春待つ羽色のおはなし (西風 そら)
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ひとつめのおはなし
君影・Ⅰ


ようお越しくださいました
お茶はマサラチャィで宜しいか?

全28話 約9万文字で完結済
                          


 

 

 紫紺の空を二つに割って、翡翠色の光が降りて来る。

 地上で待機していた少年が、カンテラを掲げて駆け寄った。

 

「御足労いたみ入ります、蒼の大長様」

 

「出迎えご苦労様です。皆、健勝ですか?」

 

 瞬きながら降りて来たのは、草で編まれた馬に跨った、妖精族の男性。

 ここより遥か北方の草原を統べる、蒼の一族の先代の長。

 

「先ずは、我らの『西風の里』へ。僕の行跡から踏み外れずに着いて来て下さい。今、結界を三重にしているのです」

 少年は自分の馬に跨がり、片手でカンテラを掲げながら歩き始めた。

 岩と砂山の同じ所を何回か回り、最後に小さな崖を跳び降りると、まったく別な景色が広がった。

 

 中央に大きな湧水の池、その周囲を低い灌木が覆う、オアシス帯。

 木々の間に石と煉瓦の住居が固まり、手前の広場が馬繋ぎ場になっている。

 蒼の里と同じく、平時ならば、結界の入り口から即ここに繋がるのだろう。

 

 深夜だというのに、多くの住民が戸外に出て来ていた。

 遠来の待ち人を見止めた人々は、手を組んで礼をする。

 

 同じ風の系統だが、この砂漠の地の『西風の一族』は、草原の『蒼の一族』とは、外見がかなり違う。蒼の一族が青い髪青い瞳なのに対して、こちらの髪色は青をベースに幅広く、瞳は茶か灰、肌は南方系の飴色だ。

 

「蒼の大長殿、よう来て頂けました」

 数人のクシャクシャの老人が、正面に進み出た。

「夜の砂漠は凍えられましたでしょう。手足の湯の用意がございます」

 

「お心遣い感謝します。大事ありません、先ずは浅黄の君(あさぎのきみ)殿に」

 大長は口早に言って、馬を、受け取りに来た子供に預けた。

 

 よく見るとこの集落は、丸まった老人と子供ばかりだ。

 背の高い彼はやけに浮いて見えた。

 

 

 池の畔は家屋が無く、四角い白い建物が一つ、湖畔に向いてポツンと立つ。

 周囲に、多くの燭台が置かれている。

 集落全体が真っ暗だと思ったが、里中の燭台がここに集められていたのだ。

 何百の蝋燭に照らされて、其処だけぼうっと別世界のよう。

 

 入り口の御簾を開いて中に入ると、ここも両脇に蝋燭の列。

 奥に銀の猫足の寝台、その上に真新しい棺が乗っている。

 蓋が半分ずらされ、浅黄(あさぎ)色の内掛けが掛かっていた。

 

 大長は静かに棺に近寄り、内掛けをそっとずらせた。

 ラシャの敷物に横たわるのは、碧緑(へきりょく)の髪が緩く波打つ、飴色の肌の女性。

 閉じられた唇も睫毛も瑞々しく、今にも明るい茶色の瞳を開きそうだ。

 

 大長は黙って懐に手を入れ、運んで来た物を取り出す。

 蒼の里の自宅の前で育てている、鈴蘭の花。

 柔らかな曲線を描くその一房を、彼(か)のヒトの胸に置き、内掛けを滑らせて閉じた。

 

 静かに黙祷し、数歩下がって、後方に控える老人達に向き直る。

「葬儀は……」

 

「明朝。貴方様にお逢いしたかろうと、延ばしておりました。これで、浅黄様もお心残り無き物と」

 

 

「心残り!? 大有りだ!!」

 

 御簾が乱暴に跳ね上げられ、一人の娘が踏み込んだ。

 

 飴色の頬の上に真っ白な白眼、その中の瞳は茶色というより燃えるようなオレンジだ。

 波打つ前髪は頭の上に櫛で留められ、後ろ髪は襟足でキッチリ切り揃えられている。

 まるでつい最近切り落としたように。

 凛とした表情、ヘの字型に尖った唇……ホンの少し、棺の女性に面影が似ている。

 

「モエギ殿、慎みなされ。蒼の大長殿の御前ですぞ!」

 老人の一人が口を開けたが、娘はまったく聞こえていないかのように続ける。

 

「里の行く末も定まらぬまま、卑怯な連中の刃に掛かった。安らかになど眠れるものか。きっちり仇首を取るまでは」

 

 神聖な祠で物騒を口走る娘を、老人達はおろおろと持て余すばかりだが、大長は目を見開いて娘を凝視した。

 

「……モエギ? モエギなのですか? 貴女があの時の? 何とまあ……」

 

 娘は一瞬止まったが、すぐまた客人と老人達を睨み付けた。

 

「あんた達が軟弱で腰抜けで、自分達の長の仇も討てずに腑抜けているのなら、それでいい。私は独りでやってやるから!」

 

 言うだけ言うと、内掛けの上にぽんと何かを投げて、誰に何を言う間も与えず、疾風のように出て行ってしまった。

 

「も、申し訳ありません……まったくあの娘は……」

 老人のしどろもどろの言葉より、大長は、浅黄の布の上の一房の鈴蘭に心奪われていた。

 里の長の自宅の庭でさえ、終わりかけの一輪だったのだ。

 更に南のこの地では、探し出すのに苦労したろう。

 

 西風の里の長、浅黄の君の、こよなく愛おしんだ花。

 

 君影草(きみかげそう)……

 

 

   ***

 

 

 緋色のマントをはためかせ、オレンジの瞳の娘は馬を駆り、夜の砂漠を行きつ戻りつしていた。

「ちくしょう!」

 

 西風の妖精をはじめ、この地の人外達の乗る馬は、見た目は人間の馬と大きく変わらない。

 砂に強い地場産の馬をベースに、それぞれの部族独自のやり方で、自分達に合った馬を創り出している。

 西風の里では、里内に湧く霊泉と吹き抜ける西風の息吹を与え、風に乗れる馬を育てる。

 

 それでも、蒼の妖精の草の馬のような『飛行』は出来ない。

 砂の上を滑らかに疾駆したり、丘ひとつ越えるジャンプが出来る程度。

 同じ風の妖精なのに、随分違う。

 

「偉そうに上から見下ろしてやがって」

 モエギは忌々しげに奥歯を噛み締めた。

 

『蒼の一族の方々は、我々とは出来栄えが違う、一段高い次元におわすのだ』

 元老院の老人達は事ある毎に言う。

「知った事か。私は誇り高い西風の浅黄長の娘。あんな青っ白(チロ)いナヨ男になんぞ、へりくだってたまるか」

 第一、古くからの友好族だというのに、西風がどんなに疲弊しても放ったらかしだった。

 母者がみまかってから、初めてのこのこやって来て……

「今更・・!!」

 

 

 不意に風切り音がして、鮮やかな緑色が娘の前に降り立った。

 蒼の大長を乗せた草の馬。

 草の間に清浄な気を蛍火のように瞬かせる様は、確かに美しく神々しい。

 

「砂の民も結界を二重三重に張っているらしいですよ。そう簡単には見つからないでしょう」

 

 ナヨ男の正論は、娘の神経を逆立てさせた。

 

「そこをどけ!!」

「…………」

「私はそちらへ行くんだ、邪魔だ、どけ」

 

 こんなだだっ広い場所で邪魔もクソもない物だが、大長は黙って身を引いた。

 

 ズカズカ馬を進める西風の娘の背に、そろっと声が掛かる。

 

「浅黄(あさぎ)殿は病死だと聞いて来ました……」

 

 娘は瞳を燃え立たせて振り向いた。

「何が! 砂の民の卑劣な嘘に騙されたんだ! 同盟を結ぶと偽って、奴等、剣に毒を塗って交渉の席に来たんだ!」

「…………」

 

「里の者は皆腑抜けだ。こんな事をされて、黙って耐えろって言うんだ。私は違う。誇り高く仇を討つ!」

 

 大長は何とも微妙な表情で黙っている。

 モエギは前に向き直り、押し殺した声で聞いた。

「……何しに、来たんだ?」

 

「はあ、貴女の様子を見に……」

「違う! 何をしに西風の里へ来たと聞いている! 何故、母者が存命の内に来なかった!?  一度も!」

 

 大長は黙っている。

 

 そうだろうな、今更どんな言い訳をしたって遅い。

 モエギは背筋を伸ばして馬を速めた。

 

 去りかける娘の耳に、呟くような声が入った。

「あの方と私は、縁が薄かったのです」

 

 娘は激しい眼をして振り向いた。

 歯をギリギリ言わせて、投げつける言葉すら見付からない、そんな顔を背けて、今度は二度と振り返らず、馬の腹を蹴って駆け去った。

 

 

 大長は茫然と立ち尽くしていた。

 上空の風が澱んでいる。

 

 この地方の空を渡る風は、西風の長の一族が管理していた。

 生者の営みの様々な業から生み出される濁った澱は、毎朝の清浄な西風によって清められる。

 そうして砂漠を生きる者達は、新鮮な一日を始められるのだ。

 

 その西風の長が、草葉に隠れてしまった。

 後継は育っていない。

 

 折しも東方よりフレグという人間の王が進出し、安寧を乱し始めた。

 風が止まった上に、悪い気が溜まり流れない。

 水は濁り、病が流行り、人外の部族も苛立って荒んでいた。

 

 西風の老人達は、こうなって初めて、北の草原の蒼の一族に文を送って、援助を依頼して来たのだ。

 

「風を流すだけなら簡単です。しかし染み付いてしまったこの澱は……単純な風の術では洗い流せないのかもしれません」

 大長は溜め息を吐いて、西風の里へ馬を向けた。

 

「本当に……もっと早くに助けを求めてくれれば……」

 

 

 

 

 

 月明かりに砂塵が舞う。

 砂嵐の中に取り残されたようにモエギの騎馬が立ち尽くし、周囲に数体の騎馬が囲んでいる。

 

 灰色マントの男達は、蹄が平たく毛深い、筋骨隆々とした馬に乗っていた。

 妖精と砂漠のジンの中間種族、ここいらで一番勢力の大きい、『砂の民』の部族だ。

 

「西風の娘だ!」

「ひっ捕まえろ!」

「気を付けろ、結構な跳ねっ返りだぞ」

 

 娘は剣を抜いて、迷わず刃の側を男達に向けた。

 

 男達は素早く散った。

「馬を狙え!」

 

 砂塵の中から石を両端に結んだ紐が飛ぶ。

 馬は脚に紐を絡ませ、悲鳴を上げて止まってしまった。

 

 娘は馬から飛び降り、剣を真上に掲げて、呪文を唱えた。

 キンキンと火花が散り、風の刃が四方に飛ぶ。

 

 男達は怯んだ。

 

「お前等、退け!」

 

 後方の小高い丘で声が響いた。

 灰色の騎馬達は即座に四散する。

 

 一頭の真っ黒い騎馬が、丘を飛び越え躍り出た。

 一際逞しい漆黒の馬に、黒マント黒覆面の騎手。剣を抜いて突進し、飛び交う風の刃をすべて叩き落として、あっと言う間に風使いの娘に迫った。

 

「よぉ、久し振りだな、じゃじゃ馬娘」

 

 言いながら、彼女の剣を跳ね上げる。

 細身の剣は大きく飛んで、離れた砂地に刺さった。

 

「相変わらず阿呆だな。簡単に剣の刃の方を向けるんじゃねぇよ」

 

「うるさい! 裏切り者! 裏切り者!」

 

 漆黒の男は覆面を引き下げた。

 意外と年若い、砂の民の青年。

 底の底まで真っ黒な瞳で、鋭く西風の娘を見据える。

 

「どっちが裏切りモンだ! 先に非道をやらかしたのはそっちだろが!」

 

「何を!」

 

 

 砂を蹴って、二頭の小さな騎馬が、モエギの両脇に駆け込んだ。

 西風の里の男の子達。

 一人は、大長をカンテラで出向かえた子供だ。

 

「モエギ様、助太刀に来ました!」

「浅黄様はお優しかった。あの方の仇討ちなら、ボク達だって戦います!」

 

 地上の娘と馬上の青年は、一瞬躊躇した。

 

 

 突風が吹いた。

 その場の全員が伏せねばならぬような、強力な風。

 風の中からつぶてが飛び、黒の青年と小さな二人の剣を、正確に跳ね上げた。

 

 四人が振り向いた月光の下、背の高い騎馬が群青色の長い髪をなびかせて、険しい顔で立って居た。

 

 突然現れた見知らぬ妖精に、灰色の砂の民達は緊張して剣に手を掛ける。

 そのヒトは周囲の男達に一瞥もくれず、静かに馬を進めて中央の四人の方へ向かう。

 

 砂の民の男達は一歩も動けなかった。

 そのヒトから殺気が全く感じられず、空気のようだったからだ。

 

 蒼の大長は四人の前に進み出て…………

 フイと横に歩き、足に紐を絡ませて不安そうに棒立ちしているモエギの馬に近寄り、下馬して紐を切ってやった。

 それから唖然としている四人の内の、小さな二人に微笑みかけた。

 

「勇気があるのは結構。大事なヒトを守りたい気持ちも分かります。しかし、自らの身も大切にしなければなりません。貴方がたを育んでくれた彼(か)の方の為に」

 

 二人の少年は唇をキュッと結んで俯(うつむ)いた。

「里へ戻りなさい。貴方達の姫は大丈夫ですよ」

 

 少年達は頷(うなず)いて、素直に馬を返した。

 灰色の騎馬達が二人に手出ししないのを見届けてから、大長は今度は娘に向いた。

 

「貴女の憎しみが小さい者にも広がる。良い事だと思いますか?」

「……!」

 

 モエギが口応えをする前に、黒の青年が叫んだ。

「その男を信用すんな! 早くにこの丘の向こうに来ていたのに、傍観していたんだ!」

 

 娘の瞳にまた激しい火が燃え上がった。

「やっぱりあんたはウワベだけだ! そうやって高い所から見下ろして。許さない、絶体に信用なんかしないからな!」

 

 娘は素早く剣を拾って馬に飛び乗り、緋色のマントを翻して駆け去ってしまった。

 灰色の騎馬達が追う素振りを見せたが、青年が目配せで止めた。

 

「ああ……貴方のお陰で決定的に嫌われてしまいました」

 長い髪を掻き上げて青年に向き直る男性を、灰色の騎馬達が取り囲んだ。

 しかしそのヒトはお構い無しに、青年だけに話し掛け続けた。

 

「手出ししなかったのは、あの娘が大丈夫だったからです。貴方が来ましたからね」

 

 長い髪の妖精は漆黒の青年をじっと見据えた。

 黒い瞳の奥の奥まで……・・・・

 

「!!??」

 青年は本能で危険を感じ、掌で目を覆って馬を後退りさせた。

 

「……砂の民の総領息子の……ハトゥン……良い名前ですね。父君はご健勝ですか?」

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:君影・表紙
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君影・Ⅱ

 

 

 モエギは砂の原をトボトボと馬を進めていた。

 停まると泣いてしまいそうだったからだ。

 

 剣を弾かれ万事休すの所に蒼の大長が来た時、嬉しがった自分がいた。

 母と自分を大切に思ってくれていたんだ……心の奥でそうあって欲しいと望んでいたからだ。

 情けない…………

 

「あのヒトは、子供らに対するうわべの義務で来ただけだ」

 

 

 

 

 遠く北の緑豊かな草原に、草の馬で大空を駆ける友好族がいると聞いた時、幼い胸が踊った。

 

「いつか、ここへ来る?」

「そうね、いつかね……」

 

 微笑む母がふと遠い目をしたが、小さなモエギには分からなかった。

 ただ、憧れの気持ちだけが大きく胸に広がった。

 

 しかし、大きくなると、古い老人や口さがない大人達に、色んな話を聞かされる。

 自分が生まれる前は、蒼の里と結構交流があったのだと。

 それどころか、西風の長の血を引く母と、北の草原の蒼の長の縁談が、何度も持ち上がっていたと。

 

 西風には、長の他に、僧正を頂とする元老院があり、双方話し合いながら政(まつりごと)を進めるのが慣習となっている。その元老院が、蒼の里との手堅い血縁を結びたがっていた。

 

 一度目は、母の父がまだ西風の長として健在だった時代。

 浅黄には複数の兄がいて、彼女が外に出ても、西風は跡取りに事欠かなかった。

 

 元老院がサクサクと話を進め出した最中、砂漠の地の情勢が悪化し、長と兄達が次々に戦死。

 急遽、浅黄が長に奉り上げられ、輿入れの話は立ち消えた。

 

 二度目は、蒼の里で三人の弟子が長を襲名し、元の長が大長を名乗るようになった頃。

 里は、長となった弟子達に任せて、大長殿が通ってくれれば……元老院はそんな図を描いたが、浅黄の君が一蹴した。

 弟子の一人は眠ったままだし、後の二人も成長途上の手放し出来ぬ状態で、煩わせる訳に行かぬでしょう……浅黄は、老人達も知らない蒼の里の事情に、妙に詳しかった。

 

 三度目の正直。

 眠り続けていた弟子の一人が目覚め、大長殿もそろそろ隠居状態となった頃。

 情報を聞き、今度こそ身軽に西風の里へ来て頂けるだろうと、老人達は浮かれた。

 

 しかし……浅黄の君が、突然身籠った。

 相手は誰か、浅黄は頑なに語らない。

 

 幾ら何でも、これは蒼の大長殿に非礼過ぎる。

 以来、西風の一族と蒼の一族は疎遠になった。

 

 

 

 

 今回、他部族との争い続きで若者が絶滅し、浅黄の君まで亡くなって、やっと蒼の里へ正式に援助を依頼したのだ。

 過去の事を水に流して来てくれた大長殿にエラい言い方をしてしまった物だが、モエギには腑に落ちない事が多々あった。

 

 聞けば聞くほどまどろっこしい!

 そんなに周りに流されてばかりで、自分達の気持ちは何処へ行ったのか。

 周囲の事情なんか一切後回しに、さっさと結ばれてしまえば良かったのに!

 

 

 

 不意に、馬が立ち止まった。

「??」

 立ち止まった拍子に、前髪を束ねていた櫛が落ちた。

 緑の玉の付いた櫛は膝で跳ねて、手をすり抜けて地面に落ちてしまった。

 

「ん、もう……」

 母の仇討ちを誓った時、長かった髪をバサリと切り落としてしまった。

 しかし母の形見のこの櫛だけは、身に付けていたかったのだ。

「やっぱり無理があるのかな」

 モエギはうなじの髪を指ですいてみながら、馬を下りた。

 

 岩と岩の間の砂地に落ちた櫛に手を伸ば……??

 今、櫛が動いた気がした?

 

 馬がスヒン! と鳴いて、後退りした。

 危険と感じなければいけないのだが、娘は櫛に気が行って、一瞬の判断が遅れた。

 

 地面全体が揺れ・・・・・・!

 

「流砂!!」

 

 慌てて掴まるものを探すが、周囲の岩も浮き石で、共に流れて行く。

「……!!」

 

 遥か後方に逃れた馬は無事だった。

「誰か呼んで来て!」

 馬は地平に消えたが、間に合うだろうか?

 

「何て間抜けなんだ!」

 砂漠の民の名が泣く、馬が教えてくれたのに!

 

 目に見える周囲の石はゆっくり動き、流砂の境目が分からない。

 下手に動くと埋まる速度が早くなるだけ。

 辛うじて大きな石に掴まり身体を保つが、その石もゆっくり沈んで行く。

 こんな所で埋もれて終わるなんて……

「まだ何にもしていないのに!」

 

 砂を噛んだその時、目の前に小石を結んだ革紐が飛んで来た。

 助かった!? 革紐の先を見やると……

「!!」

 

 蒼の大長が、少し先の大岩に腹這いになって、繋いだ革紐を送り出している。

 

 モエギは掴みかけた両手を離した。

 大長の顔が戸惑う。

 

「……掴んで下さい」

 

「い・や・だ!! 本当は助けたくない癖に。私が沈んでいい気味だと思っているんだろ」

 

「何でまた、そんな風に思っちゃうんです」

 

 更に砂が流れて、娘は遠ざかる。

 大長は岩から這い降り、流れる砂の中、四つ這いで娘の方に這って来た。

 

「な、何やってる、来るな! 流砂を知らないのか、沈むぞ!」

 

「だって貴女が来てくれないなら、こちらから行くしかないじゃないですか」

 

 

   ***

 

 

 大長は半分埋まりながらモエギに辿り着いた。

 

「あんた、私を嫌いなんだろ!?」

 モエギは彼の手を振り払った。

 

「だから、何だってそう思うんです?」

 

「私が生まれなければ、想い人と一緒になれたんだ。私のせいで愛する人と引き裂かれたんだ」

 

 砂の中で、大長は目を真ん丸にした。

「……誰……と……??」

 

「だから、母者と! 浅黄の君と!」

 

「?!」

 大長は一瞬固まって、その後、大真面目に叫んだ。

「冗談じゃありません! 何処からそんな話になるんです!? 誰が誰と一緒になりたかったですって? ごめん被(こうむ)ります。あんな怖いヒト!」

 

「え・・ぇえ??」

 

「いつもいつもヒトの事、軟弱だの腰抜けだの。やっとその口が黙ったと思ったら、おんなじ顔の貴女が現れて、同じような事を言うんですもの。目眩がしましたよ! うわっぶ……」

 

 呑気に喋っている間に、いい加減砂に埋もれて、口が塞がった。

「馬鹿言って……ゲホゲホ、ないで……ケホホ……とっとと掴ま……」

 

 モエギは茫然と言われるまま、大長の両肩に掴まった。

 

 二人が砂に呑まれる直前、砂の海スレスレを草の馬が飛んで来て、突き出た大長の手が彼の蹴爪をキャッチした。

 風の瞬きと共にザフンと引っ張り上げられる、砂まみれの二人。

 

 

 安全な岩の上で、二人はゲホゲホと口の中の砂を吐いた。

「あんたまで付き合う事なかったのに」

「ホントです……もうゴメンです……ケホホ……」

 

 娘は手の中の痛みに気が付いた。

 掌に櫛を握りしめたままだった。掌を開くと、櫛の歯の跡が白く残った。

 

 大長がそれを覗き込む。

「翡翠の珠の櫛……」

 

「ヒスイって言うのか、この石。母者の形見だ」

「それ、私の父が、浅黄の君にあげた物です」

 

「え!?」

 モエギは戸惑ったが、大長は慌てて言った。

「ああ、そんな特別な意味はなくて。私の父と、浅黄殿の父君は旧知で、子供の頃はしょっちゅう父と西風の里を訪れていました。その時のお土産の一つですよ」

 

「ふうん……」

 モエギは櫛を掲げて眺めた。

 遠くの、緑の草原の国から来た物だったのか……

 

 大長は膝を抱えて座り込んで、何処とは無しの遠くを眺めた。

 

「浅黄殿は私よりちょっと年上で……そう、さっきの少年達と貴女位な感じでした。私が父に叱られて、こんな感じで座り込んでいると、後ろからそっと近付いて……」

 

「慰めてくれたのか?」

 

「背中からトカゲを入れられました。昔からホンット、意地悪なヒトで……」

 

「…………」

 

「西風の元老院とうちの年寄り達がしょっちゅう私達をくっ付けようと盛り上がっていましたが、私達にはいい迷惑でした。そんなんじゃないんです。そういう縁ではないんです、あのヒトと私は。いっつも二人して苦笑いして………………………

                  …………………………

 

 長らく言葉が途切れて、不思議に思ったモエギが覗き込んで、慌てて目を逸らせた。

 

「すみません、ちょっと、泣きます……」

 片手で目を覆って、そのヒトは丸くなった。

 

「律儀だな、あんた。泣くのにいちいち断んなくていいのに」

 

 群青色の髪を肩から滑らせて、そのヒトは暫く震えていた。

 男が泣くなんて、以前は女々しいと思っていたが、今はそうは思わなかった。

 

 

「蜜柑の蜂蜜漬け、食べた事、ありますか?」

 そのヒトが目を拭いながら、唐突に聞いた。

 

「え? あ、ああ、母者がよくくれたっけ。北方の縁者からの土産だと…………?? ・・!!」

 モエギは目を見開いて、大長をマジマジと見た。

 

「一度も会いに行かなかった、なんて事はないです。老人達が大騒ぎするので、内緒でちょくちょく会っていました。決して、貴女のせいで疎遠になったとかは無いですから」

 

 モエギは真っ赤になって俯(うつむ)いた。

 自分で決めつけて勝手に拗ねていただけなんて……

 

「貴女はホント、浅黄殿にそっくりですねえ」

 大長がポツリと言った。

 

「まさか」

 モエギは俯いたまま否定した。

「さっきも『おんなじ顔』とか言ったけれど、どこが? 母者みたいに綺麗でも朗らかでもない。おまけに能力も受け継いでいない。せいぜいしょぼいカマイタチ。里では鬼子で通ってる」

 

「そうでしょうかねぇ。私に言わせれば、瓜二つなんですが」

 大長は目の前で指を立てて数え始めた。

「まず、ガサツで口が悪い。そそっかしくて早とちり。ドジ、意地っ張り、跳ねっ返り」

 

「……おい!」

 

 大長はすまして指を折り続ける。

「そして真っ直ぐで決して折れない。弱い者を守る、慈しむ」

「……私は、違う……」

 

「優しさは父君譲りですね。その瞳の色も」

 

「父を、知っているのか!?」

 モエギは飛び上がった。

 母すら教えてくれなかった事。

 

 大長はケロリと答えた。

「ええ、父君にもよく相談されていましたから。とっても優しいヒトでしたが……病を持っていました。砂の民の殿方で……」

 

「す・な・の・た・み・!?」

 モエギは血の気が引いた。

 母の仇の血が、自分に!?

 

「ああそうだ、その事で貴女に言わなくちゃ……」

 

 草の馬が甲高い声を上げた。

 

 大長は立ち上がった。

 額に手を当てて集中する。

 

「ど、どうしたんだ?」

 

「乗って下さい!」

 

 モエギを前に乗せ、大長は馬を急発進させた。

 

 

 

 

 




挿し絵:二人
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君影・Ⅲ

 大きな草の馬は、稲妻の速さで空を駆けた。

 経験した事のない速度。

 モエギはタテガミにしがみつくだけで精一杯だった。

 そんな意地も吹っ飛ぶ光景が目の前に現れた。

 

 砂の原に、見た事もない羽根のある蜥蜴型の魔物が、十何匹も輪になっている。

 輪の中心にモエギの馬と、カンテラを持った二人の子供の騎馬。

 馬にモエギの危機を知らされて、また里を抜け出したんだ。

 

「モエギ様~~!」

 

「待ってろ、今行く!」

 

 モエギは馬から飛び降り、剣を抜いた。

 

 しかしモエギを降ろすと草の馬は、大長を乗せたまま上昇して行ってしまった。

「?? あんた?」

「大長様ぁ~~」

 

「自分達の事は自分達で解決しましょうね――」

 大長はそのまま高く昇って行った。

 

「えええっ!?」

「そんなぁ~~」

 

 いったい何なんだっ。

 今しがた、良いヒトって思った所なのにっ。

 

 大蜥蜴達は舌嘗めずりしながらほくそ笑んだ。

 仲間内で何やらボソボソ相談し合い、的を子供達に絞っている。

 この手の輩の目的は概ね一つ、結界の入り口を子供に吐かせて略奪に踏み入りたいのだ。

 

 蜥蜴達が羽根を広げて飛び掛かろうとした瞬間……!

 

 包囲の一画が崩れた。

 

 漆黒の騎馬を先頭に、灰色の騎馬の一団が蜥蜴の中に斬り込んで来た。

 

「ドジ姫、ボサッとしてんじゃねぇ! 大事なちびっこナイトを守ってやらにゃ!」

 

「う、うるさい! お前らの助けなど……!」

 モエギも乗馬して、黒の騎馬と背中合わせに、子供達を囲った。

 

「助けじゃねぇ! こいつら、俺等の敵でもあるんだ」

「え?」

 

 一瞬気が反れたモエギの頬を、何かがかすめた。

 

 ――ザシュ!

 

 ハトゥンが立ち塞がり、剣を一閃。

 大蜥蜴が真っ二つになって宙を飛んで行く。

 

「!!??」

 

「ステルス能力。こいつら光の加減で姿を隠せるんだ。交渉の席でいきなり両側に攻撃を仕掛けて来たのは、こいつらだ!」

 

「何だって!?」

 

「こいつら流れモンだ。有力な部族同士を争わせて、漁夫の利を得ようとしやがった。水場のある土地を欲しがっているんだと」

 

「……!!!」

 

「あのヒトが教えてくれた」

 ハトゥンは上空の緑の馬を視線で指した。

「ちょっと冷静に調べれば、すぐに分かる事なのに、って言われた。俺等も頭に血が昇ってた……ごめん……」

 

「ああ、私こそ……すまない……」

 

 二人は背中を合わせ、力強く剣を構えた。

 

 

 モエギとハトゥン、そして灰色の砂の民の騎馬の働きで、大蜥蜴達は蹴散らされた。

 

 しかし逃げた何匹かが上空で集まった。

 しくじった、体勢を建て直そう、なに、西風の部族は弱体化している、もう一押しで……

 

 ――!!??

