槍の仙人はどこに消えたのか? (木刀超好き)
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異変の夜

 よろしくお願いします。12話で完結する予定です。


 (びょう)という軽やかな風切り音。一度打ち鳴らされれば妖魔の首が飛び、万の軍勢が真っ二つに裂ける。

 音の発生源は一人の男が持つ槍だった。

 といってもただの槍ではない。その全長は男の背の丈に倍するほどで、持ち手の太さは子供の腕に匹敵し、穂先に至っては馬の胴さえ軽々と両断できそうな厚みと長さを持っていた。

 飃と槍が振るわれる。

 技も何もないような無造作な一撃でその刃圏に身を晒す兵達が肉塊となって天地に帰っていく。死神の鎌と化した剛槍の刃には「万夫不当」の四文字が鉄の素地に金で刻まれていた。大軍同士の戦いにおいて、酷く目立つ剛槍とあたかも反比例するかのように、それを使う男の容姿といえば極々平凡を貫き通し、地味な袍衣を中肉中背にまとっている。

 ただし、顔つきは平凡とはおよそかけ離れていた。血と暴力と己の武技に酔いしれ、爛々とした目は猛獣のそれで顔には獰猛な子供の笑みが浮かんでいる。その顔と凄絶な武技が組み合は去れば、戦場にはあり得ない服装とも相まって正体不明の化け物と遭遇する恐怖を敵味方問わずに振りまき、彼の周りには常に空白が生成されていく。

 後ろから近づく味方も無く、前に立った敵は一刹那と持たずに物言わぬ空白へと帰っていく。

 

 

 これは夢だと、俺はそのことを自覚していた。だからまるで怖いなんてことはなく、むしろ映画館で臨場感あふれるアクション映画でも見るかのようにこの脳内の戦争に魅入っていた。拳を叩き込み雲を貫き天を舞う竜の髭を掴みこれを騎馬とする。まさに仙人だ。どうやらこの舞台は架空の中国らしい。何度も夢を見ているうちに気になって甲冑やら武具やらを調べた結果そういう結果になった。

 ただ想うところがあるとすれば一つ。

 果たしてこれは夢なのだろうか?

 よく、分からない。

 

 

 

 

 「おい、起きてるか」

 筒地錬次(つつじ れんじ)は危機的状況を体感していた。夏の夜気は高温多湿、普段だって汗をかくがこれはただの汗ではない。ねっとりと肌に絡みつき、濃縮されたタールのようにどろりとした冷や汗だ。

 迫りくる鋭牙、押し進む黒の巨体。

「ならば腑抜けている場合ではないぞ」

女の声。

 槍を取れ、との音声が深夜の住宅街に鳴り響く。ひどく尊大なその声の主はどうやら女の様で、しかし年齢を悟らせないような深みがある。年老いているか若いのかでいえば、確実に若い声なのだけれども、それにしては声紋が深すぎて違和感が否めない。などと、そんなことを解析している筒地はつまり所詮傍観者に過ぎず、その声の主は目の前で脈絡もなく現れた河馬と犀を足して二で割ったような怪物と戦う少女に向けられたものだと判断できる。つまりこの場において主役となるのは、やはり突如として現れた、大太刀を片手に人間を辞めてるとしか言いようのない挙動で、身の丈の数倍はあろうかという魔物を翻弄する少女であり、その敵役も響く声も、そして道の片隅でへたり込んでいる己も少女を主座に置いた舞台の演出装置という風に、いきなり出現した非日常の光景は筒地の目には前述のように写った。

 

 少女が舞う。

 青々とした月光の下で、連動する太刀筋が煌々と闇の中に閃を刻む。周りを彩るのは異形の赤の血だ。それにしても、刀というのはなんてよく切れる武器なのだろうか。動きの中で吸い込まれるように斬撃が怪物を切り刻むさまは、あまりにも出来過ぎていて、こんな状況下でさえ舞でもみているようなぼーっとした気分になってくる。あくまで力強く直線的な例えるならば能楽のような動きは本当に観客を眠気を誘う。

 「起きるのだ。槍は今代、汝の気に反応している!」

 再び響く女の声。

「オオオロロロロォォォオオオオ!」

 成人男性の胴より太い腕を7つの輪切りにされた怪物の苦悶が世界を揺さぶった。失った重心の平衡を保つために叩きつけられた怪物の足が局所的な地震をさえも作り出す。そんな混沌と喧騒のの中心に立つ彼女はただ一人涼やかで、

「夜は……」

 揺れる視界の中で少女の体は空中にあった。いかなる大地震であろうとも空を飛ぶ鳥を落とすことは出来ない。つつ、と振りかぶられた太刀の切っ先が上空の月を串刺しにする。

「……静かに」

 

 一閃。

 

 太刀の持つ落下エネルギーと少女自身の位置エネルギーが互いに足し合う形で落下する。彗星の一刀は狙い過たず怪物の体の頭頂に突き立ち、大地も穿てとばかりの斬撃となって肉体を駆け抜け、アスファルトの大地を叩き割る一寸手前で完璧な制御で運動を停止していた。

「……うえええええっ」

 後に起きる現象は単純なものだ。

 解剖用のメスは切れ味が良すぎて、二三日たってから斬られたことに気付くということがあるらしい。怪物の体に起きたのはつまりはそういう出来事だった。

 大気を灼くような凄絶な斬撃から一呼吸、あるいは二呼吸のちに、ばがりと、縦に開かれた巨体が血肉の花を咲かせる。まず最初に真紅の血が噴水の勢いで飛び出し、ついで腹圧から解かれた内臓が大地に重々しい音を立てて落下する。

 

 まともじゃない。

 

 筒地の人生にこんな非常識なモノが絡んでいいはずがない。アスファルトを汚す黒い液体。噎せ返るように濃い血の芳香。その中心に佇む少女は幽玄の美を醸し出している。

「うわっ」

 異性でも同性ででもない中間の美ともいうべきか、見蕩れていたいたせいで反応が遅れた。血振りの際に飛散した血が筒地の視界を覆ったことをひりつくような痛みで教えてくれる。

 

 「……あ」

 やっちまった、そんなニュアンスが聞き取れる声で、ぼそりと少女が呟いた。反応からすると筒地の存在にも気が付いていなかったらしい。

「……みてたね?」

 反射的に筒地の顎が肯定の意を示した直後、がらりと少女のまとう雰囲気が変わった。ノーマルからハードに。通常から先程の化け物を殺したそれに。

「じゃあ、残念…」

 本当に悔しそうな表情で、けれども、無慈悲に全身が抜刀の姿勢を取る。

「…痛くないらしいから」

 少女からすれば安心させるためのセリフなのだろうが、明らかに使いどころを間違っているし、何より先程見た剣技―――一瞬で化け物の剛腕を七剪断して見せた腕ならば痛覚神経の伝達よりも早く人を斬り殺せるだろうことは明白だった。加えて筒地のいる位置は、少女の身長ほどもある長大な太刀の間合いの内にある。この殺傷圏の内において素人絶対に玄人の動きについていけない。

 思い出したのは体育の授業でやった剣道の試合。運悪く剣道部員と当たった筒地は二分の内に三十回以上叩かれ、こちらの打撃は一つも入らなかった。

 明らかに自分よりも大きい怪物を解体してのけた少女の腕前は、そこらの剣道部員なんてものでは無い。例えにしてはあまりに馬鹿馬鹿しい比較だったが、つまり、間合いの内にいる場合素人が玄人よりも早く動くことは不可能ということだ。

 そ、と握手でもするかのように少女の手が剣の柄に添えられた。

「ごめんね」

 そこから先の動きを筒地は知らない。

 首筋が焼けるように痛かった。ああ、斬られたな。嘘つきめ痛くないなんて言いやがって。それにしても何て腕前だろう。もう納刀まで終えている。

 

 「馬鹿者!起きろ!槍を取れ!」

 

 しばらく静かだと思ったら槍女の声が聞こえた。

 まあいい。死ぬ少し前に話に付き合うぐらいはしてやろう。どうせ意識を失う数秒の間だ。思い出す記憶が楽しい物とも限らない。

 

 なあ、名前は何て言うんだ?

 

 「我は、北山天号!華北の名もなき鍛冶師に打たれた仙人武具よ!戦うこと万年を定められ、前の持ち主の死から二年、とうとう汝に辿り着いた!汝が死ねば我は気を取り込む機会を失い、活動を永久に停止することとなる!」

 

 そいつは残念だ。その適合者とやらは今死んだぜ。

 

「馬鹿をいうな、まだ死んでなどおらぬ!さあ、我を早く受け入れろ!」

「……嘘だろ?」

 だって今確実に首を落とされた。

「幻覚だ。意識が先行して幻の痛みを先取りしているだけだ!」

 だとするとこの会話は細分化された意識の中のものとでもいうのか?

