Re:ゼロから始める×××生活 (舞江鯖鶴)
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第一章 ハンター試験編
はじまり×路地裏×異世界召喚


 ――これは本気でまずいことになった。

 

 一文無しで途方に暮れながら、彼はそんなことを考えた。

 一文無しというのは、正確には不正確である。彼のポケットには小銭がしっかり入っていたし、それを使えば地元で優雅な休日を過ごせるだろう。

 にも関わらず一文無しと表現するよりない理由は、町中をよく見てみればわかる。

 

「やっぱ、貨幣価値とかって違うよな……」

 

 手元の十円玉を弄びながら、少年は深い溜め息をつく。

 短い黒髪、高くもなく低くもなく日本人としては平均的な身長、少し鍛えているのだろうやや筋肉質だ。印象的な鋭い三白眼も、目尻が力なく落ちている。

 

 群衆に紛れれば、一瞬で紛れてしまうほど凡庸で平凡だ。事実、今彼は町の景色に紛れていた。

 だが、少年はその景色に違和感を覚えている。自分と同じような人間は沢山歩いているのに、自分の知っている町の風景では決してなかったからだ。

 チラリと横目で伺うのは八百屋らしき露店。『らしき』というのは、看板から何から書いてある文字が全く読めないからである。しかも、ただ読めないのではない。彼の目に映るそれらは、『いかにも』といった感じである。

 

 腕を組みながら、少年は思い至った一つの可能性に納得する。

 

「つまり、これはアレだな」

 

 指を鳴らして、空を見上げると、

 

「――異世界召喚もの、ということらしい」

 

 頭上を、トカゲ風の生き物が飛び去っていった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 菜月 昴は十七歳のある日、コンビニに行った帰りに突然見知らぬ町へ飛ばされた。

 その手の小説を読んだことこそあれど、まさか自分が、しかもコンビニ帰りに異世界に召喚されるとは思ってもみなかった。我ながら意味不明な状況だなと、一人ぼやく。

 

「さてさて、現状は洋風ファンタジーだが、文明は少し近代チック。金は使えず、文字も読めないが、どうやら意思疎通は可能っぽいな。ふ、自分で言ってて意味わかんねぇぜ」

 

 改めて状況を確認して、スバルはもう何度目かわからない溜め息をついた。

 先ほどまでいた場所から今は場所を変えて少し薄暗い路地に腰を下ろしている。舗装された地面は、現代日本と比べると少し劣るが悪くはない。

 

「でも多分、そうだ。ほぼ間違いない。今のところケモ耳っ娘がいないってのが惜しいんだが……」

 

 召喚されたと気づいて、まず真っ先に向かったのが『八百屋?』だった。そこにあるリンゴを買おうとして、日本円を拒否されたのだ。

 だが、それは仕方ない。貨幣経済が導入されている分まだわかりやすいもんだとひとりごちた。

 

 異世界召喚系のライトノベルをそれなりに読み漁っていたスバルにとって、現状は上から三番目ぐらいには良いと言える。言葉は通じるし、自分が変に浮いているわけでもない。

 環境を確認したら、次は初期装備だ。思わぬ所でなにか重要なアイテムを手にしているかもしれない。

 

 まず電池切れかけのケータイ、小銭と会員証ばかりの財布、コンビニで買ったカップ麺に、コンポタお菓子、愛用のグレーのジャージ、使い古したスニーカー、以上。

 

「終わったな……。これでどうしろって言うんだよ」

 

 役立つのはカップ麺とお菓子ぐらいだ。心許ない。

 

「そもそも、俺を召喚した美少女どこだよ。なんで俺一人で放置プレイさせられてんの?」

 

 これが異世界召喚ならば、召喚主がいない現状はやり捨てされたに近い。二次元ならばとんでもない欠陥作品だ。一体誰が、何の目的で呼び出したのか。どうしようもなくて、スバルは項垂れるしかなかった。

 

「とにかく当面は生きるのが目的だが……、コミュ力初期レベルの俺に無理難題だろ」

 

 手をワキワキさせながらスバルが今後を不安がっていると、ふと、その表情が変わる。

 ふいに路地裏に足音が響く。見れば路地の入り口――、三人ほどの男が道を塞ぐように立っていた。

 

「やべぇ、強制イベントだ」

 

 男達は薄い笑いを浮かべてスバルを見てくる。まず間違いなく物盗りだ。しかも、下手をすれば命まで盗られてしまいかねない。

 さしずめ『物盗りを撃退せよ』といった所か。

 

 背中の悪寒を頬を叩くことで振り払い、まっすぐ敵を睨んでやった。

 現状、少しの怯えが命を落とすことに直結しかねない。スバルは決断力には自信があった。

 

「それに、これ異世界召喚だぜ。きっと俺TUEEなスーパーパワーが目覚めて、無双するかもわかんねぇしな。そう考えるとイケる気がしてきたー!」

 

「なんかぶつぶつ言ってるよ、あいつ」

 

「状況が飲み込めてねーんだよきっと。どういうことかキッチリ教えてやろうぜ」

 

 昂奮するスバルに対して、男達は冷静だ。

 しかし、今のスバルにはそれすらも雑魚モブキャラのイキリにしか聞こえない。

 ビッとまっすぐ伸ばした指をチンピラに向けて高らかに宣言した。

 

「いいかお前ら。それは、俺の台詞だ!!」

 

 言い切って、男達が動くより先にスバル渾身の右ストレートが真ん中の男に突き刺さった。

 想像していたよりも感じる鈍い痛みに、思わず顔をしかめてしまう。

 

 平和な日本の子供として成長してきたスバルに喧嘩の実践はなかった。殴る方も殴られる方も慣れていない。だが、ここで怯んでいては遅れをとってしまう。感情に任せて隣の男へ構える。

 

「食らえや! 渾身のハイキック!」

 

 つま先は綺麗な弧を描いて右側頭部を蹴り抜いた。蹴られて飛ばされた男が、壁に当たってうめき声を上げる。

 自分の体が思っていたよりも好調に動く。それに合わせて気分もハイになっていく。

 

「よっしゃあ! やっぱ俺ってこの世界じゃ無双なん――」

 

 最後の一人が取り出したナイフを見るまでは。

 

「誠にすいませんでした許して下さいこの通り――!」

 

 素晴らしく鮮やかな土下座。土下座世界大会があれば優勝すら狙えてしまう。

 さっきまでの勢いは見る影もなく、スバルは生き延びるために懸命に額を地面に擦り付けて懇願した。

 

 いやいや、刃物は無理。刺されたら死んじゃうし、惜しいことに対ナイフの処理は想定できていない。

 

 気がつけば先ほど倒した男二人も復活していた。打撃を食らった箇所を抑えてこそいるものの、足取りは確かでほとんどノーダメージに見えた。

 

「あれ!? 俺無双のハズが弱攻撃ってどういうこと? お約束のテンプレは!?」

 

「なに訳わかんねぇこと言ってやがる! てめぇ、生きて帰れると思うなよ!」

 

 頭を上から踏みつけられて額を地面に押しつけられる。じわりと血が流れるのがわかった。

 ヤバい、本当に死ぬかもしれない。痛みと共に恐怖がじわりと滲んで来た。

 

「楽に逝けると思うなよ……」

 

 ナイフを持つ手を逆手に持ち替えて、スバルの頭上へと振り上げた。

 もしかして死ぬのだろうか。そう思考を巡らせたところで、言い様もない恐怖で愕然とした。

 それは死ぬ事への恐怖か、それとも痛みへの恐怖か。否、虚無への恐怖だった。何も出来ずに終わってしまうことへの、言葉では表せない恐怖。

 涙が溢れて止まらない。どうすればどうすれば。どうすれば良かったのだろうか。

 スバルの後悔が頭を埋め尽くしたとき、

 

「――なにしてるんだ!」

 

 その声は響いた。

 明るく幼く、それでいて力強い声だった。

 

 視線をやると路地の入り口に一人の少年が立っている。

 髪は上に跳ねていて、緑の服から覗く腕は子供ながら筋肉質だとわかった。背中に負っている釣り竿は使い古されたものだと一目でわかる。正義感の強そうな目が印象的だった。

 

 チンピラ達は突如現れた闖入者に眉をしかめる。

 

「ちっ、見られたか。おいガキ、痛い目見たくなかったらサッサと向こうへ行きな。今俺達は虫の居所が悪いんでな」

 

「ほう、気が合うねぇ」

 

 少年の背後から声が聞こえたかと思うと、さらに二人の男が現れる。

 それはスーツを身に纏ったサングラスの青年に、肩口当たりの金髪が目立つ民族衣装を着た少年だ。

 スーツの男が続けた。

 

「俺達も今ちっとばかし気が立ってんだ。今なら見逃してやるぜ。去りな」

 

「そうだな、私もそれをオススメするよ」

 

 三対三。数の利を失った男達は不利だと判断したのだろう、手早くナイフをしまいスバルから離れると、

 

「おいお前、次にここうろつくときはせいぜい気をつけるんだな」

 

 スバルをひと睨みだけして早々に立ち去ってしまった。

 助かったのか、お礼を言わなければならないと顔を上げると、一番に声を上げてくれた少年がスバルに駆け寄った。

 

「大丈夫ですか? うわ、血が出てる。レオリオ、手当てしてあげてよ」

 

「えぇーマジかよ。いや、良いけどよ。ちょっと待ってろ」

 

 少年の声に応えて、スーツの男が頭を掻きながら手に提げていた鞄を地面に置いて開いた。

 

「あ、大丈夫だよ。大した怪我じゃないし。それより、助けてくれてありがとうな。俺ってば超感謝」

 

「本当だな。こんな所に一人でいては物盗りに襲われても文句は言えないぞ」

 

 民族衣装の少年が、ややトゲのある言葉でチクりとスバルをついてきた。少しムッとするも、事実なので何も言い返せない。

 スーツの男――レオリオは、鞄から軟膏と湿布を取り出して言った。

 

「とりあえず、傷口にこの軟膏塗って、湿布を貼っておけば大丈夫だ。くれぐれも無茶するなよ」

 

「ホントに良かったのに。お金……、は持ってないんだった」

 

 ありがたく受け取って代金を出そうとし、自分が一文無しなのを思い出した。

 だがレオリオは手を振って遠慮する。

 

「いいって、大したもんじゃねーからな」

 

「そういうわけには行かねぇよ。そうだ、カップ麺ならあるけど欲しいか?」

 

「カップ麺? いらねぇな、今からちと用事があるし貰ってもなぁ」

 

 やんわりと断られて、取り出したものを引っ込める。カップ麺に驚きがないことも、若干ガッカリだ。

 

「それじゃ、俺達もう行かなくちゃだから、気をつけてね!」

 

 そう言い残すと、少年を先頭に三人は路地から踵を返した。

 その背中に思わず声をかける。

 

「あ、お前の名前だけでも教えてくれよ!」

 

 少年は振り返ると、ニカッと笑ってこう言った。

 

「俺はゴン=フリークス! じゃあ、気をつけてね!」




次回更新は十六日です。


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ステーキ×再開×ハンター試験

 三人と分かれたスバルは、深刻な空腹に悩まされていた。

 そもそも空腹のためにコンビニへ向かったところで異世界に放り込まれたわけで、興奮によるジャミングはあれどそこから何も食べていない状態は無視できない辛さがあった。

 

 手元には相変わらずカップ麺とコンポタお菓子。空きっ腹にスナックは少し遠慮したい為、必然的にカップ麺が食べたい気分なのだが、こいつを食すには適量のお湯が必要だ。お湯がある場所と言えば、銭湯か、レストランだろう。一文無しのスバルがレストランを見つけたところでどうするのかという問題はあるが。

 

 しかしここで問題が生じた。

 まず、土地勘がない。どこへ行けばどんな施設があるのかちんぷんかんぷんで、数分適当に歩いただけで精神的にくたびれてしまった。

 

 そして二番目に、字が全くわからない。

 これは先ほどから気がついていたことなのだが、やはりそうとう痛手だった。看板から手がかりを得ようにも全くわからないのだ。

 

「ったく、のっけからハードモードだぜ。俺無双どこいったのよ」

 

 無双も何も、ゴン達に助けて貰わなければスバルの命はあそこで終わっていたかもしれなかったが、それは一旦スルー。

 だが、それら二つは実は些細な問題にすぎない。なによりも深刻なのは初対面の相手に何事かを尋ねるという行為のハードルが高すぎることだった。圧倒的コミュ障の谷を転がり落ちていたスバルにとって、自分から見知らぬ他人へコミュニケーションを図ることは、空飛ぶ巨大クジラと戦うよりも大変なことだった。空飛ぶ巨大クジラとはなんぞや。

 

 今は町の中でも特に大きく開けている広場のようなところで腰を落ち着けていた。空は青、足は止まれ。わかりやすい飲食店でもあれば良いのだが、そんなものあるわけもなく。こうしてじっとしている間にも空腹は容赦なくスバルを襲う。

 

「くそー、マジで腹減ったー。そのまま生で食べちまうかもう。そうだよ、某インスタント鶏ガララーメンだってお湯使わなくて十分美味しいんだし、案外そのまま美味しく頂けちゃうのでは? 俺ってば天才!?」

 

 やけくそ気味の自画自賛と共に顔を上げてみれば、広場の丁度反対側に見覚えのある三人を見つけた。間違いない、ゴン達だ。今はさらにキツネ目の男を一人加えて四人で大きな博物館らしき建物を見上げている。

 彼らを見つけたとき、スバルの心は不思議と安堵に包まれていた。

 

「おいおい、また会っちまったじゃねぇか。これって、もしかして運命だったり。はぁ、俺の冒険の仲間は美少女じゃないのかよ」

 

 立ち上がって広場を突っ切る。

 しかし三人はスバルには気づいていない様子で、キツネ目の男に連れられて隣の建物に入ってしまった。後を追って、スバルも店の前まで行く。

 

「これって、どう見ても定食屋じゃない!? あっれ、俺の目的見つけちゃったよ!」

 

 まさか先ほどの恩人達が自分の探していた場所に入っていくなど、いったいどのくらいの確率だろうか。

 とても信じられない偶然に店の前でスバルは、しかし中に入れないでいた。

 一つは一文無しだったため。二つは、先ほど別れた男が再び同じ店に現れたときのゴン達の反応を考えたため。そしてやはり、深く染みついたコミュ障根性が一歩踏み出すのを躊躇わせていた。

 うじうじと店の前を行ったり来たりすると、店から一人男が出てくる。先ほどゴン達といたキツネ目だ。

 どこかへ立ち去ろうとする男の背中へ、スバルは声をかけていた。

 

「あの、すいません」

 

「おや、どうしたんだ?」

 

 キツネ目は振り返りスバルを認めると軽い調子で聞いてくる。威圧感はない。これなら、話しやすい。

 

「今、三人の人と一緒に入りましたよね。出てきたのはあなただけですけど、他の三人はまだ中ですか?」

 

 難しいことを訊ねたつもりはなかったのだが、男は「あー」と逡巡した後、

 

「いるけど、いないかな」

 

「はぁ、とんちか……?」

 

「ははは、とんちじゃないよ。あの三人のお友達かな? なぁに、そのままの意味さ。いるけどいない。気になるなら中を確認してきてごらんよ」

 

 そう言って店を指し示す。スバルは男の言っている意味がわからなかったが、促されるまま中を覗くことにした。

 スバルは自分を単純バカだとは思っていない。だが、本人でも気づいていないが挑発に乗ってしまいガチな部分があったのだ。

 

 扉をあけると、懐かしいような内装が出迎えた。カウンターにテーブルが三つ。オープンなキッチンで炒め物をする店主はザ・定食屋の親父といった出で立ちだ。勢いよい「いらっしぇーい!!」が飛んでくる。

 キョロキョロと店内を見回すも、キツネ目の言う通りそこにゴン達の姿はなかった。

 

「な、いないだろ?」

 

 気がつくといつの間にか後ろにキツネ目が立っている。

 振り返ると、今度は先ほどまでスバルが向いていた方へキツネ目は移動し再び死角に回られる。

 スバルが遊ばれていると、店主のおじさんが声を張った。

 

「なんだい。その兄ちゃんもか?」

 

「いんや、この子は別口さ。邪魔したね」

 

「ややこしいことするなよ。ふん」

 

 そんなこんなで再び店の外に。

 スバルは混乱する頭でキツネ目に訊ねていた。

 

「どういうことだよ。三人は、確かに中に入って行ったのに」

 

「ははは、それはね。彼らはハンター試験を受けに行ったんだよ」

 

「ハンター試験?」

 

「おや、ハンター試験を知らないのか。と、いうことはハンターも知らないのか?」

 

 物珍しいものを見る目でしげしげと見つめられる。

 スバルもハンターという職業があることは知っている。だが、それに資格がいるという話は、少なくとも向こうの世界では聞いたこともない。

 自分の無知をひけらかすように、胸を張って応える。

 

「まぁな、このナツキスバル、天衣無縫の無一文でな。ちょっとここら辺のことには疎いんだ。教えてくれると嬉しいです」

 

「ここら辺にって、相当無知か田舎で育ったのか……」

 

 そう前置きして、キツネ目は教えてくれた。

 ハンターとは珍獣や怪獣、財宝や秘宝、魔境や秘境といったこの世の未知を追い求めるものがなる職業だとか。ハンター試験に合格した者に与えられるハンターライセンスはほとんどの国をフリーパスで行けて、大概の公共施設もタダで使える免罪符らしい。ハンターになれば、この世界では安定した地位と名声を得られるということのようだった。

 

「はぁー、めちゃめちゃ凄いじゃんハンター。せっかくの異世界召喚だ。この試験で俺の秘めたる能力が発動しちゃうかもしれないし……」

 

 スバルの浅はかな目論見は、キツネ目に一笑される。

 彼はにこやかにかぶりを振って否定した。

 

「いやいや、お兄さんには無理だよ。ハンター試験は超難関。世界中の試験の中でももっとも突破出来ないと言われているんだからさ。ま、お兄さんもそれなりに鍛えてはいるのかもだけど、ハンター試験に挑むとなればまだまだだね」

 

「ハンター試験怖ぇ……。ゴン達凄いんだな」

 

 月並みな感想と共に店を見る。

 この中で行われるとしたら、やはりペーパーテストだろうか。文字も読めない自分には到底クリアできそうにないなと考える。

 

「もし本当にハンター試験を受けたいのなら、みっちり修行してみなよ。十年頑張れば、そうだね、一次試験は参加出来るようになるかもね」

 

「いやどんな無理ゲーなんだよ! 世界観設定バグってない??」

 

 十年で足下にちょこっと及ぶ程度とは、試験のレベルが高すぎるのか、潜在的な素質が低すぎるのか、スバルには推し量れなかった。

 

 キツネ目と別れてとぼとぼと歩く。スバルは今、ハンターライセンスに後ろ髪を引かれていた。捕らぬ狸の皮算用とはまさにこの事だ。

 しかし、一枚あるだけで身分証以上の効果を発揮してくれる資格は、今の後ろ盾のないスバルにとって非常に魅力的で、もしも何かの間違いで取れてしまったらと勘違い的妄想を働かせてしまうのも無理からぬことなのだ。

 

「はぁ、せめて一次試験だけでもどんなのか体験したかったぜ。俺のスーパーチートが発動してもおかしくないって言うのによ」

 

 広場をぐるっと一周し、元来た方向へ向かう通りに入りかけたところで、ふと苦しむような声が路地から聞こえた。

 

「……また路地か」

 

 どうしても、先ほどの物盗り達を思い出してしまう。だが、苦しんでいる声を聞いてしまった今、黙って見知らぬふりが出来るほどスバルは大人ではなかった。

 恐る恐る周囲の様子を伺いながら路地へと入る。するとそこには、お腹を抱えて丸まっている人がいた。ローブを着ていてよくわからないが、どうやら男の人のようだ。

 

「クソ、せっかくここまで来たってのに……はぅっ!!」

 

 男はなにやら無念そうに呟くと、真っ青な顔で閉眼した。誰の目から見ても、明らかに苦しそうだ。

 慌てて駆け寄って背中をさすった。

 

