斯くして、パワハラ敗北幼馴染みは勝利した。 (ドモヴォーイ)
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騎士カサンドラ・ドノヴァン

 ぼくがかんがえた最高にシコく可愛いパワハラ敗北幼馴染を曇らせるだけの話です


王国暦176年 王都貧民窟

 

 しんしんと降り始める雪。

 灰色の空から零れ落ちるそれはやがて私の腫れ上がった頬にあたり、融ける。

 

 腹が減っていた。

 

 きらびやかな表街とは対極に位置する貧民窟で、私はぼんやりとそんなことを思っていた。

 

 薄汚れた薄着に泥まみれの身体。幼い非力なこの身に生傷の絶えない環境。

 食べるものも、生き延びる環境も自らの手で作り、守り、奪わなければならない世界。それが王都貧民窟であった。

 

 今日、私は死ぬ。

 食事は二日抜かした程度では死なないが、この雪だ。行く先は凍死である。仕事の失敗によって随分と痛め付けられた身体は動くことも儘ならず、どこか他人事のように自分の死を客観視している私がいた。

 

「おい、大丈夫か? お前」

 

 素知らぬ男の声に私はそっと瞳を開く。

 

「こんなところで寝てたらオメェ、死ぬぞ?」

 

 綺麗な翠だと思った。深く深く吸い込まれるような緑色の瞳に思わずため息を漏らすほどに。

 それと同時に腹の虫が鳴くと、男はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「なんのまね?」

 

 男がそっと差し出してきたのはカビの生えた食いかけの黒パンだった。

 

「食えよ、腹ぁ減ってんだろ?」

 

 私は困惑した。

 なんだ? なんのまねだ? こんなことをしてこの男になんの得がある?

 貧民窟は糞の肥溜めだ。殺人、詐欺、暴力、強盗なんでもござれの悪の坩堝で生まれた私にとって、人の善性と言うものは理解の外の話であった。

 

「おいおい、オメェ知らねぇのかよ」

 

 男は困惑する私をたしなめるかのように呟いた。

 

「困ってる人がいるんなら、助ける。それが人情ってやつだぜ?」

 

 男は心底それを信じきっているのか、含みもない朗らかな笑みを見せた。

 私はそんな彼の様子を振り払うかのように黒パンを強引に奪い、かじる。

 

 ろくな食いもんじゃない。今の方がよほど上等な食い物を食べている。

 それでも、あの日食べたカビの生えた黒パンより温かい食事を私は食べたことがない。

 

 

 

 

 

王国暦192年 騎士団総団本部

 

 石畳の敷かれた回廊を足早に歩く。

 王都一番街。王国兵部省に隣接する騎士団総団本部は王国が誇る実働部隊にして常備軍であり、精鋭中の精鋭が集まった実力主義の部隊である。

 

 フィオナ王国騎士団副総団長旗下大隊長。それが私の今の地位であった。

 女性騎士としては五人目であり、平民出身者としては二番目。平民出身且つ女性としてなら史上初にあたるのが私――カサンドラ・ドノヴァンであった。

 

「失礼します」

 

 ノックを三回。豪奢な扉を開くとそこには初老といっていいモノクルをかけた男がいた。

 

「お早う、ドノヴァン卿」

「おはようございます。アーバイン副総団長」

 

 王国兵部省では五指に入り、王国実働部隊のナンバー2たる男――ダグラス・レナード・アーバインは人好きそうな笑みを浮かべていた。

 

 悪辣であり狡猾でもあり、なにより有能。王国宮廷貴族アークライト家の庶流であるアーバイン子爵家の三男として生まれ、騎士に任官したダグラス・レナード・アーバインは政戦両略にして王党改革派に属する派閥の大幹部である。

 

「顔色が良くないな。睡眠はとっているか?」

「昨日は夜勤でしたので」

「それはいかんな。良質な仕事と良質な睡眠は表裏一体だ。厚化粧で誤魔化すのは良くないぞ」

 

 私は鼻で笑う。

 

「では、副総団長が私の仕事を手伝ってくれるので?」

「それは無理だな。いざというとき、一緒に破滅したくはない」

 

 世間話でもするかのようなトーンであっさりとアーバイン副総団長は仰った。

 そもそも、表沙汰には出来ない裏の仕事を放り込んで委任したのが当の本人だ。

 仕事は投げる。手伝いはしない。騎士としては上等だが、個人的な私情を含めばあまり好ましい人とは言えない。

 

「それに、元はと言えば卿が小遣い稼ぎに始めたことだろう? こう言うのは外野や素人があれこれ口を挟むものではない。違うかね?」

「仰る通りで」

 

 私の肯定にアーバイン副総団長は満足そうに頷き、一枚の羊皮紙を手渡す。

 

「辞令だ、目を通すといい。今度の職場はいつもとは勝手が違う」

「拝見致します」

 

 肌触りのいい良質な羊皮紙には『汝、ドノヴァン卿カサンドラを西部駐屯騎士団団長に任ずる』と書かれていた。

 訳ありとはいえ大隊長から騎士団長への抜擢に見えるがその内情は決して明るくはなかった。

 

「一応、花形部署だぞ? 少しは喜ばんか?」

「西部領邦反乱以前の話でしょう。しかも我々がボロボロにした部隊で、懲罰部隊に等しい」

 

 手綱を握るのは簡単ではない。

 

 今より一月前。西部領邦で大きな反乱が発生。首謀者は王国貴族ハーグリーブス侯爵を筆頭とする西部領邦の領主貴族たちであった。

 

 王国暦190年。王党派幹部戸部大臣ハイラム・シェイファー子爵より提案された法案が施行された。

 シェイファー草案と呼ばれたこの法案には領地貴族の主税である関所からの徴収金を廃すること。並びに、国内商人の移動制限が大きく取り払われるという重商主義政策が全面的に押し出された法案であった。

 

 国内の宮廷貴族や、騎士グループからなる王党派にとっては中央集権を進め、政府の権力を高める法案であったが、王党派と反目する領地貴族や地主階級からなる富農などの権門派にとってはあまり喜ばしい法案でなかったことは確かだった。

 

 しかし、いざ始まってみればモノや金が大きく流通し商業を発達させその利益は王党派、権門派に多大な利益を及ぼした。

 

 ただひとつ、西部領邦を除いて。

 

 フィオナ王国建国以来、西部領邦貴族は勝ち組であった。温暖な気候、肥沃な土地。外敵もおらず争いを不毛として閨閥として血縁関係を結んでいた。

 西部貴族の雄ハーグリーブス家は王家に姫を輿入れすること三度。西部公爵家フィッツジェラルド家と結ぶこと数度。

 西部伯爵クレイトン家やヴァレンタイン家にも血を入れ、間接的な血縁を含めれば西部貴族はハーグリーブス侯爵家の庶流といっても過言ではないほどだ。

 

 そうして生み出されたのが血縁関係と地縁関係によるブロック経済の展開であったことはある種当然と言えよう。

 締められた商業圏は領内の競争能力を著しく失わせ、安寧という名のぬるま湯につかっていた。品質が悪く、コストも決して安くはない。南海を有し巨大な港湾都市を擁する南部商人には歯が立たず、東方諸国との縁がある東部ほど何かしらの珍品という武器もなく、日々北部の皇国からの侵略に備えている北部には技術では圧倒的に劣る。

 それが今の西部領邦の姿であった。

 

 領内産業は駆逐、或いは大商社によって吸収され一部を財閥(コンツェルン)化して生き残りをかけたは良いものの、中間層の没落により西部領邦は急激な治安の悪化と汚職が蔓延る結果となった。

 

 ハーグリーブス侯爵家当主ウィルフレッドはシェイファー草案の早期破棄を求めるものの、南部緒貴族の反発により断念。

 最終的に西部最大にしてもっとも権威をもつフィッツジェラルド公爵アルドヘルム四世を旗頭として、ここに西部領邦反乱が発生した。

 

 王国政府は鎮圧のため西部遠征軍を組織。西部方面軍並びに第二、第五騎士団。西部駐屯騎士団を基幹とする二万の軍勢を派兵するも、諸侯軍の反撃、並びに西部駐屯騎士団の離脱によって敗北を喫した。

 

 西部遠征軍司令官アリスター・キャベンディッシュは更迭。

 第五騎士団長デューイ・カニンガムは戦死。

 第二騎士団長バーソロミュー・リンドバーグは一階級降級。

 西部駐屯騎士団長ジュリウス・アンダーソンは自裁した。

 遠征軍直轄部隊の大隊長や第二騎士団首脳部は作戦遂行能力を疑問視され、降級または更迭を余儀なくされた。

 

 南部貴族出身であり権門派とも好の深いキャベンディッシュ騎士爵やリンドバーグ卿を笑う一方。武門貴族出身であり、西部遠征軍では苛烈な戦死を遂げたカニンガム卿に対し「惜しい男を亡くした」とアーバイン卿はその死を悼んだ。

 

 西部駐屯騎士団は西部において治安維持や犯罪の捜査、摘発のための部隊であるが、基本は後方の予備隊である。

 海洋からの防疫や密輸取り締まりを行う南部や東方諸国の防諜部隊を兼ねる東部、常に北部の皇国との緊張を保つ北部とは違い、兵士の錬度も士気も低い。

 

 派手な横抜きや銀蝿、麻薬中毒など醜聞に関してはこと欠かない。

 もっとも、そうさせたのは我々ではあるのだが。それを踏まえても西部駐屯騎士団を率いるのは容易ではないのだ。

 

「不満かね? まあ、そうだろうな。私でもこの部隊を任せられたら不満にも思う」

 

 アーバイン副総団長は苦笑する。

 

「やれと言うならやりますが、実戦ではなんも役にたちませんよ」

「実戦では使わん。駐屯騎士団にやってもらいたいのは作戦立案や軍事移動の助言、輜重部隊や酒保商人の護衛。砦や要塞の管理運営を任せたい」

「得心しました。であるならば私程度でも構わないでしょうな」

 

 西部諸侯領の地理や要塞の管理となると駐屯部隊の業務に当たる。餅は餅屋にと言うことなのだろう。

 

「今回の反乱では私は戦争に注力したい。軍政まで手が回らんこともある。その点、卿はそれらの仕事は得意だし実績もある」

「買い被りですよ」

「アレを管理運営できる奴はそうはいない。そして隠し通し、的確に札として切り出せる奴はいない。カサンドラ・ドノヴァン。君は戦士としては二流だが、謀略と政略においては一流だ。――私が言うのだ、間違いない」

 

 底冷えするような冷たい声で、アーバイン副総団長は告げる。

 

「人が欲しいです。出来るだけ優秀な人材が」

「誰が欲しい」

 

 耐えきれずに、話題を切り替える。無能であるよりかよっぽどいいが、こちらが思う通りに動かせない上官というのも考え物だ。

 

「トラヴィス・ぺラム、ヨアン・カーライル、アーヴィング・ドーソン、ヴィンセント・ノリス」

「ぺラムとノリスは無理だな。ぺラムは新設した第九騎士団の基幹要員。ノリスは卿の後任の副官で私が幕僚として使う」

「ならばバーソロミュー・リンドバーグを」

「……正気か?」

 

 トラヴィス・ぺラムは優秀な前線指揮官である。年齢は私とそうは変わらない新進気鋭の騎士であり、王党派幹部の一人である。ダグラス・レナード・アーバインの後任の後任と目されている人物でもあった。

 ノリスは兎も角ぺラムは動かすことは承知の上だ。故に二の矢を放つ。

 

「リンドバーグよりも、第二騎士団の基幹要員が欲しいです。第二騎士団は腐っても常備軍であり王国が誇る精鋭部隊です。ノウハウも教育も行き届いている。彼らが安く手に入るのはこの時勢をおいてほかにない。違いませんか?」

 

 アーバイン副総団長は得心いったかのように、微笑む。

 

「なるほどな、ドノヴァン卿は強欲であらせられるようだ」

「欲がなければこのような地位にいないでしょう。元をたどれば貧民窟の孤児、小隊長あたりの人間ですよ。私は」

 

 そうだ、そうでなければこんな場所にいない。

 私は決めたのだ。そして諦めたのだ。

 

 ――あの背中に追いつくために。

 

 それ以外のすべてを諦めたのだから。

 

 

 

 

 

王国暦188年 王国兵部省輜重兵総監室 

 

「ようこそ、騎士小隊長カサンドラ。卿のことはよく知っている」

 

 そりゃそうだ。気づくやつは気づく。

 私の騎士人生のなかで挫折というものがあるというのならまずこの時だろう。

 

 北方の奇跡。戦争を終わらせた男。王国騎士団輜重兵総監ダグラス・レナード・アーバイン騎士爵。

 

「王国暦166年生。王国暦181年に志願兵として北部戦線に従軍。所属は第四騎士団第一一二小隊直卒部隊。ほぅ、第一大隊旗下ではないか、であればどこぞで会ったこともあるやもしれんな。この隊は覚えておる、戦時中に同小隊が皇国総大将タウンゼントを討ち取ったからな」

 

 つらつらと読み上げられる私の経歴。

 その様はどうにも不快で嫌悪感が沸き立つ。

 

「王国暦183年。王皇戦争和睦後、騎士団残留。南部方面軍南部駐屯騎士団に所属。以後三年間に渡り防疫課、捜査課、防諜課を転々とすると。ほぅ、捜査課に任官中に南部の大きな反社会勢力を撲滅しとるな、以後をもって小隊長位に就く」

 

 そこまで読み上げたところでアーバインは顔をあげる。

 

「素晴らしい経歴だ。これで若冠22歳だということが末恐ろしい。同年代の貴族階級出身の貴族とて卿と比べれば子供のようなものよ」

「ご冗談を、私程度の人間ならば掃いて捨てるほど居るでしょうに」

「確かに卿に互する捜査官は居るだろう。卿よりも戦場経験な騎士も居るだろう。よもすれば卿と同等の能力をもった騎士も居るかもしれん。だが、その能力をその若さで持つものは私は見たことがない――それに、私は表向きの卿には興味がない」

 

 拳に力が入る。しかし、力を入れたところでどうしようもない。

 この手には錠がかけられ、武装の類いは何もない。

 

「自称カサンドラ。戸籍不肖。出身はおそらく王都貧民窟外縁部の生まれ。同地区出身者はレギナルドなる人物。王国暦180年前後において貧民窟外縁部にカイゼリックグループなる小児売買を生業とするグループが同人身売買組織『取り換え児(チェンジリング)』との抗争。同グループは消滅した。その翌日から一週間以内において年若い志願兵が多数北部戦線へ志願」

 

 喉が渇く。背中から冷たい汗が滲み出る。

 

「兵部省正規騎士団事務局によれば、志願兵出身であるにも関わらず親元と連絡が不肖の人物多数あり、現在生存する志願兵出身克つ戸籍不肖の人物で現在も騎士団在籍は二名」

 

 そのうちの一人が君だ。とアーバイン総監はモノクルのずれを修正しながら此方に視線を送る。

 

「南部方面軍駐屯騎士団に所属し、防疫課に所属。禁制品の取締官として一年。捜査課、防諜課においては尋問官として従事。なおこの時に尋問主任官に昇格しているな。そして捜査課に転任して半年――南部港湾都市リッジウェイにて密貿易組織死に集る蛆(ドヴェルグ)を検挙している。この時の功績をもって卿は王国騎士団小隊長位に任官。そして――」

 

 アーバイン総監は視線を私に向ける。そしてゆっくりと指先を机に突くように二度ほど叩いた。

 

「ここに来たわけだ。盛大な土産をもって」

「どこでそれを――」

「自己紹介が遅れた。王国輜重兵総監兼王国諜報部『王の長耳』所属ダグラス・レナード・アーバインだ」

 

 フィオナ王国六代目国王エリオットは別名耳長王と呼ばれていた。

 宮廷事情に詳しく、貴族たちの醜聞や犯罪を暴き国内において多大なる安定を治め、東部諸国への行幸、並びに外交的成功を治めた王は常日頃からこう呟いていたと言う。

 

『余には諸君らが及びもつかない長い耳があるのだよ』

 

 長らく不可解とされてきた王の長い耳。しかしそれは三代後の国王、堅忍王フレデリック二世の時代に王家直轄の特殊部隊として判明する。

 しかし、その存在は知られども内部は秘中の秘である。規模や組織がどうなっているか不明。魔術を用いた契約で組織に属した者と言えど誰一人として語ることない王国の暗部である。

 

「――言ったであろう、卿のことはよく知っている。と」

 

 

 

 

 

王国暦186年 南部方面軍港湾都市リッジウェイ基地

 

 ピシャリ、ピシャリと一定の間隔で流れ、石畳を濡らす滴の音。

 暖かみを感じさせない魔力光による光が室内を照らす。

 

「私は思うんだよ。正道を歩むのは決して楽じゃないって」

 

 右手に持つ金槌をくるりと回しながら私はそう呟いた。

 

「毎日正しく起きて、正しく働いて、正しく生きる。それで貰える給料はそれはまた大したことはないよ。うんざりする、ストレスって言うのかなぁ、溜まっちゃうよねぇ」

「うっ……ッ……」

 

 正しさとは苦しいことだ。法に縛られ、誰かのために自分を勘定に入れずに行動する。

 滅私奉公、尽忠報国。言うは易し行うは難しだ。

 

「犯罪ってのは楽だよねぇ。他人から奪えば楽に手にはいる。物も金も。他人を食い潰して生きるのはそりゃさぞ楽だろうさ。羨ましいねぇ」

 

 だが悪は違う。ただひたすらに楽なのだ。努力しない、産み出さない。他人の成果を奪って生きる寄生虫。

 

