、是非叶えてほしいですわね。私も、怪我でダービーに挑戦できなかった身であるので……」

 

「…………さ、なんだか湿っぽい話になってきたし、そろそろ僕達も移動するか。ダイヤが重賞を制覇して初のウイニングライブ、思いっきりサイリウム振って応援しようぜ」

 

「そうですわね。今はダイヤさんの重賞制覇を目一杯喜ぶべきですわ」

 

 才能溢れるダイヤモンドの原石。

 それは、ターフでもステージの舞台でも常に光り輝いており、見る者全てを魅了していた。

 ダイヤが今後どのようなレースを見せてくれるのか、トレーナーである自分も楽しみで仕方ない。

 

 ………………ん? そういえば、今日はダイヤの重賞レースだというのに、キタサンブラックの姿を見かけなかったな。

 

 ここは京都レース場、東京からはかなり離れているが、たとえ遠くてもダイヤはキタサンブラックの応援に毎回行っていた。

 前回のダイヤのレースの時はキタサンブラックもレースを控えていたため、あの場にいなかったのは分かる。

 でも、彼女の次のレースは大阪杯であり、今回応援に来る分には余裕があるはずだ。

 

 僕達と別行動をしているとも考えたけれど、その考えは一瞬で切り捨てた。

 レース場には大勢の人がいるのだから気がつかないのも仕方ないかもしれないが、彼女ほど目立つウマ娘を一回も見かけないというのもおかしい。

 

 チームは違えど、彼女達は親友であり『ライバル』なはず。

 それなのになぜキタサンブラックはいないのだろうか……? 

 

「トレーナーさーん、先に行ってしまいますわよー?」

 

「ごめん、今行くよ」

 

 まあそれは気にしすぎても仕方のないこと。

 僕はマックイーンとサイリウム片手にウイニングライブが行われる会場へと足を運んだ。

 

 

 



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勝負服

 

 

 

「キタちゃん、お茶入れとくね」

 

「……ありがと、ダイヤちゃん」

 

 阪神レース場。今日はGⅠレースである大阪杯が開催される日。

 私の親友でありライバルのウマ娘、お祭り仕様の勝負服を見に纏うキタサンブラック、もといキタちゃんは五番人気での出走となる。

 

 これまでにキタちゃんはGⅠレースを一勝しており、GⅡのレースだって二勝もしている。

 やっぱりキタちゃんは凄い。幼い頃から見続けている背中は今でも尚大きく感じる。

 

「キタちゃん、今日のレース頑張ってね。応援してるから」

 

「……うん、最近ダイヤちゃんの調子も良いんだし、あたしも頑張らないと。よし、勝つぞー!」

 

 そう言ってキタちゃんは笑顔を作る。

 

 それが私にとてつもない違和感を感じさせた。

 なぜなら、普段屈託のない笑顔を見せるキタちゃんが笑顔を『作っている』のだ。

 小さい時から一緒だったから分かる。今のキタちゃんの笑顔は本心からの物じゃない。

 

 思えば、この違和感は少し前……いや、かなり前から感じていた。

 具体的には去年キタちゃんが走ったクラシック戦線辺りから。

 

 違和感を感じつつも、自分ではどうにもできないもどかしさがあり、こうしていつものようにレース前にお茶を入れてあげるくらいのことしかできない。

 

 そんな違和感を払拭してくれるよう、キタちゃんの勝利を願ったのだが……

 

 

 

『キタサンブラックは二着! クビ差での惜敗です!』

 

 

 

 結果は二着。悪くはないが、素直に喜べる結果でもない。

 

 レースを終え、トボトボと控え室へと戻るキタちゃんに私はようやく追いつく。

 

「キタちゃん……その、惜しかったね。でも次は絶対勝てるよ!」

 

「……勝たなきゃいけないのに……」

 

「……キタちゃん?」

 

 負けたのだから、案の定キタちゃんの顔は暗かった。でも、それにしてもなんだか様子がおかしい。

 

「…………あの人に勝たなきゃいけないのに……」

 

「キタちゃん」

 

「………………こんなところで負けてられないのに……っ!」

 

「キタちゃん!」

 

「わわっ、ダイヤちゃん!? いつからそこに……」

 

「ずっと呼んでました。反省するのは大事だけど、思い詰めすぎるのも良くないよ?」

 

「っ……そ、そうだよね。あはは、あたしらしくないや……」

 

 やっぱりキタちゃんはなんだか空回り気味だ。

 

 少しでも力になりたい。だってライバルなんだから、親友なんだから。

 

「キタちゃん、次のレースは決まってるの?」

 

「次は……多分春の天皇賞。トレーナーさんにはまだ言ってないし反対されるかもだけど……」

 

「そっか。大丈夫、〈スピカ〉のトレーナーさんならきっと分かってくれるよ! 次こそ勝とう!」

 

「…………ただ勝つだけじゃ駄目だよ……」

 

「……? どうしたの、キタちゃん?」

 

「ううん、なんでもない! あたしウイニングライブの準備しなくちゃ! また後でね、ダイヤちゃん!」

 

 そう言ったキタちゃんはいつもと同じように見えた。

 

 そうだ、キタちゃんも苦しいけど頑張ってるんだ。

 私も春のクラシックレースを頑張らなくては。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ダイヤー! マックイーンを抜かして前へ出ろー!」

 

「はい!」

 

 皐月賞まで残り一週間とちょっと。その日が近づくにつれ、ダイヤはますます気合を入れてトレーニングに励んでいた。

 

 目標である皐月賞は2000m、デビュー戦とその次のレースも2000mだったため距離の心配は無いはずだ。

 末脚の切れ味も前走のきさらぎ賞を見ていたら分かる通り、抜群の状態に近い。

 ダイヤ自身には何の問題も無いと言っていいだろう。

 

 敢えて問題をあげるとするならば、それは対戦相手がダイヤに負けず劣らずの実力者ということ。

 皐月賞の前哨戦である弥生賞を勝ったウマ娘、GⅠである朝日杯FSを勝利したウマ娘など、侮れない相手ばかりとなる。

 

 特に弥生賞という皐月賞と全く同じ条件のレースを勝利したウマ娘は要注意だ。

 習うより慣れろという言葉があるように、その娘は一度レースを経験しているようなもの。

 

 それでも焦りは禁物。

 タイムリミットまで時間はないが、あまり根を詰め過ぎず、落ち着いた状態で出走できるといいが……

 

「っ、はぁ、はぁ……。トレーナーさん、マックイーンさんとの併走トレーニング、終わり、ました……」

 

「お疲れ様。はい、水分補給」

 

 ダイヤにスポーツドリンクを渡すと、彼女はそれをゆっくりと飲み干す。

 かなり全力を出し切ったようで、ここに来るまでには既に息絶え絶えだった。

 

 一方でマックイーンはというと、多少息は乱れているものの、まだまだ余裕の表情だった。

 当たり前だが、やはりまだマックイーンとダイヤの間には埋まらない実力がある。

 

「マックイーンもお疲れ。ほいっ」

 

「ありがとうございます、トレーナーさん」

 

 ナイスキャッチ。

 スポーツドリンクを投げて渡すと、マックイーンは片手でパシッと綺麗にキャッチする。

 

「どう感じた? ダイヤの走り」

 

「日に日に成長を感じますわ。この調子ならば、皐月賞で十二分に実力を出せると思います」

 

「そっか、それは良かった。マックイーンもいい走りだったよ。相変わらず綺麗な走りだ」

 

「そんな、お嫁さんにしたいだなんて照れますわ……」

 

「言ってないからね?」

 

 どうにもマックイーンは老化が激しいらしい。

 最近では記憶の捏造の他に、このように幻聴まで聴こえてしまっているようだ。

 我々人間とは根本的に作りの違うその長い耳は飾りか何か? 

 

「トレーナーさん、今日の私の走りはどうでしたか?」

 

 休憩を終えたようで、呼吸を整えたダイヤは先の走りの出来を聞いてくる。

 

「日に日にキレが増してるよ。それに息の入りもいい。マックイーンと併走した後地べたに倒れ伏してたあの時とは大違いだ」

 

「そんなこともありましたね……」

 

「この調子でトレーニングを続ければ皐月賞は充分勝ちを狙える……というわけで、今日のトレーニングはここまで」

 

「えっ、なぜですか?」

 

 ダイヤはまだまだ走る気満々だったらしく、僕の急なトレーニング終了宣言にきょとんとしている。

 

「ダイヤさん本人に自覚は無いかもしれませんが、これ以上トレーニングを続けると、今の貴方にはオーバーワークですわ」

 

「で、でも本当に身体は大丈夫ですって……」

 

「マックイーンの言う通りだ。なんでもやり過ぎはよくない。最悪の場合怪我に繋がるし、もしこの時期に何かあったら皐月賞はおろか、その後のダービーにだって響くよ」

 

「むぅ〜……」

 

 納得いかないか。

 気持ちは分かる。目標としているGⅠレース勝利、その悲願を叶えるためにも必死になってしまうのも仕方がない。

 だが、ここでトレーニングをやめさせるのもトレーナーの仕事だ。レース数日前に過負荷をかけてはならない。

 

 ふむ、だったら言い方を変えてみよう。

 

「なあ、ダイヤ。GⅠレースを走る上で欠かせない物ってなんだと思う?」

 

「GⅠを……えっと、心構えでしょうか? 大舞台に立つということの覚悟を持つ、とか?」

 

「うーん、まぁそれも大事なんだけど」

 

 残念ながら今回の質問の答えはそれじゃない。

 精神論の話はまた今度。今はもっと現実的な話だ。

 

「ダイヤさん、もっと頭を柔らかくして考えてみてください。GⅠレースに出走するウマ娘全員が身につけている『あれ』ですわ」

 

 マックイーンはいち早く気がついたようで、ダイヤに的確なヒントを出す。

 ダイヤもようやく気がついたようで、何故今まで気がつかなかったのだろうという表情をした後、僕の方を見て目を輝かせた。

 

 そう、GⅠ以上のレースでは着用が義務付けられており、ウマ娘それぞれのイメージや感性に合ったデザインがなされているそれは……

 

「勝負服!!」

 

 

 

 

 

 勝負服。それはウマ娘によって様々な物がある。

 

 例えばマックイーン。

 彼女は黒を基調としたドレスのような豪華なものと、白を基調としたこれまた煌びやかなものとなっている。

 

 白い勝負服はともかく、黒い勝負服についてチラリとおへそが見えていることを指摘したら蹴られたことがある。

 あれはいわゆるファッションというもののようだ。

 

 最初に与えられる勝負服は基本的に一着だが、マックイーンのように多大な功績を残したり、何か限定的なイベントに参加するとレースで使える勝負服が増えるらしい。

 

 なぜ『らしい』かというと、後者の方に関しては僕もよく分からないからだ。

 この前なんか水着で走っているウマ娘を見て目を疑った。

 

 そんな格好で走りづらくないかと思う勝負服も多々あるが、ウマ娘にとって勝負服は晴れ着とも言える特別な衣装だ。

 一見走りにくそうだったとしても、本人達曰く「不思議な力が漲る凄い服」、とのことだ。僕にはよく分からん。

 

「こ、これが私の勝負服……!」

 

 トレーニングを切り上げてトレーナー室に移動した僕達は、早速ダイヤの勝負服のお披露目会へと移行する。

 ダイヤは重厚な箱から綺麗に折り畳まれた一着の豪勢な服を取り出して目を輝かせていた。

 

「遅くなって悪かったね。ダイヤの勝負服は豪華な分届くのが遅れちゃって」

 

「いいえ、そんなことはないです。こうして私のために用意してくださったんですから」

 

 えらく気に入ったようで、ダイヤは自分の勝負服を抱きしめて恍惚な表情をしている。

 

「そっか。それじゃあ試着といこうか。着付けの仕方は教わったから……」

 

「私がやりますので貴方は出ていきなさい!」

 

 何を勘違いされたのか、僕はマックイーンによって部屋から叩き出されてしまう。

 

 なにぶん派手な勝負服だ。きちんと着るには時間と技術が必要となってくる。

 そのため、業者さんからの注意事項を伝えておくつもりが、マックイーンにあらぬ誤解をされてしまったようだ。

 決してダイヤにやましい気持ちを抱いているわけではない。……ほんとだよ? 

 

 多少時間はかかるだろうが、マックイーンがいるんだ。ダイヤの勝負服の着付けに関しては問題無いだろう。

 

 ……まあ、それはそれとして

 

「ったぁ……。あんな全力で押し出さなくてもいいじゃん」

 

 部屋から叩き出された僕は、ものの見事に廊下へとうつ伏せになっていた。

 そろそろ彼女には加減というものを覚えてほしい。

 

 いつまでも間抜けな体勢でいるのも仕方がないか。ここは大人しく廊下に立っていよう。

 

 そう思い天井のシミの数を数えていると、何やら大荷物を持った二人の人影が現れる。

 

「何やってんだお前。宿題忘れたのか?」

 

「僕はのび太君じゃねぇよ。いやなに、部屋でダイヤが勝負服着てるから叩き出されたってわけ。君達こそ、そんな重そうな荷物持ってどうしたの?」

 

 現れたのはトウカイテイオーとゴールドシップ。

 なんだか珍しい組み合わせだと思ったが、そもそもこの二人は同じチームだ。なんらおかしなことはない。

 

「ボク達はちょっとトレーナーの部屋にこの荷物をね。ほら、キタちゃんのレース近いでしょ? だからチーム一丸となってサポートしてあげなくちゃ」

 

 そう言ってトウカイテイオーは荷物の中身を見せてくる。

 その中には蹄鉄やタオル、プロテインにダンベルにシューズなど、トレーニングで使う道具ばかりだった。

 

 大人数のチームはこういうところが強い。レースが近いメンバーのために手の空いてるメンバーがサポートをする。

 まさに理想的なチーム像だ。

 

「にしても、ダイヤもクラシックデビューか……。アタシも見に行きたかったなぁ」

 

「うん、マックイーンにも言ったけど自分達が原因だってこと忘れないでね?」

 

 まるで他人事のように話すゴールドシップ。

 その姿はこの前のマックイーンと似ていた。やっぱり似た者同士なのかもしれない。

 

 マックイーンに聞かれたら殺されそうなことを考えていると、トウカイテイオーは耳を動かして期待するように僕に話しかける。

 

「どう、ダイヤちゃん。勝てそう?」

 

「ああ、それはもう充分に。他の出走メンバーも強力だが、その中でもダイヤは一層目立ってる。間違いなくあの娘は一番人気だろうね」

 

「そっか。君にそれだけの自信があるってことは、ダイヤちゃんには才能も努力も揃ってるってことだ。じゃ、後ダイヤちゃんに必要なのは……」

 

「トレーナーさん、ダイヤさんの着付け終わりましたわ……って、あら、テイオーにゴールドシップ。こんなところでどうされたの……ちょ、テイオーやめてください! どうして私を叩くんですの!?」

 

 トウカイテイオーが格好つけているところに、マックイーンは狙ったかのようなタイミングで戸を開けて割り込む。

 それにより、マックイーンは無言でトウカイテイオーに叩かれていた。

 

「そんなことよりマックイーン、もう入っていいのか? ちゃんと着せられた?」

 

「ええ、それはもう完璧ですわ。早く見てあげてください」

 

 マックイーンの言う通り、僕は一度追い出された部屋へと舞い戻る。その時、ついでにトウカイテイオーとゴールドシップも付いてきた。

 

 部屋に入って真っ先に目に入ったのは、勝負服を来たダイヤ……

 

「ど、どうでしょうか……?」

 

 緑を基調としたドレスのような勝負服。

 清楚なイメージが強いダイヤにはピッタリな勝負服と言えるだろう。

 

「おお、似合ってんじゃねぇか!」

 

「うんうん、とっても似合ってるよ、ダイヤちゃん!」

 

「あ、ありがとうございます! テイオーさん、ゴルシさん!」

 

 ゴールドシップとトウカイテイオーはダイヤの勝負服姿を見てベタ褒めしている。

 着付けも完璧なため、僕が教えるより最初からマックイーンに任せておいた方がよかったかもしれない。

 

「……あの、トレーナーさんはどうですか?」

 

 ダイヤは一言も言葉を発さない僕に不安を感じたのか、上目遣いで己が勝負服姿が似合っているかどうかを聞いてくる。

 

「あ、ああ、とっても似合ってるよ。緑色のドレスに後ろの腰についてる大きなリボン。さらに長い萌え袖の先のフリルが、より可愛らしさを強調させてる。耳飾りと菱形のマークのマッチングも素晴らしいし、どこかの貴族のダンスパーティーに参加していてもなんら違和感ない……」

 

「わ、分かりました! 分かりましたからもういいです!」

 

 おや、これでもまだ言いたいことの半分も言えてないのだが。ダイヤが赤い顔をして恥ずかしそうにしているのでここらへんでやめておくか。マックイーンの視線も怖いし。

 

「にしても、クラシックってことはダイヤの次のレースは皐月賞だよな?」

 

「はい。私、GⅠの舞台で走れるのが嬉しくって……」

 

「よっしゃ! なら勝ちの極意を教えてやろう! なんせアタシは皐月賞勝ってるからな!」

 

 意気揚々とどうすれば皐月賞で勝てるのかを語り出すゴールドシップ。

 彼女の言う通り、ゴールドシップは皐月賞を勝っている。実際に勝ったウマ娘から話を聞くのはとてもためになるだろう。

 

「バ場が荒れてて、他の奴らが4コーナーの外を回ってる時がチャンスだ! そこでインを強襲してやれ! 外回ってる連中一気にゴボウ抜きできるぜ!」

 

「そんな無茶苦茶できるの貴方くらいしかいませんわよ! もっとダイヤさんのためになるような話を……」

 

「イメージとしてはマリカーでキノコ使ってショートカットする感じだな」

 

「聞いちゃいませんわこの人!?」

 

 ……ゴールドシップは参考にならなさそうかな。

 そもそも、彼女の勝ちレースである皐月賞が常識外れだ。最初見た時は何が起こったのか分からなかった。

 

「ダイヤちゃん、問題無さそうだね」

 

「今の見てどう問題無いことを判断したのかは分からないけど、ダイヤの調子は万全。絶好調さ」

 

「そっか、なら後は運だけだね」

 

「そうだな。レースで勝つためには才能と努力、そして運。この三つが揃ってないと」

 

「……それボクが言おうとしていたことなのに」

 

 トウカイテイオーは頬を膨らませて拗ねてしまった。

 僕は悪かったよと一言入れてから、ダイヤ達の輪に混ざっていくトウカイテイオーを見送る。

 

 

 以前誰かから聞いたことがある。レースで勝つ、それもクラシックレースを勝ち進むには、先の三つの要件が重要になってくるということを。

 

 ダイヤの潜在能力は申し分なく、末脚の切れ味なら、あのマックイーンにも引けを取らない。さらに、毎日人並み以上にしている努力。

 

 そして最後に試される運。こればっかりは事前準備等ではどうにもならない。

 だが、運ではないけれど毎日のトレーニングは必ず自信に繋がる。そこに間違いはないはずだ。

 

 まあ、近いうちに一応神社に参拝は行っておこうか。

 都合の良い時だけ神頼みだというのもなんだが、出来ることはやっておかなければ落ち着かないしね。

 

 

 



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星に願いを

 

 

 

「階段なっが……」

 

 ダイヤの勝利を祈るため、神社へと続く長い階段を上る。

 明日は皐月賞だ。じっとしていられるはずがない。

 

 四月半ばとはいえ、日が沈むと寒いと感じるほどまで気温が下がってしまう。

 それでも真冬レベルかと言われたらそうではないので、ある程度軽めの服装で動くことができるのがこの季節の利点だ。

 寒すぎず暑すぎず、特に服装などを気にしなくても良い。まあ僕は年がら年中仕事のためにワイシャツなのだが。

 

 そんな夜風に当てられていると、春のGⅠレースは既に本格的に始まっているのだなと感じさせられる。目標としている皐月賞が目前だということを意識せざるを得ない。

 まだやれることはあるのではないか、やり残したことがあるのではないか。階段を一段上る度にそんな考えが頭を過ぎる。

 

 ……しかし思ったより長いな、この階段。こうも長いと上りと下りで段数が違うのではないか? いっそ今から一番下まで下りて段数を数えに……

 

「トレーナーさん?」

 

 と、振り返った途端見覚えのある顔と聞き覚えのある声で我に帰る。何を馬鹿なことをしようとしているんだ、と。

 

「とと、ダイヤじゃないか。どうした、こんな時間に。門限はもう過ぎてるはずだけど?」

 

「はい、それは大丈夫です。寮長さんに外出届けを提出済みですので」

 

 今日のトレーニングが終わってから着替える時間は充分にあったにも関わらず、ダイヤはジャージ姿のままだった。

 それが意味することとは……

 

「……もしかして今まで自主トレしてた?」

 

「……そんなことないですよ?」

 

 おい、目を逸らすなこっち向け。

 マックイーンもそうだが、この子達は嘘をつくのが下手くそすぎやしないだろうか。

 

「軽めの自主トレなら問題ないけど、あんまり負荷のかかることしてると、明日にどんな支障をきたすか分からない。するなら相談して欲しかったな」

 

「う……すみません……」

 

 ダイヤはシュンと項垂れ、なんだか僕が悪いことした気分になってしまう。

 

「あー……まあ見たところ問題は無さそうだし、くれぐれも無茶さえしないでもらえたら大丈夫なわけだから、そんなに凹むことないって言うか……」

 

「本当ですか? 分かりました、私この調子で頑張ります!」

 

 ……えっ、嵌められた? 罪悪感沸き立たされて嵌められた? 

 

 そう思ってダイヤを訝しげに見たが、当の本人はキョトンとしていた。どうやら天然らしい。

 彼女はたまにこのような天然っぷりを見せる時もあれば、何時ぞやの入学式のような誰かを試す狡猾な時もあるので、そこら辺の判断が難しい。

 

 ダイヤに軽く恐怖しながら、僕達二人は神社への階段を上る。

 

「それにしても、トレーナーさんはどうしてこちらへ? この先は古い神社しかなかったはずですけど……」

 

「その古い神社に用事がな。ほら、明日は皐月賞だろ? ダイヤが無事に勝利を掴めますようにってね」

 

「そうなんですか……?」

 

 そう言ったダイヤの足は一瞬止まる。

 

「ああ、そうだよ。てか、そんな意外なことでもないでしょ。神頼みとはいえ、担当ウマ娘の勝利を願うのは当然だって。そういうダイヤもお参り?」

 

「はい、明日はどうしても勝ちたいので……」

 

「だったら早くお参りして早く寝ることだな。さ、立ち止まってないで行こうぜ。こんなところでダラダラしてたら日が昇っちゃう」

 

「……私のために……」

 

「……ダイヤ?」

 

「い、いえ、なんでもありません! 行きましょう!」

 

 そう言ってダイヤはずんずんと階段を上っていく。

 照れ隠しか? と揶揄いたい。とても揶揄いたい。

 でもそれをやってしまうと階段から突き落とされて病院送りになってしまうだろう。

 

 先に先にと前を行くダイヤを追うように階段を上り、ようやく頂上の神社へと辿り着く。

 しかしあろうことか、ダイヤは階段を上ってすぐのところで立ち止まっていた。

 

「ん? どうしたの?」

 

「あの……神社にお参りって何をすればいいんでしょうか?」

 

 あれま、彼女は何をするかも分からないのにここに来てしまったらしい。

 

「定番っちゃ定番だけど、やっぱりお賽銭かな。ほら、神社の前に箱があるだろ? あそこにお金を投げ入れるんだ」

 

「お金を……分かりました、私やってみますね」

 

 ダイヤは賽銭箱に近づいて財布を取り出す。

 そして僕の言ったようにお金を取り出し、それを賽銭箱へと……

 

「待って、ちょっと待って。その手に持ってるものは何?」

 

「え? 何ってお金ですけど……。これじゃあ足りませんでしたか?」

 

「逆だよ逆、多すぎるんだよ! 一回のお参りで一万円札ぶち込んでたら破産するわ!」

 

「でも今持ち合わせがこれしかなくて……。カードでお賽銭はできないのかな……?」

 

 そんなことしたら神様はブチギレるんじゃないかな。

 神社のお参りに使うお賽銭がキャッシュレスでできてしまったら雰囲気もクソもない。

 

 ダイヤの天然という名のボケに反応していては埒があかないので、とりあえず彼女に十円玉を渡す。

 

「トレーナーさん、これは……」

 

 その際、ダイヤは目を輝かせていたが、どうせ十円玉を見たことがないとかそんなところだろう。

 十円玉に関する知識は表側に描かれている建造物くらいしかないが、何か聞かれたらそれくらいは説明してやろう。

 

「この綺麗なコイン、私の一万円札と交換していただけませんか?」

 

「んんっ!?」

 

 予想の斜め上の反応をされたことに、喉から奇声が発っせられる。

 しかも今コインって言ったぞ。これをお金だと認識していない。

 

 流石に千倍もの価値の差があるものを交換するわけにはいかないので、僕はノータイムで首を横に振る。

 

「ダイヤ、これは十円玉だ。君の持ってる諭吉とは千倍もの価値があるからな?」

 

「これが十円玉……私、初めて見ました……!」

 

 うん、まあそんなことだろうとは思ってた。

 

「と、とにかく! お賽銭はそのくらいの少額でいいんだ。多くて五百円くらいかな。お金を投げ入れて、二礼二拍手一礼。もっと細かくやるんだったら鳥居を潜る前に会釈したり手水をとったりするんだけど、今回は無しで」

 

「結構大雑把なんですね……」

 

 細かいことはいいんだよというやつだ。神様もそこら辺は見逃してくれる……はず。

 僕達は硬貨を賽銭箱に投げ入れ、二回の礼の後に二回の拍手をする。

 

 明日のレース、ダイヤが無事に走り切り、勝利を飾れますように。

 

 そう祈って、最後に一回礼をして神社を後にするため階段を下りる。

 サトノ家のお嬢様にとって初めての参拝は上々だったようで、ダイヤは満足そうな顔をしていた。

 彼女の髪にくっきりと模様がついている菱形が月夜の光によって晒されており、つい綺麗だなと感じてしまう。

 

「トレーナーさん、どうかされましたか? 私の顔に何か変なものでもついてますか?」

 

「……いや、聞くまでもないかもしれないけど、ダイヤはお参りする時なんて願ったのかなって思ってさ」

 

「え、お参りする時って何か願わないといけないんですか!? どうしよう……私何も考えてなかった……」

 

「そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても……。大丈夫だよ、君の分は僕が願っといたから」

 

「……」

 

 励ますつもりで言ったのだが、ダイヤはなぜか暗い顔をしてしまった。

 

 今日のダイヤはなんだかおかしい。今もそうだが、会話と会話の途中で彼女の顔が曇る。

 

「……何か悩み事か?」

 

「えへへ、やっぱり明日のことを考えるとどうしても不安になってしまって……」

 

 基本おおらかな性格をしているダイヤでも、初のGⅠともなると緊張を通り越して不安や懸念を抱えてしまうようだ。

 

 それはそう、以前ダイヤ本人が言っていたが、GⅠ勝利というのは彼女の目標だ。

 詳しいことは知らないけれど、歴代サトノ家に産まれたウマ娘はGⅠを勝てていないらしい。

 そしてダイヤはサトノ家に久方ぶりに産まれたウマ娘、それはもう多大な期待を寄せられている。プレッシャーを感じないはずがない。

 

「出走登録されているウマ娘の戦績やレースのタイムを見たけど、現状贔屓目抜きにダイヤが優勝候補だ。多分、一番人気だろうね」

 

「……そうですか。だったらその一番人気に応え……」

 

「でもそんなの関係ない。気にせず走れ」

 

「……え?」

 

 かけられる言葉が意外だったのか、ダイヤは目を丸くして僕の方を見る。

 

「苦しい時や悩んでる時こそ、きちんと自分の気持ちと向き合う。そして自分がどういう走りをしたいのか、なんで走っているのかを今一度見つめ直す。家のことも大事だが、君自身の個人的な目標もあったはずだ。君の走る理由はなんだったっけ?」

 

「私は……レースで勝って家族を喜ばせて……そしていつか、キタちゃんに勝ちたい……!」

 

「よく言った。その気持ち絶対に忘れるんじゃないぞ」

 

「はい! 私、明日のレース頑張ります!」

 

 よし、これでダイヤのメンタル面は問題無いだろう。

 

 今一度目標を見つめ直すことは大切だ。そしてその目標は達成するにつれて別のものへと形を変えていく。

 これが一年後二年後にどうなっているのか、それはダイヤ本人にも分からない。

 

「それにほら、なんだ。もし明日負けてもあんまり気にしすぎるなよ。君の憧れであるマックイーンだって負けることはあるんだから」

 

「……トレーナーさんは私のことを信じてくれてないのですか?」

 

 うーん、個人的にはこれも励ましの一環だったのだが、ダイヤにはそう聞こえなかったようだ。

 もっと言葉を慎重に選ぶべきだったなと心の中で反省する。

 

「いや、ちょっとでも気楽にレースに出走してもらえればいいなって……」

 

「答えになっていませんよ? やっぱりトレーナーさんは私のことを……」

 

「ええい、そんなわけないだろ! 明日は絶対君が勝つって信じてるし、なんなら仮に負けても君の納得のいくまで一生面倒見る気概でいるよ!」

 

 もっと慎重に言葉を選ぶとはなんだったのか、その場のノリと勢いで口を動かす。

 自分で言っといてなんだがとんでもないこと言っている気がするんだけど。

 言いたくないけど、一生面倒見るとかなんだか告白っぽくないか? やめてよね、こんな発言誰かに聞かれたら最悪学園を叩き出されても仕方がないんだから。

 

 ま、まあ、幸いなことに周りにはここには僕とダイヤしかいないし大丈夫か。

 それにダイヤはこれでも天然だ。きっと今の発言について深く考えることはしないはず……

 

「トレーナーさん」

 

 下りの階段も残り僅か。最後の一段を前にしてダイヤはそこで立ち止まる。

 

「ど、どうした? ああそうだ、外出届けを出してるとはいえもう結構暗いんだし、学園まで送って……」

 

「今の言葉忘れないでくださいね?」

 

 首だけこちらに向けて小悪魔的な笑顔を浮かべ、最後の一段を下り学園の方へと走り去ってしまった。

 さっきのダイヤの顔からは天然などというものは一切感じることはなく……

 

 ……もしかして今度こそ完璧に嵌められた? あの素直で普段おっとりしていることが多いダイヤに? 嘘でしょ? 

 

「えぇ……」

 

 あっという間に遠のいていくダイヤの背中からは、マックイーンにも負けず劣らずの強者感が漂っている。

 

 これは確実に大物へと成長する。そんなことを改めて認識させられた。

 

 

 嗚呼、お星様綺麗だなぁ…………

 

 

 

 ***

 

 

 

 階段を下りきった後、全力疾走とまではいかないが学園までの距離をそれなりのスピードで走る。

 

 今日トレーナーさんがあそこにいたのは予想外だった。

 それも、明日の私のレースのために。

 

 あの人が優しいのは知っている。

 私達ウマ娘のことを第一に考えてくれている、最近ではますますそのように感じるほど、私は彼のことをよく知っている。

 

 トレーナーさんは自由な時間を割いて、私のためにとお参りまでしてくれた。嬉しく思わないはずがないし、俄然私もやる気が湧いてくる。

 こんなにも私のことを想ってくれている人がいるのだ。心が奮い立つ。

 

 目標を見つめ直して、プレッシャーが軽減された今の私に死角は無い。

 あれだけトレーナーさんとマックイーンさんと練習したんだ。後は自分で自分を信じるだけ。

 私はここを勝ってキタちゃんの背中に近づこう。

 

 

 ……それにしても

 

「一生だなんて……ふふっ、変わってるなぁ、あの人……」

 

 あのトレーナーさんの発言は心のカセットテープに保存した。

 本人にもこの言葉を忘れないでと言っているし、トレーナーさん自身もそうそう忘れることはないと思う。

 

 このことは、いつかトレーナーさんを揶揄うネタとして温めておこう。

 トレーナーさんを本当に困らせない範囲でのわがままを叶えるために脅し……お願いをしやすくするのだ。今からでもトレーナーさんの慌てる顔と、マックイーンさんが鬼のような形相でトレーナーさんを睨みつける光景が目に浮かぶ。

 

 そんな来るかどうかも分からない未来を想像していると、キラリと光る流星が視界に映り走る足を止めてしまう。

 幼い頃、本で読んだことがある。流れ星に願い事をすると、その願いは叶うと。

 

 私の願いは言うまでもない上に、その分はトレーナーさんが願ってくれたのだ。

 どうせなら、別のお願いをお星様に願っておこう。

 

 

 トレーナーさんの期待に応えられますように、っと。

 

 

「さ、帰らなくちゃ」

 

 夜ももう遅い。これ以上帰るのが遅くなったら、外出届けを出していても寮長さんに叱られてしまう。

 

 私は止めていた足を動かし、学園への方向へと駆け出した。

 

 

 

 

 …………一生かぁ。

 

 

 



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夢への一歩

 中山レース場地下バ道にて

 

 

「いよいよこの後ですわね、ダイヤさんの初GⅠレース。彼女がしてくれたように、私も声を上げて応援しなくては……って、トレーナーさん!? どうされましたの!? 

 

「……どうしよう、急に頭痛くなってきた気がするんだけど。震え止まらないんだけど」

 

「はぁ、走る本人より緊張してどうするのですか。まるで、ダイエット中によりスイーツを我慢している今の私のようですわね」

 

 わーお、かなり体張った自虐ネタですねマックイーンさん。とりあえず帰ったら走り込み頑張ろうか。

 

「大丈夫ですわ、病は気からという諺もあります。ほら、ひっひっふー」

 

「……あのさ、あえてツッコんでなかったんだけど、ラマーズ法って知ってる? それ妊婦さんがお産の時にする呼吸法だからね?」

 

「……」

 

 僕の指摘にマックイーンは顔を真っ赤にしてその場にうずくまる。

 残念ながらフォローのしようがない。

 まあなんだ、ゴールドシップに聞かれてないだけ幸運とでも思うんだな。

 

 マックイーンが恥ずかしさで固まっているのを観察していると、僕達のお目当ての人物がようやくお目にかかる。

 

「あ、トレーナーさん、マックイーン……さん? どうされたんですか?」

 

「おう、ダイヤ。マックイーンのことは気にしなくていいよ。それより、その調子だと気持ちは完全に吹っ切れたようだな」

 

「はい、昨日トレーナーさんによくしてもらったおかげです!」

 

 うーん、言い方。これじゃあ僕が性犯罪者と捉えられてもおかしくないような言い方じゃあないか。

 幸いなことに、まだ体をうずくめているマックイーンには聞かれてない。

 

 僕は一つ咳払いを入れて今の話をスルーする。

 

「そ、それより、今日は天気も良いしバ場の状態も良い。枠順も6枠11番と凄く悪いと言うわけでもない。さらに、二番人気と僅差とはいえ君は一番人気だ。やっぱりプレッシャーを感じるなって言う方が無理だろう。でも、君は今日まで人一倍努力してきたんだし、自分の走りができれば勝利は……」

 

「え、私そんなに緊張してませんよ?」

 

 おい、じゃあ昨日のナーバス気味になってた君はなんだったんだよ。言葉を選んで励まそうとしてたのがバカみたいじゃん。

 

 抗議の一つでもしたいが、何も言える言葉が無く口をむにむにさせていると、ダイヤはくすくす笑う。

 

「緊張は昨日、トレーナーさんが取り除いてくださったので」

 

 ……そんな顔でそんなこと言うのはずるいだろ。本格的に何も言えないじゃん。

 

「はいはい、私を差し置いて何を少し良い感じになっているのですか。ダイヤさん、貴方がしてくださったように、私は今日のレースも声を上げて応援させていただきますわ。後トレーナーさん、頬を膨れさせるのは似合ってないのでやめてください」

 

「なあ、最後のセリフいる? いらないよね?」

 

 どこから現れたのか、突如としてこれまで消沈していたマックイーンが僕とダイヤの間に割って入り、ダイヤに激励の言葉を送る。ついでに僕のことをディスった。

 

「私、いつか憧れのあなたのようになるために、今日のレースも頑張ります!」

 

 そう言ってダイヤは地下バ道を駆け抜けてターフへと向かう。

 

 どうやら思っていた以上に気合いは十分なようで、彼女の瞳から感じ取れる勝ちたいという意志が強く溢れていた。

 彼女自身に問題は無いだろう。後はレースの噛み合い、時の運となるか……

 

「…………憧れ……」

 

「……? マックイーン、何かあった?」

 

「ダイヤさんは……いえ、やっぱりなんでもありませんわ」

 

「なになに? そこまで言われたら気になるじゃん。ほれ、言ってみ……そ」

 

 マックイーンの言いかけたことが気になり冗談めかして聞いてみたが、彼女はそんな雰囲気で言っているわけではないことに遅れて気がついた。

 些細なこととはいえ、こんなことに即座に気がつけないなんてどうやら僕はまだ緊張が解けていないらしい。

 いっそマックイーン直伝の緊張を解す方法(笑)でも試してみようか。ひっひっふー。

 

「……では私達もそろそろ行くとしましょう。もたもたしていてはレースが始まってしまいますもの」

 

「あ、ああ」

 

 振り向いてスタンドに戻ることを促すマックイーンの表情は、先程のシリアスなものではなくいつもの様子と変わらなく見える。

 

 彼女が何を言おうとしたのかは分からない。そもそも意図して発言したものなのかすら分からない。

 でも、それを公にしないということはきっと理由があるはずだ。

 おそらく、彼女の考えていたことはあまり良いことでは無い。そしてそれが彼女の杞憂で終わることを願おう。

 

「それはそうとトレーナーさん、私このレース場で限定販売されている高級スイーツを食べたいのですが……」

 

「君さっきダイエット中って言ってなかった?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 最も速いウマ娘が勝つ。

 

 クラシック初戦、皐月賞に伝わる由緒ある格言だ。このレース、格言通り相応のスピードが要求されることは間違いないが、それだけに注視していては勝ち目は薄い。

 

 そう言われている理由としては、舞台となる中山2000mの最初と最後に位置する心臓破りの坂が原因だろう。

 正面スタンド前からのスタート直後の坂を登り、コースを一周半した後さらに最終直線でも坂が待ち構えている。

 世間に広く認知されている事実、中山の直線は短いということもあり、その坂の急さが際立っている。

 そんな「高低差200mの坂!」と叫びたくなるような急坂を登るためにも、長くいい脚を使えるウマ娘が戦術の幅を利かせやすい。

 

 端的に言えば、スピードはもちろん、パワーとスタミナも要求されるということだ。

 それらに加えてレース運びの上手さも必要となってくる。

 力技で押し切るというよりはどちらかと言うと冷静にレース展開を見定めるダイヤなら問題無いと思っているのだが……

 

 ダイヤ含む全ての出走ウマ娘がゲートに収まる。

 何度経験しても、レースが始まる直前というのは緊張が収まらない。

 

『強き者達の魂の大一番、GⅠ皐月賞……スタートしました。レオンエース16番が前、そして11番サトノダイヤモンド、三強の一角は中団手前。後方から三人目四人目が3番のハウオリです。各ウマ娘1コーナーを回って1番の……』

 

 よし、スタートは問題無い。その後の位置取りも理想的と言える。

 しかし敢えて懸念点を挙げるとするならば……

 

「先行するウマ娘、レオンエースさんというウマ娘はかかっていますわね」

 

「ああ。このレース、あの子に引っ張られてかなりハイペースなものになるな」

 

「ダイヤさんは……だいぶ、落ち着いているようですわね。余力を残して最終コーナーから上がっていく感じでしょうか」

 

「差しはダイヤの最も得意とする作戦だ。デビュー戦からきさらぎ賞、焦ることなく先行していたウマ娘を差しきれている」

 

 クラシックGⅠ初戦というのもあって張り切ってしまうのは分かるが、焦りを欠いてしまっては今までの努力が水の泡となってしまう。

 

『1000m切って58秒4、58秒4のハイペース』

 

 予想通りレース展開は早いが、1、2コーナー中間から1000mのラップタイムまで大きな順位変動は無い。

 ダイヤは相変わらず落ち着いたレースが出来ている。

 

 残り800m、依然かかり気味のレオンエースが抑えきれずに2番手から先頭に躍り出る。

 まだ焦るな。もう少し、もう少しだけ我慢だ。

 

 ダイヤよりも後続を走るウマ娘も怖いが、前方のウマ娘に惑わされ仕掛けどころを間違えることがなによりも怖い。

 しかし、残りがこのくらいの距離になってくると最後方のウマ娘は敏感に前のウマ娘に反応してくる。

 

『600を切りました。3、4コーナー中間、4コーナーにかかります。先頭は16番レオンエースに変わっている、その差は1バ身』

 

 レースは早くも最終コーナー。

 先行するウマ娘を追う形で後続のウマ娘達も次々と加速をし始める。

 我らがダイヤも前にいるウマ娘を見据えて溜めていた脚を解放する。

 

「よし、行けっ! ダイヤ!」

 

「ぶちかませですわー!」

 

 最近カワカミプリンセスとお茶会でもした? という茶々を入れる間も無く、レースを一気に佳境へ入る。

 短い直線で十分にスピードを出すためにも、最終コーナーで仕掛けたのだ。今のダイヤなら前にいるウマ娘もまとめて差し切れる。

 

『第4コーナーから直線! 11番のサトノダイヤモンドも3番手の一線まで来ました!』

 

 残りは200m。いける、この調子で直線を駆け抜けることができれば……! 

 

 

 

「っな……」

 

 その瞬間だった。

 ダイヤが横を走るレオンエースを抜かそうとした時、レオンエースの体勢が崩れる。

 幸いにも最悪の結果を産むような体勢の崩れ方ではない。レースは続行、何の問題も無かった。

 

 でも、他のウマ娘に迷惑をかけたと見做されたら話は別だ。

 

「ダイヤ!」

 

「ダイヤさん!」

 

 

 斜行

 

 

 レオンエースの崩れた体勢は、ダイヤともう一人のウマ娘の進路を妨害したように見えた。

 もちろんそれは意図的にではないだろう。バランスが崩れたところにたまたまダイヤ達がいた。

 とはいえ、ダイヤのバランスが崩されたのは事実だ。それにより、一瞬だけ彼女達の脚が鈍る。

 それは一部のウマ娘のレース結果を左右するには充分すぎるものだった。

 

「くっ、まだですわ! まだ諦めてはいけません!」

 

 いや、一度止まった脚を再度加速させるには今からでは時間がかかりすぎる。そのハンデを背負ってまで勝てるほど、レースは生優しいものではない。

 

 それでも、それでも最後までくらいつけ、ダイヤ。そうすればきっと……! 

 

『外からまとめて18番イーダイナティ! 詰めて、ハウオリ上がってきた! イーダイナティ、ゴールイン! 二着3番ハウオリ! 11番サトノダイヤモンド三着!』

 

 ダイヤはなんとか食らいついて三着、あそこからよくここまで持ち直したものだ。

 

 もしあそこでの失速が無ければ、ダイヤが勝つ可能性も大いにあった。

 もちろんそれはたらればの話であり、ifの話をしていても意味はない。

 さらに、今回に関しては勝ったウマ娘の末脚もダイヤに負けず劣らずのもの、もしかしたらそれ以上かもしれない。

 

「1分57秒9……この勝ちタイムは……」

 

「レコード、ですわね」

 

 電光掲示板に光る時計は、これまでの皐月賞の勝ち時計の中で最も早いものだった。記憶どころか記録にも残るイーダイナティというウマ娘の走り、これは誰が見ても天晴れと言わざる得ない。

 勝ったウマ娘が強かった。ただそれだけの話だ。

 

 でも……

 

「納得できないよなぁ……」

 

 まだ判定されていないが、恐らくダイヤは斜行による不利を受けた。それだけで普通に負けるより悔しいのはトレーナーである僕にもよく分かる。

 

 勝ったウマ娘が強かった、運が悪かった。そんなことを言って一蹴できる気楽さは持ち合わせていない。

 

 負ける悔しさは、何度重ねても慣れることなんてできないのだから。

 

「……トレーナーさん、どちらへ?」

 

「ちょっとダイヤのところに行ってくる。なんて声かけていいか分かんないけど、何もしないわけにはいかないから」

 

「そうですか……。私も同行しましょうか?」

 

「いや、いい。ここは僕がなんとかするよ」

 

 人混みを掻き分け、地下バ道へ続く道へと向かう。

 

 負けた直後に姿を眩ますなんていつの日かのマックイーンとそっくりだな、などと場違いなことを考えてしまった。

 

 そういえば、あの時は落鉄だったっけ。なんともまあ、うちの担当ウマ娘は納得いかない負け方をするものだ。

 人間万事塞翁がウマ娘とは言うが、こればっかりは良い方向に転ずると思えない。

 

 

 振り返ると、ターフに残っていたのは勝ちを喜ぶ者、それを讃える者、再戦を誓いあっている者と様々だ。

 

 しかしそこにダイヤの姿は無く、電光掲示板に灯っている審議の青いランプが力強い主張を見せつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ダイヤは既に控え室に戻っているものだと思っていたがそうではなく、彼女は地下バ道の途中で下を向いて立ち尽くしていた。

 さっきまで見つけたらすぐにでも声を掛けようと思っていたけれど、いざその状況になるとなんて声をかけていいか本当に分からなくなる。

 

 あの時、ファン感謝祭のレースでマックイーンが落鉄した時は、強気に慰めることができた。それはマックイーンがこの程度で諦めるようなウマ娘じゃないと確信を持っていたからだ。ある種の心の強さ、経験を積んでいたからと言える。

 

 しかし、ダイヤはそうではない。

 まだ片手で数えられるほどしかレースに出走していない彼女は、お世辞にも経験を積んでいるとは言えない。

 さらに、負けるのは今回が初めてであり、その負け方も負け方だ。

 マックイーンの時のような慰め方をしてしまったら、立ち直れないほどの挫折を僕自身が与えてしまうかもしれない。

 

 こうしてみると、負けたウマ娘に対してトレーナーができることはあまりにも少ない。

 惜しかった、などと軽々しく励ますこともできるが、それが吉と出るか凶と出るかは全く分からない。

 

 それでも一人呆然と下を向いて立ち尽くしているダイヤを放っておくことができず、頭より先に体が動いてしまった。

 

「……トレーナーさん? これは……?」

 

「えっ、あ、いや、その……手が勝手にと言いますか……」

 

 僕の手は無意識にダイヤの頭を撫でていた。それも後ろから無言でというのも相まってかなり犯罪性が高いと思われる。

 

 ダイヤに指摘されパッと手を離すと、彼女はゆっくりと振り返った。

 

「やっぱりトレーナーさんでしたか。すみません、私負けちゃいました。あんなにトレーニングのメニューを考えてもらったのに、勝負服も用意してもらったのに……一緒にお参りだって……したのに……」

 

 最初こそいつものダイヤだったが、言葉が終わりに近づくに連れて震え声になり涙を流す。

 

 負けを知って強くなる、という言葉がある。

 正確には負けた理由を知って強くなるが正しいと思っているのだが、今日のレースでこの言葉は不適格だろう。

 ならどんな言葉をかけてやればいい? 次がある、まだ終わりじゃない、運が悪かった。

 

 何を言っても無意味だ。そんな当たり障りのない言葉をかけたところで、事態が好転するとは思えない。

 

 

 ならば僕の取れる選択肢はただ一つ。

 

 

「…………トレーナーさんは優しいですね。こんな弱虫なウマ娘も見捨てないだなんて」

 

「こんなことで担当ウマ娘を見捨てるトレーナーはいないさ。こうしてかける言葉も見当たらずに頭を撫でるしかできない、こっちが見捨てられてもおかしくないってのに」

 

「……やっぱりあなたは変わってますね」

 

「……その変人扱いも甘んじて受け入れるよ」

 

「褒めてるんですよ?」

 

「嘘つけ」

 

 少しだけ笑みが戻ったダイヤを見て、もう大丈夫だろうと彼女の頭を撫でる手を引っ込めた。

 

「あっ……」

 

 するとダイヤは名残惜しそうな顔でこちらを見てくる。今の彼女を一言で表すならば、小動物という単語が一番しっくりくるのではないか。

 

「あー……私そろそろ行きますね。一応入着しているのでウイニングライブの準備もしないといけませんし」

 

 そう言って先の一瞬を誤魔化すダイヤは、早々と控え室へと戻る。

 

 僕の選択肢は悪くなかったはずだ。他にもっと良い方法があったかもしれないが、これが今の僕にできる最善の手段だ。

 

 

 

 

 

 ただ、一つ犯した間違いを、それも致命的な失態を挙げるとするならば、先程の彼女の笑顔は空元気から来ているものだったということに気がつくことができなかったというところか。

 

 

 



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決裂

 

 

『最後は二人の一騎打ち! サトノダイヤモンド僅かに届かないか! 今競り合ってゴールイン! 8番サトノダイヤモンドは二着! 今年の日本ダービー、栄光の座を手に入れたのは3番の……』

 

 

 東京優駿、日本ダービー。

 各世代の頂点を位置付ける伝統的なレースだ。レースの祭典とも言われるダービーは、多くのウマ娘が目標としていることが多い。

 

 そんな日本ダービー、サトノダイヤモンドは二着という結果を残した。一着とはハナ差、それも8cmという僅差で彼女は栄冠を逃したことになる。

 百歩譲って何のトラブルもなく、全力を出し切り負けたのならまだいい。

 だが、今回も皐月賞の時同様アクシデントに見舞われたことを、レースを観戦していた僕とマックイーンは知っている。

 

 またしてもマックイーンには残ってもらい、僕は一人でダイヤの下へと向かう。

 ダイヤの控え室の前に立ち、一つ深呼吸を挟んでからドアを三回叩いた。

 

「ダイヤ、入ってもいいか?」

 

「……はい、どうぞ」

 

 返答されたのを確認し、そろりと部屋へと入る。

 

 入って一番最初に目に映ったのは、ダイヤの力無い笑みだった。それは皐月賞の後よりも酷く、担当ウマ娘にそんな顔をさせてしまったという事実が胸の奥を抉りにくる。

 

「……トレーナーさん、私また負けちゃいました。だめですよね、こんなんじゃ。皐月賞が終わってから気持ちの整理がつかなくて……」

 

「いや、いいんだ、僕にも責任があるから。その話はまた学園に戻ってからにしよう。それよりダイヤ、少し左脚の靴を見せてくれないか?」

 

「靴……ですか? それは構いませんけど……に、匂いを嗅いだりはしませんよね?」

 

「何、今まで僕そんなことするような奴だと思われてたの?」

 

 思ったより元気じゃないか、と思ったが、依然彼女の目は虚ろなままだ。

 今の彼女は空気を読まず、思ったことを何でも口に出してしまっているのだろう。……いや、それはそれで僕が変態扱いされていることには変わりなくないか? 

 

 そ、そんなことより。

 

 ダイヤは左脚の靴を脱ぎ、それを僕に手渡す。

 そして蹄鉄をつける靴裏を確認すると、案の定その蹄鉄は欠けていた。

 

「落鉄してるな。もしこれが無かったらあるいは……」

 

 8cmの差を埋めることができていたかもしれない、というのは野暮な話だろう。

 心に留めておくならまだしも、口に出してしまってたらそれは勝ったウマ娘に対して失礼だ。

 

「……トレーナーさん、明日のトレーニングメニューはなんですか?」

 

「は? なんて?」

 

 ダービー惜敗の悔しさを噛み締めていると、ダイヤは突拍子もないことを言い出した。

 普段ならこんなことを言われても何も驚かないが、今はレースが終わった直後だ。トレーニング以前に身体を休める必要がある。

 

「今のままじゃダメなんです……! もっと、もっと練習しないと私は……!」

 

 ……ダイヤは焦っている。

 負けた理由はどうあれ、初めて負けた皐月賞、そして連敗を喫した今回の日本ダービー。

 次のレースも勝てないかもしれない、次負けたらどうしよう、そんな気持ちに苛まれているに違いない。

 

 ダイヤが前を向いていること自体は良いことだ。後ろ向きになりレースに出走することや走ることが嫌いになるという最悪の事態は避けている。

 でも、焦ってガムシャラになっているのはあまりいただけない。

 

 

 真価が問われるのは、逆境に立たされた時。

 

 ここをどう乗り越えるか。これが今後の成長にが変わってくる。

 

 

 ……仕方がない。

 これから取る手段はウマ娘にとって多少荒療治な上に、無責任と思われても仕方ない手段だ。

 しかしこれはダイヤ自身の問題。担当ウマ娘のモチベーションを高めることもトレーナーとしての仕事の一貫だが、気休め程度の言葉しかかけることのできない今の僕はあまりにも無力だ。

 今はダイヤの芯の強さを信じるしかないのかもしれない。

 

 焦る気持ちを抑えられていないダイヤに、僕は一つ提案を持ちかける。

 

 

 

 ***

 

 

 

 晴れない心を胸に阪神レース場の地下バ道を歩く。

 

 今日はキタちゃんが出走した宝塚記念だったというのに私の心は憂鬱だ。

 それはキタちゃんが一着を取れなかったからというのもあるが、根本的な問題はそこではないと、自分の心は訴えてきている。

 

 

 ダービーの後、私はトレーナーさんから長期休暇を取るようにと告げられた。

 最初は勝てないならもう走らなくていいという意味が込められているのではないかと考えたが、次にかけられた言葉を聞いてすぐにそうではないと分かった。

 

『焦って自分を見失うな。苦しい時こそ自分の感情と向き合え』

 

 確かに私は焦っていた。

 三連勝でクラシックGⅠに挑めたものの、迎えた皐月賞で斜行の不利を受け、ダービーでは落鉄。

 もう負けられない、勝たなければならないという考えが頭を過っていた。

 

 だからこそ、トレーナーさんは一度私をレースやトレーニングから遠ざけたのだろう。

 落ち着いて冷静に、私に考える時間を与えてくれた。私がレースで勝てるようになるために。

 

 

 とはいえ、一ヶ月経った今でも私の心は晴れていない。むしろこの一ヶ月で答えという答えが出ず、もやもやが増してしまっている。

 答え合わせをしようにも、その答えを知っているのは私自身だ。トレーナーさんやマックイーンさんに聞くわけにもいかない。

 

 もうすぐ本格的に夏が始まる。

 いつの日かトレーナーさんが、ウマ娘にとって夏というのは大切な時期だと言っていた。それまでには気持ちを整えないといけない。菊花賞までの時間だって長くないのだ。

 自分の感情と向き合えとはどういうことなのか。それをずっと考えていたわけで……

 

「ダイヤちゃん……?」

 

 考え事をしていたため、前から誰かが来る気配に気がつくことが出来なかった。

 目の前にいたのは、今日の宝塚記念で惜しくも三着に敗れたキタちゃんだった。

 

「キタちゃん……お疲れ様。惜しかったね、今日のレース」

 

「……ううん、全然だよ。何も惜しくなんてない」

 

「そんなことないよ。だって一着と二着はクビ差、二着と三着のキタちゃんの差はハナ差だったもの」

 

「二着のウマ娘……」

 

 私が口にしたのがいけなかったのか、二着のウマ娘という単語でキタちゃんは苦々しい顔をする。

 

 ここで言う二着のウマ娘とは、キタちゃんとクラシック戦線を走った娘だ。

 そしてそのウマ娘が取った冠は皐月賞とダービー。つまりキタちゃんにとって苦汁を舐めさせられた相手とも言える。

 

「あたし、またあの人に勝てなかったんだね。次一緒に走る時があったら絶対勝つって決めてたのに……」

 

「で、でもキタちゃんだって凄いよ! この前の春の天皇賞だって勝ってたし、大阪杯も二着、その前の有記念も三着だよ?」

 

「あの人に勝てなかったら意味ないよ。今日だって入着しても何も嬉しくなかった……! あたしはもっともっと強くならならなくちゃいけないのに……!」

 

「キタちゃん……?」

 

 今日に限らず、やっぱり最近の彼女はおかしい。

 私の知っているキタちゃんはどんな時でも諦めず、苦しい時でも笑顔で前を向いて周りを元気にさせる。そんなウマ娘のはずだ。

 

 なのに、今の彼女はまるで別人。

 勝つことに必死で、焦って周りが見えなくなっている。誰かに必要以上に固執し、自分がどうありたいのか見失っている。

 

 その姿に、どこか不思議な心の引っ掛かりを覚えた。

 何故今のキタちゃんを見ていたらこんなにも心がチクチクするのだろうか。

 

「ダイヤちゃん、今日は応援してくれてありがと。でももう大丈夫、早く学園に戻ってトレーニングした方がいいよ」

 

 キタちゃんは私に背を向けてそう告げる。

 でも、やっぱり放っておけない。だって彼女は私の親友でありライバルなのだから。

 

「……最近のキタちゃん、変じゃない?」

 

「変って、あたしはそんな……」

 

「変だよ。私の知ってるキタちゃんはそんな顔しない」

 

「……あたしだっていつも元気なわけじゃないよ。今日みたいに負けた後は笑顔なんかでいてられない」

 

「ううん、キタちゃんはいつも明るくて笑顔で、どんなことにも真っ直ぐで絶対に諦めたりなんかしない。それが私の知ってるキタサンブラ……」

 

 

 

「ダイヤちゃんには分かんないよ! 誰かの背中を追いかけたことなんて無い癖に!」

 

 

 

 ………………え? 今、キタちゃんはなんて……? 

 

 

 一瞬何を言われたのか分からなかった。いや、理解するのを脳が拒んだ。

 

 誰かの背中を追いかけたことがない。

 私はキタちゃんにそう思われていた……? 

 

 私が話してる途中、キタちゃんはそれに割り込んで激昂したが、すぐに顔を青ざめさせたためそれが一時の感情に身を任せたものだと悟った。

 

「ダ、ダイヤちゃん……ち、違うの、今のはそういう意味で言ったんじゃ……」

 

 でも、一時の感情だろうがそんなの関係ない。

 むしろ一時の感情だからこそ、キタちゃんの本心を知れたと言ってもいい。

 

 ああ、そういうことか。

 今のキタちゃんを見ていると心が痛む。その理由は、合わせ鏡のように私とキタちゃんの境遇が似ていたからだ。

 勝ちを焦り、自分がどうありたいか見失っている。

 

 トレーナーさん、ようやく分かりました。苦しい時こそ自分の感情と向き合うとは、こういうことだったんですね。

 

 もうここに用はない。

 学園に戻るべく、私は無言でキタちゃんに背を向けて彼女とは逆方向へと歩く。

 

「ま、待って……ダイヤちゃん! あたしは……ッ!」

 

 そうだ、私の目標はキタちゃんに勝つこと。ライバル視されていないのなら、むしろ好都合と言ってもいい。

 

「ダイヤちゃんっ!」

 

 

 

 

 教えてあげる、キタちゃん。私が、今まで誰の背中を追いかけてきたのかを。

 

 

 



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番外編:譲れないもの

番外編です。一章と二章の間くらいの時系列と考えてください。


 HRの終わりを告げるチャイムが流れ、私はクラスメイトに挨拶をして誰よりも早く教室を後にする。

 廊下は走るもの、という校則を守り、今日も今日とてトレーナー室への道のりを駆ける。

 

 最近学校が好きだ! と言わんばかりに、私の生活は充実している。

 キタちゃんとトレセン学園に入学して、マックイーンさんの走りを間近で見ることができ、そんな彼女と同じトレーナーさんの下で指導して貰えているのだ。充実しないはずがない。

 そのトレーナーさんはウマ娘のことを一番に考えてくれているということを、指導してもらい始めてからより強く感じる。

 

 そして何より、あの御二方と一緒にいると凄く居心地が良い。

 それはひとえにトレーナーさんとマックイーンさんの仲が良いというのもあるのだろうが、一番は彼等の人柄の良さが出ているからだと思う。

 

 マックイーンさんは常に私のことを気にかけてくれているし、トレーナーさんは夏合宿の時のように私がここに早く馴染めるような機会を作ってくださった。

 おかげで今ではすっかり学園にもトレーニングにも馴染むことができている。

 

 新しいお友達、憧れの先輩、優しいトレーナーさん。短いながらも、ここに来て色々の出会いがあり、色々な経験をしてきた。

 

 

 お父様、お母様。私、このチームに入って良かったです。

 今日もダイヤは、誰かの期待に応えるよう頑張ります! 

 

 

 今一度気合を入れていると、早いことにトレーナー室の前へと辿り着く。

 

 ふとトレーナー室の近くに大きな段ボールがあることに気がつく。

 中身は……空? でも段ボールには大きくトレーニング用品と書かれてある。

 きっとトレーナーさんが中身を出して移動させた後なのだろう。こういう見えないところで苦労しているトレーナーさんには頭が上がらない。

 

 ふふっ、今日のトレーニングメニューはなんだろう。基礎トレ? 併走? それともタイヤ引き? 

 マックイーンさんやトレーナーさんとトレーニングできるなら、なんでも楽しみだなぁ。

 

 あの仲の良い御二方のことを思い浮かべながら、トレーナー室のドアを開け……

 

 

 

 

 

 

「一体何を考えていますの!? 貴方がここまでの分からずやだと思っていませんでした!」

 

「はっ、マックイーンこそ何も分かってないね! 普段一過言あるとか言っときながら、底の『浅さ』、見えてるんじゃないの?」

 

「なんですってぇ……っ! 貴方こそ何も分かっていない癖に!」

 

「人のことよりまずは自分を見直すべきだな。胸に手を当てて考えてみるんだ。おっと、当てるだけの胸も無いか! 失敬失敬!」

 

「上等ですわ! 貴方は私を完全に怒らせました! 表に出なさい! 今からその舐めたことを叩く口を黙らせてあげま……」

 

 

 そっとドアを閉じて今の光景を見なかったことにした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あの後、いつまでも現実逃避を続けているわけにもいかないので、渋々険悪な雰囲気にあるトレーナー室へと入った。

 

 二人は私が来たのに気がつくと言い争いをやめたが、やはり部屋の雰囲気は最悪だ。

 先程までトレーニングが楽しみだとか言ってウキウキでトレーナー室に向かっていた自分を今すぐにでも引き留めたい。

 

 しかしこうなってしまっては仕方がない。トレーナーさんもマックイーンさんも頑固な性格をしているため、一度こうなってしまっては時間が解決してくれるとは思えない。

 私がなんとかしなくちゃ。この状況はなんとかできるのは私しかいない。

 

「あ、あの、何かあったんですか? 私で良ければ話くらいは聞きますけど……」

 

「マックイーンが!」

「トレーナーさんが!」

 

 あ、これ無理です。私には手が負えません。

 

 勇気を出して聞いてみたが、反応からするに互いが互いを悪いと思っているようで、とてもじゃないけど穏便に事を済ます方法がない事が分かってしまった。

 

「だいたい、マックイーンが悪いんだ。僕の前でよくもまああんなふざけた事が言えたもんだね」

 

「なっ、それはこっちのセリフですわ! そもそもトレーナーさんは大人気がありません! こんなか弱いウマ娘と言い争いなんて恥ずかしくないんですか?」

 

「うるせぇなぁ、大人には譲れない物ってのがあるんだよ! それに自分で自分のことか弱いって(笑)」

 

「もういいです! 貴方がこんなにも私と相容れない考えを持っているとは思いませんでした! 実家に帰らせていただきます!」

 

 待ってくださいマックイーンさん、それだとマックイーンさんとトレーナーさんが……け、結婚しているみたいな言い方ですけどいいんですか? 確かに普段のお二人はお似合いだと思いますけど……

 

 そんなことを考えていると、マックイーンさんはトレーナー室にある自分の荷物をまとめ出した。

 トレーナーさんもそれを止めようとしないところを見ると、事態は思った以上に深刻だということにようやく気がつく。

 

「ト、トレーナーさん! 何があったかは分かりませんが、マックイーンさん本気ですよ!? 止めなくていいんですか!?」

 

「いい。あいつが考えを改めない限り、僕から言えることは何も無いよ」

 

「そ、そんな……」

 

 トレーナーさんにマックイーンさんを止めてもらおうと促したが、彼はぶっきらぼうにそう答えた。マックイーンさんだけでなくトレーナーさんも本気だ。

 

 なんとかしなくてはならないとは思っているが、私では力不足だということを感じさせられる。

 せっかく最近調子付いて来たというのに、こんなところでチームが崩壊してしまうなんて思ってもいなかった。

 

 

 お願いします、神様。どうかこの状況をなんとかしてください……! 

 

 

 出来ることは神頼みくらいしかなく、天に向かって力強く願うと……

 

「アタシが神だあああああああああああああああああああああ!」

 

「きゃあああ!? ゴ、ゴルシさん!? どうして急に床から生えてきたんですか!?」

 

「おう、ちょうど今アタシ達ここの一個下の階の部屋を占領してんだよ。ナカヤマ達と賭け……んんっ、ちょっとした楽しいことをな」

 

「は、はぁ……」

 

 答えになっているようで答えになっていないゴルシさんの返答を聞き、私はさらに困惑してしまう。

 

「ゴールドシップ、貴方達がここの下で何をしていたのかは深くは聞きませんが、今は何故ここに来たのかということはお聞きしますわ」

 

「大した理由じゃなかったら床の弁償代しっかり払ってもらうからな?」

 

 マックイーンさんとトレーナーさんは怖い顔をしてゴルシさんに詰め寄る。喧嘩していてもこういう時は仲良いんですね。

 

「およ? アタシは上で面白そうな会話が聞こえてきたからここに来ただけだぜ? なんでも、『当てるだけの胸も無い』だの『実家に帰らせていただきます!』だの聞こえてきたら誰だって気になるだろ?」

 

「「……」」

 

 それが床から生えてくる理由にはなっていないが、ゴルシさんの正論に二人は黙ってしまう。こういう時も仲良いんですね。

 

「あ、あのゴルシさん。どうにかお二人を止める方法ってありませんか?」

 

 当たり前だが、ゴルシさんも二人が言い争っている理由を知らないようだ。

 でもどうにかして二人を仲直りさせたいと思い、ゴルシさんに相談を持ちかけてみる。

 

「ダイヤ、無駄だ。お前は正義の反対は何か知ってるか?」

 

「せ、正義の反対……? 悪……ですかね?」

 

「ふっ、甘いな、ダイヤは。正義の反対はまた別の正義。どちらか一方が己の正義を相手に認めさせることでしか事態は収束しないのさ」

 

 無駄に良い声でそんなことを言うゴルシさん。

 つまり話し合いでは解決できないということかな。でもそれじゃあ仲直りどころか、さらに二人の仲が悪くなってしまう。

 

「な、なんとかならないんですか……?」

 

「ゴルシちゃんに任せときな。こんな面白そうなこと、このアタシが見逃せるわけねぇっての! 必ずやなんとかしてみせるぜ!」

 

「今面白そうって言いました?」

 

「言ってない」

 

「言いましたよね?」

 

「言ってない。おうおうお二人さん、さっきから雰囲気最悪じゃねぇか。こんな時はスペリオル海の水引っこ抜いて落ち着こうぜ?」

 

 私の追求を無視してゴルシさんはマックイーンさんとトレーナーさんに話しかける。

 

「……僕達をおちょくりに来ただけならさっさと帰るんだな。誰かさんのせいで、今の僕はそんなに機嫌が良くない」

 

「同意見ですわね。もっとも、こんなことを言えるのもこれで最後になるわけですけども」

 

 いちいち言葉に棘を挟む二人。こんな状態からゴルシさんは本当になんとかできるのだろうか。

 

「そんなに互いが気に入らないなら、何か勝負すれば良いんじゃねぇか?」

 

「勝負?」

 

 ゴルシさんの一言に、トレーナーさんは短く反応する。マックイーンさんも耳がピクリと動いた。

 

「おう、勝負。勝った奴が負けた奴の言う事を聞く。シンプルだろ?」

 

 いや、流石にそんなことではお二人は釣られないと思うけど……

 

「乗った。考え無しのマックイーンに、いかに自分が愚かなことを言っていたか分からせてやる」

 

「望むところですわ! トレーナーさんが間違っていて私が正しいということを、思う存分その身に叩き込んであげます!」

 

 なんてチョロいんだこの人達は。

 

 そういえば、トレーナーさんもマックイーンさんも超が付くほどの負けず嫌い。譲れないものを賭けての勝負と聞いて黙っていられなくなったのか。

 

 でも勝負と言っても、実力が絡むもの、運が絡むもの、そのどちらも要求されるもの等、ここでは語り尽くせないほど色々ある。

 

「ゴルシさん、勝負って何をするんですか? あんまり手応えがなかったらお二人は納得しないと思うんですけど……‥」

 

「お、おう、意外とノリノリだな、ダイヤ。でも、良い質問だ! ここはトレセン学園! 実力派揃いのウマ娘が集う場所! 後はもう分かるな?」

 

 私達ウマ娘が何を目指してここに来るかというと勝負内容は……

 

「レースですわね! 良い考えだと思いますわ! さあトレーナーさん、ターフへと参りますわよ! 距離は3200mで構いませんわよね?」

 

「ふざけんな! こちとら普通の人間だぞ! 勝てるわけねぇだろ!」

 

「あら、そんなこと承知で言っていますわ。人間がウマ娘に勝てるわけがありませんもの」

 

「こんの性悪令嬢……ッ!」

 

「ああもう! マックイーンさんもトレーナーさんもすぐに喧嘩しないでください!」

 

 話が進まないので、無理矢理マックイーンさん達を黙らせる。

 喧嘩するほど仲が良いとは言うが限度があるだろう。

 

「それで、ゴールドシップ。勝負内容はレースですよね? レースですわね。ジャージに着替えて来ますわ」

 

「そんな焦んなよ、マックイーン。あたしは一度もレースなんて言ってないぜ?」

 

「は? レースじゃないなら何を……」

 

「アタシ達の使命は走ること! だが、何もレースに限った話じゃねぇってことだ! というわけで、お前達にはこれから制限時間付きの鬼ごっこをしてもらう!」

 

 おにごっこ、というといわゆる追いかけっこというものだろうか。

 実際にやったことはないので聞いた話でしか私は考えることができない。

 

「ゴールドシップ、なんでもってまた鬼ごっこなんだ?」

 

「んなもんアタシが面白ぇからに決まってんだろ。それともなんだ、やっぱりレースにしとくか?」

 

 トレーナーさんは至極当然な疑問をゴルシさんにぶつけると、彼女はついに自分が面白がってることを隠そうとしなくなった。

 そして彼女のレースに変えるかという問いに、トレーナーさんは少し考え込み口角を上げてニヤリと笑う。

 

「…………いや、それでいい。でも僕が不利なことは変わらない。ゴールドシップ、ある程度条件をつけさせてもらうがいいか?」

 

「無理ない内容なら構わないぜ」

 

「なら……まず制限時間は三十分、最初に逃げる時間は三分だ。次に、範囲はトレセン学園全体。相手から逃げる、相手を捕まえるなら犯罪行為以外何をしてもOK。そして逃げる側は僕だ」

 

「構いませんわ。むしろまともな提案が出てきて驚いてすらいますわね」

 

「まともな提案してなかった奴が言えたセリフじゃないなぁ」

 

 マックイーンさんの言う通り、トレーナーさんの提案はどちらか一方が極端に不利になるような内容ではなかった。

 でもいいのだろうか。条件は公平なものだけど、ウマ娘と人間とでは基礎体力が違いすぎる。

 マックイーンさんではないが、この条件で人間がウマ娘に敵うとはとても思えない。

 

「トレーナーさんが条件を付けるなら、私も条件を付ける権利はありますわよね? では鬼側の私はダイヤさんを仲間に引き入れますわ」

 

「ええっ!? マックイーンさん!? 流石にそれは……」

 

「問題ない。むしろなんでもありのルールだ。これくらい想定内だよ」

 

「トレーナーさん!?」

 

 まさか自分が巻き込まれるとは思っていなかった。

 どちらかに肩入れするような形になるのは私としても不本意なのだけれど……

 

「ようし、決まったな! んじゃ、三十分経ったらここに戻ってくるって事で、アンタが部屋を出て三分後にスタートな?」

 

 ゴルシさんが音頭を取り、ようやく話が進む。私はもう始まる前からお腹いっぱいだ。

 

「あ、後予備のパソコン貸してくれよ。あたしは学園の監視カメラハッキングしてここで見てるからよ」

 

「……足付かないようにしろよ?」

 

 そう言ってトレーナーさんは渋々予備のノートパソコンを取り出す。

 ゴルシさんが堂々とハッキングするとか言い出したことに誰も突っ込んでいないのは異常なのだろうか。

 

 トレーナーさんは軽く準備運動をしてから部屋を出ようとする。

 

「ト、トレーナーさん……私は……」

 

「巻き込んじゃって悪いな、ダイヤ。でもこれは……これだけは譲れないんだ」

 

「その通りです。私にも譲れないものがあります」

 

「……マックイーン、君が何を言おうと、僕の考えは変わらない。例えそれが僕らの袂を分かつものだったとしても」

 

「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ」

 

 マックイーンさんとトレーナーさんとの間で一瞬火花が散る。私はそれを黙って見ていることしか出来なかった。

 

 永遠にも感じられたその時間は終わりを告げ、トレーナーさんは黙って部屋を出て行く。

 

「お、あいつ行ったか。なら三分後、お前らが出て行ってからスタートな?」

 

 ゴルシさんは物凄い早さでタイピングを行いながら手元のストップウォッチを手にする。

 

「……最初に逃げる時間がたったの三分って大丈夫なんでしょうか? いくら広いトレセン学園といえども、それだけの時間であれば私達がすぐ追いついちゃいますよね?」

 

「心配無用ですわ、腐ってもあの方は頭が良いです。何か考えがあるのでしょう。ですが、私にはトレーナーさんの考えなんて手に取るように分かります。三十分どころか五分で捕まえてみせますわ」

 

 いつもならさすがマックイーンさん! と言っている所なのだが、なぜかもうダメな気しかしない。

 どうして今日のマックイーンさんはこんなにも頼り無く見えるのだろうか。

 

「それにしても、全く。トレーナーさんは私のことを分かってくださると思っていましたのに、あんな方とは思いませんでしたわ」

 

 マックイーンさんはトレーナーさんが出て行って少しすると彼のことを愚痴る。

 確かにトレーナーさんはマックイーンさんのイエスマンになることが多い。そのため、あんなにマックイーンさん相手に堂々と対立するトレーナーさんはなんだか新鮮だった。

 

「あはは、トレーナーさんも言ってましたけど、誰にでも譲れないものはありますからね」

 

「むぅ……」

 

 マックイーンさんは頬を膨らませる。

 この反応を見るに、実家に帰るだのなんだの言っていたが、結局のところ彼女はトレーナーさんのことが大好きなのだ。早く仲直りしてほしい。

 

「そういえば、お二人があんなに言い争うなんて何かあったんですか?」

 

「そう、聞いてください! トレーナーさんったら……」

 

「おーいお前らー、そろそろ三分経つぞー。準備しろー」

 

 事の元凶を聞こうとした瞬間、ゴルシさんが開始の合図を知らせる。

 

「あ、行きますわよ、ダイヤさん! さっさとトレーナーさんを捕まえてごめんなさいを言わせるのです!」

 

「ええっ!? ちょっと待ってくださいよ、マックイーンさん!」

 

 結局何を理由に争っているのか聞けないまま、私は部屋を飛び出したマックイーンさんを追いかけた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鬼ごっこ開始五分後

 

 

「……マックイーンさん、ここは?」

 

「トレーナーさんはこう考えています。『捕まらなければ負けじゃない』」

 

「は、はぁ、それでトレーナー室から一番近い男性用のお手洗いと」

 

「間違いありませんわ。普段姑息で卑怯なトレーナーさんですもの。私達が行けないような場所で隠れているに決まっています」

 

 トレーナーさんがいないのをいいことに彼のことを口悪く罵るマックイーンさん。

 

 しかし、彼女の考えは正しいかもしれない。

 トレーナーさんが部屋を出てからの短い時間で行ける範囲は限られている。それも、私達が絶対に入れないような場所と言えば自ずと答えは絞れる。

 

「でもマックイーンさん、どうやってここに入るんですか? 男性用ですし、私達じゃあ入れませんよ?」

 

「お任せください。こんなこともあろうかと鬼ごっこ開始直後にとある人物に連絡を入れてますので。そろそろ来てもいい頃なのですが……っと、来ましたわね」

 

 マックイーンさんが目を向ける方向を見ると、そこにはテイオーさんと〈スピカ〉のトレーナーさん、沖野さん……でしたっけ? その二人がいた。

 

「ったく、いきなりテイオーに引っ張られたかと思ったら、メジロマックイーンの呼び出しだなんてどんな風の吹き回しだ?」

 

「マックイーン、言われた通りトレーナー連れてきたけど、どうしたの?」

 

 テイオーさんも〈スピカ〉のトレーナーさんも何がなんだか分からないようだ。むしろ分かってたら怖い。

 

「テイオー、連れてきてくれてありがとうございます。〈スピカ〉のトレーナーさん、お手数をお掛けして申し訳ありません。少し貴方に頼みたい事がありまして」

 

「俺に?」

 

「ええ、あそこにいるであろう私達のトレーナーさんを捕まえてきてほしいんですの」

 

「トレーナーって、あいつか。なんだ、またあいつはなんかやったのか?」

 

「ええ、私にとってとてつもなく許せないことを言い放ったので」

 

 それはこの喧嘩の原因だろうか、それともトレーナーさんがマックイーンさんのコンプレックスをイジったからだろうか。

 

「でもなあ、ここであいつの反感買ったら今後奢ってくれなくなるかもしれねぇしなぁ」

 

「もし見つけてくださったら、カフェテリアで食事をするときに奢って差し上げますわ……トレーナーさんが」

 

「よし、俺に任せろ!」

 

 〈スピカ〉のトレーナーさんはマックイーンさんの言葉を聞くや否や勢い良くお手洗いに飛び込む。

 げ、現金な方だなぁ……。

 

 すると、トレーナーを連れてこいと言われたであろうテイオーさんは不思議そうな表情で私に近づいてくる。

 

「ねぇダイヤちゃん。マックイーンとトレーナー、なんかあったの?」

 

「実はですね……」

 

 私はこれまでの経緯をテイオーさんに話すと、彼女の不思議そうな表情は驚愕のものに変わった。

 

「ええ!? あの二人が!? あんなに仲良しだったのに!?」

 

「私にも何がなんだか……」

 

「そっか、ダイヤちゃんも苦労人だね……。でもどうしてこんなことになったんだろう」

 

「さぁ、私もまだ聞き出せてなくて……」

 

「こんな時は本人に聞くのが一番だよね。ねぇ、マックイーン、なんでこんなことに……」

 

 

「トレーナーさん! 今すぐ出てくるのであれば、スイーツ食べ放題一年分とスポーツ観戦のチケット、メジロ家への挨拶で許してあげますわ!」

 

 

 マックイーンさんは〈スピカ〉のトレーナーさんが中々戻ってこないことに苛立ちを覚えたらしく、大声でそんなことを言う。

 その姿はまるで、立て篭もり事件の犯人に投降を促す警察のようだった。

 

「……ダイヤちゃん、あれはダメだね。正気じゃ無い」

 

 わかります。

 

「トレーナーさん! いい加減出てきて……って、貴方一人ですか、トレーナーさんは?」

 

 ようやく〈スピカ〉のトレーナーさんが出てきたが、彼は私達のトレーナーさんを連れておらず、一人でマックイーンさんの下に戻ってきた。

 

「いや、誰もいなかったぞ。代わりにこんなものが……」

 

「は? これは……張り紙?」

 

 そして、その後渡された一枚の張り紙を見て、彼女は顔を真っ赤にして紙をぐしゃくしゃに丸め、地面に叩きつける。

 

「なんですかこんなもの! ダイヤさん、次に行きますわよ!!」

 

「え、ちょ、あてはあるんですか!?」

 

「そんなものありません! こうなったら全校生徒かき集めてでもあの男を見つけ出してとっちめ無いと気が済まないんです!」

 

 マックイーンさんは冷静さを欠いている。一息つけるといいのですが、という実況が今にも聞こえてきそうだ。

 そのまま彼女はずんずんと熊のように歩き出す。

 

 一体全体さっきの張り紙に何が書かれてあったのか気になり、マックイーンさんが丸めたそれを広げてみると……

 

 

『残念でした、お見通し^^』

 

 

 と、トレーナーさんの文字で大きく書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼ごっこ開始十五分後

 

 

 

「見つかりませんわね……」

 

「見つかりませんね……」

 

 開始から半分経ったにも関わらず、まだ手がかりのての字も見つけられていない。

 分かっていたことだが、トレーナーさんは頭がキレる。それも悪い方向に。

 

「すれ違った皆さんには手当たり次第に『見つけてくれたらトレーナーさんがスイーツ食べ放題を奢る』と声をかけていますので、そろそろ連絡の一つくらい入ってもいい頃なんですが……」

 

「本当になんでもありですよね……」

 

 ここまで来るとトレーナーさんが可哀想だ。今日だけはマックイーンさんじゃなくて彼の味方をしたい。

 

「そこのポニーちゃん達、下を向いて歩いていると危ないよ」

 

 私達が下を向いて廊下を歩いていると、突然後ろから注意された。

 この声は確か……

 

「す、すみません、フジキセキ先輩。私達、少し今取り込み中でして……」

 

「フジで構わないよ。それにしても、取り込み中って一体何かあったのかい? どうにも学園が騒がしい気がするんだけど、それも関係あるのかな?」

 

 スイーツ食べ放題がそんなに影響力あるんですか? ま、まあ、カフェテリアでいつも正気とは思えない量の食事を摂っているスペシャルウィーク先輩やオグリキャップ先輩なら分からなくもないですけど……

 

「フジ先輩、私達は今トレーナーさんを探しています。どこにいるか存じませんか?」

 

「君達のトレーナーというと……ああ、あの人か。見たところ、随分焦っているようだし時間の余裕は無さそうだね」

 

「はい、なので何か手がかりだけでも……」

 

 マックイーンさんは懇願するようにフジ先輩に尋ねるが、当のフジ先輩の顔は明るいものではない。

 

「うーん……申し訳ないけど、私も彼を見た覚えは無いな。トレーナーは立ち入りが禁止されている栗東寮にはいるわけないし、生徒会室にもいなかった。職員室でも見かけなかったし……あっ、そういえばまだあそこがあったな」

 

「そ、それはどちらに……」

 

「うん、地下牢」

 

「……え?」

 

 フジ先輩は今なんて言った? 

 

「ダ、ダイヤさん、私の耳がおかしくなかったら、今フジ先輩の口から地下牢という単語が飛び出てきた気がするのですが……」

 

「わ、私もそう聞こえました……。フ、フジ先輩、ここって地下牢あるんですか?」

 

 私とマックイーンさんは震えながらフジ先輩に質問すると、彼女はなんとも言えない笑みを返してきた。

 

「ああ、そうそう。その地下牢からは時たま何か怨霊のようなものが発見されるとかされないとか……」

 

「「し、失礼しましたあああ!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼ごっこ開始二十五分後

 

 

「まずいですまずいですまずいです……このままでは私達の負けが決まってしまいます……」

 

「マックイーンさん落ち着いて。トレーナーさんが考えそうなことをもう一度考えてみましょう?」

 

 これまでかなり多くの人に声を掛けたが、一つも目撃情報が寄せられていない。ここまで誰も見ていないとなると逆に違和感を感じる。

 

 残り時間が少なくなり慌てふためくマックイーンさんを落ち着かせていると、一つの人影が近づいてくる。

 

「よぉ、メジロマックイーン。探したぜ?」

 

「あ、貴方は……ナカヤマフェスタさん!? なぜ私を……」

 

「単刀直入に言う。私はアンタらが欲しいと思っている情報を持っている。そしてそれを教えてやらんでもない」

 

 私達が欲しい情報というと……やはりトレーナーさんの居所だろうか。それだったら願ったり叶ったりだ。

 

 でも、相手はナカヤマフェスタさん。そう簡単に教えてくれるとは思えない。

 

「……どうすれば教えてくれるんですの?」

 

「ふっ、ちっと、私と簡単な賭けをしようじゃないか。アンタらが勝ったら私の持ってる情報を渡す。私が勝ったら、アンタは年齢にそぐわない赤子が着るようなフリッフリの衣装を着て学園を引きずり回しにされる」

 

 い、嫌な罰ゲームですね……。私だったら死んでもやりたくないし、そもそもこんな賭けには乗らない。

 

「どうだ、乗るか? それともやめとくか?」

 

「……分かりました。その賭け、受けて立ちます」

 

「マックイーンさん!? 負けたらどうなるか分かってるんですか!?」

 

「ええ。ここで負けると、トレーナーさんを見つけられない上に、私はとんでもない辱めを受けることになります。でもこれが最後の希望なんです! この賭けにも、トレーナーさんにも負けられないんです!」

 

「それほどまでの覚悟で……。マックイーンさん、健闘を祈ります」

 

 私の激励に、マックイーンさんはサムズアップで応える。その姿は、先程までの情けないマックイーンさんではない、私の憧れの『メジロマックイーン』だった。

 

「それで、ナカヤマさん。賭けの内容はなんなんですの?」

 

「難しいことは言わねェ。簡易的なインディアンポーカーの一本勝負だ」

 

 いんでぃあんぽーかーとはなんだろうか。私ははスマホでルールを確認する。

 

 トランプを一枚引き、自分で見ないようにしながら相手に見えるようにおでこの上に掲げる。

 自分に見えているカードと自分のカードが見えている相手の反応を参考にして自分のカードが相手のカードよりも強いかどうかを考える、至ってシンプルなゲームだ。

 勝てると判断すれば賭け金を増やし、勝てないと判断すれば賭け金を減らすといった駆け引きが求められるらしい。

 

「私達は賭けるもんがねェから、それぞれこの五枚のチップを賭けの対象にしよう。参加料は一枚、これがゼロになったら負けだ」

 

「なるほど、理解しましたわ」

 

「ならカードを一枚選びな。デコに掲げんのは同時にだぜ?」

 

 マックイーンさんはナカヤマさんの言われた通りに裏向きのカードを一枚選び、それに続いてナカヤマさんも一枚選ぶ。

 そして二人はいっせいにカードをおでこに掲げる。

 

 ナカヤマさんの数字は3、これはルールによれば二番目に弱い数字だ。

 いける、これならマックイーンさんに勝機がある! 

 そしてマックイーンさんの数字は2…………あ……。

 

「……くくっ、アンタ、中々酷いカードしてんなあ?」 

 

「あら、ナカヤマさん、貴方の自信はどこから来るんですの? もっと自分を客観視するよう鍛えるべきですわね」

 

 ナカヤマさんも大概弱い札ですが、それ全部ブーメランですよマックイーンさん。

 

 あまりにも残念発言が多いマックイーンさんに涙が出てくる。

 

「で、アンタは何枚賭けるんだ? アタシは当然全部だぜ」

 

「それなら私も全部賭けさせてもらいますわ!」

 

 終わった、もうダメだ。

 

「ならカードを場に晒すんだな。私は……3か」

 

「私の勝ちですわね! そんな弱いカードでは貴方に勝ち目はありません! さあ、参加料の一枚と賭けた一枚を私に……え、2?」

 

 マックイーンさんは自分のカードの数字を見て完全に固まる。

 それはそうだろう、勝ちを確信し後にこれなのだから。

 

「え、私が2でナカヤマさんが3……ってことは……」

 

「私の勝ち、だな。この賭け自体も私の勝ちだ」

 

 ニヤアと口角を歪めて計十枚のチップを手にするナカヤマさんと対照的に、先程まで勝ち誇っていたマックイーンさんの表情は絶望のものへと変わっていく。

 

「そ、そんな……も、もう一回! もう一回ですわ! もう一回やれば次は……」

 

「マックイーンさん、もう諦めましょう?」

 

「なぜ止めるのですかダイヤさん! 諦めたらそこで試合終了と安西先生も言っていたましたわ!」

 

「でもマックイーンさん、もうちょうどタイムアップの時間ですよ?」

 

「……え?」

 

 私が時計を見せると、それは制限時間ぴったりだった。

 つまり、マックイーンさんの負け。

 

「そ、そんな……私が負けるなんて……」

 

「残念だったな。ま、私に勝っても制限時間とやらまでにアンタのトレーナーのところまで行けてたかは怪しかったけど」

 

「……ナカヤマさん、もうこの際教えてくださいまし。トレーナーさんはどこにいるんですの?」

 

「おいおい、終わったとはいえ、そう簡単に教えちゃあ面白くねェだろ。敢えてヒントを言うならば、『灯台下暗し』ってとこかな」

 

「灯台……」

 

「下暗し……」

 

 私とマックイーンさんはそれぞれヒントを呟くと……

 

「「あ!」」

 

 私達は同時に思いついた場所へと駆け出す。

 

 

 

 ***

 

 

 

「やあ、遅かったじゃないか」

 

 目的地へと到着して最初に目に映ったのは、トレーナーさんのニヤけ顔だった。

 なんともまあ腹の立つ顔だ。マックイーンさんなんて今にも殴りかかりそうな勢いである。

 

 そんなトレーナーさんがいた場所は、私達の予想の斜め上の場所だった。

 聞き込みをしても学園の誰もトレーナーさんの居場所を知らなかったこと、なぜかナカヤマさんがトレーナーさんの居場所を知っていたこと、思い返せば不自然な事が多い。

 前者はトレーナーさんのいた場所が場所なだけにそこから動いてない彼の目撃情報なんてあるはずがない。後者はゴルシさんが穴を開けた場所のすぐ下にナカヤマさんがいた。

 

 極め付けはナカヤマさんのヒントである『灯台下暗し』という諺。

 

 そこから導き出される答えはただ一つ。

 

「ず、ずるいですわよ! 最初からトレーナー室にいただなんて! これでは学園を走り回ってた私達がバカみたいではないですか!」

 

 そう、トレーナーさんはどこに逃げるわけでもなく隠れるわけでもなく、私達がトレーナー室を出てからずっとここにいたのだ。そんなの分かるわけない。

 

「おっと、ずるいとは人聞きの悪い。僕は何も反則行為なんて犯してないぜ? 正々堂々、ルールの穴、ズルはしてない、勝つのは氷帝。というわけでこの勝負、僕の勝ちだ。なあ、ゴールドシップ?」

 

「あー……おう、そうだな」

 

 トレーナーさんの性格の悪さに、まさかのゴールドシップさんも引いている。

 これには私も苦笑いするしか無いが、一つ引っかかる点があった。

 

「でもトレーナーさん、どうやって私達と入れ替わる形で部屋に戻ったんですか?」

 

「ああ、それはあれだよ。外に段ボールあったろ? それに隠れてた」

 

「お前……まさか伝説の傭兵だったのか……!」

 

 ゴルシさんの言う伝説の傭兵については分からないけど、これも予想の斜め上……いや、斜め下かな? とにかく、見破れなかったのが少し悔しい。

 

「で、おーい、マックイーンさーん? そろそろ負けを認める気になりましたかー?」

 

「くっ、認められません! 私は認めるわけにはいかないのです!」

 

 大人気なく煽るように囃し立てるトレーナーさんに対し、マックイーンさんは負けを認めることができず拳を握りしめている。

 

「おいおいマックちゃん、素直に負けを認めろよ。武士の風上にもおけねーぞ」

 

「ですが……ですが……!」

 

 ゴルシさんが珍しく正論を言ってもマックイーンさんは聞く耳を持たない。

 

 そしてマックイーンさんは唇を噛み締め……

 

 

 

 

 

 

 

「たい焼きは普通、頭から食べるものでしょう!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ……たいやき? 

 

「……お、おい待てよマックイーン。ここまで喧嘩の原因聞いてこなかったアタシも悪いんだけどよ、まさかこうなった理由って……」

 

「そうですのよ! トレーナーさんったらたい焼きは尻尾から食べるものだと仰るんですのよ!? あんこが多く入っている頭から食べた方が美味しいに決まっていますわ!」

 

 恐る恐る聞くゴルシさんに、マックイーンさんは食いつくように己が正しいことを主張する。

 

「はあ? 何言ってるんですかぁ? 頭にあんこが多く入ってるからこそ、最後に取って置くようにしっぽから食べるんだろうが! それとも何か? そんなならあんこの部分食べるのが待ちきれないんすか? 食い意地張ってますねぇ!」

 

「この男!」

 

 またしてもギャーギャーと騒ぎ出す二人。

 そんな二人を見て、ゴルシさんはやれやれと呆れるように見る。

 

「はぁ、なんかこんなことに付き合ってたアタシ達がバカみてぇだな。行こうぜ、ダイヤ。帰りにたい焼き奢ってやるよ」

 

「……あの、ゴルシさん」

 

「ん、どした? まさかお前もあいつらのところに混ざるって言うんじゃ……」

 

「たいやき、って何ですか?」

 

 私が素直な疑問を口に出すと、ゴルシさんを始め、口煩く喧嘩をしていたトレーナーさんとマックイーンさんも言葉を失った。

 

 ……え、私そんなに変なことを言いましたか? 

 

「……そういえばダイヤは生粋の箱入り娘だったか」

 

「え、ええ。まさかたい焼きをご存じないとは思いませんでしたけど……。トレーナーさん、確かたい焼きの余りがありましたよね?」

 

「……そういうことか。ダイヤ、ちょっとこのお菓子を食べてもらっていいか?」

 

 トレーナーさんとマックイーンさんはヒソヒソと会話をし終えると、トレーナーさんは冷蔵庫からお魚の形をしたお菓子を取り出した。

 あれがたいやきというものなのかな? 

 

「食べるって……いいんですか? こんなの貰っちゃっても?」

 

「ああ、しっかり食え」

 

「おかわりもいいですわよ!」

 

 初めて食べるお菓子に好奇心が抑えきれない。

『たいやき』という名なのだから、きっと中にはお魚の鯛が入っているのだろう。あ、でもさっきあんこがどうとか言っていたから、メロンソーダの時のように、このお菓子にはあんこは入っていないのかな……? 

 

「ダイヤ、食べる前に一つ忠告だ。一口目は深く考えず、直感で口にして欲しい」

 

「直感で……ですか?」

 

 そう言われても難しい。このお魚さんはどこから食べても美味しそうだけど……

 ですが、直感で食べろと言われたからにはそうするしかない。

 

 まずは一口……

 

「あむっ……あ、これ美味し」

 

「あああああ!? こいつ腹から食いやがった!」

 

「裏切り者ですわ! ここに裏切り者がいますわ!!」

 

「ええっ!? お腹から食べたら何かまずいことでもあるんですか?」

 

「うるせぇ! たい焼きと言えばしっぽから食べるのが定石なんだよ!」

 

「違います! 普通は頭から食べるものですわ!」

 

「お、お二人とも落ち着いてください! ゴルシさんも黙ってないで何か言って……ください……」

 

 私にはとても応対できずゴルシさんに助けを求めたが、そこに彼女はおらず代わりに『帰る』と書き置きされた紙切れだけが残されていた。

 

「もう我慢できねぇ! こうなったら食べ比べだ食べ比べ! 今日のトレーニングは中止! 今からたい焼き屋行くぞ!」

 

「望むところですわ! 貴方の食べ方と私の食べ方、どちらが美味しいか白黒つけようではありませんか!」

 

 そう言ってお二人は荷物を持って部屋を後にする。

 

 

 ……ああ、これ、ただたい焼き食べたいだけですね。

 

 

 私は先程貰ったたい焼きを口に押し込み、急いでマックイーンさん達の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 マックイーンさんがナカヤマさんとの賭けに負けたため、赤ん坊がするような可愛らしいフリフリの衣装を着て学園を引き摺り回しにされたのはまた別のお話。

 

 

 

 




定期的にふざけた話を書かないと死ぬ病気を患っているので…


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意外な相手

 アタシは強くならなければならない。

 勝たなければならない、勝たないと気が済まない相手がいる。

 

 あの日、テイオーさんに憧れてトレセン学園に入学した。あの人のようになりたかったから、例え大きな目標でも挫けるなんてことはなかった。

 でもそれは、私がクラシックを走るまでの話。

 

 なんとかテイオーさんのように無敗で挑めたクラシックGⅠ。その圧倒的な壁の高さに、声が出なかった。

 皐月賞で3着、ダービーは……14着。どちらも、特に後者は満足の行く結果にはほど遠かった。

 

 極め付けは負けた相手。私が敗北を喫した皐月賞、並びにダービー。

 どちらも勝ったウマ娘は同じ、それも彼女は圧倒的な強さだった。

 どうしてあそこにいるのがアタシじゃないのか、どうしてアタシはあのようになれないのか。そんな考えが、日々私の頭の中を渦巻いていた。

 

 それと同時に、どこからか底知れない激情に駆られた。

 次は勝つ。何があっても勝つ。アタシはこのままでは終われない。

 

 

 

 

 

 

 そう胸に誓った数日後、彼女は脚を故障した。

 

 

 悔しかった。どこにぶつけたらいいのか分からない怒りを覚えた。もう二度と、本気の彼女とぶつかることができないかもしれないと考えると、いてもたってもいられなくなった。

 

 そこからはガムシャラだ。菊花賞、有記念、大阪杯、天皇賞。

 全てを勝てたわけではないけど、アタシはアタシのこれまで以上の全力を出して走った。

 

 結局アタシが答えを出せる場所はターフしかない。走ることでしか答えを見出せない。

 今日の宝塚記念、アタシはまたあの人に負けた。もう勝てないかもしれないって、一瞬そう思わされた。

 

 でも、やっぱり諦めるのは性に合わない。遠ざかっていくダイヤちゃんの背中を、唇を噛み締めて見つめ直す。

 

 

 見てて、ダイヤちゃん。アタシはもう誰にも負けない。

 

 そう、全ては、いつか必ずあの人にリベンジするために。

 

 

 

 ***

 

 

 

 キタちゃんと分かれ、私は阪神レース場を後にする。

 本来なら、ウイニングライブを見届け、〈スピカ〉の皆さんとご一緒させて頂いて東京へ戻る予定だった。

 でもこうなってしまったからには、私はこれ以上ここに留まるつもりは更々ない。

 

 幼い頃から私はキタちゃんの後ろを追いかけるだけだった。

 いつも彼女は私の先を行く。いつも彼女は私を先導してくれる。だからこそ、私はキタちゃんに勝ちたい。差し切りたい。

 

 それなのに……

 

 

 

『ダイヤちゃんには分かんないよ! 誰かの背中を追いかけたことなんて無い癖に!』

 

 

 

 先程のキタちゃんの言葉が頭の中で繰り返される。

 キタちゃんの瞳に映っているのは私ではない。その事実になんだか無性に腹が立った。

 その怒りの矛先は他でもない、ここ最近勝ち切ることができない自分に対して。

 

 

 

「なぁ、ちょっと話いいか?」

 

 そう考えながら東京に帰るための駅へと向かっていると、その途中後ろから不意に声をかけられる。

 それは聞いたことある、しかし聞き馴染みがあるかと言われたらそうではない声だった。

 

「あなたは……たしかチーム〈スピカ〉の……」

 

「おっ、俺のこと知っててくれたか」

 

「えぇ、まぁ。それよりどうしてこちらに? キタちゃん……キタサンブラックのウイニングライブを見に行かないといけないのではないですか?」

 

「ライブまでに時間があってな。それまでに一仕事終わらせようと思って」

 

 〈スピカ〉のトレーナーさんはそんな適当な返答をして軽く笑う。

 ほぼ初対面の私に対して話しやすいようにしてくれているのだろうが、先程のキタちゃんとのやり取りのこともあり、私の心は穏やかではなかった。

 

「……それで、私に何か用ですか?」

 

「おいおい、そんな怖い顔すんなよ。何も悪い話しに来たって訳じゃねぇからよ」

 

 おっといけない、私としたことが顔に出てしまっていたようだ。

 

「す、すみません。私ったらこんな……」

 

「いいって、気にすんな。それよりサトノダイヤモンド、今日はお前に頼みがあってここに……いや、頼みが出来たからお前を尋ねた」

 

「私に頼み、ですか?」

 

「ああ。他でもない、キタサンブラックについてだ」

 

「キタちゃんの……」

 

 先程の崩れた雰囲気とは一変、〈スピカ〉のトレーナーさんは唐突に真剣な表情を見せる。

 そしてそんな彼の口から出てきた名前につい身構えてしまった。

 

「……申し訳ありません、私じゃあなたの期待には応えられないと思います。だって……」

 

「喧嘩したから、だろ?」

 

「ッ、どうしてそれを……」

 

「悪いな。さっきお前達が話しているところを偶然見たんだ」

 

 あ、あれを見られていたんですか……? 恥ずかしい……! 

 

 だが、喧嘩をしたとはいえ、私は特にキタちゃんに何かを言った訳ではない。別れ際に彼女の話を聞かずに去ってしまったのは反省すべき点かもしれないが、だからと言って今の彼女とは仲直りするつもりはない。

 

「……私にどうしろと? まさか仲直りしろとでも言うおつもりですか?」

 

「そんな訳ねぇだろ。君達の仲違いはお前達自身の問題だ。そこに直接介入するのは俺の役目じゃあない」

 

「だったら……!」

 

「でも、レースが絡むと話は別だ。俺はあいつを勝たせてやらなきゃならない。敢えて何もしないと言うのも一つの手段だが、それも限度がある」

 

 彼の言うことはきっと間違いではない。

 私のトレーナーさんだって、レース前に励ましてくれたりしてもらった。

 一ウマ娘ながらも、トレーナーがどのようなことをするのかは少しだが理解しているつもりだ。

 

 それでも、彼が結局何を言いたいのかは良く分からない。まるで真意を外して話しているような気がする。

 

「……先程から何が言いたいんですか?」

 

「焦るなよ。そうだな、俺がお前を尋ねた理由は、あいつに……キタサンブラックに走ることの楽しさを思い出させて欲しいからだ」

 

「……は?」

 

 走る楽しさを? キタちゃんに? 

 

 彼のやりたいことは分かる。今のキタちゃんは走る楽しさを忘れているのは、私でも分かることだ。

 だが、それこそ本当に何故私に頼ったのか分からない。

 

「あなたがキタちゃんのためを思ってここに来たのは分かりました。でも、どうして私に声をかけたのか分かりません。それこそ、キタちゃんの憧れであるテイオーさんや〈スピカ〉の皆さんを頼るべきじゃ……」

 

「お前は、あいつの親友でありライバルだって聞いた。だからこそ、あいつのことを一番良く知るお前でないといけないんだ」

 

 ライバル……私はキタちゃんのライバルに……

 

「頼む、今のあいつに……勝つことしか頭に無い今のキタサンブラックに、走ることの楽しさを思い出させてやってくれ」

 

 そう言って〈スピカ〉のトレーナーさんは頭を下げる。

 そんな彼のウマ娘のことを一番に思う姿は、どこかの誰かさんと被って見えてしまった。

 

「……顔を上げてください、トレーナーさん」

 

「サトノ……」

 

「あなたの言いたいことは分かりました。私も、今のキタちゃんには思うところがあるので」

 

「じ、じゃあ……」

 

「でも、一つ条件があります」

 

 私は人差し指をピンと立て、〈スピカ〉のトレーナーさんに突き立てる。彼の面食らったような顔が少し面白い。

 

「走る楽しさを伝えるには、レースでキタちゃんにそれを伝えます。それも、模擬レースではなくて、公式のレースです」

 

「公式レースっつったって……」

 

「分かってます。今の私じゃ近いうちにキタちゃんとは走れない。でも、やらせてください。私は必ずキタちゃんと走って、そして差し切って見せます」

 

 今度は私が〈スピカ〉のトレーナーさんに頭を下げる。

 

「頼み事をしに来たのはこっちだっつーのに、どうして立場が逆転してんだよ……」

 

「あっ、そ、そうですね。なんかすみません……」

 

「……サトノ。この件、お前に任せる」

 

「あんなこと言っておいてなんですけど、本当にいいんですか? 私が勝つかもしれないようなことを助長させても」

 

「俺が頼んだのは、キタに走りの楽しさを思い出させて欲しいってことだ。あいつなら、相手が誰であろうとも負けやしねぇよ。例え、メジロマックイーンを担当するあいつの教え子だとしてもな」

 

 ニヒルに笑う〈スピカ〉のトレーナーさんは、どこか挑発的な口調で宣戦布告をする。

 残念ながら、私だって負けるつもりはない。それに、そこで勝てばキタちゃんに勝つという目標も達成することができる。

 

「分かっているとは思うが、このことはキタのやつには内緒な?」

 

「ええ、分かっていますよ。もとより、今はキタちゃんとは話しづらいんですけどね」

 

「……すまん」

 

「気にしないでください。キタちゃんとは、私がこの手で……いえ、この脚で決着をつけますので」

 

 走りでの葛藤は走りで、レースでの悩みはレースで解決する、それが私達ウマ娘。マックイーンさんもそう言っていた。

 

「それでは失礼します。私は帰って明日のトレーニングに備えますので」

 

「……やっぱり、キタのウイニングライブは見ていかないのか?」

 

「はい。次にキタちゃんのライブを見るのは、私の後ろで踊ってもらう時なので」

 

「はっ、言ってくれるなぁ。……そういうところ、どこの誰に似ているのやら」

 

「? 何か言いましたか?」

 

「いや、何も。それじゃあな、気をつけて帰るんだぞ」

 

 〈スピカ〉のトレーナーさんは片手を上げてレース場へと戻っていった。

 見届ける訳でもなく私もそれに背を向け、駅のホームへと向かう。

 

 私は先程の〈スピカ〉のトレーナーさんとのやり取り、キタちゃんとの喧嘩、そしてトレーナーさんの言葉を思い出す。

 

 自分の感情と向き合ったからこそ、見えてきたものは私の思っていたものと違っていた。

 前を見て、後ろも見て、そして今の私を見る。それは私が思い描いていた理想像とは全くの別物だ。

 

 でもトレーナーさんの言いたいことは、どんな形でもいいから答えを出せということなのだろう。

 今の私が抱くこの気持ちが正解なのかは分からない。そもそも正解なんてないのかもしれない。

 

 それでも、私は私を信じる。自分より自分のことを思ってくれている人がいる。

 ここで弱気になり逃げてしまうということは、レースに負けるという目の前の恐怖から逃れるだけでなく、誰かの期待を裏切ってしまうことでもあるのだ。

 

 私は……私はそんな自分にはなりたくない。

 GⅠタイトルを取りたいいう願いも、キタちゃんに勝ちたいという思いも。なにより、トレーナーさんの期待も。

 夢や目標がある限り、どんなことがあっても迷ったりしない。

 

 

 そう強く決意し、駅のホームへと辿り着いた私は東京行きの切符を……切符を……あれ? 

 

 

「これ、どうやって買うんでしょうか……?」

 

 

 新幹線の乗り方が分からず、私の決意は早々に阻まれることとなった。

 

 

 



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何があった

お気に入り登録数が1000件を超えていました。ありがとうございます。

拙劣で蕪雑な文章ですが、今後もご覧いただけましたら幸いです。




 

 

 夏が終われば秋が来る。そうは言っても、秋になったところで夏の暑さが……なんか前にも同じようなこと思ったな。もしかして世界ループしてる? 

 

 というのは冗談で、暑い夏が過ぎて暑い秋がやって来たこの時期。

 秋のGⅠレースに向けて練習をするウマ娘達がいるターフは、普段より数倍ひりついた空気が流れている。

 

 

 その中でも、一際真剣な表情をしているウマ娘が一人。

 

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 そのウマ娘、サトノダイヤモンドは長い鹿毛をたなびかせ、ターフにいる他のウマ娘全てを置き去りにする。それはまさしく鬼気迫るといったものだ。

 

 

 そんな彼女をボーっと見ていると、一通りトレーニングメニューをこなしたのであろうマックイーンが近寄ってくる。

 

「……ダイヤさん、少しオーバーワークではありませんこと? これで十本目ですわよ?」

 

「僕もそう思うんだけど、止めても聞く耳持たなくて。でも、夏前と違って何かケジメをつけたような顔してるから止めるに止めれなくてさ」

 

「そのケジメとは何のことですの?」

 

「それは……分からないけど」

 

 ダービーが終わった後、ダイヤには少し長めの休暇を取るように進めた。焦って勝ちを急ぐ彼女には、足りないものを感じたからだ。

 それを教えることは簡単だが、それをしてしまうと意味が無い。

 真に彼女が実力を120%発揮できる時は、サトノダイヤモンドというウマ娘がそのことに気がついた時だ。

 

 まあそれはそれとして、あのトレーニングを休止させた一ヶ月の間に確実にダイヤの心境を変化させる何かがあったのだろう。しかし僕にはそれが何なのかは全く分からない。

 

 一ヶ月という決して短くない期間を休暇にさせたのに関して後悔はしていない。

 結果はどうあれ、今はダイヤ自身が自分の回答を導き出せたのを喜ぶべきだろう。

 

「でしたら、本人に直接聞いてみたらよいのでは? 黙っていましたが、私もいい加減ダイヤさんをなんとかしなくてはと思っていましたので」

 

「……そうだよなあ」

 

 そもそもダイヤの様子が変だと感じたのは七月初頭。

 それまで何度も何があったのかを聞こうとはしたのだが、彼女のこれまでとは真剣な表情を見て迂闊に話しを切り出せなかった。

 

 でも、もう九月。これ以上見て見ぬふりはできない。

 近々、菊花賞へ向けてのトライアルにも出走する予定だ。二人三脚を常としなければならないウマ娘とトレーナーの関係において、今の僕達の足並みは揃っているとは言い難い。

 

「ありがとう、マックイーン。今日ダイヤと話をしてみるよ」

 

「お礼は言葉ではなくて行動で示して欲しいですわね」

 

 マックイーンは悪戯っぽくそう言うと、自身のトレーニングに戻るためターフを駆け抜けて行く。

 

 彼女がこれまで敢えてダイヤに踏み行ったことを聞かなかったのは、僕とダイヤの足並みが揃っていないと判断してのことだろう。

 それは僕達自身で是正しなければならないことだ。そこに第三者が深く介入してしまっては、紛い物となりうる可能性がある。

 

 そうだな、彼女の言う通り、本人に直接聞くとしよう。ここは誰が見ても分かるように逃げてはいけない所だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 早めに切り上げたトレーニングの後、ダイヤに一報入れてから部屋へと戻る。

 

「お、来たか。悪いな、トレーニングの後に呼び出しちゃって」

 

「いえ、それは構わないんですけど。トレーナーさん、どうされましたか? トレーニングの後にトレーナー室へ来て欲しいだなんて」

 

 九月ということもあり、トレーニングを終了したこの時間でもまだ外は少し明るい。

 部屋に入ってくる日差しはちょうどダイヤの顔を照らし……あ、眩しそうですね、今カーテン閉めます。

 

 僕はカーテンを閉めながら話を続ける。

 

「いや、何。今後の君の出走レースについての相談と、ちょっとした質問をしたくてね」

 

 実際ちょっとしたという内容ではないのだろう。それはトレーニング時に見せる彼女の必死な顔が物語っている。

 

「ちょっとした質問……ですか?」

 

 やはり後者が気がかりか。

 気持ちは分かる。レースを控えたこの時期、なにかと過敏になってしまうのだから。

 だからと言ってこの態勢を崩すわけにはいかない。

 あくまで気安く、他愛無くてはならない。そうでないとダイヤの不安を無駄に増幅させてしまう。

 

「ああ、ちょっとした質問。その前にレースについての話だ。君は一ヶ月とちょっとした後に菊花賞を控えている、それは分かっているね?」

 

「はい。これがラストチャンス、もう引くに引けません」

 

「その意気や良し。でもその前に、トライアルである神戸新聞杯に出てもらう」

 

「……そこで優先出走権を獲得するということですか?」

 

「エクセレント、その通りだ」

 

 念には念を入れて。せめて準備は万全に、そして完璧に行わなければならないのがトレーナーの仕事だ。

 それができておらず、マックイーンやダイヤがレースで負ける以前に出走すらできなくなってしまった暁には、その日その週その月は喉に食事が通らないだろう。

 

「分かりました。トレーナーさんが言うんです、私に反対意見はありません」

 

「そっか、それならよかった。……脚の調子はどうだ? 身体とかどこか違和感があるようなら言ってほしい」

 

「大丈夫です、問題ありませんよ。それは私達のことをよく見てくれているトレーナーさんが一番分かっていらっしゃるのでは?」

 

「まあ、そうなんだけどさ。ほら、一応ね? 他に何か心配事とかあるんだったら……」

 

「トレーナーさん」

 

 なんでもない話を続けようとする僕に、ダイヤは鋭い声で僕のことを呼ぶ。

 しかしそれも束の間、次に発せられる声はいつもの優しい声だった。

 

「先程からどうかされましたか? 何かを躊躇っているかのような様子ですが……。それに、私はその『ちょっとした質問』について気になります」

 

 ここまで来て、夏の直前に何があったのか聞くのをチキっているを見透かされたことに恥を覚える。それも自身の担当ウマ娘相手に。

 

「……そうだな、じゃあ本題に入るか。ダイヤ、君の走りは夏から秋にかけてさらに良いものへと成長した。それは僕だけで無くマックイーンからもお墨付きを貰っている」

 

「まあ、光栄です。お二人からお褒めの言葉を頂けるなんて……」

 

「でも、同時に違和感も感じた。ここで言う違和感は、身体的なものじゃなくて精神的なもの。僕は君に約一ヶ月の休養を与えた間に何かあったんじゃないかと踏んでいる。これが僕の杞憂だったら笑い飛ばしてくれてもいい。そうじゃなかったのなら教えてくれ、ダイヤ。一体何があったんだ?」

 

「…………」

 

 僕の質問に、先程まで上機嫌だったダイヤは一気に黙りこくってしまった。やはり踏み入りすぎてしまっただろうか。

 誰にでもパーソナルスペースがあり、そこに誰かが容易に立ち入れないようにするために強固な鍵をかけている。

 今の僕の行為は、その鍵をぶっ壊し土足でズカズカと入り込んでいる野蛮なものだ。最悪の場合、本当に嫌われる覚悟も持っている。

 

 だが、皐月賞以降足並みが上手く揃ってない現状、こうして話すことでしかそれを戻すことはできない。話さずとも分かるというのは幻想だ。

 ウマ娘とトレーナー、コミュニケーション能力が求められるこの関係に置いて、全てをおおっ広げにする必要は無いが、ある程度の胸の内を晒すことは避けて通れない。

 それがクラシック級なら尚更だ、もし身体に影響のあるようなことの場合、最悪怪我や今後のレース人生に響きかねないからだ。

 

「……やっぱりトレーナーさんには敵いませんね。分かりました、お話しします」

 

「踏み入ったことを聞いているのは承知の上だ。それでも気持ちのずれをなんとかするためにも今なんて?」

 

 え、教えてくれんの? 

 

「お、お話ししますと……」

 

「……本当にいいの? あんまりにも話すの嫌だったら話さなくてもいいけど……」

 

「教えろと言ったのはトレーナーさんじゃないですか……」

 

 それはそうなんだけど。

 こうもあっさりと教えてくれるとなると少し拍子抜けだ。こういった場合、中々教えてくれないのがテンプレートだと認識している。

 それが簡単に破られた。なんか調子狂うな。

 

「んんっ、ごめん、取り乱した。なんでもないよ。続けてください」

 

「は、はぁ。えっと、あれは宝塚記念でキタちゃん……キタサンブラックの応援に行った時の話なんですけど……」

 

 ダイヤはその時の事をゆっくりと語り出し……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そんなことが」

 

「はい、それが宝塚記念の日に……」

 

 ざっくりとだが、事情は把握した。

 あの日、テレビで見ていた宝塚記念の裏側でそんなことがあったなんて。

 

 まずは体調に異常があるといったような話ではないということに安堵を覚える。菊花賞を控えたこの時期、怪我で出走を回避したウマ娘というのは記憶に新しい。

 

 ダイヤが話してくれたことは、彼女が阪神レース場を出る最中、沖野トレーナーに一つ頼まれごとを申し出されたということについて、そしてそれは公式のレースで決着をつけるとこいうことについて。

 なんともまあ、『走る楽しさを思い出させてほしい』とは彼らしいというかなんというか。

 そんな彼に影響を受けてトレーナーを生業としているのは他でもない僕なのだが。

 

 沖野トレーナーと考えが似ていることに若干不満を覚えながらも、ダイヤが話してくれた内容に一つ不可解な点を覚える。

 

「なあ、ダイヤ。一つ聞いてもいいか?」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「レースで決着つけるって言ってたけど、どうしてレースなんだ? いや、ウマ娘だからって言われたらそれはそうなんだけど、君達ほどの仲の良さなら直接伝えることだってできるはずだと思って」

 

「それは、その……」

 

 ……何か事情があるようだな。

 腹割って話をしなければならないが、大人としてある程度線引きはしなければならない。

 彼女の反応からするに大体のことは察することができるが、これ以上はあまり詮索しない方が良さそうだ。

 

「話したくないことなら話さなくていいよ。今は君の話せる範囲で話してくれ」

 

「……すみません」

 

 しゅんと落ち込むダイヤはまるで、悪いことをして叱られ罰を受けるのを待っている子供のようだ。

 僕に話したくない内容というのは、それほどまでに彼女にとって良くない出来事だったのだろう。気にならないと言えば嘘になるが、己の好奇心とダイヤの気持ちを天秤にかけるまでもなく後者を優先すべきだということが分からないほど僕も愚かではない。

 それに、彼女の反応から大体のことは察せられる。

 

 

 この状況で僕が気の利いたことも言えるはずもなく、何か良い手立てはないかと悩んでいると、ダイヤの後ろにあるドアの磨りガラスの向こうで、何やら揺れ動きするものが見えた。

 磨りガラス越しというのもあってはっきりとは見えないが、恐らくウマ娘の耳、それも毛色と特徴的な色をした毛先からしてどこかのスイーツ先輩だろう。

 全く、なんだかんだ言って君も心配性なんだから。

 あっ、そうだ。いいこと思いついた。

 

「ダイヤ、宝塚記念の日に何があったかは知らないけど、自分が隠したことは最後まで隠し通すつもりでいるべきだ」

 

「最後まで隠し通す、ですか?」

 

「ああ。僕に話さないってことは自分で何とかするってことだと思う。君がそう決めたなら何も言いはしないさ」

 

「トレーナーさん……」

 

「それにほら、隠し通すって結構難しいんだぜ? マックイーンなんて深夜にこっそり甘味摂ってたの秒でバレてるわけだし」

 

 その時、ドアの向こうでガタガタっと何かが崩れる音がする。

 

「? 何の音でしょうか?」

 

「さあ?」

 

 まさか自分に流れ弾が飛んでくるとは思っていなかったのだろう。ダイヤは特に気にしていないがドアの向こうで盛大にずっこけているマックイーンが見える見える。

 

「そんなことより、君は沖野トレーナーの頼みを公式レースで完遂させるんだよな?」

 

「は、はい、そう〈スピカ〉のトレーナーさんに伝えました」

 

 なるほど、なら話は早い。

 

「だったら、ローテーションを考慮してキタサンブラックと共に走れるここから一番近い且つ大きなレースはただ一つ」

 

 指パッチンで間を取り、一冊のノート、所謂スクラップノートを取り出す。

 そのノートに書かれてあるレースの名前は……

 

「有……有記念!?」

 

「そう、グランプリ有記念だ。君達の決戦のにはちょうど良い舞台だろ?」

 

「で、でもいきなりこんな大舞台に……」

 

「あら、怖気付いちゃった?」

 

 僕のやっすい挑発にダイヤは少しむすっと顔を顰める。この子もどこかの誰かさんと同じ匂いがするな。将来が心配だ。

 

「私、勝ちますから。神戸新聞杯も菊花賞も有記念も全部勝ってみせますから」

 

 そう言ってダイヤは拗ねたような態度を見せる。

 うん、十分だ。ここ最近思い詰めた様子の彼女からその気持ちを引っ張り出すことができた。

 

「そっか、君がその気でいるなら、僕は協力を惜しまないよ」

 

「ふふっ、当然です。だってトレーナーさんは私の面倒を一生見るって仰ってくださいましたもんね?」

 

 このガキ……随分と恥ずかしいことを思い出させてくれるな。

 

「いや、それはあの時の流れと勢いで……」

 

「それは聞き捨てなりませんわ! 一生とはどういうことか説明してくださいまし!」

 

「マ、マママ、マックイーンさん!?」

 

 先程までドア越しで聞き耳を立てていたマックイーンは案の定乱入してくる。

 ドアの向こう側にマックイーンがいることに気がついてなかったダイヤは、突然の出来事に顔を赤くして飛び跳ねる。

 

「さあダイヤさん、これは一体全体どういうことですの!? 返答次第によっては……」

 

「ち、ちち違います! 決して不埒な事では……」

 

「私も仲間に入れてもらいますわよ!」

 

「そっちなんですか!?」

 

 これはもう収集つかねぇなぁ。もう諦めて二人には寮に帰ってもらおう。

 

「はいはい、僕を揶揄おうとしただけなのにそれをマックイーンに聞かれて恥ずかしい思いをしたダイヤも、そのダイヤが心配で聞き耳立ててたマックイーンも今日は遅いし早く寮に帰って……ちょ、やめっ、やめろ! 二人がかりで服引っ張るな! 伸びるだろ!」

 

 図星を突かれたおバカ二人と鍔迫り合いになるも、相手はウマ娘。勝てるはずもなく服がかなり伸びることになった。

 くそ、ワイシャツ一枚ダメになったじゃねぇか。

 

「いった……やっぱ容赦無いなあいつら……」

 

 僕に逆襲して満足したのか、二人はさっさとトレーナー室から出て行ってしまった。

 血も涙も無い。普通に心が痛い。沖野トレーナーの気持ちがちょっと分かった。

 

 今日は僕も帰るか。ウマ娘だけじゃなくてトレーナーにも休養が必要だ。主に心の。

 

 そう思い帰る支度を始めると、一通の連絡が入る。

 どうせ沖野トレーナーだ。また奢れって言われるんだろう。無視しても良かったのだが、ここでそうしてしまうと後がうるさい。

 

 面倒だと思いながらも恐る恐るスマホのロックを解除すると、意外や意外、そこにはつい先程僕のことをボコボコにしたダイヤの名前があった。

 チャットアプリを開き、彼女からの連絡を確認すると

 

『一生面倒、見てもらいますからね?』

 

 と、一言だけ。

 

 ……はいはい。仰せのままに、お嬢様。

 

 入学当初はあんなだったのに、いつの間にか随分と信頼を寄せられてもらえるようになったものだ。

 

 ダイヤにテキトーな返しをし、スマホをいじって電話帳から目当ての人物に着信を入れる。

 

 

 

「……ああ、沖野トレーナー。暇だったらちょっと飲みに行きませんか? 僕の奢りで。……は? ゴールドシップが真面目に走るくらい珍しい? ちょっと何言ってるか分かりませんけど、特別に聞かなかったことにしてあげますよ。今の僕は少しばかり機嫌が良いのでね」

 

 伸びたワイシャツから着替えることなく、僕は耳にスマホを当てながらトレーナー室の電気を消した。

 

 

 



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菊の勲章

 

 

 菊花賞の前哨戦となる神戸新聞杯。そこで我らがサトノダイヤモンドは見事に一着を勝ち取った。きさらぎ賞以来、実に半年ぶりの勝利である。

 

 彼女の勝利が確定した瞬間、僕も思わず拳を握った。敗北は何度経験しても慣れることはないが、勝利というのも何度経験しても慣れない。

 その時、その瞬間の喜びというのは何物にも変え難いものだ。

 

 とはいえこの神戸新聞杯、危ない勝ち方だったのは間違いない。

 いつも通り中団に控えて直線で抜け出すところまでは良かったのだが、結果二着となったミニーミサイルというウマ娘の末脚は侮れるものではなかった。

 残り200mを切って直ぐ、レースは完全に二人の一騎打ち。

 ダイヤはなんとか意地と執念、そして根性でクビ差勝利を果たし、一番人気という世間の期待に応えたのだった。

 

 ともあれ、神戸新聞杯の上位三名は菊花賞の優先出走権を与えられるということで、何事もなく菊の舞台へと駒を進めることができた。

 それが意味することは、ダイヤはもちろん二着のミニーミサイルも菊花賞へと出走しているということだ。

 それだけじゃない。同じく神戸新聞杯三着のブルーオールド、皐月賞一着のイーダイナティと言った強豪も揃っている。

 

 だが、ダイヤも負けていない。

 あれが危ない勝利であったのは間違いないが、やはり覚悟を決めたダイヤは強い。今の彼女であれば、相手が誰であろうと負ける気はしていない。

 

 

 そしてその菊花賞出走開始の数分前。

 今日はいつものように地下バ道でダイヤを待ち伏せではなく、マックイーンと共に彼女の控え室まで来ていた。

 

「……よし、まずは作戦の最終確認だろ? そして次にコースの注意点と相手の情報、最後に痛いっ!? こ、腰が!」

 

「だ・か・ら! 貴方が力んでどうするのですか! 皐月賞の時も似たようなこと言いましたよね!? いい加減成長したらどうなんですの!」

 

 マックイーンに思い切り腰辺りをしばかれ、僕はその場に崩れ落ちる。

 その後の彼女の正論で、腰の痛みがなんだか倍増されている気がする。

 

「まあ待てよ、マックイーン。人類史、もしくはウマ娘史以来、正論が人を傷つけたことはあっても救ったことは一度もないんだ。端的に言えば傷ついた」

 

「確実にこの場とその体勢で言ってもいいセリフではありませんわね」

 

「その腐ったみかんを見る目やめよ? な?」

 

 ダイヤもそうだが、たまにマックイーンは僕のことを慕ってくれているのか怪しい時がある。こういう厳しいところは出会った時から変わってないな。

 

「……そういえば、君が最初に勝ち取ったGⅠタイトルも菊花賞だったよな」

 

「……ええ、そうでしたわね。あの頃はまだ未熟で、その時点でトレーナーさんとの絆も不十分でした。ですが、貴方と真に絆を結べたと実感できたのが菊花賞であるのもまた事実。ですから、きっとダイヤさんも……」

 

「そっか……」

 

 なんか照れ臭い。これはあれか、飴と鞭ってやつか。マックイーンと夫婦になったつもりは無いが、完全に尻に敷かれている気がしてならない。

 

「あ、なんだか外で声がすると思ったら、マックイーンさんとトレーナーさんだったんですね」

 

 そうこうしていると、もうこれで三度目になる緑の勝負服を着たダイヤが控え室から姿を現す。

 

「ああ、悪いなダイヤ。集中乱しちゃったか?」

 

「そんなことはありませんよ? むしろレース前にお二人のお姿が見えて安心してます」

 

「大事なレースの前だというのに、随分と落ち着いていますわね」

 

「はい、これまでたくさん悩んで考えましたので」

 

「そうですか……。トレーナーさん、少しダイヤさんと二人にしてもらってもよろしいですか? 貴方はそこら辺で時間を潰してきてください」

 

「それはいいけど必要最低限の使えるお金引いたら200円しか残ってないから何もできないよ?」

 

 マックイーンにいいから早く行けという顔をされたので、ダイヤに一言声をかけた後僕は一足先にスタンドへと足を運ぶ。

 

 彼女がダイヤに何を伝えたいのかは分からないが、思い返せばマックイーンは何やらダイヤに対して思うところがあるようだ。

 それが単に後輩だからと言われたらそれまでなのだが、どうもそうでは無い気がしてならない。

 それらを加味して、素直にマックイーンの言うことに従うのが吉だろうと判断したわけだ。

 

 後、単純にウマ娘達の間に割り込むようなことはしたくない。勝手に同士扱いされているアグネスデジタルからお灸を据えられることになる。

 

 

 一つ寄り道をしてからレースを見渡せるスタンドへと辿り着く。

 例に漏れず今年も満員、盛り上がりに欠けることはない。

 

『さあ今年もやって参りました、クラシック最終戦GⅠ菊花賞! 栄光の座を手にするのははたして誰なのか!』

 

 レース場全体に響き渡る実況の声が聞こえ、世代の頂点を決めるレースもこれが最後だということを実感させられる。

 

 泣いても笑っても、クラシックの冠を取れるのはこれが最後のチャンス。

 このレースに勝てば、有のファン投票でダイヤが選ばれる可能性はグッと上がるだろう。

 恐らく、彼女がライバル視しているキタサンブラックはその上位に食い込んでくる。

 

 だが、そんな思惑がありつつも、僕もダイヤも思っていることは同じなはずだ。

 

 勝ちたい。それに尽きる。

 

「お待たせいたしましたわ、トレーナーさん」

 

 僕より少し遅れてマックイーンがやって来た。

 

「ああ、マックイーン。ダイヤにはなんて言ったの?」

 

「大したことは言ってませんわよ。『憧れの先で待っています』と声をかけただけですわ」

 

 憧れの先、ね。

 その言葉に、少し考えさせられてしまう自分がいる。

 

「どうかされましたか?」

 

「いや、なんでもない。この金欠事情をどうしようかなと思って」

 

「……そういえば先程、200円しか無いと仰っていましたが……その、大丈夫なんですの? 生活とか」

 

「だいじょばない。あと80円しか無いもん」

 

「ジュース買ってる場合ではありませんわよ! 何故こんな大事なレースの前に破産しかけているのですか!?」

 

 

 

***

 

 

 

 ファンファーレが鳴り響き、菊の勲章を手にしようとせんライバル達は次々と枠入りを完了させる。

 

 このレース、負けるわけにはいかない。絶対に勝ちたい。

 

 そんな思いを胸に私もゲートへと歩みを進める。

 そして枠入りの最中、レース前にマックイーンさんからかけられた言葉を思い出す。

 

『神戸新聞杯の勝ちウマ娘、そして皐月賞、日本ダービー共に上位入着のサトノダイヤモンドもゲートへと入ります』

 

 先程、マックイーンさんに二つのことを伝えられた。

 一つはこの菊花賞のこと。3000mという私にとって初めて走るこの長い距離において、重要なのは走り切るためのスタミナはもちろんのこと、判断力や思考力も重要だとマックイーンさんは仰られた。

 

 そしてもう一つは、『憧れの先で待っている』ということ。

 

 マックイーンさんの言いたいこと、彼女の言う『憧れの先』、それがどこなのかは正直なところ分からない。

 クラシック三冠の最終戦とはいえ、所詮私は駆け出しだ。強大な同期、まだ見ぬ強敵。そして、絶対に勝ちたいライバル。どれを取っても高い壁だ。

 

 でも、そんな壁を乗り越えなければマックイーンさんの言う『憧れの先』に辿り着くことはおろか、私自身の叶えたい夢や目標にだって手が届かない。

 

 

 

 トレーナーさん。私、この脚で必ず勝利を掴んで見せます。

 

 私は、あなたと一緒に夢を叶えたい。

 

 

 

 

 全てのウマ娘が枠入りを終え、今か今かとゲートが開くのを待ち……

 

 

『さあ、各ウマ娘ゲートに収まりました。GⅠ菊花賞……スタートです! バラついたスタート、6番イーダイナティ、3番サトノダイヤモンドは良いスタートを切りました』

 

 よし、スタートは好調。必ずしも内枠有利というわけではないが、2枠3番という枠番を引けたこともあり、開始早々躓くという最悪の事態は免れた。

 

『先行争いに入ります、2番シャルルドゴール、外からかわして行った5番フューチャーパルム。外から15番サトノスターが上がって、ここで先頭に並びかけます』

 

 前方を走る同じサトノグループの子が先頭のウマ娘にくらいつく。

 その子も含めて、私の位置は前から数えて六番目。いつも通り中団より少し前くらいの場所で様子を見ることができている。

 

『そして内、緑の勝負服3番サトノダイヤモンドの外からかわして行くのは……』

 

 途中抜かれてしまったが焦りは禁物。私の後方にいるのは、皐月賞でとてつもない末脚を見せたイーダイナティさん、そして先日の神戸新聞杯で覇を競ったミニーロケットさんだ。

 レースはまだ始まったばかり。私は焦らず落ち着いて、強い意志を保ち持久力を抑える。

 

『各ウマ娘4コーナーを超えて正面スタンド前に入ってきました。サトノダイヤモンドは先団、その後ろにイーダイナティが続くという展開。気負っているのか、サトノダイヤモンドは内で、内で脚を溜めています』

 

 一周目のホームストレッチに入り、後方からのプレッシャーを背中に浴びながら1000mを通過。

 気配から察するに、皐月賞を勝ったイーダイナティさんは私よりも何人か挟んで後ろに位置している。少なくとも真後ろにピッタリくっつかれている訳ではなさそうだ。

 

 隊列はほとんど落ち着き、そのまま前で逃げている二人が引っ張る形で1コーナー、そして2コーナーへのカーブに入った。

 

『さあ各ウマ娘が2コーナー、この秋風をスルスルと各ウマ娘が2コーナー。先頭はフューチャーパルム、速いペースで逃げている二バ身のリード。そしてサトノスターが二番手にいます』

 

 中盤もしっかりと抑え向正面に入る。何人かに抜かされて今の私は前から九番目くらいだ。

ここで速度を上げるには早すぎる。いつものように我慢しなければならない。

 

 

 そう思っていた時。

 

 

「っ!?」

 

『内から行ったのは4番スーパールミエル! スーパールミエルがここで動いた!』

 

 外を走っていた私と一人挟んで、早くもぐんぐんと前へ出るウマ娘が現れた。

 その方に釣られてしまったのか、他のウマ娘達も次々と私を抜かして前へと出ようとする。

 それを見て私も速度を上げてしまいそうになるが、中団で折り合い脚を溜めると決めた私はなんとか現状維持を努めた。

 

 ふと、速度を上げていく方々の中にイーダイナティさんの姿もミニーミサイルさんの姿も無いことに気がつく。

 今の私のいる位置はお世辞にも前の方では無い。そして彼女達も私と同じく中団に控えている筈だ。

 

 そしてなんと言ってもこの圧力。

 

 ああ、凄いプレッシャーだ。ただ彼女達の前を走っているだけだというのに、お前には絶対に負けないという彼女達の意志を強く感じる。

 以前までの私なら、怯んでしまい冷静さを奪われていたかもしれない。

 

『悲願叶うか3番サトノダイヤモンド、真ん中に8番ミニーミサイル、脚を溜めているぞ二冠果たすか6番イーダイナティ。3コーナー、坂の頂上にかかってきました』

 

 よし、仕掛けるならここだ。

 

『振るい落としはもう始まっています。おおっと、緑の勝負服サトノダイヤモンドが前、その後ろからイーダイナティがピッタリとマーク! 早くも火花を散らしている、3、4コーナー中間で坂の下りを一緒に下る!』

 

 気を見計らって徐々に進出を開始したが、背後に纏わりつくどころかほぼ隣に合わせられ、プレッシャーをより間近で受けることになった。

 でも、その条件は相手も同じ。

 

 

 私は負けるわけにはいかない。いや……

 

 

『サトノダイヤモンドとイーダイナティ、悲願か、それとも二冠か!?』

 

 

 勝ちたい……っ!

 

 

『さあ4コーナー! どのウマ娘も前を射程に入れた! 射程に入れて直線コースに入ってきた! フューチャーパルム、二バ身のリード! サトノダイヤモンド持ったままだ! サトノダイヤモンド、ここで先頭に変わる!』

 

 最終直線、大外にいたイーダイナティさんを振り切り、一番前で逃げていたウマ娘を追い抜く。

 

『イーダイナティ、外から皐月賞ウマ娘が襲いかかってくる! 一番外からカラフルカーブ! 一番外からカラフルカーブ!』

 

 残り200m。前には誰もいない。

 

 行ける、ここからさらに突き放す!

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

『しかし、抜ける! 抜ける! やっと、やっと悲願が叶う! サトノダイヤモンド! 悲願叶った、サトノダイヤモンド! 今一着でゴールイン! この一冠だけは渡せなかった!』

 

 ゴール板を通過し、ゆっくりとスピードを緩めて足を止める。それと同時に、とてつもない疲労感に襲われた。

 初めての長距離レースだったこともあり、3000mという長い距離は私に合った距離ではなかったのかもしれないと感じさせられてしまう。

 それでも走り切った。走り切り、そして勝つことができた。

 疲労感に襲われながらも、一つ目標を叶えることができたその事実を受け止めきれず、本当に現実で起こったのかを疑ってしまう。自分で自分のほっぺたをつねり……

 

「……痛い」

 

 どうやらこれは現実のようだ。

 ということは、GⅠ勝利をお家に、そしてトレーナーさんにプレゼントできたということに他ならない。

 

「私、本当に勝てた……?」

 

 ようやく疲労も収まり落ち着くと、今まであまり気にしていなかったものが見えて聞こえてくる。

 

 親しい関係にある方々達からだけの声援じゃない、スタンドにいる大勢の方々からの大歓声。それが今、私に向けられている。

 

 一礼をし、応援してくださった全ての方々に感謝の意を示す。

 さらに大きくなった歓声を一身に浴び、その事実がGⅠ勝利の目標を達成したということを私に実感させていた。

 

 

 

***

 

 

 

「ダイヤさん、おめでとうございます。私は今度こそ貴方が勝てると信じていましたわ」

 

 控え室に戻るために地下バ道を歩いていると、マックイーンさんとトレーナーさんが私を出迎えてくれていた。

 

「マックイーンさん、私やりました!」

 

「ええ、流石ですわね。ですが、ここで立ち止まってはなりませんのよ? これだけで満足せず、更なる高みを目指して精進を……」

 

「そんな無理に先輩風吹かせなくても。ダイヤが一着取った瞬間あんなに跳ねて喜んでたのにさ」

 

「ト、トレーナーさん!? それは言わない約束ですわよ! き、聞いていますの!?」

 

「はいはい、聞いてない聞いてない」

 

「せめて聞いてると言いなさい!」

 

 トレーナーさんはマックイーンさんが隠したがっていたことを赤裸々に暴露する。

 そんな彼は、顔を赤くして抗議するマックイーンさんを適当にあしらい私と対峙する。

 

「菊花賞優勝、並びに目標達成おめでとう、ダイヤ。最後の末脚の切れ味、見ていて惚れ惚れするものだったよ」

 

「トレーナーさん……私、やっと……やっと勝てたんですね」

 

「レースもライブも、今日の主役は間違いなく君だ」

 

 トレーナーさんとマックイーンさんの声を聴くとこれほどまでに気が緩んでしまうのか。

 ダメだ。この半年我慢していたものが、負けても唇を噛んで堪えていたものが溢れてしまう。

 

「……ダイヤさん」

 

「……あ、あれ? ご、ごめんなさい、私……絶対泣かないって決めてたのに……」

 

「……よく今まで我慢しましたわね。その涙こそ、今日貴方が勝利を掴み取った証そのものですわ」

 

「マックイーンさん……」

 

 涙を抑えることができずにいる私を、マックイーンさんはそっと抱き抱えてくれる。

 こうなってはもう止まらない。私は彼女の胸の内で一通り涙を流す。

 

 どれくらい時間が経っただろう。数秒か、それとも数分か。

 なんにせよ、マックイーンさんは私が泣き止むまで胸を貸してくれた。これ以上彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。

 

「マックイーンさん、ありがとうございます。もう大丈夫です」

 

「……それでは、あそこで手持ち無沙汰の状態にあるトレーナーさんの下へと参りましょうか」

 

「ふふっ、そうですね」

 

 私とマックイーンさんは、私達のやり取りを少し離れた位置で見守っていたトレーナーさんの下へと向かう。

 その際、私はある事に気がついた。

 

「トレーナーさん、お待たせ致しましたわ」

 

「いいや、問題無いよ。それじゃ早速だけど、ダイヤはウイニングライブの準備だな。お祝い諸々に関してはまた後日……」

 

 そういえば私、まだトレーナーさんにお礼を言えていない。

 

 そう思うと居ても立っても居られず……

 

「あの、トレーナーさん」

 

「っと。ん、どした?」

 

「……今日、私がこの菊花賞を勝てたのはあなたのおかげです。あなたと一緒だったから勝てました。デビュー戦もきさらぎ賞も全て」

 

「……」

 

「私、このチームに入って本当に良かった。トレーナーさん、改めて感謝を。ありがとうござ……」

 

「ダイヤ」

 

 感謝の言葉を伝えながら頭を下げようとした私を、トレーナーさんは優しい口調で遮った。

 

「ダイヤ、その言葉はもう少し後に取っておこうぜ。それに、君はまだ目指すべき目標が残っているだろう?」

 

「トレーナーさん……」

 

「……それに、何も感謝してるのは君だけじゃないんだからさ」

 

「? それは一体どういう……わぷ」

 

「まあなんだ、この先も二人三脚で頑張ろうって話さ」

 

 そう言ってトレーナーさんは私の頭を撫でる。

 

 ……トレーナーさんの手、大きいなぁ。種族的なこともあるので、私よりも全然力は弱いはずなのに、彼の方がずっと頼もしい。

 

 この時間が永遠に続けばいいのに。

 

 頭を撫でられるのが心地よく、つい目を細めてしまう。

 そして、撫でられるたびに私の鼓動は段々と早くなっていき…………

 

 

 

 ……あれ? なんだろう、この気持ち。

 

 

 

「……どうかした?」

 

「うぇ!? い、いえ、なんでもありません、私はなんとも……あ、ああっ、そうです! 私もう行かなくては! そ、それではトレーナーさん、マックイーンさん、また後ほどお会いしましょう!」

 

「ダ、ダイヤ!?」

 

 私はトレーナーさんの手を振り切って思い切り地下バ道を駆け抜ける。

 そのまま控え室まで一直線に走り、誰もいないのを確認してから部屋に入り鍵を掛け、そのまま地べたにへたり込み気持ちを整える。

 

 トレーナーさんに頭を撫でて貰った時、私は私の知らない感情に襲われた。

 

 今まで彼に頭を撫でて貰ったことがないわけでは無い。

 皐月賞の後私が落ち込んで悲観していると、彼は静かに今日と同じことをしてくれた。その時は安心や信頼と言った言葉が第一に出てきたのだが、先程のあれは明らかに違う。

 

 彼のことを考えるだけで鼓動が早くなり、心なしか、頬が火照り体温も上昇している。

 マックイーンさんに相談してみようかと考えたが、なぜかこの気持ちは自分一人の力で解明しなければならない気がする。

 

 体験したことない感覚に、私はただただ混乱するばかりだ。

 ただ、分かっていることはこの気持ちはトレーナーさんに対してということ。

 そして、それは彼と共に走り抜くことで遠くない未来に見えてくるに違いない。

 

 ならば私は走り続けよう。

 家族のため、応援してくれる皆のため。そして何より、自分自身の気持ちのために。

 

 

 

 

 でも今は……今だけは……

 

 

 

 

「…………えへへ……」

 

 私はトレーナーさんに撫でられたところに手を当て、二つの意味で勝利の余韻に浸るのだった。

 

 

 



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どうしてウマ娘はいつも勝負したがるんですの?

これと次の話はおふざけ回なので……




 

『悲願叶った、サトノダイヤモンド! 今一着でゴールイン! この一冠だけは渡せなかった!』

 

 スタンドから少し離れたところで、ダイヤちゃんの圧勝という結果に終わった菊花賞を観戦していた。

 画面越しではなく、こうして生で彼女のレースを見るというのはなんだか久しぶりな気がする。

 それほどまでにこれまでのあたしは自分のことしか頭になかったのかと思うと、いつか一緒に走ろうと約束し合ったダイヤちゃんに対して凄く申し訳ない気持ちが湧いてくる。

 

 そしてあの宝塚記念の日、激情に駆られダイヤちゃんの気持ちを考えなかった後悔も……

 

「……おう、遅くなってすまん」

 

「トレーナーさん……。遅すぎます、レース終わっちゃいましたよ?」

 

「お前がレース直前になって大量注文するからだろ……。今日はゴルシ達もいないしそんなに出費が重ならないと思ってたのによ……」

 

「何か買ってこようかって言ったのはトレーナーさんですよね?」

 

「はいはい分かりました、俺が悪かったです。ったく、そういうところ誰に似たのやら……」

 

 今日私がここに来ているということはダイヤちゃん達には伝えていない。

 かと言って一人で菊花賞の舞台である京都レース場へ行くというのは、あたしがまだ中学生というのもあって許可が降りず仕舞い。

 仕方がないからテレビで見ようと思ったけど、どうしてもこのレースは生で見とかなければならない気がしてならなかった。

 

 そこであたしが頼んだのは……

 

「それで、分かったのか? 今のお前自身に足りない物ってのは」

 

「……いえ、まだ全然。正直、これからどうすればいいのか分からなくて……。でもでも、はっきりとしたものは分からなくても、覚悟は決まりました!」

 

「へぇ、覚悟……」

 

「今日のレースを見て思ったんです。今のあたしはテイオーさんや先輩達を追いかける立場であると同時に、今年クラシックデビューしたウマ娘に追いかけられるんだなって」

 

 あたしはこの学園に入って誰かを追いかけることしかしなかった。憧れの先輩、テレビや雑誌でしか見たことのなかったウマ娘。

 そんな偉大な方達を実際に見ると、いずれ追いかけられる立場になるということを忘れさせられてしまっていた。

 

 でも、今日のダイヤちゃんの走りで気付かされた。

 いずれあの走りが後ろから迫ってくる。あの走りがあたしを差し切ろうとする。

 

 

 絶対に負けたくない。あたしの心の奥底で、そんな感情が湧き上がった。

 

 

「来月のジャパンカップで勝ってそして……次の有記念、そこでダイヤちゃんを迎え撃つんです」

 

「……それがお前の答えなんだな?」

 

「はい、あたしはもう迷いません! よーし、勝つぞー! せいやっ、そいやっ、せいやっ!」

 

「……ひとまずなんとかなったってとこか」

 

「ん? 何か言いましたか?」

 

「いや、何も。それより、勝つぞ、サトノダイヤモンドに」

 

「っ、はい!」

 

 あたしは滾る気持ちを抑えてもう一度ターフを見下ろし、スタンドに向かって深々とお辞儀をするダイヤちゃんをじっと見つめる。

 

 

 見てて、ダイヤちゃん。あたしは絶対にあなたには負けない……! 

 

 

 

 ***

 

 

 

 都内某所ゲームセンター

 

 

 研ぎ澄まされた神経、流れる汗水、永遠のようにも感じさせられる緊迫した空気。

 

 幼い頃からこの場所へ足を運ぶことが多かったというのに、この緊張感というのはいつまでも新鮮味を感じる。

 諸行無常、万物流転、つわものどもが夢の跡と言わんばかりに様相が変化しているというのもあるが、それは些細なことに過ぎない。

 

 大事なのは好奇心。人はそれを繰り返して成長する。

 故に、何度挑戦してもまた新しい発見によって生み出される好奇心が、自分をまた一つ高みへと連れて行ってくれる。

 

 

 さあ、もう観察は十分だろう。そろそろこの静けさに決着をつけようじゃあないか。

 

 

「トレーナーさん! 私を! 私のぱかプチを狙ってくださいませ! ぜひ私を手に入れてくださいますよう……」

 

「うるせぇよ! 分かったからちょっと黙ってろ! お口チャックだ!」

 

 ……気を取り直して。

 

 人差し指で弄ぶは一枚の百円玉。そして対面するはウマ娘のぬいぐるみ、通称ぱかプチが入ったクレーンゲーム。

 五百円玉を入れた方がお得だよ、と言ったアドバイスは不要だ。今の僕なら一発で取れる気しかしない。

 

 

 ワンクレ上等、いざ尋常に! 