 

 彼等の目の前に、群青色の長い髪にオーラを纏わせた騎馬が、スゥッと降りて来た。

 

「運が悪いですね、私は、今、モノッすんっごい、機嫌がワルいんですっ!!」

 

 

 

 長い夜が明け、東の地平に赤みが差した。

 

「大長様、意外と薄情なんですね」

 小さいナイトの一人が言う。

 

「あのヒトに掛かったらこんな蜥蜴ども、一撃で終了だ。でもそれで済ませていいのか? って話だ。解るか?」

 ハトゥンは幼い顔の少年に、噛んで含めるように言った。

 モエギもハトゥンの横顔を見て、素直に頷いた。

 

 あのヒトは、母者と西風の里を尊敬し、信頼していたから、内情には干渉せず、ただ友人として付き合っていたのだ。

 そして母者は思わぬ事態で命を落とした。

 それだけだ。

 後悔しても何も変わらない。

 多分もう、そういうのは済ませてここへ来たのだろう…………

 

 

「やれやれ」

 大長は、剣の穢れを祓って収め、西風の里へ馬を向けた。

 彼(か)のヒトの葬儀に立ち会わねばならない。

 

「まったく、どうして、こう、いつもいつも……」

 

 

 

 明るい茶色の瞳のその少女は、彼を通り越して、いつも後ろのヒトを見ていた。

 そのヒトに貰ったオモチャみたいな櫛を、後生大事に持ち続けていた。

 

 彼女が、砂の民の余命幾ばくもない青年と真剣な恋に落ちた時も、彼は、相談に乗り親身に励ます役だった。

 彼女が愛するヒトの分身を身体に宿してそのヒトを見送った時も、彼はずっと傍らに居た。

 

 だけれど彼女は、それ以上寄り掛かってはくれなかった。

 

 そういう間柄なんだ。

 そういう縁(えにし)薄い間柄でいたからこそ、気安く長らく、隣にいられたんだ。

 

 

 

 萱船に乗せられた棺が池の対岸へ渡る。

 そこで彼女はゆっくり大地に還る。

 

 上空に綺麗な風が吹いている。

 風はそのヒトを送るため、空一面に、鈴蘭の原のような美しい鱗雲を作っていた。

 

 

 

             ~君影・了~

 

 

 

 

 

 

「おい、おっさん!」

 

 蒼の大長は一瞬止まって、キョロキョロと辺りを見回した。

 

「あんただよ。いつまでも『あんた』じゃ悪いから、呼び方を変えたんだ」

 オレンジの瞳の娘は屈託なく言い切った。

 

「それで、『おっさん』ですか? もうちょっと、その……」

「おっさんだからおっさんだろ。それとも、『おじ様』とでも呼んで欲しいのか?」

 

「……保留にして置いて下さい」

 どうして普通に『大長さん』とか思い付いてくれないのだろう。

 

 

 西風の里の長、浅黄の君が亡くなって幾ばくか経ったが、里の再生の道は容易ではない。

 若者の殆どが戦で命を落とし、子供達を教育する者もいない。

 長の血筋はこのモエギだけなのだが、風を流す能力を継承しているかは怪しい。

 

 大長は西風の里に留まり、様々な世話を焼いていた。

 

 朝夕の砂漠の風を流す生業や、病気の治療、萬(よろず)相談、その他諸々。

 だが何と言っても、このヒトが居るだけで、他の乱暴な部族からちょっかいを掛けられない事が大きかった。

 元老院は大長に、里の運営も任せてしまいたい風だったが、そこはやんわり断っていた。

 

 

「また年寄り達にゴチャゴチャ言われたのか?」

 モエギは牧草地の柵に腰掛けて、干し肉を半分に裂いて、大長に寄越した。

 

「はぁ、西風の里は、この地に根を降ろした此処(ここ)の者が営むべきなんですよ。それを途切れさせるのは、『良くない』です」

 大長は干し肉を受け取って、固そうに端っこを噛んだ。

 

「良くないってあいまいな理由だな、そんなんじゃ年寄り達、納得しないだろ」

「大切な事なんですけれどねぇ」

「ふぅん、まぁ、おっさんが言うのなら、そうなんだろ」

 

 モエギは、塊の干し肉を難なくガシガシ噛み切った。

 

「そうそう、貴女の縁談も相談されました」

「何だよそれ、本人の居ない所で」

「取り敢えず私はお断りしました」

「あはは、うん、そうだろうなっ」

 

「そしたら、蒼の里の三人の長殿はどうかって」

「諦めが悪い」

「と言っても、二人は既に妻帯者だし、残る一人は……」

 大長は目を閉じて、モエギと彼が対面した図を想像した。

「……多分、会った瞬間バトルになります」

「なんだそりゃ」

 

「そしたらね、妻帯者でも、第二夫人でどうかって」

「バカにしやがって!」

「まぁ、一人は妻一筋だし、もう一人はそんな事やらかしたら細君に半殺しにされます」

「あっははははは」

 

 噛んだままの干し肉が、笑い声と共に上下する。

 こういうのを愛でられる奇特な人種でないと無理だろうな。

 

「その内誰か一人来ますよ。私と交代で」

 モエギは干し肉を呑み込んだ。

「・・おっさん・・帰るのか?」

 

「おっさんはこれでも忙しいんです。里に修行中の弟子もいるし、何やかやと用事もあるんです」

「そうか……」

 モエギは心細そうに睫毛を伏せた。

 

 

 馬繋ぎ場の方から、小さい騎馬が駈けて来た。

 ちびっこナイトの一人だ。

「ハトゥン様からです」

 懐に大事にしまっていた手紙を、モエギに差し出す。

 

 手紙を開く娘の頬の温度が上がる。

 ああ、ちゃんといるじゃないか、奇特な人種。

 

 長は柵から反動を付けて離れた。

「蒼の一族はね、風と大地を司るんです」

 

「??」

 モエギと少年はキョトンとした。

「大昔、風の力しかなかったご先祖が地上に降りて、今の場所に住んでいた大地の妖精と交わったんです。そして良い所も悪い所も分け合って、蒼の一族になったんですよ」

 

「…………」

 

「純血だのに拘る必要は無いって事です。交わって未来を開くケースも……うわっぷ!!」

 

 背後から首に飛び付かれて、大長は腰が砕けるかと思った。

 

「おっさん! おっさん大好きだ、ありがとな!」

 

「分かりましたから、全体重で来るのはやめてください!」

 

 彼女なりに悩みは深かったんだろう。

 

 

 

 

 砂の民の街は、少しの山と砂の丘に囲まれた、風の来ない盆地にあった。

 

「あの建物だけれど……」

 中央から離れた、ひなびた山の中頃、灌木の繁みに隠れて、ハトゥンは、モエギに言われた名前の者の家を指差した。

 疲れた感じの老夫婦が寄り添うように、薪を束ねたりの外仕事をしている。

 

「誰なの? 仇とか言うなよ」

「うん……」

 

 

 

 

 大長はその名前をモエギに告げて、こう言った。

「母君が、貴女の父君の名前を明かさなかったのは、その頃の両部族の関係が良くなかったからです。あと……」

「??」

「貴女を独り占めしたかったのもあるでしょうねぇ」

「母者……」

 

 

 

 

 モエギは灌木の中で立ち上がって、真っ直ぐに、その老夫婦の所へ歩いて行った。

「おい?」

 ハトゥンが慌てて着いていく。

 

「こんちは!」

 突然現れた異種族の娘に、夫妻は目を丸くした。

 

「それ重いだろ。私が運んでやるよ」

 娘は薪の束をヒョイと担ぐ。

 

「あ、あの……」

「心配すんな。私は力持ちなんだ」

「はあ」

 

 茫然と突っ立っているハトゥンに、娘は振り向いた。

「ほら、お前も手伝え」

「あ、ああ……」

 

 総領息子の登場に、夫妻は狼狽する。

 

「あっ、だめ、そこは踏むな!」

「??」

 踏み出そうとした彼の足元を、娘は指差して怒鳴った。

 そこには濃い緑の野草の葉が、無造作に繁っていた。だがよく見ると、古く石で囲われて一段高くなっている。

「植えているのか、これ?」

 

「いえ、花壇なんですか? ……気付きませんでした」

 ただ家の前の繁みに生えている雑草、夫妻は知らなかった風だ。

 

「花が咲く。すこぶる良い香りの花だ、なぁ、爺さん婆さん」

 

 異種族の娘に言われて、夫妻は、確かに春はその辺で、白い小さな花を見かけていたのを思い出した。花の香りなど、ここ何年も気に止めた事も無かったが。

 

「成長が遅くて育てるのに根気のいる野草だと聞いた。ここまで増えているなんて、これを植えたヒトは、きっと草花の事を良く知った、優しいヒトなんだろうな」

 

 夫妻はハッと目を見開いた。

 

 ハトゥンはキョトンと、老夫婦と娘を見比べている。

 

「おら、とっとと手伝え」

 

「分かった、分かったから蹴飛ばすなっ」

 

 訳も分からず力仕事をさせられる総領息子に、おろおろする老夫婦。

 かなり乱暴だけれど、この娘なりに、良い形を作ろうとしている。

 

 この盆地に、古い両方の部族に、新しい風が吹くのも、もうすぐだろう。

 

 

 

 

 

         ~おまけ・了~

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:西風の娘・1
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次回は少し短いお話です





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燕の受難・Ⅰ

ツバクロがひたすら酷い目に遭うお話


 

  

 

 

 青空に点が見えたかと思うと、あっと言う間に騎馬のシルエットになった。

 風切り音を唸らせ降下……と言うより落っこちて来て、地上近くで掛けたブレーキが風圧となって、すり鉢状に地面をえぐる。

 普通なら馬もヒトもGにヤラれてタダじゃ済まないが、このヒト達は平然としている。

 

「お久し振りです、大長」

 

「ご苦労様、ツバクロ。来て貰って早々文句を言うのも何ですけれど、もうちょっと静かに降りて下さい。西風の里の馬繋ぎ場は、そういう仕様じゃないんです」

 

 蒼の大長は、もうもうと立つ砂煙の中、砂を浴びてよろめいている老人達を助けながら言った。

 

「これでも手加減して降りたんだけれど……面目ないです」

 ツバクロは周囲を見回して、一人だけガッシリ踏ん張っている娘を見止めた。

 

「ヤッホ! 君がモエギ!?」

 

 

 西風の里に長らく滞在して世話を焼いていた大長だが、故郷の蒼の里にだって彼を必要とする用件が沢山ある。で、一時、三人の長の一人であるツバクロに任せて、里に戻る事にしたのだ。

 

 

「大長の手紙を見て早く会いたかった。ツバクロって呼んでくれていいよ。宜しくっ!」

「あ、ああ……宜しく……」

 

『あの』モエギが憎まれ口の一つも叩かず、心なしかドギマギしている。恐るべし、流し目王子。

 

 西風の里は戦の爪痕で、若者が極端に少ないが、年若な娘達は幾らか存在する。

 北の草原から竜巻みたいに降りて来た妖精が、絵から抜け出たような美男子だと聞いて、窓に鈴なりでワキャワキャとさざめいている。

 

「何処へ行ってもこの現象は変わらないんですねぇ」

「愛する女性はこの世に一人いれば十分です」

 こんな気恥ずかしくなる一言も、この男はさらりと言ってのける。

 

 側を歩いていたモエギが興味深げに聞いた。

「じゃあ、『妻一筋の長』ってのは、あんたか」

 

「やだなあ大長、僕らの事、このお嬢さんに何て説明しているんです?」

 大長が口を開く前に、モエギが答えた。

「『怖い細君の尻に敷かれている長』と、『モエギに会った瞬間バトルになる長』だ」

 

「大長、それ、的確だけれど・・あんまりだ・・クックク・・」

 

 

 引き継ぎは明日ゆっくりする段取りで、その日はささやかな歓迎を受けて、ツバクロは用意された寝所へ下がった。

 しかし夜中、日付が替わる頃、大長の部屋へ枕と毛布を引きずって入って来た。

 

「大長ぁ~~」

「どうしたんです、ソラマメ虫でも出ましたか?」

「床でいいから、こっちで寝かして下さぁい」

 流し目王子は情けない顔で床にヘタリ込んだ。

「この里のヒト達は何考えてんだ……」

 

 ツバクロは四つ這いで、そおっと入り口から外を伺った。

「……また来た」

「??」

「まるでカルガモの引越しのように、次から次へと女の子が訪ねて来るんです」

「…………」

 

「北の草原の話を聞かせてくれとか言って。最初はイチイチ話し相手をしていたんだけれど、一人帰るとすぐ別の娘が来る」

「…………」

「話を聞きたいんなら、まとめて来てくれればいいのに、あの娘(こ)達、仲悪いんだろか? 第一何だって夜更けにあんなに女の子がウロウロしているんです。親御さんは心配しないんですか?」

 

「ツバクロ……あのね……」

 長は、溜め息を吐いて、寝台の上にアグラをかいた。

「西風の里の老人達は、蒼の里の血統を入れたがっているんです。自分達より優位種だと思っているようで。実は違うんですけれど。言っても分かって貰えないのですよ」

 

 ツバクロは目を点にして、暫く考え込んだ。

 この男は一見こなれているようで、単に天然100%なだけだったりする。

 何せ足掛け数十年掛かりの恋を、何の躊躇もせず勢いで実らせたのだ。

 

「え、何? あの娘達、僕に、その、ぇぇえっ? そのまんまの意味っ!?」

「既成事実を作りたかったんでしょうね」

「はああぁぁあ~~っっ!?」

 

 紺色の癖っ毛をクシャクシャと掻いて、ツバクロは頭を抱えた。

「よくそう言うのに応じるね、あの娘達。純で素朴な、いい娘ばっかりと思ったのに」

 

 長は真剣な顔をして、彼を覗き込んだ。

「純で素朴だからですよ。里の将来の為だと言われれば、我が身は二の次になるんです」

「…………」

「娘達なりに一生懸命なんですよ」

 

 ツバクロは仔犬のような困り顔になる。

「……僕、どうすりゃ良かったんです?」

 

「そのままで良かったんですよ。娘達は勇気を奮って行ったけれど、蒼の妖精殿はその気にならなかった、それだけです、誰も叱られません」

 

 ツバクロはふと思い付いて、顔を上げた。

「もしかして大長もおんなじ目に遭いました?」

 

「私は初日は厩(うまや)へ避難しました」

 

 

   ***

 

 

 遥か北の草原から遠路飛んで来て、堅い床で寝る羽目になった憐れな妖精に、翌日更なる受難が待ち受けていた。

 

 朝、ツバクロが寝惚け眼で水場へ行った時、周囲が何だかさざめいた。

 特に気にせず顔を洗って振り向くと、凍り付いた表情のモエギが突っ立っていた。

 

「やあ、モエギ、おはよ……」

「私に・話し・掛・け・る・な!!」

 オレンジの目をギラギラとたぎらせて、彼女は大股で去って行った。

 

「……???」

 茫然と立ち尽くすツバクロの耳に、周囲の娘達の小鳥のような囁きが入る。

 カメを持った老人が現れて、カメを横に置いて、ツバクロに仰々しくお辞儀をした。

 

「夕べはお疲れの処、多々のお情け、感謝致します」

 

 ツバクロは首に掛けていた手拭いを落っことして、大長の所へ駆け戻った。

 

 

「最初に一人が見栄を張っちゃったんでしょうねぇ」

 大長は苦笑しながら、ツバクロに引き継ぐ仕事を書類にまとめていた。

「な、な、何とか、して下さい!!」

 

 ツバクロの寝所を訪ねた娘達が、自分一人だけ相手して貰えなかったと言えなくて、結局全員、目眩(めくるめ)くような夜を過ごした事になっていた。

 

 今日の午後には大長は帰ってしまう。

 ツバクロは『絶倫男』の烙印を押されたまま、一人この里に取り残されるのだ。

 

「だからって、娘達を嘘つきにしちゃ、可哀想じゃないですか」

「僕は可哀想じゃないんですかっっ!」

 

 途方に暮れるツバクロに、大長が一つの提案をした。

「取り敢えずモエギの誤解は解きましょう。彼女が何か良い知恵を出してくれるかもしれません」

 

「僕、外に出たくありません……」

 ツバクロは情けない顔で膝を抱えた。

 こんな仔犬のような男の何処がタネウマだっていうんだろう?

 大長は溜め息吐いて、モエギの説得を引き受けて、外へ出て行った。

 

「あんまりだ、僕が何をしたっていうんだ。これでも里に、年頃の息子娘がいるというのに」

 頭を抱えて一人部屋に残る妖精に、受難は追い討ちを掛ける。

 

 ――カツ、カツ・・

 窓のヘリを叩く者がいる。

 ツバクロはソロ~ッと戸口の方から外を見た。

 窓の所に居たのは厩(うまや)番の少年だった。

 ややホッとして、窓に回って顔を出す。

 

「何か用事かい?」

「あの……」

 少年は罰悪そうに、ツバクロを見上げる。

 

「貴方の草の馬……」

「んん? 奴は気性が荒いから。言う事を聞かないかい?」

「いえ、その……昨日の飛行を見て、カッコ良いなって……」

 

「ああ、はは、ありがとう」

 こんな子供には大人の卑猥な噂は届かないらしい、よかった。

 

「僕達もあんな風に飛んでみたいなぁって言っていたんです」

「うん、一朝一夕じゃ無理だ。でも、居る間になら少しづつ教えてあげるよ」

「それが、もう……」

 

「??」

「僕の相方が、ちょっとだけって跨(また)がって、急上昇して帰らないんです」

 

「なんだってぇえっ!?」

 

 

 ツバクロは弾かれたように外へ飛び出した。

 ふざけた視線など無視して、少年の案内で里を駆け抜ける。

 頬を染めた娘がきれいに洗った手拭いを差し出して来たが、それも無視した。

 

「何処で、どの位前!?」

「馬繋ぎ場で、ほんの少し前」

 

 ツバクロの『夏草色の馬』は、里でも飛び抜けて気難しく凶暴だ。

 ぶっちゃけツバクロ以外は馬銜(ハミ)も受け付けない。

 蒼の一族でもない子供にいきなり跨がられた日にゃ、気分を害して何をやらかすか分かったモンじゃない。

 

「大長の『闘牙の馬』は?」

「大長様が乗って行かれました」

「……じゃあ、君達の馬を貸して。なるべくバネのある奴」

 

 少年は見事な飛節の青毛の馬を引っ張り出した。

「一番ジャンプ力があります」

 

「良し、じゃあ君は、大長を捜して知らせてくれ」

 ツバクロはヒラリと馬に跨がった。

 

 風がヒュッと渦巻いて、馬の全身が総毛立つ。

「・・行け!!」

 

 西風の妖精の馬は草の馬とは違うけれど、ツバクロの飛行術は里一番だ。

 強力な風に包まれた馬は、馬自身もビックリする大ジャンプをした。

 

 少年は唖然と見送ったが、気を取り直して自分の馬を引いた。

 大長様の行き先はだいたい見当が付いている。

 

 

 

 

 




挿し絵:ツバクロ
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燕の受難・Ⅱ

ツバクロさんの受難は続く……



 

 

 

 

 西風の里を出て、ツバクロは一度も地面に着かずに馬を飛ばし続けた。

 当の馬は初めての体験に戸惑っている。

 

「大丈夫だ、僕に任せて置けば」

 ツバクロは馬に優しい声を掛け、自分の草の馬の気配を探した。

 

 アイツが無茶に飛んだのなら、気流の乱れた跡がある筈。

 目を細めると、風が千切れて一直線に切り開かれている。

 

「あっちだ、行くよ」

 乗り手が更に風を集めて、馬は心の準備も出来ないまま高空へすっ飛ばされる。

 ピィ~~と、鼻から悲鳴を上げるが、この乗り手は脚(きゃく)を緩めてくれない。

 

「いた!」

 

 前方に馬影を見付けた時は、この並みの馬はヨダレと鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

 

「おーい!」

 ツバクロが声を掛けると、馬上の少年は振り向いた。

 てっきり馬の背中に張り付いて泣きベソをかいていると思いきや、意外と涼しい顔をして、ツバクロに気付いて罰悪そうに身を竦めた。

 

 主を見止めて夏草色の馬は、早駆けしていた歩を止めた。

 こちらも予想と違って、そんなに不機嫌な様子ではない。

 

「ごめんなさい……」

 少年は上目で、追い付いて来たツバクロを見た。

 しかしその顔は頬を紅潮させ、直前まで時間も忘れて楽しんでいたように見える。

 

 ツバクロは馬を寄せ、少年に並んだ。

 夏草色の馬は主が別の馬に跨がってるのを見て、機嫌を害して、哀れな鼻水だらけの馬に噛み付きに掛かった。

「こらダメ、元々はお前が原因だろが」

 

 ツバクロが叱る前に、少年が馬の首に手を当てた。

 馬は意外なほど素直に首を下げた。

 

「へえ」

 草の馬が主の命令以外で、ましてや初対面の者の言う事を聞くなんてまず無いし、ましてや夏草色の馬は、里でも偏屈王で通っている。

 

「お前、どうしちゃったの?」

 再度並びかけながら、ツバクロは相棒に聞いた。

 馬はクルルと喉を鳴らした。

 いやぁボクとした事が……って感じの声だ。

 

「ちょっとだけ、のつもりだったんです……」

 少年は馬の背で言い訳をする。

 

「ふうん……」

 ツバクロは複雑だったが、ここは大人として懐深く対処せねばなるまい。

「説教は省略だ。反省は自主的にして置け。空を飛ぶのは初めてか?」

 

「大長様に一度、前に乗せて貰いました。その時大体の感覚を覚えたんです」

 

「ほお」

 確かにバランスも反動の抜き方も危なげない。

「じゃあ、里までそのまま一緒に降りよう。着地が一番難しい。実地で教える」

 

「は、はい!」

 

 

 二頭はゆっくり里へ向かった。

「あれ?」

 里の近くの洗濯板みたいな岩地の上に、大長とモエギ、それにハトゥンが手を振っている。

 

「あそこへ降りる。上体を逸らせて絶対に前屈みになるな」

「はいっ」

「口を閉じて奥歯を噛み締める」

「??」

「降下」

 

 ――――〇×○×####!!!

 

 少年が我に返ると、地上近くで、隣のツバクロが手綱を握ってくれていた。

 注意されていなかったら、馬の首に頭をぶつけて舌を噛んでいた。

 

 地上に着くと、ツバクロの乗っていた青毛は安堵一杯な顔で座り込み、夏草色の馬は今更ながら身を震わせて少年を落とした。

 

 

「えーと」

 モエギがこめかみをポリポリ掻きながら、罰悪そうに口を開いた。

「悪かったな、誤解して」

 

 ハトゥンがニヤニヤしながら歩み寄る。

「よ! 生殖一代男」

「勘弁してくれ」

 

「悪りぃ悪りぃ。とんだ災難だったな。とにかく西風の娘には気を付けな、可愛い顔して凶悪・・ぐふっ・・あ――、砂の民のハトゥンだ。この辺りの部族相手で困った事があったらいつでも相談してくれ」

 

「あ、ありがとう、助かるよ。ツバクロだ、宜しく」

 やっとマトモな言葉の通じる相手に出逢えた気がして、ツバクロはホッとした。

 

「それで、里の方の対策ですが」

 大長が二人をにこやかに眺めながら切り出した。

「モエギが良い案を出してくれました」

 

「ホントっ?」

 

「ああ、お前の潔白を証明しつつ、女の子達も責められない形にすればいいんだろ」

 

「出来るの? そんな事」

「あんたの協力も要る」

「勿論」

「良し!」

 

 蒼の長は二人の会話を聞きながら、ハトゥンの方を見た。

「いいんですか?」

「ああ、俺は全然構わないぜ」

 

 モエギはツバクロを真正面から見据えて言い切った。

 

「今からあんたは、私のハズだ!」

 

 

   ***

 

 

 西風の里の上空に死にそうな悲鳴が響き渡った。

 

 ドップラー効果と共に、ツバクロが自分の馬と一緒に降って来て、中央広場に大クレーターを描いた。

 真ん中で大の字で伸びる蒼の妖精。

 馬は難なく着地して、主をキョトンと見ている。

 

 老人達も、娘達も、何事かと集まった。

 

 一拍置いて、上空から闘牙の馬に跨がったモエギが降りて来る。

「申し開き出来るってんならやってみろ、この飄録玉(ヒョーロクダマ)!」

 

 馬から飛び降りて、長鞭を二重にしてビシビシしごきながら、倒れているツバクロに迫る。

 

「こ、これ、モエギ……」

 老人がおろおろと口を挟むが、身は挟まない。

 

「マ、マテ、モエギ、ゴカイダ」

 ツバクロは起き上がって後退りする。

 

「うわ、大根……」

 物陰の大長とハトゥンは首を竦めた。

 

 ……この作戦、僕の尊厳はどーなるんですか? と心配するツバクロに、『生殖一代男』とどっちがマシだ? と半笑いで迫ったのはハトゥンだった。

 

「モエギよ、どういう事じゃ?」

 老人の一人が杖の陰に隠れながら、そおっと聞いた。

 

「皆に内緒にしていたけれど、私、このヒトと付き合う事に決まっていたんだ。大長殿の仲介で。第二夫人でいいからと譲歩してやったのに、里の中に第三第四第五云々夫人まで作るとはぁあ!」

 

 モエギはオレンジの瞳をメラメラと燃え立たせ、鞭をヒュッと飛ばした。

 ツバクロの耳の横を鞭の先がかすめ、癖っ毛の先がハラリと落ちる。

 演技とは思えないんですケド……

 

「ダカラ、ゴカイダ。ボク、ナニモシテイナイ」

 

「まだ言うかァ――!!」

 ツバクロの大根はモエギの迫力で相殺する。

 

 再び鞭を振り上げた所で、娘の一人がヨロヨロと進み出た。

「待って下さい。……ごめんなさい、私、嘘付きました」

 それを皮切りに、娘達は次々に嘘を白状した。

 

 結局、蒼の妖精は娘の誰とも関わらなかった事が明白になった。

 やれやれだ。

 

 ツバクロは肩を降ろしたが、モエギはまだ止まらなかった。

「誰がこんな酷い事を企んだ!?」

 メラメラ燃える眼は老人達に向けられる。

 

「ひ、酷いとは? 里の将来の為、蒼の妖精の優れた血統を入れる事は重要で……」

 

「西風の娘達は、血を受ける器ではない!」

 モエギは目を見開いて一喝した。

 既に演技は終了していた。

 

 娘達は顔を上げた。

 誰に言われるでもなく、自分達の意思でモエギを見つめた。

 

「我が里の誇るべき娘達は、西風の血を伝える、一人一人かけがえのない娘達だ!」

 

 

「立派です。浅黄殿も喜ばれる」

 物陰の大長はポツリと呟いた。

 横のハトゥンは真剣な顔で、碧緑の髪が波打つ西風の娘を見つめていた。

 

 

 

 

 大長が出発の前に、ツバクロは例の厩番の少年を青毛に乗せて、里の者達に披露した。

 

 ホンの数刻ツバクロが稽古を着けただけで、この人馬は、草の馬に近い所まで飛んで見せた。

 もう一人の少年も、彼に及ばないまでも、今までと比べようもない飛行をやってのけた。

 

「出来ないと思っていただけじゃないんですか? 蒼の一族の子供と草の馬だって、飛行術をマスターするのに何年もかかるんだ。凄いですよ、この里の子供と馬の地力は」

 

 老人達は目を見開いて口をパクパクさせるばかりだった。

 

 最後に先の少年は、皆の度肝を抜く急降下をやってのけ、他の子供達の喝采を浴びた。

 子供達は目を輝かせて、広場の人馬に駆け寄る。

 

 

「ツバクロは流石ですねぇ」

 大長は目をしばたかせた。

「確かに、浅黄殿の父君の代あたりでは、皆今よりも断然飛べていました。能力が失われたのではなく、伝える術(すべ)を失くしていたのですね」

 

「蒼の妖精だってちゃんと教わらなきゃ、飛べなくなってしまうんでしょうか」

 

「ツバクロは教わらなくても勝手に飛んでは騒ぎを起こしまくっていましたね」

 

「それは……」

 

 

「おぉ――い、ツバクロ!」

 二頭の馬に群がる子供の真ん中で、モエギが叫ぶ。

「皆乗りたがって大変だ。治めてくれ」

 

「あ、みんな、待って待って、訓練の時間を決めて、ちゃんと全員に教えられるようにするから!」

 ツバクロは長の側を離れて駆けて行く。

 

「いやいや、西風の子供達の隠された才能、もしかしたら乗馬だけではないかもししれません。楽しみですねぇ」

 

 

 

 大長は上空高く舞い上がり、モエギや少年達、里の者達、ツバクロも、見えなくなるまで見送った。

 

 空の点が消え、西の雲が桃色にうっすら染まる頃、老人達はニコニコとツバクロに切り出した。

「で、祝言は如何致しましょう?」

「は?」

「貴方様とモエギの。第二夫人とはいえ、我が里の大切な長娘。ないがしろには出来ますまい」

「え……えーと……」

 

 しどもどのツバクロの肘を引っ張って、モエギがきっぱり言った。

「急がなくとも良い。私達はじっくり愛を育む時間が欲しい。な、ハズ」

 

 ふむふむあのモエギがなぁと、老人達が感慨深げに去ったてから、モエギはツバクロを突き飛ばした。

「ホンット、あんた、優柔不断な。そんなだからあんな事になったんだぞ」

「面目ない……」

 

「居る間はハズって事にしといてやる。そうして置けば老人達も大人しくしているし、娘達は二度と寄って来ないだろう」

「え、それは……」

 モエギにギロリと睨まれてツバクロは黙った。

 

 まぁ確かに。

 明日から朝夕の風を流して、引き継いだ仕事、子供達の飛行指導。

 女の子と関わっている暇なんて無いだろう。

 

 襟元正して心新たにするツバクロだったが、大長が帰りがけに風出流山(かぜいずるやま)の神殿に寄り道して告げ口し、愛する妻君の大爆笑を取った事は、知る術も無い。

 

 

 

 

 

            ~燕の受難・了~

 

 

 

 

 

 




ツバクロさん、お疲れ様でした
次回、舞台は蒼の里……


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閑話
サンピラー~ダイヤモンドダスト~・Ⅰ


舞台は蒼の里


 

 

「お父様のバカァ!!」

 

 執務室の入り口で、真っ赤な顔をしたユユにぶつかって、ナナは戸口にしたたかに背中を打ち付けた。

 双子の妹は振り向きもせず大股で走り去り、室内には困り顔の父ツバクロが取り残されていた。

 

「またですか……」

 双子の兄は肩を竦めて、視線を奥の大机のノスリ長に向けた。

 彼は書類から上目だけ出して、見ない振りをしている。

 

 

 ここは北の草原、蒼の里。

 草原を統べる蒼の長の執務室。

 

 今の長は、ノスリ、ツバクロ、カワセミの三人体制。

 その下に、ナナやユユを含む幾人かの若者が補佐し、枠外から前長の大長が見守っている。

 ナナとユユの叔父でもある大長は、今は西の砂漠の地へ出向中。

 

 内政担当ノスリ、外交担当ツバクロ、里で唯一の有翼で術担当のカワセミの三人は、幼馴染みで仲が良く、執務室は円滑に回っていた・・が、数日前にちょっとした波風が立った。

 

 

 

「……変な聞き間違いをしたみたいだ。もう一度言ってくれないか?」

 乾いた半笑いで首を左右に傾けるツバクロ。

 

「ユユを妻にしたい、と言った。今度は聞こえたか?」

 何の悪びれもなく、真っ正面からサラリと言う、カワセミ。

 

 奥の大机のノスリとナナは、まぁそろそろだよなと予測していたので、大して驚かず、黙々と明日の仕事の段取りをしていた。

 

「ぼ、僕は、君の、父親になるのかっ?」

(第一声がそれかよ!)と口の中で突っ込みを入れるノスリ。

 

「……ああ、そうか……」

 当のカワセミはまったくの通常運行。

「でも別に、今まで通りでいいんだろ? 勿論キミが『おとうさん』って呼んで欲しいのならそうするけれど」

 これが、皮肉じゃなく大真面目に言っているもんで、奥の二人は笑いを堪えるのに必死だった。

 そう、カワセミにしたら、物凄く真摯に、妻になる女性の父親に『正式に挨拶している』つもりなのだ。

 

 人間の何倍も生きる妖精なので、歳の差はあまり問題にならない。

 しかし、自分の子供時代のあんな事やこんな事を知り尽くしている幼馴染みが、自分の娘の配偶者になると言うと、話が違う。

 ……おそらく多分、何処のどんな種族の父親だって、複雑な想いを抱えるんじゃないか?