「その通り!さあ、掴め!」

 待て、待ってくれ。俺の人生にこんな血腥いものは不要なんだ。そりゃ男子だから侍だの騎士だのに憧れることはあったけれども、最早過去形なんだ。あんな血腥いものに関われるか。

「では、死ぬか?」

槍の問いに筒地は沈黙する。

「選択はないのだ!我を手に取りこの場を切り抜けるか、それとも路上の露と消えるか!」

 いや、

 しかし、

 だが、

「急げ、もう時間がないぞ。いいか、人生とはこういうものなのだ!不確定要素を生かすか殺すか、乗るか反るかの時があるのだ!」

 それがいまだ!と、尊大な声が筒地の頭蓋を揺さぶった

 

 

 ……ああ、わかった、わかったよ!つまりこいつは避けようがない選択肢なのだろう。映像の指示に従って、正確にコマンドを押すゲームのデモみたいなものなのだ。

「……北山天」

「なんだ?」

ならば、受け入れる。使えるものは使う。そして、巻き込まれない内に…

「…これが終わったら道ですれ違った誰かに押し付けてやるからな!」

「何でもいい!早くしろ!」

「おう!」

 直感のままに虚空へと手を伸ばし何もないはずの空間を手のひらで包み込む。手のひらに反ってくる太い子供の腕ほどもある感覚、

「おおおおおおおォオオおおオオっ!」

 咆哮しながら、一息に、存在しないはずの大槍をどこからともなく掴み出す!

 柄は子供の腕ほどもある。全長は大人二人分に等しく、全体の5分の1を占める穂先は馬の胴体を両断できる程に長く、厚く、鋭く。

 そして、鉄の素地には「万夫不当」の四文字が薄金で刻まれていた。

 

 迷うことなく自分の全長を超える槍を手繰り寄せ、筒地は胸の前に穂先を向ける。俺がこの槍をどう使うべきかは全く分からないが、槍の方が勝手に動きを示してくれる。

 「…くう」

 筒地は自分自身の薄い胸板に穂先を突き込んだ。痛覚は一瞬にしてはるか彼方に飛んでいった。

「ほう、汝は我をそのように使うか」

 面白し!

 大笑した槍が光となって炸裂する。

 

 

 

 

 

 

 「…何これ?」

 横木 佐奈佳(おうぎ さなか)は困惑する。抹殺対象の少年の突如とした魔力の増加、常識ではあり得ない現象。だが、こいつが蚩尤ならばありえる。横木家が代々殺し合いを繰り広げてきた、八十八匹の異形が相手ならば理解できる。

 今までの横木に歴史で討伐された蚩尤は22頭、これを討伐すれば更なる一頭が加えられる。魔力が増加したとは言えど所詮は素人、殺し合いでこちらが敗ける道理がない。

 それにしても今日は運がいい、眷族だけではなく本体まで討滅出来るとは。

「行けるね、春風?」

《無論、我が鋭刃に…》

「…断てぬものはない」

《…ふっ、行け》

 春風の渋い声に押されて横木の身体能力が常人の六倍にまで跳ね上がった。

 丹田功、一族が代々引き継ぎ練り上げて来た力と術の結晶。その一端を開放することで、佐奈佳は一時的に人の域を超越する。

 あくまで、捷く、軽やかに、身の丈ほどの大太刀が斬線の過中に存在するものなどないように鞘を疾(はし)った。

 

 

 感覚が異常なほどクリアだった。今の筒地なら雨粒だって掴み取れる。その観うる全ての事象がはっきりとしているただその中で、唯一レーザーの如き直線が視界の端に写った。

 《戦いは我に任せておけ!》

 にゅるん。簡潔な動作で刃が必殺の斬線を外れる。自分では意識していないのに動いた身体の感触は、はっきり言って気持ち悪い。

《考えるな!手を出そうとするな!汝はただ感じることに集中しろ!》

 女の声を要約すれば余計な手出しをするなということだろう。この場はプロに任せておけということかもしれない。余計な事を考えずにただ北山天が全力を出し切れるようにすることが、いまの筒地の行うべき全てなのだ。

 抜刀をいなした一挙動、低い姿勢で筒地の体が少女の懐に潜り込む。一連の動作は全て自分の知らない未知の動きだった。使ったことのないやり方で関節を使い、動かしたこともないような筋を参加させ、未知の情報から分析する。このどうしようもない異物感。

 

 

 躱された。埋めようもない彼我の距離は佐奈佳が返しの刃を放つのには十分な距離だったというのに、ぬるりといつの間にか少年の体が至近に存在する。

 超至近距離で打ち出されたのは中段への左掌底だった。魔力の働きによって炎の尾を引きながらの一閃。内臓破壊の致死の打撃を鞘に掛けていた左手で払う。僅かなラグの内に先をとった相手の右が潜り込むもかろうじて左手で防御しきる。だがそれこそが相手の狙いだった。二度の後手が生み出した致命的なラグに少年は超々至近距離へと歩を進めている。間合いは拳足の有効を超えて、ついには体当たりの間近へと変じていた。

 そして来る。未来を先取りする決定的な予感。

 

 まだか、………。

 

 ……来ない?佐奈佳の体内で起きた変化は一言でいえばそんな感じだった。そして厭らしいことに、佐奈佳の力が半端に抜けたまさにそのタイミングで相手の一打が入る。両足を肩幅に開いて沈墜、体重の上下動と同時に振り下ろされる右足は、少年の肘が佐奈佳の腹に少し埋まったあたりで全攻撃を完了とする震脚を放つ。

 「おぼぉ…」

 腹腔が爆発した。震脚によって刹那の剛体と化した相手の肘は慣性力を利用する形。電車が停止する際に乗客が前によろけるのと同じ原理で、その運動エネルギーを余すところなく佐奈佳に伝えきった。

 打撃を喰らったことは幾度かある。蚩尤の眷族の打撃はコンクリートの壁さえ粉砕する威力があったが、それでも上昇した身体能力で耐えることはできた。

 だが、これは……違う。威力ではなく質が違う。無防備な一点を打ち抜く槍のような一撃。

「は、は、は、は、は、は、は、は、は…」

 呼吸が苦しい。立っていられないと佐奈佳は敵の前で大地に膝を付いた。勢いでこみ上げた胃液には血が混じっていた。敵が至近に立っているというのに全く体が動こうとしない。

《主よ!早く動け!》

「……、」

《敵が来るぞ!急げ》

 いつもなら頼もしい春風の声も煩わしかった。だいたい殺すと言うのであれば、向こうはもう殺している。あの打撃が入ってからいったい何秒が経過したと思っているのか。自分なら20回は殺せている時間が経過している。そして収縮した内臓はいまだ回復には至らない。

 敵が来る。

 

 

 《あの女…》

(どうした?て言うかやり過ぎだろうあれは)

相手は崩れ落ちちゃってピクリともしていない。本当に効く打撃は相手を吹き飛ばしたりせずに、その場で崩れ落ちるさせるそうだが、今起こった現象は正にそれなのだろう。 

《すまぬな、禽拿を使えるような相手ではなかったのだ。それに先程の一撃は七孔墳血といって》

 はあ?しちこうふんけつ?何だそれは?と、筒地は聞きなれない言葉に首を傾げた。

《直撃すれば七つの孔から血を吹き出して相手が絶命するという…言うなれば必殺技だが》

「ごめん、本当にごめん。頼むからさっさと出て行ってくれ」

《無理だな、というか早く止めを刺せ主よ》

 止め?それはつまり……、

《殺せといっておるのだ》

 北山天の端的な単語に呼吸が止まった。殺すってまさかそんな。魚でも〆るみたいにあっさりと言っていい言葉なのか?