「つまり、私が何を言いたいかと言うととてもイライラしてると言うことなんだ」

 

 なので正義と言う暴力で殴るのに都合のいい存在。それが目の前の犯罪者だ。

 

「――ヒィッ、ヒィ……も、もうやめ――」

「じゃあ、次は人差し指の第二関節いこうか。そぉれ!」

 

 つんざくように響く悲鳴。大の男がのたうち回ろうにもその身体は拘束され、指の関節には本日六本目の五寸釘が打たれる。

 

 南部駐屯騎士団、港湾都市リッジウェイの捜査課尋問主任官。それが私の仕事であった。

 

「どうした、私より給料多いんだろぉ? がんばれ♥ がんばれ♥ この程度でへこたれるな。我慢しろ! 男の子でしょ!」

「ごめッなさ……ッ、もう、痛いの……やダッ、やダッ! やめてくだっ――」

「諦めるなぁ! 組織のために頑張ってきたんだろぉ! 私に尋問されるのはご褒美とか言ってただろぉ!! こんなところでへこたれるなぁ! いいかぁい! 君なんてねぇ! 喋る口と書く手と聞く耳があればもう全部身体いらないんだよぉ!! わかるぅ?」

 

 高々爪が剥がされて傷口に塩を塗っただけなのに。

 カイゼリック式拷問術と貧民窟式愉快な死体芸術(オブジェ)はまだまだこれからと言うのに。

 

「いくよ! もう一本! 3、2、はい!」

「あああああああああああああああッ!!!!」

 

 最近の密貿易グループは根性がないと常々思ったのだった。

 

 北部戦線、並びに王皇戦争の終戦後に私が配属されたのはフィオナ王国南部の港湾都市だった。

 戦争の終結において、一部を残し軍は徴兵された兵士を帰農させ、傭兵も多くが仕事を失った。

 戦争によって集まった多くの人員の解雇は同時に王国内の急激な治安の悪化に変化した。

 

 部隊を解散させたはいいものの、解散させた部隊の受け皿が存在しない。帰農できたり、何らかの職につけた連中は幸運だろう。だが、肉体の欠損や精神を病んだ連中は悲惨極まりなかった。

 北部では皇国の残党と共に夜盗化する傭兵や、郷里に帰った後に居場所がなく犯罪組織に入る連中も少なくない。

 

「ふむ、今回もめぼしい情報は無しか……」

 

 薄い頭髪に膨れた腹。南部騎士団リッジウェイ基地司令ギデオン・ロッケンフィールド卿は咥えた葉巻に紫煙を散らせながら呟いた。

 

「ヘマをするのはチンピラです。売人なんてリスクのある仕事をするのは組織の下の下です。幹部に繋がるには最低でもこのチンピラを雇い入れる顔役を収監するのが早いのですがね」

 

 簡単に言えば売人は商会における丁稚、顔役は手代だ。売人の仕事は試金石であり、仕事としては下の下。しょっぴかれてもかすり傷程度なものであり、組織に深手を負わせるものではない。

 顔役に至っても同義だ。売人よりかは重要性の高い仕事をしてるだろうがそれでも組織の中では平である。幹部にまで結び付くような仕事をしている顔役となると十人捕まえて一人いるかどうかである。

 

「やはり、潜入捜査員からの報告を待たねばならんか……」

「戦争と同じですよ。リスクを冒さなければそれにみあったリターンは手に入らない」

 

 司令は難儀そうに紫煙の混じった溜め息をつく。

 

「部下を反社会組織に潜り込ませる。非道と外道に手を染めさせ、黙認を強いる。いい気分にはならんな」

 

 ギデオン・ロッケンフィールドは決してエリートではない。基地司令という役職は正規騎士団の大隊長位に相当する役職であるが、彼の年齢は50を過ぎ、数年で退役を控える身だ。

 

「驚きました、悪道を批判する資格が司令にあるとは」

 

 基地物資の横流し。ギデオン・ロッケンフィールドが基地司令に就任してから六年やり続けてきた不正である。

 卿とは王国に属する無爵位貴族であり、ギデオン・ロッケンフィールドは貧乏騎士爵家の庶子である。

 貴族とは名ばかりの貧乏貴族であり、継ぐ家も残す家名も持たない貴族家の分家も分家。ギデオン自身すでに実家とも縁がない。

 

 こういった貴族は騎士に多い。裕福でなく、身内とも疎遠であり、家庭を持たず、騎士団において出世ルートから外れ、そして中央政府から目の届かない地方の軍に所属している。

 そう言った中級の騎士には不正に手を染める者はざらである。

 

「私は寄生虫だが、宿主を殺す様なことはしないよ」

 

 殺す覚悟も無いともいうがね、と司令は自嘲するかのように呟いた。



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悪役令嬢カサンドラ・ドノヴァン

王国暦186年 南部方面軍港湾都市リッジウェイ貧民街

 

 子供の頃に思い描いていた理想は、現実に押し潰される。

 人生には壁がある。人はそれを挫折と言ったり、試練といったり様々かもしれないが、少なくとも一種と停滞と言えるべきものであることは確かだ。

 

 私の壁はとても大きく、何枚も並んでいる。

 貧民窟で生き残り、成人するという壁。

 貧民窟から抜け出すという壁。

 生きるために死地へ向かい戦争を乗り越えると言う壁。

 

 自分の命を種銭(ベット)して、用意周到に準備して。他人を蹴落とし、見捨て、或いは肉壁にして。

 そうやって生き残ってきた。そうしなければ生き残れなかった。

 

 ――それがカサンドラという手弱女だ。

 

 レギンは壁を容易にぶち壊せる人間だった。

 

「黙っといておいてあげますよ。貴方は定年が近い。寧ろ退役までに清算しておきたい筈だ」

 

 自分の不正を覆い隠せるナニか。

 自分の不正を正道に変えるナニか。

 不正と縁を切り、穏やかな老後を過ごしたいという欲。

 

 ギデオン・ロッケンフィールドにとってそれは甘い毒であった筈だ。

 

 だから私は囁いたのだ。

 次の壁を越える(騎士団小隊長相当位)ために。

 

 この世界は溝のように醜くて。

 貧民窟と何らかわりない糞の肥溜めで。

 

 それでも尚、(レギン)だけが耀いて見えた。

 

「ファフナー、どうした?」

 

 呼び掛けられたコードネームに埋没していた意識は急激に現実に引き戻される。

 

「ああ、すまないアルヴィス。少しだけ考え事をしていたよ」

 

 病人のように痩せこけた青白い肌の男。南部の麻薬組織死に集る蛆(ドヴェルグ)の幹部アルヴィスは怪訝そうに私を睨む。

 

「ふんッ、騎士様の仕事は余程多忙と見える」

「そりゃあね、物資の横流しも簡単じゃあないよ。それに禁制品を流すのにも苦労してるんだ。わかってくれとは言わないけれど多少は甘やかしてくれてもいいんじゃないかなぁ?」

 

 甘えるような声を出して、私は微笑む。

 女というのは便利だ。とくに甘い声で囁かれて悪い気分になるやつはいない。

 

「女が笑ってる時ってのは、大概がろくでもないことを考えてるときさ」

「おやおや、酷いことを言うねぇ。私はこんなにも清楚で純心だというのに」

「清楚なやつは自分で清楚など言わん」

 

 アルヴィスはそう呟くと二、三度首を揺らして音をならす。ポキポキと小気味のいい音が路地裏に響いた。

 

「俺がお前を信用してるのは眼だ。溝底の腐ったような瞳だ。そんな瞳をしてる騎士様なんざ見たことが無いな」

 

 アルヴィスは嘲笑し、粘ついた視線を送る。

 

「一目見てわかる。お前はこちら側の人間だよ、ファフナー。アンタは溝底の蛆だ。骸を喰らうローチや鼠と変わらない」

「女の子をゴキブリ呼ばわりは酷くないかい? 私だって傷つくよ?」

「俺達は同類だ。日向は生きにくかろう。アンタがいれば王都貧民窟の根喰らいの蛇(ニーズホッグ)とて怖くない」

 

 自意識の肥大化した小物。口説き文句としては下の下。

 そもそも、拳一つで南部の木っ端な港湾都市一つ纏められない男がこれを言うのだから滑稽である。

 

 野心も上昇思考もある。なによりアルヴィスは魔術師だ。

 特権階級的な意識が根底に根付いている男だからこそ取り入った。

 

 魔術師――それは王国が誇る戦術兵器であり、一騎当千の古兵を表す。『焔剣』バーソロミュー・リンドバーグ、『金箍児』ザカライアス・ホーキンス、『首狩卿』エドワード・ウッドなど、北部戦線においてたった一人で数百人の雑兵を虐殺し、局地戦において無類の活躍を遂げた。

 

 魔術師には魔術師をぶつける。古来より伝わる戦訓がある通り、魔術の素養のない者が術師と戦うのは割りに合わないのだ。

 

 アルヴィスはどこぞの貴族の落胤だろう。

 魔術は強力であり、国家の軍事力に相当する。軍を率いて戦う貴族にとって術者の血と叡知を取り込むのは至極当然であり、魔術師は常に権力者の側にあった。

 血を取り込み、血を保存する。貴族の継承において魔力や魔術が継承に重要なのは語るまでもないことだ。

 

 近年、貴族から庶民に堕ちる者は多い。

 多くは貴族から商人となるケースや、地縁による領内統治をスムーズに進めるために地主に子を送り込むケースが主だろう。

 他には貴族の分家出身であり、一代貴族となった騎士や官僚の子がそのまま魔力を持つ庶民として出てきてしまう。これが最も多い。

 

 本来であれば貴族家でのみ教育が施され、術者として大成するのが普通であり、庶民の魔力持ちなど教育のノウハウが無いため術者となることなどあり得ない。

 

 魔術師が禁を破らない限り。

 

 尋問や戦傷による退役、失脚や不正、借金など。手っ取り早く金を手に入れるため、あるいは職に就くために裏社会に身を投じる魔術師を外法魔術師といった。

 

 アルヴィスとの別れの後、私は官舎でアルヴィスより渡された情報を精査する。

 アルヴィスが任されているのは護衛部門。裏社会トップクラスの暴力装置はあくまで鎖に繋がれた番犬程度の扱いだ。

 金策事業の麻薬部門や弾薬部門とは違う。願わくばその部門に一枚噛みたいと思っている筈だ。

 

 馬鹿な男だと思った。脳筋風情が簡単に乗っ取れる事業でも無いのに。アルヴィスは意図的に政敵になりうる男の情報をこちらに売り渡した。

 

 時に罪悪感は磨耗する。

 悪いことだと最初から理解している。けれどこれぐらいならいいだろう、これぐらいならバレはしないと高をくくり。次第にやり方が派手になる。

 ロッケンフィールドとて、最初はちょっとした小遣い稼ぎだったり、無駄にする物資を再利用してやったことだった。

 だが、それこそが不正の始まりになる。

 

 みんなやっている。地方勤務にはこれぐらい飴がないとやってられない。どうせバレない。

 次第に不正の言い訳ばかりが増えていく。仕方ないだろうと、感覚が段々と麻痺するのだ。

 

 金がいる。

 潤沢な資金がいる。

 

 成り上がるために、工作のために、弱味を握るために。

 金ほど便利な道具はない。

 

 平民出身で騎士になった人物はいる。しかし、それはあくまで騎士の中でも最低位たる小隊長クラスでしかない。

 中隊長、大隊長は貴族であることが前提である。騎士団長にいたっては個人でなく横の繋がりや血縁が左右される。貴族とは身分社会でありそれは騎士団とて変わらないのだ。

 地縁も血縁も期待できない。後ろ楯のない平民に期待することは精々使い勝手のいい部下であることだけだ。

 

 平民であることは貴族にたいしてなんらリターンを与えることが出来ない。

 だからこそ、明確なリターンを提示するだけの金を積む。それこそが最適解他ならない。

 

 いけないことだということは分かっている。

 許されないことだとも理解している。

 唾棄すべき外道であり、卑劣漢の道であり、場合によっては屍山血河を生み出すことだとも。

 

 脳裏に浮かぶのは一人の男。

 誰かの為に戦える男だ。どんな困難な道であろうとも、真っすぐ突き進むことが出来る男だ。輝かしい道を正道に歩める男だ。

 この溝底のような暗い底の中でさえ、煌めいて見えるほどに輝かしい男を知っている。

 

 彼に追いつきたかった。

 彼の隣に立ちたかった。

 彼に誇れる自分でありたかった。

 ――そして何より、彼の光を間近で見たかったから。

 

 そのために、これを成すことが必要と言うのならば……私は喜んでこの泥を飲み干そう。

 

 このときに私の中で明確な一本の道筋ができた。

 この組織その物を手に入れることができたら、それは明確な私の強味他ならないと。

 

 

 

 

 

王国暦188年 王国兵部省輜重兵総監室

 

「王国186年。王国南部に根を張る巨大な反社会組織『死に集る蛆(ドヴェルグ)』の強制捜査にて組織幹部15名と組織のボスであるユミルこと南部貴族サディアス・リッジウェイ男爵を捕縛。基地司令であるギデオン・ロッケンフィールドは異例の出世として南部方面軍副司令官に転任し、卿もこの功績を認められ騎士小隊長となり、南部方面軍輜重兵総隊の第4輜重中隊、第一輸送小隊長に転任」

「……」

「その後ギデオン・ロッケンフィールドは病気療養を理由に一年後に退役。そして、卿は『死に集る蛆(ドヴェルグ)』幹部の尋問を執り行い、一部供述の取れない人物は釈放、並びに組織幹部に至っては二年以内にすべて刑が執行されている」

 

 アーバイン総監は持っていた羊皮紙を優しく放る。

 ヒラヒラと空を舞う紙は私の足下にゆっくりと落ちる。

 

「――上手くやったもんだ」

「おっしゃる意味が分かりかねます」

 

 精一杯の虚勢。声を震わせないようにするので限界だ。

 

「最初に感じた違和感は、あまりにも整っていたことだった」

 

 アーバイン総監は手を絡めながらゆっくりと口を開いた。

 

「二年にわたる王皇戦争によって北部方面軍は多大な打撃を受けた。断絶した貴族家や戦死した貴族子息は数えきれぬ程に。教育された士官の穴を埋めるために戦功による士官を昇進させたは良いものの使い物にするためには五年程度の時間をかけて育てなければならない」

 

 至極通りである。北部戦線に送られた貴族や兵士は皆一級戦の人材だ。それが戦争による人的消耗で多くを失った。その穴を埋めるのは戦時において小隊長格であった下級騎士だ。

 

「穴埋めになったのは二級線の人材、或いは戦場でしか活躍できん猪。上が頼りなければ下が動く。下が動くと職権の乱用が始まる」

 

 斯くして、王国騎士団は腐敗の巣窟と化した。

 

「不正が最も横行しているのは輜重兵科だ。物資をちょろまかす奴、物資を売り捌く奴はまだ可愛い。酒保商人と結託して資金を横領する奴や書類その物をでっち上げて書面でしか存在しない物資を錬金する阿呆がいる。なにより恐ろしいのが――軍に麻薬を運ばせる奴がいることだ」

 

 麻薬は金になる。防疫課で密輸が見つからないやり方を見つけた。尋問で密輸のノウハウのある構成員と交渉した。今後邪魔になるであろう組織の上級構成員には死んでもらった。

 巨人(ユミル)の死体は上手く使えば此方に繁栄をもたらす。兵士という公的な立場と輜重兵科という物資の補給運搬を司る兵種はすべてが此方に有利に働いた。

 

「――素晴らしい」

「……は?」

 

 糾弾とそして拘束が待ち受けると思っていた。だが、アーバイン総監からは称賛の拍手が私に贈られた。

 

「騎士カサンドラ。卿の失敗はあまりにも上手くやり過ぎたことだ」

 

 要は、私の部隊は上手くやりすぎたのだという。一見して欠陥のない報告書、物資も常に整えられ。銀蠅で物資に不足しているということもない。

 大なり小なり腐敗している軍において私の部隊のみ、中央の騎士団も斯くやといった状況なのだ。

 

 中央からの不審を招かないための工作は逆に中央の裏の間諜機関の不審を招いたのだ。

 

「正常の中の異常は目につくが異常の中の正常というのはある意味において単なる異常よりも質が悪い」

「……それで、結局は総監は何が仰りたいので?」

 

 交渉の主導権はあちらにある。首根っこを掴まれた私に拒否権はない。

 毒殺は難しい、ギデオンを殺すのに食事に砒素を盛って殺したようにバレない暗殺というのは準備と時間がかかる。

 

「商売を辞めろとは言わん。卿を捕らえる気もない。カサンドラ。君に私の剣になって欲しいのだよ」

 

 これが私と後の王国騎士団総団長、並びに王国兵部大臣となったダグラス・レナード・アーバインとの共犯の始まりだった。

 

 

 

 

 

王国暦192年 西部方面軍駐屯騎士団本部

 

 たった四年で騎士団長位。志願兵から約11年と数えるとやはり金とコネの力の偉大さに脱帽する。

 あれよあれよという間に騎士団小隊長位に中隊長となるためにとある貴族家を金で買収。ここに法衣貴族ドノヴァン家当主カサンドラが誕生した。

 平民ではどうにもできないことも王国騎士爵であり、子爵家や宮中伯家と太いパイプを持つアーバイン総監の力をもってすればある程度の道理を力技でどうにかできる。

 権力の座という物は権力を握るモノの力をうまく操ることにあるのかもしれない。

 