 

 

 親指でコインを弾き、片手でキャッチしたそれを筐体に入れ、今度こそ固唾を飲むマックイーンに見守られながらボタンを押す。

 格闘ゲームをやっている最中、バックで流れるBGMが全く聞こえなくなるのと同様、アームを操作している最中は集中のあまり何も聞こえなくなる。

 

 右、そして上。二つのボタンをジャストタイミングで離し、お目当てのマックイーン(ぱかプチ)のちょうど真上でアームを止める。

 

 ……へっ、勝ったな。

 

 勝利の美酒に酔いながら、降ろされるアームがマックイーン(ぱかプチ)をしっかりと捉えるのを確認する。

 そのままマックイーン(ぱかプチ)を持ち上げようとしたアームは……

 

「「……あっ」」

 

 あろうことか、持ち上げることすらせずマックイーン(ぱかプチ)の体勢を座っている状態から仰向けに崩しただけで幕を閉じた。

 

 一体何が起きた? 確かにアームはしっかりとマックイーン(ぱかプチ)を捉えていたはずだ。僕の完璧な計算に狂いはないはず。

 

 だとしたら考えられる可能性は一つしかない。

 

「は? なにこれしょうもな。アーム弱すぎだろ。ウマゾンで運んでもらった方が早いじゃん」

 

「って、ああああ!? そんなこと言ってる場合ではありませんわよ! わ、私のぱかプチが……」

 

「ん、どうしたそんなに慌てて、マックイーン(本物)」

 

「……何かイラッとくる呼ばれ方ですわね。そうではなくて、私のぱかプチの下着が丸見えになってます! なんてはしたない……。どうにかしてください、トレーナーさん!」

 

 はしたない、ねぇ……。

 出会った頃ならいざ知らず、スイーツに簡単に釣られたり、男湯に入りそれを正当化したり、野球中継でタオル振り回しながら奇声を上げてた姿が全国中継されたんだから今更だとは思うんだけど……

 そもそも下着が丸見えって、ぱかプチなんだからそんなところ大した作りでもなかろうに。

 

「……まあ別に問題無いんじゃないかな。あれはあれで面白いし」

 

「問題無い!? 面白い!?」

 

 ぎゃーぎゃーと抗議するマックイーンを無視していると、本日の主役と呼べる人物が姿を現す。

 

「あ、トレーナーさ〜ん!」

 

「おう、ダイヤ。ゲーセン一周してみてどうだった?」

 

「とっても楽しかったです! 物凄い手の早さで鍵盤? のようなものを叩くお方がいたり、洗濯機のような筐体を身体全体を使って叩いていたり、今年はお猿さんの年ではないのに『今年は申年ぃ』と叫ぶお方がいたりで……」

 

「うん、多分楽しみ方間違えてるね」

 

 そんな所と言ってはなんだが、ゲーセンガチ勢の闇が見え隠れするような場所にダイヤを踏み入れさせてしまった僕の罪はかなり重いのでは無いか? 最後に至ってはエクストリームでバーサスなゲームだし。

 彼女には先の記憶を墓場まで持っていかせることにしよう。

 

 本日はダイヤが菊花賞を優勝したということで、彼女への御褒美として可能な範囲で望みを叶えることになっている。

 そこで彼女がチョイスしたのがゲームセンターという訳だ。

 何故ゲームセンター? と思うかもしれないが、ダイヤは生粋の箱入りウマ娘。きっとこう言った場所や、そもそもゲーム等に縁があまりなかったのだろう。たぶん、知らんけど。

 

「それで、マックイーンさんは何をなさっているのですか?」

 

「あいつは気にしなくていいよ。クレーンゲームで自分のぱかプチ狙ってるだけだから」

 

「まあ、クレーンゲーム! でしたら私が……あら? あそこにおられるのは……」

 

 マックイーンが鬼の形相で硬貨を入れ続ける向こうで、トレセン学園の制服を着た二つの後ろ姿が何かを探すような素振りを見せていた。

 

 あの二人は確か……

 

「エアシャカールとナリタタイシン……?」

 

 片や頭脳派ロジカル主義なデータ至上主義者。片やBNWの一人で人気の少ないところを好む一匹狼。

 自分は彼女達のことはあまりよく知らないが、分かっていることと言えば少なくとも二人で仲良くゲーセンに行くような仲ではなかったはず……

 

「お二人とも何をなさっているのでしょうか……?」

 

「さあ? 何かあったんかな?」

 

「ふむ……私聞いてきますね!」

 

「あっ、ちょっと待っ……」

 

 まずい、エアシャカール達のことをよく知らない僕でも分かっていることがもう一つある。

 というのも、彼女達は共通してかなりの曲者であり……

 

「こんにちは、エアシャカール先輩にナリタタイシン先ぱ……」

 

「あ゛ぁ!? 見せ物じゃねェぞコラァ!」

 

 こっわ。並のメンタルの持ち主じゃ漏らしていてもおかしくない。

 あのダイヤですら一瞬怯んでしまっている。

 

「ちょ、やめなよ。この子怖がってんじゃん。悪かったね、嫌な思いさせて。アタシ達急いでるから……あれ、アンタ……もしかしてサトノダイヤモンド?」

 

「あン? ……って、マジじゃねェか」

 

「え? 私のこと知ってくださっているのですか?」

 

 すかさず止めに入ったナリタタイシンと初手威嚇から入ったエアシャカールはダイヤのことを知っているかのような口ぶりだ。

 それはそうだろう。今のトゥインクル・シリーズ、特にクラシック級においてダイヤは最も注目されているウマ娘と言っても過言ではない。

 

「おう、もちろンだぜ。こないだの菊花賞、オレもテレビで見てたからな」

 

「アタシも。てか、今じゃアンタのこと知らないって人の方が少ないと思うよ?」

 

「そ、そんな……少しばかり照れますね……」

 

「あン時の走りは痺れたなァ。3000mの距離だッてのに上り3ハロンは推定34秒前後、さらに二着に二バ身以上の差をつけての圧勝。……もっと正確なデータが欲しいな。サトノダイヤモンド、今度都合良い時に併走付き合ってくれねェか?」

 

「え、えっと……私は構いませんけどトレーナーさんに許可を……」

 

 ダイヤは少し遠慮しがちに僕の方を向く。

 それに釣られてエアシャカールも僕の方を見……いやこれ睨んでるだろ、子供泣くぞ。

 

「あー……こちらとしても願ったり叶ったりってとこだ。この先、シニア級のウマ娘とも戦う必要がある以上、エアシャカールのような実力者との併走は有益だからね」

 

「へっ、アンタも中々ロジカルな考えができンじゃねェか。ッしゃ、決まりだな。楽しみにしてるぜ。とすると、オレももっとスタミナつけねェとな。あの走りから逆算して……」

 

 決して言わされたわけではない。もう一度言う、決して言わされたわけではない。

 

「それで、二人はどうしてここにいるんだ? さっきから何かを観察しているようだったけど」

 

 併走云々の話しが一段落ついたため、ようやく本題に入る。

 

「そうだった……! アンタ達には関係ないから。ほら行くよ、シャカール」

 

「……まあ待てよ、タイシン。なぁ、アンタ、『ワガハイちゃん』ッて名前に覚えはねェか?」

 

「ちょっと、シャカール!」

 

『ワガハイちゃん』? はて、一体何のことだろうか。

 ここのゲームセンターは昔から知っているとは言っても、よく来ているというわけではない。ダイヤも知っている様子ではなく、エアシャカールの問いに首を横に振っていた。

 

「その『ワガハイちゃん』とやらは一体なんなんだ?」

 

 普段なら質問を質問で返すな、と怒られそうだが、そんなことを気にする暇もなくエアシャカールとナリタタイシンは『ワガハイちゃん』についての説明を始める。

 

 曰く、FPSゲームであり得ないほど正確なエイム力を持つ凄腕プレイヤー。

 曰く、パズルゲームでとんでもないスコアを叩き出す天才プレイヤー。

 

 そしてその『ワガハイちゃん』がこのゲームセンターに出没するとのこと。

 情報源はどこか分からないが、法に触れていないことを願おう。

 

「……でもいいのか? こんな特定みたいな行為して……」

 

「目の前に解があるンだ。解かねェ道理はねェだろ」

 

「それはそうだけど……」

 

 口ではああ言っているナリタタイシンだが、己を負かしたプレイヤーが気にならないというわけもなかろう。

 ある種のゲーマーの性とも言える。

 

「トレーナーさん、私達でお力になれるようなことはないでしょうか?」

 

「つってもなぁ。僕たちはその『ワガハイちゃん』についての情報をほとんど持ち合わせてないし……」

 

「そのような暗い顔をなさって、どうされましたの?」

 

 片足突っ込んでしまった以上、『ワガハイちゃん』について多少なり考えなければならなくなったところで、先程までクレーンゲームに悪戦苦闘していたマックイーンが戻ってきた。

 

「マックイーン、目的は達したのか?」

 

「ええ、二千円かけて位置を少しずらすことができましたわ!」

 

 ダメじゃねぇか。あまりにも渋すぎるだろ。

 

「それで一体何が……あら、シャカール先輩にタイシン先輩? あの方達と関係がありまして?」

 

「ああ。どうにもあの二人、『ワガハイちゃん』っていう天才ゲーマーを探してるらしくってな」

 

「……『ワガハイちゃん』? どこかで聞いたことあるような……」

 

「マックイーンさん、知ってらっしゃるのですか!?」

 

「え、ええ。あれは確か……」

 

「あれっ、みんなこんなところで何してるのー?」

 

 マックイーンが『ワガハイちゃん』について思い出そうとしている中、横から聞き覚えのある声が聴こえ、また一人登場人物が増える。

 

 はちみつドリンク片手にトレードマークの白い流星とポニーテールを揺らすその人物とは……

 

「トウカイテイオー……。奇遇だな、君もここによく来るのか?」

 

「うん、ボクは暇つぶしにちょっとね。ここ行きつけなんだ。君達こそ勢揃いでどうしたのさ?」

 

「テイオーさん、私達とある人物を探してるんです。『ワガハイちゃん』というお名前に聞き覚えはございませんか?」

 

 なるほど。よくゲームセンターに入り浸りしてるらしいトウカイテイオーなら『ワガハイちゃん』についての情報を知っているかもしれない。

 少し遠目に見ているエアシャカールとナリタタイシンも気になっているようだ。

 

「え、それボクのことだけど」

 

「君なんかい。いや、探す手間省けたからいいんだけどさ」

 

 ケロッと答えるトウカイテイオーになんだか脱力感を感じてしまう。

 

 しかし、その『ワガハイちゃん』がトウカイテイオーだということに疑問は抱かなかった。

 天才気質な彼女にとって、ゲームなどは朝飯前と言ったところなのだろう。実際に彼女がゲームをプレイしているところを見たわけではないのでなんとも言えないが。

 

 マックイーンも思い出したようで、手のひらに握りこぶしを乗せるという古典的なエモートを行っている。

 ちょっとアホっぽかったのは黙っておこう。

 

「待てよ。お前が『ワガハイちゃん』なら、それを証明できるようかもンがなけりゃ解は出せねェ」

 

「アタシも……名乗られるだけじゃ納得いかないから」

 

 エアシャカールとナリタタイシンは納得いかないようで、『ワガハイちゃん』を名乗るトウカイテイオーに食ってかかる。

 トウカイテイオーはそんな二人に気を悪くすることなく、近くのダンスゲームの筐体にコインを入れると……

 

「……は?」

 

 そのゲームに詳しくない僕でも分かるほどの難易度の高いコースを、意味の分からないステップで安易と攻略するトウカイテイオーに開いた口が塞がらなかった。

 それを見たエアシャカールとナリタタイシンもポカンとしている。

 

「わぁ……テイオーさんすごい……」

 

「私も以前彼女にゲームセンターに連れて行かれた時、あのステップを間近で見せつけられましたわ」

 

 これが俗に言うテイオーステップというやつか。いやはや、恐れ入った。

 

「ふぅー、楽しかった。やっぱりゲームは体を動かす系なのが一番楽しいよね!」

 

 トウカイテイオーが足を止め、画面にニューレコードの文字が見えたところで我に返る。

 彼女のそれは間違いなく天才のそれ、僕が何年かかっても到達できそうにないようなものだった。

 

「テイオーさんカッコよかったです! よろしければ私にも教えて頂けませんか?」

 

「いいよいいよ! ゲームはみんなでやるともっと楽しいからね!」

 

 まるでマックイーンが走る姿を見る時のように、ダイヤは今のトウカイテイオーに目を輝かせている。

 気持ちは分からんでもない。あの姿にはつい僕も見惚れてしまうほどのものだった。

 

「にしても、FPSやパズルゲーム、それに加えてリズムゲームまで得意って凄いな。なあ、マックイーン」

 

「…………皆してテイオーテイオー……」

 

「……マックイーン?」

 

 ああ、そういえばここ最近忘れがちだったが、マックイーンとトウカイテイオーはライバル同士だった。

 相手の得意分野を素直に褒める気持ちはあっても、僕やダイヤがトウカイテイオーを褒めちぎるのは面白くないのだろう。

 

 そんなマックイーンに気がついたのか、トウカイテイオーは意地の悪い笑みを浮かべてマックイーンの方へと歩む。

 

 

 

「ねえ君達。ちょっとボクと勝負していかない?」

 

 

 



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運も実力のうちですわ

「勝負ですって?」

 

「うん、勝負!」

 

 意地の悪い笑みと共にトウカイテイオーの口から放たれた言葉は、彼女の性格から考えればまだ理解できるほどのものだった。

 

 ゲーム全般はトウカイテイオーの得意分野。それは先のエアシャカールやナリタタイシンの発言、並びに彼女のダンスゲームのプレイからして証明されている。己の得意分野で誰かと勝負したがるのは誰だってそうだ。

 さらに、マックイーンとトウカイテイオーはライバル同士。レースのみならず、僕の知らないところでこれまでにも何度も些細なことで争っているらしい。

 以前僕とたい焼きの件で揉めた時も、ノリノリでゴールドシップの提示した勝負に乗ってたし、それは本当のことなのだろう。

 

 

 そう考えると、マックイーンがこの勝負にも乗るだろうことは明白で……

 

 

「嫌ですわ、そんなの」

 

「「えっ」」

 

 マックイーンの予想外の返事に、僕とトウカイテイオーはつい声を漏らしてしまう。

 

「ど、どうしてなのさ!? ここは普通乗ってくるところじゃんか! 勝負しようよー!」

 

「だから嫌だと言っているでしょう。今日はダイヤさんが主役ですのよ? 貴方の戯れに付き合っている場合では……」

 

 戯れて。

 

「だったらダイヤちゃんに聞いてみよう! ねぇ、ダイヤちゃん。ボクとゲームで勝負してみる気はない?」

 

「ええっと……私は……」

 

 マックイーンとトウカイテイオーの板挟みにされてしどろもどろになるダイヤ。

 助け舟を出してやりたいが、マックイーンもトウカイテイオーも僕が決めたんじゃあ納得しないはずだ。つまり丸投げである。

 

「……あの子達、本当にテイオー……『ワガハイちゃん』と戦う気なのかな?」

 

「さぁな。だが、オレが聞いた話しによると、『ワガハイちゃん』に挑んで勝った奴はいねェらしいな。ッたく、どんな確率だ」

 

 ナリタタイシンはダイヤ達の身を案じ(?)ているようで、今まさに目の前で『ワガハイちゃん』の餌食となる人物が増えようとしている場面を見て不安気な声を漏らす。

 そしてエアシャカールはここに来て新たな情報をボソッと……

 

「エアシャカール先輩! 今のお話は本当ですか!?」

 

「おわっ!? な、なんだお前急に!? ほ、本当だ。『ワガハイちゃん』が負けたッて話しなンざ聞いたことねェよ」

 

「マックイーンさん、この勝負受けましょう」

 

「ダイヤさん!?」

 

 ダイヤは目をキラキラと輝かせてエアシャカールにくらいついたダイヤは、答えを聞くや否や即断即決即行動と言わんばかりにトウカイテイオーの勝負を受けようとする。

 どうせダイヤのことだ。『ワガハイちゃん』は負けたことがないというジンクスをその手で壊したいだけだろうに。

 

「ダ、ダイヤさん、考え直しませんこと? テイオーに付き合っていてはこの後のプランが総崩れになってしまいます!」

 

「構いません、マックイーンさん。私はテイオーさんと戦います」

 

「トレーナーさーん! 救援を! 私では手に負えませんわ!」

 

 コントを繰り広げるマックイーンとダイヤを傍観していたが、これ以上はマックイーンでもダイヤのことをコントロールできないらしい。

 かと言って、マックイーンにもコントロールできない暴れん坊を僕が扱えるはずもない。

 こうなってしまっては、一番の円満解決の手はマックイーンを納得させるしかなく……

 

「はぁ……仕方ない。トウカイテイオー、ちょっと耳を貸せ?」

 

「ん、なに?」

 

 マックイーン相手にとある言葉を投げかけるよう、僕はトウカイテイオーに耳打ちする。

 その際、マックイーンとダイヤ両方から物凄い殺気を感じたのは気のせいだと信じよう。

 

 内容は大したものではなく、ほんの5秒もかからずその内容を伝え終えた。

 そしてトウカイテイオーはまたしても悪い子供の笑みでマックイーンの下へと向かう。

 

「ねぇ、マックイーン」

 

「なんですの? 私のトレーナーさんから一体何を吹き込まれたかは存じませんが、例えトレーナーさんの言葉であっても私がそう簡単に動くと思ったら大間違い……」

 

「マックイーン、負けるのが怖いの?」

 

「……上等ではないですか! 今回だけは貴方のそのやっすい挑発に引っかかってあげますわ!」

 

 うーわ、半ばネタみたいなノリでトウカイテイオーに対して「マックイーンを煽れ」と伝えたが、ここまで予想通りだと逆に怖くなってくる。

 懲りもせずこういった挑発に弱いマックイーンは昔から成長していないように感じる。また賢さトレーニングをグラスワンダーに頼むことになるのか。

 

「ふふん、決まりだね! それじゃあ早速行こうか、マックイーン、ダイヤちゃん!」

 

「はい、テイオーさん!」

 

「分かりましたわ」

 

 何にせよ、こうなってしまっては長くなることは間違いない。

 ふむ、暇潰しにそこら辺のベンチに座ってテキトーにスマホでも眺めてても……

 

「トレーナーさん、貴方も行きますのよ?」

 

「……はい?」

 

「はい? ではなくて。テイオーをけしかけたのはトレーナーさんでしょう? でしたら貴方も参加する義務がありますわ」

 

 は? なに、それが分かってるのになんでマックイーンはキレたの? 

 

 

 もしかしてこうなることが分かってて……

 

 

「ひ、卑怯者! 最初から僕を巻き込む気だったな!」

 

「はいはい、私以上に卑怯なトレーナーさんには打倒テイオーに付き合って頂きます」

 

 くそっ、悔しい! 何が悔しいって普段チョロいマックイーンが余計なところで知恵を発揮して僕より一枚上手な行動を取ったことがなによりも悔しい! でもこれも僕がグラスワンダーに頼んだ賢さトレーニングの賜物なんですねちくしょう! 

 

 マックイーンの成長に悔しがりつつ喜ぶという訳の分からない情緒にある状態で、僕は首根っこを掴まれてドナドナされるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 巻き込まれる形となって始まったゲーム対決のルールは至ってシンプルなもの。トウカイテイオーVSマックイーン、ダイヤ、そして僕の3回勝負の半団体戦だ。

 

 ただし、ゲーム全般が得意なトウカイテイオーに対して普通に勝負してもまず勝ち目はない。そこでハンデとして二つ。

 

 一つは勝負するゲームは我々が選んでも良いとのこと、もう一つは一回でもこちら側が勝てばその時点で僕らの勝ちだというルールが追加された。

 前者はともかく、後者はだいぶ舐め腐っているなとは思うけど、そこについては言及せまい。自らが不利になるようなことはしたくないからな。

 

 そして先鋒はトウカイテイオーのライバルであるマックイーン。

 この一回で勝負を決めてみせますわと意気込んでいたが……

 

 

「……なあ、マックイーン」

 

「なんですの?」

 

「その……なんで勝負事なのにそのゲーム選んだの?」

 

「私が勝てるゲームを選んだまでですわ」

 

 彼女が選んだゲームはパニックを起こしたワニの頭を備え付けのハンマーで殴るモグラ叩きのようなゲームだ。

 

 正直、ゲームセンターで勝負と聞いたからには音楽ゲームや格闘ゲームなどをイメージしていた。

 しかし、これでは休日にアミューズメントパークでエンジョイする家族連れのようではないか。

 

「テイオーとのまともなゲーム勝負なんてハナから考えていません。でしたら、こうして私のフィジカルを活かした勝負の方がよっぽど勝機がありますわ」

 

「くっそ……意外とまともな思考だった……!」

 

 なんだ、今日のマックイーンは賢いぞ。いつものスイーツ狂いの似非お嬢様とは訳が違う。もしかしたら本当にトウカイテイオーに勝てるかもしれない。

 

「マックイーンさん、頑張ってください!」

 

「ええ、お任せください、ダイヤさん。私が必ずや勝負を決めてみせますわ」

 

 マックイーンはダイヤの激励を受けてトウカイテイオーと対峙する。

 そんなトウカイテイオーは不敵に笑い、臆することなくマックイーンを見上げる。

 

「ワニを多く叩いてより高いスコアを出した方の勝ち、それでいいですわね?」

 

「いいよ。ま、君がどんなに頑張ってもボクの勝利は揺るがないけどね。君がボクに敗北する未来がよく見えるよ」

 

「言ってなさい、私にはスコアが足りず泣き崩れる貴方の姿が目に浮かびますわ。先行は頂きますわよ」

 

 互いに煽り合いには事欠かないまま、流れるようにマックイーンの先行が決定する。

 なぜかダイヤはそんな二人を見て目を輝かせていたが、僕には憧れのウマ娘とそのライバルがこんな醜い争いをしているのに何故そんなキラキラとした目で二人を見られるのかが分からない。

 

 とはいえ、マックイーンに期待しているのは何もダイヤだけではない。

 先程の通り、今日の彼女はいつもとは一味違う。なんというか、こう……オーラ? 的なのがいつもと違う気がする。

 ゲームの筐体の目の前に立っていること以外はどこに出しても恥ずかしくない名門の令嬢だ。

 

 マックイーンはハンマーを手に持ちコインを入れる。

 そして軽快な音楽と共に流れ始めた電子に刻まれている開始という合図。それにより顔を出した一匹目のワニ相手に、マックイーンはハンマーを振りかぶり……

 

 

「そいやっ!」

 

 

 思い切り振り下ろして、聞くだけ嫌になるような鈍い音が鳴るほどの勢いでワニをぶっ叩いた。

 

 

 そう、思い切り。

 

 

「……あら、このワニ叩いても引っ込まない……って、煙が!? 煙が上がってますわ! だ、誰か……店員さーん! 故障ですわ!」

 

 それはそう、本来ならこのゲームは人間用に作られた物だ。ある程度の耐久性は保証されていると言っても、ウマ娘が本気で扱ってしまっては簡単に壊れてしまっても無理はない。

 その証拠に、哀れにも最初で最後の犠牲となったワニは頭頂部が凹んでいる。

 

「マックイーンさん……」

 

 急いで店員を呼びに行くマックイーンの姿を見て、さすがのダイヤもフォローしきれない様子だ。むしろこれをフォローできる奴がいるなら出てきてほしい。

 

「……トウカイテイオー、これが君の見た未来なのか?」

 

「うん……まぁ、そうだね」

 

 嘘つけ。目が泳いでるぞ。

 

 マックイーンが成長していると思ったが、それは思い違いだったらしい。嬉しいことやら悲しいことやら……

 

 まあ、こうなってしまっては試合続行不可能だ。

 私に任せてくださいと申し出たマックイーンの戦いは、なし崩し的にトウカイテイオーの不戦勝という結果に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、トレーナーさん」

 

「なに?」

 

「その……どうして勝負事にそれを選んだんですの?」

 

「僕が勝てるゲームを選んだまでだよ」

 

 次鋒戦、トウカイテイオーの相手を務めるのはこの僕だ。

 半強制的に参加させられたのもあり乗り気ではないが、やるからには勝つという信念のもとに行動しているので、例え相手が中学生だろうと容赦はしない。

 

 というわけで僕が選んだゲームはというと……

 

「さあ、トウカイテイオー。闇のゲームの始まりだ」

 

「闇のゲームって……ただの麻雀じゃん」

 

「そうとも言う」

 

 麻雀を闇のゲーム呼ばわりする僕に、隣の席に座るナリタタイシンは冷静なツッコミをいれる。

 ゲームセンターで度々見られる電子の麻雀、その四つの席には僕、トウカイテイオー、そして助っ人のナリタタイシンとエアシャカールが座っている。

 

「まあなんだ、協力助かるよ、二人とも」

 

「別に、アタシは『ワガハイちゃん』に一泡吹かせられる可能性があるってならそれでいいと思っただけだし……」

 

「ああ。それに、麻雀なら運が絡む以上どんなに実力があっても勝てる確率は100%じゃねェ。さらにこっちは三人がかりってンだ。オレは分の良い勝負に乗っただけだぜ」

 

 本当ならマックイーンとダイヤでも良かったのだが、生憎と二人は麻雀のルールを詳しく知らなかった。むしろ知っている方がおかしいと思う。ダイヤに至ってはそもそも麻雀を見ること自体が初めてな様子だったし。

 

 例外として、トウカイテイオーはゲーセンによく来ているというのもありルールは知っているようだった。

 実際に雀卓を囲んだことはないのだろうが、こう言ったゲーセンに設置されている電子の麻雀ならやったことがあるのだろう。

 

「ボクはどんなゲームでもいいよ! ささ、早くやろうよ、どうせボクが勝っちゃうんだし!」

 

「このガキ……二人とも、絶対あいつ負かすぞ」

 

「「言われなくても」」

 

 僕達四人は一斉にコインを入れ、店内対戦モードでマッチングを図り、ゲームを開始した。

 

「マックイーンさん、まーじゃん? とは一体なんなのでしょうか?」

 

「私も詳しくは知りませんが……ゴールドシップやナカヤマフェスタさんがよくやっているのをみかけますわね」

 

 そう、やってることは彼女達となんら変わりはない。違う点を挙げるとすれば、それが雀卓を囲んでいるか電子の画面を挟んでいるかの違いだろう。

 

 ちなみに、紳士ルールとして僕達三人の協力プレイは無しとなっている。だが、三人のうち誰か一人が一位であればトウカイテイオーの負けとなるので、彼女が不利であることには変わりはない。

 

 それぞれに牌が配られ、配牌とドラを確認する。

 ふむ、ドラは發……悪くない、既に僕の配牌には發が二つある。これは配牌的にも早めに鳴くのもありかもしれない。

 親であり僕の対面にいるトウカイテイオー、上家にナリタタイシン、下家にエアシャカールという席となり、ようやくゲーム開始だ。

 

 

 親のトウカイテイオーが牌を一つ取り……

 

「あ、ツモ!」

 

「「「……は?」」」

 

 トウカイテイオーによるいきなりの上がり宣言により思考が停止する。

 

 なんつった? ツモ? 天和……ってコト!? 

 

「ふふん、見てよ、この上がり牌。凄いでしょ!」

 

 画面に表示された彼女の上がり牌を確認すると……

 

「な……天和な上に国士無双十三面待ち……!?」

 

「嘘だろ……天和が発生する確率自体が0.00005%だってのに、さらに国士無双までって……天文学的な確率って話じゃねェぞ……!」

 

 ナリタタイシンとエアシャカールは今の一秒の間に起こった出来事を受け止めきれていない。

 

 かくいう僕もそうだ。これは現実なのかとまだ疑っている。

 ありえない、こんなバカみたいな話があってたまるか。

 今の出来事がどれほど凄いかと言うと……なんというか……すごくすごいって感じだ。

 

 天和、国士無双十三面待ち、トリプル役満。僕達三人の持ち点は一瞬にして吹き飛んだ。

 

「よく分かりませんが、これで二回戦はテイオーの勝ちのようですわね。では、さっさと次の勝負に……」

 

「ま、待てマックイーン! もう一回! もう一回だ! もう一回やれば今度こそ……」

 

「トレーナーさん、その流れはあまりよろしくない気が……」

 

 ダイヤにやんわりともうやめることを勧められるが、流石にこれは納得いかない。ナリタタイシンとエアシャカールもそうだろう。

 僕は懇願の意味も込めてトウカイテイオーの方を見る。

 

「ボクは別に大丈夫だよ? だって何回やってもおんなじだもんね」

 

「っしゃ! 持ち点ゼロにして泣かせたらぁ!」

 

 再戦の許可が降りたため、意気揚々とコインを入れる。

 後ろのマックイーンとダイヤの視線が少しばかり痛いがそんなの関係ない。最終的に一回でも勝てばいいのだ。何回かやれば必ず一回は勝てるはず……

 

 

 

 そう、思っていました。

 

 

 

「あ、それロン!」

 

「はぁ!? 字牌だぞ! 論理的に考えて字牌で待つなんてスマートじゃねェ……字一色じゃねェか!」

 

 エアシャカールがボコられ……

 

「またまたロン!」

 

「だからアンタ早いんだって! 天和の次は人和って……」

 

 ナリタタイシンが秒殺され……

 

「またまたまたまたロン! ボクの勝ちだ!」

 

「なっ、『馬跳(うまぴょい)伝説』……だと……」

 

 僕が粉々にされ、この光景にもっとも相応しい言葉が地獄絵図と言っても過言ではない状況が出来上がっている。

 

「どう、まだやる?」

 

「……もういいです」

 

 これだけ勝っても尚続けるかどうかを聞くトウカイテイオーに、僕の精神は崩壊し二回戦の勝利を譲るのだった。

 

 ……麻雀なんて二度とやらねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでで既に二敗。マックイーンが文字通り戦わずして負けるという結果に終わり、僕が圧倒的な運の前になす術なく散り、もう後がない状況にある。

 

 そして僕達の大将はというと、この勝負を受けることを一番最初に乗った我らがサトノダイヤモンド……なのだが。

 

「……なあ、マックイーン」

 

「なんですの?」

 

「正直に答えてくれ、ダイヤはトウカイテイオーに勝てると思うか?」

 

「……勝負はやってみなくては分かりません。例え目を瞑って針に糸を通すほどの確率でも、信じなければなりませんわ」

 

「無理って言ってるようなもんだなあ」

 

 ふんすふんすと自分の出番を楽しみに待っていたダイヤには申し訳ないが、この大将戦は消化試合みたいなものだと思っている。

 僕だってダイヤの勝利を信じてあげたいけれど、マックイーン以上に世間知らずのお嬢様である彼女はとてもゲームが得意とは思えない。

 ましてや、相手はその道のプロとも言えるトウカイテイオーだ。勝てるビジョンが見当たらない。

 

「まあ、どんなことでもやるからには勝ちたいという思いはありますが、今日の主役はダイヤさんですのよ? 私は彼女が楽しければそれで良いと思いますわ」

 

「……それもそうだな。僕達負け組は隅っこで大人しくダイヤの応援でもしておこうか」

 

 この結果がどう転んでも、僕達が最後までダイヤを応援し続けることに変わりはない。

 

 敗者二人はダイヤ達の邪魔にならないように少し離れた位置で彼女達の戦いを静観する構えをとる。

 

「それでダイヤちゃん、最後の勝負は何にするの?」

 

 二連勝(内一勝は不戦勝)中のトウカイテイオーはノリノリで最後のゲームを何にするかをダイヤに問う。

 その質問に、ダイヤは待っていましたと言わんばかりにはっきりと答える。

 

「では、クレーンゲーム対決なんてどうでしょうか?」

 

「クレーンゲーム?」

 

「はい。お互い三回プレイして、より多くのぱかプチを獲得した方が勝ち、なんてどうでしょうか?」

 

「へぇ、面白そうじゃん」

 

 ここに来てようやくゲームセンターらしい勝負内容が出てきた。

 ゲーセンまで来てフィジカルを試そうとしたり、中学生相手に麻雀という運ゲーを仕掛けようとしてるのがおかしいだけな気もするが。

 

「それじゃあ先にボクから行かせてもらおっかな。こう見えて、クレーンゲームも大得意なんだよね〜」

 

 息つく暇もなく、トウカイテイオーは近くの適当なクレーンゲームにコインを入れて勝負を始める。

 彼女は正確なアーム移動でぱかプチをしっかりと狙い、そのアームでターゲットと思しき大きいシンボリルドルフのぱかプチをガッチリと捉える。そしてアームが上げられると……

 

「い、いきなり三つも獲得ですって!?」

 

「じゅんちょーじゅんちょー! まだまだ行くよー!」

 

 マックイーンが声を上げるのも無理はない。上がったアームにはなんとシンボリルドルフのぱかプチだけでなくトウカイテイオーのぱかプチが二つくっついていた。

 これも半分くらい運な気もするが、大得意というだけのことはあるらしい。

 

 ……しかし、シンボリルドルフに連なって取れるぱかプチがトウカイテイオーというのも、なんだか彼女の執念深さが感じられて若干の恐怖を覚えるな。

 

 続けてコインを入れるトウカイテイオーは二回目のチャレンジでぱかプチを一つ、三回目のチャレンジで二つ手に入れ、合計六つのぱかプチを獲得した。

 それすなわち、ダイヤが勝利するには七つ以上のぱかプチをゲットしなければならない。

 

「おっきいカイチョーも取れたし満足満足。さ、次はダイヤちゃんの番だよ」

 

「分かりました。それでは私は……あっ、この中にあるぱかプチを狙いますね」

 

 トウカイテイオーに急かされても焦ることなく、ダイヤはのんびりとコインを入れる。

 ボタンを押してアームを動かし、そのアームは彼女が狙ったぱかプチを寸分違わず捉え……え? 

 

「え……いきなり四つ……?」

 

 なんと一回目でダイヤが獲得したぱかプチの数は四つ。クレーンゲームであんなに連なるぱかプチは見たことがない。運の一言で片付けることは簡単だが、あの手慣れた手つきを見るとそうは思えない。

 

「ふ、ふーん……や、やるじゃん。でも、まだボクがリードしてるもんね。ダイヤちゃん、早く早く」

 

「お任せください!」

 

 またしてもトウカイテイオーに急かされるダイヤだが、そんなことは気にする素振りも見せずコインを入れ、当たり前のようにぱかプチを二つ獲得する。

 これで六つ、後一つでも取ることができればダイヤの勝利だ。

 

「ま、まだボクの負けが決まったわけじゃないし……」

 

 強がるトウカイテイオーだが、彼女の表情は芳しくない。

 

「それでは最後に……あそこのクレーンゲームにいたしましょうか」

 

「あっ、あそこは……」

 

 ノリに乗ったダイヤが向かうクレーンゲームは、先程僕とマックイーンが挑戦したアームがとんでもなく弱い筐体だ。

 それに気がついた瞬間マックイーンはダイヤを止めようとしたが時既に遅し、ダイヤはコインを入れてしまっていた。

 

 いくらここまで六つのぱかプチを手に入れているダイヤとはいえ、この筐体にあるぱかプチを狙うのは流石に不可能ではないだろうか。

 

 と思ったのも束の間、マックイーン(本物)が数回かけて懸命に位置をずらしたマックイーン(ぱかプチ)を、ダイヤはいとも簡単に獲得した。

 おかしい、この筐体はアームが弱かったはずなのに。

 

「マックイーンさん、トレーナーさん、取れました! マックイーンさんのぱかプチですよ!」

 

「素晴らしいですわ、ダイヤさん! お上手ですのね!」

 

「やるじゃないか。随分と手慣れてた気もするけど」

 

「えへへっ、家にあるものと同型機でラッキーでした……!」

 

「「……家に?」」

 

 今なんつった? 

 

「はい、実家にクレーンゲームの筐体がありまして。クレーンゲームはちょっとだけ得意なんです」

 

 どうして家にクレーンゲームが……と思ったが、確かダイヤの家は様々な事業に手をつけている。詳しく調べた訳ではないが、確かその中にゲーム事業もあったはずだ。

 なるほど、マックイーンが秋シニア三冠を達成した際、金色のクレーンゲームがダイヤから送られてきた理由がようやく分かった。

 ちなみに、そのクレーンゲームの筐体はあの後早々にメジロ家に送られている。

 

「そ、そんな……ボクが……負けた……?」

 

 喜ぶダイヤに変わって一方、必ず勝つ自信があった様子だったトウカイテイオーはこの世の終わりみたいな顔をして……いや、そこまで落ち込まんでも。気持ちは分からんでもないけどさ。

 

 過剰に落ち込むトウカイテイオーに気がついたダイヤは、ゆっくりと歩いて声をかける。

 

「テイオーさん、私にゲームを教えてくださいませんか?」

 

「……え?」

 

「私、クレーンゲーム以外のゲームはてんで駄目でして……。そこで是非テイオーさんにご教示頂けたらならと!」

 

「ダイヤちゃん……! よーし、任せて! このワガハイがダイヤちゃんにゲームのイロハを叩き込んでしんぜよう!」

 

 た、単純だなぁ……。

 先程までの落ち込みはどこに行ったのか、秒でいつものトウカイテイオーに戻った彼女は薄い胸を叩いて高笑いをする。

 

「『ワガハイちゃん』も負けることあるんだ……」

 

「ああ、チーターじゃないってンなら勝てない道理は無ェ。徹底的に分析して、勝利の解を導き出してやらぁ」

 

「うん、アタシも」

 

 そう言いながらナリタタイシンとエアシャカールは僕達を置いてゲームセンターを後にする。

 そんな彼女達は、いつか必ず『ワガハイちゃん』もといトウカイテイオーを倒してやろうという気概に満ち溢れていた。

 結果よければオールオーケー、ダイヤも楽しめたみたいだしな。

 

「あ、そうだ。マックイーン、トレーナー。ぱかプチ貰ってくれない? ボクの部屋にもう置ききれないんだよね」

 

「貰ってって……ご自分でなんとかなりませんの?」

 

「いやぁこれ以上持って帰っちゃうとマヤノの場所も取っちゃうからさ」

 

 普段どんだけ乱獲してんだよ。

 

「はぁ、仕方ありませんわね。トレーナーさんも構いませんか?」

 

「僕は別に構わないけど」

 

「ほんと!? ありがとう! じゃあこれとこれとこれと……後おっきいカイチョーもあげる!」

 

「多い多い! てか、シンボリルドルフのぱかプチも僕に渡すのか?」

 

「うん、だって既に沢山持ってるし」

 

 そう言いながら雑に多くのぱかプチを押し付けるトウカイテイオー。結局ほとんどのぱかプチを僕が持って帰ることになってしまった。

 

「ったく……荷物増えたじゃねぇか……」

 

 仕方なくテキトーな袋を借りて、その中にぱかプチを詰め込む。

 トウカイテイオーにトウカイテイオー、オグリキャップにトウカイテイオー……トウカイテイオー多いな。

 

 一つずつ詰め込み、最後の一つにシンボリルドルフのぱかプチを……

 

 

 …………"皇帝"シンボリルドルフ、か。

 

 

「……? トレーナーさん、ルドルフ会長のぱかプチに何かついていますの? だいぶじっくりと見ているようですが」

 

「……いや、なんでもないよ。良い作りだなと思っただけ」

 

「む……私のぱかプチもよく出来ていると思いますけど」

 

「知ってる。君とダイヤのぱかプチは既に全種類コンプリートしてあるからね」

 

 それを聞いて無言で尻尾を振るマックイーン。

 ご機嫌なとこ申し訳ない、それ自分で取ったわけじゃやくて全部サンプル用で届いたやつなんだよね、とは怖くて言えなかった。

 

「よーし、ダイヤちゃんはどのゲームがやりたい? このボクがなんでも教えてあげるよ!」

 

「とても頼もしいです! でしたら……あちらに行ってみたいです!」

 

「あそこは…………あっ」

 

 一同ダイヤが指を指したところを見ると、一瞬にして表情が強張る。

 

 まずい。あそこはダメだろう。

 

「ダ、ダイヤちゃん、別のところに行かない? きっとこっちにあるゲームの方が楽しいよ!」

 

「え、ですがあちらは凄く賑やかで楽しそうですよ?」

 

「ダイヤさん、あそこに入ってしまわれると不幸になるとのジンクスが……」

 

 ちょ、マックイーンのバカッ! ダイヤにそんなこと言ったら……

 

「ジンクス! なら私がそのジンクスを破ってみせましょう!」

 

「待ってダイヤ! そっちは本当にまずいんだってば!!」

 

 僕達は意気揚々と前進するダイヤを必死に止める。

 

 

 なぜなら、ダイヤが行こうとしている先にあるのは、ゲームセンターに隣接されている公営ギャンブルと似て非なる場所であり……

 

 

 




もう50話だというのにこんな話が進まない内容を書いている現状




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似た者同士

先に謝っておきます。トレーナーのオリジナルキャラは許してくださいごめんなさい。





 

 

 

 既に夏の間使っていた冷房とは別れを済ませ、今度は半年ぶりに暖房との再会を果たす季節となってしまった。

 ダイヤの菊花賞から約一ヶ月。つい最近までの暑さは急激にしおらしくなり、代わりにやってきた肌寒さに爬虫類のごとく活動を停止してしまいたくなるほどの季節に近づいていることを実感させられる。

 寒さが苦手な僕にとって、冬は地獄でしかない。かと言って夏は暑いし、春は眠いし、秋は松茸が高級なので、僕の居場所は日本にない。絶望。

 

 後でマイスイートハニーであるこたつを引っ張り出しておこう。彼女がいなければ僕はこの冬を乗り越えることはできない。

 

 

 そんなどうでもいいことを考えながら、経費で落ちるだろうと購入したトレーニンググッズの詰まった荷物を抱え、学園の廊下を歩く。

 目的地であるトレーナー室へと向かうまでの間、他の生徒から聞き覚えのある名前が聞こえてきた。

 

「昨日のジャパンカップ見た? キタサンブラックさん凄かったよね〜!」

 

「うんうん! 最初から最後までずーっと先頭で逃げ切っちゃうんだもん!」

 

「いいなー。あたいもあんなレースしたいなあ」

 

 ジャパンカップ一着、キタサンブラック。

 

 二バ身以上の差を付けた見事な逃げ切り勝利。影をも踏ませぬ圧倒的なその強さは、シニア級ウマ娘においてキタサンブラックの本格的な台頭を象徴していた。

 あの逃げ切りから窺えるのは単なるレベルアップのみとは考え難い。精神面で何かあったのか。

 

 

 この一ヶ月、ダイヤはトレーニングメニューを淀みなくこなしており、次走を予定している有マ記念に向けて一層気合いが入っている。

 それはそう、ダイヤの次走である有記念に、キタサンブラックが出走する。

 彼女の『キタサンブラックに勝ちたい』というもう一つの目標。それを達成するためにも、やらなければならないことが多い。

 

 

 クラシックレースも終わり、ダイヤの前に立ちはだかるシニア級ウマ娘相手に戦い抜くためにも、スピードスタミナと言ったフィジカル面だけを鍛えていては勝つことができない。

 レース運びや展開力もこれまで以上に必須なスキルとなってくる。これは後方から差しに行くというスタイルが基本なダイヤなら尚更だ。

 

 有まで時間がない。なんとか実践形式、できれば逃げウマ娘相手に併せをお願いしたいところなのだが……

 

 

 そう考えていると、横から伸びてきた何者かの手によって僕の持っていた荷物は簡単にひったくられる。

 誰だと思い振り返るとそこには……

 

 

「せーんぱい、どうしたんですか? そんな難しい顔でスマホいじって。歩きスマホはダメですよ」

 

「……なんだ一色か。甲高い声で叫ぶとこだったぞ。んで、なんか用か? てか荷物返せ」

 

「なんだとは何ですか。だいたい、いい歳した男性が大荷物抱えながら怖い顔して廊下歩いてたら生徒ビビっちゃいますよ。あと、先輩の高い声は気持ち悪いのでやめてください」

 

 えぇ……少なくともこいつの前で高い声なんて出しことないはずなんだけど……

 

 眼前、僕を揶揄うように話しかけてきたのは、後輩である"一色星羅"。亜麻色の長い髪と、常に身につけているキャップがトレードマークの若い女性だ。

 ちなみに彼女はセイウンスカイのトレーナーであり、いつの日かの夏合宿でセイウンスカイを押し付けてきた張本人でもある。

 

 一色は僕から奪った荷物を素直に返し、トレーナー室へと向かう僕の横を歩いて世間話を始める。

 

「そんで、先輩。なんかあったんですか? 夏合宿でスカイがお世話になった時のお礼まだできてませんし、わたしが苦労しない程度のことなら協力してあげますよ?」

 

「協力する気ないだろそれ……。いや、別に何も無い……」

 

 ……待てよ、確かセイウンスカイは逃げウマ娘だ。キタサンブラックとは全く違う走り方をするとはいえ、頼みやすい奴がここにいるではないか。

 

「なあ一色、ちょっと頼みたいことあるんだけどいいか?」

 

「おっ、本当に先輩が頼ってくるとは珍しい。何か悪いものでも食べたんですかね?」

 

「僕をなんだと思ってるんだ。頼みたいことってのは……」

 

 そんなこんなで僕は一色にダイヤとセイウンスカイの併せのトレーニングを要請する。

 一色自身も力強く逃げるキタサンブラックと相手を使い巧みなレース運びをするセイウンスカイとの違いを懸念するだろうが、今大事なのは逃げウマ娘を知ることだ。

 

「……ふむふむ、なるほどなるほど。先輩の言わんとすることは分かりました。要はそちらのサトイモちゃんのトレーニングにうちのスカイを使わせて欲しいってことですね?」

 

「言い方があれだけど……うん、まあそうね」

 

「…………先輩、わたし今金欠なんですよねえ」

 

 こいつ、協力するとか言っときながらナチュラルにたかってやがる……。

 

 上目遣いできゃるんという擬音が聞こえそうなほどにあざとく懇願されると、かえってそうしてあげる気がなくなってくるのは何故だろうか。

 

 だが、こちらから頼んでいる以上あまり高慢な態度は取れない。

 あちらにも予定があるのだ、それを調整してまでこちらのトレーニングに付き合わせた挙句、なんの礼もしないというのもあれだろう。

 

「……晩飯奢ってやるよ」

 

「っしゃ! お高いご飯おなしゃす! できれば回らないお寿司で!!」

 

「もっと遠慮しろよ。そしてせめて回れよ」

 

「分かりました! じゃあ回るお寿司で!」

 

 どうやら彼女の辞書に遠慮という文字は無いらしい。沖野トレーナーといい一色といいここにいる連中は一体なんなんだ? 

 

「あ、先輩。併せの件って明日でもいいですか?」

 

「ああ、こちらとしてはそんなに早くしてもらえるなら願ったり叶ったりだが……何かあるのか?」

 

「いやあ、まずスカイを探すところから始めないと。今日もどこほっつき歩いてるのやら」

 

 そういえばセイウンスカイは生粋のサボり魔だったか。僕に対して傍若無人な振る舞いをする一色ですら振り回されているのを見ると、なんだか可哀想に思えてくる。

 本質は努力家な彼女のことだから、今日もどこかで秘密の特訓でもしてるのかもしれないが……

 

「とにかく、スカイのことはわたしがなんとかしますので、こちらは任せてください! 後、ご飯の方も楽しみにしてます!」

 

「へいへい、明日覚えてたらな」

 

「何回でも言いますから! 例え先輩が覚えてなくても思い出すまで耳元で何回も繰り返しますから! なんなら今日の深夜鬼電します!」

 

 地味な嫌がらせやめろ。

 

 そう言った一色は元気にこの場を去っていく。若いっていいなぁ。実際の一色の年齢知らんけど。

 そもそも先輩って呼ばれてる理由もよく分からない。単純にトレーナー歴が僕の方がほんの少しだけ長いってのはあるが、ほぼ同期みたいなもんだし。

 

 何はともあれ、早いとこ逃げウマ娘相手にダイヤの併せを頼めたことはラッキーだ。代償として晩飯を奢らなければならないが、それを差し引いてもお釣りが来るレベルと考えると得した気分になる。

 

 即断即決即行動、トレーナー室に戻り、ダイヤに明日セイウンスカイと併せのトレーニングをすることを説明して、今日の分のトレーニングを行おう。

 

 

 

 ……そういえば一色のやつ、この荷物軽々持ち上げてたな。意外と筋肉質なのだろうか。

 

 

 

 ***

 

 

 

 翌日

 

 

「…………なにこれ」

 

「それはこっちのセリフですわよ」

 

 いつも通り学園のターフへと足を運ぶと、観客席には満員のウマ娘が黄色い声援をあげていた。

 そんな普段と違う光景に僕とマックイーンはぽかんと立ち尽くす。

 

 はて、今日は模擬レースか何かの予定が入っていたのだろうか。

 

 そう思い予約表を確認すると、そこには『サトノダイヤモンドVSセイウンスカイ 模擬レース』との文字が……は? 

 

「……え、本当になにこれ?」

 

「スカイさんとの併せのトレーニングのつもりが模擬レースと勘違いされた……とかでしょうか?」

 

「いや、僕は併せってちゃんと言ったし向こうもそれを理解してるはず……」

 

 一色は頭こそ悪そうに見えるが、中央のトレーナーという狭き門をくぐることができるほどには優秀だ。彼女の地頭の良さは、腹の立つことに何度か感じたことがある。

 

 そんな一色が併せと模擬レースを間違えるとは思えないし、そもそも間違えてたとしてもここまで広まるとは思えない……

 

 だとしたら、間違った情報を意図的に、大々的に広めた第三者がいるということで……

 

 

「サトノダイヤモンド弁当にセイウンスカイ弁当、どちらももうすぐ売り切れちゃうよー! スペ、在庫確認してきて!」

 

「だからなんで私まで働かされてるんですかゴールドシップさん!?」

 

 

 あいつか、諸悪の根源はあのバカか。

 

 

「マックイーン、GO」

 

「承知致しました」

 

 即座にマックイーンを向かわせ制裁を与える。

 てか、ゴールドシップはこのことをいつ知ったんだ? 昨日の今日だからあの時盗み聞きされていたとしか思えないんだが。

 そういえば、ダイヤが入学した時のファン感謝祭でマックイーンとトウカイテイオーが走ることを広めたのもゴールドシップだったか。油断も隙もあったもんじゃない。

 

 改めてトレセン学園は無法地帯だなと思っていると、一色が慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。

 

「せ、せせせ、せんぱーい! これどうなってるんですか!? なんかいっぱい観客のウマ娘達いますけど!?」

 

「昨日の会話、多分ゴールドシップに聞かれてた。それであることないこと広まってこの惨事にな」

 

「あぁ……」

 

 ゴールドシップという名前を聞いた瞬間、一色も全てを察したようだ。あいつの名前をトレセン学園内で知らない者はいない。

 

「でもおかしな話ですねぇ。今大活躍中のサトイモちゃんのレースってなら分かりますけど、相手はスカイですよ? あの子のためにこんなに人が集まったんですかぁ」

 

「お前……自分の担当ウマ娘になんてことを……」

 

「だってスカイったら酷いんですよ!? 普段トレーニング来ないし連絡には出ないし逃げ足だけは速いし……! ……わたしが追いつけないなんて……」

 

「……」

 

「あ、いえ、なんでもありません。でも今日に関しては来ると思いますよ。あの子、そこら辺はちゃんとしてるんで」

 

「そか」

 

 ……なんだかんだいい関係じゃないか。

 一見ツンケンしているようで、彼女はちゃんとセイウンスカイのことを信頼している。

 

「うんうん、セイちゃんもやる時はやるし、走る時は走るし、かっこいい時はかっこいいですからね〜」

 

「そう、そのギャップが良いところっていうか……ってスカイ!? なんでここに!?」

 

「いや、一色ちゃんが来いって言ったんじゃないですか……」

 

 のらりくらりと現れたかと思いきや、テンパる一色にげんなりとツッコミを入れる。忙しいやっちゃな。

 

 そんなセイウンスカイだが、外見から得られる情報として明らかに周りの生徒と違う点が見られる。

 

「「なんで勝負服?」」

 

 口から溢れた疑問が一色と被ってしまった。

 まず僕はセイウンスカイと久しぶりだのなんだのと声を交わす前に第一声がこれである。

 

 別に勝負服で練習してはいけないとの決まりはないが、基本的にGⅠレース以外で着用することはあまりない。

 それこそ、最初の着付けやサイズ変更、メディア露出、場合によってはウイニングライブくらいのものだ。

 

「ゴルシ先輩に言われてね。面白そうだったから私もそれに乗っちゃいました〜!」

 

 乗っちゃいました〜、じゃないが。またあいつかよ。沖野トレーナーはちゃんとゴールドシップをコントロールしろよ。無理だろうけど。

 

「先輩、どうするんです? こんなに人が集まってるのにただ併走するだけじゃブーイング凄いことになると思いますけど……」

 

「……こうなった以上は併走トレーニングじゃなくて本格的な模擬レースに変更だな。セイウンスカイ、それでいいか?」

 

「私は大丈夫ですよ。夏合宿の時のお礼に、あなたの担当ウマ娘に敗北をプレゼント、な〜んて」

 

 ちゃっかりと対抗心を燃やすセイウンスカイに苦笑いをしてしまう。だが、それくらいの気概で来てもらう方がよほどダイヤのためになるというものだ。

 ダイヤ自身のレベルアップのためにも、付き合ってもらうぞ。

 

「それにしても、さっきは息ぴったりだったけど、もしかしてお熱い関係〜?」

 

 何言ってんだこいつ。

 

 セイウンスカイがニヤリと笑うと、なんとも突拍子もないことを言い出した。

 

「そ、そそ、そんなんじゃないから! スカイ、揶揄うのはやめてよ!」

 

「にゃはは〜、顔真っ赤ですよ、一色ちゃん。いっそセイちゃんがキューピッドにでも……」

 

 セイウンスカイがそう言いかけた瞬間、後ろから物凄い勢いで何者かがかっ飛んでくる。

 そして即座に彼女の後ろに回り込み、手刀を首に当てると……

 

「ふざけるのも大概にすべきですわ、スカイさん。くだらない野次ウマをしたいだけなら、そこらへんのカラスでも捕まえて繁殖させていなさい」

 

「…………はい、すみません、マックイーンさん」

 

 こっわ。なにあれ、バケモン? もはや現代の怪異だろ。

 なんで君がそこまでキレるん? というツッコミは置いておこう。

 

 事情を知らない人が見たら漏らしても仕方のないような顔をするマックイーン。名家の令嬢という自覚はないようです。

 

「は、はわわ……せ、先輩……あ、あれ……スカイが……」

 

「大丈夫、いつものことだ」

 

「先輩達いつもあんな感じなんですか!?」

 

 なにを今更、と思ったが、一色相手にマックイーンやダイヤの話をしたことはほとんど無かったか。

 一色にとって、彼女達は名家で良家なウマ娘という認識でしかないのだろう。

 

「あ、あー! 先輩、スカイの言ってたこと間に受けないでくださいね? あれはあの子の冗談と言いますか、人をおちょくるのが好きが故の発言と言いますか……」

 

「わーってる。セイウンスカイがそういう奴ってのは、夏合宿の時に嫌と言うほど思い知らされたよ。おーい、マックイーン! 今のはセイウンスカイの冗談だ。だから暴れるのやめろー?」

 

「…………眼中に無いみたいでそれはそれでムカつくんですけど」

 

 ボソッと聞こえた声を無視して、未だセイウンスカイの首に手刀を当て続けるマックイーンを止めに入る。これ以上は流石にまずい。 

 

「マ、マックイーンさんのトレーナーさん……助けてくれたんですね……?」

 

「ああ、僕にも守らなきゃいけないものがある。マックイーンの名誉とか」

 

「私の心配は!?」

 

「してるしてる(笑)」

 

「(笑)を口に出して言ってる時点でしてませんよね!?」

 

 一色もセイウンスカイも面白い反応を返してくれるためつい不必要な揶揄いをしてしまう。きっと彼女は自分が揶揄われることにあまり慣れてない。だからこそ新鮮味があるのだが。

 

 雑にセイウンスカイをあしらい、魔王マックイーンの手から彼女を解放する。

 その際さっきのはセイウンスカイの冗談だともう一度説明したが、マックイーンは聞き入れる様子はなく拗ねたままだった。

 

 そして、拗ねているウマ娘はマックイーンだけでは無い。

 

「つーん、あんなことされちゃったから、セイちゃん走る気なくなっちゃいました〜」

 

「えっ、ちょ、ちょっとスカイ! 今日は走るって約束したじゃん! ご飯……じゃなくて、いつもお世話になってる先輩にお礼しなくっちゃ!」

 

 一色さん? あなた下心見え見えですよ? 本当にトレーナーですか? 

 

 トレーナーとしてあるまじき発言をしかける一色に苦笑していると、ようやく最後の役者が揃ったようで、周りからの歓声が一段と大きくなる。

 

「トレーナーさん、なんだかとても騒がしいですけど何かあったのですか?」

 

「ああ、ダイヤ。実はな……って、君も勝負服なのね」

 

「はい、ゴルシさんに今日は勝負服で練習だとトレーナーさんが言っていたと伝えてもらいまして」

 

 言ってない。そんなこと言ってない。

 

「あー……ダイヤ。今日はセイウンスカイと併走トレーニングだったんだけど、かくかくしかじかで模擬レースになっちゃってなぁ」

 

「模擬レース! スカイさんと!」

 

 思った以上に食いつくダイヤにたじろいでしまう。何か彼女が心惹かれるところがあっただろうか。

 

「夏合宿の時、マックイーンさんとマーチさんの模擬レースを私達二人は見学していただけでしたので。なんだかあの時の続きみたいでワクワクします!」

 

「……そういえばそんなこともあったな」

 

 夜中にセイウンスカイと釣りをしたり、マックイーンが男湯に飛び込んできたり、非科学的な現象を最後の最後で体験したりと色々あったが、あの時の夏合宿で最も印象に残っているのは高知レース場での模擬レースだ。それはきっとダイヤも同じだろう。

 

「フジマサマーチ元気かなぁ。今度連絡でも取ってみるか」

 

「いいですね、是非私もご一緒させてくださ……」

 

「ちょっとちょっとちょっと〜? 思い出話に浸るのも良いですけど、いい加減そろそろ始めません? 私、早く終わらせて寝たいんですけど〜」

 

 渋々と言った様子で走ることを決意したセイウンスカイは、話が長くなりそうなことを察したらしく僕達の意識を強制的に模擬レースへと向かせる。

 

「悪い悪い、それじゃあ二人はウォーミングアップしに行っておいで」

 

「分かりました」

「りょうか〜い」

 

 ダイヤとセイウンスカイは仲良さげに見えるが、間で不可視の火花を散らしているのご見え見えだ。

 

 セイウンスカイはもとより、ダイヤもこの一年で随分と大きな闘争心という芽が生えた。皮肉ではあるが、当時彼女を悩ませた皐月賞、ダービーの敗北が良い方向に働いている。

 

 敗北を知らぬ者に、真の勝利はない。誰かがそんなことを言っていたような気がする。

 

「おやおや、スカイったらあ〜んなに対抗心燃やしちゃって」

 

「セイウンスカイなら、相手が誰であってもあんな感じだろ」

 

「確かに〜」

 

 担当でもないにも関わらず、僕は鬼気迫る表情をしたセイウンスカイを何度も見たことがある。それが担当のトレーナーとなったら尚更多く見る機会があるはずだ。

 

「今をときめく大注目のサトイモちゃんとのレースですか……。それはそれは厳しい戦いになるでしょうねぇ」

 

「互いにな。あの黄金世代の二冠ウマ娘、トリックスターとも呼ばれるあの逃げは十二分に脅威……」

 

「でもですね、先輩」

 

 いつもの砕けた話し方をする一色とは一変、はっきりと聞こえた彼女の声に、僕達の間には緊迫した雰囲気が流れる。

 

「そう簡単に私達に勝てると思ったら大間違いですよ?」

 

 ……全く、教え子が教え子なら師も師だ。負けず嫌い特有の青臭い闘争本能が、瞳の奥で烈火の如く燃えている。

 

 こうなれば、こちらも相応の態度を示さなければならないな。

 

 

 負けず嫌いなのは、こっちだって同じこと。

 

 

「さて、それはどうかな?」

 

 

 案外、僕達は似た者同士なのかもしれない。

 

 

 




・一色星羅(いっしきせいら)

セイウンスカイ担当のトレーナー。身長160くらい。
亜麻色の髪をしたロングボブと、常に着用している帽子が特徴的な若い女性。駿川たづなとはよく話す仲らしい。
好きな食べ物はお寿司とにんじん。




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トリックスター

 

「芝2500、コースは東京レース場と同じ。本来より100m長い似非ジャパンカップ、日本ダービーだな」

 

「敷地の都合上、トレセンとはいえ再現できるのが東京レース場だけっていうのが惜しいですよね〜」

 

 ダイヤにざっくりとした作戦を伝えた後、再びウォーミングアップに戻ったダイヤを眺めながら一色と雑談という名の暇つぶしをする。

 

 有記念と同じコースで模擬レースを行いたかったが、残念ながらトレセン学園には中山レース場が再現されたレースコースは無い。

 そのため、距離は2500mのまま東京レース場が再現されているレースコースを使うことになった。

 

 

 併走トレーニングから模擬レースに変わったこと自体は何の問題もない。

 一色もそれを了承してくれているし、ダイヤにとっても有前のこの時期に逃げウマ娘相手にぶつかれるというのはいいことだ。

 

 だが客席を見る限り、ここまで多くの人やウマ娘に広まったということは、確実にあの人も知ってるだろう。

 そもそもこれを広めたのはゴールドシップだ。絶対客席近くのあそこら辺に沖野トレーナーが……うわ、やっぱりいた。しかも目があった。

 

「先輩、どうしたんですか? 転んだ拍子にてんとう虫を踏み潰してなんとも言えない気持ちになった昨日のわたしみたいな顔してますけど」

 

「僕がどういう顔かしてたかは一ミリも分からなかったけど、そのてんとう虫の供養はちゃんとしておくんだな」

 

「大丈夫ですよ、ちゃんと棺に入れてお線香焚いた後火葬しておいたんで」

 

「そこまでやれとは言ってない」

 

 打てば響くと言わんばかりの顔で、一色は適当な軽口を叩く。口から出まかせなのはずだが、ツッコまざるを得ないのはこの場にツッコミ役がいないからだろうか。

 

「……にしても一色、随分と楽しそうだな」

 

「はい、スカイとサトイモちゃんのレースを見られるってのもあるんですけど、やっぱりこの後先輩にお寿司奢ってもらえるんで!」

 

「あなたさっきからそればっかりね……。そんなに楽しみにしてたのか」

 

「はい! 昨日は夜中にハマチを頭に乗っけてお寿司に敬意を払ってました!」

 

「連続でボケるのやめてくれない? 君そんなキャラだった?」

 

 ダイヤ達がウォーミングアップ中なのもあり、やることがなくて暇なのは分からなくもない。でも、だからといって僕を遊び道具にするのはやめてほしい。

 流石の一色でも頭に寿司ネタを乗っけるような奇行はしないはず……しないよな? いや、彼女はたまにとんでもなくアホになる時があるし……

 もし本当にしていたなら食べ物を粗末にしたという大罪を彼女は犯していることになる。許してはならない。

 

「む、なんだか今物凄く失礼なこと思われた気がするんですけど……。まぁいいです。ほら、もうすぐ始まっちゃいますよ」

 

「あ、ほんとだ」

 

「……ん? スカイのやつマックイーンちゃんと話してますね。何かあったんでしょうか?」

 

 いつの間にか二人はスタート位置についており、後はマックイーンのスタートの合図を待つ形となっている。

 ダイヤが集中している横でマックイーンとセイウンスカイが何かを話しているのが聞こえるが、ここからでは距離が遠すぎる。まあ大した話ではないだろう。

 

 ちなみに、ゴール係はどこからともなくタイマンタイマン言いながら現れたヒシアマゾンに任せた。こういった催しではいつも彼女がゴールで待ち構えてるイメージがあるので適任だろう。

 

 そしてレースには実況解説が付き物。頼んでないのにそれを担当するのは……

 

『さあ突如始まった模擬レース! 実況はこのアタシ、エェェルコンドルパサー!!』

 

『解説のグラスワンダーです♪』

 

 本当にどこから湧いたんだろう、この二人。

 一色も苦い顔……いや、急にこんなの始まったら誰でもこんな顔になるか。

 

『さあ、今を煌めくダイヤモンドの原石、サトノダイヤモンドが挑むは、のらりくらりと本心隠し、相手を欺くトリックスター、セイウンスカイ!』

 

『とは言われてますけど、セイちゃんは陰で人一倍努力してますからね〜。そこにどれだけサトノさんがついてこられるかが勝負の鍵になると思います』

 

『芝2500、まもなく出走デース!』

 

 レース前に知られたくないことを大っぴらにされて顔を赤くするセイウンスカイ。当事者同士以外での盤外戦術を果たしてフェアと言えるのか。

 

 当初よりも多くの人やウマ娘が集まってしまった練習場。

 僕と一色はちょうど最終直線開始くらいからの観戦だ。

 

「外側芝コース一周強……一対一の正真正銘真っ向勝負」

 

「菊花賞ウマ娘とはいえ、クラシックのダイヤとセイウンスカイでは実力差はある」

 

「そのサトイモちゃんがどこまでうちのスカイ相手に勝負に持ち込めるか……」

 

 たかが模擬レース、されど模擬レース。ターフにはまるでGⅠレースかのような緊張感が流れる。

 

「位置について……」

 

 

 澄み切った声を響かせ、マックイーンは旗を振り上げる。

 

 

「用意……」

 

 

 その声に反応し、二人はスタンディングスタートの構えを取り……

 

 

「スタート!」

 

 勢いよく振り下ろされた旗と同時に、ダイヤとセイウンスカイはスタートダッシュを決める。二人とも良い出だしだ。

 

 そう思ったのも束の間、スタートで僅かに先行したセイウンスカイが、まだ最初のコーナーに突入する前だというのにスピードを上げた。

 

 そこから逃げウマ娘らしくダイヤを突き放し、その差は三バ身、四バ身、五バ身……え? 

 

『こ、これは一体どういうことだ! まだまだ最初のコーナーに突入したばかりだというのに、セイウンスカイの爆走デース!!』

 

『これはまた面白い策を取りましたね〜』

 

 今尚セイウンスカイとダイヤの差が広まり続ける中、中盤に入ろうとするところでようやくセイウンスカイ達の意図に気がつく。

 

 セイウンスカイの走りは、先頭に立ち緩急を付けた走りで後続のウマ娘のスタミナをコンロールするものだと思い込んでいた。

 

 いや、思い込まされていたの方が正しい。

 現に今彼女はそんな走りをしていない。本当にそのペースで2500を走り切れるのか疑問に思うほどの走りだ。

 

「おや、ようやく気がついたんですか? 先輩にしては随分遅かったですね」

 

 腹の立つ口調で僕を煽る一色。だが彼女の言う通り、気づくのがあまりにも遅すぎた。

 既にセイウンスカイは2コーナーを過ぎて向正面に差し掛かっている。対してダイヤは2コーナーにすら入っていない。

 

 逃げを得意とするウマ娘と差しを得意とするウマ娘では体力配分もペースも何もかもが変わってくる。

 しかしこれはタイマン勝負、終始それほどの差がつくとは考えていなかった。

 

 

 ただの一手を除いては。

 

 

「……まさか大逃げとは。こんなの一朝一夕で身につくようなもんでもないだろうに」

 

「これこそ、あの子の努力の結晶ですよ。ここでお披露目になるのはちょっと想定外でしたけど」

 

 それでも彼女達はこの場でその戦法を取ってきた。

 最高のタイミングで万人を欺けるこの状況。ああ、なんとも彼女達が好きそうな展開じゃあないか。

 

『さあ向正面に入ったセイウンスカイ! サトノダイヤモンドとの差は七、八、九……実況からじゃ分かりまセーン!! これはセイちゃん圧勝か!?』

 

『ここから如何にサトノさんが追い上げられるかが見ものですよ、エル』

 

 超ハイペースで流れる模擬レース。ダイヤとセイウンスカイの差は目測十五バ身差ほどもある。

 これが並の逃げウマ娘であれば、掛かり気味だペース配分を間違えたなど揶揄されるだろうが、菊花賞をレコードで逃げ切ったことのあるほどの実力を持っているとなると話は別だ。

 

 

 奇術師(トリックスター)

 走る相手も観客も全てを欺いた彼女には、その言葉が最もよく似合っている。

 

 

「こうなってしまってはスカイの術中ですね。無理にスピードをあげたら立てていたプランが総崩れ、かと言って今のペースをキープし続けたら影を踏むことすらできずスカイの圧勝。これを破るのは相当に難しいですよ、先輩」

 

 破るのは難しい、か。

 

「なら問題無いか」

 

「……へっ?」

 

 悪いな、うちの自慢の原石はジンクスブレイカーなんだ。

 

 つい漏れてしまった僕の呟きに一色は間抜けな声を上げる。

 それと同時に起こったのは、周囲の驚きどよめき大騒ぎ。セイウンスカイの大逃げに負けず劣らずのものだった。

 

『な、ななな、なんと! 向正面真ん中でサトノダイヤモンドがここに来てペースを一気に上げていマス!』

 

『冷静さを失ったのでしょうか? それとも何か考えがあるのか……』

 

 3コーナーに差し掛かったセイウンスカイに狙いを定め、ダイヤは地を踏み込み速度を上げる。

 

「は、ははっ。先輩、これはどういう意図ですか?」

 

「難しいことじゃないさ。セイウンスカイの強みは相手にスタミナを消費させた後の最終コーナーでのずば抜けた加速力。その時点で差が開き過ぎていたら絶対に勝てない。だから中盤を過ぎたあたりでセイウンスカイを抜きに行けって予め伝えておいた」

 

「で、でもっ、そんなことしたら体力が持ちません! もしスカイが普通の逃げをしていたら……」

 

「この状況、体力勝負なのはお互い様。加えて、セイウンスカイは途中で抜かされた場合そこから捲るのは得意じゃない」

 

「っ……!」 

 

 大逃げは相手を狂わすメリットはあれど、スタミナを大幅に消費するデメリットがある。

 いくら菊花賞レコードを樹立したことのあるウマ娘とはいえ、スタミナが無限であるかと言われたらそんなはずはない。

 そもそもの話、大逃げは予想外だった。が、作戦が上手く噛み合ったことは嬉しい誤算だ。

 

『サトノダイヤモンドが加速加速! 大逃げをしたセイちゃんにもう五バ身差デース!』

 

『勝負は最終直線、どちらが勝ってもおかしくないです〜』

 

 このペースを保てれば最終直線に入る頃には追い抜くことができる。

 

 でも、相手もそんなに甘くはない。

 真にセイウンスカイが大逃げをするつもりなら、ダイヤがペースを上げたところでここまで差が縮まりはしなかっただろう。

 すなわち、セイウンスカイはダイヤが一気にペースを上げたことを確認した後、あえてペースを落としたことになる。

 それが意味することとは……

 

『お、おおっ!? セイちゃん最終コーナーで急加速!! 行け行けセイちゃん! GOGOセイちゃん!』

 

『エ〜ル〜? 実況は公平に。どちらか一方に肩入れするのは良くないですよ?』

 

『ケッ!? グラス、その薙刀どこから取り出したんデスか!? あっ、ちょ、ぎゃあああああああああああああああ!』

 

 なんだか実況席が大変なことになっているが、最早誰も気にしていない。

 

 ダイヤがセイウンスカイに並びかけたというところで、案の定セイウンスカイは最終コーナーで急加速する。

 負けじとダイヤも加速を始めるが、先に加速を始めたセイウンスカイの方が有利なのは間違いなく、彼女達の差は縮まらない。

 

「スカイ、後ちょっと! 走って!」

 

 珍しく声を大にする一色、それに呼応するかの如くセイウンスカイはさらに速度を上げた。

 

 自分で言うのもなんだが、ここまでかなり無茶な作戦を通してる。ダイヤのスタミナも恐らく限界。

 ダイヤとセイウンスカイの差は一バ身。最終直線直前、その差を埋めるには後一歩、後一歩さえ手が届けば……! 

 

 

 そう思っていると、彼女達が最終直線に入ったその時にダイヤの雰囲気が変わったような気がした。

 それは、いつの日かのジャパンカップや有記念でのマックイーンと酷似しており……

 

 

「今のは……」

 

 僕が声を漏らしている間に、ダイヤとセイウンスカイの埋まらなかった差がみるみる縮まっていく。

 歓声はより一層大きくなり、ダイヤとセイウンスカイ、彼女達を応援する声が観客席から飛び交っている。

 

 一瞬にも思えた2500mも残り一ハロン。坂を登り切り今度こそダイヤはセイウンスカイを差し……

 

 

「抜かせるかあぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 尚大きくなる歓声の中、さらに大きく声を荒らげるセイウンスカイの声がターフに響き渡る。

 そこにはトリックスターでもなんでもなく、ただ一人の勝ちを貪欲に求めるウマ娘がいた。

 

「スカイ! 頑張って!」

 

 背負う期待はfifty-fifty。勝負の決め手は二つの感情。

 

 

 認めよう、セイウンスカイ、一色。

 今日に関しては、君達の方が一枚上手だったことを。

 

 

 アタマ差。セイウンスカイ先着でゴールしたその模擬レースを、僕は最後の一秒まで目を離すことなく見届けた。

 

 

 



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四方山話

 

「……すみません、トレーナーさん。負けてしまいました……」

 

 レースを終え息を整えたダイヤは、下を向いて暗い顔をする。

 彼女は現状、神戸新聞杯と菊花賞を連続勝利している。それもあってか、公式戦でないにしろここに来ての敗北は相当響いたようだ。

 

「まぁ、そんなに落ち込むな。今日の成果は勝ち負け以上に大きなものも得られた。ここから有記念まで後少し。詰めていこう」

 

「でもっ……! ここで勝って勢いをつけるべきだったのに……」

 

 ううむ、レース前はあんなに楽しみにしていたのに、いざ終わってみると思いのほか負けを引きずっている。

 これも有記念で絶対に負けられないという思いから来るのかそれとも……

 

 理由はなんであれ、現状あまりよろしくない状況にあるのは間違いない。このままではダービーの二の舞を踏んでしまう。何かしらの改善が必要だ。

 

「ダイヤ、勝ちたい気持ちは誰だって持ってる。そこまで悔しがれるのなら自分でもそれは自覚してると思う」

 

「……」

 

「でも、自分だけを考えてたら勝てるはずもない。時に相手を、時に自分を。苦しい時こそ自分の感情と向き合って視野を広げることが君の課題の一つだ」

 

「苦しい時こそ……」

 

「そう、苦しい時こそ。ま、長々と話したけど、今君が相対すべき相手は僕じゃないってこと」

 

 僕が指差す先には、この戦いの勝者であるセイウンスカイが立ち尽くしていた。

 それに気づいたダイヤはセイウンスカイへと向き合う。

 

「スカイさん……」

 

「対戦ありがと、ダイヤちゃん。負けちゃうかと思ったよ」

 

「……ほんの数センチの差でしたけど、私にはとても大きな差に感じました。全力を出し切ったのに勝てなかった。でも……」

 

「でも?」

 

「……次は勝ちます」

 

 そう言ったダイヤは、シンプルに力強く自分の思いを口にする。

 

「……ダイヤちゃんの夢は、GⅠで勝つこととキタサンブラックちゃんに勝つことだったね」

 

「え、ええ、そうですけど。どうしてスカイさんが……?」

 

「にゃははっ、それは教えられませんな〜」

 

 ダイヤの疑問をセイウンスカイはぬるりとかわした。

 

「うん、そっか。そういうことね……」

 

「スカイさん?」

 

「うんにゃ、なんでもないよ。また勝負しよっか、ダイヤちゃん」

 

「……はいっ!」

 

 勝っても負けても最後は握手、ダイヤとセイウンスカイはレースの締めに相応しい固い握手を交わす。

 ここに、また一つ新たなライバル関係が……

 

 

「おっしゃあい! グリモワール564号が冥王星着陸したくらいすげぇレースしたあの二人を胴上げだーい! 行くぞ、スペ!」

 

「ゴ、ゴルシさん、雰囲気ぶち壊しですよ!」

 

「うるせぇ! 規則と障子と雰囲気はぶっ壊すためにあるんだよ! さあお前ら、さいっこうのレースをしたあの二人を囲め囲めぇぇぇ!!」

 

 できなかった。

 

 瞬く間にゴールドシップとその他大勢に囲まれた二人は早々に天高く宙を舞うことになった。

 何度も言うが、これはただの模擬レース。だというのにここまで大事になるとは思いもしなかった。

 それもこれも全部ゴールドシップのせいなんだけど。

 

 

 観客席にいたほとんどのウマ娘がダイヤ達の胴上げに参加する中、その輪に混ざらないでいるウマ娘が一人。

 

 

「トレーナーさん、少し宜しいでしょうか?」

 

「……僕も君に聞きたいことがあるけどお先にどうぞ」

 

 今この場、ダイヤの次に話さなければならない相手であるマックイーンが向こうからやってきた。

 

「……最終直線、ダイヤさんのあの走りは……」

 

「ああ、断定は出来ないけど、多分僕らが考えてることで間違いないかと」

 

 不完全で不安定、おまけに持続時間も極端に短い。それでも分かるのは、あの走りは間違いなく『領域(ゾーン)』だということ。

 菊花賞という舞台、クラシックで一つの時代を作ったとはいえ、この早い段階で発現するとは思っていなかった。

 

「この先、ダイヤさんがあれをものにすることができれば……」

 

「マックイーンにも負けず劣らずの実力を手にする。そうなったら君もうかうかしてられないな」

 

「……そうなるといいですわね」

 

 ……何か含みのある言い方だ。普段分かりやすいくせに、こうなった彼女の考えは極端に読めなくなる。

 

 でも分からないことを考えていても仕方がない。先に彼女に聞くべきことを聞いておこう。

 

「次は僕からもいいか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

「さっき、レース前にセイウンスカイになんて言った?」

 

「……はて、私には分かりかねます」

 

「……まだ僕に黙っておく気?」

 

「トレーナーさんも私に辞めることを最後の最後まで黙っていましたわよね?」

 

「それを言われたら何も言い返せませんねえ!!」

 

 くそっ、打つ手無くなった! 禁止カードだろそれ! 

 

 最強のカウンターをかまされ何も言えなくなった僕を見て、マックイーンはクスクスと笑う。

 

「冗談ですわ。私はただ、トレーナーさんの負担を減らしたいだけ……。今後考えうる最悪の自体を避けるために動いていますの」

 

「最悪の自体……とは」

 

「……ダイヤさんの夢、目標に関して……大きな見落としをしています。それに気づかないまま彼女の競争人生が終わるというのは、前を私にとって不都合そのものですわ」

 

 見落とし、か。

 彼女の言いたいことはぼんやりとだが分かる。そして、それを気づかせるのに直接的ではなく間接的に伝えようとするのも分かる。

 

 夢のその先。『憧れの向こうで待っている』という彼女の意味深なメッセージ。

 

 なるほど、マックイーンはかなり先まで見越している。教え子に先を越されたのは悔しいな。

 

「今までそれなりのメッセージをダイヤさんには伝えたつもりです。なので、私の心配も杞憂に終われば良いのですが……」

 

「その前に君は自分の心配な?」

 

「あう」

 

 八つ当たりっぽく、僕はダイヤを晴れない顔で見つめるマックイーンの額を小突く。情けない声を上げるマックイーンは先のシリアスな顔から一変、今度は不満気な顔で僕を睨みつける。

 

「まだかなり先とはいえ、ドリームトロフィーリーグに出場する予定なんだから体重管理はしっかりな」

 

「そ、そそ、それはそうなのですが……。どうしても気になってしまって……」

 

「……全く、どこまで行ってもお人好しなんだから」

 

「当然です。可愛い後輩というだけではなく、私と同じ貴方の愛バでもあるのですから」

 

「はいはい。ほら、マックイーンも混ざっておいで。向こうはもうお祭り状態だぜ?」

 

「むぅ……前々から思っていましたが、トレーナーさんは私とダイヤさんの二人しか担当していないのに妙にウマ娘の扱いがお上手……ちょ、ゴールドシップ!? 私の襟を引っ張るのをやめなさい! 強制的にあちらに連れて行く気なのですか!?」

 

 未だ胴上げされて宙を舞うダイヤとセイウンスカイ、そしてそれを行う多数のウマ娘達に混ざりに行くマックイーンとゴールドシップ。

 ただの模擬レースだというのに、もうどんちゃん騒ぎだ。

 

 それを眺めていると、帽子の鍔をこれ見よがしに整えながら勝ち誇った顔をする一色が僕に近づいてくる。

 

「ふふん、今回はわたし達の勝ちですね!」

 

「悔しいがな。不完全且つ一瞬とはいえ、あれが発動しかけたダイヤに意地と根性だけで勝つとは」

 

「それだけサトイモちゃんには負けたくなかったってことですよ」

 

 たまにはトレーナーらしく、僕と一色はレース後の総評を行う。

 まだクラシック級だというのに実力者のセイウンスカイにあそこまでくらいつけるなら、クラシックでの有制覇、並びにキタサンブラックに勝利という目標もより確実性が高まる。

 

 ならば、今後のトレーニングはスタートの練習やフォームの矯正など細かいところに意識を向けて……いや、今日のレースを見る限りスタミナの増強に特化した方が……

 

 

「先輩、さっきマックイーンちゃんが二人しか担当したことないって言ってましたけど……」

 

 

 今日のレースを踏まえて有までの短い期間のトレーニングメニューを考えていると、

 

 

 

「あの子達に言ってないんですか、昔のこと」

 

 

 

 一色は唐突に僕の思考を乱すようなことを……

 

 

 …………

 

 

 

「……聞かれたことないからな。そもそも、僕が本格的に担当したことあるのはあの二人以外にいない。つーか、お前にも言った覚えはないんだが?」

 

「あははっ、たづなちゃんに聞いちゃいました!」

 

 あの人は……っ! 人のプライバシーをなんだと思っているんだ。

 普段完璧そうに見えるのに、たづなさんはどうにも一色に甘い気がする。まるで昔からの知り合い、幼馴染であるかのような態度だ。

 

「話したところで何の面白味もない。特段何かやらかしたというわけでもないし」

 

「そうですかそうですか。でも先輩」

 

「なんだ?」

 

「その言い方だと、『何かやらかした』ことはなくても『何も無かった』わけじゃないんですよね?」

 

「……」

 

「語るに落ちましたね。先輩がマックイーンちゃんの怪我の後、トレーナーを辞めようとしたことがあるのは知ってます。その理由は世間からのバッシングに耐えられなくなったから。でも、本当にそれだけなんですか? 先輩が……あなたがサブトレーナーとして所属していた時のあのウマ娘に重ねて……」

 

「一色」

 

 自分でも驚くほど低い声が出た。それはあの一色の言葉すらも止めてしまうほどのもの。

 

「……すみません。こんなわたしの興味本位みたいな形で踏み入っちゃって……」

 

「いや、いいさ。お前の言ってることも全くの的外れってわけじゃない。それに、その怪我を乗り越えているからあの子達は今も走り続けることができてる」

 

「……うん、そうですね」

 

「そうだ。それに今と昔とじゃあ状況が違う。人間誰だって成長する」

 

 そう言ってマックイーンとダイヤに目を向ける。

 

 過去のトラウマ、心的苦痛、精神的外傷。

 今の僕にそう言ったものはない。それらは既に克服済み、彼女達の隣で共に走ると決めたのだ。

 そう決めた以上できるできないの話ではない。やるしかないのだ。

 

「あの時は、あの子達が怪我をしたのは自分のせいだって決めつけてた。でも、そこからどうするのかが大切だってことを今は知ってる。だからもう逃げたりなんかしないよ」

 

「その割には、マックイーンちゃんの秋シニア三冠がかかった有前にトレーナー辞めようとしてたのはどこのどなたさんでしたかね〜?」

 

「おい、言葉を慎めよ。死人が出るぞ」

 

「一体誰が死ぬと言うんです?」

 

「僕だ」

 

「先輩なんですか……」

 

 軽い冗談を挟みつつも、僕の心中はあまり穏やかではなかった。

 

 

 なかなかどうして、過去を知られるというのは気持ちの良いものではない。

 これは僕の癖や性と言ったらいいのか、第三者に対して己の過去を知られるということを避けてしまう傾向がある。

 

 別に自分の過去が特別嫌いなわけではない。掘り返して困るものではない。過去との決着を、だなんて少年漫画かよと思えるほどの大層なものでもない。

 

 

 なのに、なぜ自分は一色の言葉を遮ってしまったのだろうか。

 

 

「先輩混ざってきたらどうですか? 楽しそうですよ?」

 

「事案だよ。大の男が戯れるウマ娘達に突っ込んでいったら事案なんだよ」

 

「なら、わたしとの戯れをお望みで?」

 

「…………ふっ」

 

「なんですかその鼻につく笑い!」

 

 そんな考えの答えが出る間も無く、一色に話を振られて思考が霧散する。

 

 

 ただの模擬レースの予定だったのに、今日一日であまりにも考えることが増えてしまった。

 

 有記念のことはもちろん、『領域(ゾーン)』のこと、ダイヤの目標のこと、そして自分自身のこと。

 

 

 でも、やるべきことは決まっている。僕の行動理念に従ったそれは、崩れることはない。

 

『目の前にいるウマ娘の夢を叶える』

 

 ダイヤとセイウンスカイに加え、なぜか巻き込まれて一緒に胴上げされているマックイーン達の姿を見て、あの夏合宿の帰りに誓ったことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

「それで先輩、お寿司は?」

 

「…………あ」

 

 

 

 ***

 

 

 

『さあ、今年もやって参りました。暮れの中山レース場、心地よい高揚に包まれております! この戦いを見ないことには年を越すことができません!』

 

 

 一歩、地を踏み歩むたびに震動を感じる。

 

 地鳴りのような歓声、万雷の拍手。先にここを抜けたウマ娘達へと送られているエールが、地下バ道を反響して私にも伝わってきた。

 

 今日のレースは特別だ。この日のために、私は毎日一生懸命トレーニングをこなした。

 

 

「……いよいよだね」

 

 

 ……この声を聞くのもなんだか久しぶりな気がする。同じクラスなため、声なんて自然に入ってくるのに、宝塚記念以来まともに彼女と会話はしていなかった。

 

 そんな彼女は、もう宝塚記念の時のようなキタちゃんじゃない。

 私の大好きな、いつも笑顔で明るいキタサンブラックがそこにいた。

 

 

「行こう、ダイヤちゃん」

 

「うん、キタちゃん」

 

 

『GⅠ有記念、間も無く出走です!』

 

 

 



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一番見たい姿

 

 

 クラシック級で有記念を制することは簡単なことではない。

 

 秋シニア三冠の最後の冠である有記念、出走するウマ娘は基本的にシニア級を戦い抜いている精鋭ばかりだ。それもファン投票によって選ばれているウマ娘なので、さらに厳選されていると言ってもいい。

 一年の差があるシニア級ウマ娘を相手にするには、それ相応の覚悟を持って挑まなくてはならない。

 基礎体力の差、経験など諸々鑑みると、改めて簡単なことでは無いと実感させられる。

 

 だが、これを成し遂げたウマ娘は例に漏れず歴史に名を刻んでいることもまた事実。

 マンハッタンカフェ、グラスワンダー、マヤノトップガン、ナリタブライアン、オグリキャップ、直近だとゴールドシップもそうだったか。

 

 そして、『皇帝』シンボリルドルフ。

 

 このグランプリという大舞台。クラシックとはまた別の緊張感。

 自分が走るわけでもないのに、レース前になるといつも緊張で心拍数が上がる。

 ウマ娘達のひりつく雰囲気は僕の肌に馴染まない。それでもどこか心地よいと感じるのはもう職業病か何かなのだろう。

 

 

 サトノダイヤモンド、彼女の才能は眩かしい。

 皐月賞やダービーで悔しい思いをしてからの快進撃。ここで勝利を掴めばさらに流れは良いものとなる。

 そうなれば、ダイヤが背負っている皆からの期待に応えることができ、掲げている目標も晴れて達成、万々歳だ。

 自分としても、担当ウマ娘には勝ってほしいという気持ちは当然にある。勝って喜んでいる彼女達の姿を見たいと、心の底から思っている。

 

 

 でも、一番見たいのはその姿じゃない。

 

 まだ一年も経ってないのに遠い昔のように感じるきさらぎ賞。

 あの時、隣にいたマックイーンはおろか、その言葉をかけたダイヤも覚えてないかもしれないけど、僕が一番見たい彼女達の姿は……

 

 

「……本当に構わなかったのですか?」

 

「……えっ、何? 聞いてなかった」

 

「はぁ……しっかりしてくださいませ、トレーナーさん。貴方がそんなではダイヤさんにも影響が出ると、何度言わせたら気が済みますの?」

 

「ごめんごめん、ちょっと考え事しててさ」

 

「もう、仕方のない人ですわね……。こんなところで留まっていないで、普段のようにダイヤさんのところへ行くべきという話です。きっと彼女も、トレーナーさんから激励の言葉を貰えると喜びますわよ?」

 

 中山レース場のスタンドから少し離れた場所。譲れないとばかりに良い位置で有記念を見ようとする者達の姿が、ここからならよく見える。

 もっとも、真に見なくてはならないのは観客などではなくレースであることは間違いない。

 

 普段ならあの集団に混じってレースを見ているはずなのだが、今日はターフ全体を見渡せる位置でレースを見たかった。

 後方彼氏面、なんて冴えないオタクが皆の人気者であるアイドルにするようなものではないけれど、なんとなく今日はそういう気分だった。

 

「いいんだよ、今日は。確かに君の言う通り、普段ならダイヤの顔を覗きに行ってたさ。でも、このレースに限ってそれは必要ない」

 

「それは一体どういう……」

 

「簡単なことさ。このレース、僕の出番はこれ以上無いってこと。ましてや、君の出番も無いよ、マックイーン」

 

「それは……そう、ですわね。だってダイヤさんと同じこのレースに出走するのは……」

 

 サトノダイヤモンドというウマ娘の幼馴染であり親友でありライバルであり目標でもある存在、キタサンブラック。

 そんな存在がダイヤと同じ大舞台で走るのだ。二人三脚をモットーとするウマ娘とトレーナーという関係であっても、僕の出る幕はほとんど無いと言えるだろう。

 そもそも、大事な話や作戦は昨日の内に伝えてある。僕達が出向かう必要は無い。

 レース直前にダイヤの下へ向かわないのも、事前に彼女に伝えてある。

 

「自分で言うのもなんだけど、こんなこと言うのトレーナー失格だよなあ。なーにがウマ娘とトレーナーの二人三脚だよって」

 

「いいえ、こうしてしっかり引き際を見定め、ウマ娘が最大限に力を発揮できる状況を作るというのも、トレーナーとして立派だと思いますわ」

 

「へいへい、フォローありがとね」

 

 実際、マックイーンの言う通りダイヤが最も力を発揮できる状況を作ったつもりだ。

 作ったと言っても、余計な邪魔を入れずにダイヤとキタサンブラックを相対させただけなのだが。

 

 

「それで、僕は今日このままスタンドから少し離れたこの位置でターフを見下ろすことになるんだけど、マックイーン、君はどうする?」

 

「トレーナーさんとご一緒させていただきますわ。私もダイヤさんの邪魔にならぬよう離れた場所で……」

 

 

「うおおおおおおおお! メジロ饅頭、一本釣りぃぃぃぃぃ!!」

 

「ちょ、きゃああああああああ!?」

 

 マックイーンが僕の隣でレースを見ると意思表示をした瞬間、彼女の姿が一瞬にして宙を舞う。

 そんな突然のことにかえって思考が冷静になってしまい、綺麗な一本釣りだなと場違いなことを考えてしまった。

 

 それより、こんな頭のおかしい言動を行う奴といえば……

 

「なーっはっはっは! ツシマ海流に乗って流れてきたマグロマックイーン、獲ったどぉぉ!」

 

「獲ったどぉ! ではありませんわよ、ゴールドシップ! 降ろしなさい! それになぜ貴方がここにいるんですの!?」

 

「なんでって……今日はキタサンのレースの日だからな。チームメイトであるアタシらが応援に来るのは当然だろ」

 

「くっ……至極真っ当な理由でした……!」

 

 ああ、キタサンブラックはチーム〈スピカ〉所属だからな。ゴールドシップだけでなく、トウカイテイオーやスペシャルウィーク達もこの場に至っておかしいことはない。

 

「おい見ろよスペ、テイオー! アタシが本場の静岡で一本釣りしたマグロマックイーン! 後で皆んなで食べようぜ!」

 

「貴方先程ツシマ海流と仰いましたよね!? あと、私のことをそう呼ぶのをおやめなさい!」

 

「じゃあマグロ」

 

「ついに私の名前が消えた!?」

 

 人目を憚らず漫才を続けるマックイーンとゴールドシップ。

 マックイーンも〈スピカ〉の面々も有名人であるのが相まって、次第にその注目は大きくなっていく。

 これ以上はまずいと思ったのか、同じチームメイトであるトウカイテイオーとスペシャルウィークはゴールドシップを止めようと……

 

「わーい、やったー! じゃあボクは耳の部分を頂くね?」

 

「ゴ、ゴルシさん……一本釣りについて詳しく……! 静岡のマグロ……なまら美味ぇんだろなぁ……」

 

「お二人ともふざけていないで助けてくださいます!?」

 

 いや、トウカイテイオーは悪ノリだろうがスペシャルウィークは多分大真面目だぞ。

 

 マックイーンがゴールドシップの持つ釣り竿に捕まって喚いている中、一人の人物が混沌を土鍋で煮詰めたこの状況に立ち向かう。

 

「ゴールドシップ、少しいいかしら?」

 

「ス、スズカさん……!」

 

 スズカ、もといサイレンススズカは真剣な表情でゴールドシップを見つめる。

 真面目な彼女ならきっとこの状況を打開してくれるはずだ。マックイーンの顔にも希望の表情が見える。

 

「マグロって時速80kmで泳ぐと聞いたことがあるのだけれど、今度走り比べをしたいから私も連れて行ってくれないかしら?」

 

「スズカさん!?」

 

 混沌を土鍋で煮詰めた状況が、得体の知れない何かに変わったところで僕はそっと目を逸らした。

 思うに、あれは考えたら負けなやつだ。放っておこう。

 

 と、まぁ〈スピカ〉with マックイーンのお笑い番組が絶賛放送中だが、一人の人物が僕に向かって近づいてくるのに気がついたためチャンネルを切り替えるかのごとく意識をそちらに集中させた。

 

「よ、相変わらず元気そうじゃねぇの」

 

「よ、じゃないですよ、沖野トレーナー。あれなんとかしてください」

 

「おいおい、そりゃ無理な話だ。何故なら、あいつら全員問題児で扱いには細心の注意を払わなきゃだからな」

 

 アンタもそのうちの一人だと思うよ。

 

「そんなことよりいいんですか、こんなところにいて。早くスタンド席行くなり、キタサンブラックのところに行くなりした方が良いのでは?」

 

「そういうお前もこんなところとやらに佇んでるわけなんだが。ま、トレーナーってのはレース当日出来ることなんて限られてるしな。歯痒いもんだ」

 

「……それは、同感です」

 

 おそらく彼もここでレースを観戦するつもりなのだろう。

 沖野トレーナーは対戦相手のトレーナーではあるが、わざわざ邪険に扱う必要もないため何も言わなかった。

 これで飯でも集ってきたら堂々とぶっ飛ばす気ではある。

 

「よっしゃ、マグロちゃん、今日はアタシらチーム〈スピカ〉とレース観戦だ! イキのいい応援っぷり見せてくれよな!」

 

「いい加減降ろしてくださいます!? 貴方の釣り竿でずっと宙にぶら下げられてるのもしんどいのですが…………これ一体どういう原理で吊り下げられてますの?」

 

「昨日アタシがウマゾンで買った繊維ボンド」

 

「私の制服が!?」

 

 えぇ、安全ピンとかじゃねぇのかよ……

 

「ト、トレーナーさん! いい加減助けてください!」

 

 スタンドに向かおうとする〈スピカ〉の面々に吊り下げられた状態で連れて行かれるマックイーンは、僕に助けを求める。

 

 しゃーない、ゴールドシップという日本海を彷徨うマグロマックイーンを一本釣りするために、そろそろ助け舟という漁船を出してやるか。

 

「もう減量中にチートデイと称して普段よりかなり多めにスイーツを食したりしませんから!」

 

 …………

 

「えっ、トレーナーさん、どうして無視するんですの? わ、私何か変なことを……ト、トレーナーさん!」

 

 へっ、いつの日かゲーセンで僕を騙した罰だ。今日はゴールドシップ達に玩具にでもされておくんだな。強く生きろよ、マックイーン。

 

 〈スピカ〉のメンバーと戯れながらスタンドへ向かうマックイーンの姿を見て、あんな風に彼女が〈スピカ〉に入る世界もあったのかなと考えてしまい……

 

『さあ、今年もやって参りました。暮れの中山レース場、心地よい高揚に包まれております! この戦いを見ないことには年を越すことができません! GⅠ有記念、間も無く出走です!』

 

 実況の声によって、それまで考えていたことが一瞬にして霧散する。

 それと同時にレースがもうすぐだということに気がついた。

 

「お宅のサトノダイヤモンド、随分といい走りじゃないか。こないだの模擬レース見させてもらった」

 

 沖野トレーナーはこのレースが始まるまでの短い時間で世間話を始める。

 そうだ、そのことについて言いたいことが沢山あるのだ。

 

「あの模擬レース、仕組んだのゴールドシップですからね、分かってます? つまりあれはあなたのチームぐるみでの汚い情報収集……」

 

「おっ、本バ場入場始まったぞ。キタのやつ、張り切ってたからなあ」

 

「話聞けよ……っ!」

 

 あまりにも雑な対応をする沖野トレーナーに対し、ついタメ口になってしまった。

 いけないいけない、例えカスでも先輩への敬意は形上取り繕わねば。

 

「今なんだか物凄い不本意な呼ばれ方した気がするんだが……まぁいい。ほら、キタの後にお前んとこの担当出てきたぞ」

 

「……ほんとですね」

 

 地下バ道から出てきたダイヤの顔には迷いが無い。

 もともと彼女の苦悩らしき苦悩は夏明けのあの日に取っ払われているはずなので、僕が余計な心配をする必要もない。

 その上に、彼女の顔はより清々しいものとなっていた。案の定、僕の出番はいらなかったらしい。

 

 実況による紹介も終わり、ファンファーレが響いて各自ゲートに入っていく。

 

 

 大歓声を上げているスタンドから外れて見守る中、グランプリ有記念が……

 

 

『スタートしました! さあ内の方でいいスタートキタサンブラック! 早くも先行争いの中飛ばしていくのはバレッタペリジーです。単独の二番手キタサンブラック付けました』

 

 

 キタサンブラックは逃げウマ娘ではあるが、サイレンススズカやツインターボのように無理にハナを取りいくようなウマ娘ではない。

 あくまで自分のペース、それが結果的に逃げという作戦になっている。

 

『そしてサトノダイヤモンドは中団と言ったところ、緑の勝負服が進んでいます』

 

 ダイヤもいつもと変わらず中団に控えている。スタートダッシュに失敗したわけでもない。始まったばかりだからなんとも言えないが、悪くない展開だろう。

 

「おーおー、前のウマ娘飛ばすねぇ」

 

「彼女は確か先月のGⅢ福島記念で勝利を飾ったウマ娘ですね」

 

「分かっちゃいたが、こうも先行されるとキタのやつも次点に付くしかないってわけだ」

 

 正面スタンド前、バレッタペリジーが七バ身ほど離して先頭を行き、その次にキタサンブラック。そしてそれを見るように三番人気のシルバーアクトレスが続いている。

 

「そういえばお前、キタとサトノダイヤモンドが一悶着あったの、知ってるのか?」

 

「……何かあったとは察してますけど、深くは追求しませんでしたよ。言いたくなさそうだったし、仮に二人に何かあっても、それは二人が解決することです」

 

「違いないな」

 

 それを察した時から分かっていたが、きっとあの二人は仲違いか何かをしたのだろう。

 冷たいことを言うかもしれないが、個人間のいざこざに首を突っ込むのはトレーナーの仕事ではない。

 

『1コーナーのカーブに入っていきました。一旦場内が静かにその状況を見つめていきます。これからその隊列を追いかけていこうというところ』

 

 会話をしている間にもレースは淀みなく進んでいく。

 

「で、沖野トレーナー。それがどうかしたんですか?」

 

「……いや、別に。知ってんのかなって」

 

 それにしては歯切れの悪い。何かキタサンブラックのことで悩むところがあるのか。

 

 そんな沖野トレーナーのことを心配していても仕方がないので、彼のことは置いておき一旦レースの方に注力する。

 

 前半1000mを通過時点、一番前を走るのは変わらずバレッタペリジー、二番手にキタサンブラック。そして三番手には……

 

『そして三番手に上がってきたサトノダイヤモンド。シルバーアクトレスと共にここは人気ウマ娘が二番手三番手四番手』

 

「……サトノダイヤモンド、随分飛ばしてるみたいだが、これもお前の入れ知恵か?」

 

「他のウマ娘を蔑ろにしているわけじゃないですけど、こちら側にとって今回一番注意すべき相手は確実にキタサンブラックです。ライバルの相手をマークするのは当然でしょう?」

 

 ダイヤが前目についたこともあり、それまで同じく先行していたウマ娘も僅かにスピードを上げて向正面に入る。

 

 大きな展開もなく進んでいる有記念。この流れだ、どうせなら沖野トレーナーに聞きたいことを聞いておこう。

 

「ダイヤから聞きましたよ、あのこと」

 

「あのことって?」

 

「とぼけないでください。あなたが宝塚記念の時、ダイヤに口入れした時のことです」

 

「んな俺がセクハラしたみたいな言い方されても……」

 

 いや、アンタはそれに関して言い逃れできねぇよ? 

 

「ダイヤへの頼み、あなたらしいと言えばあなたらしいですがね」

 

「でも、俺もお前も考えてることは同じだろ?」

 

「……そうですね。ここ最近のキタサンブラックのレースは何か執念のようなものばかり見てとれました。ジャパンカップで少し変わったような印象を受けたけど、依然勝ちたいという気持ちが先行しすぎてる」

 

「それは俺が指摘しても意味がない。だからあいつのライバルであるサトノダイヤモンドに頼んだんだ。お前の言う通りジャパンカップでだいぶマシにはなったんだぜ?」

 

 きっと沖野トレーナーは、このレースでキタサンブラックが頼みをしたダイヤを通じて、それに気がついてくれることを信じたのだろう。

 

 レースもいよいよ終盤、向正面を走り切り第3コーナーに入る。

 気がつけばキタサンブラックが先頭のウマ娘を半バ身差まで捉えている。

 

「キタサンブラックとサトノダイヤモンド、勝ちたい気持ちはどちらも強い。比べるだけ無駄。勝敗を分つのは散々言ってきた『あれ』ですよね?」

 

「ああ。それに加えて、コース的な話をしておくと、この短い直線でフルスピードを出し切るにはコーナーで加速しきる必要がある」

 

 かつてマックイーンとトウカイテイオーがこの場で競ったんだ。そうでなくても中山の直線が短いことは周知の事実。沖野トレーナーが知らないはずがない。

 

「それが分かってるからあの二人も既に進出を始めてます」

 

「つまり実力はほぼ堂々ってことだ。このレース、真に決着が付くのは……」

 

 

『じわりじわりとキタサンブラック! 見るようにシルバーアクトレス、そしてサトノダイヤモンド!』

 

 

 レース場内に響き渡る実況の声。それに呼応するかの如く、三つの影が虎視眈々と前を狙っている。

 3コーナー、4コーナーで十分な加速を見せた三人はいよいよレースの大詰めへと入った。

 

 沖野トレーナーの言う通り実力は互角。こうなってしまった場合、最後の末脚のキレが試されることになる。

 

 そう、このレースの勝敗が決するのは……

 

 

「「最終直線」」

 

 

 ハナを奪い先頭に立つキタサンブラック、レース序盤からそれをしっかりとマークするシルバーアクトレス、そしてその二人をすぐ後ろから狙うサトノダイヤモンド。

 

 スタンドの盛り上がりとは真反対の静けさで、僕達二人は上位人気の頂上決戦となった有記念を見ていた。

 

 

 



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だから私は

 

 

『私、ライバルのキタちゃんに勝ちたいんです!』

 

 

 デビュー戦を勝ち、二戦目のプレオープンも勝利することができた帰りの車内。

 あの日、トレーナーさんに改めて自分の目標を伝えたことは印象深く記憶に残っている。

 

 私のこの目標は、お家のためにGⅠレースを勝ちたいという目標と同じくらいに大きなもの、トレセン学園に入る前から志している夢なのだ。誰かに、それも自分のトレーナーに伝えるとなれば、それは記憶にこびりつく。

 

 

 私は夢に向かって走った。

 憧れの背を追い、信頼できる師と共にし、マーチさんやスカイさんといった色々な出会いも経験した。

 時には、レースの前に不安になったり、負けが続いて落ち込んだりもしたけれど、いつだってあの方は……トレーナーさんは私のことを信じていてくれた。

 

 

 だから私は応えたい。

 

 どんな形であっても、自分自身の夢を叶える。それが今の私ができる、最大の恩返しなのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

『じわりじわりとキタサンブラック! 見るようにシルバーアクトレス、そしてサトノダイヤモンド!』

 

 

 最終直線で私は前にいる二人をギリギリ捉える。

 

 二人には、特にキタちゃんには逃げ切らせない。

 そう息巻いていたのだが現実は非情なもので、私の体力はもう限界に近い。

 トレーナーさんの言う通り、キタちゃんを注意深くマークしたけれど、なかなかどうしてこれが簡単なものじゃ無かった。

 

『ここで先頭はシルバーアクトレスか!? キタサンブラック苦しいのか!? サトノダイヤモンドも上がってきている!』

 

 残り200m、ここからは心臓破りの急坂だ。脚が重い、肺が苦しい。

 

『先頭はシルバーアクトレスとキタサンブラック、シルバーアクトレスとキタサンブラック! 外からはサトノダイヤモンドさあ広がった!』

 

 しんどい、きつい、辛い、前の背中においつけない、ゴールまでが遠い。

 ネガティブな言葉が私の頭の中でこだまする。

 

 でも、どんなに辛くても、どんなにしんどくても、それでもね、私……

 

『先頭はキタサンブラック! 先頭はキタサンブラック!』

 

 

 

 こうしてキタちゃんと走るの、楽しいな……! 

 

 

 

 その瞬間、不思議な感覚に陥った。

 それまで聞こえていたはずの歓声も、風の音も、周りどころか自分の足音でさえも、何も聞こえない、感じない。

 世界にたった一人、私だけが取り残されたような感覚。

 

 ああ、好都合だ。これなら私の集中を妨げるものは何もない。

 

 決めたんだ、キタちゃんの背中を越えるって。

 誓ったんだ、誰かの期待に応えられるようなウマ娘になるって。

 宣言したんだ、神戸新聞杯も菊花賞も、有記念も全部勝つって。

 

 

 

 だから……だから私は……っ! 

 

 

 

「「ああああああああああああああっっ!!」」

 

 

『サトノダイヤモンド! サトノダイヤモンドだ! キタサンブラックか!? サトノダイヤモンドか!? 並んでゴールインッ!! 捉えたか!? それとも残したか!?』

 

 

 全てを出し切って走り抜いた私は、着順を確認する余裕も無く、長い袖を広げて芝の上に仰向けになる。

 こんな姿、お父さまとお母さまには見せられないと思ったが、ここはレース場。大衆の目に晒されている以上関係ないかと思考を放棄する。

 あと、走った直後というのもあり足が一歩も動かない。回復にはもうしばらくの時間が必要だ。

 

 最後の一歩、ゴール板を完全に通過するまで私の意識は朧げだった。正確には最終直線に入ってすぐくらいか。

 少し前、スカイさんと模擬レースをした時も似たような状況に陥ったことがある。

 あの時は負けた悔しさもあって有耶無耶になってしまっていたが、あれは一体なんなのだろうか……? 

 

 

 そんなことを考えていると、スタンドから急に歓声が上がる。何事かと思うと、その人達は皆電光掲示板の方を見ていた。

 

 そうだ、結果は、レースの結果は……! 

 

 ある程度回復した私は、体を起こして注目を集める掲示板を見ると……

 

「……やっ……た……っ!」

 

 光る1の文字の横には、私の番号である11が映っていた。

 二着、キタちゃんとの差はクビ差。私の……いや、私達の完全勝利だ。

 

 いつまでも座っているわけにもいかないため、産まれたての子鹿のように脚を震わせながら立つと、菊花賞の時と同じかそれ以上の心の高鳴りを感じる。

 今すぐにでも私の思いを、どこかで見ていてくれているであろうトレーナーさんに伝えたい、応援してくれたマックイーンさんに届けたい。

 

 でも、その前にやらなきゃいけないことがある。

 

「……おめでとう、ダイヤちゃん」

 

 歓声を浴びるのもそこそこに、私は話さなければならない相手と相対立する。

 

「凄かったね、最後の末脚。あたし、粘りきれなくて……最後、粘れなくて……あとちょっとだったのに……っ」

 

 最初こそキタちゃんはいつもの声音だったが、次第に声が震えて涙を零す。

 キタちゃんの涙はきっと、本気で勝ちたいと思っていたからこそのものなのだろう。負けて悔しい気持ちは、私だってよく分かる。

 

「……私ね、ずっとキタちゃんの背中を追いかけてた」

 

「あ……」

 

「小さい頃から私の手を引っ張ってくれて、私にいろんなことを教えてくれて。そんなキタちゃんに私は憧れてたの」

 

「ダイヤちゃん……」

 

「ねえ、キタちゃん」

 

 

 こうしてレースを終えた今だからこそ伝えなくてはならない。最大にして最高の親友に。

 

 

「私と走るの、楽しかった?」

 

「……っ! 楽しかった……楽しかったよ! ダイヤちゃんと走るのすっごく楽しかった! 今までで一番楽しかった!」

 

 私の問いに、キタちゃんは泣き笑いで返答してくれる。

 言うまでもなく、私も楽しかった。楽しかったからこそ勝てたんだと思う。

 

 笑顔で無理矢理涙を抑えるキタちゃんに、私はお互いの顔が見えないように抱擁をする。

 

「ありがとう、キタちゃん。あなたが相手だったからこそ、私はこのレースで全力以上の力を出せたの」

 

「……あたしこそありがとう。そしてごめんなさい。宝塚記念の時、酷いこと言っちゃって」

 

「ううん、いいの。だってこうして私の大好きなキタちゃんが戻ってきてくれたんだもの」

 

「ダイヤちゃん……」

 

 こうして顔を隠してないと泣いてしまいそうで。今顔を合わせると抑えていた感情が溢れてしまいそうで。

 

 実際抱擁を交わしたのは五秒にも満たないだろうけど、私にとっては永遠にも感じられた。

 その短くも長い時間で涙をぐっと堪え、もう一度キタちゃんに向き合う。

 

「私、またキタちゃんと一緒に走りたいな」

 

「あたしもだよ。だって今日こんなに楽しかったんだもん」

 

 近いうちにまたキタちゃんとレースで相見える。確証はなかったが、そんな気がしてならなかった。

 

「……キタちゃん、一ついい?」

 

「奇遇だね、ダイヤちゃん。あたしも言いたいことあるんだ」

 

 それ故に、彼女にはもう一つ伝えなければならないことがある。

 

 

「「次も(は)負けない!」」

 

 

 今度はライバルらしく、私とキタちゃんは固い握手を交わす。

 その瞬間、今まで気にしてなかった歓声がより一層大きくなり、それによって自分達はまだターフにいることを実感させられ……ん? まだターフに…………っ!! 

 

 

 私は、大勢の人の前で自分がキタちゃん相手に何をしたのかを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

「よっ、今年の有の覇者さんや」

 

「……っ!」

 

 恥ずかしさのあまり、控え室に戻ろうと急いで地下バ道を走っていると、今一番感謝を伝えたい相手の顔を見つけて足を止める。

 それと同時に目に涙が浮かんでしまう。今にも泣いてしまいそうだ。

 

「トレーナーさん……! 私のレース、見てくださいましたか……?」

 

「もちろん見てたさ。枠入り前の落ち着き、レース中しっかり前のウマ娘への食らいつき、君が先頭でゴール板の前を駆け抜ける勇姿。そしてキタサンブラックに対し大衆の前であんな大胆なことを……」

 

「さ、最後のは忘れてください!」

 

「ごめんごめん、冗談だよ」

 

 トレーナーさんの余計な一言で雰囲気が台無しだ。

 彼の顔を見たら今にも泣きそうと言った状態だったが、その涙も引っ込んでしまった。

 

「もういいです、ダイヤは怒りました。今度マックイーンさんと一緒にトレーナーさんにセクハラされたって一色さんに言いつけます」

 

「そ、そこまで拗ねなくても……待って、君たちいつの間に仲良くなったの?」

 

 スカイさんとの模擬レースの後、スカイさんのトレーナーさん、一色さんとはマックイーンさんも含めてよく話す仲となった。

 

 速く走るコツやオススメのクールダウン、狭い場所でもできるトレーニング方法など、実際に話を聞いてみて彼女の知識量はトレーナーさんに引けを取らないと感じる。

 たまになぜトレーナーとはいえウマ娘についてそのような微細なところまで知っているのか疑問に思うところもあったが、女性であるが故なのもあるのだろうと深くは考えなかった。

 

「模擬レースの後です。一色さん、トレーナーさんのこともお話してましたよ」

 

「え、マジで。なんて言……いや、やっぱいい。怖いわ」

 

「上目遣いで甘い声出してお願いすれば大概のことは聞いてくれるニブチンさん、と」

 

「言わなくていいって言ったじゃん! マジであの野郎覚えとけよ……!」

 

 復讐の炎に燃えるトレーナーさんを見て、心の中で一色さんに小さく謝罪する。ごめんなさい。

 

「クソが……もう二度と飯奢らねぇからなあいつ……」

 

 そんな一色さんのことを考えるトレーナーさんを見ていると、なんだか心にチクリとした痛みを感じる。

 この痛みがなんなのか、どういった感情なのか。そんなのはもうとっくに分かっているし気付いている。

 でも駄目だ。それを自覚してしまったら、私はきっと悲しい思いをすることになる。

 

 

 知っていた、私の憧れは……マックイーンさんはトレーナーさんに恋慕の感情を抱いている。

 

 

「……? ダイヤ、どうした? 優勝した後だってのにそんな辛そうな顔して」

 

「……えっ? あ、いえ、これはなんでもないです」

 

「本当か? 見た感じ怪我してる様子は無いけど、どこか痛むようであれば絶対に言ってくれよ?」

 

 トレーナーさんの的外れな心配に呆れてしまう。

 でも、それは私を心の底から心配してくれているからこその発言だ。胸が温かくなる。ニブチンなのは変わらないけれど。

 

「そうだ、ダイヤ。ここに来るまでにマックイーンに会わなかったか?」

 

「マックイーンさんですか? いえ、お会いしてませんけど……。ご一緒されてなかったのですか?」

 

「それがなぁ、レース前にゴールドシップ達に攫われちゃって。レース終わった後ここに向かうがてら連絡入れたんだけど返信が無くて……」

 

 ……そっか、今ここにマックイーンさんはいないんだ。

 

 その事実を知ると同時に、私の脳裏に悪魔的思考が過ぎる。

 ここは地下バ道、人はほとんど通らず、共に出走した他のウマ娘達も今までの会話で全員部屋に戻っているはずだ。

 

「〈スピカ〉の連中も知らないって言ってたし、ほんとどこ行ったのやら……」

 

 つまり、この場には私とトレーナーさんの二人しかいない。

 そう考えると居ても立っても居られず、私はその悪魔的思考に従うほかなかった。

 

「駄目元でもう一回あいつに連絡……ってうおっ!? ダ、ダイヤさん!?」

 

「大きな声を出さないでください、誰か来てしまいます。あと、トレーナーさんがよろしければもう少しこのままでいさせてください」

 

「……」

 

 マックイーンさんに連絡をしようとするトレーナーさんの手を遮り、私は彼に正面から抱きつく。

 

 正直、この後どうするかは何も考えていない。なんなら恥ずかしさで今にも消えてしまいそうだ。

 でもチャンスは逃したくない。ここで一歩踏み出せなかったら、もう二度と踏み出すことができない。そんな気がしてならなかった。

 

「トレーナーさん」

 

「はい、なんでしょう」

 

「私、まだあなたに褒めてもらってません」

 

「……ああ、そうだったな」

 

 トレーナーさんに抱きついたまま、私は彼に賛辞を要求する。

 

「ダイヤ」

 

「はい、なんでしょう」

 

「……やったな」

 

「っ……はいっ!」

 

 たった一言、それだけで私の心は温もりを得た。

 彼と共に歩んできたからこそGⅠ制覇に手が届いた、ライバルに打ち勝つことができた。

 この事実が、私にとある一つの感情を完全に自覚させる。

 

 先の通り、トレーナーさんはマックイーンさんの想い人だ。そこに私が介入する隙はないものだと、そう思い込んでいた。

 でも、自覚したものは仕方がない。この想いはお墓まで持っていくなんて、そんなこと私にはできない。

 

 ふと顔を上げると、トレーナーさんは困った顔をしながらも微笑んでくれる。

 

 

 そっか、やっぱり私はトレーナーさんのことが……

 

 

 

 ***

 

 

 

 ステージ、それもセンターに立ち、応援してくれたファンのためにウイニングライブを行うダイヤら。

 

 いつもなら僕は前列でマックイーンとペンライトを振っているのだが、今日はレースの時同様人の少ない後方で彼女のライブを眺めていた。

 こうして一人でいるのも、相変わらずマックイーンと連絡が取れないというのがあるのだが、ダイヤについて考えたいことが二つあるからだ。

 

 

 一つは先程地下バ道でのダイヤの行為。

 

 自分は常々ウマ娘との距離感というのを考えてきた。

 世間からすればウマ娘とトレーナーという関係は、普通の学校で言う生徒と先生の関係という認識だろう。

 もちろんその二つの関係性は似て非なるものだが、共通点はウマ娘並びに生徒側は未成年というところだ。

 故に、時に一瞬血迷うこともあったが、不可抗力を除いて今まで自分から下手な行為をしたことはない。

 そもそも自分は彼女達に対してそう言った感情は抱いていない。むしろ抱いていたら大問題だろう。

 

 とはいえ、これらは僕自身の話だ。自分自身の話だけで解決できたらそれに越したことはないが、これは恋愛シミュレーションゲームではないため相手側の気持ちも考える必要がある。

 

 一色曰く僕はニブチンとのことだが、残念ながら自分は難聴系でなければライトノベルの主人公でもない。

 前も話したが、マックイーンからの好意にはとっくの昔に気が付いている。その上で、今までそれなりに自然になるよう受け流してきた。

 トレーナーとして、教育者として、彼女の気持ちを無碍にしないよう細心の注意を払わなければならない。

 

 

 話を戻そう、先の地下バ道でのダイヤの行為について。あれを恋慕の感情と決めつけるのは些か早計だろう。

 僕の勘違いならそれはそれでいい。思春期の男子中学生の如く、優しくされた女子に対して「あれ……? こいつ俺のこと好きなんじゃね? ……?」的な発想なら、ただ僕が人知れず恥をかくだけで済む。

 ただ問題はそうでなかった場合だ。

 

 前例として、担当のトレーナーに特別な感情を抱くウマ娘は珍しい事例ではない。そのためトレーナーは、特に男性トレーナーはほとんどの者がそのような状況に対応する術を備えている。マックイーンへの対応を見ての通り、例に漏れず僕もそれを心得ている……つもり。

 

 なんだか話がまとまってない気もするが、何が言いたいかと言うと、自分はこれまで以上にダイヤの精神面を気にしなければならないということだ。

 彼女達はアスリートである前に年頃の女の子。精神的に不安定になる可能性は十二分にある。

 

 それらを踏まえた上でもう一度ステージに目を移すと、煌めくダイヤモンドの光はかつてないほどに輝きを増していた。

 

 ……ああ、今の調子であればそこまで心配する必要はない。

 考えすぎも毒だと自分に言い聞かせ、その話に一旦蓋をする。

 

 脳内会話が一段落したところで、人影が一つこちらに近づいてくる。

 

「ダイヤさん、素晴らしい走りでしたわね」

 

「……その割には浮かない表情をしてる気がするんだけどな、マックイーン」

 

 今までどこに行ってたんだ、なぜ電話に出なかったんだという疑問はさておき、僕は静かにマックイーンの話に乗る。

 

「そんなことありませんわ。ダイヤさんが有という大舞台で頂点の座に輝いたことは心から喜ばしく思ってます。ただ……」

 

「ただ?」

 

「……それより、最終直線でのダイヤさんの走りについて話してませんこと?」

 

 結局相も変わらず有耶無耶にされたが、マックイーンの言う最終直線での話は僕が考えてたかったことのもう一つのことでもあるので、思考がついそちらに傾いてしまう。

 

「ダイヤさんのあの走り、模擬レースの時からそうでしたが……」

 

「十中八九、領域(ゾーン)に入ってただろうね」

 

「……やはりそうでしたか」

 

 時代を作るウマ娘、自分でさえも知らない剛脚、超集中状態。

 一度領域に足を踏み入れると、感覚が研ぎ澄まされ普段と比べ飛躍的に高いパフォーマンスを発揮できると言う。

 

 滅多にお目にかかれるものではないが、僕達はそれほど驚きは無かった。

 というのも、隣にいるマックイーンは秋シニア三冠を達成する際、領域(ゾーン)に踏み入ったことは記憶に焼き付いている。

 ノウハウがあるというのは素晴らしいもので、過剰に驚くことなくこうして冷静に分析をすることができているのだ。

 

「セイウンスカイとの模擬レース以降音沙汰無かったけど、ここ一番で覚醒するとはな」

 

「そうですわね。物怖じする方ではありませんし、本番に強いタイプなのでしょう」

 

「いいなぁ。僕なんか試験とか公式レースとかって聞くとつい調子出なくなるタイプだからさ」

 

「貴方はもっと心臓を鍛えてくださいまし……」

 

 んなこと言ったって緊張するもんは緊張するだろ。

 

 今後毎日心臓に腕立て腹筋背筋でもさせようかと考えていると、ライブはいよいよ終盤、クライマックスへと突入する。

 煌びやかなステージで飛んで跳ねて歌ってを繰り返すダイヤ達を見ていると、これまでの疲れも吹っ飛ぶ、そんな気がする。

 

「…………今回だけは見逃してあげますわ、ダイヤさん」

 

「え、何が?」

 

「いえ、なんでもありません。それよりトレーナーさん。ダイヤさん、ここからですわよ」

 

「……ああ、分かってるさ」

 

 マックイーンのその一言にどれだけの意味が込められていたのかは計り知れない。

 元より、レースにおいて油断怠慢というのは命取りだ。有記念優勝という王者の席に位置するとしても、今後どんなレースでも手を抜くつもりはない。

 少なくとも僕はそう思っている。

 

 

 見上げると、サトノダイヤモンドはステージ中央でキタサンブラックと共に締めのポーズを決めている。

 

 彼女は皆の期待が集まれば集まるほど、それを力に変えることのできるウマ娘だ。

 大丈夫、彼女ならきっと今後もトゥインクル・シリーズで活躍することができる。

 この輝きを一瞬のものにするのではなく更なる輝きを放ち、その走りで多くの人々を魅了し続けるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、思っていた。

 

 

 




二章前半終了


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年の瀬のひと時

pixivやハーメルンで感想やコメント等を頂く度、「もう少し頑張ってみようかな」を続けていたら優に30万文字を超えていたと…


「はい、というわけでね、今年の総括タ〜イム」

 

 気の抜けた僕の声と、キョトンとした顔をしたダイヤの拍手がトレーナー室に響く。

 

 激闘が繰り広げられた有記念も終わり、今日は大晦日前日。

 チラリと見える窓の向こうには、寒い中走り込みを行うウマ娘が少数いる。

 本当に数少ないが正月だろうとお盆だろうとターフには誰かしらウマ娘が走っており、改めてこのレースの世界の過酷さを実感せざるを得ない。

 

 本人が望むなら別だが、流石にこの時期にまでトレーニングを強いるのも酷なため、大晦日と正月はトレーニングを休みとし、今日はミーティングのみとなった。

 飴と鞭、ではないけれど、やはり根を詰めすぎるのも良くない。充分なトレーニングと適度な休みはセットだと考えておいた方がいい。

 まあ、それはウマ娘の話でトレーナーはまた別の話なんですけどね。労基さん、助けくださいよ。

 

「……たしかにトレーナーさんの言う通り、こうして時間がある時に過去を振り返って自己の反省や改善点を見出すというのは立派なことですわ。……そうやって完全に炬燵の虜になっていなければの話ですが」

 

「おう、強がってないでマックイーンも炬燵入りなよ。既にダイヤは適応してるぞ」

 

「ダイヤさんはオンとオフの切り替えができる方です。部屋に入室して早々()()()()()となっていた貴方と私達を一緒にしないでくださいまし」

 

「そうやってもそもそ炬燵入りながら言っても説得力ないんだよなぁ……。みかん食べる?」

 

「いただきます」

 

 ものの数秒足らずで炬燵の支配下に置かれたマックイーン。それも仕方のないことで、炬燵という名の快楽に抗える奴なんて極度の暑がりくらいだろう。

 

 無事こたつむりと化したマックイーンを横目に、僕は三人分の温かいお茶を用意するため一旦炬燵の外に出る。

 予め沸かしていたお湯と特段高いわけでもない茶葉をフュージョンさせ、至高の一品が完成する。

 

「……60点ですわね。もっと精進してくださいまし」

 

「はひ……」

 

 嘘です、いつもマックイーンにダメ出し食らってます。

 

 辛口採点なマックイーンに対し、つい情けない声が出てしまった。

 はたして僕が免許皆伝を受ける日は来るのだろうか。

 

「トレーナーさん、今年の総括とはどのようなことをするのですか?」

 

 再び炬燵に舞い戻り、もうこの桃源郷で一生暮らしててもいいかなと思い始めたところでダイヤが口を開き、ようやく話が前に進んだ。

 

「いい質問だね、サトソン君。さっきマックイーンが言ってくれたように、今年はここが良かった駄目だったを振り返って、じゃあ来年どうするかの答えを出すんだよ」

 

「サト……ソン……?」

 

 勢いで話している僕に不慣れな呼ばれ方をされてダイヤは困惑する。そこは掘り下げなくてもいいところなので軽く流してほしいのが本音だ。

 

「それだけで自分の目標や指針が定まるから、やって損はないよねってことで、はいマックイーン!」

 

「は、はい。なんですの?」

 

「君の今年良かったところと悪かったところ答えて。はい、どうぞ」

 

「いきなりですわね……。今年に関して言えば、私は何か大きなことがあったわけではないので、日々のトレーニングや学生として本分を全うするという当たり前のことを当たり前に行えたというのが良かった点でしょうか」

 

 ほう、さすがはマックイーンといったところか。メジロ家として等言うだけあって、自己分析の場でとっさにそう言えるのは素晴らしいことだ。

 これだけの気格や矜持を保てるのは、彼女が常日頃自認を磨いていることに他ならない。

 

「さすがはマックイーン。んで、悪かったところは?」

 

「それこそ見つけるのが難しいですわね。日々の努力を怠らない私にとって、反省点や改善点というのは見当たりません。日々を完璧に過ごすのがメジロ家としての誇り。今後もこれらのことをこれまで以上に取り組み、高みを目指すだけですわ」

 

 マックイーンの自信に満ち溢れた解答にダイヤは目を輝かせている。

 憧れの存在というのはつい完璧なものと錯覚しがちで盲目的になりやすい。

 

 自信満々なマックイーンと、それに尊敬の念を抱くダイヤには申し訳ないが、今から僕はその幻想をぶち壊さなくてはならない。

 

「いや、マックイーン。君減量失敗してるじゃん。そこ悪い点でしょ」

 

「…………なんのことだか見当もつきませんわね」

 

「僕知ってるぜ? 去年に比べて体重㊙️kg増えたの……」

 

「そんな軽々しく乙女の秘密暴露するのやめてくださいませんか!? というかどこでその情報手に入れましたの!?」

 

「いや、見れば分かるし」

 

「見れば分かる!?」

 

 何度も深夜スイーツがバレてるというのに、どうして彼女はシラを切れると思ったのだろうか。

 この調子だと、年末太りも考慮して年明けのトレーニングを厳し目にせざるを得ない。

 

 ちなみに、見れば分かるというのは半分冗談だ。

 実際見て分かるのはなんかこいつ体重増えたなくらいのもので、正確な数値は彼女達の健康診断の結果が学園からの通知で知ることになる。

 先の通りマックイーンの体重は㊙️kg増えており、成長期とはいえ身長と体重の増量分が釣り合っていない。

 彼女が一番育ってほしいと思っているところも(多分)育ってないので、結果ほとんどお腹の脂肪だということまで推測できる。

 

「まあこんな感じで緩くやっていこうって話だよ、ダイヤ。ついでにマックイーンのお腹も緩いし」

 

「表に出なさい! 恥をかかせるだけでは飽き足らず、私の気にしていることを揶揄するような発言は見過ごせません! 今すぐメジロ家に来てもらい責任を取っていただきますわ!」

 

「隙あらば本家に連れて行こうとするんじゃあないよ」

 

 油断も隙もあったもんじゃない。どうしてマックイーンとの会話はボケとツッコミが逆転してしまうのだろうか。

 

「ダイヤはどう? 今年一年……ってか、振り返ることだらけか」

 

「……私は目標としていたGⅠ勝利とキタちゃん相手に勝利を収めることを達成できたことが良かったところでしょうか」

 

「……なんか機嫌悪くない? 怒ってる?」

 

「怒ってないです」

 

「怒ってるでしょ」

 

「怒ってないです」

 

 それ絶対怒ってるやつじゃん。

 きゃいきゃいと吠えるマックイーンを片手であしらい、どういうわけか急に不機嫌になったダイヤの機嫌を取るという地獄絵図になってしまった。

 

 ま、まぁそれはそれとして。ここは一つゴリ押しで行こう。

 

「ダ、ダイヤは来年の目標とかある? どんなことでも口に出せばイメージ湧くかもよ?」

 

「来年の目標……ですか」

 

 そう言ってダイヤは顎に手を当て沈黙する。

 トレーナーとしてできることはあくまで彼女達のサポートだ。時に道を示すことも必要だが、基本は彼女達の夢や目標を支える立場。

 こうして悩み考え答えを出すのが最も己が成長できる手段だと考えている。たとえ、その答えが間違っていたものだとしても。

 

 暴れるマックイーンにみかんを与えて落ち着かせていると、ダイヤはポツリポツリと言葉を捻り出す。

 

「……実は私、今後挑戦してみたいと思うレースがあるのです」

 

「お、なんのレースだ?」

 

「それは、その……」

 

 捻り出したかと思いきや、またしても彼女は言葉に詰まってしまう。

 ダイヤの挑戦してみたいレースとはなんだろうか。マックイーンの勝ちレースである春の天皇賞か宝塚記念、はたまた秋シニア三冠、もしくは……

 

「……トレーナーさん。こう言っておいてはなんですが、このことはもう少し考えさせてくださいませんか? 近いうちに、必ず報告しますので」

 

「……分かったよ。君の覚悟が決まったら教えてくれ」

 

 ダイヤの挑戦したいというレースは気になるが、本人がそう言うのならここは待つべきだろう。

 人の心にずげずけと土足で踏み込むような真似は、大人となった今では躊躇してしまう。昔はしてたのかって? そもそも友達が少なかったのでそうなることはありませんでしたね、はい。

 

「トレーナーさんはどうなんですの? 私達ばかりに言わせるのは不公平ですわ」

 

「……来年は友達作れるといいなぁ」

 

「は?」

 

 おっと、つい思っていたことを口に出してしまった。なんとかしていい感じに仕事と繋げなければ。

 

「えっと……ほら、トレーナー同士の交流を増やすって意味。現状関わりのある人って片手で数えられるくらいだからさ」

 

「ちなみにその片手で数えられる人とは誰なんですか?」

 

 ダイヤさんそこ聞きます? 友達や知り合い少ない人にそれ結構効くよ? 

 

「一色に沖野トレーナーに東条トレーナーに……ああ、あと最近だと桐生院トレーナーともよく話すな」

 

「半数以上がものの見事に女性ですわね……」

 

 ははっ、だからなんだ。この地に出会いなんてない。トレセン学園は婚活会場ちゃうねんぞと。

 

 普通の企業であればオフィスラブというのもあるのかもしれないが、ここに至っては毎日が命懸けなためそんなことを考えている暇はない。僕みたいな三流トレーナーはそれが顕著に表れている。親のそろそろ結婚しろという圧が怖い。

 

「まあどんなことよりも前提として、マックイーンとダイヤの更なる飛躍のために自分の身を粉にするのは毎年変わらないことだよ」

 

「「……」」

 

 ……え、何、なんで黙ったの。僕なんか変なこと言った? 

 

「……当然ですわ。貴方は私達のトレーナーなのです。他の女性より優先されるのは当たり前のことですもの」

 

「トレーナーさんに期待されるのはどんなことよりも嬉しいことです。でも、無理は厳禁ですからね? 本当に身を粉にされてしまっては嫌ですから……」

 

 お、おう……。なんかさっきの発言が急に恥ずかしくなってきた。

 あとマックイーン、君達が最優先なのはそうなんだけど、なんでそこ女性に限定した? 

 

 

 その後、ミーティングと称した雑談をしたりテレビでレース中継を見たりと、決して短くない時間を緩りと過ごした。

 年末くらいいいだろう。たまに過ごす何気ない日々が僕は好きだ。

 

 気がつけばカーテンの隙間から夕日が差し込む時間となっており、トレーナー室の外から聞こえる生徒達の賑やかな声もほとんど聞こえなくなっていた。

 それもそのはず、この時期はただでさえ生徒が少ない。多くのウマ娘は実家に帰省しているため、年末でも関係なく学園に残っている生徒はほとんどいない。

 

「さて、名残惜しいですがそろそろお暇させていただきますわ」

 

「私ももうすぐ家の者が迎えに来ますのでこれくらで」

 

「ん、二人とも年末は実家だったか? 寒いから体調にはしっかり気をつけるようにな」

 

「言われずとも、ですわ」

 

「分かりました。トレーナーさん、良いお年を」

 

 雑談会は唐突に終わりを告げ、マックイーンとダイヤは軽い挨拶をすると軽い荷物を手に部屋を出ていってしまった。

 

 例に漏れず彼女達も年末は実家に帰るため、この時期基本的に僕は一人となってしまう。

 特段それが寂しいと思ったことはないが、先程までの居心地の良い時間を知ってしまっては多少物足りなさを感じてしまうようになってしまった。

 

 廊下からのマックイーンとダイヤの話し声が遠くなっていき、完全に聞こえなくなったところで僕は一人お茶を啜る。

 上から押し付けられない限り、やらなければならない仕事もほぼ全てこなしているため本格的に暇だ。

 何か一人でもできるゲームでも買ってこようかと思ったが、外に出るのがあまりにも面倒くさすぎるためそれも断念。

 やるかやらないか迷ったらやらないという決断を下し、ただただ無為にスマホをいじる。

 

 

 さほど時間が経たずして、不意にトレーナー室のドアが三回ノックされる。

 その人物はここをトイレと勘違いしていないことは分かったが、所詮分かるのはそこまで。ドアの向こうには誰がいるかまでは分からない。

 一体誰だろう。沖野トレーナーならノックなんてせずに突っ込んでくるだろうし、東条トレーナーや桐生院トレーナーなら事前に連絡してくれるはずだ。ならば一色かたづなさんか? 

 いや、マックイーンかダイヤが忘れ物をしたという可能性もある。

 

「……どうぞ〜」

 

 とりあえず来客らしいので、招き入れる以外の選択肢はない。明かりもついてるため、居留守という手段は流石に無理がある。

 最悪の場合は仕事の追加だ。それ以外なら何でもいい。

 

 僕の声に反応して、ノックをした人物がドアを開けると……

 

 

「……ここ最近、レースで破竹乃勢の活躍を見せる者達に激励の言葉をかけようと思ったのだが、いるのがまさか君だけとはな」

 

 

 ……二つほど訂正しよう、まず一つ目は何でもいいというのは嘘だ。予期せぬ事態が起こった場合、人は誰でも考えを改める。

 

 

「ふむ、反応が見受けられないが、もしかして私の顔を忘れたと? 確かマックイーンが有記念を優勝した後、ここには訪れたことがあるはずなんだがな」

 

 

 件の人物は揶揄うように笑い、まるで思い出話かのように語る。

 あの時はダイヤの持ってきたクソデカゴールデンクレーンゲームに気を取られ他のことを考える余裕がなかった。

 

 もう一つ訂正することはと言えば、この時期に学園に残っている生徒はいないということ。

 正確には"ほぼ"いないだ。もちろん例外はいる。

 トレーニングに勤しむ者を除けば、学園の運営に関わる者がこれに該当する。生徒でそんな人物……いや、集団なんて一つしかない。

 

 トレセン学園の生徒会長にして、七つの冠をものとした偉大な記録を持ち、"皇帝"と称されるそのウマ娘の名は……

 

 

「……シンボリルドルフ」

 

「シンボリルドルフだなんて、そんなよそよそしい呼び方はよしてくれ。君と私の仲じゃないか。ああ、それとも私も君のことをこう呼んだ方が良いのかな」

 

 突如現れた巨大台風に、先程までの平穏な日々が一気に崩されているような気分だ。ここまで来たら一種の災害か何かだろう。それは僕限定の話なのかもしれないが。

 

 

「"トレーナー君"、とね」

 

 

 あの頃と、かつてとなんら変わらない凛々しい顔で、シンボリルドルフは僕のことをそう呼んだ。

 

 

 



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時々刻々

うわっ……私の誤字、多すぎ……?(誤字報告ありがとうございます)




 

 シンボリルドルフというウマ娘をご存知だろうか、というのは聞くだけ野暮だろう。

 

 史上初、無敗でクラシック三冠を達成し、その後GⅠを四勝、計七勝の七冠を達成したウマ娘。ついた異名は"皇帝"。

 その強さは恐ろしいもので、『レースに絶対はないがそのウマ娘には絶対がある』や『勝利よりもたった三度の敗北を語りたくなるウマ娘』等言われており、学園中の憧れの的だ。

 さらにトレセン学園の生徒会長であり、最強チームの一角、〈リギル〉のリーダー的存在でもある。

 

 威風凛々、質実剛健。これらの言葉がこれほどよく似合うウマ娘が誰かと言われたら、自分は第一に彼女の名を上げる。

 それほどまでに、彼女はレースの一世を風靡した存在だ。

 

 

 そんなウマ娘が、僕のことを"トレーナー君"と呼んだ。

 先の通り、シンボリルドルフは〈リギル〉に所属している。つまり、彼女のトレーナーは東条トレーナーだ。どう頑張っても僕がトレーナーということにはなり得ない。

 最初は何言ってんだこいつと思ったが、彼女の含みのある笑みで合点がいった。

 

「おい、シンボリルドルフ。"元"と"サブ"の両方を付けろ。僕は決して君のトレーナーになった覚えはないぞ」

 

「すまない。君を前にすると、どうしても揶揄いたくなってしまってね。それにしても……ふふっ」

 

「な、なんだよ。今おかしいところあったか?」

 

「いや何、私のことをシンボリルドルフと略さず呼ぶだけでなく、一人称が"僕"とは。君も随分変わったなと」

 

 シンボリルドルフは、まるで幼子が成長していく様子を見守るかの如く過去を偲ぶ。

 

 以前、僕にもサブトレーナー時代があったのを話したことがあっただろうか。

 一部例外を除いて、トレーナーは大抵最初はサブトレーナーというものを経験する。

 そこで、幸運なことに僕はチーム〈リギル〉のサブトレーナーに所属することができた。とは言っても、所属していたのは今の完全体〈リギル〉が完成するかなり前のこと。僕がサブトレーナーを卒業したのは、たしかタマモクロスが天皇賞秋を勝利し、天皇賞の春秋を連覇したあたりだったか。

 要は今の〈リギル〉のメンバーと僕は面識がほとんどない。

 別に他人に話すようなことでも無いと思っているので、今までマックイーンやダイヤにすら話したことはなかった。東条トレーナーもそんな僕を見て、不用意に誰かにその話をしようとはしていない。

 

 さて、脳内で過去を回想するのもこれくらいにして、そろそろ目の前の人物に向き合わなくては。

 

「シンボリルドルフ、今日はここに何用で?」

 

「話した通りさ。ここ最近、目まぐるしい活躍を見せているサトノダイヤモンドに激励の言葉を送りたく思ったの次第さ」

 

 激励の言葉、ねぇ。

 

「よく言うよ。ダイヤもマックイーンもいないこのタイミングを狙ってた癖に」

 

「おや、バレてしまっていたか。万夫不当、やはり君には敵わないな」

 

「どの口がそれを……。んで、本当の目的は?」

 

「君に一つ連絡……もとい依頼したいことがあってな」

 

「依頼?」

 

 はて、なにをだろうか。

 元々メディアが苦手なことと、マックイーンの怪我の件で世間からの評判が良いとは言えないことが相まって、僕に対しての取材といった線はあり得ないだろう。

 じゃあマックイーンかダイヤへのメディア出演の依頼か? いや、それだったらこうして僕に伝える必要は無いし……

 

「あー……その連絡やら依頼やらってのは一体なんなんだ?」

 

「……最初にこう言っといてはなんだが、そのことはまた後ほど説明するとしよう。まずは、こうしてわざわざ足を運んだ私に対して、何かするべきことがあると思うのだが?」

 

 こ、こいつ……ちょっと見ない間に態度がデカくなりやがって……っ! 

 

 そう思ったが、こうして彼女が冗談混じりに会話をしてくれるのは、僕に心を開いてくれている証拠。

 彼女は決して堅物という訳でないのだが、普段皆の模範となるようにと肩肘を張っていることが多い。

 そう言った面も考慮し、元サブトレーナーとチームメンバーのよしみということで、僕はシンボリルドルフを部屋へと招き入れることにした。

 どうせ最初からこれが狙いだったのだろうが、実質一択の選択肢を迫られた僕はこうする他なかった。

 

 唐突な来客により、改めてポットでお湯を沸かしてお茶を入れ、マックイーン達と同様炬燵の虜となったシンボリルドルフの前に出す。

 

「ありがとう、トレーナー君」

 

「……そのトレーナー君って呼び方やめない? 万が一誰かに聞かれたらどう弁解するの?」

 

「それこそ、君が〈リギル〉の元サブトレーナーだったということをカミングアウトすればいいだけの話じゃないか。別に知られて困るようなことはないのだろう?」

 

 うん、まあそうなんだけど。でも嫌じゃん? 過去の栄光に縋ってるみたいで。

 

 それに、あまり思い出したく無いこともあるし。

 

「トレーナー君?」

 

「……いや、なんでもない。そのトレーナー君って呼び方も、他に誰もいないのなら渋々……ほんっとうに不本意だが認める。好きに呼ぶといい」

 

「助かるよ。私のことも、昔のようにルドルフと呼んでくれても……」

 

「それはない」

 

「……全く、変なところで几帳面だな、君は」

 

 担当ウマ娘以外を略さず呼んでいるのに特に理由はない。深く介入しないようにするためのただの線引きだ。

 

「それにしても、こうして話していると君が〈リギル〉に所属していた頃が随分と懐かしく思えるな」

 

「ああ、それは言えてる。僕がいた時からずっとあのチームにいるメンバーは二人しかいないもんな。マルゼンスキーは元気か?」

 

「もちろんだとも。この前も『ヤンエグっぽいソース顔のイケイケ男子にねるとんパーティへ行かないかってお誘いされちゃったんだけど、その時はゲッターズだったからお断りしちゃったのよね。そもそも私そういうの下げポヨになっちゃうから興味ナッシングなんだけど』と言っていたよ。彼女も相変わらず元気さ」

 

 すげぇや、何言ってるかさっぱり分からなかった。

 理解はしていないだろうが、マルゼンスキーの言葉をそのまま暗記できるシンボリルドルフも大概おかしい。そこらへんは付き合いの長さから為せる技と言えばいいのか。

 

「んで、シンボリルドルフ。雑談するためだけにこうして押しかけるような真似をする君じゃなかったと僕は思うんだが」

 

「ほう、いつの日かの入学式で、エアグルーヴ達になす術なく連行されていた者と同一人物だとはまるで思えまい」

 

「よし、もう帰っていいぞ。さっさと連絡事項とやらを教えてくれ」

 

「ははっ、それは困る。では追い出される前に本題に入ろうか」

 

 ニヤつくシンボリルドルフはようやく僕を揶揄うのをやめる。できればもう二度としないでほしい、疲れるから。

 

「近々、URA主催の大規模レースの計画が立てられていることを君は知ってるか?」

 

「知らんけど」

 

 沈黙。

 

 かなり真面目っぽい雰囲気の中放たれた質問を知らんの一言で済ませた僕と、当の彼女の間に気まずい空気が流れる。

 

「……その、なんだ。知らないのはいいのだが、もっとこう……興味を持ってほしいというか……」

 

「いや、だって知らんもんは知らんし……。マックイーンとダイヤがその大規模レースとやらに出るってなら話は別なんだけどさ」

 

「そこなのだよ、トレーナー君」

 

「へ?」

 

 シンボリルドルフは炬燵の台の上に両肘を立てて寄りかかり両手を口元に持ってくる。今にも僕に対して『エヴァに乗れ。でなければ、帰れ』と言ってきそうだが、残念ながら僕は初号機のパイロットではない。

 

「このレース、実はトゥインクル・シリーズとはまた違う扱いでね。トレセン学園に在籍し、更にデビューを果たしている者なら誰にでも参加権限があるんだ」

 

 なるほど、現役でトゥインクル・シリーズを走っている者、レースからは一線を引いている者、ドリームトロフィーリーグに選ばれている者、それらのウマ娘が一度に集結する夢のようなレースが実現する訳だ。

 

 それすなわち……

 

「オールスターのレース、ってことか」

 

「群雄割拠、言い得て妙だな。さしずめ、正式名称は"URAファイナルズ"と言ったところだ」

 

 ほーん、"URAファイナルズ"ねぇ。

 何がファイナルズなのかはよく分からんが、後々面倒なことになるし上のお偉いさん方が付けた名前にケチはつけまい。

 それに、今聞くべきことはそんなことじゃあないからな。

 

「確かにそれはマックイーン達も参加したがるだろうけど、なんでここで、それも僕だけにそんなことを? 実際噂にもなってないところを見るに、かなりの機密情報じゃないのか?」

 

「そうだな、本来こうして誰に聞かれているか分からない場でこの話をするのは得策ではないのだろうが、こちらも時間と人手が……特に人手の方が足りなくて、その協力をしてもらいたく……」

 

「あ、はい、お帰りください」

 

 もういい、もう分かった。これ仕事増えるやつだ。

 誰ださっき上から仕事押し付けられない限りやらなければならない仕事は全部終えてるとか言ったやつ! 僕か、ちくしょう! 余計なフラグ立てちまった! 

 

「まあまあトレーナー君、落ち着いてくれ。別にすぐに仕事が増える訳じゃない。時間をかけて少しずつ計画を進めていくつもりだから、激務になるということもないはずだ……多分。だから私を炬燵から全力で引き剥がそうとするのはやめてくれないか?」

 

「やだやだやだやだ! 仕事増えるのやだ! …………多分って言った?」

 

「言ってない。私も運営の手伝いをしながら出走のためにトレーニングを行わなければならないんだ。進む道は違えど、その道の先には必ず得られるものがある。さあ、私と共に茨の道を走ろうじゃないか」

 

「茨の道って言っちゃったよ! そんな美談風に語っても嫌なもんは嫌だ!」

 

 このウマ娘、まだ学生の癖してやりがい搾取というのを理解してやがる。尤も、僕もそれを知っているためこんな手法には引っかからない。

 

 びくともしないシンボリルドルフから手を離し、一度呼吸を整える。

 

「君とURAのお偉いさん方には悪いが、他を当たってくれ。今はダイヤのレースのこともあるし、時間が無い……」

 

「そうか、それは残念だ。この仕事を引き受けてくれた者にはかなりの報酬が与えられると聞いたのだがな」

 

「……と思ってたんだけど通常業務に支障が出ないくらいならいくらでも手伝えるし、なんならダイヤのレースが一段落ついたら今よりも時間作れるんだよね」

 

「……私がその気にさせておいてなんだが、君は少々将来が心配になるな……」

 

 うるせぇ。今からURAに給料が少ねぇぞって直談判しに行ってもいいんだぞ。

 

「ん? 少々将来……しょうしょう、しょうしょうらい……」

 

 あ、まずい。シンボリルドルフが何か思いつきそうだ。面倒くさいことになる前に話題を変えなくては。

 

「そ、それより、シンボリルドルフ。君は実家に帰省したりしないのか?」

 

「ん? ああ、今年はしないつもりだ。先のURAファイナルズの件もそうだが、通常の生徒会の業務も残っているのでね。このことはエアグルーヴには内緒だぞ? 彼女には仕事は全て終わったと言って安心して帰省してもらっている」

 

「あー……仕事が終わってないと知ってたらエアグルーヴは学園に残るだろなぁ……」

 

 そして思ったより社畜的な理由だった。トレセン学園の生徒会というのは、他の学校と比べてもかなりの多忙な組織なのではないだろうか。

 

「さて、とりあえず事務的な連絡はこのくらいかな。何か質問等はあるかな?」

 

 現状、彼女の分かりやすい説明のおかげで不明な点はない。

 それより、僕はふと思い出したとある出来事がちらつく。

 

「……なあ、ちょっとばかり全然関係ないこと聞いていいか?」

 

「うん? 私に答えられる範囲であれば構わないが……」

 

「その……今更なんだが、脚の怪我は大丈夫なのか? あの時……海外遠征で発症した繫靭帯炎は……」

 

「急に深刻そうな顔をしたかと思えばなんだ、そんなことか」

 

「そんなことって……」

 

 何度でも言うが、ウマ娘は繫靭帯炎を発症すると今後のレース人生が大きく左右される。発症してそのまま引退、なんてことも珍しくない。

 

 僕がちょうど〈リギル〉のサブトレーナーだった時、シンボリルドルフの海外遠征に特別についていったことがある。

 経緯は省くが、不運にも彼女は異国の地のGⅠレースでそれを発症した。

 

 それ以降だろうな、僕がウマ娘の怪我により一層過敏になってしまったのは。

 

「見ての通り、今のところ私は無病息災だよ。脚の痛みも完全に引いている。その証拠に、年に二度のドリームトロフィーリーグも走っている」

 

「……それはそうなんだけどさ」

 

 例え"元"であっても"サブ"であっても心配なものは心配だ。いつ再発してもおかしくないのだから。

 シンボリルドルフと同様、マックイーンの脚のことだって未だに気掛かりではある。

 

「なんというか、君のお人好しなところは変わってないな。タマモクロスが秋の天皇賞で先行策を取ったのも、確か君の入れ知恵だったか?」

 

「ああもうその話はいいんだよ! てかなんで君が知ってんの!?」

 

「本人から直接聞いたよ。何せ、彼女は君が〈リギル〉の元サブトレーナーであることを知ってる数少ない友人だからね」

 

 くそ、僕の過去が知られている分相手しづらい……。

 

「またとない機会だ、もっと君の話を聞かせてくれないか?」

 

「は、僕の話って……」

 

「言うまでもないだろう? 君がサブトレーナーを卒業してから今に至るまでの話さ」

 

 ああ、そうか。シンボリルドルフはマックイーンやダイヤの戦績は知っていても、日常的なことはほとんど知らない。当然っちゃ当然だ。

 

「いいのか? 特別面白い話なんてないぞ?」

 

「それは君の主観だろう? 遠巻きに見ていたところ、とても楽しそうに見えたんだがな」

 

 ……やっぱりこいつには敵わない。全て見抜かれている気さえする。

 仕事は辛い、多い、しんどい。でもやっぱり、根底にあるのはあの二人を支えたいという気持ちだ。

 例え逃げ出したくなるほど仕事が多くても、なんだかんだ言って毎日が楽しいのは変わりない。

 

「……しょうがねぇなぁ。マックイーンとダイヤの面白話、耳にタコができるまで聞かせてあげるよ」

 

「それは楽しみだ。できればその中に君のことも加えて欲しいな」

 

「はいはい。まずは、僕ら三人とセイウンスカイの四人で行った夏合宿の時の話でも……」

 

 

 

 ***

 

 

 

「……と、もう八時か。随分長い時間雑談してたな」

 

「君とこんなにも長時間話すのは久しぶりだな。つい私も時間を忘れてしまったよ。話を聞いたところ、とりあえず公序良俗に反するようなことをしていなくて良かった」

 

「僕のことなんだと思ってるの? 仮にも中央のトレーナーなんですけど」

 

「いや、君の心配をしているんだ。ほら、この前もトレーナーが一人、担当ウマ娘と共に行方不明なったり……」

 

「あー……」

 

 詳らかにはなっていないが、つい最近とあるウマ娘がトレーナーを拉致って実家に連れ帰ったという事件があった。

 毎年そういう事件が起きており、明日は我が身と思い我々トレーナーはビクビクしながら毎日を過ごしている。

 

「だが、私とてそのウマ娘の気持ちも分からなくはない。全てのウマ娘の幸福を望む身として、彼女が幸せを掴めたのなら私から言うことは……」

 

「いやあるだろ……あってくれよ……」

 

「冗談さ。犯行に及んだ彼女も制裁は免れまい。が、私としては極力罰が軽くなるように動くつもりだ」

 

「……お人好しだこと」

 

「それはお互い様だろう?」

 

 別に僕はお人好しなんかじゃない。目についた相手をエコ贔屓するだけだ。

 

「さて、私はそろそろ行くとしよう。このままでは、私の鏡開きは餅の代わりに書類の山になってしまうからな」

 

「言ってくれたら手伝うぞ? どうせ僕も暇だし」

 

「仕事が増えるのは嫌と言っていた割には嬉しいことを言ってくれるじゃないか。だが、心配は無用だ。トレーナーという仕事がどれだけ大変な仕事かは多少なりとも理解している。大晦日と三ヶ日くらい君も羽を伸ばすといい」

 

「生徒にそれ言われるのはちょっと情けないけど……分かった、そうする。でも、何かあったら呼んでくれ」

 

「頼りにしているよ、トレーナー君」

 

 そう言ってシンボリルドルフは炬燵を出てトレーナー室を後にしようとする。

 最初はどうなることかと思ったが、なんだかんだ旧知の中で駄弁り合うというのは悪くない。

 キザったらしい言い方をすれば、僕らの仲は良き理解者といったところか。自分で言っていて反吐が出るな。だが、こう言った関係も悪くな……

 

「……ああ、そういえば言い忘れていたことがあった。つい先程、サトノグループの社長から連絡があってね。なんでも、サトノダイヤモンドのトレーナーである君と面会がしたいそうだ」

 

 

 …………はい? こいつ今なんつった? てか……

 

 

「このタイミングでそれ伝えるの絶対わざとだろ。何が羽を伸ばしてくれだふざけんな。それ聞いたら心休まらねぇよ。よし、そこに直れ。サブトレーナーの時から思ってた君の悪いところをとことん説教してや……待て、逃げるな! クソッ、おい…………ルドルフ!!」

 

 

 



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三者面談+α

 

 

 一月某日。

 

 まだ一日は始まったばかりだというのにも関わらず、今日という日が実に厄日だと感じる。

 

 誰しも経験あるだろう。

 たとえば、絶対に受けなければならないが全く勉強してない試験の日。

 たとえば、何のためにあるのか分からないマラソン大会の日。

 たとえば、対応が面倒くさい取引先の下へ向かわなければならない日。

 総じて、それらの日をボードゲームのマス目の如くスキップできるような能力が欲しいと、そう思ったことがない人はいないはずだ。

 

 僕の場合、それに該当する日は今日ということになる。

 この日が来るくらいにどこか別の国に逃亡しようかと考えたほど、今日起こる出来事を避けたかった。

 だが、マラソン大会をタンスの角で小指をぶつけたことを大袈裟に表現してサボったりしてきたツケが回ってきたらしく、今日この日を避けることができなかった。

 

 暗い思いを胸に、身なりを確認して空を見上げる。

 

 雲一つない晴天、着慣れないスーツ、聳え立つ高層ビル。

 隣には、綺麗な長い鹿毛に額の菱形の模様が目立つとても中学生とは思えないくらいしっかり者、しかしてどこか非常識な面も併せ持つウマ娘が一人。

 

 

 僕は彼女の顔を見てこう言う。

 

 

「……帰ろっか」

 

「何を言ってるんですか」

 

 真顔で返されてしまった。いい提案だと思ったのに。

 

 ルド……シンボリルドルフに宣告されていた通り、正月明けにダイヤ本人から彼女の親御さんが面会を望んでいる趣旨の話を聞かされた。

 頼むから間違いであってくれと祈りながら正月を過ごしていたのだが、その祈りも虚しく簡単に希望をへし折られた。世界は僕に対して厳しく作られているらしい。

 

 そして今日がその面会の日だ。

 こうしてサトノグループの会社まで足を運んだわけだが、直前になって帰りたい欲が爆発してしまった。帰って寝たい。

 

「もう、何を心配されているのですか。大丈夫です、少しお父さまに会って頂くだけですので」

 

「それが嫌なんだよ……」

 

 学校の先生だってわざわざ教え子の親に会いたいとは思わないはずだ。僕は教師じゃないから分からないけど。

 

 嫌だなー、嫌だなーと思っていると、ふと今更と思われても仕方のない疑問が一つ浮かぶ。

 

 ダイヤの家、もといサトノ家は様々な事業や投資などに手を出している名家で一大コンツェルンだ。

 同じ名家であるメジロ家はGⅠウマ娘を多く輩出しているのもあり、トレーナー選びというのは本人であるウマ娘に一任しているらしい。実際、詳細は省くが僕とマックイーンもそうだった。

 

 だが、サトノ家もそうだとは限らない。

 ダイヤはGⅠ勝利を家のためだと言っていた。それはつまり、サトノ家の悲願と言ってもいい,

 そんな家がトレーナー選びに慎重にならないはずがないだろう。

 思い返してみれば僕とダイヤが契約を結んだ時、サトノ家云々がとは一言も言われた記憶はない。

 これが僕の杞憂に終わればいいのだが……

 

「……? どうかされましたか、トレーナーさん?」

 

「……なあ、ダイヤ。一つ聞きたいことがあるんだがいいかい?」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「サトノ家ってさ、トレーナー選ぶ時ってどういう基準で決めてるの?」

 

「え゛っ……。それは、その……あっ、もう時間ですね! 行きましょう、トレーナーさん!」

 

「ちょ、まっ、服引っ張るな! スーツ伸びるって!」

 

 

 結局質問には答えてもらえず、僕はダイヤに引っ張られる形でサトノグループの本社に突入することになり、最初に目に入った人物とは……

 

 

「お待ちしておりましたわ、ダイヤさん、トレーナーさん」

 

「なんで君がいるんだよ、マックイーン!!」

 

 初手ツッコミ。こんな家庭訪問があるだろうか。

 本社突入早々僕らを出迎えたのは、サトノグループの社員等ではなく、まさかの我らがメジロマックイーン。本当に何でここにいるのか分からない。

 

「ま、待ってくださいトレーナーさん。サトノ家とメジロ家は関わりがあって、恐らく今日ここに来て頂くようお母さまにでも頼まれたのだと思います」

 

「ダイヤさんの言う通りですわ。彼女のご母堂には逆らえませんもの」

 

 な、なるほど。確かに互いにウマ娘界に大きく貢献している格式高い家だ。双方のコンタクトが全く無いとは言い切れない。

 

「でも、だからと言ってマックイーンがここにいる理由にはならないと思うんだが」

 

「トレーナーさんとの面会を望むと言うからには、きっとこれは貴方がどのような人かを見抜くためのものですわ。ダイヤさんのご尊父とご母堂も、正しく評価したいからこそトレーナーさんと付き合いの長い私に声をかけたのだと思います」

 

 ぐっ……まあ僕の世間の評判は良いものではないからな。

 いくらダイヤがそれを否定してくれても、彼女の親御さんからすれば騙されていると思われてもおかしくない。

 故に、僕のことを公平な目で評価できる第三者が必要なわけだ。正直、それに適任なのがマックイーンかと言われたら僕は黙るしかないけど。

 

「何はともあれ、マックイーンがいるなら少しは安心だよ」

 

「随分と緊張なさっているようですわね。大丈夫ですわ、私達が認めたトレーナーですもの。普段通りとは言いませんが、もっと肩の力を抜いてくださいませ」

 

 マックイーンとの会話により、なんだか緊張がほぐれた気がする。このままこうしてるだけで時流れねぇかなぁとは思うが、そう言うわけにもいかないので、最後の気合を入れるために襟を正す。

 その時、後ろから服を摘まれる感覚を覚えた。気になって後ろを振り返ってみると……

 

「ダイヤ、どうかした?」

 

「…………私の時は何も……」

 

「……ダイヤ?」

 

「えっ、あ、いえ、これはなんでもありません。時間も押してますし、早くお父さまの下へ向かいましょう」

 

 ダイヤは僕の服を摘む指をパッと離し、顔を赤くして先導する。

 彼女も口では大丈夫だと言っていたが、その実緊張しているのだろうか。

 

「早くダイヤさんの側に行ってあげてくださいませ。今日は貴方達二人が主役なのですから」

 

「あ、ああ」

 

 ウマ娘の気持ちを知るというのは容易ではない。常々そう思う。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ダイヤの後に従い、サトノグループ本社の内部を案内してもらう。

 案内とは言っても、彼女の父親の下へと向かう間のものなので、社内のほんのごく一部だ。

 僕はこういったことには詳しくないので、ダイヤに説明されても「うん、なんか、すごく、すごいね」くらいの語彙力でしか返答ができない。

 

 そして高層ビル特有のエレベーター。高い、めっちゃ高い。

 エレベーターでものすごく高い階へ昇ってる。庶民の僕からしたらこれまでの光景は慣れてなさすぎて目が回りそうだ。

 

 目的の階層に到着してエレベーターを降りると、僕とマックイーンはダイヤの言われた通り誰もいない会議室へと入室する。

 そしてダイヤはお父さまを呼んできますと僕らに一言かけ、この場を去った。

 

 …………

 

「……何を挙動不審になっていますの」

 

「だってこういうの慣れてないし……」

 

「トレーナーさんはメジロ家に何度もお越しになっているではありませんか」

 

「うん、それは基本的に君が無理矢理連行してたんだけどね。そうじゃなくて、メジロ家とはまた違った緊張感があるっていうかさ」

 

 自分はこれまでに学生とウマ娘のトレーナー以外の肩書きを持ったことがない。

 学生、主に高校生の時のインターンシップや社会科見学で高層ビルに立ち寄ることも可能だっただろうが、生憎と自分はトレーナーになること以外眼中になかったためその選択はしなかった。

 故に、こういったオフィスビルに入るのは初めての経験だ。そこに追い討ちかのように担当ウマ娘の親御さんとの面会という弾丸を喰らってしまっては僕の心臓はズタボロになってしまう。

 

「面会とは言っても、トレーナーさんの一挙手一投足が見られる場になるでしょう。お眼鏡に叶わなかったら、トレーナー変更の話を切り出されてもおかしくありませんわ」

 

「さっき大丈夫って言ったよね? それ聞いて大丈夫じゃなくなったんだが?」

 

「ではここで諦めると言うんですの? 貴方とダイヤさんが歩んできた軌跡を全て無駄にして」

 

「……困るな、僕はサトノダイヤモンドのトレーナーだ。そこは絶対に譲れない」

 

「それでこそ、私のトレーナーですわ」

 

 マックイーンに喝を入れてもらいながら、ようやく覚悟を決めてダイヤ達を待つ。

 僕はやる時はやる男だ。大丈夫、誠実に温厚に対応すればきっと乗り越えられるはずだ。

 

 そう自分に言い聞かせていると、部屋のドアが開きダイヤと一人の男性が入室する。

 おそらく、彼がダイヤの父親だろう。ダイヤの母親らしき人物は見当たらない。

 僕は席を立ち、挨拶のために男性の下へと向かう。

 

「はじめまして、ぼ……私はトレセン学園でトレーナーをやっている者です。こちら名刺を……」

 

「ああ、これはご丁寧にどうも。サトノダイヤモンドの父です。今日はご足労いただきありがとうございます」

 

 目と目が合えばポケモンバトル……ではなく、社会人のバトルカード、名刺の交換から始まる。

 

 おい、そこの二人。僕が自分のことを"私"と言った途端あからさまに笑いを堪えるような態度を取るんじゃあないよ。そんなにおかしいか? おかしいな、うん。

 

「いつも娘がお世話になってます」

 

「いえいえそんな」

 

 探るような、見定めるかのような視線。

 一見して腰が低いかのような印象を抱かせる男性だが、中身はおそらくかなりのやり手だ。さすがは大企業の社長として大成しただけある。

 

 一通り挨拶も済ませ、僕達はさっそく面会へと移行するためそれぞれ席に座る。僕とマックイーンが隣同士、その対面にダイヤと親父さんという形となった。……なんかこの対面、学生の頃の三者面談を思い出して嫌だなあ。

 

「さて、早速対談を行いたいのですが。よろしいですかな、トレーナーさん」

 

「はい、構いませんよ。いつでも準備はできてます」

 

「それでは……まずは一つ、礼を言わせてほしい。うちの娘に、ダイヤにGⅠの栄光を掴ませてくれて本当にありがとう」

 

 初手感謝の言葉。予想外の親父さんの言動に少々戸惑ってしまう。

 

「ぼ……私はお礼を言われるようなことはしていませんよ。娘さんがGⅠを勝利することができたのは彼女自身の実力ですし、闘争心に火をつけたのはトゥインクル・シリーズを共に走る多くのライバル達です」

 

「さすがは中央のトレーナーだ」

 

「お褒めの言葉、恐縮です」

 

「ははっ、そんなに畏まらなくても。やはり、世間の評価だけを宛にするのは良くない。娘の話を聞く限り、関係も良好なようで何よりですよ」

 

「お、お父さま! トレーナーさんの前でその話は……」

 

 先の言葉に嘘は無い。何もしていないと卑屈になるなとは昔マックイーンに言われたものの、事実を捻じ曲げるようなことは言いたくなかった。

 

「メジロマックイーンさん、あなたから見てトレーナーさんはどのような方ですか?」

 

 そうは言ってもやはり第三者の目線は欲しかったのか、親父さんはマックイーンにそんな質問をした。

 今まで黙っていたマックイーンは顎に手を当て、一つ考える姿勢を取る。

 

「そうですわね……。私達のトレーナーさんは、不器用でデリカシーが無くて、大事なレースの日になると出走するウマ娘より緊張して見てるこちらがハラハラするような人ですわ」

 

 おい、今そういう流れじゃねぇだろ。なんで僕のディスに入った? マイナス評価だよ。親父さん微妙な顔してるよ。

 

「でも……」

 

「ん?」

 

「でも、嫌な顔をしながらも私達の無理難題を聞いてくれますし、ウマ娘に対して真剣で誠実で……それが行き過ぎて困った方向に働くこともありますけど。私達のことを第一に考えてくださって、進むべき道がとてつもなく困難な道のりであっても隣で信じてくれる。そんなトレーナーさんの姿に私は…………って、何を言わせてますのトレーナーさん!?」

 

「いや、君が勝手に自爆したんじゃん……」

 

 その先の言葉はなんだか聞いてはいけないような気がした。

 

「わ、私もトレーナーさんの素晴らしいところたくさん言えますよ!」

 

「ダイヤ、君はちょっと黙ってて」

 

 これ以上事態をややこしくしないためにも、僕はダイヤと、ついでにマックイーンにもステイを言い渡す。

 ダイヤにこれ以上何かを言わせるとマックイーンにも親父さんにもいらん誤解を与えてしまうことになりかねない。

 

 それより、僕達の化けの皮が崩れた様子を見られたことの方がよっぽど問題だ。おそるおそる親父さんの方を見ると……

 

「……やはり会ってみてよかった。こうして数回会話をして話を聞いただけで、あなたが良いトレーナーだということが分かる」

 

 ニコニコしてた。いや何を見てそう思ったの? そして早いな、判断が。

 僕が言うのもなんだがもうちょっと疑った方がいいのではないかと思う。

 

 でも、何かが噛み合ったのか、悪い印象は持たれていないようだ。助かった、後は野となれ山となれではないけど、どうにか平穏にこの面会を終わらせる方向へと……

 

「うちのトレーナー試験を受けずにトレーナーが決まったと、そうダイヤに報告された時はこの先どうなることやらと思いましたが、それは私の杞憂だったようですね」

 

「…………今なんて?」

 

 トレーナー試験? なにそれ、知らない。

 

 僕は親父さんからダイヤに目線を変えると、それに気がついたダイヤは敢えて僕から目を逸らし明後日の方向を……

 

「おい」

 

「違うんです、トレーナーさん! 私はあの時あなたに運命的な何かを感じ取ったので、試験でトレーナーを決めるというジンクスを破りたかったまでてして……」

 

 何が違うんだよ。いつもの君じゃないか。

 

「あっはっは。私が言うのもなんですが、うちのトレーナー試験は割と名の知れたものだと思っていたんですがね」

 

「?????」

 

 親父さんは僕らのやり取りを見て、笑いながらさらっとそんなことを言った。そのため僕の困惑は最高潮まで達する。

 親父さんそれほんとに? 僕一回も聞いたことないが? 