《やらぬのなら、我がやるぞ》

 言葉の響きが本気だった。こいつは本気で命のやり取りの話をしているのだ。

《何を躊躇っている、今回の形は兵器でなかったから相手も死んでいないが、これが槍だったのならば先の一合で雌雄は決している》

 それでも、俺は…無理だろう?だって人を…

 人を殺すなどというのは、常識的にあり得ない。そんな筒地の躊躇いに業を煮やしたのか、

《あい分かった、我がやろう。汝はそこで黙って見ておれ》

 意識が切り替わる。雨粒が掴みとれそうなほどに意識が先鋭になる。

「やめろ!ばか!…やめろ!」

《馬鹿は汝だ!わが主よ!》

 筒地の弱気が魂消るほどの北山天の気勢。

《ここで逃せば、相手は執拗にお主を付け狙うだろう!昼も夜も、飯を食べているときも寝ているときも!汝が気を休める場所は無くなり、結局殺すという結論に至る!》

 ならば!と北山天は本質において叫ぶ。兵は不詳の器なり。武器とは敵を殺すための物、覚悟もなしに振るわれるべきではない。

 だけど、筒地は

「そんなこと、聞いてない!」

《知るか、汝は不様な死よりも、生を選んだのだ。生とは他を殺すことを肯定することである。それが嫌ならば我の誘いなどに乗らなければよかったのだ》

 返ってくるのは北山天の冷徹な声。

「ならば死んでやる!」

 それしかない。こいつの利害と俺の利害が一致して今回のことが起きたのだ。北山天の定めは万年戦いを続けることで、消えそうな気の補給相手を探していたこと。俺の利は生きること。

《本気で言っているのか?我がそんなことをさせるとでも?》

「出来ないってんなら、戦闘のたびに余計なことをして妨害してやるよ」

 俺のカードは共同体の破滅による共倒れ、向こうのカードは最早存在しない以上、俺の意を通すしか道は無いはずだ。

 北山天が沈黙する。どうだ、参ったか。道具如きが……、

 

「……図に乗るなよ、小僧」

 

 ぼそりと、耳元で女の声が聞こえた。その時になってようやく筒地は、この槍の深遠たる感情を覗き見た気がする。

《汝程度の自我を抑え込むは容易いが、共に戦う相手と思い今までは尊重していた》

《だが、我が意を離れるならば仕方がない。戦傀儡として摩耗しきるまで使い果たしてしまおうか》

体温が氷点下にまで下がる、絶対零度の静かな脅迫。同時に混乱が訪れ、肉体が筒地を離れていく。

《使い手との協調は十割の力を使うためには必須なれど、9割あれば問題ない》

ぎちりと、関節が軋みを上げて腕が天高く掲げられた。殺気を宿す手刀の向かう先は、足下に転がる少女の首筋だと考えるまでもなく筒地は理解する。

「終わらせる」

 審判の声が天上から零れ落ちた。



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2話

深夜の路上。間近に建つ電柱からの照明が積もる闇をほのかに照らす地方都市に一深夜。

「っべーな、あのバカ。何をやっているんだよ」

 電柱の上に直立するのは濃紺色の装束を纏った、一言で表せば忍者だった。顔の形も体の線もだぼついた忍者装束に覆われて、男女の別も定かではない。本名は既に存在せず、15の夜に与えられたヤシャという識別記号が残るのみだ。

 4.0の視力が捉える2キロメートル先の世界は月夜にもかかわらず鮮明で、主である横木の剣滅者が蚩尤の眷族と戦闘を開始するのが眺望できる。人払いの術も一般人への配慮もおざなりに始められた戦闘場には、案の定、民間人の少年が取り残されていた。

「ああ、もう。後始末するこっちの身にもなりやがれってんだ!」

分担された一族の役割でヤシャが行うのはフィールドの調査と後始末、主である横木の剣滅者と最も関わりが深い役である。

 ヤシャは今代の横木の剣滅者に絶望していた。ヤシャへの横柄な態度から始まって、適当極まりない場の形成へと継がれ、どうしようもないゴリ押しの戦闘姿勢の愚かさに転じ、最後に後始末に困るような現場の惨状に終わる。例えば死体、蚩尤のものは眷族も含めて灰となって消えていく。

だが、それ以外の生き物の死体はある程度鑑識が判別できるようにヤシャの魔術で修復する必要がある。また、修復が使われるのは酷く荒らされた戦闘後の場においても同じことだ。故に一族から剣滅者の直接的なパートナーに選ばれたヤシャは一族内で一番、修復魔術の上手だった。

 電柱の頂点を蹴って跳躍、楕円軌道を描いて近くの電柱に着地し、7メートル先の電柱へと更に跳躍。人間が跳ぶには異常な距離ではあるが、ヤシャもまた一族の丹田功と極限まで鍛えぬいた体術によって不可能を可能とすることが出来る。

「間に合ってくれよ…」

 叶いそうもない独り言が覆面越しに漏れだした。

 

 遠雷の音が聞こえる。

 振り上げられた手刀は身動きの出来ない少年と少女の間にあった。少年の瞳孔に焼き付くのは少女の長い黒髪。夜の闇よりなお艶やかそれは動きの邪魔にならないように束ねられている。

 唐突に手刀は振り下ろされる。少年の意志など関係なしに悪夢の夜の終わりを告げる一閃。氣の集中と発勁によって玄武岩でも叩き斬る威力を内包しているそれは、果たして真剣とまともに打ち合っても打ち勝てただろう。

 そんな一閃。一打ではなく、斬撃と呼ぶにふさわしい手刀。

 

 肌に涙適の感触が残る。一体いつの間に雨雲が集まっていたのだろうか?死を目前に控えた少女のは己が疑問に嗤う。17年生きてきて最後に思うのが天気のことだったとは。

 飃という風切り音が降り出しの雨に斬弧を描いた。

 

 

 

 なんだ?

 違和感に反応した体が間合いを外す。言うなればそれは北山天が培ってきた直感、生き残り戦い続ける為に備わっている非人間的感覚によるものだ。違和感は原因は振りぬいた手刀からだった。

 なんだ?

 あの手刀に少女の首を切断できるだけの威力は当然存在し、また自分の技量が並ではないと北山天は自負している。ならば、あまりにも上手く切れ過ぎたのか?そう自問自答をするほどに先程の手刀は手応えがなさ過ぎた。

 否。

 否。

 斬れてなどいない。むしろその逆だ。ばらりと今頃になってうっかり忘れていた用事を思い出したかのように、Tシャツの胸元が真一文字に裂ける。遅れること数秒、今度は皮一枚が裂け、血が控えめに零れ落ちた。

 困惑する北山天を前に倒れ伏していた少女が起き上がる。右手には身長と等しい大太刀が棒切れのように握られ、左手に持つのは、

「髪紐か・・・」

 合点がいった。あの紐に氣を流し、硬度を上げて刃のごとく使用する――かつて相まみえた高手達にも同じような使い手がいた。その名称は確か硬氣錬刃法。

「この世の薄き全てを刃に変える秘術……、未だに使い手がいたとはな」

 それも本国ではなく、この東夷の地に。

 いや、と北山天はかぶりを振る。そういえばこの国はそうだった。文化伝来の終着点。あらゆる漂流物が堆積し変質し飲み込まれる混沌の地、だから自分も辿り着いた。

 雨に遮られた視界の先で、むくりと少女が起き上がる。それは確たる意志というものが見られない、天空の糸から振る糸で関節をつないで操るような奇妙な動きだ。

「……ふうぅ」

 だというのに戦闘態勢の咽喉が獣の唸りを上げる。

 ざわり、と北山天の肌が芯から粟立った。

 

 

 雨か。

 独特のアスファルトが発するような臭気がヤシャの鼻をついた。道に落ちた雨粒が、アスファルトが放射する昼間の熱に溶けて消える。冷気と熱の相克はやがて本降りとなった雨に押されて、夏の熱気が明らかに下がっていくのが感じられた。

 不味いな。

 強化されたヤシャの目に今代の横木が倒されたのが確認できた。同時に相手の力量も測ることが出来る。強化状態の横木の身体能力は常人の6倍、オリンピックに出て全競技で記録を更新することも可能なのだから人外と言っていい。さらにヤシャの知る限り、あの女--今代の当主は剣術の達者でもあった。その腕は自己の身長に等しい大太刀を手足指先の如く操って、正座するヤシャの鼻毛を切ることさえ可能なレベルにあるのだ。

 「素手だと……」

 馬鹿な。

 疑惑の眼差しはしかし、目の前の景色が証明してくれている。先程までただの素人に過ぎなかった少年が一打で手練れの剣士を倒す。異常としか言いようがない光景に鳩尾の奥がきりきりと痛み、跳躍する足に更なる力が籠る。恐らく間に合わないだろう。だが、あの少年を生かして帰せばヤシャの一族全体が責任を取らされるだろう。

 殺す。

 極低温の液体にも似た剣身がヤシャの脳裏に浮かび上がった。これを最初に見たのは7つの時だった。訓練の最中に誤って相方を殺した時から、この鋭利な刀身が瞼の奥に焼き付いて消えない。これがヤシャの殺意だ。沸騰し爆発する感情ではなく、普段は鞘に納めているがいざというときには躊躇無く抜き放たれる。

 目標がどうやら殺すのを躊躇っているようだと気付いたのは、相対距離が400メートルを切った頃のことだった。

 回復した横木の当主が死人のような足取りで立ち上がったのは200メートルを切った頃。

 間に合うか?横切る疑念を置き去りにヤシャは奔った。



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3話

短い文章ですね今回も。


 敵の正体は不明。目的は未知数。かといって逃げ帰れるかと言われればそういうわけでもなさそうだ。

 戦うしかないと、北山天は確信していた。真の闘争とは、前に進むも後ろに退くも叶い難い状況から始まる。矛盾する様ではあるが、北山天が今日まで武具として生き延びるためには、無駄な戦いは――避けられる戦いは全て避ける必要があった。