 そうやってコネと派閥の力を持って着任した西部方面軍駐屯騎士団残存部隊は多くはない。兵数で言えば二千程度の数であり、その多くは西部領邦によって捕虜とされるか、西部領邦に与した。

 数年にも及ぶ麻薬漬けにより、末端要員で使い物になる兵士も少なく、まともな兵士は先の戦争でほとんどが死ぬか捕虜となった。

 

「西部の王領はほとんどが西部反乱軍によって接収済み、西部方面軍に与するのはオトリュス基地とトリトニス基地。最後に我々駐屯騎士団本隊が本部としているイオニア基地です」

「オトリュスはフィッツジェラルド公爵領内に、トリトニスは西部諸侯領の最奥グレン子爵家の領内にあります」

 

 西部領邦反乱に与する諸侯は主だったところでハーグリーブス侯爵家、クレイトン伯爵家、ヴァレンタイン伯爵家、キンバリー子爵家、グレン子爵家、ストークス男爵家などほぼすべての諸侯が与している。

 盟主にフィッツジェラルド公爵家の直系であるアルドヘルム四世を置いているが当のアルドヘルム公は六歳の少年である。当然ながら彼に軍事行動を起こせる実務能力はあり得ず、実質的な盟主はハーグリーブス侯爵家当主ウィルフレッドであることは周知の事実である。

 

「トリトニスは戦略的にとっても取らなくても大勢に影響はない。援軍も望めぬし、最悪降伏しても構わんと言っていい。第一次征伐軍が敗れて尚、王国騎士として基地を守り続けたのだ、褒めることはあれど意地を張って将兵を徒に消耗させることもあるまい。――厄介なのはオトリュスだな」

 

 西部駐屯騎士団首席幕僚であり、西部駐屯騎士団イオニア基地副司令を兼ねるアーヴィング・ドーソンは静かに頷いた。

 

「ハーグリーブス一党はフィッツジェラルド公爵を西部諸侯の神輿にしましたが、先代公爵並びに公爵嫡子の側近グループがオトリュス基地内部で保護されています。陥落ないし捕縛された場合。彼らの命はありません。戦略的にも政治的にも重要であると言わざるを得ません」

 

 フィッツジェラルド公爵家はフィオナ王国エディンバラ朝の庶流である名門貴族家である。

 先代公爵ウィリアム二世の妻は王家より臣籍降下した王女であり、公爵嫡子であるメルヴィン公子の妻は西部諸侯ヴァレンタイン伯爵家の出身である。

 ハーグリーブス侯爵家は反乱の大義名分の為に先代公爵と公子を弑し、メルヴィン公子の嫡子であるアルドヘルム四世を拉致した。王家庶流と言えどもその血には確かに王家の血が流れていることが仇になったと言える。

 

「西部諸侯からすれば知恵のついた成人貴族よりも何も知らない幼子の方が傀儡にしやすいからな」

「オトリュス基地司令フィリップ・アーサー・ドッドより援軍ないし先代公爵の次男であるアダム公子の脱出、保護を要請する旨が何度も届いております」

 

 公子を見捨てて降伏したとなれば敵味方に軟弱かつ不忠者のレッテルを貼られかねない。

 一見して忠臣にも見えるだろうが、内実は地雷の処理であることは透けて見える。

 

「ドッドには公子を最期まで守り切っての玉砕しかないからな。オトリュスは西部領邦が反乱した場合の最悪を備えて建造された堅牢な要塞だ。後々援軍を送るがしばらくはドッド司令の指揮に期待しよう」

 

 私は溝底から原石を見つけたような気分になった。腐敗した軍の中でも真っ当な人材がいたことは非常に喜ばしいことであるからだ。

 

「しかし、よろしいので? 万一陥落した場合は団長の責任問題にもなりかねませんが?」

 

 固そうな言い回しをした30半ばの坊主頭の男が意見する。

 

「リンドバーグ卿、先の鎮圧が失敗したのは西部領邦の入念な準備による成果が大きい。先の鎮圧でもオトリュスの救援の為に兵を出した結果、相手の有利な戦場で開戦となり、先の西部駐屯騎士団の離脱によって打ち崩されました。オトリュスは餌です。キャベンディッシュは誇り高い人物であり、善性の人間でした」

 

 西部方面軍司令官であるキャベンディッシュは有能とは言えないまでも決して無能ではなかった。ただ貴族にはよくある善性の人間であり、困った人を見捨てられない優しい人間だった。

 窮地に追い込まれる友軍を見捨てられる人間ではなかったのだ。だからこそ敵の罠に引っかかったと言える。

 

 反乱は単に敵国と戦うのとは違う。潜在的には今まで守って来た臣民と戦わなければならない。特に西部駐屯部隊にとっては顔見知りに剣を向けなければならない行為である。彼らの士気が上がらないのは当然であっただろう。

 

「キャベンディッシュ卿は正規騎士団や近衛出身で地方部隊での経験は無かった筈です。キャベンディッシュ卿は真正面から戦うのは得意でしたが調略や裏工作の類いは苦手でした。第一次遠征軍の敗因はそこに有ります」

 

 キャベンディッシュは南部貴族出身の貴族であり騎士としてエリートコースである中央部隊や兵部省での仕事を主としていた。

 カニンガムは名将と称えられる人物であるが後方業務に関しての手柄は聴いたことはない。戦場でしか生きられなかった不器用な男は戦術家としては強かったが戦略で前提がひっくり返された戦場ではその采配にも限界があったと言えよう。

 

「納得しました。自分のような男がドノヴァン卿の下に就くのも道理です」

 

 バーソロミュー・リンドバーグは北部戦線の英雄である。

 当時は騎士団小隊長として出陣し、決死隊として二度戦線を押し上げ、敵魔術騎士を四名を撃ち取った戦場の英雄(エースユニット)であった。

 

「リンドバーグ卿。我が軍はあくまで後方支援部隊だ。開戦でも優先的に予備に置かれるだろう。敗戦をあがなう戦いは出来ないかもしれない」

「自分はカニンガム卿に頼まれました。生きて我らの敗北を伝えよ、と。自分は無能ですが、騎士としての勤めを放棄するつもりはありません」

 

 戦争は人生を変える出来事である。良くも悪くも人間は極限の状態に置かれてからそれを自覚する。

 かつてのリンドバーグは強い男だった。騎士としての誇りと名誉を第一に考える男だった。身体から傲慢さが滲み出るような男だった。

 

「万一戦いとなれば真っ先に死んでくれ」

「自分に惜しむ名誉は有りません。この際、騎士としての人生を全うするのみです」

 

 アーバイン副総団長はカニンガムを惜しんだが、私はこの男を惜しんだ。敗北を知って地に落ちた人間だからこそ、自身の名誉より騎士としての職務を全うするために死に逃げなかった男にこそ価値があると思えた。



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少女カサンドラ

王国暦180年 王都貧民窟

 

「くくっ、馬子にも衣装だな。着飾ればそれなりに見える」

 

 欲に染まった瞳で笑いかける一人の男。

 脂でテカった黒髪に痩けた頬、薄汚れた正装を纏い、私の肩に手をかける。

 鏡に映る私は多少なりともまともな白地の布の服を着せられ、髪もこの数週間で毎日洗われたお陰かさらさらと風で靡くほどに柔らかくなり、食事も此方を肥やすためにまともな食事を出されたお陰で不健康なところは一つもない。

 

「さあ、カサンドラ。ここまで育ててやったんだ。感謝しろ」

 

 腐った世界の腐った育て親。彼こそが『子喰らい鬼』カイゼリックと呼ばれた外道だった。

 

 カイゼリックは貧民窟において子供を養育し売り捌く外道である。

 劣悪な環境下に起き、寝床を用意するのみで暴力による支配と教育によって洗脳された子供は非常に従順かつ自己が稀薄な存在として貧民窟内の人身売買組織や反政府組織などに売り捌くことを生業とする小悪党だった。

 

 私がカイゼリックに教わったのは人を壊す方法と人をいたぶる方法だ。

 カイゼリックは特に人を痛めつけながらも傷痕を残さない程度に治せる暴力の塩梅が上手かった。しかし同時に万が一子供を殺してしまった場合のリカバリーも上手かった。

 

 子供の骸はある一定の層にとっては重要な素材になるらしい。

 外法魔術師の実験材料だったり人の臓腑を使った薬を作ったり。特に子供の臓物は病気や喫煙、飲酒とはあまり馴染みが無いためか新鮮で質がいいと聞いた。

 

「よぉ、カサンドラ。元気ねぇじゃねぇか」

「レギン……」

 

 レギンとはもう五年近い付き合いになる。

 歳も近く、明るい彼は年少の子供たちの人気者で腕っぷしの強さからカイゼリックにも一目置かれている。

 この溝底の世界ではビックリするほど損な性分をしている男だった。

 

「……もしかして、また腹でも減ってるのか? ヨシッ! なんか見つけてくるぜ!!」

「違うから」

 

 そしてちょっと馬鹿だった。

 

 レギンは貧民窟の中においては異質だった。

 まず盗みをしない。スリや置き引き、ゴミ漁りなど貧民窟で浮浪児が生きていくために通る道を彼は通らない。

 彼の仕事は多岐にわたるが基本的には肉体労働の溝浚いや掃除夫をやっていたらしい。一日中働き、僅かばかりの賃金を貰う。普通なら労働の辛さに大人でも耐えきれずに身体を壊すそれをレギンはケロリとした顔でやり切る。

 おまけに底抜けの明るさは周囲から信頼と好意を得るには十分だった。

 

 太陽と言う存在を擬人化したらこの男になるのではないかと幼少の私は常々思っていた。

 

 レギンの名前はある物語の主人公から取ったらしい。誰でも知っているような竜殺しの英雄の物語、皆は名前負けだと笑うが私はそんなことはないと思う。

 彼こそ、私にとっての英雄なのだから。

 

「――じゃあなんで、お前はそんな泣きそうな顔をしてるんだ?」

 

 こいつはこういう男だ。馬鹿の癖に妙な所で鋭い。

 計算を取っ払って直感で答えを導く。そして同時にこっちの心にずかずかと土足で踏み込む。

 

「私ね、売られちゃうんだ……」

 

 私は弱かった。

 どうしようもなく弱かった。

 女だから、正しくあれないから、足を引っ張るから、――そしてこうやって誰かに縋ろうとしている。

 

 自分で自分が嫌になる。一度だけレギンの仕事についていったことがあった。

 その時はレギンの働く時間の半分で倒れ、翌日に生死の境をさまようほどの高熱をだした。

 

「……売られたくないのか?」

「きっと娼館に売られる。カイゼリックは私にずっと本を読ませてたから。それから言葉遣いも強制させられた。いつもぶたれたけど、絶対に傷痕だけは残さない殴り方だった」

 

 15になれば娼婦として働ける。うまくいけば高級娼婦として貴族の情婦になれるかも知れない。そのためにある程度の知識と礼儀を叩きこまれた。睦み合いの為にそういった本を読むように厳命させられた。

 幼い私にとって身の毛がよだつ気分だった。これから娼婦として生きて、不特定多数の男に抱かれて、上手く見初められなければ貧民窟で見るような性病にかかった売春婦としてボロボロになる。

 

 気持ち悪くて仕方がなかった。

 

「……レギンはどんな大人になりたい?」

 

 気づけばそんな質問を投げ掛けていた。

 

「私はね、真っ当な大人になりたかった……」

 

 この貧民窟とは違う。溝底から這い上がって、明るい表の世界で生きたかった。

 

「素晴らしい大人になりたかった、輝かしい人生を歩みたかった。愛されて、誰かを愛して……」

 

 (レギン)のような、強い人になりたかった。

 

 レギンは何も言わずにただ、私の背中を擦ってくれた。

 

 翌日、私は貧民窟の人身売買組織である取り換え児(チェンジリング)に引き渡されることになった。

 

「ふむ、悪くはないな」

「悪くない? 冗談言うなよ、何処見ても上玉じゃねぇか。処女で顔も悪くない。頭の回転だって悪かねぇし、何より命令には従順だ」

 

 組織の仲買人との交渉をするカイゼリックを尻目に私は上質なソファーに身体を沈ませる。

 昨日泣き腫らした目はすっかりと癒え、身体も健康そのもの。カイゼリックも問題なく出荷できると大喜びだった。

 

「髪の色が良くない。昨今の売り手は高級感のある金髪碧眼が上物だからね」

「貴種色なんて扱えるわけねぇよ! んなガキ見つけたら15まで育てられるかッ!! 何処ぞの変態に拐かされて終いだよ!」

「亜麻色も悪くはないんだがねぇ……せめて瞳の色が翠か蒼ならなぁ」

 

 苛立つカイゼリックと渋る仲買人。交渉は煮詰まりを見せる。

 

「……?」

 

 そんな交渉の中、商会の表がにわかに騒がしくなる。

 異変に気づいたのかカイゼリックと仲買人も交渉を中断して近くにいた護衛に何事かと尋ねる。

 

 瞬間、けたたましい音を響かせ見るからに重厚そうな扉が蹴破られる。

 ローブの纏った男が引き摺られ、薄汚れた麻の服に棍棒ひとつを担ぎ上げた私と同じぐらいの男の子。

 

「おっ、居たじゃねぇか!」

 

 ――レギンがそこに居た。

 

「馬鹿な、レスターはなにをやっていた……!」

 

 仲買人は愕然とし、カイゼリックは見るからに警戒の色と怒りを滲ませながらレギンを睨み付ける。

 

「おい、レギナルド。なんのつもりだ? お前は俺の商談をぶち壊す気か?」

 

 しかし、レギンはそんなことなど意に介さず、私にそっと手を差し伸べる。

 

「レギン……どうして……?」

 

 どうしてこんな馬鹿な真似をしたんだと糾弾する私に彼は口を開く。

 

「――だってお前、泣いてただろ?」

 

 レギンはケロッとした顔でなんてこと無いように告げた。

 

「――知ってるか、カサンドラ。女の子が泣いてたら、その涙を拭ってやるのが男の子の役目なんだぜ!」

 

 輝かしい人だと思った。強い人だと思った。

 なにより私はこの男を何よりも美しいと感じた。

 

 ――この糞の肥溜めの世界で、ただ彼だけが輝いて見えた。

 

「……わたし、私ッ……!」

「ふざけるんじゃねぇぞ!! ぶっ殺してやるッ!!」

 

 跳ね上げられ、宙を舞うテーブル。卓上のコップが中身の入ったまま散乱し、巨大な質量を伴ったソレがレギン目掛けて向かって来る。

 

「――助けて、レギン……ッ!」

「――嗚呼、任せろ」

 

 伸身を翻し、タイミングを合わせてレギンはテーブルを蹴り上げる。爆薬が発破したかのような強烈な破裂音を思わせる轟音が響き渡り、テーブルはまるで逆再生の様に高速で私たちとは逆の壁に突き刺さる。

 

「――ッ!!」

「悪いなカイゼリック。アンタはカサンドラを育ててくれたかもしれねぇ。けど子供を食い物にするのは許せねぇ」

「ほざけ、クソガキィ!!」

 

 武道もなにも心得の無いテレフォンパンチ。だが大の大人の全力での暴力は今までの虐待とは違い、人ひとり殺すには十分な威力がある。

 

「殴り合いかカイゼリック? 好いぜ、男の子には意地があるもんなぁ!!」

 

 カイゼリックのはなった拳はそのままレギンの顔に打ち込まれる。まったくのノーガードで普通なら気絶してもおかしくはない。だが、レギンはそれを喜んで受ける。

 同時にレギンからも拳が放たれる。槍の一撃を彷彿させる一閃はカイゼリックの胸を穿ち抜く。

 

「――俺の勝ちだ」

 

 ――たった一撃。ただそれだけでカイゼリックは沈黙した。

 

 

 

 

 

王国暦192年 西部方面軍駐屯騎士団本部

 

 遠征は順調そのものと言っていい。

 西部遠征軍総司令官であるダグラス・レナード・アーバイン騎士団副総団長はイオニア基地とオトリュス基地の中間にあるイャンドゥルマ平原での会戦に勝利。

 ハーグリーブス侯爵家重鎮たるカラム・アトキンス男爵、キンバリー子爵家当主アーノルド・グレアム・キンバリー、バックレー子爵家当主ナサニエル・バックレー、ヴァレンタイン伯爵家当主ジェローム・ヴァレンタイン並びにヴァレンタイン伯爵家家宰ニコラス・ベイカー騎士爵などが戦死し、西部諸侯軍は痛烈な被害を被った。

 斯くして遠征軍はオトリュス基地並びにフィッツジェラルド公爵領の奪還に成功した。

 

 私たち駐屯騎士団は本部をオトリュスに移し、遠征軍はアーバイン騎士爵率いる本隊と遠征軍副司令官かつ西部方面軍司令を兼ねるエルバート・コーウェン騎士爵率いる別動隊に別れ、進軍するならびとなった。

 

 我らが西部駐屯騎士団は公爵領にて軍政を行いつつ、駐屯騎士団を再編。円滑なる兵坦を進めるために遠征軍輜重兵総隊を組織し、指揮権を元駐屯騎士団首席幕僚たるアーヴィング・ドーソンに一任した。

 

「ここは、地獄か?」

 

 痩けた頬に瓶底のような眼鏡を掛けた初老の男――フィリップ・アーサー・ドッドは負傷した足を引き摺りながら呟いた。

 

 フィリップは第一次遠征軍の敗北後もオトリュス基地において反乱軍の足止めを行い、耐え続けた英雄の一人である。戦後において勲章並びに昇進が決まっている男である。

 

