チェスクリミナル (柏木太陽)
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スクール編
矯正収容


 どうする。やめとけ。そろそろ限界だ。まだいける。近くにコンビニがある。だからなんだ。強盗するか。してどうする。金がないだろ。他に手段は。考えただろ。だからって。やるしかない。考え直せ。もう駄目だ。

 強い日差しのせいか、激しい頭痛が俺に襲いかかる。それと共に、目が血走り、心臓の鼓動が速くなるのを感じる。

「おい」

 男の声が聞こえる。

 今話しかけられたか? ……いや、俺に身内はいない。知り合いもいない。気のせいだな。

「おーい。無視はないだろ」

 また声がする。

 誰か知らんが早く返事してやれよ。鬱陶しくて仕方がない。

「君のことだよ」

 肩に腕が回された感覚がある。

 そこで俺は初めて自分が話しかけられていることに気がついた。

「あ? んだよ」

 俺は男を睨みつけるように言う。

 初対面にしては失礼かもしれないが、知らん奴に気を遣えるほど俺に余裕はない。

「君今、よろしくないこと考えてたろ。いや、変な意味じゃないよ」

 男は怯むことなく話しかけてくる。

 よろしくないこと? なんのことだ。俺は至って正常だぞ。

 ゔっ。また頭痛が俺を襲う。

「腕、降ろせよ」

 今度は的確な殺意を持って男を睨みつけた。

 それ以上俺に構うなら、何するかわからねえ。

 早く降ろせ。早く降ろせ。

「おいおい、そんな怒んなよ。俺はただ」

 俺は男の顎めがけて思い切り拳を振り上げる。振り上げた。感触はある。

「!?」

 が、俺の拳は男の顎には届いていなかった。

「うーん。いきなりだな。しかし、ここで能力を使わなかったのはいい判断だ」

 俺の拳は見事に男の手によって押さえつけられている。そして、かなりの力で拳は元の位置に戻される。

 何故だ。明らかにおれの拳はこいつ顎に当たったと思ったのに。

 そして何だ。この男今なんて言った。能力を使わなかった? 何故俺が能力者だと知っている。

「えーと、これかな」

 男は小さい紙のような物をポケットから取り出す。

「チェイサー・ストリート1992年5月14日生まれ現在17歳。スロッグ街で育ち、11歳の時に謎の事件に巻き込まれて両親と妹を亡くし、兄が行方不明。その後、養護施設に預けられる。ここまでは合ってるかな?」

「お前、ナニモンだ。それと、チェイサー・ストリートなんて奴なんざ知らん」

 俺は警戒しつつ言う。

 この男、何で俺の名前知ってんだよ。個人情報を掴まれるきっかけなんてなかった気がするんだが。

 一応とぼけておいたが……、

「成程。用心深い奴っと」

 だよな。

 男はその紙に付け加えるようにしてペンを走らせる。

「続けるぞ。えーとどこまで読んだっけかな」

 男が紙に目線を落とす。

 今だ!

 俺は勢いよく屈んで男の腕を振り払う。

「待て。今逃げてどうする。話はすぐ終わるから」

 しかし、それは実現できなかった。

 男の腕に力が入るのが分かる。

 そして、一歩も動けない。というより、足が動かない。もしかしてこの男も能力者か?

「まあ少し聞け」

「……分かったよ」

「養護施設で2年過ごした後、14歳の時に突然姿を消す。そして現在。……な? すぐ終わったろ? つまり捜索願いだよ。不思議な事に、出されたのは昨日だけどね」

「……だから何だよ」

 この男、やはり……。

「おかしくないか? 3年前に行方不明になって、昨日に捜索願いってのは」

「……だから」

「だからってのはねぇだろ! 知らないわけじゃないだろ? この国で能力の使用は法律で禁止されてんだよ」

 男は俺を引き寄せるようにして叫ぶ。

 しかし、俺はここで怯む必要はない。

「知ってるよ。そんくらい常識だろ。俺は一切使ってないぞ」

 そうだ。俺は使った覚えはない。

「お? とぼけるのは止めにしたのか。けど、使わせるのも犯罪ってのは知ってるか?」

「何!?」

 そんなの聞いた覚えが無いぞ。俺が知っている限りでは、能力は本人の物だから、罪は使った本人が背負う事になるって法律だった気がするんだが。

「その反応は心当たりがあるんだな」

 ……悔しいが、ある。あるが、証拠は無いはずだ。バレることもないと言っていたし。もしかして鎌をかけてるのか? ……だとしたら、ここは誤魔化すか。

「い、いや。使わせた事はないが、初めて聞いたもんだからな。少し驚いただけだよ」

「ほぉー? そうかそうか」

 しばらく注意深く見つめた後、男は顎に手をやって怪訝そうに言う。

「この場合はどうなんかねぇー」

 男はボソボソと小さな声で言う。

 何を言っているかは聞き取れない。

「まっ、いっか」

 男は開き直ったように明るく言う。

「そうそう。忘れてた。はいこれ」

 男は俺に名刺のような物を渡す。

 そこにはこう書かれていた。

 

 クリミナルスクール 教育者

 ナインハーズ・ライムネス

 

 電話番号や住所などは消されている。

 そして、やはりな。

「クリミナルスクールか」

「おお! 知ってるのか。意外と知名度高い?」

 男は愉しげに言う。

「一部じゃ都市伝説と化してるよ。何しろ、犯罪を犯したら無理矢理入れられるって言う話もある位だしな」

 俺もチラッと聞いただけで詳細はわからないけどね。

「そうかそうか。なっ。条件は達して無いけど、どうだ。特別枠として来ないか?」

 男はにっこりとし、知っていたのがそんなに嬉しかったのか、先ほどより少し高いトーンで話してくる。

 条件は達して無い……。と言う事は上手く誤魔化せたか。それはそうと、

「いや、行く気はない。要は済んだか? 俺はもう行くぞ」

 面倒な事はごめんだからな。

 歩き出そうとするが、また男の腕に力が入る。

「待て待て。よーく考えろ。君は今、強盗しようとか思ってるよな。もし強盗なんざしたら、強制でクリミナルスクールに収容だぞ。しかし、強盗しないと金がないんだろ」

 男は俺を脅す様にして低く、ハッキリとした声音で話してくる。

 確かに金はない。強盗しようとも思っていた。

 だが見つかんなければいい話だ。別に今日無理にやらなくてもいい。今日1日我慢すればいいんだ。何処か遠くに行けばすぐにはバレないだろ。

「別に強盗なんてしないよ」

 今日はね。

「ナインハーズさん? も俺に構ってないで、条件とやらを満たしてる奴を捕まえに行った方がいいんじゃない?」

 俺は煽る様にして言う。

 しかし、ナインハーズは気にすることもなく続けて言う。

「確かにその通りかも知れねえな。だが、君も今日じゃないにしろ、いつかは犯罪を犯す気だろ? 前科持ちで生きるか、平穏で健康な生活を送るか。どっちがいい」

「そんなに社会は優しくないだろ」

 実際、能力者に対する社会の目は鋭くて触れられたもんじゃねえ。普通に生活するなんて無理なもんだ。

「それは、君が受け身だからだろ。こっちから関わり合いを持たないと、受け入れられるもクソもないぞ」

 こっちから、か。俺だって思ったさ。だが、そんな簡単に実行できるもんじゃないんだよ。できてたら、能力者達は差別や迫害なんてされてねえ。

 ……けど、もしかしたら実行できなかったんじゃなくて、実行しようとしてなかったんじゃないか?

 よく考えたらクリミナルスクールに入って損な事は無い。ここで断っても得もしないし、チャンスを棒に振るだけだ。

 チャンス? そうだよ。これはチャンスだ。ここで無駄に意地をはって何になる。

 そして、特別枠と言っていた。特別枠は他より優遇されているのかもしれない。

「……特別枠って何だ?」

 俺は恐る恐る聞く。

 一度断ってしまった手前、そんなに積極的には聞けない。

「お! 興味持ってくれた?」

 しかし、ナインハーズはそんな事は気にしていないようだ。

「普通は犯罪を犯すか未遂かで収容対象になるんだけど、特別枠はいわば推薦やスカウトみたいなもんよ。特別枠な事によって、ジャスターズに入りやすくもなるしね」

「ジャスターズ?」

 聞いたことない名前だな。

「知らないのか? クリミナルスクールを知っててジャスターズを知らないのは珍しいな」

「そんなに有名なのか? そのジャスターズってのは」

「有名……ではないな。確かに。だが、最近普及しつつある」

 ……やはり聞いたことないな。言っても俺はそこまで世間に詳しいわけではないがな。

 しかしこの反応、クリミナルスクールとジャスターズはセットな情報として出回ってるっぽいな。

「まあ、そのジャスターズとやらは追々知る事になりそうだし、今はいいや」

「確かにそうだな。……ところで、さっきの件は」

 あ、忘れるところだった。

「なんかそこまで不自由なさそうだし、いいよ。いや、よろしくかな?」

「ふふっ。ああ、こちらこそよろしく。強制収容ならず矯正収容かな」

 ナインハーズは微笑みながらそう言った。

「ところでさ。そろそろ腕下ろしてくんない?肩が痛いんだけど」

「あ、すまん忘れてた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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試験

 俺はあの後、ナインハーズに連れられてクリミナルスクールにやってきていた。

 歩いて5分のくらいの所にあると言っていたが、25分は歩いていた気がする。

 少し文句を言ってやろうと思ったが、

「でけぇ……。何だこれ」

 その気も失せる程、その建物は大きかった。

「どうだ。すげーだろ」

 ナインハーズも自慢げだ。

 まあ確かに、かなりデカい。今は建物の中心であろう門にいるんだが、端がギリ見えるくらいだ。かなりの距離があるな。

 門といっても神社の鳥居の様ではなく、どちらかというと学校の正門に近い気がする。そして横に広い。

 壁は道に沿う形で続いている。かなりの高さがある。3、4メートルはありそうだな。少し灰色がかっているが、コンクリートではない様だ。なんだ、見たこともない素材だな。

 ってか、ずっと同じ道歩いてると思ったらこのバカ長い壁のせいか。ここ20分くらい同じ景色でおかしくなる所だった。

 しかし、少し気になることがある。

「何で門の前に見張りとかがいないんだ?」

 これだけセキュリティ万全なのに、警備員の1人もいない。

 明らかに何かに対してのこの設計と思ったんだが、何か理由でもあるのか?

「ああそれは、ここに侵入しようとするバカなんていないからだよ。」

「?」

「さっき君が言っていたじゃないか。犯罪を犯せば強制で収容されるって」

 ん? ……あ、都市伝説のことか。

 けど、それにしたって無用心やしないか?

 俺が理解に悩んでいる事に気が付いたのか、ナインハーズは仕方ないと言わんばかりに付け足す。

「ここは一応、国が扱っている施設なんだよ。だからここに侵入したら、そのまま収容されるから誰も来ないんだ。それと、侵入しても中の能力者達に逆に追い返されるからな」

 確かにそれなら納得だ。見た感じ、あの壁を登るのはかなりキツそうだし、能力者が中にいるとなれば侵入する奴もいないな。

 話が終わるとナインハーズは歩き出し、門を通って中に入っていった。

 俺も後に続き、門を通る。

 門を通ってすぐの所に昇降口らしき入り口があり、ナインハーズはそこで靴を脱ぎ、上履きに履き替える。

 ここで靴を脱いで上がるらしい。

 俺は来客用のスリッパを使う事にした。

 やけに学校を意識していると思ったが、そこまで気にする事は無いか。なんせクリミナルスクールっていうくらいだしな。

 昇降口の横に職員室があり、そこにナインハーズが入っていく。

「君はここで待っててね」

 言われた通り、職員室前の廊下に立って待つ。

 ここには教師がいるのか。

 そういえば、名刺にも教育者って書いてあった気がする。

 何を教育しているのだろう。やはり社会復帰のための矯正か? それともさっき言っていたジャスターズとかいうやつか?

 そんなことを考えていると、ナインハーズが戻ってきた。

「よし。入学手続きがすんだ」

「もう!? 流石に早くねえか?」

 入ってから1分も経ってないぞ? どんだけ緩いんだよ。ここ。

「細かいことは気にしなくていいんだよ。さっ、外に行くぞ」

「外?」

 また戻るのかよ。なら、俺は外で待っててよかったじゃねえか。と思ったが、戻るわけではないらしい。ナインハーズは入り口とは違う方向に歩き出している。

「? どこに行くんだ」

「外だよ。こっちに別の出口があるんだ」

 なんだそういうことか。

 ナインハーズはついてこいと言い、また歩き出す。

 しっかし中も広いな。この調子だと、外って相当広いんじゃないか? 学校のグラウンドとは比較にならないくらい。

 ここまで大きくする理由は、やはり収容人数が多いからなのか? ここなら3~4000人は入りそうだな。

 しかし、その人数に見合わないほどここは静かだ。

 物音ひとつとまではいかないが、4000人、少なく見積もって2000人以上人がいるとは思えない。

 勿論静かなのは悪いことではないが、少し不気味な雰囲気を漂わせているのは確かだった。

 

 少し歩くと、普通より少し大きな扉があり、扉の上に『岩』と書いてあった。

 何故大きいのか不思議に思ったが、ナインハーズがなんの躊躇も無く開ける姿を見て、特に気にしなくていいものだと分かった。

 ここではこれが普通のサイズの様だ。

「よし。着いたぞ」

 扉の先には大きな岩石地帯が広がっていた。

 地面は少し歩きづらい程度にゴツゴツしており、聳え立つようにして連なる15から20メートルの岩。

「何でこんなにも岩場なんだ?」

「色んなことを想定していてね。岩場以外にも、市街地や森林、荒地などがあるよ」

 それは分かったが、何故ここチョイス?

「ここで何をするんだ?」

「能力のテストだ」

「能力のテスト?」

 そんなのしてどうする? と顔で訴えるようにして聞く。

「ああ。クラス分けテストと思ってくれていい」

 クラス分けテスト……。もしかして、ここで能力の素質を見極めるのか。

 ということは、ナインハーズは俺の能力を知らないってことか?

 そんなんでよく特別枠なんかにできたな。

 ……待てよ。それだと何で俺が能力者だと分かったんだ? 能力者は世界で極少数しかいないわけだから、当てずっぽなんかで当たるわけがない。

 能力者と見極めることができる何かがあるのか?

 考えても答えは出ないな。

 俺はナインハーズに直接聞く事にした。

「1つ質問いいか?」

「ああ、いいぞ」

「何で俺が能力者って分かったんだ?」

 ナインハーズは少し考えたようにして、口を開いた。

「能力者の見分け方があるんだ。しかし、君の場合はそれとはまた別でね」

 やはり見極める何かがあったのか。

 けど、俺は別だと? 何か他に理由があるのか。

「俺は別ってなんだ?」

「今言ってもいいけど、一旦能力のテストをさせてくれるか? 一応規則でね。テストをしないと、無関係者扱いになっちゃうんだよ」

「……分かった」

 焦らされた。という気持ちは残るが、自分から言い出したところを見ると、特に隠している様子でもない。

 ここは素直にテストをするか。

「テストって何をすればいいんだ?」

「何でもいいよ。君の能力をある程度知れればいいからさ。適当にそこの石でも使ってくれ」

「あいよ」

 俺は転がっている石を1つ拾い上げた。

「……やっていいか?」

「好きなタイミングでいいぞ」

 俺は一呼吸を置いて、能力を発動させた。

 発動させると同時に、全身に力が入るのがわかる。

 そして、瞬く間に石が剣の形に変わっていく。

「おお! 物質の形を変える能力か」

「いいや、強度も変えられる」

 現時点での最高強度はダイヤモンドの一歩手前くらいだが、それをやると少し疲れるから今は鉄程度でいいだろう。

「強度も……これはすげー。ビンゴだ。……そうだ、何か斬れるか?」

「おう」

 俺は近くの岩に近づいて、剣をゆっくりと横に動かす。

 ナインハーズは俺のスローな動きに少し違和感を覚えたのか、文句を言ってくる。

「……何してんの? 遅くね? それじゃあ斬れなくねえか?」

「これでいいんだよ。この方がよく斬れる」

「?」

 ナインハーズはサッパリわからないと肩をすくめ、やれやれとしたポーズをする。

「まあ見てな」

 剣が岩に段々と近づく。

「……」

 ナインハーズはじっと見ている。

 変わらず俺は剣を動かす。

 …………数秒後、何か普通ではない事に気がついたナインハーズが声を上げた。

「おい、なんかおかしくねーか。何つーかその剣、岩にめり込んでるのにずっと動いてねえか?」

「お、やっと分かったか」

 ナインハーズが驚くのもそのはず。俺が作り出した剣は、刃が岩にめり込んでも進み続けているのだ。

 しかも、勢いをつけているわけでもないのにこの切れ味。明らかに異質な物を放っている。

「どういうカラクリだ?」

 ギブギブと言いながら、ナインハーズは俺に聞いてくる。

 しょうがないな。少しだけヒントをやろう。

「さっき俺の言っていたこと思い出してみろ」

「さっきといえば……」

ナインハーズは腕を組みながら考える。

「この方がよく斬れるか?」

「惜しいな。その辺だ」

「じゃあ……あっ」

 何か閃いたように言葉を漏らす。

「強度を変えるってことか」

「正解」

 もしやこいつ意外と頭いいな? てっきりネタバラシすると思ってたから、フリップ出して、

 

『ジャジャーン。正解は強度を変えるでした!』

『な、なに~!?』

 

を想像していたんだか、その必要はないようだ。

「でっ、何で強度を変えると切れ味が良くなるかわかる?」

 流石に当てずっぽじゃないだろうが、念のために聞いておく。

「ああ。さっき俺が遅いと茶化した時に、この方がよく斬れるって言ってたことから、恐らく斬る最中に何か別の操作をしていると仮定したんだ。そしてその仮定から、強度を変える能力もあることを思い出して、もしかしたら、岩の強度を変えながら斬っているのではないかと思ったんだ。そしたら、この現象も納得できると思ってね」

 ナインハーズは、ペチャクチャペチャクチャと長ったらしい説明をする

 しかし、正解だな。俺は剣を通し、岩の強度を弱くして斬りやすくしていたのだ。

 それにしても、散りばめられた少ないヒントから、よく答えを見つけ出せたな。

 そして、かなり頭の切れる奴のようだ。あの短時間で、見たことのない現象に納得するのは容易ではないだろう。

「愚問だったかな? 意外と頭いいんだね」

「まあね。これでも教師やってるから」

 教師ね。どんなことを教育するのかは大体予想つくが、大方礼儀とか、最低限の知識とかだろうな。社会復帰とかが目的な訳だからな。

 何にせよつまらなそうなことこの上ない。

 家庭……いや、色々あって学校には殆ど行ってなかったわけだから、掛け算とかギリギリできるレベルなんだよな。

 けど、特別枠って言う位だし、少し他と違うの期待しても罪じゃないよな。

 ……ってか、能力テストなんちゃらとかはどうなったんだ。この結果でクラス分けされるんだろ? というより、採点基準が不明な以上、予想もつかない。

 直接聞いた方が早いな。

 俺はめり込んだままの剣を石に戻して聞いた。

「そういえば、テストとやらの結果はどうだ?」

「ああ、文句なしのAクラスだ」

「Aクラス?」

 アルファベット順か?

「そうだ。Aクラスだ。ここではAが最高クラスで、最低がDだ」

 成程。1番上か。まあ、多少特別枠の特権とやらも加点されているのだろうがな。

 てっきりSとかあるのかと思ったが、そうではないらしいな。

 まあ1番だから文句はない。

 それにしても採点基準は何だ? 

 自分で言うのもアレだが、そこまで珍しくて、特殊な能力ではないと思うのだが。

「なあ、別に不満とかじゃ無いんだが、採点基準とかは何だ? いまいち分からないんだが」

「あー採点基準ね。採点基準は、強さ、早(速)さ、正確さ、そして、種類だ」

「種類?」

 俺が聞くと、ナインハーズは答えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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能力者の証

 能力者は能力の種類を、5つの系統として分類している。

 発動系、自然系、オート系、フルオート系、代償系があり、その系統によって能力の特性が違い、それぞれ異なった性質がある。

 性質は単発と継続に分かれている。

 単発は、能力が一瞬から数秒発動する事を指し、継続は、能力が継続して発動する事を指す。

 発動系の性質は単発が主で、継続はほぼいない。瞬間移動などが例に挙げられる。

 自然系は条件が揃えば無条件で発動する。性質は単発、継続の両方がある。

 条件が揃うというのは、口を開けたら炎が出る。や、物体に触れたらそれが消滅する。など、様々。

 オート系の性質は継続が主で、単発は事例がない。発動してから解除するか、気を失うまでは半永久的に発動する。

 フルオート系は非常に珍しく、殆ど存在しない。産まれた時から死ぬまでに、常に発動している。不老不死はフルオート系の代表的な能力とされている。

 代償系は何かを代償として能力を発動する。代償が大きい程能力は強力になる。最近見つかった系統なので、事例は少ない。

 そして、能力者の全盛期、つまり1番能力が強力な時は35歳と考えられている。

 それ故に刑務所では、能力で罪を犯した者は、殆どの場合が35歳以上になってからではないと釈放されない。

 

「このことから、恐らく君はオート系だね」

 オート系。

 やはりそこまで珍しいわけではないな。

 フルオート系ってのが少し興味あるが、自分の系統を理解する方が先だな

「オート系ってのは、どういうスタンスで戦うんだ?」

「おいおい、いきなり争いの話かよ。別にいいけどよ? だが、特別枠でも実戦は最低でも半年はかかるぞ」

 半年。微妙だな。

 もう少し早くてもいい気がするが、文句を言っても仕方がないのだろうな。

「じゃあ質問を変える。オート系は戦いやすい部類なのか?」

「あんま変わってない気すっけど……。まあいいよ。話してやる」

「せんきゅ」

「……ぶっちゃけ、どの系統だとしても能力によって全然変わってくるから、知らん!」

「……ぶっちゃけたな」

 それでいいのか教師よ。

「ってのが普通の人の意見。しかし、俺は教師だ。わからないわけないだろ?」

「はいはい、そうですか」

 んだよ、疑ったじゃねえか。

「で、なんなの? 結局は」

「そんな急かすなって。いいか、よく聞けよ」

 ナインハーズは指を立てて言う。

「実は系統には、ジャンケンみたいな相性があってな。勿論能力にも左右されるが、大まかなパワーバランスがあるんだよ」

 相性。それは詳しく聞かないとな。

「まず、君のオート系だ。オート系は発動系に対して強い。ここでの強いってのは、能力の優先順位だ」

「優先順位……?」

「ああ。例えば、物質を増やす能力と物質を消す能力があるとする。物質を増やす能力はオート系、物質を消す能力は発動系だ。能力の区別の仕方は、後々説明するから気にしないでくれ。で。もし、この能力が同時に発動した場合、矛盾が発生してしまう。物質を増やすのに消してしまう。どういう事だ? となるだろ。しかし、実際はオート系である、物質を増やす能力の方が優先順位が高いため、物質は増えるだけで、消えはしない。まあ、あくまで同時に発動した時の話だがな」

 ということは、昔話の矛と盾も話が違ってくるのかもな。

 絶対に盾を貫く矛。絶対に防ぐ盾。

 どちらがどの系統かは知らないが、矛盾が発生しないようになってるんだな。

「なるほどな。となれば、相手の能力を見極めるのも大切な訳か」

 とすると、能力の区別の仕方を知っておきたいところだが、今ではなくてもいいか。

「ちなみにオート系は、フルオート系と相性が悪い。自然系はフルオート系に強く、発動系は代償系に強い。そして代償系は自然系に強い」

 オート系→発動系 自然系→フルオート系 発動系→代償系 代償系→自然系 フルオート系→オート系

             という訳だな。

 ってか、ナインハーズの能力はなんだろう。教師になるくらいだから相当強い能力なのか?

「そういえばお前の能力はなんだ?」

「ん? 俺か? 俺は無能力だけど?」

「え?」

「ん?」

 ……今、無能力って聞こえたが……、気のせいだよな?

 ……いや、無能力って言ってたな。

「お前、無能力者なのに教師やってんの?」

「おん。別に能力者、無能力者関係なしだからな」

「え、それで生徒は歯向かわないの?」

「なんで歯向かうんだ?」

 なんでって、無能力者って舐められねえか?

 ましてや教師だろ? もし、反抗でもされたら抑え切れるほどの能力持ってなくねえか?

「あー、成る程ね。無能力者だと、生徒の反抗に対応できないって考えてるだろ」

「ああ。実際そうじゃねえか? 能力者に対して無能力ってのは無防備じゃないか?」

「それは安心しな。進化してきたのは能力者だけじゃないって訳だ」

「??」

「まあ、今話すようなことじゃなし。順序よく覚えていかないとこんがらがるからな」

「……ああ、分かったよ」

 少し気になるが、ナインハーズに言う気がないのなら仕方ないな。

「それでだ。何故、君が能力者だと分かったか気になるだろ?」

 そういえば、それが気になっていたんだった。

「どうやったんだ? それも誰かの能力か?」

「まあ、そんな感じの能力もあった気がするが、そうじゃない。ヒントは身体的特徴だ」

 身体的特徴? アザとか傷とかか? 

 しかし、そんなことは聞いたことないしな。

 ……特に思いつかないな。

「結局なんなんだ? その身体的特徴ってのは」

「ヒントはここ」

 ナインハーズは自分の目を指さす。

「目?」

「そう。目だ。しかし、ただの目ではない。ある条件下で能力者の目は変化する」

 変化? 二重になるとか? ……自分で言ってて馬鹿馬鹿しい。

 まともに思考ができていないようだ。

「で、その目がどうなんだよ」

「君もついさっきなってたぞ? 今は波が来てないだけで去ったわけではないだろうし」

「波? 何言ってん」

 ピキンッ

 頭が割れるような激痛に襲われる。忘れていた感覚が再び思い出される。ここに来る前の痛みだ。

 俺はその場で跪く。

「あ、噂をすればだね。大丈夫か? 結構痛いだろ? それ」

 ナインハーズの声が入ってこないほど痛みが強く、どうにか和らげられないかと頭を必死に手で押さえる。

 「落ち着け落ち着け。とりあえずこれ食べろ」

 ナインハーズは何か白い物体を手渡してくる。

 普通疑うところだが、今はそんな余裕がなく、その白い物体を口に放り込む。

「しょっぱ!」

 俺はすぐにその白い物体を吐き出す。

 口に放り込んでから、その物体が塩であると理解するのに然程時間はかからなかった。

「どうだ。しょっぱいだろ」

 ナインハーズはニコニコ俺の顔を覗いてくる。

「いきなりなに食わせんだよ!」

 俺はナインハーズの胸ぐらを掴もうとして、あることに気づく。

 先程の激痛が引いているのだ。

「あれ?」

 俺は頭を触り、確かめる。

「痛くなくなったろ。これが能力者特有の特性だ」

「特性?」

「ああ。塩分不足になると、目が血走り、耐え難い激痛が頭に走る」

「……なるほど。その時の目の血走った姿が、能力者の判断材料になるのか」

 知ってたんなら早く言えよ。クソ痛かったじゃねえか。

 色々思うところはあるが、実際に体験したお陰で痛いほどわかった。

「そういうこと。よく言うだろ? 幽霊には盛り塩が効くって。能力者はいわば自分の魂を削りながら闘っている。そこで能力を使うたび死に近づく。そうすることによって生命の源である塩分が足りなくなり、さっきのようになる。だからいま吐き出したやつは食っといた方がいいぞ。一個しか持ってないからな」

「待て待て待て、今なんて言った? 魂を削りながら闘ってる? そんなの初耳だぞ」

 それに塩分が生命の源? 同じく聞いたことがない。

 あと吐き出した物を食う習慣は俺にはない。

「知らなかったのか? 君、能力を使った後に脱力感とかない? あれは命を消費してるからだよ」

 さぞ当たり前のことを言うように、ナインハーズは発言する。

 いやいや、普通に生活してたら気づかないだろそんなこと。

「……知らなかった。出来るだけ能力を使うのは避けるか」

「そんな事しなくていいぞ? さっきも言った通り、塩分を取ればいい話だ。すぐ回復。一瞬よ一瞬」

 なんだそれ。よくわからないが、とりあえず死ぬ可能性はあまり無いのか。

 俺は一安心してため息をつく。

 落ち着いたところで話題を変えることにした。

「……そうだ、気になってたんだが、俺の入学とかっていつなんだ?」

「ん? ああ入学とかはないよ。犯罪犯した奴らが常にいる社会で、収容ばっかしてるから、その度『入学しましたー』なんてしてたら埒が明かないだろ?」

 確かにそうだな。という事は俺はもう入学したも同然ってことか?

 ってか次の日にいきなりクラスメイトが増えてるとかあるのか?

 だとしたらとんでも学園だぞ。ここが学園かは知らないけど。

 俺の顔を見て察したのか、ナインハーズが口を開く。

「ふふふ、その通り。君はもう入学したも同然さ。だからさっきからタメ口なのも直してもらうよ」

「んな、ナチュラルにタメ口でいけてたのに。バレてたか」

 ってかこの人結構受け入れてなかった?

「バレてるに決まってるだろ? ちゃんと敬語に直せよー。もし次会った時にタメ口だったらちゃんと指導してやるよ」

 その時のナインハーズは、やはり教師なんだなと思わせる笑顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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クラス別対抗戦

 その後俺は職員室に立ち寄り、軽く挨拶をして帰ろうとしていた。

「おいおい。どこ行くんだ?」

 俺が出口に向かって歩いていると、ナインハーズが引き止めるように言ってくる。

「どこ行くって、帰るに決まってるんだが」

 それ以外ないだろ? のような顔で答える。

「帰るって……。ここは寮生だぞ?」

「……は?」

 寮生? それはここで衣食住を行うということですか?

「言ってなかったっけ? ってか、普通に考えたら分からなくはないと思うぞ? 犯罪をした奴をそのまま外に出すほどここは甘くないぞ」

 確かにそうだが……。説明不足すぎないか?

「ということは、俺も出られないって事?」

んー。と悩んだ後にナインハーズは口を開く。

「どうだろうな。君は犯罪をしたわけでもないし、申請書なんか提出したら出来るんじゃないか?」

「申請書……」

 思わず苦笑いしてしまう。

 俺には帰る家や場所はない訳だが、そんな事ならもう少し外で遊んどけばよかったな。

「まあ、そんな心配すんな。ジャスターズになればここに囚われる事もなくなるぞ」

 ジャスターズね。

 そういえば、そこまでジャスターズについて聞いてないな。

「そうだ、そのジャスターズってのは結局なんなんだ? さっきははぐらかされたからな」

「そうだな。話しても良いかもしれないな。君、思った以上に逸材だったし」

 ナインハーズは笑いながら言う。

 そう言われて悪い気がするやつはいない。

「ジャスターズというのは、言わば警察予備隊みたいなもんだ」

 警察予備隊というと、自衛隊の元になったやつかなんかだったっけ?

 とりあえず国を守る的な感じか。

「主に、能力者、無能力者関係なく、犯罪が発生した時に、警察と協力して動く組織だ。警察と違うところは、能力を酷使できることだな」

「なるほど。……ん? 能力者が能力を使うのは犯罪じゃなかったか? ジャスターズってのは犯罪者の集まりなのか?」

「もちろん、普通の能力者が敷地外で使ったら犯罪だよ。けど、ジャスターズには特別なライセンスがあるんだ。」

「ライセンスか。それの取得方法とかは?」

「まぁ、そんな催促するな。ここでしっかりと生活してて、成績が良ければ資格は取れる。だから最低でも半年はかかるんだ」

 半年……ね。そんな長くもないけど短くもない。

 能力を強化、洗練するには丁度いい期間か。

「その資格ってのは、何か試験みたいなのがあるのか?」

「ああ。1ヶ月に1度のペースで試験が行われてる」

「なかなかスパンが短いんだな」

「まあ……な。色々とあるんだよ」

 ナインハーズは少し暗い顔をする。

 おおよその予想はつく。

 恐らく、それだけ死亡率が高いのだろう。

 警察には対処できない危ない任務とかも行うから、それだけ上がるものだ。

 能力者の対処は能力者じゃないと無理だもんな。

 そりゃ1ヶ月に1度のペースになるのも納得だ。

 これについてはタブーなのだろう。ナインハーズの反応が物語っている。

「そこは触れないでおくよ。聞きたいんだが、1ヶ月に1回と言うと、1回の応募者数はそこまでなのか?」

 ナインハーズは曇らせた顔を元に戻し、俺の問いに対して答える。

「そうだな。そんなポンポンとジャスターズに送り出すわけにはいかないしな。それに、皆が皆応募するわけでもない。普通に社会人となるやつもいるからな」

「あくまで社会復帰が目的なんだな」

「そゆこと」

 ジャスターズについては大方知れたし、そろそろ俺の住むところへ案内して欲しいんだが……。

 先程までのように察してくれないかと、俺はナインハーズをじっと見つめる。

「ん? なんだそんな見て。俺の顔に何かついてるか?」

 流石に分からないか。

「いや、俺の部屋とかはあるのかなーって思って」

「ああ! 部屋ね。忘れてた。はい、これ」

 ナインハーズは俺に鍵を渡してくる。

 鍵には番号が書いてあった。

「1311?」

「部屋番号だ。あ、それと言い忘れてたけど」

 また言い忘れかよ。多すぎだろこの人。

「ルームシェアな。ここ」

 ……ルームシェア。あんまり他人と話すのは得意じゃないんだが……。

「ちなみにどんなやつだ?」

「えっとー」

 ナインハーズは何処からか取り出した紙を見る。

「ハンズ・バンスだな」

「ハンズ・バンス?」

「ああ。君と同い年くらいだよ。少しおかしなやつだが、能力だけは一流だ。仲良くしといて損はないぞ。ってか仲良くしとけ。訓練するときはルームシェアしてるやつと組むことになるからな」

「まじかよ。いやでも仲良くならないと駄目なのか」

「そうだ。じゃあ、1311号室に行ってこいよ。挨拶でもしてこい」

 ナインハーズは俺の気も知らずに話を続ける。

 挨拶も何も、ルームシェアだろ。

 まあ、俺もごねてる暇はないな。

「分かったよ。あ、そうだ。起床、就寝時間とかはあるのか?」

「ないない。基本的に自由だからな。その代わり、次の日にたるんでたら指導だけどね」

「へいへい」

 中々自由な場所だな。ここは。

 入って間違いでは無かったかもな。

 ルームシェアって点だけあれだがな。慣れればどうってことないか。

「じゃあ俺は職員室に戻ってるから」

 そういうと、ナインハーズは踵を返して職員室に戻っていった。

「さて、1311号室いきますか」

 部屋番号が分かったんだが、場所はよく分からん。

 地図とかはないのだろうか。

 あたりを見渡すが、それらしき物は見当たらない。

「どうするか」

 1311と書かれているあたり、1階の可能性が高い。

 とすると、とりあえず見学がてら部屋探しでもしますかね。

 俺は昇降口の正面にある通路を進む。

 両脇には、理科室や視聴覚室、研究室がある。

 本当に学校のようだ。

 その先に進むと、どうやら部屋のゾーンに入ったようだ。

 1001や1002と、部屋札が振り分けられている。

 おいおい。1001って、1311はまだまだじゃねえか。

 相当歩くなこれ。

 俺は先のことを考えると気が病みそうなので、適当に別のことを考えて紛らわすことにした。

 ……ふと、視線を感じる。

 俺は後ろを振り向く。が、誰もいない。

 気のせいか? 今誰かに見られていた気がしてたんだが。

 俺は立ち止まり、耳を澄ます。

 ……特に音はしない。

 気のせいのようだ。

 俺は再び歩き出す。

 部屋札は1014、1015と続いている。

 すると、また視線を感じる。

 しかし、今度は気づかないふりをすることにした。

 このまま気づかないふりをして、何かアクションを起こしてくるのか伺う。

 少し歩いて俺は立ち止まる。

 未だに視線は感じる。

 流石にここまでくると気になる方が勝つ。

 思わず俺は声を出す。

「誰だ? 俺をつけてるやつは」

 ここで誰もいなかったら恥ずかしいが、やはりと言うべきか、返事は後ろから聞こえてきた。

「すまんすまん。別につけてたつもりはなかったんだが」

 俺は振り向き、そいつの姿を目視する。

 そこには、背丈170後半くらいのニコニコとした1人の男がこっちに歩いてきてた。

「いやね? お前1311号室だろ? なのになんで1001号から1050号のところに入ったのかと思って、可笑しくてな」

 男はクスクスと笑っている。

 失礼なやつだ。

 初対面で馴れ馴れしく、なにせ、ストーカーが趣味なやつだ。

 きっと変なやつに違いない。

 俺は男の言ったことに対し、反抗するように言う。

「何でここが1001号から1050号までって分かるんだ?」

「何でって、入り口に書いてあったろ」

 まじか。全然気づかなかった。

 これは普通に恥ずかしいな。

 俺は戻るために、出口の方向へ歩き出す。

「おうおう、どこ行くんだ? ここが1311号室じゃねえか」

 男は横にある扉を指さす。

「は? お前何言って」

 その指の先を見ると、1311と書かれた部屋札がある。

「え!? あれ? どういうことだ? さっきまで違かった」

 男の方を見ると、顔を手で押さえて肩を揺らしている。

 こいつ笑ってやがる。

「お前、何かしたな?」

 少しキレ気味に放つ。

「すまんすまん。お前反応面白いな」

 男はまだ笑っている。

「まあまあ、気にすんな。とりあえず中に入ろうぜ」

 そうすると、男はポケットから鍵を取り出して扉を開ける。

「え、てことは……」

 嫌な予感がする。

「そう。俺がお前のルームシェアの相手」

 はい的中。

 終わったー。こんなやつと半年以上過ごさないといけないとかクソだな。

「まじかよ」

 思わず声が漏れる。

 それが聞こえたのか、男は励ますように俺に言う。

「元気出せって。俺もルームシェア初めてだから、不安な気持ちはわかるよ。お互い頑張ろうな」

 とんだ勘違い野郎め。

 原因はお前だっつーの。

 だが、男の元気さに思わず呆れてしまう。

「はぁー。そうだな。よろしく」

 俺は手を出して握手を求める。

 男も手を出し、俺と握手をする。

「こちらこそ宜しくな。いやー、お前がきてくれてよかったよ。危うく、クラス別対抗戦に出られないところだった」

「ん?」

 初めてきく単語だなー?

「何だそれ」

「はぁ!? お前知らないのか? クリミナルスクールといったらクラス別対抗戦だろ! クラス別で能力を競い合うって言う、非公式の祭典だよ」

 知らねえから聞いてんだろうが。

 何だ? とりあえず体育祭みたいな感じか?

 ってか非公式なのかよ。ここやっぱやべえんじゃねえか。

「……ん? クラス別なら、特にルームシェア関係ないんじゃないか?」

 部屋別だったら話は変わってくるが、そんな馬鹿馬鹿しい祭典聞いたことないしな。

「それが違うんだよ。ルームシェアの相手とペアを組んでエントリーしないと、参加出来ないんだよ」

 また面倒な仕組みだなクリミナルスクールよ。

 そこで俺はあることを思いついた。

「……あ! じゃあ、俺が参加しないって言ったら、お前も参加出来ないのか?」

 これで、馬鹿にされた仕返しができ

「ルームシェアしていて参加しなかったら、卒業するまで毎日居残りと、特別試験に半年に1回しか応募出来なくなるぞ?」

「やります」

 やります。

「よかったー。俺も去年から見てて、参加してみたいと思ってたんだよ」

「はぁ、そうですか」

 面倒な事になったな。

 ……だが、自分の力を試せるチャンスかもな。

「ちなみに、そのクラス別なんちゃらってのはいつなんだ?」

「えっと、確か1週間後だな」

 1週間後というパワーワード。

 期間短いなー。

 全然心の準備とか出来てないんだが……。

 俺が落ち込んでいると、男が再び手を出してくる。

「短い間だけど、これからよろしくな。ハンズ・バンスだ」

「あ、ああ。よろしく。チェイサー・ストリートだ」

 先程より気が進まないよろしくだが、まぁいいだろう。

 ハンズは部屋に入っていく。

「はぁ」

 ハンズの後ろ姿を見て、思わずため息が出る。

 ナインハーズ。少しじゃなくて、結構おかしなやつだよ。こいつ。

 後で会ったら、少し文句を言ってやろう。

 そう思いながら、俺もハンズに続いて部屋に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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3人の問題児

 部屋の中は特に変わったものもなく、少し物が散らかってるのが気になったくらいだ。

「適当なとこに座ってくれ」

 俺は散らかっている物をどかし、座る。

「でさー、さっきの話なんだけど」

「ん? クラス別何ちゃらか?」

 そんなにそれが好きなのかよ。

「そうそう。クラス別対抗戦な」

「へいへい」

 俺はどうでもいいとあしらう。

「ペアで参加する理由なんだが、これ、なんか怪しいんだよ」

「? 何がだよ。ってか理由知らんし」

「そうか。言ってなかったな。ペアで、つまり2人以上で参加しないといけない理由なんだが、スクール側が『良きライバルと参加することにより、互いに能力を高め合うことが出来る』って言ってんだよ」

 普通じゃねえか。

 普通すぎておかしいって点なら認めるけど。

「それのどこがおかしいんだよ。なんの捻りもない、つまらない理由だけど、特に変って感じるとこは無いぞ?」

「ホントか? よく考えてみろよ。さっき俺はお前に何した?」

 さっきと言うと、握手? いやそんなわけないか。

 理由の説明? な訳ないな。

 ……とすると、

「あの、部屋番号が変わってたやつか? あれは幻覚系の能力か? 俺を騙してたとか」

「そうそれ! けど残念。幻覚系の能力では無いね。俺の能力を教えてもいいけど、お前のも教えてくれるって約束できるか?」

「ああ。別に減るもんじゃ無いしな」

 あと、お前の事をどうしても信用できなかったら、適当に似たような能力を伝えればいいだろ。

「おっけー。じゃあ言うわ」

 随分と綺麗な環境で生きてきたんだな。

 口だけの約束で相手を信用するなんて、俺にはできねえよ。

「俺の能力は超高速で動けることだ!」

「ほー。強いな。なかなか」

「だろ! 強いだろ! お前も一瞬で1311号室に運んできたんだぜ」

 まあ、能力を聞いた時から察しはついてたよ。

 しかし、俺が気づかないうちに運ばれるとは……。普通に1対1で負けるかもな。

「俺は物質の形と強度を変えられる能力だ」

 俺はハンズに敬意を払い、素直に言う。

「おおおおお」

 ハンズはどうやら感心しているようだ。

 やってみせてと言わんばかりに、眼差しを向けてくる。

 俺もはいはいと言いながら、そこら辺の紙を拾い上げる。

 するとその紙は、瞬く間にナイフに変わる。

「すげぇ! ガチで変わった。これ素材紙? どんくらい切れるの?」

 すごい興味深々のようだ。

 まるで初めてみるマジックの様に。

「素材はさっきの紙であってる。強度はどんな物質でも等しく変えられる。切れ味は普通の包丁より切れるくらいだな」

「すげえなお前。感心したよ」

 知ってるわ。感情ダダ漏れだったぞ。

「で、さっきの話はどうなったんだ?」

「そうだそうだ。忘れてた」

 忘れちゃダメだろ。

「さっきの覚えてるか? スクール側の」

「ああ。なんとなくな」

 互いを高め合うとかだろ?

「それ自体は普通なんだよ。ってか普通すぎて面白みがないんだよ。センスの欠片もなくて、普通の中の普通すぎて普通じゃないくらいなんだよ」

「お、おう。だな」

 なに? クリミナルスクールに親殺されたの?

 ……いや、普通に有り得そうな話だから冗談にならんかもな。

 発言するときによく考えるタイプでよかった。

「問題は高め合う存在なんだよ」

「というと」

「俺の能力を体感して分かったと思うけど、俺は強い方の能力者なわけなんだよ」

「まあ、そうだな。正直全然気が付かなかった」

「そこでだ。何故俺が、去年ずっと指を咥えながら、参加もできなくて寂しく過ごしてたんだ? おかしくないか?」

「もっと詳しく頼む」

 もうすこしで分かりそうな域までは来ている。

「そうだな。簡単に言うと、互いに能力を高め合う、つまり能力強化が理由なのに、なんで俺みたいな強い奴が、参加する資格を与えてもらえなかったって事だよ」

 なんとなく分かった気がする。

「強い奴ほどもっと強くならなくちゃダメじゃないか? ジャスターズに推薦する為とか。なのに、なんで強い奴ほど参加人数が少ないんだ?」

 俺に言われてもね。

「まあ、お前に言っても仕方ないよな」

 どうやら顔に出ていた様だ。

「強い奴ほどって、お前以外にも強くて参加できない奴とかいるのか?」

「そりゃもういっぱい」

「何人くらい?」

「俺含めて4人くらい」

「それ、問題児だからじゃね?」

 問題児になるくらいだから、多少強い能力なんだろうな。

「いやいやいや。問題児じゃないから。真面目に授業受けてるし。面倒かったらサボるけど、行く時は行くし。1週間に最低でも2回は行ってるし。先生は2、3回殴ったことある程度で、イジメとかしてないし。なにより、俺に対して先生滅茶苦茶優しいし」

「見放されてるんだな。お疲れ」

 あと、普通に2、3回殴ったって言ってたけど、バチバチの不良じゃねえか。

 俺こんな奴とルームシェアかよ。

 ナインハーズ。洒落にならないぞこれは。

「とにかく。俺は問題児じゃない。他の奴らは置いといて、俺はまともな方だぞ」

「そんなに残りの3人はヤバいのかよ」

「ああ。ヤバいぞ。まあ、言っても俺よりは弱いけどな」

 ハンズはドヤ顔で言う。

 この調子だと、ハンズと同レベルかそれ以上か。

 ここには、俺より強いのが最低でも4人いるのか。

 先が思いやられるぜ。これは。

 特別枠とかいうやつで俺は強いと勘違いしてたが、よく考えたら犯罪起こすくらいだから、みんな強いんだよな。

 調子乗ってらんねえな。

「そいつらに会えるか?」

「今? あいつらに?」

「ああ。今からだ」

 一度でもいいから見ておきたい。

 こいつのお墨付きな訳だからな。

「あいつらどこかなー? 生徒指導室とかか? けど、この前生徒指導室出禁食らったって言ってたしなー」

 うーん。と、ハンズが考える。

 まともに考えて、生徒指導室出禁はただごとじゃないな。

「あ! 今何時だ?」

「今? 今は確か……」

 俺は辺を見渡し、時計を見つける。

「え。時計あるじゃん」

 普通に壁に時計が飾ってある。

「あ、ホントだ」

 こいつもしや馬鹿だな?

 いや、薄々気付いてはいたんだけどね。

「3時か。なら、あそこにいるな」

「あそこ?」

「そうそう。この時間だと、試練『森林』にいると思う」

 試練? 森林?

 ……。ああ。あの扉の上に『岩』って書かれてた奴みたいなとこか。

「それってどこら辺だ?」

「連れてってやるよ」

「いや、俺は自分で」

「はい到着」

 気付くとそこには、上に『森林』と書かれた扉があった。

「話聞けよ」

 お前に運ばれるのはなんかやなんだよ。

 負けた感があって。

「まあまあ、いいじゃねえか。ほら、ここにいると思うぞ」

「はいよ」

 俺は渋々扉を開ける。

 そこには、見渡す限りに木が立っていた。

 そして、目の前には、恐らく問題児である3人がジャンケンをしていた。

 扉の開く音が聞こえたのか、3人はこちらを振り向く。

「なんだ? お前誰だ?」

 少し細く、高身長の男が話しかけてくる。

「どうでもいいだろ。ってか、ハンズじゃねえか。何してんだここで。お前も混ざりたいのか?」

 もう1人のガタイのいい男が、ハンズを何かに誘う。

「……いや、いいよ。俺は」

 話しかけられたハンズは、少し躊躇ったように言う。

「まあ、ほっときましょう。あまりしつこく言うのもなんでしょう。さて、先の続きといきましょうか」

 やけに色白な男が話を戻す。

 ……何か知らんが、少しやる価値はあるかもな。

「おい。その遊び、俺も入っていいか?」

 隣のハンズから、馬鹿という声が聞こえる。

 しかし、俺は構わずに続ける。

「何やってるのかは知らないけど、面白そうじゃん」

 少し態度をでかくして言う。

 こうでもしないと、震えが収まる気がしない。

 何かは分からないが、こいつらにはそういうオーラがある。

「ぷっ。こいつ強がってんじゃねえかよ」

 ガタイのいい男が笑う。

 そしてなんだこの男。

 何故俺が強がってることに気が付きやがった?

 そんなにバレバレだったか?

「そりゃあ驚くよな。いきなり図星言われたら」

 やはり。

 こいつ、人の心が読めるのか?

「やめとけスウィン。困ってんだろうが。入りたいって言ってんだから、入れてやれよ」

「そうですよ。来るもの拒まずと言うでしょう」

「それもそうだな。よし。ルールはそいつから聞いたか?」

 そいつとは、恐らくハンズであろう。

 特にハンズからは説明は聞いていない。

 なにせ、急いできたからな。

「いや、聞いてない」

「そうか。なら、説明してやる。ルールは簡単。相手に参ったと言わせた方の勝ちだ。簡単だろ?」

「参った?」

「そう。参っただ。方法は問わない。もちろん能力ありだ」

 なるほど。これがハンズの恐れる理由か。

 能力をフルに使い、言ってしまえば、拷問して参ったと言わせるゲームってことか。

「それは、ある程度制限するのか? 殺しちゃダメだとか。怪我を負わせないとか」

「えっと、殺しは無しだ。たが、怪我は全然いい。腕の1、2本くらいなら」

「1、2本!? まじかよ」

 今すぐ参ったと言いたいぜ。

 早々にこのゲームに参加したことに後悔を覚える。

「では、早速始めますか」

「だな」

 すると、3人はジャンケンをしようとする。

「ジャンケンしてどうするんだ?」

「そりゃ、チーム決めだろ。2対1だと数がな。お前が入ってきてありがたいよ」

 そうだよな。2対1だと、1人が不利だからな。

 ジャンケンで決めてたってことか。

「さいしょーはぐー」

 色白な男が掛け声をかける。

「じゃーんけーん」

 俺たちは一斉に手を出す。

「ぽい」

結果は、長身はチョキ、ガタイはパー、色白はチョキ、俺もチョキだった。

 1人だけ負けだな。

 この後どう決めるのかよく分からないので、アクションを待つとする。

「よし! 決まったな」

 ガタイのいい男は喜ぶ。

 一瞬何を言っているかは分からなかったが、他の2人が落ち込んでいるのを見て、これが普通なのだと気づく。

「またお前が1人かよー。さっきもそうだったじゃねえかー」

「ここは一つ、私に譲ってくれませんかね?」

「だめだね。3対1はスリルがあってたのしいんだよ」

 どうやら、さっきの『数がな』というのはこういうことらしい。

 恐らく、2対1だと物足りなかったのだろう。

 ハンズを誘っていたのもこれが理由のようだ。

 あいつは1人の時に少しトラウマになったから、あんなに躊躇っていたのか。

「3対1だと、かなり不利じゃないか? ここは2対2とかでいいんじゃないか」

 ハンズの様子を見るに、相当1人はキツいのだろう。

 ここはフェアに闘おうと思ったが

「いやいや、それはないだろ」

 ガタイのいい男を始め、他の2人もその意見を肯定する。

「とりあえずやってみようぜ。その方がどんな感じか分かるだろ」

「……まあ、そうだな」

 渋々承諾をする。

 俺たちが本気で襲うってことは、相手は本気で殺しに来るんだよな。

 俺、無事に帰れるかな。

 

 

 

 

 

 

 



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アンデスゲーム

「よーいスタート」

 ハンズがスタートの合図をする。

 すると、一斉に3人が四方八方に散らばる。

 どうやら最初からトップギアのようだ。

 俺も負けじと、ガタイのいい男を追跡する。

 木々が生い茂る中で、足場は無数に存在する。

 どんな体勢からでも攻撃ができ、避けることも可能だろう。

 とりあえず高い木に登り、そこから探すことにした。

 登ると分かったが、視界は予想以上に悪く、ほとんど木しか見えない。

 どこにも動くような影も見えず、ただ茫然と立ち尽くす的になってしまっている。

「これ、見つけられんのか?」

 思わず口に出す。

 見たところ、端から端まで優に数キロあるだろう。

 この中で、たった1人の人間を見つけるなど、砂漠に落ちた一粒の米を探すようなものだ。

 少しの間観察を続けていると、後ろの方から、カサカサと音が聞こえる。

 急いで振り向くと、そこにはガタイのいい男がいた。

「新入りみっけ!」

 ガタイのいい男は勢いよく飛びかかってくる。

「うおっ!」

 俺は体勢を崩しながら、木の葉で簡易な壁を作る。

 しかし、強度を強くする前に壊されてしまった。

「お前、何かを作る能力か。面白えな。だが、すまねえがくたばってもらうぜ」

 およそ遊びとは思えないほどの、本気度で襲ってくるガタイのいい男に対し、俺は少し恐怖を感じていた。

 ガタイのいい男が拳を振り上げ、俺の顔面目掛けて振り下ろそうとした瞬間。

 男の後ろから、長身の男が現れた。

 長身の男は、指で銃の形を模している。

 こんな時に何ふざけてんだよ。と、言いたかったが、次の瞬間。その思いが消し飛んだ。

 長身の男が撃つような動きをすると、ガタイのいい男が勢いよく吹っ飛んだのだ。

 あまりの衝撃に、少しの間口がとじなかった。

「危なかったねー。スウィンのやつ、手加減を知らんからな」

 どうやらガタイのいい男はスウィンというらしい。

「ありがとう。まじで危なかった。えっと……」 

 そういえば、長身の男の名前を知らない。

「ああ。名前言ってなかったね。俺はトレント・マグナって名前だよ」

 それに気がついたのか、長身の男は自己紹介をしてくれた。

「他にも、さっきのやつがスウィン・ビーン。もう1人がチープ・プレゼンツ。堅苦しいのは面倒だから、ためでいいよ」

 いきなりこのゲームに入ってきた俺に対し、随分と丁寧な人だと思う。

 俺だったらこんな生意気な奴、まず相手にしないな。

「トレント……は、さっき何をしたんだ? スウィンとやらが吹っ飛んだやつ。俺には銃のように構えて撃ったように見えたけど」

 十中八九能力だろうがね。

「ああ。あれは空気を圧縮して飛ばしたんだよ。俺は空気を操ることができるからね」

「ほぉー。空気か。すげえな」

 能力は十人十色。人によって様々な能力があり、やはり面白い。

「そうだ。君の名前は? 教えたくないなら別にいいけど」

 ここまで話してもらって、俺も話さないわけにはいかないだろう。

 俺は、正直に自分のことについて話すことにした。

「俺はチェイサー・ストリート。能力は物質の長さ、強度を変えることができる。人にも影響があるから、他人にも自分に付与することも可能」

「チェイサー・ストリート……。チェスって呼んでいいか? 頭文字を取って」

 あだ名か。付けられたのは初めてだな。

「いいね。チェスっていい名前だよ。自由に呼んでくれ」

 俺はチェスという名前を気に入った。

 初めてあだ名を付けられたということもあるのだろう。

「ところで、チェス。スウィンのことだが。今は2人でいるから襲ってこないけど、1人になったら、確実にチェスを襲うと思うんだよ」

「まぁ、悔しいがそういうことになるだろうな。俺はここの中で1番弱いわけだから」

 出来れば認めたくないが、さっきのことを思い出す限り、俺が勝った要素は1つもないな。

「出来ればこんなことしたくないが、囮作戦とかどうだ?」

「囮か」

 別にいいが、やはり少し納得はいかないな。

 俺にだって出来ることがあるとは思う。

 しかし、このアンデスゲームに参加した以上、そんなことも言ってられないな。

「ああ。いいぜ、囮作戦。面白いことになりそうだ」

 

 草をかき分けながら道の無い道を歩く。

 後ろからは、定期的にカサッと音がする。

 この音がスウィンなのか、はたまた別のことなのか。そればっかりは探索系の能力じゃ無いと分からない。

 この状況になって、もうすぐ5分になりそうなところで、後ろの草むらから勢いよく、何かが飛び出してきた。

「我慢比べは俺の勝ちのようだな」

 俺は煽るようにして言う。

 後ろを振り向いて、相手の動きを封じるために一瞬で土壁を作る。

「今だ! トレント!」

 俺は大声で叫ぶ。

 ……。しかし、反応はない。

「おい! トレント! 時間がないから早く来い!」

 おかしい。作戦では、トレントが更に土壁を強化して、完全に動きを封じるはずだが。

「作戦ってのは、大体うまくいかないもんさ」

 突然、後ろから声が聞こえる。

「漫画やアニメ、映画じゃない限り、台本通りに動かないものさ。まっ。何もかも思い通りだったら、つまんな過ぎて自殺するけどな」

 この声は。

 振り向くと、そこにはやはりと言うべきか、スウィンの姿があった。

「囮作戦か? トレントも酷いことするな。素人じゃあるまいし、こんなのに引っかかる訳ないだろ」

 スウィンがここにいるということは。

「俺が捕まえたのは……」

「鋭いね。そうだよ。そっちがトレント」

 スウィンは土壁を指さす。

 なんてことしやがるんだ。こいつ。

 そして、物凄く強い。

 ものの5分であのトレントを弱らせ、俺の背後に着かせていたとは。

 いや違う。物音がしてから5分だから、実際、戦闘は一瞬だったってことか。

 こいつ。危険だ。

 俺の身体中の穴という穴から、汗が出るのを感じる。

 正直言って、動いたら殺される気がしてならない。

 無造作に立っているように見えるが、あれは全力で脱力をし、いつでも相手の上をいく準備が出来てるってことだ。

「どうした。来ないのか? 仲間のトレントがやられたんだぞ」

 ……仕方ない。このまま突っ立ってても何も始まらねえ。

 俺は足に力を入れる。

 次の瞬間、後ろに勢いよく飛び、土壁を脆くして破壊し、トレントを抱える。

 そして、そのままスウィンと逆方向に走った。

 ……スウィンは追ってこない。

 どうやら成功したようだ。

 俺はただただ逃げたわけではない。

 実は、自分の立っている地面を最高強度にし、思いっきり後ろに飛べるようにしたのだ。

 しかし、それだけでは追いつかれてしまう。

 そこで、もう1つ。

 スウィンの足元の少し下の地面を脆くしたのだ。

 そうすることにより、スウィンが追って来ようとすると、簡単な落とし穴になるということだ。

 正直、成功するとは思わなかった。

 しかし、やけに俺らを狙うな。スウィンの奴。

 もしかして、あのチープという奴が相当強いんじゃ無いのか?

 それなら、早く合流した方がいいな。

「うぅ、ぅ」

「トレント!」

 どうやらトレントの意識が戻ったようだ。

「すま……ねえ。スウィンを甘く見てた」

 この様子だと、かなり弱っている。

「お前が謝んな。流石にあんなに強いと勝てねえって」

 こんな状態でもこのゲームを続けるのか?

 ハンズの言う通り、参加なんてしなければよかったな。

「それとトレント。目覚めたところ悪いんだが、お前の能力でチープを探してくれねえか?」

「チープ……か。少し待っててくれ。今探す」

 そう言うと、トレントは目を閉じ、能力を発動させる。

 心なしか、少しだけ木々がザワザワ音を立ててる気がする。

「いた。ここから……7時の方向に600……メートルだ」

 また意識が遠のいてきたのか、途切れ途切れの言葉になる。

「ここから600メートル。しかも、スウィンのいる方向じゃねえか」

 トレントを抱えたまま、ばったり会うなんてゴメンだぞ。

「ちなみにスウィンは? どこにいるかわかるか」

「……え」

 最初の方が籠っていて聞こえない。

「なんだ。え? えってなんだ」

「……え。……う……え」

 上!?

 振り向くより早く、俺らに影が降り注ぐ。

 まずい。

 そう思った時には既に身体は動いていた。

 しかし意外にも、それは横や前後ではなく、スウィンのいる上だった。

 どうやら身体が無意識に戦えと言っているらしい。

「くそ! こうなったら自棄だ!」

 飛び上がった身体に従い、素早く自分の髪の毛を抜く。

 そして、一瞬でそれを剣にし、最高強度まで上げる。

「何!? 剣だと! どこから取り出しやがった」

「うおおおおお!」

 俺の剣とスウィンの拳がぶつかる。

 その瞬間。身体中に電流が走り回る。

「うぐっ」

 俺は一瞬硬直し、そのまま落下していく。

 受け身をする間もなく、背中からダイレクトに振動が伝わる。

「かはっ」

 約4メートルからの落下だったので、少し痛いが、予想以上にダメージはない。

 それに対し、スウィンは。

「ぐがああああああ!」

 叫びというか雄叫びに近い声を上げている。

 それもそのはず。俺の最高強度の剣に、馬鹿正直に勝負する拳が無事でいるはずがない。

 スウィンの拳は中指と薬指の間から、手首にかけてまで真っ二つになっている。

 そりゃあ痛いだろうな。痛くしたんだから。

 今のうちに俺はトレントを抱え、チープのいる方向へと走る。

 すると、スウィンが叫びと笑いの狭間のような声を出す。

「てめぇ! おもしれーぞ! おもしれー! 覚えとけよ!」

 ……こりゃ本格的に死んだな俺。

 とりあえず、今はチープの所へ目指そう。

 はぁ。今日は災難な日だ。

 思わずため息が出た。

 

 

 

 

 

 



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最強

 トレントを抱えながら走るというのは、楽というには少し苦だ。

 トレントは長身だが、筋肉はあまりついていない。

 しかし、大人1人分を抱えていると思うと、決して楽ではない。

 少しずつではあるが、俺の身体に疲労が蓄積していた。

 チープまであとどれくらいだろう。

 そんなことを考えていると、約30メートル先に人影が見えた。

 チープだ。

 そう思うと、自然と身体に力が湧いてくる。

 絶望の後の希望は高低差が激しく、より特別に感じる。

「チープ! チープ!」

 俺は走りながら叫ぶ。

「ん?」

 チープもそれに気がついたのか、あたりを見渡す。

「ここだ! ここ!」

 俺はなお叫ぶ。

 すると、俺たちの姿が見えたのか、チープの方から近づいてくる。

「どうしました。その怪我」

「トレントがやられた。俺は命からがら逃げてきたが……」

 ふと、俺はあることに気がつく。

 別にスウィンがチープを狙わないからと言って、チープがスウィンより強いとは限らない。

 ただ単純に、新入りの俺を抱えたトレントの方が、やりやすかっただけの可能性もある。

 なんて期待をしていたんだ俺は。

 しかし、今はその可能性に賭けるしかない。

 それと、俺の力も合わせればいくらスウィンでも。

 なにせ、俺はあいつの手に深傷を負わせたんだからな。

「どうしました?」

 急に黙り込んだ俺を心配したのか、チープが顔をのぞいてくる。

「いや、なんでもない。それより、チープの能力って教えてもらえるか?」

 俺はトレントを下ろしながら話す。

「別に構いませんよ。私の能力は超再生能力です」

「超再生能力……? ただの再生能力とは違うのか」

「はい。超がついてるのは理由があります。とはいっても、ただただ私の能力が他と桁違いなだけですけど」

 桁違いって……。超再生能力? それはつまり不死身ってことか?

 いや、不死身に近い身体を持ち、それに加えて再生能力があるとすると……。

 やはりチープは強い!

 どうやら幸い勘は当たっていたようだ。

「ちなみに、どのくらい再生が早いんだ?」

「そうですね。貴方、私を斬ってくれますか?」

「俺がお前をか?」

「はい。ズバッとお願いします」

「分かった」

 俺は近くの草を千切り、剣にする。

 勿論、最高高度。

 チープを殺す気はないが、殺す程度でいこうとは思う。

 チープは俺の前に腕を差し出す。

 俺は勢いよくチープの腕に剣を振り下ろそうとした。

 しかし、その手は寸前で止まった。

 ……なぜ、コイツは俺が剣を作れると知ってるんだ。

 普通、能力もわからないやつに、腕をズバッと斬ってくれとはお願いしない。

 いや、出来ない。

 相手がサポート系の能力だったら? 念力だったら? 今のお願いは通ることはない。

 勘……にしては会話がスムーズ過ぎる。

「なんで、俺が剣作れるって知ってんだ」

 気づいたら声に出して聞いていた。

「それは……」

 チープが黙り込む。

 急にチープが怪しく見えてきた。

 何か聞かれたくないことを、聞かれたみたいな反応をしている。

「なんで知ってたんだ」

 もう1度聞く。

 今度は答えざるを得ないほどハッキリと。

「……分かるんですよ」

「へ?」

「なぜか分からないんですけど、その人の能力が断片的に分かるんですよ。子供の時からこれで。みんなに嘘つき呼ばわりされて、少しトラウマで」

「す、すまねえ。変なこと聞いた」

「気にしないで大丈夫ですよ」

 なんとなく相手の能力が分かる。

 これだけの能力がありそうなのに、それにプラスで超再生能力。最強かよ。

 なんとなく、嘘はついてるようには見えない。

 ここはチープを信じるとするか。

「じゃあ、いいか。やって」

「いつでもいいですよ」

 俺は先程の続きで、チープの腕を切り落とそうとする。

 勢いよく振り下ろされた剣は、チープの腕を通り越し、地面に当たった。

 斬れた!? 斬れてしまったのか!?

 少しくらい加減をしても良かったかもしれない。

「大丈夫か、チープ」

「はい。なんともありません」

 ホントかよ。実は腕が落ちそうだけど、頑張って押さえてるとかじゃ無いだろうな。

「それより、剣を見てみてください」

 チープが剣を見るように促す。俺はチープに従い、剣に目をやる。

 そこには、上半分が折れた最高高度の剣があった。

 剣身はボロボロになっており、壊れた上半分は元の草に戻っていた。

「マジかよ」

 正直言って本気で能力使ったぞ?

 いや、ほぼ初対面の人に対しては、あまりよくない事なのだろうがな。

 しかし、ダイヤモンド並みの強度を誇る剣だぞ?

 それ相応の硬さの物質に当たらないと、剣がこのようになることは有り得ない。

 どういうカラクリだ?

「すみません。ビックリさせてしまって。実はフルオート系でして、能力の加減ができないんですよ」

 いやいや、ビックリはしたけど。

 ってか、フルオート系なんだ。珍し!

 確かに、チープの腕からは全く血が出ていない。かすり傷すら見当たらない。

 ビックリしたのはそっちではなく、なぜ超再生能力だけでこうなるのかだ。

「俺、本気でやったぞ? 正直メンタルがボロボロだよ。こんなに効かないもんなのか」

「まあ、私が特殊ですからね」

「ホントか? みんなこうだったら、マジで持つ気がしないぞ」

 もし優しさだったら、その優しさが逆に痛い!

「大丈夫ですよ。私の能力は超再生能力と言いましたね。そこでです。再生能力と何が違うのか。勿論、それは再生の速さです。普通の再生能力持ちの人なら、剣で斬られた後に再生しますが、私の場合は違います。剣で斬られながら再生します。それこそ、とんでもないスピードで。それにより、剣が腕を斬る、腕が再生する、剣が再生に耐えられず傷つく。これを一瞬で繰り返します。だから、貴方の剣がそのようになってしまったのです」

「それ、フォローのつもりか?」

 全然フォローになってないぜ。チープ。

 いや、嬉しいんだけどね。チープがチート級の能力だから、こうなったって分かったから。

「いや、ありがとう。仕組みが分かったから安心した。俺が弱いわけじゃなくて、チープが強過ぎるんだな」

「僭越ながら」

 あくまで謙虚か。

 これは自分の強さを、他人以上に理解してないタイプだな。

「そうだ。忘れかけてた。スウィンだよ。スウィン。あいつ倒さないと」

「そうでしたね。私も会話が楽しくて、つい」

「話は終わったか?」

 後ろから声がする。

「すみません。起こしてしまいましたか」

 チープが返答をする。

「随分と長話をしてたな。安心しろ。スウィンは近づいて来てない」

 どうやらトレントが目を覚ましたらしい。

「トレント! よかった。死んだかとおもったよ」

「いやいや、死なないから。あんな程度で。正直死にそうなったのは、土壁の方だな。息が苦しかった」

 そういうと、トレントは思い出したように俯く。

「すまんすまん。スウィンかと思ったんだよ。けど、無事でよかった」

「ああ。助けてくれたのは後で礼をするよ。それより、今はスウィンだ。あいつ、滅茶苦茶怒ってるぞ。あいつの周り、空気の乱れが激し過ぎる。なんかしたか?」

 やべぇ。やっぱ怒ってるよな。

 そりゃ手真っ二つにされたらな。誰でも怒るわ。

 けど、正当防衛だろ。あれは。

 ……いや、過剰防衛か?

「すまん。原因は俺だな。あいつの手真っ二つにした」

「「!?」」

 2人がいきなりビクッと反応する。

「マジかよ。チェス、君がやったのか!?」

「まあ、嘘ついても仕方ないだろ」

「チェス? なんかそういう遊びありましたね」

 1人だけ違う方向に意識が行っている。

「ああ。そういえば、俺の名前言ってなかった。俺の名はチェイサー・ストリート。能力はさっき見たと思うけど、物質の長さ、強度を変えられる」

「そして、頭文字を取ってチェスってことだ」

 トレントが俺の説明を補ってくれた。

 チープは成程。と、手を叩いている。こいつ、天然か?

「それは置いといて、チェス。スウィンに一撃入れたのか?」

「だからそう言ってるだろ」

 何回聞く気だ?

「これはすげぇ。あのスウィンに一撃、というか、深傷を負わせるなんて」

 この言い草だと、トレントですら難しいのだろう。

 実際あれはたまたまって言った方が、納得だがな。

「そうだ。チェスはスウィンの能力を知らなかったな。知ってた方が便利だろ。あいつの能力は」

 トレントがスウィンの能力を言いかけた瞬間、全身が全力で悲鳴をあげる。

「! スウィンが凄いスピードでこっちに来てる!」

 トレントが叫ぶ前になんとなく分かっていた。

 この感覚。この全身が硬直する感じ、恐らく何回来ても慣れないだろう。

 しかし、なぜいきなり。それも、トレントが目覚めた丁度のタイミングで。

 ……。もしかして、既に見つけてたとか?

 見つけた上で、3人揃うまで待ってたとか?

 戦闘厨のやつなら考えられないでもない。

 問題は、どうやって見つけたのかだ。

「トレント。スウィンの能力は?」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないよ! あいつ、全力で走って来てる。あと数分でここに来る!」

「それは分かってる! だが、能力を教えてもらえないと、話にならない。無駄死にするだけだ!」

 能力も知らないで戦うのは危険だ。

 まず相手の能力を見極めることが大事って、ナインハーズも言ってた。

 ……いや、言ってなかったか?

 そこはどうでもいい。要するに、一方的に能力を知られた状況はまずいってことだ。

「ああ分かったよ! スウィンの能力は静電気だ」

「静電気?」

「時間がない。教えられるのはここまでだ。早く逃げるよ」

 静電気……。なるほど。スウィンの拳を剣で斬った時に、身体中に電流が走るような感覚は、あいつの能力だったのか。

 しかし、そこまで強そうな能力ではないと思うのだが。事実、スウィンは強い。

 そこが、能力の深いところでもあるのだろう。

「トレント。逃げるっつったって、どこに逃げるつもりだ? スウィンはなんらかの方法で、俺たちを探知してんだぞ」

「そんなこと承知の上でだ。とりあえず、被害の届かない場所まで行くよ」

「被害?」

「だから、ここでスウィンとチープが戦うって事だよ。手出しできない俺たちは逃げるしかないんだよ」

 スウィンとチープが?

 チープの方を見ると、呑気に欠伸をしている。

 そして一歩も動かず、スウィンが向かってくる方向を見つめている。

 どうやら本気でやり合うようだ。

「待てよ。それなら3体1の方がよくないか? 戦力的にも十分だろ」

「そうもいかないんだよ。チープのあの目は本気だ。恐らくスウィンも。邪魔するわけには行けないんだよ」

 トレントがそういうと、チープがゆっくりと口を開く。

「そうですよ。チェス。これは暗黙の了解です。貴方も今後連む仲なら、邪魔をしないでください」

 その言葉はいつものチープと違い、棘のある、しかし説教じみた怒りは感じられなかった。

「わ、わかった。すまなかった」

 俺が素直に謝ると、チープがいつものようにケロッとする。

「謝らなくて大丈夫ですよ。ただ、知っておいて貰いたかったのです。貴方は面白い方ですからね」

 先程とは打って変わって、チープの言葉には温かみしかなかった。

 最初このゲームに参加した時には、少し後悔していたが、今は参加して良かったと思っている自分がいる。

 だが、まだ油断はできない。

 スウィンに参ったと言わせないと、このゲームに勝つことはできない。

「来ました!」

 チープが叫ぶと、20メートル先くらいに、スウィンの姿が見えた。

「ほら。早く逃げるよ」

 俺はトレントに手を引かれる形でその場を離れた。

 頑張れよ、チープ。

 俺は心の底からそう思った。

 

 

 

 

 

 



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教師の力

 チープを後ろに、俺はトレントと共にスウィンから逃げていた。

 チープは大丈夫だろうか。

 いくら超再生だとしても、痛みまでは無くせないだろう。

 いくら殴られても死なないというのは、逆に辛い事だと思う。

 考えただけでも震えてくる。

 それに、相手はあのスウィンだ。

 思考が戦闘に極振りされてるあいつだから、簡単には倒せないし、殺ってくれないだろう。

 チープの強さが分からない以上、想像の域を超えない訳だが……。

「君たち、ここで何してんの?」

「え? ナインハーズ?」

 俺の目の前にはナインハーズが立っていた。

「うわっぷ」

 走っていたので急にブレーキがかけられず、ナインハーズの胸に飛び込んでしまう。

「さんつけろ、さん。敬語にしろって言っただろ」

 ナインハーズは俺を突き放す。

「ナインハーズさん。なぜここに」

 トレントが驚いている。

 無理もないな。先程の戦いと打って変わって、教師という非暴力的な存在が目の前にいるのだから。

「なぜってなー。君たち少し自由すぎだ。もう少し自粛したらどうだ? 今やってるゲームとか」

「すみません。今後気をつけます。ですが、今はチープとスウィンが真剣に勝負をしているので、今回は見逃してくれませんか」

 トレントが謝りながら、頭を下げるまではいかないが、ナインハーズにお願いをする。

「真剣に勝負。それは本気でか? だとしたら止めるが、どうなんだ?」

「…………」

 トレントは黙り込む。

「だんまりか。仕方ない」

 ナインハーズは、ポケットから紙を取り出す。

「なるほどね。あっちの方向か」

 その紙を見るや否や、ナインハーズはチープ達がいる方へ歩き出す。

「ちょっ、ナインハーズさん」

 俺は、ナインハーズを追おうとするトレントを引き止める。

「おい、チェス。なんで止めるんだよ」

「やめとけ、腐っても教師だ。ナインハーズには勝てねえよ」

 実際、あいつに押さえられた時に、1歩も動けなかった。

「腐ってもってなんだ。腐ってもって。あんまり教師を嘗めるなよ?」

 そう言うと、ナインハーズは走り出す。

「あっ。チェス、追うぞ」

「お、おい。トレント」

 俺の腕を解き、トレントはナインハーズを追う。

 まあ、俺もどうなるか気になるから、別にいいけどね。

 

 ふぅ。なんとか追いついた。

 こいつら足速すぎだろ。

 俺が追いつくと、ナインハーズとトレントは立ち止まっていた。

 どうしたのかと思い、俺も並んで立つ。

 すると、目の前で凄まじい闘いが繰り広げられていた。

 スウィンが放つ拳は電気を纏っており、チープに当たる度に、周りに放電するかのように飛び散る。

 チープはそれを全て受け止め、すかさず拳で反撃をしようとしている。

 しかし、チープの拳はスウィンに1発も当たっていない様子だ。

 木々が倒れているのを見ると、それが分かる。

 だが、この威力。ただのカウンターではないようだ。

 切り株の数と、倒れている木の数が合わない。

 どういうわけか、その威力ゆえ、殴った木が粉々になったか、その勢いでどっかに吹っ飛んでいるのだろう。

 その光景を見ていると、ナインハーズが思い出したように口を開いた。

「おい、そこまでだ。喧嘩はやめやめ。すぐに部屋に戻れ。今何時だと思ってる。もう夜の11時だぞ」

 ナインハーズは2人に向かって歩く。

 おいおい。流石のナインハーズでも、2人の闘いを止めるのは無理だろ。

 ってかいつの間にそんな時間経ってたんだ?

 ナインハーズがストップをすると、2人がこちらを向く。

「あ? 邪魔すんなよ。今殺り合ってる途中なんだよ」

「少し引っ込んでてくれますか。遊びじゃないんですよ」

 2人は口を揃えて、ナインハーズの干渉を拒む。

 ほらやっぱりこうなる。

 ナインハーズも、ここは引っ込んどいた方が身のためだぜ。

「むか」

 むか? こいつ、今むかって言ったか?

「おい。こっちが下手に出てやってるってのに、なんだその態度」

 あ、キレた。

 ってか、ナインハーズキレるの分かりやすすぎだろ。怒る時むかって言うやつ初めて見たわ。

 あと、下手に出てたか?

「テメェらのくだらねえこだわりなんて、知ったこっちゃねえんだよ。ただ怪我をされちゃあ、こっちの責任になるからな。迷惑かけんなって言ってんだよ」

 それを聞き、2人もキレたのが雰囲気で察せた。

「くだらねえだと?」

「くだらないですって?」

 あちゃー。こりゃナインハーズ死んだぜ。

「「ふざけるな」」

 2人の牙が、ナインハーズに向けられる。

 一斉に飛びかかってきて、流石に終わりだと思った。その時。

「はぁー。めんどくせー」

 そう言うと、ナインハーズは歩き出す。

 すると、2人は飛びかかって来た勢いのまま、ナインハーズの横を通り過ぎ、そのまま倒れた。

「疲れるんだよね。気絶程度に加減するの」

 あまりにも一瞬の事すぎて、何が何だかさっぱり分からなかった。

「さて、君たちも寮に戻りな。こいつらは、俺が帰しとくから。ほら、行った行った」

 俺たちは促されるがままに、その場を去った。

 既にハンズも戻っているのか、姿は見当たらず、1人で部屋に戻る事にした。

 ただ、今日学んだのは、ナインハーズには絶対に反抗しない方がいいという事と、帰り道を覚えとかないと帰れないって事だ。

 やべえ、迷った。

 

 

 

 

 

 

 



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初日

 結局あの後、迷いに迷った挙句、朝の2時に就寝した。

 そして現在。

「おい。起きろ、ストリート。初日から点呼に遅れるきか?」

「ん? んぅん。なんだ? 誰だお前。とにかくもう少し寝かせてくれ。まだ寝足りないんだよ」

「むか」

「むか?」

 なんか聞いたことあるような。

「はやく起きろーー!!」

 

「え、8時までには起きろ? だって、ナインハーズは起床時間はないって」

「あった。起床時間あった。8時だった。ということで、集会場こい。じゃ」

「おい、待てよ」

 こいつ、今誤魔化したな。

「俺は伝えられてなかったんだぜ? それなのに、そっちの都合で勝手に起こされちゃ困るねー」

「う。ま、まあ? 伝えなかったのは悪かったけど? 8時くらいに起きるのは常識と思うんだけどな?」

 こいつ、マジで腐ってるな。

「ったく。自分の間違えを謝れないのは、大人としてどうかと思うけどね」

 俺は煽るようにして言う。

 今回に関しては確実にあっちが悪いから、堂々と言う。

「ま、まあ。今回は俺が悪かったな。認めるよ」

 ナインハーズが、謝罪の言葉を口にしようとした、丁度その時。

 クリミナルスクール全体に響き渡るように、警報が鳴った。

「なんだこの音。なんかの警報?」

 ナインハーズの方を見ると、不思議そうに首を傾げていた。

「妙だな」

 そう一言呟く。

「妙って、どこがだ? 警報ってこういうものじゃないのか?」

「まあ、それはそうなんだけど。……普通、警報が鳴る時はアナウンス付きなんだよ」

「アナウンス?」

「別にここが特別って訳じゃないぞ。警報とか、それに似たものは、状況が判断できる材料がないと混乱に陥る。津波が来てるのに、警報だけ鳴らしたら、何が起きてるのか検討もつかないだろ。そこには、ただただ危険が迫っているという事実だけが漂っているだけで」

 確かに一理あるかもな。

 誤報? にしたら今も鳴り続けているのはおかしい。

「これを踏まえると、今回の警報は何か普通じゃない。よほど緊急を要するのかもしれない」

「じゃあどうするんだ?」

「とりあえず、俺は職員室に向かう。ストリートは、集会場……。いや、ここで待機してろ。心配はしなくていい。部屋1つ1つが、俺でも壊せないくらい頑丈にできてる。じゃ。絶対出んなよ」

 そう言うと、俺が何も言う前に、ナインハーズは部屋を出て行った。

「行っちまった。……しかし、なんだこの警報は。妙に耳に残ると言うか。言われてみれば、少し違和感だな」

 とりあえず、何もすることが無かったので、俺はベットに腰をかける。

 待機と言われても、状況が把握できない今、下手に行動はできない。

 部屋から出てはいけないと言われると、出たくなるのが人の心情。

 しかし、ナインハーズに逆らうと、ろくなことになりかねないからな。

『チェス』

 頭の中で誰かに呼ばれた気がする。

『おい。チェス、どこにいる』

 今度はハッキリと聞こえた。

「? 誰だ。俺の名前呼んでるやつは」

 チェス? この名前を使ってるのはチープとトレントくらいだが、どちらの声にも似ていない。

『俺はお前に手を真っ二つにされた、スウィンだよ。今、脳内に直接送ってる』

 うお! スウィンかよ。

 あいつ俺のこと根に持ってそうで怖いんだよな。

 ってか絶対根に持ってる。

『根に持ってるのは間違えじゃねえが、今はそれは置いておけ。お前にはこの警報聞こえるか?』

 心の声聞こえるのかよ。

 俺のプライベートが約束されないな、こりゃ。

 それより、警報なら聞こえてるぞ。

 このウーウー鳴ってるやつだろ。

『ウーウー? 俺の方はピーピー鳴ってるけどな』

 知らんがな。感性の問題だろ。

『まあ、それもそうか。だが、この警報、何かおかしくないか?』

 なんか、ナインハーズも同じようなこと言ってたな。

『ナインハーズもか……。お前、今どこにいる』

 俺? 俺は今部屋にいるけど。

『部屋? 部屋って、寮のか?』

 そりゃ、寮のだろ。

 俺が寮以外の部屋で、シェアハウスしてたって噂でもあんのか?

 それこそ恐怖だわ。

『いや、確認しただけだ。やっぱりチープの言った通りかもな』

 チープ? そういえば、スウィン。なんで俺に話しかけてんだ?

『あ? お前に話しかけちゃ駄目とかあんのかよ』

 いやいや、喧嘩売ってる訳じゃなくて。

 俺以外に、チープとかトレントとかがいるだろ。

 なんでそっちに連絡しないんだ?

『……。それが、どっちとも連絡が取れねえんだよ』

 どういうことだ?

『俺の能力で、ある程度の位置は掴んでるんだが、どうにも辿り着けなくてな』

 辿り着けないって、お前こそどこにいるんだよ。

『俺か? ……俺は今、地獄にいる』

 は!? 何言ってんだお前。

 あたおかデビューでもしたのか?

『いや、本当なんだよ。俺も状況が掴めなくて、気づいたらここに。ってかあたおかってなんだ?』

 気づいたらここにって。ほんとお前どうしたんだよ。

 ドッキリでもしてんのか? それにしたら、随分と手の込んだドッキリだな。

『ちげえよ。俺はマジだ。地獄って言ったが、そう見えただけで実際違うかもしれねえし』

 ちょっと待てよ。さっきからお前の言ってることが、右往左往しすぎててよく分からないんだが。

『俺もよく分かんねえよ。だが、1つだけ分かることがある』

 なんだよ。それって。

『俺は今、敵の攻撃を受けてる』

 敵? 侵入者のことか?

 ナインハーズは、クリミナルスクールに入ってくる馬鹿はいないって言ってたぞ。

『相手は馬鹿じゃないって事だ。相当な能力の使い手なんだろ。それも、複数人の』

 なんでそんな事分かんだよ。

『……もしかして、お前。ナインハーズから聞いてねえのか?』

 何が。大方のルールは聞いたぞ。

 今日の出来事で信用無くなったけど。

『そうか。聞いてねえか。ジャスターズの事は知ってるだろ』

 まあ、その話は聞いた。

『そのジャスターズが、出来るきっかけとなった組織があるんだよ』

 きっかけとなった組織?

『ああ。キューズという組織だ』

 キューズ!?

『なんだ? 知ってるのか?』

 いや、小耳に挟んだ程度だ。

 悪事を働いてた頃にな。色々情報が入ってきたんだよ。

『そうか。まあ、聞いたことがあっても不自然じゃないよな。なにせ、55年前からあるらしいからな』

 55年前からも……。ジャスターズは、その組織を未だに捕らえられていないのか。

『ジャスターズだって、生半可な組織じゃない。そのキューズっていう組織は、それ程って事だな』

 けど、そのキューズって組織とクリミナルスクールは、どんな関係なんだよ。

『クリミナルスクールは、ジャスターズの候補生みたいなもんだからな。根本から潰すのが早い話だろ』

 だからっていきなりすぎないか? それにしては、スウィンも何か慣れてるように感じるし。

 もしかして、これが初めてじゃないのか?

『いや、俺も初めてだ。スクール側の対応を見るに、そっちも初めてだろう』

 じゃあ、なんでキューズって分かるんだよ。

『クリミナルスクールに侵入する馬鹿はいないって、さっきお前が言ってただろ。それと同じ理由だ。入学した時に、軽くキューズの存在を教えられてたからな。なんとなくピンときただけだ』

 ……まあ、敵がキューズってのは分かったけど、どうすればいいんだよ。

 結局、お前は地獄とかいうよく分かんない場所にいる訳だけど。

『そこが問題なんだよ。現段階での、キューズの目的が全くわからない。生徒を片っ端から殺してくとかしてくれたら、ああ、こいつらクリミナルスクールを潰しに来たんだな。って、分かるんだが』

 怖いこと言うなよ。

『実際、突然侵入して来た理由が分からな

い』

 まあ、そうだな。

 スウィンも攻撃と言っても、幻覚を見せられてるだけだからな。

『幻覚と決まった訳じゃないだろ』

 いや、状況だけ聞くと幻覚としか思えないぞ。

『そうとも限らない。幻覚以外にも、相手をテレポートさせる能力や、他の世界に引きずり込む能力の可能性もあるだろ』

 それじゃ、お前が俺の脳内に直接話しかけてるのはどうやってるんだ?

『侵入者は複数人だ。能力の組み合わせだって考えられる。俺とお前だけどこかにテレポートされて、能力で地獄と寮の部屋にいるっていう幻覚を見せられているのかもしてない』

 そうとも考えられるのか。

『ああ。組み合わせ次第では、雑魚能力も最強になる事がある。相手の能力を素早く判断しようとするのはいいが、それだけに縛られて行動するのは、得策とは言えない』

 ……確かにそうだな。

 だが、2人だけテレポートされる理由が見つからない。

 ランダムだとしても、俺の数少ない知人と飛ばされるのは出来すぎてる。

『そうだな。とすると、やはり幻覚の線が濃くなるな』

 能力が分かったとしてどうするんだ?

 俺は待機してろって言われたし、お前は話を聞く限り、自由に動けそうにもないだろ。

『……ところで、気になってたんだが』

 どうした急に。何か案が浮かんだか。

『いや、そうじゃない。さっきも話したと思うが、俺はある程度の位置は把握してんだよ。電波を飛ばして、自分以外の電波に当たると反応するようになってる』

 ああ。解説ありがとう。

 だからってなんだ? お前は自分の能力の説明をしたい訳じゃないだろ。

『まあ、そうだが。お前、俺と話す時どうしてる』

 どうしてるって?

『頭の中で話してるか、口で話してるか』

 頭の中だけど……。

 ほんとにどうした。地獄の熱に浮かされたか?

『頭の中か。ならいい。いいか、よく聞け。今から言うことに驚くなよ』

 おお、なんだよ急に。俺はそんなに驚かない方だぞ?

『……お前今、ハンズと一緒にいるか?』

 は? いる訳……。

『気配に気付いたか。やはりハンズとは一緒じゃ無いよな』

 ちょっ、軽くホラーなんだけど。

 言われるまで全然気が付かなかったぞ。

『だろうな。俺でさえ、最初からは気付けなかった』

 そいつって、今どこにいる?

『玄関だ』

 玄関って。俺は今ベッドにいるから、左あたりにいることになるのか。

『そうだな。左約4メートルにいる』

 どうすればいい。

『知らん。俺には関係ない』

 じゃあなんで教えたんだよ。

 怖がらせる為だったら成功だぞ。

『俺だって、安全な場所にいる訳じゃ無いんだ。なんせ地獄だからな。いつどこから鬼が襲ってくるかも分からない』

 なんだよそれ。投げやりな野郎だな。

 とりあえず、こいつは倒しても良さそうか?

『お前に倒せんならな。そっちでアクションが起きたんなら、こっちもそろそろって考えても不思議じゃないな』

 お前こそ、鬼に喰われて終いとか無いだろうな。

 そのときは、坊さんのお経に合わせて踊ってやるよ。

『願ってるみたいな言い草だな。まあ、そんなんで死ぬ玉じゃないけどな。こっちはお前のせいでむしゃくしゃしてきてんだ。あーあ、早く鬼ぶん殴りてー』

 相変わらずの戦闘厨だな。

『お前も大概だろ』

 そんな事は無いさ。俺は至って平和主義だ。

『嘘つくな。平和主義者が、そんな殺気を纏った電波を発さねえよ』

 殺気なんてとんでもない。けど、少し楽しみだな。

 そのキューズっていう組織の力量を知りたかったしな。

『まあ、死ぬ程度に死んどけ。火葬する前にAED試してみるわ』

 それ完全手遅れだろ。

『俺も敵を探してくる。とりあえず、そいつ倒したら連絡くれ』

 スウィンがそう言うと、頭の中でプツンと何かが切れた音がした。

 さて、正体不明のこいつを殺りますか。

 初めての殺り合いだというのに、俺は不思議と高揚していた。

 俺はいつから殺人衝動に目覚めたんだか。

 やはり犯罪者の素質があるという事かな。

 まあ、それは置いといて。

 俺はベッドから立ち上がる。

「ん、んん」

 背伸びをし、近くに置いてあったボールペンを手に取る。

 準備万端。しかしこれ、どうやってスウィンに連絡するんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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戦闘開始

 それにしてもこの敵、俺が気付かないうちに何度も攻撃を仕掛けられたんじゃないのか?

 それなのに、攻撃をしない理由はなんだ?

 様子見? 能力の発動に時間がかかるとか?

 もし後者の場合は、今すぐ俺が動かないと危険だが。

 今まで気付かれない保証もないだろう。

 とすると、相当な能力者か馬鹿だな。

 まあ、どっちにしたって殺りあってみないと分からないがな。

「おい、そこのお前。それ以上動くな。一歩でも動いた瞬間殺す」

 俺はペンを握りしめ、姿勢は変えずに相手を脅す。

 動いたら殺すというのは本気だが、実際人を殺した事は無い。

 これが初デビューになるのかと、思わずため息をつく。

 さっと、玄関のやつが動く物音がする。

 俺は渋々ペンを離す。

 するとペンはものすごい勢いで玄関に飛んでいき、対象の喉に突き刺さる。

「ペンをバネの形状にすれば飛び道具にもなる。勿論、俺から離れたペンは元通りになってお前に突き刺さる。まあ、試した事は無いから成功して内心ホッとしてるよ」

 俺は玄関の方を向き、話しながら歩き出す。確実に相手の息の根を止めるためだ。

 そいつは扉を背に倒れ込んでいた。どうやら死んだようだ。

 やけにあっさり逝ったと思い、顔を覗き込む。

 ……そいつは女だった。

 歳はわからないが恐らく若いのだろう。やけに美形で、出会う場所が違っていれば惚れていたかも知れないと思うほどだった。

 その時、俺は少し罪悪感を感じた。

 初の人殺しが女であり、殺すのには惜しいような気がしたからだ。

 そして何より、こいつは最初から最後まで無抵抗だったのだ。

 もしかしたら敵じゃ無い可能性があったかもしれない。

 そう考えると、やけに罪悪感が沸いてくるのが分かる。

 それがいけなかったのだろう。

 俺が死体を起き上がらせ、ベッドに運ぼうとした瞬間。

 女の目がキッと開き、喉に刺さったペンを抜いて、俺の目めがけて振り下ろして来た。

「うぉ!」

 これには思わず声が出て、避けると共に体勢を崩す。

「馬鹿なやつだ。私に罪悪感を抱くなど、素人のすること!」

 再び女は、俺にめがけてペンを振り下ろして来る。

 息の根は止めたと思っていたが、生きていたことに気が付き、更に殺されかけているとすると、俺の行動は1つだった。

 俺はペンを避け、仕方なく女めがけて拳を振るう。

 しかしその拳は、女に当たることなく空を切った。

「えっ」

 動揺していたのか、俺は振り上げた腕に2撃目を喰らうことになった。

 ブスッと、鈍く鋭く音を立てて、俺の肉を断ち切るのが痛覚を通して感じる。

「っ」

 声は出なかった。

 驚きと痛みが重なり、言葉が出せなかったのだ。

 だが、それより先に感じた事は、こいつになぜ拳が当たらなかったって事だった。

 人を殺したことがなく、女も殴ったこともない。と、理由をつけるのは簡単だった。

 しかし、的確な殺意を抱いて放った拳が、そう簡単に軌道をずらすわけがない。

 考えられるのは、こいつの能力の影響ということ。

 俺は地を這いながら、ベットの先の窓に近づく。

 逃がさないと、女が近づいてくる。

 俺は壁に触れ、脆くする。

 そうすると、今まで何気なく立っていた壁が、カルシウムの足りていない骨の如く脆く崩れていく。

 女は落ちることを気にしてか、俺の手前で止まる。

 しかし、それこそが俺の狙い。

 外に出れば、狭い部屋より十分に立ち回れる。

 俺は床も脆くして坂を作る。

 そうすることにより、体勢を崩しながらでも外に出ることに成功した。

 どうせ2階くらいの高さだろうと、落ちながら下を見ると、20メートル先くらいに地面が見えた。

「ちょっ、高くねーか!?」

 よく思い出してみると、部屋の高さも広さもやけにあった気がする。

 あらゆる能力者にあわせた大きさなのだろうが……。

 どうやら俺の部屋は4階だったようで、ハンズが問題児だったのも関係し、普通の1300号室の並びとは違った場所だったようだ。

 1階5メートルって事務所ビルかよっ。とツッコみたくなるが、今はそんな余裕がないらしい。

 このままいくと、完全に全身打撲で死ぬ。

 能力で全身の強度を上げても、衝撃で内臓破裂は免れないだろう。

 体勢を崩しながら落ちたからか、建物との距離は決して近くない。

 とすると、残された道は1つ。

 全身の強度をマックスにし、地面に当たったそばから脆くして、クッションを作る。

 俺は全身に力を入れ、衝撃に備える。

 地面とあと少し。というところで、ある男に話しかけられた。

「おお、チェス。連絡くれって言ったけど、随分ダイナミックだな」

「え、スウィん゛ん゛」

 話しかけられたことにより緊張が解け、能力を解除してしまった。

 勿論衝撃は直に伝わり、俺は全身を強く打ち付けて死んだ。

 はずだった。

「何やってんだよ。下手な着地だな」

「え、俺生きてる。俺生きてるよ! スウィン!」

 不思議と痛みはなく、かすり傷すら無かった。

「何言ってんの? 能力者が4階から落ちたぐらいで死ぬかよ」

「え? そうなの」

 クリミナルスクールに入ってから初耳が多い気がする。

 ってか、俺が常識人じゃないのでは?