 

 案の定ツバクロは、その日から微妙~に、ご機嫌斜め。

 

 カワセミはというと、それまでの不安定さが解消され、上機嫌に仕事に勤しんでいる。

 彼が順調だと執務室は実に潤滑に回る。

 悔しいけれど……カワセミは、精神的に事足りていれば、とっても優秀なのだ。

 

 ノスリは大机に就任して以来、一番安泰な気分を味わえていた。

「ツバクロ、頼むから、カワセミをこのままそぉっとして置いてくれ」

 相棒に懇願されて、父親の不機嫌の矛先は娘に向いてしまうのだった。

 

 で、ここの所、父親と娘は事ある毎にいさかいを起こしている。

 その内容が、『婚礼の儀式をどーするのこーするの』『晴れ着の丈がどうの柄がどうの』『振る舞い菓子の数と種類がどーたら』・・等々、外野からしたら脱力する程どうでもいい事ばかり。

 だが、ユユの決めて来たそれらを、ツバクロがことごとく難癖つけて否定するのだ。

 

 

「分かっているんだけれどね」

 ツバクロも仕事に飛び立ってから、ノスリがナナにウンザリと言った。

「何にだって一言は難癖を付けたいんだ。娘を持つ父親なら、いっぺんはかかる、麻疹(はしか)みたいなモンさ」

 

 ナナは机の書類を繰りながら苦笑いした。

「詳しいですね」

 

「俺は人生で十回以上経験している」

 ノスリ家は十数人の子沢山だ。

 

「でも女の子は七人でしょう?」

「男の子は相手方の父親がその症状になる。それに付き合ってなだめるのは、こっちの父親の役目」

 

「…………」

 ユユの相手にはその父親も親族も、誰も居ない。

 

「心配なんですが……」

 ナナは読み終えた書類を折り畳んで懐に入れながら、ノスリを見た。

 今日から西の砂漠の土地に出向する事になっている。

 西風の里の駐在を大長と一時交代するのだ。

「父上は意外と頑固なんです。僕が居ない間に、何も無ければいいんだけれど」

 

「ああ、俺も気を付けてフォローするよ」

 双子の兄のこいつにその手の話が全く持ち上がらないのは、この気苦労性のせいだろうか……

「それよりお前、気を付けろよ。西風の一族。ツバクロの話だと、寝る時に部屋の入り口にバリケードを作れって言っていた位だから、かなり凶暴な部族だぞ」

 

 戦々恐々と出発するナナを見送って、ノスリは事務仕事に戻った。

 

 

 

 

「ねえ、あなたからも何とか言って下さいな」

 遅くに帰宅したノスリは、妻のフィフィに捕まった。

 

「どうした?」

 ノスリは小声で聞いた。

 奥では、小さい子供達とユユが眠っている。

 

 父のツバクロは出向が多く月の半分は不在、母親は遠方に在住・・という境遇の双子は、小さい時からノスリ家の世話になって育った。元々子沢山だったフィフィは気軽く引き受けたのだが、ユユは彼女を第二の母親のように慕っている。

 

 今は実子達は独立し、ナナは大長の家に移っているが、この家は相変わらずの大家族だ。

 ノスリとフィフィは、親の居ない子供や、親が留守がちな子供達をいっしょくたに引き取って、コロコロと面倒を見ている。天性の世話焼きなのだ。

 

「またユユが愚痴を言って、今日は半泣きだったの。ツバクロが子供みたいに意地っ張りなのは昔からだけれど、いい加減腹をくくって欲しい物だわ」

「うーん……」

 ノスリはツバクロの心持ちが分かるだけに、即答は出来なかった。

 

「あなただってユユの育ての親じゃない。ユユに幸せになって欲しいでしょ。カワセミがやっとその気になってくれて、私だってホッとしているのよ」

「へぇぇえ!?」

「??……なによ?」

「お前の子供時代からは考えられない台詞だな」

 

 そう、幼少期のフィフィとカワセミは天敵同士で、カワセミがフィフィを怒らせては追い掛け回される図は、当時の里の風物詩だった。

 

「あ、あの頃は、子供だったのよ!」

 お団子頭の妻は、昔みたいにむくれた。

「私はただ、カワセミの伴侶になれるのなんて、この世にユユ以外には居ないって……ああ、そうね、私、カワセミにも幸せになって貰いたいんだわ」

 

 

   ***

 

 

 確かに、あのカワセミと一緒になれるような稀少な女性は、そうそう現れるモンじゃない。妖精の一生は長いと言えど、この機会を逃すと次は無いかもしれんな。

 子供の頃からの相棒の一世一代の幸せが掛かってるんだと、ノスリは気持ちを新たにした。

 

 朝イチの執務室には、既にツバクロが来ていた。

 

「早いな」

「うん、ナナがいないからね。手紙の束、こっちに運んで置いて良かったんだろ」

 

「ああ、サンキュ」

 こういう所は気の回る奴なんだけれどな。

 

「今日、奴は?」

「ん? あぁ、カワセミね。棘の森に出張っていて……ぼちぼち帰って来るんじゃないか?」

「……そう」

 ツバクロは気に止めない素振りをしながら手紙を開封して揃える。

 

「なあ・・ツバクロォ・・」

 

 声を掛けられるのに備えていたように、ツバクロはペーパーナイフを乱暴に置いた。

「ノスリには何人も娘がいるじゃないか。僕は一人娘なの、たった一人しかいないっ」

 

「何人でも一人でも一緒だよ」

 ノスリが抑えた声で言って、ツバクロも俯(うつむ)いた。

「……ごめん」

 

「この際何でも言ってみろ。聞いてやるから」

 

「だってだって、この間まで子供だったんだ。危なっかしくて目が離せなくて、肩車ばっかりせがんで、それが何だよ、急に大人になって、あっと言う間に嫁ぐとか、もうちょっと段階って物があ□※○▽◎△□※○☆▽△□※○▽△Х□※○▽△□○◎△□※○☆※○Х∞∞∞

 

(はいはい)

 と頭の中で唱えながら、ノスリは心頭滅却して聞いていた。

 蒼の里きっての切れ者とか言われるこいつでも、こういう時はその辺の父親とパターンは変わらんな、ひとしきり吐き出して気が済んでくれればいいんだが。

 

「うふふふ……うふふふふ……るるるん♪」

 

 空気を読まないこの鼻唄は……

 

「ただいまぁ!」

 入り口の御簾が元気良く開いて、久方振りの大長が朗らかに入って来た。

「何ですか、お通夜みたいな顔をして。こんなにいいお天気で、里の皆も元気で滞りのない日常が回っているというのに!」

 

 何なんだこのハイテンション、西風の里から帰る度に、このヒト何かおかしくなって行くぞ……

 

 立ち尽くす二人にお構い無しに、大長は喋り続けた。

「ナナとは昨日引き継ぎをして、私はちょっと寄り道をしてから、今帰って来たんです。ところでツバクロ!」

「は、はい……」

「手紙で知って、嬉しくて飛び上がってしまいました。この度はおめでとうございます」

「あ、はぁ……」

 

「ナナに聞いた所に寄ると、貴方は喜びの余り、ユユにお祝いの言葉も言い忘れているようですね。そんな貴方にビッグな贈り物を用意しました。今すぐ私の家へ行って下さい」

「……………」

 

「さあ早く!」

 されるがままのツバクロの背中を押しながら、大長はノスリにウインクした。

 

 慌ただしく二人が出て行って、残されたノスリは真顔でポツリと呟く。

「あのヒト、時々、ハズすからなぁ……」

 

 

 執務室のすぐ裏の、一段高くなっている大長の自宅前で、フィフィが手を振っている。

「あ、ツバクロ、早く早く!」

 

 大長とお団子女将に室内に押し込まれたツバクロは、よろけながら目を見開いた。

 天窓の陽光の下に立つのは……

 

「君……どうしてここに……?」

 妻はここから遥か離れた山の神殿で守り人をしていて、そこから離れられない筈……

 

 ヴェールを揺らして振り向いた女性は、しかしよく見ると、妻ではなかった。

「ユユ??」

 娘がこんなに妻の面影を写しているなんて……今の今まで気付かなかった。

 茫然と突っ立っている父親の前で、ユユは裾と袖が百合の花のように広がった総レースの真白い衣装をフワリと広げ、夢見るような表情で回って見せた。

 

「お父様、どう?」

 

「・・・・・・」

 

 大長がフィフィと共に入って来る。

「あの子がねぇ、ユユの何時(いつ)かの日の為にと、少しづつ編んでいたんですって」

「凄いわぁ、大長様の妹君。里の女性総出でも、こんな複雑な模様、編みきれないわ」

 

 暢気に会話している二人の横で、ツバクロの目に光が走った。

 やにわに娘に駆け寄って、衣装ごとしっかと抱きすくめる。

 

「ダ…・メ・だ!」

 

「??」

 ユユはびっくり目を丸くして何も言えない。

 大長もフィフィもハタと止まった。

 

「やらない! 誰にもやらない! 僕の大切な娘!」

 

「まだそんな事、言ってンの?」

 フィフィが呆れ声を出す。

 

「じゃ……じゃあ、聞くが、幸せになれるか、ユユは? カタカゴはどんな一生を送った? あれを幸せと言うか!?」

 

「お父様!」

 ユユが叫んで父親の言葉を遮ったのと、大長とフィフィが入り口を振り向いたのと、同時だった。

 

 ――ペタン

 

 乾いた音がして、羽根を伏せたカワセミが、其処に尻餅を着いていた。

 水色の目を真ん丸に見開いて、口を半開きにして。

 

「カワセミ・・!」

 

 水色の妖精は黙って立ち上がり、スゥッと後退りして御簾の向こうに消えた。

 ユユも大長も、あまりの事に、一瞬の行動が遅れた。

 慌てて外に飛び出したが、そこにはもう誰も居なかった。

 

 そしてそれから、蒼の里からカワセミの姿は消えた。

 

 

 

 

 




挿し絵:ユユ晴れ着 
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サンピラー~ダイヤモンドダスト~・Ⅱ

「ユユ――」

 

 放牧地の土手の上で膝を抱える娘の所に、ノスリが書類を掲げて歩み寄る。

「仕事! カワセミの居ない分、自分が頑張るって言ったろ」

「……ごめんなさい」

 

 ノスリは消え入りそうな声の娘から目を逸らして、放牧地を見やった。

 春には金鈴花の黄色い絨毯が広がるが、今は冬枯れ寂しい霜野原だ。

「なあ、ツバクロを許してやってくれ、あいつが本気であんな事を言う奴だとは思っていないだろ」

 ユユは俯いたままかぶりを振った。

 

「ユユ、奴が口にするまで俺も深く考えなかったんだ。もし俺の娘がカワセミと一緒になりたいと言ったら、俺は素直に喜べただろうか? って」

「そんな! ノスリ長様もお父様も、カワセミ様の親友でしょ?」

 ユユは激しい目をしてノスリを睨んだ。

 

「ああ、かけがえのない親友だ。尊敬している。信頼もしている。だけれど大切な娘を託せるかとなると、別な話なんだ」

 ノスリは哀しそうにユユに睨まれたまま続ける。

「あいつは大切なモノが欠如しているんだ。自分を庇護する本能が。護りの羽根を持って生まれたせいかもしれない。加減が出来ないから、若い頃はしょっちゅうオーバーヒートを起こしてぶっ倒れていた。なぁ、自分を守らない者と居ると、隣の者はどうなる? そういう話なんだ。ツバクロが心配するのは当然なんだよ」

 

 ユユのノスリを睨む力は少し緩んだが、視線はそらさない。

「お父様の気持ちは分かった。でもアタシ、そんなに頼りない子供じゃない」

 

「じゃあ大人になって、ツバクロを許してやってくれ」

 ノスリはユユの肩に大きな手を置いた。

「大長だって責任を感じて落ち込んでいるんだ。お陰でてんてこ舞いの俺を可哀想に思ってくれ」

 

 ユユは息を吐いて立ち上がった。

「カワセミ様が戻ったら、ノスリ長様は味方になってね」

「ああ」

「それから、カワセミ様の前で、二度と誰も巫女様の事を口にしないで」

「ああ」

 

 ・・・

 ユユが、山の母の元から里へ来たばかりの子供の頃。

 三人長の一人カワセミは、長い昏睡にあった。数十年前のある出来事で、里と大地の為に無茶をして、全ての力を使い切ってしまったという。

 彼の側には人間の巫女が添っていた。妖精に比べたら消し炭みたいに短い人間の一生を、眠れる妖精に全て捧げた彼女を、ユユだって鮮明に覚えている。

 ・・・

 

 

 あの後、カワセミを捜しに行くと駄々をこねるユユをなだめたのはノスリだった。

「ユユ、カワセミの伴侶になりたいのなら、いつまでも奴に振り回される子供じゃ駄目だ。倒れる側にしっかり立って、フォローをするのが相棒の役割だぞ。巫女殿だってそうしていたんだ」

 

 ユユは神妙に頷いて、カワセミのやっていた仕事を引き継いだし、ノスリは密かにそれを、ユユでも出来る簡単な物にすり替えた。

 

 

 

 ツバクロは魂の抜けた蝋人形のようだった。

 娘と親友、一気に傷付けてしまった。そして、自分の心の奥底の醜い部分に気付いてしまった。

 頭の表面では親友だと言いつつ、一番大事な所を突き放して見ていたんだ。

 

 仕事をこなして帰っても、執務室の長椅子の肘掛けで呆け、大長に肩を叩かれて、やっとこの世に戻った。

「ツバクロ、今日はもうお休みなさい。私もたまには昔みたいに長の机で仕事してみたいですから」

 

 執務室を出てフラフラ歩くツバクロを、不意に引っ張る手があった。

 大勢の子供を引き連れたフィフィだ。

「そんな顔をしていたら、親衛隊の女の子達がガッカリするわよ! 丁度良かったわ、暇なら手伝って!」

 

 何を言わせる暇もなく、グイグイと連行されたのは、修練所の乗馬教習場。

 

「この子達、今年から馬に乗り始めなの。一つお手本を見せてあげてよ」

「…………」

 そんな気分にはならなかったが、キラキラと期待に満ちた子供達の瞳に押され、ツバクロは馬に手を掛けた。

 

 大空に風を切ってお手本飛行、ついでに、切りもみ降下と宙返り。

 子供達は大喜びして、ツバクロもちょっと喉かな気持ちになれた。

 

 それぞれの馬で乗り降りの練習をしている子供達を、ツバクロはフィフィと並んで眺める。

 

「二回転宙返りも軽々こなす貴方にも、あんな時期があったなんて嘘みたいね」

「ああ、馬を勝手に引っ張り出して、沼地で遭難したりしたっけ」

「あはは、あの時は大変だったわね。子供って大人から見ると危なっかしくてしょうがないけれど……ああっ、こらっ!」

 フィフィは勝手に飛んでみようとする子供を見付けて、指を鳴らして馬を制した。

 

「当の子供達にしたら、やれる気満々なのよ。ユユもホント、手を焼かせる生徒だったわ」

「…………」

「だからいつだって目を離せなかった。今もよ」

「…………」

 

「ねぇツバクロ、ノスリもそうだけれど、男親ってどうして娘を『やる』って感覚なのかしら? 私は自分の娘も息子もずっと自分の子供で、独立したって何も変わらない。ユユだってそう。お嫁さんになっても独りぼっちになんかしないわ。だから何も考えず、ただ好きなヒトの所へ行ったっていいじゃない」

「……フィフィ」

「私は何てったって、あの二人に幸せになって欲しいの」

 

 時間が来て、フィフィは手を挙げて集合を掛けた。

 子供達は元気に挨拶し、去り際にフィフィは一言付け加えた。

「所で、大切な事を忘れていない?」

 

「??」

「貴方が共に慶ぶべきヒトの所にちゃんと話に行かないから、私が気を回す羽目になるのよ」

「…………ぁ……あ」

 ツバクロは本当に大切な事をすっ飛ばしていた。

 

 そんな二人に呼応するように、夕空の中に黒い点が現れる。

「……草の馬?」

 みるみる近付いた影は、痩せた草の馬だったが、しかし騎手は乗せていなかった。

 

「カワセミの馬!」

 

 

 

 

 

 



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サンピラー~ダイヤモンドダスト~・Ⅲ

  

 

 カラ馬で帰って来たカワセミの馬は、鞍に手紙を付けていた。

 

 フィフィも子供達を待たせて、手紙をほどくツバクロを覗き込む。

 しかし文字はカワセミの物ではなかった。

 ツバクロに見馴れたそれは、神殿に居る妻の物。

「なんで……?」

 

 ――南西の山の中腹に暮らす氷蝙蝠(コォリコウモリ)の一族が、雪山をフラフラ歩く草の馬を見つけた。乗り手は見当たらなかったけれど、風出流山(かぜいずるやま)に住むお姫様(氷蝙蝠達は、神殿の守り人の女性をそう呼んでいる)の馬に似ていると、神殿に知らせて来たという。

 

「……雪山に、馬だけ?」

「急いで飛んで! 私は皆に知らせて来る!」

「頼んだ!」

 

 ツバクロは、高空飛行の出来る愛馬に乗り替える為、そのまま馬繋ぎ場へ飛んだ。

 残ったフィフィ子供達を現地解散にして、執務室へ走る。

 

 

 

 

 風出流山(かぜいずるやま)…… 全ての風の帰り行く神殿を擁する山。

 

 降りしきる雪の中、ツバクロは、樹氷がそそり立つ神殿前の雪原に降り立った。

 いつもすぐに気付いて出迎えてくれる妻の姿が無い。

 玄関は固い氷の壁に覆われている。

 

「ツバクロ殿!」

 後ろから声がして、振り向くと、珍しい乗馬姿の妻が雪空に浮かんでいた。

「ヒトの居れそうな所は捜してみました。でも、昨日からの雪で足跡も見えなくて」

「…………」

 

「一体どうしたっていうんです。身体の弱いカワセミ殿が、何で雪山に来るんです?」

「…………」

 ツバクロが何も答えられず、動揺しているので、彼女も質問をやめた。

 

「とにかくまだ陽があります。気温が下がりきる前に捜しましょう」

「あ、ああ」

 余計な事を考えている暇は無い、この山の気温はカワセミにはヤバイ。

 

 慌てて乗馬しようとして、雪の塊に足を取られて転ぶ。

「ああ、なんだってもうこんな時に! ……・・!!??」

 

 ツバクロは足元を見て、口をあんぐり開けた。

 雪の塊から水色の髪が覗いている。

「カ、カワセミィ~~!!」

 

 

 

 暖炉の火を全開にして、ありったけの毛皮を集めた。

 ツバクロが身体を擦ってやって、水色の妖精は体温を戻した。

 トクトクいう鼓動に心から安堵し、心から安堵出来た自分に心から安堵した。

 

「まったく何て無茶苦茶なヒトなの!? あのまま気付かず神殿の入り口を塞いだまま二人で山を捜索していたら、カチンコチンの氷漬けだったわ」

 妻は湯を沸かしながら苛ついている。

「雪山ナメ過ぎです!」

 

「うん……」

 ツバクロは言葉少なにカワセミを抱え直して、細っこい手足を湯で温めた。

 

 普通の草の馬だと、この山の中頃がやっと。

 もしも自分が高空気流に乗れる能力を持たなかったら、果たして歩いて彼女に逢いに来ようと思えただろうか?

 

 物入れを探っていた女性は、小さな瓶を持って戻って来た。

「カワセミ殿の顔をこちらに向けて下さい」

 

「え、うん?」

 ツバクロが水色の頭を抱えてそちらに向けると、彼女はやにわに寝息を立てている鼻を摘まんで、瓶の中身を口に流し込んだ。

 

「ふがあぁぁあ――っっ!!!」

 

 瞬間、カワセミは喉を押さえて飛び上がった。

「げほぉごほぐほごぼぼぼぼ!」

 

「え――と?」

「冬眠中の熊も目を覚ます、純度97%ウォッカです。雪山を舐めるとこういう目に遭うんですよ!」

 

 仁王立ちの女性の足元でのたうち回る哀れな水色の妖精。

 おっかな……  ぅん、このヒトを怒らせるのだけは、絶対やめよぅ……

 

「さあカワセミ殿、私に何か用事があったのではないのですか?」

 彼女は、まだうつ伏せでぜぇぜぇ言っているカワセミの後ろ襟を、掴んで引き上げた。

 

「がほげほ・・・だ・さい・・・」

「え?」

「・・・を・・・に・・ださい・・」

 

 女性はツバクロと顔を見合わせた。

 

 水色の妖精は喉を振り絞った。

「・・ユユをボクの妻にください・・」

 

 そうしてパタンとうつ伏せで脱力した。

 

 

 

「『おかあさん』そっくりのユユを見て、大事な事を抜かしていた事に気付いたんだ」

 

 落ち着いたカワセミは毛皮の山に埋もれ、うつ伏せなまま話し出した。

「『おとうさん』には挨拶したけれど、『おかあさん』に挨拶していなかったって」

 

「…………」

「…………」

 

「遠かった・・」

 カワセミは大真面目に目を細めた。

 

「……その為だけに、命賭けて雪山を歩いて来たんですか?」

 女性は怒る気力も失せたように脱力している。

 

「うん、だって、一人しかいない娘でしょう? 挨拶される機会も一生に一度なんだろうなぁと思って」

 

 呆れた彼女は、額に手を当てながら、湯を沸かす為の雪を取りに行った。

 

 女性が居なくなってから、カワセミはうつ伏せたままポツンと言った。

「……巫女は、幸せだったよ」

 

 ツバクロは暖炉の前で膝を抱えたまま、少し揺れた。

「随分な自信だな」

 

「うん、心で繋がっていたから。巫女が幸せか不幸かなんてすぐ分かった」

「あ、あぁ……」

「でも巫女が、不安で不幸な心を芽生えさせたら……夢の中でボクが引っ張り上げられない位に沈んでしまったら……終わらせたよ」

「何を?」

「巫女にあの生活を辞めさせた。あの時ボクに出来た全力を使って」

 

「…………」

 

 

 

「それをユユに当てはめてはいけないですよ」

 

 振り向くと、神殿の守り人が雪を詰めた桶を下げて立っていた。

「ユユが不幸だと思ったら、終わらせないで、一緒に幸せになれるよう、努力して下さい。今の貴方はあの頃と違って、沢山の事が出来るんですから」

 

「……はい……」

 カワセミはいつの間に正座して、殊勝に肩を竦めている。

 

「それからこんな猪突猛進も、これ限りにして下さい。個人的には貴方のそういうの、とても好きだけれど、母親としてはお仕置きモノですよ」

 さっきのウォッカの小瓶をちらつかせて水色の妖精を見据える。

「……はい……」

 

 ツバクロは目をパチクリさせた。

 フィフィの言った通りだ、自分の心配事なぞ、鼻息一つで吹き飛ばされてしまった。

 

「さあ、分かったら少し休みましょうね。これで手足の先まで暖まる筈です」

 女性は今度はウォッカを三滴お茶に落として、母親がミルクを与えるような表情でカワセミに渡した。

 

(敵わないな、ホントに……)

 

 

 

 



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サンピラー~ダイヤモンドダスト~・Ⅳ

  

 

 

 カワセミが赤ん坊のようにオヤスミ五秒で落ち、ツバクロは妻と並んで暖炉の前の敷物に座る。

 外の雪風の音と暖炉のはぜる音を聞いていると、この神殿に来始めた頃のような気分になった。

 

「貴方……反対だったのですか?」

 妻がポツリと言った。

「い、いや、別に……」

「貴方の気持ちも確かめず、浮かれて晴れ着なんて送って、すみません」

 言いながら肩が沈んで、本当にガッカリした感じだ。

 

「君、浮かれていたの?」

「勿論よ、どうして?」

「どうして……って、こっちが聞きたいよ。だって、これだよっ!」

 ツバクロは、毛皮に埋もれてふにゃふにゃ言っている水色ミノムシを指した。

 

「声が大きいですよ」

「ふにゃふにゃ言っている時は、君の究極呪文(メギド)でだって起きないよ」

「…………」

 

 また、暖炉と風の音だけになる。

 

「だって……」

 妻が切り出す。

「あのユユよ。我が儘で気紛れで自分勝手でエキセントリックな風船娘。あんな娘を好いてくれる殿方なんて、この地上にどれだけ居るというのです」

 

「ぇ……」

 ツバクロはただ盲目的に娘を溺愛してた自分に気付いて、急に不安になった。

 ユユって客観的に見たら、そんなにアレなお嬢さんなのか?

 

「あの子の伴侶が務まるヒトなんて……そう、それこそ、この山に徒歩で登る位の忍耐がないと」

「…………」

 

 カワセミはうにゃうにゃと寝返りをうつ。

 妻はお茶のお代わりを入れに立った。

 ツバクロは一人、暖炉の火を眺めながら、反省した。

 客観的に物を見ていなかったのは、自分の方だったんだな。

 

「ねぇ、昔、私が胸にかけていたペンダント、覚えています?」

 今度は甘い香りの茶葉に替え、妻はカップを運んで隣に座った。

 

「ああ、覚えている。大昔、白い森でカワセミに、『運気が上がる』って貰った石だろ?」

 

 当時のツバクロは、彼女が他の男性に貰った物を肌身離さず身につけているのが、ちょっと複雑だった。

 

「あれね」

 妻は胸に指を当てて、もう無いペンダントの跡を探った。

「あの頃、貴方がちょくちょく神殿を訪ねて下すったでしょう? 貴方が近くまで来ると、石が光って震えて教えてくれたんですよ」

 

「ええっ!?」

 ツバクロはお茶のカップをひっくり返しそうになった。

 

「小さく可愛くフルフルと。だからいつも外に出て、貴方が降りて来るのを迎える事が出来たわ」

「は……ぁ……」

 知らなかった、初耳だ……

 

「不思議に思っていたらね、兄様が笑いながら教えてくれたの。『カワセミは石の効能をフィーリングで決めるから、時々核心からズレる』って。あの石、本当は、『自分の運命のヒトに巡り逢える石』だったんですって」

「え? えぇえっ!!」

 

 ツバクロは今度こそカップをひっくり返した。

 えっ? 自分の決死のプロポーズを妙にあっさり受けてくれたのも、その石のお陰・・?