 

「たしかにダイヤさんのチームの加入が早すぎるとは思いましたが……。トレーナーさんなら大丈夫かなと……」

 

「……なあマックイーン。これってもしかしてトレーナーの間だったら割と周知の事実だったりする? 僕びっくりなんですけど」

 

「私は貴方がこれを知らないことに驚きですわ」

 

 真顔でマックイーンにそう言われてしまった。ダイヤといいマックイーンといい、今日は彼女らに真顔でツッコまれることが多い気がする。

 

 マックイーンの口ぶりからするに、このトレーナー試験は周知の事実らしい。

 無知は罪、知らなかったでまかり通るのは小学生までだ。

 ダイヤは僕の担当ウマ娘になりGⅠタイトルを二つ獲得したが、あくまでもそれは結果論でしかない。人の金を盗みギャンブルで増やしたので返しますと言っても、人の金を盗んだ事実が消えるわけではない。

 座右の銘が『結果良ければオールオーケー』の僕でも流石にこの状況は冷や汗をかかざるを得なかった。

 

「トレーナーさん」

 

「は、はい!」

 

 不意に親父さんに名前を呼ばれ、出先で母親が出すくらいの半音高い声が出る。

 何を言われるんだろう。金輪際うちの娘に近づくなとでも言われるのだろうか。嫌だ……それだけは嫌……

 

「これからも、うちの娘をよろしくお願いいたします」

 

「……もちろんです。責任を持って預からせて頂きます」

 

「その言葉が聞けて安心しました。それでは、面会はそろそろお開きにいたしましょう」

 

「もうですか?」

 

 僕としては願ったり叶ったりだけど。

 

「ええ。このあと重要な会議がありますので」

 

「そうですか。ではぼ……私もお暇します」

 

「ははっ、今後は"僕"で大丈夫ですよ、トレーナーさん」

 

 親父さんに気づかわれたことにより、マックイーンとダイヤはついに我慢を堪えられず小さく声を漏らしてクスクス笑う。お前ら学園戻ったら覚えとけよ? 

 

 拳を握りしめて激情をなんとか抑えながら、僕は部屋を後にするためドアに手をかける。

 

「それでは失礼します……」

 

「ああ、そうだ。トレーナーさん、最後に一つお話しよろしいですか?」

 

「? 構いませんけど……」

 

 なんだかつい最近似たような引き止められ方をした気がする。それのせいで年末年始は気が休まらなかった。

 マックイーンとダイヤには先に退出してもらい、文字通り僕と親父さんの一対一となる。

 

「それでお話とは……?」

 

「……ダイヤの次走、もしくは次々走は決まっていますか?」

 

「えっと、次走は天皇賞に向けて前哨戦の阪神大賞典、その次は本命の春の天皇賞ですけど……」

 

 それがどうかしたのだろうか。娘のレースなので気になるのは分かるが、わざわざこうして僕に聞く必要はないはずだ。

 

「もう一つお聞きしたいことが。あなたは娘に今後について相談されましたか?」

 

「今後……レースのことについてなら、挑戦してみたいレースがある、とだけお聞きしました」

 

「……やはりあの子は全ては言っていないか」

 

 と、言うことはダイヤは既に家族に話しているのか。

 僕としては、たとえ現状適正があまり高くないマイルや短距離のレースでもダイヤが走りたいと言ったらそれを支えるつもりの気概でいる。実際そんな状況になったらどうするかは別として。

 

 そう考えていると、背後のドアがガチャリと開く。

 

「……その先は私の口から言わせていただけませんか?」

 

「ダイヤ!? 外に出てたんじゃ……」

 

「えへへっ、お行儀が悪いと分かっていながらも、聞き耳を立ててしまいました……」

 

 ダイヤはバツが悪そうに頬をかく。

 きっと彼女は、親父さんが僕に何の話をするのか薄々予想がついていたのだろう。

 

「トレーナーさん、無茶を承知でお願いしたいことがあります」

 

「……僕にできることであればなんでも」

 

 改まったダイヤを前に、僕も真剣にならざるを得ない。

 それと同時に、この感覚はどこかで味わったような、そんなデジャヴを感じた。

 

 

「今年の秋、フランスの舞台で……」

 

 

 ああそうだ。この感じ、思い出した。

 

 

「凱旋門賞で、私のサポートをお願いしたいのです」

 

 

 いつの日か、ダイヤの目標を車の中で聞いた時。

 

 あの時の真っ直ぐな瞳で目標を語る彼女が、今目の前で新たな目標を掲げる彼女と重なって見えた。

 

 

 



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こうはい



私、皆様から付けていただいた『ここすき一覧(仮)』を見るのが好きでして……
もしよろしければ文章をスワイプして投票してくれたらなと……





 

 

 

 海外遠征に良い思い出はない。自分の過去とは完全に区切りを付けたと思っていたが、それがここに来て自分自身の心をじわじわと蝕んでいることが分かる。

 

 シンボリルドルフが海外で怪我をしたあの日以降、僕は自分の担当するウマ娘が海外で走る姿というのを想像してこなかった。

 いや、違うな。無意識にそれを選択肢から外していたという方が正しいか。

 そのためダイヤが海外遠征を視野に入れていると聞いた時、身体に雷でも落ちたかの如く衝撃が走った。

 

 しかも、彼女の挑戦したいレースというのはあの凱旋門賞。

 それでのレースはこれまで日本のウマ娘が一度も勝利したことのないものだ。凱旋門賞の勝利は、日本のウマ娘にとって悲願とも言えるだろう。

 

 そう考えたら、あのジンクスブレイク大好きお嬢様が凱旋門賞に目をつけるのも納得だ。

 クラシックで有記念制覇という実力があれば、それに挑戦する資格も十二分にある。学園も快く送り出してくれるに違いない。

 

 しかし、それを可能にするには二つ問題がある。

 

 一つは遠征先でのトレーナーの件だ。

 担当するウマ娘が一人しかいない場合やサブトレーナーの場合は別だが、基本的にトレーナーは担当ウマ娘の遠征について行かない。その遠征先でコーチを依頼する人物を用意するのが定石だ。

 

 だが、今回ダイヤは僕を指名してきた。

 自分としてはそれ自体に異論を唱えるつもりはないが、現実問題そう簡単な話ではない。ぶっちゃけてしまえばお金の問題だ。

 向こうで何日滞在するかも分からない現状、ある程度学園側のバックアップが欲しいというのが本音である。

 まだ理事長に話をつけていない分、これに関してはどうなるか分からない。

 

 そしてもう一つは、仮に僕がダイヤと共にフランスへ向かったとして、その間日本に残されたマックイーンをどうするかという件だ。

 

 僕のいない間マックイーンのトレーナーを別の人に委任する、というのは、口で言うのは簡単だがあまり取りたい選択ではない。

 担当ウマ娘の別のトレーナーを誰かに任せると、当たり前だがその分の対価を払わなくてはならない。

 せこい考えだが、予算が無いという話をしているのに、そこに出費がかさ増しするような事態はなるべく避けたいと考えてしまう。

 

 それと、こちらが本音なのだが誰かに自分の担当ウマ娘を任せるというのはリスクが高く怖いのだ。

 中央のトレーナーとはいえ、彼ら彼女らも一人の人間だ。ウマ娘のためと思ったことでも、結果的にそのウマ娘を駄目にしてしまうことだってある。

 誰かに任せた結果、担当ウマ娘──マックイーンの脚が壊れるようなことがあったら僕は何をしでかすか分からない。

 

 でも、そうしなかった場合ダイヤを誰かに任せる必要があるし……うーむ……

 

 

 トレーナー室でとあるレース映像を再生しながらダイヤの凱旋門賞について悩んでいると、帽子を被った亜麻色の髪が机の向こうからひょこり現れる。

 

 

「……せんぱい、また怖い顔して何かしてますけど、大丈夫ですか? 頭髪とか」

 

「余計なお世話なんだよ! まだ全然禿げてないわ!」

 

「本当にそう思っているんですか……? もしかしたらせんぱいの見えないところがジワジワと後退して……」

 

「や、やめろって……怖いこと言うなよ……」

 

 亜麻色の髪に帽子をした人物、一色の深刻そうな一言により自分の頭髪が後退していないか本当に心配になってしまい、つい生え際を押さえてしまう。よかった、まだ大丈夫みたいだ。

 

 恨めしげに彼女の方を見ると、その深刻そうな表情とは打って変わり舌を出してふざけたポーズを取っていた。

 とても先輩に対する謝罪の仕方ではないが、なんだか怒る気にもなれなくて肩を落とす。

 

「せんぱい、今日マックちゃん達の練習お休みですよね? なんでこんなところに引きこもってパソコンと睨めっこしてるんですか? 友達とかいないんですか?」

 

「お前一々言葉に棘がありすぎない……? 友達いないのは事実だけどさ」

 

「……冗談のつもりだったんですけど。マジなんですか?」

 

「……」

 

「……すみません」

 

 誰も幸せになってねぇじゃねえか。分かったら僕に友達の話題振るのをやめなさい、泣いちゃうから。

 

「てか、何してるんだはこっちのセリフだ。セイウンスカイのトレーニングはどうした。練習サボられてんなら一緒に探してやるからさっさと行くぞ」

 

「違う違う、違うんですよ、今日はわたし達もお休みでして。お仕事も全部終わっちゃってるし、暇だなーって思ったんです、はい」

 

「ああ、うん、そう。暇なのは分かった。それで、なんでここに?」

 

「え、暇だからですけど」

 

「ここは暇つぶしに使われるような場所じゃないんですけど」

 

 まあ炬燵で年末をだらだらと過ごしたり、百人一首をしたりと今更なところもあるが。

 

「んもぉ〜、せんぱいったら心狭い! 普通の人はトレーナー室に入り浸っても許してくれますよ!」

 

「どこの誰の世界の普通だよ……」

 

「それはもちろん…………いえ、なんでもないです」

 

 ……僕は何か変なことを聞いただろうか。

 彼女の元気が急に無くなったことにより、一抹の不安を覚える。

 

「……で、せんぱいは何してるんですか?」

 

 そう思ったのも束の間、一色はすぐに笑顔を取り戻して最初の質問に戻る。

 一体なんだったんだと思いつつも、僕はパソコンを回転させて閲覧していたレースを見せる。

 

「これは……先日の大阪杯ですね。たしか勝った娘は……」

 

「キタサンブラックだ。次のダイヤの出走予定、春の天皇賞にこの子も出る」

 

「おお、つまり再戦ってことですね」

 

「そういうことになるな。有で勝ったとはいえ、次も必ず勝てるとは限らん。対策必須だ」

 

 桜が咲いているこの季節、春の天皇賞まで一ヶ月を切っている。

 ちょうど一ヶ月先、ベストコンディションでレースに挑んでもらうためには適度な休息も必要だ。

 が、それはウマ娘の話であってトレーナーの話ではない。休みを惜しんでライバルやレースの研究をして勝てるのならいくらでもやってやるというのが僕の理念だ。

 

「せんぱいったら、普段『トレセン学園はブラックだー』なんて言ってるくせに、自分からお休み減らしてどうするんですか」

 

 ほっとけ、自分が好きでやってることは別なんだよ。これはプライベートみたいなもんなんだよ。

 

「うーん、決めたっ! 今日はせんぱいもお休みしましょう!」

 

「は、急に何言って」

 

「さあさあパソコンしまって! ほい、シャットダウンっと」

 

 横からするりと入り込んできた一色の手によって、なすすべなくパソコンの電源を落とされる。

 前々から思ってたけどこいつ距離感近いな。異性の関係に疎い僕の感覚がおかしいのか? 

 

「これでよしっと。さあせんぱい、遊びに行きましょう!」

 

「待て、僕は行くなんて一言も言ってないぞ。レースの研究だけじゃなくてやることもまだ残ってる」

 

「……あの、つかぬことをお聞きしますが、せんぱい最後に休んだのいつですか?」

 

 最後にって……ええと、たしか……

 

「……正月?」

 

「……今何月か分かりますか?」

 

「四月だけど」

 

「丸々三ヶ月休んでないんですよ!? このペースだと過労で死んでもおかしくないですって!」

 

「ちなみに年末にサトノ家から面会したいみたいなこと伝えられて気が休まらなかった」

 

「あああああもう!!」

 

 声でか。女性が出していい声量じゃないと思う。

 

「一旦お仕事のことは忘れましょう! 先輩の身が危険です!」

 

 そう言って一色は僕を連れ出そうと腕を掴む。

 僕のことを心配してくれてなのだろうが、ここ最近体の不調というのは特に見受けられない。彼女の善意は有難いと思いつつも、僕としては休んでいる間も惜しい。

 

「大丈夫大丈夫、僕結構身体頑丈だから。それに毎日四時間は睡眠取ってるし」

 

「ごちゃごちゃうるさい! さっさと行きますよ!」

 

「いや、本当に問題ないんだって……力強っ!?」

 

 簡単に振り解けると思った腕は意に反して掴まれたままだ。

 彼女は本当に無理矢理にでも僕をここから連れ出すらしい。

 

「や、やめっ、自分で歩くから手を離せ!」

 

「ダメです! せんぱいったら目を離すとすぐにどこか行っちゃうんだから」

 

「子供扱い!?」

 

 ああ、そういえば一色は僕が苦労して持っていた荷物を軽々持ち上げるくらい力の強いパワー系女子だったか。何か筋トレでもしてるのかな。

 

 

 流石に一色にドナドナされたまま外に出るのは危ない。主に僕の尊厳が。

 というわけで、僕が逃げられないように彼女と並んで歩いているわけなのだが……

 

「……それで、どこ行きましょうか?」

 

「ノープランかよ……」

 

 半ば強引にトレセン学園から連れ出されて早一分、僕らは既に路頭に迷っていた。

 先の会話から分かってはいたが、一色は勢いで僕を連れ出したようで、これからどうするかは何も考えていないみたいだ。後先考えず行動するところは、出会った時から変わってない。

 

「だってだって、せんぱいを更生させなきゃって思ったらいてもたってもいられなくなったんです! このままだとケーキを三等分することすらできなくなりますよ!」

 

 僕は非行少年か何かか。引きこもりとそれに何の因果関係があるんだよ。

 

「はぁ、分かった分かった。こうして外に出たからには、とりあえず仕事のことは忘れるよ。さ、行き先決めてくれ」

 

「わたしが連れ出しといてなんですけど、清々しいくらい人任せですね……別にいいですけど」

 

 自慢じゃないが、自分はアウトレット系はよく分からない。そういったのはそこら辺のキャッキャした場所に詳しそう(偏見)な一色に任せるのが一番だ。

 

「えっと、そうですねぇ……。気分転換なんですから、ショッピングモールでお買い物なんてどうですか?」

 

「いや、別に買うもんないし……。あ、そういえば蹄鉄とかの消耗品が少なくなってたような……」

 

「やめやめ、すぐにお仕事と結びつける。それとせんぱい、ショッピングってのは買うものなくても商品を見て回るだけで楽しいもんなんですよ」

 

「えっ、冷やかし……ってコト?」

 

「ウインドウショッピングと言ってくださいよ!!」

 

 なるほど、冷やかしもといウインドウショッピングか。

 幼い頃、親に連れられたショッピングモールや電気屋で、買ってもらえないと分かっていながらもゲームソフト売り場を徘徊するのは実に楽しかった。

 きっとそれと似たような感覚なのだろう。当時の少年時代の僕は、あれをたしかに楽しいと感じていた。

 

 だが……

 

「僕、人混み苦手なんだよね」

 

「混雑するレース場でレース観戦する中央のトレーナーとは思えない発言ですね」

 

 だから仕事とプライベートは別なんだって。それに生でレース見るのは好きだし。

 

「せんぱいがショッピングモールに乗り気じゃないのは分かりました。なら趣向を変えて公園とかはどうです? ピクニック的な」

 

「今から行くのもな〜。お昼過ぎだし中途半端な時間になるんじゃない?」

 

「じ、じゃあ遊園地とか……」

 

「年甲斐無さすぎない? それに今は春休みシーズンだし人多そう」

 

「……お、温泉とか……」

 

「日帰りで温泉旅行ってのは準備が足りてない……」

 

「いい加減にしてください! さっきから否定ばっかりでちっとも話が前に進まないじゃないですか!」

 

 むっ、一色の言う通りだ。物事なんでも否定から入るのは良くない。

 

「悪い、せっかく僕のためにあれこれ提案してくれてるのに否定ばっかで」

 

「本当ですよ、反省してください。大体せんぱいは……」

 

 なんで僕は休日のトレセン学園で後輩に説教されているのだろう。いや、理由は明白なんですけどね? 

 

 でも、実際問題休日と言われてどこかへ遊びに行くという考えが僕の中には無い。そのため、彼女の提案につい否定的になってしまう。

 

「はぁ、わたしが間違ってました。最初からせんぱいの行きたいところを聞けばいいだけの話じゃないですか」

 

「僕の行きたいところか……」

 

 人が少なく、且つ落ち着きがあって適度に休める場所……

 

「…………家?」

 

「うん、つまんない」

 

 せっかく捻り出した答えをつまんないの一言で一刀両断される。

 

 家と言ってもトレーナー寮なのだが、あそこが一番休めるのは間違いない。あ、ダメだ、一度家と言ったらもう帰る気しかしなくなってきた。

 

「というわけで僕はトレーナー寮に帰るから、お前も良い休日をということで……」

 

「はあ!? ちょっと待ってください! これじゃあせんぱいを外に引き摺り出した意味……が……」

 

 最初は威勢よく僕を引き止めようとした一色だが、その声も勢いも徐々に小さくなり……

 

「……しょうがないですねぇ。では、今日は帰りましょうか」

 

 あれっ? 案外あっさりと受け入れられたな。一色のことだからもっと反対して僕を連れ回すと思ったのに。

 だが、帰らせてくれるなら好都合だ。家でゆっくりと先程のレースの続きを研究するか、残っている事務作業を終わらせてしまおう。

 

「それじゃ、僕は家帰るから。なんだかんだありがとな、僕の身体心配してくれて。お前もたまの休日くらいゆっくり休めよ」

 

「せんぱいに言われても説得力無いんですけど……って、何一人で帰ろうとしちゃってるんですかっと」

 

「ぐえ」

 

 一色に背を向けて歩き出そうとすると、彼女に襟を掴まれて潰れた蛙のような声が出る。

 

「けほっ、こほっ……何?」

 

「何って、一人で行っちゃわないでくださいよ。どうせなら一緒に行きましょ?」

 

「一緒にって、お前一人暮らしだろ? なんでもってトレーナー寮なんかに行こうと……いや待て、お前まさか……」

 

「ふっふっふ、気づいちゃいましたか。そのまさかですよ」

 

 気づきたくなかった。できるなら嘘だと言ってほしい。

 

 得意げに、そして自信満々にそんなことを言う一色の顔は夢と希望に満ち溢れているかのような表情だ。

 それに対して僕は、客観的に見たら苦虫をを噛み潰したかのような顔をしているのだろう。

 

 ああ、三女神様よ、僕は何か悪いことをしたか? したのであれば即刻額を地べたに付けて謝るのでこの状況をなんとかしてほしい。

 

 切実に願いながら、僕は一色に手を引っ張られ──

 

「これからせんぱいのお部屋に突撃します。そう、お家デートってやつです!」

 

 

 






続きます


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交換条件



pixivの方でもリアクションを頂けたら、それはとっても嬉しいなって(鹿目まどか)




 

 

 

「せんぱいの部屋、ワクワク」

 

「別に面白いもんなんてないけどな」

 

 トレセン学園からトレーナー寮の距離はさほど遠くない。

 そのため、満員電車に揺られることもなければ、自家用車を使い自動車税だの駐車場代を取られたりだのガソリン代にお金をかけたりだのする必要もない。コスト軽減、素晴らしいね。

 

 部屋の前に着き、鍵穴に鍵を差し込んで動きを止める。

 

「……あれ、どうしたんです?」

 

「先に言っておく。絶対に変なことするなよいいな分かったか分かったならはいと言え」

 

「わー、信用ない」

 

 別に一色を信用してないわけではない。ただ、こいつはちょっとフリーダムすぎるところがあり、たまに常軌を逸した行動をする。

 なんというか、その、見てて危なっかしい。

 

 はいはいとテキトーな返事をする一色にこいつ大丈夫かなと思いつつ鍵を開ける。そして彼女は真っ先に元気良く……

 

「おっじゃましま〜……す……」

 

 部屋に入るや否や、その元気を急に落としていった。

 

 今日のこいつはどうしたんだろう。情緒不安定かな? それともせ……おっと、これはセクハラか。

 

「…………きれい……」

 

「ん、なんて? 紀霊?」

 

 なに、一色さん三国志にでもハマってんの? 

 

「なんでこんなに部屋が綺麗なんですか!?」

 

「なんでって、そりゃちゃんと掃除してるし」

 

「寮とはいえ、男の人の一人暮らしは自堕落になってゴミ屋敷になるのが定番でしょ!?」

 

 酷い偏見だ。全国の綺麗好き男子に謝った方がいいと思う。

 

 一色は地団駄を踏み、理不尽な理由で僕にキレ散らかす。防音故に周りの部屋に響かないからいいものの、あまり床を傷つけるようなことはやめてほしい。

 

「ま、まだです。せんぱいのお部屋チェックはまだまだ終わってません」

 

「お部屋チェックって何? 怖いんだけど。てか言ったよな? 変なことするなって……」

 

「さて、次にチェックするのは……ここ!」

 

 僕の言葉をガン無視して次に彼女がうきうきで調べようとしたのは冷蔵庫だった。

 しかし、そこを開けたのはいいものの、彼女はまたしても固まってしまう。

 

「…………せんぱいって普段料理とかするんですか?」

 

「ああ、別に特別得意ってわけじゃないけど外で食べるより安上がりだし、何より仕事の一環……主にマックイーンの献立表とかも作ってたしな」

 

「道理で食材が充実してるんですね……がっかり」

 

「がっかりて。僕が料理できたら何か不都合でもあるのか?」

 

「それは……あー、あれですよ、あれ。あはは……」

 

 無理矢理誤魔化したなこいつ。

 そもそも意見を180°変えてまで僕の部屋に行きたがった時点で何か企んでいるとは推測していたが、今この瞬間それが確信に変わった。

 

「こうなったら切り札を使います。男の子の部屋と言ったらあそこ。そう、ベッドの下!」

 

 まるでプロ野球選手かのようなヘッドスライディングでベッドの下を除く一色。

 彼女の言う通り、ベッドの下というのは何かを隠すのに最適な場所だ。

 

 だがしかし……

 

「……物どころか埃一つすら無いんですけど」

 

「別に収納スペースには困ってないからな。ちゃんと掃除もしてるし」

 

「そういうことじゃないんですよ! どうして何も無いんですか!? エッチな本の一冊や二冊あってもいいじゃないですか!」

 

「漫画の見過ぎだ。今の時代、エロ本なんて持ってるやつは少ないし、たとえ持っててもそんなところには隠さねぇよ」

 

 河原にエロ本が捨てられていた一昔前ならともかく、科学が発展し文明の利器を手に入れた我々には……少なくとも僕には必要ない。そう、スマートフォンがあればね! 

 

「はぁ……ここまでせんぱいにお約束が通用しないとは。これじゃあ作戦が台無しですよ」

 

「うん、その作戦とやら言ってみ?」

 

「……やです」

 

「怒らないから」

 

「……本当ですか?」

 

「ほんとほんと、この透き通った目を見てみろ」

 

「わたしには限りなく濁っているように見えますね。ビー玉かおはじきと取り替えましょうか」

 

 冗談で言ったつもりなのに、何故ここまでボロカスに言われなくてはならないのだろうか。

 それとチョイスが古い。ビー玉やおはじき、ベーゴマやめんこといった昔の遊びの名を出しても、僕達ならともかく生徒の中ではそれに精通した者でないと知らないんじゃないかな。

 

「いいから早く言え。でないと即刻ここからお前を追い出すぞ」

 

「うっ、それは困りますね。このままじゃわたし、せんぱいの部屋を荒らすに荒らして帰るだけのやばい奴になっちゃいます」

 

 そうでなくても君は元からやばい奴だ、安心しろ。

 喉まででかかった言葉を苦薬の如く飲み込み、腕を組んで一色に詰め寄る。

 

「本当に怒りません?」

 

「怒らない。僕を信じろ」

 

「……せんぱいのことだから部屋も散らかってるし料理もできないだろうと思ったので、わたしが颯爽とそれらをこなして合鍵を頂こうかなと……ああっ、いはいっ!? ほっへふへははいへふははい!」

 

 合鍵云々のくだりで僕は一色の両頬を摘み思い切り左右に引き伸ばす。なんて言ってるか分からないが僕の知ったことじゃない。

 

 正直な話、別に怒っている訳では無い。むしろそんなことだろうと思ったくらいの考えだ。でも面白そうだからしばらくこのままにしてみよ。

 

「ああもう痛いですって! 怒らないって言ったじゃないですか!」

 

 そう思ったのも一瞬のこと、一色は手持ち無沙汰となっていた両手で僕の手を振り解く。

 

「すまんすまん、試しに引っ張ってみたら面白い顔になってたからついな」

 

「そんな軽い気持ちで乙女の肌を傷つけないでください! こうなったらせんぱいに慰謝料を請求します。払ってもらうまで帰りません」

 

「へいへい、何すればいいの?」

 

「合鍵ください」

 

「揺るがねぇなぁ……」

 

 一点張りに合鍵を寄越せと言う一色。そう言われると当然だが一つの質問が湧き出る。

 

「そんなもん手に入れてどうするんだ? 僕の部屋には別に高価なものなんで無いぞ」

 

「空き巣に入る前提なのやめてもらっていいですかね。そりゃほら、あれですよ。当初の予定では掃除をしてあげたりご飯作ってあげたり」

 

「ほう、それで?」

 

「それだけですけど」

 

「……」

 

「な、なんでそんな微妙そうな顔なんですか! 想像してみてくださいよ! こんな美しいレディがたまにお世話しに来てくれるんですよ!? お得じゃないですか!」

 

 こいつちょくちょく自己評価高ぇな。たしかに顔は凄く整ってると思うけど。

 

 美しい発言やレディ発言はとりあえず置いておいて、一色の言う通り合鍵を手に入れた彼女が僕の部屋のキッチンで料理しているのを想像すると……

 

 

 あれ……なんだろう。そんなに悪くない気がする。むしろ良い。

 

 

「ふふん、どうですかせんぱい。わたしに合鍵を渡すのは悪い提案じゃない……」

 

「ふんっ!」

 

「せんぱい!? なんで急に自分のほっぺ殴ってるんですか!?」

 

 目を醒ませ、僕。一色の罠に嵌められるんじゃない。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫大丈夫。ちょっと蚊がいたからぶっ殺そうかなって」

 

「言い訳甚だしいですけど……。で、合鍵の方はどうですか?」

 

 ふむ、目を醒ませとは言ったものの、彼女の言い分を信じる分には僕にはメリットしかないようだ。

 実際のところ私生活が赤裸々になるというデメリットがあるのだが、僕の場合仕事が私生活みたいなところがあるので実質チャラだ。

 

 だが一つ、とてつもなく不可解な点がある。これだけはどう考えても合理性がない。

 

「……なあ一色、一ついいか?」

 

「はい、なんですか?」

 

「どうしてお前は僕にここまでしでくれるんだ? その時間を自分のために使えば、今日だって……その……」

 

 上手い言葉が見当たらず会話が詰まってしまう。要は一色が僕に構う理由が分からないのだ。

 彼女とは趣味も違えば性格も真反対だし性別も違う。共通しているのは同じトレセン学園でトレーナーを務めていることくらいだ。

 今日みたいに遊びに誘うくらいならまだしも、合鍵云々は仲の良い友達でもしないやり取りだろう。

 

「…………はぁ、これはマックちゃんが手をこまねく訳ですね……」

 

「ん、なんて?」

 

「いえ、なんでも。ところで、これまで生きてきて一度も恋愛したことのないせんぱい」

 

「おい待て、なんで知ってるんだ。え、なに、今の一瞬で僕の過去でも覗いた?」

 

 唐突に罵倒されたことにより心の中で涙を流す。いつか事実陳列罪で訴えてやる。

 

「せんぱいの過去とかどうでも……良くはないんですけどそれは置いといて。わたしがどうしてここまでするのか、それはせんぱいが自分で考えてください」

 

「えぇ、理不尽……」

 

 一色が僕の部屋の合鍵を欲しがってまでこんなことをする理由。なんだ、考えろ。たしかに僕はここ最近悩んでいた。

 その内容というのはダイヤの凱旋門賞についてだ。もし僕がダイヤと共にフランスに行った場合、残されたマックイーンのトレーナーを誰に委任するか……そうか、そういうことか。

 

「分かった」

 

「お、答え出ましたか? じゃあ早速わたしに合鍵を……えっ?」

 

 善は急げ。答えを見出した僕は、一色の肩をがっちりと掴む。

 

「一色、お前が頼りだ」

 

「ちょっ、せんぱい、急にそんな……こういうのはもっと段階を踏んでから……」

 

「僕はお前に……」

 

「……っ!!」

 

 僕は深々と頭を下げ──

 

「マックイーンのトレーナーを頼みたい。ダイヤの凱旋門賞遠征の間、僕は日本にいないかもしれないんだ」

 

「…………今なんて?」

 

 下げた頭にいやに冷たい声音が刺さる。僕は何か間違えただろうか。

 

「えっと、僕は日本にいないかもしれない」

 

「その前です」

 

「一色、お前が頼りだ」

 

「戻りすぎ、その間」

 

「マックイーンのトレーナーを委任したい」

 

「さっきまでのやりとりをどう解釈したらその答えに辿り着くんですか……」

 

 一色は頭を抱えて小言を漏らす。

 てか違うの? 僕は『もっと人を頼れ』っていうメッセージだと思ったんだけど。

 

「まあいいです、続けてください」

 

「お、おう。実はな……」

 

 僕は一色にダイヤが凱旋門賞に挑戦することとそれによる弊害を事細かく説明する。最初こそ適当に聞いていた一色だったが、やはり職業病と言うべきか、ウマ娘に関することなので真剣に聴いてくれた。

 

「なるほどほどなる……。せんぱいごとサトイモちゃんがフランスに行っちゃうかもしれないから、その間マックちゃんをわたしに預けたいと」

 

「そういうことだ。理解が早くて助かる」

 

「……もちろんただとは言いませんよね?」

 

 ちっ、がめつい奴め。まあ誰だってそうするか、僕だってそうする。

 

 彼女に一言待ってろと告げ、普段貴重品を入れている籠の中を漁る。その中から目的のブツを見つけ彼女に向かって放り投げる。ナイスキャッチ。

 

「っし、やりぃ! 経緯はどうあれついに手に入れましたよ!」

 

「そんなに嬉しい? たかが僕の部屋の合鍵程度で」

 

「嬉しいです! これでいつでもせんぱいの部屋に行き放題なんですから!」

 

「うん、来る時は絶対に連絡してね? 約束ね?」

 

「よし、わたし早速お料理披露しちゃいます! 買い出し行ってくるんで、せんぱいはゆっくりしててくださいね」

 

「話聞いてる?」

 

 一応僕にだってプライバシーというものがある。好き勝手来られたら僕の気が休まらない。

 

 解説や茶番、実況などで使われる合成音声のよく聞くフレーズのようなセリフを言いながら、一色は部屋を飛び出した。

 

 一色一人に買い出しさせるわけにもいかないのでついて行こうとしたが、彼女の行動力は半端じゃなく既に姿が見えなくなってしまっていた。

 仕方がない。言われたとおりに僕は部屋でおとなしくしておこう。

 

 

 マックイーンを任せられる相手が見つかり安堵の気持ちでいっぱいになりながら、僕は自室に残っていた仕事に手をつけた。

 

 

 

 三時間後

 

 

 

 一人だったこともあり、持ち帰っていた仕事をスムーズに終わらせることができた。その間かなり集中していたため、一色がまだ帰ってきてないということにようやく気がつく。

 ここから買い出しならそう遠くない場所にスーパーがあるはずなのに、どこまで行っているのやら。

 

 いい加減連絡を取ろうとした瞬間、部屋の鍵が一人でに解錠され思わずびくついてしまう。ああ、そういえば合鍵渡したんだった。

 

 時刻は午後六時を過ぎている。世間話程度にどこへ行っていたのか聞こうとしたが、件の彼女は中々部屋に入ってこない。

 それどころか、鍵を閉めては開けてを繰り返しているような音が……いや、本当に何やってんの? 

 

 施錠解錠を数回繰り返した後ようやく部屋に入ってきたかと思えば、一色は背中にリュックと買い込んだであろう食材を携えていた。

 後者は分かるが、前者はここを出る前は身につけていなかったはず。

 

 まあ何はともあれ。

 

「えっと、おかえり」

 

「……せんぱい、もう一回言ってもらっていいですか?」

 

「? おかえり」

 

「…………良い」

 

 何が? 

 

 訳の分からない要求に応えたらよく分からない返事を返された。

 良いの一言だけ呟いた彼女は、黙って買ってきた食材を冷蔵庫の中へと入れる。

 

「悪い、全部でいくらだった?」

 

「いいんですよ、これはわたしからの奢りです。ついでに晩御飯も作ってあげますよ」

 

「それはありがたいんだけど……でも、そう言うわけにもいかんだろ。このまま奢られたら男として僕の面目が……」

 

「はいはい、しつこい男はウマ娘に嫌われますよ」

 

 一色は僕のことを小学生男子のように軽くあしらう。

 彼女からの言葉を受けて、マックイーンやダイヤに嫌われるわけにはいかない僕はどうしても返す言葉が見つけることができない。

 

 しゃーなし。本人が言うんだから、たまには後輩に奢られて借りを作ろう。

 

「その……サンキューな、一色。このお礼はまた別の形でするから」

 

「あ、じゃあ一つお願いしてもいいですか?」

 

「おう、いいぞ」

 

「今晩泊めてください」

 

「ダメに決まってんだろ」

 

 前言撤回、やはりこいつに借りを作るのは良くない。

 

「ありがとうございます! 泊めてくれるんですね!」

 

「やだ、この子幻聴聞こえてる……」

 

 普通に考えて、女性が男に軽々しく泊めてなんて言っていいはずがない。僕は心の中の通知表の倫理観と貞操観念欄に大きな罰を付けた。

 

「ぶー、なんでダメなんですかー! せっかくお家に帰ってまでお泊まりセット持ってきたのにー!」

 

 買い出しにあれだけ時間がかかった原因はそれか。

 

「なんでって……いや、お前油断しすぎでしょ。もしかしたら僕に襲われるとか考えないの? 男を見たら皆狼と思いなさいって言われてるはずでしょ?」

 

「男であるせんぱいが言うんですね……。わたしはせんぱいがそんなことしないって知っていますし、万が一そうなっても覚悟はできているので大丈夫ですよ」

 

 覚悟ってなんだよ。何もだいじょばないよ。

 

「いいじゃないですか〜、別に減るもんでもないんだし。じゃないと、せんぱいのいない間マックちゃんの面倒見ませんよ?」

 

「うっ……」

 

 それを引き合いに出されると弱い。

 一色のことだからなんだかんだ言ってマックイーンを見てくれるのだろうが、ここでは基本僕が下についてお願いしなければならない立場だ。そこに先輩後輩の上下関係は関係無い。

 

 今日一日一色を泊めてそれなりに信用できる人にマックイーンを預けることと、それをせず路頭に迷うことを天秤に掛けて肩をうなだれさせる。

 

「……マックイーンとダイヤには絶対に秘密にしておけよ。碌なことにならないから」

 

「ふふっ、せんぱいってやっぱり押しに弱いですね」

 

 言うな、自分でもそう思ってるから。

 これではマックイーンやダイヤに対してとやかく言えないほどのチョロさだ。

 

 機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、一色は買ってきた袋から食材を取り出して冷蔵庫に入れたりキッチンに並べたりの作業に取り掛かる。

 

 本当に、こいつには出会った頃から振り回されっぱなしだ。普段セイウンスカイにいいようにされているとは思えない。

 その上に泊めてほしいだなんて、並大抵の男なら勘違いしてもおかしくはない。

 もしかしてめちゃくちゃ舐められてる? ここは一つ、先輩としての威厳でも見せておくべきなのか。

 

「あ、せんぱい好きな食べ物とかありますか? 今ならこのオールラウンダー一色ちゃんがなんでも作っちゃいますよ!」

 

 腰に手を当て慎ましやかな胸を張る一色は、なんだか年齢にそぐわない幼さが見えていて……

 

「な、何か言ってくださいよ、恥ずかしいじゃないですか……」

 

「いやなに、可愛いなって思ってさ」

 

「か、かわっ……! もっと恥ずかしいですよ!」

 

 泊めてくださいなんて言葉は普通に言えるのに、これには恥ずかしがるのか。羞恥の基準がよく分からん。

 

 顔を赤くしてブツブツ文句を言う一色を見ていると、なぜかマックイーンやダイヤの姿を重ねてしまう。

 今となっては彼女達もだいぶ図太くなったが、最初は一色のように顔を赤くしたりして年相応の可愛らしさを……いや、元からあんなもんだった気もする。

 

「と、とにかく! せんぱいの希望を早く行ってください! でないと、今日のおかずは抜きですよ!」

 

「はいはい、じゃあハンバーグでもお願いしようかな」

 

 まあ、先輩としての威厳を見せるのはまた今度でいいかな。

 そんな日が来るかはどうかは分からないけど。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一色が僕の部屋に泊まった翌日。

 

 先に言っておくが、一色の料理が美味しかったことと、僕が床で寝かされて今現在腰がバキバキなのを除いて特にこれと言ったことはなかった。

 

 飯食って、ゲームして、風呂入って、日付けが変わって少ししてから寝た。

 風呂まで借りるのは僕に好意を抱いているのか、それとも僕を男として見ていないのか。一色のことだから恐らく後者だろう。過度な期待はするだけ無駄だと、中学生の時学んだ。

 

 仲が良いからといって、別に恋愛的な感情を抱かれてなくても悲しくはない。……ほ、ほんとだし! 恋心なんて一種の病気だし! 

 

 それはそれとして、そういえば風呂上がりでも寝る時でもずっと帽子を被っていたのは不自然だったな。

 それを指摘しても、これはわたしのトレードマークの一点張りで彼女は聞く耳を持たなかった。そんなに思い入れのある帽子なのだろうか。

 

 とりあえず、先に話した腰痛の問題をなんとかしたい。

 今しがた会議室から自分のトレーナー室への移動中なのだが、自分でも分かるくらい若干猫背気味だ。

 さっさと部屋に戻って大人しくしてよう。マックイーンとダイヤには申し訳ないが、今日は練習メニューを渡して各自でやっといてもらう方が得策か。

 

 と、今日の彼女達の練習メニューは何だったかと考えていると、前方に見覚えのある二つの姿……というか、マックイーンとダイヤの二人が並んで歩いていた。

 当然だが、僕は彼女達より後ろにいるため気づかれていない。

 

 どれ、無視するのもあれだし、ここは童心に帰って後ろから脅か……

 

「何かの見間違いではありませんこと? トレーナーさんが……その、一色さんに引きずられていたなどと……」

 

「でも、私見たんです。ランニングをしようと学園を出ようとしたら、正門前でトレーナーさんと一色さんが一緒にいるところを。それも、お二人が向かっていた先はちょうどトレーナー寮だったのも気になってて……」

 

「……これは尋問の一つでもしなければなりませんわね」

 

 ……してやろうと思ったけど今日のところはやめておこうか、見逃してやろう。今この状況、見逃されるのは僕かもしれないが。

 

 彼女達は様々な身体機能が人間より優れている。

 それは聴覚も例外ではないため、見つからないためにも音を立てず静かに彼女達の側から立ち去らなければならない。

 

 そう、僕は今から忍者だ。抜き足差し足忍び足、一歩一歩緊張感を噛み締めて廊下を歩く。

 

「せんっぱーい! こんにちはー!」

 

「お前はいつも間が悪いな! はいこんにちはちくしょう!」

 

 隠密行動も虚しく、どこからともなくやってきた一色のクソデカボイスにより簡単に僕の居場所が周囲に晒される。

 つまり、マックイーン達に見つかったということだ。

 

「ト、トレーナーさん!? いつからそこに……」

 

「え……あー、今来たとこだよ。ちょうど君達の姿を見つけたから声をかけようと思ってね」

 

「そ、そうですか……ん? 少し失礼します」

 

 ダイヤはほっと胸を撫で下ろしたものの、スーツの上から僕の身体をペタリと触る。そしてなぜかマックイーンもそれに付随してダイヤと同じ行動を取った。

 

「……マックイーンさん、お気付きになりましたか?」

 

「ええ、他の女の匂いがしますわ。それも、どことなく私達と近しいような……」

 

 なに、怖い。身体機能が人間より優れてるとは言ったけど、そんなことまで分かるの? 

 

 そしておそらく、彼女達の言う"他の女の匂い"とは、昨日無理矢理押しかけて泊まっていった人物だ。

 冷や汗をかき小刻みに震えながら隣の一色の方を見る。頼む、何かフォローしてくれ……! 

 

 思いが届いたのか、一色はニッコリと慈愛の笑みを浮かべる。

 

 

「せんぱい、結構良いシャンプー使ってるんですね」

 

 

 終わった何もかも。こいつ絶対分かっててやってる。

 

 

「……トレーナーさん、少しお話しよろしいでしょうか?」

 

 案の定一色の発言を悪い方向に捉えたマックイーンは一歩にじりと詰め寄ってくる。

 まずい、顔は笑っているが目が笑っていない。

 

「ち、違うんだマックイーン。これには深いわけがあって……」

 

「言い訳なんて男らしくありませんわ! ほら、ダイヤさんも何か言って……ダイヤさん?」

 

「……えっ、あれっ、どうして……ひっく、止まらない……」

 

 怒りを露わにするマックイーンとは対照的に、ダイヤはその場に俯いて静かに涙していた。その姿に、僕は咄嗟に言葉が出ずその場で立ち尽くしてしまう。

 

「わあああ! 二人とも違うの、本当に違うの! さっきのはちょっとせんぱいを揶揄おうと思っただけで、わたしとせんぱいの間には何も無いから!」

 

 最も早く動いたのは諸悪の根源である一色だ。

 これには流石に彼女も慌てたようで、急いで二人の誤解を解き始める。

 嘘も本当も交えつつ言葉巧みにマックイーンとダイヤ相手に懇切丁寧に説明する一色の姿は、まるでそれが手慣れているかのようなものだった。

 

 それでも納得がいかない二人は一色に更なる追求をする。本当に部屋で遊んだだけなのか、手料理を振る舞ったのは本当なのか、良いシャンプーを使っているとはどういうことなのか、etc……

 

「ああもう! せんぱいも見てないで何か言ってくださいよ! これじゃあわたしが悪者みたいじゃないですか!」

 

 一色への追求が終われば次は僕の番だろう。今からでも逃げ出してしまおうか。いや、彼女達はウマ娘だ、秒で捕まることは目に見えているのでやめておこう。

 

 嘆く一色を無視して、僕は窓の外を眺める。

 

 満開の桜の木々の下には、今年入学するであろう新入生が下見に来ていた。

 そういえばもうすぐ新学期か。その上に、ここから春のGⅠレースもラッシュに入る。その中の一つに目標レースである春の天皇賞が含まれており、それはもう目と鼻の先だ。

 僕とマックイーンにとって最も思い入れの強いレースに、今度はダイヤとのコンビで挑戦する。

 

 大丈夫、ダイヤは、サトノダイヤモンドというウマ娘は強い。デビュー戦や重賞初勝利であるきさらぎ賞の時のように、僕は彼女を信じて送り出すだけだ。

 

 

 でも、どんな屈強な人でもこの穏やかな気候には抗えるはずもない。

 一つあくびをかまし、日光に邪魔されながらも顔を上げて雲一つない晴天を睨みつける。

 

 

「わたしが悪かったですから! いい加減助けてください! せんぱい!!」

 

 

 ああ、今日は良い天気だなぁ……

 

 

 






一色ちゃんにフォーカスしたのはちゃんと理由があるから……



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ジンクスブレイカー

 

 

 

 私はジンクスを破るのが好きだ。

 

 

 しゃっくりを百回すると死ぬと言われたので実際に百回数えてみたり、鏡が割れると縁起が悪いと言われたので割ってみたり、鰻と梅干しを一緒に食べるとお腹を壊すと言われたので、実際に食べてみたりしたこともある。

 ちなみに、鏡を割ったら怒られたし、鰻と梅干しを一緒に食べたら普通にお腹を壊したので二度とやらないと誓った。

 

 だめだ、無理だ、出来るわけがない、前例がない。そんな言葉を聞くと、どうしてもやらずにはいられない。

 損な性格をしていると言われることがあるが、私はこんな自分が嫌いではない。

 なんでも試し、なんでも挑戦する。例えそれが上手くいかなくても、ほとんどは次に繋げることができた。

 

 そんな私が次に目標として掲げたレースは、遥か遠くのフランスの地で開催される凱旋門賞。

 そこで日本のウマ娘が一度も勝利したことがないというのは、それを目標とする理由には充分すぎるものだった。

 

 ただ、今回はいつもとは違う気がした。

 自分でも何が違うのかはなんとなく分かっている。何か大きな偉業を成し遂げなければならない、そう本能で感じ取ってしまうほどに、今の私には余裕がない。

 

 思えばそうだ。私のこの昂りは、菊花賞の後から。

 

 

「……ちゃん……」

 

 

 私はトレーナーさんが好きだ、それは自覚している。別に隠す必要もない。

 

 

「……イヤちゃん……」

 

 

 それ故に焦ってしまう。

 

 だって、普通にトゥインクル・シリーズを走るだけじゃあ私は……

 

 

「ダイヤちゃん!」

 

「うわぁ!? キタちゃん……? ノ、ノックくらいしてよ〜……」

 

「何回もしたよ! でも、もうすぐ出走だっていうのにダイヤちゃん出てこないんだもん。心配しちゃうよ」

 

 割り当てられた控え室で考え事をしていたら、ノックの音も聞こえなくなるくらい周りを気にかけてなかったらしい。

 

 そう、今日は春の天皇賞の当日だ。

 このレースは私の憧れの人達にとっても思い出深いレース。マックイーンさんがこの地で連覇を達成したという事実を確認するたび、私の緊張は一層高まっていく。

 

「あっ、でもあたしの声に気がつかないってことはそれだけダイヤちゃんが集中してたってことだよね。ごめんね、あたし今日のレースがすっごく楽しみでつい……」

 

「……ううん、いいのキタちゃん。呼びに来てくれたんでしょ? 私もそろそろ行かなきゃって思ってたから、一緒に行こ?」

 

「っ、うん! よーし、そうと決まればターフまで競そぐえっ」

 

「もう、ここは学園じゃないんだから、廊下は走っちゃいけません。焦りは禁物だよ?」

 

 袖を捲り上げて、ドアを開け今にも部屋を飛び出して行きそうだったキタちゃんの首元を掴み無理矢理動きを止める。

 半開きになったドアはそのままに、私達の声は外部から丸聞こえとなってしまっているだろうが、今は人の出入りも少ないため問題ないだろう。

 

「大丈夫大丈夫! あたし体力には自信あるから、掛かっちゃっても平気だよ!」

 

「えぇ……」

 

 力強い逃げを実行するキタちゃんならそれが嘘に聞こえないのが怖い。

 

 内心キタちゃんの発言に恐れ慄いていると、ふと彼女から笑顔の表情が消える。

 

「……ねえ、ダイヤちゃん」

 

「うん、どうしたの?」

 

「今のあたしの目標はね、春シニア三冠のレースで全部一着になることなんだ」

 

 春シニア三冠というと、大阪杯、天皇賞〈春〉、宝塚記念の三つだ。先日の大阪杯でキタちゃんが優勝したのは記憶に新しい。

 なぜこのタイミングで彼女がそんなことを言うのか。答えは簡単。

 

「今日のレース、あたしは絶対に負けない。有記念の時のリベンジ、ここでさせてもらうからね!」

 

 宣戦布告。この言葉が最も似合うほど、キタちゃんの瞳は闘志に燃えていた。

 

 私はビシッと突きつけられた人差し指に動ずることなく、熱く火がつきそうなほどの闘志を冷静に受け流す。

 

 そうだ、こんなところで立ち止まってられない。ここを勝って、凱旋門賞でも勝つ。

 そうでもしないと、胸を張って堂々と"彼"の横に並び立つことはできない。

 最近分かったことなのだが、どうやら私は独占欲が強いらしい。どうせ並び立つのであれば、"彼"のナンバーワンでありオンリーワンでありたい。

 

 この春の天皇賞、勝って理想に近づく。

 いつも私の想い人の隣に立っている、あのマックイーンさんのようになるために。

 

「キタちゃん、そうはさせないよ。私だって負けられない理由があるんだから」

 

「望むところだよ」

 

 カチッと拳と拳(私は袖越しなのだが)をぶつけて互いの健闘を祈る。

 

「じゃあ今度こそターフへと……」

 

「あ、待ってキタちゃん!」

 

 またしても元気よく部屋を出ようとしたキタちゃんを引き留める。その拍子に彼女はすっ転んでしまった。ごめんね、キタちゃん。

 

「も、もう〜、酷いよダイヤちゃん〜……」

 

「えへへ、ごめんなさい。でも、レースの前にさ……」

 

 私は水筒と紙コップを取り出し、中に入っていたお茶を注ぐ。

 

「お茶でも飲んで、精神統一し直さない?」

 

「うん! やっぱりレース前はダイヤちゃんのお茶だね!」

 

 レースの開始時刻まではまだ少し時間がある。

 だが、こうしてキタちゃんとお茶を飲む時間はあっても、"彼"と顔を合わす時間はないかもしれない。

 でも大丈夫。だって"彼"は……トレーナーさんは絶対に私のことを見てくれているという自信があるから。

 

 心身統一、私は再び心を落ち着かせて、キタちゃんと一緒に静かにお茶を啜る──

 

 

 

 ***

 

 

 

 控え室を出て、ターフへ向かって並んで歩く彼女らに、僕は声をかけることができなかった。

 正確には用があるのは僕の担当であるダイヤになのだが、例え彼女が一人であってもそれは達成出来なかったかもしれない。

 

 キタサンブラックとサトノダイヤモンド、彼女達の関係は理想的だ。

 幼馴染で、良き理解者で、そして最高のライバル。それ故に、二人は決して順風満帆な関係ではなかっただろう。

 時に仲違い、時に気まずい状態になったりもしたはずだ。

 その度に彼女達は関係を修復し、より交友を深めてきた。

 

 そこにトレーナーが入る余地はない。どう足掻いても入ることはできない。

 もっと正しく言うなら、入ってはならない。

 トレーナーがウマ娘に対して出来ることは、レースで勝つためのサポートをすることだけ。

 

 この先、どんな結末が待っていたとしてもそれは変えられない。

 

 

 ダイヤに声をかけることができないまま彼女の姿を見送っていると、後方からコツリコツリと小さな足音が近づいてくるのが分かる。

 

 

「神妙な面持ちでスタンドを後にしたと思ったら、貴方は一人で一体何をやっていますの」

 

「……ストーカーだなんて趣味が悪いな、マックイーン」

 

「出来ることなら、トレーナーさんの私生活を一から十まで把握しておきたいところですわね。そう思い立ち監視カメラの設置を試みたのですが、それはやめておけとライアン達に止められまして」

 

「待って、聞き捨てならないんですけど。監視カメラがなんだって? おい、こっち向けよ」

 

 問い詰めようとすると即座にそっぽを向くマックイーン。

 僕のプライバシーが知らぬ間に窮地に立たされていたようで戦慄する。ほんとどうしてやろうか。

 あとメジロ家の皆、ナイス。この調子でマックイーンのアホを抑えてくれ。

 

「そ、そんなことより、今目の前の話をしませんこと?」

 

 こいつ、無理矢理話変えやがった。

 

「トレーナーさん、貴方、ダイヤさんに何か用があったのではないですか?」

 

「無いよ。僕から言えることは何も──」

 

「ダウト、ですわね」

 

 すっかり恒例となってしまったレース前のマックイーンとの長話。

 しかし今回に限っては生易しいものではなさそうだ。

 

「ほう、どうして?」

 

「いつもならレース前にテンパっているはずのトレーナーさんが、今日はやけに落ち着いてますもの。何かを隠すためポーカーフェイスを気取ろうとするのが裏目に出ましたわね」

 

「……僕のことよく分かってるじゃないか」

 

「当然ですわ。貴方のポーカーフェイスがお上手なせいで、私はトレーナーを失いかけましたもの」

 

「その件は本当にすみませんでした! てかいつまで引っ張るの!」

 

「もちろん一生ですわ」

 

 どうやら僕はこの娘に一生逆らえないらしい。本当にそろそろ許してくんないかな、あれからもうだいぶ経ったよ? 

 

「それで、結局のところ何を一人で考えていたのですか? 今ならまだ間に合いますわよ」

 

 ふざけた態度から一変、急に真面目な声音になるマックイーンの様子に寒暖差で風邪をひきそうになる。

 本当にこいつと来たら、スイーツと野球とイクノディクタスが絡まなかったら非常に厄介だ。

 

「……ダイヤは、あの娘はこのレースに気持ちが向いていない」

 

「……それは薄々私も察していました。あの方が見据えているのは、遥か先にあるまた別の何か。そして……いえ、これは……」

 

 そう、ダイヤが今目指しているレースは凱旋門賞だ。

 それ自体は決して悪いものではない。むしろ、目標が定まっていることは良いことだ。

 

 その目標レース以外で手を抜いていいわけではないが、一人のトレーナーとしては走ったレースが無駄にならなければそれでいい。道中勝っても負けても、一番最後に勝ってしまえば万々歳だ。

 大事なのは最初でも途中でもなく最後。一番最後に笑えたやつが勝者なのだから。

 

 でも、他の人はそうは思わない。

 

 もし、ライバルと思っている相手と同じレースを走る時、そのライバルが自分のことを気にかけていなかったらどうだろう。

 一方的にライバル視しているだけならまだしも、少なくとも一度は互いをライバルと認め合った仲の場合はいい思いをしないはずだ。キタサンブラックはそんなことを考えるウマ娘ではないだろうが。

 

「前走……阪神大賞典の時はそのようなことを考えさせられることは無かったのですが、今回はGⅠ。レースにどのような影響が出るかは未知数ですわね」

 

「実際のところ、身体的な面は問題無い。追い切りも良いタイムが出ていた。マックイーンも違和感は感じなかったろ?」

 

「そうですわね。ダイヤさんの調子は至って良好。そのような印象を受けました。彼女の瞳に映っているのがなんなのかまでは分かりませんでしたが……」

 

 ああ、そういえばマックイーンはダイヤが凱旋門賞を目指していることを知らなかったか。

 微妙に話が噛み合ってないことを理解したため、マックイーンにダイヤのことを話すと彼女はなるほどと言った顔つきで目を伏せる。

 

 しばらく考え込んでいる様子だったマックイーンだったが、何かを思い立ったかのようにダイヤ達が向かった方向へと真逆に歩き出す。

 

「お、おい、マックイーン? どこ行くの」

 

「トレーナーさん、そろそろご自身の時計で時刻を確認してくださいまし」

 

「時刻って……あっ、やべ! 走るぞマックイーン!」

 

 時計はもう間も無く発走時刻を指そうとしている。思った以上に長話をしていたようだ。

 正直間に合わないと分かっていながらも全力疾走をせざるを得ない。その横で涼しい顔して走るマックイーンが腹立たしい。種族の格差を感じる。

 

「トレーナーさん」

 

「何!? ちょっと今余裕無いから……」

 

「ダイヤさんを導くのは貴方の役目。もしあの方が迷って袋小路になってしまったら、どんな手を使ってでも助け出しなさい」

 

「? あ、ああ……あ、待って、急な全力ダッシュで脇腹が……」

 

「ト、トレーナーさん!?」

 

 運動不足も相まって、スタンドにたどり着く前に早々に踞ってしまった。

 レースの開始を象徴するファンファーレが鳴り響いているのを耳にして、優柔不断な判断をしていた数分前までの自分を全力でぶん殴りたくなってしまう。

 

 

 

 先程のマックイーンの意味深な言葉を理解するのは、今の僕には少し早すぎる話だった。

 

 

 



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負けたくないのに

急遽展開の変更により前話を少し修正(6/3時点)

すまない……





 

 

 

 春特有の温い気候により、つい頭部がうつらうつらと上下して眠気に誘われる。

 学生時代も五時間目以降は眠かったなという記憶がぼんやりと思い浮かんでしまうほど、今のわたしは目の前の作業集中できていない。

 

 そんな眠気を少しでも覚ますため、文明の利器と自分と同じくだれている娘に頼ろうとする。

 

「スカーイ、テレビ付けて〜」

 

「そのくらい自分でやってくださいよ。セイちゃん今、ダラダラするのに忙しいので」

 

「じゃあトレーニングして〜」

 

「いやぁ〜、私もテレビ見ようと思ってたんですよね〜」

 

「トレーニングしたくなさすぎでしょ……」

 

 トレーナー室で書類仕事を片付けているわたし、一色星羅は、ソファに寝転がって三時間くらい動いてないスカイを少しでも動かそうと孤軍奮闘していた。

 

 スカイの取り扱いと面倒な書類仕事でわたしのキャパはカツカツなのだけれど、前者はもう慣れてしまい、後者は本当に面倒臭いのはせんぱいにでも押し付け……おっと、違う違う、お願いすればいいだけだ。

 

 相変わらずトレーニングをしようとしないが、スカイのことだ。どうせ隠れて秘密の特訓をしているに違いない。

 そんな様子ではスカイの調子がはっきりと分からないのではと言われるかもしれないが、わたしはウマ娘を見る目に関しては確固たる自信がある。

 

 だって、わたし自身がウ──

 

「一色ちゃん、チャンネルは何がいいですか?」

 

「ん? あ、天皇賞! 天皇賞お願い! 今日サトイモちゃんのレースみたいだから!」

 

「はいは〜い」

 

 レースが始まる時間まではまだ少し時間があるが、仕事するのも疲れたしここいらで休憩しておこうかな。

 

 寝転がってソファを独占しているスカイの上半身を起こし、ソファの半分を占拠してからスカイの頭を太腿の上に置く。いわゆる膝枕というやつだ。

 

「……一色ちゃんってナチュラルにこういうことしますよね」

 

「おやおや、照れちゃった?」

 

「まさか。これがマックイーンさんとこのなら多少……た・しょ・う動揺してたかもしれませんけど、一色ちゃんじゃあ私の心を揺さぶるには百年ほど早そうですね」

 

「ちっ、このお昼寝魔人が!」

 

「お褒め頂き感謝で〜す」

 

 この生意気な担当ウマ娘をどうしてくれよう。とりあえずデコピンでもかまそうか。へっへっへ、わたしのデコピンは痛いぞ〜。

 

「っ、そ、それよりさ、一色ちゃん。今テレビに映ってる天皇賞の話しません? ほら、ダイヤちゃん達とは何かと縁がありますし」

 

 スカイのおでこに照準を合わせてデコピンの素振りをしていると、わたしの意図に気がついたスカイは慌てて話題を変えようとする。

 一発デカいのくらわせてわろうと思ったが、それはまたの機会にしておこう。

 

「春の天皇賞……スカイも二番人気で三着と、惜しいところまで行ったんだけどねぇ……」

 

「いやぁ、あの時のスペちゃんとブライトさんが強かったのなんの。セイちゃん完全にお手上げでしたもん」

 

「でも、次は絶対に負けないんでしょ? わたし知ってるよ、あの後一人で泣いてたの」

 

「……私、一色ちゃんのそういうところ嫌いです」

 

「ありゃりゃ、嫌われちゃった。わたしはスカイのそういうところ好きだけど」

 

 ちょっと意地悪しすぎちゃったかな。図星を突かれまくったスカイは完全に拗ねてしまった。

 もう手遅れかもしれないけど後々報復されるが怖いのでここまでにしておいて、目の前のレースの話をしよう。

 

「今回はサトイモちゃんが二番人気なんだね。有の時とはキタサンブラックちゃんとの人気が逆転だぁ」

 

「…………ダイヤちゃん、自分を見失ってないといいですけどね」

 

「ん? なんて?」

 

「いえ、なんでも。模擬レースや有記念から更にパワーアップしてるみたいですし、今回も凄い走りを見せてくれるんじゃないかなって」

 

「……ふーん」

 

 本当は聞こえていたが聞こえないふりをしておいた。ここで心配してるんだとでも揶揄えば、今度こそ怒らせてしまう。

 スカイを膝枕しているのはなんだかんだ楽しいのでこの時間を終わらすわけにはいかない。

 

 にしても、スカイの発言が妙に引っかかる。

 わたしはサトイモちゃんのことについて詳しくは知らない。知っていることと言えば、凱旋門賞を目指していることと、せんぱいにただならぬ感情を抱いていることくらい。

 それだけのわたしに何か分かるはずもなく、モヤッとした感情が胸の内を渦巻く。

 

「一色ちゃん? もうすぐ始まりますよ」

 

 模擬とはいえ、スカイはサトイモちゃんと同じレースを走ったからこそ何かを感じ取ったのか。

 それともわたしが()()()()()退()()()()()からそういう感覚に疎くなっているのか。

 

 

 真相は闇に包まれたまま、わたしはテレビから流れてくるファンファーレに耳を傾けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

『春の盾、天皇賞〈春〉スタートしました! 最初の一周目3コーナー、一番人気のキタサンブラックは二番手に付け、二番人気のサトノダイヤモンドは中団に控えています』

 

 

『4コーナーを周り最初の直線コースに入りました。逃げるウミカツデンライ、二番手のキタサンブラックからリードを六バ身七バ身。今最初の1000メートルを通過、58秒3で通過しました』

 

 

『さあ各ウマ娘第一コーナーをカーブしていきます。先頭は飛ばしていきます十七番ウミカツデンライ、その差はもう十バ身十五バ身か』

 

 

 

 前半は誰かが大きく出遅れたりトラブルが発生することもなく、正面スタンド前を通過して中盤へと差し掛かっていた。

 先頭はキタちゃんが譲らないと思っていたが、私の予想とは違いまた別のウマ娘が大逃げの作戦を実行している。

 

 大逃げをするウマ娘がいるなんてことはトレーナーさんは言っていなかった。彼に限って対戦相手の見落としはないはずだ。

 私自身、今現在大逃げをしているウマ娘のことは調べた。記憶が正しければ、彼女の前走である日経賞は大逃げなどではなかったはず。

 

 つまり、これは私達の意表を突くための作戦ということになる。3200メートルという長い距離において、大逃げで勝ったウマ娘なんて私は一人しか知らない。

 それほどまでに長距離で大逃げすることは難しいということを、トゥインクル・シリーズを走り抜けているウマ娘なら常識レベルで知っている。

 

 さらに言えば、私は大逃げを遂行したスカイさんと模擬レースをしたことがある。こんな形でと役に立つとは、スカイさんに一色さん、そしてトレーナーさんには感謝しかない。

 スカイさんとのレースの経験を活かし、私は変に焦ることなくいつものように中団へと控える形でレースを展開していた。

 

『二番手集団が2コーナーを迎えて二番手は三番キタサンブラック。二バ身後ろに三番手四番手と続き、2コーナーをカーブして向正面へ。後三バ身差にシュヴァルグラン、そして中団にまだ、中団サトノダイヤモンド』

 

 大丈夫、私なら勝てる。

 

 完璧な位置取りとタイミング。この一年半、それらを本番の舞台で身につけてきたつもりだ。今まで全て私の経験値、今回も例に漏れない。

 

 マックイーンさんが手にしたこの春の盾を賭けたレースに、憧れの存在が走っていた舞台に私もいる。

 トレーナーさんの隣に立つためには、マックイーンさんのようになるのは最低条件だ。そうでないと、私が納得できない。

 

 

『3コーナーカーブ残り800mを通過、リードが無くなってきました、差を詰めてきます三番キタサンブラック! 二番手から差を詰める!』

 

 二度目の坂を登り、3コーナー付近でキタちゃんが先頭のウマ娘へに追いつこうと徐々にスピードを上げる。

 このままではキタちゃんが先頭を追い抜いて一人旅となってしまうだろう。でも、そうはさせない。

 

 最終コーナーに入った私は、一つギアを上げて追い込み体勢へと入る。

 内は他のウマ娘でいっぱいだ。だったら私はその外を周るだけ。

 

『外には十五番サトノダイヤモンド! サトノダイヤモンドがすーっと外を周って行って上がっていった! 第4コーナーをカーブ、直線コースに向いてキタサンブラック先頭! キタサンブラック先頭だ!』

 

 勝つ。春の盾を手にしてから、世界へと挑戦する。憧れの背中に追いついてみせる。

 

 

 なぜなら、私には絶対に手に入れたいものがあるのだから。

 

 

『リードが三バ身ある! 二番手にはシュヴァルグラン! サトノダイヤモンドは三番手!』

 

 

 行ける、ここからもっと加速を…………ッ!? 

 

 

『200mを通過する! キタサンブラック! キタサンブラックの後にシュヴァルグラン! 外からサトノダイヤモンド今二番手に上がってくるか!?』

 

 くっ……脚が重い……ゴールまでが遠い……ッ!? 

 

 キタちゃんとの差は二バ身弱。まだ……まだ諦めない。ここで勝てなきゃ私は胸を張って日本のウマ娘の代表を名乗れない。

 

 この先のレース、全部勝ってみせるというトレーナーさんとの約束も破ってしまう。私が破るのはジンクスだけでいい。

 

 

 勝ちたい気持ちが誰よりも強いのは自信を持って言える。

 

 

 負けたくない……負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたく負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない負けたくない。

 

 

 なのに……どうして……

 

 

『キタサンブラック! キタサンブラックだ!』

 

 

 

 どうして脚が前に行ってくれないの……ッ!? 

 

 

 

『先頭は三番のキタサンブラック! キタサンブラック今ゴールインッッ!! 二着には僅差でシュヴァルグラン、三着にはサトノダイヤモンドです!』

 

 

 あんなにも遠く思えたゴールはいつのまにか後ろへと移動していた。否、それは錯覚に過ぎず、ただこのレースを走り切ったことを意味するだけだというのは言うまでもない。

 

 私はこれまでにないほど息を乱し、中腰で両手を膝の上に置き体を支える。

 その際聞こえてきた歓声というのは私に向けられたものではない。それがとても悔しく、そして恥ずかしく感じた。

 

 きっと私は調子に乗っていたのだろう。

 菊花賞でGⅠ制覇の夢を叶え、続く有記念でライバルのキタちゃんにも勝った。その前後の神戸新聞杯だって、阪神大賞典だって、勝利を収めることができた。

 そして凱旋門賞という大きな目標を掲げ、その直後に挑んだGⅠレースで敗北。ダービー以来の負けというのもあり、久々に辛酸を舐めさせられていることに酷く失意してしまった。

 

 万全の態勢を整えた、コンディションも抜群だった、作戦も完璧だった。

 

 

 なのに何が足りなかったのか。何がいけなかったのか。

 

 

 脳内でその言葉を何度も繰り返し、思考を巡らせ答えを探る。

 

 一つは、私自身このレースに賭ける思いが他のウマ娘より劣っていたのだろう。

 こんなこと、走ってから気がついてたところで何もかもが遅いのは分かっている。でも後悔せざるを得ない。

 事実、私はレース前に他のことばかり考えていた。凱旋門賞のこと、マックイーンさんのこと、そしてトレーナーさんのこと。

 これでは足元を掬われたって仕方がない。

 

 

 私は下唇を噛み締めて、大きな拍手とコールに負けないくらい大きく手を振る勝者のキタちゃんへと足を運ぶ。

 

「あっ……」

 

 それに気がついたキタちゃんは、その笑顔に少しばかりの翳りを見せた。

 その気持ちは分からなくもない。今しがた自分が倒した相手に話しかけられるというのは複雑な気持ちになってしまっても仕方がないだろう。

 

 でも、やっぱりキタちゃんは優しすぎる。勝負の世界において、他人を気遣うなんて私にはとてもできない。

 むしろこうして負かされた相手であるキタちゃんと対面していると、自分でも分からない何か悍ましい感情が溢れてしまいそうで怖くなる。

 

 そんな感情を無理矢理にでも引っ込め、上手くできるかどうか不安な笑顔を精一杯痩せ我慢をして作った。

 

「おめでとう。キタちゃんはやっぱり凄いね」

 

「ッ……! あたしは……あたしはダイヤちゃんがいてくれたから……わぷっ!?」

 

「ううん、いいの。キタちゃんの言いたいこと、分かってるから」

 

 キタちゃんの言葉を割り込み、私は彼女に優しく抱擁する。

 

 私は嘘をついた。本当はキタちゃんが言いたかったことなんて知る由もない。

 ただ、あのまま彼女に喋らせていたら、私の我慢していたものがこぼれ落ちてしまうことは容易に想像できる。

 だから、嘘をついてでも彼女の言葉を遮らなければならなかった。弱い私を見せないためにも。

 

 

 私がキタちゃんを抱くと、更に大きな歓声が上がる。

 こういったこと前にもあったなと、呑気にもそう考えてしまう私は楽観的だろうか。だが今回は前回と違い、その時間は一瞬ではなく暫くの間続いた。

 

「……ねえ、ダイヤちゃん」

 

「ん、どうしたの?」

 

 キタちゃんの優しい声音が、私の心に深く突き刺さる。

 声を震わせないようなるべく平静を装っているが、そろそろ限界だ。

 

 

 

「ありがとう、あたし凄く楽しかった」

 

 

 

 青く澄み渡った空に、春にしては暑いと感じるほどの陽気が京都レース場に降り注ぎそよ風が吹く。

 そんな温かな風を感じながら、頬に一筋の涙が伝う感触を覚える。

 

 抱き合っている状態だから、私の顔はキタちゃんに見られることはない。見られてなくて本当によかった。

 私が悲しそうな顔をしていると、キタちゃんはきっと素直に喜べない。

 

 

 私が考えるもう一つの敗因、それは"相手が強かった"という自分自身ではどうしようもないもの。

 頭では理解しているし納得もしている。だから文句は言えない。

 

 今の私にできることは、勝者であるキタちゃんを讃えること。それが多分一番正しい。

 

 

 でも……それでも悔しさを拭い切ることができず──

 

 

「……うん、私も」

 

 

 また一つ、私は嘘をついた。

 

 

 



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自分のことに全力を




後書きにおまけを載せているのですが、そこだけ台本形式なのをお許しください





 

 

 

「現地で調達は可能でしょうけど、非常食用のカップ麺は持ちましたの? ハンカチとちり紙は? フランスの地でおかしな人に騙されないように気をつけてくださいまし。寂しくなったらいつでも電話をかけてきてくださいね。トレーナーさんからの連絡なら私、24時間365日対応しておりますので」

 

「君はおかんか。いや仮に母親でもそこまで甲斐甲斐しくしねぇよ」

 

「まぁ、まるで奥さんのようだなんてそんな気が早いですわ」

 

「言ってないからね、そんなこと一言も言ってないからね?」

 

 マックイーンの難聴癖と記憶改竄の病気は治ってないらしい。それどころか夏の暑さでさらに酷くなっているようだ。

 

「まあそれはそれとして。トレーナーさんもダイヤさんと共にフランスへ行くことを、理事長が快く了承してくださって助かりましたわね」

 

「全くだよ。もしも断られてたら自腹で遠征費を出さなきゃいけないところだった」

 

「メジロ家の力をお使いになれば、たとえ断られていたとしても遠征費を捻出することくらい容易いことでしたのに」

 

「だからどうして君達はそんな簡単に大金を払えるとか言えちゃうの? 教え子にそんなことさせるわけにはいかないんだって」

 

 空港のチェックインカウンター前において。

 大荷物を携えた僕に対して、見送りに来てくれたマックイーンはいつものボケをかます…………ボケだよな? 流石にこれを本気で言ってたら怖すぎて今後マックイーンと顔を合わす度顔を引き攣らせるレベルなんだけど。

 

 かなり昔にダイヤにも同じようなことを言われたなと思いつつ、指摘されても尚キョトンとしているマックイーンの金銭感覚を心配してしまう。将来彼女と結婚する人はきっと苦労するのだろう。

 

 

 季節は夏真っ盛りの八月上旬。宝塚記念は一ヶ月以上前に終わっており、今日この日僕とダイヤはフランスへと旅立つことになる。

 

 凱旋門賞自体は十月の頭。少し早いかと思われるかもしれないが、その前哨戦として九月にGⅡのフォワ賞に出走する予定だ。

 そのレースに間に合わせるためにも、早めに環境の変化に慣れさせたいと考えこの時期に出発をすることを決めた。

 

 ダイヤは少し離れた位置で一色をはじめとした彼女の知り合い連中に囲まれている。

 その中にはマンハッタンカフェやマチカネタンホイザなど、意外な面子も含まれていた。

 

「ダイヤさん、緊張されていないようですわね」

 

「……ああ、そうだな」

 

 見送りに来てくれた彼女の友人達に囲まれ楽しげなダイヤ。

 そんな彼女の姿は一見していつもと変わらない。

 

 

 そう、変わらなすぎるのだ。あの日、キタサンブラックに負けた春の天皇賞以来。

 

 

「浮かない顔だな、トレーナー君」

 

「シンボリルドルフ……」

 

「会長……!」

 

 みんながみんなダイヤへと集まる中、こちらに近づいてくるウマ娘が一人。

 それは我らがトレセン学園の生徒会長であるシンボリルドルフだった。

 まさか彼女が現れるとは思っていなかったため、僕もマックイーンもつい声が出てしまう。

 

「摘果満車、彼女は随分と人気者だな。私としても期待せずにはいられないよ」

 

「そりゃうちの自慢の担当ウマ娘だからな。それよりシンボリルドルフ、君もダイヤの見送りに来てくれたのか?」

 

「勿論、何せサトノダイヤモンドが挑戦するのは凱旋門賞。そうでなくても、海外のレースに挑戦するウマ娘というのはそう多いわけではない。生徒会長として私ができるのは、こうして激励の言葉をかけるくらいなものだよ」

 

 そう言ったシンボリルドルフの顔は少し儚げだ。あれだけの功績を上げ生徒の悩み相談に乗り、学園全体に貢献している彼女だがまだ足りないらしい。

 

「充分なんじゃない? 君がそういう姿勢を見せることで、後ろについてくるウマ娘も多数いる。ダイヤも、他の海外遠征するウマ娘もきっと感謝してるはずさ」

 

「そう言ってもらえるだけで喜色満面なのだがそうもいかない。私には、創らねばならない世の中というものがあるからな」

 

「……そっか。ま、何かあったら他人を頼るんだな。君に手を貸してくれる人は大勢いると思うぜ?」

 

「ふふっ、その時はまた君にでも頼ろうかな」

 

「これ以上仕事増やすのやめてくれよ……」

 

 ただでさえURAファイナルズとやらの業務をやらなくてはならないことは確定しているんだ。これ以上は死ぬぞ。

 

「では君に頼るのは次の機会ということにして、私はここに来た目的を果たすとしよう。トレーナー君のその様子だと、かなり強く押せばすぐにでも折れてくれそうだからね」

 

「やんねえっつんてんだろ! さっさと行け!」

 

 相変わらず僕を手玉に取るのが慣れているシンボリルドルフ。

 彼女は小さく笑いながらダイヤのいる方へと向かって行った。

 

 ああくそ、この間の大晦日の仕返しでもしておけばよかった。今に見てろよ、フランスで世界一臭いチーズ買ってきてゴールドシップにばら撒かせるからな。

 

 拳を握りしめてシンボリルドルフへのしょうもない復讐を考えていると

 

「…………トレーナーさん? 随分と会長と仲がよろしいご様子ですわね?」

 

「ひっ……」

 

 背後からマックイーンの冷徹さを感じさせる声が届き、強制的に背筋を立たされる。これはどこかの学級委員長も満点をくれるに違いない……じゃなくて! 

 

 まずい、マックイーンのこと忘れてた。

 あいつナチュラルに僕のこと"トレーナー君"と呼んでたし、つい自分もその雰囲気に釣られてしまっていた。

 

 これもシンボリルドルフの手の内なのか、適当な言い訳を脳内で探していると、マックイーンはこれ見よがしに一つため息をつく。

 

「はぁ、トレーナーさんと会長がどう言ったご関係なのかは今は深く聞きません。ですが、貴方は誰かのトレーナーかということを常々忘れないように!」

 

「へい、今の僕は、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドのトレーナーですよ」

 

「よろしい! 3メジロポイント進呈致しますわ!」

 

「ありがとうございます」

 

 メジロポイントってなんだろう、100ポイント貯まったら何か特典とかあるのだろうか。

 よくわからないけど、その場の流れでとりあえず礼の言葉を述べておく。

 

 ふと時計を見ると、そろそろチェックインをしなければ間に合わない時間が近づいてきた。

 こうしてマックイーンと対面で軽口を交わし合うことが当分の間できないと考えるとなんだか寂しい気もするな。

 

「そうだ、マックイーン。お土産は何がいい? フランスの名産についてすごい詳しいわけじゃないからあれだけど、滅多にない機会だからさ」

 

「私はメジロ家の旅行でたまにフランスへ行きますし、特にこれといって欲しいものはありませんけど……」

 

 そうだった、こいつは澄ました顔で他人の飛行機代を出すとか言っちゃうお嬢様だったなちくしょう。

 

「そんな顔しないでくださいまし。お気持ちだけで充分ですので。でも、強いて言うなら……」

 

 マックイーンは久しぶりにいたずらな表情を浮かべ、

 

「トレーナーさんとダイヤさん、二人が笑顔で日本に戻ってきてくださるのが、私にとって最大のお土産ですわね」

 

 そんな気恥ずかしいことを言い、ダイヤ達の輪へと混ざって行く。

 

 夏休み真っ只中ということもあり、空港には多くの人で溢れかえっていた。

 そこにトレセン学園の制服を着た一際目立つ集団がいるということは、ウマ娘についてあまり知識がない人であっても海外遠征へ旅立つということが分かってしまうだろう。

 

 ダイヤは今しがた彼女の下へ向かったマックイーンだけでなく、応援に来てくれた彼女の友人、偶々居合わせた他の旅行客の方々から沢山のエールを貰っている。

 

 

 そう、この海外遠征、失敗するわけにはいかない。

 

 

 過去がどうとかジンクスがどうとか関係なしに、フランスの地でサトノダイヤモンドを勝たせてあげたい。勝たせてあげなければならない。

 

 それが彼女の目標であるのならば。

 

 

「ほーら! なに一人で黄昏れてんですかせんぱい! サトイモちゃん達と旅立っちゃう前に写真一枚撮っときますよ!」

 

「いっ、腕引っ張るな! 僕のことはいいから。なんならシャッター押す係でもやるって」

 

「だーめーでーすー! サトイモちゃんもマックちゃんもそんなの望んでませんよ」

 

 一色に腕を掴まれ半強制的に連行される。

 華のあるウマ娘達+αの中に僕みたいな男が入り込むことは抵抗しかないのだが、どうもそれは一色の言う通り担当の二人が許してくれそうになかった。

 

 正直めちゃくちゃ嫌だ。僕にとって写真を撮られるということは、レースで負けることの次くらいに嫌なことだ。

 

 

 なぜなら、死ぬほど写真写りが悪いのであって……

 

 

「じゃあ撮りますよー! はい、チーズバーガー!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 保安検査場を通過してマックイーン含む見送りの面々と暫しのお別れをした後のこと。

 

「……なあ、さっきの写真やっぱ消しとかない?」

 

「ダメです。あの写真は私にとって宝物でもあるので」

 

「えぇー。将来のためにも僕の写真はなるべく残しておきたくないんだけど」

 

「トレーナーさんは何かやましいことでもあるんですか……?」

 

 写真写り悪いから単純に自分の写真が嫌いなだけだよ。

 ただ、今の言い方だと僕が極悪犯罪者と勘違いされても仕方がないことは認める。

 ついでに言えば、やましいことがあるかないかで言ったら沢山あることも認める。

 

 ダイヤの写真フォルダからそれを消したところで、グループチャットに共有された写真は既に他の人達の手にも渡っている。要するにもう手遅れだということだ。

 

 そんな僕の顔が面白いことになっている写真をスマホで見ていると、ふとした違和感を覚える。

 その時は大して疑問に思わなかったが、この写真にはダイヤを語る上で外せない人物の顔が見当たらないのだ。

 

「なあダイヤ、キタサンブラックには今日出発することを伝えなかったのか?」

 

「いいえ、ちゃんと伝えましたよ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「……キタちゃんには自分のことに集中してほしいんです。例え親友であっても、私達はライバル同士。その意識が欠けていたから、春の天皇賞で私は負けました。だから今度は馴れ合いっこは無しです。私もキタちゃんも、お互い自分のことに全力を……」

 

 なんだ、気にかけるほどでもなかったな。

 

 いつのまにか彼女は精神的に大きく成長していた。それはそれで、一番近くで見ていたはずなのに、彼女の成長に気がつけなかった自分が不甲斐ないのだが。

 

「って、聞いていますか、トレーナーさん?」

 

「……立派になったな、ダイヤ」

 

「答えになってませんよ! 頭を撫でるならもうすこし人目のつかない場所で……」

 

 なんだろう、この気持ち。父性ってやつか? 

 娘を持つ父親の気持ちが分かったような気が……いや、僕の年齢ならギリギリ兄でまかり通るんじゃないかな。うん、妹の成長を見守る兄ということにしておこう。

 

「あっ……」

 

 いつまでもこうしているわけにもいかないので、とっとと税関審査と出国審査を済ませてしまおうと思い撫でるのをやめると、ダイヤは捨てられた子犬のような目でこちらを見てくる。

 

 やめろよ、何も悪いことしてないのにめちゃくちゃ罪悪感湧いてくるじゃん。

 

 謎の罪悪感に苛まれつつも、心を鬼にしてダイヤに先に行くことを促す。

 渋々だが彼女もそれに了承してくれた。

 

「トレーナーさん、一つお願いしたいことがあるのですがよろしいですか?」

 

 その道中、隣を歩くダイヤが僕の顔色を伺うような仕草を取る。それに若干の不自然さを感じつつも、指摘するようなことでもないと判断して彼女の問いに応じた。

 

「僕にできることならなんでも。手始めにマックイーンのスリーサイズからでも教えてあげようか」

 

「そんなことを言ってしまっては怒られてしまいますよ……。それはそれとして、マックイーンさんのスリーサイズは後ほど教えて頂きますね」

 

 いや知りたいんかい。やっぱりマックイーン大好きなのは変わってないな。

 

 ダイヤの素直な欲望に苦笑していると、彼女は先の話の続きをしだす。

 

「あちらで生活している間、お休みの日はありますか?」

 

「休みの日? そりゃあるだろうけど……」

 

 フォワ賞まで一ヶ月弱、そこからまた一ヶ月後には凱旋門賞があるため余裕が有り余っているわけではないが、トレーニングを詰めに詰めるというわけにもいかない。

 その場の環境や背負う期待故に通常よりトレーニングが多少ハードにはなるだろう。それでもダイヤに負担がかかりすぎないようには調整くるつもりだ。

 

 そういった旨の内容を伝えると、ダイヤは一際目を輝かす。

 

「ふふっ、でしたら私とパリの街を探索いたしませんか?」

 

「ん、どこか行きたいところでもあるのか? たしかに外国で中学生が単独行動ってのは、ウマ娘とはいえこのご時世危険だからなぁ」

 

「いいえ、特にこれと言って行きたいところはありません。私はあなたと一緒にいたいんです」

 

「? 大体一緒にいるだろ。ほら、トレーニングの時だってそうだし、なんかフランスにある理事長の別荘貸してもらえるらしいんだから……」

 

「むぅ……察しが悪いですね」

 

 小声でそんなことを言い、頬を膨らませるダイヤ。

 そのあざとい仕草どこで覚えたの、怒らないから言ってみなさい。どうせ一色だろうけど。

 

「トレーナーさん!」

 

「は、はいっ!」

 

 ビシッと突きつけられた人差し指に思わず怯んでしまい、人を指さしてはいけませんという軽口さえも喉の奥で詰まってしまう。

 

 そんな様子を見て行けると思ったのか、ダイヤは更に一歩距離を縮めて

 

 

「お休みの日、私とデートしてくださいませんか?」

 

 

 笑顔でその場に爆弾を投下する。

 

 

 その時のダイヤの顔を生涯忘れることはないだろう。

 

 それは彼女の精神的な成長を感じた直後だからなのか、はたまた別の理由からなのか。自分でもよく分からないという事実だけがこの場に残った。

 

 

 

 







おまけ
フランス到着直後の一色とのチャットの履歴


一色『せんぱいがフランスにお勤め中の間、マックちゃんのことは任せてください!( ̄^ ̄)ゞ』


『僕が服役してるみたいに言うんじゃないよ

マックイーンの件は本当に助かる。一応トレーニングメニューとかは追々送るから、くれぐれも無理させないよう見張っといてくれ』


一色『前々から思ってたんですけど、せんぱいからの連絡ちょっと怖いんですよね((((;゚Д゚)))))))』


『は?何が?』


一色『そういうところ! 

絵文字も顔文字もスタンプも使ってなかったら怒ってるんじゃないかって勘違いされちゃいますよ( ; ; )』


『そんなもんかね』


一色『そんなもんです( ̄^ ̄)

こんな愛想のない返信してたらマックちゃんにもサトイモちゃんにも嫌われちゃいますよ❓』


『別にこれで困ってないんだけど

でもあの二人に嫌われるのは困る』


一色『でしょ? 

これからわたしに連絡する時は練習だと思って絵文字や顔文字を使うこと!いいですね?(^_-)』


『おけ!(。`・o・。)』


一色『きも』




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誰にも言えない秘密



日本に残された面子はというと……




 

 

 

 本当に大切なものは、失ってから初めて気がつく。

 

 当たり前だと、日常だと思っていたものが急に目の前から姿を消す。それを覚悟していたならばまだしも、突如としてそんなことが起きてしまったら取り乱してしまう人がほとんどだろう。

 

 幸いにも自分の場合は後者ではないが、それでも心のダメージというものは一言二言で語れるものではない。

 

「マックちゃーん、そろそろ休憩時間終わるけど……って、溶けてる!?」

 

「……ほぇ?」

 

 トレーニングの休憩時間、一色さんは木陰で休んでいる私を呼びに来る。

 夏の暑さも相まって、トレーナーさんとダイヤさんに会えないという非日常が続き、一色さんの返事にも情けない声でしか対応することができない。

 

 二人が日本を旅立って一週間が経った。

 二ヶ月間ほど会えないことは覚悟していたが、もうそろそろギブアップを唱えたいと思っている。

 ダイヤさんともトレーナーさんともほぼ毎日連絡を取っている上に、トレーナーさんに至っては三日に一回ほどビデオ通話までしている。

 それでもこの様だということは、二人が自分にとってかけがえのない存在になっているということの証拠に等しい。

 

「だ、大丈夫!? 目が死んでるよ!? せんぱいみたいな顔になってるよ!?」

 

 焦り顔で心配をしてくださる一色さん。私にとって、彼女の存在は脅威だ。

 この前も、トレーナーさんの部屋に泊まっただのなんだの仰っていたし、聞いた話によると一色さんは私よりもあの方との付き合いが長いとのこと。

 

 たまに毒舌で少しばかりお腹の黒いところがある、だけど気安く接することのできる後輩キャラ。トレーナーさん目線で一色さんを簡単に言葉にするとこんな感じだろうか。

 随分と仲が良いようでたまに嫉妬すら覚えてしまう。

 

 と、思ったら一色さんはトレーナーさんを雑に扱うところがある。

 先程のような間接的な悪口を吐いているのは、単なる信頼の裏返しかそれとも別の感情か。

 

「えっ、マックちゃんどうしたの……? 何か言って?」

 

 なんにせよ、現状では一色さんの真意は分からない。

 

 恋はダービー、競争社会、目立った者勝ち。

 恋に精通しているようで、その方面に対しこれと言って何の経験もない我がライバルの歌っている歌を思い出す。

 付き合いの長さでは負けているかもしれないけれど、付き合いの深さなら負けていない。むしろそれに関して、私は誰よりもアドバンテージがある。

 

 いいでしょう、一色さん。貴方がトレーナーさんのことをどういう風に思っているかは判断しかねますが、仮に想定する感情を抱いていたとしても、微塵も負けるつもりはありません。必ず見極めさせて頂きます。

 

「あのー、返事して欲しいんですけど……。もしもーし、マックちゃーん?」

 

 

 

 

 

 

 

「お出かけですか?」

 

「うん。せんぱい達が帰ってくるまで一緒にいるんだし、もっと仲良くなるためにも次の休みの日にわたしとスカイとマックちゃんで遊びに行こうかなって」

 

 トレーニング終了後、暑い中練習を見ていてくださっていた一色さんがそんな提案を持ちかけてくる。

 

 遊びに行くこと自体は悪い提案ではない。コンディション管理が大切なのはもちろんのこと、これから長い期間お世話になる方との交友を深めることができる。

 

 でも、少し複雑だ。

 なぜなら、誘ってくださったのはつい先程(勝手に)恋敵認定した一色さんご本人。

 

「……どうしたの、マックちゃん? 今日はなんだか変……あ、もしかしてお出かけ嫌だったかな、あはは……」

 

 うっ、断りにくい……そう言われたら行かざるを得ない雰囲気となりますわね……。

 

 彼女との仲は決して悪いわけではない。しかし、やはりどこか接しづらいところがある。

 例えたらそう、友達の友達のような感覚だ。無意識に他人行儀な対応を取ってしまう。

 

「別に嫌なんてことはありませんわ。少々意外でして」

 

「意外? そうかな?」

 

「ええ。仮という形ですが、別に担当でもない私のコンディションまで気遣っていただけるとは思いませんでしたので」

 

「ふふんっ、これでもわたし、中央のトレーナーで一番ウマ娘のこと知ってるつもりだからね!」

 

 一色さんは自身の被っている帽子の鍔に手をかけて自信満々に胸を張る。

 そんな彼女の薄い胸に親近感を覚えながらも、根拠のないその自信はどこから来るのかと疑ってしまう。

 

「それで、どうかな? 次のお休み……今週の週末にでもどこかに行かない?」

 

「……ありがたい提案なのですが、そんなに気を遣って頂かなくてもいいんですのよ?」

 

 せっかく誘ってもらっているのだから行けばいいのにという声が聞こえてきそうだが、どうしても上手く気持ちを整えることができない。

 一色さんがトレーナーさんのことを好きかもしれないと考えると一歩引いてしまう。

 

 思えば私には恋敵が多い。目の前の一色さんをはじめ、桐生院さん、この前なんてスカイさんが私のトレーナーさんをたぶらかそうとしていた。

 

 

 そして、今現在トレーナーさんと二人きりでフランスにいるあの娘もきっと──

 

 

「えー、せっかく美味しいって噂の駅前のスイーツ屋さんの予約取れたのに……」

 

 それを聞いた瞬間、私の心は一気に揺らいだ。

 一色さんが言っているのは、最近オープンした超有名スイーツ店のことではないだろうか。あそこのモンブランは絶品との噂だ。

 問題は人気すぎて中々予約が取れないところ。その予約を一色さんが取ったという。行かない理由はない。

 

 ないのだが……

 

「ここで応じてしまっては、客観的に下心を持っているようにしか見えないのですが……」

 

「そんなの気にしなくていいのに〜。でも、これでも駄目かぁ。だったら……」

 

 後ろ向きな発言をするのを聞くに、一色さんは財布の中から一つの鍵を取り出して見せつけてくる。

 

 一見してただの鍵のようですが……

 

 

 

「ここにせんぱいの部屋の鍵があります」

 

「行きます」

 

 

 

 

 なぜトレーナーさんの部屋の鍵を持っているのかは置いておいて、素直に自分の心に従った。

 決して下心を持っているわけではない。そう、決して。

 

 

 

 ***

 

 

 

「んん〜……! これこそ私が求めていた至高の味……! スイーツを口にする手が止まりませんわ!」

 

「ほどほどにね、マックちゃん? せんぱいが帰ってきた時体重増えてたら怒られちゃうよ、わたしが」

 

「怒られるのは一色ちゃんなんですね……」

 

 スイーツ店の予約とトレーナーさんの部屋の鍵にまんまと釣られ、テーブルを挟んで対面に座るお洒落をした一色さんと普段着のスカイさんと共にお出かけに来ていた。

 

 腹が減ってはレースができぬとも言いますし、最初の目的地はスイーツ店で満場一致。

 現在はそこのモンブランを食事中という極上の時間を味わっている。

 

「でも、マックイーンさんが盲目的になるのも分かるな〜。これ凄く美味しいもん。苦労して重い腰を上げた甲斐があるというものですよ」

 

「うん、スカイ、あんたは何もしてないからね。むしろあんたを引っ張り出すのに苦労したのはわたしだからね」

 

「それほど私に来て欲しかったんですか? だったらそう言えばいいのに〜」

 

「え、そうだけど? スカイとお出かけするのも久しぶりだったから楽しみだったんだよ?」

 

「……あー…………、なんかここ暑くないです? 冷房効いてない気がするんですけど。マックイーンさんもそう思いません?」

 

「ふぇ、ふぁんふぇふ?」

 

「飲み込んで。飲み込んでから喋ってください」

 

 唐突にスカイさんに話振られ、口にスイーツを含んだまま返事をしてしまう。自分でやっといてなんだが、ものすごくはしたない。

 

 こんな姿はトレーナーさんに見せられま……

 

 

 パシャリ

 

 

 そんな効果音が対面から聞こえて顔を上げると、スマホを私の方に掲げた一色さんがニヤニヤと……って

 

「どうして撮っているのですか!? 消してくださいまし! 私の失態を即座に消してくださいまし!」

 

「やだよー! この写真せんぱいに送っちゃうもんねー!」

 

「なっ!? そ、それだけはやめてください! そもそも、これがバレたら一色さんも怒られるのでは!?」

 

「マックちゃんが減量すれば平気平気! そういうわけで、せんぱいに送し……」

 

「あああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……マックイーンさんが大声出すから追い出されちゃったじゃないですか。私まだ半分しか食べてなかったのに」

 

「諸悪の根源は一色さんです。文句があるなら貴方のトレーナーに付けるべきですわね」

 

「んもぅ、マックちゃんたら照れちゃって。そんなにさっきの写真がせんぱいに送られるの嫌だったの?」

 

「嫌に決まっていますわ! というか貴方も反省してくださいまし! どうしてそんなヘラヘラしていられますの!?」

 

 迷惑客と化してしまった私達はやんわりと退店を促されてしまい、今は次の目的地であるトレーナー寮へと向かっている。

 

 結果的に先程の写真がトレーナーさんに送信されることはなかったが、その代償としてもう二度とあそこのスイーツ店に行けないことが確定してしまった。

 出禁とかそういうのではなくて、単純に恥ずかしいから。

 

 

 悩んでいる最中、前方で軽口を交わしている一色さんとスカイさんに見えないように静かに両頬を叩いて気合を入れる。切り替えなくては。

 

「はい、トレーナー寮に到着〜……と、その前に。せんぱいに連絡入れないと」

 

「どうしたんです、一色ちゃん? 何かあったんですか?」

 

「ああ、せんぱいに部屋に来るなら必ず連絡しろって言われてるの。だから今連絡してる」

 

 それはほぼズルではないだろうか。フランスにいるトレーナーさんが何と言おうと、私達を阻止することは不可能だ。

 

 まあ、自分もそのズルに乗っかろうとしているので何も言えませんけど。

 

「ほいっ、今度こそせんぱいに送信っと。マックちゃんの画像は送ってないから安心してね」

 

「ありがとうございます。そのままあの画像を消していただいてもよろしいのですよ? さあ、その手にもっているスマホを渡して……み、道端で蹲らないでくださいます!? そこまでして消したくないんですの!?」

 

 拒否されるであろうことは分かっていたが、まさかここまでされるとは思っていなかった。醜態を晒した自分が言えたことではないが、みっともないからやめてほしい。

 

「二人とも、おバカなことやってないで行きますよ。もう、なんでセイちゃんがツッコミ役やらなきゃいけないんですか」

 

「ごみんごみん、たまにはわたしにも弾けさせてよ」

 

 基本的におバカなことをやっているのは一色さんだ。

 まとめられるのは納得いかないのでスカイさんに抗議をしようとしたところで、不自然な感覚に陥る。

 

 自分は一色さんについてよく知らない。なのに、なんだか近しい存在とも錯覚してしまう。

 この不自然な感覚は一体……

 

「ああっ!?」

 

「ちょ、急に大声出さないでくださいます? 周りに住んでいる他のトレーナー方の迷惑になってしまいますわよ」

 

「大丈夫、ここ防音だから。そうじゃなくって、買い出し忘れてた! どうせせんぱいの部屋に行くなら、夜ご飯の食材調達も兼ねて色々買ってから行こうと思ってたのに……」

 

「……もしかして、トレーナーさんの部屋で晩御飯を?」

 

「そのつもりだけど」

 

 もう何も言わない。ここは流れに身をませるべきだ。

 トレーナーさんが帰ってきたらそれとなく謝っておこう。

 

「私はめんどうなんで部屋でお休みしときますね。一色ちゃん鍵ちょうだい?」

 

「はいはい、無くさないでね」

 

 そう言って一色さんはスカイさんに鍵を投げ渡……ちょっと扱いが雑過ぎるのではありませんこと? 

 

 でも、ナイス判断ですわ、スカイさん。このまま私も一緒にトレーナーさんのお部屋へと……

 

「それじゃあマックちゃん、わたし達はお出かけの延長戦へと洒落込みましょうかね」

 

「えっ……い、いえ、私もスカイさんと部屋でお待ちしているつもりなのですが……」

 

「いいからいいから! ほらっ、時間もったいないしさっさと行くよ! じゃないと今度こそさっきの写真をせんぱいに……」

 

「さあ、張り切って参りますわよ!」

 

 仕方がない、トレーナーさんの部屋を物色……ではなく、お邪魔するのはまた後で楽しみにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園、並びにトレーナー寮からかなり離れた大きなショッピングモール。

 正直こんなに遠くまで来なくてもいいのではないかと思ったが、ここなら食材だけでなくトレーニング用品やシューズなども買うことができる。ちょうど蹄鉄がすり減ってきていたのでこの機会に買って、さっさとトレーナー寮へ帰ってしまおう。

 

 

 そう思っていたのに

 

 

「マックちゃん可愛い! すっごく似合ってる!! あ、店員さん、写真撮ってもいいですか?」

 

 

 なぜ私は着せ替え人形にされているのでしょうか……

 

 ここはショッピングモール。トレーニング用品や食材どころか、娯楽の類もなんだって揃っている。それはブティックだって例外ではない。

 

 

 スカイさんがフェードアウトし、私と一色さんの一対一。

 これなら彼女のことを見極められると思ったのだが、初っ端から後手に回ってしまった。スイーツの時といいトレーナー寮前の時といい、一色さんにいいようにされっぱなしだ。

 

 これから一ヶ月強はお世話になるので無理にこんなことしなくてはいいのではというのは分かっている。でも、やはりモヤモヤしたままなのは気持ちが悪い。

 

 はやる気持ちを抑えて冷静になり、探るように一色さんに質問を投げかける。

 

「あの、一色さん。少し質問よろしいでしょうか?」

 

「ん、どうしたの? もしかしてお気に召さなかった?」

 

「服装自体はとても素敵だと思うのですが……どうしてこんなことを?」

 

「いやあ、ただ食べ物買って帰るだけじゃ寂しいじゃん? マックちゃんとこうしてお出かけするのも珍しいし、どうせなら色々楽しんじゃおうかなって」

 

「は、はぁ」

 

 笑顔でそう言う一色さんに悪意は何一つ感じられない。むしろ、何かあるのでは、企んでるいるのではとまで考えていた自分の心が痛む。

 

「それに、スカイはこういうことさせてくれないしさ」

 

「あー……」

 

 たしかにスカイさんは自分からこういうところに行くようなイメージはない。

 仮に縄つけて引きずったとしても、目を離したらいなくなり河川敷で昼寝をしていてもおかしくないような方だ。

 そこにフラワーさんを添えれば普段の日常となんら変わらない。

 

「可愛い! マックちゃん可愛いよ! 目線ください!!」

 

 容易に想像できるような光景を頭に浮かべ苦笑していると、一色さんはパシャリパシャリとスマホ撮影を開始する。

 そんな彼女の姿が注目を集めたのか、お店にだんだんと人が集まってくる。

 

 今はお洒落しているからというのもあるが、こうして注目されてしまってはウマ娘の本能に抗うことはできない。

 多少の気恥ずかしさが残りつつも、ライブほどではないしにろポーズを決めたりなんかしてしまった。

 

 店側からしたら迷惑以外の何者でもないけれど、笑って許してくださったことには感謝しかない。

 

「あ〜、可愛い……脳が溶ける……」

 

 この方もしかしてやばい人ではないのだろうか。どことなくデジタルさんに近しい気がする。

 

 少し、ほんの少しだが自虐心が沸いてしまった。

 自分だけ着せ替え人形にされるのは気に食わない。どうせなら彼女も道連れにしてやろう。

 

「一色さんも試着してみたらどうですの?」

 

「えっ、いやわたしは……」

 

「そんなこと言わずに。さあ、その帽子を取ってくださいま……」

 

「だ、だめっ! 帽子だけはだめだから!」

 

 う……そこまで拒絶されたら引き下がるしかない。強制するわけにはもいかないので、肩を落としてお店へのお礼も兼ねて試着していた服を購入し、そのブティックを後にした。

 

 

 そのお店の今日の売り上げは増えたとか増えなかったとか。

 

 

 

 

 

 

 先程とは打って変わって、ブティックとは雰囲気が全く違うスポーツ店へと入る。

 大型ショッピングモールということもあり移動は大変だが、これでも自分はウマ娘。ちょっとやそっとのことで疲れを見せるわけにはいかない。

 

「マックちゃんの目的はシューズと蹄鉄?」

 

「ええ、そうです。最近どちらも消耗が激しくて」

 

「あ〜、分かる、この手の消耗品って気がついたら無くなってるよね。変に安いの買うより、少しお値段張っても丈夫なやつ買った方がお得って言うか。マックちゃんの走り方だと……これなんかどうかな?」

 

 一色さんは私も目をつけていたシューズを手に取る。

 

 ふむ、やはりこの方、ダイヤさんやトレーナーさんから聞いていた通り中央のトレーナーとしての才は高いようだ。

 これまでの彼女の言動からその情報は疑わしかったけれど信憑性が出てきた。

 

「ありがとうございます。ではこれを三点ほど購入して……」

 

「あとはマックちゃんの言ってた蹄鉄だね。それと粉末状のスポーツドリンクと、プロテイン。これから暑くなるしネッククーラーやアイスネックバンドも必要かな〜。熱中症ってバカにできないし」

 

 え、えぇ……

 

 軽い気持ちで寄ったつもりのスポーツ店だったのに、思った以上に一色さんは真剣に考えてくれていて戸惑ってしまう。

 顎に手を当てて悩む彼女の姿は、どことなく誰かさんに似ている気がした。

 

「ん、どうしたの? わたしの顔に何かついてる?」

 

「い、いえ、なんでもありませんわ。こうして一色さんの真面目な表情をお伺いするのは初めてだったもので」

 

「それだと普段のわたしは真面目じゃないように聞こえるんですけど」

 

 否定はできないためそっと目を逸らすと、一色さんは不服そうな表情を露にする。

 

「誰になんと言われようと、わたしは合格倍率がめちゃくちゃ低いって言われてる中央のトレーナーだからね」

 

「以前トレーナーさんも似たようなことをおっしゃっていましたが、トレーナー……それも中央ともなるとそこまで厳しくなるのですか?」

 

「そりゃもう大変。酷い時はその年の合格者が0人なんてこともザラにあるから。新しいトレーナーが採用されない分、わたし達若手の仕事が増えちゃうのも当然ってわけですよ」

 

「苦労されているのですね……」

 

「あはは、わたしはまだマシな方なんだけどね」

 

 一色さんは笑って答えるが、その瞳は笑っていない。

 謙遜か、それとも事実か。どちらにせよ、一色さんと同じくトレーナーさんも彼女と同等かそれ以上のお仕事をされているのは確かだ。今日のビデオ通話でそれとなく日頃の感謝を伝えておこう。

 

「でも、それくらい厳しくしないといけない理由があるの。能力のない人とか頭の悪い人がこの職業に付けちゃったら、将来有望なウマ娘の未来が危ないし」

 

「……言い方に随分と棘がありますわね」

 

「そりゃね。松葉杖ついて、お前のせいで二度と走れなくなったってトレーナーに暴言を吐き散らかすウマ娘を、わたしは昔から見てきたから」

 

 言い方は悪いが、一色さんの言うことは間違っていない。実際、彼女の言う通りの光景を見たことがある。

 ウマ娘にとって怪我は付き物。トレーナーさんや〈スピカ〉、〈リギル〉のトレーナーもそれに抗うことは出来なかった。

 

 だが、その怪我はトレーナーに過失がある場合と無い場合が存在する。

 皆が皆、先のお三方のような優秀なトレーナーだと曰うのは夢物語だ。

 過酷なトレーニングを課したり、ウマ娘本人が納得いってないようなローテーションを組んだりするトレーナーがいても不思議では無い。

 

 それを分かってるが故、一色さんの意見に反対はできなかった。

 でも、それにしては随分と感情がこもっていたような気がする。

 

 

「…………ウマ娘とトレーナーは仲良くしなきゃいけないのにさ」

 

 

 その小さな呟きは、ショッピングモール特有の騒音によって掻き消され──

 

 

「……湿っぽくなっちゃった。ごめんね、こんなつまらない話聞かせちゃって。さ、買うもん買って帰ろっか?」

 

 笑顔を見せる一色さんだが、やはりその目は笑っていない。ブティックで私のことを激写していた人と同一人物とは思えない雰囲気を漂わせている。

 それほどまでにウマ娘に対して真剣ということか。そうでなければあんなに怖い顔はできない。

 

 

 ウマ娘のトレーナーという職業。

 それがいかに難しい職業かについて、深く考えさせられた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 帰り道の河川敷。

 昼過ぎにトレーナー寮前を出発したというのに、いつのまにか日がもうすぐ沈んでしまう時間帯となってしまった。

 夕日に照らされた川の水が乱反射し、眩しさでつい目を細める。狭まった視野の裏側には今日あった出来事が焼き付いている。

 

「あはは、結構いっぱい買っちゃった」

 

「本当ですわよ。これでトレーニング用品まで自分達で持ち帰っていたらと思うとゾッとしませんわ」

 

「一部後日郵送にしてもらって助かったね〜」

 

 両手にかなりの荷物を持ち、私達はゆっくりと歩みを進める。

 別に荷物が重いとかそういうわけではない。ただ少し考えたいことがあるだけだ。

 

 

 今日一日で一色さんのことがなんとなく分かった気がする。

 ウマ娘に対する思いは真剣で、トレーナーとしての能力も高い。女性としての魅力やセンスを持ち合わせており大人っぽい……と思ったら、たびたび誰かを揶揄うような悪戯っぽい一面もある。

 

 でも、肝心なところは何一つ分からなかった。いや、それを探る機会すら与えてもらえなかった。

 距離は縮まったと感じつつも、心に抱えるモヤモヤが晴れることはない。

 

 もういっそ直接聞いてしまおうか。

 

 でも、聞いてどうする。何が得られる。

 聞いたところで返答は予想がついている。なのにそれを躊躇ってしまうのは、心が弱いからなのだろうか。

 

「マックちゃん、最近ボーっとしてること多いけど本当に何かあったの?」

 

「うぇ!? い、いえ、私が決して何かあったというわけではなく、どちらかと言うと一色さんについて気になることがあると言いますか……」

 

「わたしに? なになに、何の話?」

 

「そ、それは……」

 

 物理的に距離を縮めてくる一色さんに一歩引いてしまう。

 仕方がない、白状してしまおう。ここで逃げても何の解決にも解消にもならない。

 

 決意を固め、一色さんへと向き直ると、

 

 

「きゃぁぁ!?」

 

 

 私でも一色さんでもない女性の声が河川敷に響く。

 悲鳴の発生源は後方。何事かと思い振り返ると、真横を物凄いスピードでバイクが走っていった。反応しきれなかったため先に女性の方を確認すると、その方は地に倒れ伏していた。

 この状況を見るに、想定されることは二つ。ひき逃げ、あるいは……

 

「ひったくりー!」

 

「ッ、一色さん、荷物お願いします!」

 

「ちょちょ、マックちゃん!?」

 

 女性の声を聞き、両手を塞いでいた荷物を放り投げて例のバイクを追う。

 撮影技術が発達したこの世の中でこんな古典的な窃盗をする人がいるとは思わなかった。そのため、反応するのに遅れが出てしまう。

 

 本当ならナンバープレートの数字を暗記したりそのバイクに乗っている輩を撮影した方が効率が良いのかもしれない。けれど、そのどちらもが不安要素が大きすぎる。だったら走った方が幾分良い。

 

 恐らく、盗まれたのは肩にかけてあるあのバッグ。

 ターゲットを絞り、全速力で河川敷の一本道を駆ける。

 

 しかし

 

「くっ……速い……ッ!」

 

 明らかに法定速度を超えているであろうそのバイクは、追う私との距離を縮めさせてくれない。

 スタミナには自信があるが、こうなるとジリ貧だ。全速力で走っているため、追える時間はそう長くない。

 

 脚が勝手に動いて始まった追いかけっこ。虚しくも文明の利器に圧倒され、限界が近づいてくる。

 ウマ娘が人間に敵うはずがないと断言できるのは、互いに生身であるという前提条件があるからだ。道具を使った状態の人間は、場合によってはウマ娘をも圧倒する。

 

 息が苦しくなってきた。テイオーと争ったレースほどではないにしろ、それに匹敵する寸前のスピードは出していると思う。

 それでも追いつけない。もうこれ以上続けるのは愚行なのか。

 

 

 

 諦めかけたその時、突如として風が吹く。

 

 

 

 その風は自然に発生したものではなく、何者かが私以上のスピードで駆け抜けて発生したものだと遅れて気がついた。

 

 

「そいっ!」

 

「な、ぐはっ!?」

 

 

 その人物は瞬く間にバイクとの距離を詰め飛びかかり、ヘルメットで分からなかったが声からして男性らしき犯人を捉える。

 

「ぐっ、離せこのクソアマ!」

 

 腕を振り払う男の一撃を華麗にかわし、綺麗な亜麻色の髪がひらりと舞う。

 そして今度こそ完全に拘束すると、亜麻色の髪をした女性は素手で男の被っているヘルメットをかち割った。ヘルメット越しとはいえ、衝撃は相当なものだろう。

 

 

「かはっ……」

 

「うるさい、耳が腐ります」

 

 

 そう言い放ち、強烈なデコピンで男を撃沈させる。

 

 

 声と容姿からして、彼女はおそらく一色さんのはずだ。ここ最近行動を共にしてきたのだから、見間違えるはずがない。

 ただ、ある一点がその認識にフィルターをかけてしまっている。

 

 

「あなたのような屑には、過酷な地下労働がお似合いです」

 

 

 気絶して声も聞こえていないであろう男に、無表情で厳しい言葉をかける一色さんと思しき女性。

 

 

 彼女の頭部には、普段被っている帽子ではなく、ウマ娘特有の"耳"が露わになっていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あっけなく捕らえられた窃盗の犯人を警察に届け、被害にあった女性に腕が引きちぎられるほどの勢いで感謝された後のこと。

 全力疾走で疲労も困憊しているため、先程よりさらにゆっくりのペースで学園への道を歩む。

 

 既に日は暮れており、一等星が夜空に散りばめられている。

 念のため外泊届けを出しておいてよかった。出してなかったとしても、事情を説明すればフジ先輩なら分かってくれるとは思うが。

 

「今日は色々ありましたわね」

 

「そだね〜、っても最後のが印象強すぎるんだけどさ」

 

 緩くそう答える一色さんは犯人を捕まえる時と違い、何事もなかったかのように帽子を被っている。

 先程のような例外を除いて、彼女は常に耳を隠している様子だ。

 そのため触れていい話なのかどうか一瞬躊躇したが、聞かないわけにもいかない。

 

 人気が多いわけでも少ないわけでもないこの場所。自然な形で一色さんに問いかける。

 

「……どうして黙っていたんですの」

 

「やっぱり無かったことにできない?」

 

「無理がありますわね。そんな素振りすら見せてくださりませんでしたもの」

 

 主語を入れてない質問だったが、一色さんは私の意図を理解しているようだ。このことから、彼女は意図的にウマ娘であることを隠しているのが伺える。

 一色さんは誰にも言わないでねという文言を添えて話し出す。

 

「別に黙ってたわけじゃないよ。誰にも聞かれなかったから言わなかっただけ」

 

「またそんなトレーナーさんみたいな屁理屈を……」

 

「おっとマックちゃん、それは訂正してほしいな。わたしあんなんじゃないよ」

 

 あんなんて。悔しいけど、彼と一色さんが似通っていることは認めざるを得ない。

 真顔で私の言葉を真っ向から否定した後、彼女は一つ咳払いをして語り始める。

 

「……マックちゃんのトレーナー……せんぱいはさ、ちょろいように見えて実は結構ガード固いんだよね。それがウマ娘に対しては特に顕著」

 

 それに関しては概ね同意。常日頃その問題に悩まされている。

 あまり思い出したくない記憶ではあるが、以前高知県に夏合宿に行った時、タオル一枚の状態でトレーナーさんを押し倒したことがある。

 その時の彼はと言えば、これと言って男性らしい様子を見せることなく、スカイさんの邪魔が入る直前まで抵抗を続けていた。

 少しくらい恥じらいを見せてくれたっていいのではないかと思ったが、あの時恥じらいを見せるべきなのは私なので何も言えない。本当にすみませんでした。

 

「あの人はウマ娘に対して凄く真っ直ぐなんだよ。でも、だからこそウマ娘をそういう目で見てない。対象外って言ったらいいのかな? ほんと、面倒な人だよね」

 

 苦笑しながら一色さんはトレーナーさんの陰口を叩く。

 ここまで来たら、今の陰口が好意の裏返しだということを分からない人はいない。

 

「一色さん」

 

「ん、な〜に?」

 

 改めて一色さんに向き直り、聞けなかった問いを彼女に投げかける。

 

 

「貴方は……トレーナーさんのことをどう思っていますの?」

 

「好きだよ。誰にも負けないくらい」

 

 

 即答、まるで私の質問が分かっていたかのような早さだ。ここでその好きの意味を追求するのは野暮だろう。

 

 一色さんがトレーナーさんのことを好きだと発言したため、自分の恋愛計画に揺らぎが生じる。

 でもさほど悪い気分ではない。それはきっと、この一日で彼女のことを多少なりとも理解したから。いっそ清々しい気分だ。

 

 トレーナーさんと一色さんは長い付き合い、彼女はその最中に惚れたのだろうか。

 

 一抹の好奇心が、心の中の悪魔を唆す。

 

「どうして、トレーナーさんのことを好きなんですの?」

 

「え〜……色々あるんだけどね、一番はやっぱり似てたからかな」

 

「似てた? 一体どなたに……」

 

「わたしのトレーナー」

 

「っ……!」

 

 そうだった、直前に判明した事実を失念していた。

 彼女だってウマ娘。過去にトレーナーが付いていたという事実があってもおかしくない。

 

 でも、トレーナーさんが一色さんのトレーナーに似ているという話であれば、彼を好きになる理由はないはずだ。

 身も蓋もないことを言えば、彼女は彼女のトレーナーを追いかけるべきであって──

 

「いないの、もう」

 

「……え?」

 

 自然に思考を読まれたことを気にする間も無く、脳が混乱してしまう。いないって……

 

「急な事故だったよ。信号守らない危険運転する屑の餌食になっちゃってさ。それもかなりのスピード、ひとたまりもなかった」

 

 続く彼女の一言によって全てを察した。

 いないとは、"もうこの世にいない"ということか。空を見上げ星を眺める一色さんを見て、そう確信した。

 

「……すみません」

 

「あっ、いいのいいの! わたしが勝手に話したことなんだから気にしないで! むしろ聞いてほしいまである!」

 

 笑っておどけてみせる一色さんだが、それによってより申し訳ないという気持ちが強まった。

 

 

 本当に大切なものは、失ってから初めて気がつく。

 

 

 彼女はそれを最悪の形で体験したのだ。私なんかが踏み入っていい話ではなかったと、心底後悔する。

 

「わたし、トレーナーに一度も感謝を伝えられなかったの。今と違って尖ってたし言うことも聞かないしで苦労させてたよ」

 

 道理で彼女はスポーツ店で陰りを見せたわけだ。ウマ娘とトレーナーの良好な関係に固執する理由が分かった。

 

「レースで負けが続いて、さらにその上トレーナーまで永遠に失ったとなると、その時は流石のわたしも喉にご飯が通らなかったなぁ。しばらく部屋に塞ぎ込んじゃったし、友達と呼べる友達もいなかったしで一人ぼっちだった」

 

 私もレースで連敗したことはある。その時の悔しさは今でも忘れない。

 そこから立ち上がることができたのはトレーナーさんとライバル達のおかげだ。皆がいなければ私は天皇賞の連覇を果たせなかった。

 少なくとも自分は、過去も未来も孤独なまま走り続けることはできない。

 

「そんな時せんぱいと出会ったんだ」

 

「トレーナーさんと?」

 

「うん、あれはインターンだったのかな? 燻って授業サボってた時、学園内で急に他校の男子生徒に話しかけられたからびっくりしたよ」

 

 一色さんはけらけら笑っているが、私にとってこれは衝撃の事実。まさか学生の頃から交流があったとは思いもよらなかった。

 

「これがわたしとせんぱいの出会いの話。あの人は覚えてないだろうけどね。なんたって、わたしがトレーナーになって挨拶しに行ったら、はじめましてって言われちゃったもん」

 

 よし、しばこう。恋敵とはいえそれは可哀想すぎる。

 

「最初はなんだこの人って思ったけど、覚えてないおかげでわたしにもチャンスがある。ウマ娘だって知ったら、きっとせんぱいは同じ目でわたしを見てくれない」

 

「そんなこと……ッ!」

 

 ない。そう言い切ることができなかった。

 

 そうか、一色さんがウマ娘であることを隠していた理由は、トレーナーさんと対等に並びたかったから。

 ウマ娘に対して頭の堅いあの方の隣に立てるかもしれなかったから。

 

 しかし……

 

「……貴方のやり方では問題の先延ばしにしかなりません。今は隠せていても、いずれはバレます。だったら早いうちにでも──」

 

「そんなこと言っていいの? わたしに塩を送るかもしれないんだよ?」

 

「それでもです」

 

「あら強気。まぁ、マックちゃんの言うことはごもっともなんだけどね。ネタバラシするなら早い方がいい、でもわたしはこのぬるま湯みたいな関係が好きなんだ」

 

 並んで歩いていた一色さんは一歩前に出て私と対面する。

 

「どれだけ時間を使ってもいい。わたしはわたしのやり方でせんぱいを手に入れてみせる!」

 

 そう力強く宣言した一色さんの目は輝いていた。人間として見るか、それともウマ娘として見るか。それによって彼女の印象はころっと変わる。

 

「……今のは宣戦布告と捉えてもよろしくて?」

 

「もちろんそのつもりだよ、せんぱい大好きのマックちゃん」

 

 そうして静かに火花を散らしていたが、それも束の間、この雰囲気に耐え切ることが出来ずについ吹き出してしまった。それは私だけでなく一色さんも同様のこと。

 ひとしきり笑った私達はようやく帰路につくことを決意し、再び並んで歩き出す。

 

「そういえば、一色さんが燻っていたと仰られる時トレーナーさんとどのようなお話をされたのですか?」

 

「お、気になっちゃう? 気になっちゃうよね?」

 

「ええ、当然。その当時のトレーナーさんがどのような方だったのかも気になりますわね」

 

「ようし、お姉さんにまっかせなさ〜い! ええとまずは……」

 

「ですが、気になることはそれだけではありませんのよ?」

 

 一色さんが勢いよく話し始めようとしたところに急ブレーキをかける。

 まるで漫画のように転倒する彼女だが、ウマ娘と分かったので遠慮はしない。自分の脚で立ち上がりなさい。

 

「いてて……もう、なに、他に気になることって」

 

「そんなの決まってますわよ」

 

 年甲斐もなく不機嫌さを隠さない一色さんについ苦笑してしまう。やはり彼女は子供っぽいところがあるなと感じる。

 

「一色さん、貴方の現役時代の話も含めて話してくださると嬉しいですわね」

 

「……それじゃ、まずは同期の話からしないとね。わたしね、皐月賞とダービーで両方二着だったんだ。一着は両方同じ娘でさぁ。その娘の生涯成績10戦10勝だよ? おかしくない? 名前は──」

 

 

 その後もトレーナー寮までゆっくりと歩みを進める。

 

 

 お腹を空かせて待ちぼうけをくらってたスカイさんに拗ねられ、肝心の食材を買い忘れたのを思い出しUmar Eatsに頼ったのは別のお話。

 

 

 





トレーナーと一色さんの過去編は今後やるかもしれないしやらないかもしれないしやらないかもしれない。


ここでアップデートされた一色さんのプロフィールをどうぞ


・一色星羅(いっしきせいら)

セイウンスカイ担当のトレーナー
身長160cm、体重◯◯kg
亜麻色の髪をしたロングボブと、常に着用している帽子が特徴的な若い女性。
駿川たづなとはよく話す仲で、たまに飲みにも行っている。アグネスデジタルとも気が合う。
趣味はショッピングとアニメ鑑賞。
好きな食べ物はお寿司と人参。




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とある日の休息に

 

 

「……知らない天井だ」

 

 これを言い始めて早一週間と少しが経つ。つまり知らない天井なわけないのだが、言わねばならない使命感に駆られ毎朝エヴァンゲリオンのパイロットごっこをしている。流石にそろそろ飽きてきた。

 

 時刻を確認するため身体を起こすと、時計の針は6の英数字を指していた。フランスは日本より約七時間遅れているため、向こうはもうすぐしたらおやつの時間かなと考えてしまう。マックイーンはスイーツを暴食していないだろうかという不安が残りつつも、ストッパーとして一色がいるのだし大丈夫だろうと現実に目を背け掛け布団を払い除ける。

 

「……さむ」

 

 八月末という日本だったらまだまだ猛暑日が続くこの時期。当たり前だが日本とフランスの気候が全く一緒なわけがない。

 平均気温は20°ほどだが、陽射しが強いため気温以上に暑い。とはいえ湿度が低いため朝晩は涼しく、あまりにも薄着だと風邪を引いてしまう可能性もある。この地に一週間強滞在しているとはいえ、この気候に慣れるのはもう少し時間がかかりそうだ。

 

 寝巻用のジャージから普段着に着替え、薄めの長袖を羽織って部屋を出る。

 

 お前はどこに寝泊まりしているんだという疑問が聞こえてきそうなのでここで答えておこう。

 今僕達は、フランスにある遠征ウマ娘並びにそのトレーナー専用のトレセン学園を圧縮したような場所にいる。寮にターフと言った最低限の施設が揃っているが、圧縮というだけあってその土地の広さはトレセン学園と比にならないくらい狭い。利用者が凄く多いというわけでもない上に、他国のウマ娘用のも作らなければならないということでこのくらいの広さが妥当だとは思いつつも、どこか物足りなさを感じてしまう。

 

 まあ贅沢も言ってられない。こうして日本のウマ娘、そして日本人用にこのような施設を作ってくれているだけ感謝しなくてはならないな。

 

「トレーナーさん、おはようございますっ!」

 

 朝食を取ろうと食堂に向かおうとしたところ、その道中にダイヤと偶然合流する。笑顔で挨拶をする彼女の服装は、日本から持ち込んだのか、素人の僕でも分かるようなお洒落なものだった。

 

「おはよう、ダイヤ。今日は朝練も無いのに随分と早いんだな」

 

「はい、今日はトレーナーさんと"デート"の日ですから」

 

 わざわざデートを強調して言うあたり、そう言ったことに憧れを持っているのだろうか。ダイヤも年頃の女の子だ、つい先日父性を味わったばかりなだけになんだか微笑ましく思えてしまう。

 にしても、今日はダイヤと出かける約束だったか。いや、忘れてたわけではない。ほんとだよ? 

 

 食堂に着き、いつものパンとコーヒーのセットを注文して席に座る。

 

「そうだったそうだった、今日は君と出かける約束だったね。して、行きたいところとは決まってるのか?」

 

 対面に座るダイヤは、少し困った顔をして笑みを浮かべる。

 

「私が誘っておいてなんですけど、実は行き先とかは決めていなくて。行きたいところがあるのかと聞かれましても、有名所はほとんど行ったことありますし……」

 

 君もかよ。

 この子もこの子で超が付くほどのお嬢様。フランスだけでなく、様々な国の観光名所に行ったことがあるのだろう。

 

 渡航前にマックイーンにも似たようなことを言われたなと思いながら細々とパンを齧る。

 

「行きたいところというのは特にないですけど、実はやってみたいことはありまして」

 

「んぁ、マジで?」

 

「はい。私、特に目的もなくパリの街並みを散策したいなと思ってるんです」

 

「特に目的なく? 多分それだとイベントらしいイベントも何も起こらないと思うけど……そんなんでいいのか?」

 

「それがいいんです」

 

 ダイヤらしい……らしいのか? 僕だってなんの目的もなくダラダラ行動するのは嫌いではないが、ダイヤがそういったことを言うのはなんだか新鮮に思えた。

 ともかく、彼女がそうしたいって言うならそれに従うべきだ。拒否権は……ちょっとはあると思いたいが多分ほとんどない。

 

「それと、フランスにまつわるジンクスというのも確認しておきたいですし」

 

 ああ、それはダイヤらしい。きっとこの日のためにいくつかジンクスを調べたのだろう、彼女はそれらを破ろうとやる気満々だ。

 

 メロスにはデートが分からぬと言うのも過言では無いほど異性との付き合いが無い自分にとって今日のことは多少なりとも不安であったが、ダイヤに付き従うだけでいいと考えると楽ちんだなと思ってしまう。散歩だろうがジンクス破りだろうがドンと来いってもんだ。随分と楽しみにしていたようだし、今日は思う存分付き合ってやろう。

 

「では手始めに、フランスパンを逆さに置いたら不幸が訪れるというジンクスを……」

 

「うん、それはほどほどにね? マナーも悪いしさ」

 

 秒で諭され項垂れながらフランスパンを戻すダイヤ。出鼻を挫いたのは申し訳ないが、食べ物で遊ぶ系は見過ごすことができない。

 注意云々の前にフランスパンを逆さに置いてしまっていたので今後不幸が訪れる可能性があるが、なぁに、こっちにはジンクスブレイカーのサトノダイヤモンドがいるんだ。ちょっとやそっとのことでは問題ないだろう。

 

 そう考えた瞬間、ポケットに入れていたスマホから着信音が鳴る。なんだこの朝っぱらからと思ったが、表示されていたのは一色という名前。日本は今昼頃なため、この時間帯に連絡が入っても不思議ではない。

 マックイーンに関して何かあったのか、もしくは何か練習メニューに不備があったのかと考え、一色からの連絡を恐る恐る確認すると……

 

 

『今日せんぱいの部屋に行っちゃいますね(≧∇≦)』

 

 

 との内容とふざけた絵文字が……は? 

 

 

「ト、トレーナーさん? 急に席を立ち上がったりしてどうしたんですか?」

 

「……少し想定外のことが起きてね。ダイヤが気にするようなことじゃないよ」

 

「は、はぁ……」

 

 部屋に来るなら連絡しろとは言ったけど、僕がいない時に行くのはおかしいだろ。もしかして初めからこれが狙いか? あの時合鍵を渡した時から嵌められてたってこと? 

 

 落ち着きを取り戻すためにドカッと椅子に座り頭を抱える。

 スマホを地面に叩きつけなかった僕を誰か褒めて欲しい。もしここに人がいなかったら思い切り机をぶっ叩いて世界台パン選手権一位の称号を獲得していたところだ。

 

 早速不幸が訪れたことに朝からげんなりしつつも、今更焦っても仕方がないし部屋を見られて困ることなんてないので、日本に帰ったらどんな仕返しをしてやろうかと考えながら返信する。

 

 

『好きにすればいいけど、変なところ触るなよ』

 

 

 その日の夜になるまで既読は付かなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 結論から言おう。このデート、特にこれと言って何も無かった。

 

 何も……

 

 ……あれぇ? おかしい、ほんとにおかしい。世間一般的にデートと言ったら、男女がキャッキャウフフな関係を周囲に見せつけるといった奇習のようなものではないのか? 驚くほどにそういった展開は無かったぞ。いや、トレーナーという立場である以上、ダイヤとそういうことをするのはまずいため、あったらあったでそれは困るんだけどさ。

 一緒に外で遊んで、一緒にご飯食べて、一緒に観光して……うん、これ家族で行くピクニックだわ。

 

「は〜、楽しかったです!」

 

「そ、そうね……」

 

 夕暮れ時、赤く染まった空を見上げ、疲れ気味の身体に鞭を打つ。思う存分付き合ってやろうというのはなんだったのか、既に体中が悲鳴を上げていた。幸いにも脳は活性化しているため、今日一日の出来事を思い返す。

 

 朝食を摂った後少ししてから寮を出て、そこからノートルダム大聖堂やエッフェル塔などの歴史的建造物といった有名観光地を回った。

 ちなみに、ルーヴル美術館やオルセー美術館と言った美術系のところは行っていない。行ったところで盛り上がるわけでもなく、自分の拙い語彙力では「絵うま」くらいの感想しか出てこないため、僅かな拒否権を行使して回避した。

 

 その間、本当に本当の何も無かったのかって? 無かったね。せいぜい昼食時にダイヤが見たこともないような顔をしながらエスカルゴを食べていたり、屋内で傘を広げたら不幸になるというジンクスを実行して周りから変な目で見られたり、橋の下をくぐると不幸が訪れると言われわざわざくぐりに行ったくらいだ。正直縁起の悪いことはしたくなかったのだが、やる気満々だった彼女を抑える手段は持っていなかった。どうか不幸が訪れませんように。

 

 ようやく一息つくことができ、テレビでよく見る凱旋門へと続くシャンゼリゼ通りを歩く。恥ずかしながら、パリの街を歩くのは初めてだったので、何かを詳しく語れるほどの経験を有していなかったことを告白しておこう。一応フランス語は多少なり話すことができるものの、自分のフランスについての知識なんて学生時代の世界史程度のものだ。蘊蓄レベルにしかならないそんな話、デートで披露しても何も面白くないことくらい素人の僕でも知っていた。

 

 耳をピクピクと動かして見るからに上機嫌で隣を歩くダイヤを横目に見る。彼女はこれをデートと称していたが、先述の通り、自分は今日デートらしいことをしてあげられていたとは思えない。何か……何か彼女の喜ぶようなことをしてあげられたらと、そう思っているのだが……

 

「そういえば、トレーナーさんって異性の方とデートをしたことあるんですか?」

 

「あ、あああ、あるし! 僕だって昔は女の子と仲良く……」

 

「本当は?」

 

「さーせん、ないっす」

 

 とりあえずプライドは捨てよう。これ以上抵抗しても虚しくなるだけだ。

 ちなみに、四月末辺りに一色がお家デートと宣って家に突撃してきたのはノーカンとしておこう。あれは含めてはいけない、含めたくない。

 

「そうなんですか? なら良かったです」

 

「……え? 喧嘩売ってる?」

 

 降参の声を聞くや否や、笑顔でそんな煽りのような言葉を発するダイヤ。一色じゃあるまいし、彼女の誰かを小バカにするような発言に耳を疑った。

 

「ち、違います! 私はただトレーナーさんと初めてを経験できたことが嬉しくて……」

 

「言い方。その発言、捉え方によってはそれ僕犯罪者になっちゃってるから」

 

「……トレーナーさんは私との初めて、気持ちよくなかったんですか?」

 

「わざとだよね? 絶対わざと言ってるよね!?」

 

 マックイーン然りシンボリルドルフ然り、ウマ娘に対して下手に出てしまう性格故かどうしてもこういった場面で手玉に取られてしまう。渡航直前の発言が気にならないくらいの過去一の爆弾発言をかましたダイヤは、何も気にすることなくクスクスと笑っている。いや、あーたそれ華の女の子がしていい発言じゃないから……

 

 日本に帰ったらサトノグループに殺されるのかなと思い頭を抱える。デートらしいことをしてあげようと考えていたのがなんだかバカらしく思えてきた。

 真横を歩くのは、苦悶の表情を浮かべる僕を見て実に楽しそうな表情を浮かべるウマ娘が一人。時間的にもそろそろ帰らなければならない。だったら、最後に訪れる場所は一つしかないだろう。

 

「よし、ダイヤ、今日はあそこに行って締めにしようか」

 

「……? あそことはどこのことですか?」

 

「それは行ってからのお楽しみ。ほら、もたもたしてると日が暮れるぞ!」

 

「ト、トレーナーさん!?」

 

 動揺するダイヤの手を掴み、眼前に聳え立つ凱旋門をくぐってバス停へと向かう──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……」

 

「せっかく決戦の地にやってきたってのに、まだここには来てなかったからね。いい機会だと思ったんだ」

 

「すごく綺麗です……」

 

 バスを降り暫く歩いた後目的地に到着する。その光景を見て、ダイヤは感嘆の声を漏らす。

 

 パリロンシャンレース場。前哨戦であるフォワ賞、そして本命の凱旋門賞が開催される、多くのウマ娘にとって憧れの地でもある場所だ。

 パリ西のセーヌ川沿いに位置し、ブローニュの森という森林公園の中にあることから世界一美しいレース場と言われている。自分としてもここを訪れるのは初めてであったため、ダイヤと似たような感想を抱いた。

 

「トレーナーさん」

 

「ん、なんだい?」

 

 対面するダイヤは、キュッと僕の手を握る。

 

「私、勝ちます。例え今日のジンクスで不幸が訪れようと、日本のウマ娘は勝てないというジンクスに見舞われようとも、この脚で、必ず世界一になってみせます!」

 

 世界一とは、これまた大きく出たな。だが、嫌いじゃない。誰だって一度は憧れるその言葉、僕とてそれは例外ではない。

 トレーナーはウマ娘に夢を見る。世界一というのがいかに困難で、いかに至難の業であるかは、トレーナーどころか本人であるウマ娘も理解しているはずだ。それだけ彼女が本気だということがひしひしと伝わってくる。

 

 担当ウマ娘に、夢を賭けないトレーナーはいない。過去も今も、そしてこれからも。

 

「僕は君を信じてる。だから……一緒に掴むぞ、世界のてっぺん!」

 

「っ……! はいっ!」

 

「うおっ!?」

 

 感極まったのか、ダイヤは僕に飛び込んできた。ウマ娘のそれはかなりの衝撃とはいえ、ここでへばってはトレーナーとしての威厳が廃る。意地と根性、そして僅かな男気で彼女を受け止め切ることに成功した。威厳なんて元々無いか、無いな。

 

 そうこうしていると、ふと思った。今の状況、かなりまずいのでは? ダイヤを受け止め切ることに意識が集中していたため気にしていなかったが、ここにいるのは挙動不審な男とそれに抱きつくウマ娘。自分がトレーナーだと話せばなんとか豚箱にぶち込まれることはないだろうけれど、少しでもフランスのポリスにお世話になるようなことは避けたい。

 

「ダ、ダイヤさん? ちょっとこれは絵面的にもまずいので離れていただけたらなーと……」

 

「もう少し……もう少しだけお願いします……」

 

「もう少しって……いや、この状況誰かに見られたら捕まる可能性も……」

 

「誰も見てないから大丈夫ですよ。だから、今は私だけのものになっていてください」

 

 おっと、そろそろジョークでは済まされないレベルになってきた。先程まではギリギリ冗談混じりに半笑いで受け答えできていたが、これはもうアウトだろう。

 通報されなければ警察は来ない。そう信じ周りを見回すが、離れた場所で知らないおばちゃんが生暖かい目で見ていたので諦めた。むしろ周りを見回したことで挙動不審感が増したのではないか。何も大丈夫じゃなくなった。

 

「……やっぱりトレーナーさんの側にいると落ち着きますね」

 

 僕の胸あたりに顔を押しつけてくるダイヤに抵抗することができず、なす術なく彼女のいいようにされてしまっている。彼女を強制的に引き剥がす手段はなくは無いけれど、それをしてしまっていいような雰囲気でないことを本能で悟った。

 

 仕方がない。もう少しだけ彼女の希望に沿うとしよう。

 

 戸惑いと気恥ずかしさに苛まれながら、手持ち無沙汰になっている手を彼女の頭に伸ばしかける。

 

 

 刹那、目の前を黒猫が通り過ぎていった。

 

 

 それにより一瞬怯んでしまい、伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。

 

「トレーナーさん……?」

 

「え……ああ、いや、なんでもない」

 

 撫でられる気でいたダイヤは、手を引かれたことにより不思議そうな顔をしている。抱きついている状態のダイヤからは先程の黒猫の姿は見えない。

 咄嗟に"なんでもない"と言ってしまったのは、僕でも知っているような有名なジンクスが今目の前で起こったから。普段ならその程度のことが起きても知らんぷりをするのだが、どうにも気にし出すと嫌な予感は止まらない。

 

 活気づけるために来たはずだったのに、人知れず謎の不安感を植え付けられたままパリロンシャンレース場を後にした。

 

 






明日番外編を投稿します。



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番外編:The Princess of Tennis



番外編です。完全に私の趣味なので読まなくていいです。




 

 

 

 眼前の光景に目を疑う。敵情視察ではないが、見た方がいいとの助言もあってライバルの様子を見ておこうと軽い気持ちで覗いた試合は、なんとも一方的なものだった。

 

 粘ってボールを返せど返せどコースを読まれているかのように打ち返され、攻めに転じたらそれを利用され逆に攻められ、挙句の果てには反応すらさせてもらえない速攻をも見せつけられる。

 

 普段自分のことを無敵と称し、天才肌でどんなことでも華麗にこなす彼女が

 

 持ち前の明るさで周りをも明るくし、どんなことにもお祭り騒ぎで対応する彼女が

 

「ゲームセットアンドマッチ! ウォンバイ──」

 

 絶望の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「球技大会?」

 

 午後の穏やかな昼下がり。トレーナー室の窓越しに差し込んでくる初夏の日射しに当てられているトレーナーさんは、一枚のプリントを手渡されその単語を今一度復唱する。

 

「はい。もうすぐ生徒会主催で球技大会が行われるんです。それも優勝者には豪華賞品付きらしいですよ」

 

 そのプリントを手渡した本人であるダイヤさんの声は心なしか弾んでいるように思える。純粋に球技大会が楽しみなのか、それとも豪華賞品とやらが楽しみなのか。恐らく彼女のことだから前者だろう。

 

「ほーん、結構気合入ってるな。聖蹄祭以外でそういったことやるのは珍しいし、普段走ってばかりだからたまにはいいんじゃないか。僕は外野で応援してるから」

 

「トレーナーさんも挑戦してみてはいかがですか? 一応規定によればトレーナーの方々も出場可能みたいですよ?」

 

「アホ言うんじゃない、誰がウマ娘に混じって運動なんかするか。ワンチャン死人が出るぞ」

 

 トレーナーさんはダイヤさんの提案を全力で拒否する。でも、その気持ちは分からなくもない。走力にしても、跳躍力にしても、筋力しても、身体能力という面で言えばどこをとっても人間がウマ娘に勝てる要素なんてないのだから。

 

「それで、球技大会って言っても種目は何があるんだ?」

 

「五つある種目のうちから一つを選んで出場するみたいですね。バスケットボール、フットサル、テニス、卓球、そして野球」

 

「へー……その中だったら、マックイーンは確実に野球だろうね」

 

「……そのはずだったのですけど……」

 

 ダイヤさんは言いにくそうに小声でトレーナーさんに説明を始める。

 

 先程ダイヤさんが仰っていたように、この球技大会は五つの種目の中から一種目を選んで参加することができる。しかし、当たり前だが定員の数は無限ではない。

 

 もちろん、私は迷うことなく野球を第一希望に書いた。それに対する想いの強さは誰にも負けるつもりはない。

 とはいえ、その想いが反映されるかと言われたら答えは否。厳正なる抽選の結果、見事に野球参加者から落とされてしまったというわけだ。

 

 一連の流れを説明し終えたのか、トレーナーさんはなんとも言えないような声を漏らす。

 

「道理でさっきからずっとソファの上でうつ伏せになってるわけか。おもしろ……ああいや、可哀想に。おーい、マックイーン、生きてるかー? たるんどるぞー?」

 

「……笑いたければ笑えば良いではないですか。どうせ私は敗北者です」

 

「……ふっ」

 

「本当に笑いましたわね!? しかも鼻で!? いいでしょう表に出なさい! 貴方をバットにして千本ノックしてやりますわ!」

 

 ソファから飛び起き狙いをトレーナーさんに合わせると、彼は身の危険を感じたようで即座にダイヤさんを盾にして身を守る。プライドとか無いんですの? 

