ノリモントレイナー:輸送の生命 (だぶるすたぁ)
しおりを挟む

第1章:インターン篇
1レ前:かれらは、ノリモントレイナー


 車や船舶、電車に飛行機といった輸送具に宿る意識との意思疎通ができることが広く認識されるようになったのは、高度経済成長期のことだった。

 安全に乗り物を動かすという面においては、基本的に周囲を監視する目は多いに越したことは無い。ゆえに、少なくとも日本国内の事業に用いられる車両等においてはその発見から半世紀も経たぬうちにその導入が完了した。

 そして、人々はかれらの事を親しみを込めてノリモンと呼ぶようになったのだ。

 

 

 東京都は小平市の一角。

 ラッチと呼ばれる一種の結界を前にして、五人の男女がそのラチ内の様子をうかがっていた。

 かれらは、ノリモントレイナー。ノリモンと心を通い合わせ、その秘めたる力を引き出すという特殊な才能を有する者たちである。

 

「肩の力を抜きな、山根君」

 

 五人の中でもっともベテランの、早乙女さんは僕の肩をたたきながらそう言った。

 ……そうは言われても。

 

「初めてなんですよ、緊張しない方がおかしいじゃないですか」

「でも、すでにシミュレータでは何度でもやってることだろう? それと同じだ、難しく考えるな」

 

 早乙女さんはそう言いながら、半ば僕に見せつけるように――つまりは、僕がそうするのを促すように、チッキと呼ばれている水色の長方形のカードを取り出すと、それを掲げてラッチに押し付けた。

 

 その瞬間。

 ラッチに触れたチッキが赤く光り、早乙女さんを包み込む。それと同時にラッチの一部が裂けるように口を開け、彼をラチ内*1へと招き入れると、まもなく口を閉じた。

 そんな早乙女さんを見て、呆れたように口を開く人が二人。

 

「全く。アタシだって初めての集団演習の時は不安だったのに」

「リーダーの場合経験が長いから、もはや自分が初めて入ったときの事を覚えていないんだろうよ」

 

 そう言うのは僕より少し前にこのユニットに入ったという北澤さんと、紅の忍者装束を身に纏った成岩(ならわ)さんだ。

 二人は少しだけ前に進んで、早乙女さんと同じようにカードを取り出しはしたけれども、彼のようにはせず、一度立ち止まる。

 

「山根。誰だって最初は初めてなんだ。そういう奴をきちんとサポートするのも、先輩の役割ってもんだ。だから安心していい」

 

 成岩さんは爽やかな笑顔で、僕に左手を差し出した。

 

「ええ、その点はアタシも同意。それに、これはきっと君が思っているほど難しいものじゃないわ。だから今回実際にやってしまえば、次からはもっと落ち着いて構えられる筈よ」

 

 その反対側で、北澤さんが今度は右手をこちらに伸ばした。

 二人の間から、薄く発光するラッチを見る。この中に、先に入っていった早乙女さんがいて――そして、クシーさんがいる。

 

「行きましょう。リーダーを待たせすぎる訳にはいきませんから」

 

 後ろから声が聞こえる。この五人のユニットの最後の一人、佐倉さんだ。僕はその言葉を背に受け、右手に掴む水色の券片に刻まれたノリモンの名を頭に浮かべながら前へと進んだ。

 

(――力を貸してください、クシーさん!)

 

 チッキがラッチに触れる。黄色い光が僕を包み込んで、体が前に引っ張られる。

 次の瞬間、僕はラチ内へと入場していて、そしてその姿はラチ外でのそれとは大きく異なっていた。

 もともと黒かった髪の色は、西洋人の金髪とは明らかに異なる人間離れした黄色にかわり、ところどころ青いメッシュが走る。纏う衣装も、ポロシャツとチノパン、そして革の靴ではなく、黄色い全身タイツのようなものの上に、瑠璃色の機械のパーツのようなものが散りばめられている。

 そして、両手のグローブと鋼鉄の靴には大きく目立つ車輪。足元を見れば、僕はその車輪を線路に乗せて立っていた。

 

 そしてその変化は僕に限ったものではなかった。

 ラチ内で僕を待っていた早乙女さんは、全身を暗く落ち着いたシルバーのタキシード姿に。北澤さんは、オレンジの長い髪とロングスカートを靡かせ、その間のグレーで落ち着いたトップスとのコントラストが映える。逆に成岩さんは真っ白の白衣を外套のように纏いつつも、その内側の紺色のインナーにはところどころに黄緑色がアクセントとして目立つ。

 そして、最後に遅れて入場してきた佐倉さんは、北澤さんと似たような色遣いだ。大きく異なるのはボトムスで、真っ白なミニスカートが燃えるような赤のツインテールを一層引き立てて、アクティブな印象を見る者にあたえている。

 そして四人すべてが僕と同じように、車輪を持つ鋼鉄の靴に代表される機械的なパーツを身に着けているのだ。

 

 なるほど、これが。

 

「これが、トレイニング……!」

 

 そして、もうひとり。

 早乙女さんの奥にいるのは、黄色い体に瑠璃色のパーツ――つまりは、今の僕の姿と瓜二つ。

 トレイニングとは、ノリモンの力をその身に纏うこと。それゆえトレイニングしたノリモンと相似する姿へと変わるのは当然ともいえる。

 つまり、何が言いたいかというと……

 

「よろしくお願いします、クシーさん」

 

 いま、目の前にいるノリモンこそが、今まさに僕がトレイニングをしているノリモンであるクシーさんだということだ。

*1
ラッチの内側



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ中:走り出す準備はすべて整った

「さて、ユニットも全員揃ったみたいだし、演習をはじめようか」

 

 クシーさんは僕達五人を前にして、半透明状で部分により色の異なるシールドと呼ばれる球殻状の板を展開しながらそう言った。

 演習のルールはシールド戦。これは制限時間内に防衛側と共に移動するシールドを割りきれば勝利となるルールだ。ただし、シールドはそれぞれの部位の色毎に割ることのできる人が決まっていて、僕の担当は黄色いそれだ。また、防御側はシールドの色の分布を自由に動かすことができるので、攻撃側は割ることのできるシールドが露出しているところを狙わなくてはならない。

 そして、シールド上で各色が占める割合は、各色毎の残りの耐久値に比例する。つまり、攻撃を正しく当てれば当てるほど、その人は攻撃を当てるのがだんだん難しくなって、他の人は楽になる。

 

「制限時間はどうする?」

「10分だ、それ以上だと恐らく集中力が持たず無意味に体力を消費するだけになるだろうからな」

「セチ」

 

 インカムから流れてくるクシーさんと早乙女さんとのやりとりを聞きながら、演習に備える。

 足元の溝に靴の車輪を噛ませ、

 

「二十秒前」

 

 ブレーキパッドの空圧を強め――圧力ヨシ。

 

「十秒前」

 

 そして弱めて――緩解ヨシ、圧ゼロ。これで走り出す準備はすべて整った。

 

「開始」

「《ハイブリッド・アクセラレーション》」

 

 スタートからほぼ間もおかずに、シールドから青い色が消える。それと同時に隣にいたはずの成岩さんの姿が消えて、どこにいるのかと探してみれば、既に彼はクシーさんを挟んで向こう側まで移動していた。

 

「成岩より各局へ、シールド強度、推定最弱、オーバー」

 

 早い。速すぎる。

 彼の所属する青――ノーヴルの派閥は、いかにスピードを出すかという点を重視しているとの話は聞いていた。だけれども、実際に目の前で起きていたであろうことは、完全に僕の想像を超えていた。

 これに対して、僕やクシーさんの属する黄色――ロケットは安定した走りを重要なものとして考えている。だから、走りはじめてから時間が経つにつれて相対的に他と比べて優位に立つことができるが、走り出しでは他に、ましてやノーヴルになど絶対にかなわない。

 これが意味することは何か? それは、この演習において、圧倒的にクシーさんの苦手とする短期決戦が有利だということだ。

 だけれども。短期決戦が苦手なのはクシーさんだけに限らない。同じロケットの僕や、あるいはバランスの早乙女さんもその傾向がある。

 幸いにも成岩さんの情報によれば、シールドの強度は最低だ。これは正しくシールドに攻撃さえ当ててしまえば、どれだけ出力の低いものであろうとその色の耐久値を削りきってしまうことができるということ。

 

 ならば取るべき行動は、こうだ。

 僕はまっすぐクシーさんとその方へと駆ける佐倉さんたちを常に真左に見るように走り出した。

 視界の隅で、佐倉さんが双剣を振りかざし、北澤さんが舞うようにレイピアで突きを放つのが見える。

 だがクシーさんも負けてはいない。二人の攻撃に赤色のシールドを前面に出して攻撃を弾くと、すかさず足を払うように回し蹴りを入れている。

 だが、ここで赤のシールドを使ったのが仇となったようだ。横方向へと舞うように逃げた二人の奥から、早乙女さんが飛び出してそのシールドを割った。シールドは残り三色。

 

「山根、あれと似たような事をやってみな」

 

 反対側から逆回りにやってきた成岩さんは、そう言って僕とクシーさんとの間に遮るように割り入ってきて僕と並走しはじめた。

 

「いきなり無茶なことを言わないで下さい」

「無茶じゃあねえよ。クシー号のスタイルは遠距離攻撃だ。奴とトレイニングしているってこたぁ、似たようなスタイルになる、違うか?」

 

 俺はクシー号と何度か演習でやりあったことが何度かあるんだと成岩さんは続けて言う。

 たしかに、トレイナーの能力やそのスキルは、トレイニングしたノリモンのそれに大きく依存するものであることは間違いない。だけれども、当然トレイナー自身の経験や能力に依存する面も決して無視できるほど小さいという訳もなく、たとえば反応の速さや遠距離攻撃の正確性などはそれが顕著な例だ。そしてその二つというのは、今まさに成岩さんが僕に求めている事だ。

 

「俺はそれができない奴にクシー号がトレイニングを許すとは到底思えないがな。それにこれは演習だ、失敗してもやり直すことができるんだから、とりあえず一回やってみな。外したら別のプランも組み立てっから」

 

 これは確かに否定できない。

 実際、全てのトレイナーが全てのノリモンとトレイニングができるという訳ではない。まずトレイナーとノリモンの相性の問題が先にあって、ここが悪かったらそもそもトレイニング自体ができない。それに、相性が噛み合ってもノリモンがトレイナーを認めてトレイニングに必要なチッキを出さなければこれもまたトレイニングは不可となる。

 

「やってみます」

「いい返事だ。あの二人は攻撃の前に一度飛び上がる。それが合図だ」

「合図も何も見えないんですけどね」

「その兆候があれば見えるようにするから、いつでも撃てるようにしときな」

 

 右と左の掌を、少し離して向き合わせ、意識集中、力を溜める。

 暫くすると、間に小さな桜色の光が宿る。そしてそれは渦巻きはじめ、周りからエネルギーを吸収しながらだんだんと、少しずつ少しずつ大きな円盤へと成長していく。

 やがてその中央は球状にふくらんで、そのシルエットはまさに、銀河。

 

「来るぞ」

 

 その声とともに、僕とクシーさんの間を遮る成岩さんの白衣が取り払われ、視界には今まさに仕掛けようと飛びかからんとする二人と、それを防がんと黄色のシールドを動かそうとするクシーさんが映る。

 そして……クシーさんの向こう側の北澤さんと、目が合った、気がした。

 

「今だ、《桜銀河》ッ!」

 

 円盤の真ん中の球を掴み、クシーさんに向ければ、桜色の光が射ち出される。

 北澤さんと佐倉さんが、それぞれの得物を大きく振りかぶりながら飛び上がる。

 そして。

 二人の得物がまさに黄色のシールドに当たらんとした時。桜色の光が、《桜銀河》の煌めきが、その黄色のシールドを破壊し、二人の下を突き抜けた。残るシールドは二色!

 そして消えた黄色の部位には、緑と紫が回ってくる。北澤さんのレイピアと、佐倉さんの片方の剣が同じ場所に叩き込まれ、シールドから緑が消える! そしてシールドは全てが紫になり、残る佐倉さんのもう片方の剣によりそれが切断されて、全てのシールドがなくなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ後:キミならきっと上手くやっていけるよ

「やっぱりな。やればできるじゃねぇか」

「……たまたまですよ」

「謙遜するなって。……ほら、リーダー達のとこ行ってきな」

 

 俺はラッチ開けてくるから。そう言ってラチ外へと向かっていった成岩さんを横目に、僕は他のユニットメンバーのいるラッチのコア部へと走り出した。

 

 ★

 

「お疲れ、山根君。いい援護射撃だったぞ」

 

 僕が辿り着こうとするなり、早乙女さんは真っ先にそう声をかけてくれた。

 

「たまたま、うまくいっただけです。ああするようにってのも成岩さんの案でしたし」

「ほう? たまたま、か。どうなんだい?」

 

 目線を追ってみれば、その先にいるのはクシーさんだ。

 

「直近の山根クンの成績だと、2σ、つまり95%で1°の誤差だね」

「十分だな。私もたまに遠距離攻撃をする必要があって弓を扱うことがあるが、そんなに精度は出ない」

「同じ飛び道具だからって質量のないビームと比較しないでください……」

 

 風で揺らいだり重力で落ちたりしない分、弓矢や砲撃と比較すれば精度は高くなるのは当たり前だ。

 しかも、だ。1°もずれてしまうというのは、先程の条件では30m程離れていたわけだからおよそ0.5mのずれだ。クシーさんと逆側にこれだけずれれば、シールドにかすりすらしなかった訳で、その確率が95%もあるということは、やはりたまたまだったのではないかという疑惑は深まるばかりだと思う。

 

「本当にたまたまなんだって……」

「そこまで言うなら、今回はそういうことにしとこっか」

 

 そう割り入って助け舟を出してくれた北澤さんに、ジト目を向けているのは佐倉さんだ。

 

「誤解を放置するのは、良くないかと思われますが」

「誤解? いや、アタシが思うにこれはただのちょっとした認識のずれでしょ? そういうのは、場数を踏むのが一番だと思うの」

「……まあ、北澤君の考えも一理あるな」

 

 その早乙女さんの言葉に、佐倉さんの目つきは信じられないとでも言いたげなものに変わった。

 早乙女さんもその変化に気がついたのか、フォローを入れようとして、続けて口を開く。

 

「君の言いたいこともだいたいわかるが、私にも考えがある。とにかく、これからどうかよろしく頼むよ、山根君」

 

 差し出されたその手を握るのと同時に、ラッチが開いて頭上には青空が広がって、そして足元の線路が消えた。

 それを確認してから、僕達はトレイニングを解除した。

 

「山根クン」

 

 元の姿に戻った僕に、クシーさんが語りかけてくる。

 

「ユニットに入った今、正式にキミはボクの下での研修は終わり。これから先、いくつものノリモンやトレイナーとの出会いと、そして別れがキミに訪れることになると思うけど、そのどれもがキミにとっての糧となることを願っているよ」

 

 彼女はそうほほえみながら言う。

 ……でも。

 

「正直な話、ユニットの足を引っ張りやしないか心配なんですけどね」

「キミならきっと上手くやっていけるよ」

「いったいどんな根拠が……」

「根拠? そんなのボクがノリモンとしてトレイナーを認めるのが数年ぶりだ、ってのじゃダメかな?」

 

 その理由はずるい。客観的な事実でもあるし、なんなら僕から否定する材料を持ちようがないのだから。

 それに、クシーさんはかなり名がしれているノリモンであり、そもそも彼女とトレイニングをしたいと望むトレイナーも数多にいるのだ。そして彼女がそれを片っ端から断り続けているというのが、困ったことに僕の例の特別性を高めてしまっている。

 

「……逆にどうして、僕を、それもキールとして認めてくれたんですか」

「前にも言ったと思うけど、JRNにとってキミの力が確実に必要になる、そんな気がしたから」

「その理由がわからないんです」

 

 そう問うと、クシーさんの顔に少し影が差す。そして、

 

「ごめんね、今でもまだ言えないかな。でも、ボクから言わなくても、そのうちわかる時がきっと来る」

 

 と、いつも通りの答えになっていない回答が返ってくるのだった。

 

「わかりました。でも、いつか必ずその答えを見つけ出して、答え合わせをさせますから」

「ん、期待してる」

 

 そう言って僕は後ろを振り返ると、ちょうどラッチを開けてきた成岩さんが戻ってきて、ほかの3人と合流したところのようだった。

 その方へと歩きだそうとした瞬間、クシーさんから引き止めるかのように声がかかる。

 

「――あ、そうそう。これから先もノリモンとトレイナーとしての関係が切れるわけじゃあない。予め連絡さえくれれば、いつでもラボに来ていいからね」

 

 当然、トレイニングをしているうちに起きたことの知見や、逆にクシーさん側での活動でのそれは、共有しておいたほうがお互いにためになる。そういった面で、これからも定期的にクシーさんのラボを訪れることにはなるだろう。

 でも、その頻度はこれまでと比べると格段に低くなると思う。だって……。

 

「おーい、山根! 話は終わったかー?」

 

 成岩さんが僕を呼ぶ声が聞こえる。

 これからの僕の居場所は、クシーさんの下で研修をする見習いトレイナーではなく、このウルサ・ユニットなのだから。




【キャラクター紹介:#1】
山根(やまね) 真也(まや)
誕生日:10月14日
出身地:山口県
所 属:ロケット/JRNウルサ
キール:クシー

 JRNに所属して1年ほどが経ち、新しくウルサ・ユニットに配属された新人トレイナー。
 趣味はウインドウショッピング。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ前:リニューアル工事に付き、休業中

 ノリモンには、三種類の形態がある。

 一つ。ビークルモードと呼ばれる、最も原始的なノリモンだ。これはかんたんに言えば、意思疎通ができる輸送具のことである。これを実体が存在しないと見るか、あるいは輸送具自体がその実体であると見るかは専門家の間でも意見が別れており、現在でも活発な議論が行われている。全てのノリモンは、みな最初はこのビークルモードとして生を受けて、そしてその輸送具が役目を終えて解体されるのに伴ってノリモンは次の形態へと変化するのだ。

 二つ。ノリモノイドと呼ばれる、人型をしたノリモンだ。何故人型をしているのかは未だに明らかになっていないものの、人型をしているというだけで人間は親しみを覚えるもので、今ではすっかりノリモンと言えばこのノリモノイドを指すほどに浸透している。

 そして三つ。クィムガンと呼ばれる……近年の研究でノリモンの一形態であることが明らかになった、異型の存在。滅多に発生することはないけれども、発生すれば人間や他のノリモンに危害を与える事が多いので、このクィムガンの駆除は僕達JRNの重要な使命の一つでもある。

 

 とは、言っても。

 クィムガンが発生することは、実際そんなに多くはない。仮に発生したところで、その地域にいる事業者に所属するノリモンやトレイナー、あるいはたまたま近所にいた野良のトレイナーやノリモンによって即座に駆除され、JRNまで出動が回ってこないことがほとんどだ。

 

 では、クィムガンが発生していない間にJRNは何をしているのか? それを知るためには、JRNの担うもう一つの役割を知らねばならない。

 JRNは、ノリモントレイナーの養成機関であるのと同時に、ノリモンの関わる研究をする研究機関という面もあるのだ。

 

 ただ、僕は研究員としてJRNにいたわけじゃない。

 もともと僕はクシーさんに拾ってもらえるまでは、実戦経験のないトレイナー候補生として訓練や座学を積む傍らで、購買部の職員として働いていたのだ。

 クシーさんとの本格的な研修はほぼ毎日行われるほどの忙しさで、ここ数ヶ月はお休みをいただいていた。だが、それも終わった今、ユニットの定期的な活動は週3とそこまで多くはないのだから、そっちの仕事にも復帰すべきだろう。

 

 そう思って購買部の前に辿り着いた僕は、そこに貼られていた紙を読み上げて困惑していた。

 

「リニューアル工事に付き、休業中……?」

 

 なんてこった。

 たしかに研修で抜ける前から、そのうちリニューアルをしたいだとか、そういった話は出てはいたけれど。

 告知の紙が出された日付を見れば、リニューアルに入ったのはつい一週間前で、見た感じまだ工事も始まってはいない。そしてリニューアルオープンは「今秋」と記されており、だいぶ先の事だった。

 あれ、当面の僕のユニット以外での居場所、どこ……?

 

 ★

 

「ってことがあったんですよ……」

「そりゃ災難だったな」

 

 あの後、店長と連絡を取ろうともしたけれど、事務の方で確認をしてみれば店長は休暇をとっているらしく連絡がとれない。

 そうして事務室の前で途方にくれていたところで、ちょうど通りかかった成岩さんに拾われて、こうして食堂で相談に乗ってもらっている。

 

「にしても意外だな、クシー号のとこの研究員じゃなかったのか」

「逆にそっちはそうなんですか」

「あぁ。うちは基本的に独立するまでは最初の担当のとこのラボにいる慣習だな。サイクロやバランスもそうだと聞いてたから、どこもそうなんだと思っていたが」

「ロケットはいろいろ特殊ですから……」

 

 そもそもロケットの派閥は、研究ではなく事務的な仕事をしてJRNに貢献している者が他と比べて突出して多い。どの派閥も所属するノリモンやトレイナーの数はほとんど変わらない筈なのに、だ。現に今のJRNのトップにいてバリバリの事務処理をこなしているトシマさんだってロケットのノリモンだし。

 むしろロケットの中じゃ、きちんと研究をやっているクシーさんの方がレアなくらいなのだ。

 

「まあでも、店長だって休暇を取ってるんなら、山根も何もしないでいていいんじゃないのか?」

「確かにそれはそうなんですが、何というか、こう……。駄目だ、上手く言葉にできない」

「なんとなくわかるような気はするが……。ならば、クシー号のラボの手伝いとかは」

「話が難しすぎて全くわかりません」

 

 担当が決まってすぐの頃は、将来的にそうなると思って過去の論文とかを読んでもみた。でも、きちんと細部まで読んでみればかろうじてわかるのと、何度読み返しても出てくる単語の意味すらわからないのとが半々くらいで、これは無理だなと悟るのに時間はかからなかった。

 そのことを正直に話すと、

 

「……お前、初学者だろ? 半分も分かれば十分じゃないか?」

 

 と想像してもいなかった言葉が戻ってくる。

 半分で、十分……?

 そう困惑している間にも、成岩さんは続けて持論を展開してきた。

 

「あのな山根、研究者ってのはな、未公表のものなら話は別だが、たいがいは自分の研究成果を知ってもらいたいと考えるものなんだ。初学者がまだ理解に至っていないでも理解しようとしてくれることを、歓迎する研究者はいても、迷惑だと思う奴はそうそういないだろうよ」

「そうなんですか?」

「じゃなきゃなんで研究を発表するんだよ、チラシの裏にでも書いて終わりさ」

 

 ピピピピピピピピピピピピピピピピ……。

 突然、成岩さんのポケットからけたたましい音が鳴る。

 

「悪ぃ、電話だ」

 

 成岩さんはそう言い残して一旦席を離れる。

 ……言われてみればたしかにそう、なのか?

 でも、仮に自分が研究をするとして、助手としてほしい人材は、間違いなく初学者ではなく経験者だ。

 そう一人で悶々としている僕の思考は、10分弱ほどして戻ってきた成岩さんによって遮られたのだった。

 

「なぁ山根。この後どうせ暇だろ?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ中:あのね、それは拉致だよ

 成岩さんに連れられて辿り着いた先は、7号館という建物だった。彼は入口脇のリーダにIDカードを読ませて入口を解錠すると、僕を中へと招き入れた。

 

「あの、ここって……」

 

 この7号館は、巷ではノーヴルの城と呼ばれているほどに、ノーヴルのラボが多くある建物だ。

 そしてノーヴルのトレイナーである成岩さんによってここに連れてこられたという事が意味する彼の目的地は、よほどの莫迦でない限り察することができるだろう。

 

「もちろん、俺のいるラボのある建物だが?」

「僕はロケットですよ?」

「ロケット以前に同じJRNで、ウルサ・ユニットのメンバーだろうが。それにな、お前がなんかやらかしたら招き入れた俺が責任を取るだけだから、とりあえず俺についてきな」

 

 そう言うと彼は入口脇の階段を登り始めた。僕もそれに続けていくつか階を上がる。そして薄暗く静かな廊下を進むと、彼は一つの部屋の前で立ちどまると、扉を開けた。

 

「入りな」

 

 その言葉に促され、おそるおそる足を踏み入れると、そこにいたのは白衣を纏い、グレーの縁に緑のつるの眼鏡をかけた若い男だった。

 いや、違う。

 少し目線をずらせば、彼の髪の色が目に入る。それは老人のそれとも異なる異質な白に、前髪だけは深い海のような紺色――つまり、ノリモンだ。

 

「あぁお帰り成岩くん。……で、彼がそうかい?」

「あの電話の後で他に誰を連れてくるんだ?」

「一応の確認に決まっているじゃあないか。おっと、自己紹介が遅れたね。どうもはじめまして、イノベイテックでございます。長い名前なのでみんなからはべーテクと呼ばれているよ」

「はじめまして、僕は山根真也と言います」

「君のことはねぇ、まあ成岩君から聞いてますよ、なんでもスジのいい新人がユニットに入ったとかでねぇ。嬉しそうに話すんだもの」

 

 成岩さんがわざとらしくした咳払いの音が聞こえる。

 その情報を聞かれたくなかったのだろうか?

 

「立ち話もなんだ、奥に入りな」

「ちょっと成岩くん、まだ僕が話してる途中」

「ドアも閉められない状況で長話をするのは普通に近所迷惑だろうが」

 

 これはこれで正論である。

 この廊下、足音ですら結構響いていたし。

 これにはべーテクさんもなにも言い返せなかったようで、無言で僕を招き入れると、長机を4つ並べて一つの大きな机にしてある区画へと案内してくれた。

 

「さて、山根くん。君のこれからのインターンのことだけど」

「ちょっと待って下さい、インターンって一体何です?」

「……おや?」

 

 そんな話はまったく聞いていない。

 そう思って左にいるはずの成岩さんの方を向こうとしたとき、同時に立ち上がったべーテクさんの眼鏡の奥の桃色の目が、比喩ではなく光るのが視界に入った。

 

「おやおやおや? 成岩くぅん? どういうことだい、これは?」

「……俺の独断で、彼を連れてきました」

「事前に本人の同意は取りなさいよ。あのね、それは拉致だよ! なんでそれでいいと思ったんだい? 君は今晩、試作品のテストで武蔵野線一周だよ、いいかい?」

「承知です、備えます」

 

 そう言うと彼は僕を置いて退室してしまった。

 

「すまないねぇ、まさか本人に話しもせずに連れてくるなんて思いもしなくて」

 

 べーテクさんは苦笑いをしながらそう言った。

 でも、普通の感性を持っているなら、何も知らない人を連れてくることを想定しろって方が無理だと思う。

 そしてこれに関して言えば、ホイホイついていった僕も僕で悪い点がなかった訳じゃない。そこは反省すべき点だ。

 

「一応聞いておきますけど、インターンってどんなことをするんですか?」

「まさかとは思うけど、君にその説明すらせずに連れてきたっていうのかい? 逆に君が何を聞かされてるのか気になるじゃないか」

「何一つ聞かされてないです。この後どうせ暇ならついて来い、とだけ」

 

 べーテクさんの苦い顔が、さらに強くなる。

 そして一旦俯いて頭を抱えると、再び顔を上げたときにはニュートラルな顔に戻っていた。

 

「こっちからこんなことを言うのも何だけど、そんななのに話を聞いてくれるのかい?」

「実際ユニット以外でやることがないのは事実ですし……」

「分かったよ。インターンでどんなことをするか、だね? 僕達がねぇやってるのは、理論から実験まで幅広くやってる訳だけど、かんたんに言っちゃうと足し算なんだよ」

「足し算、ですか?」

「うんうん。もうちょっと詳しく言うとねぇ、複数の要素を同時に与える事で起きる事象の研究さ。たとえばだよ、車輛のノリモンやトレイナーが走るとき、足の車輪を回転させる力と、そもそも足を動かして大地を蹴る力が両方はたらいてるじゃない? 一番速く走るのに、それをどうやって組み合わせるのか、とかね」

 

 あれ、なんか意外と普通の研究をやっているぞ。結局は速く走ることの目的に到達するのは流石はノーヴルらしいといえばそうだけど。

 

「理論の構築なんかは数か月じゃ無理だから、やってもらうことって言えば実験の補助、たとえば新しく作った試作品に換装して走ってもらったり、あとは計測したデータを分析しやすいように整理をしたりとかだね。一応今すぐにでも受け入れることもできるよ、君が望むならね。どうするかい?」

「……流石に今すぐの決断は難しいので、回答を保留させて頂いて大丈夫ですか?」

「もちろんだとも。連絡先も渡しておこう。期待はしていないけれどもね」

 

 まぁ、正直暇なのは事実だし、お世話になってもいいかな、と考える自分もいる。

 それに、どちらにせよ成岩さんとは同じユニットメンバーなので、彼や彼とトレイニングしているべーテクさんとは、この件がなくとも付き合いが発生することは間違いがない。

 ただ、僕としては自分の持ち合わせているものさしだけでは判断するに至らない、つまりはこういう話をそもそも受けるべきなのかという情報自体を持っていない。とりあえずは、結論を出すのは明日のユニットの定期の集まりで第三者の意見も聞いてからでも遅くはないだろう。

 

 そう考えながら、僕は7号館を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ後:悪気はたぶんないだろうが莫迦だ

 翌日。

 ウルサ・ユニットの部室に行くと、成岩さんが愉快なことになっていた。

 

「つんつん」

「うごぁっ……! おいこら佐倉テメやめろって」

 

 そううめき声を上げながら成岩さんはカーペットの上をのたうち回っている。

 なにがあったのかを知っている身としては、正直どう反応するべきか分からない。

 ……あ。また佐倉さんがふくらはぎをつついてる。

 

「おはよう山根くん。見慣れないと驚くかもしれないけど、アレはいつものことだから気にしなくて平気よ」

「いつものことなんですか……」

「月に一度はあぁやって死んでるのよね」

 

 ってことは毎月武蔵野線を一周走らされているんだろうか。かわいそうに……。

 

「山根ー! なんか勘違いしてるようだが毎月走らされてるわけじゃそげぷ

「つんつーん」

 

 悪魔だ。このユニットには悪魔がいる。

 これは止めた方がいいやつなんだろうか。でも北澤さんも放置してるしなぁ……。

 

 そうしてしばらく二人で二人を眺めていると、遅れてやってきた早乙女さんによってそのやりとりは中断させられた。

 

「そこで死んでる莫迦は置いといて、定例会を始めるぞ」

「莫迦言うな」

「今朝方な、イノベイテック号からメールが届いていたんだ。今日いっぱい使い物にならんかもって、その成り行きから全部報告と謝罪のな。だから言おう、悪気はたぶんないだろうが莫迦だ」

 

 早乙女さんの容赦のない言葉が成岩さんを襲う。

 流石に成岩さんもこれには返す言葉を用意できなかったようで、無言で屈伸を数回したあと、体中を小刻みに震わせながら椅子にかけた。見るからにとてもつらそうだ。

 

「とりあえず報告から。山根君のユニットへの加入が正式に受理されたとの連絡があった。これに伴って、このユニットは全ての派閥に属するトレイナーが再び揃ったことになる」

「ってことは……!」

「あぁ。ウルサ・ユニットの本格的な再始動だ」

 

 JRNの規定では、各ユニットは五つ全ての派閥のトレイナーが所属していなければならない。もちろんこのような規制が敷かれているのには訳がある。シールドだ。

 各ユニットは、クィムガンがどの色のシールドを出していても単独で鎮圧できることが求められている。ノリモンはラッチを越えることができないから、それには全ての派閥のトレイナーを集めるのがいちばん手っ取り早いのだ。多くのトレイナーは、そのキャリアを重ねるにつれて別の色のシールドにも対応できる手段を得るのだけれど、たぶんそこまで管理するのがめんどくさいんだと思う。

 これは決して名目的なものではなく、実際に各四半期末のチェックで欠員があれば活動は一部制限される。そして連続して3回以上の欠員があったら、そのユニットは強制的に解散となってしまう。実際、毎年少なくない数のユニットがこの取り決めによって解散させられてしまっている。その分、新しいユニットも結成されるので総数はおよそ70程度のまま大きく動くことはないのだが。

 僕の入ったウルサ・ユニットも、数ヶ月前に前任のロケットとパレイユのトレイナーが独立してからは、解散の危機が迫っていたらしい。そこで、間もなくトレイナー資格を正式に得る北澤さんや僕を青田買いして接触してきた、というのが僕がこのユニットに入ることになった経緯だ。

 

「北澤君や山根君にとっては、これから初めての正式なユニット活動に携わることになる。慣れないことも当然たくさんあるだろうが、私達三人で可能な限りサポートしていく」

 

 そう早乙女さんは言うけれど。

 うち一人を見る。体中を小刻みに震えさせて痛みに耐えている。

 他の一人。その隣で突っついて遊んでいる。いい加減やめてあげようよ……。

 

「「不安しかない……」」

「あー、気持ちは分かるが二人とも優秀なトレイナーなのは確かだから、その点は安心していいぞ」

「そうだぞ」

 

 そう言って親指を立てる成岩さんの腕はプルプル震えていた。本当に大丈夫?

 

「それは置いといて、だ。想定よりはやくこれが受理されたから、うちも後期だが夏の合同宿泊研修へ参加できることになった。時間もないので今日中に決めてしまいたいのだが」

「俺は参加しないという選択肢はないと思う」

「私も右に同意します」

「普通に考えて新人の二人の意見を聞きたいってことは分からないか?」

 

 この二人やっぱ駄目では?

 まあ、それそうとして。合同宿泊研修か。ユニットに入ってる購買部の先輩達が参加しているのは知っていて、その中で起きた断片的なエピソードとかはいくつか聞いたことがあったけど、そのものが具体的にどういうものなのかはそういえば気にしたことがなかったな。

 

「その……合同宿泊研修って、何をするの?」

「合宿ってのは、基本的にはユニット対抗戦の連続さ。つってもこの前みたくクィムガン役のノリモンとの模擬戦だけじゃなくて、半分はレクリエーションみたいなもんだ」

 

 つまり残りの半分はガチなやつということだろう。

 それにレクリエーションというのも、こういうのはユニット内での団結力を高めるためだとか、そういった理由がつけられていそうな匂いがする。

 でも、このユニットでしばらくやっていくことを考えたら、横の連携をうまくできるようにすべきなのは事実だ。参加したほうがいいだろう。

 

「僕は参加したいです」

「アタシも参加で」

「分かった。じゃあ事務方には参加で話をつけておく。他に議題がある人はいるか? いないなら訓練にしようか。……あ、そうだ、山根君」

 

 事前にグループチャットに貼られた予定表を見て、訓練に向かおうと部室を出ようとする僕を、早乙女さんは呼び止めた。

 

「はい?」

「君は迷ったときに決断を伸ばす癖がある。悪いとはいわないが、ロケットの者によく見られる傾向だ。だから例えばノーヴルみたいな、決断の早い文化には触れておいたほうが君の為になるはずだよ」

 

 ああ、そうか。

 べーテクさんから早乙女さんには話が全部行っていたんだっけか。

 

「前向きに、検討します」

「ああ。どうするかは君の自由だ」




【キャラクター紹介:#2】
成岩(ならわ) 富貴(ふうき)
・誕生日:2月22日
・出身地:愛知県
・所 属:ノーヴル/JRNウルサ
・キール:イノベイテック

 ウルサ・ユニットに所属する中堅トレイナーで、情報の収集と分析が得意。
 いつも忍者装束を纏っているため忍者の末裔ではないかと噂されている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3レ前:来てくれて嬉しいよ

 7号館の入口で、べーテクさんは待ってくれていた。

 

 早乙女さんの助言の後、一晩考えてみた結果として、僕はこのインターンに参加することにした。やはりロケットが特殊な派閥で、他の文化に触れておくことは重要だと思ったのと、JRNも派閥を超えたインターンを慫慂していたことが僕の決定を後押ししたのだ。

 そしてその連絡を入れてから直近のコアタイムに、僕は再びここを訪れたのだった。

 

「待っていたよ山根くん。来てくれて嬉しいよ」

「これからしばらく、お世話になります」

「こちらこそ宜しく頼むよ」

 

 と、いうことでべーテクさんのラボまで来たのだが。

 

「ねぇねぇお兄ちゃん! トレイナーなんでしょ? ポラリスとトレイニングしよ!」

 

 ラボに入った瞬間、僕を出迎えたのはポラリスと名乗る、小学校高学年から中学生くらいの女の子だった。

 なんでこんな研究機関に女の子が!? という僕の疑問は、彼女の発言内容からすぐに解決した。この子、ノリモンだ。

 

「あっこら! 突然困らせるようなことを言わない!」

 

 少しフリーズしていた僕の横で、べーテクさんは彼女を引き剥がしながら、僕を部屋の奥へと案内してくれた。

 

「あの、べーテクさん、この子は……」

「僕の妹分のようなノリモンだよ」

「はじめまして! ポラリスです!」

 

 なるほど、妹分。

 たしかに、色合いこそ少し違うけれど、シルバーの髪で前髪に青いメッシュが入っているのはどこかべーテクさんと似た印象を与えている。

 それにしても。ここまで幼い姿のノリモンって、初めて会った気がする。ノリモンの外見は人間で言うところの所謂青少年にあたるくらいだといわれているけど、目の前にいるポラリスちゃんはその下限ギリギリくらいだ。

 そんなことを考えていると、この騒ぎを聞きつけたのか、奥からもうひとり、こんどは逆に体の大きな人影が。

 

「その方がインターンのトレイナーさんデスか?」

「あぁアドパスくん、おはよう。お察しの通りさ」

 

 いや、デカい。

 ただでさえ物理的に色々と大きいのに、髪の黄色いインナーカラーがその存在感を更に強調しているようで、それはもう部屋が一回りどころか二回りほど小さくなったんじゃないかと錯覚してしまう。小柄なポラリスちゃんと並ぶと、遠近感がバグって脳が現実のものとしての受け入れを一瞬拒否するレベルだ。

 この凹凸コンビと成岩さんとを合わせた4人でべーテクさん達は研究をしているとのことだった。

 

「そういえば成岩くんはどこだい?」

「まだ倫理研修の最中じゃないデスか?」

「あぁそうだった。タイミングが悪いなぁ……。まぁ彼は知ってるからいいか」

 

 何というか……研修に突っ込まれるスピード感といい、実にノーヴルらしいなぁ。

 噂に聞いていた、ノーヴルの派閥はあまりにも衝動的に突拍子もないことをよくやるので、過ちをおかすことの無いよう倫理に関してはとても厳しいというのは、どうやら本当のことらしい。僕はそもそも実行に移す前にじっくり考えればいいんじゃないかと思うんだけどね。

 

「では改めて紹介しよう。このトレイナーが今日からうちで受け入れることになった山根くんだ」

「山根真也といいます。所属はロケットですが、成岩さんと同じユニットにいる縁でこちらにお世話になることになりました。よろしくおねがいします」

「よろしくね!」

「よろしくデス」

 

 それから僕達はインターンに関わるちょっとした事務的な手続きをしたり、グループチャットの招待を受けたりしてから、早速実験をすることになった。正確に言えば実験をするにあたって必要なデータの収集らしい。

 やってきたのは鉄輪周回試験線という、JRNの施設をぐるりと囲むように敷かれている、一周が3.6kmの線路だ。

 

「早速だけど、僕は君の速さが知りたい。それがわからなきゃ何もできないからね」

「つまり、走れってことですか」

「それ以外に何があるというのかい? トレイニングをして、試験線を5周周ってこの位置で停止だ」

「わかりました」

 

 鉄輪シューズに履き替えて、懐からチッキを取り出して天に掲げる。黄色い光が僕を飲み込んで、次の瞬間黄色い体躯がそこに現れた。

 べーテクさんが体中にセンサーをペタペタと貼り、そこから伸びるケーブルをヘルメットに貼ったアンテナに繋ぐ。これで僕の走行中の情報が随時セルラー通信で送られるらしい。

 そして、僕は実験線に入り、線路に足を乗せた。左に彼の合図をみて、僕は線路を蹴って車輪を回し始める。

 はじめは空転しない程度に太いトルクで車輪を回しながら、すばやくレールを蹴って加速する。そしてスピードに乗ってきたらこんどは車輪の回転速度を徐々に上げつつ、後ろに蹴る足の上に重心を交互に寄せながら力強く踏みしめる。このスピードスケートのような動きが、ノリモンやトレイナーにとって最も効率よく走れるフォームだ。

 そうしてしばらく加速したところで、僕は加速するのをやめて、車輪のノッチを切った。足の動きは速度を落とさない程の度ゆっくりとした動きにかわる。

 

 これ以上僕が速度を出せないという訳では決してない。でも、残念ながら、この試験線は速度を出すのに向いているとはお世辞にも言いがたい。限られたJRNの敷地の中につくられたこの試験線は、曲線半径を300m確保するのがやっとだった。

 遠心力は曲線半径に反比例する。これはどのような物体であっても、曲線半径が小さくなれば小さくなるほど、同じ速度でも横にかかる力が大きくなることを意味する。鉄道の場合、重心からその力と重力の合力が2本の線路の外側に出てしまうと、脱線という重大インシデントの原因となってしまうのだ。

 もちろん、ノリモンやトレイナーでもそれは同じ。鉄道車両と比べれば重心の高さが低いとはいえ、限度というものがある。ゆえに、全速力で走ることは能わないのだ。

 

 そうして実験線を5周周って、開始地点で線路を降りた僕に、べーテクさんは予想だにしなかった言葉を投げかけた。

 

「お疲れ様。事前の予想よりは早いけど、やっぱり、遅かったねぇ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3レ後:ようこそ、僕達のラボへ

「どういう事ですか……?」

「そのままの意味さ。ただ、勘違いしないで欲しいのは、君がノーヴルではないという条件の下ではこの10分7秒というタイムも十二分に早いというのも事実だということだ」

 

 それは褒めてるのだろうか? 正直いい気はしない言い回しだ。

 

「さて、君の走りを分析しようか。加速と減速、この2つは非常にスジがいい。そして走行の安定性については非の打ち所がないレベルだ」

「そりゃどーも」

「怒らないでくれたまえ、今はまだ単純に褒めてるんだぞ?」

 

 なんでそういちいち脊椎を羽毛で撫でるような言い回しをするんですか?

 そんな僕の心情をよそに、べーテクさんはラップトップコンピュータの画面を指さしながら言葉を続ける。

 

「足りてないのは、最高速度だ。130しかでていない」

「……無茶を言わないでください。あれ以上出したら脱線しますよ」

 

 そもそも、曲線半径が300のカーブの制限速度は65キロ毎時だ。その倍も出せばそれはもう十分攻めている走りといえるんじゃないだろうか?

 

「脱線? 車両ならともかく、トレイナーの君が脱線したところで君のからだはシールドに守られているだろう?」

 

 その言葉を聞いたとき、僕の怒りの感情は、スカッと変異をとげた。

 ああ、なるほど。

 正直覚悟はしていた。していたけれどその想定が足りていなかったようだ。

 僕とべーテクさんは、いや、もっと言えばロケットとノーヴルは、根本的な考え方が全く違う。ロケットはあらゆるリスクをほとんど許容しないが、ノーヴルは小さなリスクを許容する。これは恐らく、他の派閥もそうで、そしてロケットの研究者が少ない理由だ。研究をする上で、リスクというものはつきものなのだから。

 なんだろう、もう笑いしかでないや。

 

「どうしたんだい山根くん。突然笑いだして」

「いや、一日目にして全然違う世界にいるという重大な気付きを得ることができたので。もう一回走っていいですか? 今度はノーブルのルールで走りますから」

「……なるほど、許可しよう。ちなみに僕が想定してるタイムは」

「言わなくていいです。目標にしてしまうので」

「ふぅん。まぁそれも一興」

 

 二回目。今度はどこまでもどこまでも加速する。遅い来るr300の横Gは、カーブの内側、左の線路の上に重心を置いて、右足をピンと伸ばして右のレールを掴んで耐える。この半径300mのカーブの場合、物理的には重心高さ1.6mの空載の鉄道車両だとおおよそ130キロメートル毎時を越えると脱線してしまうという。床下の軽い付随車*1や、床上が重くなる満員電車だとさらに重心の高さが上がって脱線しやすくなってしまうので、実際はそんな速度を出すことはまずない。逆に身長が1.7mの僕の場合、重心が低いからその1.5倍強は出せるはずだ。

 そして、5つ目のカーブを曲がるころ、速度は200キロに到達。でも、まだいける。根拠はないが、そんな感覚がした。6つめのカーブ。フランジがレールに強く打ちつけられて火花が散る。7つめ。左脚がわずかに浮き上がる。これ以上は危険だ!

 

 維持すべき速度は掴んだ。ならば残るはブレーキだ。加速をして、その速度を維持するのは莫迦でもできる。でも止まるのは違う。定められた位置に止まることができて初めて、一人前のトレイナーなのだ。

 そして正しい位置に止まるためには、早めに強いブレーキをかけ始め、時間が経つに連れてブレーキを緩めて制動距離を伸ばして微調整するのが教科書通りの方法だ。

 でも、今回は別の止め方にチャレンジしてみよう。それは即ち、最大制動力で停止まで持っていくという極限まで攻めたブレーキ。

 鉄輪を強く線路に押し付けながら、車輪につながるモーターを、バッテリーユニットに逆向きに繋ぎかえる。すると速度を上げるための機械はたちまち速度を奪うものに変貌する。体が前方に飛び出そうとするのをぐっとこらえ、最後の20番目のカーブを曲がり、そしてブレーキ圧を込めて……走り出した場所で、速度が0になった。

 ブレーキ圧を抜き、線路を降りる。そこにはべーテクさんの他に、倫理研修から戻ってきていた成岩さんがラボに残っていたはずのふたりをつれて合流していた。

 

「お疲れ山根。いい走りだったぞ」

「かっこよかったよー」

 

 山根さんとポラリスちゃんの声は聞こえている。けれど、反応することができなかった。僕の意識は、その先で画面に目を向けている彼に向いていたから。

 

「べーテクさん」

「記録は6分43秒。想像以上だよ」

 

 その言葉を聞いた時、プツンと糸が切れるように全身の筋肉が緩む。すかさず成岩さんが受け止めてくれたので、幸いにも地面に激突はしなかった。

 

「タイム、いくつを想定してたんですか」

「7分半を切れば上出来だと思っていたさ。今となっては言わなくてよかったと思っているよ、君の言った通りね」

 

 まだ言うことをあまり聞かない左腕で、僕は小さくガッツポーズをした。

 そんな僕に、べーテクさんはラップトップを鞄にしまって、手を差し伸べて呼びかけた。

 

「山根くん。ようこそ、僕達のラボへ」

 

 僕は彼の手を取り立ち上がった。続けて後ろから拍手の音が聞こえる。

 

「ミーたちはあなたを歓迎しマース!」

「これから、よろしくね!」

「そして、だ。強引に引き入れようとた俺が言うのも何だが」

 

 拍手の元であった成岩さんたちは、そう言いながらべーテクさんの横に並んだ。

 

「「「「ようこそ、ノーヴルへ」」」」

*1
駆動軸のついていない車両の事



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回3レ:それぞれの思惑

 JRN3号館は3階、第3コミュニケーションルーム。

 

「それで、彼はどうなの?」

 

 暗い部屋の中、この部屋にいる者のうちのひとりが口を開いた。

 

「……ノーヴルにしてやられました」

「へぇ。せっかく工事業者をふっかけてこのタイミングで追い出したのに」

「ごめんなさい、ナリタお姉様」

「いいのいいの。やっぱノーヴルはこうでなくっちゃね。それにね、この仮説を立証するのは別に私達じゃなくても構わない」

「つまり、ノーヴルにやってもらおうと?」

「そうそう。アイツら動きがはやいから、私達が直接やるより早く結果が出ると思わない?」

「……しかし、私には彼らがそれを確実に行うという確信が持てません」

「だ、か、ら。できる限りでいいから、この計画が進む方向に誘導しておくのもお願いね。そのためにも、彼に怪しまれないようにするのと、次の段階のために良好な関係を築いておくのもね」

「承知しました」

「それじゃがんばってね、サクラちゃん」

 

 ★

 

 JRN7号館。2階、事務室。

 

「まったく、なんでこうも事務仕事ばっかり貯まるのよ」

 

 その人影は書類の山を高速で処理しながら、愚痴を溢していた。

 

「文句言わないでくださいよ、春なんですからどうしても仕事は増えます」

「だいたいなんで3月から4月にいろんな変更が重なるのよ、その理由ができ次第すぐに変えてしまえば、こんなに忙しくなることもないですわ」

「コダマさん? 毎年毎年忙しくなるのがわかってるのなら一時的でも誰かに手伝いを要請すればよいかと思われますが。それでも人員を増やすのを拒んでるのはあなたはないでしょうか?」

「そりゃまあ忙しいから文句は言うけど、一人でも頑張りゃ回るもの。そもそも今までに愚痴をこぼしたことはあっても、クミに手伝いを要請したことがどれほどあります?」

「……確かに、私の記憶にはありません」

「これで実際に手続きの遅れが出るようになったらその時また考えますわ。……ん?」

 

 処理をしようとした1枚の書類に目をとめる。

 

「どうかしました?」

「いや、このインターンの届出よ。べーテクのとこ、結局来てるのね」

「え? 先程あそこのトレイナーにそのことで倫理研修をしてきたばかりですが」

「それに、この名前どこかで見たような気がするんですわ……」

 

「……あぁ、思い出しましたよ。これは楽しいことになりそうですわ」

 

 ★

 

 JRN9号館、地下3階。演習スペース。

 

「美しいものは、強い。美しいものは、速い」

 

 広くも静かなこのスペースの真ん中で、ふたりは向き合っていた。

 

「最も美しい技は、最も美しい道を示してくれます」

 

 人影の片方は、スモールソードを構えた。ぽわり。その剣先に淡い桜色の光が宿る。

 

「これから貴女に最も美しい奥義を授けます」

 

 剣先が桜の花びらを描くように舞い、軌跡が宙に残る。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、そしていつつ。軌跡が閉じれば、その内側に光は染み込み、そして桜の花が開く。

 そして……剣を前へと差し込めば、その花は鍔となり、刀身は力強くも美しく桜色に輝いている。

 

「いいですか、百合。この技を誰か、あるいはその何かを傷つけるために用いてはなりません。そうすればこの技は醜いものへと堕ちるでしょう」

 

 その言葉と同時に、桜色の光は砕けるように崩壊して消え去った。

 

「美しくありなさい。そうすれば道は開きます。美しくありなさい。そうすれば解決します」

 

 ★

 

 JRN5号館、1階。剣道場。

 

「1! 2! 1! 2!」

 

 そこには肘をまっすぐ伸ばしたまま木刀で素振りをする男の姿があった。

 そして、今、もうひとり剣道場の中に入る者の影。

 

「精がでてるねぇ」

「……いたのか。覗き見とは趣味が悪いな」

「まさか。ちょうど着いたばっかさ」

 

 そう言うと彼は持っていたスポーツドリンクを投げる。

 

「差し入れだよ」

「悪いな」

「俺とお前の仲だろうが。何十年一緒にやってきたと思ってる」

 

 男はすぐに答えを返さなかった。迷いがあったからだ。

 一口だけ飲み物を口に含んで飲み込んでから少し間を置いて、決断したかのように口を開いた。

 

「……私は正直、君たちが羨ましいよ」

「どうしたんだい、いきなり」

「ノリモンは生物と違って、老いることはない」

「セルフメンテナンスをサボるとすぐに体が朽ちてしまうぞ?」

「それは生物だって同じじゃないか」

「生物のほうがはるかに頑丈だよ。怪我しても勝手に治るし」

「そうかな」

「……おい、まさか」

 

「そのまさかさ。私もそろそろ退く時が来た。もはや私は、かつて程の力を出すことはできない。既に友が同じフィールドを去った今、若い力に席を渡すべきだ」

「……そうか。それがお前の意志だとしたら尊重するよ。でも、その時まで俺はお前の力になり続けるよ、俺とお前の仲だろう?」

 

 ★

 

 JRN1号館、3階。

 

「ご苦労であった」

 

 その声は机を挟んで、向き合うように立つ者へと投げらかけられた。

 

「それで、次はどうするべきかな? 一応ボクからは、しばらく積極的には接触するつもりはないけど」

「そうすべきだろう。今はまだ、成長を誘導する必要があるほど育ってはいない。ならばその域に達するまで、暫しの間は彼自身の成長を見守るべきだ」

「セチ」

「それに彼の素質は稀有だ。我々から接さずとも、その刻が訪れれば自然と我々の耳にも話が入ってくるであろうよ」

「まぁ、ボクも一応、彼が何かあったら気軽に連絡していいって雰囲気づくりだけはしておくよ」

「訝しまれるでないぞ? プロジェクト・ココマはまだ始まったばかりだ」

「わかってるって」

 

 ★

 

「あと一つだ。リロンチの条件を解析できた今、この最後のピースさえ埋まれば、ボクたちの計画は最終段階に達する」

「「「「全てのノリモンに祝福を」」」」




【TIPS:5つの派閥】
 ノリモンやトレイナーには、各々が生まれ持った性質として5つの派閥が存在する。それぞれが固有の色を持ち、ノリモンの出す有色のシールドは、基本的に該当する派閥のノリモンとそれとトレイニングするトレイナーによってでしか割ることができない。これは世界的に不変かつ普遍の原理である。
・ロケット:安定を追求する黄色の派閥
・ノーヴル:速度を追求する青色の派閥
・サイクロ:真理を追求する紫色の派閥
・バランス:出力を追求する赤色の派閥
・パレイユ:美麗を追求する緑色の派閥


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ①:長く1回、短く2回、そして最後に長く1回

 その時、僕達はユニット部室でミーティングをしていた。

 長く1回、短く2回、そして最後に長く1回。部室棟ことJRN4号館の放送設備がブザーを響かせた。

 

「……これは?」

「静かに。何かあったに違いない」

 

 そう言うと早乙女さんは部室備え付けの内線電話をとり、スピーカーホンに切り替えた。

 

「もしもし、こちらウルサどうぞ」

『こちらJRN本部、クィムガン発生につき出動を要請したく、どうぞ』

「要請を了解、どうぞ。……みんな聞こえてると思うが、そういう訳だから今日の訓練は中止だ。今すぐ準備を」

 

 出動要請か。

 いつかは必ず来ると思ってはいたけれど、まさかこんなに早いとは思ってはいなかった。

 

「僕にはまだ早すぎないですかね」

「君と北澤君は他のトレイナーの邪魔にならなければ自由にやって構わないよ。それが初心者の特権というものだ」

『クィムガン詳細、発生地は神奈川県横浜市、9時44分に発生し10時コロ7分にラッチ展開済み。現場での無線周波数はサイクル……』

 

 スピーカーから流れる情報をBGMに、出動の準備をはじめる。できれば車輪を削っておきたかったけど、ここでやってる時間は無さそうだ。削正キットを持っていくか。

 

 ★

 

 JRNには、出動線と呼ばれている最寄りの駅からつながる線路がある。文字通り、施設内から緊急で出動する際に使われる線路だ。

 僕達がそのプラットホームにたどり着くと、他にも要請を受けていたのであろう、いくつかのユニットが既に到着していた。そして僕達の後からも同様だ。

 しばらくすると、轟音を立てながら不思議な形をした3両編成の列車が滑り込む。到着した6つのユニットが、3つずつに分かれて前後の車に乗り込むと、まもなく動き出した。

 列車内とはいえ、この車には奥の2列分しか座席はない。だけれど、それは逆に好都合だった。各々クィムガンとのために最後の整備チェックができるからだ。流石に全員がそれを満足にできるほど広いと言うわけではないが、少なくとも座席が敷き詰められているよりはよっぽどいい。

 

「緊張しているかい?」

 

 わずかに大きくなってしまった左の車輪を削っていると、早乙女さんがそう語りかけてきた。

 

「いや、なんでかわからないんですけど、逆なんです。驚くほどにリラックスをしているというか」

「そうか。ならいい」

 

 そう言うと彼はこんどは北澤さんへと話しかけていた。まめな人だ。

 手元の車輪に目線を戻す。

 当たり前だけど、鉄道車両と比べてトレイナーの履く車輪は小さい。中には大きい車輪を好んで、直径300ミリを超えるような物を履いている人もいるけれど、それでも鉄道車両の半分未満の大きさだ。

 だからこそ、僕達のほうが小さな誤差の影響が大きく出てしまう。同じ大きさの誤差でもその誤差が占める割合は大きくなるし、車輪の回転数だって当然多いのだから。おまけに僕達の走りは、車輪が常にレールの上を転がっているわけではなく、何度も線路にぶつけるのだから、車輪に与えるダメージだって大きい。

 こうなると、頻繁にはかって都度車輪を削るしかない。片側にばかり負荷をかけるような莫迦な走りをした後ならなおさらだ。さもなくば、普通に両足の車輪をつけて走っているだけでも、右と左の進む速度が変わってだんだんとその位置がずれていってしまうだろう。

 本当はこういった重要な場面では、きちんとした削正のなされている予備の車輪に交換できるのが理想だ。だけど悲しいかな、まだそんな贅沢ができるほどお金があるわけでもない。車輪はけっこう値が張るのだ。本来足のそれより更に二回りの程度小さい手首の、飾り程度で姿勢が崩れた時にしか使わない軽量化されている車輪を、強引にどう考えたって手に付けるには重すぎる足のそれと同じものにして予備代わりにしているトレイナーまでいるくらいには。

 

「……よし」

 

 削り終わった車輪を靴にはめる。これで左右の車輪の大きさは揃った。そして、それと前後して、列車は速度を落としはじめた。

 ピコン。ユニットのグループチャットに、本部から送られてきたクィムガンの情報が載る。列車は完全に停車するころには、それに目を通し終わっていた。動きは鈍く、きちんと正対していれば攻撃の回避は容易とみられる、か。

 そして止まった列車から6ユニット、合計30人のトレイナーが降りて距離を取ると、列車はすぐさまJRNへと引き返していった。

 

『テステス、こちらドラコロケット。聞こえている者は挙手を』

 

 ドラコ・ユニットのリーダーさんが無線でそう呼びかけ、残る29人が全員手を上げた。

 複数のユニットが合同で行う場合、各々のコールサインはユニット名の後に派閥名を附すのがルールだ。だから僕の場合は「ウルサロケット」を使うことになる。

 

『まず我々ドラコとグルス、それにウルサノーヴル、カンケルパレイユ、プッピスサイクロ、ツカナノーヴルの14人がラチ内に入る。ウルサ、カンケル、プッピス、ツカナの残るメンバーは前のユニットがラチ外に撤退しだいその順で交代で入場だ。それでは、ご安全に』

「「「「「ご安全に」」」」」

 

 2つの先行するユニットと、各ユニットの斥候担当は、そう言ってラッチをくぐっていった。外から見ているとトレイニングの光がなんとも鮮やかできれいではあるが、このラッチの内側に広がるのは戦場なのだ。

 僕は気を引き締めて、ラッチに目を向けながら左手にクシーさんのチッキを構えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ②:流石に無理があるのでは

 ドラコを始めとした先行隊がラッチに入ってから、数分が経った。

 

「出てこないですね、ドラコもグルスも」

「落ち着こうか。まだ慌てるような時間は経っていないよ」

「そうは言っても、常に最悪を想定して備えるのが一流。その目安は伝えておくべきかと思われますが」

「そこはたしかに佐倉君の言う通りかもしれないね。20分だ。20分経ったら出てこなくても動こうか」

 

 まぁ大丈夫だと思うがね、と早乙女さんは続ける。根拠を聞いてみれば、ドラコ・ユニットは実力者の集っているユニットだから信用しているのだという。長いことJRNにいる早乙女さんがそういうのならきっとそうなんだろう。

 そして彼の予想通り、入場から10分が経とうとした頃に、グルス・ユニットのメンバーのうち4人が出場してきた。

 

「グルスよりウルサへ、今回のクィムガン、攻撃はそこまで激しくはないんですがとんでもなく固いです。バランスだけで何度も殴っても赤の減りがかなり遅い」

「情報をありがとう。……行くぞ、佐倉君、北澤君、山根君」

 

 トレイニングをしてラチ内に入ると、怒涛の勢いで無線が飛び交っていた。

 

『ドラコバランスよりドラコロケットへ、攻撃準備完了どうぞ』

『ドラコロケットよりドラコノーヴルへ、ドラコバランスの補助ヨロタムどうぞ』

『ドラコノーヴルより、承知』

『ウルサバランスよりドラコロケットへ、ウルサ・ユニット全員入場どうぞ』

『ドラコロケットよりウルサバランスへ、承知』

 

 そしてラッチの真ん中を見てみれば、ちょうど巨大な火球がクィムガンの赤いシールドを直撃していた。ということは、その元にいるのが無線的にドラコのバランスの人なのだろう。

 

 そして。目の前にいるクィムガンは……その……何と形容すべきか適切な表現がちょっとよくわからないけれど、強いて言うならば産廃の山のような異型だ。色々な機械の部品が、到底本来の用途とは思えないようなめちゃくちゃな繋がり方をして、1つの個体を形成しているのだ。サイクロの研究ではノリモンの1形態だと言ってはいたけれど、実際に対面してみると正直な話にわかには信じられない。

 いくつもの触手(でいいのだろうか?)を伸ばして振りかざす中、それをかわしながらドラコの人としれっと混ざっていた成岩さんがシールドを殴り、おそらくはときどきレーザーを発射しているのだろうか。そしてその回避をしながら殴る作業に佐倉さんと北澤さんも加わっていった。

 

『ドラコロケットよりウルサロケットへ、遠距離攻撃と聞いていますが、打てるタイミングになり次第連絡願いますどうぞ』

「ウルサロケットより、承知しました」

 

 うーん、遠距離攻撃かぁ。たしかに《桜銀河》は遠くまで届くものではあるけれど、実際のところ乱戦している中に打ち込むのは問題が多すぎる技だ。

 そんなことを考えている間に、《桜銀河》の溜めが終わる。あんまり期待されてもしょうがないので、一回実際に打って問題点を見てもらった方がいいのかもしれない。

 

「ウルサロケットよりドラコロケットへ、いつでも撃てますどうぞ」

『ドラコロケットよりウルサロケットへ、発射を許可』

 

 《桜銀河》を打つ。桜色の光が黄色いシールドに当たると、クィムガンもそれに負けじとシールドの配色を変えんと黄色の部位を動かす。だけれど、僕はそれを追うことはできなかった。

 

『ドラコロケットよりウルサロケットへ、攻撃を中断したのはどうしてですか、どうぞ』

「ウルサロケットより、そのまま追尾すると巻き込みます」

 

 そう、移動した先へと至るその経路上に、近接攻撃を仕掛ける別のトレイナーがいたからだ。巻き込まないようにするには、ほとんどシールドを削れてもいないのに短時間で攻撃を中断せざるを得ない。

 これが例えば先ほどドラコのバランスの人がやっていた攻撃の場合は、放物線状に攻撃が移動するから間に仲間がいてもそこまで大きな問題はない。上を通せるし、角度と初速を調整すれば理論上通ることができるルートは無数に存在するからだ。しかし《桜銀河》の軌跡は直線。間に仲間がいる場合その仲間に当たってしまうのは避けられない。

 そしてもう一つ問題が露呈した。実は《桜銀河》のシールドに与えられる時間あたりのダメージはそんなに大きくない。長時間継続して攻撃を当て続けることができるので累計が高くみえるだけだ。なのに短時間で攻撃を中断してしまったら? ただの使い勝手の悪い攻撃である。

 ……あれ、この技一本でトレイナーとして活動していくの、流石に無理があるのでは? 帰ったらちょっとクシーさんと相談しておいた方がいいかもしれない。

 

『ドラコロケットよりウルサロケットへ。クィムガンに近づき、近距離で打つことは可能ですか、どうぞ』

『ウルサバランスより、まだ近接戦闘を教えていない、無茶をするな』

 

 現場指揮のドラコのリーダーとの間のやり取りに、早乙女さんが割り込んでくる。

 そうは言うけれど。足を引っ張るだけなのは嫌だ。

 

「ウルサロケットより、やってみます」

『ウルサバランスより、無茶だけはするなよ』

 

 クィムガンの周りを走りながらスピードを上げる。早く近づいて早く逃げればリスクは少ないはずだ。そして他のトレイナーの位置や今出ているシールドの動きを考慮すると……。

 

『ウルサノーヴルよりウルサロケットへ、次の周回のホテルデルタからゴルフアルファ、そしてフォクスロットキロへ繋がる線路だ』

 

 何故かこのタイミングで指示が成岩さんから飛んでくる。概ね意味は理解できるし、させようとしていることも解るが、どうしてその僕のやろうとしたことに対して適切な進路を指示できるんだろう? あの人エスパーか何かかな?

 

「ウルサロケットよりウルサノーヴルへ、ホテルデルタに進入、ドラコロケットへ、発射準備完了ですどうぞ」

『ドラコロケットよりウルサロケットへ、発射を許可』

 

 ホテルデルタの線路から、ゴルフアルファの線路に転線しわずかに斜め左前に《桜銀河》を放つと、シールドの黄色い部分はトレイナーのいない左へと逃げ始める。それを追うように左のキロへとつながる線路に入り、近づきながら攻撃を継続。そして真横にシールドを見るところまで追いかけたら、攻撃を止めて反撃が来る前にそのまま逃げる! 完璧なヒット・アンド・アウェイだ。

 だがしかし、現実は厳しい。これでも攻撃を継続できた時間は普通にやったときの2倍超に過ぎなかった。ならばわざわざ理想的なタイミングを突くより、普通に2回《桜銀河》を放つ方が安定的だ。

 なんとも微妙な気持ちになりながら、僕は外周の線路を駆け回っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ③:これインシデントじゃないんですか

 それからしばらく。他のトレイナーがバンバン近接戦闘をしている中、僕(とドラコのバランスのトレイナー)は隙を見ては少しずつ《桜銀河》を打ち込んでいた。

 が、なかなかクィムガンのシールドが割れない。どころか、入る前にグルスの人から聞いた通り、どの派閥の攻撃をしてもシールドの比率が微動だにしない。

 

『こちらドラコノーヴル、バッテリー電圧降下につきまもなく活動の継続が難しくなる見込』

 

 そうこうしているうちにこのような悲鳴に近い無線が入ってくる始末。もっとも、最初っからラチ内を駆け回っていたのだからいつかはこうなるのはわかっていたことであるが。

 

『ドラコロケットより、承知。ウルサバランスへ、ドラコの出場に伴い総指揮を移管したく、どうぞ』

『ウルサバランスより、これより私が指揮を執る。ラチ外への伝達事項があればどうぞ』

 

 そしてドラコ・ユニットの人たちは、戦況管理のために1人を残して申し訳なさそうに出場していった。

 そしてすぐさま、こんどはカンケル・ユニットの残る4人が入場してくる。

 

『カンケルサイクロよりウルサバランスへ、当ユニット全員到着、どうぞ』

『こちらウルサバランス、聞いてるとは思うが非常に硬く未だ撃破見込立たずだ』

『カンケルサイクロより、承知』

 

 とまぁ、来てくれたのはいいのだが。

 悲劇が起こるまで、時間はかからなかったのだ。

 それは騒がしい無線を聞き流しながら、側面から《桜銀河》を打っていたときのことだった。

 

『あの莫迦行きやがった! 山根! 今すぐ止めてくれ!』

「へぇっ!?」

 

 突然、それもコールサインではなく名前で呼ばれて驚いた僕の目の前に現れたのは、なぜか高速で《桜銀河》に突っ込んでくる人の姿。

 なんで? と理解をする間もなく彼は桜色の光に飲み込まれてしまう。

 急いで止めたところで、もうそれがヒヤリ・ハットではなくインシデントになってしまった事実は変わることがない。

 

「こちらウルサロケット、今突っ込んできたの誰ですか? どうぞ」

 

 猛烈に嫌な予感がする。

 震える声で無線を入れながら、僕は倒れて動かなくなったその人に近寄る。

 

『カンケルサイクロよりウルサロケットへ、カンケルノーヴルの莫迦がすみません』

 

 そして……嫌な予感というのは、往々にして的中するものである。

 そこで倒れていたカンケルノーヴルは、トレイニングが解けていたのだ。

 

「こちらウルサロケット。カンケルノーヴルのトレイニングは解除されています。目立つ外傷はありません」

 

 トレイニングが解除されている状態では、単独でラッチをくぐることはできないし、線路を走ることもできない。そして何より、シールドがない。

 トレイナーの纏うシールドは、ノリモンのそれとは違ってどの派閥の攻撃でも削れる無色のものだ。とはいえど、腐ってもシールドはシールドなので、あれば物理的なダメージはほぼ通さないし、怪我だってすることは滅多にない。だからこそこうやってトレイナーが直接クィムガンと戦いにラッチをくぐるという端から見れば危険極まりない解決法が行われているのだ。

 では、その前提が崩れたとしたら?

 

『こちらウルサバランスよりウルサロケットへ。落ち着いて。カンケルロケットがそちらに向かった』

 

 シールドに守られていない丸裸の人間は、あまりにも弱すぎる。だからこそ、クィムガンによる一般人への被害を抑えるためにラッチが開発された。ラッチとは、言うなれば一種の牢獄なのだ。そしてそのラッチの中で丸裸の状態であるということが、何を意味するのか。

 幸いにもクィムガンは近接戦闘をする他のトレイナーに意識が向いているのか、この誤射にも、そしてシールドの無い人間がいることにすらまだ気づいていないようだ。だがこの誤射がその近接戦闘グループの中で発生したら? いわゆる重大インシデントと呼称される事象が間違いなく発生したに違いない。

 

「どうも、カンケルロケットです。迷惑かけたうちの莫迦を回収しにきました」

「ウルサロケットです。謝らなきゃいけないのは巻き込んだ僕の方ですよ」

「いや、どう考えてもこの莫迦が前を見ずに走って動かないビームに突っ込んだだけだから……よっと」

 

 そう言うと彼女は倒れている彼の体を蹴り上げて、そのまま肩に担いだ。

 

「あの、無線でも言ったと思うんだけど……」

「大丈夫、こいつ頑丈だから」

 

 そして彼女はそのまま去っていった。

 無線からは、カンケルが早くも離脱してかわりに次のプッピスが入場してくる旨の話が聞こえる。

 

『こちらウルサバランスよりウルサロケットへ。君の事だろうから落ち込んでいるだろうが、帰ってヒヤリ・ハットの報告書を作る時には前で何があったかは全て話すから、今は気持ちを切り替えてほしい』

「これインシデントじゃないんですか……」

『怪我はしていなさそうだからな』

 

 怪我さえしてなければ思いっきり直撃していてもインシデントにならないらしい。

 それもそれでなんだかなぁと思いつつも、僕はこのやりきれない気持ちをぐっとこらえてクィムガンの方へと向き直した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ④:綺麗なものをより美しく魅せるのに、理由なんて必要ないでしょう?

『各局ー各局ーこちらはプッピスパレイユ、ユニット全員入場しました! 以上こちらはプッピスパレイユー』

 

 プッピス・ユニットの4人が到着し、僕達に加勢した。彼女達の攻撃は遠目から見ても目立つほど派手にキラキラと光っている。おかげで僕の《桜銀河》が目立ちにくくなっているのか、シールドの黄色が逃げる速度が遅くなっているように感じられた。有り難い話だ。

 

『ウルサノーヴルより各局へ! 緑のシールドの割合にようやく減少の兆候あり、繰り返す、緑のシールドに減少の兆候あり』

 

 そしてもう一つ。ここに来てようやくクィムガンのシールドの比率がゆらぎ始めた。これは残っているシールドのエネルギーの絶対量がかなり削れてきていることを意味する。この長い戦いの終わりが、ようやく見え始めたのだ。

 たしかに、いまもう一度《桜銀河》を打ち込んでみれば、シールドが逃げているだけではなく非常にわずか、少しずつではあるが黄色い部分が薄くなって、そして領域が減ったのも視認できた。

 ぱしゅん。そして頭上を純白にキラキラと輝く矢が通り抜け、黄色のかわりに回り込んできた緑の領域に突き刺さる。真後ろを振り返れば、大きな弓を構えたトレイナーが1人。

 

「はろー。あなたが、ウルサロケット?」

「そうですが、何の用です?」

「いや、同じ遠距離型同士顔合わせをしたほうがいいと思ってねー」

 

 いや、その理由はおかしい。

 たしかに遠距離攻撃ができるタイミングは限られるから、同時に打つために近寄るのはけっこう効率的だと思う人も少なくない。しかし、現実はまとまることは極めてまれだ。なぜかと言えば、遠距離攻撃というものは――《桜銀河》はそうではないが――往々にして攻撃自体が横にも大きいので、発生源同士が近くにいるとお互い巻き込むおそれが少なくないからだ。

 逆に言えば、こうして近寄ってきた事から彼女の攻撃は巻き込みが少ないのだとも推測できる。

 

「ま、本音を言えばあなたのその光線を近くで見てみたかっただけなんだけどねー」

「そんなに珍しいものでもないと思うんですが」

「綺麗なものは、珍しいものじゃなくても近くで見たいと思わない?」

「前にだけは絶対に入ってこないでくださいよ?」

 

 気持ちはわからなくもないけど、一応今は一般的にはそんなのんきなことを言っていられるほど余裕がある場面ではないと思う。

 いくら遠くからの攻撃でクィムガンからの直接の妨害が少ないと言っても、前衛の邪魔にならないタイミングを見計らって、有効になるシールドへと攻撃を当てるのはけっこう神経を尖らせる必要がある。これが一発が重い、例えばそれこそさっきのドラコのバランスの人ののようなものであるなら、そんな事を考えずに前衛を退避させても十分お釣りが戻ってくるのだけど、あいにく僕のはそこまでしてもらう程のものではない。

 だからこうやって、前で自らのシールドを追って動き回りながら戦う光る7つの人影と光っていないもう一人の間を縫って、少しずつ黄色を削る他ない。

 ……あれ? なんでプッピスの人達だけじゃなくてうちのメンバーまで光ってるんだ? おまけに光のうち少なくとも3つと、残る光っていない人影はどう見ても地面から2m以上は上方に飛び上がって動いている。どういうことなの……。

 真横ではプッピスのリーダーがスコープを覗きながら何かボソボソと呪文のような言葉を詠唱していて、もう状況がよくわからない。

 

「なるほどねー。わかったわ。『こちらはプッピスパレイユ。プッピスロケットは攻撃を一旦中止して他の子の補助に回って。以上こちらはプッピスパレイユ』」

「あの、何考えているんですか?」

「何って、一番美しい勝ち筋のチャートを考えてただけよ。そうそう、あなたもしばらく攻撃は控えといてねー」

「いや、なんでですか!?」

 

 プッピスのロケットのトレイナーと僕が攻撃を控えたら、当たり前だけど黄色のシールドは削られずに残る。派閥を超えてトレイニングをしている人がいないのであれば、ロケットのトレイナーしか黄色のシールドを削ることはできないからだ。

 

「まぁまぁ、見ててって」

 

 彼女はそう言うと双眼鏡を投げてよこしてきた。覗けという意図があるのは誰の目にも明らかだ。無線では、早乙女さんとプッピスのリーダーが作戦について議論しているのが聞こえる。……あ、早乙女さんが折れた。

 とりあえず状況だけでも理解しようと双眼鏡を覗けば、ようやくどの人影が誰のものであるかを判別できるようになった。なんとなくそんな気はしていたが、唯一光っていなかったのは成岩さんで、他の光って空を舞っていたのは早乙女さんに佐倉さんとプッピスのうち1人。残る4人は地上で光っている。

 ……駄目だ。詳細がわかっても意味がわからない。ただ、少しずつじわりじわりとクィムガンのシールドに黄色が増えていくのだけは確かだった。

 そして双眼鏡から目を外せば、真横では光る弓矢を射るプッピスパレイユ。この射撃と奥では北澤さんの輝くショートソードが、ついに緑のシールドを貫いて、少なくともこちらから見える範囲では緑のシールドは確認できなくなった。

 

「さぁ、お待たせ。次はあなたの番。あれだけ大きな的を、狙えないとは言わせないよ!」

 

 見えるシールドは、6割から7割がもう黄色い。

 

『ウルサパレイユよりウルサバランスへ、ショートソードが折れました』

 

 無線から、北澤さんの報告が聞こえる。間もなくウルサは出場の時を迎えるだろうことは理解できた。でも、その前に!