「で、なんで落ちて来たの。まさか苦戦して逃げて来たとか言わないよな」

「そ、そんなわけないだろ。これは戦にゃく的撤退だ」

「噛んでんじゃねえかよ」

 ミスった。

「それより、スウィンはもう地獄とかいうふざけた設定はいいのか」

「ふざけてねえよ。お前の言う通り幻覚使いだっただけだ。1発殴ったら気絶しちまったよ。ったく、手応えのない奴だったな」

 流石戦闘厨。本当に鬼と対面しても勝ちそうだな。

「それで。あの女が敵か?」

 スウィンは上を見て、俺の部屋を指さす。

「よく見えるな。そうなんだよ。あいつ不思議なやつで、殺しても生き返って来た」

「殺しても生き返るか。蘇り系か怨念系か、はたまた相手の感情を利用する系か」

 俺はビクッと肩を動かす。

「か、感情利用ってなんすか?」

 少し思い当たる節があるような。

「ん? なんで急に敬語なんだよ。まあいいや。感情利用ってのはな、相手の弱味に付け込んで……。例えば可哀想だったり、罪悪感に付け込んで、相手の力を借りる事で自分が強くなる感じだ。その感情が大きければ大きい程強くなる。まあ、古いやり方だ。そんなのに引っかかるやつはいないし、多分他の2つだろ」

「だ、だな。蘇りかー。それは勝てないなー」

 俺は棒読みになってしまう。

「なんだ。さっきから気持ち悪いな。残念だが、あの女は追えねえな。高さがあるし、他に仲間がいるかも知れねえ。とりあえず、今は2人で行動した方が得策だな」

 なんかスウィンが、スウィン兄貴に見えて来た。

 ……いかんいかん。こいつは末期レベルの戦闘厨だった。

 こいつに従えられたら、どんな命令をされるかも分からない。

 考えただけで震えが止まらない。

「それにしても、不自然だな」

 その一言で、和んでいた空気が一瞬で凍りつく。

「不自然って。やっぱりあれか?」

「ああ。あれだ」

 やはりスウィンも疑問に感じていたか。

「あの姉ちゃん美人過ぎるよな。戦闘に向かないと思うんだけど、スウィンはどう思う?」

「違えよ殺すぞ。部分麻酔みたくしてお前の腸引きずり出すして見せるぞ」

 怖ー。冗談に決まってるのに。まあ、あの女が美人だったのは嘘じゃないが。

「冗談だ。明らかに人が少ないって事だろ」

「ああ。普通、こんなあからさまにテロ起こされたら、スクール側が対応しなくても、警察くらいは来んだろ」

「確かにな。それに、生徒も先生も見当たらない。スウィンは電波で探せないのか?」

「もうやった。幻覚野郎を殴ってから反応が消えた。俺も踊らされてたって訳だ」

 そう言うと、むしゃくしゃしたのか頭を掻きむしる。

「けど不自然じゃないか? 幻覚を見せられてた割には攻撃を受けてないし、あの女が俺の部屋に入るまで、誰も気が付かなかった訳だろ? 人がいないにしろ、最初の警報みたいに何か鳴らないのか?」

「それ含めて不自然って言ってんだ。物音1つさえしないし、誰も電波に引っ掛からねえ。敵でさえもな」

「能力を封じられてるって事か?」

「そうかもしれねえが、する意味が分からなくなってきた。能力を封じることが目的なら、既に俺らは殺られてるはずだ。だが、一向にその気配がない。何より、俺はお前を探知できてる。別に能力が封じられてる訳じゃなさそうだ」

「……なら」

「ああ。最初言ってたように、俺らがテレポートされたか、俺ら以外がテレポートされたかだな」

「後者は無いんじゃないか? 2人と他何千人を天秤にかけたら、明らかに2人の方が楽だろ」

「そうだな。……今から言うのはあくまで考えの1つでしかないが。もしかしたら、既に戦闘は終わってるのかもしれねえ」

「戦闘が? いくらなんでも早すぎないか? ……それって、どっちかが勝ったって事か」

「キューズ側か、スクール側がな」

「スクールが勝つのは分かるが、キューズが勝つって事は無いと思う。スウィンも知っての通り、無能力者のナインハーズですらあの強さだぞ。そんなのがコロコロいて、こんな早く負けるはずがない」

「俺もスクール側が負けたとは思ってねえよ。だが、万一って事もある。ここで俺たちが取るべき行動は、待機だ」

「は? 待機? 何でそうなるんだよ。侵入者全員ぶっ飛ばして、この状況を打開するんじゃねえのかよ」

「それは違うな。もし戦闘が終わってる場合。テレポートではなく、電波を妨害する術を持っているとしたら、キューズは下準備がかなり整っていたに違いない。恐らく、昨日入って来たお前以外の能力は、全て調べ上げられてると思っていい」

「そんな……。そんなに、キューズってのは完成された組織なのかよ」

「年季の入った組織だ。そこら辺のチンピラなんか、目じゃねえくれえにな。勿論、俺ら元犯罪者も同様だろうよ」

 勝ち目がねえ。それって、先生生徒1人1人に、相性のいい人材を配置できるって事じゃねえか。

 これまでアクションを起こして来なかったのは、今日の日のためかもしれない。

 俺が絶望していると、スウィンが躊躇いもなく口を開く。

「とりあえず、校舎の中入るぞ」

「は? 何でだよ。校舎の中じゃ、俺もスウィンも十分に能力を発揮出来ねえだろ。それに、外の方が視界が広くて、どんな角度からでも対応出来る。お前の言う、得策ってやつじゃないぞ」

「狭いからいいんだ。狭いからこそ、防御を一点に集中できる。この建物は犯罪者用だから、普通より何十倍も頑丈に出来てる。壁を背にすれば、前と上だけ注意すればいい」

「そう言われれば、そうだが。……やっぱり危険な気がする。頑丈ってのに囚われすぎると、不意を突かれるぞ」

「それを込みで、外よりは安全だって話だ。前後左右上下。全て警戒するよりは、上と前の方が楽だ。それに、相手も狭いのはアドバンテージとは限らない。ついて来たくなければ来なくていい。勝手に死んでも知らんぞ」

「……分かった。校舎に入るよ。ただし、1つ条件がある。相手が何人であろうと、戦闘になりそうだったらすぐに逃げる。これを守れるならついていこう」

「何で逃げる必要がある。100人とかならともかく、相手が1人なら先に潰した方が後々いいだろ」

「そこがスウィンの足りないところだ」

「あ? 喧嘩売ってんのか?」

「そういう訳じゃない。相手は俺らの能力を知ってて、こっちは知らない。広ければ、立ち回りながら相手の能力を推測できるが、狭いとその時間がない。逃げて追ってこなければよし。追って来たら立ち回りながら推測。このスタイルが得策だろ」

「……それもそうか。殴り足りねえ気分だが、今は私情を挟んでられる状況じゃねえしな。分かった。そのスタイルでいこう」

 そう言うと、俺とスウィンは昇降口に向かって歩いていく。

 さながらヒーローを思い立たせるようなその2人の歩みは、廃坑した世界を救うような、そんな勇敢さがあった。

「ところでスウィン。手の怪我どうなった?」

「ああ。ちょいと脳を弄って治した」

「……お前やっぱ怖いわ」

「ん?」



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約束は守らない主義

 校舎に入り、俺たちが最初に向かった場所は、

「職員室?」

「流石にいねえか」

「いないって?」

「いや、クリミナルスクールってのは、先生全員が戦闘員な訳じゃないからな。もしかしたら逃げ隠れてる先生はいないかと思ったが、流石にそうはいかないかと思ってな」

 先生全員が戦闘員な訳じゃなかったのか。

 じゃあ、ナインハーズは戦闘員だからあんな強いのか。

「しょうがねえ。市街地行くぞ」

 スウィンは職員室を少し覗いた後に、その市街地という謎の場所に歩みを進める。

「ちょっと待て。まず市街地ってどこだ。そして、狭い場所って話じゃなかったのかよ」

「……少し考えたんだが、やっぱり広い場所の方がいいと思ってな」

「何だよそれ。結局俺の言う通りになるじゃねえかよ」

「そうとも言えねえぞ。外ならどこでもいいって訳じゃない。市街地だからこそいいんだよ」

「は?」

 

 スウィンについて行くと、やがて上の方に市街地と書かれた扉が見えてきた。

「市街地って、岩や森林みたいなやつか。ハンズは試練とかなんとか言ってたな」

「ああ。ここならを時間を潰せる」

 俺の中ではてなマークが浮かぶ。

「ん? あ、お前はこの施設の仕組みを知らなかったんだったな」

 それに気が付いたのか、スウィンが説明をする。

「ハンズの言ってる試練ってのは、知っての通りこの施設達の事だ」

「おう」

「それで、この施設。なぜ俺ら問題児が入り浸っているかと言うと、時間を操作できるからだ」

 やっぱり問題児だったのか。

 ってか、え? 今なんて言った?

「今なんて言った?」

 思わず心の声と同じ言葉を繰り返してしまう。

「ビックリするだろうな。そりゃ」

「いや、ビックリと言うよりは、理解できない方が大きいな」

 つまりどう言うことだ?

「時間を操作できるってのは、遅くも速くもできるって事だ。残念ながら過去には戻れないがな」

 いやいや、十分すぎる機能だろ。

 疲れた時とかに、休み時間ここに来れば寝れるって訳だろ?

 ……あ、昨日のやけに時間が経つの早いと思ってたら、これのせいだったのか。

 お陰で昨日は全然寝れなかったんだよな。

「授業に参加してない俺らからすれば、早く時間が過ぎてくれるのは好都合だからな」

 やっぱりサボる為か。

 ……ハンズ。あいつは授業をサボって、俺の事をからかってたのか。暇かよ。

「にしても、何で市街地なんだ? 岩場とかなら、地形を利用して立ち回れたんじゃないか?」

「立ち回りなら、確かに他の施設がいい。だが、ここなら」

 そう言いながらスウィンは扉を開ける。

 その中はやはり広く、ビルのような建物がひまわり畑のように連なっていた。

 まるで、本当に一つの都市をここにくり抜いたように、それだけ完成された施設だった。

「右見てみろ、ここの壁に薄く窪みがあるだろ」

 スウィンに促されて右を見ると、そこには確かに薄く窪みがあった。

「これがどうしたんだ?」

「ここを押すと」

 スウィンがその窪みを押すと、グググとその横に部屋が出てきた。

「隠し部屋兼操作室が出てくるって訳だ」

「うわぉ。すげぇ」

 思わず声が出る。

 ってか何で知ってるんだよ。

 スクール側の皆さん。問題児にこういう事を教えてはいけないですよ。絶対悪用されます。ああ、既にされてましたね。そうでしたね。

「よし。これでここの2分が外の1時間になった。あまり速くし過ぎると、時間に取り残されるからな」

 なにそれ怖い。

 スウィンは素早く操作室を閉め、市街地の中心へと歩いて行く。

「そういえば、さっきの理由言ってなかったな」

 歩きながらスウィンが話題を振ってくる。

 俺が何の話? と表情で答えると、呆れたようにスウィンが続ける。

「何で市街地の方がいいかって話だ。さっき自分で言ってたろ」

「ああ、思い出した。それでそれで?」

「……はあ。ここのビルは大体が鉄骨鉄筋コンクリート構造だ」

「一攫千金コングラッチュレーション?」

「鉄骨鉄筋コンクリート構造だよ。どうやったらそう聞き間違えるんだ。言ってる途中で流石に間違ってると思わないのか?」

 流石に違うと思ってました。てへっ。何て言える訳ないな。

「まあ簡単に言えば、ここには金属が多いって事だ」

「それが何か関係するのか?」

「ああ。大いに関係する。電波妨害されてる今、俺の索敵能力が使えねえ。だがここにある金属を軸にすれば、多少だが探知は出来る」

「なるほど。だから市街地か」

 探知できないよりは、出来たほうが100倍マシだからな。

「それに耐久性も耐火性も高い。相手も派手な動きは出来ないだろ」

「確かに。……それで、大体どのくらいここで待機するんだ?」

「そうだな。……今は9時22分か。とすると、8分後だな」

「8分後だと、1時半くらいか。その時に何かあるのか?」

「は? 1時半? 何言ってんだよお前。8分後は2時半だろ」

「へ?」

 2分で1時間だろ? なら、8を2で割って4、4時間後になる。9時22分に4時間足して13時。13時は午後1時だから、間違ってはないと思うんだけどな。

「リアルタイムの4時間後は1時半だけど、もしかして俺間違ってるか?」

 申し訳なさそうに聞くと、何かに気が付いたようにスウィンが言い直す。

「あ、ああ。あー、いや。俺10分後って言った気がするんだけど、8分って言ってた?」

「おう。8分後って言ってたぞ」

 俺がそう言うと、スウィンは誤魔化すように早口になる。

「いやいやスマンスマン。実はクリミナルスクールってのは、2時半になるとジャスターズから見回りが来るんだよ。生徒が反抗してないかとかチェックするためにな。だから10分くらいここにいて、出ればそいつらに会えると思ってよ。いやーしかし、後10分何するかな。手合わせでもするか?」

「スウィン。もしかして、間違え」

「よし、手合わせだ。やるぞ」

 こいつ、算数できねえタイプのやつだ!

「ってか、え、手合わせ? ちょっと今はきついんだけど」

「知らねえ。強制だ」

「ちょっ、待て、あ! 痛い、痛い痛い。算数出来ない人間に負けちまう!」

「うおおおお! 言いやがったなくそがぁぁぁあ!」

 スウィンは関節技を決めて来る。

 必死の抵抗は虚しく、完全にハマってしまった。

 そう思った。がしかし、急にスウィンの腕から力が抜けて行くのがわかる。

「誰かいる」

「え? なんていっ」

 俺が言い終わる前に、スウィンが俺の視界からいなくなる?

「はえ?」

 ドグォンと凄まじい音を立てて、スウィンがビルに激突する。

 右を見ると、見たこともないような男がこちらに近づいてきていた。

「誰だお前」

 俺は立ち上がりながら言う。

 しかし、返事は返って来るはずもなく、その男は未だに近づいてきている。

 俺は髪を抜いて、いつでも剣にできるように準備する。

 男との距離4メートルというところで、その男が口を開いた。

「名前を聞くなら、そっちから名乗るのが筋じゃないか?」

 男は止まり、ポケットに手を入れて立っている。

 その目は完全に俺らを嘗めきっているのが分かる。事実、実力も上な気がする。

「じゃあ、名前は知らなくていい。お前、キューズの人間だな。何が目的だ」

「質問は1つずつにしろ。ま、答える気はないけどね」

 男が言い終わると、後ろから瓦礫が破壊されるような音がする。

「ってーなー」

 どうやらスウィンは生きていたようだ。

 元々、こんなんで死ぬとは思っていなかったけどな。

「あーあ。じゃあ答えなくていいから質問するわ。なんで急に攻撃するんだ?」

 スウィンが歩いてきて、俺の横に来たくらいに、その男を睨むようにして言う。

 それに対し男は、相変わらず嘗めた態度をとっている。

「答えなくていいなら、俺はこた」

 男が言い終わる前に、スウィンがその男に素早く近づく。

 その速度には、ゴキブリに近いものを感じた。

 うお。という男の呟きと同時に、スウィンの手から電流が放電される。

 後数センチで触れるという刹那、再びスウィンが後ろに吹き飛ぶ。

「うぐぅあ」

 先程よりは飛んでいないが、ダメージはその限りでは無さそうだ。

「ってか、スウィン。闘わないって言ったよな!」

「そんなこと言ってる場合か! 後ろ来てんぞ!」

 後ろ?

 振り向くと、右腕を振り上げた男が、俺めがけて迫ってきていた。

「うわっ」

 驚きのあまり咄嗟に避けたことで、男の拳は逆アッパーのように地面に直撃した。

 その地面は恐らくコンクリートにも関わらず、男の拳の侵入を拒まずに、辺りにヒビを入れながら突き刺さらせていた。

 それだけでも、その男の尋常じゃないパワーは十分理解できた。が、それだけではなかった。

 避けたはずの俺が、拳が地面に直撃すると同時に、後方へ吹き飛ばされていたのだ。

「うぐっ。なんだこの風圧」

 5メートルくらい吹き飛び、そこにはスウィンもいた。

「あ、また会いましたね」

 同じところに吹っ飛び、気まずかったので適当にとぼけた。

「また会いましたねじゃねえよ。ふざけてる場合か」

「すいません」

 しかしそれは怒り混じりに掻き消され、俺たちの視線は男に向けられる。

「チェス。お前はあいつに触れられたか?」

「いいや。触れられてはないけど、ご存知の通り吹き飛ばされた」

「とすると、トレントと同じで空気を操る系か?」

「そうすると、どっちも接近型だから不利じゃないか?」

「いや、俺は遠距離もいける」

「へえ、遠距離もいけたんだ。なんでさっき使わなかったの」

「標準がブレるんだよ。真空ならともかく、空気がある場所は電気が散乱する」

「じゃあ遠距離じゃないじゃん」

「何もしないとそうだが、相手に金属や電気を通しやすい何かがついてれば、話は別だ」

「じゃあアイツに金属つけてばいいのか」

「つけられんのか?」

「無理」

「だよな」

 俺たちがこそこそと話していると、痺れを切らしたのか、その男が大声で聞いていた。

「おい、いつまでくっちゃべってんだ。まさか、怖気付いたとかは言わないよな」

「質問に答える義務はなーい。俺煽るのうまくね?」

 煽り返した後に、スウィンに率直な感想を求める。

「お前バカだろ。アイツの気が変わる前に作戦立てなくちゃいけないってのに」

 馬鹿なスウィンにバカと言われてしまった。

「気が変わるってなんだよ」

「理由はわからんが、今のところあいつは俺らを襲う気は無いらしい」

「なんでそんなことわかんだよ」

「襲う気があるんだったら、今頃俺らは死体としてそこら辺に転がってる」

「俺らが勝てないのは確定なのね」

「俺も認めたくないが、あの一撃でアイツの強さを実感した。ナインハーズほどじゃねえが、かなり強いぞアイツ」

「スウィンですら勝てないとすると……、共闘するしかないってことか」

「そうだな。それしか生き残る道はなさそうだ」

「あーもう、むかついてきた。命令破ってテメェら殺すわ」

 男はムシャクシャしたように、右手で頭を掻きながらこっちへ歩いて来る。

「どうするスウィン。あいつ来たぞ」

「……チェス。俺が合図したら、全力で横に飛べ」

「え?」

「アイツに全力で放電する。多分制御出来ないから、周りにも散乱すると思う。だから全力で飛べ」

「お、おう」

 スウィンの目は真剣で、昨日チープと戦った時のようだった。

 男が1メートル先くらいに来た時に、スウィンが叫ぶ。

「いけ!」

 男の視線が、ガッと俺に向けられる。

 どうやらスウィンがいけ! と言ったことにより、俺が攻撃して来るのだと勘違いしたらしい。

 それにしても、どちらとも取れるこの合図。この短時間で考えたにしたら、スウィンは心理戦に対してかなり強いのかもしれない。

 俺は前屈みになり、ハッタリをかまして横に全力で飛ぶ。

 それと同時にスウィンが両腕を前に出す。

「死ね! ルーチェスタント!」

 スウィンが叫ぶと、目も眩むほどの電流が飛び散る。

 ルーチェスタント? もしかしてこいつ、自分の技に名前つけてんの?

 痛いわーと思ったが、次の瞬間には、それはどうでもよくなっていた。

 明らかに手加減をしていないスウィンの攻撃に対し、その男は未だにポケットに手を入れていた。

 傍から見たら何もしていないが、どうやらそうではないらしい。

 なにせ、スウィンの電流が1つも当たっていないのだから。

「あぶねーな。もう少しで当たるとことだったわ」

 こいつ、只者じゃない。

 心の底からそう感じた。

 

 

 

 

 



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届かぬ打撃

 スウィンが放った電流は、樹形図のように枝分かれして周りに散乱していた。

 その男のところ以外は。

「おかしいな。なんで当たらないんだ。思うことは色々あるだろう。だが、思うだけ無駄だと思うぞ」

 スウィンを助けなければ。

 俺の体は自然と男に標的を定めていた。

 コンクリートがえぐれる程に力を込めて踏み出す。

「ところで」

 男の一言で俺の足は止まった。

 何かが違う。ハッキリとは分からないが、先程のやつとは明らかにオーラが違う。

「これ、なんだと思う」

 男は右下に視線を向ける。

 俺も促されて見ると、男の右手がポケットから出ていた。

 その拳はいやに力が入っている。

 何か、見えないゴムの壁にめり込ませているような。

「俺の能力に関係あるんだけど。答え合わせしようか」

 その時、男から凄まじい殺気を感じた。

「スウィン! 後ろに飛べ!」

 俺の掛け声とほぼ同時に、既に殺気を感じていたスウィンは、後方へと飛んでいた。

 男の右手が振り切った瞬間。辺りに弾け飛ぶような破裂音が放たれた。

 その音は鼓膜にダメージを与えずとも、身動きが取れなくなるには十分だった。

 そして同時に、男を中心として見えない壁が円形に広がる。

「ぐうぁっ」

「くっ」

 俺もスウィンもその正体不明の壁に襲われる。

 肌で感じたそれは、衝撃波だった。

 男の攻撃を避けても尚、襲いかかってきた風圧。

 その正体が今ハッキリとした。

 スウィンは後方に飛んだのが幸いし、重傷は免れたようだ。

 それに対し俺は、全身の強度を上げたことにより、ほぼ無傷で立っていた。

 一連を終えて男が口を開く。

「おかしいな。なんでお前はダメージがない。俺の能力を食らって、かすり傷1つ付かない奴は初めてだ」

 俺をギロッと見つめる男は、先程の奴とは違い、目の前の動くものを停止させる。その意思が感じられた。

 俺は自分を奮い立たせる意味も込めて返答する。

「さっきと打って変わって、随分とお喋りになったじゃねえか。この後予防注射でも控えてんのか? 時間稼ぎなら受けねえぜ」

「時間稼ぎしたいのはそっちの方だろ。それとも何か? それこそ、駄々こねた子供みてえに長生きしたいってか」

 ったく、言い返されちまったらこっちの立つ瀬がねえぜ。

「仕事と殺しは別なんだよ。殺ると言ったら殺る。それが俺だ」

「それにしたら、今のところ殺すとは一言も言ってないけどな」

「そうだっけか。なら言ってやるよ。ころ」

 突然左端から飛び出してきた、スウィンの右ストレートが男の顔面を砕く。

 その拳は電気を帯びており、恐らくは脳にもダメージを与えているだろう。

 男は吹っ飛び、スウィンも同時に倒れ込む。

「スウィン! 大丈夫か」

「ふっ。時間稼ぎうまいなチェス」

 位置は下でも目線は上のスウィンな様だ。

「それより、男の息は」

 スウィンが男の生死を確認する様に促す。

 俺が男の方へ視線を向けると、既に立ち上がっていた。

「痛ってー。ってか、今の衝撃で思い出したけど。俺さっき、お前らのこと殺すって言ってたよな?」

 そうだっけ? と、記憶を巡らせるのもいいが、今はそんな余裕はない。

 俺はスウィンに視線を戻し、現状を伝える。

「スウィン、起きろ。あいつピンピンしてるぞ」

「マジかよ。完全に脳みそ溶かしたと思ってたんだがな」

 スウィンが立ち上がるより先に、男は俺との距離を詰めていた。

 物音1つせず、人はこんなにも近くに詰め寄る事が可能なのだろうか。

 まずい。そう思った時には、既に遅かった。

 男は俺に向かって、思い切り右フックを繰り出す。

 咄嗟にガードをするため、クロスさせた腕にかかる負荷。

 それと同時に襲いかかる衝撃波。

 俺は新幹線並みの速さでビルへと激突する。

「くがぁっ」

 生まれて初めての激痛が、胸部へと走る。

 どうやら肋骨と左肩をやられた様だ。

「あーあ。これはかわいそうだな。それじゃ死ぬにも死にきれないだろ」

「へっ、だな。俺は老衰する予定だからな」

「口の減らねえ餓鬼だな。まっ、殺し甲斐があるって話かな」

 男の足元には、未だ起き上がれずにいるスウィンの姿がある。

 このままだと、俺より先にスウィンがくたばってしまう。

「ところで」

 俺は男の集中を向ける為に、敢えて能力を発動しながら立ち上がる。

「俺の能力はこんな風に物質の形状を変えるんだが、お前はどんなのだ」

 俺はビルの破片を1つ手に取り、簡単な長い棒を作る。

 もちろんアンサーなんて求めてはいない。

 能力が知れたらそれこそいいのだが、今はスウィンの体力回復を待つことしか出来ない。

「ふっ、やっぱ餓鬼だな。馬鹿で世間知らずで計画性もなくて目の前のことに夢中で、そして、底が知れねえ。お前、その歳でハッタリかます気か。やめとけ。嘘が見抜かれた時ほど、真実なことはねえ」

「……なんで、ハッタリって思うんだよ」

 こいつといいチープといい、一部の能力者ってのは、他の能力者の能力が分かんのかよ。

「その答えは要らないだろ。俺も知ってて、お前も知ってる。それで十分だ。そして、お前が死ねば全て良しだ」

 どうやら俺が生存するルートは確保されていないらしい。

 もう少し生きたかったんだけどな。

 ったく、こんなところに入れやがって、ナインハーズ。

 ピンチの時くらい助けにきてくれよ。

「……開き直ったか。そういうのは嫌いじゃない。じゃあ、楽に逝け」

 再び男が一瞬で距離を詰め、顔面目掛けて拳を打ち放つ。

 もしこの男が、俺が本当に諦めたと思ってるなら。

 男の拳と俺の顔の距離、およそコンマ数ミリ。

 俺の勝ちだ。

「お前がな」

 俺は能力を解除する。

 すると、コンクリートで作った棒が、瞬時に元の破片と戻る。

 当然、今まで伸びていた部分は縮み、それを掴んでいた俺も縮む勢いに釣られ、一瞬で屈む様な体勢になる。

 拳の軌道からはずれ、すぐさま右足を前に出し、次の攻撃の姿勢へと移る。

 男は思い切りの攻撃で大振りとなり、体勢が崩れている。

 狙うは腹。

「さっきのお礼はまだだったな!」

 俺は腰を捻り、男の腹に思い切り左ストレートを打ち込む。

 そして、能力で男を脆くすることにより、ダメージをより深刻なものとさせる。

「ぎぐぅあ」

 男の腹はえぐれ、内臓が飛び出す。

 はずだった。

「……痛っっったー。警戒はしてたけど、これ程とは思わなかった。正直効いたぜ」

 この男、マジかよ。

 男の腹はえぐれるどころか、少し皮膚がひび割れた程度で済んでいる。

 いくら肩がやられていたとは言え、能力を駆使して全力で打ってもこのダメージ。

 格が違う。修羅場を潜ってきた数が違う。圧倒的に次元が違う。

「で? これで終わりなわけ?」

 男は俺の拳を自分の腹に押し付ける。

 引こうにも引けず、押そうにも押せず。完全に拳を捕らえられてしまった。

 ぐぐぐと、男の力が強くなる。

「ゔっ」

 その度に俺の拳は腹へと押し込まれ、男の鍛え抜かれた腹筋に押し潰されそうになる。

 すると、男の後ろから1つの影が出飛び出す。

「俺のこと忘れんな」

 スウィンだ!

 恐らく男が俺に集中し、油断している隙を狙った奇襲!

 流石はスウィンだ。死角でない俺ですら気が付かなかった。

「……忘れるほど、お前は弱くはないだろ」

 しかしその奇襲は、男にとって造作もないことだった。

 男は素早く俺の手を離し、振り向く。

 後ろ姿なので分からないが、恐らくスウィンと眼があったのだろう。

 それも凄い殺意を込めたやつを。

 全て、スウィンの顔が物語っている。

「そういえば、お前ら俺の能力知りたがってたな。俺の能力は……これだよ」

 そういうと、男の周りから再び衝撃波が発生する。

 俺たちは対角に吹き飛ばされた。

 ほぼゼロ距離での能力発動。突然迫り来る見えない壁。

 ここで俺とスウィンの考えていることが一致したのを感じた。

「「こいつの能力は、衝撃波だ」」

 発動時間などを考えて、恐らくは発動系だろうと結論付くには、さして時間が掛からなかった。

 しかし、相手の能力が分かったからと言って、別に俺らが強くなるわけでもない。

 弱いなりに対策を打つしかない訳だ。

 だが、こちらにはとっておきの秘策がある。

 だろ? スウィン。

『さっきから独り言が激しいなお前は。楽しみすぎだ。少しは相手を殺ろうとする意思を見せろ』

 すまんすまん。初めてだから少しね。

『まあ、それはいいが。あの男。……呼びずらいから、次からポケットマンにするか』

 え……お、おう。スウィン薄々思ってたけど、ネーミングセンス無いな。

『あ? 俺はネーミングセンスとか戦闘センスとか戦略センスとかの塊だろ。お前の感性がおかしいからって、いちいちイチャモンつけんな』

 はいはい。すいませんね。で、そのポケマンがどうしたって。

『ああ。ポケットマンの能力は恐らく衝撃波。これは異論ないな』

 だな。それ以外は考えられないって位、今までが一致してる。

『それでだ。ポケットマンはゼロ距離でも衝撃波を放つことができ、尚且つ遠距離攻撃も出来る』

 勝ち目がねえって話だ。

『いいや、そうとも限らねえ』

 何か対策が思い付いたのか?

『ああ。あいつの能力が衝撃波なら、地中には影響が弱いはずだ。もしお前が、地中に電線の代わりになるものを張り巡らせれるなら、あいつに直に電流を打ち込むことが出来る』

 電線の代わりって、金属ならなんでもいいのか?

『出来れば銀とか銅があればいいんだがな。生憎ここには鋼と鉄くらいしかねえ。十分とは言えないが、致命傷くらいならいける』

 俺は地中に電線を張り巡らせた事はないから、大雑把になると思うけど、それも視野に入れてるのか?

『ある程度雑でもこっちでカバー出来る。2メートルくらいの幅なら余裕だ』

 分かった。だが、これは作戦というより対策だ。時間稼ぎはスウィン1人でやるつもりか。

『そういう事になるな。持って1分だ。その間になんとかしてくれ』

 ……危険と思ったら作戦変更だぞ。

『あいよ』

 スウィンの言葉を最後に、俺たちはポケマンいう者に視線を戻す。

 俺たちが話している時間は、そこまで長くなかったと言えるだろう。

 それこそ、睡眠など以ての外だ。

 なのに何故、このポケマンとやらは寝ているんだ。

 なあ、スウィン。

『ああ、寝てるな。完全に』

 どうやらポケマンは、馬鹿なのか考えていることが分からないのか、目の前に敵がいるというのにぐっすりと眠っている。

 チャンスか?

『どう見ても罠だろ』

 だけど今なら

『駄目だ。今地中に電線なんて張り巡らせたら、一瞬でバレる。何故か分からんが、今のポケットマンには蟻1匹の足音さえ、欠伸をした後のホラガイ並みに聞こえるんじゃないかって思う。そんなオーラが今のポケットマンにはある』

 どんな状況だよ。ってか、なんでそんな事分かるんだよ。

『勘だ。だがハッキリとしたやつだ』

 勘って。それでチャンスを無駄にするのは勿体無いと思うけどな。

『いいや、考えようによったら好都合だ』

 そりゃ寝てれば攻撃し放題だからな。

『そういう事じゃない。俺たちの目的は待機だ。このまま寝てれば直に10分が経つ。そうすれば増援がきて、キューズもこのポケットマンも下手に動けなくなる』

 なるほど。そういう考えもあるのか。

『ああ。だから今は何もしない。それが得策だ』

 腑に落ちないが、スウィンの言う事も一理あるだろう。

 今まで奇襲や騙し討ちをした結果、成功した覚えがないからな。

 それに、言われてみれば隙がない気もしない。

 ……だが、だからといって何もしないのはつまらない。

 俺はスウィンには内緒で少しだけ地面を脆くし、人差し指を差し込む。

 そこから爪を伸ばし、ポケマンに向かわせる。

 今のところは気付かれている様子はない。

 やはりスウィンの勘違いでは?

 だがそうだとしても、寝る理由が見当たらない。

 俺は爪を伸ばし続け、恐らくポケマンの真下あたりで止めた。

 今ならいける。

 そう思い、一気に爪を上に方向転換させる。

 爪は見事にポケマンの太ももを貫通し、奇襲は成功した。

 ……不思議なことに、爪が太ももに貫通したというのに、ポケマンは何もアクションを起こさない。

 本当に寝てるのか?

 俺は好奇心から、爪を心臓の方へと向け進める。

 おかしいと気がついたのは、爪がポケマンの胸部辺りの皮膚に触れた時だった。

 鼓動がない。

 爪から伝わってくる振動には、ポケマンの心臓の鼓動らしきものは存在しなかった。

 寝ているんじゃなくて、死んでいるのか?

 だとしたら誰が。この数秒でこれほどの手練を始末できるというのか。

 俺の憶測が儘ならないまま、その悩みは終わりを迎える事となった。

「惜しかったね」

 恐らくは死んでいるはずのポケマンが口を開いたのだ。

 完全に心臓が止まっていたはずなのに、平然としている。

 再び爪からの振動を確認すると、ポケマンの鼓動は元に戻っていた。

「お前があともう少し決断力のある者だったら、もう1人がもう少し柔軟だったら。俺を殺すことが出来たかもしれないのにな」

 罠か!

 俺は胸部に触れていた爪を、思いっきり突き刺そうとした。

 しかしポケマンの言う通り、俺の決断は遅かった。

 この時初めて、俺に対しスウィンが『逃げろ』と信号を送っていることに気が付いた。

 そして、ポケマンの殺気にも。

 いきなりの出来事に、逃げると言うよりは防御の態勢を取るしか無かった。

 というよりは、本能的な行動に近かったのかもしれない。

「サーグル」

 ポケマンの声の後、今度は心臓部辺りからハッキリと白い壁が円形に広がる。

 まるでソニックブームかのような、爆音とともに発生したその衝撃波は、今までの比でないことは明らかだった。

 既に防御していた俺は、その場を動けるはずもなくそれを諸に食らうこととなってしまった。

 衝撃波が毛1本程に触れた時、俺は死を感じた。

 全身を打撃されながら、後方へと押し飛ばされる。

 俺は受け身も取れない儘、路上へ叩きつけられた。

 ビルは崩れ、コンクリートは凹み、無事なガラスなど存在しなかった。

 不思議なことに、この騒がしい出来事の後に訪れたのは、沈黙だった。

 俺らもポケマンも例外ではなく、崩れ落ちる瓦礫さえ気を遣っているように感じた。

「ぅゔ」

 沈黙を裂いたのは、俺の吐息ともいえる呻き声だった。

 どうやら、首の皮一枚で生き残れたようだ。

 しかし、この大災害の後を連想させるような荒れ果て様。これが人1人の成したこととは信じ難いものがあった。

 能力者という者は、ここまで化けるものなのか。

 俺の心からは好奇心は消え失せ、今は生き残ることだけを考えていた。

「やっぱりさ」

 誰に話しかけるでもなく、ポケマンが口を開く。

「瞬殺って詰まらないな。2対1で途中、お前らがある程度強いって気付いた時に、少し期待したんだけどな。やっぱりとしか言いようがない。所詮は餓鬼だな」

 こいつ、今まで手加減してたって言うのかよ。なのに俺らは傷1つもつけられなかったって……。

 再び俺は自分の未熟さを痛感した。

 それより、今の衝撃でスウィンが無事なのかが心配だ。

 俺は少しではあるが、こいつの能力に対しての耐性があったから、かろうじて生きてるが、ほぼ生身のスウィンは死んでいてもおかしくはない。

 現に今、俺の足には感覚がない。他にも左右の腕、右目、鼓膜や内臓の損傷。内部外部合わせて数え切れない程の出血。

 既に蟻1匹にすら苦戦する程になっていた。

 俺は目を凝らしてスウィンの方を見る。

 ぼやけてハッキリとは見えないが、俺と同じく地面に突っ伏している。と思われる。

 生死の真偽はおろかそれが瓦礫なのかスウィンなのか、俺が判断するには材料が少なすぎた。

 何かが俺に近づいてくる様に足音がする。

 そちらに視線を移すと、そこにはポケマンが立っていた。

「お前はいつになったら死ぬんだ。ここまで来ると感心するぞ」

 ポケマンは呆れた様に見下してくる。

 俺は最後の力を振り絞り、反抗しようとする。

 しかしそれは叶わず、俺の口から出たのはただの空気だった。

「悪態をつこうにも、その傷じゃ声も出せないか。ぷっ。その方がいいんじゃないか? お前よく見れば顔は悪くないしな。黙ってればモテるぞ」

 ポケマンは笑いながら、俺の頭を踏みつける。

 それに抗うことも出来ず、俺は黙って踏まれていた。

 すっ。と、突然ポケマンの目から光が消えた。

 それと共に笑顔も俺を踏みつけていた足も退け、迷いもなく入り口方向へと視線を向ける。

 俺は首を動かす体力もなく、音を聞くのが精一杯だった。

 コツ、コツと、まるでビジネスシューズを履いた様な足音が、こちらへと近づいてくる。

 こちらと言うよりは、ポケマンに向かって歩いている様だった。

 ポケマンの表情はなんというか、完全に殺意とか敵意とかを抜いてある、驚きの一点だった。

「お前、生徒じゃないな」

 生徒じゃない。ポケマンのこの言葉が、俺の絶望を希望へと変えた。

 もしかして、ナインハーズが助けに来てくれたのか。

 助かる。スウィンも俺も、いやスウィンは分からないが。

 とりあえず、心の中の不安や恐怖心が消え去ったのは事実だった。

 ポケマンはすぐに殺意をその人物に向け、俺のことをすっかりと忘れた様に、前方以外は隙だらけだった。

 足音はペースを変えずに近づいてくる。

 そいつが、ポケマンのおよそ1メートルくらいの場所で止まったのを、足音が止まったことで理解した。

「お前、生徒じゃないな」

 ポケマンは先程より殺意を持って詰問する。

 しかし、答えはない。

 俺の目にはポケマンしか映っておらず、ポケマンが見ているのがどんな容姿をしているのだとか、身長だとかは分からない。

 突然、ポケマンが拳を繰り出した。

 がしかし、その拳はいとも簡単に止められ、ポケマンの顔に右手が添えられる。

 その瞬間、ポケマンの顔が弾け飛ぶ。

 突然のことに俺は全身の痛みを忘れ、呆然としていた。

「大丈夫か」

 聞いたこともない声が俺の耳に入り込む。

 恐らく両手であろう物が俺の背中に触れる。

 俺も殺される? 一瞬そう思ったが、どうやらそうではないらしい。

 その両手から何かが流れてくるのを感じる。

 途端、全身に力が漲るのを感じた。今までの激痛が嘘の様に収まり、足の感覚も戻ってきた。

 助かった。今の状況を一言で表すならそれしか無かった。

 ありがとうございますと、立ち上がりその人物の方へ向く。

「誰?」

 そこには全く知らない男がにっこりと笑って立っていた。

「自己紹介まだだったね。私の名前はロール・マナカス。ここで教員をしている者だ」

 ロール・マナカスと名乗る者は、俺に握手を求めてきた。

 いやマジ誰?



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保健室にて

 差し伸べられた手に躊躇いつつ、握手を交わす。

 俺の目の前に立っている男は名乗った通り教員の様だが、なんでこんなにニコニコしているんだ。

「どうしたんだい。私の顔に何かついてるかい」

 ロールと名乗った男は、今さっき人を殺したにも関わらず、平然と笑顔を保っていた。

「いえ、なんでもないです」

 俺は男の笑顔に少し怖気付いてしまった。

 それはさておき今の闘い、瞬殺だったな。

 俺とスウィンがあれだけ手こずった相手をいとも簡単に。

 ……ってか、スウィンは!?

「そうだ先生! スウィンが、スウィンが死にそうなんです」

 俺はスウィンを指差してロールに助けを求める。

「スウィン? ああ、あの問題児君かい。そういえば、あの子もいたんだっけな」

 ロールはゆったりとした口調で答える。

 まるで終わりの1つ1つに小さな母音が付いているように。

 俺はそれに少しムカついたが、スウィンの生死に関わることなので怒りをグッと堪える。

「早くしないとスウィンが死んでしまいます」

 俺は催促する様にロールをスウィンのところへ連れて行く。

 スウィンはうつ伏せのまま動く気配もなく、ただの物質の如くそこに存在していた。

 辺りには血が飛び散っており、かなりの出血をしているのが一目で理解できた。

「……マジかよ。スウィン、起きろって。おい。スウィン!」

 俺はスウィンを起き上がらせて、自分に体重を預けさせる。

 スウィンから感じた体温は、壊死した部位の様に冷たく、およそ生きている人間の温かさではなかった。

「これはかなり危険な状態だね」

 ロールはスウィンの脈を確認しながら言う。

 そんなの誰でも見れば分かるわ。

 助けて貰いながら失礼だが、そんなことを思ってしまった。

「ロール先生ならさっき俺にしたみたいに、どうにか出来るんじゃないんですか」

 先程の何かが流れてくる様な感覚。

 何かは想像できないが、生命に影響があるのは間違いないだろう。

 そうでなければ今頃、俺はここで人生のエンドロールを迎える事になってたからな。

 俺が提案すると、ロールは難しいという表情をする。

「やるだけやってみるけど、助かるかは分からないよ」

 そう言い、恐らく俺にした事と同様に両手をスウィンに当てる。

 俺の時とは違い、スウィンの傷口はすぐには塞がらず、出血も収まらない。

 ロールという人物の能力は、てっきり治癒系かと思っていたが、この様子だとどうやら違うらしい。

 もし治癒系なら、スウィンの傷も出血もすぐに収まるはずだ。

 なにせあのポケマンを一瞬で葬り去った事実がある以上、戦闘向きの能力でないと説明がつかない。

 ナインハーズも特殊だったが、このロールという人物。恐らく只者ではないだろう。

 もしかすると、実力はナインハーズ以上かもしれない。

 治療(仮)をしている間何もすることがないので、先程から頭の隅で気になっていたことを聞くことにした。

「ロール先生は、なんで俺たちのことを見つけられたんですか?」

 いくら敷地内とはいえ、この広大な面積を誇るクリミナルスクールで、俺たち2人だけを見つけることは至難の技だろう。

 ロールは少し躊躇いながらも口を開いた。

「もう知っているかもしれないが、ここクリミナルスクールは侵撃された。それも長年の因縁がある相手にな」

 その口調は先程のおっとりとしたナマケモノの様ではなく、何か怒りを感じさせるものがあった。

「それって、キューズですよね」

「もう耳には入っていたか。君のいう通り、キューズという組織に侵撃されたんだ。今までに事例が無かった訳ではないが、ここまで大規模なのは今回が初めてだ」

 言い方から察するに、事例と言っても数十年前だったり、侵入されはしたが大事には至らなかったりと、明らかに今回の様には深刻ではなかったのだろう。

 だがなぜいきなりこのタイミングで。

 偶然とはいえ俺が入学して次の日と。別のタイミングでもいい話を。

 ここに繋がりがあるのか分からないが、何か感じるところがある。

「幸い死者は出ていない。だが、重傷者が少ない訳でもない。とても無害と言える状況ではないんだ」

 スウィンの様な重傷者が他にも。

 考えてみれば当たり前だ。

 スウィンはスクールの生徒の中でもかなり強い方だ。だから先生たちにも名が知れてるし、授業をサボっても何も口を出せないのだろう。

「それで、ある程度生徒の安否を確認してから、唯一居なかったのが君たちだ。あとは探索系の能力の先生に手伝って貰って、ここに来たということだ」

 探索系の能力。そういえばスウィンも似た様なことしてたな。

 外の時間と中の時間の進みが違う中、この短時間で見つけられるのは、流石教師と言えるのだろう。

 もしあと少し時間の流れを早くしていたら。そう思うと背筋に寒気が走る。

 ふとスウィンを見ると徐々に傷口が塞がり始めており、既に止血は完了していた。

「よし、これくらいでいいかな」

 傷口が完全に塞がった頃、ロールが両手を離す。

「スウィンはもう大丈夫なんですか」

「気は抜けないよ。このままだと直に息絶えてしまう。今から保健室に運ぶから、そこら辺の瓦礫を端に寄せておいてくれるかな」

 既に口調は元に戻っていた。

 俺は、はい。と返事をし、人が歩ける程度に瓦礫をどかす。

 ひとまずスウィンが死ぬ事がないと安心し、体から力が抜ける。

「おお。大丈夫かい。いくら回復したとはいっても、血が復活した訳じゃないからね。無理はしないほうがいいよ」

 どうやら少しバランスを崩してしまったようだ。

 ギリギリの所でロールに抱えられ、地面への直撃は免れたが。

 そういえばさっきから頭がぼーっとしていた気がする。

「すい……ません」

 その言葉を最後に、俺の記憶は途絶えた。

 

 目が覚めるとそこは案の定保健室で、俺はベッドに仰向けになっていた。

 既に輸血が終わっているのか、起き上がるのに疲れは伴わなかった。

 寝室はカーテンで仕切られており、他の生徒がいる気配はしない。

 恐らく俺がどん尻なのだろう。

 どうせならこのまま少し寝るのも悪くないと思い、再び寝転ぶ。

 すると、ガラガラと扉の開く音がした。

 足音がこちらへやってくる。もしやナインハーズか?

 しかし、その予想は大いに外れた。

「あら。もう起きてたの」

 そこにいたのは可愛らしい女学生と思わしき人物だった。

 少し大人びている様に感じたが、歳は俺と同じか少し上だろう。

 でも、なんで先生じゃなく生徒が?

 寝たまま答えるのも失礼なので、再び起き上がらなければいけなかった。

「もしかして、貴方が看病してくれたんですか?」

「貴方だなんて堅苦しいわね。ヒスちゃんでいいのよ。ヒスちゃんで」

 その子はきゃぴるんとした感じで答える。

 その仕草に不覚にも可愛いと思ってしまった。

「……じゃあヒスちゃんって呼ばせて貰います」

 なんか、いいな。ヒスちゃん。

「やめとけストリート。その人をちゃん付けするのは」

 俺の心を読んだかの如く、扉の方から声がする。

 ストリートと呼ぶ辺り今度こそナインハーズだろう。

「なんで駄目なんだ。ヒスちゃんがそう言ってるからいいじゃないか」

 ナインハーズの顔を見る前に反論する。

 ってか、こんな可愛い子がいるなら紹介してくれよな。

「アルさんもからかわないであげてくださいよ。こいつすぐ調子乗ってしまうので」

 カーテンからナインハーズが顔を出す。

 アルさん? そして敬語なところも気になるな。ナインハーズは歳下に敬語を使う奴ではないとは思うんだが。

「あら、駄目だったかしら。この子、以外とタイプだったからついね」

「え、奇遇ですね。俺もドストライクですよ。なんなら今から付き合っちゃいます?」

 ふふふとヒスが笑い、マジかよみたいな顔でナインハーズが見てくる。

 さっきからナインハーズの様子がおかしい気がする。

「どうしたんだナインハーズ。いつもの調子じゃないぞ」

「いや、まあね。アルさんはやめといたほうがいいぞ。この人は俺が赤ん坊の時から教員やってるから」

「へ?」

 思わず間の抜けた声が出てしまった。

 ナインハーズの歳は分からんが、決して若くないのは容姿で推測できる。

 それが赤ん坊の頃からだと……。

 もう1度ヒスの方を見る。

 やはりどこからどう見ても10代後半か、いって20代前半。

 およそババアと呼ぶには程遠い。かの様に見える。

「そんなに見られると恥ずかしいわ。それよりさっきの話、本気にしちゃってもいいのかしら?」

俺が観察していたのに気が付いたのか、ヒスが恥ずかしがりながら話しかけてくる。

 いやちょっと待て。これがババア?

 信じられん。これも能力の一環だと言うのか。

「どうなのよ。そこのところ」

 誘惑する様にして俺のベッドへ腰を掛ける。

 ひぃ。と声を出してしまい、少し、いや大分距離を取る。

「なによ、失礼じゃない。ほら、今夜はホットなナイトを過ごしましょう」

 ヒスは俺との距離を詰め、抱きつく様にしてガッチリと俺を拘束する。

 俺はナインハーズに助けを求めるべく、そちらを向く。

 しかしナインハーズはさっきと打って変わって面白がっていた。

 くそこの野郎ナインハーズ・ライムネスめ。

 お前はいつも俺に憎まれる事しかしないよな。そして毎回の様にこれを晴らすことが出来ない。

 抱きつかれることにより、いい匂いとババアという事実が合わさって頭がおかしくなりそうだ。

「ほら。ちゅー」

 まさかのキスを迫ってきた。

 これがババアじゃなければ最高なシチュなのにな。

「ああ。これきつ」

 段々と意識が遠のいていくのが分かる。

 俺は本日2度目の気絶をすることとなった。



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迷いの少女

 目が覚めるとそこは……デジャブ?

 既に日は暮れており、保健室の電気は消えていた。

「ええと、電気電気」

 壁を伝いながらスイッチを探す。

 少し探したところで出っ張りを見つけ、それを押す。

 すると眩しい光が目を襲う。

 景色が暗くなり、目を開けることができない。

 数秒して、そろそろ慣れただろうと目を開ける。

 その先に見えたものは、立ったまま不動の『人』だった。

「うわぁっぷ」

 俺は腰が抜けるとはいかなかったが、2歩3歩後ずさりはした。

 その人は俺が叫んだことにより、こちらへと目を向ける。

 起きてたのかお前。ってか怖いわ。なんで暗闇の中で立ってるんだよ。

「すまん驚かせた。ラムネ先輩に見張りを頼まれたんだけど、暗闇はどうも落ち着いちゃってね」

 その男は目を擦りながら事情を説明する。

 それはそうとして、次から次へと人が出て来てとても覚えられない。

 どうせこの人も自己紹介して握手を求めて来るんだろうな。

 男の方を見ると、立ったまま寝ていた。

「名乗らないのかい!」

 思わずつっこんでしまった。もう灯ついてますよ?

 まあ、よく考えたら道ゆく人に片っ端から名刺渡すのって普通じゃないもんな。

 名乗るなら俺からってのが筋か。

「さっきは大声出してすまん。俺の名前はチェイサー・ストリートだ。そっちは?」

「ん、ああ。俺はヘブン・ツェルンっていうんだ。よろしく」

 そう言うとまた目を閉じる。

 もう、ぐっすり寝てください。

 踵を返し、扉に手をかけ横にスライドさせる。

 廊下は真っ暗で、灯は保健室の光のみだった。

 後ろからの光により自然と自分の影が差す。そこには不思議と2つの影があった。

 驚いて後ろを向くと、そこにはカタカタと音を立てた人形が立っていた。

 人に似てるが明らかにおかしな首の動きと、肌に体温を全く感じない見た目から人形と結論づいた。というより、カタカタって音が決め手だった。

 人はあまりの予想外の出来事だと声が出ないらしい。

 俺が硬直していると、人形の後ろからヘブンの声がする。

「そうかチェスが起きたから、もう解除していいんだったな」

 その直後、俺の目の前の人形がヘブンに取り込まれる様にして消える。

「へ、ヘブンの能力だったのか。ビックリさせんなよ」

 俺の見張りって人形がしてたのか。結局この人寝てただけじゃん。

 ヘブンは腕を組み、こちらを見ている。

「なんだよ」

「いや、ラムネ先輩の言う通りチェスはタメ口なんだと思ってな」

 少し面白がって話すヘブンの姿を見て、俺のタメ口リストに新しくヘブンが追加された。

 というか、さっきから気になっていたラムネ先輩っていうのは、もしかしてナインハーズのことか。

 ライムネスだからラムネなのか? 今度呼んでやろう。

「ヘブンは教師になってあんま経ってないのか?」

 先輩がいるからという安易な理由でヘブンに尋ねる。

「まあ、そうだな。今年で9年目になるな。いや、10年目か? ……8年?」

 答え方からして、あんまり自分の職業に興味ないんだろうなと感じる。

 教師ってそういうものなのかな。

「あ、それと。なんで俺のあだ名がチェスって知ってるんだ」

 俺は付け加えて言う。

 チェスって呼ぶのはトレントとチープとプラスαだけなのに。

 トレントみたいにって事はないだろうしな。

「ああそれは、問題児君たちが呼んでたからだ。様子見に来てくれてたんだぞ。後でちゃんとお礼言っときな」

 俺の頭に手を乗せて続ける。

「それと、無事でよかった。ロールさんも褒めてたぞ。よく生きててくれた」

 わしゃわしゃと俺の髪を乱してくる。しかし、不思議と悪い気はしない。

 今まで感じたことのない感情が込み上げて来る。

「やめろって。髪乱れんだろ」

 少し乱暴にヘブンの手を退ける。

 ヘブンは何も言わないが、生意気な餓鬼とでも思っているのだろうか。

 そのまま踵を返し、保健室を後にしようとする。

「なあ」

 ヘブンに呼び止められ、足を止める。

「なんだよ」

 俺は振り返らずに答える。

「……いや、なんでもない。今日はゆっくり休みな」

「……ん」

 およそ返事と言えない返事をし、扉を閉め廊下に出る。

 気分転換にと、涼しげな廊下を目指すところもなく歩きだす。

 今日は色々あったな。と言うよりはここに入ってからがドタバタし過ぎてるんだな。

 毎日こんな調子なら疲れるが、たまにはこういうのもいいかもしれない。

 殺されかけたのはあれだけど、これはこれで貴重な体験として心にしまっておこう。

 あ、そういえばヘブンにスウィンのこと聞くの忘れたな。

 あいつは無事なのかは気になるが。まあ、スウィンのことだから死んではないだろうな。

 今日までのことを振り返ると、随分と濃い1日だったとまた実感する。

 ナインハーズに勧められ推薦枠で入って来てからハンズら問題児と出会い、急な闘いのせいで寝坊してキューズとスクールの争いに巻き込まれて、化け猫ババアに気絶させられて。

 そして今に至る。

 らしくもなく、そんな1日を楽しいと感じてしまう自分がいた。

 もし最初のあの時ナインハーズの誘いを断っていたら、また別の人生が待っていたのだろう。

 それも気になるところだが、過去の事ばかり気にしていたら前には進めない。

 今は今を生きていこう。

「はぁ」

 俺は自分の手に息を吹きかける。少し肌寒くなって来たな。手も悴んできたし、そろそろ部屋に戻るか。

 俺はここで、あることに気が付いた。

『ここどこですか?』

 少し散歩しようと歩き出したが、肝心な帰り道を覚えていない。

 しかも、保健室から自分の部屋も分かるはずもないので完全に詰んでいる。

「こりゃヘビーだな」

 ここから闇雲に歩いても仕方がない。

 一旦部屋に帰る事は諦めて、朝になったら誰かに部屋の場所を聞くか。

 そうだとしても、今夜は寒くてとても廊下で眠る事は出来ない。

 どこか空いている教室はないだろうか。

 辺りを見渡すが電気が点いている教室はあるはずもなく、もちろん鍵も閉まっているだろう。

 ここまで来て俺の最後は凍死かよ。そんなことを思った矢先だった。

 どこかで誰かの声がする。

 警備員か? しかし、それらしき光も見えない。

 音の方に少し進むと、扉の隙間から光が溢れている場所があった。

「こほごほ」

 声の正体は見知らぬ誰かの咳だった。

 その咳は、回数を増すごとに濁点が増えていく様に感じた。

 どうしたのかと思い、俺は扉を開ける。

 扉の先にはベッドから体を起こした、見るからに病弱そうな少女がいた。

 肌が白いということもあり、勝手にそう見えてしまったのかもしれない。

 中は暖房が効いているのか暖かく、なにか気分が落ち着く様に感じた。

 扉の開ける音に気が付いたのか、彼女はこちらへと視線を向ける。

 一瞬目を大きくしてから、すぐに顔を緩め俺に手招きしてくる。

 俺はそれに従い近づく。

 近くで見ると、彼女がより一層弱々しく見えた。

「突然の来客にビックリしちゃった。もしかして迷っちゃったの?」

「そうなんだよ。どうにも道が覚えられなくて」

 ふふふと彼女は笑う。その笑顔はとても可愛らしく、しかしどこか儚さを感じさせる。

「ここは広いからね。君が覚えられないのも仕方がないと思うよ」

「そうだよな。いきなり知らない場所から部屋に戻れって言われても、そんなの無理ゲーだよな」

「確かに。そうだ。せっかく迷い込んだんだから、少し話でもしない?」

 少女はベッドの横の椅子に腰掛ける様に促す。

 俺も迷い込んだついでにと、彼女の方を向く様にして座る。

「そういえば、さっき咳が聞こえたけど大丈夫か?」

「うん。僕、生まれつき体が弱いんだ」

「そりゃ大変だな。寝たきりってのも辛いだろ」

「まあね。でも、いつでも寝れるから一石二鳥だよ」

「どこがだよっ」

 初対面に関わらず不思議と気が合い、会話が弾む。

 まるで久し振りに再開した旧友の様に。

「そうだ、まだ君の名前聞いてなかったね」

「そういえばだな。俺はチェイサー・ストリート。そっちは?」

「僕はミラエラ・モンド。チェイサーって、もしかして君が噂チェスかい?」

「チェスってのは俺のあだ名だけど、噂のチェスってなんだ?」

 指名手配でもされてるのか? 俺。

「あのキューズの幹部と勇敢に闘ったっていう、噂のチェスだよ」

「それって今回の騒動の事だよな」

「うん。僕はここを動けないからあんまり詳しくは無いけど、チェスって名前は小耳に挟んでてね」

 心当たりがあるとしたらポケマンだろう。

 キューズ側の人間だとは思ってたが、まさか幹部だとは思いもしなかった。

 たが、そんな噂されるほど闘えていたとは思えないがな。

「確かにキューズ側のやつと闘ったけど、俺はやられてばっかでとどめを刺したのはロール先生だぞ」

「それでも凄いよ。僕は何にも出来なくていつも周りに迷惑かけてるし」

 ミラエラは少し顔を曇らせ、俯いてしまう。

「そんな事ないぞ。少なくとも、俺は今楽しいし」

「ありがとう。君は優しいね」

「褒めるなって。照れるだろうが」

「ふふふ。それに面白いし、僕は君の事好きだよ」

「お、おい。やめろって。マジで照れるじゃん」

 人に好きって言われたの初めてだな。

 俺が頬を赤らめると、ミラエラはまた笑う。からかわれるのも初めてだ。

「それはそうと、よくこんな時間まで起きてたな」

「うん。なかなか眠れなくてね」

 そう言うと、ミラエラはベッドに横たわる。

「けど、チェスが来てくれて安心した。今なら少し寝れる気がする」

 ミラエラは目を閉じ、ぐーぐーと寝息をたてる。

「寝るのはや!」

「なんてね」

 俺を騙せたのが嬉しかったのか、にへへと悪そうに笑う。

「ん」

 ミラエラは俺に手を差し出してくる。

 握手?

 俺はそう思い、ミラエラの手を握る。

 その手はとても小さく、そして温かかった。

 すぐに離そうとすると、ミラエラの手に力が入った。

「握手じゃないよ。手握ってて欲しいってこと」

 そう言われて、再びミラエラの手を握る。

「それでよいのです」

 そのまま手をベッドに置き、今度こそ目を瞑る。

「ったく、手のかかる奴だな」

 初対面の相手にここまでするのは普通ではあり得ないだろう。

 しかし、ミラエラにはどこか気を許せるものがあった。

 今までがドタバタしていたので、こういうゆったりとした感じが心に染みるのかもしれない。

「チェスも一緒に寝る?」

「流石に一緒には無理だ。けど、ミラエラが寝るまでは付き添えるぞ」

「ありがと。それに、ミラエラって言いづらいでしょ。次からミラちゃんでいいよ」

「ちゃを付けるのは確定なんだな」

「その通りです」

 ミラエラはにこりと笑い、どこか嬉しそうだった。

「分かったよ。じゃあミラちゃん、いつまでも起きてないで早く寝るんだぞ」

「はーい」

 ミラエラは布団掛けてこちらに寝転ぶ。

「おやすみ」

「ああ。おやすみ」

 俺は辺りを見渡し、電気のスイッチを探す。

 扉の近くにあるのを見つけ、髪の毛を棒の形に伸ばして押す。

 暗闇が部屋を包み、俺も眠くなってきた。少しだけ寝るか。

 俺はベッドにもたれかかる形で目を閉じた。

 



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起点

 鳥のさえずりが俺の耳を刺激する。

「ん、んうん」

 俺は目を擦りながら目覚めた。

 どうやら朝まで寝てしまったらしい。

 窓から日光が差し込み、部屋を隅々まで照らす。

 俺は立ち上がろうとして、未だに手を握っていたことに気が付いた。

 ミラエラはぐっすり寝ており、その寝顔の可愛さに少し心が動かされそうになる。

「よく見ると可愛いよな。こいつ」

 気が付くと声に出しており、自分でも何を言っているのかと頬を叩いた。

 そのおかげで少し目が覚め、逆に今の状況を冷静に把握することが出来てしまった。

 手を繋いで寝てたって、傍からみれば勘違いされてしまうな。

 俺は手を離して立ち上がりたいが、ミラエラの事を気遣って離そうにも離せない。

 こんなにぐっすり寝ているのに、起こしてしまうのは可哀想だからな。

 とりあえずやる事が無かったので、ミラエラの頬っぺたを指でぷにぷにする事にした。

「おお。柔らか」

 ゼリーの様な弾力があるのにも関わらず、マシュマロの様に柔らかい。

 こんな最強のハイブリッドがあるとは。一生触ってられるなこれ。

 しばらくの間ぷにぷにしていると、後ろから声がした。

「何してんだ。ストリート」

「ふぇ」

 アホの様な声を出してしまう。

 突然話しかけられた事もあるが、今この状況を見られたという焦りで、心臓の鼓動が速くなる。

 後ろを振り向くと、そこにはやはりナインハーズが立っていた。

「オ、オオ。ドウシタンダイナインハーズ」

 俺の頭はやばいの一言で埋め尽くされていた。

「まさにやばい所を見られたって感じだな。けど安心しろストリート。ここは犯罪者が集まる場所だからな」

 ナインハーズはニコリと笑う。

 違うんだ。誤解なんだ。顔は笑ってるのに目が笑ってないぞお前。

 言い訳しようにも、状況が状況なので見苦しいだけだろう。

 信じてもらえるか分からないが、俺は今までの経緯を正直に話すことにした。

 

「なるほどな。となると、ストリートはギリギリ犯罪者ではないという事か」

「ちゃんと犯罪者じゃねえよ」

 なんとか誤解は晴らせたが、ナインハーズの疑いの眼差しは未だに消えていない。

 まあ全て信じたとしても、明らかに普通の状況ではないからな。

「それは分かったけど、いつまでそれやってる気なんだ?」

 ナインハーズの指差した先は、俺とミラエラの手が互いに握り合っている。いわば1番見られてはいけない所だった。

「い、いや、これはミラちゃんを起こしたら悪いかと思ってなかなか離せなかっただけだ。決してやましい気持ちからではない」

 一生懸命言い訳するが、ナインハーズの目は着々と光を失っていく。

「ミラちゃん?」

「あ」

 言葉を発するごとに自滅してしまう。やっぱりまだ頭が寝ぼけてるんだな。

「それはそうと、その繋ぎ方でやましい事がないってのは苦しいんじゃないか?」

 なんのことかと手の方をよく見ると、寝る前の握手の様な握り方とは打って変わって、恋人繋ぎになっていた。

「恋人繋ぎは確信犯だろ」

 こんのミラエラめ。こいつ絶対起きてるじゃねえか。

「違う、これは違うんだ」

 既に俺の逃げ場は残されていなかった。

 どうやら途中で起きたミラエラが面白がって、ナインハーズに指摘された直後恋人繋ぎに変えたのようだ。

「何が違うんだ。……しょうがない。今日は朝の集会来なくていいから、今から職員室ににこい」

「……はい」

「それと」

 ナインハーズが付け足す様に続ける。

「寝る時は自分の部屋で寝ろ」

「……はい」

 本日2度めのはいが出たところで、俺はナインハーズに連行された。

 ミラエラはそれでも寝たふりを続けており、恋人繋ぎがわざとなのか確信が持てなくなってきた。

 もし違うとしたら……。そんな考えなくてもいい事を考えてしまう。

 まあ、それだけ今の状況に対して余裕を持っているんだと思おう。

 なかなか直接言えないから心の中で言うが。

 ナインハーズ、俺はロリコンじゃないぞ。

 その言葉はナインハーズに届く事なく、俺の心の中で反響しながら闇へと消えていった。

 

 職員室に着くと、他とカーテンで仕切られた個別の部屋があり、そこに座る様に促された。

 ここまで来ると、本気で怒られるんじゃないかと構えていたが、意外にもお茶を出された事で俺の緊張はほぐれた。

「なんでお茶なんだ?」

「お茶には解毒作用があるからな。君のその曲がった性癖も治してくれるかもしれない」

「だからあれは誤解だって!」

「冗談だよ。もう疑ってはない」

 ナインハーズは少し笑い、お茶を飲む。

 そんなこと言いながら、実はお茶に毒を仕込んでいて、

『毒を殺すには同じくらいの毒が1番効くからな』

 とか言って殺しにこないだろうか。

 とりあえず、今はお茶を飲まない事にしよう。

「まあただ、気持ちを整理してもらいたかっただけだ」

 うっすらとナインハーズの顔が曇る。

「というと」

 なにか悪い予感がする。

「ストリートは保健室で起きた時に1日しか眠っていないと思っているだろうが、実際には3日経っている。ロールは治療をする訳ではないからな。重症だと治るのが遅いんだ」

 3日も。そんだけ経っていれば、赤の他人だったミラエラに噂が回るのも納得だな。

「なぜこれを言ったかというと、その3日の間にある事が起こったからだ」

「……それってスクール側にとって悪い事か?」

「ああ。生徒に関係ある話では無いが、ストリートは特別枠だからな。一応話しておこうと思ってここに呼んだ」

 わざわざ個室に呼び込みしかも職員室となると、もしかして一部の先生たちにも伝えられてないのかもしれない。

 それを特別枠って理由だけで俺に話すか?

 それだと一部の先生よりも特別枠の生徒の方が上って事になる。

 しかしその可能性は低い。もっと他の理由があるのだろう。

「分かった。じゃあ、話してくれ」

 俺はお茶を一口で飲み干す。

「まずは今回の騒動のきっかけから話そう」

 そう言うと、ナインハーズの目は一瞬で真剣なものへと変わった。

「ストリートも知っての通り、この騒動の首謀者はキューズだ。今まで何もアクションが無かった訳ではないが、今回のは明らかなスクール側に対する攻撃だ」

 俺も体感したようにキューズは生徒や先生を狙うと言うよりは、完全にスクール側を潰そうとしていた。

 名前は分からないがキューズの幹部であったポケマンをはじめ、美人お姉さんにスウィンが瞬殺した幻覚使い。

 俺の見てないところでも、他に多数居たのだろう。

「未だ目的が分からない以上緊迫した状態が続くだろうから、あと数ヶ月は行事も何もしない予定だ」

 行事というとハンズの言っていたクラス別対抗戦を思い出す。

 実際何をするか分からなかったから、嬉しいのか悲しいのか判断がつかない。

 少し間を置いてナインハーズが口を開く。

「それと、これを見てくれ」

 ナインハーズは足元から縦長い箱を取り出す。

 机に置かれたそれは、明らかに何かを隠している様な不気味な雰囲気を漂わせていた。

「なんだこの箱。このタイミングでお土産とかは有り得ないよな」

「それはほんとに有り得ないだろ。見たく無いなら見なくていい。オススメはしないからな。口頭でも説明できる事だ」

「いや、見るよ。気になるし」

 俺は箱を引き寄せ蓋を開ける。

「ぁ……」

 かろうじて声は出た。

 無理もないだろう。誰も箱にこんな物が入ってるとは思わないからな。

「これ……って」

「ああ。左腕だ」

 箱を開けた先にあった物。それはナインハーズの言う通り、恐らく誰かの左腕だった。

「教師であり俺の同期でもあるマットという奴の物だ。いや、だった物か。そいつは単独行動が好きでな。ある時出張と称してキューズの潜入に行ったんだ」

「そんなの自殺行為じゃねえか」

「確かに普通の能力者ならそうだ。だがあいつの能力はかなり強く、俺含め誰も敵わないと言われてた程だ」

 ナインハーズでも。あの幹部を瞬殺したロールでさえも。

 そんな奴がこんな姿になるなんて。

 今回の騒動に参加していない奴も多いのかもしれない。

 ここで1つ疑問が浮んだ。

「ってか、なんでそのマットっていう奴って分かるんだ? 別に名札とかが付いてた訳じゃ無いだろ」

「確かにこれだけじゃ分からない。だが簡単な話、他にも数個これと似た箱があるって事だ」

「こんなのが他にも……」

「ああ。しかもご丁寧に部位ごとに分けてある。悪趣味甚だしいったらこの上ない。」

 ナインハーズは眉間にしわを寄せ、血管がぴくぴくと動いていた。

 それだけ同期を失った哀しみが大きいのだろう。 

「悪趣味とかの次元じゃないだろ。これは。残酷すぎる」

「……実はこれ、今回の騒動の前からここに差出人不明で届いていた様だ。毎日送られて来て、昨日までで5つ。不思議な事に今まで誰もこれの存在を知らなかった」

「誰も? それは有り得ないだろ。ならどうやってこれを見つけたんだ」

「見つけたのは俺だ。だが昨日のことだ。他の奴が黙っていたのか、本当に見つけられてなかったのか。そこは分からない」

 差出人不明でこの大きさ。それに毎日届いてたにも関わらず、誰も見つけていない。

 これが本当なら……。いや、変な想像はやめよう。

「少しいいかな」

 カーテンが開けられ、知らないおじさんが入ってくる。

 髪のほとんどは白髪で、黒い髪を見つけるのが難しいくらいだ。

 というより、勝手に入って来て良いのか?

「校長。すみません、長く話し過ぎましたか」

 校長? 校長ってあの偉い人の事か。よく見ればそのオーラプンプンな気がする。

 時々ここが学校って事を忘れそうになるな。

 少なくとも俺の知ってる学校は死にかけないし。

「いやいや、この歳になると長話は常でな。そこはいいんじゃよ。だが、生徒に話さなくても良いものも話すのは駄目じゃ。危険に晒してはならん」

 そのおじさん兼校長は別段怒っている様子もなく、ゆったりとしたトーンで話す。

「すみません。つい口走ってしまいました。……少し席を外します」

 そう言い、ナインハーズがカーテンを開けて出て行く。

 あのナインハーズが下手に出るなんて。校長ってのはやっぱり格が違うんだな。

 ……さて、俺は取り残されて校長と2人になった訳だが。

 全く何を話して良いか分からない。

「すまんね。唯一の顔見知りを追い出してしまって。しかしね、チェイサー君。子供が踏み込んではいけない事もあるんだよ」

 校長の一言めは忠告だった。

「はい。それは分かります。ですが」

「特別枠と言いたいのだね」

「……はい」

 話の腰を折られてしまった。

 身の程を知れって話だよな。

 実際俺は17歳で世界を全く知らないし、校長の言い分は間違っているとは思わない。

「特別枠といえど、子供には変わりない。チェイサー君には馬鹿にしている様に聞こえるだろうが、事実は事実。しかと現実を受け止める能力も必要じゃぞ」

「仰る通りです」

 今ぐうの音も出ないという言葉を実感した気がする。

 少し調子に乗っていたのかもしれない。

 特別枠というイレギュラーの入学で、他より優れていると勘違いしていた部分もあるのだろう。

 俺は校長に突きつけられた現実を見ずにはいられなかった。

 自分の強さを知り、弱さを知る。痛いほど分かりきった事だ。

 ……それでもやはり、認めたくは無かった。

 俺は傍から見ればかなり落ち込んでいたと思う。

「だから提案と言ってはなんだが、どうじゃチェイサー君。ジャスターズに入らんか」

「……へ?」



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勧誘

「だから提案と言ってはなんだが、どうじゃチェイサー君。ジャスターズに入らんか」

「……へ?」

 俺の聞き間違えじゃなければ、今ジャスターズに勧誘されたよな?

 話が急展開すぎて思考がついて来ないんだが。

「今ジャスターズには実践経験の少ない者が多いんじゃよ。今回の騒動ですぐに駆けつけられなかったのもその理由じゃ」

「い、いや、そうかもしれないですが。だからって俺がジャスターズに入る理由にはならなくないですか」

「あのキューズの幹部と闘った実績があるじゃろ」

「あれは」

「ロール君のお陰なのは確かじゃが、それまで耐えていたのはチェイサー君の力じゃないか」

 何かを言えばすぐ上から押さえつけられ、俺が反論する暇もなく言葉のラッシュが飛んでくる。

 これが校長というものなのか、それともこの人の性格なのか。

 とにかく今分かった事は、俺はこの人が苦手って事だ。

「急に言われても、俺が来たのはつい最近ですよ。まだここの事も分かってないし、進路も決めてないんですよ」

「進路? チェイサー君はまだ進路の話をされてないのかい」

 咄嗟に出て来た言葉なのでその意味を理解していなかったが、どうやら校長には進路という言葉が引っかかったらしい。

「はい。まだ進路の話とやらはされていません。なので、どこに行くかはまだ決めていないんです」

 ここからはハッタリが勝負の鍵を握っている。

 進路の話が出て来てから明らかに校長の態度が変わった。

「進路が分からない以上は私も口出しは出来ないの。仕方ない。進路が決まったらまたここに来てくれ」

 あっさりと終わってしまった。

 てっきり今から夜まで口論を続けると思っていたんだが。

 俺が呆然としているとカラカラとカーテンが開けられ、ナインハーズが入ってくる。

「話は終わったか? ストリート」

 既に校長は居なくなっており、再びナインハーズと2人きりになった。

「言い合っていた様に聞こえたが、校長とどんな話をしてたんだ?」

 どうやらさっきの声は外に漏れていたらしい。

 内容は分からずとも、大体の状況は把握できた様だ。

「実はジャスターズに勧誘された」

「ジャスターズに!? なんて返事したんだ」

「もちろん断った。つもりだけど、実際はぐらかしただけかもしれない。あの人グイグイくるから俺は苦手だな」

 俺が問いに答えると、ナインハーズは驚いたのか目を大きく開く。

 しかしすぐにそれを戻し、呆れた風に聞いてくる。

「なんで断ったんだ。いいチャンスだったんじゃないか」

「チャンス?」

「スクールからジャスターズに入るには、最低でも半年はかるんだぞ? 別にストリートは社会復帰なんて考えてないだろうし、断る理由が分からない」

「それは……」

 振り返ってみると、自分でもなぜ断ったのか見当がつかない。

 普通に考えてみれば、ここにいる奴は犯罪者や救えない屑、社会復帰を目指してる奴やジャスターズに入りたい奴。

 その目的の1つであるジャスターズに、こんな短期間で入れるのはかなりのアドバンテージだと思う。

 それは頭で分かっているが、不思議と後悔はしていない。

 なにか今ジャスターズには入ってはいけない。そんな気がした。

 こんな事をナインハーズに言っても、理由にはならないだろう。

 しかしここで『忘れてた』などと言ったら、今すぐにでも校長に話をつけられてしまう。

 適当な言い訳を作らなければ。

「い、いや。まだここの事もよく分かってないし、ジャスターズとか急すぎて頭が追いついてない」

「ジャスターズに入れば、ここの事は気にしなくてよくなるぞ。なんせ卒業する訳だからな。もしそうなれば、クリミナルスクール史上最短の卒業生になるな」

 その称号も悪くないが、今はここにいたい。そんな気持ちが俺の中で蔓延っていた。

「……もう少し考えさせてくれ」

「校長の推薦だろ? 考えている間に気が変わったらどうするんだ。考えることは後でも出来る。俺が今から校長に掛け合ってやるよ」

 そう言い、ナインハーズが席を立つ。

「駄目だ」

 少し声を荒げてしまった。

 俺が真剣な目でナインハーズの方を見ると、その異変に気が付いたのか、開けようとしていたカーテンから手を離した。

「どうしたんだストリート。何かあったのか」

 ナインハーズは再び席につき、俺に向き合う。

 今の俺はその問いの答えを持っていない。

 しかし、ここで答えない訳にもいかないだろう。

 気が付いたら口が開いていた。

「違和感を感じるんだ」

「違和感?」

「自分でも頭が整理できてないから、変な事言ってる様に聞こえるだろうが、今ジャスターズに入ったら駄目な気がするんだ」

「気がするって……。そんな不確定な事で棒に振るのか」

「棒に振る気はない。ただ、今じゃ無いってのは分かる」

「はぁ」

 ナインハーズは訳が分からないと呆れた様に溜息をつく。

「一旦部屋に戻って頭冷やせ。明日また聞きに行く」

 そう言い、今度こそカーテンを開けて出て行った。

 俺も立ち上がり、ナインハーズに続き部屋を出る。

 出口に行くまでに、どこからか得体の知れない視線を感じたが、気が付いていないフリをして職員室を後にした。

 廊下に出て、毎度の事ながら帰り道が分からずに迷っていると、遠くにトレントとチープを見つけた。

「チェス! 大丈夫だったか」

 こちらに気が付いたらしく、トレントが勢いよく走ってくる。

「チェスー」

 その後に続き、チープがトレントを追い抜く勢いで迫ってくる。

「うぇっ、どゆことどゆこと」

 その勢いに圧倒され、俺は数歩後ろへ下がる。

 しかし、チープは止まる事なく俺にタックルして来た。

「ぐうぁえ」

 状況の分からないまま押し倒されてしまう。

「何やってんだよチープ」

 後から追いついて来たトレントも状況が分かっていなかった。

「トレントがいきなり走るので、てっきりそういうゲームなのかと思って負けじと走りました」

 という事らしい。

 こいつ天然と思っていたが馬鹿の成分も入ってるな。

「とりあえずどいてくれ」

 上に乗っかっていたチープを退かし、立ち上がる。

「もう怪我は無事なのか?」

「平気だ。今からでも闘えるぞ」

 俺は冗談交じりに言う。

「それは良かったです。3日も眠っていたのですから流石に心配しましたよ」

 チープはニコニコしている。

 お前のせいで骨が折れかけたんだぞ。

「そうだスウィンはどこ行ったんだ? 一緒じゃ無いのは珍しいな」

 俺が話題を振ると、2人とも暗い顔をして黙ってしまった。

 てっきりスウィンはとっくに回復しているものだと思っていたが、どうやら違うらしい。

「もしかして、やばい感じなのか?」

 俺が言うと2人は頷くだけで何も言わなかった。

 闘いの時、ポケマンの攻撃をもろに喰らっていたのは、俺じゃなくてスウィンだからな。

 俺より深刻な状況でもおかしくは無いだろう。少し考えたら分かる事なのに。

 俺は軽率な発言をしてしまったと後悔した。

「スウィンはどこにいるんだ。見舞いだけでもしたい」

「……今は集中治療中で無理だとよ。俺らも行こうとしたけど同じ理由で弾かれた」

「救助されてからずっとなんです。スウィンの生命力の強さは信じていますが、ここまで来ると心配が勝ちますね」

 集中治療。それも3日の間ずっと。スウィンの容態は俺の思っているよりずっと深刻なものと化していた。

「……そうか。なら行くのは無理だな」

 俺はそこを立ち去ろうとする。

「ちょっと待ってくれ」

 するとトレントが引き留めてきた。

「どうしたんだ?」

「少し部屋で話さないか?」

 俺の事を気遣っての誘いだろう。

 会ってそんなに日の経たない俺に、ここまで優してくれる友人を無碍には出来ない。

「それもそうだな」

 俺は出来るだけ笑顔で答えた。

「私も行っていいんですよね?」

 チープが確認をとってくる。

 こいつは天然なのか、理解力が無いのか。

 まぁそのマイペースな感じで少し気が楽になった気がする。

「そりゃそうだろ」

 今度は本当の笑顔で答えた。



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それぞれ

 その後俺はトレントに連れられ、1401号室にやって来ていた。

「1401って俺の部屋と近いな」

「そうだったのか。もしかして、チェスってハンズのルームシェア相手なのか?」

「おお。ハンズから聞いてなかったのか?」

「……なにも言われてないな」

 トレントは少し考えてから答える。

 別にルームシェアの相手をいちいち話せとは言わないが、仲良い奴にはちゃんと話しとけよ。ハンズ。

「とりあえず入りましょうか」

 チープがそう言い、部屋の中へ入っていく。

 トレントも続き、俺も後を追った。

 

 中に入ると一般男子(元犯罪者)らしからぬ部屋の綺麗さで少し驚いた。

「随分と片付いてるな」

「癖でね。この方が落ち着くんだよ」

 トレントが過去にどんな犯罪を犯していようが俺には関係ないが、もし元の性格が荒いものだのだとしたら、クリミナルスクールの目的である社会復帰というのは上辺だけではないようだ。

 よく考えたらここにいる奴ら全員元犯罪者なんだよな。

 別に疑いの目を向ける訳ではないが、なぜこんなにも他人に優しく出来るのだろうか。

「お茶淹れますね」

 そう言いチープが台所へ向かう。

 その間に俺らは適当な場所に座り、別段何かをする訳でもなくチープのお茶を待っていた。

「お待たせしました」

 数分後、チープの声が合図となり俺たちは今日までのことを話し始めた。

「そうだ。トレントたちはあの時どうしてたんだ」

「あの時って3日前の集会のことですか?」

「それならあのサイレンが鳴るまで、俺たちはただただ先生の話を聞いてただけだね」

「サイレンが鳴った後は?」

「まず校長にここで待機するようにって言われた様な気がする」

「ここでってのは集会場のことか?」

「そう。朝8時半までに全校生徒……、大体3400人のうち2000人くらいが集まるんだよ。マイクが壊れてる日とかは後ろの方が全然聞こえないから、後ろの席はかなり人気なんだ」

「なるほど。だからスウィンは人を殴ってまでも席を横取りしてたんですね」

 前言撤回。クリミナルスクール、スウィンの性格が直せてないですよ。

「それにしても、聞いた事も無い様なサイレンだったね」

「なんて言うんでしょう。雛鳥の様な高い声や、鯨の様な低い音が混ざり合ったみたいな。それでいて人が出している様な意思を感じました」

「チープは能力者が出した音って思ってるんだな」

「はい。上手く言えないんですが、なにかこう……意思を感じました」

 今同じ事を2回言ったな。

 しかし、言われてみればその様な気もしなくは無い。

 人工的にすれば、あの意図の分からない音を鳴らす必要が考えられない。

 もっと混乱させる様な、あれ以外の適正な音があっただろう。

「なるほどな。とすると、そこからキューズの攻撃は始まっていたのか」

「恐らくそうですね」

「そうだ! キューズと言えば、チェスは闘ったらしいね。あの幹部と」

 トレントは興味津々な姿勢で聞いてくる。

 そういえばトレントたちは、あの戦闘厨のスウィンの友達だったな。

 闘ったとなれば、興味を示すのに無理もないだろう。

「闘ったけど全然歯が立たなかったぞ。結果は知っての通り惨敗。俺もスウィンも完敗した」

 毎回の様に聞かれるこの出来事。

 幹部と戦ったという肩書きは大きいが、こっちとしては負けた話を毎回する事になる。

 あまりいい気分で話せる話題では無い。

「惨敗ですか。ならよかったじゃ無いですか」

 チープの一言が俺を刺激する。

「どこがよかったんだよ。俺は3日眠ってスウィンは手術中。これの何がいいって言うんだ」

 少しイラッとしてしまう。

 いくら天然といっても限度はあるだろう。

 フォローしろと言う訳では無いが、逆の事を言われるのはごめんだ。

「何を言ってるんですか。貴方も生きててスウィンも無事。これのどこが悪いと言うのです」

 チープは変わらないトーンで話す。

 考え方によったらそうかもしれないが、事実それで納得しろと言われて納得する奴はいない。

 それこそチープの様な天然な奴くらいだろう。

「チェス、怒らないで聞いてほしい。チープが言いたいのは、生きているなら結果オーライという事なんだよ。スウィンはともかくチェスは完全回復。まだまだチャンスはあるという事なんだ」

「チャンス?」

 最近やたらとこの言葉を聞く気がする。

 もしかしたら俺の人生のキーワードなのかもしれないと、そう思う時がある程に。

「そうです。その幹部さんはロール先生に負けましたが、貴方は負けてません。負けというのは相手が生きてて此方が死ぬという事です。負けない限り人は挑戦し続けられます」

 チープの言葉は自然と胸の奥に沁みる。

 俺が今まで1番言って欲しい言葉を、今言われた様な気がした。

「そういうものなのか?」

「そういうものですよ」

 チープは相変わらずの笑顔で答える。

 俺はその顔を見て申し訳なくなった。

「さっきはすまなかった。少しカッとなって、チープの気持ちを考えていなかった」

「いえ、私も自分の意見を押し付けてしまいました。謝るのは今日で終わりにしましょう。素直な意見を言えるのが友達ですよ」

 チープは一見何も考えていなそうだが、1番友達の事を考えているんだな。

 こんないい奴に俺は怒りを向けてしまった。

 素直が1番だが、やはり人を傷つけたりするのはいい気分では無い。

 今後は考えてから発言をしよう。

「ありがとう。……トレントたちはサイレンの後、何も無かったのか?」

 俺はさっきの話の続きをする。

「俺たちが黙って待ってる訳ないじゃないか。もちろんすぐに行動したさ」

「集会場から出たって事か?」

「はい。待機の号の後すぐですね」

「とんだ行動力だな」

 ただの不良生徒だけど。

「そうだ。スウィンが言ってたんだが、チープの言う通りかもってどういう事だ?」

「私の言う通り。ですか? ……スウィンに言ったのは、これがキューズの仕業では無いかと。それだけですね」

「チープはサイレンの段階で気が付いてたのか」

「はい。なんとなくですが、こんな事をするのはキューズだけかと思いまして」

 まあ、クリミナルスクールに自ら捕まりにいく馬鹿はいないからな。

「その後にスウィンの姿が見えなくなりましたね」

「見えなくなった?」

「そうなんだよ。急に神隠しに遭ったみたいに、気付いたらぱって」

「神隠しか。スウィンは幻覚とか言ってたが、結局のところどうなんだろうな」

 今地獄にいると言うスウィンの言葉。

 最初はふざけていると思っていたが、今振り返るとスウィンに嘘をつくメリットがない。

 事実、ある男を倒したら幻覚が覚めたと言っていたし、真偽は定かでは無いが能力者の仕業なのは間違いないだろう。

「……そこからですね。私たちが闘う事になったのは」

「そうだね。中々手強い相手だった」

「お前らも闘ってたのか! キューズの奴らと」

 今までキューズの幹部と闘ったからって毎回俺が話を訊かれていたが、別に他の人が闘ってないとは限らない。

 驚きはしたが、実際は普通の事なのだ。

 それに先生の話を聞かない不良生徒なら尚更の事だろう。

「言ってませんでしたが、私たちも一応闘っていました」

「流石に幹部では無かったけど、それでも強いのは確かだったね。チェスの話は大方聞いてるから、今度は俺たちの話をするよ。ゆっくりお茶飲みながら聞いてくれ」

「そうですね。チェスに比べたら緊迫した闘いという訳ではありませんからね。リラックスしてていいですよ」

 そう言い、2人は襲撃当日の事を話し始めた。



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2対1

「みなさんおはようございます。えー、今日も平和な朝がやって参りましたね。私は先日……」

 現在時刻8時32分。

 今日も毎日の日課である朝の集会が開かれていた。

 朝8時半までに集会場に集まり、9時まで淡々と校長先生の話を聞く。

 そこでは生徒にとってどうでもいい話や、少し興味のある話。

 当たり前だが、生徒1人1人によってその話は別のものと感じる。

 今日も後ろの方で退屈している者たちがいた。

「なあトレント。ハンズ誘って森林行かねえか? こいつの話つまらなすぎる。これ以上聞いてたら周りの奴ら殺したくなってくるぞ」

「やめときなよ。ここもさっき殴って奪い取っただろ? あんまり騒ぎは起こさない方がいいと思うけどな」

「なら森林行こうぜ。ハンズ探しとくから少し待っとけ」

「相変わらずスウィンは勝手に決めますね。まあ私も退屈していたのでいいですが」

「はあ……、分かったよ。行けばいいんでしょ」

 スウィンの提案により森林へと行く事になった2人。

 しかし、ここまではいつもと変わらない何気ない会話である。

 つまらなくなったら楽しい事をする。性格の違う3人でもこれだけは一致していた。

 今日も1日つまらない人生を送る。3人は意識せずとも、頭の隅では思っていた。

 今日までは。

「うーうーうーうー」

 突然響き渡るサイレン。

 生徒は疎か、教師でさえこの得体のしれない音を聞いた事がなかった。

 サイレンが鳴るたびに大きくなるざわめき。

 言わずもがな、全員が動揺していた。

「落ち着け!」

 その声の主は校長先生。本名テレンテ・レスであった。

 普段温厚なテレンテから発せられた怒号に似た声。

 瞬く間に静まり、皆テレンテに意識を向けていた。

「何が起こったか分からない以上、下手に動くのは危険です。生徒はここで待機、先生たちは各教室の見回りをお願いします」

 その言葉を合図に、集会場の教師が一斉に動き出す。

 ある者は教室へ、ある者は門前へ。

 それぞれの教師が行動に移る中、この3人は高揚していた。

「何か面白い事になってきたな」

「だね。もちろん俺たちは」

「抜け出しますか」

 3人の意見が合致し、後方の扉から出る教師に合わせてバレずに外へ出る事に成功した。

 廊下に出ると騒がしいサイレントは裏腹に、足音1つさえ聞こえない。

 最初の違和感に気付いたのはチープだった。

「おかしいですね」

「何がだ?」

「私たちより先に出た先生はどこに行ったのでしょう」

 集会場は普通、その広さから周りに部屋がない。

 それは同時に隔離された部屋とも言い換える事が出来る。

 つまり部屋を出て入る部屋など無いのだ。

 これが表す意味はとは。

「キューズの仕業ですね」

「キューズってあの要注意団体のことか? ジャスターズと因縁関係にあるとかなんとか」

「その可能性は高いかもね。現に今、俺たちの前を行ってた先生が消えたし」

「そうですね。そう考えるが妥当と思います」

 キューズ。ジャスターズが作られるきっかけとなった要注意団体。

 能力者だけで構成されており、大将格は組織の名であるキューズ。

 一時期世間を騒がせ、能力者と無能力者の間の溝を更に深いものとした過去がある。

 世間に対して友好的な地位を目指すクリミナルスクール、ジャスターズにとって最大の敵と言えるだろう。

「スウィン。ここは別行動より、団体で行動した方がいいかもしれません。相手は恐らくテレポート系の能力者です。前を走っていた先生はその能力の類ではなかったと記憶しています」

 チープの素早い頭の回転により、相手の能力をある程度特定でき、対策も立てる事が出来た3人。

 万全の策とは言えないが、もし得点を付けるとしたら今の状況では100点中90点以上だろう。

「チープの言う通りだな。俺もあの先生によく怒られてたから覚えてるけど、テレポートの能力じゃ無かったのは確かだと思うよ」

 トレントのスウィンへの呼びかけは、本人に伝わる事なくただ廊下に響くだけであった。

「スウィン? スウィンどこだ!」

 トレントが異変に気付いたのは、スウィンがいなくなってからおよそ9秒後の事だった。

「トレント、スウィンがいません」

 チープもその約2秒後に気付き、既に自分たちへの攻撃が始まっている事を知った。

「まさか、スウィンが攫われました」

「攫うってどこに」

「それは分かりませんが、スウィンが消えたのは確かです」

 チープの頭は混乱していた。そして同時に得体のしれない不安が、心の奥底から這い上がろうとしているのを感じていた。

 チープは思った。もしこの能力者がテレポートではなく、相手を抹消する事の出来る能力者だったらと。

 チートじみた能力だが有り得ない話でもない。理不尽でなす術のない能力もこの世には存在する。

 その事実を自分の能力で実感しているチープにとって、この状況で外へ出た事を後悔するほかなかった。

「安心しろチープ。スウィンはそう簡単にやられるタマじゃないさ。それは俺らが1番よく知ってるだろ?」

「……そうですね」

 トレントの言葉により、ここが既に戦場と化している事を再確認する事が出来たチープ。

 その目は不安で視界を奪われたものではなく、見えない敵を鋭く殺意を持った意志と変わっていた。

「トレント。周囲の空気を探ってください。相手は現れる時、恐らく周りの空気も1度にテレポートさせています。そこを注意して下さい。呼吸は当てになりません」

 この発言が、見えない敵である相手に姿を現せざるおえない状況へと追い詰めた。

「凄えな。たった2人をテレポートさせただけでこの様だ。目標は達成したが、厄介な奴を見つけたら排除しないとな」

 2人の目の前には、あのスウィンを呆気なくテレポートさせた、キューズ側であろう人間が立っていた。

 背丈185センチメートル前後と、およそ素早く動けないであろう男が、あっさりと目の前に現れたのだ。

 当然、2人は警戒する。

 一見するとわざわざ姿を見せた頭の悪い能力者。

 しかしその実、2人相手でも排除と軽く口に出来る程の手練れである事には変わりなかった。

「お前がスウィンを攫ったのか」

「攫うって別に誘拐とかじゃないぜ? 誘拐は攫われた自覚があるだろ」

「あくまで仕事の1つと言うつもりですか」

「やっぱりお前察しがいいな。名前は確か……、トレント?」

 チープに話しかけていた男が、不意に自分の名前を呼んだ事により、トレントの肩は数ミリ浮く。

「トレントはそっちか。じゃあ厄介なのはチープだな」

 男は当然の様に2人の名を口にする。

 元犯罪者である以上、名前が知れていてもおかしくはない。

 しかし全校生徒3000人以上に匹敵するこのクリミナルスクールで、メモ1つも見ずに2人の名をドンピシャで当てることが出来るだろうか。

 偶然と片付けることは出来るが、明らか敵陣に自分たちがマークされていると、そう思わざるを得なかった。

「なぜ俺たちの名前を知っている」

 そう口にする事は出来なかった。

 名前が知れているという事は、能力はもちろんバレていてもおかしくはない。

 ここで下手に口を滑らせる事は自殺行為に匹敵する。

「ダンマリじゃん。まあ闘えばすぐわかる事か」

 男が背筋を伸ばす。

 それは突然起きた。

 今まで目の前にいた男が既にいなくなっていたのだ。

 一瞬で視界から消えた男を、探索能力の無いチープは捉える事は出来ていなかった。

 しかしトレントは違っていた。既に空気の流れを感じ取り、急に移動する窒素、酸素、二酸化炭素、その他諸々を探知していた。

「チープ、後ろにいる!」

「せいかーい」

 余裕綽々の男が全力で放った拳は、振り向きざまのチープの顔面を直撃した。

 本来なら鼻の骨が折れ、数秒の闇が視界全体に広がる。

 その間に何度殺されるかは数えるまでも無いだろう。

 しかし幸いと言うべきか、拳の先にいたのはチープであった。

 チープは男の腕を掴み取り、はち切れんばかりに握り込む。

「捕まえましたよ」

 更に力が加わり、ミシミシと骨の軋む音がする。

「いっ。なんで効かねえんだよテメェ」

 チープは少し考えるフリをして答える。

「最強だから?」

 男を引き寄せる様にして、今度はチープが全力で拳を放つ。

 男は腕を掴まれている事もあり、身動きが取れずにそれを顔面に食らう。

 先程までの余裕は無くなり、今は福笑いの様にパーツパーツがシェイクになっていた。

 瀕死はおろか、生命までも絶ちかねない程の威力の拳を持つチープ。

 一瞬で勝敗がつき、トレントは安堵の中に少し恐怖を覚えていた。

「流石だなチープ。味方でよかったってつくづく思うよ」

「安心して下さい。もしトレントが敵でも私は攻撃出来ないと思いますよ」

「そりゃありがたいね。まあ、俺が敵に回る事はないけどね」

 2人は笑い、足を進める。

 しかし不幸な事に、いや幸運な事に偶然ナインハーズに見つかった。

「何してんの君たち」

「ナインハーズさん」

「見回りに行ったんじゃなかったんですか?」

「見回りってなんだよ。俺はストリートを……」

 いつしかサイレンは止んでおり、教師らが見回りをしている頃。

 チェスを起こしに行っていたナインハーズが、様子を見に戻ってきていた。

 2人の後ろに転がっている顔面ぐしゃぐしゃの男を見て、ここで戦闘が行われていた事を把握したナインハーズ。

 教師である身、本来ならここで叱らないといけないが、ナインハーズのとった行動は別のものだった。

「よく生きてた。ここからは俺たち教師に任せろ」

 2人の頭に手を乗せ、称賛する。

 ナインハーズの目は2人の後ろにいる男を見つめていた。

「いいか、俺が合図したら逃げろ」

 ナインハーズは返答など待ってはいなかった。

 2人の後ろには、テレポート出来る男以外にもう1人男がいた。

 2人が気付かない程の技量を持っているにも関わらず、これ程鋭い殺気を放つ事の出来る相手が弱い訳がない。

 その男は静かにナインハーズを見つめていた。

 そして静かに口を開く。

「ナインハーズ。まだこんな事をやってるのか。お前には期待してたんだがな」

 男は踵を返し去っていく。

 足音が聞こえなくなった頃、2人は止めていた息を吹き返した。

「さっきのはなんですか」

「凄い殺気でしたけど、先生は大丈夫ですか」

 2人はナインハーズの顔を見る。

 その顔はいつものナインハーズとは違い、険しい顔をしていた。

「先生?」

 トレントの呼びかけで我に帰り、いつもの顔に戻る。

「すまん。少し取り乱してた。あいつはどっか行ったよ。それより、早く集会場に戻れ」

「俺たちも手伝います」

「駄目だ。危険過ぎる」

「ですが」

「駄目だ。これ以上言う事を聞かないなら力尽くで連れて行くぞ」

 その言葉が決め手となり、2人は仕方なく集会場へと戻る事となった。



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これから

 2人が話し終わる頃、既にコップの中のお茶は空になっていた。

「チープってやっぱり滅茶苦茶強いんだな」

「そうですかね。私は強いのでしょうか」

 さっきこいつ『最強だから?』とか言ってただろ。

 戦闘時の記憶が吹っ飛ぶ性格してるのか?