 

「勿論、石だけの力じゃないですよ」

 こぼれたお茶を拭きながら、彼女はツバクロの心持ちを見透かすように言った。

「ここで独りになってからなのです、石が震えるようになったのは。貴方の、私を心配する真心が石に伝わったのだと、私は思っていたいのですが……乙女チック過ぎるでしょうか?」

 妻は照れ臭そうに微笑み、ツバクロはブンブンと首を振った。

 

「だからユユにも、貴方のような方に巡り逢えますようにって、あの石の半身をあげたの。そうしたら、里へ降りた翌日にもう震えて光ったって言うじゃない。ビックリしたわ」

 

「き、君は……そんな昔っから心の準備が出来ていたのか。僕にも話して置いてくれれば良かったのに」

 ツバクロは初めて聞く話に狐に摘ままれた思いだった。

 

「あら、運命は石一つに左右される物ではないでしょう? ユユにも運気が上がる石だとしか教えていない。下手に教えては意識してダメになってしまうじゃない。こういうのってね、占いとか、おまじないの類いと一緒。他愛もない、心の寄っ掛かりなの」

 

 

 

 

 エントランスでけたたましい音がした。

 厩舎代わりのホールで、草の馬の興奮したいななきが響く。

 慌ただしい足音と共に飛び込んで来たのは、空色の巻き毛を振り乱したユユだった。

 

「お父様!! カ、カ、カワセミ様は・・!?」

 

 ツバクロが指差すより先に毛皮の中の水色を見つけ、ユユは足をもつれさせながら駆け寄った。

「あ・あ・あ・・・良かった、良かったあ・・」

 

 娘の前髪と睫毛は、凍り付いてつららになっていた。

 

 

   ***

 

 

「一人で来たのか?」

 ツバクロは居間の入り口を見ながら聞いた。

 てっきり後ろから大長が着いて来る物だと思っていた。

 

「えと……」

 ユユは興奮した表情のまま答えた。

「夕方から急の仕事で、大長様もノスリ長も出払って、一人で留守番していたの。そしたらフィフィ母さんが飛び込んで来て……何も考えられなくて夢中で……一人で、来ちゃったんだ……」

 ユユはだんだん自分のやった事を自覚して来た。

 

「ごめんなさい……」

 

 エキセントリックな風船娘……確かにそうだわ。

 ツバクロは改めて納得した。

 

 

「ふにゃあ……」

 こんなに大騒ぎをしてもまだ熟睡してるカワセミが、寝返りをうってクッションからずり落ち、ユユはその頭を膝で受け止めた。

 

「重いだろ、頭って」

「そうでもないわ」

 

 心一杯でカワセミを眺める娘を置いて、ツバクロと妻は連れ出って玄関ホールへ移動した。

 

 ユユの馬は、飛ンデヤッタゼ、偉イダロ! という顔で、誇らしげに鼻を鳴らしている。

 二人で鞍を降ろして労ってやる。

 

「僕は里へ戻るよ。カワセミの無事を知らせなきゃ。このままだと大長も心配して来ちゃうだろうし、これ以上執務室に穴を開けたらノスリが胃に穴を開けてぶっ倒れる」

 

「そう、では皆様に宜しく。あ、次に来られる時は、お酒を調達して来て下さいな」

 

「この間、ダースで持って来なかったっけ?」

 

「氷蝙蝠(コオリコウモリ)達にお礼にあげてしまったのです」

 

「分かった。……そうだな、君の好きな、西方の泡の立つ葡萄酒を調達して来るよ。それで二人で乾杯しよう」

 

 妻はニッコリ微笑んだ。

 

 帰り際、もう一度、暖炉の居間を覗く。

 ユユはオレンジの炎に照らされて、さっきと同じ位置で、じっとカワセミの頭を支えている。

 

 デジャヴな感覚に襲われた。

 大昔、灌木の茂みから、まったく同じ絵を見た記憶がある……

 

 

 

 

 

 ツバクロが草原の上空まで来た所で、やはり大長と行き合った。

 カワセミの無事を伝えると、ホッと安堵の顔をした。

 

 

 里に小さな灯りが見える。

 執務室でノスリとフィフィが、心配な夜を明かしているんだろう。

 

「大長、先に戻って貰えますか。ちょっと寄る所があります」

 

 大長は黙って頷いて、馬を別って、里へ降りて行った。

 

 

 冬枯れのハイマツの丘で、ツバクロは膝まづいて、並んで置かれた二つの玉石に手を添える。

「君の尊厳を傷付けてしまった。すまなかった、いつだって君は幸福だった。分かっていたのに……」

 

 

 執務室に戻ると、ノスリとフィフィは帰宅していて、大長が一人、大机で書類に目を通していた。

「みんなで仕事に穴を開けまくって。明日はてんてこ舞いですよ」

「カワセミの分も僕がやります」

「皆で分け合いましょう」

 

 二人で黙々と、明日の仕事の段取りをする。

 

「そいえば、あの石、凄いですよね」

「はい?」

「『運命のヒトに巡り逢える石』って奴。ほら、薄ピンクの、平たい……」

 

「……??……ああ、はいはい、ありましたね、そういうの」

 大長は思い出したように手を叩いた。

 

「凄いですよね、里の女の子達が目の色を変えて欲しがりそうだ」

「あれね、出鱈目です」

「……は?」

「ある訳ないじゃないですか、そんな都合のいいモノ。あったら私が欲しいです」

 大長はすまして書類をトントンと揃えた。

 

「嘘、ですか? なんで??」

「あの子がなかなか煮えきりませんでしたからね。あと一押しが必要かなぁと思って」

「…………」

「余計なお節介だったですか?」

「……いえ、恩に着ます」

 

 拍子抜けするツバクロを見つめながら、大長はにこやかに続けた。

「あながち嘘でもないんですよ。あの石はカワセミが祈りを込めていましたから。愛情とか慈しみとか、そういうモノに反応するんです。『運命のヒト』かどうかは、結局自分で決めるんですよ」

 

「……そうですね」

 

 

 

 

 



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サンピラー~ダイヤモンドダスト~・Ⅴ

 

 

  

 

 『その日』が来た。

 花嫁の父親は朝から檻の中の狐の如くウロウロし、女達は慌ただしく駆けずり回り、男達は手持ち無沙汰で身の置き場が無い。

 

 花嫁の叔父は残念ながら出席出来ず、一日早い御祝いを述べて、前日、西風の里に飛び発った。

 交代で双子の兄のナナが帰って来る予定だ。

 母親も……出席しない。しかし、何日か前に、雪の神殿で二人の額に手を当てて、心のこもった祝福をしてくれた。

 

 

「ナナだ!!」

 男達が歓声を上げた。

 これで手持ち無沙汰から解放される。花嫁の双子の兄の出迎えに、諸手を挙げて駆け寄った。

 

「・・!!」

 しかしツバクロもノスリも、彼の有り様を一目見て、しゃっくりしたみたいに息を呑んだ。

 

 この晴れの日に何て事!

 左の頬に真新しい切り傷、他の場所もすり傷だらけ。

 何より、髪で隠しているが、右の目の回りに黒々とまあるいアザ。

 

「・・お前、どうした?」

 ツバクロはやっと言葉を発した。

 実は今朝がた、大長よりの鷹の手紙を受け取っていた。ひと言、《ナナを叱らないでね》とあって、心の準備はしていたのだが、これは…………

 

「ああ、別に大した事じゃないんです。晴れの日にこんな風体ですみません、目立ちますかね」

 ナナは罰悪そうに肩を竦めた。

 

「こっち来て、花嫁用の化粧品でごまかすから」

 野次馬をかき分けてフィフィが、ナナの手を引いた。

 

 執務室はいつもの書類の山が無く、すっきり片付いてる。

 この日の為にみんなでフル回転したのだ。

 特にカワセミは、今日の朝まで健気に頑張った。ヘロヘロの所を女性陣に引っ立てられて、今頃、されるがままにゴタゴタ着せられたり巻かれたり被せられたりしている。

 

 フィフィに椅子に座らされ、色々塗られて、ナナは何とか見られるようになった。

 ああ、男って忙しい時に仕事を増やすと、ブツブツ言いながらお団子女将は去って、男の時間となる。

 

「さあて、ナナ」

 左側のツバクロが掌を組む。

「父親に話してくれるよな。何をやらかした?」

 

「まあ待て、ナナが悪さをするとは思えん。被害者の可能性もあるだろ。な、誰にやられた?」

 右からノスリが覗き込む。

 

「頬の傷は、砂の民のハトゥンに……」

 ナナは呟くように言った。

 

「ハトゥン?」

「イケ好かない野郎だったのか?」

 ノスリが気炎を吐くが、ツバクロは首を傾げた。

「僕には気の良い友人だったけれど」

 

「ええ、良いヒトでした。だから……」

「??」

 

「決闘を申し込んだんです、モエギ殿を賭けて!!」

 藍色の真っ直ぐの目を上げて、息子は真剣な表情で言い切った。

 

「・・だっ・・なっ・・!! な、何やってんだっ!! 他所の部族に行って!!」

 父親は動転して慌てふためいているが、ノスリは、ほほほぉ~♪ って楽しそうな顔だ。

 彼の中では可憐でか弱いお姫様なモエギ像が、勝手に出来上がっている事だろう。

 

「あんな女性(ヒト)、初めて出逢いました。逢った瞬間、稲妻に弾かれたような衝撃を受け、その後はもう口を聞くだけでもドキドキして」

 

「そ、それは、単に怖かったからじゃないのかっ?」

「まあ、黙ってろ、ツバクロ。それでそれで?」

 

「父上の第二夫人だと聞いた時は、色んな意味で死にたくなりました」

 

「ツバクロォ~~?」

「だ~か~らぁ~~!」

 

「でもそれは、父上を助ける為の偽りだと聞いて、ますます心を奪われました。自分の名誉を傷付けてまで、他人を守れる気高い方だと」

 

「ツバクロ、お前こそ他所の部族で何をやらかしてんだ?」

「傷付くのか? 僕の第二夫人って、傷付くのかっ?」

 

「でも彼女には、既に接近している男性がいたのです」

 

「お、いよいよ本題だな!」

「なあ、傷付くのか?」

 

「男の僕から見ても、惚れ惚れする素晴らしい男性でした。このヒトからモエギ殿を奪うには、真正面からぶつかるしかない! そう思ったのです」

 

「いいねぇ、熱いねぇ!」

「馬鹿、そんな事やらかしたら……」

 

「ハトゥンは受けてくれました。砂漠の真ん中で、馬を使わず、真剣で打ち合ったんです」

 

「お、相手も漢(おとこ)だねぇ!」

「ヤバイって……」

 

「ハトゥンはかなりの使い手でしたが、僕だって、ノスリ長譲りの剣技では負けていられません。二人ともボロボロになりました」

 

「ふむ、ふむ」

「…………」

 

「で、モエギ殿に見つかりました」

 

「おお、お姫様の登場だな」

「…………」

 

「で、ぶん殴られました」

 

「ケンカをヤメテ~~っって……え? ぶんなぐ……?」

「……ハァ……」

 

「僕と同じアザが、ハトゥンの左目にも付いています」

 

「ぇぇ……」

「私は、物では無い!! とでも言ったんだろ」

 

「その通りです!」

 

「…………」

「……ハァ」

 

 外は明るく、お祝いの華やかな笑い声が聞こえて来る。

 

「父上」

「……なんだ」

「今後、西風の里の駐在は、父上の回も、僕と替わって下さい」

「なんで!」

 

「今回の事でハトゥンともイーブンになった気がします。後は押して押して押しまくるんでしたよね、ノスリ長」

 

「あ……ああ」

 ノスリは、普段からこの純朴青年に無責任な焚き付けをしていた事を、かなり反省した。

 

「あの何物にも追随を許さない誇り高さ! ますます心を持って行かれました!!」

 

 

 久しぶりの金魚の衣装(勿論寸法は直している)に身を包んだフィフィが御簾を開けて、花嫁の親族達は引っ張り出された。

 祝福役のノスリは、別れ際にツバクロに耳打ちする。

「お前と、母方の叔父のマゾっ気がブレンドされて、凄い事になってるな」

「冗談じゃない」

 

 

 冬の白い空に花吹雪に見立てたダイヤモンドダストが舞い、本日の主人公達が入場する。

 半寝のカワセミは、フィフィによって背中に板が入れられている。

 ユユはにこやかに板と新郎を支え、総レースの衣装は軽やかに風にたなびいてる。

 

 ツバクロはやっと実感が湧いたようで、定番の走馬灯を廻らせてうるうるしている。

 

 双子の兄が妹に駆け寄り、祝いの言葉を述べた。

 兄のアザを見止めた妹が二言三言問いただし、呆れた顔で父を見る。

 

 お祝いの鳥が飛び立って、ダイヤモンドダストに陽光が映り、皆の鳴らす鈴の音が、光の柱を昇って行った。

 

 

 

 

 

 

           ~サンピラー・了~

 

 

 

 

 




挿し絵:四コマ・ノスリさん
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次回、再び西風の里


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ふたつめのおはなし
ムーンピラー~幸せのお裾分け~・Ⅰ


ナナと二人の少年のお話です


 

  

 

 西風の里の平穏な朝。

 

 モエギの騎馬が、崖を飛び降りて、里の入り口に姿を現した。

 波打つ碧緑(へきりょく)の髪は背中に届き、前髪は翡翠の珠の櫛で後ろにまとめられている。

 明るいオレンジの瞳、責任感を秘める凛とした唇。

 

 老人と女子供ばかりの里だ。守りは堅くしてある。

 外から入るには、三重の結界を抜けなければならない。

 

「お帰りなさい、モエギ様。外界の様子はどうでした?」

 くるくる巻き毛の厩番の少年が、駆け寄って馬銜(はみ)を取る。

 

「人間の商隊が砂漠を長い列を作って通り過ぎていた。戦は暫く無さそうだ。他の部族も一時期より落ち着いた感じだな」

「砂の民の部族もですか?」

 

「……馬を頼む、シド。右前がソエっぽい」

「……はい」

 

 質問に応じてくれなかったモエギに逆らわず、シドと呼ばれた少年は、手のひらで馬の右肩から蹄までをゆっくり撫で下ろした。

「球節に熱があります。湿布して冷やしておきます」

「ああ、頼む」

 

「モエギ様」

 立ち去ろうとする娘にシドは、ためらいながら声を掛けた。

「ハトゥン様と、仲直りしたんですか?」

 

 モエギはキッと振り向いた。

「男のお喋りは下品だぞ」

 

「……すみません」

 少年はシュンと口を結んだ。

 

 言ってしまってからモエギは、八つ当たりするような下品者は自分だと反省した。

 ポケットから菓子を探り当て、引き返して少年に渡しながら、声を優しくして言った。

「馬を頼んだな」

 

 シドは頷いて、馬を引いた。

 モエギを見送ってから、菓子は馬にくれてやる。

「モエギ様は僕がいつまでも、歯が軋むような砂糖菓子で喜ぶ子供だと思っている」

 

 シド少年は、砂の民の総領息子ハトゥンに、剣の手解きを受けていた。

 彼が物心付いた頃から、西風の里は老人と女子供ばかり、まともに戦技を教わる機会なんてなかった。

 だから、剣を教えようかって言われた時、凄く嬉しかったし、頼もしい兄貴が出来たようで、ワクワクした。

 剣の腕が上がれば本物のナイトになれる。

 

「あのヒトが来るまでは、何もかも上手く行っていたのに……」

 

 シドは厩の奥を見据えて唇を噛んだ。

 今は蒼の大長の『闘牙の馬』が繋がれているが、数日前までは、一回り小さい青っぽい『深緑の馬』が居た。

 その馬の主、大長様の甥っ子は、ひょろひょろとした頼り無さ気な青年だった。

 こんなんで大長様の代わりが務まるのかと不安に思ったが、里の女の子達の騒ぎようは尋常じゃなかった。

 

 女って分かんない……あんな、オンナオトコのどこがいいんだか。

 ハトゥン様の方がよっぽど強くてカッコイイのに!

 

 その甥っ子のナナがハトゥンと争いを起こし、二人してモエギの怒りを買ったのだ。

 お陰でそれ以来、ハトゥンに会えていない。

 

 シドは溜め息一つ付いて、モエギの馬の手当てを始めた。

 

 

 

 

 蒼の里の駐在者の滞在場所は、里の中心、昔の宿屋を改装した客間だ。

 

 空席になっている西風の長の代わりに、この土地に滞る風を流す為に、里に常駐している。

 その他に、子供達への説法や乗馬の指導、老人達の萬相談等、常に多忙にしているが、何と言っても彼らが居る事で、他部族からの介入の抑止になるのが大きかった。

 

 モエギが御簾を開けると、大長は山のような書き物に埋もれて、目を通している最中だった。

「おかえりなさい、モエギ。入る時は声を掛けて下さいね」

 大長は書類から目を上げずに言った。

「着替えの最中だったらどうするんです。責任取ってお婿に貰ってもらいますよ」

 多分ジョークなんだろうが、スベり過ぎていてどう反応していいのか分からない。

 

「外から戻ったら一番に報告に来るようにって決めたのはおっさんだろ」

「そりゃあ、貴方の帰りが遅いと心配しなくちゃなりませんからね」

 

 まったく、屁理屈のたつ男は大っ嫌いだ……

 モエギは眉間にシワを寄せて、口を突き出した。

「あのさ、今回、おっさんの滞在期間は短いんだろ?」

 

「ええ、ナナが妹の結婚式の出席で抜けた場繋ぎですからね。私は里にやりかけの仕事を残していますし」

「それで、次に交代で来るのはツバクロか? まさか、またアイツなんて事は……」

 

 大長は顔を上げた。

「順当で言うとナナなんですが……貴方はツバクロがいいですか?」

 

「いいですかって、当たり前だろ! ナナは困る! あんな無茶苦茶な奴!」

 

 ペンでこめかみをカリカリ掻きながら大長は、視線を落とした。

「無茶苦茶……ですか」

 

「無茶苦茶だろ! 何もしていない他所の部族の奴に喧嘩を吹っ掛けるなんて」

「身内贔屓ですが、ナナは、我が一族の中で一番平和的で、一族の良心みたいな存在なんです」

「まさか!」

「ホント、私もまさかでしたよ。普段からあんな子じゃないんです。どうかどうか、それだけは知っていてやって下さい」

 

 モエギが言葉を無くした所で、不意に大長は顔を上げて、立ち上がって窓辺に寄った。

 羽音がして大きな鷹が飛び込んで来る。

 彼が蒼の里との通信に使っている、特別な鷹だ。

 

 足から筒を外して手紙を出そうとすると、何かが落ちて転がった。

「おやおや」

 

 足元に転がったそれをモエギが拾い上げた。

 鮮やかな橙(だいだい)色の小さい珠。

 まさか……モエギは悪い予感がして身震いした。

 

 手紙を読み終えた長は、ニッコリしてモエギを見た。

「その石、貴女へ贈り物ですって」

「げ!!」

「そんなに毛嫌いしないで……って言うか、ナナじゃないですよ。新婚の新郎から、『幸せのお裾分け』だそうです」

 

「新郎? カワセミって奴か? 会った事もないのに?」

「カワセミにはね、あまりそういうの、関係ないんですよ」

「…………」

「どれ、その櫛を貸して下さい。翡翠珠の横に付けると良い色合いになりますよ」

 

 モエギが怖々差し出した櫛に、長は軽い術で橙の珠を嵌め込みながら、ついでのように言った。

「ああそれと、私と入れ替えに明日来るのは、やはりナナですね。これからツバクロの回もずーっとナナが来るそうですよ」

 

「…………………」

 

「肝が固まったようですね。」

 

 

   ***

 

 

「カワセミって、たいした術者だって、言っていたな」

「ええ、蒼の里の秘蔵っ子です」

「…………」

 モエギは橙(だいだい)の珠が追加された櫛を、マジマジと見つめた。

 薄緑の翡翠の横に橙色が良く映えて、悔しいけれどとても良い仕上がりになっている。

 

「カワセミは、ナナと仲が良いのか?」

「蒼の里はみんな仲良しですよ。でも、ヒトの心を操るような術を使う不埒者は居ませんよ」

 

 モエギは罰悪そうに黙って、前髪を上げて櫛を差した。

 

「心配しなくとも、そんな便利な術が使えたら、誰も苦労していませんよ、ふふ。……おお、その橙色は貴方の髪に良く似合いますね」

 長は笑って、また視線を書類に戻した。

 

 

 

 モエギは何となく髪を気にしながら、外に出た。

 

 機(はた)織り小屋の外で、糸を抱えてワキャワキャとお喋りをしていた娘達が、モエギの櫛の珠を目敏く見付けて、褒め称えた。

 

 ツバクロの件でモエギが老人達を一喝して以来、里の娘達のモエギへの態度が変わった。

 それまで遠巻きに距離を置いていたのが、少しずつ話し掛けて来るようになった。

 

「ね、モエギ様、外の様子は如何でした?」

「早く紫の丘へ行きたいわ。木の実が一杯な筈なのに、みんな鳥に食べられてしまう」

 

「ああ、戦で険悪な時期は去ったみたいだな。だけれど、娘達だけで出歩くのはもう少し待ってくれ。まだお前達が安全だとは言い切れない、すまない……」

「あ、いえいえ、いいんです」

 

 責めているのではないのにと、娘達は恐縮して話題を変えた。

「あ、そう、あの方、大長様の甥子さんは、次いついらっしゃるのですか?」

「百合根の甘く煮たのをご馳走しようと、水に晒して準備しているんですよ。西風の名物を気に入って下さるといいですね」

 

 モエギは眉をピクリと動かした。

 娘達はナナのやらかした事件は知らない。

 老人達にも内緒だ。

 どちらに知らせても、それぞれ別方向で厄介になるのは明らかだ。

 知っているのは、駐在者の身の回りの世話をしている厩番の少年二人だけ。

 

「なあお前達、いっぺん真面目に聞いてみたかったんだが、何で見かけだけでそんなに男に熱を上げられるんだ? 見目が良くとも、性格悪い場合もあるだろ」

 

「……??」

 娘達は目を丸くして顔を見合わせた。

 多少年長の娘が答える。

「だって、外身を好きになるのと、中身を好きになるのは違うじゃないですか」

 

「ち、違うのか?」

「本当に中身を好きになっちゃったら、こんな風に楽しめなくなるもの」

「??」

 よく分からないが、まあツバクロと一緒で、ナナも里の娘達には無害そうで、その点だけは安心だろう。

 

 

「モエギ様」

 娘達と別れて、水場で手足を洗っていたモエギに、灰色の髪の少年が手拭いを差し出した。

 シドの相棒の厩番、ソラだ。

 シドが西風の一族らしく飴色の肌にたっぷりした青い髪なのに対し、ソラは細い猫毛で、色素が薄かった。

 

「今、大長様に聞きました。明日またナナ様が来られるそうですね」

「ああ」

「お断り出来ないのですか? ハトゥン様といさかいを起こすヒトなんて、どんな理由があったにしても……僕……」

 

 シドより大人しくて冷静なソラだって、どうやらハトゥンの味方のようだ。

 二人ともハトゥンとナナが決闘したのは知ってるが、事情は教えていない。

 二人も聞いて来なかった。

 

「こちらは世話を焼いて貰っている身。文句は言えない。まあ、大長殿は物事をちゃんと見ていてくれる。ナナが里に馴染めなかったりすれば、考え直してくれるだろう」

 モエギは深い意味もなく言ったのだが、少年の目に光が横切った。

 

 

 

 

 夜……厩横の小さな小屋に、薄い明りが灯る。

 元は朝早く出掛ける者用の待機小屋だったが、今はシドとソラが身の回りの物を持ち込んで寝起きしている。

 二人が横になると一杯のこの杣屋が、彼らの住処だ。

 

 西風の里の子供達のほとんどは親無しだ。

 長く土地が争いで荒れた為、武器を持てる大人はことごとく絶滅してしまった。

 運の良い子は祖父母と暮らすが、大体が親族の子供同士だけで、身を寄せ合って暮らしている。

 

 だから少年二人、朽ちかけた小屋に寝起きしていても、特別な事ではなく、気に止めるような事でもなかった。

 

「モエギ様がそう言ったのか?」

 昼間分配された干し魚を裂きながら、シドが聞いた。

 

「うん、ナナ様が里に馴染めないと大長様が見て取ったら、お役御免になるだろうって」

 ソラはバケツに汲んできた水をへこんだ鍋に移しながら言う。

 飲み水は一度沸かすようにとの、大長の教えの元だ。

 

「それって、暗に、僕達に動けって事だよな?」

「そうだと思う。モエギ様は立場上はっきり言えないし」

 

 シドは唇を噛んで魚を裂き続けた。

「まったく、ああいうの、何て言うんだっけ……えーと……」

 

「横恋慕」

「あ、そうそう、それ! あのヒト、モエギ様を見る目が半端じゃなかったモン、初対面から」

「ハトゥン様に会えば諦めると思ったんだけれどね」

「ハトゥン様への手紙を託された時、イヤ~な予感がしたんだ」

 

 二人は、モエギが思うほどにチビッコではなかった。

 

「まあ、モエギ様の魅力に気付いたのだけは、褒めてやるけれど」

「シド、僕達だってそんなにあからさまな行動は出来ない。遠回し~にナナ様に、里に馴染めない事を自覚させるんだ」

 

「うーん、難しそうだな」

 

「僕、考えがある」

 

 

 

 

 




挿し絵:ムーンピラー・表紙
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ムーンピラー~幸せのお裾分け~・Ⅱ

    

 

 

 冬の継ぎ目の無い白い空から、淡い雨が落ちて来た。

 心許ない霧雨と一緒に、心許なく降りて来たフラフラの一騎。

 真っ青な顔でもうろうとしたナナだ。

 

 馬は平気の平座でスンと着地する。

 鞍上のナナは馬の背峰に顎をぶつけかけた。

 

「大丈夫ですか? ナナ。まだ高空気流は慣れませんか?」

「へ、平気です」

 青年はよろけながら下馬するが、膝がわらって大長に支えられている。

 

(カッコ悪……)

 シドとソラは口には出さないが、心で悪態付きながら、馬を受け取った。

 大長様はいつも涼しい顔で降りて来るし、ツバクロ様なんか宙返りなんて交えながら、惚れ惚れする降下を見せてくれるのに。

 

 まだ千鳥足のナナに、老人達は形式ばった長い歓迎の辞を述べた。

 西風の里の次期長のモエギも一応、出迎えて挨拶をする。

 

 さぞやネチこく絡まれるだろうと、モエギは恐々と構えていたが、意外にナナはあっさり受け流した。

「ではよろしく頼みます。」

 と、チラと目を流しただけで、雨衣を脱いで、大長との引き継ぎに入ってしまったのだ。

 

「……??」

 モエギは拍子抜けしたが、内心ホッとした。

 

 ナナはこちらが考える程に子供でもなかったんだろう。

 大人気ないコトをしたと反省しているのかもしれない。

 まぁ、わだかまり無く平穏にやれるのなら、それに越した事はない。

 

(こっちだってグーパンチをお見舞いしたんだ、お互い様ってコトでいいだろ!)

 もともと性格のサバサバしたモエギは、そう判断して胸に納めた。

 

 大長には分かっていた。

 平静を装ったナナは、実はモエギの前で、心臓が喉元まで上がりそうな程に緊張していたのを。

 先の鷹の手紙にはノスリの私信も入っていた。

 フィフィからナナに、みっちりと教育的指導が入ったと。

 

(この分だと大丈夫そうですね)

 明日から長雨になりそうなので、雨雲の薄い今日の内に出発したい。

 ナナが自重して大人しくしていてくれるなら、安心して引き上げる事が出来る。

 元々、落ち着きのないツバクロよりは、実直なナナ向きの仕事なのだ。

 まだ若いが、時間を掛けて里の者の信頼を得て行けばいい。

 

 

 こんな風にそれぞれの大人が丸く納める方向へ落とそうとしている裏側で、シドとソラは厩の隅でコソコソと画策していた。

 

 午前中に荒れ地で採って来たコカの実を、殻から剥いてるのだ。

「無味無臭だけれど、これが枕に入っていたら、頭が冴えて眠れない。単純な事だけれどね、眠れないと身体のバランスが崩れて、頭がはっきりしなくなる。忘れっぽくなって失敗が多くなったり。結果、何だか西風の里は馴染めない、となる」

「凄いな。よくそんなイヤらしい事を思い付くな」

「一生懸命考えたのに」

「褒めているんだよ」

 

 

「お前達、こんな所に居たのか」

 

 外の窓からモエギが顔を出して二人は飛び上がった。

「どうした? 何かしていたのか?」

「あ、あの、馬具の修理を」

 シドがワザとらしく手近の頭絡を手に取った。

 

「大長が発たれる。闘牙の馬の馬装を頼む。それからお前達に挨拶したいと」

「は、はい……」

 

 シドは後ろ手に隠した実付きの枝を、壁の板の隙間に押し込んだ。

 そうして闘牙の馬を引いて、馬繋ぎ場へ急いだ。

 

 

「貴方達のお陰で、不慣れな土地でも健やかに過ごす事が出来ました。感謝していますよ」

 大長は二人の前に立ち、順番に額に触れた。

 触れられた所からフワッと穏やかな心地になれて、二人はこうやって長に触れられるのが大好きだった。祝福の術っていうらしい。

 

「ナナの事も宜しく頼みますね」

「……はい」

 

 大長は手を振って上昇して行き、二人は後ろめたい気持ちになった。

 でも、望みの無いモエギ様の側でヤキモキしているよりは、とっとと里に戻って別な女の子とくっつく方が、ナナ様にとっては幸せなんだ。

 二人は昨日話し合った結論を、無理矢理頭の表面に引っ張り出した。

 

 

 

 その日の午後からナナは仕事に没頭していたので、寝所の枕は余裕ですり替える事が出来た。

 しかし夜になって、厩横の小屋で、落ち着けないのは二人の方だった。

 

 あんなにヨレヨレで空から降りて来て、午後も里の為に働いて、挙げ句、夜眠れないのか。

 ちょっと可哀想過ぎるかも……

 

 一日目にして早くも二人の良心が痛み出した。

 どちらからともなく顔を見合わせた所で、不意に想い人が顔を見せた。

 

「やあ」

 

「ナ、ナナ様!?」

 

「ちょっと僕の部屋へ来てくれる?」

 

 企みがバレたのかと、戦々恐々と二人が着いて行くと、ナナの客間は足の踏み場もなかった。

 カゴに入った干し果物やら、可愛い形の砂糖菓子、甘い匂いの焼き菓子等が、床一杯に並べられている。

 なけなしの材料を集めて作られたであろう、祝い事の時にしかお目にかかれない料理もある。

 

「………………」

 二人は呆れた目でそれらを見下ろした。

 多分女の子達が我先に差し入れて来たのだ。

 

「こんなに、貰ってもねぇ……」

 ナナが呟いて、二人はピクリと肩を震わせた。

 このヒトに、里にこういう贅沢な菓子がいつも普通に存在すると思われるのも嫌だし、それを分け与えて自分達を抱き込もうとされるのも嫌だ。

 

「僕達も、甘い物に飛び付くような子供でもありませんから」

 ソラがひねくれた言い方をした。

 

「うん、勿論君達にだって食べきれないよね」

 ナナは普通に受け流した。

「甘い物が好きな子供達のおうちへ、持って行ってくれないか?」

 

「…………はい」

 二人は一瞬茫然としてから返事をした。

 言われてみれば当然なんだが、言われるまで気付かない事ってある……

 

「君達ならくまなく配分出来るだろうし。雨の中、大変だろうけれど、頼むよ」

「は、はい」

 二人は菓子を配る算段をし、シドは荷車を取りに行った。

 

「ねえ、ソラ」

 ナナはベッドに腰掛けて枕をポンポンと弄(もてあそ)びながら、残って菓子を選り分ける少年に話し掛けた。

 

「……はい?」

 ソラはちょっとドギマギした。

 

「どうしたら、こういうのを無くせるんだろう」

「女の子達が貴方へ貢ぎ物を届けるのをですか?」

「……うん。食べ物や住む家が、片寄らないで、本当に必要な者達の所へ、自然に流れるようにするには、どうしたらいいんだろう」

 

「……………」

 

「里の中ですら滞る場所がある」

 

「……あの」

「うん?」

「枕にシミがあります、取り替えます」

「? いいよ、別に」

「取り替えさせて下さい」

「??」

 

 

 

「それで、枕、取り替えたのか?」

 小さな荷車を引きながらシドが聞いた。

「うん、ごめん、相談無しに」

 ソラは荷台の食べ物に雨がかからないように掛けた帆布を押さえながら答えた。

 

「いいよ、僕も気が進まなくなっていた」

 シドはソラを振り返って苦笑いする。

「どうしたら無くせるかって……言えばいいと思うけれど、女の子達に」

 

「そういうのじゃ駄目なんだって。言われて従うだけじゃ、自分が居なくなったらおんなじだって」

「…………」

 

 

 子供達の住む家はそんなに多くない。

 一軒当たりの人数は多いけれど。

 

 空の皿の山を荷車に積んで、ナナの所へ戻ると、部屋は既に書き物の山に埋もれていた。

「ご苦労様、ちょっと待って」

 書きかけ図面を脇に避けて、ナナは鞍袋から小さな瓶を引っ張り出した。

「お土産」

 

「へ?」

「甘い物、好きじゃないって知らなかったから、ゴメン。でも割りと美味しいから食べてみて。蜜柑の蜂蜜漬け、僕の妹が作ったんだ」

 

「僕達に?」

「うん」

「モエギ様にじゃなくて?」

「モエギ殿には昼間同じ物を渡したよ」

「女の子達には?」

「厄介の種になる」

 

 二人は肩をすぼめて笑った。

 そうして二人同時に手を出して小さな瓶を受け取った。

 

 二人が暇乞いして、小屋へ帰る道々振り向いても、ナナの部屋の灯りは点いていた。

 どっちみち満足な睡眠を取るつもりはないんだ、あのヒト。

 

 小さな小屋で瓶の封を開けると、甘酸っぱい香りが広がった。

 実は二人とも、甘い物はそこそこ好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:シドとソラ
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ムーンピラー~幸せのお裾分け~・Ⅲ

 

 翌日は朝から土砂降りの大雨だった。

 ナナは早朝から雨をついて、里上空の風を流しに飛び立った。

 ついでに周辺の見回りもしてくるから遅くなるねと、少年達に告げていた。

 視界の悪い雨の日が、怪しい物がうろつく絶好の環境らしい。

 

 そろそろナナ様が帰る頃だと、二人が雨衣を着始めた所で、髪から滴をたらしたモエギが飛び込んで来た。

「私の馬を出してくれ!」

 

「どうしたんですか?」

「娘が一人、帰らない」

 

 二人、大急ぎでモエギの馬に鞍を置いた。

 慌てて馬装したので、気配がおかしい事に気付けなかった。

 

「勝手に外出したらしい。紫の丘へ行くって……」

 モエギが言い終わる前に、馬は首を振って大ジャンプして消えた。

 

「・・!?」

 今、何か、変だった?