 

「《桜銀河》!」

 

 桜色の一筋の光が、黄色のシールドを削り出す。どれだけ配置をずらそうと、片側から過半を占める黄色が見えなくなることは決してない。

 

『こちらウルサバランス、承知。ウルサノーヴル、ウルササイクロ並び……』

 

 右側から青いシールドが広がってくる。桜色の光が太く広がって、シールドの黄色は加速度的に色が薄れてゆく。そして視界は桜色に染まった。

 

『いや、ウルサバランスよりウルサロケットへ、黄色はもう無い、攻撃を中止せよ』

 

 そう無線に呼びかけられて《桜銀河》を止めれば、クィムガンの周りのシールドには青と赤、そして紫の3色だけが残っていた。

 

「お見事! 綺麗なものを見せてくれてありがとうね!」

「……どうして、ここまでお膳立てを?」

「そりゃだって……綺麗なものをより美しく魅せるのに、理由なんて必要ないでしょう?」

 

 そういうプッピスのリーダーさんの笑顔は輝いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回4レ:ヒヤリ・ハット報告書

 1.概要

 

 本件は神奈川県横浜市鶴見区に発生したクィムガン対応の最中、進路確認を十分に行わず冒進し、他者の照射する高エネルギー量子ビームの有効範囲内に誤進入したものである。

 

 2.経過

 

 ウルサ・ユニット(以下UMiと記載する)は午前11時28分、先行するグルス・ユニット(以下Gru)の撤退に伴いラチ内に進入し、対応を開始した。本件当事者であるトレイナー(コールサイン:ウルサロケット、以下UMiR)は現場責任者(コールサイン:ドラコロケット、以下DraR)の指示のもと隊列を離れ、単独行動にて遠方より対応行動を断続的に実施していた。

 午前11時42分、DraRを含むドラコ・ユニット(以下Dra)は、構成員のエネルギートラブルのためラチ外へ出場。この時より現場責任者はUMiのリーダー(コールサイン:ウルサバランス、以下UMiV)へと正常に引き継がれた。

 後続のカンケル・ユニット(以下Cnc)は午前11時43分にラチ内へ入場、UMiVがこれを確認して行動を開始。このとき、UMiのメンバーは対応行動を継続していた。

 午前11時45分、UMiRがクィムガンに向けて高エネルギー量子ビームの照射を開始。このときCncとUMiRはクィムガンを挟んで反対側に位置していたため、お互いがお互いを視認できてはいなかった。

 午前11時46分、本件当事者であるトレイナー(コールサイン:カンケルノーヴル、以下CncN)が走行を開始。この際、CncNの視線は常にクィムガンを向いており、前方の注意を怠っていた。

 13秒後、これに気がついた別のトレイナー(コールサイン:ウルサノーヴル、以下UMiN)は、無線を通じてUMiRに対し照射の中断を慫慂したが、間に合わずCncNは高エネルギー量子ビームの有効範囲内に冒進。UMiRが照射を中断したのは3秒後の事であった。

 中断後、間もなくUMiRがCncNの救護に向かうと、CncNのトレイニングは解除されていた。

 

 2.1当事者口述

 

 (1) CncN

 

 本件ラッチには、Draといれかわりに入場した。当日の体調は良好で、健康状態に異常は無かった。

 入場後、近辺に位置していたUMiVより口頭で状況の説明を受け、間もなく対応を開始した。この際、UMiRの対応手段に関する情報は無かった。

 対応開始後、クィムガン上の青色のシールドが移動を開始したため、それを追うように奥へと移動を開始した。移動開始時には、UMiR並びにその対応手段は視認することはできず、進路上に支障は認められなかった。その後、クィムガンから目を離さぬよう移動をしていたところ、UMiRの対応手段に誤進入した。

 

 (2) UMiR

 

 本件ラッチにはGruといれかわりに入場し、Cncの入場時にも対応を継続していた。当日の体調に異変はなく、健康状態も良好であった。

 入場後暫くの間はDraRの指示の下対応行動を実施していたが、他トレイナーの行動に支障なく対応を行えることから、数回の実行の後に自律判断へと移行していた。

 当該照射は、他トレイナーが有効範囲から大きく離れていることを確認してから実行した。照射後、左方より青色シールドの回り込みを認めたため、照射角を右方へと移動させようとした際、UMiNより無線での連絡が入った。その後、CncNを認めた時には既に誤進入しており、照射の中断は間に合わなかった。

 

 (3) UMiV

 

 Draの出場に伴い、責任者をDraRより引継いだ。その後、Cncが近傍に入場したのもあり、伝達事項等は無線ではなく口頭を用いていたが、その連絡を終えるよりも前にCncNは行動を開始したため、UMiRの対応手段についてはCncNへの伝達は叶わなかった。

 

 (4) UMiN

 

 CncNが対応行動を開始した際、CncNとUMiRの双方を視認できる位置に立っていたため、対応行動と並行して監視をしていた。シールドの反時計回りの回転を認めたとき、同時にCncNの右方への高速での移動を認めたため、無線を通じてUMiRへ対応行動の中断を指示したが、誤進入には間に合わなかった。

 

 3.分析

 3.1 高エネルギー量子ビームの照射に関する分析

 

 当照射時、ラチ内の14名のトレイナーの申告する立ち位置に基づけば、UMiRの視点より有効範囲内へとただちに進入することの予測可能性は認められない。また当対応行動は音波は伴わないものの、可視光線を伴うものであり外部より有効範囲の推測は容易であることから、使用をただちに忌避すべきものであるとは認められない。

 

 3.2 誤進入に関する分析

 

 本件発生時、CncNは前方監視を怠り、クィムガン並びに自らの担当すべき青色シールドに注視していた。これにより可視光線を伴う当対応行動を視認できず、有効範囲内へと冒進したものと認められる。

 

 3.3 情報伝達に関する分析

 

 本件発生前、UMiVよりCncへの情報伝達が終了する前にCncNが対応行動を開始していた。このUMiVによる情報伝達をボイスレコーダーより分析したところ、情報伝達が完了したと誤認しうる表現はなく、CncNの離脱は不適切であったと認められる。

 

 4.再発防止策

 

 対応行動中であっても、自らの進路上への異物の有無の確認を怠るべき理由にはならないことを念頭におき、進路確認を徹底すれば再発のおそれが減少すると考えられる。

 また、情報伝達時には、その完了を発信者が通知するまでは離脱しないことを徹底すべきであり、また発信側もその誤認のないよう表現には気を配ることが推奨される。




【キャラクター紹介:#3】
早乙女(さおとめ) 遊馬(ゆうま)
・誕生日:4月4日
・出身地:福岡県
・所 属:バランス/JRNウルサ
・キール:コクサイ

 長年にわたりウルサ・ユニットに所属するベテラントレイナー。
 JRN内部でも比較的顔が広い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5レ前:トレイナーをトレイナーたらしめる要素とも言えるもの

 JRN4号館、屋上。

 僕はここに築かれたラッチを出て、そして開けた。

 

「……やはり《桜銀河》は強力ではあるが、暴力的だな」

「知ってたんですか、この特性」

「ラッチができる前だから、もう20年以上も前になるが、何度かクシー号と同じ場でクィムガンに対応することがあってね」

 

 ラッチの中にいたのは、残る4人のユニットメンバー。そして4人とも、ラチ内にいたはずなのにトレイニングをしていなかった。

 いや、違う。正確に言えば彼らはシールドのエネルギーが尽きて、トレイニング状態を維持できなくなってしまった、と言うべきだろう。

 

「……どうしたらいいんでしょうね、僕」

 

 事の始まりは、こうだ。

 僕があまりにも誤射を恐れている事を気にかけた早乙女さんが、とりあえず1対4で鬼ごっこ形式の模擬戦闘をしてみようと言い出した。

 その結果が、こうである。カンケルノーヴルのトレイニングが一瞬で解けてしまった時から薄々気がついていたけれど、トレイナーのシールド程度ならほぼ一瞬で削りきってしまうのだ。それくらいトレイナーのシールドは貧弱だ。逆説的には、それを長時間当てなければ削る事のできないノリモンのの、なんと頑強なことだろうか。

 

「虹ヶ丘君が見抜いていた通り、できるだけ行動を控えて、そして最後に長時間照射するのがベストだろう」

「でも、その間に他の人がリタイアしたら、ユニット全員出場ですよね?」

「この前みたく最後っ屁ではだめかい?」

 

 早乙女さんはそう提案した。でも。

 

「皆さんがそれで納得していただけるのならいいんですが、個人的には何もやらないのは気がかりで」

「君がそう思うのも解るが、最初の方は私達の動きを見てクィムガン相手の立ち回りだとか、そういうのをきちんと覚えるのもまた重要なことだ」

 

 ちらりと、彼は残る3人の方を見た。

 

「最後に大きな仕事をするんだからアタシはいいと思うけどな」

「俺も北澤に同意だ。実際に受けてみてわかったが、あの威力はむしろ前でやってる最中に撃たれる方が危なっかしくて困る」

 

 これ、たぶん成岩さんの直球な言葉が全てなんだろうなぁ。

 実際自分が前衛だとして、後ろから即死攻撃が飛んでる状態でクィムガンの攻撃も避けながら最良のパフォーマンスを出すことができるかと問われたら、確かに自信はまったく無い。

 ……頭では普通に納得できるけど、でもこうも直接言われると凹むなぁ。

 

「佐倉君はどう思う?」

「今の力借りてるノリモンでカバーできないなら、トランジット」

「急がせたくなる気持ちもわかるが、まだ彼には時期尚早ではないか? 夏合宿の後くらいが限度だと思うがね」

「否定はしないの?」

「その手段は全く誤りではないからな。むしろ、トレイナーをトレイナーたらしめる要素とも言えるものだ」

 

 そう言うと、早乙女さんは僕と北澤さんに話があると声をかけて呼び出した。

 

「これは2人にも言っておこう。ノリモンにはみな得手不得手があって、トランジットによってその得手を比較的自由に組み合わせることができるのがトレイナーの強みなんだ。ノリモンもクィムガンの対応をしていた頃ですら、私をはじめとした一部のトレイナーが最前線に出ていたのはそれが理由だ」

 

 切れる手札は多いほうがいい。彼はそう言いながらチッキケースに手をかけた。中から出てきたのは、おそらく数十枚ほどの大量のチッキ。

 

「ぜんぶ使ってるんですかそれ」

「毎半期使ってるのは流石に20枚くらいさ。後は1年から数年に1回程度だよ」

「この前も6回くらいトランジットしてたよね……」

 

 遠くから撃ってたからよく見えてなかったんだけど、あの時そんなにとっかえひっかえトランジットしてたんだ……。

 ということは、3人が光ってたのはきっとその絡みなんだろうか? いや、でも北澤さんはまだだってことは、少なくとも彼女の場合キールの時点で輝く何かを持ってるんだろう。そもそも僕とクシーさんの《桜銀河》だって派手に光ってるわけだし。

 それにしても。1回の戦場で6度ものトランジットって。もしかして、それが実は普通だったりするのか?

 ちらりとこちらを見た北澤さんと目が合う。どうやら似たようなことを考えているようで、その目には困惑の色。2人揃って目線で説明を要求すれば、早乙女さんは口を開いた。

 

「まぁ、詳しくは来月だな。その頃にはそろそろ北澤君がトランジットを考えてもいい頃だ。その時までに資料は用意しておこう」

「資料って?」

「私の体験も交えたオリジナルだよ。JRNの中でもトランジットトレイニングについてはかなり知識を持っている方だと自負している」

 

 その発言には説得力があった。何せこれだけのチッキを常備していて、なおかつ1回の出動で6回もトランジットトレイニングをしているのに、その知識がないなんてことはありえない。

 ……まぁ、その資料を見ることができるのも来月の話なので、それまでは先輩方の動きや図書館などの本、それにインターン先のベーテクさんたちから知識を蓄えて、そして期待して待っておこう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5レ中:追いつけば必ずシールドを割れる

 30分程休憩して、早乙女さん達4人が再びシールドを張れる程度には回復したので、今度は北澤さんが鬼役となってもう一度模擬戦闘を行うことになった。

 ルールはかんたんで、15分逃げ切れば鬼の負け、それ以前に他4人のうち4人のシールドを割るか、あるいは3人のシールドを割って最後の1人に接触すれば鬼の勝ちである。そして鬼以外に許された行動は、鬼の攻撃を弾くための防衛的な動きと、逃げることの2つだけだ。

 

 先に僕達追われる4人が入場し、ラッチの真ん中で円陣を反転させたように、お互いに背を向けて立つ。

 

「来た」

 

 一言。左隣の佐倉さんが呟く。鬼役の北澤さんのエントリーだ。

 まずはセオリー通り、入場位置と反対側に全員で動く。追う側に迷いが生じれば、その僅かな時間ですら追われる側の有利になる。それを一番のタイミングで起こすには、ギリギリまで纏まっていたほうが都合がいい。相手が近接攻撃を主体にしてくる時は、という条件はつくけれども。

 だけれど、もちろんこの戦法にも弱点はある。それは相手の判断に迷う時間により時間を稼ぐ戦法なので、鬼が迷わなければ基本的により内側を走れる鬼が有利になってしまうのだ。それは例えば鬼の判断力が優れていたり、あるいは最初から倒す順番を決めていてそれに忠実に従っていたりする時とかだ。

 そして何度か分割と合流を繰り返してわかったのは、北澤さんはおそらくその後者の作戦をとっているということ。試しに4回、2対2ではなく1対3に分かれての逃げをしたところ、3回は3人のグループを追っていたのに、僕が単独になった時だけ僕を追ってきた。

 

「これは完全に山根君を狙っているな」

「ですよね……」

「近接のノウハウが乏しいから、追いつけば必ずシールドを割れる」

 

 なるほど、佐倉さんの読みは間違ってない。他3人は攻撃を弾く術があるのに対して僕にはそういうのは無いから、攻撃を始められてしまえば僕のシールドを削るのが一番早い。

 でも、1つおそらく見落としているものがある。

 

「完全に単独で逃げていいですか」

「あぁ、行ってこい」

 

 遠距離主体で近接戦闘のノウハウがないノリモンやトレイナーは、近接攻撃の攻撃範囲に入ってしまったら絶対に負ける。だからこそ、速さよりも早さが重視される前衛とは違って、逃げ足というのは速くなくてはならない。相手に攻撃さえさせなければ、遠距離も近接とやりあえる。

 1対3に分かれて、北澤さんが僕の方を追いかけ始めたのを確認した僕は、にわかに速度を上げ始めた。追いつかれなければ、攻撃されることは絶対にない。シールドが削られることだって然り。

 

 ふと斜め後ろを振り返れば、僕より1つ内側の周回軌道を走り食らいついてくる北澤さんの姿が。追いつかれたら僕の負けだ。

 だけれど、彼女が内側を走っている限り、僕より相対的に角速度を上げやすいのは事実。かと言って僕が内側に入ったところで、彼女も追ってきて最終的にど真ん中に到達するのもそれはそれで詰みなので、結局一番ラッチよりの外側を角速度で上回りながら逃げるのがベターなのだ。

 ……いや、待てよ。

 左後ろ、じわりじわりと加速してにじり寄る北澤さんを見て、僕はあえて加速をやめた。2人の間の距離はどんどん小さくなっていく。

 

「やっと追いついた、覚悟! 《クレインリバー》!」

 

 肉声が聞こえる距離まで近づき、彼女がショートソードに手をかける。

 でも、距離さえ取れてしまえば関係ない。それは、たとえどちらが前にいようとも。

 

 だから僕は……全力で、ブレーキをかけた。

 

 当たり前だけど、高速域の加速度と比較すれば、圧倒的にブレーキの減速度のほうが大きい。その上に北澤さんが前に出て加速、僕が後ろに下がって減速をしているので、相対的な加速度の絶対値は足し算になり、ぐんぐんと2人の間の距離は広がっていく。

 慌てて北澤さんがけたたましいほどに鳴くブレーキをかけて、ブレーキシューから火を吹いて急減速したところでもう遅い。これだけ離れてしまえば、北澤さんがどの向きに再び走り出すのかを確認してから僕が逃げ始めても、十分追いつかれるまでに余裕がある。

 

 だけれど、そう思って北澤さんを見ていても、彼女はまったく動かなかった。こちらを見る様子すらなく、座り込んでただ自分の足元を覗き込んでいる。

 ……何かトラブルでもあったんだろうか? 少し心配なので、模擬戦の最中ではあるけれど、僕は彼女の方へと駆け寄る。同じ事を考えていたのか、成岩さんも合流した。

 

「……アタシの負けだね。完敗だよ」

「まだ時間は余ってますよ」

「いや、アタシはもう走れなくなっちゃった」

 

 そう言うと彼女は焦げ臭い右脚を上げた。車輪をみれば、その下側にフラット*1ができているし、そして何よりフランジが内側に明らかにずれているのがすぐにわかる。踏面ブレーキの摩擦熱でタイヤが膨張して、半分外れてしまったんだ。

 高速域では非常ブレーキ、つまりは空気ブレーキを使うのは最後の奥の手で、最低でも2ケタキロ毎時までは発電ブレーキで速度を落とせ、というのはクシーさんは口酸っぱく言っていたのだけれど、これを見てようやくなぜそれがいけないのかを理解できた気がした。

 

「自分の足で出場できっか?」

「そのくらいなら、大丈夫」

「ならリーダーと佐倉には俺から伝えとくから2人は先に出てな」

 

 そう言ってコア部へと戻っていく成岩さんを横に見て、僕達はラチ外へと出場した。

*1
車輪の一部が削れてできる平らな傷のこと



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5レ後:異なる失敗はいくら重ねたっていい

「北澤君。君には2つ言っておかなければならないことがある」

 

 全員がラッチを出て部室へと戻るなり、早乙女さんはそう呼びかけた。

 

「1つ。全体を見なさい。山根君を追うあまり、私達3人がコアで休んでいても振り向きもせず、そのことに気付きすらしていなかったのはよろしくない」

 

 おい。

 僕が全力で逃げていたのに、3人は休んでたんかい。たしかに追われてたの僕だけだったっぽいけどさぁ。

 

「2つ目。諦めることを覚えなさい。相手の土俵で無理に戦い続けるべきではない。山根君やクシー号はロケットだ。あそこは状態を維持し続ける事に関しては非常に長けている。一見ノーヴルの領域に見える高速走行とて例外ではない。だから君は、追いかけっこに発展した時点で他の手段を講じるべきだった」

「はい……」

「ただ、君のスピードも決して悪くはない。並大抵のクィムガンなら追いつくことは簡単だっただろう。相手が悪かった、そして経験が浅くてその判断をまだできなかった、それだけの事だ。訓練を積めばどうにでもなる。それに将来的には、彼とは逆にレンジの長いトランジットをするという手段だってある」

「……はい!」

 

 北澤さんの声に張りが戻る。

 それにしても。僕達は一番外側の軌道を走っていたから、結構早乙女さんがいたコアからは離れていたはずなのに、よくそこまで監視できてるよなぁ。

 そう感服していると、早乙女さんは何か言いたげにこちらを向いた。

 

「それから山根君。君にも1つ。事故を誘発するような走りはすべきではない」

 

 事故を、誘発……? そんなことしたっけな。

 強いて言うならば。

 

「北澤さんが恐らく慣れていない速度で逃げたことですか?」

「違う。それが危険だとしたら誰も逃げられなくなるぞ。私が言いたいのは、あの追いつかれようとした場面でのブレーキだ」

 

 あのブレーキ、そんな危険な行為だったのか? そんなに危険な行為じゃなかったと思うんだけどなぁ。

 そもそもあの時は僕と北澤さんは違う軌道にいたし、あそこで停まっても彼女がそのまま走り抜けることができることは確認してからブレーキをかけた。

 進路の妨害すらしていないこれで危険だというならば、例えば複々線区間で少しだけ前を走る各駅停車が駅に停まるために減速するだけで危険だと言ってるようなものだ。そんな莫迦な事があるのか?

 そう伝えると、「君の意見はわかった」と納得していなさげに返される。

 

「じゃあ君はなぜ北澤君は非常をかけたんだと思うかい? 言っておくけれど、君を追うのが目的ならば、止まったあとすぐに折り返せない非常は使わないはずだ」

「それは……」

 

 あれ、なんでだ?

 言われてみれば、あそこで非常ブレーキをかけるのはおかしい。非常ブレーキを使ってしまったら、ブレーキを緩めておかせるための空気が全て抜けてしまうから、止まった後に再び空気を充填し終わるまで走り出すことはできない。僕を追いかけたいという状況において、それはかなり致命的なはずだ。

 

「あの……」

 

 じゃあ、なぜ北澤さんは非常ブレーキを?

 僕がブレーキをかけ始めた段階では、僕の方が前にいたし、声が直接聞こえるほど近くにいたんだ。僕が空気ブレーキを入れればあのけたたましい音で彼女だって気づくはず。逆説的に、僕が空気ブレーキを使っていないことだって、向こうからすればわからない訳がない。

 

「非常ブレーキって、止まった後も動けないの?」

 

 ……え。

 その申告に、早乙女さんもきょとんとしていた。

 

「北澤君。君はオトメ号から非常制動と常用制動の違いについてどう聞いてるんだい?」

「普段使うのが常用ブレーキで、どうしても止まらなきゃいけないときとか、動いちゃいけないときとかに使うのが非常ブレーキって」

「成程。今までに非常を扱ったことは?」

「動かないためには何度か、でも止まるのに使ったのは初めてかな……」

 

 情報を整理すると、どうやら北澤さんは非常ブレーキがすぐに緩められないことを知らなかったようだった。早乙女さんは当然彼女がそれを知っているものだと思っていたから、わざわざ非常ブレーキを使ったことに特別な意図があるんじゃないかと推定していたんだろう。そしてその原因が僕の動きだとも。

 だけれど実際はそうではなく、彼女は非常ブレーキをただの強力なブレーキだと思っていたから、早く止まりたい、その一心だけで非常ブレーキをかけてしまったようだった。

 

「ならこの場で伝えておこう。そもそもクィムガンの攻撃を基本的に全て回避することが求められるトレイナーにとって、ラチ内で非常は使うべきではないんだ。もう理由はわかるね?」

「ええ、もちろん」

「理由がわかったのなら、同じ事を繰り返さなければいい。怪我だとかをしないのであれば、異なる失敗はいくら重ねたっていい」

 

 優しくも厳しい言葉だ。暗に同じ失敗はするなって言ってるようなものだし。

 2人の話はそれで終わったようで、北澤さんはずれたタイヤを嵌め直しに作業スペースへと向かっていった。

 

「すまんな、山根君。私の勘違いだったようだ」

「いえ、お気になさらず……」

「ただこれだけは言っておこう。前触れもない急減速なんてのは、特に後ろを走る者からすれば恐怖だ。するのであれば、後方確認を怠るべきではない」

「そこはきちんとやりますし、さっきもやってましたよ」

 

 一応の念押しだよ。早乙女さんはそう答えると、部室のパソコンへと向かって他の作業を始めたのだった。




【キャラクター紹介:#4】
北澤(きたざわ) 百合(ゆり)
・誕生日:6月25日
・出身地:東京都
・所 属:パレイユ/JRNウルサ
・キール:オトメ

 JRNに入ってから数年の、快活な新人トレイナー。
 根はしっかりとしているけれど、すこしだけ天然。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回6レ:キールに名乗り出たボクのけじめ

 1号館。ロケットのなかで、主に研究をする者たちが根城にしている建物だ。

 今日僕がここを訪れたのももちろん、ここで研究をしている彼女に会うためだった。

 

「話は聞いてるよ。大金星だったらしいんだって?」

 

 ラウンジの端の方のテーブルで、彼女はそう言いながら僕を出迎えてくれた。

 

「あれは、プッピスのリーダーがぜんぶお膳立てをしてくれていたからです。それにその前には巻き込みまで起こしてますし……」

「ボクも報告書は読んだけど、あれは入ってきたのが悪いよ。クィムガンには設置型の攻撃をしてくるのだっているんだから、進路は必ず確認しないと」

「でも撃ったのは僕です。その事で相談したいと思って……」

 

 そう僕が懸念事項を伝えようとしたとき、クシーさんはそれを遮るように言葉を発した。

 

「なるほどね、キミが何を言いたいのかは分かったよ。だから先に言っておくと、ボクの武器は《桜銀河》ひとつだけ。これはラッチが開発されるよりも前、ノリモンが直接クィムガンに対応してた時代からね」

「じゃあ、その頃はどうやって味方を撃たないようにしてたんですか?」

「トレイナーには大きく逃げもらってたけど、その他は特に何もしてなかったな。ノリモンなら当たっても違う色のシールドは残るでしょ?」

「ノリモンが戦ってた時代でしか通用しない手段だ……」

 

 ノリモンは程度の問題はあれ五色のシールドを張ることができる。これはノリモンの一形態たるクィムガンも同じだ。だからこそ、《桜銀河》に巻き込んでも削れるのは黄色だけで済んでいたのだろう。

 だけど、トレイナーはノリモンではない。出せるシールドはどの派閥の攻撃でも割れる無色のものだけだ。クィムガンの攻撃はなぜかどの色のシールドにも通ってしまうので、そこだけ見れば全く問題がないけど、こういうイレギュラーには大きな差がある。

 

「でも、そっか。なんでこの程度の事で相談に来るのかなって思ったけど、確かにトレイナーだけで対応してるとけっこう死活問題だね……」

「考えてなかったんですか」

「たまーに演習とかでクィムガン役をやることはあったけど、ボクの味方としてのトレイナーがいることはまずないからね」

 

 確かに、必要がなければ考えることなんてないもんなぁ。

 ラッチが開発されてからは、クィムガンによる設備や民間人への被害は格段に減ったけれど、その裏でJRNのクィムガンへの対応方針を劇的に変えてしまった。その結果として、それより前の知見がけっこう役にたたなくなってしまったものだから、当時は大変だったということは少し上の世代の口からはよく出てくる。少なくとも国内の陸上については移行は完了してもう10年は経っているから、もう済んだ話だと半分聞き流してはいたけれど、まさかこういう形で自分が直面する羽目になるとは。

 

「ゴメンね、ボクも一緒に解決策を考えるから」

「え、クシーさんしばらく忙しくなるって……」

「いや、もともと今日は暇だったしね。それに、これは研修中にその可能性に気づかなかったボクの責任で、キミのキールに名乗り出たボクのけじめだよ」

 

 こういうのは実際にやってみるのが早いので、僕達は地下の演習スペースでちょっとした実験をすることにした。

 ノリモンはラッチを潜れないから、ラチ内へとノリモンを入れるためには、クィムガンをそうしているように閉じ込めるようにしてラッチを張るしかない。そうやって張ったラッチの中に入ると、彼女は既に黄色のシールドを貼って待ってくれていた。

 

「理論上は、トレイニングしている間なら全ての攻撃がその派閥の攻撃になるはずなんだ。とりあえず思いつく限りの方法でシールドを割ろうとしてみてよ」

 

 そう促されるままに、僕は拳で殴ったり、蹴ったり、高速で体当たりをしてみたり、あるいは準備されていたのだろう、彼女の横においてあった棒でシールドを殴ったりしてシールドを割ろうとした。

 でも、どんなに殴ってもシールドは割れることはない。クシーさんが強度の設定を間違えたのかとも思って試しに《桜銀河》も打ち込んでみれば、今度は5秒も経たないうちにシールドは割れてしまった。

 

「……どうしようねこれ」

 

 クシーさんは苦笑いをしながらそうこぼした。僕からは詳細なデータがどうなっているのかはわからないけれど、そんなものを見なくても明らかな事だった。

 

「とりあえずデータだけ言うね。棒で殴るのは全くシールドのエネルギーを削れていない」

「つまり、無意味」

「そうなるね。そして拳、蹴り、体当たりは……後で詳しくデータを解析してみないとわからないけど、たぶんシールドのエネルギー減少量は衝突そのもののエネルギーに比例していそう、なんだけど……。うん」

 

 まぁ、言わんとしてることはわかる。

 きちんとデータを覗いていないこっちですら、感覚で察せてしまうほどのものなのだから。

 巻き込みを忌避して小手先でなんとかしようと工夫をしたところで、あまりにも弱すぎる。そして結局はそれができるタイミングを逃し続けてでも、きちんと一度《桜銀河》を撃ち込む方がはるかに効率がいいという身も蓋もない結論。

 クシーさんの方ではそれに結びつく生々しいデータまでもが見えてしまってるんだろう。

 

 今ここでああだこうだ考えてもまったく有意義ではない。お互いにその結論に至ったことを確認した僕達は、この議論を当面先延ばしにすることにした。悪く言ってしまえば棚上げだ。天才のひらめきがなければ、この問題はおそらく先に進めない。

 だからこそ、将来何らかのタイミングで意外な授かり物を得られたときには、できるだけ速やかに連絡を取り合って議論を再開させよう、そういう話になったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6レ前:力が欲しいか、少年

「力が欲しいか、少年」

 

 クシーさんとの実験で精神力を使い果たして、ユニット部室でぐったりしている僕にそう語りかけてきたのは佐倉さんだった。

 

「いや、なんです唐突に」

「私には、悩んでいるように見える。ただそれだけ」

「悩みはしますけどね。やっぱり僕も近接戦闘もできた方がいいんじゃないかなぁって」

「贅沢」

 

 いや、自分から話を振っておいてその反応はおかしいでしょ。

 でも、確かにこうしてきちんとトレイナーとしてやっていけているだけでだいぶ恵まれている環境にいるというのは事実だけどね。そもそも、トレイナーズスクールを修了してもトレイニングできるノリモンを見つけられなくてそのままJRNからリタイア……なんて人も数分の1程度にはいる。しかもトレイナーズスクールはスクールとは銘打っているものの法律的には学校教育ではないから、かれらの最終学歴は義務教育ということになる。

 

「でも、貪欲なのは悪くない」

「そうですかね?」

「『欲しい!』という想い、それは成長の原動力。欲さぬものに成長は訪れない」

 

 彼女はそう言うと1枚のチッキを机の上に置いた。ナリタスカイ号。それがきっと彼女のトレイニングする相手で、そしてこれがそのチッキなのだろう。

 

「一番最初にトレイニングしたノリモン……これを私達はキールって呼んでる。私はスカイさん、君はクシーさん」

「それはトレイナーズスクールで習いました。トレイナー固有のチッキになって、仮にそのノリモンが消滅しても残り続けると」

「その通り。じゃあ私が言いたいことはわかるね?」

 

 すると佐倉さんは数枚のチッキの束を、ナリタスカイと書かれたものの横に置いた。

 言わんとすることはわかる。それは僕にはまだ時期尚早と判断された、早乙女さんの十八番。

 

「トランジットトレイニング」

「正解。トレイナーの体の一部分――具体的には、オモテ、スター、ポート、トモのいずれかだけ、別のノリモンの力を借りる」

「でも、僕にはまだ早くないですか」

 

 基本的にトランジットトレイニングは、キールとのトレイニングに十分慣れてから行うものだと教わっている。いくら抱えている大きな問題を発展的に解消できる手段であるとはいえ、まだ最初のトレイニングから半年も経っていない僕がやるものではない。

 

「確かに、今の君はまだやるべきじゃない。でも、君とクシーさんとのファーストコンタクトはいつ?」

「2年半くらい前ですね」

「スクールを出たのは1年前で……あれ、スクールにいる間に会ってる?」

「自分でも幸運だったと思ってます」

「うん、とても幸運。だって、キールにしてくれる相性のいい子を探すのが一番大変。中には年単位で見つからない人だっている。そしてね、キールよりは楽だけど、もちろんトランジットトレイニングするノリモンでも同じ」

 

 トランジットトレイニングができる程に慣れてから探したんじゃ見つかるまでにとても時間を取られる。彼女は続けてそういう事情を教えてくれた。

 なら、先行してトレイニングできるノリモンを探し始めた方がいい、のか?

 僕には特にトランジットトレイニングを急ぐべき事由があるのだから。

 

「……前から思ってたんですけど、相性のいいノリモンを探すのって何かいい方法あるんですかね?」

「むかしリーダーは地元で新しい車両がデビューする度に、片っ端からアプローチかけてたって」

 

 ひでえ。

 たしかにそれで見つからなかったら絶対に無いと言えるけど、あまり参考になるものじゃない。逆に言えば、そんなことをしなきゃあの数のトランジットにならないんだな……。

 そしてそんな例が出されるってことは、やっぱり他の有力な手段はまだ見つかってないってことなんだろうな。よくよく考えたら、そもそもそんな手段があったら、キールすら見つからずにトレイナー引退とかいう不効率はとっくに改善されていそうな気もする。

 

「……ノリモンの方からは、そのトレイナーとトレイニングできるかが直感的にわかるけど」

「ノリモンからだけ?」

「クシーさんとどうだった?」

 

 思い出してみれば、僕がクシーさんと初めて会ったときは、クシーさんの方から接触があって、それで将来的にはトレイニングしようって話の流れだった。その時僕からは……。

 

「不思議な方だな、とは思ったけど、それ以外は特に」

「でしょ? だから面倒」

 

 うーむ。まぁ、一応僕の場合は再開さえしてしまえば多くのノリモンと接触できる購買部の所属だ。そこで運命的な出会いが……いや、ないな。というか、ちょっと待て。

 

「そもそも、どうしてノリモンはトレイナーに力を貸してくれるんだ……?」

「いい視点だね、少年。我々サイクロの間では、進化的利己主義に基づく利己的な模倣子により、ノリモンは現在または将来の他の存在に自らのメンタルモデルを伝播させることを望んでいる、という見方が主流」

 

 彼女は得意げに答えた。

 その一方で、僕はその言葉の意味をいまいち理解できなかった。

 そして部室の時は止まった。

 

「ごめん、何言ってるのか全然わからない」

「簡単に言えば、ノリモンは他の存在に自分の痕跡を遺すのが本能。だから、トレイナーに力を貸すことにも快感を覚える」

 

 そうなのか。

 でも、クシーさんとかトレイニングできるトレイナーでも断ってたって聞いてるけど……。

 そう思いついた身近な反例を口に出そうとした瞬間、想定済みとでも言いたげな顔をして、佐倉さんは言葉を続ける。

 

「逆に無闇矢鱈にトレイニングをしたがらないノリモンもいる。ロケットに多いけど、そうすると自らの希少性を高めて伝播を確実にできるって戦略だと考えられてる」

「そこまで考えてるの……?」

「気づいてないと思う、本能に動かされてることにすら」

 

 なるほど?

 わかるような、わからないような。

 たぶんこれ以上聞いても心理学とかその辺の難しい何かが出てくるだけだろうから、深くは聞いてもあまり意味はなさそうだけど、少なくともノリモンは基本的にトレイニングをしたいというのはどうも学術的には事実のようだ。

 

「興味あるなら、サイクロにおいで。インターンは基本的に歓迎」

「まぁ、考えておきます」

「ロケットはみんなそう言う」

 

 そんな事をいわれても。

 まだ慣れないことだらけで、ユニットとベーテクそんのところのインターンとは別にさらに同時に新しいことを始められるほどの余裕はたぶん今の僕にはないし……。

 

 そう伝えようとしたその時。部室のドアが乱暴に開けられて、4つの目は否応なくそちらへと向けられることになったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6レ後:あいにく僕には学がない

「……やはりまたあなたでしたか」

 

 部室の扉を乱暴に開けて入ってきたのは、成岩さんだった。

 

「佐倉、山根の奴を見なかったか?」

「あなたの目、節穴?」

 

 うん、僕、今ここにいる。

 いくら佐倉さんが部室にいることが多いからって、それを無視して聞いてるのはそういう反応を返されても文句は言えないだろう。

 

「なんだ、ここにいたのか」

「何か急ぎの用ですか」

「いや、今すぐじゃないんだが。この後18時から暇か?」

「予定は入ってはないですね」

「ならよかった。人手が要るんだ、その時間にラボまで来てほしい。夕食は奢るから。……じゃ」

 

 成岩さんはそう残して去ってしまった。

 廊下に出て両側を見ても、既に彼の姿は見当たらない。

 

「……今の、チャットじゃだめだったのかなぁ?」

「彼はそういう人。諦めて」

 

 さいですか。

 ユニットメンバーとして付き合いが長い佐倉さんがそう言うなら間違いなくそうなんだろうなぁ。

 

 にしても、18時って。

 ふつうその時間から新しく何か業務をすることってあまりないと思うんだけど、なんでそんな時間に人手が要るんだろう?

 時計を見れば、時刻は15時半を少し回ったくらい。どうしよう、確かに18時頃も空いているからそう答えたけど、実際は今日はもう既に予定が無い。かといって、わざわざ18時を指定するくらいなんだからそれよりあまりにも前にベーテクさんの所へ行くべきではない気もするし。

 こうなったら普段の場合時間泥棒になるからやらないような事をして時間を潰すしかない。そう思って本棚に手を伸ばした僕を、佐倉さんは呼び止めた。

 

「これ、渡しておく」

 

 彼女が差し出したのは、5枚の何も書かれていない水色の券片……そう、チッキだった。

 

「なんで、今……?」

「ラボの博士が作りすぎて在庫の山。だから、必要になりそうな人に渡してる」

 

 別に大量に消耗するような物でもないのにそんなに大量に作ることあるの……?

 それに、購買部でも扱っているから知っているけど、そんなにホイホイ他人に渡せるほど安いものではなかったはずだ。最低限の規格さえ守れば自作だってできないわけではないとはいえ、申請は面倒だしそれで安くなるにも限度があるはず。

 

「……変な回路とか、仕込まれてたりはしないですよね?」

「無い。変な事があれば、発行替えの費用も全部持つ。迷惑料も5割上乗せ」

 

 佐倉さんはきっぱりとそう言う。

 でもなぁ。逆にたくさんあったところで、かさばる訳でもないのだから倉庫の肥やしにでもしておけば……。まさか。

 

「失礼な事を聞くけれど、その博士って、年はいくつで……?」

「68」

 

 なるほど、そりゃ誰かにどんどん渡す必要がある。

 チッキは無資格者には渡せないし、未使用のものの処分は未使用であるからこそすごく面倒くさいものだから、よく店長がぼやいていたのを覚えている。おそらくJRNを去るのが近いならば、繋がりのある有資格者へバラ撒いた方が比較的楽なくらいには。

 一度使ったチッキはその本人しか使えないけど、未使用のものは誰でも使えるからね。

 

 でも、そうだとしてももう1つの疑問は残ったままだ。

 

「……なんで余るほど作ったんですかね」

「何度も試行錯誤を繰り返す過程で、使用できずに残ったとか」

「あの、それってもしかして……」

「違う。まだ研究を公にしてないから詳しくは言えないけど、特殊な用途には使えなかっただけ。普通に使う分には問題ない」

 

 それはそれで怖いような。

 研究の守秘義務なんてのはどんなにくだらないものでも基本的に存在するから、珍しいものでも何でもないんだけど、それとこれとは話が別だ。

 でも、きちんとした理由があるのは確かなようだし、それに変な事があったら補償してくれるって言ってるから、あんまり心配しすぎないほうがいいのかもしれない。

 さすがに同じユニットメンバーを罠にかけるような人なんて、よっぽど潜伏の特異な裏切り者でもない限りいないだろう。

 

「ありがたくいただきます」

「助かる」

 

 そしてその5枚のチッキを受け取ろうとして、1枚目のチッキに触れたとき。

 

 脳裏にはっきりと、満天の星空が広がった。

 

 そして、間もなくそれを蝕むように闇が広がって、北斗七星やカシオペアが消えてゆくさまが映る。

 ひらり。手からチッキが滑り落ち、机の上に落ちる。

 

「何だ、今の?」

「……?」

 

 もう一度そのチッキを手に取る。今度は、何も起きない。他の4枚を手にとっても、ただそこにある券片が持ち上がるだけ。

 気のせい、だったのかなぁ……?

 

「何かあった?」

「いや、たぶん気のせいだと思う」

「気になるなら教えて。博士に確認する」

 

 これはきちんと話した方がいいのかなぁ。

 ……いや、言ってしまおう。まだまだ青二才の僕より、その博士の方が蓄積された知識の量は圧倒的に多いはずだ。

 

「チッキに触ったとき、視えたんです。星空が欠けていって、北斗七星やカシオペアが輝きを失うのが」

「私には、特に何も見えなかったけど」

「じゃあやっぱ気のせいだったんですかね?」

「一応博士に聞いてみる。残りの4枚は、平気?」

「まぁ、特に何も」

 

 相談した結果、件の1枚だけは一旦発行元である博士の方に戻すことにして、残りの4枚を受け取ることにした。

 

「でも、一つ、引っかかるのがあるとすれば」

「心当たりがあるんですか?」

「現象そのものじゃなくて、内容の方。JRNのユニット名は、カリストとかいくつかはちょっとずれてるけど、きちんと統一された命名規則がある」

「そうなの?」

 

 確かにウルサもそうだけど、ドラコだったりカンケルだったりプッピスだったり、あまり聞き慣れない横文字だなぁとは思っていたけれど。

 ……あ、だから新しくユニットを作るときに本部から提示された案の中から選ぶ形式になってるし、過去の資料を見ても解散されたユニット名がしれっと復活してたりするのか。

 

「ここのウルサ。その3レターコードUMiと、元となってる単語のウルサミノル。これ、JRNの外で何を指してると思う?」

「そもそも、何語なんですか」

「ラテン語」

 

 いや、わからん。

 古典的な学術的用語ではよく見られる、たしか古いヨーロッパの言葉だから、何か英単語とかで近いものがあればそれなんだろうけど、あいにく僕には学がない。

 

「ウルサミノルは、こぐま座」

「ってことは、ユニット名は星座」

「その通り。で、こぐま座の場所は……」

 

 こぐま座の場所は、ちょうど北斗とカシオペアの真ん中。佐倉さんはそう言った。

 そしてそれは、つい先程視えた光景で、闇が広がり始めた、まさにその場所だった。




【キャラクター紹介:#5】
佐倉(さくら) (そら)
・誕生日:6月22日
・出身地:神奈川県
・所 属:サイクロ/JRNウルサ
・キール:ナリタスカイ

 無口でミステリアスな雰囲気を醸す中堅トレイナー。
 イタズラ好きだが、それを適切なタイミングでするための観察眼が肥えている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ前:5分もしたら落ち着くと思うよ

 防災無線から夕暮れの時を知らせるエーデルワイスが建物の中まで響く17時半。

 騒がしい成岩さんが僕を呼ぶためにわざわざ再び部室にやってきた。人手が必要なのに呼びに来る暇はあるらしい。

 

「そもそも、人手が必要な作業って一体?」

「単純に什器搬入だが」

「なんでこんな時間に?」

「物品運んでくるための軽トラのレンタカーに空きがなかったんだとよ」

 

 まだ理解ができるだけマシだけど、想像以上にしょうもない理由が出てきたぞ。

 話を詳しく聞いてみれば、車の手配を完全に忘れてしまっていて元々予定していた時間のために声をかけていた人の都合が合わなくなってしまったらしい。そんなことある?

 

 そんな話をしながら7号館の前に辿り着くと、既にベーテクさんとポラリスちゃんがトラックの到着を待っていた。

 

「済まないねぇ、突然こんな時間に呼び出して」

「どうせ暇だったので」

 

 ……って、あれ。

 

「ベーテクさんは何でこっちに?」

 

 てっきり軽トラを運転する側に回っているのかと思えば、ここにいないのはアドパスさんの方だった。

 

「自動車免許は持ってないんだよ、僕はね。自分で走ったほうが速いもん」

「それで道路舗装を破壊して、誰が道路管理者に頭下げてるのか分かってます?」

 

 ウィーン。入口の自動ドアが開く音がしたかと思えば、その赤髪のノリモンはベーテクさんの真後ろに立つとすぐさまそう言った。知っている顔だ。

 

「人聞きが悪いなぁ、コダマ号。僕はねぇ、道路を走るときはきちんと履いていますよ、ゴムタイヤをね」

「アンタがきちんとつけてても、それを知らない子が真似して道路舗装を破壊してるんですわ」

「鉄輪で舗装道路を走ったら車輪も道路もわやになることくらいわかるでしょうよ、莫迦じゃないのか」

「わかっとらんアホがいるといっているんですわ。まぁアホだからフランジもボロボロですぐバレてるんですけど」

「だったら文句はそっちに言っておくれよ」

 

 なんか高レベルなのか低レベルなのかわからないやりとりが繰り広げられている。個人的には決して安くもない車輪を想定外の使い方をするなんて怖くてできないのだけど、どうやら価値観の違う人たちがいるみたいだ。

 ……あ。コダマさんが僕に気づいた。

 

「久しぶりやな、山根」

「ご無沙汰しております、コダマさん」

 

 コダマさんは、クシーさんのラボで研修をしていた頃に定期的にそこを訪れていた、やたら関西弁が特徴的なノリモンだ。なんでもクシーさんの兄貴分だとか。

 

「コダマさん、ノーヴルだったんですね」

「聞かれなかったから言いませんでしたわ」

「山根くん。あのね、一応コダマ号は今のノーヴルのトップなんだぞ?」

「そうだったんですか!?」

「ベーテク、それ言っちゃいますか。あんまりバラされるとひとりのノリモンとしてやなくて、肩書きとして対応されるから好きじゃないのよ」

「……まぁ、わかるような気はします」

「私事の付き合いで公の権力を振るう訳無いじゃないの」

 

 あー。なるほど。

 何が起きているのかはだいたい察しがついた。一人でも公私混同する権力者と出会うと、それ以降そうでない人までそうだという前提で動いちゃうやつだ。

 

「……まぁ、僕はインターンが終わっちゃえばロケットのトレイナーなんで」

「自分おもろいやっちゃな」

「そうですかね」

 

 ちなみによくよく話を聞いてみれば、コダマさんもこの手伝いをしにきたらしい。それはそれでベーテクさん、フランクすぎるような。本人は嫌がってなさそうだけど。

 

 それからしばらくして、アドパスさんが運転する軽トラが滑り込んできた。のだが。

 荷台を見る。明らかに、大きい。

 

「これエレベーター入らなくないですか」

「入るんだったら台車に載せかえりゃ人手はいらないだろ?」

 

 つまりはそういう事である。

 ……階段かぁ。そう思って先程声のした方を振り返れば、トレイニングして車輪の無い靴に履き替えた成岩さんの姿。なるほどね? 確かにトレイニングした方がなぜか物理的に出力が上がる。

 チッキケースからクシーさんのを取り出す。コダマさんがまじまじとチッキを見ているのが少し気になるが、もたついてても仕方がないのでトレイニングする。

 

「本当に、あのクシーがキールなのね……」

「コダマ号、涙拭いてー」

 

 そして僕のトレイニングした姿を見るなりコダマさんは涙を流して感動していた。そんな彼にハンカチを差し出しているのはポラリスちゃん。やさしい子だ。

 

「なんでこんなカオスになってるんデース?」

「僕はねぇ5分もしたら落ち着くと思うよ」

 

 ベーテクさんの見込み通り、コダマさんは3分程度で平常を取り戻した。

 それからは6人で協力して物品を持ち上げ、階段を登る。小柄なポラリスちゃんと成岩さんが上側から引っ張り上げて、大柄なアドパスさんとコダマさんが下から押し上げる。僕とベーテクさんは、真ん中あたりを両側から持って、ねじれたりたるんだりすることのないようしっかりと持ち上げる形だ。これ、真ん中の僕とベーテクさんだけ負担が少ないのでは? なんか申し訳無い気持ちになってきた。かといって別の場所に回るのは、それはそれで非効率な配置なのも明らかなのだけど。

 そんなもやもやを抱えながら、何度か荷物を搬入して軽トラの荷台が空になった頃には、もう時計の短い針は7の数字を回っていた。僕を呼びつけた成岩さんはなぜか軽トラを返しに行くアドパスさんについていってしまったので、ベーテクさんのラボで待つことにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ中:6時間もありゃ立案から実行まで余裕だろ?

 成岩さんを待っている間、ベーテクさんは搬入した物品の兼ね合いだろうか、奥で可動机を動かしていた。手伝おうと声をかけはしたけれど、やんわりと断られて座って待っているよう伝えられた。

 そうして席に戻ると、同じく待つよう伝えられていたコダマさんから、聞きたいことがあると伝えられた。

 

「なぁ山根。なんでここのインターン来ようと思ったん?」

 

 少し場所を移そうか。そう言って部室の外へと誘導したコダマさんの口から出たのは、そういう質問だった。

 

「クシーさんのとこでの研修が終わって、それで研修始まる前のところに戻ろうとしたら休業中で……」

「そうやない。成岩が半ば拉致する形で連れ込んだって話は聞いてるのですわ」

 

 あぁ。そっちか。

 

「最初はそうでしたけど、その後自分で考えて、お世話になることにしたんです」

「強要されてるとかじゃないんやな?」

「違います」

「ならええわ。ま、ベーテクのことだし大丈夫とは思ってたんやけど、一応形式的に、な?」

 

 もしかしてこの人、タイミングを見計らってインターンで入ってきた全員に確認してたりするの? 一体過去に何があってわざわざそんな労力かけてるんだろう。……まぁ、僕が考えてもあまり意味のない事か。そう思考の渦から抜け出そうとしたとき、コツン、コツンと遠くから足音が聞こえて、そちらを見ればアドパスさんがちょうど戻ってきたようだった。

 

「こんなところで何してるんデース?」

「ちょっとした世間話よ。……成岩は?」

「さっき正門前で追い抜きマーシタ」

 

 いや、一緒じゃなかったんかい。

 ラボに入って話を聞けば、彼はレンタカー屋で軽トラを降りると市街地の方へと走って行ったのだとか。

 そしてしばらく待っていると、両腕にビニール袋をぶら下げた成岩さんがようやく戻ってきた。

 

「アドパスてめぇ……。手伝ってくれてもよかっただろうが」

「リフトは1階に降ろしておきマーシタよ」

「確かにちょうど1階にいたけどよ!」

「まぁまぁ。成岩くん、一旦荷物置いて落ち着こうか」

 

 ベーテクさんは彼の腕からビニール袋を外しながらそうたしなめた。

 

「だいたい今日の役割分担だって神聖なるサイコロの神が決めたことだろう?」

「それを言われたら反論できねぇ……」

「何お前らサイコロで全部決めてるん?」

「絶対だもん。サイコロの神様は、絶対だもん」

「2回も言わなくても通じるよポラリス……」

 

 そしてそんなコントを繰り広げている横で、当のアドパスさんはしっかり袋の中からオードブルプレートを取り出して机に並べていた。……夕食奢るってそういう事か。

 何もしないのもアレなので、とりあえずビニール袋の中に入っていた飲み物のペットボトルを運ぼうか。そう思って手を伸ばしたところで、成岩さんに止められた。

 

「お前は何もしなくていい」

「流石にそれは悪い気が……」

「……ベーテク、そろそろバラしていいかこれ?」

「そうだねぇ、僕から言おうか。これはね、半分は手伝ってくれたふたりへのお礼。そしてもう半分は君の歓迎会を兼ねているんだよ」

 

 えっ、そうだったの?

 でも、その割には……

 

「その割にはお昼まで予定すら聞かれませんでしたが」

「6時間もありゃ立案から実行まで余裕だろ?」

 

 いや、流石にそれはない。

 しかもよくよく話を聞いてみれば、部室に成岩さんが襲来して僕の意向を確認した後にその案は出されたらしい。このスピード感、流石はノーヴルということだろうか……。

 

「格好つけとるけど、コイツら普段から何かにかこつけて騒いでるから慣れてるだけですわ」

「それは言わないでおくれよ」

 

 椅子に座っているのにずっこけそうになった。

 なんだ、手際がいいのはそういうことかい。

 

「たのしそうでいいですね」

「だろ?」

「ベーテクらは面倒もきちんと見とって何もやらかさんからええんやけどな……」

 

 荷物を持って奥へと移動していったふたりを横目に、引き続きコダマさんが遠い目をしている。

 

「大変なんですね……」

「しゃあないんやけどな。気づいてるかもしれんけど、ノーヴルは幼いノリモンが多いんですわ」

 

 えっ、そうなのか?

 確かにロケットではほとんど、それこそポラリスちゃんみたいな子は見なかったけど。

 

「たしかに、ロケットだと外見幼く見えるのってクシーさんくらいしか」

「そういう意味じゃないんですわ。でもちょうどええから話を続けるわ。あの子がノリモノイドになったのは13の時。その13って数字が特別でな、どういう数字かわかります?」

「いや、分からないです」

「いわゆる鉄道系のノリモンが、生まれてその精神が発達して成熟するのにかかると言われてる年数がそれですわ」

 

 確かに人間だってそういう内面とかが成長するのには時間がかかる。そこはどうやら、ノリモンも同じなようだ。13年という数字は人間のそれと比べると短いようにも思えるけど。

 

「その13年経つ前に、ノリモノイドになったらどうなると思います?」

「普通に、子供みたいなノリモノイドになるだけじゃないんですか」

「半分は正解。でもな、ノリモノイドになったら、その時に得られた姿と人格が固定されて以降は全く発達しないんですわ。知識や経験、記憶だけは積み上がるのに、幼いノリモンは永遠に幼いままなのよ」

「なんで?」

「私らノリモノイドがどうして人間と似た姿になるのかすらわかっとらんのやぞ?」

 

 つまりは、未解明。ノリモンはわりとこのパターンが多く、サイクロがほぼ全ての研究リソースを注いでなお、いつすべてを解明できるかの見通しすら立っていない。

 だけれど、理由が分からなくともそこに残酷な事実があることは変わらない。この場面でコダマさんが嘘をつくとも考えにくいし、それはおそらく真実なのだろう。

 ふと部屋の奥に目をやれば、準備が終わったのだろうか、ポラリスちゃんがこちらへと向かってきているのが見えた。彼女の姿や人格も、おそらくはすでに固定されてしまっているのだろう。それはとても、残酷なことのように思えた。

 

「これは初めてノーヴルに来た君への忠告や。ノリモンは外見、精神、そして実際の齢は全て異なるのよ。そして、なぜかわからんがノーヴルは精神が幼いのが多い。そのことを常に忘れてはなりませんわ」

「肝に銘じておきます」

 

 そして僕達の話が終わったころ、ちょうどポラリスちゃんが到着して、僕達ふたりを奥へと案内してくれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ後:それが僕とのファーストコンタクトだった

 僕とコダマさんを巻き込んだベーテクさん達との会食は、賑やかに幕を開けた。会食と言っても、その言葉が与えるイメージのような堅苦しいものからは程遠く、かなりほんわかとした空気だ。

 僕の向かいでは、アドパスさんが美味しそうに料理をつついて頬張っている。前から疑問に思っていたけれど、ノリモンがご飯を食べたらその後体の中でどうなってるんだろうね? 僕達人間のような代謝系を持ってるわけじゃなさそうだし。

 

「ミーの顔に、何かついてたりしマースカ?」

「……え? いや、考え事をしてただけです」

 

 あ、やべ。

 考え事をすると顔が動かなくなる悪い癖が出てしまった。

 

「考え事、ねぇ……。差し支えなければ、教えてくれると嬉しいよ」

「そんな大したことじゃないんです」

「そうかい。でも、結構新しい発見になったりして上手くいくもんなんだよ、こういうところでポロって出てくる奴がねぇ」

「これで結果出してるから質が悪いんですわ……」

「じゃなかったら頻繁にこんなことしないよ、意味ないもん」

 

 あ、これってそういうきちんとした意図があったのね。

 そんな斜向かいのベーテクさんの言葉に、隣にいるコダマさんは頭を抱えている。

 ピコン。成岩さんから送られてきた個別チャットには、『このふたりの話は長いから聞き流しとけ』との一文が。

 

「君等はどうしてそういう変なところばかり論理的なんです?」

「僕が論理的じゃない事なんて過去にあったかい?」

「傍から見ると突拍子もないことやってるのは自覚してます? 根幹がそうなのは分かりきってますわ。おかげで形だけ真似して火傷するアホの対応がけっこう大変なのよ」

「それは僕が悪いのかい? 何もその意味を考えずに似たようなことをするのがいけないんじゃないのか」

 

 ベーテクさんはそう飄々と言葉を返した。

 正論を返しているようだけど、さっきコダマさんからこの派閥の特異性を聞いていただけに、さすがにこればっかりはコダマさんに同情したい。

 というか、このラボにすらポラリスちゃんがいるのに、その可能性に気付けないものなんだろうか? そう思ってポラリスちゃんを見れば、彼女はきちんとお皿に料理を取り分けて、意外にも礼儀正しく食べているのだった。

 なるほど、これベーテクさんはポラリスちゃんを基準にしちゃってる奴だ。

 

「莫迦と天才は紙一重とは、よく言ったものですわ」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

「褒めとらんわ。これだから一桁世代は……」

 

 その時である。

 ドンと音がしたかと思えば、不機嫌そうな成岩さんが立ち上がっていた。怒ってるなこれ。

 

「ベーテクもコダマ号も、そろそろ後でふたりでやってくれないか? その話はこの場じゃなくてもできるだろ」

「そうだね、この話は終わってからにしようか」

「せやな」

 

 それからしばらくは、料理に舌鼓を打ちながらの他愛もない雑談が繰り広げられた。そしてやがて、話はなぜか昔話へと移っていった。みんながどうしてJRNの門を叩く事になったのか、だ。

 

 コダマさんの頃はまだノリモノイドに成ること自体が条件も分からず貴重な存在であったため、ほぼ自動的に前身組織に入ったらしい。次にJRNに入ってきたのはアドパスさんで、どうやら国鉄の分割民営化で元いた居場所を失って、それから世界中を放浪してからJRNに流れついたのだとか。

 そう、国鉄だ。なんならベーテクさんや成岩さんは国鉄を知らない世代だということだから、話していて全くそんな感じはしないのだけど、意外にもアドパスさんはこのラボで一番の年上なのだ。『ノリモンは外見、精神、そして見た目の齢が全て異なる』というのは、まさにこういう事なんだろう。

 

 その次に話があったのが成岩さんで、彼は僕と同じように順当にトレイナーズスクール上がりだ。ただ、なかなかキールにできるノリモンが見つからないでいて、JRNを去ることまで考えていたらしい。

 そんな彼が出会ったのが、JRNに入ってきたばっかりのベーテクさんだった。ベーテクさんはノリモノイドになって少しの間は地元にいたのだけど、その頃ちょっとしたきっかけでコダマさんと出会い、コダマさんの方からノーヴルに招いたのだとか。

 そしてそれから3年弱経ったころ、ベーテクさんがアドパスさんと一緒にラボとして独立する話になって、その時にノリモノイドになったばかりのポラリスちゃんを連れてきて今に至る、とのことだった。

 

「さて、山根くぅん。今度は君の話を聞かせてもらおうか」

「そんなわざわざ話す事もないですよ?」

「クシーとの話とかありますやんか」

 

 聞きたいって言うのなら話さない理由は無いけれど。

 トレイナーズスクールに入って2年目に、適正派閥毎に別れての授業が本格的に始まって。それで秋の訪問学習の時にたまたま僕のいたグループの担当になっていたのがクシーさんで、それが僕とのファーストコンタクトだった。

 それでその時の帰り際に、彼女の方からトレイニングの適性があることを告げられて、スクールを出たらおいでと言われたんだ。だけど、ちょうど僕がスクールを出た頃に彼女が忙しくなって、それで最初の半年は購買部にいた、というのが僕の来歴だ。

 それを話すと、まずめちゃくちゃ落ち込んでいる成岩さんが目に入った。

 

「スクール出る遥か前にキール見つかってたのかよ……。ベーテクが来るまで2年近く見つからずにいた俺は何だったんだ」

「あんまり気にしない方がいいですわ。キールが早く見つかったからと言って優秀なトレイナーになるかと言えば、経験上必ずしもそうではないし、その裏もそう。山根にも言いますけど、早くキールが見つかったからと言ってそれは君が優秀である事にはならんのですわ」

「常に頭に入れておきます」

 

 これは本当にそうだ。勘違いしてあぐらをかいていてクィムガンとの戦いで重大な後遺症の残る大怪我をした人のことは、スクールで半ば反面教師として、そしてクィムガンの恐ろしさを伝える教材としても周知されている。

 決してそうはなるまい。今ここで釘をさされたのもあって、僕はその決意をさらに強くした。

 

 こんな感じで、わいわいと2時間くらい話しながらこの日の時間は過ぎていったのだった。




【キャラクター紹介:#6】
コダマ
・誕生日:9月22日
・出身地:大阪府
・所 属:ノーヴル/JRN

 JRNでノーヴルの派閥を率いるベテランのノリモン。
 丁寧な関西弁で話す、仕事に追われる苦労人。だけどその仕事の少なくない割合は自分で増やしている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ前:オタクってこわいね

 日曜日。それは、毎週必ず訪れる休足の刻。

 ユニットやラボによっては別の曜日になることもあるけれど、早乙女さんもベーテクさんも日曜日には働きたくないようで、僕もこの曜日が休みなのだ。

 そんなわけで、今日は特になにか用事があるわけでもないけれど、都心の方まで出てきている。

 東京という街は、人が集まるだけあって、お金や情報が集まってくる。家電量販店に入れば、各メーカーさんの最新の旗艦モデルがずらりと並べてあるし、そういうのを見ているだけで楽しくなれる。そして、大きな市場があるということは、とても暴力的なことに誰が求めているかすらわからないようなニッチなものですらも採算がとれてしまうことを意味する。僕の地元では到底考えられなかったようなお店が、東京にはわんさかあるのだ。

 だからトレイナーズスクールに入るために上京してからは、休日はそういう変なお店をぶらぶらと覗いたり、あるいはかさばらないものであれば財布と相談してお買い上げしたりするのが趣味になっている。

 今日僕がやってきたのは、千代田区の神田神保町という書店が集中する一角だ。一言に書店と言っても、そこにある品揃えはその本屋さんの性格が出る。なんなら、一般的な書籍だけでなく、逸般的な書籍が置かれていることまである。一般販売されない内部資料としての性質が高い書籍であったり、あるいは同人誌と呼ばれる内輪向けのアマチュア誌まで、本という形態さえ取っていればあらゆる本が並ぶ可能性がある。前者はJRNの図書館にも割と置いてあるからいいんだけど、後者はそんなことはないから、今日の目当てはそれだ。

 同人の専門書や技術書の類は、JRNをはじめとした各種機関がわざわざまとめていなかったり、あるいは公開していなかったりする情報が何故かきれいに纏められている事がある。後者に関しては一体コンプライアンスとかどうなってるんだと気になる事もあるけれど、よくよく読んでみれば、そんなリークはなくても観測からの推測で答えを弾き出して、しかもそれを正直に推測として記述していてコンプライアンス的に全く問題がないのである。オタクってこわいね。

 そして今日、そんなこわいオタクの力を借りにきたのは、何を隠そうそういった情報を僕が欲しているからだ。

 

 僕が時々訪れている本屋では、ノリモンに関する書籍はジャンルによって5階と6階に分散しているけれど、今日用事があるクィムガンまわりの情報が転がっているは5階の方だ。ここにはトレイナーを目指す初学者向けの本から、組織や会社に所属していない野良のトレイナーやノリモンによって書かれた実戦録やそういった人向けへのノウハウ本まで幅広く揃えられている。

 そう、野良だ。彼らはJRNとは違って、わざわざどんなクィムガンへでも対応できるようにユニットを組んでいる訳ではない。だからきっと、何かしらJRNにはない特殊な技術でも持っているんじゃないか、と思った。

 

 ……のだけど、それは幻想に過ぎないことに気づくまでに開いた本の数は片手でおさまってしまった。基本的にはどの本も『駄目そうなら通報してプロを呼ぼう』という普通に考えたら当たり前の対応方法で、他に得られた有益な情報と言えば、それを呼ぶ基準として『発生したばかりのクィムガンはまだ有色のシールドを出す能力を有しておらず、その1時間弱の間にシールドを削りきれずに有色のシールドが出てしまったことがわかったら』という事が書かれていただけだった。そもそもなんでJRNまで出動要請が回ってくるかを考えたらわざわざここまで来なくても気づけたことじゃないか。

 まぁでも、クィムガンが最初は無色のシールドしか出せないことを記していた250ページ程度の同人技術誌『Kymgan Detail File』は、まだ僕の知らない情報が載ってる気がするし、知っていることでも見た感じ結構詳しく正確に記されているから、3000円弱するけど買っておこう。

 それに、今日来たのはその1つだけが目的じゃない。他にも気になっていることはいくつかあるので、場合によっては上の階も含めて本を物色しよう。

 

 そんな感じで他にも良さげな本を数冊ほどピックアップして、レジに並んだ僕は驚愕した。

 

「8点で、16500円になります」

 

 うそだ、そんなはずはない。

 3000+2000+2500+1500+1000+2500+1500+2500=16500。この数式は間違っている*1

 僕は1秒ほど悩んで、デビットカードを端末に差し込んだ。……こんなにたくさん買うつもりじゃなかったんだけどなぁ。でも、この前の手当があるからたぶん大丈夫なはずだ。うん。最悪晩ごはんがまた大根(1本98円)とか油揚げ(5枚入り・95円)とかになるだけだし。

 

 そうして買った本を背負い鞄に入れて、書店から出た僕の目の前に現れたのは、靖国通りを左から右へと爆走する小型のクィムガンの姿だった。

 ……なんで?

*1
間違っていない



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ後:知識では知っていたけれど

 街中で突然目の前を横切ったクィムガン。その突拍子もない事実に、一瞬頭がフリーズしてしまった。悪魔が見なかったことにして出動要請かかるまで放置しようと囁いてくるが、見てしまったクィムガンを放っておけないのがJRNのトレイナーの性だ。僕は腰に提げたチッキケースに手をかけ、流れるようにトレイニングした。そして突然のクィムガンの発生にパニックに包まれる靖国通りをかき分けて、東へと走り出す。

 鉄輪シューズは寮に置いてきているので、いつもと違って足に車輪がない。だけど、ベーテクさんも言っていた通りそんな状態で公道なんて走りたくないので、むしろそれは好都合だった。片側で2ケタキロもある重い車輪を高い位置に抱えて走りたくないし。

 ただ、この状態で走るのは、鉄輪で軌道を走っている時とだいぶ勝手が違う。いつもなら最高速度を維持することは車輪を転がしていればとてもかんたんなのに、車輪無しだと常に足を高速で動かす必要があるからだ。その物理的制約も相まって、軽く流しで走るときはいつもの最高速度の1割強、全速力なら4分の1程度しか速度を出すことができない。車輪とはかくも偉大なものなのだ。

 だけれど、それだけ出せれば今は十分だし、実を言えば公道を走行する上では道路交通法の関係で1番スピードを出せてしまう走り方だったりする。駆動系やブレーキを備えた車輪で走れば軽車両扱いで法定速度に縛られるし、そうでない車輪を用いる場合はそもそも交通のひんぱんな道路を走ることは禁止されている。一方非動物系のノリモンとトレイニングして大地を蹴って走るぶんには、車でも畜力で動いている訳でもないので扱いは歩行者だ。ゆえに、法定速度は適用されないのである。

 

 そしてようやく、須田町の五叉路でクィムガンに追いつく。軽く《桜銀河》を一瞬だけ当ててしまえば、向こうもこちらに気づいたようで、逃げるのをやめて急激に速度を落として最終的には停止した。それと同時に、エリアメールの5音チャイムがスマホから響く。

 ということは、だ。このクィムガンは発生してからそんなに時間が経っていない。さっき買った薄い本の情報が正しいなら、この段階ではまだ有色のシールドは出せないとのことだったけれど、それが本当だということも確認できた。ならばもう、僕ひとりでもこのクィムガンは処理してしまえる。

 そしてもう一つ。エリアメールが届くという事は、既に誰かが行政に通報しているという事だ。なら、僕から改めて通報する必要はなさそうだ。

 

 周りの建物や車両へと誤射しないように、こちらへと突進してくるクィムガンを誘い込むようにラッチを築いて、一旦トレイニングを解除してから入場すれば、その中には僕とクィムガンがいるだけ。こうなれば360°どの方向に《桜銀河》を撃っても絶対に何も巻き込むことがない。

 クィムガンの突進を躱しながら、《桜銀河》を外れても止めずに撃ち続けてクィムガンのシールドを削る。飛行能力を持たないクィムガンなので、水平に回転するだけで必ずいつかは当たるので、やることはめちゃくちゃかんたんだ。車輪がないから機動力は微妙に落ちているけど、加速度は大きく変わらないので問題はない、はず。

 実際、クィムガンのシールドは5分もしないうちにあっさりと全て削りきることができた。その状態で一度攻撃を外せば、シールドは割れてクィムガンは無防備だ。そこにもう一度《桜銀河》を叩き込めば。

 

「タテイス、カンナ、ニラセ……!」

 

 クィムガンは意味のわからない断末魔を上げ、爆発して霧散した。知識では知っていたけれど、本当に爆発して跡形もなく消えるんだな……。

 そう感慨に浸りたいところでもあるけれど、こんな交差点のど真ん中にラッチを置き続けているのは明らかに交通の邪魔なので、とっととラッチを開けに出よう。

 そう思って後ろを振り返ると、いつの間にやら入場していたのか、トレイナーが2人。しかも片方は大きな弓を背負う見覚えがある顔だ。

 

「なんでいるんですか、プッピスの……」

「虹ヶ丘。今日はたまたま外神田にいたのよ。あなたこそどうして?」

「神保町に本を探しにきてたんです。それで本屋を出たらクィムガンが走ってて」

「追いかけてここに着いたのね」

 

 そんなやり取りをしていると、ふいにラッチが開いて、虹ヶ丘さんの奥からもう1人がこちらへと駆け寄ってくる。きっと彼女がクィムガンの爆発を見て真っ先に出てラッチを開けたんだろう。

 そして交差点を見渡せば、いつの間にやら集まったのか野次馬がずらり。ラチ内で戦ってる様子は外からは見えないのに、野次馬してて楽しいんだろうか?

 

「ここじゃ邪魔だから、とりあえず歩道行こっか、ウルサの……」

「山根で……何書いてるんです?」

 

 虹ヶ丘さんはどこかから取り出したのか、バインダーを抱えて何か書類を書いている。器用にも、歩きながら。

 

「ん、これ? 警察がいつも聞き取り調査に使ってるのよ。予め書いておくと解放早いじゃない?」

 

 大丈夫なのかな、それ?

 そんな疑問を抱えつつも、どうやら歩道についた頃には書き上がったようで、間違いがなければ自筆でサインするよう促された。『神田神保町でクィムガンを認め、追跡して須田町交差点でラッチを展開、そのまま対応に入る』……うん、たしかに合ってる。本当にこんなんで早くなるのか怪しいけど、それで済むなら嬉しいのでサインをした。

 そしてまもなく、人混みをかきわけて万世橋警察署の人がやってきて、虹ヶ丘さんが先程の紙を渡せば、彼らはそれを読んでから口頭でいくつかの確認をするだけで戻っていってしまった。本当にそれでいいんだ……。

 

「君もそのうち、こういう事務書類を書くことが増えると思うよー。今のうちから慣れといた方がいいんじゃないかなー」

 

 そう言うと彼女たちはトレイニングを解除して、人混みの喧騒の中へと消えていったのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回8レ:午前の紅茶

「え? お前もう単独でクィムガン倒したの?」

 

 月曜日。いつもより早くに目覚めたので早めにベーテクさんのラボに行くと、まだ成岩さんしか着いていなかった。

 そこで休日の話になって、昨日の出来事を話したときに彼から出てきたのが上の言葉だった。

 

「発生したばっかりでしたし」

「だとしても早ぇよ、まだうちで合同演習すらしてないだろうが。この前のアレだってリーダーの正気を疑ったのに」

「それについては、正直見てるだけで良かったって早乙女さんが」

「他のユニットの奴もいるのにそれはダメだろ……」

 

 ド正論だ。

 そもそもなんで僕、そういう訓練をほとんどしてない中で2回もクィムガンと戦ってたんだろう? 冷静に考えたらおかしいな?