 戦場の慌ただしさとは別。官吏たちの戦場が其処にはあった。

 

「フィリップ・アーサー・ドッド! 何をしている! さっさと仕事に取り組め!!」

「し、仕事と言われましても……」

「悪いが立て込んでいる仕事が多い! 基地周辺の治安維持、並びに公爵領との交渉! 西部領邦反乱以前の仕事についてドッド、貴様に任せる! 今までの仕事とは変わらん筈だ! いいな」

「は、はい!」

 

 有無を言わさぬ言葉の散弾にフィリップ・アーサー・ドッドは肯定の意を伝えることしかできなかった。

 

「筆将軍の面目躍如だな」

 

 本部幕僚は窶れた顔をしながら呟いた。

 私の騎士としてのキャリアは異例ともいえる。前線勤務は王皇戦争の北部前線のみ。後は南部駐屯騎士団での捜査官。南部方面軍、並びに中央の輜重兵部隊。輜重兵総監付きとなった後に中央駐屯騎士団組織犯罪対策本部の本部長となり、騎士団総団では副総団長付きの幕僚として勤務。

 

 前線においての経験など兵士時代の頃しかなく、後は事務や治安戦での出世である。

 ついたあだ名が『筆将軍』となるのも妥当であるだろう。

 

 前線部隊ではないとは言えやるべきことは多い。駐屯騎士団としての通常業務としての治安維持活動と臣民の保護、公爵領の復興。これは私の直轄部隊とドッド率いる予備大隊を使う。

 輸送業務にはアーヴィング・ドーソンが付き、急激に治安の悪化した領内の西部諸侯残党の撃破、並びに貴族の捜索には元西部方面軍の大隊長であった第二大隊長アルテミシア・マクアルパイン卿と駐屯騎士団捜査課出身の第三大隊長ヨアン・カーライル卿による捜索活動を行う。

 本隊の遊撃部隊並びに大小さまざまな砦に籠り、西部諸侯軍から孤立した部隊の対処は地方部隊での実戦経験の豊富な対ゲリラ戦のプロである駐屯騎士団副団長ランドール・スティルウェル騎士爵と第一次遠征軍第五騎士団長であったバーソロミュー・リンドバーグ卿に火消しを任した。

 

 捕虜となった西部方面軍の騎士たちの復員や、やむ負えず西部諸侯に味方した西部方面軍離反組の調略も私並びに幕僚集団が手掛けている。

 

 最も、第一次遠征軍組織以前から寝返る旨を出していたストークス男爵家やエッジカム子爵家は兎も角、このギリギリの状況下で寝返った貴族家は取り潰す訳であるが。

 

「ドノヴァン団長、スティルウェル副団長より伝令。ホーデン山にて潜伏していたキンバリー子爵家嫡子ハロルドを発見し、これを撃滅したとのことです」

「承った。これでキンバリーの一族は悉く死んだな」

「第一次遠征軍との戦いにおいても、一門や重臣が悉く撃ち取られました。これでキンバリーの鉱脈は中央政府のものになるでしょうな」

 

 首席副官であるジャッジは線の細い色白の騎士であった。騎士の本分である武においては欠けているものの、こと後方業務に関しての知見は大したものであった。

 アーヴィングの推挙で副官として置いたが中々の人材と思える。

 

「よくやったと伝えてくれ。さて、こうなると残りはカルカか……」

「はい、厄介な場所が残りました」

 

 フィッツジェラルド公爵領第六の都市であるカルカ。人口は3000ほどの長閑な農村型都市であり、別名フィッツジェラルドの食料庫と言われる郊外の都市。

 現在この都市は西部領邦にも王国政府にも従わない独立勢力が支配していた。

 その首魁の名前は元西部駐屯騎士団カルカ基地司令レギナルド・カーチス騎士団大隊長。

 ――私の親友レギンであった。

 

 

 

 

 

王国暦181年 北部辺境伯領辺境都市ダマスクス

 

「――いいか、馬は生で食える」

 

 渾身の決め顔をした騎士は吊し上げられ血抜きされている馬を背に私たちに告げた。

 

「えぇ~生で食べちゃうのか~!!」

「生で食べちゃうのだ~! ナハハハハハッ!!」

 

 レギンのノリのいい返答に気を良くした男は馬の解体を始める。

 

「王国馬料理の歴史は東部から始まるらしい。時代にして凡そ100年前。王国拡大期にまで遡る」

 

 フィオナ王国建国から60年~80年はそれまで内政と防衛に注いでいた国力が初めて外征という外向きに注がれた時代であった。

 不倶戴天の敵である皇国や東部諸国の平定を掲げた大軍拡時代でもあり。東部貴族は主にこの時代に活躍した軍事貴族を祖とする。

 

「軍を起こすとなれば人が動く! 人が動くとなれば飯を調達せねばならん! 昔は今のように荷駄を担いだ酒保商人も少なく、魔物被害による道中の危険も多かった。百人いて無事に東部にたどり着けたのは50を切っていたというのもざらだ!」

 

 男は手際よく馬を解体し、内臓を兜にぶちこみながら小器用にナイフで皮を剥ぎ始める。

 

「はい! 問題です! 食料が足りなくなった兵士たちは何処から食料を得ると思いますか!」

「仲間の死体を食う?」

「ナハハハハハッ! それはもっと末期になってからだな! ナハハハハハッ……えっ、初手でその発想でてくるの? こわっ……」

 

 私の答えに男は引いていた。解せぬ。

 

「まっ、略奪だ。足りないものは近隣の村落から奪えばいい。村のほとんどを殺して数人を逃がす。恐怖は伝搬し、異民族が腰をあげて此方に向かう。そうなれば東部の異民族を探す手間が省けて尚且つ戦争での功績を王政府に見せ付け、爵位と領地を得ると言う寸法だ」

「えげつねぇなぁ」

「だが効率的だ。作戦の好悪を除けば問題らしい問題はない」

 

 異民族に恨まれることはあるだろうが、そもそもそんなことを気にする必要性もあるまい。

 昔のことだ。昔は法整備も甘く、非合法の奴隷制なんてのもまかり通っていた時代だ。特に王国拡大期となればそういったアングラな商売は吐いて捨てるほどいただろう。王国が衣食足りて礼節を知るのは逆境王コーネリアス四世の時代、並びに王国の天才貴族アンセルム・ドーソン侯爵の登場まで待たねばならない。

 

「戦争は糞だ! 人を殺して人を騙して人の心を摩耗させる! 喜んで戦争をおっ始める奴はどこかイカれてるんだよ! ナハハハハハッ!!」

 

 馬を粗方解体した男はぶつぶつとなにかを唱えると宙に透き通った水を出す。

 

「それは、魔術ですか?」

「ナハハハハハッ! 俺は水魔術師だからな! 便利だゾ~!」

 

 男は得意気に笑うと生み出した水を使って内臓を洗い出す。

 

「東部異民族は所謂騎馬民族だ。馬を飼うノウハウ、馬を育てるノウハウ、繁殖のノウハウ。なにより騎馬戦に特化した馬は騎馬民族たちのウン百年におよぶ品種改良の成果だ! 東部諸侯は彼らの文化を盛大に破壊したが、同時に利用できるものは利用した! 今でも東部貴族の名産と言えば軍用馬や農耕馬だ!」

「廃馬の再利用として馬食文化が発達したと?」

「そうだッ、正解!」

 

 毎年何百何千と馬を生産すればその中には軍用や農耕に適さない気性の荒い馬や何らかの障害を持つ馬。或いは年老いて働けない馬も入れば何らかの事故で安楽死せざるを得ない馬が出てくる。

 

「馬は貴重な財産だ。それは異民族も東部諸侯も変わらない価値観だ。儀式のひとつとして馬を盛大に見送る祭事や儀式、その中には馬を食し自分等の糧とすることもあったとして不思議ではなかろう!」

「なるほど、東部諸侯は昔は軍事貴族です。戦争で消費した馬を兵士たちの糧食として再利用する程度の工夫は寧ろ自然ですね」

「その通りだ! ナハハハハハッ!!」

「くしゃい……」

 

 男は私に向かってはにかむ。出来のいい生徒を誉めるように大声で笑いながら私の頭を撫でた。

 どうでもいいが今まさに一頭の馬を捌いたためか、男の手は物凄く血生臭かった。

 

「さあ、肉の前にモツだ。内蔵部位は捌いて新鮮なうちにしか食えんからな! 肝臓(レバー)からいってみろ」

「いただきます」

「いただきます」

 

 えっ、躊躇なく食うの? すごくない? と騎士の男は少々面を食らった様子を見せる。

 別に生の肉を食ったことはあるし、溝鼠を生きたまま食ったこともある。その時は腹を壊したが高熱が出て吐き気を催す程度だ。死ぬよりマシだろう。

 

「血の味がして旨いな」

「そうね、でも思ったより生臭くは無いわね」

「お前ら軍人の素質バッチリじゃねぇか。食いづらかったらこいつをかけてやるつもりだったんだがな?」

 

 そう言うと男は懐から小瓶を取り出す。

 

「つけて食ってみろ。旨すぎて飛ぶゾ~」

「うまい!」

「食べるの早くない?」

「食べたこと無い味ですね。何でしょう……癖があって、香ばしい?」

 

 刻んだ白い何かは香辛料の類い。トロッとしているのは油だろうか。鼻を通り抜ける刺激的な香辛料が強いが煎ったような香ばしさが感じられる。

 

「すりおろしたニンニクと胡麻油だ。刺身を食うならまずこれかけておけば間違いない。ニンニクはモツ類の独特な臭みを取って、胡麻油で香ばしさを付け足した」

 

 男は手元で馬肉をスライスしながらどや顔で説明する。

 

「ニンニクは滋養強壮、胡麻油には美容効果がある」

「レギン舐めとれ!! 私も舐めるぞ!!」

「なんだかよくわからねぇが、ヨシッ!!」

「やめて!! 高かったのよそれ!!」

 

 小瓶ごと吸い取ろうとした私たちの手を払い、男の騎士は息を荒くしながら小瓶を死守した。チッ。

 

「油断も隙もねぇ……てか、食いすぎると腹下すからな。ほら、肉食え肉!」

 

 そう言って男が新たに出してきたのは薄切りにした馬肉であった。

 

「うん、食いごたえあるな」

「噛むほどに甘味がありますね」

「馬は四六時中走らせるからな。脂分が少なく、筋肉質だ。赤身の美味さを感じるなら、生がいい。味付けをするなら塩を振る程度でも十分食える」

 

 そういうと男は焚火の上に盾をかざす。

 

「おいおい、それ装備だろ? 炙ってもいいのか?」

「知らないのかレギンくん。盾は鉄板に使える」

 

 そして男は盾にオリーブオイルをふりかけ、厚めに切った赤身肉を乗せる。

 肉が焼かれ、油の弾ける心地の良い音と香りが鼻孔をくすぐる。

 

「表面が焼けたら後は適当に切り分ければいい。ソースはこれを使え、マスタードソースだ。ピリリと辛い大人の味だ」

「うまいッ!!」

 

 こいついつも食うのはえーなぁ、とレギンを横目に焼き目のついたステーキを切り分ける。

 中はまだレアのそれに少しだけマスタードを付けながら口に運ぶ。

 じゅわっ…と広がる脂の甘さ。しっかりとした肉の弾力と噛み締めるほどに出てくる旨味。そしてピリッと辛いマスタードが余分な脂っぽさをさっぱりと整え、酸味がアクセントとなる。

 

「……すごい、まるで魔法だ」

「ナハハハハハッ、そいつぁ、良かった」

 

 男は飯盒を焚火の中に入れながら笑った。

 

「小隊長は料理上手なんですね。出身は南部ですか?」

 

 香辛料をふんだんに使った料理となればそれは港湾都市を抱え、商業都市を形成する南部の料理に多い印象だ。レギンはポカンとしているが、こればかりは知識の差だろう。

 

「母親が南部の商家出身だ。俺自身は中央のバルフォア出身の無爵位貴族の出身だよ」

「バルフォアって何処っすか?」

「王領南部のバルフォア公領の事だよ。臣籍降下する王族の中でも王弟だったり、第二王子とか王位継承権上位者が臣籍降下なさるときに就く大公の治める土地さ」

 

 フィオナ王国を代表する公爵位は四つ。西部公爵フィッツジェラルド公爵家。東部公爵マクアルパイン公爵家。北部公爵クィンシー公爵家。南部公爵アヴァロン公爵家。東西南北の諸侯たちの取り纏め役であり、王家たるエディンバラ朝の庶流である領地貴族最大の権威を所持する。

 しかし、これらの公爵家に対し非常任に設立される公爵家というのが存在する。それがバルフォア公爵、並びにシャムロック公爵家である。

 

「そうさ、今は王弟ランドルフ殿下がバルフォア公爵位を得て、名目上統治してるけれども。実際に動かしているのは代官や王宮から派遣された官僚貴族、地主たちだ。ウチの親父も木っ端だが官僚として勤めている」

 

 レギンの疑問に捕捉するように小隊長は答える。

 

「ですが、お母様が商人なんですか? ……言ってはなんですが、身分が違うのでは?」

「商人と言っても三代ぐらい遡ればあっちも貴族の生まれさ。家を継げない次男三男が市井に出て商人になって事業を成功させるなんて話は珍しくはないし、親父は爵位の無い貧乏騎士。貴族との縁故を欲しがる母親の実家と財力と言う目に見える力を欲した親父。どこにでもよくある政略結婚さ」

「難しい話は分からねぇ……とりあえず、この肉は旨いことは分かる」

 

 レギンはそういうと無言になり肉を頬張る。その姿はリスや鼠を思わせる様子で可愛かった。

 あざとい…あざとくない? このレギン。

 

「母方の爺は行商人でな。南部からの珍品を公領の資産家や王都の資産家に売る仕事をしていたのさ。南から中央に行って珍品を売りさばいて、中央から東に進んで武具を売り、東から北に傭兵を輸送して……。そんな風に王国中を旅する話を聞いたもんさ」

 

 昔語りをする男の顔はまるで少年のようで瞳は焚火に反射するように輝き、情熱を燃やしていた。

 

「地方の風俗史とかそういうのを聞くのも好きだった。南部貴族は東部貴族の嫁を取れ、東方諸国との商業コネクションが増えるからだ。東部貴族は北部貴族の嫁を取れ、戦争ばかりの北に帰りたくなくて勤勉に働いてくれるからだ。北部貴族は南部貴族の嫁を取るな。嫁が凍死するからだ、ってな」

「西部はないんですか?」

「西部貴族は西部貴族以外を人間と認めていないって話ならあるぞ」

 

 男は苦笑交じりに告げる。

 

「さて、そろそろいいな。最後の料理。血の腸詰だ」

 

 最後に男は飯盒を取り出すと、張った湯の中には黒ずんだ色の腸詰が浮いていた。

 

「馬の血に、小麦、塩、ハーブを混ぜ腸に詰める簡単な料理だ」

「まずそうだな!!」

「コラッ、レギン!! 素直に言うんじゃない!!」

 

 レギンの素直すぎる感想に私は窘めるが当の男本人はナハハハハハッ!! と盛大に笑い声をあげる。

 

「仕方あるまい、これも東部料理ではあるが、ゲテモノの部類なのは確かだからな!!」

「んー、さっきのレバーに似てるな」

 

 すでに一本食い始めているレギンをよそに、私も口に運ぶ。

 確かに味はレバーに近い……というより、血の味である。

 

「あまりおいしいものじゃないですね」

「だろ? だが食えないほどじゃない。戦時糧食ってのは大概味は二の次になる。不味い不味い言いながらも出されたモノをしっかり食えるってことは、そいつは素質だ。いい兵士になれる。――なにが美味かったか、何が不味かったかよく覚えていくといい。そいつはお前らの大事な糧になる」

 

 男は何処か神妙そうに、私たちに視線を送った。その瞳は穏やかで優し気な、貧民窟では見たこともない瞳だった。

 

「――よく食べて、よく知る。お前らは15歳でまだ世界の何もかもを知らない。俺だって全部知っている訳じゃない。これからいろんなことが知れるんだ。……覚えておけよ。食ったモノの味と、蓄えた知識ってのは誰にも奪えやしない。そいつだけの貴重な財産であり。そしてその財産は誰かに与えることが出来ながらも、自分の中から決して消えはしないんだ」

 

 そっと、肩に手を添えられながら男は言った。

 

 地獄と言われた北部前線であっても、私はそこが地獄とは思えなかった。その理由の一つは――この真っ当で尊敬に値する男が自分たちの上官であったからだろう。

 

「――生きて帰ろう。そして、中央の美味い料理屋を教えてやる。お前たちの人生はこれからなんだからな」

 

 これが私とレギンと――第四騎士団第一一二小隊、騎士小隊長アイザック・ドノヴァンとの出会いであった。

 

「ところで、小隊長が食べようとしてるその部位は?」

「これか? これは金タマッ! 一頭につき二個しかとれない希少部位ッ!!」

 

 やっぱり尊敬するのは早計だったかもしれない……。



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兵士カサンドラ

王国暦181年 北部戦線

 

「突撃ィ――!!」

 

 砂塵舞い、轟々と怒声と悲鳴と叫びとあらゆる音のパッチワークに彩られた混沌が鼓膜に響く。

 隣には先日まで笑いあっていた戦友の骸が無惨にも打ち捨てられ、目の前には必死の形相を浮かべる男たちが剣を構え、石を握り締める。

 

 殺意と殺意の応酬。生きるために人を殺すネジの外れた狂気の世界。それが王皇戦争の最前線。北部戦線だった。

 