 モエギ様は確かに急いでいたが……いつもと違う??

 

 雨の中、二人が顔を見合わせて何か言い合おうとした時、上空からナナが降りて来た。

 鞍の前に、里の女の子を一人乗せている。

「ナナ様?」

 

「雨で方向を見失っていた。たまたま見付けて、良かった」

 女の子は呑気にニコニコしてナナに助けられて馬から降りた。

 まさかとは思うが、ナナ様の気を引く為に、わざと里を抜けてうろついていたんじゃないだろうな……?

 二人はひっぱたきたくなる気持ちを抑えて、ナナにモエギの事を報告した。

 

「分かった、取りあえず探しに行って来る」

「あの……」

「ん?」

「馬が、何だか変だったんです」

「えっ?」

「気のせいかもしれないけれど」

 

 ナナは頬から耳へ手を滑らせ、少し目を閉じ……次の瞬間顔色をザワッと変えた。

 慌てた感じで雨衣を翻し、馬に飛び乗る。

 

「ナナ様?」

 

 ナナの馬は、さっきまでとは違う動きで、旋風を起こして急上昇した。

 地面の三人は、吹っ飛ばされて尻餅を着いた。

 娘は地べたで泥だらけになって情けない声を出している。

 

 ナナの馬のあんな乱暴な発進は初めて見る。

 

 

 

 モエギは凍り付いていた。

 馬がまったく言う事を聞かないのだ。

 どんなに御しても馬銜(ハミ)を受け付けず、狂ったよう大きなジャンプを繰り返して、今まで来た事もない高空まで達してしまった。

 もう雲を越えて、雨の上だ。

 勿論モエギには未知の世界。

 

 馬が勝手にモエギから能力以上の風を引き出して、雲の上を駆けているのだ。

 幾ら風の精のモエギだって、この高さで落馬したら……

 そういうコトを考えないようにしようとする程考えてしまい、身体が強張って鐙(あぶみ)を外してしまった。

 タテガミを指に絡めて、振り落とされないようにしがみ付くだけで精一杯。

 

 こんな場所に居たら、誰にも見付けて貰えない。

 助かる目が全く浮かばない。

 悪い想像が次々に頭を過(よぎ)る。

 

「……ハトゥンを殴ったキリだった……」

 豆鉄砲を喰らったような、漆黒の青年の顔が浮かぶ。

「許してやっても良かったのに……ハトゥン……」

 

 目の前の雲が渦巻いて、ズボリとナナの騎馬が上昇した。

「ハトゥンでなくて、スミマセン」

 

 

    ***

 

 

 モエギの馬は目隠しされて、ナナの馬と共に降りて来た。

 

 馬繋ぎ馬で雨に打たれて待っていた二人の厩番の少年は、モエギが無事戻ったのには胸を撫で下ろしたが、ナナの左目回りの新しいアザにビックリした。

 前の右目のアザもうっすら残っているので、まるで大陸産大熊猫。

 

「助けに行ったのに……」

「お前が姑息な事をしているからだ!」

 オロオロしてる少年達の前で、モエギはナナの長い髪を引っ張った。

 

 雨に濡れた髪に隠れて、ナナの左耳に、橙(だいだい)色のピアス。

「これのお陰で、貴女の居所が分かったんですよ」

「だから、それは、何でだっ!」

「イタイ、イタイ! それは、貴女の櫛の石と、同じ原石から削り出した兄弟石だからで……」

 

「何で! お前が! それを! 耳に付けているっ!!」

「いいじゃないですか。貴女とお揃いを付けていたかったんですよ」

 

「これを付けてる限り、お前には、いつでも私が何処で何をしてるか分かる、って事だよな!」

「いつでもじゃないですよ。術で願った時だけ……」

 

「そーいうのをストーカーって言うんだあぁぁ――!! そもそも何で都合よくこんなトラブルが起こるっ、ええっ!?」

 

 更に拳を振り上げるモエギに、少年二人が飛び付いた。

「待って待って待ってくださぁい!」

「僕達が悪いんです! ナナ様は何もしていないですっ」

 

 モエギが止まって二人を見ると、少年達はスゴスゴと一本の木の枝を持ち出した。

 

「……何だ?」

「コカの、木の枝です……」

「僕達がうっかり、モエギ様の馬の届く場所に、置き忘れちゃったんです。馬はコカの実を食べて、おかしくなったんです」

 

 モエギの顔の血の気がすぅっと引いた。

 

「すみませんでしたぁ!!」

 二人はモエギの前で膝まづいた。

 

「…………厩(うまや)番の仕事は、解ってるな」

 モエギが低い声でゆっくり言う。

「はぃ……う、馬達の健康管理……」

「その馬の健康を害する物を、何故厩(うまや)に持ち込む?」

「あ……う……」

 

「お前達の厩番は考え直さねばなるまい。長老達と議するから、沙汰が下りるまで謹慎していろ」

「モエギ様ぁ……」

 

 モエギは冷たい顔で宣言し、雨衣を掴んで厩から去ろうとした。

「待って下さい、モエギ殿」

 真剣な顔のナナがその肩を掴む。

「私に触れるな! 疑った事だけは謝罪するが、お前に口を差し挟む余地など無い!」

 

 しかしナナは肩を離さず続けた。

「蒼の里では」

「ここは西風の里だ!」

「自分の馬の責任は自分に在ります」

「……」

「自分の馬が怪我をしたら、凄く恥ずかしい事です。馬装は係の者がやりますが、跨がってからは自分の責任です。高く飛ぶ者は、必ず自分でチェックします」

「…………」

 

「若い者に失敗の機会を与えます。大人みんなで見守って、間違ったら正せば良いだけです。僕もそうやって育てて貰いました」

「…………」

 

「その為に、大人の居ないこの里に、僕は来ているんです」

 

 ナナは真剣な眼差しで少年達を見た。

 大人が居ないから働いているが、蒼の里ではまだ修練所に通っている歳だ。

 

「それに、シドとソラは多分、僕の為にコカの実を採って来てくれたんです」

 

「??」

 

 突然話を振られて戸惑う少年達に、ナナは優しく向き直る。

「そうだろ?」

 

「そうなのか?」

 モエギも幾分落ち着いた声で聞いた。

 

「えっと……」

 シドもソラも困惑した。

 正直に告白すべきなんだろうか? 更に話をややこしくする事になると思うのだが。

 

 二人の迷いを見透かすように、ナナはウインクした。

「疲れた僕の身体を、元気にしてくれようとしたんですよ」

 

「……咎(とが)は、無しだ」

 モエギが呟いた。

「落ち度は私にあった。すまない。今後は馬の管理も、蒼の里に準じよう。老人達に議を通しておく」

「モエギ様……」

 

「じゃあ」

 ナナはニッコリして、モエギの握っていた櫛を取って、またその髪に差し直そうとした。

「『じゃあ』じゃない! それとこれとは話が別だ!」

 モエギは櫛を掴み返した。

 

「乱暴に扱っちゃいけません。貴方の母君のお形見でしょう」

「後でゆっくりこの珠だけ外してやる!」

「無理だと思いますよ。大長がしっかり呪文を施して埋めた筈ですから。手紙でそうお願いして置きましたし」

「き・さ・まぁ~~!!」

 

 シドとソラは様々な急展開に目を白黒していた。

 このナナってヒト……掴めない……

 

 

 

 カンカンに怒ったモエギは、珠を外すのはおっさんが来た時にやらせる! と宣言して、里の中心へ立ち去った。

 

 モエギの馬は、ナナの調合した薬湯で、夜には落ち着いた。

 少年達は緊張して待ったが、ナナはコカの実の事は聞いて来なかった。

 

「あの……」

 とうとうソラが切り出した。

「ナナ様が来る日の朝に、荒れ地に実を取りに行ったんです」

 

「その時の目的は、果たしたのかい?」

 ナナは馬の鼻面を撫でながら穏やかな声で聞いた。

 

「いえ、結局使いませんでした。今後も使うつもりはありません」

「そう」

 ナナは馬から顔を上げた。

「なら、良かった。シド、ソラ、僕は君達が好きだよ。おやすみ」

 ナナは雨衣を羽織って外に向かった。

 

「あの」

「僕も、僕達も」

「好きです、ナナ様が」

「おやすみなさい」

 ナナは後ろ手に手を振って、雨の中に溶けた。

 

 

 

 



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ムーンピラー~幸せのお裾分け~・Ⅳ

 

 

 雨の季節ではあるのだが、この土地でここまで水が降り続けるのも珍しい。

 

 雨音は怪しいモノの気配を消し、冷たい水はヒトの集中力を削ぐ。

 ナナは上空に風を流す他に、午前と夜の見回りを欠かさなかった。

 日中は子供達の所を回って、勉強を教えたりしていた。

 

 シドとソラは、夜飼いが済んでからナナの所へ行って、色々手伝うのが日課になっていた。

 手伝うといっても、筆記用具を準備したり、訪ねて来る女の子を断ったりする程度の、簡単な事しか出来なかったが、ナナはその合間に様々な話をしてくれた。

 

 浅黄の君に読み書き計算は習ったし、大長は風や水や、万物の結び付きを教えてくれた。

 そしてナナは、遠い国の歴史や世界の成り立ちなんかに詳しかった。

 二人はこうして教えて貰う機会のある自分達は幸運だと思っていた。

 

 里へ来て数日目に、ナナは書き上げた図面を見せてくれた。

「何だと思う?」

「建物、大きな?」

「修練所」

「しゅうれんしょ?」

 

「子供達が色々学ぶ場所だよ。ここが教室で、こっちの端が、家の無い子が寝起きして生活出来る寮になっている」

「すごい……!」

「今は蒼の里の者が勉強を教えているけれど、ゆくゆくは里内に『教えられる者』が育って欲しいからね。継続させる為に、やっぱり器はあった方がいい」

 

 ナナは別の図面を引っ張り出した。

「こちらが材料の見積もり。大長が乾季の間に指導して煉瓦を作っていたし、今ある幾つかの廃屋を解体したら、資材は足りると思う。後は人手なんだよな」

「僕達、頑張って手伝います」

 

「うん、だけれど、絶対的に力仕事の出来る者が少ない」

「ああ……」

 二人は今すぐ筋骨隆々とした大人になりたい、と思った。

 

「蒼の里から手伝いに来て貰う訳には行かないんですか?」

「う――ん、それは、手詰まりな場合の最終手段」

「??」

 

「他所から来て手出しをするのは、『歪み』を作る事になる。歪みは最小限にすべきなんだ」

「歪み、ですか?」

「難しいかな……えっと、自分達の事は出来るだけ自分達で出来るようにする。でないと長続きしないんだ」

「ああ、はあ」

 

 額に指を当てて、ナナはポツリと呟いた。

「砂の民……」

「ハトゥン様の所?」

 

「浅黄の君は砂の民と同盟を結ぼうとしていたよね。その話、再燃出来ないかな?」

「それは、浅黄様がこの土地の風を総括する力を持っていたからです。浅黄様亡き今、砂の民に西風の里と結ぶメリットは無いそうです」

「ふむぅ」

「ハトゥン様が言っていたから確かです。頭の堅い親父だって」

 

「ふうん、まあ、順当だろうね……待って」

 ナナは積まれた書類の下の方から、何枚か引っ張り出した。

 

「ん・んん~~ふんふん・・あるんじゃないかな、メリット。お互いに」

「あるんですか?」

「うん、だけれどまた、モエギ殿の怒りを買う事になりそうだ」

 ナナは額に手を当てて渋い顔をした。

 

「あの、ナナ様?」

「ん?」

「ナナ様って滅茶滅茶モテるじゃないですか。きっと蒼の里でもそうなんでしょう。何で、その……モエギ様なんですか?」

 

「!!」

 ナナは素っ頓狂な顔をしてのけぞった。

「バレてた!?」

 

「当ったり前でしょう! あれでバレていないと思っていた方が不可思議ですっ!」

 トボけているんじゃない、大真面目だ……二人は呆れた顔を見合わせた。

 

「あからさまに迫るのは逆効果だって、フィフィ母さんに釘を刺されていたんだけれどなぁ」

「あれがアカラサマで無いんなら、ナナ様の全力ってどんなんなんです?」

 この無茶無茶モテるであろう美青年が、手練れた感じがしない原因が分かった気がする。

 

「モテるって言っても、女の子達は本気じゃない。レクリェーションみたいな物だよ、あれは。こちらはたった一人の相手がいればそれでいいのに」

「それで、モエギ様、ですか」

 

「うん。でも……ダメだな。空の上で万事休すになった時、彼女、ハトゥンの名前を呼んでいた……」

 ナナは世にも情けない顔になり、二人は何にも言えなくなってしまった。

 

 正直、少し前までハトゥンを応援していた。

 しかし今は、目の前のショボくれている青年に幸せになって欲しい。

 

 本当に……何で、モエギ様なんだ……

 

 

 

 

 モエギの自宅……元は西風の長の仕事場だったが……の外で、ナナの声がした。

「ちょっと、いいですか?」

 

 モエギは櫛を机に置いて、小刀で橙(だいだい)色の珠をほじくり出そうとしている所だった。

 

「なんだ?」

 戸口から首を入れて目を丸くしてるナナに、モエギは不機嫌そうに聞いた。

 

「いえ、あの、櫛が傷んじゃいますよ」

「誰のせいでこんな苦労をしていると思う」

「…………」

 

 ナナは黙って部屋に入って、橙色のピアスを外して机に置いた。

「??」

「貴女がそんなに嫌がるとは思いませんでした」

「嫌がるとか、そうじゃなくて」

「だから櫛を傷付けないで下さい。その珠に込められた幸福の祈りは本物ですから」

「…………」

 

「このピアスは差し上げます。それで安心でしょう?」

「あ、ああ……」

 モエギは机のピアスを戸惑いながら見つめた。

「いいのか?」

「何がですか?」

 今度はナナがちょっと拗ねた感じで言った。

 

「いや…………何か、用事があったんじゃないのか?」

 モエギは困って、話題を変えた。

「ああ、そうでした」

 ナナは手を打って顔を上げた。

「ピクニックを計画しているんです。雨が上がったら」

「は? ピク……ニ?」

 

「ええ、女の子達を紫の丘へ連れてっ行ってあげようと。ほら、この間抜け出して迷子になった女の子、紫の丘へ木の実を取りに行きたかったらしいんですよ」

 

「…………」

 モエギは黙って片眉を吊り上げた。

 

「何にしても、里に閉じ籠りっ放しじゃストレスも溜まります。だから、変な方向へエネルギーが暴走するんですよ」

「あ、ああ」

 その点はモエギも同意だ。

 

「これが上手く行けば、子供達も何班かに分けて遠足に連れて行けますし。賛成して貰えますか?」

「ああ、そうだな」

 

「では引率をお願いします」

「はあ?」

「女の子は十何人いるし、僕は上空で護衛していた方が良いでしょう」

「あ、ああ……」

 

 何だか勝手に話が出来上がったが、まあ、悪い事ではない。

 モエギは承知して、ナナはおやすみを言って家を出た。

 

 出た所でシドとソラが居て、三人は目を見合わせて親指を立てた。

 

 

 

 

 

 

 



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ムーンピラー~幸せのお裾分け~・Ⅴ

  

 

 

 翌日、図ったように雨が上がって快晴だった。

 女の子達は紫の丘へ行けると聞いて、歓声を上げて喜んだ。

 単にナナと外出出来るからだけではないのが、見ていて分かった。

 やはり皆、外へ行きたかったんだ。

 

 シドとソラは大人しい馬を何頭か引き出し、女の子達はワキャワキャと騒ぎながら、一人か二人づつ乗馬した。

 風の一族なのに、自分で馬に乗った事のない娘もいた。

 

 結界は、入るのは骨だが、出るのは簡単だ。

 モエギが先導して、十頭ばかりの馬は、すぐ近くの紫の丘までお行儀良く行進した。

 

 雨露に濡れた丘の灌木の間で、娘達は嬉しそうに木の実を摘んで、はしゃぎ回った。

 

 ナナは上空で見守っていた。

 下りると厄介になりそうだし。

 

「あまり遠くへ行くなよ――」

 丘のてっぺんで周囲に気を配りながらも、モエギも穏やかな気持ちになれていた。

 やっぱり皆がのびのび笑っているのはいい。

 早く力を付けて、皆が安心して暮らせる里にしたい。

 

「モ、モエギ様~~!」

 迷子事件を起こした娘が、金切り声を上げて駆けて来た。

 遠くへ行くなと言うのに、蜻蛉(とんぼ)を追い掛けて丘の裾まで行っていたのだ。

「何だ、どうした?」

 

「ミ、ミミズがあ~~!」

「なんだ、ミミズぐらいで。全く、娘ってのは……」

 モエギはそちらを見やって、息が止まった。

 ミミズはミミズでも、丸太ん棒みたいな巨大蟲!

 それが一匹ではなく、何十匹もこんがらがって、丘の裾でうごめいているではないか。

 

「ナ、ナナは、何をやっているんだ!」

 モエギは娘達を丘のてっぺんに呼び寄せ、自分は剣を抜いて構えた。

 ミミズは動きは鈍いが、数が多くて四方からこちらに向かって登って来る。

 口の中で放射状の歯をモゴモゴさせ、小さい子ならそのまま飲まれてしまいそうだ。

「ナナ――!!」

 

 ナナは何故か遥か上空だった。

「雨が続いて地中で居心地悪くなったミミズが地表に出、体温を感知して追い掛けて来る……文敵にあった通りだ」

 

「ナナ――!?」

 モエギは再度呼ぶ。

 見ていないのか? 護衛の意味が無いではないか!

 

「モ、モエギ様ぁぁ・・」

「大丈夫だ、固まって居ろ! 幼い者を中に入れろ!」

 モエギが剣を振り上げ、ミミズが二階程の高さに鎌首をもたげた所で…………

 

 灰色の影が複数跳んだ。

 

 ――ザン! ザシュ!

 ――ザザン! 

 

「!?」

 

 ――ドザドザドザザザ!!

 

 たちまちミミズはナマス状に転がり、モエギの前では久しい漆黒の青年が、最後のミミズを切り捨てた。

 

「よっ!」

 

「……ハトゥン……」

 

 娘達の危機を救ってくれたのは、砂の民の幾人かの若者だった。

「お、お前、何で、ここに……」

「チビッコナイトが使いに来た。お前、知らなかったのか?」

 ハトゥンはモエギにだけ聞こえる小さい声で言った。

 

「何を?」

「今日、紫の丘へ、うちの若いの連れて来いって、ナナが」

「ナナ……が?」

「合コンだって」

「ご・う・こ・ん・・!?」

 

「サプライズがあるって書いてあったけれど、これの事かぁ」

 ハトゥンは目を見開いて、ミミズのナマスを眺めて笑った。

「あいつ、やるなあ」

 

 確かに、娘達の何人かは、危ない所を助けてくれた若者を、潤んだ瞳で見つめている。

 手をとって礼を言っている積極的な娘もいる。

 

「ただ出会わせるだけじゃ、他種族だし、そうそう上手く行かなかっただろう。吊り橋効果って奴だ。ホント、あいつ切れ者だよな。なあ?」

 

 モエギを振り向いたハトゥンは凍り付いて黙った。

 仁王立ちのモエギが、碧緑の髪を逆立ててメラメラと怒りに燃えていた。

 

「あ・ん・の・野郎ぉお~~!!」

 

「スミマセン……」

 振り向くと、いつの間に降りて来ていたナナが、覚悟を決めた顔で畏(かしこ)まっていた。

「殴ってイイですよ。でもちょっとは手加減してね」

 

「お前はぁぁあ! その余計な一言がイラっと来るんだあぁ――!」

 

 しかしモエギの振り上げた拳は止まった。

 ナナの前に二人の少年が立ち塞がったからだ。

「僕達も共犯ですぅ」

「ごめんなさぁい」

 

「お前ら……」

 毒気を抜かれたモエギの肩に、ハトゥンの手が乗った。

「なあ、周りを見ろよ」

 

 ナナが下りて来ているというのに、女の子達は特に気に止めず、砂の民の若者達と話したり、労ったり。

 進展の早いグループはお弁当なんか囲んじゃったりしている。

 

「幾ら何でも早過ぎないか?」

「皆、求めていたんですよ」

 

 モエギはまたナナを睨み付けた。

「西風の娘達は、そんな節操の無い娘ではない」

「そうじゃなくて……」

 

「飢えてたんだろ」

 ハトゥンが混ぜっ返した。

 

「う、飢えて……」

 モエギが口をパクパクさせる。

 

「摂理です、そうでしょう、ナナ様」

 ソラが言って、モエギが真顔になった。

 ナナは黙ってニコニコしているので、ソラは頑張って続きを喋った。

 

「えっと、女性が強い者に惹かれるのは、意識せずともの一族存続の摂理だって。それでナナ様に異常にキャアキャア言っていたんだけれど、もっと沢山の対象に出逢えたら、皆落ち着いて、ちゃんと本当の相手を見つけ出すって」

 

「そうなの……か?」

 モエギはイマイチ納得の行かない顔だ。

 ヒトの心がそんな法則に通りに簡単に収まる物なのか?

 

「モエギ様、西風の里では男の子が生まるの、凄く少ないでしょ?」

「ああ、そういう物だろ? 男の子は生まれにくい」

 

「へえ? 砂の民の街では逆だぜ。女が生まれるのなんて、十人に一人かそこいらだ」

 ハトゥンが驚いた声で言った。

 

「ええっ、本当か?」

 すぐ側の部族なのに?  いや、そんな物なのかもしれない、お互いに知ろうとしなければ。

 過去には知っていても失われたか、当たり前だと思い過ぎて話題にも上がらなかったか。

 

「それ、僕達みたいな種類の生き物には、おかしな事なんですって。本当なら、男の子も女の子もそんなに極端な割合にならない筈なのに。西風の部族も砂の民も、血が濃くなりすぎて、マズイ所まで来ているらしいです」

 

「え?」

「マジかよ」

 

「だから摂理は、両方の部族に、交わり交流しなさいって言っていますっ……以上!」

 

「良く出来ました」

 ナナが手を叩いた。

 

 



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ムーンピラー~幸せのお裾分け~・Ⅵ

  

 

 

「砂の民の街には女の子がホンット居なくてさ。若い娘はどの家も奥の奥に隠すか、修道院に預けちまう。既婚の女性も数が少な過ぎて、いつも忙しなく俯いていて、楽しそうに笑っている女の顔ってのが、街中に無いんだ」

「…………」

「だから、明るくて元気な西風の娘達と合コンだって声を掛けたら、野郎共、躍り上がって喜んだぜ。普段気にもしない髪を撫で付けたりしてな」

 

 ハトゥンは、借りて来た猫のように畏まっている荒くれ共を、ニヤニヤしながら眺めた。

 取りあえず、いきなりミミズを焼いて食ったりはするな! というハトゥンからのお達しは行き届いていた。

 ナナとモエギ、それにシドとソラも、丘のてっぺんで皆から裾分けの菓子をかじりながら、喉かな風景を眺める。

 

「親父には大目玉だな。でもさっきのを説明すれば……えと、摂理、だっけ?」

「僕がお伺いしますよ。目通りもして置きたかったし」

「ああ、頼む。理屈は苦手だ」

 

 男二人で話が弾む横で、モエギはフテくされていた。

「私には、話してくれていても良かったんじゃないのか?」

「ああ……そうですが、はあ……」

 

「私が慌てるのを見て、溜飲を下げていたんじゃないのか?」

「まさか、そんな……」

「じゃあ、何なんだ、何で私には隠していたんだ」

 

「ナナ様は、普段は流れるように説明出来るのに、モエギ様の前だと、喋れなくなるんです」

 ソラがまたタイムリーな補足を入れてくれた。

 

「喋れない? お前が? あんだけ要らん事、グダグダ、グダグダ、お喋りオトコのお前がか?」

「いや……その……」

 

「だって何て説明すれば良かったんです?」

 ソラは珍しくモエギに口応えした。

「西風の娘達の、何者にも物怖じしないあの底抜けのパワーは、外に対して立派な武器になる、なんて……」

 

「武器だと? そんな事を言っていたのか、お前は!」

 一旦立ち上がったものの、モエギは頭を抱えて座り込んだ。

 

「もう、いい……お前の方が、里の事を解っている。里の為に上手く立ち回れる……」

「モエギ殿?」

「私は……駄目だ。皆の為になろうと思っているのに、何も出来ていない。空回りばかり。能力だって開くかどうか」

 ナナも、シドもソラも黙った。

 さすがにやり過ぎたか……

 

「湿ってんなよ。お前の価値はそんなモンじゃねえ。土俵が違う」

 ハトゥンが立ち上がった。

「今からそれを証明してやる」

 そしてナナを振り返った。

「やるか」

 

「ええ、やりましょう」

 ナナも草を払って立ち上がった。

 

「??」

 ビックリ顔のモエギを他所に、二人は丘のてっぺんの裸地で向かい合った。

 剣を外して上衣を脱ぎ捨てる。

 和やかに談笑していた他のグループも、振り返って注目した。

 

「聞け!! 野郎共!!」

 ハトゥンは人差し指を高々と挙げて宣言をした。

「今からこいつとサシで勝負だ! 勝った方が、西風の総領娘に・・コクる!!」

 

「ウォオオオオ――ー!!!」

 砂の民の若者達は大盛り上がりをし、娘達も釣られて手を叩いた。

「ナナ様、頑張って!」

「若、負けたら帰れませんぜ!」

 

「バ、バカ野郎……!」

 モエギが慌てふためくが、ここまで盛り上がったら収まらない。

 

「モエギ様、腹くくりましょうよ」

「前と違って素手ですモン。いいでしょ」

 シドとソラが両側に立った。

 多分、前みたいに割って入らせない為の防波堤役だ。

 仕組んでやがったなあ!