 そう思考の渦に捕らわれようとしていたとき、成岩さんの左手が僕の右肩に置かれて、意識は現実世界へと戻ってきた。

 

「まぁでも、これだけは言わせてくれ。よくやった」

 

 右手で親指を立て、彼は笑顔でそういう。

 なんか、照れるな。

 

「ありがと……」

「おっはようございマース!」

 

 返事を返していたその時、アドパスさんがラボの扉を勢いよく開けて出勤してきた。タイミングが悪いよ……。

 というか、ここのひとたちってドアを勢いよく開けるのが癖なんだろうか。気になって見てみれば、ドアには上から下までをカバーする恐ろしいほど長い蝶番が。きっとそういうことなんだろう。

 

「今日はまだベーテクさんは来てないんデース?」

「ポラリスがぐずってるとかそんなんだろ」

「ドイツのノリモンじゃありマセンし、9時までには来マスよね。紅茶淹れて待ってマースか」

 

 そう言うとアドパスさんは流れるように棚からケトルを取り出し、勢いよく水道水を入れるとそのままコンロにかけた。恐ろしい速さだ。……水の勢いが強すぎて跳ね返った水がケトルから思いっきり溢れてたのは見なかったことにしよう。

 

「……お湯、コンロで温めてるんだ」

「アドパスはそこんとこ拘りが強いからな。そのぶん淹れてくれる紅茶は美味い」

 

 そうなのか。

 しばらく待っていると、アドパスさんは一度ティーカップにお湯を注ぎ、ケトルをコンロに戻した。そして小さな片手鍋をコンロのもう1つの口にかけ、牛乳を温め始める。

 それから彼女はティーポットにティーバッグを3つ入れてお湯を注ぐと、ティーカップのお湯を全て捨てて僕達のいる長机へと持ってきた。隣にいたはずの成岩さんも、いつの間にやら移動していて、ビスケットとお皿、そしてコンロに残されていたホットミルクを運んでいる。

 

「さ、ティータイムデース」

「……今日はウバか」

「イグザクトリ」

 

 ティーカップに注がれた飴色の紅茶を見て、成岩さんが即答する。なんでわかるんだと思ったけれど、これはたぶんずっとアドパスさんに付き合わされてるから自然とわかるようになってしまった奴だ。

 

「山根サンもどうぞ」

 

 アドパスさんはそう言って僕の前にもカップを置いた。

 彼女が淹れてくれた紅茶は、透き通るような緋色で、それでいてよく見るとカップの淵の紅茶の色が薄く見えるところでは、まるで黄金のように輝いている。

 そしてもわりと広がってくる爽やか香りもまた、心を穏やかにさせてくれる。薔薇のような香りの中に、飲み物に使うのがあまり適切ではないと思うけど、まるで湿布のような苦痛を癒やしてくれる感じの香りが混じる。

 

「綺麗な紅茶ですね」

「この色は、日本の水道水で淹れるのがいっちばん綺麗デース。ミーも日本では、ブラックでも紅茶をいただきマス」

 

 そう言ってアドパスさんはカップに口をつける。その優雅な動きは、どこか高貴さを滲ませていて、どこか名家のお嬢様のようなオーラを纏っていた。

 つられて僕も紅茶を口に含む。しっかりとした渋みの中に、深い味わいが広がって……何というか、体の中の緊張とリラックスが調整されて、歪みが消えていくような感じがする。それでいて後味は爽やかで、渋みを引きずることもない。

 

「美味しい」

「それは良かったデース」

 

 アドパスさんは中身が半分ほど残っているカップを、音もなくソーサーに置いて、牛乳を注いだ。多分そうすると美味しいはずなので、僕も同じようにする。

 湿布のような爽やかな香りに、ミルクの甘い香りがいい感じに混ざって、格調高くも強い香りになる。口をつければ、ミルクのまろやかさで渋みは落ち着くものの、それでいてしっかりと主張しているのだ。そしてミルクの口に残る感触も、紅茶の爽やかさがすっと引かせている。

 

「……凄い。全然違う美味しさだ」

「デースよね! ミルクティーは、まさにミー達の研究と同じなんデス。紅茶とミルクの足し算で、簡単にみえてとーっても奥が深いんデース」

 

 アドパスさんによると、同じ茶葉・水・牛乳を使っていても、牛乳をカップ先に入れるか後に入れるかでも味が変わってくるし、また素材の組み合わせでもどっちの順序が良いのかが簡単に逆転してしまうのだとか。

 研究もそれと同じで、組み合わせる技術や動きを、どれをベースにしてどう組み立てるかで最終的な速度が変わってきて、しかも条件を変えると優劣が逆転する。当然常に最適を選ぶことはできないから、それらをどう評価してどれを良いものとするのかが一番重要だと、アドパスさんは言った。

 そんな話をしながら紅茶を飲み終え、片付けを終わらせて頭も体もスッキリした頃、また勢いよくドアが開いたかと思えば、ようやくポラリスちゃんが着いたのだった。




【TIPS:野良トレイナー】
 トレイナー資格を持っているからといって、全てのトレイナーがJRNやその他の組織に属しているわけでは当然ない。
 だけれど、発生したクィムガンの半数以上は第一発見者のトレイナーやノリモンにより単独で処理されているというデータもあり、行政やJRNとて彼らの存在は無視することはできないのだ。だからこそ、そういった彼らのために、トレイナー免許の番号を基にした自治体からの報酬システムが構築されて稼働しているのである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ前:留守番を頼めるかい?

 ある日のこと。

 

「すまないねぇ、ちょっと緊急で会議が入ってしまったよ。僕かふたりが戻ってくるまでの間、留守番を頼めるかい?」

 

 ベーテクさんの資料の整理を手伝っていたところ、突然ラボの電話が鳴って、ベーテクさんは呼び出されてしまった。アドパスさんと成岩さんは共同研究の打合せで国分寺まで日帰り出張に行っているから、今日はふたりはいない。

 

「大丈夫ですが、この資料はどうすれば」

「そのまま……いや、一旦元の場所に戻しておいてくれるかい」

「わかりました」

「それとだね、ポラリスの面倒も見ておいてもらえると助かるよ」

 

 彼はそそくさとラップトップやメモ帳を鞄に入れると、会議へと向かっていった。

 じゃあ、こっちもすべきことをやらないとな。そう思って資料を片付け、最後の資料を本棚に戻して扉をしめたとき。

 

「どーん☆」

 

 僕は突然ポラリスちゃんに突き飛ばされた。ほとんど本棚から離れていなかったので、その扉に軽く打ち付けられる程度ですんだけど……。

 

「危ないからやめようね?」

「わかった。じゃあおはなししよー?」

 

 彼女はにへへと笑いながらそう言う。

 これ本当にわかってるのかな……。拒否したらまた暇になったように見えるタイミングで体当たりされそうな気がする。

 

「いいよ、おはなししよう」

「やったー!」

 

 どうやら彼女は僕にかまってほしいだけのようだった。だったら突き飛ばさなくても普通に言ってくれるだけでいいのに。

 念の為、もう一度体当たりしてくる可能性を考えておいたほうがいいのかな?

 

「……なんでトレイニングしたの?」

「ぶつかってくるでしょ君」

「おはなししてる間はやんないよ!」

 

 まっすぐな目で頬を膨らませながらそうポラリスちゃんは言うけれど、要するに話途切れたら体当たりしてくるぞってことで、やってることは無邪気な脅迫だ。

 

「おちついて、おちついて。お話って言っても、君から僕に聞かせたいお話があるのか、それとも君が僕に聞きたいことがあるのか、いったいどっちかな?」

「どっちも! まずポラリスからおはなしするの!」

 

 彼女は僕の服をグイグイ引っ張って、なぜかラボに置いてある二人掛けリクライニングシートまで僕を牽引する。そして隣り合ってシートにかけると、楽しそうに語り始めた。

 話を聞き始めたときは、彼女のテンションに合わせていたらとても疲れてしまうんじゃないかと思ってもいた。けれど、実際に話してみると、テンションは高いものの意外にも話をするのが上手で、彼女の伝えたいことや思っていることがすっと入ってくる。

 

 気がつけばいつの間にか話ははずみ、僕から話をしてみたり、あるいはお互いに疑問を投げかけたりしながら時計の針はぐるぐると右へと回っていく。そんな口と耳と脳を心地よく情報が飛び交う中で、一瞬その流れが止まる質問が投げかけられる。

 

「ねぇねぇ、線路の上をどびゅーん! って走るのって、どんな感じなの?」

 

 軽く聞き流していればよくある普通の質問だ。でも、僕はその質問に違和感を覚えた。だって、彼女は……。

 

「ねぇ、聞いてるー?」

「聞いてるよ。線路を飛ばして走るのも、風を感じて、景色が流れていくのも、僕は好きかな。ゆっくりそれを眺めてたりする余裕はあんまりないけどね……」

「そうなんだ」

 

 本当にこの抱いた疑問を投げかけていいのか。僕は当たり障りのない答えを返しながら迷った。ものすごくデリケートな質問な気がしたからだ。

 でも、ここで聞かなきゃずっと頭の中に残り続けるような気がして、言葉を続ける事にした。

 

「……まるで君がほとんど線路を走ったことがないように聞こえるんだけど」

「うん、あんまり走ったことないよ」

「でも君、ノリモンだよね? ……もしかして、車だったときに線路の上にいなかったのかい?」

 

 仮にノリモンだとしても、その前に鉄道車両だったとは限らない。JRNはその発足の性質上、鉄道にルーツを持つノリモンが大多数を占めるけど、自動車や船舶のノリモンだっていないわけじゃない。特にサイクロの派閥なんかには飛行機や自転車から、気球、ヨット、ラクダ、ソリ、果てはスケートボードまで乗り物という範疇の中で多彩なルーツのノリモンが所属していると聞く。ポラリスちゃんもそうなのかもしれない。

 だけれど、実際は違った。

 

「うぅん、ポラリスは生まれた時からノリモンになるまで、ずーっと線路の上にいたよ。でも、ほとんど走らせてはもらえなかったんだよね」

「そうなの?」

「うん。それにノリモンになってからも、本線は一回だけ。ポラリスは悪い子だから、その時にお兄ちゃんの言いつけを守らなくて脱線しちゃったの。それで、しばらくは走っちゃダメって」

 

 ポラリスちゃんは一瞬だけ悲しそうな顔でそう言うと、その後でいつもの笑顔に戻った。

 どうも彼女は鉄道車両として生まれながらも、ほとんど線路を走ったことがないらしいのだ。そんなことある?

 この時ふと、前にコダマさんから聞いた事を思い出した。

 

『13年経つ前に、ノリモノイドになったらどうなると思います?』

『――ノリモノイドになったら、その時に得られた姿と人格が固定されて以降は全く発達しないんですわ』

 

 まさか。

 ほとんど走らずに、設計よりはるかに短い期間でその車としての命を終えてしまう出来事。僕の頭の中に、1つそれに当てはまるべきものが浮かび上がる。

 

 ――事故廃車。

 

 目の前のポラリスちゃんの無垢な笑顔の裏には、いったいどんな悲しい過去があるのだろうか?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ中:たまにはワガママを言ってもいいんじゃないかな

「……ごめんね、ポラリスちゃん。変なこと聞いちゃって」

「? 変なことー?」

「聞かれて嫌じゃなかった?」

「別にー。だって言っても言わなくてももう変えられないでしょ? 気にしたってしょうがないじゃん!」

 

 きっぱりと言い切った。

 ……強いな、彼女。僕もこのくらい割り切ることができるような人間になりたいよ。

 ……一応、聞いておくか。

 

「ねぇ。君は……線路を走りたい?」

「走りたい! びゅーんってしたい! 車のとき、ほとんど走れなかったからこそ思いっきり駆け抜けたい! ……だけどね、これはポラリスのわがまま。あの時みたいなお兄ちゃんの悲しい顔は、もう見たくない。だからポラリス、お兄ちゃんがいいよって言うまで走らないって決めてるんだ」

 

 笑顔で答えるその顔には、偽りの色はおそらくなさそうだった。

 

「強いね、ポラリスちゃんは」

「そうかな?」

「強いよ、僕なんかよりよっぽど」

 

 そう伝えると、ポラリスちゃんは一瞬だけきょとんとしてから得意気な顔つきに変わった。そしてシートから立ち上がると、僕の前に立って上体を後ろへぐっとそらす。

 

「えっへん! もっと褒めてもいいぞー!」

 

 ふっふーん。実際に口に出してはいないがそんなオノマトペが出てきそうな姿だ。

 この一連の様子があまりにも不自然かつ面白かったので、僕は耐えられず軽く吹き出してしまった。

 

「あっ! 今笑ったでしょー!」

「笑ってないよ」

「嘘だー絶対笑ったもん」

 

 彼女はこんどは対照的に僕の顔の前まで自身の顔をぐっと突き出してそう言う。そしてにらめっこが始まって……1分も経たないうちに、お互い莫迦らしくなってふたりとも笑いだした。

 自然にこぼれ出たその笑いがおさまった頃、僕はもう一度隣にかけたポラリスちゃんへと話しかけた。

 

「でもね、ポラリスちゃん。ベーテクさんが悲しい顔をしたのは、君が走ったからじゃないと思うよ」

「どういうこと?」

「だって、その日ベーテクさんは君を走りに連れて行ってくれたんでしょ? 君に走ってほしくなかったら、そんなことは絶対にしないよ。たぶん彼は君が脱線して、怪我をしたり痛い思いをしたりするのを見るのが嫌なだけだと思う」

 

 何らかの事情でほとんど走れていなかった妹分が、幸いにも第二の命を得ることができて、そしてその事情から解放されたとしたならば、誰だってそこでは気の済むまで元気に走ってほしいなと願うと思う。それは、ベーテクさんだってきっと同じ気持ちじゃないかなぁ。

 

「僕はね、ベーテクさんは君に走ってほしくないとはこれっぽっちも思ってないと思うよ。むしろ、君には思いっきり走って欲しいって思っているんじゃないかな」

「そう、なのかな?」

「もちろん、僕は直接聞いたわけじゃないから間違ってるかもしれない。でも、それは君も同じでしょ?」

「……うん」

 

 やっぱり。

 話を聞いていてそうじゃないかとは思っていたけれど、ポラリスちゃんはベーテクさんに対して割と遠慮しているきらいがある。だからその時の悲しい顔を見て、それだけで全てを理解したつもりになってしまったんだと思う。

 

「君はいい子だから、たまにはワガママを言ってもいいんじゃないかな」

「……じゃあ、今わがままを1つ言っていい?」

 

 ……え?

 どうしてそうなるんだ。僕は付き合いが長くて恐らくかなりいい子にしていたであろうベーテクさんに1つくらいワガママを言ってもバチは当たらないだろうということを言いたいのであって、誰にでもワガママを言っていいと伝えたかった訳ではない。

 でも、ここでこれを断れば、結局直談判をしても無意味だという最悪なメッセージを与えることにもなりかねない。

 少し悩んだ結果、とりあえず内容を聞いてみてから判断することにした。

 

「わかったよ、ポラリスちゃん」

「その『ポラリスちゃん』っていうのやめてほしいなーって」

 

 思ったより普通なお願いで助かった。これなら普通に聞いてあげてもよさそうだ。

 

「じゃあ、ポラリスさん?」

「ちっがーう! それもなんかよそよそしくてヤダ」

 

 そんな事を言われても。僕はあんまり他者を呼び捨てで呼ぶことに慣れていないんだけどな。

 というか、そもそもよそよそしくて間違ってはいないはずなんだし。

 

「あのね、僕がこのラボにいるのは遅くても8月まで。インターンが終わったら、成岩さん経由で時々顔を合わせることも無いとは言えないけど、もうこのラボに来ることは無いんだよ?」

「関係ないよね? だって、インターンが終わっても真也はお友達でしょ?」

 

 やっぱりこの子、強い。強すぎる。この子のメンタル、いったいどうなってるんだ? こっちをじーっと見つめるその緑色の瞳の奥に、決して屈さぬ頑強たる鉄鋼の意志が宿っているのがひしひしと感じられる。

 僕の負けだよ、ポラリス。

 

「……わかったよ、ポラリス。これでいい?」

「うん! これからよろしくね!」

 

 差し出された手をとる。

 この子は、危険だ。意識しているのかはわからないけれど、自分の世界にぐいぐい引っ張り込むことに長けている。僕がその光を吸い込むような瞳に呑まれそうになるのをぐっとこらえて、「よろしく」と返事を返したとき。

 

「ただいまデース!」

 

 ラボのドアが勢いよく開かれた。国分寺からふたりが戻ってきたのだ。

 

「あっおかえりー!」

「良い子にしてマーシタか?」

「うん! 真也とおはなししてたの!」

 

 ポラリスはアドパスさんの方へとかけてゆき、そしてようやく僕は解放された。

 

「ベーテクはどこにいる?」

「3時前くらいに会議に呼び出されて、まだ戻ってきてないですね」

「って事は2時間以上ポラリスの相手してた訳か。お疲れ」

「疲れてはないけど、恐ろしいものを見た気がしますよ……」

 

 少なくとも、ポラリスは絶対に怒らせちゃ駄目だ。たぶん彼女を怒らせたら下手したら命が危ないような気がする。少なくとも、あの鋼鉄の如く頑強な意志が曲がった方向に伸びていったとしても、僕は1人で彼女を止められる自信がない。ベーテクさんにはかなり素直に従うから、彼に頼めばどうにでもなるんだろうけど、今日みたいにいないときはどうしようもない。

 

「お前すげぇな、ポラリスのペースに呑まれて疲れないって相当だぞ」

「話自体はけっこう聞いてすぐ理解できるくらい論理はきちんとしてたから、話を噛み砕く労力が要らなかったのが大きいんだと思います」

「……そうか」

 

 成岩さんは若干引いている。なんで?

 

「とんでもない後輩ができちまったようだな……」

「評価が積極的すぎますって」

「お前は自己評価が消極的すぎだよ」

 

 そうかなぁ。

 一応これでも誰にでもできることと自分にしかできないことはきちんと分けて、後者に関してはきちんとプラス評価を入れているつもりなんだけど。

 そう反論しようとしたところで、ポラリスの声が響いた。

 

「富貴ー! 真也ー! アドパスがティータイムにするって!」

「……行こうか、山根」

「そうですね、リフレッシュもしたいですし」

 

 アドパスさんが淹れてくれた紅茶の香りと味で、ポラリスと話す中で気がついたら緊張していた背筋や首の筋肉が、ベーテクさんが戻ってくる頃には弛んで柔らかく戻ったのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ後:俺はもう帰るからな!

「すまなかったねぇ、山根くん。……おや、アドパスくんたちも戻ってきてたのかい?」

 

 ベーテクさんがラボへとようやく戻ってきたのは、ふたりが国分寺から帰ってきてから40分強ほど経ったころだった。

 ……ものすごくげっそりしているんだけど、会議で何かあったんだろうか。

 

「遅かったじゃないか」

「いやぁ、想像を絶する莫迦をしでかしてくれた奴がいたらしくてねぇ。余計な仕事を増やしてくれるんじゃないよ、全く」

「紅茶飲みマースか?」

「頂こう」

 

 ベーテクさんは紅茶を受け取ると、香りを楽しむ間もなく飲み干した。どうも相当余裕が無いと見える。

 

「これだからバランスの脳筋は嫌いなんだよ……」

「何があったんデースか?」

「詳細は明日か明後日辺りにでも連絡が来るはずだから、金曜の朝のミーティングで話そうと思う。けど、今日はもう疲れたから退勤させてもらうよ……」

「Oh……。お疲れ様デース」

 

 ベーテクさんは荷物を纏めると、ポラリスを連れてラボを後にした。

 ……ポラリス、流石に今日のこの疲れているベーテクさんにワガママを言ったりはしないでおこうね? 言うのは彼が復活してからでも遅くはないはずだから。

 

「にしても、あそこまでやられてるベーテク見るのはだいぶ久しぶりだな……」

「デースね。ファーストコンタクトでコダマ号が連れてきたときもだいぶ闇を抱えてマーシタが……」

「さすがにそこまでは行ってないと思うぞ。ポラリスがノリモンに成った頃と同程度じゃないか?」

 

 え、こわい。

 僕は過去のベーテクさんを知らないから比較はできないのだけど、このふたりの反応見る限りだいぶメンタルをやられてる方だということは理解できた。

 

「会議行く前は普通だったんですが、会議で一体何言われたんでしょうね……」

「わからんが、多分あそこまで行ってるってことは俺やアドパスの研究にまで影響してそうな気がすんだよな」

「ミーもそう思いマスネ。金曜日は覚悟して臨むしかなさそうデース」

「うわぁ……」

 

 地獄かな?

 

「山根。他人事だと思ってるようだが、一番ヤバいのはお前だからな? 別に俺達の研究は想定ペースより早く進んでいたから、少し影響入っても大した問題にはならん。でもお前の場合、インターンの期限を考えると何もやらない時期ができるのは凄くマズいぞ?」

「ミ゚」

 

 言われてみればそうじゃん。

 終わった後にロケットの上に出す報告書に書くべきものが存在しないのは、今後の査定を考えると非常によろしくない。ロケットは、残酷にも全体としての最適であると認められれば容赦なく個を切り捨てる派閥だ。そんな中で『ただ遊んでいただけ』のような烙印を押されてしまえば、工事が終わってロケットの組織に戻った後の人権が消滅してしまう。

 

「……今からロケット追い出された時の事も考えとかなきゃだめかもしれないなぁ」

「流石にキールがロケットのノリモンで、ユニットまで入ってるのに派閥から追放される事は無いだろ」

「あり得ないと言えないのがうちの派閥なんですよ」

 

 大多数は配置転換で済まされるとはいえ、過去に大莫迦やらかして追放された事例がここ5年で複数存在しているのが恐ろしいところだ。

 

「つってもそういうのは法律とおさわりしてる連中だろう? 事情があって成果出せてないだけの奴がそうなるってんなら、工事中でもインターンに来てはいるお前なんかより先に追い出す奴がいるだろうよ」

「……それもそうか」

「焚き付けた俺が言うのも何だけど、お前は諸々悲観的なんだよ。さっきも言ったような気がするが」

「そうデスネ。もう少しアプティミスティクになった方がいいデースよ?」

「そう言われても、常に最悪のパターンを考えておいて備えておけば失敗はしないでしょ?」

「そうだな」

 

 意外にも、成岩さんは僕の主張をあっさりと肯定した。そして指を2本立てて、僕の目の前に突き出した。

 

「お前は2つ勘違いをしている。1つ、最悪のパターンと言ってはいるが、それはお前が考え得た中でという注釈が入ること。全ての危機を予測できると思うな。本当の危機というのは、予測ができないからこそ恐ろしいんだ」

 

 中指を畳む。

 確かに、成岩さんの言っていることは正しい。僕がいくら最悪を考慮したところで、思いつかなければ考慮のしようがない。

 

「そしてもう1つは、全てに対応できるよう備えるべきだと考えている事だ」

「1つ目は解るんですが、2つ目はどういう意味です?」

「そのままの意味だが? 備える必要があるのは、考えられうる最悪じゃなくて、備える価値のある最悪だって事だ」

「全ての最悪には備える価値があると思います」

「それがお前の価値観なんだな、それは尊重するし、悪いと言うつもりは無い。でもな、そうやって準備に時間を取られているとタイミングを逃すぞ」

 

 うぐ。割と気にしてる事なのに。

 そして成岩さんの言わんとしていることはわかる。わかるんだけど……。

 

「だいたいお前だって例えば明日隕石が落ちてきて関東平野が壊滅したときとかの対応までは流石に考えてないだろ?」

「そんな突拍子もない、レアなこと考えてどうするんですか」

「そういう事だ。その言葉そのまんまお前に返すぞ」

 

 なるほど、確かに言われてみれば閾値がだいぶ違うだけで僕も棄却している最悪が普通にあった。だいぶ強引な論理だけど、同じように思われても不思議じゃないな……。

 

「あと、言うタイミングを完全に逃しちまってたから今更だが、これから何もやらないって事はまずないからそこも安心していいぞ。なんてったって、俺達は退屈が一番嫌いだからな」

「……え?」

「じゃ、俺はもう帰るからな! お先に失礼します」

 

 そう言うと成岩さんはほとんど広げていない荷物を鞄に入れて、ラボを出ていった。

 

「山根サン?」

「……る」

「ワッツァ?」

「一発殴る!」

「……お疲れ様デース」

 

 必要な荷物は明日の朝早めに来て回収すればいい。僕はラボを飛び出して、そして追いかけっこが始まった。

 

 後日、コダマさんとかにめちゃくちゃ怒られたのは言うまでもない。




【TIPS:JRN】
 東京都小平市に本部を構える公益財団法人、日本ノリモン研究開発機構(Japan Research of Norimon Agency)のこと。主な業務としてクィムガンの対応とノリモンに関する研究、トレイナーライセンスの認定等がある。また、下部組織としてトレイナーを養成する各種学校、トレイナーズスクールなどを有する。
 ルーツをたどると運輸省内の安全輸送管理委員会という一部署であったが、国鉄出身のノリモンが多かったため間もなく国鉄に飲み込まれ、そして国鉄解体に伴って現在は独立している。
さらにルーツをたどれば、日本国との平和条約の締結に伴って表向きは消滅・解散したはずの商船管理委員会から繋がっている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10レ前:抵抗しても無駄

 午前中の演習で合法的に成岩さんをボコボコにした後、昼休み前のミーティングを終えて、ユニット部室でぐだぐだしていたところ。

 コンコン。部室のドアがノックされる

 

「どうぞ。……イノベイテック号か。成岩君なら昼食買いに席を外してるぞ」

「いや、今日用事があるのは山根くんでね。今か今日の夕方か、どちらかに余裕はあるかい?」

 

 来訪者はベーテクさんだった。昨日ひどく精神を消耗していたのが嘘のように、元気そうで声にはハリが戻っている。

 

「予定は空いてますが、何の用事です?」

「端的に言えばポラリスのことさ。早乙女さん、少し彼を借りてっていいかい?」

「13時までならば問題は無い」

 

 どうやらあまり他人には聞かれたくない話のようで、ベーテクさんのラボへと移動してから話をすることになった。そして到着して入口のドアを閉めたところで……。

 

 ガシリ。

 

 ベーテクさんは僕の両肩を強く掴んだ。そして僕をひょいと持ち上げると、ラボの奥の壁まで連行して押し付ける。

 体中の筋肉が一度に緊張する。でも、トレイニングしていないトレイナーが、ノリモンの力には敵う訳がない。抵抗することは諦め、どうしてこうなったのか、どうすれば解放されるのかに脳のリソースを割く。

 

「あの、ベーテクさん……?」

「短刀直入に聞こうか。君はいったい、昨日ポラリスから彼女自身の過去についてどこまで聞いてるんだい?」

 

 眼鏡の奥の桃色の2つの瞳が妖しく光る。怖い。今まで見た中で1番怖い。なんなら小さい頃、初めてクィムガンと遭遇してその前に立った時よりも遥かに怖い。

 ……もしかして、ポラリスに助言したことを怒ってる? まさかあのげっそりしてる昨日のベーテクさんに言っちゃったりとか……?

 そう考えていると、彼はまるでその思考を読んだかのように言葉を続ける。

 

「別に僕は、怒っている訳じゃないんだよ。ただ、今朝ポラリスから話を聞いてね。彼女がどこまで君に話をしていたかによって、対応を変えなくちゃいけない。わかるね?」

「重大そうな話は、彼女が殆ど線路を走ったことがないこと、ノリモンになった後貴方に連れられて1回だけ走ったときに脱線して線路を走るのを禁じられたこと、この2つだけです」

「そうかい」

 

 ベーテクさんはそう言うと、僕を再び持ち上げて、そして椅子へと座らせた。

 ようやく肩からその手が離れる。両腕をぐるんぐるんと回して、肩に異常がないことを確認すると、僕は向かいにかけたベーテクさんに再び意識を向けた。さっきまでとは打って変わって、そのピリピリとした雰囲気は消え去って、そして全身の筋肉が弛む感覚がする。

 

「まずは手荒な真似をしたことを詫びよう」

「らしくなかったですし、普通に怖かったですよ?」

「その割には君は落ち着いていたね?」

「だって抵抗しても無駄じゃないですか、トレイニングしてないんですから」

 

 そう返すとベーテクさんは大きく目を見開いて、そして高らかに笑いだした。

 

「嫌いじゃないよ、君のそういう所、そしてその君の目は。そこに渦巻いているものは、まるで鏡を見ているみたいだ」

 

 笑いながら興奮の色が混じった声でそう言った直後、彼は急に落ち着いて、そして立ち上がって机の上に身を乗り出す。

 

「でも良かったよ、ポラリスが社台の件をきちんと話していた上で君がアドバイスをしていたことがわかったからね」

「詳細を知らずにアドバイスができる程、僕自身に経験がある訳じゃないですから」

 

 これが早乙女さんみたいな大ベテランともなれば、わざわざ話を聞かなくたって観測から問題点を見抜いて指摘したりできるんだろうけど、僕はまだトレイナーになってからわずか1年ちょっとのひよっこだ。きちんと話を聞いて、自分の知識と照らし合わせて、その上で自分の意見であって客観的な事実ではないことを強調することでようやく伝えることができる程度。

 

「真面目だねぇ、君は。でもね、いるんだよ。事情を知るわけでも、アドバイスを求められたわけでも、そして経験があるわけでもないのに図々しく土足で踏み込んでくるような無神経な者共がね」

 

 過去そういうことがあったのだろうか、彼の目は何かを蔑むような色にかわる。

 気持ちはわかる。痛いほどわかる。第一僕自身もそういう人とは極力関わりたくない。

 

「それで、僕をそうじゃないかと警戒した」

「もし君もそうだったとしたら、君の宗教では火葬が禁忌でないか尋ねるところだったよ。ポラリスは悲しむだろうけどね」

「怖いこと言わないでくださいよ……」

 

 それだけベーテクさんがポラリスを大切に思っているということの裏返しでもあるんだろうけど。

 

「君も昨日聞いた話で薄々気がついているかと思うけど、あの子は事情がかなり特殊でね。無責任なことを吹聴されると恐らく碌なことにならないんだよ。だからね」

 

 そのとき。

 目が、再び光った。そして机越しに彼の手が、ゆっくりと僕の方へと伸ばされる。

 恐らくは、立ち上がって逃げようと思えば簡単に脱出できただろう。でも、僕はそれをしなかった。ベーテクさんに漂う狂気を受け入れて、伸びてくる手に肩を差し出した。差し出してしまった。

 僕はもう、逃げられない。そもそも逃げるつもりすらない。

 

「君には、自分の発言に責任をとってもらうよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10レ後:倫理観は最低限だけはあるらしい

「責任、とは」

 

 桃色の眼を光らせながら、ベーテクさんは僕の肩を掴む。

 

「なぁに、かんたんな事だよ。ポラリスに正しい走り方ってのを教えてやってほしいってだけの話さ」

「それはノリモンの方が適任なのでは?」

「いいや、君に頼みたい理由が3つあるんだよ」

 

 ベーテクさんはもう片方の手を僕の前へと出すと、まず人差し指を立てた。

 

「まずは1つ。走り方と言っても、正確に言えば大地を蹴って進む走り方を教えてほしいのだという点。これはノリモンより人間の方がはるかに優れている」

「そうなんですか?」

「ノリモンが意識を持つのは車両でいる間だからねぇ、最初からその形だった人間には到底かないっこないよ」

 

 そうなのか……?

 でも人間だってだいたいの形は似ているとはいえ、そのサイズや強度は成長によってぐんぐんと変わっていく。その分、成った時点で姿が固定されるノリモンの方が、逆に同じ体との付き合いは長くなりそうなものだけど……。

 そんなことを考えていると、目の前にある人差し指の隣に中指が立つ。

 

「次に2つ目。それは君が安定を望むロケットのトレイナーだということ」

「それこそ走りそのものに重きを置くノーヴルの方が適任なのでは……?」

「ノーヴルの走り方は確かに研究の末先進的ではあるけれど、初学者には毒だよ、うん、毒。それにこの前、君に試験線を走ってもらったね? その時の加速度センサのデータを見ると、君の走行フォームは明らかに同じ速度での僕達より安定していたし、速度も悪くはないんだよ」

「それは僕のキールがクシーさんだからってだけですよ、僕の力じゃない」

 

 走行フォームがきれいなのは、クシーさんにそう指導されたからだ。『美しいものは、速い』。研修が始まってすぐは、彼女はそう言って僕のフォームの改善だけやっていた。

 そして速度が高いのも、これはクシーさんが高速鉄道車両のノリモンだからに他ならない。いくらノリモンの最高速度が理論的にはもとの車のそれには依らないとはいえ、すでにノリモンになっているような古い車の持つ電動機には定格回転数というものがあって、一定以上の回転数を出そうとするとそれだけで性能が落ちる。体が軽い分、だいたいのノリモンやトレイナーは車軸に繋がる歯車比をいじって高速よりに設定をするのだけれど、どうしてももともと高速回転ができる車だったノリモンの方にアドバンテージが残る。

 

「クシー号の指導があったとはいえ、君の走行が安定しているのは事実だろう?」

「でも、遅いですよ? 前に計った時は僕自身の脚の出力だけでは5kmを走るのに5分19秒1もかかっていますし」

 

 スクールの1年次末での評定に使うためのレースでの記録だから、もう3年も前の話だけど。ただその時の同期の中には4分半に迫るやべーやつがいたのもまた事実。まぁその人今のユニットメンバーの北澤さんなんだけど。

 それを伝えると、ベーテクさんは目を瞑って頭を左右に揺らした。

 

「分かってないね。スピードなんてのは、後からでもどうとでもなるんだよ。今のポラリスに必要なのは基礎だ。その基礎を突き詰めているのは、君達ロケットじゃないか」

「僕はロケットで研究してた訳じゃないですが」

「それでも、君の走りは安定しているのは事実だよ。それは認めるね?」

「データがあるならそうなんでしょうが、きちんと教えられるとは限りませんよ? 僕は他人に何かを教育するという経験は無いですから」

「それでも構わないさ。それは3つ目の理由が、ポラリスが君に懐いているからだね」

 

 ベーテクさんはそう言いながら、追加で薬指を立てた。

 ……懐いている? ポラリスが、僕に?

 

「ありえないですよ。だいたい僕がポラリスとまともに話をしたのは、昨日が初めてですよ?」

「初めてでも、2時間もぶっ通しで話してたらしいじゃないか。懐くには十分だよ」

「チョロすぎやしませんか」

 

 ベーテクさん、あなた一応ポラリスの保護者みたいなものですよね? もう少し心配すべきなのでは?

 

「あのねぇ、彼女は君が思う以上に君のことを見ていたよ。君が資料を探し出している間も、僕の実験に付き合ってセンサをつけて走っている時もね」

「そうなんです?」

「君が来てる日は毎晩僕に君のことを尋ねてきたぞ? 正直嫉妬するくらいにね」

 

 えっ何それは。昨日もなんかこの子怖いって思わさせられてたけど、追加の情報が余計に怖い。

 

「……辞退していいですかね?」

「首を縦に振るまで逃さないよ」

「世間体がそれは許さないと思いますが?」

「そんなものを気にしてたら、僕は今でもスピードを捨てた大地に囚われていただろうねぇ。それに、僕はポラリスが幸せなら正直他はどうでもいいんだよ」

 

 うわ、言い切っちゃったよこのノリモン。今までに聞いたベーテクさんの発言の中で、間違いなく最低の発言だ。倫理観というものは存在しないのか?

 

「と、言いたいところだけど、今日はここまで。早乙女さんとの約束がある」

「そこは律儀なんですね」

「約束したからね。ルールと約束は守るものだろう?」

 

 何を当たり前のことを? とでも言いたげな表情で、ベーテクさんは僕を見て、肩から手を外した。訂正しよう、倫理観は最低限だけはあるらしい。

 

「ほら、早く戻らないと約束の時間に間に合わなくなるぞ?」

「怒られるのはあなたですよね」

「今、送り出そうとしているところをライブで早乙女さんに流すことだってできるよ?」

 

 ベーテクさんはそう言いながらラボの扉を開ける。

 ……なんか、調子狂うなぁ。早乙女さんやユニットメンバーにも迷惑をかけるわけにもいかないので、僕はそんなもやもやを抱えながらも部室へと戻ることにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回10レ:スピードを捨てた大地から

 ――絶対に、逃さないよ。

 

 僕のラボを出て、ウルサの部屋へと戻っていく彼の後ろ姿を見て、僕はそう決意したよ。

 全ては、ポラリスのため。生まれた時点で未来を捨てられたあの子に、精いっぱいの笑顔をさせてやりたいがため。

 

 思えば、僕がノリモンに成って間もなく、兵庫県からあの子がやってきてから、そしてあの子の未来が奪われてから。僕はあの子の約束されてしまった未来をひっくり返そうとして――そして、悉く失敗していたよ。

 スピードを捨てた大地を飛び出して、スピードの可能性を示そうとして。そして、示したスピードでコダマ号に拾われて、スピードの可能性を示すためのより良い環境や、成岩くんやアドパスくんのような優秀なチームメイトまでも手に入れた。思い出の線路が波に流されてわやになったりと、心を折るような出来事が続いたりもしたけれど、それでもいくつかの理論を発表したり、そして機を見ては実家へ飛んでいってかけあってみたり、あるいは車庫の片隅に留まっているあの子のもとを訪れて、その開発に携わった技術者達を交えて話をしたり、精いっぱいのことはしたつもりだったよ。

 けれど、それはあの子を救うことには、結局は繋がらなかったんだよね。生まれてから2年半に満たずに解体が決まり、ショベルカーがその金属の箱を壊してゆくのを、僕や技術者たちはただ見守ることしかできなかった。

 

 でも、不幸中の幸いだったのは、そこで彼女がノリモンに成ったこと。わずか2年半というのは、JRNのどのノリモンよりも短いにも関わらずね。そしてほとんど数字の羅列であった車の名前から、彼女もカタカナの、ノリモンとしての名前を手に入れた。だけれど、実家が与えたその名前が()()()()()()()()()だったから、僕や技術者達は彼女をポラリスと呼ぶことにした。この僕イノベイテック号がベーテクと呼ばれているのと同じように、略称でもあり愛称でもあるその名でね。

 そして彼らや実家と話し合って、僕がポラリスを引き取って面倒をみることになった。それで、一度でもいいから思いっきり走って欲しいと思ってあの夜、沼ノ端に連れて行った。室蘭線の沼ノ端と白老の間ならば思いっきり走れるって思ったんだよ、なんせ日本で一番長い直線区間だからね。

 

 だけど、そこでもまた上手くいかなかった。確かにポラリスは思いっきり走ることができた。僕が走るのよりも、遥かに速く。そして僕は直線なのにポラリスを見失って……そして、再び視界に入ったポラリスは、社台と白老の間の左カーブの外側の茂みに、下り線すら飛び越えて倒れていた。

 僕が悪かったんだよ。僕は白老までの間が一番長い直線であることと、1つ手前の社台を過ぎたら速度を落とすようにってことは伝えていた。だけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。仮に危ない走行をしそうになったときは、後ろからポラリスの手をとってブレーキをかければいいと思っていた。その結果が、()()だった。

 

 そしてその日から、一度もポラリスの口から走りたいという言葉を聞いたことはない。走るのが嫌いになってしまったんじゃないかとすら思ったよ。怖くて、その胸の内を聞き取ることすら憚られたくらいね。

 だから今朝方、僕は……ポラリスのその言葉を聞いて、とても嬉しかったよ。昨日抱いた怒りと脱力感がすべて消える程度には。

 

『ねぇお兄ちゃん。ポラリスがまた、線路を走ってみたいって言ったら……悲しんじゃう?』

 

 詳しく話を聞いてみれば、そう言ってもいいのではとアドバイスをしてくれたのは、今インターンにきている山根くんだという。彼を(最初は、どう考えても酷い方法だったとはいえ)連れてきてくれた成岩くんといい、僕はどうやらJRNでは人脈運がかなり良好なようだね。

 それに彼の走りは、インターンを始めてすぐにデータを取った時からその綺麗な6軸センサの出力には注目していたしね。その後も何度か走らせているうちにかなり良い走りを魅せてくれることは分かってきていた。正直な話、彼がロケットに抱えられていなかったとしたら、今すぐにでも採用したいくらいにはね。

 しかも、だ。彼は僕と()()()()()んだよ。だから既にいくつかの仕事を振る傍らで、将来的にチッキを渡せるかどうかの審査を混ぜていた。彼がクシー号の力をどれだけ引き出せているのかだとか、そういうデータとかをきちんと精査して、問題がないことはわかっているんだよ。彼にだってキャパシティがあるだろうから、とても残念だけど()()渡すのは諦めよう。でも、ポラリスの初めての相手としては間違いなく逃したことを後悔する逸材に違いはないからね。

 そもそも彼はポラリスが懐いて、しかもまともに話すのが初めてだというのに2時間も話が続く。好奇心は強いものの冷めると早いポラリスと。その上にポラリスの話を聞く限りじゃあ、一方的に話を聞かされているだけじゃなくて、きちんと双方向でコミュニケーションができているときた。この僕ですら、テンションの高いポラリスと話を続けていると疲労感に襲われるというのに、だ。

 

 そんなの、逃がす訳がないじゃないか。

 

 もちろん、強引に彼を引きずり込んでポラリスとくっつけ(トレイニングさせ)ることも難しくはない。だけどねぇ、そんなことをしてしまうと彼のポラリスへの扱いは非常に雑になってしまうだろうし、それでポラリスは傷ついて悲しんでしまう。そんな手段なんて、この僕がとる訳がないね?

 

 山根くん。必ずや君から、ポラリスを幸せにしてやりたいと、言わせてあげようじゃないか。そうすれば、誰ひとりとて悲しむことはなく、そして全員が幸せになれるのだから。

 

 さあ、僕の頭のエンジンとモーターよ。絶好調で回り続けておくれよ、その時がやってくるまでねぇ!




【キャラクター紹介:#07】
イノベイテック
・愛 称:ベーテク
・誕生日:3月23日
・出身地:新潟県
・所 属:ノーヴル/JRN

 ノーヴルの若手研究者。本人は否定するが、粒ぞろいの一桁世代の一員の例に漏れず優秀。
 妹分のポラリスの事をとても大切に思っている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回11レ:ローラースケート

 水曜日の朝。東京都稲城市、南武線南多摩駅。

 僕はここで電車を降りて、河原へと向かっていた。

 

 ユニットの活動は火木土、ベーテクさんのラボのコアタイムは月金。だから今日は丸一日フリーだ。いつもならば自室やJRNの図書館、ユニット部室なんかで資料を読んでいる日だけれど、今日はJRNを離れてしまいたかった。

 是政橋南交差点の脇で、久しぶりに取り出したローラースケートを靴にはめる。平日朝の多摩川サイクリングロードは、人の気配もない静かな道だ。

 走る。走る。ひたすらに走る。速度はおよそ70km毎時ほど出ているだろうか。風を切って、流れる景色に目を留めず。僕はその道をただひたすらに走っていった。

 まもなくして、道路は堤防の上から河川敷に降りて、稲城大橋をくぐる。そろそろ減速の合図だ。再び道路が堤防に上がるためのヘアピンカーブの手前で、僕の運動エネルギーは0になった。

 それから何度も僕は、稲城大橋と是政橋の間の2km強をシャトルランしていた。時折すれ違う人からは怪訝な目を向けられはするけれど。

 そして今度は、土手の上の舗装道路ではなく土手下の河川敷の砂の道を、およそ60km毎時程度に速度を落として走る。流石に舗装されていない道を、舗装道路と同じ速度では走れない。けれどその分ただでさえ少ない人気はさらに減るし、なんなら是政橋以西なんかは先の続かない行き止まりの道なので、過去に遡っても他の人と会ったのは片手で数えられるくらいだ。

 だからこそ、良い。

 

「……懐かしいなぁ、この感覚」

 

 この多摩川の右岸は、スクールの初年次に、まだまともに車輪で走れなかった頃、毎日のように練習した思い出の場所でもある。当時は今ほど高速で走ることには慣れていなかったし、今みたいに計器抜きで流れる風景から有効数字2ケタで速度を計算するという術も持っていなかった。だから、ストップウォッチを片手に2つの橋の間を何度も行き来していたっけ。

 その時の記録は、たしか是政橋から稲城大橋までの舗装道路で140秒。一昨日のベーテクさんとのやりとりの中でもふと気になったけれど、それから3年以上が経って、走行フォームや蹴る力の伝え方を追加で学修した今なら、いったいどれほどのタイムが出るのだろうか。

 

 是政橋南交差点を背に、スマホのストップウォッチアプリを立ち上げる。2分ほど待って、サイクリングロードに誰も入っていかなかったのを確認してから、僕は全速力で走り出した。緩やかな右カーブを抜け、稲城北緑地公園の左カーブを走りぬけ、そして緩和曲線という概念のない2つの鈍角コーナーで土手から河川敷に降りて、そして稲城大橋の真下にかけて急減速。停止と同時にアプリを見る。

 

「125秒、か。およそ1割ほども速くなっていたんだな……」

 

 そうしてタイムを確認したところで、僕は酷い自己嫌悪に襲われた。

 速く走れたところで、いったいどれほどの意味があるのだろうか?

 

 ……いや、僕はこの答えを知っている。速度を求めるのは、ヒトという生物の本能なのだと。

 

『パスカルの哲学者は人間は考える葦だと述べたが、俺は人間は考える脚だと思う』

 

 スクール同期の仲の良かった生物オタクで、当時寮で同室だった、ノリモンと生物の境界を探りにサイクロの門を叩いた程久保が言っていた言葉だ。彼曰く、ヒトは本能的に速く遠くへと移動することに快感を覚えるのだという。だけれど、彼はこうも言っていた。『ヒトは走るために生まれてきた獣であると称される。事実、サバンナにおいてチーターから逃げ切り、シマウマに追いつける稀有な走力を持っているが、速度においてはそれら2種に劣ることは火を見るより明らかだ』、と。

 秒速20メートル。ヒトの身体の脚の長さや股関節の可動域といった構造と走行フォーム、ミオシン*1の反応メカニズムや腱の物質的特性、そして神経の伝達速度。これらから導かれた理論上の最高速度がだいたいそれくらいだと言われているらしい。ヒトがヒトであるのをやめない限り、どれだけ筋力を鍛えようが普通に走って到達できる速度はせいぜい70km毎時程度に過ぎないのだ。

 

 だけれど、人類の叡智はその限界を突破した。

 1つは、機械やトレイニングにより駆動源が必ずしも筋肉である必要はなくなったこと。ただ、これを人間の力というのはあまりにも烏滸がましい。そもそも、もともとヒトの脚の出力は、短時間出力で1本あたり1kWにせまる高出力だ。問題は、ヒトの走行フォームだと接地時間がどうしても短い点にある。それは速度が上がるにつれて顕著になって、最終的にはミオシンが最大出力を発揮する前に地面から脚が離れてしまうのだ。

 もう1つの限界突破は、接地時間を長くとること。それを滑走というソリューションで克服したアイススケートでは90km毎時、自転車では140km毎時を超える記録を叩いている。そしてその限界を突破できるというのは、僕が、いやトレイナーズスクールが採用しているローラースケートも同じことだ。

 

 そもそもなぜスクールがローラースケートを採用しているかといえば、ノリモンやトレイナーが走るときにはノリモンの車輪を回す力の他に、ローラースケートのように車輪越しに大地を蹴って進む力も要求されるからだ。トレイナーの出しうる速度差には、このローラースケートでの速度差はそっくりそのまま載ってくるという統計も発表されている。ゆえに、足の下の車輪で走るという今までほとんど経験してこなかった体験に慣れることも含めて、特に初年次なんかはスクール内ではほぼずっとローラースケートを履いて過ごすことになっているのだ。

 最初の方はまだみんなが慣れていなくて、30人ほどしかいないクラスなのに毎日2ケタの転倒が発生する地獄絵図で、ものすごくこの先生きのこれるか不安だったのを今でも覚えている。

 

「久しぶりに、程久保たちと莫迦な話をして、笑っていたいなぁ」

 

 稲城大橋の真下で昔を懐かしんでいれば、なんだか今抱えているもやもやが、とてもちっぽけなようにも思えて、心が軽くなったような気がした。

*1
タンパク質の1つで、地球上ほぼ全ての動物の筋肉の収縮を司る



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ前:トレイナーが生業としていた重要な役割

 木曜日。

 朝、ユニット部室に向かうと、いつものように佐倉さんが何か書類を書いていた。

 

「今日は早いね」

「目覚めが良かったので」

「一昨日の午後は目が死んでたから心配してた」

 

 それはまぁ、半分脅されてたようなもんだったし……。

 でも、昨日リフレッシュして、はじめから負けたつもりで対応していたら勝てる戦いはないと気づいて。決して負けやしないという鋼鉄の如く硬い意志を持って接すれば大丈夫だと思う。たぶん。

 

「ところで、来週の水曜、空いてる?」

「空いてますけど……。何の用で?」

「ん。これ」

 

 そう言って佐倉さんが取り出したのは、水色の券片。

 

「あぁ、この前のチッキですか」

「そ。先に戻しておくけど、博士が一度直接会って伝えたいって」

 

 佐倉さんから件のチッキを受け取る。

 ってことはこれの解析とかができたのか、あるいは逆にそれでも分からなくて追加の情報を欲しているか。前者だといいなぁ。

 

「何時頃に3号館に行けばいいですかね?」

「10時と13時と、どっちがいい?」

「10時でお願いします」

 

 それまでにチッキとか、その周りの情報は自分の中でまとめておいて、その場で質問とかはきちんとできるように最低限の準備はしておかないと。

 ……こりゃ、日曜日は買ってきた本だとか、あとは部室の資料だとかを漁るだけで時間がとけてしまいそうだなぁ。いや、今のうちから部室にある資料には目を通した方がいいかもしれない。

 

「じゃ、伝えることは伝えたからね」

 

 佐倉さんはそう言って手元の書類に目線を戻した。

 そして僕が部室の本棚にある本のうち数冊から情報を集めて、目ぼしい情報の周りはあらかた写真を撮ったころ、他のメンバーがかわるがわる到着して、朝の定例会がはじまる。

 

 JRNの敷地にも限りがあるから、毎回のように演習できるスペースを確保できる訳ではない。なので今日は演習などはせずに、お互いの近況や習得状況を確認しながら、万が一の出動要請に備えて待機しているだけだ。

 要するに全員が部室で揃って駄弁って雑談しているだけなんだけどね。詳しく話を聞いてみれば、その時活動できているユニットの数にも依るもののおよそ1割くらいの確率でこういう日が生えてくるらしい。

 

「どうだい、もうそろそろトレイニングには慣れてきたかい?」

 

 その雑談の中で、早乙女さんは僕達新人二人にそう呼びかけた。

 

「アタシはオトメさんから習った5つの技の使い方とか、有効性とか、リーチとかはだいぶわかるようになってきたかな」

「そうかそうか。それは何より。……山根君はどうだい?」

「僕の場合慣れるも何も僅かな隙間を見つけてスナイプするだけじゃないですか、大して進歩というものはないですよ。そもそもクシーさんが《桜銀河》一本でやってたから彼女に助言求めてもどうにもならないですからね……」

 

 一応《桜銀河》のメカニズムとかリバースエンジニアリングして新しい技を生み出そうともしてるけど、そんなに上手くはいかないのが現実だ。

 

「一応聞いておくけれど、その唯一の《桜銀河》の扱いはどうだい?」

「これしかできないんですから、慣れないでいる方が難しいと思いませんか」

「つまり君はもう既にクシー号とのトレイニングは完全に習得したという事だね?」

 

 確かに、言葉の表面だけ聞いていればそう聞こえるかもしれない。実際、クシーさんが前線に出ていた頃の動きであればほぼほぼトレースはできると言っても差し支えないレベルだとは本人の口からお墨付きを得ている。

 

「できてる訳ないじゃないですか。そもそも、クシーさんは自分自身でもその力を十分に引き出せていないって言ってたんです。本人すら知らない潜在的な何かが絶対にあるはずで、僕はまだそれの足がかりすら掴めていません」

 

 クシーさんは、《桜銀河》以外の術を必要としなかった。そして、当時は《桜銀河》のデメリットは今のそれと比べるとはるかに小さいものだった。だから、彼女からコピーできるものは最早もう無い。だけれど、彼女の全力をコピーできている訳ではない。だってクシーさんは全力を出していなかったのだから。

 

「山根君。それは確かに、かつてトレイナーが生業としていた重要な役割の1つだ。だけど、まだ経験の浅い者がやることじゃない」

「じゃあ僕はどうすればいいんですかね」

「しばらくは座学中心のメニューを組もうと思っているよ。君の場合、どうしてもクィムガンから離れて、全体を俯瞰しながら対応することになるだろうから、状況の分析や記録といった役割を頼みたいと思っている。だから分析ができる程度には知識を蓄えてもらいたい」

 

 なるほど。でもそれを習得する頃にはもうトランジットができて僕も前にいる気はするんだけどな。

 

「もちろん、いつになるかはわからないけれどもそのうち君も前に出られるようになるはずだし、逆にそうなってもらわないと少し困る。でも、これから君に教える知識は、前に出たからといって使えなくなるような軟なものではないから安心していい」

「前に出てても当然状況分析は必要ってことですよね」

「そういう事だ。近接特化している方が速度や精度は高いけれども、君の場合はトランジットを重ねたところでクシー号のが強力ゆえに遠隔も継続する蓋然性が高いから、汎用性を求めた方がいい」

 

 やはり《桜銀河》は、ベテランの目から見てもデメリットを打ち消すほどに強力らしい。トランジットしたところで結局全て《桜銀河》に劣るだとか、そういう評価を下されて結局前には出ずしまいになりやしないだろうか?

 ……なんだか、それはそれで別の不安が僕の脳裏に広がったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ後:JRN七不思議

 特に何もなく平穏に午前中の時は過ぎ、昼休みも終わって午後の待機時間に突入した。

 

 午前中は常に話し声が飛び交っていた部室も、この時間になるともう話すことがなくなって、各々自分のタスクなどをしていたり、単にやる事がなくて横になって昼寝モードに入っていたり。かくいう僕も本棚から過去の活動録を取り出して読んでいる。

 

「イヤーッ!」

 

 突如、部室の中にそんな声が響いて、8つの目がその声の主に向けられる。先程まですんやりと昼寝をしていた北澤さんが、ダラダラと冷や汗を滝のように流しながら上体を起こしていた。

 

「はぁ……、はぁ……。ぶし、つ……?」

「落ち着いたか? いったいどんな悪夢を見てたんだ」

 

 成岩さんはそう声をかけながらタオルを投げ渡す。

 受け取った北澤さんはそれで顔と首周りの汗を拭くと、唐突に変なことを聞いてきた。

 

「アタシの名前って、何だっけ……?」

 

「うん?」

「大丈夫?」

「……へ?」

「4人が目ぇ離してるうちに寝返りで強く頭でも打ったか?」

 

 突然何を言い出すかと思えば。悪夢の衝撃で記憶って飛ぶものなのか……?

 僕達4人は顔を見合わせて、お互いに困惑の色が出ていることを確認した。

 

「いや、そういうのじゃなくって。夢の内容にも関わってくるんだけど……」

「貴女は、北澤百合。違う?」

 

 佐倉さんがようやく彼女の質問にそのまま答える決断をした。

 これで否定されたらいよいよどうすべきだろうか? 目線でそんな疑問を共有したけれど、幸いにもそれは杞憂だった。

 

「だよね、良かったぁー! うん、アタシの名前は百合」

 

 北澤さんは自分に言い聞かせるようにそう口に出している。

 

「一体どんな夢を見てたんだ……」

「アタシの中に誰かが入ってきて、それで髪の色とかがトレイニングした時みたいに変わって。そして、アタシの名前を奪われちゃって」

「名前を、奪われる……?」

「うん。元々の自分の名前が思い出せなくなっちゃって、かわりの名前がふと頭の中に浮かぶの。しかも、皆からはそっちの新しい名前で呼ばれてた。それで、皆の呼びかけで、新しい名前がまるで昔からそう呼ばれてたかのように、スッと自分が呼ばれているってことだと入ってきちゃって。それで普通に返事を返して、その後また元々の名前を思い出そうとしても思い出せなくて、悶々としてるうちに自分の中でも気がついたら新しい名前を認めてて、そしてアタシの口からもその名前で名乗ってた」

「「「「…………。」」」」

 

 ……ヒェッ。酷い悪夢だ。聞いている途中から鳥肌がとまらないし、恐らく僕の背中も滝のように冷や汗が流れている。

 今まででも突然思いもしない渾名を友人につけられてそっちで呼ばれ続けたり、業務上唐突に新しい呼び名――例えばウルサロケットというコールサインだとか――が与えられたりはした事があるから、そっちの方はそんなに恐ろしい夢だとは思わない。だけれど、自分の名前を思い出せなくなってしまうというのは。

 

「夢で良かったですね」

「ホント、夢でよかったよ」

 

 ふと口から溢れたその言葉に答えが帰ってくる。

 仮に実際にそんな事が起きたとしたら……少なくとも僕は、間違いなく発狂すると思う。だって、真也という名前は、僕が生まれて間もなくこの世を去った母親がくれた、一番大きなものなのだから。

 

「……JRN七不思議の1つ。『昼寝から覚めて覚えていられる夢は、遅かれ早かれ全て正夢になる』」

 

 ぼそりとそう呟いた声が聞こえて、体がビクリと1回震えた。

 声の主の方を向けば、彼女は首を僅かにかしげながら、左手の人差し指を笑窪に立てている。そして、しっかりと目が合った。

 

「他の6つも聞きたい?」

「「遠慮しておきます」」

「佐倉君、非科学的な噂話で徒に恐怖を煽るんじゃないよ。少なくとも私は長年JRNにいるけれども、七不思議なんてのは初耳だぞ?」

「そうなの? サイクロじゃ有名だから、みんな知ってるものかと」

「ノーヴルでも聞かないな」

 

 僕もそんなのは知らないし、パレイユの北澤さんが僕と同じ反応をしているのを見るに、どうやらサイクロの派閥の中でだけ流布されている七不思議なんてものが存在するらしい。非常に心臓に悪いからできればサイクロの外にまで持ち出さないでいただきたいし、そもそもそれって名前自体をサイクロ七不思議とかに変えるべきじゃないのかな。

 

「佐倉君。得体の知れない恐怖というものが、人の精神にどういう影響を与えるかしっているかい?」

「知ってる。だから私達は得体を知るために研究する。違う?」

「その論理は間違ってはいないかもしれないが、決して恐怖を撒き散らしていい理由にはならないね。特に新人はパフォーマンスを下げられたら後に響くものは相対的に非常に大きいというのは、君にも新人だった時期があったからわかるはずだ」

 

 早乙女さんは屁理屈を苦い顔で諭している。一方で佐倉さんは早乙女さんの奥の遠くを見て、口を半分開けている。

 

「恐怖とは、未知へと誘う道標。なんでパフォーマンスが下がるの? ワクワクしない?」

「しないよ」

 

 ……どうしよう。目の前で起きている話が全く噛み合っていないし、どちらの言い分も微妙に理解ができてしまうのがとてもつらい。

 流石に恐怖からダイレクトにワクワクすることはないけど、後から恐怖を振り返って見つけたわからない事を調べるのがとても楽しいことは、また1つの事実でもあるから。

 

 そう脳内でぐるぐると思考をこねていると、気がつけば僕は成岩さんの脇に抱えられて廊下に出ていた。

 

「成岩さん?」

「やっと気づいたか、お帰り」

 

 そして僕は廊下に出ていた北澤さんの横に下ろされる。

 

「2人とも、覚えておきな。リーダーと佐倉が繰り広げる平行線の議論は、9割以上が見ているだけ時間と脳内リソースの無駄だ」

「言い切っちゃうんですね」

「本当に必要な議論の時はこうやって俺達が気づかれずに離脱なんて出来っこないからな、出来るんだったら大体2人だけの世界だ」

 

 評価が酷い。でも、数年来同じユニットで活動してる中での分析だから、これはおそらく間違いではないんだろう。

 

「それとだ。JRNにはメンタルやられたときに、匿名でカウンセリングが受けられるシステムがある。この敷地内のどの固定電話でも、何なら電話ボックスでもいいから、内線番号0783(おなやみ)にかけるだけだ」

「……ありがとう、成岩先輩」

 

 ちなみに、あの2人の論戦は4割決着がつかず、つく場合は半々なのだそうだ。




【TIPS:トレイナーズスクール】
ラッチ開発後、急速に数が必要となったトレイナーを要請するためにつくられた養成機関。
基本的には義務教育修了後の外部では高校生相当の児童が所属するが、募集要項上は年齢の制限に上限はない。
現在では毎年JRNに新たに所属するトレイナーの大半がここの出身である。しかしながらスクールを卒業していることとトレイニングできるノリモンを見つけられることは完全に独立した別の問題であるため、JRNに定着するのは毎年3割ほどにとどまっており、この点を問題視する者も少なくはない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ前:もう助からないぞ

「やぁおはよう山根くぅん。君が来るのを待っていたよ」

 

 金曜朝。だいたいいつもアドパスさんがやってくる時間帯に合わせてラボに向かうと、その中で待っていたのはベーテクさんとポラリスだった。

 いや、なんで?

 

 そう一瞬疑問に抱いたけれど、こんな朝早くから来てることが今まで無かっただけで、そもそもよくよく考えなくてもここのラボの主はベーテクさんだった。普通にいてもおかしくはないか……。

 

「どうしたんだい? まだ朝なのに、やけに肩に力が入っているじゃないか」

「自分の胸に手を当てて考えてください」

 

 この時僕はこう思った。もう助からないぞ、と。

 まだ成岩さんもアドパスさんも出勤してきていないので、一刻たりとも気を抜くことができない。最悪の場合に備えてノーヴルのハラスメント窓口やコダマさんへの直通電話のショートカットは既に設定してあるけれど、そもそもそうなった時にスマホが使えるかすら正直怪しい。

 

「ふぅん。なるほどねぇ……。心外だよ、山根くん」

「何がです?」

「今日はコアタイムで、僕は公的にここにいるんだよ。そして一昨々日の僕は休日、つまり私的にJRNまで来ていた訳なんだよね」

「それがどうかしたんですか」

「僕はねぇ、公私混同はしないと決めているんだよ。だから今日この場では私的なアプローチをするつもりはないよ、仮にやったら暫くは私的な時間でもそういうことはしないと誓ったっていいねぇ」

 

 なるほど、ベーテクさんは今日は手を出さないと。本当かどうかは怪しいけど。

 でも、警戒しなきゃいけないのはベーテクさんだけじゃない。背中に刺さる目線の元を辿れば、そこには緑色のブラックホールのような目をしたポラリスが。

 

「話を聞いていたかい、君? どうしてトレイニングをするんだい?」

「自衛に決まってるじゃないですか」

 

 ベーテクさんは分別がついているかもしれないけれど、ポラリスは月曜に突然突き飛ばしてきたような悪い実績がある。だからまた似たようなことをされるリスクは決して小さくないと思っている。だからこそのトレイニングだ。

 トレイニングしていない限り、人間の出しうる力はせいぜい数kWで、しかもその大部分は脚だ。軽く3ケタkWとか出してきて、指先ですら十数kWに乗るノリモンには逆立ちしても敵わない。ならばこっちだってトレイニングして同じ土俵に立たないといけない。それにこの姿なら、シールドだって使うことができる。

 

 だけれどこれは、正直なところ姑息な手段に過ぎない。ずっとトレイニングしっぱなし、なんてのは到底不可能なのだから。

 そもそも6時間以上の長時間連続してのトレイニングというのは、座学で必ず習う禁忌の1つだ。なぜかと言えば、トレイナーとノリモンの繋がりが強固になりすぎて、お互いがお互いの自我を保てなくなってしまう恐れがあるからだ。ものすごくふんわりとした概念的な話だけど、かっちりとした専門的な言葉で言わせれば、『ノリモンのメンタルモデルそれ自体が模倣子となってトレイニングを通じてトレイナーに感染する』のだそうだ。しかも、特にトランジットをしていないキール単独でのそれはトレイニング先同士での干渉が起きないため、比較的短時間でキールの性質がトレイナーを蝕んでしまうと言われている。

 実際にそうなってしまった人が過去にいたのかどうかは僕は知識を持っていないけれど、それを前提としたガイドラインやルールが作られているあたり、あながち嘘八百を並べているとは言い難いだろう。

 具体的に言えば、JRNでは緊急時を除き陸上での連続トレイニング時間を4時間、直近24時間中の合計を8時間に制限している。そして緊急時にそれを超えてしまった場合は、超えた時間の倍だけ影響を抜く休養時間を取ることになっているのだ。そして現在時刻は8時11分。だからどっちにしろこのトレイニングは12時10分までに1度は解かなくてはいけない。

 それまでにできればいつものようにポラリスがアドパスさんの方に注視しているタイミングを見つけられればいいのだけど。見つけられなかったら無防備な姿をポラリスに晒すことになり、危険があぶなくて険しい。

 

「おはようございま……なんで朝からトレイニングしてんだ?」

「いろいろ、僕にも、事情が、あるんです」

「……そうか。明日の活動には支障でないようにしとけよ?」

 

 ポラリスを視界から外さないようにしながら、到着した成岩さんと言葉を交わす。正直かなり慣れないことをしているので、めちゃくちゃ疲れる。だけれども、やらなければ僕は2人に負けてしまう。

 まだ朝のミーティングは始まってないし、なんならまだアドパスさんは出勤してきてすらいない。けれども僕がこの部屋に入った時点で、僕とベーテクさんたちの勝負はすでに始まっているのだ。

 何事も起こさずに、普段どおりにインターンの業務を遂行できれば僕の勝ち。ポラリスに捕まったりして、業務に支障をきたしたら僕の負け。かんたんなルールだ。

 この戦い……負けられない!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ中:今は少し放っておいてほしい

 0900。

 JRNの始業時刻を針が回り、朝のミーティングが始まる。ポラリスは5分前に出勤してきたアドパスさんの膝の上にちょこんと座り、僕を見つめている。

 

「今日の議題だけど、昨日付でようやく本部がメールを回してきた通り、周回実験線が少なくとも1月程度は使えなくなってしまってね。それと再開以降の予約合戦の間でできる小規模なプロジェクトを立ち上げたいんだよ」

「となると、できればラチ内で完結出来る奴か。この前やってた4輪走行のとか行けるんじゃないか?」

「あるいは、そもそも線路を使わないで済むのもアリかもしれマセンね?」

「だとしたら今やってるみたいに台車周りじゃなくて別のアプローチを考えた方がいいねぇ」

 

 目の前で議論が始まっているけれど、あいにく僕はまだ彼らの実験の本質を理解できていないので聞きに徹するしかない。本当はきちんと理解をして、僕からも何か口に出せるのが理想なのはわかっているんだけれど、彼らの実験の前提となる理論の理解が進んでいないので口の出しようがない。

 それに、僕はマルチタスクがそんなに得意じゃない。知らないことを聞かされてそれを理解すること、そこからブレインストーミングして新しい何かを生み出すこと、それをアウトプットするタイミングを見計らうこと、そして視界の中に映るポラリスを警戒し続けること――この4つを全て同時にこなすのは到底無理だ。

 

 結局朝のミーティングは、僕は一言も発することなく、そして全体として結論の出ることなしに終わりを迎えた。当面の間は既に得られたデータの分析をして、その間にその後の事をじっくり考えるのだそうだ。要するに、結局問題を棚上げして先送りにしただけだ。

 

「じーっ」

 

 ……問題を棚上げして先送りにできるなら、僕だってそうしたいなぁ。

 幸いなことにポラリスは僕が目を離さないでいる間は、まるで「だるまさんが転んだ」をしているかのように動かないか、あるいは後ずさって僕から離れていく。そして書類に目を通そうとしたりして一瞬でも目を離して気を緩ませれば、恐ろしいスピードでこちらに近寄ってくるのだから、常に彼女を視界に入れながらタスクをこなすしかない。正直、マルチタスクでパフォーマンスが落ちる直前の限界ギリギリのラインだ。ミーティング中はただずっと凝視してきただけだったのに、その枷が外れた瞬間これなのだから、思っていた以上にしんどい。

 

「なぁアドパス、今日の山根とポラリスの様子おかしくないか」

「そうデースね。ずーっとお互いに見つめ合ってマースし……もしかしてオメデタデスか?」

 

 ぶっ。

 聞こえてきたふたりの会話に、思わず口の中の紅茶がミストとなって前方へと散布されてしまった。どう考えてもそんな空気じゃないでしょうよ……。

 

「紅茶が勿体ないデース!」

「あなたのせいですよ、聞こえてましたからね?」

 

 そんな胸の暖まるようなエピソードは僕とポラリスの間にはない。強いて言えば現在進行系で背筋がヒエッヒエなので相対的に胸は暖かいという程度だ。

 ポラリスを視界から外さないように、立ち位置を工夫しながら後処理をしていると、アドパスさんは空になっていたティーカップに追加で紅茶を注いでくれた。そのお礼をと会釈して……直感的にマズいと思って左後に手をのばせば、飛んできたポラリスの頭がすぽり。

 一言だけ小言を投げて開放すれば、彼女はまた一旦離れていった。……油断も隙もないなぁ。

 

 ★

 

 時計は回って、1200。

 途中合計3回のポラリスの襲撃を追い払いながらも、ようやく午前中の業務が終わる。

 これ、思っていたよりけっこうしんどいぞ。ベーテクさんが宣言通り業務中は特に何もしてこなかったから良かったんだけど、彼がポラリスと同じように何らかのアプローチを仕掛けてきていた場合はたぶん11時頃には僕は2人に完全に捕まってしまっていたんじゃないかな。

 ただ逆に、公的な付き合いをしている間は安全な反面、私的な状況がいまからとても恐ろしいのがベーテクさんだ。流石に休日とまであれば顔を合わせる必要すらないから大丈夫だと信じてはいるけれど……。

 そんな事を考えながら、ようやくトレイニングを解除して昼食をとるために一度JRNの敷地を出て市街の方へと出向く。うちの食堂部なんて使ってたらポラリスに襲撃される気しかしな……いや、これは外で食べても同じだな、総合スーパーで惣菜買ってユニット部室にでも避難するか。あそこきちんと鍵あるし。

 

「……本当に来た」

「噂をすればなんとやらって奴だな」

 

 部室に入れば、どうやら成岩さんといつも通りいる佐倉さんが僕の話をしていたようだった。何があったのか成岩さんから話が共有されているのか、佐倉さんからも憐れみの混じった目線を向けられる。お願いだから今は少し放っておいてほしい。

 

「まぁなんだ、昼休みの間はポラリスをこの部屋には入れないから安心して休みな」

「10分前になったら起こしてもらえます?」

「わかった」

 

 食事を腹に流し込み、部室の奥、一段高いカーペット敷きのスペースで横になる。今は少しでも疲れを取っておきたい。

 僕は一旦、目を瞑った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回12レ:風の息づかいを感じて

「やっぱ、夢だったか」

 

 目が覚めて、僕は周りを見渡す。夕日が差し込んでいる、いつもの部室だ。

 ……夕日? どうして成岩さんは起こしてくれなかったんだ! 僕の眠りがそうとう深かったのか?

 

 その事実を認識した僕は、体を起こして直ぐに部室棟を飛び出した。トレイニングをして7号館へ向かい……、その道中で、僕はその道に違和感を覚えた。

 

 人がいない。太陽の高さから想定される時間帯は、もう普段から人は少ないけれども、流石に誰ともすれ違わないなんてことはない。

 疑問に思いながらも7号館に辿りつかんとした時。まともになにか強い衝撃が突き刺さる。振り返れば、1号館の真上に真っ赤な光の柱が立っている。

 

 赤? 1号館はロケット、つまり黄色の領域のはず。赤と言えばバランスだ。なのになぜ1号館の上で? そもそも、どうして光の柱が?

 

 わからない。けれど、今周りに人がいないのと関係があるかもしれない。何より、異常があるなら確認はしたほうがいい。それが必要ないならば、向かう最中で誰かが止めてくれるはずだから。

 恐ろしいほど静かな構内を、1号館に向かって走る。近くまで寄れば、その光の柱の源は中庭であることがわかる。わかったのだが。

 

「IDカードが、反応しない……?」

 

 ありえない。ロケットのトレイナーである僕のIDカードなら、24時間365日いつでも1号館の建物自体には入ることができる。なのにどうして?

 ……いや、よく見るとリーダのLEDが点いてない。ってことは待機状態にすらなっていないな。これ、システム全体が落ちてるのか?

 こうなったらアレだ、防災用の外階段を登って屋上にあがり、上から中庭を覗き込むしかない。そうして覗き込んだ中庭は……地獄めいていた。

 一辺およそ50mの正方形の中庭の真ん中、直径30m程度の赤い光の柱の周りには、数人のノリモンとトレイナーがかろうじて立っていて、そしてその外側では倒れていた。動けるひとたちが倒れているひとたちを柱から遠くへと運んでいるのが見える。

 これ絶対に合流して手助けしたほうがいい奴だ。でも、問題はここからどうやって中庭に降りるか。相変わらずIDカードは屋上からの入口にも反応しないので、雨樋づてに降りるべきか? でもそれだと絵面は完全に不審者だ。飛び降りる? 着地はトレイニングしてれば大丈夫だろうけど、下手したら倒れてる人の真上に足を置くことになるので論外だ。

 そうこう考えているうちに、光の柱が消える。そしてそれがあったところの縁には倒れているトレイナーと……真ん中には、真っ黒のドレスを着ている人影を、金属の鎖で縛り上げる有名な顔……JRN、日本ノリモン研究開発機構の理事長にして、始まりのクィムガン、ルースの落し子との1年間にもわたる対峙を終結させた純然たる実力者でもあるノリモン、トシマさんだ。

 

「逃しはしないぞ。貴様次は既に投げられたと言ったな?」

 

 トシマさんは、重く響く声でそう問い詰めている。

 

「さぁね。投げられた行方は、投げた私にだって分からない。でも、風の息づかいを感じていれば、事前に気配はあるはずだ」

『……ろって』

「そうか、ならばもう貴様に聞くべきことはない。ラストランの準備はいいな?」

 

 そうしてトシマさんは鎖を操り、その人を持ち上げて……。

 

「起きろって、山根!」

 

 次の瞬間、目の前にあったのは、心配そうに僕を覗き込む成岩さんの顔だった。あれもまた夢だったか。

 変な夢を見たせいで疲れは取れなかったけど、頭はなぜかすっきりしている。

 すぐさま飛び起きて何度か屈伸をしたあと、成岩さんと一緒に7号館へと向かう。

 

「今、何時です?」

「13時18分、あと12分だ。10分から声かけ始めておいて良かったよ」

「つまり8分目覚めなかったって事ですか」

「だいぶぐっすり寝てたからな。そもそもさっきポラリスが襲来してきた時も微動だにしてなかったしな」

 

 襲来してきてたんかい。油断も隙もないな本当に! だいたいなんで部室にいるってわかったんだよ……。

 そもそも、いったい僕の何がポラリスをそんなに惹きつけているというのか。粘着制御装置が暴走してるんじゃないかな?

 

「後で佐倉には礼を言っておけよ? ポラリスを追い返してくれたのは佐倉だ」

「えっどうやって……?」

「知らん。ポラリスの首根っこ掴んで外行って暫くしたら一人だけ戻ってきた」

「えぇ……」

 

 そう道すがら教えてくれた成岩さんの声には、少し困惑の色が混じっている。

 あの超絶鋼メンタルのポラリスを引き返させるって、佐倉さんは一体……? 流石にわざわざ部室まで来てる事を指摘でもすれば勝てる、か……? いや無理だなぁ。

 というかそもそも、だ。

 

「わざわざ僕のためにトレイニングまでして……?」

「いや、生身で首根っこ掴んでいったが」

「どういうことなの……」

「俺だって知りてぇよ。ただ全体的にサイクロのトレイナーはなんか人間やめてる奴らが多い気がするんだよな。バランスの奴らは莫迦力だし、パレイユには容姿端麗なやつしか居ねぇけど」

「それ言ったらノーヴルだって皆足が速いじゃないですか」

「ロケットのスタミナだって異常だろうが」

 

 ただ単純にJRNに入る段階やスクールでの適正検査と派閥振りでそういう傾向が出るように仕向けられてるだけな気がしてきたぞ。まぁこの領域はどっちにしろサイクロのだから、直接彼らに聞いてみれば案外既に答えが出ていそうな気はしないでもないけれど。

 

 そんな話をしながら、ラボの前にたどり着くと、一度息を整えて再びのトレイニングをして、13時29分30秒、つまり午後の活動を始める30秒前に僕達はラボの扉を開け――

 

 ――そして、飛びかかってきたポラリスをサイドステップで躱しながら入室した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ後:後悔しないでくださいね?