「それより最後の殺気を感じたって言ってたが、そいつの顔とかは見てないのか?」

「見てないと言うよりは、見れなかったに近いね」

「息を吸うことすら死に直結する様な雰囲気でしたからね」

 話から伝わる緊迫感を察するに、その人物の正体は十中八九キューズの親玉だろう。

 ナインハーズの知り合いの様に感じたが、無能力者であるあいつがキューズとの関わりがあるとは思えない。

 『お前には期待してたんだがな』という言葉。どこか意味深な言い方に感じる。

 そんな事を考えていると、いつの間にか部屋が沈黙に包まれていた。

「もう一杯淹れましょうか」

 チープが気を遣って話題を振ってくれる。

 俺は話すきっかけが出来たので、心の中でチープにお礼を言いつつ立ち上がった。

「いや、長居するのも悪い。今日は部屋に戻って休むわ。わざわざ話をしてくれてありがとな」

「いえ。私もチェスと話できて楽しかったですよ」

「おう。気を付けてな」

 2人が玄関まで見送ってくれる。

「じゃあ」

 扉を開けて外に出る。

 窓からは燦々と太陽が顔を覗かせている。

 今まで眠っていた事もあり、日付の感覚が無かったが、どうやら今日は休日の様だ。

 トレントとチープが俺を部屋に誘ったのもその理由だろう。

 休日でなくとも、あの騒動の後にすぐ授業をやるとは考えられない。

 今日から暫く休みが続くかもな。

 しかし正直平日だから休日だからって、特にやる事は無い。

 部屋でボーッとするのもいいが、少しは能力も鍛えてみるかな。

 それにしても、今日はいい日だ。

 静かで暖かくて、そして平和で。

 こんな日々が毎日続いてほしいと我儘は言わないが、たまにはこういうのも悪くは無いな。

 俺は自分の部屋の扉を開けて中へ入る。

 ハンズの姿はなく、俺が騒動当日に壊した壁も直っている。

 流石に仕事が早いなクリミナルスクールは。

 俺はベットの上に仰向けになって寝転ぶ。

 目を閉じたら朝が来てしまうんではないかと、そう思わせるには十分な睡魔が俺には襲い掛かって来ていた。

 このまま眠り落ちるのもいいが、心のどこかでスウィンに失礼と思ってしまっていた。

 スウィンは命懸けでこの3日間を彷徨っている。

 これが明日終わるのか、それとも1年後になるのか。そればかりは知り得ることは出来ない。

 そんなスウィンを差し置いて、俺が呑気に寝ていいのかと疑問が出てくる。

 ……恐らく答えはイエスなのだろう。スウィンが、他人がどうであれ俺の行動に影響するほどの力は持たない。

 寝るなら寝る、食べるなら食べる、生きるなら生きる。それは全て自分で決める事だ。決められる事だ。

 しかし、今のスウィンにはその選択肢が存在しない。

 寝たい、食べたい、生きたい、そう口や思う事をするだけで、実際には自分では決められない状態にある。

 やはり、今俺のしたい事をするのはとても失礼な行為だと思う。

 俺は起き上がり、窓を開けてもたれかかる。

 ふと思ったが、自分でも自分の中に優しさが残っているとは思ってもみなかった。

 まあ、これが実は優しさではなくて、ただの自己満足なのかもしれないが。

 とにかく、ここに来る前の俺なら、自分1人の時にこんな考える事はしなかっただろう。

 成長期を過ぎたこの歳で、俺の中に何かが変化しつつある。

 環境によって性格や考え方が変わるのは好きじゃないが、今回のは好きや嫌いとかの問題ではない気がしている。

 もっとこう、確実な軌道を捉えた変化に感じてしまう。

 それ程ここが俺にとって落ち着く場所なのだろうな。

 振り返ってみれば、俺の人生に安心なんて言葉は存在しなかったのかもしれない。

 今のスウィンの様に明日が来るのか常に心配していて、生きた心地なんてしなかった。

 当たり前に寝ているこのベッドでも、昔は硬いコンクリートの上で寝るのが普通。

 能力なんて一回でも使ってはいけないのに、なぜか身につけてしまっている悪運。

 親や兄弟とも離れ離れで、生存も確認できない。

 その中でナインハーズと出会った事は奇跡と言うべきか、希望だった。

 ナインハーズには散々生意気な態度をとってしまったな。今度謝っておこう。

 そう思い、俺は窓を閉めた。

 

 気が付くと、俺はある場所へ向かっていた。

 どこか見た事あるような……。しかしここは広いので似た様なところは沢山ある。

 俺はフラフラと歩き、傍から見れば完全に迷い人だ。

 そう思った時、俺は目的地へと着いた。

 扉を開けて、目の前の人物を視認する。

 そこへ近づいていき、俺はベッドに座る。

 その人物は未だ寝ていた。

 透き通る様に肌が白く、今にも壊れてしまいそうなくらいに尊い。

 頬に触れ、手から伝わる体温はとても温かかった。

「どうせ嘘寝なんだろ? ほら、早く起きなミラエラ」

「あ、バレてた?」

 ミラエラはケロッとした目でこちらを見つめてくる。

「それにしても、普通にスキンシップしてくるから、少しびっくりしちゃったよ」

「すまんすまん。嫌だったか」

「ううん、別に。あとミラちゃんね」

「すまん忘れてた」

 ミラエラは起き上がり、俺の手を握って降ろすように促す。

「で、急にどうしたの? 僕の頬っぺた触りたかったから来た訳では無いでしょ?」

「半分それだな」

「半分も!」

「冗談だ。ただ、なんとなくここに来たかった」

 なぜかは分からないが、ここは1番落ち着く場所な気がする。

 それがこの部屋のせいか、ミラエラのせいかは知らないが、ここにはなにかゆったりとした空気が流れている。

「ホントに? 僕はてっきり悩み事でもあるのかと思ったんだけどな」

「悩み事?」

「うん。なんか浮かない顔してるよ。何かあったの?」

「言われてみればそうかもな。……これが悩み事か俺には分からないから、聞いてくれるか? ミラエラ」

「いいよ。僕はチェスの話大好きだからね。あと、ミラちゃんね」

「ありがとう。ミラちゃん」

 俺はこれまでの事、そして今思っている事を全て話した。

 昔の事、キューズの事、ジャスターズへの勧誘の事、スウィンの容態の事。

 不思議と話しているうちに、次々と話したい事が湧いて来て、俺はかなりの時間ミラエラに付き合ってもらった。

 

「なるほどね。きっとチェスは不安を抱いてるんだよ」

「不安?」

「うん。幸せに慣れてないんだね」

「幸せって、敵に殺されそうになってもか?」

「チェスが経験したのはそれだけじゃ無いでしょ? 居場所が出来たり、友達が出来たり、恋人が出来たり。それ以外にも、今まで手にしてなかったのがいっぱいあるでしょ?」

「……そうだな。経験した事ないのが多すぎて、頭が整理出来てなかったのかもしれない。あと、勝手に俺の恋人になるな」

「ありゃりゃバレちゃった。まあとにかく、チェスは今幸せなんだよ。それは僕が保証する」

 そう言い、ミラエラは平たい胸を張る。

「今、僕の胸小さいって思ったでしょ」

 俺の視線に気が付いたミラエラに、どうやらバレてしまった様だ。

「いや、俺はいいと思うぞ。うん。少女って感じがする」

「それフォローしてないよね。セクハラだぞー。今のチェスセクハラしてるぞー」

「すまんすまん。思った事を言っただけなんだよ」

「また。……まあいいや。チェスはロリコンだもんね」

「んな!? お前それどこで聞いた!」

「えーっと確か、ナから始まってズで終わる先生だった気がするなー」

「くそナインハーズめ許さねえ」

 さっきはナインハーズに謝ろうと思ってたが、絶対に謝ってやらん。

「まあとりあえず、チェスは幸せに慣れてないだけで、全然不安がる事は無いんだよ。段々慣れてけばいいんだよ。僕と一緒に」

「そうだな。けどなんでミラちゃんと一緒なんだ?」

 俺が幸せに慣れてないって話で、別にミラエラはどうなのかは分からない。

 今幸せなのか、それともそうでは無いのか。

 ミラエラの笑顔を見る限り、とても不幸な様子では無いが。

 しかし、人の本質は分からないからな。

「僕も、やっと最近幸せになってきたんだよ」

「ミラちゃんはずっとここにいて、今も変わらないのにどうしていきなりなんだ?」

「確かに僕はずっとここにいる。毎日独りで、退屈で、不安で、何もする事がない。本を読みたいって言った時に、お前には必要ないって言われた事もある」

 ミラエラのその儚い笑顔の裏には、こんなエピソードが隠れていたのか。

「……よく、普通でいられたな」

「普通じゃなかったよ。自分の存在意義が分からないくなったり、自殺もしようとした。もちろん未遂になったけど。以前の僕は、とても普通とはかけ離れてたんだよ」

「……そうか。それは辛かったな」

 俺には同情する事しか出来ない。

 なぜならそれ以外の方法を知らないからだ。

 今日まで、いや4日前まで人との関わりを持たなすぎた。

 その経験の無さが、こんなにも心が痛むものなんて知らなかった。

 やはり俺は世界を知らなすぎる。

「けど、今は違うんだ」

 ミラエラの一言が、俺を心の奥底から引き上げる。

「だって、今はチェスがいるもん」

 その言葉の意味するところは、もちろん俺の存在だろう。

「え?」

 思いがけない言葉のせいで、俺は聞き返してしまう。

「僕はいつも1人だったから、チェスがここに迷い込んだ時、ホントに嬉しかったんだ。もう、1人じゃないって」

「けど、俺はいつもミラちゃんの側にいる訳じゃないぞ。……それでも。それでも、心の支えになるのかよ」

「うん。だって今日も来てくれたじゃないか」

「……そんな簡単な存在で人は変わるのか?」

「簡単な訳じゃ無いよ。僕はチェスが来てくれたから救われたんだよ。チェス以外ならまた別だったと思うよ」

 ミラエラにとって、俺の存在はあの日のナインハーズなのだろう。

 奇跡というか希望。知らずに自分がそんな存在になっていたとは驚きだ。

 正直俺は誰にも必要とされて無いと思っていたからな。

「……だから、毎日って我儘は言わないから、2日に1回は来て欲しいな」

 そう言いミラエラは俺の袖をギュッと握る。

 心なしかミラエラの目が潤っている気がした。

 そんな相談に、俺でなくとも受けない奴など存在しないだろう。

 俺はミラエラの頭に手を乗せ言う。

「ったく、我儘だな。約束するよ。必ず毎日来る」

 そのまま引き寄せ抱きかかえる。

「……ありがとう」

 その時ミラエラは泣いていた。

 相当今までが苦痛であり、恐怖だったのだろう。

 毎朝起きると襲いかかる孤独。唯一忘れられる時間である夢の中は永遠では無い。

 明けない夜はない。捉え方次第でこの言葉の意味が違ってくる。

 ミラエラのお陰で、俺はやっと決心する事が出来た。

「俺はまだジャスターズには行かない」

 ミラエラには聞こえない程小さく、俺はそう呟いた。



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進路

 数十分くらい経った頃、ミラエラを見ると既に眠りについていた。

 そっとミラエラをベッドへ寝かし、俺は部屋を後にした。

 然程時間が経っていない事もあり、まだ太陽が明るく廊下を照らしている。

 窓へ近づき、手をかざして太陽を見る。

 眩しく、いつも変わらず光り輝くこの球体は、いつまで存在し得るのだろうか。

 ただ分かる事は、俺が生きているうちには確実に無くならない事だ。

 この球体がいなくなるのは何百何千何万年、それ以上先のことだろう。

 それに比べたら俺の人生はものの数秒にも満たない。だから何をするか。何をしなくてはならないのか。

 それを踏まえて俺はある目標を立てることにした。

 天下統一した豊臣秀吉の様に、中華統一をした始皇帝嬴政の様に。

 俺は能力者と無能力者のこの世界を統一する。

 これは一国だけの問題ではなく、この世界に存在する6つの国が関係している。

 それは前代未聞であり、未知の領域だ。

 勿論俺1人の力だけでは不可能だ。

 まずはここである程度の人材を揃えておかないと。

 しかし、そう簡単に賛成してくれる奴がいるだろうか。

 能力者と無能力者の間には深い溝がある。

 それは能力者の存在が確認されてから2009年経った今でも全く埋められず、逆に溝は深くなるばかり。

 無能力者が能力者を嫌う様に、能力者も無能力者を嫌っている。

 それで仲良く手を取ろうなど、もってのほかだ。

 しかもその第1歩がなぜ能力者では無くてはならないのだと、そう思う奴も沢山いるだろう。

 しかしだからといって、行動しない訳にはいかない。

 この長きに渡る冷戦に、誰かが終止符を打たなくてはならない。

 そうすると、やはりジャスターズへの勧誘は好条件に思えてくる。

 しかし、今はその時では無い。何かは分からないが、今では無いとは分かる。

 力を蓄え準備をし、然るべき時に出し切る。

 今はその蓄えの時だ。

 焦ってはいけない。俺にはまだまだ先がある。人生がある。

 生まれ落ちて17年と少し。誰が俺を年寄りと叫ぶのか。

 目標は高ければ高い程現実味を帯びない。

 だからこそやってやると、そう妄言できる。

 勘違いは時に人を強くする。誰かがそう言っていた気がする。

 

 部屋に戻り床に就く。

 瞳を閉じるが眠りにはつかない。と言うより、つけないのだ。

 目標が立ち、少し興奮している事もあるのだろう。

 簡単な話落ち着かないのだ。

 今まで人生の事など考えもしなかったし、考える必要も無いと思っていた。

 しかしいざ考えてみると、意外と楽しいものだ。

 これを機に、色々なことについて考えてみるのも悪く無いだろう。

 これもクリミナルスクールの影響なのか、それとも俺が流されやすいのか。

 そればかりは分からない。

 それにしても眠れないとは言え、数分目を閉じていれば眠れるくらいの疲れがある。

 先程とは違い悩みも無くなった事だし、少し寝るとするか。

 俺はそう思い、意識を深く落とした。

「おい! ストリートいるか」

 豪快に扉が開け放たれて、ナインハーズが入ってくる。

 俺は驚いて起き上がった。

「お前俺がいなかった場合とか考えないのかよ」

 うるささ極まりなかったぞ。

「確かに。けどいたからいいだろ」

「……まあな」

 部屋にいちまったからには、どうこう言う事はできない。

「それで、なんの様だ?」

「そうだ。校長にどうしても進路を聞いてこいって言われてな」

「進路……か」

「ああ。ストリートはジャスターズに行くだろうから自衛科だと思うが、他にも一応紹介しとく。これ一通り見といてくれ」

 ナインハーズから渡されたのは、1枚のA4サイズの紙だった。

 そこには、上から下までずらっと様々な科目が書いてあった。

 正直言って1番上に書いてある、さっきナインハーズが言ってた自衛科しか何を言ってるのか分からない。

 能力科とか言う能力を研究する科目も面白そうだが、やはりジャスターズへは行っておきたい。

 他には特に興味を惹かれる物は無いな。

 と言っても、元々決めておいた事だ。俺の意見は変わりない。

「自衛科一択だな」

「だろうな。じゃあ報告に行ってくる」

 ナインハーズが部屋をさろうとする。

「ちょっと待ってくれ」

「どうした」

 このままだと俺の進路がジャスターズ直行故、校長への言い訳が出来なくなってしまう。

「1つ条件がある。校長の誘いを断って、普通と同じ様に半年経ったら行くという条件にして欲しい」

「理由は」

「校長が気に食わないからだ」

「そんな理由で……って言いたいところだが、俺もあんま校長好きじゃないからな。……しょうがない。適当に誤魔化しといてやるよ」

「せんきゅ」

 まさかこんな理由で通ると思って無かったが、まあ通ってしまったからにはいいだろう。

「じゃあな。あと、そろそろ敬語にしてくれ。教師として威厳がなくなる」

「気が向いたらな」

 不満そうにナインハーズが出て行く。

 俺がロリコンとデマを流したナインハーズには、敬語なんて使う気はない。

 使ってやるものか。

 ナインハーズも去った事だし、今度は本当に寝るか。

 そう思い、数分後俺は眠りについた。



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新たな仲間

 朝起きると、目の前には年老いた男が立っていた。

 髪は白髪の猫背で、身長は大体俺くらいだろう。

 周りは全面真っ黒でどこまで続いているのか、先が見えない程にそれは永遠と広がっている。

 不思議と男の輪郭だけがくっきりと見えており、そこだけは暗闇に染まっていなかった。

 その男はこちらを見ている様で見ていない様にも思える。

 近づこうにも近づけず、脚が動かない訳ではないのに、一向に男との距離が縮まらない。

 この時俺は、これが夢であると悟った。

 ばっと男は俺を見る。

 そして俺にこう告げた。

「チェ……サーよ、……ズを……には3人の……が必要……る」

 途切れ途切れで何を言っているのかは断片的にしか分からない。

 しかし、この男が俺の名前を知っているという事は、断片的ながらも理解することが出来た。

 男は続けて言う。

「丁度1年……プランドへ……。そい……を……れて来い」

 すっと男は姿を消し、残るは暗闇に佇む俺だけとなった。

 プランド。初めて聞いた言葉だ。

 これの意味する事が、誰かの人名なのか、何らかの言葉なのか、どこかの場所なのか。それは分からない。

 しかし、その言葉ははっきりと脳裏に焼き付けられた気がした。

 それと3人がどうとかも気になる。3人となると、チープ、スウィン、トレントしか俺には考えつかない。

 ハンズが入ってないのが仲間外れな気がするが、元々あいつとはそこまで仲良くはない。というか話していない。

 とにかく、その3人がどうしたのだろう。

 文面的に考えてみるに、その3人をプランドへ連れて来い。と捉える事が出来る。

 となると、プランドはどこかの場所を表している可能性が高いな。

 これだけ頭を回転させても、やはり断片的な情報からは断片的な事しか抽出する事が出来ない。

 この暗闇の深く底に叩きつけられた様に、俺は思考という名の迷路に迷い込んでいた。

 その時、頭上から誰かの声がする。

「…………ト、スト……ト、ストリート」

 その声は途切れ途切れから段々鮮明になり、遂には誰かの声と分かるまでになった。

 

「ナインハーズ!」

 勢いよく起き上がり、俺を起こしに来たであろうナインハーズが驚いていた。

「どうしたそんな大声出して」

 昨日大声出してたお前には言われたくねえよ。

「いや、なんかの夢を見ててな」

「夢? 悪夢でも見たか」

「悪夢と言うよりは、助言?」

「は?」

 正直俺も言われたら、頭にクエスチョンマークが浮かぶだろう。

 『と言うよりは」の使い方知ってる? みたいな文章だしな。

「何か老人が俺に話してた気がする」

「夢にまで出てくる老人ってどんなだよ」

「それは知らなんけど、プランド? とか3人を連れて来いとかなんとか言ってたな」

 俺が思い出そうと適当に言葉を放っていると、ナインハーズは驚いた様な顔になる。

「それをどこで聞いた!」

 俺の両肩をガッチリ掴み、詰問してくる。

「おおお、急にどうした。それってどれのこと言ってんだ。プランド? 3人? 連れて来い?」

「プランドだプランド。それをなんで知ってる!」

 どうやら地雷とはいかないが、何かナインハーズの触れてはいけない部分に触れてしまった様だ。

 あ、それが地雷って言うのか。って思っている状況じゃ無い。

 とにかくナインハーズを落ち着かせないと。

「プランドってのは知らんが、夢で聞いた。老人が言ってたんだよ。とりあえず落ち着け」

「その老人ってどんな奴だ!」

 ナインハーズがあまりにもうるさかったので、俺はつい頬にビンタをしてしまった。

 バチンと破裂音が部屋に響き渡り、沈黙が訪れる。

 ナインハーズも急に頬に走る痛みに、思考が停止している様だった。

 俺はなんとなく、日頃の……を込めてもう1度裏手でビンタをした。

 再び響き渡る破裂音。

 恐らく1度目より2度目の方が、大きい音が出た気がする。

 そして当然のように沈黙は訪れない。

「2回目は要らねえだろ!」

 俺が手をパーで叩いたなら、ナインハーズはグーで殴り返して来た。

 防ぐ間もなく俺は壁に叩きつけられた。

 俺が感じた痛みの中で最も強い衝撃が腹部に走る。

「うがっ。ちょっ、本気でやんなよ」

「ストリート。今までは特別枠で見逃してやってたが、今回は許さねえぞ」

 ずり落ちる俺を見境なく、思い切り右ストレートを放ってくる。

「ガチじゃん」

 なんとかギリギリで右に避け、拳を回避する。

 それは壁を突き破り、およそ貫通してるであろう程腕がめり込んでいた。

「くっ。ぬ、抜けねえ」

 ナインハーズは腕を抜いて、再び俺に制裁を食らわせようとしている。

 今回に関しては俺が8割型非があるだろうが、この威力は無いだろ。

 俺はすぐさま立ち上がり、部屋の入り口に全力疾走する。

「おい」

 後ろから声がして、俺は止まる。

「な、なんでございましょう」

 緊張して声が裏返る。

「口調がいつもと違うが、まあいい。昨日の件、校長はオッケーって話だ。あと、このまま逃げるのもいいが後で覚えとけよ」

「う、うす」

 腕が壁にめり込んで、生徒にケツを向けた状況でもちゃんと報告するんだな。

 教師の鏡と言うかなんと言うか。とりあえず、そのケツに敬礼!

「おい、何してんだ早く朝の集会場行け。それと俺のケツに敬礼すんな。視野的にギリギリ見えてんだよ」

 見えてたんだ。恥ずかし。

 ナインハーズのツッコミの後に、特に何も言う事が無かったので、再び沈黙が訪れた。

「……助けた方がいい感じ?」

「……おん」

 壁を脆くして腕を抜く間、俺たちはなんとなく無言を突き通していた。

 

 ナインハーズに案内された集会場は、俺の部屋から近くもなく遠くもない場所にあった。

 走って来たので2分くらいしか掛からなかったが、歩きで行くとなると朝から重労働を強いられる事となる。

 なにせここにはエレベーターは無く、地図も無い。

 もし俺が1人で行くとなると、走りでも今日の7倍は掛かるだろう。

 ナインハーズが扉を開ける。

 クリミナルスクールは人数が多い分、こういう施設の規模もでかい。

 見渡す限り生徒、生徒、生徒。

 ステージに校長、壁際に少し先生がいるだけで、大部分は生徒が占めていた。

「ほらあそこ見えるか」

 ナインハーズが指し示した先は、大体30人くらいが集団で座っている場所だった。

「見えるけど、それがどうしたんだ」

「本来ならあそこに君も混じってるはずなんだが、あまりにも遅刻が多いという理由で、俺の独断で後ろの席に座ってもらう事になった」

「……勝手すぎないか?」

「なんか言ったか?」

「なんでも」

 圧が工場で使われてるプレス機のあれだ。

 ナインハーズが言ってるのは、恐らく前に行ったクラス分けテストの様な事だろう。

 Aクラスと言われた俺は、あの少数の中に入る予定だったが、遅刻が理由で後ろになるとはな。

 俺もやりたくてやっている訳では無いんだが。

 仕方がない。適当に後ろの席に座る事にするか。

 俺は入り口に1番近い席に座った。

 すると、横から何者かに話しかけられた。

「よ。お前も遅刻組か」

 そこには見るからに、問題児ですみたいなオーラを放っている、いかにも不真面目そうな生徒が座っていた。

「遅刻組がどういうのかは知らんけど、あんまり入って得する場所では無さそうだな」

「ははは。確かにそれは言えてるな。ちなみにお前は何クラスなんだ?」

「Aクラスだけど。お前は?」

「Aクラスだと! お前、もしや俺らBクラスの問題児らを馬鹿にしに来たのか」

 そう言い、その男は変な構えをする。

 最近の問題児は、自分が問題児って自覚があるんだな。

「別にそう言う訳じゃない。第一、1クラス違うだけでそんな変わるのか?」

「変わるに決まってるだろ。なんてったって、Bクラスはジャスターズに行ける割合が6パーセントに対して、Aクラスは半分の50パーセントなんだぞ」

「へー。Aクラスでよかった」

「やっぱ馬鹿にしてんじゃねえか!」

「してないしてない。半分落ちるんだろ? あんまり変わらねえじゃん。その6なんとかと」

「クソテメェ」

「君たち何騒いでんの?」

「うげっ」

 声のした方へ振り向くと、いつも以上にニコニコとしたナインハーズが顔を覗かせていた。

「いや、ナインハーズ。別に喋ってた訳じゃないんだ」

「じゃあ黙って前向け」

「……はい」

 俺は言う通りにする事しか出来なかった。だってナインハーズの顔が怖いんだもの。

「怒られたな、お前。ってか名前何?」

 てかラインやってる? 的なノリで聞いてくるな。こいつ。

「チェイサー・ストリートだ。お前は?」

「俺はノイズ・カスケードだ」

「どうりでちょくちょく左耳に雑音が入ってくるのか」

「そんなうるさくなかっただろ」

 お前が話しかけなかったら、俺は怒られずに済んだんだぞ。

 と言っても仕方ないだろうな。

「はいはい。そんなだったね」

「また馬鹿に——」

「おいストリート。後で職員室な」

「俺が悪いのー?」

 今回は俺悪くないだろ。

 多分あれだな。ナインハーズは俺にビンタされた事を根に持ってるんだな。

 ……まあ、あれは根に持っても仕方ないか。

「なんで俺しか怒られねえんだよ」

「チェイサーがうるさいからだろ」

 お前も大概だろ。

 と言いたいところだが、これ以上怒られるのは流石に面倒くさくなりそうなので、俺は全力でノイズを無視する事にした。

「おーい、おーい。む、これはもしかして無視というやつですな」

 謎に推理を働かせているノイズ探偵を横目に、俺は前を向いて校長の話を聞く。

 それにしても相変わらず面白くない話ばかりするな。校長は。

 挨拶だとか礼儀だとか。大事なのは分かるが、今言う事でもないだろ。

 全意識を集中させて校長の話を聞くが、なおちょっかいをかけてくるノイズに、俺はついにしびれを切らした。

「お前少し黙ってろ!」

 ノイズに向けて放った直後、俺はここが集会場という事に気が付き、頭の中は後悔で埋め尽くされた事により、ノイズに対しての怒りは消えていた。

 このままナインハーズや他の先生に捕らえられて、俺の学園生活が終わるんだろうな。

 そんな感じの事を一瞬で考えていた。

 しかし俺の予想していた展開とは異なり、生徒や先生、挙げ句の果てに無音の時に聞こえるキーンやスーとも言い表せない様な音すら、全てが止まっていた。

「え、どうなってんだ」

 その中で動いていたのは俺だけ——。

「凄いだろ。俺の能力」

 ならよかったんだが、残念な事に雑音ノイズ君も一緒に動けているらしい。

「凄いも何も、これどうなってんだよ」

「いや、チェイサーが大きい声出すから助けたんだろ」

「大声出すって……。まあ、確かにさっき状況はやばかったな」

 どうやらこの時間停止はノイズの能力の様だ。

 綺麗に皆止まっていて、先程怒っていたナインハーズも微動だにしない。

 滅多にないチャンスなので、俺はナインハーズの右足と左足の靴紐を一緒に結ぶ。

「これでよし」

 ナインハーズが一歩動こうものならば、こいつは転けて恥を掻く事になるだろう。

「何してんだ。早く行くぞ」

 いつの間にか入り口にいるノイズが、手招きしてくる。

「行くってどこに」

「逃げるんだよ。俺の能力が解けた瞬間、お前の大声がここら中に響き渡るんだぞ」

「それはまずいな」

 俺は立ち上がり、入り口へと向かう。

 能力を解除した瞬間俺の声が響くと思うと、少し笑えてくる。

 しかも言った本人がいないとなると、それこそ傑作だ。

「ふっ」

 俺は思わず少し笑う。

「何笑ってんだよ。変な奴だな」

「お前には言われたくねえ」

 この笑みがこれからに対してなのか、それともこの新たな問題児の出現に対してなのかは、俺には分からない。

 それにしても、夢で老人が言ってた3人ってやつ、こいつ合わせると4人になるぞ?

 どういう事なのか理解に苦しむが、とりあえず、今はここから逃げる事を考えよう。

 俺は足音を弾ませ、外へ出た。



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ノイズの能力

「そう言えば、どこに向かってるんだ?」

 俺はノイズに連れられて廊下に出ていた。

「ん? 森林だよ森林。多分今日はあいつらも来てると思うし」

 あいつら? もしかして新しく2人の仲間が増えるのか?

 そうなると、あの老人の夢は予知夢という事になる。

 だとしたら楽しみだな。一体どんな奴らが待っているんだろう。

「お邪魔しまーす」

 ノイズが森林への扉を開ける。

 そこにいたのは新たな仲間——。

「ノイズジャーン」

「おおノイズ。来たのか」

「あら。チェスも一緒とは珍しい組み合わせですね」

 ではなく、チープ、トレント、ハンズの3人だった。

 こいつらいつも森林にいるのか?

「なんだお前らかよ」

「なんだって、チェスは何に期待してたんだ?」

「この学校に女は少ねーぞー」

「女? チェスは女を探しに来てたんですか?」

 ハンズめ。チープに変な誤解をさせるなよ。

 ってか、ノイズはこの3人の知り合いだったのか。

 どうりでサボり方が慣れてると思った。

「なんだチェイサー。お前もこいつらの知り合いだったのか」

「おいおいノイズ。俺らに対してこいつらって、調子に乗ってるな?」

「ん? ああ、すんません」

 ハンズ。完全に嘗められてるな。

「それでどうしたんだ? 遂にチェスも問題児デビューしたのかな」

「遅刻組だったり問題児だったり、俺はそんなものになった覚えは無いぞ」

「そうなのか。俺はてっきり仲間かと」

 お前は黙ってろ雑音。

「ただ、少しやらかしてな。ちょっと抜け出してきた」

「珍しいですね。チェスがやらかすなんて」

「そうだな。ちょっとこいつがね」

 俺はノイズを指差す。

 それに対して、ノイズは何のことかとキョトンとしている。こいつめ。

「それよりどうです? チェスもまたゲームしませんか?」

「ゲームか。なんか久しぶりな気がするな。いいぞ。やろう」

 ハンズが参加をしてるのは、スウィンがいないからか?

 スウィンがハンズをいじめてる光景が容易に想像できるな。

「これで5人だな。チーム分けはどうするか」

「俺とチェイサーでいいんじゃないすか?」

「は? なんでお前なんかと」

「オッケー」

「うん。いいよ」

「分かりました」

 決まっちゃったよ。あっさりと。

「……まあいいや。じゃあノイズ、よろしく」

「よろよろ」

 本当に大丈夫かこいつ。心配でしか無いんだが。

「じゃあこれが鳴ったらスタートね」

 そう言い、トレントは丸い空気の塊を作り出す。

「なんですかこれ」

 ノイズが疑問に思うのも無理はない。

 事実俺もトレントの能力を全て知っている訳では無いからな。

 少し気になるところではある。

「これは空気の周りに薄く膜を張ったものだよ。これを段々小さくしてって、空気を圧縮していく。そうして、中の圧力が膜の強度を越した時に破裂するって仕組みだよ」

「ほぇー便利だな」

 ただ空気を操るだけと思ってたが、こんな応用の仕方もあるのか。

「じゃあ始めるぞ」

 その合図と同時に俺たちは四方八方に散る。

 後何秒であの球体が鳴るのかは知らないが、とにかく今は距離を取ろう。

「あいつら一斉に来ると思うか?」

「いや、馬鹿なハンズがいる限りそれは無いだろうな。あいつのせいでコンビネーション皆無だと思うし」

「信用ないな」

 トレントはともかく、チープは難しい作戦とか苦手そうだしな。

「って、なんでお前ついて来てんだよ!」

 いつの間に来てたんだ。

「え? いや普通ついて行くでしょ。2対3だぞ」

 ……言われてみれば確かにそうだな。

 トレント達は団体行動はしないと予想出来るし、俺たちが2人で行動すれば、必然と2対1になる。

 つまり、2対3という不利を覆せるのだ。

「流石に何か作戦があっての行動なんだろ?」

「作戦か。……今考える」

 そうだよなー。ノイズだもんな。期待した俺が悪かった。

 まあ、最低作戦が無くても数の利がある。

 よくて擦り傷、悪くて骨折程度で済むだろう。

 ……悪くての方がかなり重症なのが不安だな。

「とりあえず、もう少し草の生い茂ってる所へ行こう」

「なんでだ? それだと視界が悪いし、動きにくいだろ」

「それもそうだが、今回の5人の中で物質に付与する能力を持ってるのは俺だけだ。トレントが俺を見つけて他の2人に伝えても、戦闘に負けなければいい話だ」

「なるほど。考えたな、チェイサー」

「誰かとは違うからな」

「だがそれだと、俺の能力が発揮されなくないか?」

「お前は時止めて適当にサポートしてくれ」

「俺時なんて止めらんねえよ」

「は? さっき止めてたじゃねえか」

「いつの事だよ。第一、そんな最強の能力者がBクラスな訳ねえだろ。はっ。お前馬鹿にしてるな!」

「してねえよ! くどいなお前は。じゃあお前の能力はなんなんだよ」

「俺か? 俺の能力は時を遅くする能力だ」

「あんま変わんねえじゃねえかよ」

 ってか、時を操る関係なら察しろよ。

「変わんないって、お前何にも分かってねえな」

「ああ。分からねえよ。説明してくれ」

「いいかよく聞け。1回しか言わないからな」

 なんで1回しか言わないんだよ。大事な事なら1回以降も言えよ。

「時を遅くするってことは、全生命、全物質が遅くなるって事だ」

「それは言われなくても分かる」

「だがだ。だが。時を遅くするには、対象に抵抗をつけなくちゃいけねえ。例えるならピーナッツバターの中でバタフライする様なもんだ。けど時を止めるって事は、抵抗も何も相手を完全に止める事であって、力をそんな必要としない。しかも発動したら俺も一緒に止まるからな。能力の発動だけで見たら、時を遅くする方が断然弱い」

 そんなRadio Ga Gaみたいな入りで短所言われてもな。

 例えにピーナッツバターを入れてくるのもよく分からんし、もしかして戦闘向きの能力じゃないのか?

「今のところ、短所しか聞いてないが大丈夫か?」

「もちろん。俺の能力にも長所はある。それは」

「それは?」

「思考も遅くなるって事だ」

 やばい。頭の中でクエスチョンマークのバーゲンセールを行ってる。

「つまりどういう事だよ」

「能力の発動はフルオート系、自然系じゃない限り、意思的に行われる。思考を遅くするって事は、どんなに速く動ける相手でも、時を止める相手でも、能力を発動させるのにタイムラグを生じさせる事が出来るんだ」

「それって先手を取らないといけなくないか? しかも、ハンズみたいな能力者なら思考中の時間も埋められるだろ。速さで」

「そうとも限らない。相手が注意深い奴なら、能力を使われる前に距離を取る。それも速く動ける奴となれば尚更ね」

 相手が動く前に能力を発動させる事が前提で、攻撃手段は特に無し。

 完全サポート役の能力に思えるな。

「パンッ」

 遠くの方で何かが弾ける音がする。

 どうやらゲームが始まったようだ。

「まあ、喋ってる余裕もなさそうだし、とりあえずあそこいくぞ」

 俺はより深い森林の入り口を指差す。

「おっけ。ちなみに目の前にハンズがいるけどどうすればいい?」

「ん? ああそれは——っていつの間に!」

 俺は後ろへ全力で飛ぶ。

 特に攻撃された訳では無いが、ハンズの様な能力ならとにかく距離をとった方がいい。

 しかし、それも意味がないのだろう。

 一瞬で距離を詰められる。

「俺からは逃げられねーぜ! チェス!」

 ハンズの姿が一瞬で消える。

「まずい!」

 俺は急いで防御の体制を取ろうとする。

 がしかし、次の瞬間目の前にハンズの姿が現れた。

「え?」

 ハンズも驚いている様子で、俺も驚いている。

 舞い散る木の葉は静止し、避けた事で飛び散った土も綺麗に形を留めている。

 その未知の光景の中で冷静だったのは、唯一ノイズだけだった。

「チェイサー! 足を拘束しろ!」

「お、おう」

 俺はハンズをしっかり目で捉え、そこら中のツタを伸ばして拘束する。

 その間ハンズはなんの抵抗もなく、あっさりと俺に捕まった。

「なんだこいつ。全然抵抗しなかったぞ」

「ハンズは発動系だからね」

 ノイズの発言で俺は納得する。

 オート系のノイズの能力に対して、ハンズの能力は発動系。一瞬動きが速くなるだけで、それ以降は普通の人間と同じ。

 ハンズが抵抗も無しに動けなくなるのはその理由だ。

「速く動けてるけど発動系って、こいつ雑魚じゃね?」

「チェイサーはその雑魚にやられそうになってたんだぞ?」

「うるせえな。拘束したのは俺だぞ」

「へいへい」

 再び時が動き出し、ハンズが意識を取り戻す。

「あれ!? 俺捕まってる!」

 ノイズの能力が強いのか、ハンズが馬鹿なのか、どっちか分からないが、とりあえず1人拘束する事ができた。

 後はこいつに参ったと言わせるだけだな。

「おいハンズ。参ったと言え」

 俺はハンズの眼球の前に、尖らせた木の棒を突きつける。

「ほらほら。早くしないとー」

「意外とチェイサーはSなんだな」

「こんくらいしないと馬鹿は言わねえよ」

「おい。危ねえって。刺さる。刺さっちまう」

 こいつは筋金入りの馬鹿だな。参ったって言えばいいものを。

 俺がハンズをおちょくっていると、突然身体が動かなくなる。

「ぐうっ。なんだこれ」

 指先がピクリともしない。

「チェス。馬鹿に気を取られ過ぎたね」

 俺の目の前に現れたのはトレントだった。

 しくった。既に俺の位置を捉えてたか。

「お前ら俺の事馬鹿って言い過ぎだ! それよりトレント助けろ!」

「ちょっと待ってろ。今助けるから」

 そう言い、トレントはハンズの足に絡みついたツタを解く。

「ミイラ取りがミイラになったー。チェス」

「難しい言葉知ってんだな。馬鹿のくせに」

 ちょっと使い方違うし。

「また馬鹿って言ったな!」

 ハンズは俺に向かって拳を振り下ろす。

 しかし、それは俺の顔の横寸前で止められた。

「おかしい。ノイズがいない」

「ノイズがどうした。元々別行動だろ」

「あれ? 気のせいか」

 どうやらノイズは俺が捕まってる隙に逃げたらしい。

 ハンズにはノイズの存在に確信が持てていないらしい。

 なにせ直接対峙したのは俺だけだからな。

 馬鹿なハンズには、あの一瞬の出来事を推理するほどの頭は無さそうだしな。

 能力差、戦力差的に賢明な判断だと思うが、俺を助ける余裕は無かったのか?

「まあいいや。参ったは後で言わせるとして、今は戦闘不能になってもらうぜ。じゃあな、チェス」

 ハンズは再び俺の顔面目掛けて拳を放つ。

「ちょっと待て」

 俺の声でハンズの拳は止まる。

「今度はなんだよ!」

「俺の能力は手から発動させるんだ。戦闘不能にさせるなら、俺の手を使えなくした方が得策だぞ?」

「……確かにそうだな」

 よし。

「じゃっ。ここでへばってな!」

 ハンズの右手が俺の左手に触れる。その瞬間。俺の左手の拘束が解けた。

 その瞬間を逃さず、俺は地面に触れて土壁を作る。

「なに!?」

 一瞬で俺とハンズたちの間に隔てができた。

 そして落ちてるツタに触れ、伸ばし、器用に後ろの木へと引っ掛ける。

 伸ばしたツタを縮め、トレントの射程外へと飛び退く事に成功した。

「チェスめ。騙しやがったな」

「追うのは無理だね。もう2人の射程外に出たよ」

 後ろの声が遠ざかる。

 なぜ俺が動けたのか。それは簡単な話で、理由はトレントの能力にある。

 トレントは俺を拘束する時に、俺の周りの空気を固めなくてはならない。

 しかしハンズが攻撃する瞬間、その空気が邪魔になる為、攻撃部分のみ能力を解かなくてはならない。

 俺はそこに付け込み、左手の拘束を解かせる事が出来た。

 我ながら機転が効いたと思うが、次に拘束されたらもうチャンスは無いだろう。

 とにかく、今は遠くに逃げよう。

 木々を伝いながら、俺は移動する。

 あるものを見つけ、俺は急ブレーキをかけた。

「うげっ」

 そこには、今1番会いたくない相手がいた。

「あらら、チェスですか。奇遇ですね。私も1人なんですよ」

 今チープと闘うのは望んで無いんだが。そう簡単に逃してはくれないだろうな。

 ……ったく、ついてねえな今日は。



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甘さの勝負

 トレントとハンズからの逃走中、運悪くチープと鉢合わせしてしまった。

「1対1ですか。それもいいですね」

 チープはニコニコとして話しかけてくる。

 こいつはこう見えて、ごりごりの近接型だ。

 以前スウィンとの戦闘を1度だけ見たが、中距離と近距離を兼ね備えているスウィンに攻撃が当たらずとも、威力に関してはずば抜けていた。

 当たった木々は倒れ、折れ、果てには原型を留めて無いの物すらあった。

 そんな打撃を1度でも食らったら、完全に俺の敗北が決するだろう。

 なにせ、あのスウィンですら距離を置いて闘っていたからな。

 俺は安定した中距離、遠距離攻撃を持っている訳では無い。

 ノイズとの2人ならともかく、1対1では分が悪過ぎる。

 今は戦略的撤退をするのが得策だ。

 俺は勢いよく左に飛ぶ。

「どこ行くんですか?」

 が、いつの間にか近づいて来ていたチープに足を掴まれてしまった。

 マジかよこいつ。俺は本気で飛んだぞ。

「いやぁ、ちょっと小便?」

「嘘はよくないですね」

 チープは俺の足を掴んだまま、思い切り木に叩きつける。

「そして下品です!」

「がぁっぐ」

 ごもっとも!

 咄嗟の事に受け身も取れず、俺は木に激突する。

 その木を破壊した威力から、俺はこのゲームが遊びであって遊びで無いと再び思い知らされた。

 幸いな事に、木が脆かったお陰で強打は免れたが、それでも一瞬俺の意識を飛ばすのには十分だった。

「まだまだですよ!」

 そのまま俺を、まるでピッチャーが150キロメートルの豪速球を投げる様に、いとも簡単に投げ飛ばした。

「うぅがあ」

 もちろん障害物にぶつからない訳もなく、俺は再び木に叩きつけられる。

「ふぐっ」

 しかし投げた事により、直接振り回されるよりも威力が落ち、今度は受け身を取れる事が出来た。

 こうなったら殺るしかない。

 俺の中で静かに闘志が燃えていた。

「チープ。お前は確かに強いが、やっぱり甘いな」

「なんですって?」

「上を見てみな!」

 チープは俺の発言に釣られて上を見る。

 しかし俺が先の間に罠を仕掛けられる訳もなく、完全なるはったりであった。

「——騙しましたね!」

 上を確認した事により、俺がはったりを言ったと気が付くまでに出来た数秒の隙。

 だがそれは、俺の攻撃には十分の隙であった。

「すまんチープ。ちょっと目瞑ってな」

 俺はチープの両腕を掴む。そしてそれをゴムの様に伸ばし、後ろで結んだ。

 絵面的にはとても不気味で、とても人間技とは思えない。自分でも残酷な拘束方法だと思う。

「これはこれは。してやられましたね。ですが」

 みしみしと骨の軋む音がする。

 そして俺が縛った筈の腕が、段々と解けていく。

 腕は能力で伸ばしただけなので、骨の構造は全く変わっていない。

 だからこそ、この状況が異様と言える。

 チープは平然と、しかも力技で自分の腕を解いているのだ。

 骨が鳴るのも当然だ。外れた腕をはめ直すではなく、逆にもっと外そうとしているのと同じ様な事だからな。

 俺はその光景に耐え難くなり、能力を解いてしまった。

「甘いのはどっちでしょうかね」

「くっ」

 チープはすかさず俺に近づいて、拳を振るう。

 俺が防ぐ間もなく、懐にチープの拳の侵入を許してしまう。

 腹を狙っていたのかと注意していたが、すんでのところで軌道が顎へと修正された。

「マジかよっ」

 手で防ごうとしていた事もあり、今俺の顎はフリーな状態。

 急所を狙うとしたら、脳震盪を起こす顎の方がみぞおちより断然効果的だろう。

 しかしこの威力で殴られたら、脳震盪の前に俺の頭が吹っ飛んじまう。

 まずいと思い、俺はギリギリの所でのけ反った。

「そう来ると思いました」

 そう言い、恐らく1番の狙いであったであろう、俺の全体重の乗った足を蹴る。

 俺は当然体勢を崩され、一瞬中に浮いた。

「フィニッシュです」

 そのまま俺の腹を殴り、今度は地面に叩きつけられる。

 みぞおちを狙わなかったのは、チープの情けだと受け取っておこう。

 しかし、十分過ぎるダメージ。これでは戦闘不能になったも同然だ。

「普通の奴ならな」

 砂埃が晴れた時、既に俺の姿はそこには無かった。

「——! チェスがいない!?」

 危機一髪だったー。

 もろに腹に打撃を食らったが、その先に地面があったのが幸いだった。

 地面の直撃と同時に、脆くして簡易的なクッションを作った事で、全てとは言わないがある程度衝撃を分散する事が出来た。

 そのお陰で、自分でもよく分からない位のところまで深く潜ってしまったがな。

 しかしこれで、少し休める。

 不安なのはここから出る方法と、酸素の問題だ。

 やはりあまり長居出来ないか。

「ゴゴゴガガゴゴゴ」

 上の方から不吉な音が迫って来ている。

 もう1つの、起きる事は無いだろう思っていた不安の種が芽生えた様だ。

「こいつ、なんでもありかよ」

 上から近づいて来るこの音。

 これは恐らくチープが地面を掘っている音だろう。

 追って来る可能性がない訳では無かったが、まさか本当に追って来るとは。

 とすると俺のする行動はただ1つだけだ。

 チープを迎え撃つ!

 普通この状況だと、地の利や近距離戦闘というチープに有利な事ばかりだが、逆にこの不利を利用する。

 チープは必ず自分が有利だと思って疑わない。

 それこそが油断を生む。

 そしてこの地面の中というアドバンテージ。

 俺は土を脆くして自由に動けるのに対して、チープは壊しながら動く事しか出来ない。

 土が多ければ多い程、俺が戦闘に使用する武器が増える。

 完全に俺のフィールドという訳だ。

「チェス。そこですか!」

 来た。上前方2メートル。1メートル。

 ……今だ!

「機転が効く様ですが、ここまでです!」

 俺を見つけたチープが、必然と拳を放って来る。

 その体勢では足は使えないだろうな。なにせ土竜の様に真下に掘って来てるんだから。

「まだまだ俺の機転は効くぜ」

 俺は間一髪で壁を脆くして避ける。

 そしてすかさずチープに接している土の強度を上げる。

「ぬっ。身体が動きません」

「さあチープ、参ったと言え」

 俺はチープの腕も拘束し、喉元に土で作った針を突き付ける。

 此処ならトレントに邪魔をされる事も無いだろうし、徹底的にに拷問出来るが。

「どうしたんです? 早く突き刺せばいいじゃないですか。もっとも、私には効きませんがね」

 よく言うぜ。本当に効かないなら俺はとっくに滅多刺しにしてる。

 だが、チープは傷の治りが尋常じゃない速さなだけで、痛みは感じる。

 そんな奴に無制限な拷問をする度胸も、勇気も俺には無い。

 そこがチープに甘いと言われる所以なのだろう。

「やはり甘いですね——」

 チープがそう言い放った瞬間、目の前に広がった光景は先程の暗い地面の下ではなく、木々が生い茂り、草は生え、伸びきったツタがぶら下がっている、ゲームが始まった当初の光景だった。

「どうなってんだこりゃ」

 目の前にはツタで拘束されたチープが横たわっていた。

「参ったって言ったよ。チープは」

「え?」

 その横にはノイズが立っており、チープを見下ろしている。

 一瞬で景色が変わったのはこいつの能力の様だ。

「吐くまで拷問した。遅い時の中で」

「鬼畜だな」

 俺には出来ない芸当だ。

「そうでもないさ。必要ならそうする。それが俺たちだ。まあ、出来ないなら出来ないで、それも一種の生き方だな」

「……そうだな」

 ノイズに説教されてしまった。

 こいつはそんな気は無いだろうが、俺の心には十分響いた。

 俺のこの甘さが、これからに影響しなければいいんだが。

「それで。これで2対2になった訳だが、どうするノイズ。ハンズの馬鹿とトレントなら、ギリギリ勝てるんじゃないか?」

「ハンズは置いておいて、トレントは厄介だぞ。不意打ちは出来ても、それからが難しい」

「ずっと時間を遅くしてればいいだろ」

「そんな簡単に言うなって。さっきも言った通り、俺の能力は抵抗をつけてるんだ。抵抗をつけている対象を動かしたら、能力が長く続かないのは分かるだろ?」

「まあ、確かにそれもそうか」

 案外融通が効かない能力なんだな。

「じゃあどうする。このまま相手が襲って来るのを待つのか?」

「……それもありだが、今考えてる作戦があるからそっちでいいか?」

「……俺を見殺しにしたりしないか?」

「しないって。第一そんな酷い事した覚えないぞ」

 さっきは見捨てたくせによく言うぜ。

「分かったよ。じゃあその作戦を教えてくれ」

 

 『トレントとハンズは、チェイサーが単独で行動していると思っている。だからあいつらも別々に行動する筈だ。敵を探してるふりをして、トレントを誘き出すんだ。そしてそこを2人で倒す。ハンズは後で適当にやろう』と言っていたが、簡潔に言えば囮作戦だろ?

 あまりいい思い出が無いのだが、他に作戦がある訳でもないので仕方がない。

 とりあえず、適当にぶらつくか。

 そう思い、俺は歩きにくい小道よりも、障害物が少なく見渡しのいい道を歩く。

 こうすればトレントにも見つかりやすくて、俺も発見された時に気が付きやすい。

「かさっ」

 どこからか葉の擦れる音がする。

 しかし気配は無く、この慎重さからしてトレントだろう。

 俺を見つけてから機をうかがっているのか。

 だからと言って、俺も隙を見せる事はできない。

 トレントの実力なら、不意打ちされたら瞬殺されかねない。

 そこまで俺も馬鹿じゃ無し、ノイズだってそうだろう。

 俺には言ってない作戦があるに決まってる。

 だがここで黙って歩いてるのもつまらない。

 やられる前にやるか。

「うお! 珍しい小枝!」

 俺はさりげなく屈む。

 そして地面に触れ、今出来る最高範囲である半径12メートルの土を脆くする。

 高範囲なので、足がいつもより少し沈むくらいで、そこまで影響がないだろうが俺の狙いはそこじゃ無い。

 俺には索敵能力がなく、トレントにはある。

 その違いが、俺とトレントの今の状況を作り出している理由だ。

 しかし、どうやら今日の俺は機転が効く様だ。

 地面を脆くするという事は、俺の能力が付与されているという事。

 その上で動く生物、静止してる物質は、口の中に入っている1本の髪の毛と同様に、俺が探知出来る。

 欠点としては、トレントと違い地面と接している物しか探知出来ない事だ。

 そして、見つけた。トレントを。

 右斜め前方8メートルの木の裏に隠れている。

 どうやら動く気は無いらしい。

 土の凹み具合からして、大体2分くらい前からそこにいた様だ。

 なら、こちらからやらせてもらうぞ。

 俺は能力を解き、小枝を2本拾う。

 そして古代兵器の1つ、仕組みはなんとなくしか知らないが、その威力は絶大。

 そう。誰もが知っている、ボウガンだ!

 少し作るのに時間は掛かったが、迅速に弦を引き、矢を装填する。

 狙いを定め、後はトリガーを引くだけ。

「トレント。俺の1歩に付き合ってくれ」

 俺はそう言い、トリガーを引いた。



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参った

 トリガーが引かれ、張っていた弦が勢いよく縮み、それと同時に矢が放たれる。

 初速が優に500キロメートルを超える猛スピードで放たれた矢は、たかが8メートル前後でその軌道をぶらす訳もなく、真っ直ぐと狙った木へと飛んでいった。

 矢は木を破壊する威力は持たなくとも、貫通させるには十分だった。

 矢が貫通すると同時に、木の裏から人影が飛び出して来た。

 流石にギリギリのところで避けられたか。

 しかし趣旨はあくまで誘き出す事。

 これでトレントも戦わざるを得ないだろう。

「ちょっと掠っちゃったな。警戒はしてたんだけど」

「飛び道具は使った事無かったからな。俺」

 案の定トレントは姿を隠すのをやめ、俺の前に出て来る。

 さてノイズ、誘き出したぞ。

「後はお前に託した」

 と小声で言ってみたのはいいものの、俺もじっとしている訳にはいかない。

 不意打ちしてすら擦り傷。

 トレントとは今まで闘った事が無かったから、勘違いしていたが。

 判断力、洞察力、思考力。全てにおいて俺を上回っている。

 その差は大きく無いにしろ、戦闘となればそれが物を言う。

 先手を取っても、こう面と向かってはあっちが上。

 俺の頼みの綱はノイズだけだ。

「チェス。こうやって1対1で闘うのは初めてだね。俺はチェスの能力を十分理解出来て無いけど、それはチェスも一緒だよね。……どうかな。参ったって言ってくれない?」

 俺の中で何かが爆ぜる。

「ふざけんな。嘗めんなよトレント」

「それもそうだね。じゃあ、いかせてもらうよ」

 その言葉の後に、トレントが消える。

「上!?」

 跳躍とはどこかが違く、初速がバカにならない。

 相変わらず自分の能力の使い方が上手いな。

 しかし——。

「わざわざ的になってくれるのはありがてえ!」

 矢を装填しボウガンを構え、撃ち放つ。

 動いている相手はともかく、飛躍の最高地点はどんなに高く跳ぼうと静止する。

 俺はそこを狙って撃った。

 が、矢は当たる事なくトレントの横を通り過ぎる。

「周りの空気を操作しているんですよ。もう少し速度の出る武器なら話は別ですが、それっぽっちなら空気抵抗でなんとかなります」

 そうだった。トレントは空気を操作しているんだった。

 しかも最高地点の場所でずっと留まってやがる。

 能力で擬似的に空を飛ぶ事も出来るのか。

 遠距離が効かないと言いつつ、しっかり距離をとっている所が抜け目のない奴だな。

「どうしたんだいチェス。攻撃しないのかな?」

 さて、これをどう攻略したものか。

 近距離の殴り合いなら勝てる可能性があるが、まずの話俺は飛べない。

 そして遠距離も今はボウガンのみ。さっき防がれた事から、もうこれは使えないな。

 俺はボウガンを元の小枝に戻し、ポケットに入れる。

 なら、今出来る事は。

「トレント。そこ動かない方がいいぜ」

 俺は前へ走り出し、木に触れる。

 そしてそれを能力全開で上に伸ばし、トレントを狙う。

「どこが動かない方がいいぜですか。心理戦に持ち込むならもう少し考えた方がいいですよ」

 そう言い、トレントは俺の伸ばした木の軌道から外れる。

「あーあ。動いちゃったか」

 しかし木は真っ直ぐ上に伸びる事は無く、すんでの所で分裂した。

「なに!?」

「木っていうのは草と違ってしならないんだぜ。上に伸びる衝撃に耐えられなかったら、そりゃ分裂するさ」

 俺はすぐさま強度を高め、分裂した木の先でトレントを突き刺そうとする。

 しかしやはりここはトレント。

 自分に刺さるより先に空気の膜で衝撃を吸収した。

「ぐうっく」

 だからと言っても、ダメージは十分。

 脇腹、左腕、左足首に打撲の症状を与える事に成功した。

 そのまま落ちてくると思ったが、その気配は無い。

 どうやら上手く身体を捻り、半身だけで衝撃を吸収した様だ。

「いつまで上にいるんだ。早く降りて来いよ」

「それは無理だよ。今降りたら巻き込まれるからね」

「巻き込まれる?」

 突然、後ろの方から嫌な雰囲気を感じとる。

 後ろを向くと、そこにはなにも見え無かったが、明らかに異様な雰囲気を醸し出していた。

「——まずい!」

 ある事を悟った俺は、そこと反対方向に飛び退ける。

「もう遅いですよ」

 瞬間。俺の目の前が爆発した。

「あっづ」

 爆音と共に木へと叩き付けられる。

 幸い腕や足は吹っ飛んでいないが、少し火傷を負った。

 トレントめ。恐ろしい事しやがった。

 あいつは俺との距離からして、直接的な攻撃は無意味だと判断し、次に間接的な攻撃をしようと考えたらしい。

 トレントは俺が木を伸ばしているあの数秒の間に、俺の後ろに水素の塊を配置したんだ。

 水素4パーセント以上と酸素5パーセント以上を混ぜ合わせて点火すると、水素爆発が起きる。

 火など周りには無かったが、点火は圧力を一気に上げれば可能だ。

 普通密室で無ければ不可能な事を、トレントはこのオープンな場所でやりやがったんだ。

 完全にしてやられた。

 トレントがここまで精密な能力の操作を出来るだなんて。

 これは骨が折れると言うか、本当に折れたかもしれない。

 このままじゃ負けるな。

「さあチェス、立ち上がりなよ。そして——」

 うおっ。と言う声と共に、トレントがバランスを崩して空中から落ちて来る。

「そして、の続きは?」

 トレントの落下様に合わせたノイズの声は、俺にははっきりと聞こえた。

「ノイズ!」

 やっと現れたかこんにゃろう。

「おかしいな。能力が使えない」

 トレントが自分の両手を見ながら言う。

「使えない訳じゃ無いぞ。ただ、空気が遅いだけだ」

 トレントの能力はあくまで空気を操るもの。

 自ら空気を出している訳じゃ無いから、周りの空気が遅くなれば必然的に操り難くなる。

 今まで1キロの綿を運んでいたのに、それが全て水を吸って重くなってしまった様なものだ。

 それにしても、トレントの能力を理解した上での作戦なら、かなりの上出来だな。

 こんな方法があったとは。完全に盲点だった。

「で、ノイズ。これからどうすんだ」

 俺は立ち上がりながら言う。

「トレントは拘束しても意味無いと思うから、ここで参ったって言って貰おう」

 確かにそうだが、その方法を聞いているんだ。

 まあ、交渉してみるか。

「トレント。この状況で打開するのは無理だと思うぞ。お互い無駄な怪我はしたく無いし、参ったって言ってくれ」

「チェスこそ嘗めないで欲しいね。……と言いたい所だけど、流石に2対1で能力が使えないのは勝ち目が無いね。分かったよ。俺の負けだ。参ったよ」

 おおおおお。なんか新鮮だな。

 この前は全然闘え無かったし、さっきはノイズがやったから、今のが初の参ったなんだよな。

 なんか、勝ったって感じでいいな。

「よし、後はハンズだけだな」

 その言葉と共に時が動き出す。

「どうやって探すんだ?」

 トレントに協力して貰う訳にもいかないしな。

 だからと言って、こんな広大な場所で1人を探すのは不可能に近い。

 俺の探索能力はせいぜい12メートル。

 毎回毎回土を脆くして歩いてったら切りがないし、闘う時までに体力が保つかも分からない。

 どうすればいいんだ。

 ……それにしても、ノイズに話しかけたのにも対して返事が無い。

 まさか無視か?

「おい、ノイズ。どうやるかって訊いてるんだけど」

 振り向き様に話しかけ、その目が捉えたものは、ノイズの倒れる瞬間だった。

「え?」



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タイマン

「え?」

 俺が振り向くと、ノイズがバランスを崩して倒れている途中だった。

 バタンという音と共に、受け身も取らずにノイズが崩れ落ちる。

「ノイズ! 大丈夫か!」

 俺はノイズに駆け寄り、起こそうとする。

 しかし、その行動は何者かの攻撃で妨げられた。

「うぐっ」

 顔面に走る鈍い痛み。

 殴られた?

 実際は見えなかったが、この痛みの範囲と後味は何かによる打撃と思わざるを得ない。

 考えられるのは1つ。

「ハンズか」

 俺の問いに、答えは返ってこない。

 しかしトレントとチープが離脱した今、俺たちに攻撃して来るのはハンズだけ。

 返事がなくとも、十分に理解はしていた。

「殺り合うなら姿を見せろ! それとも怖気付いたか」

 俺の話が終わると同時に、今度は脇腹に激痛が走った。

「うがぐっ」

 どうやら交渉の余地は無い様だな。

 なら俺も、殺られる前に殺るしかない。

 まずは地面に触れて脆くする。

 しようとしたが、またもやそれは妨げられた。

「いっづ」

 今度は腕を蹴られた。

 こいつ、俺を完全に倒す気だ。

 ってか、無言で蹴ってくるの怖いんですけど。

 せめてオラァとかの掛け声はないのかよ。

 それとも、声出してるけど早過ぎて俺が聞き取れないとか?

 どっちにしろ無言での闘いは慣れないな。

 そんな事を考えていると、またもや顔面が殴られる。

「くそっ」

 俺は当たらないと知っていて、腕を振り上げる。

 ハンズは目に見えない程の速さで動いている。

 そんな奴に俺の打撃が当たる筈がない。

 ハンズは馬鹿で弱くて眼中に無い奴だと思っていたが、1対1だとこんなにも強いのか。

 不意打ちとは言え、ノイズは気絶させられたし。

 俺も首とか急所を狙われたら、流石に耐える事はできない。

 俺の能力は、物質を伸ばして強度を変えるというものであって、決して硬度を変える訳ではない。

 だからもし攻撃を防ぐ事に成功したとしても、俺の腕は壊れ難くなるだけで生身と変わりなく、衝撃は直に来る。

 こういう打撃系の能力に対しては強く無いのだ。

「ゔっ」

 今度は左足。

「ぐがっ」

 今度は左腕。

「ぎいっ」

 右肩。

「ぶがぁっ」

 背中。

「あがっ」

 右足。

「くそがっ」

 手を振り回し、攻撃を妨げようとする。

 このまんまじゃ切りがねえし、攻撃されたまんまってのも気に食わない。

 しかし、どうしたものか。

 速さと手数が圧倒的にあっちの方が上だ。

 近距離が当たるはずもなく、だからと言ってボウガンは100パー当たらない。

 完全に詰んでるな。これ。

 ……いや待てよ。なんでハンズは一撃ずつしか打って来ないんだ?

 いくら素手とは言え、威力はスピードがついてるからかなり上がっている。

 そう言えば、ノイズがハンズは発動系と言っていたな。

 とすると、速く動けるのは数秒。体感的に1、2秒って所だろう。

 しかし、ハンズの速さなら支障なく連撃を放てる筈だ。

「——!」

 俺はここである仮定を立てた。

 そしてそれが合っているかどうかを確かめる前に、俺は走り出していた。

 約4メートル進んだ所で地面に触れる。

 しかしそれは、しゃがんで触れると言うよりも走りながら触れていて、それから円を描く様に触れて走った。

 触れた地面はもちろん何も起こらない筈もなく、その自身を上に伸ばしながら中心に沿って曲がっていく。

 1周した時、俺の周りはドーム状の土壁で覆われていた。

 俺は壁際に立ち、アクションを待つ。

「なんだチェス。これで俺を閉じ込めたつもりか?」

 来た。暗くて見えないが、ハンズの声がする。

「やっと出てきやがったかコミュ障が」

 ドーム状の壁の高さは約5メートル。木が入るスペースなど無く、出て来ざるを得なかった。と言うより、出て来ても出て来なくてもあまり変わらないのだ。

「勘違いしない方がいいぜ。俺が出て来た理由は、別に追い詰められた訳じゃ無いぞ。勝てるって確信したから出て来たんだぜ」

「確かに、閉じ込めたからって攻撃が当たる相手じゃ無い事くらい分かる」

 だから俺の狙いはまた別の場所。

「こいよ。ハンズ」

「へっ。調子乗んな!」

 先の会話で大まかな位置は把握している。

 ハンズは俺の前方約6メートル。

 攻撃して来るならハンズが話し終えてからだろう。

 そこまで読んでいるなら後は避けるだけ。

 ハンズが仕掛ける前に、足から能力を伝わせ自分の下の地面を脆くして潜る。

 もちろん暗闇で見えない事から、ハンズは俺がずっとそこにいるものと錯覚している。

 暗闇を上手く使い攻撃の軌道から外れる事によって、ハンズの拳は壁へと叩き付けられた。

「なに!?」

 そしていくら発動系が能力の連発が優れているとは言え、数瞬のタイムラグはある。

 俺はその数瞬を逃さずにハンズの足を掴む事に成功した。

「うおらぁ!」

 そのまま叩きつけようと持ち上げる。

「残念でした」

 がしかし、いとも簡単に抜け出されてしまった。

 今の状況は、有り得ない程速い男と地面に埋まって的になっている男が、互いに攻撃を仕掛けようとしていると言う、よく分からない絵面だ。

 そしてこれから推測出来る事は言うまでもなく、俺が完全に不利という事。

 ここから反撃の手は。

「オラァ! これで最後だ!」

 間髪入れずにハンズが今までに無い程近距離で蹴りを入れて来る。

 腕で防げはしたが、俺はそれをまともに食らう。

「……痛ってーが、さっきよりはマシだな」

「は!? なんで気絶しねーんだ」

 ハンズが驚くのも無理はない。俺はある事をしたんだからな。

「ハンズには見えないだろうが、俺は今土に埋まった状態なんだ。そりゃあもちろん、俺の体には土が付着するだろうな」

 生身で受けるならともかく、付着した土を能力に当てる事で衝撃吸収材の様にしたのだ。

「そして、この暗闇の中で位置を完全に把握出来るのは俺だけ! つまり、既に罠は張られている!」

 地面に潜るついでに、周りの土も脆くしておいた。

 そうする事により、暗闇の中で相手の位置を把握出来ないという不祥事を回避出来るのだ。

 そして罠とは。開けた空間ではほぼ確実に出来ないであろう頭部への攻撃を、ドーム状の壁を使う事で実現可能にした。

 極々単純な死角からの不意打ちである。

「頭ん中シェイクしな」

 俺の能力により突き出た土が、ハンズの後頭部を直撃した。

「うげっ」

 ごんっ。と鈍い音の後にハンズの倒れる音がする。

「やっと反撃出来たぜ」

 動きが無い事から気絶をしているのだろう。

 いくら直撃とは言え俺も手加減はしている。

 死ぬ程の衝撃では無かった筈だ。

「起きたら面倒だからな。動けない様にするぜ」

 俺はハンズの周りの土に触り、ハンズを拘束しようとする。

 そして、近づき過ぎた事によりそれは起きた。

 実はハンズは起きており、狸寝入りをしていた。

 そこまではまだ想定の範疇だったが、ハンズは思いっきり至近距離で俺の顔面に拳を放って来た。

「おぶぁっしゃあ!」

 幸いな事にハンズの意識は朦朧としており、能力を使ったとは言えそのスピードは先程まででは無かった。

 それにより顔面に当たる前にギリギリで右腕で防ぐ事が出来た。

 ……が。

「っ! なんだこの威力!」

 俺は約8メートルも離れている土壁に激突する。

 こいつ、脱力を利用しやがった。

 意識が朦朧として腕に力が入らないのを良い事に、インパクトの瞬間だけ能力を発動したのだ。

 脱力をすればする程、力が入った時のインパクトは強大。

 俺の片腕の機能を停止させるには十分だった。

「ヂェスー……、頭がクラクラして……目の前が歪んでる……ぜ」

 くそっ。起きて来やがったか。

 しかしこのダメージはかなり効いたな。

 攻撃箇所は右腕だが、腕からの振動と叩き付けられた衝撃で、今はとても動ける状況じゃない。

 立ち上がるのが精一杯だ。

「騙すとはらしくねえな。お前はもう少し真っ直ぐな奴だと思ってたんだが」

「うるせぇ!」

 瞬間、俺のみぞおちに衝撃が走る。

「ゔぐっ」

 だが、これを待ってた。

 腹部にダメージを負うと同時に俺は辛うじて動かせる左腕で、残りの渾身の力を込めて撃ち放った。

「がはぁっ」

 それはハンズの右脇腹に直撃し、筋肉繊維を断ち切りながら拳が侵入していく。

 勢いよくハンズが壁に激突し、そのまま倒れ込んだ。

「なん……で、フツーに当てられん……だよ」

「へっ。ここに入った時点でハンズは負けてんだよ」

「なんだ……って?」

「この暗闇でお前はずっと俺の位置の事ばっか考えてた。だから、見えないものを見ようとしなかったんだ」

「見えないものって……なんだよ」

「この、当然の様に存在している空気だ」

「——!」

 そう。この空間は横半径約4メートル、縦約5メートルの密室だ。

 密室という事はもちろん空気の出入りはない。

 常に酸素が消費されていき、二酸化炭素が増えていく。

 そして二酸化炭素が増えると起こる症状がある。

 二酸化炭素濃度が2から3パーセントの時、人はめまいや頭痛を起こす。

 俺はそれを利用した。

「俺はある仮説を立てたんだ」

「なんだよ」

「お前能力発動中、無酸素運動してるだろ」

「だから……どうしたってんだよ」

「無酸素運動しているという事は、能力発動中に能力の補助が無いという事だ。つまり、ただ速くなるだけ。身体の活動量は変わらねえんだ。だから酸素消費が激しい。息が荒くて二酸化炭素を排出しまくる。そして空気中の二酸化炭素濃度が高まり、必然的に息の荒い方から朽ちていくって事だ」

 めまいや頭痛の症状が出ている状況で速く動いたら、多少遅くなるからな。

「……最初から見透かされてたって……訳かよ」

「そうでも無いさ。お前が1発ずつしか殴ってこないのがヒントになったんだ」

「それは分かったが、……なんでピンポイントで俺に……攻撃出来たんだ? 遅くなってるとは言え、捉えられる程……生温くは無かっただろ」

 今回の肝はそこにある。

 確かにハンズは明らかに遅くなっていた。

 しかしそれが目で追えるか、反射的に反撃出来るかと言われれば、その答えは自信を持ってノーと言える。

 ではなぜ、俺はハンズに攻撃をする事が出来たのか。

「お前は俺に散々攻撃して来た。しかも全部打撃で。腕、顔、脇腹、肩、足、ほぼ全部にだ。だが、1つだけ無意識的に避けていた場所がある」

「避ける?」

「それはここ。腹、つまりみぞおちだ」

「……どういう事だ? 俺はみぞおちを打ったから……やられたのか?」

「簡単に言えばな。ハンズは常に通り様に出来る攻撃ばかり。その方が効率的だし、いちいち止まらなくていいからだ。けど、みぞおちは正面に入らないといけない。それを知ってるから、俺はわざと誘ったんだ」

「正気じゃ……ねえな。わざわざ急所を狙わせるなんて」

「ああ。いかれてなきゃ生きてけねえよ」

「はっ。それもそうか」

「それより、まだ俺は聞いてないんだが」

 参ったという一言を。

「流石にこれじゃ俺も動けねえよ。……お前も大概だけど、俺の方が……深いな。そして能力使うって事は、自分の首絞める様な……ものだしな。……しゃーなし。参った」

 やっと、やっと勝てた。

 ノイズと2人で共闘し、チープと闘いトレントと闘いハンズと闘い勝利した。

 これ程に勝利が自信になるとは。

 俺の気持ちは喜びで一杯だった。

 参ったの後に何も言わないのは、恐らく疲れて眠っているからだろう。

 それか気絶か。どちらにせよ、今は動ける状態じゃ無い。

 俺はまず、勝利に浸るより先にここから出ないと。

 そう心の中で思っていても、身体は上手く動かないものだ。

 立っている足の力も抜け、俺は倒れ込む。

 這いつくばってでも能力を解除しようと、土の壁に触れようとする。

 が、それすら叶わない。

 既に右腕は壊れており、左腕も先の一撃で無事ではない。

 土でプロテクターをしているとは言え、流石にみぞおちは効くな。

 今度こそ完全に詰んでしまったのだ。

 意識が朦朧として、段々慣れてきた暗闇も瞼で蓋をされていく。

「これ……は、まず……い」

 俺が最後に思った事は、ハンズ戦闘中に性格変わりすぎじゃね? だった。

 それから俺の意識は途絶えた。

「ガラガラガラガラ」

 土壁が壊され、トレントが中に入ってくる。

「チェスも危ない事するな。これがゲームじゃなくて本番だったら、一緒に死んでたね。まっ、とにかく。成長したな。チェス」

 トレントがチェスの起き上がらせて、土のドームの外へと運ぶ。

「おめでとう。俺たちの負けだ」

 アンデスゲーム。チェイサー、ノイズチーム。3対1で勝利。



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ジャスターズへ

「起きろストリート」

「……んん、なんだよ」

 誰かの声で目が覚める。

 背中から感じる硬さから、そこが保健室のベッドでは無く、自室のベッドという事が分かった。

「もしかして、俺寝てたか?」

「ああ。小1時間程な」

 そこにはストリートが立っており、俺を見下ろしている。

「君たち元気なのはいいが、少し加減を覚えろ。折角傷が治ったのにまたぶり返すぞ」

「加減はしてるよ。ただ、それでも怪我しただけだ」

「怪我って……。右腕は骨折こそしなかったが、かなり危ない状況だぞ。数日は動かすなよ」

 よく見ると、俺の右腕はギプスで固定されていた。

「これは誰が」

「ヒスさんだ。そうだな、保健室の先生って言えば分かるか」

「げっ。あの人か」

 あんまりいい思い出が無いんだよな。と言うより悪い思い出しかねえ。

「げってなんだ、げって。わざわざここまで来てくれたんだぞ。お礼言っとけよ」

「……分かったよ」

 お礼言いに行ったら何されるか分からねえから、極力予定ない限り行かねえ。

「それで、お前が俺の心配だけの理由でここにいる訳ないよな。なんか俺に話あるのか?」

「まあな。ストリートの言う通り、少し話がある」

 そう言うと、ナインハーズは俺のベットに腰掛けて足を組む。

 ってか少しは否定しろよ。

「それはジャスターズについてか?」

「そうでもあるし、キューズについてでもある」

「キューズ。敵の大将が分かったとか?」

「に近い話だ。まあまずは聞け」

「あいよ」

「前に、ストリートにあの腕見せただろ。左腕」

「……ああ、あれか。箱に入ってたやつ。それがどうしたんだ?」

「箱に1つずつ右腕、左腕、右足、左足、胴体、顔って入ってたって話はしたよな」

「されたな。悪趣味の次元じゃ無いって」

「一応極秘だとは言え、ちゃんと埋葬とかはしなきゃいけないから、一旦全部箱から取り出して部位ごとに並べたんだ」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ」

「ん? どうした」

「あれって極秘の情報だったのか?」

「言ってなかったか?」

「……多分」

 やべー。完全に全部ミラエラに話しちまったよ。

 相談乗って貰ってたからなー。しょうがないよなー。経緯説明しないとダメだもんな、相談は。うん。そうだよ。俺悪く無い。伝えなかったこいつが悪い。

「なんだ、誰かに話したのか」

「い、いや、話してない。普通秘密ですやんかー」

「急にどうした、そんな事聞いて。なんか変だぞ」

「ぜ、全然。それより、並べてどうしたんだよ」

「……まあいいか。それで、並べてみてある事に気が付いたんだ」

「ある事? 部位ごとに違う人間だったとか?」

「違うが、それはそれでありそうな話だな。まあそのある事ってのが、今回のキューズの親玉の正体に近付いたんじゃないかって話なんだ」

「どういう事だ?」

「実は並べてみた時、断面部が合わなかったんだ」

「それの何がおかしいんだ」

「俺も最初は疑わなかったさ。部位ごとの切断手段が切るだけとは限らないからな。だが、今回のはそれを踏まえてもおかしかったんだ」

「どこら辺が」

「断面部が合わないのはいいとして、切断部分を見てみたら完全に鋭利な何かで切った跡だったんだ」

「お、おう」

 全然なにがおかしいのか分からん。

「そしてもう1つ。各部位が、元の大きさより5ミリから1センチ長さが短かったんだ」

「短い? 測り違いとかじゃなくてか」

「ああ。これから推測出来る事は、敵は生きたままマット、この左手の持ち主な。を分解して、断面部を再び切ったって事だ」

「なんでそんな面倒くさい事を。わざわざ切る工程挟む意味あるのか?」

「あるからやってるんだ。そうだな、もしストリートが火を操る能力だとしよう。そして、自分の能力が他人にバレてはいけない。その時、ある1人を両腕、両足、胴体、顔と各部位が残る様にして焼き切って殺したとしたらどうする」

「うーん。その場合は、残った部分も全部燃やすな」

「そうだよな。そうなっちゃうのか。すまん、俺が悪かった。その死体は残さないといけない。さてどうする」

「そりゃ服全部脱がせて、焼き切れたとこを隠すな」

「どうやって隠す」

「……あ! なるほど」

「そう言う事だ。恐らく敵は、なんらかの理由で断面部を見せたくなかったんだ」

「それじゃあ」

「ああ。マットはキューズの幹部にやられる程やわじゃ無い。対峙したのはそれ以上の最高幹部かキューズ自身」

「キューズの能力は、何かを分解する能力って事か」

「あくまで推測だがな。なぜこれらを送って来たのか意図は不明だが、それが仇となったな」

「他の先生たちには言ったのか」

「もちろんだ。長年戦って来た相手だからな。やっと尻尾が掴めてこっちは大喜びだ」

 そう言ったナインハーズの顔は、およそ喜びとは程遠い悲しみの顔だった。

「そうか。対策を考えれば仇も取れるかもな。その時は俺も行かせてもらうよ」

「ふっ。新入り以下が調子乗るな。まあ、ジャスターズに入ったらいやでも手伝って貰うけどな」

「そう言えば、ナインハーズはジャスターズに入ってるのか?」

「そりゃあ当たり前だろ。ここの教師は全員ジャスターズ出身だぞ」

「マジかよ、それは初耳だな。じゃあみんな強いって事か」

「別にジャスターズは脳筋の集まりじゃない。もちろん頭脳派もいるし、研究とかで役に立ってるやつも多いぞ。キューズに負けず劣らず完成された組織なんだよ」

「なるほどな。そんな所に俺は口約束だけで入れられそうになってたのか」

「校長は何考えてるか分からないからな」

「で、それで話は終わりか? それなら少し行きたい所があるんだが」

「いや、ストリートにはこれから行ってもらう所がある」

「どこに」

「ジャスターズだ」

「……え、ああと、なに?」

「だからジャスターズに行ってもらうって言ってるんだ」

「いやいやいや、俺は校長の誘いは断っただろ」

「それはそれ、これはこれ。安心しろ、見学をするだけだ」

「……まあ、見学ならまだいいか」

 少し気になるしな。そのジャスターズって組織が。

「じゃあすぐに正門へ来てくれ」

「後何分くらいでだ」

「そうだな、20分以内に来てくれれば置いて行きはしないな」

「後20分か。分かった、先に行っててくれ」

 俺は立ち上がり、ある所へ向かおうとする。

「どこ行くんだ」

「少しミラエラの所に」

「なら、さよなら言っとけ。後2週間くらいは帰らないからな」

「え? どう言う事だよそれ」

「見学って言っても、ジャスターズはめちゃくちゃ広いぞ。1日や2日じゃとても」

「……なるほどな。ミラエラに毎日会いに行くって約束したんだが、どうしたらいいんだこれ」

「なんつー約束してんだ、恋人か君たちは」

「違えよ。だが約束は約束だし、いきなり破るってのもな」

「守れない約束はするもんじゃ無いぞ。……うーんそうだな、スクールよりジャスターズの方が安全っちゃ安全だしな。ミラエラは大事な生徒だし、ジャスターズに移動させるのもなしでも無いが、そうなると誰が面倒を見るかって事になる。ジャスターズには暇な奴はそうそういないしな。もし、ストリートが面倒見られるなら連れてってやってもいいが。どうする」

 その手があったか。

 しかしそうなると俺はミラエラの為に、ずっとジャスターズに居なきゃいけなくなるのか?

 それってほぼジャスターズに入ると変わりなくないか。

 校長の誘いは断って、ミラエラの為にジャスターズに行くってのは、少しおかしな話だろうか。

 まあ、まずはミラエラに相談だな。

「ミラエラにこの事を伝えてもいいか?」

「そりゃストリートが伝えないでどうする。俺は提案しただけだ。後は君たちが決める」

「それもそうだな。もしイエスだったらミラエラをどうすればいい」

「明日にでも手配は出来る。その時に移って貰おう」

「分かった。じゃあ正門で」

「ああ。早めにな」

 俺は扉を開けて外に出る。

 するとそこにはハンズが立っていた。

「なんだもう終わったのか」

「おおハンズ。どうしたこんな所で」

「ナインハーズに外に出ろって言われたんだよ。長々となんの話してたんだ?」

 その言葉の後に、後ろから凄い圧を感じる。

 分かってるよ。さっきの話はするなって事だろ。

 そんなヘマはしないさ。

「少しスクールについてな。まだまだ俺は新人だから色々教えて貰ってた」

「なんだそんだけかよ。じゃあ退いてくれ。眠くて仕方がない」

「すまんすまん。今退く」

 そう言い、道を開ける。

「そうだハンズ、保健室まで連れてってくれないか?」

「保健室!? お前俺を移動手段として見てないのかよ。ったく、別に疲れないからいいけどさ」

「おお、せんきゅ」

 俺がお礼を言い終わる前に、既に目の前には保健室があった。

 周りを見渡してもハンズの姿はなく、本当に送って終わりだった様だ。

「ふー。さて、どこだっけな」

 俺は行く当てもなく歩き出す。

 何度もミラエラに会っているが、未だに道を覚えられない。

 まあ、それでも会えるからいいんだけどな。

「あっ」

 気が付くとそこには何度も見た扉があった。

 いつも突然現れて、その中にはミラエラがいる。

 別に不思議とは思わないし、それが必然とすら感じる。

「よう、ミラちゃん」

「あっ、チェス」

 嬉しそうな顔をしてミラエラは返事をする。

 いつもの定位置に座り、俺は事情を話した。

 

「チェスが会いに来てくれるなら、僕はどこでも行くよ。それが生き甲斐ですらあるしね」

「それは大袈裟だろ。まっ、オッケーって事なら俺もナインハーズに報告するか」

 俺はそこを立ち去ろうとする。が、その足はミラエラによって止められた。

「もう行っちゃうの?」

 ミラエラが俺の袖を掴んで離さない。

 うっ、なんだこの眼差しは。

 目くりくりとさせて上目遣いをされると弱いな。

「い、いや、早く来いって言われてるしな……」

「チェスぅ……」

「ちょっ、たんま。1回離してくれ」

「なんで?」

 こいつニコニコしやがって。

 俺が動揺してる事分かっててやってるな。

「少し俺の感情的にあれでな」

「えー? 言ってくれなきゃ分かんないな」

「だから、あれだ。……か」

「か?」

「可愛いのは分かったから離してくれ!」

「……うん」

「なんだやけに素直だな」

「い、いやあ、意外とストレートに言うんだなって思って」

「自分でやっといて恥ずかしくなるなよ。俺まで恥ずかしいじゃねえか」

「ごめん。けどまたすぐ会えるでしょ?」

「そうだな。明日にはナインハーズが手配してくれる。あっちで会えるさ」

「よかった。じゃっ、気を付けてね」

「ありがと。行ってくる」

 ミラエラの手を優しく外し、俺は扉へ向かう。

 去り際にミラエラが手を振って来たので、俺も手を振って応えた。

 

 正門へと行くと、ナインハーズが見た事もない様な横長い何かの近くに立っていた。

「その横のやつなんだ? 丸いのが付いてるが」

「あまり馴染みの無い文化だからな。知らないのも無理はない」

「で、それはなんなんだ」

「車というものだ。簡単に言えば移動手段だな」

「歩けばいいじゃねえか」

「歩くより何倍も速いぞ。ストリートは100メートルを4秒で歩けるか?」

「無理だろそんなもん。馬鹿にしてんのか?」

「これはそれが出来る。しかも常にな」

「マジかよ。とんでもねえな」

「だろ? まあとりあえず乗れよ」

 そう言うと後ろの小さな扉が開き、中には椅子が見えた。

「椅子まで付いてるのか。これは便利だな」

「便利と言っても、何千年も前の乗り物だからな。これは古典的な方だ」

「なんでわざわざそんなものを使うんだ」

 何千年も前の乗り物なら、最近の乗り物の方が絶対いいだろ。

「こっちの方が俺たちには合ってるんだよ」

「俺たち?」

「ああ。そのうち分かる」

 そう言い、運転手らしき人が何かをする。

 すると、突然後のクッションに身体が吸い込まれる。

「うおっ! なんだこの感覚。俺浮きながら動いてるぞ!」

「ははは。無知ってのは面白いな。まあ、段々慣れるさ」

「そう言うもんか?」

「そう言うもんだ」

 こんな見た事もないやつが古いって、もし最先端の技術に触れたら俺持つかな。

 不安はこの車と一緒にジャスターズへと運ばれる事となった。

 今思い返せば、俺をここへ連れてくる時これでよかったくね?

 あの時めちゃくちゃ疲れたんだけど。



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急展開

 俺は車という画期的な技術に乗り、ジャスターズへ目指していた。

 なんとも言えない乗り心地で進むそれは、新鮮の一言で表すには十分だろう。

「そうだナインハーズ。スウィンの容態はどうなんだ」

「さっき連絡が来て、回復しつつあるってよ。だがこの事は内密にな」

「なんで。トレントたちにはいいんじゃないか」

「いいや駄目だ」

「理由は」

「前も言ったがキューズの目的は不明だ。だが唯一分かってる事は、キューズがスウィンを狙っていたって事だ。たった1人からでも情報は広がる。もちろんキューズ側にもな」

「キューズがスウィンを?」

「ああ。生徒は全員集会場にいて、例外は勝手に外に出たトレントとチープ、スウィンの3人と寝坊したストリートのみ。幹部に接触したのはスウィンと君だけで、君はつい最近入ってきたばかりの新人だ。襲う理由はないし、メリットもない。スウィンと行動を共にしていたから狙われたと考えるのは妥当だ」

「言われてみればって感じだが、それだけで狙われてるとは限らないだろ」

「それはそうだが念の為だ」

「それなら運転手に聞かれちゃまずいんじゃないか? 身近にスパイがいるかもしれない」

「安心しろ、彼は信頼できる俺の部下だ。しかも視覚も聴覚も無い」

「ちょっ、ちょっと待て、目が見えなくてどうやってこれ動かしてるんだよ」

「そりゃ詳しくは言えないが、彼の能力が関係してるに決まってるだろ」

「それは分かってるけどさ、あんま安心出来ねえよ」

「まあそう言うな。実力、実績共にジャスターズの5本の指に入る程だぞ。それでも安心出来ないってか?」

「5本の指に? それは凄えな。疑って悪かった」

「気にしてませんよ」

「聞こえてんじゃねえか!」

「聞こえてませんよ」

「聞こ、え? 聞こえてないの?」

「彼は聞こえてないぞ。さっきも言っただろ」

「え、俺がおかしいの?」

 聞こえてないのにどうやって返事したんだよ。

「まあ気にするな、直に慣れる。それよりストリートは今、ジャスターズの見学に行こうとしてるんだぞ。もう少し喜ばないのか?」

「喜ぼうにもなにも、俺はジャスターズには詳しくない。どんな活動をしてるかも知らないんだぞ」

「だからだ。知らない事を知れる機会なんてなかなか無いぞ。それと、活動くらいは知っとけ」

「じゃあ何をしてるんだよ」

「そうだな……。ジースクエアの事を教えてやるか」

「ジースクエア?」

「いいんですかライムさん。その情報は上層部しか知らない事ですよ?」

「別にいいんだよ。それくらい」

 それくらいって、ナインハーズはジャスターズでどんな立場なんだよ。

 まあ上層部しか知らない事を知ってるから、ある程度地位があるんだろうが。

「それで、そのジースクエアってのはなんなんだ」

「そう急かすな。スクエアは四角と意味は知ってるだろうが、ジーは何の事か分かるか」

「ジー? グレートとか?」

「残念不正解。ジーはある民族の言葉、グーズの頭文字だ。グーズは強き者たちって意味」

「強き者たちの四角って事か? 意味が分からん」

「そうじゃない、直訳はしない方がいいぞ。馬鹿に思われる。ジースクエアは、世界で最も強い能力者4人って意味だ」

「最も強いのが4人もいるのか」

「そこは気にするな。日本人みたいな事言うなよ」

「日本人? 聞いた事ない人種だな」

「ああそうだった、歴史は学んどけ。いくら絶滅した人種でも、日本人というのは面白いぞ」

「……まあそれはどうでもいいや。で、その4人がどうしたんだ」

「そいつらに対しての抑止力が存在しないんだ。ジャスターズが能力者専門の警察だとしても、武力と人員が少な過ぎる。やろうと思えば1人くらいは止められるが、何人死ぬか分からない」

「そんな強い奴等なのか」

「ああ。化け物だ」

 ジャスターズですら止められないって、ひょっとしてあのキューズすら恐れる4人なんじゃないのか?

 ジャスターズとキューズに敵視されても、未だに存在し続けられるって事は、逆に言えば仲間にすればこれ程に心強い味方はいない。

「そいつらをジャスターズに引き込む事は出来ないのか」

「出来たら苦労しないし、とっくにキューズがやってるだろ。そういうのはあっちの十八番だ」

「じゃあチャンスだ。キューズが動く前に俺たちが動けばいい」

「簡単に言うな。何不自由無い生活を送っているのに、わざわざ制限された生活を選ぶ奴は変人だ」

「因みにそのジースクエアはどんな事をして、そんな注目されてるんだ」

「ほとんどの犯罪に手を出している。命を狙う者は多いが全員返り討ち。住所もバレているにも関わらず、誰1人として行こうとしない。もちろん俺たちも」

「けどそいつら能力者なんだろ? 無能力者のこの社会で、どうやってそんな堂々と出来るんだ」

「単純に強過ぎるからだ。さっきも言った通り抑止力が無い。最初は俺らに声が掛かっていだが、いつしかそれも無くなった。国もお手上げって事だ」

「マジで化け物だな」

「その通り。一応国際指名手配だが、ほぼ無しと同じだな」

「……ちょっと待てよ。この話ってジャスターズの活動について聞いたから始まったんだよな。て言う事は」

「ああ。残念な事に再び声が掛かった。と言うより命令が下った」

「なんて」

「ジースクエアを殺せ」

「……無理じゃね?」

「ああ。無理だ」

 さっきの話を聞いてる限り、ジースクエアを狙った奴らは全員死んでる。

 と言う事は死にに行くようなもの。

 そんな無理難題を国は、ジャスターズは受けなくてはならないのか。

「何か作戦はあるのか?」

「命令が下ったのは昨日の11時。それも相まってストリートを見学に連れて来た訳だが……」

「それってどう言う事だ。……もしかして俺にその作戦に参加しろと」

「簡潔に言えばな。いい機会だ、これを機に社会を学べ」

「社会を学ぶ前に俺が死んじまう。そんなのごめんだ」

「誰がジースクエアと闘えって言った。ストリートは下っ端も下っ端。そんな重大な任務は任せられない」

「ならなんで俺をスカウトしたんだ」

「……まあそれは」

「着きましたよ」

 車が停止し、上半身が前に押し出される。

「うおっ」

「シートベルトをしてなかったのか」

 なんだそれ知らん。

「とりあえず本部に着いた。詳しい話は中で」

 そう言いナインハーズは車を降りる。

 それに合わせて運転手も降り、続いて俺も降りた。

「うわぁお」

 目の前に広がっていたのは、クリミナルスクールなんて比にならない程でかい建造物の集まりだった。

 1つ1つが何かの役割を果たしているんだろうがこの大きさだ、スケールがでか過ぎて想像もつかない。

「どうした。行くぞ」

 ボーッとしていた俺はナインハーズの言葉で我に帰る。

 ナインハーズは入り口らしき所に歩き始めており、運転手も付いて行っている。

 俺も遅れまいと小走りで追いつき、はぐれたら一生出られないと思いナインハーズから目線を離さない様に集中する。

「ナインハーズだ。ケインはいるか」

 中へ入り、受付に何かを尋ねている。

 ケインってのはナインハーズの同僚か?

「チェイサーさん、そうまじまじと見ずとも置いて行きはしませんよ」

 運転手に話しかけられて、俺はナインハーズから視線を外す。

「いやすまん。少し肩の力が入ってた」

「気にしないでください。私はサルディーニ・カステルです。どうぞお見知りおきを」

「どうも、チェイサー・ストリートだ」

 握手を交わし、サルディーニの顔を見る。

 目は開いておらず本当に視覚が無い様だ。

 しかし聴覚はどうなんだろうか。会話は出来ているし、聞こえている様にも見える。

 だが嘘つく理由が見つからない。もうさっぱり分からん。

「何してる、ケインの所に行くぞ」

「分かりました。チェイサーさん、今日はついてますね。ケインさんはここの最高責任者ですよ。滅多に会う機会はありませんよ」

「最高責任者……」

 それを呼び捨てって。マジ何もんだよ。

 迷い無い足取りで歩くナインハーズに付いて行き、ある部屋へと着いた。

 そこの扉は見た感じ分厚く、横にパスワードを打ち込む用のボタンがある。

 ナインハーズはそこに番号を打ち込むのかと思いきや、ポケットから鍵を取り出してそれで扉を開けた。

「え、パスワードは?」

「ん? ああフェイク。何打ち込もうが警報鳴るから気をつけた方がいいぞ」

「セキュリティ万全だな」

「当たり前だ。とりあえず中に入れ」

 扉の先にはおよそ40畳程の部屋があり、真ん中に細長い机が置いてある。

 椅子が左右にずらっと並べられていて、奥の真ん中には恐らくケインと思われる人物が座っていた。

「久しぶりだなナインハーズ。調子はどうだ」

「相変わらずだ。それであの件はどうなった」

 あの件とはジースクエアの事だろう。

 それにしても2人は友達なのか、久しぶりに会って嬉しそうに見える。

「断れる訳ないだろ。遂に俺たちが動かなくちゃならなくなったな」

「まあそうだな。あんまり暴力は好きじゃないんだが」

「嘘つけ、若い時は凄かったろ。サルディーニも久しぶりに本腰入れなきゃだな」

「そうですね。皆さんも呼びましょうか」

 皆さん? 他にも呼ぶ人がいるのか。

「そうしてくれ、10分後だ。そこに立ってるお前も参加するのか」

「え、俺すか? ナインハーズに連れられて状況が理解できて無いんですけど」

 急に話しかけられて驚いたが、よく考えてみたらなんで俺はこんな所にいるんだ。

「ナインハーズの連れなら資格は十分だ、こいつは人を選ぶからな。そこに座れ」

 なんか受け入れられちゃったよ。

 俺は指示に従い1番近い椅子に座る。

「なあナインハーズ、なんで俺はここにいるんだ。ってかここにいていいのか?」

「そうだな、今からジャスターズの偉い人たちが沢山来る。間違えてもタメ口を使うなよ。変わった奴が多いからな」

「お、おう。肝に銘じとく」

 それから丁度10分後、本当にずらずらと人が入って来た。

 数にして6人程で、全員何かしらのオーラがあり、その中にはロールもいて俺に手を振ってくれたが、それに反応する事は出来なかった。

「集まったな。では今から会議を始める」

 ケインの掛け声で、全員の気が引き締まるのが分かる。

 ここにいるのは全員上層部の者たちだろうか。

「で、ジースクエアの誰を狙うんすか」

 態度の悪い比較的若そうな男が口を開く。

「ここに集まったメンバーで大体察しがつくだろ」

 ケインが返答し、その男は鼻で笑う。

「キリングすか。俺はこの歳で死にたく無いすけどね」

「やれと言われたらやるしか無い。この仕事に就いた以上、その覚悟は出来てただろ」

「そうすけど、それよりこいつは誰なんすか? まさかこいつも参加するとか言いませんよね」

 男は俺を中指で指して来る。

「ナインハーズの連れだ。それ以外に質問は?」

 それを最後に男は黙り、いかにもつまらなそうな顔で俺を睨んでくる。

 俺のせいなの?

「では気を取り直して。国からジースクエアを殺せと命令が下ったのはもう耳に入っているだろう。さっきラットが言った様に、狙いはキリング・ストリートだ」

「え、キリング・ストリート?」

「どうしたナインハーズの連れ。なにか心当たりでもあるのか」

「ああ! 気付かなかった!」

 ナインハーズが急に大きな声を上げて立ち上がる。

「今度はなんだナインハーズ」

「ケイン、ナインハーズの連れじゃ無くてチェイサー・ストリートだ。言いたい事分かったか?」

「ストリート……。お前、キリングの兄弟か?」

「え、いや、ちょっと待ってください」

 急展開過ぎて頭が追いついてない。

 まずの話俺って兄弟いたんだっけか。

 だとしたら、俺の兄弟暴れ過ぎだろ。



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会議

「俺がキリングの兄弟?」

「ああ。ストリートは確か行方不明の兄がいたよな。多分そいつだ」

「多分ってなんだよ。もし違ってたら俺の兄弟に失礼だぞ」

「失礼なのはテメェだろうが下っ端。幹部には敬語を使え」

 ラットと呼ばれている男が、俺に対して文句を言ってくる。

 そう言えばナインハーズに、タメ口だけは使うなと言われていたな。

「すいません。って、え! ナインハーズって幹部だったの!?」

「そうだぞ。言ってなかったか?」

「だから敬語使えって言ってんだろ」

「あ、ああ、すいません」

 どんな地位かと思えば幹部とか。

 それが1番上かは知らんが、偉いという事は無知な俺でも分かる。

 最初から知っていたら敬語使ってたかもしれないのに、なんでいつもナインハーズは重要な事を言わないんだ。

「自己紹介はもういいか。もしそこのチェイサー・ストリートがキリングの兄弟だとしても、やる事は変わらない」

 ケインが話の流れを遮る。

 やる事は変わらないって、俺の兄弟かもしれない奴を殺すって事かよ。

 顔もまともに見てないのにいきなり殺せって言われても、流石に躊躇いが勝つぞ。

「ちょっと待ってくださいよ」

「お前歳は」

「え、歳は17です。多分」

「キリングは21だ。もし話が本当ならお前の兄だな。歳の差的に全然有り得ない話でも無い」

「そんな、いきなり殺すってのも」

「キリングは数え切れない程の人間を殺してるんだぞ!」

 ケインの圧に言葉が出なくなる。

「おいケイン、少し落ち着けよ」

「……そうだな、少し取り乱した。だがこの事実は変わりない。もしお前が国の使いなら素直に従おう。だがお前はなんの地位も持たない唯の一能力者だ。程度を知れ」

「ケイン」

「分かってる。もう言わない」

 もう言わないって言う割には結構言ってたけどな。

 そして、ここまで図星だと不思議と怒りも湧いてこない。

 それを成長と捉えるのか、興味関心を持たなくなったと捉えるのかは俺の知ったところではないが。

「はぁ、ケインは少し落ち着いてろ」

「落ち着いてる」

「分かったよ。とにかく、俺たちは内輪で言い合ってる場合じゃ無いんだ。目の前の敵、キリングにだけ目を向けてればいい。それ以外の事は何も考えないで任務を遂行する。それが俺たちだろ」

 ナインハーズは周りを諭す様に話す。

 しかし振り返ってみると、このプチ争いの発端はナインハーズの様だった気もしないが。

 今はそこを触れる者は誰1人としていない。

「キリングを殺すとして、何か策はあるんですか」

 聞いた事のない声がしてそっちの方を見ると、今まで見た事もない様な程髪が乱れた男が座っていた。

 簡単に言えば寝癖の凄い男が座っていた。

「策は考えたが全て不可能に近いものだ。キリングの詳細な居場所も分からない以上、下手に策を講じるよりも市民の安全を守る方が優先だ」

 ケインが答えて、俺はそれに疑問を抱いた。

 キリングの居場所が分からない?

 ナインハーズはジースクエアの住所は掴んでるって言ってたが、実際のところ違うのか?

「すいません、質問いいですか」

「住所が分かっていても別に1つとは限らない。奴はやろうと思えばどこにでも家を作れる。それに関しての躊躇いは無いからな」

「え、あの」

 予想外の返答に頭が一瞬頭がフリーズする。

「質問に答えたぞ。もういいか」

「あ、はい」

 質問の意図を読み取り、先に返事を寄越されてしまった。

 今の質問はありきたりだったのだろうか。

「キリングは無策で仕留められる程弱くは無いのはケインさんも知ってると思いますが、ならどうやって殺すのですか」

「そこが今回の主旨だ。確かに策を講じず仕留められる程弱くは無いし、策ありでもどうかという男だ。だから俺は策より案を持って来た」

「案……ですか」

「そうだ。策ではなく案だ」

 俺にはどこが違うかよく分からないが、この反応からして確信的な対策では無いのだろう。

「その案を聞かせて貰ってもいいですか」

「当前だ。皆ツールは持っているな。それで互いの位置を確認しながら円状の隊形で動き、最低でも15分で駆けつけられる距離を保つ。キリングを見つけたら即報告しろ。間違っても1人でやろうとするな」

「ツールって」

「質問は最後にしろ」

 ケインはどうやら俺を気に入ってないらしい。

 もしかしたらキリングの弟という仮説のせいかもしれないな。

「すんません、俺たちはそこの下っ端合わせて9人で15分だとせいぜい17から20キロ。そこはいいんすけど、欠点があるっすよ」

「聞かせてくれ」

「まず第一に見つけたとして、他が来る時間をどうやって稼ぐんすか。最短でも2人までしか駆けつけられなくて、その間に自分が逃げたら追跡出来ないですよ。だからって15分も闘える奴がどこにいますか」

「確かにそうだな」

「次に捜索の穴が大き過ぎっす。間が離れ過ぎてて見つけられない可能性が高くないすか。まあそっち系の能力者が協力してくれるなら別っすけど」

「それは今検討中だ」

「最後にこいつを使う事は納得いかないっす」

 急にラットは俺を指さす。

 もちろんそんな事を予想していなかった俺は、何も言えずにただ動揺しているだけだった。

「理由は」

「言わなくてもって感じでしょう。キリングの弟と仕事なんてしたくないし、どのくらい出来るのかも分からないんですよ。そんな奴を入れるのは間違いだと思いますけどね」

 ジャスターズに来てからボロクソ言われている気がする。いや、確信に近いな。

 とりあえず分かる事は、みんな厳しい世界で生きて来たって事だ。

 年齢層は30から50くらいで、比較的若いのは態度悪い男と寝癖の凄い奴。それともう1人、いかにも無口そうな男だけ。

 若いうちの戦闘での死者が多いのか、ここまでの位になると流石に熟練者が多い。

 そして若い内にこの位なら、実力はかなりのもの。

 素人が入っていい場所ではないと、ひと目で分かった。

「ストリートはそんなやわじゃないぞ」

 ナインハーズの声が部屋に静かに響く。

 それと同時に視線が全てナインハーズに向けられる。

「確かに下っ端中の下っ端で頼り無いが、決して弱くは無い」

 それフォローになってるのか?

「レベル的にはどのくらいだ」

「……兵士中と言ったところだ」

「ふっ、話にならないっすよ。まあ弱い中では強い方っすけどね」

 レベル? 兵士中? 自分の知らない事を話されると、本当に付いて行けなくなる。

 後でサルディーニに聞こう。

「それは置いといて勘違いしている様だが、俺はまだそいつを入れるとは一言も言っていない。あくまで会議に参加させているだけだ」

「なら話は早いっすね。残りの2つを話し合いましょ」

「ああ、ナインハーズ」

「……すまないがストリート、少し席を外してくれ」

 妥当な判断だ。

「それがいいな。俺がいると話しづらそうだし」

 席を立ちドアノブに手を掛ける。

「適当に見学しといてくれ。後で迎えに行く」

「おん」

 背中で言葉を受ける。

 その時のナインハーズの顔は見えなかったが、振り向かなくてよかったのかもしれない。

 そこは想像だが。

 扉を開けて外へと出る。

 俺は適当に入り口へと足を進めた。

「随分とあいつに優しいんだな。ナインハーズ」

「ふっ、お前もだろ」

 

 受付に話を聞き、喫茶店ルームの様な場所へと案内された。

 席に座り、机についてある光る画面で好きな飲み物を選ぶと、それが運ばれて来るらしい。

 しかも料金は無料で種類は豊富。

 これだけの為にジャスターズに入ってもいいんじゃないかと、そう思う程だった。

「どうした。そんな浮かない顔して」

 飲み物が届いた頃、誰かに話しかけられた。

 ここに来てから多くの人に出会ったが、今回の人物は声に棘がなく平和に生きてる印象だった。

 上を見るとそこには白いコップを持った男が立っており、その手には手袋がしてあった。

「サーロッカか。変わってるね」

 男は俺の飲み物を見ながら言い、対面する様にして座ってくる。

 見た事ない飲み物ばかりだったので適当に選んだのだが、あまり評判の良くないのを頼んでしまったのか?

「これって不味いの?」

「んー、人による」

 男は自分の飲み物を一口飲んでから、再度口を開く。

「名前は?」

「チェイサー・ストリート」

「サン・ウッドだ。よろしく」

「こちらこそ」

 握手を交わし、自分の飲み物に口をつける。

 すると甘味と酸味と苦味が混ざり合った様な、今までに体験した事のない感覚が味覚を襲った。

「うぇっ、不味いなこれ」

「ぷっ、合わない人だったか」

 サン・ウッドと名乗る男は、見たところ人当たりがよく明るい性格だ。

 にしてもジャスターズで見かけた中でダントツに若い。

 俺と1つか2つかしか変わらないんじゃないか?