「もしもし、大丈夫かよオッサン」

 

「……だ、誰だ」

 

「通りすがりの純情ボーイだよ。それより、アンタ相当顔色わりいけどどうしたんだよ。賞味期限切れのハムでも食ったのか??」

 

「そうだ……はぁ、クソ、トンパの野郎……ふぐぅっ!」

 

「おいおい大丈夫かよ。大人しくしとけって」

 

 恨めしそうにトンパという奴を呼んだと思えば不調に体をよじらせる。下剤でも仕込まれたのだろうかと邪推していると、いよいよ深刻そうな表情に変わった男が、さすり続けるスバルの腕を力強く掴んだ。

 驚いて体を引くが、恐るべき強力で掴まれてしまい離れられない。

 

「おい、なんだよ離せ」

 

「おいアンタ。俺は、パンナビという。アンタに頼みがある……くっ!」

 

「無理すんな」

 

「黙って聞け! 俺は、今日ハンター試験に参加する予定だったんだ」

 

 大声で遮られ驚いた耳が、気になる発言をキャッチした。

 それは、つい先ほどキツネ目の男から教えて貰ったとんでも難関試験だった。

 

「ハンター試験?」

 

「あぁ。だが、ある男に下剤を仕込まれてしまって、このザマだ。おそらくもう参加は不可のうっ!!」

 

 苦しみに顔をゆがめながらも、言葉を紡ぐ男。荒い鼻息と額に浮かぶ玉汗が男の懸命さをこれでもかと伝えてきた。自然、聞き手のスバルの背筋も直っていく。

 

「だが、あの男――トンパは絶対に許せん。そこでアンタに頼みたいんだが、俺の代わりに試験に参加してトンパを、くぅっ! 試験から引きずり下ろしてくれないか……」

 

 思ってもみない状況だった。

 これは、スバルに替え玉受験をしてくれと言ってきているのだ。

 

「もちろん、アンタが試験を受かる必要はない。替え玉というのも、すぐにバレてしまうかもな。だが、何としてでもトンパを、トンパに一発かまして欲しいんだ!! 頼む!!」

 

 千載一遇のチャンスは、思ってもみないときに、想像もしないところから降ってくるもの。

 ハンター試験に参加するチャンスが目の前に到来した。彼の頼みはともかく、もしかして上手くやればハンター試験に合格するかもしれない。それこそ、スバルに秘められたチート能力が発動して見事に試験の難関を突破してしまうかもしれないのだ。

 この時、断るという選択肢がスバルの頭からなくなっていた。

 

 男の手を強く握って、スバルは応えた。

 

「任せとけ。俺がそのトンパって奴の横ッ面、ひっぱたいてきてやるからよ!」

 

 もちろん真の目論見はまた別の所にあったが、男にそれを知る術はない。

 安心したようで柔らかい笑みを浮かべる。

 

「あ、ありがとう……。私の鞄がそこに転がっている。その中にある替えのローブを着ていけ。向こうのレストランの前で女のナビゲーターが私を待っているはずだ。任せたぞ」

 

「ああ、任された」

 

 すぐに近くに放り出してあった鞄からローブを出して身につけると、顔がバレないように深めにフードを被ってさっきまでいたレストランへと急いだ。

 広場を突っ切ると、男の言うとおり目のぱっちりした女性が誰かを待っていた。彼女はスバルを見つけると、大きく手を振って、

 

「パンナビさん!! 早くー! もう始まっちゃいますよ!!」

 

「あ、ああ悪……すまない。少しトイレが手間取ってしまった」

 

 慌てて声色を変えて応える。女性はスバルを待たずに店内に駆け込むと「ステーキ定食! 弱火でじっくり!」と外まで聞こえる声で叫んだ。

 後を追って店内に駆け込むと、ちょうど奥へ続く扉が開かれるところだった。

 

「さ、中に早く!」

 

 促されるまま、中へ入る。扉が閉められたと思うや否や部屋の床が下へ緩やかに落ちていった。

 

「おぉ! なんだ、エレベーターなのか。なるほどな、こういう仕掛けでゴン達は消えたわけだ」

 

 それにしてもあたりまえのようにエレベーターがあるとは、思っていたよりも文明が発達した世界なのかもしれないなと考える。いやむしろ、現代でもこのような仕組みのエレベーターはなかった。自分の元いた世界よりも発展している可能性もあるとスバルは唾を飲み込む。

 どんどん下っていく部屋の中で、スバルの鼓動は対照的に加速していった。

 なりゆきで参加する事になってしまったが、果たしてどんな人が集まり、どんな試験が待ち受けているのだろうか。

 だが、その疑問の片方はすぐに晴れることになった。

 

「B100」の表示が光って、チーンという音と共に扉がゆっくりと開く。顔を上げて気圧される。

 

 そこは配管がむき出しとなった半円状の大きな通路だった。そこには沢山の人間が集まっており、いずれも顔つきが只者でないのはハッキリとわかった。

 豆頭の男に、番号札を渡される。そこには「406」の文字が。つまりここには四百人以上の受験生がいるということだった。

 

(どいつもこいつも、生半可じゃないってことか……)

 

 張り詰めた空気に肝を冷やしながらも、スバルはどこか楽しい気分で試験が始まるのを待った。




次回更新は十七日です。感想頂けると励みになります。


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マラソン×プライド×一次試験

 地下に下りたスバルがまず行ったのは、ゴン達を探すことだった。

 

 先ほどのキツネ目の話が正しければゴン達はここにいるはず。しかし、すぐに見つかるだろうというスバルの思惑は早々に外れてしまった。

 先ほどは三人に群衆の中にいても紛れないオーラを感じたのだが、ここにいる人間は誰もがそう言ったオーラを纏っており、かえってスバルが目立ってしまう始末だ。

 

「すげぇ人だぜ。どいつもコイツも人一人くらい殺してそうな目をしてやがる。はぁ、緊張しすぎて息が詰まりそうだ」

 

 スバルはコミュ障ではあったが、人混みが苦手なわけではない。

 だが、そう言ったモノとは関係無しに免疫のないものが酔ってしまうような気当たりがこの場には蔓延していた。

 ふらふらと足下おぼつかない様子で端の方へと進んでいると、よそ見をしながら歩いていたため何かにぶつかってしまった。

 目をやるとそこには、奇術師のような格好の男が立っている。

 

「あ、すいません。少しよそ見してました」

 

 慌てて謝った。様子を伺っていた周囲の人間から暗く低いどよめきが上がる。

 瞬間、ゾゾゾと背中を嫌な感じが駆け上る。

 目だ。スバルを捉える相手の目が、虚ろで狂気的だったのだ。これまで出会ってきた誰よりも鋭く闇を孕んだ瞳。本能で悟った。この男は危険だ。

 

 男はゆっくりとスバルへ手を伸ばしてくる。

 いや、ゆっくりではなかったのかもしれない。だが、スバルにとっては気が遠くなるほどスローモーションに感じたのだ。

 体が逃げろと悲鳴を上げる。しかしそれとは裏腹に足は微動だにできない。ゆっくりと、ゆるやかに男の手がスバルへと近づいていた。

 逃げろ、逃げたい、逃げなければ、逃げられない、逃げるには、逃げよう、逃げろって。

 つつ、と頬を伝う汗が、落ちた。

 

「ん、気をつけてね♧」

 

 ポンとスバルの肩に手を置くと、踵を返して男は離れていった。

 

 緊張の糸が切れてしまい、その場に力なく座り込む。

 どうやら、怒りを買ったわけではないらしい。肺に溜まっていた空気を深くゆっくり吐き出した。

 乱れた呼吸を整えながら、今ほど生きていることを実感した瞬間はないと真に噛みしめる。群衆の中から男が一人出てきてスバルの横にしゃがみ込んできた。

 

「おい兄ちゃん、よかったな。命拾いだぜ」

 

 やはり、端から見ても相当危険な状況だったようだ。

 男はスバルと同じ目線で奇術師を見た。

 

「あいつは、奇術師ヒソカって野郎だ。去年合格最有力と言われながら、最終試験で試験官を半殺しにして不合格になった、とんでもねぇやつだよ」

 

「試験管を半殺しって、そんな奴でも受験できるのかよ」

 

「それがハンター試験さ。その年の試験管が合格と言えば、鬼でも悪魔でも合格出来ちまうんだよ。ほら、そこみてみろよ」

 

 そういって男が指さした先の壁には、なんと人間が半身めり込んだ状態で気絶していた。

 

「はぁ!? な、なんだよアレ!」

 

「ヒソカにさっきぶつかった男さ。そのまま突っかかったと思ったらあのザマだぜ。ありゃあ、もう試験は無理だろうな」

 

 男は静かな表情で壁を見つめる。

 つまり、先ほどのスバルもすぐに謝らなければあの男の二の舞になっていたということか。間一髪を生き延びた事を察して、再び悪寒がぶり返してきた。

 

「気をつけるんだな。何も試験は試験官だけが敵じゃないってね。あいつには近づかない方がいいよ」

 

「あぁ、身に染みてわかったよ。ありがとな。アンタ、名前」

 

 そう訊ねようとした瞬間、けたたましいアラームが鳴り響いて、あまりのうるささに思わず耳を塞いだ。

 音の方向へ顔を向けると、髭を西洋貴族のようにカールさせたスーツ姿の紳士が配管の上に座ってスバル達を見下ろしていた。

 試験官だと、不思議なことにわかった。

 

「ただいまを持って受付時間を終了とさせて頂きます」

 

 やけに落ち着いた声でそう告げた紳士は、配管から下りるとぐるりと周囲を伺って、

 

「では、これよりハンター試験を開始いたします」

 

 その言葉は、場にいる全員の緊張感を高めた。

 ついに始まるのだと、へっぴり腰を正して構えるスバル。構えたのはスバルだけではない。ここにいる全員が、少なからず身構えたのだ。

 変な空気に包まれる。

 紳士は群衆を縫ってスバル達が入ってきた扉とは反対方向に歩き出した。

 

「さて、一応確認いたしますがハンター試験は大変厳しいものであり、運が悪かったり実力が乏しかったりすると、怪我をしたり死んだりします。それでも構わないという方のみ着いてきて下さい」

 

 なんて恐ろしい忠告だろう、と思う。同時にそれが決して大げさでもなければ、変な冗談でもないと言うこともわかった。

 先ほどのヒソカだけではない。この先で待ち受けること全てが、スバルにとって前代未聞で、辛く苦しいことなのかもしれないと。

 

 その試験に挑むには、スバルはまだ心づもりが出来ていなかった。

 躊躇は行動として表れる。尻込みするスバルを横目に、参加者達は次々と紳士の後を着いて歩き出したのだ。

 

「おいおい、誰もリタイアしないってか。どんな覚悟してるんだよ」

 

 逃げ出すなら今のうちだ。スバルはたまたまここに来られただけで、路地で権利をくれた男のためにトンパを殴る必要もなければ、この試験に参加する目的も乏しい。

 だが、スバルは勘違いをしていた。異世界召喚というシチュエーションだけで、自分に何でも出来る主人公補正が働いているのだという全くお門違いの思い込みがあったのだ。

 

「毒食わば、皿までってな。よっしゃ、やってやるぜ」

 

 一念発起して立ち上がる。最後尾について試験の参加を決めたのだ。

 誰一人としてその場に留まらなかったのを確認して、先頭に立つ紳士は表情一つ変えない。

 

「承知しました。第一次試験参加者四百五名ですね」

 

 今年は何人死ぬんだろうな。

 その誰かの呟きが、スバルの耳の中に妙に響いていた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 歩き始めて数分、目的地が見えず一体一次試験とやらはどこで行われるのか誰もが気にしていると、変化はすぐに出た。

 

「……? なんだ、前の方が急ぎだしたな」

 

 周囲の歩幅が広がり、だんだんと歩くペースも上がっていたのだ。どんどん集団のペースは加速する。そしてあっという間に、歩くというよりも走ると言った方が正しい早さになってしまった。

 

「なんだよ、やけに速いじゃないの!? 一次試験の前に変に疲れちまうじゃねぇか。いやいや、むしろライバル達の体力が少しでも削れてくれると思えば、ラッキーなのかも……?」

 

「申し遅れましたが」

 

 スバルが適当な独り言を話していると、先頭の紳士が口を開く。

 注視してみれば、なんと彼は速歩の挙動をしているではないか。

 

「に、人間じゃねぇ……」

 

「私、一次試験担当のサトツと申します。これより皆様を、二次試験会場へとお連れいたします」

 

 涼しい顔でぐんぐんと先を急ぐ試験官――サトツ。

 と、気になることを言った。『二次試験会場にお連れします』と言うことはつまり……?

 

「すでにお気づきの方もおありでしょう。二次試験会場まで着いてくること。これが一次試験でございます」

 

 どうやら察したとおり試験官の後ろを着いて走ることが一次試験であっていたようだ。

 妙な試験だなと感じる。

 スバルにとって受けた試験の経験は、せいぜい進学のためのペーパーテストだけだ。体力テスト、というわけなのだろうが。

 

 額面通り受け取れば、これは持久力を試す試験ということになる。しまった、先ほどの軽口はスバルの体力を無駄に削ることになっていた。

 ふと、キツネ目の言っていたことを思い出す。ハンター試験は世界一難しい試験だと。となれば、このマラソンもきっと生半なものではないはずだ。三キロや五キロといった市民マラソンと同レベルでは、お笑い草だ。

 

「すると十や二十は見ておいた方がいいな。だが、俺もまた鍛えてるからな、半端な距離じゃ音は上げねぇぜ」

 

 黙々と走る一同の最後尾につけながら、スバルはそんなことを思い走り出した。

 

 しかし、スバルの目算はやはり甘かったのだと思い知らされる。

 走り始めて、なんと三時間が経過していた。

 

「ぜひゅー……、ぜぇ、ぜぇ、ひゅー……」

 

 一体、どのくらいの距離を進んだのだろうか。少なくとも二十キロなどはとうの昔に通過していた。

 なけなしの気合いでやっとこさ後ろを着いて行ってはいるものの、もう足は上がらず、見えている背中もみるみる内に遠くなっている。

 足は糸が絡まったように自由に動かない。地面に張り付いて剥がれないのだ。

 

 舐めていた。ハンター試験も、ここに集まる参加者達も。もはや自分に秘められたチートに期待する心の余裕すらなくなっている。

 スバルは、むしろ褒めたかった。たかだか異世界に召喚されただけのただの一般人がここまで精鋭達に食らいついて走り続けたこと。

 最近、こんなに頑張った思い出があったろうか。

 

 泥にまみれたような体は、そしてついに動きを止めてしまった。

 地面に両膝をついて、倒れ込む。肺が潰れそうだ。吸っても吸っても取り込む酸素が足りない。空気が喉を勢いよく通って痛い。頭はガンガン締め付けて、何ももう考えられなかった。

 

 止まってしまった。立ち上がらなければと思う。

 だが、地面に落ちる足が、浅い呼吸を繰り返す肺が、揺れる視界が、それは叶わないことをスバルに無情にも告げていた。

 

(落ち着け、俺。こういうときは焦っちゃだめだ。まずはゆっくりと息を整える。それから。……スーッ、オーケー、大丈夫だ。整えろ、整えろ。先頭集団もスピード自体は着いていけるんだ。取り戻せる、大丈夫)

 

 何分経っただろうか。

 スバルは再び前へと進み始めた。

 

 さっきまでのように軽快な足取り、と言うわけでは決してなかったが、一歩ずつ確かに歩みを進めた。

 どのくらい離されたのか、一次試験はまだ続いているのか、スバルにはわからない。

 けれど進んだ。それは自分自身を追い込むように。スバル自信も自分にまだこんなにも根性があったのかと驚きを隠せない様子だった。

 

 進んで、進んで、進み続けた先にふと足を止める。

 

「これは……、どっちだ」

 

 現れたのは二叉に別れた分岐路だった。進行方向を右と左に別れている。

 

「ったく、しまったな。分岐点かよ。セーブポイントだろこれは。もしもし運営さん? 上書き保存できないんですかー?」

 

 しょうもない軽口を叩いている場合ではない。おそらく、道を間違えれば先頭集団に追いつくことはもう二度と出来ない。重要な場面だ。

 

 ペロリと指先を舐めて、頭上に掲げる。子供の頃洞窟に入っては良くやった手だ。空気が流れる方向がわかるのだ。

 だが、

 

「どっちもわかんねぇぞ。もしかしてこの先当分地下か?」

 

 仕方ないので、山勘にでも賭けようかと思ったその時、ふと右の通路から漂う香りに気づいた。

 それは甘く、魅力的な香りだった。抗いがたい魔力を秘めていた。

 

「これは、右に行くっきゃねぇな」

 

 そう決めて、右へと足を向ける。

 右の通路も、初めは今までと同じ様子だったが、奥へ進むにつれてだんだんと匂いが濃く強くなっていった。

 所々に植物のツタのようなモノも見える。

 

「もしかして、こっち間違いだったのか? いや、俺の野生の勘がこちらの道で正しいと――」

 

『おはよう、菜月くん』

 

 聞こえてきた声に耳を疑った。

 

『今日は学校来るの早いんだね、ビックリしちゃった』

 

 その声に聞き覚えなんてなかったけれど、その言葉はスバルの脳裏にしっかりと染みついている。

 速まっていく動悸、高まる不安。

 ふと顔を上げると、そこにはなぜか鏡があって、そこに写っていたのはただの惨めな高校生だった。




次回更新は十八日です。


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トラウマ×爆発×ド根性

 スバルが引きこもったことに大した理由も、ドラマもなかった。

 ただ当たり前に失敗して、ありふれた様で閉じこもっただけ。

 しかしだからといって、それがスバルのトラウマがまったくちっぽけなことだという意味にはならない。

 

『あ、――おはよー。えー、マジヤバいじゃん』

 

 クラスメイトだったかすら、今はあやふやな影達。それでも鋭敏に感じ取ってしまう。クラスの中に漂う疎外感と孤独。

 居心地の悪さ、視線、全てが圧となって、重くスバルにのし掛かってくる。

 

『――――。――、――』

 

『――、――――――』

 

 話し声が近いようで致命的に遠い。それなのに耳元でハッキリ聞こえてくるこれは、では一体何なのか。

 何も考えなくても良いように机に突っ伏した。眠たくなんかない。どうしようもなく退屈なのだ。だがしかし、手持ち無沙汰というわけでもない。何も出来ず、何もやることがなく、何もしていないと落ち着かず、仕方なく「僕は寝ていますから話しかけないでね」というポーズをとっているにすぎない。

 

 気がつけば教室には人が溢れていた。

 視線が気になる。きっと、誰も自分なんて見ていないと確信しながら、それでも心のどこかで誰かの視線を感じてしまって、それが悪意あるものなのではないかと怯える。

 いや、そこに悪意などあろうはずもない。無関心と不干渉。誰も自分を気にしていない。それでいい。それが良い。だって――

 

『菜月、おはよ!』

 

 誰かが声をかけてきた。

 知らない誰かだ。

 

『おいおい、寝たふりしてるのはわかってるんだぜ。なにやってんだよ、もう授業だぞ』

 

 薄く目を開けて顔を伺う。

 知らない。こんな奴は知らない。知らないから返事が出来ない。だって、友だちじゃないのだから。

 

『おい皆見てくれよ! こいつズッと寝たふりしてる気だぜ!』

 

 違うと否定する。スバルは本当に寝ているのだ。今は眠りが浅いだけで、本当の本当に眠いのだ。

 この後の授業の為に、体力を温存しなければならない。遊んでいる時間はない。だから、

 

『これで寝たふり出来てるつもりなんだ』

 

『っていうか、いっつもこうしてるよね。誰か話す人いないの?』

 

『さぁ、見たことないね』

 

『いっつもすかした態度で窓の外見てるよね。カッコつけてるんだよ』

 

『正直キモいわ』

 

『あいつ、――の事好きらしいぜ』

 

『マジ止めて。キモい』

 