 1330。

 午後の仕業がはじまり、再び防衛戦が幕を開ける。ベーテクさんからの指示は、同一の条件で行われたいくつかのデータを見比べて、その違いの分析をという、どちらかというと課題に近いものだ。何もこんなタイミングで新しい事を……とも思ったけれど、実際のところ実験が物理的にできなくなって彼自身に暇ができてしまったからこういう事もやってみよう、という判断らしい。

 理解はできるけど、データをモニターで見るのと、資料を紙で見るのとでは根本的に大きな違いがある。紙は持ち上げて別の方向を見ながら読むことができるけれど、モニターはそれができない。つまり、ポラリスの監視と並行して読むことができない。詰んでる。

 

 事実ポラリスは午後に僕がモニターと対峙して最初の30分で既に4回も襲撃してきた。視覚はモニターから外すわけにはいかないから、聴覚を研ぎ澄ましてポラリスの接近を察知することで、なんとかその度に僕がひっ捕まえて追い返す対応をできた。けれど、その頻度は高いし、何なら僕がベーテクさんにデータの考察を述べている間ですら襲撃してくるものだから、ついにはポラリス側であるはずのベーテクさんから「僕はねぇ、君の気持ちは理解しているつもりなんだよ。でもね、流石にやりすぎだよ。仕事になんない」とお小言をもらうほどだった。

 そのおかげで、襲来頻度はその後15時のティーブレイクまでの間に2回来ただけ程度には劇減したけれど、それでも常にポラリスを意識しておかなければいけない状況は変わっていなかった。朝呈示された課題はきちんと終わったからいいんだけどさ……。

 

 1500。

 ミーティングを兼ねた、午後の定例ティーブレイクがはじまる。ポラリスを目線で牽制しながら、3人の話を聞いていると、どうやらこれからの当面の方針はもうそれぞれ決まっていたらしい。

 ベーテクさんは『姿勢制御による最高到達可能速度の変化』。

 成岩さんは『手足4輪走行による加速度の変化に関する考察』。

 アドパスさんは『走行中の走者自身の大回転が加速度や速度に与する効果』。

 一応全員がラチ内でできるような実験としてのテーマの設定という事らしいのだけど、素人目にはアドパスさんのはGPSないとめちゃくちゃ厳しいように感じる。走るノリモンの速度をアナログではかるのは、けっこう難しいのだ。

 というのも、まず車輪で走るからと言って安易にタコメーターを使ったところで、それは足でレールを蹴って進む分が計測から除外されてしまう。ドップラー速度計は速度を測れる地点が固定されるから連続的なデータがとれないし、ピトー管は真っ直ぐ進行方向を向かせ続けるのが意外にも面倒だ。加速度センサーから積分するのは、車と違ってノリモンやトレイナーは走行中に前後方向に体が動くから、それがノイズになって長時間で積分したら誤差だらけだし。

 この中で素人目に一番可能性があるとすればピトー管だと思う。面倒なだけできちんと前を向かせ続ければ速度が測れるのだから。そうなると自分自身が大回転するアドパスさんの案はけっこうしんどい気がする。

 

「ラチ内の軌道は真円デース。なのでジャイロ*1使えばどうにかなると思いマシタ」

 

 あぁ、なるほどね? 確かに真円ってわかってるなら角速度に曲線半径をかければ速度が出る。でも、待てよ?

 僕は凝りもせず突撃してきたポラリスを捕まえながら疑問を口に出した。

 

「……それ自分が大回転してたらノイズだらけじゃないですか?」

「回転軸が違うのでノープロブレムデース!」

「アドパスくん、大回転ってどの向きを想定してるんだい?」

「こう……走りながら前にグルグルと」

 

 アドパスさんはそう言いながらラボの中で前転した。そんなことしたら前方の監視ができないのでは……?

 

「やりたくないねぇ」

「却下」

「無理でしょ……」

「こわい」

 

 という訳でアドパスさんの案はあえなくボツになった。残る案は2つだ。

 続いて成岩さんの案はグローブ側の車輪に新しく駆動軸やブレーキを接続する設計と試作品の製作に時間をとられるという理由でボツになり、最終的にベーテクさんの『姿勢制御による最高到達可能速度の変化』が採択される運びとなった。

 

「じゃあ、来週から早速始めようじゃないか」

「今日からじゃないんですね」

「帰らなくてもいいのなら今から始めたって良いんだぞぉ?」

「遠慮しておきます」

「賢明だね、僕だって嫌だもん」

 

 嫌なんかい。今から始めてもちっとも良くないじゃないか……。成岩さんとアドパスさんまで胸をなでおろしているし、わりと軽率に発言したなこれ。

 あれ、ひとり足りないぞ。

 

「ぽゃ」

 

 なんか怪しい気がして足を伸ばせば、机の下の何かが足の間に挟まる。そして机を押してキャスター付きの椅子ごと後ろに下がれば、ズザザザと引きずり出されたのは案の定というかポラリスだった。流石に机の下は卑怯じゃないか?

 

「どうして毎回ばれるのさー!」

「言う訳ないでしょ、言ったら対策するんだから」

「むー!」

「むーじゃないんです、ほら戻った戻った」

 

 ポラリスは頬を膨らませる。

 本当は自分でもなんでわかるのかわからないんだけど、それがポラリスにバレると十中八九行動がエスカレートするに決まっているので黙っておく。

 

「ベーテク。一体何を企んでる? 今日のポラリスはどう見ても異常だ」

「僕からはポラリスには何も働きかけてはいないね。全部ポラリスの意思だよ。だいたい僕にはそれをする必要が無いし、課題を出してきる僕だって困るほどだったんだから一回怒ったんだぞ?」

 

 本当か?

 ……いやでも、確かにそう考えてみると、ポラリスのやってることはかなり幼稚だ。ベーテクさんが入れ知恵したんだとしたらもっとスマートな動きをするはず。

 もしかして、ベーテクさんとポラリスって今日のところは同じ作戦を練ってるわけじゃなくて、独立して動いてた?

 

「山根。新しく実験を始めることになった今、これから俺等がやるのは前のプロジェクトの後始末だ。だからお前はもう帰れ」

「えーっ! 酷いよ富貴」

 

 君に抗議の声を上げる権利は流石に無いと思うよ?

 

「そうだねぇ、確かに僕も今日はもう指示してる余裕はなさそうだから、来週に向けて休息をとってもらおう。何せ次の実験、山根くんにもたくさん走ってもらうことになる」

「……え? 僕がですか」

 

 今までも何度かデータ採取名目で走りはしたし、嫌ではないけど、僕がそんなガッツリ入っていっていいんだろうか?

 

「もちろん君だけじゃないよ。ここにいる5人全員が走ってお互いに評価をする事になるからね」

 

 ……あぁ。僕の負けだ。

 その言葉を聞いて、ようやく理解した。確かに、ポラリスをわざわざ動かす理由がない。その必要が無いのだから。

 公というのは構成する個々が私である以上、個々の出す提案レベルでは必ず私情が混じる。それを意思決定の段階で弾いて残ったもの……言うなれば、適切な手続きを経てお互いに承認を得ることができた私の集合体が公なのだ。

 

「やってやりますよ、後悔しないでくださいね?」

 

 ロケットでは、手続きが正義で絶対。それを正当に通過したものに全力で応えないという選択肢は僕達には無い。

 期待しているよ。その声を背に僕はラボを後にした。

*1
角速度計




【キャラクター紹介:#08】
ーエク
・愛 称:ポラリス
・誕生日:9月26日
・出身地:兵庫県
・所 属:ノーヴル/JRN

 元気いっぱい、まだ幼いノリモン。
 兄貴分のベーテクに引き取られる形で新小平にやってきた。
 ベーテクは名前の意味について命名者の意図に反して、スピードという価値観が輝きを失って失墜していくさまを表していると考えている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ前:あるにはあるけど、かなりレア

「昨日はありがとうございました」

 

 朝、割と早めの時間にユニット部室に行くと、案の定佐倉さんだけが出てきていた。この人いったい何時に部室に出てきてるんだろう……?

 

「後輩が困っていたら助ける。当たり前の事」

「当たり前、ですか……」

 

 かっこいいな。僕は佐倉さんにそんな印象を抱いた。

 それをサラッとできてこう言える人ってなかなかいないような気がしたからだ。

 

「用、それだけじゃないね? こんな早く来たのにも理由がある。違う?」

「そこまでお見通しなんですね」

「確信は無かった。なんとなく、そんな気がしただけ」

 

 まぁ、そりゃこんな早く来てれば何かあると思うのは普通か。逆に佐倉さんもなんでこんな朝早くから部室にいるのか謎だけど……。

 

「昨日の今日なんでなんとなく察されてると思いますが」

「ポラリス」

「……というより、ノリモン全体ですかね。あんなに執着される理由が分からないんですよ」

 

 ベーテクさんも大概怪しい気はするのだけど、それでも接触の頻度や濃さは通常の範囲に収まると思う。それと比べても、ポラリスのそれは異常だ。

 

「別に、人間同士でもある」

 

 いやまぁ俗にメンヘラとかヤンデレに分類されるストーカー行為をしてくる人間だって確かにいない訳ではないんだけど、そういうことを聞きたいんじゃない。

 

「ノリモン特有の何かが、そういう傾向に振らせるってことは……?」

「たぶんない。あるにはあるけど、かなりレア」

 

 レアケースねぇ。そもそもポラリスの存在自体がレアケースの塊だということは聞いているから、一応聞いておいたほうが良さそうだ。

 

「何か手がかりが?」

「あの子、色遣い的に旅客車でしょ? 機関車とか、特に貨物車とか、そういったタイプのノリモンの話」

 

 じゃあ関係ないのか。

 でもなんか引っかかるんだよなぁ。

 

「一応話だけ聞かせてもらえます?」

「時間あるしね。簡単に言うと他者に飢えてるだけ」

「飢えてる、って……」

「別にこれは食物連鎖とか、そういう事じゃないから安心して」

「流石にそれは心配してませんって」

 

 仮にそうだったとしたら誰もJRNになんて来ないよ。よっぽどの変態なら別かもしれないけど。

 

「前にノリモンは模倣子を拡散したがるって話はしたね?」

「それが本能、なんですよね」

「うん。ノリモノイドに成る前でも。旅客車の場合はお客様に薄く薄く、だけど不特定多数に直接」

「でも、貨物車はそれができない、と」

「そういうこと。だから多くはそもそも成れない。自己を確立できないから」

 

 あぁ、だからほとんど貨物車のノリモンを見ないのか。同じ貨物を運ぶ乗り物でも、貨物船だと比較的たくさんいるらしいけど、彼女らは複数の船員さんが四六時中ほぼつきっきりで濃厚に接触してるもんなぁ。そこで船員さんのメンタルモデルに模倣子を刻み込むなんてのは簡単だ。それと比べたら貨車は……うーん、厳しいというかもう無理ゲーに近いんじゃないかなぁ。

 

「それに、運良く成っても、メンタルに大きく差が出る」

「差が出ると……?」

「自分が模倣子を特に強く感染させられる対象に執着しがちになる。十分させられれば落ち着く」

「それがつきまといに」

「そういうこと」

 

 わかるようなわからないような。

 

「ちなみにそれってトレイナー側から対策取れるものなんてすかね」

「そのノリモンとトレイニングするのが手っ取り早い。通称人柱」

「通称が直球すぎる……」

 

 理屈は頭ではわかるけど。トレイニングって、キールだろうがトランジットだろうがそもそもが相手のもろもろを借りて自分に取り込むものだし。そして、彼女の話しぶりからすれば、ノリモン側は自分がトレイニングできるとわかってつきまとっているようだから、お望み通りトレイニングしてしまえば落ち着くってことだろうか。

 それでも、トレイナー側からしてみれば、なんで付きまとってくるノリモンとトレイニングしなきゃいけないんだって話だけど。

 

「心情的に無理があるのでは?」

「でも、そのまま放置すると大変な事になる」

「大変な事って」

「堕ちる。クィムガンに」

 

 えっ。

 クィムガンってそうやって生まれるの?

 

 詳しく聞いてみれば、クィムガンが発生するメカニズムの1つに、伝播させることなくノリモンの内部に溜まってしまった模倣子の暴走というものがあるらしい。自分の存在を最も効率よく他者に刻みつけることができるのが恐怖という感情だからだと、サイクロでは考えられているのだとか。

 

「そのための『ガス抜き』も、トレイナーの立派な仕事の1つ」

「うへぇ……」

「クィムガンが生まれる前に対策できるなら、それがベスト」

「そう言われるとめちゃくちゃ断りにくいじゃないですか」

「無理しなくてもいい。そのノリモンがクィムガンに堕ちた時に、自力で、他人に迷惑かけずに見納めにできる覚悟があるのなら」

 

 そうか、そういう話になっちゃうのか。なかなか厳しい世界だ。

 もし今後そういう事があったら。僕は仕事だと割り切ってしまえるだろうか。それだけ頑強な心を、僕は持てるだろうか。

 

「ま、脅しちゃったけど、さっきも言った通りレアケース。リーダーだって経験したことはない」

「なら大丈夫、なのかなぁ」

 

 念の為ポラリスにも確認しておこうかな。仮にそうだった場合に放置しておくデメリットが大きすぎる。今の所まだごめんなさいしてくれれば許せるレベルだし、悪化する前にこっちからアプローチかけて止まってくれるならそれでいい。それに僕だってトレイニングできるノリモンを探してはいる立場だし、仮にそうだったとしたら一石二鳥だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ中:一番は、むかしの約束ですね

 半ドン。

 業務や教育課程が午前中で終わり、午後はフリーとなることを指す単語だ。

 JRNでは当直に入らない各ユニットの定期活動は最低週に2日半、うち最低半日は土日のいずれかと規定されている。いつ出動要請が出ても最低1つのユニットが対応できるようにするためこうなっているのだとか。

 当たり前だけど、たいていのユニットは土日に休みを入れたがる。中には「空いている平日に遊びたい」と土日フルで定期活動入れてる変態的なユニットもあるけど。ウルサが最低限かつ土曜半ドンというぬるま湯のような定期活動日を入れられているのは、僕と北澤さんがまだ新人もいいところだからそういうところの調整が優遇されていて効きやすいのだからだと早乙女さんが言っていた。

 

 そしてウルサ・ユニットでは、その土曜の半ドンの後がいちばん愉快なことになる。ユニット部室は、活動の時の拠点ではあるが活動時間外も使ってはいけないわけではない。早乙女さんはご家族とのコミュニケーションのためにだいたいいつもすぐ帰るけど、他の僕達4人は自然とそのまま部室に残ることが多い。それでいて業務時間外なので、普段纏っている緊張感が剥がれる。

 要するに、4人とも微妙に素が露出しているのだ。

 

「だりぃ」

「……成岩、最近だらけすぎ」

「これが素なのはお前は知ってんだろ」

 

 まず最初に陥落したのは成岩さんだった。僕がユニットに正式に所属してから2回目かそこらの半ドンでもうこんな感じになっていたし、なんならベーテクさんのラボでも用事のない休憩時間はこんなんだった。もっとも、佐倉さんの言いぶりからすると僕が入る前も常にこうだったらしいけど。

 そして意外にも、次に素が出たのは北澤さんだった。どうも彼女、スクールの頃から常に猫を被っていたらしい。その頃は同じクラスだったのが2年次の派閥分けがあるまでの数か月だけだったから、そんなに深く関わることはなかった。そんな中で抱いた彼女の印象は元気で快活な優等生というものだったし、なんなら毎日多摩丘陵を縦断して自転車で町田市の実家から通っているというぶっ飛んだ情報のインパクトが強かった。

 だというのに、成岩さんのメリハリのついたオンオフの切り替えに引きずられたのだろうか、先週ついにボロが出た。そして、彼女は開き直って今日はもうオフになった瞬間完全に素を出した状態になっているという訳だ。

 正直なところ、北澤さんの場合はボロが出たという表現は違うような気がするんだけどね。だって……。

 

「身内とも言える間柄となることがほとんど定められている、ユニットメンバーしかいないとわかっているこちらで、猫を被る必要がありまして?」

「いや先週まで被ってただろ?」

「……気の所為ですわ」

 

 素の口調がこれだもの。先週も思ったけど、猫被る前と後の口調はどう考えても逆じゃないかな?

 そう思って話を聞いてみれば、素がこんなんなので中学時代は敬遠されたりよからぬ憶測をされたりしていたので、誰も自分の事を知らない環境で、なおかつ彼女自身への興味が惹かれにくいということでスクールを目指して、そこでスクールデビューを果たすために猫を被っていたのだとか。大変な努力だ。

 

「そのお陰でスクールの3年間は平穏に過ごすことができましたわ。特に山根さんは同じ学年でしたから、誰一人とてアタシがこのような人間であるとはお気づきにならなかったことをご存知かと思いますわ」

「それ以外の情報量が十分多かったからじゃないですかね」

 

 主に自転車とか。

 だいたい育ちの良いお嬢様が毎日片道20キロメートル自転車で丘陵越えて通ってるとは普通は思わないって。口には出さないけど。

 

「……まぁ、いいですわ。それに、アタシのお粗末な来歴などより、山根さん、貴方の経歴の方が面白いのではなくて?」

「え? 僕ですか」

「それは俺も気になるな。西日本から1人トレイナーズスクールの門を叩く奴は少ないからな」

「山口県、だったっけ?」

 

 3人の視線が刺さる。

 北澤さん上手く話題そらしてこっちに矛先向けやがったな。

 隠しておく理由も特にないので、聞かれたんだったら普通に話すけどさ。

 

「そんなに面白い理由は無いですよ。1つはとっくに母が他界してるので寮に入れるところに進んで父を楽にさせてやりたかったのと」

「いきなり、話が重い」

「あとトレイナーズスクールは授業料も寮費も光熱費もとても安かったのと」

「聞いてるこっちが悲しくなってきたぞ」

「それと単純に東京に憧れが少しあったのと」

「その点は案外一般的なものですのね……」

 

 それと、もうひとつ。

 僕がJRN、トレイナーズスクール、そしてノリモントレイナーを目指すようになった、いちばん大きな理由。

 

「一番は、むかしの約束ですね」

「「「約束?」」」

 

 うおっ食いついてきた。なんとなく予想してはいたけど。

 

「約束と言っても、小学生の時の小さなものですけどね」

「でも、君は今ここにいる。違う?」

「まぁそうですが。聞きたいですか?」

 

 3人は頷いた。

 

「じゃあお話ししますね。そのきっかけは、僕が6歳のとき家の近くの裏山であの黒いノリモンと出会ったところから始まるんですが……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ後:今でもいつか会えると信じてますから

 僕が生まれ育ったのは、山口県の日本海側、山陰線と国道の通る小さな町だった。

 小学生の頃の僕の遊びといえば、近所の裏山の冒険だった。当時から片親で小学校で孤立していた僕は、父さんの帰りも遅く娯楽もほとんどなかったので、よく山の中へと入っていた。

 

 そんなある日。山の中のお気に入りのスポット、海を見渡せる高台で、僕はその運命的な出会いをした。

 最初見た時は、熊だと思った。真っ黒だったからだ。当時は地元がそもそもツキノワグマの生息地ですらないから熊なんているはずもない、なんてことは知らなかったし。

 でも、腰を抜かして後ろに倒れてしまったとき。彼女が気づいて振り返って、それでようやくそこにいるのが熊ではないことを理解した。

 

「アナタ、立てる?」

 

 真っ黒な衣に身を包み、黒に近い鼠色の髪を伸ばしたその者は、優しげに微笑みながら僕の方へと手を伸ばした。

 

「大丈夫。ここに、人がいることなんてなかったから、びっくりしちゃっただけ」

「その言葉、そっくりそのままアナタにも返していいかな? どうしてアナタみたいな小さな子が、こんな山の中に一人でいるんだい?」

「……僕、友達いないから。それに、ここから見る眺めが大好きで」

「ここが一番眺めがいいのかい?」

「うん、そうだよ」

「そうかい、いいことを聞けたよ。ボクはこっちの方にくる事があまりなくてね」

 

 それから数週間に一度ほど、僕達はその高台で話をするようになった。学校でもほとんど話し相手と言える人がいなくて図書室にこもっていた僕にとっては、だいぶ久しぶりにできた話し相手だった。とはいっても、僕から話せることは殆どなかったから、話を聞いて反応を返すだけだったけれど。

 

 ★

 

「おいちょっと待てや」

 

 成岩さんは大声を出して僕の昔話を遮った。

 

「急になんです? まだ話は途中どころか始まってすらないようなところなんですけど」

「明らかに不審者だろソイツ」

「警戒心、なさ過ぎ」

「そうは言われても当時はまだ子供でしたし……」

 

 それにそのノリモン、コロマさんに何か変なことをされたという訳でもないし、むしろこの出会いがあったから今の僕がいる訳で、どちらかといえば感謝している方だ。

 まああれだ、結果良ければ全て良しって奴だ。

 

「それでいいんですの……?」

「それでいいんですよ」

 

 そもそも人に話せるような昔話なんてのは、基本的に上振れの連続だ。そうでないアクシデントだとかはあっても、基本的にその後の上振れのスパイスでしかない。

 そうじゃない昔話なんてのは、教訓にでもならない限りわざわざ人に話す意味もない。聞く人を不快にさせるだけだからね。

 さて、話を戻そうか。

 

「じゃあ、話を昔話に戻しますね」

 

 ★

 

 その時は、まだ町の外の事を全くと言っていいほど知らなかった僕にとって、目的のために日本だけでなく時には世界をも飛び回っていたというその外からやってきた来訪者の話は、ものすごく新鮮に感じられたんだ。

 

 そしてしばらく経った頃。

 

「ねぇ。アナタのこと、真也って呼んでもいいかな? ボクのとっておきの秘密を教えてあげるから」

 

 そう前置きされて知ったのが、僕の初めてのノリモンとの出会いだった。

 

「お姉さん、人間じゃないの?」

「そうさ、ボクはノリモン。だから、こんなこともできる」

 

 そう言うと彼女の右手が光り、袖から鎖が飛び出した。そしてそれを近くの木に巻き付けて浮き上がる。そして振り子のように一度飛び出すと、戻りがてら僕を抱き抱えた。

 

「よっ、と」

「えっ?」

「危ないから暴れないでくれよ? 下手したら死んじゃうから」

 

 そして僕達は、高台から国道を飛び越えて日本海へと飛び出した。

 思わず目を瞑る。だけれど、僕が濡れることはなく、目を開けたら僕達は海の上にぷかぷかと浮かんでいた。

 

「生きてる」

「そりゃそうだろう、ボクがいるんだから」

 

 波を切る音と反対側から、そんな声が聞こえる。目を開ければ、目前には道標のないブルーの世界が広がっていた。

 

「きれい……」

「気に入ったかい? 海は」

「うん」

「そりゃよかった」

 

 それから僕達は小一時間ほどクルーズを楽しんだ後、町の数少ない砂浜に戻ってきた。

 真っ赤な夕日が、僕達を照らしている。僕はその日、それまで知らなかったノリモンという存在に完全に虜にされてしまった。その時に僕はトレイナーという仕事を知って、白紙だった将来の夢のキャンバスフレームに色が入った。

 その日以降、僕は会う度にノリモンについて問うようになった。でも、そんな日々も長くは続かなかった。

 

「ごめんね、真也。もう少ししたら、ボクはここには来れなくなってしまうかもしれない。全てのノリモンを幸せにするためには、同じ場所に留まり続けてもいられないからね」

「……そっか」

「案外冷静だね?」

「初めて会ったときも、いきなりだったし」

「それもそうか」

 

 そんな話をした後、たしか3度目だったと思う。旅立たなければいけないと切り出されたのは。

 

「真也。一旦はお別れだ。でも、これだけは約束しよう。アナタがノリモンを好きでいる限り、ボク達はまた会える。ボクはまた、いつかは君の前に現れると」

「うん、約束する。僕は大きくなったら日本一のトレイナーになる。そうしたらまた会えるでしょ?」

「だいぶ大きく出たね。じゃあ、キミにはボクの本当の名前を教えてあげよう。ボクはコロマ、総てのノリモンの幸せを願ってやまないノリモンさ」

 

 それが、僕とコロマさんがした約束だ。

 

 ★

 

「……意外」

「ロマンチシストな部分もあるのですのね」

「僕を何だと思ってたんですか」

「石橋を叩いて渡る慎重なデータ主義者」

 

 今までも割とユニットでも危ない橋を渡るようなことはしてたと思うんだけど、どうしてそういう評価になるのさ……。

 

「会えるといいな。その恐らく野良の、船舶系のノリモンによ」

「僕は、今でもいつか会えると信じてますから」

 

 そのためにも。

 ユニットの活動も、しっかりやっていかないとな。僕はそう再確認した。




【キャラクター紹介:#9】
コロマ
・出身地:長崎県
・誕生日:3月30日
・所 属:???
 幼き頃の山根と出会い、彼にトレイナーを目指させるきっかけとなったノリモン。
 全てのノリモンの幸福を願い、JRNとは別で行動しているらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ前:簡易可搬式ポラリス捕獲装置

 月曜日の朝。いや、朝と言えるかすら怪しい、まだ西の空は暗い時間に僕は早周りしてラボに向かった。やや大きめのスーツケースを携えて。

 7号館の前で協力者である成岩さんと合流し、ラボの中で待ち伏せる。

 

「ガチでやるとは思わなかったぞ」

「僕はやると決めたらやるんです」

「そうか。だが、本当にできるかは分からんぞ? あのポラリスを説得するだなんて、俺ですら自信はない」

 

 金曜日の1日で、もうポラリスの動きはだいたい読めるようになってしまった。ならば、やることは決まっている。

 それは、ポラリスを捕獲し拘束すること。彼女を説得するにせよ、その最中に暴れられたり、逃げられたりしてしまったら意味がないからだ。

 

「協力はするが、今日の実験には響かないようにしておけよ?」

「わかってますって。金曜珍しく早く来ていたことを考えると、今日もどうせかなり早いから大丈夫です」

「その謎の自信はどっから出てくるんだよ」

 

 自信なんかじゃなくて、容易に推測されてるだけなんだけどなぁ。

 まぁ、そんなのは論より証拠だ。昨日丸一日かけて設計した簡易可搬式ポラリス捕獲装置を小一時間ほどかけて組み立てて、僕はその装置の後ろの対ポラリスシェルター兼装置操作部に隠れる。

 

「やっぱりお前おかしいよ」

「そうですかね?」

「自覚が無いってのがいちばん恐ろしいな」

 

 なんか成岩さんがいろいろ言ってるけど、こういう文脈のおかしいとか恐ろしいはだいたい褒め言葉なのでありがたく受け取っておく。

 さて、そろそろ7時だから、金曜日に来たとベーテクさんが言っていた時間からしてそろそろ襲来する時間だろう。

 

 まさにそう思ったその時、扉が勢いよく開かれた。この扉の開け方は成岩さんかポラリスだ。

 成岩さんに事前に話をしておいたのは、消去法を成立させるためと言っても過言ではない。つまり、この時点で消去法でポラリスが確定しているのだ。

 装置に窓を作る余裕はなかったので直接は見えないけれど、何度もこちらに突撃してくるポラリスの動きやその足音からどこをどう動いているのかは大体の予想はできる。

 

(――今だ!)

「……ぺょっ!?」

 

 ガシャン。鳥籠のようなゲージが降ろされて、おそらくポラリスを閉じ込めた、はず。

 ロック機構を作動させて外に出て確認すれば、おおかた予想通りの籠の中のポラリス。やったー! ポラリスを捕まえたぞ。

 ポラリスは何が起きたかまだ理解できていないのかきょとんとしている。そんな彼女の方へと向かおうとしたとき、もうひとりの今来た者から声がかかった。

 

「……君たち、何をしているんだい?」

「ポラリスを捕まえました」

「そっか、真也に捕まっちゃったんだ……えへへ」

「それは見ればわかるよ! 僕がねぇ聞きたいのは、なんでそんなことをしたのかって事だよ」

 

 なんでって言われても……。

 

「今日から実験するじゃないですか」

「うん、そうだね」

「金曜のこと考えると、多分ポラリス突っ込んでくるじゃないですか」

「……まぁまぁ、そうかもしれないね」

「なので説得します」

「それはわかるよ」

「だから捕まえました」

「うん?」

「うん?」

 

 あれ、話が噛み合わない。なんでだ。

 

「説得する必要があるのはわかるよ、でもなんでこんなことをする必要があるんだい?」

「説得してる最中に逃げたり余計なことをされたりしないためですが」

「逃げないよ!」

「……その至った判断までは理解しかねるけど、とりあえず背景はなんとなくは理解したよ。始業時刻までには片付けを終わらせておいておくれよ?」

「当たり前じゃないですか」

 

 よし、ベーテクさんの許可も実質出たようなものなので、ポラリスの説得に移ろう。

 

「さてポラリス。聞こえてたと思うけど」

「やだ。ポラリスが真也を捕まえるの!」

 

 子供か。子供だったわ。

 まぁここで拒絶の反応が帰ってくるのは想定の範囲内。二の矢三の矢は当然準備してありますとも。

 

「じゃあ聞くけどさポラリス、君は僕を捕まえてどうしたいのさ?」

 

 念の為の確認だ。おととい佐倉さんに聞いた事が当てはまるなら話は早いし、そうでなくとも叶えてやれる範囲内だったらとっとと叶えてやるのが丸い。逆に倫理的にヤバそうなやつならば、このベーテクさんや成岩さんがいる空間で口に出させることでふたりには悪いけど巻き込まさせてもらう。

 そして、考えられる一番厄介なパターンが……。

 

「教えてあげない! だって真也、意地悪するんだもん」

 

 ポラリスは頬を空気バネのように膨らませて拗ねている。

 事前に考えていた中で、一番厄介なパターンが、こんなふうに拗ねられてしまうパターンだ。つまり今、最悪のパターンを引いた訳だ。

 でも、想定済みですとも。これくらいならリカバリは容易だ。

 

「ふーん。そんな事言っちゃうんだ。せっかく僕が君のお願いを聞いてあげてもいいかなって考えてるのに」

 

 拗ねるというのは、だいたい構ってほしいのにそうならないときに起こす行動だ。だからエサを垂らせばわりと簡単に引っかかる。

 事実ポラリスの頬は既にしぼみ、その瞳は振り子のようにゆらゆらと揺らいでいる。あとひと押しだ。

 僕は捕獲装置に近寄って、ポラリスに続けて呼びかけた。

 

「ねぇポラリス。僕はね、君が何をしたいのかがわからない。だからこうやって壁を作るしかない。でもね、本当は僕だってこんなことをしたいわけじゃない。だから、君のことをもっと教えてほしいな」

 

 装置の隙間から、僕は手を差し伸ばした。ポラリスはその手をじっと見つめている。

 そしてゆっくりと僕の手の方へと手を伸ばして――顔が、綻んだ。

 よし。

 

 

 

 ガシッ!

 

「……へ?」

 

 想定していたよりも明らかに強い衝撃を腕に感じる。

 見れば、ポラリスは僕の右手を、全身を使って抱きしめていた。

 

「えへへ。つーかーまーえーたっ!」

 

 ……あれれー。おっかしいなー?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ中:ボタンが押ささってしまってね

「ねぇポラリス」

「やだ」

「まだ何も言ってないんだけど?」

 

 ポラリスは僕の腕を抱きしめながら、満足げな声色で拒否した。

 ……どうしてこうなっちゃったかなぁ?

 ちらり。ふたりの方を見る。

 

「山根」

「成岩さん」

「……お幸せに!」

「成岩さん?」

 

 あっだめだ。この人この状況を楽しんでやがる。

 あとはベーテクさんだけど……あれ、見当たらない。どこ消えたんだ?

 そう思って首を回した瞬間、ガコンと僕とポラリスを隔てるケージが上がった。そして、操作部から探していた声が聞こえる。

 

「いや凄いねぇ山根くん。これ、今朝ここに持ってきて組み立てたんだろう?」

「あの、ベーテクさぐぼぉ」

「ぎゅーっ」

 

 腕に纏わりつく感覚が消えると共に、胴になにかが巻き付く感覚に襲われる。何が起きたのかは見なくてもわかる。

 しかしまぁ、力が強い。痛い。ポラリスも本当にノリモンなんだなぁなどと関心している場合ではなく、下手したら肋骨がやられる。というか現在進行系で肺や横隔膜が圧迫されてうまく声が出せない。窒息する。

 ならば一旦この場でトレイニングを……駄目だ、チッキケースの上から貼り付かれてしまってチッキを取り出せない。

 あれ、もしかして詰んでる?

 

「こらポラリス、力を入れ過ぎだよ。山根くんはヒトなんだから壊れちゃうよ」

「え? あ、ごめん真也」

 

 ベーテクさんの言葉で力が弱まり、肺に空気が戻る。た、助かった……。

 

「なんでケージを上げたんですか、ベーテクさん……」

「いやごめんよ、中が気になって入ったらボタンが押ささってしまってね」

「勝手に入らないでくださいよ……」

 

 そもそも手を捕まえられた時点であのまま膠着状態になりそうな気はしてしまったので、ある意味で助かったと言えなくはないけど、その結果窒息しそうになるのはとてもつらい。

 もう捕まってしまったものはしょうがないので、とりあえず今からできることを考えるか。

 

「ねぇポラリ」

「やだ! ぎゅーってしてたいの!」

「まだ何も言ってないよ?」

 

 このやり取りさっきもしたな?

 仕方ない、真横から抱きつかれてるとめちゃくちゃ動きにくいけど装置を解体するか……。

 

 そうして1時間強かけて撤収作業を終わらせ、部品を全てスーツケースに戻した頃には時計は8時45分を指していた。

 

「間に合うもんだねぇ」

「間に合わせましたとも。……ポラリスはどうしましょうか」

 

 ポラリスは気がついたらひっついたまま眠っていた。思いっきり解体作業していた横でよく眠れるなぁ……。

 さて、どうするかな。これから実験がある訳だけど、流石にこの状態で高速走行できる勇気や技術は僕にはない。せめて背中にひっついてくれていれば大丈夫だったのに。

 

「今朝だって僕が目覚めるはるか前から起きていたようだからねぇ」

 

 ベーテクさんから追加の情報が投下された。つまり何、今寝てるのはただ単に寝不足ってことなのか?

 だとしたら起こすのは忍びないというか……いや、でもだ。

 

「なんでそんな朝早くに起きてるんです……?」

「それだけ君への想いが強かったってことじゃないの」

「投げやりですね、あなたはそれでいいんですか?」

「君はポラリスを故意に傷つけられるヒトではないだろう?」

「他者を故意に害そうと思う人なんてそうそういませんって……」

「そういうところだよ、僕が安心しているのはね。事実今だって自分の心配より先に僕の心配を口に出しているね」

 

 ダメ元でそこで止めてくれることを期待しただけなんだけどね。そう捉えられちゃうか。僕は思われているほど善良な人間じゃないと思うよ。

 

「で、どうしましょうかねこの子。力込めたまんま寝てるせいでうまく剥がせないんですけど」

「起こそうか?」

「起きたところで離れてくれるんですかね」

「流石に離れてくれなかったら僕も怒るよ、実験にならないもん。……いや、こうしよう」

 

 そう言うとベーテクさんは眠ったまんまのポラリスを強引に引き剥がした。それができるんだったら最初からやってほしかったんだけどなぁ。

 ……無理か。ポラリス起きてたし。

 

 僕から引き剥がされたポラリスは、人の気も知らずに気持ちよさそうな寝顔でスヤスヤと眠っている。

 なんかまだ朝なのに疲れがどっと出てきたような気がする。気がするだけで体は元気だけど、逆にそれがかえって脳味噌を疲れさせている。

 

「一応ポラリスにも走ってもらうつもりだったから起こそうかね」

「そうしますか」

 

 そうして立ち上がってポラリスの方へ向かおうとしたとき、服の裾を誰かに引っ張られてる。見れば、ベーテクさんだった。

 

「いや、君は一旦外に出ておいた方がいいかもしれないよ」

「どうしてです?」

「わかるだろう? ポラリスを剥がしたんだから。落ち着いたら呼ぶよ」

 

 あぁ、確かにその場に僕が居合わせていたら何されるか予想できない。お言葉に甘えてベーテクさんがポラリスを起こすまでの間、一旦ラボの外に退避した。

 腕を伸ばしたり、巻き付かれていた左の脇腹を伸ばしたりして軽くストレッチをする。だいぶ無茶な姿勢をしていたようで、まだ朝なのに伸ばした脇腹が相当痛気持ちいい。

 

「朝から何してるんデース?」

「おはようアドパスさん、いろいろあったんですよ」

「いろいろ……? まだ朝デースよ?」

「金曜のことと、ポラリスといえば納得してもらえますかね」

「……お疲れ様デース」

「ベーテクさんには許可もらって外出てるので、中に入ってもここにいることは喋らないでもらえると助かります」

「わかりマシタ」

 

 出勤してきたアドパスさんにも口封じを頼んで、体の中に変な力がかかっている場所がないかを入念に確認する。

 

 ……これ今日の実験、まともに走れるかなぁ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ後:君の答えを聞かせてよ

 ベーテクさんが僕を呼びに来たのは、もう9時を回ってからのことだった。

 誘われて中に入ってみれば、机の配置がダイナミックに変化しているし、ポラリスは椅子に縛りつけられている。何したんだこの子……。

 

「あ、酷いよ真也! ポラリスのものなのに、勝手に逃げるなんて」

「おいポラリス、いまの自分の立場分かってんのか?」

 

 拘束されているのにその上から成岩さんとアドパスさんがふたりがかりで押さえつけて、彼女の口をタオルで封じた。元気な子だこと。あと僕は僕だけのものであってポラリスのものじゃない。

 というか、ベーテクさんだけじゃなくて成岩さんもアドパスさんも肩で息してるんだけどどれだけ暴れていたのさ……。

 

「ポラリス。いい加減にしろよ?」

「どうしちゃったんデースか?」

 

 訂正。だいぶ暴れていたらしい。反応がすごい。

 しかもアドパスさんの反応見る限りじゃ明らかに今までは見られなかった傾向っぽい。

 これ、アレかなぁ……。

 

「ベーテクさん。1つ確認していいですか」

「ポラリスの事なら何でも答えるよ、流石にね」

「じゃあ単刀直入に聞きます。ポラリスって、車だったときにどれくらいの期間営業してました?」

「……ほう? なしてそれが気になるんだい?」

 

 ベーテクさんの目が妖しく光る。

 かなりセンシティブな情報かもしれないけれど、佐倉さんから聞いた事を考えると聞かなきゃ判断ができない。

 

「サイクロの知人に聞いたんです。今まで人や他の車との関わり合いが乏しくて、他者に影響を与えられていないノリモンは、特に自分が影響を与えやすい特定の対象に執着心を示すことがあると」

 

 佐倉さんの言っていたことを、僕なりに解釈した結果がこれだ。彼女はポラリスが恐らく旅客車であるということからこの説を棄却していたけれど、その根底となる理論には旅客車を除外すべき理由は無かった。

 ……正直できればこの例に当てはまっていて欲しいという願望もある。そうであれば対処方法は既にわかっているし、逆にそうじゃなかったらポラリスがただのやべーやつだということになってしまうからだ。

 ベーテクさんを見る。彼は目を瞑って、頭を抱えている。そして少し間をおいてから口を開いた。

 

「そうだね、まず質問に答えると、まさに君の考えている通りだよ」

 

 あぁ、よかった。過去は良くなかったのかもしれないけど、少なくとも現状に対しては良かったと言える。

 ならば、解決できる。僕が『()()』となれば。

 

「なら、僕はポラリスを元に戻す手段を聞いています。新人とはいえ、僕だってトレイナーなんです。これも一つの、トレイナーの仕事です。やらせて下さい」

 

 早乙女さんには事後報告になるけど仕方がない。先週からわずか一週間でこんなことになるのだから、これはこのまま放置すると間違いなくさらにひどいことになるパターンだ。独断でやらせてもらう。

 視線をベーテクさんから外してポラリスの方へと移すと、押さえの成岩さんと目があった。

 

「おい山根、何考えてる。トレイナーだったら……」

「この場では、僕にしかできないことです。ポラリスを()()()()()()()()僕にしか」

「まるで意味がわからんぞ? ベーテクも早まるな、山根はまだ新人もいいところだ」

 

 成岩さんはベーテクさんをそう諭すけれど、その声はきっと届かないだろう。なんせこれは、僕とベーテクさんと、そしてポラリスとの間の話なのだから。

 

「山根くん」

「はい」

「やはり君にはポラリスのことをすべて話しておかなきゃいけないね」

 

 この反応は、()()()()()()だろう。

 それに気づいた成岩さんの顔が面白いことになっているけど、後でいろいろ話すから。

 

「……さて。ポラリス」

 

 腰に下げたケースから2枚を取り出しながら、完全に拘束されているポラリスの前に立つ。

 彼女は椅子をぐらぐらとさせながら、拘束から抜け出そうとしている。

 

「んー! ん!」

「ポラリス。これがなんだかわかる?」

 

 ポラリスの目の前に、うち1枚を呈示すると、彼女は鼻息を荒げて体を揺らすなど激しい威嚇行動をとった。

 この反応ならたぶんきちんと認識しているな。よしよし。

 

「なら、これが何かもわかるでしょ?」

 

 呈示するものを入れ替えれば、ポラリスはピタリと体を揺するのをやめた。そして敵意に溢れた硬い目線はトロットロに解れて柔らかくなりながらもそれに吸い寄せられている。息は已然荒いままだけど。

 

「でもね、悪い子にはこれは使えない。ポラリス。3人にきちんとごめんなさいして、そして今日、今度の金曜、来週の月曜、この3回の実験中に僕を捕まえようとしたり、悪いことをしたりして僕やみんなを困らせなかったら、これを使ってもいい。いや、使うと約束したっていい」

 

 ポラリスの目が揺れる。

 ……そろそろ、言葉にしてもらおうか。僕は一旦その2枚を机において、ポラリスの口を封じるタオルに手をかけた。

 

「ポラリス。君の答えを聞かせてよ。……ほら」

 

 ポラリスはタオルを外しても、喋らずにずっと机の上のチッキを見ている。その未使用のチッキを持って虚空で縦横無尽に動かしても、口を半開きにしながら蕩けた目でそれを追いかけている。

 ……なんかポラリスの意識が完全にチッキだけに向いている気がするなぁ。話、聞こえてたのか怪しい気がしてきたぞ。とりあえず2枚ともチッキケースに戻そう。

 そうして気付けにポラリスの前に猫騙しを入れれば、ようやくポラリスと僕の目が合った。

 

「ポラリス、君はどうしたい?」

「ぁ……」

「ここで僕と約束をして、トレイニングするか。それとも約束できずにこのままコダマさんに縛られたまま引き渡されて、最終的にサイクロに連れてかれてそういう現象を研究をしてる人たちのモルモットになるのと、どっちがいい? そうなっちゃったら、もう二度とベーテクさんや僕には会えないと思うけどね」

 

 もちろん後者はハッタリだ。そもそもそんな人達がいるかどうかすら知らない。だけど、ポラリスは()()前者を選ぶから問題はない。

 一旦仕舞った空のチッキをもう一度取り出して選択を迫れば、再び彼女の目が蕩けて、そして彼女はかすれるような声を出した。

 

「……すゅ」

「聞こえないなぁ」

「真也とトレイニングする!」

「だ、か、ら?」

 

 ここから先の、一歩踏み込んだ言質を取るのが、今僕がすべきことだ。

 

「約束、守る!」

「迷惑かけない?」

「うん!」

「ごめんなさい、できる?」

「できる!」

「よく言えました」

 

 とりあえずこれで、一件落着、かな?




【TIPS:ノリモンの世代交代】
 ノリモンそのものに寿命は存在せず、不老ではあるが不死ではない。
 それゆえ、世代交代は当者が望むか、クィムガンに堕ちる、あるいは不慮の事故などにより見納めとなる形で行われる。
 また、ノリモンは自らの痕跡を、模倣子の伝播によって次世代へと遺す。それゆえ、かれらにとって存命中に模倣子を他者へと伝播させることは、生物が自らの遺伝子を次の世代へと遺す行為と同値である。特に他者のメンタルモデルの中へと入りこみ、その地位を確立するさまを認知するのは筆舌に尽くしがたい快感を発生させるらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ①:そろそろ走る準備をしなさいよ

 7号館地下の広い演習スペースの一角を借りて、成岩さんが僕達4名と測定用の機材を囲んでラッチを張った。

 ポラリスの鎮静化に時間を取られてしまったので、もとの予定から1時間弱ほど遅くなってしまったものの、ベーテクさんの提唱した新しい実験がはじまる。多分終わりも伸びるだろうけど仕方がないね。

 

「中から見るとこんな感じだっけか」

「初めてなのかい?」

「ここのところは外から張ったりや入ったりすることばかりだったんですよ」

 

 自分ひとりで体動かす時や、クシーさんとの研修の頃は僕が張る側だった。そして演習だと入場そのものも演習の一環に含まれるので既に張ってあるラッチに入るパターンが多い。

 だから誰かに最初からラッチに入れてもらうのは、そもそもラッチをあまり上手く貼れていなかった頃や、トレイニングができなかった頃以来な気がする。

 

 しかしまぁ、こう改めてラッチが張られるさまを内側から見てみると、なんとも謎な技術である。もともとよ張る時のラチ外での範囲と同じだけの広さのコア部の外側に、拡張されたエキステーションと呼ばれるだだっ広い空間が広がるのだから。

 まぁ、それを言い出したらわりとキリがないんだけど。そもそもどうしてトレイニングするだけでなんで髪の色や服が変わるんだか。

 

「山根くん、君もそろそろ走る準備をしなさいよ」

「すぐやります」

 

 そういえば時間が押してるんだった。

 ここのところもういい加減慣れてきた手つきでトレイニングをして、声のした方を振り返れば、ベーテクさんとアドパスさんのふたりはふだんラボで見る姿から少し変化している。

 ベーテクさんは煙管服が白に変わり、逆にその上の白衣が前の開いた紺色のベストに変わっている。アドパスさんは白黒のワンピースの色の境目に赤のアクセントが差さっているほか、スカート部も赤色のチェック柄のものに変わっている。

 ポラリスは……ラボでのとあんま変わっていないな。そう思ってベーテクさんに聞いてみれば、ブランクが長いので今日は彼女は走らずに観察に徹するから姿を変えていないだけとのことだった。

 そしてエキステーションの果てから、前を開けた白衣を多靡かせて成岩さんが走ってきた。こうやって見るとカラーリングこそ同じだけどベーテクさんは紺が外側、成岩さんは内側で意匠がまるで逆なんだな……。

 

「すまん、できる限りで半径拡げて張ってみたら拡げすぎた」

「……一番外側は?」

「2400」

 

 ……は? エキステーションってそんな拡がるの……? そのrだと一周15kmくらいない?

 僕がふだん出すときはもっと小さいし、今まで拡げたのでもその3分の1くらいしか使ったことがない。それでもJRNの敷地よりは広いけど。理由は単純で、そんなに広くしちゃうと入場してからコアまでたどり着くのに時間がかかってしまうし、何よりそんなに広い空間を有効活用することができないからやる意味がない。

 

「半分で十分でしょうよ、乗り心地*1じゃないんだから」

 

 ベーテクさんはあきれたようにそう言う。

 実際に車を走らせるならともかく、ノリモンやトレイナーが走る分には1200でも十二分に大きなカーブだ。せいぜい800程度もあれば今の僕の出せる最高速度なら特に姿勢とかを意識しなくても、線路を踏み外しさえしなければ余裕で曲がりきることができる。僕より速度が高いであろうノーヴルの各位でも、流石に1200を普通に走って脱線するレベルの速度までとなると出せる者はほとんどいないんじゃないかなぁ。2400ともなればもはや論外だ。地に足つけて出す速度じゃない。

 だけど、それはラチ外での話。ラチ内のレールには、速度を出すにあたって致命的な問題が1つある。

 

「ラチ内はカント*2ついてねーんだよ、同じ速度でも5度ある線路と比較すっと倍以上半径は要る」

「あれ、そうだったっけか」

 

 そう、ラチ内はどこまでも平坦だった。そもそもラチ内のレールは、どちらかといえば普通の線路よりも、踏切だとか、あるいは路面電車の走る併用軌道だとかのほうが近いのだ。

 

「でも、今回はそこまで高速で走る必要はないんだよね。全員真ん中らへんを2から3周回くらい走って、今のフォームを撮影するだけだよ」

 

 ベーテクさんは全員に双眼鏡を渡しながらそう言った。

 順序はまずは言いだしっぺのベーテクさんから。次に成岩さんと僕のトレイナー2人、そして最後にアドパスさん。

 ベーテクさんが走る姿は実験で何度か見たことはあるけど、アドパスさんはそうではないので個人的には一番気になっている。もちろん、他のふたりの走り方にも新たな発見はあるとは思うので、きちんと見るし考察もするけど。

 

 第一走者のベーテクさんが走り出した。セオリー通りの前傾姿勢だけど、特筆すべきは足の運びだ。よく見ると、左右の足の動きが少し違って、右足の方が左足と比べて接地時に膝が伸びている。左回りに走っているのだから当たり前じゃないかと言われればそう感じるかもしれないけど、曲線半径を考えると左右の差が1パーミルに満たない大きなカーブでそれをする必要はあんまりないと思う。

 となると、無意識下のクセか、あるいは何か意図してやっているのか。実験の意図から考えるとこの後確実にコメントを求められるだろうから、その時に聞いてみよう。

 

 そうしてベーテクさんは3周まわると待機していた成岩さんの前に停まる。そして次の成岩さんが恐ろしい起動加速で走り出すと、ラッチコアへと戻ってきたベーテクさんと入れ替わりに僕が周回の線路の方へと向かって、走る準備を整えた。

*1
横Gの評価のため許容される曲線通過速度が低い

*2
曲線部に設けられる、線路の傾き線路の傾き



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ②:びゅわんびゅわんとレールを駆ける

 加速の強烈な成岩さんは、僅か1周回で既にトップスピードまで達したのか2周まわると今度は恐ろしいまでの急ブレーキをかけて、ちょうど僕の前に停まった。

 これはこの前ベーテクさんのラボに顔を出していたコダマさんから聞いた話だけれど、加減速に関して言えば、どうも生粋のノリモンよりもトレイナーの方が鋭い傾向にあるのだとか。だから走りを極めるノリモンの中には車輪を脱いでランニングする者も少なくないらしい。やってること自体は正反対だけど、トレイナーズスクールの人たちが車輪を長く履くのと感覚は同じだと思う。

 そんなことを考えていると、停止後の軽い検査を終えたのだろう、ようやく成岩さんがレールをはなれる。そして彼からいくつかの小型の測定用センサを受け取って体に取り付けて、軽く体を動かしてその影響を見る。

 ……うん、大丈夫そうだな。

 

「いつでも出れます」

「よし。じゃあ俺からコアにいるベーテクの準備を確認しだい合図を出すから、それで走り出してくれ」

 

 周回する軌道に入線して、体を大きく前に倒して左後ろからの出発合図を待つ。そして永遠とも思われるほどの僅かな間を置いて。

 

 長く一回、ブザー音が響いた。

 

 レールを斜めに蹴りながら、反対の車輪で前への動きに変える。そしてさらに車輪を回して、スピードをどんどんと上げていく。足元の主電動機(モーター)がぐうぅっと唸っている。

 ラチ内の周回軌道のレールは、曲率が一定のカーブだ。足の動きを変える必要は無いので、スピードを上げると外側に体が引っ張られること以外は、見た目に反してほとんど直線を走り続けているようなもの。正直、これより大きな曲線でも直線や逆向きの曲線が混じっている方がはるかに面倒くさい。

 だからこそ、この走行ではそんなにフォームが崩れることはない。

 

(まだ、いける……!)

 

 いま走っている曲線半径が1200メートルでカントのないカーブは、ロケットでは適正な最高速度として250キロメートル毎時が設定されている。そして僕はそのスピードを今、半周弱回って超えた。足元の音も、わんわんと高い音を奏でている。

 ノーヴルの経験値では、普通に立って走る場合はカント抜きでは曲線半径の平方根の10倍の数字キロメートル毎時までならギリギリ速度を出せるのだという。これをこの半径1200に当てはめると、およそ350キロメートル毎時弱。そこから姿勢制御で重心を内側に寄せたり下げたりすれば、出せる速度もさらに上がっていく。

 そしてそれこそがこの実験の意図の1つだと、僕は解釈している。1200だと現状僕の出せる最高速度程度ならちょっと工夫するだけで出せてしまうし、それじゃ実験にはならないと思う。だからこの後はきっと内側の軌道を走ったりすると予想する。

 

 閑話休題。

 

 体を少しだけ内に傾けて、そしてちょうど1周ほどまわったところで僕の加速度は0へと漸く近づく。その速度、おそらく430強で、びゅわんびゅわんとレールを駆ける。この速度なら、2周目終わりまでに減速は間に合うはず。停まる準備をのために、一度ノッチを落とす。主電動機の唸りが消え、そこに流れる音は風を切る……いや、そこにある空気の塊を断ち裂く音のみとなった。

 惰行運転に入って少し余裕ができたので、ちらりと左を見れば、ラッチのコア部に3つの人影。こちらからはどれが誰なのかは判別できないけれど、スコープを覗く向こうからは見えているはずなので手を振っておこう。

 

 そして、残りが半周強となった位置から、ブレーキをかけ始める。この速度なら、およそ4km弱もあれば停まれるはずだから。

 再び主電動機がうぉぉぉんと唸りを上げて、今度は逆に僕の運動エネルギーを奪う(回生ブレーキがかかる)。アンチジャイロを作動させてなお前へとつんのめりそうになる体を強引に後ろに強く引っ張って、確かにレールに喰らいつく。

 

 そして、ラッチコアから出てきていたアドパスさんの目の前、ちょうど僕が走り出した場所が近づいてきて。でもこのまんまの減速度では通り過ぎてしまう速度だ。だけれどその絶対値は既にかなり落ちてきているので、ここでブレーキシューを押しつけ(空気ブレーキを込め)て調節すれば、ほら。

 キキキキキィーッとけたたましい音を立てて、速度がさらに鋭く落ちて。でも、このままだと逆に手前に停まってしまうから、残りの距離と今の減速の感覚と速度から少しブレーキを緩める。そしてぴたりと、車輪の転がりがなくなった。

 

「……停止位置、よし」

 

 その場所は、アドパスさんの目の前で、そしてちょうど僕が走り出した場所。そうなるようにブレーキを調節したんだから当たり前だけど、その誤差は数センチメートルもない。

 

「エークセレン!」

「ラチ内は雨も降らないし風もないですからね」

「それでもピッタリじゃないデスか」

 

 これくらいはできないとってロケットでは教わっているけど、話を聞けばどうもノーヴルではそうでもないらしい。なんでもオーバーランは厳禁だけど手前に停まる分には1メートル以内程度なら許される空気なのだとか。

 でも、確かに手前に停まってしまうならわざと緩めて調節すれば比較的簡単に所定位置に停止するよう調整するのは難しくない。それに逆にどうにもならないオーバーランが厳禁な事を考えると案外理にかなっているのかもしれないなぁ。

 

 そんなことを考えながら、僕は測定センサを取り外してアドパスさんに渡した。彼女はそれを取り付けて、僕と入れ替わりに入線する。そしてコアのベーテクさんからの準備が整った旨の合図(発光信号)を見てから彼女に出発合図を出せば、彼女は僕ともベーテクさんとも異なった走り方で動き出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ③:やっぱりあの走り方はおかしい

 アドパスさんの走り方は……何というか、異様だった。特筆すべきはなんと言ってもその足捌きで、接地する場所が腰の位置よりもだいぶ前だ。そしてその強大なストライドを以て、体を大きく左右に揺らしながら加速しているのだ。

 このままアドパスさんの不思議な走りを見てみたい気もするけれど、1周走って戻ってくるより前に僕は撮影の邪魔にならないよう移動しなきゃいけない。彼女の走り自体はベーテクさんが録画してるはずなので後で見させてもうことにして、僕はまた主電動機を唸らせてラッチコアへと向かった。

 

 戻っていつも通りにブレーキをかけて停まるや否や、僕の視界は急に暗転する。前が見えん。

 まぁ顔に纏わりつく感触とかから何が起きたのかはなんとなく予想はできるけどね。今は僕もトレイニングしてるから対処できるんだぞってことで、顔にひっついているポラリスを引き剥がす。

 

「わかってるよね?」

「しっかり停まった後なら、邪魔じゃないでしょー?」

 

 ……まったく、この子は。でも一応この1時間で考える余裕はできてるのか。ここでそれを拒絶したら逆戻りが見えてるし、今回は不問にしておこう。

 引っ()がした後もまたすぐに再アタックかけてくるわけじゃあないしね。

 

「次はないからね?」

「はーい」

 

 とりあえずポラリスのことはおいておいて、撮影の邪魔にならないようしゃがみこんでからまわっているアドパスさんを探せば、ちょうど3分の2ほどまわったところにいた。スコープを覗いて確認すれば、相変わらず体を振り子のように大きく揺らしながら爆走している。なんの意味があるのかはわからないけど、あれだけ振れて転倒しないんだからものすごくバランス感覚はあるんだな……。

 

「いや、やっぱりあの走り方はおかしいでしょ」

「口に出てるぞ。気持ちは分からんでもないが、アレがアドパスの加速だ」

「えぇ……」

 

 なんでそれで加速できるんですかね? かの男子陸上短距離の王者もたいがい体が左右に揺れてはいるけど、それは彼の背骨に生まれつきの持病があるからで、本来は体重移動なんかにエネルギーを使うのは好ましくないはずでは?

 これはあれか、考えるだけ無駄って奴なのか……?

 

「わけがわからないよ……」

「あんまり深く考えない方がいいぞ。ノリモンにゃ超次元の力が働いてるって言われてっから」

「それでも三次元の物理法則も当然働きますよね?」

「そりゃ働くに決まってる。でも超次元からそれを打ち消す外力を生み出せるんだよ」

 

 トレイニングしたりするだけでどこからともなくパーツとか出てくるし、確かにそうなんだろうな。

 ……だとしたらこの実験なんの意味があるんだろう? 三次元のデータしか取ってないように見えるけど。当然三次元の影響がない訳はないはわかるけれど、それを超越する超次元のがあったらわざわざ測る意味はなに……?

 

「……ねく……」

 

 わからん。頭の中を疑問符が埋め尽くす。

 そもそも、僕はこの超次元の力だって感覚で使えてしまっているけど、そのメカニズムを完全に理解はできていない。そもそもおそらくヒトは思考することはできても認知はできないのだから解明だって厳しいんじゃないかな。

 

「山……く……」

 

 それに、そもそもノリモンたちだってそこまで認知してやってるか怪しい。ただ単にこうすると力を引き出せるからそうしてるだけで、どうしてそうするとそうなるのかは理解していなさげだ。というのも、クシーさんからの研修の時の彼女の伝え方や、この超次元からというのを早乙女さんから聞いたときの彼の話しぶりからすれば、そっちのほうが蓋然的な気がするからだ。

 

「山根くん!」

 

 物理的な衝撃と共に、僕の意識は思考の渦から抜け出した。

 視界は完全に塞がっているのでポラリスを引き剥がすと、いつの間にやらラッチは開けられ、ベーテクさんたちが心配そうにこちらを見ていた。

 

「心配したよ、何度話しかけても、頬をつねったりしても、ポラリスを抱きつかせても反応がなかったからね」

「すみません……」

「今日は実験の、それも待機時間だから構わないのだけどね。現場で同じことをしたら、大変なことになるんじゃないかい?」

「待機時間で考え事をする余裕ができたからこうなってしまったんです、現場じゃ流石にしませんよ」

「そうかい。なら午後にその考え事の内容を聞かせておくれよ? あの場で考えてるということは、実験に関係のある事だろうからねぇ」

 

 どうも撮影データとか測定データとかをラボのサーバに転送するために昼休みを前倒ししていたらしい。あたりを見回せば、確かに機材は片付けられているし、アドパスさんと成岩さんの姿も見当たらない。

 ……ってことは、休み時間に突入してるのにベーテクさんは僕の対応をしてくれていたってことか? なんだか申し訳ない事をしちゃったなあ。

 そう伝えると、彼はポラリスの幸せそうな顔を見られたので別に大丈夫だと答えた。

 検査用の手鏡を開いて、いつの間にか後ろからひっついて僕の頭の上に顔を乗せているポラリスを見る、……めっちゃいい笑顔してるなこの子。

 

「そういう訳だから、12時半までにはラボに戻ってきなさいよ」

「わかりました。 ……ポラリス、そういうわけだからそろそろ降りてくれない?」

「えー」

 

 結局、昼休み中ずっとポラリスの面倒を見ることになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ④:こんな綺麗なデータが出るものなんですか?

「さて、ここに4つのデータがあるわけだけど、どれから見たいかい?」

 

 午後、ベーテクさんのラボに戻ると、既にもうスクリーンとプロジェクターが準備されていた。

 

「俺はまずは対照的なアドパスのと山根のとの比較がしたい」

「ポラリスも真也の見たいー! キレーだったもん」

「どうして……」

「おやおや、人気だねぇ」

 

 本当になんで僕なんかの走りを気にするんだろうか。やはり僕がロケットで、ノーヴルの走りとは違うからか?

 

「じゃあまずは山根くんのだね。これが6軸センサー*1の生データと、xzの角速度を使ってx軸*2とz軸*3について補正を入れたデータだよ」

「何デスかこれ」

「どういうことだよ……」

「反応ひどくない?」

 

 気持ちは分かるけど。なんせ補正z軸がほとんど0の区間が連続しているし、補正x軸やy軸の加速度もものすごく滑らかだ。これは補正x軸がほぼ僕の加速度を、y軸が遠心力をほぼそのまま出しているということで、実際y軸*4のデータとxyの角速度――真円状の軌道を走っていたので、速度そのものに比例している――のグラフの形がほとんど一緒だ。

 

「こんな綺麗なデータが出るものなんですか?」

「お前が言うな」

「一応鉄道車両そのものだとわりと近いデータにはなると思うよ。だから僕はこのデータは単独じゃデータとしてはそこまで面白いものだとは思わないね。……あ、もちろん山根君を貶してるわけじゃあないよ、むしろこれほど安定した姿勢を維持できるのは素晴らしいという他ない」

 

 ベーテクさんの言わんとしていることはなんとなくだけどわかる。綺麗なデータって「はい仮説通りでしたー!」ってやりたいとき以外は正直掴みどころが少なくて分析しようがないからね……。

 そういう意味では、明らかに分析しがいがありそうなのはアドパスさんの走りだ。

 そう考えていると、ちょうど画面が切り替わってアドパスさんのデータが映し出される。

 

「……あれ、意外」

「何が意外なのかい?」

「あれだけ動いてたのに補正z軸はぜんぜんなんですね」

 

 それにy軸のデータも、美しい正弦波を描いていてこれはこれで綺麗なデータだ。

 そう感心していると、成岩さんから待ったがかかる。

 

「いや、滑らかな線路走ってるんだから補正zはそうそう動かねぇぞ……」

「ちなみにこれが君のデータだよ」

「ガタガタじゃねえか」

 

 成岩さんは崩れ落ちた。

 きれいにオチがついた。成岩さんの補正z軸はガッタガタだ。一応左右の蹴り出しで元に戻っているのか周期性は見て取れるけど、アドパスさんのように正弦波というわけでもない。y軸もまた然り。

 その流れでベーテクさんのデータも見せてもらったけど、これも補正z軸の加速度は変動していた。

 

「さて成岩くぅん。君は山根君とアドパス君のが対照的だと言っていたね?」

「俺が間違ってた。アドパスの走りが一番山根のに近い」

「そう、近いんだよ。じゃあここで当事者である山根くんに聞こうか」

「はい?」

 

 唐突に何ですか?

 

「簡単な質問だよ。君の走りとアドパスくんのの違いがどこだかわかるかい?」

「それは……映像データを確認していいですか」

「もちろんだとも」

 

 自分の走りは見なくてもわかるので、アドパスさんの映像データを見る。横からの撮影なので左右方向は少し見えづらいけれども、よく目を凝らして見ればその奇妙な動きの真実に気がつくことができた。

 

「アドパスさん、もしかして蹴る足の真上まで重心を持ってってます……?」

「That's right」

「なるほど、わかりました」

 

 アドパスさんは体を左右に揺り動かしてはいるけれど、よく見ると胴の部分の角度が変わっていない。事実センサーの値まで戻って確認すれば、彼女の場合でも補正yzの値が、おそらく遠心力の影響程度しか動いていない。

 一方僕も補正yzは似たようなグラフになっているけれど、それは僕がセンサーをつけていた頭部をあまり動かさないように走っていたからだ。そうしないと視界が左右に揺れて前方監視がしにくくなるからこうしているのだけど、揺れてもきちんと確認できるなら確かに揺らしたっていい。

 

「僕はしっかり前を見るために顔を動かさないようにしているのに対して、アドパスさんは足元に力をかけるために体を左右に大きく揺らしている、そういう事ですね?」

 

 そうすれば、一番強く、正確に足元を蹴ることができる。それをやっているんだろう。

 でも、これはバランス感覚がなかったら即座に脱線する諸刃の剣でもある。アドパスさんってそこんところすごいんだな……。

 

「正解だよ。一見エネルギーのロスが大きいように見えるかもしれないけれど、振り子のような単振動って実はきちんと設計して動きさえ決まってしまえばほとんどエネルギーを消費しないで済むんだよね」

 

 なるほど、だから最初っからあんな大きく体を揺らしていたのか。

 そう振り返っていると、ベーテクさんは予想だにしなかった事を言い放った。

 

「だから、君にはこの振り子走法を習得してもらうよ」

「え」

 

 いや、無理だって。そもそもベーテクさん、あなたの走りもそういう走りではないですよね?

 そう問い詰めれば、彼自身自分にはバランス感覚がないから無理だと開き直ってきた。僕だってできないって……。

 

「……ふぅん。言うねぇ、君。頭を固定して走ることができるのにバランス感覚が無いとはねぇ」

「それとこれとは関係ないのでは?」

「大いに関係あるね。大丈夫さ、もし転んだってシールドがあるのだから。それに、さっきも言ったけどアドパスくんの走り方は君の走り方と類似点が大きいんだよ」

 

 あ、これベーテクさんの中では完全に決定事項になっていて、首をタテに振るまで帰してもらえないやつだ……。

*1
3軸の加速度と角速度のセンサー

*2
進行方向

*3
鉛直方向

*4
枕木方向




【キャラクター紹介:#10】
Advanced Passenger
・愛 称:アドパス
・誕生日:6月7日
・出身地:Derbyshire州
・所 属:ノーヴル/JRN/BRRD
国鉄解体のあおりを受けて世界中を放浪し、新小平に流れ着いたノリモン。
本当は新小平ではなく近所の国立でお仕事がしたかったらしいが、たまに共同研究をするので今の境遇にも十分満足している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回16レ:他にもまだ私に話していないことがあるようだね?

「で、全身筋肉痛になってる訳か」

「ごめんなさい……」

「いや、別に怒っている訳ではないが……」

 

 ベーテクさんのラボでの一番長い日を終えた翌日。僕は全身が筋肉痛になっていた。

 冷静に考えたら、半分は僕の責任だ。早朝から重たい荷物持ってラボに行って組み立てて、ポラリスが抱きついている状態で無茶な体勢でそれを解体した後、軽く15kmくらい走って、それから会議挟んで今度は初めてやる走り方でまた走って、そして荷物を持って帰る。こんなことしてたらそりゃどこか筋肉痛になってもおかしくはなかったな……。

 

「まぁ、痛いですが我慢できるレベルなので普段通りで大丈夫です」

「くれぐれも無茶はするんじゃないぞ?」

「明日は一応活動自体は休みなので」

 

 サイクロ行って佐倉さんのとこのラボに伺う予定入ってるけど、それこそ肉体の負荷という意味ではたぶん軽いだろう。……軽いよね?

 佐倉さんの方に目を向ければ露骨に目線を逸らされた。……あした大丈夫かなぁ。

 そう考えていると、左肩にポンと早乙女さんの手が置かれた。

 

「……山根君、他にもまだ私に話していないことがあるようだね?」

 

 あれ、もしかしてバレてる?

 ポラリスのことはだいぶぼかして説明したつもりだったんだけどなぁ。

 

「何がですか」

「長年の勘でわかっているのだよ。……と言いたいところだけど、単にイノベイテック号から連絡をもらっているだけだ」

 

 おい。

 ベーテクさん? 何してくれてるんですか?

 どうせトレイニングできるようになるまで時間かかるんだから、北澤さんと一緒に例の講習受けるときまでは黙っておこうかと思ってたのに。

 

「わざわざ連絡するなんて、また変なところで律儀な……」

「それは私もそう思う。だが、ノーヴルの者としては珍しく事前にわかるだけ有り難い」

 

 ……これやっぱ怒ってるよね?

 

「怒っている訳ではないのだが」

「怒ってるじゃないですか」

「いや、むしろ逆だ。よくやった。ノリモンのかの禁断症状は早急に対処しないと大変なことになる」

 

 早乙女さん曰く、彼自身にはその経験は無いけれど、1代前のウルサのリーダーの人が昔にそうなって放置していたら大変なことになったことがあったらしい。

 

「もしかして、クィムガンにまで……?」

「そこまでは行っていない。そもそも当時は放置するとクィムガンになってしまうこと自体わかっていなかったが、今考えれば一歩手前まで行ってギリギリ間に合ったといったところだったな。で、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ……あ。

 早乙女さんは声を若干硬くしてそう発した。これやっぱり怒ってるよなぁ。

 そして佐倉さんは……あれ、いつの間にか退室してるし。逃げたなこれ。

 

「……佐倉さんです」

「ならいいんだ。君はけっこう怪しい本も含めて情報収集をしているきらいがあるから、ハゲタカジャーナルだとかのものを引きやしていないかと少し心配にな」

「そっちですか」

 

 一応自分でも巻末の参考文献欄とか、同人誌の場合は著者のSNSアカウントとかを見て信頼できる情報かどうか精査したり、あるいは完全に事実として飲み込む前に検証したりしているつもりではあるんだけど、そう映ってしまうのも仕方がないか……。

 まぁうん、これからも引き続きそこのところは気をつけよう。

 

「……来週の土曜日だ。直近で施設の予約が取れていない日がそこだから予定を早めてそこで伝える」

「えっ? 来月から前倒しして資料の準備とか間に合うんですか?」

「間に合うかどうかではない、間に合わせるんだ。それに来週末はもう来月に入っているから、前倒しはしていない」

 

 カレンダーを確認する。いつの間にか今月はもう折り返し地点をとうに通り過ぎていたらしい。

 

「なんかごめんなさい……」

「謝る必要はない。そもそも遅かれ早かれ君達に伝えなくてはならない事ではあったことだ。それにだ、数年前のものではあるが成岩君や佐倉君に渡した資料だって残っているのだよ、そこまで負担ではない」

 

 そう言うと早乙女さんはパソコンに向かい、何かを操作した。

 ピコン。チャットで彼からpdfファイルが送られてきた。この流れだし、たぶんこれがさっき言っていた前に渡した資料なのだろう。

 

「もう接触しているのだからその資料は先に渡しておこう。君は要領がいいから理解にはそこまで時間を要さないかと思うが」

 

 モニター越しにそう伝えられる。

 ……流石にそれは期待しすぎじゃないかなぁ。

 

「期待しすぎですよ」

「既に単独対応まで済ませておいてできないとは言わせんぞ」

「あれはたまたまシールドに色がついていないのに遭遇したから初期対応として対処しただけですって……」

 

 流石に警報鳴ってから一人でラッチまでたどり着いたとして、そこに飛び込む勇気はまだない。シールドに色ついてたら詰む。そしてそれを外から確認できる手段は現状ない。

 そうなったら、他の近くのトレイナーが来るのをラチ外で待って、全派閥揃うまで中には入らないだろう。放っておいてもラッチは壊れないから、安全を確保してから入ったほうがいい。

 

「確かに、君はまだ未熟だということが解った。私が君の立場ならば、それでも直ぐに入ってから、黄色だけ全部割って撤退する」

「黄色を後ろに回されませんかそれ?」

「ふむ? 君の速度なら巻き込む心配さえ無ければ余裕を持って追いつけるのではないのかね?」

 

 あー、うん。確かにそう、そうなんだけどね。どうもシールドの色の移り変わりって立体角速度というか、そういうのに上限があるっぽいからできなくもない。

 のだけど、僕はまだ進行方向を見ないで撃ってる方向ばかり見続けて走ることにまだ不安がある。そりゃラチ内なんて障害物だとかは当のクィムガンが置かない限り存在しないとは頭では解っているんだけど……。

 

「なるほどな。ならば君の当面の練習メニューは歩行射撃からブラインドランに変更しようか」

「ブラインドラン……」

「特殊な眼鏡をかけて視野を窄めて走るものだ。最終的には視界0で走ってもらうことになる」

 

 うへぇ。頑張らないとな……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ前:ノリモンの根源に関する研究をしておる

 ここはJRN3号館。埼玉県のマスコットキャラクターのような淡紫色の外壁を持つ建物だ。

 

「君が山根というトレイナーかい?」

 

 そう言って僕を出迎えてくれたのは、赤い髪に、紫色の地下鉄の新型車両のような濃淡2色の紫色のあしらわれた服を着た青年だった。佐倉さんとか、他の見かけたサイクロの方とかもみんなこの配色の服を着ているので、制服か何かとして設定されているんだろうか……?