 

「マックイーンさん、それはトレーナーさんが可哀想ですよ……」

 

「貴方も貴方でこの状況を受け入れてるんじゃないですわよ! とりあえず、その縮こまったトレーナーさんの頭を撫でるのをやめなさい!」

 

 頼られたのが嬉しかったのか、まるで赤子を扱うかのように怯えるトレーナーさんをあやすダイヤさん。自分の身を守ることで必死なトレーナーさんはようやく自分がどういう立場に置かれているか理解したようで、すっと立ち上がり一つ咳払いをする。

 その際、ダイヤさんが名残惜しそうな顔をしていたのはもう放っておこう。

 

「希望が通らなかったのは残念だろうけど、そこでいかに早く切り替えるかが大事だと僕は思うよ」

 

「貴方は切は切り替えが早すぎるのでは……?」

 

 この男、さっきまでの醜態を無かったことにしている。半目で睨みつけていると、とうとう彼は目を逸らした。

 

「どころで、野球に参加できないとなると、マックイーンさんはどの競技に参加されるのですか?」

 

「それ僕も気になってた。この場合だと第二希望になるのかな」

 

 話は変わり、トレーナーさんとダイヤさんは私が参加する競技へと興味を示す。最初は野球でなければなんでもいいと思っていたのだが、とある項目を見てからそうもいかなくなった。

 

「ダイヤさん、先程貴方は"豪華賞品付き"と仰っていましたね?」

 

「え? は、はい、言いましたけど……」

 

「トレーナーさん、その球技大会についてのプリントをよく読んでみてください」

 

「お、おう、ええっと……『尚、大会のルールとしてフットサル中にふっと去るのは禁止とする』……なにこれ、ふざてんの?」

 

「どうしてそんなところを読むんですの!? 今の流れからして豪華賞品の所でしょう!?」

 

 というかこのプリント、絶対ルドルフ会長が作っていますわね。よくこれでOKが出たものですわ。

 

「トレーナーさん、ここもだじゃれというものではないですか?」

 

「なになに……『テニスコートが定休日の場合は使用を控えるように』。ほう、"定休"と"庭球"を掛けたのか。これは芸術点が高い、よく見つけたな、ダイヤ」

 

「えへへ」

 

「えへへ、ではありませんって! いい加減駄洒落から離れてくださいまし!」

 

「「はーい」」

 

 この二人、放っておいたらどこまでもボケ倒し続けてるのではないだろうか。やはりこのチームの最後の良心は私ということを認識する。

 

「気を取り直して、なになに……チーム戦のバスケとフットサルと野球の優勝賞品は焼肉食べ放題、卓球は寿司でテニスは……なるほど、そういうこと。ベタというか単純というか、こりゃ大変だな」

 

 プリントを最後まで読んだトレーナーさんはやれやれと苦笑いを浮かべる。優勝賞品までもは確認していなかったダイヤさんは不思議そうな顔をしていたが、プリントの内容を見るや否や納得の表情をする。

 

 甚だ野球の希望が通らなかったのは残念ではあるが、私とて無策で第二希望の競技を選んだわけではない。

 

「私はこのテニスで、優勝賞品の『スイーツ食べ放題』の権利を必ず勝ち取ってみせますわ!」

 

 

 

 

 と、いうのが二週間前の話。日が経つのは早いもので、今日は例の球技大会の日だ。

 

 流石のトレセン学園といえどもテニスコートは存在しない。あったら逆に怖い。そのため、学園外の施設を貸し切って使用しており、多くのウマ娘が溢れかえる事態となっている。

 

 せめてもの救いは、他の種目より人数が少ないところでしょうか。ほとんどの方はチーム戦を主とする野球やフットサル、バスケットボールなどに散ってしまっている。その分、私達が優勝できる可能性が高まるので良いのですけど。

 

「あ、マックイーン! おーい!」

 

 優勝商品であるスイーツのことを考えていると、背後から元気な声が私を呼び思わず振り返る。

 

「テイオー……! もしかして貴方もテニスに?」

 

「うん、そうだよ。本当は別の種目を希望してたんだけど、抽選が外れちゃって。本当はバスケがしたかったんだけどさ」

 

 貴方もですか。

 

 たははと苦笑いを浮かべるテイオーになんだか同情してしまう。

 

「そうだ、マックイーンはシングルスとダブルスどっちに出るの? ボクはキタちゃんとダブルスにでるんだけど」

 

「私もダイヤさんとダブルスに出場しますわ」

 

「……と、いうことは、また勝負になりそうだね」

 

「せいぜい決勝まで上がってきてくださいまし」

 

「それはこっちのセリフだよ♪」

 

 軽口を交わし、テイオーはこの場を後にする。それと同時にこの球技大会、優勝するのが簡単ではないことを悟った。

 

 テニスに関しては多少嗜んだことはあるものの、それだけで楽に優勝できるかと言われたら首を縦に振ることは難しい。テイオーのような強敵が参戦すると分かった以上、難易度はさらに高くなった。

 ではどうすれば安定して勝てるようになるのか。そんなことは簡単、普段のレースで勝つため走りのトレーニングするのと同じ、テニスの特訓をすればいいだけの話。

 

 来るその日に向けて、私達はダイヤさんもといサトノグループが別個で所有するテニスコートを使わせていただき特訓を行ってきた。もちろん、首根っこを捕まえられても抵抗を続けていたトレーナーさんも一緒に。

 

 その特訓の成果を見せる時なのだが、この場にトレーナーさんがいないというのが残念だ。この球技大会は生徒主体で行われる行事であり、そこにトレーナーがわざわざ介入する必要がないのと、彼らも生徒の行事に参加するほど暇ではないとのことだ。せめて応援には来てほしかった。

 

「マックイーンさ〜ん! お待たせしました〜!」

 

 特訓に付き合わせた……ではなく、付き合っていただいたトレーナーさんのことを想っていると、ペアを組む相手であるダイヤさんがようやく到着する。少し息が上がっているところを見るに急いできたのだろうか。

 

「もう、遅いですわよ、ダイヤさん」

 

「ごめんなさい。トーナメント表が貼られていたので確認してたらこんな時間に……。そうだ、この部門にキタちゃん達も参加してるんですよ! それも順当に行けば決勝で当たるかもしれないんです!」

 

「お聞きしましたわ。ちょうど先程、テイオーに宣戦布告されたばかりですもの」

 

「ご存じでしたか、流石はマックイーンさん」

 

 ダイヤさん曰く、テイオー達とぶつかるのは決勝とのこと。シチュエーションとしては100点満点だ。先程あれだけ挑発をしておきながら、決勝までいけませんでしたなんていう結果では目も当てられない。大丈夫、あれだけ特訓したのだ。負けるわけにはいかない。

 

 それに、私にはとっておきの技がある。ウマ娘の身体能力をふんだんに活かした必殺技が。

 

『これより、一回戦の試合を行います。出場ペアはコートに入って試合を開始してください』

 

 一回戦開始のアナウンスが鳴り、何面もに渡るテニスコートにウマ娘達が続々と入っていく。

 

「トレーナーさんにも見てほしかったですね」

 

「ええ。ですが、ここで良い結果を持ち帰れば、あの方もきっと褒めてくださいますわ」

 

「ふふっ、でしたら頑張らないわけにはいかないですね」

 

 さて、私達もそろそろ行かなければならない。ラケットのグリップを握り、ガットの張りを確かめ、ダイヤさんと視線を合わせる。

 

「それではダイヤさん」

 

「はい、マックイーンさん」

 

 

「「油断せずに行きますわよ(行きましょう)」」

 

 

 

 *

 

 

 

 順調も順調、一回戦、二回戦と危なげなく勝利し、その後の試合も難なく勝利した。そのままトーナメントを勝ち上がり、早くも準決勝の舞台へと私達は立っている。

 

「マックイーンさん!」

 

「お任せください! はっ!」

 

 流れてきたボールにトップスピンの回転をかけ、前衛に立つ相手の頭上スレスレへと打ち返す。狙い通りの中ロブで前衛にボールを触らせなかったものの、それにいち早く反応した後衛の方がそのボールへと追いつく。だが無理な体勢で取ったが故に私達へのチャンスボールとなった。

 

「ダイヤさん、今です!」

 

 高く上がったボール目掛け、ダイヤさんはスマッシュの構えを取り……

 

 

 トンッ

 

 

「「……は?」」

 

 スマッシュが来ることを予期してベースラインまで下がった相手を見て、ダイヤさんは空中で体を回転させてドロップショットを打った。……いや、お上手すぎません? 思わずお相手と共に私まで声が漏れてしまったのですが。

 

「ゲ、ゲームセットアンドマッチ! ウォンバイ、メジロマックイーン、サトノダイヤモンド! 6-3!」

 

 審判のコールでようやく我に帰る。特訓時、ダイヤさんはテニスはあまりやったことないと言っていたが、この短期間であのプレーを会得するのは天才の領域としか思えない。

 

「マックイーンさん、私達勝ちましたよ!」

 

「と、とてもお上手でした。いつあんな必殺技を会得したのですか?」

 

「え? できるかな〜と思ったらできちゃいました」

 

 つまりぶっつけ本番というわけか。なんでも挑戦してみようとする彼女らしい一面を微笑ましく思いつつ、彼女の才能を末恐ろしく感じる。

 

「いや〜、負けた負けた。アタシ達もここまで来れたんだし、あわよくば決勝! って思ったんだけどねぇ」

 

「でもでも、マックイーン達のテニス、マーベラス☆ だったよね♪ 次の決勝頑張ってね★」

 

 ダイヤさんに苦笑いをしていると、この試合の対戦相手であるナイスネイチャさんとマーベラスサンデーさんが話しかけてくる。

 

「ありがとうございます、マーベラスさん。ネイチャさん達も大変お強かったですわよ」

 

「たはは、キラキラウマ娘に褒められるとなんだかアタシもキラキラしてる気がする……なんつって」

 

「ネイチャはと〜ってもマーベラス★ だったよ! マーベラース☆」

 

「マーベラース!」

 

「ちょ、やめてってマーベラス! サトノも乗らないでよ、恥ずかしいじゃん!」

 

 ネイチャさんはマーベラスさんとダイヤさんのマーベラスコールに顔を真っ赤にして二人を慌てて止めようとする。そろそろマーベラスという単語がゲシュタルト崩壊を起こしてきた。

 

「そ、それよりさ、マックイーン。そろそろもう一つの準決勝の試合終わってるんじゃない? 見に行かなくていいの?」

 

「大丈夫ですわ。テイオー達はきっと決勝に勝ち上がってくるはずですもの」

 

「でも、見てた方がいいんじゃない? アタシもテイオーが負けるとは思ってないけど、一応、ね?」

 

「む、そこまで言うのなら……。ダイヤさん、テイオー達の準決勝を見に行きますわよ!」

 

「マーベラ……あ、はい!」

 

 いつまでもダイヤさんにマーベラスと言わせ続けるわけにもいかないので、ネイチャさんの助言通りにテイオー達の準決勝が行われているコートへと足を運ぶ。

 ネイチャさんにも言ったが、テイオー達が負けるとは思えない。彼女はいつだって私の前に立ちはだかる存在だ。ライバルとして、勝ち上がってもらわなければならない。

 

「ええっと、キタちゃん達は……あ、あそこです、マックイーンさん」

 

 ダイヤさんが指差す方向には、確かにテイオーとキタサンブラックさんが試合をしていた。だが、彼女達の表情に余裕がない。少なくとも、勝っている時に焦りを見せるような顔はしないだろう。

 

 まさかとは思いスコアを確認しようとした瞬間、審判のコールが響き渡った。

 

「ゲーム、エアシャカール、ナリタタイシン。5-0!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「ゲームセットアンドマッチ! ウォンバイ、エアシャカール、ナリタタイシン。6-0!」

 

 そして話は冒頭に戻る。いつもと競技が違うとはいえ、あのテイオーがここまで無惨に敗北するとは誰が考えただろうか。あまりの衝撃にかける言葉が見当たらない。

 

 準決勝でテイオー達が負けた相手、それはエアシャカールさんとナリタタイシンさんだった。このコンビにはいつの日か私達とゲームセンターでお会いしたことがある。あの時はトレーナーさん諸共テイオーに麻雀で敗北を喫していたが、今回はその逆だ。

 

「そんな……キタちゃん達が……」

 

「……それだけシャカールさん達がお強いということですわ。それも、テイオー達が1ゲームも取れないほどに」

 

 ダイヤさんも目の前の光景が受け入れられていないらしくライバルの名を溢す。私とて未だに信じられない。でも、これが現実だ。決勝戦の相手は、テイオー達を完封したシャカールさんとタイシンさんということになる。

 

「ハッ、決勝戦の相手はやっぱりお前らだったか。オレのデータ通りだな」

 

 噂をすれば、その決勝の相手であるシャカールさんとタイシンさんがこちらへ向かってきた。彼女の発言から、どうやら私達が勝つことを予想していたようだ。

 

「悪りィがよ、優勝賞品のスイーツはオレ達が頂くぜ。脳の活性化には甘味が不可欠だからな」

 

「アタシは別にどっちでも良いんだけど……でも、負けたくないから。もちろん決勝も」

 

 それだけ言って二人は去っていく。これは宣戦布告と捉えていいのか、それとも挨拶しにきただけなのか。

 

「い、言いたいことだけ言って行っちゃいましたね……」

 

「牽制、でしょうか? どちらにせよ負けられないことには変わりません」

 

「……! そうですね、トレーナーさんにお土産話を……」

 

「スイーツのために、全力で勝ちに行きますわよ!!」

 

「……そうですね」

 

 あら? 何故かダイヤさんのテンションが急激に下がった。どうしたのでしょうか。

 

「ああ、言い忘れてた。一つ忠告しといてやる」

 

 先程まで持っていなかったはずのノートパソコンを手に、シャカールさんは私達の下へと戻ってくる。

 

「この決勝戦、お前らが負ける確率……100%だ」

 

 彼女は不敵な笑みを浮かべ、文字通りの"宣戦布告"をする。

 

 

 

 *

 

 

 

「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ、エアシャカール、サービスプレイ!!」

 

 審判のコールが響き渡り、いよいよ決勝戦が始まった。デュースサイドに私、アドバンテージサイドにダイヤさん。

 

 ここを勝てば、念願のスイーツ食べ放題の権利を獲得できる。なのに、試合前にシャカールさんに突きつけられた言葉が頭から離れない。

 私達の負ける確率が100%。単なる挑発として受け取ることは可能だが、相手はデータや統計を取り、分析が得意なシャカールさん。彼女の言葉が眉唾物だとは思えない。

 

 だめだ、思考が乱れる。せっかくここまで来たのに集中すら……

 

「ンだ? ボーッとしてンじゃ……ねェッ!」

 

「っ! くっ……」

 

 速い、反応出来なかった。

 

 そうこうしていると、シャカールさんのサーブが私の股の下を潜り抜け、いきなりサービスエースを取られてしまう。

 

「15-0!」

 

「まだまだ行くぜ……オラッ!」

 

 続くシャカールさんのサーブ。今度はダイヤさんがレシーバーだ。

 

「はっ!」

 

 彼女はしっかりと反応し、ストレートに高いロブを上げる。

 

 私も……私もしっかりしなくては……

 

 

「マックイーンさん!」

 

「っ、ダイヤさ……」

 

「いつも通りで行きましょう!」

 

 

 ……何を悩んでいたのだろう。精神攻撃は基本、有名な言葉ではないか。そんなものに悩ませられるなんて、私らしくない。

 

「オラッ!」

 

 シャカールさんはダイヤさんのロブを私の方向へと打ち返す。

 

 いいでしょう、正面から受けて立ちますわ。例え本当に負ける確率が100%だったとしても、必ずその確率の壁を越えてみせましょう。

 

 クロス側にいるシャカールさん目掛け、ラケットを振り……

 

「タイシン、右だ!」

 

「っ!?」

 

 ボールがラケットに触れる瞬間シャカールさんがそう叫ぶと、前衛として前に出ていたタイシンさんが即座に反応してポーチに出る。インパクト時なので、今更打つ方向を変更することなどできない。

 

「30-0!」

 

 そのまま鋭いボレーを決められ、あっさりと二点目を取られてしまう。なんて息の合ったプレイだ。ゲームセンターの時もそうだったが、こうしてテニスでコンビを組んでる以上仲が良いのだろうか。

 

「アンタ指示出すの遅すぎ。ギリギリだったんだけど」

 

「ああッ!? オレのおかげで点取れたンだから文句言うんじゃねェッ!」

 

 ……そういうわけではなさそうだ。

 

「マックイーンさん……」

 

「大丈夫ですわ、ダイヤさん。それより、シャカールさんの的確な判断は要注意です。次行きますわよ」

 

 コクリと頷くダイヤさんは元の位置に戻る。

 

 今のは運が悪かった。タイシンさんの攻めっ気が激しいと分かった以上、ポーチに出る彼女の逆を突けばいいだけの話だ。

 

 シャカールさんがサーブを打ち、次はしっかりと反応してフォワハンドの構えを取る。きっと次もタイシンさんは攻めてくる。だったら、クロス側ではなくストレートに……

 

「タイシン、正面!」

 

「っ……!」

 

 またしてもコースを読まれ、タイシンさんにボレーを決められてしまう。これでポイントは40-0、次を落とすとチェンジコートだ。

 

「すみません、ダイヤさん。またしても同じミスを……」

 

「ドンマイですよ、マックイーンさん。落ち着いて丁寧に返していきましょう」

 

 二度もタイシンさんにボレーを決められ、私は内心相当焦ってしまっている。ダイヤさんに言われた通りいつも通りプレイしているのだが、そのいつも通りが通用しない。

 

「これくらいでヘバッちまッちゃあ手応えがねェ……よッ!」

 

「……!」

 

 シャカールさんのサーブはさらに早くなり、ダイヤさんはそれに追いつくので精一杯だ。なんとか食らいついてボールに触ったものの、それは相手へのチャンスボールとなってしまった。

 

「決めろッ、タイシン!」

 

「アタシに指図すんな!」

 

 小さい体で飛び上がったタイシンさんに、空いていたコース目掛けてスマッシュを決められる。

 

「ゲーム、エアシャカール、ナリタタイシン、1-0!」

 

 一点も取ることが出来ずにコートチェンジ。シャカールさんに狙ったコースを完璧に読まれ、タイシンさんに素早い身のこなしでボレーやスマッシュを決められる。

 

 くっ、どうすれば攻略の糸口を……

 

「無駄だ、お前達二人のデータは既に収集済み。どうあがいてもオレ達から点を取るこたァ敵わねェ」

 

 シャカールさんは再度挑発的に私達に向けてそう言う。データ? 収集済み? 一体何の……

 

「つまり、お前らがゴールドシップみてェな思考じゃない限り、打つ方向は丸わかりッてことだ」

 

「アンタ達相手に体力勝負なんてするつもりなんていないから。悪いけど、速攻で決めさせてもらうよ」

 

 ……なるほど、そういうことか。

 

 どういうわけか、シャカールさんは私達のこれまでの試合のデータを分析して打たれる方向を予測できるらしい。そのシャカールさんをフルで活かすために、反応速度と身のこなしに長けたタイシンさんが前に出ている。

 

 さらに、タイシンさんは持久戦をやらないと言った。主に長距離のレースを勝っている私達にとって、持久戦は得意分野。体力勝負となればこちら側に分がある。それを避けようとするのは至極当然のことだ。

 恐らく、体力に自信のあるキタサンブラックさんは術中にハマってしまっただろう。そしてテイオーはシャカールさんのデータに完封されたと。

 

「あの二人、やっぱり手強いですね……マックイーンさん、どうしましょう」

 

 何も出来ず1ゲーム先取されたのが堪えたのか、ダイヤさんは不安そうな声で私に助けを求める。

 データのシャカールさんと短期決戦のタイシンさん。並大抵のことではこの布陣を崩すのは不可能だ。テイオーとキタサンブラックさんが負けてしまったのも充分納得できる。

 

 

 だが、シャカールさん達は一つ認識を誤っている。"語るに落ちた"、とでも言っておこう。

 

 

 彼女達の作戦は一見完璧そうに見えて、シャカールさんのデータテニスさえ破れば容易に崩れる諸刃の剣だ。つまり、この試合の突破口はいかにシャカールさんの裏をかくかということになる。

 

 とはいえ、データに絶対の自信を持つ彼女を突破するのは困難。ではどうやってそれを成し得るのか。

 

 

 ……一か八か、やってみるしかない。

 

 

「ダイヤさん、貴方は私の合図があるまで、シャカールさんを走らせるように後ろでロブを打ち続けてください」

 

「ロブをですか?」

 

「ええ。私はタイシンさんが取れるか取れないかのギリギリを狙います。それまで耐えてくださいまし」

 

「……マックイーンさん、一体何を……」

 

 こういう時、トレーナーさんならどうするか。悪巧みをする時の彼の顔を思い浮かべ、ダイヤさんへと向き合う。

 

 

「……私に考えがありますわ」

 

 

 

 *

 

 

 

「ゲーム、エアシャカール、ナリタタイシン。2-0!」

 

 

「ゲーム、エアシャカール、ナリタタイシン。3-0!」

 

 

「ゲーム、エアシャカール、ナリタタイシン。4-0!」

 

 

 続け様に4ゲームを取られ、周りで観戦している方達には私達の敗戦ムードが漂っていた。事実、これまで私達は1ポイントも取れていない。いくつかのラリーはあったものの、それが直接的に得点に繋がることは一つとしてなかった。

 

 

「ゲーム、エアシャカール、ナリタタイシン。5-0!」

 

 

 ついに5ゲーム目も取られ、いよいよ後が無い状況となる。あまりの一方的な試合展開に、観戦のウマ娘達も次第に減っていく。

 

「ハァ……ハァ……降参するなら今のうちだ。言ったろ? お前らが負ける確率は100%だって」

 

「ッ……やめなよ……シャカール。最後まで気を抜かない。……ハァ……さっさと、最後のゲーム終わらすよ」

 

 持久戦をしないとは言っていたが、体力を消耗しないわけでは無い。通常の試合であれば、後のペース配分を考慮して見逃していたようなボールも無理をして拾おうとし、試合を早く終わらせようとするのが彼女達の作戦。

 

 だが、その分スタミナの消費の減りは激しい。そこでダイヤさんはロブでシャカールさんを走らせ、私は敢えて全てのストロークで強烈な打球をタイシンさんへと打ち続けた結果、通常より早いペースでシャカールさん達の体力を奪っていった。例えデータ頼りではあっても避けて通ることはできない。

 

 ここまでは順調、狙い通りだ。全ては彼女にかかっている。

 

「ダイヤさん」

 

「……! 分かりました、私に任せてください!」

 

 ダイヤさんに合図を送り、サーブの構えを取る。このゲームを落としたら私達の負けだ。なのに、なんだか負ける気がしない。

 

「チッ、何笑ッてやがる……タイシン、さっさと決めッぞ!」

 

「言われなくても……分かってる。あと1ゲームくらい……」

 

 彼女達の何がそこまで闘志を奮い立たせるのか。それは恐らく、ウマ娘に刻まれた"勝ちたい"という本能。例えどんな勝負であっても、負けず嫌いな彼女達にとっては死んでも勝ちを譲りたくないのだろう。

 

 でも、それは私達だって同じこと。

 

「はっ!」

 

「遅ェ! オラァッ!」

 

 疲れているはずなのに、シャカールさんは私のサーブをなんなく返す。その打球は、私とダイヤさんのちょうど真ん中へと吸い込まれていった。

 

「ダイヤさん、後ろは任せましたわよ!」

 

「はい!」

 

 バックハンドのライジングショットでタイシンさんをかわしながらロブを打ち、無理矢理にでも逆クロス展開を作りながら前へ出る。

 

「ここいらで攻めてくるのは計算通りだッ! 何度もシミュレーション重ねたからなァッ!」

 

 シャカールさんは前に出た私を無視し、逆クロス側にいるダイヤさんに打ち返す。彼女はターゲットを完全にダイヤさん定め、打たれるボールの軌道を計算し始める。

 

 

 これで条件は全て整った。

 

 

「逆クロスの確率100%……決めろタイシン!」

 

「だから分かってるっつの!」

 

 ダイヤさんがボールを打つ瞬間、この試合の間で見慣れたやり取りがシャカールさん達の間でなされる。これまでならば、データ通りのコースを狙われ、タイシンさんのポーチボレーで点を決められていたのだろう。

 

 しかし、一つ思い違いをしている。私ならともかく、シャカールさんは本当にダイヤさんの正確なデータを取れているのか。

 

 答えは否。なぜなら──

 

 

「てやっ!」

 

「なっ……逆!?」

 

 

 うちのダイヤさんは、その気になったらあのゴールドシップをも上回るからだ。

 

 

「どーん……です」

 

 ダイヤさんはタイシンさんとは真逆の方向、ストレートにボールを返し、ついに初得点を獲得する。

 

「ひ、15-0!」

 

 先程シャカールさんは"ゴールドシップのような思考でない限り、打つ方向は丸わかり"と仰った。それは裏を返せば、ゴールドシップのデータは取れないということだ。

 

「な、なんで……ッ! オレのデータが外れた……?」

 

「まだまだですわね、シャカールさん」

 

「ッ、ンだとッ!? 今のはたまたまだ、データは嘘つかねェンだよ! てか決めたのお前じゃねェだろ!」

 

「う、うるさいですわ! そもそもこれは私の作戦です! 早く次行きますわよ!」

 

 痛いところを突かれ、つい早口で反論してしまう。私のサーブで試合が再開すると、今度はダイヤさんが前に出た。

 

「次は間違えねェ、左だ、タイシン!」

 

 シャカールさんはタイシンさんにそう指示するも、ダイヤさんが打った方向は彼女達から見て右方向。またしても裏をかき得点を重ねる。

 

「30-0!」

 

「嘘……ッだろ……」

 

「ハァ……ハァ……クソッ……」

 

 いくらタイシンさんが反射神経と動体視力に優れていても、曖昧なデータではダイヤさんに打ち勝てない。ようやく彼女達に焦りが出てきた。

 

「ダイヤさん、その調子ですわ!」

 

「ありがとうございます、マックイーンさん!」

 

 さあ、反撃開始だ。再び私がサーブを打ち、ダイヤさんが前に出る。

 

「シャカールッ!」

 

「……くッ、浅ェ!」

 

 自分のデータに確信が持てなくなったシャカールさんは私の打球にすら反応を鈍らせる。ギリギリでボールを拾ったものの、打ち上げられた打球はちょうどダイヤさんへの絶好のスマッシュボールとなる。

 

「スマッシュ……ッ! 下がって体勢を──」

 

 シャカールさんが言い終わるまでに、ダイヤさんは強烈なスマッシュ……ではなく、準決勝でネイチャさん達に決めたドロップボレーでセットポイントへと持ち込ませた。

 

「40-0!」

 

 後一点、流れは完全に私達にある。渾身の力を込めてサーブを打ち、ゲームを取りに行く。

 

「……ンだよあれ……あんなのデータにねェ……」

 

「ちっ、しっかりしろシャカール! サトノにデータが通用しないってなら、マックイーンに集中狙いを……」

 

「あら、そんなことをしてよろしいのですか?」

 

「はぁ? 何を言って……んの……っ!」

 

 今頃気がついてももう遅い。シャカールさん達の体力はほぼ限界、なのに私を一人狙いして攻めてこないというのなら、それは大変好都合だ。

 

「体力勝負、受けて立ちましょう」

 

「っ、くそっ!」

 

 ダイヤさんを警戒しすぎるがあまり、彼女達は短期決戦というプレイスタイルを忘れていた。もう一度言おう、"体力勝負となればこちら側に分がある"。

 

「舐めンじゃ……ねェッ!」

 

「とりゃっ!」

 

 データが通用せず、さらに持久戦となった今、シャカールさん達に勝ち目は無い。ラリーの応酬が続けば続くほど互いに疲労が溜まり私達に有利となる。

 

「クッ、しまった!」

 

 そして疲労が溜まるということは、ミスショットに繋がるということ。

 先程よりも高く打ち上がったボールは、またしても私達のチャンスボールとなった。これほどまでにボールの高度が高いと一度地面に落としてからグラウンドスマッシュを狙った方が確実なのだろうけど、あいにく私にとっては待っていましたと言わんばかりのボールだ。そのボールに負けないくらい、私は高く跳び上がる。

 

「なッ、ダンクスマッシュだとッ!?」

 

「決めさせないっ!」

 

 最後は真っ向勝負、空いているコースへ狙いを定める。

 

 

「今です、マックイーンさん!」

 

 

 力の限りラケットを振り切り、ボールを地面に叩きつけると──

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「……で、またソファでうつ伏せになってるあのおバカは何してんの」

 

「……トレーナーさん、いくら今のマックイーンさんのお姿が滑稽……悲惨な状態とはいえ、おバカは失礼ですよ」

 

 聞こえていますわよ、ダイヤさん。貴方の方がよっぽど失礼ですわ。

 

「はぁ……球技大会で一悶着あったって聞いたけど、マックイーンは何をやらかしたんだ?」

 

「私がやらかしたって決めるつけるのやめていただけませんか!?」

 

「と、仰っていますが実際のところどうなんでしょうか、サトノダイヤモンドさん」

 

「……実はですね……」

 

 ダイヤさんはトレーナーさんに球技大会のことを語り出す。

 確かに私達はシャカールさんとタイシンさんの作戦を崩し、ゲームのセットポイントではダンクスマッシュを決めることができた。

 だが、そのスマッシュの威力が強すぎたようで、ボールと地面の接地点に小さなクレーターを作ってしまった。トレセン学園ではない外部の施設だったということもあったため、危険性も鑑みて決勝戦はその時点で終了。最後に得点を決めたのは私達なのに、最終的なスコアは1-5となり、勝者はシャカールさんとタイシンさんという結果で幕を閉じた。

 

「うん、マックイーンが悪い」

 

 全てを理解したトレーナーさんはバッサリと切り捨てるように私を批難する。納得いかない。

 

「で、でもでも! 最後には一矢報いることもできましたし、結果は残念でしたけど私は楽しかったな〜なんて……」

 

「結果が伴わないと意味がありませんわ! 嗚呼、スイーツ……私のスイーツが……」

 

「どんだけスイーツ食べたかったんだよ……」

 

 ダイヤさんの慰めも、トレーナーさんのツッコミも何も聞こえない。スイーツのためにこの二週間ほどトレーニングの合間を縫ってテニスの特訓をしてきたというのに、最後の最後てわあんな納得のいかない負け方なのは不完全燃焼もいいところだ。

 

「スイーツ……スイーツ……」

 

「……トレーナーさん、なんとかなりませんか? あのままではマックイーンさんがスイーツの妖怪になってしまいます」

 

「それは元からな気がするけど……。はぁ、しょうがねぇなぁ。ちょっと待ってて」

 

 そう言ったトレーナーさんはトレーナー室にある冷蔵庫へ向かい、その中から何やら小さな箱を取り出した。あれは……

 

「ほら、駅前の何か有名なスイーツ? 買ってきといたよ。万が一優勝できなかったら今みたいにおかしくなるだろうと思って事前に……」

 

「トレーナーさああああああん!!」

 

「ぐはあっ!?」

 

 頬をかきツンデレ気味なトレーナーさん目掛け、一直線に突進して押し倒してしまう。あまりの嬉しさに考えるより先に身体が動いてしまった。

 

「も、申し訳ございません! 私ったらつい……」

 

「あ、ああ、大丈夫……。ほら、さっさとスイーツ食べて、明日からまたトレーニングに精を出せよ」

 

「っ……はい!」

 

 倒れてもなおスイーツを死守するあたり、彼の体幹はどこかおかしい。だが、そんなことを気にする間も無くスイーツにありついてしまう。

 

「ほら、ダイヤの分もあるから」

 

「ありがとうございます♪ それにしても、トレーナーさんがこうして大々的にマックイーンさんにスイーツを許可するなんて珍しいですね」

 

「飴と鞭じゃないけど、まあたまにはな。それに、応援行けなかったのはちょっと後ろめたかったし……な、なんだよその顔。生暖かい目のつもりか? ドラえもんじゃあるまいし」

 

 へぇ、トレーナーさんも可愛いところがあるではないですか。今後一生ネタにしてあげましょう。

 そう思っていると、トレーナーさんのポケットから着信音が鳴り響く。

 

「ん、電話だ。誰から……って、たづなさん? 悪い、ちょっと席を外す、はい、もしもし──」

 

 トレーナーさんはたづなさんからの電話を受け、トレーナー室から出て行った。こうしていつものふざけたトレーナーさんが仕事モードに早変わりしたのを目の当たりにすると、やはり彼は私にとって憧れであると再認識させられる。

 

「トレーナーさん、何かあったのでしょうか……?」

 

「普段からは考えられませんが、きっとあの方も多忙なはずですわ。スイーツの件も含めて、トレーナーさんが戻ってきたら日頃の感謝を伝えるとしましょう」

 

「はい、そうですね!」

 

 ドアの向こうにいるトレーナーさんを見て、ダイヤさんと微笑み合う。私はこうした何でもない日常が好きだ。願うなら、この時間が一生続いて欲し……

 

 

『えっ、テニスコートの修理費? 待ってください、なんでそれが僕に……は? トレーナーの監督責任? ちょっと何言ってるか分かんないです』

 

 

 ……よし。

 

「ダイヤさん、私、今日のところはここら辺でお暇させていただきます」

 

「ちょ、マックイーンさん!? 窓開けて何してんですか!? ここ三階ですよ!?」

 

「問題ありません、このために最近パルクールを習得しましたので」

 

「ダメですよ! 私も一緒に怒られてあげますから、素直に謝りましょう!」

 

「離してくださいまし! このままではせっかくのスイーツが台無しですわ!」

 

「もう既にこの状況が台無しになってますって!!」

 

 ダイヤさんは、無理にでもこの場を離れようとする私を羽交締めにして阻止する。こうなった以上、トレーナー室から逃げることは不可能だ。

 

 もうどうしようもないので、言い訳と謝罪の言葉を考えスイーツを口にすると、

 

 

『いや、やっぱり僕に責任が回ってくるのおかしいですって、考え直してくださいよ。せめてメジロ家にも……たづなさん? たづなさん!? 切りやがった! くそっ、ふざけんなあの全身緑! 今に覚えてろよ!』

 

 

 トレーナーさんの悲痛な叫びだけが、学園の廊下中に響き渡った。残念、無念、また来週。

 

 

 うん、スイーツ美味しい。

 

 

 






ちなみに私は跡部と仁王が好きです。

はい、すいません。次回から二章終了まで真面目にやります。



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過去と虚像と後悔と

 

 

 

 GⅡフォワ賞。凱旋門賞の三週間前に行われる前哨戦の一つであり、本番と同じレース場、同じ距離で開催されるレースだ。

 

 ダイヤが圧倒的人気に推されることは間違いない。一歩ずつ、着実に、日本にいる皆の期待を背負って準備を整えてきた。態勢は万全、後は運に見放されなければいいのだが……

 

「……トレーナーさん、先程から片膝をついて何をされてるのですか?」

 

「神に祈ってる」

 

「は、はぁ……」

 

 何か可哀想なものを見るような目で僕を見るダイヤ。ここまで来たらトレーナーがウマ娘にできることなんて神頼みくらいしかないってのは皐月賞の前にも言ったか。

 あれから随分と時間が経った気がする、懐かしいな。あの時は自分の勝負服ではしゃいでいたり、一緒に神社行ったり、その別れ際に彼女にとんでもないことを言ってしまったり……

 

 当時の失態を思い出して頭を抱えそうになる。ウマ娘のことを第一に考えるということは大切だが、行きすぎた発言や行動は控えることも同じくらい大切だ。二人三脚とはいえ、僕達はあくまでもトレーナーとウマ娘という関係。それ以上でもそれ以下でもない。

 それなのに、皐月賞前の神社でのこと、そしてマックイーンの有マ後のことを思い返して自分自身に呆れてしまう。

 

 マックイーンやダイヤを担当する時より前、サブトレーナーを卒業してすぐの頃、一色に「せんぱいってほんと恋愛に興味無いですよね」と言われたことがある。

 はっきり言おう、そんなわけがない。僕だって普通の人間、恋愛漫画や小説にときめいたことだってなくはないし、尖っていた学生時代ならともかく、年齢を重ねた今ならその価値観も理解している。

 

 僕が恋愛に興味が無いように見られているのは周りにそう見せているだけ。そんなものはこの仕事をする上で邪念でしかないというのを分かっているから、己を偽り、周りを騙し、今の自分を演じている。この仮面を付けていないとトレーナーという仕事ができないと分かっているから。

 

 特にウマ娘に対してはそれが顕著だ。前述に加え、そこに社会的な立場や信用が関わってくる。これは保身じゃない、ウマ娘のことを考えているつもりだからこその行動だ。

 

 一度吐いた嘘はもう飲み込むことはできない。だからサブトレーナーを卒業したあの日からこの喋り方をするようになった。例え周りに振り回されることがあっても、この仮面だけは絶対に崩さないために。

 

 何が一心同体だと言われても仕方がないのかもしれない。でも、これが"俺"のやり方だ。誰にも文句は言わせない。

 

「……ナーさん。トレーナーさん!」

 

「……そんな大声で何回も呼ばなくても聞こえてるって」

 

「さっきから何度呼んでも反応してくださらなかったので大きな声で繰り返し呼んだんです。ぼーっとされてましたけど、何を考えていたのですか?」

 

「ほら、今日はフォワ賞だろ? ダイヤが無事に勝利を掴めますようにってね」

 

 嘘は言っていない。無論それだけを考えていたわけではないが、ダイヤの勝利と自分自身のこと、それらを天秤にかけたら100-0で前者を優先する。

 皐月賞前にも同じようなことを言ったなと思いつつ、ダイヤの反応を見ると、

 

「むぅ……」

 

 頬を膨らませ、不満気な顔でこちらを……え、なんで怒ってるの? 

 

「わ、悪いダイヤ、何か気に障ったか?」

 

「はい、それはとても」

 

 これは土下座の準備かな。とりあえず片膝ついてる状態から両膝ついてる状態へと姿勢を変える。

 

 完璧な土下座を敢行するため脳内シミュレートをしていると、ダイヤは小さい声で言葉を漏らす。

 

「……んで……」

 

「ん? なんて……ぐえっ」

 

「なんで私のレースで神様に祈るんですか! 私に祈ってくださいよ!」

 

 今度は僕の肩を掴み、間近でそんなことを言うダイヤ。いやはや、まさか神様に嫉妬するとは思わなんだ。もしかしたら彼女は独占力が強いのかもしれない。

 

 一周回って冷静になってはいるが、ここである問題が出てきた。

 

「あの、ダイヤさん……」

 

「……なんですか」

 

「その、お顔が近いと言いますか」

 

「っ、す、すみません……」

 

 顔を赤くして縮こまるダイヤに、まだまだお子様だなと感じる。お年頃の少女めと揶揄いたかったが、そんなことをしたらさらに不機嫌になることは目に見えている。今回はかなり言葉を選んだつもりだ。

 互いに気まずさを隠しつつ、話題転換のためにもレースへと意識を向ける。

 

「あー……体調はどうだい? フランスに来てそこそこ経つけど、何か異変とかは感じる?」

 

「それはトレーナーさんが一番分かってくださっているのではないですか」

 

「……へぇ、言うようになったじゃないか」

 

「当然です。私はトレーナーさんのことを一番よく分かっているつもりなので。逆もまた然り、ですよね?」

 

「本当に言うようになったな……」

 

 彼女の言う通り、ダイヤの体調についてはよく分かっている。それも良好も良好、すっかり現地の環境にも慣れてリラックスしており、この前の追い切りだっていい感じだった。

 

 知っての通り、凱旋門賞は日本のウマ娘がことごとく厚い壁に跳ね返されている。それはあのエルコンドルパサーでさえ例外ではなかった。だが、前哨戦となれば話は別だ。このフォワ賞、過去に多くの日本のウマ娘が好成績を収めている。

 

 不安要素があるとすれば、G I二勝という実績もあり、周りからの勝って当然と言う雰囲気によるプレッシャーくらいか。

 

「それでは行ってきます。みんなの期待に応えてきますね」

 

 ……杞憂だったな。ダイヤは皆から期待を受ければ受けるほど輝く。今の彼女の顔を見て、ほんの少しだけ残っていた不安は綺麗さっぱり消え去った。

 

「ト、トレーナーさん、次はどうされましたか? 私の顔に何か付いてますか?」

 

「……いんや、何も。それより、今日は重バ場だから十二分に注意して走ってほしい。初めて走るレース場なのもあって慣れないことばかりだけど、君ならできるって信じてるから」

 

「はい、任せてください。ここを勝たないと、凱旋門賞で勝つなんて夢のまた夢ですからね」

 

 そう言ってダイヤはターフへと向かおうとすると、一瞬その足を止めた。

 

「……? ダイヤ、どうかしたか?」

 

「……いえ、なんでもありません。私の走り、きちんと見ていてくださいね?」

 

「それは言われなくてもなんだが……って、ちょっと、ダイヤ! ……行っちゃった」

 

 何か言いたいことでもあったのだろうか。何か気になることでもあったのだろうか。なんにせよ、既にターフへと向かったダイヤとコンタクトを取る手段はほぼない。今は信じて待つだけだ。

 

 ここで油を売っていないで自分もスタンドへと向かおうとしたところ、ポケットに入れていたスマホが震える。こんな時に誰からと思い画面を開くと、メッセージを入れた人物の正体は日本にいるマックイーンだった。画像が添付されているわけでもなく、長ったらしい文章でもなく、

 

『離れていても気持ちは一緒です』

 

 と、簡素な言葉だけが送られてきた。きっと前日にでも個別にダイヤへ激励の言葉を送っているだろうに、僕にまで連絡を寄越すとは。向こうの時間は深夜に近いのもあって、律儀だなと感じてしまう。でも、この一言だけで気持ちがさらに軽くなった。

 スマホをポケットにしまい、今度こそスタンドへと向かう。まずはこの前哨戦であるフォワ賞、無事に勝って次へと繋げよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──と、思っていたのだが、そうは問屋が卸さない。現実はいつだって非情だ。

 

 

 何度も言うように、元々自分には海外遠征に良い思い出はなかった。サブトレーナーの時とはいえ、自分の担当するウマ娘が怪我を、それも日本ではない異国の地で発症するなんて通常ではトラウマになってもおかしくはない。その上に、自分はマックイーンに大怪我を負わせてしまっている。一度のミスをいつまでも引き摺る自分にとって、それらはツタのように絡みついた呪縛のようなものだ。

 しかし、いつまでもその罪悪感に囚われていては自分自身に止まらず、いつか担当する別の娘の足枷になってしまうということは昔から頭のどこかで理解していた。

 

 どちらにせよウマ娘の思いを優先していたためこの海外遠征に反対するつもりはさらさらなかった。が、目の前の光景を見るにやはり後悔せざるを得ない。

 

 自分はウマ娘が勝つ姿が好きだ。でも、それと同じくらいウマ娘が怪我をする姿を見たくないという気持ちが強いのもまた事実。

 

 電光掲示板に映る、確定したダイヤの順位は四着。それもただの負けではない、ただの負けだったらどれほど良かっただろうか。

 

 

 恐らくここにいるほとんどの人は、レース中ダイヤの左脚にかなりの負荷がかかっていたことに気がついていない。

 

 

 初めての場所、慣れない重バ場。ああ、全てが最悪の方向に転じた。自分がもっと対策を詰めていればこんなことにはなっていなかったはずなのに。そもそも、レース前にダイヤがあそこで足を止めた時点で違和感に気がつくべきだった。

 頑張れ、信じてる。それで勝てたら苦労はない。気合を入れるだけじゃただの無茶なトレーナーだって、そんなことは一番よく分かっていたはずなのに。

 

「くそっ……」

 

 己への嫌気がつい口から漏れてしまう。が、自分を責めるのは後だ。今はダイヤの脚のことだけを考えよう。

 

 地下バ道へ消えたダイヤを追うために足を早め──

 

 

 



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未来と好意と暴走と

 

 

 

「……すみません」

 

「なんで謝るんだよ、謝るのは僕の方だ。君の足に負担がかかりすぎていた。それだけは僕のミスなんだから」

 

「でも……」

 

「……納得いかないか?」

 

 ダイヤはコクリと頷く。病院帰りの道のり、ダイヤは自分のことを責めるかのように何度も謝罪の言葉を口にしていた。

 

 幸いなことに、怪我は軽傷で済んだ。怪我の原因は、重いバ場と後続のウマ娘に乗り掛けられたことだと見られる。今後の走りや本命の凱旋門賞に影響は無いが、やはりレース中の怪我というのもあり、走り自体に影響があったことは言うまでも無い。

 スムーズなレースに見えたが、位置取り勝負で後続と接触、いわば本場の洗礼を浴びてしまった。しかし、そのあたりは覚悟の上なので言い訳はできない。

 

「……こんなこと言ったらダメなのかもしれないけどさ」

 

「……」

 

「これが本番じゃなくて良かったなって」

 

「……はい」

 

「そんな落ち込むなよ、凱旋門賞まで後三週間あるんだ。今日は帰ってゆっくり休んで気持ち切り替えて、足が完治してから……」

 

「トレーナーさん」

 

 少しでも気持ちを前に向けて欲しくわざと気丈に振る舞うが、それとは対照的にダイヤは落ち込んだままだ。そんな彼女は神妙な面持ちで僕のことを呼ぶ。

 

 

「少し、一人にしていただいてもよろしいですか?」

 

 

 悩み、学んで、考える。我々人間とウマ娘はその能力に長けている。きっとダイヤは彼女自身の答えを出す。普段通りならば、わざわざそこに介入する必要は無いのかもしれない。

 

 でも、今はそうじゃない。レースで負けたことに対し、ダイヤは自分のことを責めてすぎている。反省するのは良いことだけれど、やけくそになるのとは話が別。彼女の要望に応えることはできない。

 

「ダメだ。今の君を一人にしておくわけにはいかない」

 

「……やっぱりあなたは優しいですね。大きな口を叩いてこんな結果だなんて、見捨てられてもおかしくないのに。それでも寄り添ってくれるだなんて」

 

「こんなことで自分の担当ウマ娘を見捨てるトレーナーなんていない。むしろこういう時だから寄り添うんだ。君達が道で躓いた時、一番に手を差し伸べられる存在でありたいからね」

 

「……そんなこと言われてしまってはどこまでも甘えてしまいますよ?」

 

「ばっちこいってんだ。それも僕達トレーナーの仕事なんだからさ」

 

「…………そう、ですか」

 

 ダイヤの歯切れ悪い返事を聞いて少々不安に感じてしまう。何か言葉を間違えたのではないか、もっといい慰め方はあったのではないか。

 こういう時、何が最適解かがいつも分からない。迷い戸惑いの繰り返し。それでも、ハズレの選択肢は選んでいないはずだ。大丈夫、きっと間違ったことはしていない。自分がそう信じなければ、他に誰が信じてくれるのか。

 

 

 そう考えていると、一つ気の抜けたように腹の虫が鳴いた。可愛らしいその音はもちろん僕のものでは無いので、消極的に隣にいるダイヤのものとなる。案の定彼女は顔を真っ赤にして俯いていた。

 シリアスな雰囲気の中での出来事であったため、そのギャップで笑ってしまうとダイヤは拗ねるようにむくれてしまう。

 

「ははっ、確かにお腹空いたな。せっかくだから外食でもして帰ろうか。ダイヤ、何か食べたいものでもあるか?」

 

「……むぅ、なんでもいいですよ」

 

「だったら……いや、やっぱ寮の日本食が一番だな。こういう時こそ故郷の味を思い出そうぜ」

 

「……はい、トレーナーさんが言うならそうしましょう。私はあなたと二人でいれたらそれでいいので」

 

「そうかい、嬉しいこと言ってくれるじゃないか」

 

 ダイヤと軽口を交わし合い、パリの街を歩く。

 

 ひとまずダイヤが今後走れないなんてことにならなくて良かった。それどころか、フランスに来た理由でもある凱旋門賞にもなんとか出走できそうだ。

 

 大変なのはここから。ダイヤはしばらく安静にしておかなければならないためトレーニングメニューの見直しが必要な上に、フォワ賞の反省点でもある重いバ場や位置どり争いについてなんかも対策しなければならない。

 しかし、そこはトレーナーとしての腕の見せ所。むしろそれが出来なくてはお前は何しにここまで来たんだと言われてしまう。

 

 ダイヤが頑張ってるんだ、僕が頑張らなくてどうする。

 

 今一度気合を入れ直し、頭の中で今後のスケジュールを立て始める。

 

 

 

 ***

 

 

 

 過度な緊張をしてしまうのは自分の悪い癖だ。以前マックイーンに、ウマ娘よりも貴方が緊張してどうするんですのと指摘されたことがある。

 もちろんいつもこうなるわけではないが、度々こうなってしまうということはもう直しようがないのだろう。

 

 

 凱旋門賞前日、二十三時半。既に寝る準備は万全なのだが、いかんせん前日から緊張がピークに達している。ベッドに入っても目はギンギラギンであまりにも手持ち無沙汰なため、何度調べたか分からない明日のレースの対戦相手の資料を手に取った。

 どのウマ娘も強敵だ。簡単に勝てるような相手じゃないということは誰が見ても分かる。その中でも一際目立った戦績を残しているウマ娘が気になって仕方がない。

 

 7戦6勝、内GⅠ4勝。それもただの4勝ではなく、GⅠを4連勝でこの凱旋門賞に挑んできている。最も脅威となるのはこのウマ娘になるだろう。

 

「どうしたもんか……」

 

 あまりにも驚異的な戦績に少しばかり怖気付いてしまう。ダイヤの勝利は信じていても、精神論でなんとかなる世界ではない。

 

 もちろんうちのダイヤは強い。フォワ賞では確かに納得いかない結果に終わったが、あれから怪我も治して毎日トレーニングに励んでいた。きっと今ならマックイーンにだって引けを取らないくらい成長しているはずだ。

 それでも上には上がいるのもまた事実。格上に勝つためには細かな戦術が必要不可欠なのは承知の所。

 

 よし、もう一度対戦相手のレースを見直そう。勝てる可能性を1%でも上げるためにも──

 

 

 コンコンコン

 

 

「っと、誰だこんな時間に……」

 

 資料に手をかけた瞬間、部屋のドアがノックされる音で集中が途切れる。

 

 一体誰が訪ねてきたんだ? 友達ができないという特異体質(制御不能)を発動してるおかげで、こちらに来てこれといって仲の良い人がいるわけではない。だとしたら寮母のおばちゃんか? もしかしてこの前のゴミ捨て間違えた? これ怒られるやつ? 

 

 ビビりながら返事をしてドアを開けると、は意外や意外、ネグリジェ姿のサトノダイヤモンドがそこにいた。あまりの衝撃に思考が停止する。

 

「えへへ……来ちゃいました」

 

「来ちゃいましたって、今何時だと思って……いや、そもそもなんで君がここに……?」

 

 トレセン学園ではトレーナーがウマ娘寮に入るのは禁止されているがその逆は特に明言されていない。ダイヤがここにいることが物凄くおかしなことかと言われたらそんなことはないけれど、明日は凱旋門賞。もう夜も遅い、これ以上はレースに支障をきたす可能性のある時間帯だ。

 

 何か連絡しなければならないことがあったらスマホで連絡を入れたらいい。それはしないということは何か緊急の用件があるのか。

 

 そう問うも、ダイヤは首を横に振る。じゃあ何をしにと、ますます彼女の意図が分からず困惑してしまう一方だ。

 

「実は眠れなくなってしまって。それはトレーナーさんも同じですよね?」

 

「う……まあそうなんだけどさ。実際レースに出る君と応援しかできない僕とじゃあ睡眠不足の影響がより大きく関わってくるのがどちらか明らかなわけで……ダイヤ?」

 

 特に緊急事態でないことに安堵しつつ、身振り手振りでしどろもどろになりながらどうにかしてダイヤを部屋に戻そうとするも、僕の服をキュッと引っ張るダイヤにそれを遮られてしまった。

 

「トレーナーさん、少しお話ししませんか?」

 

 走ることが嫌いなウマ娘はそういない。緊張や興奮はあれど、レースの前日になると今のダイヤのように眠れない状態になってしまうウマ娘も珍しくはない。

 しかし、今のダイヤからはそれが感じられない。何か別の感情が作用しているような気がする、そう言った方が正しいか。

 

 それを探るためにも時間が必要だ。スマホで時間を確認する。

 

「……分かった、三十分だけだぞ」

 

 頭を悩ませて見つけ出した妥協案を条件に、ダイヤを部屋の中に入れた──

 

 

 

 

 

 

 

 ベットの上にダイヤ、そして自分は椅子に座る。

 

 軽口を交わし合うだけなら得意だが、いざ改まってお喋りをしようとなるとどうしても言葉に詰まってしまう。

 初めは何を話せばいいのやらと迷っていたら、ダイヤから昔の話をしてほしいと要望があったので、僕がまだトレーナーになる前の学生時代について語っているところだ。もちろん、当時の性格は隠して。

 

「そこで僕はこう言ったんだ、『僕にはトレーナーを失った君の気持ちは分からない。でも、このままじゃいけないということは君が一番よく分かっているはずだ』ってね」

 

「さすがです、トレーナーさんは学生の時からトレーナーをしてたのですね。ところで、そのトレーナーを失ったというウマ娘さんはどんな方だったのですか?」

 

「あー……凄く強いウマ娘だったってのは知ってたんだけど、名前聞いてなくってな。インターンでトレセン学園に来てウマ娘の名前聞くとか、お前何しに来たんだってなるじゃん」

 

 たしかに、と言ってダイヤは楽しそうに笑う。

 

「やさぐれてたその娘を見たらどうしてもほっとけなくて。本当はあんな重い話に僕なんかが踏み入るべきじゃなかったのは分かってたんだけど」

 

「でも、そのウマ娘さんはとても救われたと思います。相手が誰であろうと思いを口に出すというのはとても救われますから」

 

「そうだったらいいんだけど。あの娘元気にしてるかなー……って、悪い、こんなつまらない話しちゃって」

 

「そんなことはありません。むしろ、私の知らないトレーナーさんを知ることができてとても楽しかったですよ」

 

 現状これと言って彼女に変化は見られない。もしかして思い違いか? 本当に眠れないから暇潰しとしてここに来ただけではないのか。

 

 なんにせよ、もうそろそろ時間だ。これ以上ダイヤをここにいさせるわけにはいかない。それは彼女も分かっているようで、時計を見ては心残りがあるような顔をしている。

 

「……私達、明日が終わっちゃうと日本に帰らなくてはいけないんですね」

 

「そういうことになるな。レースが終わってすぐ帰ってこいって、学園側もこっちの負担考えてないよなぁ。ま、向こうがパトロンみたいな立場である以上文句は言えないけど」

 

「……」

 

「……名残惜しいか?」

 

「……はい」

 

 無理もない。トレセン学園の生徒は多忙故、レースの遠征が修学旅行みたいなところがある。本当なら遊びに来たわけじゃねぇんだぞと叱らなければならない。でも、そんな彼女達の青春を奪うような真似は自分には出来なかった。

 

「気持ちは分かるよ。僕だってまだ純粋に修学旅行を楽しめてた中学生の時、最終日が近づくにつれ憂鬱になってたからさ」

 

「高校生の時は楽しめてなかったんですか?」

 

「いや、そもそも行ってないけど」

 

「……」

 

 おい、なんだその微妙そうな顔は。いいだろ別に、その分修学旅行費浮くわトレーナーになるための試験勉強に時間を費やせるわで良いこと尽くめだったんだから。

 

「と、とにかく! こうして遠出がしたいんなら、いつかの合宿みたいにまた機会はあるよ。その時はマックイーンも一緒だ」

 

「マックイーンさん……」

 

「ああ、なんなら前みたいにセイウンスカイを誘ってもいい。いや、でもそしたらもれなく一色も付いてくるのか……」

 

 あの時セイウンスカイも連れて行けと申し出てきたのは一色なのに、帰ってきたら「なんでわたしも連れて行ってくれなかったんですか!」とキレられた。おかしいと思う。

 

「……ちょっと隣に来てもらってもいいですか?」

 

「え、なんで……」

 

「いいですから」

 

「……ウス」

 

 ベッドをポンポンと叩くダイヤの圧に負けて椅子からベッドに移動する。

 

 

 何かがおかしい。そう思いつつも、今の自分には彼女の言うことに従うしかなかった。

 

 

「トレーナーさんの言う通り、明日帰らなくてはならないのは寂しいです。前哨戦では結果が残せなかったしトレーニングは大変でしたけど、それでも私にとって初めての経験ばかりでした」

 

「でも感傷に浸るのはまだ早いぜ? 物事ってのは最初でも途中でもなく最後が一番肝心なんだ。その最後がまだ終わってないんだから、思い出語りは明日の飛行機にでも……っ!?」

 

 最後まで言い終わる前に視界がひっくり返る。何が起こったか分からなかったが、頬を紅潮させたダイヤに覆いかぶさられているという現状を理解して瞬時に悟る。

 

 

 押し倒されたのだ。それも、自分の担当ウマ娘に。

 

 

 トレーナーが担当ウマ娘に襲われたという事件は何度か聞いたことがある。でも自分の知り合いが極端に少なかったのが原因か、そういったことは噂程度しか耳にしていない。

 それが現実に起きようとしている。完全に油断していた。いや、そもそも自分がそうなるとは考えていなかった。

 

 抵抗しようにも、押し倒された瞬間に両腕はがっちりと拘束されており動かせない。足は動くが、ダイヤを蹴るなんてことは自分にはできない。

 一応この状況をどうにかする手段は残しているものの、これは最終手段だ。できれば使いたくない。つまり、ダイヤを説得するしか方法はない。

 

「……悪いことは言わない。今すぐこんなことはやめるんだ」

 

「嫌です」

 

 即答。以前マックイーンに似たようなことをされたが、あの時以上に事態は深刻だということか。

 

「この二ヶ月間、楽しかった。あなたとデートをしたり、トレーニングをしたり、日本にいる時以上に同じ時間を共に過ごしたり。結果が振るわなかったり怪我もしたりして良いことばかりではなかったけど、それも含めて私にとってかけがえのない時間でした」

 

 独白を続けるダイヤは、まるで駄々をこねる赤子のようだ。そんな独白を、僕は黙って聞くことしかできない。

 

「でも、それももう終わってしまう。こんなにも楽しかった日々が終わりに近づいてるんです」

 

「だから、こうして泊まり気分を味わいたいならまた合宿にでも……!」

 

「トレーナーさん、あなたは何か勘違いしています」

 

 冷え切ったダイヤの声音に背筋が凍る。第六感が危険を訴えているのを本能で察知してしまった。

 

「フォワ賞の後、私がなんて言ったか覚えていますか?」

 

「……悪い、覚えてない」

 

「ではもう一度教えてあげます」

 

 押し倒された状態にある僕の耳に顔を近づけ、ダイヤはそっと囁く。

 

 

 

 

「私は、あなたと二人きりでいられたらそれでいいんです」

 

 

 

 

 言葉が出なかった。今の彼女は正気じゃない、なんとかして目を覚まさせなければ。

 

「ぐっ……ダイヤ、頼む、手を離してくれ。このままじゃ取り返しのつかないことになる。そもそもなんでこんなことを……!」

 

「私、自分の思ってる以上に独占欲が強いみたいです。あなたと二人きりでいられるのも今日が最後……終わってしまう前に、私の『もの』となってください」

 

「……僕と君は教師と生徒だ。だから君の願いは叶えられない」

 

「だったら無理矢理にでも叶えるまでです。知ってますか? "人間がウマ娘に敵うはずがない"」

 

「……っ!」

 

 確乎不抜、これだけは譲れないと雰囲気に流されることはなかったが、ダイヤはそれ以上の執念だった。

 説得は不可能と判断し、不意打ち気味にダイヤの手から片腕を引き抜き自由を獲得する。しかしそれも束の間、最終手段のブツが入った右ポケットに手を伸ばすも、直前でまたしても拘束される。

 

「トレーナーさんがまだ何か隠し持っていることは分かってました。以前、合宿でマックイーンさんとスカイさんを相手にされていた時、『君達をどうこうする方法なんていくらでもある』と仰っていましたよね?」

 

「くっ、そんな前のことを……随分と記憶力がいいんだな」

 

「ええ、あの合宿も私にとっては忘れられない思い出の一つなので」

 

 そう言いながらダイヤは僕の右ポケットに手を伸ばし小物を取り出す。

 その正体は強力な催涙ガスが入ったスプレー缶。トレーナーはこれを携帯することを義務付けられている。理由はこの状況を見てもらったら分かるだろう。

 

 ダイヤは催涙スプレーを放り投げ、虚しくも最終手段があっさりと封じられた。

 

 正直、もう打つ手は無い。助けを呼ぼうにも両手は塞がれているため連絡は取れないし、声を上げようにもこの部屋は防音だ。

 

「大人しくしていてください、トレーナーさん。この日のためにいっぱい勉強したんですよ?」

 

 ダイヤは妖艶に微笑んでネグリジェを着崩す。露になった肌色に対し、条件反射で首を動かして視線を逸らす。

 

「トレーナーさん、可愛い……やっぱり女性慣れしてないみたいですね」

 

「余計な……っ、お世話だ!」

 

「そんなに暴れても無駄ですよ。大人しくしていてと言ったのに悪い人ですね。ぞくぞくしちゃいます」

 

 最後の抵抗と言わんばかりに体を捩らせてもダイヤの嗜虐心を煽るだけとなってしまった。

 

「……ダイヤ、最後の忠告だ。いい加減目を覚ませ。僕のことはどうなってもいい。でも、ここで流れに身を任せたら君の夢を叶えるどころか君自身がトレセン学園にいられなくなる」

 

「……」

 

 反応を見るに彼女の心を揺さぶることに成功したようだ。彼女とて己の夢を蔑ろにしたくはないだろう。頼むからここで身をひいてくれ。

 

「それでも……」

 

「……ダイヤ?」

 

「それでも私はあなたが欲しい」

 

 くっ……そうだった、今のダイヤは正気じゃない。故に、僕の声が届くことはない。第三者、もしくは僕以外の外的要因が無いと、彼女は止まることを知らない。

 

 徐々に近づくダイヤの綺麗な顔に比例して焦りと心拍数が増えていく。美少女に迫られるというのは男なら一度は夢見たシチュエーションのはず。でも、今の僕にとってはちっとも嬉しくなかった。

 

「トレーナーさん……トレーナーさん……」

 

 更に頬を紅潮させ、興奮状態にあるダイヤ。もう自分にはどうすることもできない。万事休すだ。

 

 諦めの心を胸に抱いて目を瞑る。

 

 

 すまない、マックイーン。君との約束、守れそうにないや。できることなら、このまま平穏に君達の走りを最後まで見届けたかったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな思いが届いたのか、机に置いていたスマホから着信音が鳴り響く。音量はそれほど大きくない。科学文明が発展した現在、こんなものは日常生活の一部として気にすることはないだろう。

 

 

 だが、それはダイヤの目を醒まさせるには充分すぎる音だった。

 

 

「……私……私は一体…………ごめんなさい……っ!」

 

「ま、待てダイヤ! 落ち着いて話し合えば……」

 

 話し合ってどうする。今のダイヤにあるのは、やってはいけないことの直前までしてしまった罪悪感と、自制心を効かせることができなかった自責の念。安易に君は悪くないと言えないこの状況、彼女の気持ちを晴らす方法が咄嗟に思いつかない。

 

「あ……」

 

 結局引き止めきれず、ダイヤが部屋を出ていくのを黙って見ていることしかできなかった。それと同時に部屋に静寂が訪れ腰が抜けてしまう。

 最悪の事態にならなくて良かった、などと言うつもりはない。ここで言う最悪とは一体何か。僕の地位が崩れることか、それともあのまま襲われてしまっていたことか。

 

 

 違う、凱旋門賞でダイヤを気持ちよく走らせられないことだ。とてもじゃないが、ベストコンディションで明日に臨めるとは思えない。

 

 

 体を引きずってなんとか机の上のスマホを手に取る。ホーム画面に表示されていたのは、不在着信という通知とメジロマックイーンという名前。ファインプレイと声高に叫ぶことはできないため、心の中で感謝しておくとしよう。

 

「はぁ……」

 

 マックイーンへの感謝とは裏腹に、己の不甲斐なさにため息をつく。

 

 嗚呼、どこで間違えたのだろうか。いや、何もかもが間違っていたのかもしれない。自分がウマ娘に甘いということは自覚している。昔からそうだ、東条トレーナーにだってそれを散々指摘されてきたはずなのに、それを全く活かせてない。

 その結果がこれだ。自分の悪い所を直さず、見て見ぬふりを続けてきた。自業自得としか言いようがない。

 

「……ちくしょう」

 

 やりきれない気持ちが口から漏れてしまう。無気力と喪失感に襲われ、床に寝転がって天井を見上げる。

 

 

 知ってる天井だ。それも明日でおさらば。

 

 

 視界に映った時計の長針は、十二の数字を五分だけ過ぎていた。

 

 

 






ガイドライン的にもこれがギリギリと思いまして。


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立ち止まるのは許さない

 

 

 フランス時間午後二十三時。一時間ほど前に離陸した飛行機に乗った僕達は、既にパリの地を後にしていた。

 日本とフランス間でのフライト時間は約十三時間と少し。睡眠を取るには十二分な時間だ。とはいえ、そう易々と眠りにつくことはできない。それは隣に座るダイヤも同じなようで、ちらりと視線をずらせば、目を閉じず俯いたままの彼女を確認できた。

 

「……ダイヤ、寝づらいかもしれないけど、しっかり睡眠取っとけよ」

 

「……」

 

 返事は無い、今日はずっとこんな感じだ。話しかけても目も合わせてくれない。返事くらいはしてほしいと言いたいのだが、言いかけるたびにその言葉を飲み込んでしまい結局言えず終いとなっている。

 

 

 15着。これは僕達の凱旋門賞挑戦の結果だ。惨敗としか言いようがない。案の定勝ったのは前日に懸念していたウマ娘。ただ彼女が強かった、それだけ。

 

 頭ではそう分かっていても、この結果を認めたくない気持ちがないわけではない。むしろその気持ちでいっぱいだ。

 後悔も反省すべき点も数えだしたらきりがない。それでも今やるべきはそんなのではないことは分かっていた。

 

「……ダイヤ、色々あったけどこれだけは覚えておいてくれ。僕は君を絶対に見捨てたりなんかしない。だから、今はゆっくり休みな」

 

「……っ……ぅ……」

 

 ダイヤは他のお客さんの迷惑にならぬよう、声を押し殺して大粒の涙を溢す。堪えていた最初の一粒が流れ出すと、あとはもう止まらない。

 皆の期待を背負い、自分の夢を賭けた結果が不甲斐ない結果で終わってしまったのだ。それも、彼女はまだ中学生の少女。レースというのは時に熱狂や興奮を与えるが、時に挫折や絶望をも贈る。トレーナーとしても、これだけは何度経験しても慣れることはない。

 

 負けに慣れるということは敗北者のレッテルを貼られても文句は言えないということに等しい。仮に自分が経験を重ねてベテラントレーナーとなったとしても、負けに慣れるなんてことはないだろう。そうなってしまってはそれはベテランではなく三流以下だ。

 

 しかし、敗北を引き摺ってはならない。忘れるのも技術の内、というのは言うは易し行うのは難しか。全く、本当に難しい職業だぜ、なあ、樺地。ウス。

 

 誰もツッコんでくれるはずないのに心の中でボケをしていると、いつの間にか泣き止んだダイヤから小さな寝息が聞こえきた。かなり疲れが溜まってだろうに、それが気にならない、もしくは我慢してしまうほど抱え込んでいたのか。

 

 彼女の膝の乱れた毛布をかけ直し、自分も眠る態勢に入る。

 

 明日からトレセン学園で通常業務だ。正直言って面倒くさい。このままダイヤと逃避行でもしようかしら、絶対しないけど。

 

 適当なことを考えるも、驚くほど睡魔に襲われる気配はなかった。羊を数えても、腹式呼吸をしても、脳内にこびりついた悔恨が睡眠を妨げ無駄に終わる。

 

 

 結局一睡もすることができないまま、十三時間という長い時間を無為に過ごすこととなった。

 

 

 

 

 

 

 日本時間十八時半、空港にて。

 

「お帰りなさいませ、ダイヤさん、トレーナーさん」

 

「マックイーン……どうしてここに?」

 

「どうしてって……連絡入れましたわよ。出迎えに参りますと」

 

 そう言われてスマホを確認すると、マックイーンの言う通り確かにその旨の連絡が入っていた。前日からLANEはほとんど見ていなかったため気が付かなかった。

 

「悪い、ちょっと色々あって確認してなかった」

 

「報連相は社会人として当然のことですわよ。……ですが、今回だけは見逃してあげます」

 

 マックイーンは神妙な面持ちでダイヤに近づきその手を取る。

 

「……マックイーンさん?」

 

「結果はどうあれ、まずはお帰りなさい、ダイヤさん。貴方がいない間随分と寂しかったですわ」

 

「……はい、ただいまです」

 

 何も言わずマックイーンはダイヤを抱きしめる。やはりダイヤは落ち込んだままだ。機内で少しでも元気付けることができたと思ったが、一日経たずで復活できたら苦労はしないか。

 

 この先どうしたもんかと悩んでいると、後ろからポンと背中を叩かれ振り返る。そこには、亜麻色の髪を揺らした帽子の女性が控えめに微笑んでいた。

 

「お帰りなさい、せんぱい」

 

「一色か。なんでいるの?」

 

「なんでって酷くないですか? せんぱい達のお出迎え兼マックちゃんの保護者係ですよ。ほら、門限も近いですし、一応せんぱいが帰ってくるまでわたしはマックちゃんの代理トレーナーですし」

 

 マックイーンの代理トレーナー任期は昨日までの予定だったが、律儀にそこまでしてくれていたのか。

 

「そうだったな。ありがとう、色々協力してくれて。お前のおかげで助かったよ」

 

「…………」

 

「……え、なに? 何その唖然とした顔は」

 

「いえ、素直にお礼を言うせんぱいってなんだか気持ち悪いなって」

 

 こいつほんまに……っ! 

 

 僕のことをなんだと思っているのだろうか。僕だってお礼くらい言ってるだろ、多分、知らんけど。

 

 一色の失礼な発言に抗議しようとすると、彼女はマックイーン達に聞こえないよう囁く。

 

 

「……向こうで何かあったんですか」

 

 

 ……本当にお前は失礼なやつだ。

 

「何も無かったよ」

 

「嘘ですね。乙女の勘がそう言ってます」

 

「もっと別のところで働かせる場所があるんじゃないかな」

 

「ここぞと言う時にしか働かないので、今働いたってことはその時ってことです。それで、何かあったんですか?」

 

「……さあね」

 

 自分でもぶっきらぼうな言い方をして黙ったままでいると、一色はしょうがないですねぇと言ってマックイーン達のいる方へと歩いていく。

 

「マックちゃん、サトイモちゃん。悪いんだけどわたしちょっと用事あるから二人で先に帰ってて貰ってもいいかな?」

 

「それは構いませんけど……トレーナーさんはどうされるのですか?」

 

「せんぱいはURAの本部に報告行かなきゃいけないの。大きな遠征をした後のトレーナーってのは大変なのよ」

 

「……承知しました。一色さん、トレーナーさんをお願いします。行きますわよ、ダイヤさん。そろそろバスが来てしまう時間ですわ」

 

「……はい。それではお先に失礼します」

 

 白々しくやれやれという仕草をする一色に対し、マックイーンはどこか訝しげな目をしていた。それでも納得したと言うことは一色の意を汲んだということか、素直に引き下がったマックイーンはスーツケースを運ぶダイヤと共に空港を去っていった。

 

 ダイヤのことはひとまずマックイーンに任せよう。マックイーンの方が経験豊富なのは確かだ。彼女と話すことでダイヤも何か見えるものがあるかもしれない。

 

 というか……

 

「なんだよ、URA本部に報告って。もうちょっとマシな嘘あっただろ」

 

「いいんですよ、マックちゃんに気づかれるギリギリのラインの嘘で。サトイモちゃんは……それどころじゃなさそうですし」

 

「……お前って気ぃ遣えるんだな」

 

「何のために嘘ついてまでマックちゃん達先に帰らせたと思ってんですか!?」

 

 うるさいやい、さっきのお返しだ。

 

 悪戯に小さく舌を出すと、小声で「きも」と聞こえてきたので二度とやらないことを決意した。

 

「んで、あの二人を先に帰らせてまで何しようってんだよ」

 

「よくぞ聞いてくれました。せんぱい、お腹空きましたよね?」

 

「お金無いんですけど」

 

「奢れなんて一言も言ってないじゃないですか……。逆ですよ、逆。わたしがせんぱいに奢ってあげるんです」

 

 こいつ今なんて? 一色が奢る? 飯を? はっはっは、おもしれ〜。

 

「……その引き攣った笑顔やめてください。嘘じゃ無いです、本当です」

 

「尚更怪しいよ。絶対裏があるに違いない。例えばそうだ、料理に手をつけた瞬間『あ、食べましたね? じゃあこれお願いします』って無理矢理仕事押し付けたり……」

 

「いい加減にしてください」

 

 突如低い声が聞こえてきた。それは一色から発せられたもので間違いないのだが、ゆるふわ系女子を自称する彼女からは考えられないほど冷えきった声音だったので戸惑ってしまう。

 

 

「フランスでサトノダイヤモンドと何かあった。そうなんでしょう?」

 

 

 ……ああ、あったさ。人には到底話すことのできない事件が、レースの前日に。

 

 

 ダイヤがあれほど落ち込んでいたのも、凱旋門賞が不甲斐ない結果に終わったのも、そのことが関係していることは言うまでもない。

 

「反対の意志は言葉にしないと伝わりません。さっきからせんぱいが沈黙を貫くということは、それで間違いないみたいですね」

 

「……どうしてそう思ったんだ」

 

「だから女の勘ですってば。特に、わたしの勘は良く当たるんです」

 

 そう言った一色は、僕の荷物をひったくって空港の出口へと向かう。

 

「お、おい一色、待て。飯って言ってたけどこれから一体どこに行くんだよ。それになんだって急にこんなことを……」

 

「……はぁ、あなたはどこまで行っても鈍い人ですね」

 

 一色は呆れてため息をつく。声音は普段通りに戻っており、先程までの恐ろしさは感じられなかった。

 

 いつもの一色だ。でも、今はそのいつもの一色に感謝してもし足りない。

 

 

「困った先輩を助けるのは、可愛い後輩の特権。つまりはそういうとこですよ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「……なあ、一色」

 

「……なんですか」

 

「飯って言ってたけど、ここって……」

 

「し、しょうがないじゃないですか! まさかどこもかしこもお客さんでいっぱいだなんて想定外だったんですよ!」

 

 つい先程までの感謝を返して欲しい。自分も人のことを言える立場では無いが、どうしてこいつはこういう時に締まらないのだろうか。

 

 一色に連れられてレストランや居酒屋といった飲食店を回るも、どうしてかどこもかしこも満席状態。そして、とうとうたどり着いた場所はといえば、以前沖野トレーナーに連れられて入店したことのあるバーだった。

 ここはどちらかといえば飲む場所であり食べる場所ではない。ああ、お腹空いたなぁ……

 

「とにかく! さっさと入りますよ! お店探してたら二時間も食っちゃったんだから……」

 

「いや、入るって言っても僕お酒飲めないんですけど」

 

「わたしが飲ませるんで大丈夫です」

 

「えぇ……」

 

 一色のアルハラ宣言にげんなりしつつ、彼女の後に続いていつの日かみたいにバーに入店する。

 そのいつの日かというのは沖野トレーナーと二人きりというむさ苦しい展開だったけれど、今は異性と二人だ。まあ今回も相手が一色なので色気もクソも無いんだけどね。

 

「……今変なこと考えました?」

 

「いや、なんでもない。いいから何か注文しようぜ。メニュー表と店員呼び出しボタンはどこだ?」

 

「せんぱい、ファミレス感覚でいるのやめて」

 

「びっくらポンも無いぞ」

 

「もう恥ずかしいので黙っててくれませんか?」

 

 お口チャックを言い渡されてしまった。もう、ただの冗談だってのに。

 

 とはいえ、バーに行ったことなんてほとんど無いのは事実。前は沖野トレーナーと行ったのもどんな風に頼んだかはうろ覚えだ。たしか……

 

「わたしはジントニックで。せんぱいはどうします?」

 

「僕はお酒飲めないのでオレンジジュースお願いします」

 

「マスター、この人にはクセの強くないウイスキーお願いします」

 

「話聞いて? てか本当に飲ませる気なの?」

 

「そう言いましたよね?」

 

「じゃあせめてレモンサワーとかにしてくんない? 初手飲んだことないウイスキーはきついって」

 

「……せんぱい、バーにレモンサワーは無いですよ」

 

 なん……だと……? 飲めないとはいえ、サワー系などのそれほどアルコールが強くないお酒を飲んだことことがないわけではない。そして自分は酒に強くもないし弱くもない、至って普通なのも知っている。

 ただ普通に酔うので、その姿を誰かに見られるというのは抵抗があるのだ。今すぐ注文を取り下げたかったが、それをしてしまうとただマナーの悪い客になってしまうので躊躇してしまった。

 

 そうこうしているうちに一色のカクテルと僕のよくわからんウイスキーが出される。口を付ける勇気が出ないままグラスでお酒を転がしていると、一色は乾杯の間も無く飲んでいた。

 

「お酒に強い大人の女……せんぱい的にはどう思います?」

 

「ん? ああ、いいんじゃないの? 知らんけど」

 

「うっわテキトー……。ほら、せんぱいもちゃっちゃと飲んでくださいよ。素面じゃやってけませんって」

 

「お前は社畜のOLか」

 

「間違ってなくないです?」

 

「僕も言ってからそう思った」

 

 どうやら発言等々鑑みるに、一色はかなりお酒に強いらしい。これまでに彼女が酒豪といった情報は耳にしていない。

 こうして一色は飲めて僕が飲めないというのはなんだか癪に触るので、思い切ってグラスを口に付ける。やっぱり慣れない感覚だ。酒は飲んでも飲まれるな。これを常に意識して記憶を保つ。

 

「……まずはフランス遠征お疲れ様です。この二ヶ月、マックちゃんとも仲良くできましたし、せんぱいの心配するようなことは……あー……起きてないですよ」

 

「おい、その『あー』はなんだ。いや、言わなくていい。聞きたくない」

 

「マックちゃんがスイーツ食べすぎちゃって体重が増えちゃったなんてことありませんから」

 

「言わなくていいって言ったよね!?」

 

 あのおバカ、報連相が大切とか言いながらそんなこと何も話してなかったぞ。とりあえず事実確認の後減量してもらおうか。

 

「そんなことより、今集中すべき相手はマックちゃんではないんじゃないですか」

 

「そんなことって……。僕にとってはマックイーンもダイヤも同じくらい大切だ。その発言には肯定しかねるよ」

 

「あはは、たしかに。じゃあ言い方を変えましょうか」

 

「っ!?」

 

 隣に座っている一色は僕の方にズイッと体を寄せる。ほぼ零距離状態で彼女は囁く。

 

 

「目を逸らしちゃいけないこと、あるんじゃないですか」

 

 

 そんなこと分かってる。分かってるけど目を逸らす以外に選択肢が無いんだ。

 

 どうすることもできない不甲斐なさを、己の中指に込め……

 

「あいったぁぁ!? 急にデコピンしないでくださいよ!」

 

「こういう風にお前に主導権握られてんのムカつくんだよ。てか、何があったか話した記憶はないんだが?」

 

「大方、レース前日になって帰るのが嫌になったサトイモちゃんに襲われかけたんでしょう。そして、せんぱいがこうして人前に顔を出すということは、大事にはなっていないということですね」

 

「は? なに、お前エスパーなの?」

 

「せんぱいとサトイモちゃんの様子で大体察しましたよ。目も合わせないし話もしない。あんなどんよりした雰囲気、レースだけとは考えられませんから」

 

 なるべく平静を保っていたつもりだったんだが、そこまで酷いとは思わなかった。それより、一色にバレているということはもしかしてマックイーンにも……

 

「安心してください、マックちゃんは多分気付いていません。何かあったくらいは察してると思いますけど、サトイモちゃんが自分から話すとかしない限りは大丈夫だと思いますよ」

 

「……そか」

 

「おや、それだけとは。せんぱいにしては随分と弱気になってるんですね。それともお酒が回ってきたからとか?」

 

「別に。僕は普段からこんな感じだ」

 

「口数も少ないですし、こんなせんぱい滅多に見られませんから新鮮ですねえ」

 

「……さっきから何が言いたい」

 

 口では酔いが回っていることを否定するも、実際はそのためのせいか一色に対し苛立ちが先行してしまう。なんだか前に酒を飲んだ時よりなんだか酔いが回るのが早い気がしなくもない。

 

「これからですよ。せんぱいはこれからサトイモちゃんとどう向き合うんですか?」

 

「……分からん。今まではさ、大抵のことは時間が経てば風化していくからどんなことがあっても知らず知らずのうちに日常に戻ってたんだ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「……今回は明らかに今までと違う。あのことを回避する手段はあったんじゃないか、ダイヤとどう向き合えばいいのか、一線は超えてないとはいえトレーナー失格なんじゃないか。色んな考えで頭の中がごちゃごちゃだよ」

 

 これも酔いのせいか、思っていることをすぐに口に出してしまう。おかしいな、自分はそこまで酒に弱くはないと思ってんたんだが。

 

「そうですか、大変ですね」

 

「特に何か言ってくれるわけじゃないのかよ」

 

「そんな少年漫画みたいな展開求めないでください。後輩のわたしにできることはせいぜい聞くことくらいです。せんぱいより経験も考えも浅いわたしじゃあ立派なことは言えないなんてことは分かってます」

 

「……いや、お前は十分立派だよ。こうして先輩を気遣えるなんて、昔の僕には出来なかったから」

 

「だからそれはわたしが……はぁ、もういいです。アドバイスはできませんが、要望を突きつけることならできますよ」

 

「はは……それは……おもしろ……」

 

 

 ……あれ? なんか急に瞼が……。

 

 

「そろそろ限界ですかね。遠征帰りで疲れてる上に、空きっ腹にお酒入れたんですもん、そりゃ酔いも早くなりますし眠くもなります」

 

 

 まずい、飛行機で睡眠を取ってないせいもあってか、目を開けておくことすらままならなくなる。

 

 

「わたしにはせんぱいの気持ちは分かりません。でも、このままじゃいけないということはあなたが一番よく分かっているはずです」

 

「いっ……しき……なにを……」

 

「惜しいですが、今日のところは寄り道せずこのまま寮まで送ってあげます。でも、これだけは覚えておいてください」

 

 

 頭が働かず一色が何を言っているか分からない。

 もう限界だ、自分の肉体と精神の輪郭が薄くなっているような気さえしてしまう。遠のく意識にもがくもそれは無駄な抵抗というものであり、次第に意識はまどろみへと沈んでいく感覚に陥る。

 

 そうして夢とうつつの間をぼんやりと彷徨っていると、

 

 

 

「あの日から、あなたはわたしの憧れなんです。こんなところで立ち止まるのは許さない」

 

 

 

 沈み行く意識の向こうから、そんな声が聞こえたような気がした。

 

 



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袋小路

 

 

 五月上旬。新緑芽生える木々を横目に重い腰を上げトレセン学園の敷地内を歩く。室外で考え事をするにはもってこいな気温な上に、生徒達は授業なため目立つところには人もウマ娘もいない。

 

「よっこらせっと……」

 

 何も考えず口から出てきた言葉を呟きながらベンチへ腰掛ける。少し歩き疲れたなと思うほどには歩いていた。これは運動不足のせいだろう、きっとそうだ。決して自分の老化が進んだわけではない。多分。

 

 

 そんなどうでもいいことを考えながら、お天道様が眩しく輝きを放つ青空を見上げる。

 

 

 ダイヤの凱旋門賞から半年と少しが経った。

 

 世間一般的に、この季節はクラシックレースに挑戦するウマ娘達の話題で盛り上がっている真っ最中だ。もちろん自分も注目していないわけではない。

 特にティアラ路線でとてつもない才能を有しているウマ娘がいると聞いた。その子も要チェックしなければならない。

 

 それでも去年やそれ以前よりは身が入らなかったのは事実。他人のことを気にかける暇があったら、ではないが、今の僕……いや、僕達はすこぶる不調をきたしている。

 

 

 凱旋門賞の後、フォワ賞での怪我もありダイヤは秋の間サトノ家に戻っていた。学園に泊まるより実家の医療施設を使った方がいいというのは合理的であるとのことだ。

 と、いうのはおそらく表向きな理由。本当のところはダイヤ自身学園から離れて気持ちを整理したかったのだろう。

 

 フォワ賞で負けた後、ダイヤは一人にしてほしいと言った。あの時あの場所、彼女は僕以外に頼れる人がいなかった。故に自分はそれを許さなかった。

 実家に帰るということは家族と時間を共にするということ。ダイヤの両親は多忙であるが、きっとゆっくり話し合ってケジメをつけてくれる。だから今はゆっくり休んで欲しい。そのことを伝えて彼女を送り出した。

 

 問題はここからだ。これまでのダイヤのレース歴において、ターニングポイントがあるとすればこの間が一つの境目になるだろう。

 

 

 サトノダイヤモンドのライバル、キタサンブラックのトゥインクル・シリーズ引退。

 

 

 キタサンブラックは引退レースの有マ記念を完勝し、ドリームトロフィーリーグへと移籍した。彼女のトゥインクル・シリーズでの戦績は20戦12勝、内GⅠ7勝というとんでもないものだ。

 具体的にダイヤとキタサンブラックの間でどのようなやりとりがあったかは分からない。でも、ダイヤはトゥインクル・シリーズで最大のライバルを失ったのだ。彼女の心境が理解できない僕じゃあない。

 

 

 そこからの調子はただ下がりだった。年明け戻ってきたダイヤはやはり元気が無くトレーニングにも身が入っていない。特段走りのキレが落ちている訳ではないが、二番人気に推された復帰レースの金鯱賞では3着、本命の大阪杯では7着という結果に沈んだ。

 

 このままでは次走を予定している宝塚記念も結果が振るわないだろう。何かを変えなくてはならないと思い改善策を探る。

 

 ……我ながら情けないな、いつも肝心な時に答えを出すことができない。

 

 僕がしっかりしなくてはならないのに、その理想からかけ離れているのが今の自分だ。適した答えを見つけることもできず、空でも見上げようかと俯いていた顔を上げると、そこには芦毛をたなびかせたよく見る綺麗な顔が……って

 

「マックイーン……なんでここに……?」

 

「窓の外を除いたらトレーナーさんの姿が見えましたので、こっそりつけてましたの」

 

「こっそりって……それより授業はどうした。まだチャイムは鳴ってないぞ」

 

「少し腹痛を催してしまいまして。でも今は治っていますわ」

 

「サボったってことね……」

 

 メジロ家のウマ娘がだの品格がだの言っていたお嬢様が随分と丸くなったものだ。彼女と出会ってからだいぶ経つ。その間に清濁併せ呑むという言葉を覚えたらしい。全く、誰に影響されたのやら。

 

 そう考えていると、サボリ魔令嬢は自然に僕の隣へと腰掛ける。

 

「それで、何を悩んでいましたの? もっとも、貴方の考えなんてお見通しもいいところですけど」

 

「ほーん、じゃあ言ってみ? 違ったら罰金百万円で」

 

「小学生じゃないんですから……。ここ最近……というよりここ数ヶ月、トレーナーさんとダイヤさんの元気が無いのは目に見えて分かります。元気が無いから結果が伴わないのか、結果が伴わないから元気が無いのか。因果関係はどうあれ、結果を出せてないのは紛れもない事実ですわ。自分のせい自分のせいと、貴方のことですからそうやって自分を責めている。違いますか?」

 

「なんなの? エスパーなの?」

 

「一心同体と言ってくださいませ」

 

 僕の思考はそんなに分かりやすいものなのだろうか。いつの日か、一色にも思っていることを当てられていた気がする。そろそろ真面目な顔してアホなこと考え出さなければならないのかもしれない。

 

「ここ一年間、ダイヤさんは中々勝ちきれませんでしたわね」

 

「……トレーニングや追い切りでの走り自体は悪いわけじゃないんだ。でも、レースになるとどうも上手くいかない。元々思い通りになるなんて思ってないけど、それにしても勝ちが遠い」

 

「凱旋門賞での大敗、キタサンブラックさんのトゥインクル・シリーズ引退、色々なことが重なってしまいましたもの。要はダイヤさんが抱えているのは精神的な問題ということになりますわね」

 

「……イップスか」

 

 アスリートなどによく見られる現象、イップス。プレッシャーなどによって極度の緊張状態に陥り、突如自分の思い通りの動きができなくなってしまう精神的な症状だ。これは誰もがかかってしまう可能性があり、今現在でも治療法は確立されていない。

 

 しかし、自分でイップスと口にしたはいいものの、今のダイヤがそれに完全に当てはまるとは思えない。

 

「半分正解半分ハズレといったところでしょうか。ダイヤさんが葛藤を抱えているのは事実ですけど、少なくとも彼女はプレッシャーに負けるようなウマ娘ではありません」

 

 ……よく見ている。元々マックイーンはダイヤのことを気にかけていたので特に驚きはないが、彼女の観察眼はやはり大したものだ。

 

「トレーナーさん、貴方なら本当は気がついているのでしょう? 今ダイヤさんに必要なもの」

 

「……ああ、分かってる。あの子には目標が無いんだ。これまで何かを目指して走っていたのに、今は走る意味を失ってる。だから今のダイヤは全く楽しそうに見えない」

 

 出口の見えない暗いトンネルにでも放り出されていると言うべきか。今のダイヤはそんな状態だ。

 誰しも一定の到達点を目標として何かに取り組んでいる。ゴールの見えないお先真っ暗な状態ではモチベーションも下がるというもの。一部例外を除いて。

 

「担当のウマ娘に夢や目標を焚きつけるのもトレーナーとしての仕事だってのは分かってる。でも、もしかしたらそれで走るのが嫌いになるんじゃないかと思うと怖くてさ。僕は君達に伸び伸びと楽しく走って欲しい。だから君達の意思は最大限尊重する」

 

「……貴方は些か優しすぎます」

 

「そうかな、保身に走ってるって言われても文句言えないと思ったんだけど」

 

「貴方の担当である私の言葉が信じられないと?」

 

「じゃあそういうことにしておこうか」

 

 新手の脅しだ。このタイプは初めて聞く。

 

「指導を受ける立場である私が言うのもなんですが、教育者たる者、確固たる厳格さも持ち合わせなければならないと思いますわ」

 

「……僕ってそんなに気が抜けてるように見える?」

 

「ええ、それはとても」

 

 泣いていいかな? いいよね、泣きます。

 

「ですけど、大事な所で一番欲しい言葉を言ってくださるのもまたトレーナーさんです。私にとって、貴方は元から素敵なお方。テイオーと競った有マ記念、過程はどうあれ私に最後のひと押しをくださったのは他でもない、私達のトレーナーさんなのですから」

 

「マックイーン……うぐっ!?」

 

 それなりにいい雰囲気だと思われる中、ぶち壊すかの如くかなりの勢いでマックイーンは僕の背中を叩く。恨めしげに彼女を見ると、フフンと満足そうな顔をしている。くそっ、可愛いかよ。怒る気にもなれない。

 

「なのでもっと背筋を伸ばしてくださいまし。トレーナーさんがそれじゃあ、ダイヤさんだって沈んだままですわよ」

 

「……そうだね」

 

 ベンチから立ち上がり思い切り背伸びをする。腰にまとわりついていた鉛のような何かが落ちたような気がする。

 

「なんかさ、焦ってた。トレーナーなんだから僕がしっかりしなきゃって。そんなの、一緒に頑張るってことじゃないよな」

 

「焦って周りが見えなくなるのは貴方の悪い癖ですわね」

 

「それ、だいぶ前に他の人からも言われたよ」

 

「む……その方より私の方がトレーナーさんを理解してると思いますけど。むしろ、この世界において私よりトレーナーさんを理解している方はいないと自負していますわ」

 

「はいはい、そこまで慕ってもらえて教育者冥利に尽きるよ」

 

「ちょ、やめ……子供扱いしないでくださいまし!」

 

 犬を相手にするかのようにマックイーンの髪をわしゃわしゃと撫でる。後々髪のセットが乱れた云々言われるだろうけど、授業をサボってる不良ウマ娘にはそんなことを言う資格は無い。

 

 先程、ダイヤは出口の見えない暗いトンネルに放り出された状態と言ったな。そこから自力で抜け出すというのはほぼ不可能だ。時間が解決してくれるという手段もあるにはあるが、できることなら抜け出すのが早いのに越したことはない。

 先が見えず、ただ走ることしかできない彼女に対し、どうしたら早くそこから抜け出させてあげられるのか。明かりを灯してあげたらいいのか、それとも非常口まで導いてあげたらいいのか。

 

 

 違うな、間違っている。少なくとも僕の答えはそんな生優しいものではない。

 

 

「……よし、今から準備を始めるから決行は一週間後にするか。何かと忙しくなるから今日は自主練だ。君達のトレーニングを満足に見れそうにない。できれば坂路トレーニングを重点的にやってもらいたくて……」

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 矢継ぎ早に一体何を仰っているのですか!?」

 

 おっといけない、つい気持ちが先走ってしまっていた。一旦落ち着きを取り戻し、改めてマックイーンに向き直る。

 

「君はかつて僕に『ダイヤが迷って袋小路になってしまったら、どんな手を使ってでも助け出しなさい』と言ったね」

 

「……? え、ええ、たしかにそう言いましたけど……。でもトレーナーさん、くれぐれもあの時のようにトレーナーをやめるというのは……」

 

「ああ、同じことはしないよ。もう君に殴られるのは勘弁だからね。でもその代わり、協力してほしいことがあるんだ」

 

 情けない話だが、この状況をどうにかするにはきっと僕の力だけじゃ及ばない。だからこそ周りを頼る、悪い言い方をすれば、使えるものはなんでも使う。

 誰かさん達のせいでチーム以外での集団行動が禁止になって以来、あまり連絡を取っていなかった名前を電話帳から探し出して一つ連絡を入れる。

 

 自分だって無策なわけではない。しかし、今思い浮かんだ手段はあまり褒められたものではないことは自覚している。トレーナーとしては失格な上に、下手したらダイヤを深く傷つけてしまうかもしれない。

 

 でも、それは承知している。そうしてでもダイヤには前を向いて欲しい。だったら大事にならない程度にはどんなことでもやってみせようじゃないか。

 

 

 そのためにもマックイーン、君には一番重要な役目である──

 

 

「後始末、任せたよ」

 

「…………はい?」

 

 

 



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誰のために

 

 

 

 お日様の気持ち良い午後の授業、私は教科書を広げてぼーっとしていた。

 

 

 どうして走ってるんだろう。

 

 

 初めてそんなことが頭をよぎってしまったのは、凱旋門賞から半年後の復帰レースである金鯱賞の最中だった。今までそんなこと考えたこともなかったのに、一度考え出したらそれはまるで呪いのように足を鈍らせた。

 勝ちたいという気持ちの篝火はいつだって絶えたことはない。スタミナは残っている、疲労もそれほどではない。なのに足が前に進ませるのを阻止しようとする。答えを出せないまま、金鯱賞、そして大阪杯と二連敗を喫した。

 

 思えばせっかく皆が期待してくれて送り出してくれた凱旋門賞だって完敗だ。それもただの敗北ではなく、トレーナーさんに大きな迷惑をかけた上でのもの。あと少しトレーナーさんの電話が鳴るのが遅ければ、自分は彼の職を失わせていたかもしれない。

 そう考えたら申し訳ないどころの騒ぎではなかった。逃げるように実家に帰り、気持ちを落ち着かせようとした。それでも心は晴れることはなく、時間が経てば経つほど後悔は膨れ上がる。

 

 そんな気持ちを抱え込んでいた時、キタちゃんのトゥインクル・シリーズ引退の話を聞いた。今後はドリームトロフィーリーグを走るらしい。

 キタちゃんがそう決めたのだ、私がどうこう言う権利は何一つない。そんなことは分かっているけど、やっぱり悔しかった。彼女は私の目標で、一番勝ちたい相手で、そして最高の親友なのだから。

 もうトゥインクル・シリーズでキタちゃんと走ることは叶わない。そう考えたら言葉にできないほどの無力感に襲われてしまった。

 

 

 私は結局何がしたいんだろう。このまま無様に走り続けるのだろうか。誰の期待にも応えることができず、独りよがりでみっともない負けを重ねるのだろうか。

 

「……ん」

 

 悩んでいる最中、ポケットに入れていたスマホが震える。授業中という背徳感はありつつも誰からの連絡か気になり確認すると、それはトレーナーさんからのものだった。

 

『話したいことがある。放課後トレーナー室に来てくれ』

 

 元々彼からの連絡は淡白なものなので冷たくされているようには感じない。一時期絵文字や顔文字を使っていたらしいが、解釈違いとのことでマックイーンさんから猛批判をくらったらしい。

 

 今私が潰れていないのはトレーナーさんのおかげだ。あんなわがままを、あんな迷惑をかけておきながら彼は私の味方でいると言ってくれた。頼ってしまう、寄りかかってしまう。いつしか自分は彼のために走るようになっていた。このぬるま湯にズブズブと浸かっていき……

 

「ではこの問題を……サトノさん、お願いできる?」

 

「……春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の──」

 

「……あの、サトノさん? 今は古文じゃなくて数学の授業なんですけど……」

 

 トレーナーさんの隣にいたい、見捨てられたくない。でも、彼の足枷にはなりたくない。

 

 

 ……何してるのかな、私。

 

 

「サ、サトノさん、いつまで枕草子読んでるの? 先生困っちゃうなーなんて……」

 

 

 

***

 

 

 

 気がつけば放課後、重い足取りの中トレーナーさんの連絡通りトレーナー室の前へとやってきた。

 

 この季節だと次のレースについての話だろうか。一応次に目標と定めているレースは宝塚記念だったはずだ。それまでにまだ二ヶ月弱の時間があるため焦りすぎる必要はない。

 だとしたら別の要件かな。例えどんな話であろうとなかろうと、私が彼の重荷になっているのは変わらない事実。トレーナーさんは私だけのトレーナーじゃない、マックイーンさんのトレーナーでもあるんだ。私なんかがお二人の邪魔をしていいはずがない。

 

 覚悟を決め、ドアをノックしてから部屋へと入る。呼び出した件の人物は相変わらずキーボードを打ち込んでおり、目の下には離れた場所からでも分かるほどの隈がくっきりと浮かび上がっていた。全く、この人は……

 

「ああ、ダイヤ、待ってたよ」

 

「待ってたよじゃありませんよ。きちんと寝ていますか? 何かお話があるようですけど、トレーナーさんは一旦休んでまた後日に……」

 

「いや大丈夫、こういうの慣れてるから問題無い。トレセン学園のスタッフ募集項にアットホームで明るい職場って書いてる張り紙見たことあるだろ? あれ夜中も電気付いてて家には帰らせねぇぞって意味だから」

 

 さらっとこの学園の闇の部分を暴露するトレーナーさん。それ全然大丈夫じゃないと思うんですけど……

 

「は、はぁ……でも、私達からしたら凄く気分が悪そうに見えるのできちんと休んでくださいね?」

 

「ういうい。と言ってもとある事情でここ数日が忙しかっただけだから本当にもう問題無いよ。……それに、明日じゃもう遅いしな」

 

「? どうかされましたか?」

 

「いや、なんでもない」

 

 

 ああ、やっぱり彼と話していると心が落ち着く。今までの自分の不甲斐無さも、悔しさも、無力さも、全てを忘れさせてくれる。

 

 そう感じていると、トレーナーさんは一つ手を叩いた。

 

「さて、こういった状況で御託を並べるのはあんまり得意じゃなくてね。ここでダラダラするのもあれだし早速本題に入ろうか」

 

 緩く感じる雰囲気の中、トレーナーさんは裏返しにされた一枚の紙を私に差し出す。なんだろうと思い捲ると、それは思いもよらないものだった。

 

「ト……トレーナーさん……これは……?」

 

「見ての通りさ。そこに書いてあることが全てだ」

 

「でも……これ……」

 

 

 その書類には、『トレーナー契約解除』との文言が書かれてある。見間違いではないかと目を擦るが、その文字列が変わることはない。

 

 

「契約解除って……。そ、そんな……何かの冗談じゃ……」

 

「残念ながら嘘でも冗談でもない。現状維持が続くのならば、今日限りで君と僕の関係は終了だ」

 

 急すぎる展開に未だ脳が受け入れていない。先程まではトレーナーさんの足枷になりたくないと言っていたのに、いざそう言った状況になると頭が回らなくなる。

 

「ど、どうして……! 私に何か不備がありましたか!?」

 

 咄嗟にそんな言葉が出てくるほど今の私にとってトレーナーさんはなくてはならない存在となっている。嫌だと脳が拒絶反応を起こすほどに。

 対してトレーナーさんは黙ったままだ。その確固たる姿勢に、彼の冗談じゃない発言が本当だということを認識させられる。

 

「……トレーナーさんは私のことが嫌いなんですか?」

 

「……少なくとも、今の君の走りは見ていて気持ち良いもんじゃない。凱旋門賞が終わってからというもの、君からはなんの思いも信念も感じられないからね。そんなウマ娘にターフに立つ資格なんてあっていいはずがないよ」

 

「っ……」

 

 厳しい言葉、しかし的確かつ正論。普段優しいトレーナーさんの口から放たれた言葉なだけに、私への精神的なダメージは自分の思っている以上のものだ。

 

「で、でも……トレーナーさん言ってくれたじゃないですか……『一生面倒見る』って……!」

 

 自分の声が震えているのが分かる。皐月賞の前日、トレーナーさんは私にそう言ってくれた。本当に嬉しかったのだ。どんな辛い時でも彼が隣にいるということは心強かった。あの言葉は今でも忘れられない。

 

 それなのにトレーナーさんは──

 

「あれはあの時の君の想いの強さに惹かれたからだ。何も持っていない今の君はその時とはまるで別人。そもそも、あんな言葉その場のノリと勢いで言っただけさ。ああ、もしかして本気にしてたのかい?」

 

 冷徹に真顔でそう私に告げる。

 私は何か悪い夢でも見ているのか。あんなに信用して信頼していたトレーナーさんの理想像が音を立てて崩れていくのが分かる。

 それでも反論はできなかった。トレーナーさんがこの一年、私がまた勝てるようにあの手この手を尽くしていたことを知っている。それを裏切るような真似をし続けたのは他でも無い私だ。

 

「残念だよ、サトノダイヤモンド。君には期待していた。きさらぎ賞の後に自分の想いを告げた君も、菊花賞、そして有マ記念と本気で走りに熱中していた君も、今はどこにもいない。このまま本当に"終わっていく"ウマ娘とこれ以上関わりを保つつもりはない」

 

「い……嫌です……。だって……だって私まだ……」

 

「……相変わらず諦めが悪いな。この際だからはっきりと言おうか」

 

 椅子から立ったトレーナーさんは冷たい視線で私を見下ろす。こんな彼知らない。私の知っているトレーナーさんじゃない。

 

「君は僕やマックイーンに依存している。現状維持で構わない、このままなあなあと走り続けても許される」

 

「あ……」

 

「それを僕は許さない。君が答えを見つけない限り、その先に未来はない」

 

 核心を突いていた。そうだ、私をお二人にずっと甘えっぱなしだったのだ。頼るの範疇を超えたそれは、いつしか私に勝利をもたらさなくなっていた。

 

 足に力が入らない。私はその場にへたり込む。対照的に話は終わりだと言わんばかりのトレーナーさんは立ち上がる。

 

「……自分が誰のために走っているのか、今一度よく考えるんだな」

 

 その一瞬、彼の表情が物凄く苦悶を感じているように見えた。だがそれを気にする間も無く、トレーナーさんは膝から崩れ落ちた私の横を素通りしトレーナー室を出て行く。

 

 これが運命と言われたらそれまで。こうなったのも全て自分の行動が招いた故の結果。心のどこかでトレーナーさんなら大丈夫、許してくれると思っていた。そこを彼はきっちりと見抜いていた。

 

 これからどうしたらいいのか分からず、改めて契約解除の書類に目を通す。これに名前を書いたら本当に終わりだ。入学してすぐに契約を結んだことも、夏合宿で遊んだことも、レースに勝って撫でてもらったことも、それら全てが二度と戻ってこない思い出の中で封じ込められてしまう。全ては過去として、思い出しても辛いだけのものとなってしまう。

 

 

 本当にこんなところで終わってしまうのか? 応援してくれるファンの期待も、ライバルとの死闘も、そして己の敬愛するトレーナーすらも失って終わってしまうのか?

 

 

 現実を受け入れられず放心していると、後ろの扉が開く音がした。トレーナーさんが戻ってきてくれたと淡い期待を抱くも、入室してきたのは彼ではない。

 

 

「これはまた、随分と情けない顔をしていますわね」

 

「マックイーンさん……」

 

 

 困ったような顔で苦笑いを浮かべるマックイーンさんは、静かに私に手を差し伸べた。

 

 

 



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芦毛の先輩ウマ娘

投稿時間の設定ミスってた…


 

 

 

 紅茶の香りが広がるトレーナー室。マックイーンさんが気遣って入れてくれたそれに少しずつ口をつけ気分を落ち着かせる。

 トレーナーさんと話していた時、不思議と涙は出なかった。あまりにも予想外すぎることが起きると却って冷静になってしまう。

 

「それで、一体何がありましたの? といっても、これを見る限り何があったかは大体察しますけど」

 

 対面に座るマックイーンさんは、トレーナーさんが私に突きつけた契約解除のプリントを見てため息をついた。

 やけに落ち着いている。まるで彼女は始めから分かっていたような雰囲気だ。

 

「はぁ、全く……あの人も再三再四無茶をしますわね」

 

「……マックイーンさんはこのことを知っていたんですか?」

 

「私が聞いていたのは、トレーナーさんがダイヤさんをどうにかするとだけ。後始末がどうとか言ってましたけど、これでは後始末どころの騒ぎではありませんわね」

 

 やれやれと首を横に振るマックイーンさん。その姿はまるでトレーナーさんのようで、それほど彼らの付き合いが長いことの証明となる。いいなぁ、羨ましいなぁと、場違いにもそんなことを考えてしまった。

 

「いつまで下を向いていますの」

 

「……え?」

 

 先程までの穏やかな雰囲気から一転、マックイーンさんにしては低い声音でそう問いかける。緩急の付け方もトレーナーさんそっくりだ。

 

「この書類は偽造などではなく、正真正銘本物。このままだと本当に契約解除となりますわね。ダイヤさん、貴方はこんな終わり方でいいんですの?」

 

「で、でも……もうトレーナーさんは……」

 

「私は貴方自身に聞いていますの」

 

 音を立てずにカップを置くマックイーンさん。その迫力につい怯んでしまい言葉に詰まってしまう。

 

「もう一度お聞きしますわ。貴方とトレーナーさんが紡ぐ物語は、本当にこんなところで終わらせていいんですの?」

 

「そ、それは……」

 

 ここで初めて涙が溢れた。震える声も、ぼやける視界も、全てを受け入れ飲み込んで──

 

「い、嫌です……嫌ですけど、分からないんです……! キタちゃんはもうトゥインクル・シリーズにいない。凱旋門賞はダメだった。そんな私にこれ以上何ができるのかが分からないんです……!」

 

 覆水盆に返らず。一度溢れた感情はもう心の底にしまい直すことはできない。そんな私のみっともない姿をマックイーンさんはじっと見つめている。

 

「勝てないんです……。私は何を目標にすればいいのか、誰と戦えばいいのか……」

 

「……何を、誰と、ですか」

 

 思えばそうだ、私の最初の目標はGⅠレースのタイトルを獲ることとキタちゃんに勝つこと。それは菊花賞並びに有マ記念に勝つことで達成された。

 そして次に目標に掲げた凱旋門賞は惨敗だ。きっと前日のあれが無くても世界の頂には届かなかっただろう。

 

 私には何も残っていない。誰かと競う闘争心も、何かを目標とする探究心も。嗚呼、本当になんで走っているのだろうか。

 

「……何かを目標に、誰かを目標に。口にするのは簡単ですが、いざそれを決めて実行し、叶えることができるのはほんの一部のウマ娘だけですわ。私も全てが全て上手くいっているわけではありませんもの」

 

「……え?」

 

「え? ではありません。私だって目標としていたレースで負けて落ち込むことくらいありますもの。それも秋天、ジャパンカップ、有と三連敗を喫した時の落ち込み具合は客観的に見て今の貴方に匹敵するくらいでしたわね」

 

 まるで談笑するかの如く、マックイーンさんは笑いながらそんな話をする。

 たしかにマックイーンさんの言う通り、彼女は秋の天皇賞の走りで他のウマ娘の進路を妨害したとして降着となって以降秋のレースは散々だった。

 

「他にも色々ありますわ。三連覇のかかった春の天皇賞ではライスさんに負けてしまったり、絶対に勝つと誓ったテイオーとの有記念では結局決着がつかないまま同着だったり……」

 

「マックイーンさん……? 一体何を……」

 

「そこから得た教訓というのは、信念が強い方に勝利の女神が微笑むということ。逆に言えば、信念無き走りは勝利をもたらさない」

 

「信念……」

 

「想いが強ければ強いほど、それは自然と走りに現れます。ダイヤさん、貴方はどんな想いを抱いて走っていたいですか?」

 

「私……? 私は……勝ちたい、です」

 

「……それも一つの強い想いですわね。誰しも負けようと思ってレースに挑むはずがありません。勝利にこだわることこそが、結果に直結するのは確かですわ」

 

「だったら……!」

 

「ですが、それは簡単なことではありません。勝つことにばかり固執していては疲れてしまいますもの」

 

 マックイーンさんは何を伝えたいのだろう。勝ちたい以外の何かを探れということなのだろうか。

 

「と、言ってもこの場でじっとしているだけで分かるのなら苦労はしませんわね。ダイヤさん、ジャージに着替えてグラウンドへ出なさい」

 

「え? い、今からですか?」

 

「ええ。考えても答えが出ないのならとりあえず動く、走る! 走れば大概の悩みは解決するとスズカさんが仰っていましたが、あながち間違いではないですわよ!」

 

 そ、そういうものなのだろうか。でも、言われてみればそんな気もする。少なくともこんなところで蹲っているよりかは何倍もいいだろう。

 

「はい……はい! そうですね、私ちょっと走ってきます!」

 

「……ようやくいつもの顔に戻りましたか。待ちなさいダイヤさん、最後にヒントを与えます」

 

 意気揚々と部屋を出ようとするも、マックイーンさんの一言により踏みとどまる。

 

「大切なのは、苦しい時こそ自分の感情と向き合うこと。これはどこかの誰かさんの言葉でもありますわ。それができて初めてスタートラインに立てる。その先にある答えはきっとシンプルですわよ」

 

 そう言ってマックイーンさんは私の背中をトンと叩いた。

 

 苦しい時こそ自分の感情と向き合う。私は何度もトレーナーさんに言われてきたではないか。それを忘れて自分の想いから逃げ続けて。そんな醜態を晒し続けて呆れられないはずがない。

 

「さあ、お行きなさい。もたもたしていては日が暮れてしまいますわよ」

 

「っ……はい!」

 

 答えはまだ出ていない。自分がどういった想いで走りたいのかも分からない。

 

 でも、このまま逃げ続けるのはもうやめだ。口先だけの、かっこつけだけのウマ娘にはなりたくない。

 

 グラウンドへ向かうべく夕日が差し込む廊下を走る。

 なんだか懐かしい感覚だ。幼い頃は勝つことに囚われず思いっきり走ってたっけ。

 

 

 

 

 

「ここまでするなんて聞いてませんわよ!!」

 

 

 階段を降りる途中、トレーナー室の方からそんな怒号が聞こえたような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ジャージに着替え、薄暗くなってしまったグラウンドへ一人足を踏み入れる。時間的にも走ることのできる時間はそう多くなく、その証拠に走っているウマ娘は日中と比べてもかなり少ない。

 気分を入れ替えるために走りに来たのにその目的を果たせず終いで帰るなんて言語道断だ。

 

 そんなグラウンドを尻目に、先程のトレーナー室でのことを思い返す。考えてみれば不自然な点はいくつかあった。普段とは雰囲気も何もかもが違うトレーナーさん。事態を把握していたマックイーンさん。そして、トレーナーさんの苦しそうな表情。

 自惚れかもしれないが、トレーナーさんは担当ウマ娘をあんな邪険に扱うような人では無い。少なくとも、皐月賞前の神社での言葉、そしてフランス帰りの飛行機内での言葉に嘘は無かったはずだ。

 

 だったらなぜトレーナーさんはあんなことを──

 

「おーい!」

 

 いざ走ろうとした時、後方から聞き覚えのある声がした。振り返ってみるとそこには、私よりも一回り小さい、されど私よりも一回りも二回りも存在感のあるウマ娘がいた。

 

「タマモさん、お久しぶりです」

 

「おう、ひっさしぶりやなぁ! 元気しとったか?」

 

「元気……ではないですけど、私は大丈夫です」

 

「……そっか、ボチボチってとこか」

 

 タマモさんと話すのは初めてではないが、いつもトレーナーさんかマックイーンさんを間に挟んでいたためこうして一対一という状況なのは今まで無かった。

 

「タマ、急に止まってどうした……って、君は……ああ、そうか、君が例の……」

 

 訂正、どうやら今回も一対一ではないようだ。タマモさんの後ろから、彼女と同じ芦毛をたなびかせたウマ娘が一人。

 

「オ、オグリキャップさん……?」

 

「む、私のことを知ってくれているのか。はじめまして、オグリキャップだ。よろしく、サトノダイヤモンド」

 

「よ、よろしくおねがいします! ……あれ? どうして私の名前を……」

 

「トゥインクル・シリーズでの活躍は私も耳にしているぞ。それに、君のことは君のトレーナーから聞いている。なんでも彼曰く、落ち込んでいるであろう君を元気付けてあげてほしいとのことだからここに馳せ参じたわけだが……」

 

「トレーナーさんが……」

 

 ああ、やっぱりあの人はあの人だ。どうして私はあの場で彼の優しさに気が付かなかったのか。きっとトレーナーさんはそれを見越しての行動だったのだろうけど。

 

「ちょ、オグリ! それは内緒やっちゅう話やろ!? 本人の前で暴露してどないすんねん!」

 

「そ、そうなのか? すまない、隠し事は苦手で……」

 

「はぁ……昔っからそういうところ変わらへんなぁ。ま、しゃーないわ。それはオグリに頼んだおっちゃんが悪いってことで。そいじゃサトノ、ここに来るまで何があったかを詳しく聞かせてもらおか」

 

「……はい。実は──」

 

 オグリさんとタマモさんの漫才から流れるように私へと話の種が移り変わり、今日の昼にトレーナーさんから連絡が来たことからマックイーンさんにグラウンドへ向かえと言われたことを細かに話す。やはりタマモさん達もマックイーンさん同様契約解除の話は聞いていなかったようで驚きの表情を見せていた。

 

「もうとっくに気づいとるとは思うけど、おっちゃんだって本心でそないなこと言うてるわけやない」

 

「私も同感だ。君のトレーナーのことはよく知らないが、マーチから聞くに自分の担当するウマ娘を無造作に切り捨てるような悪人ではないと思う。もっとも、それは君自身が一番よく知っているとは思うが」

 

 だとしたら、今回もトレーナーさんは私に何かを伝えようとしている。直接伝えないのは、きっと私が自分で気がつかないと意味がないから。でも、彼がここまで極端な手段を取ってまで伝えたいことって……

 

「君はどうしたいんだ?」

 

「……え?」

 

「君がこれから成したいことを話すんだ。何でもいい。これから食堂のメニューを全制覇したり、これから隣町の食べ放題を食べ尽くしたり、これからラーメンの替え玉百杯に挑戦したり──」

 

「……オグリ、それができるのはアンタだけや」

 

「ふっ、甘いぞタマ。スペにもできる」

 

「じゃかあしいわ!」

 

 私がこれから成したいこと……そうだ、自分にはどうしても譲れないことがあるではないか。

 有マ記念で一勝、春の天皇賞で一敗。そんなライバルとトゥインクル・シリーズで競うことはできない。なら、私も彼女が向かったステージへ立てばいい。

 

「私はドリームトロフィーリーグに移籍したいです。まだキタちゃんとの決着をつけれていませんし……」

 

 それを聞いたオグリさんとタマモさんは動きを止め、そのままオグリさんはパァっと顔を輝かせた。

 

「そうか……! ドリームトロフィーリーグには強いウマ娘がたくさんいる。君の言うキタサンブラックを始めとして、〈リギル〉や〈スピカ〉の面々も揃い踏みだ。もちろん私もそこにいる。タマにクリーク、イナリだって例外じゃない。共に競おう、走ろう」

 

「オグリさん……!」

 

 なんて頼もしい先輩だろうか。いつも食堂で大量のご飯を食べているところしか見ていなかったのでなんだか新鮮だ。

 

「サトノ、私達はいつでも君を待っ──」

 

 

 オグリさんはそのまま私の方へと手を差し伸べるも、

 

 

「いや、アンタには無理やな」

 

 

 タマモさんの手によっていとも簡単に叩かれた。私には無理と厳しい言葉を添えながら、冷徹に。

 

 そんなタマモさんを見てオグリさんは不快感を露わにする。

 

「……それはどういう意味だ。答えによっては君との付き合い方を考えなくてはならない」

 

「んな怖い顔すんなや。どうもこうも、うちは事実を述べたまでやろ?」

 

「ッ、タマ!」

 

 掴みかかろうとするオグリさんに怯むことなくタマモさんは俄然とした態度を貫く。

 

「……タマ、さっきの発言を訂正しろ」

 

「いいや、言わせてもらうで。サトノの主な戦績と言えば、クラシックでの菊花賞と有マ記念。言うまでもなくごっつ凄いことや。でもな、ドリームトロフィーリーグにおるのは数おるGⅠタイトルを獲ったウマ娘の中でもほんの極一部にすぎん。記録やのうて記憶に残るんなら話は別やが、サトノが今のまんまやったらそれに選ばれることすら怪しい。違うか?」

 

「それは……」

 

 オグリさんが言葉に詰まるということはそういうことなのだろう。

 考えてみれば、ドリームトロフィーリーグでよく名前を聞くのはルドルフ会長やブライアンさん、シービーさんといった三冠ウマ娘を始めとして、チーム〈リギル〉、〈スピカ〉の面々、目の前にいるオグリさんやタマモさん、そしてマックイーンさんと言ったとてつもない強豪ばかりだ。とてもじゃないが今の私では敵わない。

 

「でも……でもやってみないと分からないだろう!? サトノだって、こう……頑張ってるんだ! 私達に絶対勝てないなんてことは……」

 

「おう、せやったらやってみよか」

 

「……なんだと?」

 

 タマモさんの一言にオグリさんは頭にハテナを浮かべる。私も同じく状況を理解できていない。

 

「今からうちとオグリとサトノでレース。元々走りに来たんやろ? なら丁度ええやん。ほら、はよ芝の上立てや」

 

「……そういうことか」

 

「え? え??」

 

 レ、レース? タマモさんとオグリさんと? 私が!? 

 

「え、えっと……私はその……」

 

「お、ビビっとんのか? えらい腰抜けやなぁ。そんなんやったらドリームトロフィーリーグどころか次のレースすらも危ういわ」

 

「うっ……」

 

 タマモさんは私が気にしているところをピンポイントで抉ってくる。

 別にビビっているわけではない。ただどうすればいいのか分からないのだ。相手は確実に私より実力も経験もある。そんなお二人相手に私なんかが走っても結果が見えるているという気持ちが走りたい思いを邪魔してくる。

 

「わ、私は──」

 

「サトノ、さっきはああ言ったが、私は負けるつもりなんて一切無い。全力で行かせてもらう」

 

「オグリさん……」

 

「だから君も全力で来い。タマに、私に、そしてトレーナーに、君の実力を見せつけてやるんだ!」

 

「っ……はい」

 

 最初から私に迷っている暇なんて無かった。勝てる勝てないじゃない、やるしかないんだ。この一時代を築いた芦毛の大先輩相手に、ダイヤモンドの意志を見せつけなければならない。そう思うと大きな身震いをしてしまう。

 

「なんや、震えとるけどまたビビっとんのか?」

 

「いえ、これは……武者震いです!」

 

「……はっ、覚悟は決まったみたいやな。ほなさっさと始めよか」

 

 タマモさんもオグリさんと同様手を抜くつもりは微塵も無いらしい。その証拠に彼女からは静かな闘争心がバチバチと感じられる。

 

 

 怯んでいては呑み込まれてしまう。胸を借りるつもりでなんて言葉は使うつもりなんてない。相手がどんなに強敵だろうと絶対に諦めない、それが今の私にできる最高のパフォーマンスだ。

 

 

 ストレッチをし、がっちりと掌で拳を覆ったタマモさん──いや、白い稲妻はついにその闘争心を剥き出しにする。

 

 

 

「さあ、うちとやろうや!」

 

 

 






う゛ち゛と゛や゛ろ゛う゛や゛


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走るのが好き

 

 

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 距離2500m、晴れ、良バ場。有記念を想定したと思われる突発的に始まった大先輩二人とのレースで、得体の知れない息苦しさに襲われていた。

 走れば何か変わると思っていたが現実はそう上手くいかない。レースはまだ中盤を過ぎた辺りだというのに、相変わらず自分の足が重く感じてしまう。

 

 今まで走ったどんなレースよりも自分の走りができていない気がする。それは直前にあんなことがあったが故の己の未熟さのせいか。

 否、その理由も多少はあるだろうが、主となる理由はそうではない。

 

 私が戦っている二人、オグリキャップさんとタマモクロスさんは学園でも最上位の実力を持つウマ娘だ。オーラ、気迫、プレッシャー。メンタル面においても彼女らは私を遥かに超越する。

 そんな二人が私のすぐ後ろを走っているのだ。それも本気も本気。トレーナーさん的に言えば本気と書いて"ガチ"と読むくらいの迫力に近い。となればどうなるだろうか。

 

「──ッ! くっ……」

 

 意図せずして私が先行することになったため、序盤から中盤を過ぎた辺りまであのお二人方のプレッシャーを後ろから感じ続けることになっていた。

 キタちゃんは先行、逃げでレースを支配していた上に、私自身は中団で控える作戦を多用したため、誰かを追いかける形が基本となっていた。故に、このように後方からこれほどまでの圧を感じるというのは新鮮だ。もっとも、そんな感傷に耽る時間は無いのだが。

 

「サトノッ!」

 

「ッ! は、はいっ!」

 

「アンタは何のために走る! 誰のために走っとる!?」

 

 最後方、と言ってもオグリさんを間に挟んだだけで大して距離は離れていない場所にいるタマモさんからそんな問いを投げかけられる。

 その問いは、先程トレーナーさんにかけられたものと同じだ。私は何のために、そして誰のために走るのか。

 

 

 サトノ家のウマ娘はGⅠレースで勝つことができない。だからGⅠレースで勝ちたい。

 

 日本のウマ娘は凱旋門賞で勝つことができない。だから凱旋門賞で勝ちたい。

 

 

 私はこの二つの目標を、心のどこかで家族のためと称して走っていた。

 実際、私をここまで育ててきてくれた家族には恩返しをしたかったので、後者の目標はともかく前者に関してはそれなりの結果が出せて良かったと思っている。

 

 でも、嘘じゃなくても100%の本当ではない。家族のためだけじゃなくて、私と競ってくれるライバルのため、応援してくれるファンのため、頼れる先輩達のため、いつも隣で私のことを見てくれていたトレーナーさんのため。

 

 

 誰か……誰かが足りない。このレースを走りきれば、最後のピースは埋まるのかな。

 

 

「──ッ!」

 

 そう思うと自然と踏み込む脚に力が入った。勢いのまま芝を蹴り、最終コーナーを駆け抜ける。

 

「……いい瞬発力だな、サトノ。流石はトゥインクルシリーズの最前線にいるウマ娘だ。タマ、一体どんな魔法をかけたんだ?」

 

「こないだスイープに魔法の手解きしてもらってな……って余裕か! アンタも口より先に足動かせや! そんな悠長に構え取ったら足掬われるで!」

 

「元よりそんなつもりは無いが……よし、ならばそろそろ仕掛けるとしよう」

 

「やっとかいな。せやったらウチも、白い稲妻見せたるで!」

 

 瞬間、後方からのプレッシャーが何十倍にも膨れ上がった。元々とてつもないものであったそれは、私の脚も思考も全てを鈍らせる。

 

 これが『芦毛の怪物』、これが『白い稲妻』、これがレジェンド、これがドリームトロフィーリーグ……! 

 

 最終直線、心臓が破れそうな思いを我慢して坂を駆け上る。最後の力を振り絞りなんとかここまで抜かされることなく走っているが、脚がもう限界に近い。スタミナも底をつき息切れも激しい。

 それに加えて、オグリさん達はまだ足を残している。その証拠に、感じる圧が徐々に大きくなり、今にも呑み込まれそうな感覚を覚える。

 

 残り200m、ついにオグリさんに並ばれた。心なしか黒いオーラを纏っている気がする彼女は、そこから更にスピードを上げる。まるで勝利の鼓動が聞こえたかのように、ゴールへと一直線だ。

 そして、オグリさんのすぐ後ろをタマモさんが追走する。その末脚はとてつもないもので、オグリさんと同等かそれ以上のものだ。

 

 

 何クソと食らいつこうとするも、オグリさん達との距離は徐々に広がるばかり。そのままの勢いで残りの直線を走り抜き──

 

 

「はぁ……はぁ……私の勝ち、だな」

 

「アホ抜かせ……ウチの方が2センチくらい前やったやろが」

 

「……それは聞き捨てならないな。今回は絶対に私の方が前だった」

 

「なんやぁ? もっぺんやるんかぁ? お?」

 

 オグリさんとタマモさんがほぼ同時にゴールし、五バ身ほど離されての最下位が私という結果に終わった。

 

 息も絶え絶えだったはずなのにまだ走る気満々でいるオグリさん達。そんなお二人をよそに、私は本当の意味で体力が底をつき芝の上に寝そべる。

 

 勝てなかった。いや、楽に勝てる相手だとは微塵も思っていない。ただ、これほどまでに差があるという現実を突きつけられ、上には上がいるということを改めて実感させられる。

 かつて一世を風靡したウマ娘はやはり伊達ではない。勝ちたい気持ちは誰にだって負けていなかったはずなのに、このお二人はそれすらもねじ伏せる実力を持っている。

 

 ……敵わないなぁ。

 

 ため息をつき、そんな弱気なことを思ってしまう。

 

「……サトノ」

 

「オグリさん……」

 

「いい走りだった。特に最終コーナー、少しでも仕掛けるのを間違えていたら勝っていたのは君だっただろう」

 

 そんな私を見かねてか、オグリさんは慰め……いや、これは本心か、私の走りを褒めてくれる。

 だが、ベストを尽くしたとはいえ私がオグリさんとタマモさんに勝てるビジョンは全く見当たらなかった。

 

 何かが足りない。私に無くて、目の前のお二人にはある何かが──

 

「──私は走るのが好きだ」

 

「……え?」

 

「どんなに苦しいことがあっても、どんなに辛いことがあっても、いつだってこの気持ちを忘れたことはない」

 

 走るのが好き。当たり前のことを言っているようでそれはとても難しいことだ。なぜなら──

 

「……勝てなかったら楽しくないです」

 

「そうだな、君の言う通りだ。私とて、負けて笑顔でいられるほど太い神経はしていない」

 

 ほんまかぁ? という顔をしているタマモさんに気がつかないままオグリさんは話を続ける。

 

「だから好きだというのは簡単なことじゃないんだ。でも、好きでいなければ勝てるはずがない。私は、勝つから好きなんじゃなくて、好きだから勝つんだと信じている」

 

「好きだから、勝つ……」

 

「ああ、そうだ。勝ちたいという思いがあるのは前提条件、後はより楽しんだものが勝つ。ウマ娘にとって……いや、誰にとっても、最も強大な相手は他人なんかじゃない」

 

 先程タマモさんの手によって遮られたことのテイク2だと言わんばかりに、オグリさんは寝そべる私に手を差し伸べ──

 

 

「ライバルは、自分自身だ」

 

 

 そう告げるオグリさんの言葉は、私の中に妙にストンと落ち行った。

 

 

『自分が誰のために走っているのか、今一度よく考えるんだな』

 

『その先にある答えはきっとシンプルですわよ』

 

 

 ……分かりました、トレーナーさん、マックイーンさん。苦しい時こそ自分の感情と向き合う。それはこういうことだったんですね。

 

 誰か誰かとばかり考え、肝心の自分のことが疎かになっていた。自分と向き合って心の声を確かめる。

 

「オグリ、アンタ良いとこだけ持っていったなぁ。これじゃあウチが嫌われ者のワルモンみたいやないか」

 

「む、そんなことはないぞ。タマが嫌われてるなんてことは絶対に無い。少なくとも私は大好きだ」

 

「……こう、冗談を真に受けて小っ恥ずかしいこと言われるとどうすりゃええか分からへんわ」

 

 

 答えはもう出た。だったら私がするべきことはただ一つだ。

 

 

「……行かなくちゃ」

 

「ん、はよ行ってき。おっちゃんのことやし、今頃心配で部屋ん中熊みたいにうろついとるんやないか? っかぁ〜、おっちゃんもマックイーンも辛口なこと言ってごっつ遠回りするわぁ」

 

「待ってくれタマ、サトノのトレーナーのことは知らないが、マックイーンは甘い食べ物が好物だぞ」

 

「オグリ、アンタはもう黙っとけ。このままカッコいいままで終わらしや」

 

 タマモさんの言う通り、ここまで随分と遠回りをした。急がば回れという諺があるが、それは遠回りをしたことを擁護するための免罪符にはならない。できれば近い道を一直線に通った方がいいだろう。

 それでも、この一年間を無駄と言い切る訳にはいかない。この一年があったからこそ私はこうして答えを得た。例え失敗だったとしても、役に立たないガラクタなんてものはこの世に存在しないのだから。

 

「オグリさん、タマモさん、ありがとうございました! この恩はいずれ!」

 

「おう、気にせんでええで。むしろ、恩を仇で返すくらいの勢いやないとウチらと同じステージには立てへんよ」

 

「ああ、私達はいつでもドリームトロフィーリーグで待ってるからな。頑張るんだぞ、サトノ」

 

「ッ、はい!」

 

 オグリさん達に背を向けて校舎の方へと走る。既に日は沈みかかっており、後数分もしないうちに空は黒く染まるだろうことを感じさせる暗さだ。

 

 

 

 

 電気すらもついていない誰もいない廊下を走り、息を切らしながらようやく目的地であるトレーナー室へとたどり着いた。

 私がここを出た時はトレーナーさんはいなかった。でも、彼はここにいる、ここで待ってくれているという確信があった。

 

 磨りガラスの向こうから差し込むぼんやりとした電気の光。それを確認して扉を開ける。

 

「──ダイヤ、答えは出たかい?」

 

 案の定部屋にいたトレーナーさんは、私に気がつくや否や手元のノートパソコンをパタリと閉じる。

 

 ええ、出ましたよ。全てはあなたが根回ししてくれたおかげです。

 

 そう伝えたかったが、感謝の言葉を述べるのは今では無い。

 

「……私は走るのが好きです」

 

「……」

 

「走って誰かの夢を叶える、誰かの期待に応える、誰かに勝つ。今まで私は他人ばかりを見てきました」

 

 それが悪いことでは無いことは分かっている。でも、それだけじゃ足りない。凱旋門賞のために日本を発つ時、確かに私は誓ったはずだ。

 

 自分のことに全力を、と。

 

 

「私はこの先もあなたと一緒に走りたい……。誰のためでもない、私自身のために……!」

 

 

「……そうか」

 

 トレーナーさんは短くそう言った後、机の引き出しから何やら一枚の書類を取り出す。一瞬契約解除の書類が脳裏をちらついたが、彼の表情からしてそうではないことを悟る。

 

 その彼の表情と言えば、

 

「ダイヤ、僕にはね、この世で心の底から嫌悪するものが三つあるんだ」

 

 悪人のような、しかして子供が悪巧みをする時のようなあどけなさを感じる笑み

 

「一つ目は戦争、二つ目はサービス残業」

 

 これまで私はトレーナーさんの顔をよく見てきた。笑ったり、戸惑ったり、落ち込んだり、そして怒ったり。意外と表情豊かな彼の、色んな顔を見てきた。

 

 

「そして三つ目は負けること」

 

 

 今はそれのどれとも違う、私の知らないトレーナーさんだ。不思議と鼓動が高鳴るのを感じる。

 

 

 最初はただの憧れだった。幼い頃から応援していたウマ娘と、そのトレーナーともなる人に対して、私は高嶺の花のような存在だと思っていた。

 

 この気持ちがただの憧れではなくなったのは彼を知ってすぐのことだ。憧れのままでは共に歩くことはできない。

 そこにはきっと好意も含まれている。それもただの好意ではなく、一人の男性に対しての好意。

 

 

 でも、それ以上の強い思いが今の私と彼を繋いでくれる。そう信じてるから。

 

 

 トレーナーさんは手にしていた書類を私に差し出す。そこには大きな文字で『凱旋門賞予備登録』と銘打たれており、出走者登録の欄には私の名前が書かれている。

 

 

「やっぱり、負けっぱなしは性に合わねぇよなぁ?」

 

 

 そんな彼のニヒルな笑みは、今までのどんな表情よりも頼もしく感じてしまった。

 

 

 






次回『ダイヤモンドは砕けない』



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ダイヤモンドは砕けない

 

 

 

 一年ぶりのこの地、この歓声、この胸の高鳴り。緑色をした袖の長い自慢の勝負服を身に纏い、フランスの芝の重みを踏み締める。

 

 

 大舞台に立つというのは何度も経験した。なのに、メイクデビューの時、初めて重賞レースを走った時、初めてGⅠレースを走った時、それらの時より酷く緊張しているのを感じる。

 

 そんな緊張を和らげようとスタンドへと目を向けるも、そこにはトレーナーさんどころか知っている顔の一つすら見当たらない。

 それもそのはず、今回は私一人でフランスに来ている。トレーナーさんがいない理由としては、去年の私の戦績が奮わなかったことやそもそも学園の許可が降りなかったこともあるが、一番は私がそれを拒否したことにある。

 

 本音を言えばトレーナーさんにも来て欲しかった。でも、同じ轍を踏むわけにはいかない。トゥインクル・シリーズを走っている間はもうあんな過ちを犯すつもりはないが、万が一ということもある。蒔かぬ種は生えぬというやつだ。違うかな、違うか。

 それはそれとして、私が同伴を断った時のトレーナーさんの顔ときたら傑作だったなぁ。あからさまに顔には出してなかったが、前に契約解除を突きつけてきた人と同一人物だとは思えない慌てっぷりだった。

 

 

 そんな敬愛する人物のことを思い返していると、一際大きな歓声がレース場に響き渡る。それと同時に一人のウマ娘がターフに姿を現した。

 

 トレーナーさんとリサーチ済みというのもあって、私は彼女を知っている。確か名前は……

 

「服とは心の装い、気高い色は心を気高くする……。はじめまして、そこのあなた。素晴らしい勝負服ね」

 

「……はじめまして。ツイストボールドさん」

 

 ツイストボールド。アメリカ生まれイギリス育ちの欧州最強とも言われるベテランのウマ娘。

 彼女の強さは本物で、爆発的な末脚と圧倒的な威圧感で後ろから豪快に他のウマ娘を差し切る。その姿は国を問わずとても人気が高く、過去にこの凱旋門賞を制覇したこともありこのレースでも堂々の一番人気だ。

 

 去年の惨敗も含め、お世辞にも私の人気は高いとは言えない。目立って的にされることはないはずなのだが──

 

「自分に何の用か、と?」

 

「──ッ!」

 

「そんなに警戒しないでくれる? アタクシが貴方に声をかけた理由は、貴方が日本のウマ娘だからよ」

 

「日本の?」

 

「ええ、元より私は日本に興味があるの。レースを引退したらそこで生涯を過ごそうかと思っているくらいにはね。当然周りからは批判されるだろうけど」

 

「は、はぁ……」

 

 突然話しかけられたと思ったらよく分からない自分語りをされて困惑してしまう。要するに日本のお友達が欲しいということなのだろうか。

 

「いいレースにしましょう。アタクシの努力と貴方の努力、どちらが上か勝負よ」

 

「……」

 

 そうこうしていると、ツイストボールドさんからすっと手が差し伸べられる。こういう時になんて返せばいいのかわからない。

 

「ツイストボールドさん」

 

「なに?」

 

 でも、私のやるべきことは一つだ。

 

「勝つのは私、サトノダイヤモンドです」

 

「──フフッ」

 

 ツイストボールドさんは面食らったような顔をしたが、すぐに笑みを取り戻す。

 

「The more we do, the more we can do」

 

「え?」

 

「いえ、なんでも。貴方の走り、楽しみにしてるわ」

 

 そう片手を上げ、彼女は別のウマ娘へと話しかけにいく。こうして対戦相手の全てのウマ娘に話しかけているのだろうか。そうだったら多少特別感を感じてしまった自分が恥ずかしい。

 

 それにしても、ツイストボールドさんが英語で言ったあの言葉。

 

 "The more we do, the more we can do."

 

 直訳すると、『やればやるほど、出来ることが増えていく』というくらいの意味だろうか。

 しかし、どちらの努力の方が上かと彼女は言った。ならばこの言葉はこうも受け取れるだろう。

 

「……努力を続ければ、日々成長は止まらない」

 

 ツイストボールドというウマ娘は私よりも年上のベテランだ。そんな彼女が努力を怠らなかったらどうだろう。ほとんどのウマ娘は勝てるはずがない。

 でも、今の私なら大丈夫。そんな気持ちを抱いていることに苦笑してしまう。これは慢心ではない、自信だ。

 

 心を落ち着かせ、ゲートへと収まった。日本よりも少しばかり寒冷なフランスの地、そこで感じる秋風が肌に染み、自然と握り拳を作ってしまう。

 

 

 私にはみんながついている。よく話す仲のスカイさんや一色さん、大先輩のオグリさんやタマモさん、待ってくれているキタちゃん、心から尊敬するマックイーンさん、そしてここまで導いてくれたトレーナーさん。

 

 離れていても気持ちは一つだ。みんなが私の勝利を信じてる。だから──

 

 

「だからダイヤは、輝きます……!」

 

 

 ゲートが開き、運命のレースが始まる──

 

 

 

 

 

 凱旋門賞の舞台であるパリロンシャンレース場は、当たり前だが日本のレース場とは別物だ。

 

 スタート直後の400mは平坦な道のりが続き、そこから第3コーナー手前までは上り坂、そして第3コーナーを過ぎてからは下りに転じる。さらに、パリロンシャンレース場は10mという中山レース場の倍の高低差がある。そこも日本のレース場とは違う点と言えるだろう。

 

 しかし問題はここからだ。偽りの直線、フォルスストレート。このレース場の名物でもあるそれは、その名の通り250mという偽物の最終直線を走らなければならない。本当の最終直線は533mと長く、実に東京レース場とほぼ同じ距離だ。

 

 ──と、いうのがトレーナーさんからの受け入り。去年走ったのでイメージが付きやすい上にそもそもあの時も同じ説明をしてもらったのを覚えている。

 

 この特徴的なレース場で勝つためには、行き脚の付きやすい下り坂でもいかにゴールまで脚を温存できるかどうか。そのためにも前半の折り合いは大事であり、スタート直後の熾烈なポジション争いで体力を消費しすぎてはいけない。

 そんなジンクスを破りたいという気持ちで序盤から仕掛けたいところだが、もっと大きなジンクスを破るという意味ではそれはナンセンスだ。

 

 先行するウマ娘の位置をしっかりと捉え、いつものように中団より後ろの位置で様子見をする。

 その先行するウマ娘の中にツイストボールドさんの姿はない。そもそも、彼女の圧倒的な存在感、威圧感から前後を確認するまでもなく彼女の大体の位置は分かる。

 

 このまま落ち着いてポジションキープをして、フォルスストレートを抜けたところで一気に抜け出す。そのつもりなのだが──

 

「──ッ、速い……!」

 

 体感、というよりあからさまにレースの展開が早い。日本よりも重い海外のバ場に加え、ハイスピードなレースと来た。嫌でも体力が削られていく。

 

「なんとかしなくちゃ……!」

 

 そうは言いつつも、それで周りのスピードが落ちるわけではない。

 このまま同じペースで走り続けては来たる未来は破滅のみ。体力を温存するためにポジションを下げ、中団から差し切る予定を後方から追い込むように舵を切る。

 

 しかし、これは賭けだ。周りに乗せられず速度を保つということは、こうなった原因と近づくということになる。

 

「あの子達について行かなくていいの?」

 

「ッ、誰のせいだと思ってるんですか」

 

「ふむ、アタクシはとりわけ何かをしたつもりはないのだけれど……貴方は惑わされていないみたいね」

 

「何のことか分かってるじゃないです……か!」

 

 レース中だというのに悠長に話しかけてくるツイストボールドさん。それほどまでに余裕があるのか、それとも私を揺さぶっているのか。

 それが第3コーナーを抜けた辺りというのもあり、一瞬脚に力が入ってしまう。思考が乱されたことを理解し、すぐにそのペースを緩めた。

 

 しかし、その一瞬が命取りだ。リズム良く走って体力を温存しなければならないのに、短時間で速度の緩急を付けすぎたため呼吸のリズムが乱れる。

 

 第4コーナーを抜け、フォルスストレートに入る。依然としてツイストボールドさんは後ろにいるが、彼女の術中にハマったことには変わりない。でも焦ってはダメだ、ここで脚を使ってしまっては全てが台無しになる。

 

「あら、そろそろ仕掛け時じゃない?」

 

「話しかけないでください!」

 

「そんな釣れないこと言わないでよ。アタクシは貴方に興味があるのよ?」

 

「私は真面目に走ってるんです!」

 

「アタクシも真面目なんだけど」

 

「じゃあ放っておいててくださいよ!」

 

 埒が明かない。緊張感の欠片もない彼女の発言は私の思考をこの上なく引っ掻き回す。

 

「だってアタクシの"圧"に耐えてるの、今のところ貴方だけみたいだもの。真の敵は自分だって分かってるから出来ること。それは貴方が強靭な精神力を持ってるから出来る……違う?」

 

「──違いますよ、私はそんな大層なもの持ってません」

 

「ならどうして……いえ、これより先は無粋ね。口で語るな走りで語れ、貴方の努力の結果、見せてもらうわ」

 

「望むところです……!」

 

 頭の悪い会話から一転、私達は互いに闘志をぶつけ合う。最終直線に入るまでには後100m近くある。

 一足先に仕掛けたのは私だ。ここで加速し始めなければきっと後ろの彼女には敵わないことを本能で悟った。一人、また一人と抜かしていき先頭のウマ娘に迫っていく。

 

 

 行ける、このまま更に脚を使えば──

 

 

「甘い」

 

 

 ハッキリと、そう聞こえた。それは先程までのふざけた雰囲気ではなく、低く冷たいツイストボールドさんのものだということもまた、本能で悟ってしまった。

 それと同時にこれまで軽かったはずの脚が急激に重くなる。加えて視界が狭まり、歓声や自分の足音すらも遠のいていくのを感じる。

 

 何も感じない、何も聞こえない。まるで暗闇にでも放り出されたかのような感覚だ。

 

 これがツイストボールドさんのプレッシャーだとしたら、これまで彼女はまだ本気のほの字も出していなかったということになる。

 

 

 怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い──

 

 

 無数の恐怖心が私を襲い、走るのをやめさせようとしてくる。

 

 あれ、私はどうして走っていたんだっけ……? どうしてフランスまで来てこんな苦しい思いをしてるんだっけ……? 

 

 自然と自分が減速してしまうのを感じる。そのまま脚が完全に動かなく────

 

 

 

「ダイヤ!」

 

「──あ」

 

 

 幻聴かもしれない。でも、しっかりと私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

 ここにはいないはずの、トレーナーさんの声で。

 

 その時、ふと昔のことを思い出す。あれは私が初めて走る重賞レースであるきさらぎ賞だったか。トレーナーさんからこんなことを言われたっけ。

 

 

『楽しんで走ってこい!』

 

 

 緩みかけていた脚に再度力が入った。エンジンをかけ直した車のように、私の脚は回転率を増す。

 

「……バカな、アタクシの圧をどうやって……!」

 

 何も聞こえなかったはずの耳からそんな声が聞こえる。

 

 残念ですがツイストボールドさん、私はあなたのプレッシャーよりも遥かに勝る気持ちを思い出しました。だからこの勝負──

 

 

「──負けませんっ!」

 

 

 晦冥を照らせ、永遠の輝き。胸に宿る希望の光が、まるで私の行くべき道を照らしてくれる。

 

 暗闇を抜け出し、最終直線へと入る。早くも先頭へ躍り出たが、脚を緩めるつもりは微塵も無い。なぜなら、後ろから感じるプレッシャーがまだ諦めていないことを訴えかけてきているからだ。

 

「まだよ……まだ終わっていない! その場所はアタクシのもの! 返してもらうわ!」

 

 残り150mを切り、後ろからツイストボールドさんが迫ってくるのを感じる。しかし感じるのは先程までの恐怖心を煽るプレッシャーではなく、勝ちへのとてつもない執念だ。これが過去の私ならぺしゃんこに踏み潰されていてもおかしくない。

 

 だが、今は違う。そうハッキリと確信を持てる。

 

 私は追ってくるツイストボールドさん以上の末脚を使い、彼女を一段と突き放す。

 

「どこにッ、どこにそんな力が残っているというの…………サトノダイヤモンドッ!」

 

 叫び声のような声を無視し、ゴールへと一直線に走った。

 

 レースの序盤、私が彼女のプレッシャーに耐えることができたのは強靭な精神力を持っていたからではない。ただ走るのが好きだから、それだけの理由で冷静さを保っていた。そもそも強靭な精神力とやらを持っていたら後半にあんなことにはなっていない。

 

 もし、幻聴とはいえトレーナーさんの声が聞こえなかったら、今頃私は彼女の闇に呑まれていただろう。そうならなかったのは、他でもない彼が私に教えてくれたから。

 

 

「走るのって、楽しい……!」

 

 

 誰もいない景色の中ゴールを駆け抜けた時、私は今までのどんな時よりも充足感を覚えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 地下バ道で拳を握り、勝利の味を噛み締める。

 

 レースの後、ツイストボールドさんからぐいぐいと来られた。力の源はなんなのか、あの爆発的な末脚はどんな努力の賜物なのか、どうやってイップスから抜け出したのか等色々。

 いっぷす? というのはよく分からなかったが、最初の質問には答えることができた。

 

「私は走るのが好きで、楽しくって仕方がないんです」

 

 そう答えると、彼女はキョトンとしていた。今世でその顔は忘れることはないだろう。

 

 今日は私の勝ち。でも、次はどうなるか分からない。そのためにも、誰にも負けないような──

 

「きゃっ!? ご、ごめんなさ──」

 

「おっと、ごめん、大丈夫か?」

 

 下を向いて歩いていたため、前方から誰か来ていることに気が付かなかった。咄嗟に謝罪の言葉を口にするも、その人物の声は私がいつもよく耳にする声であり……って

 

「ト、トト、トレーナーさん!? どうしてここに!?」

 

「いやぁ、自分の愛バのレースは生で見なくちゃいけないなと思ってさ」

 

「あ、愛バって……」

 

 どうして彼がフランスにいるのかを問い詰めようとしていたのに、不意打ちでそんなことを言われ思考がショートしてしまう。

 

 これは告白されたと捉えていいのだろうか。いや、むしろこれは私から行くべきではないか? うん、今なら伝えられる気がする。流れに乗じて私がトレーナーさんを……す、好きだってことを言ってしまえば──

 

「あ、あの、トレーナーさん!」

 

「ん、なに?」

 

「じ、実は私──」

 

「ちょっとちょっと、私がいることお忘れになってませんか? 何か嫌な予感がしたのですが……」

 

「あ、マックイーンいつからいたの?」

 

「最初からいましたわよ! そもそも、ダイヤさんのレースを見にフランスに行くから絶対についてきてほしい、君がいなきゃいけないんだと言い出したの貴方ではないですか!」

 

「言ってないからね? たしかに誘いはしたけどそんなメンヘラ裏垢男子みたいなこと言ってないからね? ……どうした、ダイヤ。そんな地面にへたり込んで」

 

「い、いえ、なんでも……」

 

 あ、危なかった……まさかマックイーンさんも来てくださっていたとは。私とトレーナーさん以外誰もいないと思っていたから油断してしまった。

 

 自分の気持ちを伝えられなかったことは少々残念だが、今はやるべきことが他にある。

 

「マックイーンさん!」

 

「ちょ、ダイヤさぐえっ!?」

 

 大好きな先輩との思わぬ再会に、つい彼女へとダイブしてしまう。理性よりも本能が先に動いた故の行動とはいえ、ウマ娘同士なら問題にならないとデジタルさんも言っていたし大丈夫だろう。多分、きっと。

 

「マックイーンさん、私やりました! 凱旋門賞、勝ちました!」

 

「……ええ、素晴らしい走りでした。凱旋門賞制覇は日本のウマ娘が長年破ることができなかった開かずの扉。それを今日貴方がその手で……いえ、その足でこじ開けたのです。誇りなさい、サトノダイヤモンド。貴方は今、紛れもなく宝石以上の輝きを放っていますわ」

 

「ッ──マックイーンさんッ!」

 

「きゅ、ギブ……ギブですわ……! 助けてくださいましトレーナーさん……!」

 

 感極まって思い切りマックイーンさんを抱き締める。その際彼女が何か言っている気がしたがよく聞こえなかった。

 

「はいはい、ストップストップ。ダイヤ、見てみろ、君に押し潰されて原型を失ったマックイーンの姿を」

 

「いえ、原型は留めていますが……」

 

「はっ、す、すみません! マックイーンさんをプレスしてしまうなんて私ったらなんてことを……」

 

「わざと? わざとやってます?」

 

「次の身体測定で凹んでないといいな。どことは言わないけど」

 

 トレーナーさんの余計な一言で喧嘩が勃発する。種族的な問題もあり圧倒的にマックイーンさん有利なためトレーナーさんはすぐにボコボコにされた。

 

 ……楽しい。こうしてトレーナーさんと、マックイーンさんと何気ない会話ができることが凄く楽しい。

 

 

「──? どうしましたの、ダイヤさん?」

 

「……マックイーンさん、私、誰かのために走ることができたらそれでいいって思ってました」

 

「……」

 

「でも、違った。誰かのためばかりに走ってたら、いつの間にか走るのが楽しいって気持ちも忘れて勝てなくなってました」

 

 マックイーンさんは真剣に私の独白を聞いてくれる。解放されたトレーナーさんも軋むでろう体を動かしつつも私の話を聞いてくれている。

 

「だから、私はこれからも自分のために走ります! 走って、楽しんで、誰にも負けないウマ娘になって……マックイーンさん、いつか、あなたを超えてみせます!」

 

「──望むところですわ。どんなレースであろうと、私だって誰にも負けるつもりはありませんもの」

 

「……マックイーンさんならそう言ってくれると思ってました。だから私は……こっちのレースも負けません!」

 

「え、ちょ、ダイヤ!?」

 

「んなっ!?」

 

 マックイーンさんの返事を聞くや否や、先程彼女に抱きついた時以上の力を込めてトレーナーさんに飛んで抱きつく。さっき躊躇してしまった分これくらいは許されるだろう。

 

「な、ななな、何をしているのですかダイヤさん!? 離れてくださいまし! トレーナーさんも困っていますわよ!?」

 

「嫌です! さっきトレーナーさんは私のことを愛バって言ってくださいました! 実質愛の告白ですよ!」

 

「貴方は一体何を言ってるんですの!?」

 

 例え相手がマックイーンさんでもこのレースにだけは負けられない。ここで妥協は絶対に許されないと本能が訴えかけてきている。

 

「ダ、ダイヤさん! 本当にトレーナーさんの息が……ああっ、顔がみるみる青く!?」

 

「……え?」

 

 マックイーンさんの悲鳴のような声を聞き、トレーナーさんからパッと体を離す。彼の首に負担がかかるような抱きつき方をしてしまっていたため、意図せずして首を絞めていたことになり……

 

「す、すみませんトレーナーさん! 意識をしっかり!」

 

「言わんこっちゃないですわ! 私が人口呼吸をしておくのでダイヤさんは医療班の召集をお願いします!」

 

「人口呼吸って……いえ、迷惑をかけてしまったお詫びに私がそちらをやるので、マックイーンさんが医療の方々を呼んできてください」

 

「駄目ですわよ! 人口呼吸とはつまりキス……接吻するのですのよ!? それがどういうことなのか分かっているんですの!?」

 

「分かっているからこちらがいいんです!」

 

 ここが地下バ道だということを忘れて言い合いをしていると、かろうじて意識が残っていたらしいトレーナーさんがピクリと動く。

 

「お前ら……マジで覚えとけよ……ぐふっ」

 

「「トレーナーさん!」」

 

 そう言ってトレーナーさんは今度こそ完全に気絶してしまった。この後私はウイニングライブもあるというのに既に大惨事だ。

 

 

 ……ん? ちょっと待って、そういえばレースが終わってからトレーナーさんと言葉を交わしたのは最初の数回とマックイーンさんに抱きついた時だけであり…………あ

 

 

 私まだトレーナーさんに褒めてもらってない!! 

 

 

 






もうちょっとだけ続くんじゃ



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幕間:なんでいるの?

 

 

 

 後日談、というか今回のオチ。

 

 

 ダイヤが凱旋門賞を勝利して地下バ道で彼女に締め付けられた後、どうやら僕は緊急で病院に運ばれたらしく精密検査を受けたようだ。

 普通の人間はウマ娘に全力で締め上げられたら死んでいてもおかしくないのだが、何故だか僕の身体にはどこも異常が見つからなかったらしい。ダイヤやマックイーン含むいろんな人に「お前本当に人間か?」みたいな顔をされたが、少なくとも僕の母親は人間なため直接ウマ娘の血を継いでいることはない。親戚のことはよく知らんけど。

 

 幸いなことに僕の身体を砕かず俗信だけ砕いたダイヤはメディアで至極の金剛石と大々的に報道され、日本への凱旋の際そのあだ名を連呼され顔を赤くしていたのはいい思い出だ。ちなみに僕がそう呼んだら凄い顔で睨まれた。あんなダイヤは見たことがない。

 

 

 ああそうだ、凱旋門賞を勝利したからといってダイヤのトゥインクル・シリーズが終わったわけではないということも話しておこう。

 凱旋門賞で綺麗に締め括るということもできたはずなのだが、彼女本人の希望でジャパンカップ、そして有記念を走った。その結果は──

 

 

「────負けちゃいました……」

 

 

 なんとジャパンカップ有記念共に六着。相手が強かったと言い訳もできるが、ダイヤに、そして僕にとっても悔しい結果で終わってしまった。

 特にジャパンカップで勝利をもぎ取ったあのウマ娘は本当に強かった。何せ彼女はメイクデビューでの二着以来負け無しでトリプルティアラを達成しているとんでもない逸材だ。いずれ、かのシンボリルドルフの記録である七冠を超えてもおかしくはない。

 

 

 しかし、そこで立ち止まるようなダイヤではない。負けたこと自体は非常に悔しいが、今の彼女はその負けすらも次の勝利へと繋げる強い意志を有している。そこには以前のように悩み続ける姿は無く、ただ走るのが大好きなウマ娘の姿があった。

 マックイーンやキタサンブラック、その他レジェンドクラスのウマ娘にも焦点を当てて前を向き走り続けるサトノダイヤモンドの姿を見ていると、この仕事を続けていて良かったなと心の底から思う。ハッピーエンド、というよりもトゥルーエンドと言ったところか、めでたしめでたし。

 

 

 さて、話を変えようか。先述したこととは関係無く、今の僕は物凄く機嫌がいい。今日の日付は12月31日、つまりは大晦日、もっと言えばお仕事がお休みということになる。やったね。

 

 大晦日、そして正月の三ヶ日を休めるということだが未だ予定は未定。実家に帰ることも考えたが、このまま一人でダラダラ正月を過ごすのも悪くないかなと思っている。

 とりあえずウキウキで買い物を済ませトレーナー寮に戻ってきたところだ。溜めていたアニメでも見るか、それとも積みゲーの消化をするか。僕の元気はいっぱいおっぱい、昂る思いのまま部屋のドアを開け──

 

 

「おかえりなさい! ご飯にしますか? お風呂にしますか? それともわ・た──」

 

 

 そっとドアを閉める。

 

 なにいまの、幻覚? なんだか可愛らしいエプロンをつけたダイヤが出迎えてくれた気がしたんだけど。

 おかしいなぁ、今のところ自分には結婚願望は無いと自覚している。願望が幻覚として現れたのではないとすると疲れているのかな? ここ最近働き詰めだったし、先程までダイヤのことを考えていたからしょうがないか。

 

 そう思い、もう一度ドアを開ける。

 

「あっ、酷いですよトレーナーさん、最後まで言わせてくれないだなんて。せっかく無断で合鍵を作ってまでお部屋に入ったというのに!」

 

 えぇ……なんでこの子僕の部屋にいるんだろう。

 

 エプロン姿のダイヤはプンスカと怒りを見せ、マックイーンが見たら目から光が失われそうな大きさのそれを腕を組んで強調している。

 

「トレーナーさん、今私の胸見ました?」

 

「見てないよ」

 

「見ましたよね?」

 

「み、見てません……いやそれより! 君さっき合鍵無断で作ったって言ったよな!?」

 

「はい、言いましたけど。家の力を使いました」

 

 こいつ、なんの悪びれもなく言い切りやがった。

 

「それで、私のおっぱい見たんですか?」

 

「年頃の女の子がおっぱいとか言うんじゃあないよ。てかいい加減部屋入れてくんね? 寒い」

 

「認めたら入れてあげます」

 

「分かった分かった! 見ました! 見ましたよ! これでいい?」

 

 どうして僕の部屋なのにこうして許可を得なければならないのだろうか。そして満足そうに頷くダイヤ……このクソガキいつか泣かす。

 

 ともあれ、やはり真冬に外に出るもんじゃないな。レースやトレーニングでならまだしも、日常生活でそれをするのは拷問に近い何かを感じる。

 

「買ってきたものは私が冷蔵庫に入れておくのでトレーナーさんはこたつで休んできてください。お風呂はつい先程沸かし始めたばかりなのでもう少し待ってくださいね?」

 

「ああ、うん、何から何までありがと……」

 

 もう何も言うまい。合鍵を作ってまで僕の部屋に入ったんだ。これ以上追求しても無駄だろう。

 

 こたつに入りテレビをつけ、年末特有の特番だらけの番組表を見て、あちらこちらにチャンネルを変えながら当初の予定通りダラダラと時間を過ごす。

 通常ならばこのタイミングで一年を振り返ったりしたのだろうが、生憎と既にそれは済ませてしまっている。

 かと言って次の年のことを考えても気が滅入る。オープンキャンパスやファン感謝祭の準備担当、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドのトレーナーとして僕の嫌いなメディア出演、そしてURAファイナルズ開催に伴う社畜確定演出……はぁ。

 

「癒しが欲しい……」

 

 もう一度言うが、職業が職業なだけに僕に結婚願望は特にない。だけどそれとこれとは話が別だ。日々の生活を癒すための何かを求めるというのは人間として当然だろう。この寮がペット禁止でなければとっくに犬や猫を飼っている。ううむ、そのために引っ越すのもアリだな、今からでも良さげな物件を探しておくか。

 

 その気もないのにスマホで適当な家を探していると、何やらキッチンの方からいい匂いがしてきた。くるりとそちらの方向を向くと、湯気の立つお盆を持ってダイヤがこちらにやってきた。

 

「ダイヤ、君料理できたのか……?」

 

「むむ、失礼ですね。これでも私、最近お料理の勉強もしてるんです。さあさあ、伸びないうちに食べちゃってください」

 

「おお、ありがたい。やっぱり大晦日と言ったら年越し蕎麦……」

 

 差し出された丼の中身に違和感しか感じない。そこには、蕎麦よりも二回りほど太い麺が白く輝いており──

 

「おい、これうどんだろ」

 

「はい、年越しにはお蕎麦を食べると縁起が良いとのジンクスを聞いたのでおうどんを作りました!」

 

 なんでだよ、おかしい。蕎麦の代わりになるもの……せや、うどん食おか! とはならんだろ。

 

 とはいえ、作ってもらった料理にケチをつけるつもりはない。出来立て熱々のうどんに口をつけようとした時。

 

「トレーナーさん、少しお話いいですか?」

 

「んあ? どうした、そんな改まって」

 

「ここまで私を導いてくれてありがとうございます。あなたがいたからダイヤはここまで輝くことが出来ました」

 

「……なんだい、今更そんな。ここまで来れたのは君の実力さ。僕に感謝する前に自分のことをもっと誇りな」

 

「いいえ、トレーナーさんが見ていてくれたから今の私があるんです。勝った時だけじゃなくて、皐月賞やダービー、キタちゃんとの春の天皇賞、そして一回目の凱旋門賞で負けた時だって……。あなたがいなければ私はずっと躓いたままでした。だから、あなたに心から感謝を。ありがとうございます」

 

 頭を深々と下げるダイヤに少々気恥ずかしくなり、誤魔化すようにあーやえーなど適当な言葉を発する。

 

「なんだ、その……長い人生、石に躓いて怪我することもある。躓いた石に怒りをぶつけても仕方がない。だったら僕ら二人で思いっきり蹴飛ばしてやって後来る人の邪魔にならないようにしないとな」

 

「……ふふっ、とても契約解除を迫った人とは思えない発言ですね」

 

「おっと、過去の行動にケチをつける気か? だったらこっちはフランスで君に押し倒されたことを蒸し返すが?」

 

「なら、今からその続きをしますか?」

 

 そんなの冗談だろ一蹴したかったが、今のダイヤならやりかねない。というか、そもそも目が本気だ。

 

「……降参、この歳で警察のお縄につきたくはないからね」

 

「それは私が成人したら何しても良いと言うことで?」

 

「やだ、この子何も反省してない……」

 

 将来という暇もなくダイヤは既に大物に成長した。もう心配はいらないだろう。若干周りを振り回す気質のある彼女に、もう怖いものはないはずだ。

 

「……? どうかしましたか?」

 

「いいや、今後君のパートナーになる人は幸せ者だなって思ってさ」

 

「ならトレーナーさんは幸せ者になれるってことですね。続きしますか?」

 

「はいはい、五年経ってから出直してきなさい」

 

「ぶぅ……」

 

 ははは、身体だけ成長したガキめ、大人というものを無礼るでないぞ。

 

 膨れっ面のダイヤの頭をポンポンと撫で、今度こそうどんに口を付け──

 

「どーん! です、YO! 独り寂しく虚しくつまんない大晦日を過ごしているであろうせんぱいに、できる女であるこのわたし、一色ちゃんが来てあげちゃいました! さあ褒めて讃えて歓迎するが良いのです!」

 

「うるせぇ! しばき回すぞこのクソビッチ! うどんが伸びるだろうが! てか来る時は連絡しろっつっただろ!」

 

「う、うどん? 一体何のこと……って、ビッチとはなんですビッチとは!? てかちゃんと連絡入れましたぁ! 確認を怠ったせんぱいが悪い……あれ、サトイモちゃんも来てたの? 久しぶり〜」

 

「むぎゅ」

 

 唐突に現れたと思いきや、玄関で騒ぐだけ騒いで中にいるダイヤに抱きつきに行く一色。ムカつくことに、たしかに一色からうちに来るとの趣旨の連絡が入っていた。

 

「全く、トレーナーさんも一色さんも少しは落ち着きというものを覚えてたらどうなのですか?」

 

「うん、すごくナチュラルに現れたけど君まで何やってんだよマックイーン」

 

「あら、私は一色さんに連れられて仕方なく来ただけですわ。そう、仕方なく」

 

「そうか、じゃあもう夜も遅いし帰りな。ついでにダイヤと一色も引き取ってくれると助かる」

 

「それでは遠慮なくお邪魔いたしますわね」

 

 僕の声を無視してずんずんと部屋に上がるマックイーン。なんだろう、僕の担当ウマ娘は最近聞き分けが悪い気がする。

 マックイーンについて行きリビングへと戻ると、未だにダイヤは一色のなされるがままとなっていた。

 

「せんぱい、お風呂貸してもらってもいいですか? 寝巻きと歯磨きセットとお風呂セットは持って来てるので」

 

「は? なに、泊まる気なの?」

 

「はい、確か個室にベッドが一つありましたよね。そこでわたしとマックちゃんとサトイモちゃんの三人で寝ます。せんぱいは床で寝てください」

 

 うーん、とりあえずグーパンでも出そうか。大晦日の安寧が無くなったことが確定し、フラフラしながらこたつへと舞い戻る。

 一色とマックイーンは何食わぬ顔でキッチンの方へと移動し、彼女達が買ってきたであろう食材をキャッキャ言いながら冷蔵庫に詰めてた。

 

「あはは、急に騒がしくなりましたね」

 

「ダイヤ、何他人事みたいな顔してるんだ。君もその一員だということを忘れるなよ? おい、顔を逸らすな。こっち向け」

 

「そ、そんなことより、トレーナーさんに一つお願いしたいことがあるのですが良いですか?」

 

「……はぁ、ここまで来たら僕のできる範囲で叶えてやろうじゃないの。さて、どんな無理難題を言うつもりだい?」

 

「それほど難しいことではないですよ。ただ、トレーナーさんがよければ──」

 

 先程よりもさらに改まったダイヤは僕の隣に移動して肩にもたれ掛かる。

 

 

「この先、どんな障害があったとしても、私の隣に……ううん、ずっと一緒にいてくださいますか?」

 

 

 そう言った彼女は、これまでのどんな時よりも魅力的な子……魅力的な女性に見えて──

 

「──こちらこそよろしく頼むよ、ダイヤモンドの宝石さん」

 

「ふふっ、ありがとうございます、トレーナー、さん……」

 

 ダイヤはそう言うや否や、静かな寝息を立てだす。ふと、こたつに添えられた彼女の指に先週までには見られなかった絆創膏がちらほらと貼られているのに気がついた。

 ……全く、こたつで寝たら風邪をひくと何度も言ってきたのに。いや、これもジンクスを破りたがる彼女の宿命なのかもしれない。これをジンクスと呼ぶのは怪しいところだが。

 

 そんなダイヤを見ていると、彼女のためとはいえ契約解除だなんてとんでもないことをしてしまったなと思ってしまう。その証拠に、あれから随分と時間が経ったのに未だに心が痛む。今回はハッタリだったが故に耐えれたが、今度こそ二度とあんな真似はしたくないと思った。

 そもそもあんなのが最適解だとは思ってもいない。もっとスマートな方法だってあったはずだ。だが、こんな時東条トレーナーなら、沖野トレーナーならと考えても無駄なことは分かっていた。所詮僕は僕、俺は俺だ。あの時はあれしか思い浮かばなかったし、今まともな解決策を思いつけるかと言われたら口を紡ぐしかない。

 

 マックイーンの時だってそう、何をやっても後悔しか残らない。もし人生二周目があるのなら、次はもっと上手くやることを誓おう。でも今は──

 

「すぅ……すぅ……むにゃ……」

 

 

 ダイヤのこの安心しきった寝顔を見れたので良しとしようか。

 

 

「あーっ! せんぱいがサトイモちゃんにセクハラしてるー!」

 

「本当ですわ! 一色さん、110番! トレーナーさんには警察のお世話になってもらいましょう!」

 

「……おい、少しは静かにしろよ。ダイヤ寝てるんだぞ、起きちゃうでしょうが」

 

「サトイモちゃんと……寝た……!?」

 

「今すぐダイヤさんから離れなさいこのケダモノ! 代わりにそこには私が収まりますわ!」

 

「そうだそうだ! 今すぐそこから離れ……待って、それだとマックちゃんだけが得することにならない? てかその場合わたしはどうすればいいの?」

 

「床で寝てたらいいのではないですか?」

 

 静かにしろと言ったのに性懲りも無くギャーギャーと喧嘩を始めるマックイーンと一色。そしてかなりの声量で喧嘩している傍らでも尚僕の肩にもたれ続け起きる気配の無いダイヤ。

 

 静かに大晦日を過ごすつもりだったのにどうしてこうなった? と、今更考えても仕方がない。たまにはこういったうるさい日があってもいいだろう……うるさい日しか無くない?