「で、その暗い顔の正体は失恋? それとも玉砕?」

「そんなに青春してねえよ。ただ周りに迷惑がられただけだ」

「どんな状況だそれは。見た感じそんな悪い人には見えないけどな」

「別に悪い事をした訳じゃ無い。特に気にしてないし、疲れてるだけだ」

「疲れたならそのドリンクは当たりかもな。いい薬ほど苦いんだよ」

「これはただ苦いだけだろ。考えた奴は舌の細胞あったのか?」

「ぷっ、どうだろうな。まあ変わりもんだったんだろうよ」

「そうだ、ジャスターズってのは普段何してるんだ。見たところ若そうだし、下っ端の仕事を聞きたい」

「普通に下っ端とか言うのね。まあいいか。下っ端は基本的に要請があったら駆けつけて、暴れてたら止める。暴れそうなら拘束する。それ以外はその時その時って感じ。まあ雑用だよ」

「なるほどな」

「チェイサーはここに入って何年くらい?」

「いや、俺はジャスターズに入ってないよ」

「へぇー、2年目くらいか。って、ジャスターズに入ってないの!?」

 どこから出てきたその2年。

「え、じゃあどうやってここに入って来たの。まさか堂々と不法侵入?」

「そんな訳ないだろ。見学で来させられたんだよ。ナインハーズに」

 俺がその名を口にすると、サンの耳がピクッと動いた。

「待って待って、ナインハーズ? それってあの幹部の」

「多分そいつ」

「ちょっ、そいつって聞かれたらどうするんだよ」

「別にいいだろそんくらい。あいつはここでも教師とかやってるのか?」

「そいつとかあいつって、幹部に対する無礼は死だぞ。……って、今なんて言った?」

「あいつ」

「そこじゃないっ。その後」

「教師?」

「そうそこ。教師って、もしかしてチェイサーって学生?」

「そうだけど」

「なるほどね。いや納得は出来てないけど。そこなら俺も一昨年くらいまで行ってたよ」

「じゃあ先輩か」

「そう言う事だね。はい、敬語」

「下っ端」

「やかましっ」

 一笑いの後、俺は飲まないのも勿体無いのでと一気に飲み干し、別のドリンクを頼む事にした。

「何がオススメ?」

「そうだな。シンプルにラクトベル」

「どんなのだ」

「少し酸味があるけど、丁度いい甘さとマッチして美味いよ」

「じゃあそれにしてみるか」

「了解。それで、この後の予定とかはあるの?」

「特に、明日はちょっとあるけど」

 一刻も早くミラエラのほっぺをむにむにしたい。

「なら案内でもする? そのナインハーズさんも今はいないようだし、少し時間あるでしょ」

「ラクトベル飲み終わったら頼む」

「オッケー」

 そう言うと、コップを置いたままサンは立ち上がりどこかへ行こうとする。

「どこ行くんだ?」

「少し便所」

 俺に引き止める理由もなく、そのままサンは歩いて行く。

 ……それにしても、あそこで何一つ文句を言わずに黙っていたのを、誰かに称賛して欲しいと思う。

 言えなかったのもあるが、怒りに任せず発言しなくてよかった。

 それ以前にあそこで俺は怒っていたのか、怒れていたのか。

 今となっては分からないが、この胸にあるもどかしい気持ちはなんなのだろう。

 とにかく、明日のミラエラほっぺむにむにタイムを楽しみに今日は生きていこう。

「にげっ」

 一気飲みした時の苦味が、まだほのかに残っていた。



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キリング

 サイコス・ノリング町某所。

 時刻は22時、大雨。

 厳重に警備されたはずのあるビルが、ある1人の男によってその役割を果たせなくなっていた。

 最上階に位置する部屋で2人の男だけが存在しており、1人は壁にもたれかかって座り、1人はその男に銃を向けている。

 警備員、ボディーガードは全て倒れ、全員が脳天を撃ち抜かれていた。

「こんな事をしても、お前には逃げる場所などないぞ」

「ジャスターズの事なら見当違いだ。奴等に俺は殺せない」

「なぜ言い切れる」

「貴様には関係ない」

 響き渡る銃声。

 その時既に男の姿はなく、鋭い銃声は雨音と一緒に夜の町にこだましていた。

 速やかに仕事を終えた男は、1人暗い夜道を歩いていた。

 傘もささず、レインコートも着ていない。

 彼の名はキリング・ストリート。ジースクエアのメンバーであり、国際指名手配犯である。

 彼の向かう所全てが血の海と化し、殺して来た人数は数知れず。

 ターゲットはスリを働く様な小悪党から、麻薬を売買する大手の会社までと様々で、全てに共通するのは全員が何か罪を犯しているという事。

 彼を非難する者もいれば、救世主と崇める者もいる。

 しかしジースクエアのメンバーであるからには、存在は不安定なものでは務まらない。

 キリングは能力者殺しで有名であった。

「すいません、少し止まって頂けますか」

 キリングの目の前には、真っ赤な傘をさした顔の隠れた男が立っていた。

 背丈約176センチメートル。182のキリングからすれば、少し見下ろす程度の男。

 しかしその五体から滲み出る殺気に、キリングが気付かない筈も無かった。

「いつからだ」

「と言いますと?」

「いつからつけていた」

「ビルから出て来た辺りからです」

「そうか、なかなか殺気を消すのが上手い様だな。名前は」

「ランボード——」

 不意に放たれる弾丸。

 傘で隠れているとは言え、今まで何千人を殺して来たキリングからしてみれば、目を瞑ってても当てられる的であった。

 傘は放たれどこかへ飛んで行き、もう見つける事は叶わないであろう。

 当然脳天を撃ち抜かれた男は倒れる筈であったが、不思議な事にいつまで経っても倒れる気配がない。

 男の足元を見ると、先程の弾丸が潰れて転がっていた。

「この形状は何か硬いものに当たって、耐え切れなかった時になるものだ。大方硬化と言った所か」

「流石です。コイン様の言った通りの観察力と洞察力。まさかたった1回で見抜かれるとは思いませんでしたよ」

 いくら熟練された能力者でも不意打ちには弱い。

 しかしこの男は、予想していたのか能力の発動が恐ろしく早いのか、いとも簡単にキリングの弾丸を弾き返した。

「……ゲームをしよう」

「突然どうしました」

「今から俺は貴様を本気で撃つ。それに耐えられたら貴様の勝ち。もし耐えられなかったら俺の勝ちだ」

「私が勝ったらどうします?」

「俺の死をプレゼントしよう」

「もし負けたら」

「貴様が死ぬだけだ」

「気に入りました。受けましょう、そのゲームを」

 雨は先程よりも強くなり、遠くでは落雷の音が聞こえる。

 その中で2人は向かい合い、キリングは右手にリボルバーを生み出した。

「間近で見るのは初めてです。本当に何も無い所から生み出すんですね」

「発言には気を付けろ。どれが最後の言葉になるか分からない」

「ですね」

 リボルバーを男に向け、男は眉間に全能力を集中させる。

 あと数秒でどちらかの命が消える。そんな時、口を開いたのは硬化の男だった。

「もし私が勝ったら、貴方をペットにしても?」

「構わない」

 リボルバーから放たれた弾丸は、男の後頭部を突き破り、眉間を貫通してキリングの目の前へと飛んでくる。

 それを片手で掴んだキリングは毎回の様に、既に物と化した肉人形にこう言う。

「このリボルバーから撃つとは誰も言ってはいない。そこが俺と貴様の差だ」

 男は名前も知られずまま、その命を散らせた。

「俺は群れない」

 キリング・ストリート

 能力 銃

 半径7メートル以内に拳銃、小銃、散弾銃、狙撃銃、機関銃、騎兵銃、擲弾銃を出すことが出来る。ジースクエアのメンバーであり、国際指名手配犯。

 オート系



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緊急事態

 喫茶店である程度ゆっくりした後、俺はサンに連れられ施設の見学をしていた。

「ジャスターズの事はどれくらい知ってるんだ?」

「サンに聞いた事くらい。後は教師が全員ここ出身ってナインハーズが言ってたな」

「ナインハーズさんと仲良いのは分かるが、ここではさんを付けた方がいいぞ。あまりそういうのが気に入らない奴もいるからね」

 最後の方を耳打ちしてくる辺り、ジャスターズの幹部っていう立ち位置は、一目置かれていると言うよりも崇拝に近いものなのかもしれない。

 あの態度の悪い男も、俺がナインハーズに対してタメ口を使った時にかなり怒っていたからな。

「今度から気を付ける。で、何かここについて教えてくれるのか」

「折角の見学だからなー。全然知らないとなると、まずは気になっているであろうジャスターズの仕組みについて話そう」

「ありがたい」

「まず、ジャスターズってのは国が作った組織で、能力者が犯罪を犯して2番目に辿り着くのが多い場所と言われているんだ」

「1番目は」

「単純に刑務所。全世界の人口が約350億人だとして、その内能力者は0.00001パーセントの35万人。刑務所にいる数や捕まってない数はおよそ17万人で、ジャスターズが5万6千人。社会復帰や元々犯罪を犯さずに暮らしているのが残りの12万人程。その内過半数が、自殺や何らかの事件に巻き込まれてこの世を去っている。能力者にとって1番安全なのは、皮肉にも刑務所なんだよね」

 能力者が少ないとは知っていたが、0.00001パーセント程とは思わなかった。

 極少数なんかじゃ無く、極々少数だ。

 前に何かで読んだ気がするが、人間が人間を差別するのは然程珍しい事では無いらしい。

 言語の違い、人種の違い、肌色の違い。

 ただそれだけの理由で、差別するなんて間違っているとは思う。

 しかし現実を見ればそれが起きている。

 よく意見が割れた時に多数決というものがあるが、決まった結果によればそれが悪を生む可能性を秘めていると思うと、下手に他人の意見に同調なんて出来ないな。

 まあ能力者差別は今に始まった事じゃ無し。

 俺の目標である能力者と無能力者の共存という、その意味を持たせて貰っていると思えば多少気は楽になるだろう。

「俺は最終的に刑務所は安全じゃ無くなると思うけどな」

 気が付いたら想いを口にしていた。

「それはなぜ」

「能力者と無能力者のいざこざは、俺が生きてる間に解決するから」

「おおー、言うねー。まだジャスターズにも入ってない新米以下のくせしてっ」

「いいんだよ、目標は高い方が。あと俺がジャスターズに入ったら、サンなんてとっくに置いてくかんな」

「ひぇー。恐ろしいね」

 2000年以上続いているこの争いに、そう簡単にピリオドを打てる訳がない。

 生半可な気持ちではいつか崩れてしまう。

 それが最悪の事態を引き起こし兼ねないと、心のどこかで思う自分がいる。

「それで、ジャスターズの仕組みってのはなんなんだ?」

「ジャスターズには段階があってね。ほら、ナインハーズさんたちの幹部みたいなもの。確か9段階に分かれてるんだよね」

「1番上は幹部なのか?」

「そうそう、だからホントに注意した方がいいよ。幹部は選ばれた精鋭のみなれる地位だからね。ナインハーズさんは優しくて有名だけど、他の人にタメ口なんて使ったら冗談抜きで殺されるよ」

「お、おう。分かった」

 幹部は崇拝されてるから尊敬とかされてる訳じゃ無くて、単純に逆らったらどうなるか分かってるから敬語を使われたりしてるのか。

 とすると、あの態度の悪い男は俺を助けようとしてくれてたのか。

 ……いやあれは違うか。

「1番上はさっき言った通り幹部、次に準幹部で兵長、上等兵、一等兵、二等兵、三等兵、四等兵、見習いの順。俺は三等兵だから、まだまだ伸び代があるね」

「下から3番目か。あんまだな」

「下から数えるなよ。上から7番目とかにしてくれ。良く聞こえる」

「そんなめんどい事しねえよ。ってか、見習いってのはなんだ? 1つだけ名前に違和感がある」

「見習いはほぼ全員が体験する期間で、ジャスターズ1年目くらいはここ。2年目から四等兵以上の位でどこに行くかが決まって、最高で上等兵くらいかな。それより上は見た事ない」

「なるほどな。飛び級的な感じか」

「感覚的にはそうだね。まあ、大抵が二等兵に行かないくらいだよ」

「因みにどんな基準で決まるんだ?」

「あんまり内部の情報を漏らすのもあれなんだけど、ナインハーズさんが連れて来てる訳だし別に心配は無いか」

「そそ」

「簡単にざっくり言うと戦闘力、知力、判断力、リーダーシップの4つだね。実際にそれぞれの試験をやると言うよりは、1年間を通して見られるって感じだね。俺はそれに気づかず裏でサボってた馬鹿ですけど」

 随分と実践向きの人選なんだな。

 とすると、ナインハーズはあれでもかなり頼れる奴なのか。

 あんまりそんな風には見えないけど……。

「なら、事前に知った俺は有利だな」

「抜かされる前に上に行ってやるよっ」

「出来るといいな。……それと、1つ聞きたい事があるんだがいいか?」

「別にいいぞ。俺とチェイサーの仲じゃないか」

 いつから俺らはそんなに仲良くなったんだ。

「別に言いたく無いならそれでもいいんだが、一応サンも昔は犯罪者だった訳だろ? なんでジャスターズに入ったんだ」

「ああ、俺は暴行罪で捕まったんだよ。理由としては自分の力を試したかったって言う、ただの好奇心からなんだけどね。入った理由は特に無し。気づいたらここにいたって感じだね」

「結構話してくれるもんなんだな」

「誰も自分の過去は隠さないよ。共有できるのは同じ能力者だけだからね」

 人は意地悪やいじめられる事よりも、無視がダントツで傷付くと聞いた事がある。

 嫌な過去も共有出来ないが過ぎれば、共有したいが生まれるのか。

「チェイサーは何をやらかしたんだ? ……幼女誘拐?」

「俺はロリコンじゃねえ!」

 そんなに俺からロリコンオーラが出てるのか?

 まずロリコンオーラってなんだよ。

「俺は何もやってない。ナインハーズに特別枠でスクールに入れて貰ったんだ」

「へぇー、マジで特殊だな。幹部のナインハーズさんとやけに親しいと思ったら、そんな経緯があったのね」

「それはいいとして、今は仕事とか無いのか? 随分とゆっくりしてるようだけど」

「チェイサーの案内してやってるだろ。仕事っつーか任務っつーかは、毎回アナウンスが入るんだ」

「アナウンス? どんなのだ」

 俺が質問するとそれを待っていたかのように、丁度のタイミングで施設内にアナウンスが響き渡る。

「ノリング町ランディーで殺人が発生。被害者はゴルド・サルスネス。周囲にはまだキリング・ストリートがいる模様。至急、対策チームは駆けつけて下さい。警戒レベルは10です」

「キリング!?」

「誰だそいつ。チェイサーは知ってるのか?」

「あっ、いや、なんでもない」

 ジースクエアの事はまだ上層部にしか知らされて無いんだった。

 ……いや待てよ。だとしたら何でわざわざ皆に知られるようにアナウンスしたんだ?

「ちょっといいかな」

 突然後ろからナインハーズの声がする。

「えっ、ナインハーズさん——」

 急にサンの体勢が崩れる。

「うおっ」

 俺はそれをキャッチし、なんとか地面との激突を避けさせた。

「おい、どうしたサン」

「気絶してるだけだ。少し諸事情でね」

「諸事情ってどう言う事だよ」

 どんな諸事情だったらサンを気絶させなきゃいけなくなるんだよ。

「すまんが話してる暇はない。今からランディーに行く。ストリートも来るか?」

「ランディーってさっきのアナウンスで言ってたやつか? ってか会議はもういいのかよ」

「至急だからだよ。で、来るのか来ないのか?」

「行く行く行くって」

「よし、ならついて来い。急ぐぞ」

 そう言うと、ナインハーズは後ろを気にせずに歩き出す。

 その歩みは迷いなく、しかし入り口の方に歩いている訳ではなかった。

「入口はあっちだぞ」

「入口はな。向かうのは幹部専用出口だ」

「そっちに何かが」

「とっておきの乗り物がある」

「乗り物?」

「ああ、特殊な車だ」

「車も十分特殊だけどな」

「まあ、見たほうが1番早い。着いたぞ」

 そこには扉があり、また横にパスワード式のボタン入力機があり、ナインハーズはそこに何かの数字を打ち込む。

「今度はフェイクじゃないのか?」

「フェイク用とそうじゃないパスワードがある。幹部専用だからね」

 扉が開いた先は外で、なんの変哲もない車が1つポツンと置いてあった。

「ただの車だな」

「見た目はそうだが、性能は随分と違う」

「よく分からんな」

「とりあえず乗れ。カステルはもう運転席にいる」

 サルディーニはナインハーズ専属の運転手なのか? ジャスターズの5本の指に入るのに。

「失礼しまーす」

 乗り心地は然程変わらず、少しクッションがふわふわしている。

「では発進します。チェイサーさん、シートベルトはしましたか?」

「あ、やっときやす」

 適当にベルトの様なものを伸ばして、適当な所に刺す。

「おい、俺の所使ってるぞ」

 ズルズルズルと音を立ててベルトが戻る。

「うおっ、何すんだよナインハーズ」

「……もうストリートはシートベルトしなくていい。カステル、発進してくれ」

「はい」

 身体がクッションに吸い込まれ、車は発進する。

 この感覚は慣れないな。

「で、これはどこが違うんだ」

「ストリートも知りたがりだな。まあ、好奇心旺盛なのはいい事だが。カステル、やってくれ」

「分かりました」

 そう言うと、車はアクセル全開で走り出す。

 先程よりも強くクッションに吸い込まれ、身体が車に置いてかれている様だった。

「いきますよ」

 車は勢いよく直進し、目の前に家のある曲がり角でもスピードは落ちない。

「おいおいおいおい! ぶつかるぞ!」

「ストリートは静かに座る事も出来ないのか。まあ見とけ」

 見とけって言ったって、車は建物を貫通して走って……。

 あれ? 貫通してる?

「どうなってんだこれ」

 家にぶつかると思いきや、車は何事も無い様に直進し続けている。

「最短ルートで走れる様にジャスターズ独自で開発した車だ。建物や人を透過する事が出来る」

「透過……」

 だからちらっとだが建物の中が見えたのか。

 家の中の人ビックリしてたぞ。透過はいいとして、透明化も取り入れた方がいいなこりゃ。

「後何分で着く」

 いつもは急かさないナインハーズが、珍しく時間を聞いている。

 それ程の緊急事態なのだろう。

「最高速度を維持して20分程かと」

「そのまま頼む」

「はい」

 後20分でキリング・ストリートに会える。

 嬉しいのか嬉しくないのか、この気持ちは分からない。

 しかしなぜか知らないが、キリング・ストリート。この名前を昔から知っている気がする。

 ただの勘違いならいいんだが。

 そんな事を口に出来る筈もなく、俺は心にモヤモヤを抱えたまま目的地へと向かって行った。



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目前

「そう言えばストリート、さっきウッドと一緒にいたな」

 車が目的地へと向かっている最中、さぞ当たり前の様にナインハーズは話しかけて来た。

 確かウッドって、サンの苗字だっけか。

「……サンのことか? 苗字で呼ばれると混乱するな」

 それにしても、ナインハーズは部下の名前も覚えてるのか。凄い記憶力だな。

「すまんすまん癖でね。あれだよあれ。グールが言ってた子」

「ああ、あの子ですか。戦闘面に関しては優秀の」

「そうそう。なんだストリート、ウッドと知り合いだったのか?」

「いや、喫茶店でゆっくりしてたら話しかけられたんだ。それでジャスターズ案内してもらってた」

「ウッドは珍しくグールが褒めた部下だぞ。まあ、戦闘面だけだけど」

 さっきから頑なに戦闘面以外を褒めようとしないな。

 そんなに他の部分が欠落しているのか、あいつ。

「って、さっきからグールってのは誰だ?」

「そう言えばストリートには話してなかったな。グールってのは俺とケインとほぼ同期の幹部だ。試験官や教育係を主にしている」

 試験官って事は、ジャスターズに入隊する時にそのグールって人が審査するのか。

 毎月やってるから見てきた人は多いだろうに、その中でサンが褒められるって事は、相当戦闘面に関しては成績が良かったんだろうな。

「その人がサンを強いって言ってたのか」

「強いと言うよりは、戦闘面が優れてるって言ってたな。対人戦は負け無しって話だぞ」

「へー、凄いんだなサンって」

「まあ裏でサボったり、勉強が出来なかったり、団体で行う授業では喧嘩したりと、本当に実践向きの青二才だって言ってたな」

 しっかりとサボってるの見られてたな、サン。

「サンの能力はなんなんだ?」

「それは個人情報だから言えないな。ストリートも勝手に自分の能力言われたら嫌だろ」

「まあ、確かにそうだな」

 そこら辺はちゃんと教師なのね。とは言えなかった。

 それにしてもサンは全然戦闘向きな感じはしなかったけど、人は見かけによらないものだな

「そうだ、ミラエラの方は準備とか進んでるのか?」

「好きだなホント。そんな早く準備は出来ねえよ。少なくとも今日中には無理だな」

「そんな移動って難しいのか」

「ミラエラは少し事情があるからな。それと、もうそのギプス取ったらどうだ」

 ナインハーズは俺の右腕を指さす。

 そう言えばこんなのしてたな。

「取っていいのかこれ。ナインハーズが数日動かすなって言ってたから、てっきり駄目かと」

「最初はそう思ったが、予想以上にストリートの回復が早くてな。さっきもウッド抱えた時に右腕使ってたろ」

「言われてみればそうかも」

「ほれ、取ってやる」

 そう言うと、ナインハーズは俺のギプスに手を近づけて破る。

「うおお、大胆だな」

「この方が1番早い」

 あっという間にギプスは取れ、既にゴミと化したそれは車内のゴミ箱へと捨てられた。

「ホントだ、全然痛くねえ」

 手をグーパーさせて動きを確かめる。

 全力で握っても痛みはなく、心なしか丈夫にもなってる気がする。

「それなら支障無さそうだな」

「支障?」

「ストリート、今から向かう所はもちろん分かってるな」

 ナインハーズの一言で車内の空気が変わる。

「急にどうした。そんくらい分かってる」

「キリングはジースクエアの中でも、特に殺傷能力に優れている。気を抜く間もないまま死ぬ事も有り得る程だ。ストリートはそいつと対峙した時に動けるか?」

「それは闘ったことが無いから分からんが、多分動けないって事はないと思う」

「そこははっきりとさせておけ。君の命が懸かってる」

 そう言いナインハーズは正面を向く。

「急遽決まった事で悪いが、ストリートにはジースクエア対策チームに入ってもらう」

「なんで申し訳なさそうなんだよ。さっきの会議の事はもう気にしてない」

「そうじゃない。死ぬかもしれない。いや、死にに行く様なものだからだ」

「いつかは危険な道を通る事になる訳だし、そこは別に気にしなくていい」

 自分の兄かもしれない奴を、一目見てみたいという気持ちもあるからな。

「分かった。なら、作戦を教えよう」

「おう、どんなのだ」

「結局ケインの案は穴が大きいのと、応用が効かないって理由で却下させた。多分あいつ1人で闘おうとしてたんだな」

「それはなぜ」

「憎いからだろ。キリングは能力者殺しで有名だからな」

「能力者殺し……」

 能力者に対する敵意は、無能力者だけだと勝手に勘違いしていた。

 人は個人個人様々な思想を持っている。

 その中で能力者が能力者を嫌う事も有り得ない訳ではないだろう。

 しかし最悪な事に、それが能力者の中でトップクラスの強さを持つキリングに当てはまってしまった。

 これ程混ざり合っていけないものがあるのか。

「最終的に決まったのは、幹部、準幹部を除く隊員が2人1組になり、キリングを見つけ次第報告。出来るなら追跡をするってものだ」

「なら俺は誰かと組むのか」

「ああ、ストリートは見習い以下だから、準幹部に1番近い位の兵長である、ルーズ・ザンドリクと組んで貰う」

「そいつの能力は?」

「だから……、それはルーズに聞け」

 呆れた様にナインハーズは答える。

 一応組むからそれくらい聞いても大丈夫かと思ったが、本当に個人情報は流さないんだな。

「分かった。そうだ、会議中に言ってたツールってのは結局なんなんだ」

「あ! 言い忘れてた。これがないと連絡取れないんだった」

 めちゃくちゃ大事な事言い忘れるじゃん。

 ナインハーズは急いでポケットから細長い小型の機械を出し、俺に差し出す。

「これに能力を使ってくれ」

「能力?」

「適当に強度上げるとかでもいい」

「分かった」

 俺はその機械に触れ、強度を上げる。

 もちろん何も変化する事なく、それはそれのままだ。

「よし、登録完了だ」

「登録って何をしたんだ」

「ストリートの潜在情報を登録したんだ。能力者1人1人に能力の癖があってな。それを記憶させる事で、位置情報を知る事が出来る」

「こんな物でか?」

「こんな物で」

 今の技術って凄いんだな。

 思わず感心をしてしまう。

「これを渡しておく。ちなみに通話しか出来ないから注意な。そこのボタンを押すと出来るぞ」

「分かった。……通話ってなんだ?」

「……あ、うーん。とりあえず持っとけ」

 もう凄いよ。と小声で言われた気がしたが、恐らく気のせいだろう。

 こんな物で登録した他人の現在地を知る事が出来るのか。

 これもジャスターズ独自の開発なのだろうか。

「ポケットにでも入れとけ」

 そう言われて、俺はツールをポケットにしまう。

「それで、追跡した後はどうするんだ。倒せる算段があるのか」

「うっ」

 ナインハーズは痛い所を突かれたみたいな顔をし、そっぽを向く。

「マジかよ。ならどうするんだ」

「……正直言って昨日の今日だからな。こっちも情報が少ないんだよ。だからってキリングが出たのに行かない訳にはいかないし」

「それはそうだが、見つけて報告したら後は死ねってか?」

 他が駆けつける前に殺されない保証はどこにもない。

 なんなら殆どの確率で死ぬって言ってたし。

「そういう訳じゃない。その為の2人1組なんだ。互いに互いをサポートする」

「サポートって俺は戦闘慣れしてないぞ」

「そこはルーズに任せろ。あいつはキリングの能力と相性がいい。今回の対策チームはそういう奴らの集まりだ」

 前にも国からジースクエアを殺せって命令が下ったって言ってたが、その時はあまり上手くいかなかったのだろう。

 だからこその対策チーム。キリングの能力に合わせた精鋭たちを集めてるのか。

 ……キリングってどういう能力なんだ?

「そう言えばキリングの能力って分かるのか?」

「当たり前だろ。ジャスターズもそんなに馬鹿じゃない」

「それは教えてくれるのか?」

「ああ、敵だからな。キリングの能力は銃だ」

「銃? 銃ってあの小型の武器か?」

 確か1000年ちょい昔の武器だった気がする。

 今更なんでそんな古代の武器が能力化するのだろうか。

「一応銃は知っているのか。ストリートの言う通り、銃は小型で殺傷能力の高い武器だ。ただし、キリングのに限るがな」

「どう言う事だ」

「ストリートも経験はないか? 例えば車に撥ねられても怪我しなかったり、高い所から落ちても痛くなかったり」

 そう言われれば思い当たる節はあるな。

 確か美人お姉さんに殺されかけた時に、4階くらいから落ちた事がある。

 その時スウィンが、能力者が4階から落ちて死ぬ訳ないって、当たり前の様に言ってたな。

「能力者ってのは見えない力で守られてるんだ。それは元と言って、能力を使う時に消費するのもこれだ」

「それは初耳だな。で、それが何か関係あるのか」

「ああ、元は元でしか壊せない。生きてない物には元はないから、どれだけ速く物体が飛んで来ようが無傷なんだ」

 元。もしかしてこれが不足すると目が血走って頭が痛くなるのか?

 だとすると、能力者が塩を必要とするのはこの元の所為って事になるな。

「じゃあキリングの銃も効かなくないか?」

「それが厄介な事に効くんだ。キリングは能力で銃を生み出している。つまり、元で出来た銃なんだ」

「……完全に対能力者の能力じゃねえか」

 この能力が35万分の1の確率で運悪くキリングに渡ってしまった事は、神の犯した最大の罪だろう。

「ああ、多分この作戦で誰か死ぬ。それは最初にキリング出会った誰かだろうが」

「それじゃあ——」

「それがジャスターズなんだ。……これが、ジャスターズなんだ」

 2回目は重く聞こえた。

 それだけ思いのこもった言葉なのだろう。

 ナインハーズだって誰かを犠牲にしたくない筈だ。俺だってそうだし、他の対策チームの皆もそうだろう。

 しかし気持ちだけでは勝てない。圧倒的暴力の前には思いは重さを持たない。

 それは誰もが知っている事で、わざわざ口に出す事ではない。

 しかし一言。一言ナインハーズに俺は大丈夫だと言いたい。

 そうすればナインハーズは安心して自分の仕事を真っ当出来るし、もし俺が死んでも悲しみは薄れるだろう。

 だがこの一言を言ったら、本当に死んでしまう気がする。

 この一言は決して口に出してはいけない。

 それも同じく知っている。

「ライムさん。予定より早く着きそうです」

「分かった。ストリート、覚悟を決めろ」

「……ああ」

 結局言えずじまいのまま、俺は目的地へと着いてしまう。

 それでいい。それがいい。俺の選択は間違っていないと、そう思い言い聞かせた。



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兄弟

 車の速度が落ちてきた頃、そろそろ目的地であるランディーに着こうとしていた。

 それと共に段々と速くなる鼓動。

 恐らく緊張しているのだろう。

 それが伝わっているのかいないのか、ナインハーズは相変わらずだ。

 しかし運転しているサルディーニの手は、ハンドルを握る力が強くなっていた。

 サルディーニも俺と同じなのだろう。

「着きました」

 その声と同時に車が停止する。

 俺はまた前進する力に押し出されそうになるが、足で踏ん張り耐えた。

「ストリート」

「いちいち指示しなくても分かってる」

 俺はナインハーズの言葉の意図を読み取り、車を降りる。

 目の前には俺を待っていた様な、すらっとした男が立っていた。

「お前がチェイサーだな。会議では随分いじめられてたが、もう立ち直れたのか」

 初対面にも関わらず、その男は普通の人ならあまり言って欲しくない様な話題から話し始める。

「別に気にしてねえよ。で、お前がルーズって奴か?」

「なんだ知ってるのか。ナインさん、俺の能力とかも話したんですか?」

 ルーズは未だ車内に座っているナインハーズに話しかける。

「教えてないぞ。まあ、ストリートは知りたがってたけどな」

「チェイサー……、呼びずらいからチェイな。チェイはどうやらそこら辺の常識がなってないらしいな」

 人の名前にいちゃもんつけるなよ。

 それにしても、勝手に新しいあだ名を付けられてしまった。

 ストリート、チェイサー、チェス、チェイ。

 あだ名多過ぎて、本人の俺が覚えられねえよ。

 その内「チェ」って言われただけで返事しかねないから怖いな。

「常識も何も、まだここに来て数日しか経ってねえんだよ。こっちだって学びながら生きてんだ」

「なるほどな。なら、俺たちの中でも常識を作ろう」

「は?」

「簡単に言えばルールだ。例えば、喧嘩しないだったり、闘う時は2人で協力するだったり、道に札束が落ちてたら俺しか拾っちゃ駄目だったり」

「最後のは要らねえだろ」

 完全にお前専用のルールじゃねえか。

「ならさっき言った2つでいいな。わかったらその敵意丸出しな態度止めろ。コミュニケーションが取りづらい」

「へいへい」

 ナインハーズよ、もう少しマシな奴はいなかったのか。

 確かに俺が見習い以下の役に立たない奴だから、兵長と組ませる所までは合点がいく。

 だかモラルに欠ける奴と組ませるのは、明らかに判断ミスだと思うがな。

「後は頼んだぞルーズ。俺はここから数十キロ離れた場所に行く。見つけ次第全員に連絡する様に」

「オッケーです」

 車の扉がひとりでに閉まり、再び猛スピードで発進する。

 あっという間に見えなくなり、そこには俺とルーズの2人だけになった。

「自己紹介は終わった訳だし、適当にゆっくりでもするか」

「そんなん駄目だろ。キリングを殺せって命令なんだろ? なら探さねえと」

 このルーズって奴、性格だけじゃなく仕事に対しての熱意も腐ってやがるな。

「そこら辺はちゃんとしてんだな。だがよーく頭を使って考えてみろ」

 ルーズは自分の頭を指差して俺を見る。

「どう言う事だ」

「そこを考えるんだよ。チェイは、ゴルドが殺されてから瞬間的にこっちに連絡が来たと思ってるだろ」

 ゴルドってのはキリングに殺された奴だっけか。

「そうじゃねえのか? 普通」

「いくらジャスターズが能力者の集まりだからって、そんな瞬時に犯罪を知らせられる訳がないだろ。そりゃあ、通報だったり明らかなテロ行為なら話は別だがな」

「つまり何が言いたいんだよ」

 さっきから話の意図が全然分からねえ。

「キリングは待ってるんだよ。俺たちを」

「もっと意味が分からねえ。なんでキリングがジャスターズを待ってんだ」

「そりゃお前、ジャスターズが能力者の集まりだからだろ。ナインさんが言ってなかったか? キリングは能力者殺しだって」

「それは俺も知ってる。だがキリングの狙いがジャスターズなら、今までにアクションを起こさなかったのは不自然だろ」

「起こす必要が無くなったんだよ。だってわざわざ獲物の方が近づいて来てるんだからな」

 キリングの対策チームには、上層部のナインハーズやケインも入っている。

 しかもケインに関してはジャスターズの最高の地位にいる者。

 危険なジャスターズに侵入して殺すより、今回の様にあっちから仕掛けてくるのを待った方が圧倒的に安全で楽。

 そこまで読んでいるとしたら、キリングという男はかなり頭の切れる奴なのだろう。

「だとしたら、狙いはケイン?」

「さんをつけろ。それとそれは間違い。もしケインさんと戦闘になって、手こずりでもしたら仲間を呼ばれる危険性がある。ここまで言えばもう分かるな」

「……狙いは俺たち?」

「そう、恐らくキリングは最弱のここを狙ってくるだろう。ジャスターズがここに向かってるって情報は、既にキリングに渡っていると考えても不思議じゃない。どこにでも情報屋はいるからな」

「なら尚更ゆっくり出来ねえじゃんか」

 このまま死ぬのを待つって事かよ。

「馬鹿だな、流石にそんな早く襲っては来ねえよ。ここに来るって情報だけで、キリングも俺たちの位置は掴めてねえ。それと、誰が誰とペアを組んでるなんて知る由もないからな」

「……確かにそうか」

 最初の一言は余計だが、言っていることは確かに筋が通っている。

 国からの命令がキリングの耳に入っているのは、ほぼ間違いのない事実だろう。

 しかし作戦自体は急遽決まった事だ。それに加えて俺が参加する事になったのはついさっき。

 これで俺たちの位置がバレているとしたら、あの車内もしくは対策チームに裏切り者がいるとしか考えられない。

 ナインハーズは疑う余地もないし、サルディーニもナインハーズの側近だ。

 悔しいが、頭を使ってみると今まで見えなかったことが沢山見えて来る。

 本当に悔しいが。

「じゃあ行くか」

 その言葉の後にルーズが歩き出す。

 俺もそれに付いて行こうと周りを見る。

 今まで会話に集中していた所為で周りの景色など気にしていなかったが、よく見るとカフェや八百屋、雑貨屋に宝石屋、挙げ句の果てに遠くにはビルまで見える。

 本当に町に来たって感じだな。

 スクールにいた時にはあまり見ることのない景色に、俺は一瞬足を止めた。

「適当にここのカフェにするか」

 ルーズの指差した先にはアンティークなカフェがあり、少しくすんだ茶色がいい味を出している。

 扉の横には立てかけの看板が置いてあり、そこにはリストグンロンドと書かれていた。何語?

 カランカランと音を立てて開かれる扉は、その見た目と反して古い印象は与えなかった。

「2人で」

 ルーズが店員に何かを言っている。

 その間に何もする事が無かったので、なんとなく店内を見回す。

 客はぼちぼちといった所で、繁盛しているとは言い切れないが、それもまた味を出している要因ではあった。

「奥のカウンターだってよ」

 ルーズに付いて行き、他より少し高さのある椅子に座る。

 腰くらいの高さにはテーブルがあり、前にある棚には白いコップや皿が不規則に並べられていた。

「ご注文は」

 テーブルを挟んだ所にいる店員に話しかけられる。

 注文と言われてもメニュー表などが見当たらないので、何を頼めばいいか分からない。

「コーヒー2つで」

「かしこまりました」

 注文を聞いた店員が奥へと入っていく。

「ルーズはコーヒーを2つも飲むのか」

「いや、お前の分だろ。なんだチェイ、もしかして苦いの無理か」

 あ、俺の分頼んでくれてたのか。

「なんだ気が利くな」

「タメ口とかじゃなくてシンプルに上からだな。まあいいや、ちょいとトイレ行って来る」

 そう言いルーズは立ち上がり、グロウと書かれた看板の方へ入って行く。

「お待たせしました」

 適当に待っていると、早くも店員が注文した品を届けにやって来た。

 にしても随分低い声だな。

「あざっす」

 店員の方を見てそれを受け取ろうとすると、その両の手にはコップはおろか何も持っていなかった。

「あれ、注文したやつは?」

 尋ねると店員は俺の横の椅子を引き、当たり前の様に座って来る。

「どういう事?」

 全く状況が理解出来てない俺は、ただそれを眺めるしかなかった。

「やはり貴様か。チェイサー」

 その店員の声は先程よりも鋭く深く、しかし聞き覚えのある声をしていた。

 よく見ると注文を受け取っていた店員より体格がよく、何か雰囲気も違っていた。

「……なんで俺の名前を」

 恐る恐る俺が問うと、店員はこちらを向いて答える。

「貴様の兄だからだ」

「——!」

 俺が立ち上がって逃げようとすると、左手で肩を押さえられて簡単に阻止されてしまった。

 まるで初めて出会ったナインハーズの時の様に。

「動かない方が賢明だ。ここにいる全員が死ぬ事になる」

 その言葉はわざわざ真偽を確かめる事をしなくとも、真の方である事は明確だった。

「何が目的だ」

「兄弟2人が話す行為に意味が必要か」

 言葉1つ1つに毒が塗ってある様な、そんな殺気を纏っているキリングは、この状況に意味が必要かと質問して来た。

 もちろん兄弟や近しい人間なら、水入らずで話したい時もあるだろう。

 俺とお前の場合はイレギュラーだろ。しかしそんな言葉を口に出せる訳もなく、俺はただただ大人しく座っている事しか出来なかった。

「おおチェイ、待たせたな」

 遠くからルーズの声がする。

 恐らくトイレから帰って来たのだろう。

 今すぐキリングの事を報告するべきなのだろうが、どうしても声が出ない。

 しかもルーズの位置からではちょうどキリングの顔が見えなく、もしこのままキリングに近づいてしまったらいくら兵長のルーズでも瞬殺だろう。

 なんとかして伝えなくては。

 俺はそう思い、襲い来る殺気と恐怖に立ち向かって口を開こうとする。

「ルー」

 しかし俺の声は、ルーズの名前を呼ぶ前に静止した。

 キリングは冷徹な目でどこからか取り出した銃を、静かに俺に向けている。

 声を出したら殺す。実際に声にされずとも、その言葉は俺に届いていた。

「隣にいるのは……店員? なんだ知り合いでもいたか」

 呑気に近づいて来るルーズに何も言えず、遂にはキリングの真後ろまで来てしまった。

 その時キリングの表情は一切変わらなかったが、瞳孔が少し大きくなったのを見逃しはしなかった。

「ルーズ!」

 気が付いたら後先考えずに声に出しており、その声に驚いたルーズは一瞬で状況を理解した様だった。

 それと同時にキリングが振り向き、手に持っていた銃でルーズの脳天に弾丸を撃ち込む。

 響き渡る銃声と共に、ルーズがのけ反った。

「静かにしていろ」

 腹に激痛が走り、そこで俺の意識は途絶えた。



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ルーズ・ザンドリク

 響く銃声。

 それが意味する事はもちろん、銃から弾丸が発射された事であろう。

 そしてそれを受けたのは、今のけ反り返っているルーズ・ザンドリク。

 しかし、ルーズの頭は撃ち抜かれてなどいなかった。

「避けたか」

 キリングの声と共に後ろへと飛び退くルーズ。

 その手にはツールが持たれていた。

「危ねえな。もう少しで死ぬとこだった」

「俺の弾丸はそんなに遅く無いはずだがな」

 キリングの能力である銃は、言い換えれば対能力者用の武器。

 それを事前に知っていたルーズは、間一髪避ける事が出来たのだ。

「キャー!!」

 突然の銃声に騒がしくなる店内。

 銃という未知の武器に一般人が驚かない筈もなく、客たちは一斉に出口を目指して走り出していた。

「これはまずいな」

 ルーズがそう呟いたのは、本心からの気持ちであろう。

 事実ルーズはキリングに恐怖していた。

 自分たちはキリングに狙われていると言う事を知ってる身でありながら、不覚を取ってしまった。

 そして気絶しているチェイサーはいわば人質。

 キリングとチェイサーが兄弟である事も、この事態を招いてしまった要因であろう。

「高速移動……ではないな。それなら反撃をして来る筈だ」

 キリングの言葉にルーズはたじろぐ。

 この男は、この状況にして相手の能力を考察しているのだ。

 この余裕にしてこの実力。

 ジースクエアであるキリングは、ずば抜けた観察眼を持っていた。

「ふーっ」

 キリングが一息吐き、さながらフィナーレを迎える指揮者の様に、両の腕をひろげる。

 するといつの間にかキリングの両脇には、ずらっと機関銃が生み出されていた。

「レクイエム」

 両手を閉じ、それと共に乱射される弾丸。

 それは逃げている客を物ともせずに通り過ぎていく。

「マジかよっ」

 ルーズの全身に、数十発の弾丸が飛んで来る。

 ただ立ち尽くしているルーズは、それをじっと見つめているだけだった。

「発動」

 しかしギリギリの所でルーズの身体が宙に浮く。

 ルーズの能力、それは並行移動。対象を決め、それと同じ方向、同じ速さで動く事が出来る。

 1番先頭の弾丸を対象とし、ルーズは後ろの窓ガラスへと突っ込む。

 そしてその勢いのまま、向かい側の店へと飛んでいく。

 元はどんな店だったのかも分からない程それは壊れ崩れており、壁には一面紅くドス黒いペンキが乱雑に塗りたくられていた。

「いい音だ」

 それに対しキリングは、自分の生み出した銃から発せられる火薬の爆発音を楽しんでいた。

 未だ発射し続けている機関銃。

 それに身を隠しながら、ルーズは生きていた。

「ゔっ」

 しかしその右足には、避け切れなかった弾丸が貫通していた。

「……腱がやられてるな」

 万全な状態で闘っても勝てない相手なのに、ルーズの右足は既に使えない物となっていた。

「ふーっ」

 一息と同時に両手が開かれ、機関銃が止まる。

 キリングは高揚していた。

「二度も避けたか。いや、足を擦ったか。しかし妙だな貴様の能力。高速移動で無いのに俺の弾丸より速い。と言うより同じ速度か」

 未知の能力を持つこの男。

 これだから能力者殺しはやめられないと、そう思っていた。

「やるしかないか」

 ルーズが何かを心に決め、キリングの目の前へと姿を表す。

「キリング! 交渉しよう!」

 その言葉は、キリングとって予想外であった。

「交渉?」

 ルーズはここで死のうと考えている。

 それは腱を切れても応援を待たなかった、その判断に現れていた。

「俺の命とチェイサーの命。それが条件だ」

「断る」

 キリングは即答した。

 そんな事をせずとも、キリングにはチェイサーとルーズの命を自由にする力を持っている。

 交渉とは名だけの、ただのルーズの願望なのだ。

「ならしょうがねえな」

 ルーズは足を引き摺らない様にして外に出る。

「来いよ。遠距離でしか闘えねえ能無しが」

 そしてわざとらしくキリングを挑発する。

 理由は簡単で、このまま標的が自分のままならどうにか時間を稼げると思ったからである。

「貴様の能力には興味がある。その安い挑発に乗ってやろう」

 キリングもカフェから外に出て、ルーズに対してミニガンを生み出す。

「相変わらずだな」

 ルーズはそのミニガンの発射より早く、近くに落ちていた瓦礫を横に投げる。

 そしてその瓦礫を対象とし、ルーズはミニガンの軌道を逸れる。

「なるほどな」

 それを間近で見ていたキリングは、ルーズの能力を完全に把握した。

「付いて来いよ」

 その言葉を聞いたキリングは足に力を込め、思い切り走り出す。

 なんとキリングは、その脚力だけでルーズを追いかけているのだ。

 差は縮まらずとも開けず、もちろんの事ルーズは驚愕していた。

「マジでバケモンだな」

 能力だけでなく、身体能力も自分の上。

 その絶望感は、ルーズの右足が使えても使えなくても変わらないものであっただろう。

「どこに向かっているんだ。このまま逃げる訳でもないだろう」

「お前とチェイを離せればどこでもいいんだよ」

「被害を気にしているのか。不自由だな」

 答える事は出来なかった。

 常に自分の上をいくキリングにどうやって勝とうかと、既にそんな事を考えるのはやめていた。

 しかし闇雲に動くほどジャスターズ兵長ルーズ・ザンドリクは馬鹿じゃない。

 このまま一定方向へ進めば、近くにいる対策チームのメンバーと合流出来る可能性が高い。

 報告済みであっちも近づいて来ているだろうから、その差は時間の問題。

 しかしその考えの甘さが、ルーズの負け続けている要因であった。

「貴様はこのまま攻撃を仕掛けられないと、勘違いしていないか」

 キリングの能力は、触れたり何かを対象にしたりする事で発動する訳ではない。

 つまり完全自立型の能力なのだ。

 他からの干渉を受けない能力は、1対1の戦闘で絶大な力を発揮する。

「合流はさせない」

 キリングは走りながら右手に拳銃を生み出し、2、3発撃つ。

 それは投げた瓦礫より圧倒的に速く、それでいてルーズの恰好の的であった。

「お前、以外と馬鹿だな」

 瓦礫はいつか重力により落ちる。

 しかし弾丸程の速さなら、落ちるとしてもかなりの距離を進んでから。

 キリングはミスをした。そうルーズは思った。

 ルーズは対象を瓦礫から弾丸へと変える。

 もちろん移動速度は速くなり、キリングからも逃げられる筈だった。

「いいや、貴様の負けだ」

 いつの間にか左手にはライフルが持たれており、キリングはそれをルーズに発射した。

「っ!」

 拳銃よりも小銃の方が弾丸の速度は速い。

 キリングはわざとルーズに拳銃の弾を対象にさせ、速度の速いライフルで殺る作戦だったのだ。

「ゔがぁ」

 右肺、肝臓、肋骨、小腸、右腕、右肩、左目、右足。止めを刺さずとも、大量出血によりその命は燃え尽きかけていた。

 流石のルーズも能力を解除してしまい、地面へと叩きつけられる。

 運悪くそこは広場で、周りに身を隠せる様な場所は一切ない。

 ルーズの死は確実であった。

「キリ……ング」

 ルーズの意識はもうほぼない状態である。

 しかしその最中、ルーズがキリングの名を呼んだのは偶然ではないだろう。

「もう口を開くな。貴様の敗北は最初から決まっていたのだ」

「……なぜ、なぜ能力者を殺す」

 単純な疑問であった。

 キリングが能力者を殺す理由。そんな事を聞いても状況は変わらず絶望。

 もし答えがあっても聞こえない程ルーズは損傷しているにも関わらず、その言葉を口にしていた。

「罪だ。能力者は常に罪に溺れている。俺はその罪を知っているから殺す。ただそれだけだ」

「…………くっ」

「どこに笑う要素があった」

 ルーズは自然と笑みをこぼしていた。

「いいや、お前はイカれてるんだな。だからそんなに強いんだ。他人の、人の温もりを知らないから」

「俺の前には常に死体が転がっている。他人など存在しない」

 再びルーズは笑う。

「テメェは独りで生きてんだ。愛を知らず、悲しみを知らず、痛みを知らない。だから力を手にしなくてはならなかった」

「さっきから貴様は何を言いたいんだ。全く理解出来ない」

「お前はいつかジャスターズに殺される!」

「人はいつか死ぬ。それが早いから遅いかだ」

「そしてチェイサーは俺の部下だ! 俺を殺した後にあそこへ戻ってでもしてみろ。地獄の底から追いかけて苦しめてやる」

「だからどうした」

「だから、俺を殺して満足してくれ……」

 最後の方は掠れて声になっていなかった。

 しかしその意図を、キリングはルーズの表情と覚悟から理解していた。

「ふーっ」

 キリングは右手を前に出し、能力を集中させる。

「クリムゾン」

 瞬きも許されない間に、ルーズを自動小銃が取り囲む。

「へっ、笑うしか出来ねえよ」

 絶望としか言い表せないその中で、ルーズは座っていた。覚悟をしながらリラックスをしていた。恐怖はもう存在していなかった。

 チェイサーを逃す。それだけが自分の任務と心に決めていたからである。

「閉幕だ」

「地獄で待ってるぞ」

 爆音と共に弾丸が放たれる。

 その光景は、およそ1人に行われる技ではなかった。

 初弾でルーズの命は絶えているにも関わらず、未だに放たれている弾丸。

 それはキリングの怒りを表していた。

 自分より遥か下に位置する能力者に、コケにされたのは初めてだったのだ。

 そしてこんなに相手を生かしていた事も初めてだった。

 キリングは身体的、能力的に圧倒的差を見せつけたが、最後に精神的に負けたのだ。

 だからこその必殺技。

 キリングは響き渡る爆音とは反し、静かであった。

 やがて撃つのをやめ、銃を消す。

 そこにはもう、ルーズの姿はなかった。

 跡形もなく、キリングの能力の餌食となったのだ。

「脆いな」

 キリングは踵を返し、カフェへと向かう。

 しかしその足は、数本歩いた所で止まった。

「……興醒めだ」

 キリングは方向を変え、町の外れへと歩き出す。

 そしてロケットランチャーを生み出し、真上に撃ち放つ。

 なぜそうしたのか、キリング自身にも分からなかった。

 しかし誰も追及はしない。

 キリングはノリング町ランディーから姿を消したのだった。



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優しさ

「おいテメェなに気絶してんだ。ってかルーズさんどこ行った」

「……っ、いってー」

 目が覚めると、そこは悉く破壊し尽くされたカフェの中だった。

 目の前にはあの態度の悪い男が、確かラットとか言う男が俺の胸ぐらを掴んで立っている。

 叩き起こされたのか、少し頬が痛む。

「そうだ! キリングは!」

「ちっ、やっぱりキリングか」

 俺を放り出し、ラットは急ぐ様にして外に出る。

 店内は大量殺人が行われた後で、人が物の様に散乱している。

 そう言えばルーズが見当たらない。もしかしてキリングと戦闘中なのか。

「ルーズはどこ行ったんだ。生きてるのか」

「くそっ、知るかそんな事。多分戦闘になってどっか行ったんだろうよ」

 ラットは随分イラついている様子だ。

 俺が情けなく気絶していたからなのか、キリングに独断で闘いを仕掛けたルーズへの怒りなのか。

 それに関しては推測の域を出ない。

「血が多過ぎる。これじゃあ追跡出来ねえな。いつの間にかツールの信号も消えてるし」

 ツール。それを辿って俺の位置を知ったのか。

 恐らくラットが来たのはルーズが報告したから。

 とすると、ルーズは俺を助ける為……。

「ドンッ!」

 遠くで何かの爆発音がする。

「ルーズさん!」

 ラットは何かを悟った様に、爆発音の方向へと走り出す。

 俺もすぐに立ち上がり、その後を追う。

「付いてくんな。もしキリングがいてもテメェは足手まといなんだよ」

「お前の能力は知らんが、1人よりは2人の方がいい。まだ戦闘中なら尚更だ」

「くそっ、なんでこんな奴を……」

 どんよりとした雲が、空を覆いつつあった。

 

 数分走ると広場があり、ラットはそこで足を止めた。

 俺も止まって辺りを見渡す。

 周りの建物は所々に小さな穴が空いており、大半が元の原型を留めていない。

 中心にはわざとらしくそうした様にしか見えない、大きな凹みがあった。

「マジ……か」

 ラットはそこに座り込み、何かを拾う。

 それは何かの破片に見え、赤黒く染まっている。

「ツールの破片じゃねえか。つう事は」

 ラットは立ち上がり、自分のツールを出す。

 そして独りでに話し出した。

「ナインハーズさん。いえ。まあ、はい。はい、ルーズさんは殉職しました」

「えっ」

 この男、今なんて言った?

 俺の聞き間違いじゃなければ、ルーズが殉職したって……。

 殉職って、つまり死んだって事だよな。

 いや、アイツがそんな簡単に死ぬ訳。……無いよな?

「……恐らく不可能だと思います。姿は疎か、気配さえも。はい。……分かりました」

 ラットはこちらを向き、俺にツールを投げてくる。

「うおっ」

 俺はそれをキャッチするがどうしたらいいのかよく分からず、ただ立ち尽くしていた。

 すると周りに誰もいない筈なのに、ナインハーズの声が聞こえてきた。

『ストリートか』

「えっ、ナインハーズ? なんで声聞こえるのに見えねえんだよ」

『今はそれはスルーしてくれ』

 ナインハーズの声はどこか深刻そうだ。

 いつもなら説明から入ってくれるのに、今回に関しては有無を言わせぬ圧がある。

「……どうしたんだ」

『落ち着いて聞け』

 ナインハーズは慎重に言葉を選ぶ様に話している。

「なんだよ」

『先程そこで、ルーズが死んだ』

「——!」

 さっきのは聞き間違いじゃ無かったのか。

『だが悲しんでる暇はない。今すぐ全員がそっちへ向かう。それまで待機していろ』

 その言葉以降声が聞こえなくなり、俺は沈黙する。

 ルーズが死んだ。その言葉が未だに頭から離れないでいた。

 初対面で失礼な話題から話し始めるあのルーズが、まともに話してなくて能力も知らないあのルーズが、俺を散々馬鹿にしていたあのルーズが。

 キリングとの戦闘により、死んだ。

 なんとなくそんな気はしていた。

 俺が目覚めた時にはもう、ルーズはキリングに殺されたんじゃないかって。

 気が付くと俺の瞳には涙があった。

 人の死が、知人の死が、仲間の死が、悲しい事を知った。

「そろそろ返せ」

 ラットの声がセンチメンタルな俺の心に響く。

 こいつは仲間が死んでも、俺が持っているツールの事しか気にしていない。

 そんなラットの態度に、俺は怒りを覚えた。

「返せってお前。ルーズが死んだんだぞ」

 ラットを見ると、何事もなかった様に平然としている。

「そんくらい知ってる。だからどうしたんだ。あ、葬式はやらねえぞ。やるのは準幹部以上だからな」

「お前!」

 俺はラットの胸ぐらを掴み、引き寄せる。

「ルーズをなんだと思ってんだ! 仲間なら死んだ時ぐらい悲しんでやれよ!」

「悲しんだらルーズが報われるのか」

 ラットは即答だった。

 俺の目を真っ直ぐ見て、視線を揺らす事なく答える。

「当たり前の事言ってんじゃねえよ。能力者同士の戦闘は命懸かってんだ。それはルーズさんも知ってたし、他の皆も知ってる常識だ。それをテメェだけの私情で捻じ曲げようとしてんじゃねえよ。ルーズさんは別に、テメェに悲しんで貰うために死んでった訳じゃねえ。他の仲間に託したんだ」

 俺の喉にはもう言葉は無かった。

 ずっと昔から知っていた常識。

 それをルーズの死を理由にして目を逸らしていたのだ。

 俺はあの時キリングに隣に座られた時点で、既に負けていた。

 油断とか言う生ぬるい評価ではなく、敗者と言う弱い者のレッテルを貼られたのだ。

「テメェが悲しもうが、俺に対して怒りを覚えようがどうでもいい。だが、死んだ仲間に同情する事だけは許さねえ。分かったらこの手離せ。切り落とすぞ」

「……すまん」

 俺は手を離し、近くのベンチへと座る。

 俺が間違っているのか。ルーズが死んで悲しんでいる、俺が間違っているのか。

 ジャスターズはそんな組織なのか。死んだ仲間を気にする余裕も無い程、追い詰められているのか。

 正直俺の頭じゃ理解出来ない。

 そして甘く見ていた。能力者同士の戦闘を。

 恐らくキリングは圧倒したのだろう。

 ここには弾痕が所々に付いている。その他には普通の広場だ。

 ルーズの能力が入る余地は無かったと、過ぎた事でも理解出来てしまう。それ程キリングは強い。

 あの時のキリングが言った兄弟という言葉。

 あれははっきりと憶えている。

 それが本当だとしたら、俺はキリングを兄弟とは思わない。ただ1人の殺人鬼としか思えない。

 俺がそんな事を考え俯いていると、遠くの方から聞き覚えのある声がして来た。

「ストリート」

 ナインハーズの声だった。

 その方を見ると、そこにはあの会議の時にいた全員が集まっていた。

 その時、俺の身体は自然と動いた。

 立ち上がり、本能的に頭を下げていた。

「なんの真似だ」

 ケインの声がする。

 その声は怒りを示していた。

「なんの真似だと聞いてるんだ」

 2度も聞かれるが俺は答えない。答える事が出来ない。

「チェイサー、お前はナインハーズの連れで甘く評価している所があったが、今回に関しては許されないぞ」

 当然だ。

 俺とルーズ、どちらがジャスターズに必要かと聞かれれば、即答でルーズだろう。

 俺は完全にお荷物だ。

「スクールへ帰れ、チェイサー。これ以上お前は関わるな。後は俺らの仕事だ」

 ケインら対策チームは、ナインハーズを除く全員が踵を返して歩いていく。

「馬鹿だな。あれほど同情すんなっつったのに」

 通りすがりにラットに叱られる。

 同情なんてしていない。俺は俺のしたい事をしただけだ。

 それが生んだ結果に、俺は納得するしか無い。

 ナインハーズは俺に近づいて来て、肩に手を乗せる。

「……ストリート、送ってくよ」

「キリングは探さなくていいのか」

「追跡は不可能だと思う。それにあっちに闘う気はない様だし、無駄死には避けたい」

「……ありがと」

 俺はナインハーズの乗って来た車に行き、後ろの席に座る。

 運転席にはサルディーニではなくナインハーズが座った。

「……シートベルトはしたか?」

 その何気ない言葉に、俺の中の何かが解けた。

「すまねえ、すまねえナインハーズ。俺が足手まといになったから、ルーズが」

 涙が止まらない。

 今まで抑え込んでいた感情が、何気ないの日常に当てられて吹き出した。

「俺は、俺は許されない事をした」

「ああ」

「優しくしないでくれ。ラットもケインも、俺を叱ってくれない。お前が叱ってくれよ、ナインハーズ」

「……気付いてたのか」

 ラットの死んだ仲間に同情するなという言葉。あれは今後必要になってくる教訓。

 確かに仲間が死ぬのは悲しい。しかし、それを気にして任務に臨めば支障が出る。

 今回の様な任務なら特にだ。

 ラットは自分の感情を抑えてまで、俺に対し教えてくれたのだ。

 そしてケインの許されないという言葉。本心でない訳ではないだろうが、俺をこれ以上危険に晒させないための配慮。

 俺が抵抗なくクリミナルスクールに帰れる様にわざと強く言ってくれたんだ。

 皆、危険なのはこれからだという事を知っている。

 だからこそ、1番の穴である俺を帰した。

「大人はズリィよ。少し強く言えばそんな風に聞こえんだから」

「大人はズルいんだよ。そこまで分かってるなら合格だ。ストリート、スクールに帰ったら試験を受けろ。手配は俺がしとく」

「えっ?」

 突然の言葉に、俺は顔を上げる。

「そしてまた対策チームに入れ。そう簡単に命令は取り下げられない。猶予は十分だろ」

「……ナインハーズ」

 大人はズルいが、それでいて優しすぎる。

 俺が叱ってくれと頼んでも、やはりそれを受ける事はない。

 ナインハーズは、ケインは、ラットは優しすぎる上司だ。

「1発合格だ。それ以外は受け付けない。これが最後のチャンスだ」

 しかしはっきりと、ナインハーズの声は車内に響いた。

 優しさの中にある厳しさ。それを物語っている言葉だった。

「ああ、絶対合格する」

 俺は自分の両手を力強く握る。

 これが最後のチャンス。絶対に掴み取らなくちゃいけないもの。

 いつの間にか涙は止まっていた。

 空に点々としていた雲もいつしか消え、太陽が燦々と地面を照らす。

 ルーズはもういない。それは変わる事のない事実だ。

 しかしルーズは他の仲間に託した。これからを、希望を。

 それを受け取るのが誰であれ、その思いは消える事はない。

「発進するぞ」

 ナインハーズの声と共に車が動き出す。

 俺はその時ブレる事なく、一点の光を見ていた。



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突然試験

 クリミナルスクールへ帰る途中までに、車内では特に話す事もなく時間が過ぎていった。

 しかしその空気は緊迫したとはかけ離れた、穏やかなものだった。

「そろそろだな」

 クリミナルスクールの塀が見えて来た頃、ナインハーズが口を開く。

 俺はそれに相槌を打ち、全身の力を抜いた。

「随分遅かったな」

 車が急ブレーキをし、俺は前に押し出される。

 何事かと思い、俺はナインハーズに尋ねた。

「どうしたんだナインハーズ。猫でもいたか」

「いや……、早速お出ましだ」

 そう言うと車を降り、前方を見つめる。

 俺も降りないといけない様な雰囲気を感じ、車から降りる。

 ナインハーズの見つめる先には、トレントよりも背の高い筋肉隆々な男が立っていた。

「其奴がチェイサーか」

 そやつ!?

 あ、俺の名前知ってんだね。

「ああ、それにしても早かったな。もう少し遅いかと思ってたよ」

 普通に会話してるよ、そやつとか言う人と。

「なあに、貴様が久しぶりに連絡を寄越したと思ったら、骨のある奴を試験してほしいとな。それなら話は早い事、我待ちきれんかったわ」

 一人称や二人称が昔を思い出させる様なその男は、どうやらナインハーズの知人らしい。

 タメ口からして、恐らくケインとかと同期のグールとかいう奴だろう。

 ランディーからここまで大体2時間くらいだから、そんなに待たせた気はしないが。

「それで、貴様はジャスターズに入りたいのか。見たところただの青二才だがな」

「そう言えば俺、そんなにストリートの闘ってるところ見た事ないな」

「なに? 貴様そんなんで骨のあるやつなどと言っておったのか」

「すまんすまん。だが、弱くないのは確かだぞ」

「どこから来る自信なんじゃいそれは」

 段々勝手に話が進んでっている。

 言っている事がわからない訳じゃないが、ここに俺がいる事も忘れないでほしい。

「どれチェイサーとやら、手段は選ばんで俺をここから一歩でも動かしてみい」

「うお、出た」

 なにが出たんだよナインハーズ。

 グールは両足の間を少し開け、直立する。

 おいおい、いくら敷地内といっても道路だぞ。

 手段は選ばないって、能力を使えって事だよな。

 ……もしかして、もう試験は始まってるのか?

 俺はそう思った瞬間、全身に力が入るのを感じた。

「なんでもいいんだよな」

「手段は選ばんでいい」

 俺は確認を取り、心の中で謝る。

 あえて何も持たずに、俺はグールに近付く。

「素手かいな。嘗められとるのか我は」

 そう言う訳じゃない。

 下手に能力を使って剣を作るより、直に干渉出来る素手の方が強いと思ったからの判断だ。

 俺はグールのほぼ目の前に立ち、見上げる。

 俺の身長が173と小さいとは言え、この男冗談抜きで2メートル以上はあるぞ。

 しかもこの太い腕や足の所為で、より一層デカく見える。

「早よ来んか。腕前を見せい」

 言われなくても。

 俺はグールの腰あたりに右手を当てようとする。

 もちろん殺す気で脆くするのが狙いだ。

「触れて発動するタイプかいな」

 グールはそう言うと、目にも留まらぬ速さで俺の右腕を掴む。

「言い忘れとったが、反撃はするぞ」

 初耳なんですけど。

「ゔぶっ」

 俺は右腕を掴まれたまま腹を殴られる。それもかなりの強さで。

「どうした、そんなものか」

「くっ」

 腹の痛みを我慢しながら、掴まれている右腕を軸に左足で胴を蹴る。

「甘いのう」

 しかし軸の右腕を少し捻られてバランスを崩す。

 蹴りは空を切り、身体が浮いた状態となる。

 そして間髪入れずに次の拳が飛んで来た。

「ぐがっ」

 俺はそれを左手で防ぐが、そんなもの通用せずに胸へと食らう。

 腕を引かれながらやられた事で、まるで発勁の様に吹き飛ばされた。

「もう終わりかいな」

 グールは倒れている俺を気にする事なく話しかけてくる。

 流石に今のは効いたな。

 打たれた部位の強度を上げたが、それが逆に振動を通しやすくしてしまった。

 その代わりに内臓破裂とかは免れたけどな。

 それにしても、グールは能力を使っていないにも関わらず俺のダメージはかなりのものだ。

 俺も上手く能力を使えずに、体術だけでやられてしまっている。

 幹部は動かなくても強いのかよ。

 俺は開き直り、戦略を変える事にした。

「ん、遠距離か。考えよったな」

 俺は道路のコンクリートを脆くして、すくう用にして掴み取る。

 そしてそれを思いっきりグールに投げた。

「おいおい、道路削るなよ」

「避けるまでもないわい」

 しかしグールは避ける事なく全てを受け止めた。

 投げる時に強度を上げたから、身体に刺さっていてもおかしくは無いと思うんだが。

「元も弱し、速度も遅し。これじゃあただの雪玉じゃのう」

 グールは何事もなかった様に立っている。

 本気で投げたが、速度が遅いと言われてしまった。

 しかも元が弱いとも言われたな。正直元は名前だけで仕組みがよく分からん。

「なら我も、合戦といくかの」

 グールは屈み、地面に触れる。

 するとまるで水に手を入れる様にして、するすると地面に入っていく。

 手1つが隠れるくらいの時、グールはそれを持ち上げて立ち上がる。

「避けるか否か。自由に決めい」

 グールは腕だけとは言え、かなりのスピードでそれを投げて来る。

 しかも投げる瞬間にあえて粉々にする事により、まるで散弾銃の様に広範囲にコンクリートの雨が降り注いだ。

「あーあー、車が壊れちまうよ」

「やばっ」

 俺は地面に手をつき、一瞬で壁を作る。

 いつもよりも分厚くして、コンクリートが貫通しない様に強度を上げる。

 しかしそれでもその壁を通り過ぎるコンクリート片はしばしばあった。

「物質変化かいな。便利やの」

 グールは一通りを済ませると、再び立っているだけで何もして来ない。

 俺は正直切羽詰まっていた。

 近距離は体術で負け、遠距離は圧倒的にパワーにひれ伏すしか無かった。

 他に出来る事と言えば、剣を作るくらい。

 しかしそれで勝てる相手ではない。

「どうした、諦めたかいな。なら終わりにするがどうする」

 くそっ、追い詰めるのが好きだなこいつは。

 俺はコンクリートの壁から姿を現し、堂々と立つ。

 マジでどうしようも無い。

 こんなに八方塞がりなのは初めてだな。

 ポケマンの時の方が、十分勝ち目あったな。

 ……ん? ポケマン?

「いいやまだ終わりじゃ無い」

 俺はそこら辺に落ちているコンクリート片を拾い、1メートルちょっとの棒を作る。

「近距離遠距離と来て、今度は中距離かいな。順序のいい童だの」

 ゆっくりとグールに近付いて行き、先程の様に目の前に立つ。

「これじゃあ近距離じゃの。チェイサーとやら」

「人の名前はちゃんと呼べよな。グールとか言う幹部さんよ」

「ほう……」

 挑発した事により、グールが拳を放って来る。

 俺はそれを事前に読んでおり、避ける事が出来た。

 そしてすかさず持っていた棒の先端を、槍の様に尖らせてグールの脇腹を狙う。

「欠伸が出るわ」

 しかしやはりそれは止められ、グールにコンクリートの槍を掴まれてしまった。

 だがそれこそが狙い。

 俺はコンクリートの槍に付与していた能力を解除し、それは元の大きさへと戻る。

 すると発動させていた時に伸びていた部分が勢いよく縮まり、それを掴んでいたグールは体勢を崩して俺の方へと勝手に近付いて来た。

 まるでポケマンと闘った時の応用の様に。

「ぬっ、上手いな」

 そのまま俺は真の狙いである、崩れた態勢でガラ空きのみぞおちを思い切り殴る。

 縮んで近付いて来ていた事により、自然と発勁の様になったのは偶然であった。

「ぐうゔ」

 しかし、グールは俺の予想に反し足を地面につけたまま耐えていた。

 その予想外が次の攻撃の遅れを招いた。

「があっ!」

 大声と共に、目の前に光が走る。

 耳はキーンとし、平衡感覚を失って膝から崩れ落ち、目の前が真っ暗になる。

 それと同時に自分が殴られている事に気が付いた。

「ぬぐあっ」

 痛みを感じる暇もなく、吹き飛ばされてしまう。

 まだ立ち上がる事も視力が復活する事もなく、耳だけが段々と聞こえて来た。

「スタングレネードって知ってるか」

 ナインハーズの声だ。

 ってか大丈夫かの一言くらい言えよ。

「音と光で相手の動きを封じる手榴弾だ。グールはそれを自分1人で出来ちまうんだよ。凄えだろ」

「確かに凄いけど、これいつ目見える様になるんだ。失明してないよな」

「ああ、安心して大丈夫だ。流石に加減はしてるだろうよ。だろ? グール」

「……うむ」

「……多分大丈夫だ」

「勘弁してくれよ」

 まだ目は見えない。ってか凄え痛え。

 太陽を直視するなと言われて興味本位で見た時はあるが、それの何倍も眩しかった。

 と言うより、眩しい筈なのに気が付いたら真っ暗になってた。

 グールの能力、不意打ちに強過ぎるだろ。

「これじゃあもう、闘えねえな。どうするんだグール」

「チェイサーとや……、チェイサーは今結果を知りたいんか」

「早いに越したことはない」

「左様か、なら言おう。文句無しの合格だ」

「おお、よかったなストリート」

「ああ」

 流石に最後のはグールも効いたか。どっちも初見殺しの技だったからな。

 まさかここでポケマンとの闘いが鍵になるとは思ってなかった。

 ポケマンに感謝しなきゃな。

「正直な話、我が2発目を打った時に決めておった」

 あれ? 最後の関係ないの?

「随分早かったんだな。珍しい」

「これ見てみぃ」

 そう言うと、グールは自分の右手を見せる。

「ちょいとだが、指の骨が折れとる」

「凄えなストリート。こんな事してたのか」

 左手で防いだ時か? あんまり覚えてないけど。

「チェイサーは妙な能力を持っておるな。物質変化と強度を変えると言ったところか。2つ持ちは珍しいの」

「……そうなのか?」

「左様。普通1人1つが主流じゃが、まあ今の時代有り得ん事でも無かろうか」

 褒めて落とすタイプだなこいつ。

「結果は合格として、課題は多いの。1つ1つの動作が大振りで隙が大きい。コンクリートを削り取るだけに、脆くして取っとる。まだまだ三流だの」

「ひえ、厳しいな相変わらず」

 ちょくちょくナインハーズが会話に入って来て、2人の仲の良さが滲み出てるな。

「して、貴様らは前線に戻るのか」

「俺はな。ストリートは明日にでもミラエラと一緒に来い。それまでゆっくりしてろ」

「いいのかナインハーズ」

「休むのも仕事だ。ミラエラと楽しくおしゃべりでもしろ。あとはトレントとかチープとか」

「すまねえな。言葉に甘えさせてもらう」

「我も久しくここにいるかの」

「ならストリートを鍛え上げてやってくれ」

「承知した」

 そう言うと、グールは入り口の門へと歩き出す。

「来んのか、チェイサー」

「まだ少しフラフラするんだよ」

「仕方ないの」

 俺はグールのその太い腕に掴まれ、片腕だけで持ち上げられる。

「ほれ」

 そのまま荷物の様に肩にかけられ、俺は手足をブラブラさせる。

「じゃあ俺は戻るから。ストリートを頼んだ」

「くれぐれも死なん様にな」

「ああ」

 ナインハーズは踵を返し、車に乗ろうとする。

「……グール。お前……壊したな」

 先の試験で、グールの投げたコンクリート片が車を破壊していた様だ。

「……ぬ、済まぬ」

「ぬ、じゃねえよ。後で弁償しろよ。絶対な」

 念を押す様にしてナインハーズは強く言う。

「うむ」

 やっぱりナインハーズは怖いな。今だけ目が見えなくてよかった。多分今、ナインハーズ凄え顔してるし。

 俺はそのまま荷物のふりをして、クリミナルスクールへと戻った。



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成長

「どこ行ってたんだよ、チェス」

「そうですよ、あの後すぐにいなくなってしまって」

 部屋に戻ると、そこには待っていたかの様にトレントとチープがいた。

 そして相変わらずハンズは行方不明。

 どうらやあのゲームの後に俺がいなくなったのを心配してくれていたらしい。

 何も言わずに出て行ってしまったからな。

「此奴等が仲間かいな。随分と弱そうだの」

 俺の後ろに立っていたグールが、トレントたちを見ての感想を言う。

「は? おっさん何様だよ」

「闘ってもないのに、弱いとは失礼ですね」

 おっと、急に喧嘩腰だよ。

 グールにトレントとチープの事を話したのは、少し不味かったか。

「おっさんとは嘗められたものだの。どれ貴様ら、特別に相手をしてやるからかかってこんか」

「えっ、ここで?」

 急過ぎだし、ここ俺の部屋なんですけど。

「やってやろうじゃねえか……と言いたいところだけど、ここはチェスの部屋だしな」

「流石に壊し過ぎって苦情来ちゃいますよね」

「壊す事に躊躇いはないのかお前ら」

 確かに壊し過ぎだとは思うけど。

「であれば、先の事の詫びをして貰いたいところだがの」

「それはしねえよ。そっちから偉そうにもの言っていたんだろ」

「生意気な餓鬼やの」

「まあまあ落ち着けって。それよりグールは俺を鍛えてくれる約束じゃなかったか?」

 俺は話題を変えるために、先程ナインハーズが提案してきた事をここで口にする。

 しかしそんな事をしたら、トレントとチープが飛び付いて来ない筈もなく。

「えっ! チェスはこの人に鍛えて貰うんですか? どんな感じに鍛えて貰えるんですか?」

「チェスがこのおっさんに? いくら筋肉凄いからって調子に乗るなよ」

「チェイサー愛が凄いの。此奴等は」

「ただ戦闘馬鹿なだけだろ」

 にしても話題変えてからの食いつきが凄いな。

 スウィンが戦闘厨って事は知ってたけど、この2人もそうだったのか。

「ついでに貴様らも鍛えてやらんでもないぞ。まあ、先の詫びを兼ねてだがの」

「めんどくせ、こいつ」

 トレントが小声でそう言った気がする。

 しかし確かに少々面倒くさいかもな。

 大人気ないと言うかなんと言うか。いちいち引っかかって来るな。

「此処らにそれに適した場所はないものかの。ほれ、適当な場所は」

「それなら森林とかが合ってんじゃねえか? あそこなら存分に闘えるぞ」

 相変わらず森林好きだなこいつらは。

「うむ。しかし自然を破壊するのは些か抵抗があるの。他には」

「なら、岩とかはどうだ。あそこに草木はない」

「確かにそれなら俺も行ったことあるし、草や木はなかったな。そこでいいんじゃないか? グール」

 ってか、1日しか休みないんだから早く決めて欲しいってのが正直な所なんだけど。

 ミラエラとも話したいし。

「左様か。であればそこにしよう」

「案内する」

 トレントが俺らの前を通り過ぎ、岩の場所に向かって歩いて行く。

 それにグールは続いた。

 どうらやグールは、おっさんと言われた事を早速忘れたらしい。

 トレントの立ち回りが上手いのか、グールの記憶力がないのか。

「あの人何者です?」

「うおっ、ビックリした」

 入り口で突っ立っていた俺に、チープが耳打ちして来る。

「何で耳打ちなんだよ。普通にでいいじゃねえか」

「すいません。ですがあの人、何か普通じゃなくて」

「普通じゃない? あたおかって事か?」

 チープも毒舌になったな。

「いえ、そう言う訳では。ただなんとなく……、強いと思いまして」

「なんだ気が付いてたのか。グールはくそ強いぞ」

 そう言えば前に、チープは何となくだが相手の能力がわかるって言ってたな。

 それで何かを感じたんだろう。

「グールはどんな風に見えるんだ」

「どうな風にですか。そうですね、凄い輝いてます」

「へぇ。凄えな」

 マジで見えてるんだなと、そう思った。

 直接能力を聞いた訳じゃないから、俺の推測でしかないが。

 恐らくグールの能力は光に関係ある事だと思う。

 さっきの抜き打ち試験で見せた、あのスタングレネードとかいうやつみたいな技。

 音の正体はグールの声と分かったが、光に関してはどうやっても説明が出来ない。

 懐中電灯だとしても、あんなに明るいやつは見た事は無いしな。

「俺とかトレントも見え方が違うのか」

「はい。トレントは白いもやの様なものが漂っていて、周りの背景が歪んでいます」

「ほぇー」

 多分俺がそんなの見えてても、相手の能力を特定する材料にはなり得ないな。

 見えるのも凄いが、チープの推理力も凄いんだな。

「チェスは……不安定なんですよね」

「不安定? 俺の能力が安定してないって事か?」

「そう言う訳では無いと思うんですが。日によって、というより見るたびに違うんですよ」

「どうなってんだよそれ」

「私にもよく分からないんですが、この現象は能力の成長時によくある事なんですよ」

「つまり、俺は常に能力が成長してるって事なのか?」

「恐らくそうなりますね。謎ですが」

 本当に謎だな。

 能力は鍛えないと成長しないものじゃ無いのか?

「何やっとる。はよ来んか」

 遠くからグールに呼ばれる。

「とりあえず、移動しますか」

「そうだな」

 俺たちは小走りでトレントたちを追いかけた。

 

「此処がその岩とかいう場所かいな。随分と広いものを作ったものじゃの」

 グールは感心する様に、辺り一面が岩のこの部屋を見渡す。

「それで、どうやって鍛えてくれるんだ」

 トレントはグールの事は興味ないと、催促する。

「そうじゃの、まずは能力を見せてくれんか」

「見ず知らずのお前にか?」

「能力を知らんと話にならんぞ。それとももうやめか」

「……分かったよ」

 トレントは渋々能力を発動させる。

 すると周りの空気がどっと重くなり、少し離れた所に空気の塊が見え始めた。

「あれは」

「そうだよ。チェスに使った技だ」

 あのゲームの時に不意打ちでやられてしまった、水素爆発を起こす空気の塊。

 威力はそこそこだが、あれより大きければどれ程の威力になるのだろう。

「耳塞いだ方がいいかもな」

 トレントがそう言い、俺は耳を塞ぐ。

 空気の塊が消えたと思ったら、それと同時に周りの岩が吹き飛んだ。

「こんな感じだ」

 俺は塞いでいた耳から手を下ろす。

「うむ。能力の使い方が下手だの」

「えっ」

 あまりの予想外な感想に、俺は声を漏らしてしまった。

「具体的にどこがだよ」

 トレントは少しキレ気味に聞く。

 まあしょうがないっちゃしょうがない。

 いきなり能力見せろって言われて、それで下手って言われるんだもんな。

 俺でも怒ると思う。

「貴様は元が多い故に、ある程度無理しても然程気にしていない」

「元? なんだそれ」

 よかった。やっぱり知らないよな、普通。

 俺だけが世間知らずなのかと思ってたよ。

「元も知らんのか。であればそこで見ておれ」

 そう言い、グールは1つの大きな岩に近づく。

 そして手を当て、数秒止まる。

 まさかグール。このでかい岩を壊すのか?

 流石にそれは無理だろうと見ていると、手を当てただけで普通に戻って来た。

「よし貴様ら、あの岩を全力で壊してみい」

 グールはなぜか自信満々だ。

 俺は流石にあんなでかい岩を壊せないが、チープはああ見えて怪力だから、簡単に壊しちまうぞ。

「じゃあ私が」

 案の定チープが行き、岩の前に立つ。

「ふっ」

 そして大振りな拳を、目にも留まらぬ速さで岩に振り下ろした。

 それと共に凄い風圧が俺たちを襲う。

「見た目に反して怪力かいな」

 グールも驚いている様子だ。

 風が強過ぎであまり直視できない。

 マジで力だけで言えば、スクール1じゃねえのか?

「……なんで」

 風が止んだ頃、チープの呟きが聞こえた。

「マジかよ」

 トレントもそれに続き呟く。

 俺はどうしたのかと、チープの方を向き唖然とする。

 なんと岩には傷一つ付いておらず、なんなら風圧で小さなゴミが吹き飛んで綺麗になっていた。

「元の使い方が下手じゃと、いくら怪力と言うても壊せるものも壊せないでおる」

 そう言いグールは岩へ近づく。

「こんな脆い岩にも苦戦を強いられるんじゃ」

 そしてまるで砂を掴み取る様に、いとも簡単に岩を削り取った。

「どういう原理です……か」

 チープはまだ頭が追いついていない様だった。

 正直俺もトレントもそうだと思う。

 チープは木を粉々にして、跡形も無くすほどの怪力を持っている。

 そしてその超再生能力により、どれだけ強く撃っても怪我をしない。

 それなのに、こんな岩1つも壊せないでいた。

「元を付与しただけじゃ。元ってのは元でしか壊せんから、上手く使わんとこうなる」

 上手く使わんとって、原理が分かっても今の光景が信じられねえよ。

「どうやったら、上手く使える様になるんですか」

「うむ。やっとやる気を出しおったか」

 これがグール流やる気の出し方なのか?

 圧倒的な力の差を見せてから、ハングリー精神で強くする。

 こいつ凄えな。

「俺にも頼む。教えてくれ」

 トレントは頭を下げて頼み込む。

 それ程心を動かされた光景だったのだろう。

「頭は下げんでええ。簡単じゃ、まずは能力を発動させようとしてみい」

「はい」

 トレントが返事をした後に、再び空気が重くなる。

 俺も小石を拾い、それを剣にする。

「駄目じゃ駄目じゃ、能力を発動してはいかん。発動させようとするんじゃ」

「どう言う事ですか」

 俺もトレントと同様、よく分からないでいた。

「無意識下でやっておるから気付かんだろうが、能力を発動させる前に全身に何かが纏わるんじゃ。ゆっくり能力を発動させい」

 ゆっくりと言われても、能力の発動に速度なんてあるのか?

 まあ分からない以上やってみるしかないので、俺は剣を小石に戻して、ゆっくりと能力を発動させた。

 すると一瞬だが、全身に何かが走った感覚があった。

 しかしそれはすぐに消え、小石を見ると剣になっていた。

「どうじゃ、分かったか」

「なんとなくですが、全身がこそばゆくなった気がします」

「多分俺も」

 こそばゆいかは知らないが、何かがあったのは確かだ。

「うむ。こそばゆくなったなら正解じゃ。それが無意識で使うとる元じゃ。まずはそれを維持せえ」

 そう言い、グールはチープへ近づく。

「貴様はフルオート系じゃな」

「は、はい」

「なら話は早いの。殴る部位だけに意識を集中させい」

 グールは岩を指差して、無言で殴れと言う。

 チープもそれを読み取り、再び岩と向かって拳を振り下ろした。

 今度は風圧なんてなく、ただ何かの壊れた音がしただけだった。

「ほれ、簡単じゃろ」

 そっちを見ると元を付与したと言う岩が、チープの殴った所を中心に砕けていた。

「こんな簡単に……」

 チープも驚いている。さっきより力を入れてないのは風圧の無さで理解でき、それなのに岩が壊れていたのだから。

「ぬ、貴様は覚えるのが早いの」

 グールは振り向きながら誰かに話しかける。

 俺に言っている様子ではなく、そうなるとその人は1人。

「なんかコツを掴みました。これが元ってやつですか」

 トレントは自分の手を見つめながら言う。

 そして再び空気が重くなり、トレントが手を横に振る。

 するとチープの殴った岩が、さっき以上に音を立てて風と共に崩れ落ちる。

「マジかよ」

 俺もチープも、それをやったトレントも驚いていた。

 塵が風によって吹き飛ぶ様に、簡単にそれは崩れ落ちたのだから。

「どれ、チェイサーはどうじゃ。殆ど残っておらんがやってみ」

「え、ええぇ」

 俺は恐る恐る岩へ近づき、手を触れる。

 そしてそのこそばゆい感覚を触れている部分に移動させ、能力を発動させる。

 しかし、何も起きずに岩は岩だった。

「うむ。かなりいいの貴様ら」

「俺は何も出来てないぞ?」

 岩に触れて脆くしようとしたが、結局何も起きなかった。

 もしかして貴様らに俺は入ってないのか?

「何を言っとる。十分過ぎる程じゃ」

 そう言い、グールは俺の手を退ける。

 そしてそこを見ると、くっきりと俺の手形が付いていた。

「脆くするのが速過ぎて、能力が伝導が追いついておらんのだ。ほれ、指紋までくっきり付いておる」

 言われて見ると、確かに線のようなものが彫り込まれている。

「貴様ら予想以上に見込みがあるの。よし、同時に我にかかって来い。組手じゃ」

 俺はさっきやったばかりだから、グールの強さはよく分かっている。

 だからこそ闘いたくない。

 また目が見えなくなるのは正直ごめんだ。

「安心せえ。あれはもうせん」

 グールが俺に対して言葉を放つ。

 どうやら心を読まれてしまったようだ

 そこまで言わせたならやるしかないな。

「……全力でいくぞ」

 俺は固唾を飲み、構える。

 それに合わせてトレントとチープも構えた。

「本気で来んと、貴様ら全員落ちるぞ」

 やっぱりな。これはただの組手じゃない。

 ジャスターズの入隊試験を兼ねた組手だ。

 俺はもう一度固唾を飲んだ。



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仲間

「行くよ」

 トレントの掛け声で俺とチープは走り出す。

 作戦は事前に話し合わなくとも、全員が全員互いの能力を知ってる事により、自然と近距離は俺とチープ、遠距離はトレントとなった。

「話し合わずともよく理解しておるか」

 それにはグールも気が付いており、それを踏まえてか動く気配は全く無い。

 俺と1対1の時はそれでよかったかもしれないが、今回はチープがいる。

 近距離に関してはほぼ勝ち目がないぞ。

「チェスは右から」

「おう」

 左右に回り込み、同時に攻撃を仕掛ける。

 チープは左ストレートを打ち込み、俺はそれに合わせてグールの足を狙う。

 それは両方とも当たり、勝負が決したと思った。

「弱いの」

 しかし直撃したにも関わらず、グールは全く微動だにしない。

 俺とチープは一旦距離を取り、攻撃のタイミングを伺う。

 今完全に当たったよな。

 足を、関節を蹴ったのに全く動かなかった。

 決して手を抜いた訳ではない。

 それだけグールとの差が開けてるって事なのか。

 俺とチープの攻撃は、避けるまでもないと言う事なのか。

「実戦だとまだまだやの。それと、チェイサーは蹴りが下手じゃ。もう1人に関しては踏み込みが甘いの。力だけに頼っておる」

「私にはチープって名前があります」

「左様か。してチープ、本気で殴らんか」

「十分やりましたけどね」

 そう言いチープが距離を詰める。

 今度はさっきと違い、1発で仕留めるというより、数で攻撃している。

「不思議じゃの。全然効かんな我」

「くっ」

 グールには全て当たっているのに効かない。

 あのスウィンすら恐るチープの拳を。

「なぜ効かないのですか」

「だから言っておるだろう。元の使い方がまだまだじゃと」

 正直、あそこに俺が入り込んでも邪魔になるだけにしか思えない。

 それだけ今行われているチープの連撃は凄まじい。

「チープ! 少し離れて」

 トレントが空中から指示をし、チープが距離を取る。

「サック」

 トレントが両手を前に出し、グールへ向ける。

 すると、急にグールの周りの空気が歪み始めた。

「なんじゃこれ。空気の膜かいな」

 ぺたぺたと、グールは見えない壁を触る。

 トレントの何かしらの技が発動したのだろう。

「チープ、限界まで拳に元を集中しろ。なんか知らんが今は動けないっぽいぞ」

「分かりました」

 トレントのお陰で少し時間が出来た。

 俺も集中して、元を手に集中させる。

「ふんっ」

 グールは空を切るように腕を振る。

 それは一瞬歪んだ空間を切ったが、再び歪みながら閉じていく。

「無駄ですよ。空気だから壊す事は出来ません」

「出来ないなら方法は幾らでもあるがな。そうじゃの、例えば」

 意味深な言葉を口にして、腰を深く落とす。

 そして思いっきり下に向かって突きをした。

「はっ!」

 すると歪んだ空間の中で、砂が舞い上がる。

 それにより、中のグールが見えなくなった。

「何が起きてんだ」

「凄い風圧ですね。砂があんなに」

「くっ……、やばいぞこれ、壊される」

 トレントが苦しそうに言い、両手を見ると少しずつだが血が出てきている。

 これは長く持たないな。

「チープ、壊れると同時に仕掛けよう」

「はい」

 俺たちは再び構え、その歪みが消えるのを待つ。

 空気の壁を空気で壊すなんて、どんな思考回路してんだよ。

「来ますよ」

「ああ」

 歪みが消えると同時に、今まで圧縮されていた空気が漏れ出す。

 その勢いは凄まじく、今にも吹き飛ばされそうになる。

「よし、今だ!」

 俺の掛け声で、まずチープが走り出す。

 その後に俺も走り出し、もしチープの一撃が外れてもいいようにとカバーをする体勢を取る。

「ぬっ」

 不意打ちに驚いたグールは、一瞬たじろぐ。

 しかしすぐにチープの方を向き、防御の構えを取った。

「はあっ」

 チープの右ストレートが放たれ、グールはそれを受け流す。

「引っかかりましたね」

 しかしそれはフェイクで、チープは思いっきりグールの足に蹴りを入れた。

「ぬぅ」

「うまい!」

 グールは少し体勢を崩し、俺もそれに続いて攻撃を仕掛ける。

「一点集中とは大したものじゃ」

 しかしそれでも俺の攻撃を避け、腹に蹴りを入れてくる。

「がっ」

 それを上手く防御したが、少し飛ばされてしまう。

「今です! トレント」

「オッケー」

 蹴りを入れた事で隙が出来た軸足に、トレントが勢いよくキックをする。

 しかしそれでもグールは動かない。

「なかなかやるの。童」

 グールは蹴り上げていた足を、全力でトレントに振り下ろす。

 このままではトレントが危ない。

 俺は地面に触れ、トレントの周辺を脆くしようとする。

「届いてくれ!」

 俺の能力が地面を伝わるのが分かる。

 元を上手く使う事で前よりも射程距離が伸びているが、このままじゃ間に合わない。

「があぐあっ」

 遂にトレントの腹に、全体重を掛けたグールの足が直撃する。

 俺はもう片方の手を地面に付け、自分の足場をトレント方へ飛び出させる。

 その勢いで、俺はグールに向かって飛んで行く。

 同時発動はやった事が無かったので不安だったが、どうやら成功したようだ。

 俺は地面を脆くしている手を擦らせながら、体勢を蹴りの構えへと変える。

「来た!」

 近付きながらにより、グール周辺の地面を脆く出来た。

「ぬうっ」

 トレントもチープも、グールさえもが沈んでいく。

 グールは再び体勢を崩し、トレントへの衝撃も脆い地面のお陰で緩和した。

 そしてその勢いのまま、俺はグールの顔面に蹴りを入れる事が出来た。

「があっ」

 踏ん張る地面も無く、グールは吹き飛んだ。

「よし!」

「やりましたね!」

「行くぞ!」

 トレントもチープも立ち上がり、そのまま総攻撃を仕掛ける。

「今のは効いたの」

 吹き飛んだグールは一回転し、そのまま地面へと両手を付ける。

「——! トレントチープ、避けろ!」

 あの構えは何かで見た事がある。

 確か、クラウチングスタートとかいう。

「いい眼を持っとるの、チェイサー」

 勢いよくグールは走り出し、残像が見える程それは速かった。

 気が付くと、グールはいつの間にかトレントとチープの頭を鷲掴んでおり、そのまま地面へと叩き付けた。

 そしてその構えは、再びクラウチングスタートを取っていた。

 次は俺だ!

 それが頭の中で渦を巻き、自然と1、2歩下がる。

「ぬっ」

 2人は声も出す間もなく気絶したと思い込んでいたが、チープはグールの右足首を掴んでいた。

「不思議な餓鬼じゃ」

 グールはそれでも俺を見て、構えを取る。

 俺はチープが作った数瞬の隙を見逃さなかった。

 下がらせた足を前に出し、小石を拾って槍へと変形させる。

 そして地面へ手をつき、自分の足場をグールへ突き出した。

「ぬう、これでも来るか」

 グールの姿が消え、一気に距離を詰められる。

 しかし俺は怯む事なく、槍を前に出す。

 このまま走ってくれば自分の勢いによって、勝手にグールが自滅する。

 俺もかなりのダメージを食らうだろうが、それは気にしてられない。

 槍に何かが刺さる様な感覚が走る。

 しかしそれは、グールでは無かった。

「チープ!」

 目の前には今にも気絶しそうなチープがいた。

 グールは走る時にチープを引き剥がしていた様だ。しかもそれを盾に使いやがった。

 幸い槍は刺さる前に折れ、俺の奇襲は失敗した。

 勢いも消え、俺はただ立ち尽くす。

 グールはチープの能力を知る筈も無く、もしこれでトレントがやられていたら完全に死んでいただろう。

「くそっ、グールめどこだ」

 さっきからグールの姿が見えない。

 あの大きさで隠れたというのか。 

「後ろじゃ」

 耳元で声がして、俺は無意識にそこへ拳を振り下ろす。

 しかしそれは空振りし、空を切る。

「いい反応だの」

 腹に激痛が走り、吹き飛ばされる。

「があっ」

 自分を守る隙もなく、俺は地面に転がった。

「終わりかの」

 その言葉で、今まで力の入っていた部分が緩む。

「1人は気絶し、1人は立てないでおる。そして1人は痛みに苦しんで悶えとる。これが敗北の他に何があるんじゃ」

 厳しい評価だが、しょうがないだろう。

 これが俺たちに出来た最高のパフォーマンスだ。

「……うむ、全員合格じゃの。チェイサーはもうしとるが」

「えっ、いいのかよ」

 俺はつい声を出す。

 その勢いで腹の痛みも忘れてしまった。

「当然じゃ。こんなにやられてもうたからの」

 さっきの辛口な評価はなんだったんだよ。

「ほれ、起きろ小僧」

 グールがトレントに近づき、しゃがんで手を乗せる。

「かはっ」

 強い衝撃が走った様に、トレントは飛び起きる。

「よかったの、合格じゃ」

 グールはトレントを見てそう言う。

「……なにが、すか?」

 まあそうだよな。

 起きて早々合格なんて、全く意味が分からない。

「すみませんグールさん。さっきから話に付いて行けないんですが」

「ぬっ、そうじゃったの。言い忘れとった」

 そう言いグールは立ち上がり、2人を見る。

「我はジャスターズの試験官幹部、グール・モンデゥじゃ」

『ジャスターズ!?』

 ほぇ、苗字モンデゥって言うんだ。珍し。

「貴様らなかなかよいぞ、才能に溢れておる。もしかしたらサンを超えるかもしれんぞ」

「サンって、あのサンか?」

「チェイサー知っておるのか」

「少しな。ナインハーズが気絶させちまったけど」

 本当にサンの事褒めてたんだな。

「ちょっ、ちょっと待って下さい。ジャスターズですって?」

「そう言ってるであろう」

 チープは驚いて、トレントは声も出ない様子だ。……立ったまま気絶してる?

「しかも幹部って……、なんでそんな人がここに」

「そう驚かんでも、たまにここに来ておるぞ。そうじゃの、7年前はよく来たものじゃ」

「7年って……」

 俺も正直トレントと同じ反応をした。

 7年はたまにの期間じゃねえ。

「まあ細い事は気にせんでええ。して、入るか入らんか、貴様らには資格があるぞよ」

「は、入ります」

「私も」

 2人とも即答だった。

「チェイサーは決まっておるな」

「ああ、入るに決まってる」

 今更だろ。とは言わなかった。

 俺1人だけジャスターズに行くのは少し負い目を感じていたが、トレントもチープも行くとなると俺は喜んで行くぞ。

 競う仲間が出来るし、まだまだ一緒にいたいとも思ってたしな。

「じゃが気を抜くんでないぞ。まだまだ訓練は終わっておらん」

 瞬間、俺たちに緊張が走る。

「10分休んでまた組手じゃ」

「……マジかよ」

「流石にそれは」

「疲れますね」

 この後、俺たちはみっちりと1日中グールに鍛え込まれた。



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気付き

「って事があったんだよ」

「大変だったねー、チェスも」

 結局あのまま夜まで続き、現在時刻は22時32分。

 その疲れ切った身体を癒す為に、俺は相変わらずミラエラの所へやって来ていた。

「ミラちゃんは明日移動だよな」

「うん。ちょっとドキドキするな」

「俺は行った事あるけど、そんなに悪い所じゃなかったぞ。ジュース飲み放題だったし」

「いいなー、じゃなくて。僕、人見知りだからさ」

「嘘だー。会った時凄え積極的だったじゃん」

 先に話しかけて来たのもミラエラの方だったし。

「それはそうだけど。ほら、歳が近かったからとか? 知らない歳上の人が入って来るのは少しね」

「そう言うもんかね」

「そう言うもんなの。チェスには分からないでしょうねっ」

 そう言い、ミラエラはそっぽを向く。

「分からないから教えて欲しいなー。そう怒らないでよ」

「別に怒ってないよ? けど、チェスに隠し事されてるのは少し嫌かな」

「ぎくっ」

「まだ僕に言ってない事あるでしょ」

 ミラエラはベッドの上を移動して、下から覗く様にして聞いてくる。

「い、いやまあ? あるはあるけど」

 俺ってそんなに分かりやすいのか?

 確かに今日はジャスターズに入隊した事しか話してない。

 だが別に隠そうとしている訳ではなく、自然とその話題を避けていたのだ。

「何かあったんでしょ? チェスがここに来る時は、いつもそうだよ」

「そんな厄介者みたいに言わないでくれよ」

「そんな事ないよ。僕はそれが楽しみで待ってる訳だし」

「それもそうか」

 2人で静かに笑う。

 夜だから騒げないという事もあるが、今の時間はゆったり過ごしたいという面が大きかった。

「実はさ」

 話し出したのは俺からだった。

 当然っちゃ当然だが、これ以上ミラエラに気を遣わせるのも悪いと思ったからであった。

「ジャスターズに行ってから、ある人と一緒に仕事したんだ」

 名前を伏せた事に意味はない。

 しかしどこかで負い目を感じていないと言えば、それは嘘であった。

「そいつは結構感じの悪い奴でさ。いきなり最初からタメ口で、触れられたくない様な話題から話し始めたし、自分勝手なマイペースな奴で」

 自然と言葉が出てくる。

 今まで閉じていた蓋が開いた様に。

「俺も最初は喧嘩する気で話してたんだよ。けどそいつがルールを決めようって事で、その喧嘩腰なのやめろって。で、俺もそれにしょうがなく従ってさ……」

 そこで詰まってしまう。

 これ以上話していいのか、ミラエラを巻き込んでいいのか、その不安が渦を巻く。

 ミラエラは俺を見て、急かす様な真似はしない。

 俺が話し出すのを待ってくれている様だ。

 少し間を置いて、俺は口を開く。

「……でさ、そいつ俺を助けてくれて。自分勝手に俺を守って、それでいなくなって……」

 込み上げてくる感情を、痛みを、俺は抑え込む。

「俺さ、そいつに、ルーズにまだありがとうって言えてないんだよ。助けてくれてありがとうって、俺なんかの為にありがとうって」

 涙は出ていなかった。しかし、声は震えていた。

「チェスは後悔してるの?」

「そんなんじゃない。それは失礼な事だから」

「なら泣いちゃ駄目だよ」

「俺は別に泣いてない」

「じゃあなんでこんなに悲しそうなの」

 ミラエラは俺の頬を触り、引き寄せる。

 そしてお互いの額をくっつけて、2人の距離はほぼ0になる。

「ちょっ、近くないか」

「いいの。今はこうしてたい」

 俺はナインハーズの言葉を思い出していた。

「……少し恥ずいな。なんか落ち着かない」

「僕は逆だなー。本当はもっと密着したいけど、そうするとチェスが何するか分からないしね」

「俺はロリコンじゃないって。そんくらいで理性は飛ばねえよ」

「じゃあ遠慮なく」

 ミラエラは俺をベッドへ引き寄せる。

 抵抗はせずに、俺はベッドに寝転んだ。

「一緒に寝ていい?」

「まあ、今日ぐらいはいいか」

「やった」

 ミラエラは喜び、俺はそれを見て微笑む。

 さながらお泊まり会をする子供の様に、俺たちははしゃいでいた。

 気が付くと俺の中の不安は無くなっており、いつもの会話に戻っていた。

 ミラエラはさりげなく、俺を慰めてくれていたのだろう。

 その優しさの1つ1つが、俺の心の中で熱を帯びていくのが分かる。

 ここを出る時は、いつも悩み事なんて吹き飛んでいた。

 ミラエラにはそういう力があるんじゃないかと思う程に。

 暫くの間、俺たちは他愛のない話や、幾つかの思い出話をしていた。

 その時間はゆったりしており、それでいて過ぎゆくのはとても早く感じた。

「チェスぅ」

 ミラエラの寝言が、この静かで暗い部屋に意味を持たせてくれる。

「ありがとな。ミラエラ」

 ミラエラに届いてはないであろうその言葉は、俺からの本心だった。

 感謝をする機会のない俺に、与えてくれたこの気持ち。

 悩みを悩みで終わらせないで、相談に乗ってくれる優しさ。

 一緒にいて安心する、心地のいい、ミラエラという存在。

 その全てを、いつの間にか俺は好きになっていた様だ。

「おやすみ」

 そう言い、俺は目を閉じる。

 ロリコンじゃなくてミラエラの事が好きだから……、ミラコン?