『なんで学校来てるんだろな』

 

『来なくて良いのに』

 

 そうだ。どうして学校にいるのだ。

 スバルはとうに引きこもっていたはずなのに。

 こんな所に来て、何か出来るとでも思い上がったのだろうか。自分の無力を、矮小さを忘れたわけではあるまいて。それなのになぜ、こんなところに――。

 

「起きろ!!」

 

 声がした瞬間、スバルの体は地面に叩きつけられた。

 背中を激しく打つ、遅れて頬に痛みが走る。

 苦痛に顔を歪めて、恐る恐る目を開けるとそこにはクラスメイトはいなかった。

 

 あったのは、ただ暗く、広い通路。甘い香りに、数人の人影。

 だんだんと意識がハッキリしてきて、スバルは思い出す。

 

「そうだ……。俺は確か、ハンター試験に」

 

「起きたか。意識はハッキリしているようだな」

 

 スバルの正面に立つ民族衣装を着た少年が、真剣な面持ちで見下ろしていた。

 彼には見覚えがあった。そうだ、ゴン達と一緒に路地裏に助けに来てくれた確か……。

 

 そう思考を巡らせていると、後ろにいる二人も顔を出す。

 

「あれ? お前は確か……」

 

「路地裏の人だ! なんでここに!?」

 

 こちらも見覚えがある。というか、件のレオリオとゴンだった。あと一人、猫目の少年こそわからなかったが、この三人は見まがうはずもない、路地裏でスバルを助けてくれた張本人だ。

 

「どうして、ゴンがここに……。というか、さっきの奴らは」

 

「幻覚だよ」

 

 猫目の少年が間髪入れずに言葉を挟む。

 

「惑わし杉って言ってね。昔から暗殺者の間で使われてる幻覚を見せる木なのさ。お兄さんはその樹液を嗅いで幻覚を見てたってわけ」

 

 鬱陶しそうに樹液を睨みつけて説明してくれた。

 という事は、先ほどまでのクラスメイトはスバルが見た幻覚だったと。随分嫌な思い出をピンポイントに見せてくる木だ。暗殺者が好んで使う理由が、スバルにはわかった気がした。

 

「って、それならお前らは大丈夫だったのかよ」

 

「私とそちらのスーツも幻覚を見ていた」

 

「俺は平気だったよ」

 

 民族衣装がレオリオを指で示す。

 ゴンは平気だったというが、なんとなくそれっぽいなと顔を見て思ってしまった。

 

 どうやらスバルは再びこの三人に助けられてしまったらしい。

 

「無駄話も良いけどさ、急がないと置いてかれるぜ」

 

 ハッと気がつく。そうだった。今はハンター試験の途中で、先頭集団からスバルは大分離されていたのだ。

 ゆっくりと三人にありがとうを伝えたかったが、グッとこらえる。今は先を急がなければならない。

 

「どうするんだよ。もう結構先に行かれちゃってるだろ」

 

「それなんだがな。ちょっと音と熱風がキツいかもしれない。君もこらえろよ」

 

 言うや否や、民族衣装の少年はなにかに火をつけると壁に向かって思いっきり投げつけた。

 このアイテム、スバルは見覚えこそなかったが心当たりがあった。

 

 古くはアルフレッドノーベルがニトログリセリンに改良を施して土木作業の為に使われたという兵器。

 世界大戦時は多くの人の命を奪ってきた、悪魔の道具。

 そうつまり――、

 

「爆弾?」

 

 考える間もなく、スバル達の姿は閃光に消えた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

 場所は変わり先頭集団。

 小太りの男がのろのろと走る他の受験生を押しのけて前へと進んでいく。

 するとそこに、お揃いの帽子を被った二人の男が絡んできた。

 

「へっ、新人潰しのトンパさんよ。またやってきたのか」

 

 からかいも含まれた言葉に小太りの男――トンパは口の端をつり上げる。

 

「まぁな、こればっかりは止められなくてね」

 

「おぉ、怖い怖い」

 

 ケケケと笑って離れてく二人。

 それを見送ることなく、トンパはただジッとゴン達のことを考えていた。

 

 今年は思えば随分とクセのある新人が揃っていた。

 忍者姿のハンゾーは何人か「やってる」やつの目をしていたし、ゴンとかいう子供も並外れた野生の勘で下剤入りジュースを避けた。

 結局ジュースを飲んだのは会場に入る前に出会ったパンナビとかいうローブの男と、猫目のガキの二人だけ。しかし結局どちらも会場に現れた上、猫目のガキは逆にトンパを脅してくる始末。

 だがしかし、ローブは勝手に自滅し、ゴン達も惑わし杉のある道へ向かわせられた。

 トンパはほくそ笑む。奴らが潰れた時の表情を直接拝むことこそ出来なかったものの、今年もまた生意気なルーキーを潰すことに成功したのだから。

 

 と、その時。低い地鳴りに似た音とわずかだが確かな揺れがトンパ達の足を止めた。

 

「なんだ? 地震か?」

 

 たまったものではないと思う。

 ハンター試験に使われる建物がそう簡単に壊れるとは思わないが、地下で地震を受けることがどんなに怖いことか。

 他の受験生もまた同じ思いだったようで、皆しきりに周囲を見回しては揺れが収まるのを待っていた。

 

 勘弁してほしい。今は新人を潰せた余韻に浸らせて欲しいのに。

 すると――、

 

「「「「「わぁーー!!!!」」」」」

 

 けたたましい音が響いて、後方の壁が勢いよく破壊された。

 爆風と熱がトンパの体に勢いよく突き刺さる。

 

 視界が曇り、全員が突如現れた侵入者に身構えた。

 そして、

 

「ててて……乱暴すぎるだろ……」

 

「だがこれで、先頭集団に追いつけた」

 

 ホコリを払いながら立ち上がる彼らに、トンパは度肝を抜かれる。

 それは先ほど自分がこの手で惑わしの杉のある道へ送り込んだゴン達だったのだ。

 

「一体何事ですか」

 

「え、へへへ。ごめんなさい。壁壊しちゃった」

 

 表情を変えずに溜め息をついたサトツに、ゴンが頭を掻きながら謝る。

 つまり、彼らは壁を壊して右の道から左の道へと突っ切ってきたと言うわけだ。

 発想もさることながら、その行動力にはその場にいた誰もが舌を巻く。

 

 明らかに不測の事態。にもかかわらず、サトツはケロッとした顔で、

 

「壊してはいけないとは、一言も言っていませんよ」

 

「そ、そんな……」

 

 思わず呟いてしまった。声に反応したレオリオがトンパを見つけ、勢いよく駆け寄ってくる。

 逃げる間もなく胸ぐらを捕まれてしまった。

 

「てめぇだけは許さねぇ!」

 

 鬼の形相で睨みつけられて怯んでしまう。今年のルーキーは一体どうなっているんだ。

 今にも殴りかからんとするレオリオを止めたのは、なんと意外にも同じくトンパに罠にかけられたゴンだった。

 

「止めなよレオリオ」

 

「うるせぇ、ゴンは頭にこねぇのかよ!!」

 

「テストに障害はつきものだ」

 

 民族衣装の男――クラピカもゴンに加勢する。二対一で押し切られて、レオリオは渋々トンパを離してやった。

 誰かが呟いた「こりゃ、今年も荒れるな」という言葉が、やけに響いていた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「ゴン、キルアに、クラピカ、レオリオか。さっきはサンキューな。俺ってばマジ感激すぎてシゲキックスだぜ」

 

「シゲキックス、と言うのがなにかはわからないが、お礼を言っているのならばどういたしましてと言っておこう」

 

 再び走り出した一同。スバルはクラピカとレオリオと一緒に必死で前に進んでいる。

 

 一団は長い長い直線から、今度は先の見えない上り階段へと移動したところだった。

 戦闘を行くサトツは表情一つ変えずに、けれど二段飛ばしで上へ登っている。いったいどうなっているのだろうと、スバルは首を傾げた。ちなみに、ゴンとキルアはサトツの後ろにピッタリとくっついている。彼らもまたすさまじいお子様である。

 

「それにしても、まさかアンタもハンター試験の受験者だったとはな」

 

 意外そうなレオリオ。

 当たり前だ、路地裏でチンピラに追いかけ回されるような奴を見てハンター試験の受験者だと思う方が無理がある。

 普段なら適当なジョークでもって返すところだが、何分全力疾走で疲れているスバルには冗談に使う為の頭の容量は残っていなかった。

 

「ちょっと事情があってな。急遽俺も参加することにしたんだ。あぁ、自己紹介がまだだったな。俺の名前は菜月スバル天衣無縫の一文無しにして、ハンター試験のダークホース!」

 

「自分でダークホースって言うもんじゃねぇよ。スバルか、よろしくな」

 

 ややペースが上がってきた。

 サトツから声がかかる。

 

「ラストスパートです。ペースを上げますよ」

 

 参加者から不満の声が漏れるも、構わずにぐんぐんスピードが上がっていった。

 もちろん、スバルにとってこの集団に着いていくことは容易ではない。

 だが、

 

「うおおおおおお!! ハンター試験がなんぼのもんじゃい! こちとら家で両親からのプレッシャーもはね除けて引きこもってる天性の男だぜ! ど根性だぁあああ!!!!」

 

 ラストスパートと声がかかれば、自分のありったけを振り絞れた。

 足は重い、行きも辛い。けれどさっきよりは動きやすい。

 そうして走っていると頭上に光が見える。

 

「外だ!」

 

 こうしてスバル達は走った。走って、走り続けた。

 

 出口から体を転がり出す。呼吸が荒く、けれどどこか心地良い。

 スバルは走りきったのだった。ハンター志望の猛者達に紛れて、長い長い距離を走りきったのだ。

 

 目の前に広がるのは途方もないほどの湿地だった。ツンとした草いきれが鼻につく。小さな虫が周囲を飛び回っていて、気持ちが良いとは言えない景色だ。

 けれどそこは日本で見たことがないほど野生で溢れており、スバルの目を奪うには十分過ぎるほど迫力があった。

 

「ヌメーレ湿原。通称詐欺師のねぐら。二次試験会場へはここを通っていかなければなりません」

 

 サトツの落ち着いた声がする。

 スバルの呼吸はまだ整わない。

 

「この湿原にしかいない珍奇な動物たち。その多くが人間を欺いて食料にしようとする、狡猾で貪欲な生き物です」

 

 重々しい機械音に振り返ると、たった今スバル達が出てきた出口がゆっくりと閉じられていくところだった。

 あとわずかで体力の尽きた者が恨めしそうにこちらを見る。

 後戻りは出来ないらしい。

 

「十分注意して着いてきて下さい。騙されると死にますよ」

 

 恐ろしい注意文句が、再びスバルを不安へと突き落とした。




次回は20日更新です。


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奇術師×トランプ×詐欺師の罠

 サトツの先導で、スバル達は再び走り出す。

 湿地独特の足場の悪さはあったものの、概ね地下道と変わらない。多くの参加者が始めそう考えていた。だが――、

 

「不味いな。霧が濃くなってきている。このままでは前とはぐれてしまいかねないぞ」

 

 クラピカの懸念はまさしく正しかった。

 一定のペースで前の集団を追うが、背中に霧がかかりだんだんと見えにくくなってきていた。

 

 足下がタダでさえおぼつかないというのに、視界まで遮られてしまっては走ることさえままならない。

 ペースを上げたいのはやまやまだったが、スバルは今の早さを維持することで目一杯で加速など絶対に不可能。ならば、前の背中を見失ってたまるかと、目をこらして走るのだった。

 

 その時、先頭付近を走るゴンから声が飛んできた。

 

「クラピカ! レオリオ! キルアが前に来た方がいいってさ!」

 

「どあほ~、行けるならとっくに行っとるわい」

 

 レオリオがぜえぜえ息を漏らしながら答える。そこには緊張感のかけらも見られない。

 どうやら体力の限界なのは自分だけではないようで、スバルは内心ホッと胸をなで下ろす。

 

「やっぱ、前からはぐれないためにも、前に行った方が良き目ってことだよな」

 

「それもあるが、何よりもあの男の近くを走っている方がまずい」

 

 付け加えたクラピカ。

 あの男、とは言うまでもなくヒソカのことだ。スバル達から少し離れたところを、汗一つかかずに走っている。不気味に微笑む彼からは、言い尽くせぬ居心地の悪さが漂っている。

 

「今にもPKしそうな面してやがるぜ。俺はまだ死にたくねぇ!」

 

「冗談、と言い切れないのが奴の怖いところだ。出来るだけ離れるしかあるまい」

 

 クラピカもまた、レオリオやスバルと違って余裕のある表情だった。

 それなのにスバル達と併走しているのは、ヒソカに襲われたときの盾にでもするつもりではないだろうかと邪推する。

 と、前を行くレオリオが進路を変える。

 

「わっと、危ねぇな。急にどうしたんだよ」

 

「見ろ。前を走っていたやつらだ」

 

 指が示す先にいたのは目を回して倒れている受験生だ。

 皆一様に顔を青く染め上げ、中には泡を吹いている者もいる。明らかに異常事態。

 

「とんでもデバフ盛られてやがる……。回復のポーション使う? 俺、持ってないけど」

 

「おそらく、この付近に生息している生物にやられたのだろう。私達も気をつけて進もう」

 

「そういえば、さっきから悲鳴があちこちで聞こえてくるが。もしかして、他にもやられてる奴らが出てるってことなのか」

 

 詐欺師たちのねぐら。一歩間違えば命を落としかねない世界。

 今この瞬間も起きている命の奪い合いに背筋が凍る。

 

「お、おい。前の奴らに置いてかれちまうぞ。騙されて喰われる前に、一刻も早くこんな物騒なとこ抜けちまおうぜ」

 

「待て!」

 

 前にいる集団にくっついて先を急ごうとするスバルの肩が、クラピカによって強く掴まれた。

 瞬間、前を走っていた受験生が宙へ浮いた。

 いや、浮いたのではない。喰われたのだ。周囲に完全に溶け込んだ見たこともない巨大生物が、一口で受験生を丸呑みにしてしまった。どうやら先頭集団と思っていた影はその生物の擬態だったのだ。

 一歩間違えれば自分が食べられていた事実に、スバルの足が止まった。

 

「おいおいおいおい、どうなってんだこりゃ」

 

 レオリオも驚きで後ずさっている。気がつけば先ほどまでスバル達の後ろを走っていた集団がまるごとごっそりいなくなっていた。

 

「どうやら、後ろを走っていた連中はそっくりそのままはぐれてしまったようだな」

 

 はぐれないように先を急ぎたい気持ちと、がむしゃらに急ぎすぎるとかえって危険という不安がジレンマとなってスバルから俊敏さを奪っていった。

 そしてそれは致命的な遅れに繋がる。

 

 スバルの足を、何かが掠めた。一瞬の痛みに顔を歪め、その掠めたところをみると、自分の着古したジャージがぱっくりと割れていて、そこから血が出ている。

 

「痛ぇ!!」

 

 声を上げたのはレオリオだった。

 その叫びで、スバルも我に返る。自分の足が何物かの攻撃によって切られたのだ。思い出したように痛みが傷口付近に広がっていった。

 

 何物かの攻撃、とはいうもののその場にいる全員が攻撃を仕掛けた人間が誰かわかっていた。

 おかしな服に可愛らしい星としずくのマークを両頬に描いた白塗りメーク。不気味な色を携えた細い眼差し。奇術師ヒソカだ。

 

 レオリオの肩にささったそれはトランプだった。

 スバルの知る限り、トランプは普通紙で出来ていて、間違っても何かを切断したり、まして何かに突き刺さることなどありえない。

 とどのつまり、それはスバルのあずかり知らない素材で出来たカードか、もしくは得体の知れない力が込められたカードか。

 

「どっちにしろ……、やばい状況なのは間違いないな」

 

 ジワジワと芯まで届く痛みは、熱感を持ってスバルを蝕む。

 一歩動かそうとすると刺すような痛みが足を走って、立っていることすらままならない。しかし目の前の相手は背を向けられるような隙を与えてくれそうにはなかった。

 

「なにしやがんだてめぇ!!」

 

 レオリオが口汚く叫ぶ。

 それに眉一つ動かさない奇術師は、トランプを手で弄びながらゆっくりと近づいて笑う。

 

「試験官ごっこ♡ 審査委員会の仕事を手伝ってあげようかなと思ってね♤ ボクが判定してあげるよ、君たちがハンターに相応しいかどうか♧」

 

 その結果が攻撃とは、なんと荒々しいことだろうか。

 しかし容赦のないプレッシャーで萎縮したスバルは、ただ彼を睨みつけることしか出来なかった。

 

 すると一人の受験生が進み出てヒソカを嘲る。

 

「判定!? 笑わせるなよこの阿呆が。この霧では一度見失ったら最後、怪物たちに喰われるしかない。つまり、お前も俺達と同じ不合格者なんだyl?」

 

 喉を切られて、言葉途中に男は倒れ死ぬ。

 ヒソカは心外とでも言いたげに頬を膨らませる。

 

「失礼だな♤ 君と一緒にするなよ♧」

 

 そして地面に伏した男を見下ろすと、

 

「冥土の土産に教えて上げるよ♡ 奇術師に、不可能はないの♢」

 

 そのまま、男は息絶えてしまった。

 殺された。今目の前で殺された。呆気なく殺された。スバルよりもずっと頑丈で、スバルよりもずっと屈強な男が、一瞬で殺されたのだ。

 

「ふざけるな!!」

 

 気がつけば、他にいた受験生がヒソカをグルリと囲い込み各々の武器を構えて目の前のふざけた男に対峙しているではないか。

 

「お前にハンターになるしかくなどない! いまここで死ね!!」

 

「無理なのに♤」

 

 ヒソカの呟きも聞こえなかったようだ。

 そこからは一瞬の出来事だった。

 トランプを一枚だけ手にしたヒソカが襲いかかる受験生の波の中で的確に素早く無駄のない動作で次々と攻撃を繰り出し、避け、あっという間に全員を倒してしまった。

 

「君たちまとめてこれ一枚で十分だったね♢ もちろん全員不合格♡」

 

 あっけなさ過ぎる。

 あまりにも現実離れしすぎた光景に動けない。息も出来ない。

 

 くるりと体を反転させてヒソカはスバルたちを眺めた。

 

「残るは君たち三人だけだね♧ 誰からやるのかな♡」

 

 そう言って、一歩、また一歩と距離を縮めてきた。

 想像以上のプレッシャー。あの時、ぶつかってしまった場面よりもよっぽど怖かった。

 

「レオリオ、スバル。私が合図をしたら一斉に走るぞ」

 

 クラピカがそう言った。

 

「どんな殺し屋でも、人を殺すときは必ず一瞬の躊躇が現れるもんなんだ。だが、あいつにはそれがない。今の我々が三人束になっても勝ち目はないだろう」

 

 クラピカですらも、そう悟ってしまうほどの実力差。

 天地がひっくり返ってもスバルが敵う道理はない。飲むしかない。

 レオリオも悔しげに納得した。

 けれど――、

 

 足が動かない。

 

 キズのためだけではない。恐怖が、スバルの体から自由を奪っていたのだ。

 

「今だ!」

 

 準備の整わぬうちに、クラピカとレオリオが明後日の方向に走り出す。

 

「いいね♢ 良い判断だよ♤」

 

 完全に出遅れたスバル。

 慌てて後を追おうとして、足が絡まり転んでしまった。

 

「ほとんど言うことはないよ、実力差をわきまえた良い考えだ♢ 残念なのは君たちの一人がこんなにも情けなく地面に転がってしまうような弱虫だったということかな♤」

 

 逃げなければ、殺される。

 慌てれば慌てるほど、上手に立つことが出来ない。

 

 土まみれになりながらも、這い這いで懸命に少しでも遠くに。

 

「それじゃあ、バイバイ♡」

 

 遠くに行こうとする指が、切られた。

 喉が切られた。足が切られた。腕が切られた。頭が切られた。

 痛い。けれどそれは一瞬で。

 あれ、でも、ならば。

 この熱は。

 匂いは。

 

 こうして、ろくに痛みを感じることもないままで、ただ途方もない恐怖の中に落とされながら、実に簡単にスバルは息を引き取った。




次回は21日更新です


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再開×ほほえみ×予知能力?