「ウオオオオオォォォォ――ッ!!」

 

 その中でも特に響く声。片手には馬上槍、もう片手には王国旗をはためかせる鈍色の鎧を纏った騎士が叫びながら敵陣に突っ込む。

 

 血飛沫があがり、怒号舞う戦場で一際大きな絶叫はまるで竜の雄叫びの様。血で染まった馬上槍、土煙を払う王国旗を片手に持つそれは敵兵に恐怖を与える戦士。

 

 その勇壮なる戦士の名はアイザック・ドノヴァン。王国の末端貴族の次男であり、ただのお喋り好きのゲテモノ料理家であり、そして戦場の英雄であった……。

 

「いつも思うのですが、そんなに最前線で突撃ばかりしてると死ぬと思うんですが?」

 

 陥落させた皇国軍の陣地。土魔術師によって積み上げられた簡易的な陣地で私は目の前にいるのほほんとした上官に詰め寄る。

 

「んにゃあ、そんなこと言われてもなぁ……」

 

 お兄ちゃん困っちゃう……と気持ち悪い女のふりをした我らが小隊長を叩く。

 生理的にキモかった。仕方なかった。

 

「あなた、小隊長ですよ? しかも旗手ですよ? 死んだら駄目な人でしょ?」

「ふっ、いいかドラちゃん。騎士ってのは、いや――男と言うのは戦うときは誰よりも前で、退くときは誰よりも後ろで……!」

「貴方が退かなきゃ誰も退けませんよ。突っ込むだけ突っ込んで、相手が退くまで粘ってばかりじゃないですか!! 今まで突撃する度に陣地を陥落させてたから良いものの、少しは引き際ってのを見極めてくださいよ!」

 

 私の正論にアイザック・ドノヴァンはバツが悪そうに眼を逸らした。

 

「ハハハッ、アイザック隊長は怒られてばっかだなぁ!」

「レギン、君もだからね。いいかい? 戦場ってのは何があるか分からないんだよ。今日だって生き残れたのはそりゃ実力もそうだけど運さ。そもそもウチの部隊が決死隊として最前線で突撃なんて何度目だい? 五度目だよ、五度目。そりゃあレギンは強くて、かっこよくて、見栄えする容姿さ。今回の突撃だって小隊長のすぐそばで何があってもいいように控えてたのは素晴らしいさ。そう素晴らしい。今回陥落させた陣には通常の騎士だけじゃなく魔術師の姿もあったし、この陣地をみるに土魔術師による防御効果もそれなりにあったはずさ。それを己の身体ひとつで打ち破れるなんてそれは並み大抵のものじゃない。人間の努力だとか、効率さとか。そういったレベルの話じゃない。そう、それはつまり君はただの兵士じゃあないんだ。これはまさに英雄の所業他ならないと言えるんだよ。話を戻すけれど、この隊はいついかなる時も戦争の最前線で相手の中核戦力、或いは敵の要地を奪うために編成させられた決死隊と言えるんだ。この部隊にいる全員が英雄? 確かにそういうことをいう者もいるだろうけれどそんなものはレギン、君と比べれば――」

「……あの女(カサンドラ)お前(レギン)のことになると早口になるの気持ち悪いよな」

「ハハッ、何言ってるかわかんねーや」

 

 まったくしょうがない。本当にしょうがない。

 

 戦場は膠着状態になり、先ほどまでの喧噪とは真逆の穏やかな様子を示している。しかし、そんな状況も足元や周囲を見ればすぐに現実に引き戻される。

 なにせ敵味方の骸があちこちに散乱しているのだ。見ようによっては宝の山ともいえるのは私が貧民窟の出身だからとも言えよう。こいつらの纏っている軽装の鎧やら武具を売ればそれなりの金になるだろう。

 

「敵魔術騎士二名。皇国騎士を六名か。十分な成果だな、欲を言えば敵の指揮官を仕留めたかったが……」

「んにゃあ、それは厳しいっすよ。ウチの部隊なんてほとんどが身寄りのない天涯孤独や孤児上がりっすよ。戦争初期みたいに練度や士気も豊富だった頃とは違うんです」

 

 人が死ねば、その分の補填を出来得るだけ遺族に与えねばならない。戦争と言うのは多大な消費行為であり、儲かるのは実際に戦わずに物資を売りつける商人どもである。

 決死隊とは文字通り人員の消耗度外視で戦う壊滅を前提とした部隊である。戦争において真っ先に死地に向かい、死に行進していくのが我々だ。

 

 私のような貧民窟出身の志願兵が容易に兵士になれたのは身寄りが居らず、死んだ場合の遺族の保険金を支払わずに済むからだというのが第一の理由だろう。

 

 王皇戦争の理由は皇国領内で皇国兵士が王国が使う矢で亡くなっていたというのが開戦の理由だった。言ってしまえば難癖であり、皇国の謀略である可能性が高いが大義名分というものは得てしてでっちあげるものであるとアイザックは言っていた。

 最も皇国が王国に戦争を吹っ掛けるのは寒冷地である皇国は肥沃である王国の土地を狙っているということ。五十年近く前に占領していた北部辺境領の再征服活動という過去の栄光に囚われてのことだとも言っている。

 

「だがなぁ、上は信じんぞ。敵魔術騎士二名をそこの兵卒が殺したなどと……」

 

 アイザックの上官。第四騎士団第一一中隊の中隊長バーソロミュー・リンドバーグ卿は訝し気に敵魔術騎士を討ち取ったレギンを見る。

 

「ですが考えて見てくださいよ中隊長。この俺が、敵の魔術師を殺せたと本当に思うんですか? 俺これでも王立学院で133席だった男っすよ」

 

 自信をもっていうことではないかもしれないが、アイザックの言葉はある意味では正鵠を得ている。

 アイザックは決して一級線の人材ではない。王立学院では中の下の成績。騎士としては一級半程度であり、優秀な人材はこの北部で土に還ったか、兵部省で事務作業をしているかどうかというものだ。

 

「だがお前は貴族で多少なりとも水魔術が使える。上が信用するのは貴族であり、貴公だ。正直は美徳であるが、上は下に媚びている卑しい男だとか部下の功績を自分の功績にしないことにメリットがないという理由で貴公を怪しむぞ」

「そいつら性格ひねくれてるんじゃないんですか?」

 

 リンドバーグはため息を吐く。

 

「今の言葉は聞かなかったことにする。上層部は貴公ら『狂奔小隊』の活躍に期待しているのだ。消耗率も低く、何より確実に成果を挙げる卿らをな。自分も戦友として卿らの活躍ぶりには誇りに思っている。……ドノヴァン。卿は情に厚く、部下をよく統率し信頼も厚い。騎士として立派であるが、騎士であるならばこそ、部下とは関わりすぎるな……彼らは我々とは違うのだから」

 

 この時、リンドバーグは何をもって、私たちと自分らは違うと言ったのか。

 生まれか、育ちか、それとも立場か……兵士である私たちが消耗品であるかのように言うその態度が少しだけムカついたのは確かだった。

 

「俺は人間です」

「……」

「彼らも人間です。――羊皮紙に書かれた、ただの数じゃあないんですよ」

「……そうか」

 

 リンドバーグは何も言わなかった。呆れたのか、それとも敢えて何も言わなかったのか。

 その答えは彼の心中にしかないが、アイザックの中隊への報告は終わったと言える。

 

「腹減ったなぁ、飯食うか!」

 

 いつも通りの日々だった。

 いつも通り出撃して、いつも通り人を殺して、いつも通り死んだ戦友を弔って、そして最後にいつも通りに飯を食う。

 心地の良い地獄だった。

 

 人間は慣れるものだ。

 人を殺すことに、殺意をぶつけられることに、激戦区を走り回ることにも不思議と慣れてしまう。

 

 そして人間は慣れてしまう時が一番大きな失敗をするときなのだ。

 

 その日はいつもより慌ただしかった。時刻は夜明け前の三時頃だった。

 パチパチと篝火にくべられた薪が鳴る真っ暗な夜の帳の中。一際大きな天幕を潜り抜ける。

 

「第一一二小隊隊長アイザック・ドノヴァンです」

 

 ずらりと並ぶのはアイザックが属する第四騎士団第一一中隊所属の面々。

 

「よし、全員揃ったな。火急の用件故に手短に話す」

 

 鋭い目付きをしたバーソロミュー・リンドバーグ中隊長はアイザックとその従卒としてついてきた私を一瞥すると卓上に広げられた地図を指しながら説明する。

 

「本日2時頃、トラキア基地が陥落した」

 

 北部戦線における戦いの主戦場は二つに分けられる。

 北部辺境伯領であるゴーア辺境伯があるダマスクス地方であり、もうひとつは山間地帯を抜け、北部平原の最前線であり、防衛の要衝を兼ねるアルバトロス要塞だ。

 

 ダマスクス地方には北部諸侯連合軍、第七騎士団、第一騎士団、騎士団総団本部があり、アルバトロス要塞周辺には北部方面軍司令部。駐屯騎士団、第四騎士団、第六騎士団が要衝を固める。

 

 平野部での開戦の多いダマスクス地方に比べ、アルバトロス要塞周辺は山間地帯であり、どうしても大軍での会戦より少数精鋭の散兵戦術や要塞戦がメインだ。

 

 アルバトロス要塞には北部方面軍司令ケヴィン・オーガスタス・サリヴァンが詰め。アルバトロス付近を固める前線基地であるトラキアには第四騎士団団長ジェームズ・ウィンストン・レイが最前線のファルカシュ基地には第六騎士団団長アーネスト・カークライトが詰めて遊撃の独立部隊が山間部での小競り合いを繰り返している。

 

「トラキアが陥落したのですか!?」

 

 信じられないといった様子で小太りで若手そうな小隊長――第一一三小隊隊長マイケル・ブラッドジョーが目を見開く。

 

「陥落と言うよりも放棄が正しい。詳細は知らんが確かなのは最前線ファルカシュと本隊が詰めるアルバトロス要塞の中継地であるトラキアが使い物にならなくなったのが問題だ」

 

 トラキア基地は前線基地ということもあったが何より重要なのはアルバトロス要塞とファルカシュ基地を結ぶ中継地であったことだ。情報や補給、援軍などトラキアが陥落したことでファルカシュとアルバトロスとの連絡が断絶した。

 このまま手をこまねいていれば最前線であるファルカシュ基地が陥落しかねない。

 

「レイ騎士団長の消息は不明。我ら第一一中隊は孤立している」

「第一大隊との連絡は?」

「第一大隊のアーバイン大隊長は無事だ。レイ騎士団長との連絡が途絶え、副騎士団長との連絡が付かない現状、我らの最先任指揮官は大隊長だ。彼の命令に従う」

 

 年老いた老小隊長――一一四小隊隊長アベルの指摘にリンドバーグは答える。大隊長との連絡がついているという僅かな希望に小隊長たちの顔はにわかに明るみを帯びた。

 

「基地の奪還は?」

「中隊兵力は現状200名前後。第一大隊との合流がまだな現状、小官は無謀な戦いを強いるほど人でなしではない」

 

 浅黒い肌の小隊長――第一一一小隊隊長トラヴィス・ペラムの好戦的な言い分は却下される。軍を率いる以上、乾坤一擲より安定と確実さこそが第一である。用兵の教科書通りといった保守的なリンドバーグに部下を死地に向かわせるほどの勇敢さはなかった。

 

「アルディージャまで退き、第一大隊との合流を図る」

 

 トラキアとファルカシュの間にあるアルディージャ山。第一一中隊は第四騎士団第一大隊との合流を目指し、行動を始めた。

 

 迅速な行動が功を奏したのか、第一一中隊は落伍者なく、合流地点に辿り着いた。

 空が白み始め、太陽が顔を出す。一昼夜休むことない行軍は部隊にとって多大な疲労であるが、死ぬよりかマシ。その一心だったのだろう。座り込んだまま眠る兵士たちがあちこちに見受けられた。

 

「これからどーなるんだろうなぁ」

 

 どうにも張り詰めた緊張感の中、能天気そうなレギンの発言ほど有り難いことはない。

 

「順当に考えればファルカシュかアルバトロスまで退くことになるだろうね。距離を踏まえるならファルカシュが妥当だが、安全や補給を考えるならアルバトロスまで行けたら最善だろう」

「行きはよいよい、帰りは怖いって奴だな。ナハハハハハッ!」

 

 耳に響くアイザックの高笑いは、微睡みの中にいた兵士達の意識を覚醒させ、鬱陶しそうに無言で反抗的な視線を送った。

 

「第一大隊の大隊長は切れ者で有名だが、如何せん実戦経験は薄い。功を焦るほど能無しじゃ無いだろうし、勝算の薄い戦いを強いる人間じゃあ無い筈だ」

「大隊長は安全策を取ると?」

「俺みてぇな人間は戦場で功績を積まなきゃ出世出来んような出来損ないだ。出世できる人間ってのは戦争なんて行かなくても出世出来るやつさ。アーバイン大隊長や連絡のとれんベイズ副団長はそういう手合いで俺やリンドバーグ中隊長は命かけなきゃ出世もままならん武辺者よ」

 

 アイザックは自分を揶揄するようにそう言った。

 

「あのクインシー・ベイズを比較に出すなら誰だって出来損ないでしょう。正直、連絡がとれない時点であの人の生死は絶望的です」

「……そうだな。民兵は兎も角、士官たちの士気は正直低い。俺たちが常に情報のアドバンテージを取れてたのは副団長の力あってのことだ」

 

 第四騎士団副団長クインシー・ベイズと言えば、魔術騎士出身の騎士であるが、彼が持つ魔法は希少属性に位置する音魔法だった。

 魔術の世界で尊ばれるのは基礎四属性と言われる火、風、水、土であり、それらに属さない、或いは複合型である属性は希少属性と言われる。

 基礎四属性が有利な理由は単純にその属性を持つものが多いこと。各属性の教育ノウハウや扱い、研究が進んでることがあげられる。

 対して希少属性はそういったノウハウが有ることは希であり、同時に属性が同じであれば代替え可能な四属性と比べオンリーワンであるため自分の属性の研究はあくまで自分自身にしか作用されない。当然、自分が死ねば次に自分と同じ属性を持つものが生まれるかは未定になる。その間に研究成果が失伝することなどざらである。

 

 クインシー・ベイズは音魔法から戦場を変えるほどの大発明とされる風魔法『通信』を発明、汎用化(デチューン)させた天才だった。

 各戦域の情報の取り纏めを必須とする幕僚職の誕生や、散兵戦術や緻密な連携を可能とし、戦術の常識を変えたとまで言われる。

 

 本来であるならば、このような戦場に来るべきではないのだ。騎士団としても後方で魔術研究をしてもらった方がよほど国益に適う存在と言える。

 

「言っちゃあ悪いが、レイ団長やアーバイン大隊長の代わりになれる人間は居るだろうさ。けどベイズ副団長の代わりになれる人材はいない。……これから彼の代わりになれる人材を作れる筈だった」

 

 人間は誰かの代わりになれないと言うこともある。だが、国家にとっては違う。軍、官僚、国王。彼らは代替え可能な存在でなければならない。ただ一人の優秀な人間で、天才で、替えが聞かない存在を容認して。その存在が欠け落ちた瞬間に滅びるような組織はあってはならないのだ。

 

「アンメルツ・ドーソンでしたっけ?」

「アンセルム・ドーソンだよ。『組織論』ってやつさ。学院じゃあ必読されるほどの名著らしいぜ? もっとも俺、そんなに内容覚えてねぇけどな!」

 

 豪快にアイザックは笑う。

 王国の天才アンセルム・ドーソン侯爵の名著『組織論』は王立学院において教科書に準じ、王国改革派の聖書(バイブル)として名高い。

 

「アイザックって勉強しろっていう割りにはあんまりそういうの得意じゃねぇんだな」

「ナハハハハハッ!! いやぁ、だって俺。学院ってのはうめぇ飯食うところだとしか思ってなかったからな!」

 

 アイザックは舌を出しておどける。

 貴族と言うのはもっと傲慢だったり、びっくりするほど優秀だったりと思っていたが。基本的にアイザックにはそう言ったイメージは通用しない。どちらかというと民兵の視点に近いものを感じさせる男だった。

 

「ただ、まあ。通ってた時は面倒としか思ってなかったが、これが卒業するともっと勉強すりゃ良かったなぁって思うときがよくあるんだ」

 

 しみじみとアイザックは憂う様に語り出す。

 

「もっと上手くやれたんじゃないか。もっとどうにか出来たんじゃないかって。部下を失う度に、いつもいつも後悔する。自分の無能さが、浅学非才に腹が立つ」

 

 軍という組織は替えが聞く。末端である兵士ほど替えの聞く存在は無いだろう。

 今まで死んだ兵士の数は数知れず。補充した傍からどんどん死んでいく。私たちが古参の兵士として扱われる時点でその悲惨さは見てとれると言えるだろう。

 

「まあ、最も勉強したところでそれが上手くいく試しがあるかどうかは知らねぇけどな!!」

「おい」

「いやぁ、だって俺、考えちまうより体が勝手にうごいちまう手合いでよぉ……」

 

 台無しだよ、いろんな意味で台無しだよ。

 

「戦争を体験して解った。俺ぁ……騎士にはとんと向かねぇってな」

「いやいや、アイザックはいい隊長だぜ?」

 

 自嘲するアイザックにレギンはフォローをする。

 正直なところを言えば私も同感だった。貧民窟育ちの私たちに対する偏見もなく、部隊の隊員に対する心配りに篤い仁義を備えた武人である彼を騎士に向いていないと誰が言えよう。