 

 言ってる間に輪の中心の二人は地面を蹴った。

 

「うおおおおおおお――!!」

「だあぁぁぁぁああ――!!」

 

 

 

 

 ――まったくこの子は、そんな風に平気な素振りで突っ張ってばかりいるから、肝心の気持ちの一つも伝えられないんですよ――

 

 ナナは、雪の神殿の母親の、いつもの説教の声を聞いた。

 

 

 

 ・・・目を開けると青空だった。

 飛んでいた記憶が少しづつ蘇る。

 片目が見えないのは、水で湿した布が乗せられてるせいだ。

 

「お前さあ……」

 視界の外から対戦相手の声がした。

「あそこまで盛り上げといて、一撃でノサレるなよ。一気に盛り下がったぞ」

 

「スミマセン……」

「申し込んで来たのはお前だろ」

「ヒトを、殴ったコト、ないんです……」

 

 呆れた溜め息が、何重にも聞こえた。

 

「コクったんですか」

「ああ」

「それで……」

 

 頭の上からハトゥンの顔が視界に入った。

 鼻血を流していたが、ニカッと笑って、片耳の橙(だいだい)色のピアスを見せてくれた。

 

「これで良かったんだろ」

 やはり視界の外から、ぶっきらぼうなモエギの声。

「最初からこのつもりでピアスを持って来たんだろ。見え透いた道化なんか演じやがって」

 

 ナナは目を閉じて黙った。その喉元で、

『いいえ、違うんです。目一杯本気だったんですよぉ・・』

 と言うのが、シドとソラだけには聞こえていた。

 

 

 砂の民の若者達は、一行を里の近くまで送ってくれた。

 

 帰る道々、ナナはハトゥンに謝った。

「僕に付き合わせて、またモエギ殿に殴られる羽目になって、スミマセン」

「ん? ああ、構わないさ。これで大熊猫が二頭ってか、はっはは」

「また、『私は景品では無い!』って怒られましたか?」

「いや、違う」

 

 シドが口を挟む。

「『相手をよく見ろ、手加減も出来ないのか!』って。ナナ様が暫く動かないので、モエギ様、本気で心配していましたよ」

 

「ホント?」

 蒼の妖精の青年は本当に幸せそうな表情をした。

 

 これだけで満足してしまえるんだから、まったく可愛いヒトだなあ。

 ソラも同じ気持ちで、シドの横に並ぶ。

 この数日で、二人は確実に多くの事を学び、多くのモノを受け取った。

 これをまたいつか、後から来る誰かに渡したい……そう思った。

 

 

 

 夜、ナナの部屋にカンテラの灯がともる。

 

「モエギ様は、もうそういうのは気にしないと思います。自分を賭ける事が、物みたいに扱われているとか」

 今日は仕事はお休みにして下さいと、ナナをベッドに押さえ付け、シドとソラは寝物語りのように話した。

 

「『お前の価値を証明する』って言葉の意味を、モエギ様が問い詰めたんです。そしたらハトゥン様、ノビてる貴方を指差して、『こいつを見ろ、お前が言うように、殴り合いをするようなタマか? こういう男をそういう暴挙に走らせる、それがお前の価値だ』ですって。さすがのモエギ様も目を白黒させて黙ってしまいました」

 

 話しながら二人がふと見ると、ナナは目を閉じていたけれど、その端から涙がこぼれ落ちていた。

 

「い、痛みますか!?」

「いや……」

「やっぱり悔しいですか? 僕、ちょっとは応援していましたよ」

「いや、そうじゃなくて……」

「はい?」

「任期が過ぎたら、ここを去らなきゃならない。西風の里が復興したら、もうこんな風にここで駐留する事はない。今からそれを考えて、涙が出ちゃうんだ」

「…………」

 

「……早く、修練所、作りたいな」

「作りましょう。みんなで作りましょう」

 

 

 

 

 ピクニックの翌日には、ナナは砂の民の総領に、話をしに行った。

 頑固な総領は、最初ナナが若僧なのが気に食わない風だった。

 が、西風の里の修練所の普請(ふしん)を砂の民の男手が手伝う見返りを問うた時、真面目な顔で『未来です』と答えてしまうこの若僧を、ちょっとだけ気に入ったようだった。

 大熊猫のような両目アザの理由を聞いて大笑いをし、今度は喧嘩の仕方を享受して進ぜようと、里の出口まで見送ってくれた。

 

 西風の里の老人達はモエギが黙らせた。

 これ位は自分にやれなければ、という使命感に燃えていた。

 両部族ともまだ結界は外せないが、あの迷子娘が主催者になって、交流会みたいなのが企画された。

 それなりにカップルも成立しつつあるようだ。

 

 

 

 そうして、ナナの二回目の任期が終わろうとしていた。

 もともと常駐のメインは大長で、繋ぎの者は短いのだ。

 ナナだって修行中の身だ。

 蒼の里の次期長として、勉強しなければならない事が山程ある。

 

「お前が次期長とは、蒼の里の将来が危ぶまれるな」

「その憎まれ口も、もう聞けないと思うと寂しいですよ」

 里の手前の馬繋ぎ場で、定番のモエギとナナの掛け合いも、シドとソラには聞き慣れた物となった。

 

「ハトゥン様から、これ」

 また剣を習い始めたシドに手渡されたそれは、砂漠の琥珀で作られた小さなピアス。

「太陽の力を凝縮して、災難から守ってくれるらしいです」

 

「うん、綺麗だ」

 ナナは目を細めてそれを太陽に透かしてから、嬉しそうに耳の穴に通した。

 

 そうして里の奥の、骨組みが出来上がりつつある修練所に目をやった。

『見送りは湿っぽいから遠慮する』と言っていたハトゥンが、梁の上から手を振る。

 砂の民の若者達が西風の子供達の為の修練所を建て、その若者達の為に西風の娘達が食事を用意している。

 ナナはその光景を、大切に目に焼き付けた。

 

「来ました!」

 目の良いソラが空の点を一番に見付けた。

「……? あれ?」

 

「どうした?」

「二頭、います……」

「??」

 

 

 

 

 



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ムーンピラー~幸せのお裾分け~・Ⅶ

 

  

 

 

 

 旋風を巻き起こして降りて来たのは、大長でもツバクロでもなかった。

 モエギにもシドとソラにも知らない顔で、ナナには驚きの人選だった。

 

 痩せた馬の上で真っ青でゼエゼエ言っている、羽根のある水色の妖精。

 そしてその伴侶でナナの妹、元気一杯のユユだ。

 

「お、大長は?」

「叔父様もお父様も、流感(りゅうかん)なの」

「り、流感?」

 

「もう大丈夫なんだけれど、子供と年寄りばかりの西風の里へ行くのは不味かろうって。あ、貴女がモエギさん? あたしユユ、宜しくね!」

 ユユはせかせかと鞍の荷物を降ろしながら、勝手に喋った。

 

「んで、じゃあ新婚旅行がてら、お前達行って来なさいって」

「そんな事誰も言っていないじゃないか……」

 息も絶え絶えのカワセミがやっと口を挟む。

「ナナの任期を延ばせばいいだけなのに、ユユが無理矢理……」

 

 フラフラのカワセミは無視され、空色巻き髪の妖精は、荷物から色々と引っ張り出し始めた。

「貴方達がシドとソラね。会えるのを楽しみにしていたわ。お土産お土産!」

 一方的に包みを渡されて、モエギも二人も茫然としている。

 

 ナナはそっとカワセミに寄った。

「大丈夫ですか?」

「ボクは高空気流は絶対に嫌だって言ったのに、ユユが……」

 

「って言うか、イケるんですか? 西風の里の駐在」

 超ヒト見知りのカワセミ長には酷な仕事ではないのか?

「ユユが任せて置けって。とにかく新婚なのにボクが忙し過ぎたのが、相当不満だったみたいで」

 

「おい」

 モエギには色々と聞き捨てならなかった。

「嫌々来て貰っても困る。新婚旅行気分の片手間ってのも……」

 

 モエギが肩に手を掛けた瞬間、水色の妖精は飛び退さった。

「さ・触るな! 術が逃げるっっ!」

「?? な……?」

 

 呆気に取られるモエギの横で、ナナはシドとソラに小声で解説した。

「カワセミ長は、特定の女性以外に触られると、術力が落ちるんだ」

「うゎ! めんどくさっ!」

 

 ヒューヒューという口笛が聞こえる。

 建てかけ修練所の梁の上に、男達が全員登ってユユを見ているのだ。

 性格とは裏腹に、美の女神に愛されている妹は、ムチャクチャ目立つ。

 西風の娘達は明らかに不機嫌だ。

 

「ユ、ユユを見るなあ~~!」

 カワセミが立ち塞がるが、貧血を起こしてふらついてユユに支えられている。

 

「ひどい……」

 一生懸命立て直した里に、何て連中を送り込んでくれるんだ。

 

「ナナァ~~」

 カワセミが、ユユからナナの方へ倒れ込んで来た。

「ボクがあげた、石、役に立ったか?」

 

 モエギの目が光る。

「あのストーカー石は、お前が作ったのかっ?」

 

「え、『ストーカー石』なんかじゃない!」

 カワセミはナナの後ろに回って目だけを出して抗議した。

 

「対の石の居所が分かるって、不埒な事を考えるストーカー以外の何者が使うんだ」

 

「え!? だって、違う違う!」

「カワセミ長、もういいですから」

 

「石って、兄弟石の事? カワセミ様がナナにあげた」

 ユユが乱入して来た。

 

「ユユ! 喋るな!」

「いーや、喋って貰おう!」

 モエギはナナの頭を押さえ、ユユは兄の様子などお構いなしに喋り続けた。

 

「カワセミ様が予知したの。『ナナの大切なヒト』が、空から降りられなくてベソかいてるのが見えたって」

「…………」

「だから、ナナに兄弟石をあげたの。いつでも助けに行けるように、相手のヒトに持たせて置きなさいって」

「…………」

「で、『ナナの大切なヒト』ってだあれ?」

 ユユは嬉しそうにキョロキョロした。

 

「……行くぞ」

 黙ってしまったモエギとナナに、察したカワセミがユユを抱えて退場した。

 

「その……ナナ……」

「ああ――、その、聞かなかった事に……」

「礼を……礼を言っていなかった。命を助けられたというのに。私の命と、西風の里と……そう、とにかく、感謝するっ!」

 モエギはサッと手を出して、ナナの手をギュッと握ってすぐ引っ込めた。

 

 その瞬間の天にも昇るような蒼の青年の横顔を見て、シドとソラは、幸せのお裾分けを貰ったような気持ちになって、肩をすぼめた。

 

「んで、残りの石は?」

 カワセミの腕を脱け出して、ユユがまた乱入して来た。

「失くしちゃいけないからって一杯あげたでしょう? 残っていたらアタシも一つ欲しいの」

「ユ、ユユ……」

 ナナの狼狽えように、モエギは鋭く目を光らせて、胸ぐらを掴んで引っ張った。

 素肌の胸に数珠繋ぎの橙(だいだい)色の珠がかかっていた。

 

「だって……貴女とお揃いを付けて居たかっ……」

 ナナが喋り終わる前にモエギの拳が唸った。

 

 

 

 ひっくり返ったり暴れたりと、大騒ぎの面々を梁の上から眺めながら、ハトゥンは愉しそうに笑っていた。

 

「また面白そうな連中がやって来たな。今度はどんな事をやらかしてくれるんだ?」

 

 見上げる空の雲が切れて、ホンの少しの春の気配が漂っている。

 

 

 

      ~ムーンピラー 幸せのお裾分け・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




挿し絵:四コマ・ナナさん
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次回はユユ大活躍


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みっつめのおはなし
スピカ・Ⅰ


「おはよう! モエギさん」

 

 明るく挨拶するユユとは真逆に、モエギは眉間に縦線を浮かべ、足の踏み場もない部屋の入り口に立ちすくんだ。

「ユユ、西風の里が、駐在している蒼の一族の方に、一番にお願いしている事は、分かって貰っていると思うが……」

 

「ええ、不在の西風の長様の代わりに、この土地の風を澱みなく流す事だわ!」

 イラついているモエギの様子を分かってるのか気付かないのか、ユユはスラスラと答える。

 

「あの状態のカワセミ長に他の事は頼めない。でも、それだけは最低お願いしたいのだが……」

 

 昨日到着してから、高空気流に酔ったカワセミ長は、ぶっ倒れて寝たきりだ。

 ナナとの引き継ぎはユユが引き受けたが、今までの駐在者とあまりに違った長殿に、里の者の間で戸惑いが囁かれていた。

 

 モエギだって不安だ。

 カワセミはこの任務に気乗りしていない感じだし、ユユはモエギには多分ちょっと苦手なタイプだ。それでも、こんな時だけモエギを里の代表扱いする長老達に促され、渋々と声を掛けに来たのだった。

 

 しかし、駐在者の滞在場所としている昔の宿屋の戸口をくぐった途端、モエギは絶句した。

 

 大長やナナは、こちらが整えた大きな客間を普通に使ってくれていたのだが、この二人は何故か、突き当たりの一番小さな部屋に収まっている。

 しかも、玄関からその部屋に至る廊下が、訳の分からない事になっていた。

 

 一日目にして何故? と思える程のとっ散らかり様。

 鳥の羽を繋げたのが天井からぶら下がり、縦に積まれた大小の石、壁に貼り付けられた植物……モエギは足の裏にくっ付いた何かを剥がして見て、死にそうな顔になった。

 

「あら、風はもう流れているでしょう? 空を見てみて」

 ユユはモエギの剥がしたゲンゴロウのミイラをまたその場所に置き直しながら、のほほんと言った。

 

「まさか……?」

 モエギが半信半疑で窓から身を乗り出すと、先程までの澱んだ雲は既に無く、筋雲美しいスッキリとした朝の空になっていた。

「いつの間に? カワセミ長はもう元気なのか? 出掛ける様子を見なかったが……」

 

「うぅん、まだベッドよ」

「では、ユユが?」

「アタシはまだそんな難しい術使えないわよぉ」

 ユユは廊下に並べられたガラクタの山を越えて、カワセミの寝ている小部屋の戸口を細く開けた。

 ベッドの中からカワセミの細い左手だけが突き出して、人差し指と中指を立てて空中をフワフワとかき回している。

 

「さすがカワセミ様、寝ながらでもお仕事はキッチリするのよね」

「寝ながら……」

 モエギは、もう一度窓から空を見た。

 さっきの筋雲が形を変えて流れて行く。

「…………」

 

 以前の西風の長、モエギの母の浅黄の君は、風を流す術を使う時は口を濯(すす)ぎ、馬で高く飛んで空の上で呪文を唱えていた。

 大長も、ツバクロもナナも、上空に出向いて直接風を流していた。

 

 寝床から片手で風を流す奴なんて、見た事無い……

 

「手抜き、とか思ってる?」

 モエギの複雑な心情を見透かすように、ユユが覗き込んで来た。

 

「……ああ、ちょっと思った」

「ふふ、正直、アリガト。カワセミ様はね、結果さえキチンとしていれば、見かけはどうでもいい主義なの」

「そう……なのか」

 まだ歯切れの悪いモエギに、ユユはニッコリ微笑みかけた。

「他の仕事はアタシがやる。頑張るから教えてね!」

 

「あ、ああ……」

 今まで蒼の里の者は、自分に主導権を握って、自主的に……ある意味勝手に、仕事を進めていた。主導権を渡されたのは初めてだ。

 

「差し当たって、ナナは朝、風を流した後は何をしていたの?」

「えと、見回りだな。朝と、夜暗くなってから」

「見回りね! アヤシイモノが居ないか見て来るのね。うん、分かった!」

 

 ユユはマントと頭絡を肩に掛けて、モエギと並んで外へ出た。

 

「頭絡は厩(うまや)に置いておく場所があるぞ」

「あ、うん、頭絡は手元に置いておく習慣なの。特に里じゃない場所に居る時は」

 

「西風の厩番が信用出来ないのか?」

「あら、シドもソラも大好きよ。これはただの縁起担ぎ、あはは」

 

 馬装してくれたシドとソラに丁寧に礼を言い、ユユは空へ舞い上がった。

 飛び方は父親のツバクロ似で、華麗に美しい軌跡を描く。

 

「何か調子狂うヒトですね」

 ソラが素直な感想を口にした。

「すんごい美人なのに全然気取んないで、大口開けて笑ったり」

 シドは男の子としての素直な感想を述べた。

 

 二人ともお揃いの白い薄皮の帽子を被っている。

 ユユがお土産にくれた物だ。

『アタシとナナが子供の頃に被っていた物なの。氷蝙蝠(こぉりこうもり)の落羽根帽子。寒さも暑さも防いでくれるの。お古でごめんね、でもとっても似合う、良かったわ』

 そう言って乾風に真っ赤な耳の二人に被せてくれたのだ。

 

 二人とも、どちらがナナのでどちらがユユのお古か、微妙に気になった。

 それで、一日毎に交換して被る事にした。

 

「到着した時はびっくりしたけれど……気さくなヒトで良かったです」

 どちらかというと余所者に対して警戒心の強いシドとソラだが、ユユには気を許すのが早かった。

 子供の方が余計な事を考えず素直にそのまま受け入れられる。

 そういうの、モエギはちょっと羨ましかった。

 

「お前ら、大事な事を忘れているぞ。ユユはおまけで、駐在者は寝たきりのカワセミ長だ」

「ああ、そうでした」

 

 モエギはざわざわした不安を感じていた。

 今までただ委(ゆだ)ねていれば良かった。

 今度の駐在者は明らかに違う……

 

 

    ***

 

 

 見回りから帰るとユユは、西風の娘達が炊き出しをしている所へ腕捲りをしてやって来た。

 

「大工仕事をしている若衆のお昼ご飯を作ってるんでしょう? アタシも手伝うわ」

「え、でも……手は足りているのよ」

 西風の娘達は顔を見合わせてゴニョゴニョ言った。

 

 ねじり鉢巻にたすき掛けのモエギがやって来た。

「昼飯まだか!」

 モエギはネチネチお喋りしながら雑炊に入れる団子を作っているより、煉瓦に練り土を運ぶ方が性に合った。

 

「あら、ならアタシもそっちを手伝おぅっと」

 ユユは上衣の裾を縛って髪をたくし上げた。

 

「あっ……ああ……」

 娘達は手を上げて情けない顔になる。

 

「お前ら、言いたい事ははっきり言え」

 モエギは娘達を睨んだ。

「?? どうしたの?」

 

「ユユ……」

 モエギは溜め息吐いて、はっきり言った。

「お前、自覚無いってのも不思議だぞ。そんな絵から抜け出したような容姿でウロウロされたら、男共の目がお前に釘付けになって、この娘達にしたらガッカリな状況になるんだよ」

 あんまり直接的過ぎて、娘達は青くなって赤くなった。

 

 ユユは下を向いてしまった。

 その側に寄って、小さな声で、

「お前は何も悪くない。しかしナナが苦心してお膳立てしてくれた貴重な状況なんだ。ここは、平和的な道を選んでくれないか?」

 と、モエギは自分が言うとは思えないご都合なセリフを吐いた。上に立つって難しい……

 

 不意に、ユユは、モエギの腰に付けていた印付け用の墨入れに指を突っ込んだ。

「ユユ!?」

 

「これで無問題よ!」

 娘達の方を振り向いた蒼の妖精の白い顔には、見事な泥棒ヒゲが描かれていた。

「ユ……ユユさん……」

 娘達は呆気に取られたが、堪えきれなくなって吹き出した。

 

 

「ホ、ホントにそのまま行くのか!?」

 スタスタと建築現場に向かうユユに、モエギは慌てて追い掛ける。

「意地になるにも程があるぞ。これじゃあ、娘達みんなでお前を苛めているみたいじゃないか」

 

「大丈夫、大丈夫」

 泥棒ヒゲのついでにつながり眉毛も追加したユユがニンマリ振り向いて、モエギはまた吹き出しかけた。

「モエギさんも、皆に言ったと同じ、アタシの後ろで口を結んでいてね」

「……ああ」

 

「ごきげんよう! 皆さん!」

 昨日の別嬪(べっぴん)さんが来た! と、砂の民の若者達は顔を輝かせて振り向いた。

 そして、しゃっくりしたみたいな顔をして止まった。

 

 ユユは何も知らない風に、面白メイクのまま平然と、煉瓦積みを手伝い始めた。

 後ろでモエギが困った表情を浮かべているので、男衆も目配せしてニヤニヤと何も言わない。

 

 そうしてやはり何も言わない娘達と昼食を囲んで、その日の仕事をやり終えた。

 帰りがけ、ハトゥンがやっと、皆を代表するようにユユに声を掛けた。

「ところでマドモアゼル、そのお化粧は、蒼の里で流行っているのかい?」

 

「へ?」

 娘一人の差し出した鏡を覗いて、ユユはワザとらしく飛び上がった。

「いやぁ! アタシ一日この顔をしていたの? ヒドイ! カワセミ様のバカァ~!」

 

(えっ……)

 トンだ狸娘だ。

 すべての罪を不在の夫に被せてしまった。

 

「アンタの旦那は、よっぽどアンタが大事なんだなあ!」

 ハトゥンが言って、男達は爆笑し、娘達も釣られて笑った。

 

 嘘は良くないが、結果、皆がニコニコとこの日を終える事が出来た。

 

 モエギは感嘆の目でユユを見た。

 娘達に拒否されてモエギに説得され、そこで退くのは簡単だ。

 だけれどその先、皆との関係は絶対に進展しない。娘達の心にだってしこりを残してしまう。

 ユユはモエギが思っていた以上に、賢くおおらかだった。

 

「……で、七つの時にカワセミ様に出逢って、それから師と仰いでずっとくっ着いていたの」

「弟子を食っちゃったのか、とんでもねぇ師匠だな」

 馬繋ぎ場へ向かう道々、『ユユの心配性なダンナ』の話題で盛り上がる。

 

「うぅん、アタシが押し掛け弟子だったの。小さい時からカワセミ様と一緒に居たくて居たくて、やっと願いが叶ったの」

「わあ、素敵。そんなロマンスもあるのねぇ」

 年頃の娘達にはその辺が食い付き所だった。

 

「ね、プロポーズの言葉は?」

「そうだ、殴り合いをしなきゃ、何て言って申し込みゃいいんだ?」

 この辺は男性陣も興味のツボが重なった。自分達の大将は全く参考にならない。

 

「うん、それは内緒」

「ええ~~~」

 身を乗り出していた全員がつんのめった。

 

 こんな風に、ユユはするりと皆の中に溶け込んだ。

 

 

 

 

 




挿し絵:西風の娘・2
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スピカ・Ⅱ

 三日目の朝もカワセミはベッドの中だった。

 上空に風が澱むと、手を上げてボソボソと呪文を唱え風を流す。

 

 大したものだが、老人達には今度の長様はえらく怠け者だと、陰口を叩かれていた。

 ユユが一生懸命代わりをこなしているが、視界の狭い頑固者には、そういうのって見えない。

 

「ユユ、カワセミっていつもああなのか?」

 さすがのモエギも気をもんで、朝の見回りから戻ったユユに声を掛けた。

 

「んん……ダメかしら?」

「私は構わないんだが、以前の駐在者とあまりに様子が違うから、元老院が戸惑っている」

「ごめんなさい」

「いや、ユユが謝らなくていい」

 

 モエギにしたら、働き者で優しいユユが、肩身の狭い思いをしなければならないのが、理不尽で腹立たしかった。

 

「アタシじゃ至らないかしら」

「そんな事はない。老人達は蒼の長の威厳を求めているだけだ。第一、至らないとか言える訳がない。風を流す仕事は西風の里の役割だ。長娘なのにそれが出来ない私が、一番至らないんだ……」

 

 喋りながらモエギは元気が無くなった。

 今まで駐留者が完璧過ぎたので忘れがちだったけれど。

「本当に至らないのは、私なんだ……」

 

 モエギだって怠けている訳ではない。

 大長殿に手解きを受けて、内なる能力を開く訓練は欠かしていない。

 それでも、本当に歯痒いぐらいに、何も手応えが無いのだ。

 やはり混血の自分には、西風の長の能力は高望みなのだろうか……

 

「モエギさんっ」

 項垂れてしまった西風の娘を、ユユは目を見開いて覗き込んだ。

「母様に出来るのにアタシには出来ないコトなんて、山ほどあるわ。みんなそうなのよ、大丈夫、大丈夫」

 そう言って手を伸ばして、モエギの頭をクシャクシャと撫でた。

 

 うぁ・・ 頭を撫でられるなんてどれだけ振りな事か、モエギは背筋がゾクゾクした。

 が、不思議にちっとも嫌じゃない。ユユの言葉は何の衒(てら)いもなく正直で、彼女の掌の温もりは心の芯まで染み渡り、凝(こご)った澱が溶け出す気がした。

 

 

 厩(うまや)ではシドとソラが、何頭かの馬を引き出して馬銜(ハミ)を噛ませていた。

 午後からユユの、第一回乗馬指導を開催する予定になっている。

 

「モエギ様」

 鞍を運んでいたシドが駆け寄って来た。

「ユユさん、今朝出掛ける前に、元老院の年寄りに呼び止められて文句を言われていたんです」

 ソラも横に来て言った。

「そなたみたいな娘ッコの見回りなんぞ宛てにならん! みたいな、結構キツメの事」

「そんな事を……」

 

 蒼の里からの援助は、見返り無しの、同系族の繋がりからの好意だ。

 それを忘れている事に危うさを感じる。

 

「どうしたの?」

 ユユが分厚いファイルを抱えて現れた。

「シド、ソラ、準備ありがとう。今日は貴方達も生徒よ。えと……シドは、空中での巻き乗りが苦手だったわね、軸がズレて元の位置に戻れない」

「へっ?」

「ソラは、馬の右側から乗馬出来ないのよね」

「え……えと、はい……」

 二人とも恥ずかしそうにモジモジした。

 

「叔父様の指導日誌に目を通したわ。アタシが居る間に苦手の克服をしましょう。ソラ、馬がいつも左を向けているとは限らないわ。今日は左右の飛び乗り飛び降り練習ね」

「げげっ!」

 

 モエギは驚きながら聞いた。

「大長はそんな物を作っていたのか」

「お父様やナナの書き込みもあるわ。子供達全員分。皆、上達が凄く早い。教えがいがあるわ」

 

 多分、駐在者が入れ替わるので、効率良く指導出来るようにとの日誌だ。

 乗馬指導ひとつ取っても片手間ではない、蒼の里の真摯さが伺える。

 

 ユユはニコニコして子供達を待ったが、昼を過ぎても、何故か誰も来なかった。

「日を間違えたかしら?」

「いや、今日で良い筈だ、朝、念押しの通達も出したし」

 

「見て来ます。」

 シドとソラはそれぞれ別方向の子供達の家に走った。

 

 直に二人とも戻って来た。

「…………」

「どうした?」

「元老院の年寄り達が……」

 二人はチラリとユユを見た。

 

「いいから言ってみろ」

 モエギに促され、シドが先に喋った。

「蒼の里の長殿でなければ乗馬を習っちゃダメだって」

「はあ!?」

「こっちもそうです。行った子供は名前を控えておくとか言われて、皆怖がっちゃって」

 

「バカな……!!」

 モエギが厩を飛び出しかけた。

 

「待って、モエギさん」

 ユユの声が止める。

「叔父様に言われているの。西風の里で決定した事には従うようにと。元老院が決めたのなら、それに従います」

 

「ユユ……」

 確かにモエギは次期長だが、今は元老院が、様々な決定をしている。

 モエギが意見をねじ込む事は出来るが、化石頭の老人相手にいつも苦労している。

 

「ユユさん、僕達だけにでも指導して下さい」

 進み出る二人に、ユユは精一杯元気に微笑んだ。

「ありがとう。でも叔父様達が作った理(ことわり)を破りたくないの。ごめんなさいね」

 

 ユユはそう言って、素早く厩を出て行った。

 そしてその日は建築現場の方にも姿を現さなかった。

 

 

   

 

「ナナだって、蒼の里の長ではないではないか!!」

 

 老人達の集会所にねじ込んだモエギは、机を叩いた。

 いつも彼等に話す時は、感情を出さないように気を付けているが、今は抑えられなかった。

 ユユに……あのユユに、何て思いをさせるんだ!

 

「ナナ殿は次期長です。ほぼ確実な」

 

 老人達は嫌味に言った。

 モエギは、血統通りの能力が開かなければ、長にはなれない。老人達は密かにそれを望んでいる。

 頼りない混血娘よりも、血統確かな蒼の里の優秀な入り婿を迎えたいのだ。

 

「ユユは、ナナの双子の妹だ!」

「ご兄妹でも能力は雲泥の差と聞き及びます。風を流す能力すら無いのでしょう?」

 

 老人達は言われる文句を予測し、反論を用意していたようだ。

 今回ばかりは自分達の意見を通さないと沽券に関わる、といった所だろう。

 

 砂の民との交流をモエギに押し切られたのを、まだ根に持っている。

 ナナが推奨した事だから口出ししないが、砂の民が里に出入りするのを、いまだ苦々しい目でねめつけている。

 

「しかし……」

「モエギ殿、里の子供達は宝です。空を飛ぶ危険な乗馬訓練を、素人娘に任せられましょうか」

 

 ……ダメだ……

 ユユの飛ぶ様を見た事もないのに、頭から素人娘なんて切り捨てている時点で、何を話しても平行線だ。

 どうして自分の目で見て触れて知ろうとしないのだろう。

 ユユの事も、砂の民の事も。

 

 モエギは情けなくなった。

 自分は大切な客人達さえも守れないのか……

 

 

 

 

 



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スピカ・Ⅲ

 ユユは、夜の見回りの時間にはきちんと厩(うまや)にやって来た。

 何だか疲れた風で、目の下に隈を作ってボォッとしていた。

 シドとソラに馬装の礼を言うのも忘れて、フラリと暗い空に溶けた。

 

 いつもの元気なロケットスタートを見られず、二人の少年は、顔を見合わせて首を横に振った。

 

 ユユが出掛けたのを見計らって、モエギは宿屋の入り口をくぐった。

 カンテラの灯りで、足の踏み場もない廊下を何とか通り過ぎ、奥の小部屋の扉を開けた。

 窮屈な部屋の奥のベッドに、ヒト一人分の膨らみがある。

 

「そもそもカワセミが起きていれば問題は無いんだ。奥方のユユが辛い目を見ているというのに、いつまで呑気に眠かけ漕いでいるんだ」

 

 モエギはズカズカとベッドに近寄り、カワセミの肩を掴んだ。

 

「!!??」

 

 掴んだ手を思わず引っ込めた。

 鎖骨の浮き出た肩は氷のように冷たかったのだ。

 

 カンテラを近付けてよく見ると、目の回りがうっすら紫で、呼吸はしているが驚くほど浅い。

「おい……大丈夫なのか? 病気じゃないのか?」

 モエギは今一度カワセミの肩に触れ、小さく揺さぶった。

 水色の頭はグラグラ揺れるばかりで、起きる気配が微塵も無い。

 

「ユユはどうして何も言わないんだ? 医者を呼んだ方が良いんじゃないのか!?」

 

 モエギは後ずさって宿屋を出た。

 

「モエギ様!」

 息せききったシドとソラが厩から掛けて来た。

 

「ユユさんの、馬だけ戻って来たんです!」

「何だって!?」

 

「怪我してるんです。かすり傷だけど、鞆(とも)に三本の爪の跡」

 

「!!・・ユユ!!」

 

 慌てて厩に走ろうとしたモエギの正面で、シドとソラが凍り付いて止まっていた。

「どうし……?」

 二人の視線を辿って振り向いたモエギも固まった。

 

 さっきテコでも起きなかった水色の妖精が、宿屋の戸口にフラリと立っているのだ。

 

「ユユ……どこ……?」

 

 ボサボサ頭に寝起きのクシャクシャのローブ、そして裸足だ。

 右手首に巻いた半透明の三日月形の石が光って震えている。

 自分の橙色の石と同じ性質の物だ! モエギは直感で思った。

 では、ユユが何処かで危機に陥って、カワセミを呼んでいるのか。

 

「ユユは見回りに行って……」

 

 モエギがかすれた声で答えかけた時、厩の方でバキバキと音がした。

 

「あああーっ」

「な、なんてコトを!」

 厩番の少年達が頭を抱えて叫んだ。

 

 二頭の馬が凄い有り様で駆けて来る。

 蹴破った馬栓棒を肩に引っ掛けたカワセミの馬、繋がれていた杭を引っこ抜いて引き摺ったユユの馬。

 

「いい子だ……」

 カワセミは馬栓棒と杭をガラガラと投げ捨て、スルリと裸馬に跨がった。

「ユユの所へ……」

 

 茫然と見送るシドとソラの肩を、モエギが踏んで行った。

「ごめん!」

 カワセミの馬を追って舞い上がるユユの馬のタテガミに、ギリギリで飛び付いて舞い上がる。

 

 

「モエギ様! 無茶です!」

 馬装が解かれて手当されてたユユの馬には、鞍も手綱も無い。

 草の馬に馴れていないモエギが裸馬で飛ぶなんて、危険過ぎる。

 

 モエギはタテガミに指を絡ませてしがみ着く。

 無茶なのは重々承知だ。

 けれど、ユユがどうにかなっていると分かって、何もせずに待つなんて出来ない。

 

 

   ***

 

 

 月夜の砂漠の真ん中で、ユユは右手に長剣、左手に術杖を持って構えていた。

 

 周囲には何も見えない。

 しかしユユを中心にして円を描き、砂を蹴る複数の足跡が走る。

 その円の端から一体が鋭く跳ぶ。

 

「ええい!」

 

 ユユの長剣が何かに引っ掛かった。

 後方で、肩口に傷を貰った飛び蜥蜴(トカゲ)が姿を現した………が、またすぐに消えた。

 こんな風にユユはずっと、姿の見えない敵に翻弄されてるのだ。

 

(叔父様の報告書にあった、飛び蜥蜴だ……)

 西風の里の水場のある豊かな土地を狙っていると聞いた。

 蒼の一族の駐留者が居る間は手出しして来なかったが、見回りをしているのが弱そうな女性と見るや、様子見に襲って来たんだろう。

 

 最初の一撃を受けて傷付いた馬は逃がした。

 あの馬の脚なら、蜥蜴は追い付けなかった筈だ。

 里からの案内役を果たしてくれるだろう。

 

 胸上のピンクの石を握る。

 カワセミ様が来るまで持ちこたえなきゃ。

 西風の里には、やっぱり強くて恐い蒼の里の駐留者が居るって、知らしめなければならない。

 

 しかし周囲を囲む複数の見えない敵は、息を合わせて一度にユユに飛び掛かった。

 

「破邪――!!」

 

 左手の杖から、鋭い光が飛び散る。

 前の蜥蜴は吹っ飛んだが、一番後ろの奴がユユの右肩をかすめた。

「きゃっ!」

 倒れた妖精に蜥蜴の爪が襲い掛かる。

 

 ――ギャリィッ!!