ハンター試験編、一回目の死に戻りです。
そも物語がハードすぎて全然先に進まない……
さっさとヨークシンまで行きたい……
スバルくんに念覚えて欲しい……


「――十分注意して着いてきて下さい。騙されると死にますよ」

 

「は――?」

 

 試験官の恐ろしい注意文句に、スバルは思わず間の抜けた反応を出してしまう。

 その様子に、隣に立つ民族衣装の少年が横目で、

 

「どうしたスバル」

 

「いや――」

 

「……そうか、まぁ、無理もない。ここからは気を引き締めて走らなければ、ここの獣たちに喰われて死ぬだけだからな」

 

 彼――クラピカの言ったことと、彼の端正な顔を交互に見比べていると、

 

「なんだ? 私の顔に何か付いていたか?」

 

「え、別に……」

 

「気を抜くなよ。少し嫌な予感がするからな」

 

 素っ気なく話を打ち切られて、大人しく押し黙る。

 スバルはあたりを見回しながら、

 

「え? え? ――どゆこと?」

 

 疑問と当惑に、誰へ向けたものでもない問いを吐き出すのが精いっぱいだった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 地下道の出口だったそこは少し疲れ顔の受験生で埋まっており、その視線の先に広がる湿原には野生の凶暴生物の気配が辺り一面に漂っている。

 

 雲がかかって薄暗くはあるが、まだ日差しの高い時間だ。気温は少しだけ肌寒いが、隣に立つスーツの男――否、先ほどまで着ていたスーツを脱ぎ捨てているレオリオを見ると「寒くないのか」という感想がぼんやりと脳裏をかすめる。

 かすめるのだが、

 

「そんなしょうもない感想かましてる場合じゃねぇぞ。えっと、なんだ!?」

 

 頭を抱えて腰をツイスト。その場で渾身の苦悩のポーズを披露するスバルに、周囲から視線が集中する。

 この状況には覚えがあった。というか、ほんの数時間前に体験している場面だ。

 

「そう、数時間前……の、はずなんだが」

 

 言いながら周囲を見回し、少なくとも遠くが見通せる景色にスバルは首を傾げる。

 遠くが見通せる、のだ。少なくとも、スバルの認識ではさっきまで周囲は濃い霧に囲まれていたはずなのに。

 

 この感覚もスバルにとっては初めてではない。

 異世界――この世界に連れ込まれたときも、彼は環境の激変を体感している。それだけに衝撃は最初ほどではないのだが、明確にそのときとは違う条件がある。

 

「傷……ねぇな」

 

 ジャージの裾をまくって、自信の足を確認しての呟きだ。

 ヒソカのトランプを模した凶器に切り裂かれ、ろくに立てないほどのダメージを負っていたはずの傷跡がそこには存在しない。当然、縫った跡もなければ服に血が付いている形跡もない。

 それどころか、愛用のジャージにすら切られた跡は見当たらなかった。

 全力疾走による体力消耗はあるが、怪我などはない万全の状態。

 

 ――頭がおかしくなりそうだった。

 

「異世界召喚ってだけで俺のキャパ超えてんのに、どうすんだよ、この状態……」

 

 先ほどヒソカとの戦闘でスバルが負った傷は明らかに致命傷。意識が落ちた瞬間に確実に死を感じたほどのものだ。

 あれほどの傷が跡形もなく消えるなど、魔法でもなければ信じることが出来ない。ここは異世界なのだから魔法があっても不思議でないが、まだスバルはそれを目の当たりにはしていない。

 

「もし本当にそんなスーパー凄い回復魔法があるなら、命の価値がだいぶ薄れるが……いや、それ以前に誰が? いつ? どうやって?」

 

 記憶の混濁が多少見られるのを意識して、スバルは意識を失う寸前のことを懸命に思い出す。

 そう、トランプによって切り裂かれて殺されかけたのだ。

 試験の途中で試験官ごっことやらをするヒソカに遭遇して、大量の死体の山を作り上げたふざけた奇術師にスバル自身も襲われた。そして死に瀕する状況下で――。

 

「生き延びたのか……?」

 

 そうとしか考えられないが、しかしだとすれば奇妙な点がある。

 今目の前には沢山の受験生と、試験官のサトツがいた。明らかに、この景色には見覚えがあった。

 

 一次試験後半、ヌメーレ湿原へと出発する直前なのだ。

 スバルの頭をフラッシュバックするのは、この湿原に住む獣に騙されて捕食され、あるいは死んだ受験生たちの姿。サトツの言う油断すると死ぬという言葉がハッタリでも脅しでもないという証左。

 あの光景は、なんだったのか。

 自分の周りにはその時に死んでいた人間とおぼしき者もピンピンした様子で集団が発進するのを待っている。

 

 自分が回復魔法によって何者かに蘇生させられたという考えが正しいのならば、彼らもまた救い出されていてもおかしくはない。

 だが、だとすればクラピカとレオリオはどうして同じ地点にいるのか。彼らは殺されたわけではない。スバル達と一緒の地点にいるというのは――。

 

「ああもう、わけわかんねぇ。頭こんがらがってきやがった」

 

 そういえば、意識が消える寸前、レオリオがこちらに駆け寄ってきたことを思い出す。

 ヒソカのプレッシャーは決して軽くはなかった。スバル自身、恐怖によってろくに動けなかったのだ。

 だというのに、隣にいるこの男はヒソカに挑んでいったというのか。

 それがスバルの為なのかはわからないが、スバルよりもよっぽど勇気があって。そんな彼ならば、再スタートになったスバルのことを思って再び戻ってきたと考えても不思議はない。

 

 いや、そんな説よりもよほど納得のいく説明を思いついた。馬鹿馬鹿しいとは思うが、チートや異世界という状況に照らし合わせてみればよっぽどあり得る可能性。

 

「つまり、俺は予知能力を手に入れていたってことだ」

 

 予知能力。自分に降りかかる出来事を事前に予言や予視によって把握する能力。

 噂では予知夢を見た翌日に自分が乗るはずだった電車で事故が起こったが、自分はその電車を回避していたため助かった人もいるとか。

 なんの取り柄もなくて、欠片も役に立たない、言ってみれば単なる排泄物製造機であるところの自分にも、異世界召喚によってそのような超能力が備わったのか。

 それならば、この既視感のある状況や、あのやたらリアルな死の記憶にも一応の説明がつくのだ。

 

「だとすれば、とにかく、今は……」

 

 ――ヒソカから出来るだけ離れよう、とスバルは判断する。

 記憶の最後の部分には、トランプを構えて不気味に笑う奴の存在があった。

 つまり、奴に近づきさえしなければ予知夢は回避することが出来るのだ。離れてしまえば良い。ここでもスバルの決断力の速さが光る。元の世界では「今日は学校いくのやめよう」と諦めの決断に用いられることがもっぱらだったが、今のスバルにとっては不安の種を摘むという意味で大きな意味を持つ。

 だが、スバルのそんな勢い込んだ決断は――、

 

 静かにスバルのことを見つめる道化師さえいなければ、完璧だと言えた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「クラピカ! レオリオ! キルアが前に来た方がいいってさ!」

 

「どあほ~、行けるならとっくに行っとるわい」

 

「そこをなんとか!」

 

「無理だっちゅ~の!」

 

 ゴンの助言に対して口をとがらせるレオリオを見て、スバルは自分の考えが上手くいっていないことに唇の端を歪める。

 

 今スバル、クラピカ、レオリオが走っているのは集団の中でも中位の場所。予知夢で見た光景よりは確かに気持ち前目につけてはいるものの、ほとんど同じ位置と言っていい。

 ヒソカから距離をとることはおろか、野生動物の仕掛ける罠すら紙一重で回避する始末。

 その情けない体たらくに、スバルはどうしようもなく歯がゆい感情を抱いていた。

 

「くそ、くそ、くそが!」

 

「あまり無駄口を叩くな。集中して走らないとこの霧でははぐれてしまうぞ」

 

 クラピカは余裕の表情でそう伝えるものの、悔しさはこぼれ出てしまう。

 

「ちくしょー。この霧だと前の奴らが見えねぇぜ」

 

 レオリオは相変わらずの上裸スタイルで股を上げる。見るからに体力を消耗していて辛そうだ。

 

 スバルは走り出す直前にレオリオとクラピカにヒソカから離れるべきだと提言していた。もちろん二人はそれに賛成していたし、序盤こそ、ゴンやキルアとあまり離れない位置で追走できていた。

 

 しかし、現実はそう甘くない。より具体的に言うならば、予知夢を見たところでスバルの身体能力が底上げされたわけではなかった。

 ジワジワと、前の集団の速いペースから脱落していくスバルとレオリオ。二人はだんだんを順位を落としていき、ついには今の位置まで後退してしまったのだ。

 頭ではもっと前に行っていなければならないと理解しているのに、体が悲鳴を上げてしまう。

 

「引きこもりだけど、それなりに鍛えてはいたつもりだったが、持久力は想定外だったぜ。もっとリングヒットでもやりこんどくべきだったぜ」

 

「なんだって? なんか言ったか?」

 

 自責の念に駆られるスバルにレオリオが反応する。

 お互いに疲れているだろうに、こういう点で妙に律儀な人間だなとスバルは思わず笑ってしまった。

 

「おい、前を見ろ!」

 

 クラピカの声が飛ぶ。

 視線をやるとそこには、先ほどまで前を走っていた人間の死体が転がっていた。泡を吹き、顔を青く染め上げて地面を力一杯にかきむしっている。

 

「予知夢で見た光景に似てる……。つーことはそろそろ」

 

 よく耳をすませてみれば、遠くから受験生の悲鳴らしきものが飛び交っていた。

 これもまた予知夢の記憶にある光景だ。

 

「詐欺師たちのねぐらというのは、伊達じゃないってことだな」

 

「どうやら、後ろを走っていた連中はそっくりそのままはぐれてしまったようだな」

 

 これは非常に嫌な流れだ。

 受験生が毒にやられ、遠くで悲鳴が響き、後ろの人間がごっそりいなくなる。

 そして、このまま行くとするならば――、

 

「危ない!」

 

 察知して、飛び退く。

 先ほどまで自分が立っていた場所の露草が鋭利なもので切り裂かれ、はらりと湿った地面に落ちた。

 

 隣を見るとクラピカとレオリオも傷一つなく構えている。

 最も恐れていた事態だ。

 スバル達に攻撃を仕掛けた男は、顔に微笑を作りながら、ゆっくりと近づいてくる。

 

「なにしやがんだてめぇ!!」

 

 口汚い叫び。

 それに呼応する男の恐ろしさは、スバル自身が夢の中でもっともよく感じていたのだ。

 

「試験官ごっこ♡ 審査委員会の仕事を手伝ってあげようかなと思ってね♤ ボクが判定してあげるよ、君たちがハンターに相応しいかどうか♧」

 

 怪しげな手さばきでトランプを弄びながら、ヒソカが予知夢の中とそっくりに笑っていた。




次回更新は22日です。


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攻撃×合格×不合格

九月中には三次試験まで行けそうな気がする。


 まるで生きているかのようなトランプが右の手のひらから左の手のひらへと吸い込まれていく。

 傍らに倒れる受験生からは、腕が消え、おびただしい量の鮮血が吹き出しており、誰の目から見てももう手の施しようのない重傷だ。

 グルリと反転した白目が、その身からすでに命が失われていることを端的に物語っていた。

 

 クククと薄気味悪く微笑む。コルロフォビア、と言う恐怖症があることをスバルは知識で覚えていたが、本当に目の当たりにすると確かにトラウマ級に恐ろしい。

 

「さぁ、誰から判定しようかな♧」

 

 酷薄に言って、手の中のトランプを一枚取り出し、構える。

 ほとんど直立と言って良い構えだったが、そこに隙がないことはスバルを含めその場の全員が理解していた。

 

 この光景は、鮮明に覚えている。

 さっき見た予知夢、その中で、怯え足を竦ませそして呆気なく命を刈られてしまったスバルの最後に見た景色だ。

 ほんの数分前まで懸命に走っていた彼が死んだ。事故や害獣の襲来などでなく、人によって。

 何より恐ろしかったのは、そこに悪意が介在しているようには感じられないこと。全く同じずに人を殺すなど、考えられない凶行。

 

「判定!? 笑わせるなよこの阿呆が」

 

 ふと斜め方向から飛んできた声を聞いて顔を上げる。

 恐怖に及び腰で立ち尽くすスバル。そんな彼と正反対に、全く物怖じせずにヒソカへ向け勢いよく啖呵を切る男の姿があった。

 

「この霧では一度見失ったら最後、怪物たちに喰われるしかない。つまり、お前も俺達と同じ不合格者なんだよ」

 

 まずい。これも見覚えがある。

 スバルの予知の中で彼は、ヒソカに啖呵を切ると同時に殺されてしまう。

 

「おい、辞めろ! アンタの敵うような奴じゃない!」

 

 頼むから、引き下がってくれと声を張り上げるスバル。

 しかし、男は怖い物知らずか、それともヒソカの正確なステータスを推し量れないのか、

 

「うるせぇ! こんな妙な奴にやられるほど俺は弱kt!?」

 

 あぁ、と思わず声が漏れてしまう。

 目にもとまらぬ早業によって、喉を切られ、力なくその場に倒れてしまう。

 事切れる直前に、男がスバルを見た気がして、取返しのつかない死に歯がゆさが溢れる。

 

「失礼だな♤ 君と一緒にするなよ♧」

 

 奇術師は悪びれない。

 そして奇術師は躊躇わない。

 一瞬の判断ミスが、即死へ直結する状況。これを対処するには、スバルの経験値は乏しすぎた。

 

「冥土の土産に教えて上げるよ♡ 奇術師に、不可能はないの♢」

 

 動かなくなった男にヒソカが投げかけたのは、余裕と確かな自信に裏打ちされた言葉だった。

 それを聞いたスバルは弾かれたように顔を上げ、すぐに思考を次の行動へと切り替えなければならないというのに、働かない頭の言い訳をぼそぼそと呟いていた。

 

 そこからの光景は、もはや語るまでもない。

 

 ヒソカによる一方的な虐殺。次々飛びかかる受験生たちを軽やかに躱して、一撃で仕留める。

 無駄のないやり口。完璧な身のこなし。スバルよりも遙かに実戦経験を持つクラピカやレオリオでさえも悟っていた。この男には勝てないと。

 

「君たちまとめてこれ一枚で十分だったね♢ もちろん全員不合格♡」

 

 トランプについた血を、まるで刃物を扱うように振り払う。

 曲芸じみた立ち回りをこなしたはずの体には、返り血の一滴すら付いていない。これがどれほどの異常なことなのか、わからないスバルではなかった。

 

「残るは君たち三人だけだね♧ 誰からやるのかな♡」

 

 そう言いながら微笑む。一度この光景を見ていたスバルにはわかった。彼の笑みには、退屈の色がはらんでいた。

 

「――あ」

 

 ――たった一瞬で、間合いを詰められる。

 否、脳がそう錯覚を起こすほどの殺気を浴びせられ、予知夢によって備えていた多少の心構えは跡形もなく崩れた。

 

「おい! しっかりしろスバル! なに呆けてやがる!」

 

 レオリオの平手が背中に入った。

 ハッと意識を取り戻す。

 今、スバルがすることは絶望じゃない。そんなこと、死んでからすれば良い。

 自分には予知夢という武器がある。それを伝える事が出来れば、あるいは。

 

「レオリオ、スバル。私が合図をしたら一斉に走るぞ」

 

 クラピカの声が飛んだ。緊張を持った面持ちは、しかしジッとヒソカを捉えて離さない。

 近づいて、トランプを一閃するだけで全てが終わる。そんな結果が見えているからだろう、ヒソカの仕草には欠片の緊張もなく、いっそ欠伸を噛み殺すような態度すら垣間見えた。

 ヒソカにとって、これはゲームなのだ。

 

 そんなヒソカの態度に、今度は焦りが出てきた。

 そもそも、予知夢の中でスバルはこの後あっさり殺されるのだ。

 抵抗する時間もなく、抵抗できる力もなく、あっさりと、簡単に、面白みもなく殺される。その先の記憶は、せいぜいレオリオが戻ってきてしまうことぐらいしか持っていない。

 自分の死を持って予知夢が完結してしまうことはなんら不自然な事ではないのだけれど、この時ばかりはスバルも、もっと先を見ておけば良かったと意味のない後悔をしてしまう。

 

 同時に湧き上がってきたのは、レオリオを死なせるわけにはいかないという正義感だった。

 レオリオの平手打ちのおかげか、先ほどよりも恐怖は少ない。それに、彼はこの後逃げたとしても戻ってくるのだ。まだほんの数時間の付き合いではあるが、わずかに芽生えた絆がスバルに告げていた。わざわざわかっていて死地へ送ることはさせないと。

 

「レオリオ、絶対に逃げろよ。逃げなきゃ俺が末代まで祟るぞ」

 

 冗談を交えながら、隣へ向けて笑いかける。

 未来を見ていないレオリオからしてみれば、スバルの言っていることは意味のわからない戯れ言で頭を混乱させるだけだったが、それでも伝えておきたかったのだ。

 そして、

 

「今だ!」

 

 弾かれるように、三人は一斉に走り出す。クラピカは西、レオリオは南、そしてスバルはその間。

 まっすぐ、ただ逃げ切ることだけを目指して走りだす。

 ヒソカはそれに満足そうに頷いて、

 

「いいね♢ 良い判断だよ♤ ご褒美に十秒だけ待ってあげる♧」

 

 たった一言。十秒程度待ったところでハンデにすらならないことは、お互いにわかっていた。それでも、ゲームを楽しむためのスパイス代わりか、随分と優しいことを言ってくれる。

 そのヒソカの態度が、スバルに堪えきれない程の怒りを起こさせていた。

 

 スバルは弱い。力もなければ、経験もない。生き延びるための知恵もない。

 今のスバルがヒソカに挑んだところで、サルが逆立ちをしても勝てないことは明白だった。誰の目にも明白だった。スバルの目にさえも。

 

「でもだからこそ、挑むべきなんだよな……。男の子だからな、意地があんだよ……。やられっぱなしじゃ終われねぇってな」

 

 震える足を押さえながら、スバルはヒソカの前に立ち塞がっていた。

 レオリオがここに戻ってくる可能性があった。スバルはそれを、何としても防ぎたかった。ならば、レオリオの前に自分がヒソカと対峙すればいいのだ。それでレオリオの盾となって、彼を助けられたのなら。

 それに少しでも時間を稼げれば、誰かが気がついて助けに来てくれるかもしれない。

 光明の欠片も見えない状態で、それでも立ち上がるスバルにヒソカは小さく吐息し、

 

「諦めたのかい? まぁ、いいや♢ もともと、君とはやってみたかったしね♡」

 

 片手に構えたカードで、震えながら対峙するスバルを示してみせるヒソカ。

 その気になる発言に、スバルは眉を寄せる。

 

「どういうことだ? 天下の奇術師ヒソカさんが、俺なんかモブキャラに何のご用で?」

 

「誤魔化す必要ないのにな♧ 君、念が使えるだろ?」

 

 赤い唇を舌で舐めて、蠱惑的な微笑みが霧の中で踊る。

 いくつにも分裂したとしか思えないような歩法に、脅威を見失うスバルの喉が呻きを上げた。

 

「ど、どごだ……!?」

 

「君の体から発せられるオーラ……、すさまじい量だ♡ 100万年に一度の才能か、もしくは気の遠くなるほどの鍛錬の末に行き着く境地♡」

 

 せわしなく周囲に視線を走らせ、音に気配に神経を尖らせて出方をうかがう。

 その様子はまさに、猛獣に狩られるのを待つだけの弱者の醜態に他ならない。ヒソカからすれば興醒めするほど、無防備にまな板の上で寝そべる鯉のようなものだっただろう。

 