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ジャスターズ編
再びジャスターズへ


「準備は出来とるか」

 次の日の朝、俺たち3人はグールに呼び出されて校門に来ていた。

「もう行くのか?」

「早いに越した事はないじゃろ。出来とるなら早う乗れい」

 移動にはまた車を使う様だ。

 今回こそシートなんとかを付けられるように頑張ろう。

「これって、もしかして車か?」

「あのタイヤが付いているやつですか?」

「なんだ2人とも、知ってたのかよ」

 やっぱり俺は世間知らずなのだろうか。

「後ろに全員乗れるかの。まあ良い。そこは我に関係ないの」

「んな投げやりな……」

 確かに車の後ろの方は、3人が乗るには狭い気がする。

 上手く真ん中を使えば出来るだろうが、そんな所なら両サイドから挟まれて、かなり窮屈になってしまうだろう。

 もちろんそれはごめんだ。

「なあ、誰が真ん中行くよ」

「私は狭いのはちょっと」

 2人も同じ事を考えているらしく、誰が真ん中を行くか話し合っている。

 俺はそれを尻目に、1人車の席に着く。

「あ! チェスずるいぞ!」

「そうですよー。私たちまだ話してたのに」

「我関係ない」

「ぬっ、我の真似をしおったな」

 早く座らないのが悪いんだよ。俺は左の席に堂々と座る。

 すると、どうやら2人は外で何かを話している様子だ。

 どうせ俺の悪口とか言っているんだろう。

 俺がそう思っていると右側の扉が開き、チープが入ってくる。

「あれ? トレントは」

「そっちです」

 チープが指さした方向は俺の扉の方で、外にはトレントが扉の取っ手に手をかけているところだった。

「おいおい、わざわざこっちからじゃなくてもいいだろ」

「いやいや、こっちの方が近いのに2人であっちから入ったらおかしいでしょ」

「うっ」

 上手く考えやがったな。こんちくしょう。

「ほらほらそっち詰めてくれ」

「ちょっ、待ってくれよ」

 右側には既にチープが座っているので、このままじゃ俺が真ん中になっちまう。

「貴様ら早くせんか。もたもたしとると、全員屋根に縛り付けるぞい」

 大声とは言わずとも、グールの声には十分圧がかかっていた。

「……分かったよ」

 俺は素直に真ん中へ座り、シートなんとかをしようとする。

「あれ? ベルトがねえ」

「そうじゃ、シートベルトは真ん中に無いんじゃった。すまんの、どっかに掴まって耐えとくれ」

「俺はシートベルトを付けられない運命なのかよ」

「随分限定的な運命ですね」

「……ほっとけ」

 俺はこのまま一生シートベルトを付けられないのだろうか。

 なんてどうでもいい事を考えていたら、車が発進する。

「わあ、凄い、本当に置いてかれる様な感覚があるんですね」

「そうかな? 俺は別に何も感じなかったけど」

「トレントは空気を操れるからな。自然と能力が発動してるんだろ」

 やはり初めて乗る奴は全員同じ反応をするな。

 まあ、被検体が俺とチープしかいないんだが。

 1人例外発見しちゃったし。

「ここからジャスターズまでってどんくらいなんだ?」

「1度行った事があるのに分からんのか」

「えっ! チェス行った事あんの?」

「そうなんですか?」

「そう言えば言ってなかったな」

 と言うより、完全に忘れてたんだけどな。

「おかしいと思ったんだよな。なんでチェスがジャスターズの幹部と知り合いなのかって」

「言われてみればですね。なんでチェスはグールさんと知り合ったんでしょうか」

「ナインハーズに紹介されたんじゃ。なかなか骨のある新人とな。まあ、言う程でもないがな」

「……昨日は才能があるとかなんとか言ってたくせに、よく言うぜ」

 サンを超えるかもしれないまで言ってたのにな。

「才能があるのは確かじゃ。しかし現段階では即戦力にすらならんぞ。それこそジースクエアに対してなら尚更じゃ」

「ジースクエア?」

「なんですかそれ」

「あっ、グールの馬鹿」

 こいつ口滑らせやがった。

 ジースクエアの事は上層部での機密情報なのに、まだジャスターズに入って1日も経ってない2人に教えるのは、流石にまずいんじゃないか。

「はて、とっくにナインハーズから聞いてるものかと」

「あいつは秘密にしろって言ってたぞ。まあ、話しちまったらしょうがないけどさ」

「さっきからなんの話だ?」

「私たちにも教えて下さいよ」

 こりゃ面倒な事になったぞ。

 グールは幹部だから、この事を俺になすり付ける権力は十分に持っている。

 そうしたら俺の人生どうなっちゃうんだ。

 とりあえず下手な事言わずに、グールがクソ人間じゃない事を祈ろう。

「ジースクエアは強者たちの集まりじゃ。コイン・チルズ、レイブン・ゴールデン、リン・ヲルズ、キリング・ストリートの4人が主な要注意人物じゃが、その他にも手下合わせて……大体300人くらいかの」

「そいつらってどのくらい強いんすか」

 恐る恐る、トレントが質問をする。

 グールのいつもとは違う雰囲気を感じ取っているのだろう。

 トレントは、ジースクエアはそれ程のものと、無意識下で理解している様だった。

「4人は元の達人であると共に、負け知らずの能力者じゃ。恐らく我が3人いても勝てないじゃろうな」

 キリングはグール3人以上の実力を持ってたのかよ。

 比較対象がいると強さを測りやすいが、まずグールの本気を見た事がないのと、能力が分からない限りどんなに想像しても、その域を超える事はない。

「ちょっと待って下さい。もう1度名前を言ってくれますか」

「ぬ? コイン・チルズにレイブン・ゴールデン、リン・グルズとキリング・ストリートの4人じゃ」

「それ、最後のキリング・ストリートって、苗字がチェスと一緒じゃないか」

 トレントは厄介な所に気が付いた様だな。

「まあ、そうだな。だが、俺はあいつを兄と認めない」

「チェスってお兄さんがいたんですか?」

「俺も知らなかったよ、会うまではな」

「貴様会った事があるのか。よく生きてたものだの」

「ジースクエアってのは問答無用で殺してくる奴らなのか?」

「一種の快楽殺人鬼みたいなものじゃ。自分が強い故に道を踏み外しておる」

「チェスが生きててよかったです」

「ああ」

 この話題はあまりしたくないものなんだが、そんな事は皆に伝わる筈もない。

 だからと言って、自分から止めてくれと頼む事は出来ないな。

 もう以前の独りの俺じゃない。

 仲間がいて、友達がいて、それを崩したくない自分がいる。

 俺はそんな自分を甘いと思いながら、どこか心地いいと感じてしまっている。

 だからこそ、言えない。

「まあチェイサーよ、そう深く考えるでない」

 ふと、グールが俺に話しかけてくる。

 もしかして俺の気持ちを読んだのか、そう期待してしまった。

「我もそんなに馬鹿ではない。此奴等が適任と思ったから言ったんじゃ」

 一瞬頭がフリーズする。

「……な、なるほどね」

 全く想像していたものと違かったので、俺は言葉を返すのに数秒掛かってしまった。

「それって、俺たちにジースクエアと闘えっていう事すか?」

「いきなりとは言わん。じゃが、後々そうなるじゃろうな」

「私たち、そんなに強くないですよ?」

「能力者の対決に、強さは4割しか関わらん。他の6割は全て相性じゃ」

「チープとトレントはその6割を満たしてるって事か?」

「今は3割程度じゃがな」

 恐らくあの会議の時にいた人たちも、そういう適任の人間だったのだろう。

 ナインハーズが入れようとしてたって事は、俺も一応適任だったって事か?

「トレントは空気を操れ、チープは異常な再生能力じゃ。チープは言わずもがな、トレントに関しては弾道を変える事も可能かもしれん。となれば、サポートも攻めも守りも出来る訳じゃ」

 トレントの能力が、キリングの能力よりも強ければ出来るかもしれない。

 しかし、弾丸なんて速過ぎて目に見えないんじゃないか?

 それも一斉にやられたら勝てっこないし、上手くいくもんなのか?

「そんなに上手くいきますかね」

 トレントも俺と同じ事を思ってたらしく、代わりに聞いてくれる。

「上手くいかせる為の入隊じゃろ。今から弱音を吐いてどうするんじゃ」

 グールなりの気合いの入れ方なのだろうか。

 そう言えば、ナインハーズがグールは試験官の他にも、教育係をやってるって言ってたな。

 という事は、俺たちの面倒を見るのもグールなのか?

「あっちに着いてから、俺たちはどうすればいいんだ? まさかそこまで投げやりとはいかないよな」

「そうじゃの、手続きは我がやろう。貴様らはサンにでも就いておれ」

 よりにもよってあいつかよ。

「そのサンって人は、昨日グールさんが言ってた人すか?」

「うむ。彼奴はなかなかやるぞ。よーく鍛え込んでもらうんじゃな」

「サンの能力ってどんなのか分からないんだよな。そんなに戦闘向きなのか?」

「戦闘向きではないがの、それを上手く使いこなすサンが強いみたいなもんじゃ」

「能力に頼ってないんですね。そのサンって人は」

「うぬぬ、そう言う訳じゃないんだがの。……会うのが1番早いじゃろ。聞くより見るじゃ」

 回答に困ったグールは、またも投げやりに話を止める。

 チープの天然と理解力を持ってすれば、あのグールでさえ狼狽えるのか。

「それで、本気で俺たちを使えると思ってるのか」

 俺は今の正直な気持ちを口にする。

「確かに鍛えればもしかしたらって事もあるかもしれない。だが、それまでにキリングが死んだり、ジャスターズが壊滅されられたり、或いは命令が取り下げられたらどうするんだよ」

「……最初の2つはまず有り得ん。キリングは死なんし、ジャスターズは幹部の1人でも生き残っておれば再構築可能じゃ」

「最後のは有り得るって事かよ」

「そうじゃの。頃合を見て再び命令が下る可能性はあるが、それはいつになるか分からん」

「それじゃあキリングは倒せないじゃねえか」

「チェイサー、気持ちはわかるがの。気持ちだけでは人は殺せん」

「それは分かってるよ……」

 キリングが死んだり命令が取り消されるなら、ジャスターズとしても喜ばしい事ってのはよく分かってる。

 しかし、それではこの心の底から湧いてくる怒りを放って置かないといけない。

 俺はまだ、そんな事を出来る程大人じゃない。

「……なんか、私たちが口を挟んではいけない事なんですかね」

「そ、そうだな」

 トレントとチープが少し縮こまる。

「いや、もう気にしなくていい。それより、そろそろじゃないか?」

「そうじゃの。ほれ、見えてきたわ」

 遠くに大きい建物が数個見えてくる。

 前は話に集中してて気にしていなかったが、遠くからでも相当でかいな。

「……あれが、ジャスターズの本部ですか」

「デケェ……」

「ちょっ、せ、狭い」

 2人は窓に張り付く様にして、ジャスターズを見つめている。

 チープに関しては、俺の事を物ともせずに身を乗り出している。

「賑やかじゃの。まあよい、着くまではそうしておれ。地獄の日々が待っておるぞ」

「えっ」

 トレントとチープはあっちに夢中で聞こえてない様だが、俺にははっきりと聞こえた。

 そしてちらっとだが、今グールが笑った様な気がしたのは気のせいだろうか。

 俺は背筋に寒気が走るのを感じた。



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キューズ

 12月17日金曜日、午前2時42分。

 チェイサーたちの住む、サイコスから約8000キロメートル離れた国マンタスト。

 そこの首都ガンジの、ある店の地下には、クリミナルスクール1.5個分の広さを誇る、キューズの本部があった。

 外界の光を遮断し、音を通さず、完全に隔絶された空間で、ある男は頭を抱えていた。

「うーんどうしよっかなー」

 その名もキューズ・エクスタシー。

 この組織の最高地位の人間であり、能力者社会を促進した人物の1人である。

 そんなキューズは自分専用の玉座に座り、いつもの様に毎日を浪費していた。

「どうかしましたか。キューズ様」

 ロン・グレイは、唯一のキューズの話し相手として、直属の部下としてその座に就いていた。

「いやね、60過ぎてから矛を収めたのはいいけどさ、やっぱりこの手で潰したいじゃん? ジャスターズ」

「そうですね。長年私たちにちょっかいをかけてきてますからね」

「そうそう、あいつなんだっけ。前来た奴」

「マット・ワ」

「それだそれ! マット。ちょっかい出すなって、クリミナルスクールに送ったのにさ。あいつらまたなんかしようとしてんじゃん」

「今はジースクエアを倒すとか言ってますね」

「はぇー、ジースクエアを。無理だろそれ」

「事実、1人犠牲者が出てます」

「はっ、馬鹿だなジャスターズも。俺たちをまともに駆除出来てねえのに、ジースクエアを潰せる訳ねえだろ」

「その通りですね」

 2人が楽しく会話をしている所に、ある男が現れる。

「お呼びでしょうか。キューズ様」

「おおサザン、呼んだ呼んだ。あれどんな感じよ」

 「あれ」とは、サザン・オールドの能力である、毒を利用した化学兵器の開発の事である。

 キューズはその組織の巨大さから、維持するのに莫大な資産を必要とする。

 そこで他国に化学兵器と称し、能力で作り出した、または能力を利用した兵器を売る事で、資金調達をしていた。

「順調です。あと2ヶ月ほどかと」

「2ヶ月か。いい感じだな。……それと、もう1つ」

 キューズは立ち上がり、そこら辺を適当に歩きながら話す。

「そろそろさ、潰そうと思ってるんだよね」

 潰す。その対象は言わずもがなジャスターズ。

 組織として誕生したのはキューズの方が15年早く、ジャスターズが組織化されるまでの間、キューズが時代の最先端を走っていた。

 しかしジャスターズの登場により、罪人は罰せられ、犯罪の未遂が多くなり、キューズは縮小。

 更に10年後、クリミナルスクールがジャスターズと連携し、罪人が善人へと変わる仕組みが出来た。

 その事により、キューズは一時代を築いた組織として有名だが、共に勢力が弱まっている組織としても位置付けられている。

「まだ早いと存じますが」

「確かにうちは10代20代が多いよ。若者はやる気に満ち溢れてるからね。けどさ、そんなの待ってたら俺が保たないんだよね」

 キューズの団員はまだ未熟な10代や、やや常識を持っている20代が殆ど。

 キューズが待っていると言うのは、能力者の全盛期である35歳の事である。

 それら団員が35歳を迎えるには早くても15年。

 今年87歳を迎えるキューズにとって、それは不可能に近いものであった。

「私は実行して宜しいかと」

「ロン!」

「待て待て、落ち着けって。理由はあるんだろ? ただの肯定野郎なら殺すけどな」

「理由は2つあります。1つはキューズの持続性についてです。様々な工夫をし、必要最低限の犯罪を犯さずに維持しているとはいえ、年々衰えを感じているのはキューズ様も同じと思います」

「まあな。それは言えてる」

「つまり、判断を引き延ばせば引き延ばす程に、キューズの組織力は弱まっていくのです。逆に言うならば、キューズは常に最高の状態を維持しているとも言えます」

「なるほどなぁ。もう1つは」

「その全盛期についてです。いくら10代20代が多いとは言え、能力レベルは下の下の下。それが全盛期になったとしても、下の下程度にしかなり得ないと思います。それなら今信頼出来る、最高の戦力を使った方が得策だと、私は考えます」

「た、確かに」

「やっぱり頭いいなロン。そうだよな、考えるだけ無駄だよな。よし、準備しよう」

「はっ。どの様に致しましょうか」

 その決定に、サザンが答える。

「とりあえず、雑魚は適当にそっちで使っていいよ。そうだな、青兵から指揮官にするか」

「……キューズ様。1つ宜しいでしょうか」

「どうしたサザン。いいぞ」

「今すぐとなると、各地に配置している幹部たちや、それに属する部下たちを集めなくてはなりません」

「それがどうしたの」

「あちらの都合もありますし、流石に今日の今日とは……」

「どんくらい掛かるの?」

「……あと1、2年程かと」

「うーん、困ったな。じゃあ半月で」

「えっ」

「聞こえなかった? 半月ね。それ出来なかったら、お前の首飛ぶから。物理的に」

「しょ、承知致しました。し、失礼します」

 サザンは下がり、再びいつもの2人になる。

「実際半月ってきついの?」

「はい。かなりかと」

「ははは。じゃああいつ死んだな」

「キューズ様がお声を掛ければ、1日とかからず集まりますのに」

「それじゃあつまらないだろ?」

「それもそうですね」

 後およそ半月で、キューズとジャスターズの全面戦争が始まる。

 そんな事を知る由もなく、ジャスターズに向かっているチェイサーたちは今何を思っているのだろうか。

 友人の事、家族の事、好きな人の事、兄弟の事、様々な思考の中に、これは含まれているのだろうか。

 いいや、含まれている筈がない。

 キューズは慎重に、そして着々とジャスターズを潰そうとしている。

 それをチェイサーたちは止める事が出来るのか。

 それはその時そこに存在している、誰かにしか知り得ない事である。

 

 キューズ(指定要注意能力者団体)

 1954年に誕生した、犯罪を主とする能力者の集まりである。1番上の地位にいるのは、名前の通りキューズであり、上から順に最高幹部、幹部、準幹部、紫兵、青兵、赤兵、黄兵、白兵、黒兵である。



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能力について

「おー、チェイサー。また来たのか」

 ジャスターズの入り口には偶然にもサンがいて、俺に手を振って近づいて来た。

「おおサン、丁度良いところに来たの。此奴等の世話頼まれてくれんか」

「えっ、グールさん。どうしたんですかこんな所に」

「こんな所て、ここはジャスターズで我は幹部じゃぞ。いて当然じゃ」

「ま、まあそうですけど。って、え? チェイサーの他に2人いるじゃん。友達?」

 うーん、友達と答えていいものか。

 俺的に友達だが。それで違ってたら嫌だし、それになんか恥ずいしな。

「あ、友達のチープです。よろしくお願いします」

「同じくトレントです。よろしくです」

「あ、うん。友達」

 普通に言うのね。

 チープたちの純粋さを見ると、俺だけ恥ずかしがってたのが馬鹿に思えてくるな。

「はぇー、よろしくね。俺はサン・ウッドって言うから、サンとかでいいよ」

 サンは相変わらず人当たりが良く、この調子なら1日も掛からずに仲良くなれそうだな。

「うむ、後は任せたぞ。サン」

「ちょっ、何すればいいんですか」

 急いでサンが引き留めると、グールは振り向いてニヤリとする。

「貴様流の鍛え方をしてやれい。上限はつけん」

「ま、マジすか」

「サン流の鍛え方?」

「そう言われると、なんか三流みたいでカッコ悪いな。けど、本当にいいんですか?」

 サンが質問しようとすると、既にそこにはグールの姿が無かった。

「行っちゃったよ。まあいいか、暇だったし」

 暇だったって、ジャスターズの組織としての株が下がりそうな事言うなよ。

「サンさんはお強いんですよね」

 チープが興味津々にサンに聞く。

「サンでいいよ。俺ほどさん付けが違和感の奴はいないと思うし」

「じゃあ、グールさんがサンの事強いって言ってたんですけど、どのくらい強いんですか?」

 凄い積極的だなチープは。

 スウィン程じゃないにしろ、かなりの戦闘マニアだな。

「うーん、強いっちゃ強いんだろうけどね。そんな言われる程かな」

 サンは困った様に答える。

 まあ、幹部に推されて期待外れだったら嫌だから、保険かけてる言い方って言い直してもいいな。

「俺たちの世話って事は、これから鍛えてくれるのはサンって事ですか」

「そう言う事らしいね。俺もよく状況把握できてないんだけど、とりあえず部屋とか分かる?」

『部屋?』

 2人は声を揃えて首を傾げる。

「こりゃ聞いてなんだな。とすると、俺の隣の空き部屋使いなよ。なぜか俺の周りの部屋は空いてんだよな」

 お前もジャスターズ立場で言う問題児かよ。

 そう言えば、『戦闘面に関しては』優秀とも推されていたな。

 どうやら俺の周りの人間は全員、問題児かそれに酷似した奴らだけで構成されてる様です。

「部屋って言っても、俺たち特に何も持って来てないぞ」

「まあ、寝床くらいで考えればいいっしょ。どうする? 今から訓練でもする?」

「サン流訓練?」

「違ってねえけどやめろって。せめてウッド流にしてくれ。弱く見える」

「あの、訓練する場所とかあるんですか?」

 チープが目を輝かせて質問する。

「おお、君は積極的だな。確か名前は、チープだったっけ」

「はい」

「チープはどうやら強くなりたいみたいだけど、能力についてどのくらい知ってるのかな?」

「元とか系統とか相性とかです」

「まあそんなもんだよな。よし。詳しい事は、訓練場に移動してからにしよう」

『はい』

 2人は声を揃えて返事をする。

 凄い熱心だな、2人。

 

 入り口から左に曲がり、1つ目の角を右に曲がってから右に行って……、地下に行って……、左に曲がって……、右……。

 歩いて10分程度の地下にサンの言う訓練場があり、そこはクリミナルスクールと違って少し狭く感じた。

「ここが訓練場なのか?」

 端の壁が目で捉えられ、天井も然程高くなく、床一面はよく分からないツルツルザラザラとした素材だ。

「あっちと違って少し小さいけどね。どう? 和風な感じでいいだろ」

「ワフウ?」

「それって日本の文化でしたっけ。タタミだったりセンスだったり」

 トレントはどうやらワフウについて知っているらしい。

 日本? なんかどこかで聞いた事ある様な気がするな。

「そうそう、よく知ってるね。俺大好きなんだよね。忍者とか」

「分かります。カタナとかカッコいいですよね」

「タタミ? センス? カタナ?」

 チープが横でクエスチョンマークを飛び交わせている。

 俺も正直なに言ってるのか理解出来てない。

「ま、まあ、それは置いといて。ここはさっきトレントの言った通り、床が畳で出来ている。普通の床とは違い、滑りにくくて戦いやすい。それと、靴は脱いで上がりなよ。汚いから」

「靴脱ぐの? なんか特殊だな。そのワフウってのは」

「マナーだからな。だが、今はカルチャーショックを受けてる場合じゃなし。これからは慣れてもらうよ」

 サンが靴を脱ぎ、俺たちもそれに続く。

「さて、まずは基本から行こう」

 俺たちと向かい合い、腰に手を当てて、サンは話し始める。

「能力には、発動系、自然系、オート系、フルオート系、代償系の5つの系統があり、それぞれの特徴を持っている。それはもう知ってるよね」

「最初の方に、ナインハーズに説明された」

「さんな。それで、なぜ系統を分けると思う。チープ」

 まじか。これ名指し制なのね。

「えっと、相手と自分の能力の相性を見極める為ですか?」

「合ってるからもっと自信を持っていいよ。チープの言う通り、能力には相性がある。トレント、発動系に強いのは?」

「オート系っす」

「そう。じゃあチェイサー、フルオート系に強いのは?」

 げっ、やっぱり俺に回って来るよな。

 フルオート系は、確か発動系に? それとも代償系? いや、違ったっけな。やべえ分からない。

「すまん分からん」

「自然系な。まずはこの系統相性を覚える。それが基本中の基本だ。戦闘中に相手の系統が分かっても、これが分からなかったら意味がないだろ?」

「けどそれって、同時に発動した時だろ? そんな一瞬の事を気にして闘うのか?」

 フルオート系に関しては常に発動してるから、同時にとか無くないか?

「能力者同士の闘いは、一瞬の気の緩みが勝敗を分けるんだ。もちろんそれは能力者に限らず、スポーツや真剣勝負などでも同じだし、それは昔から変わってない」

「……よく分からんけど、まあ大事なのね」

 スポーツなんて初めて聞くカタカナだし。

「そゆこと。それと、その前にもう1つ、大事な事があるよね」

 能力の系統相性の前に?

「相手の系統を見分ける事ですか?」

「そう。さっきのは基本中の基本で、こっちはもっと基本。言わば、準備運動をする為の準備運動みたいなものだ」

 また意味の分からない例えを。

 チープなんてポカーンとした顔してるぞ。

「例えばそうだな。トレント、俺に攻撃を仕掛けてみて」

「えっ、俺すか? ……分かりました」

 トレントが構えると、周りの空気がより一層重くなる。

「ストップ。今ので2つ分かった事がある」

「えっ、今のでですか? ただ構えただけなのに」

 流石に無理があるだろ。ただ空気が重くなっただけで、能力で攻撃はしてないぞ。

「1つ。トレントの戦法は中距離、遠距離なのにも関わらず、攻撃する時は近距離という事」

 確かに相手を拘束したり、空を飛んで距離を取る事はあるけど、攻撃する時は常に直接やっている。

「2つ。空間、重力、又は空気のどれかに影響を与える能力という事。そしてそれは、オート系に属する能力を持っているという事。全部で3つだったかな」

「……なんで分かるんすか」

 トレントは驚いた様にサンに聞く。

 俺も正直トレントと同じ気持ちだ。

 あの一瞬で相手の能力と系統を絞り込み、見事に推測しやがった。

「慣れだよ慣れ。まず、俺に攻撃を仕掛けてって言った時、返事したのにも関わらずに、すぐに攻撃を仕掛けてこなかったのは、常に距離を取って戦っている証拠。だけどそれなのに、あんなに深く腰を落とすって事は、動く気がない。つまり、攻撃の時は自分から近づくって事。そうなると、相手の動きを拘束したり、遅くしたりする能力な訳で、空気が少し重くなったから、空間か重力か空気に影響を与える能力って事だから、オート系なのは確実って事」

「それを今の一瞬で……」

 トレントは辛うじて口にするが、俺はチープ同様声が出ないでいた。

「そゆこと。一瞬の気の緩みってのはこう言う事。分かった? チェイサー」

「お、おう。分かった」

 ジャスターズの奴らは、これを普通にやってのけるのかよ。

「で、因みに当たってた? 能力」

「殆ど正解です。俺は空気を操れます」

「やったー。俺の観察力もまだ衰えてないなあ」

 本当にこれがグールの推す、戦闘面に関しては優秀な奴かよ。

 なんか見た感じそんな風には見えないんだけどな。……それと、少し子供っぽいし。

「他の2人は推測してもいいんだけど、普通に教えてもらった方が早いね」

「私はフルオート系の超再生能力です」

「フルオート系か。珍しいね。チェイサーは?」

「俺は物質変化でオート系だ」

「物質変化……? ちょっと見せてくれ」

 そんな珍しい能力じゃないと思うけどな。と、思いながら俺は髪の毛を1本抜く。

 それに能力を付与し、瞬く間に髪の毛は剣へと形を変えた。

「はぇー、器用だな。どうやってるんだそれ」

「適当に伸ばして強度上げてるだけ」

「強度も変えられるの?」

「おん」

「とすると2つ持ちか? いや、けどなぁ」

 サンが何か悩む様にして腕を組んでいる。

 俺なんか言っちゃいけない事でも言った?

「チェスって、脆くするだけじゃないんですね」

 チープが肩をちょんちょんとして聞いてくる。

「あんまり詳しく話して無かったな。俺は物質の長さと強度を変えられるんだ」

「意外と便利そうだね。それ」

「まあね。俺もそう思ってる」

 自分の好きな形に物を変形出来るのは、案外楽しいしな。

「なあチェイサー。これって重さはどうなんだ?」

「重さ?」

 そう言えばそんなの考えた事なんて無かったな。

「多分変わらんと思う。ほら、持ってみ」

 俺はサンに髪の毛で作った剣を渡す。

「うおっ、軽。本当に形だけが変化してるんだな」

「重さって変わるもんなのか?」

「大いに。長さを短くして、重さが変わらないってのはまだ分かるけど、長くしたら普通重くならないとおかしいんだよね」

「それはどうして」

「小石より、ある程度重さのある石の方が投げやすいでしょ? 能力は自分に有利に働く様になってるから、軽過ぎると逆に威力が下がると思うんだよね」

 確かに、軽いと簡単に弾かれる可能性があるな。

 けどその分、俺は強度を上げて相手を脆くしながら切れるから、あんまり気にする事が無かったのか。

「さっき強度も変えられるって言ってたけど、そっちの方でカバーしてるのかな。だとしたら同時に2つ発動してるから、効率悪いと思うけどなあ」

「いや、脆くしながら切ってるから、実質3つだぞ」

「3つ!? だとすると、チェイサーは2つの能力じゃなくて、4つの能力が2つに見えてるって事?」

「ややこしいな。けど、やろうと思えば同時に発動も出来なくはない」

 グールの試験の時に、脆くしながら地面を伸ばしてたからな。

 あれはなかなか神経使ったけど。

「ますます分からなくなってきたな。これは専門家に頼むしか、チェイサーの能力の解明は出来ないかも」

「そんなにか?」

「かなり高度な使い方してるよ、チェイサーは。正直1つしか持ってない俺らからしたら、未知の世界だしね」

「あまり気にした事ありませんでしたが、チェスは複数の能力を使っていたんですね」

「なんか手が4本あるみたいだな。俺たちもサンと一緒で全然分からないよ」

 俺ってそんな特殊な能力を持っていたのかと、今の今まで気が付かなかった。

 だってこれが普通で生きてきた訳だし、それ以下でもそれ以上でもない。

 確かに少し他の人より複雑だと思ってたけど、まさかサンですら分からないとは。

 俺の能力、一体どうなってんだよ。

「一応連絡はしといたから、後5分くらいで来ると思う」

 サンの方を見ると、左手には何か四角い機械の様な物が握られている。

 ツールと似ている気もするが、少し形が違うな。

「連絡ってだれに」

「だから専門家。俺、気になったら調べ尽くす派なんだ」

 ドヤァとサンが言うが、正直どうでもいい。

 まあ、自分の能力が詳しく知れるのはいい事だし、別にいいか。

「来るまで適当に時間潰してていいよ。あ、因みに専門家って言っても俺と同期だから、そんなかしこまんなくていいよ」

「なるほどね。タメでいいと」

「……そう言う訳じゃないんだけどな。まあいいか、許してくれると思うし」

 専門家か。

 以前ナインハーズがジャスターズは脳筋の集まりじゃないって言ってたな。

 とするとその脳筋の奴ら以外の人が、今から来るって事か。

 少し楽しみだな。

 どんな感じの人なんだろ。

 俺の心は、少しばかりウキウキしていた。



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能力者

「来た来た」

 サンが言う5分の倍近くの時間が過ぎてから、その専門家という人がやって来た。

「やあやあすまんね。ちょっと入るのに手間取っちゃって」

 遅れて来たその男は、見るからに研究者ですと言わんばかりに白衣を着ており、眼鏡までしている。

 身長は180いくかいかないくらいで、サンよりは低い。意外とサンって身長あるんだな。

「なんだその格好。一丁前に科学者してますみたいだな」

「俺は一応科学者だぞ。まあ、いつもはこんなの着ないけど」

 そう言い男は白衣と眼鏡を外す。

 すると中には白い服を着ていた。

「なぜ同じ色……」

 なんか特殊な奴が増えたな。

 入るのに手間取ったって言ってたし、こいつもやばい奴なんじゃ……。

「こいつが専門家なのか?」

「ん? ああ、よろしく。クロークっていいます」

「あ、ああ。よろしく」

 俺はサンに聞いたんだけどな。

「で、この子が例の特殊ちゃん?」

「そうそう。精一杯考えてみたんだが、俺にはさっぱりだったよ」

「サンがそこまで言うのは珍しいね。これと戦闘面に関しては、俺より成績上だったのに」

「今と昔は違うんだよ。だからお前の事を呼んだんだろ?」

「確かに。じゃあ早速能力見せてもらっていい?」

 そう言われ、俺は再び髪の毛を剣にする。

「器用だね。ちょっと貸してくれる?」

「あいよ」

 クロークは剣を持ち、振ったり握ったり重さを確かめたりと、色々と検証をする。

「なるほど、確かにこれは不自然だね。全然重さが変わらないってのもそうだし、オート系かな? それにしては元の流れが少し粗いね」

「それは普通に俺が、元を最近知ったからじゃないか?」

 グールにある程度上手くなって来たとは言われたけど、専門家からしたらまだまだなのかもな。

「うーん。そうとも言えるけど、能力はほぼ身体の一部みたいなものだからね。自然とそこは出来る筈なんだけど」

「チェイサーが、能力の複数持ちだからとかは考えられないか?」

「これ以外にも能力あるの?」

「まあ、一応は。物質の強度と長さを変えられるって能力はあるけど……、正直そこまで珍しくも無いと思うけどな」

 強度と長さを変えられるって、少し珍しさに欠けるしな。

 なんかこう、シンプル過ぎる。

「……因みに、これって対象は?」

「対象って言うと、能力を使える相手の事か?」

「そうそう。無機物だとか他人とか」

「今の所、付与出来ないのは空気くらいかな」

 仮に出来たとしても、空気は常に動いてるからほぼ付与してないと同じだろうし。

「じゃあ、自分にも出来るって事か。したら、これはどうなんだろな。……いや、それは有り得るのか? だとしたら誰が」

 クロークはブツブツと独り言を言っている。

 一体俺の能力が何したって言うんだよ。

「これは仮の話なんだけど、あくまで仮の話なんだけど。馬鹿って思われるかもしれないけど聞いてくれ」

 前置きが慎重すぎるだろ。

「もしかしてチェイサーって、無能力者なんじゃないか?」

「……は?」

 俺と同様、トレント、チープ、サンも一瞬静止する。

「いや、そりゃそうなるよね。俺も馬鹿だと思うけど、そうしか考えられないんだよ」

「それってつまりどう言う事なんだ?」

 サンが皆の聞きたい質問をしてくれる。

「もちろん知ってると思うけど、能力は自分に有利に働く様になってるんだよ。だから自分にバフは出来てもデバフは出来ないんだ」

「どこら辺がデバフなんだ?」

「強度上げたり長くしたりするのは分かるんだよ。けど、短くしたり脆くしたりは全くの不利な訳であって、本来自分を対象と出来ない筈なんだよな」

「待って待って。それってつまり、チェイサーは人工的に能力を植え付けられたって言いたいのか?」

「そうは言ってないけど、それに近い何かしらの力で能力が備わってるのは確かだと思う。俺もこんな事初めてだから、頭が追い付いてないんだけど」

 俺の能力が人工的に?

 言われてみれば、自分の事を脆くして利点はあるのか?

 まだ柔らかくとかなら分かるけど、俺は硬度じゃなくて強度を変えている。

 自分も他人も柔らかくする事なんて出来ない。

「後付けじゃないけど、元の流れが粗いのもその所為じゃないかな? 身体が能力に慣れてないとか、有り得ない?」

 有り得ないと否定したい所だが、正直その説も合っているんじゃないかと思っている自分がいる。

「仮にそうだとして、今の技術じゃ到底不可能だぞ。能力を人工的に付与するなんて」

「俺もそこが謎なんだよね。作る事例はあるけど、これはまた別な気がするし」

「えっ! 能力って作れんの?」

 俺が人工的に植え付けられたとかよりも、そっちの方が気になるな。

「都市伝説だけどね」

「俺も少しは聞いた事あるな」

 能力者間でも、都市伝説とかいう曖昧な話はあるんだな。

「確か、サン・グレア実験っていう話だったよね」

「別に俺の親戚とかじゃないぞ? 第一苗字が違うし」

 誰も聞いてないんだよな。

 別にサンって名前はそこまで少ない訳じゃないし、他にいても不思議じゃないだろ。

「それってどんな話なんすか?」

 珍しくトレントが話に食いつく。

 トレントって、もしかしてオカルト系好きなのか?

「確かこんな話だったな」

 そう言い、クロークは話し始めた。

 

 サン・グレア実験

 ある閉ざされた部屋に、無能力者である5人の赤子を入れ、その部屋の空気を酸素濃度21%から1分ごとに1%下げていく。

 酸素濃度5%になった時に下げるのを止め、10分放置し元の酸素濃度に戻す。

 中の赤子の様子を観察すると、5人中3人が生き残っており、いずれも能力者となっていた。

 しかもその赤子は、無酸素状態で生き残れるや、空気を生み出す、操る能力になっており、3/5の確率で能力者が生まれる事が証明された。

 この実験から能力者が生まれる条件として、成長時に感じた生命の危機や防衛本能による、生きる為の能力として発現すると仮定付けられた。

 しかし翌年、この論文を発表したサン・グレアとその助手の研究員全員が、あまりに非人道的な行いをしたと判断され、解雇を言い渡された。

 この実験により、今後一切能力者を人為的に作る事は国で禁止され、行った場合死刑に値すると決定された。

 これは、無能力者が唯一能力者に同情した事件として有名である。

 

「都市伝説にしては、なんかリアリティがあるな」

 トレントも空気操れるから、空気の薄い所で産まれたのか? 山頂とか。

「俺もそう思うんだけどね、実際に能力者を作るのが禁止とかいう法律は存在しないんだよ。もしそんな事したら、能力者の親は全員死んじゃうし」

 言われてみればそうか。

 不本意で能力者が産まれてしまった場合、どう対処したらいいかとか、そこら辺の境目がはっきりしてないしな。

「けど不思議な事に、サン・グレアっていう人は実在してたんだよ」

「2世紀くらいの、マッドサイエンティストって有名だよな」

 2世紀って、1800年前くらい前の人間じゃねえか。

 もし都市伝説が本当の話なら、その科学者は結構な発見をしたんじゃないか?

「まあやっぱり、チェイサーとはなんの関係もないけどね。俺はオカルト系にあまり詳しくはないけど、そう言った話は聞いた事ないかな」

「じゃあやっぱ、クロークの言う植え付け説か?」

「今の段階では、そうかな」

「誰かの能力でって、考えられませんか?」

 トレントの発言で、一瞬空気が変わる。

「……もちろんそれも考えたんだ。けど、都市伝説風に言うなら、能力は防衛本能みたいなもの。相手に能力を与えるってのは、どうも理にかなってない気がするんだよね」

「どんな状況で、相手に能力を与えなくちゃいけないとかが不明だもんな」

「……確かにそうですね。すいません」

「いやいや謝らなくていいよ。色々な視点は大事だし、気になったら言ってくれれば、それがヒントになるかもしれないし」

 誰かの能力で。

 今の技術で不可能なら、それを可能にする能力が干渉しているってのは、悪くない意見かもしれない。

 そうなると俺に関係の近しい誰かか、俺自体が実験の対象になったかと考えられる。

 あまり小さい頃の記憶が無いのもその所為かもしれないしな。

「それにしても、チープが凄い俺を見てくるんだけど……」

 そう言われて目線を横にする。

 そこには今にも闘いたそうな、チープがウズウズしていた。

「ど、どうしたん?」

「はい。いつ訓練が始まるのかと思いまして。ずっとウズウズしています」

 正直な奴だな。

「ふふっ、いいんじゃない? 最近サンもサボってたろうし、相手してあげなよ」

「……まあ、そうだな。チェイサーの能力ばっか考えてても、中々解決しそうに無いしね。よし、相手してやる」

 そう言いサンは構える。

「あの、俺たちは……」

 トレントが少し小さな声で問いかける。

「ん? ああ、3人同時でいいよ。どうだ、クロークもやるか?」

「いやいや俺はいいよ。帰ってもう少し考えてみる」

 そう言い踵を返し、ドアノブに手をかける。

「あっ、けど、チェイサーの観察もした方がいいか」

 しかしすぐにこちらを向き、俺をまじまじと観察し始める。

 やりずらいなあ。まあいいか。

「手加減無用でかかって来な。俺は戦闘面に関しては、褒められまくりだぞ」

「他が抜けてりゃ意味ないっての」

「うるせっ」

 サンは1対3というのに余裕そうだ。

 それだけ自信があるのか、俺たちの未熟さを見抜かれたか。

 どっちにしろやることは1つ。

「殺したらすまん」

「やってみなよ。無理だから」

 俺はどっしりと腰を落とした。



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真剣勝負

 さて、引き受けたはいいものの。

 最近サボり気味だったから、動けるかな。

 けどチープのあの目見たら、断れないからなあ。

「よろしくお願いします」

 律儀にお辞儀しちゃって。ったく、新人はかわいいな。

「こちらこそ」

 問題はあの2人。

 能力が知れてても、底がまだ見えない。

 特にチェイサーに関しては、まだまだ何かありそうだし。

 参ったな。これ勝てないかも。

「ふん」

 まずは軽く1人を。

 俺は素早くチープに近づき、顎を殴る。

 これでチープはダウンかな。

「やっぱり強いですね!」

「うおっ」

 チープはややカウンター気味に反撃をしてくる。

 俺はそれを軽く避け、少し距離を取った。

 おかしいな。脳が揺れなかったか?

「俺たちもいる事を忘れないでくださいねっ!」

 いつの間に背後に。

 俺に気配を感じさせなかったのは、能力の影響か?

「忘れてたって言ったら怒る?」

 俺は後ろに蹴りを入れ、トレントを吹き飛ばす。

「ぐぁっ」

 気配を消したのはいいけど、殺気ダダ漏れだな。

「ふっ」

 後ろからの拳に、俺は咄嗟に避ける。

 はえー。そんな簡単に背後を取られる程、俺はサボった覚えは無いけどな。

「あまい!」

 右肘でチェイサーの腹を打つ。

「くはっ」

 それと同時にチープが走って来ていた。

 いい判断だな。

 今の体勢だと勢いのまま左脚で蹴るか、一旦距離を取るしか選択肢は無い。

 普通の人ならね。

「うぐっ」

 チープがよろめく。

 俺はその隙に、3人と逆の方向に距離を取る。

「どうしたチープ」

「大丈夫か」

 2人はチープに駆け寄る。

 さあさあ俺の能力の考察を始めないと、分からないまま負けちゃうぞー。

「な、なぜか攻撃されていないのに、顎を殴られました」

「どう言う事だ?」

「もしかして、サンの能力かもしれないよ」

 おっ。早速気付き始めたね。

 なら、後は闘いながらで。

 俺はまず、トレントを狙う。

「トレント! 避けろ!」

 トレントの腹を殴り、突き放す。

「うぐうっ」

 その後にチェイサーを右足で蹴るが。

「ふっ」

 両手で防がれてしまった。

「中々やるね」

「そっちもな」

 もう片方の足で頭を蹴り、その勢いのままチープに拳を振るう。

「はあっ」

 チープも拳で来るか。

 砕けても知らないぞ?

 2人の拳が触れ合う、その直前。

 俺の背筋に、凄まじい寒気が走る。

「あぶねっ」

 拳の軌道を外し、それは空を切る。

「サンめ、気が付きやがったか」

 声に出てるぞチェイサー。

 それにしても、なんださっきの寒気。

 そう言えば、チープの能力だけ分かってないな。

「考察はさせませんっ」

 チープは再び俺に拳を振るう。

 接近戦な辺り、何かに触れて発動する系か?

 いや、この大振りさは違うな。

 それなら確実に当てる事に集中させる筈。

「中々当たりませんね」

 いくら連打したとしても、そんな大振りじゃ当たる訳も無し。

 俺はじっくりと考察に集中出来る。

「はあっ」

 急に身体が動かなくなる。

 指先までガッチリとホールドされている様だ。

「隙あり!」

 まずい。このままじゃあ、顔面に直で攻撃が入る。

 流石にもろに食らったら、俺も耐えられる気はしない。

 この症状からして、俺を拘束しているのはトレント。となると。

「がぐあっ」

 トレントの腹に衝撃が走る。

 よし、解けた。

 間一髪でチープの拳を避け、逆に顔面に食らわせる。

「ゔっ」

 血が出ない。

 手加減する余裕が無かったからやり過ぎたと思ったが、どうやらその心配はない様だな。

「チープ。君は再生能力っていった所かな」

「……それはどうでしょうね」

 これで謎は解けた。

 道理でさっきから攻撃が効かない訳か。

 傷がついた場所からすぐ再生する事で、ほぼ怖いもの無しで特攻出来る。

 それに加えて、その加減なしの破壊力。

 恐らく身体の壊れる心配がないから、無意識にしているタガを外す事に成功したのだろう。

「うおっ」

 突然足場が崩れ、それと同時に後ろからチェイサーが攻撃を仕掛けてくる。

 脆くして、体勢を崩す。

「……それはいいんだけどさ。ここは神聖な場所だぞ!」

 道場の床を破壊するなんて、あるまじき行為。

 俺は瞬間的に振り返り、チェイサーに連撃を浴びせる。

「うわお。サンが怒った」

 足を蹴り崩し、転ぶ前に腕を掴む。

 引き寄せながら腹に手を当て、発勁をする。

「かあはっ」

 そして右、左と拳で連打する。

 全て腹に当てるが、一応急所は外す。

「あららら。チェイサーが死んじゃうよ」

「チェス!」

 チープが近づいて来るが、顔面を掴み、思いっきり投げる。

「うわあっ」

 再び振り返り、チェイサーを攻撃しようとするが、そこにはチェイサーの姿は無かった。

「くそが!」

 どうやったのか上から降って来たチェイサーに、俺は打撃を食らう。

「ぐがあっ」

 久しぶりに相手の攻撃を食らったな。

 少し取り乱していたのが原因か。

 いや、そうでなくても今のは中々いい攻撃か。

「チェス! 離れて!」

 トレントの掛け声で、チェイサーが俺から距離を取る。

 何をする気——。

「ドゴォン!!」

 まるで至近距離で花火が爆発した様に、爆音と共に炎が広がる。

 俺はと言うと、突然な事もあり、避ける事が出来ずに吹き飛ばされていた。

「……お前らなあ、いい加減にしろよ。畳が火に強いからって、限度はあるだろ」

 爆発した箇所と思われる場所には、大きな凹みが生じており、少し焦げている。

 原理は分からないが、どうやらトレントの仕業だろう。

「これはまずそうですよ」

「ああ。今度は本気で怒ったかもな」

「だ、だな」

「早く逃げた方がいいよー」

 瞬間。俺はトレントの目の前へ移動し、2、3発打撃を食らわせる。

 そして能力を発動させて、再び衝撃を与える。

「ぎぐぁっ」

 俺の能力は『再発』

 俺が与えた衝撃又は、過去に与えられた症状を1度だけ再発させる事が出来る。

 これは俺にも相手にもを対象とし、生きているものにしか効果がない。

「まだまだ!」

 チェイサーに腹の衝撃を再発させ、怯んだ所に連撃を食らわす。

「ぐがはっ」

 攻撃をする度に俺の能力の材料が増え、1度攻撃を与えたらほぼ俺の勝ち。

 今までセーブをしていた分、衝撃が溜まっている。

 俺は一瞬の隙も与えずに、俺はチェイサーを攻撃する。

「ちょっとこれはやばいかもね。そろそろ止めないと」

「チェス!」

 チープが横から攻撃して来るが、前に与えた衝撃でそれを阻止する。

「いっ」

 チェイサーを吹き飛ばした辺りで、俺の標的をチープへと変える。

「チープ。本気で行くぞ」

「……はい」

 俺は一瞬で距離を詰める。

 殴り蹴り、外部内部、急所構わず出来る限りの攻撃をチープに食らわせる。

 反撃の隙を与えない程、それは凄まじかった。

 しかしチープはその全てを受け止め尚、倒れないでいる。

「根性あるなあ!」

 更にスピードを上げて攻撃をする。

 本来なら既に死んでいるであろう攻撃を、能力を、俺はチープに与え続ける。

 しかし、突然俺の脚に痛みが走った。

「ゔぐっ」

 この状況で蹴ったのか。

 再生するだけで、痛みは感じる筈。

 失神していても、おかしくないくらいには攻撃したのに。

 それでもチープは立っていた。

「今、やっとサンの能力が分かりましたよ」

 一瞬背筋が凍る。

 その声は鋭く殺気を帯びており、生半可な人間じゃ出せないオーラを放っていた。

「限度が無いのは、そっちの方です!」

 渾身の右ストレートが俺に飛んでくる。

 これを食らったら、恐らく俺の命はないだろう。

 今のチープには、それこそ限度という言葉は存在しない。

 ここはやるしかないか。

「すまないチープ」

 俺は今まで与えた全ての症状を、チープに解放する。

「があっ」

 それにより、拳は止まってチープは立ったまま気絶する。

 一気に痛みが押し寄せて来たから、仕方のない事だろう。

 俺は勝負が決したと思い、踵を返そうとする。

 すると、ピクりとチープの手が動いた。

「まだ、です」

 トンっと俺の頭に拳が触れると、チープは崩れ落ちる様に倒れた。

 その間、俺は動く事が出来なかった。

「おい、サン。チープの言う通りだ」

 後ろから声がする。

 振り向くと、そこにはチェイサーが凄い殺気を纏って立っていた。

「俺たちはまだ負けてねえ」

「へっ、そうかい」

 スロースターターだが、やっとエンジンがかかって来た様だな。

 トレントも同様立ち上がり、殺気を纏わせる。

「本気で行かないと、俺が逝っちまいそうだな」

 二方向からの攻撃は容易く避けられる。

 しかし、それは卑怯に等しい行為。

 誠心誠意ぶつかって来る相手に、戦闘家の俺が避けられるわけがない。

「はあっ」

 まずはトレントが来るか。

 悪い癖だなチェイサーは。

 自分が決定打を放ちたいが為に、いつも後手に回る。

 そしてその時は常に無防備。

 俺はチェイサーの腹に食らわせた衝撃を再発させる。

「ぐかあっ」

 気を抜いていた分、かなりのダメージだろう。

 俺はトレントの拳を受け止め、そのまま力を利用して投げる。

 これこそ日本が誇っていた体術、合気だ!

「ふっ」

 トレントは壁際に倒れ、俺はチェイサーの方へ走る。

 少しよろめいているチェイサーに2、3発打撃を入れ、それを再発させる。

「いっでえな!」

 それでも怯まず、チェイサーは俺に拳を振るう。

 右右左右左右右右左左右。単純な攻撃が俺に当たる筈もなく、全て体術で受け流す。

 やはり甘い。

 これが試合で無く、殺し合いなら俺はチェイサーに上を取られた時に死んでいた。

 しかし殺す気で来たにも関わらず、そこで躊躇うのがどれ程の危険を招くか教えるのが俺の役目。

 それにしても、殺気は凄いが体力的には限界らしいな。

 それでも攻撃する度に速度が上がってきている。

 戦闘の中で成長する、天才型か。

 チェイサーの拳が俺の頬を擦る。

「やるなあ。だが」

 チェイサーが一瞬呼吸をした時、俺は顔面目掛けて、本気の拳を叩き込む。

 しかし拳の当たる瞬間、なぜかチェイサーの顔が笑った様に見えた。

「んがっ」

 急に目の前が揺れる。

 それと同時に地球がひっくり返る様な感覚。

 まともに立つ事が出来ずに、幾度も手をつきそうになる。

「ト、トレント……」

「サック!」

 俺が顎を蹴られたと気付いたのは、何かをされてからの後だった。

「ゔっ」

 再び身体の自由が奪われる。

 今の状況ではかなりまずい。

 頭がぐわんぐわんとし、まともに思考が働かない。

 とりあえず、トレントに衝撃を。

「ぐゔっ」

 ——解けない!

 さっきとはまるで覚悟が違う。

 俺を確実に殺すと、そう覚悟をしてトレントは能力を発動している。

 俺を縛りつけている薄い空気の膜は、まるで真空パックの様に段々と密着してくる。

 指先が動かなくなり、腕、肩、遂には息すら吸えなくなる。

「こ……これは、マジ……で……死……ぬ」

 俺は意識が朦朧としていき、そして気絶した。

 それとほぼ同時に、トレントもチェイサーも気絶する。

 サン対チェイサー、トレント、チープ。

 ほぼ同時に気絶した事により、引き分け。

「ありゃりゃあ。どうすんのこれ」

 

 同刻マンタスト。

「キューズ様」

「なんだまたかサザン」

 各地の幹部を呼び集めに行った筈のサザン・オールドが、まだ首都ガンジを離れていなかった。

「実は、サイコス、シュロープ町を拠点としていた幹部、エッヂ・ラスク様が単独行動を致しまして」

「具体的には?」

「はい。自らをリストと名乗り、市民を惨殺しながら移動しております」

「どこに」

「……ジャスターズ本部です」

「あら。随分と大胆な行動をするお方でしたっけ。エッヂは」

「適当に幹部にした覚えはあるけど、結構行動力のある奴だったんだなー」

「キューズ様の見る目があったという事ですね」

「そうとも言う」

 2人は笑い、サザンはやや後ろへと下がる。

「で、それがどうしたの。中々面白い事やってるじゃん、あいつ」

「ですが——」

「なに? なんか言いたいの?」

 キューズはサザン、自分の部下に容赦なく殺気を放つ。

 それは常人のレベルを遥かに超えたものだった。

「い、いえ。滅相もございません」

「忘れてないだろうけど、後半月だからね? お前の命」

「も、もちろんでございます。しっかりと、この肝に銘じております」

「分かったなら行っていいよ」

「では」

 サザンは急いで踵を返す。

 いなくなった頃、キューズが口を開く。

「エッヂねー。今度会ったら、食事に誘ってやるか」

「お優しいですね。またグロックですか?」

「まあねー」

「キューズ様も飽きませんね」



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副属性

「おーい起きろー。サン」

 痛ててて。

 頭がクラクラして、目が開きにくい。

 顔も凄え痛いし、腹も端腰も尋常じゃない。

 なぜこんなに痛むんだ?

 ……そう言えば、俺は誰かと闘っていたような。

 俺はそれに気が付くと同時に立ち上がる。

「サン!」

 3対1で闘っていた事を、すっかり忘れていた。

 俺が見渡すと、そこにはぼやけたチープ、トレント、サンが倒れており、クロークが誰かを譲っている。

「おお、チェイサーが起きた」

 誰かが駆け寄って来る音がする。

 声からしてクロークだろう。

「どうなったんだ?」

「見ての通り、引き分けだよ」

 引き分け? 俺の記憶はトレントの名前を呼んだ所で途絶えている。

 どうやら俺が気絶した後に、トレントが最後の力を振り絞って、サンを倒してくれたようだ。

「痛つつつつ」

 はっきりとは見えないが、恐らくサンらしき人物が立ち上がる。

「おお、サンも起きた」

「すっかり騙された。まさか狙いが俺の顎とは」

 段々と思い出して来たぞ。

 俺は最後に、攻撃を自分の顔面へと誘導させる為に、わざと隙の出来るような動きをしてたんだった。

 そして顔面へと拳が放たれた時の、顎の無防備な所に蹴りを入れて、相討ちを狙った。

 まあ、最終的に止めを刺したのはトレントだけどな。

「サンも余裕が無さそうだったね」

「1対3だぞ? 結構きつかったんだよ」

「あのサンが言い訳ねー。いいご身分になったもんだねえ」

「そういうんじゃねーよ」

 一通り会話をしてから、サンが倒れているトレントに近付く。

「おーい、そろそろ起きろ」

「ゔっ、うう」

「サンは容赦なかったからねー」

 トレントが段々と起き上がる。

 結構ダメージを食らってそうだな。

 まあ、俺も他人の事言えねえけど。

「チープは……、クローク頼む」

「なんでー。サンがやったんでしょ」

「まあそうだけど……。分かったよ」

 サンがチープに近付き、優しく揺らし呼びかける。

「お、おーいチープ? 起きてるかー?」

「は、はい。なんとか」

 チープの方は傷は見当たらないが、精神的な痛みはかなり来ているかもな。

 痛みが感じない訳じゃないので、さっきの戦闘がトラウマにならない事を願うが。

「よし、皆起きたね」

 クロークが皆に呼びかける。

「戦闘の直後で悪いんだけど、今からクロークが能力の詳細の事を話すから、よく聞けよー」

 能力の詳細?

 サンが話したものは、全てじゃなかったのか。

「突然だけど質問。副属性って知ってる人」

 クロークが手を挙げながら言う。

 しかし誰も挙げる気配がない。

 もちろん俺は分からんが。

「まあ知らないよね。例えば、火を吹く能力者がいるとする。この時そうだね、発動系にしよう。それで、その大まかな能力となるのが、火を吹く事。当たり前だよね。そう言ってるんだから。その大まかな能力の事を、主な属性と書いて主属性というんだよ」

 やべえ。情報量が多すぎて、全然付いてけない。

「そして、その——」

「ちょっと情報過多じゃないか?」

 サンがクロークの話を遮る。

 よく言ってくれた。正直このまま言われても、異国の言語として処理する所だったわ。

「そうだね。なら、実際に体験しながら説明しようか」

 そう言い、チープの方へ歩いていく。

「チープ? だっけ。君の能力は?」

「フルオート系の、超再生能力です」

「珍しいね。じゃあ、自分の能力の主属性はなんだと思う?」

「えっと、超再生能力の事です」

「そうそう。つまり、能力者自身が自覚している、有意識の中で使っている能力の事を、主属性って言うんだよ」

 自分が使おうと意識して、初めて使えるのが主属性って事か。

 俺なら、強度を上げたり下げたり、長さを長くしたり短くしたりって所か。

「逆に、無意識下で使っているのが副属性って言うんだけど。チープは自分の副属性が何か分かる?」

 無意識下で使ってるから、自分が気が付いてない訳だろ。

 なら分かる筈もなくないか?

 チープは当たり前だが沈黙し、代わりにサンが口を開く。

「その無意識下っていうのが、分からないんじゃないか?」

「そうかー。じゃあ、チープは自分が闘ってる時に、痛みって感じてる?」

「はい、一応は感じています」

「そうだよね。当たり前だけど、チープは痛みを感じている。けど、よく考えてみると不自然だって思わない?」

 全然意味が分からない。

 つまりなにを言いたいんだ?

「チープは常に身体の限界を超えて闘ってると思うんだよ。自分の身体が壊れる心配がないから、普通の人なら死なない様に加減する所を、100パーセントで攻撃する事が出来る。けどそれって、かなり負担がかかってると思うんだよね。主にチープの精神的に」

 一瞬の痛みだとしても、痛みは痛みだからな。

 俺がチープの立場なら、身体が壊れなかったとしても、激痛が伴うなら闘いたくないし。

「チープが死ぬ時って、身体的ダメージじゃなくて、精神的ダメージによるものだと思うんだよ。つまり、ショック死って事」

 急に死ぬ前提で話してるなこいつ。

「けど、チープにはそれがない。それってつまり、痛みは感じてるけど人並みじゃ無いって事だと思うんだよね。推測だけど」

 言われてみれば、チープは闘う時に痛みに堪え兼ねて叫んだ事は1度もない。

 それは単に我慢してるとかじゃなくて、痛みが感じにくい人だからって事なのか?

「副属性ってのは難しくてね。実際には目に見えなくて、相手の能力や闘い方とかで判断するしかないんだよ。だから意外と知られてない」

「その言い草だと、チープの副属性は痛みを感じにくいって事なのか?」

「そうだね。副属性は能力というより、能力をカバーしている何かって思った方が、理解しやすいかも」

 なんとなく分かった気がするが、完全じゃないな。

「これを踏まえて、さっきのをもう一回話すけど。いいかな?」

 さっきのって、最初に凄い情報量だったやつか?

 理解できるか分からんな。

「火を吹く能力者がいたとして、系統は発動系。この人の主属性は、トレント」

「え、あー、火を吹く事っす」

「そう。なら、この人の副属性って何か分かる人いる?」

 火を吹くのが主属性で、副属性は無意識下のやつだから、火に関係しているのは間違いじゃないと思うんだけど。

 ……ん? もしかして。

 俺は思いついた事を口に出す。

「火に強い、主に口辺りって事か? 副属性は」

「おお、そうそうその通り。能力が火を吹く事なのに、火に弱くて自分の能力に死ぬなんて馬鹿でしょ? だから副属性で火の耐性が付いてるんだよ。チェイサーは段々と分かって来た感じかな?」

 なんとなくだが分かって来た気がする。

「じゃあ次に、衝撃を与える能力者の主属性と副属性は?」

「主属性は衝撃を与える事で、副属性は衝撃に耐性がある事です」

「せいかーい」

 トレントが即答する。

 他の2人に対してリードしたと思ってたのに、トレントも理解してたか。

「じゃあ、相手を凍らせる事が出来る能力者の主属性と副属性は?」

「主属——」

「主属性は凍らせる事で、あ、えー、副属性は寒さに耐性がある事ですっ!」

「ピンポーン」

 チープが物凄い勢いで言うものだがら、俺はつい黙ってしまった。

 それにしても声でかかったなあ。

「皆慣れてきたね。じゃあ、最後の問題。チェイサーの主属性と副属性は?」

 俺の?

 俺の主属性は簡単だが、副属性ってなんだ?

 突然と意外な問題により、俺以外にも2人が沈黙する。

 先程の勢いは既に消えていた。

「難しくないか? それは」

 サンがクロークに言う。

「まあね。けど、これが当たったら相当凄いよ」

 自分の能力は自分が1番よく分かってると思っていたが、こう質問されると分からないものだな。

 副属性、副属性。……駄目だ。全然分からん。

「……タイムアープッ。ちょっと難しかったね。正解は、無しでした」

 無し?

「副属性は、自分の主属性のデメリットをカバーする能力の事だから、元々デメリットが無い主属性に対しては存在しないんだよ」

 そんなんありかよ。

 めちゃくちゃ考えてたのに、全部無駄だったって事か。

「まあ難しいから、そんなに気にしなくていいよ。それより、能力の事がある程度分かったから、そろそろ訓練でもしてあげたら?」

「それもそうだな」

 訓練でもしてあげたら? それって今までは訓練じゃなかったって事かよ。

「今までのはなんだったんだ?」

「ただの実践練習。これからやるのは基礎」

「ここは畳だしね。サンが気に入ってるからここに来ただけで、実際は訓練にあんまり適して無いと思うんだよね」

「そんな事ないだろ。ここはいいぞ? イグサの匂いがいいし」

「はいはい。奥にもう1つ部屋があるから、そっちで訓練しよう」

 散々畳の魅力を言っておいて、ここは訓練に向いてねえのかよ。

「奥の部屋は、クロークみたいな専門家1人の立会いの下でしか入れないから、君たちも専門家と仲良くなっておいた方がいいよ」

 そんなに厳重な部屋なのか? それとも設備が凄い整ってるとか。

 どっちにしろ、ここの畳よりはマシそうだな。

 俺は踵を返して靴を拾う。

 そしてサンとクロークの背中を、小走りで追いかけた。



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シュロープ町へ

 奥の扉は、クロークの持っているカードをかざして中に入れる様になっており、セキュリティとしては流石はジャスターズと言った所だろう。

 中は畳の部屋のほぼ同じくらいの大きさをしており、やはり広いとは言い切れない。

 そしてなにより、全面真っ白で何もない。

「なんだここ。白しかないじゃん」

「なんか不思議だな」

「ですね」

 2人も同じ感情を抱いている様だ。

 それ程そこの部屋は、不自然なくらい白だった。

「ここは特別な部屋で、よくカスタムと呼ばれている」

 カスタム? 部屋を改装工事でもするのか?

「文字通り、部屋を場面や能力に合わせた様にカスタマイズ出来るんだよ」

「なら、宇宙空間とかいけるのか?」

「うちゅっ、宇宙空間はどうかなー。やった事ないし、やったら皆死んじゃうよ」

 それもそうか。

 まあ、宇宙で闘う機会ないしな。

「無重力なら出来るんじゃないか? なんの特訓か見当もつかないけど」

 別に思い付いたから言っただけで、そんなに引き伸ばさなくても……。

「まあとりあえず、1番戦闘の多いマットナのサラブレイを再現してみよう」

 そう言い、クロークはどこかへ歩き出す。

「マットナ? サラブレイ?」

「国の名前だよ。サラブレイはその中の町みたいなもの。世界一荒れてる町って事で有名なんだよ」

「はえー」

 無能力者同士って、全員仲良しかと思ってたんだけど、普通に考えてみたらそんな訳ないよな。

 都市伝説からすると、能力者も元は無能力者な訳だし。

 根本的には同じ生物なんだよな。

「これでよしっと」

 急に部屋全体の白が、道路や崩れたビル、炎や吹き出す消火栓、壊れた車に替わり、空気も一変する。

「うわっ、なんだ。急に薄暗くなったぞ」

「マットナは大気汚染により、日光が届きにくくなってるからな。実際の気温はもっと低いぞ」

 それにしても、どうなってんだこれは。

 さっきまで何も無かった空間に、急に町が現れたぞ。

 行った事はないが、本当にマットナのサラブレイに来たみたいな感覚だ。

「あ! そう言えば教えてなかった。1番大事なこと」

「そんなのあったっけ?」

「ほら、最高放出元量の話」

「ああ! 確かに忘れてたな」

 何か前が騒がしい。

 1番大事なことを忘れてたとかなんとか言ってるけど、何にせよそんな事忘れるなよ。

「言ってなかったよな。最高放出元量の事」

 サンが振り向き、俺たち3人に話し掛ける。

「言われてないですね。最終兵器の原料なんて」

「多分違うぞ。チープ」

 どうやったらそんな聞き間違え方するんだよ。

「じゃあ話した方が」

 急に何かが鳴る。

 機械音の様で、この荒れている町には似合わない音だ。

「おっとすまん」

 そう言い、サンはポケットから見覚えのある薄型の機械を取り出す。

「あ! ツールじゃん」

「しーっ、分かったから少し静かにしててくれ」

 面倒くさがられている様に、俺はあしらわれる。

 サンは「はい」や「今ですか」などと、誰かと話している様だ。

「仕事の電話かな?」

 クロークが俺に近づき、小さな声で話しかけてくる。

「電話? あの声が聞こえるやつか?」

「そうそう。それなら、タイミング的にあれだなって思って」

「あいつって下っ端だろ? 仕事の電話な訳ないだろ」

「けどね、サンは戦闘のプロだから、よくそっち関係で呼び出される事はあるんだよ」

「へー。あいつがね」

 少しするとサンはツールをポケットへしまい、俺たちの方に歩いてくる。

「いやー、急に仕事入っちゃった」

「やっぱりそうかー。ならどうするの?」

「クロークが見てやる訳にもいかないしなー」

「うーん……。なら、一緒に連れてけば?」

「……は? この3人を?」

 サンは俺たちを指差し、驚いた表情をする。

「そうそう。因みにそれってどんな仕事だったの?」

「なんか俺もよく分からないんだけどさ。シュロープ町で誰かが暴れてるとか」

「シュロープ町ってあの西の方の?」

「多分それであってると思う。それで『我らはリストなり』とか言って、こっちに近付いて来てるらしい」

「ジャスターズに? 馬鹿な奴もいたもんだなあ」

 サンはよく分からないと言う割には、結構内容を覚えてるんだな。

「我らはディクショナリーって、どう言う意味なんですかね」

「なあチェス、チープって耳死んでんのかな?」

「俺に聞くな」

 こりゃあ重症だな。

「それって、サン個人に来た命令?」

「いつも通りそうだと思う」

「なら連れてってあげなよ。いい学習の機会になるでしょ」

「それもそうか。仕方ない。チープ、トレント、チェイサーは俺に付いて来て。クロークは戸締まりよろしく」

「はーい。お気をつけてー」

 サンは出口へ歩き出し、再び急に部屋が真っ白に戻る。

 それにしても不思議な部屋だったな。

 ただの白い部屋かと思えば、色々な場所を再現出来たりして、今まで見た訓練場の中で1番性能がよかったな。

 俺たちは畳の部屋を歩き、出口で靴を履く。

 クロークを残して、俺たちは部屋を後にした。

「一応急ぐぞ。俺個人への命令だとしても、相手が弱いとも限らない」

「いつもはどんな命令が多いんだ?」

「銀行強盗だったり、窃盗だったり。たまに殺人とかもかな。今回はそれっぽいし」

 俺たちは少し早歩きで話を進める。

 さらっと今凄い事言ったな。

「リストってどう言う意味なんですか?」

 チープが疑問を口にする。

 そう言えばサンたちがそんな事言ってたな。

「リストは……、たしかどこかの民族の言語だった気がするな。正直者とかいう意味だった気がする」

「名乗るなら、もうちょっといい名前もあっただろ」

「言うなら会ってからそいつに言ってやれ」

 まあ、言わんけど。

「ってかチェイサーたちはよかったのか? 頼めばクロークも訓練してくれたかもしれないぞ?」

「俺たちは実践で強くなるタイプなんだよ」

「そうすっね」

「その通りです」

「ならいいか。だが、何が起こるか分からないから、気を付けろよ」

「分かってる」

 ルーズの時にそれはよく実感した。

「車は乗った事あるよな」

「ああ。来る時に乗ってきた」

「じゃあ酔う心配はないな」

 酔う? 酒を飲んだ覚えはないが。

「ちょっと待ってて」

 サンが壁に近づき、手を触れる。

 すると壁に切り込みが入り、横にスライドする。

 その先には部屋が現れ、いかにも速そうな車が置いてあった。

「なんか薄型だな」

「スリムと言え。安っぽく見えるだろ」

「ここに来る時と、全然違う形ですね」

「色々な種類があるんだな」

 俺も何回か乗った事があるが、本当に車というのは種類が多い。

 地域や国によって文化の違いとかの影響があるのかな。

「チェイサーは……、俺の隣だな。2人は後ろに乗ってくれ」

「分かりました」

「おけっす」

 俺は右側に回り込み、扉を開ける。

「意外と狭いな」

 独り言をぶつぶつ言いつつ、俺は席に座る。

 クッションはまあまあで、前の車の方が個人的に好きかな。

「あ、チェイサー。そっちのシートベルト壊れてるんだよ。すまんが我慢してくれ」

 またかよっ!

「相変わらずなんですね。チェスは」

「だねー」

「どんな運命してんだよ俺」

 皆がシートベルトをしている時、俺は1人寂しくそれを眺めていた。

「よし、発進するぞ」

 サンがハンドル付近のボタンを押す。

「うおっ」

 すると身体に重力がかかり、まるで地面全体が上に動いている様だ。ってか動いてる。

「お前優遇されすぎじゃね?」

「まあね。戦闘だけなら幹部に劣らないって言われてるらしいから」

 そう言いサンは少しドヤ顔をする。

 うぜえなこの顔殴りたい。

「それと、俺は運転が荒いともよく言われるんだよね」

 日の光が見えて来た頃、サンはそう言った。

 運転が荒いって言っても、少し速度を出すとかだろうな。

「行くぞー」

 サンは思いっきりアクセルを踏む。

 その軽いその言葉に反し、俺には絶大な重力がかかる。

 後ろの座席に吹っ飛ばされるんじゃないかと思う程、それは凄かった。

「おいおい、チェイサーちゃんと座ってろって」

「無茶だろそんなの!」

 車がその部屋を出た時、俺は座席に座っていなかったと思う。



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アルトカンジーニャ

「もうちょっと速度落としてくれー!」

 ジャスターズを出てから数分。

 俺はまだ座席から腰を浮かせた状態のままでいた。

 直線だけなら段々と慣れるが、道路というものは厄介で、曲がり角が無い方が不自然だ。

 もちろん曲がり角の時は、曲がる方向と逆に押し出され、シートベルトをしてない俺は耐える術がなくそれに身を任せる。

 サン、絶対シートベルト壊れてるの知ってて、俺をここに座らせたな。

「そうだ! トレント、俺を空気で固定してくれ」

「くかー、がーこーがーこー」

 俺が振り向くと、トレントは明らか不自然に寝たふりをしていた。

 こいつめ、なんか俺に恨みでもあんのかよ。

「少し静かに座ってくれない? チェイサー」

「なら速度落とせ!」

 チープはキラキラした目で俺を見つめ、何か出来ることはありませんかと言わんばかりの眼差しだ。

 因みにお前に出来る事は何も無いぞ。

「後何分で着くんだよ! そのシュロープ町ってのは」

「うーん。このスピードで、相手もこっちに近付いて来てるとなると、あと5分くらいかな」

 あと5分か。

 それならこの状態でも多少耐えられるかも。

「やっぱ10分かも」

「嘘だろ!?」

 そろそろ踏ん張ってる足が限界だ。

 せめて速度を落としてくれ。

「しょうがないなあ」

 ふと身体が固定される。

 踏ん張っていた足も楽になり、座席に着く。

「やっぱり起きてたのかよトレント」

「まずはお礼じゃないの?」

 わざとらしく寝てたのは誰だよ。

「まあ、ありがと」

「それでよし」

「仲良いな君たちは。まあ、チェイサーが静かになった事だし、さっき言いそびれた最高放出元量の話でもするか」

 チープが最終兵器の原料と聞き間違えてたやつか。

「それって随分と長い名前だけど、ちゃんとした意味があるのか?」

「当たり前だろ。読んで字の如く、1度に放出できる元の最高量の事を指すんだよ」

「ちゃんと言われても、あんまよく分からんな」

「まあ聞けって。能力者には最大元量ってのがあって、使える元の量は決まってるんだよ」

「回数制限みたいなものか?」

「少し違うがそれでいいと思う。例えばチェイサーが1度の発動で使う元が100だとして、最大元量が1000なら、最大で10回は使える事になる。そして、この最大元量が多ければ多い程強いと言われている」

 概ね体力みたいなものなのだろうか。

 その最大元量の中で、能力をやりくりして闘うって訳だな。

「しかし最近になって、それは間違いという意見が出てきたんだ」

「間違い?」

「そう。それが俺のさっき言った最高放出元量だ」

「説明聞いたけど、あんまピンとこなかったぞ」

「まあそうだろうな。簡単に言えば、最高放出元量は能力の威力と考えてもらっていい」

「なるほど。なんとなく分かったっす」

「私もです」

 どうやらこの一言で2人は理解したらしい。

 俺はと言うと、未だにはてなの山から下山できないでいた。

「そうだなあ。例えばAさんとBさんがいます。Aさんの最大元量は10000で、Bさんは1000です。しかしAさんの最高放出元量は100で、Bさんは1000です。どちらも攻撃が確実に当たる場合、闘って勝つのはどっちでしょうか」

 明らかにAさんの方が最大元量が多く、Bさんは少ない。しかし最高放出元量はBさんの方が勝り、最高放出元量が技の威力だとすると、Bさんが勝つのか?

 けど手数はAさんの方が多いし、一撃で仕留められなかったらBさんの負けは目に見えてる。

 どっちの勝ち負けも想定できるな。

 俺が悩んでいると、ゆっくりとサンが口を開く。

「チェイサー、それが正しい考え方だ。能力者の闘いで勝ち負けは予測できない。少し意地悪な問題を出してすまなかった」

「てっきり私はBさんが勝つものかと思ってました。チェスは気付いてたんですか」

「俺もBかと思ってた。凄いなチェス」

 ただ沈黙してた。考えがまとまっていなかっただけなんだけど。とは言えなかった。

 この不安定さが、能力者同士の闘いで必要な考え方なのだろうか。

「2人も一概に間違ってるとは言えないんだよね。最高放出元量は防御値に直結する訳じゃ無いし、短期戦ならBさん。長期戦ならAさんとも考えられるからね」

 難しいな能力者ってのは。

 今まで能力を使えるだけの人と思っていたが、元だったり最高放出元量だったり、最大元量だったり。

 種類がありすぎて覚えられないな。

「その最高放出元量って、どうやって確かめられるんすか?」

 確かに。自分の最高放出元量とかが分からなかったら、意味がないな。

「確かめる方法はあるはあるけど、今は少し難しいかな。まあ、そんなに気にしなくていいと思うよ。いちいち考えながら闘ってる訳じゃないし」

「そうすか」

 一応確かめる方法はあるんだな。

「ってかそろそろ着くぞ」

 窓の外を見ると、そこには小さな民家の様な建物が沢山並んでいた。

 さっきまで町を走っていた気分だったが、内とは違い外は変化していた。

 1つ1つが古く、人が住んでるのか住んでいないのか、分からない家すらもある。

 一体何年前からここにあるんだ?

「サイコスにもこんな所があったんだな」

 外を見つめながらそう呟く。

「シュロープ町はもう少し綺麗だけどな。ここはそれより手前のアルトカンジーニャって場所だ」

 また随分長い名前だな。

 まあ、覚えなくていいだろうから覚えないけど。

「シュロープ町には行かないんすか」

「あっちもこっちに近付いて来てる訳だし、ここが丁度合流地と思うんだよね」

 合流地って……。川みたいに言うんだな。

「少し時間あるだろうし、適当に外歩くか」

 サンが急ブレーキをかける。

 しかし俺はトレントに固定されているので、全くその影響を受けなかった。

 今度から車に乗るときはトレントを連れていこう。

「じゃあ行くか」

 そう言いサンが車を降りる。

 俺も降りようとするが、まだ固定されたままだ。

「あ、トレントもういいぞ」

「じゃあお先に」

「私も」

「おいこら待て」

 ここで置いてかれるとか、どんな拷問だよ。

 身体の拘束がとけ、俺も車を降りる。

「少し曇って来たな」

 空を見ると太陽が雲に隠れ始めており、段々と辺りが暗くなって来ている。

「誰だ貴様ら」

 突然の聞き覚えのない声に、俺は異常なまでの反応を示す。

 声とは反対に2、3歩飛び退き、腰を落として構え、チープとトレントは俺と同様、既に行動していた。

 その声は低く殺気は纏っていなかったが、明らか俺たちに敵対している声だった。

 そんな中サンだけは、その声の主を見ていた。

「誰って……、多分名前言っても分からないでしょ。逆にお前は誰なの?」

 初対面にも関わらず喧嘩腰で話すサンに、俺はこの状況を僅かだが理解した。

 少し外を歩いて待とうとしていた、奴が既にそこには居たのだ。

「我らはリストなり! 貴様ら罪のない市民を殺戮する為、キューズから送られてきたのだ」

 男は大声でそれを響かせ、それにまた2、3歩引く。

 そしてやはりキューズか。

「我らって言う割には1人なんだな」

「貴様には我らが1人に見えるのか。可哀想な」

 男は背丈190センチメートルくらいの、肩幅の広い中年で、拳は常に握ってあり、まるで石みたいにでかい。

 髭や髪の毛は無く、しかも病気みたいにさっぱりだ。

 剃っただとかの次元では無く、生まれつき髪がないように、毛穴すら見当たらない。

「貴様らどこから湧いて出た。先はいなかったが」

「チェイサーちゃんと聞けよ」

 小さくサンがそう呟く。

「2人を連れて逃げろ。ここから東、後ろに走ってけば町がある。そこの人たちにもこいつのこと報告して、そのまま逃げろ」

「なんで——」

「湧いて出た訳じゃないぜ? 生憎俺もジャスターズから送られて来たんだ。お前を倒すようにってな」

 サンにはもう俺たちは見えていなかった。

 目の前の敵、この男にしか意識を集中させていなかった。

「ジャスターズ……」

 男がその言葉に過敏に反応する。

「我らの敵。キューズ様の最大の敵であるジャスターズ。憎きジャスターズ。許すまじ」

 男がこちらに歩き出し、俺たちはそれをじっと見つめていた。

 急に背中に衝撃が走る。

 それと共に、俺は我に帰る。

「トレント、チープ。逃げるぞ」

「何言ってんだ。俺たちも闘うぞ」

「そうですよ。逃げる事なんて出来ません」

「早くしろ!!」

 俺の大声はサンとその男には届いていなかった。

 2人は互いに互いを見つめ、臨戦態勢に入っていたからだ。

 トレントとチープは俺の余裕のなさに気が付き、俺が後ろに走り出した時に、もうサンを見ていなかった。

「こいつは強えな」

 最後にそう聞こえた気がした。



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達人

「何なんだ貴様らは。突然現れ消えて、なあ。ジャスターズの使者よ」

 聞いてた情報と随分違うな。

 ただ暴れてるって言われてたんだが、これは参ったハズレだな。

 微かに感じる元の量からして、ジャスターズで兵長以上の実力者。

 まだ上等兵の俺にはちと骨が折れるな。

 ってか、勝てるか怪しいのが正直な所。

「貴様にいくら死が待っているからとして、抵抗されんと我もやる気が出ん」

「勝手に話進めんなよおっさん」

「口ではなく足を動かさんか」

 数メートルあった、俺とそいつの距離が一瞬で詰められる。

「ほれ、もう捕らえてしまったぞ?」

 いつの間にか肩を掴まれていた。

 その間俺は何をしていたかと言うと、ただただ突っ立っていただけであった。

 この実力差。チェイサーたちを逃して正解だったな。

「けど、俺も負けてらんねえんだよ」

 わざわざあっちから近付いてくるなら好都合。

 俺はその大きな図体に、拳を打ち込む。

「ほう、いいパンチだ」

 しっかりとみぞおちを狙ったが、男には全く通用していない様に見える。

 「いいパンチだ」とか言ってるし、余裕ありすぎだろ。

 こっちは本気で打ってんだよ。

「余裕ぶっこいてんな!」

 さっき打ち込んだ打撃を再発させ、それに合わせてまた数発入れる。

 男は一瞬揺れるが、すぐ止まる。

「うっ、一撃だけ変なのがあったな。まあよい、さっさと始末するか」

 始末って……。

 そう簡単に殺られるかよ。

「なかなか興味深かったぞ。我の一部になるに値する」

 男は腕を振り上げ、俺の頭目掛けて一直線に下ろす。

 俺は両腕を頭の上へ移し、その侵攻を阻止しようとする。

「ふっ」

 大きな音とともに腕に衝撃が走る。

 足はコンクリートに数ミリめり込み、ひびが樹形図の様に四方八方に広がる。

 重過ぎだろ! わんちゃん腕折れたぞこれ。

「ほう、耐えられたのは初めてだな」

 これマジで死ねるぞ。

 俺の墓場がこんなちんけな場所じゃ、後悔しかなくて今世に取り憑くぞ。

「ではもう1度」

 流石にそれは無理っ。

 俺は肩に置いてあった手を振り払い、距離を取る。

「走るのは好きじゃないんだが」

「ならそこでずっと止まってろ。今応援呼ぶから」

 俺はツールを取り出し、応援要請ボタンを押そうとする。

「そうはさせん」

 男は自分の口に手を入れ、歯を抜いて俺に投げてきた。

「うおっ」

 それは見事にツールに当たり、粉々に破壊される。

 大胆だなこいつ。

 いくら急いでるからって言っても、自分の歯を武器にしようとしないだろ普通。

「くそっ。これじゃ応援呼べねえじゃねえか」

 ツール以外に仲間を呼ぶ方法は……、特にないな。

 第一、応援が来たとして果たしてこいつに勝てるか。

 チェイサーたちが戻ってくる。訳ねえしなあ。

「やるしかねえか」

 俺は自分の頬を両手で叩き、気合を入れ直す。

「本気か。なら我も手は抜かん」

 今まで手を抜いてたのね。って今更か。

「悪いが殺す気で行かせてもらう」

「来い」

 コンクリートがえぐれる程に、俺は足に力を入れて踏み出す。

 その速度は放たれた矢の如く、真っ直ぐ敵の急所へと飛んでいく。

「狙いはまたみぞおちか。芸がない」

 しかし所詮は人間。

 軽く弾き返され、俺は左へ飛ばされる。

 だがこれでいい。

 俺は空中に浮いたまま男の右手首を掴み、肘関節を外そうとする。

 その時俺の脳裏によぎったのは、大木だった。

「硬すぎだろっ」

「古い技を使う」

 腕を掴んでいる俺を上へ振り払い、浮いた所を蹴られる。

「があっ」

 数メートル吹き飛ばされ、近くの民家に突っ込む。

「いてて。流石に効くな」

「まだ終わらんぞ」

 そこへ男が跳躍してき、俺の顔に拳を叩き込もうとする。

「あぶっ」

 しかし間一髪のところで避けた俺は、2発腹に拳を打ち込み、再び距離を取る。

「ヒットアンドアウェイか。古いな」

 逆にお前の流行に合わせて戦うかよ。

「しかし中々スピードがある。仕方がない。やるか」

 男は民家から出て、何かぶつぶつ言っている。

 そして目を瞑り、俺を前にして堂々と仁王立ちする。

「……なんかやべえな」

 向かい風が吹き始める。

 この男は今、何かをした。

 そしてその何かは、俺にとって100パー良くない事。

「すんすん」

 男は鼻を鳴らし、俺に身体を向ける。

 急に鼻が出るようにでもなったか?

 俺は様子を見る為少し横に動く。

 すると、男もそれに合わせて身体を俺に向けてくる。

 見えてないよな。完全に目瞑ってるし。

 さっきの鼻音は、もしかしてにおいを嗅いでいたのか?

 いや、いくら嗅覚が優れていたとしても、それは不可能に近い。

 それこそ人間レベルじゃ。

「おーい。見えてんのか?」

 返事はない。

 俺は小石を拾い、横にバウンドするようにして投げる。

 すると顔だけそちらに向けて、すぐに俺の方へ戻す。

 音を聞いてるのか?

 ならさっき何かしらの反応を見せるはず。

 やはりこいつの能力が関係しているのか。

「すんすん」

 また鼻を鳴らす。

 やっぱりにおいを……。

 だとしたら、どんだけ嗅覚が発達してるんだよ。

 常人の何億倍って数値じゃねえと、そんな芸当は不可能だ。

「そこか」

 男が一気に近づいてくる。

「やっべっ」

 正面に飛んでくる拳を捌きながら、徐々に後ろへと下がる。

 というより押されている。

 薄々気付いていた、認めたくなかったが、こいつの体術は俺より上。

 長期戦はよろしくない。

 俺は距離を取る為脇腹に蹴りを入れる。

 しかしそれは簡単に止められ、俺は足を掴まれる。

「くっ」

 そのまま持ち上げられて、地面へと叩き付けられた。

「ぐがはっ」

 受け身をとるが、休む暇もなく次の攻撃が飛んでくる。

 体勢的に俺が下で奴が上。

 つまり蹴りに適した位置関係という事。

 俺は宙ぶらりんをいいことに、サンドバッグの様に蹴られる。

「だぁっ」

 遠心力を使って後ろに投げられ、再び違う民家に突っ込む。

「ふんっ」

 男が走って来て、民家を突き抜け俺を吹き飛ばす。

「いい加減にしろっ!」

 飛ばされながら身体を捻り、着地と同時に男に向かって飛ぶ。

 腹をめがけて拳を放つが、それが当たると同時に俺は頭を掴まれる。

 そして再び地面へと叩き付けられた。

 今回は受け身をとる暇もなく、後頭部に激痛が走る。

「は、離せ」

 まるで殺戮マシンのように、男はただただ沈黙を突き通している。

 このままのペースじゃ、あと1分も持たない。

 どうにかしようと、腕を引き離そうともがくが全くびくともしない。

「貴様は体術に優れている。しかし、下ばかり見て生きていたから、いざ上を見たら絶望しか選択肢が残っていなかった」

 急に男が俺をお構いなしに語り出す。

「それが貴様の敗因だ」

「なに言っ——」

 頭が更に地面にめり込む。

 俺の頭のほぼ半分は、地面に埋まってしまった。

「終わりか」

 男が俺の頭から手を離す。

「ま……だだ」

 俺は今まで溜めていた、みぞおちへの打撃を一気に再発させる。

 同時発動により、その威力は通常の数倍。

 本当はもう少し溜めたかったが、ピンチなので仕方ないだろう。

「すんすん。血? いつ攻撃をされた」

 男は不思議そうに匂いを嗅いでいる。

 こいつもしかして、自分が攻撃された事に気付いていない?

「分かったぞお前の能力」

 俺は少しずつ起き上がりながら言う。

「ほう、まだ立つか」

 完全に立ち上がった頃、俺はある一点に視線を合わせる。

「視覚、聴覚、触覚、味覚を代償にして嗅覚を格段に強化してるな」

 先程からの沈黙。激痛に反応しない不自然さ。

「だがもう貴様に勝機はない」

 そして噛み合わない会話。全ての辻褄が合った。

「だから攻撃されても、血が出ても気付かない」

「楽に殺してやる。もう諦めろ」

 男は腕を上げ、俺の頭に狙いを定める。

「つまりお前は代償系の能力者」

「止めだ」

「そしてお前の敗因は、強化する対象を嗅覚にした事だ!」

 男の後ろから、見覚えのある影が飛び出してくる。

「サンの仇!」

 チェイサーの剣が、男の後頭部を切り裂く。

「ったく、逃げろって言ったろバカ弟子。ってか勝手に俺殺すなし」

 

 ——数分前のチェイサーたち3人組。

 俺らはサンに言われて、あそこから逃げ出している最中だった。

「なあチェス。本当にこのまま逃げるのか?」

「いや、俺も流石にこのまま尻尾巻いて逃げるのは気に入らない」

 サンのあの声はマジだった。

 今まで聞いた中で1番はっきりとしていて、含んでいる意味が重かった。

「ならどうするんだ?」

「戻りますか?」

「今戻ったとして、俺たちに何が出来るかだ」

「勢いで来ちゃったけど、まずなんで逃げて来たんだ?」

「サンがマジトーンで『逃げろ』って言ったから。後は身体が勝手に」

「サンは大丈夫なんでしょうか」

「大丈夫じゃないから俺たちを逃したんじゃないかな。それだけ強敵って事?」

「俺らも自然に構えてたしな。実力は確実にあっちが上だろ」

 サンに3人がかりでやっとな俺らが、果たして増援になり得るだろうか。

「ちょっといい?」

 トレントが失速してから停止し、俺たちもそれに合わせる。

「さっきの奴を探ってみる」

 トレントがそう言うと、周りの空気が重くなる。

 トレントは空気の流れで、相手の位置を把握する事が出来るんだっけか。

「凄いな。サンじゃない方の元が、とてつもなくでかい」

「どんくらい」

「多分サンの2、3倍」

 それってかなりやばいんじゃないか。

 昔の基準だと、最大元量が多ければ多い程強いらしいから、2、3倍だと実力も2、3倍上という事。

 流石のサンでも勝てない可能性がある。

「チープ、あいつからは何が見えた?」

「一瞬だったので自信はないですが……、何も見えませんでした」

「なにも? そんな事あるのか?」

「私も最近元を学んでから気付いたんですが、恐らく私が見える理由として、その人から微かに漂う独特な元の流れを感じ取ってるからだと思うんです」

「独特な元?」

 ナインハーズも同じ様な事言っていたな。

 俺がツールを登録する時に、能力者特有の元があるとかなんとか。

「あの人からは全くそれを感じませんでした。なんと言うか、殺気が全くないと言いますか」

「俺も殺気は感じなかったかな。探って分かる事だけど、元の流れはびびるくらい静かだね」

 つまりあの男は、殺気を出さずに動けるし、闘うときは穏やかに最小限の元を使っているにも関わらず、元の量はサンの2、3倍。

「簡単に言うと、あいつは達人レベルに強いって事だな」

「それで間違っては無いと思う。実際結構サンやられてるし。今死にそう」

「マジかよ! それ先言えよ!」

 俺は踵を返し、元いた方向へと走り出す。

「行くんですね! 行きましょう!」

「勝てる気しねぇー」

 チープとトレントも俺の後に続く。

 頼む間に合ってくれ。

 

 そして現在。

「サンの仇!」

 俺は男の後頭部に思いっきり、コンクリート片で作った剣をお見舞いする。

 それは毛一本の障害もなく、直接頭に斬り込まれた。

 しかし何か硬いものに当たり、剣は肉を断ち切った所で止まる。

「いつの間に後ろに!」

 男は瞬間的に振り向き、目にも留まらない速さで裏拳を放つ。

「ゔうっ」

 ギリギリの所で防いだが、身体の隅々まで振動が伝わってくる。

「チェイサー!」

 俺は少し吹き飛ばされるが、上手く着地する。

 しかし防いだ腕はまだ響く様に痛む。

「どこに行った。出てこい」

 何言ってるんだ? こいつ。

 俺は目の前にいるじゃねえか。

 そう思い男をよく見ると、なんと目を閉じていた。

「こいつ馬鹿か? それじゃあ探せる訳ないだろ」

「チェイサー! そいつはにおいで位置を把握している。そっちは風下。においは探知されない!」

 つまりどう言う事だ?

 こいつは嗅覚だけで俺の位置を捉え、サンをこんなにも追い詰めてるのか?

「ならどうすればいい!」

「どうもするな! 殺される前に逃げろ!」

 その時、男の目がカッと見開く。

「そこにいたか」



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協力

「そこにいたか」

 男と目が合った瞬間、今までに感じた事のない寒気が全身を覆う。

「まずいっ」

 男が飛ぶ瞬間、サンもこちらへ走り出す。

 しかしこの距離の差を埋めるには、ゴキブリ並みのスタートダッシュが不可欠。

 そんな事出来るはずもなく、男の右ストレートが俺の顔に飛んでくる。

「ゔがっ」

 腕をクロスして防ぐが、あり得ない程に重い。

 俺は数メートル吹き飛ばされ、体勢を崩しながら着地する。

「相手は俺だろ!」

 サンが後ろから攻撃を仕掛けるが、さぞ当たり前の様に避けられ、反撃される。

「やっぱり勝てないよこれ」

 トレントがそう呟く。

「なに弱気になってるんですかトレント。確かに強いですが、私たちが引いたらこの先の町が犠牲になってしまうんですよ」

「その通りだトレント」

 俺はふらふらしながら立ち上がる。

「大丈夫かチェス」

「この先には俺たちの町がある。ここで食い止められなかったら……、分かるだろ」

「けどジャスターズ本部があるんだろ? それなら大丈——」

「それまでに何人死ぬんですか?」

「えっ」

「あの男は『先はいなかったが』と言っていました。つまりここに来たのは初めてじゃないんですよ」

 そう。あいつは既にここを壊滅させて、しかも残った人間がいないか見回っていたのだ。

 そこでばったりと俺たちに遭遇し、その言葉を吐いたのだ。

「あいつは実力も頭もいい。そんな奴がジャスターズに向かうと思うか?」

「それは……」

 チープがトレントの両方を掴む。

「ここで倒さなきゃ駄目なんですよ。トレント」

「サン1人じゃ勝てないし、俺たち1人ずつでも結果は同じだ。なら、やる事は1つだろ」

「……分かったよ。協力だろ」

 トレントも納得した所で、俺は男の方を向く。

 サンはギリギリで闘えているが、恐らく残りの体力はスズメの涙ほど。

 俺たちが助けに行かなければ。

「トレント。あいつの周りの空気を操れるか?」

「どんな感じに」

「酸素を出来るだけ薄くしてくれ」

「分かった」

 トレントが両手を前に出し、能力を発動させる。

「チープ。肉弾戦は得意か?」

「はい。得意中の得意です」

「すまんが俺はまともに闘えないと思う。だけど、援護としてやらせてもらう」

「分かりました。行きましょう」

「おうっ」

 サンと男が闘っているところに、俺たちは走り出す。

 チープは超再生。上手く長期戦に持っていければ、あいつが酸欠になり勝機が生まれる。

 トレントが狙われる可能性はあるが、流石に3対1なら相手もそう簡単に狙えないだろう。

「サン! チープと頼む!」

「——チェイサー! 分かった!」

 俺は少し離れた所で様子を伺う。

 あいつの能力を解明しなければ話にならない。

「2人がかりか」

 戦闘にチープが加わる。

 2人に増えた事により、男の動きが鈍くなる。

 やはりチープは接近戦に向いてるな。

「なあチェス。これってまずくないか」

「どこが」

「チープはほぼ無限に動けるけど、サンの体力は有限だよ。長期戦を望んでるなら、この先チープのみで闘わなくちゃいけなくなる」

 しまった。今は2人で足止めできているが、そろそろサンがダウンする。

 そうなると、自然にチープが1人で相手するしかなくなってしまう。

 いくら超再生のチープでも、あの強さ相手では死にはしなくても、相当の精神的ダメージになりうる。

「俺も闘うしかないか……」

 サンがやられそうになったら、俺が交代する。

 それまでは観察して、相手の攻撃パターンを読むしかない。

「ゔっ」

 サンの腹にクリーンヒットが決まる。

 ……意外と時間がないかもな。

 今のところ、これといった癖も見当たらない。

 分かる事は男が右利きってことくらいだ。

 拳を放つ時に、毎回の様に右を使っている。

 無意識なのか、それとも左手をあまり使いたくないのか。

 いや、考えすぎだな。

「うぐっ。やるの」

 チープの拳が男の防御を通り抜ける。

 まさかのチープが押しているぞ。

 流石は怪力耐久力お化け。あいつも流石に疲れてきてる様だな。

 よし、今のうちに。

「サン、交代だ」

「いや……、俺はまだいける」

「駄目だ。もうボロボロだろ」

 今はチープが男と攻防を繰り広げており、サンは正直もう闘えていない。

 身体は傷だらけで、数カ所骨も折れているだろう。これ以上やったら、本気で死ぬ可能性がある。

「チェイサー」

 サンが男を見たまま俺に呼びかける。

「どうした?」

「あの男の能力は五感強化だ。五感の5つのうち、どれかを代償にして他を強化している。今は目を強化していると思うから。音、におい、痛み、味を感じていない筈だ」

「五感強化……」

 身体能力を上げる系じゃなかったのか。

 なら、あの体術は元々の技術って事かよ。

 予想以上に強いぞこいつ。

「そうだ。トレント! 光って屈折出来るか?」

「出来なくはないと思う! けど、今は日が出てないから無理だよ!」

 目がいいなら光でと思ったが、そう簡単な話じゃないか。

 今の空は雲に覆われて、辺り一面は暗くなっている。

 光がなけりゃ、屈折もくそもない。

 一体どうすれば。

「チェイサー。光ならあるぞ」

「どこに」

「あの、車のライトだ」

 そう言い、サンは右を指差す。

 そこには俺たちの乗ってきた車があった。

「車って光るの?」

「そこからかよっ。まあいい、とりあえず光は出るから、トレントに屈折してもらえば——」

 その言葉を言い終わる前に、チープが横から飛んでくる。

「えっ」

 そのまま車に突っ込み、車の全方はほぼ破壊された。

「なかなかやりますね」

「ああああ! チープ、なにやってんだよ!」

「どうしたんですかチェス。それより、この人凄く強いですよ。正直勝てないかもです」

「……チェイサーよ、どうする」

 俺に聞くなよサン。

 光がなければ意味がない。

 それこそ俺たちの希望の光だった車も壊れてしまったし、このままここで死ぬのか?