 闘争とは偶然である。思いもよらない、しかし確実に自分に拠る因果が逃れようのない状況を生み出してしまう。現状では目の前の小娘がそれに当たるものだ。右手には大太刀の抜身の刀身が本降りとなった夜雨を弾き、左手にだらりと髪紐を垂らして、空ろな笑みを浮かべて立ち尽くしている。ただ一つ、こうなったらただでは帰れないという事は判っていた。

 腰は軽く落として気を丹田に沈め、両掌を相手にかざして胸の前でゆるりと構える。遣ることは槍を持った時と大して変らない。全神経が集中する対手の鋭利な刃に、過去の戦った幾百幾千もの死闘を想起する。そして北山天の記憶にはあの武器と戦った事も存在していた。

 

 彼の兵は勇猛果敢にて前後左右に激しく跳躍し瞬く間に距離を詰める。その鋭利な刀身は楚鉄の兜を切り裂くほどで、故にあれを防ごうなどという馬鹿なことは考えない方がいい。人体を容易に切断する刃なんて、いかに仙術武具の身であろうともまともに受けようという考えにはいたらず、終に触れることなく一合で相手を制するのが最善手と信じて。

 けれども、果たしてあの長太刀と変化自在の間合いを持つ錬刃に対してそんなことが可能なのだろうか?迂闊な牽制は逆にこちらの致命打となり兼ねなず、本命を打ち込もうと近づけばやはり拳より先に斬られるだろう。また変幻自在の錬刃は接近戦において脅威そのものだ。蛇のように、それ自体があたかも意志を持つかのごとく動き回りながら、それでいて刃物並のの切れ味を秘めている。仮に動脈でも撫でられようものならば、その時点で宿主の命は絶望的だろう。

 前に進むも、後ろに退くも叶わないこの状況下。

「どうした?来ないのか?」

 少女の口から漏れたのは、風雨を持ってしてもなお掻き消せないしわがれた男の声だった。

「……お前、」

「同類だよ」

 北山天の疑問に答える簡潔な声に、少女は更に説明を加えた。

「宿主を転々とし、滅びの日まで永劫戦い続ける呪われた武具だ。俺は生まれてから五百年、ずっと横木の剣滅者と共に戦ってきた」

 剣滅者?何だそれは?

「まあ、お喋りはこれくらいでよかろうよ。羽化する前に絶つのが蚩尤狩りの基本だ」

 言って一歩、少女の体を中心に不可視の斬撃可能範囲が結界となって北山天を圧迫し、次の一歩でその体を右手の太刀の間合いの内に収めていた。その一歩と斬撃が同時、特別な構えなしに平歩のまま少女は斬撃を放つ。

 

 「っ!!??」

 反応は出来た。けれども遅れた分はキッチリと持ってかれていた。左肩から右脇腹に掛けて灼熱が走る、今の内は痛みなど来ないだろうが戦闘を終えた後は悶絶するに違いない。しかし、果たして後なんてあるのか。

 斬撃の終わりに踏み込もうにも、左手の髪紐が変幻自在の刃となって返し一手を牽制して間合いを制し、かといって大太刀の間合いの内で動きを止めるのは自殺行為に等しい。

 北山天の目から見ても剣士は化け物としか形容しようがない。構え無しに、歩きながら人を斬る無拍子の斬撃など本国でもそうはお目にかかれなかった。せめて得物があればと思うがそれはやはり死期を少し先に延ばす行為に過ぎないだろう。初撃で少女を打倒し得たのは、あくまで向こうが油断をしていたからだ。武具の補助による強化は直接宿すという形式上こちらが上で、向こうの丹田功と強化の併用にも対抗は出来たが、そうは言っても宿主の性能が違いすぎる。

(向こうの小娘は武術を相当修めている。…たいしてこっちの小僧はど素人もいいところだ)

 けれども、このままでは後数手の内に宿主諸共絶命するのは必至、ならば。

 どこからともなく取り出した槍が北山天の両手に握られていた。北山天の本来の姿を模した槍は圧倒的なリーチを誇る。その大きさは少女が片手で振るう大太刀の二倍。

 長さで稼がせてもらおう。ほんの僅かな生の時間を。

 少女の死角から幅広肉厚の穂先を叩きこむ。金属同士がぶつかり合う音は欠片もなく、少女はとうに槍の間合いの外へと脱出していた。

 僅かな休息も許されない四本の足は絶えず敵に対して有効な位置取りを探り、次の一手を放つ刹那の位を探り合う。

 「--ッ!!」

 接近と危険地帯は隣り合わせだ。

 

 長いものは短いものを制する。勝負の根本原則に乗っ取り先を取ったのは北山天だった。槍全体をしならせての劈の一閃は、垂直に落ちる雨粒よりもなお早く少女の右手首を狙った。穂先の下に取り付けられた血止め赤房が宙に真紅の軌跡を描く。けれども無理だ。何の工夫もない正面からの打ちでこの剣士を捉えることなんて出来るハズもない。槍と剣が交叉する。キャリン、という硝子の割れるような音はアスファルトを叩く雨音に消えた。

 つまり、

 

 ここからが正念場だ。

 「おおおッ‼」

 気勢と共に動かさないでいた筋を、関節の向きを、宿主が作り出した意識の制限を北山天の身体意識で書き換える。切っ先の行方は少女の足の甲。下段へと変化した槍が飃と音を奏でた。

 けれども、少女の如何なる修練の境地ゆえかこの一突きも虚しく空を穿つのみだ。そして間合いに入った槍を少女の太刀が抑えにかかる拮抗した攻防がようやくここで成り立つ。

 

 

 

 結論を言えば今までの二手の攻防はすべてこの交叉を作り出すために存在したと言っていい。持ち上がる槍と振り下ろされる太刀がが全く同じ速度で交叉し、互いにすり抜けた。間合いは未だに北山天のもので、後二歩踏み出さなければ向こうの太刀は届かず、あと一歩でこちらの槍は届く。

 死ね。

 踏み込みと同時に突き出された切っ先は螺旋状に槍を奔る内力をもって防御に使われた髪紐の錬刃を弾き飛ばし、ただ真っ直ぐに突き進む。

 敵の太刀は届かず我の槍は内懐に届く。光と影、陰と陽、生と死の境を貫くただ一刺、先々代の使い手もっとも得意とした絶招『陰陽交叉中道行一刺」は少女に鳩尾から切っ先を滑り込ませ、確かに心臓を貫いた感触を北山天の掌に余すことなく伝えきる。と同時にぶるりと、何とも言えない高揚感が腹の奥から湧き上がり背筋が震えた。

 最高だ。

 この如何ともしがたい強敵を制した時の幸福感に勝るものは存在しない。数百の雑兵を屠ろうとも決してこの喜びは得られないと北山天は知ってい…

 ……?

 ……?

 ……いや、これは。

 手応えがおかしい。人の持つ柔らかさゆえの重心の不安定さがまるでなく硬質なモノとしての感触のみが柄を透して伝わってくる。そこで、北山天はようやく穂先が捉えたのは丸太だと気付いた。全感覚が敵の行方を捜すことに動員され針の落ちる音も逃がさんとする聴覚が、

「こっちだ」

 声は上から聞こえた。時を同じくして北山天の足元から人影が持ち上がる。右手には逆手に構えたナイフ、狙うはこちらの頸動脈。この位置からでは回避不可能と一瞬で判ぜられ、故に北山天は一転して深く沈み込む。手の高さが幸いして槍の柄と相手の二の腕がぶつかり、首に触れる少しの時間を稼ぐ。

 自らの魂にも等しい槍を惜しげもなく放り捨て、北山天の空いた両手が接触する人影の右手を接点に、勁道に旋回を掛けた。

 再度違和感が北山天を襲う。

 禽拿術の一手は勁道が途中で断ち切られ、掌中に存在していたはずの右手とその持ち主の姿は何時の間にか消えていた。

「じゃあな」

 既に電柱の上に影は移動している

ただ一言残して黒い影は北山天に背を向け跳んだ。

「……待て、」

 何なんだお前らは。問い掛ける北山天の知覚可能領域から急速に気配が遠のいていく。伸ばした手は虚しく空を掴み、雨の冷たさを伝えるだけだった。同時に北山天の意識も深いところへと沈んでいった。

 

 

 

 

 2、夢か現か

 

 人生においておよそアスファルトの上で朝を迎えるというのは、一般的な男子高校生の生態からかけ離れている。だから一般的かつ平凡退屈な一高校生を他称される筒地には異常事態だと、すぐに理解できなくても仕方ないではないか。霞がかった頭を振り懸命に眠気を追い払い、さて手と尻から伝わる奇妙な感覚、部屋の二階の窓から見る電柱はあんなに高かったかと首を傾げたところで、要約異常事態に気が付いた。頭の霞はどこかに消し飛び、しかしクリアになった割には一向に事態の解析を図ろうとしない脳味噌が酷くうっとおしい。