「けれど、君の身のこなしは素人のそれだ……♧ とてもじゃないが、強い素質を備えているようにも思えないんだよ♡ ハッキリ言って、ボクは君を測りかねている♢」

 

 上に横に、現れては消え、消えては現れ。

 そして霧の中から飛び出したヒソカは、

 

「だから一度やってみることにしたんだ♤」

 

 ――気がつけば、スバルの背後にいた。

 

「――あ?」

 

 一歩、二歩、よたよたとよろめきながら歩き、実に弱々しく腰を落とす。見下ろす眼下、腹部からはとめどなく血が溢れ出し、腹圧に耐えかねて中身がこぼれ落ちそうになっている。

 いったいいつ、どうやって。

 

 わからない、わからなかったが、間違いなくスバルは攻撃されて、そして致命的なダメージを受けてしまっていた。

 

「……ちぇ、なんだ♡ やっぱり外れか♤ オーラをほとんど纏わせてない攻撃でさえこのザマじゃぁね……♧」

 

 落ちる、自分の内臓がこぼれ落ちてしまう。こぼれ落ちたら死んでしまうと、必死でかき集めようとするも、震える右腕は肘から先が消えていた。

 アドレナリンですら誤魔化し切れない激痛に視界がかすみ地面に横倒しになる。

 

「ぁぅ……うぁ」

 

「じゃあ、彼らを狩るとするか♡」

 

 死体には一切の興味がないのか、ヒソカはスバルに視線を合わせることもなく足早へ南に向かう。

 ああ、そっちはダメだ。レオリオが走って行った方だから。

 なんとか叫んでみようとしても、漏れるのは声にならない声ばかり。

 

 生きているのが不思議な状態。生きているのが地獄の状態。

 瞼が重い。目を開けることすら辛い。

 

 激しい痛みが、途方もない苦しみが、絶え間ない怒りが、非力な自分への悲しみが、底なしの恐怖によって上書きされる。

 

 考えようとしなくとも溢れる、本能的な死への恐れ。

 

 最後に脳裏に浮かんだのは、道化の顔をした死に神だった。

 

 ナツキ・スバルは、再び命を落とした。




次回更新は23日です。


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スタート×既視感×初期状態

「――十分注意して着いてきて下さい。騙されると死にますよ」

 

「は――?」

 

 試験官の恐ろしい注意文句に、スバルは思わず間の抜けた反応を出してしまう。

 地下道の出口だったそこは少し疲れ顔の受験生で埋まっており、その視線の先に広がる湿原には野生の凶暴生物の気配が辺り一面に漂っている。

 ヌメーレ湿原、詐欺師たちのねぐら。あの忠告を聞くのも、もう何度目だろうか。

 

「どうしたスバル」

 

 隣に立つ端正な顔の民族衣装の少年が聞いてくる。

 彼がスバルより遙かに冷静で、観察力に長け、実力もあることを、実体験から知っている。

 

「……まぁ、無理もない。ここからは気を引き締めて走らなければ、ここの獣たちに喰われて死ぬだけだからな」

 

 彼、クラピカの言うことも、もう耳タコと言って良いと思う。

 

「なんだ? 私の顔に何か付いていたか?」 

 

 いや、でも、だとするならば、しかし――、

 

「気を抜くなよ。少し嫌な予感がするからな」

 

 少しどころではなく、ひしひしと嫌な予感を既に感じている。

 自分の手を見て、腹を見て、そこに傷どころか何の後もないことを確認。左右には、もう何度殺されたのだろう男の姿も見つけて。

 

「もう、わっけわかんねぇ……」

 

 それだけ呟くと頭のてっぺんから血が抜けていった気がして、ふらりと足下から後ろへと勢いよく倒れ込んだ。

 

  

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「おい、しっかりしろ! まだ始まったばかりだぞ!」

 

 クラピカが力の抜けたスバルの体をしっかり受け止めてくれたため、間一髪頭部を地面に強打する未来は免れた。

 だが、一方で混乱する頭は未だ回転を続け、状況の把握に追いついていない。

 

 今度こそ、スバルは死んだはずだった。

 妙な因縁をつけてきたヒソカの攻撃に翻弄され、良いようにやられて、切り刻まれて。

 

 傷跡を確認しようとお腹を触る手が、何も触れていないのに、かすかに震えだし、それはやがて大きな悪寒となってスバルの全身を締め付ける。

 この光景は実に覚えがあった。初めて予知夢を見たと確信した、あの瞬間の状況だ。

 

 予知夢を見て行動したという、予知夢?

 

 馬鹿馬鹿しい。そんな複雑な事があり得るわけがない。だが、そうすると傷が塞がっている理由や、殺されたはずの人間が存在している理由がわからない。

 やはり、回復魔法の類いで何者か――この場合、もっとも高い可能性としてハンター試験の実行委員会が、スバルや他の受験者を助けたというのだろうか。

 とすると、今度はクラピカや、ゴン達がいるのが解せない。

 

 まっすぐ前を見て息を呑むゴンと、その隣で欠伸をかみ殺すキルア。二人はスバル達よりもずっと先を走っていた。クラピカやレオリオはスバルと同じようにヒソカにやられたため、ここに戻っていると無理矢理考えてみても、ゴン達までいるのは……。

 いや、だとすればもっともおかしいのはヒソカがこの場にいることだ。ヒソカ自身は、自害でもしない限りここにいることに説明が付かない。

 

「とすれば、回復魔法というのは……、ありえねぇ」

 

 だが、それならばこの現象は一体どう説明がつくのだろうか。

 いや、スバルの頭には一つの考えが浮かんでいた。回復魔法でない可能性。

 いつもスバルの気を失う前の記憶は自分の死で終わっている。そして、気がつけば同じ場所で目覚めて。

 

「つまりこれは、アレかもしれないな。信じがたいけど……」

 

 自分の中で結論づけようとした時、サトツが口を開く。

 

「あの、それでは行きますよ」

 

 一旦停止からの再始動の合図。

 瞬間、すかさずスバルは手を上げる。

 

「俺! リタイアします!」

 

 それは咄嗟の言葉ではあったけれど、スバルの中で決めていたことだった。

 走り出せば、嫌でもヒソカに捕まって殺されてしまう。ならば、ここでリタイアして委員会の救助を待った方が賢明だと考えたのだ。

 

 もとよりスバルにはハンター試験に挑む強い動機などない。

 たまたま機会が与えられて、たまたまここまで進めただけ。死んでしまうくらいならば、リタイアして命を取る方が何倍も賢い。

 

 クラピカもレオリオも、少し驚いた顔をしたものの、なにかを察したのかなにも言わなかった。

 

「……それでは、この先に進みたい方だけ付いてきて下さい」

 

 サトツは素っ気なくそれだけ言うと、さっさと走り去ってしまった。

 

 集団の背中を見送って、一息つく。

 ハンター試験を断念したことを少しだけ残念に思う自分がいることに、驚く。思い入れなどなかったはずだが、それなりに頑張ったことだからか、不思議な感覚だった。

 

 ぼんやりと景色を眺めながら、委員会がやってくるのを待つ。日は高く昇り、湿原の湿気によってほんの少し空に虹が架かった気がして、少し探していると背後に人の気配が。

 

「おおっと、ようやく委員会の人のお出ましか? いやぁ、待ちくたびれま――」

 

「やぁ♡ 元気かい?」

 

 そこに立って笑っていたのは、スバルがいま最も出会いたくない人物だった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「君のこと探してたんだ♢ 見つけやすい所にいてくれてよかったよ♡」

 

 ヒソカ。これまで二回もスバルを無残に殺した殺人鬼。

 彼が手のひらで弄ぶトランプに、条件反射で身構えてしまう。

 

「やだなぁ、そんなに警戒するなよ♧」

 

「警戒するなって、さっきから殺そうとしてることなんざ見え見えなんだよ。なんで俺を狙う、何が目的なんだ」

 

 これまで二度、ヒソカと遭遇してきたスバル。一度目は、有象無象の中の一人として。二度目は、少し違った形で。

 そしていま、試験から離脱したスバルの元にヒソカは自ら現れた。一度目とは明らかに違う状況に、スバルは動揺を禁じ得ない。

 

「しらばっくれるなよ♡ 君、念が使えるだろ?」

 

 二度目に聞いたこととほとんど同じ文言でヒソカはほくそ笑んだ。

 念、という言葉にスバルは思考を巡らせる。念と言えば、慣用句でよく使われる言葉だ。雑念、概念、情念、疑念、観念、信念……。心や、思考によく使われる文字。

 だが、ヒソカの使うという口ぶりからしてみればおそらくそう言った文字としての念ではないのだろう。念を使う、ということは、何か物を指している言葉なのだろうか。武術を指して使うという表現をすることもある。

 だが、スバルには武道を修めていることはないし、ヒソカほどの実力者ならそれを見誤ることもないと思うのだが。

 

「念? 生憎俺は天下の凡骨なもんで、魔法の一つも使えやしないんだよ」

 

「君の体から発せられるオーラ……、すさまじい量だ♡ 100万年に一度の才能か、もしくは気の遠くなるほどの鍛錬の末に行き着く境地♡」

 

 スバルを無視してヒソカが語り出す。オーラ? 雰囲気? いや、この場合は――、

 

「けれど、君の身のこなしは素人のそれだ……♧ とてもじゃないが、強い素質を備えているようにも思えないんだよ♡ ハッキリ言って、ボクは君を測りかねている♢」

 

「そりゃあ結構で。俺といういい男のイケメン度を測るには、お前じゃ少し異常パロメーターがぶっちぎってたみたいだな」

 

 精一杯の強がり。ヒソカは眉一つ動かさず、意に介した様子もない。

 羽虫の存在が象にとって些細なことであるように、ヒソカにとってスバルは取るに足りない羽虫の中の、少し模様が珍しいものという程度なのだろうか。

 

「そんな時、君がリタイアするというじゃないか……♡ やっぱりボクとしては、せっかくなんだし確認をしておかないと思ってね♢」

 

 そんなついでみたいな感じで殺しに来なくてもいいのに、なんて、スバルは肩を落とす。

 

「じゃあ、もういいかな♢ 狩ろうか♤」

 

「こいや!!」

 

 念、オーラ、わからないことだらけだが、ともかく今は戦うのみ。

 構えて、その結果は言うまでもないだろう。

 

 瞬く間に喉を切られ、足から下がなくなる。

 痛みに顔を歪めるも、一矢報いようとヒソカの足へ手をのばすも、それは軽々と躱されてしまった。

 

「残念♡ 呆気なかったね♢」

 

「ぢぐじょう……」

 

 喉から声が唸る。

 体の力が抜けていくのを感じながら、スバルはまたしてもヒソカに殺された。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「――十分注意して着いてきて下さい。騙されると死にますよ」

 

 もう、何度目だろうか。

 こうなってくると、人間かえって冷静になる者なのだと、スバルは妙な関心を得ていた。

 これまた見覚えがあるクラピカが、定番の言葉をかけてくる。

 

「どうした? スバル」

 

「いや、ここにくるのって何度目?」

 

「? 妙なことを。今さっき出てきたばかりじゃないか。疲れておかしくなったのか?」

 

「ははは、かもしれない」

 

 ぎこちない笑みをたたえながら、八方塞がりになった現状に頭を抱えてしまった。




次回は24日更新です


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ぐるぐる×助っ人×回生の一手

 スバルにとっては四度目のハンター試験が再開された。

 全く見覚えのあるルートを難なく走りながら、自分の進退について今一度整理してみる。

 

 まず、スバルの置かれている現状はかなり不味い。

 三度目のループにおいて、スバルはハンター試験を棄権することでヒソカから身を守ろうとした。しかし、そこへヒソカが現れてスバルを殺して見せたのだ。

 それはつまり、ヒソカがスバル個人を何らかの理由で目をつけている証拠となる。となれば、たとえスバルがどこへ逃げようとも、ヒソカはその先にほぼ確実に現れてしまい、ヒソカとの戦闘は半ば避けられない強制負けイベントと化したのだ。

 

 何度も何度も繰り返したループがスバルがヒソカと戦って勝てるわけがないことを残念ながら示してしまっている。そもそも、今でもヒソカのあの表情を思い出すだけでスバルは体が震えてくるのだ。

 

「戦うのもダメ、逃げるのもダメ、他の受験生も足下にも及ばず、試験官ははるか遠くへ……。あれ、これ詰んでね?」

 

 異世界初日にして、死ぬ事でしか突破できないイベントが立ち塞がっている。

 何度頭を唸らせても、妙案は浮かばず、八方塞がりの現状に落胆。クラピカがそのスバルをみて訝しんできた。

 

「どうした先ほどから落ち着きがないぞ」

 

「なんか妙なもんでも拾い食いしたんじゃねぇのか?」

 

「そんなサルみてぇなことしねぇよ! 俺をなんだと思ってるんだ!」

 

「それならいいが……。――――」

 

 茶化されて怒るポーズをとったスバルに、クラピカが何かを言いかけて、引っ込めた。

 

「ちょいちょいちょい。どうしたの? なんか言いたいことあるなら言えよ!」

 

「いや、なんでもないさ。それよりも、無駄話をしてると前にはぐれてしまうぞ」

 

「それもやばいが、もっとヤバいのはヒソカだぜ。あいつ人を殺したくてうずうずしてる。近くにいない方がいい」

 

 レオリオがヒソカを横目で睨みつける。おそらくヒソカは、特にスバルを殺したくてうずうずしていると言った方が正しいのだろうが、二人は当然そのことを知らない。

 

 だんだんと霧深くなっていって、視界が狭まっていく。踏み出す足下が今にも崩れてしまいそうなほど不安定になっていくのは、精神的な問題もあるからだろう。

 前のループの記憶では、そろそろ受験生の悲鳴が聞こえだし、ヒソカが動くはずだ。またしても無為に死んでしまうことだけは避けたかった。

 

 そこで、スバルはひとつの作戦を思いついた。上手くいけばヒソカを出し抜けるかもしれない作戦を。

 隣をうかがうと二人はひぃひぃ言いながらもまだ余裕がありそうな気がした。

 二人の目を盗んで、スバルはこっそりと隊列から抜け出した。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

「試験官ごっこ♢ 委員会の選考を手伝って上げようと思ったんだけど……♧」

 

 毎度おなじみヒソカの攻撃で、受験生達が切り刻まれる。

 しかしその場にスバルの姿はない。

 

 レオリオとクラピカは、たった二人残った状態でヒソカと対峙させられていた。

 

「あの時にこっそり抜け出したのかな? まぁ、いいや♡ とりあえず君たちを審査しないとね♢」

 

「戯れ言を抜かすな。何を言っているのかわからないが、そう易々とやられてやるわけにはいかないな」

 

 双眸を動かさずに、ジッとヒソカを凝視している。口ではこう言っているもののレオリオと裏で逃げる算段をつけているクラピカは、ふと奥の方から騒々しい音が聞こえるのを耳にした。

 

「……なんだ?」

 

 それはだんだんと大きくなっていく。そしてかなり近くまで近づくと、ピタリと止んだ。

 何者かの奇襲を警戒していた三人の前に、茂みから登場する形でスバルが顔を出した。

 

「「スバル!!」」

 

「君、いたんだ♡」

 

 ヒソカがチラリとスバルをうかがい見る。

 思い出すのはこれまでの半分トラウマと化した恐怖。

 スバルは逃げ出そうとする体をぐっと堪えて、まっすぐヒソカを指さした。

 

「さぁ、挑戦しに来てやったぜアタおかピエロさんよ! 俺のオーラ? にびびりまくりなのはお見通しだぜ」

 

「ふぅん、オーラを知ってる口ぶり……♢ やっぱり君、何者?」

 

「ただの引きこもり高校生だよ!異世界転生しただけのな!」

 

 叫びながら、猪突猛進に突っ込む。

 あっけにとられるクラピカとレオリオがいない方向へ向けて、なるべくヒソカのヘイトを溜められるように走る走る。

 

「怖いのはトランプ、怖いのはトランプ、怖いのはトランプ……」

 

 ヒソカの右手に注視して、絶対に一撃でやられないように。

 一撃でやられさえしなければ、あるいは――。

 

「なにか企んでるよね、でも、ボクには通用しないよ♡」

 

 眉を深く皺寄せて、極端な前傾姿勢をとってスバルを迎え撃つ。

 低く構えられたせいで、手元が見えない。見えないが、肩の位置からおおよその予想は付いた。

 

 一度目のループは体が恐怖に支配されて、為す術もなく殺された。

 二度目のループは全く予想できない攻撃によって、何も出来ずに殺された。

 三度目のループは恐怖にも半分慣れていたが、それでも何の策もなかったために殺された。

 

 そして今、スバルには作戦がある。一度目よりも体が動く。

 

「一発しのぐ、それだけ、それだけ!!」

 

 インパクトと共に、スバルは右方向へ体をひねってヒソカと交差した。

 腕に痛みが走る。走るのだけれど、

 

「ぎれて、ねぇ!」

 

 一撃での絶命を狙った場合、ヒソカは主に首を狙っていた。

 だからこそ、首を守る。その読みはドンピシャリと的中した。ヒソカのトランプはスバルの右腕に深く突き刺さるも、首は無事だった。

 

 くるりとひっくり返りながら、後ろを指さした。

 

「ざまぁみろ! 俺を殺せてないぞクソ雑魚ピエロ!! 鬼さんこちら、こっちへカモーン!」

 

 スバル考え得る限りの罵詈雑言を浴びせて見せるも、ヒソカは冷静なままだった。

 

「わかりやすい挑発……、それとこちらという言葉……、後ろ?」

 

 振り返るも、スバルの目論見は既に進行中だった。

 先ほどスバルが出てきた茂みから、一体の大きな獣が飛び出す。これは、スバルがこっそりこの地点までおびき寄せた獣だった。

 そしてそれは、まっすぐヒソカへと突っ込んでいき、

 

「流石のボクもひとたまりもない……、とか思ったのかな♡」

 

「は――――?」

 

 あっという間にバラバラにされてしまった。

 圧倒的に、スバル自身が命からがら連れてきた猛獣を、いとも簡単に殺してしまったのだ。

 

「残念だったね♢ 狙いは良かったよ♡」

 

 圧倒的誤算。ヒソカを殺せないとは思っていたが、まさか足止めにすらならないとは。

 

「ってまず――」

 

 呆けている場合ではないと少しでも距離をとろうとして、反対に距離を詰められてしまった。

 スバルの頬を掴んで、力任せに持ち上げる。頬骨が音をならして痛がっている。見下ろす形で臨むヒソカは、静かに微笑んでいた。

 

「言い顔だ♡ 怒りと闘志の合間に死の影が覗く刹那の表情……ゾクゾクするよ♤」

 

 冷や汗が額を伝う。じわりじわりと、鼓動が早くなっていくのを感じた。

 

「でも君はここまでだね……サヨナラ♤」

 

 右手に構えられたトランプがスバルの顔を指した。

 万事休す、ここまで――、

 

「――っ!!」

 

 思わず目を瞑ったその時、遙か前方から飛んできた何かがヒソカのこめかみを打ち抜いた。

 

 ヒソカに打撃を与えたそれは、まるで生き物のようにうねって吸い込まれるように戻っていく。

 それを片手で受け止め、もう一度ヒソカに向け構え直したのは、紛れもなくゴンだ。

 

「ゴン!!!!」

 

「……やるねぇ、坊や♡」

 

 思いのほか気軽な声をかけられたゴンは動じて、構えを緩めてしまう。

 

「釣り竿か……面白い武器だね♡ ちょっと見せてくれるかな♢」

 

 ゆっくりとゴンに歩み寄っていくヒソカ。先ほど勢いよくこめかみを打ち抜いたときの勇敢さはどこへ行ったのか、対するゴンは子供らしく戸惑いの色が目に浮かんでいる。

 けれど、すぐに持ち直すと、釣り竿を握る両手に力を込めた。

 

「さぁ……」

 

「……ッ!」

 