 まあとりあえず、喧嘩している阿保二人は放っておいてさっさと年越しうどんに食いつくとしようか。

 

 

 …………やっぱ伸びてんじゃねぇか。

 

 

 

 

「────えへへ……トレーナーさん、大好きです……」

 

 

 

 

 第二章『ダイヤモンドは砕けない』 終

 

 

 





二章終わりっ!
プロローグは一章みたいなもんなので、一章38話+二章37話は長すぎるだろとの声が聞こえてきそうですがなんとか終わりました……。

ここまでご高覧ありがとうございました! だけではつまらないと思うので、ここまでの裏話というか独り言を箇条書きですが載せておきます。


・一色さんは最初「っす」キャラだったけどあざとさを感じられなかったのでやめた。キャラの参考は苗字が同じあのキャラ。

・最後のヒール役はトレーナーではなくマックイーンの予定だった。

・凱旋門賞じゃなくて史実通り京都大賞典での復活予定だった。

・二章書いてる途中でサトノダイヤモンドがゲームに実装されて速攻でガチャ引いた。天井して3万円消えた。ついでにキタサンブラックも天井だった。

・コパノリッキー天井←NEW!!

・正直言ってこのssのタイトル変えたい。投稿時「まあこれでいいや!」で済ませた自分を殴りたい。馬鹿野郎、名家生まれのウマ娘なんて大量にいるじゃねえかいいぞもっと増えろ

・ブロワイエ、嘘だよな……?


とりあえず次の章で最後の予定です。少なくとも終わらせ方は決めているので(多分)疾走することはないと思います、はい。
pixivで連載を始めて早一年と少し、もうちょっとだけお付き合い頂けたら幸いでございます。



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特別編 異世界も割といい世界
もしもの話


 

 

 

『ウマ娘』。彼女達は、走る為に生まれてきた。ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る──。それが彼女達の運命。

 

 彼女達もまた、人間と同じように心を持っている。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。到底言葉では表現し切ることができないほどの豊かな感情を有する、身体能力に目を瞑ればどこにでもいる普通の少女と何ら変わりのない存在だ。

 

 しかし、感情とは常に良い方向に働くとは言えない。人間誰しも負の感情を持っており、それはウマ娘だって例外ではないのだ。

 

 

 無念、後悔、嫉妬、遺憾、悔恨、悵恨、悔悟。

 

 

 一例に過ぎないこれらは、まさしく負の感情そのもの。何かをした、あるいは何かをせず望まぬ結果を得てしまった場合、それらは呪縛のように、最悪の場合永遠に残り続ける。

 

 

 そしてここにも一人、先のような感情を持つウマ娘がいる。

 

 

 憧れた夢があった。

 

 叶えたい目標を持った。

 

 超えたい存在がいた。

 

 

 トゥインクル・シリーズを走りきったその少女は、かつて苦悩や理不尽に押し潰され己の走りに陰りが見えることもあったことを思い出し苦笑する。あの頃の自分はあんなにも弱気になっていたな、と。

 それでも前に進んだ少女は、過去にケジメをつけ、輝かしい戦績や栄光を掴み取った。それが理想通りの夢でなくても、それだけで充分だったはずだ。

 

 

「……」

 

 

 だが、ふとした瞬間考えてしまう。もしも全ての障害を乗り越え、己が掲げる夢も目標も叶えきることができていたら。

 

 そんなことを考えても、全ては後の祭りだというのに。

 

 

 首を横に振って思考をかき乱した後、少女はベッドに横になる。

 自分らしくもない、明日になったらこんなこと忘れているだろうと、心の奥底の想いから目を背けて眠りについた。

 友人、ライバル、仲間、そしてトレーナーですら、そんな少女の思いを知ることは叶わない。それこそ、神のような存在でない限り不可能だ。

 

 

 そう、神のような存在でない限り。

 

 

 トレセン学園の中央に鎮座する三女神の像。それに宿し魂達は、少女の想いを見逃すことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 これは、本来出会うことのないウマ娘とトレーナーが出会ってしまった、少し不思議な物語。

 

 

 

***

 

 

 

特別編『異世界も割といい世界」

 

 

 

「────と、いうわけなんですよ!」

 

「そうなんだすごいね」

 

 雑な返事を返す。

 

「……あの、聞いてます? もしも〜し」

 

「そうなんだすごいね」

 

 雑な返事を返す。

 

「もう、せ・ん・ぱ・い!」

 

「そうなんだすごいね」

 

 雑な返事を返す。

 

 ダイヤのレースが一段楽つき、これといって特に浮き沈みのない日々が続いていた。

 三月下旬となり暖かくなってきたとはいえ、まだまだ寒い日は続いている。トレーナー室のこたつ君にはもう少し頑張ってもらわなくてはならない。

 

 そんなこたつ目当てに今日も今日とてうるさい一色が、PCと睨めっこしている僕の横でぴーすかと奇声を発している。

 なんなのこいつ、最近僕の近くに現れすぎじゃない? こいつの系譜を見れば先祖に座敷童子がいることは間違いない。

 

「ぶぅ……全然話聞いてくれない……」

 

 まともに相手をするのが面倒なので適当な返事を返し続けていると、ついには顔を背けて拗ねてしまった。

 これで静かになるのは良いが後々面倒くさいことになるのは容易に予想がつく。具体的にはマックイーンとダイヤと連合を組んで僕を虐めにくる。

 そうなったら僕には人権が無くなってしまうので、マックイーン達が来る前に一色のご機嫌を取っとかねばならない。めんどくさなぁ。

 

「はいはい、分かった分かった。で、何の話だっけ? ユンボ運転するためにゴールドシップが車両系建設機械運転技能講習の資格取ったこと?」

 

「なんですかその微妙に興味をそそられる話。ちょっと詳しく……って、違いますよ! この間のアニメの話です!」

 

 

 は? アニメ?

 

 

「その顔は完全に忘れてますね……。ほら、少し前におすすめしたじゃないですか」

 

「あ……ああ、あれか」

 

 思い出した。大晦日に女性陣が僕の部屋に突撃してきた際、正月の間暇ならこのアニメでも見とけと一色がブルーレイディスクを一方的に押し付けてきたことがあったのだ。

 

 意外にも一色はかなりのアニメ好きであり、おそらくだが視聴したアニメの総数なら僕よりも断然多い。

 そもそも、自分がアニメを見ていたのはほとんど学生時代なため、現在進行形でも見ている一色と比べたら少なくなってしまうのは仕方のないことなのだが。

 

 話を戻そう。その勧められたアニメというのは、最新物の異世界作品だった。

 僕の知っている異世界作品といえば、死んだらセーブ地点まで巻き戻るゼロから始める異世界生活だったり、ポンコツな仲間とトラブルに巻き込まれるこの素晴らしい世界だったりといったものなため、昨今の異世界作品はほぼ知らないと言ってもいい。

 

 なんやかんや一色から押し付けられたアニメを見て、思ったことが一つある。今の異世界作品が決して悪いわけではない。ただ、僕個人の感想としては──

 

「……昔は良かったなぁ」

 

「あーっ!? それ禁句ですよ!? 老害って言われても文句言えませんからね!」

 

「いや、お前から勧められたアニメ自体は面白かったよ? でもやっぱり異世界系はもう古いっていうかさ……」

 

「でも、もし自分がそういう立場になったらって考えると心躍りませんか?」

 

 厨二病の高校生か、と笑い飛ばしたかったが、正直一色の言いたいことは分かる。

 僕とて物語の主人公のように剣や魔法でモンスターとの闘いを想像したことが無いわけではない。

 そこで出会う頼れる仲間や可愛いヒロインと共に行動して強敵を倒す。王道だがこれに惹かれない少年はいないだろう。

 

 

 だが現実は非情なり。それらの話はどこまで行っても妄想の類に過ぎない。

 

 

「あーあ、わたしも異世界行って魔法とか使ってみたいなぁ」

 

「行けるわけないだろ、そんなアニメやゲームじゃあるまいし。そもそも存在すらしない空想の世界なんだから」

 

「分かりませんよ? もしかしたら宇宙の果てにそう言った世界があるかもしれないじゃないですか。例えばわたしが総理大臣になってる世界だったり、お寿司が存在しない世界だったり、ウマ娘の代わりに別の生き物がレースしている世界だったり──」

 

「お前が総理大臣になったら二秒で他国に侵略されて終わりだよ」

 

 というか、見事に剣も魔法も関係無ぇじゃねえか。それだったらもう異世界というより平行世界と言った方が正しいだろう。

 

 全く、バカバカしい。そんな世界、ありえないというのに……

 

 

「──せんぱいがマックちゃんとサトイモちゃんを担当してない世界だったり」

 

 

 ……ありえないというのに。

 

 

「……阿呆なこと言ってないでさっさと仕事に戻れ。URAファイナルズの件、お前も引き受けたんだろ?」

 

「ああ、あれですか。わたしは今月のノルマもう終わらせましたよ。面倒な仕事は全部せんぱいに押し付け……あ、いえ、なんでもないです」

 

「おい、誤魔化すなよ、バッチリ聞こえたぞ。今押し付けたって言ったよな? 道理で今月の分の仕事が多いと思ったんだ。ふざけんなよお前、なんで僕が一年後のURAファイナルズの全日程を調整しなきゃなんなんいんだよ。これ絶対押し付けてんのお前だけじゃないだろ。よし、共犯者を吐け。今から──」

 

「ああっ! わたし今日実家に帰る用事あるんでお暇しますね! 今度何か奢るんで! それじゃ!」

 

 そう言って一色は光の速さで逃げ出した。本来なら追いかけてとっちめたかったが、逃げ足だけは速いもので僕が部屋から飛び出した頃には一色の姿はもうなかった。

 諦めて仕方なく仕事の続きをこなすも、集中力が続くことはない。

 

 

"せんぱいがマックちゃんとサトイモちゃんを担当してない世界だったり!"

 

 

 先程一色から言われた言葉が頭から離れなかった。

 

 今となってはマックイーンやダイヤは僕にとってかけがえのない存在となっている。本人達の希望以外で担当ウマ娘を変更しろなんて言われた暁には自分が何をしでかすか分からない。

 でも、それはたまたま僕があの二人を担当し、それなりに良好な関係を続けることができたからだ。

 

 

 もし出会いが違えば。もし途中で関係に亀裂が入っていたら。

 

 もし、あの時僕の瞳に彼女ではなく別の誰かが映っていたら。

 

 

「……なーんて」

 

 たらればのことを考えても仕方がない。

 目の前の仕事どころか、一色一人を相手にすることすら大変なのだ。今の僕にそんな余裕はないも等しい。

 

 今一度集中力を取り戻そうとコーヒーカップに手をつけると、ノックと共に二人のウマ娘が入室してきた。その二人とは言うまでもなく──

 

「マックイーンとダイヤか。うぃーっす二人とも、今日も可愛いな」

 

「トレーナーさん、こんにち……は? 今なんとおっしゃいました?」

 

 おっと、先程あんなことを考えていたせいか、本音が出てしまった。らしくないとは思いつつも、困惑するマックイーンの顔が面白くてついそのままのノリで会話を続けてしまう。

 

「可愛いって言ったんだけど」

 

「偽物ですわ! トレーナーさんがそんなストレートに好意を伝えるはずがありませんもの! ダイヤさんも何か言って……ダイヤさん?」

 

「……トレーナーさん、ちょっと私の顎をくいっと持ち上げて『ダイヤ、世界一可愛いよ』と仰っていただけませんか?」

 

「貴方も貴方で何を言っていますの!?」

 

 どうしよう、マックイーンを揶揄うだけだったのに、ダイヤに変なスイッチをつけてしまった。こうなった彼女をどうにかするのは極めて困難なのだが……

 

「ダイヤさん、もう一度考え直してください! 貴方の提案はとても魅力的……ではなく! ウマ娘とトレーナーの関係を壊しかねないものですのよ!?」

 

「大丈夫です、マックイーンさん。その時はその時でトレーナーさんにはサトノ家専属のトレーナーとして永久就職していただくので」

 

「なっ!? ず、ずるいですわよ! だったら私にだって考えがありますわ! こちらには既にトレーナーさんを"お迎え"する準備ができていますの。これがどういう意味か、ダイヤさんなら分かりますわね?」

 

 どういう意味だろう。僕には分からないし分かりたくない。

 

 ジリジリと牽制しあうマックイーンとダイヤ。達人同士のやり取りの如く、彼女達の間で見えない攻防が繰り広げられている。

 そんな彼女達を見ていると、少し親密になり過ぎた気がしなくもない。

 

「どこで間違えたかなぁ」

 

「……トレーナーさん、それは一体どういう意味ですの?」

 

「事と次第によってはただでは済みませんよ?」

 

「……どこで間違えてこんな事になっちゃったのかなぁ」

 

「「あっ!」」

 

 わざと聞こえるように言ったのがいけなかったのか、それを聞くや否や彼女達は自分自身についてのプレゼンを始め出す。

 挙句の果てには、自分と付き合えば家の力でこんなことやあんなことができるなど訳の分からないことについても力説されてしまった。内容は一ミリたりとも入ってこなかったけど。

 

 

 そんなマックイーンとダイヤのおバカで平和なやり取りを受け流しつつ、一色とその他知らん連中から押しつけられた大量の仕事に取り掛かった。

 

 この量は多分深夜コースだなぁ……

 

 

 

***

 

 

 

 そして深夜二時。案の定深夜コースだったのだが思っていた以上に押し付けられた仕事が多く、気が付いたらこの時間になっていた。

 流石にそろそろ帰らないと明日にも支障をきたしてしまうため、いつものように学園の道を経由して寮へと帰る。

 

 何だか今日は月の光がいつもより眩しい気がする。空を見上げると、天空には綺麗な満月がぽっかりと浮かんでいた。

 これはこれで風情があるなと感じ、自然と歩む速度を遅めてしまう。

 

 そうして上を向いて歩いていると、自分が三女神の像の前まで来ていることに気がついた。本来この道は通らないはずなのだが、いかんせん月を見るのに夢中になっていたようだ。

 すぐに引き返そうとするも、もう少しボーッと満月を見ていたいという気持ちが強まる。

 

 

「……どっこいしょっと」

 

 

 そのまま三女神像の噴水の淵に腰掛けてもう一度空を見上げ、今度は満月ではなくその周辺の星々に目を向ける。

 とは言っても、この夜空に輝きを放つ星はほとんどない。本来なら無数に存在する恒星の光は、都会のネオンによってその姿を眩ませている。

 

 もし、この見えない星々のように、見えないだけで別の世界があるとするならば。そんなことをふと考えてしまう。

 夢物語と笑われてもいい。いくつ歳を重ねても、そういった厨二心というのはなくなることはない。あるはずないと分かっていても、そういった理想、妄想に思考を割くのは男の子の特権だ。

 

 だが、もし本当にそんなものがあるのだとしたら見てみたいなとは思う。

 剣と魔法の世界だろうと、あのおバカな一色が総理大臣になっていようと、ウマ娘ではなく別の生き物がレースを走っていても、僕がマックイーンやダイヤではなく別の…………ッ!?

 

 

「おえっ……あぐっ……!」

 

 

 のんびりと腰掛けていたはずなのに、突如として激しい吐き気と眩暈に襲われる。あまりの突然の出来事に、助けを求めて声を上げることすらできなかった。

 そもそも、助けを求めようにもこの時間にこの場所を通る人なんていないに等しい。

 

 

「……ぇ……ぁ」

 

 

 つまりは詰んでいるのだ。

 

 次第に頭も回らなくなり、意識が遠ざかっていく。

 春先とはいえ夜中はまだ寒い。ギリギリ凍死するなんてことはないだろうが、寒さに凍え地面に横たわった無様な状態で明日発見されると思うとゾッとしない。

 

 

 あ、駄目だ。これ死ぬ……

 

 

 意識が暗い闇の奥に消えていくような感覚を覚え、ついには考えることすらも出来なくなる。

 

 

 瞼が完全に塞がる直前、目の前にある三女神像が不気味な光を放ったような気がして────

 

 

 

 

 

 

 

 

「────は」

 

 

 声にならない声と上げると共に覚醒する。もはやお決まりの「知ってる天井だ」とすら言う余裕もない。

 顔を動かして辺りを見回すと、そこは深夜のトレセン学園ではなくトレーナー寮の僕の部屋だった。カーテンの隙間からは光が差し込み、小鳥の囀りすらも聞こえてくる。

 

 何が起こったのか全く理解できない。さっきまで深夜のトレセン学園にいたはずだ。何故僕はここにいるんだ? 

 意識を失う直前までの記憶はギリギリ残っている。確か急に吐き気と眩暈に襲われてそのままダウン。あの状況を自力でどうにかできるとは思えない。

 

 誰かが運んでくれた? いや、部屋の鍵を持っているのは僕と一色だけだ。鍵を勝手に作ったダイヤからは取り上げたし、一色は本人曰く実家に帰っているので、こうして部屋の鍵を開けて僕をベッドまで運ぶことができないはずだ。

 僕の持っている鍵を使ったとも考えられるが、生憎鍵は無くさないようにと鞄の内側の収納スペースにしまってあるので他人に見つけられるとは思えない。

 

 颯爽と現れる救いのヒーローという線は消えた。消去法で、土壇場で火事場のバカ力を発揮し無意識の内になんとか寮へと戻ったという考えなら説明がつく……つくかなぁ?

 

 そんなことを考えながら時計を見ると、そろそろ出勤時間だということに気がつく。

 正直言って全く休めた気がしない。でも仕事には行かなくちゃいけない。ただでさえ仕事押し付けられてんだ、マジで一色のやつ覚えてろよ。

 

 恨み辛みで呪詛を吐きながら身体を起こし、その身体に鞭を打って身支度を整え寮を出る。

 

 

 

 

 

 空は快晴、いつもと特に変わりはない。いつもの通勤路にいつもの街並み。

 

 

「トレーナーさん、おはようございます」

 

「たづなさん、おはようございます」

 

 

 校門前に立つたづなさんにいつのように挨拶をし、今日も今日とて普通の一日が始まる。

 

 

 それなのに、脳は危険信号を出していた。第六感と言えばいいのか、何故だか冷や汗が止まらない。心配事の9割は実際に起こらないというが、そんな迷信が霞むくらいの違和感に襲われる。

 

 警戒しながら学園内を歩いていると、早くもそのボロが出始めていた。

 

 まずミホノブルボンのトレーナーである黒沼トレーナー。彼はいつも上裸にパーカー、そしてサングラスという893……いやいや、いかつい格好をしているが、視界に映る彼はスーツに眼鏡という普段と真逆のファッションをしている。

 

 次にチーム〈カノープス〉のトレーナーである……南坂トレーナー、だったかな? 彼はいつも真面目で紳士な優男だったはずだ。それなのに、今の彼は服は乱れて髪はボサボサ、とてもじゃないが人前に出る格好ではない。

 

 そして極め付けは、登校するウマ娘から聞こえてきた会話の内容。

 

 

「さっきミークさんのトレーナーがひったくりにあったんだって!」

 

「え〜こわ〜い。あたし達も気をつけないとね〜」

 

 

 君達はウマ娘なんだから人間相手なら何も問題ないだろうというツッコミは置いておいて、この発言も最初からおかしい。

 

 ミークというのはハッピーミークのことだろう。その彼女のトレーナーはあの桐生院トレーナーだ。

 彼女の身体能力は並外れたもので、遅刻しそうだったからという理由で見事なパルクールを決めながら通勤していたのを見たことがある。

 それに彼女ならひったくりに襲われても自分で取り返すだろうし、なんならそのまま警察に突き出して感謝状を贈られるまである。

 

 

 何かがおかしい。

 

 

 疑念は確信に変わり、警戒のレベルを上げざるを得なくなる。最初は胡麻程度の違和感だったはずなのに、水風船のように膨らんだそれは僕の恐怖心を掻き立てる。

 

 

「──おわっ!?」

 

 

 警戒しながら歩いていると、後ろから急に肩を組まれバランスを崩す。

 朝っぱらからこんなことをするバカは一体全体どこのどいつだ。マックイーンとダイヤは違うと自信を持って言えるため、一色か沖野トレーナー、もしくはゴールドシップだと考えられるな。

 

 ため息をついて振り返り、犯人に文句の一つでも言ってやろうと顔を見……

 

「ちょりーっす! あんた朝から元気無いじゃ〜ん? やなことあった〜?」

 

「………………は?」

 

 一瞬誰だか分からなかったが、理解した瞬間思考がトリップする。

 今まで様々な予想外に直面してきたが、これはそのどれと比べても群を抜いて意味が分からない。

 

 

 だって、そこにいた人物は──

 

 

「東条、トレーナー……?」

 

「おん、そだよ〜。てかあんた今日なんか変じゃね?」

 

 

 東条ハナ。チーム〈リギル〉のトレーナーであり、僕がサブトレーナーだった頃の恩師でもある。

 僕の知る東条トレーナーは綺麗な黒髪で眼鏡をかけており、グレーのスーツを着こなす見た目通りのクールビューティーだ。

 それなのに今の彼女は、南坂トレーナー同様スーツを着崩し眼鏡の代わりに濃いアイシャドウ、髪色も茶色と、本来の彼女とはかけ離れた容姿となっている。六本木や渋谷にいてもおかしくない。

 

 ちなみに東条トレーナーは僕より歳上だ。いや、これに深い意味は無いよ? 無いんだけど。

 

「うわきつ」

 

「……は? 今なんつった?」

 

「えっ!? あー、いや……きつ、つき! さっきキツツキがいたんです! そこに!」

 

 自分で言っといてなんだが、この言い訳は無理があるだろう。終わったと思い恐る恐る東条トレーナーを見ると……

 

「なーんだ! そうだったの! 勘違いしちゃったじゃん!」

 

 改めて思うが誰だこいつ。聡明な東条トレーナーがこんなバカなはずがない。

 

 ここまで来たら一周どころか百周以上回って目が回りそうなくらい恐怖を感じる。絡んできた東条トレーナー(笑)に雑な断りを入れ、すたこらさっさとこの場を後にした。

 

 なんだ、何が起きている。あまりにも非日常的な光景を目の当たりにし脳が混乱を及ぼす。

 黒沼トレーナーも、南坂トレーナーも、桐生院トレーナーも、東条トレーナーも、みんなみんなおかしい。

 

 ドッキリか何かか? それにしてはみんな自らの尊厳を破壊しすぎだろう。そもそも僕にドッキリを仕掛ける意味が分からない。

 

 恐怖心の増幅と比例するように足取りは速くなる。

 とは言っても解決のためにはどこへ向かえばいいのか分からない。とりあえずトレーナー室だ。あそこに行けば余計なノイズは入らないだろう。まずは気持ちを落ち着けなければならない。

 

 そう思いながら走っていると、またしても知っている顔を見つけた。これ以上何も考えるな、何も見るなと思いつつも、今しがた見つけた彼女は無視することができなかった。

 

 彼女が東条トレーナー達のように豹変していたらどうしようという気持ちは心のどこかにあった。

 しかし、そんなことを考える暇もなく先に口が動く。

 

 

「マックイーン!」

 

 

 僕にそう呼ばれたマックイーンは驚いた顔をしつつも、すぐにいつもの柔和な笑みを浮かべる。

 

「あら、おはようございます。そんなに慌ててどうかされたのですか?」

 

「あ…………ああ、なんでもない。ちょっと今朝から訳の分からんことばかり体験してな……。でも、マックイーンを見たら落ち着いたよ」

 

「そうなのですか? そこで私に声をかけるのも私を見たら落ち着くというのもよく分かりませんが、貴方がそれで良いのなら構いませんわ」

 

 良かった、マックイーンは普段と変わっていないようだ。知らない場所で知っている顔を見つけると安心するというのはこういう感覚なのだろうか。

 普段通りに接してくれるマックイーンに安堵し、ついさっきまでの悪夢のような光景による恐怖が和らいでくる。

 

 かと言って完全に心が休まるわけではない。少し精神的に疲れてしまった。

 昨日のこともあるし、今日一日くらい休んでも罰は当たらないだろう。

 

「ん、もう大丈夫。マックイーン、今日のトレーニングは自主練で頼むよ。ダイヤにもそう伝えといてくれ」

 

「……? あの、どうして貴方が私のトレーニングをメニューを? それに"ダイヤ"とは……」

 

「……は? いやいや、何言って──」

 

 待て自分、よく考えろ。この状況もこの状況でおかしなところがあるぞ。

 マックイーンとの会話をもう一度思い出せ、僕がマックイーンを見たら落ち着くと発言した後に彼女はなんて言った?

 

 

『私に声をかけるのも私を見たら落ち着くというのもよく分かりませんが』

 

 

 契約初期ならいざ知らず、今や一心同体と言ってもらえるほどの関係となったマックイーンがそんなことを言うとは思えない。

 僕の思い上がりと言われたらそこまでだが、こういう時彼女は親身になって話を聞いてくれるはずだ。

 

 そしてもう一つ、マックイーンはいつもダイヤと一緒に登校している。同じチーム、同じ美浦寮ということもあり彼女達はよく行動を共にしているのを目にする。

 それなのに、今日はそのダイヤの姿が見当たらない。たまたまいないという可能性だってある。でも、これまでの違和感からしてそうは考えられなかった。

 

 頭が痛い、目が回る。昨日の晩、正確には日付けが回ってるので今日なのだが、幾度となく体調不良に襲われた僕の身体は限界を迎えようとしているのが分かる。

 

「あの、本当にどうかされたのですか? 見たところ体調が良いようには思えないのですが……」

 

 この違和感にいい加減決着をつけなければならない。雑巾のように絞りきった勇気をさらに振り絞り、目の前のウマ娘と対峙する。

 

 

「なぁ、マックイーン。一つ変なことを聞いてもいいか?」

 

「え、ええ、なんでしょうか?」

 

「僕は……僕は君のトレーナーだよな?」

 

 

 ダイヤは見当たらない、東条トレーナーはおかしい、一色は……まあいいか。もう頼れる相手はマックイーンしか残っていないのだ。

 

 

 頼む、そうだと言ってくれ、マックイーン……!

 

 

「あの、お言葉なのですが──」

 

 

 そう強く願うも、彼女の声音は芳しくない。

 

 瞬間、絶望の二文字が脳裏をよぎった。

 

 

 

 

 

「貴方は私のトレーナーではありませんわよ?」

 

 

 

 それを聞くと同時に平衡感覚が保てなくなり、目の前が真っ暗に──

 

 

 






ちっとばかし寄り道を、ね?

この特別編は全て書き終えてから投稿する予定だったので間が空いてしまいました。



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僕とボク

 

 

 

 トレーナー室でマックイーンとダイヤが楽しげに話している。一体どんな言葉を交わしているのかと気になったが、きっと僕の悪口なのだろう。

 そこに一色とセイウンスカイも加わった。仲の良い彼女達は更に会話を発展させる。

 

 そんな彼女達を遠目で見ていると、マックイーンがこちらに来いと手招きする。

 いくら関係を深めたところで、女性陣の中に混ざるというのは中々に勇気がいる。だが、ここで命令に従わなかったら後々が怖い。大人しくそれに従い彼女達の方へと歩みを進める。

 

 

 しかしどうしたことだろうか。足取りは重く、歩めど歩めど距離が縮まらない。むしろ遠くなってすらいる。

 全力ダッシュをしようにも、まるで鉛が詰まっているかのような重さをした足ではどうすることもできない。

 

 

 待ってくれ、マックイーン、ダイヤ! 

 

 

 そう声にしたかったが口が開かない。呼び止めることもできず、距離だけが遠くなっていく。

 それでも足を止めることはできない。重い足取りのまま抵抗を続けていると、ついにバランスを崩してしまい頭から地面へぶつかって──

 

 

 

「────ん」

 

 ぼやける視界がくっきりとその形を露わにして覚醒する。気がつけば僕はベッドの上で横になっていた。

 

 さっきまでのは、夢……? えっと、また僕は気を失っていたんだっけ。

 

 記憶を整理し、なぜ自分がこうなっているのかを思い出す。

 たしか、仕事帰りにめちゃくちゃ気分が悪くなり、目が覚めたら家のベッドの上だった。そしてそのまま仕事に行ったら東条トレーナーがきつ……若作りをしていた。

 

 その後マックイーンに会って……ああ、完全に思い出した。

 

 自分が気を失うきっかけとなった嫌な記憶を思い出し、首を振ってそれを忘れようとする。

 あれは結局冗談だったのだろうか。例えそうだとしても恐ろしい。僕がトレーナーをやめると知ったマックイーン、そして契約解除を迫られたダイヤはこんな気持ちだったのかもしれない。今度もう一度謝っておこう。

 

 何はともあれ、目が醒めたのならそれでいい。願わくばこれまでのことも全部夢であってほしいのだが、そうは問屋が卸さないようだ。

 

 まず、ここは僕の部屋ではない。何か見覚えのある場所だなと思ったのも束の間、すぐにトレセン学園と保健室だということに気がつく。

 マックイーンの言葉によって気を失った後、保健室に運ばれたと考えるというのが最有力候補か。

 

 そしてもう一つ、ベッドの横にある椅子に座り見守るように寝ている少女が一人。

 

 僕は彼女を知っている。

 

 

「トウカイテイオー……」

 

 

 どうして彼女がここにいるのか。今日は疑問と困惑ばかりで、大して体を動かしていないのに疲労が激しい。

 

 僕とトウカイテイオーはかつてゲーセンの麻雀で凌ぎを削った(一方的にボコボコにされた)りしたが、それほど仲が良いというわけでもない。

 少なくとも、頼まれでもしない限りこうして寝ている僕を見守るなんてことはしないはずだ。

 

「……ん」

 

 足りない脳をフル回転させていると、寝ていたはずのトウカイテイオーが目を醒ましたため考えるのを中断してしまう。

 

「悪いトウカイテイオー、起こしちゃったか。でもどうして君がここに──」

 

「トレーナー!」

 

「──いるんぐはぁっ!? な、なに!? ちょっ、痛い! 骨折れる! 折れるから離して……離せってば! 死ぬわ!!」

 

 突如としてトウカイテイオーに飛びかかられて身体を締め上げられる。

 自分はダイヤの攻撃にも耐えた実績があるので死にはしないだろうが、痛いもんは痛い。早いところ離れてもらわなければ骨の何本かは犠牲となってしまう。

 

 抱きついて離れないトウカイテイオーを引っぺがそうとしていると、保健室のドアがガラリと開く。

 誰が入ってきたのかと悪戦苦闘しながら確認すると、そこにはトウカイテイオーと同じ綺麗な流星と鹿毛のウマ娘がいた。

 

「全く、起きたかと思ったら一体何をしているんだ。もう日が暮れている時間だぞ。少しは静かに──」

 

「シンボリルドルフ……! ちょうどいい、こいつ引き剥がすの手伝ってくれ……ッ!」

 

「……因果応報、君はテイオーを心配させたんだ。それくらいの報いは受けるべきだと私は思うよ」

 

「は、はぁ? なんで僕がトウカイテイオーを心配させたことになるんだ?」

 

 それを聞いた瞬間、シンボリルドルフはピクリと眉を動かす。

 

「……"僕"? それにテイオーのことを……。どうしたトレーナー君、何だか様子が変だぞ。強く頭を打ったと聞いたし、まさか記憶が……」

 

 そうして彼女は僕の質問には答えず、一人ブツブツと思念した後僕に疑いの眼差しを向けてくる。

 

「悪いが、君の氏名と年齢、そして職業を教えてくれ」

 

「な、なんだよいきなり。僕の名前は──」

 

 彼女の言われるがままに、氏名と年齢、そしてこのトレセン学園に勤めていることを話す。

 

「ちなみに家族構成は両親、そして妹が一人。長男の癖に恋人いない歴と年齢をイコールで結ぶことのできる独身男性です対戦よろしくお願いします」

 

「そ、そこまで答えろとは言ってないのだが……ま、まあいい。単刀直入に言うが、君は記憶喪失の可能性がある。その自覚はあるかい?」

 

 そう問われるも、僕には全く心当たりがない。気を失う直前に何が起きたのかはっきり覚えているのだ。

 

 シンボリルドルフの問いに対し首を横に振ると、彼女はまたしても顎に手を当てて唸り出す。

 

「根本的な記憶は正常か……仮に記憶の欠落でないとするのなら……うむ、概ね状況は把握した。やはり君は私達の知っているトレーナー君ではないみたいだ」

 

 

 さらっとシンボリルドルフはそんなことを……え? 

 

 

「ええっと……どゆこと? もしかしてさっきの情報にズレでもあった? ああいや、待ってくれ、思い出す。もしかしたら幼稚園児の時に将来を誓い合った仲の女の子がいるかもしれ──」

 

「いや、君と私の認識に齟齬はないよ。ただ、私の知っているトレーナー君は、目の前にいる君のように愉快な性格はしていない」

 

「?????」

 

 

 どういうことだ? それだとまるで僕じゃない別の僕がいるみたいな言い方じゃないか。

 

 

「そして、トレーナー君の一人称は"私"だ」

 

「……おいおい、まさかシンボリルドルフまで僕にドッキリ仕掛けてるのか? 勘弁してくれよ、今朝から東条トレーナーには小ギャルみたいな絡まれ方するし、マックイーンにはタチの悪い冗談を言われるしで散々──」

 

「最後に、君はトウカイテイオーのことを"テイオー"と愛称で呼んでいた。君が君であるなら、これがどういうことか分かるはずだ」

 

「…………」

 

 訳がわからないよ、と脳内の魔法少女の契約を結んできそうな白いクソ獣が曰っているが、シンボリルドルフの言っていることは怖いくらいすっと理解できた。

 

 担当以外の子と過度に親密になるのを避けるためといった理由により、僕は普段担当ウマ娘以外を愛称で呼ばない。

 

 百歩譲って呼んだとしても、〈リギル〉のサブトレーナー時代に関わったことのある目の前のシンボリルドルフやマルゼンスキーくらいなものだ。

 

 その二人とマックイーン、ダイヤの合計四人以外には愛称呼びはしたことがないと自負している。シンボリルドルフはこれらのことを知っているため、敢えてそう伝えたのだろう。

 

 担当ウマ娘以外を愛称で呼ばないということは、要するに担当ウマ娘なら愛称で呼ぶということ。

 

 

「……はぁ」

 

 

 自然とため息が出てしまった。

 

 ここまでのことを整理しよう。まず、今まで起こったことをドッキリではないと仮定すると、人格が変わったかのようなトレーナー陣、マックイーンの僕がトレーナーではない発言。それらに加えて、シンボリルドルフからの証言。

 

 ここまで来れば嫌でも分かる。先程冗談のつもりで別の僕がいるみたいなことを考えたが、それはあながち間違っていなかった。

 この状況、漫画やアニメの世界じゃあるまいしとバカにすることもできない。

 

 

 ここは僕の知らない世界。つまり──

 

 

「異世界、ってコト……?」

 

「随分と余裕があるような言い方をするな……。ここまで話を進めといて何だが、君こそ私達を騙しているんじゃないか? ヘリオス達のように言えば、イメチェン、というやつにも捉えられるが……」

 

「そんなことはない、僕は僕だ。この純粋無垢な瞳に嘘は無いだろう?」

 

「……たしかに、濁ってはいるが嘘をついているようには思えない」

 

 濁ってるってなんだよ、透き通ってるだろうが。多分、知らんけど。

 

「とりあえず場所を変えよう。この時間ならエアグルーヴもブライアンもいないだろうから生徒会室が空いているはずだ。ついてきてくれ」

 

「ああ、分かった。と、その前に……おーい、トウカイテイオー、いい加減離してくんない?」

 

 シンボリルドルフと話している間、トウカイテイオーはずっと僕にしがみついていた。

 生徒会室に移動するために離れてもらおうと声をかけるも、彼女からの返事はない。まさかと思って顔を覗くと案の定……

 

「すぅ……すぅ……」

 

「……また寝てるし」

 

「テイオーは朝から君につきっきりだったからな。疲労困憊なのだろう。個人的には彼女にも話を聞いて貰いたい。すまないが、連れてきてもらえないかい?」

 

「その割にはさっきぐっすり寝てた気がするんだが……はぁ、しょうがねぇなぁ……」

 

 涎を垂らして眠るトウカイテイオーの軽い身体を担ぎ上げ、シンボリルドルフと共に生徒会室へと向かう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……さて、何から話をしようか」

 

 生徒会室にて。未だ訳が分からず混乱する僕と、嫌に理解の早いシンボリルドルフはそれぞれ対面するソファに腰をかけ、彼女が入れてくれた紅茶を口にする。

 ちなみにトウカイテイオーはというと、ふてぶてしいことに僕の膝を枕にして未だに寝ていた。この役はシンボリルドルフがするべきだと思うが、彼女はそれをわざわざ僕にやらせたのだ。こいつ、この世界でも厄介だな。

 

「何からも何も、こちとらお先真っ暗で何もやる気起きねぇよ。そもそもここが異世界なのかどうかもよくわからねぇし。あーあ、これからどうなるのやら……」

 

「……思ったより落ち着いているんだな。普通ならこういった状況に陥ったら取り乱すと思うよ」

 

「取り乱すっていったらもう充分取り乱したんだよなぁ」

 

「それもそうだな。君が気絶するほど取り乱したんだ、深くは聞きはしまい」

 

 まるで全て分かっているかの物言いなシンボリルドルフ。

 厄介なやつだが、今の僕にとっては最も頼れる存在なので邪険には扱えない。

 

「さて、俄には信じ難いが、君が異世界とやらの来訪者だと分かった以上、考えるべきなのは二つ。一つ目は元の世界に帰る方法だ。愚問かもしれないが、君はそれを持ち合わせているかい?」

 

 知るわけないだろう、こちとら気がついたらこうなっていたんだぞ。

 

 シンボリルドルフの質問に首を横に振る。愚問と言っていたように、彼女もそれは分かっていたようだ。

 

「何か手がかりとかはないか? 例えば君がこの世界へ迷い込んでしまった状況とか、迷い込む直前に何があったのかとか」

 

「んなこと言われても……ん?」

 

 きっかけ、と言えるかは分からないが、明らかに不自然な出来事が起こったのは学園から寮へ帰る際のあの時だ。たしか満月を見上げて噴水の淵に座ってたっけ。気分が悪くなって意識が飛びかけた時、最後に見えたのは……

 

「……三女神の像」

 

「……? 何か分かったのか?」

 

「ああ、実は──」

 

 シンボリルドルフにあの時のことを説明する。寮へと帰るところから、気がついたら自分の部屋にいて朝になっていたところまで。

 

 三女神像は不思議な力を持つと言い伝えられているが、結局のところあの像はただの石に過ぎない。でも、怪しいことには変わりないのは間違いないのだ。

 

「トレーナー君、他に心当たりは?」

 

「……悪い、これ以上は無い」

 

「そうか……すまないが、それだけでは私は力になれそうにない。だが安心してくれ、君には私がついている。元の世界に帰れるように、粉骨砕身してその方法を探すとしよう」

 

「え、めっちゃイケメンじゃん……惚れちゃいそう……」

 

 目の前のイケメンウマ娘に僕の中のわずかな乙女心が悶えているのが分かる。まずい、このままだと夢女子になっちゃう……

 

 と、冗談は置いといて、考えるべきことの二つ目とやらを聞かねばならない。

 

「そしてもう一つ、本来のトレーナー君は今どこにいるのか。これも聞くだけ無駄かもしれないが、君はそれを……」

 

「知らんけど」

 

「……弱ったな、一体どこへ行ってしまったのか……」

 

 同じ世界に同じ人物が存在してはいけない、というのはSF作品でよくある定番のお約束だ。

 そうだとすると、僕がこの世界に来たことによってこの世界の僕は一時的な消滅、あるいは入れ替わりになったと考えるのが妥当だろう。

 

 ……待て、もし入れ替わっていた場合、この世界の僕とマックイーン及びダイヤが邂逅することになる。

 シンボリルドルフの口ぶりからするに、この世界の僕はかなり堅物なようだ。沸々と不安が込み上げてきた。

 

「……シンボリルドルフ、今度は僕の質問に答えてもらってもいいか?」

 

「ああ、何でも聞いてくれ」

 

「だったら……この世界の僕ってどんなやつ?」

 

 その質問を聞いたシンボリルドルフは目を丸くした後、何がおかしかったのか吹き出してしまった。

 質問の内容が意外だったのか、それとも"僕"がそういう質問をするとは思わなかったのか。

 

「つまりは私の知っているトレーナー君について話せばいいのだね?」

 

「よろしく頼むよ」

 

「それではまず最初に……薄々気がついていると思うが、君の担当ウマ娘はそこで寝ているテイオーだ。彼女を愛称呼びしていないということは、君はテイオーを担当していない。違うかい?」

 

「ご名答。ところで、マック……メジロマックイーンとサトノダイヤモンドは誰が担当しているんだ?」

 

「マックイーンはチーム〈スピカ〉の所属だ。獅子奮迅、彼女も目まぐるしい活躍を見せているよ」

 

 チーム〈スピカ〉、つまりは沖野トレーナーということか。

 よかった、これで見ず知らずのトレーナーが担当していたら僕はそいつをぶっ殺さなくてはならないところ……いや、沖野トレーナーも東条トレーナーよろしく人が変わっているかもしれない。安心はできないな。

 

「すまないが、サトノダイヤモンドという名前は存じない。サトノグループのウマ娘なら何人か知っているが、ダイヤモンドの名前は聞いたことがない」

 

「えっ」

 

 ダイヤに至ってはまさかの存在抹消。可哀想に。

 ここは彼女が入学するより前の世界線なのか、それともなんらかの理由で入学自体しなかったのか。

 

 

 なるほど、なんとなく見えてきたぞ。

 

 この世界の僕はメジロマックイーンではなくてトウカイテイオーを担当している。

 一人称は"僕"ではなく"私"。僕が愉快な性格をしているとは思えないが、"私"の方はかなりの堅物なようだ。

 

「トレーナー君の言葉から察するに、君の担当はマックイーンとサトノダイヤモンドというウマ娘らしいな」

 

「ああ、そうだよ。だからマックイーンにお前は私のトレーナーじゃないって言われた時は絶望して死にかけたね」

 

「生死無常、君の無念は身体と共に埋葬しておくとしよう」

 

「おーい、死にかけたってだけで死んでないからなー?」

 

「……ふふっ、世界線が違うとはいえ、まさかこうして君が冗談に乗ってくれる日が来るとは思わなかったな」

 

 そう言って楽しそうなシンボリルドルフを見ていると、ますます"私"がどういった存在だったのかが気になる。

 

「……なあ、この世界の僕はかなりの堅物らしいけど、それってどのくらいなんだ?」

 

「狷介不羈、四角四面。自分の意志を貫き、常に毅然とした厳しい人物だよ」

 

 うわ、僕が一番苦手とするタイプじゃん。これが普通の会社だったら、後輩からつけられる嫌いな上司ランキングでトップに躍り出ててもおかしくない。

 

 この世界の僕にげんなりしていると、ふてぶてしく僕の膝を枕にしているトウカイテイオーがもぞもぞと動き出す。

 

「んんっ……トレーナー……?」

 

「ああ、また起こしちゃったか。悪いな」

 

「ううん、ボクは大丈夫。トレーナーの方こそ大丈夫なの? 体調が悪いとか身体がおかしいとかない?」

 

「特に問題は無い。地の果てまで駆けていけそうなくらい元気だよ」

 

 なにそれ、と苦笑するトウカイテイオー。

 

 彼女の立場からしたら、トレーナーである僕が急に倒れたということになる。

 さらに保健室で寝ていた僕に付きっきりだったらしい。心配かけたなと言いたかったが、なぜかそれを躊躇ってしまった。

 

「テイオーも気がついたことだし、先程のことにいくつか付け加えることがあるとすれば、君は常に時間厳守、スケジュールの徹底管理、そして話し方も君のように砕けたものではなかったな」

 

「……マジで? てことはこうして僕が喋ってるのも君達にとったら違和感なの?」

 

「ああ、そういうことになるな」

 

 もう黙っとこうかしら。てか時間厳守にスケジュールの徹底管理をする僕……うーん、想像できない。

 別に自分が時間にルーズなわけでもないし、ある程度予定は決めることもあるのだが、そこまで厳格なことはほとんどない。

 

 大丈夫かなぁ、この世界の僕。本当に後輩トレーナーとかに嫌われていないか心配になる。

 

 

「この世界の僕については大体分かった。シンボリルドルフ、ここからは今後のことについて話をしよう」

 

「分かった、君が言うのならそうしよう」

 

 トウカイテイオーを加え、再び彼女達との話し合いの席につく。

 

「話って言ってもこれが解決すれば後はどうでもいいんだが、衣食住についてどうすればいい? 現代っ子な僕にとって、帰る方法が分かるまで野宿しろはちょっとあれだぞ?」

 

「そのことについては問題無い。例え中身が変わっても君は君だ。私有財産については君の所有物として扱うといいだろう」

 

 ふむ、つまりは今後もトレーナー寮を寝床として使ってもいいということか。随分あっさりと解決してしまったな。

 

「その代わりと言ってはなんだが、こちらとしても君に頼みたいことがある。君が寮に残る大義名分を果たすつもりはないかい?」

 

「……この世界で僕にトレーナーを続けろと」

 

「ああ。もちろん、帰る方法が見つかるまででいい」

 

 ううむ、いつ帰れるかも分からないこの現状、ただ食っちゃ寝するだけのニート生活を送るのは避けたいところだ。とすると、シンボリルドルフの言う提案は悪くない。

 

「分かった、引き受けよう。して、その担当ウマ娘は……」

 

「もちろんボクだよ!」

 

「デスヨネー」

 

 知ってた。今更知らないウマ娘を担当するとは思えない上に、マックイーンは〈スピカ〉所属。ダイヤは何故か存在しないとなると必然的に選ばれるのはトウカイテイオーになる。

 

「ま、僕は君のトレーナー(仮)と言ったところだな。よろしく、トウカイテイオー」

 

「よろしくね、トレーナー! じゃあ手始めにボクのこと"テイオー"って呼んでみようか?」

 

「やだね。言ったろ? 僕は(仮)だって。そうやすやすと愛称では呼ばねぇよ、"トウカイテイオー"」

 

「むぅ、なんだよもう……」

 

 悪いな、これが僕のポリシーなんだ。別に意地悪をしているわけではないんだ。そう、決して膨れっ面になっているトウカイテイオーを見て楽しんでいるわけではない。

 

「ところでトウカイテイオー、僕は君のトレーナー(仮)になったわけだが、直近でレースの予定とかはあるかい? あるなら早いうちに知っておきたい」

 

「すごい(仮)強調するじゃん……。ん、次のレースは一ヶ月後だよ。この無敗の七冠であるテイオー様が春のレースでも暴れてやるのだ!」

 

「そうか、なら今日のうちに今後のトレーニングメニューの予定を今なんて言った?」

 

「え? 春のレースでも暴れてやる! って言ったんだけど」

 

「違う、その前」

 

「トレーナーの方こそ大丈夫なの?」

 

「戻り過ぎ。わざとやってんだろ」

 

「ごめんごめん、無敗の七冠って言ったんだよ」

 

 ほんまか? と口にはしなかったが、言いかけたその顔でシンボリルドルフを見ると彼女は静かに頷いた。どうやら嘘ではないらしい。

 

 僕の知っている情報とは全く違うが、ここは異世界だ。何があってもおかしくない。一応僕がいた世界のトウカイテイオーのことは彼女らには黙っておこう。

 

「トレーナー、どうしたの?」

 

「いや、なんでもない。一応聞いておくけど、その一ヶ月後のレースってのは……」

 

「よくぞ聞いてくれました! 次にボクが走るレースはぁ……! 

 

 トウカイテイオーはやけに上手い口ドラムをしてこちらの様子を伺っている。勿体ぶったところで、この時期から一ヶ月後のレースなんて限られているのだから簡単に予想がつく。

 

 それは、GⅠレースの中で最も距離が長いあのレース──

 

 

「春の天皇賞! このレースに勝って、ボクは七冠の皇帝を超える八冠の帝王になるんだ!」

 

 

 ご本人である皇帝の前で、トウカイテイオーは高らかにそう宣言する。

 そんな彼女の顔は自信に満ちており、どの世界でも根本的なところは変わらないのだなと妙に納得してしまい──、

 

 

 

 

 

 

 

 

 本来気がつくべきであるもっと大きな違和感に、今の僕は触れることすらできなかった。

 

 

 



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最強無敵の帝王

 

 

 

 トウカイテイオーというウマ娘がいる。

 

 明朗快活、天真爛漫。その無邪気な性格故誰からも愛されており、自分が一番になることを疑わない自信家だ。

 抜群のセンスと才能を持ち、その上に人並み以上……いや、何倍もの努力を重ねている。彼女の自信の裏側にそのような背景があることは周知の事実だろう。

 

 トウカイテイオーのレースに賭ける想いの強さは誰にも負けていない。それこそ、彼女のライバルであり僕が一番近くで見てきたマックイーンにも負けず劣らずの情熱を持っているのは、彼女のことを遠目から見ていた僕でも分かる。

 

 ひょんなことから、僕はそんな彼女のトレーナー(仮)になった。(仮)とはいえトレーナーはトレーナー、請け負った仕事は真面目に、誠実に、忠実にこなさなければならない。

 そのためには彼女のことをもっとよく知る必要がある。異世界に来た当日に知った"無敗の七冠"という事実が気になり、その日の夜に調べに調べ上げたのだが……

 

 

「……無敗で三冠、更にグランプリ連覇に秋天ジャパンカップと出走したGⅠを総ナメ」

 

 

 本来のトウカイテイオーは無敗で皐月賞とダービーを勝利したものの、怪我で菊花賞を断念し春の天皇賞でマックイーンに敗北。ジャパンカップで力を見せたものの、その前後の秋の天皇賞と有マ記念は惨敗している。

 そこから更に怪我に悩まされ、誰もが心の中でトウカイテイオーは終わったと思ったところに、一年後の有マ記念で奇跡の復活を果たした。別チームながら天晴としか言いようがない。

 

 しかしながら、ここのトウカイテイオーはそうじゃなかった。

 英雄や皇帝もビックリの戦績で連戦連勝、他の追随を許さない真の意味での最強無敵の帝王となっている。これぞまさしく『ぼくがかんがえたさいきょうのうまむすめ』というやつだろう。

 

 なんていうか、その……凄すぎない? これまで怪我なく連戦連勝しているトウカイテイオーも、それを完璧に支えているこの世界の僕も。

 

 記録に残っているトレーニングメニューを見るに、この世界の僕はトレーナーとしては完璧だ。

 まるで怪我をするタイミングが分かっているかのようなクールダウンのさせ方等、今の僕どころか誰にもできないようなことをやり遂げてる。

 

 おかしい、異世界転移物は俺TUEEEが定番じゃないのか? ここから僕のトレーナー無双が始まるんじゃなかったのか? 

 

 

 冗談はさておいて、僕がこの世界に来て、そしてトウカイテイオーのトレーナー(仮)となってから早一週間が経っている。

 理事長から「調査ッ! 我々も君が帰れる方法を模索しよう!」との言葉をいただいたのでしばらくは安泰だ。

 

 しかし、最初は不安半分好奇心半分だったものの、今は早く帰りたいという気持ちが強くなっている。ああ、マックイーンやダイヤと気兼ねなく話がしたい……

 

 

「……せんぱい、さっきからソファの上で意味もなくゴロゴロするのやめてくださいよ。埃が舞っちゃいます」

 

「……お前は変わんないのな、一色」

 

「は? 何言ってるんです?」

 

 

 相変わらずこの世界でも僕のトレーナー室に居着く一色星羅。東条トレーナーや黒沼トレーナーといったトレーナー陣が軒並み性格改変されているにも関わらず、なぜか一色だけは何も変わっていなかった。

 

 ちなみに沖野トレーナーとは顔を合わせていない。いや、合わせたくても合わせられないという方が正しい。

 どうやら、この世界の彼は極度の引きこもりらしく、滅多にトレーナー室から出てこず担当ウマ娘以外は入らせないようにしているらしいのだ。この世界でも別方向でめんどくせぇなあの人。

 

「というか、変わる変わらないの話で言ったらせんぱいの方こそとんでもない変わりようなんですけど! 実態知ってるからあれですけど、私の知ってるせんぱいと違いすぎて頭痛い!」

 

「おいおい、いいのかよそんな口聞いて。僕は貴重な異世界人だぜ? 君の趣味にドンピシャな存在だと思うんだけどな〜」

 

「そうですけど! そうなんですけど痒い! 普段そんなこと絶対言わないから背中が痒いッ! 一番近くで見てるテイオーちゃんからしたらストレスもんですよこんなの!」

 

 変わってない故に一色のアニメ好きという趣味もそのままのようだ。妙な安心感を得てしまう。

 

 というか、この世界の僕はどんだけ堅物なんだよ。既にトウカイテイオーとシンボリルドルフから聞いてはいるが、ここまできたら堅物どころの騒ぎじゃないと思う。

 

 いい加減このやり取りにも飽きたのか、貧相な身体を反って背中をかく一色はようやく動きを止める。

 

「今なんか失礼なこと考えませんでした?」

 

「いや何も。そんなことより、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいか?」

 

「なんかうまく誤魔化された気が……まあいいですよ。それで、聞きたいことってなんですか?」

 

「ああ、トウカイテイオーについてなんだが、あの子は君から見てどんな子だ?」

 

「テイオーちゃんですか? うーん……一言で言えば完全無欠ですかね。レースもそうですけど、勉強にスポーツ、ゲームに家事に作法とかその他多数何を取っても非の打ち所がないです。あっ、それとわたし、テイオーちゃんととっても仲良しなんですよ!」

 

「最後の情報はいらないけど……うん、なるほどな」

 

 僕の知ってるトウカイテイオーも天才の部類だが、この世界の彼女はそれ以上らしい。ただでさえ高いスペックが更に高くなり、レースでも負け無しと……

 

 

「────ん?」

 

 

 その時、頭の中で何かが引っかかり、瞬時に一つの仮説が成り立った。

 しかし、それを唱えるにはあまりにも情報不足で現実味が無い。何が起こってもおかしくないとはいえ、バカバカしいことこの上ない。

 

 それでもその仮説を捨て切ることができなかった。この考えがあっているのだとしたらもしかすると……

 

「あっ、そうそう、テイオーちゃんと言えば万年健康児で有名なんですよ。なんでも、これまで病気も怪我も無く生きてきたとか」

 

「……ふーん、あっそ」

 

「テイオーちゃんもせんぱいも凄いですよね〜。次の春天勝ったら八冠でルドルフちゃんを超えるんですもの。コンディションはバッチリに……なんでちょっと不機嫌になってるんですか?」

 

 一色の世間話により、まとまっていた思考が霧散する。もうちょっとで答えが出そうだったが、そう上手くはいかないらしい。

 

「いや、ちょっと考え事してたらお前に邪魔されただけだ。なんてことはないよ」

 

「うっわ、陰湿〜。異世界人とかもうどうでもいいんで早く真面目なせんぱい返してくださいよ」

 

 互いにチクチク言葉を言い合い牽制する。

 自分だって早くこの一色とはおさらばしたかったが、戻ったところでこいつは変わってないので気が滅入ってしまう。

 

「あれ? でもせんぱいってテイオーちゃんのことをよく知ってるはずなんですけど、今目の前にいるせんぱいはそうじゃない……。ねえ、偽物のせんぱい、もしかしてあなた本当はテイオーちゃんの担当ではない……?」

 

 ちっ、やはり一色は一色だ、勘が鋭い。てか偽物て。

 

「察しがいいな。本来僕はメジロマックイーンを担当してるよ」

 

「メジ……ッ!? あの史上最強のステイヤー!? 名門メジロ家の出身にして、春天三連覇したあの!?」

 

「──この世界じゃそうなんだよなぁ……」

 

 トウカイテイオーの戦績を調べるついでにマックイーンのも調べたことは言うまでも無い。そこで判明した事実は二つ。

 

 一つはマックイーンの春天三連覇。これが何を意味するかと言うと、あのライスシャワーから逃げ切ったということだ。悔しいが、それはうちのマックイーンよりも精神がタフということになる。

 

 そしてもう一つは──

 

「それで、メジロマックイーンを担当してると言う偽物のせんぱい。こっから春天までどうするんですか? テイオーちゃんなら勝てるでしょうけど、あんまり時間も無いですよ?」

 

「あ、ああ、そうだな。だったら……」

 

 一色の言う通りトウカイテイオーのレースが近いのは事実だ。

 レースの調整とこの世界の調査、同時並行は中々に骨が折れるがやるしかないだろう。睡眠時間が削られていく音がするなぁ。

 

 兎にも角にも、まずはやる気と調子を万全にさせなければならない。そのために僕ができることは──

 

 

「トウカイテイオーをお出かけにでも連れて行くか」

 

「うんうん、やっぱりトレーニング……はい!?」

 

 

 思ってた答えと違ったのか、一色は素っ頓狂な声を上げる。それはきっと、彼女にとっての僕を知っているからなのだろう。

 

 

 やっぱりこの世界の僕おかしいよ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一色と話をしてすぐの休日。

 

 

「やけにご機嫌だな、トウカイテイオー」

 

「だって、トレーナーがお出かけに誘ってくれるのが嬉しくってさ。ボク、こうして大人の人と遊びに行くの憧れてたんだ」

 

「ようは金づるって意味?」

 

「にししっ、それはこれからのキミ次第ってことで」

 

 生意気なやつだ。でも、不思議と悪い気はしない。

 

 人の多いショッピングモールを歩く僕とトウカイテイオー。

 デートと言うにはあまりにもラフでふざけた服装なため、側から見たら兄妹のように映っても仕方がない。おい、親子って言ったやつ出てこい、しばくぞ。

 

「それで、外に出てきたはいいがこれからどこに行くんだ?」

 

「トレーナーから誘ってきたのに!? こういうのって予定立ててから誘うもんじゃないの?」

 

「予定は未定、僕の好きな言葉だ」

 

「ただのダメ人間じゃん……」

 

 なんだよ、悪いかよ。いいじゃんか、何も予定立てずにダラダラと過ごすの。

 まあこの前そんなことを言ったらエイシンフラッシュというウマ娘に死ぬほど軽蔑するような目で見られたわけだが。

 

「えー、もうしょうがないなぁ、じゃあ──」

 

 とはいえ、トウカイテイオーの言う通り誘っておいて何も考えていないというのも失礼か。

 だとしたら、即興にはなるが彼女が楽しめそうなところがいいわけで──

 

 

「「──ゲーセンにでも行くか(行こっか)」」

 

 

 ゲーム好き同士、こういう時はやはり息が合う。

 

 ここに、のちに伝説として語り継がれる仁義なきゲームバトルが開幕する……そう、思っていたのだが

 

 

「立直一発門前清自摸和平和純全帯么九三色一盃口ドラドラドラ! いえーい、ボクの勝ちぃ!」

 

「役満じゃねぇかチクショウ! なんちゅう確率だよ!」

 

 

 麻雀では相変わらずボロ負けし、

 

 

「おいてめぇ! ゴール前まで赤甲羅持って二位に居座ってんじゃねぇよ! てかアイテム運の格差エグすぎだろ!!」

 

「あははははっ! 次も一着取るもんね!」

 

 

 レースゲームでは神に見放され、

 

 

「トレーナー、ボク1000円分のメダルで5000枚まで増やしたけどそっちの調子はどう?」

 

「50枚だけ貸してくんね? もうちょっとでジャックポットなんだよ」

 

 

 メダルゲームではもはやプライドを捨てる始末。その有様はまるで、ダメ男が彼女にパチンコの軍資金をたかるかのようだ。なんだこれ。

 

「もう、トレーナー弱すぎ〜」

 

 トウカイテイオーがそういうや否や、周りにいるギャラリーのちびっ子達も彼女の真似をして僕のことを煽り出す。

 こんのクソガキ共……大人に逆らったらどういうことになるか、今のうちにでも身体に叩き込んでやろうか……! 

 

 実際にそんなことをしたら警察に連れていかれるので、僕はそれを耐えることしかできない。逆に、トウカイテイオーはちびっ子達から崇められてて気持ちが良さそうだ。

 

 

 ────なるほどな。

 

 

「どうしたのさ、トレーナー。ボクに負けすぎて嫌になっちゃった?」

 

「それもあるけど、この時間が無駄にならなくて良かったなって」

 

「……? 変なトレーナー。あ! 次はあれで勝負しようよ!」

 

 そう言ってトウカイテイオーが指を指したのは太鼓を叩くリズムゲームだった。

 こういう類の音ゲーは苦手ではないが別段得意でもない。彼女自身にそんな気は無いだろうが、本気で僕を負かしにきているようにしか思えず拒みたい気持ちが強くなる。

 

 だが、自身もやる気も満々で目を輝かすトウカイテイオーの顔を見ると、そんな選択が取れるはずもなく……

 

 

「……しょうがねぇなぁ!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 音ゲーのスコアもプライドも総合的なゲーム対決も大きな差をつけられてしまい、飯代を賭けた最終対決にもボロ負けした後、僕達は特にやることもなくモール内をぶらぶら歩いていた。

 

「はちみーはちみーはっちっみー♪ ……もう、そんな不機嫌な顔しないでよ。ボクのはちみー飲む?」

 

「いらんわ! くっそマジで……前に負けた時から何も変わることなくコテンパンにされるのは僕のゲーマーとしてのプライドが……」

 

 以前、ダイヤの菊花賞優勝祝いでゲーセンに行き、偶然出会ったトウカイテイオーとのゲーム対決でボコボコにされたことがある。あの時は麻雀だったか、今回はあれ以上の点差をつけられなす術なく負けに至った。

 

「ふふんっ、何度やってもボクには勝てっこないよ! それより、この後どうする? ボク的にはトレーナーをボコボコにしたから大満足なんだけど」

 

「……じゃあ帰ろっか」

 

「えー! やだー! 帰りたくないー!」

 

 おい、満足したんじゃねぇのかよ。駄々をこねるな駄々を。

 

「分かった、分かったから。帰るまでにもうちょっと時間あるし適当にモール内回ろうぜ。とりあえず予備の蹄鉄でも買いに行く?」

 

「トレーナー、絶対恋愛とかしたことないよね」

 

「残念、僕はダイヤと二人っきりでフランスデートしたことあるぞ」

 

「ええっ!? 嘘嘘嘘! 嘘だよそんなの! トレーナーがデートなんてできるはずないもん!」

 

「ところがどっこい、嘘じゃないんだなこれが。本場のフランス料理食べて、観光スポット巡って、綺麗な景色見て……」

 

「ぐぬぬ……トレーナーのくせに……」

 

 嘘はついてない。むしろありのままのことを言っている上に、そもそもあれをデートと言ったのはダイヤの方だ。

 本人公認、トレーナーとしてはあまり良くないのだろうけど。

 

「ボ、ボクだってデートとか……恋愛の一つや二つくらいしたことあるもん! なんだってボクは恋愛マスターだからね!」

 

 絶対に恋愛ゲームで培った知識だろそれ。だが、面白そうなのでもう少し泳がせてみよう。

 

「ほう、それじゃあそんな恋愛マスターとやらに教えてもらおうか。恋愛するとどんな感じがするのかをさ」

 

「えっ……ほら、あれでしょ? レースみたいに熱い気持ちがグワーって……何笑ってんのぉ!?」

 

 泳がせた瞬間ボロを出すトウカイテイオーに吹き出してしまう。人のことを笑えた立場ではないが、流石にこれは笑うなという方が無理があるだろう。

 

「痛い痛い、そんな怒るなって。いや、ほんとマジで痛いから」

 

 トウカイテイオーはキレ気味に僕のことを叩く。マックイーンやダイヤもそうだが、いくら僕が頑丈だからとはいえ暴力を振るうことに躊躇が無いのは何故なのだろうか。

 

「あーあ、トレーナーのせいでなんだかつまんなくなっちゃった。トレーナーのせいで」

 

「悪かったって。お詫びと言っちゃなんだが、君の欲しいものを一つ買ってやるよ」

 

「ほんと!? やりぃ!」

 

 機嫌が悪くなったと思えば、こんな簡単なことですぐにはしゃぐのだからまだまだ子供だなと感じてしまう。彼女が皆から愛されるのも、こういった側面があるからなのだろうか。

 

「お菓子は三百円までだぞー?」

 

「遠足じゃん!? というか、子供扱いしないでよ!」

 

 そう言ってトウカイテイオーはあれもこれもと悩み出す。……あの、一応一個までの約束だからね? 何個もは買わないからね? 

 

「新しいゲームソフトに、あの漫画の最新刊に……あ」

 

「ん、どうした。何か目についたものでもあったんか?」

 

「……うん、ボクこれが欲しい」

 

 トウカイテイオーが指を指したのは、青と白のコンラストが綺麗な一本のリボンだった。てっきり彼女が言ってたゲームや漫画を買わせると思っていたので、その意外性に面食らってしまう。

 

「本当にこれでいいのか? 言っちゃなんだがもっと高いのも買えるぞ? 実質僕の金じゃないんだし」

 

「最低だね。でも、ボクはこれでいい……ううん、これがいいんだ」

 

「そか、君が言うならそのリボンにしよう。それにしても、なんだかこの色って君の勝負服みたいだな」

 

「ふふんっ、僕にぴったりのカラーだよね」

 

 胸を張るトウカイテイオーの言葉を否定も肯定もせず、そのリボンをレジに持っていき会計を済ませる。

 

「ほれ、買ってきたぞ」

 

「……ありがと、トレーナー」

 

「あら、もっとはしゃいで喜ぶもんかと思ったけど」

 

「こういう落ち着きのあるのが"大人"なんでしょ?」

 

「それだと普段の僕が子供みたいに聞こえるんだけど」

 

「そう言ってるんだけど」

 

 やっぱりリボンの代金払ってもらおうかしら。ガキにガキって言われるのは中々に腹が立つ。

 

「そうだ! トレーナー、ちょっと待ってて!」

 

「あ、おい、ちょっと……行っちゃった」

 

 トウカイテイオーは僕に有無を言わさず一直線にどこかへ向かう。彼女が向かった先は……トイレ? はて、お腹でも痛かったのだろうか。

 本人に言ったらめちゃくちゃ怒られるだろうなと思ったが、どうやらそうではないらしくすぐに帰ってきた。

 そんな彼女のポニーテールは先程買ったリボンで束ねられている。

 

「じゃじゃーん! どう? かっこいい?」

 

「へぇ、中々似合ってるな。僕は良いと思うぜ」

 

「でっしょー? ボクってばなんでも似合っちゃうからさー。普段のピンクもいいけど、このリボンは無敵のテイオー様にぴったりな配色だよね!」

 

 それは勝負服とのカラーバリエーションが似ているだけでぴったりな配色かどうかはまた別の話だろうに。

 だが、本人にも伝えた通り似合っていることは間違いない。ここで敢えて似合ってないなんて言う必要もないし、今はトウカイテイオーの気分を良くさせてあげよう。

 

 

 ポニーテールを束ねたリボンを見せびらかされていると、ポケットに入れていたスマホが震えだす。

 誰からの電話だと確認すると、スマホの画面には一色星羅という文字列が並んであった。

 いつもなら適当に文章でやり取りしようとするあいつがわざわざ電話をかけてくるなんて珍しい。なんだか嫌な予感がする。

 

「悪い、電話だ。ちょっと待っててくれ」

 

「誰からなの?」

 

「一色だよ。ほら、君と仲いいらしい帽子のあいつだよ」

 

「……誰?」

 

 おい、仲いいんじゃなかったのかよ。一色がそういう扱いを受けるのは珍しいと思いつつ鳴り続ける電話に出る。

 

「ああ、僕だ。一体何の──」

 

『せ、せせせせ、せんぱい! 春天! テイオーちゃん! 緊急事態!』

 

「おい落ち着け、落ち着いて話せ。何があったか微塵も分からんぞ」

 

『は、はい……すぅー……はぁ……』

 

 ここまで一色がテンパるということはそれ相応の事態なのだろう。

 だが、今の僕は別世界に呼び出されるというこれ以上ない事態の真っ最中なのだ。何が来ても驚かない。

 

 

『よし、落ち着いた。せんぱいも落ち着いて聞いてください。さっき仕入れた新鮮な情報なんですけど、実は──』

 

 

 一色の話した内容を聞き目を閉じる。そんな気がしていた、こうなるのではないかと、心のどこかでそう思っていた。

 

 

「──分かった。一早い情報提供に感謝する」

 

『……思ったより落ち着いてるんですね』

 

「なんとなくこうなるんじゃないかとは思ってたからな。この予感は当たってほしくなかったけど」

 

『そうですか……。せんぱい、分かってるとは思いますけど』

 

「手は抜かない。例え相手が誰であっても」

 

『……やっぱりせんぱいはせんぱいです』

 

 一色はそう言い残し電話を切った。僕の仕事は、今言われた情報を当事者に伝えることだけ。

 

「トウカイテイオー、出かけてる最中悪いんだが、ちょっと大事な話がある」

 

「ん、なになに? 何の話?」

 

「実はな──」

 

 

 目の前にいるポニーテールの少女はこんなことでは驚かないはずだ。それは彼女の芯の強さと、もう一つの要因からして確信できる。

 

 

「次の春の天皇賞、"メジロマックイーン"が出走するらしいぞ」

 

 

 

 そう確信していたのに、

 

 

 

「えええええええええええええええええ!?」

 

 

 僕の考えに反し、トウカイテイオーは想像を絶するほどの驚きを見せた。

 

 

 



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大一番での賭け

 

 

 

 この世界ではトウカイテイオーとメジロマックイーンの直接対決が存在しない。これはマックイーンの戦績を調べて分かったことのもう一つ。

 正確にはトウカイテイオーとマックイーンの戦績を照らし合わせてが正解なのだが、細かいことはいいだろう。

 

 本来であれば彼女達は春の天皇賞で激突しているはずだ。結果はマックイーン一着、トウカイテイオー五着。この事実は僕の中では変わらない。

 

 そしてこの世界のトウカイテイオーはというと不自然に春の天皇賞を……いや、マックイーンを避けているかのようなレースの出走だった。

 

 たしかに長距離適正はトウカイテイオーよりマックイーンの方が上なのはあの春天を見ても一目瞭然だ。普通に走ればマックイーンが勝つだろう。

 しかし、それはトウカイテイオーが春天に出走しない理由にはならないはずだ。

 

 まるで、あのトウカイテイオーが負けるのを恐れているかのようで──

 

 

「トレーナー、入るよ」

 

 

 春の天皇賞まで残り二週間。トレーナー室で一人ボーッとしていると、ノックもせずに入ってきた誰かさんによって意識が現実に呼び戻される。

 

「……トウカイテイオー君さぁ、部屋入る時はノックしなさいよ? あたしゃアンタの将来が心配だよ」

 

「なにその喋り方、気持ち悪いよ。というか、別に見られて恥ずかしものなんてないでしょ」

 

 それはそう。事実、一色なんてノックどころかいつのまにかトレーナー室にいるという始末だ。暇さえあればここに来るのはいい加減やめてほしい。

 それよりも一色はちゃんとお仕事をしてるのかしら。お母さん心配……って、今しがた気持ち悪いと言われたばかりだったか。封印しよう。

 

 

「さて、そんな真剣な顔をしてここに来たということは何かしらの話があるんだろうが……」

 

「……トレーナー、ボク春の天皇賞には出走しない」

 

 

 ……そう来たか、なるほど。

 

 

「なるべく君の意志は尊重したいけど、あんなにやる気だったのに急に走らないのは不自然だ。何か相応の理由があると思う。僕に教えてくれないか?」

 

「それは……言えない、けど、ボクは春天には出ない」

 

 トウカイテイオーは答えようとしない。まるで知られたくないような物臭だ。

 

「もしどこか調子が悪いってんなら……ああ、君は怪我とは無縁の存在なんだっけか」

 

「……うん、そうだね」

 

 さっきから妙に歯切れが悪い。答えにくい、肯定するのに躊躇っているようにも見える。そもそも、本当に怪我をしていたら今日の練習中にでも気がついている。

 

 

 正直言って、まだ分からないことだらけだ。

 ここまでおかしな点がありながらも、それを決定づけるものはない上にいくつか矛盾点もある。だが、この好機を逃すわけにもいかない。

 

 ああ、最後は結局賭けか。

 

 自分は運がそれほどいいわけではない。これまで麻雀やポーカー、人参賭博だって勝てた回数より負けた回数の方が多い。

 

 でも──、

 

「トウカイテイオー、最後にもう一つ聞きたいことがある」

 

「ん、なに?」

 

 

 大一番での賭けには、誰にも負けない自信がある。

 

 

「今僕達がいる世界は、誰かの手によって作られた世界じゃないのか。他でもない、トウカイテイオー……いや、トウカイテイオーの名を騙る君の手によって」

 

 

 トウカイテイオーの張り付いた表情と、空間にヒビが入るような音は、僕の答えが核心に近づいたことをありありと示していた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空間に亀裂が走り、自分の思い通りになるのがここまでだということを悟る。

 正直、目の前にいるヒトがここまで辿り着けるとは思っていなかった。こんなにも早く、そしてこんなにもあっさりと見破られてしまっては立つ瀬がない。

 

「……さて、話をしようか。ここはどこで、君は一体誰なのか。余すことなく吐いてもらうよ」

 

 この空間には彼と自分の二人きり。目に見えて世界に異常がきたされている中、彼の落ち着き具合は異常だと感じる。

 

「……いつから気づいてたの」

 

「君と遊びに行く少し前。と言っても、確信は無かったけどな。この結論に至った理由は多々あるけれど」

 

 

 多々ある、か。

 

 

「ここは君にとってあまりにも都合が良すぎる。七冠、異常なまでの無病息災、君自身のステータス。もしかしたら僕の知るトウカイテイオーもこれくらいのことができたかもしれないけど、これだけは言える。……現実はそう甘くない」

 

 彼は凍えるような低い声でそう言った。怒っているような、あるいは悲しんでいるような。そんな感じがしてならなかった。

 

「他にもあるぞ。君が一色のことを認識してなかったり、ダイヤの名前を出しても不思議がらなかったり、異常なまでの運ゲーの強さだったり、嫌に飲み込みの早いシンボリルドルフ達だったり……」

 

「すごいね、キミは。でも、それだけじゃ根拠として薄いんじゃない?」

 

「いいや、君は一つ致命的なミスをした」

 

 ここまで言われても尚この世界を諦めきれない。無駄な抵抗、悪あがきと言われてもいい。

 だが、そんな想いも何もかも、目の前にいるヒトは打ち砕いてくる。

 

 

「最初にシンボリルドルフと僕が異世界から来たって話をしてた時に確かに君は寝ていたはずだ。でも、あの時君は何の疑問もなく会話に混ざった……まるで最初から事の顛末を知っていたように、自然に」

 

 

「……半分正解、半分ハズレ」

 

 自分がそう認めると、空間に入っていた亀裂から世界が音を立てて崩れ去る。

 もう少しだけこの世界で楽しく過ごしていたかった。でも、そんな願いは叶わない。

 

「最初の質問に戻ろう。君は誰で、この世界を作った張本人なのか」

 

「……自分はトウカイテイオーであってトウカイテイオーじゃない。残留思念みたいなもんだよ」

 

「残留思念……?」

 

「うん。もっと言うと、この世界はその残留思念を元に作られたトウカイテイオーの理想の世界。他でもない、三女神様達の手によってね」

 

 それを聞いた瞬間トレーナーは頭を抱えた。

 

「やっぱりか……帰ったら一番にあの像ぶっ壊すわ」

 

「や、やめてよ! 三女神像の元になったウマ娘は全てのウマ娘の祖って言われてるくらい崇められてるんだから!」

 

「冗談だよ。んで、君があの子の思念体とやらで、ここがその理想郷ってのは分かった。でも、僕がこの世界に迷い込んだ理由が分からない。あの時たまたま三女神像の前にいたからって言われたらおしまいなんだけど……」

 

「……うん、キミの言ってる事で間違いないかも」

 

「……マジかよ」

 

 事実、彼はイレギュラーだ。三女神様がこの世界を作り出す際、たまたま彼が近くにいてそれに巻き込まれてしまった。他人事だが本当に運が無いと思う。

 

「あーあ、キミがあの時三女神像の前にさえいなかったらこの世界はもっと長く続いてたのになぁ」

 

「そりゃご愁傷様ってモンだ。恨むなら軽率に僕をこの世界に招いた三女神を恨むんだな」

 

 世界の崩壊は着々と進んでおり、時期に完全崩壊して彼は元の世界に帰れるだろう。こうして彼と軽口を交わすのもあと少しだと考えるとなんだか苦しいような悲しいような気持ちでいっぱいになる。

 自分が思念体とはいえ、まさかこんな想いを……いや、思念体だからこういう感情が備わってるのか。どのみち自分は消えてなくなるのだからどうでもいいけど。

 

「そうだ、もう二つ分からないことがある」

 

「いいよ、五つでもなんでも答えてあげる」

 

「じゃあ一つ、ここは君の理想郷のはずなんだろ? じゃあなんでマックイーンが春天に出走するってことを阻止、あるいは予測できなかったんだ?」

 

「それはキミがいるからだよ。元々キミはイレギュラーなんだ。そんなヒトからの受ける想いが強い存在は自分でも行動が読めなくなる」

 

「意味わかんねえけど……マックイーンの行動が読めないから同じレースを避けたかった……おい、じゃあ何か、君が行動を読めなくなった結果ダイヤはこの世界から消されたってことか!?」

 

「そうなるね……」

 

「ま、マジで可哀想……」

 

 サトノダイヤモンドを憐れむ彼は彼女が存在しないという事実に囚われているが、もっと大事なことに気がついていない。

 自分がメジロマックイーンとサトノダイヤモンドの行動が読めないということは、それだけ彼がその二人のことを強く想っているということ。

 もちろんそこにはライク以上の意味がある。口にしたら怒られそうだから黙っとこうか。

 

「それで、もう一つは?」

 

「ああ、そうだ。分からないことのもう一つ、なんで僕が君のトレーナーになってるんだ? ただ君の理想郷を生成するってんならわざわざトレーナーを僕にする必要なんて無かっただろ」

 

「三女神様も万能じゃなくてね。ウマ娘の再現はバッチリだったんたけど、人間の再現がてんでダメでさぁ」

 

「あぁ……」

 

 どうやら彼も察したようだ。本来のトレーナーであるチーム〈スピカ〉のトレーナーは、この世界ではとんでもない引きこもりとなってしまった。

 本来の〈スピカ〉のトレーナーならまだしも、この世界のではトウカイテイオーの理想を叶えるには少々力不足感が否めない。

 

 

 そんな話をしていると、世界の崩壊は最後の一欠片を残して消え落ちる。後は自分が彼を元の世界に送り出すだけだ。

 

 自分が意思と感情を持ってしまったことを恨む。涙を堪え彼に向き合い、笑顔で別れの挨拶を用意する。

 

「……そろそろお別れだね。さっきはあんな事言ったけど、キミが来てくれて良かった。トレーニングしたことも一緒にお出かけしたことも全部消えてなくなっちゃうけど、それでいいんだ。三女神様に作られたとはいえ、ここは本来存在してちゃいけないんだから。ありがとね、キミのおかげでこの二週間退屈しなかっ──」

 

 

 

 

「あー、長い長い、長いよ。そして何言ってんの? まだ君の理想は叶え終えてないだろ?」

 

「……は?」

 

 

 言われた意味が分からず間の抜けた声が出てしまう。

 

 彼は一体何を言っているんだ? それではまるで、まだこの世界にいるかのような言い方で……

 

 

「僕はね、過去にこの職業を投げ出そうとしたことがあるんだ。今考えたらバカだなって思うさ。それ以来、ウマ娘に対して中途半端は許さない主義なんだ。それがレースのこととなると尚更だよ」

 

「それって……でも、自分はトウカイテイオーじゃなくてただの思念体で……」

 

「だからなんだ。この二週間、僕の前にいた君は確かにトウカイテイオーだった」

 

「じ、自分は無敗じゃなくて……七冠なんかじゃなくって……!」

 

「それがどうした、僕の目の前にいる君は無敗の七冠だ。誰にも文句は言わせない」

 

 

 ……分からない、これ以上彼がこんな世界に関わる必要なんてないのに、どうしてそんなことを……

 

 

「どうして……どうしてキミはそこまでしてくれるの……? この状況に目を瞑ればすぐにでも元の世界に帰れるのにどうして……?」

 

「あん? そんなの決まってんだろ」

 

 

 目の前にいるヒトは、自分にビシッと指を突きつけ──

 

 

「僕が君のトレーナーだからだ」

 

「あ……」

 

 

 ずるい……ずるいよ、そんなの。そんなこと言われたら、諦められるものも諦められないじゃん。

 

 自然と溢れ落ちた涙を拭き、これ以上みっともない姿を見せないためにも上を向く。

 

 

「さて、僕にとっての最高の相棒は最強の対戦相手になったわけだが、自分としては一歩も引く気はない。むしろやる気で満ちてるね」

 

「……変なの。普通はこういうのって躊躇しちゃうと思うよ?」

 

「恩を仇で返すのがレースでの掟だよ。それに、最強の対戦相手とは言っても手の内を全て知ってるんだ。くっくっく……見てろよマックイーン、世界が違うけどここいらでいっちょ吠え面かかせてやるからな?」

 

 うっわ、最低だこの人。とても自分の担当ウマ娘に対する発言とは思えない。

 

 

「それをするには、君の力が必要だ。君はこのレースに勝ってどうなりたいんだ、"テイオー"」

 

「ッ! 自分は……ボクは、七冠のカイチョーを超える八冠の帝王になる……! ボクの名前はトウカイテイオー! 最強無敵で無敗伝説!」

 

 

 この世界に於いて、正直トレーナーなんて誰でもよかった。それこそ、力不足とはいえ本来のトウカイテイオーのトレーナーでも全く問題は無い。でも、三女神様はそうしなかった。

 

 マックイーン、もしかしたらキミが羨ましかったのかもしれない。自分のトレーナーと一心同体とまで言い切り、そして恋に落ちるキミのことが、トウカイテイオー……ううん、ボクにとってはとてつもなく眩しく感じていたんだろうね。

 キミの気持ち、ちょっとだけ分かったような気がするよ。

 

 

 気がつけば、崩壊したはずの世界は元通りになっていた。

 その元通りになったトレーナー室で、ボクは真なる望みを口にする。

 

 

 

「トレーナー、ボクは────ッ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

『GⅠ春の天皇賞! 盾の栄誉を賭け、栄光を掴み取るのは果たしてどのウマ娘なのか!』

 

 

 

 ターフへと向かう青と白のリボンでポニーテールを括ったトウカイテイオーを見送った後、スタンドへと向かわずに地下バ道に残る。

 いつもならいい場所で見るためにと速攻で移動するのだが、今回は話さねばならない相手がいる。

 

「なんて、そんな大層な話じゃあないんだけどな」

 

 自分で自分の独り言にツッコミを入れていると、一人のウマ娘が地下バ道をコツコツと音を立てながら歩いてくる。

 

 黒を基調とした勝負服に美しい芦毛をたなびかせるその姿は、見慣れているはずなのに圧倒的存在感が感じられる。

 それは単純にマックイーンが強者だからか、それともこの世界に来た時のトラウマが再発しそうだからなのか。

 

 どちらにせよ、この震えを恐怖の震えではなく武者震いだと言い聞かせて前に進むしかない。

 

「……やあ、メジロマックイーン」

 

「あら、貴方はテイオーのトレーナーさん……ど、どど、どうしましたの!? 急に胸を抑えて蹲ったりなんかして!?」

 

「だ、大丈夫だ。何も問題ない」

 

「とてもそうには見えませんけど……」

 

 構えてはいたが、マックイーンの『テイオーのトレーナーさん』発言に一撃K.O.をかまされてしまう。

 他の人に言われたところで何もダメージは無いが、流石にマックイーンから言われると即死攻撃となる。一撃必殺、相手は死ぬ。

 

「それで、私に何か用がありまして?」

 

「ああ、ちょっとばかし宣戦布告ってやつをね」

 

「それをちょっとばかしで済まそうとするのはあまりにも杜撰ではないですの? 少なくとも、私ならこんな直前になってそんなことはいたしませんわ」

 

「……中々勇気が出なくってなぁ」

 

「はい?」

 

「いや、こっちの話だ。ともかくメジロマックイーン、勝つのは僕と……トウカイテイオーだ」

 

「……ふふっ、及第点ということにしておいてあげますわ。望むところです、全身全霊をかけて叩き潰しますわ、テイオーとトレーナーさん」

 

 その言葉を聞き、マックイーンの横を通って地下バ道を後にしようとすると、服の裾を掴まれるような感覚で阻まれる。

 なんだろうと思い振り返ると、それをしていたのはマックイーン本人だった。

 

「あの、メジロマックイーンさん、何か御用で……?」

 

「えっ、ああ、いえ……なぜでしょう、貴方のことをトレーナーさんと呼んだらどこか懐かしい気がしてならなくて……」

 

「……他人の空似かなんかじゃないの? ほら、世の中には自分とそっくりな人間が三人いるって言うだろ?」

 

「……ええ、そうですわね。変なことを聞いて申し訳ありません」

 

「変なことを聞いたのはお互い様ってことで。じゃあな、応援してるぞ。トウカイテイオーの次に」

 

「応援されては仕方がありませんわね。貴方の望みに反することをしませんと」

 

 もう少しマックイーンとの軽口を交わす時間を引き伸ばしたかったがそれもここまで。背中越しに彼女の足音が遠のいて行くのが分かる。

 久しぶりにマックイーンと話せたことでちょっとテンションが上がってしまった。中学生かな? 

 

 それにしても、まさかマックイーンがあんなことを聞くとは思わなかった。これも僕がこの世界へ迷い込んだ影響なのだろうか。真実は闇の中、考えていても仕方がない。

 

 

 心の中でもう二度と会うことはないであろうこの世界のマックイーンに別れを告げ、彼女とは反対方向へ歩く。

 どうやら僕とマックイーンはギリギリまで話をしていたらしく、彼女と別れた数分後にはファンファーレが聞こえてきた。直にレースが始まるだろう。

 

 これが僕とトウカイテイオーのコンビの最初で最後のレース。卑怯でなかったらどんな方法でもいい、彼女を勝たせてあげたい。

 

 だが、現実問題3200mという長距離レースでマックイーンに勝とうとするのは至難の業だ。実際、この距離でマックイーンに勝てたことがあるのはライスシャワーだけ。

 普通にやっても勝てる可能性は限りなくゼロに近い。

 

 

 

 ならどうすればいいか。

 

 

 

『春の天皇賞……スタートしました! メジロマックイーンは綺麗なスタート、他のウマ娘もそれぞれ素晴らしい……おおっと、これは一体どうしたことか!?』

 

 

 簡単だ、普通じゃない方法を取れば勝機は見える。大一番での賭けに関しては、僕は誰にも負けない。

 

 ああ、実況の困惑と観客のざわめく声が気持ちいい。これを聞いた時が二番目にやってやった感が出る。もちろん一番は勝った時だけど。

 

 

 三女神は、ウマ娘の性格は再現できても人間の性格の再現はできなかった。それはトウカイテイオー自身の発言であり、東条トレーナーや黒沼トレーナーを見ても納得がいく。

 

 もし、それがトレセン学園内だけに収まらず全世界の人間に適用されているとしたら、この世界にはとある名言が無いはずだ。

 

 

『トウカイテイオー、なんと最後方からのスタートです!』

 

 僕はトウカイテイオーにこんな言葉を教えた。

 

 

 

 "真の強者は、ふいうちを外さない"

 

 

 

 自然と上がりそうになる口角を抑え、スタンドへと足を運ぶ。

 

 

 



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理想通りの夢じゃなくても

 

 

 

 トレーナーの前で決意表明をしたすぐ後のこと。

 

 

「えーそれでは、第一回チキチキ春の天皇賞でメジロマックイーンをどうぶっ倒してやろうか作戦の会議を始めまーす」

 

 

 そう訳の分からないことを言ったトレーナーは、「わー」と乾いた声とやる気のない拍手でトレーナー室内のテンションを盛り下げた。

 先程、真の意味でボクのトレーナーになってくれたあんなにもかっこよかった彼の株は、ただ今急転直下で落ちていっている。

 

「おい、なんだその目は。何か言いたいことでもあるのかよ」

 

「いや、トレーナーって上げて下げるの上手いよね。ボク尊敬しちゃった」

 

「うん、褒めてないね。それに一ミリも尊敬してないね」

 

 それはバレるであろう嘘を看破され軽く舌を出す。先程この人にあんなことを言ってしまったのは間違いだったのだろうか。

 

「ご、ごほん。それで、そろそろ真面目な話をしてもいいか?」

 

「真面目じゃなかったのはトレーナーでしょ? そもそもチキチキってなんなのさ」

 

「はあ? そりゃお前あれだよ……ノリだよ。こういう時は雑にチキチキって付けるものなの! 多分!」

 

「ちょっと何言ってるか分かんない」

 

 トレーナーはこれがジェネレーションギャップかとよく分からないことを言って膝をつく。

 いい加減話が進まないから余計な口は挟まない方が良さそうだ。この人を脱線させたら止めるのが難しい。

 マックイーンやダイヤちゃんは普段こんな人を相手に……いや、あの二人もあの二人で色々おかしいから一概にはトレーナーが悪いと言えないか。

 

 それにしても、

 

「春天でマックイーンを倒す作戦会議って言っても何を話すのさ。そもそも、ボクだったら変なことしなくても──」

 

「勝てないから君は出走するのをやめるとか言い出したんだろ? そもそも、長距離適性の話で言えば君はマックイーンに劣る」

 

「うっ……」

 

 図星だ。本来のボクが春の天皇賞で完膚なきまでに倒されたように、スタミナ勝負をしても勝てる可能性は低いだろう。

 

 ここはボクにとって理想郷として作られたが故に、その理想が崩れ去ってしまったらこの世界も一緒に崩れる。

 そんなことは滅多に無いはずだが、その滅多なことの中心にいるのが目の前にいるトレーナー。事実、彼は先程この世界の真理を言い当てボクの理想を破壊しかけたばかりだ。

 

「と、いうわけで君は絶対にマックイーンに勝てない! 勝てる確率は天変地異で明日世界が終わる確率より低い!」

 

「ほとんどゼロってこと!? そこまで言わなくてもいいじゃん! もしかして勝負をハナから諦めるつもりなの!?」

 

「アホ抜かせ、僕は誰よりも諦めが早いけど同時に誰よりも負けず嫌いなんだ。それに、このままマックイーンに勝たすってのも気に食わない」

 

「……キミ本当にマックイーンのこと大事に思ってるの?」

 

「……? 思ってるけど」

 

 どうやら無自覚らしい。それより、誰よりも諦めが早くて誰よりも負けず嫌いって面倒な性格しているなと思う。

 ゲームで負けても負けても突っかかってきたのを考えるとそれも納得だ。

 

「君は春天ほどのスタミナが物を言う長距離レースでマックイーンに勝つことはできない。それはマックイーンのことを一番よく見てきた僕だからこそ分かるんだ」

 

「……じゃあどうすれば勝てるの? ボクが春天でマックイーンに勝つ方法って……」

 

 

 腐ってもこのヒトはマックイーンとダイヤちゃんのトレーナーだ。あの二人をここまで導いてきた彼ならきっと凄い打開策を見出しているに違いない。

 

 

「そんなの簡単だよ。次は通じないであろう一発限りの奇襲を仕掛けるんだ」

 

 

 前言撤回、やっぱりトレーナーはトレーナーだ。

 

 

「おい待て帰るな! せめて話を聞けよ!」

 

「……はぁ、一応聞くだけ聞くよ、その奇襲とやらを」

 

「聞くだけ聞くって……言っとくけど、残りの時間でできることってのは限られてる。最短で勝ちに行くルートは正直言ってこれしか思いつかない」

 

 嘘は言っていない。真剣な眼差しでボクを見つめるトレーナーはどこか懇願気味だ。

 そんな目で見られたら断れるものも断れなかった。

 

「……分かった。でも、奇襲って何するの? まさか卑怯な手段とか言わないよね?」

 

「まさか、やることは単純だ。君の脚質を変える」

 

「は?」

 

 このヒトは一体何を言っている? 脚質を変える、その意味が分かっているのだろうか。

 スズカのようにそのウマ娘に合った脚質に変えるならまだしも、元々得意な脚質があるウマ娘に脚質の幅を利かせるくらいならゲートなり基礎練なり他の練習をした方がいいだろう。

 それに、脚質を変えること自体簡単なことじゃない。

 

「君の脚質は主に、前目で逃げるウマ娘を窺うような位置をキープする先行策だ。中距離においてそんな君に敵うウマ娘はそうそういない。でも、何度も言うが相手は3200mのマックイーン。そんなあの子も君と同じ先行策が得意、つまり単純なスタミナ勝負になってしまう」

 

 トレーナーの言うことはごもっともだ。そういう意味では脚質を変えて奇襲というのはとても理に適っている。

 少なくとも、スタミナ勝負をするよりかは勝ち目はあると思う。でも、それをするということはつまり……

 

「真っ向勝負を捨てるってこと……? そんな勝ち方で本当に勝ったって言えるのかな……」

 

 トウカイテイオーは今までほとんど同じ作戦で走ってきた。それはボクだって同じことで、こだわりというほどでもないけど、この走りをしないということは自然とそういう考えになっても仕方がないと思う。

 

「違うな、間違っているぞトウカイテイオー」

 

「え……?」

 

「この状況に於いて、己の走りを捨てるということは絶対に勝つという信念を捨てないということだ。愚直に進んで痛い目を見るか、多少道を逸らしてでも大成するか。賢い君ならどちらを選択するのかは分かってるはずだ」

 

「……やっぱりキミはずるいなぁ。考える余地を与えてくれないんだもん」

 

「ちなみにマックイーンは見事にやってみせたよ」

 

「尚更やるしかないじゃん! 既に無くなってる逃げ道潰さないでよ!」

 

 そうだった、そういえばマックイーンは秋の天皇賞でそれをしていた。繫靭帯炎後のGⅠレースであれだったんだから相当驚かされたのを覚えている。

 

「んで、脚質を変えるって言っても逃げは論外だ。あの天下の爆逃げウマ娘、メジロパーマーでもそれは叶わなかった。とはいえ、中途半端な差しじゃあマックイーンのスピードに翻弄されてスタミナを奪われるだけ。だったら残る場所は一個しかない」

 

 悪い笑みだ。このヒトは春天までの残りの時間でボクにそれができると完全に信じきっている。

 

 

 だが、そんな悪魔のような笑みは何故だかボクに力をくれた。

 

 

 

 

 

 

 

『一番後ろで体力温存だ。京都レース場のラスト4ハロン、そこに全てをぶつけてこい』

 

 

 

 

 

 

 

「なんて、簡単に言うよね……」

 

 

 レース中にも関わらず、トレーナーから聞かされた作戦を思い出して苦笑する。

 彼の言う通りに練習し、追込を得意とするウマ娘のレースを何度も見て、ようやく形にはなった。

 これが天才であるボクじゃなかったらトレーナーはどうするつもりだったんだと思ったが、先に聞かされたマックイーン、そして同室であるマヤノも同じようなことができるのを思い出してさらに苦笑。

 特にマヤノに至っては変幻自在と言われるまでにそれをこなすのだから、改めてその凄さを実感してしまう。

 

 

 そんなことを考えていると、レースも半ば折り返しを過ぎ向正面に差し掛かった。

 今のところは順調だ。ペースもそこまで早くはない上に、追込みの練習と同時に行っていた毎日の長距離マラソンのおかげでボクの脚はまだまだ残っている。

 

 追いかけるより方と追いかけられる方、どちらが精神的にきついかと言われたら後者なのは間違いない。

 しかし、相手はマックイーン。そう易々と攻略させてはくれなさそうだ。

 

 

「おっとっと」

 

 

 向正面に入った辺りから全体のペースが緩くなった。

 垂れてきたウマ娘をヒョイっとかわしてグッと踏み込み、我ながら見事なステップで華麗に切り抜ける。これが究極無敵のテイオーステップってね。

 

 でも、ただ横に移動しているだけでは無駄に体力を消耗するだけなのは一目瞭然。なので最後に使う脚を残しつつ、徐々に進出を開始して前との距離を縮める。

 流石にボクとはいえ、一番後ろから先頭にいるマックイーンと一騎討ちというのは骨が折れる。

 

 

 3コーナーの上り坂を過ぎ、残りは800mとなった。2400mというボクの得意距離を走り終わり、さらにそこからどれだけ下り坂を利用して追い比べを制することができるかが勝負の鍵となる。

 

 

 ────つまり、ここが天王山。

 

 

「……!」

 

 幸いなことに、下り坂に入るまでに中団まで上がりきることができていたので、そこから物理法則に従い内側目掛けて加速する。

 他のウマ娘の妨害と見做されないように空いたスペースへ入り込み、一気にマックイーンの後ろに……と、行きたかったが、やはり考えることは同じなようだ。ボクが加速を始めると同時に彼女も速度を上げた。

 流石はマックイーンと言ったところで、坂を利用して加速している最中でも内側をほとんどロス無く立ち回っている。

 

 でも、ここまでは想定の範囲内。トレーナーの言う通りマックイーンに離されないようペースを維持し、最終直線に入ったら溜めていた脚を爆発させる。シンプルだがこれが一番だ。

 

 

 コーナーを過ぎ、いよいよ最終直線。ここから先は全力疾走、脚を残した甲斐があったというものだ。

 

 

「トウカイテイオー、行っちゃうよ──」

 

 

「やめろ! トウカイテイオー!」

 

 

 真のラストスパートをかける直前、どこからともなく静止の声が飛んできた。だが、そんなことを気にしている余裕は無い。

 

 マックイーンとの距離は1mも無いんだ、ここから一気に駆け抜ければきっとマックイーンも……ッ、脚が……!? 

 

 

「いっ……!」

 

 

 踏み込んだ瞬間、右脚にチクリとした違和感のような痛みが走り、一瞬体勢が崩れてしまう。

 しかし、その一瞬が命取りだ。最終直線に入ったにも関わらず、マックイーンとの距離は広がってしまった。

 

 脚を動かせば動かすほど、その痛みは違和感を通り越して確信へと変わる。

 

 おかしい、最近の練習を思い返しても怪我の兆候なんて無かった。

 だとしたらこの痛みはレース中に……あの時だ、垂れてきたウマ娘を避けた時の踏み込み。ボクとしたことが、マックイーンしか見ていなかったばっかりにこんなミスを……ッ! 

 

 

「二度と走れなくなるぞ! テイオー!」

 

 

 さっきからボクに走るのをやめろと言っているのはトレーナーか。ここからスタンドまではかなり距離があるというのに、ざわめく歓声の中から良く声を届かせているものだ。

 

 確かにトレーナーの言う通り、これ以上は危険かもしれない。例え走りきることができたとしても、二度と走れなくなりレース人生が閉幕という可能性だってある。

 そもそもボクは元々単なる思念体だ。それすらも忘れているとは、トレーナーもまだまだだなぁ。

 

 怪我に悩まされた本来のトウカイテイオー。そして、その理想郷として作られた世界でのボク。皮肉なことに、同じ運命を辿るのがオチだったのかもしれない。

 自分はトウカイテイオーと似て非なる存在だ。コピーのような存在とでも言えばいいだろうか。無敗の七冠という称号だって、実際には作られたものにすぎない。

 

 

 それでも、トレーナーはボクのことを"トウカイテイオー"だと言ってくれた。この世界の真実を告げても、何の迷いもなくそう呼んでくれた。

 

 

 トレーナー、キミがボクを心配して走るななんて言ってくれてるのは分かってる。でもごめん、それには答えられそうにないや。

 

 この脚が壊れてもいい、二度と走れなくなってもいい。これが最初で最後の大舞台になるのなら、それはそれで本望だ。

 

 

 だって言ったでしょ? ボクは……ボクの望みは──

 

 

 

 

 

「────キミと勝ちたいッ!!」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 満月が浮かぶ綺麗な夜空。奇しくもあの時も同じ満月だったなと、目の前の諸悪の根源を見てそう思う。

 

 夜の三女神像はなんだか神秘的……なんて思うはずもなく、三女神に対して恨み辛みの感情を抱いている僕は、今にもそれをぶっ壊したくなるほどの破壊衝動に駆られていた。

 この世界との別れも近いため本当にそれをやっても良かったが、最後の最後で器物損壊なんて後味が悪い上に、次はこのポンコツ女神にどんなことに巻き込まれるか分からないのでやめておいた。

 

 

 三女神像は何を考えてこの世界を作り出したのだろうか、というのは野暮な話題か。

 

 誰にだって心残りがある、後悔がある、無念がある。全てのウマ娘の祖となる三女神がトウカイテイオーの想いを偶然汲み取ってしまった……というのが、彼女の話を聞いて推測できる内容だろう。

 

 異世界転生……いや、この場合は異世界転移か? まあどっちでもいい、僕がこの世界でやるべきことはもう終えた。後は元の世界に帰るだけ……

 

「……これどうやって帰るんだろう」

 

 なんとはなしに三女神像の前に来たものの、帰り方が分からないというハプニングが発生する。

 普通に考えたら気付くだろうが、なるべく早く帰りたい想いが先行して周りが見えなくなってしまっていた。

 今トウカイテイオーと顔を合わせるわけにはいかない。別れが惜しくなるし、あの子が消えゆくのは見たくなかった。でも、あの子がいなければ僕は帰れないわけで……

 

「はぁ……なにカッコつけようとしてるのさ。トレーナーは最後まで締まらないんだから」

 

「……締まる締まらないの話で言ったらお互い様だろ? 春天同着一位のトウカイテイオーさん」

 

「そ、それは言わないでよ! 脚があんなじゃなかったら絶対ボクが勝ってたんだから!」

 

「はあ!? うちのマックイーンがそう簡単に負けるわけないだろうが!」

 

「キミは一体どっちの味方なの!?」

 

 もちろんマックイーンだ。世界は違っても、彼女は僕の愛バなのは変わらない。

 もっとも、この世界の彼女にそれを伝えたところで気持ち悪がられるのがオチだろうけど。

 

 

 熾烈を極めた春の天皇賞。世紀の一戦とまで言われたトウカイテイオー対メジロマックイーンは、不完全燃焼もいいところな同着一位という結果に終わった。

 なんだか有記念でも同じような光景を見た気がする。あの時のマックイーンは秋シニア三冠がかかってたっけ。

 マックイーンの秋シニア三冠といいトウカイテイオーの八冠といい、なんだか素直に喜べない達成の仕方だな。

 

 もっとも、素直に喜べない理由はもう一つある。トレーナーである僕にとって切っても切り離せない理由だ。

 

「……脚の方は平気なのか?」

 

「うん、しばらくは走れそうにないけど、大事には至らないって。……お注射は痛かったけど」

 

「……そか」

 

 自分でもぶっきらぼうな物言いをしたと思った。でも、内心めちゃくちゃ安堵してしまう。

 脚を犠牲にして一着をもぎ取ってやったぜ! というのは感動ストーリーとしては100点満点だが、僕としては0点もいところだ。

 無理にでも一着を取って脚を壊すか、多少手を抜いてでも今後の選手生命を維持するか。どちらがいいかと言われたら個人的に後者だ。走れなくなり絶望するウマ娘の姿は見たくない。

 

 とはいえ、この子は僕の制止を振り切ってまで走り切ったんだ。お約束という観点ならばトウカイテイオーが勝つ流れだっただろうに。

 

 なんにせよ、最後の最後で胸糞展開にならなくて良かった。

 僕がトウカイテイオーにこの世界の真実に掠った時を鑑みるに、言い方は悪いが彼女の理想郷はもうすぐ消滅する。その終わらせ方が最悪でなくて……ん? 

 

 

「……あれ?」

 

 

 何かおかしい。この世界はトウカイテイオーの理想郷のはず……それ故にこれまで無病息災という"設定"だったはずだ。なのになんで彼女が怪我を……? 

 

「……なぁ、トウカイテイオー。なんで君怪我してたんだ? 一色から聞いた話によれば、君は医者の世話になったことがないとのことだったんだが」

 

「うん、だってもうボクの理想郷じゃないもん」

 

「…………ぱーどん?」

 

 なに、なんて? もう理想郷じゃない? そんな簡単に世界って変わるもんなの? 

 

「えっと……この世界はもうボクの思い通りにいかないんだ。多分なんだけど、キミがボクをトウカイテイオーって断言しちゃったから、三女神様がこの世界をトウカイテイオーの理想郷じゃなく新たな世界として定着させたみたい」

 

「?????」

 

 どういう原理かさっぱりわからん。

 

 とどのつまり、僕が帰ってもこの世界は存続し続けるってコト? てっきりあの時のように世界が崩れ落ちて消滅するもんだと思ってたんだが……

 

「じ、じゃあ最後に嫌な思いをさせないためにレースをやめさせようとした僕の気持ちは……?」

 

「無駄だね」

 

「これが君の最後のレースだって張り切ってた僕の気持ちは……?」

 

「無駄だね」

 

「消えゆくであろう君を見たくなくて敢えて会わずに帰ろうとした僕の気持ちは……!?」

 

「全部無駄!」

 

「ふっざけんじゃねえよこのクソ女神! どこまで僕をコケにすりゃ気が済むんだこの野郎!」

 

 石に向かって吠えたところで対象からは何の反応もなく、帰ってきたのは隣にいるトウカイテイオーからの笑い声だけだった。

 

 要するに、元は不完全な世界だったけど、イレギュラーの僕が目の前にいる子をトウカイテイオーと断言しちゃったことで、どういう理屈かこの世界が完全なものとなった……うん、やっぱり訳がわからん。

 

「はぁ……せっかくこの日のために涙ぐむ練習もしてたのによぉ」

 

「その割には一人でさっさと帰ろうとしてた気がするんだけど……。でも、今生の別れって意味なら間違ってないよ」

 

「……ま、そうだよな。そんな都合よくこの世界と元の世界を行き来できるなんて思っちゃいねぇよ」

 

「意外とあっさりだね。涙ぐむ練習してたんじゃないの?」

 

「いや、あんな話聞かされて引っ込まないって方がおかしいだろ……」

 

 確かに、と言って笑うトウカイテイオー。気丈に振る舞ってはいるものの、そんな彼女の姿はどこか元気がない。

 思えば、彼女は別れを悟った時にクソ長い辞世の句のような言葉を述べていた。本当は寂しがりやなところがあるのだろうか。ふむ……

 

「なあ、トウカイテイオー」

 

「ん、なに、っていったぁ!? いきなりなにすんのさ!」

 

 トウカイテイオーのおでこ目掛けて思いっきりデコピンをかます。それをモロにくらったトウカイテイオーは若干涙目だ。

 ふっ、僕のデコピンの威力舐めるなよ? 昔やってた球体のホビーで鍛えられたそれはもはや全国レベルだ。ちなみにウマ娘には到底敵わない。

 

「そんな辛気臭い顔してないで、別れの時でも笑顔でいろよ。その方が僕にとっては嬉しいもんだぜ?」

 

「……ありがと、トレーナー。キミのこと、そこそこ好きだったよ」

 

「そうか、僕も君のこと嫌いじゃないよ」

 

「素直じゃないんだから」

 

「そっちこそ」

 

 マックイーンともダイヤとも違うこの感じ。やはり悪い気はしない。

 もし最初に目に映ったのがマックイーンでなくてトウカイテイオーだったら、こんな世界もありえたのかもしれないな、と。そう思えてしまうほどには。

 

「そうだ。トレーナー、これあげるよ」

 

 そう言ってトウカイテイオーはポケットから一切れのピンクの布を差し出す。それは、つい最近まで彼女の髪を結っていたものだ。

 新しいリボンを買ってあげてから彼女がそれを身につけているのを見たことがない。しかし、もう使っていないと考えても受け取るのには躊躇してしまう。

 

「その布、ボクだと思って肌身離さず持っててよね。絶対だよ?」

 

「発想が重いんだよなぁ……。というか、そんなあっさりあげちゃっていいのかよ」

 

「うん、だって今のボクにはトレーナーから貰ったこのリボンがあるからね。だから交換、思い出の品としてとっといて」

 

「……そういうことなら受け取った。そもそもこんな体験忘れられそうにはないけどなぁ」

 

 異世界転移なんて厨二イベントは今後味わえる機会は無いと考えてもいい。

 もうすぐ終わるとはいえ、それを今僕は経験している最中なのだ。昔夢見た異世界転移とは全然違う形だったけれど。

 

 トウカイテイオーから貰った布を左手首に巻き、伸びをして三女神像に乱暴に向き合う。

 

「んじゃ、そろそろ帰るとするか。あんまりここで駄弁ってたらいつまでもこうしてしまいそうだしな。ああそうだ、この世界の一色とシンボリルドルフによろしく言っといてくれ。わざわざ会いに行くのも面倒だし」

 

「……うん、分かった。その前にトレーナー、最後に一ついいかな?」

 

「おい、変なことは言うなよ? もうこれ以上の無理難題は──」

 

「もう一度、ボクのこと"テイオー"って呼んで?」

 

「────やーだよ、"トウカイテイオー"」

 

「むぅ、最後まで意地悪なんだから」

 

 頬を膨らます目の前の少女はどう見てもトウカイテイオーそのものだ。誰であろうと、彼女のことをコピーとは言わせない。愛称では呼んであげないけどな。

 

「だったらさ、目を瞑ってそこの三女神像の淵に座ってよ」

 

「……? まあそれくらいなら……」

 

 トウカイテイオーの指示通り、三女神像の噴水の淵に座って視界を閉ざす。そういえば、この世界に来る直前もこうしてここに座ったっけ。

 

 

「……どうせ忘れちゃうから」

 

 

 言う通りにしていると、トウカイテイオーが何やらポツリ独り言を呟いた。だが、それがどういった内容なのかまでは分からない。

 

 

「ん、それじゃあジッとしててね」

 

「おい、一体何をす────!?」

 

 

 言い終わる前に、頬に柔らかな感触を覚える。

 一瞬だったとはいえ、それに驚き目を開けると、既に僕から離れているトウカイテイオーが顔を赤くして舌をペロリと舐める仕草をした。

 

 

「真の強者は不意打ちを外さない……だったよね?」

 

 

 この状況とトウカイテイオーの発言。そこから推測できることと言えば……

 

 

「な、ななな……何を……」

 

「それじゃあね、トレーナー! マックイーンと上手くやりなよ!」

 

「待て! 本当に待て! 最後にとんでもない爆弾仕掛けやがって! お前マジで人のことおちょくるのも大概にしろよ!? よし、そこに正座しろ! 今から数時間に渡って大人を無礼たらどうなるのか説教して──」

 

 

 トウカイテイオーに詰め寄ろうと立ち上がった瞬間、視界がぐらりと揺らぎ意識が────

 

 

 

 ***

 

 

 

「────ん、知らない天井……いや、もうこれはいいか。こういう状況ですぐこれ言っちゃうあたり僕も相当影響受けてるよな。そもそも僕はエヴァのパイロットじゃない……いや、もしかしたら僕自身が碇シンジの生まれ変わりだったのかもしれない……」

 

「起きて早々に何をおバカなこと言ってるんですの貴方は」

 

「ミサトさ……じゃなくてマックイーン……」

 

 頭を働かせていないため、口が勝手に適当なことを喋り出す。

 起床というより、気がついたらベッドの上で横になっていたという方が正しいか。そのため眠気は一切なく、寝起き特有の脳が働いてない感覚は無かった。

 

「えっと、ここは保健室……か?」

 

「その通りです。全く、心配かけないでくださいまし。真夜中に倒れて朝方発見されるなんて前代未聞ですわよ。ああ、ダイヤさんと一色さんに連絡しなくては……」

 

 ベッドから身体を起こして周りを見渡すと、そこは見覚えのある場所であり安堵……というよりデジャヴを感じる。

 そうだ、異世界ですぐこんな体験をした気がする。そしてその原因となったのは、ぶつくさと文句を垂れる目の前の芦毛のウマ娘であり……

 

 

「……なあ、マックイーン」

 

「はい、なんですの?」

 

「…………僕は、君のトレーナーだよな?」

 

 

 一瞬、聞くのに躊躇ってしまった。あの子が余計なことをしてなければ確かに僕は異世界から戻ってきたはずだ。

 でも、聞かずにはいられない。聞かなければならないことは多々あるが、これを聞かないことには戻ってきたかどうかの確信を得ることができない。

 

 返事を貰うまでの時間が妙に長く感じてしまう。冷や汗が流れ、極度の緊張状態へと陥ってしまった。

 

 永遠とも感じられるその時間も終わりを告げ、マックイーンの口が開かれる。

 

 

「はあ、何を当たり前のことを言っていますの? 先程から様子がおかしいですわよ、トレーナーさん」

 

「あ……」

 

 

『トレーナーさん』。その一言で不安や気掛かりといった感情が晴れた。

 なんともまあ、本当の意味で彼女の口から久しぶりに言われた気がするなと思い、変な笑いが出てしまう。

 

 ということは、ちゃんと異世界から戻ってきたということか。あれを夢と疑いたいが、それにしてはリアリティがありすぎた。

 

 向こうには一ヶ月近く滞在していたはずだが、マックイーンはさっき夜中に倒れて朝方発見されたと言った。

 つまり、三女神のせいで気分が悪くなり倒れ、そこでそのまま朝になった。その間僕の精神は異世界行きと考えると無理矢理辻褄を合わせることができる。

 

 それを誰かに話したところで信じてもらえないだろうけど。

 

「……本当にどうかされましたの? まだ体調が優れないようでしたら横になっていた方がよろしいのでは?」

 

「……いや大丈夫だ、問題ない。ちょっと変な夢見てたなって」

 

「ふーん、気になりますわね。一体どんな夢を?」

 

「ああ、それは──」

 

 マックイーンに夢の内容を説明しようとした瞬間、保健室のドアが勢いよく開かれる。

 驚き桃の木山椒の木。その方向を見ると、前髪の額あたりに綺麗な菱形を持つ少女が僕を見て目を輝かせていた。

 

「トレーナーさん!」

 

「ああ、ダイヤか。悪いな、どうやら心配かけたうおおおっ!?!?」

 

 あろうことか、突如として保健室に現れたダイヤはベッドの上の僕に向かって思い切りダイブしてきた。とてもじゃないが一晩寝ていた人間に対する行いとは思えない。

 しかし、これがサトノダイヤモンドというウマ娘だ。一番お淑やかそうに見えて、ゴールドシップをも上回る"やばさ"を持っている。

 

 今後のためにも、このような危険行為はしないようキツく叱責を……

 

「ちょ、ダイヤさん!? いきなり何をされているのですか!? そんなことをしてはトレーナーさんが潰れ……るような方ではありませんわね、ええ」

 

「よく分かってるじゃないか、マックイーン。僕はこの子のプレスにも耐えた男だぜ? こんなことでくたばるわけないだろう」

 

「それはそうなのですが、なぜそのまま平静を保ってダイヤさんを撫で続けているのですか?」

 

 おっと、僕としたことが無意識にスキンシップが過剰になっていた。

 夢とはいえ体感一ヶ月近く会っていなかったんだ。話すことすらもできていなかった分その皺寄せが来ている。彼女も撫でられて気持ちよさそうだし。

 

「せんぱい、今からスマホで三つの数字打って通報してもいいですか?」

 

「やめろくださいお願いします一色さん」

 

「119に」

 

「消防署じゃねぇか! 炎上の火消しってか? やかましいわ!」

 

 どこからともなく現れた一色は、ダイヤを撫でる僕を見てドン引きする。その視線がとても痛い。まあ撫でるのはやめないんですけど。

 

「はぁ……んで、お前は一体何しに来たんだ?」

 

「……」

 

 一色のことだから倒れた僕をバカにしに来たんだろうなと思ったが、それとは反面、彼女は申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。

 そのことに僕もマックイーンもダイヤもギョッとしてしまった。

 

「……多分、せんぱいが倒れた原因は過労です。その原因を作ったのは、仕事を押し付けて楽しようとしたわたしに違いないです」

 

「一色……」

 

「反省してます。だから……ごめんなさい」

 

 まさか一色がここまで思い詰めていたとは。

 いつもと雰囲気が全く違う彼女の有様に、たじろいでしまう。

 

 別に仕事を押し付けられるのには慣れているため問題はない。いや、社会的にはあるんだけどね? 

 でも、倒れたということは、結局のところ自分の体調管理ができてなかったということに他ならない。やりようはいくらでもあった。

 それなのに一色がそこまで背負い込むことはないはずだ。

 

「別にお前のせいってわけじゃねぇよ。これは体調管理を怠った僕のミスだ」

 

「……でも、わたしは……」

 

「ああもう、君はそこまで悪くないんだって! 全く、どいつもこいつも辛気臭い顔ばっかするなよ! 別れ際のあいつだって……あれ?」

 

 ゴリ押しで一色を元気付けようとしていると、ふとした違和感を覚える。

 確かに僕は異世界に行っていた。いやにリアリティがあったため、そのこと自体ははっきりと思い出せる。しかし、肝心なところが思い出せないのだ。

 

 

 僕は一体誰と過ごしていたのか。

 

 

「トレーナーさん、どうかされましたか? それよりも別れ際のあいつとは一体……?」

 

「あ、ああ、ちょっとね。さっきマックイーンには少し話したんだがな、寝てた間変な夢見てたんだよ。異世界っぽいって言ったらいいのかな? その世界では僕の知る史実とは違うレース結果だったり、色んな人の性格が違ったり、僕がマックイーンとダイヤを担当してなかったり──」

 

「「は?」」

 

 こっわ。マックイーンとダイヤを担当していなかったと言った瞬間当該二人はとてつもなく低い声を発する。

 

「トレーナーさん、一体全体どこのどいつが私達の変わりとなっていたんですの?」

 

「教えてくださいますよね? 答えによってはその方と法廷で相対しなければならないので。もちろん家の圧をかけて」

 

「ゆ、夢の内容だぞ……身に覚えのない罪で裁かれるの怖すぎだろ……。でも、なんか……思い出せないんだよなぁ。ええっと……」

 

 誰のトレーナーをしていたのかがさっぱり思い出せない。

 それ以外のことは全部覚えているのに、その子の名前が出てこない。雑巾を絞るかのように記憶を振り絞っても頭文字すら思い出せない。

 

「あれ、マジで思い出せない……! クソッ、不意打ちとはいえ最後に……最後に……?」

 

 何されたっけ? なにかとんでもないことをされた気がするのだが、またしても肝心なところが思い出せない。

 

 不思議そうな顔をするマックイーンとダイヤになんでもないと手を出して御する。

 

「そ、それよりせんぱい、さっき異世界って言いましたよね? その世界とやらのわたしはどんなだったんですか?」

 

「おっ、食いついたなこのアニメ好きめ。でも、お前は何も変わらなかったよ。生意気だしうるさいし口は悪いし」

 

「なんですかその物言い! それだとわたしが生意気でうるさくて口が悪いみたいな言い方じゃないですか! この中二半!!」

 

「そういうとこだぞー?」

 

 先程までの塩らしい彼女はどこへ行ったのだろう。

 キレる一色を見て、こいつは本当に何も変わってなかったなと改めて実感する。

 

 そもそも、性格が変わってしまっていたの三女神の手の届かない人間だけであり、一色は……ん? そういえば深く考えてなかったけど、人間であるはずの一色は何も変わってなかったよな……? 

 それにたづなさんや理事長も大した変化は見られなかったはず……。でも三女神は人間の性格を再現できなかったって言ってたし……あれえ? 

 

「トレーナーさん、私は! ダイヤはどうだったんですか!?」

 

「ああ、君はそもそもいなかったよ」

 

「……」

 

 それを聞いたダイヤは、僕の上から降りて保健室の隅で体育座りをしてしまった。仕方ないだろ、本当にいなかったんだから。

 

「一応聞いておきますが、私はどうなっていたんですの? なに、たかだか夢の話ですわ。私はそんなことで拗ねたりは──」

 

「マックイーンは僕に『貴方は私のトレーナーではありませんわよ?』って言ったり僕らに叩き潰すって言ったり……」

 

「こ、殺してくださいまし! 夢とはいえ私はトレーナーさんになんてことを……ッ!」

 

 そこまで気にすることないだろうに。夢どころか彼女達の知る由もない異世界の話だ。

 それなのにムキになったり、拗ねたり、半狂乱になったりと。こいつらもお子様だな。

 

「よっこいせ……ん? これは……」

 

 ベッドから出ようとした時、自身の左手首にピンク色をした布が巻かれてあるのに気がついた。

 一見すれば、何の変哲もないただの布。しかし、僕にとっては大いに意味を持つ。

 

「……マジかよ」

 

 三女神のサービス、と言ったところか。できるなら記憶もそのままにして欲しかったというのが正直な感想だ。

 

 手首に巻かれた布を解くと、隅っこに小さな文字で何かが書かれてある。

 

 

『ありがと』

 

 

 ……あの野郎。

 

 顔も名前も思い出せないウマ娘に心の中で悪態をついてしまう。

 

 思い出せないなら思い出せないでいい。でも、僕とあいつが過ごしたあの日々や思い出が消えるわけじゃない。今はそれだけで十分だ。

 

「あら、その布なんですの? ハンカチ?」

 

「お守りみたいなもんだ。てか、いつまで夢ごときの内容で右往左往してんだよ。三人揃ってアホなことすなー?」

 

「アホ……!? 待ってくださいましトレーナーさん! 貴方のこととなると暴走するダイヤさんやそもそもがアレな一色さんはその類に入るかもしれませんが、私をお二人と一緒にするのは万死に値しますわ!」

 

「なっ!? 一色さんのことについては同意しますけど、マックイーンさんだって大概ですよ! トレーナーさんが倒れていると聞いた瞬間、メジロ家の主治医や医療班を総動員させようとしたり、自室を熊のようにウロウロと歩き回ったり、誰もいないのを確認して『ここはこの前できなかった人工呼吸のリベンジを……!』とか言って──」

 

「ああああああっ! 見てましたの!? あれ見てましたの!? というか、医療班云々の話をすればダイヤさんも同じですわよ!? なんなら貴方はヘリコプターまで用意して学園中の騒ぎの的になったばかりではないですか!」

 

「ねえ、ちょっと待って二人とも。さっきからナチュラルにわたしのことディスってるのはなんなの? わたしってそんなにアレじゃないと思うんですけど」

 

「それはないですわね」

「それはないです」

 

 図書室と同等かそれ以上に静かにしなければいけない保健室で三人は大声で喧嘩を始める。

 

 どうしてこいつらは集まるとすぐこうなるのだろうか。もう少しお淑やかさというものを身につけてほしい。

 

「ちっとは静かにできないもんかねぇ……」

 

『それ、トレーナーが言えたことじゃないと、ボクは思うなぁ』

 

「……? 気のせいか」

 

 なんだかここにいる誰でもない声が聞こえた気がした。だが、ここには僕達四人しかいないため気のせいだと切り捨てる。

 

 結局異世界体験の真実がどうであれ、こちらでは一日しか経ってなくても体感的に向こうで一ヶ月以上過ごしてたんだ。疲れも溜まっているし、さっさと帰って寝たい。

 久しぶりと感じるほど懐かしいこの光景を噛み締めるのも悪くないが、具合が悪いわけでもないさっさとお暇してしまおう。

 

 手首の布の締まり具合を確認し、保健室のドアに手をかける。

 

 

「そもそもダイヤさんはやることが一々おかしいんですのよ! この間も商店街でお代が三百万円という冗談をおバカのように真に受けてたではないですか!」

 

「マックイーンさんこそ未だに一万円札を自動販売機に入れるじゃないですか! というか、おバカって言う方がおバカなんですよ! マックイーンさんのバーカバーカ!!」

 

「もう、二人ともいい加減にしよう? 中学生とはいえ名家のお嬢様なんだから──」

 

「「うるさい、おバカ!!」」

 

「はあ!? バカにバカって言われるのバカみたいに腹立つんですけど!? このバカバカバーカ!!」

 

 

 なんだか全体的に知能が低下してないか? 

 わざわざこの世界に戻らず向こうで暮らしていた方がよかったかもしれない。

 

 ともかく、今回のよく分からない経験から一つ言えることがあるとすれば──

 

 

「いい加減そろそろ行くぞ、三バカ」

 

「「「三バカ!?」」」

 

 

 

 ──異世界も割といい世界、ってね。

 

 

 

 

 特別編『異世界も割といい世界』 終

 

 

 





この特別編を書き終えた感想は、SF作家さんって本当に凄いんだなということです。

いつのまにかハーメルンの方で投稿を始めて一年が経ってました。これもひとえに読んでくださる皆様のおかげでございます。


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第三章 あの日の想いは忘れない
始まりはいつも突然に



お久しぶりです、ひとまずこれが最終章です。
投稿頻度は落ちるかもしれませんが、完結目指して頑張ります。



 

 

 

 深い、深い闇の中にいる。

 

 意識はハッキリとしているのに、目は開けられず、手足を動かすことすらもできない。まるで金縛りにあったかのような感覚だ。

 ここはどこで、自分は何をしているのか。それすらわからないというのも相まり恐怖心は雪だるま式に増幅していく。

 

 もしかしたら自分は死んでしまったのではないか。正確な時間は分からないが、そう考えてしまうほどには虚無の時間を過ごした気がする。

 

 父さん、母さん。志半ば倒れゆく不幸な息子を、どうかお許しください。

 

 

「────ですのよ、全くダイ──」

 

 

 両親への懺悔の言葉を考えていると、誰かの声が聞こえた気がした。それは何も感じない故の幻聴などではなく、ハッキリと耳で聞き取れたものだ。

 

 

「────イーンさんだって────じゃないで──」

 

 

 ノイズ混じりで途切れ途切れだが、確かに聞こえる。つまり、まだ自分は生があるということだ。

 この暗闇の中、これ以上一人でいると気が狂いそうになる。なんとしてでも抜け出したい。

 

 そう思うや否や、視界がぼんやりと開いた。なんだかこうして瞼の裏以外の景色を見るのは久しぶりな気がする。

 

「……?」

 

 現状を把握するため、ここはどこかと周りを見回していると、ふと自分の置かれている状況に疑問を持った。

 見慣れぬ場所のベッドに寝かされ、身体が不自由となっている。

 

 極め付けは、自分が起きたのを見て何かよくわからないことを騒ぐ目の前の少女二人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女達は一体誰なんだろう。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 第三章『あの日の想いは忘れない』

 

 

 

 

 気持ち新たに新学期だというのに、外を見れば激しい雨が降り続いている。ここのところいつもそうだ、これでは走ることも叶わない。

 特別雨が嫌いなわけではないが、こうも土砂降りだと自然とテンションも下がってしまう。こんな天気で喜ぶのは蛙とシービーさんくらいだろう。

 

 

「はぁ……」

 

 

 そして今しがた届いた連絡に目を通し、ついため息をついてしまう。連絡の中身はさておき、この文章の書き方は降り注ぐ雨と一緒に流してしまいたいほどのものだ。

 

 

 突然だが、私には悩みがある。授業終わりにトレーナー室へと向かう途中、こうして無意識にため息をついてしまうほどには小さくない悩みだ。

 

 これまで、トレーナーさんとは良い関係を築き上げてきたつもりだ。

 それこそ最初はギクシャクしていたし、互いに未熟故の小さな諍いはあったものの、今となっては自分にとっていなくてはならない存在となっている。

 トレーナーさんがいない生活などあり得ないと言えるほどに、彼の存在は私の中で大きなものだ。

 

 きっとトレーナーさんの方もそう、なくてはならないとまでは言わなくとも、私のことを大切にしてくれているというのは、彼の普段の行動の節々から感じられる。

 

 

 でも、それはあくまで"自分が担当するウマ娘"としてだ。決して一人の女性として見てくれることはない。

 

 話を戻すと、私の抱える苦悩というのがこのことについてだ。

 

 分かっている、私は学生で彼はトレーナーなため、現時点ではどうすることもできない。たとえできたとしても、それは彼を社会的に抹殺することにしかならない。

 

 誰かさんならこういう時に、『それなら私のお家に永久就職してもらいます! これで私と一生を遂げられますね!』とかなんだか言いそうではあるが、私はそんなことちょっとしか考えていない。

 

 

 これで恋敵がいないのであればこんなにも焦る必要はなかった。でも現実はそうでなく、トレーナーさんのことを憎からず思っている方は最低でも二人はいる。

 私の他のもう一人の担当ウマ娘であるサトノダイヤモンドに、その想い人の後輩である一色星羅。自分が彼女達に劣っているとは微塵も思わないが、強敵であるのは間違いない。

 

 それ以外での女性のことも考えたものの、トレーナー業一筋の彼のことだ、外部で彼女を作ったりはしないだろう。もしそんなことをしたら私は泣くどころでは済まない。

 

 

 ともかく、遅くとも卒業までには彼を堕とさなければならない。ダイヤさんも同じ考えだろう。

 将来トレーナーとその担当だったウマ娘が籍を入れるなんてことは珍しくないのだ。卒業と同時くらいの勢いでないとこの恋には勝てない。

 

 

 でも、具体的にどうすればいいのだろうか。

 

 彼の攻略難易度が高すぎて、その糸口を誰も掴めていないのが現状となっている。普段はちょろい癖に変なところで頑固なのもあり、相当に厄介だ。

 ここはあの二人を見習って多少強引にいった方がいいのだろうか。いえ、あの積極的な二人でさえも苦戦しているのだ。下手な行動は止したほうがいい。

 最適解を見出せずつい唸り声をあげてしまう。

 

 

「マックイーンさ〜ん!」

 

 

 と、そんな悩みを抱えていると、前方から悩みの種の一人がやってくる。

 

「眉間に皺を寄せているお顔も美しいですね!」

 

「うるさいですわよ、ダイヤさん!」

 

 サトノダイヤモンド、私にとっての唯一のチームメイトであり、恋敵である二人のうちの一人。

 彼女も出会った頃と比べて随分と成長したものだ。トレーナーさんのダメなところが似てきているのは頂けないけれど。

 

「それで、どうかされたんですか?」

 

「……どうもこうも、少々悩みを抱えていまして」

 

「まぁ、マックイーンさんが悩みなんて。任せてください! このダイヤ、あなたの悩みを晴らしてみせます!」

 

 悩みの理由の大部分は貴方が占めているんですのよとは流石に言えない。

 ここで打ち明けてしまったら、純粋無垢な目をするダイヤさんの瞳はきっと濁ってしまう。有耶無耶にするためにも話題を変えなくてはならない。

 

「そ、それより、先程トレーナーさんから連絡がありましたの。なんでも、『今後のことについて話したいことがある。放課後トレーナー室に来てほしい』とのことらしくて」

 

「あ、それ私のところにも来てました」

 

「……やはりですか。全く、あの人ときたら……」

 

 真に伝えたい内容がなんであれ、こんな言い方では誤解されてもおかしくない。

 事実、自分もこの内容を見た瞬間ドキッとした。もしかしたらと、淡い期待を抱いたが、送り主の顔を思い出しそれはすぐに自分の思い描く内容ではないことを悟ってしまう。

 

 先に話した通り、彼は私達を一人の女性としては見てくれていない、恋慕の感情を抱いていない。

 想い人からそのような感情を向けられていないという事実は、無意識にため息をつかせるのに十分すぎる理由だ。

 

 それはそれとして、この連絡の文章はどうかと思う。

 

「はぁ、本当にあの方は乙女心というものを分かっていませんわ」

 

「ふふっ、そんな朴念仁なところも可愛いんですけどね」

 

「随分とポジティブですわね……」

 

「そうでしょうか? あの方の魅力の一つは、一度決めたことは曲げない確固たる意志を持っているところ。それでいてたまにやるポカやドジといったギャップがたまらないんですよ。もちろんマックイーンさんもお気づきですよね?」

 

「それは……まぁそうなのですが」

 

 事実ダイヤさんの言う通り、トレーナーさんはバッチリ決める時とそうでない時の差が激しい。

 時にカッコいい彼の姿を、時に母性を増幅させられるようなミスをする姿が見られる。一粒で二度と美味しいといったようなあれだ。

 

「それでいて、とてつもなく負けず嫌いなところとかもそうですわね。いつの日かは私とくだらないことで本気で争ったりもしましたし」

 

「そして面倒見もいいですよね。邪険に扱ってそうな一色さんのこともなんだかんだ気にかけていそうですし、私を凱旋門賞優勝まで導いてくれましたし」

 

 

 …………ほう。

 

 

「まぁ? 私はトレーナーさんと一番長い付き合いですし? あの方のいいところも悪いところも全て把握してますわよ?」

 

「私は唯一トレーナーさんと海外遠征しましたよ? まるで新婚旅行みたいでした」

 

「ふ、ふーん、そうなんですのね」

 

 

 段々意固地になっていき、互いに立つ瀬がなくなってきた。

 でも大丈夫、自分にはまだとっておきのカードがある……

 

「フランスで押し倒してしまった時のトレーナーさんの顔、可愛いかったなぁ……」

 

「ちょっと待ってください!? なんですかそれ!? 詳しく! 詳しく教え……あっ!」

 

 ダイヤさんの体を揺さぶるも、彼女は舌を出して一向にその内容を吐こうとしない。

 というか、一回目の凱旋門賞で大敗して帰ってきた時に二人の間に妙な溝があるとは思っていたけれどまさかそんなことがあったとは。羨ましいしずるい。

 

 そしてフフンと得意気な顔をするダイヤさんが腹立たしい。その顔はまるで「勝ったな」とでも言いたげだ。

 

 

 私はボソッと一言。

 

 

「私はトレーナーさんと混浴した仲ですし……」

 

「ど、どどど、どういうことですか!?!? こ、混浴!? 裸と裸の付き合いってことですか!?」

 

「ちょ、大きい! 大きいですわよ!」

 

「お、大きいって……! まさかマックイーンさん……!」

 

「貴方の声量に決まっているでしょう!?」

 

 廊下を歩いての会話なため、周りのウマ娘達は私達のことをなんだなんだと見始める。

 流石にその視線に気がついたのか、彼女は開いていた口をつぐんでボソボソと話す。

 

「そ、それで、詳細を教えてください」

 

「詳細も何も、高知での夏合宿の時、トレーナーさんが温泉に入ってるところに突撃しただけですわよ」

 

「犯罪じゃないですか……」

 

 犯罪も何も、私はスカイさんの悪戯でたまたま間違えてしまっただけだ。これに関しては嘘はない。

 それに気がついた後どういった行動を取ったかは黙秘しますわ。

 

 

 トレーナー室も見えてきたこともあり、今日のところは互いに引き分けということで手を打つ。

 ダイヤさんとは近いうちに決着をつけなければならない。例えそれがどんなことであったとしても。

 

 

「それにしても、トレーナーさんが話したいことってなんなんでしょうかね?」

 

「あの方が私達二人に同じ連絡をしているということはレース関連のことだと思いますわね。もしくはメディアの取材だったり」

 

「あっ、だとしたらあれじゃないですか? 今噂されているURAファイナル……ズ……」

 

 ダイヤさんはトレーナー室のドアを開けると、部屋の中にいた何かを見て固まってしまった。

 

 不思議に思い自分もトレーナー室を覗くと、姉妹だろうか、そこには十歳にも満たないであろう幼いウマ娘が二人、いつものソファの上に座っていた。

 

「……マックイーンさん、あの子達について何か聞いてます?」

 

「いえ、何も……。彼女達は一体……?」

 

 年齢的にもあの二人はここの生徒ではない。かと言ってあんなに堂々としているので不法侵入とは思えない。

 

「……あら、よく見たら胸に見学用のバッジをつけてませんこと?」

 

「あ、本当ですね。ということはあの子達は見学に来たウマ娘……ん? でもどうしてトレーナーさんの部屋に……?」

 

 ダイヤさんの疑問は尤もだ。あの子達がトレーナー室にいる理由が分からない。

 安直だが、学園が広いが故に迷ってしまったというのが真っ先に考えられる。それでここで誰かが来るのを待っていると。

 だとしたら私達が声をかけてあげなければならない。

 

「……行きますわよ、ダイヤさん」

 

「え、マックイーンさん?」

 

 本格的にトレーナー室に足を踏み入れると、姉と見られるウマ娘がその存在に気がつき、駆け足で私の方へと寄ってくる。

 その後ろから妹と思しきウマ娘がついてきて背後に隠れた。

 

「はじめまして、メジロマックイーン様とサトノダイヤモンド様で間違いありませんでしょうか?」

 

「ええ、そうですわよ。自己紹介の必要はなさそうですわね。それで、貴方達は一体……?」

 

「ああっ、わたくしとしたことが自己紹介が遅れました。わたくしのことはグランとお呼びください」

 

 グランと名乗る幼いウマ娘は綺麗はお辞儀する。とても礼儀正しい子、というのが第一印象だ。

 

「それで、グランちゃんはどうしてここにいるの? もしかしてトレーナーさんの関係者か何か?」

 

「はい、サトノダイヤモンド様のおっしゃるとおりりです。いつも主様……トレーナー様がお世話になっております。見学の一環としてお二人に挨拶をと思いまして。生憎と現在トレーナー様は不在でございますが、憧れであるお二人に会えたことを光栄に思います」

 

 歳不相応な礼儀の正しさだ。大人を相手にしてるならまだしも、彼女は推定10歳にも満たない。ここまで来ると怖くなってくる。

 

「マックイーンさん、どうしましょう。私この子妹にしたいです」

 

「気持ちは分かりますけどお止しなさい」

 

 いつもは誰かを追いかける立場のダイヤさんだが、ついに憧れられる立場になったことに感激したらしく、今にもグランさんを抱きしめそうになっている。

 

「ふふっ、そう言ってもらえて恐縮です。ほらガング、挨拶ですよ。あなたもメジロマックイーン様とサトノダイヤモンド様に会いたがってたじゃないですか」

 

 後ろに隠れていたガングと呼ばれたウマ娘は、グランさんの手によって無理矢理前に引き摺り出される。

 

「め、めじょまっきーん……さとのだいやもんど……」

 

「惜しいですわね。メジロマックイーン、ですわ」

 

 優しくそう訂正するも、ガングさんはさらに縮こまってしまった。何かいけなかったかと不安に思っていると、それを見かねたグランさんがガングさんに耳打ちをして手を引いた。

 

「さぁ、ガング。お二人に挨拶ですよ」

 

「……ん」

 

 姉らしく挨拶の言葉を教えてあげたのだろうか。姉妹仲が睦まじくてとても微笑ましい。

 勇気を持って挨拶してくれるんだ。私とダイヤさんは目線をガングさんの位置まで合わせる。

 

 

 そして、ガングさんの口からは、

 

 

「い、いつもぱぱがおせわになってます……」

 

 

 私達の予想を遥かに上回る、とんでもない爆弾発言が飛び出した。

 

 

 



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言ってないからね?