 

「そうですが、貴方は……」

「これは失礼。俺はナリタスカイという。スカイと呼んでほしい」

「あぁ、佐倉さんのキールの」

 

 この前見せてもらったチッキに刻まれていた名前だ。

 

「佐倉はちょっと今手が離せなくてね、俺が案内を頼まれたという訳さ。ささ、入んな」

 

 スカイさんに連れられて、内装まで紫色の廊下を進み、目的地の研究室まで案内される。

 ――『超次元専攻 鳥満研究室』。表札にはそう書かれていた。

 

「ただいまーっと、連れてきたぞ」

「失礼しまーす……」

 

 この部屋に入ってまず目についたのが、大量の本棚とそれを埋め尽くす本、本、本の山。いいなぁ……じゃなくて、かなり理論とかそっちの研究をしているのだろう。

 そしてその書斎の奥から、紫色のベストを纏った元気そうな年老いた男性が姿を現した。

 

「はじめまして。私の名前は鳥満、こちらでノリモンの根源に関する研究をしておる」

「山根真也と言います、佐倉先輩にはユニットで大変お世話になっております」

「ほっほ、そう畏まらずともよい。肩の力をぬきなされ。ささ、立ち話もなんだからどうぞこちらへ」

 

 鳥満博士はそう言いながら、研究室内の小さな小部屋に僕を案内した。

 席にかけると、スカイさんが飲み物を出してくれた。紫色……ということは流石になく、普通に翡翠色の緑茶だ。

 

「話は佐倉から聞いているとは思うが」

「これですよね」

 

 チッキケースから、1枚だけ逆向きに入れてあるものを取り出す。

 はじめて触れたときに、よくわからないイメージが広がったチッキだ。

 

「それじゃ。本題に入る前に、失礼じゃが前提知識の確認をさせてもらおう。知っているか否かで話す内容が変わってくるのでな」

「まだ駆け出しもいいところの若造ですよ、僕は。何も知らないと思って頂いて結構です」

「そうかね。ならばそもそもチッキとは何か、なぜチッキを用いて私達トレイナーがトレイニングをすることができるのか、という話からしなければいかんのだが、長くなることを承知頂きたい」

 

 鳥満博士はそう前置きをして語り始めた。

 

 ★

 

 まず大前提として、ノリモンとトレイナーはチッキを用いなくともトレイニングをすること自体は可能である。そもそもチッキの開発より前、博士が一人のトレイナーとして活動していた頃から、ノリモンとトレイナーはトレイニングをしていたのだ。

 では、なんのためにチッキは存在するのか? それは、簡単に言えば触媒であり、そして安定剤だ。

 だがしかし、ノリモンとトレイナーがトレイニングするのは、そのノリモンが車であれノリモノイドであれ、双方が接していないとトレイニングはできない。その上一定以上……ノリモンによって異なるものの、最低で1609m、最大でも1852m以上離れるとトレイニングが解除されてしまうという欠陥もあった。

 

 そんな中、ある車両が画期的な解決策を生み出した。その車は自らの担当する博多発名古屋行きの寝台特急の特急券を媒介にして、トレイナーのこの距離制限を突破させることに成功したのだ。

 そしてその特急電車の愛称に由来し、この現象はウェヌス現象と名付けられた。

 

 このウェヌス現象を調査していくうちに、これまでわかっていなかったトレイニングのメカニズムも、その一端ではあるものの少しずつわかってくるようになった。

 例えば、トレイニングというのはそれまで、その可否の認知の非対称性からノリモン側からトレイナーに働きかけるものだと考えられていた。だが実際には逆で、その主導権はトレイナー側にあったのだ。

 そしてそのことがわかると、このウェヌス現象をさらに発展させようという動きが広がる。トレイニングの維持が代替の特急券でできるのならば、トレイニングすること自体もそれを用いることができるのでは? と。

 そうして十数年にわたる長い間研究と実証実験が進められて、昭和60年になってようやく完成したのが、チッキなのである。

 

 ★

 

「このチッキの完成を期に、国鉄解体に先駆けて設立されたのがここJRNなのじゃよ」

 

 かのルースの落し子への対応のために、初めてトレイニングを()()トシマさんがしたのが昭和27年の話だから、もはやチッキができてからのほうが長いのか。どうりで今の世代である僕達にとって、チッキがあるのが当たり前という価値観になってしまっている訳だ。

 

「チッキって、最初っからあったものだと思ってました」

「失礼。私は佐倉からキールがクシー号であると聞いておる。彼女が成った頃は確かまだ最初の実証実験が始まったくらいだったはずじゃが、聞いとらんのかね?」

「クシーさん、そもそもトレイニング自体あまりしたがらないじゃないですか。そもそも僕自体キールとしては初めてだと言ってましたから」

 

 話を聞いている限りじゃ、チッキができるより前はとてもめんどくさそうだったし、そもそもやってなかったんじゃないかなぁ。

 

「彼女はそうじゃったな。……話を戻そう。つまりチッキというのは、本来平易に言ってしまえば糸電話の電話帳の1ページに過ぎない」

「糸電話……?」

「そう、糸電話じゃ。チッキを使うことで、そのチッキからウェヌスシステムに接続して、その中から対象のノリモンを見つけ出してその力を借りることができるのじゃ」

 

 ……いや、まって、突然よくわからないんですけど!?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ中:モヤイに繋がって視えたもの

「待ってください。ウェヌスシステムって、一体何です? どうしてそれにアクセスするとトレイニングができるんですか」

「……申し訳ないが、まだパブリッシュしていない情報があるゆえ、全ての質問には答えることはできない。それでも構わぬのなら」

 

 鳥満博士はそう言いながら、新聞に挟まっていた広告紙を数枚、机の上においた。

 

「まずは超次元空間について確認じゃ。どこまで認識しておるかの?」

「僕達が認知できる三次元空間を内包するように、もっと高い次元の空間が存在する、というものですよね?」

「そうじゃ。ノリモンの挙動については三次元空間の物理学だけでは到底説明がつかん。ゆえに、私達は世界がそれに限定されていないことを認めざるを得なかったのじゃよ。そして、ウェヌスシステムはこの三次元の外側に有る情報集積体なのじゃ」

 

 続いて博士は一枚の紙の上方に小形モップを掲げた、曰く、下の紙が僕達の認知している三次元で、このモップがウェヌスシステムのイメージらしい。

 

「ノリモンは生まれるとともに、このウェヌスシステムと超次元の繋がりを持つ。この繋がりをモヤイと呼んでいるのじゃが、トレイニングとは、そのモヤイを通じてトレイナーがウェヌスシステムとの繋がりを持って、そこから力を引き出すことなのじゃ。ゆえに、何もない場合はノリモンの近傍でしかトレイニングはできん」

「そこで、チッキのようなデバイスを通じて繋がりを維持する、という事ですか」

「その通りじゃよ」

 

 なるほど?? 分かるような、分からないような。

 でも、話を聞いて余計に分からなくなったこともある。

 

「……もしかして、このチッキに触れたときに()()()ものって」

「モヤイに繋がって視えたものじゃろうな。オモテのトランジットをしたノリモン、そして同様に同じノリモンと同時にオモテをトレイニングしているトレイナーとの間で相互にテレパスのようなものが使えるようになるメカニズムと同じじゃろう」

「このチッキに()()()()()()()()()()()()()()()()()()のに、ですか?」

 

 そう尋ねると、鳥満博士の顔が強張った。そして液体窒素を撒いたかのように、空気が凍結する。

 

「……そうじゃよな、当然気になることじゃろうな。先程言った通り、ここから先はまだパブリッシュしていない事じゃ。じゃが君は()()()()()()()

「守秘義務の宣誓ならしますよ」

「落ち着きたまえ、その必要はないように準備はしておる。そもそも、チッキは既に繋がったモヤイを繋ぎ止めておくだけのものに過ぎん。ゆえにそのチッキを手にしたとて、それだけではモヤイに繋がる訳がないのじゃ。どちらかといえば、それは()()()()()()()()()()モヤイで、そのチッキによって()()()()()()()()という意志があるのではないかと踏んでおる」

 

 既に繋がっている、モヤイ……?

 ってことは、もう既に僕の手元にチッキのある……。

 

「クシーさんのモヤイ、って事ですか」

「否。クシー号のチッキは別にあるのじゃろう? ()()()()()()()()ノリモンのじゃよ。それも、チッキがどういう用途なのかをきちんと理解しておる」

 

 え、どういうことだろう?

 もしかして、なにか前提を間違って認識している?

 どこだ。何が間違ってるんだ。

 恐る恐る、間違っている可能性のある箇所を聞いてみる。

 

「えっと、繋がっているノリモンというのは、トレイニングのできるノリモンという認識なんですが、もしかして誤っていますか?」

「うむ。モヤイが繋がることはトレイニングの必要条件であるが十分条件ではない、と言えば伝わるかね。繋がることができたとて、その繋がりが貧弱で情報伝達に耐えられないのであればトレイニングは不可能じゃ」

 

 そういうことだったのか。

 つまり、ノリモンはこのモヤイの繋がりで他者に自分の模倣子を受け渡すこともできるってことで、その極地がトレイニングなのだろう。

 ……もしかして。ノリモンからだけトレイニングができるかどうかがわかるのって。

 

「あの、トレイナー側からはその繋がりを認知する術は」

「無い。じゃが、対面すれば半分以上の割合でされていると考えていいじゃろうな。ノリモンは()()()()()()()トレイニングの可否を認知しているのじゃから」

 

 おお? だとすれば、あのイメージを見せたノリモンの候補がぐぐぐっと広がる。事実上、会話をしたノリモンほぼ全てに可能性があると思っても間違いはなさそうだ。

 それはそれで、ものすごく特定しにくいんだけれど。

 

「とはいえど、視えた理由は私の仮説に過ぎん。もう一つだけ考えられるものはあるにはあるのじゃが、結論はほぼ同じな上にパブリッシュ前の論理ゆえまだ伝えることができんのじゃ」

「いえ、その結論を聞けただけでもかなり勉強になりましたし、参考になりました」

「なら良かった。最後に、仮説から繋がる考え故、かなり不正確やもしれぬが伝えておこう。そのイメージを見せたノリモンは、恐らく君とのトレイニングを強く望んでおるじゃろうな」

 

 ……僕とのトレイニングを強く望むノリモン、ねぇ。そうなってくるともうなんか答えが1つに絞られてくるんだけど。

 

「だとしたら、もしかしてポラリス……?」

「ポラリス……北極星か。佐倉から聞いている君の視たイメージにも近い」

 

 あ、ポラリスってそういう意味の単語だったのか。

 ただ、ベーテクさんがポラリスの()()()()()についていつかは僕に伝えなきゃいけないとこの前口走っていたからなぁ。イノベイテック号がベーテクになるんだから、ポラリスは響きだけで近い単語に合わせてきた、そこに意味は無い愛称な気がしている。

 

「それは、ポラリスが愛称に過ぎなくても言えることですか?」

「愛称じゃったか。難しいところじゃな。本来の名前から一部をそのまま抜き出してきた愛称なら間違いは無いとは思うがね」

 

 ……うーん。今度ベーテクさんに名前を聞いてみるかなぁ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ後:科学に犠牲はつきものじゃよ

 それからいくつかのやり取りと、逆に鳥満博士から僕への質問に答えたりした後、また話に進展があれば連絡してくれて構わないと連絡先を教えてくれた。

 ただ、その時は僕自身のデータを取りたいらしい。そもそもイメージが視えた理由に対して仮説しか出せていないのだとかで、その検証にはどうしてもデータが必要なのだそうだ。

 

「別に今でも大丈夫ですよ、今日は予定ないですから」

「私もそうできるなら早く知りたいのじゃが、一昨日一部の測定機器が誤差を出し続けておるのが分かってな、業者を手配中なのじゃよ」

「なんか……ごめんなさい」

「君が謝ることではないじゃろう」

 

 そうなんだけど、タイミングが悪すぎる。

 そういう訳で、細かい検査が暫くはできないから、事態が進展するまで待とうということなのだろう。その頃にはきっと測定機器もどうにかなっているだろうという期待の下に。

 

「まぁ、そんな訳じゃから残念ながら今日は話だけじゃよ」

 

 鳥満博士は残念そうにそう言った。

 だったら生きてる機器だけで賄える測定をすればいいのでは? とも思ったけれど、その道のプロが今日はやめたほうがいいと判断しているくらいなのだから、恐らくはそう単純な話でもないのだろう。

 結局、今日は特にできることはもうないので、お開きにすることになった。

 

「ちょっと待っておれ。スカイを呼ぶからの」

「いや、外に出るくらいなら案内されなくても大丈夫ですよ」

 

 流石に僕はそこまで方向音痴ではない。そう伝えると、

 

「建物が迷宮めいて複雑であるからではないんじゃよ。君のように、明らかにサイクロの者ではないと分かるような者がこの建物内を一人で歩くのが危険なのじゃ。例えば薬学系のタムタサタキ連中に捕まってしまえば、君の体はケミカルに変性することになるじゃろうな」

 

 と俄には信じられないような情報が開示された。曰く、ここ(サイクロ)では外からお客さんを招く際にはそうであるとわかるように共用スペースでは可能な限り呼んだ関係者が付き添うのがルールで、そうでないものはただの侵入者とみなされて何をされても文句は言えないのだとか。

 まぁ、明らかにJRNへの侵入者が欲しがるような情報を持っているのはサイクロかロケットな訳で、()()()()()()()()()()()()()()ここも本当によく侵入されたりしたんだろうな。その結果として過剰に防御反応が出てしまうのも分からなくはないけど……。

 

「倫理ってものは無いんですかね?」

「科学に犠牲はつきものじゃよ」

 

 最悪の答えだ。

 ロケットの僕が言えたことじゃないけど、もしかして時折JRNの中なのに行方不明になる人がいるってそういう……?

 そしてサイクロにはホルマリン輸送のタキのノリモンなども所属しているらしく。それ敵意持って接されたら100パーセント碌な事にならない相手じゃないですか。

 僕はそうはなりたくないので、大人しくスカイさんに送ってもらうことにした。

 

 ★

 

「……のうナリタ。データは取れてるかの?」

「バッチリよ」

 

 スカイが山根を連れ出した後の鳥満研究室で、鳥満は小部屋の裏の部屋にいた者にそう呼びかけた。

 呼びかけられて出てきたのは、象牙色の長い髪を持った、ナリタと呼ばれたノリモンだ。

 

「しっかし博士も悪いですねー。許可も取らずに測定用の部屋に誘導するなんて」

「なに、データを取ること自体には前向きな反応を示しとったし、事後報告でも問題はないわい」

「あらあら、お人好しな子なのね」

 

 ナリタは山根をそう分析した。その分析は正しく、実際そうである。

 そう、先程まで鳥満と山根が会話をしていたこの小部屋は、超次元方向へと働く力により三次元内に発生する歪みを検知することで、その超次元の力を逆算できるよう数多のセンサーが壁の中に埋め込まれているのだ。

 彼らは既にこの部屋を用いて、一度返却されたチッキに超次元の力が働いていなかった事を確認済みだ。そこで1つの仮説が生まれた。山根の下にある間だけ働くのではないかと。

 その検証のために、鳥満はこの部屋に山根を招いたのである。

 

「それで、結果はどうじゃったか?」

「想像どおりね。やっぱり彼があのチッキを持っている間だけ、モヤイがチッキに纏わりついていたわ。でも、机においた瞬間パタリ」

「ふむ。興味深い結果になったな。てっきり既に刻印されたものと同じように、彼の近傍にある時は常にそうじゃと思っとったが」

「そんな感じのチッキも一枚あったけど、恐らくそれはクシー号のでしょうね。……それよりも」

 

 ナリタは興奮の混じった声で話を途切れさせた。そして、

 

「もっと興味深い現象を見ちゃった」

 

 と一言発すると、鳥満の反応を待つ。

 その声を聞いた鳥満の眉も、僅かにピクリと動いた。これは彼が興味を示している証拠だ。

 そう判断したナリタは一呼吸おいて、再び口を開ける。

 

「彼、自分からモヤイを出してる」

「……何じゃと!? 彼()人間では無いというのか?」

「いや、間違いなく人間のはず。スクールの方のデータも覗いてみたけど、健康診断で毎年きちんと身長体重の変化が見られてる」

「ではなぜじゃ。純粋な人間は自発的にモヤイを出す事はできぬはず」

 

 鳥満は、明らかに興奮していた。その眼に差さった色は、少年のような純粋なる好奇心。

 

「落ち着いてよ博士。なんのために、サクラちゃんを下関へと向かわせたと思ってるのさ」

「じゃが。自ずからモヤイを出すことの能うことが、既に観測されている彼の特異な体質に関わるのだとすれば? 彼女の例から考えて、その蓋然性は高まってきたのではないのかね」

「それもそうなんだけどね」

 

 そしてその好奇心の色が差さっているのは、もう片方の者も同じだった。

 

「となると、()()()のもそれが原因やもしれんな。こうしてはいられん、今日はそのデータを解析するかの?」

「言われなくたって、そうするつもりよ」

 

 その日の鳥満研究室は、夜遅くまで明かりが消えなかったという……。




【キャラクター紹介:#11】
鳥満(とりまん) 絢太(けんた)
・誕生日:7月7日
・出身地:長野県
・キール:ゲッコウリヂル
・所 属:サイクロ/JRN

 JRNで長い間ノリモンの研究をしている博士で、ラッチ開発の主要な人物の一人。
 昔はトレイナーとしても活躍していたが、老衰には抗えなかったらしい。 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ前:真の勝者には、選ぶ権利がある

 金曜日。今日もまた、ベーテクさんのラボではラチ内の走行試験を行っていた。

 今日の主役はなんとポラリスだ。前髪の青いメッシュの両脇に黄緑色が差さり、普段と比べてキリッとしている他、頭の上にはネコミミのような構造物にベントキャップが取り付けられている。ベーテクさんいわく、これはメインエンジンに繋がる給気口らしいんだけど、どう見ても足元に繋がっているようには見えない。

 そして、彼女の足元と言えば……まず目を引くのが、その小さな体には似合わぬほどゴツゴツのブーツだ。ベーテクさんのようなロングブーツ程度の丈ならそこそこ見かけなくもないけれど、そもそも足が短いのもあるのだろうが流石に膝を超えてサイハイブーツほどの丈ともなれば珍しいんじゃないだろうか? 特に膝より下なんかは、片側だけでポラリスの胴回りより太いんじゃないかって程に機械が取り付けられている。

 

 そしてこのポラリスの異様な姿に驚愕を覚えているのは、僕だけではなかった。

 

「マジか……。ベーテクもたいがいゴツいと思ってたけどこりゃ完全にそれ以上だぞ……」

「Wow……」

 

 どうもポラリス、東京に来てからこの姿になった事がないらしく。アドパスさんも成岩さんも初めて見るのだそうだ。

 しかしまぁ、世界中を飛び回っていたらしいアドパスさんですらこの驚きようなんだから、ポラリスの姿は本当に異質なのだろう。

 

「どう? ポラリス、かっこいいでしょ?」

「かっこいいっていうか……」

「凄かったんだな、お前」

「メカメカしくて、ミーはいいと思いマス」

 

 なんだろう、かっこいいとかそういうベクトルじゃなくて、圧巻という言葉が似合うような、そんな風貌だ。普段は可愛らしいのに。これが所謂ギャップ萌えってやつなのだろうか。

 

「君達、どうしてボケっとしているんだい? これから走るんだぞ?」

「いやベーテク、頼むから脳内を整理する時間くらいよこせや」

「仕方ないねぇ。じゃあ……ポラリス、走ろうかぁ!」

「うん!」

 

 ベーテクさんはそう言うと、ポラリスを引き連れて周回の線路の方へと向かっていってしまった。ポカーンとしていた僕達3人を置いて。

 

「……何というか、やっぱり自由だなアイツ」

「ベーテクさんは、それができマースから」

「アレか、『真の勝者には、選ぶ権利がある』とか言う奴だろ? 俺達はそのプロセスを真横でずっと見てたから、そうなる努力をずっとやってたのはアドパスも知ってんだろうけどさ、最近はその権利を濫用しすぎじゃねえかな……」

 

 成岩さんは頭を抱えている。彼はベーテクさんがJRNに入った時からずっと側にいた訳だから、色々思うところがあるのだろう。そのかつての努力と、おそらくその頃抑圧されていたさまとを見ているのだから。

 

「なんか……大変ですね」

「いや、現状被害一番受けてるのお前だからな?」

「えっ」

 

 そうなの?

 確かに最近ポラリス周りでいろいろ大変なことになってるけど……。確かにベーテクさんからのアプローチも少なくはなかったけど、どっちかって言うとポラリス本人がヤバすぎてそこまで多いとは感じはしなかった。むしろこの実験の採択みたいに、自由というよりは結構きちんとプロセス踏んでたりもするし。

 

「お前は知らないだろうが、ベーテクは人に迷惑かけてた時はポラリスであろうと結構きつく叱ってたんだぞ? あの状態のポラリスに注意してないのはかなり大きめの意図を感じた」

「それはもう少し早めに教えてほしかったですね……」

 

 そう知ってたら少し対応変えてたのに。単純にかわいい妹分のポラリスにはめちゃくちゃ甘いだけかと思ってたぞ。

 まぁでも、ポラリスまわりの事は結局丸くおさまったんで普通に許してもいいかな……。僕にもたぶんメリット大きい話だからね。

 僕が正直にそう話すと、成岩さんは呆れたようにため息をついた。

 

「お前がそれでいいならいいけどよ、これでポラリスも遠距離型だったとしても知らねぇぞ俺は」

「その時はまたその時ですよ」

 

 どっちにせよ早乙女さん程とは言わないまでも、手札は多いに越したことはない。その時はまた、別のトレイニング先を探すだけだ。もっとも、今はポラリスのことをやらなきゃいけないので他を探している余裕はあんまりなさそうだけどね。

 そう思って僕はスコープを覗いてポラリスの方を見た。どうやら800mの軌道をまわるようで、もう既にポラリスは入線しているのが見える。

 

「カメラを回した方がいいやつですかねこれ」

「それはミーがやっておきマース」

 

 アドパスさんに撮影を任せて、スタート地点に視線を戻すと、ベーテクさんがポラリスの周りを立ち止まりながらも何周かしていた。恐らくその足回りのチェックをポラリスに教えているのだろう、ポラリスも立ち止まったベーテクさんに向けて頷いているのが見える。

 そして暫くしてからベーテクさんが少しだけ離れた後。彼がちらりとこっちを見て、そしてそれからまた少し間をおいてから、ついにポラリスが走り出した。

 

 

 

 ……見ているこっちが、恐ろしくなるような勢いで!




【お詫び】
日付指定をミスったため昨日の更新がありませんでした。
代替として明日の朝に追加で更新が入ります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ中:この子、一体何者なんだ……?

 ポラリスは、目にも留まらぬ程の恐ろしい勢いで走りだした。その場に青い光を残して。

 

「ありゃ《ハイブリッド・アクセラレーション》使ってるな。正直こういう実験のときはそういう余計なことはしないでほしいんだが……」

 

 成岩さんがそう言葉をこぼす。

 《ハイブリッド・アクセラレーション》はもともとベーテクさんに由来する技の1つだ。それをしっかり継承していきなり使いこなしているあたり、流石はベーテクさんの妹分といったところだ。

 よく《ハイブリッド・アクセラレーション》を使っている成岩さんによると、これは電気と内燃の力を同時に引き出して、数秒分の加速力を一瞬で得ることができるものらしい。ベーテクさんは加速力が弱まってきた中高速域でその補助をするためにこの技を生み出したらしいんだけど、成岩さんは専ら走り出しのような超低速域で使っている。そして今のポラリスの使い方は、完全に成岩さんの使い方だ。

 だけれど当の成岩さんですら、このポラリスの動きには困惑の色を隠せていない。その理由は、少し間をおいてから成岩さんの口からこぼれ落ちた。

 

「そもそも俺はアイツにこの使い方教えた事は無いはずなんだがな……」

「いや、解説聞いた限り普通に加速力が高くなる、速度の低い段階で使ったほうが有効なのでは……?」

「そう思うだろうが、普通にやってるだけじゃ《ハイブリッド・アクセラレーション》は()()()()()使()()()()。だから俺はちょっと小細工してウェヌス()()()使ってんだよ。当然だが、その方法を教えた事もない」

 

 つまりポラリスはどこかのタイミングでその偽装工作を見抜いて習得したか、或いは彼女オリジナルのそれを得たのか。もしかしたら、そもそもがベーテクさんの《ハイブリッド・アクセラレーション》ではなく、彼女自身の生み出した技なのかもしれない。

 いずれにせよ、数年間レールの上に立っていなかったのに、いきなりそんな芸当をしでかしているあたり、その才能には光るものがあるのは事実だ。

 

「……この子、僕みたいな新米じゃなくてもっとベテランのトレイナーとトレイニングした方がいいんじゃないかなぁ」

「そうか? 最初は天才肌同士で慣らした方が彼女にとっちゃ楽だと思うぞ」

「天才肌って」

「事実だろ、お前いい加減自覚しろよ?」

 

 それでもまだ面と向かって言われると恥ずかしいんだよ!

 その気持ちを紛らわすために、意識をスコープに戻してポラリスの走りを見る。今の彼女の動きは、真横からでも分かるほどに大きく身体を左右に揺らしながらの走りだ。

 って、これ完全に月曜見たアドパスさんの走り方じゃないか。なんでもう完全にトレースできてるの……?

 ……いや、違うな。多分こっちはポラリスが()()()()()()()()()()だっただけだろう。だからこそ、数年前に一度実際にこの走りを見ていたベーテクさんが僕にこれを習得させようとしている。そう考えた方が自然だ。

 こうやって振り返って見てみると、ベーテクさんって本当に用意周到に外堀埋めてきたり、即座に気づかれないようにアプローチしたりするのが上手で、できれば敵には回したくないタイプだ。

 

「……なるほどなぁ」

「口に出てるぞ。いったいこの一瞬で何を見て何を納得したんだか」

「ポラリスの走りを見て、ベーテクさんの意図を……」

「うん、お前やっぱポラリスとお似合いだな。トレイニングができる程の相性だってのが良くわかった」

 

 いや、どうしてそうなる。この人の考えはよくわからん。

 そうこう言葉を交わしている間も、ポラリスはぐんぐんと加速していく。気がつけば彼女はベーテクさんの脇を通過し、2周目に突入していた。ここまでおよそ1分半強。

 ……半径が800を1周ってだいたい5kmくらいあるから、平均で時速200に乗ってるってことになるんだけど、《ハイブリッド・アクセラレーション》で初速が実質的には0ではなかったことを抜いてもどれだけ加速いいんだか。たぶん今出てる速度ですらまだ加速度が1キロメートル毎時毎秒を下回っていないんじゃないかな……。

 そしてそれだけの速度を出してなお、()()()()()()曲線を走行しているという事実。正直あの大きさのカーブでそこまで速度を出したら、僕は遠心力に負けて外に飛んでしまうか、そこまでは行かなくても体のバランスが崩れてまともに走ることができなくなったり、あるいはレールを掴んで速度を維持するだけでせいいっぱいになってしまっているだろう。何せノーヴルの経験値ですら無対策での()()()()()()2()8()0()()()()()()()()()()のだから。

 だがポラリスはそれを4割以上超過してなお、さも当然かというように涼しい顔をして走行し、しかもわずかながらも加速しているのだ。何たるバランス感覚だろうか?

 

 そう感心しているうちに、ポラリスの走り方に変化がみられた。今度は打って変わって左右の揺れがおさまり、安定して走行している。それはまるで、録画されていた()()()()()()を見ているかのよう。おそらく加速が終わったんだろうけど、最早何も言うまい。

 そして彼女はその状態で軌道を一周したあと、その400近い速度から急速に速度を落とし始めた。車輪から盛大に火花を散らしながら。……なんであの速度から空気ブレーキ入れてるんだ?

 僕のその困惑をよそに、ポラリスはわずか3分の2周程度も回らぬうちに停止したのだった。

 

 加速も最高速もおかしければ、最後の減速までまるで意味不明。この子、一体何者なんだ……?

 これが、僕がポラリスの走行を初めて見たときの、率直な感想だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ後:やっぱりこの子、恐ろしい

「えへへー。ポラリス、頑張っちゃった。すごかった? すごかったでしょ?」

 

 ポラリスはラッチコアに戻ってくるなり、僕に飛びつきながらそう言った。

 

「凄かったよ、それは僕達の思ってた以上に」

「やったー!」

 

 あっこらそのゴツい足回りを振り回すんじゃない。当たったらどう考えても怪我するわ!

 こう僕がポラリスに絡まれているあいだに、成岩さんは逆にベーテクさんを問い詰めにかかった。

 

「おいべーテク、どういう事だこれは」

「いやねぇ成岩くん。僕もねぇこんなに走れる子だとは思ってもなかったよ」

「お前は一度見てたんじゃなかったのか?」

「詳しくはまだ見られていなかったんだよ、だってその時僕は置いてかれちゃったからねぇ」

 

 えっ。そんなこと言ってたっけ?

 脱線した話は聞いてたけど、その時ベーテクさん置き去りにして暴走してたの!? そりゃあベーテクさん心配するって。

 

「は? 置いてかれた? お前が? それ、どういう事を意味してるか分かってるか」

「僕はもともと一般型、ポラリスは特急型。置いてかれても不思議はないよ」

「ノリモンだぞ、元の車の性能は多少は出るが練習やチューンで()()()()()()()()()()。そういうのを成りたてで()()()()()()()ポラリスが既に数年ではあるがJRNでやってたお前を置き去りにした。その意味を分かってんのかって聞いてんだよ」

「何もしてなかったわけじゃないよ。チューニングはあの子がノリモンに成った時点で僕がほぼ全部関わっててね、例えばDCTなんかは僕の経験をもとにしてノリモン用のに取替えていたし、減速機のギア比なんかも変えた」

「それでも、だ。ポラリスが線路を走ったのは今日で2度目と聞く。つまりその時は初めて走った訳だ。それは事実だろ?」

 

 そう問い詰める成岩さんの声には、明らかに興奮の色が混じっていた。

 確かに、言われてみればそうだ。ベーテクさんだって、ノーヴルの大多数の例に漏れず走るのがだいぶ速い。数年前とはいえ、そんなベーテクさんを初めての走りで置き去りにしたというのなら、今さっきの試運転(トライアルラン)の結果も少しは予測はできたというものだ。

 

 そう流れて来る言葉を反芻している間に、ふたりの話はさらにエスカレートしていく。

 早乙女さんと佐倉さんの話が長くなるという話をしてくれたのは成岩さんだけど、多分彼とベーテクさんも二人だけの世界に飛んでいってしまうという面では同じなんじゃないかな……。

 実際ポラリスだってこの口論を慣れたように無視して、アドパスさんの方へと話をしにいっているし、そのアドパスさんも生暖かい目で彼らを見ている。

 

「あのふたりは置いといて、ミーたちはラボに戻りマショウか?」

「じゃあラッチ開けてきますね」

「お願いしマース」

 

 そして彼らは、僕がラッチを開けてからポラリス達と合流した時ですらついに口論を止めることはなかった。チャットにメッセージ残してラボに戻って紅茶飲んで待ってよう。

 

 そう3人で決めてラボに戻ったのだが……。

 アドパスさんが淹れてくれた紅茶を飲みながらいくら待っていても、ふたりは戻ってこない。チャットにも反応がない。

 心配になって様子を見に行ってみれば、まだふたりで元気にやっていたので、もうなんと言えばいいのやら。

 

「じゃ、ミーたちで先に記録映像を見てマショウか」

 

 もうあのふたりはどうしようもないので、先にこっちで振り返りを始めてしまうことにした。

 とは言っても、僕はさっきラッチコアから見ていたしアドパスさんも撮影がてら見ていたはずなので、今のところポラリス本人が自分の動きを振り返るための映像だけれど。

 

「最初の加速は、《ハイブリッド・アクセラレーション》の後にアドパスさんの振り子走法、で合ってる?」

「うん。お兄ちゃんから教えてもらったり、昨日1日この前の動画見ていろいろ考えてたの!」

 

 ん? この言い方じゃ振り子走法はポラリスの本来の走り方じゃないのか……? と思ったけど、よくよく考えたら彼女がレールを駆けるのは今日が2度目と聞く。そうなんだとしたらおそらくまだ自分の走りを確立できていない段階なのだろう。

 だとしても、1日見てるだけでトレースできるのって……。やっぱりこの子、恐ろしい。

 

「どうしてミーのを真似しようと思ったんデス?」

「昨日ね、動画見ながらお兄ちゃんに教えて貰ってたんだよ。その中で、アドパスのがよさそうだなーって」

「走りにくくはなかったデスか?」

「ぜんぜん!」

「Hmmm……」

 

 アドパスさんはその返答に考え込んでしまった。

 わかる気がする。あの走法、僕も結構走るのは結構大変だと思ったし、実際走ってみて無理があった。何せ体をバネのようにして左右移動をエネルギーロスなくやらなきゃいけないのに、移動しなきゃいけないということに気を取られて余計に力を使ってしまってかえって加速が鈍る始末だったから。

 そんなのが、走りやすい……?

 

「後半、山根サンのをやったときと比べてどうデシタか?」

「ちょっと感覚は違ったけど、走りやすさはあんまりかわらないなーって。でも、どう言えばいいのかなー。進もうとしなくても前に進めるのは、真也のの方!」

 

 そのポラリスの言葉を聞いて、アドパスさんがついに固まった。僕もあまりの衝撃に動きが止まった。

 目の前でニコニコしているポラリス。この子、間違いなく天才だ。ベーテクさんいわく近い走り方とはいえ、なんで1日動画見てるだけで2つの走り方をマスターできるんだ。

 

 ほんの数日前まで、僕はポラリスのことをベーテクさんについてきた、このラボのマスコット的な存在だと思っていた。でも、その評価はもう改めなきゃいけない。だって、下手したらこの子が、このラボで一番スピードの向こう側に近いのかもしれないのだから。




【TIPS:ノリモンの性能】
 ノリモンの足回りの性能は、元の乗り物の性能に依存する部分が大きい。エンジンやモーターといった元が大きな機器は、ノリモンに成るプロセスで小型化されたとしても、元からそのサイズで作ったそれよりも高性能な上に壊れることが稀だからだ。そのうえ、そちらの方がウェヌスシステムから力を引き出しやすい。
 とはいえど、もとから単純な構造である車輪や減速機などはノリモンに成ってから換装しても大した影響はないため、各々の好みや懐事情によって比較的カジュアルに換装されている。
 また、走行フォームに関していえばこれはヒトと同様習得によって変更することが可能である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ前:久しぶりの模擬戦闘

 土曜日。木曜の活動には出張で顔を見せなかった佐倉さんも戻ってきて、火曜ぶりのユニット全体での演習だ。

 ちなみに昨日18時過ぎまで僕達をほっぽってベーテクさんとふたりだけの世界に入ってしまっていた成岩さんは、流石に申し訳なさそうにこちらを見ている。

 

「さて、今日は合同演習の予定なのだが」

「久しぶりだな、北澤が入ってからは初めてじゃないか?」

「そろそろ北澤君はユニット対ユニットでも問題ない程度にはなってきているからな。山根君は……既にトレイナー同士じゃ1対9でも無双できるポテンシャルはあるのだが……」

 

 うん、それ僕が凄いんじゃなくて《桜銀河》が、というかクシーさんが強すぎるだけだ。一回彼女にクィムガン役やるときはどうしてるのか聞いたけど、単純に動かない事で《桜銀河》を打てる余裕をわざわざ殺しているというのだから、相手の攻撃をいなしたりする技術の未熟な僕にはまだ無理だ。

 ……改めて客観的に見ると僕って色々酷いな。逃げて一方的に勝つしか芸が無いのだから。やっぱり近接戦闘できるようになった方がいい。

 

「という訳で、山根君。君は今回、攻撃は私達のうち3人が脱落するまで禁止だ」

「完全に禁止ではないんですね」

「単純にウルサとしても負けたくは無いのでね」

 

 その時、珍しく早乙女さんの目がぎらりと光った、ような気がした。

 

「だが、攻撃回避の練習として、今日も半分より外側に出るのは禁止なのは変えん」

「……わかりました」

 

 それはそれで、僕は得物を使ってガードできる訳じゃないんだから秒殺されてしまいそうな条件だけど。まぁできる限り足掻くからなる様になれとしか言いようがない。

 早乙女さんはそう僕に伝えると、再び全員へのアナウンスに戻った。

 

「先方との約束は10時だ。それまでに各位準備しておくように」

「承知。それで、相手はどこ」

「ドラコだ。それも向こうからのご指名でね」

「え、ドラコが……?」

 

 ドラコ・ユニット。この前(と言っても1か月以上前だけど……)の出動でもお世話になっていた、JRN屈指の実力派のユニットだ。

 そこがわざわざ新人2人いるここをご指名? 僕達が入る前のウルサは確かに活動報告漁る限り結構実績積んでいたらしいけど、構成員が4割も変わったらもうそれは別ものなのでは?

 

「まぁ十中八九、山根君の《桜銀河》が目当てだろうな」

「取り扱いには苦労してるんですけどね」

「強力なのに違いはないだろう?」

 

 それはそうだ。そもそも誤射が致命的になるほど強いから取り扱いに苦労しているのであって、弱かったら多少の誤射は許容できる。それこそ仲間の黄色を消し飛ばしていたクシーさんみたいに。

 まぁ、他の物理的な技と違ってノリモンやトレイナー、それにクィムガンにしか効かないだけ、ある意味では誤射リスクは小さいのだろうけど、悲しいかなラチ内で使うんだったら最早関係のない話で。

 

「ある意味じゃ、時代遅れな技なのかもしれないのかな……。でも、」

 

 それを最大限に生かすのがトレイナーの仕事だ。使いこなせれば、強力なのは間違いないのだから。

 

「だからこそ、燃える」

「……そうか。なら頑張りなさい」

 

 とりあえず今回もいつもどおり近接で躱して逃げる特訓の一環だと思えばいい。

 そう考えていると、北澤さんが不意に口を開いた。

 

「……なら、《桜銀河》を禁止すべきじゃないんじゃない?」

「ほぅ。どうして我々が向こうの都合()()に合わせなければならないんだい? 我々は何度も模擬戦闘を交えているから、アレが対面するとかなり厄介な技なのも間違いはないとわかっているし、勿論その対応策は共有すべきなのは事実だ。()()

 

 早乙女さんはここで一度言葉を止めた。だけれど、語りかけるのは止まっていない。その目線が、北澤さんに語りかけ続けている。

 

「我々を()()()()()()()指名した以上、私や君を含む他の四人の技術向上にも役立ってもらわなければならない。()()()()()()()()()()、山根君が一方的に勝つのではまるで演習にはならないのだよ」

「はい……」

「言っておくが、私はそこまで甘いわけではないからな」

 

 北澤さんは、バツが悪そうにしゅんとしている。

 なんで? と頭の上にクエスチョンマークを浮かべていたら、佐倉さんが耳打ちで教えてくれた。どうも僕が瞬殺して自分は強いウルサの人たちとやり合わずに済むのを期待してたんじゃないかという見解らしい。

 なるほど、そりゃ早乙女さん怒るな……。普段だって僕がわざと手を抜いた場合すぐに察知して注意してくるもの。

 というか、流石に《桜銀河》使っても瞬殺は無理だと思う。味方を巻き込んでいいなら話は別だけど、許可もなくそうしたらそれはそれで絶対早乙女さんに怒られる。実際の現場でこんなことをしたら私達はただじゃすまなくなる、と。

 

「他に確認したいことは無いな? なら、45分までは各自の調整としたい」

「「「「承知」」」」

 

 ……さて、久しぶりの模擬戦闘だし、足回りとか一応確認しておかなくっちゃな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ中:これがトランジット・トレイニングだ

「すまんな早乙女。わざわざ受けてもらって」

「いや、私達新人比率が高いウルサとしても、練度の高いドラコとの模擬戦闘はためになる部分が多い」

「そう言ってもらえると助かるが」

 

 地下演習場に展開したラッチの横で、僕達はドラコのメンバーと正対していた。

 そのうちの一人――体つき的に、たぶんバランスの、僕と同じ遠距離タイプの攻撃をしてた人だ――が、リーダー同士の話が終わるや否や僕を指差す。

 

「……この少年が報告にあったクシー号のか」

「僕に何の用です?」

「いや、単純な興味だ。あの時はまだあの冒進と大金星を詳しく知らなかったからな」

「まーぼくは全部見てたんだけどね」

 

 そう話に割り込んできたのは、あの時戦況確認のためにラチ内に残った……確かパレイユの人。

 

「キミ、うちのリーダーがくたばったらドラコに来る気はない?」

「おい、まだ俺は辞める気はないぞ」

「お断りします」

「アハハ、振られちゃった」

 

 だって僕が入っても絶対足を引っ張るだけだし。新人とはいえ、ウルサですら微妙に半分要介護みたいな扱い受けてるのに。

 それに、ウルサの空気はなんだかんだ居心地がいいと感じてるからね。離れるつもりはない。

 

「私の目の前で堂々と引き抜きを企むとは、君、いい度胸をしているね?」

「へ? いや、社交辞令的なものだって」

「どこに社交辞令で引き抜きかける奴がいるんだ……。早乙女、うちの莫迦が不快にさせてすまんな」

「いいや、君からの謝罪は不要だよ。私にはいくらでも手札があるのでね?」

「早乙女の場合()()()()()から怖いんだよ! まぁいいや、そっちもやる気のようだし、始めますかね」

 

 その言葉とともに、軽口を叩き合っていたドラコの空気が変わって、ピリッとしたものになる。つられて僕達も、僅かに緊張の糸が伸ばされた。

 

「それじゃ、今日はよろしく頼むよ」

「こちらこそ」

 

 頭を下げ、握手をしてからチッキケースに手をかける。ふと向こうを見れば、ドラコのメンバーはみな左腕につけられた機械のディスプレイをいじっていた。

 

「あれは……」

「eチッキ。今は実用化に向けた最終調整中のはず」

 

 へえ。名前からなんとなくどんなものかはわかるけど、そんなものまで開発してるんだ。興味はあるけど、とにかく今はそんなものは頭の片隅に投げつけて模擬戦闘だ。

 

『テステス、こちらドラコロケットよりウルサバランスへ、感度どうですかどうぞ』

『ウルサバランスより、感度良好どうぞ』

『では時計の針が0秒になった瞬間から入場と同時に演習スタートで』

『承知』

 

 無線で始まりの合図が決められた。演習場の時計を見れば、秒針はいま8の文字を回ったところだ。

 右手にチッキを構え、時計を凝視する。10をまわり、まもなく11。

 

 5、4、3、2、1、0。

 僕達は、一斉にチッキをラッチに押し付けた。派閥の固有色が身体を包み、トレイニングで姿が変わる。

 そして入場と同時に入線し、《ハイブリッド・アクセラレーション》で盛大なスタートダッシュをきめた成岩さんに続いてドラコのいるであろう方へと駆け出した。

 

「いくよ」

 

 僕の直後を走る佐倉さんが得物を構える音がする。ラッチコアはもうすぐそこだ。

 

 そう思ったその時。

 急に音がしたかと思えば、空には大きな火の玉が。

 進路を周回軌道に変えて大回りして避けるのは簡単だ。だけどそれでは、ドラコが先にラッチコアに到達する。つまり、不利になる。

 ならば。

 同じ事を考えていたようで、前を走る成岩さんが加速した。僕もそれに続いて、火の玉の真下をくぐる。

 だけど、僕の後ろの人の判断は違ったようで。

 

「なんの、《ストラトス・グレイ》!」

 

 カーン! 鉄と鉄が強く叩きつけられる音がしたかと思えば、真後ろからしていた転がりの音が消えた。

 見上げれば、鈍色の風が上空の火球に当たり、僅かに、ほんの僅かに軌道がずれる。でも、これで十分だった。

 ちらりと後ろを振り返れば、隣の線路に着地した佐倉さんの反対側にずれた火球が落下する。北澤さんも早乙女さんも、巻き込まれることのない程度にはずれた場所に。

 

 そして、速度を僅かに落とした成岩さんに先導された僕達は、ドラコのメンバーより先にラッチコアに到達した。少しだけ、余裕ができたわけだ。

 すると徐に、早乙女さんが僕の前に立つ。

 

「ドラコの奴らなら、この子だな。……山根君、これがトランジット・トレイニングだ」

 

 早乙女さんがそう言ってチッキを掲げると、その前に現れたのは半透明の改札ゲート。

 そして彼はそこに進入すると同時に――改札ゲートに、チッキを投入した。

 

 ガコン。

 

 改札ゲートの扉がしまり、その内側は緑色の光に満たされて早乙女さんを包み込む。

 

 そして、もう一度、ガコン。

 

 扉が開いて出てきた早乙女さんの右半身は、淡いクリーム色に闇夜のような濃紺の意匠が走る。その手の先には、三日月のように反った一本の刀。

 

「さぁ、始めよう」

 

 ラッチコアのすぐ前まで来ているドラコのメンバーにむけて、早乙女さんはそう発した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ後:早くキミの技を見せてよ

「いきなりトランジットかよ? 早乙女らしいな」

「君達の手の内は十分知っているのでね」

 

 早乙女さんはそう言うと、到着したドラコロケットに一歩踏み込んで刀を振るった。それをドラコロケットは後退して躱す。

 だが。

 

「《金星つばめ返し》」

 

 早乙女さんはさらに踏み込みながら刀を上に振り上げて。ドラコロケットはそれを挟むように受け止めるも、その成功を察知した早乙女さんが振り下げて回避し、一歩引く。

 

「おっと危ない、その見た目で両刃かよ」

「悪いか?」

「ぜんぜん」

 

 そしてドラコロケットが手を掲げれば、その先に氷の刀身が伸びる。そしてそれを早乙女さんに振り下ろし……。

 

 それを眺めていたとき、何かが左からやってくるのを感じ取って後ろにはねる。僕のいた場所を、一本の槍が通過した。

 

「ありゃ、よそ見してるかと思ったのに」

「一応ラチ内ですからね」

 

 基本的には風が吹かないからちょっとした空気の流れでも、わりと感じ取りやすいのだ。

 

「そう。なら、()()()

 

 ドラコパレイユはそう言いながら槍に繋がる紐を手繰り寄せて手元に戻すと同時に距離を詰めると、恐ろしい勢いで突きはじめた。

 2つ、4つ、8つ。その突きが途絶えることはない。そのさまはまるで、高速で走る蒸気機関車や気動車のピストン。

 

 ――はやい。

 飛んだりはねたり伏せたり身体をひねったりして回避するのがやっとだ。

 

「ほらほらぁ! 早くキミの技を見せてよ」

「そんな余裕はどこにも無いね」

「へぇ。その程度なんだ」

 

 ……なんかこの人の口調、気に障るな。

 でも、言っていることが事実なのはそうだ。こうやって避けているだけでは、いずれは必ず徐々に不利。だからどうにかしなきゃなんだけど。

 

 考えろ。よく見て、そして、考えろ。

 この槍の長さは数メートル。それを前後に単振動させながら、少しずつ位置を変えている。

 

 じゃあ、前後方向に単振動している系を狂わせるのにいちばんいいのは?

 

 ――横からの、力!

 前に倒れて躱すふりをしながら、その実右足を踏み込んで、そして残された左足を斜めに蹴り上げる!

 

 着地したときのように、鉄輪が何かに当たる感触。驚くような、ドラコパレイユの顔。

 

 そしてその槍は、確かに彼の手を外れて明後日の方向へと!

 

「……へぇ!」

 

 そう一言だけ発して、彼は槍を伸び切った紐を引いて呼び寄せる。

 けれども、彼の元には戻らない。その最中で、僕がそれを掴んでしまったからだ。

 

「形勢逆転、です」

 

 槍の向きを変えて、今度は僕が突き刺した。

 だけども、当然始めて槍を扱うような、完全なる素人の攻撃が通るはずもなく。

 

「まぁ、63点だね」

 

 ガシリと、僕の攻撃は受け止められてしまった。

 でも、この槍をただで返すつもりはさらさらない。強く掴んだまま、手元に手繰り寄せようとする彼と膠着状態になる。

 

「そうだよね、ただで返してはくれないよね」

「当たり前じゃないですか」

「じゃあ……()()()()()()()

 

 何を。

 そう言おうとした瞬間、足元がレールを掴む感触が消える。

 

 ……浮いている。持ち上げられている。

 でも、この手は槍から離さない。

 

「これが()()()()()()()()()、忘れてないかい? 『()()()()()』」

 

 ……しまった!

 視界の隅で、火の玉が打ち上げられるのが見える。動けない僕なんてのは、格好の的だ。

 

 でも、この手を離したら、次に待っているのは槍の雨。同じ手は、通用はしないだろう。

 

 どうする?

 火の玉が、こちらに向かって動き出すのが見える。バランスの重い攻撃だ、恐らく一発で僕のシールドなんざおしまいだろう。

 考えている間にも、それは少しずつ近づいてきて。判断のために残された時間は、あまりにも短かった。

 背に腹は変えられない。可能性がわずかでも大きい方にかける。僕は手を緩めた。

 

 ――()()()()

 僕の体は、()()()()()、下方向に10メートル毎秒毎秒弱で加速する。僕の元いたところを火の玉が通過し、その先の誰もいないところに落ちる。

 ここで車輪を高速で空転させて、槍の先にいるであろうものに押し付ける。そう、ドラコパレイユその人に!

 飛び蹴りならぬ、落ち蹴りだ!

 喰らえ。そう思って下を見れば、そこには誰もいなかった。ただ槍の柄が地面に刺さっているだけ。

 

「72点。案内にするって発想はアリだけど、ぼくだってそれくらいは思いつくし、対策はやってる」

 

 慌てて車輪の回転を止めながら、回していない方の足で着地すれば、真後ろからそんな声が聞こえる。

 そして体勢を立て直そうとしたその時。

 

「捕まえた」

 

 ガシリと、僕は羽交い締めにされてしまった。

 羽交い締めにしてる以上、1対1なら向こうだって何もできない。でも、他のドラコのメンバーが僕をターゲットにした瞬間、おしまいだ。

 

 周囲を見渡せば、早乙女さんを二人がかりで抑える者と、佐倉さんと剣を交わし続けるもの、リタイアした北澤さんと成岩さん、そしてフリーでこちらを見つめるドラコバランス。

 

 あぁ、僕達の負けだな。そう悟った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ続:卑怯でも勝てば正義

 ――それでいいのかい?

 

 どこからともなく、そんな声が聞こえた気がした。

 それでいいも何も、早乙女さんにまだ《桜銀河》を禁じられている以上、拘束されてしまえばおしまいだ。

 そしてドラコバランス(死神)が、こちらに近づこうと動き出したのも見える。もう無理じゃないかな。

 

 ――本当に、そうなの?

 

 そんなことを言われても。羽交い締めになっている以上、手の可動域は狭まって後ろを攻撃できやしないし、足を動かしで後ろ蹴りをしようにも密着していると近すぎて駄目だ、かんたんによけられてしまう。

 これがトレイニングしていないのであれば、踵で小指のつま先を踏んづけてしまうのが手っ取り早いけど、今やったところで下に車輪がある。つま先が地面にぴたりとくっついている訳ではないのでほとんど無意味だ。

 ……いや、ちょっと待てよ。

 今の僕の足の先には、車輪がついている。さっき蹴りを入れようとしたときにも使おうとしたアレだ。ならば!

 

 滅多に使わない逆転機を作動させ、車輪を後ろ向きに回す。そしてそれを真後ろにいるドラコパレイユに押し付ければ。

 

 ほとんど衝突のエネルギーのないこれが、シールドにどれだけのダメージを与えられるかはわからない。でも、確かなのは僕の体に上方向の加速度がかかり続けるということ。そしてそれは、羽交い締めをしている方からすれば、相当きついはず。

 

「あのね、ぼくの体は線路じゃないんだよ」

「今の僕にとっては、そうなんです」

「なら、こうするしかないね」

 

 その言葉とともに、足の先にあった接地感が消える。次の瞬間、僕の体は地面に衝突していた。()()()()()()()()()()()

 抜け出せるかどうか確かめようと、激しく体を揺らすなどしても拘束は外れない。しかもどうも今のでシールドが削られたらしく、意外と余裕が残っていない。

 

「このとんだ暴れ馬め」

「悪いですか」

「いいや。同じJRNの先輩としては頼もしいよ。今みたいな模擬戦じゃご遠慮願いたいけれどね」

 

 一定の評価は得られたって、ことかな?

 とはいえ、これでもう本当におしまいだ。ドラコバランスはもう半分くらいまで距離を詰めてるし、早乙女さんも……あ、ちょうど今ドラコロケットと同時にトレイニングが解けた。これで4対2。

 

 ……あれ?

 気づいてしまった。つまりこれで3()()()()()()、ってことな訳だ。

 いけるのか……?

 

 羽交い締めにされ、恐らくドラコパレイユの頭より上にある手の先に力を溜める。

 そして……。

 

「でも最後まで、足掻いてみせる! 《桜銀河》!」

「なっ……」

 

 ドラコパレイユの驚くような声が聞こえるが、もう遅い。止めようとドラコパレイユがこの光に手を伸ばせば、逆に彼のシールドも割れてしまうだろうから。そして桜色の光はあと少しで到達できそうだったドラコバランスへとまたたくまに到達し、それから彼が完全な回避行動に移った直後までの数秒でシールドを割りきった。

 続けて僅かに腕の先と意識を動かして、乱闘を唯一生き残ったドラコノーヴルへとその目標を変える。

 

「この体勢で撃てるんだ……」

「最悪片手でもいけますからね」

 

 何ならクシーさんいわく力込められさえすれば口とかでもできなくはないらしい。僕はまだやったことないしどう考えても視界が塞がるからあんまりやる気もないけど。

 

 それはさておき、これで形勢は……逆転はしていないけど、たぶんだいぶ取り戻せたと思う。3対2で、うち1対1はそれぞれやりあっているし、残る2のうち1は迂闊にこちらに近づけず、1もほとんど動けない。あとはドラコノーヴルに当ててしまえばほぼこちらの勝ちは決まったようなものだけど、ちょこまかと動くのと、手の可動域が微妙に制限されて動かしにくいせいでなかなか当たらない。

 そう考えている時だった。

 

「《ホライゾン・レッド》」

「しまっ、2対1は卑怯だって」

「戦いは、卑怯でも勝てば正義」

 

 佐倉さんの攻撃が、僕を拘束したせいで逆に拘束されてしまっていたドラコパレイユを死角から襲う。そして拘束が桁違いに弱まった――トレイニングが、解けたのだろう。

 

「剥がすから、止めて」

「承知。助かります」

「私の戦いが終わって、余裕ができただけ」

 

 一旦《桜銀河》を止めて、佐倉さんに拘束を剥がしてもらってから、僕達は残ったドラコノーヴルと対峙する。彼は僕のが止まった一瞬のうちに、かなり距離を詰めてきていた。

 

「私が止める。()()()()()()()()から、後はよろしく。……《アークティック・ホワイト》」

 

 佐倉さんはそう言うと、一瞬だけ紫色の光を纏って彼の方へと駆けていった。そしてその双剣が白い軌跡を残しながらドラコノーヴルへと向かうのを横目に、僕は少しずつ動きながら彼女の思惑通りに両手の間に力を溜める。

 ……よし、近接戦闘で応酬している二人を、横から見られる場所に出た。佐倉さんの白い剣の軌跡が空中に残って、ドラコノーヴルの動きを制限しているように見える。そして一瞬だけ佐倉さんと目があって、僕は強かに頷いた。

 

「《桜銀河》ぁっ!」

 

 手元に集まった黄色の光から桜色の光が伸びて、ドラコノーヴルに突き刺さる。そのうえ、彼の周りには佐倉さんの残した軌跡がまとわりついており、どうも十分に動くことができないようだ。

 

 そして《桜銀河》の光に飲まれぬよう、数歩後退しつつも脱出を警戒していた佐倉さんの動きは、その意味が必要とされることなく終わった。

 ドラコノーヴルのシールドが限界を迎え、その表面に崩壊の兆しが見える。それを確認してから僕が《桜銀河》を止めて、佐倉さんも《アークティック・ホワイト》の軌跡を消し去れば、そのシールドは割れて、彼のトレイニングは解かれた。残りのトレイナーは、0対2。

 

 この模擬戦、僕達ウルサの勝ちだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ終:次は負けないからな

「次は負けないからな、早乙女」

「引分だっただろう」

「援軍貰っての引分なんて、実質負けみたいなものだろ」

 

 最後にとどめをさした者の義務として、ラッチを開けて戻ってくれば、早乙女さんとドラコのリーダーがそう再戦を誓い合っていた。結局全体巻き込んだユニットの模擬戦でもそうなるんだったら、できれば二人だけでやってほしいね。

 ……というか。

 

「お互いがお互いで各個撃破をやりあうんだったら、全体で模擬戦する意味なくないですかね……?」

「それは違うぞ、山根君。お互いがお互いを牽制し合った結果としてそう見える結果になっただけだ。例えば私の場合、君に攻撃が回らぬよう彼を引き付けたり、あるいはわざと援軍がこちらへと向かうよう、戦いながら視線の間に割って入るような位置に移動したりしていた」

「えっそんなことしてたんですか」

 

 勝手にライバルとタイマン始めてたみたいな捉え方してごめんなさい。そのことは口には出してはいなかったので、心のなかで謝っていると、気がついたら脱落していた成岩さんが口を開く。

 曰く、近接戦闘の術がない僕に攻撃を集中させるわけには行かないから、先輩方3人で僕達新人2人を庇ってたようなものだったらしい。なので、僕達が各個撃破のように感じたのであれば、それは彼らの作戦が上手く行っていたことの証左なのだとか。

 

「でもこの人北澤さんの援軍向かって、返り討ちにされてた」

「それは言うなって」

「アタシより先に沈んでってたよね」

 

 まぁ、こればっかりは相性の問題もあるのでしょうがない。僕だって今回みたいに近中距離のレンジに入ればだいぶ苦戦するけれど、長距離だったらほぼほぼ勝ち確定だ。そして今回戦った人も、おそらく中距離が得意だけど極度に近接されると有効手段を失ってしまうパターンだったと思われる。長い槍だったし。だからこそ、お互いに膠着状態になってそれが長く続いてしまったのだろう。

 同じように、成岩さんにも不得手なレンジがあって、そこがたまたま北澤さんの得意とする範囲だったらそりゃ北澤さんの方が耐える。先輩としてのメンツは丸つぶれではあるけれど、それも仕方のないことなんだ。

 

「いい若手に恵まれてるじゃないか」

 

 不意に、ドラコのリーダーがそう割って入ってきた。

 ……いや、強豪ユニットなんだから募集かければ優秀な人は放っておいても集まるのでは?

 

「予備要員として十数人既に囲っておいている君達に言われたくはないぞ」

「だからこそ、ギリギリで回してこうなっているお前達を羨ましくも感じるんだよ。それにうちの若手同士は割と殺伐としちゃってっから」

「そりゃ選抜形式にしたらそうもなるだろう……」

 

 早乙女さんはこいつ何を言ってるんだとでも言いたげな、半分呆れたような目でドラコのリーダーを見つめた。

 当たり前だけど、ユニットの欠員補充の方法は当然ユニットによって異なる。このドラコみたいに予め欠員が出ること前提で囲い込んで研修しているユニットもあれば、ウルサみたいに欠員が出ることがわかってから補充に動き出すユニットもある。その補充の方法もまちまちで、全体の不特定多数に募集かけて集めるところもあれば、ウルサみたいにユニットから親交のある者を通じて――要するにコネだ――候補となるトレイナーにオファーを出すユニットもあるのだ。

 僕の場合は、確か早乙女さんの前のリーダーだった人がコダマさんをキールとしていて、それで早乙女さんとコダマさんとで親交があって、コダマさん経由でクシーさんが僕のキールになろうとしている話が伝わったんだとかで、クシーさんとの研修中の割と早い段階に話が降ってきていたんだよね。

 

 閑話休題。

 そんな訳だから、ウルサとドラコとではおそらくユニットの中の空気が全然違うのだろう。しかもドラコの場合は、予め予備メンバーとして囲っておいているのが各派閥毎に何人かいて、その中から正規メンバーを選ぶ形式のようだ。そりゃあ優秀な人は集まるかもしれないし、ドラコというノリモン主体でユニット組んでた(ラッチが開発されるよりも前の)時代から続くブランドを守るためにはおそらくやめることはできないんだろうけど……。

 その結果を当のドラコのリーダーが憂いているのだとすれば、結構皮肉な話だな、と感じた。

 

「まぁでも、今回いい演習にはなった。ドラコとしても得られるものはあったからな」

「こちらこそ、各メンバー不足している部分を洗い出せた。お誘い、感謝するよ」

 

 それから僕達は、握手と礼を交わして演習場を後にした。

 

 ★

 

「それで、お前はあの桜色の光線を間近で見てどう感じた?」

「あの《桜銀河》、たぶんモヤイを断ち切るような、そういうものに見えたね。だから別のノリモンさえ巻き込まないこと考えれば、ラチ外でも使えるやつじゃないかな」

「そこまでわかるのか」

「伊達にパレイユやってないよ。あそこは観察眼が無きゃ生き残れないんだもの」

「それもそうか。……しかしこう聞くと、この前に巻き込むからと攻撃を中断していたのも納得できる」

「本人も扱いは結構苦労してそうには見えたよ。だって早乙女さんが脱落して、味方巻き込まずに打てるってわかるまで打とうともしてなかったし、最後はウルササイクロがわざわざ()()()()()()()()って告げてた程だったからね」

「遠距離勢共通の悩みからは抜け出せそうもない、か。……で、()()()()()()()は?」

「いきなりだね。まぁ光線系の例に漏れず、透過する量にもよるけど単純な構築物で防げるんじゃない?」

「それはラチ内じゃ割とどうしようもねぇだろうが。()()()()()()()盾を張れとでも?」

「ぶっちゃけ他の光線と違って温度が上がったりとか、物理的に押されたりとかはなさそうだったから、厚紙一枚でも平気な気はしたけどね。それでも心配ならたぶん波だし空気で層を作れば屈折するんじゃないの? 蜃気楼はアンタの十八番でしょ?」

「なるほどな」




【TIPS:ユニット】
 それぞれのノリモンが割ることのできるシールドは1色に限られるため、それを補うように5派閥からひとりずつで構成されるようになった、JRNでのクィムガン対応の最小単位で、星座に由来する名を持つ。
 その大まかな意義や枠組みはユニットを構成するものがノリモンからトレイナーに変わった現在でも変わっておらず、その名前も引き継がれている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19レ前:こんなの嘘でしょ……。何故なんですか?

 月曜日。この日僕がベーテクさんのラボでやったことといえば、測定のために必要となる振り子走法の練習だけだった。視界が左右に大きく揺れるのはもっと酷いブラインドランの練習と比べればだいぶマシなので慣れはしてきた。でも、どうにも体のばねというか腱を上手く使う動きには慣れられずに動きがぎこちないままだ。一応、金曜日にあのふたり(お莫迦ども)議論している間(放置プレイ中)に、アドパスさんとポラリスを交えてお互いに走り方を確認していたから、見られなくはない程度までは行っているけれど。

 そして。この日の終わりには、約束されたイベントがある。というかどちらかと言えば僕から約束で縛った方のだ。

 

「……よし、じゃあ今日はここまでにしようか」

 

 ベーテクさんがそう宣言する。ラッチを開けるのを成岩さんに任せて、僕はトレイニングを維持したまま、衝撃に構えようと腰を少し落とし、ギュッと目を瞑って構える。

 ……来るぞ。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 あれ、予想していた衝撃が来ない。

 

「真也ー! 何やってるのー?」

 

 おい待てやこら。

 目を開ければ、目の前ではポラリスが首を傾げてこちらを覗き込んでいた。

 なんだろう、この気持ち。急に体の力が抜けて、僕はその場にガコンと座り込んでしまった。なんかもう、緊張の糸がぷつりと切れて、それで支えられていた疲れが一気に襲いかかってくるような感じがする。

 

「僕が山根くんだったとしても、ポラリスには言われたくないねぇ」

「えっお兄ちゃんひどい!」

「いや、だって……ねぇ?」

 

 ベーテクさんも若干引いているし、アドパスさんもあらあらと言わんばかりの目でポラリスを見ている。

 これ、言わなきゃだめか?

 

「ここのところいつも君が飛びついてくるから身構えてたんだって」

「……そっか」

 

 よしよしわかってくれたか。ならよかった。飛びついて来ないんだったら、トレイニングも解いてしまおう。……ぐぇ

 

「つまり、こうしてほしかったってことだよね!」

 

 安心して胸をなでおろし、緊張を解いて力を抜いていたところに、容赦のないポラリスの飛びつきが襲う。どうして。

 

「言ってくれたら、いつでもぎゅーってしてあげたのに」

「違う、そうじゃない。そうじゃないんだってば」

 

 よりによって肘のあたりを腕ごと抱きつかれているせいで、うまく力を込められなくて脱出できない。

 とりあえず、そこで莫迦みたいに笑ってるおふたりさんは後で覚えておいておこうね。

 

 結局ラッチを開けた成岩さんが戻ってくるまで、ずっとこの状態が継続する羽目になった。

 彼はポラリスを取り外しながら、こう聞いてきた。

 

「それで結局どうすんだ。ポラリスとトレイニングすんのか」

「まぁ、約束しましたし」

「やったー!」

 

 実際ポラリスはそれほど困らせるような迷惑はしていない。先週約束してからはアプローチする頻度も激減したし、なおかつ言えばすぐ離してくれるので困るほどではなかったのだ。その毎回が重かった訳とはいえ、僕の手があいているときにしかしてこないし、そもそも一番迷惑だったのは金曜日にふたりだけの世界へと入っていってしまった成岩さんとべーテクさんだったというオチまでついている。

 

「それと比べりゃちょっと飛びついてくるだけのポラリスはかわいいって」

「えっ……」

 

 ……あの、どうしてポラリスは急に顔を赤らめて?

 そう思って数秒後。もはやここが定位置と言わんばかりにポラリスが飛びかかってくる。もうなんか慣れてきたよ……。

 そして成岩さんまで笑うんじゃない。このラボまともな人はいないのか? JRN自体がそうだって? うん、最近僕も否定できる自信がどんどんなくなってきてるのが悲しいところだね。

 とりあえず、あそこでゲラゲラ笑ってるだけのひとたちは見てるだけであんまりこの問題の解決には訳立たないことは分かったので、僕だけで解決しないと。

 

「ポラリス」

「えへへ、なぁに?」

「約束だよ、しようか、トレイニング」

「……うん!」

 

 いい返事だ。その勢いで離れてくれると嬉しいんだけど。

 そう思った瞬間、僕の体は青い光に包まれた。

 

「……え。ちょっと待って」

 

 流石に今何が起きているのかは理解できる。理解はできるが、どうしてそうなったのかはわからない。

 ……だって、ねぇ。確かに僕はその意志を口に出したし、そうするつもりもあったけど、それは今すぐに、ということではなかった筈なんだけれど。そもそも、なんでもう既にできるようになっているのさ。クシーさんのときはそれでも数ヶ月かかっていたが?

 そう頭の中を高速で次々と勢いよく疑問符が飛び交う。

 

「えへへ、お揃いだね!」

 

 そしてこの、ポラリスの呼びかけが聞こえてはじめて、僕はその光が晴れたことに気がついた。遠くでこちらを見て笑っていた顔がうってかわって真顔になっているのが見える。そりゃそうだろう。

 何せ腕や足元を見れば、初めて見る色と形。特に足回りの機械なんかは、クシーさんとのそれより遥かに大きい。そして検査用の手鏡で頭を見れば、銀色の髪に青と緑のメッシュ。

 

「こんなの嘘でしょ……。何故なんですか?」

 

 僕とポラリスはどうやら、既にトレイニングすることができる域まで達してしまっていたようだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19レ中:たぶんまともに走れないと思いますよ

 ノリモンとトレイナーの関係は、時代や技術の進化、事実の判明とともに変化してきた。

 ……(略)……

 そんなトレイナーの存在意義が脅かされ始めたのは、解体された輸送具からのノリモノイドの分離・発生が確認された頃だった。輸送具の近傍から離れても活動が可能であるノリモノイドは、トレイナーの役割を犯し始めた。当時はノリモノイドの発生要件が不詳であり、その絶対数も少なかったため、かろうじて継続してトレイナーも対応の核の1つであり続けた。しかし、ノリモノイドの確認が増えるにつれその意義の消滅は時間の問題であった。

 そのトレイナーに、ノリモノイドとは別の存在意義が生まれたのは、チッキの開発によるところが大きいだろう。単純に輸送具やノリモノイドより遠方においてもトレイニングが可能になり、ノリモノイドと同等の機動性を得られるようになったほか、トランジット・トレイニングが開発されたことがその理由に挙げられる。これが開発されたことにより、従前トレイナーは複数のノリモンと同時にトレイニングすることは能わなかったものが、限定的ではあるが同時に並行して複数のノリモンの力を纏うことができるようになったのである。また、状況に応じてどのノリモンの力を纏うのかを選択することが容易となり、対応の柔軟性という面ではトレイナーが圧倒的に優位となった。

 

   ――『日本ノリモン研究開発機構五十年史』より

 

 ★

 

「なんでトレイニングできるんだよ」

「わかりません! こっちが聞きたい」

 

 僕だって、流石にこれは想定していなかったぞ。

 目の前のポラリスはなぜか得意気で、自信満々で恍惚として目を輝かせているけれど、多分彼女の場合は無知なだけだろう。

 となるとこれを予想してそうなのは。

 

「ベーテクさん、どういうことですかねこれは」

「僕だってね、分からないんだよ。君へのアプローチが激しくなってからここまでが3週間だろう? だから僕の考えでは早ければ再来週中、最速だと来週の金曜までは早まるかもしれないとは考えてはいたよ。でもねぇ、流石に想定すらできる訳がないでしょうよ、今日この場でされるだなんてのはねぇ」

 

 ……べーテクさんのもともとの想定もだいぶ期間が短いような気もするけれど。でもポラリスはそれを上回ってきたという訳か。だとすると、本当にここにいるひとたちでは理由は誰もわかってないのだろう。

 ……後で鳥満博士に発生した事象自体は報告入れておこうかな。早すぎてまだ測定機器とか手配できてなさそうだけど、そこはほら、多分向こうから日付の案を出してくる段階で調整が入る……と思う。測定をまた後回しにして話だけ聞きたいとかは……なんか普通にありそうだな。あの博士の目はそんなアトモスフィアを纏っていたし。

 

「それで……今日はどうすればいいと思います?」

「こう普通にやってトレイニングできているのだろう? なら金曜日も朝から普通にできるのではないかい?」

 

 うーん、どうだろうか。これ、いまただ偶然できてしまっただけで再現性が無いやつな気はしなくもないんだけれど。

 ……再現性、無いよね? だとしたら、今できることを少しはやった方がいいような気はしなくもないんだけど。

 そう悩んでいると、成岩さんが1つ、提案をしてきた。

 

「……そんなに走りてえならラッチ張るぞ?」

「走りたい? 僕が?」

「顔にそう書いてある」

 

 どうしよう。走りたいか走りたくないかと言われれば……正直、走ってみたい。

 程久保が言っていた。ヒトという生物は、どこか遠くへと動き続けることで生存競争を生き抜いてきた獣なのだと。そしてその2つの重要な要素として、スピードとスタミナに憧れを持ち、それらを求める。それこそがヒトの本能なのだと。つまり本来ロケットである僕にだって、ノーヴルと同じようにスピードを求める心があってもおかしくはない。

 そして今、僕がトレイニングをしたポラリスは、金曜日に圧倒的な走行を魅せてくれたノリモンだ。その力を纏っているのだ。

 

「確かに、この状態で走ってどうなるのかに興味がないと言えば、それは嘘ですけど」

「あーごちゃごちゃうるせぇ。走りたいか、走りたくないかで言えば走りたいんだろ?」

 

 成岩さんはそう言うと僕達を囲んでラッチを張った。水色の壁が、僕達を外界と隔てる。

 

「強引だねぇ、成岩くんも。あれは絶対自分が見たいだけだよ」

「べーテクさんからも何か言ってやってくださいよ……」

「いや。僕も彼と同じで、ポラリスとトレイニングした君が走るのを見たいからね」

 

 さいですか。そういやべーテクさんもそんな感じのひとだった。

 だけど、ねぇ……。

 

「最初に言っておきますけど、たぶんまともに走れないと思いますよ」

「大袈裟だね君は」

「いや、クシーさんと初めて走ったときはそりゃあもう酷いことになったので」

 

 あの時は大変だった。力の入れ方がよくわからなくて力んだらなんかのスイッチが入って急に加速したり、逆になかなかブレーキをかけられなかったりと、まともに走れなかったのだ。なんならクシーさんは完全にその姿になったときからの感覚でもって制御できてしまえていたから、挙動が変になった理由をつきとめるのにも時間がかかった。

 しかもその時は、トレイニングしてからしばらくは線路の上には立たず、固定されていた円盤を回すなどして何度も足回りの動かし方などをチェックしてからでそうなったのだ。それに対して今日はまだ、足回りを動かしてすらいない。

 流石にトレイニング自体に慣れた今となっては、そこまで酷いことにはならないとは思うんだけど、正直初めてゆえに何が起こるか分からない。

 

 さて、どうなるのやら。そう思いながら、遅れてラッチに入場してきた成岩さんが到着したのと入れ替わりに、僕は入線して軌道の上に立った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19レ後:逆に安心している自分がいる

「それじゃ、行ってきます」

 

 まずは慣らしとして、脚を動かさずに足回りの力だけでラッチの際まで走ってみる。

 ノッチを入れれば、足元からはやや高めの音が響く。流石はVVVFと三相交流モーターの駆動で、加速力は良好だ。

 ……あれ? ふと耳元に手をかける。()()()のついた構造物……給気口だ。()()()()()()()()()ついているんだ? さっきまでは発電ブレーキの空冷強化だと思っていたけれど、VVVFってことは超高速域から発電ブレーキをかけて過熱するなんてことはそうそう無いはずだ。

 なら他に空気を使いそうなものと言えば……なんだろう? そう考えている間に、速度がおよそ45キロ毎時ほどに達して足元の()()()()がかかって少し落ち始めた加速力が元通りを通り越して上積みされた。まだ、加速が伸びるのか!

 ……あれ、エンジン?

 

『ありゃ《ハイブリッド・アクセラレーション》を使ってるな』

 

 ふと、成岩さんの言葉が脳裏に浮かぶ。そうか、()()()()()()ってことは()()()()()()()()()()のか。じゃあ給気口はこれか?

 でも、妙だ。気動車や自動車、船舶のような内燃機関を持ってるノリモンだって他にもいるけど、かれらの給気口は普通に足元についている。そして、きちんと足元を確認すれば、ここにもきちんと給気口が認められた。なら内燃機関じゃないな?

 

 そんなことを考えていると、ラッチの壁が近づいてくる。考え事はとりあえず後にして止まらないと。

 ブレーキかどれだけ効くかもわからないので、早めに回生ブレーキを作動させてみる。それと同時にエンジンを止めれば、ギアを通じて自動的にエンジンブレーキも作動する。

 すると速度は、クシーさんのときの倍近い速さで落ちていく。よく考えたらこのふたり、年が半世紀近く離れているんだよなぁ。加速の時も思ったけれど、その間の技術の進歩ってここまで残酷に出てしまうものなのか……。

 でも、その技術的な差が出るのは基本的にはこういった基礎的な運動能力だけで、クィムガンとやり合う力なんかは逆に経験年数が長い方が強い傾向にあるから、総合的にはあんまり年とは相関がないのがノリモンの面白いところだ。

 

 閑話休題。

 速度が50程まで落ちてきたところで最後に使うのは、結局はおなじみの空気ブレーキ。回生ブレーキもエンジンブレーキも、速度が一桁になる頃にはほとんど効かなくなってしまうので、最後はこれに頼るほかないのである。……ブレーキシューを押し付けても焦げ臭い匂いはしないし、たぶんもういい加減使い慣れてきた鋳鉄のブレーキシューだと思う。ならば好都合、この制御はもうだいぶ自在に操れるようになっているから。

 

 そうして間もなく、僕の速度は落ちきった。ラッチの壁はまだだいぶ遠いところにある。予想していたよりも遥かに手前で速度が落ちきってしまったんだ。

 でも、これで減速特性は()()()()()()()()。なるほど、この前のを見てたからなんとなくそんな気はしていたけれど、素の加速だけじゃなくて減速もかなり強いな?

 

 ……よし。じゃあ帰りは、脚を動かさないのは同じだけど、このブレーキをギリギリまで切り詰めてみよう。

 そうしてラッチコアまで戻ってみれば、そこではべーテクさんとポラリスが大変目をキラキラと輝かせて待っていた。

 

「すごい、走ってた。ポラリスの足で、真也が走ってた!」

 

 ポラリスは興奮冷めやらぬ様子で半分叫ぶようにそう言う。モヤイで繋がっているからだろうか、なんだかこの様子を見ているだけで僕まで嬉しくなってくるような気がする。

 

「ねぇ、どうだった? ポラリスの、足!」

「すごく快適だったよ、ノッチも、ブレーキも。それに、とても強かで、いい足だと思う」

 

 そう伝えると、ポラリスはまるで力強く動かしている時のエンジンのように小刻みに震えだした。そして数秒して、

 

「やったー! お兄ちゃん、聞いたよね、真也がポラリスの足で走って、それでとーってもいい足だって!」

 

 と、大はしゃぎで飛び跳ねる。べーテクさんはそんな彼女を優しく受け止めて、「良かったねぇ」と涙を流していた。

 ……このふたり、少し大袈裟すぎるんじゃないだろうか? クシーさんのときはここまで大騒ぎはされなかったけど。

 そう彼らを眺めていれば、ポンポンと背中を叩かれる。成岩さんだ。

 

「べーテクには走れないだなんだ言ってたらしいが、結局はきっちり走れてるじゃないか」

「まだ足を動かしてないですし、行きはブレーキのクセを掴めてなかったので思ってたよりだいぶ手前に止まっちゃってましたよ?」

「褒め言葉くらい素直に受け取れよ。それに、数回程度でブレーキのクセを掴めるとでも? べーテクと同じだとしたら、回生失効*1のタイミング毎回違うだろ?」

 

 ……え? 回生失効?