 じりじりと後ずさりするゴンに、ヒソカの手が迫ったその時、不意に誰かの携帯の着信音がなった。

 無機質な音が数秒なった後、ヒソカが携帯を取り出す。

 ぴ、ぴ、ぴと数回操作して、

 

「そろそろ二次試験会場に着くみたいだ♢ 今日は、これまでだね♤」

 

 すんなりとゴンの横を通り過ぎると、

 

「君たちも早く来ると良い♡ せっかくの合格なんだからさ♢」

 

「それはどういう」

 

 クラピカの問いかけを最後まで聞くことなく、ヒソカは走り去ってしまった。

 

 ヒソカがいなくなった後も、四人はしばらくその場で呆然と口を開いていた。

 

「行こう」

 

 そう言ったのは誰だったのか。四人は、また走り出した。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「ゴン、こっちで本当にあってるのか?」

 

「うん、ヒソカ独特な匂いがするし。それにみてよ、道中に獣の死体がある。きっとヒソカを襲おうとして返り討ちにあったんだよ」

 

 霧深い森の中をゴンの先導で走る。

 鬱蒼とした自然と、むせるほどの嫌な匂いと共に転がる死骸が道の陰鬱さをグッと増してた。

 

「なぁ、ゴン。ありがとうな。お前のおかげで助かったよ」

 

 スバルは俯きながら礼を言う。あの時ゴンがやってこなければ、スバルは四度目の死を迎える所だった。間一髪助かったのは、ゴンの一撃があったからだ。

 けれど、当の本人はさして気にしている様子もなく、けろりとした表情で答える。

 

「俺なんて何にもしてないよ。それに、放っておけなかったしさ」

 

 素直な少年だと思う。素直で、本当に他意なく人を助けられる優しさを持っていると。

 

「そんなことより見ろよ、あそこになんかあるぞ」

 

 レオリオが指さした方向へ目線を向けると、そこには体育館大の建物が建っていた。そして、その前に多くの受験生が待機している。

 

「間違いないな。二次試験会場だ」

 

 他の面々が黙って待っているあたり、まだ二次試験は始まっていないようだ。

 ふと奥を見ると、ヒソカがこちらに視線をやっている。スバルは少し気持ちが悪くて目をそらした。

 

 パン、と乾いた音。徒競走のスターターによく似た音がして、試験官のサトツが前へ出る。

 

「終了。皆さんお疲れ様でした。ここビスカ森林公園が二次試験の会場となります」

 

 周囲を伺えば、誰も彼も只者ではない雰囲気を纏って、二次試験が始まるのを待っていた。

 息を整えながら、瞑目。

 これから、二次試験が始まるという。それはつまり――

 

「おめでとうございます。今ここにいる皆さんは、一次試験合格です」

 

「俺、上出来すぎるだろ……」

 

 スバルは一次試験を合格した。




次回は27日更新です


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豚×美食?×ブハラ

豚編です。一次試験に比べてサクサク進むな。


 不気味な音が鳴っている。古今東西不気味な音は数あれど、その中でもトップクラスの不気味な音だ。

 

 二次試験会場、ビスカ森林公園の広場にて、ゴン、クラピカ、レオリオ、そして先に二次試験会場にいたキルアらと並んで、スバルは大きな音のする建物を眺めていた。

 

「……ついに二次試験か。そろそろ時間だぜ」

 

 感慨深げに建物に付いた時計を示すレオリオ。

 思えばここまで長い道のりだった。スバルにとっては、ヒソカ戦という思わぬボトルネックによって何度も何度も死に戻りをさせられたため人一倍長く感じたが、そうでないレオリオらにとっても、ここまで来るのが生半でなかったのは確かである。

 感慨深くなってしまうのも仕方ない。

 

「だが、まだ二次試験だ。ハンター試験は始まったばかりだぞ」

 

 達成感すら得てる長身グラサンチンピラ顔レオリオに、クラピカが冷静に水を差した。

 しかし彼の言うとおり、試験はまだ始まったばかりである。

 

 辺りを見回すと、四百人ほどいた受験生が、ざっと百五十人前後まで減っているように思えた。概算ではあるが、確実に半分も残っていない。

 試験開始前、誰もがスバルよりも優秀で異質な雰囲気を纏っていたというのに、それでもなお容赦ないふるいによってここまで人数が絞られてしまうと言うのだ。

 ほとんどまぐれで二次試験まで進めたと言って良いスバルには、この先が憂鬱で仕方がなかった。

 

(けど、もしここでまたリタイアしようモノなら、ヒソカがきっと襲ってくるんだろうな……)

 

 脳裏に過ぎるのは三度目のループでの記憶。

 リタイアしようとしたスバルの元にわざわざ現れて殺しにきたヒソカの姿だ。あれが頭にこびりついて、下手なリタイアはかえって自分の身を危険にさらすとわからざるをえなかった。

 確実に抜け出せる場面、そこを狙ってリタイアするしかないと腹を決める。

 

「見ろよ、時計が」

 

 キルアがアゴで導く先、時計の針が丁度十二時の場所で重なった。

 スバルの元いた世界と時計の概念が変わっていなければ、つまり――、

 

 言葉にするよりも早く、しかしゆっくりと、目の前の建物の扉が開き中に光が差し込んだ。

 重厚な観音開きの扉だ。横幅だけでもスバルの二倍以上の大きさがあるだろうか。

 

 真っ暗な空間が太陽光によってだんだんと顕わになっていく。目をこらしたそこには、二人の凸凹な影が見えた。

 一人はソファに座った、ラインの細い女性だろう。そしてもう一人は、スバルよりも優に大きい身長もさることながら、扉からはみださんとする程の横幅が特徴的な人物だ。

 

「うぉっ!!」

 

 彼らの像がよりハッキリと見えると、思わずスバルは目をそらしてしまった。それはソファに座る女性が、スケスケシャツにビキニ、太ももが大胆に出ているショートパンツという、健全な男子高校生にはいささか目に毒なほど煽情的な格好をしていたからである。

 

 彼女は受験生を一瞥すると、

 

「おまたせっ!」

 

 随分気さくに話しかけてきた。一次試験の感情が終始読めなかったサトツとは大違いである。大胆な格好に親しみの持てる言葉遣い、学校の俗に言う陽キャ女子と同じ属性を感じて、ほんの少しだけ居心地の悪さを感じた。

 彼女は自分の背後に立つ大柄と言うにはあまりに大きな人物を見上げて、

 

「どう? お腹は大分空いてきた、ブハラ」

 

 ブハラと呼ばれた男性は自分のお腹を指さして眉をひそめる。

 

「聞いての通り、もうペコペコだよメンチ」

 

 頼りなく情けない声。それに混じって耳に届いたのは、先ほどから頻りに鳴っている奇妙な音。そして彼の言い草から察するに――、

 

「まさかアレって、腹の音かよ……。どんだけ大食いモンスターなわけ?」

 

 自分とは飼っている腹の虫のレベルが違うと、思わずお腹をさすったスバルであった。

 

「そんなわけで二次試験の審査員は、私達美食ハンターが担当するわ」

 

「美食ハンター……、って、なに?」

 

 ゴンが訊ねる。スバルはもちろん、他の受験生にとってもあまり馴染みのない種類のハンターらしい。

 美食、と言うからにはミシュラン的な仕事をする人達だろうか。

 

「美食ハンターというのは、世界中のあらゆる食材を探求し、さらに、新たな美味の創造を目指すハンターの事だ。もちろんハンター自身も超一流の料理人ばかり。彼女たちは、そう言った食に関するスペシャリストというわけだ」

 

「へぇー、クラピカ物知り」

 

「つーことは、美味しいもん食える仕事ってわけか……。随分羨ましいハンターじゃないの」

 

「スバルは美食ハンター志望?」

 

「え? いやいや、俺ってば料理やったことないから無理だって。俺としては、食べ専ハンターとかあると嬉しいんだけどな」

 

 仮に食べ専ハンターがあったとしても、おそらくスバルがなるには舌のレベルが足りてないのだろうが、それはまた別の話。

 

 横でスバル達の話を聞いていた宇宙人みたいな黒ずくめの格好をしたハゲ男が、アゴを撫でて考える。

 

「しかし、試験官が美食ハンターとなると……、つまり二次試験の課題は――」

 

「そう、お察しの通り、料理よ」

 

「「「料理ーー??」」」

 

 彼女――メンチ試験官の発表に驚いたのは、つい直前に料理未経験を告白したスバルだけでなく、その場にいた受験生のほぼ全員だった。

 

「どうしてここまで来て料理なんだよ」

 

「俺達はお料理教室に来たわけでも、コックになりたいわけでもねぇぞ」

 

「真面目に審査する気があんのかよ」

 

 口々に漏れ聞こえてくるのは、受験生達の不満。体力テストの直後が、あろうことか料理だったわけで、その考えは致し方ない気もするが。

 

「はいはーい。文句があるなら帰りなさい。不満があるなら、今すぐ帰っても良いのよー」

 

 メンチが半目で四方にガンを飛ばしてくる。

 

「何これ感じ悪」

 

 受験生達も、ここで不合格にされてはたまらないと、一斉に押し黙ってしまった。顔を見れば隠せていない、というか隠す気のない不満が浮かんでいるのだが。

 

「どうやら不満のあるやつはいないようね……」

 

 不合格が怖くて黙っているだけです、というのはその場にいた大半の考え。

 

「それで、どんな料理を作るんだ」

 

 ハゲ男が先を促すと、メンチと対照的にここまでずっと穏やかな表情のままのブハラが大柄な声色で答えてくれた。

 

「まず、俺の指定した料理を作って貰い、その後、こっちのメンチが指定した料理を作って貰う。どっちも美味しいと認めたら、二次試験は合格だよ」

 

「そんなのありかよ! 美味い不味いなんて、人によって様々だろうがよ! 俺達にゃ美味くとも、あんたらの舌に合わなかったらお終いじゃねぇか!!」

 

 先ほど押し込めた不満が、再び爆発する。美味い不味いという個々人によって曖昧なものを評価基準とされてしまっては、真面目に試験を受けている人にとってはとんでもないことだ。

 だが、放出する鬱憤を、まるで子供の癇癪をあやすように、メンチはめんどくさそうに手を叩く。

 

「はいはいはいはい。いい? さっきも言ったとおり試験を受けたくない者は帰って貰っていいのよ?」

 

 その言葉に、再び場が静まりかえる。受験生という立場である以上、不合格をぶら下げられては文句が言えないのだ。

 それを確認したブハラがおもむろに指を一本立てた。

 

「それじゃあ、まず俺の指定する料理は――」

 

 ゴクリ、と唾を飲み込む。

 一体どんなとんちきな料理が飛び出すのかと身構えていると、

 

「豚の丸焼き! 俺の大好物!」

 

 思いも寄らぬ原始的料理に、受験生は三度心を一つにして肩すかしを食らった。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「そっち行った行った!!」

 

「近い近い近い近い――」

 

 阿鼻叫喚、と言っても過言ではない。

 ビスカ森林公園の中で、丸焼きにするための豚を探しに出た受験生達は色んな意味で走り回っていた。

 

 グレートスタンプ。この森にたった一種生息する豚。彼らはとてつもなく凶暴で、異常に発達した鼻で獲物を押し潰し仕留める。敏捷性も高く、隙を見せればあっという間にあの世行きである。もしも一般人がこんな所に迷い込めば間違いなく彼らの餌になるだろう。

 

 さて、そんな中スバルと言えば、豚に相対することなく木の上でブルブル震えていた。

 

 スバルは、この試験が始まって、グレートスタンプを一目見た瞬間、自分にコイツを倒すのは不可能と判断していた。

 先ほどのヌメーレ湿原で出会った猛獣にもひけをとらない怪物に、敵うはずもない。ヒソカに一矢報いようと体を張って連れてきた猛獣も、ハッキリ言ってギリギリ逃げていたと言われても間違いとは言い切れない有様で、その上そのレベルの野生生物を仕留めよなど、難易度がぐんと上がってしまっている。

 

 では、スバルはこの試験を諦めたのかというと、そうでもない。

 

「レオリオ! そろそろだぜ!!」

 

 むしろ、この試験に合格する自信がある。

 スバルは引きこもっている間、漫画やアニメを楽しんでいた。その中に、北海道開拓の漫画もあり、今回の試験、その知識が活かせるのではないかと考えたのだ。

 

「本当にこの罠作動するんだろうな……。おいスバルくんよ、大丈夫かね」

 

 不安げに冷や汗を浮かべるレオリオに対して、スバルは余裕の笑みだ。それはじゃんけんで勝って、自分は木の上で様子をみる係になった為でもあるのだが。

 

 と、レオリオと罠の向こう側に丁度グレートスタンプが姿を現した。

 

「「来た!!」」

 

 豚は、無防備な人間の姿を確認するなり、勢いよく突っ込んでくる。

 そんな豚とレオリオの間、わざとらしく直線にした道の途中に、頑丈なツタをわっか状にして先端をたわませた木に引っかけたトラップがひっそりと待ち構えている。

 

 罠を警戒する様子もなく、勢いよく走る豚とレオリオの距離が縮まっていく。

 五十メートル、三十メートル、十メートル、五メートル――

 

「もう無理!」

 

「いや、今!」

 

 ぐいと鼻先を突っ込んだが最後、ツタの輪がその豚の勢いによってしまり、たわんだ木が戻る力で引っかかった鼻先を持ち上げる。

 鼻をつり上げられた豚は為す術鳴く宙に浮き、とうとう空中であられもない姿になってしまった。あられもない姿は元々だが。

 

「よっし! レオリオ、一匹ゲットだ!」

 

「はぁ~、ちくしょう、寿命が縮んだぜ……。やれやれ」

 

「なに言ってるんだよ、もう一匹仕留めるんだぞ。もうちょっと頑張れ」

 

「また俺が囮役なのかよ!!」

 

 珍しく自分の知識が役立ったことに高揚したスバルは、嫌がるレオリオにもう一度囮をさせて豚をもう一匹捕獲したのだった。

 

 そして、数分後。

 

「腹減ったよ~」

 

 お腹を猛獣も逃げ出すほどの音量で鳴らしながらブハラが肩を落としていると、森の向こう側から地鳴りに似た揺れが届いた。

 その正体はすぐにわかることになる。

 

「うわ~!! すごい!!」

 

 なんと、豚の丸焼きの軍団が会場めがけて走ってくるのだ。よく見てみると、それは丸焼きを運ぶ受験生だとわかる。最後尾でスバルも引きずり引きずり追いかけていた。

 

「ありゃま、大量なこと。受験生舐めてたわ」

 

 これにはメンチも目を丸めて驚いていた。

 

「そっれじゃあ、いっただっきまーーす!!」

 

 文字通り豚の丸焼きにかぶりつくブハラ。

 スバルとしては上々の出来のはずだが、味はいかがなものなのか……。

 

「美味い美味い」

 

 いかがなものなの……。

 

「これもデリシャス! これもヤミー!!」

 

 いかがな……。

 

「ふぅ、ぜぇんぶ美味しかったーー」

 

 あっという間に一つ残らず食べきって、ブハラは満足そうに唇を舐めてしまった。

 

「た、食べた量が体に対して多すぎる……」

 

「どうなってんだあの腹、ヤバすぎるだろ……」

 

「ハンターってみんな凄いんだね!!」

 

「ああはなりたくないけどな」

 

「全くだ」

 

「あんたね、美食ハンターともあろうものが全部合格にしちゃってどうするのよ」

 

「いやぁ、だって全部美味しいんだもの」

 

 ぷっくり頬を膨らませながらメンチが同僚を睨めつける。嫌な視線ではないが。

 ブハラは口だけは申し訳なさそうなことを言っているが、顔はまったく反省しているどころか、少し食べ足りないとでも言いたげだ。恐るべし。

 ブハラのこの調子はいつも通りなのか、メンチは早々に諦めると手元にある銅鑼を一発どついた。豪勢な音が鳴り響いた。

 

「これにて、豚の丸焼き審査終了! 合格七十名!!」

 

 不慣れな料理の審査、前半の終了が告げられる。だが、スバル達はまだ知らない。

 後半に待ち構えるメンチこそが、この試験最大の壁だと言うことを。

 

 ――いや、ちょっとは察しているかもしれない。




次回更新は28日です。


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スシ?×美食!×メンチ

 二次試験前半、豚の丸焼き審査に無事合格したスバル達を待ち受けるのは、後半の審査をする過激セクシー美女のメンチだった。

 

「あたしはブハラと違って甘くないわよ。審査も厳しく行くわ!」

 

 用意した丸焼きを一つ残らず平らげて、その上全てを合格としてしまった同僚にも聞こえる声で、高らかに宣言する。後ろでは、当のブハラが恥ずかしそうに頭を掻いている。

 

「二次試験後半、あたしのメニューは――スシよ!」

 

 スシ、と聞いてなるほど甘くないと唸る。

 スシ――おそらく寿司のことだろう、この料理は日本出身のスバルにとってはなじみの深いものだったが、作るとなると修業に十年もの年月を要するという上級料理だ。

 果たして異世界におけるスシがどこまでスバルの知っている寿司に類似した料理なのかは定かではないが、美食家の側面もある美食ハンターの、しかも厳しく行くと言われる審査員において、どれだけやれるのか図りかねる。

 

 しかし、スバルの横にならぶ面々は、スバルとはまた違う理由で困惑しているようだった。

 

「寿司、って何?」

 

「聞いたこともねぇ、どんな料理なんだ……」

 

 皆一様に浮かべるのは、初めて聞く単語に対する色。

 スバルは周囲の顔色を伺って、そして気づく。

 

「これもしかして、俺超有利――かも」

 

 どうやら寿司はこの世界では日本ほどの知名度がある料理ではないらしい。スシイコール寿司とは限らないが、本当に知っているのがスバルだけだとすればかなりのアドバンテージになることは間違いない。

 その考えを裏付けるかのように、メンチが二ヒヒと笑う。

 

「だいぶ困ってるわね。ま、知らないのも無理ないわ。小さな島国の民族料理だからね」

 

 メンチの発言に、スバルは思わず驚きを隠せなかった。

 小さな島国の民族料理、とはスバルの知っている寿司に当てはまる。というより、小さな島国というのが仮に日本だとしたら、これはスバルにとって思いがけない報せだ。

 

 スバルはこれまで、この世界を異世界だと思っていた。見たことない文字、知らない動物、突然飛ばされた知らない街並み。異世界だと思い込んでいた。

 だが、もしもそうでないとしたら。ここがスバルの知らない地球上のどこかだとしたならば。

 つまりメンチの言葉が示唆しているのは、これが異世界召喚ではなく、日本から外国への瞬間移動の可能性だった。

 

 異世界召喚をされるのと、瞬間移動による転送だとするのとでは、大きく異なる。

 前者は、地球ではないどこかへ連れて行かれると言うことで、元の世界に戻る方法を探さなければならない。それは次元的な意味で。

 だが後者ならば、日本がこの世界に存在するのならば、同じ地球上で日本まで移動するだけで家に帰れる可能性が浮上してくる。

 

 家に帰れるのならば、だとすれば今すべきことはこんな試験などではない。まず真っ先に日本の手がかりを探さなければならない。

 

 スバルはそこまであの頃の生活に未練があるわけではない。学校は苦手だし、引きこもっている毎日も苦しみさえあった。だからこそ、あの場所と地続きでないここを楽しめているわけであるし。

 それでも、父と母に勝手に出てきてしまったことを悔いる気持ちがないわけでもない。出来るのならばもう一度会いたい。だが――。

 

「ヒントをあげるわ。この中を見てご覧なさい!」

 

 スバルの思考を邪魔するタイミングで、メンチが建物の中へ誘導した。

 皆、一目散に建物の入り口へと近づく。

 ハッと気を取り直して、スバルもレオリオ達の後を追いかけた。

 

 建物の中でジッと待っていたのは、綺麗に並べられたキッチンだった。包丁、まな板、そして米びつが用意されていて、なるほど寿司を作るのに適している。

 