 それでも彼は静かに首を横に振る。

 

「俺はせいぜい小隊長か出来ても中隊長ぐらいの人間に過ぎんさ。大隊長となれば暴力よりも頭のキレや長期的な計画能力、何より部下がどれだけ死のうが冷静に作戦を遂行させ、感情と合理性を切り分けなきゃならん。――俺にはそれができん」

「えーっと……」

「要は、偉くなったら騎士は戦場に行くことは稀になるって話だ。部隊運用・教育・作戦立案・治安維持・軍内政治に外局との交渉。そんなもんじゃねぇかな」

 

 兵士の仕事は敵を殺すことだ。だからその上官である騎士の仕事もそう変わらない。

 そんな風に思っていた私にとって当時のアイザックの言葉は難解であり受け入れがたいものであったことは確かだ。

 

「隊長は学院に通っているときに決死隊になることを予測してましたか?」

「無いな。精々駐屯騎士の警邏にでもなるのかと思ってたな」

「ですが隊長は立派に小隊の任を勤めています。なんでもやってみなければわからないのでは?」

 

 驚くほど、すらりと出てきた。無意識のことであったが今思えば生来私と言う人間は人間の機微を察して状況に応じた媚びを売ることが得意だったのだろう。流石は一時期、淫売として売られかけた女だと言える。

 

「いやでも、俺そんなに成績よくねぇしなぁ……」

「俺も馬鹿だからよくわかんねぇけどよぉ。アイザックの口ぶりだと騎士の中の騎士ってのは戦場を知らないまま出世するんだろ? 俺は上官を選ぶならそんな奴よりも俺たちと同じ景色を見てくれるアイザックに上官になってもらいたいぜ?」

 

 困り顔で頭を掻くアイザックにレギンは自分なりの言葉をかける。

 

「アイザックは甘いけど、人間なんだ。甘くたっていいじゃないか。辛く、厳しく、哀しいことだけが全部じゃない」

 

 レギンは強い。けれど決して人間の弱さを否定しない。

 

「辛いだけより、厳しいだけより。優しい世界があったっていいじゃんか」

 

 レギンは心の底から屈託の無い笑顔を見せる。

 

「……なんか、ダセェな俺。部下に、しかも年下に諭されるなんて」

「良いじゃないですか、不恰好。完璧であるよりも親近感がありますから」

「高値の花より、食える雑草だな。俺もそっちが好きだ」

「なるほど、おめぇら例えの天才だよ。ナハハッ!」

 

 私たちはそうやって束の間の談笑を楽しむ

 

「それに私は隊長には出世してほしいです。貴方に寄生して甘い蜜を吸いたいですから」

「いや、ひでーなぁおい!!」

 

 アイザックは腹を抱えて笑う。レギンもそして私もきっと笑ってた。

 

 数日後、第一一中隊。並びに第一一二小隊はアルディージャ撤退戦において半壊。

 第一一二小隊隊長アイザック・ドノヴァンは還らぬ人となった。



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麻薬王カサンドラ・ドノヴァン

王国暦192年 西部農業都市カルカ

 

 レギナルド・カーチス。年齢26歳、15歳で志願兵として王皇戦争の最前線である北部前線に兵士として戦地に赴く。

 戦時中に第一一二小隊隊長の戦死により第一一二小隊小隊長代理として戦時任官。

 魔術師12名、皇国騎士大隊長六名、皇国軍総大将エゼルバート・タウンゼント伯爵を討ち取る功績を残し、『魔術師殺し(メイジキラー)』『戦場の半神(エインヘリャル)』として異名を残す。

 その圧倒的戦果により王皇戦争の和睦後、北部皇国残党軍の残党狩りの為留任し、北部方面軍二二一小隊の小隊長となる。

 その後東部方面軍にて小隊長としてカフ族の反乱や、南部海洋艦隊との合同作戦として海賊島の鎮圧など王国の諸問題に対する火消し屋として活躍する。

 これらの功績により騎士中隊長位を得て貴族家として陞爵。一代貴族カーチス家の当主となる。その後中央駐屯騎士団にて組織犯罪対策本部に異動。本部長カサンドラ・ドノヴァンの指揮の下、王都貧民窟の強制摘発により王国の反社会組織の徹底排除を行い、国際指名手配犯である『共和制信者』ロデリック・ハート。『殺人義賊』アマディオ・ロージングレイヴ。『千枚舌』のマルコムを捕縛するなど活躍する。

 捜査本部解散後、王国大隊長位を得て、西部方面軍第四大隊の大隊長となるが西部領邦と王国政府との和睦論者として疎まれカルカ基地に左遷される。

 

「ドノヴァン団長とは真逆ですね。後方でなく前線勤務、実働部隊での功績によって昇進しています」

「レギン――レギナルド・カーチスは強い。それは戦術家としての強さでもなく統率者としての強さではない。圧倒的な武での強さだ」

 

 ただの人間。それも魔力を持たない平民が魔術騎士を殺すことは不意打ちの暗殺者を除けば例はない。

 たった15の少年が12名の魔術騎士を殺害したのはそれほどまでに異常であり、彼が英雄足る証ともいえる。

 

「時にセオ君、レヴァインの英傑軍(アルゴノーツ)は知っているかな?」

「勿論、王国最大にして最強の敵ですからな」

 

 今より70年以上も昔、堅忍王フレデリック二世の時代に現れた皇国最大にして最強と言われた大将軍ビヴァリー・レヴァイン。

 王国では尊敬と畏怖を込めて『王国最大にして最強の敵』と呼ばれる大陸屈指の英雄である。

 

「北部貴族を壊滅させ、史上初めて王都カムロドゥノンを包囲した男はレヴァインしかおらず、その旗下に集った英傑も綺羅星の如く優れた才覚を持つ英雄だった」

 

 後に皇国三大将軍に数えられる『再征服者(レ・コンキスタ)』ショーン・ザヴィアー、『屍体製造機』アルヴィン・グラノフたちを筆頭に『千里騎行(カバルガータ)』カナリア・オルブライトや『烈将』フランクリン・フレイザーなど後の皇国を代表する名将知将を抱え、そしてそれらを使いこなして居た大人物であった。

 

「優秀な人間は癖が強い。優秀な人間が発言するときは常に自分にとっての最善が部隊、引いては全体にとっての最善と思いがちだ。ショーン・ザヴィアーはレヴァイン死後に南部総督となった後は独断専行を重ねた。カナリア・オルブライトは優秀な女戦士であり過ぎたせいで部下を疲弊させて敗北した。当時レヴァインの副将として活躍したヘンリー・リー・タウンゼントはレヴァインが英傑軍の指揮権を奪われた結果、この癖のある部下を統率出来なくなって敗北した」

 

 結果を見るにレヴァインほど他者との関係に気を配った将軍は居らず、部隊間の摩擦を最小限に収めさせる天才であったと言える。

 

「騎士団長に求められるのは強さでも鋭利さでもない。コミュニケーション能力が一番大事と言うわけだ、セオフィラス・ジャッジ。君は頭がよくて他人を見下すことが多々ある。副官や幕僚としては良いかも知れないが指揮官は今のままじゃあ勤まらないね」

「……心に留めておきましょう」

 

 副官のジャッジは何処と無く不満げに返す。

 

 貴族出身の士官にはよくある特徴である。

 ごく自然に傲慢であり、自然に他人を見下す。反面育ちが良く、素直で礼儀を心得ているが、振り切れるほどの狂暴性や殺意、外道のような非人道的な作戦には疎い。

 基本的に甘く優しく、好意で返せば好意で帰ってくる。部下としては扱いやすく、上司にするには頑固で先例に囚われがちで柔軟性に欠ける。良くも悪くも教科書通りの人間になりがちであり、騎士団内部の中隊長や大隊長の多くはこういった人間か、柔軟過ぎて不正に走るかのどちらかと言えよう。

 アーヴィング・ドーソンのように堅物さを貫き通せばそれも一種の武器になるだろうが、ああいう男が量産されればそれはそれで軍としては不適格だろう。

 

「例外があるのならばそれは余程頭が切れるか、余程の武威を持つかのどちらかしかない。前者はショーン・ザヴィアー。後者は今から会うレギナルド・カーチス他ならない」

 

 皇国の『万人敵』ジョシュア・キース。『シャムロック六聖将』が一人、初代北部辺境伯アドルフ・ゴーア。新月の吸血鬼アンナ。彼らとて真正面からの殺しあいではレギンには勝てない。

 彼はそれほどの男なのだから。

 

 カルカは見渡す限りの青々とした小麦畑が広がる農耕都市である。必然的に都市の実力者は農地一帯を治める地主たちになる。

 

 クラーク家、ファーマー家、ガードナー家、ブラウン家。

 

 カルカ一帯の大地主であり、公爵家より無爵位であるもの、当主は末席であるが貴族を兼ねる陪臣であった。

 

 カルカに立て籠るレギンたちの一党との交渉はカルカ基地でなく、カルカの地主の一人であるファーマー家の屋敷で執り行われることであった。

 

「久しぶりだな、レギン!」

「……あぁ、そうだな」

 

 およそ190は有るかと見える長身に精悍な面構え。黒い短髪に吸い込まれるような翠の瞳。

 この世に美という言葉を存在として表すならばそれはレギナルド・カーチスその物であるといっても過言ではない。

 

「少し、浮かない顔だね。まあ、それも仕方ないか。でも安心してほしい。私の力をもってすれば多少降格するかもしれないが騎士としての復帰だって夢じゃない」

 

 レギンの立場はかなり厳しいものである。

 西部方面軍駐屯騎士団カルカ基地司令であったレギンは公爵領に駐屯していたことを踏まえ、公爵家との関わりが深かった。

 フィッツジェラルド公襲撃事件の際、紛いなりにもアダム公子が逃げ延びたのはレギンの力あってのことだったのは記憶に新しい。

 

 功罪は確かにある。だが、誤魔化せない範囲ではない。

 あのアーバインに借りを作るのは気が進まないが、すでに派閥としてはきっちり組み込まれている身であるのだ。大したデメリットにはならない。

 

 レギンの力はこれからの未来に必要なのだから。

 

「大丈夫だレギン。私がきっと君を助けて見せる」

 

 かつて君が私を救ってくれたように。彼を助けるのだと。愚かな私はそんな風に勘違いをしていた。

 

「――悪いが、俺は騎士団に戻るつもりは無い」

「ははッ、騎士として大隊長に先になったのはレギンだけど。この失敗は痛いね。もしかしたら私のほうが正式に騎士団長になりそうだ」

「……カサンドラ、俺は騎士団を抜ける」

「今回の内乱で諸侯領のほとんどが空く分ポストも増える手筈になるだろうね。西部諸侯が補ってきた軍権に統治権も中央政府の大鉈が振るわれる筈だ」

「カサンドラ。話を聞いてくれ」

 

 空耳だ。疲れてるんだ。仕事が溜まってたから、こうしてレギンと会うのも久し振りなぐらいに働いてたから。

 だからそんな風に勘違いしたんだろう。そうに違いない。

 

「多少後ろ暗い奴でも使わざるを得ない。西部諸侯には詰め腹を切らせる必要があるけど、兵士は別だ。おそらくそのまま駐屯部隊に編入されるだろうね。内乱である程度の騎士たちの階級を上げなければならないし、新人たちを指導するのは大変な困難になる。経験豊富で実績のある大隊長格の人間になればそれは重宝される筈だよ。うん、そうだ。そのときは力を貸してほしい。私はわりと主流派から使える女だと言われてるようでね。信頼できる部下はできるだけ側で支えてほしいんだ! レギン、君のことだよ! あははッ、君をこうやって口説くのってなんだか気恥ずかしいけれど。紛れもない私の本心さ。ポストもそれなりのが提示されるはずさ。むしろ私ぐらいなら上に掛け合えば花形部署の役職をくれるかもしれない。さすがに方面軍司令官職は無理だろうけど……うん、正規騎士団なら任命してくれるはずさ。どの騎士団がいいかな? やっぱりよくも悪くも思い出深い第四騎士団なら――」

「――カサンドラ、俺たちはここでお別れだ」

「……?」

 

 なんで? なんでそんなことを言うのだろう。

 脳が理解を拒む。耳が彼の言葉を拒む。視界には苦渋の顔を浮かべる彼の表情があることを拒む。

 

「俺は、騎士団の正義に納得できない」

「レギン、騎士団は正義だよ。だって勝ってる」

 

 歴史とは常に勝者が作り上げるものだ。

 虚飾に彩られていようが、都合のいい文字の羅列であろうが、勝者だけが大義と言うものを押し通すことができる。

 

「カサンドラ、俺は正しくありたいんだ」

「だったら騎士団にいるといい。それが正しい選択だ」

「カサンドラ、俺は真っ当でありたいんだ」

「騎士は真っ当な仕事だ。国に認められた素晴らしい職務だとも」

「カサンドラ、俺は俺自身に胸を張りたいんだ」

「張ったらいいさ、でもそれは騎士を辞めなきゃできないことなのか?」

「――そうだ、そうしなければ俺は俺を裏切ることになる」

 

 わからない。私はレギンの言っていることが何一つとして理解できなかった。

 

「俺は、この国が正しいとは思えない」

「危険な考えだ」

 

 共和論者にでもたぶらかされたかの様な言葉をレギンは紡ぐ。

 

「笑ってくれカサンドラ。俺は、毎日こつこつと自分に胸を張って生きれば。それだけで世界は少しずつ変われると思ってたんだ」

 

 だったらそうしたらいいじゃないか。それがレギンだろう。誰よりも直向きで誰よりも優しくて、誰よりも暖かい。太陽のような君は騎士としてまさに象徴的であるのだから。

 

「変わってるさ。世界は少しずついい方向に変わっている」

「変わってないさ。少なくとも世界はなにも変わっていない」

 

 君は美しいままで有るべきだ。

 君は輝かしいままで有るべきだ。

 君は君のままで有るべきだ。

 

「アイザックの言葉を覚えているか? あの人は俺たちに世界を知れと言った」

「ああ、そうだね。いろんなことを知って、食べて。世界を見るべきだといったね」

「当時の俺たちは何も知らなかった。貧民窟の無知でどこにでもいるような餓鬼でしかない。どうしてこんな戦争が起こったのか、どうしたら止めることが出来るのか、どうしたら終わらせることが出来るのかなんてなにもわからなかった」

 

 私たちは無知であった。世界の広さを知らない。この大きな世界で戦うにはどうすればよいのかすらわからないほどに。

 

「カサンドラ。俺はな、ずっと不満だった。どうしてみんなバタバタ死んでいくのか。どうしてみんな腹を空かせなきゃならないのか。あの狭く薄暗い世界と表の煌びやかな世界の何が違うのかって。カサンドラ、俺はみんなが腹いっぱいとまでは言わねぇ――ただ、飢えることのない易しい世界が欲しい」

 

 その手はいつも暖かかった。彼の言葉は何時だって希望と慈愛に溢れていた。

 そしてそんな世界を君と一緒に見たいと思った。

 

「――人間が人間として暮らせる世界に。真っ当な人間が真っ当に評価される世界に。そんな理想に向かって俺は走り続けてきた」

「うん、知ってる。私もそんな世界に生きたいって思ったから」

「……じゃあなんで、お前はなにも知らないような振りをし続けているんだ?」

 

 鋭い視線が刺すように私を見つめる。宝石のような翠眼には不信の色があった。

 

「ジョセフ・ヒューム。ジャネット・アドラム。フランクリン・カーライル。パーシヴァル・ゲイツ。覚えているか?」

 

 レギンが述べた名前には聞き覚えがあった。

 

「駐屯騎士団時代の部下だったかな」

「ヒュームとアドラムはそうだった。あの貧民窟の摘発で殉職した俺たちの同僚だ。カーライルとゲイツはな、『根喰らいの蛇(ニーズホッグ)』を独自調査してた連中だよ」

「彼らがどうかしたのかい?」

「不思議だったんだ。どうして捜査本部はあんな中途半端な時期で解散したのか。たしかに国際指名手配犯や非合法な人身売買組織に麻薬密売組織の摘発は成功したさ。なにより……」

「――あのまま続けていれば『根喰らいの蛇(ニーズホッグ)』を潰せた、と?」

 

 レギンは首肯する。

 

「たしかにその可能性は有るかもしれない。だが、今となっては仮定の話じゃないか」

「俺は違うと思う。潰せなかったんじゃない。潰さない理由があったんだと思う。なあ、カサンドラ。お前気付いてるんだろ。『根喰らいの蛇(ニーズホッグ)』は国の中枢に食い込んでいるって」

「……」

「俺が気付けたんだ。お前が気付かねぇ筈がない。いや、むしろ騎士をの中枢にいるお前のほうが知っているはずなんだ。知っていて、見ない振りをしてるんじゃないのか?」

 

 違うよレギン。それは違う。

 

「俺が西部の駐屯騎士団に飛ばされた後、西部駐屯騎士団は末端部隊から徐々に麻薬漬けにされていった。駐屯騎士団が機能不全に陥るのは時間の問題だった」

 

 レギン。私は気付いてない振りをしていたんじゃない。

 

「その後に中央政府と西部貴族が険悪になった。最初は諸侯の阿呆がやってるのかと思ったがそうじゃない。薬物の流れは南部商人や中央から派遣される輜重兵部隊から流されていた」

 

 そして、見ない振りをしていた訳じゃない。

 

「先代の輜重兵総監はダグラス・レナード・アーバイン。お前の上官だ。おそらく『根喰らいの蛇(ニーズホッグ)』は騎士団の主流派と結託している」

 

