消えない[new] (紫 李鳥)
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 携帯小説を読むのが好きな大学3年の夏希(なつき)は、ファン登録している作家が何人かいた。中でも、〈零余子(むかご)〉という作家の詩やエッセイが好きだった。恋愛の詩が多く、連載のエッセイも、社会人の彼氏との恋を題材にしていた。

 

 年齢は非公開に設定されていたが、エッセイの内容からして、大学生であることは間違いなかった。掲載作品は50近くあり、ラブストーリー、SF、ファンタジー、ミステリー、ホラーと、色んなジャンルを手掛けていた。

 

 そのせいか、ファンも多く、特に零余子のホラーは人気があり、オススメのランキングでも上位を占めていた。しかし、人一倍怖がりの夏希は、ホラーだけは読んでいなかった。

 

 夏希が登録をしている小説サイトは、新作や更新を知らせる赤い[new]のマークが表示され、読むと消えるようになっていた。読まなければ、いつまでも[new]のマークは消えない。また、作家が退会しても、その作家が作品を削除しない限り、ユーザーは読むことができた。

 

 

 そんなある日のこと。零余子の更新を楽しみにしていた夏希は、早速、本棚を開いてみた。すると、予想だにしなかった、(退会)の表示があったのだ。

 

「うそっ……」

 

 思わず声が出た。詩にもエッセイにも退会をほのめかす(くだり)がなかっただけに、その衝撃は大きかった。と同時に、何か不自然なものを感じた。

 

 連載を残している上に、更新のエッセイには、「夏休みに旅行することや旅先でのエピソードを報告する」など、次回の予告を示唆(しさ)する内容になっていた。退会を決めていたなら、次回作の予告などしないはずだ。

 

 ……プライベートでの諸事情だろうか。それとも、旅先で何かあったのかしら。

 

 夏希は、カテゴリのホラーから消えない赤い[new]のマークを困惑の表情で見つめていた。すると、一瞬、点滅したように見えて、ハッとした。それはまるで、「読んでくれ」と言っているように夏希には思えた。もしかして、このホラー作品に、退会の真相が隠されているのかもしれない。

 

 ……どうしよう。ホラー、苦手だから。

 

 

 結局、友達の尚美(なおみ)に読んでもらうことにした。尚美は大学の同期で、プライベートでも親しく付き合っていた。スレンダーで小顔の尚美はファッションセンスもあり、栗色のマッシュショートが似合っていた。少し我が儘なところもあるが、笑うツボが同じのせいか一緒にいて楽しかった。夏希は、お茶に誘うと、喫茶店に着くや否や携帯を差し出した。受け取った尚美は、ゆっくりと親指を動かし始めた。――

 

「で、どんな内容だった?」

 

 バナナシェイクを吸っていたストローから口を離すと、携帯を閉じた尚美に訊いた。

 

「惨殺とか幽霊の類じゃなくて、なんて言うか、心理的な恐怖っていうの? ……ストーカーに追われて怖い思いをする話」

 

 携帯を差し出すと、ストロベリーシェイクのストローに口をつけた。

 

「……例えば?」

 

「例えば、大学の帰りに、背後に人の気配を感じて振り向いても誰もいないとか、毎日のように、携帯に非通知の電話があるとか」

 

「で、ストーカーは誰だったの?」

 

「まだ分かんない。だってこれ、連載じゃん」

 

「……か」

 

「ね、このホラーがどうかしたの?」

 

 興味津々と言った具合に、尚美が正面で頬杖をついた。

 

「ん? あ、私、ほらぁ、ホラー系は駄目じゃん。だから読んでもらったわけ」

 

「ほらぁとホラーのダジャレ? ま、いいけどね。シェイク、ごちそうになったし」

 

 尚美は満更でもない顔をした。

 

 

 ホラーを尚美に読んでもらい一安心した夏希は、帰宅すると早速、〈零余子〉の本棚を開いてみた。ところが、

 

「うそ……」

 

 思わず声が漏れた。

 

 

 ホラーの[new]が消えてなかったのだ。

 

 ……どうして? 既読すれば消えるはずよ。単なる不具合? ……まさか、尚美が読んでなかったとか。なんてことはないよね。惨殺とか幽霊の類じゃないって言ってたから、自分で読んで確認してみるか。

 

 夏希は、覚悟を決めると、ホラーの[new]を押した。

 

 

 

 タイトルは、『足音は不気味に(わら)う』だった。夏希は、ドキドキ、ハラハラしながら読み始めた。――

 

 

 読み終えた瞬間、背筋に冷たいものを感じたが、振り向くことさえ怖くて、体を硬直させた。すると、

 

『シクシク……』

 

 と、若い女の泣き声が背後から聞こえた。ビックリした夏希は咄嗟(とっさ)に振り返った。



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 そこにあったのは、夏希を見つめる長い髪の女の顔だった。

 

「ひぇ」

 

 反射的に後ずさりした。……だが、よく見ると、カーテンの隙間の窓に映った自分の顔だった。

 

 ……もう、そそっかしいんだから。

 