 そうか、発電ブレーキを積んでるわけじゃないから、回生失効したらモーター使って減速できなくなっちゃうのか。盲点だった。

 

「その顔は忘れてたって顔だな。で、今回は運良く最後まで効いてたと。俺の経験で言うと、回生失効してエンブレに切り替えるタイミングは毎回変わる」

「エンジンブレーキなら最初から効いてるのでは?」

「ん?」

「え?」

 

 ……あれ、成岩さんがポカンとしている。何か変なこと言っちゃったかな。

 

「まさか、最初っからエンジンブレーキかけてたのか?」

「ギア切り替えなければ勝手に効くじゃないですか」

「タイムアタックしてる訳じゃねーんだぞ……。とりあえず、滅茶苦茶なブレーキングをしてたってことはよく分かった。後でべーテクとも共有しておくから、金曜はそっちになるだろうな」

 

 やっぱりきちんと走れていた訳じゃなかったらしい。なんか逆に安心している自分がいる。

 

「お手柔らかにお願いします」

「知らん。やるのはべーテクだ」

 

 それから、ポラリス達が落ち着くのを待って、今日の活動はお開きになった。

*1
運動エネルギーを変換した電気エネルギーの行き場がなくなり、運動エネルギーが変換されなくなること




【おしらせ】
私の現実での多忙度が増しているため、誠に勝手ながらこの第一章が完結次第一度休載を挟ませて頂きます。
遅くとも今年度末までに本格的に連載を再開するまでの間、第二章の序盤は不定期での更新となりますので、予めご了承ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20レ前:フィードバック

「昨晩ドラコからの土曜ののフィードバックが届いていたので先程共有した。今日はこれを元に各自の改善点を洗い出していくぞ。まずは10分くらいで各自軽く目を通す時間を設けよう」

 

 ユニットの朝一のミーティングで、早乙女さんはそう僕達に告げた。

 端末に送られてきたフィードバックを見れば、文書のページ数が明らかに多い。土曜日のうちに僕達から送ったやつの倍近い分量だ。

 

 さて、量も多いので、とりあえず自分について書かれているところを探して読む。

 1つ目。『なんで自分が不利になる戦場の中心部にノコノコと入っていったのかがわからない』。……うーん、事実だけど、これは近くに寄れという早乙女さんの指示があってのことだったからなぁ。

 2つ目。『回避行動は素晴らしい動きではあるが、足元がお留守になっていたのが気になった。槍の場合、直進性の高い攻撃であるゆえ横に逃げられると追撃がしんどいので、そうすべきだったと考える』。これは素直に僕の経験が無くて、車から逃げる鹿のように横に逃げればいいことに気付かなかっただけだ。

 こんな感じで、僕個人に関する言及は全体で13個。どうしてこんなに詳細に書けるのかとも思ったけど、どうやらユニットの中にキールが検測車のトレイナーがいて、それとeチッキのカメラ機能とを合わせて全体で動画を撮影していた、としれっとすごいことが書いてある。なにそれとても見てみたい。

 

「あの、リーダー」

「何かい」

「この動画って届いてたりは」

「残念ながら、ね。私だって機会があれば見てみたいとは思うが」

 

 同じ事を考えていたのか、北澤さんがそう尋ねるも、答えは否。まぁこういうのに限って単純にファイルサイズがめちゃくちゃ大きくて添付できないだとか、案外そういう理由なのかもしれない。けれど、どちらにせよ映像データはないからこの文書から読み解くしかないのだ。

 そうして一通り読み終えた後、早乙女さんが口を開いた

 

「個人で言われているのは、各自自主トレに組み込んでもらうとして、全体のを確認しようか。ちょくちょく言われているのが、現場での役割分担を明確にせよというところだな。現状私と佐倉君とで役割が多少被っているし、それに加えて北澤君も同じ方向に進みそうな気がある」

「確かに、遠藤さんの後釜にゃ山根がすっぽり入ったが、中野さんと北澤とじゃ結構立ち位置変わってるな」

 

 遠藤さんが前のパレイユで銃使いのキール、中野さんは前のロケットで炎使いのキール、だったっけ。直接会ったのは数回だけだし、一緒にラチ内に入ったことなんてのは一度たりとも無いけれど、活動報告の記録を見た限りではそうだったはず。

 

「なんか、ごめんなさい」

「いいや、北澤君が謝る事ではない。我々とて最も得意とする立ち位置にいるに過ぎないからな。」

 

 ここで言う立ち位置とは、近接する前衛、ミッドレンジの中衛、遠距離から殴る後衛、そして全体を補助する斥候の遊撃の事だ。基本的にはこの4つの役割が分担しながらクィムガンの対応をするのが良いといわれている。いまのウルサだと、後衛の僕と遊撃の成岩さん以外が全員前衛にいる形で、しかも遊撃の成岩さんがどちらかというと近接戦闘に長けている方なので、まぁ全体的に前のめりでバランスはよくないよねってことを言われているのだと思う。

 ……もしかしなくても、僕が正式に入る前の演習とかって全員前衛でやってたんじゃないだろうか? 教える側は確かに楽だろうけど。

 

「そもそもとして、組む味方や相手によって自らの立ち位置を変えられなければ、一流のトレイナーと呼ぶことはできない」

「全部の立ち位置に立てる変幻自在な変態はJRNでもリーダー含めて数人しかいねーけどな」

「昔は引き出しの多さが武器だっただけの話だよ」

 

 引き出しの多さ、つまりトランジット・トレイニングの先か。

 ……ポラリス、後衛向きじゃなければいいなぁ。べーテクさんの妹分とはいえ、同じ形式の中でも兄弟姉妹で派閥からして割れてしまっている例はごまんとあるから、彼と同じように遊撃向けとは限らない。

 

「話を戻そう。新人の北澤君は前衛のままとして、私か佐倉君か、どちらかが中衛に下がるのが理想的だが」

「下がるならリーダーの方がいいんじゃねぇのか。佐倉と北澤は二人の間で訓練とか合わせてたりするんだろ?」

「なぜあなたが知ってる」

「見りゃ分かるわ、北澤の動き片方落とした時のお前の動きそっくりだぞ」

 

 もしかして割といつも部室に佐倉さんがいたのって、そういう事だったのだろうか? 僕も何度か相談してたし、北澤さんも相談に来ていたとしても不思議じゃない。

 ……いや、この考え方だと逆か、いつも部室に佐倉さんがいるからこそ北澤さんが頻繁に相談できて、それで動きが似るようになった。

 どちらにせよ、割とアクセスしやすい相談相手となる先輩がいるっていうのは、僕達のような新人にはとてもありがたいことだ。

 

「そうか、なら私が中衛に下がることとしよう」

「いいの?」

「本音を言えば前めに出る方が楽だが、それが新人の仕事を奪いかねないのなら喜んで身を引くよ」

 

 ……仕事を奪うって言っても、シールドの各色割らなきゃいけない以上結局は全員殴らなきゃいけないのでは?

 そう聞いてみれば、成岩さん曰くトランジットを駆使して全色割れるのが早乙女さんというトレイナーだということで、たぶん彼の性格的に前に出続けていて緑がぜんぜん割られなかったら緑を割りにかかってしまうだろうとの話で。この人ユニット組む必要無いのでは?

 

「……聞こえているぞ、君達」

「事実だろ?」

「そうだが、これでも流石に新人教育くらいは真面目にやっているつもりなのだがね。そもそもユニット同士の模擬戦の場合は相手のシールドが無色ゆえに干渉するのだぞ。それに、例え有色でも新人のうち()積極的にはシールドを割りはしないさ」

 

 なるほど? それが早乙女さんの教育方針なのか。ということは。

 

「……つまり、そうしたらそれが新人の卒業って事ですか?」

「ほう? 言うじゃないか。()()()()()()()()()()()()()、山根君?」

 

 あ、墓穴を掘ったかもしれない……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20レ中:とても危なくて険しい攻撃

 昼休みを挟んで、午後の活動。

 各自フィードバックを踏まえ、二手に分かれてのユニット内での模擬戦闘、なのだけれど。

 

「開始5秒前、4、3、2、1、スタート!」

 

 今回の組分けはかたや早乙女さんと北澤さん、そしてもう片方は佐倉さんと成岩さん。……僕は、今回は立会人としてお休みだ。

 どうしてこうなったかといえば、現状僕がこの形式の模擬戦に参加したところで、結局は大きく逃げて《桜銀河》を差すしか勝ち筋がなく、そしてその精度もかなり上がった今となってはもはや参加するよりは立会人として戦闘を間近で見ていた方が良い、という成岩さんからの進言が採用されたのだ。

 だいぶ前どころか所属した最初っからそんな状態だったような気もするけれど、曰く逃げる技術が仕上がってきたのはここ最近だということらしく、そこができるまでは黙っていたんだと。……そんなに変わってるのかなぁ?

 でも、確かにいつもみんなの戦っている姿は遠くからしか直接は見ていなかったので、こういう機会もあったほうがいいだろう。

 

「先手必勝! 《クレインリバー》!」

「《ホライゾン・レッド》」

 

 北澤さんがすぐさま距離を詰め、それに呼応するように佐倉さんも前へと移る。

 スモールソードが舞い、双剣が燃え上がる。そして2つは衝突した。

 双剣とスモールソード。どちらも接近戦を得意とする前衛の用いる得物だけれど、その役割は大きく違う。それは彼女達の戦いを見ればよく分かった。

 佐倉さんの双剣は、連撃タイプだ。一撃一撃はおそらくそう強くない、速度の比較的ない斬撃を高頻度で繰り出している。そして真っ赤に燃えるような炎が、弱い各々の一撃を補助しているのだろう。

 逆に北澤さんのスモールソードは一撃タイプだ。そう繰り出す頻度は高くないけれど、その一発一発の刺突の速度が非常に速く、そして重いのだろう。

 勿論それぞれで得意なレンジもおそらく異なっている。佐倉さんは思いっきり近づき踏み込んでいるけれど、北澤さんは攻撃前に一歩下がっているのが見て取れる。

 

 その裏で、後ろの2人は何もしていなかったわけではない。彼らは2人の激突とほぼ同じ頃に同時にトランジットをはじめて姿を変えていた。成岩さんはオモテを真紅に、早乙女さんはスターを白色に。

 そしてこの2人うち、先に動いたのは成岩さんだった。彼はトランジットの光が消えると共に、すぐさま移動して北澤さんと早乙女さん()()に割り込んだのだ。

 

 ……えっ、そこに?

 成岩さんの速度なら、もっと回り込むべき場所があるのでは? 例えば、早乙女さんの真後ろだとか。基本的には、前と後ろの両方を警戒しないといけないのだから、挟まれるというのは相当分が悪い配置のはず。

 なのになぜ、彼はそんな場所に?

 

 そう思った束の間。佐倉さんが何かを確認した後、急に《ストラトス・グレイ》で斜め後ろへと飛び上がった。

 次の瞬間。突然、成岩さんが高速で回転をはじめて、そして巨大な鎌が伸びて彼を中心とした四方に襲いかかる。とても危なくて険しい攻撃だ。横で見ている僕ですら、巻き込まれそうになって距離を取らざるを得ない。しかし、なるほど確かに真ん中に陣取った方が効率的。

 だけど、その攻撃範囲はとても単純で。冷静にその回転のタイミングを読めてしまえば攻撃の回避は容易。事実北澤さんは飛び上がった佐倉さんを警戒しながらですら、鎌の襲うタイミングを読んでジャンプして回避することができている。

 

 そして、それは反対側の彼もそうだ。

 落ち着いたように躱し続けた早乙女さんが、その右手の先に構えた扇子を大きく一振りすれば、つむじ風が生まれて成岩さんへと向かっていく。

 その風の進みはそれほど速くはない。だけど、その場で回っている者がそれをやめて逃げることが能わないという面では、十分な速さだった。

 回転の止まっていない成岩さんは、同じ向きに回るつむじ風に囚われ、真上へと打ち上げられる。彼はそれでも、空中でチッキケースに手をかけようとしているし、空を飛んでいる佐倉さんも彼を回収しようと近寄る。

 

 だけれど、それは間に合わなかった。

 その飛ばされた先の近くにいる……いや、おそらくそうなるように飛ばしたのだろう、北澤さんが地面から跳び上がって渾身の上突きで成岩さんを襲う! そして彼は、トランジットの解ける光に包まれながら地面に激突した。

 

 たが、そこにはまた別の隙。

 彼女が地面へ降りて着地の姿勢を取っている間に、佐倉さんの剣が北澤さんに通り、そのシールドを見納めにする。

 これで残りは、1対1。

 

 そう思って視線を早乙女さんに戻せば、彼はまた、今度は黄色の光に包まれている。それが晴れれば、ポートは橙色にかわり、その手の先には大きな盾。

 ……盾って、どうあがいても前衛用の装備にしかならないんじゃないかなぁ? 前衛が既に崩れてるなら、いいのか?

 

 そんなことを考えつつも、危険はだいぶ減ってきていそうなので早乙女さんに近寄って、この模擬戦を最後まで見届ける。

 早乙女さんは続けてスターのトランジットを解除し、いつもの大剣を片手で構える。もう完全に前で戦うそれだ。その間にも、佐倉さんは《ホライゾン・レッド》を使って高速で早乙女さんに近寄ってくる。そして。

 

「《コスモ・ブラック》」

「《銀水斬》」

 

 双剣と大剣が、激しくぶつかりあった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20レ後:無いわけがないと思うのだが

 模擬戦は、結局早乙女さんが佐倉さんのシールドを割って終わりになった。とはいえ、早乙女さんも相当きつかったようで、あと少しで割られてしまうところだったらしい。

 この前でも最後まで殴り合っていたのに立っていたあたり、実は佐倉さんって相当強いのでは……? 僕は相手が拘束してきたら相手も何もできなくなって時間だけ過ぎてただけだし。

 まぁそれはともかく。

 僕達は部室に戻って、再度の振り返りを始める。そして直ぐに駄目出しをされたのは、案の定成岩さんだった。

 

「成岩、あれはない」

「近づけずとも自分が動けないのは、遠距離攻撃ができれば隙だらけだ」

「いや飛び道具使ってくるって分かってたら使わねぇからな? 今回山根が休みだから行けると思っただけだ」

 

 だと言っても真上がガラ空きでは? そう思ったけど、それはあの大鎌を振り上げることでほぼ半球状の領域に攻撃できるから意外にも対応できるらしい。

 それはそれで結構恐ろしいような気がするが。遠距離攻撃できなかったら詰みだし、場合によっちゃ飛び道具でも弾き飛ばされてしまうって事だよね……? 僕のようなビームやさっきの早乙女さんの風みたいな、実体のない飛び道具を持っていない人からすれば悪夢のような攻撃なのではないだろうか。

 そして、早乙女さんの風といえば。

 

「そもそも、リーダーのあの風は何なんだ? 中衛下がるって事だから飛び道具使えそうなトランジット先は警戒してたが、どうも漏れてたっぽい」

「確かに、初めて見た気がする」

 

 そう、僕が見た活動報告の中にも言及があった覚えがないのだ。流石に全部を読んだわけじゃないから見落としがあったのかもしれないけれど、この2人がこういう反応をするってことは少なくとも彼らが入って以降はその姿をとっていなかったということだろう。

 そして、それを裏付ける言葉が早乙女さんから出てくる。

 

「制御できるようになったのがつい最近のことでね。それからトランジットする機会も無かったのでここでお披露目させてもらった」

 

 つまりはまだこの人手札増やしてるって事か。凄いというか何というか、早乙女さんらしいというか。

 

「どうしてそんなにすぐ増えるの……?」

「長年やっていると、目の前のノリモンとトレイニングできるのかが()()()()()()()()ようになるものなのだよ」

「そうなんだ」

「えっ」

 

 質問を投げた北澤さんではなく、隣の佐倉さんが露骨に驚いている。鳥満博士の解説を聞いたおかげで驚いている理由は僕にもよくわかった。

 だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のでは? それが、経験と共に分かるようになるって?

 この矛盾した証言。だけど、僕には早乙女さんも鳥満博士も嘘をついていたようには思えない。だとすれば、外れ値として早乙女さんがいて、その存在をかつての腸チフスのメアリーのように博士や学界が()()()()()()()()()()だけ?

 

「どうしたんだい? 佐倉君に山根君。2人して急に黙り込んで」

「いや、なんでもない。よね?」

「はい、何でもないです」

 

 佐倉さんの「言うな」とでも言いたげな目線を受けて口を噤む。……あの笑顔、なんか変なこと考えてそうだな。言わないけど。

 

「それはどう見ても絶対君たちの中で共通の認識がある反応だろう……。深くは追求しないが」

「助かる」

「私を巻き込むんじゃないよ?」

「……努力する」

 

 あ、これ絶対巻き込まれるな。そんな気がするぞ。

 それを薄々察しているのか早乙女さんも苦笑いで、そして話をこれ以上進めまいと強引に話を戻す。

 

「とりあえずそれはおいておいて話を戻そう。今回中衛ということで風のノリモンとトランジットした訳だが、皆から見て私のに改善点があったと感じるなら教えてほしい」

「「「「ない」」」」

 

 早乙女さんは懐疑的な目でこっちを見てるけど、そもそも完成したからこそようやくお披露目できたんじゃなかったのか……?

 

「無いわけがないと思うのだが」

「俺は回ってたし、佐倉は遠い、北澤は後ろ向いてたからそもそも山根しかまともに見られてないぞ、あの攻撃」

「なら山根君、君の意見をだな」

「全く知らないメカニズムで一発撃っただけ、それをきっちり当てられているのにどう改善点を見いだせっていうんですか?」

 

 よっぽど溜めの時間が長すぎるとか、出した後に体のバランスを崩してしまうとか、そういったのがあるなら別だけど、普通に立ち続ける事ができていた訳で。

 これが例えばよく知っているメカニズムだとしたら、フォームのどこが悪いとか指摘ができるんだろうけど、僕はまだその域にまでは到達していない。

 

「なので、無理です」

「そうか。ならばいいのだが」

 

 ここまでして改善点を見つけようとするハングリー精神こそが、早乙女さんの強さの秘訣なのだろうし、そこには見習うべきものがあるのは確かだけれど、無茶な要求まではしないでほしいな。

 そう思いながら、残りの前二人の振り返り――これはほとんど新規性がなかったのですぐに終わった――をして、今日はおわりになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回21レ:ポーラーエクリプス号

 木曜日。今日は施設が使えたので、とにかくできることが少ない僕はブラインドランの練習を1日中やって終えたあと。

 情報端末を確認すると、べーテクさんから1通のチャットが届いていた。

 

「これは……?」

「どうした、山根」

「いや、べーテクさんからのチャットなんだけど……」

 

 単純に、長い。普段べーテクさんからチャットが来るときは長くて100文字くらいだったのに。

 

「そうか。なら気をつけろ。アイツが長文でチャットなりメールしてくる時は割ととんでもないことがしれっと真ん中あたりに書いてある傾向がある。俺はそれで過去3回くらいめちゃくちゃ振り回された」

「何書かれたんですか……」

「まぁ色々とな。……ん?」

 

 遡ろうとしたのだろう、成岩さんは情報端末でチャットアプリを立ち上げると、()()()()()()

 

「どうしたんですか」

「いや、俺にも今ちょうどクソ長チャットが来た。べーテクから」

「それって」

「「……」」

 

 僕達は一度顔を見合わせると、一旦携帯情報端末をしまった。

 帰って、落ち着いてからじっくり読もう。

 

 ★

 

 山根真也くんへ。

 突然長い文章が送られてきて、君は困惑しているかもしれないね。でも、許しておくれ。ポラリスとトレイニングした君は、これから長い間ポラリスと付き合うことになる。そんな君には、僕がまだ伝えていないポラリスの事を伝えておかなくてはならないと思ってね。

 

 はじめに、僕がどうしてポラリスを新小平に連れてきたか。そこからだよ。

 端的に言えば、僕達の地元では、ポラリスの存在自体をあまり快く思っていない人が、少なからずいるんだよね。

 そんな中で、「ならばこっちに連れてくればいいのではないです? 歓迎こそすれど悪意をもって敵視する者はそうそう居りませんわ」と言ってくれたのが、コダマ号だった。だから僕は、ポラリスを連れてきたんだ。

 

 次に君が気になるのは、どうして僕達の地元でそういうことになっているのかって話だよね。

 その話をするには、2つの事故の話をしなきゃいけない。だいたい10年ほど前、ちょうどポラリスになる新型車両が生まれる直前の話だよ。

 あの頃、僕の地元では特急列車が2回燃えた。1つは、()()()()()()でできた大きなフラットでネジが緩んで、部品が落ちたのが。もう1つは、古いエンジンに無理な改造をした際の()()()()が原因だったよ。

 この2つの事故の原因は全く違う。だけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考える人が多いんだろうね。市井ではその理由は()()()()()()()()()。求められてしまったんだよ。

 そうして悪者にされたのが、スピードだった。燃えた2つの気動車は、形式こそ違えどどちらも時速130kmで走る俊足の気動車だったから。かつて憧れであり、誇りでもあったスピードが、悪の根源、忌避されるべきものに()()してしまった瞬間だよ。

 そしてその新型車両もまた、()()()()()()()()()()()()()()開発されていた。これが仇になったんだよ。

 僕や技術者は必死に主張した。その新型車両は高速域では主として回生制動を用いるからフラットが少なくなることは僕自身が証明していたし、エンジンももともと高速向けで設計されたものだから設計に無理はない。だから、同じ轍は踏まないとね。

 だけどね、その主張は認められることはついになかったよ。そして新型車両は工場の片隅に数年間放置された。まるで()()()()()()()()()

 

 でも、あの子が受けた仕打ちはこれだけじゃなかったんだ。

 僕はその間にスピードを捨てた大地に、スピードは悪くないと示したかった。これが僕がここに来た1番の理由さ。もっとも、こっちに来てからも、年に十回弱はその新型車両の下を訪れて、宿っていたノリモンとコミュニケーションを取ったり、残っていた技術者の人と情報交換をしていたりしていた訳だけれどね。

 そんなある日工場を訪れれば、ただの1度きりしか本線に出してもらえぬまま解体されてしまうことになったという話を聞いてね。話をくれた技術者は泣いていたし、僕も泣いた。それから間もなく、どうすることもできぬまま解体の日を迎えてしまった。

 だけど、解体の日に奇跡が起きたんだ。新型車両が成ったという情報が、僕の耳にも届いて、すぐさま工場に急行したよ。

 

 話は変わるけど、君は日食や月食を英語で何と言うか、知っているかい?

 そう、日食はSolar Eclipseで月食はLunar Eclipseだね。この()を表すEclipseと言う単語は、その現象が光を喰らい、輝きを奪うものであるから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんだよ。

 そしてね、その新たに成ったノリモンに付けられた名前は、ポーラー(Polar)エクリプス(Eclipse)号。そう、ポラリスの本当の名前には、Eclipseという単語が使われている。これほどむごい仕打ちがあると思うかい? なにせそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだからね。

 これらが、このまま彼女を地元にはおいておくことはできないと僕達が導き出した理由さ。

 

 最後に。気になる事があったら、何でも聞いてくれれば構わない。でも、できればここで知ったことは、あまり大きな声では言わないでほしい。いつ近くに、ポラリスの存在を許さない者が現れるかわからないからね。ここ数ヶ月君を見てきて、君にはポラリスに対する敵意はない事が分かったからこそ、君に託すことにしたんだよ。

 

 ここまで、あまり纏まっていない文章を読んでくれてありがとう。イノベイテックより

 

 ★

 

「そうか、そうだったのか」

 

 寮の自室で、僕はべーテクさんからのチャットの全文を読んでそう呟いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21レ前:バリデーションされている

 金曜日の朝。アドパスさんと紅茶を飲んでラボで待っていると、ポラリスが一人だけでラボに入ってきた。

 

「あれ、べーテクさんは?」

「お兄ちゃんなら二度寝してるよ」

 

 詳しく話を聞けば、ポラリスが寝る直前まで成岩さんとボイスチャットをしていたようで。絶対あの時送られてきていたチャットの内容で揉めてたんだろうな。一体何が書いてあったんだ。

 それに、ポラリスが寝た後も何時間やっていたんだろうね? 先週のこと考えると最悪夜通しやってたって言っても驚かないぞ。

 

「ポラリス、今日はどっちが先に来ると思いマースか?」

 

 流れるような手付きで紅茶を差し出しながら、アドパスさんはそう問いかける。

 

「うーん、富貴かな?」

「なんで遅刻前提で賭け事やってるんですか……」

「半年に1回くらい朝もこうなりマスから」

 

 さいですか。

 コアタイムが週2日なこと考えると、概ね2ヶ月に1回、いや、コアタイム当日の夜の方が頻度高そうだしほぼ月1くらいで夜通しボイスチャットしてるんじゃないだろうか。本当に仲がよろしいことで。でもこうやってアドパスさんに迷惑かけてるのはどうなんだ……。

 

「難しく考えてるようデスが、もうなれてマースよ」

「慣れてるで済ませていいんですかね」

「ミーが良いと言えば良いんデス。だいたいドイツの連中よりはマシなんデスし」

 

 アドパスさんは肩を竦めながらそう言った。

 遅刻関連の話題になると毎回酷い評価を下されるドイツのノリモン、逆に気になるんだけどらどういう時間感覚をしているんだ。

 そうツッコミを心の中で入れていると、またもやドアが勢いよく開けられる。

 

「べーテクの莫迦はどこだ!」

「お兄ちゃんなら二度寝してるよ」

「……そうか、ポラリス鍵借りていいか」

「はいよー」

 

 成岩さんはポラリスから鍵を借りると、嵐のように一瞬で去っていった。

 何だったんだ今の。そもそもなんで怒ってるんだ?

 

「戻ってくるまで待ちマスか?」

「そうしましょう」

「待つ! そーれーよーりー」

「分かってマスよ。ちょっと待ってて下さいネ」

 

 アドパスさんは急かされるままに水回りの方へと向かった。成岩さんが先に来たからか。

 そしてポラリスの矛先は、移動したアドパスさんから僕の方へと移ってきた。

 

「真也もなんかちょうだい?」

「えー……」

 

 いきなり言われても困る。ポラリスに今渡せそうなもの……うーん?

 駄目だ、思いつかない。そもそもなんで僕が何かをあげることになってるんだ。

 

「えー。じゃあさ、トレイニングしよ?」

「するけど、成岩さん戻ってきてからね。ラッチくぐれないから」

「ぶー! 真也のケチ」

 

 ポラリスは頬を膨らませている。

 ケチって言われても。誰しもがいきなり言われてもどうにかできる訳じゃないんだけどな。

 今すぐできること……あ。

 

「そうだ、ポラリス。いや」

 

 僕はポラリスに歩み寄りながら、左手でチッキケースに手をかける。

 そして、彼女の耳元で囁いた。

 

「ポーラーエクリプス号」

 

 するとポラリスは、驚いたように目を見開いて問うてきた。

 

「なんで知ってるの?」

「べーテクさんが教えてくれた。僕は知っていたほうがいいって」

「……ポラリスから教えたかったのに。でも、そっか。お兄ちゃんが」

 

 そう言って彼女が一度目を閉じると、再び開けたときにはその悲しげな表情は消え、いつもの笑顔に戻っていた。

 

「それで、なぁに?」

「君には、これを渡しておこうと思って」

 

 そう言いながら僕が差し出したのは、1枚目のチッキ。そう、初めて触れたときに()()()()()()()()それ。

 昨日、べーテクさんからのチャットを読んで、そこに書かれていたポラリスの本当の名前を読んで確信したんだ。輝きを失うことをエクリプスと言うのなら、星々が輝きを失っていくそのイメージが指していたのは、ポーラーエクリプス号であると。

 

 ポラリスは、差し出したチッキと僕の顔を交互に見て、小刻みに震えていた。

 そして。

 

「ありがとー。でもね、いらないよ」

「いや、いつかは渡さないと……」

「だって、こうすれば、ほら!」

 

 ポラリスはそう言いながら、僕が持っているチッキを両手の間に挟む。

 そして楽しそうに「てん、てん、てーん」と2回言いながらチッキを上下に振ると、その手を離した。

 

「……?」

 

 いや、何も変わってないけど。

 そう言おうとした瞬間、チッキの上に青色の光が走る。

 この光には見覚えがあった。

 

「チッキが、バリデーションされている……?」

 

 そう、その光を前に見たのは。

 クシーさんとトレイニングしてしばらくしてから、彼女が空のチッキを持ってきた時のことだ。ただし、その時はクシーさんの派閥に合わせて、走っていた光は黄色だったけど。

 そして光がおさまると、そのチッキには『ポーラーエクリプス』の名が、確かに刻まれていた。

 いや、月曜も感じたけど早いって! クシーさんの時は初めてトレイニングしてから1ヶ月弱してからようやくチッキを出して貰ったのに。

 

「これからもよろしくね、真也!」

 

 ポラリスはそう言いながら、呆然としている僕に飛びついてきた。そして、アドパスさんがトライフルというお菓子を持ってくるまで、離れてはくれなかったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21レ中:さらにエンジンも利用する

「すまん。莫迦野郎を引っ張り出してくるのに時間がかかった」

 

 成岩さんがべーテクさんを背負って出勤してくるまで、意外にもさほど時間はかからなかった。

 成岩さんが背中で寝ているべーテクさんを床に放り投げると、アドパスさんがそのべーテクさんの口に焦げ茶色で粘性の高い謎の物体を放り込む。何故か非常に慣れている手付きだ。

 

「何を口に入れたんですか」

「マーマ「ウトマセップ」……あ、おはようございマース」

 

 謎の声と共にべーテクさんが文字通り起床した。

 

「うぅ、口の中が苦いよぉ」

「寝ぼけてるのが悪い。ポラリス、鍵ありがとな」

「はいはーい」

「おかげで目は覚めたけどねぇ、元はと言えば君が遅くまでボイチャ繋げて来るのが悪いんだぞぉ!」

「いや3時前には終わらせたよな?」

 

 うん、3時って。流石にこれは成岩さんが悪い。逆になんで成岩さんはこう朝から元気なんだ……。

 

「そもそもだな、べーテクが唐突にクソ影響でかいことをムグッ」

「喧嘩は、そこまでデス」

ムゴ、ムゴギガガガギゴ

 

 アドパスさんは大さじ一杯の焦げ茶色の物体を成岩さんの口に放り込みながら、喧嘩を仲裁……仲裁なのかこれ? とりあえず、中断はさせた。

 やっぱりいちばん怒らせちゃいけないの、アドパスさんなんじゃないかなぁ。

 

「昨晩の続きは昼にしようか」

「……そうだな」

 

 そしてようやく、今日の活動が始まったのだった。

 午前中は座学で、ポラリスやべーテクさんのような特殊な駆動形態の構造の研修からだった。午前いっぱいで座学研修を詰めてから、午後はそれを踏まえて実際にトレイニングして走る時間という予定らしい。

 

 ポラリス達もクシーさんと同じように、走り出す時には電気モーターを用いる。だけど、その動きは面白いほどに逆転している。

 先にクシーさんの駆動周りの仕様を言えば、まずバッテリーユニット――こんな名前がついているけれど、これは物理的な電池ではない――から単相交流の電気が流れ、それを変圧器を切り替えていくつかの低圧の電気にした後に直流モーターに繋いでいる。一方で、ポラリス達はリチウムイオン電池から直流の電気を流した後、それをPWM制御で三相交流にして交流モーターを回しているのだ。

 ポラリス達の駆動周りはそれだけではない。速度が乗るにつれて、()()()()()()()()()()()()のである。これは他の気動車のノリモンと同じようにフューエルユニット――こちらも物理的な燃料が入っている訳じゃない――からエンジンに繋がり、それが駆動軸へと繋がっている。ただし、間にあるのが他の気動車達がトルコンなのに対して、ポラリス達は低速域を考えなくてもいいのでそのまんまクラッチを使っているのだとか。

 そしてそのクラッチの部分で、モーターとエンジンの力を合わせて車輪を回したり、あるいは車輪へのギアをニュートラルにし、エンジンとモーターだけを直結させてリチウムイオン電池を充電したりしている。

 なるほど、確かにこうやって聞いてみるとけっこう複雑な足回りで動いてるんだな。どうりで物理的にもゴツくなるはずだ。

 

「そんな訳で、純粋な電車のノリモンと違って物理的なリチウムイオン電池に電気を戻すから気をつけねーとすぐ回生失効する」

「それは君が回生の事考えずに充電しすぎてるだけだと思うけどねぇ。僕はめったにしないもん」

「……マジで?」

「何なら0まで回生だけでいけるよ?」

 

 あの、教える側で認識の齟齬を起こさないでもらえますか? もしかして、エンジンブレーキを使わないってのも成岩さんだけの思い込みじゃ……?

 恐る恐るそれを聞いてみれば、そこについてはふたりとも意見が一致して、そもそもエンジンブレーキは回生失効しない限りは使わないという答えが戻ってきた。なんか安心した。

 そもそも、ブレーキについては回生ブレーキがメインで、他は基本的には空気ブレーキで補ってしまうらしい。一応、ギアで車軸とエンジンが繋がってるんだからエンジンブレーキも使えない筈はないんだけど、停まり続けるためにはどうしても必要な空気ブレーキとエネルギーロスの少ない回生ブレーキだけで停められるのならわざわざ使うまでもなく、使うとすれば下り坂が続いて想定よりはやく回生失効してしまったときくらいなのだそうだ。

 いずれにせよ、どのタイミングだろうと回生と同時に使うことは決してない、ということだそうだ。確かに、言われてみれば回生ブレーキという奇跡のようなエネルギー効率のブレーキを使っているのに、他のブレーキを併用するというのは非常に莫迦らしい。それは折角得られた運動エネルギーを投げ捨ててしまう、ということなのだから。

 

 ただし、べーテクさんでも回生ブレーキを使っている時に併用するブレーキがあるらしい。それはまさかの空気ブレーキ。

 それは、回生失効した時に空気ブレーキに移行したとして、それが効かなくなってしまう状況を回避するための保険としての扱い。それがどういう時かと言えば、降雪時だ。ブレーキシューと車輪の間に雪が挟まっているということを防ぐために、高速域であろうと当てるだけの弱いものでいいから空気ブレーキを扱ってあらかじめ摩擦熱で雪を溶かしておく必要がある、とのことだった。そもそもラチ内で雪は降らないからあまり使うことはないかもしれないけれど、頭の片隅にきちんと入れておこう。

 

 こうして、午前の座学研修の時間は順調に過ぎていったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21レ後:凄いんだね、君は

 午後の活動は、昼休みにやっていた成岩さんとべーテクさんの話し合いが少し伸びたため、やや遅れてのスタートとなった。おかげで話は纏まったようだけど。

 せっかくチッキは今朝方バリデーションされてはいたのだが、今回もポラリスの力を纏って走る必要があるため、チッキなしでのトレイニングをして、ラッチに入れてもらう形だ。

 

 さて、近年の輸送具は、高度にプログラム化がされて、運転士があまり操作をしなくても自動でギアの切り替えや、システムの切り替えがされることが多い。これはノリモンになっても原則は変わらないことだけれど、そこに1つだけ大きな違いがある。輸送具の形では、そもそも入力手段がなかったりしてできなかったような動きであっても、ノリモンやトレイナーは意識さえすれば操作してやることが可能なのである。

 どういう事かと言えば、例えばポラリスの場合は、普通に無意識にノッチを入れて走っているとそのプログラムが動いてギアが切り替わったり、エンジンが始動したりする。あるいはブレーキを扱えば、自動で回生ブレーキや空気ブレーキがプログラム通りに作動するのだ。

 このギアやブレーキの切り替えを、ノリモンやトレイナーは()()()()()()()()()意図的に起こすことができる。月曜日に僕が突然エンジンブレーキをかけることができたのも、まだ回生失効していないのに空気ブレーキで強くブレーキをかけられたのも、この性質によるものだ。

 

 して。

 トレイニングをしてからしばらくの走行というのは、まずは自分の手癖で走ってみたり、あえて何も考えずにプログラムに任せて走ったり、あるいは逆にあえて一部の機能だけを使って走ったりして徹底的に自分の体にそのノリモンの全てを覚え込ませる、そういったフェイズになる。クシーさんのときもそうだった。

 つまりは、今からの走行も、そういう目的のものになる。

 

「最初は、r8でいいかい? 3から4周くらいかな、()()()()()()()()()()()走ってみなさいよ」

 

 べーテクさんはそう言う。要するに、車を動かすように、ノッチとブレーキだけを指示して走れ、ということだ。

 そうして走ろうと軌道に入線すると、真後ろにも入線した人影が1つ。……って。

 

「ポラリス!? どうして」

「ついてっちゃ、ダメ?」

「危ないよ、僕がブレーキかけた時とか」

「大丈夫! 真也がどう走ろうとしてるかは()()()から!」

 

 え、モヤイを通じてノッチとかブレーキの状況ってわかるものなの?

 でも、よく考えたらオモテのトランジットでテレパシーできるんだからそれくらいはできてもおかしくないか。

 

「分かった、一緒に走ろう」

「うん!」

「じゃあ、行くよ。3、2、1、デパーチャー」

 

 ノッチを入れる。そして少しして、時速45キロメートルほどでエンジンがかかりだす。ここまでは前に確認した通り。……というか、前回も加速に関してはほとんどぜんぶ身に任せていたから、あの時の速度に到達するまではそうそう変わらないはず。

 そう思ってぐんぐんと加速していた時の事だった。ふと、視界に違和感があるのに気づく。

 ……あれ? ラチ内はカントがないはずなのに、()()()()()()()()()()()()

 体勢を確認する。膝、まっすぐ。腰、まっすぐ。首、まっすぐ。つまり、直立の姿勢だ。僕は今、r800という()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()膝も腰も曲げずに、全く体を傾けない姿勢で走り続けているのだ。にもかかわらず、()()()()()()()()

 なんか変だぞ。そう感じて足元を覗き込めば、違いは目視でもすぐに分かった。

 まず1つ。車輪と靴底の取付角。靴底に大してほぼ直角に取り付けられていたそれが、僅かに曲って僕の体を内側に傾けている。

 そしてもう1つは、外側、つまり右の靴底。その空気バネが膨らんで、右脚を上へとおしあげて、同じように体を内側に傾けている。

 そしてその2つが合わさって、僕の足の裏は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()傾いていたのであった。聞いてないぞこんなの。

 でも、なるほど。耳の吸気口はこれか。確かに、圧縮空気で足の空気バネを動かすならば、エンジンて熱せられていない空気を使いたいから前から吸ってしまうのが効率がいい。1つまた、ポラリスの謎がとけた。どこを空気が通ってるのかは謎だけど……。

 

 体を足の裏が傾けながら速度を上げてゆく。モーターとエンジン、2つの出力がかかるので比較的高速域までそれなりの加速余力はあるけれど、さすがに高速域に足を突っ込むとじりじりと下がっていって、ある程度行ったところでクシーさんのそれと同じくらいまで落ちて来てしまった。

 このくらいでいいかな。そう思ってノッチを切るも、エンジンが止まる気配はない。なるほど、事前に聞かされていた情報通り、充電をしているという訳だ。

 そしてブレーキをかける。最初にかかったのは、意外にも空気ブレーキだった。だけれど、エンジンが止まって回生ブレーキがかかると共に空気ブレーキは一旦緩んで……そして、それがもう一度きつく締まったのは停まった後だった。

 

「ポラリス」

 

 真後ろにいるであろう、彼女に呼びかける。

 

「なぁに、真也」

「凄いんだね、君は」

 

 いろいろ言いたいことはある。でも、これだけで、伝わるはず。

 言葉は帰ってこなかったけど、後ろから腰に巻き付いてきたその手を見て、なんとなく幸せな気持ちになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22レ前:まったく成功していないのでノーカウント

 トランジット・トレイニング。トレイナーの持つ、最大の武器の1つである。

 そしてその知識を最も多く持っていると言われている人のうちの1人が、何を隠そうウルサのリーダーたる早乙女さんなのである。

 

「さて、2人とも資料は既に渡していると思うが、一応目を通しておいてもらえているかな」

「僕は読みました」

「アタシも大丈夫」

「よし、ならば書いておいたことは重要な箇所以外は割と飛ばし気味で行こう」

 

 いやあの文書の内容飛ばし気味って、この人どれくらい情報持ってるんだ。事前に読んでおいて助かった、と言うべきなんだろうか……?

 

「まず、トランジットの方法だが、ただチッキを使うだけでは駄目だ」

「あの光の改札機、ですよね」

「そうだ。この辺りは重要だから重複するけどやるぞ」

 

 あの光の改札機は、そもそもチッキに組み込まれている機能の1つらしい。その割には今までトレイニングするときにすら1度も使ってなかったのだが、それは単純にキールであるから必要としなかっただけらしい。

 

「だからキールであろうとそれを使うことは可能だ。そもそもキールでこれが省略できることがわかったのだって割と最近なのだよ」

 

 そう言うと早乙女さんはチッキから改札機を出してみせた。ここが一番謎くさいんだけどなぁ……。

 早乙女さんが言うには、呼び出した改札機は別にその元のチッキを使わなくともよく、別の人が使っても正常に動作する。何なら空のチッキでも念じれば出るとのことで。

 

「うわ、本当に出た……」

「なんか不思議な感じ」

 

 説明を聞いた僕と北澤さんがそれぞれ空のチッキで改札機を一対ずつ呼び出す。そこまで広くもない部室の中に3対も自動改札機が生えているし、なんならその向きもぜんぶ違うので、冷静に考えるとものすっごく絵面がおかしい状況が展開されている。なんだこれ。

 そして次に、早乙女さんは僕達にチッキを入れるよう促した。言われるままにその改札機の間に入り、投入口にチッキを入れる。

 ガコン。両側の2対4枚の扉が閉まる。そして。

 

 \ピンポーン/\ピンポーン/

 

 エラー音が鳴り響いた。それと同時に後ろ側の扉が開く。

 

「……君達、どうしてそこで空のチッキを入れるんだい?」

「いや、なんか入れてみたくなって」

「左に同じです」

「気持ちはわかる。私も昔1回やったが、やはり皆通る道なのだろうか……」

 

 いや、やったんかい。

 そう心の中にツッコミを入れつつ、投入口に戻ってきていた空のチッキを回収し、代わりにクシーさんのを投入した。

 すると六角柱状に黄色の光が伸びる。そして光が消えると共に改札機の進行方向側の扉がガコンと開いた。僕はいつもと同じようにトレイニングしている。

 

「あんまり変わらないんですね」

「キールであることに変わりはないからな。だがこれはキール以外となると少々話が変わる」

 

 そう言うと早乙女さんはいつものようにトレイニングしてから、別のチッキを改札機に通した。

 青色の光の柱が立って彼を包む。だけど、その()()()()()()()()()()()()()、早乙女さんの姿()()()()()()()()()。そして、僕達が空のチッキを入れた時と同じように後ろ側の扉が開き、投入口にチッキが戻ってきている。

 

「このように、ただチッキを入れただけではトレイニングはできない。どこに問題があったか。北澤君、答えてみなさい」

「トランジット・トレイニングの先を、オモテ・スター・ポート・トモのどれにするかを選んでない?」

「半分正解だ。だがもう1つ、重要な要素が欠けている。山根君、何かわかるかね。ヒントは、トレイニングの1種であるということだが」

 

 ……いや、わからん。

 そもそもまだトレイニング自体クシーさん以外はチッキ使ってはやってないし、それ以外含めてもポラリスとの2回だけ。昨晩ウッキウキで試行錯誤して大量に失敗しまくったのはまったく成功していないのでノーカウントだ。

 

「……もしや、スクールの方ではキール以外のチッキを用いてのトレイニングの方法について教育されていないのか?」

「無かったですね、キールは特別で簡易だというのと、昔はチッキを使ってなかったのは教わったと思うんですけど、その詳細までは……」

「トランジットについては?」

「存在だけ、現場で覚えろって感じでしたね」

 

 そして早乙女さんは僕がサボっていたわけではいなかったことを北澤さんにも尋ねて確認すると、ため息を1つついた。

 何せよ普通に3年で詰め込んで、それを習得させる以上わりとカリキュラムはきつきつだったからなぁ。僕は授業だけでどうにか詰め込めたから余裕あったけど、復習詰め込んで死んでた同期とかいたし。

 

「そうか、そこが変わっていたか。成岩君の時はあったと聞いていた」

「なるほど、だから資料でも書いてなかったと」

「こればかりは仕方ない。それでだな、答えを伝えると、チッキを用いてトレイニングをするときは、発声による呼びかけを要するのだ。声を出すことそのものが重要で、実際は小声でも問題はないのだが、今回は分かりやすくするために声を張る」

 

 そう言うと、早乙女さんはもう一度、チッキを改札機に入れた。

 再び扉が閉まり、そして青い光が彼を包む。

 そして。

 

駆け抜ける想いよ夢よ希望よ、風も谺も光すらも追い抜かん! ノゾミタキオン号、今このトモに宿れ!

 

 ……え、何この痛い口上。

 なんだろう、トランジット・トレイニングがかなり有用なのに適正があってもそもそも使わないトレイナーがいる根本的な理由がわかったような気がする……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22レ中:こいつ等要領良いって

「えっと……。それって、どうしても言わなきゃダメ……?」

 

 光が解けて扉が開き、下半身をスタイリッシュな白と青に染めた早乙女さんに、北澤さんがそう問いかけた。

 

「安心していいぞ、慣れると羞恥心を感じなくなるから」

 

 後ろから成岩さんがそうは言っているけれど、まったくもってそういう問題じゃないと思う。要するに、慣れるまではどうしようもないってことなのだから。

 

「そもそも、昔と違って今はラッチの中での対応になる。聞かれたところでそこには事情を知るトレイナーかいずれ知る新米トレイナーしかいないではないか」

「……確かに、そっか」

「言われてみれば」

 

 確かに、事情を知らない人に聞かれたらただの痛い人だけど、事情を知ってる人同士ならしょうがないなぁで済む。そう考えると、気持ちはけっこう軽くなった。

 そしてそれは、北澤さんも同じだったのだろう。ガコンと、左で扉の閉まる音がした。

 

「魂に刻まれし山百合の紋章よ、朽ちてなお高貴なるその力を見せよ! スクモ号、このポートに宿れ」

 

 紫色の光が晴れると、北澤さんの左半身が山吹色に変わっている。

 

「その口上誰が考えたの……」

「うーん、考えたっていうより、スッと頭の中に浮かび上がったというか……」

 

 なにそれこわい。

 って事は、もしかして……?

 僕は恐る恐るポラリスのチッキを改札機に入れた。後ろの扉が閉まり、青い光が僕の周りを満たす。

 それと同時に、何を言えば良いのかが確かに浮かび上がってくる。

 僕はそれを、そのまんま口に出した。

 

「失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを! ポーラーエクリプス号、このトモに宿れ」

 

 瞬間、足に纏わる感覚が変わる。

 そして光が晴れれば、脚部の黄色の走行機器類は、銀色に青と黄緑の線の入った大きなものにかわっていた。上半身はクシーさんののまま。

 

「おお、これが……」

「なんか、不思議な感じ」

 

 このようにして僕達が少し感動している一方で、早乙女さんは頭を抱えていた。

 

「準備をしておきなさいと言うのは、資料を読んでおいてほしかったのであって、決して2人してチッキまで用意しておくようにという意味ではなかったのだが……」

「俺だってポラリスが山根にチッキ渡したの今知ったぞ。あいつらが並ぶ時はだいたい側にいたはずなんだが」

「まあいい、想定より早い成長を拒む理由などない。だが2人とも、既にそれらのチッキがあったのならば言いなさい。怒りはしないのだから」

「特にそういう確認もなく始まったので」

「聞かれれば答えない理由はないもんね」

「君達、そういう所なんだがな……」

 

 といってもこのチッキがバリデーションされたのが昨日だもの、言おうと思えば強引にねじ込めたかもしれないけれど、今朝確認されなかったら言うタイミングなんてどこにも無かったのは事実。

 あと成岩さんはべーテクさんから聞いてないのだろうか? ……いや、べーテクさんにもよく考えたら言ってなかったな、たぶん既にポラリスが話してると思うけど。

 

「だから言ったろ、リーダー。こいつ等要領良いって。腐っても二人ともスクールの一昨年卒業の成績上位者なんだぞ」

「腐ってもってなんですか」

「アタシ達ちゃんとしてるよね?」

「お前ら2人してところどころ抜けてるところあるだろ。さっきの報告忘れとかまだバリデーションされてないチッキ突っ込んだみたいに」

 

 いや、今回は本当にタイミングがなかっただけだって……。

 そう言っても多分聞いてもらえないので、ぐっとこらえて早乙女さんの出方を窺う。

 そして閉じられていた彼の目が再び開いた時、そこには鋭い光が走っていた。

 

「どうやら、私は君達を過小評価していたかもしれん。念の為、1回この前渡した資料の君達の理解度を測っておこうか。第1問、トランジットした時に、複数の色のシールドを同時に割れるのはどのノリモンに由来するものか。北澤君」

 

 これは簡単だ。一見、トランジットの話題だから4つの中から選びそうになるけれど。

 

「キールだよね?」

 

 言葉面こそ確認だが、その口調は当然とでも言いたげな、自信に溢れたものだった。

 

「正解。ではノリモンの機動性に関与するのはどの部位か。山根君」

 

 あの、さっきの質問と比べて答えなきゃいけない量が多い気がするんだけど……?

 

「一概には言えませんが、大多数はトモで、例外の多くは航空系をはじめとする風力で推進するノリモンの場合。その場合はスターとポートの片方または双方が要求されるものが多い他、場合によってはオモテやトモのノリモンもいる」

 

 航空系のノリモンは割と片肺でも飛行できるのが多いんだけど、バランスを取りにくいからスターとポート双方でのトランジットが推奨されていたはず。中にはトモにエンジン引っ付いてる場合もあるからこればっかりは本当にノリモンによるとしか言いようがないんだけど。

 

「他にも、リニアモーターを用いる場合は」

「理解していることは分かったからそこまででよい。次、第3問、1枚のチッキでトランジットできる部位数の上限は。北澤君」

「2つ、ただしオモテとトモ、またはスターとポートの組み合わせに限る」

「よし。第4問……」

 

 こんな感じで、僕達は交互に10問ずつ、計20の口頭諮問を全てパスした。どれもあの資料に書いてあった基礎的な事なので間違える要素はなく、全問正答できて当然の問題なので、やる意味があったのかは若干謎だけど。

 ただ、口頭諮問を進めていくうちに少しずつ早乙女さんの顔は綻んでいったので、好意的には受け取られてるんだと思う。対称的に成岩さんの顔は引きつっていったけど。

 

「2人とも、きちんと読んでおいてくれていたようで嬉しいよ。よし、ここからはもう少し踏み込んだ話をしようではないか」

 

 そう、早乙女さんが宣言した時。

 

 コンコンと、部室の扉が叩かれた音が響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22レ後:突然の来訪で失礼

 成岩さんが扉を開けると、そこにいたのはスカイさんだった。

 

「ナリタスカイ号か。佐倉君ならそこで寝てるぞ」

「起きてるよ」

「……訂正、さっきまで寝ていた」

「いや、佐倉に用があるわけじゃないし、何なら俺が用事あるわけでもない」

 

 じゃあなんで来たのさ。その旨を言葉に出そうとした時、彼の後ろからまた別の紫が顔を出した。

 

「「「鳥満博士!?」」」

「ほっほ、久々じゃの。突然の来訪で失礼」

「ご無沙汰しておりますが、何故こちらに?」

 

 やたら丁寧な口調で、早乙女さんが対応に入った。トレイニングしたまんま。

 

「なに、単純な興味じゃよ。今日は待機と佐倉から聞いとったのでな。仮にお取り込み中なら追い返してもろうて構わんよ」

「まぁ、今朝方考案した予定は完了してしまっていますが」

 

 アレで終わった扱いなんだ……。

 そう考えていると、ちょんちょんと肩を叩かれた。入れ替わりにこちらの方に戻ってきた成岩さんだ。

 

「何です?」

「ちょっと気になっただけだ。北澤と山根、()()()()()()()()()()んだよ。……つっても怪しいの佐倉しかいねぇか」

 

 あ、確かに言われてみればおかしいっちゃおかしいのか。

 すると、ヌッと僕達の間に割り入ってくる人影が1つ。噂をすればなんとやらだ。

 

「御名答、私が紹介した」

「紹介された」

「されました」

「こいつらが妙に早熟なのお前らのせいかよ」

「違う。私は()()()()()()だけ。それ以外は2人の才能と努力」

「悪役のマッドサイエンティストみてーな事言うんじゃねぇ」

 

 悪役かどうかはともかくとして、この組織にいる研究者たちって半分くらいは世間一般的にはマッドサイエンティストの領域に足を踏み入れていないだろうか? ヒトとノリモンの本質的な価値観の違いとかもあるのかもしれないけれど……。

 そんなことを考えていると、ふと視界の奥で鳥満博士が手招きしているのが映った。

 

「呼びましたか」

「ちょうど話を聞こうと思ったところでな。その様子じゃと、だいぶ事態は進展しとるようじゃが」

 

 博士は到着した僕の姿を見ながらそう言う。そういやまだトレイニングを解いてなかった。

 トレイニングを解き、手元に2枚のチッキを戻す。そしてうち1枚を机に置いた。

 

「件のものです」

「これは驚いた、既にここまでとは」

「僕だって予想外です、彼女と始めてトレイニングをしたのがこの前の月曜、このチッキがバリデーションされたのは昨日ですよ」

「昨日だったのか……」

「RTAでもしてんのか?」

 

 気持ちはわかるけど、スカイさんの反応が酷い。それに、仮にそうだったとして走っていたのは僕じゃなくてポラリスの方な気はする。

 というのも、あのトレイニング前からベタベタ物理的にくっついてきた奴は、同時に僕にモヤイを繋げようとしていたのではないだろうか? 超次元とはいえ、物理は物理なのだから。昨晩ふと、そんな仮説を思いついたのだ。

 この仮説を伝えると、鳥満博士は少し考え込む様子をとった。

 

「あり得る話じゃろうな。実際、始まりのクィムガンルースの落し子への対応としての史上初めてのトレイニングをT081号としたヒトは、既に長い間共に過ごしていた()()()だったという事実もある」

「ならば……」

「じゃが、それを考慮しても早いと言える。……ポーラーエクリプス号か、君の見たイメージ通りの名前じゃの」

 

 机に置いた、そのチッキを手に取りながら鳥満博士はそう続けた。

 そうか、それでも早いのか……。

 

「そうじゃな、山根君。修理の手配がつき次第こちらから連絡しよう」

 

 ……? あ、検査の話か。

 

「お待ちしてますよ」

「山根君、何の話をしているんだい?」

「ご安心を、早乙女君。私等とて危害を与えるつもりはない」

「ですから、何の話を」

「少し検査を受けるだけです」

 

 そう伝えると、早乙女さんの顔が急に青くなっていく。

 ……あれ、なんか変なこと言っちゃったかな。

 

「山根君。そういう大きなお金の動くことは勝手にだな」

 

 ……え? お金?

 そういえば確かにその話題にならなかったから気が付かなかったけれど、確かに検査ってお金けっこうかかるじゃん。

 気がつけば、僕の顔まで青くなる。

 これもしかしてお金払えなかったらサイクロの共有財産にされて死ぬまで変な実験とかにつきあわされちゃったりするやつとかじゃ……?

 そうあたふたしている僕の思考は、鳥満博士の咳払いにより中断された。

 

「あらぬ心配は無用じゃ。私等の興味でやっとるのもある、費用はこちらで持つ」

「博士。お気持ちは嬉しいのですが、何故」

「私が()()()()()()()()()()()()したのじゃ、それ以外の理由が必要かね」

 

 鳥満博士が笑顔でそう伝えると、早乙女さんは何も言い返せなくなってしまった。

 僕も同じように飲まれそうになったけれど、なんとか言葉をひねり出す。

 

「鳥満博士。とは言いましても、流石にチッキの提供の上、ご相談にも乗っていただいて、その上で……」

「君のデータはそれ自体に価値があると見ておる、それで十分じゃ。じゃが、どうしてもと言うのなら、これから先いくつかの研究の被験者を引き受けてもらえると助かる」

 

 ……まぁ、それくらいなら僕にできなくもない。

 

「僕が危険だと判断したら断っても大丈夫ですか?」

「勿論じゃよ。尤もそのような危険な研究はしとらんがね」

「わかりました、機会があれば連絡を下さい。余裕があれば検討します」

 

 こうしてやや放心している早乙女さんを横に話は丸くおさまって、鳥満博士の僕への案件は終わったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回22レ:土曜午後のいつものぼんやりタイム

「おい佐倉、今日博士が来ることいつ知ったんだよ」

「昨日の夕方」

「朝のうちに言えや」

 

 鳥満博士が一通りの要件を終え、復活した早乙女さんから追加でトランジット・トレイニングについてのレクチャーを受けた後。土曜午後のいつものぼんやりタイムに入ってすぐ、成岩さんが佐倉さんを問い詰めた。

 

「言わない方が面白いと思った」

「は?」

「駄目では?」

「それはないんじゃありませんこと?」

「ひどい」

 

 ひどくない。

 満場一致でダメ出しが入った。

 流石に「面白い」の一言で済ませていいことじゃないと思う。

 

「そもそも今日はリーダーからコイツらへのレクチャーの予定だっただろうが」

「早く終わるの、知ってた」

「そうだったな、そういやお前がそう仕向けたんだったな」

 

 ……言われてみれば、そうだ。

 僕がトランジット・トレイニングを早乙女さんの予定よりかなりの前倒しで行えるようになったのも、半分はポラリスの異常行動のせいだけど、もう半分は佐倉さんが僕にチッキを早い段階で渡していたからこそそれを意識して行動していたのが理由だ。

 そして北澤さんにも、どのタイミングかはわからないけどかなり早いタイミングで僕と同じようにアプローチがあったと考えるのが自然。

 ……あれ、これ僕達佐倉さんというか、鳥満博士の手の上で転がされていたのでは?

 

「なぁ佐倉。()()()()()()()()()()()()()なんだ?」

「それはアタシも気になりますわ」

「聞きたい?」

「僕も知りたいです」

「ん、じゃあせっかくだから」

 

 曰く、北澤さんについては1ヶ月ほど前からサイクロの匂いが残留していたのでサイクロの誰かとトレイニングしていたことを察し、既にチッキを得ていると推測していたらしい。

 その話を聞いた北澤さんは若干引いていた。気持ちはわかる。サイクロの匂いって、何……?

 

「……で、実際のところどうなんだ?」

「スクモ号と御初にトレイニングをしましたのが先月の頭、チッキを頂戴したのが先週のことですの」

「ほぼ読み通りってところか」

 

 えっ怖……。なんでそれでほぼピッタリ当てられるんだ?

 

「山根は、この前の相談とあの子の襲撃から考えて、そろそろトレイニングしてるかなと」

「チッキは」

「それは想定外」

 

 あ、やっぱりそれは想定外か。

 ならばなぜ僕もひっくるめて早く終わると想定していたのかと聞けば、僕は割と部室で資料を漁ってる姿を目撃されていたので事前に早乙女さんが資料渡してるなら読んでいるはずだと推定していたらしい。確かに全部読んだけど、信頼しすぎじゃないだろうか……。

 

「そんな訳で、二人ともだいぶリーダーの想定より進んでると思ってた」

「お前そこまでわかってたならリーダーに伝えとけば良かったんじゃねーか?」

「面白くない」

 

 佐倉さんはそう一言発した。僕やっぱりこの人マッドサイエンティストの気があると思う。

 そして、頭を抱えている成岩さんは突然のこちらに振り向いた。

 

「あと、そこで関係ない雰囲気出してる2人! 言っておくがお前らも話してねーから同罪だぞ」

「それはあんまりじゃありませんの!?」

「佐倉さんから話行ってると思ってたんですよ」

「典型的な伝達ミスじゃねーか、ホウレンソウって知ってる?」

 

 んなこと言われても。

 成岩さんと目線が合う。続けて首を振れば北澤さんと目が合い、続けて2つの目線が佐倉さんに向けられる。

 そして、その動きが逆順で戻って成岩さんに視線が向けられると、彼はため息を1つついた。

 

「……まぁミスを隠してた訳じゃねぇからこの位にしとくけどよ」

「やった」

「いやお前は許さんが? ……そうだ、お前らちょっとこっち来い」

 

 成岩さんは悪い顔をして僕達2人を招き寄せた。

 ……ごにょごにょごにょごにょ。

 なるほど、それは()()()()だ。

 

「なんとなく、そろそろ博士に呼ばれるような気がする」

「いや逃がさねぇけど? 2人とも、かかれー!」

 

 部室の中に、佐倉さんの悲鳴ともとれる奇声が響いた。

 

 ★

 

「やはり、直接動いて検証するほかないのでは?」

 

 漆黒のタキシードに身を包んだノリモンが、これまた漆黒のプリンセスラインのドレスを纏うノリモンにそう話しかけた。

 

「ジュン、貴方はもう少し落ち着いた方がよろしいのではないか?」

「そう言うシャワァ、お前はやり方が回りくどいじゃないか」

 

 言い争う2人。共に、このシエロエステヤードの四天王に名を連ねる有力なノリモンである。

 そして、言い争う2人の間に入るノリモンがまた1人。

 

「落ち着きなよ、2人とも。今はまだ、その時じゃない。リングとブゥケが情報を集めてる」

「でもスタァ様。俺を引き入れたときからずうっとそれをしてません?」

「そうだけど? ボクは過去に失敗した。その理由が、動き始めてから数年もの時間をかけ過ぎちゃったこと。だから、今回は動き始めたら一気にやるよ。目標は、始めてから1年半。それに」

 

 そう言うと、スタァインザラブは空を見上げた。

 一筋の流れ星が、キラリと輝く。

 

()()()()()()()()()()

「つまり、ついに動き出すんですね」

「うん、もうすぐね。いい知らせが、リングからあったんだよ。……待っててね、姉さん。ボクが必ず助け出すから。そして」

 

 スタァインザラブは、その決意を再び胸にした。

 

「総てのノリモンに、祝福を」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ前:ポラリスに一度見せてやれ

 ポラリスからチッキを渡されてから、およそ半月が経った。

 この間、恐ろしいまでに諸々が順調に事が進み、振り子走法もブラインドランもだいぶ様になってきて、逆に僕のぶれない走法をアドパスさんやポラリスにレクチャーするのも終わりが見えてきた。

 ポラリスとのトレイニングもかなり慣れて、その力を引き出せるようになっている。その間にポラリスもだいぶ落ち着いてきて、飛びかかってくる頻度も日に日に減り、今では1日に1回あるかないか程度だ。

 でも。

 

「なんか最近、刺激がないなぁ」

「それが普通なんだけどな。あんまり刺激ばっかだと疲れちまうぞ」

「でも半月くらい前までそうだったのが、いきなりバタンと何もなくなったら、寂しく感じません?」

「気持ちはわからなくもないが、そろそろ非日常も非日常の夏合宿が近いんだ。ここでそんなの起きたりしたら後々面倒だぞ」

 

 まぁそうなんだけど。

 そんな話をしていると、ちょうど扉が開かれ、ポラリスがラボに入ってきた。ひとりで。

 

「……あれ、べーテクはどうした」

「お兄ちゃんならさっきコダマおじちゃんに捕まったよ」

「山根、お前がそういうこと言うからお望み通り何か起きそうな事態になってんぞ」

 

 成岩さんは頭を抱えながらそう言う。えっ、それ僕のせいなの?

 数分ほど経って、グループチャットにメッセージが届いた

 

『突然で済まないけど、今日の午前いっぱいは僕とアドパスくんはコダマ号と話をしなきゃいけなくなってしまってね。そちらの3人で適当にやっておいて貰えると助かる』

「なーにやってんだあの莫迦野郎!」

「どうします? データ採取で残ってるのって」

「どうするも何もアドパスのなんだから何もできねぇが? 後は……そうだ、こうしよう。よく考えたらだ、お前まだポラリスの前でトランジットはしてねえだろ?」

「そりゃ、その場でポラリスと直接すれば済むのでする意味がなかったじゃないですか」

 

 そもそもトランジット・トレイニングは応用技術。基礎である直接のトレイニングがしっかりできてないと上手に力を引き出せない。だから、しばらくは控えるよう北澤さん共々早乙女さんに言われている。もうそろそろ大丈夫なレベルにまで到達している頃だとは自分では思うけど。

 

「まぁ、今のお前じゃ確かにトランジットじゃポラリスの力を十分に引き出せはしないだろうな」

「じゃあなんでトランジットを?」

「ポラリスに一度見せてやれ、それだけの話だ。呼んでくるから、準備だけしてな」

 

 意図はよくわからないけれど。

 成岩さんがたぶん奥のソファで寝転がっているであろうポラリスを呼んでくるまでの間に、トレイニングして改札機を呼び出しておく。

 ……お、来た来た。

 

「なぁに富貴、面白いものって? ……真也?」

「半分はそうさ。山根、準備はできてるみてぇだな」

「部位は……一番わかりやすいオモテがいいですかね?」

「そうだな」

 

 改札機に入り、ポラリスのチッキを入れる。

 青い光に包まれ、そして。

 

「失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを! ポーラーエクリプス号、このオモテに宿れ」

 

 光が晴れる。今頃僕の髪の色は、ポラリスと同じような銀色に変わっているのだろう。僕からは見えないけど。

 

「おぉーっ」

 

 ポラリスは双眼をキラキラさせながらこちらを見ている。

 ……まぁ、それだけなんだけど。

 

「ポラリス。率直に聞くぞ、山根を見てどう思った」

「なんか、キラキラしてる」

 

 キラキラ、か。

 なんかよくわからないけど、ポラリスにはこの姿が輝いて見えるらしい。単にトレイニングする瞬間の青い光が残ってるだけじゃないかな。

 

「でも、不思議な感じ! 髪の毛とかはポラリスなのに、体は真也なんだもん」

「この黄色は僕じゃなくてクシーさんなんだけど」

 

 苦笑いをしながらそう返す。

 もっとも、ポラリスと初めて会った時からずっとトレイニングしたらこの姿だったから、僕の姿そのものだと思われてても不思議じゃないか。

 

「それに、かっこよかった」

「……何が?」

「『失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後のきらめ、き、を』……」

 

 いやそれは言ってるこっちからすれば羞恥心を羽毛で撫でられてるようなものなんだけど。

 

 そう、口に出そうとしたとき。

 

 突然、ポラリスの足元がふらついた。まるで、全身の力が抜けたかのように。

 すぐさま一歩踏み出して、その体を受け止める。

 

「ポラリス! 大丈夫?」

 

 呼びかけは帰ってこない。かわりに、僕とポラリスを()()()が包んだ。

 そして次の瞬間、耳の横、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「おい山根、お前今なにした」

「何もしていない! いきなり、ポラリスが脱力して」

「いや、何かやっただろ。トランジットがトケてるぞ」

 

 えっ。

 そう言われて気がついた。ポラリスの目に反射して写っている髪の色が()()()()()()()()ことに。

 

「どういう、こと……?」

「お前がやったんじゃないのか?」

「やっていません。何も」

「……()()、その言葉を信じよう。だが、どう考えても普通じゃねぇ」

 

 手元にポラリスのチッキが戻る。完全にトレイニングが解けた証拠だ。

 だけど、僕達を包んだ青い光は、今もうっすらとだけどポラリスの周りを覆っている。

 

「何が、起きているんです?」

「解らん。とりあえずお前は奥のソファーにポラリスを寝かせておいてくれ。俺は然るべきところに連絡を入れる」

「わかりました」

 

 奥の部屋にポラリスを寝かせて、毛布を掛ける。

 その手を握っても、それが握り返されることは無かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ中:同時に違和感に気づいた

「ポラリス! 大丈夫かい! 返事をしておくれよ」

 

 成岩さんが連絡を入れてから、べーテクさんたちが到着するまでそう長く時間はかからなかった。

 べーテクさんはポラリスが生まれた時からその存在を気にかけていたノリモンだ。それゆえ、ポラリスが突然倒れたという報せには筆舌に尽くし難い感情があるのだろう。それはさほどふたりとは付き合いが長いというわけではない僕でも、わかるほどのことだ。

 僕がそんなべーテクさんに声をかけることができたのは、少し時間を置いてからのことだった。

 

「べーテクさん……」

「なんだい、山根くん」

「これ、預かっておいて下さい。僕には持っている資格はない」

 

 僕はべーテクさんに、水色の券片を差し出した。これが全てを、狂わせてしまったんだ。僕にはそんな気がしたからだ。

 だけど、べーテクさんはそれを拒んだ。

 

「いいや。君はそれを持ち続けなければならないよ。わかるね?」

「でも」

「それにね、資格があるかないかを決めるのは君じゃあないんだよ」

「どうしてですか。僕がこうしてしまったかもしれないのに、どこに資格があるというんですか」

 

 そう告げると、べーテクさんは1度ポラリスの手を離して背を向け、僕にまっすぐ向き合った。

 

「ポラリスは、最初っからイレギュラーな存在だったからね。()()()()()()()()かもしれないことは覚悟していたよ。だからこそ、僕は彼女の幸せを掴み取りたかった。仮にこのまんまポラリスが目覚めなかったとしても、僕は君をポラリスに会わせて良かったと思っているよ」

「どうして」

「僕はね、僕達はね。ポラリスが車だったときから、その存在が世間にどう思われていたかを知っていた。だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。向き合うことから、()()()()()()()んだよ。ポラリスは賢い子だから、それを察して萎縮していたんだと今となっては思うんだけど、その事にすら気づけなかった程にねぇ! でも、君は違った。ポラリスの走りたいという気持ちだけに向き合って、あの日それを完全に肯定してくれた。それがポラリスの支えになって、そしてそのポラリスの目が世間体に囚われていた僕の過ちに気づかせてくれたんだよ。僕はポラリスを守ろうとして、ポラリスを鳥籠に閉じ込めていたのさ」

「考えてやったことじゃないです。むしろ逆に、僕はその時はポラリスの過去は知らなかったし、その発言がそんな意味を持つなんて気づいてすらいなかったんです。そんなの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なら、誰だってできてしまう事ですよ」

「違う! あの日ポラリスは、君に社台の事を話していたんだよねぇ? 君は過去を完全に知らなかった訳じゃない。それを知った上で、ポラリスの気持ちを引き出して、なお肯定してくれた。違うかい?」

 

 べーテクさんは桃色の目を光らせながら、僕にそう迫ってきた。

 あぁ、この感覚は。

 あの次の日に、べーテクさんが僕をここに呼び出した時のそれと同じだ。

 その言葉に飲まれて動けなくなった僕の手元から、彼はチッキを引っ手繰って僕の目前に固定した。

 

「いいかい、仮にだ。僕はそんなことはないと信じているけれど、本当に君に罪があるというのならば、このチッキは君の背負うべき十字架だよ。それを投げ捨てるなんてことは、この僕が許さないね」

「ポラリスも、真也に持っていてほしい」

 

 ポラリスがそう続けた。

 ……ん?

 僕とべーテクさんは、同時に違和感に気づいた。

 

「「ポラリス!?」」

「どうしたの、お兄ちゃんに真也。心配そうな顔してる」

 

 そう、きょとんとした顔でこちらを見るポラリスの周りから、青い光は消えていた。

 そんなポラリスの体を、べーテクさんは震える手でぺたぺたと触って、異常がないか確認している。

 

「どうしたも何も、大丈夫なのかい、君は」

「大丈夫……だけど?」

「本当に、何ともないのかい?」

「うん、ポラリスは元気だよ」

「……ポラリス!」

 

 べーテクさんは、普段ポラリスが僕にしているようにポラリスに飛びついた。

 ……これ、僕はお邪魔かな。

 そう思って、僕はラボの小部屋を出た。

 

 ラボのいつものミーティングスペースでは、べーテクさんについてきたのであろう、アドパスさんとコダマさんが、成岩さんと一緒に紅茶を飲んで待っていた。

 

「山根! ポラリスは」

「目を覚ましました、いまはふたりきりにしておいた方がいいかなと」

「そうか、良かった……」

 

 成岩さんもようやく安心したようで、僕の報告で肩の高さが大きく下に落ちる。

 席に掛けると、アドパスさんが追加で紅茶を用意してくれた。

 

「しかし、こんな様子で本当にべーテクは国外に出ていけるんです? 『ポラリスの成長の為には。いつまでも僕が隣にいる訳にはいかない』なんて言ってましたけど、この騒動見てる限り依存してるのはどっちかといえばべーテクの方ですわ」

「流石に今回みたいに突然意識不明になって倒れることはそうそう無いと思いますよ……」

 

 今までそういう事が一度もなかったか、あるいは頻度が相当低かったからこそ大騒ぎになった訳で、そう考えると今後もそう頻繁に起きはしないと思う。思いたい。

 

「ま、目ぇ覚ましたんならあとは原因だな。もう一回確認するけどお前に心当たりは無いんだよな?」

「無いですね」

「記憶があるのデシタら、自覚症状聞くのが分かりやすいと思いマスよ」

「そうだな、ふたりが出てくるまで待つか」

 

 それから紅茶を飲んで待っていると、およそ10分ほどして、ふたりは奥の部屋から出てきたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ後:めがみさまに出会ったんだ

「びっくりさせちゃったみたいで、ごめんなさい」

 

 ポラリスは小部屋から出てくると、僕達にそう謝ってきた。

 

「それよりも、お前が無事で良かったよ」

「本当にそう、痛いところとかないよね?」

「ポラリスは大丈夫だもん」

 

 ならば、話を聞かないとね。

 

「ねぇポラリス。今朝ここで、僕がトレイニングをしたことは覚えてるよね?」

「うん、かっこよかった。それで、真似したらめがみさまに出会ったんだ!」

「女神様?」

 

 詳しく話を聞いてみれば、どうも僕のトレイニングに使うフレーズをポラリス本人が唱えたことがトリガーとなって、「めがみさま」に連れて行かれた、という事のようだ。まるで意味がわからんぞ?

 

「そこでね、こんなの貰っちゃったんだ! てん、てん、てーん!」

 

 そう言って、ポラリスが手を振ると、その手先には、おそらく木彫りであろう、柄付きの鞘に柄が突き刺さっていた。

 ……うん、どう見ても、あからさまに刃物だ。それもそこそこ大きく、柄が20センチ弱、刃渡りはおよそ30センチほどの。なんてもの渡してくれてるの? 神様じゃなくて悪魔では?

 

「一応、気をつけて、抜いて見せてくれるか?」

 

 その成岩さんの言葉に、ポラリスはゆっくりと刃を引き抜いた。

 すらり。先が円弧状に細った美しい矩形の刀身が姿を現す。

 

「小刀か包丁か……いや、鉈だな、このサイズだと」

「ポラリス、それ無闇に振り回しちゃだめだからね、危ないから」

「はーい」

 

 そう、僕達ヒト組がポラリスに発現したウェポンの確認をしている間に、合流したべーテクさんたちノリモン組は別の話をしていた。

 

「女神様って、要するに……」

「たぶん、Novelty様じゃないデースか」

「青い光を纏っていたというのですから、おそらくそうに違いありませんわ」

 

 Novelty。スクールで習った五元神の1柱の名だ。

 彼らはノリモンが我々に認知されるよりも200年強ほど前の機関車で、機関車としての名前をそのままに神性を得ていた存在、安定の神Rocket、速度の神Novelty、根源の神Cycloped、出力の神Perseverance、美麗の神Sans Pareilの5柱だ。今もなお全てのノリモンを見守ってくれていると信じられているし、ノリモン達の間では、ごくまれに夢に出てくるのだとか、そう言った話が囁かれているのも聞く。

 

「ねぇ、ポラリス。めがみさまとは、どんなお話を?」

「めがみさまね、()()()()()()()()()()()って」

 

 ……ん?