 

 

 

 父親という言葉はどう言った場面で使われるのか。その多くは血縁関係の意味を指すだろう。

 そうでなくても、己を養ってくれる、育ててくれる人、いわゆる養子縁組を築くことによって法律上の父親になれると教わったことがある。

 

 だが、今の自分達にはそのような冷静な判断を下すことができない。

 

 ガングさんはトレーナーさんを"ぱぱ"と呼んだ。それがどういうことか、悪い想像が頭を過り言葉を発することができないままでいる。

 

「ガ、ガングちゃんは誰のことをパパって言ってるのかな?」

 

「う……」

 

 静寂が支配するトレーナー室に、冷や汗を垂らし心なしか声が震えているダイヤさんはガングさんにそう質問をする。

 しかし、あまり人前に出るのが苦手なタイプなのか、彼女はすぐにグランさんの後ろに隠れてしまった。

 

「はぁ、仕方がありませんね。不肖の妹に変わり、わたくしグランが答えさせていただきます。この子が"パパ"と呼ぶ方はメジロマックイーン様方のトレーナー様で間違いありま──」

 

「隠し子ですわ! ダイヤさん、今すぐあの畜生を探し出して問い詰めに行きますわよ!」

 

「合点です!」

 

「ああっ!? お待ちください! 決してお二人の想像するようなことでは……!」

 

 グランさんの静止を振り切り、トレーナーさんを探しにいくためドアを開けようとすると、そのドアは私が力を入れずとも勝手に開かれる。否、自分ではない他の人によって開かれた。

 

「……おい、もうちょっと静かにしろよ。外まで声響いてきてたぞ」

 

「トレーナーさん、ちょうどいいところに! 少しばかりお聞きしたいことが……って、ど、どうされましたのそのお顔!?」

 

「く、隈が物凄いですけど大丈夫ですか?」

 

 思ってたより早く探し人が見つかったのはよかったが、トレーナーさんの顔はなんていうか……普段の気だるそうな顔が更に老け込んだような顔だった。

 これでも彼は若い方なのだが、この数日で何があったのかと言わんばかりの老け込み具合だ。

 そんな彼の姿を見て、私とダイヤさんは憤怒より先に心配の気持ちが勝ってしまった。

 

「ああ、大丈夫だ。この週末睡眠時間削って仕事してただけだから」

 

「それは大丈夫と言わないんじゃ……。本当に辛かったらいつでも私の胸に飛び込んできてくださいね?」

 

「ん、本当にやばくなったらそうする。ダイヤは優しいな」

 

「今結婚しようって言いました?」

 

「言ってないからね?」

 

 攻めた発言を秒速で切られたダイヤさんは頬を膨らませ、何やらブツブツとトレーナーさんへの文句を垂らす。

 

 と、そんなことはどうでもよくて。

 

「トレーナーさん、貴方つい先日過労で倒れたばかりだというのにそんな生活をしていては今度こそ命がなくなりますわよ?」

 

「怖いこと言うなよ……。てかあれは過労じゃなくて……あー、まあ色々あったんだよ」

 

「そういうのいいですから。今日は話したいこととやらを伝え終わったら早く休むこと。いいですわね?」

 

「なんかおふくろみたいだな……」

 

「もう、お嫁さんみたいだなんて気が早すぎますわよ」

 

「だから言ってないからね?」

 

 あら、たしかに私の耳にはそう聞こえたはずなのですが。どうやら思い違いだったらしい。

 

「ふふっ、主様とマックイーン様方は本当に仲がよろしいのですね。わたくし少々妬いてしまいます」

 

 ふと、グランさんのその一言で我に帰る。通常運転で頭の悪い会話をしていたが、今は私達に憧れているという幼いウマ娘の前だということをすっかり失念していた。

 同時に、先程まで騒いでいた原因も思い出す。それはダイヤさんも同じなようだ。

 

「ああ、グラン、それにガングも。二人ともいい子にしてたか──」

 

「トレーナーさん! あのお二人は貴方にとって一体全体何者なんですの!?」

 

「ガングちゃんはトレーナーさんのことを、パ……パパって言ってましたし……! ま、まさかトレーナーさん、既にご結婚なさっていてお子さんを……!」

 

 正直な話、これを聞くのはとても怖い。自分とダイヤさんの声が震えているのが分かる。

 

 彼女達が隠し子としか思えない状況、ダイヤさんの言うように知らぬ間に彼が結婚していたと考えられるのも頷ける。

 もしトレーナーさんが肯定してしまったら私の恋路はここで終了だ。

 初恋をこんな形で終わらせたくない。でも、トレーナーさんももう結婚していてもおかしくない年齢なのは否定できない。ウマ娘とトレーナーの関係とはいえ、いや、関係だからこそプライベートに首を突っ込むのは野暮というものだ。

 

 もう大人しく身を引くべきか。そんなことが頭をよぎった途端、

 

「は? 結婚? ないない、んなわけないじゃん。僕が結婚だなんてアルマゲドンが起こる確率より低いよ。痛いっ!? な、なんで!? なんで殴るの!?」

 

 事態を深刻に、そして半ば諦めの雰囲気だったにも関わらず、トレーナーさんはそんな空気をぶち壊すかのようにヘラヘラ笑って否定した。

 それによる安堵と同時に、トレーナーさんへの苛立ちから私とダイヤさんは彼に総攻撃を仕掛ける。

 

「ま、待て、落ち着けって! ははーん、さては二人とも嫉妬したな? グランとガングが僕の子供だと勘違いして、いもしない嫁的存在に嫉妬したな? ほーん、可愛いところあるじゃん! 今日のことは忘れないようにメモして卒業式の日にまた思い出すぜ!」

 

「マックイーンさん、出口を塞いでください! トレーナーさんが体調不良だろうと関係ありません!」

 

「ええ、どちらが"上"かどうかを理解らせる必要がありますわね」

 

「いいのか? そこのグランとガングは君達に憧れてるんだぜ? そんなちびっ子二人の前で醜態晒すような真似していいんですかねグハァッ!?」

 

 トレーナーさんの煽りも虚しく、ダイヤさんは目にも止まらぬスピードで彼の鳩尾に一撃を決める。

 普通の人間ならば骨どころ内臓にすらダメージが入っていてもおかしくないが、私達はトレーナーさんの耐久上限をよく理解している。

 それを踏まえてのこの一撃だ、流石はサトノ家のウマ娘と言ったところか。

 

 ずしゃりと倒れたトレーナーさんを尻目に、ふぅと息を漏らしてやってやった感を出すダイヤさん。

 

 そんな彼女に、グランさんから一言。

 

 

「結構なお手前で」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 この子も大概いい性格してますわね。

 

 

 

 ***

 

 

 

「わたくしグランと妹のガングは主様の親戚に当たる存在でございます」

 

 テーブルの向かい側のソファにグランさんとガングさん、もう片方のソファにトレーナーさんを膝枕するダイヤさん。

 そして私は座る場所が無いので適当にトレーナーさんのデスクから椅子を移動させてダイヤさんの側に座っている。ちなみに膝枕じゃんけんは負けた。

 

「親戚って……そんな話一度も聞いたことありませんわよ?」

 

「ええ、それもそのはず、わたくし達と主様が出会ったのはつい最近のことですので。尤も、わたくしは幼い頃から主様のことを認知していましたが」

 

「今でも充分幼い部類に入ると思うけど……」

 

「むっ、子供扱いはやめてくださいまし、サトノ様。これでもわたくしは主様に認められた立派なウマ娘なのです」

 

 えっへんと胸を張るガングさんだが、言葉遣いとは裏腹に子供っぽいところも見受けられ、なんだか微笑ましく感じる。

 

 だが、それだけなら良かったものの、これまでの会話でどうしても気になるところが少々。

 

「グランさん、貴方のその"主様"というのはトレーナーさんで間違いないんですの? だとしたら呼称に物凄く違和感を感じるのですが……」

 

「たしかに出会って間もない殿方にこのような馴れ馴れしい態度は失礼だと承知しています。ですが、わたくしと主様は契りを結んだ仲なのです」

 

「な、何の契りを……?」

 

「もちろん将来についてでございます」

 

 ……はぁ、もう早とちりはしない。大人びた性格をしているグランさんに、絶対に一線は超えないトレーナーさん。

 この二人のことを考えると、グランさんの言う将来の契りというのはトレーナー契約のことだろう。

 きっとこの子はトレセン学園に入学してくる。その頃には私とダイヤさんもいないので、トレーナーさんの担当に空きができているのだ。なんというか、ちょっともやもやする。

 

「ん……」

 

「主様!」

「ぱぱ……!」

 

 そんなことを考えていると、ようやくと言ったところか、ダイヤさんに膝枕されているトレーナーさんが目を覚ました。

 私達がやったこととはいえ、少しやりすぎてしまった感があるのは否めない。無事な様子の彼を見てほっと胸を下ろす。

 

「……双丘……?」

 

 前言撤回、やはり彼には制裁が足りないらしい。

 

「トレーナーさん、一体何を見てそう仰ったんですの?」

 

「あ、いや、なんでもないっす、はい」

 

 トレーナーさんのセクハラ染みた発言を即座に切り捨てる。決してダイヤさんに嫉妬しているわけではない。そう、決して。

 ちなみに当の本人であるダイヤさんはキョトンとしていた。

 

「トレーナーさん、お目覚めの方はどうですか? 痛いところとかありますか?」

 

「君に殴られた鳩尾がまだ痛い」

 

「まあ大変、今すぐ優しく手当てしてあげますからね?」

 

「ダイヤ、マッチポンプって知ってるか?」

 

「今すぐ優しく手当てしてあげますからね?」

 

「あれっ、NPC……?」

 

 この人達はコントでもしているのだろうか。打ち合わせもしてないはずなのに随分と息が合っている。

 

「ああもう! 貴方達を好きにさせてたら話が進みませんわよ! トレーナーさんはいい加減事の経緯を話してくださいまし!」

 

「へーい。と言っても何から話せばいいのか……。君達はどこまで知ってる?」

 

「私達はグランさんとガングさんがトレーナーさんの親戚だということと、貴方達がつい最近知り合ったことだけですわ」

 

「ああ、そうか。なら最初から話したほうが早いな。あれは二週間くらい前のこと──」

 

 

 トレーナーさんは体を起こして話始める。彼の話はこうだ。

 

 先日過労で倒れたという事件もあり、大事を取って数日休みになったトレーナーさんは久しぶりに家族に連絡を取り帰省したとのこと。

 なんでも、ウマ娘のトレーナーになってから一度も連絡を取っていなかったし親に顔すら見せてなかったという。なんと親不孝な。

 

 実家に帰省している間、親戚の集まりで二人のウマ娘、グランさんとガングさんに出会い懐かれてしまった、と。

 

 なるほど、なにかと面倒見のいいトレーナーさんのことだ。二人に懐かれる姿を想像するのは難しくない。

 それに加え、彼は中央のトレーナーだ。それは非常に狭き門であり、この資格を持っているだけである程度の能力の高さは担保される。きっとグランさん達のお母様も彼の優秀さを知ってこうして預けているのだろう。

 

 だが、ここまでの話を聞いてもまだ分からないことが一つある。グランさんの主様呼びとは別に、分からないことのもう一つ。

 

「トレーナーさん、どうしてガングさんは貴方のことを父親呼びしていますの?」

 

「……この子達の父親はガングがまだお腹の中にいる頃にはもういなかったんだ」

 

「ッ……! すみません、先の発言は忘れてください」

 

「いや、気にするな、こんなの言わなきゃ分からない。多分、僕がそれっぽい存在だったからじゃないかな」

 

 配慮が足りなかった、その一言に尽きる。

 グランさんとガングさんの父親、そして血縁的にトレーナーさんの親戚が何かしらの不幸に見舞われたという事実を無造作に聞き出してしまったことに罪悪感を覚えてしまう。

 

「それに、僕にとって叔父にあたる存在だったけど関わりは無かったしな。グランとガングに寂しい思いをさせていないとは言い切れないけど」

 

「主様、マックイーン様、お気になさらず。わたくしはお父様のことは覚えていませんが、きっと天から見守って下さっていると信じていますので」

 

「ぼ、ぼくも……ぱぱやみんながいてくれるだけでたのしいから……」

 

 グランさんやガングさんにそうは言ってもらえたものの、私の心中は穏やかではなかった。

 

 まだまだ幼いガングさんがトレーナーさんを父親のようだと感じるのも無理はない。

 同様に、グランさんの以前からトレーナーさんを知っているという言葉からしても彼を心の拠り所にしている節がある。

 

「どうやら僕の先祖にウマ娘がいたらしくてさ。そんなこともあってか、うちの祖父母はこの子達をほっとけない性分みたいなんだ」

 

「トレーナーさんもグランちゃん達を放っておけないんですね。先祖譲りってことですか」

 

「うるせえ」

 

 軽口を叩くダイヤさんをトレーナーさんはコツンと小突いた。

 

「そうそう、この子達の父親もここでトレーナーをやってたみたいだ。かなり優秀なウマ娘の担当だったらしいぜ?」

 

「へぇ、どんなウマ娘だったんですか?」

 

 落ち込む私とは反対にダイヤさんは興味津々だ。グランさんとガングさんも自分達の父親の話なだけに耳がピクピクと動いている。

 

「主な戦績は菊花賞だったり安田記念、それも安田記念に関しては初代チャンピオンって聞いたな。後は……ええっと……」

 

「ほ、他には! 主様、わたくしのお父上と教え子様は他にどのような偉業を成し遂げたのですか?」

 

「いや、悪い。僕もあんまりよく知らないんだ。なんせその子が走ってた時期はウマ娘に全く興味が無かった時だし。そもそも僕がトレーナーを志したのも適当に決めたインターンが原因だからさ……」

 

「そうですか……残念です……」

 

 結局この話は不完全燃焼のまま終わってしまった。トレーナーさんの過去については興味があるが、今はその時では無いだろう。

 

 

「そうだ、トレーナーさん。先程連絡して頂いた『今後のことについて』とは何のことですか?」

 

 ここにきてダイヤさんは当初の目的へと話題を変える。今日はそれを聞きにこの場へとやってきたのだ。

 

「そうそう、マックイーンにダイヤ。君達はこの一年忙しくなるってことをね。なるべく直接言っておいた方がいいと思って」

 

「この一年?」

「忙しく?」

 

「ああ。まずは来たる一年後に誰でも参加の大型レースがあるんだ。部門別に分かれて予選、本戦を勝ち上がり、選ばれたウマ娘が決勝で最強の座を争う史上最大規模のレース、その名も──!」

 

「あっ、URAファイナルズのことですね! ゴルシさんが仰ってました!」

 

「えっ……あ、うん、そうね……知ってたの……」

 

 惨い……ちょっとカッコつけて言おうとしていたトレーナーさんの少年心をダイヤさんは無慈悲且つ無自覚に打ち砕く。同情はしませんけど。

 

「と、とにかく、全てのウマ娘が参加可能ってことで、君達にもその参加資格があるんだ。出るか出ないかは自由なんだが……その顔つきからして、出ないって選択肢は無さそうだな」

 

 当然私もダイヤさんもやる気満々だ。最強の座を賭けて争うとなれば見逃せるはずもない。

 

「後はちょくちょくメディア関係で二人に取材諸々が入っていて……ん、それとこれは直近のことになるんだが、君達には二人でレースをしてもらいたくてね」

 

「……? URAファイナルズとは別でですの?」

 

「そだね」

 

 何の意味もなく、それも私とダイヤさんの二人でレースというのは違和感がある。

 トレーナーさんは直近と言っていたし、ここから一番近い大型イベントはファン感謝祭……あ。

 

「……トレーナーさん。ハズレくじ、引きましたわね?」

 

「な、何のことか分かりま……あ、はい、そうです。ファン感謝祭の目玉イベントでお二人にはレースして頂こうかなーなんて……ダメっすか?」

 

 何度も言うが、この人は少々働き過ぎではないだろうか。私達のために身を粉にしてくれているのは感謝してもしきれないが、このように運悪く仕事が増えるというのはなんとも度し難い。

 

「私は全然大丈夫ですよ。こんなにも早くマックイーンさんと決着をつけられるなんて願ったり叶ったりです!」

 

「ええ、そうですわね。私達の本分は走ること。どのみち断ることなんてできませんもの」

 

「二人とも……。ありがとう、君達のおかげでメインイベントはなんとかなりそうだよ。グランとガングも良かったな、感謝祭でマックイーンとダイヤのレースが見れるぞ」

 

「わたくし、今からもうわくわくでございます」

 

「めじょまっきーんさんもさとのだいやもんどさんも頑張ってください……!」

 

「惜しいですわね。メジロマックイーン、ですわ」

 

 この子が間違え続ける限り私は何度でも訂正する。それはそれとして、後ろで笑ってるトレーナーさんとダイヤさんをどうしてくれようかしら。

 

「それはさておき、トレーナーさん。くじ引きで決まったこととは言え、無償で走ることになるのだから何か報酬があってもいいのではないかな、とダイヤは思います」

 

「え、さっき願ったり叶ったりって……」

 

「報酬があってもいいのではないかな、とダイヤは思います」

 

「今日めちゃくちゃごり押しするじゃん……。分かった分かった、無理ない範囲な」

 

「じゃあ勝った方の婚姻届にサインするということで」

 

「無理ない範囲っつっただろうが!」

 

 結局今日も今日とてギャースカとうるさいトレーナーさんとダイヤさん。全く、まともなのは私だけか。

 

「……ふふっ」

 

「どうかされましたか、グランさん?」

 

「いえ、大変微笑ましい光景だなと思いまして」

 

「これを微笑ましいと捉えるとはかなり感受性が豊かですわね……」

 

「で、でもめじょまっきーんさん、ぱぱ達凄く楽しそう、だよ?」

 

「メジロマックイーンですわ。もう、ガングさんまでそんなことを……」

 

 きっと本人達はそんなこと考えてないのだろう。でも自然とこうなってしまう。

 長い付き合いと深い信頼が無ければあんなやり取りはできない。それを目の前で行なっているダイヤさんに少々嫉妬してしまう。

 

「わたくしも早くあんな風になりたい……」

「ぼ、ぼくも……」

 

 

 でも、今は嫉妬なんてしている場合では無さそうだ。

 

 

「ああいう風になるのはあまりおすすめしませんが、まずはトレセン学園に入学することですわね。トレーナーさんと既に約束しているとはいえ、この関門を突破しないことにはその約束も果たせませんわよ」

 

「ええ、任せてくださいまし」

「う……が、頑張ります」

 

 誰かの憧れである以上、カッコ悪い姿は見せられない。それがメジロの誇りであり、私自身の意地と信念……

 

「じゃあ私が勝ったらサトノ家のお婿に、マックイーンさんが勝ったらメジロ家のお婿ということで……」

 

「だからなんでレクリエーションで僕の運命が決められてるんだよ! マックイーンもなんとか言ってくれ! この子聞く耳持たない!」

 

「ダイヤさん、素晴らしい提案ですわね。私も賛成ですわ」

 

「マックイーン!?」

 

 

 あまりにも魅力的なダイヤさんの提案に即座に乗っかってしまった。が、その提案がトレーナーさんに承諾されることはなく、結局ご褒美の内容はレースの勝者が改めて決めることになってしまった。

 

 

 





グランとガングはアニメ二期のキタサト的な立場です。


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URAファイナルズ議事録 その1

 

 

 

 これは、マックイーンとダイヤにURAファイナルズの件を伝える少し前のこと。

 

 

 本格的に始まったこのプロジェクトを必ず成功させなければならないということで、本日からURAの本部で会議が行われることになった。

 

 聞く話によると、このプロジェクトの参加者はそう多くないらしい。つまり人手不足になる可能性が十分にあり得る。

 こうして僕達トレーナーにまで声がかかっているのだ、おそらく集まったのは本気でこのURAファイナルズを成功させたいと考えている人間か、僕や一色のように報酬にほいほいとついていった間抜けな人間だけだろう。

 

 やはり一時の感情で今後の予定を決めるのは良くないと実感させられる。日頃休みが多くない癖に、さらに休みを削るような行為をするなんて大バカにも程があるのではないか。

 

 そんな思いもあり、今回の会議に参加させられる僕と一色の心境は恐らく同じだ。今の我々は一心同体と言っても過言ではない。

 

 URA本部のビルの前で立ちすくむ間抜けが二人。

 

 

「「……帰りたい」」

 

 

 満場一致、来て早々既に僕らのやる気は下落に下落、陰々滅々だ。

 そもそも、URAファイナルズとかいう大層な名前をしているとはいえ、レースの日程調整や参加者等といった内容の仕事をたかだか一般のトレーナーがやるほうがおかしいってもんだ。誰だよこんなのに応募したバカは。…………僕だわ。

 

「せんぱい、わたし帰ってもいいですか? 会議の日程を一日遅く勘違いしてたって理由で。今ならせんぱいもこの案に乗れますよ」

 

「実にいい手段だとは思うけど、ここでバックれたら理事長とシンボリルドルフからなんて言われるか分からん」

 

「ぶぅ……。というか、よりにもよってなんで金曜日の夕方なんかにやっちゃうんですかねぇ。月曜日と金曜日にこういうことやるのはご法度でしょう?」

 

「おい、そんな社会人みたいなこと言うなよ。僕達は学校を卒業しても学校にいる謂わば社会不適合者みたいな存在なんだぞ」

 

「教師やトレーナー業のことをそんな風に言ってるのは多分せんぱいだけですよ」

 

 一色の言うように、この時間帯は明日明後日を週末に控え、その上ゴールデンタイムという学生及び社会人にとって神のような時間だ。今頃多くの家庭では一家団欒と言った平和なひと時が流れているのだろう。

 

「ま、このご時世土曜日も休みって人の方が珍しいけどな。僕ですら中学生の頃から土曜日は学校だったし」

 

「サラッといい子ちゃん学校に通ってたこと自慢しますね、腹が立ちます。でもでも、不幸中の幸いなことに、わたし達は明日明後日と休みを貰ってます! つまりこれさえ終われば自由の身です! ちゃちゃっと終わらせて飲みに行きましょう!」

 

「僕が酒あんまり飲めないの知ってるだろうが……。そんなんじゃモチベーション上がんねぇよ……」

 

「ええい、こんな清楚系美少女と一緒に飲みに行けるんですよ! 少しはシャキッとしてください!」

 

「それ自分で言うの? そもそもお前は清楚でもないんでもない──」

 

「さあいざ行かん! URAの本部へ突撃だー!」

 

 どうやら一色は僕の指摘を聞かなかったことにしたようだ。

 

 本部の前で何をしているんだと思われても仕方がないが、これが僕と一色にとっては通常運行なのには違いない。僕らが揃えば必ずと言っていいほど茶番劇が始まる。

 

 

 自分でもおかしいと思うよ、うん。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぅ……」

 

 初回ということもあり、会議は一時間足らずで終了した。身構えていた割には特にこれといって問題もなく、極々普通の会議だったと言えるだろう。

 今は僕と一色以外誰もいないベンチに腰をかけて、今後はこき使われるんだろうなぁとか思いながら鬱になっているところだ。

 

「あ゛あ゛……づがれだ……」

 

「そんなおじさんみたいな声出すんじゃありません。お前腐ってもギリギリ若いだろ」

 

「ギリギリってなんですか!? まだ全然若い部類ですけど!? というか、わたしがギリギリだったらせんぱいはおじさんですよ!」

 

「ばっかお前、女性と男性とじゃあ賞味期限が違うだろうが。よって俺はまだ若い、QED証明終了」

 

「はい、男女差別ぅ! ポリコレ違反ー! そういった発言は今時粛清対象ですよ!」

 

 はいはいと雑に一色の言うことを流す。

 ギリギリ若いだのなんだの言ったが、彼女は外見が良いためまだまだ若く見える。絶対に本人には言わないけど。

 

「……ん?」

 

 改めて一色の容姿に目をつけると、少し引っかかる点を覚えた。なぜ今まであまり気にしてこなかったのかという今更感はあるが、気になってしまったものは仕方ない。

 

「な、なんですかジロジロと。わたしの顔に何かついてますか?」

 

「……そういえば会議中もずっとその帽子被ってたけど、なんで外さないんだ?」

 

「ふぇっ!? ええっと……こ、これはわたしのトレードマークみたいなもんですし? ほら、トキ……たづなちゃんや理事長だっていつも帽子被ってるじゃないですか」

 

「それはそうなんだけど、お前は僕の家に泊まりに来た時も何かしら被ってた……あっ」

 

 なぜ今まで気が付かなかったのだろうか。こうして一色がいつも帽子を被っているのは何かしらの秘密を抱えているからだろう。

 

 

「あっ、あ〜……せんぱい気づいちゃいました? 隠すつもり……ではありましたね、ええ。でもこのこと知ってるのは極々限られた人だけなんですよ! ……だ、だからせんぱいには責任取ってもらわないとな〜、なんて……」

 

 

 そして、人間帽子で頭部を隠す理由はというと……

 

 

「一色、お前もしかしてハゲ──」

 

「死ねッ! このボケナスッ!」

 

「んんっ!?」

 

 気合いの入った暴言と共に、一色は僕の体へボディブローをぶち込む。

 とても痛いの一言では済まされないような衝撃に目の前が黒と白で点滅している。やばい、これ過去一でやばい。

 

「信じらんない! デリカシーの欠片もないんだからこの人ッ……! コーヒー買ってくるんでそこでのたうち回っててください!」

 

「ま、待って、悪かったから……。禿げ……薄毛なの誰にも言わないから……」

 

「言い直しても無駄ですからね!? 禿げでも薄毛でもないです! このアホボケナスビはほんっと……」

 

 ブツブツと呪詛を溢しながら一色は離れていく。

 お偉いさんも多数いるこの場で、痛みに耐え切れずのたうち回るトレーナーの端くれが取り残されてしまった。醜い以外の言葉が見当たらない。

 

 しかし、自分で言うのもなんだが僕の身体は他の人に比べて頑丈だ。その回復力は凄まじく、しばらくの間蹲っていたもののなんとかまともに喋れる程度には痛みが引いた。

 いや、そもそも一般女性と比較にならないほどの力の強さを持っている一色がおかしいのだけれども。

 

「くっそ、あいつ後で覚えてろよ……! 僕が悪かった……僕が悪かったんだけど……! あそこまでやる必要ないだろ、このまま一人で帰ってやろううか……! いや、頑なに外そうとしない帽子を後ろから取ったり──」

 

「騒々しい、その一言に尽きます」

 

 一色へどんな報復をしてやろうか考えていると、後ろからピシャリと言葉をかけられ自然と背筋が伸びる。

 その凛とした声には聞き覚えがあり、恐る恐るその方向を向くと、案の定想定する人物が厳しい目付きで僕を睨んでいる。

 

 その人物とは……

 

「か、樫本理子、さん……」

 

「おや、きちんと覚えていただいていましたか。尤も、相手の名前を正確に記憶するというのは社会人として当然のマナーですが」

 

 樫本理子。先の会議において、議長のような立場にいた人物だ。

 背が高く、長い黒髪と整ったスーツ。第一印象はできるキャリアウーマンの鑑といったところか。

 

 そんな彼女は、邂逅一番に騒々しいと言い放った。それはつまり、一色が僕に対して行った制裁の一部始終を見た、或いは僕の悲鳴にならない声を聞きつけたということ。

 

 URAの本部にまで来てトレセン学園のトレーナーが何をしているのだと思われても仕方のない。……ふむ。

 

「……あの、一体何をしているのですか」

 

「正座ですけど。いや、ほんと、うるさくして申し訳ございませんでした」

 

「……はぁ、貴方は社会人としてのマナー以前に様々なところが欠けているようですね、メジロマックイーン、及びサトノダイヤモンドのトレーナー」

 

「っ! どうしてそれを……」

 

「どうしてもこうしても、同じプロジェクトに参加する以上、その参加者のことはある程度調べます」

 

 え、なに、怖い。知らないところで知らない人に調べられ上げられるのって言葉にできない恐怖があるな。

 

「先程の女性はセイウンスカイの担当トレーナーであるイツ……一色トレーナーでしたね。よくまあ彼女の攻撃に耐えられるというか……。一つお聞きしたいのですが、貴方は妖怪か何かの類いですか?」

 

「この人も大概失礼だな……。ていうか、バカにしてます? ウマ娘ならともかく一般女性、それも歳下で後輩の暴力くらい軽くいなせますって。身体が頑丈なのは先祖にウマ娘がいたかららしいです」

 

「な、なるほど……。身体が頑丈なのを自覚しているのなら、そんな貴方にダメージを与える彼女が何者なのか気付いても良いと思うのですが……いえ、この話はやめておきましょう」

 

 なんかよくわからないことを言っている樫本さん。

 舐めるなよ、僕はかつてゴールドシップの奇襲にも無傷で生還した男だ、面構えが違う。なぜか呆れ顔の樫本さんは頭を抱えているけど。

 

 そんな樫本さんは態度を一変、当初の毅然とした雰囲気を取り戻す。

 

「さて、今回お近づきした理由は、学園内でも優秀な成績を残している二名のウマ娘、そのトレーナーである貴方に聞きたいことがあったからです」

 

「は、はい……なんでしょう?」

 

 なんだろう、トレーナーとしての心構えだのなんだの聞かれるのだろうか。

 お生憎様、僕はそういった高尚な志を持ち合わせていない。目の前にいるウマ娘の夢を一緒に叶える、それ以上でもそれ以下でもないのだから。

 

「貴方は、トレーナー……いいえ、トレセン学園そのものが、生徒のトレーニング、睡眠時間、食事内容を逐一細かに把握し記録する。いわゆる徹底的な管理体制を敷くとしたらどのように思いますか?」

 

「……はい?」

 

 考えていたこととは全く違う樫本さんの質問に、つい間抜けな声が出てしまう。

 

 トレーナーとして、メインの仕事であるトレーニングのことはもちろん、それに伴い担当ウマ娘の私生活もある程度知っておく必要がある。とは言っても、せいぜい寝不足でないか、太り気味でないかを判断する程度のものだ。

 

 睡眠不足や食べ過ぎ痩せ過ぎというのは、本来のパフォーマンスを大幅に低下させて悪循環だ。そんな状態ではレースはおろかトレーニングすらもさせたくない。

 彼女達も一人のウマ娘であるため、悪いコンディションにならないわけではないのだ。でも、もう少し自重してくれたら……。特にマックイーンの体重については細心の注意を払わなければならない。

 

 一部共感できるとはいえ、樫本さんの言ってることは流石にやり過ぎだと感じてしまう。

 これでは睡眠時間や食事内容、通常のトレーニングだけでなく自主トレーニングをも徹底的に管理しろうな体制が為されてしまいかねない。

 

「……僕はそこまでやる必要ないんじゃないかなって思いますね」

 

「それはなぜか、教えて頂けますか?」

 

「そりゃあ行き過ぎた行動には大人である僕らが注意しなきゃいけませんけど、元々ウマ娘ってのは楽しく走ってなんぼの存在です。それなのに、あれはダメこれもダメ、ああしなさいこうしなさいじゃあストレスしか溜まらない、それじゃあ楽しい以前の問題だ。ミスターシービーじゃないですけど、ウマ娘はもっと"自由"に走るべきですよ」

 

 自分にとって古い付き合いであるミスターシービー。シンボリルドルフやマルゼンスキーと違い彼女はチーム〈リギル〉では無かったが、それなりの関わりはあった。いや、振り回されていたという方が正しいな……。

 門限破って外出していたミスターシービーに「君も共犯だよ」とか言われて一晩中街を走り回ったりしたのはいい(?)思い出だ。

 ちなみに、最終的に「怒られるのは退屈」とか抜かした彼女はたづなさんの説教から逃げ、僕だけがバチボコに怒られたのは今でも許してない。

 

「……貴方の考えはよく分かりました。それを踏まえ、不躾なのを承知で言います」

 

 

 場違いにも思い出に耽っていると、樫本さんは一つ息を吐き、改めて僕に対面する。

 

 

「────ぬるい」

 

 

「えっ」

 

 ぬるい? 何が? お湯が? 

 

「ぬ、ぬるいとは……?」

 

「言葉の通りです。貴方の考えはぬるすぎる」

 

 かっちーん。

 

 言葉で表現するならそんな擬音が最も適切だろう。この世界が漫画なら僕の頭に怒りマークが描かれていてもおかしくない。

 

「あら、納得のいっていない顔ですね」

 

「そ、それはそっすね。自分はまだまだトレーナーとしては未熟ですが、あの子達と通して得た経験が否定されたもんですから」

 

 いくら美人だからって言っていいことと悪いことがあるだろうと今すぐにでも言ってやりたいが、一旦怒りを抑えて冷静に対話を進める。

 

「ふむ、経験……それではもう少しお聞きしましょう。あるトレーナーは、自分の担当ウマ娘に無理のない、且つ本番のレースにベストコンディションで望めるトレーニングメニューを考案した。しかし、チームの熱気や目標レースへの執着などにより気持ちの昂ったウマ娘は、誰から見ても過剰だと思えるほど、そのトレーニングメニュー以上のトレーニングを行った。さて、これについて貴方はどう思いますか?」

 

「……オーバーワークは却って身体に毒です。次の日の体調にも関わるし、最悪の場合怪我に繋がる」

 

「その通り、ウマ娘の怪我、それはトレーナーにとっては最も恐ろしい存在です。そして、何がそのトリガーになるか分からないのもまた恐怖の対象。その最たる例である身体への極度の負担というのは、我々トレーナーがしっかりと"管理"できていれば免れることができる」

 

「……っ」

 

 そうだ、怪我を回避するためにはその手法が最も手っ取り早い。それを理性で理解しているからこそ、自分はこれ以上樫本さんの主張に反論することができなかった。

 

 

 でも、理性では納得していても本能はそうじゃないと訴えかけている。

 

 

「そう、ですね。あなたの主張は正しいと思いますよ、樫本さん」

 

「理解頂けたようで何よりです。今後、私はトレセン学園に、徹底管理主義をベースとした育成方針『管理教育プログラム』を掲げようと考えています。つきましては、貴方にもその協力を仰ぎたいと──」

 

 

「でも、それってウマ娘一人一人のことを考えています?」

 

 

 その一言に、樫本さんは僕に厳しい目つきを送った。

 この一瞬のやりとりで、彼女がウマ娘のことをとても大切に思っていることが分かる。それ故の管理教育ということか。

 

「……どういうことでしょうか」

 

「簡単な話ですよ、人にはそれぞれ得手不得手があるって話です。管理されて能力が向上する子もいるでしょうけど、管理された結果能力が大幅に下がる子もいるかもしれない」

 

「論点のすり替えですね。私は今怪我のリスクの話をしています」

 

「でも、怪我と同じくらい今の僕の話は大事なことだと思いますよ。管理プログラムとやらが実行された暁には、そこはもう軍隊です。生徒の自主性どころか彼女達の青春すらも奪い去ってしまう。そうならないために僕らトレーナーがいるんでしょう? なにより──」

 

 トレセン学園に来る前ならいざ知らず、初めてあの場所に足を踏み入れてからというもの、数えきれないほど多くのことを学んだ。

 だからこそはっきりと言える。一番近くであの子達を見てきたのはこの僕だ。あの子達に不利になるようなことはさせたくない。

 

「樫本さんの考えは、マックイーンとダイヤには合わないと思うので」

 

「……これ以上は平行線ですね。いいでしょう、貴方のその堂々たる言いっぷり、私も少し興味が湧きました」

 

「は、はぁ……」

 

 ま、丸く収まった、のか? 自分で言うのもなんだが、最後のは完全に私念だったそ。でも、それがいい感じに働いたようだ。

 

「ですが、今日のことは頭の片隅にでも入れていただきたく思います。メジロマックイーンのトレーナーであるなら、私の言うことも多少理解はできると思うので」

 

「……そうですね、怪我は怖い。もう走れないと聞いた時のあの子達の顔なんて想像したくないです。それこそ、自分が死ぬのとあの子達が走れなくなるのを天秤に賭けるのなら余裕で前者を選びますよ」

 

「心意気は結構ですが、それが口だけで中身が伴っていなければ意味がありません。今後、トレセン学園のトレーナーとしてくれぐれも過ちを犯さないように。もしダメだと判断したら先の管理プログラムを実行します」

 

「ひぇっ……」

 

 どうやら生徒の自由は僕にかかっているらしい。

 樫本さんの方針を採用してしまったら生徒からの非難は轟々だろうし、何より僕らトレーナーの仕事が減って給料も減る。どうせ仕事を減らすなら書類雑務とかにしてくれよ。

 

 

「それでは失礼します。トゥインクル・シリーズでの貴方方の活躍、今後も見届けさせてもらいます」

 

「は、はい、精一杯頑張ります」

 

 樫本さんの威厳ある風格に気圧されてしまい、まるで小学生かのような返事を返してしまった。

 しかし、僕のセリフを笑うこともせずクールに立ち去った。そんな彼女の後ろ姿はとても格好良かった。

 

 東条トレーナーもそうだが、できる女性というのは憧れの的だ。まるでフィルターがかかったかと錯覚するかのように、一挙手一投足すらも見惚れさせられるような美しさがあ……今コケかけたのは見なかったことにしよう、うん。

 

 

「一色もちょっとくらい見習えばいいのになぁ……」

 

「……わたしがなんて?」

 

「っと、噂をすればか。コーヒー買いに行くって言ってた割には随分遅かったな。何かあったの……え、顔色悪いぞ? 本当に何かあったのか?」

 

 ちょうど樫本さんと入れ違いで飲み物を買いに行った一色が戻ってくる。

 ところがどうしたものか、別れ際はあんなに顔を真っ赤にしていたのに戻ってきた彼女の顔は真っ青だった。歩行者用信号機かな? 

 

「……さっきコーヒー買いに行こうとしたらですね、さっきの会議にいたURAのお偉いさんと会ったんです。そこで若者がどうたらこうたらつまんない説教されたんですよ」

 

「あー……あれか、価値観が一昔前古い人間か。分かる、ダルいよな、聞いてもない話ベラベラしだすし。それを長々と聞かされて気分が悪くなったと」

 

 ひとしきり彼女の身に降りかかった災難を想像して苦い顔をしてしまう。僕もああはなりたくないなと何度思ったことか。

 

 しかし、一色に同情していると彼女は首を横に振る。

 

「……それもあるんですけど、本題はそこじゃないんです。今のわたし達にとって最低で最悪、最も忌避すべきだったのにそうなってしまったのが現状です」

 

「お、おう……」

 

 ただでさえ一色の目は死んだ魚の目のようだったのに、話せば話すほど目の濁りが濃くなっていく気がする。

 勿体ぶる一色に一体何を聞かされるのだろうと思い身構えていると、彼女は声を震わせながらようやく口を開いた。

 

「……いいですか、せんぱい。落ち着いて聞いてくださいね。実は────」

 

 

 

 ***

 

 

 

 やあみんな、僕はトレセン学園でウマ娘のトレーナーをやっているんだ! この学園の設備の充実っぷりは凄まじく、中には思わず「これいる?」って思わせてくるような物もあるから、その一部を見てみよう! 

 

 今日紹介する『「これいる?」設備』はこれ! 嫌なことや悔しいことがあったらその中に大声で気持ちを露わにする切り株! 主にレースで負けたウマ娘が悔しさを吐き出すために使っているのをよく見るね! 

 

 あっ、ちょうど誰かがその切り株を使っているよ! 一体どんなことを叫んでいるのかな? 

 

 

 

「金曜日に月曜日〆の仕事回してくるのマジでやめろッ! お前がわたしにやらしい目ぇ向けてるの最初から分かってたんだよ! このクソキモデブ禿げ上司の〇〇××! 禿げろ! さらに禿げろ! 来世は人間に産まれてくるな! 地獄で閻魔大王様と(自主規制)してろッ! てかシンプルに口臭ぇ!」

 

 

 

 門限の時間を過ぎているため、周りにほとんど人やウマ娘がいないのをいいことに、一色は引くくらいの口の悪さと声の大きさで切り株の中に吠える。今の彼女は清楚系とは程遠い存在となってしまっていた。

 

 とはいえ、一色がここまで怒りを表に出す理由はよく分かる。

 僕達は会議初日にも関わらず仕事を押し付けられてしまったのだ。それも、彼女が一番最初に言ったように月曜日締め切りとかいう週末を休ませるつもりのないやり方で。

 

 そんなおかげでテンションだだ下がりの中、僕達はこうして学園に戻ってきたというわけだ。その結果フラストレーションが爆発したためこんなことになってしまったと。

 

「おう、ちっとはすっきりしたか?」

 

「全然ですよ! というか、URAはホワイトだーだなんて聞いてたのになんなんですかこれ! まだ学園の方が幾分マシじゃん!」

 

「一色、白って200色あんねん」

 

「……嗚呼、なんでわたしこんな職に就いちゃったんだろ……。スカイのトレーニングだけ見て生活してたいよ……」

 

 それはそう、僕だってマックイーンとダイヤのサポートだけして生活していきたい。むしろそれがしたいがために苦労してトレーナーになったまであるのだ。

 

 そこでふと、なぜ一色がトレーナーになったのかが気になった。僕に負けず劣らずの面倒くさがりの彼女がどうしてトレーナーを志すようになったのかを。

 

「……? またまたなんですか、そんなジロジロと。せんぱい今日はわたしにメロメロですね」

 

「ジロジロもメロメロもしてないけど。いや、なんでお前がトレーナーになったのかなって」

 

「……え? わたし今遠回しに転職勧められてます?」

 

「単純な興味だよ。他意はない」

 

 僕が言えた話ではないけど卑屈すぎだろ。仕事を押し付けられたせいで精神が不安定になってるなこれ。

 

「うーん、トレーナーになった理由ですか……。昔ですね、とある人にトレーナー向いてそうって言われたんですよね。わたしのトレ……尊敬する人もトレーナーやってましたし、教える側になるのも悪くないかなって」

 

「へぇ、お前らしいな」

 

「そうですかね。あ、先に言っときますけど、尊敬する人の方はせんぱいのことじゃないですよ?」

 

「なに? なんでその流れで僕が出てくるの?」

 

 失礼すぎやしないだろうかこいつ。ジト目で抗議の視線を送るも、一色はそれをガン無視する。

 

「そう言うせんぱいこそどうなんですか? トレーナーを目指すきっかけとなった感動ストーリー教えてくださいよ」

 

「そんな大層なもんじゃねぇよ。あー……なんていうか……実はさ、最初はトレーナーなんて全く興味無かったんだ。夢も無かったし、就きたい職業も無かった。そんな時、サイコロ……なんとなくで決めたインターンでトレセンに来たんだよ。そこで出会ったウマ娘がきっかけっていうか」

 

 あの時のことははっきりと覚えている。僕が出会ったそのウマ娘は、何かしらの理由でトレーナーを失ったとのこと。

 そこでウマ娘にとってトレーナーがいかにかけがえのない存在かを学んだ。あれが僕にとっての初めの一歩と言っても過言ではない。

 

「色々あったけど、あの子元気にしてるかなぁ……」

 

「…………覚えててくれたんだ」

 

「……? なんか言った?」

 

「あっ、いえ、なんでもないです。せんぱいにしてはまともな動機だなって思って」

 

「お前に話した僕がバカだった」

 

 こいつはいちいち言葉に毒を挟まないと喋れんのか。

 

「もう、すぐに拗ねないでくださいよ〜。ほらほら、今日はわたしが奢ってあげるので〜」

 

「急に上機嫌になってるのこわ……。奢りっつっても僕はもう疲れたし帰って寝るよ」

 

「えー、つまなんないー! お酒の席の付き合いができないのは社会人としてディスアドバンテージですよ!」

 

 社会人として、か。そういえばさっきも同じようなことを言われた気がする。

 そうだ、樫本さんに『相手の名前を正確に記憶するのは社会人として当然のマナー』って……あれっ? ちょっと待て。

 

「……僕一度も名前で呼ばれてなくね?」

 

「は? なんの話ですか?」

 

「い、いや、こっちの話。……なあ一色、話は変わるんだが僕の名前って覚えてるか?」

 

「何をいきなり……せんぱいの名前は──」

 

 一色はさも当然のように僕のフルネームを口にする。もしかして自分の名前は他の人に覚えられていないのではと不安になったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 

 それはそれとして、樫本さんは一度も僕の名前を呼んでいない。それだけで名前を知らないと断定できないが、その可能性は大いにある。

 あのこけかけたところを見るにおそらくあの人はポンコツだ。今度会ったら涙目になるまで問い詰めてやろう。へっへっへ、あのクール美人な樫本さんの化けの皮剥がしてやるぜ。

 

「ねえせんぱい、名前の話で思い出したんですけど苗字貸してくれません? 最近親が結婚しろ結婚しろってうるさいんですよね」

 

「へー、お前なら選びたい放題だろうになー」

 

「……えっ?」

 

「は? なんか変なこと言っ……た……」

 

 まずい、樫本さんへの仕返しのことばかり考えてて適当に返事をしていたためとんでもないことを口走ってしまった。これでは遠回しに口説いているようなものではないか。

 

 一色は一瞬困惑の表情をしていたが、すぐにニマニマと腹の立つにやけ顔を見せる。

 

「もうせんぱいったら〜。最初から素直になってればよかったのに〜」

 

「うるさい」

 

「ふふ〜ん、そうやって照れちゃうってことはわたしもまだまだ脈有りってことですかね〜?」

 

「うるさい黙れ」

 

「あ〜ん、だから拗ねないでってば〜! よし、こうなったらせんぱい酔わせていっぱい恥ずかしいセリフ吐かせちゃいますよっと!」

 

「だーかーらー! なんでもかんでも力でゴリ押しするのやめろって! お前無駄に力強いから引っ張られると相当痛いんだよ!」

 

「パワー!」

 

 キリキリと人間から鳴ってはいけないような音がしている気がする。抵抗しようにもその瞬間腕がすっぽ抜けて脱臼する予感しかない。

 

 というか酒飲ませまくったら恥ずかしいセリフの前に違う物を吐いてしまう。一色とはいえ後輩の前でそんな姿は晒すのはごめんだ。

 

「せんぱい、押し付けられた仕事や恥ずかしい失言なんかは一旦忘れて、今日はパーッと飲んじゃいましょう! "明日は明日の風が吹く"ってやつです!」

 

 だが、無邪気に笑う一色を見ていると、彼女の言う仕事や失言もどうでもよくなってくる。

 

「……分かったよ。明日も仕事するんだしちょっとだけだぞ」

 

「ふふっ、やっぱり押しに弱いですね。どうですせんぱい、ここに美人で収入もそこそこある超優良物件な女がいますけど、貰ってみる気はありません?」

 

「はいはい、お互い十年経っても独身だったらなー」

 

「ッ!! もう一回! もう一回行ってください! 録音して完全に言質取るので!」

 

「いや必死すぎだろ」

 

「だってだって! せんぱいこういうのすぐ忘れちゃうじゃないですか! わたし結婚しませんからね!? 親の圧にも絶対屈しませんからね!? 責任取って貰いますからね!?」

 

「重ッ!? 稍重超えて不良バ場じゃん!?」

 

 軽率な発言をしてしまったせいで今後十年一色が結婚しないことが決定してしまった。こういう時の彼女は本気なのでバカにできない。一色の親御さん、本当に申し訳ございませんでした。

 

「さあせんぱい、共に夜の街へ繰り出そうじゃあないですか!」

 

「言い方よ……。はぁ、ったく、しょうがねぇなぁ」

 

 切り株での問題発言もそうだったが、仕事終わりだというのに元気が有り余っている一色。

 なんだかんだ彼女といる時間は嫌いじゃない。きっとこいつのパートナーとなる人は相当な幸せ者なのだろう。

 

 あの店に行こう、この店に行こうと興奮気味に話す一色を隣にしていると、何故かインターンで出会った子のことを思い出してしまう。

 

 

 

『ねえアンタ、アタシのトレーナー代わりになってよ!』

 

 

 

 あの子と一色の性格は真反対だったはずなのに。

 

 

「だるい仕事なんてクソ喰らえ! 明日は明日の風が吹く! 今日はじゃんじゃん飲みますよ! ギャハハハハ!」

 

「飲みすぎて一人で帰れなくなっても知らないからな? 絶対送らないからな? いいか、僕言ったぞ今。聞いてる? ねえほんとに聞いてる?」

 

 うん、やっぱり真反対だわ。

 

 

 



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ブレイクタイムと見せかけて

 

 

 

 至福のひととき、というのには十分すぎる時間を過ごしている。雰囲気のある部屋に美味しいお菓子と紅茶。それだけで私の心は満たされ、自然と吐息が漏れてしまう。

 

「この紅茶、大変美味ですわね……」

 

「そうかい、それは良かった。私も手間暇かけて入れた甲斐があったというものだよ。ただ──」

 

 ことりとカップを置くと、吐息と一緒に口から素直な言葉も漏れてしまった。それを聞いた目の前の彼女は、発せられた文章だけを見ると嬉しそうなものの、声音からしてとても複雑そうだ。それはなぜかというと……

 

「ここは君の憩いの場ではないのだけどねぇ」

 

 白衣を着て、怪しげな液体が何本も入った試験官をバックに彼女、アグネスタキオンさんは苦言を呈す。私だってこうして紅茶を飲みに来たわけではない。でも、そこに紅茶とお菓子があったのだ。頂かないわけにはいかないだろう。卑しい? うるさいですわよ。

 

「ん……?」

 

 それにしても、先程から妙に体が重い気がする。常に肩に何かが乗っているような倦怠感だ。特に体調が悪いわけではないし原因はよく分からない。この体の重さはタキオンさんのいる教室に入ってからのものだ。つまり、目の前にいる彼女が何かしらの細工をしたと考えれば合点がいく。

 

「……あの、タキオンさん。紅茶に薬か何か入れたりしました?」

 

「……? まさか、この紅茶は至って普通の紅茶だ。私がそんなことをするようなウマ娘だと思うかい?」

 

「はい、思いますけど」

 

「君のそういう正直なところ、嫌いじゃないよ」

 

 これは私でなくてもそう思う。タキオンさんの悪評というか奇行というか、諸々の噂は学園中に広まっている。彼女を100%肯定して信頼してるウマ娘なんてスカーレットくらいなものだろう。

 だが、この倦怠感がタキオンさんの仕業でないとしたら一体何なのだろう……。はっ! もしかしたら肩こり!? 私も肩が凝るくらいには成長を……

 

「……こら、悪戯はダメ……」

 

「きゃあ!? カ、カフェさん!?」

 

 突然背後から私でもないタキオンさんでもない声が聞こえて驚きの声を上げてしまう。その声の主は、この教室でタキオンさんのお目つけ役を担っているマンハッタンカフェさんだった。

 

「すみません……驚かせるつもりはなかったのですが……。『お友達』がマックイーンさんに良からぬことをしようとしていたので……」

 

「お、お友達?」

 

 そう言われて周りを見回すも、それらしき存在は確認できない。何がなんだが分からないままでいると、タキオンさんは突然高笑いを始める。

 

「はっはっは! マックイーン君、君はカフェの『お友達』について知るのは初めてかな?」

 

「は、はあ、そもそもそのお友達とやらって……」

 

「私も詳しいことはわからないが、なんだ、霊障的なアレと考えてもらって構わない。信じるも信じないも君の勝手だが、あまり舐めた態度を取っていると碌な目に遭わないことは確かだ。私は突然研究資料が燃えた挙句調合していた薬の全てを破棄されて二日寝込んだ」

 

 事実確認のためにカフェさんの方を見るが、その彼女が黙って頷いてしまったため信じざるを得ない。たしかに彼女に声をかけられてからというもの、体の重みが軽くなったような気がする。

 今まで幽霊なんて信じてきたことはないが、得体の知れなさからそれに対し多少の恐怖は持ち合わせている。しかし、カフェさんの言う『お友達』に対しては特にそう言った感情は無い。

 

「……どうやら……『お友達』はマックイーンさんのことを随分気に入ってるみたいですね……」

 

「えぇ……。私何かしましたか……?」

 

 カフェさん曰く、どうやら私は幽霊のお気に入りとなってしまったらしい。元々自分がそういう体質だったのか、それとも運命的な何かを感じ取られてしまったのか。

 

「それよりカフェ、君もティータイムに混ざりたまえ。今日はとても良い茶葉が手に入ったんだよ」

 

「……いえ、私は別に紅茶は飲まないので……」

 

「まーたコーヒーかい? ふむ、やはり私に分からない。あの苦味を旨味と捉えるのは舌の衰えの証拠だ。それに、紅茶は記憶力や集中力を高める効果を持っているだけでなく、食中毒の防止やテアフラビンやテアルビジンによるインフルエンザの予防にもなるのだよ」

 

「……コーヒーにも記憶力や集中力を高める効果はあります……。さらに言えば、生活習慣病や老化の防止にもなりますし、ダイエットにも繋がります……。そもそも、タキオンさんは紅茶に致死量と思うくらいの砂糖を入れているので健康なんて関係ないと思いますが……」

 

「ふぅン、平行線だねぇ。ここは一つ、来客の身であるマックイーン君に決めてもらおうか!」

 

「えっ、ここで私に振るんですの!?」

 

 タキオンさんとカフェさんの紅茶VSコーヒー論争を聞き流していると、思わぬところで私に話が回ってくる。急だったのもあり、どちらも好みなんて嘘はつけなかったため、自分の心に正直に回答してしまう。

 

「ええと……私はどちらかと言えば紅茶をよく飲みますわね。タキオンさんと同じで砂糖を多めに入れたりと……」

 

 私の答えを聞いた途端、カフェさんの耳が垂れてしまった。それとは対称に、タキオンさんは良い笑顔でカフェさんに対し勝ち誇る。

 

「聞いたかいカフェ! やはり時代は紅茶なのだよ!」

 

「……マックイーンさんが紅茶の方が好きというだけで、時代が紅茶というわけではないです……。世の中には紅茶よりコーヒーの方が好きという人が五万といますし……」

 

 ただでさえ小さなカフェさんの声がさらに小さくなったような気がした。元はといえば私の一言でこうなってしまったのだ、フォローはきちんとしなければ。

 

「そ、そうですわよ! 偶々私が紅茶の方が好きというだけですわ! 私のトレーナーさんはよくコーヒーを飲んでいますし!」

 

「……! そう、ですか……マックイーンさんのトレーナーさんが……。今度、少しお話を伺ってみることにします……」

 

 ……あれっ? もしかして私余計なこと言いました? ただでさえ強力な恋敵がいるのに、下手をしたらそれをみすみす増やすような展開になってませんこと? 

 

「……カフェさん、トレーナーさんを狙ってるのなら相手になりますわよ?」

 

「……はい? 私は単に……あなたのトレーナーさんとコーヒーについて語りたいだけなのですが……」

 

 牽制を入れるも、カフェさんはキョトンとした顔で返事をする。今のところ脈無し……いや、これから二人が邂逅したら何が起こるか分からない。しっかりと目を光らせねば。

 

「はいはい、話が噛み合っていないところ悪いが、そろそろマックイーン君がここに来た本題について話してもらいたい。いつまでもこうしてダラダラしているほど、私も暇じゃあないんでねぇ」

 

「……スカーレットさんがいる時以外はだらけてるくせに……」

 

「カフェ、ちょっと君は黙っていようか。それでマックイーン君、君の目的を教えてもらおうか」

 

 そうだった、お菓子と紅茶が美味しくてすっかり忘れていた。私がここに来た理由、それは目の前のマッドサイエン……化学者にとある薬を作って欲しいからだ。

 このことはなるべく誰にもバレたくない。そのため、カフェさんにも聞こえないように声を潜めて依頼内容を説明せざるを得ない。その内容を聞いたタキオンさんはなんとも言えない表情をしていた。

 

「できるできないは置いておいて、それを作ってどうするつもりだい?」

 

「もちろん私が私的に利用しますわ」

 

「……まあ、検討するとしよう。これも研究の一貫だ」

 

「タキオンさん……! ありがとうございます、この恩は一生忘れませんわ! このことは他言無用でお願いします。それと薬の発動条件は──」

 

 またしてもカフェさんに聞かれぬようひそひそとタキオンさんの耳元で説明をする。途中途中で注文が多いと文句を言われたが、これは私にとって譲れないことだ。妥協するわけにはいかない。

 

「はぁ……いつになるかは分からないが、なるべく近いうちに完成させるよ。薬なんて使わずとも、君のトレーナーは押しに弱いから必要無いと思うがね」

 

「ええ、ですが念には念を……いえ、ちょっと待ってください、どうして貴方が私のトレーナーさんのことを知っていますの?」

 

「…………さぁ、早速研究に取り掛かろうじゃないか。マックイーン君もこれ以上遅くなったらトレーニングに遅れるんじゃないかい? トレーナー、そして可愛い後輩君にも心配されてしまうよ」

 

「うぐっ……こ、今度必ず問い詰めますわよ! いいですわね!?」

 

「……それはもう直接トレーナーさんに聞いた方が早いと思いますが……」

 

 カフェさんの指摘はごもっとも。というわけでそれを実行に移すために二人に挨拶をしていそいそと教室を後にする。と、その前にタキオンさんき伝えなくてはならないことが。

 

「タキオンさん、薬が完成しましたら何が何でもすぐに知らせてくださいまし」

 

 それを聞いたタキオンさんがボソリと一言。

 

 

「……私の実験は、物語の展開を左右する舞台装置ではないのだけどねぇ……」

 

 

 私はその言葉を聞かなかったことにした。

 

 

 



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難儀な性格

 

 

 

「これで明日の準備は一通り終わりっと……。悪いな二人とも、手伝ってもらっちゃって」

 

「ううん、ライスが好きでやってることだもん。気にしないで……!」

 

「そうそう、気にしなくていいのよ。それにあたし達の仲じゃない。こんなのお茶の子さいさいなんだから!」

 

「……お茶の子さいさいって言葉聞いたのいつぶりだろうな。それもう死語だぞ」

 

「やーねー、トレーナー君ったら! 冗談はよしこさん! ……冗談よね? どうして目を逸らすの? ねえ、トレーナー君?」

 

 マルゼンスキーは真顔で僕の肩を掴み揺さぶりをかけるが、残念ながらそれは冗談でもなんでもない。その証拠としてライスシャワーは不思議そうに「お茶の子さいさい……?」と呟いている。

 

「ガビーン! ナウでヤングな流行り言葉だと思ってたのに……! あたしの言葉はもう古いってコト!?」

 

「あたりきしゃりきのこんこんちきだよ。そんな言葉ばっかり使われたら困ったちゃんになっちゃうぜ。なあ、ライスシャワー?」

 

「二人が日本語喋ってないよぉ……」

 

「ライスちゃん、大丈夫よ。あなたもこれから覚えていけばいいの。私達が手取り足取り教えてあげるから」

 

「ふぇぇ……」

 

 僕を巻き込むな僕を。そしてライスシャワーに未知の言語を覚えさせようとするな。

 

 やたら仲のいいライスシャワーとマルゼンスキーを眺め、ようやく作業が一段楽ついたことに安堵を覚える。なんてったって、明日は来たるファン感謝祭。それはつまり、メインイベントであるマックイーンとダイヤのレースが執り行われるということだ。

 その責任者である僕は、こうして前日にまでもそのレースのセッティングをしなければならなくなっている。ゲートの確認やテントの組み立て、はたまた機材の確認エトセトラ……。

 

 そのほとんどは、できないわけではないが流石に全てを一人でこなすのにはそれなりの時間がかかってしまう。そのために助っ人を集めたかったのだが、どうも僕の人脈では上手くいかなかった。

 

 当の本人であるマックイーンとダイヤは明日に向けて各々調整中。レクリエーションとはいえ、真剣なレースの公平性を保つために僕は明日までトレーニングメニュー以外での二人への接触を禁止されてしまった。それも、これは当人達からの申し出だ。そのくらい二人は本気ということだろう。

 シンボリルドルフは生徒会もあるから迷惑はかけられない、セイウンスカイはどこ探しても見つからない。一色に至っては、以前合鍵を渡す羽目になったこともあり、奴に助力を求めようとすること自体が癪でしかない。つまりは頼れる人がいないのだ。

 

 あまり助っ人探しに時間をかけるわけにもいかないので一人悲しくレースのセッティングをしていたところ、たまたまマルゼンスキーとライスシャワーが通りかかり手伝ってくれた。

 よかった、この二人がいなかったらテントの組み立てを一人でやることになっていたかもしれない。学生の頃の体育祭でやらされたことはあるが、あれは一人でやるもんじゃないと声を大にして言おう。ただでさえ面倒な体育祭が、その前後のテントの組み立てによってさらに地獄の行事となる。それすらも楽しそうにやる陽の方々はなんなんすかね。ドMなの? 

 

「……どうかしたの? 何か産まれそう?」

 

「ちがわいっ! いや、学生時代の嫌な記憶思い出してお腹がな……」

 

「あら、アオハルを楽しめなかった側なのね。可哀想」

 

「おい、ガチもんの憐れみやめろや。僕だってアオハルくらい……アオハルッ……青春くらいッ……!」

 

「血涙流すほど何も無かったの!? だ、大丈夫だよ! 今はマックイーンさんやダイヤちゃんもいるし! マルゼンさんもマックイーンさんのトレーナーさんを困らせないで!」

 

「メンゴメンゴ、トレーナー君ってば昔と何も変わってないからつい揶揄いたくなっちゃうのよねぇ」

 

「か、かか変わってるしぃ! ほら、例えば…………ほら……ッ!」

 

「無限ループだねこれ……。また血涙流してるし……」

 

 マルゼンスキーとは僕がリギルのサブトレーナーだった頃からの付き合いだ。その分過去の色々なことを知っている上に、彼女のあの性格が災いして、過去を知っているという条件は同じでも相手にしづらさはシンボリルドルフ以上のもの。いや、あいつもあいつで非常に厄介なのは変わらないんだけど。

 

「にしても、ライスシャワーはだいぶ変わったよなぁ。さっきもマルゼンスキーにブチギレてたし」

 

「そ、そんなに怒ってないよ! ただ困らせるのはやめてって言っただけで……」

 

「うんうん、ライスちゃんったら鬼の形相だったもんね。あかんたれーって。やーん、インド人もびっくりね!」

 

「マルゼンスキー、お前もうしばらく黙れ」

 

 昔からそうだったが、やはりこいつは喋らせたらダメだ。なんか、もうシンプルに言葉が古い。僕がギリギリ付き合えるくらいのレベルだ。ライスシャワーを始めとした今時の子には通じないだろう。なんだよ、「インド人もびっくり」って。そんな言葉バブルを生き抜いた人かネットに精通したオタクしか分からねぇよ。

 

「ライスなんて全然だよ。さっきもミスばかりしちゃったし、昨日なんてお皿割っちゃったし、ダイヤちゃんが「内緒ですよ?」って言ってトレーナーさんの書類の中に婚姻届混ぜてたの見て見ぬふりしちゃったし……」

 

「ダイヤアアアアアアアアアア!!」

 

「あっ、ち、違うの! 今のは……そう、嘘! 嘘だよ! ドッキリ大成功ー! ……ダメ、ですか?」

 

 ダメに決まってるだろ。なんで誤魔化せると思ったんだ。とりあえずダイヤは明日のレースが終わったら呼び出して説教だな。

 

「だからライスなんてマックイーンさんやダイヤちゃん達と比べたら出来損ないのダメダメウマ娘だから……。お姉……トレーナーさんがいないと何もできなくて……」

 

 ……ふむ、とはいえライスシャワーのこの卑屈さは少し目に余る。彼女も大分変わったと思ったが、やはり根っこの所を変えるのは難しいのか。

 

 そう考えていると、隣でマルゼンスキーがライスシャワーに聞こえない程度の小声で話しかけてくる。

 

「なぁに、ライスちゃんのこと気になるの?」

 

「どうかな、自分の担当以外のウマ娘に気をかけるほど僕は優秀じゃない。そう言う君の方こそ随分気にしてるようじゃあないか」

 

「あらら、バレちゃった? なんていうか、運命レベルの何かを感じちゃうのよね〜」

 

「ほーん。運命云々は知らんけど、君はよく後輩を気にかけてるし、ライスシャワーのことを心配するのも自然だけどな」

 

「あら、あなたも面倒見がいい方じゃない。その証拠に、やっぱり今もライスちゃんを心配してる。言葉を濁して真意を捉えさせないようにするのは悪い癖ね」

 

 本当に、このウマ娘は相手にしづらい。でも、もうあの頃のシンボリルドルフやマルゼンスキーに振り回されるような僕じゃない。この程度のことなら大人の余裕で軽く受け流せる。

 

「今は僕のことなんてどうでもいいんだよ、それよりライスシャワーのことだ。謙虚なのは結構だけど、自分を卑下するような発言は感心しないね」

 

「それトレーナー君が言うの? この際だから言っちゃうけど、そういうところも昔から何も変わってないわよ?」

 

「ゴハッ!」

 

 マルゼンスキーのど正論パンチで僕の心が一撃K.O.されてしまった。誰だよ受け流せるとか言ったやつ。僕だわ、僕でしたぁ! こんちきしょうめ! 

 

「ど、どうしたんですか二人とも……?」

 

「ううん、なんでもないわよ。このアンポンタンは放っておいて、ライスちゃんは自分のクラスに戻りなさい。お友達も待ってるわ」

 

「は、はあ……」

 

 マルゼンスキーにぐいぐいと押し切られ、ライスシャワーはこの場を後にする。今度彼女に何かお礼をしておかなければならないなと思っていると、呆れたような声が頭上から飛んでくる。

 

「……それで、いつまで地ベタと一体化してるの? もうライスちゃん行っちゃったわよ?」

 

「……第三次冷却終了。フライホイール回転停止。接続を解除。補助電圧に問題なし。停止信号プラグ、排出終了。エントリープラグ挿入、脊髄システムを開放。接続準備」

 

「急にエヴァンゲリオンにならないでちょうだい。もう、どんだけ重症なのよ」

 

「かなりだぞ。どれだけ重症かって言ったら、あと一歩のところで幼児化しながら奇声を発して過呼吸になりながらアポカリプティックサウンドを垂れ流すところだった」

 

「もう少しで世界が終焉に導かれてたわね……」

 

 いつまでも地面とお見合いしているわけにもいかないので、よっこらせと体を起こして先程の話を続ける。

 

「まあ、ライスシャワーに関しては僕達がどうこうできることじゃないよ。あれはあの子とあの子のトレーナーが時間をかけて解決していくものだ。外的要因が作用できるならそれに越したことはないがな」

 

「思ったよりドライなのね。もうちょっと親身になって考えると思ったけど」

 

「これでも十分親身な方さ。何度も言うけど、自分の担当でもないウマ娘に肩入れしすぎるのもよくないし」

 

「実体験ってやつ?」

 

「……うるせぇよ」

 

 きっとマルゼンスキーはタマモクロスのことを言っているのだろう。でも、僕にとっては別のことにも捉えることができてしまい……

 

「そういえばトレーナー君は明日どうするの? マックイーンちゃんとサトノちゃんのレースまで何か予定あるの?」

 

「いや、特に何かをするつもりなんてないぞ。あの子たちのアップの様子でもボーッと眺めるか、トレーナー室でレースの研究するか、URAファイナルズの仕事するか……うっ」

 

「自分で言っといてダメージ受けてるじゃない。つまりは暇ってことね? だったらレースの時間まで感謝祭回ってきなさい」

 

「は? なんでもってそんな急に──」

 

「だって、自分じゃ気づいてないかもしれないでしょうけど、今のあなた相当疲れてるわよ? その様子じゃまともにリフレッシュもできてないでしょ。最近だと夜中まで残業残業で──」

 

「なんで見てきたかのように知ってるの? ストーカー? 急に怖い話しないで」

 

 茶化してはいるが、マルゼンスキーが言ったことは図星だった。事実、最初のURAファイナルズの会議以降はほとんど働き詰めなのには間違いない。とはいえ、僕にも僕で休めない理由がある。

 

「……マックイーンとダイヤがそれぞれ目標に向かって頑張ってるんだ。僕がその妨げをするわけにはいかない。明日だって、あの子達は楽しむ間を惜しんでレース前のアップを……ん」

 

「はいストップ、そこまで。たしかにトレーナー君の変化は些細なものよ。でも、ある程度付き合いが長かったらそんな些細な変化も容易に読み取れちゃうの。特にあなたなんかはね」

 

「マルゼンスキー……」

 

 突如としてマルゼンスキーの人差し指によって言葉が遮られたかと思いきや、茶目っ気溢れる彼女によって軽い説教をされる。一応僕の方が歳上のはずなんだが、これでは立場が危ういな。

 

「あたしが気づいてるんだもの、きっとマックイーンちゃん達も気づいてるわ。それに、あの子達があなたの娯楽を妬むような悪いウマ娘だと思う?」

 

「……いや、思わねぇ。そうだな、たまには僕も羽を伸ばすのも……あ、でも大の大人が一人で感謝祭回るってキツくない? 主に周りの目とか」

 

「あら、それは毎年懲りずに感謝祭ではしゃいで生徒会から注意を受けてる星羅さんの悪口かしら?」

 

「一色のやつそんなことしてたのかよ……」

 

 普段こういう行事ではトレーナー室に引きこもっていることがほとんどなためこの情報は初耳だ。一体どんなことをやらかしているのか聞きたかったが、闇が深そうなのでやめておこう。

 

「そうだトレーナー君! あなた、星羅さんと一緒に回ったらどう? 仲も良さそうだし、トレーナー君も一人で回る必要もなくなるし、何しろお目付役として適任よ!」

 

「やだよ、僕あいつのリード引っ張っていられるか分かんないし、仕事以外であいつと一緒にいると何故かマックイーンとダイヤの機嫌が悪くなるし」

 

「あなた達思った以上に面倒くさいわね……」

 

 僕が一人で感謝祭を回ることが決定した瞬間である。

 実際のところ、この感謝祭は学園の外部からも人が来るため、さほど白い目で見られることはないだろう。ただまあ、学園祭という存在自体にいい思い出はないため、それでも躊躇してしまうところがある。

 

「高校生の時の学祭は当時唯一仲の良かった友達とずっとポケモンカードしてたしなぁ……」

 

「妙にリアリティのあること言わないでちょうだい。普通そこはゲームボーイでしょ?」

 

「いつの時代のゲーム機だよ。それじゃあモンハンもできねぇよ」

 

 というか、マルゼンスキーがゲームボーイを知ってることに驚きだ。てっきり彼女ならゲーム&ウオッチとか言い出すと思ったのだが……

 

「あら、トレーナー君。あなた何か変なこと考えてない?」

 

「か、考えてないです……。と、とにかく、僕は学園祭の楽しみ方がよくわからない。昔マックイーンと感謝祭を回ったことがあるけど、あの時と違って今回は一人だ」

 

「難儀な性格ねぇ。いつもは一匹狼を気取ってる癖に、いざとなったら一人を怖がるなんて」

 

「余計なお世話だし一匹狼気取った覚えもねぇよ」

 

「はいはい、そういうことにしといてあげるわ。しょうがないわねぇ、お姉さんが一つアドバイスしてあげるわ」

 

 そう言ってマルゼンスキーはお姉さん風を吹かせる。もう一度言うが、こいつは僕より歳下のはずなんだがなぁ……。少しばかり情けない。

 

「別に無理して楽しむ必要はないわ。トレーナー君がこういうの苦手だって分かってるもの。大事なのは、一人気ままにやりたいことをやることよ。予定の無い週末に一人でジャスコを歩き回るかのようにね?」

 

「マルゼンスキー……」

 

 なんだ、そんなことか。少し難しく考えすぎていた気がする。昔はよく一人でボーッと考えることもしばしばあったが、ここ最近は誰かと一緒過ごすことが多くなったり、そもそもそんな何も考えない時間がないほど忙しかったたりしたため、そんな時間を過ごすことも少なくなっていた。

 マルゼンスキーは僕の疲れも見抜いていたし、このタイミングで先のアドバイスをしたことが偶然とは思えない。ここは一つ、彼女に乗せられるとするか。

 

「ひとまず君の言う通りにしてみるよ。楽しめるかどうかは別として、息抜きとして行くのは悪くない」

 

「ふふっ、それでいいのよっ。そうだわ、うちのチームも出し物やってるし、是非寄ってちょうだいね?」

 

「考えとくよ」

 

 満足気に頷くマルゼンスキーの顔は、正しく大人のお姉さんそのものだった。この学園に在籍する多くのウマ娘が彼女を憧れとするのもよく分かる。

 

「ところでトレーナー君、こうしてアドバイスしたりお手伝いしたんだし、一言くらい何かあってもいいんじゃないかとお姉さん思うなぁ?」

 

「ああ、そうだな。マルゼンスキー……」

 

 

 ついさっきまでお姉さん風を吹かせておきながら、少し子供っぽい表情をするところも昔から変わってないなと苦笑してしまう。

 

 そんな彼女に一言。

 

 

「ジャスコはもう存在してないぞ」

 

「急に怖い話しないで」

 

 

 





サティ、ジャスコ、ダイエー! ジェットストリームアタックを仕掛けるぞ!

マックイーン→夢オチ新婚生活
トレーナー→異世界転移
ダイヤ→???


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文化祭行くより部屋で寝てた方が良くない?


前回までのあらすじ!

マルゼン「感謝祭行け」
トレーナー「はい」



 

 

 

 文化祭にいい思い出はない。人は多いし、飲食物の値段は高いし、何より半強制的にやらされるクラスでの出し物が本当に面倒だった。いや、別にクラスに馴染めなかったわけではない。男子に限れば話せる人は少なくなかった。尚女子。

 

 特に不自由ない学生生活だったとはいえ、友達と呼べる友達なんて片手で数え足りる程度なのもまた事実。キャッキャワイワイする陽の者共がノリと勢いで発注したであろうクラスTシャツなんかに至っては受け取らされて以来着たことはない。

 だってあれだぜ? みんな背中にあだ名とか刻まれてるのに僕だけフルネームに"クン"付けだぜ? もはや嫌がらせだろ。

 

 一時はアニメや漫画のような文化祭を期待していた。だが、そんなものは幻想だというのに気がつくのに遅くはなかった。そんなこともあり、クラスの出し物にはほとんど参加せず、数少ない友達と空き教室でサボったりしていたのが僕の文化祭の思い出だ。

 

 今考えたら、マックイーンと一緒だったとはいえよくこのレベルの人混みの感謝祭を回れたなと思う。

 ああ、そういえばあの時の感謝祭でもエキシビジョンレースでマックイーンは出走したっけ。最後の最後に落鉄でトウカイテイオーにギリギリ負けて、その後彼女の涙と鼻水で僕のシャツが汚れたのはいい思い出だ。へっ、いいこと思い出したし、後で散々いじり倒してやるぜ。

 

 

「さて、どうするもんかねぇ……」

 

『さあさあ! 今年もやってまいりました、春のファン大感謝祭! 今回も学園外から大勢な方々が来てくださり、委員長である私的にもとても光栄であります! こうも人が多いとトラブルの可能性がなきにしもあらずです! 皆さん、安全にはくれぐれも気をつけて、感謝祭を楽しむよう共にバクシンしていきましょう! では手始めに、感謝祭を楽しむ委員長的30ヶ条を……ちょわっ!? マイクを取り上げるのをやめてください!』

 

 どこかで聞いたことあるような声を聞きながら、校門前で人がごった返す学園内を見渡し立ち尽くす。ちと人が多すぎやしないだろうか。

 自慢じゃないが、自分はレース場以外での人混みに弱い。マルゼンスキーにああは言われたものの、こんなことならもう帰ったほうがいいのではないかと思う。うん、帰ろう。マックイーンとダイヤのレースが始まるまで帰って寝てよう。

 

 そう決意して踵を返そうとした瞬間、今度はいつもよく聞く声が聞こえてきた。

 

「トレーナーさ〜ん!」

 

「ああ、ダイヤか。レースが終わるまで僕とは話さないんじゃなかったのか?」

 

「えへへ、やっぱり寂しくって」

 

「寂しいって、言うても一日二日だろ? そのくらい我慢──」

 

「トレーナーさんは寂しくないんですか?」

 

「……ッスゥ……、寂しいっす、はい」

 

 怖いんですけど。この子の目ハイライト入ってないんですけど。

 

「ふふっ、ランニング中にトレーナーさんと会えるなんて運命かも。今日はいい一日になりそうです♪」

 

 そう言うダイヤは他の生徒と違い、制服ではなくいつものトレーニングで使用するジャージ姿だ。それほどマックイーンとのレースが楽しみということか。

 

「トレーニングもいいけどほどほどにな。見たところ問題無さそうだけど、レース前に何かあったって言われたら勝ち負け以前の問題だからな」

 

「分かっていますよ。それよりトレーナーさんも一緒にランニングどうですか? 今から軽く20kmほど走ろうと思ってるんですけど」

 

「軽くで済む距離じゃないよ。死ぬわ」

 

 ほどほどにと言った以上は近場でゆっくりと流して走ってほしいものだが、こうなったダイヤを制御するのは非常に難しい。仕方がない、ある程度は自由にさせてやるか。

 

「あれ、そういえばマックイーンは?」

 

「さあ? そういえば今朝から姿が見えませんね。最近トレーニング以外だと『もうすぐ完成……』と譫言のように呟いてましたし……」

 

 ふむ、こうしてダイヤと会話をしたのもあってマックイーンにもレース前に一声かけようと思ったんだがな。こんな人混みの中で見つけ出せって言う方が無理な話だが、一体全体どこに行ったのか。

 学園外にいると思ったけれど、その学園外にいたダイヤも見てないと言ってるし……。後で一報入れてみようかしら。

 

「それよりトレーナーさん、ご褒美のこと忘れてませんよね? 今日のレースで勝った方がトレーナーさんに言うことを聞かせられるっていう」

 

「なにそれ、初耳なんだけど」

 

「はい、先日マックイーンさんと話し合って決めました」

 

「……ちなみに拒否権は?」

 

「ありませんっ♪」

 

 わぁ、いい笑顔。一体どんな命令が下されるのだろうか。とりあえず靴でも舐めればいいかな。なるべく人道的なのを所望します。

 

「だから逃げないでくださいね? 景ひ……トレーナーさん?」

 

「今景品って言おうとした? 最近僕の扱い雑じゃない? ああ、そういえばとあるウマ娘Rからのタレコミなんだけど、誰かさんが勝手に僕の書類に婚姻届を混ぜ込んだとか……おい! 逃げるな卑怯者! おまっ……レース終わったら説教だからな!」

 

 ウマ娘相手に追いつけるはずもなく、一目散に逃げるダイヤの背中に大声で抗議するしかできることがなかった。

 どうしよう、あの子いずれとんでもないことをやらかすんじゃないだろうか。今からでもお偉いさんに謝っておく練習しておくのもありかもしれない。

 

 おバカ一号を見送ったと思った矢先、近づいて来る小さな人影が二つ。

 

「主様、今日もお変わりなくお元気ですね」

 

「ひ、久しぶり、ぱぱ……」

 

「グラン、ガング、もう来てたのか。あれだ、さっきのは見なかったことにしてくれ」

 

「はい、しっかり網膜に焼き付けておきました」

 

「さとのだいやもんど元気、今日も」

 

 おっと残念、ダイヤの尊厳は守れな……いや、今更か。

 

「今日は二人で来たのか? なんだったら保護者代わりとして僕が付き添ってもいいけど……」

 

「むむむっ、子供扱いしないでくださいまし。わたくしとガング、もう立派な大人でございます」

 

「うん、大丈夫。どうってことない、ぼくは」

 

「……そか。そいじゃ、二人も出発だな。マックイーンとダイヤのレースは夕方だから、それまで色々楽しんでくるんだぞ、ちびっ子共」

 

「「子供扱いしないで(くださいまし)!」」

 

 こうしてガキ扱いされて怒ってるうちはまだまだ子供なのだが、それを言ってしまうと本気で嫌われてしまいそうなので黙っておこう。真の大人というのは、自分の年齢を言及されても動じないものだ。あの子達がいつそれに気がつくか、それまで温かい目で見守っておくとしよう。

 

 さてと、そろそろ自分も行くか。あまり乗り気じゃないが、いつまでも校門前で佇んでるわけにもいかない──

 

「おう、そこのおっさん! ゴルシちゃん特製レインボー焼きそばバージョンΔ買ってかねぇか? 今なら還暦祝いで増量中だぜ!」

 

「おっさんでもないし還暦祝いもらうほど歳取ってねぇよゴールドシップ! でもレインボー焼きそばってのはちょっと気になるから一つください!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 ゴールドシップのわけわからん色をした焼きそばが思った以上に美味しくて腹を立てた後、校舎とはまた別のおしゃんな建物に人集りができていたのが見える。普段であれば人混みに近づくなど自殺行為に等しいが、今回のはなんとなく気になってしまい、何があるのかを確認してしまう。

 集まっている人達は何故かほとんどが女性陣であり、一応背の高さには自信のある僕なら簡単に中を確認することが……あ、やっぱなし。見なかったことにしよう。

 

 ガラス越しにとあるウマ娘が見えてしまい急いでこの場を後にしようとしたが、振り返った瞬間まるでワープしたかのような速度で肩をガシッと掴まれてしまう。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 

「いや、お帰りなさいませって……何やってんだよシンボリルドルフ」

 

 皆んなの憧れであるシンボリルドルフはいつもの凛々しい姿ではなく、あろうことかメイド服姿で出迎えてきた。いつもと雰囲気がまるで違うシンボリルドルフに驚きを隠せない。

 

「何って、メイド喫茶だよ。毎年恒例の〈リギル〉の出し物、今年はこれになったんだ」

 

「そ、そうか、恥じらいとかないのはさすがというか……。ま、まぁ〈リギル〉なら大人っぽいウマ娘が多いし、メイドより執事の方が似合ってると思うけどな」

 

「私もそう思ったんだが、執事喫茶は前に一度やったことある上に、メイド喫茶の要望が多かったからな。これが生徒達の総意というならこなしてみせよう」

 

「君達は何でも屋か何かか」

 

 〈リギル〉で直接的な関わりがあったのはシンボリルドルフとマルゼンスキーしかいないが、この二人以外にもこのチームには大人びたウマ娘が多い。きっと落ち着いた雰囲気のメイド喫茶になってるはず……

 

「はーはっはっは! メイドとなったボクも美しい! 嗚呼、今すぐにでもボクを主演とした大歌劇を……!」

 

「ちっ……なんで私がこんなことを……おい、撮るな姉貴!」

 

「タイマンだ! アタシに勝てたらこのヒシアマ姐さん特製、抹茶クッキーをサービスしてやるよ!」

 

 落ち着いた雰囲気どこ? これメイドというより冥土じゃない? 

 

「どうだい、せっかくだし入店してはいかがかな、ご主人様?」

 

「ノリノリじゃん……。というか、あれ見せつけられた後に店入れって言われても不安しかねぇよ……って、ちょっと、押すなって! 無理矢理入店させるのやめろよ!」

 

 と、なんだかんだ抵抗してみたものの、それが無駄だったということは言うまでもない。強制的に空いている席に座らされ、何かしら注文することを余儀なくされる。

 自慢じゃないけど、自分はメイド喫茶には行ったことがない。だが、そういったところは決まってメニューの相場が高いことで知られている。つまり、僕は体のいい金づるというわけだ。

 もちろんシンボリルドルフにそんな悪意はないだろう。あるとすれば、このチームでただ一人──

 

「は〜い、トレーナー君。やっぱり来てくれたわね」

 

「マルゼンスキー……ッ! なーにがやっぱりだ! 初めから客引きが狙いだったんだろうが!」

 

「や〜ん、人聞きの悪いこと言わないでくれる? あたしはただトレーナー君が楽しんでくれたらいいって思っただけよ。あっ、このオムライスなんかおすすめよ? 卵がトロッとしててまいうーよ?」

 

 いや、そんな高いもんおすすめしながら楽しんでくれたらーなんて言われても説得力がねぇよ。

 

 ちらりと時計を確認すると、時計の針は十一の数字を指していた。昼時には少しだけ早い気もするが、ここで昼食を済ますのも悪くない。

 ため息をつきながらマルゼンスキーの勧めるオムライスを注文すると、彼女はウキウキで厨房の方へと歩いていった。今のところ全て彼女の掌で踊らされている気がするんだが。

 

「お前が〈リギル〉のメンバーと仲良さそうにしてるのは違和感……いや、元サブリーダーだっけか。それにしても、シンボリルドルフやマルゼンスキーと対等に話せるなんて立派なもんだよなぁ」

 

「……ちっ、無視してたのに。こんなとこで何やってんすか沖野トレーナー。メイド喫茶なんて行くような性格してないでしょうに」

 

「おいおい、おハナさんとこのチームが飲食店開くっつったらそりゃ行くしかねぇだろ。今月金ないからさ。というかさっき無視してたのにって言ったか?」

 

「言ってない」

 

 いけしゃあしゃあと絡んでくる隣の席に座る沖野トレーナーはどうやら一文無しのようだ。きっと〈スピカ〉の面子に食費として食い尽くされたのだろう。あそこにはトレセン大食い二台巨頭の一人であるスペシャルウィークがいるからな。同情の余地はないけど。

 

「にしても、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドが一騎討ちでレースたぁな。こりゃ面白くなりそうだ」

 

「当たり前です。なんたってうちの二人は最強ですから」

 

「いや待て、最強は〈スピカ〉だ。そこは譲れん」

 

「……ほう、やるんすか? あ?」

 

 おされなメイド喫茶で大の大人が二人火花を散らす。周りの目は少々痛いが、このくらいマックイーンとダイヤが最強であることを証明するためならなんてことはない。

 だが、そんな睨み合いも電光朝露の早さで幕を閉じる。

 

「……取り込み中のところすまないが、少しいいだろうか。トレーナー君、君の注文したオムライスだ。是非召し上がってほしい」

 

「おう、早かったなシンボリルドルフ。まるで僕がオムライスを注文するって分かってたみたいじゃないか」

 

「ああ、それなんだが……今日の朝マルゼンが『トレーナー君が来たらうんと高いの注文してもらいましょ! これで利益もチョベリグね!』と言っててな……。君の姿が見えた時点で既に調理に入ってたんだ」

 

「よし、あのバカタレメイドをここに連れてこい。あんまり大人を舐めたらどうなるか教えてやる」

 

 今すぐにでも厨房に入って説教してやりたい。が、とりあえず目の前のオムライスを食すのが先か。食べ物に罪は無いしな。

 

「俺も注文いいか?」

 

「……すみません、トレーナーから『〈スピカ〉のトレーナーからの注文は絶対に通すな』と言われてるので」

 

「おハナさん!?」

 

 さすがは東条トレーナー、沖野トレーナー対策もバッチリだ。

 心の中でざまあみろと呟きながらスプーンを手に取ったその時。

 

「や、やめろタイキ、フジ! 私がこんな格好をするのは予定に無い!」

 

「プランが無ければ作ればいいんデース! 今のトレーナーさん、とってもキュートデスから、恥ずかしがってないデ、スマイル一つお願いしマース!」

 

「タイキの言う通りとてもお似合いですよ、トレーナーさん。ほら、ちょうどあそこに〈スピカ〉のトレーナーさんもいますし、お披露目しましょう」

 

 何やら店内が騒がしいと思えば、そこにはシンボリルドルフやマルゼンスキーと同じようにメイド服に身を包んだ東条トレーナーが……は? いや、待て待て待て、東条トレーナーまだ妙齢だ。多分、知らんけど。

 状況から察するに彼女は〈リギル〉の面々の悪ふざけにより着せ替え人形にされたのだろう。これが自分からノリノリで着てるならまだしも、そうでないだろうから……うん、ツーアウトってとこか。

 

「……沖野トレーナー?」

 

 沖野トレーナーは席を立ち、メイド服姿の東条トレーナーへと歩みを進める。その背中からは何故か男らしさを感じてしまい、いかにも彼が真人間であることを錯覚させるようなものだ。

 

「な、何よ……言っとくけど好きでこんな格好してるわけじゃあ……」

 

「なあ、おハナさん……」

 

 

 曇りなき眼で、沖野トレーナーは赤い顔をした東条トレーナーの手を握り──

 

 

「金、貸してくんない? てか注文取らせて」

 

 

 沖野トレーナーの悲鳴をBGMにオムライスを頬張る。うめぇな、これ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 文化祭といえばと言われると何を思い浮かべるだろうか。飲食店、お化け屋敷、バンド、etc……。人によって様々だろうが、今僕が目の当たりにしているのはそのどれでもない。

 

 演劇。台本から配役、衣装に照明、音響に小道具など、準備がとにかく大変なそれは、クラス全員の協力が必要不可欠なものとなる。つまり、クラス間の仲が良くない限りはそんなもの遂行できるはずがないだろう(個人の感想です)。

 しかし、この演劇の役者である六人を見ていたら、そんなものは杞憂であると思わざるを得ない。

 

『むかし、むかし、あるところに、猿と蟹がありました。ある日、猿と蟹はお天気がいいので、連れだって遊びに出ました』

 

 グラスワンダーのナレーションから始まったその演劇は、分かりやすく、誰もが知っているような内容である『さるかに合戦』だ。

 こういう場面でよく使われる物語というのは『ロミオとジュリエット』や『星の王子様』等と言った洋風のイメージが強いが、このクラスは和の物語だ。

 

 なんか昔にも『うさぎとかめ』で演劇してたような気がするな。あの時はそれに乗じて人参賭博をされたりだったか。まずい、不安になってきた。

 

「おーっほっほっほっほ! 蟹さん、貴方にはこの柿の種とそのおにぎりを交換する権利をあげる──」

 

「あげませんっ!」

 

「え、ええっ!? ちょ、ちょっとスペさん、ちゃんとお芝居をやってもらわないと……って、そのおにぎり本物なの!? 今は食い意地張ってる場合じゃないのに……んんっ、柿の種はね、蒔けば芽が出て木になって、美味しい味がなるのよ。さあ、そのもう一つのおにぎりと交換なさいな!」

 

 唐突に台本無視でおにぎりを食べ始めた蟹役のスペシャルウィークに猿役のキングヘイローは混乱する。しかし、その最中でもこれが演劇だということを思い出したのか、無理矢理にでも話の流れを戻そうとする。

 

「はむはむはむ……はへはへん!!」

 

「だから食べるのをやめなさいってば! お客さんも見てる……ほらそこ! エルさんもスカイさんも笑ってないでスペさんを止めるの手伝いなさい!」

 

 あーもうめちゃくちゃだよ。もはや演劇という一種の漫才だ。

 

「キングヘイローも大概苦労人だな……」

 

「ツヨシちゃんもグラスちゃんも苦笑いのままですし、あの面子も相変わらずですねぇ」

 

「そうだな……いや一色、お前いつの間に隣に? てかなに、そのめちゃくちゃ高そうなカメラ」

 

 あまりにも自然な会話の流れだったため危うくスルーしそうになったが、今日一色と言葉を交わしたのはこれが初めてだ。この女どこにでも現れるな、神出鬼没すぎるだろ。

 

「何って、スカイ撮る用の一眼レフですよ。税込52万8000円です」

 

「ごじゅっ!? ……マジで?」

 

「マジです。こういう場だけじゃなくて、メインの使用はレースなんですからそりゃいい奴使いたいですよね。ちょっと高すぎな気がしますけど」

 

 気がするんじゃなくて実際そうなんだよ、とは口に出せなかった。これは、それだけ彼女はセイウンスカイのことを大事にしているとことに他ならない。もちろん金を掛ければいいという話ではないが、分かりやすい指標となるのは明白だ。

 

「存外思い切ったことするんだな」

 

「ええ、やる時はやる女ですから。それに、わたしはこれ買って後悔してませんので。たとえ一歩進んでなんとやらってやつでもです」

 

「一歩進んで二歩下がる、ってか。たとえも何も、下がってなんかないと思うぞ」

 

「いえ、前ならえです」

 

「アルゴリズムこうしんじゃねぇか」

 

 一色の一言で急に脳内であの二人が行進を始めだす。アルゴリズムこうしーん! トレセン学園の皆さんと一緒! 

 

「あっ、そうだ! せんぱい、こっち向いてください!」

 

「あん? 何する……って、おい、何勝手に撮ってんだよ」

 

「えっへへ〜、せんぱいの写真ゲットだぜ!」

 

 そんなどこかのポケモンマスターを目指す少年みたいな言い方して誤魔化せると思ってるのだろうか。今の盗撮として訴えることできないかな。

 そんな盗撮魔一色は一眼レフを操作し、撮った写真を確認する。

 

「む……やっぱり黙ってたらそこそこ顔はいいですね。それも不意打ちで撮ったら更に……せんぱい、今後一切口開かないでもらえます?」

 

「なんで勝手に写真撮られた挙句喧嘩売られてるの? よし、その写真今すぐ消せ。なんならまだ隠し撮りあるんじゃないのか? おい、目を逸らすなよ」

 

「いいじゃないですか〜。わたし達、所謂婚約者って関係なんだし」

 

「?????」

 

 こいつ何言ってるの? ついに現実と妄想の区別がつかなくなったの? 

 

「その顔は自覚無しですね……。ほら、10年後お互いに独身だったらってやつです」

 

「あ……ああ、あれか。いや、あれは別に婚約とかそういうんじゃ……。分かった、この話やめよう。誰かに、特に生徒なんかに聞かれたら僕の命が危ない」

 

「うーん、じゃあもう手遅れってことですね」

 

 一色が指差す方向には、とっくに演劇は終わっておりこれまでの話を全て聞いてたらしい黄金世代の面々が……あ。

 

「セイちゃんのトレーナーさんとマックイーンのトレーナーさんは熱々デース! みんな、早速全校に広めてやりマスよー!」

 

「「「「おー!」」」」

 

「ちがああああああう!」

 

 エルコンドルパサーのその一声により、キングヘイロー以外の五人は一斉に教室から駆け出した。追おうにも、相手がウマ娘な上に人数不利。これなんて無理ゲー? 

 

「あー……元気出してくださいよ、わたしがいるじゃないですか。せんぱいがマックちゃん達にボコボコにされたらわたしが看病する……あっ、ちょっと何を──」

 

「そぉい!」

 

「わたしの一眼レフ!?」

 

 肩に手をかけて慰めてきた一色の不意を突き、カメラを奪って窓から投げ捨てる。高かろうが安かろうが知ったことか。こいつには何かしら痛い目を見てもらわないと気が済まない。

 

 悲痛な叫びを上げながら教室から飛び出していく一色を見てほんのちょっと心が弾んでいると、これまでの流れを呆れながら見ていたキングヘイローが一言。

 

「……貴方も大概苦労人ね」

 

「言わないでくれ……」

 

 

 

 ***

 

 

 

「ドナドナドーナードーナー……子牛をのーせーてー……」

 

 窓を開け、その風の気持ち良さを体感しながら、この先に待つであろう地獄を想像してすぐに閉じる。

 

 先程のことで精神的に摩耗してしまい、逃げるように自分のトレーナー室へと転がりこんだ。何がリフレッシュだ、疲れただけじゃないかクソッタレ。

 今頃エルコンドルパサー達がデマを広めているのだろう。マックイーンとダイヤの耳に入るのも時間の問題、つまりは詰みだ。変に否定したところであの二人の反感を買うのはたしかだし、かと言って肯定するわけにもいかない。

 こんなことになるのなら、マルゼンスキーに絆されずに最初からトレーナー室で引き籠っとけばよかった。心の底から後悔している。

 

 ソファに倒れ込み、束の間の平穏に心を休ませる。嗚呼、癒しが欲しい。いや、平穏と言った方がいいかな。どっちでもいい、それが手に入るのならもうどうでも──

 

 

 カチッ

 

 

「……ん?」

 

 突如として部屋の電気が消えた。それにより閉じかけていた瞼が開き、条件反射で意識を覚醒させざるを得なくなる。

 

 ブレーカーが落ちたか? いや、たしかに電気のスイッチがオフになる音がしたからその線は消える。

 なら誰かの悪戯か? いや、スイッチが消える音がしてドアの開く音が聞こえないなんておかしい。そもそもこの部屋には僕以外の人はいない。

 

 ふむ…………まあいっか。

 

 特に気にすることもなく再度眠りにつこうとすると、今度は棚に置いてある本や資料などが一斉に動き出す。それも、全てがひとりでに。

 

 

 

 これらの現象を目にして思ったことは。

 

 

「うるっせえええええ! 気を引きてぇならもっとマシなことしろやこのかまってちゃんがああ!!」

 

 

 ぱたり。一喝入れただけでポルターガイストは音も無く終了してしまった。こちとら多少機嫌が悪いんだ。お化けだか幽霊だかなんだか知らないが、今の僕に怖いものなんてない。

 とはいえ、再度心霊現象を続けられてはたまったものではない。なんとかしてこの状況をなんとかしなければならないのだが、どうしたもんか。

 

「ん、手が……なんのつもりだ?」

 

 体を起こした途端、何者かによって手が引っ張られる感覚を覚える。が、やはりそこには何もない。やはり心霊現象的なあれか。

 

「うおっ!?」

 

 何かを伝えようとしているのか、それともただの悪戯なのか。急に力が強くなったその手は、僕の体を強制的に動かした。

 

「あっ……おい! まだ窓とドアの戸締まりが……!」

 

 そのまま強引に引っ張られ、無理矢理トレーナー室の外へと連れ出される。

 異世界転移の経験もあってか、ある程度ファンタジーなことには耐性があると思っていたのだが、見えない何かに連れられるというのは存外スリルを刺激されるものだ。

 

 走って、走って、走って。この先に何が待っているのかと考えさせる暇もなく、速く、疾く。まるでウマ娘に引っ張られているかのような速度が新鮮で、少し癖になってしまったのは心の内に秘めておこう。

 

 そんな時間も長くは続かず、謎の存在によって連れられた後に辿り着いた場所というのは、今や使われなくなった旧理科室だった。こんなところに連れてきて何がしたいんだと思っていると、その旧理科室から一人の人物が現れる。

 

 

「……あなたは──」

 

 

 



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びたーびたーすいーと

 

 

 

 幽霊、宇宙人、未来人、超能力者。これに付け加えてアニメ的特撮的正義のヒーローやサンタクロース、悪の組織などの存在。幼い頃は多くの人がそれら超常的、非科学的なものを信じていただろう。

 疑いなく、しかしてそれらを一度として直接目撃したことなんてないのに。

 

 昔は自分だっていつか宇宙からの侵略者が来るのではと考えていたし、クリスマスにプレゼントを貰ったら素直に喜んでたし、毎週日曜日に戦隊シリーズや仮面ライダーをフィクションだと疑わずに真剣に見ていた。

 

 それがいつからだろうか、信じず、否定し、疑い、追うこと自体をやめてしまったのは。いや、最初から何も信じていなかったのかもしれない。

 心のどこかではそんなものは存在しないと分かってはいたが、もしかしたらという淡い期待を抱き、事実から目を逸らしていた。見えないモノを見ようとしても、その目に映ったのはいつだって厳しい現実だ。

 

 年齢が上がるに連れて興味も関心も薄れ、中学を卒業する頃にはそんなものガキっぽいと吐き捨てて見向きもしなくなった。

 これでいい、これで自分は大人の階段を一つ昇ったと、そう考えていた──

 

「──はずなのになぁ」

 

 机にカップを置き、しみじみと呟く僕の声は、意外と広い旧理科室内に伝導する。

 先程までのふざけた騒ぎとは真逆でここはとても静か。なのに心はダークネス、目の前のブラックコーヒーのように真っ黒だ。

 

「……珈琲、お口に合いませんでしたか……?」

 

「いや、んなことないさ。ただちょっと、ここ最近信じられないことが続いてな。君のその『お友達』とやらを筆頭にね」

 

 やはり認めざるを得ない、この世には科学で証明できないものが少なからずあることを。

 異世界転移の件はギリギリ夢オチと解せなくもなかったが、これに関しては説明がつかないだろう。

 

「……さっきまでは動じてなかったと言っていますが……」

 

「ああ、さっき僕の死刑が確定するような事件があって落ち込み……待ってくれ、言っていたって誰が? もしかして幽霊と意思疎通可能なの?」

 

 そこまで行ったら幽霊というより妖怪とでも言った方がいいのではないか。僕も時計から放たれる光を当てたら見えるようにならないかな。妖怪の〜せいなのねそうなのね! 

 

「ウォッチ、今何時?」

 

「今は三時を少し過ぎたくらいですが……ああ、あなたはマックイーンさん達のレースがありましたね……」

 

「そゆこと。でもまだちょっと余裕あるみたいだ」

 

 あの子達のレースまであと一時間弱、その三十分前には最終準備に取り掛かりたいので微妙に時間が余ってしまっている。

 

 どうしたもんか、とりあえずトレーナー室に戻るのも……

 

「……でしたら、私とお話ししていきませんか……?」

 

「お話し?」

 

「はい……以前マックイーンさんからあなたが珈琲好きというのをお伺いしたので……」

 

 たしかに仕事の合間によくコーヒーを飲むことはあるが、別に特別好きというわけではないんだけど……。マックイーンもマックイーンで適当こいたな、どうしてくれるんだこの状況。

 

「それに──『お友達』がわざわざあなたを連れてきたんです……。そのことに……何か意味があるんじゃないかと……」

 

「……なるほど」

 

 言われてみればたしかにおかしい。僕とマンハッタンカフェに直接的な繋がりは無い。なのにここへ連れられたのが偶然とは思えない。

 幽霊の気まぐれなんて言われたらそこまでだが、それにしてはできすぎている。

 

 しかし、

 

「心当たりは全く無いな。何かしたとかされたとかやらかしたとかも無いし、そもそも仕事ばっかでそれどころじゃなかったし」

 

「そ、それは……お疲れ様です……。あなたに心当たりが無いのだとしたら……もしかしたら、マックイーンさんのことについてかもしれません……」

 

「マックイーンの?」

 

 そういえばさっき、マンハッタンカフェはマックイーンから僕の情報を得たと言っていた。どうやら、彼女とマックイーンには何かしらの接点があるようだ。

 

「はい……『お友達』はマックイーンさんのことを大層気に入ってまして……。それも、あなたに嫉妬するくらいには」

 

「嫉妬て……いや、たしかに僕とマックイーンはトレーナーとウマ娘としてそこそこ良好な関係を築けてると思ってるけど、そこまでされる筋合いはないと思うぜ?」

 

「……私はあなた達のことをよく知ってるわけではありませんが……あなたとマックイーンさん、そしてサトノさんはこのトレセン学園でも問題児との噂がありますよ……」

 

「……え? その二人と僕が同列に語られてるの?」

 

「はい……先程もあなたに関する情報が出回ってましたし……」

 

 それはもしかしなくてもエルコンドルパサー達の広めているアレではないだろうか。広めるの早すぎるだろ、なんでこんな離れの旧理科室にまで届いてんだよ。

 

「……一応言っておくけど、問題児なのはあの二人なだけであって僕はこれといって特に何もしてないからな? どっちかと言えば感謝祭で度々問題になるらしい一色の方がダメだろ」

 

「あの人は……ああいう人なので……」

 

 諦められてんのかい。ていうかあいつ顔広いな。

 

「ともあれ、僕はそろそろ行くとするよ。ちょっと早いけど、それに越したことはないからね。マンハッタンカフェ、コーヒー美味しかったよ」

 

 結局ここに連れてこられた理由はよく分からず終いだが、元々あまり長居するつもりなかったのでキリのいいところで話に区切りを付ける。

 

「あ……待ってください……最後に一つ忠告が……」

 

「忠告?」

 

 レースが始まるまでマックイーンとダイヤへの言い訳でも考えておこうかなと思っていると、マンハッタンカフェは寸でのところで僕を呼び止める。

 たなびく黒髪と金色の瞳、それに加えて整った容姿を持つ彼女は、今日一よく聞こえる声で僕に忠告する──

 

 

 

 ***

 

 

 

「……アグネスタキオンとマックイーンがねぇ」

 

 レースが始まるまであと数分だというのに、ついさっきマンハッタンカフェからの忠告を思い出す。

 ただの忠告ならよかったのだが、今回は聞き捨てならない人物の名前が彼女から飛び出してしまった。

 

『私の杞憂だといいのですが……先日、タキオンさんとマックイーンさんが怪しげな会話を交わしていました……。一応、トレーナーであるあなたには伝えておこうと……』

 

 アグネスタキオンといえば、いつの日か僕に苦い思いをさせたことのあるマッドサイエンティストだ。

 あの時は彼女のトレーナーが不在だったためその代用とされただけだったみたいだが、あれ以来彼女には苦手意識が芽生えてしまい、意図的に避けるようになってしまった。

 

 そして月日が流れ、今度はマックイーンとアグネスタキオンに交流があるとのこと。よくよく考えたら、マックイーンは僕が被害を受けたことを知らない。

 とはいえ、アグネスタキオンがアグネスのやばい方と称されるように、色んな意味で恐れられているのは知っているはずだ。マックイーンも自分からわざわざ赴くことはしないだろう。

 だとしたらなぜあの二人にラインが……? 

 

「……でも、今は目の前のことに集中だな」

 

 GⅠでもないというのに勝負服に身を包んだマックイーンとダイヤは今、ゲートの前で各々準備運動中だ。

 教え子の二人が激突する、それはどちらが勝ってどちらかが負けるということ。できることなら担当のウマ娘の勝つ姿を見たい。

 しかし、勝負の世界においてそんな甘っちょろい世迷い事は通用しない。分かっていても少し複雑だ。

 

 それに、このレースは感謝祭のメインイベントとして頼んだものだが、元々マックイーンとダイヤのマッチアップは本人達が望んでいたもの。何者にも妨げられていいはずがない。

 

 

 そう思っていたのに、

 

 

『……あーあー、聞こえるかい諸君?』

 

 突如として、響き渡るノイズ混じりの謎の声。

 

 これは全校放送か? こんな時間に放送が入るなんて聞いてないのだが……いや、どこかで聞いたことがある声だ。そう、この声は──

 

『私の名前はアグネスタキオン。少しばかり放送室を占領させてもらっている。おっと、勘違いしないでほしいのだが、私は皆を混乱させるためにこんなことをしているつもりはない。ただ一つの情報を伝えるために、こうしてマイクの前に立っている』

 

 放送は淡々と告げられ、直前まで騒いでいたギャラリーも黙ってそれを聞いている。

 

『以前、とあるウマ娘から薬の開発の依頼を受けたんだ。その薬とは、"飲んで一番最初に見た人のことを好きになる"惚れ薬さ。……口に出すと心底バカバカしいが、これでも私はクライアントの意を飲んでそれを完成させた』

 

 そんなギャラリー達も、惚れ薬と聞いた瞬間騒ぎ立て始めた。それも主にウマ娘が。年頃の女の子達にとっては刺激の強い話らしい。

 

『そして、私はこの薬をクライアントに渡さなければならない……が、ただ素直に渡すだけじゃあ面白くないだろう? 私にも何か利益が無いと割に合わない。そこでだ、今から10分の制限時間の中で私を捕らえることができた者に、この薬を渡すとしよう。つまりは"鬼ごっこ"さ!』

 

「は」

 

 なんだこれ、どっきりか? こんな話聞いてないんだが。

 

『さあ見せてくれ! 本気になったウマ娘が見せる、才能と可能性というものを!』

 

 一瞬何を言われたのか理解ができず、思考が完全にトリップする。そのまま放送はぶつ切りとなり、案の定学園内は大混乱となった。

 

 あるウマ娘は惚れ薬とやらを手に入れるためアグネスタキオンを探し、あるウマ娘は校舎に走って行き、あるウマ娘は他人の足を引っ張り……いや、どんだけ惚れ薬欲しいんだよ。おじさん、今の子の行動力に引くわ。

 

「あら、トレーナー君いたの? 中々面白いことになってきたわね」

 

「マルゼンスキー……んな呑気なこと言ってる場合じゃねぇよ。この混乱じゃあレースなんてやってる場合じゃないさ。ああ、くそっ、せっかくの二人の晴れ舞台だってのによ」

 

 ひょいと現れたマルゼンスキーについ悪態をついてしまう。彼女は何も悪くないというのに。

 というか、どうしてこいつはちょっと楽しそうなのだろうか。

 

「そう口では言いつつ、内心ちょっと安心してない?」

 

「してない」

 

「これでどっちかが負ける姿を見なくて済むものね。本当に安心してないの?」

 

「…………ちょっとだけ」

 

「やっぱりね〜!」

 

「うるっさいなぁ! 今はそんなことより事態の収拾に努めるのが先だろうが!」

 

「そのことなんだけどね、今生徒会のみんなが対応に当たってるみたいよ。仕事が早くて感心しちゃうわ」

 

 そうか、シンボリルドルフ達が事の対応をしているのか。なら安心だ、彼女達に任せておこう。

 

「それでね、できればトレーナー君にも手伝って欲しいって言ってたわよ」

 

「えぇ……」

 

 そうは言うが、流石の僕でも今回は何もできない。いくら自分の身体が丈夫とはいえ、相手がウマ娘となれば話は別だ。

 それも、勝負の舞台はアグネスタキオンを捕まえるというスピード対決。人間である僕に勝ち目はない。

 シンボリルドルフには申し訳ないが、ここは静観するとしよう。

 

「悪いな、こればかりはどう考えても僕が何かできるとは思え……な、い……」

 

 ん? アグネスタキオン? 

 

 そういえばさっき、マンハッタンカフェから彼女とマックイーンの繋がりがあることを聞いた。おまけでその二人が怪しい会話をしていたという情報もセットだ。

 そして、聞き間違いでなかったら、アグネスタキオンはとある依頼によって惚れ薬を完成させた、と。

 

 まさかな。まさかそんなことはないだろう。偶然だ、偶々に決まっている。

 

 マックイーンが惚れ薬を作るようアグネスタキオンに頼んだなんて、そんなバカなことがあるわけ──

 

 

『最近トレーニング以外だと『もうすぐ完成……』と譫言のように呟いてましたし……』

 

 

 あるやんけ……っ! 

 

 今朝のダイヤの言葉を思い出し、その姿が容易に想像できてしまった。むしろそれ以外考えられない。

 というか、既にゲートからマックイーンの姿が無い。確定じゃんか。

 

「どうしたの、トレーナー君? そんな胃に穴が空いたような顔して」

 

「い、いや、なんでもない。それよりマルゼンスキー、この件についてなんだが、僕にも手伝わせて欲しい」

 

「あらほんと? 助かるわ、トレーナー君はタキオンちゃんと似てるってルドルフが言ってたから、しっかりブレインとして働いてもらうわね」

 

「ああ、任せ……アグネスタキオンと似てるって何?」

 

 どこをどう見て僕とアグネスタキオンが似てると思ったのだろうか。そこんとこ小一時間ほど問い詰めたいが、今しがたテントに入ってきた人物を見て、そんな時間がないことを悟る。

 

「ああ、ここにいたか二人とも。トレーナー君、君に頼みがあるんだが──」

 

「シンボリルドルフ、できることなら僕も協力するよ。学園の危機なんだ、動かないわけにはいかない」

 

「話が早くて助かるよ」

 

 こんな綺麗事を言っているが、実際はマックイーンの尻拭いだ。もちろんマックイーンがこんな展開を望んだわけではないだろうけど、問題の中心に彼女がいることは間違いない。

 

「はぁ、アグネスタキオンもそうだが、その依頼者というのもとんでもないものを作らせるな……」

 

 すみません、その依頼者、多分うちのバカのことなんです。

 

「そうねぇ、タキオンちゃんの意図はちんぷんかんぷんだけど、依頼者ちゃんからは強い意志を感じるわね」

 

 すみません、その依頼者ちゃん、例え強い意志でも中身はやましいことだと思います。

 

「と、とにかく! こんな雑談してる暇無いんじゃないか? 制限時間とやらはどうでもいいけど、一刻も早くアグネスタキオンを見つけないと混乱が──」

 

「ふむ、君ならすぐにでも見つけられると思うんだがな。"依頼者"のトレーナーである君ならね」

 

「…………嘘でしょ」

 

 バレてーら。

 

 片目を瞑り、全てを見通したかのような発言をするシンボリルドルフ。横でニヤニヤ笑っているマルゼンスキーも全部分かっているのだろう。道理で彼女達は僕を頼ってきたと。

 人生はそんなに甘くない、むしろ苦いまである。それを身をもって思い知らされた。

 

「……お前達はなんでも知ってるのな」

 

「なんでもは知らないさ。知ってることだけだよ」

 

「猫の手も借りたいってくらいの状況でそんな羽川さんみたいなことを……ああもう分かりました! 僕がなんとかします!」

 

 考えろ考えろ考えろ、単純に足の速さじゃあ勝てるはずがない。

 そこは横の二人の得意分野だが、アグネスタキオンもアグネスタキオンで相当な実力者だ。二人がかりとはいえ難易度は高い。

 

 そもそも、当のアグネスタキオンがどこにいるかということから推測しなければならない。

 トレセン学園は、普通の学園と違ってとりわけ広いのだ。そんな学園内から一人のウマ娘を見つけ出して捕まえろだなんて、しらみ潰しに探していては短時間でできるはずがない。

 

 最速で、最短で探さなければならないのだが……

 

「……なあ、マルゼンスキー。さっき僕とアグネスタキオンが似てるって言ったよな?」

 

「え? ええ、そうね。実際はルドルフが言ったんだけど……」

 

「君達の才学非凡なところは一致している。こと頭脳戦においては引けを取らないと思ってね」

 

「まあ将棋とかチェスとか好きだけど……。ん、その言葉信じるからな」

 

「ふふ、頼りにしているよ」

 

 ムカつくが今はこれに賭けるしかない。さっさとこのバカげた騒動を鎮めないといけないので下手な選択肢は取りづらいが、ダメだったらまた別の方法を考えるだけだ。

 

 マンハッタンカフェですら惚れ薬の存在を部分的にしか知らなかったのを考えると、それを知っているのは必然的に限られてくる。そして、マックイーンは惚れ薬とやらを僕に使う気なのだろう。

 直接的間接的関わらずアグネスタキオンに近しい存在、且つその展開が面白くないと感じるのはおそらくあの子だけ。

 

 だから"彼女"は、感謝祭当日のこの日にわざわざ接触を図ってきた。

 

「……トレーナー君、今一人でに君の座ってた椅子が倒れたのは私の見間違いかい?」

 

 

 どうやら僕には、僕のことを気に食わないと考えている強力な助っ人がいるようだ。

 

 

 



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救えないほどお人好し

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……まずい、っですわっ……!」

 

 レース直前の放送を聞いて、いてもたってもいられず目的の場所へと息を切らして走る。

 人がごった返す校舎は走りにくく、時間も体力も大幅に削られてしまった。体力的には問題ないが、精神的な面では焦りと混乱で余裕はゼロと言っても過言ではない。

 

 正直、タキオンさんのあの放送を聞いた瞬間冷や汗が出た。彼女は惚れ薬の作成を依頼した人物、ぶっちゃけそれは私なのだが、それを濁してくれていた。でも、もしそれが私だとバレてしまうと自分に罰が下る可能性がある。

 本来なら知らんぷりしてダイヤさんとのレースに臨むべきだったのだろうけれど、生憎と考えるより先に行動してしまったのが運の尽きだ。

 

 引くに引けなくなったこの状況、なんとか一番最初にタキオンさんを見つけ出して証拠を隠滅するほかない。それさえできれば後はどうとでもシラを切ることができる。

 

 そんな淑女として、メジロとしての誇りをゴミ箱にかなぐり捨て、ようやく目当ての教室へと辿り着いた。

 

 今回タキオンさん……いや、惚れ薬を狙っているのは何も私だけではない。自分のトレーナーを我が物としようとするウマ娘全員が敵だ。

 それに、この広いトレセン学園で一人の人間、及びウマ娘を見つけ出して捕らえることは困難を極める。どこか人気の無いところに隠れられたら打つ手がない。

 

 だが、残念ながら私はこういった経験は初めてでは無い。彼女の性格の悪さに賭け、その扉を開ける。

 

「……おや、随分早かったじゃないか。まだ録音放送を流してから五分と経ってないんだがねぇ」

 

「ええ、生憎と、貴方より"性格の悪い人"と鬼ごっこをしたことがあるもので。必ずスタート地点であるこの旧理科室に鎮座していると思いましたわ」

 

「ふぅン、我ながらシンプルでいい作戦だと思ったのだが……。君の言う性格の悪い人とやらに文句の一つや二つでも言いたい気分だねぇ」

 

 やはりタキオンさんがいたのは彼女がいつもいる旧理科室。先程の放送はやはり録音したものであったらしく、真っ先にここへ向かった自分の選択が間違っていなかったことを認識する。

 でも、今はタキオンさんを見つけて愉悦に浸っている場合では無い。彼女には聞かねばならないことがある。

 

「タキオンさん、どうして貴方はこんなことをしたんですの!? もうすぐレースが始まるって時に何故……!」

 

「タイミングが被ったのは単なる偶然さ。あの放送を流したのも、本気になったウマ娘がどのような行動を取るのか研究しようとしただけにすぎない。そもそも、薬が完成したら真っ先に知らせろと言ったのは君だろう?」

 

「そんなこと言ってな──」

 

 

『タキオンさん、薬が完成しましたら何が何でもすぐに知らせてくださいまし』

 

 

 言った。言いましたわね、私。

 

 あの日、この場所でタキオンさんに薬の開発を依頼した時のことを思い出して頭を抱える。万が一他の誰かに取られたらと考えたのが仇になった。

 

 でも……でも限度ってもんがありますわよねぇ!? こんな形で伝えなくてもよかったんじゃありませんの!? 

 

 そんなことを声に出しても無駄なことはわかっているので、喉から出かかった言葉を噛み砕く。

 

「さて、君にも非があるというのが分かったところでどうするんだい?」

 

「決まっていますわ……今すぐその薬を処分して証拠を隠滅する……ッ! あわよくば隠し持って本来の目的で使用します!」

 

「そういう素直なところ、やはり嫌いじゃあないよ! さあかかってきたまえ! 研究対象として、君が見せる本気というものをとことん──ッ!?」

 

 タキオンさんが言い終わる前に、後方から直径一センチも無いであろう小石がかなりの速度で私の横を通り過ぎた。その小石は見事にタキオンさんの右手に命中し、持っていた薬が空中へと放り投げられる。

 

 それは一瞬の出来事だった。しかし、その一瞬で動くことができたのは、私でもタキオンさんでもなく、小石を放った第三者。私の横をすり抜け、地面に落ちる前に薬をキャッチ。

 

 緑色の勝負服を身に纏い、額に菱形を輝かせ、微かに頬が上気している彼女は……

 

「ダ、ダイヤさん!? どうしてここに!?」

 

「ふ、ふふ……放送直後にマックイーンさんが血相を変えて走っていたのを見て、後を付けちゃいました……」

 

 ……あ、あら? なんだか喋り方まで少しおかしい。なんでしょう、頬が上気しているだけならまだしも、目のハイライトが消えているような……

 

「マックイーンさん」

 

「は、はい、なんでしょう?」

 

「これを使えば、トレーナーさんを好きなようにできるって本当ですか?」

 

 まずい。何がまずいかって、惚れ薬がダイヤさんの手に完全に渡ってしまったことで彼女の暴走が止まらなくなるのがとてつもなくまずい。

 このままではおそらく、というか十中八九トレーナーさんの身が危険に晒される。

 

 私がタキオンさんに惚れ薬を作成して欲しいなんて言わなければ、今頃レースの決着がついていただろう。贖罪するためには、今ここで、全身全霊を持ってダイヤさんを止めるしかない。

 

 ああ、まさかこんな形でダイヤさんと対峙するとは思わなかった。できることならターフの上で競い合いたかったが、そうは問屋がおろさないらしい。

 

「退いてください、マックイーンさん……。これはまたとないチャンスなんです……フランスでの失敗を晴らすためにも……!」

 

「今ここで貴方を止めます。トレーナーさんの身と私の名誉を守るために!」

 

「……あの、二人とも私のこと忘れてないかい?」

 

 右手を押さえてか細い声を出すタキオンさんを無視し、私達はジリジリと間合いを取り合う。

 最終防衛ラインはここだ。旧理科室なだけあって、ここら辺は人気が少ない。もしこのモンスターをここから解き放ってしまえば止める術は皆無と言っていいだろう。多少強引になっても彼女を止めなければ。

 

 でも、できることならダイヤさんを傷つけたくは無い。何か他に良い方法がないだろうか。

 

 そう思った瞬間、彼女は右足を思い切り踏み込んだ。初速はとんでもなく速さで、いきなり始まった攻防に対処しきることができない。

 

「……ッ!」

 

「くっ、落ち着いてくださいましダイヤさん! そんなことをしなくてもトレーナーさんは私達を好いてくれています!」

 

 薬を依頼しといてどの口がと思われそうな私の声はやはりダイヤさんに届かない。

 彼女の意思はダイヤモンド級に固い。いつの日かトレーナーさんがそんなことを言っていたのをこんな形で実感したくはなかった。

 

 単純な体格差ではダイヤさんが勝っているのもあってこのままではジリ貧だ。どうしたら……! 

 

「ほう、これは興味深い……。何かに強く執着するウマ娘はこれほどの力を引き出せるものなのか……」

 

「冷静に分析してないで手伝ってくださいましタキオンさん! し、死ぬ! これ死にますわ!」

 

 こんな状況でもマイペースなタキオンさんを見て気が抜けかける。まあ、彼女にとって私達のトレーナーさんの優先度が高いわけがないのでこうなるのも仕方がないのだが。

 

 あ、もう駄目ですわね。腕が限界に近い。

 

 ダイヤさんに強引に引っ剥がされた私は無様にも地べたへと這いつくばる。すぐにでも追いかけたいが、起き上がることすらままならない。

 

「ま、待って……ダイヤさん!」

 

 私の静止にも聞く耳持たず、ダイヤさんは一目散に旧理科室の外へと出ようと扉のドアに手をかける。そのまま彼女は勢いよく扉を開き……うん? いつの間に扉は閉まって──

 

「ッ!? ゴホッゴホッ!」

 

「っ、これは……スプレー?」

 

 扉が開かれた瞬間、外からスプレー缶を投げ込まれた。幸い私は扉から離れていたので対処できたが、それをモロに食らったダイヤさんは少し苦しそうだ。

 どうしてこんなものがという疑問がよぎったが、間髪入れずにまたしても私達三人の誰でも無い声が響き渡る。

 

「事態が事態だからね。心底胸が痛いけど、手荒な方法を取らせてもらったよ。ああ、安心して。そのスプレー、ただの目眩しだからさ」

 

「ト、トレーナーさん!?」

 

「マンハッタンカフェから聞いたよ、マックイーン。アグネスタキオンと何やら怪しげな取り引きしてたってね。君もこの旧理科室に来たってことは、考えてることは一緒みたいだ」

 

「あ……ああ……」

 

 全部バレてた。この悪あがきもどうやら全て無駄だったみたい。

 

「ち、ちがうんですのトレーナーさん……。私はこんなこと望んでなくて……」

 

「後で一緒に謝ってあげるから、そこで正座してなさい。ほら、ダイヤもその薬渡しなさい」

 

「え、で、でも……」

 

「ダ イ ヤ」

 

 ダイヤさんはトレーナーさんの圧に負け、すごすごと惚れ薬を手渡す。なんだろう、今日の彼には逆らえる気がしない。

 

「さて、生徒会からの伝言だ、アグネスタキオン。今すぐこのふざけた騒ぎを鎮静化させるというなら、処罰は軽減する。しかし、そうでない場合はその限りではない」

 

「ふぅン、私への処罰は確定しているわけか。いや、分かっていたさ。こんなことをしてただでは済まないとね。でも、処罰が怖くて実験ができるのかと聞かれたらそれはNOだ。私は最後まで抵抗してみせるさ」

 

「そうか、だったら……」

 

 それを聞いたトレーナーさんはサムズアップの形を取り、タキオンさんへと突きつける。

 そのままゆっくりと親指が下になるようにして……

 

「やれ」

 

「はぁ、一体全体何を……は? も、燃えてるんだけど。ね、ねぇ、私の研究資料燃えてるんだけど!? 一枚や二枚じゃなくて全部……ちょ、これ洒落にならないって!? まさか君、カフェの『お友達』と手を組んで……!」

 

「おっしゃーい! 全部燃やし尽くしてやるぜえええ! 今宵はアグネスタキオンの研究資料でキャンプファイヤーだあああ!」

 

「おいトレーナー君!? 言ってる場合か!? 頼りにしているとは言ったがやり方に限度というものがあるだろう!?」

 

 外で待機していたのか、どこからともなく現れたルドルフ会長は慌てて教室内の消火器を手に取り消火活動が開始される。そのおかげもあってか、幸い燃え広がる前に全ての火を消し去ることができた。

 だが、会長の精神的な疲労はとんでもないものだっただろう。なんせ下手したら校舎が全焼する可能性があったのだ。

 トレーナーさんのことだからどうにかする方法があったとしても物凄く心臓に悪い。

 

「ふむ、少々火力が強すぎた気もするが……ま、アグネスタキオンに制裁もできたし騒ぎの根源も抑えられたし、一石二鳥だな!」

 

「トレーナー君! 君って奴は! 本当に君って奴は!!」

 

「ああああああああ! 私の研究資料! 徹夜して何日もかけた私の研究資料がああああああああああ!」

 

 トレーナーさんの肩を揺さぶって猛抗議する会長に、そのすぐ側で地面にうずくまり大泣きするタキオンさん。

 

 私とダイヤさんは当事者であるにも関わらずそんな光景を眺めることしかできなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「トレーナーさんって、たまにとんでもなく頭が悪くなりますよね」

 

「なんだダイヤ、藪からスティックに。僕のどこをどう見て頭が悪いなんて単語が思い浮かぶんだよ」

 

「今のその姿が物語ってますよ……」

 

 今現在、私達三人は朝早くから学園前の掃除をしている。

 

 感謝祭で全校を混乱の渦へと誘った『惚れ薬争奪事件(仮)』。タキオンさんの資料を全て燃やし尽くしたことについて、それは火災と言うには小さすぎたため、大事には至らなかった。

 しかし、校内で火遊び紛いのことをしたのは事実。当然のことながらそれは理事長やたづなさんの耳に入り、トレーナーさんは減給とこうした奉仕活動という処分が下った。

 

 その時、クビにならなかっただけマシと笑っていたトレーナーさんのメンタルはオリハルコンか何かかと疑ってしまった。おかしい、普段そんなにメンタルが強い人ではなかったはずなのだが……

 

「それにしても、私達に何のお咎めもなかったのは意外でしたね。てっきりマックイーンさんには何かしらあると思ったんですけど」

 

「ダイヤさん、どうして被害者面してるんですの? 貴方もこっち側ですわよ?」

 

 でも、確かにそれは不思議だ。今こうしてトレーナーさんと一緒に掃除をしているのは後ろめたさがあるから。

 てっきり私達にもこうした奉仕活動が課されるかと思っていたのに、実際はそうならなかったのは違和感がある。

 

「まるで誰かが庇ってくれたかのような……あ」

 

 ダイヤさんのその発言によりピンときた。私達がお咎めなしという結果に終わったのは、もっと大きな事件に掻き消されたためであって……

 

「くぁ……くそねむ、はい、終わり終わり、さっさと戻って仕事に……ん、どした二人とも。箒片付け行くぞー?」

 

 真意は分からない。でも、きっとこの人のことだ、敢えてやったことなのだろう。私が言うのもなんですが、教育者としては0点だし甘すぎる。

 

 ほんっと、救えないほどお人好しですわね。

 

 私達は顔を見合わせて苦笑いをし、彼の隣を歩くのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 後日談、というか今回のオチ。

 

「そういえばトレーナーさん、惚れ薬の所在はどうなったんですの?」

 

「ああ、それな、ちょうどいい使い道があってさ。昨日マルゼンスキーに協力してもらったからそろそろ効力が出てるはずなんだが……お、来た来た」

 

 トレーナーさんの目先には、ライスさんと彼女のトレーナーが……ん? なんだか様子が変な気がするのだが。

 

「ライスが一番速くて強いウマ娘なんだよ! そんなライスを担当できて、やっぱりお姉様は幸せ者だねえ!」

 

 ……誰だあれは。私の知ってるライスさんじゃない。

 

「アグネスタキオンが、服用させた後に一番最初に見た相手に惚れさせるって言ってたろ? だからライスシャワーに薬飲ませて鏡で自分の姿を見させたんだ。これで後ろ向きな性格を改善できたってワケ。ちょっとキャラ崩壊が凄いけど」

 

「ちょっとどころじゃないですけどね……」

 

 でも、私達の卑しい用途よりは幾らかマシだ。ライスさんの卑屈さが消え、逆に鬱陶しいほどに強気になっている。これはこれで新鮮味があって良し。

 

 ただ、一つ問題点があるとすれば。

 

「薬の効力は半日で切れますし、その間の記憶も残るみたいですわよ?」

 

「え」

 

 その後、ライスさんは一週間自室から出てこなかったという。

 

 

 



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番外編:あなたで良かった


番外編です。時系列は話の流れ通りです。



 

 

 

 目の前に広がるのは、大きく綺麗に打ち上がる花。そして隣には好きな人。それだけで私の心は十二分に満たされていく。

 普段はどこか斜に構えている彼も、迫力ある花火を前にしてはまるで幼い子供のように目を輝かせている。

 

 そんな横顔が愛おしくて、少しでも距離を縮めたいという思いが一層強くなる。

 これまでに何度もアプローチをしてきたが当の本人はことごとく受け流し、私自身も深く追求することはしなかった。

 それを後悔したことは何度あっただろうか。あの時も、あの時も、あの時も。

 

 でも、今ならできる気がする。言える気がする。

 

 

「……トレーナーさん、私あなたのことが──」

 

 

 そんな私の告白は、一際大きな花火の音に掻き消され──

 

 

 

 ***

 

 

 

「──って、なる予定だったんですけどねぇ……」

 

「……あの、少しばかり夢見すぎではないですの、ダイヤさん? 相手はあのトレーナーさんですわよ? というか、そのシチュエーションだと私いないんですけど」

 

「マックイーンさんは多分そこらへんでりんご飴でも舐めてますよ」

 

「雑っ!? 貴方の想像とはいえ私の扱いが雑っ!?」

 

 そうでしょうか。マックイーンさんならりんご飴や綿飴といった甘味に誘惑されいつのまにかいなくなり、連絡がつかない中迷子センターまでトレーナーさんに迎えにきてもらうという様子が容易に想像つく。

 どうしてこの人は甘いものとトレーナーさんが絡んだらポンコツになるのだろうか。いい加減にしてほしい。

 

 と、心の中で想像の中のマックイーンさんに文句を言いながら思い切りため息をつく。

 

「はぁ、所詮はこんなの私の妄想でしかないんですよね。だってトレーナーさんはもう事故で──」

 

「いやいや、亡くなってませんわよ? 縁起でもないこと言わないでください?」

 

「でも、トレーナーさんがいないのは事実です。せっかくの花火大会、楽しみにしてたのに……」

 

「それは……そうですわね」

 

 私達は今日、夏祭り兼花火大会に来ている。だが、今ここにいるのは私とマックイーンさんだけだ。

 本来ならばここにトレーナーさん(とついでに一色さん)もいるはずなのだが、急な仕事が入ってしまったらしくてあえなくキャンセル。

 トレーナーさんが行けなくなった時点で私達も行かないという選択肢もあったが、せっかくならということで残された二人で花火大会に行くこととなった。

 

 大好きなマックイーンさんと共にできるというのは嬉しい。でも、マックイーンさんと同等かそれ以上の想いを寄せるトレーナーさんも一緒でないとその嬉しさも半減だ。

 せっかく今日のために浴衣も用意したというのに、なんだか損した気分。

 

「……とりあえず、今は目先の花火を楽しみませんこと? トレーナーさんへのお仕置きはまた後で考えたらいいことですわ」

 

「それでその後私が優しく慰めるんですね。お膳立てありがとうございます♪」

 

「どこまで行っても強かですわねぇ!? 最近貴方がぐいぐい来すぎてトレーナーさんもたじろいでるんですのよ!? ダイヤさんがそんなだから私の付け入る隙が少なくなっているような気がしてならな──」

 

 ドンッ、パッ。

 

 そんな効果音と共に、夜空に満開の花火が打ち上がる。

 それはマックイーンさんのお説教をも中断させるほどであり、かくいう私も一瞬我を忘れてしまうほどにはその光景に見惚れてしまった。

 

「人気の少ないところを選んで正解でした」

 

「そうですね、ここなら人混みが苦手なトレーナーさんも落ち着いて花火が見られそうです」

 

「……本当にダイヤさんはトレーナーさんのことが好きですわね」

 

「もちろんです。それはマックイーンさんもそうでしょう?」

 

「そうやって面と向かって言われるとなんだか気恥ずかしくも感じますが……世界で一番愛してる。そのつもりですわね」

 

 もしも自分の気持ちに少しでも迷いがあろうものなら、今の話も目を逸らして茶化し有耶無耶にしようとするだろう。

 でも、目の前の彼女はそうじゃなかった。しっかりとこちらを見据え、はっきりと本音を吐き出している。マックイーンさんの目には一点の曇りも無い。

 

「……次にこうしてゆっくりと花火大会に来れるのは来年ですよね」

 

「そうですわね。もう半年後にはURAファイナルズは始まっていますし、ここからさらに忙しくなるでしょうから」

 

 来年、か。その時にはURAファイナルズも決着がついている。

 

 全てのウマ娘に参加資格があるこのレース、もちろんライバルはマックイーンさんだけじゃない。

 私達の出走する長距離部門には、キタちゃんやルドルフ会長をはじめとした強豪ばかりだ。そんな傑物ばかりの中で優勝を目指すというのはとても簡単な話ではない。

 こればかりはジンクスどうこうで解決できないことは私でも分かる。

 

 それでも優勝したい、一番になりたいというのは欲張りだろうか、傲慢だろうか。

 

「URAファイナルズ、楽しみですね」

 

「ええ、今まで幾度の大舞台を経験してきましたが、これほどの規模というのは初めてですもの。心躍らないはずがありませんわ」

 

「ふふっ、マックイーンさんならそう言うと思いました」

 

 マックイーンさんは私にとっての憧れ。レースの経験も、トレーナーさんとの関係性の長さも、ほとんどが私よりも上だ。

 

 でも、いつか誰かが言っていた。憧れは、越えるためにある、と。

 

「マックイーンさん。私、URAファイナルズで優勝します。そして、来年のこの場所でトレーナーさんに思いを打ち明けます」

 

「……それは正式な宣戦布告と捉えても宜しくて?」

 

「はい。ここまできて抜け駆けはしたくありませんから」

 

「……二兎追うものは一兎も得ず。貴方は今、URAファイナルズでの優勝とトレーナーさんの両方を得ようとしていますわ。ライバルである私が言うのもなんですが、そんな気概では両方とも叶いませんわよ」

 

 厳しい口調で告げるマックイーンさんの言う通り、この気持ちは不純なものなのかもしれない。両方追いかけて両方取り逃す。よく聞く話だ。

 だったとしても、私はどちらも欲しい。レースで勝ちたいという気持ちも、トレーナーさんへの思いも、どちらだって疎かにしたくない。

 

 だから、私の答えは始めから一択だ。

 

「望むところです! そんな"ジンクス"、私がこの脚で破ってみせます!」

 

「……! 本当に大きくなった、いえ、元から貴方はこうでしたわね」

 

「マックイーンさん? どうかされましたか?」

 

「なんでもありませんわ。でしたら私も本気以上を出さざるを得ませんわね。むしろ、私が優勝してトレーナーさんに思いを告げるまでありますわ」

 

「なっ!? そ、それはずるいですよ! 私が考案したのに!」

 

「あら、別に良いではないですか。ダイヤさんが優勝すればいいだけの話ですのに。ああ、もしかして自信が無くなったんですの?」

 

「っ! いいですよ! マックイーンさんもキタちゃんも皆まとめて私が差し切ってあげます!」

 

 そう言って火花を散らしたのも束の間、睨み合いの末になんだかおかしくなってしまい、つい二人同時に吹き出してしまう。

 

 夏の思い出作りのために花火大会に来たが、肝心のトレーナーさんはいない。頼れる大人もいないこの状況、中学生である私達はそろそろ帰らなければならない時間であり、少々物足りない気分だ。

 それでも、今日のことは一生忘れないだろう。この先どんな未来が待っていようと、私はきっとこの日を思い出す。

 どうせ思い出すなら明るい未来で思い出したい。そのためにも、URAファイナルズを全力で走り切らなければ。

 

「帰りましょうか」

 

「はい、そうですね」

 

 ひとしきり花火も打ち上がったところで寮に帰るために駅へと向かう。

 しかし、そう考えていたのは何も私達だけではない。その道のりには花火を見て帰る大勢の人で溢れており、なんとか前に進むだけでも精一杯だ。このままでは駅に到着したとしても電車に乗れるかどうか怪しい。

 いっそのこと家の車を出した方が良いのではないか。

 

「マックイーンさん、このままだと帰りが遅くなりそうですし、家の車を出すのでそちらで……あ、あれ、マックイーンさん……?」

 

 帰りの相談をしようと振り返ったが、さっきまでそこにいたはずのマックイーンさんはどこにも見当たらなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「………………やっぱり繋がらない……」

 

 あのまま人混みに当てられていても埒があかないので、一旦その場を離れてマックイーンさんに連絡を取る。

 しかし、混み合った電波はなかなかそうさせてくれず、事態は好転しないまま。

 

 もしかしたら先に駅に向かっているのではと思ったが、マックイーンさんがはぐれた私を置いて一人駅に向かっているとは考えづらい。

 駅に向かった時点で再び花火大会の場所へ戻るのは困難だろうし、彼女も彼女でそれは最終手段としているはずだ。

 

 あーあ、こんなことなら、もしはぐれてしまった場合のプランを話し合っておくべきだった。

 

 後悔をしつつ、出店の近くを徘徊してマックイーンさんを探す。彼女のことだ、りんご飴やかき氷を食べながらひょっこり現れてもおかしくない。

 しかし、本人が聞いたら憤慨しそうな期待を抱いて出店を回るも、一向に彼女の姿が見つかる気配は無かった。

 

 次第に意識は出店へとシフトして心惹かれてしまう。ヨーヨー釣りや金魚掬い、たこ焼き屋さんに綿飴屋さんなど、私にとって未知の領域ばかりで……うん、大丈夫、マックイーンさんのことだ。きっと一人でもなんとかするだろう。

 

 先程までの後悔はなんだったのか、出店の目新しさと一人で行動するという背徳感により、一瞬で心を入れ替え残りのお祭りの時間を楽しむことにした。気持ち、切り替え、大切。

 

 さて、早速何から始めようかと周りを見渡したところ、最初に射的屋さんが目に映る。いや、正確には射的による景品か。

 

 その景品というのは、私とマックイーンさんのぱかプチだった。ぱかプチ自体は有り余るほどクレーンゲームで取ってはいるが、マックイーンさんのは多いに越したことはないし、私のはトレーナーさんにプレゼントすればいいだけだ。

 

「あの、おじさま。射的やりたいのですがいいですか?」

 

「……んおっ? 嬢ちゃんもしかしてサトノダイヤモンドかい?」

 

「えっ? あ、はい、そうです」

 

 どうして名前をと思ったが、考えてみれば当たり前か。私のぱかプチを景品としてくれているんだ、知っていても何ら不自然ではない。

 

 挑戦するためのお代を支払い、銃と六発の弾を手にする。

 ドラマで見た知識を活用し、スナイパーがよくやるポーズを真似して準備万端だ。

 

 まず狙うは私のぱかプチ。今日来られなかったトレーナーさんのために必ず取ってみせます。

 

「えいっ!」

 

 そう息巻いて初弾を放つも、弾は明後日の方向へと飛んでいった。おかしい、構えは完璧だったはずなのに。

 

 続く二発目三発目四発目も外し、なかなかどうして難しいことをようやく理解する。

 

 舐めてかかってはかすりもしない、もっと集中力を高めなければ。例えるならそう、年末の大一番、有記念で一番人気になった時くらいの緊張感で……

 

「今です!」

 

 五発目にして、ようやく弾丸はぱかプチへと命中する。

 しかし、当てた場所が悪かったのか、耳を掠っただけのそれは少しだけ動いたように見えたものの、景品獲得と言うにはほど遠い結果に終わった。

 

「むぅ……なかなか落ちない……」

 

 残るは後一発。お金はまだまだあるのでリベンジはいくらでもできるが、可能ならばここで抑えておきたい──

 

 

「ははっ、まだまだだなぁ」

 

 

 そんな声と同時に、私の銃がひょいと盗られた。集中していたところにこれなので驚きながら振り返ると、そこにはトレーナーさんの姿が……トレーナーさん!? 

 

「ど、どど、どうしてここに!?」

 

「話は後だよ。マックイーンはどこ行ったとか聞きたい話はあるけど、とりあえず射的なら僕に任せときな」

 

「任せてって……でも一発しか残ってないんですよ!?」

 

「引き金は二度も引かねぇ、一発で充分だね」

 

 そう言ってトレーナーさんは銃をできる限り景品に近づけるようにして身を前に乗り出す。

 直前の格好つけた発言は何だったのかと思うくらい不恰好な姿だ。なりふり構わないような構えに、苦笑いすら浮かべることができない。

 

 

 それでも、そんな彼の姿は世界で一番素敵だ。そう思ってしまうほど、私はこの人が──

 

 

「……狙撃っ!」

 

 トレーナーさんが撃った弾は一直線に私のぱかプチへと命中して弾かれ、そのまま私の方へと……えっ? 

 

「あうっ!?」

 

「ダイヤ!?」

 

 咄嗟のことで避けることができず、私のおでこにクリティカルヒットした。

 幸いなことに威力はほとんど弱まっていたので痛みはなかったが、驚きで尻もちをついてしまった。

 

「大丈夫か? 立てるか?」

 

 いち早く私を心配して手を差し伸べてくれるトレーナーさん。そんな彼の後ろの景品棚に私のぱかプチはない。つまりは景品獲得だ。

 

 おでこにはまだ弾が当たった感触が残っている。そこを摩り、私は伸ばされたトレーナーさんの手を取った。

 

「……えへへ、おとされちゃいました♪」

 

「……? あ、ぱかプチのことね。ちょっと格好悪かったかもだけど、君のぱかプチだもの。恥を忍んででもゲットしなくちゃな」

 

 もうこの人の鈍感さにも慣れたものだ。多分、私の発言の真意を理解してもらえる日は二度と来ないのだろう。

 

 心の底からトレーナーさんが好き。いつものようなふざけた雰囲気ではなく、真剣にそう伝えたら彼はどのような反応をするのだろう。

 

 あと一歩、あなたに近づくことができたなら。

 

 そう考えるも、きっといつもと変わりはしない。そもそも、私は一度この人を押し倒したことがあるのだ。

 それでも関係性が変わらないということは、やはりまだこの気持ちを成就させるべきではないのだろう。

 

 今はまだこのままで。トレーナーとしてのあなたを見て、教え子としての私を見られて──

 

「トレーナーさん」

 

「ん、どうした?」

 

 

 ああ、本当に。好きになったのが──

 

 

「──あなたで良かった」

 

 





クリスマスに夏祭りの内容投稿するやついる? いねぇよなぁ!


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URAファイナルズ議事録 その2


前回の番外編の少しだけ前のこと



 

 

 

「っ、はぁぁぁ! やぁぁっっっと今日の仕事終わったあっ! なーんで週末にこんなことしなくちゃなんないんですか!! バカなんですか! 死ぬんですか!?」

 

「今回ばかりは同意だ。まさか急な呼び出しがあるなんてな……。おかげで今日の予定全部キャンセルだよ」

 

「ほんとですよ! せっかく今日はマックちゃんサトイモちゃんと夏祭りだったのに! ああもうクソッ、前の車おっせぇなぁ! 煽ってんのかぁ!? あぁん!?」

 

「おーい、ちゃんと運転して? まだ死にたくないんだけど」

 

 人格変わりすぎだろ。何なの? 多重人格? 君もしかして葛飾区の本田さん? 

 

 URA本部からの車での帰り道、どういった風の吹き回しか、運転手の役を買って出た一色と共に各々愚痴を募らせる。

 

 彼女の言う通り、本来ならば今日はあの二人と夏祭りに行く予定だったのだ。

 人混みは苦手なのであまり乗り気じゃなかったが、いつもの如く僕に拒否権は無かったらしく、隣のバカも加わって気が付いた時には既に退路は絶たれていた。

 

 急遽仕事が入り結果的には夏祭りには行かずに済んだが、その代償はあまりにも大きい。

 ああ、あの二人絶対怒ってるだろなあ……口では仕方ないですとか言ってくれるだろうけど、確実に思うところはあるだろうし……

 

 ま、まあ考えすぎても仕方ないよな、うん。そもそも、こんなこと考えてる時点で自意識過剰ってもんだ。

 そう、常に孤高の存在であり、誰からも気にされず生きてきたこの人生。高校生の時のネットのユーザーネームは『ボッチマスター』だった僕に死角は無──

 

「──ん」

 

「うん? どしました、せんぱい。おねむでちゅか〜?」

 

「いや、ちょっと疲れてただけだ。問題ない」

 

「……わたしが運転して正解でしたかね。着いたら起こすので、寝てても大丈夫ですよ」

 

「そういうわけにもいかんだろ。第一、この乗り心地じゃあ寝ようにも安心して寝られないよ」

 

「は? わたしのドライビングテクニックにケチつけてます?」

 

 あんな口悪く運転してたら誰でも不安になるだろ。実際ちょっと運転荒っぽいし。

 なんだろう、こいつの運転にはチラホラ闘争本能が垣間見える気がする。いつも間近で見ている何かに似ているような……

 

「好意を無碍にされたのは腹立ちますけど、やっぱり寝ててください。その……心配なんですよ。せんぱい、見るからに寝不足ですし。前科持ちですから」

 

「そんな犯罪者みたいな言い方……でも、そうするよ。一色が気を遣ってくれるなんて滅多にないからな。天変地異の前触れとでも思っておくよ。あ、遺書残しといていい? これから交通事故で死ぬかもしれないからさ」

 

「前言撤回です、やっぱり寝ないでください。わたしの話し相手にでもなってもらうことを命じます」

 

「へいへい、分かりましたよー」

 

 助手席でぶーたれて不貞腐れる一色を揶揄いながらそんな他愛のない会話をする。

 それなりに付き合いも長いし何度も会話しているからか、一色と過ごす時間は悪くないと感じてしまう。

 まるで10年来の悪友のような関係だ。いや、そんな関係の人はいないのだが。

 風の噂によれば、文化祭サボって空き教室で一緒にゲームしてたI君は既婚者だそうじゃないか。ちくしょう! どいつもこいつも家庭を築きやがって! おめでとう、幸せになれよ! 

 

 そう思い過去をゴミ箱に投げ捨てて目を瞑り、雑に一色に話を振る。

 

「んで、話し相手になれとは言われたがなんか話題でもあんのか? 言っとくが、僕は面白い話はできないぞ」

 

「知ってます、だってせんぱいですもの」

 

 どういう意味じゃコラ。

 

「だから、今日はせんぱいには己を曝け出してほしいなって」

 

「は? 己をって……いやいや、割と自然体なんですけど」

 

「本当ですかぁ? ほれほれ、吐いちゃってくださいよ〜」

 

「ちょ、おい、ちゃんと運転しろって。マジで事故るぞ。ったく、何を吐けってんだ」

 

 運転手が助手席の人間にちょっかいかけるなよ。真面目に運転してくれ。

 そう訴えかけると、一色は分かってますよと一言呟き車を停める。

 何かあったのかと薄目を開けると、信号は黄色から赤に変わる直前だった。

 

「んじゃまぁ単刀直入に聞きますけど……マックちゃんとサトイモちゃんのこと、どう思ってますか」

 

 そう問いかけてくる一色、いや、問いかけると言えるのかも怪しい。彼女の言い方では言葉の最後に疑問符が付いていない。

 まるで答えることを、応えることを強要しているかのような話し方だ。

 

 遠くで花火が打ち上がる音を聞き、薄目を開けたままの瞼を閉じて視覚をシャットアウトする。

 

「……大事な大事な教え子さ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

「でもあの子達の好意には気がついてますよね? それもかなり昔から」

 

「どうかな。僕がどんな風に答えようが、お前がそれを真実と確かめる術は無いんだ。それでも一応否定はしておくけどね」

 

「素直じゃありませんねぇ〜。大方、トレーナーとウマ娘の関係は清廉潔白であるべきーだとか思ってんでしょうに」

 

 マックイーンとダイヤのことをどう思ってるか。そんなアバウトな質問に対してこちらもアバウトな回答を用意した。

 しかしそれでは満足しなかったのか、一色は核心をつく言い方をせず、言葉を足して継ぎ剥いで、土足で僕のプライベートゾーンへと侵入してくる。

 それが多少不愉快にも思え、仕事での倦怠感も合わさり苛々してしまう。

 

「……そんな何回もされた質問を今更ぶつけてきて、今更何が言いたいんだよ」

 

「じれったいんですよ、あなた達三人見てたら」

 

「……は?」

 

「せんぱい、そろそろあの二人の気持ちに真剣に向き合うべき時なんじゃないですか?」

 

「それは……」

 

 向き合おうとしたさ。何度も何度も、あの子達が下手くそで強引なアプローチをしてくる度にそう思った。

 時には不覚にも心を奪われることもあったし、物理的に身体を奪われそうになったことあった。

 

 でも、何もかけられる言葉が無かった。

 

 コミュ障が事前に台本を作っとかないと話すことすらできないのとは違い、そもそもこの場合は台本すらも書き上げることができない。

 どんなにそれっぽい言葉を取り繕ろおうとしても、どこかそれらを安っぽく感じる自分が必ずいる。

 結果的には茶化して誤魔化して。彼女達もどこかそれを良しとしている節がある。

 

 そんなぬるま湯が、僕は好きだったから。

 

「……あの子達も察してくれてるんだよ。トレーナーと担当ウマ娘が……その、なんだ、そういう関係になるのはまずいって」

 

「でしょうね、分かります。じゃなかったら既にせんぱいの貞操はありませんもの」

 

「ははっ、面白い冗談だな。…………冗談だよな? なんでちょっと目逸らした? おい、嘘でも冗談って言えよ」

 

「まあそんな話は置いといてですね。わたしが何を言いたいのかというと、想いは伝えなきゃ何の意味も持たないってことですよ」

 

 置いとかれたら困るんだが……。

 

 一色の言うことに思うところがないわけでは無い。

 僕だっていい年した大人である以上、本音と建前の使い分けはそれなりにできるようになっているつもりだ。それがいつの間にか、話し相手を選ぶわけでもなく建前の割合が多くなってしまっている。

 いかんせん仲の良い友達と呼べる存在がいない以上、本音を曝け出せる相手がいないというのもこんなモンスターが生み出された一つの原因だろう。

 

 だけど、もし自分が想いを伝える方法を知らないだけだとしたら……? 

 

「どうです? 少しは気が楽になりましたかね?」

 

「別に、大して変わらないよ」

 

「やっぱり素直じゃないですね。まっ、肝心な時に口下手なせんぱいですから、伝えようにも伝えられないかもしれないですけど。試しにわたしのことどう思ってるか言ってみてくださいよ」

 

「はいはい、世界一可愛いよー」

 

「うっわテキトー……せっかく回りくどく恋敵の応援してあげたのに」

 

 言うほど回りくどかったか? 割と直球で聞いてきたと思うんだが。

 けど、誰に何を言われようが僕の気持ちは変わらない。少なくとも、あの子達が在学中は今の状態を維持し続けるだけだ。

 

「うおっ」

 

 そんなことを考えていると、中々の速度で運転していた車が急に停止する。

 それに驚いて目を開けると、そこは見覚えのある場所だった。

 

「ここは……夏祭りの会場の近く?」

 

「まだ時間、ちょっとだけありますよ。行ってあげなくていいんですか。あの子達、きっとまだ残ってます」

 

「いや、でもこんな時間じゃほとんど回る時間も無いだろ。それに残ってるって確証なんてどこにも……」

 

「その時はその時で諦めてわたしと飲みにでも行きましょう。もちろんせんぱいの奢りで高いご飯でも」

 

 こいつマジで……。粋な計らいした風出してるんだから最後まで格好つけろよ。

 

「お前はいかないのか? 元々一緒に行く予定だっただろ」

 

「こんな人の多さじゃ駐車場なんてどこも空いてないですよ。ほら、もたもたしてるとこのまま出発しちゃいますよ?」

 

「……んじゃま、行ってくるわ。お前に飯奢るのも癪だしな」

 

「最後まで素直じゃないんですから……」

 

 仕事用の荷物をほっぽって、スマホと財布という最低限の装備を身につけて車を降りる。

 正直一色に言われたことはお節介だと感じてしまう。それでも彼女なりに気を使ってくれたんだ、今度何か奢って──

 

「せんぱい! 一つアドバイスです!」

 

 窓から顔を出して僕のことを呼ぶ一色。僕は振り返らず立ち止まり、その声に耳を傾ける。

 

「言葉だけで全部伝わってたまるもんですか! ごちゃごちゃ考えず、あの子達の喜ぶことをしてあげてくださいよ!」

 

 言葉だけで、か。妙に彼女の言うことが頭の中で反響したまま、礼と言わんばかりに片手を軽くあげる。

 

 ごちゃごちゃ考えず、あの子達の喜ぶこと。

 

 そんなこと、その時になってみないと分からない。そしてこれは、一色の手を借りちゃいけないことだ。僕一人で考え抜かないといけない。

 

 でも、今は焦らずゆっくり、

 

「ぼちぼちやったりますかねぇ……ボッチだけに……へへっ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 せんぱいの後ろ姿を見送り車を発進させる。その時一瞬見えた彼のニヤついた気持ち悪い笑みを見て、どうせまたくだらないことでも考えてるんだろうなと思い苦笑してしまった。

 

 夏祭りなだけに交通規制は厳しいが、それとなく会場から近い場所に適当に停車して時間を潰す。

 

「何やってんだかなぁわたし……」

 

 ふと漏れた独り言は後悔か、あるいは無念か。どっちであってもいけないのだろうが、きっと今のわたしにはそのどっちもだ。

 

 なら、なぜあんなことをしたのかと言われるとそれはそれで弱ってしまう。

 本当にせんぱいのことが好きならわざわざマックちゃんやサトイモちゃんの手助けになるようなことなんてせずに帰ってしまえばよかったのに、と。そう言われても仕方がない。

 

 積極的にアプローチを仕掛けているつもりでも、その実わたしのやり方は意外とそうでもない。

 学生で未成年なマックちゃん達と違い、わたしとせんぱいは同僚、つまりは結ばれてもなんら問題は無い関係だ。

 なのにわたしと来たら、付き合ってくださいじゃなくて貰ってください、今すぐじゃなくて10年後と、とても面倒臭い女みたいになっている。

 

 ええ、分かってますよ。わたしもわたしが面倒臭くてどうしようなく思ってます。

 せんぱいに素直じゃないと言ったが、どの口がそんなことをと何度も心の中でツッコんだことか。

 

「……ん?」

 

 ドアガラスがコンコンと叩かれた音に反応し、咄嗟に顔を上げてしまう。適当なところに停めてしまったため警備員さんに注意を受けるかなと思ったが、そこにいたのは意外な人物……って──

 

「うわあ!? マックちゃん!? な、何やってんの窓ガラスなんかに張り付いて!」

 

「うう……ダイヤさんとはぐれてしまって……電波も悪いですしどうすればという時に見覚えのある車を見ましたので……」

 

 あちゃあ、せんぱいとマックちゃんが入れ違ってしまったか。

 こうなってしまったらこの二人を鉢合わせるのは難しいだろう。よし、諦めよ。

 

 マックちゃんを助手席に乗せて学園へと車を出す。せんぱいとサトイモちゃんには電車で帰ってきてもらおうか。

 

「ところで、どうして一色さんがこちらに? 今日は急な仕事が入ったとかでトレーナーさんとURAの本部へと向かったはずでは……?」

 

「あー、それね。早く終わったからついでに花火見に寄っちゃった」

 

「なるほど。して、トレーナーさんはどこへ?」

 

「それはね……」

 

 いや待てわたし、ここで素直にせんぱいがサトイモちゃんの下へ向かったと言っていいのだろうか。

 独占力の強いこの子のことだ、それを知ると今すぐにでも車を降りて走り出してもおかしくはない。なんとか誤魔化さなければ。

 

「あ、あー、あの人なんか行きたいところがあるとか言って本部で別れちゃった。どうせせんぱいのことだし、わたしに付き合わされると踏んで別行動を取ったとか……」

 

「ふむ……この助手席、少し温かみがある……それにこの匂い……間違いありませんわ! さっきまでトレーナーさんがここにいましたわね!」

 

「……えっ、こわ」

 

 匂いとか言っちゃったよこの子。一瞬頭が理解に苦しんでショートしてしまった。

 正直この感じだと誤魔化すのは無理そうなので、マックちゃんとせんぱいが入れ違いになってしまったことをそれとなく説明する。

 要はせんぱいを売ったってことだね、ごめんなさい。

 

「はぁ……トレーナーさんとダイヤさんが二人きりでいるかもしれないというのは少々妬けますが、今から動くと今度こそ帰れなくなりそうなので大人しくしておきますわ」

 

「あら意外、マックちゃんのことだから今すぐにでもドアこじ開けて人ごみ掻き分けせんぱい達のとこ向かうと思ったのに」

 

「一色さんは私のことどういう風に思ってますの!?」

 

「薬使って男惑わせようとしたやべーやつ」

 

「……いえ、それはタキオンさんの陰謀であって決して私は関与してないと言いますか……」

 

「学園内の噂ではそうなってるね。でもわたしはせんぱいから全部聞いたよ?」

 

「分かりました、後であの方しばきます」

 

 本日二回目のせんぱい売り。というかこのことに関してはマックちゃんの自業自得だと思うんだけど。

 

 ぶつぶつとせんぱいへの文句を垂れ流すマックちゃん、そして無事に会えていたら今頃楽しい時間を過ごしてるであろうサトイモちゃん。

 この二人のおかげでせんぱいは割と愉快な性格になった。

 

 ああ、本当にあなたは変わったよ。

 あの頃の、何も関心を持たない、何の興味も持たないせんぱいとは全然違う。

 

 きっとせんぱいは進んで自分の過去については話したがらないだろう。

 友達のいないあの人にとって、彼の過去を詳しく知るのはわたししかいない。

 

「……ふふっ」

 

「……? どうかされましたの?」

 

「ううん、君達はほんとに仲がいいなって」

 

「ええ、それほどでもありますわよ」

 

 せんぱいとの信頼関係ではマックちゃん達には敵わないという劣等感と、マックちゃん達の知らないせんぱいの顔を知っているという優越感。

 相変わらず大人気ないと思いながらも、言葉を濁して雑に会話を流す。

 

「……あっ」

 

「ん、どしたのマックちゃん。そんなおマヌケの声出しちゃって」

 

「一言余計ですわよ。その、そういえばやらなければならない宿題を忘れてまして」

 

「宿題? なに、夏休みの宿題そんな切羽詰まってるの?」

 

「いえ、期限はまだ先なのですが、早めに取り掛かったほうが良いと思いまして」

 

 ああ、宿題という響きがもう懐かしい。わたしは授業すらも時々サボる不良学生だったからまともに取り組んだ覚えはあまりないけど。

 

「宿題ってどんなの? 聞く限り英語とか数学みたいな感じじゃなさそうだけど。自由研究か何か?」

 

「それが……"将来の夢について"というテーマでレポートを書かなければならなくでですね……」

 

「うわっ、なにそれめんどくさっ!」

 

 子供に夢を抱かせるというのは大事だが、一寸先はダークネスと言わんばかりの歳であるマックちゃんらに、それを文字という具体的な形で示させるというのは酷な話だ。

 わたしなんて中等部の時はこんな仕事に就くなんて考えてすらいなかったのに。

 

「でもマックちゃんはメジロ家のウマ娘でしょ? 言い方悪いけど、なにも思いつかなかったら最悪敷かれたレールみたいな感じで後継ぎですってのもありだよね。そういうこと書いときゃ教師ウケもいいし」

 

「この大人悪いことしか言いませんわね……いえ、その選択肢もあるのですが。というか、そういう一色さんは学生の頃の将来の夢はなんだったんですの?」

 

「不労所得」

 

「……トレーナーさんみたいなこと言うのやめてくれません? なんて夢のない……」

 

 なにが悪いのよ。いいじゃん、働かずにお金貰うのは誰しも一度は夢見たことでしょ? 

 

 にしても、将来の夢かぁ。ウマ娘であるわたしがウマ娘のトレーナーになることを決意したのもせんぱいが原因だし、逆もまた然り……

 

「……ねえねえマックちゃん。わたしが現役時代の時にせんぱいと知り合いだったって話、あれざっくりとしか説明してなかったよね」

 

「え? え、ええ、あの時は主に一色さんのレースについての話でしたし……」

 

 やっぱり、このことはわたしの胸の内にしまっておくのは勿体無い。

 どうせなら、"今の"担当ウマ娘であるメジロマックイーン、サトノダイヤモンドも知っておくべきだ。

 

 

 せんぱいの原点について。

 

 

「もっと詳しい話、聞きたくない?」

 

 





自分、過去編いいっすか?


あと10話で終わる予定です。多分、きっと、おそらく。

ですので、最後までお付き合いいただけたら幸いでございます。


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過去の時間


とある人物視点のお話。



 

 

 

 つまらない。

 

 そんな陳腐な言葉で言い表すことが可能なほど、今のアタシの心境は穏やかとは言い難かった。

 

 

 学園に設置された、グラウンドの横にある観戦席で、お日様の光を浴びながらボーっと他の子達が走る姿を眺める。

 流した汗も悔し涙も、将来必ずいい思い出になると信じているウマ娘達の姿を見ていると、なんだか自分が滑稽に思えてしまい鼻で笑ってしまう。

 

 そして、青春キラキラしている彼女達を見守るのは何もアタシだけじゃない。

 ウマ娘が走る上でなくてはならない存在であるトレーナー。そんな職種の人達は、この真冬の中でも文句一つ言わずトレーニングの様子を真剣に見守っている。

 

「っ、さむ……」

 

 ウマ娘であるアタシが言うのもなんだが、トレーナーというのはなんて面倒な職業なのだろうか。

 トレーニングメニューやレースのローテーションを考えるのはまだしも、休みの返上や日々の雑務、なんなら薄給とも聞く。

 

 苦労して合格したであろうトレーナー試験も、その先にある結果がこれでは彼ら彼女らも浮かばれないだろう。

 トレーナーになるだけの能力があるんだからこんな仕事さっさとやめて地方公務員にでもなればいいのに。

 まあ、トレーナーが不足しているというのはよく聞く話なんだけどさ。

 

「あ、こんなところにいた」

 

 聞き覚えのある声に反応してそちらを見れば、そこにいたのは今の自分にとってのライバルであるクラスメイトだった。

 アタシと彼女は度々レースで凌ぎを削っている。尤も、それが本格的になったのはダービーであの子が引退してからの話だけど。

 

「……なんだ、またミツハタか。なに、まさか探しに来たっていいたいわけ?」

 

「そのまさか。もう授業始まってるのよ? セイちゃんたらまた行方不明になっちゃったから、先生に探してきてくれって頼まれちゃったの」

 

「ふーん、それはお疲れ様。無事見つかったことだし教室戻りなさいよ。あと、セイちゃんって言うのやめて」

 

「連れて帰るまでが私のお仕事なのです。セイちゃんもそれくらい分かってるでしょ?」

 

「ちっ」

 

 隠すことなく舌打ちをしたのだが、ミツハタは顔色一つ変えない。

 

 とある日を境目に、アタシはこうしてことごとく授業をサボり、その度にミツハタに捜索されている。

 だが、一度として授業に戻ったことはない。軽い注意はあったとしても、先生達もそれを強く非難することはなかった。

 

 それもそのはず、アタシがこうなってしまったのにはそれなりの理由があるから。

 

「……トレーナーさんのこと、引きずってるのね」

 

「別に……人生こんな理不尽山ほどあるんだし、引き摺ってなんか……」

 

「ハンカチあるよ?」

 

「あっち行ってよ。あと、泣いてなんかない」

 

「……うん、分かった。単位落とさないように気をつけてね、セイちゃん」

 

 そう言ってミツハタはアタシの側を離れていく。こうして突き返すのももう何度目だろうか。

 

「……グスッ、トレーナーのばか」

 

 アタシにはトレーナーがいない。否、いなくなったと言った方が正しい。

 

 二ヶ月前、トレーナーが死んだ。原因は深夜帯においての交通事故。

 大胆にも大通りで信号無視をしてきた高級車に真横から追突され、トレーナーの乗る自家用車は大破。運転手の生死は言うまでも無い。

 最初はそれがただの事故だと認められなくて警察に事実確認を行った。でも、何度確認してもこれは不運な事故として処理せざるを得ないほどこれといった証拠は出てこなかった。

 

 そこから先はよく覚えてない。最後の一冠と息巻いていた菊花賞も、セントライト記念も、中山特別も全て負けで終わった。

 中山特別に至っては掲示板の外だ。下から数えた方が早い。

 

 これじゃあ死んだトレーナーに顔向けできない。一人で走り続けるのが難しいことと、身近な人が急にいなくなると、こんなにも普段の力が出せなくなることを分からされる日が来るなんて思いもしなかった。

 

 何か変えなきゃと思いながら走っても、結局最後は納得のいかない終わり方をする。無闇に突っ走ったところで、アタシなんか──

 

「──ん、誰? またミツハタ?」

 

「いや、違いますけど」

 

 人の気配を感じ、概ねミツハタだろうとあたりをつけて振り返らずに気配の主を問うと、帰ってきたのは低い声だった。

 なので気になってそちらを見ると、そこには他校の制服を来た男の子が一人。

 

「……誰? 不審者?」

 

「違うって。この入校証明書見ろよ、どこからどう見ても見学者だろうが」

 

 ほう、たしかに。男の子の言う通り、どうやら彼は不審者ではないようだ。

 例え不審者だったとしても、人間程度軽くいなせるからどうだってよかったけど。

 

「なんで他の学校の子がトレセンの見学に来てるわけ?」

 

「インターンでな。今日から週一でここに来ることになったんだよ」

 

「インターンって……アンタまさかトレーナー志望なの?」

 

「まさか。サイコロ振ってランダムに決めたんだよ。そしたらここになっただけだ」

 

「ええ……」

 

 いくらなんでも適当すぎやしないだろうか。自暴自棄になりかけてるアタシよりも生きるのが雑だぞこの人。

 

「……ほんと、めんどくせぇよなぁ」

 

「ん? どうしたの?」

 

「いや、なんでも。インターン終わったらこんなところ二度と来ないだろうなって思ってな。どうせ大学に行くかどっか別の所に就職するかの二択なんだし」

 

「ふーん、どうせなら大学行っときなさいよ。そこでやりたいこと見つかるかもしれないわよ?」

 

「そう言うやつは大抵見つからないんだ。大体は四年間を無為にして終わる」

 

「斜に構えてるのね」

 

「うるせぇな」

 

 本気で嫌そうな顔をする男の子を見るに、自覚はあったんだろうなと思いつい口元が緩んでしまう。

 そんなアタシを見たからなのか、男の子はさらに不機嫌になってしまった。

 

「というか、そういうお前は何してるんだよ。今授業中だろ? 十中八九サボりだろうが、今日日不良キャラは流行らねぇぞ」

 

「サボりなのは違いないけど……そうね、アタシのトレーナー、ちょっと前に死んじゃったのよ。それからレースも何にもうまくいかないから、やけ起こしてこうしてるっていうか……」

 

「…………悪い、配慮が欠けてた」

 

「今の嘘って言ったら?」

 

「はっ倒すぞ」

 

「あはは、冗談冗談、ほんとのことよ」

 

「それはそれでどうなんだ……」

 

 げんなりする男の子を見て少しだけ元気が湧く。決して嗜虐心を煽られているわけではなあが、この人との会話は何故だかとてもスムーズだ。

 

「ん……? そういえば、ウマ娘ってトレーナーが付いてないとレース出れないんだろ? お前のトレーナーは、その……いないのになんでレース出れてるんだ?」

 

「サイコロで決めた割には詳しいわね。学園に特例で許可貰って走ってるのよ。アタシって優等生だから。優等生だから!」

 

「二回言った……」

 

「……でも、その結果が三連敗。トレーニングメニューもローテーションも自分で決めてこなして。自分の身体は自分が一番良く分かってるつもりなのに、トレーナーがいなくなった途端駄目になっちゃうのって笑っちゃうわよね」

 

「トレーナー試験はT大よりも合格が難しいって言われてるからな。お前のトレーナーも相当な切れ物だったってことだろ」

 

「……え、まじで?」

 

 改めてトレーナーの能力の高さに驚いてしまう。難しいことは知っていたが、まさかそこまでだったとは。

 

「にしても、自分でトレーニングメニューやローテーションを組んでるのか。なんだ、そっちに専念したらいいトレーナーになれそうだな」

 

「やめてよ、アタシの夢公務員なんだから」

 

「へぇ、現実的。ウマ娘なんだからもっとビッグドリーム掴みに行ったらいいのに」

 

「余計なお世話よ。そういうアンタの夢はなんなのよ。少なくともトレーナーじゃないんでしょ?」

 

「俺? 不労所得だが?」

 

「うわ……」

 

「は? なにが悪いんだよ。いいだろ、働かずに金貰うのは誰しも一度は夢見たことだろうが」

 

 もう発言からしてダメ男臭が漂ってる。アタシとは全くの真逆の性格をしている。

 そんなダメダメそうな彼なのに、態度は誰よりも堂々としている。

 それに比べてアタシは……

 

「はぁ……」

 

「なに、急にため息なんか」

 

「ううん、アタシってもうダメなのかなって」

 

「いや、三連敗とはいえたかが数回の負けくらいで……。ほら、なんとなくだけどお前って強いんだろ? だったらそんな落ち込まずに次に……」

 

「いい? レースってのは絶対じゃないのよ。それに──」

 

 そんな簡単な話じゃない。男の子の言葉を遮り、首を横に振って彼の言うことを否定する。

 

「友達もいない、勝ちたかった相手も怪我で引退、頼れるトレーナーも二度と会えない。ずっと燻ったままで、こうして殻に閉じこもってばかり」

 

「……」

 

「最初はね、トレーナーが死んだって聞いても未来に不安はなかった。もちろん悲しかったし泣いたけど、それでも一人でなんでもできるって思ってた」

 

「で、実際はそうじゃなかったと」

 

「……ん、孤独なのがこんなに辛いんだって、あの人がいなくなって初めて分かったわ」

 

 考えてみれば、物語の主人公は常に周りに仲間が溢れてる。

 友情、努力、勝利という方程式はあながち間違いではないのかもしれない。

 

 対してアタシはどうだろうか。仲間はもちろん、友達と呼べる友達なんていない。

 アタシにいるのはライバルだけ。それも、ライバルと書いて友と呼ぶなんてことは無理がある。

 

「何か変えたいって無我夢中で走った。でも、ひとりぼっちで迷い込んだ世界には、夢の一欠片すらも見つからない。そんなアタシなんて──」

 

「ふーん、強いんだな、お前」

 

「……は?」

 

 想定してなかった男の子の一言に気の抜けた声が出てしまう。この人は何を言っているのだろうか。

 

「ドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウアーって知ってるか?」

 

「いや、知らない……」

 

「ショーペンハウアーはこう言ったんだ」

 

「え、怖い、勝手に話進めないでよ。何言って──」

 

「『孤独は優れた精神の持ち主である』ってな」

 

「何を言って……」

 

「俺はウマ娘のことは分からないけどさ、大事な人を失って尚立ち止まらず走り続けるのはすごいことなんじゃねぇのかな。そんなこと、大抵の人はできないだろうし、頑張ったんだなって」

 

「……あ」

 

 この三ヶ月、ほとんどの人がアタシに深く関わってこなかった。事情が事情だし、気を遣ってくれたのだろう。アタシと他人には明確な壁があった。

 それが今日になってようやく壊された。それも、初めてあった一人の男の子によって。

 別に他人に認められたいわけじゃない。それなのに、彼の『頑張った』の一言を聞くと、なんだか込み上げてくるものがあって……

 

「そ、それに、孤独ってのは必ずしも悪いことじゃない! 自分の時間と向き合い、物事を深く考えるチャンスだ! だから友達がいない俺も悪くない!」

 

「素直に尊敬させてよマジで……」

 

 さっきまでのはなんだったのだろうかと思うくらいの速度で込み上げてきたものは秒で引っ込んだ。

 

「まあでも、なんて言うの。それで上手く行くんだったら苦労はないさ。一人で生きてくのってやっぱ限界があるからな」

 

「孤独が云々言ってたのにさっきと言ってること違うんですけど」

 

「まあ最後まで聞け。この社会は互恵関係で成り立ってる。皆が誰かしらに支えられて、自分が知らないうちに他人を支えてることもあるんだよ。お前の走りが誰かの支えになってるかもしれないんだぜ? そう卑屈になる必要なんてねぇよ」

 

 アタシの走りが誰かの……

 

 このまま負け続けるのは嫌だ。そのためにも、亡くなったトレーナーに変わる新たなパートナーを見つけるのは一番の近道だろう。でも、今のアタシにそんな人が見つかるなんて……

 

「……とても友達がいない人のセリフとは思えないわね」

 

「うるせえなあ、カッコつけてるんだから黙って聞いてろよ! あと、友達いないのはお前もそうなんじゃないの!?」

 

「アタシは好きで一人になってんの。アンタみたいな先天的ぼっちと一緒にしないで」

 

「先天的ぼっちとかいうパワーワードを生み出すな。泣くぞ、すぐ泣くぞ、絶対泣くぞ、ほら泣くぞ?」

 

「鬱陶しっ!」

 

 こんなにも誰かと話したのはいつぶりだろうか。そう思うくらいにアタシはこの男の子との会話を楽しんでる。

 

「ふふっ」

 

「なんだよ、今度は突然笑い出したりして。情緒不安定か?」

 

「かもね。なんだか意地張ってたのがバカみたいに思えてきちゃって」

 

「……よく分からんが、元気出たんならもうそれでいいよ。ふっ、また見知らぬ女の子を一人救ってしまったか……」

 

「図に乗るんじゃないわよ」

 

 本当に変な人だ。友達いないと豪語するくせにやたら流暢に喋るし、謙虚なところがあると思えばやたらわざとらしい気障な発言するし、頭良さげなこと言ったかと思えば将来の夢は不労所得だし。

 

 でも、性格も口調も何もかも違うけど、濁ってはいるが彼の黒瞳はとても真っ直ぐだ。

 そんな男の子の姿はどこかトレーナーに似ていて……

 

「そうだ!」

 

「うおっ、びっくりした。急にデカい声出すなよ。驚いちゃうだろ」

 

「ご、ごめん……じゃなくて! アンタ、インターンでここに来たって言ったわよね!?」

 

「え? あ、ああ、当面ここでトレーナーの仕事を眺めることになるだろうけど……えっ、この手は何? なんで俺の腕掴んでるの? ちょ、離せ……力強っ!?」

 

 仕事を眺めるだけ発言は少し気になるけど今はそんなことどうだっていい。

 そもそも、彼にはもうサボってる暇なんてないのだ。

 

 だって──

 

「ねえアンタ、アタシのトレーナー代わりになってよ!」

 

「ちょっと何言ってるか分からない」

 

「ありがとう! じゃあ早速自己紹介から……」

 

「話聞いて? まだ俺何も言ってないんですけど?」

 

 静かに抗議する男の子を無視して、胸を張って声を上げる。

 

 

「アタシの名前は()()()()! 今日からよろしくね、"トレーナー"!」

 

 

 できる限りの笑顔と溌剌さを全面に出している(つもりの)アタシとは対照に、目の前の男の子はとてつもなく怪訝そうな、もっと言えばとてつもなく嫌そうな顔をしていた。

 

 





続きます。


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過去の時間 その2

 

 

 

 嫌そうな顔をする男の子を引き摺り回して理事長室へトレーナー申請を行ったその後。

 正直言ってその申請はかなり、というかほぼ認められないだろうと思っていたが、それはそれはあっさりと通ってしまった。

 赤の他人ならともかく、インターン生で、それもウマ娘本人が納得しているならそれでいいと特例を貰ったのだ。申請したアタシが言うのもなんだが、それでいいのかトレセン学園。

 

 兎にも角にも、彼がアタシのトレーナーだということが認められたというのは願ったり叶ったりの結果なので特に異論は挟むことはなかった。

 しかし、特例とはいえトレーナー資格の無い人がその仕事をするというのは異例なこと。それによる制約は大きい。

 

 彼本人から聞かされたその内容は主に三つ。

 

 まず、彼には一人専属のトレーナーが付くとのことだ。その人の下でトレーナーの仕事を学び、アタシの練習内容やレースのローテーションを相談しなければならない。

 ぶっちゃけてしまえば監視のようなものだ。素人が一人でトレーニングメニューを考えるなんてできないだろうし、できたとしてもそのウマ娘に高い怪我のリスクを負わせることになってしまうのはアタシでも分かる。

 

 そして、アタシの判断で契約の内容を白紙にできるということ。正式なトレーナー契約ではない以上、この契約は一時的な措置にすぎないこと。

 まあこれに関してはアタシが動かない限りはどうってことないんだけど。

 

 最後に、このことは他言無用しないこと。こんなことが世間に大っぴらになってしまえば、トレーナー全体の信用が下がるのは間違いない。

 これを知るのは、当人である男の子とアタシ、そして理事長、そして男の子に付く専属のトレーナーだけだ。

 他校の男子生徒がいたら生徒間から情報が漏れるのではと思ったが、対策として彼には新人トレーナーとして振る舞ってもらおうとのことらしい。

 

 

 これらの条件を踏まえても嫌がっていた彼だが、理事長の提示したお金の話で手のひらを一瞬で返したのは記憶に鮮明に残っている。その姿はまるで、地中を掘り進むドリルのような高速手のひら返しだった。

 割りのいいバイトと吹っ切れいい笑顔で握手を求めてきた彼に、さっきと態度が違いすぎるだろうと横っ面を引っ叩きたくなったが我慢したアタシは多分偉いと思うんだよね、うん。

 

 

 そんなこんなで、その男の子が正式にアタシの仮トレーナーとなってからそろそろ二ヶ月が経つ。

 

 たかが二ヶ月、されど二ヶ月、と言いたいところだが、その二ヶ月程度では大して進展はない。

 何度も言うが、彼はトレーナーとしてど素人だ。専属のトレーナーが付いているとはいえ、その実力はまだまだミジンコ程度。

 

 それでも、いてくれるだけでいい。一緒に走ってくれる存在がいるだけでどれだけ気持ちが楽になるか。

 

 

 そう思ってた時期が、アタシにもありました。

 

 

「今日の朝練は終わりだ。身体冷やさないよう体調には気をつけるように。あと、午後からのトレーニングについてなんだが……」

 

 

「このレース場は早めに仕掛けてまくった方がいいんじゃないか? ほら、直線短いんだし」

 

 

「ラップタイム更新! このままあと一周踏ん張れ!」

 

 

 ……あれ? おかしい、本当におかしい。なんでこんなに馴染んでるの? 下手な新人トレーナーより優秀じゃないこれ? 