 なにせ――麻薬(ソレ)を流したのは私自身で、領民を麻薬漬けにしたのは私の意思だから。

 

「間違った方法で国を変えて、そんなことに意味なんてあるのか?」

「――フフッ、レギン落ち着きなよ。ねぇレギン。君は正気じゃない。きっと疲れてるんだ」

 

 だからそんなことを言わないでほしい。

 お願いだから。お願いだから……。

 

「俺はここに、カルカ自由騎士同盟の発足を宣言するつもりだ。混乱する西部に自警組織を誕生させ、この地の麻薬を撲滅する。そのために俺たちは騎士団を除隊する」

 

 ──私を置いて行かないで。

 

 愚かな女だ。カサンドラ・ドノヴァン。

 策士策に溺れるとはまさにこのことと言えよう。

 

「終わらせたいんだ、悲劇を。ただ苦しみの中にいる人たちを助けたいんだ」

 

 誰よりも近くにいた筈の彼が、どうしてこれ程までに遠くにいるのだろうか。

 

 

 

 

 

王国暦186年 王国南部海洋沖

 

 ──サディアス・リッジウェイという男がいた。

 彼は王国南部領主貴族リッジウェイ伯爵家の分家であるエイムズ=リッジウェイ家の嫡子として誕生。本家であるリッジウェイ伯爵家の従属貴族として港湾の管理や整備、海商との折衝など外交的役割を持つ家中随一の実力者であり一門衆であった。

 家格で言えば一門筆頭に準じ、家政の中枢に食い込む宿老格といえよう。

 

 そも、リッジウェイ伯爵家とはなにか。貴族の家祖は主に領地の地主や豪族、あるいは王家の庶流や中央貴族の赴任などであるが、南部領主貴族──特に港湾地帯に領地を持つ貴族は経路が違う。

 リッジウェイ家の家祖アンドレアスは海賊であったとされる。

 

 雄大な海原を突き進む船。前髪が潮風でベタつく少々の不快感を滲ませながら私は本土の先にあるとある島を目指していた。

 そこは南部貴族リッジウェイ家の所有する孤島の一つであった。

 私領故に国家の介入が制限され一種の治外法権化したその孤島にこそ、私の目的があった。

 

 リッジウェイ伯爵が分家当主サディアス・リッジウェイは反社会組織並びに禁制品の密輸や違法の人身売買を行ってきたことにより投獄。本人は獄中死を遂げ、爵位の剥奪、私領である孤島の召し上げ、そしてリッジウェイ伯爵家本家の監督不届きによる始末として当主の隠居と今後の交易に関して監査役が付くこととなった。

 

 サディアスやその一党に対しては重く、本家であるリッジウェイ伯爵家に対しては比較的軽い処置で此度の判決は下された。

 

「見えてきたわね……」

 

 海原を越え、孤島が見えてくる。無人の整備された船着き場には存在しないはずの人間の姿があった。

 

 東部異民族を代表するかのような獣の耳の生えた子供や南大陸出身と思われる黒い肌の男など我々の住む国とあまりにも異なる人種のそれはひと目見てわかるほどにこの商売の後ろ暗さを証明するかのようであった。

 

「お疲れさまです。隊長」

 

 船を港に着け、左手で逆敬礼をする中年の男。草臥れた長袖のシャツは風で靡き右手の部分は肩から下は切断されていた。

 

「具合はどうかしら? ダリル」

「はっ、順調であります」

 

 北部前線において五体満足で帰れた者は稀だ。特に狂奔部隊とまで言われた旧一一二小隊は特に顕著と言えるだろう。

 ダリルは小隊に二年在籍した元囚人の恩赦組である。

 王皇戦争の後に兵士としての活躍によって罪を雪ぎ娑婆に出たは良いものの、片腕を無くしたダリルに与えられた仕事は無かった。窃盗を繰り返し、居場所を変え、そうして最後にこの南部に辿り着いた。

 

「顔色も良くなった。元気そうじゃないか」

「隊長のお陰です。本当になんといっていいか……」

 

 恩がある、情がある。そして何より利がある。

 ダリルにはここ以外の居場所はなく、戦時から染み付いた上下関係もある。

 私にとっては誰よりも最適な手駒であり、決して裏切ることのできない男であった。

 

「だが、使い過ぎには注意しろ。過剰に使えば毒になる」

「はい……」

 

 ダリルはやや困ったような表情を浮かべる。夜な夜な幻痛に悩まされるダリルにとって麻薬は酒に変わる代替え手段であった。

 裏切らないでほしいだけで壊したくはないのだが、薬を併用した関係というのも困りものというわけである。

 

 船着き場を越え、山中をかき分けるとそこには一定の感覚で植えられた同一の植物があった。

 

「……素晴らしい」

 

 花は枯れ、一面には緑色の膨らんだ実をつけた植物──芥子が一面に広がる。

 

「ふ……ふふっ、あははははははっ!」

 

 これこそが私が求めていたもの。緑色に輝く黄金の畑であった。

 

 

 

 

 

王国暦192年 旧クレイトン伯爵領オリュザス

 

 西部諸侯の一角クレイトン伯爵家が領する大穀倉地帯オリュザスは主に麦を中核とする大農地が広がる西部の食料庫である。

 西部諸侯軍においてここを奪われるということはまさに喉元に剣を突きつけられることと同義であり、西部諸侯の結束は水盆をひっくり返した如く飛散していく一方であった。

 

 ──不満である。

 

 そう言わざるを得ない。元々クレイトン伯爵家はハーグリーブス侯爵家から来た夫人とその側近グループからなる女伯派と旧来のクレイトン伯爵家に仕えてきた旧臣派による水面下の争いがあった。

 どこの世界でもそうだが、人間は自分の領分に土足で踏み込まれることを嫌う。旧臣たちからすれば諸侯盟主格の家出身の夫人とはいえクレイトン家直系の血を引かぬ彼女を鬱陶しがる気持ちもあったのだろう。

 それに加えて今度の反乱となってしまえばハーグリーブス侯爵家に近いクレイトン伯爵家は同様に取り潰されかねない。そういった懸念もあったのだろう。

 先代クレイトン伯爵と夫人の息子である幼君を当主に建てることを引き換えに旧臣派は王政府側へ寝返った。

 

「良くやったドノヴァン。オリュザスを苦労せずに手に入れたことは百の戦果に勝るものだ」

「有難きお言葉です」

「くくくっ、コーウェンやペラムはこういうのにはとんと向かんからな。もっともその分戦場では頼りになるが其れだけだ……」

 

 贅沢な悩みだと、私は不満を隠しながらひとりごちる。

 

「……しかし、厄介なことも残っております」

「自由騎士同盟か……我が国きってのスキャンダルだな」

 

 旧西部駐屯騎士団団員約300が脱走し元王国騎士レギナルド・カーチスのもと自警組織カルカ自由騎士同盟と名を改めた。

 

「由々しき問題だ。兵士もそうだが半ば中央政府から見捨てられかけてたといえ現役の王国騎士──それも大隊長クラスの人材が唆したのが問題だろう……下手をすれば軍の秩序・忠誠心に関わりかねん」

「……」

 

 ここに至って、レギンの騎士復帰は絶望的なものとなった。西部諸侯の反乱があるためそちらに目を向けていられないが、部隊脱走による教唆や共謀罪などがレギンには当てはまる。

 駐屯騎士を率いる身として、取り締まらなければならない立場であるのだ。

 

「いずれ始末をつけねばならん……わかってるな」

「はっ……」

 

 規模としてはやや大きめの独立中隊程度の規模であるが彼の人望か或いは西部駐屯騎士内部でも危機感があったのか比較的まともと言える人物が揃っている。

 こちらで確認が取れている者でもレギン以外には元中隊長3名、小隊長が8名ほどカルカ自由騎士同盟に参画している。

 

 敵でなければ味方でもない。

 自由騎士同盟内部においても西部諸侯側は泥舟でありこれに与する動きは無くとも王国側であるとも言い難く、なにより新しくフィッツジェラルド公爵となり家督を継いだアダム・フィッツジェラルドによる庇護を受けることとなった。

 

 大義においてフィッツジェラルド公爵家の名前は大きい。西部領邦の纏め役として代々務めてきたフィッツジェラルドの後ろ盾により私達が行う調略工作も随分と楽になったほどである。

 

 しかし、名分があれど内乱による人的被害と治安の悪化に対する対策は急務だ。

 ここで登場したのがレギン率いる自由騎士同盟だった。

 一言で言うのなら自由騎士同盟は有償で街の治安や犯罪者を取り締まる自警組織と言っていいだろう。

 駐屯騎士団出身という治安管理のノウハウや情報収集、捜査。他組織の潜入など半ば探偵紛いのことをしながら雇い主、或いは騎士団に情報を流す。

 

 元々は西部領邦との深い地縁・血縁的な繋がりを持つのが地方の駐屯騎士団である。農民や商人に限らず元貴族や豪商、地主出身の子息など小隊長クラスに多く在籍している。

 

 第一次遠征において西部駐屯騎士団の士気が低いのも当然だ。後方に移すならまだしもキャベンディッシュは前線にこれらを出した。その結果がろくに戦うことなく前線から退くハメになったのだから。前西部駐屯騎士団長が自裁する訳だろう、情けないったらありゃしない。プライドの高い人間ほど恥をかくのを嫌うものでもあるからだ。

 

「……」

 

 オリュザス城の遠征軍執務室を出て荘厳なる白亜の大理石で出来た回廊を進む。

 

 ──どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 

 ずっとついていくものとばかり思っていた。追いつきたいと、そばに居たいと願い続けて……。

 

 あの日、私はレギンに救われたのだから。ずっと昔から何度も、何度も。

 

 カビの生えたパンの味を覚えている。涙がこぼれそうなほど暖かかったと。

 暗闇の底から手を引かれたことを覚えている。彼の笑顔が眩いほどに煌めいていて何よりも美しいものを見たこと。

 血と骸のまみれた戦場を覚えている。絶望を切り裂いて誰よりも先を駆け抜けた英雄の姿を私は何よりも誇らしいと感じていた。

 

 ──取り戻したい。

 

 あの日の栄光を取り戻したい。彼の笑顔を取り戻したい。夢を取り戻したい。

 私は未だに彼を諦めきれない。

 

 ──考えろ、カサンドラ・ドノヴァン。

 

 私の手札には何があるのかを……。



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西部総督カサンドラ・ドノヴァン

 助けてほしい。その一言さえあればそれだけでよかった。


王国暦193年 旧ハーグリーブス侯爵領ケテル

 

 昨年より始まった西部領邦の反乱は第一次遠征軍の敗北から一転して騎士団総副団長ダグラス・レナード・アーバインの指揮のもとイャンドゥルマ会戦の勝利、オトリュス解放、オリュザス陥落を経て最終的にハーグリーブス侯爵ウィルフレッドの降伏により西部領邦の反乱は鎮圧された。

 

 首謀者である侯爵家当主ウィルフレッド・ハーグリーブスは王都に護送され処刑。その一族も同様に処刑、収監、貴族位の剥奪が成されハーグリーブス一門は没落した。

 今回の遠征により多くの西部領邦が取り潰され、空いた穴には宮廷の文武官が代官として配属され統治を行うものとなっている。

 

 西部方面軍副司令官兼ケテル管区長。それが今の私の役職である。

 西部領邦は大まかに分けて一〇の管区が敷かれ、文官では部局クラスの官僚貴族。軍では団長クラスの将軍が一つの管区を統治し、その上に全ての管区を監督し、適切な運営を行うよう指導する西部総督が置かれた。

 

 西部総督には元刑部省出身のエドワード・マクレガー・クック伯爵が着任。西部副総督には方面軍司令官を兼ねるエルバート・コーウェン将軍が任じられた。

 

 騎士団内部においても大幅な人事の刷新と政治の世界に深く切り込んだ国策事業。減った分の領地貴族の土地に対して増える官僚たちのポスト。王都の宮廷貴族はまさに我が世の春を謳歌していたといっていいだろう。

 

「なにっ!! 攻勢をすべきでないというのかッ!!」

 

 白髪が混じった黒髪の初老の将軍は吼えた。

 

 エルバート・コーウェンは確かに優秀な人間だった。

 先の内乱の英雄でありイャンドゥルマ会戦において別働隊を指揮。会戦にて正面を担ったアーバイン副総団長や第一〇騎士団団長トラヴィス・ペラムの粘りも一等の功績と言えるが勝利を確信させたのはコーウェン将軍による側面からの奇襲攻撃と言えるだろう。

 

「放置一択でしょう。西部の不安要素であるのは確かですが、それよりもインフラ整備と経済の立て直しが先決です」

 

 背が低く小太り。申し訳程度の毛髪は赤い少壮の男。それがクック伯爵だった。

 

「しかし、放置していては厄介なことになりかねんぞ!!」

 

 エルバート・コーウェンは決断力があり果敢な男だ。優柔不断と言う言葉を憎み即断即決を座右の銘とするこの将軍は戦場においては無類の強さを発揮した。

 しかし、こと政治の場においては視野が狭く。武断に走りやすいのは欠点となり得る。騎士としての長所は宮廷貴族の短所となり、宮廷貴族の長所は騎士としての短所になり得る。

 

 単純な問題には強いが複雑な問題は弱い。コーウェン将軍は悪い意味でお手本通りの人間とも言える。

 同時に確信する。あれほど戦場で頼りになった男が西部総督でなく副総督であり上に文官が当てられたのかを。

 

「自由騎士同盟を名乗る脱走兵を見逃しては騎士団の統率に関わるのみならず、西部領民からの支持を獲得すれば泥沼の戦いになりかねませんぞ!!」

 

 コーウェン将軍の言い分もわからないでもない。要は勢力が小さいうちに叩いておく。兵は拙速を尊ぶという観点からすれば妥当な判断だろう。

 

「いいではないか、テロリストと言う訳でもないのなら弾圧する必要は薄かろう。寧ろこちらの目の届かないところを分担させれば復興も速く進む。適材適所と行くべきであろう」

 

 しかし政治としては利用したほうがメリットは大きい。場合によっては事後追認による退役元騎士として利用することも厭わない。また、声望高まる軍の数少ない失点ということを踏まえれば利用しない手はないのだ。

 

 文と武。協力しあっているように見えるが水面下ではお互いの領分を守ろうと必死なのだ。

 

「──ドノヴァン! 貴様はどう思う!!」

「私はクック総督の言に賛成です」

 

 コーウェン将軍からすれば味方になってほしかったのだろうが、ここは諫言の一手だ。総督であるクック伯爵もしたり顔である。

 意見が割れるときは基本的に私はクック案、或いは折衷案を提示するだけで必ずしもコーウェン将軍の意見には無条件では従わない。抗命と取られかねないが管区を束ねる身としては意見具申をせずにイエスマンしかできないほうがもっと危険である。

 

「ドノヴァンッ!!」

「西部諸侯の残党はまだ隠れ潜んでいます。臣民を根切にして入植させるなら別ですが、こちらに悪感情はあれど王国臣民というアイデンティティを確立している武装勢力を敵に回すのは危険です。確かに旧諸侯残党の兵隊が自由騎士同盟に合流する可能性もあるでしょう。そういう意味では戦力の増強は小官も頷く所存です。ですがそのデメリットを飲んで余りあるメリットがあることも事実です」

「ぐっ――ぬぅッ……!!」

 

 怒りを堪えるかのように青筋をたて、眉に皺を寄せながらコーウェン将軍は不満を飲み込む。

 ちゃんとわかっているし、やり込められても罵詈雑言を言わない時点で立派な人だろう。女性に対する蔑視もない。

 だが、ここで将軍と意見を合わせるのは百害あって一利ないのは確かだ。

 

 苦しかろう、辛かろう。分かってもらえないというのは本当に辛い。レギンと決別してその想いは私にもよくわかる。

 

「……感謝するドノヴァン卿。占領地で泥沼のゲリラ戦など考えたくもない」

「いえ、それ程でもありません。コーウェン将軍もいずれ分かってくれる筈でしょう」

 

 コーウェン将軍が部屋を出ていった後、私はクック総督と言葉を交わす。

 

「で、あるといいのだがな……私は宮廷の盆暗貴族だ。流石に強面の猛将と一人対面して話せるほど肝は太くない……」

 

 本当に盆暗なら総督の地位になどつけようはずもあるまい。しかも派閥を超えて任命されるほどだ。クック伯の自己評価など宛てにならない。

 

「ならば、少しづつ肝を太くしていくことを願います。少なくともコーウェン将軍は統治者としては不適格ですが将帥としての能力は王国随一です。西部領邦の残党もコーウェン将軍の武名を恐れているからこそ蜂起に至ってないのです。……大過なく副総督として過ごせば次期騎士団総団長も見えてくるものですが……如何せん上昇志向が強く良くも悪くも勤勉です」

 

 頑張りすぎなのだコーウェン将軍は。帯剣貴族の三男と本来なら家督には程遠い身分でありながら王皇戦争やそれ以前の戦役で親兄弟親族の多くを失い没落しかけた。爵位も騎士爵と中流貴族と言えるものの、内実はずっと苦しかったはずだ。死に物狂いで戦って地位を勝ち取ったと自負もあるのだろう。

 

「心得とこう、武断に走りすぎるのを抑えるのが私の役目と言うわけだな」

 

 そう言ってクック総督は襟元を正した。

 