 ()()()()()()()()()()()()? 文字通りに受け取れば、Novelty神がポラリスに以前からアプローチを試みていたのが、何らかの理由でできずにいて、そしてあの瞬間にようやく繋がったということなのだろうけど。

 

「……なぁ山根、ポラリスが倒れる直前、ポラリスは()()()()()()()のか、覚えてるよな?」

「えっと、僕がトレイニングをするために、ウェヌスに()()()()()()()の――!」

 

 もしかして、アレって本人が唱えても効果があるのか!

 

「そうだ。それを()()()()()()()()ことでようやくポラリスに接触できるようになった。多分こうだ」

「じゃあどうして、今までできていなかったんですか?」

「わからん」

 

 むむ。ただ、トリガーを考えるとこの仮説自体はおそらくそこまで間違ってはいなさそうだ。

 正直ウェヌスに繋がるたびにこうも倒れられたらめちゃくちゃ困るので、その理由は詳しく知っておきたい。

 

「ねぇポラリス。確認したいんだけどそのめがみさまと前に会ったことは?」

「ないよ」

 

 つまり、今回が初めてだということか。……よし、ものは試しだ。

 

「ポラリス、僕の後に続けて、もう一度言ってごらん。『失われし星の輝きよ』」

「失われし星の輝きよ」

「『果てしなくなつかしい大地に』」

「果てしなくなつかしい大地に」

「『最後の煌きを』」

「最後の煌きを!」

 

 ポラリスは、まだ目をぱちくりさせながら立っている。

 

「何も、起きないね?」

「そりゃ神だってそんなすぐに用事は無いだろうよ」

「つまりこれで、そのNovelty神の()()()ポラリスが倒れたって事が分かったと言うことですよ」

「もうちょい言い方ってものがあるだろ」

「いいんですよ、神なんて基本的にこっちの都合なんか気にせず気まぐれで定命の者を振り回す存在なんですから」

「お前の神感どうにかしてるぜ」

「でも、ギリシャ神話とか、神に気に入られた者が迎える結末はわりと大抵碌でもないことになってばかりじゃないですか」

「あの神話そもそもが登場人物ほぼ全員バッドエンドだろうが」

 

 まぁ確かにそうなんだけどさぁ。

 あの神話世界で平穏に生きる方法は神に見つからないこと以外にないのだ。

 

「で、そんな神嫌いのお前が考える対策はどうなんだ」

「そんなものはないですが?」

「は?」

 

 いや、だって、ねぇ。

 

「だって、無駄じゃないですか。僕達が()()()()()()()()()()()()()なんです。()()()()()()()()()()()()()()()()()です」

「お前神を信用しているのか信用してないのかどっちなんだ……」

「めちゃくちゃ信用していますよ?」

 

 とにかく、定命の者はただ目の前に突きつけられたものに対して、自らの全てをかけて、その守りたいもの、守るべきもののために戦い続けるしかないのだ。予め、突きつけられないようにすることなんてできっこないのだから。

 ポラリスの聞いたNovelty神の言葉を愚直に受け取ると、彼女はもう既に神に目をつけられてしまったということになる。その事実は変えることはできない。

 ただ、1つ分かったのは、ポラリスが気を失ったとして、あの青色の光がうっすらと覆っている間はNovelty神がアクセスしている蓋然性が高いということ。その間は、おそらくポラリスの命が直接は脅かされているという訳ではなく、それは今回のように大騒ぎする必要もないということだ。今は、それが分かっただけでも十分だと、僕は思った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回23レ:お前はいつもそうだ

「さて、べーテク。ちょうどここにコダマ号が来てくれているんだから1つ、話を聞こうじゃないか」

 

 あの気づきの後、5人でしていたポラリスが再び倒れたときの対応策の検討があらかたまとまったころ、成岩さんがふと、そんな口を開いた。

 

「さっきコダマ号がポロッと溢してたんだが、お前()()()()()()()()()()()()()()らしいな?」

「コダマ号?」

 

 そういやさっき『国外に出ていける』とか何とか言ってたな。

 

「お兄ちゃん、遠くに行っちゃうの?」

「はぁ……。いずれ君にはこの出張の話もするつもりだったし、本当はポラリスには出発する月末まで黙っておきたかったんだけどねぇ」

「にしても急すぎるだろうが。お前からその話初めて聞いたのは半月前だぞ」

 

 ……え、月末? それはまた、ずいぶん急な話だ。

 そして成岩さんに話が行った半月前と言うのは、チッキがバリデーションされたあの日のことだろう。確かにあの前日に成岩さんにもチャット届いてたし、その夜にめちゃくちゃ長電話してたらしいし。

 

「それは私から答えます。もともとべーテク等にはミッドランドからの打診自体は数年前から来続けていたのよ。それをポラリスの為と何度も蹴り続けてたところに、急に受けてもいいと言い出したのが1ヶ月強前の事なんですわ」

「それで実際にやりとり始めたらトントン拍子で話が纏まってねぇ。先方もこっちでやっていた研究はそっちでも片手間で継続しても構わないと言ってくれているし、遠隔のオンライン対応ではあるけれど君の研究の手伝いだって可能だよ。悪い話じゃないだろう?」

 

 そしてコダマさんとは、出張の間日本に残る成岩さんとポラリスを一時的に預かってもらう調整を本人不在で進めていたらしい。

 ……あれ?

 

「あの、僕のインターンは……」

「もちろん問題の出ない方法を確認しているとも。君さえ良ければ、僕が留守にしている数ヶ月の間、ポラリスの面倒を見ておいてもらおうと思っている。それだけでも君の実績としては認められるはずだよ」

「最近はポラリスも落ち着いてきてるから僕はそれでもいいですけど、本当にそれだけで認められるものなんです?」

「JRNのインターン制度の始まり自体が、派閥違いでのトレイニングしたノリモンにトレイナーを充てることなのよ。その上ポラリスはトレイニングが初めてな訳ですから、これで認められないというのならノーヴルのトップたる私からも抗議の声をあげますわ」

 

 あ、それが制度の始まりだったのか。なら多分大丈夫だ。

 だけれど、成岩さんはどうも納得していない様子だ。

 

「いや、そうなら何で今まで断り続けていたのが心変わりしたんだって話になるが」

「僕がこのままポラリスの近くに居続けても、ポラリスの為にならない、そう痛感したからだよ」

 

 べーテクさんはそう答えた。

 だけど、成岩さんはそれでも納得しなかった。

 それどころかむしろ、その表情には怒りと呆れが宿っていて、そしてべーテクさんの首元を掴み上げた。

 

「分かった、分かったぞべーテク。ポラリスは俺達で面倒を見るから、お前はミッドランドでもどこでも行ってしまえ! ()()()()()()()()()()()()()()()()

「落ち着きたまえ、何を怒っているんだい?」

「今ので確信した。お前の考えとは逆だよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってな。俺はな、お前が真にそうしたいならどこにだって行こうが止めやしねぇよ! だけどなぁ、()()()()()()()()()。そうやって口を開けばポラリスポラリスって、お前そこにお前自身の固有の意思はあるのかよ? 仮にポラリスが同行するんだとしてもミッドランドに行くのか? あるいは、今からポラリスを山根が預かって、お前と引き離すことができたとして、ミッドランドに行くのかよ?」

「落ち着きマショウ、成岩サン」

「引っ込んでろアドパス。これは俺とべーテクの間の話だ。答えろべーテク、お前はどうしたいんだ?」

 

 成岩さんは一度べーテクさんを下ろして、その答えが戻って来るのを待った。

 

「僕はね、それでも行くよ。僕だってねぇ、ノーヴルのノリモンなんだぞ? 今や神話となったRainhillの戦いも、狂気のRace to the Northも、その他のも含めてさまざまな史跡を辿ってみたいし、その血筋を引き継ぐノリモン達と話をしてみたいよ」

 

 その答えを聞いて、成岩さんは肩をなでおろした後、一転して笑顔になった。

 そして、今度はべーテクさんの肩にその首を掴んでいた手を置くと、

 

「――だったら、最初っからそう言えや。行ってこいべーテク、俺は帰りを待ってっから」

 

 と、その選択を肯定したのだった。

 

「行ってくるよ。英国は、ミッドランドのダービーへ」

 

 ★

 

「全く、あのアホは。成岩の言う通り、一旦自分に素直になれる時間を過ごした方がいいですわ」

「そうデースね。この機会がそうなるといいのデスが」

「よろしく頼んますよ、ダービーの遺した夢こと、Advanced Passenger号」

「……だいぶ懐かしいニックネームを引張ってきマスね? はじまりのレコードのコダマ号」

「未だに通用する()()()()()()()を持ってるアンタに呼ばれると嫌みにしか聞こえませんわ」

「それ、あんまり誇っちゃダメなレコードなんデス。国鉄分割民営化の時、日本は国立も新小平も残したのに、ミー達は愚かにもダービーを消してしまいマシた。その結果がミーに残ったレコードなんデスから」

「でも、()()()()再建しようとしているのと違います?」

「ええ、淑女たる者、借りは必ず返しマース」

「楽しみに待ってますわ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24レ(終):Epilogue

「はああーっ!」

 

 僕は二刀流用の小刀という短い竹刀でもって、早乙女さんに殴りかかった。

 

「まだ甘い。力が乗ってないぞ」

「とりあえず当てればいいんじゃありませんでしたっけ?」

「それが出来るのであれば次を求めたくなるのは当然だろう?」

 

 そう、このタイミングで始めたのは、近接戦闘の訓練。ポラリスに発現したウェポンである、鉈を用いることを想定したものだ。

 それは、相手に攻撃を当てたり、または相手の攻撃を受け止めたり、あるいは受け流したりする練習だ。ちなみに避ける訓練は必要ない程にすでにできていると早乙女さんに判断された。どうして。

 

「今日はこのくらいにしておこうか」

「ありがとうございました」

 

 それから部室に戻ると、他の3人は既に戻ってきていて僕達を待っていた。

 

「さて、今日の伝達事項だが。本部から夏期合同宿泊研修の注意事項等がようやく送られてきたので共有したいと思う」

 

 グループチャットにドキュメントファイルが共有される。集合は各ユニット共にユニット部室に朝7時。……あれ?

 

「あの……」

「どうした? 山根君」

「合同宿泊研修って、()()()()()()()()()?」

 

 そう、資料を見返しても行先の情報がどこにも乗っていないのである!

 そう尋ねると、経験者3名がくすりと笑った。

 

「いい質問だね、山根君。北澤君もおそらく同じ事が気になっていると思うが、これが合同宿泊研修の特徴の1つだ」

「……はい?」

 

 何を言っているのかよくわからない。行先を隠す必要性がどこにあって、それがどうして特徴になるというのだろうか?

 

「もう少し噛み砕いて説明しよう。合同宿泊研修はユニット対抗のものだというのは前に話したと思うが、その種目自体はほとんどが3日目の朝にユニット側に通知される。ただし、毎回恒例の初日に通知される種目があるのだよ」

「第1種目、()()。最初の丸2日で、指定された集合地点まで移動する種目」

「そしてその地点や使える予算等は、当日朝にようやく通知されるのさ」

 

 つまり、行きあたりばったりで行程を組み立てて、そしてたどり着け、ってこと……?

 しかも、予算が決まっているときた。流石に常識的に辿り着けるよう考慮されて設定されていると信じたいけれど、当日朝に行先発表だと言うことを考えると早割系のが使えないからけっこう予算は厳しいものになるんじゃないだろうか。

 

「そういう訳だから、遅刻は厳禁で頼むよ。スタートの遅れが致命的な遅れになり得る」

「一応聞いておきたいんだけど、それって2日目に到着できなかったら……?」

「ペナルティは特にはないが、到着するまでに始まった第2種目以降が不戦敗扱いになって素点がゴリゴリ削られる上に、既に到着してるチームは敵が少なくて点を重ねやすくなる」

 

 それは実質ペナルティなのでは? 僕は訝しんだ。

 ちなみに、過去に遡れば昔台風の襲来が重なって交通機関が麻痺し、公道をローラースケートで走ってギリギリ時間通りたどり着けたユニットが不戦勝を重ねまくった珍事も無いわけではないらしい。なんだそれ。

 そんな状況でも競技が中断されなかったのは、ひとえにこれが緊急出動の訓練を兼ねているという面もあるからだとか。確かに、台風が来ているからといってクィムガンは待ってくれなさそうだもんなぁ。

 

「そういう訳だから、地味に見えてかなり重要な種目なのだよ」

「競技時間自体は一番長ぇけどな」

 

 なるほどなぁ。って事は、荷造りの段階からいろいろ考えなきゃだめだなぁ。

 

 ★

 

 週があけて、月曜日。

 今週の金曜日はもう夏合宿に出発してしまうので、べーテクさんのラボでの活動はない。そして、僕達が夏合宿に行っている間にべーテクさん達はミッドランドに出発してしまうので、しばらくの間ふたりとはお別れになる。

 

「おふたかた、お世話になりました。ミッドランドでもお元気で」

「やめたまえ。今生の別れじゃないんだ、遅くとも年末までには戻ってくるよ」

「その頃には僕は購買部に戻っているはずですから」

「購買部ならミー達だって普通に使いマスからね?」

 

 それもそうか。

 あそこじゃあまり業務中に知人とお喋りしたりするのは本当は良くないんだけど、暇な時間帯は黙認されている面もある――なんなら店長自ら来店した知人とお喋りしていた――し、まったくの他人に戻る訳ではない。

 

「それに、戻ってきたときのパーティーには招待するつもりだよ。だからそれまで、コダマ号と君とにポラリスを頼むよ」

「わかりました。1人のトレイナーとして、ポラリスのことは責任を持って面倒を見ます」

 

 僕は差し出されたべーテクさんの手を握った。

 

「べーテク。お土産話、期待してっから」

「もちろん、戻ってきたらたくさん話せることがあるように努力するよ」

「それとアドパス。こいつが出先で失礼な真似をしたときは遠慮なく殴っていいからな」

「任せてクダサーイ」

「ちょっと!?」

「冗談だよ」

 

 べーテクさんのラボは、一旦の休止期間に入る前に、また賑やかな空気に包まれたのだった。

 

「それじゃあ、君達も夏合宿、頑張ってね」

「そっちこそ、ダービーでの活躍を期待してるぞ」

「それからポラリス、僕が戻ってくるまでの間はコダマ号や山根君の言うことをきちんと聞いて、いい子にしているんだよ」

「うん!」

 

「それじゃあ、お互いに」

「「「「「ご安全に!」」」」」




【第一章:インターン篇 完】

 事前にお知らせしました通り、この先数ヶ月の間不定期投稿となります。




「仰せの通りに、Cycloped様。リロンチの手段は、ほぼ確立したよ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キャラクター紹介:1章終了時点

若干のネタバレを含みます。ごちゅういください。

【おしらせ】言うほどバトルしてない気がしてきたので日常カテゴリに移動しました


【ウルサ・ユニット】

 

山根(やまね) 真也(まや)

誕生日:10月14日

出身地:山口県

所 属:ロケット/JRNウルサ

キール:クシー

 

 主人公。JRNに所属して1年ほどが経ち、新しくウルサ・ユニットに配属された新人トレイナー。

 キールのクシー号が尖った性能をしており、クィムガン対応にはやや支障の出る状況であったが、ポーラーエクリプス号とのトレイニングを経て近接攻撃の手段を手に入れた。

 

 

成岩(ならわ) 富貴(ふうき)

・誕生日:2月22日

・出身地:愛知県

・所 属:ノーヴル/JRNウルサ

・キール:イノベイテック

 

 ウルサ・ユニットに所属する中堅トレイナーで、情報の収集と分析が得意。

 キールのイノベイテック号とは一心同体で、彼の持つ技《ハイブリッド・アクセラレーション》やそのウェポンである巨大な鎌『オオカリベ』を彼以上に扱うことができる。

 

 

早乙女(さおとめ) 遊馬(ゆうま)

・誕生日:4月4日

・出身地:福岡県

・所 属:バランス/JRNウルサ

・キール:コクサイ

 

 長年にわたりウルサ・ユニットに所属するベテラントレイナー。

 JRN内部でも比較的顔が広く、多くのノリモンとのトレイニングを行うことができるほか、それを生かすために様々な武術の知識を有する。

 

 

北澤(きたざわ) 百合(ゆり)

・誕生日:6月25日

・出身地:東京都

・所 属:パレイユ/JRNウルサ

・キール:オトメ

 

 JRNに入ってから数年の、快活な新人トレイナー。山根とはスクール時代の同期。

 根は育ちのいいお嬢様で頭脳明晰、だけどすこしだけ天然。まっすぐな心を持つ。

 

 

佐倉(さくら) (そら)

・誕生日:6月22日

・出身地:神奈川県

・所 属:サイクロ/JRNウルサ

・キール:ナリタスカイ

 

 無口でミステリアスな雰囲気を醸す中堅トレイナー。

 イタズラ好きだが、それを適切なタイミングでするための観察眼が肥えている。だけどたまにやらかす。

 

 

【その他JRN関係者】

イノベイテック

・愛 称:ベーテク

・誕生日:3月23日

・出身地:新潟県

・所 属:ノーヴル/JRN

 

 ノーヴルの若手研究者で、成岩のキールでもあるノリモン。

 妹分のポラリスの事をとても大切に思っており、彼女の幸せが第一のシスコン。

 本人は否定するが、粒ぞろいの一桁世代の一員の例に漏れず優秀。その実力は国外でも知られ、イギリスから講師として短期間の協力要請があった。それを受けて、現在は日本を離れている。

 

 

ポーラーエクリプス

・愛 称:ポラリス

・誕生日:9月26日

・出身地:兵庫県

・所 属:ノーヴル/JRN

 

 元気いっぱい、まだ幼いノリモン。

 奇跡的にノリモンになった後、兄貴分のベーテクに引き取られる形で新小平にやってきた。

 ベーテクの事が好きで、その彼を悲しませまいと走行を数年来封印していたが、山根に背中を押される形でその勘違いを解消した。今は走ることに楽しさを覚え始めている。

 一時期、ノリモンの本能に呑まれて山根に過剰な付きまといを行っていたが、彼とのトレイニングを経てその本能的欲求が減少し、現在は落ち着いている。

 

 

Advanced Passenger

・愛 称:アドパス

・誕生日:6月7日

・出身地:Derbyshire州

・所 属:ノーヴル/JRN/BRRD

 

 イギリス国鉄解体のあおりを受けて世界中を放浪する傍ら、故郷ダービーの復興のための協力人材を探し、新小平に流れ着いたノリモン。

 JRNに入ったばかりのベーテクに一種のシンパシーを感じ、彼の才能を真っ先に見抜いた。それ以降彼を最終的にはダービーに引き抜くつもりで彼の研究を手伝っている。

 紅茶が大好き。

 

 

コダマ

・誕生日:9月22日

・出身地:大阪府

・所 属:ノーヴル/JRN

 

 JRNでノーヴルの派閥を率いるベテランのノリモン。

 丁寧な関西弁で話す、仕事に追われる苦労人。だけどその仕事の少なくない割合は自分で増やしている。

 ノーヴルの発展のために外部からの引き入れを積極的に行っており、自暴自棄になっていたころのベーテクや、裏の目的を有するアドパスなどをそれらをすべて理解した上でJRNに引き入れた。

 面倒見がよく、ノーヴル内部からの信頼は厚い。

 

 

クシー

・誕生日:4月25日

・出身地:東京都

・所 属:ロケット/JRN

 

 かつて、ラッチ開発前はクィムガン対策の最前線で活躍していたノリモン。コダマの妹分でもある。

 その実績と数多くのクィムガンと対面していたことが認められ、現在は理事長直属の研究員として、クィムガンの研究を行っている。その一環として、山根のキールとなった。

 

 

トシマ

・誕生日:10月28日

・出身地:長崎県

・所 属:ロケット/JRN

 

 現在のJRN理事長にして、はじまりのクィムガンルースの落し子の対応にもあたった功労者たるノリモン。

 ひとりでも多くのノリモンが笑顔になれる社会を目指して活動している。

 

 

鳥満(とりまん) 絢太(けんた)

・誕生日:7月7日

・出身地:長野県

・キール:ゲッコウリヂル

・所 属:サイクロ/JRN

 

 JRNで長い間ノリモンの研究をしている博士で、ラッチ開発の主要な人物の一人。

 昔はトレイナーとしても活躍していたが、老衰には抗えなかったらしい。

 ラボに所属している佐倉を通じて、ウルサ・ユニットには興味を惹かれており、その中でも山根の特異性には思うところがある模様。

 ある目的のために大量にチッキを製造し、ラボのメンバーを若干困らせている。

 

 

ナリタスカイ

・愛 称:スカイ

・誕生日:12月18日

・出身地:大阪府

・所 属:サイクロ/JRN

 

 鳥満博士のラボで彼の研究を手伝うノリモンで、佐倉のキール。

 研究面も含めて、博士からの信頼は一番厚い。

 

 

【JRNの外部の者】

コロマ

・出身地:長崎県

・誕生日:3月30日

・所 属:???

 幼き頃の山根と出会い、彼にトレイナーを目指させるきっかけとなったノリモン。

 全てのノリモンの幸福を願い、JRNとは別で行動しているらしい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2章:夏季合同宿泊研修篇
1レ前:第1種目・集合


「おはようございます。こちら、今回の予算と行先になります。ご安全に」

 

 朝7時。部室に事務の方がやってきて、封筒を1つ、早乙女さんに手渡した。

 開いて中を見れば、そこには金銭出納簿、現金10万円、そして2つに折られた1枚の紙。

 

「開けるぞ」

 

 早乙女さんがそう宣言し、その紙を開く。

 そこには『長 崎 駅』の3文字が記されていた。

 つまり僕達5人は、この10万円で明日の夜までに長崎駅に辿り着かなくてはならないのだ。

 

「とりあえず駅へ向かいながら調査するぞ」

 

 まず考えられたのが航空便。羽田空港から長崎空港までの航空4社、成田空港からの2社の運賃を確認する。

 だが、しかし。当日では正規運賃のみ、明日は土曜日かつ3連休の初日。航空運賃は高どまりしていた。

 

「ならば、陸路しかないか」

 

 新小平駅にたどり着き、購入したのは著名な企画乗車券。今日1日、5人分の普通列車の乗り放題で12,050円だ。

 

「とりあえず、宿をとる場所を考えながら西へ向かおう」

「そうだな。……北澤、山根。お前ら何時頃には投宿したい?」

「遅くても、21時までには」

「欲を言えば20時ごろかな?」

「だとすると、岡山あたりが限界か」

 

 午前8時半。朝ラッシュ時間帯の南武線なんぞにこの大荷物を持って乗り込みたくない僕達は、相模線というローカル線に乗っていた。結局この先の乗り継ぎのことを考えると、ここを通って先を目指すのがいいだろうという提案があったからだ。

 そしてようやくここでまとまった時間と空間がとれたので、5人で作戦を立てるフェイズに突入した。

 

「このまま乗り継いでいくと岡山の到着が20時半過ぎだ。だからそこより東になる。なるのだが……」

「駄目だ、今からじゃ宿が空いてねぇ。空いてはいるが、1人あたりで5ケタに乗る。明日はできれば何があっても集合に間に合うように交通費はできるだけ確保しておきたいんだが」

「ならば手前の相生とか姫路とかは」

「明日がカツくなるぞ?」

 

 どうしてこんなことになっているかと言えば、明日は岡山で国民的アイドルグループのイベントが朝からあるらしく。近くの都市含めて宿が全滅しているっぽいのだ。なんで三連休とかイベントとかこういうのに当たるような日程で組んでるんですかね?

 

「このあたり本部はわかっててやっているきらいがある」

「そういう回避を含めての、競技」

「結構えげつないことをするんですね……」

 

 結局、意見は纏まらぬまま茅ヶ崎に着いてしまった。

 ここから先、しばらくの間は乗り換えを何度か挟みながら、ただ東海道線を下るだけ。だけれど、こうやって西へ移動していても、宿がないという状況は変わらないのだ。

 

「今の所は解決案は3つ。高いことを承知で岡山に泊まるか、翌日の行程が厳しくなることを理解してより東で泊まるか、あるいは今日の到着が深夜になることを考慮して先に進んでおくかだ」

「西へ行くのは、無し。明後日からの他の競技の為に体力を温存すべき」

「東も東で、明日厳しいならやめたほうがいいんじゃない?」

「岡山もやめたほうがいい。流石に高すぎる」

「一瞬で全案棄却されてる……」

 

 だいたい東京から長崎まで行くのに1人あたりの予算が2万円しかないのが悪い。しかも自腹切って足を出せば、採点の段階で辿り着けないよりはマシ程度の大幅なマイナスをされるというおまけつきだ。

 

「わざとコストがかかるような設定にしてるの、だいぶ陰湿な設定ですね」

「この企画券あるだけだいぶマシだけどな」

「そうは言っても宿が高けりゃ意味がないでしょう……。陸も空も高い日って」

 

 そう、僕がこぼしたのに、半ば冗談交じりだったのだろう、北澤さんが軽々しい口調でこう言った。

 

「陸も空もだめなら、海を行く?」

 

 ……それだ!

 もうだいぶ古い記憶になるけれど、下関には対岸の新門司から東へ向かう航路の広告がたくさんあったのを覚えている。

 携帯端末を開いて、その記憶が正しい事を確認する。時刻表は……あれ、これ間に合うのかな?

 

「あの、早乙女さん。この乗り継ぎだと神戸には何時頃着きますかね?」

「神戸なら、18時を過ぎた頃になると思うが」

「なら、これはどうでしょう」

 

 神戸港、20時発。新門司港、翌8時半着。

 瀬戸内海をゆく、夜行フェリーの時刻だ。

 

「本当に海で行けるんだ……」

「運賃は? それにもよるが」

「雑魚寝か寝台かにもよりますが……」

 

 ネット予約の割引を含めると、雑魚寝なら約5600円、寝台なら約6500円。一晩横になった上で移動もできて、なんなら露天風呂までついているのだから、結構安い方だと思う。

 

「山根君」

「はい」

「予約は任せていいかい? その価格差なら、寝台にしよう」

「賛成」

「異議なし」

「任されました、やっておきます」

 

 とりあえず、今日の宿は決まった。すぐさまインターネット予約を入れて、5人分のスタンダード洋室を確保する。後は西へ向かって移動するだけだ。

 そして列車は、ちょうど熱海に到着した。突然変なことが起きたりしないことを願いながら、僕達は短い電車に乗り換えたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ中:かわち号

 何度かの乗り換えを挟んで、列車の旅は続く。

 静岡駅のホーム上の蕎麦屋で昼食をとって列車に乗り込むと途中、藤枝という駅を通った。その昔、半世紀以上も前にこのあたりで、後のコダマさんとなる車が時速163キロで上り本線を走ったからことがあるのだと、成岩さんが教えてくれた。今のイメージに沿わず昔はやんちゃしてたんだな……。

 その他にも、流れる車窓を眺めながら、さまざまな話をしていた。旅というのは不思議なもので、ついつい口が軽くなってしまう。それは僕だけじゃなくて、みんなも同じようだった。

 気がつけば列車は終点について、先へ進む列車に乗り換える。それを何度か繰り返して、気がつけばもう、夕方のラッシュ真っ只中の関西に突入していた。

 僕達は米原から乗ってるから普通に座れているし、網棚に荷物を入れているけれど、この大荷物5人組で途中の駅からは乗りたくないくらいには列車は混雑している。

 

「降りるのどこだっけ?」

「芦屋だ。そこで各駅停車に乗り換えて、住吉で降りる」

()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ……考えなかったことにしよう。そもそも芦屋で降りられるのか怪しい混雑で大阪を出たけど、たぶん強く主張すればきちんと降りられる、と思う。

 そして午後6時前。列車は芦屋に到着したのだった。

 

「降ります! 降ります!」

 

 立つ人をかき分けながら、下車の意思を強く主張する。こうすると乗車の列が一度止まるので、降りることが比較的容易になる。

 とはいえど、大荷物を持っていることに変わりはないので、降りるのには少し手間取った。ホームに降りて、5人全員が下車できたことを確認すると、まもなく反対側にやってきた各駅停車に乗り込む。

 流石に新快速程は混んでおらず、多少の余裕があったのと、わずか3つ目の住吉で降りるのもあって、こちらでも特に大きな問題はなく移動ができた。

 早乙女さんがきっぷを駅員さんにみせて、5人で改札を出る。そして少し歩いて連絡バスに乗り、海を渡って六甲アイランドへ入れば、海に浮かぶ今宵の宿が見えてくる。

 

 予約した僕が窓口に並び、乗船券を受け取る。予約時に乗船名簿代わりとして全員の情報を入力していたので、手続き自体はすぐに終わった。

 乗船券をみんなに渡して、少しの間フェリーターミナルで待っていると、19時に乗船開始のアナウンスが流れる。そうして船に乗り込めば、きらびやかな吹き抜けのエントランスホールが僕達を出迎えてくれた。

 

「本当に、乗り物なの……?」

 

 北沢さんがそう、感嘆の声を上げる。

 たしかに、一見するとこの内装は、これがそのまま動くとは思えないほどゆったりとして、開放感のある空間だ。

 それもそのはず。この船は、阪神九州フェリー、かわち号。全長約200メートル、全幅約30メートルもある大型のROPAX*1だ。そもそもRo-Ro船と言うのは、車両をそのまま積み込むための船。他のタイプの乗り物とは、当然のようにスケールが違う。

 そしてもう1つ。乗り物ということは。

 

『皆様、本日はご乗船いただきまして誠にありがとうございます。阪神九州フェリー、かわち号でございます。出港まで、今しばらくお待ち下さい』

 

 そう、乗り物ということは。例外なくこの船にも、ノリモンが宿っているのだ。

 電車やバスでも、宿るノリモンが放送設備を使って乗客にアナウンスをすることはたまにある。それと同じ事を、このかわち号もしたというだけである。

 

「見た感じ、けっこう新しい船のようにも見えるが、もうきちんとアナウンスできる程度には訓練されているのだな」

「きっと腕の立つトレイナーがいるんだろ」

 

 ……そして、それを受けてこのような反応になってしまうのは、困ったことに職業病というやつである。

 トレイナーの仕事は、大きく分けて2つ。ノリモンの成長を見守る、いわば教師としての役割。ノリモンと心を通わせて力を借り、クィムガンへと立ち向かう役割。ラッチが開発されて以降のJRNでは後者に比重がおかれているけれど、どちらも大切な役割だ。なので僕もスクールでは両方の教育を受けさせられている。

 ゆえに、スクールを出ても残念ながら後者の役割を果たせずにJRNに残れなかったトレイナーの中には、前者の能力を見込まれて運用する事業者に拾われる者も少なくはない。ノリモンが、接客の際に失礼をしないように。

 

「あいつら、元気にしてるのかな……」

 

 ポロリと口から言葉が溢れる。

 するとちょうど同じ事を考えていたのだろう、北澤さんから反応が戻ってきた。

 

「みんななら、きっと大丈夫でしょ」

「それもそうか」

 

 乗船券を見て、まずは荷物を置きに行く。僕の指定された区画は213番。エントランスホールから少しだけ(オモテ)の方へと進んだところにある、二段ベッドが6つ並べられた12人部屋の一角だ。

 念には念を入れて、お風呂や夕食には交代で向かう。だけどそれは杞憂で――出港してからわかったことだが、三連休前の金曜にもかかわらず、どうも僕達5人以外にこの部屋のお客さんはいないようだった。おかげでやや機密っぽい情報をうっかり口に出してしまっても安心だ。

 それから土曜の午後のような他愛のないお喋りを――今日は早乙女さんも交えてだけれど――してから、床へと入ったのだった。

*1
Ro-Ro船であり、客船でもある貨客船



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回1レ:ギルティ

深夜から早朝にかけてのお話なので、その時間帯に読むといいと思います。


 午前4時すぎ。不思議と目が覚めてしまった僕は、船室を出て共用スペースにいた。

 

 お腹、空いたな。

 どうして深夜や早朝に目が覚めるときは、いつもお腹が空いているのだろうか。永遠の謎の1つである。

 当然、こんな時間にはまだレストランも売店も開いていない。海の上にいるので、宿を脱出して24時間営業のコンビニに行くこともできない。

 だけれど。この船には、これがある。

 

 カップ麺の、自動販売機。

 

 船内価格でやや高いものの、許容できる範囲内だ。硬貨を投入してカレー味の即席ラーメンを買い、丁寧なことに近くに設置されている給湯器でお湯を注ぐ。

 そしてそれを持って、わずかにこぼれ出るメーカーが何度も吟味し、最高の調合が施されたスパイスの香りを撒き散らしながら、早朝で誰もいない6階のテーブルつきの椅子席へと向かう。すこしだけ、落ち着いたところでお湯を入れてから150秒ほどが経過した。

 

 ――いただきます。

 

 蓋を開ける。うっすらと溢れていたスパイスの香りが、数倍にも強烈になって湯気に乗って鼻の奥へと広がった。

 割箸を割って、そのスープの中へと突っ込んで麺を掴む。そして。

 

 ズルズル、ズルズルーッ!

 

 まだ微妙に硬さが残る麺が、カレースープを掴み上げて、同時に口の中へと襲来する。コクのあるピリッと仄かな辛み。そして、それを吸い上げて戻った乾麺の、なんと美味なことだろうか。それでいてあっさりとしているこの風味は、麺を全て喉に押し込んでしまえば、儚くも消え去ってしまうのだ。

 次に味わうべきは、辛さを中和する、馬鈴薯、そして人参! 野菜の甘味が、口の中でスパイスとフュージョンして、宇宙を生み出すのだ。

 そして、カップ麺といえばこれ。畑の肉と呼ばれる大豆で豚肉を固め、サイコロ状に整形した――謎の肉。ただの肉塊と比較して、含まれている大豆分が肉汁やスープを吸い上げて、口の中で噛めば噛むほど味が出る。

 そして、それらをこの早朝に、洋上で味わっているという事実。それがさらなる調味料となって、僕の味覚中枢にはたらきかけているのだ。

 

 ズルズル、ズルズルーッ!

 

 気がつけば、その円筒の内側は、いつの間にやら空になっていた。

 

 ごちそうさまでした。

 割り箸や容器をゴミ箱に入れて、一旦部屋に戻ろうとしたとき。

 

 不意に、通りかかった公衆電話が鳴った。

 なぜ? どうして船の中の公衆電話に電話をかけてくる人がいるんだ? そもそも、これは出た方がいいやつなのか?

 周りを見る。ロビーには誰もいない。公衆電話は鳴り続けている。

 少し悩んで、僕は受話器を取った。

 

「もしもし? これ、フェリーの中の公衆電話なんですが」

『知ってるよ、()()()()()()()()()()()()()()

 

 なるほど。あの周りに誰もいなかった椅子席でラーメンを食べていたところを見られていたとなると、()()()()()だろう。そもそも、この声自体思い出してみれば乗船直後に聞いた覚えがある。

 

「……1人の乗客に何の用ですか、()()()号」

『ありゃりゃ、バレちゃったか。お兄さん鋭いねー』

 

 やっぱり。

 放送設備からコミュニケーションを取れることは知っていたけど、こうやって中に設置されている電話からでもできるもんなんだな……。

 

「まだまだ新米だけど、伊達にトレイナーをやっていませんから。それで、何の用ですか」

『なーんだ、トレイナーさんだったのか。用事だけど……特に無いよ。ただ、美味しそうに食べてたからお話してみたかっただけ』

「……切っていい?」

『えー。……って、言いたいけど、あんまりお客様に迷惑かけちゃだめだよね。最後に、電話取ってくれたお礼にとーっておきの情報、教えてあげる!』

 

 今から、東の空がとーっても綺麗だよ。それじゃ、良い旅を。

 彼女は、そう最後に言うだけ言って電話を切った。ずいぶん身勝手なお嬢様だ。でも、新しい船のノリモンだと考えると、かわいいものだと思った。……もっとも、あの暴走してたポラリスと比べてしまうから大概は落ち着いている判断になってしまっているだけな気はしなくもないけれど。

 

 7階のデッキに出れば、少しだけ東の空が白み始めているのが見える。

 燃えるような空を見るために(トモ)の方へと歩みを進めれば、ファンネルの上、まだ星の出ている紺色の空から、周防灘の向こうの朝焼けの赤までのグラデーションが、かわち号の言う通りとても美しい。

 そしてその景色は時間と共に少しずつ変化していって、赤はやがて広がりながらオレンジとなって、そして暗い闇の空は少しずつ青みを増していく。

 

「ここにいたのか」

「あっ、早乙女さん」

「起きたら君だけいなかったからな、どこへ行ったのかと思ったよ」

「戻った方がいいですかね」

「その必要はない。じきに皆ここに来るだろう」

 

 その言葉通り、日の出までには残りの3人も甲板までやってきた。

 そして、航跡の先に昇る美しい太陽を目に焼き付けて、少しまったりしてから船室へと戻ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ後:スーパーノンストップ

 午前8時。かわち号は定刻通り、北九州港新門司北埠頭に入港した。僕達は下船してフェリーターミナルの前から無料の連絡バスに乗り、山を越えて北九州市街へと向かう。

 ……なんで港から最寄り駅に向かうバスが山を越えているのだろうね? これ、逆に港に向かう段階で連絡バスが山を越えようとしたら誤乗を疑うと思う。

 そして、ここ北九州から長崎へ向かうルートについて、連絡バスの中でようやく話が出てきた。どうも船の中では電波が悪くて調べられなかったらしい。

 

「さて、ここからどうする? 昨日と同じ切符で普通列車だけで行けば到着は15時過ぎ。だが予算は十分に余しているから特急に乗って13時頃には長崎に着く選択肢も有りだ」

「いくらくらい追加でかかるの? それにも依ると思う」

「船の中で電波がなかったのでネットきっぷの料金を調べられてないのだが、恐らく2000円強ほどだと思う」

 

 成程、なら特急もアリじゃないかなぁ。

 

「さらにもう1つ。()()()()()()()()()()()特急よりも早いが、高速バスを2本、天神で乗り換えるというのもある。これも4枚綴りの回数券が絡むので計算はまだだが、おそらくこれは普通列車にプラス1000円程度だ」

「……リーダー、なぜそれを特急より先に言わない?」

「天神の乗換が10分しかない。間に合わなければ1時間待ちだ。そして今日は三連休の初日……渋滞に巻き込まれる可能性だってある」

 

 ハイリスク・ハイリターンな乗り換え。()()()()()

 皆の顔を伺えば、佐倉さんは悪い笑顔をしているし、成岩さんも興味津々だ。

 

「確認したいんですけど、1時間後の便でも普通列車よりは早いんですよね?」

「1時間以上遅れなければ、だが」

 

 なるほど。ならばいいや。

 多数決をとると、僕と成岩さんと佐倉さんが高速バス、北澤さんが特急に票を投じた。

 

「そっか。みんなの意見がそうなら、アタシも高速バスでいいかな」

 

 こうして、北澤さんの合意も得られたところで、集合の長崎までのルートがようやく確定した。

 フェリーターミナルからの連絡バスを砂津で降りて、中谷経由天神行の高速バスに乗り換える。携帯端末をポチポチと弄って購入したWEB回数券は4枚綴りだったので、佐倉さんだけがサイバネICカードをかざして乗り込んだ。

 バスは小倉駅前を経て、モノレールの下を南へと走る。小倉駅前ではほとんど誰も乗っていなかったこのバスも、この区間ではポツポツとバス停に停まって、その度にお客さんが増えていく。なるほど、小倉駅から遠い場所からの直通で福岡まで出る需要がメインの路線のようだ。

 そうして小倉南から九州道に乗ると、バスは速度を上げて西へと走る。三連休の初日の午前というのもあり、少し渋滞しているのかなとも思ったけれど、むしろ混んでいるのは反対車線の方で僕達の乗るバスはそうでもない。おかげでスイスイとバスは進む。

 途中少しのバス停に停まって、バスは数分だけ天神の高速バスターミナルに早着した。

 

「急ぐぞ。長崎行きのスーパーノンストップは4番乗り場だ」

「詳しいんですね」

「まぁ、地元だからな」

 

 そう言葉をかわしながらトランクから荷物を取り出し、バスの転回場をぐるっと囲むような細い通路をやや早足で進み、乗り場の方へと向かう。ちょうど、長崎行きのスーパーノンストップが転回場に入り、乗り場へとぐるりと方向転換するのが見えた。

 ギリギリのところで乗車の列の後ろに並び、スーパーノンストップに乗る。幸いにも空席はまだ残っていたようで、5人とも乗車することができた。

 

 だけれど、順調なのはここまでだった。

 

 ブレーキランプの、天の川。

 

 天神を出たバスは、都市高速に乗り南へと進もうとした。そこで待ち受けていたのがこれだ。

 バスに宿るノリモンが言うに、この先鳥栖ジャンクションまでのおよそ30kmの間、断続的に渋滞しているのだという。

 少しずつ、ゆっくりゆっくり進み、太宰府から九州道に入って車線が増えてもまだ先は見えない。ただ、早乙女さん曰く止まっていないだけまだマシな渋滞なのだとか……。

 

 結局、天神を出てから鳥栖ジャンクションを抜けるまで、1時間以上もかかってしまった。でも、その先の長崎道は嘘のように流れてスイスイと進む。

 そして。

 

『長らくのご乗車、お疲れさまでした。間もなく、終点、長崎駅前に到着致します』

 

 僕達を乗せたスーパーノンストップは、若干の遅れを巻いて30分弱の遅れで長崎駅前に到着した。

 バスを降りるなり、早乙女さんがどこかへと電話をかける。

 

「もしもし? こちらウルサ・ユニット、只今長崎駅に到着、合流地点を指定していただきたく。……拝承」

 

 彼は電話を切って、僕達を率いて動き出した。そういや資料には集合場所は往来の邪魔にならないよう適宜移動するので到着次第連絡するようにって書いてあったっけ。

 そうして少し歩いて、僕達はJRN職員の下に辿り着いたのだった。

 

「お疲れさまでした。荷物はこちらで預かります。合宿所までの迎えのバスが次は15時の予定なので、それまでは適当に街中で時間を潰しておいてください」

 

 第1種目・集合、完了――☆

 

 それから僕達は駅ビルで遅めのランチを取るなどして時間を潰してから、迎えのバスで合宿所へと向かったのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ前:第5種目・バトルロイヤル

「えー皆さんお早う御座います。第1種目、お疲れさまでした。まだ到着していないユニットもありますが……」

 

 西彼杵半島の合宿所に入って翌朝の朝礼で、理事長のトシマさんが挨拶を述べる。ここから、夏合宿が本格的に始まるのだ。

 ちなみに、今回参加の24のユニットのうち、まだ8ユニットが着いていないらしい。そりゃ東京から長崎まで繁忙期に、事前の予約が一切できずに5人がまとまって2日で、しかも一人頭2万円で移動するのはだいぶ無理があるって……。

 

 それはともかくとして。

 この朝礼が終わったあと、ここにいる16のユニットには残りの競技種目が渡される。各々の競技は、5人全員が参加するものは少なくて各ユニットから数人ずつ出す形となる。のであるが、新人が2人いるウルサでさえも忖度なく、ある程度均等に5人のメンバーが参加しなければならない。それがルールなのだ。

 

「貰ってきたぞ。競技表だ」

「どれどれ……。今年のユニットレースは……ムド*1のパシュート*2かよ」

「いきなり最終日を確認するんじゃあない」

 

 一番最初に大トリにあるレースを確認しにいくのは、何ともノーヴルの成岩さんらしいというか。

 

「今日の競技は、個人種目5つが平行開催。マラソン、遠泳、剣道、バトルロイヤル、そして障害物競走」

「まずバトルロイヤルは山根に任せるとして」

「勝手に決めないでください」

「お前以外誰がやるんだよ」

「山根が適任」

「アタシもそう思う」

 

 いやまぁ確かに全員敵のバトルロイヤルならやりやすいっちゃやりやすいけどさ。

 そもそもまだユニットに入ってすぐの段階ですら、距離さえ取れればかなり実力のある早乙女さんにすら勝てるのが《桜銀河》だ。そしてその彼に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から対策をしたいと何度も普段の活動で打たされて、結局未だに打たせない以外の有効な対策案を思いつけていない程なのである。

 多分、技術が進歩してトレイナーでも有色のシールドを出せるようになるまではこの競技ルールでは最強のまんまだと思う。

 

「でも、このルールで《桜銀河》を出したら、一方的に勝つに決まっていて、つまらないのでは?」

「これは勝負だ、一方的に勝ってこいって言ってんだよ」

「はい……」

 

 ぐうの音も出ない正論だ。個人的にはあんまり普通にクィムガンと戦う分には使いにく過ぎるから模擬戦だろうと頼りすぎたくないのだけど……。

 

「北澤はどれがいい?」

「剣道、かな? 普段使ってるスモールソードとは勝手が近いし。駄目だったらマラソンで」

「なら私は遠泳に出よう」

「じゃ、私が障害物競走で、成岩はマラソンよろしく」

「任された」

 

 5人全員の担当種目が決まったところで、僕達は分かれてそれぞれの開催場所へと向かう。僕を含む16人のバトルロイヤル組はぶっちゃけラッチさえ張れればどこでもできるので、移動は徒歩で少し開けた場所に向かうだけだ。

 

「それではレギュレーションを確認しよう。開始の合図とともに16名、同時にラチ内へと入場し、シールドを持つのが最後の1名となった瞬間に終了とする。ラチ内には既に審判役の者が居るので、不正をはたらこうなどと考えないように。それでは、健闘を祈る」

 

 ……ただ乱闘するのに不正行為もクソもないような気はするけれど、それはさておき。僕はチッキを1枚ずつ両手に持って、トシマさん直々の開始の合図とともに左手のチッキを押し付けた。

 そして入場と共に改札機を呼び出し、左手に《桜銀河》を溜めながら右手でチッキを投入、トモをポラリスにトランジットする。

 光の中で考える。円周に均等に配置されているのなら、直接隣を狙うほうが早い。しかも、ちらりと見えたラッチ際の周回軌道の曲がり方は、おそらく400くらいしかない。となると、隣のトレイナーとは初期位置でおよそ150m程しか離れていない訳だから、近づかれる前に逃げる必要がある。

 だから僕は、ガコンと扉が開くのと同時に、成岩さんから教えてもらったように《ハイブリッド・アクセラレーション》で一気に加速し、トレイニングのタイムロスを強引になかったことにしてラッチコアへと駆け出した。

 

 次の瞬間、僕の元いた場所の改札機を雷が襲う! 誰がやったのかはわからないけれど、加速しなければ直撃していたのは明らかだ。あっぶないなぁ。

 

 でも、ここからは僕のターンだ。まずは後ろに《桜銀河》を放ち、開幕で僕を狙いに来たであろう両隣のトレイナー、僕がコアに向かった際に正面からぶつかり合ってしまい、2人で戦闘を始めてしまっていた彼らに当てる。

 それと同時にエンジンから駆動軸を切り離して空気と回生の2ブレーキで急減速し、止まり次第逆転機を扱ってモーターだけで後ろに再加速、続いて切り離したエンジンを戻して再び《ハイブリッド・アクセラレーション》。

 するとまた、目の前に雷が落ちる! これ完全に狙われてるよね? でも、遠距離同士なら、打ち始めてしまえば向きを変えるだけでほぼタイムラグなく相手に攻撃を届けられる僕が有利だ。

 しかも今、落ちたのは目の前。その出どころを辿れば、扱う人は左前。つまり、《桜銀河》をそちらへむけるのは当たり前!

 

 3人目のシールドを割って、トレイニングが解けて軌道の外に出た件の2人の横を抜けてラッチの際まで戻った僕は、そのまま後ろ向きで時計回りに周回軌道に入る。進行方向は見えにくいけれど、ここでブラインドランの訓練が生きてきたという訳だ。

 そして同じ遠距離タイプの雷使いのシールドを割った僕に、攻撃を当てられる人は残っていなかったようだ。そのまま近づいてくる他のトレイナーを優先的に対処しながら、まだ撃破されていなかった9のトレイナーを次々と《桜銀河》の光束に巻き込むまで、そう長く時間はかからなかった。

 

『そこまで! 第5種目・バトルロイヤル、勝者は、ウルサ・ユニット』

 

 青と黄色のシールドを失った審判役のノリモンが、そう無線で宣言した。

*1
車輪に駆動能力を持たせずに走行すること

*2
3人一組のチームレースで、一番後ろの人のタイムを競う



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ中:理事長

 勝者の特権として一足先にラチ外へと出てラッチを開ける。その作業をしていると、不意に声をかけられた。

 

「もう決まったか。今回は早いな」

「そうなんですか? 初めてで例年を知らないものでして」

「流石はかのクシー号の力を纏いし者よ。今後を期待してもいいか?」

「精進はしますが、ご期待に添えなかったらごめんなさい」

 

 背筋がピンと張り、手元が少し狂う。そりゃ、いきなり理事長たるトシマさんに話しかけられもすればそうもなる。

 ミスしないように慎重にラッチを開ける作業を進める。出場する前にラッチコアに全員戻ったのを確認していたので、特に問題なく中の16名が解放された。

 

「あの、理事長」

 

 審判役の方が、出てくるなりトシマさんに呼びかける。

 

「なんだい?」

「先程の競技ですが、1位は彼で良いのですが、2位以降に関して審議事項があり、残る15名で再試合を行いたいと話がまとまりまして」

「なるほど、許可しよう。時間にはまだ余裕がある」

 

 ……え。

 つまり、僕は1人で外で待ってろって事ですか。

 

「あの、僕は」

「君は少しの間、外で私と共に待とうではないか」

「いや、あの」

 

 まだ新人もいいところなのに理事長とふたりっきりなのは流石に荷が重いって。

 クシーさん経由で今までも何度か顔を合わせたことこそあるけれど、ほとんどはクシーさんに用があるだけだったのに、最初の方は同じ空間にいるだけでその度に緊張してその日は体中カチコチになっていた記憶がある。

 そう困惑している間に、トシマさんはスタートの合図を出して戻ってきてしまった。

 

「私では不満かね?」

「不満では、ないですが……」

「前から言っているだろう、それほど肩に力を入れる必要はないと。まだ、力が入っているぞ?」

 

 そう言うと、トシマさんは僕の左肩に手を置いた。

 あ、無理だこれ。

 下半身の感覚が消える。ついで、視界が斜めになった。

 衝撃に備え、ギュッと目を瞑り、言うことを聞かない体に力を精いっぱい込める。

 

 衝撃は、来なかった。

 

「だから肩の力を抜けと言っているんだ」

 

 トシマさんの声が、さっきよりも近い所で聞こえる。目を開ければ、僕は彼女に受け止められていた。

 

「全く。聞けばコダマ号とは普通に接しているらしいじゃないか。私ではどうしてだめなのかい?」

「纏っている雰囲気とか、違いがあるじゃないですか」

 

 そもそも彼は最初に会ったときは直接の上司では無かったし、偉い役職についていたと知ったのも最近の話だ。それまでに築けていたコミュニケーションがあったからこそ普通に話せていたのであって、たぶん最初っからノーヴルの者として、ノーヴルのトップというコダマさんを知ったらこうはなっていないと思う。

 これを伝えるのはあまりにも残酷な気がするから黙っておくけど……。

 

「そうか、雰囲気か……」

 

 ……なんだろう。ものすごく嫌な予感がする。

 そしてその予感は、往々にして当たってしまうものだ。

 

「ヒッ」

 

 つぎの瞬間、人を殺すかのようなオーラがトシマさんから発せられた。強く押し流されるような威圧感。そして、僕はそれをゼロ距離で浴びせられている。

 

 すると、どうなる?

 

 事実を確認して意識を保つだけで、僕は精いっぱいだった。呼吸すらもままならない。

 そして、永遠とも思えるような時が経ってから――実際は数秒程度なんだろうけど――、トシマさんはその気を出すのをやめて、元通りに戻った。

 体の力が一気に抜けて、僕はその場に座り込む。

 

「いきなり何するんですか……」

「荒治療だ。肩の力、抜けただろう?」

「肩どころか全身の力が抜けているんですが」

 

 トシマさんの手を借りて立ち上がる。たしかに、纏っている雰囲気自体は同じように感じられるのに、嘘のように緊張は解れているのだけど……。

 

「どうやら、少しやりすぎてしまったようだな」

「少しどころじゃないですよ……」

 

 トシマさんは仄かに笑いながらそう言った。

 ……でも、この程度で動けなくなってしまうようではまだ半人前だとも言える。いつ僕達が今のと同じような威圧感を放つクィムガンと戦う羽目になるかはわからないからだ。

 頑張って、強くならないと。お話にならない。

 

「期待しているよ」

「あれ、口に出てました?」

「否。でも、今の君の目は何かを決意した目だ。このタイミングで決意するような事といえば……そうだな、最低限あの状況でも動けるように、だとかそのあたりだろう?」

「分かるんですね……」

「伊達に何年も新人のノリモンやトレイナーを迎えていないさ」

 

 それからラチ内でのバトルロイヤルが終わるまでの間、僕はトシマさんと軽く世間話を交えて話をしていた。今まで会う度にものすごく緊張していたのが嘘のように、とてもリラックスした状態で話が進む。もはや上司と部下の枠組みを超越して、ひとりのノリモンと1人のトレイナーとしての会話がそこにはあって、トシマさん自体もそれを望んでいたことがその口から溢れていた。

 

 そうして、1時間弱ほど経ったころ。

 ラッチが光る。誰かが通ろうとしている証だ。

 

「おっと、ふたりきりの時間はここまでのようだ。それでは、私は次なる勝者を讃えねばならぬゆえ、失礼させてもらおう」

 

 そう言って、トシマさんはラッチの方へと向かったのであった。




クーリースーマースがおーどーしをかーけーてくるー♪
「論文はかけたかい?」
「冬コミ原稿終わった?」

……うわああああーっ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ後:作戦会議

「お疲れ様。それじゃ、結果を確認しようか」

 

 午前の5種目が終わって、全員が合宿所に戻ってきた。今はそれぞれのユニットに充てがわれた部屋で、再びユニットごとに集まり、昼食をとりつつ振り返りや作戦を練る時間だ。

 

「第2種目・マラソン、3位。ムドだったせいで30分弱かかっちまった」

「第3種目・遠泳、1位。他に船舶系のトレイニングが満足にできる者が不在で助かった」

「第4種目・剣道、4位。やっぱまだまだ精進しないとだね。ドラコのリーダーに負けちゃった」

「第5種目・バトルロイヤル、1位。なんか徹底的にマークされてましたね」

「第6種目・障害物競走、失格。ゴール自体は1番だから実質優勝」

「おいちょっと待てや、失格って何したんだお前」

 

 佐倉さんの結果に成岩さんが突っ込む。僕も思わずそうしそうになってしまった。

 

「めんどくさかったから、ルート上空を《ストラトス・グレイ》で突っ切ったら審議の末失格になった」

「何やってるの……」

「お前後輩2人が好成績叩いてるのに一人だけそんなんやって恥ずかしくないのか?」

「別に」

 

 成岩さんがキレているし、北澤さんも半分呆れたような目つきで佐倉さんを見ている。

 うん、これに関してはどう考えても佐倉さんが悪い。当の本人はどこ吹く風だけど……。

 

「終わってしまったことは仕方あるまい。明日以降、残る10種目の割当を建てようか」

 

 成岩さんはそう言うと、今朝方渡されたタイムテーブルを取り出した。

 朝は5つある個人種目の集合時刻が異様に早かった――遅刻ユニットを弾くためだとトシマさんが言っていた――ためそれだけでいっぱいいっぱいになってしまっていたが、今なら時間にだいぶ余裕がある。

 残る種目は14。うち4種目は5人全員で参加するもので、のこる10種目は2人種目と3人種目が半々、つまり各ユニットのトレイナーの数とおなじだけ。

 そして、これ以降の種目ではさっきの1人種目のような同時開催がなくなり、全員で競技場所に行って非参加者は応援に回るという形態になるらしい。なるほど。

 

「……ところどころ変なの混じってませんか」

「そういうものだ」

 

 まぁまともに見える競技でも基本的にトレイニングが許可されているせいで局地的におかしなことになるのは目に見えてはいるのだけれど……。

 各ユニットメンバーが担当すべきは2人種目2つと3人種目3つ。正直得体の知れない牽引とかいう種目とか、どう考えても嫌な予感しかしないデュエルとかいうのは避けたいのだけれど、まぁそんなにうまい話はないわけで。

 みんなで話し合った結果、僕の担当は2人種目は模擬戦とスワンボートレース、3人種目はサバイバルクイズ、デュエル、ユニットレースになった。……なってしまった。本当にデュエルって何すんの? そもそも言葉の意味的には3人一組でやったらその時点でデュエルとは言えないのでは……?

 だいたいなんでスワンボートレースとかユニットレースみたいななんとなく何をするのかわかるような競技にはちょっとした補足が記されているのに最早謎でしかない競技は名前しか書いてないんだ。

 

「眉間に皺が寄ってるぞ」

「謎の競技に突っ込まれたら普通そうなりますよね?」

「安心してほしい。当日朝には詳細が明かされる」

 

 いや、遅いでしょ。まともに準備もできないって。

 そう反論したら、JRNの夏合宿はそういうものだから慣れろという旨の回答が戻ってきてしまった。そう言われたら反論がしにくくなってしまうのでずるい。実際、本部の意図はわからなくもないからだ。

 これも集合の時と一緒で、おそらくはその場での情報収集の能力とか判断力とかを育てる一環なんだと言われれば、多分そうなんだろうと納得してしまう自分がいる。

 まぁ、納得してももやもやすることには変わりはないのだけど……。

 

「山根。前も言ったと思うけどよ、事前にああだこうだ考えるのも必要だが、そればかりに固執してっといつかは潰れるぞ。()()()()()()()()()()()()()

「楽しめって……。一応勝負ですよねこれ」

「確かに勝負だ。俺だってやるなら全力で挑むし、勝ちたいとは思うさ。でもよ、それが全てじゃねえ。聞くぞ山根、それに勝って得られるものはなんだ? それは、()()()()()()()()()()()()()()()?」

「それは……」

「そういう事だ。いいか、夏合宿はもちろんここで得られるものもあるが、半分余興みたいなもんだ。一応得点とか順位とかはつけられるけど査定に響くものじゃない。だから全力で楽しめばいい」

 

 ま、真剣なのは悪い事じゃねぇけどな。成岩さんはそう言った。

 楽しむ、か。

 

「そそ。私みたいに」

「お前はもう少し自重しろよ?」

「えー」

「今さっき失格叩きつけられてたのはどこのどいつだよ」

 

 ……なんか悩んでたのが莫迦らしくなってきた。

 言われてみれば、特に勝っても貰えるのは得点だけなんだから、何日も前から対策を取る必要なんかない。競技詳細が伏せられているのも、きっと過度に構えるなというメッセージなのかもしれない。

 もちろん、その競技中となれば話は別だ。本気できちんとやらないと失礼だから。

 

 メリハリをつけて、詳細を明かされるまではあまり考えないようにしよう。午後には第7種目の枠が6時間以上もある狂気のようなクイズ大会が控えているし、そこまでもやもやを引きずってしまうのはよくない。

 微妙な悩みを強引に吹っ飛ばしたところで、僕達は昼食へと向かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3レ前:第7種目・クイズ大会

 昼食を終えて、僕達は合宿所のホールへと集合させられていた。

 

 第7種目、クイズ大会。

 午前中に遅刻組のうち6のユニットが新たに到着して、合計22のユニットが出されるクイズに6時間近く答え続ける種目である。どちらかというとお遊びに近い……んだけど、多分これも知識の共有とかそっちの意味合いもあるような気がする。

 回答方式は全て短答式で、ユニットの5人で答えを配布された可搬式ホワイトボードに記入する形だ。

 

『第1問! JRNの発足は昭和62年の事ですが、その前身たる安全輸送管理委員会の発足は昭和何年?』

 

 ホールのプロジェクターに問題が映し出され、それを司会が読み上げる。

 歴史の問題か。確か安全輸送管理委員会の発足は新幹線の開業の年だったから、1964年のはず。……昭和だといくつだっけな。

 そう考えているうちに、北澤さんが答えを口に出した。

 

「39?」

「だな」

 

 昭和20年が1945年だから、確かに39か。他の2人も特に何も言わないあたり、記憶違いはなくこれであっているっぽい。

 

『それでは各ユニットは回答を上げてください』

 

 全てのユニットの答えが、39で一致した。

 ……まぁ流石にこの問題を5人全員答えられないようなユニットは無いよなぁ。

 

『皆さん正解です、安全輸送管理委員会は昭和39年の4月1日に、当初は運輸省の外殻組織として発足しました』

 

 最初はこういったJRN内部のクイズ――全て僕達がわからなくても早乙女さんが答えを知っていた――が数問出されて、それからクイズの内容は少しずつ外側や一般教養に広がっていくと共に、難易度も上がっていった。

 たとえば、

 

『第9問、大正時代に出された常用漢字表の案では、「鐵」という文字に対しての「鉄」など、いくつかの略字が決められていましたが、「驛」(こちらの漢字)の略字は何でしょう?』

 

 だとか。

 この問題、一見簡単なように見えてしれっとトラップが引っ掛けられていて、半数以上のユニットが普通に「駅」と描いて撃沈して野次を飛ばしていた。

 それに対してウルサ・ユニットの答は「」。看板などの()()()()()()()()()にある鳥などでたまに見かける、()()()の省略を織り込んだ字体だ。

 いや、わかるか! そもそもウルサも北澤さんが答えを知っていなければ他のユニットと同じ間違いをしていたと思う。

 

「一体どこでこれ知ったんだ?」

「ん? アタシの苗字も旧字体で、しかも()()()が同じでしょ? それで昔調べたことがあって、そのときに()()()にも省略かかることをね」

 

 そういや澤→沢も驛→駅も略字のパターン自体はおんなじか。なるほど。

 

 そして、他にもこのような罠の入った問題がぽつぽつと。たとえば第14問では、

 

『この写真の電車の次の停車駅は?』

 

 と、JRN最寄りの見慣れた新小平駅のホームに停まっている武蔵野線が映し出されていた。しかしよく見ると電車の行き先表示には「八 王 子」の文字。立川に行きたいときとかは便利なのに、本数が少ないのがネックな直通電車だ。僕も南多摩(いつもの河原)に行くときに数回引っかかったことがあるから覚えているのだけど、この電車が次に停まるのは西国分寺ではなく国立なのだ。

 この設問も、半分くらいのユニットが引っかかってしまっていた。

 そして、極めつけは第17問。

 

『高速走行は眼球内のロドプシンを大量に消費するので、この補充としてビタミンAやβカロテンはトレイナーにとって非常に重要な栄養素である。このβカロテンを多く含む、JRN近傍半径10km以内で多く生産されている食べ物といえば?』

「これあれだろ? ブルーベリー」

 

 ブルーベリーは目にいい食べ物だ。これはよく言われていることであり、実際にトレイナーの中にも好んで食べる者は少なくない。そして、JRNのある小平市は、ブルーベリー栽培発祥の地と言われており、少し東に離れたところにはブルーベリー畑があるし、なんならJRNの敷地内でも栽培されている。だから答えはブルーベリーだ。……と、言いたい所だけれど。

 

「ブルーベリーって、βカロテンそんなにあったっけ?」

 

 北澤さんが疑問に思った通り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()β()()()()()()()()()()()()()()()()()。これはスクール時代の友人の程久保から、走り込み過ぎて疲れ目になったときに聞いた話だ。そして、そこでブルーベリーと共に食べるのを推奨されたのが、ビタミンAを多く含むうなぎ、レバー、それと……。

 

「βカロテンが多い、()()()()()。人参、かぼちゃ、ほうれん草とか」

「……地場野菜だったか?」

「さぁ? ただ、ブルーベリーが答えじゃないことは確かです」

 

 少なくとも、間違いである回答をするよりはマシだ。

 すると早乙女さんと北澤さんに心当たりがあったようで、援護射撃が飛んでくる。

 

「それなら、国立の谷保のほうれん草だろうか? 国立に出張の際に見かけた覚えがある」

「いや、清瀬の人参じゃない? 都内の人参生産量の半分近くを占めていて、2位の八王子の7倍以上って聞くし」

「どうして、そんな詳しい?」

「アタシ、生まれも育ちも多摩だから」

 

 あーそうか、北澤さんは確か町田が地元だったっけ。なら地元……にしてはちょっと離れてるような気もしなくはないけど、まぁそのあたりの知識は持っているんだろう。

 

「なら、人参にしよう。ほうれん草は名産とは聞いているが生産量が多いとは聞いていない。ならばこの問いに当てはまるのはそちらだろう」

 

 ホワイトボードに『清瀬の人参』と記入する。そして時間が来てそれを掲げれば、多くのユニットの答えはブルーベリーだったが、僕達の他にも3つ、人参と答えたユニットがあった。

 そして司会から告げられた答えは、人参。またしても北澤さんに助けられた形だ。

 

 そして、クイズ大会がようやく開始から1時間が過ぎたころには、既に解いた問題は20の大台に乗ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3レ後:大喜利

『それでは第21問です! ラッチはノリモンもクィムガンも超えることができず、唯一トレイナーのみが出入りすることができますが、これはなぜでしょう』

 

 クイズを解き続けて、最後まで体力や集中力が持つのか不安になってきた頃。クイズ大会は21問目に入って、問題の傾向がガラリと変わった。

 今までのクイズは基本的に短答式と呼ばれる、答えを単語で記入するもの。それに対して、この問題では急に答えを文章で記入する記述式の問題に変わったのだ。

 まぁ、問題自体はまだ難しくない。クィムガンに逃げられないようにするためには、()()()()()()()()()()()をトリガーとして出入りするよう設計する必要があって、それで理論的に()()()()()()()()のがトレイニングだっただけ、というのはスクールでも普通に習うことだ。

 ちなみに、佐倉さん曰くノリモンも出入りできて、なおかつクィムガンの出入りを許さない理想的な新型ラッチの開発は今でも続けられているらしい。が、20年かけてもそれができる未来が見えないという茨の道なのだとか。

 

 閑話休題。

 

 表現を話し合ってまとめて答えれば、流石にこの問題を間違えたユニットはいなかったようで、全てのユニットに正答の判断が下された。

 そしてこの第21問以降、全ての問題がこのような記述式に変わったようで、回答に用意された時間も、そして採点に要する時間も伸びる。最初の20問は合わせて1時間程度だったのに、その後は1問あたり10分弱もの長い時間を要している。

 そして、記述式のクイズが始まるとどうなるのかって?

 

 そのターニングポイントとなったのがこの問題だった。

 

『第24問、JRNの前身、安全輸送管理委員会はなぜ新小平の地に建てられたか。答えよ』

 

 この問題、一応僕達のユニットはまともに考えていた。軽くではあるけど僕達がスクールで習った話でもあったからだ。

 そもそも安全輸送管理委員会が最初に発足した敷地の一部が、現在のトレイナーズスクールのある場所だからだ。その敷地の元を辿れば、戦争が終わって使われなくなっていた旧帝国陸軍の経理学校。そして、その後そこだけでは手狭になって、国立武蔵療養所が国府台へと機能を集約した跡地へと拡張移転したのが現在のJRNの敷地。

 だけれど。

 

「元の敷地が何だったかはスクールで習いましたけど、どうしてここに来たのかは……」

「確かに、アタシ達が教わったのは、新小平に昔あったのが療養所だったって話だけだよね」

 

 そう、肝心の()()()()()()()()って話は習っていない。そもそも古い軍の跡地なんて日本全国どこにでもあるわけで、その中で()()()()()()()()()にはなっていないのである。

 そして、早乙女さん達もその答えを持っていなかった。だが、何か思うところがある人はいた。

 

「でもよ、新小平って立地はけっこう便利だぜ? なんたって()()()()()()()()もすぐそこだ」

 

 国立ら国分寺、北府中というのは、それぞれ近所の鉄道系の研究所がある場所だ。特に国立のとは、元が国鉄に由来するだけあってJRNとしても交流は比較的深い。

 つまり、彼が何を言いたいかといえば……。

 

「近所に研究所がある国有の空地だったから、ってこと……?」

「ありそう」

 

 こうやって、ウルサ・ユニットはまともな答えを用意できた訳だ。訳なのだが……。

 

『それでは各ユニット、解答を上げて下さい』

 

 司会は掲げられた解答を読み上げる。『そこに空地があったから』『ダーツで決めた』『偉い人の故郷が新小平だった』『運命』などなど……。僕達と似たような『鉄道技術研究所に近いから』といった真面目な解答や、真面目にやろうとしたけれど途中で撃沈してしまったと思われる解答もあるけれど、いくつか大喜利としか思えないような解答が混ざっていたのだ。

 

 そして、この第24問でそのような風潮ができてしまったのか、それ以降のクイズでは少しずつ大喜利が増えていった。得点圏に入らないとわかったユニットが、次々とわからない問題で大喜利を始めたのだ。

 もちろん彼らとて、本気なのでわかる問題には普通に答える。なので簡単な問題だったときは真面目な空間だ。

 だが時折現れる難しい問題になるとどうなったか? 大喜利が始まる前はかなりギスギスしていたのだが、大喜利解答が増えてくるにつれてだんだんと和やかな雰囲気になってきて、笑いが聞こえてくるようになってきた。ウルサは早乙女さんがJRNやノリモンについての、北澤さんが教養の知識を広く持っていたため僕達どうしようもない3人が大喜利をしている余裕はほとんど無く、本当に手も足も出なかった数問でしかさせてもらえなかったけれど……。

 ちなみにこの現象、一応早乙女さんに聞いてみれば毎年途中からこうなるらしい。ただ、最初にいつ大喜利を始めるのかは毎年波があるらしく、今回の第24問でのスタートは平均的な水準なのだそうだ。

 

 そして、ワイワイガヤガヤとしたクイズ大会の時間は、嘘のように早く過ぎていった。正直、体感時間では前半の短答式20問と、後半の記述式30問がだいたい1対2くらいだった程だ。実際には5倍近い差があるのに。

 なるほど、6時間をダレさせないための、大喜利の許容。そういうのもあるんだなぁ。

 そう思いながら、僕達は誘導されるままに夕食会場へと向かった。全ユニットを交えた上での立食パーティーの裏で、このクイズ大会の集計が行われて、そしてパーティーの途中で結果発表があるのだという。

 

 ちなみに、クイズ大会の間に最後まで遅刻していた残りの2つのユニットもようやく到着したそうな。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回3レ:パーティーにて

「お久しぶり、期待のルーキー!」

「えーと、ドラコのパレイユの……」

「そういえば名乗って無かったね。ぼくは中泉。少し、時間をもらってもいいかい?」

「別に構いませんが……」

 

 パーティが始まるなりこちらに近づいてきた中泉さんは、手に持つお皿を机に置くとそう言って名刺を差し出した。

 

「ごめんなさい、僕はまだ名刺を用意してないんです」

「いいよいいよ、そんなの気にしなくたって。それより、ぼくもさっきのバトルロイヤルに参加してたから見てたんだけど、キミ、また腕を上げたね?」

「僕はまだまだ新人なんですから、腕は上がってない方がまずいと思いますけどね」

 

 あ、いたんだ。そりゃ5人のうち誰かはいたんだろうけど、正直あの時は遠くから狙撃していたから全員の顔が見えていたわけじゃなかった。

 

「気づかなかったんだ、そういうところはまだ未熟で安心したよ」

「遠かったのと、割と両隣とあの雷の人しか見てる余裕が……」

「あはは。うちのバランスのも似たような事を言うことあるけど、それで勝てちゃうんだから遠距離主体ってすごいよね。ちなみにあの雷、カンケルのサイクロね」

「カンケルって……」

 

 確か、前に現場に出たとき僕が事故で誤射をしてしまったところだ。なるほど、そりゃ《桜銀河》の危険性を強く認識している訳だ。

 

「なるほど、狙われてた理由がよく分かりました」

「やっぱり把握してなかったんだ。って事は、このままでもまだ伸び代があるってことでしょ? 妬いちゃうな」

 

 なんだろう、背中がむず痒い。

 僕としては、仲間を巻き込むリスクが異常に高い今のまんまじゃ全然ダメだと思っているのに、外からはそれがあまり見えずに圧倒的な火力だけで判断されてしまうようだ。今回のような味方のいないバトルロイヤルなら、それを心配する必要も全くないからなおさら。

 

「おだてても何も出ませんよ……」

「そうかい? でも、これだけは伝えておくよ。少なくともぼく等ドラコはウルサに期待してる。キミ達新人2人にね」

「それはどうも」

「あの様子だと、この合宿終わった頃には、ぼく等だけじゃなくてJRNみんなそうなると思うよ?」

 

 もしかしてこれアレかな? 目立つなよっていう威圧?