 果たして、昨日の戦い的なものは何だったのか。思い出せばいくらなんでも酷過ぎる。しかし、夢ならそういうことがあってもいい。

「夢だよな、うん」

 常識的に考えてあり得ないし、そもそも化け物の死体も戦闘の余波が作り出した惨状も筒地の目の前には無いのだから。ならなんで路上に寝ているのかと、まあそこに帰結するのだが夢遊病の心当たりはないし、だとしたら疲れ果てて歩いている最中に眠りこけてしまったのだろう。確かに、自分の腕とかあしに残る細い傷跡は不可解だし、転んで擦り剥いたとも考えられるわけで。

 

 いやいや、そんなわけあるかよ。とも同時に思う。受け入れろ。昨日の夜のことは全て現z……。馬鹿言ってるんじゃねえ。ならその眼をおっ開いて辺りを見回してみればいい。 

 影も形も跡もなく、どころかこの場所で大破壊を撒き散らす伝奇的な戦闘があった証である化け物の体も、余波で砕け散ったアスファルトの道も、全てが何事もなかったかのように日常へと帰還している。

 あれは夢だったと、筒地錬次は結論付ける。そうとも、怪奇現象が入り込むにはこの世界はあまりにも行き届いているのだ。ならば筒地が今日することは学校という現実と向き合うことであり、決してアスファルトの上で呆然と座っていることではない。

 「やべ、間に合うかな」

 太陽は既に斜め四十五度を通り過ぎている。夜のうちに雨でもあったのかぐしょ濡れの服と比例して足下の大地は、それなりに水が引いていた。

 こういう時に誰もいない自宅というのは都合がいい。

「人間万事塞翁が馬、ね」

 格言をあくびで噛み砕き、綺麗すぎる道路など無視を決め込んで。

 筒地は日常を取り戻した。

 




終わりじゃないからね!


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4話

 4,幼女より足首が大事といいたい

 筒地錬次の日常は回復された、はずだった。

 身の丈を超えるカバと犀の合成獣なぞ月夜の妄想で、大太刀を振るう少女と言葉を話す槍と合体したのはどこかで見たマンガかアニメのワンシーンを無意識に夢見たに過ぎない。そんなものは、三日ぐらい前から連日のように見ていた中二臭い夢の続きであるとしか思わなかった。

 「かはは、新たな主はこのような体系が好みかのう!」

 路上で目覚めたその後、まさか破れた制服で学校に向かうわけにもいかずせめて、学校指定のジャージで行こうと帰宅した。実に常識的、とは断言しないまでも、真っ当な判断を下したと思うし制服が破れたことを言い訳にして学校を休もうとしなかった自分はあっぱれ学生の鑑であると、

「このような幼児体型が好みか、この変態め!」幼い女の声。

 うるさい黙れ。

 視線に意志をのせ筒地は寝台の上の幼女を睨みつける。人からは狂気を感じる目つき、と称される筒地の目力はこの目の前のの―――八歳程度の糞餓鬼を黙らせるには十分なものであるはずだった。

「ふん、欲情を怒りの演技で抑えていることなぞ我の心眼をもってすれば丸わかりだのう!何より寝台のしたの書物を見ればお主の嗜好なぞ我の手の内よ」

 ほれ。

 そう言って幼女は大胆なスリットの入ったチャイナドレス姿で右足を持ち上げる。蝋の様に白い肌と、それに包まれたゆで卵のような太股。

 頭がおかしくなったのかと思う。ジャージに着替えようと家に帰ったら、寝台の上に全裸の幼女がいた。何か着ろと、顔を背けつつ告げたら、すぐに「着替えた」との返事が聞こえた。振り返ったらやはり全裸の幼女が誘うような恰好で筒地の部屋の寝台に寝転んでいた。すぐに、自分の頭がおかしくなったのかと筒地は部屋の扉をそっと閉めて、もう一度、いまの光景がただの幻覚であったことを確かめるべく扉を開けた。

 やはり、幼女がいた。今度は白いチャイナドレスを着て。

 

 

 「……つまり、お前はその齢で脳腫瘍が出来ちゃったということで、ここは一つ。じゃあ俺は学校があるから。あと知らない人の家に上がり込んで親を心配させるのは良くないぞ」

 黒髪をツインテールにまとめた幼女の一時間にわたる説明の感想と忠告を終えた筒地は、ついで幼女の両肩に手をのせて押し出すように廊下を歩ませる。

 「何をするのじゃぁ、この阿呆が!我がおとなしく、気分を取り直して説明してやったというのにこのガキャァ!」

 幼女は身をよじって暴れるが、そこは大人と子供。力の差は歴然で一切の抵抗を顧みない筒地の両の手は

幼女の体を徐々に徐々に玄関の方へ運ぶ。

 幼女が罵る。

「昨日の夜あんなにも激しく……」

「知らない知らない」

 

「戦傀儡……」

「やって味噌漬け」

 

 玄関が近づいてくる。雨が降ったのは昨夜の夜だというのに、またの雨音が筒地の耳に入ってくる。

「なあ、ほら思い出さぬか?この雨の中……」

 幼女の戯言は無視の一手に尽きる。筒地の手は右手はその細し首根っこを押さえ、左手は玄関のドアノブを回す。きいいい、と悲鳴のような音を立ててドアが開け放たれ幼女の体が家のの外に追い出され、土砂降りの雨音が騒がしく侵入してきた。

「わ、我が槍の精だというのは百歩譲って、」

「却下」

「早い!せめて最後まで、言わせんかい!」

悲痛な幼い叫びが雨音にかき消される。

「却下、傘と電車賃をやるから早く親のとこに帰れ」

 こんな子供が、家出だなんてどれだけ親が心配することか。こういうときは心を鬼にして強く言わないとだめだ。まったく、これだからゆとり世代は。

「じゃあな、」

 傘と財布を突き飛ばすように渡して、筒地は家のドアを閉めた。閉めると同時に学校に行く気が失せた。あの脳天が高速回転している幼女のせいで、今日一日分の気力がかなり削がれてしまった。

 「ふう、仕方ないやつだったな」

 電気ポットで沸かしたお湯でインスタント味噌汁を溶いて、電子レンジからご飯を、冷蔵庫から納豆を取り出してテレビ番組の時刻表示を見ると午前九時四〇分だった。二限目までは仕方がないなと溜息を溢して味噌汁を啜る。かき混ぜた納豆をのせ、納豆の乗ったホカホカのご飯を箸に乗せ、そして口に、

「うわあああああああああああああああんん!おにいぃちゃああんがぁ!私をぉ家に入れてくれないよぉ」

 思わず飯を丸呑みにした。食堂を塞いだ飯を胸を叩いて胃に落とす。その僅かな動作の間にまた、

「うええええええん!」 

聴き覚えのある女の声が響く。

 

 

 三分後、筒地家の食卓にはほくほく顔の幼女が座っていた。この幼女、名を北山天という自称槍の精霊は泣いてなどいなかった。筒地が慌てて出ていくと、笑顔で出迎えご苦労との給いやがった上に、運の悪い事に近所のおばさんに遭遇して「海外にいた妹だ」と説明してしまった。おばさんの噂話というものは恐ろしい拡散能力を誇る。

 一度だけ不倫した魚屋の富オヤジは、その翌日にはもう離婚届を渡されたとか。絶対にばれないはずなんだけどなあ、と富オヤジは言っていたがつまりそういうことである。

 「うむ、大儀であるな」

 「ああ、味には期待するなよ」

 北山天の前に置かれた皿の上には、筒地特性の豚肉と玉ねぎのピリ辛炒めが嫌がらせのように持ってあった。タバスコを普段より十割増しに入れたのは筒地だけの秘密である。

「おお!程よい辛さ!我の味覚に合う料理が作れるとは、お主には素質がある」

 何の?と筒地の口は勝手に訪ねていた。北山天を名乗る少女は幸せそうな顔で微笑んで、

「我が戦傀儡、もといパートナーよ」

「なるほど!お前の話した設定の中では寄生対象をそういうんだったな」

ワザとらしい筒地の笑い声が天上を揺らす。声を同じくして笑う北山天の腹に突きを入れてやった。

「……何をする、」

「ボディタッチ、あといい加減幼女の姿は鬱陶しいから槍の姿に戻れ。物干し竿に使ってやろう」

「ぬう、お主の嗜好は幼児趣味だと」

 北山天の呟きに、筒地の首が左右に大きく動く。二度、三度と繰り返し。最後に大きく溜め息を吐く。

「違うのかのう?」

 違うね、と筒地は言った。

「全然ダメだ。俺はロリが少ししか好きではない。さて、あの猥褻絵画集からロりを抜いたら何が残る?」

 答えられたら、少しはこいつのことを認めてやってもいい。もっとも九分九厘不可能であろうが。

「ツインテ「話にならん」」「やえば可「ダメだなあと一回」」「目の「センスない」」 

 順当な予測結果に満足しながら筒地は唇を舌でなめる。

「正解はね、」

「なんじゃい」

 吐き捨てるような問いかけとは裏腹に北山天は、マジマジと筒地の顔を見つめていた。その眼差しには期待と狡猾さが3対7の割合で存在しているようだ。

「足首だよ。百パーセントの足首を描ける人は、あの人を措いて他にいない」

 ほう、と感嘆とも落胆ともつかない息を漏れる。どうでもいいが、タバスコ臭い息に筒地の顔が明後日の方を向く。

「で、我は幾らよ」

「七十五点だな、俺が今まで見てきた中では五指に入る」

「では何故?」

北山天の疑問は当然だった。しかし致命的な点が存在したのだ。確かにこの幼女の足首は素晴らしいものがあると、筒地はきちんと評価している。だが、それを差し引いても許されぬものがあるのだ。