 夏希はホッとすると自嘲(じちょう)した。だが、さっき確かに女の泣き声が聞こえた。……あれは、幻聴だと言うのか?夏希はスッキリしなかった。……もしかして、この消えない[new]は零余子からのダイイング・メッセージなのではないだろうか。夏希はふと、そんなふうに思った。だが、真相を確かめるにも本名はおろか、どこの大学かも分からない。そこで、ヒント探しをするために、零余子の全ての作品をもう一度読み返した。――すると、エッセイの中にこんな件があった。

 

〈大学の前にある白い扉の小さな喫茶店によく行くんだけど、入り口脇の花壇には季節の草花が植えてあって、とても素敵です。花を()でるのも楽しみの一つ。その喫茶店の厨房には80歳になる女の人が働いているんだって。年齢を聞いたときはビックリしたけど、80歳になっても働くという考え方に敬服しました。どうりで、昔ながらの美味しいカレーやナポリタンなんだと思いました〉

 

 

 読んだあと、夏希はハッとした。この喫茶店に心当たりがあったからだ。――紛れもなく、自分が通う大学の前にある喫茶店だった。……つまり、零余子は同じ大学の学生。夏希は愕然(がくぜん)とした。

 

 ……まさか、同じ大学だったとは。

 

 だが、肝心な本名が分からない。どこかにヒントはないだろうかと思いながら次のページに移った時だった。

 

〈その喫茶店には一人で行くのが好きだけど、時々、同じ学部のNに誘われる。スリムなNは服のセンスも良く、小顔にマッシュショートが似合っていた〉

 

 ……マッシュショート?

 

〈でも、どうしても好きになれない。それには理由がある。デート中だったNと偶然会ったときのこと。自慢気にイケメンの彼氏を紹介して、恋愛に(うと)い私を(さげす)むような目で見た。あのときのNの冷ややかな目を忘れることができません。でも、今は素敵な彼氏がいます。彼氏の正体は今は明かせないけど、とても幸せです〉

 

 ……小顔にマッシュショート? もしかして、Nって尚美のこと? ……ということは、零余子は私も知ってる人?もし仮に私も知ってる人なら一人だけ思い当たった。

 

「あっ!」

 

 その人の名は、立木未菜(たちきみな)。同じ学部の同期だった。だが、未菜は大人しくて目立たない存在で、ろくに話をしたことがなかった。一人でいることが多かった未菜を気にかけてか、社交的な尚美が誘って、二、三度お茶をしたことがあった。未菜は清純なイメージはあったが、口数の少ない内向的なタイプで、一緒にいても楽しくなかった。

 

 仮に未菜が零余子だとしたら、作品から受ける印象とは正反対だった。積極的にグイグイいく作風の零余子と、大人しいイメージの未菜とはどうしても結びつかなかったが、得てして作家という者は、実際の人格とは異なる作品を書きたがるものなのかもしれない。

 

 ここまで知り得た情報から推測したのは、零余子の不可解な突然の退会に尚美が関わっているのではないかということだった。――そこで、鎌をかけてみることにした。

 

 

「ね? 最近元気ないけど、何かあった?」

 

「……別に」

 

 口が重かった。

 

「彼氏とうまくいってるの?」

 

「えっ?」

 

 驚いた目を向けた。

 

「なんで?」

 

「最近彼氏の話しないから」

 

 尚美を一瞥(いちべつ)すると、ストローでオレンジジュースを飲んだ。

 

「……会ってない」

 

 目を伏せて呟いた。

 

「何かあったの?」

 

「……別れてくれって言われて」

 

 感情の起伏が激しい尚美は今にも泣き出しそうだった。

 

「……そんな」

 

「他に好きな女ができたからって……」

 

 尚美はショルダーバッグから出したハンカチで目頭を押さえた。

 

「で、相手は?私の知ってる人?」

 

 その質問に尚美は潤んだ目を向けたまま返事をしなかった。それがどういう意味なのか、答えは出ていた。尚美は深刻な表情を残したままで席を立った。

 

 ……もしかして、未菜に彼氏を奪われたのかしら?あんな大人しい顔をして、なんて大胆な。……でも、そのことと退会したことにどんな関係があるのだろう。



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 そこで、零余子の本棚に(退会)が表示された8月×日の尚美の行動を調べることにした。夏休み期間は互いにバイトが忙しく、あまり会っていなかった。だが、行動を調べるにも本人に確認するわけにはいかないし、かと言って、バイト先のパン屋で出勤の有無を確認するわけにもいかない。尚美の耳に入ったら警戒される。

 

 どうしようか。……あっ、そうだ。ツイストドーナツやクロワッサンを何度か買ったことがあるが、あそこのパン屋はレシートにレジ担当者の名前が印字される。よし、これを利用しよう。

 

 

「8月×日にパンを買った者ですが」

 

「ありがとうございます」

 

 電話に出た責任者らしき男は感じがよかった。

 

「レジに文庫本を忘れてませんでしたか? レシートには確かレジ担当が岩井とあったような」

 

 尚美の名字を言った。

 