「チェス! 今ので思い付いた!」

 トレントが、大声でそう叫ぶ。

「なにをだよー。もう勝てねえよー」

「水素爆発だよ!」

「水素爆発……。なるほど!」

 トレントの空気を操る能力なら、酸素と水素を集める事も可能。

 もし仮にチープに被弾しても、威力はそこまでない。

 ただし、かなりの光が発生する。

「気体集めるのにどんくらいかかる!」

「多分1分くらい!」

「分かった!」

 俺は男の方に走り出し、チープと共に闘う。

「先の小僧はリタイアか」

「いいや、選手交代だ」

 男の右ストレートは読んでいたので、1手目は簡単に避けられる。

 しかし2手目の蹴りは予想外で当たりそうになるが、そこはチープがカバー。

 重心が常に左足に置いてあり、左からの攻撃も裏拳を使っている。

 やはり左手に何かがありそうだ。

「すばしっこいな。なら」

 男は全身に力を入れたかと思うと、先程より少し動きが速くなる。

「くっ」

 2人いる事で、1人に対しての攻撃は強くないが、それでも俺の骨には十分響く。

 強度を上げながらやってるお陰で折れはしないが、その分痛みが蓄積されていく。

 まるで拷問されている様な痛みが腕を苦しめる。

「チェス、少し前に出過ぎです。前線は私が」

「そうだな。俺はサポートだったな」

 少し攻撃の手を緩め、チープの捌き損ねた攻撃を代わりに防ぐ。

 右手、右足、左足と。左手以外は全部攻撃の手段として用いている。

 これは確信していいかもしれない。

 この男は、左手を守りながら闘っていると。

「ふんっ」

「がうっ」

 男の右フックがチープの頭に直撃する。

「はあっ」

「ぐっ」

 しかし、負けじとチープもやり返す。

 さっきからちょくちょく男の攻撃を食らっても倒れていないチープは凄いが、あのチープの攻撃を食らって立っているこの男はどんな身体してるんだ。

 俺なんて、1発食らったら終いだぞ。

「チェス! もう準備できた!」

「よし、チープ。俺が合図したら左に避けるぞ」

「分かりました」

 男とチープが殴り合い、俺もサポートする。

 右ストレート、右足蹴り、右フック、裏拳、左足蹴り。

 段々とパターンが分かってきたぞ。

「今だ!」

 男が右足蹴りをした瞬間、俺たちは左に避ける。

 すると俺たちの右あたりから、何かの発火音が聞こえる。

「チープ。目と耳塞げ!」

 俺たちは耳を塞ぎ、目を閉じる。

 いくら普通の視力といっても、眩しいは眩しい。

 それを間近で食らう男は、どれ程のものなのだろうか。

 瞼が一瞬明るくなり、そして暗くなる。

 目を開けると、そこには停止した男が立っていた。

「な、なんだ今のは」

 計画通り視力が一時的に失われている。

 今がチャンスだ。

「チープ。男の裏拳の後に、心臓を狙え!」

「はい!」

「目が見えないなら、嗅覚で探るのみ」

 男は目が見えなくなると、俺の思った通りに嗅覚を強化する。

「そこか!」

 右側にいる俺たちに、効率よく攻撃出来る手段はただ1つ。

「来たぞ裏拳!」

「はい!」

 チープは見事に裏拳を避け、男の心臓目掛けて拳を放つ。

 しかし、もしこれが当たっても決定打にはなり得ない。

 ならサポート役の俺がサポートすればいい。

「行け! チープ」

 俺はチープの腕に触れ、先端を刃状にする。

「うおおおっ」

 それは打撃であり斬撃の、俺とチープの混合技である。

「かはっ」

 見事に心臓を突き刺し、男は血反吐を吐く。

「なかなかだったぞ。4人相手にはな」

 称賛する気はなかったが、自然と口から言葉が出て来ていた。

 最後まで左手は分からずじまいだったが、今はもう関係のない事。

 あー。早く帰ってミラエラのほっぺたを——。

「まだ終わらん」

 男は低い声で俺にそう言った。



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不死身

「まだ終わらん」

 こいつまだ生きてたのかよ!

 確実にチープの手はこの男の心臓を貫いている。

 多少生きているにしろ、果たして喋れるのか。

 そして「まだ終わらん」という言葉。ここで嘘をつくメリットはあっちにはない。

 つまり、その言葉は事実ということ。

「チープ!」

 危険を察知した俺は、チープの腕を元に戻しながら引き抜き、横へと飛ぶ。

「ふんっ」

 容赦のない右拳が俺に飛んでくる。

 もし当たれば確実に命はない。

 だからといって避けると、チープに当たる可能性がある。

 ここでのチープは主戦力。気絶でもされたら、俺たちにもう勝ち目はない。

「がっ」

 まるで思いっきり殴られた様に、俺の右脇腹に衝撃が走る。

 お陰で軌道からずれ、俺は拳を避けられた。

「貴様か。妙な能力だ」

 男はサンの方へと振り向く。

 チープに拳が当たらず一安心って訳にはいかねえよな。

「俺はサポート役」

 自分に言い聞かせて立ち上がる。

 その足は恐ろしく重かった。

「立つなチェイサー。なぜかは分からないが、今はこいつに勝てない」

「そんな事知ってる。だけど、だからって置いてけねえよ」

「チェイサー、と言うのか貴様」

 横目でじっと見られる。

 こいつ、さっきと違い耳が聞こえている。

「能力解きやがったのかクソ野郎……」

「もう1人はチープで、貴様はまだ分からんな」

 心臓を刺された後あたりから、もう聞こえてたのかよ。

 だとしたら失敗した。

 もしここで逃げられたとしても、名前と顔がバレている。

 キューズ並みの組織なら、見つけるのも難しい話ではないだろう。

「我も名乗ると——」

 どこからか勢いよく飛んできた鉄筋が、男の喉を突き破る。

「ぐかっ、が、こっ」

 トレントだ!

 恐らく、壊れた民家の鉄筋を空気を操作して飛ばしたのだろう。

 あんなに勢いよく飛ばせるものなのか。

 微弱な元でも、スピードがカバーする事によって、あの頑丈な男の喉を突き破ることが出来た様だ。

 全くよくやったトレント。

「がっ、んがっ、ぬぎ、が」

 男は鉄筋を掴み、何やら引き抜様な動作をする。

「まだ死んでねえのかよこいつ」

「首には太い動脈が通ってる。もう時間の問題だろう」

「……やっと終わるんですね」

 チープもトレントも一息つく。

 無理もない。正直俺も、今すぐにでも倒れて爆睡したい気分だ。

「がぐゎばば」

 男が血を吹き出させながら、何かを言っている。

「ばぁだ、ぢなん」

 俺の耳には「まだ死なん」。そう聞こえた。

 その後の男の行動は異常だった。

 普通、貫通したものを引き抜く行為は、どこの部位であれ、出血の促進を招くのでいい選択とは言えない。

 それは一般常識であり、戦闘の、元の達人であるこの男も例外ではないだろう。

 しかしこの男は、およそ2メートルあるであろう鉄筋を、自分の血肉を纏わり付かせながら、引き抜いたのだ。

 カランガランと、軽く低い音が響き渡る。

 その瞬間は時が止まった様に、男とその落ちた鉄筋しか動いていなかった。

「痛む。痛むが、いい。今が1番生きている」

 意味不明なことを言っているが、正直そっちに意識はなかった。

 この男は2度も、普通の人間が死ぬはずの状態に陥り、生きている。

 それはたまたまとか不思議とか、はたまた奇跡とかを超えていた。

「有り得ねえ」

 1人がそう言った。

 誰かは分からないが、その時は全員がその言葉を口に出していても不思議ではなかった。

「んん。もう傷はないな」

 男の喉をさする。

 俺はその光景を見て、声が出なかった。

 男の喉には、既に穴など空いていなかったのだ。

 トレントが飛ばした鉄筋は、確かに太くはなかった。

 しかし、穴が見えない程細くはなかった。それこそ、1本の髪の毛みたいには。

「死というのは万人共通だ。だが生もまた同じ。改めて言おう、我らが1人に見えるのか?」

 その言葉は以前、この男が俺らの目の前に現れた時にサンに聞いたものだ。

 その時はただのやばい宗教に入ってる、頭のおかしな奴みたいに思っていたが、今は全くもって見当違いだ。

 こいつは確実に普通じゃない。

 何度も人間を超えている。

 そして、能力が五感強化なのかすらも怪しくなってきた。

「俺には……、どうやってもお前が1人にしか見えねえよ」

 サンは足を引き摺らせながら立ち上がる。

「感じないか、この生命を。人を。魂を」

「感じないな。裸の王様ゲームなら他所でやれ」

「そうか。ならいい」

 男は静かに歩き出す。

 ゆっくり確実に、サンの元へと近づく。

「駄目だ、駄目だサン。死ぬな……」

「それは無理な相談だ」

 サンの声は、裏に潜む何かを隠す様な、明るく弾んでいた。

「俺だって、出来る事なら静かに平和に生きたかったよ。けど、無理だった。能力者に生まれちまったから」

「俺が変えるって言ったじゃねえか……」

 それに対して、俺の声は全てを曝け出していた。

「俺がお前追い越して、幹部になって、トップに立って、能力者と無能力者の隔たりを無くすって。そう言ったじゃねえか……」

「チェイサー、それはいい夢だ。誰もが1度は憧れて、何度も諦めた。そういう皆の夢だ」

 サンは覚悟を決めていた。

 その目には潤いはなく、乾いていた。

 身体も受け入れる様に、全身が抵抗をやめていた。

「貴様は大人でなくてはならないのに、なりきれなかった。部下を気にして、自分は二の次。若いが故のしくじりだ。我に出会わなければ、いい人間になっていただろう」

 男は右腕を振り上げる。

「やめろー!!」

 俺は力の入らない足に力を入れる。

 しかし足は応えない。

 気持ちとは逆に、身体はもう諦めていた。

「さよならだ」

 男は上げていた腕を振り下ろす。

 それと共に舞う土埃。嵐を連想させる強風。

 一瞬それで視界が奪われ、俺は跪く。

 また誰かを死なせてしまった。

 あの時の不意打ちで仕留められていれば、俺たちがもっと早く駆けつけていれば、最初に逃げていなければ。

 頭は後悔だけで埋め尽くされていた。

 土埃が晴れる頃、俺は顔を上げられないでいた。

 これから確実に訪れる死に、跪くしかなかった。

「戦闘の天才と言われたサンが、このざまかよ」

 サン、チープ、トレント、あの男。そのどれでもない声が、静かに現れる。

 俺が顔を上げると、男は身体を180度回転してこっちを向いていた。

 もちろん攻撃は外れ、サンは無事に立っていた。

「お前か。新人って」

 後ろから肩に手を乗せられる。

 後ろを向くとそこには、かつて会議で幹部に敬語を使えと怒られた、あの態度の悪い男が立っていた。

「別に助けに来たわけじゃねえ。あいつに用があんだよ」

 顎で男を指名し、そっちへ歩いていく。

「お前がキューズ幹部のエッヂ・ラスク?」

 初めて聞く名を口に出す。

 流れ的に考えて、あの男の名前だろう。

「そうだ。これは貴様が」

「ああこれ? 攻撃の軌道ずら——」

 突然態度の悪い男、確か名前をラットとか言う奴が、エッヂの顔面を殴る。

「ぐぎぢっ」

「幹部は早めに潰せって言われてんだ」

 その時の攻撃は、まるでハンズの様に速く、目に見えなかった。



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記憶

「不意打ちは久しぶりだな」

 ラットの放つ拳でエッヂは少し怯むが、すぐに反撃の態勢に移る。

 恐らく全力であろう拳がラットに飛んでいく。

 しかしラットに動く様子はなく、微動だにしない。

「どうしたんだ? やれよ」

 突然、エッヂの拳が停止する。

 何か見えない壁に拒まれたかの様に、その止まり方は不自然だった。

 一瞬トレントの仕業かとそちらをみ見たが、トレントも俺と同様、何が起こっているのか分からないといった所だった。

「不思議だ。動か——」

 エッヂが言い終わる前に、ラットの蹴りがやつの顔面に直撃する。

「自信過剰ってのは独り言が多いな。サン、流石に全員守りながら闘うのは無理だ。せめて一塊になってろ」

 エッヂが吹き飛ぶのを物ともせず、サンに命令を下す。

「わ、分かりました」

 サンはラットに従い、トレントと一緒にこちらへ近づいてくる。

「ふっ、そうやってると何か馬鹿みたいだな」

 ラットがこちらを見て鼻で笑う。

「お前がやれって言ったんだろ……」

 どうやら上下関係はうまくいっていない様だな。

「サン、エッヂの能力は」

「五感強化です。1つの感覚を代し——」

「分かった、もういい」

 静かにサンが舌打ちをする。

 あいつってなかなかの性格してんだな。

「次から次へと、知らない奴が増えるな」

 エッヂが立ち上がり、首を鳴らす。

 ノーダメージ。俺にはそう見えた。

 あれだけ完璧に蹴りを入れられたら、死にはしなくとも、骨が折れるくらいは全然有り得たと思う。

 前もそうだが、あいつは不死身か?

「少し試すか」

 エッヂはそう呟き、みしみしと右拳を握り出す。

 今まで1度も見た事のない仕草だ。

「何やってんだあいつ。サン、本当に五感強化なんだろうな」

「間違い無いと思います」

 数秒握った後、ラットを睨みつける。

「ゔんっ」

 右手から何かを放ったかの様な動作をする。

 しかし実際は何も投げられてはいない。

 それでもラットには見えていた。

「ふんっ」

 首を右に動かし、見えない何かを避ける。

 その後すぐに、後ろの民家が爆発した。

「……何が五感強化だよ。適当な事言ってんじゃねえぞ」

 誰に対しての悪口なのか、それはサンであったろう。しかしラットは一切後ろを見ていなかった。

「なぜ家が爆発を?」

 当然の疑問をチープが口にする。

 俺たちが闘っている時には、1回も起こっていない現象だったからだ。

 まず第一に、五感強化と爆発は共通点が存在しない。

 それだけでもこの光景は、ただならぬ雰囲気を漂わせていた。

「馴染まんが、いい」

 エッヂは再び何かを投げる。

 それもさっきと違い連続で。

「テメェらボーッとしてんじゃねえ! 避けろ!」

 ラットは大声で命令し、自分は横に避ける。

 避けるっていっても、見えないものを避けれるほど器用に生きてはいない。

「はっ」

 トレントが両手を前に出し、空気の壁を作る。

 それに何かが触れたかと思うと、瞬く間に破裂した。

「空気だ」

 何かを理解したかの様に、トレントが口を開く。

「何で出来るか分からないけど、これは空気を圧縮して飛ばしてる。だから何かに触れた時に、中の空気が外に飛び出て爆発の様なものが起きてるんだ」

 空気関係の能力を持つトレントは、こういう能力には敏感の様だ。

 しかしなぜ、どうやって空気を圧縮しているんだ?

「危ねえなお前。爆発するの見ただろ。こういう時は二次被害出さねえように避けんだよ」

 ラットがトレントに怒りを表す。

 正直、トレントがこうしてくれなければ、俺たちは今頃爆発の渦に巻き込まれていた。

 ありがとうと言いたい所だが、どうやら言えなそうだな。

「それと、こいつは五感強化じゃねえ」

 少し離れたラットが、俺たちに聞こえるように大きな声で話す。

「正確に言うなら、今のこいつは五感強化じゃねえ」

 今のこいつ?

 その言葉が引っかかる。

「それってどう言う事ですか」

 サンが聞き返す。

「自分で考えろ。そんな余裕はないかもしれねえからな」

 が、冷たく返事をされる。

 サンが聞かなければ俺が聞こうと思ってたので、正直聞いてくれて助かったと内心思っていた。

 って言うか、ラットの性格が悪いというよりは、サンに対しての扱いが悪いって感じだな。

「話は終わりだ」

 エッヂがラットに接近し、肉弾戦に持ち込む。

「ふっ、があっ、くっ、ぐうっ」

「ちっ、くっ、ふゔっ、はっ」

 体術はほぼ互角。いや、ラットが少し押している。サンが戦闘の天才なら、ラットはもっと天才と言うべきか。

 エッヂが拳を主とするなら、ラットは蹴り。

 エッヂも使わない訳ではないが、ラットと比べると少しぎこちなく見えた。

 このまま勝ってしまうんじゃないか。そう思わせる程、ラットは強かった。

「かあっ」

「ぶゔっ」

 再びラットの蹴りがエッヂの顔面に決まる。

 しかし今度はそれを耐え、カウンター気味に右フックを放つ。

 ラットは予想外だとかなぜ効かないだとか、そんな表情は一切見せずに、軽々とそれを避ける。

 だが、エッヂからすれば計算通りだった様だ。

 右拳かと思われたそれは、先程と同じ、つまり空気爆弾を作り出している手の形だった。

「まずっ」

 裏拳気味に放たれたそれは、何の障害もなくラットに当たると思われた。

「……これが貴様の能力か」

 が、エッヂの攻撃は、身体ごと180度回転して後ろを向いており、時間差でその先の民家が爆発する。

「使う気なかったんだがな」

 少しラットのポーカーフェイスが崩れる。

 不意打ちとは言え、不覚をとった自分に対してだろうか。

 それとも、予想外のエッヂの強さに対してだろうか。

「反転か。聞いた事がある。あまり強くない能力だと言われていたが、使い手によって変わるものだな」

 振り返りながら、逆にエッヂは余裕綽々にラットを称賛する。

 ラットが自分の能力を隠して闘っていたのは、使った瞬間が明確に分かるという理由からだろうか。

 サンを助けた時もエッヂは反転し、サンに攻撃が当たる事がなかった。

 ラットが最初に攻撃された時に、エッヂの拳が止まったのも、進行方向を反転させて勢いを相殺したと推測できる。

 これらの事からラットの能力は発動系。

 素人の俺でも簡単に正解を導き出せる程、ラットの能力は単純で推測しやすく、そして強い。

「分からないのがベストだったが、まあいいか」

 頭を雑に掻き、ラットは開き直る。

「ふう——」

 エッヂが拳を握ると同時に、ラットが走り出す。

 一瞬で距離を詰め、エッヂの顔面に拳が直撃する。

 それでも怯まずに、エッヂは握った拳を緩めない。

 ほぼほぼラットの独壇場で、攻撃は一方的だ。

 防御を一切とらないエッヂの姿は、不気味であり、無抵抗には見えなかった。

「若き獅子たちよ。この手でその四肢を砕く事を許せ」

 意味の分からない言葉の後、より一層強く右拳が握られる。

 見間違いだと思うが、その周りが少し歪んだ様に見えた。

「光よここにあれ」

 右手が開かれた時に、それは起こった。

 

 ——昔人間は核という兵器を有していたと、よく大人から聞いたものだ。

 1度や2度使われて恐れられ、それは衰退し、最終的には世界から消えたと言われている。

 俺は大人に「それってどんなの?」と子供ながらに聞いた事がある。

 正確な返事は覚えていないが、恐らくこんな事を言っていたと思う。

 「これまで、これから先に体験するどの光より明るく、どの熱よりも熱く、どの音よりも大きい、人を殺す事だけに作られた、人間が犯した最大の罪の結晶だよ」

 これを聞いた後、俺は暫く眠れなかったのを覚えている。

 なんとなく、夢の中で見る気がしたからだ。

 それだけ幼少期の俺にとって、核兵器という架空の脅威は、恐怖の対象であった。

 そしてなぜ、今この話を思い出したかというと、現在見ている光景が、それを連想させざるを得なかったからである。

 開かれた手の中には、小さな太陽というべきか、砂一粒程度の光の球体があった。

 これを見た瞬間、グールとの戦闘を思い出していた。

 大声と眩い光で作り出す、スタングレードと同じ原理のあの技。

 共通点という共通点は少ないが、それだけ似ているものが、その光には含まれていた。

 そして俺の取った行動は、本能によるものと言えるだろう。

 耳を塞ぎ目を閉じて、身体を丸めた。

 見えなく聞こえもしなかったが、他もそうしていただろう。

 パンともバンとも言えない破裂音が、爆風と共に耳を塞いでいるはずの俺に響いてくる。

 光も同様、目を閉じながら、目を閉じたいと思った事は初めてであった。

 核兵器を連想したなら、次に来るのは熱。俺は覚悟を決めて待っていた。

 しかし、それは来る事など無かった。

 耳鳴りの中で聞こえる沈黙。焼けた目の中に見える暗闇。

 恐る恐る目を開けると、エッヂの近くにはラットともう1人、チープが立っていた。

「お、まっ、自分を犠牲に」

 チープはエッヂの開かれた右手を掴み、自分の拳の中で核とも言えるそれを抑え込んだのだ。

 当然の事だがラットは驚いており、チープと友達である俺とトレントは尚更であった。

「貴様、なぜ効かない」

 エッヂも例外ではなく、チープ以外は全員面食らっていた。

「効かない訳がないでしょう。痛くて気絶しても、また痛みで起こされ、それを繰り返し、ほんの数秒が、数億年に感じましたよ」

 チープの声は震えていた。

 逆に言えば声が震えているだけだった。

 あの攻撃を至近距離で食らったにも関わらず、その程度で済むチープの能力は、人間を限度を遥かに超越していた。

「世の中には礼儀として、貰ったものと同等または、それ以上のものをお返しする国があるんですよ」

「……貴様」

「いつかその国に行ってみたいものですね」

 にこりと笑ったのち、チープは今までにない程速く、重い拳をエッヂに送り返す。

 それに反応したエッヂは咄嗟に防御をしたが、触れると同時に簡単に弾かれてしまう。

 そしてそのまま、チープの拳がエッヂの顔面に炸裂する。

「……すげーじゃん。今年の新人」



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最強の能力

 チープの渾身の一撃が当たり、勝負は決したと思われた。

 が、

「不思議だ貴様の拳は」

 エッヂは身体を仰け反らせながら、さぞ当たり前の様に話している。

 決して効いていないわけではない。

 もし違うなら、あの歪に変形した顔面はどう説明すればいいのだろう。

「自らの危険を顧みない攻撃力で、その実無傷。恐ろしい程の再生能力と精神力だ」

 少しずつ体勢を戻しながら、話し続ける。

 それは異様であり、奇妙であり、恐怖であった。

 これが「何か」の能力の所為というのは、俺があとマイナス10歳くらいでも、容易に理解できる事であろう。

 しかしその「何か」が重要であり、俺を深く暗い未知の領域へと踏み込ませている原因であった。

「欲しい」

 その言葉が聞こえた時には、既に手遅れだった。

 エッヂが避ける様にして、今まで1度も使ってこなかった左手が、何の躊躇もなくチープの前に現れる。

 それが何かを掴んだと思った時には、俺たちの目の前にチープの姿は無かった。

「……チープは?」

 トレントがそう言った。

 無論、俺とトレント以外にも異変に気が付いていた。

 そして、この町の異常な静けさや、人の少なさがどうやって行われたのかを、目にしたと実感した。

「こいつ、チープを取り込みやがった」

 俺の言葉には棘があったと思う。

 歯は軋み、目は大きく開かれ、手は血が出る程に拳を膨大させていた。

「そんなのありかよ……」

 トレントの声に、サンが反応する。

「能力に関しては、有り得ないことは有り得ない。どれだけ理不尽でも、そういう能力は存在する」

 トレントに説明しながらでも、サンの目は1度もエッヂを離していなかった。

「いい。いいぞ」

 エッヂの変形した顔面が、みしみしと音を立てながら元に戻っていく。

 その光景は、チープの能力が超再生ではなく、再生だったらこんな感じだったんだろうな。と、連想させるものがあった。

「なあラットさんよ。お前なんか知ってるんだろ」

 少しキレ気味に俺は言う。

「上司には敬語を使えって言ってんだろ。それと、それが人に聞く態度か」

「お前は『幹部に敬語を使え』って言ってたよな。お前は幹部じゃねえだろ」

 ラットは何かを知っていた。

 俺たちがエッヂの変化に困惑している時に、「正確に言うなら、今のこいつは五感強化じゃねえ」と、意味深な言葉を放っていた。

 それは俺たちの不安の種を育てると同時に、ラットが何かを知っていると確信させるものであった。

「チェイサー、今は争ってる場合じゃないぞ」

 サンが俺に宥める様にして言う。

「調子に乗んな新人。お前に言っても理解できない」

 ラットの強めの言葉に、俺は爆発寸前になる。

「ラットさん! ……知っている事があるなら、教えて下さい」

 サンが頭を下げる。

 予想外の事に、俺とラットは数秒静止した。

 そして怒りも忘れ、冷静になって自分がいかに失礼だったかを自覚した。

「ちっ、つまんねえな」

 頭を掻きながら、ラットはこっちを見る。

「あいつの、エッヂの元の流れは一定じゃねえ」

 ラットが納得のいかなそうに話し始める。

「普通、どんな気分屋でもそんな事はねえ。ある程度は流れは決まってる。だがあいつは違う。なら考えられる理由は2つ」

 ラットは指を2本立てて、1本を折り曲げる。

「1つはあいつが多重人格って事。人が違うなら元の流れが一定じゃないのも納得がいく。だが、さっきの現象は説明がつかない」

 ラットはもう1つの指も折り曲げる。

「もう1つは、あいつの魂が他の魂と合わさってるって事」

「はあ? 魂?」

 思いもよらぬワードに、俺は間抜けな声を出す。

「魂は元の発電機みてえなもんだ。なければ死ぬし、あれば元を作り続ける。そして、その流れは常に一定。そうじゃないあいつは、他の魂と融合しているからと考えられる」

 あまりにも馬鹿馬鹿しい返答に、俺は少し笑ってしまう。

「あいつは戦闘中に何度も死んでる。だが、魂のストックがある事によって生き返るし、毎回能力が違くもなる」

「エッヂが不死身なのは、魂が複数あるからって言いたいのか?」

 俺は小馬鹿にした様に、ラットに言葉を返す。

「少し聞いたことある程度だが、魂が融合する時には、必ず衝撃が起きるらしい。水面に石が投げ入れられたみてえに、惑星に隕石が落ちたみてえに」

「その時の波が、エッヂの元の流れを一定じゃなくしてるって言いたいのかよ」

「簡単に言えばな。あいつの能力は元々五感強化なんかじゃねえ。相手の魂を取り込む能力だ」

 その言葉に、俺は遂に大声で笑おうとする。

 しかしそれは、次の言葉で遮られた。

「流石にバレたか」

 エッヂが自分の能力を認めたのだ。

「だがもういいか」

 認めたって事は……。

「今の話……マジって事?」

「っぽいな」

 今まで黙っていたトレントも、驚愕している様子だった。

「この身体、もう恐れるものなどない。自分の能力は知られても構わないし、俺をいくら攻撃しても構わない。その後に死ぬのは貴様らだからな」

 エッヂはさっきよりも余裕を覗かせる。

 もし、というか、ラットの言っている事が真実なら、チープはエッヂに取り込まれて、エッヂはチープの能力を手に入れたって事かよ。

 そんなの負け確じゃねえか。

「さあ、第二ラウンドだ」

 エッヂはそう言い、笑みを見せた。



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死闘

 エッヂは、第二ラウンドと言葉の通り、闘いのスタンスががらっと変わった。

 今まで手数の多く、確実に急所を狙っていた拳が、自分のダメージを顧みない大振りな攻撃へとなり、まるでチープがそこにいるかの様だった。

「ラットさんが押されてる」

 サンがそう言い、俺はハッとする。

 チープがいなくなった今、まともに闘えるのはラットのみ。

 つまりラットこそが最後の砦なのだ。

 俺たちが守るには大き過ぎる、しかし絶対に守らなくてはならない砦。

 もしラットが殺られてしまえば、次は言うまでもない。

 俺はまだ回復しきっていない足を引き摺らせながら、俺は立ち上がる。

 チープの恨みもあり、完全に立ち上がった時には、痛みなど忘れていた。

「チェイサー、お前……」

 膝をついたまま立ち上がれないでいるサンを横目に、俺は覚悟を決める。

「折角なら、ミラエラに告っときゃよかった」

 地面と足がみしみしと音を立て、俺は走り出す。

 後ろでサンとトレントが声で止めるが、俺は聞こえないフリをした。

「エッヂ!」

 俺は大声で名前を叫ぶ。

 そうしなければ、気が付かれずに不意打ち出来たかもしれない。

 しかしそんな可能性、ほぼ皆無という事を俺は無意識下で理解していた。

「来るかチェイサー」

 大振りな裏拳が俺に飛んでくる。

 スピードも重みもさっきとは桁違で、当たれば即死。

 だが、俺の足は止まらなかった。

「なっ!」

 ラットが反転させ、エッヂの左半身に隙が出来る。

 別に打ち合わせや合図をしていたわけでなく、この場合ならこうするだろうと、俺はラットと戦闘の中で会話をしていた。

「オラァ!」

 俺の無意味な一撃が、エッヂの側頭部に直撃する。

 能力で脆くしながら打つも、チープの超再生には敵わない。

 結局少し揺らめいたのみで、傷すら付かずに終わった。

「痛みはあるのか。くくくっ、いいぞ」

 不敵な笑みを浮かべたエッヂは、再び俺に攻撃を仕掛ける。

 右足を軸に蹴りが飛んでき、俺に当たりそうになる。

 しかしやはりラットが反転させ、それは外れた。

 筈だった。

「危ねえっ」

 空振りしたかに思えたその蹴りは、反転した後にラットへと進行方向を変え、頬を少し掠めて通り過ぎる。

「こいつ、見切りやがった」

 ラットが少し距離を取り、俺もそれに合わせて距離を取る。

「見切ったって、まさか」

「そのまさかだ。普段そうされねえ様に、能力の使用を最小限にして、闘ってるってのに」

 確かに、ラットは近距離の闘いになっても、あまり能力は使っていなかった。

 それは能力がバレない為というのもあるが、見切られない為という事もあったのだろう。

 ラットが厳重に警戒しても、ほんの数回の使用で見切られてしまったという事実。

 正確に言うならば、チープが取り込まれてから1回で見切られたという事実。

 俺には思い当たる節がない訳でもなかった。

「多分チープの能力だ」

「チープ? あの取り込まれた」

「ああ。チープは断片的に、相手の能力が分かるって言ってた。自分では元の流れとか言ってたけど、俺はたった今違うと感じたな。あいつは単純に、観察眼が優れ過ぎてたんだ」

 ラットに説明する様には言っていなかった。

 ただ自分の感じた、思った、思い付いた事を、忘れない様にメモする感覚で、俺は口に出していた。

「よく分からんが。とにかくあいつは、俺の能力を見切った。もう俺に頼らねえ方が身の為だぞ」

 同時攻撃を仕掛けると、却ってエッヂの攻撃が片方に当たってしまう可能性が高い。

 だからと言って、単独で闘えるほど強くはないし、エッヂは弱くはない。

「チェイサー!」

 俺が悩んでいると、遠くから大声で名前を呼ばれる。

「5分程度時間稼げるか!」

 俺が返事をする間もなく、サンは続けた。

 5分。その5分は、俺の知っている5分だろう。

 あの普通に過ごしていたら、あっという間に過ぎてしまう5分。

 しかし今は1秒ですら命懸け。

 サンに何かの作戦があるにしろ、それだけの時間エッヂを止められるかどうか。

 正直自信はない。

「その5分で確実にあいつを殺せるのか!」

 ラットがサンに聞く。

 それは当然の疑問であり、大前提として聞かなくてはいけないものだった。

「8、いや、7割で殺せます!」

「ほう。それは楽しみだ」

 普通なら、7割という数値は低くはない。場合によっては高い時もある。

 だが、生憎今回はそうじゃない。

 嘘でもいいから、10割だったり、100パーセントとか言ってくれれば、俺も頑張れるんだが……。

 いや、弱音を吐いてる場合じゃない。

 どうした。怖気付いたのかチェイサー・ストリート。

 お前はそんなに弱い人間か。

 こんな所で朽ち果てて、能力者と無能力者の隔てを無くす夢はどうする。

 自分の為に、他人の為に、今、動け!

「ラット、能力が見切られた以上、主な肉弾戦は俺がやる。死ぬ気でやれば、5分はいかなくても3分はいける」

「ちっ、痛いとこつくなテメェ。……まあいい、俺の不覚が招いた事でもあるからな」

 ラットは恐らく、完璧なまでのサポートをしてくれるだろう。

 後は俺がどれだけやれるかだ。

「来い! チェイサー」

 その言葉とほぼ同時に、俺は地面を蹴り上げる。

 コンマ数秒でエッヂの前に行き、拳を放つ。

「ふんっ」

 それは簡単に受け止められ、俺の脇腹に蹴りが飛んでくる。

 左手が掴まれている事もあり、ラットの反転も意味がない。

 そこで俺は、思いっきり上へ跳躍する。

 今まであまり行動にした事の無いそれは、予想以上の高さを見せ、俺を驚かせた。

 エッヂの放った蹴りより高く、頭が攻撃の位置に丁度いい。

 俺は素早く右脚で蹴るが、手首を捻られ軌道は僅か上を行く。

「甘い!」

 左手辺りから衝撃が伝わってきて、俺は吹き飛ばされる。

 その勢いで俺の頭の上が地面になるが、ラットの反転により、上手く着地する。

「さんきゅ、危なかった」

「発勁も使えるのかあいつ。なら掴まれるのはまずいな」

 恐らくエッヂは遊び感覚で闘っている。

 あの攻撃で左腕の全てが無傷なのは、エッヂに殺意が無いからだ。

 5分という謎の数字を与えられ、残り時間ギリギリまで本気を出さないつもりなのだろう。

 その緊張感を、あいつは楽しんでいる。

「チェイサー、分かってるな」

 ラットは俺に、本気を出すなと無言で伝える。

 その答えを、俺はする事が出来なかった。

 友達の、仲間のチープを取り込まれ、絶大な力を手にしたエッヂ。

 それなのに、相手が手を抜いているという理由で、俺が本気を出さなかったら、チープに合わせる顔がない。

 逆に油断している今が、俺の最後の反撃の時だ。

「チェイサー、中々筋がいいぞ。もっと俺を楽しませろ」

 こちらから近付く暇もなく、距離を詰められる。

 攻撃のスピードは速いが、大ぶりなお陰で隙が出来る様になった。

 その針に糸を通す様な、繊細なタイミングを見計らい、俺は攻撃を続ける。

 あっちは何発当たろうが無傷。

 こっちは1発当たれば終い。

 その極限の状態で、俺は冷静だった。

「凄え、エッヂとほぼ互角だ」

 暫くして、トレントがそう言った気がした。

 俺は出来る事なら、今すぐにでもそれを否定したかった。

 決して互角では無い。その一言を伝えたかった。

 俺の身体は既に限界を超えていたからだ。

 足と手の感覚は無く、どうやって動いてるのかすら分からない。

 たまに掠る攻撃に、何度も膝をつきそうになる。

 視界もはっきりとせず、避けている攻撃が全く目で追えない。

 俺は本能のまま、命を燃やして闘っていた。

「終わりか」

 その言葉で、エッヂは俺から離れる。

 素早く、警戒する様にでは無く、ゆっくりと後ろに2、3歩下がった。

「意識はあるか」

 声は聞こえるが、言葉が出ない。

 空気が音を持たずに、喉を通り過ぎていく。

 やがて腕は下がり、全身が脱力する。

 倒れはせずとも、立っている感覚はなかった。

「貴様の元は既に尽きている。それが何を意味するかというと、後に訪れる死だ」

 そう言い、エッヂは開かれた左手を前に出す。

「我の一部になれ。生きはせんが、死にもせん。極楽浄土だ」

 俺はその左手を見つめる。

 なぜ差し出されているのか、どんな理由があるのか。

 耳が聞こえていながらも、それを理解する脳が俺に残っていなかった。

「さあ、来い」

 その声を聞き、俺は自然と右手を前に出す。

「それでいい」

 エッヂは邪悪な笑顔でそう言った。



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秘策

「さあ、来い」

 頭に響く声だ。

 優しさに溢れてて、殺気がなくて、さっきまで闘っていたのが嘘の様に感じる。

 この差し出された左手も、実は和解の為なんじゃないか?

 エッヂは笑顔だし、みんなも止めようとしない。

 なんだ。もう闘いは終わってたのか。

 エッヂが手を抜いてたのは、遊んでたんじゃなくて、俺の誤解を解く為だったのか。

 俺1人だけ、勝手にムキになってたのが恥ずかしいな。

 多分チープは帰ってくるだろうし、取り込んだと思わせたのも、冗談なんだな。

 まあ、それにしては手の込んだ、タチの悪い冗談だったけど。

 俺の身体は、差し出された左手に対して、自分の右手を伸ばす。

「それでいい」

 なんだろう。気の所為かどうか分からないけど、一瞬エッヂが邪悪な笑顔をしていた気がした。

 いやいや、そんな訳ないか。

 だってエッヂは、俺と和解しようとしている訳だし。今更闘う気なんてない筈だ。

 この手を取ったら、少し寝よう。

 結構疲れたし、色々あったし。

 ああ、それにしても本当に疲れたな。

 帰ったら、ミラエラには悪いけど、寝るのが先だな。

 ——突然、視界が後ろを向く。

 それと同時に俺は宙を舞った。

「テメェが折れてどうすんだ!」

 数メートル飛ばされ、その衝撃と痛みに我に帰る。

 見上げるとそこには、俺を蹴ったであろうラットが、こちらへ足音を響かせながら歩いて来ていた。

「負けそうになったらそれで終わりかよ!」

 ほぼ同時に俺の胸ぐらを掴み、強制的に立たさせる。

「もがきもしねえで従って、それでどうなんだ。最後は自分勝手かよ。ふざけんじゃねえぞ! テメェの命1つ分が、他人の命何百個分もを犠牲にするんだぞ! ちゃんと分かってんのか! 能力者の強さを嘗めるな!」

 今まで冷静だったラットが、嘘の様に怒鳴り響かせている。

 それはもちろん俺に対してであって、決して現状に対してではない。

 立ち上がった俺は、それ以上何も出来ずに、ただラットの怒りを受けるしかなかった。

「もういい。後は俺がやる」

 俺を突き放したラットは振り返り、エッヂの方へと歩いて行く。

「……少しだけ、期待したのが馬鹿だった」

 ラットがボソッと、そう言った気がした。

「そう気を取り乱すな。あいつは正しい事をしたまでだぞ」

 エッヂは左手を下げ、ラットと向かい合う。

「その正しさってのは、キューズから見ての話だろ」

 ラットの言葉に、一瞬静けさが訪れる。

「その通り」

 その言葉の直後に、ラットの蹴りがエッヂの右脇腹へと放たれる。

 エッヂはそれを軽く受け止めようとするが、足が右手に触れる瞬間に反転し、蹴りは標的を左腕に変えた。

「ぐっ」

 蹴りが直撃した左腕は、人体が出せる最高の濁音を含みながら、粉砕されていく。

 あのチープの能力で、再生するよりも速く。

「馬鹿な。どれ程の力があれ——がぁ」

 エッヂが驚く暇もなく、次の蹴りが顔面へ放たれる。

 その有無を言わせぬ攻撃は、俺を色んな意味でふるい上がらせた。

「くっ」

 エッヂが一旦距離を取り、拳を握る。

 その仕草は経験上、空気爆弾だと分かった。

 エッヂが投げる様にしてそれを手放すと、ラットは走り出した。

 そしてクイっと指を動かし、それと同時にエッヂの近くで空気爆弾が爆発した。

「なに!?」

 一瞬の隙を逃さず、ラットの蹴りはエッヂの首元を正確に射抜く。

「かあはっ」

 またもや骨の折れる音がし、エッヂは後ろへ吹き飛ばされる。

「なぜ、なぜ攻撃が効く」

 地面に手をつき、絞り出した様な声で、エッヂは問いかける。

「気付いてねえのか。単純に、チープの能力が強大すぎて、テメェが対応出来てねえだけだ」

「——!」

 それは盲点だった。

 エッヂは左手を隠しながら闘っている所から、恐らく自然系。

 それに対してチープは、常に発動しているフルオート系。

 系統が違えば、能力も違ってくる。

 多少の誤差なら、ある程度対応出来るだろうが、チープの様な能力が強すぎる場合、そうともいかないのだろう。

 だから、身体が能力に対応出来なくなって来ている。

 そして有り得ないはずの、骨折という怪我を負うことになったのだ。

「あの小僧か。これ程までに強大とは思いもしなかったぞ。だが、それだからこそいいのだ。能力は不十分だからこそ輝く。まだ磨きがいがあるな」

 エッヂは立ち上がり、ラットに背を向ける。

「我を殺してみろ」

 大きく手を広げ、エッヂは脱力する。

 本気で全ての攻撃を受けるつもりだ。

 罠とか、からかってる訳じゃなく、本気で攻撃を受ける事だけを目的にしている。

 それは自分を試したいという気持ちからなのか、それとも単純に頭のおかしいやつなのか、俺には理解出来なかった。

「その必要はない」

 エッヂの指がピクリと動く。

「今なんて」

 聞こえているだろうが、エッヂは聞き返す。

「その必要はないと言った。理由は分かるだろ」

「いいや、理解出来ん。目の前に無抵抗の敵がいるんだぞ。攻撃しないで何をする」

 エッヂ振り返り、ラットを説得しようとする。

 妙な光景だ。ラットが不利というのは変わらないのに、なぜか立場が逆転している様に見える。

「無抵抗なら止めるも糞もねえ。動かねえならそれは敵じゃねえ。俺らの任務は完了される」

「任務だと? 貴様らの任務は、我を殺す事ではないか」

「確かにそうだ。だが、相手が降参しているなら、その命令はもう、有効じゃねえ」

 ここでやっとラット以外の全員が、エッヂが見下されている事に気が付いた。

「き、貴様……。今なんて」

 先程とはニュアンスが違い、殺意がある。

 ラットから見れば、堂々と背中を見せたエッヂは、既に降参した敵と同等。

 殺すべき標的ではなく、ただの頭のおかしい奴で片付けられていた。

「もうじき5分だ。もし耐えられたら、話の続きをしてやるよ」

 ラットはサンの方向へ顔を向ける。

「もう準備は出来てんだろ? 早くしねえと俺が殺されちまう」

「は、はい」

 サンは目を閉じ、何かに集中する。

「大体予想はついてる。1992年と言えば、誰でも分かるだろう」

「——!」

 急にエッヂがサンに振り返る。

 そして目を大きく見開き、こう言った。

「あの……地獄を……もう1度と言うのか……」

 その時のエッヂは、今までが嘘の様に焦っており、あのチープを取り込んだ時の余裕は、冷静さはどこにもなかった。

「おっと動くなよ。まあ、動いても行かせねえけどな」

 ラットは大きく腕を上げ、エッヂに向かって中指を立てる。

「マイクロデビルだ」



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マイクロデビル

 1982年9月14日

 正体不明の病原体が、サイコス東部を中心に、全世界に感染拡大した。

 症状として頭痛目眩と始まり、立ちくらみ、骨折、呼吸困難、脳の障害、身体の一部崩落、意識不明に陥り、最悪の場合死に至る。

 感染者の死亡時に、喉の破損による声が、まるで悪魔が喋っているみたいだという事から、マイクロデビルという名で恐れられた。

 正式名称をMD2Vという。

 人間や動物、一部の虫にまで感染し、その勢いは止まることを知らなかった。

 出現からおよそ3ヶ月で、非感染者より感染者の方が多くなり、致死率も70パーセントと、世界を混乱の渦へと陥れた。

 しかしその2ヶ月後、ある科学者の1人が、冬眠中の動物への活動が、著しく遅れている事を発見。

 それから1ヶ月後の3月24日。

 遂に特効薬が作られ、次第に感染や死亡率が下がり始め、出現から丁度1年後の1982年9月14日。

 人類は2度目の感染症の根絶を達成した。

 しかしその間、死者数131億2004万9801名。

 意識不明1052万5003名。

 後遺症患者54万2087名と、歴史上類を見ない殺生ウイルスとして、その名を刻んだ。

 1984年7月8日に政府が

「マイクロデビルが再度出現する可能性は万が一にもないが、もし出現した場合、我々はまたあの地獄を見ることになる。特効薬は根絶させるための道具であって、予防する訳ではない。しかしもう一度言う。マイクロデビルが再度出現する可能性は、万が一にもあり得ない」

 政府はこれを、根絶した事への勝利の証として発表したが、逆に市民の不安を煽ぐこととなってしまった。

 それから数年は、皆恐怖に怯えたという。

 

 そして現在。

 チェイサーとトレントは、その名を聞いて混乱していた。

「マイクロデビル?」

 トレントがそう呟く。

 いくら歴史に名を刻んだ病原体だとしても、その時代に生きていない人間からすれば、ただの小さい悪魔としか認識が出来なかった。

「ゔがぐあが! ぎがぐぎぁがに」

 エッヂは悶え苦しみ、段々と声が変貌していく。

 元々の低い声が、更に聞き取りづらく掠れたような、まさに悪魔の声に似たものを纏っていた。

「賭けだった」

 サンがぽつりと言う。

「歴史を学ぶにあたって必ず通る道、それがこのマイクロデビルだ。1992年だから俺はギリギリだけど、お前はどう見積もっても50は過ぎてる。だからあり得ると思った。昔の人間は2人に1人以上感染してたからな。だからこそ、実行できた」

 チェイサーとトレントは、この話の内容を理解出来ていなかった。

 逆に言うならば、この状態でこの話を理解する材料が、ここには転がっていなかった。

 自己満足の為だけに、サンは話していたのだ。

「あり得ない。なぜ、こんなにも症状が早く」

 悶え苦しむエッヂは、自分の手を見て驚愕した。

 先程まで5本生え揃っていた右指が、既に2本になっていたからである。

 これはマイクロデビルの、身体の一部崩落による症状故の結果であった。

「おかしい。なぜだ。なぜ、これ程までに身体が痛む。全身を駆け巡る痛みはまるで、内部からヤスリで削られているみたいだ」

 エッヂが1番驚いていたのは、絶望的なまでの状況や、今にも叫びたくなる様な痛みではなく、早過ぎる症状によるものだった。

「これはエッヂというより、チープに効いてるな」

 ラットがさがり、推測を口にする。

「どういう事だ?」

 チェイサーは理解できないまま質問をする。

 内容の一部でもいいから理解しようと、本能的に口に出していた。

「マイクロデビルは性質上、予防する事が出来なかった。だから根絶させる事が出来たのかも知れねえけどな。まあその性質っていうのが、細胞を活性化させるってやつなんだ」

「細胞を活性化?」

「ああ。急激に成長する細胞に、身体全体が対応出来ずに崩れていく。それがマイクロデビルの恐ろしい所だ。予防しようにも、その薬すら分解される。だから根本から殺すしかなかった」

 マイクロデビルは殺生ウイルスでありながら、活性化ウイルスでもあった。

 完治した人間が、感染前より身体が丈夫になっていたり、病気が治っていた事例も存在する。

 多くはないが、それ目的でわざと感染した人間もいたという。

「それでチープの能力。あいつは多分、自分にとって利益のあるものを再生している。それは本能だから仕方ねえが、それこそ今の状況を作り出してるって言っても、全然過言じゃねえ」

 つまりチープの能力は、マイクロデビルを利益のあるものと判断したのだ。

 それ故に他の細胞に押し潰される事なく、無事に生存しているし、チープの能力によって急激に増殖している。

 マイクロデビルにとって、チープは恰好の宿り主だったのだ。

 そしてそれは、チープを取り込んだエッヂも例外ではない。

「くそ。またあの小僧か。こんなにも我を苦しめるとは」

「もうお前は助からねえ。この悪魔の毒に侵されたからな」

「……チープは?」

 チェイサーが、口から言葉を零す。

 理解できない数々の出来事から、唯一理解出来たものがあった。

 それは、チープの生存である。

 能力者の能力というのは、いくらフルオート系であっても死んだら発動する事はない。

 エッヂの能力が取り込む能力だとしたら、チープはエッヂの何処かで生きているはず。

 だからこそ、超再生能力を身につけたり、魂の数だけ命が存在する。

 はっきりとしたものでは無いが、チェイサーにはなんとなくで理解出来ていた。

「チープはどうなるんだ……」

 その問いに、誰も答えなかった。

 というより、答えられなかった。

 答えを知らなかった。

 ここでエッヂを倒して、果たしてチープは生き返るのか。

 今まで取り込まれてきた人間が、無事に解放されるのか。

 それはエッヂ本人にすら知り得ない事であった。

「ぐぎぃか。毒抜きをおご」

 エッヂは倒れ込みながら、左手を前に出す。

「解放だ」

 その先から出てきたのは、白い肌を主張させながら、その長身からは想像できない筋力を持つチープであった。

「チープ!」

 1番に駆け寄ったのはチェイサーだった。

 裸のチープを抱え、立ち上がる。

 そしてエッヂを見向きもせずに、後ろへ走った。

「何してんだチェイサー!」

 ラットが大声で叫ぶ。

「逃げてるんだよ! あいつの生命力を馬鹿にしちゃいけない。今は暫く動けない様だから、今のうちに逃げるんだよ」

「そんな事をしたら——」

「分かってる! 一旦体制を整えるって事だ! 今は誰もあいつを倒せない。それなら本部に帰って作戦を立てる! それが得策だ!」

「チェイサーお前……」

 ラットは動揺していた。

 図星をつかれた事もあるが、何よりチェイサーの判断の速さ。

 そこには何年もジャスターズを務めているラットも、劣るものがあった。

「ラットさん」

「……分かった。一旦引くぞ」

 ラットらもチェイサーに続き、本部へと走り出す。

 その間、誰も振り向こうとはしなかった。

 振り向いたら、逃げられない気がしてしまったからだ。

「に……ごが……すが。ズドリート」



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勝利……

「チェイサー、ここから本部までは20キロぐらいだぞ。それを走りって無理じゃないか?」

「ラットが乗ってきた車で行けばいいだろ。なあラット、どこに車あるんだ」

「その手があったか」

 エッヂのあの様子から察するに、あと数十分、気合いで数分に縮めてくる可能性もある。

 たが、車に乗って逃げるには充分な時間だ。

 いくらエッヂでも、ジャスターズのメンバーが集まれば流石に勝てないだろう。

「……すまん」

 ラットが小さく呟く。

「どうした。どこにあるんだ?」

「すまん……、車はない」

 俺は右足を踏ん張り、急ブレーキをかける。

 それと共に、皆も止まる。

「え? 待て待て。今なんて言った?」

 俺がラットを見つめると、ラットは罰が悪そうにする。

「だから車は無いってんだ! たまたま近くでドンパチやってたから、面白そうって来てみただけなんだよ」

 おいおい。新たな発見だ。

 ラットって意外とお茶目らしい。

 ……って、そうじゃない!

「じゃあどうするんだよ! このままじゃどうにも出来ねえじゃねえか!」

「俺もこうなるとは思ってなかったんだよ! だいたい止め刺せばいい話じゃねえか! それをテメェが逃げるって」

「それなら止め刺してから逃げて来いよ! お前が1番歴長いんだろ? だったら他人に流されんなよ!」

「テメェ調子乗ってんじゃねえぞ! ナインハーズさんに気に入られてるかどうか知らんが、自由に行動し過ぎなんだよ!」

「はあ? 今は関係ないだろそんな——」

「ちょっと黙って!」

 トレントの声に、俺の怒りはかき消される。

「どうしたんだ。トレント」

 サンが聞く。

 しかし、すぐには返事が返ってこなかった。

 その代わり、数秒開けたその間に、なにか不気味なものを感じた。

「エッヂがいない」

 その返答で背筋が凍りつく。

 危うくチープを落としてしまいそうな程、俺は動揺した。

 サンを見ると青ざめていた。

 あの状態からまだ動けるはずもないのに。と、そう思っている顔だった。

 ラットは何とも言えぬ顔で立っていた。

 ただじっと、今走ってきた道を見つめていた。

「じゃあ今どこに……」

 恐る恐る俺は聞く。

 スウィンの時みたいに上か? それともお前後ろだ的な感じで怖がらせてくるのか?

 俺的には、トレントの勘違いであって欲しいんだが。

「ゆっくりと近付いてきてる」

「ゆっくりと?」

 想像したものと違う返答に、俺は気を抜かす。

 ゆっくりって、やっぱり死にかけじゃねえか。

 そのマイクロデビルってのが、よっぽど効いたんだな。

「なら別に大丈夫じゃねえか。身体引きずらせながらでも来てるんだろ?」

 冗談半分で言う俺に対し、トレントは真剣だった。

 額からの汗が止まらず、顔も少しこわばっている。

 小刻みに身体は震え、歯は軋んでいた。

「違うんだよ。後ろじゃなくて、前なんだよ」

 サンとラットを見ると、来た道ではなく進行方向に目を向けていた。

 2人とも目を見開き、構えることすら忘れていた。

 無論、俺もである。

「うそ……だろ」

 後ろにいたはずの、到底追いつけない程の怪我を負ったエッヂが、そこに息を切らしながら立っていた。

「ストリート。貴様だったか」

 こいつ瞬間移動の能力も持ってんのかよ。

 というよりなんだ。今俺の名前言ったか?

 ストリート……。いやおかしい。俺はチェイサーとしか呼ばれていなかったはず。

 いつの間に知られたんだ。

「ストリート。……ストリートか。確かに少し面影がある」

 俺こいつと会った事ないよな。

「チェイサー、こいつと会ったことがあるのか?」

 俺にも分かんねえよ。

 もしサンの言う通りなら、俺はここで今生きてないだろ。

 ……駄目だ。全く見当もつかねえ。

「この怨み、貴様に晴らさずして、誰に向ける」

 足を引きずりながら、着実に近付いてくる。

 本来なら縮まるはずのない距離を、俺たちが動かない事によって、それを実現させてしまった。

「間合いだ」

 およそ人1人分程の距離を置き、エッヂが口を開く。

「ど、どこかで会いましたっけ……」

 ぎこちない笑みを浮かべ、俺は言う。

 それを見たエッヂも笑みを浮かべ、こう言った。

「何やってんだお前ら」

 否。その声の主はエッヂではなかった。

「貴様、どうやった」

 見ると、エッヂの左腕がもがれて、床に転がっていた。

 その時俺はやっと、チープを落としていることに気が付いた。

 それと同時に、その男へと目を向ける。

「もうすぐで死ぬところだったな、チェイサー・ストリート。まあ、死んでも何もしないがな」

 あの時会議室で見た、ジャスターズの1番偉い人と言われていたあの男が、エッヂの後ろに立っていた。

 エッヂの右腕をもぐ音を聞かせず、静かに行われたその動作を、俺は気が付くはずもなかった。

 なぜならこの男は、ジャスターズで1番偉く、恐らく1番の実力者だからだ。

「ど、どうしてここに……」

 ラットが声を漏らす。

 それに反応するかの様に、俺の足元で何かが動いた。

「わ……わたしがよ……びました」

 その声はチープのものだった。

 手にはツールが持たれており、いつの間にか連絡していた様だ。

 それなら、チープは最初から負ける気で挑んだということだろうか。

 いいや、負けてもいい様に保険をかけたんだ。

 そうする事によって、自分が全力で闘う為に。

 事実、その保険によって俺らは救われた。

「貴さ——」

 エッヂが硬直する。

 振り返ろうとした体勢のまま、つまりアンバランスのまま硬直していた。

「五月蝿いから停止してもらっただけだ。で、なんだこの様は。ラット、サン」

 直後、全身に寒気が走るのが感じられた。

 この圧倒的な実力差。

 決して縮まる事はないだろう、無力さ。

 その全てを感じ、俺たちも硬直していた。

「す、すいません。思いの外敵が強く」

「ま、マイクロデビルですら、この通りでした」

 2人は綺麗に直立していた。

 今までの怪我や傷を気遣う事なく、その体勢を維持していた。

「マイクロデビル……を使ったのか。そうか、サンなら可能か。まあいい、兎に角」

 瞬間、停止していたエッヂの首が飛ぶ。

「後で部屋に来い」

 そう言うと、ケインは踵を返す。

 その緊張の中、まともに動けた人間は、恐らくケインだけだろう。

 ケインの背中が見えなくなるまで、2人ともう2人は、硬直したままだった。

「わたし……わるいことしちゃい……ましたね」

 うん。しょうがないだろこれは。

 チープは悪くないさ。多分。

 結果助かった訳だし。ナイスチープ!

 その言葉を声に出すには、俺には少しハードルが高過ぎた。



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謎の男

 ケインが去った後、何とも言えぬ空気を漂わせるエッヂの死体に、俺たちはまだ手を付けられていなかった。

「どうするよ。これ」

「ここに置いてくのもあれですね」

 ラットとサンは、これをどうするか話し合っている。

 俺的には、速急に燃やして消し去りたいが、そういう訳にもいかないだろう。

 第一、本当に死んでいるのかすらわからない。

 こいつには前科があるからな。

「とりあえず、生死を確認してみます」

 トレントが能力でエッヂを囲う。

 空気の流れを読んで、息をしているか確かめるのか。

 これで死んでいたとしたら、ますます謎だぞ。

 だったらなんで、今までは死ななかったんだってなる。

「あ、あの」

 地面から絞り出した様な声が聞こえる。

 見ると、そこにはチープが倒れていた。

「あ! すまんすまん忘れてた」

 俺は自分の服をちぎり、布の様に変形させる。

 そしてそれをチープに羽織らせた。

「ありがとうございます。まさか忘れられているとは、思いもしませんでしたが」

「マジですまんチープ!」

 ケインとエッヂの方に意識を向き過ぎて、チープが何も着ていないという事を、完全に忘れていた。

「それはいいんですが、あっさりと殺すものですね」

「ああ、まさしく瞬殺だった」

 俺たちがあれだけ手こずっていたエッヂを、たった2発、いや、実質1発で仕留めた。

 ケインという人物が強過ぎるのか、能力者というのはあれだけ強くなれるものなのか。

 それを理解するにはまだ、俺には知識が足りな過ぎる。

「死んでます」

 まあ当然だよな。

 首が取れても生きてたら、流石にチート過ぎるからな。

「……仕方ねえ。本部へ持ち帰るか」

「持ち帰ったとして、どうするんだ」

 俺が質問すると、ラットは小さな舌打ちをする。

「知らねえよ。だが、能力者の死体は回収しねえと駄目なんだよ。モグラが出るからな」

「モグラ? あの野生動物の」

「そっちのモグラじゃねえ。ってかよく知ってんな。モグラなんて」

「私は初めて聞きました」

「俺もっす」

 俺がたった1つ知っているものがあるだけで、こんなにも驚かれるのか。

 どんだけ馬鹿だと思われてるんだよ。俺。

「まあいい。モグラってのは小規模組織でな。だがその活動は、非人道的としか言いようがない」

 モグラは土の中に住んでる動物だろ?

 そんな非人道なやつらに、モグラの名前を使ったら、モグラに失礼だろ。

 まあ最近見ないけど。

「モグラは能力者の能力を取り出し、他の器に移し替える。つまり、人工的に能力者を作り出しているんだ」

「マジかよ」

「そんな……」

「そんな事出来るんですね」

 予想以上に非人道的な事してたな。

 俺はてっきり、能力者の死体を売買しているのかと思ってたんだが。

「もしかしたら、エッヂのこの能力も、モグラの手によるものかもしれねえしな」

「今まで、はっきりとした事例がある。って訳じゃないんだけどね。能力の複数持ちだったり、明らかに理屈に合わない能力の発現。例えばそうだな、キリングの銃とかだって、発端が分からない」

「とりあえず、そういう事してる奴らって訳だ」

 能力の複数持ち。当てはまらない訳じゃない。

 だが、俺に能力を植え付けられたって記憶はないし、生まれた時からずっと、長く身につけていた様に感じる。

 それは多分、キリングも同じだと思うし。

「まあとにかく、運ぶのを手伝え。トレント、浮かせたり出来ねえのか?」

「出来るっす」

 念力を使ったかの様に、トレントがエッヂの身体を浮かせる。

「チェイサー。頭は持て」

「えっ! 俺が? トレントが一緒に持てばいいじゃねえか」

「トレントが可哀想だろ」

「はあ? どういう感情してんだよ」

 俺に情けはないのか。

「別に俺が持つっすよ」

「いいや、チェイサーに持たせる」

「なんのこだわりだよ」

「まあまあ、落ち着いて下さい。私が持ちます」

 チープが屈み、エッヂの頭に触れる。

「……冷たい」

 人に伝える為でなく、勝手に出たであろう声を、俺は聞いた。

「冷たい?」

「どうした? 冷たいって言ったのか」

 俺が口に出した事で、それはラットに伝わる。

「ものの数分だろ? そんな速く冷たくはならねえはずだ」

 ラットがエッヂの頭へと近づく。

「いえ、完全に冷えています。まるで最初からこうだったみたいに」

「どれ。貸してみろ」

 エッヂの頭を、バケツリレーをするみたいに手渡す。

 よく平然と持てるな……。

「——! 冷てえ。ついさっき死んだとは思えねえ程に」

「死体って、案外速く冷えるんだな」

「馬鹿言うな。ここまでなるのに1日は掛かる。いや待てよ、こいつの皮膚腐ってねえか?」

 見ると、エッヂの皮膚は崩壊しており、所々剥がれ落ちている。

「これはマイクロデビルの影響じゃねえか?」

「確かにマイクロデビルの特徴としては、間違ってはいねえ。だが、マイクロデビルは内側からだ。これは外側から、外気に触れてる部分からだぞ」

 それってそんなに違いがあるのか?

 とは言いにくい状況だった。

 と言うより、別に言わなくてもいいやと思った。

 言ったとしても、特に何かが変わる訳じゃない。

 知識量はあっちの方が上な訳だし、ここは素直に聞き流すか。

「あれれ。そっちが負けちったか」

 一切の気配、足音を響かせずに、トレント程の身長の男が、俺の横に立っていた。

「ん? ああどうも」

 男もこちらを向き、挨拶をしてくる。

「ど、どうも」

 この人もジャスターズの人間だろうか。

 それにしては身なりが貧しく、髪の毛もボサボサだし、服だって破けてる。これがダメージなんとかってやつか。

「誰だお前」

 ラットが立ち上がり、男に近づく。

「ここは一般人が入る場所じゃねえぞ」

「ありゃ、すいませんね。何かの撮影かと。ってそれ、頭ですか!」

「ああ、刺激が強かったか」

「随分と凝ってますね。ではでは自分はこれで。撮影頑張ってくだせえ」

 そう言うと男は踵を返し、本部とは真逆の方へ歩いていく。

「呑気なやつだったな」

「それにしても、奇跡的に生き残ったんでしょうか。あの男」

「どうせ家で居眠りでもしてたんだろうよ」

 ラットは再び頭を調べる。

 後ろでトレントが、いつまで持ち上げてればいいんだ。みたいな顔をしているが、俺はそれをスルーし、なんとなくポケットに手を入れる。

「ん? なんだこれ」

 そこには紙が入っており、こう書かれていた。

 

 ザン・モルセントリク

 ナインハーズによろしく

 

 俺が後ろを向くも、男は既にいなくなっていた。



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緩み

 ザン・モルセントリク? 凄い名前だな。

 ってか、ナインハーズの知り合いなのか?

 それにしては一般人みたいだったが。

「おい、チェイサー。早く持て」

「うおっ」

 咄嗟に受け取るが、それが頭と知ると、俺は反射的に投げ飛ばす。

「わっ」

 しかしそれは反転し、再び俺の所へ戻ってくる。

「うぇっ」

 また投げるが帰ってき、別の方向に投げるが帰ってき。

 それが何十回か繰り返された頃、ラットがイラついた口調で俺に言う。

「何回やっても無駄だぞ馬鹿が。さっさと諦めろ」

 そう言っても、嫌なものは嫌なんだよな。

 仕方なく諦めた俺は、顔の部分を下にして、指先で持つ。

 にしても本当に冷たいなこれ。

 氷とまではいかないが、こっちの体温が吸われてるみたいだ。

「ここからどうしますか。ラットさん」

「本部に向かうしかねえだろうな。なぜかケインさんは、車も持ってきてねえ訳だし」

 そう言い、ラットとサン本部に歩みを進める。

「歩きですか……。辛いですね」

 同感。歩きは辛いよ。

「仕方ねえだろ。第一、テメェのはどこ行ったんだよ」

 俺たちも後を追い、歩き出す。

「すみません。私が壊してしまいました」

 あの時はビビったな。急に後ろから飛んでくるもんだから。

「こ、壊した? ただの車なら分かるが、ジャスターズの特注品だぞ?」

「壊したと言っても、私は吹き飛ばされて、ぶつかっただけですが」

「まいったな、予想以上に新人が強すぎる……」

 新人という括りより、チープという存在にその強さを向けて欲しいな。

 俺たちのハードルが上がる。

「チープは少し特別ですから」

 全くだ。

「特別? フルオート系か代償系なのか?」

「はい。フルオート系です」

「その他にも、超再生能力という、普通の再生能力よりも、グレードアップされた能力を持ってるんです」

「超再生能力? はぇー、よく分からんが、とりあえず普通とは違うんだな」

 俺も未だによく分かってないが、目の前で力の差を見せつけられたら、あの剣の様に心も折れるぜ。

「はい。かなり」

「随分自信があるな。チープは。あっ、そう言えば、チェイサーが意味分かんねえ事言ってたな」

 俺が? なんか言ったっけな。

「意味が分からない事?」

「ああ、確か……、相手の能力がなんちゃら、元がどうとか」

 あの時のか? エッヂの能力が見えないって話。

「んー、私が他人の能力の、断片的な情報を読み取れる。という事ですか?」

「たぁーぶんそんな感じだったな。あれどう言う意味だ?」

「私はなぜか、相手の能力が少しだけ分かるんです。と言っても、クイズのヒントの様に、本当に少しだけですが」

「例えば?」

「そうですね。ラットさんだと、矢印のよ——」

「なあチェス」

「うおっ」

 俺がチープたちの話に聞き入ってると、後ろからトレントが話しかけてきた。

「そんな驚くなよ。こっちも驚くだろ」

「すまんすまん。で、どうしたんだ?」

「なんとなくだけどさ、チープってラットって人に気に入られてるよね」

「ラットに? 言われてみれば確かに、そんな感じがするな」

「で、チェスはナインハーズさんに好かれてるだろ?」

「好かれてるかな? どっちかっていうと、友達みたいな感じだけどな」

「それが好かれてるっていうんだよ。それで結論なんだけど、この順番だと俺、サンかグールさんに好かれるよね?」

「いや知らねえよ。これに順番とかあるのか?」

「仮の話だけどさ、サンはともかくグールさんは俺やだよー」

「なんでだよ。あの人いいやつじゃねえか」

「怖いだろ。あの人バリバリの体育会系じゃん」

「知らん知らん。他の人に好かれたいなら、トレントも強くなればいいじゃねえか。そうすればラットに好かれるぞ」

「あの人にはチープがいるだろ!」

「そんな恋人じゃねえんだからいいだろ」

「第一、俺が強くなってもチープには勝てないよ」

「確かにチープは強えけど、そうと決まった訳じゃねえだろ」

「いやいや、チープは世界が認める能力者だから。俺は多分、一生勝てない」

「世界が認める?」

「あっ、今のは忘れて。勝手に他人の過去を言うのは、タブーだからね」

「……そうか。なら、トレントの過去はどんな感じだったんだ? 少し気になる」

「俺? 俺か。……少し長くなるけどいいか?」

「そんなに早くは着かないだろ」

「それもそうだね。あれは確か1年前だったかな」

 そう言い、トレントの物語は幕を開けた。



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トレント・マグナという男

 1990年8月13日、サイコスのスロッグ街アガンドで、1人の男が産まれた。

 その男はカーレック家の次男として、名をトレント、姓をカーレックとされた。

 3歳になる頃、トレントの周りには物が浮き始めた。

 能力の発現原因は不明。

 よく川遊びをしていた事から、溺れそうになり発現したのではないかと言われている。

 そんなトレントは、5歳10ヶ月の時、遂にカーレック家から追い出され、孤児になった。

 今まで当たり前の様に出ていた食事を、自分で調達しなければならないと気付いた時、トレントの胸の中には闇が生まれていた。

 初めての犯罪は、若干6歳の頃であった。

 街中で歩いている女性のバックを浮かせ、それを窃盗。

 通報されたが、誰も6歳の子供がやるとは思わず、捕まることは無かった。

 そしてこれが、トレント・マグナという人間の誕生である。

 それからというもの、トレントは犯罪に明け暮れた。

 盗んでは逃げ、通報されれば身を隠し、徐々に犯罪仲間も増え、十数年の時が過ぎた。

 そして2008年5月。

 トレントとその仲間たちは、銀行強盗という大きな犯罪を実行に移していた。

 

 午前10時、クラヴァ銀行。

「手を上げろ」

 仲間の1人、クランが計画通りに、炎の刃で職員を脅す。

 中にいる客は驚き、身動きが取れていない。

 警察やジャスターズを呼ばれない内に、ハリーの超音波で、監視カメラと警報機を破壊する。

 ランスは高速移動で、素早く職員と客全員を、盗んだ鍵なしの手錠で拘束した。

「よし。行くぞ」

 俺とボンは、金庫のある方へと足を進める。

 10時は比較的空いている時間帯だ。

 計画では10分で遂行させるつもりでいるが、そう簡単にはいかないだろう。

 それこそ、今目の前に立っているのは、普通の警備員じゃない。

 恐らくジャスターズの人間だ。

「これ以上は行かない方がいい」

 金庫の前には、身長181センチメートル。体重76キロの男が仁王立ちをしていた。

 筋肉のつき方からして、恐らく近距離戦闘を得意としているのだろう。

 激しい動きをするのか、髪型が短く邪魔にならない様になっている。

 ……足技を使うのか?

「ボン。先に行ってて」

「分かった」

 男の横を、ボンが通り過ぎようとする。

「嘗めるなよ」

 男は右足を突き出し、ボンに蹴りを入れる。

 しかしそれは空を舞い、男は一瞬唖然とした。

「トーマおっさきー」

 やっぱり足を使うか。

 俺はボンに手を振りながら考える。

 能力が分からない以上、接近戦は避けたい所。

 最低、ボンの透過で金庫内の金は盗める。

 俺たちは、そのサポートに徹するという事も出来るが、やはりこいつが邪魔になってきそうだ。

「やるしかないな」

 俺は男に空気の塊を飛ばす。

「成る程。空気か」

 一瞬で見切られ、攻撃をかわされる。

「ふんっ」

 次は大きく広げた手を振り上げ、無造作に空気の塊を飛ばす。

 こうする事で、凹凸のできた、針の様な空気を放つ事ができるのだ。

「おっと」

 男は壁を蹴って、逆方向へと飛び退ける。

 放った空気は壁を削りながら、金庫にぶつかり弾ける。

「器用なやつだ」

 逆側の壁を蹴り、男は距離を詰めてくる。

 近距離戦闘は確実だな。

「ふうっ、はっ」

 俺は通路全体の空気を一気に押し出す。

「ぐゔっ」

 咄嗟に防御したのか、腕をクロスしたまま飛んでいく。

「がっ」

 男は金庫を背にして尻餅をつく。

「はあっ」

 畳みかける様に、男の周りの空気を圧縮する。

 それも9割の力で。

「かはっ、はっ、ひっ、はっ」

 既に息を出来ていないそいつは、絞り出した声で鳴いている。

 苦しいのか喉を押さえ、足をバタバタさせ、耳から血が出てきては、目も充血を起こしている。

 ジャスターズといってもこの程度か。

 この男はあと数分で命を落とすだろう。

 俺は気を抜かずに、その空気を維持する。

「おお、順調そうだな」

 後ろからハリーが話しかけてくる。

「ああ、もうすぐ死ぬと思う」

「そうか。まあ、手っ取り早く行こうぜ」

 ハリーは男に近付き、俺に能力を解く様にいう。

 俺が解いた後に、ハリーは男の耳元で、盛大に能力を発動させた。

「キィーー」

 薄く真空の膜を作り、音が入ってこない様にする。

 ハリーの全力の超音波を間近で聞いたら、戦意喪失というか、確実に死ぬな。

「よし」

 ハリーがそう言い、膜を解く。

 男は白目を剥いたまま、動かなくなっていた。

「金庫の方は?」

「今ボンが中に入ってる。そろそろ内側から開けてくれると思うんだけど」

 そう話すと、噂をすればなんとかで、金庫の中から何かの音がした。

「おっ、開けられたか」

「ここからは時間が勝負だぞ」

「分かってるって。トーマはランスでも呼んどいてくれ」

「ああ、分かった」

 俺は踵を返し、少し金庫を離れ、ランスを探す。

 空気の流れからして……、椅子に座ってるな。

 あいつはサボり癖がなければいいんだが。

 俺はランスの肩に空気を当て、合図をする。

「ランスは呼んでおいた。やるぞ」

 俺が振り向くと、開け放たれた金庫からは、全く知らない男が歩いてきていた。

「まだいましたか」

 男の手には、ボンの頭が握られている。

 金庫のそばに立っていたハリーの首は、いつの間にか無くなっていた。

「テメェ何してんだ!」

 思考が追いつかなかったが、俺の下した決断は戦闘だった。

 思い切り足を踏み出し、男に近づく。

 距離1メートルという時、男の腰には、何か見覚えのある物が身に付けられているのが見えた。

「カタナッ!」

 輝く光の線を間一髪で避け、俺は金庫の中へとダイブする。

 中には漁られていない札束と、何かで四角く切り取られたであろう壁があった。

「まさか斬ったのかよ……」

 金庫の壁は決して斬れるような代物じゃない。

 だからこそ銀行強盗をする時は、決まって入り口から入るものだ。

 俺たちにはボンがいたから入れたまでで、強行突破なんてもってのほか。

 この男、普通じゃない。

「今のを避けましたか。それに、刀の事を知っているようですね」

 男はゆっくりと近づいてくる。

 その姿勢は、大昔のサムライを思い起こさせた。

「残念です。これを知っている方に、初めて出会えたというのに」

 これが居合ってやつなのか。

 腰を落とし、カタナに手を添え、脱力する。

 しかし正中線を維持したままだ。

 完璧なまでのサムライだ。小さい頃に読んだ本の通り。

「ふんっ」

 目にも留まらぬ速さで放たれたそれは、俺の首を真っ直ぐと斬り進めていく。

 俺の目は景色を写しながら、まだ死んだ事に気づかないように働く。

 しかし明らかに不可能な角度の景色に、俺は自分が死んだ事を自覚せざるを得なかった。

 飛んで数秒の首が、音と共に地面へと落ちる。

 そして段々と、視界は閉じられていった。

 ……という感覚までは想像できた。

「危ねえー」

 俺は金庫の出口に座り込んでいて、横にはランスが立っていた。

「トーマ、あいつがハリーとボンを殺したのか」

「……あ、ああ」

 返事をするのには時間が掛かった。

 さっきまで死を受け入れていた俺が、今から敵討ちをしようという立場にいるからだ。

「クランを呼んでくれ。流石に2人じゃ無理だ」

「わ、分かった」

 俺は空気を探り、クランを探す。

 大方拘束し終わったが、誰も見張りを付けないのはやはり危険だ。

 クランならそう言うだろうが、今はそんな場合じゃない。

 クランを見つけ、集合の合図を送る。

「ランス、あいつはどうする」

「かなり強いぞ。それこそ目がいい。トーマを助けた時に、右手をやられたし」

 見ると、ランスの右手は半分以上も無くなっており、血が滝の様に出ていた。

「今ふさ——」

「いやいい。どの道誰も帰れないかもだし」

 あのランスの高速移動を見切るのは、3年間も一緒にいる俺たちですら、しなんの技。

 それをたった1回でとなると、それこそ超人だ。

「生きる時も死ぬ時も、俺らは一緒だぞ」

「トーマに言われなくても、積極的に死んでやるよ。あいつらの為にもな」

 俺らは内心諦めていた。

 ハリーとボンが殺されるなんて、誰も想像していなかったからだ。

 だが、覚悟していなかった訳じゃない。

「トーマ、情報を」

「分かった。身長167センチ、体重48キロ。主に腰に付けているカタナで闘う。切れ味がいいのか、あいつ自身が超人なのか、金庫の壁を斬る程の実力を持ってる。……そして超強い」

 せめてあいつを道連れにして死ぬ。

「オッケーサンキュー。最後の言葉だけで十分だったな。それとカタナ……か、懐かしいな。日本とかいう国のやつだったよな」

「今はもう存在しないけどね」

「いいえ。ありますよ」

「「——!」」

 急に話に入ってきたそいつに、俺たちは臨戦態勢を取る。

「そんなに驚かないでくださいよ」

 男は鞘にカタナをしまい、話しかけてくる。

 だが妙だ。カタナが出ている時より、鞘に収まっている時の方が、圧倒的に強く見える。

「厳密に言うと日本ではありませんが、日本の土地は残っています。今は名前を変えて存在していますよ」

 どうでもいい知識をペラペラと話すそいつは、思いの外楽しそうに見えた。

「私はリュウ・カミソレ。宜しくお願い致します」

 そう言うと、そいつは深くお辞儀をした。



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気味の悪い男

「聞き慣れないな」

 ランスが小さな声で言う。

「ああ。多分サイコスの人間じゃない」

 リュウ・カミソレ。どこか漢字で表記出来そうな名前だ。

 それに、顔も少し見慣れない。

「もしあなた方が、私の出身がここ、サイコスではないと疑っているのならば、それは正解です。なにせ私は、ジュナイツの人間ですから」

「ジュナイツ……」

 確か世界で1番人口の多い国だった気がする。

 それはいいとして、なんでそんな事を教えるんだ。

 別にサイコスからしてジュナイツは、そんなに大きな存在じゃない。

 それこそ、ジュナイツの人間だからって理由で、殺すなんて事はあり得ない。

「どうしたんですか? 仲間を殺されて、怒っているのでは」

 にっこりと笑顔を浮かべ、そいつは言う。

「トーマ。それはまた、後にしよう」

「そうだな。今はこいつを殺す事だけを考えよう」

 ボン、ハリー。今、土産を持っていくからな。

「いくぞ!」

 ランスは走り出し、俺は複数の空気弾を放つ。

 左側にわざと逃げ道を作り、ランスが避けたところを攻撃する。

「ふんっ」

 しかしリュウは、放たれた空気弾を全て斬ってみせた。

「そう簡単にはいかないか」

 ランスは壁を蹴り、天井を蹴り、上から攻撃を仕掛ける。

「はっ」

 リュウはカタナを鞘にしまい、ランスに向け抜刀する。

「トーマ!」

 その合図で、俺はランスの近くに壁を作る。

 ランスはそれを蹴り、カタナの軌道から外れた。

 そして再び壁を作り、今度は能力を発動して蹴る事で莫大な加速をした拳が、リュウへと飛んでいく。

「死ね!」

 ランスがそう叫ぶと同時に、リュウは後ろへ飛ぶ。

 それにより、攻撃は少し掠めた程度。

「どんな体勢から飛びやがった」

 ランスが近くに着地し、一連の動作を考察する。

「完全に不意打ちだったのに。どれだけ反射神経がいいんだ。あいつは」

「俺も完全に殺ったと思ったが、気づいたら目の前から消えてた。正直最後のチャンスだったぞ」

 こっちは長期戦を望んではいない。

 ランスの出血は、普通にしていればいつか止まるだろう。

 だが高速移動の能力の所為で、心臓の鼓動が常人より遥かに速くなっている。

 戦闘を続ける限り、出血は止まらない。

「ボウ」

 後ろからの声に、俺は咄嗟に避けながら空気の円で自分を囲む。

 それと同時に、金庫内は炎に包まれた。

「ヤベッ。金も燃やしちまった」

「クラン!」

 俺は急いで金庫から出る。

 少し遅れて助っ人が到着した様だ。

「お前危ねえだろ」

 ランスがクランの背中を叩く。

 どうやらランスは、金庫の外に避難していた様だ。

「危なかったのはお前たちだろ」

 クランは金庫側のハリーを見る。

「ボンもか」

「……ああ」

「そうか」

 それ以上は何も言わずに、再び金庫の方を見る。

「にしても凄えな。炎も斬れるのか」

 中には、少し溶けた壁と燃え盛る札束。そしてリュウが立っていた。

「危ないのはあなたですよ。こんな密室で炎を放つなんて」

「壁に穴が空いてるから、もう密室じゃねえだろ」

 リュウとクランが睨み合う。

「そこにいると、いつか火炙りになるぞ」

「ご自由に」

「ランス、トーマ、離れろ」

「分かった」

「おう」

 俺たちはすぐに金庫から離れる。

「ボウ」

 放たれた炎は金庫の入り口から侵入し、次第に周辺の壁を溶かしていく。

 入り口も大きく開けてきて、通路とほぼ同じくらいの大穴が空いた。

「こんなんじゃ死なねえよな」

 既に金庫と通路が一体化し、燃えカスすら燃えても尚、リュウは立っていた。

「あなたは加減を知らない様ですね」

「してる余裕がねえんだよ」

「正直ですね」

 リュウが走り出し、クランも走り出す。

 クランは手に炎の剣を作り出し、リュウに振りかざす。

 それに対しリュウは、そんなの関係ないと、クランの胴体を横に斬った。

「クラン!」

 しかし斬られた筈のクランが、炎となって目の前から消える。

「トーマも騙されてどうするんだよ!」

 そう言いながら、クランはリュウの後ろから飛び出してきた。

「いつの間に」

 流石のリュウもこれには驚きを見せた。

「オラッ」

 クランの剣が、リュウの死角から牙を剥く。

「ふっ」

 瞬時に後ろを向き、リュウはカタナでそれを食い止める。

「オラアッ」

 しかしクランの剣は、それでも火力を上げ、一面を赤く光らせた。

「くっ」

 リュウは体勢を変え、横に飛び退ける。

「逃げるなよ。冷めるだろ」

 クランは剣を消し、立ち上がる。

「見てくださいこれ」

 リュウはカタナを前に差し出し、見るように要求する。

 それは以前と違い、かなり短く溶けていた。

「あなたの能力の所為で溶けてしまいました。かなり気に入っていたのですが」

 こいつ、何を言ってるんだ?

 少しおかしな奴だとは思っていたが、本格的だな。

「お前の剣が溶けようが、俺には関係ねえ」

「失礼ですね。剣ではなく刀です。カタナでもありませんよ」

 頭がイカれているのか、戦う気がないのか。

 何か殺気が感じられない。

「刃渡り13センチですか……。まあでも、斬れない訳ではないですね。やりましょう」

 そう言い、リュウはカタナをしまう。

 言っている事とやっている事が一致していない。

「気持ち悪いなお前」

「お前ではなく、リュウ・カミソレです」

「知らねえよ」

「今知りましたよ?」

「馬鹿なのか天然なのか、どっちにしろ救われねえぞ。お前」

 そう言い、クランは再び炎の剣を作り出す。

「それは私次第です」

 リュウはにっこりと笑顔を浮かべる。

 俺にはそれが、不気味で仕方がなかった。



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運命の日

「なあ、あいつ不自然じゃないか?」

 ランスが俺に言う。

「俺もそう思う。やるとか言いながら、鞘にカタナをしまうって、意味がわからない」

「そこじゃねえ。まあ近いけど」

「じゃあどこら辺だ?」

「その鞘にしまうって所だ」

「同じじゃん」

「だから近いって言ったんだ。捉えてる行動自体は同じだけど、意味が違う」

「もっと詳しく頼む」

「なんでわざわざ、鞘にカタナをしまうんだ? 戦うならずっと出しとけばいいのに」

「同じじゃん」

「違うんだ。今だけじゃない。俺たちと戦ってた時もそうだった。毎回、攻撃する度に鞘にしまってる。まるでわざと居合をするみたいに……」

「確かに不自然だったかも。それに心なしか、鞘にカタナが入ってる時の方が強く見える」

「まさかあいつの能力は——」

「来い! 炎の剣士!」

 リュウが挑発をする様に、両手を広げる。

「調子に乗るなよ有機物!」

 クランが走り出す。

 まずい。このままだとクランがやられる。

 俺の直感がそう叫んだ。

『どうする。どうやって助ける。まず俺に助けられるのか。勘違いじゃないのか。それなら戦闘の邪魔になる。手を出さない方がいい。クランなら気づいてるかも。俺に気づいてクランが気づかない筈がない。いや違うだろ。助けなきゃ。今すぐに!』

 瞬間、俺の肩に1つの手が添えられる。

「来るんじゃねえぞ。トーマ」

 暖かい笑顔を浮かばせた、馴染みのある顔が、そこにはあった。

 その声を聞いてる時だけは、時間がゆっくり流れているように感じ、俺は何かを悟った。

「ランス!」

 俺が差し伸べた手の先には、もう誰もいない。

 その代わりに、1つの生命が救われ失われた。

「ラ、ランス」

 高速移動をしたランスは、身を挺してクランを助けていた。

「あらら。標的が違いましたね」

 リュウはカタナを抜刀する瞬間だけ、通常の何百倍もの力を引き出している。

 それが奴の能力であり、最大の汚点だ。

「気づいてたのか。お前ら」

 クランが振り向き、俺に問う。

「今さっきだ。けど、俺は判断が遅かった。だからこんなことになってしまった」

 クランをリュウの射程内から出す代わりに、ランスがその攻撃を受けてしまったのだ。

 脇腹から背骨を通過し、断面は斬られていない面積の方が少ない程、その傷は深かった。

 それは言わずとも、出血の量が物語っていた。

 ランスはクランに寄りかかるようにして、死んでいた。

「よくも、よくもランスを。テメェだけは絶対許さない」

 俺は力の限り、リュウに向けて空気弾を放つ。

「雑ですね」

 しかしそれは簡単に斬られ、次々と萎んでゆく。

「落ち着けトーマ!」

 クランの声が耳に届いても尚、俺は止まらなかった。

「雑……ですが、威力はかなりのものですね」

 斬られず通り過ぎた空気弾は、壁を音を立てて破壊していく。

 金庫の方には傷がつく程度で、そこまでの損傷は見られない。

「落ち着けってトーマ!」

「いっ」

 クランの拳が、俺を正気に戻す。

「能力を酷使するな。雑にやって勝てる相手じゃないぞ」

 クランが俺の両肩を掴み、目を合わせて話す。

「その人の言う通りですよ。ところであなた、名前はなんて言うんですか?」

「ランスが死んだんだぞ。俺が救えたかもしれないのに」

「無視ですか」

「お前の所為じゃねえ。俺が軽い挑発に乗ったからだ。たが、ランスの望んだ事は、ここで口喧嘩する事じゃねえだろ」

「おっ、こっち見た」

「あいつを2人で殺して、土産に持ってく事だろ」

 クランの瞳は濡れていた。

 クランには、表情に出せない悲しみがあったのだ。

「……すまん、取り乱してた。そうだよな。あいつを殺して、2人でいこう」

「……そうだな」

 俺はリュウを見つめ、手を前に出す。

「即興で」

「分かった」

 クランも手を前に出し、リュウを狙う。

「「ボウ」」

 俺が酸素と水素の道を作り、そこにクランが発火させる。

 いつもの赤い炎ではなく、青い炎を輝かせながら、それはリュウ目掛けて飛んでいった。

「まずいですね」

 リュウは横に飛ぶ。

 俺はそれに合わせて、酸素と水素の濃度を変更する。

 そうすることによって、曲がる炎がリュウを襲った。

「器用ですね!」

 リュウは抜刀し、炎を斬る。

 しかしクランが炎を出す限り、こっちの攻撃が止まる事はない。

 半永久的に燃え続ける、蒼炎の完成だ。

「しつこいですねこれ」

 リュウが斬って移動する度に、俺はそっちに軌道を変更させる。

 幸い金庫の壁が壊されているお陰で、常に換気され続けている。

 酸素が尽きる事は、まずないだろう。

「未完成なので、あまり使いたくないですが」

 リュウはカタナをしまい、避ける速度を上げる。

 壁を蹴り、地面を蹴り、思い切り投げたスーパーボールの様に飛び回る。

 炎は小回りが効かずに、段々と置いていかれる。

 そしてそれは突然訪れた。

「不意打ち御免!」

 避け続けた末、炎が完全に置いていかれた時、リュウは抜刀した。

 浮かんだ状態での抜刀は空を斬り、全くの無意味な動作に見えた。

 しかし、空気を探知している俺は違かった。

 見えない何かが、こっちに近づいてきていたのだ。

「クラ——」

 名前を叫ぶ前に、クランの首が飛ぶ。

 その何かとは、見えない斬撃だった。

「2人を仕留めるつもりでしたが、やはり慣れませんね」

 着地したリュウは、カタナを見つめて手首をほぐす。

 目の前で2度も仲間を失った俺は、狂いに狂い、逆に冷静だった。

「今からお前を殺す。動かない方がいい」

 俺は手を前に出し、そう言った。

「突然ですね。ですが、凄い殺気です。先程の何倍何十倍もの力を、あなたは手に入れた様ですね」

「サック」

 本能に従い、俺は能力を発動させる。

「あなたもさよならです」

 リュウが距離を詰め、俺に斬り込む。

 しかしそれは、俺の手の先に、もう少しの所で届かなかった。

「おかしいですね。何かに阻まれた様な感覚です」

 リュウはもう1度抜刀する。

 しかしやはり、先程の同じ結末の繰り返し。

「なぜでしょう。斬れているのに斬れていません。先程の技の、副作用でしょうか」

 カタナを鞘にしまい、俺の目の前で考え始める。

「これは……」

 リュウは俺が作ったであろう空気の壁に触る。

「私をドーム状に、空気が囲ってますね。空気だから斬っても補修が速いんですね。これを最初から使えば、仲間は死ななかったのに、どうして使わなかったんですか」

 こっちが聞きたいよ。

 俺も、なんでこんな事が出来てるのか分からないし、意識があやふやだ。

 もうこのまま能力を維持する力しか残っていない。

「答えは無しですか。ですがこのままだと、いつかジャスターズと警察が来ますよ? そうなればあなたは捕まり、私も捕まります。そんなのどちらの徳にもなりませんよ」

「うるせぇ」

 俺は声を絞り出す。

「それなら方法を変えるだけだ」

 俺はドーム状の空気を、段々と縮めていく。

「まあなんでもいいですから、早くしてください」

 リュウは正座する。

「あなたの名前は」

「トレント・マグナ」

 俺が答えると、リュウは驚いた顔をする。

「お前が言えって言ったんだろ」

「いや、まさか答えるとは思わなかったので」

 変な空気が流れる。

 俺の能力でも、この空気は変えられない。

「もしかして、拘束があなたの目的ですか? 仲間を殺された相手と一緒に投降するなんて、あなたイカれてますよ」

「勝手に決めるな。言っただろ。方法を変えるって」

 カタッと、リュウのカタナが揺れる。

「何かに当たりましたか?」

 そろそろ気づいたか。

 再びカタッと、リュウのカタナが揺れる。

「勘違いじゃない様ですね」

 リュウはカタナを握り、立ち上がろうとする。

「イテッ」

 しかし完全に立ち上がる前に、ドーム状の天井にぶつかった。

「こんなに縮んでいたとは、やられましたよ」

 リュウは再び正座し、カタナを構える。

 座った状態からでも出来るのか。

「ふんっ」

 カタナはドーム状の空気を斬るが、すぐに補修される。

「やはり無駄ですか」

 リュウは諦めた様にあぐらをかく。

「それにしても、拘束するというのは変わりないのですね。どうせこのまま縮め続け、動けない様にするのでしょう」

「だから勝手に決めるな。お前がこの状態で、ここから出られない事は十分証明された。これ以上縮めるのは、力の無駄だ」

 それに、俺の狙いはそこじゃない。

「ならこうしましょう」

 リュウはポケットから何かを取り出す。

「もしもし警察ですか。私は今、銀行強盗をしています。場所はクラヴァ銀行。早く来ないと、人質を1人ずつ殺しますよ」

 リュウはその何かを投げ、再びこちらを向く。

「これであと数分もしない内に、警察とジャスターズがやって来ますよ」

「それがどうした」

「何度も言う様ですけど、このままだと2人とも刑務所行きですよ。それかクリミナルスクールですかね」

「刑務所だろうがクリミナルスクールだろうが、お前は行く事が出来ないだろうな」

「というと?」

「ここで死ぬからだ」

「そうですかっ——はっ」

 突然、リュウが苦しみ出す。

「かあっ、はあっ」

 喉を押さえ、前屈みになり、何度も咽吐く。

「狙いは……酸素不足だったんですね」

「少し違う。二酸化炭素中毒だ」

「オエッ」

 二酸化炭素濃度を20パーセント以上にすれば、こいつは数秒で死ぬ。

 だが仲間を殺したこいつを、そう簡単に殺す気はない。苦しんで死んでもらわなくては。

「くそっ」

 リュウは支離滅裂にカタナを振る。

 空気の壁を斬り、換気をしようとしているのだろう。

「無駄だ。入って来るのは酸素じゃなく、二酸化炭素だぞ。俺は空気を操れるからな。それに、動き過ぎると早く死ぬから止めろ」

「うゔーっ」

 最後に呻き声を上げ、リュウは動かなくなる。

 気絶したか。ならもう用はない。

 俺は二酸化炭素濃度を急激に上げる。

「警察だ! 全員手を上げろ!」

 遠くの方から、誰かの叫ぶ声がする。

 警察? 予想以上に到着が早い。

 このスピードだと、ジャスターズがいるな。

 まあいいか。最後ぐらい、土産を増やして持っていこう。

 俺は完全に停止したリュウを後にし、踵を返す。

 その時、俺の真横で赤い炎が上がった。

「トーマ……」

 炎が上がっているのは、既に死んでいる筈のクラン頭だった。

「死ぬな……生きろ。それが俺らの……願いだ」

 すうっと音を立て、頭は灰になる。

「今のは、何だったんだ?」

 俺が思考を巡らせていると、激しい足音がこちらへ近づいて来る。

「……畜生」

 俺は金庫の方へと歩いていく。

 四角く斬られた壁から逃げるか?

 いや、銀行は完全に警察で囲まれてるだろうな。

 それより、1番厄介なのはジャスターズの方だ。

 いつどこから来るか分からないし、能力者ってだけで戦闘は避けられない。

「随分と困ってる様だね」

 ゾクっと、背筋が凍る。

 俺の肩には腕が回されており、横には知らない男が立っていた。

「くっ」

 俺は反射的に攻撃しようとする。

「うおっ」

 しかし、急に重力が重くなったみたいに、俺は動く事が出来なかった。

「あんまり抵抗しない方がいいよ? 怪我はさせたくないし」

 その男は俺に、優しくでもなく気遣っている訳でもなく、ただ淡々と話してくる。

「死体の数は4個。見たところ、現金を目の前にした仲間たちが、欲に目が眩んで殺し合ったって感じかな。そして君1人が生き残ったと」

「死体の数が4個だと?」

「そうだよ。死体は4個しかない。もし仮に隠しているとすれば話は別だけど、そんな感じはしないし、人質って言いながら誰も死んでなかったしね」

 死体が4個の筈がない。

 クラン、ランス、ハリー、ボン、リュウ。

 この5人の死体がある筈だ。

「なんてねっ」

 男はパァッと笑顔を見せる。

「大丈夫。俺たちもそんなに馬鹿じゃないよ」

 そう言うと、その男は壁に空いた四角い穴を指差す。

「あれ、やったの君たち以外でしょ。それにしてもよく切り取られてるね」

 男は感心した様にそう言う。

「知ってたのか?」

「何となくね。あと、ここにいた気配は6人だし、君が仲間と争う様な人じゃなさそうだし」

「何言ってんだ。俺は何百人も人を殺してきた。そいつがさっき人を殺してないとは限らないだろ」

「そんなに自分を卑下するなよ。言ったろ? 大丈夫だって。君も捕まえるし、そいつも捕まえる。それがジャスターズだ」

「やっぱりジャスターズだよな。お前」

「ナインハーズさん!」

 背中の方から、声が聞こえる。

 警察が駆けつけて来たのだろう。

「監視カメラは全てやられていました。それに、警報装置も。目撃者の証言によると、犯人は5人組だったそうです。それから——」

「ありがとう。もういいよ。後は俺がやっとく」

「失礼します」

 警察らしき人物は、駆け足で去っていく。

「言わなくてよかったのか?」

「まあね。それに、折角なら自分で捕まえたいだろ? 君が」

 そう言うと、男は名刺を差し出す。

「ナインハーズ・ライムネス?」

 名刺にはそう書かれていた。

「ようこそクリミナルスクールへ。君は今から生まれ変わるんだ」

 男の笑顔は、不思議と暖かかった。



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帰宅

「なかなか遠いね。ジャスターズ」

 トレントの言葉でハッとする。

「そうだな」

 どうやら話に聞き入り過ぎていた様だ。

 気が付くと、少し人を見かける程度の所へ出てきていた。

「サン、後どれくらいで着くんだ?」

 俺は前にいるサンに話しかける。

「そうだな。後3時間くらいじゃないか?」

「遠いな。無理とは言わないが、流石にきついぞ」

「それは同感だが、歩くほかねえだろ」

「まあそうだけど……」

 車っていう手段を知ってしまうと、歩きがいかに不便かを思い知らされる。

 ってか、戦闘後に歩くのは普通に疲れる。

「ケインはどうやって戻ったんだ」

「おい。さんを付けろって言ってんだろ。いつになったら覚えんだ」

「ああ、すまん」

 忘れていたが、ラットはこんな感じな奴なのに対して、結構礼儀に厳しいんだよな。

 過去に幹部にトラウマでも植え付けられたのか?