「足首に紐が絡みつくタイプのサンダルを履いていなかった。……それが敗因だ」

「なん、だと……そなことで」

「大事なことだ。すごくな、」

 サンダルの紐が足首に絡みつく。これほど官能的な光景があるだろうか。女性美の基準はぼん、きゅ、ぼんであると筒地は考えている。そして足首は全てのきゅ、の終着点だ。肉が少ない、すべっとした足首の肌に蛇のように複数の紐が軽く喰い込んでいる。これぞエロスの終着点の一つと言えよう。

「なんじゃいそりゃあ、とは言えんのう。我の国も、ほら、纏足とかあった故にな」

「まあ、纏足に関しては俺は反対だが。人の趣味に口出ししたりはしないよ」

 ただ、纏足は不安定な設置状態により足首に負担がかかるせいで骨が太くなり、結果として美しい足首のラインを失うのではないか?また素晴らしい骨の変形によりアキレス腱にかけてのラインを失うのではないか?そんな結論を筒地は中学三年の春に導き出していた。

 纏足無理絶対。ただしダメとは言ってない。もちろん美しい足首の女性が纏足をしようとしているなら走っていって止めろと言うが。

「それじゃ、俺は学校に逝ってくるから。大人しく待っているんだぞ」

左足の裏で右足の甲を掻く。

 北山天は最後に、ソファーに寝っ転がって。

「ほーい。ん、そういえばお主の親はどうするのだ。我の姿を見られれば一々面倒な事になると思うのだが」

「ああ、それなら今はちょっと留守にしているだけだから」

 必ず帰ってくる、と返して筒地は家を出る。

 雨音が再び、家の中に入って来た。

 

 

 



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5話

 どうやら昨夜の土砂降り雨はお天道様の気の迷いのようだった。

 一時限目が始まった後の学校施設は、どことなく結界めいたものを張っていと思う。遅れて正門を潜ろうとする者は、そこに正当な理由があろうがなかろうが、胸の中に奇妙な靄を抱えて立ち止まる。

 そして今日の四時限目が水泳の授業で、プールへと教室を出たクラスメイト達に紛れ込むこめるという事実は、直接教室に向かうよりも筒地錬次の気分を幾らか軽くしていた。

「珍しいな、お前が遅れてくるなんてよ。―――不良か?ついに筒地さんも不良か?」

「いやいや、佐々木さんほどじゃありませんぜ」

 

 

 

 いや、珍しいこともあるもんだ。

 その日の朝会に筒地の姿がなかった。佐々木浩一は友人を心配するよりもまず、何よりもまずその事実を珍しがった。担任の話によると学校に連絡も来ていないとの事である。

 筒地錬次という奴は、成績は俺よりも少し良い程度だが、しかし、サボりがちな俺と違って学校を休むということはありえない。それこそ、毎日教室に入ると必ず自分より先に筒地は居る。というか、昼食時に小耳に挟んだ女子トークを事実とするならば、誰よりも先に教室に入って呆けたように青空を眺めている何それキモイキャハハー、という奴である。

 うん、若干可哀想な奴だ。

 まあ、その事実は置いておくとしても本当に珍しい事だった。だから、その日の朝会で黒髪ポニテの美少女転校生が2-Aに来たと言うことよりも、まず最初に筒地錬次が遅刻するかもしれないという現実に驚いた。 あの筒地が、両足骨折した翌日も朝一番に来ていた筒地が。

 遅刻したのである。         

  朝会は進む。

 「えー、今日、我がクラスに転校生が来た」

 と担任の秋山の声。この時期に珍しいというか高校の転校生なんてものは、創作のなかの存在でついぞ実在するとは思わなかった。女だろうか?女だったら可愛いやつがいいし、男なら面白いやつだといい。

「はい、じゃあ入ってきて。自己紹介よろしく頼む」

 ガラガラとドアが引かれる。

 おや、と思った。

 怯まない。ビビらない。するっと教室に入って来た。

 一見すると静かな感じだが、ただの地味な女子とはオーラが違う。まるで見てはいけないものを日常的に見ていて様な。真正面から睨み合いたくない目をしていた。

阿木(あき) 佐奈佳(さなか)です。よろしくお願いします」

 さあ、と頭を下げたとき後ろで束ねた髪が揺れた。

 

 「……UFOの夏だった、」

 「って惚れてねえよ。変なまとめ方すんな!」

 いやいやいやいや。

 頬を緩めながら筒地はにやにやと佐々木の顔を眺めている。家を出て二分で雨は止んで、代わって顔を出した太陽が水気を持っていてってしまったらしい。熱した鉄板に等しいプールサイドのタイルの上で、無数の足がステップを踏む。蝉の鳴き声と夏は、土砂降りの後にやって来た。

「で、件の転校生は今どこにいるんだね、浩一君?」

「ぬう、嫌な笑い方をしよるな。こやつ」

 震える佐々木の指先がプールサイドの向かい側を指す。

「ん~~~どれどれ、おほお!いい趣味しとりますのう。佐々木はん」

 いい、足首をしていた。北山天が七十五点ならばあれこそ九十三点。現段階最高の足首である。足首から上はまあ、北山天と互角ぐらいだろうか。……どうでもいい。と思う俺カッコいいな!

「足首マニアの俺から見ても点数高いですぜ旦那!」

「いや、違うからね!」

悲鳴のような笑い声のような声で佐々木は否定した。

「そういうのじゃ無いから!ってかしつこい筒地さんこそどうなよって話だから!」

奇妙なダンスを踊りながら向けた言葉がブーメランする。

「俺は足首だけでいいよ」

「……切り裂きジャックかよ。怖いよ!この近くでバラバラ殺人が起きたら犯人は間違いなく筒だよ」

「現場からは足首だけが……」

「そうそう、で捕まった後自宅から保存液に漬けられた足首がどばっと」

「人間?うん、知らないな。俺にとってそれは足首でしかなかった……」 

「ヘンリー・リー・ルーカスさんはやめい」

 足元は焼けるようだというのに、冷えて来たのだろうか佐々木が鼻水をチュルリと啜った。大気が震える音。遠くの空に黒雲が見える。ちょうどその時、号令がかかった。ようやく生徒たちは水の中へ飛び込んだ。水が温かくて気持ちがいい。

 

 睡眠の四時限目―――世界史、を終えて昼休み。外は再びの雨。空いた左手で目尻を擦りながら弁当を持った佐々木が机のそばにやってきたのは常のこと。

「世界史寝てたん?」 

「おう、四分の一くらいな。ノートはちゃんと取っておいたから大丈夫だ。さて、飯食おう」

「うい、少し待ってくれ。あと少しでまとめが終わる」

 二年から始まった世界史は今丁度、アッティラが西ゴートを逃走させている辺りだった。がりがりと床を擦りながら、佐々木が隣の席を移動して陣形を完成させる。同時にノートのまとめも終わった。

「さて、あ、」

 鞄から弁当を取り出そうとした筒地の手が止まる。

「どうした?」

 向かいでは佐々木が弁当箱の蓋を片手に、こっちを眺めていた。

「悪い、弁当忘れた。なんか買ってくるよ」

「外、雨だぜ?」

「コンビニ近いし何とかなるだろ」

 小銭が心許なかったが、朝食も遅かったから何とかなるだろう。席を立って早足で廊下に向かう。開けたドアを閉める時、佐々木がいってらっさいと手を振っていた。

 

 

 生徒会会則第五条、一度校内に入った生徒は原則的に放課後まで出入りを禁ずる。

 知らぬな、と筒地は首を振る。それよりも雨が酷い。晴れたと思ったらまた気まぐれにも雲で天を閉ざす。土砂降り一歩手前の激しさでアスファルトを叩く雨の中を歩けば、ずぶ濡れは必至。