 ままならないものだと最近は深く感じうる。皆優秀であるはずなのにどうにも噛み合わない。

 その結果いつも誰かが割を食う。家計に制限があるように国庫にも制限がある。好きな物を好きなだけ食うには程遠く、難しい。良い思いをしようと好きなおかずを独り占めすれば兄弟からは反感を買うし、皆で分け与えようにも満足できるとは程遠い。

 

「レギンには戦って勝てる相手じゃない……」

 

 コーウェン将軍の得意分野で攻めようにも当のレギンは一騎当千の強者。上手くいくとは思えない。

 だからこそ、私は卑劣な手を使う。

 

「だから、私は絶対に──レギンとは戦わない」

 

 私は再度心に誓った。

 

 西部領邦随一の経済都市、それがケテルであった。

 到底籠城には向かない城に大商会が軒を連ね、活気ある市場から様々な商品が届けられる。

 交通流通網の中心であり一日に莫大な金額が動く。

 

 今、私の前にはそのケテルで働く大商会の当主や商業組合(ギルド)の面々がいた。

 

 不安、恐怖、焦燥、緊張、興奮、自信。様々な感情が混ぜこぜになった応接間で私はゆっくりと口を開く。

 

「イーデン商会長、イライジャは来ていないのかな?」

「し、商会長はご病気で……」

「……事は王国の国策事業です。やる気がないのであればイーデン商会は参加しなくとも結構。商会長イライジャ・ハーグリーブス氏にはゆっくりと療養していただこうかしら」

 

 その言葉にイーデン商会の代表の代わりとして派遣された番頭は顔を青くさせる。

 

「そ、それはあまりにも……」

「余りにも、なんですか? イーデン商会さん。貴方勘違いしているんじゃないんですか?」

 

 足を組み換え、指先でカツッ、カツッと机を叩く。

 

「ケテルは西部地域における交易中核部になるんです。いずれフィッツジェラルド公爵の遷都の第一候補としてケテルがあるほどにこの都市は西部地域の心臓部になり得ると私は踏んでいます」

 

 旧ハーグリーブス侯爵領ケテルは荒れ果てた西部地域の中で唯一と言っていいほど無傷のまま手中に収めることができた。人的被害に関しては少なく、物損は殆ど無い。

 西部地域で最も早く復興が可能な地域であるといってもいい。

 

「関所の撤廃、街道の敷設……早急にインフラの整備を行うことが不可欠です。家が焼かれ寒さに凍える臣民がいます。腹を空かせて今にも餓えている臣民がいます。金があっても飯が足りない。飯があっても金が無い。西部の至るところで需要と供給のバランスが崩れています」

「わ、わかっています……」

「わかっているなら何故イライジャは顔を出さない!! 騎士団のアポイントにも応じず、手紙一つ寄越すことなく出てきたのは代理の番頭では話にならないと言ってるのですよ!!」

 

 手のひらで強く机を叩く。突然の音で身体を震わせる商会関係者と青い顔を通り越して真っ白になるイーデン商会番頭。

 

「結構です。やる気がないのなら帰って宜しい。総督府は二度とイーデン商会とは仕事をしません」

「そ、それだけは…!」

 

 私は番頭に対して睨みつける様に視線を送ると番頭は硬直したかのように固まり、唇は震え、思うように声も出ない様になる。

 

「あなた方の代わりはいます。重々忘れないように……」

 

 数日としないうちにケテルにおいて最大とも言われたイーデン商会は内部から崩壊していった。

 

「大したものですな……」

 

 でっぷりと腹に脂肪を蓄えた短躯の男。元戸部省の官僚貴族であり管区首席補佐官の地位を預かるブルーノ・トインビーは眠たげな目で称賛する。

 

「協力的ならば儲からせた。非協力的ならば徹底的に足場を崩す。たたき台として役に立ったよ」

「イーデン商会はハーグリーブスの匂いが濃すぎますからな……元々はハーグリーブス庶流の血統をもつ貴族が祖です。ウィルフレッドもイーデン商会には気を使っていましたからな」

 

 イーデン商会はいうなれば侯爵家のお抱え商人でもあった。南部商人に対抗するために無理をしてケテル内の商会を合併吸収して財閥と呼ばれる大企業へとしたものの、内部では不満も多かった。

 

「元から歪はあった。これからは開かれた市場になる」

「自由競争のはじまりですな……」

「トインビー卿、例の手形は?」

「抜かりなく。西部の通貨は暴落し、こちらの信用手形は一定の安定性を見せています」

 

 そう言ってトインビーが見せたのは紙幣と呼ばれる王国で新しく作られた信用手形となる実験的な貨幣だった。

 

「地方の独自通貨や貨幣はこれからどんどん廃れる。政府が発行し信用手形となる紙幣が今後の経済や流通の主役となるでしょう」

「……経済については不勉強だが、政府が貨幣を握ること。それだけで今後の国内統治の強制力は格段に上がる。新しい支配の道具というわけだ……」

 

 今までは中央政府内で少しずつでしか流通していなかった紙幣であるが、西部総督府はこの紙幣の大々的導入を決定していた。

 その後押しをしたのがトインビーが席を置く戸部省の官僚グループであった。

 

「こんな薄っぺらい紙が価値を持つとはな。時代は変わるものだ……」

「国内通貨、信用貨幣については大ドーソンの構想の一つです。数十年の月日がたってようやく試験導入できる程度になりました」

 

 農地改革、政治改革、軍制改革、そして貨幣改革と。王国の改革はまだ始まったばかりである。

 時代の変革期ということも私がこれほどまでに出世できた理由の一つでもあるだろう。

 

「まったく厄介だ。私のような凡人は改革についていくのに精いっぱいだというのに……」

「……昨今は教育の改革も推し進めている様です。騎士学校では平民階級の入学を認めたとか」

「小隊長に容易になれる平民か……信じがたいな。あれは歴戦の勇者か最前線で生き残った幸運児しかなれないものだったのにな……」

 

 私はそういって一人ごちる。

 仲間の骸を踏みつけて手に入れたものが戦場も知らない新米の平民士官にまるでトロフィーのように与えられる。

 思うところがないと言えば嘘になる。

 

「王国安定の為にも総督府──管区の安定と安寧は絶対だ。あまり実験に熱中しすぎるのは止めてもらいたいのが騎士団側の意見です」

「心得ていますとも。次期総督殿」

 

 気の早すぎるおべっかを受けながら私は執務室の椅子の背もたれに身体を預けた。

 

 騎士団の脱走兵集団であるカルカ自由騎士同盟を危険視する勢力は多い。

 騎士団総副団長アーバインを始め、第一〇騎士団団長トラヴィス・ペラムや西部副総督コーウェンなど凡そ騎士団主流派の面々の厳しい視線の中にいる。

 

 カルカ自由騎士同盟という組織は反政府組織というわけではない。むしろ西部に密着した警備団体と言えるだろう。

 騎士団というのはなにも切った張っただけが仕事ではない。医療、土木、経理、運輸、警護、捜査。加えて儀礼や交渉など多種多様な専業技術を持つ人間の集まりである。

 

 後ろ盾にはフィッツジェラルド公爵家を筆頭とした旧西部諸侯の生き残りが多く、改革の煽りをくらい軍備削減を余儀なくされたこと、また旧反乱軍が雇っていた私兵の匪賊化による治安の悪化に対処すべく西部小領主たちに売り込みをかけていた。

 

 良くも悪くも旧制の領主たちに近く治安の維持や匪賊の討伐などを請け負うため、一定の尊敬と民衆の賛美を受けているのも確かだ。

 

 権力に屈しないヒーロー。

 

 まさに物語の主人公のような存在と言えるだろう。

 

「けれど、現実は物語のように易しくない」

 

 カルカ自由騎士同盟は成立した時点で既に詰んでいるのだから。

 

 

 

 

 

王国暦195年 西部総督府

 

 足がけ二年。長い時をかけてカルカ自由騎士同盟は崩壊した。

 

「御見逸れしました」

「特別なことは何もしていない。真っ当な統治をしただけのことだよ」

 

 感嘆の意を述べるセオフィラス・ジャッジの言葉を半ば受け流しながら私はふてぶてしく呟いた。

 

 カルカ自由騎士同盟が偏に存続できていたのは西部の不安があったからだ。

 治安に対する懸念、統治に対する不信、改革に対する疑問。それらの不安がカルカ自由騎士同盟──西部諸侯領の付け入る隙となっていた。

 これをどうにかするには時間をかけて民衆を慰撫するしかない。時間はかかるが最も確実であり、最適であった。

 

 西部総督府は極めて真っ当な統治を心がけた。

 不正に対しては断固たる決意で挑み、民衆の不安を取り除き、生活の安寧のために仕事を与えた。

 ケテルを中心とする商業網の整備。打ち壊された家屋や施設の普請。総督府の不正や汚職に対する素早い対応。

 

 これらを真面目にやった結果、一年と経たず西部総督の椅子が私に回ってきた。

 これは元々総督位は騎士団管轄のポストということもあり、軍政能力を明らかにしたことも相俟った。

 

 西部に繁栄を取り戻し平和を翻す。するとどうなるか。

 カルカ自由騎士同盟の仕事は最早存在する意味を失いかけていたと言える。

 

 体力勝負となれば国がバックについているこちらには決して勝てない。

 カルカ自由騎士同盟は人員の削減を余儀なくされるということもある。

 

 それに加え、裏工作を行った。

 

 カルカ自由騎士同盟は旧制諸侯と近かった。それ故に弱みも多かった。

 旧ヴァレンタイン伯爵家の遺児や没落しかかっていたイーデン商会との繋がり。しばしば小火騒ぎを起こしていた辺境小領主との繋がりを突付いてやった。

 

 疑念だけで十分。衣を一枚一枚剥がすかのように追い詰められていった自由騎士同盟は西部において徐々に影響力を失っていくこととなる。

 この結果騎士団からカルカ自由騎士同盟の強制捜査状を提出。自由騎士同盟内部では穏健派と過激派によって分かれる事態となった。

 

 繁栄を謳歌する総督府旗下の管区と未だに苦しい状況にある辺境小領主。

 民衆の支持は総督府にあった。

 

 レギンは戦うことを良しとはしなかった。

 

 当然だと思う。彼は決して血を流すことを認めないからだ。

 ここでレギンが立てば西部の平和は失われる。カルカ自由騎士同盟は今度こそ国の敵になる。

 レギンにはそれができるはずもなかった。

 

 謀略と政治によって西部領邦はフィオナ王国に今度こそ完全に組み込まれたといえる。

 当のレギンの身柄は国の中央政府に引き渡され罪状を調べられることだろう。

 

 手錠によって繋がれていたレギン。会うのは二年ぶりになる。

 

「少し痩せたな。カサンドラ」

 

 なんてことないように、レギンは私にそういった。

 

「私の勝ちだ、レギン……」

「おう、大したもんだよ」

 

 してやられたというのにレギンは晴れやかな顔をしていた。

 政治的に敗北し、虜囚の身になったにも関わらずレギンは何時もと変わらない様で笑っていた。

 

「ジャッジ、皆を下がらせて」

「しかし総督……」

「問題ない、レギナルドのことはよく知っている」

 

 不安と焦燥を抱えながら、ジャッジ以下総督府の兵たちは部屋を後にする。

 

「わかってた筈だよ。こうなることぐらい」

 

 組織としても資金としても取れる手段にしても騎士団と自由騎士同盟とでは雲泥の差があった。

 

「いやぁ、イケると思ったんだが……どうも駄目だったみてぇだわ」

「庇いきれない。そんなラインはすでに超えた……」

 

 内乱扶助罪、国家反逆罪、殺人未遂、傷害。

 その他様々な罪を国家はレギンに課すだろう。

 

 一年と3ヶ月前。西部総督府はコーウェン副総督の指示によりカルカ自由騎士同盟の強制摘発を行った。

 高圧的かつ威圧的にカルカ自由騎士同盟の罪を暴きたて、あるいは適当な罪を擦り付けるために。

 

 案の定、カルカ自由騎士同盟と総督府付きの騎士団との間に争いが発生。

 管区内で地獄のような市街戦が発生し騎士団、自由騎士同盟、民間人を巻き込んだ泥沼のゲリラ戦が展開された。

 

 結果から言えば騎士団側は痛烈な被害を受け、副総督エルバート・コーウェンは更迭。

 総督府の権勢も落ち苦しい状況となった。

 

 圧倒的不利な状態から騎士団と戦い、局地戦においていくつも勝利したカルカ自由騎士同盟の人気は強く容易に手が出せない状況となった。

 

 同様に騎士団と自由騎士同盟の禍根は修復不可能な状態と変化することとなる。

 私がレギンを庇おうとすれば騎士団から不満が出る。いや、それならまだマシだろう。むしろここで庇い立てすれば一気に咎人扱いされかねない。

 今まで積み上げてきた功績も経歴も全て水の泡になる。

 

「レギン。君は何時もそうだ……」

 

 嗚呼でも、それでも私の中の怒りはそんなものじゃない。

 

「君は何時も自分が正しいと思ってる。自分一人で駆け出して、突っ走って。そしてなんてことないように何かを成し遂げる」

 

 それが羨ましかった。

 それが妬ましかった。

 

「大したことじゃねぇだろ」

「──大したことじゃない? そんなわけないだろっ!!」

 

 ドンッ、と大きな音が鳴る。机に当てた両手の平が痺れるようにじんわりと痛みを伝えてくる。

 

「いつだってそうだ! 君は強くて、何でもできて、周りのことなんて何も考えてない!! 勝手に救って、かってにどこかに行って……」

 

 溢れる言葉が止まらない。胸が張り裂けるように痛い。

 

「──わたしはそんな君が憎らしかった……」

 

 愛と憎悪は表裏一体。

 ずっと悔しかった。ずっと苦しかった。ずっと嫌だった。

 どんだけ頑張っても彼に追いつけないこの身が──弱い自分が嫌いだった。

 

 彼の隣に立ちたかった。

 彼の側にいたかった。

 彼と対等になりたかった。

 

 ──彼の特別になりたかった。

 

「カサンドラ、俺は……」

「わたしはずっと待ってたのに! ずっと、ずっと!! 君が手を引いてくれたから、だからわたしはここまでこれたんだ!!」

 

 困ったことがあったら、レギンは絶対に助けてくれた。

 

 死にそうな私にカビの生えたパンをくれたことを。

 娼婦として売られそうな私を助けるために貧民窟(スラム)から救い出してくれたことを。

 戦場で何度も死にかけた時、レギンの背中がいつだって絶望を切り裂いてくれたことを。

 

「わたしは、ずっと待ってたのに! 君が私の手を引いてくれるのを!!」

 

 ずっと期待してた。

 レギンがピンチの時、彼が私の手を取ってくれることを。

 彼が私を助けてくれたように、私が彼を助けるんだと──そんな風に期待していた。

 

「わたしはなんだ! 君のなんだ! 相棒か? 友か? 体のいい人形か? わたしは、わたしは──」

 

 言いたくない。こんなこと言いたくない。

 きれいな私を見てほしいのに。彼に愛してもらえるような人でありたいのに。

 醜い言葉が泥のように湧き出るのが止まらない。

 

「──わたしを……ずっと見下してたんだね。レギンは……」

 

 力なく告げてしまった。

 滲んだ視界には呆然とする彼の姿があった。

 

 頼ってほしかったのに、お前が必要だと。そう言ってほしかったのに。

 彼には結局、私は不必要だった。

 

 付いてこいと、その一言さえあれば十分だったのに。それだけで私は今まで積み上げてきたすべてを捨てられたのに。

 レギンは最後まで高潔だった。最後まで強くあり続けてしまった。

 破滅が身に迫っているその時に私に助けを求めるその一言すら、彼にはなかった。

 

「──違う、カサンドラ……俺は」

「聞きたくない、もうやめて……もう、これ以上私を見ないで」

 

 もう、いっぱいいっぱいだ。

 レギンは私を見てはいない。もとから彼の特別にはなれていない。

 レギンの中においてカサンドラという少女は物語で言うところの聴衆の一人でしかない。英雄に助けを求め助けられ、その後は物語に関与しないそんなその他大勢(モブキャラ)

 自惚れていた。彼の特別(ヒロイン)にあこがれてた私はなんと滑稽なことだっただろうか。

 

「カサンドラ、聞け!! 俺は──」

「聞こえない、聞こえない、聞こえない! 聞こえない! 聞こえないッ!!」

 

 頭を振るい、目を閉じ、耳を塞ぐ。

 同情しないでほしい。ありきたりな言葉なんていらない。これ以上、適当な慰めなんてやめてほしかった。

 

「ああああぁぁぁぁああ!!」

 

 その時、ブチッと。ナニカが千切れる音がした。

 頬が生暖かく、左手から床にポトリと落ちた肉片。

 

 「もう──聞こえないよ、レギン」

 

 精一杯の強がりで私は彼に微笑んだ。

 

「総督! いったいなにが!!」

 

 怒声と私の叫びに堪らず扉を強く開け、ジャッジたちが慌てて部屋に入る。

 

「ッ!! 貴様ぁ!!」

 

 怒りを滲ませ、ジャッジはレギンに飛びかかる。

 呆然としていたレギンはジャッジの成すがままに押し倒され、強く顔面を強かに打たれる。

 

「──ジャッジ、彼を王都まで護送してくれ」

「なっ!? しかし総督ッ!!」

「──頼む」

 

 ジャッジは逡巡し、レギンを立たせ数人の騎士にレギンの身柄を預ける。

 

「総督、すぐ治療を」

「ああ……」

 

 ジャッジはぐるりと私の右側に回り込み身を案じるかのように告げた。

 赤く染まった床と千切れた左耳。その上に透明な雫が零れ落ちた。



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