 

「ほい、お疲れ。水分補給しっかりな」

 

「おっとと、アタシのスポーツドリンク投げないでよ! こちとら疲れてんのよ!」

 

「そのくらいキャッチできるって分かってたからな。正直、体力まだまだ残ってんだろ?」

 

「そ、それは、そうだけど……」

 

「ほらな? でも今日のトレーニングはおしまい。これ以上やるとオーバーワークだし、明日のトレーニングにも響く。東条さんに怒られるの嫌だし」

 

 東条さん、というのは、トレーナーのお目付役となった優秀な若手トレーナーだ。

 なんでも、トレーナー試験では満点での首席合格。既にチームを作っており、今は優秀なウマ娘を集めているらしい。そのチームがビッグになる頃にはアタシは卒業しているだろうけどね。

 

 そういえば、東条さんと同期且つ同じく満点首席合格をした男の人がいると聞いた。たしか沖……? 

 

「おい、聞いてるか、イツセイ?」

 

「ん? ああ、聞いてる聞いてる。エナドリ片手にミラーボールの下で踊り狂う話だっけ?」

 

「そうだよ」

 

「そうなの!?」

 

 素人で目付役がいながらも、彼はトレーナーとしての素質が高く、さらにはコミュニケーション能力がそれほど低いわけでもない。なんならふざけた冗談を言う余裕まである。

 

「んじゃ、クールダウンも済ませたようだし、今日はこれで解散。明日から数日は俺いないから、トレーニングメニュー渡しとくな」

 

「うん、分かっ……えっ、そうなの?」

 

「一応俺だって学生だし。今テスト期間なんだよな」

 

「テスト期間って……テスト大丈夫なの!?」

 

「はん、友達と遊ぶ時間を勉強に費やしてる俺にかかればチョチョイのチョイだ。俺優秀だから。優秀だから!」

 

「真似されるとムカつくわね、それ」

 

 だが、明日彼がいないのは少し寂しい。この日までほぼ毎日ここに通ってくれたんだし、仕方ないっちゃ仕方ない。

 

 ええと、今日は2月13日。高校生なんだからテストが五日前後行われるとして、帰ってくるのは遅くて一週間後……って

 

「明日いないの!?」

 

「うるさっ!? だからデカい声出すなって!」

 

 ぐぬぬぬぬ……せっかく明日例の物を渡そうと思ったのに、これじゃあ作戦は台無しだ。

 別の日にしようとしても、明日が過ぎるとその口実も無くなってしまう。

 

 べ、別にこれは好きだからやってるわけじゃないし! 強引に素人である彼にトレーナーをやってもらったことをちょっとだけ悪く思ってるだけだし! 

 くっ、トレーナーのくせに! 前髪長くて頭ボサボサで、いつも気怠そうで口を開けば楽することしか考えてなくて、目が死んでる割には顔はそこそこ整ってて……

 

「……こ、今度は何? なんで下から覗き込むように俺の顔見てんの?」

 

「いや、前髪切って背筋伸ばして死んだ魚の目をやめたらモテそうだなあって」

 

「そんなことしても意味無いし、前髪切ったら人と目を合わせなくちゃだし、背筋伸ばすと疲れるから嫌だ。あと、目に関してはデフォルトだから余計なお世話だ」

 

 ふーん、変なの。男なんて異性にモテるためになんでもやる生き物だと思ってたのに、この人はそうじゃないっぽい。

 なんだか自分に素直すぎるところがある。それゆえにこんな性格をしているのか。

 

「よし!」

 

「何がよし?」

 

「というわけでトレーナー! 今からアタシと散歩に行こう!」

 

「何がというわけで? てか今から?」

 

 彼のことをもっと知りたい。その一心でトレーナーの腕をふん捕まえて走り出す──

 

 

 

 ***

 

 

 

「うむ、ここなら割といい散歩スポットになりそう。トレーナーもそう思わな……ありゃ」

 

「おえっ……おま、まじで、速すぎ……胃の中、ギュルギュルって……」

 

「ま、待ってて! コンビニでお水買ってくるから!」

 

 トレーナー死んじゃった。ウマ娘のスピードに肉体がついてこれなかったらしい。

 近くのコンビニで水ととある物を買って、死にかけの彼の元へと戻りなんとか回復を促す。

 

 夕方のこの時間帯、冬ということもあり暗くなるのには十分で、既に街灯が明かりが灯っている。

 

 アタシ達がやってきたのはトレセン学園から少し離れた何の変哲もない住宅街。

 どうしてここに来たのかと聞かれても、別に大した理由があったわけじゃない。

 

 敢えて理由をつけるとしたら、普通のことがしてみたかった。

 アタシ達ウマ娘は基本的に寮生活だ。そのため、通学路を登下校というのを長らくしていない。小学生の頃は毎日のようにしていたが、あの頃とは何もかもが違う。

 

 なんの変哲もない、なんの目新しさもない道を、誰かと一緒に歩く。

 実質女子校のトレセン学園に入ったアタシが男の子とそんなことをできるとは思ってもいなかった。

 

 まあ、トレーナーを連れ出した理由は別にあるのだが。

 

「よーし! それじゃあこっから学園まで歩いて帰りましょう!」

 

「ここまで連れてきておいて学園まで帰るの!? やだよ、もうお家帰る! 普通に学園側行ったら遠回りだし!」

 

「いいの〜? こーんな美少女と一緒に帰れるなんてトレーナーには滅多に無いチャンスなんじゃないの〜?」

 

「えっ、自分のこと美少女って言っちゃう人はちょっと……(笑)」

 

「は、はああぁぁ!? どこからどう見ても美少女でしょ!? なによ、トレーナーのくせに!」

 

「顔赤くするくらいなら強がるなよ! お前本当はそんなこと言うタイプじゃないだろ!」

 

 うぐっ、調子乗った。悔しいが、本来陰キャ気質なアタシにとって、こういう自分で自分のことを持ち上げるような発言をするのにはかなりの勇気を要する。

 初めて目の前にいるトレーナーと会った時も自分のことを優等生だと豪語したが、実はあれも強がっただけだ。まあ成績が良いのは事実なんだけど。

 

「いいから歩くわよ! このままだと門限間に合わなくなるんだからね!」

 

「なんで得意気……もういいや。へいへい、仰せのままに〜」

 

「ふふん、くるしゅうない!」

 

 折れたトレーナーと並んで、二人でトレセン学園まで歩みを進める。

 漫画とかでよく見た青春の一ページ。今それをアタシは体験しているのだ。

 悪くない、むしろ良い。その証拠に、心臓の鼓動も普段より早いような気がして…………うん? 

 

「おい、イツセイ? 何ボーッとしてんだ?」

 

「えっ!? あっ、いや、なんでもないなんでもない! ど、どうよ、美少女と一緒に歩く帰り道は!」

 

「いや、自転車使いてぇなって」

 

「情趣の欠片もない!?」

 

 なんだか納得いかない。今この場はアタシとトレーナーの二人きりなんだから少しくらい意識する反応を見せてくれてもいいのに、彼からはそれを一ミリとして感じられない。

 

 そこで一つの可能性に至った。友達がいないと豪語する彼なんだからそんなことはないと思いつつも、この余裕の態度はそうとしか考えられない。

 

「ね、ねえ、一つ聞いてもいい?」

 

「ん、なんだ?」

 

「アンタって、その……か、彼女とかいるの?」

 

 聞いてみたはいいものの、トレーナーからの返事がなぜかやけに怖い。

 返答次第ではなんだか自分がひどく傷つきそうな気がしてしまい、自然と視線が下がってしまう。

 それでも答えを聞かずにはいられなくて──

 

「はあ、そんなもんいたことねぇよ。ただでさえ忙しいのに、恋愛にうつつを抜かしてる暇なんて無いっての。あ、作れないんじゃなくて作らないんだからな? そこ勘違いしないように」

 

「あっはい」

 

 うわ、すっごい早口。やっぱりトレーナーはトレーナーだ。自分がわざと彼女を作らないという態度を誇示する姿がらしいっちゃらしいというか。

 

 ともあれ、トレーナーに彼女がいなくてよかったよかっ……た? 

 

「……あれ?」

 

 なぜ"よかった"なのだろう。さっきも、トレーナーの隣を歩いていると鼓動が高鳴った。

 

 これは一体全体……? 

 

「にしても、お前と初めて会ってもう二ヶ月経とうとしてんのに、こうして雑談ちっくなことはほとんどしてこなかったよな。あっても日々の軽口くらいだし」

 

「そうね。アンタってばトレーナーの仕事で忙しそうだったし、将来いい社畜になるわよ」

 

「ほーん、不労所得が夢の俺にそんなこと言っちゃうんだ……って言いたいところだけど、もうそれが叶わなさそうなところまで来てんだよな……」

 

「えっ、何があったの……?」

 

 いつもの軽口合戦が始まると思いきや、早々に元気を無くしたトレーナーを目にしてこちらもリズムを崩された。

 

「いやな、東条さんのとこで仕事学ばせて貰ってるって話しただろ? あの人すげぇ仕事できるし尊敬してるんだけど、なんだか妙に取りいれられちゃったみたいでさ。こないだなんかチームのサブトレーナーとしてここで働かないかなんて言われたんだよ……」

 

「良かったじゃん。就職先決定おめでとーごさいまーす」

 

「よかねぇよ! こちとらトレーナー免許すら持ってねぇんだぞ! 嗚呼、なんか変な中学生にも変な絡み方されたしもう……」

 

「ちなみになんて子?」

 

「たしか……ルドルフとマルゼンって言われてたな」

 

「あー、あの子達か……」

 

「なに、その反応。おいやめろよ、『面倒な子達に目つけられちゃったな』みたいな顔するの」

 

 ルドルフとマルゼンとは、おそらくシンボリルドルフとマルゼンスキーのことのはずだ。

 シンボリルドルフはシンボリ家という名門から、マルゼンスキーはイギリスのお嬢様ということで入学してくる前から噂になっていたのは記憶に残っている。

 そして、そういった噂になる子ほど一癖も二癖もあるのはお約束。見事に彼はそれを引き当ててしまったということだ。

 

「あとなんかミスターシービーとかいうやつにもめちゃくちゃ揶揄われたしなんなんだあいつら……っ!」

 

 未だぶつくさと中学生達に文句をこぼすトレーナーにこれ以上口を開かせたら更なるネガティブ発言でアタシの気も滅入る。

 

「ルドルフとかいうのはまだまともそうだったけど他二人は完全におちょくってきたし……。俺の方が年上……っていてっ!?」

 

「はいそこまで、アンタのネガティブ話に付き合ってたらアタシまでおかしくなりそうだわ」

 

「せっかく話が途切れて気まずくならないようにしてやったのに。じゃあお前がなんか面白い話しろよ」

 

「えっ」

 

 急にそんなこと言われても困る。面白い話なんてぽんぽん思い付いたら苦労はない。

 ええと、ええと、なにかないかなにかないか……

 

「あっ、えっと……す、好きなタイプ、とかは……?」

 

 何言っちゃてんのアタシ!? 異性相手にこんなこと聞くとか完全に告白じゃん!? 違う違う違う! べ、別にアタシはトレーナーのことなんか……

 

「好きなタイプか……。そうだな、あんまり考えたことないけど、年上か年下かのどっちかって言ったら年下がいいかな。あざとさが残っててアニメやゲームとかの趣味が合えば尚良し」

 

 そして真面目に答えるんかいっ! しかもアタシに当てはまるの年下要素しかないし! いや、別に微塵も意識してない……してない、のかな。

 

「はぁ……トレーナーってそういうこと言うんだね」

 

「おっと、人の好みにケチをつけるつもりか? だったらお前のタイプを言ってみろよ」

 

 アタシのタイプの人、か。高校生になった今でも、恋愛というのはよく分からない。

 恋愛物の漫画や小説を読んだところで、それらの主人公に共感することは一度としてなかった。

 

 だから、この気持ちがどういうものかを確かめる。

 

 そう思い、先ほどコンビニで買った物を鞄から取り出してトレーナーに放り投げる。

 

「おわっ!? ……えっ?」

 

「へへっ、ハッピーバレンタイン、トレーナー!」

 

 投げつけられた板チョコをキャッチしたものの、状況を把握できてない彼はアタシの一言でようやく我に帰る。

 

「……俺に?」

 

「ふふん、そうよ。本当は明日渡す予定だったけど、明日からいないって言うから急遽ね」

 

「お、おう、ありがと……」

 

「えっ、反応薄。もっと喜びなさいよ」

 

「いえーい! よっしゃー! これでいい?」

 

「よし返して。それはアタシが食べる」

 

「悪い悪い、ちょっと予想外だったからさ。義理チョコなんてもの初めて貰ったし」

 

「あー、まあ貰えそうな人じゃなさそうよね、トレーナーは」

 

「無闇に人を傷つける発言はやめようね? 事実だから何も言い返せないんだけどさ」

 

 ああ、やっぱりこの人と話すのは楽しい。もしトレセンじゃなくて普通の学園に、それも、目の前の彼と同じ学校に通ってたらと思わされるくらいには幸せだ。

 

 でも、

 

「もうすぐ学園だな。んじゃ、ここらでお別れってことで」

 

「ねえ、トレーナーはさ、どうしてアタシのトレーナーを引き受けてくれたの?」

 

「……なんだ、薮からスティックに」

 

「トレーナーでもないただの高校生のあなたが、どうして二ヶ月もアタシのそばにいてくれたの?」

 

 それは単純な疑問だった。ちょっと考えたら誰でも思いつきそうな素朴な疑問。

 もちろんお金が入るからと言われたらそれまでだが、普通はこんな面倒な仕事、高給だとしても続ける人はいない。せいぜい一ヶ月続けばいい方だ。

 なのに、どうしてこの人は……

 

「……特段深い理由があったわけじゃねぇよ。最初は提示されたお金が思ったより高かったから。でも、なんていうか……」

 

「……?」

 

「……初めて会った時のお前が寂しそうにしてたから、その、ほっとけなくて……」

 

 そう言ってトレーナーは顔を赤くしてそっぽを向く。

 そっか、この気持ち、もしかしたら本物かもしれない。

 

「……随分と恥ずかしいセリフを吐くのね」

 

「こ、高校生だからな!」

 

「高校生だもんね」

 

 青臭くていいじゃないか、カッコつけてもいいじゃないかと、そんな彼の強がっている心の声が自然と聞こえてしまう。

 こんなことを素直に言えるのは、子供ほど無邪気でなくて、大人ほど神経質でない、人生の中間地点である今だけだなのだ。

 だったらアタシも少しはそれに倣うべきかもしれないと、そう思わされてしまう。

 

「あっ、一ついい? 明日から数日いなくなるんだったらそれを事前に知らせとかなきゃだめよ? 報連相は社会人としての基本なんだかね?」

 

「ス、スミマセン……。いや、正規のトレーナーじゃないからいっかなって。それにほら、俺まだ社会人じゃなくて学生だし……」

 

「屁理屈言わない!」

 

 全くこの人と来たら。トレーナーとして優秀かと思ったけど、こういうところはまだまだズボラだ。

 

「まあいいわ。じゃあね、トレーナー。車には気をつけるんだよ? 風邪も引かないように。忘れ物はない? 今ならまだギリギリ間に合うと思うけど」

 

「お前は俺のおかんか。ん、また一週間後」

 

 結局寮の前まで送ってくれたトレーナーと別れ、遠ざかる彼の背中を眺める。

 そういえば、まだ彼の質問に答えてない。アタシの好みの異性のタイプについて。

 

 正直、自分でも自分のことをチョロいと思う。いや、チョロい以前に、あの日彼に対して何かを感じたからであって……

 

「〜〜っ、トレーナー! もう一つだけいい?」

 

 アタシの声に彼は振り返り次の言葉を待っている。

 

 よし、覚悟は決めた。

 

「アンタにあげた板チョコ、それ義理"だった"ものだから! それだけ!」

 

 彼の顔を見ずに、言い逃げのように寮へと戻る。今のアタシの言葉を彼がどう言った意味で受け取ったかは分からない。

 恋愛には無頓着な彼のことだし、きっと伝わってないのだろう。一週間後には何食わぬ顔で軽口を交わしているに違いない。

 

 でも、それでいい。それがいい。

 

 すごく恥ずかしいことを言ったにも関わらず、アタシの心はとても澄んでいた。

 夜空を見上げ、チラリチラリと点在する一等星を見つめながら思いを馳せる。

 

 

 ねえ、トレーナー。アタシ、この人となら前向いてやっていけそう。

 だからこれからも見守っててね。将来、アタシを立派に成長させてくれたのは二人のトレーナーですって、胸を張って言えるようになるから。

 

 

 



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過去の時間 その3

 

 

 

「いえーい! また一着! どうどう? アンタと組んでこれで七勝目よ! 向かうところ敵無しだわ!」

 

「つっても、俺達こないだの東京杯で負けてんじゃねぇか。ほら、いつもお前のこと気にかけてる、あー……ミツハタだっけか。あの子に負けて泣いてた癖に」

 

「な、泣いてなんかないしっ! そりゃ悔しかったけど、あれは距離が合わなかっただけだから……。っていうか、ミツハタには今日のレースで勝ったんだからいいじゃないの!」

 

 今日の中山Sで辛勝を挙げ、ご機嫌で学園前まで戻ってきたところに水を刺すトレーナー。

 

 彼と契約してからというものの、アタシはかつての実力を完全に取り戻すことができたと言えるほどの戦績を叩き出した。

 それを数字に表すと、8戦7勝1敗。内二着一回。さらに、今日のレースを除いた勝ちレース六回全てで三バ身以上の差をつけている。

 

「ふーんだ! 次だって負けやしないんだから!」

 

「その心意気や良し。でも、慢心してると足元掬われるぞ」

 

「大丈夫よ、その時はアンタが手貸してくれるでしょ?」

 

「……ああ、そうだな」

 

「……?」

 

 いやに歯切れの悪い返事に一瞬疑念を覚えたが、そんなことをすぐ忘れてしまうくらいには今のアタシの機嫌は良かった。

 

「そうそう、レースについてのことなんだけど、次は目黒記念に挑戦しようかなって」

 

「目黒記念ってたしか……2500mのか? いや、でもお前は」

 

「分かってるわよ。アタシは2400m以上のレースで勝ったことがない。アンタが来る前に三連敗したのも、スランプとそれが重なり合っちゃったのが原因だっていうのも気づいてる」

 

 残念ながら、アタシに長距離を走るだけの適正は無かった。事実、先の通り2400m以上のレースでの勝ち星は一つもない。

 まあ、2000m以下となればあの子を除いて誰にも負けたことはないのだが。

 

「それでもね、勝ちたいの。例えアタシにとって不利な条件だったとしても、それを理由に逃げるようなことはしたくない」

 

 今彼に伝えたのは本心だ。人には得手不得手があるとは言っても、アタシのそれはとてつもなく不得手というわけではない。

 ダービーだって二着だ。絶対に勝てないなんてことはないはず。

 それに、このまま2400m以上のレースでミツハタに負けるのもなんだか癪だし。

 

「……そうか」

 

 静かに頷くトレーナーとアタシの間に、先程までの和やかな雰囲気はなんだったのかと思わせるくらいの緊張感が……いや、違う。彼の目はどこか泳いでいる。

 まるで何かを言い出そうとしているような、それでも言い出せずにいる葛藤が垣間見える。いつもズケズケとデリカシーのないことを言い放つ彼にしては珍しい。

 

「トレーナー、どうかしたの?」

 

「あのな……いや、なんでもない。なあ、目黒記念の日程はいつだ」

 

「え? ええと、二週間後だったはずだけど」

 

「……分かった。その日までにお前が勝てるプランを東条さんと相談しておこう。そこらへんは上手くやってくれるはずだ。あの人怖いけどトレーナーとしては尊敬してるから。怖いけど」

 

 ありがとう。素直にそんな言葉を伝えることができない。その言い方だとまるで、東条さんに一任するに聞こえてしまう。

 どうしていつものようにアタシと考えてくれないの? どうしていつもみたいに相談しようとしないの? 

 

「さあ、今日のところはこれで解散だ。本当のところはこの後美味い飯でも奢ってあげたいんだが、この後ちょっと理事長に用事があってな。俺のことは気にせず今日はゆっくりと身体を休めてくれ」

 

 頭の中で警鐘がガンガンと鳴り響く。このまま彼と別れてしまっていいのか。

 

「それじゃあな、イツセイ。寮まで車に気をつけて、それと風邪引くなよー」

 

 そう言って学園の中へと進むトレーナー。彼の小さくなる背中と反比例し、アタシの得体の知れない不安は大きくなっていく。

 

 アタシは……アタシは、肝心なところで"もう一歩"を踏み出すのが苦手だ。

 もう一歩踏み出せば変わるのに、もう一歩踏み出せば違ってくるのに。

 いつも何かしらそれらしい理由をつけて目の前の状況に立ち往生し、時間が解決するのを待ってしまう。

 そして、今までにそういう時はいつだって良い結果をもたらすことはなかった。

 

 だからここで彼を呼び止めなくてはならない。せめて、彼がさっき言い淀んだ内容くらいは聞き出さなくては。

 

「ト、トレーナー!」

 

「……ん、どした?」

 

「あ……その……」

 

 ゆっくりと振り返った彼と顔を合わせた瞬間頭が真っ白になった。なんて言えばいいのか、どう言った聞き方が最適か。

 

 その時間はコンマ1秒にも満たなかったかもしれない。それでも、アタシにとってはとても長いのように感じてしまう。

 

「あ、明日もトレーニング頑張るわよ! 絶対目黒記念で勝ってやるんだから!」

 

「……ばーか、明日は休みだよ。昨日それで大はしゃぎしてたじゃねぇか」

 

「あっ、そっか……って、バカってなによ!? アタシが成績優秀者なのはアンタも知ってるでしょ!?」

 

「そうやってすぐ感情を表に出すところがバカって言ってんだ。よかったな、短気なところがレースで現れなくって」

 

「ちょっとそこで正座しなさい。逃げても無駄よ? アタシにとっちゃアンタを捕まえることくらい造作もないんだから」

 

「へいへい、降参降参、俺が悪ぅございましたー。これでいい?」

 

「プ、プライドの欠片もないのね……いや、分かってたけど」

 

 こうして彼とバカな会話をするのは好きだ。でも、今はそれが少しだけ憎い。

 

「んじゃ、今度こそじゃあな。今日もいい走りだったぜ」

 

「ん、ありがと。それじゃあね、トレーナー」

 

 彼は後ろ姿のまま無言で手を振って応える。

 結局聞くことができなかったという後悔が今更になってアタシの心に響く。

 

「……また明日、ね」

 

 休みを挟んだ次の日以降、彼はトレセン学園に姿を現すことはなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 つまらない。

 

 そんな陳腐な言葉で言い表すことが可能なほど、今のアタシの心境は穏やかなものとは言い難かった。

 

 

 後から聞いた話なのだが、彼の契約期間は元から決まっていたらしい。

 その期間というのは、実に半年。彼と出会い、無理矢理にでもトレーナーになってもらったあの日が12月の初頭。

 そこから半年後の日付を計算すると、ちょうどアタシが中山Sを走った日となる。

 

 なぜそれを教えてくれなかったのか。

 専属のトレーナーが付くとか、アタシの判断で切れるとか、他言無用なこととか。

 そんなどうでもいいことはしっかり伝えてきたくせに、契約期間のことはどうして教えてくれなかったのか。

 

 きっと言おうとしたのだろう。実際、最後に軽口を交わしたあの日、彼は何かを言い淀むような様子を見せていた。

 そうだ、アタシ達は思った以上に仲良くなってしまった。故に、言いづらくなってしまったのだろう。

 そのまま引き延ばして、引き延ばして、引き延ばして。時間が解決するわけないのに、伝えることなく、口に出すことなくタイムリミットが来てしまった。

 

 そのことがとても悲しくて、腹立たしくって。

 次会ったら文句の百個や二百個言ってやろうと思っても、彼との連絡手段は無い。

 

 この際、あの人が在学している高校に乗り込んでやろうか。幸いなことに、初めて会った時に来ていた制服から学校を割り出すことくらい容易だ。

 でも、アタシと彼に繋がりがあること自体を他人に知られるのはまずい。あの人を探している過程で必ず怪しむ人が出てくるだろう。

 

 万事休すか。いや、むしろこれでよかったのかもしれない。

 このままだと完全に彼に依存してしまう。まだトレーナーでもないのにそれをしてしまうのは、あの人にとってはかなりの負担となってしまう。

 

 これでいい、これでいいんだ。この気持ちは墓場まで持っていくことが正しいんだから──

 

「あっ、やっぱりここにいた。あなたも好きだね、ここの観戦席。わかりやすくて助かるよ」

 

「……またミツハタか。毎度毎度ご苦労様。そろそろアタシを探すのにも飽きてきたんじゃない? ラジオ体操みたいにスタンプラリーでも作ろうか?」

 

「セイちゃんを探して貰うスタンプと早起きして体操してから貰うスタンプが同等の価値とは思えないから遠慮しとこうかな」

 

「はっ、さいですか」

 

 皮肉を皮肉で返され、アタシの機嫌はますます悪くなる。やっぱりこの子は苦手だ。

 

「で、一体何の用? 授業の単位なら足りてるはずよ。ここ半年はちゃんとサボらなかったし」

 

「ううん、個人的にセイちゃんとお話ししたいなって」

 

「は? アタシと? 残念ながらアンタと話すことなんて無いわよ。それともなに? 目黒記念で勝ったこと自慢しに来たわけ?」

 

「それもあるけど、そんなことよりもっと大事なことよ」

 

 あるのかよ。目黒記念の結果が三着だったアタシからしたら相当な煽りだよこれ。

 

「あなたの新しいトレーナーさん、最近学園に来てないみたいね」

 

「だったら何? あの人も忙しいの。学園にいない日があってもおかしくな──」

 

「来てないんじゃない、来れない。そうでしょ?」

 

「……何を根拠にそんなこと。大体、アンタに何が分かるってのよ」

 

「分かるよ。だってあなたのトレーナーと理事長がそれっぽい話してるの、廊下で聞いちゃったもん」

 

「あんのバカああぁぁぁ!」

 

 どうして秘密事項が含まれている内容を堂々と話しているのだろうか。

 理事長も理事長だ。流石に適当が過ぎるだろう。

 

「そのことについて深くは追求しないけど、本題はここからだよ。ここまで私とセイちゃんが走ったレースでは5勝10敗でアタシの負け。でも、ついこの前の目黒記念という大舞台だとアタシの快勝だった」

 

「そりゃおめでとうございますー。2400以上のレースじゃ敵いっこないですー」

 

「どうしても早く会話を切り上げたいっていう意思を感じる……。分かったよ、私が聞きたいのはただ一つ……どうしてあんなつまらないレースしたの?」

 

 つまらないレース、か。確かに目黒記念でアタシはミツハタに遠く及ばなかった。

 でも、全力は尽くしたのだ。それについて文句を言われても仕方がない。

 

「アタシは本気で走ったわよ。やることはやったわ。距離がどうとかは言い訳はしない、今回は単にアンタが強かったってだけで……」

 

「違う。あなたの実力はあんなもんじゃない」

 

 アタシの言葉の上から被せ、更に強い口調で言い返すミツハタにたじろいでしまう。そんな彼女の目は少し、いや、かなり怖かった。

 

「あなたのトレーナーさんが亡くなった時はいいよ。大切な人が死んだんだ、本来の実力が出せなくても仕方がない。でもね、この前の目黒記念は明らかに違った。少なくとも、毎日王冠や東京杯で私が勝った時とは違う」

 

「ち、違うって……そんなこと」

 

「あるよ。あなた、目黒記念で私に何バ身離されたか分かってる? 三バ身以上だよ。こんなに差がついたのはあなたがスランプに陥ってる時のセントライト記念以来……セイちゃんは弱くなった。いや、弱くなった理由があるのかな、あるんだろうね」

 

 ミツハタの言いたいこと。それはきっと、アタシが頭から無理矢理にでも除外していたことだ。

 

「分かんないなら言ってあげる、あなたが弱くなったのは……」

 

 だからこそ、全力で否定する。それを認めるということは、この半年間アタシが何の成長もしてないということを認めるのと同義だから。

 

「あの新しいトレーナーさんがいなくなったから……っ!?」

 

「彼を……あの人を勝手に言い訳に使うなっ!」

 

 ミツハタの胸ぐらを掴み、自分でも驚くくらいの大きな怒号を飛ばす。

 しかし、ミツハタは全く怯む様子もなく、そのまま胸ぐらを掴まれてる状態でアタシのことを強く睨んだ。

 

「だったら次のレースで証明してよ」

 

「証明……?」

 

「あの子が……ミノルちゃんがいない今──」

 

 

 

 ***

 

 

『──あなたが最強のウマ娘だっていうことを』

 

 

 ***

 

 

 

 レース直前に一人地下バ道を歩く中、あの日のミツハタの言葉を思い出す。

 

 正直、今日のレースで勝つことは簡単だ。他のウマ娘には悪いけど、実力も経験もアタシの方が遥かに上なのは客観的事実。

 さらに距離は2000m以下なので、アタシの独壇場となってしまう。

 

 でも、証明しろと言われてしまったのだ。アタシが最強のウマ娘であるということを。

 このレースで一体何を見せればいい。ギリギリの演出か? 他を圧倒するスピードか? それとも知略を巡らす巧みな戦術か? 

 考えても考えてもこれと言った答えに辿り着くことができない。

 

 こんな調子で最強のウマ娘などという抽象的で且つ高尚な存在に、なれるのだろうか。

 少なくとも、一度も倒したことのないあの子に勝たない限り名乗れる気がしない。

 尤も、それはもう挑戦する機会すらも与えられることはないのだが。

 

 ミツハタの言葉は、まるで呪いのようにアタシの足を鈍くする。

 それでも前に進まなければならないという事実が、足だけでなく心までをも鈍化させるという事実に気がつくのは遅くなかった。

 

 アタシ以外の出走者は全員ターフに移動している。これ以上遅くなると注意を受けそうだし、そろそろ行くとしよう。

 

 そう思いターフへ向かって歩みを進めて……

 

「…………バレてるわよ」

 

「……やっぱり? いやぁ、目黒記念の時と違って警備が手薄だったから掻い潜ったんだけど……」

 

 足音を消した程度で気がつかれないと思ったのか、振り返るとそこには罰が悪そうな顔をした"元"トレーナーがいた。

 というか今堂々と不法侵入したみたいなこと言わなかった? 

 

「それにしてもバレないと思ったんだけどなぁ。俺存在感消すのだけは上手いって自負してるんだけどさ。小学生の頃ドッジボールとかでも最後まで残ってたし」

 

「それはアンタがある意味狙いにくい存在だったからよ。小学生の時からクラスで孤立してたのね、可哀想に」

 

「はっ、うるせぇよ」

 

 アタシの軽口に悪態をつく彼だが、自虐はスラスラ出てくるくせにどうもいつものような覇気を感じられない。

 それもそのはず、この人はアタシに黙ってトレセン学園を去ったのだ。もし再会したら、というか現在進行形でそうなのだが、気まずくなるのは想像に難くない。

 

 それでも彼はここに来てくれた。そのことには、きっと何かしらの意味があるはずだ。

 

 だから、

 

「……イツセイ、俺さ──」

 

「言わなくていいわよ。今日ここまで来てくれたことに免じて、勝手にアタシのトレーナーを辞めたことは許してあげる」

 

「えっ、いや、辞めたというか任期が……」

 

「ごちゃごちゃうるさい! 黙って聞く!」

 

「う、うっす」

 

 目の前の男を強制的に気をつけの姿勢にさせる。こうした会話ですら心が躍ってしまうのは内緒の話だ。

 

「……アンタはさ、あの数ヶ月間トレーナーやってきたわけじゃん? それもお偉いさんとか他の生徒達から結構気に入られたくらい優秀でさ」

 

「気に入られてた……? 遊ばれてただけでは……?」

 

「一々余計な小言を挟まない。で、そんなアンタに一つだけ聞きたいことがあるの」

 

「というのは?」

 

「……アンタにとって『最強のウマ娘』ってどういうイメージ?」

 

「……難しいな。言葉通りの意味を示すなら完全無欠、唯我独尊と言うのに相応しい実力を持つウマ娘なんだろうな。実際、ルドルフとかマルゼンはそれに該当するだろうさ」

 

 いつのまにか仲良くなってたらしい二人の名前を挙げて彼は自論を述べる。

 自分はどうなのだろうか。自慢じゃないが、一着以外は負けと見做されるこの厳しい舞台において、アタシは負けよりも勝ちの数の方が多い。

 それでも、完全無欠と呼べるほどの戦績は残せていない。

 だとしたら、やはりアタシは最強たる資格を有することができないのだろうか。

 

「でも、俺はそうじゃないって思う」

 

「え……?」

 

「だって考えてみろ? 最強っつったって人それぞれじゃん。そんな足の速さだけ見て最も強いウマ娘がーだなんて、全戦全勝且つ常にレコード更新するくらいのウマ娘じゃないと当てはまらないって。だったらさ──」

 

 彼はニヒルな笑みを浮かべ、軽く拳を突き出す。

 

「一番楽しく走ったやつが最強なんじゃないかって、俺はそう思うね」

 

 楽しく、走る……。

 

「……ぷっ、なにそれ。やっぱりアンタ変人だよ」

 

「いやあ、それほどでも」

 

「褒めてない褒めてない。嬉しそうにすなー?」

 

 楽しく走るか。そんな簡単なこと、どうして忘れていたのだろうか。

 

「いよしっ! 元気出た! それじゃあ行ってくる……って、そんな暗い顔してどうしたの?」

 

「……今度こそ俺達はお別れだ。この前は、その……なんて言えばいいか分からなくてさ。だからここできちんとケジメをつけときたい」

 

「……うん」

 

 分かっていた。このまま彼にそばにいて貰ったらアタシは完全に依存してしまう。

 ウマ娘である以上、自分の足で走らなければならない。おんぶに抱っこをされるような年齢じゃないのだ。

 

「お前といた時間は楽しかった。滅多にできないような体験させてもらったし、今となってはあの時強引に手を引かれてよかったと思ってる。だから……ありがとう、イツセイ」

 

「……バカね、お礼を言うのはアタシの方よ。この半年、一番近くで支えてくれてありがとう」

 

「亡くなったお前のトレーナー代わりになれたかは分からんけどな」

 

「アタシはどっちも好きよ?」

 

「……せーんきゅ」

 

「あれ、ちょっと顔赤くなってない?」

 

「なってない」

 

「うっそぉ! なってるって! もう、照れちゃって〜!」

 

 嫌そうな顔でそっぽを向く彼にちょっかいをかける。

 

 こんな楽しい時間がずっと続けばいいのに。

 

 心からそう願うも、そんなことが叶わないことはハナから理解している。それと同時に、このレースが終わったら容易に彼とコンタクトを取ることができなくなると言うことも。

 

「よし、それじゃあ今度こそ行くわね。アンタ絶対トレーナーになりなさいよ? このままじゃ職無しニート一直線なんだから」

 

「ナチュラルに人を社会不適合者扱いするのやめない? てか、初めて会った時も言った気がするけど、お前こそトレーナー向いてるんじゃないか? 俺が来る前は一人でトレーニングメニューとか考えてたんだろ? お前の夢公務員って言ってたけど、それはそれでとんでもなくしんどいぞ〜?」

 

「……アタシが」

 

 アタシがトレーナー……か。ふふっ。

 

「ど、どうした? いや、別に公務員を否定してるわけじゃなくてだな……」

 

「ほれ、ん」

 

「……え、何その手。ごめん、今お金持ってなくて」

 

「カツアゲと違うわ! 握手よ握手! ああもう、最後まで締まらないんだから!」

 

 無理矢理彼の手を握り強引に握手へと持っていく。

 その時、彼の顔がちょっと赤くなったのは指摘しないでおいてあげよう。今度こそ嫌われちゃいそうだしね。

 

「な、なんだよ、そんなニマニマして」

 

「なーんでもないっ! それじゃあ、行ってきます! トレーナー!」

 

「おう、いってらっしゃい」

 

 彼に背を向け、今度こそターフへ向かって歩みを進める。

 その足取りは気持ちいつもより軽やかだ。

 

 ふと、少し前のバレンタインことを思い出す。結局、素直にあれが本命チョコだって伝えることができなかった。

 彼も彼で深くは考えていないだろう。

 

 そういえばあの人は後輩系が好きとか言ってたっけ。確かあざとさも残ってる感じがいいと。ほう、一人称を少し変えてみるのもありかもしれない。

 

 その上にちょうどいいことに彼の方が歳上だ。ならば、次会えた時にはこう呼んでやろう。

 

 

『せんぱい』、ってね。

 

 

 

 ***

 

 

 

「──で、そのレースでわたしは八バ身差の圧勝をかましたってわけ。いやあ、長々話したけど、いつ思い出しても良い話だわあ」

 

 放課後、わたしは自分のトレーナー室にてマックちゃんとサトイモちゃんとのティータイム兼昔の話をしていた。

 マックちゃんにせんぱいの昔云々という旨の話をしたところ、どこから聞きつけたのかサトイモちゃんも話に加わり三人で女子会を開催していたのだ。

 ちなみに、スカイも誘ったけど現れず。きっとどこかでお昼寝してるのだろう。

 

「自分で言うんですのね、それ……。でも、トレーナーさんと一色さんがどういった関係なのかは理解できましたわ。ねえ、ダイヤさん? ……ダイヤさん?」

 

「…………いいなぁ、羨ましいです。今すぐにでもタイムマシンの開発をさせてトレーナーさんの幼馴染という立場に……いえ、いっそのこと記憶操作手術で私とトレーナーさんが婚約者という設定に……」

 

「羨ましいですわよね分かります、だから不穏なこと言うのやめてくださいまし」

 

 あ、相変わらずサトイモちゃんはちょっと重いところがあるなぁ……。もし想い人が鈍感で優柔不断なせんぱいじゃなかったら苦労しそうだ。

 

「大丈夫よ、このことせんぱいは覚えてないから」

 

「マックイーンさん、縄と蝋燭とレンガを少々用意してください。私は今からトレーナーさんを捕獲しに行きます」

 

「合点ですわ」

 

「なんでフォローしたのにそうなるの!? やめてやめて! そんなことで一昔前の拷問しようとしないで!!」

 

 どうしてこの子達はこうも極端なのか。今時の子ってこんな感じなの? 

 

「それにしても、一色さんがウマ娘だってことはトレーナーさんのお部屋にお泊まりした時に存じてましたけど、まさかそんなに凄いウマ娘だったとは思いませんでした」

 

「ああ、そういえばダイヤさんはフランスに行ってたから見てませんでしたわね。貴方が遠征に行ってる間、彼女はバイクより速いスピードで走ってひったくり犯を捕まえたんですのよ」

 

「そ、そうなんですか!?」

 

「ふふん、もっと褒めるが良いぞよ! なんたってアタシは初代安田記念のチャンピオンでもあるんだからね!」

 

「わあ〜、凄いで……うん? 安田記念の初代チャンピオンってどこかで聞いたような……あれ?」

 

 なんだかよく分からないことを言うサトイモちゃん。あれかな、安田記念に何か思い入れでもあるのかな。

 

 そう考えていると、サトイモちゃんとマックちゃんの耳が急にピンと反応し、彼女達の意識が部屋の扉に移された。この子達がこうも反応する人物は一人しかないだろう。

 ドアがノックされ、そこから出てきた人物というのは……

 

「うーす、一色。来週のURAファイナルズの会議の件についてなんだけど……って、マックイーンにダイヤ、こんなところで何やってんだおわああっ!?」

 

 入室から三秒でマックちゃんとサトイモちゃんに取り押さえられたせんぱい。その姿は、とてつもなく情けないものだった。

 

「な、なに!? なになになに!? なんで同僚のトレーナー室に入った瞬間担当ウマ娘から攻撃されてんの!?」

 

「うるさいです! 自分が何したか分かってるんですか!?」

 

「そうですわよ! 胸に手を当てて考えてくださいまし!」

 

「は? おい、いくら成長しないからってそういう自虐は反応に困るからやめろよ!」

 

「ぶっ殺」

 

 あー……また始まっちゃったよ。乙女達の優雅な女子会も、今日はここでおしまいかな。

 

 相変わらずどこでもギャーギャーうるさいこの三人を見ていると呆れを通り越して変な笑いが出てくる。

 羨ましい、と言った方がいいのかな。できることならわたしもあの輪の中に混ざりたい。そう思ってしまう。

 

 いや、今ならワンチャン行けるんじゃないか? うん、自然な感じでそれとなく混ざれば違和感は……

 

「やめておくほうが賢明だと思いますよ、一色さん?」

 

「うわぁっ!? び、びっくりした……急に心を読まないでよ、ミノ……たづなちゃん。ってか、どこから入ってきたのよ」

 

「ご想像にお任せします」

 

 そう笑顔で言うたづなちゃんの後ろには、閉めたはずの窓が開きっぱなしの状態で放置されていた。

 ……まさかね、まさかそんなことがあるわけない……ないよね? 

 

「はぁ……んでー、今日は何しに来たわけー? わたしティータイムで忙しいんですけどー?」

 

「あら、暇な時間に旧友に会いに行くのは自然なことですよね?」

 

「旧友って……別にわたしとアンタはそんなお綺麗な関係じゃないでしょ」

 

「でもミツハタさんとは仲良くしてたじゃないですか」

 

「やめて、あの子もそんなんじゃないから。わたし……アタシに友達はいない」

 

「ふふっ、そういうことにしておきましょうか。それにしてもさっき、懐かしい呼び方をされた気がするんですが、もう一度してもらっても? なんなら私も"セイちゃん"って呼びますよ?」

 

「嫌っだ〜。アンタのことは今後一生たづなちゃんって呼ぶし、"セイちゃん"ってあだ名はわたしの大事な教え子のあだ名なの」

 

「……変わりましたね、あなたも」

 

「うっさい。ほっといて」

 

 そっぽを向き、目線をいつのまにか解放されてるせんぱいと、マックちゃんとサトイモちゃんの方へと向ける。

 

 はぁ、わたしも大概ちょろい女だ。ちょっと気になる異性相手に、向いてるんじゃないかと言われただけで、狭き門をくぐりトレーナーになったのだから。

 

 まあ、たまには昔のことも話してみるものだ。まだ20年と少ししか生きてないけど、こうして思い出に浸るのも悪くない。

 せんぱいは覚えてなかったとしても、わたしの記憶には一生残り続ける。だって今はそっちの方が都合が良いからね。

 ……でも、一つだけ良くない点を挙げるとするならば──

 

「……お帰りなさいって、言ってもらってないのよねぇ」

 

 そう呟きながら、仲良さそうに軽口を交わすせんぱい達の姿にいつの日かの自分を重ねてしまった。

 

 

 ……トレーナー。わたし今、結構幸せかも。

 

 

 

 ***

 

 

 

「それにしても、なんでせんぱいあのこと忘れてるんだろ。あんな印象的なこと、忘れたくても忘れられないだろうに。どう思う? たづなちゃん?」

 

「トレーナーさんが密かにあなたの担当をしていたことの話ですか? だったらそれは忘れていると言うより、今のあなたと昔のあなたが違いすぎるからなのでは? ほら、一人称も雰囲気も何もかも違いますし、極め付けにその帽子で耳を隠してますし」

 

「……あっ」

 

 





過去編終了。
キリがいいので、残り数話ですが人物紹介でも置いておきます。


・トレーナー 
年齢:24歳
身長:175cm
体重:60kg
好物:フライドポテト
趣味:睡眠(常に不足気味)
特技:長距離走(ただしウマ娘には遠く及ばない)

トレセン学園勤務の若手トレーナー。目付きが悪く、隈なんかが出来た暁には学園を歩いてると生徒からよく避けられる。
人付き合いが得意ではなく知り合いの人数もそれほど多くない。大人ぶってはいるが、感性は高校生の時から成長していない。

備考:
超が付くほどの負けず嫌い。とある後輩とはトレーナー免許更新試験の結果でいつも争っているが、ベテラン二人の前には揃って屈している。

すぐに影響を受ける悪い癖があり、中学生の時美容室で「セフィ○スと同じ髪型にしてください」と言ったことがある。

幼い頃、ビア○カとフロ○ラのどちらかを選ばなければならない場面で決断できず三日間学校を休んだ。

最近、ショッピングモールに行ったら4歳児の押すカートに轢かれた。


・メジロマックイーン
身長体重:公式設定準拠

スイーツが大好物の野球大好きおぜう様。メジロ家の令嬢にして天下無類のステイヤー。

備考:
トレーナーと契約を交わした頃はギクシャクしていたが、菊花賞を勝った頃から少しずつ歩み寄り始める。今ではトレーナーに近寄る輩を排除しようとする動きを見せるほど仲良くなった。

トレーナーやサトノダイヤモンド、ゴールドシップといった面々と共にしていることが多いため自分が割と変人の部類であるということに気がついていない。可哀想。

最近、ライスシャワーに絵本のお姫様みたいとの表現をされたが、直後に野球の助っ人に呼ばれて大声で「へいへい! ピッチャービビってますわよ!」と叫びそのイメージを瓦解させた。

甘いものが好き。


・サトノダイヤモンド
身長体重:公式設定準拠

資産家の元に生まれ、愛情たっぷりに育てられた箱入りおぜう様。ダイヤモンド級の固い意志を持つジンクスブレイカー。

備考:
幼い頃からマックイーンのファンであり、そのマックイーンが怪我から復帰したことに嬉しさ半分、トレーナーへの不信感半分でトレセン学園に入学した。今ではトレーナーに近寄る輩に怪しいアタッシュケースを渡して近づかないよう言いくるめるほど仲良くなった。

キタサンブラックとは小学生の頃からの親友であり、当時同じクラスの男子を腕相撲で泣かせたことがある。

最近、特に深い理由は無いが結婚式場の視察に行き、特に深い理由は無いがウェディングドレスの試着を行い、特に深い理由は無いが新婚旅行の計画を立てた。

辛いもの(に挑戦すること)が好き


・一色星羅
年齢:22歳
身長:160cm
体重:45kg
好物:寿司・人参
趣味:帽子選び
特技:アニメキャラの声優を当てること

トレセン学園勤務の若手トレーナー。亜麻色の髪をしたロングボブと、常に着用している帽子が特徴。
その正体はウマ娘であり、現役時代は今では考えられないほどツンケンしていたので友達と呼べる友達がいない。

備考:
超が付くほどの負けず嫌い。『せんぱい』と呼ぶ人物とポーカーやヨット、麻雀で晩飯代を賭けすぎた結果ギャンブル中毒の素質が垣間見え始めた。

アニメやゲームと言ったサブカルチャーを好むが、事格闘ゲームになるととんでもない罵声が響き渡る。

幼い頃、水族館で漏らして泣いていたところを20匹くらいのペンギンからガン見されたことがある。

最近、回転寿司でイタズラ行為をする輩に強い憤りを感じ即日禿げる呪いをかけた。

好きなポケ○ンはガオガ○ン。



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見つめる視線のその先に

 

 

 

 早朝というのは気持ちがいい。トレーニングをするのにも適切と言えるほどの気温を肌で感じることができ、気持ちその効率も高まっている気がする。

 

 三ヶ月後にはURAファイナルズの予選が始まるのを見据え、過度な負荷がかからないように注意して走る。ここらでしっかりと気を引き締め、本番のみならず常々メジロ家のウマ娘として恥じない走りをしなくてはならない……のだが、今私はとある別の課題に直面していた。

 

「……将来の夢……」

 

 日課の早朝ランニングを行いながら呟く悩みの種は、自分が夏頃から相対しているほどの強敵だ。

 課題の期限こそ長めに設定されていたはずだったけれど、その期限というのがとうとう迫ってきている。

 

 正直な話、将来の夢というアバウトな課題に対してなす術が無いというのが現状だ。

 自分の中での最有力候補としてはメジロ家の後継ぎなのだが、今ではそれに迷いが生じてしまい、課題を前にして考えれば考えるほど筆をのせる手が鈍ってしまう。

 

 じっとしていても仕方がないのでこうして身体を動かしてみても、頭の中にあるのは将来の不安と課題の期限が迫っていることへの焦燥だ。

 

 

 なんとかして今日中に解決できたらいいのだが……

 

 

「おはようございます、マックイーンさん」

 

「あら、ダイヤさん……おはようございます。貴方も朝練ですの?」

 

「はい、早起きは三文の徳と言いますし、いいジンクスにはただノリしようかと! 実際こうしてマックイーンさんに会えましたし!」

 

「そうなんですのね。私もダイヤさんに会えたことが徳ですし、残りの二文が楽しみですわね」

 

「マックイーンさんからそのようなお言葉……ッ! ダイヤ感激です!」

 

「ちょ、ちょっと! 抱きつくのはやめてくださいまし! ランニング中ですのよ!?」

 

 と、朝から元気なダイヤさんを相手にしながらいつも通りの日常を送る。

 

 そういえば、ダイヤさんはこの歳でサトノグループの事業に関わっているとか。

 そんな彼女の未来設計図というのは一体どうなっているのだろう。

 

「ダイヤさん、聞きたいことがあるのですがよろしいですか?」

 

「はい、構いませんよ? ちなみにスリーサイズは上から87、54、84で……」

 

「いえ、そうではなくて……ちっ」

 

「今舌打ちしました?」

 

「してません」

 

「しましたよね?」

 

「……してませんわ」

 

 おっと、私としたことがつい。平常心平常心。

 

 心に棲む荒れ狂う鬼神を宥めかせ、明後日の方向に向いて行った話の流れを元に戻す。

 

「その……貴方は将来の夢とかってありますの?」

 

「将来の夢ですか……。今のところは私は家の事業に関わっていけるようになるのが夢ですね。そのためにも、今はサトノグループをアピールするために走り続ける次第です」

 

 予想通りと言えばその通りの返事が返ってきたのだが、彼女の言葉はその柔らかな口調からは考えられないほどの固い意志を感じる。ダイヤモンド、とはよく言ったものだ。

 

「それにしても、どうしてそんなことを?」

 

「……実は、かくかくしかじかで……」

 

「なるほど……そう言った課題が出されているから参考までにと私に……。それでマックイーンさんは今のところどうなんですか? やっぱりメジロ家の後継ぎを?」

 

「私は……その……」

 

「……?」

 

 私の煮え切らない言葉に不思議そうな顔をするダイヤさん。

 彼女すらも私が後継ぎになると思っているのなら他の方達もきっとそうなのだろう。

 

 

 ランニングルートもほぼ終盤に入っており、残りは学園までの一本道。

 言葉を濁したままもやもやした気分で走っていると、一つ見覚えのある背中を発見した。

 走るペースを落とし、私達はその人物を横から挟むようにして歩調を合わせる。

 

「トレーナーさ〜ん! おはようございま〜す!」

「おはようございます、トレーナーさん」

 

「……朝から元気ね、君ら」

 

「朝だから、ですよ。元気出して行きましょう?」

 

「いくら早朝と言ってもだらしないですわよ。私達のトレーナーならシャキッとしてくださいまし」

 

 両手に花の状態だというのに、ちっとも嬉しそうじゃないトレーナーさん……というか眠そうだ。

 夜遅くまで仕事をしていて睡眠時間を取れていないのだろうか。だとしたら何も事情を知らない私達がとやかく言うべきことではないし、むしろ労わってあげなければならないのだが……

 

「いやね、昨日早めに仕事切り上げることができたから気分転換のつもりでゲームやったんだよ。そしたらいつのまにか短針が180°進んでてさ。多分僕の周りだけ時間操作されたんだと思うんだ。多分トレーナー寮にディアルガおるって」

 

 前言撤回、ただの自業自得だったらしい。そこまでの軽口が叩けるなら心配するだけ損だろう。

 とはいえ、この方はかつて過労で倒れたこともあるのであまり無下にはできないが。

 

「はぁ……貴方にしては珍しいと思いますけど、いくら今日のトレーニングが休みだからと言って気を抜きすぎではありませんの? 私達のトレーニング以外にも他に仕事はあるのでしょう?」

 

「大丈夫大丈夫、君達に関する仕事は真面目にやるけどそれ以外は全部テキトーだから。なんなら午前中こっそり寝るし」

 

「駄目な社会人ですね……」

 

 私とダイヤさんはトレーナーさん越しに顔を見合わせて呆れた顔をする。

 考えるだけで嫌になるが、彼もいい歳だし人生のパートナーがいてもおかしくないと思っていた。けど、この調子だと当分出来なさそう。

 少なくとも、彼のことが本気で好きなのは私とダイヤさんくらい……

 

「そうだマックイーンさん、トレーナーさんにもさっきのことを相談してみてはどうですか?」

 

「それは……」

 

「なんだ? 何かあるんだったら話くらいなら聞くだけ聞くぜ?」

 

「そこは力になると言って欲しかったのですが……。ええっとですね──」

 

 そうしてトレーナーさんにもダイヤさんと同じ説明をする。

 そんな彼が将来の夢という単語で少し嫌そうな顔をしたのは気のせいだろうか。

 

「はぁ、そんで将来の夢とやらに悩んでると」

 

「ええ、もう何ヶ月もこの状態なのですが一向にこの課題を終わらせられる気がしなくて……」

 

「君はまだ中学生なんだし、大人になるまで長いんだからここでなりたい自分を決めつける必要はないと思うんだけどね。サイコロとかで決めた運命がピッタシはまったりすることもあるんだから、運命なんて分かんないもんさね」

 

「さすがトレーナーさんです! いい事言いますね!」

 

「お、わかってるなダイヤ。どうせ未来なんてどうなるか分かんないんだし、そんなもん雑に書いとけって。とりあえず教師受けの良さそうな公務員とか書いとこうぜ」

 

「さすがトレーナーさんです! 小狡いこと言いますね!」

 

「……小狡い言うなよ」

 

 相談相手間違えましたかね。この面子だと碌に話が進まないことなんてこれまでの経験から分かっていたのにどうしてこうなってしまったのか。

 

「まあなんだ、時間は限られてるけど、君が納得のいくまで模索してみるといい。今日はトレーニングも無いし、課題に専念する時間も大いにあるはずだからな」

 

「……そうですわね。でしたら今日は一旦本家の方に戻って……ああ、そしたら外泊届も出さなくては」

 

「うむ、そうするといい。ついでに友達にでも話聞いてみな。そこから知見も広げられるだろうからさ。ちなみにダイヤは将来の夢とかってあるのか?」

 

「トレーナーさんのお嫁さんです!」

 

「そうなんだ。悪いな、マックイーン。これは参考にならない」

 

 サトノグループはどこいったんですのサトノグループは。

 

 ナチュラルにさっきと全く違うことを言うダイヤさん。トレーナーさんも昔と比べてだいぶスルー耐性がつきましたわね。

 

「ありがとうございます、トレーナーさん。今日一日頑張ってみたいと思います」

 

「おう、どういたしまして。ちなみに僕がこの職に就くようになったきっかけは──」

 

「いえ、それは大丈夫です。行きますわよ、ダイヤさん。このままでは遅刻ですわ」

 

「はいっ!」

 

「……えっ?」

 

 だって、貴方の過去は既に知っていますもの。

 

 

 

 ***

 

 

 

 そして放課後、机の上に置かれたまっさらな課題用紙と相対して唸り声を上げる。

 いろんな人に聞くとは言っても、私が頼ることのるできる人なんて限られてくるのだ。

 

 ライアンやドーベルと言ったメジロ家のウマ娘を除いたら、同じチームのダイヤさん、トレセン学園のOGである一色さんくらい。

 イクノさんには弱い姿は見せたくないですし、スカイさんは正直こう言った話では頼りにならない気がする。

 

 友達が少ないわけではないが、特別多いわけでもない自分の交友関係が憎い。それでもトレーナーさんよりかはマシでしょうけど。

 

 そうして心の中のトレーナーさんが口うるさく抗議してくるのを無視していると、それと同じくらいうるさい声が二つほど……

 

「ゴルシー! ここらへんにでっかいカブトムシいるんだって! トレーニング終わったら取りに行こうよ!」

 

「何ぃ!? そいつぁ我が故郷ゴルゴル星と対となる惑星からの使者かもしれねぇ! おいテイオー、おもてなしの準備だ! 今すぐありっけのはちみつを用意しろ! マックイーンに取られないように注意な! 直舐めされっぞ!」

 

「やかましいですわよ! はちみつ直舐めなんてたまにしかやりませんわ!」

 

「たまにはやるんだ……」

 

 あら、どうして引かれているのでしょうか。美味しいではありませんか、はちみつ。

 というか、ゴールドシップはどうしてここにいるんですの? テイオーは同じクラスだからともかく、この方が同じ教室にいるというのはものすごく違和感があるのですが。

 

「ところでマックイーン、さっきから難しい顔してるけどなんかあったの?」

 

「ああ、それなのですが……。実は将来の夢の課題で詰まってまして」

 

「ええっ!? あれまだ出してないの!? というか、マックイーンがそこまで悩むってなんか意外かも」

 

「し、仕方がないではないですか! 私だって悩むことくらいありますわ! もう、早くこの課題終わらせなければ……」

 

 待てよ、今こそがトレーナーさんの言っていたことを実行する時なのではないだろうか。

 テイオーの口ぶりからするに、彼女はすでにこの課題を提出している。ライバルである彼女を参考にするのは癪だが、背に腹はかえられない。

 

「……あの、テイオーは一体なんと書いたんですの?」

 

「ボク? ボクはね〜……知りたい? 知りたいでしょ〜? しょうがないな〜!」

 

 やっぱり聞くのやめてしまおうか。

 いいから早く教えろと口に出しそうになったが、それを喉元で抑え我慢する。

 

「……ボクはね、医者になりたいんだ。それも、ウマ娘専門の外科医にね」

 

「医者……ですか」

 

「うん。ウマ娘はさ、怪我が付きものじゃん? もう治らないって言われて絶望しちゃう子も多いと思う。それでも希望を捨ててほしくないんだ。そうすれば、いつかは走れるようになる。ボクやキミみたいにね?」

 

「……貴方らしいですわね」

 

 医学を修めたことは一度として無いが、医者の道が楽なものでは無いということは流石に理解している。

 それでも彼女ならきっとやってのけるのだろう。何の根拠もないが、そう確信してしまう。

 

「ふふーん、どう? 参考になった? なったんだったら今度はちみつドリンク奢って……」

 

「そうだテイオー。お前今日予防接種の日だぞ。トレーナーに連れてくるよう頼まれてたんだったわ」

 

「えっ、いや、聞いてないんだけど」

 

「言ってないからな。直前じゃないと逃げ出すだろうからって、トレーナーが」

 

「う、嘘……ちょ、その麻袋は何!? マックイーン助けて! はちみつドリンクとかいいから助けて!!」

 

 なるほど、自分の経験を基にして将来の自分を模索する。やはりこれが最も近い道なのだろうか。

 私がこれまでに見てきた景色、感じた気持ち……

 

「マ、マックイーン! マックイーン!! ああああああああああああああ!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「何も思いつきませんわ……」

 

 その後、久々にメジロ家に帰ってきたものの、相も変わらず課題は難航を極めていた。

 

 何も思いつかないとは言ったが、いくつか候補は上がったのだ。

 私は甘いものが好きなのでスイーツ職人を目指そうと思った。しかし、スイーツを作るだけ作ってそれを食すことができないという生殺しを受けることに気がつき却下。

 スポーツのコメンテーターも頭に浮かんだが、絶対に解説せずにうるさくするだけの自信がある上に、スポーツ観戦が好きなことは周りには内緒なのでこれも却下。

 

 私の趣味や好きなことに紐付けようとしても100%納得のいくものが見つからない。

 もういっそのこと、トレーナーさんではないが適当な内容を書き殴ってしまおうか。

 

 そう思いながら庭園へ足を運ぶと、そこには先客が一人。

 

「あれっ、マックイーン。そんなでっかいため息なんかついてなんかあったの?」

 

「パーマー……! 本家に戻っていたのですね」

 

「うん。つっても、忘れ物取りに来ただけだからすぐ戻るんだけどさ」

 

 目の前のウマ娘、メジロパーマーを前にして、つい驚きの声が上がってしまった。

 学園では度々話すことはあっても、こうして家の方で会うことはトレセン学園に入学してからというものほとんど無い。

 

 久しぶりに正面から顔を合わせて見るパーマーの屈託のない笑顔は、どこかニヒルな笑みを浮かべる誰かさんとは真逆だなと、そう思ったのは胸の内にしまっておこう。

 

「さっきから浮かない顔してるけど、どうしたの? あっ、最近トレーナーとの仲があんまりよくないとか?」

 

「いえ、あの方との関係は世界で一番良い関係を築けていると思いますけど……今はまた別の悩みがありまして」

 

「お、おう……ナチュラルに凄い自信……。その悩みって何のこと? なんなら話聞くよ?」

 

 もう何度目か分からないが、将来の夢についての悩みを今度はパーマーに打ち明ける。

 嫌な顔一つせず、たまに相槌を打つその姿に、本当に面倒見がいいのだなと思わされたのはまた別の話だ。

 

「なるほど……。つまりは、この家を継ぎたい気持ちはあるけど、別の可能性も探してみたいってことだね」

 

「はぁ、端的に言えば……。ですが、なかなかどうしてそう上手くいかないもので」

 

「……マックイーンはさ、なんで別の道を探そうと思ったの?」

 

「……え? それは……」

 

 あれっ? そういえばどうしてだったけ。いつから私はこうして迷い出したんだっけ。

 

「誰であろうと、人との関わりって意外と自分を変えさせてるもんだよ。それも、自分が気が付かないうちにね」

 

 自分で言うのも何だが、私はトレセン学園入学前と後とではかなり変化が激しい部類のウマ娘だ。

 いや、もっと言えば"あの出会い"があったからこそ……

 

「……? マックイーン?」

 

「パーマー、じいや達に今日の宿泊は無しということを伝えておいてくださいまし!」

 

「ええっ!? ちょっ、どこ行くの!? そんなこと急に言われたって私もすぐ学園に──」

 

「お礼はまた今度しますわよ!」

 

「そういうことじゃないってぇ!」

 

 幸いなことにまだ荷物を持っていたため、そのまま家を飛び出すことができた。

 久しぶりの本家だというのに滞在時間は限りなく短かかったが後悔は微塵もない。

 

 

 目的地はもちろんトレセン学園。少しの距離はあるが、今は一秒でも早くこの気持ちを確かめたい。

 

 

 そうして、あっという間に学園へと到着してしまった私はとある一室の前に佇む。

 思い返してみれば、いつの日か自分は変な夢を見たことがある。もしかしたら、その夢の内容を心の中で望んでいるのかもしれない。

 

 そう思い、部屋のドアを開くと、案の定見たかった姿がそこにあった。

 

「──これだったんですのね」

 

「ん? ああ、マックイーンか。ノックも無しにどうかした……って、その汗何? 制服でトレーニングでもしたんか?」

 

 できる限り聞こえないように呟いたのだが、その部屋にいた当の本人にはバレてしまっていたようだ。

 

 私のやりたいこと、将来の夢。見つかったかもしれない。

 

「ふふっ、少しばかり本家からここまでノンストップで走ってきただけですわ」

 

「なぜに? てか、危ないから公道で全力ダッシュは緊急時以外やめなさいっていつも言ってるでしょ」

 

「どうしてもトレーナーさんに会いたくなってしまったもので。これは緊急時と言っても差し支えなくて?」

 

「差し支えるが? はぁ、ったく、最近は交通事故も増えてるんだし、君の身に何かあったら心配なんだよ」

 

「……それは、貴方が私の"トレーナー"だからですの? それとも──」

 

「はいはい、そういうのいいです」

 

 むぅ、本当にスルー耐性がついてきていて面白くない。それもこれも全部ダイヤさんと一色さんのせいですわ。

 

「ほら、暗くなってきてるし用が無いんだったらもう帰りなさいな。僕はまだ仕事残ってるし、完全下校時刻までそんな時間無いんだから」

 

 今更本家に帰るつもりはないので寮に戻ってもいいのだが、外泊届を提出した手前なんだかそれももったいない。

 課題の内容が完全に固まってテンションが上がってしまっている今、少しくらいは"押しても"バチは当たらないだろう。

 

「トレーナーさん、私、少し早めのクリスマスプレゼントが欲しいな、と」

 

「ええ、後一ヶ月近くあるんですけど……まあ言うだけ言ってみ?」

 

「なら、今日はトレーナーさんの部屋に泊まりに行かせていただくということで……」

 

「ダメに決まってるよね? 百万歩譲って一色みたいなのがいるならまだしも、生徒とトレーナーの二人きりは社会的な死人が……」

 

「でしたら──」

 

 

 トレーナーさんは、トレーナーとしての仕事に就く前にもこうしてウマ娘のトレーニングを見ていた。

 

 

 貴方は私の憧れだ。だったら、

 

 

「私にも、貴方がやっている仕事、教えてくれませんこと?」

 

「えっ……なにゆえ?」

 

「私がやってみたいからですわ」

 

「……しょうがねぇなぁ」

 

 

 見つめる視線の先には憧れの人がいる。

 

 そんな憧れの人の横で、もう何度聞いたか分からない彼の口癖を聞きながら彼の仕事を目の当たりにしたのだった。

 

 

 



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URAファイナルズ議事録 そのX

 

 

 

 一年で一番好きな季節を答えろと言われたら、自分は間違いなく秋と答える。人間が快適に過ごすための気温、読書の秋との大義名分を得ての引きこもり、それになりより秋刀魚が美味しい。

 と、つらつらと秋がいかに素晴らしいかを述べたが、根本的な理由は気温にある。

 

 ちなみに春はダメだ。どんなに暖かくて気持ち良くても、花粉で全てが台無しになる。

 夏もダメだ。あの直射日光とじめっぽさを思い出しただけで鬱になる。

 冬なんてもってのほかだ。路面は凍結するし、雪で前が見えなくなるし、家のドアを開けた時のえも言えぬほどのとてつもない冷気を浴びるあの瞬間は、勤労意欲がかつてないほどに削られる。元々そんなに無いけど。

 

 端的に言えば、寒いのは嫌いだ。

 

 

 深夜のコンビニ前、温かい缶コーヒーを手にしているとはいえ、それで寒さが中和されるはずもなく、やはり冬場に外に出るもんじゃないなと再認識させられてしまう。

 

 小学生の頃、寒すぎて冬というのはどうしてこんなにも冷えるのか疑問に思い調べあげた結果、寒さへの憎しみが地球の地軸へと向かったことは未だに覚えている。

 とはいえ、やっぱり四季が無いとつまらないと感じてしまうのは少々我儘だろうか。暑いのも嫌いだし寒いのも嫌いだが、こればっかりは趣というやつを捨て切ることができない。

 

 

 そんなどうてもいい独り言はさておき、年が明け、世間一般的に楽しい、めでたいと言われている行事も何もかもが過ぎ去ったこの時期。

 それは、ウマ娘、並びにその関係者である我々にとってはとてつもなくハードな時期だった。

 

 なぜ"だった"という過去形かと言うと、文字通りそれは過去のこと、つまりは峠は超えているからだ。

 言うまでもなく、その元凶はURAファイナルズの準備。開催が近づくにつれて地方レース場への出張などが増えていき、本業であるトレーナーとしての仕事が満足にできなくなってしまっていた。

 現に、今もこうして出張の帰りだ。出先が近くも遠くもないなんとも中途半端な場所なため、泣く泣く車を使う羽目になった。ガソリン代は経費で出してもらおう。

 

 もちろん自分としては最善を尽くしたつもりだ。出張中でも毎日トレーニングメニューを送ったり、身体的なケアを一色に頼んだりと、できる範囲で可能なことはやった。

 でも、連絡だけで良かったのに、毎日わざわざテレビ電話でかけてくるのはどうなのかと思う。

 ダイヤに至っては明らかにお風呂上がりだろうという時にテレビ電話を繋いできたのだ。あれ狙ってやってんのかな? 狙ってやってんだろなぁ……。

 ちなみに、その時は秒速で切ったため後から死ぬほど文句を言われた。どうしろっちゅーねん。

 

 そんな余韻に浸れるのも、苦しい日々は概ね今日で終わりだから。何せ明日はURAファイナルズの予選なのだ。その前日に出張なのはいただけないが……。

 

 開催したから仕事が終わりというわけではなく、予選、本戦、決勝とここから三ヶ月ほど、完全なる閉会まで考えるともう少し続くのは間違いない。

 でも、これで毎日エナドリ片手にパソコンと向き合い、極限状態で毎晩仕事をする日々はもう無い……あれ? それっていつもと変わらないのでは? 

 

「ん……電話?」

 

 と、もう何度目か分からないトレーナーという業務のネガティブキャンペーンを行っていると、ポケットに入れていたスマホが振動しているのに気がつく。

 

 こんな時間に電話か。一体誰からだろう。

 

 時計の針はとっくにてっぺんを過ぎており、明日が本番のマックイーンやダイヤとは考えにくい。もしそうならさっさと寝ろと注意しなければ。

 

 そもそも、今日の分の彼女達との電話、もといテレビ電話は終わっている。

 もしかしたらあの二人のどちらかが「眠れません……」とか言いながらかけてきているのかもしれないが、だったとしてもだからなんだと言わんばかりに電話を切ることしか僕にはできない。

 

 しかし、そんな心配は杞憂に終わり、画面に表示されるのはマックイーンでもダイヤでもない別の名前があった。

 

 そう、一色という名前が……

 

「……やることないし帰るかぁ」

 

 堂々と彼女からの電話を無視して車内へと戻る。

 聞きたくない。どうせ仕事に関するかなり重要な内容なんだろうが。しらんしらんしらんしらん、もう嫌だもう嫌だもう嫌だ。

 しかも一色からってのが怖い。たづなさんの次に怖い。彼女も反省して自分の仕事は自分でやるようになったとはいえ、突拍子もなく無理難題を言うことがあるから恐怖心が拭えない。

 

 そんな仮定の話にビビり散らかしていると、一色から一つのメッセージが送られてきた。

 

『お仕事お疲れ様です。

 こちらもこちらでやるべきことは終わりました。

 本当は先輩と出張に行きたかったのですが、生憎と都合が合わず不本意な仕事をやらされた次第です』

 

 ……誰だこいつ。いつもの絵文字顔文字スタンプ大量発生の文面はどうした。キャラ崩れて……ないな、言葉遣いは真面目でも内容がそうでもないわ。

 

『明日は本番、うちのスカイも長距離部門にて出走するので一つ勝負と行きましょう。

 もちろんお金絡みは無し、お互いの総力戦です。尤も、戦うのは二ヶ月後の決勝レースになりそうですが』

 

 これもあいつなりのケジメのつもりなのだろうか。というより宣戦布告? まあどっちでもいい。

 

『では、気をつけてお帰りください。寒いので夜は暖かくして、早寝早起きを心がけるように』

 

「えぇ、最後何……? お前僕のおかんか……?」

 

 色々と思うところはあるが、仕事に関することでなくて良かった。

 無視する理由もないのでさっさと既読をつけて可愛いめのスタンプを送ると、先程までの丁寧な態度はどこへ行ったのか、『キモい』とシンプルな罵倒で一蹴されてしまった。ひどい。

 

 傷心しながらも、車をゆっくりと発信させてトレーナー寮を目指して走行する。

 幸運なことに、明日のレースは二人とも関東圏のレース場であり時間帯もずれている。つまり、どちらのレースにも応援に行くことができるのだ。

 

 予選とはいえ、明日はあの子達の晴れ舞台だからな。早く帰って寝るとしようか。今から帰って寝るとしたら……よし、二時間は寝れるぞ! やったね! 

 

 冗談は置いておいて、こうして車を走らせていると、昔はよくあの子達と一緒にレース場まで車で向かっていたのを思い出す。

 懐かしいな、長らくレースが無かったせいか、ここに来て程よい緊張を感じる。

 

 

 思えばここまで来るのに色々とあった。

 

 

 マックイーンから復帰の話を聞いたのは、特別でもなんでもない普通の日だった。でも、その日のことはよく覚えてる。

 テレビに映るウマ娘をボーっと眺めてたこと。雨が降っていたこと。もう一人担当しなければならないことをマックイーンに伝えたこと。僕のスマホが……握りつぶされたこと……

 あの日の団欒が、なんだか昨日のことのように感じてしまい、懐かしさで物思いに耽ってしまう。はいそこ、老いの始まりとか言わない。

 

 彼女の復帰レースでもある春のファン感謝祭でのレースは、不運にも落鉄して負けた。それも、相手は彼女のライバルであるトウカイテイオー。

 あの時、マックイーンに思い切り泣きつかれたのは今でも鮮明に思い出せる。本人に言ったらきっと怒るんだろうけど。

 それと同時期にダイヤがうちのチームに加入して今の態勢の原型になったのも懐かしい。

 

 その後は高知県にまで行って夏合宿もやったな。マックイーンにダートコースでフジマサマーチとレースをさせたのはいい経験になった。

 あの子のメイクデビューがダートだったのもあり、当時のことを思い出してしまったのは秘密だ。

 そうそう、あの時は一色のやつが有給がうんたら言ってセイウンスカイも任せてきたんだか。帰ってきたらことあるごとに自分も行けば良かったとぶつくさ言われた。知らんがな。

 

 夏が終わると本格的にレースが始まり、我らがマックイーンは秋シニア三冠を目指してレースに挑んだ。

 秋の天皇賞ではハッピーミーク、ジャパンカップではブロワイエ、そして有マ記念ではトウカイテイオーと渡り合い、その全てのレースで一着をもぎ取ることに成功した。有マ記念は同着だったのもあり、本人はあまり納得いってない様子だったが。

 忘れちゃいけないのが、この間に僕がトレーナーをやめようとしたこと。バカなことをしかけたとは思ってるよ? でも、領域まで見せられたら自分なんかが担当してもいいのかとは思ってしまう。

 だとしても、それは彼女の信頼を裏切る行為なので絶対的な悪は僕にあるから口をつぐむしかない。

 ともあれ、それについては和解済みだ。次同じことをしたら僕の命は無いらしい。こわ。

 

 

 マックイーンのレースはそこで一区切りつき、そこから当分ダイヤのレースが続いた。

 

 あの子から聞かされた目標は、GⅠレースで勝つこととキタサンブラックに勝つこと。あれは重賞初勝利の時、きさらぎ賞の帰り道だったな。

 皐月賞、ダービーと悔しい思いをして、その後にどうやらキタサンブラックといざこざがあったらしいというのに、菊花賞で見事持ち直して目標の一つを叶えることができた。

 そして有マ記念でのキタサンブラックとの死闘は、直前にセイウンスカイと一色に模擬レースをしてもらったのもあって勝利。あの時ちょっと泣いた。

 

 しかし、苦しかったのはここからだ。

 新たに彼女が掲げた目標は凱旋門賞。それ自体はよかったのだが、そこに意識が向きすぎてしまい、春の天皇賞でキタサンブラックにリベンジされてしまった。

 

 そのままレースを走ることなくフランスへと行き、フォワ賞で悔しい思いをしたものの凱旋門賞の前日までは割と順調だった。

 

 そう、前日までは。

 

 フランスという慣れない異国の土地だというのに、僕はダイヤのメンタルケアを怠った。その結果、かの遠征は不甲斐ない結果に終わり、僕とダイヤの間にはちょっとした溝ができてしまった。

 

 でも、マックイーンをはじめとした色んな人達のおかげで次の凱旋門賞では勝つことができたんだし、美談で終わらせることができる……できるかなぁ……? 

 ま、まあダイヤの納得のいく結果に終わったのならあれはあれでいい思い出だ。

 

 本当ならダイヤのレースの時もマックイーンの時みたいに他のチームの子も連れてみんなで応援したかったのだが、ある一時から僕とマックイーンだけになってたな。ええっと……なんでそうなったんだっけ? ま、いっか。

 

 

 レースに関すること以外も楽しかったな。マックイーンとダイヤとたい焼きをどこから食べるかを賭けた一世一代の鬼ごっこ。僕の華麗なる作戦で自信満々だったマックイーンに泡吹かせてやったのは最高に気持ちが良かった。

 

 それと、あの謎の異世界転生もぼんやりとだが記憶に残っている。

 あの元凶は十中八九三女神の像。調べてみたところ、三女神のモデルになったのは、バイアリーターク、ゴドルフィンバルブ、ダーレーアラビアンというウマ娘らしい。一言くらい文句を言いたいところだが、彼女達が本当に実在していたのかもあやふやなのでどうすることもできない。

 そういえば、そんな話をダイヤにしたら何かを閃いたような顔をしていたがあれははたして……? 

 

 

 決してここまで良いことばかりじゃなかった。辛いこと、苦しいこと、やりたくないこと、面倒なことがたくさんあった。

 それでも後悔なんてしてないし、この道が間違ってたなんて微塵も思わない。

 

 ……嘘、こうしてURAファイナルズのために睡眠時間削って働く羽目になったのはちょっと後悔してるかも。それも今更なんだけどさ。

 

 

 懐かしい思い出に浸りながら車を運転していると、いつのまにかトレーナー寮の近くまで来ていた。赤信号故、車を止めて一息つく。

 

 深夜だからか、思ったより交通量が少なく早く移動ができたのは運がいい……ん? 

 

「……なんの音?」

 

 交通量が少ないため、音もよく響くのは言うまでもない。

 深夜によく聞くイキった人間が改造バイクのエンジンをふかす音に似た何か……いや違うな、これは車の音? 

 

 

 その音は段々と近づいてきているような気がして、次第に恐怖心が煽られるようになった。

 とはいえ、前方はもちろんのこと、横方向もそれらしき音を出す車は見当たらない……じゃあまさか後ろ……ッ!? 

 

 

 バックミラーとサイドミラーを見ると、ものすごい勢いで近づいてくる一台の自動車。事前に気がつくことはできたが、全ては後の祭りでしかない。

 

「……あ、やべっ、これ死──」

 

 

 始まりは、いつも突然やってくる。それは、終わりもまた例外ではない。

 

 

 ブレーキを踏む気配すらない車は、そのままの勢いで追突し、僕の乗る車に激しい衝撃を与──

 

 

 





URAファイナルズ議事録 そのX

『ターニングポイント』


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空は無慈悲に私を笑う

 

 

 

「ん……」

 

 その日は、少しだけ目覚めの良い朝だった。

 

 空は、雲一つない快晴。天気晴れ、良バ場、絶好のレース日和。脚は軽く、今にでも走り出したい気分だ。

 そんな逸る気持ちを抑え、トレーナーさんに起床の連絡をする。

 

 今日はURAファイナルズ予戦の日。部門ごとに分かれているとは言っても、最強のウマ娘を決めるためのレースがこの日から始まるのだ。

 ここだけの話、緊張や不安は一つ二つではない。でも、それ以上に高揚感を感じてしまうのは、ウマ娘としての性だろうか。

 

 トレーナーさんにはなんてメッセージを送ろう。『おはようございます』? 『今日は必ず勝って見せます』? うーむ、普通すぎてなんだか面白くない。

 

「『愛してます』……だなんて」

 

 朝から自分は何をしているのだろうか。打ったはいいが、即刻正気に戻り首を横に振る。

 

 少し気分が昂りすぎた。こんなことをしている暇があったら、早く連絡を済ませて日課のランニングを……うん? 送信ボタンが……

 

「……えっ、もしかして送ってしまいましたの……?」

 

 は……はあああああああああああ!? 私のバカァァァァ!! こんな早朝から愛の告白だなんて頭がおかしいと思われても仕方がありませんわよ!? 

 ま、まだ間に合います! まだ既読は付いてません! 早く送信取り消しを……

 

『いいではありませんか。取り消さずこのままにして、抜け駆けという形でダイヤさんと一色さんにリードをつけてしまいましょう』

 

 こ、これは、私の心の中の悪魔……ッ! な、なんて魅力的……あ、いえ、悪どい提案を……っ! 

 

『お待ちなさい!』

 

 だが、こういう展開には対となる天使が出てくるのもお約束。お願いします、天使の私! 悪魔の私を止めてくださいまし! 

 

『どうせトレーナーさんも薄々勘付いていそうですし、ここはさらにもう一押ししてしまいましょう。例えば、「世界で最も貴方のことを愛してます」と念を押したり……』

 

 貴方は止める役ではないんですの!? というか、いくらなんでもそれはやりすぎですわよ!? 

 

『良いではありませんか。このままだと貴方、本気で好きだということを伝えよう伝えようとして、でもまた今度でいいやと先延ばしにした結果何も成し得ずに学園を卒業してしまいますわよ?』

 

 グサッ、

 

『その間にトレーナーさんが誰かと恋仲になる可能性も捨てきれませんわね。特に、貴方が懸念しているお二人なんてその筆頭ですわ』

 

 グサグサッ、

 

 今にもそんな効果音が聞こえてきそうになるほど、私の心は抉られ続けてしまう。どうして朝から満身創痍になっているのだろう。

 正論は時に人を傷つける。有史以来、正論が人を救った例は一度としてない(諸説ありますわ)。

 

 とはいえ、これ以上のメッセージを送ることは私の身が持たなくて……

 

『『じゃあ貴方はどうしたいんですの?』』

 

「………………このままにしておきましょうか」

 

 長い長い葛藤の末、心の中の天使と悪魔に唆されてメッセージを残すことに決める。

 きっと彼には軽く流されるのだろうが、よく考えたら今更のような気もしますし、そもそもこんなので彼女達にリードをつけられるとは思えない。

 

 気持ちの良い朝だと思ったのに、なんだか朝から疲れてしまった。

 このモヤモヤを落ち着けるためにも、一走りしてこよう。

 

 ジャージに着替えて学園を飛び出す。あくまでもランニング、後のレースに支障が無いよういつもよりゆっくりとアップを行う。

 

「……あら? なんでしょうか……?」

 

 正門を出てしばらくすると、何やらとある一帯がやたらと騒がしい。

 

 何があったのかと気になり近づくと、どうやら夜間に派手な交通事故が起こったようだ。大破した車に、KEEP OUTと書かれた黄色い規制テープ。

 それだけで何があったのかは火を見るより明らかだった。

 

『最近は交通事故も増えてるんだし、君の身に何かあったら心配なんだよ』

 

 不意にトレーナーさんの言葉を思い出してしまう。これを見てしまえば、彼があそこまで心配していたのも納得だ。

 

 そういえば、ダイヤさんがきさらぎ賞を勝った時もこのへんで事故になりかけたなんてこともあったっけ。あの時はトレーナーさんに随分と迷惑をかけた。

 

 事故現場は隠されているとは言え、路上でこんなにも目立っていたら視界に入れざるを得ない。

 しかし、野次ウマは数人いても、道行く人々は少し気にかけすぐに興味を失っていく。

 

 実際、私もそのうちの一人だ。

 

 可哀想に、と他人事で済ませ、興味を失い再び走り出す。すると、ポケットに入れていたスマホが震動した。

 こんな朝早くから一体誰が……

 

「はい、何の用で……」

 

『──────!』

 

 特に誰からということを確認するでもなく電話に応じると、そこから聞こえてきたのは焦った様子のダイヤさんの声。

 

「どこにいるかって……今は学園周りをランニング中ですが……」

 

『──!? ────!』

 

「な、なんですの、そんなに焦って。落ち着いてゆっくりと話してくださいまし」

 

『……じ、実は──』

 

 

 後から考えたら、この時のダイヤさんの気持ちはよく分かる。

 あんなことを聞かされたら、取り乱してしまうのも無理はない。

 

 

「…………え」

 

 

 内容を聞いた瞬間、理解が出来なかった。いや、理解するのを拒んだと言った方が正しいだろう。

 だが、眼前の光景が目に入る以上、彼女の言っていることは嫌でも信憑性が高くなってしまう。

 

 

 いや、まさか、そんなわけ、でも、もしかしたら。

 

 

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 

 

「トレーナー……さん……?」

 

 

 無意識に、最寄りの緊急病院へと体が動いた。

 よろよろとした歩きはやがて駆け足へと変わり、この後に控えているレースなんてどうでもいいと思えるほどに、できる限り全速力で走る。

 

 

 

 ***

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 病室は、沈黙が場を支配している。

 そこには、静かに眠るトレーナーさんと、そんな彼を見守ることしかできない私とダイヤさん。

 

 不運にも、トレーナーさんは交通事故に遭ってしまったらしい。それも、彼は被害者という過失の無い形で。

 

 事故の詳しい話を聞くと、トレーナーさんは暴走車に巻き込まれてしまったとのこと。制御が効かなくなった車に後方から追突され、その衝撃で対向車線にはみ出した。

 結果どうなったかは、『車は急には止まれない』という言葉だけで想像がつく。トレーナーさん以外の事故の当事者は……いや、これ以上は無粋か。

 

 早朝に目撃した現場は、十中八九その事故のものなのだろう。

 あれを見てしまえばひとたまりも無いと思うのも無理はない。

 

 トレーナーさんが事故によって亡くなったと言われる覚悟も心構えもできていなかったが、起こりうる可能性のあった未来に怯え、動悸が激しくなったのは事実だ。

 

 

 しかし、現実はそうはならなかった。彼はまだ生きている。

 

 それだけで、どれほど心が救われているか。

 

 

 そんなことを考えていると、ノックと同時に病室のドアが開かれる音がする。

 それではノックの意味ではないのではと思ったが、入ってきた人物を見てその行動が腑に落ちた。

 

「一色さん……!」

 

「マックちゃん、サトイモちゃん……せんぱいは……せんぱいはどうなったの!?」

 

「安心してくださいまし。ちゃんと息はあります」

 

「よ……かっ、たぁ……。そ、それで容態は……」

 

「今は眠ってますわ。ふふっ、意外と寝顔は可愛いんですの」

 

「っ……そう、なんだ」

 

 入ってきて早々、私の言葉を聞いた一色さんは膝から崩れ落ちる。

 そういえば、彼女が現役時代の時のトレーナーも交通事故で命を落としたとのこと。それを考えると、何の因果か、一色さんにとっては悪夢の再来とも言える。

 

「ほら、一色ちゃん。そこいたら他の人の邪魔になるから、へたり込んでないで移動して?」

 

「ま、待ってスカイ、ちょっと腰抜けちゃって……」

 

 地べたに座る一色さんに手を貸すのは、その担当ウマ娘であるセイウンスカイさん。

 本来彼女もURAファイナルズで忙しいはずなので、ここにいるのは少し意外だった。

 

「や、マックイーンさん、ダイヤちゃん。ひとまず、あの人が生きてるみたいで良かったよ」

 

「ええ、それはそうなんですが──」

 

「おっ、どうして私がここにいるかって顔だね、ダイヤちゃん? 別に大した理由は無いよ。この人には色々とお世話になったし、最初は私のトレーナーになってもらおうって思ってた人なだけだから」

 

「そうなんですね。スカイさんにも心配していただいてトレーナーさんは果報者……今なんと言いました?」

 

 一瞬何を言われたか分からなかった。なんだかとんでもないことを言われたような気がするんだが。

 そしてどうやら、そう思ったのは私とダイヤさんだけではないようだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってスカイ! せ、せんぱいがアンタのトレーナーにって……そんな話聞いてないんですけど! あと、その言い草じゃあわたしが妥協案みたいな聞こえるし!」

 

「言ってないもん。安心してよ、今は一色ちゃんで良かったって思ってるからさ〜」

 

「ふ、ふ〜ん、それならまあ別に……」

 

 ちょろい……。私だけでなく、スカイさんとダイヤさんも似たような顔をしているあたり同じことを考えているのだろう。

 

「それに、好きな釣り仲間がいなくなるのは嫌だしね……」

 

「ん? 何か言いまして?」

 

「いや、なんでもないです。それより、マックイーンさん達の方こそずっとここにいていいの……って、ううん、ここにいなくちゃいけないんですよね」

 

「それは……」

 

 結論から言うと、私達はURAファイナルズの予選を棄権した。

 トレーナーさんに命が別状がないと判断されたのは、私達の走る予定だったレースが完全に終わってからのこと。もし、彼が生きていると分かっていたのなら出場していたかもしれない。

 しかし、そうでない状況、トレーナーさんがこの後どうなるかも分からないのに、思い切って、何より彼の教え通り、楽しんで走ることなど到底できる気がしなかった。

 

 その選択について後悔は無い。負けたわけではないのだから、また次の機会に挑戦すれば良い。

 

 でも、

 

「皆さんの期待は、裏切っちゃいましたね……」

 

「ええ。それも、一番応えなくてはならない期待には何も報いることができないまま……」

 

 目の前で眠るトレーナーさんは相も変わらずすやすやと眠っている。

 もし彼がこんな話を聞いたら、バカだなぁ、と笑って許してくれるのだろうか。それとも、お説教が待っているのだろうか。

 

 今はただ、トレーナーさんが起きてくれるのを待つのみだ。

 

「にしても、かなり酷い事故だったってのによく生きてましたね。この人の生命力はゴキブリ並みかな?」

 

「確かにそうですわね……。医者には死んでいてもおかしくない、むしろなぜ死んでないのかと言われたくらいですし…………あっ」

 

 そこで私とダイヤさんは顔を合わせる。

 トレーナーさんは"やたら身体が頑丈"なのだ。その理由は、彼にはウマ娘の血が多少なりとも流れているから。去年の春、そんな話を彼の親戚であるちびっ子ウマ娘と共にされた気がする。道理で不自然なくらい怪我が少ないわけだ。

 とはいえ、例えウマ娘であったとしてもそれほどの事故で五体満足なのはどういう原理なのか……? 

 

「え、なになに? 二人だけで分かったような顔しないでくださいよ。セイちゃんにも教えてくれません?」

 

 困惑しているスカイさんに、トレーナーさんのことを細やかに話す。話終わった後、彼女の『だから……』だの『なるほど』だのといった発言が不穏だ。頼むからこれ以上ライバルは増えないでほしい。

 

 そう考えていたのはダイヤさんと一色さんも同じだったのか、トレーナーさんの下へペタペタと歩いていくスカイさんをよそに、私達三人は小声で話す。

 

「ねえ、スカイのやつ、なんか隠してるよね? あの子せんぱいとなんかあったの?」

 

「いえ、そう言った話は聞いたことが……。でも、夏合宿の時もそうでしたがやたら仲が良かったですし……」

 

「そういえばあの二人、夜中に抜け出して釣りに行ってましたわね。実際はたまたま鉢合わせただけでしょうけど、怪しいことには変わりません」

 

 ちなみに、お風呂のことについては濁した。あれを暴露すると、もれなく私の失態までもが明るみになってしまう。

 あ、いえ、ダイヤさんは知っているんでしたか。や、やめてくださいまし……そんな目で見ないで……。

 

「もういっそのこと、スカイさんに直接聞いてみません? それが一番手っ取り早いですよ」

 

「おっ、良い提案するじゃん。じゃあ言い出しっぺのサトイモちゃんが聞いてくるってことで」

 

「ええっ!? 私が!?」

 

 うわっ、この大人最低だ。まるでトレーナーさんみたい。

 

「マ、マックイーンさんからも何か……。というか、ここは担当である一色さんが聞くべきだと思いますよね……?」

 

「…………私もダイヤさんが聞くべきだと思いますわね」

 

「マックイーンさんの裏切り者! この混浴淫乱ウマ娘!」

 

「混浴淫乱ウマ娘!? ちがっ、元はと言えばスカイさんのせいで……ああっ!?」

 

 言い訳をしようとしたが、ダイヤさんは聞く耳持たずで舌を出し、あっかんべーと反抗的な態度を取る。

 というか、貴方も貴方でフランスでトレーナーさんを押し倒したとか言ってましたよね? 

 

 一方、それを聞いていた一色さんは引き攣った笑みを浮かべている。

 あれはどちらかと言うと私達へではなく、トレーナーさんに向けての顔だ。お前は一体生徒に何をやっているんだ、と。

 

 結局多数決(笑)で決まった意見に逆らうことができず、ダイヤさんはふらつきながらスカイさんに近付きおずおずと尋ねる。

 

「あ、あの、スカイさん? 少しお聞きしたいことがあるのですが……」

 

「……ダイヤちゃん、この人が事故ってから何時間くらい経ったか分かる?」

 

 しかし、ダイヤさんの言葉を遮ったスカイさんは、有無を言わさないくらい強い口調で質問をした。

 

「えっ……ええと、大体半日ほどかと……」

 

「そう……」

 

 そして、その答えを聞いた彼女は目を瞑り、唇を噛み締める。

 

 その姿に、どうしてか不安を覚える。

 

「スカイさん、その質問は何を意味し──」

 

「……トレーナーさん、生きてるんですよね」

 

「は、はぁ。医者からは命に別状はないとだけ……」

 

「ウマ娘の血が入ってるから、怪我も少ないんですよね?」

 

「トレーナーさんが嘘をついてなければですけど……」

 

「じゃあ──」

 

 ゆっくりとスカイさんは顔を上げる。そこには、先ほどトレーナーさんが生きていると聞いた時の安堵の表情ではない。

 

 この場の誰よりも、辛く、苦しそうな顔をして──

 

 

「じゃあ、なんでこの人起きないんですか……?」

 

 

 一瞬、言われた意味が理解できなかった。彼は眠ってるだけなのだから、焦る必要なんて……

 

「ええ、確かにマックイーンさん達のトレーナーさんは死んでませんよ。お医者さんがそう言ったのならそれが正しいんでしょうね」

 

「スカイ、それ以上はやめなさい」

 

「ダメです。一色ちゃんは最初から気づいてましたよね? でも、伝えてしまったら余計に不安を与えてしまう。だから、あえて気丈に振る舞って、二人にそれを悟らせないようにしてた。自分自身も、考えないようにするために」

 

「っ、スカイッ!」

 

 一色さんは声を荒げる。彼女がここまで怒りの感情を露わにしたのは見た事がない。

 

「……これでトレーナーさんが起きていたなら私とて何も言いませんよ。でも、身体が頑丈なはずのこの人が、12時間以上経っても目を覚さないとなったら、いやでもそう考えないといけませんよ」

 

「そ、それは……」

 

 私達はトレーナーさんが生きていることに安堵した。否、安堵しすぎて視野が狭まってしまった。

 

 どうしてこんな簡単なことに思い至らなかったのか。トレーナーさんが生きているとは言われたが、意識が回復したとは一度も告げられてない。

 

「で、でも、トレーナーさんは、寝てるだけ、って……」

 

「っ……! まだ目を逸らしてるんなら私ははっきり言うよ。ダイヤちゃん達のトレーナーさんは、『意識不明の重体』なんだって」

 

「あ……」

 

「サトイモちゃん……!」

 

 希望からの絶望。それを突きつけられたダイヤさんは力無くその場にへたり込み、一色さんに抱えられる。

 

「……マックイーンさんは私を責めないんですか?」

 

「そうしたところで、今の状況が改善されるとは思えませんもの。それとも貴方は、彼のためを思って赤子のように泣くことのできない私を薄情だと罵りますの?」

 

「……いや、まさか。むしろ、事実を言っただけとはいえ、薄情なことをしたのは私ですよ」

 

 そう言って、彼女はそっと出口へ向かう。

 

「スカイさん、どちらに……」

 

「ちょっと考えたいことがあるんで、私はひと足先に学園に戻りますよ。この後、キングにどこ行ってたのかとぐちぐち言われるのも嫌だから」

 

「そう、ですか」

 

「……あと、もし起きたら伝えといてください。また一緒に釣りに行きましょう、って」

 

「……はい、任されましたわ」

 

 会話はそこで途切れる。言葉数は少なかったものの、彼女なりにトレーナーさんを気遣ってくれているようだ。

 そんな彼女の後ろ姿を見送ると、今度は一色さんも立ち上がる。

 

「ごめん、二人とも。わたしも行くね」

 

「えっ……ですがトレーナーさんは……」

 

「分かってる。わたしだってせんぱいが気になるよ。でも、その前にわたしはスカイのトレーナーなんだ。あの子、URAファイナルズの予選突破したんだよ。だから、ここで立ち止まってらんないんだと思う。それはわたしも同じだから」

 

 ……そうか、スカイさん、予選突破していたんですのね。彼女の実力ならばなんらおかしくはない。

 

「それに、仕事に私情を持ち込むなって、誰かさんに怒られちゃいそうだからね」

 

 フッと自虐的な笑みを浮かべながら、また来るよとの言葉を残し、一色さんはスカイさんの後を追った。

 そして、この場には再び私とダイヤさん、そして眠り続けるトレーナーさんの三人に。

 

「……トレーナーさん、無事に起きますかね」

 

 ダイヤさんの声には覇気が感じられない。無理もない、彼女は私と同じくらいトレーナーさんのことを慕っている。

 きっと、自分もそんな彼女と同じ顔をしているのだろう。だからこそ、はっきりと言わないければならない。

 

「起きますわよ。必ず、きっと」

 

 根拠なんてない。今はそう願うしかなかった。

 

 

 空は、雲ひとつない快晴。天気晴れ、良バ場、絶対のレース日和。だというのに、全く走りたいという気分にはなれない。

 

 よく、雨が降っていることを空が泣いていると表現されることがあるが、今の私達はむしろ天気に笑われているような気さえしてしまう。

 雲に隠れることすらせず、太陽は真正面から私達を嘲笑っている。

 

 そんな錯覚に怒りを覚えることすらできず、無気力にスマホに視線を落とす。

 

 

 今朝送ったメッセージには、いつまでも既読が付くことはない。私はそっと、そのメッセージの送信を取り消した。

 

 

 





一章でトレーナーの身体が頑丈という設定を出したのも、二章序盤で事故になりかけたのも、全てはこの展開をやりたかったからです。


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昨日の淵は今日の瀬

 

 

 

 走るのが好きだ。

 一時期自分を見失ったこともあったけど、これはトレセン学園に入学する前から一貫して変わらない、私の本心。

 

 風を切り、髪が靡くのを感じながら広い緑の芝生を駆け抜ける。なんと気持ちの良いことか。

 

 もしそこに、他の誰かがいたら? 私にとっての大きな壁が、私と競ってくれるライバルが。

 私を、更なる高みへ連れて行ってくれる大好きな人が、いてくれたのなら。

 

 それはきっと、特別でもなんでもない日常なのだろう。

 

 それでいい、それがいい。

 

 

 そんな日常は、久しく経験していないのだから。

 

 

「ハッ……ハッ……!」

 

「サトイモちゃーん! そのままラスト一周!」

 

「ッ、はいっ!」

 

 一色さんの声に応え、私ことサトノダイヤモンドは顔を上げる。

 脚部に更なる負荷をかけ、大地を踏み締めて駆け出したラストラップは、今日一番の走りだと自負してしまうほどのもの。

 そのままストップウォッチを持つ一色さんをゴールの目印にして、一気に彼女の前を通り過ぎる。

 

「……うん、いいタイムだね。サトイモちゃん、この前よりさらに速くなってるよ」

 

「はぁ、はぁ、あ、ありがとうございます……!」

 

 息絶え絶えに返事をして芝生の上に横になる。その際香ってくる草の匂いと強い日光のコントラストに、嫌でも季節を感じさせられてしまう。

 

「はぁ、サトイモちゃんは真面目でいい子だね〜。どこかの誰かさんも、君みたいに素直なら苦労はしないんだけど」

 

「あはは……。でも、スカイさんも最近は真面目にトレーニングしてるじゃないですか」

 

「……ま、そうね。だいぶ前っつても、URAファイナルズについては、わたしもあの子も悔しい結果に終わったし……っと、そろそろ時間じゃない?」

 

 一色さんのその一言につられて時計を見ると、もう学園を出なければならない時間だった。どうやら、今日は一層トレーニングに力が入ってしまっていたみたい。

 

「すみません、一色さん。私急がなきゃ──」

 

「おっと、待った待った。いくら急いでたとしても、トレーニング後のクールダウンを欠かしちゃいけないぜ? あの人だって、きっとそう言うだろうしね」

 

「っ……はい、そうですね」

 

 ゆっくりとランニングを行い、全身の筋肉をほぐして上がった体温や心拍数を元に戻す。

 本当ならそれすらもほったらかしてしまいたかったのだが、あのような言い方は少しずるいと思う。

 

 

 クールダウンを終えて一色さんと別れた後、バスに数分揺られて目的地である病院へと到着した。

 そして、相変わらず静かに眠り続けている彼の部屋へと足を踏み入れる。

 

 

 

 トレーナーさんが事故に遭ってから、半年以上が経った。短いようで、とても長い。そんな時間の長さ。

 

 

 

 私の生活はこの半年で激変した。彼が眠りについてから何があったのかを話しておこう。

 

 まず、私達がURAファイナルズを棄権したことはご存知だろう。このレースの長距離部門は、生徒会長であるシンボリルドルフ会長が栄冠を手にした。

 キタちゃんやスカイさんも決勝まで勝ち上がったのだが、結果は惜しくもと言ったところだったらしい。

 だが、正直ルドルフ会長の走りは圧巻だった。流石は無敗の三冠ウマ娘、テイオーさんがあそこまで憧れるのもよく分かる。

 

 次に、私のトレーナーが変更されたこと。といっても、これは仮に過ぎない。トレーナーさんが起きるまでの話だ。

 これでどこの誰かも分からない人の担当になるなら渋ったかもしれないが、引き取られ先は一色さんだったので安心してお願いした。

 なんなら、その申し出をしてきたのは彼女だ。なんでも、「せんぱいが起きるまではわたしが場を繋いであげるからねっ!」とのこと。

 きっと私達を気遣ってのことだろう、彼女には頭が上がらない。トレーナーさんは渡さないけど。

 

 ちなみに、マックイーンさんはその申し出を断りメジロ家に戻った。曰く、身体や精神面といったあらゆる方面で学園にいるより全然良いらしい。

 彼女とコンタクトを取る手段は、こうしてトレーナーさんのお見舞いや、日々の電話など色々ある。でも、毎日一緒に走っていたあの日々と比べるとやはり味気ない。

 

 そして最後に、今回の事故に関する諸々の細かな内容。例えば、事故を起こした本人への賠償などだ。

 私はトレーナーさんの家族になる予定の人間とはいえ、今はまだそうではないので、本来ならば詳しい話は彼のご両親にしか分からない。

 

 しかし、賠償の件に関して、今回はその限りではなかった。なぜなら、事故を起こした当人である加害者はもうこの世に存在しないから、すなわち、請求する相手がいないのだ。

 民事上、基本的には加害者の家族にはそれが不可能らしい。損害賠償は、不法行為を行なった本人に発生する責任なため、事故を起こしていない家族には無関係なようだ。

 

 だとしても、何のリアクションもないまま済ますにはあまりにも非常識というのはわかっていたのだろう。後日、その加害者家族が謝罪に来たのは昨日のことのように覚えている。

 彼らには何の罪も無い。そんなことは分かっていた。彼ら自身も大切な人を失っているのだ。

 だから、私は怒りを露わにはしなかった。だったら、この気持ちはどこへぶつければいいのか。

 

 事故の後、私だって何もしなかったわけじゃない。サトノグループの全勢力をあげて名医を招集し、彼の治療に取り掛からせた。

 それでも結果はお察しだ。相変わらずトレーナーさんに変化は無く、意識は戻らない。

 

 この色々あったようで何も無かった半年間、行き場を失った感情をどうすることもできず、毎日のようにトレーナーさんの下へと足を運んでいた。

 

 今日は目を覚ますのではないか、今日こそは楽しくお話ししてくれるのではないか。

 

 そんな希望は、ことごとく叶わなかったというのに。

 

「ッ……!」

 

 悔しさのあまり、握り拳に力が入ってしまう。どうしてトレーナーさんがこんな目に遭わなくてはならないのだろう。

 一生面倒を見てくれると、そう約束したではないか。私はまだまだ走りたいレースがある。破りたいジンクスがりある。倒したい相手がいる。それは、あなたと一緒でないと意味がない。

 

 

 なのにどうして……どうして起きてくれないんですか……

 

 

「あら、先にいらしていたんですのね、ダイヤさん」

 

「っ!? マ、マックイーンさん!? いつからそこに!?」

 

「ちょうど今到着したところですのよ、少し寄り道をしていたもので。それにしても、随分と上の空の様子でしたけど、学園で何かありまして?」

 

「あ、いえ、そういうわけでは……」

 

「そうですの? でも、何かありましたら是非相談してくださいまし。さてと、今日はこれをトレーナーさんに……」

 

 そう言って突如現れたマックイーンさんは、小さな袋の中からとある小物を取り出した。これは……

 

「わぁ、綺麗な"ハーバリウム"ですね……!」

 

「気に入っていただけて何よりですわ。スカイさん経由でフラワーさんに教えてもらったんです。トレーナーさんにもそう言っていただけるかは分かりませんが……」

 

「きっと気に入って貰えますよ。なんせ、マックイーンさんからのお見舞い品なんですから」

 

 昨今、お見舞いの品として生花は御法度だ。そのため、こういった粋な計らいをするマックイーンさんは流石としか言いようがない。

 

 私がフォローを入れると、マックイーンさんはニコリと笑ってトレーナーさんに視線を移す。

 

「……早く目を覚ますといいですわね」

 

「そう、ですね……」

 

 マックイーンさんは慈愛の籠った瞳でトレーナーさんを見つめる。悔しいが、彼女は私よりもトレーナーさんとの付き合いが長い。

 故に、言葉が不要なほどの信頼関係が垣間見えるのが妬ましくもあり羨ましくもある。

 

 でも、今はそれがどこか不自然に感じてしまう。なんだか、マックイーンさんがマックイーンさんでないような、そんな気がして。

 

「ふふっ、トレーナーさん。私達、よく電話でお話しするんですの。でも、誰かさんは夜遅くまで連絡してくるのですのよ? 全くダイヤさんは悪い子なんですから」

 

「なっ!? マックイーンさんだって人のこと言えないじゃないですか!」

 

 私達はこうして、精神を安定させるためにもトレーナーさんに何があったのかを報告する。

 もしかしたら起きないだけで意識はあるのではという期待も込めて、あの楽しかった日々の幸福を風化させないためにも。

 

 

「…………ん」

 

 

 そんな想いが届いたのか、眠っていたはずのトレーナーさんの瞼がゆっくりと開き……えっ、

 

「……ト、トレーナーさん……? 起き……えっ、あっ……マ、ママ、マックイーンさん、トレーナーさん、起きて……」

 

「……! ッ!?」

 

 見間違いではない。この半年間一切音沙汰がなかったトレーナーさんがようやく目を覚ました。

 嬉しいより先に困惑の念が先に来てしまい、この突然の状況に頭がついていけなくなった。

 

「……?」

 

 目を覚ましたトレーナーさんは身体を起こそうとするが、その身体の不自由さに目を丸くする。それはそうだ、半年も寝ていたのだから、例え身体が頑丈でも無理はない。

 

 事態を飲み込み、それと同時に言葉にできないほどの情動が込み上げてきた。

 

 もう我慢できない。視界がぼやけつつも、彼の元まで歩き手を握り、そのまま嬉し涙で泣き崩れてしまう。

 彼が起きた時は笑顔を見せようって決めてたのに。

 

「……っ、ほんとに……よかっ、た……!」

 

「……トレーナーさん、おはようございます。貴方が目覚めるのを、私達ずっと待っていましたのよ?」

 

 そんな私とは対照的に、マックイーンさんは安堵の表情はしているものの、思ったよりも冷静だ。あの時も、トレーナーさんが意識不明の重体だという事実を突きつけられた時と同じくらい、今の彼女は凛としている。

 

 

 これでようやくいつもの日常が帰ってくる。話したいことがたくさんある。無事で良かったと、抱きしめられる。

 

「あ……」

 

 そうして、トレーナーさんの口からはようやく言葉が発せられ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前達は……一体誰なんだ?」

 

 

 きょとんとしたトレーナーさんの顔を前にして、私達は事態が解決していないことを悟った。

 

 

 



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人間万事塞翁がウマ娘

 

 

 

 もしかしたら、目覚めたトレーナーさんは記憶を失っているかもしれない。

 

 考えないわけではなかった。むしろ、その可能性の方が高い、脳に何かしらの障害をきたしているかもしれないと、お医者様に言われたまであったのだ。

 

 でも、その時の私にとってはそんなことどうでも良かったのかもしれない。

 脳に傷を負ったあげく半年以上も昏睡状態だったことを考えると、意識が回復しただけでも奇跡的とも言えるだろう。

 

 例え彼が私のことを忘れたとしても、今までも思い出がなくなるわけじゃ無い。

 どんなことがあろうとも、私は彼の教え子。

 

「……ゃん……」

 

 それに、彼のことが好きだという気持ちはこんなことでは揺らがない。

 

「……イヤちゃん」

 

 

 そう、絶対に揺らがな──

 

 

「ダイヤちゃん!」

 

「うわあっ!? キ、キタちゃん……? もう、どうしたの、そんな大きい声出して」

 

「さっきから何回も呼んでるよ! もうホームルームとっくに終わってるんだよ? さっきの授業だって全然集中してなかったでしょ?」

 

「それはキタちゃんもそうだと思うんだけど……。いつも窓の外見てるし」

 

「それはそれ、これはこれ。最近はあたしよりダイヤちゃんの方がボーッとしてるからその反論は受け付けませんっ!」

 

「ええ……」

 

 えっへんと胸を張り、なぜか偉そうな態度を取るキタちゃん。

 

 だが、確かに彼女の言う通りかもしれない。

 少し前に、誰かにもよく上の空になっていると言われた。あの時とは状況が違うが、心労の話をすれば同等、もしくはそれ以上と言ってもいい。

 

「……やっぱりトレーナーさんのこと気にしてる?」

 

「ちょっと、少し、だいぶ、かなり……」

 

「うん、すごく気にしてることは伝わったよ。よし! 困ってる人は見過ごせない! このお助けキタちゃんに任せなさいな!」

 

 キタちゃんは張った胸をドンと叩き、とある一枚の用紙を私の前に突き出した。

 

「これって……」

 

「ダイヤちゃん、ここのところずっと苦しそうな顔ばっかりしてるからさ。少しは肩の力抜かなきゃ、疲れちゃうでしょ?」

 

「……でも、私……」

 

「ずっと迷ってるばっかじゃ何も起きないよ。迷ってるなら、まずは動いてみる!!」

 

 まずは動いてみる、か。今の私には耳が痛い言葉だ。

 記憶を失ったトレーナーさんを前に、どう接すればいいか分からない。いや、現状はそれ以前の問題だ。何もしてなくても彼との溝は深まるばかり。

 今はただ、トレーナーさんの記憶が戻ることを願うだけの受け身の姿勢を取っているのは間違いない。

 

「あはは、大見得張っちゃった手前こんなこと言うのもあれだけど、あたしは大したことできない。でも、ダイヤちゃんが辛い時はずっとそばにいるからね!」

 

「……うん、ありがと、キタちゃん」

 

 私はいい親友を持った。自分が辛い時、ここまで信頼できる相手がいるというのはなんと心の支えになることか。

 

 そのまま教室でキタちゃんと別れ、彼女から渡された一枚の用紙を片手にトレーナー室へと足を運ぶ。

 

 

 トレーナーさんが目を覚ましてから約一ヶ月。彼は驚異的なスピードで身体能力を回復させ、はや一週間という期間でリハビリを終えた。

 もちろん即退院というわけにもいかず何日かは入院する必要があったが、後にそれも必要がなかったと診断されてしまったらしい。

 彼の免疫力は一体どうなっているのだろうか。ここまで来ると本当に人間かどうか疑わしくなってくる。

 

 冗談みたいで本当の話はさておき、本題はここからだ。

 退院直後のトレーナーさんは、記憶の欠損という面を除いたら日常生活を送る分には特に問題は無かった。責任能力は十分にあると判断され、これと言って行動が制限されることはない。

 

 そしてなんということか、トレーナーさんはそのままトレセン学園に復職した。

 

 もちろん彼には帰ってきて欲しい、また彼の下で指導を受けたい。でも、記憶の無い状態でそれをするのは無謀ではないか、と。

 

 しかしそう思ったのは私だけで、他の方はそうじゃなかった。一色さんをはじめ、理事長さん、たづなさんと、ものは試しと言わんばかりに彼が復職することに賛同していた。

 なぜここまでと思ったが、そういえば彼は学生時代、素人の状態で一色さんのトレーナーを務めていたんだっけ。そんな話を聞いたのを思い出し、私はなんとか首を縦に振ることができた。

 

 トレーナーさんが戻ってきてから一週間、初日は少し慣れていなかった様子だが、それ以降は一色さんや東条さんの指導を受け、トレーニング面に関しては私が口出しできるところなど無いところまで成長してしまった。

 

 本当にこれで良かったのだろうか。何度もそう考えたが、これは彼自身が望んだとのこと。私がどうこう言う権利はない。

 

 それでも、一つだけ気になることがある。記憶を失った彼にとって、トレーナーという職業については大して思い入れはないはず。

 

 

 なのに、どうしてトレーナーさんはトレセン学園に戻ってきてくれたのだろう……? 

 

 

「……よし」

 

 トレーナー室前まで辿り着き一つ気合を入れてドアに手をかけ静かに開く。

 

「こんにちは、トレーナーさん」

 

「ん、ああ、サトノダイヤモンドか、こんにちは。そこのテーブルに今日のトレーニングメニューを印刷したプリントが置いてある。目を通した後、20分後を目処に取り掛かってくれ」

 

「……はい」

 

 いつもの部屋、いつもの人。でも、そこにはいつもの日常は無い。

 目の前にいるのは間違いなくトレーナーさんなのだ。そう、言うなれば99%は事故前のトレーナーさん。99%しか、トレーナーさんと一致しない。

 人間、1%も違えばそれはほぼ別人だというのに。

 

「……あの、今日もトレーナーさんはトレーニングを見てくださらないんですか?」

 

「すまない。俺……僕も他のトレーナーのように君達に付きっきりでいたいんだが、何分覚えることが多くてな。……不満があるなら、今すぐにでもお……僕をトレーナーから降ろしてもらって構わない」

 

「い、いえ、出過ぎたことを……。忘れてください、トレーナーさんも大変だというのに。それと、『俺』で構いませんよ?」

 

「……本当にすまない」

 

 誰かから聞かされたのか、なるべく記憶喪失前のトレーナーさんを再現しようとし、取り繕うように一人称を変える。それだけで私を気遣ってくれていると分かり、キュッと心が苦しくなってしまう。

 

「……ッ」

 

 私はキタちゃんから渡された用紙をくしゃりと丸めてゴミ箱に捨てる。

 ごめん、キタちゃん。どうも私は今のトレーナーさんを誘う勇気は無いみたい。

 

 一人諦観していると、彼の机の上にいつか見た小さな置物があった。あれは……

 

「……あっ、そのハーバリウム……」

 

「これか? 俺が入院していた時の見舞い品らしくて、病院から持ってきたんだ。もしかして君からのだったりするのか?」

 

「いえ、それは私じゃなくて……」

 

「そうか。なんにせよ、凄く綺麗だから気に入ってしまってな。お礼を言いたいんだが、誰からのものなのか……」

 

 そう言って顎に手を当てて考えるすがたを取るトレーナーさんに、どこか昔の面影を感じてしまう。

 

「ああそうだ、サトノダイヤモンド。明日の予定は空いているか?」

 

「え? は、はい、トレーニング以外は特に……」

 

「なら、少し頼みがあるんだが……」

 

 

 

 トレーナーさんは澄んだ瞳で私を見て……

 

 

 

「俺と付き合ってくれないか?」

 

「……………………へ!?」

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふむ、蹄鉄はこのサイズ……粉末スポーツドリンクは一度にこれくらいを目処に購入……。あ、サトノダイヤモンド、君の足のサイズってどのくらいだ?」

 

「ええと、左右共に21だったと……」

 

「了解、21ね。いやなに、助かるよ。一色さんも東条さんも手が空いてなさそうだったから、後少しで俺一人で買い出しに行くところだった」

 

 うん、知ってた。多分こんなことだろうとは……いや、少しだけ期待しました。すみません。

 

 トレーニングを早めに切り上げた私達がいるのは、トレセン学園から少し距離が離れているスポーツショップ。

 距離があると言っても歩いていけるほどの距離であり、記憶が無い今、流石に車の運転は危険だということで徒歩でやってきた。

 それに、トレーナーさん自身があまり車で行くことにいい顔をしなかったのもある。

 

 荷物を台車に乗せ、私達は車通りの少ない来た道を戻り学園へと向かう……何の甘酸っぱい展開も無く、このまま……

 

「……? どうした、急に立ち止まって。お腹でも痛いのか?」

 

「……トレーナーさんは乙女心というものを学ぶべきだと思います」

 

「えっ……あ、ああ、善処する。トレーナーの仕事と並行して学んでおくとしよう」

 

「……ふふっ、冗談ですよ。そんな顔してないでください、本気で言ってるわけではないので。元々のトレーナーさんも、こういうことに関しては終わってる部類ではありましたし」

 

「終わってるて」

 

 もし記憶喪失前のトレーナーさんが乙女心が無いと言われたら、「いや、僕は最強の恋愛マスターだぜ? なんせフラれたことがないからな!」とでも言うのだろうか。どうせ告白したことなんてないくせに。

 

 そんな自信満々な脳内のトレーナーさんとは違い、目の前の彼はどこか心中複雑そうだ。まずいことでも言っただろうか。

 

「あの、トレーナーさん。もしお気を悪くしてしまったのなら……」

 

「いや、そんなことはない。ただ、少し考え事をな」

 

「考え事、ですか?」

 

「君から見て、記憶を失う前の俺はどんな奴だったのかなって」

 

「それは……」

 

 非常に答えにくい問いだ。いや、答えること自体は簡単なのだが……

 

「ああ、無理に答える必要はない。大方は知っている。なんでも、以前の俺はかなり性根が曲がっていたそうじゃないか。一色さんから散々聞かされたよ」

 

「一色さんが?」

 

「ああ。すけこましだの厨二病だのイキリオタクだの散々罵倒されたよ。それで、その後自分は婚約者ですだの言われたんだが、それはすぐに嘘と分かった」

 

 何をやっているんだあの人は。トレーナーさんに余計なことを教え込まないで欲しい。

 

 私はトレーナーさんより一歩前に出て、

 

「そうですね……確かにトレーナーさんの性格は普通と比べてひん曲がっていたと思います。さっきも言いましたが、恋愛面に関しては終わっていますし、くだらないことで喧嘩して、時には人としてどうなのかと思うことも多々あるほどでした」

 

「いや、そこまで言われてないんですけど……」

 

「でも──」

 

 一つターンをして振り返り、もう一度並ぶようにトレーナーさんの隣を歩く。

 

「どんなことがあっても隣で信じてくれる、どこまでも一緒に行けるって、そう信じさせてくれる、私にとっての最高のパートナーです」

 

「そっ、か。そうか、うん、分かった。どうやら俺は君と随分良好な関係を築けていたらしい」

 

「はい、随分どころかとっても。あ、それと、一色さんの言うことを全部鵜呑みにしてはいけませんからね?」

 

「ああ、分かっている。彼女もユーモア混じりに話してくれたんだろう。多少悪く言われるのも承知の上だ」

 

「正しくは、一色さんの婚約者ではなく私の婚約者です」

 

「ああ、分かっ……なんて?」

 

 嘘は言ってない。それに似た言質は取っているのだから。

 

 揶揄うように笑うと、トレーナーさんは困ったように頬を掻く。記憶を失ってからというもの、彼のこういった子供っぽいところを見るのは初めてな気がする。

 

「でも、やっぱり妙な気分だな。自分のことなのに、全くの他人の気がしてならない。まあ、そもそも記憶自体が無いんだが」

 

「少しずつ戻していきましょう。今は私もいるんですから。無理せず、一緒に、ゆっくり」

 

「……もし戻らなかったとしたら見捨てるか?」

 

「神に……いえ、貴方に誓ってそんなことはしません。なんなら私と結婚してもらいます」

 

「おっと、これは予想外……。てかなに、会話の内容飛んだ?」

 

 別に飛んでませんが。記憶が戻ったとしても戻らなかったとしても、どのみち将来結婚することには変わりない。このことは伏せておくけど。

 

「……まあ、もしかしたら突飛なことで記憶が戻るかもしれないし、それまでは君のトレーナーとして尽力するとしよう」

 

「そこから先は?」

 

「それは、君が一番よく知っているだろう?」

 

「ふふっ、これからも末長くよろしくお願いしますね? トレーナーを続けるのが嫌になったとかは無しですよ?」

 

「分かってるよ」

 

 なんだ、きちんと面と向かって話をすれば、やっぱりトレーナーさんはトレーナーさんだ。あの頃となんなら変わりはない、強いて言うなら呼ばれ方くらいだろうか。

 でも、そんなことは些細なことに過ぎない。私にとって、この時間は紛れもなく幸福な時と言っても差し支えなかった。

 

 決して短くはない学園までの距離、私達の間にはそれ以上の会話という会話は無かったが、なんだか少し距離が縮まった気がした。

 きっと私も彼も歩み寄る勇気が無かっただけなのだ。こうしてきっかけさえ作ってしまえば、なんてことはない。

 

「それじゃあ、もう寮近くだからここまでだな。今日は本当に助かったよ」

 

「いえ、このくらい担当ウマ娘として当然です。またいつでも頼ってくださいね?」

 

「そう言われたらトレーナーとして立つ瀬がないが……今の俺は格好つけている場合じゃあないしな。そうさせてもらおう」

 

 ……うん、今ならきっと大丈夫。昨日は出来なかったが、今日は誘える気がする。

 

『ずっと迷ってるばっかじゃ何も起きないよ。迷ってるなら、まずは動いてみる!!』

 

 キタちゃんの言葉を思い出し、無理矢理にでも勇気を出す。

 

 URAファイナルズは優勝どころか参加すら出来なかったけど、もう一つのことなら叶えられる。

 

 

 去年、花火を見たあの場所で、トレーナーさんに思いを打ち明け────あ。

 

 

「……サトノダイヤモンド?」

 

「…………いえ、なんでもありません。それでは失礼します、トレーナーさん。明日もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますね?」

 

「あ、ああ」

 

 手を振って別れの言葉を告げ、トレーナーさんは夜の学園へと戻っていった。

 これからまだお仕事をするのだろうか。私はこれでも家の事業に関わっており、事務仕事などは得意だ。家のことも大切だが、将来は彼の隣で共に仕事をするのも悪くない、むしろそうしたい。

 

「さて……」

 

 トレーナーさんが完全に見えなくなり、周りには私一人だけ。

 

 

 否、姿も気配も隠したつもりの人物がここにもう一人。

 

 

 

 

「いるのでしょう、マックイーンさん」

 

 

 

 

 もし他人が側から私のことを見たら、虚空に話しかける危ない人に見えるだろう。

 だが、そうではない。私のその問いに応えるかのように、茂みから人影が姿を現した。

 

「……気づいていたんですのね」

 

「何年あなたのことを見続けてきたと思ってるんですか。マックイーンさんとトレーナーさんのことならなんでもお見通しです」

 

「それはそれで少々恐怖を感じますが……」

 

 はて、そうだろうか。好きな人の考えることなんて大抵分かるものでは? 少なくとも私はトレーナーさん検定一級くらいは持っていてもおかしくないと思う。

 

 それはさておき、私はマックイーンさんに聞かなければならないことがある。

 記憶は無いが、目を覚ましたトレーナーさんはトレセン学園に戻ってきた。その能力も今では十分であり、私達を指導するには何も問題ない。

 

 それなのにマックイーンさんは──

 

「……どうして学園に戻って来ないんですか。どこか身体の調子が悪いとか?」

 

「…………別に、私の勝手でしょうに。今日だって、休学期間の延長を申請しに来ただけですわ。ああそれと、特にこれと言って体調面は問題ありません」

 

「っ……! じゃあこの一ヶ月、なんで何の連絡もよこさなかったんですか!? あなたのことだからきっと大丈夫とは思ってましたけど、どれだけ心配したことか……」

 

「あら、私のことならなんでもお見通しではなかったんですの?」

 

「茶化さないでください!」

 

 マックイーンさんのイメージとはかけ離れた飄々とした態度につい頭がカッとなってしまう。普段通りの日常であれば軽口で済んだが、今はそうではない。

 

 しかし、私もヒートアップするばかりではダメだと悟り、一つ深呼吸をして落ち着く。そして、もう一度マックイーンさんと向き合った。

 

「マックイーンさん、あの日以来一度もトレーナーさんと会ってませんよね。そんなにあの方と話すのが怖いんですか?」

 

「……さっきから質問ばかりですわね。少し会わない間に遠慮というものが欠けたように見えますが」

 

「いいから答えてください。そうやってはぐらかされると、いつまでも話が進まないので」

 

 マックイーンさんの挑発に臆することなくそう答えると、彼女は一瞬目を丸くしてすぐに瞼を閉じる。

 

「さあ、どうでしょうかね」

 

「いつまでも閉じこもっていては何も始まりませんよ」

 

「…………分かっていますわよ」

 

 そこでマックイーンさんは黙りこくってしまう。

 

 私は彼女が何を考えているのかよく分からない。でも、これだけは分かる。

 

 きっと、溢れてしまったのだ。

 

 思えば彼女は、トレーナーさんが事故に遭った時や目を覚ました直後の時も、私より遥かに冷静だった。

 私はそれを見て、強いからだと勝手に思い込んでいた。でも、マックイーンさんは私と同じ中学生だ。

 我慢して、我慢して、我慢して。それでも、何か些細なきっかけ一つで簡単に壊れてしまった。

 

「……マックイーンさん、この半年間泣いてませんでしたよね」

 

「トレーナーさんに涙は見せないって決めてますの。昔、盛大に彼の胸で大泣きしたこともありますので」

 

 知っている。私が入学した年のファン感謝祭の時、マックイーンさんはテイオーさんに負けてトレーナーさんに泣きついていたのをこっそり見ていた。

 あれ以来、トレーナーさんの前で彼女が泣いている姿は見たことがない。

 

「今のトレーナーさんが悪い人でないということは伺ってます。先程貴方とトレーナーさんの会話を聞いていましたが、以前のあの方とよく似ていると思いました」

 

「似ている、ですか」

 

「ええ、やはり違和感は拭えません。その綻びは小さく思えても、時間を共にすることでやがて大きなものとなる。まるで、私達とトレーナーさんとの思い出が嘘だったかのように思わせられるほどに」

 

「そんなこと……」

 

「ないことはありませんわよ……っ! 私ばかり覚えていても、彼とそれを共有できなければ意味が無い! あの楽しかった日々も、トレーナーさんは覚えていないんですのよ!?」

 

 マックイーンさんの独白は続く。その姿は、癇癪を起こした子供のよう。

 

「私だって勇気を出して学園に行こうとしましたわ。それでもあの日のことを思い出すだけで足が竦む……。ええ、私は弱い。今までの経験も、信頼も、信念も、こんなことで意味をなさなくなる」

 

 彼女の声量は段々とか細くなっていく。それでも、不思議とその声はよく聞こえた。

 

 それら全てを聞いた今、メジロ家に帰りゆくマックイーンさんを見送ることしかできない……

 

 

 

 

 

 

 そんなわけがないだろう。むしろ納得できないまである。

 

 

「マックイーンさん」

 

「なんですの。もう迎えが来る時間ですので、話があるならまた別の機会に……」

 

 

 

 

「今からグラウンドに来てください。あなたに、決闘を申し込みます」

 

「……は?」

 

 

 

 〈サトノダイヤモンドの決心〉

 

 

 

 ***

 

 

 

 最初は何がなんだか分からなかった。

 

 長いこと寝ていた気がして、起きたと思ったら見知らぬ美少女二人を前にしている。身体も自由に動くことはなく、口を動かそうとしても痺れは免れない。

 

 なんでも、俺は記憶喪失になっているらしい。事実、思い出そうとすればするほど、自分に関する記憶が抜け落ちているのを実感させられる。とある一人の少女のことを除いては何も思い出せない。

 その最たる例というのは、目を覚ました時に居合わせたあの二人だ。俺には、彼女達が誰なのかも皆目見当もつかなかった。

 

 事故に遭っただの、身体が頑丈だの、そんなことを言われた気がしたが、今の俺にとってはどうでも良い。

 だって、そんなこと俺は知らないのだから。知ったことではないのだから。

 

 俺は誰なのか、何者なのか。それすらも無関心で、興味が無くて。

 

 そうしてなんの計らいか、以前の俺がやっていた仕事をやらせてくれという要求が通ってしまった。

 どうしてそれが通ったのかは分からないが、これを好機だと捉え、一色という俺にとって後輩にあたるらしい生意気な奴に、以前の俺について教わった。

 一人称は"僕"であること、トレーナーとしての仕事にだけは真っ直ぐだったこと、二人のウマ娘を担当していたこと。

 

 話を聞けば聞くほど、なんだか無性に腹が立ってしまう。彼女にではない、記憶を失くす前の俺に対してだ。

 

 不慮の事故に遭ったと聞いたが、お前のせいで俺がいらぬ心労を追っているのは紛れもない事実だ。

 それに加え、周りは以前の俺であるようにと期待している気がしてならない。いや、実際そうなのだろう。そうであるのが普通なのだ。

 

 そうなると俺は一体どうなる。はっきり言って、"僕"と"俺"は別人だ。それはそうだ、"僕"の記憶なんて"俺"は持ち合わせていない。

 

 みんながみんな"僕"の記憶が戻ることを待っている。当然だ、彼女達との絆を紡いできたのは"僕"であり、"俺"ではない。

 俺のような偽物は、誰からも目を向けられないまま。

 

 でも、サトノダイヤモンドは……

 

 

「……ちっ」

 

 サトノダイヤモンドとの買い出し後、俺は残りの仕事を片付けるためにトレーナー室へと戻った。

 ここ数日、この仕事に取り掛かってはいるが、ウマ娘のトレーナーという仕事はなんと面倒なことか。

 俺はまだ慣れていないから仕事量も少なめにしてもらっているのだろうが、記憶喪失前の自分はきっと馬車ウマの如くこき使われていたのだろう。可哀想に。

 

「くぁ……ねむ」

 

 やっぱり休暇を貰っていた方が良かっただろうか。というかもう帰ろうかな、今日の仕事は明日に回せばいいだけだし。

 

 ……よし、帰ろう。すぐ帰ろう。今すぐ帰ろう。明日は明日の風が吹く。明日から本気出すし、頑張るのは明日の俺だ。

 

 と、意気揚々と帰り支度を始めると、トレーナー室のドアがノックされて来客の訪れを知らされる。

 

 うげ、面倒臭い……

 

 嫌だなあ、出たくないなぁと思いつつも、明かりをつけている以上この部屋に俺がいることは外から見ても分かってるし、無視するわけにもいかなくて……

 

「……はい、どうぞ」

 

「失礼するよ、トレーナー君」

 

 そう言って入ってきたのは、綺麗な鹿毛に白い流星を携え、凛々しく毅然としている格好良さげなウマ娘だった。

 

 俺のことをトレーナー君と呼んでいるあたり、この子がもう一人の担当であるメジロマックイーン……いや、彼女は目が覚めたときのあの子のはず。

 

 とすると、目の前のウマ娘は一体誰……待て、俺知ってるぞ。記憶が無い今、この学園どころか知り合いなんて片手で数えられるくらいの人数しかいないが、彼女は数日前に顔を合わせた記憶がある。ええと、確か名前は……

 

「シンボリルドルフ……だったか? たしか生徒会長の」

 

「ああ、いかにも。壮健そうで何よりだ。何せ、君が大事故に巻き込まれたという事実だけで肝を冷やしたというのに、その上記憶喪失だなんて。いくら私でも平常心を取り繕うのに苦労したさ」

 

「は、はぁ……俺が君のなんなのかは知らないが、それはすまなかったな生徒会長さん。それで、今日は何をしにこんなところへ? クビを言い渡すには、それを告げる人が違うだろう」

 

「少し話をしに来ただけだよ、そんなに警戒しないでくれ。それにしても……全く、記憶が無くなっても君の卑屈なところは変わらないな。平身低頭、それが君の美徳でもあるが。一応聞くが、まだ記憶は戻ってないのだろう?」

 

「ッ……ああ、戻っていない。戻る気配すらもない」

 

 唐突に現れたと思ったら、生徒会長さんはそんなことを聞くためにこんなところへやってきたのか。

 記憶が戻る、何か思い出したか。どいつもこいつもそれを望んで──

 

「……? どうした、トレーナー君。あまり顔色が優れないみたいだ。やはり体調が……」

 

「そんなことはない、俺は至って健康体だ」

 

 だからと言って、こんなことを誰かに話すわけにもいかない。以前の俺と目の前の彼女がどのような関係だったかは知らないが、少なくとも今の俺にとっては信頼できる相手ではない。

 

「……なぁ、トレーナー君」

 

「はぁ、俺のことを言ってるなら何か」

 

「さっきから……いや、この学園に来てからと言うものの、君は一体何に恐怖してるんだ?」

 

「…………は」

 

 恐怖? 俺が? 何に? 

 

 言われた意味が理解できず、その場で固まってしまう。

 

「違ったら鼻で笑い飛ばしてもらって構わないのだが── 大方、記憶が戻ったらどうなるか分からないから怖いのだろう?」

 

「な、何言って……」

 

「君は案外臆病なところがあるからな。本当はどうでもいいのに、周りからは記憶が戻ることを切に願われている。それが重圧になり、ノイズになり、過去の自分に対して消極的になっている」

 

「いや待って、ちょっと待て。な、なんなんだよ君は。ほぼ初対面だってのにいきなり来てズケズケと分かったような気で……。お、お前に俺の何が分かるってんだよ」

 

「分かるさ。なんせ君は、私が最も憧れ、最もよく見てきた人なのだから」

 

 ……は? 憧れ? もう何がなんだか分からない。

 

「一つ、私から忠告しておこう。当然、君は無理に記憶の件を解決する必要はない。これは君の人生だ。誰のものでもない」

 

 生徒会長……シンボリルドルフはなんとも真面目くさった顔でそう諭す。

 言われなくても、これは俺の問題だ。君がどうこう言う必要なんて……

 

「ただ、もしここに戻ってきてくれたことに理由があるのなら……それを忘れないでいて欲しい。きっと、君にとって大きな一歩だと思うから」

 

 俺がここに戻って来た理由……。

 

 別に大したことはない。別に絶対トレセン学園に来なければということもなかった。あの状況に甘え、当分は自堕落な生活を送っても良かったはずだ。

 

 

 ただ、目を覚ました時に見た、希望が絶望に変わってしまうあの子達の顔を忘れることができなくて──

 

 

「……はぁ、降参。流石は生徒会長になるだけの器を持つウマ娘だ」

 

「…………」

 

「……え、なに。俺変なこと言ったか?」

 

「いや、君に素直に褒められるのはなんだか久しぶりな気がしてね。もしここに誰もいなければ喜色満面の表情で喜んでいたかもしれない」

 

「なんだそれ」

 

 一色さんやサトノダイヤモンドからも聞いたが、以前の俺はどれだけ面倒な人間だったのだろうか。一度面と向かって話をしてみたい。

 絶対無理だけど。

 

「それと……いや、これは既に自覚しているかな」

 

「……ちっ、分かってますよ、恐怖を自覚するって大事っすねー」

 

「ふふっ、その件が無事に解決することを祈ってるよ。さて、少しは気が楽になったかな? 度々学園内でも君を見かけることがあったが、その度に君は切羽詰まったような顔をしていたからね」

 

 どうやら、彼女は本当に話をしに来ただけらしい。なんだか俺は気を遣われてばかりだな、情けない。

 

「解決したわけじゃないけど、多少気持ちが軽くなった。記憶を戻さなくていいって気になったし、絶対に戻してやろうって思ったよ」

 

「結局どっちなんだ……」

 

「どうだろうな。お礼と言ってはなんだが、君の悩みも聞いてあげよう。ま、君ほど完璧そうなウマ娘には悩みなんてないのかもしれないけど」

 

「悩み……か」

 

 そこでシンボリルドルフは顎に手を当てる。冗談混じりにあんなことを言ったが、何か思い当たることがあるのだろうか。

 

「……おや、その机の上にあるハーバリウム、随分と美麗だな。まさに八面玲瓏と言ったところか。とても君が趣味で購入したとは考えにくいが……」

 

「ナチュラルに失礼だな……。昨日サトノダイヤモンドにも言ったけど、俺が入院してた時のお見舞い品らしくてな。念の為に聞きたいんだが、これを贈ってくれた人はご存知で?」

 

 そう聞くと、シンボリルドルフは静かに首を横に振る。

 

 そうか、知らないか。一色さんでもないと言っていたし、それだと心当たりのある人物といえば……

 

「ハーバリウム……花言葉……」

 

 

 シンボリルドルフは譫言のように呟き、

 

 

「……全てのウマ娘を幸福に導くにはどうすればいいと思う?」

 

 

「え?」

 

「あっ……いや、なんでもない。変なことを聞いたな。忘れてくれ」

 

 シンボリルドルフは咄嗟に訂正したが、流石にこの距離で聞き逃すほど愚かじゃない。

 だが、聞き逃さなかったところで彼女の発言の意図を汲むことができるかどうかはまた別の話だ。

 

 

 全てのウマ娘を幸福に導く。

 

 

 生徒会長であり実力者のシンボリルドルフが言うならまだしも、小心者の俺にとってこんなことは大言壮語以外の何者でも無い。

 彼女の発した問いに答えを出せるはずもなく、聞き取れなかったふりをするしかなかった。

 

 もし、記憶を失う前の俺は、なんて答えていたのだろうか。

 

 なあ、答えてくれよ。あんなにもサトノダイヤモンドから慕われ、シンボリルドルフから尊敬されているお前なら、分かるんじゃないか? 

 

 そう自分に問いかけても答えてくれるはずはなく、当然のごとく梨の礫だ。

 俺はみんなから求められている俺じゃない。そんな自分に、彼女の掲げる命題は難しすぎる。

 

「……お」

 

 そんな気まずい雰囲気の中ふと窓の外を見ると、空には綺麗なお月様がポツンと浮かんでいる。その光景に、つい声が出てしまった。

 

「どうした?」

 

「いや、月が綺麗だなって思って……あ、今の無し。この言葉に特別な意味はなくて……」

 

「……そうだな」

 

 俺の失言にそれらしき反応をすることなく、シンボリルドルフは俺と同じ方向を見る。

 

 そんな彼女の表情はやはり凛々しく、格好良く。

 

 だけど、どこか少し儚げで、

 

 

「月は、ずっと前から綺麗だ」

 

 

 見惚れるほどに美しい。いやでもそう思わされ──

 

 

「む、トレーナー君、電話が鳴っているぞ」

 

「あ、ああ、悪い」

 

 シンボリルドルフに指摘され、少ししどろもどろになりながらスマホを手にする。

 その時、シンボリルドルフから「電話に出んわ」とかいうしょうもない親父ギャグが聞こえた気がするが、多分気のせいだろう。

 

 ええと、たづなさんから……? こんな時間に何か用だろうか。

 

「はいもしもし──は? 何時までトレーニングしてるのかって……いや、今日は既にトレーニングは終えてますが……えっ、今?」

 

 

 



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しょうがねぇなぁ!

 

 

 

 夜のグラウンドに、ジャージではなく制服を着たままの状態でいるウマ娘が二人。私達以外に目立った人影は見当たらない。

 

 

 マックイーンさんとの決闘。それはずっと引き延ばしにされていた、私にとっての一大イベントだ。

 楽しみで、楽しみで、楽しみで。その日が来るのが待ち遠しかった。

 

 だが今この時はそんな気分ではなく、真逆の気分だ。

 

 膝をついて必死で息を整える彼女に、悠々と上から見下ろすように近づく。

 

 

「ハァ……ッ、ハァ……!」

 

「……がっかりですよ、マックイーンさん。あんなに楽しみにしていたあなたとの勝負がこのような形で、それもこれほどあっけなく終わるとは」

 

 結論から言おう、私の圧勝だ。これと言って語ることもないほど一方的なレースだった。

 

 かつて春の天皇賞を連覇し、テイオーさんと凌ぎを削った名優はどこにもいない。地に足をつき、私を見上げようともしない彼女の姿は負け犬そのものだ。

 

 少し前ならこんなことを思うことは絶対になかった。以前の自分なら、マックイーンさんに勝てたという事実だけで大喜びしているはずだ。

 

 私が勝てたのは、マックイーンさんが全力じゃなかったからじゃない。むしろ、彼女は全力だった。

 

 

 全力で走って、これだった。

 

 

「……強くなりましたわね、ダイヤさん」

 

 

 やめてください。

 

 

「思えば、貴方とはずっと勝負がお預けの状態でしたわね。それがこんな形で実現して、それもこんなに大敗するとは」

 

 

 負けを認めるのはいい。どんな負けず嫌いでも、負けを認めない限りは前に進めない。それは誰かさんから教わったこと。

 

 

「ダイヤさんはこの先もっと高みへと向かえる。ドリームトロフィーリーグだっていい結果を出せると思います」

 

 

 でも、負けたのなら……負けたんだったら……っ! 

 

 

「貴方にならば胸を張って"道"の先を譲れる──」

 

 

「負けたのならもっと悔しそうな顔をしろッ!」

 

 

 マックイーンさんの胸ぐらを思い切り掴み、彼女を無理矢理立たせる。

 怒りを込めた手は、軽いマックイーンさんなんて簡単に持ち上げることができてしまうほど。それくらい今の彼女は力を入れていないという事実が、私のはらわたを更に煮えくり返す。

 

「ダ、ダイヤさん……? 急に何を……」

 

「何をじゃありません! 私が言ったことが分からなかったのですか!? もっと悔しそうな顔をしろと言ったんです! それがなんですか、その何とも思ってなさそうな顔は!」

 

「……メジロのウマ娘たるもの、常に冷静であれと言われてますので」

 

「まだそんな言い訳……ッ!」

 

 澄ました顔で無理のある言い訳をするマックイーンさんに初めて手が出そうになり、つい無意識に空いた拳がグーの形を作ってしまっている。

 

「……がっかりですよ、あなたがこんなにも志の低いウマ娘とは思いませんでした」

 

「その評価で結構ですわ。私はもう、走りませんもの。あの頃のように熱を持って走る自分はどこにもいませんわ」

 

「ッ……! そんなこと……」

 

 そんなこと、あなたが言うなよ。

 

 そう言いたかったのにショックで声がでなかった。

 こんなのマックイーンさんじゃない。私の知っているマックイーンさんは、いつも優雅で周りからの羨望の的。だというのに、負けず嫌いで、挑発なんてされたら意外にも好戦的になる、私の大好きな先輩だ。

 

 そんなあなたが、もう走らない……? 冗談を言うのも大概にしてほしい。

 

 とはいえ、私にできることはこれ以上ない。かつて私がされたように、誰かさんの真似をしてヒール役を買って出たというのに、やっぱりあの方のようには上手くいかなかった。

 

「それでは今度こそ失礼します。トレーナーさんには……そうですわね、やはり何も言わなくて結構ですわ」

 

 今度こそこれ以上話すことは無いと言わんばかりに、マックイーンさんは私のことを突き放す。

 

 それが悔しくて、寂しくて……

 

「マックイーンさんは……」

 

「……まだ何か?」

 

「マックイーンさんは、強くて、かっこよくて……」

 

「……は?」

 

「私が挫けそうになった時も、話を聞いてくれ、て……」

 

「何を言って……」

 

 段々と自分が鼻声になってくるのが分かる。視界もぼやけ、頬に涙が伝う。

 

「最初は、っ、憧れだったけど、マックイーンさんに勝ちたいって思ってから、憧れるのをやめて……ここまで来たのに……」

 

「……ダイヤさん、私は……」

 

「そこまでだ、二人とも」

 

 マックイーンさんが私に何かを語りかけようとした瞬間、私達ではない第三者の声が響く。

 

 それは、先程別れたばかりの人物……

 

「トレーナーさん……! どうしてここに……」

 

「それはこっちのセリフだ。たづなさんから連絡があったんだよ。門限を過ぎてるのに君達二人が勝手にグラウンドを使用してるって。保身に走ってるわけじゃないが、ウマ娘の責任はトレーナーの責任だ。だから、これは俺の監督不行き届き責任にもなる」

 

「うっ……」

 

 そう言われると弱い。私達……いや、私だけが罰を受けるのならなんてことはない。だけど、今回の件に関しては何も関係のないトレーナーさんまでもが責任を被ると言うのなら話は別だ。

 

「その、す、すみませんでした。私、トレーナーさんへの迷惑まで考えてなくて……」

 

「……この後、寮長のウマ娘からこってり叱られると思う。だから、それぞれよく反省するように。以上」

 

「はい……え? それだけですか?」

 

「なんだ、俺からも叱られたいのか?」

 

「それはもちろん……いえ、ではなく!」

 

 おっと危ない、つい願望が出てしまった。そんな私の場違いで邪な考えは置いておいて。

 

「トレーナーさんは……怒ってないのかなと……」

 

「……まあ、立場上叱らなきゃなんないんだろうけど、どうにもそんな気になれなくてな」

 

「……? それはどういう……」

 

「こっちの話だよ。それともう一つ……なあ、さっきから黙ってないで何か喋ったらどうなんだ、メジロマックイーン?」

 

 と、ここまで沈黙を保っていたマックイーンさんに、トレーナーさんはニヒルな笑顔でコンタクトを取る。

 そんな彼の声にマックイーンさんはビクリと反応し、恐る恐る彼に向かい合った。

 

「……久しぶりですわね。こうして直接会うのは、貴方が目を覚ました時以来でしょうか。記憶喪失だというのに覚えていただけて光栄ですわ」

 

「ハッ、なんせ、現時点での俺の記憶史上一番最初に言葉を交わしたのが君なんだから忘れるはずもない」

 

「あの時の貴方は私の名前すら忘れていたはずですけど」

 

「君の名前を知る手段なんていくらでもあるだろうに。尤も、忘れてたことは否定しないが」

 

 な、なんだろうこの雰囲気。微妙にギスギスしているようなしてないような、この独特な感じ。

 なんだか、トレーナーさんとマックイーンさんの間に火花が散っているような気がする。

 

「それで、何故私に声をかけたんですの? ああ、言わなくても大方予想はつきますわ。早く学園に戻ってこいだったり、担当ウマ娘を降りてもらうだったり……」

 

「いやいや、そんなこと言わないけど。というか、声かけた理由なんて特に無いし」

 

「……は? じゃあどうして……」

 

「早く部屋戻りなさいって。サトノダイヤモンドもそうだけど、怒られるのは明日にしようぜって言いたかったんだが……」

 

 前言撤回。火花どころか摩擦熱すら起きていなかった。

 

「ち、ちょっと待ってください! 貴方は私に何か言いたいことはありませんの!? 私のやってることは、分かりやすく貴方のことを避けているような行いですわ! だというのに、貴方は何も私に……」

 

「言わないな」

 

「どうして……ああ、そうですわよね。私なんて見放されて当然ですし……」

 

「だって、こんなところで話すことじゃないだろ?」

 

「……え? あっ、一体どちらへ……」

 

「たづなさんのところ。君達のことは、俺からガツンと言っといたって言って誤魔化しておくから、今日のところは解散だ」

 

 そう言ってトレーナーさんは来た方向へと踵を返して歩いていく。また私達は彼に庇われてしまった。

 いつも私達のために汚名を被って、時には自身もやらかしてしまうのに、どうしてあの後ろ姿はあんなにも格好が良いのだろうか。

 

「それじゃあメジロマックイーン、サトノダイヤモンド」

 

 そんな彼は、何かを思い出したかのように振り返る。

 

「また明日」

 

 そう言い残し、今度こそ私達の下を去った。

 

 また明日。何の変哲もない別れの言葉だと言うのに、それは私達……もっと言えば、マックイーンさんにとっては大きな意味を持つ。

 

 そんな彼女は、落ち込んでるとも喜んでるとも言えない、何とも言えぬ表情でトレーナーさんを見届けた。

 

「……みーんな、こんな矮小な私を祭り上げるものですから…………。私は、ただ必死に走り続けていただけですのに……」

 

 そうして、マックイーンさんもゆっくりとこの場を去った。残されたのは私一人……

 

「……上手く行った……のかな?」

 

 それは、明日になってみないと分からない。でも、私ができることはここまでのようだ。

 

 トレーナーさんのこと、そしてマックイーンさんのこと。

 課題は山積みなのに、何故だかすっきりした気分だ。

 

 

 でも、トレーナーさんを夏祭りに誘えなかったのはすっきりしないかなぁ……。

 

 

 汗ばんだ制服に若干の不快感を覚え、夜風に吹かれながらターフを後にした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ダイヤさんと突発的にレースをし、大敗した翌日。私は、半年ぶりにとある場所の前へとやってきた。

 

「……久しぶり、ですわね」

 

 そこは、私達のトレーナー室。何度も訪れ、見慣れ、多くの時間を過ごした場所。

 だというのに、半年でここまで入るのに躊躇してしまうのかと思うと笑えてくる。

 いや、時間のせいにするのはよそう。これは私の心の弱さの問題だ。

 

 この半年間、目を逸らし逃げ続けていた。いい加減、トレーナーさんと……自分自身と向き合わなければならない。

 

 恐る恐る、トレーナー室のドアに手をかけ……

 

「……あと五分……いえ、十分したら入りましょう、ええ。心の準備ができてない状態で会うのも失礼ですし、場合によっては明日にするなんかも良し──」

 

「なんでもいいけど、入るか入らないのかだけはハッキリしてほしいんだが」

 

「ひゃあ!? ト、トレーナーさん!? ち、違うんです! これは自分を落ち着けるための儀式と言うやつで、決して入らない言い訳を作っていたわけでは……」

 

「はいはい、先入るぞ」

 

 音もなく現れたトレーナーさん相手に自分でも見苦しいと思うほどの言い訳をして身を縮こませる。

 だが、いつまでもそんなことをしているわけにもいかないため、覚悟を決めて彼の後を追うように部屋に入った。

 

 そこにあったのはいつものソファ、いつものカーテン、いつもの書類の山。

 

 そして私がお見舞い品として贈ったハーバリウム。

 ふふっ、気に入っていただけたみたいでよかった。

 

「……あまり変わってませんわね、ここは」

 

「らしいな。どうにも、俺が寝てたらしい間もサトノダイヤモンド達が手入れしてたみたいだ。おかげで、俺が来た時には埃一つ無い状態だったよ」

 

「そうなんですのね……」

 

 私の知らないところでそんなことを……。

 今まで逃げ続けていたことによるダイヤさんや一色さんへの罪悪感がより加速してしまった。

 

「さて、そんな話をしにここに来たんじゃないんだろう、メジロマックイーン?」

 

 そう言って彼はソファに座り、その対面のソファを、指を鳴らして指す。座れという意思表示なのだろうが、私はその前にやらなきゃいけないことがある。

 

 何も、罪悪感を感じているのはダイヤさんと一色さんに対してだけじゃない。

 

「申し訳ございませんでした、トレーナーさん!」

 

 頭を下げ、誠心誠意の謝罪をする。今回は嫌われてしまっても仕方がないことをしてしまったのだ。覚悟はできている……やっぱり嫌われるのは嫌ですわね……。

 

 何秒間頭を下げていただろうか。彼からの返事はなく、次第に自分も限界を迎え、ついチラリとトレーナーさんの方を見てしまう。

 

「……あの、トレーナーさん……?」

 

「あ、ああ……いや、なんだ、まさか謝られるとは思ってなくてな。むしろ、どうして謝られてるのか……」

 

「どうしてって……私はずっと貴方を避けていてたんですのよ!? せっかく貴方が学園に戻ってきてくださったというのに、私はなんのリアクションもしないままそれを疎かにして逃げ続けた!」

 

 ダイヤさんにも言ったが、これだけでいかに自分が矮小な存在かが分かる。

 

「怖かったんですの……あの日、トレーナーさんに忘れられてしまったことを思い出すだけでおかしくなってしまいそう……。いくら平常心を保とうとしても、所詮それはハリボテでしかない……。だから遠ざかった、遠ざけた……」

 

 日頃はあれだけ志高しと周囲にいい格好をしておきながら、こうして窮地に陥るとこうも己の弱さが露呈して自分のことしか考えられなくなる。

 たとえ、考えるべき対象の人が最愛の人であろうとも。

 

「私は名優でもなんでもない……ただの卑怯者ですわ……」

 

「……そうか。君にそこまで辛い思いをさせてたんだな」

 

「ちがっ……貴方のせいではなく私の──」

 

「いや、これは俺達二人のせいだ。俺も君も、恐怖を盾に話をしようとしなかった」

 

「えっ……俺"も"って……」

 

「ああそうさ、俺だって怖かったんだよ」

 

 そう言ってトレーナさんは自嘲気味に笑いながら目を逸らし、恥ずかしげに頬を掻く。

 

「記憶が無いとか、自分は誰なんだとか、正直そんなのはどうでもよかった。みんながみんな俺に記憶を取り戻すことを期待しているのもうざったかったが、それはまた別の話だしなんなら今は解決してる」

 

「じゃあ何が……」

 

「……それはほら、あれだよ……」

 

 どんどんとトレーナーさんの口はすぼんでいき……

 

 

「き、嫌われたのかと思ったから……」

 

 

「…………ぷっ」

 

「お、おい、笑うなよ! サトノダイヤモンドはともかく、君は僕の記憶が無いと分かった瞬間顔を合わせなくなったんだ! 勘繰っても仕方がないだろう!?」

 

「それはすみませんでした」

 

 謝ったはいいものの、嫌われたくないという彼の本音がなんだかツボに入ってしまった。

 トレーナーさんの居心地悪そうな顔が、私の笑いのツボを更に刺激する。

 

「はぁ……どうやら、俺達の間ではシリアスな状態が継続できないってのは本当らしいな。一色さんがそれ故に見てて飽きないとか言ってたけど、今のところその通りなのが悔しい……」

 

 あの人、私達のことお笑い芸人か何かと勘違いしてまして? というか、一色さんも"こっち側"の人間ですのよ? 