「お、筒地。飯買いに行くのか?」

 一瞬、四十過ぎのおっさんの声で、筒地の心臓の鼓動が跳ね上がった。振り返ると担任の秋山がにやにやと笑っている。

「あ、先生。弁当忘れたので」

「おう、気を付けろよ。先生の傘、傘置き場にあるから使ってもいいぞ」

 ついでにハイライト頼むよと手をひらひら振りながら秋山は去っていった。

「……びびるわ、」

 とにかく傘を貸してくれると言うならばありがたい。そう思っていた時期が筒地にもありました。でも、このド派手な花柄の傘というのはいかがなものかと小生は思うのであります秋山軍曹。

 コンビニは校門を出て二十メートル先の丁字路の右にポツンと光る。灰色の駐車場に、叩きつけられた雨粒が跳ね返ってまた落ちる。無人の其処はどうにも物悲しい。三階の教室から見れば、このド派手な花柄の秋山傘はさぞかし目立つことに違いない。自動ドアが目前でうろちょろする筒地に反応して開いては閉じる、と見せかけてはかけてはまた開き、誘うような動きは筒地を急かしているようだった。 

 窓ガラス越しに見ると昼休みはまだ三十五分ほど残っている。昼飯には十分間に合うはずだ。 

 うっし、うっし。

 自動ドアを超えると一気にアニソンが流れ込んできた。軽音部の四人が学園生活を満喫する日常系アニメだったようなそうでないような。有名らしいが興味がないから見ていなかった。

「らーしゃーせー」 

 立地も合わせて変な時間帯だからだろう。女性の中国人か韓国人のアルバイトが退屈そうに宙を眺めているだけで、店内に客の影はない。

 とりあえず筒地の小銭で買えるものはパンか御握り。パンは腑抜けの食うものだと常々考えている筒地がパンを手に取ることは無い。レジに持っていくのは鮭と紀州梅とそれから、小さなペットボトルのお茶を一つ。

「三百四十四エンに、ナります」

 差し出された女の右手首には蝶の刺青が彫られていた。青と赤で二重に彩られたそれはマフィアっぽい雰囲気を醸し出している。水商売の人かもしれない。あんまり目を合わせたくないと思ったのはここだけの秘密だ。

「……、」

 黙って財布から三百四十五円を渡した。女の匂いが妙に引っ掛かる。そういえば、廊下ですれ違ったあの転校生は寺の匂いがした。

「あノ、お客様……」

 生甘いあの独特な香りが、たちの悪い風邪にかかってしまったみたいに鼻の奥をくすぐった。

「あ、はい」

 店員の拙い日本語にふと我に返り、ひょっとして代金が不足していたのかと慌てたが、どうもそういうわけではないらしい。

「鼻血、出てます」

 え?

 店員の指摘に半信半疑のまま、咄嗟に手鼻の下をで拭う。嘘偽りなく本当だった。

「すびばせん」

 右手で出血を抑えている間に左手でジャージのポケットを探る。無い。目的のティッシュペーパーを探す間も鼻血は絶え間なく零れ落ちて、右手で作った受け皿からすでに溢れんばかりの様相だ。

 鼻血が止まらない。

 

 

 

 

 平和な昼飯の時間だったはずである。

 「おい!……筒地さん鼻血出てるって、」

 「いきなり出た」

 鼻にティッシュを詰め込んだ筒地は簡潔な答えを返してどっかりと筒地は椅子に身を預けた。そのまま机に突っ伏した友人は何か頭が痛いと言う。目の奥の脳味噌が抉られるように声が響くらしい。

「保健室行って来いよ。おまえ顔色悪いぞ」

 うう、とかああ、筒地はとか佐々木の言葉に適当に頷く。そしてよたよたとコンビニの袋を探り、中身を取り出さない内に机の上においたビニール袋を叩き落とす。

 ああもう、目も当てられない。

 飯を食おうと意地汚く足掻く友人にもう一度。 

「おいおい大丈夫か?」

 二度目の声。ここらへんが引き際ではないかと思ったが、どうやら筒地も同じ考えに至ったと見える。

「なんか気分悪りい。保健室行ってくる」

 会話の間にも痛みは増しているようで、呼吸がどんどん浅くなっていた。それやるよと、筒地は空いた左手でコンビニの袋を指さして廊下にノロノロと飛び出した。こんな事は今まで一度もなかった。

「転校生に興奮したとか……?」

 そう一人呟いて、佐々木はないなと首を振る。

 結局、5時限目の始まる前に、筒地は早退したらしい。秋山から知らせがあった。

 ところで、と佐々木は黒板の漸化式を眺めながらシャーペンを回す。筒地の家には両親がいない。三日前に出張中と聞いた。

 ならば、誰があいつを連れていったのだろうか?

  

 

 




懲りずに投稿。


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契約

これつぐももじゃね?って思った


 目を覚ますとそこは学校の保健室ではなかった。

 おそらくは書院造の和室……ではないかと思うなどと大層な推測が建てられるほどの知識がぼんくらな高校生にあるはずもない。

「いい部屋、なんだろうな……」

 筒地が抱いた感想も適当なものだ。上体を起こして布団を跳ね除ける。寝起きの気分はいつもよりもすがすがしいくらいで、ここで二度寝すると起きたときに頭痛になる。

「最近は、目が覚めたら変なところにいることが多いな……」

 四畳半になれた筒地には広く映る和室。部屋のすみに片付けられた屏風の竹林には傲然とこちらを睨む猛虎が伏せる。半開きにされた襖の向こうには、葉桜が雨に打たれる絵に掻いたような日本庭園があった。そして外界と内部を断ち切る白化粧の壁が筒地の視線が行きつく先だ。

「日本庭園……この現代に?」

 知り合いに金持ちはいない。こんな家を持つのはきっと金持ちか、あるいは、

 やくざさんの御屋敷ですかね。

 無理無理無理。

 いつかみた化け物の夢よりもこんなものが筒地の人生に関わっていいはずがない。

(やばい、殺される?拷問?コンクリ詰め?嘘だろ!?)

 想像しうる限りの地獄を想像しろ。きっとこの未来(さき)はそれ以上に地獄だ。基本的なところからまず足の指の爪を剥がされる。爪の先から切り刻まれていく。皮を剥いだ生傷に塩をすり込む。どれもこれも極度のマゾヒストでなければ決して経験したくないものの数々だ。

 

 いや、落着け。拷問ならこんな豪奢部屋に置かれるはずがない。もっと適当な所に拘束して見張りの一人や二人付けるだろう。とりあえず、今のところは賓客程度には扱ってもらえているの可能性のほうが高い。あるいは、ここで持て成しておいてから一転、突き落としていく手法で来るか。

「……なぁにを考えているんでしょうかね俺は」

 ………………………。

 ………………………。

 ………………………。

 外をちょろっと見て帰ろう。

 渇いていく口の中を舐めながら一歩布団から降りる。誰かが見ている可能性は低いというのに足音を殺して、慎重に畳を踏む。ゆっくりとしかし後ろ足に体重を残していざというときはすぐに布団に戻れるように、

「なぁにをやっているのじゃ、我が主」

 苛立ちの混じった声が筒地の肩に触れた。

 その瞬間うわっ、とか変な声を筒地の咽喉は紡いでいたらしい。

 心臓が止まるかと思った。一拍置いてから布団に跳んで声の主を視線で辿ると、やはりいた。

「ってお前、お前」 

「何でここに?かのう?我が訊きたいわ!なんでお主がここにいる?」

「俺は気が付いたらここ居たんだよ!なんだっけ?確か学校で鼻血吹いて熱を出して気持ち悪くなって保健室に行ったんだよ。確か!」

「は!道理で三日も帰ってこなかったわけじゃ。まあ不細工な面を見なくて三日間気分良かったんじゃが、というか爺!我の適合者とはこやつのことか?」

 刺々しい声を北山天は背後に向けた。その時ようやく筒地は北山天の後ろに人の姿を認める。

 まるで白熊だった。白髪白鬚に190センチはあろうかという巌のごとき巨躯をこれまた上下を白で合わせた羽織袴で決めている。腕相撲をしたら多分筒地が負けるだろう。

「はい、そうでございます。これがあなた様の適合者ですな」

 そんな老武将の如き巨躯から発せられたのは、以外にも優し気な柔らかい声だった。

「………」

 訊くべきことがあるはずだった。言わなければいけない言葉があるはずだった。

「筒地君、説明もなしにこんなところに連れてこられて困惑しているだろう?」

「あ……はい」

 あ……はい、だと。馬鹿みたいだ。思いは同じだったようで、北山天が軽蔑の眼差しで筒地を見下ろしている。

「私は野雁幸村(のがり ゆきむら)というものでな」

 野雁幸村……知らない名前だった。まるで戦国時代の武将みたいな名前だが、かかと笑う巨躯の老人には幸村よりも忠勝のほうが似合っていると思った。老人は凍りついた筒地の表情を楽しむように続ける。