「まあ正直、俺も幹部方の詳細は分からない。こういう不思議な事はしょっちゅうだし、能力だってはっきり知ってる訳じゃない」

「謎が多いんだよ。幹部方は」

 サンがそう付け足す。

 確かにナインハーズとかいう奴は、幹部にも関わらず、いきなりタメ口でも全然怒っていなかった。

 それにどこか抜けてるところがあるし、上司より友達の方が響きが合っている。

 ナインハーズも謎の多い性格してるよな。

 ん? ナインハーズ? 何か忘れている気がする。

「あっ!」

「どうしたチェイサー、忘れ物でもしたか」

「んな訳ねえだろ。さっき会ったやつに、よく分からないもの渡されてたんだよ」

 俺はザン・モルセントリクと書かれた紙を、ポケットから取り出す。

「何だそれ。見せてみろ」

 ラットがちょいちょいと指を動かす。

 自分で取りに来いよ。

「へいへい」

 俺は渋々近づき、その紙を手渡す。

「ザン・モルセントリク? ナインさんの名前が書いてあるじゃねえか」

「知り合いなのか?」

「分からねえ」

 ラットが紙を擦りながら言う。

「にしてもこれ、何の素材だ? 繊維とは思えねえ程ざらついてる。それにこの文字、インクを使ってねえ」

 ラットが立ち止まり、俺の方を向く。

「これ、誰から貰った」

 真っ直ぐに俺の目を見て、詰問に近い感覚で質問をしてくる。

「誰って、さっきいた男だよ。ほら、サンが奇跡的に生き残ったのかって、言ってた奴」

 俺は手を前にして、ラットを宥める様に言う。

「あの呑気な奴か……」

 そう言うと、ラットはポケットからツールを取り出す。

「ヘブンか。今すぐ来てくれ。ああ、車で頼む。緊急事態だ。あ? いるけど。別にいいだろ。ああああ! 分かったよ。とにかく早く来いよ」

 ラットはツールをしまい、再びこちらを向く。

「多分その会った奴は、モグラのメンバーだ。なんで気付かなかったんだ畜生」

 ラットがぐちぐち文句を言っている。

 だが、正直俺はそれどころじゃなかった。

「おいおい。お前、今ツール持ってたよな。で、連絡したよな」

 俺はラットの両肩をがっしりと掴む。

「なんでもっと早く連絡しないんだよぉ! 今までの完全に歩き損じゃねえか! ってかツールあるなら早く言えや馬鹿野郎! なんだったの? 今まで歩いてたのなんだったの? そうだよね。歩き損だよね⁉︎」

 俺はラットを揺らしながら訴える。

 周りの目を気にする余裕は無かったが、恐らくその方が幸せだろう。

「ツールってのは私情で使えねんだよ! ってかそんな怒る事か? 第一、車を壊したのはお前らだろ」

「今関係ねえし! 車のくだり要らねえし! お前俺らが疲れて歩いてる時、自分にはツールがあるんだぜって心の中で笑ってたのかよ! 楽しかったか? 楽しかったよな! このく——むぐっ」

 急に口から声が出なくなる。

「チェス、どうしちゃったんだよ急に」

 後ろには、哀れみの目を浮かべたトレントが、能力で俺の口を塞いでいた。

「おいチープ。こいつはいつもこうなのか?」

「私も初めて見ました。でも、迫力があって面白かったですね。是非今度、2人の時に見せて貰いたいですね」

 それは勘弁してくれ。

 それにしても、さっきの俺は少し冷静さを欠いていたな。

 頭を冷やすと、今の自分が哀れ過ぎて悲しい。

 俺は落ち着きを取り戻し、ラットの両肩から手を下ろす。

 それと同時に、口の拘束も解けた。

「意外な一面を見た気がするよ。……見なかった方がいいかもだけど」

「ああ。出来るだけ忘れてくれると助かる」

 俺は顔を上げずに答えた。

「ま、まあ、俺も悪かった。確かに歩くのは疲れるしな。お前の気持ちは分からなくもない」

 ラットがフォローのつもりか、いつもより優しい口調で話す。

「ラットさん。こう言う時は、あまり触れない方がいいですよ」

「そうか……、すまん」

 胸が痛い。

「そ、それより、さっきラットさん、モグラって言ってたっすよね」

 トレントが話題を変える。

「あ、ああ。そうだった。この紙の材質からして、多分誰かの能力で作られたものだ。それも、かなりの使い手のだな」

 ラットは紙を千切るような動作を行う。

 しかし紙は少し曲がる程度で、ビクともしない。

「やっぱり切れねえ。恐らく大元の能力は硬化だろうな。その能力者は、かなりの使い手にも関わらず殺された。しかも死体の処理を怠るやつに」

 素人が殺した……とは考えられねえか。

 能力が能力だし、ラットの言う通り、かなりの使い手なら、そう簡単には殺せないだろう。

 それこそ素人レベルは尚更だ。

「殺されたそいつは、運悪くモグラに回収され、こんな風に利用されちまった。いくら強くても、来世が紙なら救われねえな」

 俺には違和感は感じられなかったが、プロの目からすると、普通の紙とは違うのだろう。

 モグラってのは、本当にそんな芸当が出来るんだな。

 恐ろしいというかなんというか、敵だと思うと厄介だな。

「おーい! ラットー!」

 遠くの方から、大声でラットを呼ぶ声がする。

「来たか」

 ラットはジャスターズ方面を向き、そう呟く。

 遠くに見えるのは2台の車と、運転しているヘブンだった。

「あ、ヘブンってあいつか」

 確か保健室で会ったことがある。

「何だ知ってたのか」

「まあな。俺、知り合い多いから」

「……意外と早かったな」

 俺は生まれて初めて、真っ向から無視をされた。

「お待たせー」

 タイヤが地面との摩擦を音にして止まる。

 もう1つの車も、同様にして止まった。

「いやいや、急に呼び出すもんだから、急いで来ちゃったよ」

 ヘブンは車の扉を開け、よっこらしょっと出てくる。

「止まったところ悪いが、今から西に向かうぞ。モグラを見つけた」

「モグラか。それであんな焦ってたのね。分かった。じゃあサンと……、もしかしてチェスか!」

 ヘブンは走って近づいて来て、俺に抱きつく。

「大きくなったなー。チェス」

「はあ? 1回会ってから、1週間も経ってねえだろ」

 俺がそう言うと、ヘブンは離れる。

「いやはや、そう言えばそうだったね。よし、サンとチェス達問題児は、こっちの車に乗るがいい」

 ジャシャーンと手を広げ、ヘブンはもう1つの車を紹介する。

「お、せんきゅ」

 俺は運転出来ないので、早速席に着こうと扉を開ける。

「チェスは助手席派なんだな」

「じゃしゅしぇきは?」

「そんな言えないもんかね」

「早くしろヘブン」

 ラットは既に車に乗っており、運転席に座っている。

「分かったよ。じゃあ後ほど」

 ヘブンはそう言い、俺たちに手を振り席に着く。

「俺たちも早く帰ろうぜ」

 サンに運転席に乗る様促し、俺はシートベルトを締めようとする。

「あ、言い忘れてた」

 前の車の窓から、ヘブンが身を乗り出す。

「助手席のシートベルト壊れてるから、気をつけてねー」

 そう言いながら遠ざかるヘブンを、俺は止める事が出来なかった。

「またかよ」

 俺はそう思い、窓の外を見る。

 まだ2人は乗り込んでいない。

 トレントとチープの2人が乗るよりも、俺が席を乗り越えて後ろに行く方が速いかもしれない。

 俺はそう思い、席を立とうとする。

「あ、あれ?」

 しかし思うように足が上がらず、立ち上がれない。

「お先失礼します」

 そう言い入って来たのはチープ。

「あーあー。シートベルトって良いなー」

 トレントがわざとらしく声を上げて席に座る。

 あとでぶち殺す。

 俺がそう思っていると、横から肩を叩かれる。

「気にすんなって。そういう日もあるさ」

 その先には哀れんだような目で俺を見る、サンの姿があった。

「……早く出せよ」

 俺は顔を上げられずに、そう答えた。



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モグラ

「起きろー。着いたぞ」

「んー」

 肩を揺らされ、俺は重いまぶたを開ける。

「よくこの短時間で眠れたね」

 窓の外を見ると、既に車はジャスターズに到着していた。

「着くの早いな……」

 少し寝ぼけながら、俺は返事をする。

 腰と首が痛む。車での睡眠は、およそ快適と言えるものではなかった様だな。

 後ろを見ると、トレントとチープの姿がない。先に降りているのか。

 重い腰を上げ、俺は扉を開ける。

 外に出ると同時に、眩い光が俺の視界を奪った。

「眩しっ。随分と晴れたな」

 手で日陰を作りながら、俺はジャスターズの入り口へと歩みを進める。

 入り口の扉を開け、中に入る。

「こんにちはー」

 受付の人に笑顔でそう言われる。

 しかし困った事に、受付の仕方が分からない。

 まずの話、俺はジャスターズの人間なのかと自分に投げかける。

 もし違うなら、俺はここで速攻逮捕だろうが、今のところはそれがない。

 俺は深呼吸し、受付に向かう。

「あの、すいません」

「どうされましたか」

 どうされましたかと来たか。

 まあ普通、受付に来るのはどうかされてる奴なんだけど。

 どう答えたものか。

「えっと」

 無言はまずいと思い、俺は言葉を探す為の時間稼ぎをする。

「チェイサー・ストーリトです」

「はい?」

 完全に選択肢をミスってしまった。

 初対面で、予約もなしに名前を言う奴がいるか。

 しかも地味に伸ばすところを間違えてるし。

「チェイサー様で宜しいでしょうか?」

 受付が戸惑いつつ、確認をしてくる。

「そ、そうです」

「少々お待ち下さい」

 そう言い、ここからは見えないが、受付が何かをする。

 どうやら苗字は要らなかったようだ。

「申し訳ございません。チェイサー様というお名前は、ジャスターズに記録がございません。今回はどの様なご用件で、お越しになったのでしょうか」

「え、あの、ジャスターズの、なんと言うか、あれ、あの、に、人間? と言うか、ジャスターズだす」

 自分でも驚くくらいに戸惑っている。

 このままだと、完全に不審者と思われてしまう。

 そうなれば、言わずもがな……。

「ああ、すいません。どうも、サンです」

 サンが遅れてやって来て、俺の肩に手を回す。

 そして受付に何かの会員証を見せた。

「サン様ですね。その方は」

「連れです」

 サンが即答する。

 連れでよかった。

「どうぞお通り下さい」

 俺はサンに連れられ、受付の横を通る。

「トレントとチープは?」

「3階で待ってると思う」

「俺たち専用の部屋があるのか?」

「そんな感じ。見習いは家を持ってないのがほとんどだからね」

「なるへそ」

 ある程度歩いたところで、サンが腕を下ろす。

「ってか何で受付通れると思ったの?」

「なんとなく」

「危うく捕まるとこだったぞ?」

「けど、俺ちゃんと言ったぞ? チェイサー・ストリートですって」

「分かるかっ。ちゃんと証明書見せないと、ジャスターズには入れない様になってるの」

「そう言われても、証明書持ってないぞ」

「そうか、作ってないのか。というか作れないのか。えっと、この場合はどうするんだっけ」

「俺単体じゃ、一生ジャスターズに入れないのかよ」

「そう言うんじゃないけど、この場合の対処の仕方を忘れちゃった」

「マジかよ」

 何やってんだこいつは。

 ジャスターズの人間なのに、俺はジャスターズに入れないのか。

「おお、ストリート」

 目の前からは、何かの資料を持ったナインハーズが歩いてくる。

「ん? ああ、ナインハーズ」

「な、ナインハーズさん⁉︎」

 サンが異様な程に驚く。

 ナインハーズは有名人か何かなのか?

「相変わらず敬語を覚えないな。それより、ここで何してるんだ?」

「任務の帰宅途中。なんか、サンが部屋に案内してくれるらしい」

 サンの方を見ると、固まったまま立っている。

「まあこの有様だから、今は無理そうだけど」

「なるほどね。ってかよく入れたな。証明書は?」

「サンがなんとかやった。それでこいつは、証明書を持ってない俺の対処の仕方を忘れたらしい」

「あらら。じゃあこれでもあげるよ」

 そう言うと、ナンバーズはポケットから白い紙を取り出す。

「ここに後で、チェイサー・ストリートって書いとけば、証明書と同じ効果があるぞ」

「おお便利」

 そんな便利なものがあるなら、早く渡してもらいたかったな。

「それで、どんな任務だったんだ?」

「大変だったぞ? 弱いと思いきやめちゃくちゃ強くて、ケインが来なかったら死んでたな」

「ケインが。だからここにいないのか。ウッドがいても手こずるなんて、相当だな」

「ラットもいたぞ」

「今はどこに?」

「なんかモグラがいたとか……。あっ、そう言えば、これを渡されたんだよ」

 俺はポケットの中身を確認する。

 しかし探していた紙が、今はラットの手にあるという事を思い出した。

「どうした?」

「いや確か、ザン・モルセントリクとかいう奴が、ナインハーズによろしくって書かれた紙を渡して来たんだよ。今はないけど」

「ザン・モルセントリク? 知らない名前だな」

「そいつがモグラのメンバーだって、ラットとヘブンが追いかけてった」

「モグラのメンバーか」

 ラットの反応に対して、ナインハーズは然程驚きはしない。

 それを不自然に思いながら、俺はナインハーズを見ていた。

「ナインハーズはモグラの事どう思ってるんだ?」

 気が付いたら、その言葉を口に出していた。

「……これはジャスターズ内でも、結構意見が分かれるんだけど」

 ナインハーズは、そう前置きをする。

「俺はそこまで危険視するべき組織とは思わないんだよな」

 予想外の答えに、俺は一瞬困惑する。

「なんで。モグラは能力者を無許可に改造してるんだぞ? 俺はそれが正しいとは思えないな」

「モグラってのは確かに、捕まえなくちゃいけない組織には違いないんだよ。だけど、他にも犯罪を犯している人間や組織は五万といる。人員が足りてない今、わざわざモグラに力を入れる必要は無い気がするんだよ」

「けど、厄介な組織こそ先に潰した方がいいだろ」

「ストリートは、モグラが厄介な組織と思ってるんだな」

「俺はそうだな。危険視する派だ」

「まあ別に、そっちの意見が間違ってるとは思わないし、そこは争う事じゃない。すまんな。少し変な話をした」

「気にすんな。だが、今は厄介じゃなくても、今後厄介になる可能性があるってのは、頭に入れといてもいいかもだぞ」

「今後?」

「ああ。イモムシがチョウになる様に、モグラも飛ぶかもしれない」

「イモムシが……。ふっ、なるほどね。面白いなそれ」

 ナインハーズは少し笑う。

「安心しろ。モグラは羽程度じゃ飛べないし、翼が生えても俺たちが折る。それも頭に入れておいてもいいかな」

「ああ。いいぞ」

 じゃっ。と、ナインハーズは去っていく。

 その後ろ姿は、心なしか楽しそうに見えた。

「いつまで固まってんだ」

「はっ、ナインハーズさん⁉︎」

「もういねえよ」



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科学者クローク・トス

「ここがチェイサーの部屋ね」

 3階に上がると、寮の様に部屋がずらっと並んでおり、俺は扉に10と書かれた部屋に案内された。

「部屋の数のわりに、結構序盤の数字だな」

 見たところ、3階以外の階にも部屋があるだろうし、たまたま空いてたにしてはピンポイント過ぎる。

 それとも何かの意図があって、ここの部屋になってるのか。

 例えば問題児な奴とか、サンみたいに戦闘面に優れている奴とか。

「サンの部屋はどこら辺なんだ?」

「俺にはもう部屋はないよ。部屋を持つのは見習いだけだからね。けど、前に住んでたのは4階の奥だったかな」

 なるほど。問題児の線が濃くなった。

 いや実は、優れた生徒を端っこに置く。みたいな風習があるのかもしれない。

 だからサンは4階の奥だったし、俺は3階の手前なのか。

 そう考えると筋が通るな。

「おお、チェス。やっと起きたんだね」

 俺の部屋の隣、もちろん11と書かれた扉から、トレントが顔を覗かせる。

「新しい部屋には慣れた?」

「はい。ある程度は」

「分からない事あったら聞いていいよ」

「ありがとうございます」

 なんか、少し仲良くなってるな。

「チープもここら辺なのか?」

「俺の隣の部屋だよ」

「みんなここら辺なのね」

 やっぱ問題児か……?

「それより、さっきクロークが探してたよ?」

「俺をか?」

「そそ。なんか確認したい事があるとかなんとか」

「クロークか。何か面白い事でも発見したのかね」

 サンが少しニヤける。

「で、その肝心なクロークはどこにいるんだ?」

「確か、2階の研究室Bで待ってるとか言ってた」

「分かった。行ってみる」

 俺は踵を返し、階段へと歩みを進める。

「チェイサー!」

 サンの声で振り向くと、何か小さい物が飛んでくる。

「部屋の鍵だから無くすなよ」

 俺はそれを片手でキャッチし、ポケットの中へしまう。

「サンは来ないのか?」

「俺は別の仕事があるからパスで」

「あいよ。頑張れよ」

 今回は誰も付き添いなしと。

 まあ、2階だけなら迷わないか。

 というか、別に俺は方向音痴じゃないし、頭も悪いわけじゃない。

 ただ、少し運に恵まれていないだけ。

 目的地を指定されていれば、まず迷うはずがないのだ。

 俺はそう思い、足音を鳴らして階段を降りた。

 

 かれこれ「研究室B」を探して、早くも20分が経過しようとしていた。

 Bだと言うから、てっきりアルファベット順に並んでるのかと思いきや、1番最初に目に飛び込んだ文字は「研究室1」。

 それからというもの、数字とアルファベットが組み合わさった文字に囲まれ、頭は限界を迎えていた。

 まるで一生出られない、神かなんかを祀ってる迷宮に迷い込んだみたいな気分だ。

 2階なら迷いようがないだろうとたかを括った、過去の自分を殴ってやりたい。

 意地でもサンを連れてくるんだったな。それかトレントとチープ。

 それにしても、2階はほとんどが研究室だな。

 特に実験をやっている様子はないが、全ての部屋が閉じられている。

 たまにトイレを見かけるくらいで、他は全て研究室なんとかだ。

 こう同じ部屋がずらっと並べられていると、何か少し不気味だな。

 耳を澄ますと、自分の足音だけが廊下に響くし、吐息も自分のものだけ。

 まるで世界に1人だけ、ポツンと置いてかれたような、そんな気分だ。

 俺は歩く速度を落とし、周りをキョロキョロしながら、一歩一歩足音を立てないように目的の部屋を探す。

「チェイサー! やっと来たか!」

「あひゃばっ」

 ガラガラッと勢いよく開いた扉は、クロークの大声と共に、俺の寿命を30年も減らした。

「び、びっくりしたじゃんか」

「なかなか来ないと思って廊下見たら、変な姿勢のチェイサーが歩いて来てたからさ。てっきりふざけてるのかと思ったよ」

「ここでふざけてどうすんだよ」

「知らん」

「適当な奴め……」

 よく見ると、俺の目の前には「研究室B」と書かれた部屋があった。

 前の部屋は「研究室A」、その前は「研究室9」と、規則性がよく分からない。

 なんで9からいきなりAになるんだ。それともAから9?

「そんな所で突っ立ってないで入りなよ」

 クロークは部屋の中に入り、俺もそれに続く。

 中は然程広くはないが、研究するのには十分な設備が整っていると、素人目でも理解できる。

 というかそう思わせる程、この部屋は未知に溢れていた。

「適当にそこの椅子に座って」

 俺は近くの丸椅子を引き寄せ、足を組んで座る。

「そう言えば、サンは来なかったのか?」

「来るよう誘ったんだけど、仕事があるとかでどっか行った」

「折角だから、サンにも見てもらいたかったんだけど。まあいいか」

 そう言うと、クロークは何かのボタンを押す。

 すると部屋は真っ暗になり、目の前の壁に3つの折線グラフが浮かび上がった。

「原始的だけど、今回はこれでいかせてもらうよ」

 クロークが棒を持ち、1つのグラフを指す。

「これは普通の能力者の、能力熟練度を表したグラフなんだけど」

 棒はグラフをなぞり、少しした所で止まる。

「ここ。大体10代後半から20代前半にかけて、大きく上昇している。これはつまり、何もしてなくても能力ってのは成長するし、その場合の全盛期は10代後半から20代前半で、後は劣化していくって事が分かる。けどこっち見て」

 クロークはもう1つ上のグラフを指す。

「これは能力を鍛えている、つまりジャスターズみたいな人たちのグラフなんだけど」

 棒はグラフをなぞり、1つめに示した所と少し離れた所で止まる。

「全盛期が大体35歳なんだよね。それからも、常に下がっていく訳じゃなくて、最高値を超えない範囲で、グラフは上下している。もちろん個人差はあるけど、いつまで経っても全盛期と変わらない事例も、あるはあるしね。次はこれ」

 クロークは1番下のグラフを指す。

「これは人工的に能力を持たさせれた人のグラフなんだけど。見て分かる通り、最初の値が他の2つと比べてかなり低くなってる。それも、大体3分の1位にね」

 そのグラフは値が小さいだけでなく、上がり方もゆるやかになっている。

 全盛期と呼べる所は見当たらず、常に低い値を維持していた。

「で、ここからが本題。知ってると思うけど、俺はチェイサーが人工的に能力を植え付けられたんじゃないかって思ってたんだよ。けど、サンとの戦闘では、他の2人に遅れをとってる感じはしなかった。それどころか結構いい線いってたし、このグラフで言えば、上の2つのどちらかで間違いないと思う」

「なら俺は、普通の能力者って事でいいのか?」

「それはまだ分からない。チェイサーは歳でいうと10代後半に当たるから、まだ傾向が見えてこないんだよね。データが少な過ぎるし、チェイサーの場合は、異例のケースも考えられなくもない。一概には普通と言い切れないかな」

「そうか。まあ、別に普通と違くても、なんの影響も無いんだろ?」

「俺の知ってるデータでは、何の影響も無いと思う。だからこうやって研究する必要もないんだけど」

 クロークは棒を手放し、俺の方に歩いてくる。

 かなり近づいた所で両肩に手が乗り、じっと真剣な顔で見つめられる。

「気になるんだよ! 科学者だから」

「……お、おう」

 クロークは両手を離し、何もなかったように壁の方に戻る。

 やっぱりこいつ、ヤバいやつだよな。

「もちろん、チェイサーが拒むなら俺も止めるよ。その時は言ってくれ」

「わ、分かった」

 遠回しに、拒むなって事だな。

「話が終わったなら、俺は帰っていいか? 少し寝たいんだ」

「そうか、大変だったんだっけか。うん。ほどほどに休みな」

「ああ。そうする」

 俺は部屋を出ようと、扉に手をかける。

「そうだ! これこれ」

 すると、後ろからクロークが何かを持って来る。

「なんだこれ?」

 見ると、手のひらサイズの紙が折り畳まれていた。

「受付に渡しといてくれ」

「何で俺が」

「ついでだよ。ついで」

「俺、受付苦手なんだよ」

「いいからいいから」

「さっきお前が休めって——」

 ぐいぐいと来るクロークに押され、俺は部屋を出る。

 数秒前に休めって言った奴が原因で休めねえって、どんな性格してるんだクロークは。

 ってか、また受付に行くのは気まずいなー。

 なんかのリストに載せられてないといいけど。

 俺は渋々、よく分からない紙を見ながら受付を目指した。



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勘違いの偶然

「これ、クロークからです」

「クローク様ですね。承知しました」

 受付に紙を渡すと、すんなりと受け取った。

 予想では宛名を聞かれたり、本人じゃないと貰えない。みたいな事を言われるかと思って、色んなパターンの返答を考えていたけど、無駄だったな。

 折角時間があったのに。

 まあ、これはこれでいいか。

 俺は3階に行こうと、踵を返そうとする。

「そうだ、ミラエラ・モンドという人物はいるか?」

 俺は受付に駄目元で聞いてみる。

「モンド様……は、申し訳ございません。お教えする事は出来ません」

「教えられない? いないとかじゃなくて?」

「はい。レベルB以上の権限をお持ちでなくては、お教えする事は出来ません」

「レベルB? 俺のレベルは分かるのか?」

「身分証明書をお持ちでしょうか」

「身分証明書? ああ、これの事か」

 俺はナインバースから貰った紙を見せる。

「頂戴します。……これは! 失礼致しました。貴方様は、現在レベルBの権限を持っております。誠に恐れ入りますが、お名前をお聞かせ願いますか?」

 よく分からないが、どうやら上手く事が運んでる様だな。

 俺は貰ったペンで、名前を付け足す。

「チェイサー・ストリート様ですね。承知しました。ミラエラ様は、現在Cの2階におられます」

「し、Cの2階? 誰か案内って出来る?」

「はい。直ちに」

「どうも」

「うおっ」

 突然、俺の左に男が現れる。

 男は俺と同じくらいの身長で、20代くらいの顔立ちをしている。

 不自然な程機械的な笑顔を見せ、どこか不気味な奴だ。

「ご案内致しますね」

「お、おう。頼む」

 男は普通に歩き出し、角を左に曲がる。

 そして近くの「移動室」と書かれた扉を開けた。

「お先にどうぞ」

「ここに入っていいのか?」

「もちのろんです」

「えぁ?」

「もちろんです」

「ああ」

 案内されるがまま、俺は部屋に入る。

「少し失礼」

 そう言われ、肩を掴まれる。

「もういいっすよ」

「はやっ」

 1秒もしない内にそう言われ、俺は思った事を口に出してしまう。

「どうぞ」

 そして扉を開けられ、外へ出る。

 するとそこは、さっきの廊下とは違かった。

「ここは?」

「Cの2です」

「マジか」

 これが瞬間移動ってやつか。正直なんにも感じなかったな。

「あそこの部屋にいます。後はご勝手に」

「おお、せんきゅ」

 指が向けられた方向には、1つの部屋があった。

 後ろを向くと既に男の姿は無く、代わりに1枚の紙が落ちていた。

「忘れ物ですよって……、勝手に書くなよ」

 俺は身分証明書代りの紙を拾い、立ち上がる。

「あそこにミラエラが」

 部屋には何も書かれてないが、中には気配がある。

 1人か2人、何か話している。もしかしてナインハーズか?

 俺はドアノブに手をかけ、回して開ける。

「ミラちゃ——」

 俺は全てを言う前に、その口をつむいだ。

「え、あ、す、ストリート?」

 中にはこれまで以上にない程驚いたナインハーズと。

「あれ? あなたこの前の」

「あ、綺麗なお姉さん」

 が向かい合い座っていた。

「なんだ知り合いなのか? それならよかった。いやよくねえな」

 依然焦ってるナインハーズは置いといて、このお姉さんは見覚えがある。

 確か俺が喉にペンをブッ刺した人。

「あの時はよくペンを刺してくれたね」

 お姉さんは立ち上がり、俺の背中をポンポンと叩く。

 覚えてたのね……。まあ普通、喉にペン刺されれば嫌でも覚えてるか。

「マジすんません。まさかこんな所で会うとは」

「いやいや褒めてるんだよ。あの攻撃は見事だったな」

「あ、あざっす」

 なんか思ってたよりいい人だな。そして意外とラフ。

「それで? よくここに来れたね」

「あ、そうそう。これ見せたら、なんか大丈夫だった」

 俺はナインハーズから貰った紙を見せる。

「これって……オーダーさんのじゃない? ねえ、ナインハーズ!」

「やべえやっちった。あ? ああ、本当だ。間違ったの渡しちまった」

「やっぱり間違えね。だってこの子、ガイド使ってたもの」

 ガイド? ああ、あの機械みたいな奴か。

 ってか、そんなにヤバい事なのか? 俺がここに来ちゃった事。

「ガイドか。俺もたまに使うな」

「あ、そうなの。意外と馬鹿なのね、あなた」

 俺、今遠回しに馬鹿にされたよね。

「まあ一旦、ストリートがここに来た事は置いとこう。それより、どうやって来たんだ? 第一、モンドの名前も知らないだろ」

 置いといちゃうのね。

「そうね。どうして私の名前を?」

「俺はお前……、あー、あなた、君?」

「ニーズでいいわよ」

「俺はニーズの名前なんて、一言も言ってないぞ」

「尚更どうして?」

「俺はただ、ミラエラ・モンドって言っただけだ」

「ミラエラ? 私の妹じゃない」

「妹? へー、い、妹⁉︎ 本気かそれ」

「本気も本気よ。それより、あなたってミラエラの知り合いだったのね」

「いやまあ、そうだけど。ミラエラに姉がいたとは……」

「言ってないからね」

「言ってないの、すか」

「タメでいいわよ。変に気を遣わないで」

「あざす。それより、言ってないのか。理由は聞いても?」

「色々とね。私今、スパイしてるから」

「スパイ……。道理であの時いた訳だ」

「そうね。あれは私も予想外だったけど」

 あの時応援が早く来たのは、ニーズのお陰だったのかもな。

「ありがとな。スパイでいてくれて」

「変な感謝ね。まあ、どういたしまして」

「スパイって言っちゃった。まあ今更隠せないか。それより、君は段々と機密情報を抱えていくな」

「好きでやってる訳じゃない」

「それもそうだな。3割くらい俺の所為か」

「9な」

「きゅ、きゅ、9も? 9もか。……7?」

「9だ」

「9ね。分かった。俺がほとんど悪い」

「あなた凄いわね。ナインハーズと話すのに、全然緊張してない」

「緊張はしないだろ。こんな奴に」

「そうね」

「嫌なカードが2人揃った……」

 ジャスターズ内でも、ナインハーズにこんな態度を取れるのは、俺を抜いてニーズだけなのだろう。

 そういう意味では、ナインハーズは災難だな。

「そう言えば名前は? ストリート?」

「チェイサー・ストリート。よろしくニーズ」

「よろしくチェイサー。ニーズ・モンドだ」

 ニーズはにっこりと笑いながらそう言う。

 あ、あれ? なんだろう。可愛いな。

 俺は差し伸べられた手に、数秒握手を躊躇った。



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裏切り者

「なら、知り合ったのは最近なんだ」

「そうだな。ええと……」

「3日?」

「そう。3日くらいしか経ってない」

 俺は席に着き、ニーズにミラエラと出会った経緯などを話していた。

「随分とゆっくりしているな」

 代わりに席を立ったナインハーズが、俺たちを見ながらお茶を飲んでいる。

「少しぐらいいいだろ。今日は大変だったんだから」

「へえ。何かあったの?」

「ニーズはエッヂって奴を知ってるか?」

「エッヂ? エッヂなら知ってるわよ。確か幹部を勤めてた気がする」

 あいつって幹部だったのか。

 俺はキューズ相手だと、大体が幹部だな。

「俺らはそのエッヂと闘って、正直死にかけたんだよ。まあ、ケインが来て助かったけど」

「エッヂって、幹部のくせに弱いイメージだったけど、意外と強かったのね」

「エッヂって弱いのか?」

「弱いというか、幹部並みでは無いって感じだったなあ。前の時も……確か」

「カステル」

「そう。カステルだって、幹部だったけど、ロールさんに1発で殺られたし」

「カステルって誰だ?」

「あれだあれ。ほら、ロールに助けられたやつ」

 ああ。ポケマンの事か。

「逆に、手も足も出ない様な幹部もいるし、キューズの幹部レベルが分からないのよね」

「案外適当に決めてたりしてな」

「どうだろうな。キューズは本当に得体の知れない組織だ。一概にも否定できないのが厄介な所なんだよな」

「今のは適当に言ったんだけど……」

 真面目に捉えられると、なんだかこっちが緊張する。

「そういえば、ジャスターズの幹部は何人ぐらいいるんだ? キューズも」

「ジャスターズは今、俺を合わせて5人だな」

「意外と少ないな」

「キューズはその時によるなー。今のところ2人いなくなったから、私が知る限りでは3人かな」

「3人……。幹部の数はジャスターズの方が多いのか」

「一応な。だが、幹部の数が組織の強さって訳じゃない。少数精鋭って事もあり得る」

「ジャスターズはそうなのか?」

「まあな。少数精鋭だ」

 そう言うと、ナインハーズは胸を張る。

 反応するのめんどくせー。

「ニーズが言ってた、手も足も出ない奴って誰の事なんだ?」

「私も詳しくって言われれば知らないけど、大体20くらいの人だったかな。身長も高い訳じゃなくて細いし、筋肉もあんまりないんだけど、能力がもの凄く強くてね」

「そんなに?」

「そう。前チラッと聞いたんだけど、1人で兵士上レベルを何十人も殺したって。しかも5分くらいで」

「兵士上?」

「あら、ナインハーズ。教えてないの?」

「ん? 言ってなかったっけか」

 多分だけどその反応、俺は100パーセント言われてないな。

「簡単に言えば、ストリートより強い奴って事だ」

「俺より強い奴が何十人も……」

 チープとかスウィンが何十人もいて、5分でってのは、それだけで強さが伝わってくる。

「凄いわよね。まだまだ人生も浅いっていうのに、目が死んでたもの」

「その男の名前は、なんて言うんだ?」

 俺は恐る恐る尋ねる。

 その時俺は、熱が出たみたいに冷や汗をかき、全身が鳥肌立っていた。

「ラッツ・モーニングスターって名乗ってたわ。いつも小さい鉄球を持に歩いてて、不思議な子って印象ね」

「ラッツ・モーニングスターか。少しだけ聞いた事があるな」

 ナインハーズがお茶を啜りながら言う。

「今知ったのか?」

「ああ。モンドと会うのは久しぶりだからな」

 俺はてっきり、よく会って情報交換でもしているのかと思っていた。

 だがよく考えたら、キューズの人間がジャスターズに来る事がリスクを伴うのに、それを頻繁に行っていたら、ニーズの命が持たないよな。

「そうだったのか。なら、ニーズと出会ったのは、本当に偶然なんだな」

「そうだね。まさかミラエラの知り合いとは思わなかったし」

「これだこれ。ラッツ・モーニングスター。1998年に初犯で、殺人をしている。歳で言うと、9歳くらいだな」

 ナインハーズは何かの資料を見て話す。

 廊下であった時にも、あれ持ってたな。

「9歳で殺人ねえ。そりゃあ目が死ぬのも無理がないわね」

「あまり驚かないんだな」

「そうね。キューズ、ジャスターズのほとんどは、元犯罪者の集まりだからね」

「言い方が悪いぞ。更生した立派な大人と言え。ジャスターズだけ」

 あんまり変わんねえだろどっちも。

「そういうナインハーズは元犯罪者なのか?」

「俺は犯罪をした事はないぞ。生まれながらの善人だからな」

「へいへい凄いですね」

「聞いたのはそっちだろ……」

「そういえば、なんでチェイサーはジャスターズに?」

「俺? 俺は、どうなんだろうな」

 入隊したのは自分の意思だが、それまでに校長だったり、ナインハーズに薦められたりしていた。

 100パーセント自分が決定した運命だと言い切るには、少し自信がない。

 もちろん能力者差別を無くす為でもあるが、それをここで言うべきかどうか、俺には分からない。

「難しい質問だったかな」

 少し間が空いたからか、ニーズが笑いながら話を切る。

「いや、少し考えてただけだ」

 ニーズには悪い事をしてしまったな。

 俺は1つ、深呼吸をする。

 そして真面目な顔で、ニーズの目を見る。

「俺は、能力者と無能力者の壁を無くす為に、ジャスターズに入隊した。それと、ミラエラを守る為でもある」

 俺が答えると、数秒の静寂な時が流れた。

「……やっぱりチェイサーって、ミラエラの事好きなんだ」

「えっ、やっ、そう言う事になるのか?」

 思ってたのと違う方を取り上げられてしまい、俺は少し混乱する。

「今のは完全に、結婚の事前報告だな」

 ナインハーズ、余計な事を言うな。

「お姉さんに挨拶しにしてくれたのかな?」

「い、いや、そう言うのじゃなくて、いや、今のはそう捉えられてもおかしくないのか? 俺はただ、思ってる事を言っただけなんだけど」

「無自覚なら、この子将来有望ね」

「だな」

 さっきとは空気が一変し、俺の緊張も吹き飛ぶ。

 答え方に、間違いは無かったよな?

「とりあえず、チェイサーがロリコンなのは分かったから、そろそろミラエラに会いに行ったらどうだ?」

「だからロリコンじゃないって言ってるだろ」

「ロリコン! 私の妹がピンチ!」

「だから違うって! もう行くからやめてくれっ」

 俺は立ち上がり、急いで扉に手をかける。

「ミラエラはこの棟の地下2階にいるぞ」

「ご報告どうも!」

「私の事は内緒にしててねー」

「はいはい分かりました!」

 俺は扉を開けて、廊下に飛び出す。

「全く、俺にとってもあの2人は厄介だな」

 俺はぐちぐち言いながら、階段を降りていった。

 

「わざわざ追い出す必要も無かったんじゃないの?」

「ここからは機密情報だからな。いくらストリートでも聞かれたら困る。あいつは口が緩そうだしな」

「相変わらず偏見が過ぎるわね。まあ長居するのも危険だし、早速報告するわね」

「ああ、頼む」

「まず、キューズの動きから」

『最近は能力を使った化学兵器を、他国に売ってるわね。ほとんどが殺人目的で、能力者にも効果があるから人気みたいね」

『例えばどんなのだ?』

『今は毒の開発を結構進めてて、他にも爆発物だったり、他人を操作する装置だったり。とりあえず、非人道的なのがほとんどね」

『なるほどな。遂にそっち側に手を出したか』

『それと——』

「キューズ様。裏切り者が見つかりました」

「そうか。で、誰?」

「ニーズ・モンドです」

「ニーズ……。あいつかー。結構忠実なのが好印象だったんだけどなー。今どこにいるの?」

「今はジャスターズにいます」

「よし、帰ったら殺すか。後で呼んどいて」

「お任せください」



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再会

 地下2階まで降りると、小部屋がずらっと並んだ廊下が広がっていた。

 部屋に窓はなく、扉の小窓がこちらを見ているだけだ。

 電気が付いてるものの、所々で消えてるものもあり、薄暗く無いと言えば嘘になるだろう。

 地下という事もあり、心なしか空気が冷たく感じる。

 気配が無いのに足音だけが反響し、後数分もすれば、俺の鼓動もそうなってしまいそうだ。

 俺は恐る恐る足を進め、どこにいるかも分からないミラエラを探す事にした。

「また9からAになってるよ……」

 誰に伝える訳でもなく、ただ独り言を口にする。

 ジャスターズというのは、部屋の番号が数字とアルファベットの混合になっているらしい。

 なぜそうするのか見当もつかないが、とにかく見づらいという事はハッキリとしている。

 一本道が続いているので、迷うという事は間違っても無いだろうが、それでも不安を振り払えそうにはない。

「寒いな。早くミラエラを見つけて、部屋で暖まりたいもんだな」

 服をさすりながら前屈みで歩く俺の前には、抑えきれないと言っているかの様に溢れた光が、廊下を照らしていた。

「やっと見つけた」

 顔にかかる冷気など気にせず、俺は歩く速度を少し上げる。

 その部屋にミラエラがいるとは限らないのに、俺の心は6歳児くらいまでに退化していた。

「面倒くせえな」

 ふと聞こえた1つの声が、俺の足を止める。

 それは廊下のどこからでもなく、はっきりと部屋の中から聞こえた。

「文句言わないの」

 次に聞こえた声は、完全にミラエラのものだった。

 26と書かれた扉の向こうには、ミラエラともう1人誰かがいる。

 そう理解するのに、然程時間はかからなかった。

「ったく、なんで俺がこんな事しなきゃいけねえんだよ」

「助けてもらったんでしょ? 礼儀としてお返ししないと」

「だからって世話はないだろ世話は」

「私的には楽でいいけどね」

「……くそが」

 口の悪いそいつは、どこか聞いた事のある声をしていた。

 棘のある言葉に喋り方。いつも何事にも面倒くさそうに取り組む姿勢。

 けど、なんだかんだで頼りになる。

 恐らく俺はこの人物を知っている。

 というか、これは確信に近い。

 俺は扉に手をかけ、ノックもせずに開ける。

 そして目に飛び込んでくる景色よりも先に、俺はある名前を口に出していた。

「スウィン」

 暖かい風と共に、信じ難い光景が脳に流れ込んでくる。

 扉の先にいたのは、やはりスウィンだった。

 俺が名前を呼ぶと、ミラエラ共に驚いており、数秒間だけ時間が止まったように思えた。

「チェス?」

 なんでここにいるんだ。と言いかけた様に口を開いたスウィンは、手におぼんと茶碗を持っていた。

「チェス! 会いにしてくれたの!」

 ミラエラが身体を起こし歓喜する。

 俺も一刻も早くそうしたい所だが、目の前の男が気になって仕方がない。

「って、スウィンとチェスは知り合いなの?」

 ミラエラ以外は、たまたま出会したカマキリと蜘蛛の様に互いを見つめ、相手の出方を観察していた。

 数十秒そうした後、情報を処理出来ないと判断した俺の脳は、1つの行動を起こす事にした。

 髪の毛を抜き、それは瞬間的に槍に姿を変える。 

「はがっ」

 そしてそれを、思いっきりスウィンに投げた。

「チッ」

 しかし槍は、スウィンが手で払っただけで簡単に弾かれる。

 茶碗と中身は中に舞い、槍は壁に刺さり、代わりにスウィンが走って距離を詰めて来た。

「ルーチェスタント!」

 スウィンが叫ぶと、前に出された両の手から電撃が樹形図の様に広がる。

 それは至近距離で放たれた事もあり、枝数本を除いて俺に直撃する。

「うがあが!」

 全身に流れる電撃を感じながら、俺は頭の中で1つの事だけを考えていた。

「本物だ」

 その言葉を残し、俺は倒れた。

 

「ス……チェ……チェス……チェス!」

「はっ」

 ミラエラの声で、俺は目を覚ます。

 いつの間にか椅子に座っており、横には身体を起こしたミラエラが俺の肩を揺さぶっていた。

「茶だ」

 目の前には、俺に茶碗を差し出すスウィンが立っていた。

「ああ、すまん」

 俺はそれを受け取り、一口啜る。

「チェス。なんであんな無茶したの?」

 ミラエラが俺に身体を近づけ質問する。

「……本物かどうか、確かめたかった」

 俺はそれを答えるのに、数秒、間を開けた。

「もし偽物だとしても、あんなノロっちい槍は弾かれんぞ」

 スウィンが俺同様にお茶を啜りながら、近くにあった椅子に座る。

「それに、簡単に自分の能力を見せるな」

 足を組んで座るスウィンは、俺と目を合わせずにそう言う。

「すまんな」

「チェスもチェスだけど、スウィンも本気でやったら危ないでしょ」

「知らねえよ。死んだらその程度だ」

 ミラエラが注意する様に言う。

 そしてスウィンは相変わらずだ。

「そう言えば、ミラエラはスウィンと知り合いだったのか?」

「聞こえないなー」

「はえっ?」

「聞こえないなー」

 ちょっと待てよ。

 もしかしてミラエラは、スウィンがいるこの状況でも、ミラちゃんと呼べって言ってるのか?

 流石にそれはハードってものであって、俺にそんな度胸は無いし、言ったら色々と何かが終わる気がする。

「ちょっ、今はスウィンがいるんだぞ」

「知らなーい」

 ミラエラはそっぽを向き、俺と視線を外す。

 マジかよ。言わなくちゃいけないって事かよ。

 ……仕方ないか。このまま会話が進まないのもアレだしな。

「……み、ミラちゃん」

「ぶわはぁっ! ミラちゃん⁉︎」

 スウィンが盛大にお茶を吹き出す。

 だから嫌だったんだよ……。

「それで、どうしたのかな? チェスは」

 ミラエラがこちらを向き、再び視線が合う。

「み、ミラちゃんはスウィンと知り合いだったのか?」

 横目に映るスウィンは、肩を小刻みに振るわせて、必死に笑いを堪えている。

 もう笑えよ。恥ずか死しそうなのは変わんねえから。

「スウィンとは最近知り合ったんだ。ジャスターズに助けてもらった代わりに、ここで働く事になったんだって」

 ポケマンとの戦闘の後か。

 あの時ナインハーズは、スウィンは無事とかなんとか言ってたが、実はジャスターズにいたんだな。

 とすると、もしかしたらスウィンの方が、俺たちより入隊したのが早いのかもな。

「それで、なぜか僕の世話係に任命されて、文句1つ無く楽しそうにお世話してくれてるよ」

「逆だ。文句だらけだ。こんな所早く出てえ」

 スウィンはお茶を作り直しながら、ぐちぐち文句を垂れている。

「俺ならミラちゃんの世話、喜んでやるけどな」

「僕もチェスがお世話してくれた方が、今の百万倍嬉しいなー」

「いかれてんなお前ら」

 俺とミラエラの仲の良さは相変わらずで、その空気に馴染めない男が1名、気分を害していた。

「チェスが来たから俺は帰るぞ」

 スウィンがお茶を一気に飲み干し、入り口に足を進める。

「まあ待てよ。別に何も無いんだろ?」

 俺が言うと、スウィンは足を止める。

「そうとは限らねえだろ」

 振り返らずに、スウィンは背中で答える。

「何も無いだろ。だってお前、茶碗持ったままだぞ?」

「あっ、本当だ」

 スウィンが自分の手を見て、「チッ」とハッキリ舌打ちをする。

「で、俺が残って何すんだよ」

 スウィンは踵を返し、近くの椅子を引き寄せ、そこに座る。

 今度は足のみならず、腕も組んでいる。

「特別何かやるって訳じゃ無いけど、たまにはいいじゃんか。こういうの」

「気持ち悪いな。マジで何も無いなら帰りてえんだけど」

「そうだ! 2人の出会いとか教えて欲しい!」

 ミラエラが元気よくそう言う。

「お前何でそんな元気なのに、世話する必要があんだよ……」

「俺たちの出会いか。あんまりいいものじゃなかった気がするな」

 俺は嫌な事を思い出し、苦笑する。

「俺は思い出話をする趣味はねえんだが」

「いいの。ねえ、話して欲しいな」

 ミラエラが好奇心を抑えられない子供の様に、目を輝かせている。

 実際、そうなのかもしれない。

「まあ、少しずつ話すか。時間はあるし」

「マジかよ……」

 こういう時に、なんだかんだでスウィンは付き合ってくれる。

 俺はそんなスウィンとの出会いを、一から話す事にした。



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暗闇

「寝たな」

 話をしている内に、ミラエラは寝ていた。

 急な移動だったから疲れたんだろう。

 窓が無いから気が付かなかったが、時計の針はもうそろそろ9時を過ぎようとしている。

 随分と長く話していたんだな。

「寝顔も可愛いな。ミラエラは」

 俺はミラエラの頬を優しく撫でる。

「お前、俺がいてもお構いなくなってきたな」

 スウィンは軽蔑する様な眼差しで俺を見る。

「もうバレた事だし、今更だろ」

「限度ってもんが無いのか」

「無いね。ミラエラへの愛は止まらん」

「うぇ……」

 このままミラエラと一緒にいたいが、生憎俺はまだ眠くない。

 だからといって、電気をつけたままここにいるのは、ミラエラの睡眠の質を下げる事になってしまう。

 迷惑をかけない為にも、今回は素直に部屋に帰るとするか。

「スウィンはこのままここにいるのか?」

「もしそう命令されてても、俺は帰るだろうな」

 つまりいないって事ね。

 相変わらず回りくどい話し方をするな。

「さいですか。まあ、俺は詳しい事とか分からないから、後は任せていいか?」

「ああ、構わねえ」

 そう言うと、スウィンは冷め切ったお茶を一口で飲み干し、後片付けを始める。

 こいつもジャスターズ入ったんだよな。

 そう思うと、どこか不思議に感じる。

 いつもスウィン、チープ、トレントの3人でいたのに、ある日を境にスウィンの代わりに俺が入り、今ではそれが普通になっている。

 気の所為かもしれないが、チープとトレインがスウィンを心配している所を、あまり見た事がない気がする。

 それは別に不仲とかではなく、信頼の現れなのだろうと、最近では理解出来る様になってきた。

 俺の立場はどこにあるのだろうかと。時々思う事がある。

 そんなの主観だけでは、答えが見つからないと知っているのに。

「あー、えと」

 扉を開けてから、スウィンに何か一言かけようとする。

 しかし、意外とこういう時に言葉は出ないもので、俺はわざわざ沈黙の時間を作り出してしまった。

「普通にお休みでいいだろ」

 スウィンが呆れた様に言う。

「……そうだな。おやすみ」

 スウィンと久しぶりに会ったからか、最後はぎこちなくなってしまった。

 別にそんな関係でもないのに。

 俺は扉を閉めて、階段へと向かう。

 その途中に、何度か振り向きそうになった。

 

「はぁーあ」

 部屋に戻ると、俺は何をするよりも先に、床に敷かれてあった布団に仰向けに寝転がった。

 天井のライトが眩しく、手で遮るが、いつまでもこうしてはられない。

 手も俺と同様に、疲れてしまう。

「んしょっ」

 俺は近くのリモコンで部屋の電気を消して、毛布をかけずに目を閉じる。

 部屋は廊下と違い暖かく、このまま眠れそうだ。

「つっかれたなー」

 溜息と一緒に吐くそれは、思いの外俺の心を軽くした。

 眠りにつくまで、ほんの少しだけ時間がある。

 俺はその時間を、今日の出来事を整理する為に使っている。

 今日もいつもの様に、頭の中で浮かんでいる言葉を並べるとするか。

「俺が無能力者ねえ」

 最初に出て来たのは、クロークが言っていた言葉だった。

 まさか自分が無能力者と言われるとは思わなかったし、考えた事すらなかった。

 それが本当かどうかは分からないが、どっちにしたって俺は変わらない。

 無能力者だとしても、能力が使えたら能力者だしな。

「ってか俺、ジャスターズに入ったんだよな」

 クリミナルスクールに入って、まだ数日しか立っていないのに、気がついたらジャスターズに入っていた。

 ナインハーズが言っていたが、クリミナルスクール史上最速の入隊だろうな。

 俺は寝転びながら足を組む。

 誰に称賛された訳でもないが、少し誇ってもいいだろう。

「エッヂ・ラスク……強かったけど、ケインはもっと強かったな……」

「分かるわー。あの人えぐいよな」

「うわしゃぱっ!」

 俺は今まで並べた事のない5文字を叫びながら、反射的に飛び上がる。

「おおおお。派手だな」

 なぜか俺の部屋にいるそいつは冷静で、声の方向からして俺の左に位置している。

 ここの部屋もルームシェアなのかよ。

「そんな驚くなって。夜中だぞ?」

 男は立ち上がり、驚いている俺を落ち着かせようとする。

 その間俺は、未だに暴れていた。

「誰だ! 誰だお前!」

「俺? 俺はフート・ヴィータ。本名は才廿楽ね」

 心臓のバクバクは収まらないが、俺は一旦暴れるのをやめる。

「フート? フート・ヴィータ? 知らん。知らんそんな奴」

「一回深呼吸しろって。息切れしてんぞ」

 男の言う通り、俺は深呼吸を2、3回程する。

「で、誰」

「ありゃ? さっき言ったじゃん。フート・ヴィータだって。あ、才廿楽の方も忘れずに」

「サイツヅラ? 変な名前だな」

「人の名前を失礼な。そう言うお前は誰なんだ? レインって名前とか?」

「いや、俺はチェイサーだ。チェイサー・ストリート。レインって誰だ?」

「適当。当てずっぽ。そう。チェイサーね。よろよろ」

 フート、サイと名乗る男は、この暗闇で俺に手を差し伸べる。

 握手しろって事なんだろうが、どうしても気が進まない。

「なんで俺の部屋にいるの?」

「なんでって、俺の部屋でもあるんだぞ? 先に来たのは俺だし」

 フートは手を引っ込めて、布団の上に座る。

「ジャスターズの人間なのか?」

「どうなんだろうな。急に連れて来られたし。今日は災難だったんだよ」

「……そうか。それはどんまいだな」

 災難と聞くと、自分と照らし合わせて同情してしまう。

 俺も布団の上に座り、あぐらをかく。

「ってかさっき、無能力者って聞こえたんだけど、チェイサーも無能力者なのか?」

「俺もって、お前は無能力者なのかよ」

「質問で返して欲しくなかったんだけど……。まあいいか。俺は無能力者だよ。そっちは違うのか?」

「俺はちゃんと能力を持ってるぞ」

「どんな?」

「個人情報だ。得体の知れない奴に教える気はない」

「酷い言われ様だな。まあ、警戒は大事だしね」

 そう言うと、フートは静かになる。

「どうした? 寝たか?」

 だとしたら、ヘブン並みに寝るのが早いと思ったが、なにか様子がおかしい。

「マジでどうした?」

「……なるほどね。チェイサーって4つの能力持ってるんだ」

「——⁉︎」

 俺は思わず目を見開き、自分の髪を抜く。

 どこで知られたのかは分からないが、俺の能力がバレている。

 こいつ本当に何者だ。

「いやいや警戒すんなって。別に内容までは分からないって。それに、知られても特に支障ないだろ?」

 フートはそう言うと、布団に寝転ぶ。

「なんで分かったんだ?」

 俺は髪の毛を徐々に変形させながら、質問をする。

「うーん。なんでって言われてもな。一から説明した方が理解しやすいかもな」

「一から?」

「そそ。俺がここに来た経緯とかも」

 フートは仰向けになり、天井を見つめる。

「聞くか? それとも聞かないのか?」

 その言葉には、答えなくてはならない何かがあった。

「……分かった。聞くよ」

「おっけ。なら話すぞ。始まりは——」

 今夜は眠れそうに無いのかと、俺は1つ溜息をつく。それと同時に、どこか楽しい気持ちも存在していた。

 それは勘違いであって欲しいが。

 俺は髪の毛を離し、同様に寝転ぶ事にした。



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異常な男、才廿楽

 午後1時53分。

 サイコス、ノリング町、ギンボルドール。

 私立クライエン学園高等学校、2年4組教室前。

「本当にここであってるのか」

「はい。オーダーさんの能力によると、ここで間違いないかと」

「……そうか。オーダーに頼り過ぎるのもどうかと思うが」

「今は関係ありませんよ」

 ジャスターズ最高責任者、ケイン・マスクと、上等兵のパステル・ナットが、2年4組と書かれた騒がしい教室の前で、何かを話し合っていた。

「本当にここで——」

「ケインさん。3回目ですよ」

「……分かった」

 何を隠そうこの男、ケイン・マスクは、大の子供嫌いである。

 先日の会議で、チェイサー・ストリートに強く当たった事も、これが原因として挙げられる。

「パステル。開けてくれないか?」

「駄目です。ナインハーズさんに強く言われてますから」

「なんて」

「『ケインの子供嫌いを克服させろ』とです」

「はぁ……。仕方ない。いくぞ」

「いつでもどうぞ」

 教室の扉が、新しくないローラーの音を響かせながら横に開かれる。

 すると騒がしかった教室には静けさが訪れ、全員が全員、突然の来訪者に目を向けた。

「ゔっ」

 この学園の、1クラスの人数はおよそ41人。

 授業終わりの事もあり、その生徒のほとんどは教室の中にいた。

 もう一度言う。その全ての生徒が、大の子供嫌いであるケインに、一斉に目を向けたのである。

「パステル……」

「中に入りましょう」

 パステルがケインを押す様にして、教室の中へと入る。

 その時のケインの思考は、恐怖の2文字で埋め尽くされていた。

「えーと、出席番号が34番の人っているかな」

 パステルが優しく問うと、1人の男子生徒が手を挙げた。

「その人なら、屋上に行くと言って、教室から出て行きましたよ。俺を探してる人が来たら伝えてくれって。本当に来るとは思わなかったですけど」

 34番の知り合いと思われるその男子生徒は、まるで最初から用意していたかの様に、スラスラと質問に答える。

 その言葉を聞いて、ケインとパステルは一瞬表情を変えた。

「屋上か。パステル、頼む」

「分かりました」

 ケインが教室を出る。

 パステルも少し遅れて後に続き、教室は元の騒がしい日常へと戻っていた。

 

「お、来た来た」

 屋上には、教室と違って何も無い代わりに、目的である34番の男が後ろ向きにして座っていた。

「お前か。34番は」

 ケインは子供嫌いと言えど、1人に対してならいけるタイプの人間である。

「34番……? ああ出席番号の事ね。なに、もしかして俺の本名知らないの?」

 男は煽る様にして言葉を発する。

「本名に興味は無い。目的はお前自身だ」

 ケインは全く気にせず話を進める。

「俺自身? もしかして俺の才能がバレちゃったみたいな?」

 男はふざけた態度で答える。

 その間パステルは、異様な空気を纏ったそいつから、目を離せないでいた。

「こっちを向け」

 全く動じないケインに、男は少し気に入らない素振りを見せながらも、渋々振り向く。

「そんなに俺の顔が見たいの? って言うか、職員室に行けば、俺の素性とか全部分かるのに。えーと……、ケインさんは無駄足が——」

 男が言い終わるその前に、ケインの姿が一瞬消える。

 次に映ったその時には、ケインの手が男の胸に当てられていた。

「フェルマーレ」

「かあっ、はっ」

 男が急に苦しみだす。

 喉に手を当て、床に背をつけ、触覚を失った蟻の様に悶え苦しむ。

「と……、とまっ……とる」

「お前、どうやって調べた」

 ケインは苦しむ男を上から見下ろし、平然と質問を続ける。

「ケインさん!」

 一瞬遅れてパステルが駆けつける。

「解除してください!」

「まだいいだろ」

「ケインさん!」

 パステルが必死に呼びかけた事により、男は苦しむのをやめる。

 つまりケインが能力を解除したという事である。

「かはっ、あはっ、あっ、はぁ……。いま、今完全に心臓止まってたよね。凄え! 凄えよ今の! 貴重な体験をありがとう。ケインさん!」

 男は立ち上がり、ケインに握手を求める。

「……あ?」

 声にも満たないその音は、ケインの本音を物語っていた。

「お前……、イカれてるな」

 ケインが心臓を止める相手、それは常に殺すべき対象であり、今回の様なケースは稀であろう。

 しかもその相手が、「ありがとう」などと、異例の言葉を発したのである。

 これはケインに関わらず、正常な人間であるならば、全員がこの男をイカれた奴と印象付けるだろう。

 もちろんケインは、差し出されたその手を弾き、男に軽蔑の眼差しを向けた。

「冷たいなあ。それより、どうやって調べたのかって聞いたよね。ねえ知りたい? どうやったか知りたい?」

 ケインは、頭が現状に追いついていなかった。

 自分たちの探していた男が、予想以上の変人であり、奇妙な人間だったからである。

「おいパステル。本当にこいつなのか?」

「2年4組34番なら、間違いないかと」

「学校自体が違うとかはないのか」

「いえ、私立クライエン学園高等学校と、オーダーさんの紙には写し出されていました」

「くそっ、何でこんな変人が」

 ケインは黒髪を掻きながら、柵の方へと歩いていく。

「オーダー。本当にこいつが必要ってのか」

 ケインが柵に寄りかかり、グランドを眺めながら独り言を言う。

「そのオーダーさんっていう人が、俺を探してるの?」

 ケインの横には、いつの間にか男が立っていた。

「話しかけんな」

「話しかけないと、人間やっていけないよ?」

「次話したら殺すぞ」

 ケインは目も合わせずに、さぞ当たり前のように言う。

「……やめとこ。本当に殺されそう」

 男はケインから離れ、パステルの方へと近づく。

「どうもどうも。才廿楽っていいます」

 男は自ら名乗り、握手を求める。

「才廿楽? サイコスの人間じゃないですね」

「おっ、流石にバレるかー。こっちではフート・ヴィータで通ってまーす」

 男は軽々しく、自分の偽名を打ち明ける。

「フート・ヴィータ……。聞かない名ですね」

「適当に考えたからねー。まあ元々ジャーキの人間だし、ジャーキのネーミングセンスなんてそんなもんっすよ」

 ジャーキ。それは大国ジュナイツの、人口1000万人程の離島である。

 ジュナイツからはおよそ5000キロメートル離れており、サイコスからは3200キロメートルと、距離で言えばサイコスの方が近くに位置している。

 なぜそこの人間がサイコスにいるのか。私立学校になんて通っているのか。

 2人の疑問は止まる事を知らなかった。

「ジャーキの人間ですか。では、どうやってここに来たんですか」

「手段? 手段なら船だよ。もちろんiceバッチもあるし。俺は無能力者だからね」

 その言葉に、ケインは過剰に反応する。

「能力者じゃないだと?」

「そうだよ。俺は普通に無能力者だけど?」

「なら尚更、なぜ俺の名前を知っている」

 ケインが詰め寄り、男の前に立つ。

「それは……、特技?」

 その瞬間、ケインは男の胸に手を当てる。

「真面目に答えろ」

「マジマジマジだって。本当に特技なの。昔から出来る事で。ああ、昔って程まだ生きてないけど。まあとにかく、小さい頃からの特技で、最近まで皆出来るもんだと思ってたし。これマジね」

 男は両手を上げながら、早口でケインに伝える。

「だから能力検査にも引っかからなかったし、iceバッチも何の問題もなく作れたの。分かった? おっけー? 駄目か。駄目なのかその目は」

 ケインは無言で手を当てたまま、ある事を考えていた。

「その特技ってのは、具体的にどんなものだ」

 ケインの言葉に棘はないものの、殺意に近い何かが含まれている。

「えーと、何か頭の中で質問して目を閉じると、その答えが浮き出て来るんだよ。例えば『今日は雨が降りますか』って聞いたら、『降る』みたいな感じで。そしたら実際に雨が降るんだよ。別に時間に指定はないけど。時間が知りたいなら、聞けば答えてくれるんじゃないのかな。やった事ないけど」

 男の声は震えながら、しかし一言も噛んではいなかった。

「ならそれで、俺の名前を質問したって事か」

「そうそうそう! やっと理解してくれた? 信じ難いかと思うけど、実際に出来ちゃうから仕方ないでしょ。俺も出来るだけ使用控えてるしさ」

 ケインは男の胸から手を離す。

「なら質問だ。お前は数秒後、生きているか」

 ケインは離した手を、男の額に当てる。

「答えないと……死ぬよね」

 男は呟き、目を閉じる。

 そして数秒も経たないうちに、目を開けた。

「ふぅ。生きてるって」

「フェルマーレ」

 音を立てて、男は膝から崩れ落ちる。

「ケインさん! 何やってるんですか!」

 突然の事に、パステルは困惑する。

「脳の機能を停止させた。これでこいつは嘘つきだな」

「そんなの屁理屈じゃないですか! どうするんですか! 死んじゃいましたよ!」

「今回はオーダーの勘違いだった。それが事実だ」

「ケインさん! あんまりですよ……。相手は子供なんですよ」

「子供も大人も変わらない。同じ人間だ」

 ケインは死体と化した男を無視して、扉の方へと歩き出す。

 パステルは頭の中で天使と悪魔が葛藤していた。

 この死体をどうするか。オーダーさんにはどう説明をするか。ケインさんの言う通りにするか。事実を話すか。このまま見なかった事にするか。

 数秒だが、この数十倍の量の疑問が、パステルの頭の中に流れ込んで来ていた。

「早くしろ」

 パステルはその言葉を聞き、やるせない気持ちを抱えながらも、そこを後にするしか他ならない事を悟った。

「ゔあっ!」

 男の死体が、跳ねる様にしてそう叫ぶ。

 それを聞いたケインとパステルは、同時に足を止めた。

「かぁーっ、はぁー、はあー、はー。はーあっ、死にかけたー」

 その細い声の主は、空に広がる雲を見ていた。

「やっぱり外れないんだよなー。どうしても」

 男は何事も無かった様に、手で太陽を遮る。

「心臓や脳が停止した時点で『死』って決めつけるなら、俺は今日で2回死んでるなあ」

 ケインとパステルは未だ振り向く事が出来ず、才廿楽だけの時間が、ただただ流れていた。

「けど俺の特技は、そう判断しないみたいだね。何か死の基準でもあるのかな」

 男は立ち上がり、ケインたちの方へ目を向ける。

「条件付きなら付いて行ってもいいよ」

 その言葉で、ケインがゆっくりと振り向く。

「条件付き?」

 なぜ生きている。脳は完全に止まったはずだ。どうして俺たちの目的を知っている。

 止まない疑問を口にする事は出来なかった。

 聞くだけ無駄と、頭の中で理解していたからである。

「レインっていう人を探してるんだ。それに協力してくれるなら、俺は素直に付いて行くよ」

「レイン……。そいつを探せばいいのか」

 そんなくだらない提案を受け入れる程、ケインは動揺していた。

 それだけ、この才廿楽の特技が恐ろしく、人間としても特殊な、気味の悪く得体の知れない何かを纏っていたのである。

「そゆことで、どこ行けばいいの?」

「……あ、ああ。ジャスターズに来てもらう」

「ジャスターズ! 都市伝説じゃなかったんだ」

 男はこの状況を、ただの1日の1ページとしか見ていなかった。

 心臓を止められる事が日常で、死にかける事も当たり前。

 だからこそ、何とも思わない。

 男はその次元の世界に、生きていた。

「お前……、イカれてるな」

「そうかな? 普通だと思うんだけど」

 この男にとっての普通とは、常人にとっての異常である。

 それを踏まえてこの男、極めて異常である。



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オーダー

「それでさ、その後ジャスターズに来てみた——」

 小さな寝息が、フートとチェイサーとの距離を空ける。

「ありゃ、寝ちゃったか。あと5時間くらいは話そうと思ってたのに」

 フートは静かに目を閉じる。

「うーん、11時38分か。ちょっと早いけど」

 フートは立ち上がり、音を立てない様に気をつけて扉へ向かう。

「えーと……、チェイサーか。おやすみんみん」

 そう言い、フートは部屋を出た。

「……危ねえー。あと5時間も話すつもりだったのかよ」

 寝たふりをしていなければ、今頃どうなっていたのか。考えるだけで恐ろしい。

 俺は布団を被り、中で身体を丸める。

 それにしてもあいつ、独り言多かったな。

 

「おお、いたいた」

 廿楽の目線の先に、1人の男が立っている。

「お前、よくここに来れたな……」

「いやいや、地図さえあれば簡単だよこんなとこ」

「ここに地図はねえぞ」

「ありゃ、そうだったっけ。てっきりケインさんに渡されてるものと」

「得意の特技とかで来たんだろ。別に隠さなくても、誰にも話さねえよ」

 ケインのいる場所。

 それはチェイサーのいる部屋から遠く離れた、K棟の1階である。

 地図のないジャスターズでは、長いこと仕事に就いている人間ですら、その棟の多さに迷う事がある。

 幹部の1人、ナインハーズという人間は、ガイドを使ってすら迷う事がある程だ。

 そんなジャスターズに、なぜ地図が無いのか。

 これは数十年前、隊員内でも一時期問題になり、ジャスターズ全体で会議が行われた。

 その時、建設を依頼した元ジャスターズ最高責任者曰く「地図が無い方が、敵に情報を掴まれにくい」との事。

 これを聞いた隊員達は、敵とジャスターズ内の地図を天秤にかけ、デモを起こしたという。

「それで、レインさんは見つかった?」

「まだだ。と言うより、まだ手に付けていない」

「うぇえ。手に付けてないのか。それなら見つからないのも納得だね」

 廿楽はジャスターズに行く条件として、レインという人間を探し出す協力をしろと、ケインに依頼した。

 それを了承したケインは、今頃になってめんどくさくなってしまったのである。

 理由は簡単であり、いつでも出来る。からだ。

「それより、こんな夜中じゃなくとも、明日でよかったんじゃねえのか?」

「いやいや。そのオーダーっていう人には、何か自分と似ているものを感じてね。早めに会いたかったんだよ」

「それなら1人で行けばよかったじゃねえか」

「いきなり知らない人が乗り込んで来たら、変なやつだと思われちゃうだろ。ケインさんはそこが足りて無いなー」

「……お前の基準が分かんねえよ」

 ケインは相変わらずの廿楽を連れて、隣のO棟へと向かう。

 そこの最上階にはオーダーがおり、いつもの様に夜10時には就寝をしているのだろう。

 先でケインが明日でもと提案したのは、その為である。

「ったく、オーダーには迷惑をかけたくねえんだがな」

「まあまあ、そのオーダーも俺が来たら喜ぶって」

「どうだかな。オーダーはお前と違ってまともだからな」

「俺らにしか分からない世界ってのがあるんだよ。あーあ、早く会いたいなー」

 夜中にも関わらず、廿楽は大きな声で呟く。

 ケインはそんな廿楽から、普通より3倍もの距離を取って歩いていた。

「エレベーターってないの?」

「無いな。電子機器を使うと、いざという時に役に立たない。ジャスターズは全て、わざと不便に作られてんだよ」

「はぇー。だから移動にも、車っていう古い手段を使ってるのね」

「ああ。分かったなら少し声を抑えろ」

「ケインさんが遠いから、大きい声で話してるんだよ」

「……なら黙って歩け」

「解決になってないんだけど……」

 その言葉を境に、彼らはO棟最上階に着くまで、一言も言葉を交わす事はなかった。

 

「見えたぞ」

 廿楽より早く階段を登り終わったケインは、目と鼻の先にある扉を指差す。

「えーっと。ああ、あそこね。人が指差した方向って、意外と見づらいんだよね」

「扉は1つしかねえだろ……」

 O棟の最上階は特殊で、部屋は多いものの、階段からの入り口は1つしか存在していない。

 しかもその入り口は、なぜか階段から少し離れた場所に設置してある。

 これに深い意味はなく、ただ単純な設計ミスにであり、今はオーダー専用の階として使われている。

「静かに歩けよ」

 ケインは慎重に、息を殺しながら歩く。

「別に騒いでないじゃん」

 そんなのお構いなしにと、廿楽はいつものテンションで話す。

「その無駄口を減らせって言ってんだ。お前みたいなのに、生活リズムを崩される身にもなってみろ。俺なら間違いなく殺してる」

「ってか1回殺したしね」

「ああくそっ。どっかで殺しとけばよかった」

「おっかねっ」

 ケインは黒髪を掻きながら、扉の前で立ち止まる。

 そして、トンットトンッと、ノックをした。

「ドウゾー」

 どこからか機械的な音で、入室を促す言葉が聞こえて来る。

「えっ、なにこれ」

「夜は大体こうだ」

 ケインは音を立てない様に扉を開け、真っ暗な部屋へと入って行く。

「暗いなー。電気は?」

「夜は付かないようになってる」

「不便だなあ。全く」

「黙ってろ。あそこの部屋だ。2回ノックしろ」

 ケインが指差すも、暗闇では伝わるはずも無く、廿楽は別の扉をノックする。

「そこはトイレだ。何してる。ここだここ」

「見えないんだって。ええと、ここかな」

 廿楽はケインの指した扉を2回ノックし、数秒の間待機する。

「何も起きないよ?」

「待ってろ」

 ケインの言う通りもう数秒待っていると、部屋の中から何かのうめき声が聞こえだす。

「なんか聞こえてきたんだけど」

「安心しろ。合ってる」

「ほんとに? 結構苦しそうだけど」

「いいか。黙って待ってろ」

 ケインは廿楽の頬を掴み、にらみつける様にして言う。

「そんな怒んなくても……」

「こっちは暇じゃねえんだ。黙れっつったら黙れ」

「お、おけ」

 流石の廿楽も今回はヤバいと思い、声が出ないように口をふさぐ。

 その間にもうめき声は段々と近づいてき、扉の前で止まった。

「ケ……ケインさん……。待ってましたよ……」

 ゆっくりと開く扉の先からは、今にも消えてしまいそうな声を出す、生活リズムを崩されたオーダーが這いつくばっていた。

「すまんなオーダー。こんな時間に」

 ケインは廿楽から手を離し、オーダーの方へ向きを変える。

「いえい……え。どうぞ……入ってください」

 2人は暗闇にも関わらず、全くの日常を醸し出していた。

「ど、どもー」

 見えないのでどうしたものかと、廿楽はとりあえず会釈をする。

「ああ……、どうもこんばんは。君があの34番君かな」

「34番……、あっ、そうですそうです。まあ、もう学校行かないけど。名前は才廿楽なんで、よろよろです」

 廿楽は近くにあった手を取り、上下に動かし握手をする。

「それは俺の手だ」

「ありゃ? 見えないと上手くいかないもんですな」

 廿楽は手を離し、見えない相手に深くお辞儀をする。

「いやはやこの度は、夜分遅くにすみやせん。どうしても、ケインさんが一緒に行きたいと、言う事を聞かないもんでして」

 廿楽は冗談まじりにそう話す。

「お前ふざけてんじゃねえぞ。オーダーはわざわざ待っててくれたんだ。お礼の1つでも言え」

 しかしケインは2人きりなら殺す様な勢いで、廿楽に注意をする。

 それを聞いた廿楽は、数秒黙り込んだ。

「……あ、あの、マジで夜遅くにすみません。ほんと感謝してます。なんなら眠っててもいいので、少し話してもいいすかね」

 本当に申し訳ないと、廿楽は謝りつつ話を進める。

「お前とオーダーを会わせたのは、別に世間話をさせる為じゃねえ」

 ケインは近くのソファーに、足を組んで座る。

 それを確認したオーダーは扉を閉め、自分の寝床へと移動する。

「こっちがお前の条件を呑む代わりに、お前にもこっちの条件も呑んでもらう」

「そりゃ、そうだね」

「それで条件ってのだが」

「それは僕が説明します」

 オーダーがむくりと起き上がり、廿楽と向かい合う。

「今から、17年前の事件は知ってるかな」

 深夜な事もあり、オーダーは小声で話す。

「17年前……、マイクロデビルの事すか?」

 廿楽もそれに合わせる。

「そう、マイクロデビル。内容は説明しなくても、大丈夫そうかな」

「大丈夫っすね。なんせ有名なんで」

 17年前の廿楽というと、まだ赤ん坊歴1年目であり、言葉すら喋れない時期である。

 しかしそんな廿楽ですら、この事件、マイクロデビルの事は知っている。

 これはマイクロデビルがそれだけ有名であり、歴史に名を残した殺人ウイルスだったといえるだろう。

「じゃあ早速本題だけど。僕たちはこの事件を、誰かが故意的に起こしたんじゃないかって、考えているんだよね」

「故意的に? 何か痕跡とかでもあったんすか?」

「痕跡は無いけど、根拠はいくつかね」

 オーダーは廿楽に紙を渡す。

「実際に見た方が早いだろうし、この紙をしっかり掴んで」

「う、うす」

 廿楽は言われた通りにし、両手で紙に折れ目が付くほどに力を込める。

「じゃあ行くよ。最初は慣れないかもしれないけど、絶対に紙を離さないでね」

 オーダーは紙に意識を集中させ、何かをしようとする。

「い、行くってどゆこと?」

「ふぅー」

 オーダーはゆっくりと目を閉じる。

「え、何してるんすか? マジで怖いん……だ……け…………」

 オーダーと廿楽は、何かの力によって、同時に眠りにつく。

 それをケインは、ただじっと見つめていた。

「……あ、言い忘れてた。今更説明しても遅いだろうが、紙離したら死ぬぞ」

 ケインは少し笑いながらそう言い、部屋を後にした。



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キーマン

「才君、さあ起きて」

 一面真っ白な空間で、オーダーは倒れている廿楽の肩を揺らす。

「ん……、ああ……。ああっ!」

 さっきまでの光景と打って変わって白い部屋に、廿楽は驚きで目を覚ました。

「しっろ! なんじゃここ!」

 建物はおろか、地形の凸凹すら存在しないその場所は、廿楽が経験した不思議体験の中で、堂々の1位を飾っていた。

「僕たちはここを、知識の世界って呼んでるんだ」

「ち、知識の世界? 見た感じ無知だけど……」

 廿楽が起きあがろうと、地面に手をつく。

「待って」

 オーダーはそれを制止する。

「どしたんのん」

「紙は持ってるよね」

 オーダーは手を見せる様ジェスチャーをする。

「紙? ああ、紙ならここにありますぜい」

 廿楽は右手を開き、クシャクシャになった紙を見せる。

「それ、絶対離さないでね」

「そんな大事なんすか? この紙が」

「大事と言うより、大事になると言うか。とりあえず、離さなければ何ともないから」

 オーダーは、紙を離してはいけない詳細を話さないまま、廿楽を起こす。

「まあいいすけど。それにしても、そのままの意味で真っ白っすね」

 廿楽は辺りを見渡す。

「はえー、他の色が見つからない」

 どこをどんな角度で見ても、そこには白が広がっている。

 しかし、知識の世界という割に全然知識の欠片もないなと、廿楽は内心思っていた。

「ここはどんな場所なんすか」

「んー、そう聞かれると難しいけど……」

 オーダーは数秒考え、何かを思いつく。

「倉庫!」

「倉庫?」

「そう。簡単に言えば、ここは倉庫だね。知りたいことがいっぱい収納してある倉庫」

 オーダーは急に幼くなった様に、倉庫という言葉を多用する。

「知りたいこと……。レインさんの居場所とか?」

「レインさん? もしかして才君の条件って、その人を探すこと?」

「ありゃ、ケインさんに聞いてないんすか?」

「ケインさんとは朝に会っただけで、帰ってきてからは、さっきが初めてかな」

「そういやあの人、まだ手に付けてないとか言ってたな……」

「それで、そのレインさんを探せばいいの?」

「出来るんすか?」

「出来るか分からないけど、やるだけやってみるね」

 オーダーはそう言い、腰を下ろして目を閉じる。

「レインという人物を探せ」

 オーダーが小声でそう言うと、白い世界に変化が現れ始める。

 地面は震え、地鳴りがし、何かが下から近づいて来る。

 それは次第に上昇し、音と比例して揺れも大きくなる。

「き、急に揺れ始めたんすけど」

 廿楽は転ばないようバランスを取りながら、辺りを見渡す。

 しかし地上には、何の変化も見られない。

「才君、近くにいて」

 オーダーは、目を開かないまま廿楽を引き寄せる。

 廿楽は何が何だか分からないでいた。

「来るよ」

 音と揺れがマックスに達したとき、オーダーがそう言った。

「うおわっ!」

 オーダーの目の前に、地面から生える様にして、大きな白い長方形が現れる。

 そしてそれは1つではなく、反時計回りに次々と、オーダーと廿楽を取り囲んだ。

「す、凄え……。どうなってんだ……」

 廿楽の声は、長方形が出現する際の音に掻き消されるが、その驚きは顔が物語っていた。

「探せ!」

 オーダーは大きく目を開き、それと同時に長方形が変形する。

 タンスの様に前方が突起し、その中から数え切れないほどの白紙が飛び出してくる。

 その紙たちは宙を舞い、互いに互いを擦れ合わせて音を奏でる。

「凄え量。SDGsそっちのけだな」

 紙がそうして舞うこと数十秒。

 突然、1枚の紙が地に落ちた。

「ありゃ、落ちてきた」

 廿楽が拾い上げ、表裏を見るが、そこには何も書かれていない。

「白紙じゃん」

 もう1枚、地面に紙が落ちる。

 それを拾おうと身を屈めた廿楽の横に、また1枚と紙が落ちた。

「全部白紙だ」

 ふと、廿楽は上を見上げる。

 するとさっきまで舞っていた紙が、一斉に落ちてきた。

「うげっ」

 突然の事に、廿楽は落ちてくる紙を手で払う。

 しかしそんな事で防げるわけもなく、廿楽は紙の山に埋もれてしまった。

「た、助けてくれー。オーダー」

 紙山から手だけを伸ばし、オーダーに助けを求める廿楽。

 しかし、オーダーは座ったまま反応を見せない。

「オーダー! あ、あれ? 死んだ⁉︎」

「……残念。見つからなかった」

 パッと、紙も長方形も全て消える。

「あ、あら? 今のは幻覚?」

 紙が一斉に消えた事で、廿楽は変な体勢のままオーダーに質問する。

「ごめんね才君。レインさんのこと、見つけられなかったみたい」

 オーダーは立ち上がり、手を合わせて謝る。

「そう言えば、レインさんの事探してたんだっけ。インパクトが強すぎて忘れてた……」

 廿楽も立ち上がり、オーダーと向き合う。

「それより、今のなんすか! めちゃくちゃ凄かったっす。マジック見てる気分だった!」

 廿楽はオーダーに近寄り、先程の出来事を称賛する。

「あれはマジックじゃないよ。内蔵してある全ての知識を漁ってたんだ」

 それに対し、オーダーは冷静に答える。

「知識を漁る? 気になってたんだけど、その知識って全部オーダーのなの?」

「僕のと言うよりは、僕が出会った人たちのかな」

「出会った? 俺の知識もあるって事?」

「そうだね。僕も勝手に集める趣味はないんだけど、自然系だからどうしてもね」

 そう言いったオーダーは、1枚の紙を取り出し、廿楽に見える様にして持つ。

「僕の能力は、この紙が写し出したもの全て。知りたい事を込めれば、それが浮き出てくるんだ。例えば適当に1人、君の同級生を聞くと」

 カサカサと、手に持たれた紙が動き出す。

 それはオーダーが動かしているには、精密な動きを見せ、今にも飛んでしまいそうだ。

「探せ」

 サッと、目にも留まらぬ速さで、紙は宙を舞う。

 そしてそれは一瞬で一点に密集し、くしゃくしゃになった紙が、オーダーの手のひらに落ちた。

「どれどれ、えーと……。シック・タンツ君かな。出席番号25番で、最近転校してきた。と」

「わぉ。本当に分かるんすね」

「ほら、自分で見てごらん」

 廿楽は紙を受け取り、表面を指で擦る。

「インク……じゃないっすね。匂いもしないし、能力って不思議だなー」

 ありがとうとお礼を言いながら、廿楽はオーダーに紙を返す。

「才君は能力者じゃないの?」

「俺はただの学生っすよ」

「ケインさんが連れてきたから、僕はてっきり能力者だと思ってたよ」

「俺も最初話したら、ケインさんも驚いてましたよ。まあ1番驚いてるのは、急にジャスターズに連れて来られた俺なんすけどね」

「ふっ。それは間違いないね」

 オーダーは紙をしまい、何も無い空中を掴む。

 そしてタンスを引く様に、それを引き寄せる。

「ここには何も無い様に見えるけど、こんなにも知識が詰まってるんだ」

 そしてその中から何かを取り出す。

「これは無知の知。これだって、立派な知識だよ」

「無知の知? 透明ですね。それは何の意味が?」

「これだけ自分の知らない事があるって、自覚出来るんだ。素晴らしい事だと思わない?」

 オーダーは目を輝かせ、廿楽に迫る。

「ま、まあ、見方によればですけど……」

「あっ、ごめんごめん。つい夢中になっちゃって。ケインさんにも気をつける様言われてるんだけど」

 そう言い、オーダーは廿楽から距離を取る。

「気にしないでいいすよ。それより、その能力。やっぱり俺の特技と似てますね」

「特技? 才君はマジックが出来るの?」

「マジックじゃないっすよ。その知識を写し出すみたいなやつの方です」

「才君は、どんな特技が出来るの?」

「そうですね。これはケインさんにも言った事なんですが。例えば、俺が学校行く時、今日は雨が降るかを質問して、目を閉じるとします。そしたら、降る。と、答えが出て来ました。すると本当にその日は、雨が降るんです」

「なるほど。僕の紙を使わないバージョンみたいな感じなんだね」

「……いや、あえて似てるって言ったのは、そこの部分なんすよ」

 オーダーは頭にはてなを浮かべる。

「オーダーの能力は、知識をもとに答えを出してると思うんす」

「才君は違うの?」

「俺のは、自分が未来に経験するものしか、答えが出ないんす」

 再びオーダーの頭にはてなが浮かぶ。

「俺も最初は勘違いして、テストでその特技を使ったんすよ。で、返ってくる当日。もちろん俺は満点を期待してました」

 かろうじて頷くオーダーを見て、廿楽は話を続ける。

「けど結果は惨敗。特に選択問題はほぼ間違ってたんす。何でかって考えた時、思い付いたんすよ」

 廿楽はオーダーに見えるようして、自分の頭を指差す。

「俺の特技は、正しい答えを教えてくれるんじゃなくて、俺が未来に経験した、事実を教えてくれてたんすよ」

「……つまり、才君が見てたのは、未来の自分の回答って事?」

「そういう事っす。実際、俺が見た答えは、全部回答用紙に書いてましたし」

「……何か猿の手みたいだね」

「そう! そうなんすよ! 俺が思ったのはまんまそれです。だからさっきの雨の話も、俺が外出しなかったり、外の様子を一切見ないとしたら、まずの話答えが出ないんす」

「じゃあ、何でも知れるって事じゃないんだね」

「ですね。けど逆に言えば、見えたって事は、知ったって事と同じなんで、その未来は絶対に訪れるんす」

「そう考えると……、恐ろしいね。その特技」

「全くっす」

 話が丁度区切れたところで、オーダーはどこからか、くしゃくしゃになった1枚の紙を取り出し、それを廿楽に見せる。

「これは、ケインさんが才君を連れてくるきっかけになった紙なんだけど」

 その紙には「私立クライエン学園、2年4組34番」と書かれていた。

「何て質問したんすか?」

「これからのジャスターズに必要なもの。って」

 それを聞き、廿楽は一瞬言葉を失う。

「……じ、ジャスターズに?」

「そう。才君は、僕の能力を使って導き出した、ジャスターズにとってのキーマンなんだ」

「……俺が? この一般の男子高校生の俺が?」

「一般なんてとんでもない。才君は、十分特別だよ」

 廿楽は数秒間、口を閉じられないでいた。

 そして一言、こう呟く。

「へっ、有り得ねえ……」



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疑問

 知識の世界に入り、早くも数十分。

 廿楽はオーダーから聞いた言葉について、未だに考えを巡らせていた。

「考えはまとまったかな?」

 オーダーが優しく問いかける。

 なぜなら、廿楽がその書いて字の如く、頭を抱えて蹲っていたからである。

「……まとまりはしてないすけど、何個かおかしい部分は見つけました」

 廿楽は立ち上がり、何かを探す素振りを見せる。

「紙、貸す?」

 オーダーは紙を取り出し、廿楽に渡す。

「あ、ありがとっす。それと、何か書くものはありますか」

「その紙は、頭の中を写し出してくれるから、書こうという意思だけで書けるよ」

 なんとも信じ難い話を、オーダーは淡々と口にする。

「な、なるほど。やってみやす」

 廿楽は紙を見つめ、自分の頭の中を写し出そうと念じる。

 すると、紙に1本の斜線が浮き出てきた。

「おお、マジだ」

 廿楽は感心するが、すぐに切り替え、他の事を念じる。

「なかなか、むずいっすね」

 廿楽は苦戦しながらも、その紙に頭の中を写し出す。

 そして数分後。何かを書き終えたのか、廿楽はその紙をオーダーに渡した。

「えっと。1、ジャスターズと——」

「あ、それは俺が口頭で説明しますよ」

 廿楽はごほんと咳をし、1、2歩下がる。

「まず1つめなんすが、ジャスターズが俺の存在をどうやって知ったかです」

 廿楽は分かりやすい様にと、1本の指を立てる。

「俺はここに来るまで、ジャスターズなんてただの都市伝説だと思ってたんすよ。というか、まだあんま実感してないんですけど」

 オーダーは廿楽の話を聞くために、受け取った紙をしまう。

「そんな俺を、ジャスターズが知る機会なんて、限られてると思うんすよ。第一、私立クライエン学園とジャスターズは、全く関連性が無いんす。俺が把握している限り、学園内に能力者はいないですし、どこにでもあるただの私立学園なんすよ」

「確かに……。そう言われてみると変だね。僕も初めて見た時、私立クライエン学園なんて場所、聞いた事なかったしね」

「だからその紙に、間接的に俺を示す文字が現れたのは、不自然な事なんす」

「けど、クライエン学園はサイコスにある訳だし、全く関係無いとは言い切れないんじゃないかな」

「一理ありますが、不自然なのは変わりないです。まずの話、能力者でも無い学生を、キーマンとして扱いますかね」

「……それは僕も予想外だったんだよね。まさか能力を持ってないなんて、この紙に写し出された時は思ってもみなかった」

 ジャスターズは9割が能力者であり、無能力者として知られているのは、幹部のナインハーズ1人。

 いくら人員が足りないと言え、無能力者を取り入れる程、ジャスターズは追い込まれてはいない。

 無能力者である廿楽が、このジャスターズ内にいるだけで、十分レアケースなのだ。

「次に、これは俺もはっきりとは言えないんすが。オーダーは、これからのジャスターズに必要なものって、その紙に聞いたんすよね」

「そうだね」

「その、必要な『もの』を聞いて、人が出てくるのは、どうもしっくりこないんです」

「と……いうと?」

「オーダーがどの『もの』で聞いたのかは、俺には分からないんすが。俺が思うに、これから必要なそれが、人では無いことは分かります」

「人じゃ無い?」

「はい。例えば、今ジャスターズが抱えている問題は何ですか?」

「今は……。ジースクエアっていう、凶悪な人たちを始末しなくちゃいけないって、国から命令されてる事かな」

「じゃあ、そのジースクエアに関係する『もの』が写し出されないと、理にかなってないっすよね」

「まあ……そうだね」

「俺は明らか戦うには不向きですし、喧嘩だってした事がないんす。そんな俺をどうやって使えば、ジースクエアを倒せるんすか」

 廿楽の見解こうだった。

 ジースクエアを倒す為に必要なもの。それは才廿楽という人間ではない。

 ジャスターズの人員や権力、統率力といった、もっと大雑把なものでなくてはおかしい。

 だから、具体的な人間1人を示すのは「これからのジャスターズ」という、大きな括りを解決する事には、繋がっていないと。

「……才君の意見は分かったけど、僕は僕で思う事があるんだよね」

 オーダーは再び紙を出し、才廿楽とそこに書く。

 そしてそれを、廿楽に見せる。

「才君は、それを全て含めて、最も必要な人物だったんじゃないのかな。確かにジャスターズには足りない事だらけで、数えたら切りがないけど。それを解決出来るのは、才君1人だけとも、言い換える事が出来ると思うんだ」

 オーダーは、自分の能力を過信しているという理由からではなく、ありのままの心情を口にした。

「……それは、俺も言いながら、頭の隅にはありました」

 それを聞き、廿楽は視線を下に向ける。

「けど、最後にそれが問題なってくるんす」

 そして流れるように、再びオーダーに視線を戻した。

「問題?」

「オーダーの能力は、誰かの知識を借りて、答えを出しているんすよね」

「うん」

「だからこそ、手がかりのない、マイクロデビルの事を知る為に、俺をここの世界に入れた。ですよね」

「そうだね。後々話そうと思ってたけど」

「つまり、知らない事は知らないで、答えは出ないんすよね」

「う、うん。その時は白紙のままだよ」

 廿楽がここまでしつこく聞く理由。

 それは、それ程最後の問題が重要であり、廿楽が思う、この件で1番の問題点であると、そう考えていたからである。

 そして存分に前置きをし、ゆっくりと廿楽が口を開いていく。

「……俺がこれからのジャスターズに必要って、一体誰が知ってたんすか」

 その言葉は、長い前置き故構えていたオーダーを、数十秒間硬直させるだけの、インパクトを有していた。

「誰か、未来知ってる奴、いません?」



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必要、不必要

「いや、俺の勝手な妄想かもしれません。……実際、その、何というか……現実味? に、欠けてますし。オカルトじみた話っすよね……」

 廿楽の発言から数秒後。

 沈黙の空間に耐えられず、廿楽自らが、自身の発言に訂正を入れる。

 しかし、廿楽の推測は、あながち外れてはいなかった。

 オーダーの能力は、知識を最大限に活かした、いわば模範回答の役割を担っている。

 分かるものは確実に当たり、分からないものは確実に答えない。

 つまり元々回答がないものは、当たり前だが表記される筈がないのだ。

 それが機械や人間の仕業なら、誤作動と受け取る事も不可能ではない。

 しかし、能力という未知な存在を、その土俵に持ち込み、あわよくば否定をしようものなら、それは正しい答えと言えるのだろうか。

 否。能力とは絶対であり、偽ることの出来ない真実の上で行われている、本能の意思であるからだ。

 廿楽が必要と知っている者がいる以上、その事実は変わらない。

 それを加味したのか分からないが、廿楽はそれを、何の疑いもなく言葉として具現化した。

 オーダーはそれを知り、廿楽をただの助っ人としか見れていなかった自分に、心底羞恥心を感じていた。

 この男は、自分が選ばれた人間と受け入れるのではなく、ケインもパステルも、能力を1番理解していると思っていた、自分すらも気に留めていなかった、死角に目を向けた。

 それは十分に理解しており、だからこそ今の廿楽の発言は間違っている。

 そう頭では理解している筈なのに、思うように口が動かない。

 「才君は正しいよ」その一言が、一向に喉を通らないでいた。

 その言葉を口にしたら、廿楽以外の人間を、こんな事にも気が付かなかった、気が付こうとしなかったと、間接的に言ってしまう様に感じたのだ。

 なぜならば、オーダーの能力は、皆の知識の集合体だからである。

「……才君は——」

「でも、もしかしたらの事もあるので、一応ケインさんにも報告しましょう」

「あ、う、うん。そうだね。マイクロデビルの件も後にしよっか」

 オーダーが絞り出した言葉は、呆気なく空気と同化した。

「じ、じゃあここから出るから、僕に近づいて」

 オーダーはなんとか平然を装い、いつものオーダーであろうとする。

「1つ、質問いいすか?」

 オーダーが知識の世界から出る準備をする中、廿楽はある事を疑問に思っていた。

「いいよ。なんでも聞いてね」

 それをオーダーは、笑顔で返す。

「なぜオーダーは、その質問をしたんすか?」

 その質問とは「これからのジャスターズ必要なもの」の、事である。

「なぜ……?」

 たった十数文字で終わりそうな回答を、オーダーは頭の中で模索する。

 しかし、一向に見つかる気配はしなかった。

「……なんでだろう。質問した時の事、全然覚えてない……」

 オーダーはその発言中も、全く思い出せないでいた。

 

「け、ケインさん!」

 ノックという概念を忘れさせる程、勢いよくケインの自室の扉が開く。

「オーダー。寝てなくていいのか」

 ケインは突然の来客に立ち上がる。

 知識の世界を出た後、オーダーはケインの元へその足を運んでいた。

「とりあえず座れ。息が切れてるぞ」

「す、すみません。久しぶりに走ったもので」

 オーダーは近くのソファに腰掛け、肩で息をする。

「大丈夫か」

 ケインは机にお茶を出し、オーダーから見て右に座る。

「は、はい。なんとか」

 オーダーがいつもは見せない表情に、ケインは動揺する。

 がしかし、何となくの察しはついていた。

「あいつか」

「——! ……はい。ですが、それだけじゃありません」

「それ以外にも?」

「詳しくは、これで」

 オーダーは紙を取り出し、ケインに手渡す。

 これは情報伝達紙と言われ、オーダーや他人の経験したものをこの紙に保存し、それを相手が触れる事で、情報が共有できるという、ジャスターズでは上層部でしか取り扱われてない代物である。

「……これは、あいつが言ってたんだよな」

 情報が共有され、ケインはソファの後ろ側に体重をかける。

「はい」

「ふうー、なるほどな」

 ケインが天井を見つめ、何かを考える。

 オーダーはそれが答えを成すまで、じっと待っていた。

「正直、嘗めていたな」

 ぽつりと、ケインが言葉を漏らす。

「俺たちが劣るところなんて、学生時代の青春を知らない事以外、微塵も無いかと思っていた。だが、違ったな……」

 ケインは姿勢を戻し、足を組む。

「あいつはもう、ガキじゃねえ。ここに来た時からずっと、立派なジャスターズの隊員だったんだ」

「……それは僕も、痛いほど実感しました」

 オーダーはケインと視線を逸らし、下を向く。

「あいつは」

「僕の部屋で、寝かせています」

「そうか……。だったらもう、返してやった方がいいのかもな」

 その言葉を聞き、オーダーが顔をあげる。

「……返すって、どこへですか?」

「ジャーキだ。あいつの故郷の」

「ジャーキ……。だから、才廿楽……」

「ああ。深堀はしてねえが、あいつも色々あったんだろうな。わざわざサイコスにくるより、リツィーの方が安全だろうに」

 リツィーとは、完全に無能力者だけで構成されている国であり、能力者はiceバッチを持っていても、入国すら難しい仕組みとなっている。

「……返すのは、少し勝手な気もします」

「そりゃあな。仕方ねえ」

「でも才君は、ジャスターズに必要な人材だって、ケインさんも理解してますよね」

「十分に理解した。その上で言ってるんだ。これ以上関わらせたらあいつ、確実に死ぬぞ」

「……言い切れます、よね……」

「まだ先の長い奴が、先の短い奴らの駒になるのは、俺のポリシーに反する。もう失敗はしたくねえんだ」

「……多分才君は、レインさんって人を、サイコスに探しに来たんですよね。それならせめて、探す手伝いをしてあげましょう」

「俺も流石に、手ぶらで帰らせるつもりはない。だから調べてみたんだが、どうもレインという人物は、サイコスにはいない様なんだ。正しく言うなら、生きているレインという人物は、サイコスに1人としていなかった」

「死んでいる人なら、いたんですか?」

「1人な」

「たった1人ですか?」

「特別珍しい名前でもねえのに、不思議だよな。まるで探して下さいって言ってるみてえだ」

 ケインはオーダーから貰った紙を、机の上にわざとらしく置く。

「しかも厄介な事に……」

 オーダーはその紙を手に取り、ケインが吹き込んだであろう情報を取り込む。

「これって……」

 オーダーはケインの方へ向き、目を大きく見開く。

「ああ、またあいつの家系だ」

 ケインは再び、ソファの後ろ側に体重をかけ、天井を見つめる。

「ストリート……お前らはどこまで付き纏うつもりなんだ……」



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父親

 窓から微かに漏れ出す光が、俺の瞼を刺激する。

 薄く開けた目は、1コマ前とは違う、既に外の世界と馴染んだ部屋を映し出した。

「あの後寝たのか……」

 フートを寝たふりで追い払った後、そのままの流れで寝てしまったらしい。

 特別何かやるという事は無かったので、寝た行為自体はいいのだが。

「首痛ってぇ」

 丸まって寝た事により、少々寝違えてしまった様だ。

 俺は首を押さえながら立ち上がる。

 リモコンを探すと、ある事に気が付いた。

「あれ? あいつ居ないな」

 俺が寝る直前、フートがどこかに行った事は記憶にあるが、あのまま帰って来ていないのか。

 それとも、単純にショートスリーパーな奴で、日課の早朝ランニングにでも行っているのか。

 よく考えたら、どっちにしろどうでもいいな。

 俺はリモコンのボタンを押し、電気を付ける。

「ん、んあ、あーあ」

 朝の伸びをし、欠伸と共に声が出る。

 顔を洗おうと洗面所を探すが、それらしき場所は見当たらない。

「んだよ、ないのか」

 布団の上にあぐらをかき、手に顎を乗せ、ボーッとどこかを見つめる。

「何すればいいんだろ……」

 ジャスターズに入隊したのはいいが、これといった命令が無ければ、無知の俺はどうしようもない。

 勝手にどこか行く訳にもいかないし、だからって退屈は好きじゃない。

 思い出してみると、俺の周りには常に何かがあって、暇な時なんて無かったな。

 何かの任務だったり事件だったりに巻き込まれて、その度に死にかける。

 それで唯一安らぐのはミラエラの所。

 俺が気が付かなかっただけで、平和っていうのは暇なのかもな。

「差別なくしたら何しよう……」

 まだ叶うかも分からない夢を、自分の妄想の中で完結させる。

 挙げ句の果てには、毎日を退屈する始末。

 そんな日が、いつか来るとい——。

「ストリート! おはよう!」

 声の後に扉が開く。逆だろ普通。

「朝から元気だな。ナインハーズ」

「いやー、受付に場所聞いたのはいいけどさ、行き方が全然わかんなくて遅れたよ」

「ジャスターズの幹部だろ。そこら辺ちゃんとしとけよ……」

「まあそれは置いといて……って。ストリート、なんでにやけてんの?」

「えっ?」

 俺は自分の顔を手で触り、上がった口角を確認する。

 そしてすぐさま、元の表情に戻した。

「別ににやけてねえよ」

 俺はナインハーズから目線を外し、何も無い壁を見る。

「いやにやけてたろ。なんだ、何か朗報か」

「だからにやけてねえって。それよりなんだよ。おはようって言う為だけに来るほど、そんなに友達やってねえだろ」

 俺は誤魔化す様に大きな声で放つ。

「あ、そうだったそうだった」

 ナインハーズは何かを取り出そうと、ポケットに手を入れる。

「ええと、確かここら辺に」

 なかなか手こずっている様だ。

 管理もろくに出来ない奴が、よく幹部になれたもんだな。

「あった。これこれ」

 ナインハーズは何か見覚えのある紙を取り出し、それを俺に差し出す。

「何これ」

「紙」

「いやそうじゃなくて……。まあいいや」

 即答した割に凄く頭の悪そうな回答をしたナインハーズは置いといて、俺はその紙を受け取る。

 すると、紙に触れた方の手から、ピリッとした電流が上ってきた。

「うおっ!」

 突然の事に、俺はその紙から手を離す。

 しかし、既に俺の頭の中には、何かが入り込んでいた。

「……レイン?」

 誰か知らない人間の、記憶の断片らしき何かが頭の中で再生される。

 俺はその状況に、身体が硬直していた。

「レイン・ストリート。多分君のお父さんかな」

 ナインハーズが説明するも、それは既に知っている情報だ。

 他にも映像だけじゃ無い、それを知った時の感情や感覚、雰囲気さえも、まるで自分が経験したかの様に分かる。

「これって、どうなってるんだ?」

「それは情報伝達紙と言ってね。まあ簡単に言えば、そこに情報を吹き込んだ人間の、その時の全感覚が共有される紙だね」

「凄えもんあるな、ジャスターズ。……まあそれはいいとして」

 俺は体勢を変え、自然と天井を向く。

「俺に父親って、居たんだな」

 幼い頃の記憶がない為か、両親という存在をさっぱり忘れていた。

 しかしこんな形で知るとは、思ってもみなかったな。

 折角ならもう少し早く、まだ生きている時に知りたかったもんだ。

「それで、そのレインがどうしたの」

 衝撃はもちろんだが、死んでいる以上、俺が特に出来ることは然程残っていない。

 せめてやれる事と言えば墓参りくらいだが、墓の場所が分からなければ、行動にすら移せない。

 分かっても、行くかどうか迷う所だが。

「そのレインなんだけど、どうやら科学者だったみたいでね。結構有名な人だったらしいんだよ」

「どんな研究をしてたんだ?」

「確か、能力者を無能力者にする方法? だったかな」

「そんなの出来るのか?」

「出来るかどうかは知らないよ。だって俺科学者じゃないし」

「まあそうか……」

 もし能力者を無能力者に戻せるとしたら、一体どうなるんだろうか。

 元とかいうやつは残って、高い所から落ちても全然痛みを感じないだけの、ただの一般人になるのか。

 それとも元も無くなり、全くの無能力者に戻れるのか。

 俺の父親は、それが気になって、自ら研究を始めたんだろうな。

「確か……、限定退化論だっけかな。そんなのがあった気がする」

「限定退化論?」

「そうそう。能力者を無能力者にする時に、完全な無能力者にはなれないって、そう言う話」

「なんで完全にはなれないんだ?」

 それに、退化という部分も気になる。

「そうだな……、副属性は知ってる?」

「ああ。確かサンに教えてもらった」

「その副属性って、生まれつき持ってるんだよ。能力がどうなるかとか関係なくね。だから逆に、副属性を軸に能力が発現するんじゃないかって、一部では言われてるんだよね」

「副属性って生まれつきだったのか。てっきり能力の発現の後になるもんかと」

「そんな適応能力は持ってないよ。人間は。まあ言っても、能力者かどうか調べる為に、赤ん坊を燃やす訳にはいかないしな。そこら辺の事は、明らかになってないのが真実だけどね」

「それは分かったが、その副属性が、無能力者になりきれない事に、どうやって関わってんだ」

「そんな急かすなって。順番に話してくから。まあまず、ストリートって呼吸してるよね」

 いきなりの的外れな質問に、俺は唖然とする。

「呼吸? そりゃしてるけど」

 順番に話すとか言いながら、急に7つくらい飛ばされた気分だ。

「じゃあ例えば、ストリートが記憶喪失します。さて、ここで問題。その時ストリートは、呼吸の仕方を忘れているでしょうか」

「忘れる訳ねえだろ」

 急に始まるシンキングタイムに、全くの焦りも感じず、俺は即答する。

「せいかーい。その通り、忘れる訳ねえだろ、だよね」

 ナインハーズの中で何か順番があるんだろうが、俺にはそれが理解できない。

 この話が、その限定退化論ってやつと、どんな関連性があるんだ。

「それと同じで、副属性も能力が無くなったくらいじゃ、治らないんだよ。ってのが、限定退化論」

「……なるほど」

 数秒開けて、俺は理解する。

 最後まで聞くと、結構順番してたんだな。

「まあ、あくまで仮定の話ね。実際過去に事例はないし、やってみなくちゃ分からないけど」

 こうやって聞くと、なんだが俺も知りたくなって来た気がする。

 しかし、今は他の目的があるので今は出来ない。

 まあ、いつかやってみたい気もする。

「ってか、俺に会いに来たのはそれだけか?」

 よくよく考えると今のナインハーズの行動って、突然部屋に来ては「お前の父親死んでたぞ!」って言ってる様なもんだよな。

 もし本当にそれが目的なら、こいつもしかしなくても、やばい奴なんじゃないか?