「8月×日ですね? しばらくお待ちください」

 

 丁寧な電話の応対だった。

 

「お待たせしました。文庫本の忘れ物はありませんでした。それと、岩井は8月×日は休みですが」

 

「そうですか? じゃ、私の勘違いですね。他の店に忘れたのかもしれません。お手数をおかけしました」

 

 零余子が退会した日に尚美はバイトを休んでいる。どこかで会ったのだろうか? 夏希はもう一度、零余子のエッセイを読み返した。

 

〈夏休みを利用して、帰省がてら実家がある飯能を観光しようかしら。ムーミンバレーパークや曼珠沙華(マンジュシャゲ)が綺麗な巾着田もいいな。でも、曼珠沙華の見頃は9月中旬ごろ〉

 

 とあった。仮に尚美がこのエッセイを読んでいたなら、零余子を尾行することができる。それが、(退会)が表示された日だとしたら。――夏希は、バイトが終わる時間を見計らって、尚美をお茶に誘った。

 

 

「ね、気分転換に旅行でもしない?」

 

「旅行?」

 

「日帰りで。遠出はできないから飯能なんかどう?」

 

「飯能?」

 

 尚美がギョッとした目を向けた。

 

(間違いない。尚美は零余子の(退会)に関わっている)

 

「飯能が嫌なら、逆に元町・中華街とかでもいいけど」

 

「……ごめん。その気になれなくて」

 

「……そうか。ごめんね、無理に誘って」

 

「ううん。こっちこそ、ごめん」

 

 何か隠し事があるような弱々しい視線を向けた。

 

(……これ以上は尚美から情報を得ることはできない)

 

 夏希は諦めた。

 

 

 飯能市の名栗川(なぐりがわ)で未菜の遺体が発見されたのは、巾着田の曼珠沙華が真っ赤に色づく頃だった。任意同行を求められたのは、佐々木雄也(ささきゆうや)。尚美の元カレだった。だが、佐々木は殺害を否認した。

 

「彼女が夢中になって携帯電話で風景写真を撮っていたので、その間にトイレに行きました。ところが、戻ると彼女の姿がなくて、ふと崖の下を覗くと倒れている彼女の背中が見えたんです。助けようと川に下りようとした時です、万が一死んでいたら自分が犯人にされると思い、パニックになって逃げました」

 

 顔面蒼白の佐々木は気の弱さを露呈していた。ところが、佐々木が取り調べられていた頃、尚美が出頭してきた。

 

 

「立木さんのアパートに遊びに行った時、立木さんがシャワーをしてる間に携帯電話を盗み見しました。すると、メールで小説を書いていたんです。メールボックスに保存していた作品のタイトルを検索して、サイト名とペンネームを知りました。私は早速サイトに登録すると、立木さんのペンネームである〈零余子〉の作品を読んでいました。そんな時、彼から、好きな人ができたから別れたいと言われて。相手の名前を訊くと、なんと、立木さんだったんです。ショックでした。

 エッセイで、夏休みに帰省することを知った私はバイトを休むと、普段は着ないやぼったい服装に黒いキャップとだて眼鏡で立木さんのアパートの近くで張り込みました。ショートカットの私は遠目には男にも見えるはずです。間もなくすると、リュックサックの立木さんが出てきたんで、尾行しました。立木さんは山手線に乗ると、池袋で降りました。そして、喫茶店に入ると、男性が座っている席に腰を下ろしました。……通行人を装って窓から覗くと、その男性は、別れてくれと言った佐々木雄也さんでした。ジェラシーと憎しみが同時に湧きました。

 喫茶店を出た二人は池袋から西武池袋線に乗ると飯能で降りました。それから、名郷(なごう)行きのバスに乗ったので、私も乗りました。少し離れた席に座ると耳をそばだてました。すると、立木さんの楽しげな笑い声が聞こえてきたんです。滅多に笑わない物静かな立木さんしか知らなかった私は、立木さんの明るい笑い声に憎しみを感じました。

 バスを降りた二人を尾行すると、川沿いの崖を歩いていました。立木さんが携帯電話で風景写真を撮っていると、佐々木さんがそこを離れたんです。チャンスだと思い、立木さんに駆け寄ると力任せに背中を押しました。すると、短い悲鳴と共に乾いた草のカサカサという音が聞こえました。崖の下を覗き込む勇気もなく必死で逃げました」

 

 

 尚美はなぜ、自ら出頭したのだろうか? 出頭しなければ佐々木を犯人にすることができたかもしれないのに。たぶん、無実の佐々木を犯人にしたくないという、尚美の愛情だったのかもしれない。

 

 一方未菜だが、消えない[new]や(退会)で、私に犯人を教えたかったのではないだろうか。聞こえたあの泣き声は、私に助けを求めるダイイング・メッセージだったのかもしれない。つまり、あの時はまだ生きていたのではないか。夏樹は、未菜を助けてやれなかったことを悔やんだ。

 

 

 

 ふと、零余子の本棚を開くと、赤い[new]が消えていた。――

 

 

 

  完



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