 

 緑の槍がそれを弾く方が早かった。

 

「カワセミ様……」

 

 ユユを跨ぐように立つ、ボサボサ頭の水色の妖精。

 

 その半開きだった目が、ユユの肩口の怪我を見て一気に覚醒した。

 眉間にみるみる縦線が入って行く。

 

「伏せていろ」

 

 怒りに髪を逆立てて、カワセミは槍を頭上に振りかざした。

 緑が光を増し、眩しい白に変わる。

 

 その時上空にモエギが追い付いた。

 地上のただならぬ迫力に、馬は空中に留まっている。

 

「ユユを傷付けたのは!! どいつだあぁぁあ――――!!」

 

「ああっ駄目! カワセミ様!」

 

 カワセミが光の槍を地面に突き立てるのと、ユユが叫ぶのと同時だった。

 

 ――ズザザザザザァアア――――!!!

 

 槍が刺さった所から、地面に蜘蛛の巣状に衝撃波が走り、周囲の敵を一網打尽に吹っ飛ばした。

 カワセミの必殺技。

 蜥蜴どもに長の恐さを知らしめるには十分だ。

 

 草原の地で炸裂する時はそれで終わった。

 しかしここは砂の上。

 

 ――ザザ――ザッパ――ーンン!!!!

 

 衝撃波は軽い砂を上空数十メートルまで舞い上げた。

 

「けほっけほっ」

「げほほ……」

 もうもうとした砂埃の中で、カワセミが四つ這いで砂を吐き、その背中をさするユユも咳き込んでいる。

「カワセミ様~~ここは砂の国ですよぉ」

「忘れてた、けほ、目が覚めた、けほ、所だったから……けほほ」

 

 ようよう立ち上がった二人は、しかし砂煙の中にトンでもない物を見た。

 二匹の飛び蜥蜴と、その手の中のぐったりとしたモエギ。

 

「モエギさんっ!」

 

 上空で砂を浴びたモエギの騎馬は視界を無くし、衝撃波を逃れて飛んで来た蜥蜴に体当たりされたのだ。

 鞍も鐙(あぶみ)も無いモエギは、簡単に落っこちた。

 地面にしたたかに身体を打ち付け、転がった所を蜥蜴に手足を押さえられた。

 

 落ちたショックで失神したのか、モエギは動かない。

 蜥蜴達は嫌な笑いを浮かべて、モエギの手足を掴んだまま飛び上がった。

 

「モエギさん――!」

 剣に手を掛け走り出しかけて、ユユは止まった。

 蜥蜴達が空中でモエギの首に爪を当て、鋭く睨み付けて来たからだ。

 

 水色の妖精は眉間に縦線を浮かべたまま、冷静な眼差しで蜥蜴の金色の目を見据えた。

「……西風の里の土地を寄越せと言うのか」

 

「ええっ! ちょっと待……」

 ユユが驚いて叫ぶが、カワセミは続けて蜥蜴に語りかける。

「あの水のある土地だけ手に入れれば、その娘は無事で返すんだな?」

 

 蜥蜴達は瞳孔の縦線を更に細めて頷(うなず)く。

 

「分かった」

「カワセミ様!」

 

「決めるのは西風の里の連中だ。聞いて来るから待っていろ」

「カワセミ様ぁ……」

「ユユ、行くぞ」

 

 オロオロするユユに構わず、カワセミはとっとと痩せた草の馬に跨がった。

「ユユ!」

 

 ユユはモエギを振り返り振り返り、自分の馬を引き寄せた。

 

 カワセミは先に地上を蹴って浮き上がり、今一度蜥蜴を見据える。

「その娘は『無事』で返すとの約束だぞ。怪我の手当てはしておくんだ」

 

 蜥蜴達は意外と真面目な顔で頷いた。

 自分達を同等な相手として交渉を仕掛けて来るなんて拍子抜け……という顔だ。

 

 

「カワセミ様、アタシ、ハトゥンに知らせて来ます。砂の民に助けを求めましょう!」

 上空でカワセミの馬に追い付いて、ユユは別方向を差した。

 

「駄目だ」

「どうして?」

「砂の民はまだ正式に同盟を結んでいない」

「ハトゥンは個人として助けに来るわ」

 

「ユユ、これは西風の里の問題だ。下手に他部族に関わらせると、争いの輪を広げる事になる。分かるだろ?」

「うぅ……でも……」

 

 馬の上で地団太を踏むユユに、カワセミは冷静に言った。

「総ては西風の里の者達次第なんだ。砂の民に救援を求めるにしても、里の者がやらなければ駄目だ。ボク達は彼等が何を決定しても従わなければならない」

 

「…………」

 

 ユユは黙った。

 西風の里に関わるという事の意味を、今更ながら噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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スピカ・Ⅳ

「な、なんですとおっ!!?」

 

 夜半叩き起こされた老人達は、集会所で雁首揃えて真っ青になった。

 

 ――モエギが蜥蜴どもに捕らえられて人質になった。

 彼女の身柄と引き換えに西風の里の土地を寄越せと言っている――

 

 カワセミは残酷な事実だけをサラリと告げた。

 

 老人達を呼びに駆けずり回ったシドとソラも、そこで初めて現状を知り、蒼白になった。

 

「カ、カワセミ殿! 何の為にそなたが居る!? この様な事態を防ぐ為……」

「防ごうと闘ったけれど、大切な次期長殿が蜥蜴どもに捕まって首に爪を当てられた。退くしか無かろう」

 

 ユユは隣でオロオロした。

 何て冷たい言い方……そもそもモエギさんが落馬したのも、半分はカワセミ様のせいなのに。

 

「モ、モエギ、さま、は……」

 シドとソラは狼狽して口も回らない。

 

「落馬して気を失っていたけれど、呼吸は安定していたわ。蜥蜴達も、無事に返すという約束は守る感じだった」

 ユユは小さい声で二人にだけ告げた。

 大丈夫、必ず助けるから! と言いたいのに、言えないのが辛い。

 

「助けるのはそなた達自身だ」

 

 ユユの心中を見透かすように、カワセミは居丈高に言った。

「今すぐ身の回りの物をまとめて、里を出る準備をするんだな」

 

 いきなりな言い様(いいざま)に、老人達にシドとソラ、ユユまでもが飛び上がった。

 

「な、何を言われるか! そういう侵略から里を守ってくれる為、そなたは来ているのであろう」

 

「ああ、里を守る為、妻は砂漠の真ん中で一人、蜥蜴と戦って傷付いた。そなた達が安全に、不満のタネを探している間」

 

 老人達は喉を鳴らすだけで何も言えなくなった。

 言っちゃえば、そうなのだ。

 

「カワセミ様……それはいいです……」

 ユユはいたたまれなくなって、消えそうな声で言った。

 

「ぼ、僕達、いつだって感謝しています!」

 シドとソラは叫んだ。

「里を守って貰って、勉強も教えて貰って、他にも一杯、一杯……」

 

「では、今、何をすべきだ?」

 カワセミは静かに二人に問うた。

「…………」

 

 分からない……感謝の礼を欲されているとは思えない。

 

 西風の里の土地を明け渡す?

 代々暮らして来た土地を、自分達の代で手離して、何処とも知れない流浪の民になるのか?

 急にリアルな現実が迫った。

 そう、蒼の里からの介入がなければ、浅黄が亡くなった時点でとっくにそうなっていたのだ。

 

 そして、蒼の里は自分達に、運命に抗える力を培(つちか)う時間をくれた。

 それに応えるのが、答だ!!

 

「と、土地を出るのは嫌です……でも……」

「モエギ様は大事です……」

 シドとソラは震える声で喋り始めた。

 

「この地もモエギ様も、欠かせません。両方あって、僕達、西風の民なんです!!」

 最後の方は声の震えも取れ、二人は腰の刃物に手を掛けてしっかり立った。

 

「それが、キミ達の答えだな」

 カワセミはやはり静かに言って、二人を見つめた。

 

 いきなり戸口が開いた。

 西風の娘達が、思い思いの武器を持って立っていた。

「モっ……モエギ様は、私達を大切って言ってくれました。私達もモエギ様が大切ですっ」

「そのモエギ様の大事にしているこの地を守りたいですっ」

 

 老人はカワセミを横目で盗み見ながら口を開いた。

「理想だけで現実に抗えると思うな。そなた達が蜥蜴と闘える訳が無かろう」

 誰かが何かを言った後なら、それを否定する言葉を並べるのは簡単だ。

 

「砂の民のボーイフレンドに助けを求めたわ!」

 娘の一人が叫んだ。

「今、一番馬駆けの上手な子が走ってる。もう着く頃よ。絶対に助けに来てくれるわ。だって私達、家族になるんだもの!」

 

 老人は目を白黒させてただ口をパクパクさせた。

 

 カワセミは娘達に向き直った。

「それが、キミ達の答え……」

 

 ユユはだんだん、カワセミが何をしたいのかが分かって来た。

 

 最後にカワセミは老人達に向いた。

「皆、闘うと言っている。しかしそなたの言ったように、現実は甘くはない。下手をしたら西風の里は大切な若者達を失う。そなた達の答えを出せ」

 

 老人達は途方に暮れた。

 自分から言葉を始めるのは簡単ではない。

 水色の長殿は、改めて自分達に依頼して欲しいんだろうか?

 頭を下げて頼んで欲しいのだろうか?

 

 ヒトの心を想い量ってモノを考えるという事からトンと遠去かっていた石頭は、カラカラと乾いた音しか立てない。

 

 老人の一人が意を決して、カワセミに頭を下げようとした、その時……

 

「ナナ様なら……」

 ソラが言葉を発した。

「僕達に血を流して欲しくない、って言うと思う。だから……」

 

 カワセミは目を見開いて、ソラに真っ直ぐに向き直った。

 

「僕、蜥蜴の所へ話に行きます。モエギ様を返して貰えるよう、頼みます。里の土地は明け渡せないけれど……水を分けるとか、何らかの方法で譲歩出来ないか、お互いに血を流さずに済ませられないか……って」

 

「それは……」

 カワセミはソラから老人達に視線を戻した。

 老人達に導き出して欲しかった答えだろう。

 

 ――子供って、いつの間にこんなに成長する物なんだろう……

 

「うん……」

 カワセミは穏やかな顔になってソラを見た。

「では、ボクも共に行こう。キミが蜥蜴達と交渉するんだ。それと、キミ」

 シドは飛び上がってカワセミの正面に来た。

 

「護衛騎士(ナイト)として、長剣を帯びて同道してくれ」

「は、はい!」

 

 二人は初めて、セットではなく、別々に扱われた。

 凄く新鮮だった。

 

「ユユ」

「はい」

 妻は静かに控えた。

 

「巻き毛の少年にユユの剣を貸してあげて。それと、娘達と砂の民達を仕切ってくれ。物騒な方向へは持って行かないつもりだが……」

 少し顔を近付けて、小さい声で言う。

「こういう緊張感って、大事だ」

「はい」

 

「我等は……?」

 動き始める皆から取り残され、老人達はオロついた。

 カワセミに代わってユユが答えた。

「皆が無事帰ったら、労ってあげてください」

 

 

 

 

 

 



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スピカ・Ⅴ

   

 

 

 遠巻きに、西風の娘達と砂の民の若者がぐるりと囲んでいる。

 ハトゥンは橙色のピアスを握り締め、隣にはユユが背筋をシャンと伸ばして立っていた。

 不安そうに背中を丸めると、皆に伝わる。

 

 月夜の砂漠に天涯(てんがい)が張られ、馬皮が敷かれた上にモエギが寝かされていた。

 一匹の爪の丸い蜥蜴が、穏やかな動作でモエギの側に座り、脈を取る素振りをしたり、髪の中の傷を調べたりしている。

 蜥蜴の医師……? いや、蜥蜴の中に医師がいるって、ここに居るほとんどの者にとっては驚きだった。

 

 ソラとシド、それにカワセミが、下馬して、一際大きな蜥蜴と対峙している。

 

「奴等、下卑で野蛮だ。交渉なんて出来るのか? 第一言葉が通じるのか?」

 ハトゥンが歯噛みしながら呟く。

 

「カワセミ様は彼等の意思を理解していた。あのヒト達も、約束は守るとかの理は通じるのよ。考えてみたら、私達は蜥蜴の事を、敵としてしか知らなかったのかもしれない」

 ユユは天涯の下を真っ直ぐに見据えて言った。

 ハトゥンも黙って同じ方向を見る。

 今は待つしかない。

 

 話を始める前に、カワセミがモエギに歩み寄るのが見えた。

 蜥蜴の医師と一言二言意思を交わし、次に大きな蜥蜴と何やら交渉を始めた。

 程無くカワセミは振り向いて、ユユとハトゥンを手招きする。

 

 二人が乗馬して近付くと、蜥蜴達が馬皮にくるんだモエギを抱えてハトゥンに差し出した。

 

「モエギ!」

 モエギは呼吸はしていたが、唇に色が無い。

 

「意識が戻らないんだ。すぐに里へ戻す。里の中心の宿屋で治癒の術を施す」

 カワセミはハトゥンに言いながら、自分の馬に跨がった。

 

 ハトゥンは鞍の前にモエギを抱えながら、不安そうなシドとソラを見やった。

 交渉が終わった訳ではないみたいだ。

「えと、あんた……カワセミ? ここを離れるのか? ここでその治癒って奴をすればいいじゃないか」

 

「あの場所でないと駄目だ。宿の奥の小部屋。あそこが西風の里の真中心なんだ。西風の力、生命の力の集まる場所。それがあるから西風の里なんだ」

 カワセミは数歩馬を進めてハトゥンを促した。

「交渉するのは西風の外交官だ。ボク等のすべき事はこの娘の手当」

 

「カワセミ様、アタシは?」

「ユユはモエギと人質交代。ソラ、シド……ユユを任せた。ほら、行くぞ」

 

 口を半開きにする一同を置き去りに、カワセミはさっさとその場を離れ、ハトゥンが戸惑いながらも後に続いた。

 

 娘達や砂の民の男達が声をかけるが、カワセミは答えなかった。

 どこでどうすべきかは、やはり自分で判断すべきなんだろう。

 ハトゥンが砂の民の若者に、ここに居ろ、残ってチビッコナイトの心の支えになってやれ、と言い、娘達も共に残った。

 

 

「身代わりに人質なんて、随分なダンナ様ですね」

 シドに囁かれたが、ユユは自分のすべき事を心得ていた。

「ソラ」

 ソラは通訳してくれていたカワセミが居なくなって、泣きそうな顔をしていた。

「大丈夫よ。アタシがちゃんと伝える」

 ユユが微笑むと、何でか安心感が湧く。

 ソラは息を吸って大きな蜥蜴に向いた。

 

「あの場所はただの集落ではない。西風の一族の在るべき場所なのです。あすこで砂漠の風を流し風を生む。それはこの大地を循環させる大切な役割。僕達にはそれを子々孫々伝える義務がある。だからあの土地を離れる事は出来ません」

 

 シドは朗々と語る相棒に目を見張った。

 そういえば自分がハトゥンに剣を習ってる時間、ソラは大長やナナにくっついて、何やら難しい説法を受けていた。

 ソラ、それが君の道なんだね……

 

 蜥蜴達に役割だの義務だのは分からない。

 はっきり分かるのは、自分達に対して武力で来なかった事だ。

 多分あの水色の妖精は、自分達を一捻りにする力を持っている。後から集まった砂の民の男達の力だって相当だ。

 それらを行使せず、しかも交渉の前に身を引いた。

 これは自分達を馬鹿にしているのではなく、この交渉のみに全てを委ねるという意志の証しだろう。

 蜥蜴達にもそれは分かった。だから爪で一掻きすればバラバラになってしまいそうなこの小さい子供の話も、聞いてみる気になっている。

 

 ソラは話し終わり、次に大きい蜥蜴が自分達の要望を伝えた。

 ユユが間で通訳しようとしたが、すぐに必要無くなった。

 ソラは教わらずとも、蜥蜴と意思を交わせるようになって行った。

 

 西風の子供の隠れていた力……言葉を使わずとも通じ合える能力。

 ソラの一生懸命な真摯な気持ちは、通訳するよりも確実に、蜥蜴達に伝わった。

 

 

 ――全ての事に意味がある。

 浅黄亡き後に芽吹き始めた西風の子供の能力。

 こんな所に意味があった……

 

 

 

 

 

 



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スピカ・Ⅵ

 西風の里の池の対岸から結界の外へ、蜥蜴達の好きに使える水路を引く事で、話が着いた。

 

 西風の娘達は砂の民の若者達に礼を言い、若者達は、いや良い夜だったさと、夜明けの砂漠に馬を返した。

 シドは緊張で腰の抜けたソラを支えて戻り、ユユは水路が出来るまでの人質として蜥蜴の所に残った。

 人質といっても形だけで、ユユはのほほんと手を振って皆を見送った。

 

 老人達は、妻を蜥蜴の中に残して来たカワセミに文句を言う程恥知らずではなかった。

 ただ、ユユに言われた通り、ソラやシド、娘達に、分かりにくい言葉で労いを述べた。

 

 

 初めての大仕事を終えて肩を降ろしたシドとソラだったが、しかし里で新たな心配事が待ち受けていた。

 

「モエギ様が目を覚まさないのです」

 宿の前に幾人かの子供が立ち尽くしていた。

 

「モエギ様っ!?」

 二人は慌てて宿の建物に飛び込んだ。

 

「踏むなっ」

 ハトゥンの声。

「その辺のとっ散らかった物を踏むなよ。ちゃんと力が流れるように、配置されているらしい」

 

 二人が、石やお札を踏まないようにソロソロと小部屋の前に着くと、半開きの扉の向こうにハトゥンが座り込んでいた。

 薄暗い部屋の中央にモエギが寝かされ、水色の妖精が目を閉じてその額を両手で覆っている。

 カワセミはピクとも動かず、代わりにハトゥンがこちらを向いて小声で言った。

 

「気持ちは分かるけれど、外してくれ。今のモエギには西風の里の全てが障りになる……らしい」

「え、どうして?」

「頼む」

「……はい」

 

 納得は出来ないが、ハトゥンが信頼出来るヒトなのは知っている。

 だから二人は大人しく外に出た。

 

 外には心配顔の娘達も加わっていた。

 

「モエギ様は大丈夫です」

 ソラがやっと言って、皆を帰らせた。

 今は皆、安心した心で身体を休めるべきだ。

 

 

    ***

 

 

 暗いのか明るいのかも分からない、地面も空も、上下も色も匂いも何も無い不安な空間で、モエギは膝を抱えていた。

 

 自分の不注意でトンでもない事になってしまった。

 次期長が聞いて呆れる、皆に合わせる顔がない。

 

 膝を抱えてうずくまる娘に、カワセミが斜めに近付く。

 

「合わせたくなければ、合わせなければいい」

 

 モエギはピクンと揺れた。

 

「ここに籠(こも)っていればいい」

 

「……そうかもな」

 モエギは更に丸くなった。

「私は里の者の為に何も出来ていない……」

 

「何で里の者の為に何か出来なきゃならないんだ?」

 

「そりゃ……私は次期長だ。皆の為に、能力も開かなきゃならない」

 

「ふ……ん」

 カワセミは指を顎に当てた。

「自分の為には何か出来るのか?」

 

「……え……?」

「何か出来るか?」

「いや、私は……」

「自分の為に何も出来ない者が、皆の為に何か出来るとは思えないな」

「……………………」

 

「先に自分の為に何かやってみろ」

「……何を」

「そんな事まで聞くのか?」

「すまない、分からないんだ。教えてくれ」

 

 モエギは膝頭から目だけを出して、そおっとカワセミを見た。

 カワセミは意外に、怒ってる風でもなく、聞かれた事を真剣に考え込んでいた。

 

「自分の欲求は無いのか?」

「欲求……」

「そう、やりたい事、欲しいモノ」

 

 モエギは自分の心をゆっくりと手繰(たぐ)る。

 カワセミは苛つく風もなく、静かに待ってくれた。

 

「母者のように……」

「……うん」

「母者のように、美しく広くて大らかで、皆を包み込めるような女性になりたかった」

「……うん」

 

「なれっこないから、ワザと逆に、ガサツに乱暴に振る舞った」

「……うん」

 

「ホントは、寂しい」

 モエギは小さい子供のように顔を膝に埋めた。

 

「じゃあ、寂しくなくなるようにしよう」

「どうしたらいいんだ」

「そうだな……寂しくないって思えた時は、あるか?」

 

「………………………………………………………ハトゥン……」

 

「声に出して、ちゃんと、言ってみろ」

「ハトゥンと、居る時、寂しくない」

「もっと、ちゃんと、大きな声で、言ってみろ」

 

「ハトゥンと居たい。ずっと、いつも、ハトゥンと居たい。いつもいつもいつも、ずっとずっと、ハトゥンと居たぁいっっ!!」

 

 顔の前で水風船が割れたみたいな衝撃が走った。

 今まで居た虚無な空間から一転し、物凄い激流の中へ放り出された。

 身体の左右に何かがぶつかっては激しく煌めきながら飛んで行く。

 

 ――風・・!?

 

 足元に明けの明星が見える。

 西風の里の上空を、風が激しく流れている。

 初めてそれを魂で感じているのだ。

 

 それは一瞬の事で、直ぐに足元を引っ張られた。

 見慣れた宿屋の壁と天井がグルンと回って、モエギは自分の肉体に落っこちた。

 

 ドサンと物音がした方へ目を向けると、ハトゥンがこれ以上ない程に目を真ん丸に見開いて、尻餅を着いていた。

 

 現実のカワセミの声が響く。

「・・だ、そうだ」

 

 モエギは弾かれたように起き上がった。

「……今の……喋ったのか? 私が、現実に?」

 

 ハトゥンが尻餅を着いた姿勢のまま、モエギから目を反らさずに何回も頷いた。

 

 

 

 宿屋の受付カウンターの中で、毛布にくるまって寝ていたシドとソラは、カワセミに揺り起こされた。

「空腹でフラフラ……何か食べさせて……」

 

 小部屋にモエギとハトゥンの姿はなかった。

「皆に合わせる顔がないって」

 昨日の残りの干し魚をペキペキかじりながら、カワセミがボソッと言った。

 

「そんな。僕達、誰も、責めないのに」

「だから余計だ」

 

 項垂れてしまった二人に、カワセミはくわえた魚の頭を上下させながら、またボソボソと呟く。

「大丈夫、『皆の為にも何か出来る自分』になれたら、ちゃんと帰って来るから」

 

 

 

 

 

 

 

 



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スピカ・Ⅶ

 

 

 池の対岸の水路作りは、砂の民の男衆が急ピッチでやってくれた。

 蜥蜴の所に居るユユを早く帰してやろうと、三日とかからず、指定の場所まで掘りあげてくれたのだ。

 

「ホント、退屈しちゃったわ。あのヒト達、爪が長すぎて、綾取りお手玉も出来ないんだもの」

 そんな事を言いながらも、ユユは蜥蜴達に手を振って、里へ戻って男衆に礼を言った。

 

 里から離れた灌木森に、蜥蜴達は専用の水場を作った。

 西風の里の結界は外せないし、蜥蜴達だって居留地は明かせない。

 西風の里、砂の民、飛び蜥蜴の一族……過去の確執は簡単には拭えない。

 

 しかし、今の子供の子供、そのまた子供、ずっとずっと後……確執なんて皆が忘れた頃、現在と違った関係を結べるように。今はその下地を作って置けば良い。

 

 

 西風の里の皆、モエギの失跡に戸惑った。

 居なくなって初めて、父親知れずの娘の気持ちを慮(おもんぱか)った。

 能力を継承せずに生まれたのは、彼女の責任ではないのだ。

 

 モエギが帰った時、負担を感じず暮らせるように、自分達が強くなろう。

 娘達はそう言って、炊き出しだけでなく、大工仕事も進んで手伝うようになった。

 

 

「え~~~~とぉ……」

 

 沢山の幼い瞳が水色の妖精に集中している。

 老人達のたっての希望で実現した、カワセミ長による、子供達への乗馬指導。

 生徒には、ワクワク顔のシドとソラも混じっている。

 

「えと……えとえと、え~と」

 当のカワセミはだんだん脂汗がにじんで来た。

 そう、巨大魔獣を一撃でぶっ倒す彼にだって、克服出来ない(する気が無い)苦手はある。

 

「馬で飛ぶってのはね、バーッと行って、ピャーッと!」

 

「は?」

 

「そんで、ヒャ――ーッとなって、ヒュッと下りておしまいっ。以上っ!」

 

 目が点になっている面々から逃がれて、カワセミは砂漠の砂ネズミよりも素早く姿を消した。

 

「あーあ」

 シドとソラの後方に控えていたユユが、幾枚かの紙をヒラヒラさせながら溜め息を吐いた。

「これ、無駄になっちゃった」

 あの日の午後、ユユは宿に籠って、カワセミでにも指導出来るように、要点を書き出していたのだ。十中八九、無駄になるだろうなぁとは思いつつ。

 

「まぁ、カワセミ様に物を教わるなら、教わる方にも覚悟が必要だわ」

「そうなんですか?」

「時々、鞍も手綱も無しにいきなり飛び立つから、着いて行くのに常に頭絡を身近に置いていなきゃならなかったり」

 

 唖然とする老人達の前を通り過ぎながら、ユユは言った。

「カワセミ長の指導は以上です。唯一無二の弟子のアタシが、続きを引き受けても宜しいかしら?」

 

 子供達は肩透かしを食って茫然としているし、老人達は頷かざるを得なかった。

 

 

 里に到着した時のカワセミは、疲労困憊していた。

 蒼の里で、婚礼の儀式の休みを作り出す為に無理して働いたのに、その直後流感が流行り、ノスリ、大長、ツバクロの順にぶっ倒れたのだ。

 こんな時に限って一人元気だったカワセミは、大車輪で働く羽目になった。

 

 ユユがカワセミを無理矢理西風の里へ引っ張ったのは、彼の身体の悲鳴を聞いていたからだ。

 ユユはカワセミを休ませたくて、彼の指定の場所に寝かせ、パワーグッズ並べてから、一生懸命代役を務めていたのだ。

 

 もっとも、無理矢理な高空飛行が弱った彼にトドメをさしたのは、純粋にユユのドジだ。

 

 

 

 

 砂の民の街の外れ。

 ひなびた山の中頃。

 粗末な小屋の前で老夫婦が豆を脱穀し、庭の真ん中で一人の娘が薪を割っている。

 

「こんなモンでいいか?」

 

「ああ、有難さんよ。モエギちゃん」

「ちゃんはやめてくれって。奥歯がこそばゆくなる」

 やめてくれと言いながらも、娘はさして嫌そうでもなかった。

 

「お天道さんも沈んだし、夕食(ゆうげ)の支度にかかろうかねぇ。今日は豆料理ですよ」

「やたっ♪ 婆さんの豆料理は美味いんだよな」

「秘伝を教えたげるよ」

「うん! 水汲んで来る」

 

 両手と頭に水桶を乗せて川へ駆けて行く碧緑の髪の娘を、老夫婦は穏やかに見送った。

 

 かねてから、いきなり現れては力仕事や家の修繕をやってくれていた何処の誰とも分からない娘が、かしこまってやって来たのは数日前。

 

「私を置いてくれないか? ずーっとじゃなくていいから」

 

 常々世話になってるとはいえ、正体も分からない娘を何で住まわせる気になったのか?