 

 脳内のイマジナリー一色さんがうるさく抗議してくるのを聞き流していると、トレーナーさんは呆れた顔から一変して真剣な面持ちをする。

 

「……俺さ、自分のことばっかりだった。本当はもっと早く君と話さないといけないはずだったのに、仕事を覚えるっていう大義名分で一番後回しにしちゃいけないことから目を背けてた。起きた時、君達にあんな顔をさせてしまったのが申し訳なくてここに来たはずなのに、これじゃあ自己満足……いや、それ以下だな」

 

「……では、どうして昨夜私にも声をかけてくれたんですの?」

 

「タイミング、ってのもあるけど、あんな光景見せられて無視しろって方が無理あったからさ」

 

「あんな光景って……まさか、昨日のレース……!」

 

「しっかり見てたよ」

 

「うぐっ!?」

 

 しまった、私はなんて情けない姿をトレーナーさんに見せてしまったのだろうか。

 鏡を見ずとも、自分の顔が赤くなっているのが分かる。

 

「ち、違うんですの! 言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、昨日は調子が悪かっただけで──」

 

「だろうな。実際、昨日のレースはこれまでの君とは比較にならないほど遅かった。というか、闘争心が感じられなかったな」

 

「これまで……?」

 

 トレーナーさんは席を立つと、机の上にあった書類の山を引っ提げてきた。

 これはなんだろうと思い書類を一枚手に取ると、そこに書かれてあったのは過去のレースの内容だった。

 

 2月3日、阪神レース場、第四レース、ダート1700m……これって……

 

「私の……デビュー戦……!」

 

「ご名答。つっても、自分のことだし流石に分かるか」

 

「ではこれも、これもこれも、この資料も……」

 

「全部、君かサトノダイヤモンドのレースの分だ。それも、これら全て記憶を失う前の俺が作ったものだな」

 

 そこには、デビュー戦から私が今まで走ってきたほぼ全てのレースが記録されていた。

 初めて勝ったGⅠレースの菊花賞、連覇することができた天皇賞春、斜行で降着となった天皇賞秋、そこから負けに負けたジャパンカップに有マ記念、雨の中勝ちをもぎ取った宝塚記念。

 復帰後のレースももちろんある。落鉄をした春のファン感謝祭、マーチさんと競った高知レース場、ミークさん、ブロワイエさん、そしてテイオーと走った秋のGⅠレース。

 

 私のことだけじゃない。ダイヤさんのレースも事細かに記載されてある。

 

「これ全部に目を通したけど、君達は随分溺愛されてたみたいだな」

 

 トレーナーさんは揶揄うような言い方をするが、私にとってその事実は心躍らせるもの以外の何物でもない。

 

「ええ、それはもう。ですが、貴方の想い以上に私が貴方を慕っていたのは譲れませんわよ?」

 

「おっと、もっと可愛い反応を期待していたんだが……。ったく、サトノダイヤモンドといい君達はそういうこと言うのに躊躇が無いなぁ。俺は前世でどんな徳を積んだのやら……」

 

 やはりダイヤさんもアプローチを仕掛けていましたか。油断なりませんわね、ほんと。

 

「まぁ、こうしてデータ上では君達のことは知ってるつもりだ。でも、実際走りを見たのは昨日が初めて。しかも君に至っては絶不調な状態の走りだ」

 

「初めて……?」

 

「あー……実はまだこの仕事に慣れてなくてな。本来サトノダイヤモンドのトレーニングを見なきゃいけない時間を削って、トレーナーとしての勉強に励んでるんだよ。今だと本当はそうすべきじゃなかったって思ってる。あの子には悪いことをしたな」

 

 一色さんに手伝ってもらっていると聞いてるとはいえ、道理で素人のはずの彼がトレーナーを務めることができているわけだ。

 いや、それで務めることができてしまうのもおかしいわけなのだが。

 

「俺はさ、君が勝つ姿を、最高の状態で走ってる姿をこの目で見たい。昨日のだって、不本意な結果なんだろ?」

 

 その問いに私はコクリと頭を縦に振る。

 ダイヤさんが強くなっていたのは事実だ。でも、こうも言われてしまったら、あれをあのままにしておくわけにはいかない。

 

「なに、負けていい勝負なんて無いけど、仮に前回負けたとしたら次勝てばいいんだ、勝ち続ければいい。これは、負けじゃなくて勝ちの途中……ッ!?」

 

「ト、トレーナーさん!? どうかしましたの!?」

 

 頭を抱え、苦悶の表情をするトレーナーさん。それがあまりにも唐突だったのもあり、事故の後遺症やその類の可能性が脳裏をよぎってしまう。

 

「………………い、いや、少し頭痛がな……ん、もう大丈夫だ、問題ない」

 

「本当ですの? 念の為保健室に行った方がよろしいのでは?」

 

「平気平気、俺身体頑丈らしいからさ」

 

「それはそうですけど……」

 

 彼の体調面に関しては不安が残るのだが、本人が大丈夫と言うのならそれに従おう。

 

 それにしても、『負けじゃなくて勝ちの途中』か……。

 その言葉は、いつの日か彼自身から言われた言葉であり──

 

「勝とうぜ、メジロマックイーン。お互い、負けるのは大嫌いだろ?」

 

「……ふふっ、勝つって、まさかダイヤさんに勝つとおっしゃいますの? そしたら、貴方はどちらを応援する予定なのですか」

 

「それは……あれっ、俺どっち応援すればいいんだ……? メジロマックイーンにも勝ってほしいしサトノダイヤモンドにも勝ってほしいし……」

 

「ぷっ、あははははっ!」

 

 戸惑うトレーナーさんを見て、我慢できずついお腹を抱えて大笑いしてしまう。こんなにも自分の素を曝け出してしまっているのはいつぶりだろうか。

 

「と、とにかく! 君とサトノダイヤモンドが走るにせよ走らないにせよ、これだけは言っとかなきゃいけない」

 

 恥ずかしいのだろうか、少し顔を赤らめたトレーナーさんは、まるでダンスにでも誘うかのように手を差し伸べ……

 

 

「俺と一緒に走ってくれますか?」

 

 

 こんな時、なんて返せばいい。

 

 はいか、Yesか、分かりましたか、もちろんですか、こちらこそお願いしますか。

 

 

 いや違う。ここで私が言うべき言葉は、彼の教え子として……

 

 

 

 

「しょうがないですわねぇ!」

 

 

 

 〈メジロマックイーンの覚悟〉

 

 

 

 ***

 

 

 

「トレーナーさんとは仲直りできたんですか?」

 

 トレーナー室から出ると、ドアの横には見覚えのあるウマ娘がいた。

 

 そのウマ娘は、見定めるような目で私を見てくる。何かを煽るような目で私を見てくる。

 

「ええ、それはもちろん。貴方に心配されるまでもありませんわ」

 

「昨日まではあんなに弱気だったのに」

 

「う、うるさいですわよ! ほ、ほら、ウマ娘三日会わざればというやつです!」

 

 たしかに昨日までの私は弱気だった。レースでは大した走りはできず、挙げ句の果てにもう走らないなどと口走ってしまった。

 

 そうだ、私は弱い。いや、弱くなったというべきか。

 昔はいつだって周りの視線を気にせず、誰の前でも堂々と、己の目標を達成しようとがむしゃらに走り続けるだけだったのは間違いない。

 

 では今の私はどうだろう。

 

 こう言ってはなんだが、トレーナー一人いなくなっただけで、ここまで力が出せなくなる。弱いと言わずしてなんと言おう。

 あるいは、自分は元々こうだったのか。

 

 だけど、後悔は無い。弱くなったにしろそうでないにしろ、それ故に私は色んなことを知り、学び、手に入れた。

 

 共に走ってくれる人達がいるから、弱い自分を補強できる。

 

「ああ、そうだ。私、貴方に言っておきたいことがあったんですのよ」

 

「奇遇ですね、私もです」

 

 

 早く行きたいなら一人で行けばいい。それが一番効率がいいのだから。

 

 

「ダイヤさん」

 

「マックイーンさん」

 

 

 でも、私は遠くへ行きたい。目の前の彼女もそう思っているはず。

 

 だったら、私はあの方と──

 

 

「「貴方に決闘を申し込みます!!」」

 

 

 





来週最終話投稿予定です


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名家のウマ娘

 

 

 

 メジロマックイーンと再契約をし、彼女がトレーナー室を去った後のこと。

 

「……つっっっかれたぁ…………」

 

 だらしなくソファにもたれかかり、心と体のリラックスを図る。主に精神面での疲れが溜まりに溜まって爆発しそうだ。もう今日は仕事したくないな。

 そうだ、明日に回してしまおう。うん、明日は明日の風が吹く。明日から本気出すし、頑張るのは明日の俺……って、昨日も同じこと言ってたか。

 

 嫌な気持ちになりながら、メジロマックイーンに見せた資料を片付けるためにそれらに手を掛け……

 

 

『俺と一緒に走ってくれますか?』

 

 

「……ああああああああ! ちょっとカッコつけすぎたかなあぁぁぁぁぁ!!」

 

 つい先程のことを思い出し、ソファの上でゴロゴロと頭を抱える。死にたい、早く殺してくれ。生き恥を晒した俺に救いは無い。

 

 メジロマックイーンと仲直り(?)できたのは良かったが、黒歴史を一つ生産してしまったことはいただけない。

 

「あああ、もう一度記憶喪失になんねぇかなぁ。いや、いっそ記憶消去手術でも……あだっ!?」

 

 そこまで広くないソファを転がり回っていた故、バランスを崩して無様にもそこから落ちて頭を強打してしまった。

 身体が頑丈と言われたが、それでも痛いもんは痛い。短期間でこんなに頭を打ったらバカになってしまう。なんなら、実際一回は記憶が飛んでるしな。

 

 ああもう、今の衝撃でゴミ箱が倒れたじゃないか。片付け面倒……ん? 

 

「なんだこれ、夏祭り……? こんなプリント捨てた記憶が……づっ!?」

 

 強打した衝撃の痛みとはまた別の痛みを覚える。

 もしかして俺って偏頭痛持ちか? 痛み自体はじわじわ引いてくるからまだいいけど、急に痛みが走り出すのは本当に心臓に悪いからやめてほしい。

 

「いっ……たぁ……。さっきからこの頭痛なんなんだ……よ……」

 

 しかし、この感覚は一体なんなんだ……? 痛みと同時に不意に俺の知らない光景がフラッシュバックしてしまい混乱する。

 

 先程メジロマックイーンと話していた時もそうだったが、これはもしかしたら……

 

「なにやってんすか、せんぱい」

 

 ぼーっとしていると、俺しかいないはずのトレーナー室で自分以外の誰かの声がしたので思わずその方向に振り返った。

 

「……は? なんで……」

 

「そこまで驚かなくても……あ、大丈夫ですよ。わたし窓から入ったんで」

 

「い、いや、そうじゃなくて……待て、今なんて言った? 窓から?」

 

 そこにいたのは、トレードマークの帽子を被っている、一色星羅という俺の後輩。

 兎にも角にも俺の世話を焼きたがる後輩で、生意気だが何かと世話になっている相手だ。

 

「まあわたしのことはどうでも良くてですね。せんぱい、今日ちょっと飲み行きません?」

 

「随分唐突だな。何かいいことでもあったのか?」

 

「……もう、わたしが押せるタイミングはここしか無さそうなので」

 

「……? どういうこと?」

 

「こっちの話です」

 

 ふむ、よく分からん。俺が考えるだけ無駄なのかもしれない。

 

「一色さんからの誘いは嬉しいけど、生憎仕事が残ってるんだ。昨日後回しにした分もやらないといけないから、どうも今日は行けそうにも──」

 

「え〜、いいじゃないですか〜。別にやんなくったって、せんぱい記憶喪失なんだし許されますよ〜」

 

「……お前よく社会人やってるな」

 

「いやいやいや、20超えても学校にいる大人なんて所詮はまだ学生気分でありたいお子ちゃまですからね〜」

 

「謝れ! 今すぐ全国で苦労している先生方に謝れ!」

 

 この人本当になんで刺されないのかな。というか、俺達も一応トレセン学園という学校にいる大人だけどもしかして自虐か? 

 

「そ・れ・で、行くんですか? 行かないんですか?」

 

「いや、だから仕事が……」

 

「今一緒に来てくれたらわたしが半分手伝ってあげますよ? それをするのは明日になりそうですけど」

 

「深酒する気満々じゃん……。はぁ、分かったよ。俺としてもそれはありがたい申し出だし、奢るくらいはしよう」

 

「ほんとですか!? やりぃ! 今月金欠だったんで助かります!」

 

 それが狙いか。ジト目で一色さんを見るも、喜ぶ彼女には僕の姿は見えてないらしい。

 

「それじゃ、善は急げです! せんぱいの車……はお酒飲むからダメか。タクシーは高いし……あっ、でもせんぱいお酒飲めないか!」

 

「そうなの? まあ、自分のアルコール事情はよく分からんが、なんとなくあまり得意そうじゃなかったから意外でもないが」

 

「……」

 

「どうした?」

 

「あ、いえ……ね、だから車出してくださいよ、せんぱい」

 

「悪い、運転の仕方も忘れていてな。だから近場で済まそう。その方がトレーナー寮も近いしさ」

 

「…………ふーん」

 

 これまでとは違う、何か冷たい目をする一色。それも束の間、彼女はすぐに普段の様相を取り戻し、明るい笑顔を見せる。

 

 

 その笑顔にまたしても軽い頭痛を覚えたが、

 

 

「じゃ、せんぱいのご希望に添えましょうか! ……せんぱい?」

 

 

 俺はなるべく平常心を取り繕った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ええと、軟骨の唐揚げとポテトと鰤の照り焼き、それとシーザーサラダと焼き鳥にしめ鯖ください。あっ、あとカリカリパスタも注文しちゃいましょう。とりあえず生中で……せんぱいは飲み物どうします?」

 

「コーラで」

 

「うっわお子様……」

 

「ふん、いいか? この世で一番美味い飲み物はな、コーラなんだよ」

 

「それは……分かります」

 

 分かるのかよ。てか、サラッと聞き流してたけどめっちゃ注文するじゃん。やっぱり割り勘にしようかな。

 

 あの後、俺達はそこそこ近場の居酒屋へとやってきた。どうやらここは一色さんの行きつけの場所のようで、よく昔の友達と来ているらしい。つまりはここのお得意様というわけだ。

 

 そんなお得意様は、ニヤニヤとした顔つきで俺の方を見てくる。

 

「でー? マックちゃんとはちゃんと話せたんですか?」

 

「なんだよ薮からスティックに」

 

「いいじゃないですか、ご飯来るまでの暇つぶしですよ。あっ、生中わたしでーす。はいせんぱい、かんぱ〜い!」

 

「……乾杯」

 

 嬉々として飲み物を受け取る一色さん。正直、彼女が何を考えているのかよく分からない。

 でも、別にしらを切る必要がないのもまた事実。むしろ、ここで濁すような発言をする方がまずいだろう。

 

「メジロマックイーンとは腹割って話せたよ。おそらくだけど、明日からトレーニングにも来てくれるはずだ」

 

「知ってます。見てたんで」

 

「そうか……は? 見てた?」

 

 一色さんは一つ咳払いをして、

 

 

「『俺と一緒に走ってくれますか?』」

 

 

 全く似ていない俺の真似を……

 

「こっ、殺してくれ……早く……」

 

「あっははははっ! やっぱり面白いですねぇせんぱいは! 益々諦められなくなりましたよ」

 

「て言うか、見てたのかよ……」

 

「ええ、窓の外からせんぱいがソファから転げ落ちるところもばっちり見てました」

 

「何、忍者なん? てか俺の弱み握るのやめて?」

 

 彼女はけらけら笑いながら生ビールをおかわりする。豪快な飲みっぷりからするに、どうやら彼女は酒豪のようだ。

 

 というか、俺は一体これからどんな要求をされてしまうのだろう。なるべく痛く無いのがいいなぁ……。

 

「な、なんか失礼なこと考えられてるような気がしますが……まあいいでしょう。本題はここからですよ」

 

「もう俺としてはお腹いっぱいなんですけど」

 

「まだ一品も来てませんよ。……単刀直入に聞きます」

 

 どうせ大したことではないだろうとたかを括り、俺もコーラへと口をつけ……

 

「記憶、戻ってるんでしょう?」

 

「…………何を根拠にそんなことを」

 

「女の勘です。と言っても、前回会った時よりだいぶ口調が変わってたりしてましたから、変化に気づくのは簡単でしたよ」

 

「そうか……」

 

 基本的に俺は彼女に敬語で話していたのだが、いつのまにか……というか、今日気がついたら普通に話していた。まるで、気の合う友達を相手にするかのように。

 

 一色さんが言うことについて、否定はしない。でも、肯定することもできない。

 

 変化があったのはついさっき。思い出したことは三つ……正確には、二つと一つに分けられる。

 

 一つ目は、メジロマックイーンと話している最中、自分の知らない記憶がフラッシュバックした。メジロマックイーンが涙と鼻水で俺のシャツを汚して大泣きしている。

 

 二つ目は、夏祭りのプリントを見た時、夏祭りを楽しむサトノダイヤモンドの姿が見えた。俺が射的をし、後ろで彼女が見ている。

 

 理想的な光景だ。前者の状況はよく分からないけれど、どちらの光景も彼女達に頼られているというのはよく分かる。

 

 あれはおそらく、俺が記憶を失くす前のもの。どうしてそう決めつけることができたのかは分からない。

 それこそ、一色さんではないが勘というやつだ。俺は生物学上男という部類に入るのだけど。

 

 だが、

 

「全部を思い出せたわけじゃない。むしろ分からないことの方が多いし、これを思い出したからなんだという話になってくる」

 

「……そですか。あはは、ちょっと的外れなこと言っちゃいましたね。わたしってば肝心なところでよく空回りしちゃうんだから」

 

「……やっぱり似てるな」

 

「……? 似てる?」

 

「ああ、君によく似た子のことを思い出した。いつも元気だったけど、たまにすごく暗い顔を見せる女の子。朧気だけど、あの子は記憶を失くす前の俺にとって重要な子だったような気がするんだ」

 

 正直、この記憶に関してはメジロマックイーンやサトノダイヤモンドとのほどはっきりと思い出せない。でも、俺にとっては大事な記憶だということだけは分かる。

 

「……その子、どんな子でした?」

 

「そうだな……亜麻色の髪をしてて、生意気で、声が大きくて……ウマ娘、だったな」

 

「……はぁ、このバカ。もっと覚えとくべきことあったでしょうに」

 

「なんか言ったか?」

 

「いいえ、何も。本当にせんぱいは鈍感だなと思っただけです」

 

「うっ、それサトノダイヤモンドにも言われたんだが俺ってそこまで鈍感……?」

 

「そういうとこですよ」

 

 そういうとこ……どういうとこ? いかん、全然分からん。

 

 名前も性格も良く覚えてない。なのに、朧気な記憶とはいえ、その子に運命を狂わされた。

 そのウマ娘は俺にとっての原点。それだけはしっかりと覚えてる。

 

 それにしても、一色さんと思い出したウマ娘の子はよく似ている。もしかして同一人物だったりして。

 

「……そういえば、一色さんていつも帽子被ってるけどなんでなん?」

 

「これはわたしのトレードマークです。マ○オが帽子外したら違和感あるでしょう? それと一緒ですよ」

 

「記憶喪失者に優しい例えを出せよ……」

 

 そんな彼女の言葉には、やんわりとそのことについて聞くなとのメッセージが込められている。

 なんだろう、もしかして毛髪にでもコンプレックスがあるのだろうか……あっ、

 

「もしかして禿げ──」

 

「てません!! 女の子にそういうこと言うってほんっとデリカシーないですね!? てか、このくだり前もやりましたよ!? やっぱアンタあんま変わってないですねぇ!?」

 

「ははっ、冗談だ。そこまで頑なに帽子を取ろうとしないってことは、それなりの理由があるんだろう。無理強いしない」

 

 誰にだって秘密の一つや二つは持っている。どんなに親しい相手……例えそれが親友や恋人であっても、言いたくないことだってあるはずだ。

 その相手がただの職場の先輩だったら尚更詳らかに話そうとはしないだろう。

 

 すると、一色さんは何か思い詰めた表情をした後、残りのハイボールを一気に飲み干す。

 特に気にしていなかったが、会話の合間にも飲んでいたしこれで一体何杯目なのだろうか。

 

「ぷはっ…………せんぱいは」

 

「ん?」

 

「せんぱいは、好きな人とかいます?」

 

「いや、記憶無いのに好きも何もないって。俺が知ってる女の人なんて、お前とたづなさんと理事長くらいしかいないし」

 

「まあそうですよねぇ……」

 

 何を聞かれるのか思えば、彼女の口から出てきたのはまさかの恋バナ。前の自分がどうだったかは知らないけど、少なくとも今の自分にそういった経験ができるとは思えない。

 

 本気で人を好きになったことがないというのは、生きる上で強みにもなるし致命的な弱点にもなりうる。

 それは真っ当に生きてきた人の話で、記憶の無い今の俺にとっては当てはまらないし退屈な話題──

 

 

「わたしはせんぱいが好きです」

 

 

「……揶揄ってるのか?」

 

「いえ、本気です」

 

「じゃあ飲み過ぎだ。アルコールは判断能力を鈍らせる。酒と雰囲気に酔った勢い起こす行動は身を滅ぼす……っ!?」

 

 瞬間、一色さんは対面に座る俺に身を乗り出して限りなく近いところまで顔を近づける。

 店内とはいえ、人が多いためか俺達の行動はあまり目立っていない。

 

 言い方は陳腐になるが、彼女はとても顔が良い。流石の俺でも至近距離でその整った顔立ちを前にして怯んでしまう。

 

 でも、すぐに違和感に気づいた。

 

「お前……そんなに飲んでるのになんで……」

 

 飲み過ぎだと決めつけたはずの彼女の顔色は、平時のそれとなんら変わりない。

 

 彼女がとてつもない酒豪と言われたら納得がいく。だがもう一つ。

 

 彼女からは酒特有の匂いがしない。

 

「飲み過ぎだなんて、酔えるわけないじゃないですか。アルコールなんて、体内ですぐ分解されちゃうんですから……」

 

 泣きそうなくらいの震え声の中に隠された言葉の内容は、俺にとてつもない衝撃を与える。

 

 アルコールが体内ですぐに分解される? ありえない、普通の人間じゃそんなことはできないはずだ。

 詳しいメカニズムは知らないが、普通は酒気が抜けるのに約五時間ほど要する。でなかったら世の中飲酒運転で捕まる人なんていない。

 

 しかし、俺は知っている。世の中には、毒に対して非常に優れた免疫力を持つ生物がいることを。

 そして、人型かつ人間ではないとするならば……

 

「ウマ……娘……お前、まさか……!」

 

「せんぱい、もう一度言います。わたしはせんぱいのことが好きです。付き合ってください」

 

 なぜ気が付かなかった、なぜ疑わなかった。

 

 そもそも俺のトレーナー室は人間が窓から入れるような階層ではない。本来そこで言及できたはず。なのに俺はそれを怠った。

 

 そして、俺が思い出したウマ娘の子は一色さんとそっくり……いや、同一人物だ。彼女の口ぶりからするに、記憶のある時の俺もそれを知らない様子。だとしたら、彼女は出会ってからずっとそれを隠し通してきたことになる。

 

「ねえ、いいじゃないですか。生意気で声が大きくてウマ娘な後輩の可愛い我儘に付き合わされて将来を共にする。悪くなくないですか?」

 

 一瞬、自分の心が揺れたのを感じた。

 

 俺は目の前の彼女にかなり心を開いている。そんな彼女が、俺のことを好きといってくれているのだ。

 年齢もさほど変わらず、学校に一人はいる高嶺の花のような容姿をした彼女の提案は、とても魅力的なように思えた。

 

 気の合う後輩、可憐な容姿。その二つの要素だけで、断る理由が見当たらない。

 

 

 俺は、差し伸べられた彼女の手を取──

 

 

「いっ!? づぁ……」

 

「せ、せんぱい!? 大丈夫ですか!?」

 

 またしても起こる頭痛によって、それらしい雰囲気は壊される。

 頭が痛い、気分が悪い。酒を飲んでないのに吐き気すら感じてしまい、つい口元を抑えてしまう。

 

 なんなんだなんなんだこの感覚。

 

 思えばさっきもそうだ。頭痛のトリガーとなったのは、メジロマックイーンと話していた時と夏祭りのプリントを見た時。

 あれらのおかげで、なんとなくだが昔のことを思い出すことができた。

 

 でも、これは何かが違う。一色さんの手を取ろうとした瞬間、それを阻止しようとする何かが心の内で働いた。

 

 まるで、自分の中に俺じゃない誰かがいるような気がして………………ああ、そうか。

 

「……そういうこと」

 

「え……せんぱい急にどうし──」

 

「なんでもない。それより一色さん、さっきの告白に答えるよ」

 

 本来ならば、自分という存在への告白に俺が答えるのは筋違いもいいところだ。

 でも、一色さんは、俺が記憶喪失なのを分かって気持ちを伝えてくれた。それはとても嬉しいことだ。

 

 だとしても、今の俺は偽物以外の何者でもない。

 

 

「俺はその気持ちに応えられない。ここでお前の手を取ったら、俺は自分自身が許せない」

 

 

 ほんの昨日までは以前の自分なんてどうでもいいと思っていた。

 だが、サトノダイヤモンドと時間を共にして、メジロマックイーンと話をして、俺は彼女達のために、なにより、彼女達のことをもっと知るために、早く記憶を取り戻したいと思った。

 

 それに、俺の中にいる知らない誰かがこう言っているんだ。

 

『僕には好きな人がいる』、と。

 

「は……そう、ですか。そうですよね、うん、知ってた」

 

「……すまない」

 

「謝らないでください。正直、玉砕覚悟で挑んだ博打だったんですから。これは、抜け駆けをした自分への罰です」

 

「……」

 

 何も言えなかった。声をかけたとして、なんて言えばいい。俺の言葉はきっと、今の彼女にとって己の惨めさを加速させる毒にしかならない。

 だから、黙って次の言葉を待つしかできない。仕方ないだろう、記憶がないのだから、こんな時何が正解かなんて分からないのだから。

 

「……あーあ、なんだか酔いが回りすぎちゃったな」

 

「いや、お前はウマ娘だから酔えないんじゃ……」

 

「酔ってますよ。酔いすぎちゃいました」

 

 それがアルコールにではないことは分かる。だとしたら、この場の雰囲気に、か。

 

「少し夜風に当たってきます。せんぱいは先に料理食べててください」

 

「……おう、気をつけてな」

 

 多分、彼女はこのまま戻ってこない。直前にフラれた相手と食事する奴なんて、よほど頭のおかしい奴かメンタルお化けなくらいなものだろう。

 

「ああ、それとこれだけは言わなくちゃ。ねぇ、せんぱい」

 

 一色さんは涙を絶対に見せないよう振り返らないまま、震えるような声音で、

 

 

「今日は、月が綺麗ですね」

 

 

 そう、伝えたのだった。

 

 もし、この言葉に特別な意図があるのだとしたら、俺は彼女の未練を完全に断ち切らなければならない。

 

 それしか、俺にできることはないのだから。

 

 

「俺は太陽の方が好きだな」

 

「ふふっ。せんぱい、じゃあね」

 

 

 そう言って一色さんは店を出る。その後ろ姿から哀愁は感じない……いや、感じさせないものだった。

 

 もし、あの時無理にでも彼女の手を取っていたのなら、俺の記憶は二度と戻ることはなかった。そんな気がする。

 手を取らないという選択肢を取ってまで俺は俺じゃない誰かの意志を尊重した。だったら、それに見合う行動をしなければならない。

 

 とはいえ……

 

「自分から記憶取り戻そうだなんて、一体どうすれば……」

 

 いくら思い出そうと思ったところで、それで思い出すことができたら苦労はない。

 さっきみたいに何かきっかけがあれば思い出せるのだろうが、そんな都合よく俺の脳を刺激するようなイベントがあるはずもなく……

 

「……ん? ロイン来てたのか、気が付かなかったな」

 

 

 スマホを見ると、メジロマックイーン、及びサトノダイヤモンドの二人からメッセージが届いていた。

 二人からの内容はほぼ同じで……

 

 

「お客様、ご注文の……」

 

「これだあああぁぁぁぁぁぁ!」

 

「お客様ああああぁぁぁぁ!?」

 

 俺は、店内で今日一目立つ行動を取ってしまった。

 

 

 

 ***

 

 

 

『はいはい、お互い十年経っても独身だったらなー』

 

 

 十年なんて待ってられない。それがわたしの本音だ。

 

 

 夜風に当たり、溢れてしまいそうな涙を流さないよう、上を向いて歩みを進める。

 

 せんぱいは、わたしのことを覚えていてくれた。

 

 正しくは、一色星羅としてのわたしではなく、イツセイとしてのアタシ。

 だとしても、そんなことはどうでも良かった。せんぱいの中に、ちゃんとわたしが存在している。それが分かっただけで、どれだけ気持ちが昂ったことか。

 

 これまで、わたしはせんぱいにウマ娘だということを隠してきた。

 マックちゃんには、ウマ娘と知られたらせんぱいに同じ目で見てくれなくなると言ったけど、わたしの本心はそうじゃない。

 

 わたしは、イツセイとしての自分ではなく、わたし自身の魅力で勝負がしたかった。過去の自分に頼らない、今ある自分で憧れのせんぱいの隣に立ちたかった。

 イツセイだと打ち明けるのは最後の最後、もしくは切り札だと、そう決めていた。

 

 なのに、それを持ってしても届かなかったのだ。わたしは、久しぶりにレースに負けた。

 物語では、恋愛というレースに負けたヒロインがその後もアタックを仕掛けてくるという展開をちらほら見かける。でも、わたしにそこまでの図々しさはない。

 レースの後にどれだけ足掻いても、ゴール板を一番最初に通過した者だけが勝者だという事実は変わらない。

 

 こんなことなら、最初からウマ娘ということを打ち明けておけばよかった。まさかあんな強力なライバルが出現するとは。

 

 でも、伝えられてよかった。トレーナーには何も言えなかったんだもん。

 相手は違えど、伝えなきゃいけないことを伝えることができたので、わたしにとって悔いはない。

 

 

 でも、一つだけ心残りがあるとすれば……

 

 

「……居酒屋で告白はちょっと無かったかなぁ」

 

 

 

 〈一色星羅の後悔〉

 

 

 

 ***

 

 

 

 俺は、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドが走る姿を見たことがない。

 正確には彼女達が"本気で"走る姿をこの目で見たことがないと言った方が正しいか。

 

 先日、タイマンでレースをする二人を見たが、サトノダイヤモンドはともかくメジロマックイーンからは何も感じることができなかった。

 でも、そんな彼女も立ち直り、きっと今では全力で争う二人の姿を見ることができる。

 

 それが、俺の記憶を取り戻すための最後のピースに違いない。

 

「トレーナーさん」

 

「おう、メジロマックイーン。調子はどうだ?」

 

「万全の状態ですわ。この服を着て走るのも、なんだか随分と久しぶりな気がしますわね」

 

 今の彼女は、黒を基調とした勝負服を身に纏っている。

 元来、勝負服はGⅠレースを走る時にしか身につけないものなのだが、彼女にとって今日のレースはそれに匹敵するようだ。

 

 今日は、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドが一騎打ちでレースをする日。先日ボロ負けした彼女にとってはリベンジマッチとなる。

 

「それにしても、勝負服まで着るのは気合い入りすぎじゃないか? 着飾ったところで観戦する人なんて俺以外いないんだし」

 

「何事も形から入るのは大切だと思いますよ、トレーナーさん?」

 

 そしてもう一人、緑の勝負服を見に纏った少女が、俺とマックイーンの間に割って入ってきた。

 

「っと、サトノダイヤモンドか」

 

「ええ、あなたのダイヤです」

 

「いつから君は俺のものになったんだよ」

 

「……今のもう一回言ってくださいませんか? もう少し感情を込めて、『お前は俺のものだ』、と」

 

「嫌だけど!? あっ、違う! 君のことが嫌ってわけじゃなくて、そんな浮わついた発言俺にはできなくて……だからそんな泣きそうな顔するのはやめろ!」

 

 即座に否定してしまい見るからに落ち込んでしまうサトノダイヤモンド。

 かと思いきや、フォローを入れた瞬間舌を出し悪い笑みでこちらを見てきた。こいつ……どうしてくれようか。

 

「はいはい、おふざけはここまでにして、早く話を進めませんこと?」

 

「そうですね。トレーナーさん、余計な話はめっ、ですよ?」

 

「えっ、これ俺が悪いん?」

 

 どう考えても話を脱線させたのはサトノダイヤモンドだと思うんだが。

 

「……今日は、トレーナーさんにお願いがあってきました」

 

「俺に?」

 

「はい。他でもない、私達のトレーナーである貴方に」

 

 先程まで緩い雰囲気だったが、メジロマックイーンの凛とした声で空気が一変してしまう。

 

「本来、私達は去年の感謝祭でレースをするはずでした。そして、勝った方には貴方からご褒美を頂けるとの条件付き」

 

「はずでした、ってことはつまり……」

 

「そう、少々……いえ、かなり言葉にしづらいトラブルがありまして……」

 

 なんらかの理由があってそれが行われなかったと。なるほど、言葉にしづらいというのは引っかかるが、合点がいった。

 ところで、さっきからサトノダイヤモンドがメジロマックイーンのことをジト目で睨んでいるのは何故だろう。

 

「と、とにかく! 私達のお願いは、今日のレースでの勝者にご褒美を頂けたらというものです!」

 

「トレーナーさん、これは私とマックイーンさんの二人で決めたことなんです。あなたさえよろしければ、認めていただけると幸いです」

 

 ご褒美、と言われても俺はどうすればいいか分からない。でもまあ、各々具体的な希望があるのだろう。

 彼女達もやる気みたいだし、もので釣るようなのはいただけないけど、そうしてあげるのもやぶさかではない。

 それに、勝ったのに何もないってのも少し寂しいしな。

 

「分かったよ。その条件、飲もうじゃないか。ただし」

 

「ただし?」

 

「それが適応されるのは勝者一名にだけだ。負けたけど頑張ったからなんてぬるいこと、俺はしないぜ?」

 

 俺の一言に、メジロマックイーンとサトノダイヤモンドは顔を見合わせ──

 

 

「もちろんです!」「上等ですわ!」

 

 

 自信満々にそう宣言する。

 

 いい目だ。この子達は、自分が負けるだなんて微塵も思っていない。

 

「それでは行ってまいります。私が勝つ姿、とくとご覧になってくださいまし」

 

「勝つのはわたしですからね! ダイヤの輝き、見ててください!」

 

「あっ、ちょっと待って!」

 

「「……?」」

 

 俺は今にもターフに行ってしまいそうな二人を呼び止める。そして、両手の親指と人差し指で長方形を作り、彼女達を画角に収め──

 

「……うん、よく似合ってる。本当にお嬢様なんだな、君達」

 

「……バカ、一言余計ですわよ」

 

「……乙女心、やっぱり学べてませんね」

 

 うるせぇよ、ほっとけ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ダイヤさんはトレーナーさんに何をお願いするんですの?」

 

「私は『一生面倒見てもらう』という約束、あれを本当の意味で"一生"にしてもらおうかと。マックイーンさんはどうするんです?」

 

「そうですわね……。ダイヤさんがトレセン学園に来る前に保留にしてもらった、なんでもしていただけるという約束を叶えてもらいましょうかね」

 

「なっ!? ず、ずるいです! 私の知らないところでそんな約束してたなんて!」

 

「それはこっちのセリフですわよ! 敢えて今まで深く触れてませんでしたが、なんなんですのその『一生面倒見てもらう』とかいう羨ましい約束は!? そっちの方がずるいと思いますけど!?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 メジロ家、そしてサトノ家。世間一般的に、それら二つの家系は間違いなく名家であろう。

 

 では、その名家の定義とは何か。強いウマ娘を多数輩出することか、それともレースや事業に多大な寄付や貢献をすることか、はたまた親や祖父母が優秀な成績を残していることか。

 答えは人それぞれ、そして何通りもの正解がある。

 

 とはいえ、そんなありふれた言葉でお茶を濁すというのは皆も腑に落ちないはず……だから、ここで自分の考えをはっきりさせておこうと思う。

 

 

 この世は、勝ったやつが正義だ。勝ったやつが後の名家だ。

 

 

 レースにおいて、十数名の中で勝者はただの一人だけ。

 勝てるやつは、己の勝利のみを求め、誰かの負けによる不利益など一切考えず、全速力でターフを駆け抜けることのできる非情なエゴイストしかいない。

 誰かが夢を叶えるということは、誰かの夢が潰えるということ。

 

 徹底的に己を磨き上げ、運命すらも手繰り寄せてしまう。それが、ターフの上で主人公になるための絶対的条件。

 そのくらい厳しい勝負の世界で、今日も彼女達は己が一着にならんと走り続ける。

 

 名優も、宝石も、どちらも名家を名乗るのに相応しい戦績を上げてきた。それでも尚彼女達の脚が止まることはない。

 

 だったら、最後まで見届ける義務があるはずだ。

 

 だって俺は……いや、僕はどこまで行っても君達のファンなのだから。

 

 

 ああ、人一倍頑張っていて、成長する女の子ってのはぁ、

 

 

「さいっっこうじゃんか……」

 

 

 眼前に広がるは緑の芝生、そしてその上に立つ二人の少女。

 

 

 ゲートもない。実況もない。実際のレースとは程遠い。

 

 

 でも、それが逆にワクワクする。こんなにも心躍るのはいつぶりだろうか。

 

 

 一人の少女が弾いたコインは、空を舞って放物線を描く。

 

 

 それが地に落ちた瞬間、彼女達は地を蹴り駆け出し──

 

 

 





もう一話だけ続くんじゃ


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エピローグ
そして同じ空を見ている


 

 

 

 天気予報では今日一日晴れとの情報だったが、数時間前から雲行きが怪しくなっていた。

 

 ぽつりぽつりと降ってきた雨はやがて土砂降りに変わり、ターフでトレーニングをしていたウマ娘達やそのトレーナーは大慌てで校舎に戻る。

 

 個人的に雨はあまり好きではない。

 理由は色々あるが、今日この日にはとても似合わない天気だからというのが一番に挙げられる。

 

 だらりと一人トレーナー室でくつろいでいると、仰々しくノックをする誰かが、失礼しますという言葉と共に入室してきた。

 

「……ああ、君か。式典もう終わったのか? 意外と早いんだな」

 

 レース前に雨が降って重バ場になるなんてことはこれまでに多々あった。

 その度に仕方がないと思いつつレースの前のミーティングでは作戦を練り直していたのだが、今日に限っては晴天であって欲しかったと心から思う。

 

 なんせ、今日は僕の教え子の卒業式。こんな天気の中、学園の卒業という人生の節目を迎える子達が少々不憫だ。

 

 でも、やはりこれも仕方のないことと言えば仕方のないこと。自然の摂理には逆らうことはできない。

 魔法使いや平和の象徴と呼ばれるヒーローでもない一般市民が天候を変えるなんてことはできないのだから。

 

「……え? どうして卒業式に参列しなかったのか? ばっか言え、僕はただの一トレーナーだぞ? ただでさえ人が多いんだから、親族がいるわけでもないんだし謹んでそれをお断り……あ、はい、嘘です。昨日徹夜で仕事して寝過ごして気がついたら式典始まってました……」

 

 目の前に佇む彼女の冷ややかな視線が僕にダイレクトに突き刺さる。

 この子が現役の時はよくこういう目をされてたっけ。

 

 というかこんな大事な日に寝坊する僕って……。

 

「……にしても、もう君が卒業か。なんだかあっという間だったな……」

 

 この子と時間を共にするようになってから本当に色々あった。

 

「初めて勝ったGⅠレースは菊花賞だったか。その次のGⅠも勝って、君は目標を達成した。けどまあ、そこからしばらくはだいぶ手こずっちゃったけどな。危なっ!? おい、事実なんだから足踏もうとするなよ!」

 

 痛いところを突かれたのか、彼女は俺を黙らすために足を踏もうとしてくる。

 ジリジリとした攻防戦も長くは続かず、次第に会話は元の流れへとシフトしていった。

 

「レース以外も色々あったな。学園で鬼ごっこしたり、ゲーセンで遊んだり、テニス応援したり、異世界転生したり……あ、最後のなしで」

 

 あれは僕の話だ。この子達とはあまり関係ないか。

 

「そして、君は誰も成し得てなかったことを成し遂げた。今でもあの時のことを思い出せる。僕は、君のトレーナーで本当に良かった……うおっ」

 

 と、よそ見をしていると脇腹を突かれる。その顔は、何これで終わりみたいな雰囲気を出してるんだと言いたげだ。良いじゃないか、少しくらい思い出に浸らせてくれよ。

 

「…………え? ああ、そんなこともあったな。いや、あれは不可抗力じゃん? 僕だって好きで記憶喪失になってたわけじゃないよ? ちゃんと記憶だって戻ってるし、身体も元気だぜ? だからほら、そのことにはあまり触れない方針で、ね?」

 

 あの時はどれだけ心配したことかとブツクサ言われながらも、僕はご機嫌を取るための愛想笑いしかできることがない。どうすりゃええっちゅーねん。

 

「あー……そういえば、卒業した後はどうするんだ? 進路、結局最後まで教えてくれなかったじゃないか。進学か? それとも家を継ぐのか?」

 

 その両方に彼女を首を横に振る。そして、彼女の口からは──

 

「……へぇ、らしいじゃないか。うん、君にピッタリだ。困ったことがあったら頼ってくれ。いつでも力になるよ」

 

 その言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに尻尾を振る。身体面が成長した今、なんだか彼女の幼い一面を見るのは久しぶりな気がする。

 

 そんな姿がなんだか可愛らしく思え、頭に手を伸ばそうとした瞬間、窓からコツンという音が鳴り響く。

 気になって外を確認すると、そこには傘を刺して悪戯気な顔でこちらを見るウマ娘が一人。大方小石でも投げたのだろう。自分のライバルを早く解放しろ、と。危ないから良い子のみんなは真似しないでね。

 

「ほら、君のライバル様がお待ちだぜ? 早く行ってあげな。……なんだよ、そんな冴えない顔して。今生の別れってわけじゃなかろうに」

 

 それも彼女は暗い表情のままだ。そこまで生徒とトレーナーという関係を続けたいのだろうか。

 

 正直な話、僕は名残惜しい。でも、いつか終わりが来るのは分かっていたのだ。

 だったら、今この時くらいはなるべく明るく送り出してやるってのがトレーナーとしての務めだろう。

 

「胸張って歩けよ、卒業生。人生、まだまだこれからなんだぜ? 君の信じた道を進みなよ、っと!」

 

「……!」

 

 そう言って彼女の背を軽く叩き、振り返らせないようドアの方まで歩かせる。きっと、今ので覚悟は決まったはず。

 

 これでいい、これでいいんだ。今こそわかれめ、いざさらば。

 

 

「トレーナーさん!」

 

 

 ドアを前にした彼女は、その手前で立ち止まり僕のことを呼ぶ。何か忘れ物でもしたのだろうか。

 

 

 ……忘れ物をしたのはお互い様か。これは言っておかないとな。

 

 

 生憎と天気は最悪、目の前の彼女の新たなる門出を祝うにしては幸先が良くないな。

 

 それでも僕らは同じ空を見続ける。君と過ごした日々は、絶対に忘れてやらない。

 

 

 僕らはいつものように、普段通りに──

 

 

「行ってきます!」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 

名家のウマ娘 完

 

 




以下後書き


初投稿から約一年半。ようやくこのシリーズを完結させることができました。完結したことに私が一番驚いています。(このシリーズが投稿され始めてからずっと見ていただいてくれている方なんているかな……?)

このシリーズの1話を書き始めた時は長くて20話くらいを目処にしていたはずなのですが、どうしてこうなったんでしょうね。謎です。101話? 長すぎるだろ。

冗談はさておきここからは恒例の裏話なのですが、実はプロローグを書き終えた時点で各章のある程度の構成は決めていました。もちろんラストも含めて。
1、2章は既に語った通りなので今回は主に特別編と3章を。


まず特別編について。この話はいつもとは違ったテイストでの内容を構築したいなと考え書きました。
一番最初に思いついたのはトレーナーがウマ娘になるという内容でした。が、その場合トレーナーのウマ娘名等を決める必要があり、それは違うなということで、トレーナーの異世界転生という内容に変更になりました。
どうせ別世界としてやるのならということで主人公もトウカイテイオーに変更、後はそれらしき設定も盛り付けてなんとか形にさせることはできたと思います。私自身書いててとても楽しかったです。
でも、後出しのように公式から三女神について言及されるのは狡いじゃん……


そして3章について。メジロマックイーンとサトノダイヤモンドのURAファイナルズ回……と思わせてトレーナーの記憶喪失編でした。

本編で直接は語っていないのですが、トレーナーの素の一人称は「俺」です。なので、1章でゴールドシップに図星を突かれた時、過去編、記憶喪失時には一人称を「僕」ではなく「俺」に統一しています。
どうしてわざわざ彼が自分のことを「僕」と名乗っているのかというと、昔より性格が丸くなった結果……のつもりだったのですが、初期はともかく後半のトレーナーは過去編のトレーナーと大差無いなと。

そして第三のヒロイン枠として2章半ばから登場させていた一色星羅さん。元ネタはありつつも、私自身がキャラ付けした人物なので思い入れはありますね。
でも、この話の主なところはメジロマックイーンとサトノダイヤモンドの物語なので悪しからず。


エピローグ、及び3章最終話について。多分皆様が思っていたエンディングとはかなりかけ離れていたと思います。
でも、この話のプロローグを終えた時点でこうすると決めていた内容そのままを書き出しました。

最終レースの勝者、及びエピローグで登場したウマ娘はメジロマックイーンだったのか、それともサトノダイヤモンドだったのか。貴方のご想像にお任せします。

本当はもっと書きたい内容や番外編がありました。でも、これ以上は収拾がつかなくなるのでこのシリーズは一旦ここまでにさせていただきます。

3章冒頭のちびっ子ウマ娘二人が登場する、「もしトレーナーの記憶が戻らなかったif」も考えてはいた……なんなら話の終着点すらも考えきってはいたけど、ひとまずこれも保留ということで。

ssは自己満足で書いてなんぼですからねという精神でやってきましたが、それが上手くいったように思えます。
途中で色々脱線、迷走等あったとしてもゴールを決めていれば案外やり切れるものですね。

これまでいただいたコメントも全て拝見してます。とても励みになりました。

最後に、長いことお付き合い頂き本当にありがとうございました。それではまたいずれ。



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短編
貴方は私でわたしはあなた



幻の書き殴り102話供養。
95話分岐ルート。トレーナーが事故に巻き込まれなかった世界のお話。



 

 

 

 今日は朝練もなく、ゆっくりと支度をして寮を出た。いつもよりちょっとだけ長く寝て、ちょっとだけ運が良くて、ちょっとだけ気持ちの良い風にさらされながら学園の門を潜る。

 

 まだ朝だと言うのに、学園には活気のいいウマ娘やトレーナー達の賑やかな話し声が賑わっている。

 やれ今日のプールトレーニングが嫌だだの、やれ隣町の食べ放題が出禁になっただの、やれ担当の等身大像を無許可で設置したら怒られただの……ろくな話がありませんわね。聞き耳を立てておきながら言うのもなんですけど、なんかもっとこう、まともな話はありませんの?

 

「マックイーンさ〜ん!」

 

 他人の姦しい話に勝手にケチをつけていると、不意に後方から自分を呼ぶ声が聞こえる。

 

「あら、ダイヤさん。奇遇ですわね」

 

「えへへ、同じチームメイトですからね。今日も張り切って参りましょう!」

 

 彼女の名前はサトノダイヤモンド、同じトレーナーのもとで共に切磋琢磨する仲間でライバル。走りはもちろん、恋愛事情に関しては完全にライバルどころの話ではないということは必要ない情報だろうか。

 

 尤も、私達の想い人であるトレーナーさんはそれらの事情には疎い。

 いや、正しくは疎いふりをしていると言った方が正確か。

 なぜそんなことをするのかと問い詰めたいところだが、よくよく考えてみたら学生と恋仲になること自体がまずいことは冷静になってみれば当たり前のこと。

 彼の判断は何も間違っていないので苦虫を噛み潰して我慢する他ないのだ。

 

 だとしてもそこで諦めるわけにはいかない。なので、私達は日々あれやこれやの手を尽くしている。

 

「最近トレーナーさんの隠し撮りが増えましたの。これで寝る前に振り返るコレクションが充実しましたわ」

 

「私もトレーナーさんの寮の合鍵を作ったんです。これでいつでもトレーナーさんに会いに行けますよ」

 

 …………。

 

「ちょっとダイヤさん、合鍵について詳しく」

 

「マックイーンさんこそ隠し撮りについて詳細をお願いします」

 

 少し前まではバチバチに争っていた私達もこのように協力し合うこととなり、今では抜け駆け禁止の取り決めまでなされている。

 決着はダイヤさんが学園を卒業した後。その頃には私も卒業しているため、トレーナーさんが犯罪者にならず正々堂々と勝負ができるのだ。

 

「……確かにこれはトレーナーさんの新しい写真ですね」

 

「ええ。ですから、何枚か差し上げますので合鍵を私達の共有物ということに……」

 

「そういうと思ってスペアも作っておきました。これはマックイーンさんの分です」

 

「ダイヤさん……! 私はこんなできる後輩を持って幸せ者ですわね……」

 

「私もマックイーンさんのような先輩と共にあれて光栄です!」

 

 そんなことを言いながら、人目につかない階段で怪しい取り引きを続ける。

 

 後半だけ聞けばいい話だが、その実態はただただトレーナーさんの人権が侵害されているだけだ。

 そんなことは分かっていながらも、私もダイヤさんも見て見ぬふりをしている。なぜなら目の前の欲望からは逃れられないから。

 

 

 それにバチが当たったのか、因果応報というべきか、

 

 

「ふふっ、トレーナーさんの寮の合鍵……」

 

「あっ、マックイーンさん! 危な──」

 

「……え?」

 

 

 受け取った成果物に思いを馳せるばかりに、足元が疎かになったのに気づいたのは身体が宙に浮いてからだった。

 階段から足を滑らせた私は、重力に従い頭から落下する。いくらウマ娘といえど、頭部を強打すればただでは済まない。

 不幸中の幸いといえば、この位置から落下地点までそれほどの距離ではないことくらいか。

 

 でもまあ、それなりの痛みは覚悟しなければ──

 

「マックイーンさん!!」

 

「ダイヤさ……いだっ!?」

 

「あだっ!?」

 

 私を助けようとしてくれたのか、ダイヤさんは階段からこけて落ちる私に飛び込んできた。その際、互いが互いの頭を強打、わかりやすく言えばごっつんこし、言葉にならない声を上げる。

 

 とはいえ、彼女のおかげでだいぶ痛みは軽減された。ただ自由落下するしかなかった私を庇ってくれたおかげで痛みわけといったところか。

 少なくとも私の方は身体に異変は無い……ん? なんだか胸が重いような……

 

「いたた……大丈夫ですか、マックイーン……さん?」

 

「ええ、ダイヤさんの方こそ怪我はありま……せ、ん……?」

 

 身体に異変は無いと言ったがあれは撤回しよう。言葉を発すると即座に違和感を覚えた。

 

 違うのだ、発した声が慣れ親しんだ己の声と違うのだ。

 

 そして、目の前の彼女から発された声こそ自分のもの……いや、声だけじゃ無い。私の目の前にいるのはサトノダイヤモンドではなく、メジロマックイーンだ。

 そして私は自分の容姿を確認する。綺麗な鹿毛に右耳の特徴的な髪飾り、そして嫉妬するくらいの大きな胸。

 

 これだけで何が起きたのかを察してしまった、察せざるを得なかった。それは私だけでなく、目の前の彼女も同じなようで……

 

「あ、あの……そこの私の姿をした貴方はもしかしてダイヤさんでして……?」

 

「……そ、そういうあなたはマックイーンさん……?」

 

 お互いのその質問だけで疑念が確信に変わり、これが現実であることを受け入れがたく呆然としてしまう。

 

 

 これあれですわ、入れ替わってますわね。

 

 

 

***

 

 

 

 頭をぶつけて人格が入れ替わる、なんて話はフィクションではよくある話だったはず。たしか、テイオーが貸してくれた(押し付けてきた)漫画にそのようなものがあったのを記憶している。

 

「……トノさん……」

 

 しかし、あくまでもそれはフィクション内での話だ。頭をぶつけ合っただけで容易に魂が入れ替わってしまうなんて、現実ではあり得ない話なのは説明するまでもない。

 

 ないはずなのだが、現にそれが起きてしまっている。この先どうすればいいのか皆目検討も……

 

「サトノさん!」

 

「ひゃ、ひゃい!?」

 

「今は授業中ですよ。何をボーっとしているんですか」

 

 先生の授業中という言葉を聞いて周りを見回すと、そこには普段見慣れない面子が一斉に私の方に目を向けている。

 

 ああ、そういえば私は今"サトノダイヤモンド"としてこの教室にいるのだったか。

 

 入れ替わったことに気がついた後、私は激しく混乱した。頭では何が起こったか理解していても、脳がそれを受け入れることを否定してしまっていた。

 

 そんな私に対し、ダイヤさん……いや、私の姿をしたダイヤさんはというと──

 

 

『こ、これがマックイーンさんの……うへ、うへへ……』

 

 

 ……なんだか、ものすごく目をキラキラさせていた。あと、私の姿でその顔をするのはやめてほしい。

 

 そんなダイヤさんが言うには、とりあえず今日一日はこのまま普段通り過ごしてみようとのこと。

 これでもダイヤさんとの付き合いは長い。彼女の口調や性格を真似ること自体さほど難しいことでは……突飛な発想をするところ以外は可能だろう。

 

 それに、私としても事態を大きくしたくはない。こんな話をしたところで信じてくれる人なんていないだろうし、何より、誰とは言わないがあのマッドサイエンティストウマ娘に見つかってしまったら何をされるか分かったもんじゃない。

 私達も年頃の女学生、噂というのは想像以上のスピードで広まっていく。つまりはそういうことだ。

 

 というわけで、私はサトノダイヤモンドとして彼女の教室にお邪魔しているわけだが、いかんせん不安の種は尽きない。

 具体的に言えば、私の姿をしたダイヤさんが何をしでかしているかを考えると胃がキリキリして……

 

「す、すみません、つい考え事をしてまして……」

 

「全く……あなたは普段優等生なのに、時折りとんでもない行動をするんですから注意してください。この前だってゴールドシップさんの戯言を真に受けて、逆立ちしながら口の中でさくらんぼのヘタを結ぶギネス記録に挑戦していましたし……」

 

 何をやっていますのあの方は。というか、そんなこと本当にやったらゴールドシップもドン引きすると思うのですが。

 

 そんなことを考えているとチャイムが鳴って授業が終わる。そのままホームルームも終わってあっという間に放課後だ。

 とりあえず、朝はできなかったこの状況をどうするべきかについての相談をダイヤさんとすることが先決だろう。

 

 よし、そうと決まれば早く彼女の下へと──

 

「ねえ、ダイヤちゃん」

 

「ひょわっ!? ど、どうされた……どうしたの、キタサンブラッ……キ、キタちゃん」

 

 急に声をかけられたことによりしどろもどろになりながらなんとか返答する。

 

 その声の主はというと、ダイヤさんの一番の親友であるキタサンブラックさんだ。

 普段は明るい印象の強いキタサンブラックさんだが、今日はやけに眉を顰めて私の顔をじっと見つめてくる。そんな彼女の表情に冷や汗が背中をツウっと流れるのを感じた。

 

「ダイヤちゃん、今日なんか変じゃない?」

 

 ぎくり。

 

「そ、そんなことないよ〜。強いて言うならちょっと甘いもの食べすぎちゃって……」

 

「ふーん……ダイヤちゃん、いつもは辛いものが好きって言ってるのに珍しいね」

 

 ぎくりぎくり。

 

「そ、それは気分転換にね。私だってたまには甘いものも食べたくなるんだよ?」

 

 こういった類のことには鈍い方だと思っていましたのに、ここ一番で妙な感の鋭さを見せつけるキタサンブラックさん。いや、ここ一番だからこそか。

 親友の微細な変化にここまで敏感に気がつけるとは。ダイヤさんは良い親友を持ちましたね。

 

「……やっぱりなんか変。シュヴァルちゃんはどう思う?」

 

「うぇ!? ぼ、僕!?」

 

 場違いにもキタサンブラックさんに感心していると、話の矛先は彼女の前の席に座る、帽子のウマ娘へと移った。

 彼女の名前はシュヴァルグラン。ダイヤさんとキタサンブラックさんが競った春の天皇賞で二着に食い込み、その後のジャパンカップではキタサンブラックさんを下して一着を取るなどの実績を持つGⅠウマ娘だ。

 

「むむむ、あたしの見立てによれば、今日のダイヤちゃんは別人の可能性がある……」

 

「そんな急に突拍子もないことを──」

 

 キタサンブラックさんの言うことを、シュヴァルグランさんは呆れ顔で否定する。

 彼女の気持ちはごもっともだ。確たる証拠もないのに、クラスメイトの一人が別人だなんて誰が信じるものか。

 

 と、心の中でシュヴァルグランさんにそうだそうだと賛同していると、

 

「──いや、確かに今日のサトノさんはいつもより少し……かなり……すごく大人しい気がする」

 

「えっ」

 

 彼女は先程と言っていることを急に180°回転させた。

 というか、大人しいの前の副詞が二回ほど訂正されたのは気のせいですの? 

 

「だよねだよね! シュヴァルちゃんもそう思うよね!? あっ、クラさん! クラさんも今日のダイヤちゃん変だと思わな──」

 

「あ……あーっ! 私ちょっと用事思い出しちゃった! それでは皆さん、失礼します!」

 

「えっ、ダ、ダイヤちゃん!? そっちは窓だよ!?」

 

 これ以上留まるとどんどん私が不利になっていく一方だ。それを悟った私は、無理矢理にでもこの場を脱しようとして──

 

 

 

 

 

 

「……ダイヤちゃん、窓から出てっちゃった。ここ三階なのに」

 

「……やっぱり僕達の気のせいだったみたいだね。サトノさんはサトノさんだ」

 

「う、うん、そう……かなぁ?」

 

「どしたの? ダイヤがなんかあった?」

 

 

 

 

 

 

 窓から飛び降りて無事に着地した後、真っ先に私の姿をしたダイヤさんを捜索する。

 一刻も早く彼女を見つけ出し、元に戻る方法を見つけなければならない。その一心で学園中を走り回っているのだが……

 

「教室にはいないわ電話も繋がらないわで一体全体ダイヤさんはどこに行かれましたの!?」

 

 いないのだ。どこを探し回っても私の姿は依然として見当たらない。

 誰かの手を借りることも考えたが、先程のようにこの状態で他人と話すことはリスクが大きい。

 

 しかし、だからと言ってこんなところで立ち止まっているのは悪手だ。いち早く彼女を見つけ出す方法を考え出さなければ、最悪の場合私の名誉に関わる。

 

 するとそこに、通りがかった他生徒のヒソヒソとした会話が耳に入ってきて……

 

「ねえ聞いた? 今日のメジロマックイーンさん、跳び箱の上でブレイクダンスしてそのままダンクシュート決めたらしいよ?」

 

「あっ、それ聞いた聞いた! しかも、トラックの荷台の上で寝たら不幸が起こるとかいうわけわかんない占いを破るとか言ってたら、そのまま寝ちゃって横浜から走って帰ってるらしいよ?」

 

 もう帰りましょうか。私の身体で何をやっていますのあの方は。

 

 既に名誉が手遅れだということを察して膝から崩れ落ちる。

 

 もう駄目だ、今まで積み上げてきた私のイメージが……

 

「……どしたの、ダイヤ」

 

「っ、ト、トレーナーさん!? なぜここに!?」

 

「いや、なぜって、マックイーンがやらかしたからついさっきまでたづなさんにお説教くらっててさ……」

 

 ぐっ、やはり噂が広まるのが早い。これはトレーナーさんにすらも入れ替わりの件を話して良いのか悩ましいところだ。

 

「マックイーンが戻ってくるのは夕方以降って聞いてるし、僕達だけでも先に戻っていよう」

 

「は、はい。分かりました」

 

 偶然出会ったトレーナーさんと足を並べてトレーナー室へと向かう。とにかく、私だけでも彼に勘付かれる行動は避けなければ。

 

「そういえば聞いてくれよダイヤ。最近、よく変な視線を感じてな」

 

「変な視線?」

 

「ああ。周りには僕一人しかいないのに、誰かに見られてるような気がする上に、時折りシャッターオンまで聞こえるんだ」

 

 ……おっと? 

 

「振り返っても誰もいないから考えすぎかなとは思うんだけど頻繁にそれが起こるから流石にちょっと怖くてな」

 

 まずい、トレーナーさんの盗撮……いえ、撮影はというと、スマホではなく一眼レフを使用しているためにシャッター音は完全には消せていない。

 とはいえ、対策として私はそれを最小限に抑えているはずだ。それでも聞こえるというのなら、トレーナーさんに流れてるウマ娘の血が無駄に聴力の向上を促しているとしか考えようが無い。

 

 とにかく、ここは上手く誤魔化す方法を考えなければならない。でもどうすればいい? 話題を変える? 気を逸らす? 

 

 そんな都合のいい方法があるとしたら──

 

「あの、トレーナーさんに一つ謝りたいことが……」

 

「ん、なに?」

 

「実は私、トレーナーさんの部屋の合鍵を作って夜な夜な忍び込んでて……」

 

 一瞬の躊躇いもなく後輩を売り……

 

 

 

 

 

「あと300周!」

 

「「は、はい!」」

 

 横浜から戻ってきたらしい私の姿をしたダイヤさんと、合鍵の件を自白(?)したダイヤさんの姿をした私は案の定トレーナーさんから静かな怒りを買い、かなりのハードトレーニングを課せられている。

 これも私達が怪我をしない範疇で考えられているものなのだろうが、だとしてもギリギリだろう。というか完全に私怨入ってますわね。

 

「……私の身体でよくも滅茶苦茶やってくれましたわねダイヤさん」

 

 走ってる最中、ついついダイヤさんに恨み言が漏れてしまう。そんな彼女は分かりやすくそっぽを向いた。

 

「な、何のことですか? 私はただ、普段通りに過ごしましょうと言っただけで……」

 

「普通この場合の普段通りって外見に合わせた普段通りじゃありませんの!? おかげさまで今まで積み上げてきた私のイメージは崩壊寸前ですわよ!?」

 

「……えっ、マックイーンさんのイメージなんて元々崩壊どころの騒ぎじゃないと思いますけど……」

 

「は、はぁぁぁぁ!? ちょ、それどういう意味ですのよ!?」

 

「言葉通りの意味ですよ! 大体、マックイーンさんも何かやらかしたからトレーナーさんに怒られてたんじゃないんですか!? 言ってみてくださいよ!」

 

「そ、それは……その……」

 

「ほら言えない!」

 

「上等ですわ! 怒りも喧嘩も全て買って差し上げますわよ!」

 

 一触即発と言った雰囲気が流れ出し、走りながらジリジリと間合いを取っていると、

 

「お前ら真面目に走れ!」

 

「「す、すみません!」」

 

 メガホンも無しに大きな声を出すトレーナーさんに注意される。このような、トレーナーさんに絶対に逆らえない雰囲気というものが時々作られるのは何なのだろう。これはこれで悪く無いのだが。

 

 

 

 ダイヤさんとの小競り合いもほどほどに、トレーナーさんの言われるがままに走り終えた私達は、疲弊も疲弊した身体を休めるためにと芝生の上へ寝っ転がる。

 

「つ、疲れた……」

 

「トレーナーさん、これは少しやりすぎでは?」

 

「そうかもな。でも、黒沼さんとこのウマ娘は定期的にこういうのやってるらしいぞ」

 

「ええっと、ブルボンさんのトレーナーでしたっけ?」

 

「ああ。あの人にハードトレーニングについて色々教わっといて助かったよ」

 

 こ、この男、初めから私達にこういったことをさせるつもりで……っ!

 

「それで? 答え合わせといこうじゃないか、二人とも」

 

「……?」

 

「トレーナーさん、何を言って……」

 

「おや、まさかバレてないとでも思ったかい? 入れ替わってるんだろ?」

 

「「えっ」」

 

 ば、バレてる!? いつから、というかどうして!?

 

「半分冗談だったんだが、その様子からするに本当みたいだな。おかしいと思ったんだよ、ダイヤはバカ正直に自分の罪を告白するし、マックイーンはダイヤみたいな意味わからんことするし」

 

「待ってください、その言い方だと普段から私が意味分からないと言われているように聞こえるのですけど」

 

「そう言ってるんですけど。あっ、おい髪引っ張るな! 禿げたらどうするんだよ!」

 

 戯れ合いというには殺伐して、取っ組み合いの喧嘩というには一方的な騒動が目の前で、それも私の姿で行われていることに目眩を覚える。

 

 というか、どうしてトレーナーさんはこんなありえない状況でも冷静なのだろうか。

 そういえば、彼は以前異世界がどうだの幽霊がどうだのと言っていた気がする。もしそれらのことが嘘では無かったのだとすると、この適応力にはギリギリ納得がいく。

 

「いったぁ……相変わらずのバカ力だな」

 

「ウマ娘とやり合ってその程度で済む貴方もどうかと思いますわよ」

 

「うっせ。てか、ダイヤの姿でその喋り方はやっぱり違和感あるな」

 

「同感ですわね。早いところ、私も元の身体に戻りたいですわ」

 

「そうだな。でもまあ、一日経てば戻るんじゃないか? どうせアグネスタキオンあたりの仕業だろ?」

 

 そうであるならばどれほど良かったことか。

 

「…………いえ」

 

「……え? いやいや、じゃあやっぱりドッキリか? 本当は入れ替わってないけど、今日一日入れ替わってたフリしてましたー、とか……」

 

「…………」

 

「……嘘やん」

 

 沈黙を貫くと、つい先程までヘラヘラしていたトレーナーさんの表情が途端に凍りつく。そろそろ彼も察したようだ。

 

 元に戻る方法は未だ不明ということに。

 

 ニヤつき顔から一転、徐々に真顔になっていったトレーナーさん。

 

 西日が眩しい夕暮れ刻、カラスの阿呆な鳴き声が私達を嘲笑う。

 

「……あっ、逃げないでください! 一生面倒見るって約束じゃないですか!」

 

「そうですわ! 私達と貴方は一心同体!もちろん戻し方も一緒に見つけてくれますわよね?」

 

「は、放せこのバカ力共! 何が一生面倒見るだ! 何が一心同体だ! 都合のいい時だけそんな言葉使うんじゃねぇよ!」

 

 フェンスにしがみつくトレーナーさんは、私達にも負けず劣らずの力を発揮して抵抗を見せる。ウマ娘二人がかりですら手こずる彼の底力とは一体……。

 

「くそっ……なんで毎回こんな面倒ごとに巻き込まれないといけないんだ……よ! おわっ!?」

 

「きゃっ!?」

「きゃあ!?」

 

 トレーナーさんが無理やり身体を捩ったせいでバランスを崩し、私達三人は盛大にこける。

 その際またしても頭部に衝撃が走り、意識が薄れかけて──

 

 

 

 

「──は」

 

 急激な覚醒と先の頭部への衝撃により、思考の回転が乱れる。それを我慢してどのくらい気を失っていたのかを確かめるために周囲を見回すと、同じく横に伸びていたダイヤさんとトレーナーさんがいた。…………ん、ダイヤさん?

 

 すぐさま目を下に向けると、そこには長年親しんだ己の身体があり──

 

「戻った! 戻りましたわ! ダイヤさん、目を覚ましてくださいまし! 私達身体が元に戻りましたわ!」

 

「……ん」

 

 嬉しさのあまりすぐさま伸びていたダイヤさんの方へと駆けつける。

 そんな彼女はというと、ゆっくりと開けた気だるげな目で周囲を見回し、トレーナーさんの方を見たところで顔を青ざめさせた。

 

「あ、あの、ダイヤさん? どうかされましたの?」

 

「…………あっ、あっ……えっ?」

 

 口をぱくぱくとさせるばかりで一向に彼女は言葉を発しようとしない。

 

 

 ……いや、まさか。そんなはずはない。だって私は元に戻ったんだ。彼女が驚いているのは別の理由なはず。

 

 

 そんな現実逃避も虚しく、

 

 

「見てください! 私、トレーナーさんになってます! マックイーンさんの次はトレーナーさんです!」

 

「ダ、ダイヤだよな? 僕の身体で普段僕がしないような笑顔を振り撒きながらトリプルアクセルしてるのはダイヤだよな!?」

 

「はい、私がサトノダイヤモンドです!」

 

「は……はぁぁ!?」

 

 どうやら今度はトレーナーさんとダイヤさんが入れ替わってしまったようだ。

 そんな『ですよね』と言わんばかりの結末に思わず頭を抱える。

 

「はっ! 私がトレーナーさんになった今、マックイーンさんからいただいたトレーナーさんの盗撮写真集はもう必要ないのでは……?」

 

 あ、まずい。

 

「……は? ちょっと待てよ、あいつなんか今とんでもないこと言わなかった? おい、こっちを向けよマックイーン。ちょっと話がある」

 

「お断りします」

 

「お断りしますじゃないんだが!? なんだよ盗撮って! 最近感じる視線ってまさかこれのことか!? てか合鍵だの盗撮だの君らもっと別のところに労力割けよ!!」

 

「ト、トレーナーさん、それはもっと大胆な行動を許すということでしょうか? 分かりました! ダイヤ、これからお手洗いに向かってトレーナーさんのお身体を隅々まで確認して──」

 

「やめろやめろやめろ! それだけはやめろ! 女子中学生に己の身体まさぐられるってどんな羞恥プレイだよ! マックイーンも見てないで止めるの手伝って……おい帰るな! 分かった、盗撮の件は甘んじて許す! だからダイヤを止めるの手伝ってくれ!!」

 

 トレーナーさんはダイヤさんの声で悲痛な叫びをあげ、なんとかしてダイヤさんの行動を阻止しようと必死だ。

 

 正直な話、こんな光景は日常茶飯事。誰かが問題を起こし、誰かが酷い目に遭い、誰かが予想もつかない行動をする。

 

 それらを踏まえて、一言だけ言うことがあるとすれば、

 

 

「……今日も平和ですわねぇ」

 

 

 





ブルアカのssを書きたかったけど二ヶ月くらい何も思い浮かばなかった私を殺してください。


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"Be with you"
なんだこいつ


お久しぶりです。このお話を投稿し終えたら、『名家のウマ娘』シリーズは完全終了です。よろしくお願いします。

95話分岐ルート
トレーナーが事故に巻き込まれなかった世界


 

 

 

「トレーナーさん、これはいつの日のものですか?」

 

 ダイヤが見せてきたものは、古びた一枚の写真だった。ふと彼女の後ろにある机に視線を向けると、そこには一冊のアルバムが置かれてある。

 

「……一応さ、今って年末の大掃除中なんですけど。ダイヤ、君だけサボって何してるの」

 

「うっ、そ、それはですね……。トレーナー室の本棚の奥に見慣れないアルバムがあったものでつい……それに、普段滅多に写真に映ろうとしないトレーナーさんが映ってる珍しい写真だったもので……」

 

 ダイヤは両手の人差し指をいじいじと合わせて目を逸らす。なんだそれ、ちょっと可愛いな。

 

 彼女の言う通り、この写真はほとんど人目につかせたことはない。そのため、見慣れないこの写真は彼女の大いなる好奇心を刺激してもしまったのだろう。

 

「それで、この写真は一体どういうものなんですか?」

 

「……これはな、忘れもしない僕と──」

 

「ちょっとお二人とも! 何をサボっていますの!? 私ばかりに掃除させて不公平ですわよ! 私も仲間に入れてください!」

 

 頭に三角巾を巻いて箒を持ったマックイーンが半ギレでのしのしと僕らの方へと向かってくる。山で遭遇する熊より圧あるだろこれ。

 

「いやなに、懐かしい写真をダイヤが掘り出してな」

 

「懐かしい写真? ええっと……まぁ、これは!」

 

 その写真には、一人のウマ娘と一人のトレーナーの姿がある。片や一方はトレーナーを引き寄せ、片や一方はそんなウマ娘に無理矢理と言わんばかりの引き寄せられかたをしている。その写真だけで見たらまるでツーショットを強要されているかのようなものだ。

 

「な? 懐かしいだろ?」

 

「ええ、とても。あの日のことは昨日のことのように思い返せますわ」

 

「僕もさ。君との交わした初めての会話、あの言葉は今でも夢に出てくるよ」

 

「……? 初めての会話とは…………あっ! わ、忘れてくださいまし! あの時の私は余裕が無かったというか、まだ精神的に幼かったというか……!」

 

「一語一句覚えてるよ。『貴方のような──』」

 

「わあああああああああ! ああああああああああああ! 破棄! 契約破棄ですわ!」

 

「…………むぅ」

 

 僕とマックイーンが二人でキャッキャしている(主にマックイーンを揶揄っているだけなのだが)と今度はダイヤが不機嫌になる。

 

 それはそうだろう。自分の知らない話を目の前でされたらつまらなくもなる。

 ここまでの会話、ダイヤが付いて行けてるかと言われたらそれは絶対に無い。

 

 なぜならこの一連の会話、もといこの写真はというと──

 

「これは僕とマックイーンが契約を交わした時に撮った写真だよ。撮らされたって言い方が正しいかもしれないけど」

 

「トレーナーさんとマックイーンさんの……むぅ」

 

「えっ、なんでまた不機嫌になるの? ちゃんと説明したじゃん」

 

「知りません! 私の知らないところでトレーナーさんとマックイーンさんが仲良くしてるなんて知っても全然……ぜーんぜん悔しくなんてありません!」

 

「えぇ……」

 

 どうすりゃええねん。乙女心というのは難解だ。

 

「……それはそれとして、トレーナーさんとマックイーンさんの出会いには興味があります」

 

「どっちだよ。いや、別に面白い話なんて無かったぜ? 強いて言うなら、さっきちらっと話したけどあの頃のマックイーンの──」

 

 と、そんなマックイーンの面白話を披露しようとすると、

 

「知りたいんですの!? ダイヤさん、私達の馴れ初めを知りたいんですの!?」

 

「急にしゃしゃるんじゃないよ。ていうか、言い方に気をつけろ。今の発言が誰かに聞かれたら僕の首が飛ぶからな」

 

「まあ良いではありませんか。その時はメジロ家で専属トレーナーとして雇用してあげますわ。お婆様も大歓迎ですのよ?」

 

「雇用……? 軟禁の間違いでは……?」

 

 きっと、冗談でもなんでもなく本気でこれを言っているのだから怖い。

 ダイヤもそうだが、デカい家のお嬢様というのは時たま本気でとんでもないことを言い出すので常に注意が必要だ。

 

「まあそれは置いておいて。ダイヤさんには私達の出会った頃の話をしなくてはなりませんわね。トレーナーさんが!」

 

「お願いします!」

 

「僕がするのね。いや別にいいんだけどさ。本当に面白い話なんてないんだが、どこから話すべきか……。そうだな、あれは僕がリギルのサブトレーナーを終えて、新人としてフリーだった頃──」

 

 

 

***

 

 

 

 模擬レースをダラダラと眺め、今日も今日とて怠惰な一日を過ごす。

 

 リギルのサブトレーナーとしての研修期間を終えて完全にフリーとなった今、新たな担当ウマ娘を探さなければならない。

 

 トレーナーとウマ娘が契約を結ぶ方法は様々で、選抜レースなどを見てスカウトしたり、契約前に気が合ってウマ娘から逆スカウトされたり、名家ともなると専属のトレーナーが配備されたり、リギルなどの有名チームに入るために試験を受けたり、etc……

 

 

「…………無理だよなぁ」

 

 

 そんな独り言が漏れてしまうほどにこの状況は切羽詰まったものとなっている。

 

 契約を結ぶに当たってまず大事なのはファーストインプレッション。声の掛け方、話し方等間違えた暁には結べる契約も結べなくなる。

 

 そして、自慢じゃないが僕は知らない人と話すのが苦手だ。それが年下の少女ともなるとどういう風に接していいのかすら分からない。よくそんなんでトレーナーになれたなって? 分かる、僕もそう思う。

 

 幸いなことに、たづなさんのご厚意によって契約を結ばないといけない期限は伸ばしてもらっている。

 とはいえ、勘のいい人には気づかれるかもしれないが、こんなのは問題の先延ばしだ。どうせ期限近くになっても、未来の僕はだらけているのだろう。

 

 とはいえ、担当ウマ娘を雑に決めることだけはしたくない。ここの妥協だけは絶対に許されない。

 

 そんな信念と呼べるのか怪しい何かを抱きながら、今日もぼーっと選抜レースを見ていると……

 

「……おお、やるなあの子」

 

 ポニーテールが特徴的な、見るからに元気っ子といった印象を受けるウマ娘が後続をぐんぐんと突き放しぶっちぎりの一着でゴール板を通過する。

 

 そんなレースをしたにも関わらず、余裕の笑みを見せる彼女は明後日の方向に手を振った。

 

 その先にいたのは生徒会長であるシンボリルドルフ……ああ、なるほど、あの子がルドルフの言っていた子か。ええと……たしか名前はトウカイテイオーだったかな? ありゃ才能の塊だ。

 それに加えて日々の努力もたゆまないとルドルフから聞く。既に他トレーナーから多数のスカウトを受けてるようだ。しかし、

 

「あらゆるスカウトをガン無視してルドルフ一筋か……ちょっと他のトレーナーが可哀想だな」

 

 こんな時、ルドルフだったら『前途洋々、彼女の未来にはあらゆる可能性がある』とでも言うのだろうか。どちらかと言えば、他は眼中に無いとでも言いたげな目をしているが。

 

「…………あ、次のレース始まった」

 

 今度は芦毛のウマ娘が逃げで先手を取っている。悪くない走りだ、このままの走りを維持できたら一着を取れるだろう。

 

 しかし言わずもがな、レースというのは何が起こるか分からない。最終直線に入った途端にその子は走りの調子を崩し、三着という結果で幕を閉じた。

 

 逃げという作戦はかなりプレッシャーがかかる。後ろが見えない、なのに出走するウマ娘分だけの圧を感じる。あの子はそれにやられたのだろう。

 それでも走り切れるのなら、あるいはそれを利用できるのなら彼女はもっと伸びる。

 

 そんな担当でもないのに評価した偉そうなことを心中にしまい、レースの観戦を続ける。

 

 そんな彼女達の走りを見ていると、つい昔のことを思い出してしまった。学生の頃に出会ったあのウマ娘、最後のレース以来一度も会ってないけど元気かな、と……

 

「おわっ!? な、なに、この歓声!?」

 

 過去に思いを馳せて黄昏ていると、周りのトレーナー達がドタバタと動き出す。

 彼ら彼女らも僕と同じで担当ウマ娘をスカウトしにきた身の上だ。

 

 そんな人間達が一斉に動きを見せたということは、考えられることは一つ。

 

「素晴らしい走りだった! 是非俺に君を担当させてほしい!」

「あなたとならいい関係が築けそうなの! 私の担当ウマ娘にならない!?」

「ヘイユー! 実にファンタスティックなレースだったネ! ミーと一緒にトゥインクル・シリーズのトップを目指さないカイ!?」

 

 まあそうだよなと言わんばかりに、複数のトレーナーが一人のウマ娘に群がっている。

 おそらくだが、直前のレースでとんでもなく印象的な走りをした子がいるのだろう。ここまでの人気だと、考え事をしていてレースを見ていなかったことを少しだけ後悔する。

 

 でも、あれほどの人気を誇っていると僕の入る余地は万が一にも無さそうだ。

 スカウトをしているトレーナーの中には、僕と同じ新人もいれば、中堅トレーナー、さらにはベテランのトレーナーも混じっている。名前は知らないけど、あのベテランの担当になれば少なくとも重賞を勝つことは固いだろう。

 

 だが、

 

「……なんだかなぁ」

 

 さすがの僕もどんなウマ娘かは気になるが、あのトレーナー群を押しのけてまでの行動力はない。

 人混みが嫌いすぎるが故、初詣にすらもう何年も行ってないような人間だ。才能のあるウマ娘にお近づきになれないのは残念だが、ここは一つ引き下がるとしよう。

 

 後腐れがないようにスパッと諦め、けたたましいターフを後にする。

 

 さーて、担当するウマ娘をどう探したものか。

 

 

 

***

 

 

 

「……おかしいだろこれ……絶対新人トレーナーがやる仕事じゃないだろ……」

 

 ウマ娘用の備品の管理、テストの採点、ターフの整備等々。担当を持っていないトレーナーにはおおよそトレーナーがやるような仕事とは思えないことを日常的にこなすことを義務付けられている。

 これがなければただの穀潰しなのでやらざるを得ないが、それにしても雑用感が半端じゃない。

 

 しかも人手が足りなくなったら担当を持ってもこれをやらなければならない可能性があるとのこと。あれ? この職業もしかして相当ブラック?

 

 泣き言を言っても何も始まらないので、ぶつくさ文句は言いながらも今日の分の仕事を淡々とこなす。時間が経てば経つほど効率は良くなり、それと反比例するかの如く精神は虚無に陥っていく。

 

 何時間が経っただろうか、先が見えぬ街道も歩き続けばいつかは終わりが来るように今日の分の仕事も一区切りがつく。

 あとはこの備品をグラウンドのそばにある倉庫に片付けたら終了だ。

 

「よっ、こらせっと! おっし、これで終わりだな。さっさと帰って寝……ん、足音……?」

 

 今の時刻は夜の11時を回っている。灯りはついているものの、大体のウマ娘はトレーニングをとっくに切り上げて自室にいる時間だ。

 そんな時刻だというのに、ターフの方からは足音がする。いや、確かにこれは足音だが走っている時の……

 

 

「ふ──」

 

 

 瞬間、目の前のコースを一人のウマ娘が駆け抜ける。

 彼女の走りについ目を奪われてしまい、時間が止まったかのような錯覚に陥ってしまう。

 

 可憐で優雅、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿はなんとやらと言わんばかりに。

 

 しかし、そんな印象を受ける彼女の走りには、どこかノイズが混じっているかのように見えて──

 

 

「……格好からして学園のトレーナーと見受けられますが、私に何か用がありまして?」

 

 走り続ける彼女を眺めていると、その子は視線に気がついたのか僕の近くになるとスピードを落として話しかけてくる。

 

「いや、いい走りするなと思ってね。トゥインクル・シリーズではまだ見たことないし、その様子だとデビュー前かな」

 

「ええ、貴方の察する通り、私はまだデビュー前ですわね」

 

 やはりか。現トゥインクル・シリーズで活躍するウマ娘ならほとんど調べ上げているが、デビュー前の子はまだまだ勉強不足なところがある。

 スカウトする立場にあたって、こういうところは見直さなくてはな。

 

「どの道、才能に恵まれて人一倍努力している君なら引く手は数多だろうさ。いや、とっくにスカウトを受けてたりもするのかな? まあ、今後君が活躍するのが楽しみだよ」

 

「……ふん」

 

 おっと、何か気に障ったかしら。彼女は見るからに不機嫌気味だ。

 

「そういえば貴方、昼間の間に私にスカウトを持ちかけていませんでしたわね」

 

「昼間? なんのこと?」

 

「……えっ? いや、模擬レースの後唯一私に声を掛けずに去っていたではありませんか!」

 

 昼間……模擬レース……あっ!

 

「あっ、君か! めちゃくちゃトレーナーに囲まれてオファー受けまくってたのって!」

 

「『あっ、君か!』ではありませんわよ! 貴方も私のレースをご覧になっていたのではありませんの!?」

 

「いやすまない、ちょうどあの時考え事しててね。見てなかった」

 

「な……っ、私のレースそっちのけで……」

 

 まるで世界の終わりかのような衝撃を受ける彼女。よほど自分に自信があったのか、それともあのレースは僕が想像するよりもずっといいものだったのか。

 

 それにしてもこの子は周りをよく見ている。あの状況、迫り来る他のトレーナーしか目がいかないだろうに、遠目で見ていた僕にすら注意が効くなんて。

 この観察眼はきっとレースにも活かせるはずだ。

 

 この子を担当できる人はきっと幸せ者なんだろう。羨ましいと言ったらありゃしない。

 

「……少し期待した私が大バカ者でしたわね」

 

「ん、なんて?」

 

 割と近距離だったのだが、聞き取れないほど小さな声で彼女は何かを言い溢した。それに思わず聞き返すと、

 

「不合格」

 

「……はい?」

 

 今なんて言った? 僕の耳がおかしくなったのか? 急に不合格通知を突きつけられた気がしたんだが……

 

「聞こえませんでしたの? 不合格ですわ」

 

「ええっと……なにゆえそのような評価を? というなんで急に……」

 

 彼女はそんなことも分からないのかと言わんばかりのため息をつく。

 

「レースに対しての不真面目な姿勢。所詮、貴方も先のようなくだらない有象無象となんの変わりも……いえ、それ以下ですわ」

 

 一瞬言われた意味が分からなかった。しかし、会話の流れからして僕が罵倒されていることだけははっきりと分かる。

 

 

「分からないのならはっきりと言いましょう」

 

 

 そんな彼女は僕を見下ろすかのような視線を向け、強い口調で言い放つ──

 

 

「貴方のようないい加減な方では、私のトレーナーにはなり得ません! 出直してくるといいですわ!」

 

 

「な、な……」

 

 なんだこいつ……ッ!

 

 

 



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人生の分岐点

 

 

 

「貴方のようないい加減な方では、私のトレーナーにはなり得ません! 出直してくるといいですわ!」

 

 

 芦毛のウマ娘は、強い口調でそう言い放つ。そんな彼女の目は本気も本気だ。

 

 先の発言から察するに、レースを真面目に見てなかった僕のことを、この子はレースに真摯ではないトレーナーと受け取ったのだろう。そんなこと言われても困るんだが……

 

 いや、それよりも。

 

「僕、君のことスカウトしてるわけじゃないんだけど……」

 

「……はい?」

 

『はい?』じゃないよ。いつ僕が君を担当させてほしいとか言ったんだ。

 

「で、ですが私のことをデビュー前と察して話しかけたのは……」

 

「いや、普通にいい走りするなーって」

 

 ああ、なるほど。彼女は昼の間に嫌と言うほどスカウトを受けたはずだ。そんな彼女にとって、走りを褒める怪しい男が近寄ってきたら『またか』と思うのも無理はない。

 

 自分の勘違いに気がついた彼女は、みるみる顔を赤くさせてその場に蹲──

 

「あ、危な……」

 

「……大丈夫……このくらいなんともありませんわ」

 

 ふらっと倒れ掛けたその子に歩み寄るも、すぐさま手をかざされて拒絶される。

 見るからにその子の顔色はあまり良くない。これ以上トレーニングを続けさせるのは危険だ。

 

 そして、それが先程から走りに出ているのを、僕は知っている。

 

「君、名前は?」

 

「……貴方に名乗る名前はありません」

 

「オーケー、じゃあそれでいい。単刀直入に言おう、今すぐその無理な食事制限をやめるんだ」

 

「なっ、ど、どうしてそれを……!?」

 

「見てれば分かる。直前の立ちくらみもそうだけど、綺麗なフォームだからこそ歪に目立つ重心の不安定さ。さっき走りを見てた時に一番にその考えにたどり着いたよ」

 

 実際、不安定ではあった。いい走りはするも、どこかバランスが取れていない危なっかしい走り。

 

「どうせ夜ご飯も食べてないんでしょ? しょうがない、今から食堂に行こう。もう閉まってるだろうけど、おばちゃんにお願いして特別に開けてもらうこともできるだろう」

 

「……貴方は」

 

「今日は確かB定食が一番ヘルシーだったかな? ちゃんと食べてちゃんと寝ないと、今後に響──」

 

「貴方は……ッ!」

 

 そのウマ娘は大きな声を出して僕の声を遮る。

 

「貴方は、一体何者なんですの……?」

 

「……そうだな」

 

 自分が何者かなんて考えたことはない。そんな哲学的な話は御伽噺や神話だけで十分だ。

 

「ただの新人トレーナーだよ」

 

「……俄には信じられませんわね」

 

「いいから早く行こう。じゃないと君のお腹と背中がくっつくぜ?」

 

「なっ!? 私はそんなに食いしん坊ではありませんわ! もう、そんなに引っ張らないでください……」

 

 

 またしても拒絶されるかと思ったが、彼女は僕の手を振り解くことはなかった。少し格好つけすぎたかなと思ったけど、ここで冷静になってしまっては余計に恥をかくだけなのは目に見えている。

 多少強引で格好つけてても、目の前で困っているこの子が体調を崩さないで済むならそれでいい。

 

 

 

 おばちゃんはとっくに帰っており、食堂は開いてなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぁ……ねむ……」

 

 朝一に学園付近のカフェで朝食セットを胃に流し込みながら独り言を漏らす。

 

 朝っぱらでまだ人がいないというのに、真ん中は落ち着かないと端っこに座るそれは優雅な朝とはとても言い難く、側から見れば死に体のゾンビに見られてもおかしくない。ゾンビは既に死んでるか。

 

「ダメだ、カフェイン足りん……」

 

 眠い。とにかく眠い。なんかもう、帰って寝たい。

 朝起きてからそんなことしか考えられないほど、今日は頭が働いていない。

 

 しかし悲しいことに、体調が悪いというわけでもないので結局学園には出勤しなければならない。いや、寝不足も体調不良の一種なのではないか? やっぱり帰って寝ようかな。

 

 冗談はさておき、なぜこんな寝不足になっているかというと、それは先日の出来事が関係している。

 

 芦毛のウマ娘を連れて食堂に向かうも、既に夜の11時を回っていたため開いていなかった。

 そこで、たづなさんや警備の方々に無理を言って食堂のキッチンを使わせてもらい、簡単な料理を振る舞ったわけだ。

 

 これでも料理は得意な方だと自負している。最初は半信半疑な様子の彼女だったが、出された料理を口にするとそれまで気を張っていたかのような彼女の表情が和らいだような気がした。

 それだけで料理を作った甲斐があったというものだ。

 

 とはいえ、それは僕の睡眠時間を削って行ったこと。食し終えた後、学生である彼女にはさっさと寮に戻ってもらい、片付けや掃除、施錠までの諸々をしているとかなりの時間を食ってしまった。

 

「もういっそ、あのまま一夜を食堂で過ごした方が良かったんじゃないか……?」

 

 そんな独り言が漏れるほどには気が緩んでる。もう何度目か分からないほどコーヒーの入ったカップに口をつけると、

 

「いや、それは流石にやめといた方がいいんじゃない?」

 

「そうだよなぁ……っておわっ!? ビックリした……えぇ、だ、誰?」

 

 いつのまにか一つ席を空けた隣に座っていたお姉さんに先の冗談を真っ向から否定された。

 

 斜めに被った黒いキャップと茶髪のロングヘアーで片方の目を隠すファッションをしているその女性は、妖艶っぽさが目立つ見た目をしており、どこか異様な雰囲気を漂わせている。

 

「うん……やっぱりここのコーヒーは美味しいね。昔からのお気に入りなんだよ」

 

「は、はぁ、さいで……。というかあなたは誰なの……?」

 

「かつての私はここでよく友人達と朝食を摂るのが日課にしていてね。目的を果たす為にここへ来たんだけど、その寄り道にしては随分な収穫だ」

 

「本当に誰なの……」

 

 過去に思いを馳せる気持ちは分かるが、少しは僕の言葉にも耳を傾けてほしい。知らない人に長々と昔話を語られても反応に困る。

 

「おや、私としたことが自己紹介を忘れていたね。昔から私は目の前のことに集中しすぎるがあまり、周囲への注意が疎かになるきらいがあるみたいだ。ごめんね」

 

「別にいいすけど……んで、音もなく近くに座って僕に話しかける変わり者のあなたは結局何者なんすか?」

 

「うん、よくぞ聞いてくれた。私の名前は三葉夕。三つの葉っぱに夕方の夕と書いてミツハ・ユウ。これでも一応トレセン学園でトレーナーを生業としているよ」

 

 僕の皮肉に一切触れることなく彼女は淡々と自己紹介を続ける。なんだこの掴みどころのない人は。やりづらいったらありゃしない。

 

 にしても、この女性は学園のトレーナーらしい。つまり同僚ってことだ。

 

「はぁ、そんで三葉さん」

 

「ミッちゃんと呼んでほしいな」

 

「三葉さん、僕になんか用があるんすか?」

 

「釣れないなぁ……どうしてそう思うの?」

 

「こんなにも席が空いてるのにわざわざ僕の近くに座るんだ。このくらい疑いはしますよ」

 

「単純に私が会話好きなだけかもしれないよ?」

 

「だとしたら相手を間違えましたね。僕は知らない人との会話は苦手だ」

 

「……へぇ」

 

 寝不足故に語気が多少荒くなってしまった。これじゃあ昨日のあの子に何も言えないな。

 

 ところが、三葉は機嫌を悪くするでもなく、むしろ何か面白いものを見つけたかのような反応を見せる。

 

「ああ、あれだ。堅苦しいのは話し方は無しにしよう。私も新人トレーナーだし、なんなら私の方が年下だろうからね」

 

「後輩なら普通そっちが敬語を使うのでは……? いいんだけどさ、別に。あー……一応僕も自己紹介を──」

 

「いや、その必要はないよ。君のことは既に知っている」

 

「……? それはどういう……」

 

「リギルの元サブトレーナー、そして今は新進気鋭の新人トレーナー。過去には学園でトレーナー紛いのこともしていたそうじゃない」

 

「えぇ……なんで知ってるの……」

 

「私の情報網を舐めない方がいい。むしろ、学園の関係者や学園内の出来事ならなんでも知っている」

 

「怖い……」

 

 あんたはどこの臥煙さんだよ。もうトレーナーじゃなくて情報屋として商売した方がいいんじゃないかな。というか最後のに至っては機密情報だぞ。

 

「それにしても先輩君、ものすごい隈だけど昨日何かあったの?」

 

「先輩君て……まぁいいか。あんた、さっき学園内の出来事もなんでも知ってるって言ったよな? なら、この隈の原因も分かってるんじゃないか?」

 

「何があったかは知っていても、事細かな内容については流石の私でも知り得ないよ。それに、こういうのは本人の口から聞くから面白いんじゃん」

 

「冗談のつもりだったのにさも知ってる風な口叩き出したぞ……しかもこいつ僕の寝不足の原因を面白いとか言い出した……」

 

「細かいことは置いておいて、何があったのか話してみてよ」

 

 隠すこともなく嫌そうな顔を全面に押し出しているはずなのに、目の前の彼女はそれ微塵も気にしていないのか、今か今かと子供のような目つきで僕が話し出すのを待っている。

 

 面倒ではあるが、別に敢えて話さないという理由もないので、今抱えている問題も含め昨日の出来事をポツポツと話した。

 新しくウマ娘を担当しなければならないこと、昨日出会ったウマ娘のこと、そして睡眠時間を削って彼女の栄養管理をしたこと。今思い返してみるとかなりお節介だな。

 

 大体話し終えたくらいで、黙って聞いていた三葉は心配するような顔を向ける。

 

「……まぁ何かな、私が話せと言っておいてなんだが君は少々警戒心が足りないんじゃない?」

 

「別に聞かれて困るようなことはしてないからな。それに、僕がリギルのサブトレーナーをやってたことを知っている人は多くないし、学園の関係者なことは間違いないからある程度信用できる」

 

「ふむ、やっぱり君は面白いね」

 

 どこを持って面白いと評価されたのかはわからないが、どうやらこの返答は三葉の満足のいくものだったらしい。

 

「…………道理でセイちゃんとの相性とも良いわけだ」

 

「誰? セイちゃん?」

 

「いや、心当たりがないならそれでいい。それより先輩君、面白い話を聞かせてもらっておいてなんだけど、そろそろ学園へ向かった方がいいんじゃないの?」

 

「……? いや、まだ結構時間あるけど……」

 

 予定していた時間よりは随分と余裕がある。三葉の言う通りすぐに学園向かうのも悪くはないが、今はこのコーヒーの余韻を楽しみたい。

 

「なら言い方を変えよう。君は今すぐ学園へ向かうべきだ」

 

「……どうしてそう言い切る」

 

「きっと面白いことになるから」

 

「聞いた僕がバカだった」

 

 さっきから癪に触る。のらりくらりと会話の核心を避け、こちらを全て見透かしたように話す。まるで、僕のことを嘲笑っているかのように。

 

「いいの? ここは君にとっての人生の分岐点だ。それに言ったでしょ?」

 

 でもどうしてかな。理性ではこいつの言うことは聞かなくていいと分かっていても、本能はそれとは真逆の答えを出している。

 

「私はなんでも知っている、って」

 

 

 

 ***

 

 

 

「……あら、おはようございます。お待ちしていまし……なんですの、その顔」

 

「将来の不安に苛まれてる顔」

 

「は、はあ……大変ですのね、色々」

 

 あの後、結局三葉トレーナーの助言という名の何かに従ってトレーナー室へ向かってみれば、そこには昨日会ったウマ娘が待ち構えていた。

 彼女は面白いことになるとほざいていたが、それに目の前の子が関係するのか否かは分からない。

 

 そんなことを考えていると、その子は急に頭を下げる。それを見て、つい何事かと身構えてしまった。

 

「まずは先日の件について謝罪とお礼を。とても初対面とは思えないような態度を取ってしまい申し訳ございません」

 

「あ、ああ……いや、僕の方こそ悪かった。トレーニング中だと言うのに不躾にガン見してしまって」

 

「ふふっ、見られることには慣れていますわ。後、減量について指摘してくださってありがとうございます。あのままだと確実に倒れていましたわ」

 

「それは本当に気をつけて……」

 

 僕もトレーナーだから分かるが、個人差はあるもののアスリートの減量というのは想像を絶する過酷さを伴う。

 ましてや、目の前の彼女が行っていたであろう短期的な減量はパフォーマンスだけでなく健康面にも影響が出てくる。

 例え担当のウマ娘でなくても、未来ある優秀なウマ娘がそんなことをしていたら口を出したくもなる。

 

「そういえばよく僕のトレーナー室が分かったね」

 

「ええ、昨晩家の者に調べさせましたもの」

 

「そうか……ん? "家の者"? "調べさせた"?」

 

 その言い方だとまるで召使いのような人がいるかのような言い方だ。

 その疑問をぶつけると、彼女は何を当たり前のことと言わんばかりに首を傾げる。

 

「そうですわよ。あら、貴方にはまだ名乗っていませんでしたわね」

 

 メジロマックイーンはきゅっと上履きを鳴らして僕に対面する。

 

「私の名前はメジロマックイーン。今日は貴方に一つ、お願いがあってここに参りましたわ」

 

「メジ……ッ!?」

 

 メジロと言うと、十中八九あのメジロ家のことだろう。僕のような一般市民とは住む世界が違う、格式も伝統もある有名な家柄だ。

 そして、目の前の彼女はメジロと名乗ったからにはそこの令嬢であることを意味している。正直な話、冷や汗が止まらない。

 

「だ、大丈夫ですの? 急に顔色が悪くなったように見えますが……」

 

「あ、ああ、問題ない。少し驚いただけ……」

 

 昔、ルドルフからメジロラモーヌの話をよく聞かされた。それ故に警戒せざるを得ない。

 

 とはいえ、ずっとこの調子だと話が進まない。一通り気分を落ち着かせ、再びメジロマックイーンに向き直る。

 

「それで、メジロマックイーン。さっきお願いがあると言っていたけど──」

 

「よくぞ聞いてくれましたわ! 貴方の腕を見込んで頼みがありますの!」

 

 お、おう。この令嬢結構ぐいぐい来るな。

 

「僕の腕を見込んでって……別に大したことはしてないぜ? それこそ実績も何もないのに、見込む腕だって持ち合わせていない」

 

「あら、実績なら十二分にあると思いますわよ? なにせ、昨晩の私の体調を一瞬で見抜いたではありませんの」

 

「あんなの見れば誰だって分かる。明らかに体調悪そうだっただろ」

 

「だとしても、普通あれだけで無理な減量をしていたという結論には至りませんわ。それに、走りに影響していたことも指摘してくださいました」

 

「僕がテキトー言っただけかもしれないぜ? そんなことを実績と言うにはあまりにも小規模が過ぎるでしょ」

 

 僕にだって実績が全く無いわけではない。だが、どれもこれも自分の力ではないので胸を張って言えるようなことはほとんど無い。

 

「ぐぬぬ、手強いですわね……。ですが、今回は私でも知っている貴方の確たる実績を見込んでの話です」

 

「は? いや、君と会ったのは昨日今日なんだから君が知ってることなんて──」

 

「あります。昨晩、私に何をしてくださったのか覚えてませんの?」

 

「昨晩って…………まさか」

 

「……実は私、お察しの通り太りやすい体質なんですの。ですが、貴方の料理の腕前を知ってしまったからにはお願いせざるを得ません」

 

 やめろ、それ以上は聞きたく無い。

 

 これが普通のウマ娘相手ならこれほど気負う必要もなかった。

 しかし、相手はあのメジロ家だ。下手な真似はできない上に、失敗したら首が飛びかねない。

 未来あるウマ娘の将来は大切だが、それと同じくらい己の命も大切。

 

 やはりここは心を鬼にして断ろう。とりあえず優先すべきは自分の命のことだ。

 

 

「どうか、私の減量を手伝っていただけませんこと?」

 

 

「…………しょうがねぇなぁ」

 

 そんな小動物みたいな顔で懇願されたら断れないだろ。甚だ己の意思の弱さに呆れ返る。

 

 どうして僕はこう、ウマ娘と奇妙な関わりしかできないのか。

 

 

 はぁ、低カロリーのヘルシーメニューのバリエーション、増やしとかないとなぁ……

 

 

 

 

 





・三葉 夕(ミツハ ユウ)

自称学園のことをなんでも知っているお姉さん。実際に学園のことはよく知っており、どうしてそんなことを知っているのかということまで把握している不思議な力を持つ。
一色星羅とは同期のトレーナーであり、右目を隠すように深く被るキャップ型の帽子が特徴的。性格は誰かさん達と違い大人っぽく、外見もお姉さんと呼ぶに相応しいそれである。
駿川たづなや一色星羅とよく話す仲らしい。

担当ウマ娘はマヤノトップガン。



本来新しく書くシリーズのトレーナーとして登場させるつもりだったのですが、時間的に余裕がなさそうなのでここで供養させていただきます。



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また明日

 

 

 

 時刻は20時を過ぎており、トレーニングを続けているウマ娘はほとんどいない。

 そんなグラウンドへと足を運びあたりを見回してみると、人気の少ない中でもやはりその中に目当てのウマ娘はいた。

 

 うん、初めて走りを見た時よりだいぶ安定している。少なくとも健康面への影響はほとんど無さそうだ。

 

 

 メジロマックイーンとの奇妙な関係が始まって一ヶ月近くが経った。

 最初のうちは気が重く、レシピを渡す時になったらビクビクしていたが、いつのまにか自然体で過ごすことができていた。

 

 基本は料理のレシピを渡すだけなのだが、たまに食堂のキッチンを借りて料理をすると、彼女は美味しそうに食べてくれる。それだけでだいぶ緊張も解れるというものだ。

 加えて、増量してしまったという報告もないので、計画は概ね上手くいっているのだろう。

 

 

 それこそ、夜中につまみ食いとかしない限りは問題ないはずだ。

 

 

「……案外やっていけそうかも」

 

 実際、この調子だと何も問題はない。むしろここまで上手く行きすぎていると、のちにしっぺ返しが来るのではと怖くなる。

 

 

「はぁ〜い、トレーナー君」

 

「ん……やあマルゼン、久しぶり」

 

 メジロマックイーンの走りを眺めていると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。その方向に視線を向けると、そこにはリギルのメンバーであるマルゼンスキーがいた。

 

「もう、水臭いじゃない。君がトレーナーとしてフリーになってからというものの、一度も顔を見せないなんてあんまりよ?」

 

「別に僕がいなくたって、リギルは東条トレーナーだけで十分だろ。それに、フリーの新人トレーナーとしてやっていこうとしても担当の子が中々決まらなくて余裕無いんだよ」

 

「まだ決まってなかったの? 君ならすぐにでも決めてもう優秀な子を育ててると思ったわ」

 

「あまりにも買い被りすぎだろ……リギルのサブトレーナー時代に僕がなんて言われてたか知ってるか? 『チーム〈リギル〉の金魚の糞』だぜ? 名前は覚えてないけど、同期の奴が陰でボロクソに言ってたからな」

 

 陰でボロクソ言っているのを言われている本人が知ってるというのもどうなのかという話だが、強く否定もできないためあの時は黙ることしかできなかった。今でも別にどうこう言うつもりもない。

 

「そうだったわね。でも大丈夫よ、それを最初に言い出した人はもうこの学園にはいないもの」

 

「……ん? あ、あの、マルゼン……さん? それってどういう意味でいらっしゃいます……?」

 

「……ちょっとルドルフと理事長さんにちょちょい、とね?」

 

「お、お前……そいつの顔見なくなったなと思ったらそんなことを……」

 

 実際、声を大にして誰かのことを悪く言うような人はトレーナーとして不適格だ。大方、地方に飛ばされでもしたのだろうが少し不憫だ。

 

「それで、本当に誰にも決まってないの? お目付けた子くらいはいるんじゃない?」

 

「いないよ。まず、いたとしてもどう声をかけていいのか分からない。何故なら僕はコミュ障だからな」

 

「そんな堂々と言われても困るわよ……というかついに言い切ったわね……」

 

「でも、実際担当決めるのって思ったより難しいな。思えば僕が学生だったあの時も、完全に成り行きでトレーナーになったわけだし、リギルのサブトレーナーになったのもほぼコネみたいなもんだし」

 

 例え試験でいい点を取っても、それが実践に活かせなければ何の意味もない。その点に於いて、僕は他の人より大きく遅れを取っている。

 

「……やっぱりトレーナー向いてないのかなぁ」

 

 つい、そんな独り言が漏れてしまうくらいには──

 

「そんなことな……あら? 向こうで走ってる子、なんだかこっちに手を振ってきてない?」

 

「ん……? ああ、メジロマックイーンか。そういえばあの子に用事があって来てたんだったか」

 

「用事?」

 

「実はここ一ヶ月くらいあの子の体重管理を手伝っててさ。主に食方面からなんだけど、担当の子が付いた時の予行演習みたいな感じでいい経験になってるよ。料理の練習にもなるし」

 

 なにより、こうして一トレーナーとしてウマ娘と関わるのは懐かしい感じがして嫌いじゃない。チームを作るのもいいが、担当を持つならやはり少人数の方が向いている

 

「…………やっぱり向いてるじゃない」

 

「……? なんか言ったか?」

 

「担当の子が早く見つかるといいわねって言ったのよ。じゃあね、トレーナー君。困ったらいつでも助けてあげるわ」

 

「マルゼンも、ドリームトロフィーリーグ頑張ってな」

 

「そんなのお茶の子さいさいよ♪」

 

 そう言って、マルゼンは僕の来た方向へと走って行った。

 あの調子だと、次のレースもきっとスーパーカーの如く快走に違いない。

 

 そんな未来を思い描きつつ、ちょうどメジロマックイーンの走りのキリがいいタイミングを見計らって声をかける。

 

「やあ、メジロマックイーン。こんな時間までトレーニングとは精が出るね」

 

「貴方こそ、毎日こうして来ていただいてご足労感謝致しますわ」

 

「そんな大袈裟な。最初は荷が重いとか考えてたけど、最近だと慣れたもんだよ」

 

「私がメジロのウマ娘と明かした時はかなり焦ってましたものね」

 

「気づいてたのか……」

 

「あれこそ誰でも分かりますわ」

 

 メジロマックイーンとの仲も悪くはない。こうして軽口を言い合えるくらいには気を許して貰えている。

 

 ふと、そこで違和感を覚えた。僕がメジロマックイーンと知り合って、つまりはあの日の選抜レースから約一ヶ月が経っている。

 その間、トレーニング中のメジロマックイーンが誰かと一緒にいるところを見たことがない。いつだって彼女は一人で走っている。

 

「浮かない顔をされてますが、どうかされましたの?」

 

「いや、少し気になることがあってな」

 

「き、気になることですの? ……ま、まずいですわ、もしかしてバレて……」

 

「……?」

 

 気になることがあると口にした途端、メジロマックイーンは何故か急に焦りを見せる。何やら小声でぼそぼそ言っているが上手く聞き取ることはできなかった。

 

「ほらなに、君と初めて出会った時からだいぶ経つだろ? だけど、君のトレーナーらしき人は見たことがないなと思ってさ」

 

「あ、ああ、そちらでしたか……。それはそうですわよ。だって私、まだトレーナーが付いてませんもの」

 

「えっ、マジ?」

 

「マジですわ」

 

 てことは、結局あの日スカウトしてたトレーナー達は全滅したってことか? あの中には確かまあまあなベテランもいたはずだ。それすらも跳ね除けるとは、彼女も中々の曲者だ。

 

「それがどうかしましたの?」

 

「いや、意外だなって思ってさ。トレーナーを付けないのに何か理由でもあるのかい?」

 

「えっ……!? ええっと、やむにやまれぬ事情があると言いますか……ほ、ほら、私にも選ぶ権利というのはありますし……」

 

 そう言ってメジロマックイーンはこちらをチラチラと見てくる。その目はまるで、察しろよと訴えかけているようだ。

 

 ああ、なるほど。そういうことか。

 

 ぽんと手をたたき、彼女の言う事情を察する。

 

「名家の出身だもんな。自分でこの人だって決めても、家が了承しない限りはそう簡単にトレーナーが決まらないってわけだ」

 

「えっ、違っ──」

 

「実は僕も担当ウマ娘決まってなくてさ。最近たづなさんからの視線が痛いんだよ」

 

 毎朝正門に立つたづなさんに挨拶はするが、その度に謎の圧を感じる。怖い。

 

「そうではなく……というかそれは存じてるからこそ私は──」

 

「だとしたら君も僕と同じなのかもね。いや、流石にそれは君に失礼か」

 

「だから私は──」

 

「お互い大変だけど、頑張ろ……って痛い!? 何!? なんで殴るの!?」

 

「もう知りません!」

 

「えぇ……」

 

 励ましたつもりだったのだが、なぜか彼女の機嫌を損ねてしまった。お前みたいな不真面目なやつと一緒にするなということだろうか。これでも担当決めだけは真面目にやってるつもりなんだが……。

 

 とにかく、まずはメジロマックイーンのご機嫌取りをするのが先だろう。

 これでも一ヶ月、彼女のために食方面での減量を手伝ってきた。好みくらいは把握しているつもりだ。

 

「全く、ここまで察しが悪いと逆に尊敬しますわね」

 

「フッフッフ……そんなこと言っていいのかな、メジロマックイーンさんや」

 

「ふん、何を言われても私の心を動かすことはできませんわ」

 

「今日のメニューはスイーツです」

 

「ッ……ス、スイーツでご機嫌を取ろうだなんて心外ですわね。そんなことで私が喜ぶはずが──」

 

「なんとおかわりも可能です」

 

「さっさと食堂へ行きますわよ! 貴方の料理を食した後、スイーツパーティーですわ!」

 

 へっ、ちょろいぜ。将来が心配になる。この子がスイーツに目がないことは把握済み。このくらいはお手のものだ。

 

 ……ところで、気になることが一つ。

 

「なぁ、メジロマックイーン。さっきバレたとかどうとか言ってたけど、僕に何か隠してるのか?」

 

「……い、いえ、何にも?」

 

 分かりやすく目が泳いでるな。ちょっと鎌をかけてみるか。

 

「そういえば、今日作って来たスイーツ、結構な自信作なんだ。小麦粉の代わりにおからパウダーを使ったココアパウンドケーキ、口に合うといいんだが……」

 

「……ごくり。そ、それは楽しみですわね」

 

「……こういうのってさ、深夜に食べるとすごく美味しいよね」

 

「分かります! 分かりますわ! 元々のスイーツの甘美に加え、深夜に食べるというあの背徳感が最高のスパイスとなりやみつきに……あっ」

 

「おい」

 

 あっ、じゃないが。何してんねん。そして引っかかるのが早すぎる。

 

「違うんですの」

 

「何が?」

 

「これはその……体験談! 体験談ですわ! 過ちを犯したからこそ、それがどんなに愚かなことかを身をもって知っているということですわ!」

 

「ほーん、それにしてはさっき、随分と必死で走ってたな。まるで、増えた体重分を帳消しにしようかの如く」

 

「な、なんのこ、ことだかけ、検討もつきませんわ、わね?」

 

 カタコトすぎだろ。嘘があまりにも下手くそすぎないかこの子? 

 

「……しょうがない、ひとまず一旦体重計に乗ってもらって、もし増えてたら今回のスイーツは無しということで──」

 

「嘘です嘘です! つまみ食いしてしまいました! 私は我慢できず夜中にスイーツを食べる悪いウマ娘ですわ!」

 

 折れるのがあまりにも早い。冗談じゃなく本当に将来が心配になってくる。

 

「つ、つまみ食いしてしまったとはいえその分のカロリーは消費していますわ! 私の完璧な計算がそう申していますもの!」

 

「分かった……分かったから離れろ……っ! ええい、紙袋持ってる手にしがみつくんじゃないよ! さっきのは冗談だから……っ!」

 

「ということは食べてもいいということですの!?」

 

「見た感じ体重も増えてなさそうだからな。これで増量してたら止めてたけど」

 

「見た感じ……? ま、まぁいいですわ。このスイーツは後でありがたくいただきますわね」

 

 メジロマックイーンはウキウキでスイーツの入った紙袋を受け取る。

 最初は高飛車な雰囲気だった彼女も、こうしてみると年相応の反応をする可愛らしい少女だ。

 

「ありがとうございます、私の好みに合わせて作ってくださったんですのよね?」

 

「まあね。これでも栄養バランスは考えて作ってあるし、何よりどうせなら喜んで欲しいからさ」

 

 その言葉を聞いたメジロマックイーンは顔を輝かせるが、何故すぐに笑みを消した。まるで、何かを決意したかのような様子で──

 

「あの、少々真面目な話をしてもよろしいですか?」

 

「えっ? いいけど……どうしたの、そんな急に改まって」

 

「……物は相談なのですが、やはり私と──」

 

 瞬間、そこそこの音量で携帯電話の着信音が鳴り響く。周りには僕とメジロマックイーンしかおらず、ポケットの振動でそれが僕のものからということを理解するのに1秒もかからなかった。

 

 発信者は……うげ……。

 

「悪いメジロマックイーン、仕事の電話だ。その相談、後ででもいいか?」

 

「……いえ、やはりなんでもありませんわ。貴方のお仕事の邪魔をするわけにはいけませんもの」

 

「そっか。それじゃ、ちょっと行ってくるね」

 

「はい。また明日、ですわね」

 

 メジロマックイーンに軽く手を振り、元の来た道を戻る。その足のまま携帯電話を開き、着信のボタンを押した。

 

「……もしもし、何か用か? …………今から? はあ、分かった……んで、どこに向かえばいい? …………は、こちらか伺う? お、おう、了解した。じゃあ僕のトレーナー室で」

 

 長くない電話を切り、一つ大きなため息をつく。端的に先の会話を要約すれば、話があるからそちらに顔を出すとのことだ。

 

 そして、電話をかけてきた主はシンボリルドルフ。

 

 彼女はサブトレーナー時代の教え子であり、現生徒会長。全然嫌いではないが、マルゼンと同じくなんだか手玉に取られてる感があってやりづらい相手の一人だ。

 どうにかして回避する方法は無いかと脳をフル回転させるも、電話に応じてしまった以上はもう逃げ場はない。

 

 

 まあでも、大した話じゃないだろう。心配事の九割は実際に起こらないってよく言われてるしな、ガハハ。

 

 

 

 ……あれ、今フラグ立ったか? 急に嫌な予感が……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「聚散十春、というには随分と短いかな。まさに一念万年と言わんばかりだよ。君とこうしてゆっくり話せるというのはまたとない機会……だからそう警戒するのをやめてくれないか?」

 

「いや無理無理。このタイミングで話があるって言われたら絶対何かあると思うじゃん。ゆっくり話す機会って言ったけど、どうせ理事長とかたづなさんからの言伝なんだろ?」

 

「うん、まあそうなのだが」

 

「おけ、帰れ」

 

「まあまあ、そう言わず」

 

 ルドルフがトレーナー室に来て早々、彼女に不穏なことを言われたため追い返そうと試みる。だが、人間がウマ娘に勝てるはずもなく、押し通されて不遜にもソファにどっしりと座った。

 こいつ、昔から二人になると遠慮がなくなる節があるな。

 

 だが、今日の彼女にはどこか元気が無いようにも見える。こう、なんていうか、覇気が足りないというか。

 

「ひとまず軽い世間話と行こうじゃないか。それくらいはいいだろう?」

 

「……分かったよ」

 

 そんな違和感を放り捨て、諦めてルドルフの対面に座り、彼女の話に付き合う。

 

「最近の調子はどうだい、トレーナー君?」

 

「君は僕のお父さんか。調子と言っても、特に何もないよ。担当を見つけるのに四苦八苦する毎日さ」

 

「でも、最近では君に近しいウマ娘がいるそうじゃないか」

 

「は……いや、誰がそんなことを」

 

「マルゼンスキーから聞いたぞ。ほぼその子のトレーナーみたいなことをしてるって」

 

「別に……あの子はそんなんじゃない」

 

「いることは認めるんだな」

 

「隠す必要もないしな」

 

 マルゼンもルドルフも、メジロマックイーンのことを言っているのだろうか。もしそうだとしても、あの子と僕はそんな関係ではない。

 成り行きで、なんとなく。お互いがお互いを利用している、そんな不安定な関係だ。

 

「というかマルゼンもそうだったけど、もう僕は君達のトレーナーじゃないんだからトレーナー君呼びはやめないか?」

 

「それは君の担当ウマ娘が見つかるか、あるいはここを離れた時にしようか。今回は君の今後のキャリアについて話をしに来たからね」

 

「今後のキャリアについて……?」

 

 え、待って。本当に待って。僕の予定ではこのまま中央でなんとなくトレーナーをやっていくつもりなんだけど。

 てかここを離れた時って何? どこかに飛ばされるの? 

 

「君は学生時代のインターンでここに訪れた際、トレーナーの仕事をこなしていただろう?」

 

「ああ、擬きだけどね」

 

「……ふふっ、思えば君との出会いはあの頃だったか。まだ私が入学したての時、他校の男子生徒がトレセンにいたものだから驚いてしまってね」

 

「お、おい、懐かしんでる場合じゃないだろ……? こちとら不安でいっぱいなんだが??」

 

 というか、あの時まともに関わりがあったのはイツセイくらいだ。ルドルフやマルゼン、あとはシービーもそうだったか。この三人とも多少話したは話したが語るようなことは特にない。

 

「おっと、すまない。ところで話は変わるが、今フランスではトレーナーの人員募集をしているらしくてね。その中でも優秀でな人材を欲しているらしい」

 

「へぇ〜。向こうも人手不足は一緒なんだな」

 

「そこでだ。理事長がフランスのお偉い方に君の過去の話をしたらしい」

 

「何してんの? ねえほんと何してんの?」

 

 というか、あれかなりの機密情報じゃなかった? 外部に漏れるのはまずいと思うんだけど。

 

「大丈夫だ。あの話はお偉い方に絶賛されてたよ」

 

「いやそこじゃな……は、絶賛?」

 

 なんでだよ。糾弾はされても絶賛されるようなことか? 

 

「そこでだ。君は過去に実績を残している、且つ今は担当のいないフリーの新人トレーナーということで──」

 

 聞きたくない聞きたくない聞きたくない。もうオチが見えてる。なぜ事態はいつも悪い方向へ向かうのか。ここから入れる保険はあるのか。

 

 冷や汗ダラダラの僕に、シンボリルドルフは笑顔でトドメを指す。

 

「そこで、それに該当する君にフランスへ赴いて欲しいという要請が出たんだ。なんせ、担当のいない優秀な新人トレーナーだからね」

 

 

 超嫌です。

 

 



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一心同体


ラストです。



 

 

 

 シンボリルドルフからの、フランス移籍という死の宣告を受けてから二日が経った。

 

 この二日間、まともに記憶がない。やらなければならない業務作業にすら手がつかず、心ここに在らずとまるで廃人のふりをしているかのように、今日も今日とてトレーナー室のデスクの前で生産性の無い一日を過ごしている。学園に来ているだけ偉いと思って欲しい。

 

 

 あの後、ルドルフにこれは強制ではないとは言われた。だが、僕がフリーなのを知った途端、彼らは強く僕をご所望しだしたらしい。なんでだよ。

 そして、彼女は三日後にまた返事を聞きに来るとも言っていた。つまり、明日がXデー。余命一日と言ったところか。辞めようかな、この仕事。

 

「…………そろそろいいかな」

 

 トレーナー室の扉を開け、廊下に誰もいないことを確認してから外に出る。

 今は生徒はとっくに帰ってる時間であり、他のトレーナー達もほとんど業務を終えている時間帯だ。おかけで外は真っ暗だし、夜の学園特有の異質な雰囲気が漂っててちょっと怖い。

 

 

 元々人と関わることが得意ではないが、こうしてここ数日人目を避けているのにも理由がある。

 どういうわけか、フランスへの移籍の件がどこかしらから漏れているのだ。普通はこういうのって内密に伝えられるものなのだが、そうは問屋が卸さないらしい。

 これを知るルドルフやたづなさんは広めないだろうし、おそらく誰かが盗み聞きでもしたのだろう。ここはトレセン学園、何が起こってもおかしくないのだ。

 

 そして噂が広まるのは早いもので、今や学園のほとんどの人が知っているんじゃないかと思うくらいその話をしている。

 不幸中の幸いと言うなら、それに至った経緯は広まってないようだ。トレーナー資格がない時にウマ娘を担当していたなんて広まったら世間的にも大問題だからな。

 

 

 今日も一日トレーナー室に引きこもっていたため、まともな食事を摂れていない。せめてもの腹の足しとなるよう、自動販売機でお汁粉でも──

 

 

「……そういえば、メジロマックイーンに料理作ってなかったな」

 

 

 ふと思い出した彼女の顔に、一瞬だけ自動販売機のボタンを押す手が止まる。

 だが、今この状況あの子は関係ない。少なくとも、僕の抱えているゴタゴタには関わらせるわけにはいかない。

 

 さあ、さっさと買ってトレーナー室に戻ろう。今この時間は誰もいないんだ。むしろ、この時間にこんなところにいる方がおかしい。

 

 

「やあ、久方ぶりだね、先輩君」

 

 

 そう、狙って僕に会いに来ようともしない限りは。

 

 

「……こんばんは、三葉トレーナー」

 

「おや? 私のこと覚えてくれていたなんて嬉しいね」

 

 三葉夕。忘れもしない一ヶ月前、今回みたいに僕の前に突如として現れた自称なんでも知ってるお姉さんだ。僕のこと先輩君と呼んでいるあたりおそらく後輩なのだろうけど。

 

「で、どうしてあんたがここに?」

 

「忘れたの? 学園内のことなら、私はなんでも知っている」

 

 またそれか。

 

「現在進行形の話でも可ってことかよ……どう言う原理してんの……?」

 

「細かいことはいいでしょ。それにしても、こっちの方が驚きだよ」

 

 確かにそれに関しては同意だ。まさか、僕がフランスへの異動が要請されるなんて突飛な話、誰が聞いても驚くだろう。

 

「まさか、まだトレーナー契約してなかったなんてさ。さすがの私でもイライラするし歯痒いよ」

 

「あれっ!?」

 

 三葉トレーナーの思ってたのと違う反応に思わず声が出る。

 

「『あれっ!?』じゃありません。分かってるの? このままだと、君は本当にフランスに行くことになるんだよ? なのに、君は今日まで何をしてたの?」

 

「それは……」

 

 ごもっともだ。何をしていたかと聞かれると、何もしてないと答えるしかない。

 

 でも、それ以上に一つ納得がいかないことがある。

 

「……なんであんたにそこまで言われなくちゃならないんだよ。僕たち、別にそこまで仲がいいわけじゃないだろ」

 

「あら、心外。私は先輩君と良好な関係が築けてると思ったんだけど」

 

「茶化すなよ、三葉夕」

 

 この人とはたった数回言葉を交わした仲でしかない。

 彼女は学園のことならなんでも知っていると豪語し、まるで玩具のように僕を扱う奇人だ。正直な話、どんな見てくれのいいお姉さんでも、そんな彼女とはあまり会話をしていて良い気分にはならない。

 

 だが、そんな切り捨てるような言い方をした僕とは対照的に、三葉トレーナーは気にせずけろっとしている。

 

「……そうだね、たしかに私は君との交流回数は少ない。今日君に会いにきたのも、とある臆病者に頼まれたからだよ」

 

「とある臆病者……? 一体全体誰がそんな……」

 

「それは言えないかな。強いて言うなら、君にとっての初めての人、かな?」

 

 

 …………あの。

 

 

「あのさ、もうちょっと言い方なんとかならなかったの? 困るんですけど、そういうの」

 

「おや、その反応はもしかして童て……」

 

「言わせねえよ!? てかなんでちょっとシリアスな雰囲気だったのにそれぶち壊すの!? 台無しだよ!」

 

「まあまあ落ち着きなって。怒ってもいいことないよ?」

 

 誰のせいだよ誰の。最近の若い子ってみんなこうなの? 

 

「それに、私も君には言いたいことがあるしね」

 

 お姉さんに厳しくされるのは人によってはご褒美かもしれないが、生憎僕はそう言った性癖は持ち合わせていない。

 そして、三葉トレーナーはいかにもな態度で怒りを表す。とてもつい数秒前までとんでもない発言をしていた人と同一人物とは思えない。

 

「先輩君、いつまでそうしてるつもりなの? 本当は、今のこの状況をどうにかする方法分かってるんでしょ?」

 

 ……ああ、分かってるさ。ルドルフが話を通しに来たあの日、彼女は"フリーの新人トレーナー"というニュアンスを強調していた。

 

 その条件からすぐにでも外れる方法はただ一つ。

 

「期限までにウマ娘と契約を交わせばいい……ってことだよな」

 

「そうだね、それが君にできる最善手だ。よしよし」

 

「撫でるな恥ずかしい」

 

 よくできました、と僕の頭を撫でようとする三葉トレーナーの手を払う。歳下で僕より背が低いのにお姉さんぶろうとするのはなんなんだ。

 

「さて、やるべきことは分かってるんだ。あとはそれを実行に移すだけだよ」

 

「実行って……」

 

 言うが易し、行うが難し。一朝一夕で契約を交わせるなら苦労はしない。

 

「そんな候補もいないのにできるわけないだろ」

 

「嘘はよくないよ、先輩君。じゃあ君は、なんで今日までウマ娘を持とうとしなかったの?」

 

「……」

 

 相変わらず、この人は痛いところを突く。

 

 僕だって考えたさ。この一ヶ月、最も関わりの深かったあの子が担当になってくれたらどんなに嬉しいか。

 だが、現実はそう上手くはいかない。名家だとか相応しく無いだとか、そんな理由は抜きに、もっと大きなしがらみが無意識にその考えを阻む。

 

「僕は慎重派なんだ。そんな簡単に決められたら苦労はしない。それに……」

 

「それに?」

 

「……昔、とある子に酷いことをしてしまった。インターン生としてトレーナー活動をしていた頃、担当の子が大事な時期だっていうのに僕は何も言わずにその子の下を去った」

 

「……」

 

「担当を持とうって、その気になればなるほど当時の記憶が蘇る。後ろめたさ、って言ったらいいのかな。数年経った今でも、間違った選択をしたことを引きずってるんだ」

 

 あの時、任期があったために僕はトレセン学園から離れざるをえなかった。

 本当のトレーナーではない異例の事態なので当たり前と言えば当たり前なのだが、それでもそのことを、きちんと担当の子と話すべきだった。僕にも考えがあったとはいえ、言葉を交わさないというのは選択肢としてナンセンスだ。

 

 そして、一つ確実に言えることがある。それは──

 

「──他人にとって都合の良い変化を成長と呼ぶんだったら、僕はあの頃からまるで変わっていない。だから……」

 

「はぁぁ」

 

 三葉トレーナーは呆れるようにため息をつき、片手で顔を覆う。そして、手の隙間から僕を睨みつけ、

 

 

「いい加減前を向きなよ、先輩」

 

 

 君をつけることすらせず、三葉トレーナーはゾッとするような低い声音で怒りを表す。それは、先程のおちゃらけた怒りとは違うものだと本能が訴えかけている。

 

「さっきから聞いてれば、情けないことしか言わないじゃん。過去に囚われてばっかでまるてわ今を見ていない」

 

「……そんなこと分かっ」

 

「分かってて尚現状維持を貫く、か……先輩、君はどうしてトレーナーになったの?」

 

「どうしてって……それは……」

 

 あれ、なんで僕はトレーナーを志そうと思ったんだっけ? インターンでたまたまここに来たから? 身内にウマ娘がいたから? 

 

「当ててあげようか。君は過去失態を犯した。トレーナーとしてウマ娘を不安にさせるような行為はよくないことだよね」

 

 それはそう。こうして中央のトレーナーとしての狭き門を潜った今、それが褒められた行動でないのは基礎中の基礎。

 

「それは君の罪であり、贖う方法も定かじゃない。そんな訳ありの人がまた戻ってきたとなったら、仮に全貌を知る人がいたとして、その人はどう思う?」

 

 そこまで言われて気付く。そうだ、側から見たら僕は……

 

「君は過去の過ちを清算しにきた。それも、新しく担当するウマ娘を使って」

 

「それは……」

 

「まるで道具だね。それも、道具は道具でも使い捨ての道具だ。ウマ娘は、己が贖罪するためのステータスでしかないと言わんばかりの」

 

 そんなわけない。そんなこと思ったことない。なのに、口が上手く開かない。

 

「ち、違う……僕はただ──」

 

 それでも言葉を振り絞る。伝えようと、届けようと。

 

 

「ん、ただ……なに?」

 

「あ……」

 

 

 どれだけ思考を張り巡らせても、どれだけなりたい自分を夢見ても。

 

 どうせダメだから、どうせ届かないからと言い訳をして。

 

 またいつか、もういいかと。

 

 そうやって自分の本心から逃げ続けた結果、いつも言葉が足りなくなる。

 

 

「…………楽しかったんだ。あの子と……イツセイと過ごしたあの日々は、自分の想像以上に楽しかった」

 

 

 トレーナーになったのも大した理由はない。高尚な夢があるわけでも、一族がトレーナーを輩出しているわけでもない。

 

 ただ、楽しかったから。トレーナーとして、ウマ娘の夢を叶えるのが楽しかったから。

 そんななんでもない、ただそれだけの理由。

 

 でも、

 

「"俺"はあの頃から何も変わってない。前を向けてないことなんて、そんなの自分がよくわかってる。でも怖いんだ。いつかあの日の過ちを繰り返してしまうんじゃないかって。だから前へなんて進めない」

 

「前へ進めない? 何を言ってるの?」

 

 

 そんな俺の独白を笑い、三葉トレーナーは一言。

 

 

「君はここまで進んできたじゃない」

 

「……は」

 

 こいつ一体何言って……

 

「君の過去に何があったのかは知ってるし、何に怯えてるのかも分かった。だから、敢えて言わせもらう」

 

 今度こそ、彼女はポスンと俺の頭に手を置いて撫でくりまわす。

 

「別に一人でそんな難しく考えなくていいんじゃない?」

 

「……都合よくそんな相手が」

 

「何度も言わせないでよ。君のすぐ近くには、相性抜群のウマ娘がいるでしょ?」

 

 なんて自分勝手だ。言いたい放題で、まるで僕と言う人柄を理解していない。

 

 人はそんなにすぐには変われない。過ちが消えるわけでもなければ、その後悔はそう簡単に拭えない。

 

 怖いものは怖いし、意地を張ったところでその付け焼き刃のペルソナは思った以上に脆い。

 

 

 そうだ、人はすぐには変われない。

 

 

「それに、君が同じ過ちを繰り返しそうになったその時は、かけがえのないパートナーがいるってことだしね。しっかり喝を入れて貰えばいいよ」

 

 

 だから、一歩、とりあえず一歩だけ。

 

 

「……ありがとう、三葉。ちょっと行ってくるわ」

 

「ふふっ、今の時間帯ならギリギリグラウンドを走ってると思うよ」

 

 彼女の一言に黙って頷きグラウンドの方へと駆ける。

 もうかなり遅い時間だ。入れ違いになる前に早く向かわなければ。

 

「ねえ、最後にもう一ついいかな!?」

 

 随分と離れたところで、三葉の大きな声が僕を呼び止める。表情はよく見えないが、どこかセンチメンタルな雰囲気を醸し出しており……

 

「近いうちに、君の前に後輩を名乗る変な子が現れると思う! その子はなまじなんでもできるが故、独りよがりになりやすい! でも、君ならば……いや、君だからこそあの子に寄り添える!」

 

「は、はぁ!? いや、なんの話──」

 

「期待してるよ! 先輩君!」

 

 そう言って三葉は風のように去っていく。結局最後まで訳のわからないことを言う人だった。

 

 しかし、わざと憎まれ口を叩いて僕の心を抉ってきたとはいえ、あの人のおかげで決心がついたのもまた事実。今度あったら一言、礼と文句を言っておこう。

 

 それにしても……

 

「後輩って……誰のことだよ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 一人を除き、誰もいないターフに風が吹く。

 

 暗い夜空を精一杯照らすが如く、明るく輝いているライトに一人の少女が照らされている。

 今日は新月だ、少女の綺麗な芦毛はより一層美しくたなびく。

 

 風を切って、周りを気にせず、高い集中力を保持してターフを駆け抜ける彼女の姿は、こうしていつまでも見続けてしまうほどのものだ。

 こうしていると、初めて彼女の走りを見た時のことを思い出す。あの時も似たようなことを思ったっけ。

 

「……メジロマックイーン!」

 

 しかし、あの時とは違って、今度は僕の方からアプローチをかける。

 本当に誰もいないと思っていたのか、メジロマックイーンは僕に気がつくと遠目でも分かるくらいギョッとした表情をして、少しフォームを乱しながら減速する。ごめんね、邪魔して。

 

 そして魚のように口をぱくぱくさせながら近づいてきて……

 

「よう、二日ぶり」

 

「ふ、二日ぶりって……どうして貴方がここにいるんですの……?」

 

「えっ、いちゃダメなの? 腐ってもここのトレーナーなんだけど」

 

「そういうことではなくて……そ、その……」

 

 きっと彼女の耳にも僕の噂は入ってきている。でなければ、この子がこんなに言い淀むはずがない。

 

「……おめでとうございます。なんでも、海外へ移籍になったとお伺いしてますわ。今や貴方は学園中の注目の的……こうなってしまっては、どの道引く手数多なのは間違いないですわね」

 

「……かもね。数日前からは考えられないほどだよ」

 

「っ……! あ、貴方から貰ったレシピもあります。もう私は一人でも充分に体重管理もできますわ」

 

 本当か? と凄くつっこみたいがやめておいた。ここでそんなことを言ったら彼女の思いを無駄にしてしまう。

 

「なので、そのことに深く感謝を。そして、海外出世の件、心の底からお祝いいたしますわ」

 

 そう言ってメジロマックイーンは深々と頭を下げる。顔は見えないが、きっと彼女の顔は晴れやかなものではないのだろう。

 それは、たった一ヶ月しか共に過ごしていない僕でも分かるほどだ。

 

 

「……ちょっと僕の話を聞いてくれないか?」

 

「は、はい……? かまいませんが……」

 

「ありがとう。まあ話って言うほどのものじゃあないんだけどさ。ええっと、なんだ……僕はキザな言い回しが得意じゃなくてね。だから単刀直入に言わせてもらうよ」

 

 

 そう、たった一ヶ月。信頼関係を形作るにはとてもじゃないが足りてなさすぎるほどの短さだ。

 だから、はっきりと言葉にしよう。思ってることを伝えよう。

 

 

 信頼関係をより強固なものにするのは、後からでも十分だ。

 

 

「僕と一緒に走ってくれないか、メジロマックイーン」

 

 

「…………えっ? な、何を言って……というか、それは一体どういう意味……い、いえ、それを聞くのは野暮というものですわね」

 

 メジロマックイーンはひとしきり困惑した後、すぐさま僕の発言の意図を読み取る。話が早くて助かるよ。

 

「で、ですが、貴方はもうフランスへと言ってしまわれるのでは……?」

 

「あー……実はね、そのフランス遠征、どうやらフリーの新人トレーナーを欲してるらしくてさ。ウマ娘と契約を交わせばフリーじゃなくなるってわけでね。まあ僕もフランスなんて行きたくないし」

 

「……それで私に白羽の矢が立ったと」

 

 事実関係を全て伝えると、希望に満ちかけていた彼女顔はみるみると曇っていく。その理由が分からないほど、僕だって鈍感ではない。

 

 

「お断りいたします。今の貴方では、私のトレーナーにはなり得ませんわ」

 

 

 へにゃりと情けない笑顔を見せて、不器用に感情を表すメジロマックイーン。

 最初に出会った時とはえらい違いだ。あの時も同じようなことを言われたっけ。

 

 

「……そっか、それは残念」

 

「私も、こんな形でお誘いを受けたくありませんでした。こんな成り行きのような形で……あんまりですわ」

 

 ごもっともだ。あんなことを聞かされて担当になってくれと言われても、言われた本人からしたらお前の都合なんて知らんがなとしか思わない。誰だってそう思う、僕もそう思う。

 

 それでも伝えなければならなかった。隠したくなかった。

 後出しジャンケンなんていう卑怯な真似は、目の前にいる相手にはしたくないから。

 

 

「……最初はさ、面倒だって思ったよ」

 

「……? なんの話を──」

 

「ほぼ初対面なのにめちゃくちゃ強い口調で相応しくないみたいなこと言われるし、かと思えば急にトレーナー室に押しかけてきて半強制的に体重管理を手伝わさせられるし……」

 

「うっ……そ、その、多少強引だったことは反省してますし、あの時は私も焦っていて……」

 

「でも、君と共にしたこの一ヶ月はなんだかんだ楽しかった。いつのまにか、面倒だっていう気持ちは無くなってたよ」

 

「貴方は……」

 

 先程のような、震えてか細くて、今にも消えてしまいそうな声音ではない。しっかりと透き通った芯のある声で、メジロマックイーンは僕に問う。

 

「貴方は、どうして私にそこまでしてくださいましたの? 初対面であんなに酷いことを言って、とても面倒なことを依頼してしまったのに、どうして……?」

 

「……そうだね」

 

 僕は聖人ではない。遠く離れた地域に住む子供達が飢えに苦しんでいたとして、それを知っても可哀想だなくらいにしか思わない。例え世界が魔王に支配されていたとして、それを倒そうと躍起になるような人物でもない。

 

 己の見えないところで誰かが苦しんでいたとしても、それをどうにかしようとは思わない。

 

 こんなことを言うのもなんだが、善意100%で動くことのできる人なんてこの世に極々僅かだ。

 そして、僕はそちら側ではない。今回メジロマックイーンに協力したのも、もっと近くで彼女のことを知りたいと思ったから。

 

 

 だから、敢えて言うならば──

 

 

「……好きなんだ」

 

「…………ふぇっ!?」

 

「あの夜見た君の走り、すごく綺麗だった。あんな衝撃を受けたのはウマ娘に関わりだして以来かもしれない。僕は、君の走りが好きだ」

 

「えっ? あ、そういう……」

 

 何故か動揺しているメジロマックイーン。……ちょっと言い方キモかったかな。でも、嘘はついてないしいいか。それに、ちょっとくらいかっこつけさせてくれ。

 

「メジロマックイーン、もう一度言う。僕と一緒に走ってくれないか」

 

「……はぁ、なんとなくですが、貴方に担当がいない理由が分かったような気がしましたわ」

 

「え、なに、急に悪口やめて? 僕結構勇気振り絞ってるんだけど?」

 

「そういうことでは……もういいですわ。貴方のそういうところ、今後は変えていかなければなりませんわね」

 

「よくわかんないけどすみませ……ん? 今後?」

 

「何を驚いているんですの? 貴方が共に走って欲しいとおっしゃったのではありませんか」

 

 えっ……? てことは……

 

「いいのか? 僕みたいないい加減な奴は君のトレーナーになり得ないんじゃ……」

 

「その発言いい加減忘れてくださいません!? 次言ったら契約破棄ですわよ契約破棄!」

 

 それは困る。まだ書類も提出してないのにそんなことをされてしまったら学園中の笑い者だ。

 

「全く、乙女心どころかデリカシーの欠片も無いのですから……貴方と関わってきた方々もさぞ苦労したことでしょうね」

 

 せやろか。イツセイもルドルフもマルゼンも、はたまた最近知り合った三葉でさえ、僕を振り回してしかいなかったけど。

 

「まあ仲良くやろうよ。お互い、悪いところは直して、良いところは吸収する。一緒に走るってそう言うことじゃないかな」

 

「……要するに、"一心同体"ってことですわね」

 

「そう……そうかなあ?」

 

「そうですわよ。貴方と私は一心同体、存分に私の才能を引き出してくださいまし?」

 

「……ああ、任せて。それこそ、トレーナーの腕の見せ所ってもんさ」

 

 僕とメジロマックイーンは拳を突き合わせ、彼女は屈託のない笑みを見せる。

 それに釣られるように僕も笑ってしまった。心の底から笑ったのは実に何年ぶりだろうか。知り合いの少ない僕には久方ぶりの感覚だ。

 

「さて、今日はもう遅いし書類周りのことは明日に回そう。ついでにルドル……シンボリルドルフにもこのこと、話しておきたいしな」

 

「そうですわね。それではまた明日……あっ、少しよろしいですか?」

 

「ん? ああ、いいけ、どっ!?」

 

 その言葉に振り返ると、いきなり腕を掴まれてそちらに引き寄せられる。

 わけもわからず密着状態となってしまったが、メジロマックイーンはそんなことはお構いなしと手先にあるスマホでパシャリと──

 

 

「これからよろしくお願いしますわね、トレーナーさん?」

 

 

 そう言って、得意げに僕と彼女のツーショット写真を見せつけてくるメジロマックイーン。まったく、写真は得意じゃないんだがなぁ……

 

 だが、そんなぼやきをするのも無粋か。今だけはこの子の笑顔に免じて見逃してやろう。

 

 

「こちらこそよろしく、マックイーン。あっ、その写真現像しないでね? なるべく証拠残したくないから」

 

「貴方は犯罪者か何かですの!? 明日にでも現像してお渡ししますからね!?」

 

 

 

 ***

 

 

 

「その時のトレーナーさんと言ったら、キザな言い回しは得意じゃないとか言ってたくせに実に格好つけた言い方で私に契約を懇願してきて……」

 

 僕達の過去について話し終えた途端、マックイーンは流暢に僕のことを煽り出した。なんだこいつ。

 

「待てよ、懇願ってほどじゃなかっただろ。事実を捏造するな」

 

「あら、格好つけてたことは否定しませんのね?」

 

「それは……ほら、あれだよ、その……他に良い言い方が思いつかなかったから……」

 

「その格好つけは天性のものだったんですのね!」

 

「なんなの、あの発言いじったこと根に持ってんの?」

 

 いつにも増して面倒くさいなこいつ。真冬のターフにでも捨ててこようかしら。

 

 どうやってこの煽りカスお嬢様を始末しようか考えていると、当の本人は顎でとある方向を指し示す。

 そこには、先の僕達のやり取りを黙って見ていた膨れっ面お嬢様が……いや、めっちゃ膨れとるやん。フグかな? 

 

「面白い話なんてないと仰ってましたけど、聞く限りかなりロマンチックだと思います。ていうかずるいです、私はあんなだったのに」

 

「あんなって……」

 

 そういえばダイヤと契約を交わしたのは、泣き喚く誰かさんを慰めているところを見られていたからだっけか。もうあれから随分と時間が経つな、懐かしいものだ。

 

「マックイーンさんが羨ましいです。私も、話にあったような大人の方と出会ってみたかったのに……」

 

「あの? 話にあったような大人の方は僕なんですけど?」

 

「大人……?」

「はて、どこにいるんでしょうか?」

 

「おいクソガキ共、僕のどこが大人じゃないって言うんだよ。あ?」

 

 少しキレ気味に聞くと、マックイーンとダイヤは顔を見合わせて……

 

「まず言葉遣いですわね。昔……ダイヤさん加入前あたりまでは比較的穏やかでしたのに、最近だともっぱらそのような汚い口調になってしまわれて……」

「それと普段の言動もですよね。負けず嫌いすぎてずっとテイオーさんとゲーム勝負してますし。しかも一回も勝ててない」

 

「うるっさいなぁ! 人間、それなりに仲良くなったら言葉遣いは乱れるし、いくつになっても負けたら悔しいもんは悔しいんだよ!」

 

「それなりに……?」

「仲良くなった……?」

 

 な、なんだこいつら、急に眉を顰めて僕の方ににじり寄ってきて。

 てかなんでこう言う時は仲良いんだ……いや、そういえばこの二人は元から仲良かったわ。なんというか、最近いがみ合う姿ばかり見ていた気がするからすっかり失念していた。

 

「私、悲しいですわ。トレーナーさんにとって、私達の関係は『それなりに仲良くなった』程度の関係だったなんて……」

 

「こうなったら、私との関係をもっと深いものにするためにこの冬はサトノの方に監禁……軟禁……宿泊していただかなくては……」

 

「……あの、ダイヤさん? 何を勝手に抜け駆けしようとしていますの? 貴方は今冬はお家の方のお手伝いで大変だとお聞きしていますが。そんなところへトレーナーさんを連れていってしまったら迷惑してしまいますわ。ということで、ここはメジロ家の方にお越しへ……」

 

「マックイーンさんこそ、年末年始は社交パーティーへの出席が求められていますよね? あわよくばそこにトレーナーさんを連れて行って周囲に関係をアピールできれば、なんて浅い考えは……ありませんよね! なんてったって、マックイーンさんですから!」

 

「「…………」」

 

 前言撤回、こいつら本当に仲良いのか? 

 

 ひとしきりの沈黙の後、いつものようにギャーギャーとうるさい喧嘩が始まる。

 マックイーンもダイヤも、出会った頃はこんなじゃなかったのにどうしてこうなった? きっと、誰かの悪い影響を受けてしまったのだろう。誰だよ、健全な少女達の成長に悪影響を及ぼした奴は。

 

 にしても、このやかましい喧騒はいつまで続くのやら……ん? 今ドアが……。

 

「二人とも、来客だ。ちょっと静かに……って聞いてないなこれ」

 

 ドアがノックされる音に反応してそう注意するも、当該本人達が静かになる気配はない。

 まったく、散々僕にああ言っておいて、結局君達もまだまだ子供なんだから。せめて人前では淑女らしくしてほしいものだな。

 

 

 このままドアの前で待たさせるのも悪いので、「どうぞ」と一声かけて入室を促す。

 さて、誰だろうか。一色はもうこの部屋に無断で入り浸るし、セイウンスカイも同じ理由で違うだろう。だとすると、たづなさんかシンボリルドルフのどちらかの可能性が……。

 

「失礼します」

 

 そんな予想を裏切り、入ってきたのは一人のウマ娘。すらりと伸びた青鹿毛に白黒のリボンを付けており、正面の前髪にかかる綺麗な流星が特徴的な少女。

 

 どこかで見たことあるような気もするが、いまいち思い出せない。風貌から察するに、今年入学してきた子なのは間違いないだろう。

 

 そして流石に来客に気がついたのか、マックイーンとダイヤは喧嘩の手を止めていた。

 

「サトノダイヤモンドさん、及びメジロマックイーンさんのトレーナーさんはあなたで間違いないですか?」

 

「あ、ああ、そうだけど。えっと、君は──」

 

「お願いがあります。トレーナーさん、私をあなたのチームに入れてください」

 

 ……うん? 

 

「チームってことは、僕の……」

 

「お、お待ちください!? それ即ち、貴方はこの方の担当ウマ娘になるということになりますのよ!?」

 

「そうですよ! 今一度ゆっくり考え直した方がいいんじゃないですか?」

 

 なんかさっきから喋らせてもらえないんだけど。ていうか、お前らは二人はさっきからなんなの? 僕のこと嫌いなの? 

 

 急に僕のネガキャンぽいことを始めた二人を押し退け、白黒リボンのウマ娘と今一度対峙する。

 

「ええっと、まだ理解が追いつかないんだけど……どうして君はここに?」

 

「私の目標を叶えるために。そのために一番適しているのは、あなたを頼るのが一番だと判断しました」

 

「目標?」

 

「はい。私の目標は……」

 

 ギラリと光る少女の眼差し。理想に燃えた目をしており、そこには強い闘志が込められている。

 

「私の目標は、キタサンブラックさんを超えること。そのために、あの人のライバルであるサトノダイヤモンドさん、そのトレーナーさんであるあなたにご教授願いたく思いました」

 

 闘志もさることながら、意志も強い。こう芯の強い子は嫌いじゃないぜ、べいべ。

 

「……それこそ、ここじゃなくていいんじゃないか? キタサンブラックのようになりたいならチーム〈スピカ〉に入った方がいいし、勝ちたいのならあの子が唯一勝てなかった存在、ドゥラメンテを頼るのが得策じゃないかな」

 

「ドゥラメンテさんは確かにとても強いんですけど……ちょっと怖くて」

 

「あー……」

 

 分かる、あの子すげぇストイックだし、人の顔覚えないもんな。こないだも強さの秘訣を聞きに行ったら「あなたは誰だ」って言われたわ。

 

「〈スピカ〉に入ることは考えました。私はあの人みたいな輝きを目指したい。でも、決してあの人になりたいわけじゃない。勝ちたいんです。勝って証明したい」

 

 

 正直な話、入ってきた瞬間に第六感が呼びかけていた。

 

 この子は強い、強くなる。これと言った根拠はないが、レースでは他の追随を圧倒するだろう。

 

 

「世界最強は私だ、って」

 

 

 いつだって、ウマ娘というのは夢を見させてくれる。メジロマックイーンも、サトノダイヤモンドも、僕にかけがえのない夢を見させてくれた。

 

「キタサンブラック……あの子は強いよ。単純な走りからファンの数まで全てが国内トップと言っても過言じゃないレベルだ」

 

「それでもです。絶対にあの人を超えて、世界最強の座にだって……上り詰めてみせます──!」

 

 

 きっと、目の前の彼女もそれを夢物語で終わらせはしない。この夢の続きを見せてくれる。

 

 

「マックイーン」

 

「もちろん歓迎いたしますわ。誰かに勝ちたいという強い気持ち、大いに結構。ですけど、あまりそれに固執しすぎないことですわよ?」

 

「ダイヤ」

 

「右に同じです。キタちゃんに勝ちたいなら、なるべく参考文献は多い方がいいですよね?」

 

 

 満場一致だ。またこれから忙しくなるな。

 

 ゆっくりとその子に近づき、手を差し伸べる。あの時、初めて名前を聞いた時のように。

 

 

「君、名前は?」

 

 

 君と一緒に走ったその先にある夢、是非とも確かめさせてもらおう。

 

 

「……っ! 私の名前は──!」

 

 

 



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