「ん? ああ、それだけ」

 ナインハーズは当たり前の様にそう言った。

 何とも思ってなさそうな、自分の行動がなかなかやばい事を自覚してなさそうな、そんないかれた奴の顔に見えてきたぞ。

「へ、へえ。そうなのね」

 やばい。こいつを刺激したら、こっちがやられちまう!

「じゃっ、そゆことで」

「あ、本当に何も無いのね」

 ナインハーズは、踵を返して出て行こうとする。

 その背中を見て、俺の頭の中にある疑問が浮上してきた。

「そうだナインハーズ。俺の父親はなんで死んだんだ?」

 ほぼ去り際のナインハーズが、視線だけをこちらに向ける。

「えっと確か……、忘れた」

「……あっそ」

 ためた割に何もないのかよ。

「じゃねー」

 ナインハーズが手を振り、俺もそれに答える。

 父親の死因は分からないが、とりあえず死んでいる事は分かった。

 まあ、今更って話なんだけど。

 ……そう言えば、最初にナインハーズと会った時に、両親と妹が死んでるとかなんとか言ってた気がするな。

 それについての記憶は無いが、なんとなく間違ってない気がする。

 そうなると、今残っている家族は、キリングのみか。……マジかよ、なかなかやべえな。

 実はもう1人兄がいました……とかは無いか。

 俺は再び寝転び、天井に手を伸ばす。

「家族ねぇー」

 そのまま脱力し、手は俺の額の上に乗る。

「会いたかったな……」

 誰にも届く事のないその言葉は、部屋に反響する事もなく、ただただ空気に混じり消えた。



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始動

 大昔。およそ2000年ほど前、全世界で歴史上類を見ない大戦が起きた。

 きっかけは、ある大国の指導者の暗殺であった。

 その指導者は公演中でも、プライベートでもなく、厳重な警備が張り巡らさせれた、室内で暗殺されたのである。

 この事件は世界中で大きな話題を生み、その大国では次の指導者を決めようと、国民が騒ぎ立てた。

 しかし、立候補者も立て続けに暗殺され、遂には立候補者が出ないという事態に。

 その大国は大国でありながら、なんと数ヶ月間、国のリーダーが存在しなかったのである。

 それを他国が黙って見ている訳も無く、その大国には多くの国が進撃してきた。

 統率力のないその大国は、いとも簡単に陥落。

 それが大きな波を起こし、我も我もと各地で大規模な戦争が多発。

 数年と経たず、あっという間に世界は火の海と化したのだ。

 この事からこの世界大戦を、2000年戦争と、現代の人達は言う。

 そして現在。

 2000年前とは打って変わり、何百もあった国は、18とその数を減らした。

 この18の国、これを建国順に並べた、世界王国権威というものがある。

 1から18の数字で表され、数が大きいほど貧しく、権力の無い国とされる。

 国の状況次第で、昇格や降格も珍しくはない。

 ストリート達の住むサイコスは、これの第7王国にあたる。

 

 第8王国カンブゥ、首都ユーハルセン。

 発展途上国として有名なこの国は、主に天然ガスを利用した産業に力を入れている。

 カンブゥからは、多くの著名な科学者が輩出されており、代表としてモード・テンタクルが挙げられるだろう。

 食料自給率がやや低い事以外、貧困の差も然程なく、比較的平和と言われているこの国は、第8王国として、その地位を確立していた。

 しかし、このカンブゥ。どんな政治問題よりも、第一に対処しなくてはならない、大きな悩みの種を抱えていた。

 その正体とは——。

「王様。iceバッチの1つくらい、いいじゃないですか」

 宮殿の、警備員がはけられた玉座の間で、1人の男と王がある交渉をしていた。

 男の目にはアイマスクが付けられており、右手には杖を持っている。

 王とは違い、椅子に座らず、杖に重心を乗せたまま立っていた。

「そう言われてもの……」

 男の名は、コイン・チルズ。

 ジースクエアの1人であり、ここカンブゥの出身者として有名である。

 しかも、ジースクエアの中で唯一争いを嫌う性格で、「力を振るうなら話し合う」と、自ら公言している程だ。

 しかし、ただの能力者がジースクエアに指定される訳が無い。

 彼には、ジースクエアに指定される程の、所以が存在しているのである。

「コインよ。お主がiceバッチを所持してしまえば、もうこの世にお主を拘束する枷が無くなってしまうではないか」

 iceバッチ。正式名称innocentバッチ。

 国籍とは違い、無能力者のみが所持する事を許される。言わば、能力者ではない証である。

 無能力者は皆、相当な理由がない限り、所持を義務付けられている。

 一部のコミュニティでは、iceバッチのありなしを問わず利用できるものが存在する。

 しかし、ほとんどはiceバッチの所持を前提として構築されており、iceバッチの不所持は、国単位での差別の対象を意味する。

 一部を除き、大抵能力者がこれである。

「それが望みなんですよ、王様。俺だって、ノーリスクで国を渡りたいんです。もちろん、悪事には使いませんよ」

 コインの話は、一見ただの口約束にも聞こえる。

 しかしコインは、対談で嘘をついた事が1度もない。

 その理由は、嘘をつく意味がないと、彼自身が思っているからである。

「お主の話は疑いはせん。じゃが、我らの安全を考えると、そう簡単に渡す訳にはいかんのじゃよ」

 コインが小さく舌打ちをする。

「王様。あんた今、疑わないって言ったよな」

 コインの声は細かく震える。

「全っぜん、信用してねえじゃねえか!」

 急に、コインの声量が上がる。

「俺が、嘘が大っ嫌いだって知ってるよな?」

 目は見えないが、コインの目は確実に怒っていた。

 自分が対談で嘘を付かない代わりに、相手にも真実を要求する。

 それがコイン・チルズの正義であり、絶対不変の主義であった。

「す、すまない。今のは取り消してくれ」

 王様は自分の過ちに慌てふためき、更なる過ちを犯す。

「取り消す? 嘘だって認めるんだな」

 コインはアイマスクを上にずらす。しかしその目は閉じられたままだった。

「俺が愛国心ってのを持ってるのは知ってるよな。それ同じで、王様の事も慕ってるし、家系だってそうだ。けど、今のは好きじゃないな」

 コインがゆっくりと目を開ける。

「あ、あああ……」

 王はその眼を見て、慄然とする。

「怖いか?」

 コインの眼は、余す事なく黒に包まれており、白目という部分が存在していなかった。

「王様、俺は聞いてるんだ……」

 コインは素早く左を向いたと思うと、その目を一度、瞬きさせた。

 すると、何とも言えない大きな破壊音と共に、コイン左側の世界が、楕円形に消えた。

「怖いか!」

 振り向きと同時に、コインの声が爆発する。

 大きく見開かれたその眼には、やはりどこを探しても白が存在しなかった。

「やろうと思えばこんな国、数回の瞬きで潰せるんだよ。それを俺は、つまんないからってやってないんだ。けどねえ、王様がそれなら、俺もつまんない事に手出しちゃうよ?」

 子どもに言い聞かせる様に、コインは優しい声で語りかける。

「俺は、そんな事したくないな」

 コインはアイマスクを元の位置に戻す。

 コインが争いを嫌う理由。

 それはたった一言「つまらない」からである。

 圧倒的な力に恵まれたコインは、成長するにつれ、闘争心というものが消えていった。

 何事も負けようが勝とうが、瞬き一回で全てが終わるのだ。

 いつしかコインは、存在するだけで恐れられ、自らも自身の能力を恐れた。

 だからこそ常にアイマスクをし、慣れない杖で歩くという、圧倒的不便な生活を送っているのだ。

「あ、iceバッチは、渡せない……」

 王は声を絞り出す。

 まるで蜘蛛の巣に引っかかった蝶の様に、王はコインという蜘蛛を恐れていた。

「渡さない……か。まあ、しょうがないかあ」

 コインはあっさりと諦め、踵を返す。

 そしてパチンと指を鳴らした。

「コイン様」

 突然、何も無い空間から、コインの部下と思われる男と、1人の少年が現れる。

「ご苦労」

 コインはその少年の頭に左手を乗せる。

「お、お父様?」

 少年は王を見て、困惑する。

「これ、だーれだ」

「わ、わわ、私の息子を離してくれ!」

 王は立ち上がり、我が息子の元へ駆け寄ろうとする。

 しかしそれは、コインの部下によって止められた。

「離せ! 無礼者!」

 王は部下を殴り蹴るが、能力者が無能力者の攻撃に怯むはずもなく、それは全くの効果が無かった。

「それ以上近付いたら……、ね?」

 王はその言葉に、静止する。

 一切振り向かないコインの背中は、部下ですら恐れる、圧倒的な強者の何かを纏っていた。

「iceバッチが欲しいのか! 今すぐ作らせる! だから息子を解放してくれ!」

「iceバッチ? あんた、渡さないって言ったよな。また嘘つくのか?」

 コインの左手は、徐々に握られていく。

「何が望みだ! 何でもする! だから——」

「質問に答えろ。俺は言ったぞ、こいつが誰だって。もし正解したら解放してやる。これは本当だ」

 話している間も、コインの左手は着実に閉じていっている。

 このままでは、少年の頭が潰れるのも時間の問題だろう。

「わ、私のむ——」

 王が言い終わる前に、コインの左手に力が入る。

「ざんねーん。不正解」

 少年の首が、一瞬で後ろを向く。

「正解は、ただの肉でした」

 コインは左手で持っていた物を離し、再び指を鳴らす。

「それじゃ、もう一生来ないから」

 その冷たい声は、既に王の耳には届いていなかった。

 いつの間にか、王の近くにいた部下はコインの元へ移動しており、その言葉の後に2人とも消えた。

 その後、宮殿全体に王の叫びが響き続けた事は、言うまでも無い。



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誤算

 同刻、第16王国マンタスト、首都ガンジ。

 ロン・グレイが、慌ただしく玉座の間の扉を開ける。

 そして大きく息を吸い込んだ。

「キューズ様。チルズが動きました」

「ぶわぁっは! コインが⁉︎ そりゃまた何で」

 突然の報告に、玉座で紅茶を嗜んでいたキューズは、余す事なく盛大に吹き出す。

「詳しい事はまだ分かりません。ですが報告によると、カンブゥを出たとか」

「参ったな。あいつは動かないと思ってたんだけど……」

 キューズが焦る理由。

 それはもちろん、予想外であったからだ。

 コインは必要の無い殺生を避ける性格であり、自国のカンブゥから出る事を好まない。

 異常な愛国心から、カンブゥの為に命を捧げる様事も躊躇わないと、噂される程の男だった。

 しかしその認識は間違っていたと、今回の件でキューズは思い知らされたのである。

 自国を出たという事は、コインを縛っていた愛国心が無くなってしまったのだ。

 それはつまり、『コインの自由化』を意味している。

「きっつ……」

 思わず言葉を漏らすキューズ。

 それを聞き、ロンは首を傾げた。

「キューズ様。チルズは、今回の件にどの様な関係があるのでしょうか」

 コインが動いた事は、ロンも同様、予想外の出来事であった。

 しかし今更、ジースクエアの1人が動いた所で、半月後のジャスターズ陥落計画に、どんな支障があるのか。

 ロンはそこに疑問を持っていた。

「ん? ああ、そうだった。ロンは知らなかったな。コインという人間を」

 キューズは服についた紅茶を払い、足を組んでロンに向き直る。

「あいつが最初に向かう所。それはまあ、ほぼ100パージャスターズだろうな」

「確信があるんですね」

「まあな。それで多分、5日もしない内にキューズは崩壊する」

「——キューズが⁉︎ なぜですか?」

 キューズの軽い発言に、ロンは動揺を隠せないでいた。

「第一、ジャスターズには、ジースクエアを殺す様に命令が下っています。チルズが姿を現した時点で、どちらかが消滅するのは確実じゃ有りませんか?」

 キューズ側は、コインが勝てば「無視」か「殺傷」。ジャスターズが勝てば「ダメ押し」と、どちらにせよ、ジャスターズを陥落させる事が出来る。

 前者では、キューズの望む、自分の手でというのは叶わないにしろ、ジャスターズが無くなるのは、どう転がったとしても好機。

 それがなぜ、キューズの崩壊に繋がるのか。

 ロンはそれを理解出来ないでいた。

「コインはな、なまじ人間として、できちまってるんだよ」

「……はい?」

「恩は恩で返す。仇は仇で返す。そうやって生きてんだ」

「……つまりチルズは、何かジャスターズに恩があるという事ですか?」

「ああ、かなりのな」

 キューズはティーカップに紅茶を淹れ直す。

 そして一啜り後、ゆっくりと口からカップを離し、白い息を吐く。

「今から32年前。キューズの全盛期で、ジャスターズもまだ活発じゃなかった頃だ。ある日、俺と部下数人で、適当に銀行強盗をしてたんだ」

 キューズはリラックスしろと、ロンに近くの椅子に座る様促す。

「失礼します」

 ロンが座ったのを確認すると、キューズは再び話始める。

「その時に1人ずつ、銀行にいる人間を殺してったんだ。何てったって暇だからな。ただ強盗するだけじゃつまらない」

「確かにそうですね」

「そして、だいたい十数人を殺した時、外から声がしたんだよ。『人質を解放しろ。もしこれ以上立てこもる様なら、こちらも手段は選ばない』ってな。その時俺は、ジャスターズなんて組織は知らなかったから、警察が何かほざいてるって無視してた」

 キューズは紅茶を飲み、間を開ける。

「そしたら突然、1人の部下が騒ぎ出したんだ。何かと思って見ると、その部下は謎の男に頭を掴まれて、悶え苦しんでた。只者じゃないって構えたが、混乱したもう1人の部下は、馬鹿みてえに人質をとりやがった。しかも、まだ幼い少年をだ」

「いい判断じゃないですね」

「全くその通りだ。まあその部下は、次の瞬間、息をしてなかったけどな」

 キューズは少しにやける。

「俺もビビるくらい速い動きで、そいつは移動してた。頭を掴まれてたやつは、頭無しで転がってたしな。あの時、初めて恐怖した気がしたな。もちろん自分が最強だとは思ってなかったけど、あんなのを見せられちゃあな」

「キューズ様が恐怖する程の者ですか……」

 ロンの手は、少し震えていた。

 キューズが自分の話をする事はよくあるが、その中で、恐怖というフレーズは、今まで一度も出た事がない。

 キューズが嘘をつく理由もなく、それがより一層、その男を引き立てていた。

「で、その男は、俺にゆっくり近付いて来たんだ。一歩一歩。音も無くな」

 キューズは、手に持っていたカップを、近くの台に置く。

「だがその足は、人質にとられてた少年によって止められた。男の足を掴んで、何故か異様に目を擦っててな」

 キューズのにやけは、一気にピークを迎える。

「それで次の瞬間、聞いた事もない様な破壊音がして、銀行の壁が楕円状に削れたんだ。まるで目を瞑る時の景色みてえに、ガリガリガリって」

「……まさか」

「そう、運がいいのか悪いのか。人質にとられた少年が、能力者として目覚めちまったんだ。それも、世界最強クラスのな!」

 キューズは立ち上がり、両手を広げ、天を見つめる。

「つまり、俺らキューズが! コインを生み出したんだよ! あの時は興奮したなー! 死んだ部下を担いで、祭りをしたい気分だったよ」

 しかし突然、キューズの表情が無くなる。

「たが1つ、ミスをした」

 全身を脱力し、玉座に勢いよく腰掛ける。

「その時男は、コインを連れ去りやがった。あいつも多分、感じたんだろうな。こいつは天才だって。だから俺から遠ざけたし、国全体で保護しやがった」

 キューズの発言から、数秒の沈黙が訪れる。

「……それが、チルズがジャスターズへ向ける恩ですか」

「そういう事だ。ジャスターズに命を救って貰って、同時にキューズを殺したい程憎んでる。あの時殺した中に、コインの親でもいたんだろうな」

 キューズはカップを取り、紅茶をゆっくりと啜る。

「ですがなぜ、そんな男がジースクエアに?」

「まあ、当然の疑問だよな」

 キューズは足を組み替える。

「ジースクエアは、何もただの危険な奴らの集まりじゃない。他にも条件ってのがあるんだよ」

「他にもあったんですね」

「まあな。その1つが、人間性だ」

「人間性……?」

「そうそう。例えば滅茶苦茶強い能力者がいるとします。しかし、その能力者は、強さに引けを取らない程の優しい心の持ち主です。そんな男が、この社会で脅威になるでしょうか。ってな話」

「なるほど。何をしても武力行使はして来なそうですね。その人は」

「そういう事。じゃあ逆に、常に嘘を嫌って、自分に都合の悪い事は全て潰す様な、なまじ人間として出来ている奴は、かなり厄介だろ?」

「そうですね。下手に説得しようにも、逆にこっちが殺られる可能性が高いですね」

「そういう訳で、コインはジースクエアなんだよ。あいつの嘘嫌いは、冗談抜きでイカれてる」

 キューズは立ち上がり、ロンに近付く。

 そして肩に手を乗せた。

「まあという訳で、殺るぞ」

「……そうなりますよね。今からですか?」

 ロンは腕時計を確認する。

「だな。コインがジャスターズに着くのは、多分2日後ぐらいだから……」

「呼びましょう。幹部たちを」

「そうするしかねえよな。やっぱ」

 キューズはポケットからツールを取り出し、それを耳に当てる。

「全員、1時間以内に集まれ。狙いはコインだ。遅れた奴は、餌にする!」



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幹部会議

「ぜんっぜん来ねーじゃん!」

 キューズが集合をかけて、早2時間半。

 一向に幹部たちは集まる気配がなかった。

「いますよ」

 しかしただ1人、誰よりも早く到着していた男がいた。

「お前は早過ぎなんだよ。足の1本でも折っとけ」

 その名も、ラッツ・モーニングスター。

 キューズ最年少幹部である。

「キューズさんって、俺の事嫌いだよね」

 内緒話の様に、ラッツはロンに耳打ちをする。

「私に聞かないでください。それと、様ですよ」

 ロンはそれに対し、ハエを払う様な仕草をする。

「あっそ」

 この男、キューズのみならず、殆どの幹部や組員から嫌われている。

 その理由として、2つ、挙げられる。

 1つは、誰に対しても無礼な事だ。

 事実、幹部の中でキューズをさん呼びするのは、このラッツ1人だけである。

 キューズを尊敬している人間からはもちろん嫌われ、隣が嫌えば自分もと、それが連鎖した結果、今の状況になっていると言っても過言ではない。

 何度言われても直さず、若さ故では片付けられなくなり、最近では呆れられている節もある。

 もう1つの理由としては、この男、生粋の気分屋なのだ。

 機嫌のいい時は落ち着いており、会話に棘もなく、初めて会う人間は「いい人」と口を揃えて言う程だ。

 しかし機嫌が悪いと来たら、話しかけるだけで暴言や暴行をし、それが原因でキューズを辞めた人間も少なくはない。

 機嫌がいい時と悪い時の区別が難しく、怖くなった組員は、話しかけられるまで無視するという、暗黙の了解が出来ている。

 しかしなぜこの様な人間が、キューズの最年少幹部という地位に就いているのか。

 それは間違いなく、その2つを凌ぐ実力を持っているからであろう。

 戦闘に関しては、キューズ内一二を争う程優れており、狙われた獲物は生きている試しが無い。

 殺人において、ラッツの右に出る人間はいないだろう。

「ジースクエアって強いんすよね」

 ラッツは手に小さな鉄球を2つ転がしながら、目線を合わせずキューズに聞く。

「当たり前だ。しかもコインっつったら、お前が100人いても勝てねえよ」

「俺は100人もいないっすよ。ってかそんな相手、何で殺そうとするんすか」

「殺さないと後々面倒になんだよ。ジャスターズと一緒に、キューズを落としに来る」

「奇妙な話っすね。敵と敵が協力するなんて。まあ俺は、闘えればなんでもいいけど」

 ラッツが天井に向かって鉄球を放つ。

「来ましたね」

「チッ、馬鹿にしてんか」

 その言葉のすぐ後、玉座の間にノック音が鳴り響き渡る。

「入れ」

 キューズが返事をすると、重い音を軋ませながら扉が開く。  

 その先には、3人の影が並んでいた。

「すみません。遅れました」

 真ん中の男が、頭を下げて謝罪する。

「全くだ。遅刻なんて珍しいな」

「キューズ様。少し宜しいでしょうか」

「ん? なんだ」

 キューズはロンに耳を傾ける。

「言いそびれていたのですが、流石に1時間は不可能かと」

「えっ、そうなの? じゃあ、アイツが異常って事?」

 キューズとロンは、ラッツに視線を向ける。

「はい。かなり」

「アイツ20分くらいで来たよな……。怖っ」

 ラッツは2人の視線に気づき、眉をひそめる。

「んすか? 俺なんかやりました?」

 少しキレ気味のラッツに、2人は扉の方に視線を戻す。

「ま、まあ、それは置いといて。早速計画を説明するぞ」

 キューズがそう言うと3人は部屋に入り、静かに扉を閉める。

「ええと……あれ? 幹部ってこんないたっけ?」

 キューズは入ってきた人数と元いた2人を数え、首を傾げる。

「いえ、1人は私が」

 真ん中の男は、横にいた小柄な男を前に出す。

「初めまして。リュウ・カミソレです」

 リュウは頭を下げる。

「リュウ……? ああ、準幹部のか。どもども初めまして」

 キューズは会釈をする。

「それで、何でここに?」

「私情ではありますが、このリュウ・カミソレ。幹部並みの実力を持っていると感じ、私が勝手に連れてきました」

 リュウの代わりに、真ん中にいる男、トール・ラージェスが答える。

「なるほどね。まあ、トールが言うなら信用するよ。けど、間違えないで欲しいのは、信用してるってだけで、信頼してる訳じゃないから。駒扱いさせてもらうよ」

 キューズは、試す様にリュウを睨め付ける。

「煮るなり焼くなり好きにして下さい。喜んで出汁になりますよ」

「気に入った」

 キューズは笑顔でそう言い、3人を用意していた丸机の前に誘導する。

「今からコイン密殺計画を話す訳だけど、何か質問ある人」

「はい」

 その質問に対し、カイビス・ハングが手を挙げる。

「じゃあ、ハング」

「エッヂがまだ来てません。アイツは戦力外なんでしょうか?」

「ああ、エッヂなら死んだぞ」

 キューズは当たり前の様に答える。

「分かりました。ありがとうございます」

 ハングもそれを、サラッと受け止める。

「他に何かあるか?」

「1ついいですか」

 リュウが手を挙げる。

「どぞ」

「コイン・チルズを殺す、その理由を聞かせて欲しいです」

「面倒くさいから詳しくは言わないけど。コインはジャスターズに向かってて、無事着いちゃったら、かなりまずい事になる。ただそれだけだ。他には?」

 キューズは数秒待ち、誰も質問がない事を確認する。

「よし、なら進めるぞ」

 キューズが丸机に触れると、そこには地図の様なものが写し出される。

「これはラスキーの、ハグっていう場所の地図だ。今は大体気温が37度だから、もうちょっと薄いの着た方がいいぞ」

「ラスキーですか。あの戦争大国の」

 トールが顎に手を当て、何かを考える。

 ラスキーとは第17王国の事であり、非常に治安の悪い国である。

 常に内戦が続いており、その規模は甚大で、およそ980万平方キロメートルにもわたる。

 世界で2位の国土面積を誇り、一部では化学兵器の実験を行われている。と、噂されている。

 キューズがここを戦場に選んだのも、戦い易いという理由一択であろう。

「そうだ。ここなら派手にやってもバレないだろ。と言っても、ここを過ぎればジャスターズまであと少しだ。だから、確実にここで仕留める必要がある」

 キューズは地図を拡大させ、ある場所に円を描く。

「ここでコインを殺る。周りは廃墟ばっかだから、邪魔が入る事はないし、存分に力を発揮できる」

 そう言うと、キューズは地図を消し、視線を前に戻す。

「コインは常に2、3人の部下を連れている。今回もそうだろうな。ジースクエアの金魚の糞になるくらいだ。つまり、めっちゃ強え。だから役割を決める」

 そう言い、キューズは真っ先にリュウを指差す。

「お前は金魚の糞清掃係だ。あと1人……そうだな。ハング、やってくれるか」

「もちろんです」

「おっけー。忠告しとくが、1人1匹だ。多分2人になった瞬間、瞬殺される。もし3人以上いた場合、トール、ラッツ、ロンの順番だ。それ以上いたら一旦引く。多分死ぬからな」

 そう言うと、キューズはリュウに何かの鍵を投げて渡す。

「これは?」

 リュウはそれを受け取り、何かとキューズに質問する。

「車の鍵だ。移動にはバスを使う」

「バスですか?」

 カイビスが疑う様に聞き返す。

「そうだ。バスだ。現代人は外に出る事が少ないからな。車、しかも大型車しか手に入らなかった」

「ジェット機とかは無かったんですか?」

「無い訳じゃなかったけど、高いんだよ。金が。しかも、都合よく止めれる場所ねえだろ? 降りる時に、上空13000メートルから飛び降りろってのかよ。因みにパラシュートなんてねえからな。そんな高さから落ちたら、流石に痛えだろ」

「確かに……おっしゃる通りです」

 カイビスが折れ、この話は決着がつく。

「あの、俺運転できません」

 リュウが目線を貰った鍵からキューズに向け、悪びれる様子もなく口にする。

「マジ?」

 キューズは心の中で「こいつ使えねーなー」と思っていた。

「まあとりあえず、右がアクセルで、左がブレーキって覚えとけばいいよ。流石に旧式でも、AIサポート付いてるだろうし。後はAIに任せな」

「わ、分かりました」

 リュウに不確定な情報を教え、キューズは立ち上がる。

「すぐに出発だ。ってか正直な所、間に合わないかもしれない。だからマジで急ぐぞ。ロンは常にコインの位置を教えろ」

「かしこまりました」

「カイビスは後で部下の資料渡すから、相手の弱点を探せ」

「はい」

「トールはいざという時の為の、作戦を考えておいてくれ。俺は殺す作戦を考える」

「承知しました」

「ラッツは……」

 キューズは口にしてから、数秒考える。

「俺は?」

「……何もするな」

「それだけすか?」

「じゃあ喋るな」

「そう言う事じゃなくて」

 キューズはラッツを指差し、それを上下に振る。

「とりあえず、……余計な事はするな」

「俺だけ忠告じゃん……」

「こうしている時間はありません。皆さん、急ぎましょう」

 ロンが手を叩き、席を立つ。

 それに合わせ、皆も続いた。

「それじゃあいくぞ、コイン密殺計画。これに関しちゃ、やってみないと結果が分からない。弾いた時のコインみてえにな」

 上手いだろ。と、キューズはにやける。

 そして、どこからか硬貨を取り出し、天井に向かって投げた。

「どっちに賭ける」

 キューズは皆を見渡し聞く。

「俺は表だな」

 1番に、ラッツが言う。

「私も表で行きます」

 続いてトール。

「俺は裏で」

 次にリュウ。

「私も裏にします」

 カイビスが答え、

「なら私は、なしで」

 最後にロンが答えた。

「決まりだな」

 キューズは落ちて来た硬貨を手で覆い隠す。

「先に行ってろ。結果は見ない方が面白い」

 それを聞き、キューズ以外は玉座の間を出る。

「じゃあ俺は、表にすっかなー」

 1人残ったキューズは、手の中にある硬貨の表裏を予想する。

「どれどれ、どうなってるかなっと」

 部下には見せないで、自分だけ楽しもうと、キューズは周りを確認してからゆっくりと手を退ける。

「うわっ、マジかよ……」

 その硬貨は、誰もが予想だにしなかった、表も裏も示さない、立っている状態であった。

 いや、誰かは予想していたのかもしれない。

 こうなる事も、事前に知っていたかの様に。

「こりゃあ、本格的に分からねえな」

 キューズは何か嫌な予感がすると、そう思ったが、それは心の中にしまう事にした。



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前夜

「もう流石に慣れてきたか」

 現在時刻は午後の8時過ぎ。

 辺りは闇に包まれ、カーライトだけが夜道を照らしている。

 最初こそ奮起していた幹部たちも、今では無様にいびきをかき、起きているのは運転手のリュウと、キューズの2人のみ。

 急遽集まった幹部たちは、口には出さないが、疲れを溜め込んでいたのだ。

「はい。AIがほとんどやってくれるので、かなり楽ですね」

 リュウはハンドルから手を離し、AIの自動運転に切り替える。

「そうか。そりゃ良かった。あっ、そう言えば聞き忘れてたんだけど、何で刀持ってるんだ?」

 キューズは、リュウの横に立ててある刀を指差す。

「俺の能力は抜刀術なんですよ」

 そう言うと、リュウは自分の愛刀を優しく撫でる。

「はぇー、抜刀術? 珍しいね。自然系か」

「はい。帯刀した状態だと、普通の何百倍もの威力が出るんです」

「抜刀ねえ。……とすると、ジャーキ出身?」

「よくご存知で」

「侍って奴だろ。アイツら何人かとやったけど、もし能力者だったら、結構強い部類だと思うなぁ」

 キューズは思い出に耽るかの様に、腕を組んで上を向く。

「立合を何度か?」

「ああ、昔ね。抜刀ってのは、全然目に見えなくてね。あれは達人技って言っても、誰も文句は付けられねえな」

「なんか、嬉しいですね。俺が褒められている訳じゃ無いのに、侍を評価して頂くっていうのは」

「まあそいつら、殺しちゃったけどね。ある程度元を使えたっぽいんだけど、総量がね」

「それは申し訳ありませんでした。もし俺がそこにいたなら、キューズ様を楽しませる事が出来たのですか……」

「そりゃ面白そうだな。今度やってみるか」

「是非」

 その即答に対し、キューズは笑みをこぼす。

「にしても、何で抜刀術なんかが能力になったんだろうな」

「キューズ様は、どの説を推しているのですか?」

 リュウの言う「説」とは、能力の起源の事である。

 一説では、能力は人間の本能から来るものと言われ、もう一説では、能力は副属性を元に構築されるものと言われている。

 どちらが正しいとは一概に言えず、未だにその真相は誰にも分からない。

 日々研究が行われ、現時点で解明されている事。

 それは、「能力が非科学的である」という事だ。

「俺はそうだな……。遺伝によるものだと思ってんだよね」

「遺伝? ですが、遺伝による能力の類似は確認されていませんよ?」

 リュウの言う通り、家系や兄弟の関係だからといって、能力は類似しない。

 幾つか似た様な報告があるものの、歳の近い兄弟は行動を共にする事が多く、その時にたまたま類似してしまった。という結論で終わる事が多い。

「そうじゃない。俺が言ってるのは、資格の話だ」

「資格……? ですか」

「そう。何で無能力者の子どもは無能力者なんだって、考えた事はあるか?」

「はい。無能力者の子どもは保護され、安全に育つから、能力が発現しないんだって、思ってます」

「その通り。だが、その安全ってのは、誰が評価しているんだ? 看護師か、親か、はたまた神か。いいや違う、評価するのは子ども自身だ」

 キューズは組んでいた腕を解き、前屈みに体勢を変える。

「能力者だって無能力者だって、階段からは落ちる。溺れるし、怪我をしたら泣きもする」

「まあ……そうですね」

「その時、無能力者は安全で、能力者は危険な状態だったのか? 違うだろ? どっちも同じ状況だ。なのに能力が発現するのは、毎回能力者の子ども。それっておかしくないか? 仮に本能で能力が発現するとしたら、どっちも発現しないと合理的じゃないよな」

「確かに、そうかもしれませんね」

「俺が思うに、能力の遺伝による類似は無くとも、能力を得られる権利の遺伝は存在すると思う。能力者の親が無能力者か。無能力者の親が能力者か。どっちも違うだろ?」

 キューズの姿勢は、既に前屈みを通り越して、席を立っていた。

「キューズ様の意見は、新しい視点で、なかなか考えさせられます」

「だろ? けどな、この説、少し説明できない事もあるんだよ」

「そうなんですか?」

「ああ。確か十何年か前。ほら、リツィーってあるだろ? 無能力者だけの国」

「はい、ありますね」

「あそこで能力者が産まれたんだよな。リツィーは入国審査が世界一厳重だし、そう簡単に能力者が入れるとは思えないんだよね」

「確かに不自然ですね」

「まあ結局、能力については、まだまだ分からない事だらけって話だな。もう2000年以上も経ってる訳だし、俺が生きてる内に解明して欲しいところだね」

「そうですね。気になる所ではあります……」

 リュウの相槌が、バスの走行音に掻き消されそうになる。

「そういや今日って、何曜日だ?」

 沈黙を避ける為、キューズが話題を変える。

「今日は確か、土曜ですね」

「土曜日か。なら明日は、誰も外出はしないな」

「……狙ってでしょうか」

「どうだろうな。まあ、十中八九、俺らが来るのはバレてるな。で、敢えて正面から叩き潰そうって考えてる。その証拠に、刺客を寄越してない」

 コインが動き、キューズに真っ先に報告が入る事は、コイン自身がよく理解している。

 それでも尚、刺客を送らない理由。

 それは、このゲームを楽しんでいるからであろう。

 キューズが追って来なければ、コインの圧勝。

 キューズが追って来て、自分と闘うのであれば、それはそれで楽しめそう。

 このゲームは、ほぼコインの勝ちが決定しているゲームなのである。

 勝負事は好まないコインだが、復讐となると、それはまた別腹の様だ。

「まあ何にせよ、今は寝て体力を養っとけ。明日は生きるか死ぬかの勝負だからな」

「運転は大丈夫でしょうか」

「自動にやってくれるだろ。それと、そろそろ、こいつらの目にも悪いしな」

 そう言い、キューズは後ろを振り返る。

「消灯だ」

 パチっと灯りが消え、キューズは椅子にもたれかかる。

「明日ヘマしたら、俺が殺すからな」

「もちろんです」

 それを最後に、キューズ達一行は眠りについた。



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疑惑

「起きろ」

 早朝、キューズの掛け声で、皆一様に目を覚ます。

 窓際に座っていたトールは、日差しを防ぐ為に手で影を作り、その反対側のカイビスは、呑気に目を擦っている。

 ラッツは寝違えたのか、首を摩っており、今日は機嫌が悪そうだ。

 リュウはというと、未だにだらしなく背もたれに全体重を預けていた。

「おはようございます。キューズ様」

 そんな中ロンだけは、まるで3時間前から起きていたかの様に、どこからか取り出した紅茶を注いでいた。

「おう、おはよ。俺にもくれ」

「かしこまりました」

 バスの中というのに、2人はいつもと変わらず呑気にやっている。

「いよいよですね」

 トールがそう口にする。

「後2時間もすりゃあ、だな。よし、寝起きで悪いが作戦を説明するぞ。1回で叩き込めよ」

 キューズは席を立ち、真ん中辺りの席を適当に破壊する。

 それと同時にほぼ全員が席を立ち、ぞろぞろとキューズの元へと集まる。

「ロン、地図をくれ」

「どうぞ。キューズ様」

 キューズは受け取ると、床に出来たスペースに重い腰を下ろす。

 そしてハグの地図を広げた。

「リュウ、早く来い」

「ふがっ」

 身体をビクッとさせ、リュウが目を覚ます。

 まだ完全には開かない瞼を持ち上げながら、リュウは立ち上がった。

「今……行きます」

 ふらふらと近付いて来る姿は、およそ頼れる準幹部とは思えない程だらしなく、緊張の欠片も無い。

「実はな、案外予定より早く着きそうなんだ。そこで、少し受け身気味だった作戦を変える事にした」

 キューズは1つの建物を指差す。

「ここ、元々教会だった場所だ。今は使われてねえが、確か地下があるから、今回はこれを利用しようと思う。コインは自分の為か他人の為か知らねえが、常に目隠しをしている。まあつまり、手をミスらなければ、確実に先行を取れる訳だ」

「私の能力ですね」

 トールが自分の胸に手を当てる。

「ああ。トールの液状化で、一気に地下まで閉じ込める。もちろん、こんなんでやられる奴じゃないが、部下を散乱させるには十分だろ」

 ここでラッツが手を挙げる。

「もし引っかかんなかったらどうすんだ? 部下の数も分からねえのに、下手な待ち伏せは出来ねえだろ」

「部下は3人ですよ」

 それに対し、優しい笑顔を見せながら、ロンが代わりに答える。

「いつも思うんだが、毎回その情報どこで手に入れてんだよ。信憑性はあんのか?」

 やや喧嘩腰で、ラッツはロンを睨み付ける。

「ありますよ。ですか、ルーツを教える事は出来ません」

 しかし微動だにせず、ロンの笑顔は機械の様に固定されている。

「気色悪いな。ずっと笑顔でよ」

「まあ2人とも、落ち着けって。とりあえず、3人ならトールが加担する事になるな」

 珍しくキューズが止めに入り、話題を変える。

「はい。お任せを」

 それを察し、トールはいつもより少し大きな声で返事をする。

「ロン、部下たちは誰ですか?」

 カイビスもそれに合わせ、質問をする。

「ニッチル、シュモン、フォイルの3人です」

「ランボードは……そうか、殺られたのか」

「はい。先日キリングが。その後はモグラに回収され、今は特殊な紙に加工されています」

「紙って。あいつも気の毒だな」

「全くです」

 キューズは鼻で笑い、ロンはそれに合わせて笑顔を作る。

「あの、いいですか?」

 後ろの方で吊り革に掴まった、姿勢の悪いリュウが手を挙げる。

「おお、どうした」

「その3人の能力って把握してますか?」

「もちろんです」

 ロンは当たり前の様に即答する。

「ニッチルの能——」

 その言葉を遮る様に、キューズがロンの口を手で塞ぐ。

「ネタバレしたらつまらねえだろ」

 その一言で、車内は静かになる。

「能力を考察しながら闘うのが楽しいんだろうが。その醍醐味を奪ったらお前。答えの知ってるあみだくじくらい、つまらなくなっちまうぞ」

「……申し訳ありません。私の落ち度です」

 ロンは素直に頭を下げる。

「丁度いい機会だ。準幹部なんだから、多くの経験を積んどけ。正直、お前には期待してるしな」

 その言葉の後、リュウとラッツ以外の全員が、キューズについてある事に気付かされた。

 それとは、今日のキューズは、自分の部下に最高のコンディションで挑ませようと、気を遣ってくれているという事だ。

 事前に能力を知っているなら、下手に作戦を立てられてしまう。

 そうなると、予想外の事態に対応出来ないというデメリットがあり、準幹部のリュウにそこまで求める事は些か気が引けるというものだ。

 それなら、最初からその道を経ち、実践を兼ねて経験を積んだ方がリュウの為になると、キューズは考えていた。

 だからこそ、わざと自分から嫌われ役を演じたのである。

 いつもなら、自分の納得のいかないものは、無理矢理にでも排除しようとするも、今日のキューズにそれは見られない。

 逆に部下同士の小競り合いを止める姿があり、一段と優しいという言葉が馴染む違和感は、きっとこれのせいであろう。

「き、期待に逸れる様、全力を尽くします」

「おう。頑張れよ」

 しかし、1番伝わって欲しい新人には、それが理解されないキューズであった。

「キューズ様、私たちが着いてから、およそ5分でコインらも着くかと」

 そう、ロンがキューズに耳打ちをする。

「誤差の範疇だな。もしここから先が砂利道なら、余裕で逆転も有り得るくらいか」

 うーんと、キューズは難しい顔をする。

 しかし次の瞬間には、その顔は元に戻っていた。

「まっ、どっちにしろ作戦は変えなくていいだろ。まずはコインと部下を切り離す。その後は、自由にやるって事で。恐らく今回で何人かは死ぬだろうが、その1人にならねえ様気を付けろよ」

 キューズが地図をくしゃくしゃにし、どこかに投げ捨てる。

 そして立ち上がり、皆を見渡しながら口を開いた。

「もし俺がやられても、お前らは気にするな。目の前の敵だけを殺す事を考えろ。コインをジャスターズに向かわせなければ、俺がいなくてもキューズは復活できる。帰るときに半分になっていようと、絶対にコインの首を勝ち取るぞ」

 その気迫こもった演説に、皆静かな拍手を響かせていた。

 今日のキューズは本気だと、死を惜しまない覚悟を持っていると、そう感じざるを得なかった。

 トールとカイビスは立ち上がり、リュウは手で掴んでいた吊り革を離していた。

「こんなワクワクはいつぶりだろうな」

 その言葉の後、カイビスは口を開く。

「き、キューズ様、絶対に生き残りましょう」

「ああ、もちろんだ」

 カイビスの発言をきっかけに、皆一言一言抱負を口にしていく。

「一瞬で部下を片付け、キューズ様の加勢へと向かわせていただきます」

 と、トール。

「この刀が錆びない限り、いくらでも斬って見せます」

 と、リュウ。

「終わったらゆっくりと、紅茶の香りを楽しみながら、今回の事を振り返りましょう」

 と、ロン。

 そしてその後、視線は一斉にラッツへと向いた。

「っ、んだよ。俺は別に言わねえよ」

 ラッツは踵を返し、後ろの席へと歩いていく。

「まっ、ラッツらしいか」

「そうですね」

 それをきっかけに、皆席へと戻る。

 あと数時間で訪れる、死の片道切符を手に入れまいと、殆どが手を硬く握っていた。

 しかしそんな中1人、ロンだけは不自然な笑顔を保ち続け、紅茶をゆっくりと啜っていた。



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開始

「コイン様。もすぐでサイコスに入ります」

「おっ、もうか。意外と早く着きそうだな」

 杖をついて歩くコインは、部下の声で立ち止まる。

「どうする? 一休みするか?」

 そして見えない景色を見渡し、部下にそう尋ねた。

「私さんは、コイン様が止まると言うなら止まります。歩くと言うなら歩きます。ですが、一休み頂けるなら、それは是非と言葉を返します」

「そうか。なら適当に休もう。そんなに急いでもいい事ないしな」

 コインは散らばっている瓦礫を退かし、杖を持ったまま地べたに腰掛ける。

「コイン様、私が椅子なります」

「やめろってそういうの。俺は部下を手荒く扱いたくないんだよ。ランボードの事もあるしな」

「分かりました。そうですね」

 その部下、シュモン・クセルクは、コインと同様に瓦礫を手で退かし、コインの左側に正座する。

「シュモン。コイン様が休むって言うんだから、お前もちゃんと休め。失礼だろ」

 そう言う部下、ニッチル・シロモントは、シュモン近くの瓦礫の山に正座する。

「それ言うニチルも、ざ、ざぜん……、がぜん……あぜん……?」

「正座。あとニッチルね」

「それです。してるじゃないですかよ」

 舌足らずのシュモンに付け足し、フォイル・タスクがコインの右側にあぐらをかいて座る。

「冗談冗談。流石に正座は疲れるわ」

 ガラガラガラと、ニッチルが足を伸ばす際に瓦礫が音を立てて落ちる。

「シュモンも正座なんかしてねえで、あぐらにしろよ」

「私さんはこっちの方が似合うです」

 シュモンはつぎはぎな言葉を並べて返答する。

「なあ、たまにこいつの言ってる事が分かんねんだけど、お前解読出来る?」

 ニッチルがフォイルに耳打ちをし、シュモンに聞こえない様に小声で話す。

「通訳のランボードが居なくなっちゃったからね」

 ランボードとシュモンは同郷であり、コインの住んでいたカンブゥとは、遠く離れた民族国である。

 それ故に言語が多少違い、あまり長くないシュモンは、未だに慣れていないという。

 通訳役として位置していたランボードは、キリングに殺されてしまい、今となっては彼の意図を理解出来る人間はいないのだ。

「そうだ、代わりにキリングを部下にするってのはどうだ?」

「キリングは拷問しても従わないでしょう。それと、キリングと一緒になんて働いたら、生きた心地がしないよ」

「それはあるな」

「おいおいお前ら、俺がキリングに勝てると思ってるのかよ」

 コインの質問に、2人は一瞬硬直する。

「私さんは勝てると確定してまいす。コイン様は負けなしです」

 2人よりも先に、シュモンが自信満々で答える。

「俺は……、正直なところ分からないっすね。コイン様は強いですけど、キリングも相当ですし」

 コインの前では嘘は許されないので、ニッチルは素直な感想を述べる。

「僕も同じですが、コイン様の部下としては、やはり勝つと信じたいですね」

「ゔっ」

 その手があったかと、ニッチルが声を漏らす。

「俺としても、もちろん勝ちたいとこだが、まあほぼ確実に負けるだろうな。あいつの能力はどこかイカれてる」

 コインはどこか面白そうに話す。

「確かに、あれはイカれてますね」

「ランボードが手も足も出ないって聞いた時は、正直ブルっちまいましたし」

「キリング嫌い」

 コインたちは呑気に雑談をしていて気にしていないが、ここはラスキー、ハグ。

 しかも運がいいのか悪いのか、キューズがコインと部下を切り離すと計画していた、地下教会の真上である。

「これって教会か?」

 ニッチルが目の前の廃教会を指差す。

「でよね」

 シュモンはそれを見て、質問に答える。

「そういえば、ここはハグか。道理で人がいないと思ったら、今日は土曜日なんだね」

「働いちゃダメとかは分かるが、外に出るなは理解出来ねえな」

 ハグは大戦後、独自の宗教を創り上げる事で、早い段階で国として存在していた。

 元々は第6王国と、安定した地位を獲得しており、経済的にも何の問題もなかった。

 しかしある日、別の宗教とのぶつかり合いで、戦争が勃発。

 国が大きい事もあり、戦争の火種は急速に各地にばら撒かれた。

 連鎖された戦争は収まる事を知らず、いつの間にか降級して第17王国。

 今でもほぼ毎日どこかで爆弾が鳴り響いている。

 しかしその宗教の中で、唯一の共通点であった。

 それとは、土曜日は仕事をしてはいけない、というものである。

 宗教は違えど、そのルールはしっかりと守られ、それが歪み受け継がれていった結果、今の、土曜日は外に出てはいけない、となったのだ。

 ラスキーは戦闘大国でありなが、随一の宗教大国でもある。

「まあ、ラスキーだからそこは気にすんな。あんまり言うと、後ろから刺されるぞ」

 コインはニッチルを注意し、空を見上げる。

「今日は快晴か」

 コインは嬉しそうに、見えない空の色を当てる。

「ですね。けどなんとなく、曇る気がします」

 フォイルの意見に、誰も肯定を示さなかったが、逆に誰も否定を示さなかった。

 

「キューズ様」

「ああ、あいつら中々やれるぞ。普通に座ってる様に見えて、1人大体120度ずつ見張ってやがる」

「あれじゃあどう動いたとしても、一瞬でバレてしまいますね」

 キューズたちは、コインよりも少し早く着いたことで、各方向に分散する事が出来た。

 それもコインの向いてる方向からして、正面の廃教会にキューズとロン、右側のゴミ山にカイビス、左側の壊れた民家にリュウとラッツ、左後ろ側の瓦礫の山にトールが待機と、コインたちを取り囲む様になっている。

 本来なら不意をつけるこの陣形であるが、コインの部下たちにより、逆に連携が取りづらくなるという、マイナスの方向に動いてしまった。

「流石はコインの部下ってとこか。まあ、そんな事も言ってらんねえな」

 キューズは落ちている小石を拾い上げる。

「……いくぞ」

 そしてそれを、コインの右に座っているシュモンに投げつけた。

「ロウグ!」

「出た! 母国語!」

 しかしそれは、驚異的な反応速度を見せた、シュモンによって弾かれる。

「今だ!」

 キューズの合図で、カイビス、ラッツ、リュウが一斉に飛び出す。

「待ち伏せか!」

 ニッチルがそう叫び、一瞬でゴミ山を出現させる。

「ゴミ⁉︎ リュウ、斬れるか」

 ラッツはそう言いながら、ポケットに手を入れる。

「十八番です」

 リュウは目に見えない程の速さで抜刀し、ゴミ山を切り拓く。

「うおっ」

 相手の判断の速さに、ニッチルは驚きを見せる。

「ナイス!」

 ゴミ山が開けたところに、ラッツが鉄球を散弾銃の様に投げる。

「ゔがあっ」

 それはニッチルに直撃し、後方に吹き飛ぶ。

 これでコインの近くにいる部下はあと2人。

「不意打ち卑怯だ君くんら!」

 ニッチルの横にいたシュモンが、リュウに向かってドロップキックを放つ。

「ふゔっ」

 それを刀で防ぐリュウだが、予想以上の力に弾かれる。

「エンドね!」

「言葉どうなってんだお前」

 シュモンが止めを刺す前に、ラッツが軽い蹴りでそれを阻止する。

「リュウ、そいつ頼んだぞ」

 ラッツはもう1人の部下の方へと向かう。

「はい!」

 リュウは体制を整え着地し、蹴られた部位を痛がっているシュモンと向き合う。

「やるね。君くんら」

「君くんらって……、もうめちゃくちゃだな」

「——カイビス!」

 ラッツは、フォイルに苦戦しているカイビスに向かって、鉄球を投げつける。

 そしてそれはカイビスの身体を貫通し、フォイルのみぞおちに直撃した。

「があっ」

「私、一応先輩ですからね!」

 それにより、フォイルはコインから遠ざかる。

「礼は要らねえ! トール、やれ!」

「私も先輩なんだけどなあ……」

 ぶつぶつ言いながら、トールは地面に両手をつける。

 するとコイン周辺が、一気に水のように変化した。

「うお!」

 今まで動きを見せなかったコインが、吸い込まれる様に地面の中へ落ちていく。

「ラッツ!」

「分あってる!」

 そこにラッツも飛び込み、確認したトールは、吹き飛ばされたニッチルを追うため走り出す。

 

「上手くいったな」

「ですね」

 遠くから見ていたキューズとロンは、地下に降りようと立ち上がる。

「ここからだな」

「はい。気は抜けませんね」

 コインと部下を切り離すまでは、かなり順調に進んでいる。

 しかし本題はここからで、3勝したとしても、その3勝にコインが入っていなければ、全くの意味がない。

 たとえ1勝3敗になったとしても、コインの首を勝ち取らなくてはいけないのだ。

「ああ。だが、最初から弱気ってのもつまんねえからな。勝つぞ」

 そう言うと、キューズは拳をロンに突き出す。

「……ですね」

 キューズの意外な行動に、ロンは少し笑みを浮かべる。

「久々の、本気だなー」

 キューズは首を鳴らしながら、階段へと向かう。

 その後ろ姿を見ながら、やっぱりいつも通りのキューズに、ロンは再び笑みを浮かべた。



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真剣勝負

 この人、どこ出身なんだろう。

 所々言葉がおかしいし、話すのが苦手っていう訳じゃないよね。

「コイン様!」

 男は俺をものともせずに、自分のボスを助けようと振り返る。

 まずい、ここで逃したら怒られてしまう。

「どこ行くんですか」

 俺は抜刀し、男の後頭部に斬りつける。

「ジャマだね」

 しかし、斬ったと思われたそれは空気。

 男は斬撃よりも速く、屈み込んでいた。

「君くんは弱い」

 今度はドロップキックではなく、横目で見るのみの後ろ蹴り。

「ぐぅふっ」

 辛うじて左腕で防ぐも、威力が桁違い。

 俺は後方へと飛ばされる。

「コイン様、現在向かいます」

 男はそのままクラウチングスタートの様に走り出した。

「させるか!」

 俺は慣れない体勢で空を切り、見えない斬撃を男に飛ばす。

「ふんっ」

 しかし、男は後ろも向かずにサイドへ避け、スピードを維持しながらコインの方へと向かう。

「流石に抜刀直後じゃないと弱いか……」

 俺は着地と同時に納刀し、静かに目を閉じる。

 トールさんの能力でコインは地下に潜った。既に液状化は解いてるはずだから、上から入ろうとするなら、地面を一瞬で掘るくらいの腕力が無いといけない。

 それに対して男は、今のところ足技しか使っていない。

 足に自信があるのか、腕に自信が無いのかは分からないけど、とりあえず焦る必要はないかな。

「ふぅ……」

 俺は一呼吸置く。

 そして、目を見開くと共に、鋭い殺意を持って抜刀した。

「彼岸花!」

 見えない斬撃は、あたかも空間を歪めて進んでいる様に、通り過ぎる空気を無差別に切り裂いて行く。

「ぬうっ」

 男は咄嗟に上へ飛ぶ。

 しかし俺の見えない斬撃は、しっかりと男の左足を切断していた。

「ぐっ」

 男は片足で着地すると、やっと俺の方へと振り返る。

「さっきの訂正だよね。君くん弱くない」

「君くんじゃないですよ。俺の名前はリュウ・カミソレです」

 俺は礼儀を持ってお辞儀をする。

「妙なやつ」

 男はそう言いながら、先程斬られた左足を拾う。

「私さんもだけど」

 男はそれをどうするのかと思うと、折れた鉛筆同士をくっつけるみたいに、左足とその断面を密着させた。

「流石にくっつかないんじゃ……」

 俺は念のため納刀する。

「それ私さん次第」

 男がそう言った後、その左足に変化が起きる。

 傷口の血液が凝固し始め、傷口が段々と接合していく。

「再生系の能力ですかね」

 再生されると厄介と思い、俺は地面を蹴って男に近づく。

「もう遅いとな」

 射程距離に入るや否や、男は左足で俺の顔面目掛けて蹴り上げる。

「なおっ——」

 辛うじて抜刀し、左足首を斬る。

 が、男は構わず、もう1つの足で蹴ってきた。

「あぶっ」

 俺はそれを刀で受けるのではなく、素直に避ける。

「折角再生したのに、学習しないですね」

 俺は一旦距離を取り、納刀する。

「避けるの男じゃないね。嫌い」

 ——途端、男の姿が消える。

「遅いね」

 後方から声がし、俺は抜刀する。

 しかしそこには、空気しかなかった。

「はずレ」

 今度は左からしたと思うと、次には右から声がする。その次は後方から、次は右と、男は有り得ない速さで動いている。

「再生系の能力じゃないのか……?」

 身体を再生するだけなら、この速さの説明は出来ない。しかし逆に言えば、この速さであの再生は説明出来ない。

 どちらにも共通する能力って事なんだろうけど、さっぱり思い浮かばないな……。

「考えても仕方ないか」

 俺は深く腰を落とし、刀に手を添える。

「ふぅ……」

 そして集中する為、ゆっくりと目を閉じた。

「バカよ君くん。見なくちゃ攻撃ないよね」

 男の声は様々な方向から少しずつ聞こえてき、かなり気持ちが悪い。

 やはりこれを使うか。

 俺はもう一段と、腰を落とす。

 かつて空気の膜を張られた時に、対策として考え出した技。

「花火!」

 抜刀の直後、刀は半円状に周囲を斬りつける。

 どこの角度から来ようと、真下以外には斬撃が浴びせられる。

「危だね君くん。も少しで死だった」

 ……それなのに、男は何ともないと、少し距離を置いて立っていた。

「あれが当たんないんですか……」

 俺はさりげなく右腕を摩る。

「私さん以外は死だったね。惜しい」

 接近してくれていたのは、正直好都合だったんだけど、この感じ、もう無闇には来なそうだ。

「あなた、かなり強いですね。正直言うと、もう手の内明かしちゃったんですよ」

「手の内明かした明かすの、意図分からない。言わずバレない事」

 手の内を明かしたと、そう明かす行為が理解出来ないって事かな?

「……確かにそうかもですね。けど、言って変わる事だってあるんですよ」

 俺は会話の中で、自然と納刀する。

「変わる?」

「例えばそうですね——彼岸花!」

 俺は心の中で謝りながら、不意打ちで見えない斬撃を飛ばす。

「不意打ち嫌いね」

 男は俺から見て、右側へと飛ぶ。

「俺も」

「なっ⁉︎」

 それは予想しており、俺は一瞬で距離を詰めた。

「卑怯めキューズ部下!」

 男は無茶な体勢で蹴り上げる。

 もちろんそんなのが俺の抜刀の速さに勝てる筈がなく。

「鳳仙花!」

 俺の放った斬撃は、男の首を斬り進める。

「——甘いね!」

 しかし何ということか、俺は男の首を刎ねてなどいなかった。

「がぁあっ」

 届く筈のない蹴りが、俺の脇腹へと直撃する。

「勝ったが負けの始まり」

 あまりの痛みに受け身も取れず、俺は刀を手放し地面を転がる。

 それに対して男は、何もなかったかの様に立っていた。

「今、確実に斬ったはず……」

「切れたよ。切れたね。けど、死ないね。不思議」

 さっきの蹴りで肋骨が何本か折れてしまった。

 しかも運の悪い事に、その内のどれかが肺に刺さった様だ。

 上手く呼吸が出来ない。

 男は俺の刀の近くに立ち、足を高く上げる。

「もうこれ使えない」

 そして思いっきり、刀に叩きつけ——。

「ドゥオオン」

 突然、地面が一斉に悲鳴を上げる。

「なんっ、地震か」

 男も刀を折るより、その音の方に意識が向く。

 何が起きたか分からないが、今しかない。

 俺は鞘を右手に持ち替え、それを全力で刀に投げつけた。

「なっ」

 男は急いで足を下ろすが、刀は投げ飛ばされた鞘に収まり、遠くへと飛んでいく。

「君くんコントロールいいね」

 そんな言葉をよそに、俺は走り出していた。

「させないよ」

 男も俺が走り出してすぐに動き出し、勝負は刀争奪戦へと変更される。

「私さん見逃すわけない」

 走り出したのは俺が先だが、距離的には男の方が近い。

 足が片方無いというのに、どんな脚力をしているんだこの男は。

 このままだと確実に負けてしまう。

 俺は一瞬体勢を低くし、手のひらサイズの瓦礫を複数手に取る。

「また投げるか」

 男の言う通り、俺はその瓦礫を刀の少し左側へと投げる。

「単純つまらないね」

 しかし、それは男が軽々とキャッチし、刀に届くことはない。

 だがそれでも、俺は1つもう1つと投げ続けた。

「全部想定内ね。君くんの負け」

 男は全ての瓦礫をキャッチすると、それをどこかへと捨て、勝ち誇る。

 当然だが、俺より男の方が刀から近いので、俺の方が不利なはず。

 しかしそれが、男の油断を引き起こす事になった。

「ならこれは、予想出来たかな」

 俺は刀とは全くの関係がない、男よりも刀よりも左側に、全力で瓦礫を投げつけた。

「なんっ!」

 男は無意識に、その瓦礫を足で蹴り弾く。

 もちろんそれが、全くの無意味な投擲であるにも関わらずに。

「思い込みを利用させて貰ましたよ」

「しまた!」

 男は足を振り上げてから、自分の過ちに気付く。

 俺はその隙に、最後の瓦礫を全力で刀に投げつけた。

「くうっ」

 刀は瓦礫に弾かれ宙に浮く。

 しかも男ではなく、俺側の方に。

「さっきから不意打ち多ね」

 そう言うと、男は急に立ち止まる。

 諦めた?

「それあげる。代わりに命貰う」

 男の声には若干棘があり、殺意とはまた別のものに感じる。

 しかしそんな事を気にしている暇はなく、俺は刀を手に取り振り返る。

「あなたの能力は知らないですが、刀が俺の手の中にある以上、負けないですよ」

 お互いに、あと数歩で間合いというところに位置している。

 片方が動けば、ほぼ同時にもう片方も動く。勝負はそこの域まで来ている。

 久しぶりだ。この緊張感。

 俺は武者振るいをしながら、深く腰を落とした。

「ふぅ……」

 肺の中に貯蔵された、限りのある酸素を苦しくなるまで吐き出す。

「ふぅ……」

 それでもまだ、息を吐く音がしなくなるまで吐き続ける。

「君くん……強いね」

 ——瞬間、男の姿が消える。

 ……ありがとう。こっちはベストコンディションだよ。

「があっ!」

 先程とは比べ物にならない速度で、男は俺の首元に手刀で斬りつける。

 予想以上のスピード。恐らくここで抜刀したなら、運良くて相討ちか、死か。

 最低、死んだ後でも刀さえ生きてれば、この男の息の根は止められる。

 俺は死にたくないとか思わないけど、それだとキューズ様の命令に背く事になってしまう。

 ……なら、最短を攻めるまで!

「沙羅双樹!」

 俺は抜刀なんて事はせず、鞘ごと斬り進める。

「はあぁ!」

 それに反応する様に、男のスピードも上昇する。

「——散りな」

 その時は突然訪れた。

 俺の放った斬撃が、男の手刀よりも一瞬早く首元へと到達する。

 そして、男の首は真っ赤な血しぶきを輝かせながら、人形の様に落ちていった。

「——はあ、はぁ、はあ」

 集中した分、一気に疲労が襲いかかる。

 俺は刀を手放し、地面に手をついた。

「……それにしても、すごいですね。あなた」

 あれだけ接戦だったというのに、俺の首元には傷一つない。

 その理由は、目の前の光景が物語っていた。

「俺より、侍してるじゃないですか」

 男の右手は、首が斬られるよりも先に、自身の左手によって止められていた。

 恐らく死を悟った瞬間、自分の負けを認め、無駄な殺生を避けたのだろう。

 自分の中のプライドなのか、コインの方針なのか、それは分からない。

 しかしどちらにせよ、それを実行するのは、生半可な覚悟を持った者には不可能だろう。

 この男は舌足らずな所があったが、1人の人間としては、尊敬すべき対象だったのかもしれない。

「敵の俺が言うのもあれだけど、天晴れです」

 俺は刀を杖代わりにして立ち上がり、立ったまま死んでいる男を真っ直ぐと見つめる。

「手合わせ、ありがとうございました」

 俺は深く頭を下げ、心の底から感謝を述べた。



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悪魔

「やっと追いついた……」

 キューズら対コイン組から少し離れた場所で、トールはその足を止める。

「いつつつつ。派手に飛ばされたなー」

 トールの目線の先には、運良くゴミ山がクッションとなったニッチルが、今起き上がろうとしていた。

「お前らなー、不意打ちは大罪だぞ」

 滑り落ちる様に、ニッチルはゴミ山を降りる。

 その姿には全くの緊張がなく、まるでトールを警戒していないかの様にも見える。

「何と言われようが、こっちはコインさえ殺れれば、万々歳なんですよ」

 反抗する様に、トールは返答をする。

「なに? お前らコイン様を殺そうと思ってんのか? だとしたらやめとけ。お前らに負けるコイン様じゃねえよ」

「もちろん私たちも、簡単に勝てるとは思ってませんよ」

「そうは見えねえけどな。第一、他の部下はどうしたよ。お前ら4人しかいねえじゃねえか」

「少数精鋭という言葉をご存知で? それと、コインに数の暴力は効果が無いと、知らない訳でもないでしょう」

 コインの能力の前では、1人の能力者と100人の能力者の価値は同じである。

 それは目を閉じれば一瞬で消し去られる、圧倒的目潰しによるもので、コインは苦戦する事に苦戦する程、強者である。

「あのさぁ。さっきからコインコインって、お金じゃねえんだからさ。ちゃんと付けようぜ。『様』」

「逆に聞きますが、あんたはキューズ様に『様』を付けませんよね。それと同じです」

「あっそ。まあそこら辺は、端から分かり合えると思ってなかったけど」

 ニッチルが首回すと、2桁以上音が鳴る。

「結構凝ってるなぁ」

 手首や足首も同様に鳴らし、更にはストレッチを始める。

「どうした。来いよ」

 余裕綽綽としているニッチルに対し、トールはある事を考えていた。

『この男、馬鹿なのか? 敵に分断されようが、首に爆弾が付けられようが、命ある限り主人の元へ戻るのが部下の役目。それに相手はコイン・チルズ。キューズ様が、自ら3対1をご所望した時点で、コインへの警戒は尋常じゃない。これが3対2などになろうものなら、こっちの負けはほぼ確定する。なのになんだこの男は。全く戻る気配がしない。相当な理由がない限り、この行動に説明がつかないぞ』

「あんた、おそらく馬鹿ですね」

 思考がこいつがないまま、トールは構える。

「そう言うお前はIQ3か?」

「——ほざけ!」

 トールは一歩と言わず、ニッチルに高速で近づく。

「はやっ」

 それに驚いたニッチルは何を思ったのか、先程降りてきたゴミ山に後ろ向きで突っ込んだ。

「なっ」

 トールは勢い余った身体を片足で制止し、不可思議な出来事にゴミ山を見つめる。

「一体どこに……」

 高さ2メートル程のゴミ山で大の大人が動こうものなら、揺れたりゴミが落ちるなどして、おおよその位置を知らせてくれる。

 しかしこの男、ゴミ山に入るや否や1ミリも動いていないのか、些細な動きはもちろん、物音1つすらしない。

 明らかに能力と関係あるのだが、当てはまるのはせいぜい透過や瞬間移動。

 どちらにしろ、攻撃の際にゴミ山に突っ込むという選択肢を選ぶのは奇怪。

「なにかありますね」

 トールは右足に能力を付与し、ゴミ山を液状化させながら蹴り進める。

 それと同時に、ゴミ山のあらゆる場所からゴミが崩れ落ちた。

「いない……」

 感触は水を蹴ったものと同等。

 しかしその中に不純物は存在していなかった。

 トールの液状化は、生物に干渉出来ないという性質がある。

 それ故、中に生物、この場合で言うニッチルがいないという事は、やはり移動しているという事。

「仕方ないですね」

 トールはゴミ山に手を当てる。

「トレジャーフォール」

 すると、今までそびえ立っていたゴミ山が、まるで液体の様に、否、液体となって崩れ落ちる。

 それは溢れ出した水の如く、同じ高さの陸地を浸水させていった。

「やはり、いませんね」

 しかしそれでもニッチルの姿はない。

 トールが能力を解くと、そこはゴミが散乱した無法地帯と化していた。

「派手にやったねー」

 どこからか、ニッチルの声がする。

 それは耳元である様にも感じ、遥か遠くにも感じる。

「あんた、やっぱり馬鹿ですね」

 トールはあまりの面白さに、微笑する。

 もしこのまま姿を現さなかったら、ニッチルがコインの元へ戻っているのではないかと、トールが勘違いする可能性もあった。

 そうすれば後は、不意打ちや騙し打ちの様に、攻撃のレパートリーは豊富。

 しかしニッチルは、その有利をわざわざ手放したのである。

「お前がなんで笑ってるのかは知らねえけど、今すぐ逃げた方が身のためだぞ。既に俺のペースにハマってんだからな」

「確かにあんたのペースってのは認めます。ですがその頭の悪さを加味すると、どうやっても負ける気がしないんですよね」

「あーあ。いいんだね。殺っちゃうよ?」

「殺すのに許可が要りますか? まだその世界に居るのなら、とっとと帰って老衰でもしてて下さい」

「俺はまだ若えよ!」

 トールの左後ろの地面から、ゴミの動く音がする。

 そしてその音は一気に加速し、人影とともにトールの後ろへ現れる。

「遅い!」

 トールの後ろ回し蹴りが、それの頭を吹き飛ばす。

「——⁉︎」

 しかし、トールが蹴り飛ばしたのはゴミの人形。

「お前が遅えよ!」

 バランスの取れていないトールの足元に、今度こそニッチルが現れる。

「頂くぜ!」

 ニッチルは手に持っていたガラス片で、トールの左足のアキレス腱を切り裂く。

「ぐッ」

 倒れはしないものの、トールの重心はやや右足に寄る。

 すると間髪入れずに、トールの足場に溝が出来た。

「うっ」

「——もらった!」

 右手をつく暇もなく、トールの顔面にニッチルの拳が突き刺さる。

「ぶっ」

 落下の勢いもあり、トールの脳は上下左右に跳ね回る。

 いわゆる脳震盪が、トールを襲った。

「言うほど強くねえなお前」

 ニッチルは拳を鳴らしながら、倒れているトールを見下す。

「あんたもね」

 トールを中心に、一瞬で地面が液状化する。

「わっ」

 もちろんそうな事を予想していないニッチルは、簡単にそこに沈んでしまった。

「簡単に敵に近づくもんじゃないですよ。敵は常にタヌキだからね」

 ある程度沈んだ事を確認すると、トールは立ち上がり、能力を解く。

「恐らく、もう陽の光は浴びられないでしょうね」

 能力者の殺し方は主に5つ。

 能力及び元での攻撃、熱による細胞破壊、電撃での感電、脱水による体液不足。

 そして、窒息である。

「陽の光が見えねえのは、めくら位だろ」

 やはりと言うべきかこの男、なぜか生きている。

「しつこいですね……」

 トールも立ち止まり、さりげなく辺りを見渡した。

「それと、差別用語は好ましくありませんね。今はタレントって呼ぶんですよ」

 どこから声がするのか、それを能力と音を駆使し、トールは探知しようとする。

「呼び方がどうであれ、そいつに光がねえのは変わりないだろ」

 後方約7メートルの位置で、何かの物音がした。

 それに合わせ、トールは少し姿勢を低くする。

「そうですかね——!」

 トールは水をすくい上げる様に、ゴミが散乱した地面に手を突っ込む。

 そしてそれを、物音のした方向へと思いっきり投げつけた。

「また引っかかった」

 すると再び、足元からニッチルが出現する。

「誘導って気付かないもんですかね」

 しかしそれを読んでいたトールは、前中をしてニッチルの頭を掴む。

「むっ」

 トールはニッチルから地面に能力を伝導させ、液状化させる。

「はあっ」

 そして引き摺り出したニッチルを、その勢いのまま地面へと叩き付けた。

「がばあっ」

 勢いよく血反吐を吐くニッチル。

 受け身をする余裕も無かったのか、ニッチルはかなりの大ダメージを負っていた。

「どうせあっちはゴミ人形でしょう。そう簡単に何度も騙されると思わないでください」

「な……かなか、やるな」

 苦し紛れの言葉に、トールは哀れみを感じる。

「せめて一瞬で殺してあげますよ」

 トールは左足を頭の位置まで上げる。

「踵落としって……、子供かよ」

「立派な技です」

 次の瞬間、トールの足は下ろされる。

 しかしそれと合わせた様に、ニッチルもゴミの中へと沈んでいった。

「やはりタヌキですかっ!」

 踵落としを彷彿とさせていたトールの構えは、実はフェイク。

 ニッチルが沈むと読んでの、いわば陸上でのクラウチングスタートである。

「逃しませんっ!」

 トールは、既に液状化させていた地面に左足を突っ込ませると、地表だけを元に戻し、踵の力で勢いよくゴミの中へと潜って行く。

「マジかよっ」

 いつも上をいかれるニッチルは、今度ばかりは本気でビビっていた。

 まさに、上には上があるである。

「捕まえましたよ」

 水中かの様に振る舞うトールに対し、ニッチルはただのゴミの中。

 その移動速度も歴然である。

 あっさりと首を掴まれたニッチルは、再び地上へと引き摺り出されてしまった。

「ぐっ、がぁっ、がかぁっ」

 首だけで持ち上げられるニッチルは、声に出来ない叫びをあげていた。

「あんたはかなりずる賢かったですけど、私の方が一枚上手だった様ですね」

「だ……まれ。ぶっ……殺……す」

 意識が途切れ途切れになりかけるニッチルに対し、トールは目を見開いていた。

「最初とはまるで逆ですね。あんたが劣勢で、私が優勢。あと少しあんたの頭が良ければ、この結果は変わっていたかもしれませんね」

「知る……かよ。カスが……」

「恨むならあんたの脳みそを恨んでくださいね」

 トールが首を掴んでいる方の手に、思いっきり力を入れる。

 するとその首は、案外簡単に取れてしまった。

「——人形⁉︎」

 首を掴んでいたものの正体、それは精巧に作られた偽物であった。

『なら、あの男は何処へ!』

 最初に頭によぎったのはその言葉。

 完全に不意をつき、完全に次なる手を読み、完全にその手を破った。

 それなのにも関わらず、自分が掴んでいたものはゴミで作られた人形の首。

 この時初めてトールは、自分が井の中の蛙と理解した。

「最初からあの男はいなかった……?」

 トールが攻撃していたのは、常にゴミの人形か本体らしき何か。

 しかし今回でその何かとは、やはりゴミで作られた人形という事が分かった。

 ここで連想するのは、最初から騙されていたんじゃないかという、信じ難い事実である。

「……っ」

 振り返ってみると、最初にゴミ山に入った時の静けさ。

 あれは元々がゴミであるが故の、静けさと捉えることも出来る。

 それなら数々の奇怪な行動や、わざと攻撃を促す様な挑発も、理解出来てしまう。

 というより、理解出来てしまった。

「——まずい!」

 今まで闘っていたのがゴミ人形。それさえ分かれば後は何も要らない。

 だってあの男の向かう場所はただ1つ。

 コインの元だから。

「ドゥオオン」

「まさか!」

 遠くから何かの巨大な音が鳴り響く。

 これはトールに、更なる悪連想と焦りを促進させた。

「間に合ってくれっ」

 コインとキューズが闘っているのは地下教会。

 それなら1番早いのは、地下教会と同じ高さから移動する事である。

 つまりトールの取った行動は、地面での潜水であった。

「ふっ」

 短距離選手の何十倍もの脚力で、トールは地面に飛び込む。

 それに応える様に、地面も液体と化した。

「——!」

 そこまでは良かったのである。

「ひっかかったぁ」

 ニャァと笑みを浮かばせ、地中でニッチルが待ち伏せをしていた。

「俺の勝ちぃ」

 他のゴミなんて、トールの液状化させたゴミなんて関係無く、ニッチルは最大級のゴミ山を出現させる。

 それは水深5メートル程にいたトールを、上空13メールもの距離まで吹き飛ばす程の威力があった。

「っ……」

 声を出す暇も無く、トールは地面に叩き付けられる。

 顔の皮膚は剥がれ、殆どの骨は粉々になり、一部の内臓は飛び出ていた。

「いやぁ、これで死なないのは流石ってところだね。まあ、絶命は免れないけど」

 ニッチルはゴミ山を消し、トールの前へとしゃがみ込む。

「もうタヌキには慣れねえだろ」

 ニッチルには傷一つなく、やはり最初から騙されていたという、トールの予想は当たっていた。

 しかし唯一予想出来なかったのは、この男の頭の良さである。

「お前散々威張ってたのに、最後は心理戦で負けたな。正直、笑えた」

 死体数分前というトールに対し、ニッチルは心からの笑いを溢す。

「どうする、殺して欲しいか? このままってのも救われねえだろ」

「……こ」

 少し経った後、トールが最後の力を振り絞って声を出す。

「なに?」

「……ろ……せ」

「は?」

「こ……ろ……せっ……」

「チッ、しょうがねえな」

 それを聞いたニッチルは、親切にトールの傷口に手を当てる。

「……っがあ!」

「動くなって、傷塞いでんだから」

 この言葉、一見優しそうに聞こえるが、この状況でのこの行動は、悪魔に等しい行為である。

 ニッチルは内臓が飛び出した部位、顔の皮膚や骨が突き出た部位に、能力で出したゴミで止血などをする。

「ひひひ。これで痛みプラス炎症で苦しむね」

 悪魔の笑いを浮かべるニッチルに対し、トールは死ぬ気で睨み付ける。

「あのなぁ。恨むならお前の脳みそだぞ」

 そういうとニッチルは立ち上がり、コインのいる方へと歩き出す。

「あ、そうだそうだ」

 何かを思い出した様に再びしゃがみ込み、トールの口に何かを取り付ける

「簡易さるぐつわだ。これで自害も出来ねえな」

 じゃあなー、と、ニッチルは踵を返す。

 この男、どこまでも鬼畜の所業である。

 しかし唯一の救いであるのは、トールが既に息絶えていた事であろう。



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不死身さん

「穴開いちゃいましたね」

 キューズたちが地下に入って間もない頃。

 カイビスは自分の胸部を撫でまわし、ラッツに開けられた穴を気にしていた。

「ゔぇっ、ごぼほぉっ」

 カイビスの目線の先には、フォイルが両手をついてうずくまっている。

 鉄球が急所に当たったのか、嗚咽が止まらならない様子である。

「ラッツは手加減なしですからね。私も気を抜いてた訳じゃないんですが、こんな風になってしまいましたよ」

 カイビスが自分の胸部を指差すが、フォイルはそれどころじゃない。

 敵を敵が利用して攻撃してくると思わなかった、その油断という2文字が頭から離れずにいた。

 プライドの高いフォイルにとってこれは、勉強を教えた相手にテストで負けるが如く屈辱である。

「ぅぼっ、かぁはあ、はあ、ああ」

 なんとか立ち上がろうとするフォイルを、カイビスは黙って見ていた。

「……あなた、自分の為に闘っていますね」

 その言葉に、フォイルの動きが止まる。

 そして、少し口角を上げた。

「なんだ。バレてたのね」

 鋭い声を低く響かせ、全くの簡単に立ち上がる。

 カイビスがフォイルの本性に気づいた理由。それは行動の遅さである。

 自分も1人の人間に忠誠を誓っている者として、現状でのフォイルの判断は理解し難いものがあった。

 どれだけやられていたとしても、誰かの為に闘うという意思は、常に原動力である。

 それの欠落が、フォイルの立ち上がりの遅さを体現していた。

「正直、忠誠心とかどうでもいいんだよね」

 フォイルは音を立てながら鼻で息を吸う。

 肩は脱力され、手を握る力すら入っていなく、立つ以外の筋肉は稼働されていない。

 先程までが嘘だったかの様に、フォイルはリラックスしていた。

「それで、よく部下になれましたね」

「あいつは目が見えないからな。つまり、8割方の情報捨ててんだよね」

 更には手をポケットに入れ、完全に無防備となる。

「あなた、嫌いなタイプの人間です」

 カイビスはゆっくりと歩き出す。

「シュモンみたいなこと言うね。まあ、どうでもいいけど」

 それに対してフォイルは、頭を上に向けて視線はカイビスと、完全に嘗め切っている。

「随分とゆっ——」

「ヒシャア!」

 カイビスは踏み込み、首を狙って貫手を放つ。

「ふうぅっ!」

 不意打ち気味に放たれたそれは、いきなり現れた白い煙によって包まれた。

「熱っ」

 間違ってやかんに触れてしまったかの様に、カイビスの手は反射的に引っ込まれる。

「ふんっ」

 その煙が蠢く先には、フォイルの脚らしきものが迫って来ていた。

「くっ」

 カイビスは咄嗟に左腕で防ぐ。

「はっ!」

 しかし、防がれた勢いを利用して半回転し、すかさずフォイルは左脚でカイビスの脇腹を狙う。

「がぎあっ」

 煙と熱さのカモフラージュで、その攻撃はほぼ無防備の脇腹を破壊する。

 その勢いで煙の外に追い出されたカイビスは、脇腹を押さえながら造作もなく立ち上がる。

「イタタタタ。不意打ちをしたつもりが、完全に油断してしまいました」

 煙は風に乗って薄くなり、そこからフォイルが現れる。

「おかしいね。ちゃんと内臓はやったはずなのに」

 残った煙を手で払いながら、フォイルはカイビスを観察する。

「穴、開いてるし。もしかして不死身?」

「おしいですね。不老不死です」

「——ふ、不老不死⁉︎ もしかして僕は、凄い能力者と闘ってるんじゃないのかな」

 敵だ味方だとか関係なく、フォイルは物珍しそうにカイビスを見る。

「確かに珍しいかもしれませんね」

「……残念だな。そんな人をなくすのは」

「言ってるじゃないですか。不老不死だと」

「なら、死にたくなるまで殺すよ」

 ファイルは再び鼻から大きく息を吸い込む。

「煙の仕組みは息ですか……」

 カイビスは落ちている細かい瓦礫を手に取り、それをフォイルに投げつける。

「ごほっ、ほっ、うぇ」

 空気と同時に埃も吸い込み、フォイルは咳き込む。

 その隙にカイビスは一気に距離を詰めた。

「やっ」

「チャァ!」

 カイビスの正拳突きが、フォイルの腹へと突き刺さる。

「ぶあっ」

 機転の効いた攻撃で、フォイルの煙幕は張る間もなく攻略された。

「チャッ!」

 間髪入れずカイビスは、体勢の崩れたフォイルの足を蹴り、後ろへと転倒させる。

「ふぅっ」

 なんとか受け身をとったフォイルだが、休んでる暇もなく、カイビスの次の攻撃が繰り出される。

「ヤアッ」

 転倒したフォイルに対し、全くの躊躇もなく正拳突きを喰らわせる。

「ぶうっ」

 それは腹へと直撃し、フォイルへのダメージは着々と溜まりつつあった。

「くっ」

 フォイルはなんとか立ち上がり、カイビスから距離を取る。

「はぁっ、はぁ、……んはぁ。予想以上に強いね」

「怖いものなしですから」

「なら、これはどうだろね」

 フォイルはしゃがみ込み、近くの瓦礫を漁る。

「僕の能力が煙幕だと思ったら間違いだよ。煙幕は応用の1つにしか過ぎない。ここには弾が多いから、困らなそうだね」

 フォイルの手には金属が持たれており、その全てが溶けていた。

「はあっ!」

 そしてそれを、全力でカイビスに投げつけた。

「なるほど。熱ですかっ」

 半身になって腕を前に出し、飛んでくる金属の塊を最小限のダメージで防ぐ。

「まだまだぁ!」

 瓦礫の中には多くの金属が含まれており、フォイルの言う弾に困らないとは、その通りである。

「どうした不老不死! 死ぬのが怖いか!」

 近距離は勝てないとみて、フォイルは遠距離へと勝負を持ち込んだ。

「くっ」

 飛んでくる金属はどれも鋭く、元の影響を受けてるせいか、貫通力が桁違い。

 常人なら掠っただけで重症である。

「なかなか考えましたね。確かにこれじゃあ近付けませんよ」

 カイビスの能力は不老不死であり、決して再生能力がずば抜けている訳ではない。

 副属性で多少はあるものの、実戦には向かない速さである。

「どうしたものでしょう。あまり避けたくはないんですが」

 カイビスは不老不死というチート気味な能力を持っている事で、常に死ぬ心配はない。

 だからこそ相手の攻撃を受ける義務があり、それでやっと対等という、自分なりの正義があるのだ。

 しかしその傲慢な思想が、今のカイビスの足を止めている原因でもあった。

「仕方ありませんっ」

 ガードを解き、カイビスは走り出す。

「真っ向から来るのね」

 フォイルは投げる手を止め、すうっと息を吸い込む。

「ふぁっ」

 フォイルを中心に、白い煙が辺りを包む。

「ふっ」

 しかし怯まず、カイビスはその煙の中へ飛び込んでいった。

「マッ」

 怯まないカイビスにフォイルは一瞬怯むも、煙の中へ来たのならこっちのペース。

 見えない事をいいことに、フォイルは全力で蹴りを放つ。

「うぶぅ」

 しかしそれは、カイビスの左手によって掴まれてしまった。

「マジかっ」

「痛いですねっ!」

 カイビスは足を引っ張り、その勢いで拳を顔面に放つ。

「ぐゔっ」

 両手で防ぐも、そのダメージは致命的。

 既に右腕の骨は折れていた。

「シャタアッ!」

 カイビスは足を掴んだまま、フォイルをヌンチャクの様に地面に叩きつける。

「ごばあっ」

 受け身も取れずに、フォイルは背中を強打する。

「チェエッ!」

 そんな事は関係なく、カイビスはフォイルを近くの瓦礫の山へと投げつけた。

「ぶっはあっ」

 瓦礫が四方八方へ飛び散る。

「はぁ、ぁあ、馬鹿力……」

 息切れ激しいフォイルに対し、カイビスは鼻で息をする余裕があった。

「あなた、多分私に勝てませんよ。能力の差が歴然ですし、やろうと思えば痛みは我慢できます。熱で私を殺すのは、少し難しいんじゃないですか?」

「だからどうしたって話なんだよね。ここで僕が命乞いしても、どうせ殺すでしょ」

「それはどうでしょうね。命乞いをする前に殺したら、それはどうなんでしょう」

「はは……。笑えね」

 フォイルはなんとか自力で立ち上がり、カイビスを観察する。

「君の左手の指、折れてるね」

 フォイルはカイビスの左手を指差す。

 先程足を掴んだ時に、折れたのであろう。

「これですか。大した傷じゃありませんよ」

 カイビスが無意識に指を見る。

「だあっ!」

 その一瞬を見逃さず、フォイルは手に隠し持っていた金属を、カイビスの左手に投げつけた。

「——っ」

 それは見事に左手を貫通する。

 そして怯んだ隙に、フォイルは距離を詰めた。

「リィーサック」

 フォイルはカイビスに触れ、一気に温度を下げる。

「なっあぁっ」

 段々と全身が氷と化していく。

 カイビスも全身が凍っていく感覚を感じていた。

「——今までわざと熱くしかしないで、低く出来ないと錯覚させてたんだよね」

 フォイルが手を離す頃、カイビスは完全に凍っていた。

 肌は青白くなり、折れた指は数本崩れ落ち、心臓の鼓動も完全に止まっている。

「君、これでも死んでないのか?」

 フォイルはカイビスの心臓部分に手を当てる。

「全くの反応なし。死んでるじゃん。不老不死なのに」

 嘘をつかれたとがっかりしたフォイルは、踵を返してコインの元へ向かおうとする。

「いや、一応心臓は破壊しといた方がいいか」

 カイビスの方を振り返り、再び心臓部分に手を当てる。

「ここか。じゃあね不死身さん」

 ザクっとフォイルの左腕がカイビスを貫通する。

 その進路には、もちろん心臓があった。

「ふっ」

 心臓を破壊した事を確認すると、フォイルは手を引き抜く。

「うわぁ、赤っ。手洗い所とか無いよね。蒸発させても多少残るだろうし、どうしよっかなぁ」

 フォイルは自分の腕を見つめ、ぶつぶつ文句を垂れる。

「——不老不死ですよ」

「なっ」

 冷たくなったはずのカイビスが、ガシッとフォイルを両手で覆う。

「なんで生きてっ」

「言ってるじゃないですかって、言ったじゃないですか。私は不老不死です」

「があっ!」

 カイビスの両手に力が入り、フォイルは身動きも取れないまま締め付けられる。

「どれだけ熱くしても、どれだけ冷たくしても、あなたは私に勝てません」

「くっ、離せっ」

「あなたは自分の為に闘った。だから負けるんです。もしコインに忠誠を誓っていたら、この結果は変わっていたかもしれませんね」

「ああがっ!」

 カイビスは8割の力でフォイルを締め付ける。

「そうだ。ここで命乞いをしてみたらどうですか」

 カイビスの力が少し緩む。

「くそっ、なんでそんな事」

 再び8割に戻る。

「がっ、待てっ! 分かったよ! する! 今する!」

 フォイルの弱り様に、カイビスは再び力を抜く。

「じゃあ、こう言ってください。『私は自分の為に闘った身勝手な人間です。これからはコイン様に忠誠を誓い、人生を改めます』って」

「それを言えば、助けてくれるのか?」

 カイビスは少し口角を上げる。

「もちろんですよ」

「わ、分かったよ。私は自分の為に闘った——」

「フッ!」

 カイビスは14割の力で、フォイルを締め付ける。

「——ぁっ」

 フォイルは悲鳴も上げる隙もなく、絶命する。

 この時フォイルの身体では、折れてない骨の方が少なかった。

「これも言いましたよね。命乞いをする前に殺したらって」

 カイビスはフォイルを離し、自分の左腕を確認する。

「少し取れちゃいましたか」

 カイビスの左腕は、関節近くまで欠落していた。

 凍らせられた事によって、カイビスの身体もかなり耐久度が下がっていたのだろう。

「それにしても、可哀想な人です」

 カイビスはしゃがみ込み、フォイルの顔を見つめる。

「まだ二十代前半なのに、コインなんかに目をつけられてしまって……」

 カイビスは手を合わせ、静かに目を閉じる。

「ドゥオオン」

 遠くからの巨大な揺れが鳴り響く。

「キューズ様が闘っている」

 黙祷を止め、カイビスは立ち上がる。

「キューズ様……」

 しかしその足は、すぐには動き出さなかった。

「……いや、変な考えはやめましょう」

 雑念を振り払い、カイビスは走り出した。

 自分が忠誠を誓ったキューズの元へ、駆けつける為に。



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勘違い

 ……なんだ、何が起きている。

 外が騒がしいな。

「うお!」

 俺が立ち上がろうとすると、地面が液体の様に溶け出す。

「ぶっ」

 急に水の中に放り込まれたかの様に、五体に触れる地面は柔らかい。

「ラッツ!」

 ラッツ? 知らない名だ。

「分あってる!」

 この振動。誰か水に飛び込んだな。

 それにしても、俺が少し居眠りをしている間に、何が起こったというんだ。

 フォイル、シュモン、ニッチルは。

 駄目だ、外の音が篭っている。

「ぶおっ」

 何者かに後頭部を蹴られる。

「あんまり喋んないほうがいいぜ。口に泥入っちまうかんな」

「ばぁあっ」

 ラッツとかいう人間は、無抵抗な俺に対して蹴りを連発する。

 なぜ急にこんな事をするんだ。

 俺に恨みのある人間……カンブゥの人たちか。

「カンブゥの者、落ちつ——」

「オラっ! なに? なんか言ったか?」

 凄い信念だ。話をしようにもする隙がない。

 だが、俺にも打たれる義務はある。

 振り返ると、確かにあそこまでしなくて良かったんじゃないかと、思う事がある。

 後悔はしていないが、丁度いい機会だ。

 この痛みと共に反省しよう。

「オラっ! オラっ! ……んだよ。全然抵抗しねえじゃねえか」

 男が攻撃を止めると直ぐに、背中あたりで水が途切れる。

「うわっ!」

 ドスっと、背中から地面へ落下する。

「瞬間移動……?」

「おいしょっと。キューズさん、連れて来ましたぜ」

 キューズ? あの犯罪者組織の。

「おつおつ。いやーそれにしても、ここは暗いな」

 今日は快晴だった。急に雲が空を覆う事もありえないし、もしかしてここは地下か。

 そう言えばニッチルが、目の前に教会があるとか言っていたな。

「もし、キューズさんと人。なぜ急にこんな事を」

 俺は埃を払いながら立ち上がる。

「はぁ? 何言ってんだお前。テメェがジャスターズと協力して俺らを潰そうとしてるから、俺らはそれを阻止してんじゃねえかよ」

 後ろにいる、ラッツという人が答える。

「俺が質問してんのはキューズさんだ。お前は黙ってろ」

「——⁉︎」

 俺は後ろを振り向かずに、それでも聞こえるように大きな声で言う。

「キューズさん。あなたは確か、犯罪組織のリーダーでしたよね。そんなあなたが、俺になんの用ですか」

「用ってお前……、ラッツの言った通りじゃねえのかよ」

「ラッツ……。ああ……俺がキューズを潰そうとしているって事ですか? すみませんが、全く心当たりがないんです」

「……どうなってんだ」

 俺も犯罪者の身である以上、いつかはキューズという組織とぶつかり合う可能性があったかもしれない。

 しかしまずの話、キューズは昔ほど活躍しておらず、一部ではもう都市伝説と化しているそうだ。

 それをわざわざ、国を飛び出してまで潰そうとは、考えたこともなかった。

 これは何かの間違いなんじゃないか?

「キューズさん。あなたは多分、何かを勘違いしている。俺たちはキューズに危害を加えるつもりはないし、邪魔だと思っている訳でもない。確かに急に、ジースクエアの1人が国を飛び出したら、誰でも構えるのはもっともだと思う、たがら、もし勘違いさせたなら謝る。この通りだ」

 俺は70度ほど角度をつけ、頭を下げる。

「勘違いって……、マジかよ」

 誰にでも勘違いはある。

 それがたまたま、一組織のリーダーと1人の正直者だったって話だ。

 これに関してはこちらに非があり、争いなんて御免だ。

「じゃ、じゃあ聞くが、お前はなんでジャスターズに向かってるんだ」

「理由……ですか。考えた事もありませんでした。でも、なにかこう……、今お礼をしたい気持ちが最高潮だった気がしただけで、特に理由は……」

 上手く言葉にできないが、小さい頃から話は聞いていた。

 俺が能力者になった理由や、ジャスターズに保護された事。

 ジースクエアに指定されてしまって不自由だったから、いつお礼を言うか迷っていたが、今回は何か動かなくてはいけない気がした。

 そうしないと、何か、一生言えないんじゃないかと、不安が募って怖くなった。

「そう……か、ここまで来て勘違いかよ」

 キューズさんが膝をつく。

 相当な緊張状態だったのだろう。

 しかし勘違いと分かれば、こちらも安心だ。

「待って下さい。キューズ様」

 キューズさんよりももっと奥に、1人の男が立っていた。

「えっ?」

「コインは、結局はジャスターズに向かいます。そこで、コインが私たちキューズを滅ぼす意思がなくとも、ジャスターズはどうでしょう。恐らく、事情を知っている方もいるんですよね」

 この男、殺気はないが敵意が凄い。

 しかも、目が見えていないとは言え、こんなにも音や存在を隠せるものか。

 俺もふざけて目隠しをしている訳ではないので、ある程度の音は聞き分けられるつもりでいたのだが。

「キューズ様、これはチャンスです。どっちにしたって私たちの危険は変わりません。要はここで殺るか、後で殺るかの違いです」

 この吸い込まれる様な独特の雰囲気。

 言葉一つ一つに幻惑剤が塗ってあるみたいだ。

 この男、もしかして……。

「でもロン、勘違いだってよ。コインは嘘が嫌いだし、多分ジャスターズの意見如きじゃ意思を曲げない。俺たちはもう、帰っていいんだ」

「本当にそうでしょうか。ラッツだって、納得いってないはずですよ」

「……俺も悔しいが、ロンの言う通りだと思う。もしジャスターズとコインが繋がりを持ってしまったら、いざ殲滅をしようとした時に、コインが障害になるのは確かだ。今がベストコンディションなんだよ。今の、最小が」

 ロンという人の発言から、一気に会話の流れが反転した。

 このままでは、望まない争いに発展してしまう。

「ロンという人、俺が約束をすればいいんじゃないか。ジャスターズになんと言われようが、キューズには出だしをしない。そうすれば、今争う必要はないんじゃないか」

「そんな口約束で引き下がれませんよ」

「俺は——」

「分かっています。あなたが嘘をつかない事くらい、分かっています。てすが、意思だけで人が変わる時代は終わったんです。あなたがいくらやらないと約束をしても、能力によって操られたのならそれは、約束をしていないと同等です。あなたはジャスターズを信用しても、ジャスターズはあなたを利用しますよ」

「……っ」

 まんまと言い返されている。完全にこの男のペースだ。

 他の2人は黙っていて、もう話し合いに参加しそうもない。

 ここは俺が堪えるしか——。

「いいんですか? あなたの部下、殺されているかもしれませんよ」

 俺の部下……だと?

「何を言って……」

「目が見えないとは不便ですね。私たちはあなたに不意打ちをしたんですよ。その時にもしかしたら、1人や2人、死んでるかもしれませんね。その人たちにあなたは、黙っていろと言うんですか?」

「……はぁ、はぁ、お前、なぜ争いたい」

 まずい、血が頭に上り始めた。

「争いたくはありません。あなたを殺したいだけです」

「殺さない解決方法は、ないのか」

「ありませんね。囚人のジレンマのようなものです」

「ああっ! 止めてくれ。お前のその声、聞きたくない」

 嫌いな声だ。

 頭に響く訳でもなく、心に響く訳でもない。

 しかし確実に、洗脳という名の塩酸を脳みそにかけられているかの様な苦痛だ。

「それなら耳を塞げばいいじゃないですか。代わりに口を読んで、私を見つめて下さい。そうすれば、後は解放です」

「止めろ……止めてくれ。殺したくない。罪がない。悪くない。やるだけ無駄だ」

 俺は全力で耳を塞ぐ。

「あなたは真実を知らない。私たちの悪を」

「えっ」

 俺は耳が赤くなるほど押さえていた両手を、ゆっくりと下におろす。

「あなたはジャスターズに恩があり、カンブゥにも恩がある。しかし、キューズには怨があるのです」

「俺がキューズに……」

「あなたに能力が発現したのは、キューズ様のお陰です。キューズ様があなたを極限まで追い詰めたからこそ、今のあなたがあるのです」

「ロン、お前……」

「あなたが喜びを感じている時も、悲しみを感じている時も、それは全てキューズ様のお陰なのです」

「本当なのか……? キューズさん」

「……ああ、32年前の事だ。今でも忘れやしない。俺が最強を作っちまったって正直興奮した。もちろん最初はキューズに取り入れようと思った。だが、ジャスターズのやつに邪魔されちまったんだ」

「つまり、一歩間違えれば、俺はキューズにいたと……」

「そういう訳だ。俺はそれが原因で、お前が俺らを憎んでんじゃないかって、恐怖した。だから不意打ちなんて真似をしたんだよ」

 最初から運命の巡り合わせみたいな出来事だったんだ。

 俺があの銀行にいた事。キューズさんがそこに強盗へ入って来た事。

 俺が人質に取られて能力が発現した事。

 それでジャスターズやカンブゥに保護された事。

 これら全ては、目の前にいるキューズさんが始めた事だったのか。

「キューズさん。もう一つ勘違いしていましたね」

「もう一つ?」

「俺はキューズさんを恨んでなんかいませんよ。能力が発現して大変な事は多いですが、それも試練だと思って生きています。逆にキューズさんがいなければ、この試練の土俵にすら入れなかった訳です。だから俺を能力者にしてくれて、素直に感謝しています」

「……お前、めっちゃいい奴じゃねえかよ……」

 キューズさんは少し鼻を啜っていた。

 勘違いする事で、勘違いを解く事だってある。

 それが偶然でもなんでも、真実には変わりがない。

 俺は今回、国を飛び出して来て良かったと思える理由を、見つけられた気がした。

「コイン、あなたも一つ勘違いしていますよ」

「ロンという人。もう俺に争う意思はない。いくら翻弄しようとも、俺は変わらない」

「そうですか。では、これは私個人の独り言として受け取ってください」

「…………ごぎゅっ」

 何か得体の知れない緊張感が走る。

 なんだこのジメジメした空気感は。

 プールで深いところまで潜った様な、あの重い何かが肩にのしかかる。

「……あなたの親、キューズ様が殺したんですよ」

「——ドゥオオン」

「前言撤回だお前ら! 絶対に殺してやる!」



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