「なんでも一人暮らしの君が倒れたと孫娘に聞いたもので迎えを出したんだ。いやなに、聞いた話だと酷い容体だったようだから回復したようで何よりだった」

「……ありがとうございます。すいません色々と、もうすぐに出て行きます。はい」

 筒地は胸襟を正して起き上がった。起き上がろうとして、後ろに尻餅をついてしまう。老人は快活に笑った。

「はは!無理はしなくてもいい。回復するまでは……そうだな夕飯くらいは食べていきなさい」

 いえ、ホント大丈夫です。

 なんて言えるわけもなく、筒地が流されるままに頷くと老人は満足気な顔をして障子の向こうに消えていった。

 

 

 「主はマヌケだ!何故今代はこんなのが我の相棒になるのだ!」

 静寂が訪れた後に、涙混じりの怒声が障子を揺らした。北山天は今にも殴りかかっってきそうな顔で、筒地を睨みつける。

「待て待て、なんで怒る?」

「知るか、馬鹿ぁ!」

 右頬をぶたれた。返しの手の甲を防ごうとしたら、左頬に衝撃が走る。それも何度もだ。理不尽極まりない攻撃は傍から見れば駄々をこねる子供の手だが、そのどれもが筒地には防げないという達人の技だった。

「うがあ!」

「ふしゃあ!」

 これ以上叩かれては敵わんと霧崎は北山天の胴にタックルをかます。転ばせて寝技に持ち込み、単純な筋力の差で抑え込む算段だ。肋骨の終わりにぐるりと両腕を回して体重をかけて左に捻り落とす。

「ふふん!甘いわ小童!」

 微動だにしない。

 重量級のサンドバックに突進したかのように北山天の体は盤石だった。押しても引いてもびくともせず、ならば持ち上げようと踏ん張った瞬間、体を不意に捻られ、宙を飛んだと感じたときには背中から奥の襖に衝突する。

「きゃあ!!」

 襖の奥に控えていた女中の悲鳴もそこそこに筒地は跳び起きる。襖にぶつけた肩と腿と、叩かれ続けた両頬が痛い。

 絶対に許すものかと、北山天を睨みつける。なにをと、むこうも筒地を睨み返してきた。

 

「爺さま。本当にあれに頼るのですか?」

「仕方ない。あんなのでも戦えるようになってもらわねば困る。今のお前は内傷も癒えぬ身、到底戦場に立てんだろう」

「……、必要とあらば是非もありません。もっともアレにその覚悟があるとは思えませんが」

「アレか、覚悟があろうがなかろうが運命はあの子を選んだ。選んでしまったのだ」

「それは残念です。運命を決める神とやらがいるのなら文句を言ってやりたい。私は、」

 そこまで言って思いもよらず熱くなりかけたのか急に恥ずかしくなったのか娘は口を噤んだ。

「いずれにせよ。あの子はまだ、我らが守るべき一般人だよ。そうだな子供がバズーカ砲を持ってしまったようなものだ。練次君を守るのが主命であり、我らの役目だ」

「わかっています……、」

 否応もなく自分の娘は主命のために死地に向かうだろう。老爺は武士に覚悟をこの時代にもった孫娘を愛おしく思う。

 

「はあはあ……」

「ふふん、ワシを倒そうなぞ百年早いわ」

 息切れを起こして布団に倒れこむ練二とその上に座りこむ北山天。力関係がはっきりしたところでつと、部屋の隅に気配を感じた北山天は視線以外の一切を動かさずにそちらを視る。

(隠犬(いぬ)め。先ほどのからこちらを窺がっていたようだが、目的はなんだ)

 痛みのない電流が皮膚の下を走る。170センチそこそこの成長期の高校生が放つ殺気に百戦錬磨の彼の肌が泡立った。くるりと顔がこちらを向き、唇が動く。   

「「先日の礼を今しようか」」

 瞬間、一も二もなく男は逃げた。アレは冗談を言わないタイプだ。そう、口にしたことは即実行するような……、

「がっ」

 肺の空気が全部叩き出された。うつぶせに抑え込まれた背中は大型の猛獣にでも乗られたかのようにびくともしない。

「これは警告だ。ヌシの主に伝えろ。我らの日常を覗くなとな。ふん、侍しかり忍びしかりこの国は昔から犬ばかりだ」

 ギリギリと鍛錬をしらない細い指が容赦なく男の頸動脈を締める。うすれゆく景色の中で男はたしかに警告だと奇妙な感慨にふける。警告でなければ男の首は捩じり折られていただろうから。奇妙な納得とともにほどなくして彼は気を失った。

「うわ、わわわわわ……、お前これ、痛っ、体の節々が滅茶苦茶痛いっ!なんだこれ!?」

 会話が途中でぶったぎれて気が付けば足元でタクティカルな迷彩服の男がぶっ倒れている。というのが筒井の事後確認である。

「はははははははは!!ワシは主の実体を借りねば動けんからのう。ま、ワシ本来の動きを100とするならお主の体を借りての動きは40。全力疾走の馬に綱で繋がれて駆け比べをやってるようなもんじゃ、保つはずもない」

「そういうことじゃなくてなぁ……、」

 悪びれずに北山天はにんまりと笑う。

「ま、話を聞いてもらおうかのう。ほれそこの布団に寝転がれ、会話が途切れる前のようにな。主はなかなか座布団の素質があるぞ」

「たく、年寄は話が長くてやだね」「年寄りを敬うことをまた教えた方がいいのかのう……?」「さあ、座れ」

 所詮世の中は弱肉強食、支配する理は暴力。幼女の尻を背中に感じながら世の理を実感する筒地であったが、とにかく話が聞きたい。なんだっけ、

「お主の体を借りたい。といっても四六時中ではない。朝の鍛錬に3時間、夕の鍛錬に3時間程度じゃ。それから敵が来たときは完全に肉体の主導権をワシに任せて欲しい。

「24時間のうちの6時間か、」

「どうじゃ?」

 うーん、睡眠を7時間、食事風呂を3時間、復習に3時間使ったとして、ダメじゃん。

「見ての通り学生だ。学校にいくだろ?それがだいたい7時間だ。2時間足りないぞ」

「睡眠時間を削れ。真面目な話、そうでもしなければお主は死ぬぞ。一日五時間も寝れば十分じゃろ」

「仮に了承したとして、この生活はいつまで続くんだ?一生このまんまとか嫌だぜ俺は、」

「3年じゃよ。3年以内に片をつける。そしたらワシも消えよう。少しばかり受験勉強とやらに遅れが出るかもしれないが、なあに一浪くらいなら構わんじゃろ?」

「ううむ、」

 正直に言って悩む。順調に行けば人生は70年ほどあるらしいが、しかし筒地には3年の遅れが絶大なものに思えた。時間は二種類しかない。一つは原子時計が刻み、カレンダーが記す外部の絶対的な時間。筒地が死んでも変わることがない時間だ。それとは別の時間がある。筒地の中の時間だ。それは成長という形で外部の時間を追いかけるように過ぎていく。

 3年が過ぎる。外の世界に自分だけ置いてきぼりにされて、追いかけてく者にも溶け込めずにきっと自分は一人になってしまう。

 一人は寂しいんだ。

「のう、一人は寂しいんじゃ」 

 だから、きっと北山天の言葉は真実で、

「じゃー、二人で生きるか。3年と言わずに一生一緒だ」

 毒を食らわば皿までだ。きっと、こうするほかに成りようがないのだと筒地は了承した。きょとんと北山天があっけにとられたような顔をしている。手を顔の前で二、三度振ってみたが反応がない。ならば一発も反撃できなかったお返しに頬でもつねってやろうと手を伸ばす。

「なーにをふう、」

 うっとおし気に北山天の手が筒地の指を払った。本当にいいのかと聞かれそうなので、筒地は頬をつねられた北山天の反応に安心したかのように答える。

「うん、お前といると楽しそうだ」

 でも、これがおっさんだったら無視していたかもしれない。  

 

 ともかくここに契約は為った。あとは……

 

「というわけで、せっくすじゃ」

「いやあ、あのですねえ。そういう関係ではなくてバディとか相棒とかそういう関係清い関係が僕らの目指すべき関係ではないでしょうか?」

 ふふん、と北山天は筒地を鼻で笑った。む、として筒地は北山天の顔をにらみ返した

「違うのう、心得違いをするなよ小僧。戦闘においてはワシが主でヌシが僕じゃ。ワシが神でヌシが巫女と言えばわかりやすいかの?」

「分かるけど、それは神が男で巫女は女だからそういう表現もあるんだろ、俺は男でお前は女だ」

「ヌシにも穴はあるじゃろう?」

 心底ぶったまげた筒地は貞操と魂の純潔とアイデンティティを保護するために全力で北山天から距離を置く。その様子が余りに可笑しかったのか、10分ほどかけて幼女はかかと笑い、おびえる筒地の様子をたっぷり肴にした。

「ま、という冗談はさておき、同調律を上げるためにこれからは同じ飯を食い、同じ湯に浸かり、同じ布団で寝るぞ。流石に歯ブラシは共有せんがの」



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