「ここで料理を作るのよ。最低限必要な道具と材料はそろえてあるし、寿司に不可欠なご飯はこちらで用意して上げたわ」

 

 他の受験生に習ってキッチンについたスバルは、米をつまみ食い。ほどよく冷めたご飯にほんのりとお酢の香りがして、ますますスバルの知っている寿司に近づいた。

 

「最大のヒントをあげる。寿司は寿司でも、にぎり寿司しか認めないわ」

 

 にぎり寿司、つまり、手巻き寿司、ちらし寿司はNGと言うわけだ。もう、スバルの思っている寿司の事で間違いないだろう。

 

「それじゃあ試験スタート。あたしが満腹になった時点で終了よ。それまで何個作ってもいいわ」

 

 こうして、二次試験後半戦、寿司審査がスタートした。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 他の受験生が寿司とは何か考えている間、スバルの頭を埋め尽くしていたのは全く違う考えだった。

 

「この世界には、日本が存在する。ここは、地球なのか――?」

 

 不思議な点はいくつもあった。

 瞬間移動だとして、どうして他の国の人間と言葉が通じているのか。ここが少なくとも日本でないことは、それこそ先ほどのメンチの発言からわかる。だとするならば、日本語以外を話しているゴンやレオリオと言葉が通じる理由がわからない。

 ヌメーレ湿原にいた生物は、テレビで見ていた野生生物のそれではない。スバルが無知なだけの可能性も大いにあるが、だとしても未知がすぎないだろうか。

 

 わからない。わからないからこそ、調べなければならない。

 

 寿司を知っている様子から、まず間違いなくメンチは日本を知っているはずだ。スバルが頼れるとすれば、彼女しかいない。

 

 彼女に話を聞くにはどうすれば良いだろうか。

 そのまま「日本について教えて欲しい」と頼むか。いや、今の状況では試験のヒントを得ようとする行為とみなされて取り合ってもらえないかもしれない。

 ではそれとなく情報を引き出してみるか。だが、そんな話術がないことは、それこそ引きこもりのトラウマがスバルに教えてくれていた。

 

 ならば、聞くのはいまじゃない。試験という枠が取り払われた後のわずかな時間。二次試験と三次試験の間だ。そこにかけるしかない。

 そうなれば、スバルはそれこそ二次試験を不合格になるわけには行かなくなった。合格者と違って不合格者が試験官とその後接触できるチャンスは少ないだろうからである。

 

 それに、課題が寿司である以上スバルに圧倒的なアドバンテージがある。早々に合格してしまうのが吉というものだ。そうと決まれば――、

 

「スバルも行くぞ! 川だ!」

 

 そこまで考えた時、不意にクラピカから声がかかった。

 

「川?」

 

「クラピカが思い出したんだよ。スシってのは、なんでも魚と飯を一緒に握る料理らしい!」

 

「民族料理の文献で読んだだけだがな。さ、ぼんやりしている時間はないぞ」

 

 スバルの知っている寿司は基本海の魚を使っているものだったが、知らないだけで川魚を使ったネタもあるのかもしれない。

 よく見てみると、自分達以外にも川に向かって一目散に駆け出している受験生がわんさかいた。どうやら、魚と飯までは皆辿り着いているらしい。さすがの推理力だと感嘆しながらも、二人に続いて、慌ててスバルも川を目指した。

 

 後ろをチラリとのぞき見ると、不適な笑みを浮かべるメンチが受験生の背中を見送っていた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「さて、魚は捕まえてきたわけだが、これをどうするんだ……?」

 

 自分が釣ってきた魚を前にして、レオリオは困りはてていた。魚と米をどのようにミックスすれば正解の料理に辿り着けるのか、とんと見当が付かなかったためだ。

 魚を使った料理という事は知っていたクラピカも、その形まではわかっていなかったようでともに頭を唸らせている。ゴンやキルアも同じ。スバルに至っては、寿司審査が始まってからというもの上の空でろくに使い物にもならない。

 

「だが、握り寿司っつーんだから、大体魚を握りゃあいいんだろ。と、なれば、これをこうしてこうやって……」

 

 仕方がないので妄想と語感の想像だけで作り上げる。そうして出来上がった料理をもって、意気揚々にメンチの元に。

 

「どうだ、俺が完成第一号だ! 名付けてレオリオスペシャル。食ってくれ」

 

「どれどれ」

 

 舌なめずりをしながらクローシュを開けたメンチは――、

 

 出てきた魚一匹まるごと米に埋めた料理を見て、容赦なくぶん投げた。

 

「あぁーー!! 何も捨てるこたぁねぇだろ!!」

 

「食えるかあんなもん!! もっとマシなもん持って来な!」

 

 レオリオに続いて出てきたのは、ゴン。

 自信満々の表情でプレートを運んでくる。

 

 メンチの前に置いて、オープンした皿には――、

 

 魚一匹まるごと米に埋めた料理が。

 

「さっきの奴とレベルが一緒!!」

 

 頭をたれて落ち込むゴンの肩にクラピカが手を置いて慰めていた。

 

「いいこと! 形は大切よ! 握り寿司の形をなしていない物は味見の対象にもならないから!!」

 

 怒って貧乏揺すりを始めたメンチ。

 そろそろ動き出すべきかとスバルが包丁を手に取った所で、隣のクラピカが進み出た。

 

「……試験官の言っていたヒント、それを総合して考えるなら、これだ」

 

 メンチの前に、プレートを置く。ニヤリと笑ったクラピカが提示したそれは――、

 

 魚一匹まるごと以下略

 

「あんたも最初のやつと全く同レベル!!」

 

 まるで閻魔大王に地獄行きを言い渡されたような顔で絶望するクラピカに、レオリオが「そんなにショック受けなくてもいいだろ!!」と突っ込んでいた。

 

 と、そんなやりとりを見ている間にハゲ頭の受験生が今度はメンチの前に来た。

 

「……とうとう俺の番が来たようだな」

 

「あんたは他の奴とは違う雰囲気があるわね」

 

「当然だ。どうだ! これが寿司でいっ!!」

 

 そういって出したものは、なんと確かに寿司だった。

 まさか、この男も日本を知っているのだろうか。

 

「やっとそれっぽいものが出てきたわね。どれどれ……」

 

 メンチはようやく食べ物にありつけるという興奮を収めながら、ゆっくりと寿司を口に含んで、すぐに顔は険しくなった。

 

「ダメね。魚の切り方がなってない」

 

 バッサリ。どうやらブハラと違うというのは本当らしい。

 しかし、ハゲ頭はそれに怒ってしまった。

 

「何でだよ! 寿司ってのは長方形に切った魚肉を握った米に乗せる超お手軽料理だろ! 誰が作っても大差ねーだろがよ!!!!」

 

 どさくさに紛れて、寿司の作り方をまるごと言ってしまった。

 スバルのアドバンテージがあっという間に消え去ったのだが、それよりも、ハゲ頭の発言にメンチが切れた方が問題だった。

 

「お手軽料理? 大差ない?? ふっざけんなよ! 寿司なめてんじゃねーぞ!! これ作るのに十年修行がいるって言われてるんだよぼけーー!!」

 

 ハゲ頭は怒鳴られ突き飛ばされて、とぼとぼと自分のキッチンへと戻っていった。

 

「あー、怒ったらますますお腹減ってきちゃった。つっても、あのハゲがべらべら作り方教えちゃったからもう味で審査するしかないわ。さ、じゃんじゃん持って来なさい!!」

 

 ここからは、あっという間の出来事だった。

 次々と持ち込まれる寿司を腹に収めて、ダメだしをしまくる。

 食っては突き返され、食っては突き返し。

 

 そしてしばらく食べた後、

 

「わり、お腹いっぱいになっちまった。最初に決めたとおり、今年の合格者は出なかったって事で。また来年頑張ってねー」

 

「「「「「「はぁああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」」」」」」

 

 会場に受験生の絶叫がこだました。




次回は30日更新です


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二次試験×ダイブ!×ゆで卵

「だぁかぁらぁ! 何度も言わせないでよ! 今年の合格者はゼロ、合否を決めるのはアタシなんだから、文句言わせないわよ! ――とにかく、合格者はゼロってことで!! よろしく!!」

 

 乱暴に携帯を切ってぶん投げる。キッチンにものすごい速度で当たった電話は真っ二つに壊れてしまった。

 

「おいおい、どうなるんだこれは。冗談にしてもキツすぎるだろ……」

 

 ハンター試験二次試験合格者ゼロ。その発言はその場にいた全員が困惑を浮かべていた。

 

「ふ、ふざけんじゃねぇ!! こんなの無効だ、審査をやり直せ!!」

 

 大柄な受験者が声を張り上げる。スバルの目には彼が乱暴に写るが、しかしここまで怒るのも無理はない。

 審査の後半、ハゲ頭の受験者に寿司の作り方をバラされてから、メンチのジャッジは明らかに厳しくなっていた。寿司に体温が移ってる、シャリの握りが固いなど、素人の寿司につける文句としてはいささか厳しすぎる内容ばかりで、結果全員不合格となっては不条理がすぎる。

 

 しかし、メンチは全く取り合うつもりがないのか唇をとがらせてそっぽを向いてしまった。

 

「あぁ、メンチの悪いところが出ちゃったな……。彼女、熱くなると味に妥協が出来なくなっちゃうんだよね。さてどうしようかな……」

 

 ブハラが困った顔で腕を組む。彼女のこの態度は昔からの悪癖らしい。

 

「ふざけるなよ! こんな審査員認めねぇ! 大体、美食ハンターなんか美味いもんくってるだけの道楽者だ! そんな奴審査員として認めねぇし、ハンターとしても認めねぇ!!」

 

「そうだ! 今から俺がお前らぶっ倒して、こんな奴失格だって協会に直訴してやる!」

 

 声を荒げたのは255番を始めとする受験者だった。思い返せば彼らは、二次試験の課題を聞いたときから特に不満げだったが、とうとう我慢の限界が来てしまったらしい。

 だが、そんな彼を一瞥したメンチは――、

 

「あっそ、好きにしたら?」

 

 それが、とどめだった。

 

「ふざけんじゃねェーー!!」

 

 額に青筋を浮かべてまっすぐメンチに殴りかかる255番。その勢いは闘牛のごとく、直撃すればタダでは済むまいと、そう予感させた次の瞬間。

 パァンと肉と肉がぶつかり合う大きな音が鳴って、殴りかかった255番が遙か後方へと飛ばされた。

 

 頭上を舞う人体は、現実に起こっていることとはとても信じられなかった。 

 張り手一発で彼を吹き飛ばしたのは、メンチをずっとなだめていたブハラだ。その行動に不満があるようで、メンチは後ろを見やる。

 

「ブハラ、よけいなマネしないでよ」

 

「だってさ……、俺が手ェ出さなきゃ、メンチあいつを殺ってたろ?」

 

「フン――、まぁね」

 

 随分と物騒な会話だが、メンチの背後から現れた包丁の鋭い光はそれが決してハッタリでないことを意味していた。怖い。

 

「笑わせるわ。アタシを倒すだなんて。今アンタはたかが美食ハンターごときに一撃でのされちゃってさ」

 

 器用に包丁をジャグリングしてみせる。そうとうの修練を積んだのだろう、その包丁さばきは熟練されている。

 

「どのハンターを目指すとか関係ないのよ。ハンターたる者誰だって武術の心得があって当然!!」

 

 片手に包丁をまとめて受け取る。二本だった包丁はいつの間にかもう二本増えて四本になっていた。四本の包丁をジャグリングとかどんなスキル。

 

「あたしらも食材探して猛獣の巣の中に入ることだって珍しくないし、密猟者を見つければもちろん戦って捕らえるわ」

 

 美食ハンター、いや、ハンターとはなんたるかを熱心に語るメンチの目は険しく、しかし真剣な熱をギラギラと滾らせている。

 

「武芸なんてハンターやってたらいやでも身につくのよ。あたしが知りたいのは未知のものに挑戦する気概なのよ!!」

 

「それにしても合格者0はちとキビシすぎやせんか?」

 

 鬼気迫るメンチの話を遮ったのはその場にいる誰でもない、上空からのしわがれた声だった。

 

 受験生達がぞろぞろと建物の外に出て行くと、かなり低い空をクジラ型の飛行船が飛んでいる。スバルは飛行機は見たことがあっても飛行船は見たことがない。それでも、かなり立派な物なのだろうという想像が付くほどには立派だった。

 

「あ! アレ見ろ! あのマーク! ハンター協会のマークだぞ!!」

 

 船の横腹を指さして叫ぶ男。そこにはXを二つ並べ、その間に出来るダイヤマークを黒く塗りつぶした会章がでかでかと存在を主張していた。

 

「アレがハンター協会のマークで、ということはこの飛行船はハンター協会の飛行船。こんな所にわざわざやってくるって事は……、審査委員会か!!」

 

 すると、飛行船の底部がパッカリ空いたと思うと、そこから米粒ほどの人影が落ちてきた。それはだんだんと地面に近づいていき、ようやく顔を認識できるほどに大きくなったと思えばすさまじい音と共に着地する。

 出てきたのはお爺さんだった。背中を丸め、口元には豊かな髭を蓄えている。これぞ老人といった風貌、背丈はスバルよりも低い。

 彼は立った今かなりの高度から下りてきたと言うのに、何事もないようにスタスタ歩き出すとメンチの方にむかっていく。

 

「……審査委員長のネテロ会長。ハンター試験の最高責任者よ」

 

 先ほどまで怒りをむき出しにしていたメンチが、打って変わって緊張の面持ちで相対している。かなりの実力者でかなりの偉い人なのは間違いない。

 しかし本人は謙遜して、

 

「責任者と言ってもしょせん裏方。こんな時のトラブル処理係みたいなもんじゃ」

 

 話す口調は極めてのんびりで、威圧感のかけらもない。それがかえって威厳を感じさせる。

 

「メンチくん。君に一つ問いたいのじゃが」

 

「は、はい……!」

 

 ピンと背筋を伸ばすメンチ。彼女のこんな緊張した姿は、試験を通して初めて見た。

 

「未知のものに挑戦する気概を彼らに問うた結果『全員、その態度に問題あり』……つまり、不合格と思ったわけかね?」

 

 ネテロの優しく、しかし芯を付いた質問にメンチは息を吸って、吐き出す。

 

「いえ。テスト生に料理を軽んじる発言をされてついカッとなり、その際料理の作り方がテスト生全員に知られてしまうトラブルが重なりまして、頭に血が昇っているうちに腹がいっぱいにですね……」

 

 一聞して理路整然のようで、どこか言い訳じみた発言をするメンチ。先ほどまで荒々しい陽キャ女子然とした彼女が、今は父親に叱られるのを怖がる子供のようだ。

 ネテロはそんな彼女を見透かし、

 

「つまり、自分でも審査不十分だとわかっとるわけだな?」

 

「……はい」

 

 ションボリしたメンチは、ただのギャルお姉さんといった雰囲気だ。思わず可愛いなんてスバルは思ってしまった。

 

「スイマセン! 料理のこととなると我を忘れるんです。審査員失格ですね。私は審査員を降りますので、試験は無効にして下さい」

 

 腹を決めて素直に謝った。本当に子供のようで、少し毒気を抜かれてしまう。

 ネテロは少し思案した後、指を一本立てた。

 

「審査を続行しようにも、選んだメニューの難度が少々高かったようじゃな。ではこうしよう。審査員は続行して貰うかわり、新しいテストには審査員の君にも実演という形で参加してもらう――というのでいかがかな? その方がテスト生も合否に納得がいきやすいじゃろ」

 

 ネテロの金言に一同反応する。ということは、またチャンスが巡ってくるらしい。しかも、今度はネテロがいて、本人もデモンストレーションを行う試験。すくなくとも寿司審査のように理不尽な不合格を食らうことはあるまい。その代わりスバルのアドバンテージもなくなってしまった訳だが。

 

 255番はそれでもまだ不満そうな顔をしていたが、言葉にはしなかった。

 

 メンチは次の審査の料理を少し考えて、

 

「そうですね、それじゃ、次の課題は『ゆで卵』で」

 

 ゆで卵、というと、卵をお湯で茹でるあの料理だろうか。そのくらいなら家で作ったこともあるが、工程が単純な分合格不合格を決めるのは難しいような気もする。

 

「会長。私達をあの山まで連れて行ってくれませんか?」

 

 メンチのお願いに、会長はニヤリと笑って、

 

「なるほどなるほど。もちろんいいとも」

 

 その言葉に、なんだか少しだけ嫌な予感がしたスバル達は順番に飛行船に乗せられた。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

 スバル達を乗せた飛行船が降り立ったのは、オーストラリアのエアーズロックに似た、けれどそれよりも大きな山の上だった。

 

 地面に降りたって、まず真っ先に目に入るのは深い深い谷。底は見通せず、薄い霧と蜘蛛の巣のようななにかがかかっている。落ちたらまず間違いなくあの世行き確定。足が竦んでしまって、腹の下から冷える感覚が襲ってくる。

 

「安心して。下は深ーーい河よ。流れが速いから落ちたら数十キロ先の海までノンストップだけど」

 

 安心できない。

 メンチは手際よく靴を脱ぐと、屈伸もそこそこに――、

 

「それじゃお先に」

 

 その谷の下に飛び込んだ。

 

「「「えーーーー!!??」」」

 

 衝撃に彼女を追う。まっすぐに下に落ちていった彼女は、 蜘蛛の巣を冷静に掴むと宙ぶらりんになる。

 

「マフタツ山に生息するクモワシ。その卵をとりに行ったのじゃよ」

 

 クモワシは陸の獣から卵を守るために谷の間に丈夫な糸を張って卵を吊すのだそう。その糸に上手く捕まったメンチは雲梯の容量でスルスル卵の方へ移動すると、卵を一つだけ取って岩壁をよじ登って戻ってきた。

 

「よっと。この卵でゆで卵を作るのよ」

 

 簡単に言い放つメンチ。しかし、この谷に飛び込んで戻ってくるなど、マトモな神経で出来ることではない。人並み外れた胆力があって出来る芸当だ。

 

 と、思っていたのだが、

 

「こーゆーのを待ってたんだよね」

 

「走るのやら民族料理より、よっぽど早くてわかりやすいぜ」

 

 ゴン達はそう息巻くと、さっさと飛び降りて行ってしまった。

 飛び降りて行ってしまった。

 

「え!? もう行っちゃうの!? 俺ってばまだ心の準備が!」

 

 スバルがあっけにとられている間にも、他の受験生は次々谷底めがけてダイブしていく。

 こうなればやけくそだ。スバルにもこの試験に合格しなければならない理由が出来たのだ。飛び込むくらい、どうにだってなる、はず。

 

「ええい、ままよ!!」

 

 腹をくくって飛び降りた。

 迫りくる糸、思ったより早い降下。油断していたら手がかからない。

 

「こなくそっ!」

 

 なんとか気合いで腕を伸ばした。肘の部分に糸が引っかかる。離すまいと手を絡めて、抱きついた。

 

「――な、なんとかなった……」

 

 卵を取って、今度は崖に。後はひたすら登るのみ。どちらにせよ飛び降りた以上、登らなければ死ぬだけだから、必死に上へ上へと体を動かした。

 命からがら崖に這い出た頃には、ゴン達はとっくにゆで卵を完成させていた。

 

「と、とにかく。これで合格だぁ……」

 

 気合いと根性を見せたスバル。経験値凄いたまって大幅レベルアップを感じながら、自分で茹でたゆで卵は、これまで食べたどのゆで卵よりも美味しかった。

 

「後はマヨさえあれば完璧だったぜ……」

 

 二次試験、ゆで卵審査、合格者43名。




次回更新は二日です。


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休戦×乗船×飛行船

一日更新遅れました。すいません。


 午後8時。二次試験を突破したスバル達は、クジラの飛行船に乗って三次試験会場へと向かっていた。

 

「……俺、異世界に来たんだよな」

 