 若くに亡くした一人息子と同じ色の瞳にほだされたからかもしれない。

 

「ずーっと居てくれても良いんだけれどねぇ。孫なんて諦めていたけれど」

 

「婆さん! 変な魚が泳いでたから捕って来た。これ、食えるのか?」

 朱色の尾ヒレが飛び出した桶を掲げて坂を駆け上がってくる娘に、老夫婦は飛び上がって両手をブンブン振った。

「ダメダメ、それは総領殿が生け簀で飼ってる緋鯉だよ。早く戻して!」

「げげ!」

 

 

 賑やかで温かな三人の様子を、向かいの丘の林からそっと見守る漆黒の青年。

 

 仲間の若衆が後ろから声を掛ける。

「若、まどろっこしい事やってないで、既成事実の一つも作って、総領を押し切っちまえばいいのに」

 

「そんなんじゃないんだよ。アイツは今、手探りで探している最中なんだ」

「へ? 何を?」

「見失っていた自分自身だよ」

 

 

 西風の娘は、自分の、純粋に自分だけの幸せを、探す事から始めたのだ。

 身分も素性も捨てて、素の自分になって。

 

 そうして自らを幸せにして、自ら幸せにしたい者を幸せにして、それから初めて、里の皆の為に尽くせる身になれるのだ。

 

 浅黄の君がそうだったように………

 

 

 

 

 

          ~スピカ・了~

 

 

 

 




次回は、最終章


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続 スピカ・Ⅰ

最終章です


 砂の民の街外れ、ひなびた山道。

 柴を背負って下って来るのは、碧緑の髪を頭のてっぺんで噴水みたいに束ねたモエギ。

 手には麻の背表紙の古い書物。

 

「おやおや」

 聞き慣れた声に顔を上げ、娘は素直に顔を輝かせた。

「おっさん!」

 

「いつからそんなに勉強熱心さんになったんです? 足元を見ていないと転びますよ」

 蒼の大長が馬から下りながら、モエギを見て本当に嬉しそうに微笑んだ。

 

「これ、勉強なんて、そんな大そうな書物じゃない。詩集だよ、砂漠とか山とか星とかの。高尚な事はよく分からないけれど、ただ読んでいて気持ち良い。爺さんと婆さんが、家の本棚にあった奴を貸してくれて……・・?」

 大長が麻の表紙をじっと見つめて動かないので、モエギは訝(いぶか)しげ言葉を切った。

 

 彼はサラリと視線をモエギに移した。

「息子の読んでいた書物でよければ、って?」

「ああ、そう、うん」

 

 柴は馬が引き受けてくれて、二人は並んで山道を下った。

 

「まったく、びっくりしましたよ。里に来たら貴女が居ないんですもの」

「カワセミを叱ったりしていないよな。私は自分の意思で里を離れているんだ」

 

 モエギは言葉使いは変わらないが、以前の攻撃的な感じが消えて、ゆっくり優しげになっている。多分これが、全ての荷物を下ろした素のモエギなのだ。

 

「皆、待っていますよ。貴女が居ないと本当に寂しい」

 大長は、『で、何か掴めましたか?』とかの質問はしなかった。

 

「寂しい? ガサツ者が居なくなって、せいせいしているんじゃないのか?」

「まさか。私だって寂しいし、ナナなんて折角次の任期は長めに取ったのに。到着した途端、夕陽に向かって砂漠を裸足で駆け出しそうで心配です」

「あははは」

 

 家への曲がり角の前で、大長は馬から柴を下ろしてモエギに渡した。

 

「なあ、おっさんが来たって事は、カワセミとユユは帰っちまったのか?」

 

「いえ、明日発つ予定だったのですが……」

「??」

「ああ、出発は四、五日先に延びると思います。何にしても、ユユが貴女に会いたがっていましたよ。多分あの二人の駐在は今回限りになるし、帰る前に一度会ってやって貰えませんか?」

 

「今回限り? 私のせいか?」

 モエギは顔を曇らせた。

 

「いえ、物理的な理由です。カワセミの身体はやはり高空気流に乗るには向いていなかったのです。あそこまでダメージを受けるとは、私も予測していませんでした」

「え・・」

「あの子は子供の頃から身体が弱くってね。外から来るモノに対しては羽根が護りますが、内側から来るモノは、どうにも出来ないんですよ」

 

「そうだったのか」

 氷みたいに冷たくなった肩。

「言ってくれればよかったのに」

 

「駐在者が不調だという事実を、万が一にも外に洩らしてはいけないと思ったのでしょう」

 

 モエギはユユの明るい顔を思い出した。

 本当は心配で一杯だったんだ……

 

「カワセミはね、ぶっ倒れている時間と起きてる時間が半々で、長になんかなれっこないって、多くの者に思われていました」

「おっさん?」

「まさかここまで立派になってくれるなんて、思いも寄りませんでした。カワセミの存在その物が、私の喜びです」

「………………」

 

「カワセミだけではありません。最初から完璧な長なんて居ないんですよ」

 

 その時モエギは漠然と……いつか自分もこのヒトにそう言われたい、このヒトの喜びになりたい……そう思った。

 そしてそれが、彼女のそれからの大きな原動力となる。

 

 

 

 近々西風の里近くまで行ってユユとカワセミに会う、という約束をして、モエギは大長を見送った。

 柴を納屋に片付けて、母屋に戻ると、気配がおかしいのに気付いた。

 

 いきなり母屋の戸口が開き、モエギは後ずさった。

 立っていたのは、地上に出て来た閻魔様かと思える大男……砂の民の総領だった。

 

 西風の小娘をギロリと見下ろす閻魔様の後ろから、罰悪そうなハトゥンと、おろおろした老夫婦が出て来た。

 

「西風の長娘よ、砂の民の集落に勝手に住み付くとは、どういう了見か?」

 

「総領殿……」

 

「蒼の里の仲介で普請の約束はしたが、まだ正式に同盟も結んでいない。何か申し開きがあるか?」

 

 モエギは言葉に窮した。

 本当の事は言えない。

 両部族はまだどっち付かずの関係だ。

 この老夫婦が西風の長娘と血縁があるなんて明るみに出たら、彼等の立場を波立てる。

 

「親父、このヒトはただのお節介なの。根っからの世話焼き気質なんだ」

「お前に聞いていない!!」

 

 ハトゥンはしゃっくりしたみたいに黙らされ、モエギはカラカラに乾いた口を開いた。

「ただ年寄りだけの家が気に掛かって、立場もわきまえず手出ししてしまった。申し訳ない……」

 

「では、立ち去って貰おう。我が部族の年寄りはうちの者が面倒を見る。今後も心配は無用だ」

 

「親父、若い者はもう仲良くやってんだ。正式に同盟を結んだって良いじゃないか」

 

「お前は肝心な事が見えていない!!」

 総領は地の底から響くような声で一喝し、その場の者は縮み上がった。

「今、西風の里に力が有るように見えるのは、蒼の里からの駐留者が居るからだ。本当の意味で西風の里が一人立ち出来なくては、我々が同盟を結ぶ価値は無い」

 

「本当の意味とは……私が母者のように、この土地の風を制する力を持ち、蒼の里の助力を必要としなくなればいいのか?」

 

 一生懸命問いかける娘を、総領はまた一蹴した。

「お主は浅黄殿のような術者になれるか?」

 

「………………」

 

「お主は、お主の器量で長となる道を探れ。里の者も、浅黄殿におんぶに抱っこの時代と変わって行かねばなるまい」

 

「親父、そんな悠長な事を言っていたら……」

「ヒヨッコが黄色いくちばしを挟むな!!」

 

 総領の一喝で再び一同縮み上がったが、モエギだけはすっくと立って、閻魔様のギョロリとした目を見据えていた。

「いつになるかは分からない。だけれど私は西風と共に在る。必ず皆と一緒に里を立ち直らせる。その時、対等の立場でお会いしに来る」

 

「おお、極上の酒を用意して待っておるぞ」

 閻魔様は初めて笑った。

 

 

 モエギは納屋の横の自分の馬を引き出し、ふと思い出して、お婆さんの所へ引き返した。

 懐から麻の表紙の書物を抜き出す。

 

「これ、ありがと……」

 

「返さなくていいよ、モエギちゃん」

「婆さん?」

「この書物が好きだって言ってくれたでしょう。前の持ち主もきっと、書物は好きなヒトの所に在るのが良いって思っているよ」

 

 黙っていたお爺さんは、いきなり家に駆け込んだ。どうするのかと思っていると、残りの書物……数冊ばかりだが……を、まとめてモエギに差し出した。

「持って行ってくれ。ワシ等はあんたに、他に何もしてやれん」

 

 モエギは書物を抱えて、暫く止まった。

 それから目をしばたきながら、総領を振り向いた。

「私はこのヒト達にお礼がしたい。少し時間を頂けるか?」

 

 総領は意外にあっさり頷いた。

 

 娘は、背筋を伸ばし、息を吸って目を閉じる。

 口から流れ出るのは、春を迎える山峡の詩(うた)。

 何度も読み返して、胸に刻んで暗誦してしまった、彼女の一番好きな詩歌。

 

 老夫婦は静かに聞き入り、ある時点で雷に打たれたような衝撃を受けた。

 亡き息子がそこに居るような錯覚に襲われたのだ。

 あの子と同じ、スカシユリを思わせる、明るいオレンジの瞳……

 

 詩歌は春間近の山の空気にきれいに染み入り、

 ハトゥンも、そして総領も、黙って静かに聞いていた。

 

 詠み終えると、モエギは老夫婦の手を握り、総領に礼をして、馬と共に駆け去った。

 

 去り行く娘を見送って、総領は厳めしい顔を緩めてハトゥンに言った。

「同盟は対等に結ぶべきなのだ。どちらかが力劣ると、ただ支配されるだけになる。そうなってしまっては、儂だって浅黄殿に顔向け出来ん。解るな」

 

「ああ、俺、まだまだ甘チャンだ。アイツに置いて行かれちまう」

「全く、憎まれ役はいつも儂だ」

 

 そして、まだ動揺冷めやらぬ老夫婦に向いた。

「すまぬ事をした」

「は……」

「総領としては、やはり西風の娘がここで暮らすのを見過ごす訳には行かぬのだ。それに、あの娘はまだ、前へ前へ進まなくてはならん。いつかまた此処へ戻る時があるやもしれぬが、今は次の階段を登る時なのだ」

 

「そうなのですか」

 老夫婦は娘の去った方向の空を見上げた。

「では私達も祈りましょう。あの子が目指す者になれますよう、祈りましょう」

 

「気の長い話だよなぁ」

 ハトゥンは両手を頭の後ろで組んで一緒に空を眺める。

 

 馬鹿息子には解らんか……

 総領は目を細めて山谷を見回す。

 シンとした冬山の見た目は変わらないが、空気は明らかに和らぎ、木々は目覚め、生き物が動き出している。

 今しがた、急にだ……!

 

 あの娘と酒を酌み交わせる日は、そう遠くは無かろう。

 

 

 

 

 



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続 スピカ・Ⅱ

 西風の里から少し離れた砂漠の岩山のてっぺんで、モエギはすくと立っていた。

 胸に当てた手の中に何かを握っている。

 

 風が強く吹いて、振り向くと、水色の髪の妖精が馬と共に居た。

「ボクに何か用か……」

 モエギの手の中には、橙色の珠の付いた櫛が握られていた。

 

「この石で呼び掛ければ、あんたに伝わるかと思って」

「伝わるけれど、そんな便利に使われても困る」

 

 相変わらず突き放した言い方だが、モエギにはもう分かっていた。

 このヒトが困ると言ったら、ただただ困っているだけなのだ。

 心が冷たい訳じゃない。

 だって、こうして来てくれているじゃないか。

 

「言いたい事があって」

「手短に頼む」

 

「身体は、もういいのか?」

「絶好調って訳でもないけれど、こうして眼は開いているな」

 

「すまない」

「何が?」

 

「まだ不調だったのに、沈んでしまった私を呼びに降りて来てくれた。ああいうのって、消耗するんだろ?」

「……まぁ」

 

「それで折角回復しかけていたのに、また寝込む羽目になっていたんだろう? すまない」

「そんなに謝られても困る」

 

「んん、じゃあ、ありがとう」

「…………」

 

「ありがとう」

「あぁ……まぁ……」

 

「それと、自分の為に何か出来た、と思う」

「そうか」

 

「それだけだ、じゃあな」

 

 馬に手を掛けるモエギに、カワセミはポソッと言った。

「良かったな」

 

「うん」

 

 馬に跨がって遠去かるモエギを見やりながら、カワセミは口の中でボソボソ呟いていた。

「ヒトに物を教えるなんて金輪際ゴメンだ。ユユで懲りている。結局放って置けなくて、一生教え続ける羽目になる」

 

 碧緑の髪の後ろ姿は、地平の陽炎に溶けて行く。

 

「でも……キミの背中なら」

 

 水色の妖精は馬を飛び立たせ、西風の娘を追った。

 

 ――もう少し、押してもいい。

 

 

    ***

 

 

 鼻の頭も見えない闇の中の砂の原。

 細いカンテラを頼りに、トボトボと歩く二つの小さな騎馬があった。

 一人がグラリと傾く。

 

「ソラ、おい、ソラ! 寝るなよ、しっかりしろ」

「う、はぅぅ……」

 馬を寄せて肩を揺するシドに、ソラはやっと生返事をした。

「こんなに簡単に迷っちゃうなんて……」

 

「方向分からない? ソラ」

「だめ……何も見えなさ過ぎる。月も星も無い夜は、ヒトを惑わす妖魔が徘徊するって、旅商人のおじさんが言ってた」

「怖い事言うなよぉ」

「ごめん……」

 

 

 モエギが失跡した事に関して、カワセミもユユも何も教えてくれなかった。

 先日やって来た大長も、モエギを信じて待ちましょうの一点張り。

 

 二人は、普請に来るハトゥンにカマをかけてみた。

 モエギは多分ハトゥンの身近に居ると思っていたのだ。

 

「ねぇ、モエギ様の着替えをハトゥンに渡して置きなさいって、大長様に言われたのだけれど」

 

「え? それっていつの事?」

「ちょ、ちょっと前です」

「おかしいなぁ。モエギがうちの集落を出た事は、大長にも言ったんだけれど」

 

 

 

「ハトゥン様の側に居ると思ったから安心していたのに!」

 暗闇の砂漠でシドは親指の爪を噛んだ。

 

「ハトゥン様は知らないんだ。大長様達だって。モエギ様は、皆が頼りにするから平気な振りをする癖がついているだけで、本当はめちゃめちゃ寂しがりの怖がりなんだ」

「こんな真っ暗な夜、独りぼっちで、どんなに心細くしていることか」

 

 そう思うと二人、居ても立っても居られなくなって、厩の夜飼いを済ませるや、馬を引き出して里を抜け出したのだった。

 今すぐモエギの側に行って、寂しくない状況にしてあげたい。

 

 モエギの居付きそうな遺跡や風穴を探してみようとしたけれど、闇夜に地形の変わりやすい砂漠で、あっさり方向を見失った。

 

「飛んでみる?」

「こんな真っ暗な中を?」

 ソラは、シド程は馬で飛ぶのは上手ではなかった。

「焚き火の明かりが見えるかもしれないよ」

「……うん」

 

 二人は助走を付けて大きくジャンプした。

 それでも地上に何も見えない。

「もう一つだ」

 シドは馬を急き立てて、更に二段三段と跳んだ。

 

「ま、待って」

 ソラは慌てて着いて行こうとしたが、暗闇の恐怖が先に来た。

 恐怖はすぐ馬に伝わる。

 

「ああ……っっ!」

 

 馬が暴れてバランスを崩したソラは、鞍から滑った。

 

 ――ヒュオッ!!

 

 身体が持って行かれそうな風。

 シドは馬にしがみ着く。

「ソラ、何処? ソラ――!!」

 慌てて見回して、息を呑んだ。

 

 碧緑の髪をなびかせて、モエギの騎馬が風の中、真っ直ぐに浮かんでいた。

 腕の中に硬直したソラ。

 

「大丈夫だ。心配すんな」

 

 静かに言って、ふわりと、本当にふわりと、地上へ降下した。

 まるで草の馬みたいに。

 

「何をしているんだ、こんな所で」

 ケロリと聞かれて、二人は答えに窮した。

「道に……迷って」

 腕から下ろされたソラが、小さい声で言った。

 

「そうか、ああ、星が無いもんな。待ってろ」

 

 モエギは下馬して二人から離れ、砂原の高い所まで歩いて行った。

 そこにすぅっと立ち、肩を下ろして背を伸ばす。

 

 唇から流れ出るのは、砂漠の夜の星の詩。

 風がモエギの側に集まる。

 最初は小さく、段々に大きく、そしてうねるように。

 

 二人の少年は茫然と眺めていた。

 

 風の中、緋色のマントがざぁと舞い上がる。

 次の瞬間、砂上の西風の娘の姿が、くっきりと浮かび上がった。

 天上の雲が吹き飛び、煌めく星々が姿を現したのだ。

 

「これで帰れるだろ」

 美しく影を落とす砂の風紋を背景に、娘は穏やかに微笑む。

 

 二人は茫然としていた。

 本当にモエギ様なのだろうか?

 砂漠の妖魔が見せる幻覚なんじゃないかしら?

 

「シド、ソラ!」

 名前を呼ばれて二人、ビクッとなった。

「どうした、腹減ってんのか?」

 やっぱり、本物のモエギ様だぁ~~!

 

「モエギ様~~っ!」

「モエギ様ぁ・・」

 

 二人は駆け寄って、両側からしがみ付いた。

 何の事はない、寂しかったのは自分達だったのだ。

 

「……バカ」

 モエギはしがみ付かれたまま、じっとしていた。

 それから一回鼻をすすった。

 

「風……使えるようになったんですか?」

 少し落ち着いたシドが聞いた。

「ん、『使える』ってのとはちょっと違う」

 二人はモエギの話し方が、以前と全く違うのに気が付いた。

 別人のように静かで穏やかだ。

 

「『風を流す』という感覚はまだ分からない。ただ、他人だったヒトが、心が分かり合えて友達になれたように、風が近くになった。友達だから頼みも聞いて貰えるし、行きたい方向が分かって手も取り合える」

 

「…………」

 いつの間にかモエギが一段も二段も高い所に居る。

 二人は予想外な事実に戸惑った。

 

 いや、喜ばなきゃいけないのに。

 何でこんなに複雑なんだろ……

 

「里へは戻る。ユユにも会いたいしな。だが今晩はここに居る。お前達は帰れ」

 すっきりと言うモエギに、二人は何も言えなくて、そのまま馬に跨がった。

 

 

 

 二人がちゃんと里の方向へ向いたのを見届けて、モエギは再度風を起こして舞い上がった。

 砂漠へ来てから……眠っている時間以外は、殆ど風の中に身を委ねて詠(うた)っていた。

 

 まったく不思議な切っ掛けだった。

 老夫婦に貰った書物の詩歌が、心の閂(かんぬき)を外し、能力を開いたのだ。

 

 幸せになりたい

 幸せにしたい

 大切なモノたち

 

 詩歌はそんなモエギの想いに共鳴した。

 まるで彼女の為にこの世に存在したように。

 

 それを教えてくれたのは、カワセミだった。

「キミはもう扉の真ん前まで自力で辿り着けていた。答えも手の中にしていたんだ」

 

 

    ***

 

 

 砂の地平に赤い月が昇る。

 珠(たま)が割れた欠片(かけら)のような、下弦の三日月。

 

 月明かりに長い影を落とす西風の里を見下ろして、カワセミとユユの二頭の騎馬が、上空高くに浮かんでいた。

 さっきまで真っ暗だったのに、今は満天の星。

 何処かで誰かが風を流したんだろう。

 

「アタシ、ここが好きだわ」

「うん……」

「明日でさよならなのね」

「うん……」

「よぉく目に焼き付けて置くわ」

「うん……」

 

 カワセミは馬を寄せて、鞍に差していた一枝を、ユユの膝に乗せた。

 

「あら」

 池の対岸の砂地に咲く、緋色の山丹花(サンダンカ)。

 

「頑張ったアタシに、ご褒美?」

「それでいい」

「うふふ」

 ユユは嬉しそうに 花房を髪に差した。

 

「ここではこんな干らびた土に咲く花があるんだな」

「強い、土地ね」

「……来て良かった」

「でしょ」

 

 

 

 その足許の地上に小さな灯りが揺れ、二人の少年が里に帰り着いた所だった。

 馬繋ぎ場には大長が居た。

 二人を見て何を聞くでもなく、大きなポットを掲げて迎える。

 

「馬乳酒を沸かし過ぎました。一緒に飲んで下さい」

 

 

 

 




挿し絵:星空の詩
【挿絵表示】


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続 スピカ・Ⅲ

 早朝。

 西風の里の馬繋ぎ場に、長の娘が降り立った。

 そんなに離れていなかったのに、ここに彼女の姿があるのは、偉く久し振りな気がする。

 

 朝の厩(うまや)仕事の途中だったシドとソラは、道具を放り出して駆け寄った。

「あ・あ・あ、本物のモエギ様だぁ」

「夢じゃなかったぁ、うぇぇん、モエギ様ぁ~~」

 

「貴方達、モエギに甘えるのはおしまいにするって誓った所でしょう」

 大長が宿の方から歩いて来た。

 

「おっさん……」

 

 大長は相変わらず、独り立ちの成果は聞いて来なかった。

 関心が無いのではなく、既に見えてるんだろう。

 

 代わりにニコニコと、二人の少年を前面に押し出した。

「モエギに報告する事があるんでしょう?」

 

「あっ、はい」

 二人は畏(かしこ)まってモエギの前に並んだ。

「僕達、西風の里を離れます」

 

「・・えっ!?」

 

「蒼の里へ行くんです」

「ええっ!?」

 

「大長様が闘牙の馬を貸して下さるって。二人乗りで、カワセミ様達に着いて、連れてっ行って貰える事になったんです」

 

 モエギはビックリ仰天して、大長を見た。

 

「カワセミとユユに報告を受け、彼らの底力を知らされました。二人とも素晴らしい可能性を持っている。是非、蒼の里の修練所で学び、我が里の子供達と切磋琢磨して貰いたいのです」

 

「僕達、一杯学んで、それをここに持って帰って来ます。西風の里に役立てる者になって」

 モエギ様が自分達を置いてけぼりにするんなら、追い掛けて追い付けば良い。

 二人の瞳は希望に輝いている。

 

「そうか……うん、行って来い。後の事は心配すんな」

 モエギはやっとそれだけ言った。

 自分の中のこの二人の存在の大きさに、初めて気付いた。

 でも二人は先を先を見ている。自分も同じ方向を見ていなきゃ。

 

 丁度、朝の見回りからユユが戻って来た。

 モエギを見るや抱き付いて、ああ、良かった良かったと、何度も呟いた。

 モエギさんの居ない里なんて、空を飛ばないお父さまみたいなモンだわと、よく分からない例え話をして一人で笑った。

 

 

 帰還の挨拶と勝手をした詫びを入れに来た長娘に、老人達はさして嫌味は言わなかった。

 っていうか、気持ち悪い位優しかった。

 

 元老院の詰所を後にして、モエギは宿屋に向かった。

 大長が受付のカウンターで何かを読み耽(ふけ)っている。

 さっきモエギに借り受けた、麻の表紙の書物だ。

 

「おっさんに面白いか?」

「ええ、まあ……」

 大長は顔を上げずに答えた。

 

 奥の部屋ではユユが、シドとソラに手伝って貰って荷造りに大わらわだ。

 帰りは、カワセミの身体と二人の少年の為に、日数をかけて低空を行くので、多くの荷物は持てない。皆がくれた贈り物のどれも削れないと、ユユの悲鳴が廊下まで響いて来た。

 

 カワセミがふらりと部屋を出て来る。

 付き合いきれないという顔だ。

 モエギを見て目を細めてから、大長の横から書物を覗き込んだ。

「凄い言霊(ことだま)の嵐でしょう」

 

「ええ……」

 

「こ・と・だ・ま? やっぱりこれって呪文集みたいな物だったのか? 魔術書とか?」

 

「いえ」

 大長はやはり顔を上げずに答え、カワセミが続きを請け負った。

 

「呪文だとしても、使えるのはキミだけだ。これはキミだけの為の言霊」

 

「……??」

 

 

 



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続 スピカ・Ⅳ

最終話です


   

 

 

 天上に、小熊座と大熊座がゆっくりと追っ駆けっこをしている。

 開け放たれた窓からそれを眺める青年に、傍らの木の上から声が掛かった。

「夜風で冷えますよ。またご両親に心配掛けますよ」

 

 青年は、眼窩の落ち窪んだオレンジの瞳を上げる。

 梢には北極星を背景に、群青色の長い髪の男性が腰掛けていた。

 彼女(かのヒト)の幼馴染みだという、北の国の蒼の妖精。

 

「手紙を言付かって来ました。後、こちらは私から。うちの年寄りが作った滋養薬」

 妖精は体重がないみたいにフワリと、窓の珊に下りた。

 

「貴方が冷えていまいます。こんな寒い夜にわざわざ、ありがとう」

 青年は窓際のベッドに半身起こし、手紙と小さな包みを受け取って、毛布を妖精の膝に延ばした。

「ね、そこの鈴蘭が咲き始めたんです。香りが嬉しかったもので、つい」

 

 サイドテーブルには薬湯と殆ど手付かずの食事。

 妖精がそれらから目をそらすと、枕元の筆記用具が目に入った。

 

「書き物をしていたのですか?」

「あっ」

 青年は慌てて、麻の表紙の雑記帳を枕の下に隠した。

 

「恥ずかしいから、駄目です」

「日記?」

「違うけれど」

「??」

「何となく書いている物です、何となく……」

 

 

 

 大長はそれきり忘れていた。

 モエギが生まれるちょっと前の、シンと澄んだ夜の記憶……

 

 

 砂の民の集落の片隅で、病床の青年が、逢えるかどうか分からない我が子を想って書き綴った、星や花や砂の原の詩。

 何も出来ずに見ているしかなかった当時の自分を思い出しながら、大長は頁を繰った。

 

 青年の命はとても細く、身体はどんどん蝕まれていたのに、文字は美しく力強く、風や音や光を孕(はら)んでいる。

 どんな術や魔法力だって及ばない力が、この書物には綴じられていた。

 

 年老いた両親には無理に起きて書いている姿は見せなかったんだろう。

 こんな書物が存在した事は、大長も浅黄も、知る所ではなかった。

 

 カワセミがナチュラルに導き、モエギが自力で辿り着いた。

 本当にこの子達には敵わない。

 自分の誇りであり、喜びだ。

 

 

 

 大長が書物に夢中で、何だかウルウルしているので、モエギは戸口を出て外に立った。

 

 明日から新しい毎日が始まる。

 居なくなる顔が多いけれど、寂しがっている暇なんか無い。

 

 ふと見ると、離れた横にカワセミが立っている。

 

「今部屋に入ると手伝わされる」

 モエギを見て苦笑いをする。

 モエギもちょっと笑った。

 

「可笑しいな」

「何が……」

「大長は、あんたと私は出会った瞬間バトルになるって言っていた」

「ああ、お互い元気な状態で出会っていたら、そうなったかもな」

「お互い弱っていて良かったな」

「ははは……」

 

 朝の雲が里の上空に集まる。

 モエギは右手を、カワセミは左手を挙げた。

 二筋の風が交差しながら雲を流して行く。

 

「ぁあ・・」

 珍しくカワセミから何か言いかけた。

 

「何?」

 

「ボクは、弟子は取らない」

「へ? うん、そうだろうな」

 

「だけれどキミは、ボクの弟子を名乗ってもいい」

「随分尊大だな!」

「そうか?」

「有り難くて涙が出るぜ」

 

 二人は青さを増して行く空を眺め、部屋ではまだユユの賑やかな声が響いていた。

 

 

 

 

 西風の馬繋ぎ場に、今までで最多人数の見送りが集まった。

 殆どがユユの見送りだ。

 西風の娘達、砂の民の男衆、子供達、年寄り達、果ては馬まで。

 

 弾き出されたカワセミの横には、モエギが居た。

「もう、会う事は無いんだろうか」

「キミが蒼の里まで飛ぶ力を身に付ければいいだろ」

「あ、あぁ、そうだな」

「ボクが干されてヒマになるよりは可能性が高いぞ」

「そ、そうか」

 

 ヒトの群れからハトゥンが、二人の少年によって引っ張り出される。

「なんだい? チビッコナイト」

「もう、チビッコじゃないですよ」

「はは、そうだな。だから行くんだもんな」

 

「予約を取り付けて置こうと思って」

「何の?」

 

「決闘の」

 二人は声を揃えて言った。

「僕達が一人前になって帰ったら、順番に決闘して下さい!」

「モエギ様に申し込む権利を掛けて!」

 

 ハトゥンは目をパチクリさせた。

 

「モテモテですねぇ、モエギは」

 大長が楽しそうに、シドとソラの肩に手を置いた。

「じゃあ、それまでハトゥンには、色々待って貰いましょう」

 

「待て待て待て! 勝手に決めるな!」

「大長様、本当ですか? 約束して貰えますか?」

「ええ、バッチリ監視しますよ。もし勝手に進展しそうになったら、私が責任持ってぶち壊しますから」

「こらこらぁ!」

 

 大長は心底楽しそうに笑った。

 西風の里へ来て、本当に笑う事が多くなった。

 そう、自分達はただ奉仕していただけではない。

 お返しも沢山、たくさんたくさん、貰っているのだ。

 それは、ツバクロも、ナナも、ユユも、カワセミも、きっとそうだ。

 

 丘の上の、殆ど出来上がった修練所。

 もうすぐあそこで子供達が学ぶ。

 子供達は成長し、そして…………蒼の里の援助は、要らなくなるだろう。

 それが目指す目標なのだ。

 

「おっさん!」

 モエギに呼ばれて我に返った。

「皆もう旅発つ。シドとソラに祝福してやってくれ」

「ああ、はいはい」

 

 少年達は氷蝙蝠(コォリコウモリ)の帽子を取って大長の前にチョコンと並び、ユユは更に増えたパンパンの荷物を何とか馬にくくり付け、カワセミはもう乗馬して、鷹のように前方を見据えている。

 

(しんみりはその時になってすれば良いですよね)

 

 大長は心を込めて祝福し、三騎が砂の地平に小さくなって消えるまで、皆で手を振った。

 

 

 

 夕空にモエギの流した風は、一番星のスピカを連れて来た。

 西風は優しい星々の詩を孕(はら)んで、砂丘の空に拡がる。

 

 

 

 

 

 

          ~続スピカ・了~

 

 

              ~春待つ羽色のおはなし・了~

 

 

 

 




挿し絵:筋雲
【挿絵表示】

挿し絵:春待つ羽色のおはなし・表紙
【挿絵表示】




お付き合い頂き、ありがとうございました
どうか、よい旅を




一応の時系列
「碧い羽根のおはなし」→「ネメアの獅子」→「春待つ羽色のおはなし」→「緋い羽根のおはなし」→「六連星」→「星のかたちの白い花」
舞台は同じですが、ひとつひとつは独立したお話です


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