 未だに非現実感が拭えないというか、半端に近代的な世界観に頭の処理が追いついていないというか。スバルはぼんやりと窓の外を眺めて感慨深く呟く。

 飛行船が試験会場に着くのは朝の6時らしい。それまでは、各自自由時間と言われたのでスバルは試験官のメンチと受験生のハゲ頭を探し回っていたのだ。

 

 二次試験、寿司審査で発覚したこの世界にも日本らしき国があると言う事実。その日本について知るために話を聞かなければならないと必死になって二次試験をクリアした。

 だが、今はその話を聞きたい相手が見つからないで、途方に暮れていたのだ。

 

 大きいといえど、所詮飛行船の中。少し探せば見つからない広さではないと、そう考えていたのだが。

 

「なんでどこにもいねぇんだよ。忍者かなんかか??」

 

 一応、異世界だ。忍者の一人や二人いてもおかしくないが、どうなのだろうか。

 

 と、肩を落とすスバルの後ろからレオリオとクラピカがやってきた。

 

「どうしたスバル。やけに暗いが、三次試験が憂鬱か?」

 

「いや、まぁそれもあるけどさ。長い一日でもうクタクタだぜ。俺ぶっちゃけこんな運動したの生まれて初めてくらいだぜ。まじ眠い」

 

「俺もだよ。ったく、ハンター試験は化け物の巣窟だぜ。体がバッキバキだし、明日に障らねぇようさっさと寝るに限るなこりゃ」

 

 首を左右にならして長く伸びるレオリオ。くたびれた様子はかなりおじさんだが――、

 

「そういや、レオリオって何歳なの? ゴンやクラピカとは結構離れてそうだけどさ。もしかしてアラサー?」

 

「失礼なこと言うんじゃねぇ! 俺はまだ十代だ!!」

 

「は!?」

 

 激昂するレオリオの言葉に耳を疑った。

 短く剃り整えられた顎髭。くたびれたスーツ、ワイシャツ。小金持ちしかかけないような小さいサングラス。誰が見ても二十代はいっている風貌の彼を十代だと思えという方が無理な話だ。

 

「ひでぇ、信じてねぇ目だぜ。俺だって傷つくんだぜ」

 

「ああ、いや、悪いな」

 

「素直に謝んじゃねぇ!!」

 

 雑談に興じる時間もまたありがたい。共にハンター試験に挑む仲間がいると思うだけで、辛い試験も乗り越えられそうな気がしてくるから不思議だ。

 

「ともかく、三次試験もこれまで以上に過酷な物になるに違いない。頑張らなくてはな」

 

「だな。さてスバル、俺達は向こうでしばらく仮眠を取ろうと思ってるんだが、お前はどうする? 一緒にくるか?」

 

「いや、いいよ。それより、二次試験の試験官と、寿司を知ってたハゲ頭の受験生見てないか? ちょっと話があってさ」

 

 少しでも手がかりが得られないかと訊ねてみる。

 レオリオはアゴに手を当てて宙を見つめた。

 

「あー、いたな。確か、ハンゾーだったか。この船の中でだろぉ? 俺は見てねぇなぁ……。クラピカはどうだ?」

 

「力になれず残念だが、私もその二人は見ていない。何か重要なことなんだろう。また見かけたら君が探していたと伝えておくよ」

 

「ありがとう。助かるよ。じゃあ、お休み。良い夢見ろよな」

 

 伝わることのない某有名タレントのギャグで別れを告げた。

 

 再びこの場所に静けさが戻る。

 二人の姿が消えた後、二人が向かった方向とは逆の廊下を歩きだした。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

 ヒソカは、好敵手を求めて生きている。

 自分を興奮させる殺し愛が出来る相手を求めていた。

 

 ハンター試験を受験したのも、その一環だ。人を殺しても免責になる場合が多い資格を得ることは実は副次的な目的だったりする。

 ヒソカはこの試験の受験生事態にはそこまで興味がない。なぜなら、彼を満足させるには受験生達はあまりに非力だからである。だからこそ試験官や、今後自分を脅かす存在になり得る種を探すこそに注力していたのだ。

 

 だが、ヒソカはその中で見つけてしまった。

 

 試験が始まった当初、彼は凡百の羽虫の一匹にすぎなかった。非力で、無才で、なんの力もない。ヒソカをそそらせる要素の欠片も感じさせない存在。

 それが、あの長い通路を走りきった途端、ヒソカの評価を一変させる。

 

 あまりに禍々しく、練り上げられた凶悪なオーラ。念なのかすら怪しく、ヒソカですら身震いするほどの邪悪さを潜ませたそれを纏う男。

 そんな者が、ただの凡骨であるはずがなかった。

 

 だからこそ、ヌメーレ湿原で彼を狙い撃ちした。濃い霧に乗じて、襲おうとマークをしていた。結果的に見失ってしまったが、最後には対峙することも出来た。

 

 その時の感覚から言えば、ハッキリ言って期待外れだ。

 吹けば飛ぶほどにもろい存在。大成する影も見られない、矮小で我儘、裕福な家で生まれた愚かな子供。

 

 しかし、ならばどうしてあれほどのオーラをまとえるというのか。ヒソカには見当もつかない。遠い異国で守護念獣のような存在がいると聞いたこともある。

 とりつく相手の死の危機に外敵を迎撃する念獣だとか。

 

 あのオーラの正体が念獣だとしたら、一体どれほどの強さなのだろうか。

 

 想像しただけで、体の内側から激しいうずきが湧き上がり、どうしようもなく興奮させてくれる。

 

 抑えなければ、抑えなければいけない。このうずきはダメなうずきだ。ともすればここまでの苦労が水の泡になってしまう。ゴン、彼はとてもいい素材だった。あと十年もすれば極上の果実になってくれるだろう。それを壊してしまいたくはない。

 

 トランプタワーを作ることで精神を落ち着かせながら、ヒソカはほくそ笑む。果実が実ることと、未知の強敵の真価を引き出すことを夢見て。

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「ねぇ、今年は何人くらい残るかな?」

 

 試験官用に特別に用意されたお肉を食べながら、ブハラがそんなことを言ってきた。

 

「合格者ってこと? なかなかのツブぞろいだと思うのよね。一度全員落としといてこう言うのもなんだけどさ」

 

 メンチが悪びれもせずに評した。

 本当に、どの口が言っているのやらとはサトツの思い。

 

「でもそれは、これからの試験内容次第じゃない?」

 

 メンチみたいな試験官じゃ一人も残らないだろうし、と冷や汗をかきながら隣で晩餐にありつく彼女を見つめるブハラ。これはお口にあっていたらしく、非常に満足そうな表情である。

 

「そりゃまそーだけどさーー。試験してて気づかなかった? けっこういいオーラ出してたやついたじゃない。ね、サトツさん」

 

 話を振られた一次試験の試験官は、整った口ひげをゆったり撫でて思い返す。

 

「オーラ、といえばそうですね。新人がいいですね今年は」

 

「あ、やっぱりー!?」

 

 明るい表情で同調する。

 

「あたし254番がいいと思うのよねーー! ハゲだけど」

 

 いつも一言多いメンチであった。

 サトツも乗っかって、

 

「私は断然99番ですな。彼はいい」

 

「あいつきっとワガママでナマイキよ。絶対B型! 一緒に住めないわ!」

 

 本当にいつも一言多いメンチだった。

 

「ブハラは?」

 

 後ろで話を黙って聞いていたブハラが、首をひねる。

 

「そうだね、気になる人、といえば新人の406番と、あとは、新人じゃないけど気になったのが、やっぱ……44番かな」

 

 44番――ヒソカと、406番――スバルだ。

 この二人には納得らしく、サトツもメンチも深く頷く。

 

「44番はさ、ズッと殺気を放ってたよね。抑えきれない感じの殺気だった」

 

「……実はさ、アタシがピリピリしてたのも実はそのせい。あいつずーーっとあたしにケンカ売ってんだもん」

 

「私にもそうでしたよ。彼は要注意人物です」

 

 サトツもまたヒソカの殺気には気がついていた。気を抜けばきっと襲いかかってくる。そんな確信すらあったのだ。

 ヒソカは試験官の間でも危険人物指定されるほどに危ないようだった。

 

 話題はもう一人の話に移る。

 

「406番、彼は彼でヤバいオーラ放ってたよね。殺気、とは違うんだけど」

 

「念にしても、そうとう危ないオーラよね。それを隠すきもなく放っておいてるんだから。アイツも相当ヤバいわよ」

 

「身のこなしは、素人のそれのように感じたのですがね。試験の途中から明らかに異様なオーラを放っていましたから。まぁ、ハンター試験は結局そんな所でしょう。受験生の中にたまに現れる異端児。今年はそれが二人いる、そういうことです」

 

 沈黙が流れる。コーヒーブレークと共に、サトツがぽつりと呟いた。

 

「今年は大荒れの予感ですねぇ」

 

 その予感の中心にいるスバルが、異世界人だなんて想像している人間はこの時点でまだ誰もいなかった。

 




次回は5日更新です


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トリック×タワー×多数決

更新が大幅に遅れてしまって申し訳ない……。書いてはいるんですがね。


 午前七時。スバル達受験生を乗せた飛行船は高い高い塔のてっぺんで受験生を吐き出した。

 障害のない高所は、吹き付ける風も厳しく冷たい。日は既に昇っていて、直接刺さる日差しが痛いほどで、空を仰ぎながらスバルは目を細めた。

 

 飛行船は飛び去っていきながらこう告げる。

 

「制限時間は72時間、クリア条件は生きて下まで降りてくることただそれだけです! それではスタート! 頑張って下さいね!」

 

 そろそろこの試験が告げる『生きて』ほハードルが決して低くないとわかってきた。一次試験のマラソン、二次試験の豚、崖で多くの受験生が実際に死傷しているからだ。この現状にもいい加減慣れてきてしまい、ビビることもなくなっている。そんな自分が怖いスバルがいた。

 

「側面は窓ひとつないただの壁か。ここから降りるのは自殺行為だな」

 

 下を覗き込むと、森の木々がミニチュアほどの大きさになって見える。よく目をこらしてみると、さわさわと揺れているのがわかった。落ちれば、どんな人間だってひとたまりもあるまい。

 壁を伝えないということは、すなわち別のところに下へ降りるための通用口があるはずである。スバルは適当にうろついてみる。

 

 数分歩いていると、正面から見知った二人がのそのそと歩いてきた。クラピカとレオリオだ。

 

「よぉ、調子はどうだ?」

 

 片手をあげて調子の良いことを言ってくるレオリオ。

 歩み寄りながら、スバルは肩をすくめた。

 

「残念ながらまったくだ。草木一つ見つけられてねぇよ。まったく、このままだと死ぬの覚悟で壁を降りることになっちまう」

 

「俺達も、下に行くための通用口みたいなものは見つけられてない。時間はたっぷりあるが、あまりここで足踏みしたくないんだが……」

 

「その通りだ。三次試験はおそらく下への道をみつける事でスタートラインだろうと思われるからな。それより二人とも、気づかないか?」

 

「どうした? うんこでも行きたいのか?」

 

「そんなわけないだろう! 品がないな君は! そうではなく、見ろ。明らかに人数が減っているだろ?」

 

 言われてみて、頭数を数えてみる。一、二、三――

 

「二十二,二十三!? おい、二十三人しかいないぜ!」

 

「半数近くが既に頂上から脱出したことになるな」

 

 気がつかない間に半分近くに先を越されたことを知ってレオリオが悔しそうに歯がみする。

 

「この人数の中、消えた全員がこっそりと同じルートを使って降りたとは考えづらい。きっといくつも隠し扉があるんだ」

 

「隠し扉、ねぇ……」

 

 そんなもの、スバルは転移前忍者屋敷でしかお目にかかっていない。少し怪しいが、信じるしかあるまい。

 

 スバルはこの時、隠し扉を探す事よりも実はハゲ頭の忍者、ハンゾーを探す事により注力していた。

 あの飛行船の中で、とうとうスバルはハンゾーもメンチも見つけられなかった。一晩中探したのにである。だから今スバルは寝不足で、半分ぼんやりしてしまっている。

 

「三人とも! おーい!」

 

 ふと、後ろを振り返るとゴンが大きく手を振っていた。

 駆け寄ると、地面を指さして。

 

「そこで隠し扉を見つけたよ」

 

「「「なっ!」」」

 

「でかしたぞゴン!! 早く行こうぜ!!」

 

 レオリオがそうゴンを急かすが、彼の顔は浮かない。

 

「どうしたんだよ。迷うこたぁねぇだろ?」

 

「いや、それがね。俺どれにしようか参っちゃってさ……」

 

 不思議なことを言うもんだと顔を見合わせるとゴンはきょとんとした顔で、

 

「どれにしようかと思ってさ」

 

 ゴンに連れられてやってきたのは、やっぱり殺風景な平面の頂上だった。

 

「こことここ、あとこっちにも三つ」

 

 ゴンが示した場所を調べてみると、なるほど、確かに通常の足場と違って押してみると下に回転するようだった。

 

「五つの隠し扉。こんな近くに密集してるのがいかにもうさん臭いぜ」

 

「おそらくこのうちのいくつかは罠……」

 

「だろうな。RPGの基本のきだぜ。俺のトラップセンサーもビンビンアンテナバリバリよ」

 

「スバル何言ってんだ?」

 

 ゴンは構わず続ける。

 

「しかもこの扉、どうやら一回きりしか開かない仕組みらしいんだ」

 

 どういうことかと聞いてみると、つまりこういうことらしい。

 別の場所で偶然誰かが扉を降りるところを見た二人。降りた場所に駆け寄ってそこから降りられないか試したらしいが、下からロックされたようでもうビクともしなかったという。

 

「つまり、扉は一人に一つずつ。みんなバラバラの道を行かなきゃいけないってこと」

 

 ゴクリと唾を飲み込む。なんだかんだ、これまでスバルはずっと四人と一緒に試験に挑んできた。自分一人では到底突破できないような場面を誰かの手を借りることでなんとか切り抜けてきたのだ。

 だが、ここでもし離ればなれになってしまえば試験をクリアできなくなるどころか、下手をすれば命を落としてしまうことだって考えられる。

 

「確かにこの幅じゃ、一回につき一人がくぐるので精いっぱいだな」

 

 床を押してレオリオが確認。クラピカと二人はもうすでに覚悟を決めているらしい。

 

「ゴンと俺はこの中の一つをそれぞれ選ぶことに決めた」

 

「罠にかかっても恨みっこなしってね。三人はどうする?」

 

 スバルは断固拒否したかったが、それ以外に方法はないし、顔を見合わせてみると、クラピカも、レオリオも、当然といった顔をしている。

 

「いいだろ!! 運も実力のうちってな」

 

「誰が最初に選ぶ?」

 

「――」

 

 周りに流されやすいのはスバルの美点であり欠点で、今回は悪い方向に働いてしまった。

 

 じゃんけんで順番を決め、道を選ぶ。スバルは最後に選んだ。

 

「決まったな。一・二の三で全員行こうぜ。ここでいったんお別れだ」

 

「地上でまた会おう」

 

 待って――、

 

 止める間もなく掛け声がかかる。一、二の、三。ぴょん、ぴょん、ぴょん。

 つられて飛び上がって、着地とともに足元が抜け、下へ。

 途方もない浮遊感、時間にしてわずか一秒にも満たない間が、妙に長く思えて、地面が。

 

「いてっ!」

 

 背中から激突、痛みは軽く、パッと視界が明るんだ。

 

 そこにはゴン、キルア、クラピカ、レオリオがいて、つまり、ずいぶんと早い再開を果たした。

 

「……くそ~~~~。五つの扉のどこを選んでも同じ部屋に降りるようになってやがったのかよ」

 

 ボヤキが聞こえるが、スバルとしては安堵しかなかった。

 周囲をぐるりと見まわして、気が付く。長方形の石造りの壁で囲まれた湿気た部屋。モニタと、ザラザラの台が据え置かれていて、それだけ。

 

「この部屋、出口がない」

 

 言葉に呼応して、部屋の奥の壁につけてあるモニタがブウンと音を鳴らす。

 

『多数決の部屋 君たち五人は、ここからゴールまでの道のりを多数決で乗り越えなければならない』

 

 モニタ前の台には丸とバツのボタンがつき、時間が表示された腕時計型タイマーが五つならんでいる。

 

「ご丁寧にタイマーまで」

 

「……もしかして、ここに五人で降りてこなければ。我々はずっとここから出られなかったのではないか?」

 

 クラピカが気づいたことは、大変な事実だった。強制参加させられたゲームが、参加人数を満たしていないために延々と足止めをくらい、最悪クリアできない可能性すらあるなど、発売停止もののバグだ。

 

『その通り』

 

 クラピカのおぞましい想定を肯定したのは壁に見えにくいようにつけられたスピーカーからの声だった。

 

『このタワーには幾通りものルートが用意されており、それぞれクリア条件が異なるのだ。そこは多数決の道、たった一人のわがままは決して通らない! 互いの協力が絶対必要条件となる難コースである。それでは、諸君らの健闘を祈る!』

 

 一方的にそう告げてアナウンスはぷっつりと動かなくなった。

 

「……だがま、俺たちは五人揃ってんだ。さっさと先に進んじまおうぜ」

 

 レオリオの勤めて明るい声が、空気を弛緩させる。それぞれがめいめいにタイマーを腕につけると、物々しい音を立てながら壁の一部にドアが現れた。タイマーをはめると先への道が開ける仕組みのようだ。

 ドアにはこんなことが書かれていた。

 

『このドアを 〇→開ける ×→開けない』

 

「……なんだこりゃ。もうここから多数決かよ。こんなもん、答えは決まってんのにな」

 

 呆れながらボタンを押す。

 ドアはすぐに開かれた。だが、

 

「おいおいおい、どうなってんだ。なんでバツが一人混じってるんだよ」

 

 その結果は〇が四つに対して×が一つあった。さっそく多数決がなされたわけだが、レオリオが気に食わないのは初めから足並みがそろっていないことだ。

 バツを押してしまったのは、スバルだった。震える指で手元が狂ってしまったのだ。

 

「悪い。オレが間違えて押しちまった」

 

 簡潔に謝意を示すが、ギロリと動くレオリオの視線が痛い。

 

「こういうのは初めが肝心何だ。しっかししてくれよ……ったく」

 

「本当に悪いと思ってるよ。あんまカッカすんな」

 

 舌打ちで返事。こういう決め事があまり得意ではないらしい。

 少し険悪なムードのまま先へ進むと、今度は二つに分かれた道が現れた。

 

『どっちに行く? 〇→右 ×→左』

 

 こう何度も何度も選択肢が現れては、先へ行くのに時間がかかって仕方がない。それが五人に小さなストレスとなって降りかかっていた。

 結果はすぐに出る。〇が三つ、×が二つ。

 多数決により右の扉が開いたが、レオリオはまたしても不服そうだ。

 

「なんでだよ! フツーこういう時は左だろ? つーか、俺はこんな場合左じゃねーと落ち着かねーんだよ」

 

 たった一人のわがままは通らない。通らない意見は、大きなストレスとなる。

 今だって、目に見えてレオリオは苛立っていた。

 

「確かに行動学の見地からも、人は迷ったり、未知の道を選ぶときには、無意識に左を選択するケースが多いらしい」

 

 キルアが俺も聞いたことがあると付け加えた。

 

「ちょっと待て! それだと計算があわねーぞ。お前ら、一体どっちだよ」

 

 答えは、二人とも右。

 

「左を選びやすいからこそ右なんだ。試験官が左の法則を知っていたのなら、左の道により過酷な課題を設ける可能性が高いからな」

 

 スバルは特になにも考えずに右を選んだが、クラピカのもっともそうな理屈に、自分もさもそう考えていた風を装うことに決めた。レオリオのヘイトを一人で背負うことはしたくない。

 

 右の道を進んでいくと、行き止まりに突き当たった。

 正確には行き止まりというより、まだ道がないとした方が正しい。目の前には道から切り離され周囲を深い闇で覆われた四角い舞台、それを挟んで向かい側に五人のフードの人間がいる。

 

 三次試験の難関が、幕を開けた。




次回は13日水曜に更新したいな


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