 

「手は抜きませんからね?」

「ん? ……あ! ごめんごめん、そういう意味じゃないんだ、単純にぼくはね、キミ達には頑張ってほしいし、みんなに認められるべきだと思ってる」

 

 中泉さんは両の掌をつきだして、高速で振りながらそう言った。

 

「本当ですか?」

「本当だよ! だいたい実力派が少ないとお給料変わらないのに手当のわりにめんどくさいタイプのお仕事が大量に舞い込んでくるからね。同じ位強いユニットがあってほしいし、そうだと知られてほしいってのがぼく等の本心だし、オヒュカスとかペガススとかもそう考えてると思う。いずれにせよ、実力あるルーキーを潰すのはぼく等にとっても、そしてJRNにとってよくない」

「だいぶぶっちゃけましたね……」

 

 特にお金周りの話。

 だけれど、彼は僕がそう漏らしてもそれをさらりと受け流して飄々と言葉を続けた。

 

「まぁね。そもそもぼく等がクィムガンの対応に当たったって、外からじゃラチ内の様子は見えないでしょ? だからこの仕事に奪われるべき名誉なんてものはない。だったら、自分が楽するためには後輩が育っていくのを邪魔するなんてとんでもないよ」

 

 それを聞いて、僕はふと、気になった。

 

「……失礼なことを聞くかもしれないんですけど、なんでこの仕事続けてるんですか?」

「なんで、ねぇ。大きなニュースに()()()()()()()()()()()()、かな。ぼくはね、ただ悪いニュースを見たくないだけの大人気のない身勝手な男だよ。だから目の前に悪いニュースになりそうなことがあったら全力で潰す。それを繰り返してきただけ」

 

 一瞬だけ、少しだけもの悲しそうな顔が視界に映る。だけどすぐに元の飄々とした雰囲気へと戻っていった。

 

「ま、だからこそこうやって、楽にやるために強くなろうって思えてるんだけどね。……そう言うキミは、なんでトレイナーになろうと思ったのかな?」

「昔の約束ですよ。僕が一番のトレイナーになったら、また会えるって約束です」

 

 そう答えると、中泉さんは急に黙り込んでしまった。

 あれ、なんかマズい事言っちゃったかな。そう不安になりかけたところで、ようやく声による反応が戻ってくる。

 

「そっか。じゃあ、キミはその人と会えたらトレイナーをやめちゃうのかい?」

「それは無いと思います。手伝いたいんです。僕に広い世界を見せてくれた、あの人の夢を。全てのノリモンが、幸せになれる世界を作るっていう夢を」

()()()、か。難しい夢だね。でも、キミならできるかもしれないね」

「どうしてそう思ったんです?」

「こうやって、落ち着いて話してみて感じたんだ。キミの魂は美しいってね。その純粋な心を忘れない限り、きっと夢に近づけるよ」

「……はい! がんばります」

「その意気だよ、ファイト!」

 

 その後僕達はもう少しだけ言葉を交わしてから、それぞれのユニットへと戻った。

 それから早乙女さん達の知り合いだろうか、ブラブラとやってきた始めましての他のユニットの人達を交えてしばらく歓談していると、ようやくクイズ大会の結果発表があった。僕達は第5位で、上からオヒュカス、ドラコ、ペガスス、サギッタリウス、ウルサの順だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ前:第8種目・二人三脚

 パーティの翌朝。今日の午前中の競技は二人三脚で、ウルサから出るのは成岩さんと佐倉さん(中堅二人組)なので、僕は観戦するだけだ。

 

 ……え? なんで二人三脚で半日潰れるのかって? それはこの二人三脚のレースが、車輪の使用や連続した5秒以上の浮遊が禁じられているのに20.1kmもあるからに他ならない。ぶっちゃけこの競技、平均して時速30kmくらいしかスピードが出ないし、遅いところはとことん遅いので、このコースでさえ数時間もの競技時間が用意されているのである。

 

「それじゃ、行ってくる」

「勝つのは、俺達だ」

 

 僕達は2人を見送って、スタート地点横へと陣取った。陣取るのがそんな場所でいいのかとの疑問があるかもしれないが、各ユニットに残された応援側は普通に車輪を回して追いつくことが簡単にできる。というか、運営側が追いかけての応援を普通に推奨しているくらいだ。

 

「位置について、ヨーイ、ドン!」

 

 スターターの方がそう宣言すると、全24ユニット、24組48人が同時に走り出す。マススタートだ。

 まずハナを切って進むのは、路面を凍結させて疾走と滑走するドラコユニットの2人。早速反則ギリギリの意味不明な走行が出てきたし、後ろを走る人達からすれば路面が部分的に凍っててめちゃくちゃ走りにくそうだ。

 というか、抗議の声が思いっきり出ている。

 

「ジャッジー!」

「これルール上アリなんですか?」

「地面から足は離れていないし、浮いている訳ではないからルール上は()()()()()()()()

「「「えーっ!」」」

 

 そんな阿鼻叫喚の後方集団を横目に、第二集団に躍り出た走者が5組。その中にはウルサの2人もいた。

 

「この酷い路面状態でよく走れますね……。凄い」

「よく見なさい、佐倉君の足跡を」

 

 早乙女さんに促されるままに地面を見れば、彼女の足跡は遺された氷にしっかりと()()()残っている。

 どういうことだ? そう思って少し前方、佐倉さんの足跡を見れば、()()()いた。見覚えのある燃え方、これは《ホライゾン・レッド》だ! そしてその燃える足が地面に突き刺さった瞬間、局地的に氷を融かしていたのだ。

 ……おかげで、それよりも後ろを走る者からすれば路面状態はさらに悪化しているのだけれども。あんなデコボコとしてて凍結した路面、僕は二人三脚じゃなくても走りたくない。視線を戻せば、案の定後方集団では盛大にすっ転んでるし、それに5組くらい巻き込まれてもう見ていられない惨状だ。

 

「ボケっとしてないで、追いかけようよ!」

「あ、うん、今行く」

 

 北澤さんに誘われるまま、その惨状から逃げるように僕は2人を追って移動した。一応走者に接近さえしなければコース内を追いかけても良いことにはなっているけれど、こんなクソ路面を走りたくは当然ないのでコース外のオフロードを駆け抜ける。後で走行妨害取られてほしい。

 ただ、あの単独で先頭を暴走するドラコのスピードは異常に速く、おそらく速度が3ケタに乗っているくらい。第二集団の平均速度の倍をゆうに超えている。

 そして、今の季節は夏だ。足元路面の氷なんてそう長くは持たず、暫くすると第二集団が通る頃には路面がビショビショに濡れているだけになっていた。それはそれで走りにくいんだろうけど。

 

「1、2! 1、2!」

 

 歩調を合わせるための掛け声が聞こえる。第二集団の中で、ウルサは前から2番め、この集団の中での先頭、サギッタリウスの2人の真後ろにピタリとつけて進んでいる。成岩さんが虎視眈々と前を狙うタイミングを見計らうのと同時に、佐倉さんは後ろにプレッシャーをかけているのか、後ろが抜き出そうとした瞬間にそれはできないんだぞと少しだけ前へと出る素振りをする。完全な役割分担ができているうえに、お互いの動きを読み慣れているのか、少しの動きがあっても二人三脚が崩れることはない。

 

「先輩たち、どこでサギッタリウスを抜くんだろうね?」

「さぁ? でも、いつでもできるようには見えますね」

「やっぱり? 2人とも、もっと速いもんね」

 

 成岩さんが仕掛けようとする素振りを見せれば、前のサギッタリウスの2人も少し前めに出ようとする。そして成岩さんは速度を戻す間に、さり気なく佐倉さんも少しだけ迎えに行く形で加速し、サギッタリウスは()()()()()()()()()()いる。そのようにして、この2組のスピードはじわりじわりと上がっていっているのだ。

 そして、その度にサギッタリウスのフォームに()()()()()()()()()()のにも、おそらく成岩さんは気づいているだろう。

 いつでも抜ける。でも、()()()()()()()()()()()。僕にはそう判断しているように見えた。

 

「僕だったら、路面の水が引くくらい()()()()()()()()()()()ですかね。成岩さんはともかく、普段から佐倉さんが速度を出すときはただでさえ足元が滑りがちになっているから」

「アタシもそう思う。となると、時間的にドラコがゴールしてしまうくらいの時間じゃないかな?」

 

 じゃあ、あと少しだな。

 そう思いながら、僕達は2人をコース外から追いかけたのだった。




ようやく冬コミ原稿が完成して、明日は製本しなきゃいけないので更新は多分ないです。
ただ、余裕ができたらするかもしれませんが……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ中:バックスリップ

あけましておめでとうございます! 2022年、出国はいつから解禁されますか?
そしてC99お疲れ様でした。新刊からこの小説に飛ばされてきたみなさん、そういう事ですのでよろしくお願いします(?)


 ウルサの2人が、前を走るサギッタリウスの2人を本格的に抜こうと仕掛けたのは、スタートからおよそ7kmほど経った緩やかなカーブでの事だった。

 

「行くぞ」

「承知。――《ホライゾン・レッド》」

「――《早々来々(サックハヤキタル)》!」

 

 瞬間、2人の束ねられた足が爆ぜる。そして地面に突き刺さると、土の塊が勢いよく後方へと飛んでいった。

 ……これは。

 

()()()()()()ね……」

「地面が耐えられなかったか」

 

 土が抉れてしまう。それは、土と足との間の許容される粘着力を超えて力をかけてしまうことにより発生する現象だ。立ち位置としては、軌道上における空転と近いだろう。

 これ、自らの加速のために使うべき力を土の加速のために使ってしまう行為なので、本当はあまり好ましくないのだ。

 

 だけど、この2人は強かった。

 それは逆に力強く地面を蹴ることができるという証明でもある。そして2人は少し力を抜いたのか、数歩ほど進んでしまえば2人の足元からえぐれる土はかなり少なくなって、そして加速度が高くなっているのが横から見てもすぐにわかった。

 それはまるで、()()()()()()()()()()()()()()、見事なリカバリーだった。

 

 そして2人は、いともたやすく左カーブの外側からサギッタリウスを追い越して2番手に立った。

 サギッタリウスの2人も抜かれまいと加速をしていたのだが、それ以前に成岩さんから突っつき回されて自分たちのペースを保てなくなったのだろう、思うように加速できていない様子だ。1メートル、2メートル、その差はどんどん広がっていくばかり。

 ウルサ・ユニットが第2集団から完全に抜け出して、単独での気ままな走りを実現するまでに、時間はそうかからなかった。

 

 そもそも、最近気がついたことであるが、どうもウルサ・ユニットのメンバーのキールは、高速走行に縁のある車だったノリモンが多い。僕のキールのクシーさんは新幹線だし、早乙女さんののコクサイさんは特急用の機関車だ。佐倉さんののスカイさんと北澤さんののオトメさんはどちらも特急電車だが、前者は車だった頃に埼京線を時速160キロメートルでぶっ飛ばした逸話をもち、後者も私鉄特急の癖して東海道線を爆走した伝説の車両の姉だ。

 こうなると、成岩さんののベーテクさんは逆にローカル線用の一般気動車だったらしいので、すっごく失礼なことを言えば、それがものすごく場違いのようにも思えてくる。実際はベーテクさんもノリモンに成ってからはかなり速く走れる方に分類されるノリモンなんだけど。

 

 つまり、何が言いたいかっていうと。

 スカイさんとベーテクさん。そのふたりの力を纏っている佐倉さんと成岩さんが、周りを気にせずに気ままな走りをすると、普通に速いのである。

 正直、それ以上に速いドラコが路面状況をズタズタにしながら爆走してさえいなければ、最初っから一番前を独走できるだけのポテンシャルはあったんじゃないか。今目の前にあるのは、2人のそんな走り。

 

「いいや、それは違う。路面もあるが、それならわざわざサギッタリウスの後ろに甘える必要はない」

「じゃあなんで……?」

「サギッタリウスの2人とて、そんなに遅くはない。だから前に出ると普通に追いつかれる可能性が高いだろう。体力に余裕があるうちは、あのドラコ(莫迦共)のように圧倒的でない限りは、真後ろについていって空気抵抗を減らして速度を上げた方がいい」

 

 バックスリップ。

 鉄道界隈では先頭車両の形状を検討するときに頻出する、空気抵抗に関する有名な物理現象の1つだ。

 基本的に何かが移動するときは前にある空気をかき分けて進む。故に、そこに圧力の変化を生じさせてこれが空気抵抗となるのだ。

 そして、その圧力の変化は進行方向の後ろ側でも同じように起きる。もともと移動体があった場所は前で押しのけた分気圧が下がるから。このとき発生する空気の渦が騒音となるから、先頭形状はこちらも考えなきゃいけないよね、というものだ。

 

 そしてもう1つ。バックスリップに関して、鉄道ではミニ新幹線を併結する時くらいしか聞かない言葉ではあるが、スリップストリームというものもある。高速道路で前を走るバスやトラックなどの大型車両を抜かそうと追越車線に入ったら、急に大型車両が加速したように錯覚するアレだ。

 これはバックスリップの発生する気圧の低い場所なら、より後方から減圧された空間へと空気を吸い込もうとする力が働くというもの。さらには、かき分けるべき空気の量が減るので空気抵抗もそれに従って減るので、とても走りやすいのだ。

 

 佐倉さん達は、これを利用して力をセーブしながらサギッタリウスの後ろにつけ、そしてサギッタリウスがそれを利用できるだけの余力がなくなるまで待っていた。成岩さんはそれが早く訪れるようサギッタリウスを後ろから突っついていた。早乙女さんの見解はこうだ。

 

 そして事実、加速したウルサにサギッタリウスはそのスリップストリームを利用できるほど近づくことができずに、ウルサの独走――ドラコのそれほどではないけれども――は始まった。

 二人三脚レースはまさに中盤。ちょうどその頃、ドラコがゴールした旨が無線で告げられて、ウルサの2人がこのレースでの正真正銘の先頭に変わったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ後:ラストスパート

箱根駅伝を見ながら執筆してたら思ったより話の進みが遅くなってしまった……。


 成岩さんと佐倉さんは、阿吽の呼吸で爆走して、10キロメートルポストを通過した。二人三脚レースは折り返して――ラケット上のコースなので、物理的に折り返している訳ではないけれど――後半戦に入る。

 僕達ウルサ・ユニットから出ている2人は第二集団から抜け出して前に行ったけれど、僕は2人を追いかけるのをやめて、第二集団の少し前から彼らの様子を見ることにした。正直先頭をだいぶ離れて単独で走っているのを見てもあまり面白くないし、ここから2人に追いつこうとする人たちがいたら横から彼らと一緒に向かえばいいわけだから。

 

 第二集団は、ウルサが抜けたあとも相変わらずサギッタリウスが先頭となっている。ただ、成岩さんが突ついたおかげで後ろとの差は少しずつ消え、いつの間にやらその後ろにピッタリとドラドがくっついている。そしてその後ろ数メートル離れてエクレウス、そして最後尾にゲミニだ。

 だが、サギッタリウスの失速があまりにも大きかったのだろう、しばらくしてやや長い直線区間に入ると、エクレウスが急に加速してサギッタリウスを抜き去った。その後にはきちんとゲミニもいて、サギッタリウスは完全に後方に1組だけぽつんと残される形となる。もはやここまでか。

 

 ……あれ、ドラドは?

 その疑問を抱き、目線をエクレウスに戻す。あぁ、()()。いつの間にやら、サギッタリウスの後ろからエクレウスの後ろへと()()()()()()()()()()、ドラドの2人はピタリとエクレウスにひっついている。そして数メートルほど間を開けてゲミニが続く。

 

 だけど。左カーブに入って、2パーセントの下り勾配に差し掛かったときに、この集団に悲劇が起きた。

 

「あっ!」

 

 ――バタン!

 

 悲鳴のような声と、何かがぶつかる音がその場に響いた。エクレウス・ユニットの2人の息が乱れ、時速40キロメートル強でその場に転倒してしまったのだ。

 あまり距離を置かずに走っていたドラドもそれに巻き込まれる形で転倒。少し間を確保していたゲミニはやや体制を崩しながらもギリギリでそれを回避するも、大幅に速度が低下。結果として、ゲミニが集団――もはやそう呼んでいいのかは謎であるが――の先頭に躍り出た。

 

 しかし、下り坂の中でその状況は長く続かなかった。転倒した2組4人の横を、ほぼ速度を落とさずに通過するユニットが1つ。――そう、サギッタリウスだ。サギッタリウスは、まだ諦めてなどいなかったのだ。

 一度後ろに出て、自らのペースを取り戻したのだろう。彼らは恐ろしい速度でゲミニに追いすがる。

 

 だが、ゲミニも負けてはいない。

 果敢にも下り坂を利用して、負けじと速度を回復し、サギッタリウスを引き離しにかかる! その差、わずかに20メートル弱!

 そしてウルサが後ろから突っついていたのと同じように、今度はそれをされていたサギッタリウスがゲミニに加速を強要する。その速度は気がつけば時速60キロメートルを越える、二人三脚としては破滅的なハイペースだ。

 しかもその大台を超過した上でなお、これらのユニットの加速は緩まない。63、66、70、まだ伸びる。

 

『そっちどう?』

 

 早乙女さんと一緒に追いかけ続けている北澤さんから無線が入る。

 

「今75くらい出てます」

『……嘘でしょ!?』

「本当本当本当」

『どういうことなの……』

 

 無線の向こうで、北澤さんが困惑している。僕もこの状況を無線で聞かされたらそうなると思う。だって目の前の2組、引くほど速いんだもの。

 現状では、サギッタリウスがゲミニの真後ろに入って空気抵抗を減らしている。恐らく、この後サギッタリウスが仕掛けるとすれば。

 レースルートの先を見る。直線の先に、恐らく3パーセントほどの上り坂がみえた。だとしたら、上り勾配をスリップストリームで抜けた後、横に出て抜き去る。僕だったらそうする。

 

 だが、サギッタリウスはそこまで待たなかった。坂に入る直前、ゲミニが一度速度を緩めた際にそのまんま右へと出て抜き去ったのだ。

 彼らは勢いに任せたままスピードを落としもせずに坂を昇る。一度スキを見せてしまったゲミニに、勾配の途中で急加速してサギッタリウスに追いつくだけの余力は、どうやら残されていなかったようだった。

 

『ねぇ、今どこにいるの……?』

「坂を昇りきったところ。速度はほぼ落ちずに72で走ってますね」

『わかった。そのままワッチよろしく』

「確認したいんですけど、そっちどれくらい出てます?」

『60強で、800メートルほど前方。このままのペースだと、確実にゴール前までには追いつかれちゃう』

 

 レースは残りおよそ8キロ。確かに、このまんまだとけっこう危ない。

 そして事実、サギッタリウスの横を走る僕からウルサの2人を視認するまでには、そう長く時間はかからなかった。しかもその瞬間から、サギッタリウスはまださらに速度を上げる。残り5キロ、正真正銘のラストスパートだ。

 ちらり。後ろを振り返った佐倉さんと目が合った。熾烈な2位争い。その差は縮まりながらも、縮まる速度は落ちる。これは前を走る2人も速度を上げている証拠だ。

 

 だけど、縮まる。じわりじわりと。

 残りおよそ2キロ半。ついにその差は100メートルを切る。残り2キロ、70メートル。残り1キロ、20メートル!

 

「絶対に、絶対に、絶対に負けてたまるかよ!」

 

 成岩さんの叫びが、聞こえるほどに近い。そして視界の先には、見えるゴールライン。残り400メートル、わずか10メートル差だ。

 

「我々にも、誇りがあるのだよ!」

「そう。でも、負けるつもりは無い!」

 

 残り200メートル。ついに2つのユニットが並んだ。だけど、そのスピードもほぼ横並び。これは……。

 

「すまん佐倉! 先に詫びる」

「負けるとか、言わないよね?」

「逆だっ、《ハイブリッド・アクセラレーション》ッ!」

 

 青い光が成岩さんを包む。サギッタリウスを、佐倉さんすらも置き去りにして、成岩さんは1人加速した。

 当然、二人三脚なのだからそんなことをすればバランスなんてものは脆くも崩れ去る。だけど、この状況では一歩でも、半歩でも、僅かでも前に出ることのほうが重要だったのだ。

 

 ゴール前、100メートルで生まれたその僅かな差。体制は崩れながらも、その差を維持して2人はゴールラインの少し先の地面へと激突したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回4レ:審議

 2時間ほどして、全てのユニットがゴール又はリタイアした。

 この種目の結果は、決定するまでにいろいろと――本当にいろいろと議論があったけれど、結局到着順にドラコ、ウルサ、サギッタリウス、ゲミニ、ドラド……というものになった。

 

 ちなみに、ここでおきた議論というのは、当然の事ながら主にドラコの悪行のことである。流石に路面を凍結させて滑走し、後続の走行を妨害するのはルール違反ではないのか。このような意見が複数の、決して少なくないユニットから出たからだ。

 そしてその最中、局所的に氷を溶かしてさらに後続に負荷をかけたウルサも槍玉にあげられてしまった。だがこちらはドラコを訴えたユニットの中でも評価が割れ、学級会の中でも最終的には諸悪の根源たるドラコが悪いという結論になって、お咎めなしとなった。

 

 これらに対して、本部のくだした判断はこうだ。

 

『路面の凍結自体は、自然現象でも十二分に起こりうる事態であり、それを引き起こしたとて走行妨害にあたることはない』

 

 つまりは、路面凍結対策をしてこなかった方が悪い、という判断だ。

 理屈は分からなくもないが、どうして夏合宿で路面凍結対策をしなければならないのか。理不尽だ。そのような声も上がったが、この判断が覆ることは無かった。

 

 それはなぜか。なまじっか対策をしてしまったユニットが存在してしまったからだと、本部は回答した。そう、《ホライゾン・レッド》を繰り出した佐倉さんだ。そしてウルサと同様に氷をものともせずに抜け出して第二集団を形成したサギッタリウス、ドラド、ゲミニ、エクレウスの4ユニットに、氷を生み出したドラコを含めた計6ユニット。これは参加する全24ユニットの4分の1にもなるほど大きく、対策が無理だったと断定することはできない。そう判断された。

 真の勝者には、選ぶ権利がある。そしてそれが選んだ、どれだけ一方的で理不尽な戦場ですらも立ち向かい、対応して食らいつけるのが真のノリモントレイナーであり、そもそものJRN本部の描くノリモントレイナーの理想形。その理想形は、突然路面が氷になったとて決して怯むことなく駆け抜ける。それに近かったユニットを優遇すべき。これが本部の理論だ。

 

 もちろん、後ろのユニットはこれにも反駁する。いくら権利があるといえど、その濫用は許されない。そもそも、二人三脚というのは、他からペースを乱されればすぐに転倒の危機のあるレースなのだからと。だが、ウルサとサギッタリウス、そしてゲミニなどの第二集団の起こした競り合いがまた後ろへの再反駁のタネにされた。

 こうなってくると、後ろの目は原因を作ったドラコではなく、普通に走ってしまった第二集団5ユニットへと向けられる。――()()()()()()()()()()()()()()()()()と。言いがかりに近いと思う。

 だが、思い出してほしい。第二集団の中で転倒しなかったのはサギッタリウスとゲミニの2組のみで残りの3組は転倒した。しかも、ゴールしながら転倒したウルサはともかくドラドは転倒したにも関わらずその後も懸命に走り、5位を死守したのだ。そんなドラドの頑張りすら、なかったことにするのは如何なものだろうか? これは惜しくも転倒し、最終的には9位となってしまったエクレウスの走者の言葉だ。

 そして午前中いっぱい似たような議論が延々と繰り返されて、結局は全ユニットお咎めなしの到着順通りの結果が採択されたのだった。

 

「2人も理解できただろう? この夏合宿において、各競技時間が長くとられている理由が」

「痛いほど理解できました」

「なーんか、醜い争いだったね……」

「醜い、か。確かにそう感じるかもしれないが、あれだってきちんと意味があるのだよ。議論が起きるということは、その最中に嫌でもそこにあった好プレーや対策手段が共有されることになるだろう?」

「あ、そっか」

 

 なるほど。

 そもそもがそういう目的の合宿なのだから、議論を発生させて各ユニットにフィードバックを起こしたほうがいいって魂胆なのか。

 

「特にこれからの2人、3人種目はまぁ半分弱はこうなるが、その議論から学べるものも多い。だからこそ、君達には発言はしなくてもいいので参加して、議論を聞いておいてもらいたいと思っている」

「わかりました」

 

 それから僕達は、競技に参加していた2人を交えてのランチタイムに入る。

 

「成岩君、最後だいぶ無茶をしたね君」

「ああでもしなきゃ勝てなかったんだ。サギッタリウスの奴らの事はリーダーもよく知ってるだろ?」

「勿論だとも。先程話をした際に君の事を高く評価していたよ」

「そりゃどうも」

 

 成岩さんはあれだけ派手に転倒したにもかかわらず元気そうにそう返す。シールド様々だ。

 だが、もう1人の走者である佐倉さんは不満があるようだった。

 

「いや、シールドあっても衝撃は来る。怪我はしなくても痛いものは痛い。成岩は反省すべき」

「悪かったって」

「カステラ一本で許す。西海バス停近くの」

「えらく具体的だな……。明日休養日だし買ってくるから」

「やった」

 

 ……これ最初っからそんなに怒ってなかったやつだよね? コソコソと北澤さんとそういう話をしていると、向こうから言うなよという目線が飛んでくる。面白そうだし黙っとこ。

 

 そんな感じで振り返りを交えたり、あるいは次の種目――僕と北澤さんで出る、模擬戦。それの注意点だったり他ユニットの動向だったりを再確認したりしながら食事を終えて、僕達は次の種目の行われる場所へと移動したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5レ前:第9種目・模擬戦

 午後、合宿所の前。昨日と同じように少し開けたところにラッチが今日は2つ張られている。これが第9種目の会場だ。

 さて、今回の模擬戦のルールだけれど、少し変則的だ。まず、各ユニットの2人は10メートル以上離れられず、離れたらリタイア。そして、片方のシールドが全て削れたらその時点でそのユニットはリタイア。つまり、どちらもが最低限自分の力で自衛する術が無かったら負けなのだ。

 なんで僕をここの担当にしたのさ、早乙女さん……。逃げたらリタイアじゃないですかこのルール。一応、スタートがラチ内なので、予めトランジット・トレイニングをしてからスタートできるところだけは有難いルールだけどさ。

 

「ルール聞いたら勝てる気がしなくなってきた……」

「いや、いけるでしょ?」

「過大評価しすぎですよ……」

 

 だって巻き込んだら完全アウトだから《桜銀河》は使いにくいし、ポラリスとのトレイニングで出てくるナタの扱いもまだ完成されていない。もちろん、できるところまではやるけどどうせ足を引っ張るだけになると思う。僕の得手不得手はけっこうはっきりしてるのだ。

 

「大丈夫。最悪アタシが守るから」

「……なんだか自分が情けないなぁ。お願いしますよ、委員長」

「もう委員長じゃないって言ってるよね? ……まぁいっか」

 

 とりあえずこの模擬戦はなるようになってもらうしかない。合宿終わったらナタの扱いを早急にマスターしよう。そう心に決めた。

 

 ()()を引いて、参加グループを確認する。この種目は、まず4組が1グループとなって予選をたたかってから、各グループの勝利6組による決勝が行われる形式だ。

 そして北澤さんの引いた()()によれば、僕達はグループ3に配置されたようだった。

 

 そしてしばらく待っていると、グループ1の入っていったラッチが開けられた。どうやら終わったみたいだ。

 それから審判役の準備などを挟んで再びラッチが張られ、僕達グループ3の予選の準備が整う。

 

「行こっか」

 

 その声に誘われて、僕達はラチ内へと入場した。そしてすぐさまトモをポラリスにトランジットしてから、事前に聞かされていた通りのスタート位置へと向かった。

 足回りのパーツに取り付けられていた鞘からナタを引き抜く。普通はウェポンはスターかポートに紐付いているものなんだけれど、ポラリスの場合はなぜかトモにひっついているので、機動力という面でも好ましい。これは、ポラリスは車だった時から重いものを床下に集めて重心を下げる設計思想だったから、重いウェポンもここについているんだろうとベーテクさんが推測していた。

 

 自分達の準備が終わって辺りを見渡せば、残りの3つのユニットもスタート位置へと入るのが見えた。エキステーションがそんなに広くないので隣のユニットもけっこう近く、恐らく200メートルほどしか離れていない。こりゃやっぱり《桜銀河》は間に合わないか。

 そして少しだけ間をおいてから審判が合図代わりの花火を打ち上げて、戦いの火蓋は切って落とされた。

 3つのユニットが、皆揃ってこちらの方へと駆け出す。だけれど、うち1つ、左のユニットはその段階で離れすぎてしまったのか、届く前に失格を告げられてしまっていた。

 

「少し時間もあるし、迎撃の準備をしよっか。《銀桜花》」

 

 北澤さんがそう宣言していつものスモールソードを振るうと、剣先が桜の花びらを描くように舞い、軌跡が宙に残る。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、そしていつつ。軌跡が閉じれば、その内側に光は染み込み、桜の花が開く。

 そして彼女がスモールソードを前へと差し込めば、その花は鍔となり、刀身は力強くも美しく桜色に輝いている。

 

 今回の僕達の戦法は、積極的には動かないものだ。ドッシリと構えてやってきた攻撃を受け流したりしながら、近寄ってきた相手を北澤さんが斬りつけるというもの。僕が集中的に狙われるであろうことは想像に難くないので、このチョウチンアンコウめいた作戦が採択されたのだ。

 

 さて、距離的に近かった右のユニットが先にこちらに到着し、攻撃を仕掛けてくる。見た目だと、そのウェポンは日本刀とハンマーだ。

 

「喰らえいっ!」

 

 降り下ろされた日本刀をナタで受けつつ後ろに下がる。すると日本刀と地面との間を大鎚が通過!

 そうして当たるものがなく、反動を得られずによろけたハンマー使いに北澤さんの《銀桜花》を纏って輝くショートソードが直撃し、そのユニットはリタイアすることになった。あと1組。

 

「……北澤さんの使ってる技も大概威力おかしくない?」

「アンタのとこの《桜銀河》と同系統ってオトメ号は言ってたけど?」

 

 名前似てるしそれはうすうすそんな気はしてたけど。

 だとするなら、その特性は僕の知るものに近そうだ。長く発動し続けていた方が強い。《桜銀河》の(ビーム)が育つように、《銀桜花》は(鍔や刀身)が育つのだろうから。

 そして、間違って味方に当たったときにどうなるのかも恐らく同じだ。まぁ《桜銀河》みたく射程距離が長いわけじゃない分そのあたりは安心できるけど……。

 

 そして、僕の想像通りに《銀桜花》はやってきたもう1ユニットの片方のシールドもあっという間に割り、僕達の決勝進出を決定させたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5レ後:《桜銀河》

 第9種目・模擬戦の決勝戦は、ウルサの勝利で終わった。

 

「信っじられない……」

「流石に僕も、こうなるとは思いもしませんでしたよ……」

 

 そして僕達は、超絶の不完全燃焼である。

 何事が発生したかといえば、スタートした瞬間4ユニットが一斉にドラコに殴りかかって僕達はノーマークになったのだ。そしてその外側から《桜銀河》でまとめて終わらせてしまうことができてしまった。本当に一方的に勝ってしまったのである。僕も北澤さんも一歩たりとも動かずに。

 正直、これが起きれば一瞬で終わってしまうのだから、それをさせないように動くはずだと僕も北澤さんも読んでいたのだけれど、現実は午前中の悪行(路面凍結)により大きなヘイトが向かっていたようだった。特にカンケルなんて、僕の危険性を一番知っているはずなんだけど、どうしてドラコの方へ行っちゃったんだろうね……。

 

「そもそも、昨日のバトルロイヤルでどのユニットも《桜銀河》を見てるはずですよね」

「あっでも、パウォとウィルゴは遅刻組じゃなかったっけ?」

「あー……」

 

 遅刻かぁ。そういえば昨日の午前って夏合宿参加ユニットの3分の1にあたる8ユニットがまだ到着できていなかったんだっけか。

 遅刻で参加できない種目があると、そこで得られるべき得点だけではなく得られるはずだった情報アドバンテージも失って、残酷にもこんな形でより後の種目まで響いてしまう。

 そう考えると、だいぶ酷いルールというか日程だよなこれ……。昨日のお昼の時にいろいろみんなから情報もらえたからわかるけど、情報アドバンテージってけっこう大きいぞ。

 

 それから、暫くして他の3つ、予選の2位から4位のそれぞれの順位が集まって行われたラッチも開けられて、少しして結果が発表された。今日も昨日と同じように短い間隔で一方的に全員を薙ぎ払ってしまった訳だけれど、2位以下は予選の際の実績できちんと決まる。なので再試合は行わず、上からウルサ、ドラコ、パウォ、リュガ、ウィルゴ、カンケルの順となった。

 

「お疲れ様。……なんか勝ったのに不満そうだな」

 

 ユニットに戻ると、まず成岩さんが出迎えてくれたのだが、どうやら僕達は一目見てわかる程度には渋い表情をしていたらしい。

 

「完っ全に、不完全燃焼!」

「一方的に勝つのって、こんなにも虚しいものなんですね……」

「お、おう。何があったのかは知らんが……」

「後で録画見たらいいと思いますよ」

「たぶん笑いしか出ないんじゃないかな」

 

 それからしばらくして、参加した全ユニットに10試合の録画データが送られてくる。すぐさま部屋のテレビに端末を繋いで、その録画データのうち、問題の決勝戦を再生した。

 

 開始するや否や、攻撃が飛んでくると予想して構える僕達。それを無視するかのごとく、僕達の向かいのドラコしか見えていない4ユニットが駆け出して、そして僕の困惑している顔が写されている。情けないからそれは写さないでほしかったなぁ。

 その後、僕と北澤さんが少し話――桜銀河を打つべきか否かの軽い相談――をしているのが写ってから、《桜銀河》で5ユニットがまとめて薙ぎ払われるところまで、全てがその録画データにのこされていた。

 そして案の定、それを見て成岩さんは状況を理解した瞬間爆笑していたし、佐倉さんは苦笑いで、早乙女さんは乾いた笑いを発しながら頭を抱えている。

 

「山根君」

「……はい」

「君の行動は正しい。スキを見せるのが悪いというのは、私からも言っておこう。……だが、これは予選の映像ではないのか?」

「6ユニットいる。間違いなく決勝」

「午前中に路面を凍らせた奴はこの種目には出てねーと思うんだが、どんだけヘイト集めてたんだ」

 

 そういや、他のあの時第二集団にいたユニットは予選で負けてたんだな。決勝に上がってきそうなサギッタリウスはまさかの予選でドラコにぶち当たってたし、エクレウスとゲミニはグループ6でカンケルに負け、ドラドはグループ4だったからウィルゴの前に沈んでいた。つまり、決勝戦に残っていたのはみなドラコに敵意が沢山だったという訳だ。

 

「この4ユニットなら確かに複数纏まればドラコに勝ちうる力は有しているが、それでもそのドラコに単独で一方的に勝ちうる山根君を放置して向かうのは理解できんな」

 

 一方的にって、うーん……。

 やっぱり過激な技だよなぁ、《桜銀河》って。

 

「あの、1つ相談いいですか?」

「なんだい、言ってごらん」

「僕はこのまま《桜銀河》を使()()()()()()()んでしょうか」

 

 正直、対トレイナーの模擬戦では最強であることは疑いようがない。だが、対クィムガンならどうだろうか? 当たれば強いが誤射リスクの高さが長所が台無しだ。

 そんな理不尽な技を模擬戦で使って一方的に勝っていては、僕はそのうち駄目になってしまうし、相手のためにもならないのでは?

 それに、今までならば《桜銀河》しかないという言い訳だってできた訳だけれど、今となってはポラリスとのトランジット・トレイニングでナタがある。ならば一度僕は《桜銀河》を封印した方がいいのではないか。昨日今日であまりにも無双してしまってそう感じざるを得なかった。

 

「意味あるんですかね、《桜銀河》を使った模擬戦って」

「難しいな。何度も伝えているが、私としてはいつクィムガンが《桜銀河》のような技を使ってくるかわからない以上、それに対する対応策は必須だと思っている。故に無駄とは言いきれない」

「でも、結局最初の糸口が見えるまでは無駄じゃないですか」

「それはそうだ。だからこそ君次第とも言える。君が使うべきではないと感じるのであれば、無理して使う必要はない。ただ、どちらにせよまだ君は考えるには早すぎる。ナタの扱いが十分でないがゆえ、しばらくの間はそれを()()必要とするはずだよ」

 

 ……うーん、たしかにそうなんだけど、《桜銀河》になれてしまうとそれが基準になってしまっていつまでも必要だと感じ続けてしまうような気がする。

 これ、本当にどうしようねぇ……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回5レ:乙女ノ鼻

 長崎県佐世保市、宇久島。

 五島列島の最北に位置するこの島は、JRNにとって、そしてノリモンの歴史を語るにあたって外すことのできない重要な島だ。

 JRN理事長・トシマ号は、JRNの夏季合同宿泊研修の日程中ではあるが、その宇久島は乙女ノ鼻を訪れていた。

 

 かつてこの地域を襲った台風5115号、その名はRUTH、そう、その台風が過ぎ去った後に追い打ちをかけるがごとく現れた始まりのクィムガン、ルースの落し子の名の由来たる台風。そしてルースの落し子は、台風が過ぎ去った後も1年近くにわたってその脅威を振りまいたのだ。

 その間、ここ五島列島や対馬を含む玄界灘以西の日本海の航行は軍民問わず非常に危険なものとなっていた。あまりの船の墓場ぶりに、対馬・壱岐・五島列島の各島に全島避難が決定されるほどのものとなっていた――当時はまだ、我々はクィムガンに対応できなかったのだ。

 

 貨客船、K123号。当時米軍統治下であった日本において、クィムガンの最初の被害として米軍の記録に残されている船だ。

 当時佐世保と釜山の間の航路に就き、航行中だったその船が、ここ乙女ノ鼻での最初の犠牲となった。これが()()()()()()()()、クィムガンによる被害。この乙女ノ鼻こそ、()()()()()()()()なのだ。

 

 トシマはその乙女ノ鼻で、黙祷を捧げている。その胸に抱いた誓いを更に強固なものとする儀式だ。二度とそのような惨劇を繰り返すことのないよう。ひとりでも多くのノリモンが笑顔になれるよう。

 そしてその帰り際。トシマは、黒いノリモンが四阿のベンチにかけてこちらの方をじっと見ていたことに気付いた。

 

「失礼。ずっとこちらを見ていたようだが」

「あら。あまり見られないお綺麗な方でしたのでつい」

 

 黒いノリモンはポンポンと腰掛けるベンチの隣を叩く。座れという意味だろうか。

 トシマは少し迷ってから時計を見て、帰りの高速船の時間まで余裕があることを確認してからそこに掛けた。

 

「地元の方……ではないな、貴女も、私も」

「えぇ。ですが妾は月に1度はこちらに来ております故。貴女もわざわざこちらにおいでなさってるという事は、こちらで過去に何があったのかをご存知かと思われますが」

「あぁ。あの悲劇を我々は二度と起こしてはならん」

 

 告げられたトシマの言葉で、彼女は何かに気付いたようで、ピンと背筋を立てた。

 

「……もしかして、JRNの方ではないですか? いつもご苦労さまです」

「当然の事をしているまでだよ。最も、ここ十数年は苦労しているのはトレイナー達で、我々ノリモンにできることは限られてしまっているが……」

「それは幸せなのですか?」

 

 思いもよらぬその問いに反応できず、トシマはキョトンとしている。

 

「ノリモンは、前世紀の方が輝いていたのではなくって?」

 

 その言葉をきいて、質問の意味をようやく理解した。

 ラッチにより自分の活躍が阻害されたと感じるノリモンも決して少なくはない。今目の前にいる彼女も、少なからずそう感じているのだろうと。

 

「……仕方のないことだ。ラッチがなければ、また前世紀のように頻繁に避難勧告だのを出すことになる。行政コストも大きい。君も前世紀のクィムガン対策を知っているのなら、どれだけ被害が出ていたかを知っているだろう」

「でも、それでどれだけのノリモンが職を追われたのかしら」

「追われたといえど、JRNでは再就職先の斡旋にかなり力を入れていたよ。ロケットはオフィス、ノーヴルはスポーツ、サイクロはアカデミック、バランスはエッセンシャル、パレイユはメディアの各業界に話を通して受け皿となってもらうことができた」

「それらは、JRNに所属するノリモンだけではなくって?」

「前世紀にノリモンが一般的にどのような扱いをされていたのか忘れた訳ではないだろう。あの変革があって、その受け皿を探すために各派閥が対応したからこそ、今のようにノリモンがヒトと共生できる社会システムを構築できた。それはJRN以外のノリモンにもプラスに働いたと思っているよ」

「えぇ、そのシステムの構築は見事だったと存じておりますし、大多数のノリモンにプラスに働いたのは事実でしょう。でも、全てではありません」

「……何が言いたい?」

 

 トシマが逆にそう問いかけると、黒いノリモンは立ち上がってトシマの前に立つ。

 

「妾は全てのノリモンに祝福を届けるべく活動しております。JRNも似たような価値観を共有していると考えておりましてよ、JRN理事長、トシマ号」

「私の事を知っていたか。ならばこちらからも聞こう。君もJRNに来ないか? その理想を実現するために、共に力を合わせようではないか」

 

 トシマもつられて立ち上がり、目線を合わせて手を差し出しながらそう問いかけた。

 だが、その差し出された手は、すぐに握られることは無かった。

 

「ならば、貴女の考えをお聞かせ下さい。貴女達のやり方では手の届かないノリモンがいる、違いますか? そこのところを、どう考えているのですか?」

「全てを救うべきなのが、真なる理想ではある。だが、現実的にはひとりでも多くが幸せを掴むためには、少数にある程度の我慢をしてもらわざるを得ない状況となるのはやむを得ないだろう」

 

 その言葉を聞くなり、彼女は差し出された手ではなくトシマの腕を掴んで下げさせる。交渉破談だ。

 そして、一旦目を瞑ってから改めてその答を言語化して口に出した。

 

「なるほど、今ので確認ができましたわ。妾等の理想と、JRNの理想にはどうやら致命的な()()があります。ならば、妾等は妾等で行動するまでです」

「そうか。まぁ、無理にとは言わないさ。ただ、理想は近くにはあるようだ」

「えぇ、確かに近い。でも、遠いものですわ」

 

 彼女は、そう伝えるとトシマに背を向けてそこを去ろうとした。

 

「待ってほしい。最後に、君の名を教えてはくれないだろうか。個人的に、力を貸せるやもしれん」

「シャワァ。妾の名は、ライスシャワァ。また会うことがあれば、そのときは」

 

 シャワァは立ち去りながら名乗る。トシマはそんな彼女を追いかけることはせず、しばらくその場で立ち尽くしていた。

 そして、自らの中の要注意リストにその名を刻みつけたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6レ前:休養日

 夏合宿5日目。今日は休養日で、一日中が各個人の自由行動となる日だ。ウルサは割と自由なユニットなので、各メンバー夕食までに帰ってくれば自由行動ということで、成岩さんとかは朝食――指定の時間内でのバイキング形式だ――を取るなりさっさと長崎市街へと向かってしまったようだ。

 ……とは言っても、そもそも長崎に来ると知ったのが出発日だったので特にリサーチとかをしたわけではない。そもそも観光旅行ですらないし……。

 なので適当に昨日送られてきた他のラッチの模擬戦の様子を見て、戦術とか身のこなしとかを学習しておこうと思っていたのだが。

 

「やぁ、期待のルーキー。今日は暇かい?」

 

 朝食会場から戻ろうとしたとき、入口脇で中泉さんに捕まってしまった。

 ……今、この場で文句の1つくらい言ってもいいよね?

 

「えぇ、貴方がたのおかげで昨日は振り返るべき行動もなく終わってしまったので」

「……それは氷川*1に言ってほしいね、ぼくだってあんなに集中攻撃を受けるとは思ってもなかったんだから。それがなかったら、まずはキミを仕留めに行っていたよ」

 

 あ、そうか。よく考えたらこの人も一応被害者なんだな……。

 なんか悪いことをした気分に……いや、ならないな、なんでだろう。中泉さんの態度かな?

 

「そんなキミに、いいニュースと悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」

「どっちも聞きたくないです」

「まぁまぁそんなつれないことは言わずにさ、聞いてってよ。じゃ、まずはいいニュースから」

 

 あ、結局言うんだ。ならなんで聞いたのさ。

 まぁ別に一方的でも答えを用意しなきゃいけないわけじゃないからいいけど……。

 

「まずはいいニュース。キミはこれから直接氷川に文句を言えます」

「……悪いニュースに聞こえるんですが」

 

 単なる拉致予告では?

 僕は訝しんだ。

 

「もう1ついいニュース。なんなら合法的にボコボコにできます」

「悪いニュースですよねそれ」

 

 要するに、その氷川さんが僕と戦おうとしてるってことのように聞こえるんですが。

 どこがいいニュースなんですかねそれ。

 

「そして悪いニュースだけど」

 

 つぎの瞬間、僕の視界は暗転していた。

 身動きが、とれない。

 

「キミにはまだ、選ぶ権利はありません」

「そんなことだろうと思いましたよ……」

 

 脱出しようと思ったけれど、二の腕周りを掴まれているせいでうまく動けない。

 僕の脳裏には、ある晴れた昼下がりの市場へ続く道がはっきりと映ったのだった。

 そしてつぎの瞬間、体が90度ほど回転し、背骨が地面と平行になる。

 

 ……運ばれてるなぁ、これ。どこに連れてかれるんだか。

 まぁどうせさっきの()()()()()()の話の流れ的にドラコの部屋か、あるいは外に張ってあるであろうラッチのそばか。たぶん後者な気がするな。

 幸いにも肘から先は比較的動かせるので、なんとか手探りでチッキを取り出しておく。向こうが強引なことをして連れてゆくのならば、こっちだって強引に逃げたって文句を言う権利はないはずだ。いろいろめんどくさいことになりそうだし解放されたらとっととトランジットして逃げよう、そうしよう。

 

「あ、逃げようとか考えてるだろうけど、それは無駄だってことはあらかじめ伝えておくからね」

「えー」

 

 訂正。どうやらだめみたいだ。その証拠だろうか、扉が閉じられた後に鍵のかけられる音が聞こえた。屋内だったか。

 

 そしてまた体の軸が回転して、地面に鉛直になれば、視界を遮るものが取り払われる。

 目の前に立っていたのは、ドラコのリーダーたる氷川さん、まさにその人だった。

 

「じゃ、がんばってね」

 

 声が聞こえるのと同時に、僕と氷川さんとを囲むようにラッチが張られる。

 

「待っていたよ、購買部の山根君。まずは手荒な真似を詫びよう」

 

 静かなラッチの中で、氷川さんのその声だけが響いた。

 ……この際だから、聞いてしまおうか。

 

「それは今のことですか、それとも昨日の二人三脚のことですか?」

「手厳しいね、前者だけさ。そもそもアレは君に文句を言う権利はないぞ、君はあの種目に出ていたわけじゃない」

「その後の決勝の映像は見ましたよね? あれ、貴方の行動のせいですからね?」

「状況判断すらできなかっただけだろ」

 

 氷川さんは残りの4ユニットの選手をばっさりと切り捨てた。

 うん、確かにそれも事実の1つなのだろうけど。

 

「大前提として、君は1つ勘違いしてる。あの二人三脚の戦術を考えたのはオレではなく鮫島だ」

「でもそれを実行したのは貴方ですよね」

「まぁな。アレだって立派な勝負事。勝つために全力を出さなきゃ相手に失礼だ」

 

 氷川さんの言葉に悪びれた様子はない。まるでそれが当然かとでも言うように。

 でも、その価値観は理解はできる。行為に納得はしたくないけど。

 

「……まぁ、なんでそうしたかはなんとなく理解しました。それで、今日はどういう用で僕を拉致したんです?」

「あぁ、それはだな」

 

 氷川さんはにやりと笑った。

 

「《桜銀河》を攻略したから試してみたい。それだけさ」

*1
ドラコのリーダーで、氷使いのキールをもつ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6レ中:蜃気楼とか不知火とか

 《桜銀河》を攻略した。

 氷川さんは今、確かにそう言った。それが事実だとすれば、たいへん喜ばしいことだが……。

 

「……ここ数ヶ月、早乙女さんが何度も何度も試して、無理だったそれを、ですか?」

「あぁ。とは言っても、理論を組み立てただけだから実際に通用するかはわからなくてな」

「それで暇そうな時間に、と」

 

 チッキを取り出し、トレイニングする。話を聞いた限りじゃ1時間もせず終わりそうな案件だし、とっとと終わらせて部屋に戻らせてもらおう。

 

「協力してくれるんだな」

「早乙女さんが言っていたんです。仮に《桜銀河》と似たような技を使ってくるクィムガンがいても対応できるよう、その対策は確保してある程度周知させておくべきだって」

「なるほど、早乙女らしいな」

「すでにもう十数回ほど早乙女さんに同じことさせられて慣れてるんですよ……」

 

 氷川さんは「あー……」と言葉を浮かべ、苦笑いしながらeチッキシステムの端末を弄って、僕に続いてトレイニングした。

 

 そしてお互いに少し、数十メートルほど離れた次の瞬間、氷川さんの姿()()()()()。よく見れば、奥の景色がゆらゆらと揺れている。

 

『テステス、こちらドラコロケット。準備でき次第《桜銀河》を打ってほしい』

 

 氷川さんから無線が入る。

 ……たぶんあの空間が変になっているところにいるんだろうから、とりあえずそこに向けて打ってみるか。

 

「行きます、《桜銀河》」

 

 桜色の光が伸びていく。すると次の瞬間、僕は今まで見たことのない現象を見ることになった。

 

 《桜銀河》が、曲がっている。まっすぐ歪みに向けて打ったはずなのに、その奥では明らかに少しだけ右斜め前に進んでいるのだ。

 一体、どうなってるんだ? そう思って歪みに《桜銀河》を向けながら、その曲がっている地点を見に行こうと右へと左回りに動いたそのとき。

 

『ちょ、タイムタイムそれは無理……あっ』

 

 悲鳴のような無線が聞こえて、《桜銀河》の光線が曲がる角度が急に変わって甘くなった。慌ててブレーキをかけて停まってから《桜銀河》を止めれば、そこにはトレイニングの解けてしまった氷川さんが。光線が曲がる様子をきちんと見てみたかったのに。

 

「どうして曲げるのをやめてしまったんですか?」

「軽々しく言うな……。波の反射ってのは角度に敏感なんだよ」

「全然攻略できてないじゃないですか」

「真正面からのはできてただろ?」

 

 確かに、真正面からとはいえ《桜銀河》を曲げられたのは初めてだ。

 どうやってやったのかと聞けば、それはとても単純な原理で、波の性質をうまく使ったのだという。

 

 2つの性質の異なるものの中を波が通過するとき、その前後において波の進む速度は普通は変わる。氷川さんは温度の違う空気の塊を作ってこの状況を作り出したらしい。

 そしてこの進む速度の比を相対屈折率と呼ぶらしいのだけど、これの逆正弦関数で導かれる角度より小さな角度で境界面に当たると、波はもう片方のものに入らずに全て反射してしまう。これを全反射と呼び、自然現象では蜃気楼とか不知火とかの発生メカニズムがこれなのだとか。

 なので、さっきのように急に当たる角度を変えられると、冷えた空気との境界を再び作り直すのが当たる角度が変わっていくのに追いつかなくなってしまう、ということらしい。

 

「わかっててやった訳じゃなかったんだな」

「単純に曲がるところを見に行こうとしただけですよ」

「まっすぐ近づいてくれや……」

 

 だって斜めから見てもよくわからないし。

 それを告げると、氷川さんは「それもそうか……」と納得してくれたようだった。

 

 ラッチを開けるために出場すると、外で待っていた中泉さんが僕を見るなり爆笑していた。ひどい。

 ラッチを開けながら話を聞けば、氷川さんと賭け事をしていたようで、どうやら僕が出てきたことで中泉さんの勝ちになったらしい。勝手に人の行動で賭け事をしないでもらえますかね……。

 

「で、キミはどうやって勝ったんだい」

「なんか打ちながら走ってたら壁を突破していました」

「あーやっぱりまた相手を固定で想定して対策立てたんだ。アウトレンジ相手でそれで何度か痛い目見てるのに」

 

 話を詳しく聞けば、氷川さんは前々から遠距離攻撃相手にどうも苦手意識を持っていたらしく、たびたびこうやって演習などで同席した新しいパターンの遠距離使いを呼んでは個人的に手合わせをして穴を塞いでいくつもりなのだとか。

 対遠距離攻撃のセオリーは、その遠くからくる攻撃をいかによけたり受け止めたりするかだ。だが中泉さんによれば、氷川さんは肝心の相手の動きの想定が甘いらしく、前にプッピスの虹ヶ丘さんを呼んで手合わせしたときも、弓矢対策はきちんと盾を用意していたのに流鏑馬めいて走りながら盾のないところに打たれて負けたらしい。さっきのとほとんど同じパターンじゃん……。

 

「まぁ、ぼく等は5人で1ユニットだから、極論全員が全てに対応できる必要はあんまりないんだけどね。ぼくだって、できないことだらけだし。ねぇ、氷川?」

「お前はそれを自覚してるんならもう少し努力したらどうだ」

「えー」

 

 開けたラッチから出てきた氷川さんが、そう釘をさした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回6レ:昼食

 氷川さんの実証が失敗に終わった後。僕は彼らに野外炊事場まで案内された。個人的な手合わせのお礼にと、昼食を振る舞ってくれるらしい。

 氷川さんは、ロケットの方では食堂部のそこそこ上の立場にいて、ユニットの仕事がないときは調理人として働いている人だ。給食用特殊料理専門調理師や管理栄養士とかの国家資格だって持っている。なので料理の腕は折り紙つきだ。

 

 そして実際、氷川さんの調理の様子は、圧巻というより他なかった。ガスがないので薪で火力を調節しないといけないにもかかわらず、そもそも早すぎて手元の動きが見えない。というか、料理をするためだけにトレイニングして運動能力を上げている時点で何かおかしくない?

 

「厨房は俺の戦場なんだよ」

 

 ……考えを読まれているのか、口に出してすらいないのに答えが戻ってきた。その間も氷川さんの手は止まらずに動き続けている。祝日の朝にやっている早業料理番組めいて。

 ちなみに、同席している中泉さんによると下手に素人が手伝おうとするとかえって時間がかかってしまうのだとか。この様子を見ていればなんとなくわかる気がする。

 

 そうしてお出しされたのは、豪勢なフルコース。なんで設備が整ってる訳でもない野外炊事場でこんなの作れるんだろう……。

 

「いいんですか、こんな豪華なの」

「気にすんなって。半分は俺が作りたかっただけだ」

 

 普段の食堂のメニューは新人でも間違えずに、量をきちんと作れるようきちんと考え抜いて設計しているので、策定した氷川さん本人にとっては少し退屈――でも、手を抜くことは決してしない――な料理なのだとか。そのわずかにたまっていくフラストレーションをたまーに出てくる限定メニューや()()()()、そしてこういう所で発散しているらしい。

 

 そして料理の準備が整う頃にはドラコ・ユニットの5人も全員集まって、揃っての昼食となった。

 ドラコロケット、リーダーの氷川さん。氷と冷気を操り、近接戦闘では間違いなく最強の一角。

 ドラコパレイユ、中泉さん。圧倒的な観察眼で戦況を把握し、ミドルレンジから的確に攻撃を叩き込む。

 ドラコサイクロ、鮫島さん。早乙女さんと同じように引き出しを大量に持つ、最もトランジットの扱いに慣れているトレイナーの一人。4部位のトランジットを同時に操るクワトロヘッド・ジョーズの異名を持つ。

 ドラコバランス、星野さん。僕と同じく遠距離タイプのキールを持つ人で、瞬間的な火力はかなりえげつない。当たれば。模擬戦だとわりと厳しいけど、クィムガンは図体が人間よりは大きいことが多いので現場では心強い。

 ドラコノーヴル、松代さん。ドラコ・ユニットの紅一点で、キールのかの著名なメカマ軍団11姉弟のスピードクィーン、メカマセンゾク号と同じように、瞬間移動に例えられる爆発的な加減速の持ち主。

 

 ……うん、やっぱり。

 流石は現状JRNの最高戦力とも言われるドラコ・ユニットというべきメンツだ。この中にまだ新人たる僕が混ざっていいのだろうか。

 そりゃ、単独での爆発力じゃクシーさん由来の《桜銀河》は確かに並べていい程強いけど、その使い手たる僕がまだまだ未熟だ。

 そう言うとウルサも大概じゃないかという声も上がるだろうけど、現状飛び抜けて強いのは早乙女さんと佐倉さんの二人で、成岩さんは平均よりは上程度、僕と北澤さんはまだ新人で()()()。流石に全員が強いドラコには遠く及ばない。

 ポンポンポン。僕の気持ちを知ってか知らないでか、中泉さんが僕の肩を叩いた。

 

「肩に力が入ってるぞー」

「入らないわけないじゃないですか」

「1回、深呼吸してみなよ」

 

 言われるがままに口から息を吐き出して、鼻から空気を取り入れる。

 その瞬間、目の前の料理から漂うハーブやスパイスの爽やかな香りが鼻腔の中に広がって、自然と力が抜けていった。

 

「あ……」

「最初に食事に誘う時は、そういう香り付けをしている。落ち着いて楽しんでほしいからな」

 

 氷川さんは笑顔でそういった。やっぱり凄いや、この人。

 

「ささ、冷めてしまう前に」

「「「「「「いただきます」」」」」」

 

 料理を口に運ぶ。

 見た目と反して、味付けのクセというか傾向は、毎週必ず一度はお世話になるJRNの食堂で食べているものと似通っている――よく考えてみれば当たり前だが――から、そこはかとない安心感がある。けれど、それを何倍も洗練させて、濃縮して、そして優しく包んだ、そんな感じの味だ。

 

「美味しい」

「そりゃよかった。……おっと、それ以上の言葉は要らんぞ、それを述べる口があるなら味わえ」

 

 いろいろ言おうとしたら止められてしまった。

 でも、口を通過する度に胸の奥があたたまるような、そしてなんだか幸せに包まれるような、そんな味だ。

 気がつけば、僕達の前のお皿はいつの間にか空になっていた。

 

 それから、しばらく僕はドラコのメンバーに混じって話をしていたり、少し相談に乗ってもらったりした。普段の早乙女さん達とはまた違った視点からのアドバイスを貰えたりして、とても有り難い。

 そして、ここまでしてもらって申し訳ないからと片付けを手伝ってから、僕はドラコの人達と別れて休養日の午後に入ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6レ後:領域

 ドラコの人達と別れて、ウルサに充てられた部屋に戻ると、いつもの部室のように佐倉さんが何かしらの論理を組み立てていた。

 荷物を取りにきただけなので、少しだけ言葉を交わして、キャリーバッグから回収してすぐに部屋を出る。向かう先は、海岸だ。

 西彼杵半島の大村湾に面するリアス式海岸の上に作られたこの合宿所はそこそこ広く、近くにあるゴルフ場より少し狭い程度だ。海岸に降りれば、天然か人工かはわからないけれど、小さいながらも砂浜が広がっている。おそらくこの後のビーチバレーとかビーチフラッグスとかの会場はここだろう。

 

 この砂浜に降りてきたのは、少し試したいことができたからだ。

 昨日のことで路面凍結の発案者たる鮫島さんに軽く文句を言ったとき、あの決勝戦でやりたかったことができなくなってしまったお詫びとして、彼の持つトランジット・トレイニングに関する知識をいくつか教えて貰ったのだ。

 

 まず1つ。どうもトランジット・トレイニング、流派というかお作法が複数あるみたいで、早乙女さんのアプローチと鮫島さんのアプローチはけっこう違っていたし、活用方法もかなり異なっていた。

 一番大きいのは、()()()()()()()だ。例え話で言えば、早乙女さんの場合は火と氷を使って加熱と冷却を相手に繰り返し与えて、熱衝撃を与えるようなやり方。一方の鮫島さんは同じものを使って水やお湯、スチームなどを生み出すやり方なのだ。似ているようだけど、根本的に違う。

 この違いがどこから生まれてくるのかといえば、トランジットをする相手の違いだ。早乙女さんの場合は目の前の相手によってトランジットをするノリモンが毎回毎回かわる。逆に鮫島さんは基本的に同じ組み合わせを使い、それでどうにもならないときに限って一部を差し替える。この違いが、先程の差に繋がっているのだろう。

 そして今の僕の場合、どちらかといえば状況は鮫島さんの方が近い。なんせキールのクシーさんの他はまだポラリス()()()()()のだから。

 ただ、現状足し算も何もあの《桜銀河》をどうやって組み込めばいいのかは不明だ。それについては鮫島さんも「そんな物は自分で考えるんだヨォ」と教えては貰えなかったし、たぶん僕とクシーさんしか知りようのないことなのだろう。

 

 だけど、そこで1つだけヒントをもらうことができた。それは()()()のトランジットの特異性。

 早乙女さんは、そもそもオモテをトランジットすることは少ない。駆動性能に直結するトモや、ウェポンを伴うスターやポートと違って、オモテをトランジットすることのメリットは()()()()()あまりなく、強いて言えば特殊なセンサーだったり制御だったりを必要とする時くらい。後はラッチの内外で通じる貴重な通信手段になったりもするけれど、実際のところ緊急で通信が必要になったときは誰か一人がラッチを越えればいいだけで、それすらできない時は逆にトレイニングも解けてしまうのでこれもそこまでメリットはないらしい。

 ただ、それは実戦面での話。さっきも言った通り、オモテのトランジットはモヤイを通じてノリモンと意思疎通ができる。そしてそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()行為に他ならず、場合によってはノリモン本人すら気づけていないウェヌスからの力の引き出し方が頭の中に飛んでくることがあるのだという。

 

 つまりは、こうだ。

 

「失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを! ポーラーエクリプス号、この身に宿れ」

 

 まずは全身をポラリスにトレイニングする。これから試すのは、鮫島さんが実証した逆トランジットというテクニックだ。通常の対応ではラッチを超える都合上、キールたるノリモンでトランジットを行うことはできない。だが、そもそもラッチを使わないのならそれができるという訳だ。

 

「地を駆ける神雷よ、青い光の超特急を導け! クシー号、このオモテに宿れ」

 

 クシーさんのチッキを使ってトランジットをする。この呼び出しのフレーズ、すっと頭に浮かんでくるんだけど誰が考えてるんだろう……。本当に、ウェヌスって不思議だ。

 そして僕は、今からそのウェヌスへの接続を試みる。このオモテのトランジットで。具体的どうすればできるのかはわからないけど。

 なので、可能性がある行為を思いつき次第試すほかない。

 

 まずは、《桜銀河》を使ってみること。

 そう考えて、指先に力を溜める。

 

 だけど、異変はその時に現れた。

 

「……あれ、()()()()()

 

 いつものように指先に力を込めても、《桜銀河》が打てる気配がしない。

 なんでだ。そう思って右腕を見て、気づく。

 ――銀色。そりゃ出る訳がない。今回は、クシーさんをベースにしているんじゃなくて、オモテだけのトランジットだ。

 気を取り直して口を開き、顎先に力を溜める。今度はうまく桜色の光が集まってくるのがわかった。

 

「《桜銀河》!」

 

 やや下を向き、放つ。これぞ本当のロービームだ。

 自分が放った光線が眩しくて視界を奪われる中で、意識を集中する。目指すは、遥か超次元の彼方、ウェヌスへと。

 何だっていい。この《桜銀河》以外の、仲間を巻き込みにくいものであるならば、何かしら。

 

 10分、数十分、いや、1時間。もっと長いかもしれないし、驚くほど短い時間しか経っていないかもしれない。とにかく、時間の流れすらも忘れて集中している中で。

 

『……! ……………………。 ………………!』

 

 ふと、声のようなものが聞こえた。誰かが、呼んでいるのだろうか。

 それを確認した次の瞬間、世界から音が消える。目を開ければ、《桜銀河》を打っている感覚はあるのに、広がっているのは真っ暗闇。

 そして、その中には、一筋の光。

 

 そちらの方へと手を伸ばす。次の瞬間、何かが割れるような感覚と共に僕は元いた合宿所の海岸へと戻っていた。

 目の前には、伸ばされた左手。よく見ると、トレイニングが解けている。

 ……ああ、やってしまったみたいだ。僕は何をやったのかを理解した。自分で《桜銀河》の中に左手を突っ込んで、自分のシールドを割ってしまったみたいだ。

 

 少し休んでから、もう一度同じことをしてみる。だけど、その日は二度とその声が聞こえることはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ前:第10種目・けん引

 夏合宿6日目。今日も2人種目が午前と午後に1つずつ行われる。ただ、僕は2つとも担当ではない。

 欲を言えば昨日掴みかけたウェヌスへの道をたどりたいけれど、流石にユニットメンバーの活躍を見ないわけにはいかないのと、今日の午前に行われる「けん引」なる謎種目を見てみたいのもあって、僕はその会場である砂浜――昨日の砂浜だ――へと降りてきた。

 

 するとその砂浜の上には、昨日は無かった場違いなものが1つ。貨車だ。なぜか線路もなく貨車が1両、そこにポツンと置かれているのだ。

 流石に、ここまでされてこの二軸貨車が何なのかを察せないほどの莫迦はJRNにはいない。この第9種目・けん引、そのけん引するものこそこの貨車なのだろう。

 そして、全ユニットの出場者が集まり次第開かれたルール説明で、その推測が正しいことが示された。けん引とは、この過積載のワラ貨車をこの砂浜の上で20.1メートルのけん引に要した時間を競う競技なのだ、と。そして例によって例の如く飛行は禁止である。

 

 ……いや、きつくない? 砂浜でしょ?

 砂浜というのは、小さな粒の集まりだ。見た感じは固体だけれど、強い力を与えたときの動きはどちらかといえば液体に近く、粘着力は非常に弱い。

 そんなところに強い力を与えたらどうなるか? 蹴れば足元の砂が舞い上がり、回せば空転地獄で、ちっとも前に進めやしない。かと言って、力を絞れば過積載のワラ貨車なんてものは引っ張っても動かないだろう。線路上では空転しそうな時には砂を撒いたりするけれど、それはすぐ下に硬いレールがあるからこそなのだ。

 

 これ、そもそも動かせないユニットとかいるんじゃないかなぁ。少なくとも僕は自分がやれと言われても無理だと思う。

 だからこそ、これを動かせる人がどうやってやるのかはかなり勉強になりそうだ。

 そう思ったころ、走行順のくじ引きの結果が発表された。ウルサ・ユニットは4番目だ。じゃあ第1走者はどこかと言えば、ドラコ・ユニットの氷川さんと星野さん。

 

 ……うん、なにをやるのかもう察しがついてしまった。これはたぶん参考にならないね。

 実際、彼らのけん引が始まれば想像していた通りの方法で難なく引ききっていた。なんかルールというか、前提条件を破壊してばっかだなこの人……。

 次の走者であるタウルス・ユニットは、実にその10倍以上の時間を要してワラ貨車を引いていた。こっちは車輪を転がすことを諦めて、横向きに砂に差すという強引な方法を使っていたけれど、それでも動き出す前は数回ほど砂を掘っただけになってしまっていた。

 

「でも、濡れているから走りやすいはず」

「そうなんですかね?」

「カラッカラよりは、少し湿ってる方が跳ねない」

 

 ……なるほど。つまりは乾ききるより前に走れるユニットが有利になるのか。まぁでも、水ならすぐそこに大量にあるのだし、強引に引き寄せるユニットがこの先出てきたりするかもしれない。それもそれで何か違う気もするけれど。

 そうこう話をしているうちに、3番目のユニットであるクラテル・ユニットが引き切り、4番目のウルサ、早乙女さんと成岩さんの走る準備に入っていた。ふたりともけん引用のロープをお腹にくくりつけて、ワラ貨車の前に立っている。

 早乙女さんはいつも通りトランジットで姿が変わって、今回はトモが真っ黄色になっている。そして脚の周りには、ふくらはぎを囲むように数本の棒が爪のように下向きに備わっているのだ。

 

「何あれ」

「たぶんマルタイ*1の子」

「えぇ……」

 

 ごめん、氷川さん。うちの早乙女さんも大概やろうとしてることが酷かった。これあらゆる地面での動きができるようにって種目で、地面を改造しろという種目じゃないと思うんだけど……。

 目を反らして成岩さんの方に視界を向ければ、こちらも準備は万端だ。彼も同じようにトモを黄色くトランジットしている。たぶん色的にサラさん――ベーテクさんと同郷のノリモンで、たまにラボに顔を見せていた――だと思う。ゴムタイヤも見えてるし。

 

 少しして、けん引の開始の合図が発せられる。

 早乙女さんは爪を震わせながら地面に突っ込み、成岩さんは右足を強く地面に踏み込む。ロープがピンと張られ、わずかに時間をおいてゆっくりとワラ貨車が動き出せば、あとは意外にもスルスルと少しずつ加速しながらすすんで、あっという間に定められた距離の移動が終わってしまった。流石にドラコよりは時間はかかったものの、現状では暫定2位となるタイムだ。

 あとは後ろのユニットのタイムによってのみ、順位が決定する。

 

 だけど、それを見守っている間に、想定外の事態が発生した。

 

 この場にいる全員の携帯情報端末から、あまり聞きたくない5点チャイムが響いたのだ。ただでさえ耳に残るものなのに、台数が多いと微妙にずれていて非常にやかましい。

 

 端末を開き、内容を確認する。

 長崎市からの、エリアメール。それは、長崎市街でのクィムガンの発生を告げるものだった。

*1
バラストを突き固める保線用車両、マルチプルタイタンパーのこと



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ中:クィムガン

 クィムガン発生のエリアメール。それは、周辺住民への避難の合図と共に近傍にいる対応可能なトレイナーに対する招集の意を持つ。いくら合宿中、競技中とはいえ、JRNに所属するトレイナーがそれを無視していい訳がない。

 ただ、流石にここにいる120のトレイナーが全員で押し寄せたらそれはそれで大変である。なので人数をある程度絞って対応に向かうことになった。

 取り急ぎ第一弾として選ばれたのは、各ユニットから今日の種目に参加しないことが確定している24人。僕達はJRNの保有する路線バス、ゴールドリボンシティハイブリッドに乗り込んで合宿所を後にし、現場へと急行した。

 

「ユニットをバラけさせて対応して、上手くいくんですかい?」

「必要なほどアカン奴だと解ったら、どっちにせよ残りの人達も来るでしょ」

 

 現場へと向かうGRCHの中では、そんな声が聞こえる。

 当たり前だけど、わざわざJRNの本部を経由して出動要請が出るようなクィムガンは、相当ヤバい一握りのものだけだ。そういうクィムガンに対応できるようにやっているからユニットでの連携が必要になるのであって、そうでない大半のクィムガンはきちんと各派閥のを扱えるトレイナーが揃いさえすればその場の提携でなんとかなるし、そもそも色付きのシールドを出せないような低レベルなら単独でもどうにかなる。僕も過去にどうにかした。

 なので、この段階で24人も送り込んでいるのは実際のところ若干過剰気味だ。前に南多摩で練習してるときに是政で発生したときは、そこまで強いクィムガンでもなかったのに新小平から近いのもあって非番のJRNのトレイナーが30人くらい集まったこともあったけど、正直オーバーキルを通り越して逆にやりにくいくらいだった。

 ただ、今回の懸念といえば……。

 

「これだけいるのに、バランスはわたしだけか……」

 

 GRCHの中でそれぞれのできることやスタイルの共有をしていてわかったこと。それは、24人のトレイナーの派閥がわりと偏ってしまっているところだ。一番多いサイクロなんか10人もいるのに、バランスは1人しかいない。競技の特性上、暇な人を取りあえず突っ込んだ偏りが生じてしまうのは仕方がないといえばそこまでであるが……。

 ただ、どうせ第二弾で派遣されてくるのは今やっている()()()の参加者なのでバランスが多めになるだろう。だから、最悪それまで持ち堪えればいいし、なんならトランジットである程度どうにかしたり、あるいは現地に来てくださった野良の方も考えればそこまで懸念すべきことではないかもしれないけど。

 

 まぁ。でも。

 身も蓋もないことを言ってしまえば、このクィムガンがそこまで驚異ではなく、僕達が到着するよりも前に対応が終わってしまっているのが理想ではある。

 だけど、現実はそんなに甘くなかったようで。

 

 僕達がその現場である公会堂前交差点の近くにたどり着いたとき、そこで視界に入ったのは脱線して横倒しになっている路面電車と、ラッチを張ることすらできずに囲むように対応している現地のトレイナーやノリモン、そして暴れているクィムガンだった。そのシールドは既に色づいていて、残念ながらそれなりの力があることが読み取れてしまう。

 

「まずはラッチを張れるように。路面電車かあのクィムガンを最低限交差点外へ移動させたいけど……。取り敢えず前行って既に集まってる人達に話聞いてくるね。皆さん、無線はつけておいて」

 

 中泉さんは、トレイニングして状況確認を兼ねて最前線へと路面電車の軌道を駆けていった。

 しばらくして、情報を得られたのか無線が飛んでくる。

 

『こちらドラコパレイユより各局へ。念の為、一旦全員がトレイニングをしておいてほしい。カンケルサイクロとウルサロケット、キミ達は遠くからの攻撃の準備を。ぼく等JRNに気を引かせる』

『カンケルサイクロ、承知』

「ウルサロケットより、承知」

 

 5色の光が僕達を包み、僕を23のトレイナーがトレイニングをする。僕はそのまま力を溜めて、打つ態勢に入った。

 カンケルサイクロが僕の隣にたって、他の21人は僕達の後ろで走り出せる準備を終えている。

 

『ドラコパレイユより、発射を許可』

「さぁ、始めようか。《サンダーゲート》!」

「《桜銀河》」

 

 クィムガンに桜色の光が伸び、雷が落ちる。それと同時に円陣を組むように取り囲んでいた現地のトレイナー達のうち、僕達のいる方の道路へと通づる場所にいる人達が道を開けるように両の道路脇へとずれた。

 ギ、ギ、ギ。そのクィムガンは、ゆっくりと旋回し、こちらを向く。

 

『こちらドラコパレイユ、公会堂前交差点でラッチを張る準備はできてる。一旦そちらへ向かわせるから、路面電車の搬出が終わり次第交差点に戻す』

 

 クィムガンは4足になってこちらへと動き出した。僕とカンケルサイクロも攻撃を一度止めて、先頭を前衛に譲って集団の中に紛れ込む。

 

『このクィムガンの攻撃方法は……』

 

 中泉さんから、地元の方よりもたらされた情報が無線で入る。どうやらなかなかめんどくさい攻撃をしてくる上に、シールドの外側に壁を作って攻撃を防御してくるようで、こちらも非常にめんどくさい匂いしかしない。

 だけれど、やるしかないのだ。僕達は、ノリモントレイナーなのだから。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ後:不埒な戦い

 ――キュオオオーッ!

 

 クィムガンは不思議な雄叫びを上げながら、長い腕を僕達の中に振り下ろす。ラッチの中であれば、普通に左右二手に分かれて避けるような攻撃であるが、今回はそれはできない。そんなことをしてしまえば、路面のアスファルトは抉れ、都市機能に影響が出てしまうからだ。いや、アスファルトで済むならまだいい。地中に埋まる水道管なんかが壊れてしまえば復旧は週単位だ。

 なら、どうするか? 迎撃するしかない。路面電車が搬出されてラッチが張られるまでの間は、自分のシールドを守る、都市機能も守る、その両方を行わなくてはならない。それがトレイナーの仕事なのだから。

 

「俺様に任せな!」

 

 真後ろから、1人のトレイナーが棍棒のようなものを携えて飛び上がった。彼がそれを振り上げれば、一回りも二周りも大きな触手のような腕の勢いを殺すほどの衝突を与える。

 

「見た目より軽いなお前! ハリボテかよ」

 

 彼――タウルスロケットは、着地しながらそう吐き捨てる。重要な情報だ。軽いということは、攻撃を弾きやすいということだから。

 現段階では必要以上にクィムガンを刺激すべきではない。下手に暴れられるとインフラに被害が出る。今行うべきは、クィムガンを逃さないようにすることと、ラッチを張れるよう時間稼ぎをすることだけ。クィムガンを倒すのは、ラッチを張った後でいい。それが無線を通じた短い作戦会議で出されて、すぐさま全会一致で採択された当面の作戦だ。

 ならば。

 

「失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを! ポーラーエクリプス号、このトモオモテに宿れ」

 

 今必要なのは、機動力と物理的な出力。《桜銀河》は気を引くため以外で使うべきじゃない。

 トモとオモテを張り替えて、足元からナタを引き抜く。

 

 地面にぶつかりそうな攻撃を、ナタで弾く。

 逃げそうになったり、ヤバそうな攻撃をしてインフラを狙いそうになったりしたら《桜銀河》で気を引いて中断させる。

 正直、これだけでも相当きつくて、クィムガンのシールドを、自分の色を狙って割りに行く余裕は意外にもあまりない。守るべきものが多すぎるというか、周囲にある固体は()()()()()()()()()()()()対象なのだから。仮に攻撃を当てようと前に出てしまえば、この長い腕は間違いなく僕達を飛び越えて後ろの道路を、インフラを壊してしまうだろう。

 それは、この場にいる皆が同じだった。普段はシールドを割るための剣が、刀が、槌が、拳が。全てが前後左右の他の物に攻撃が当たらぬよう身代わりとなって迎撃するためだけに使われる。よくクシーさんたちはこのラッチがない不埒な戦いでクィムガンのシールドを割りに行けてたな……。

 

 これを何度か繰り返して。ようやく、中泉さんからの無線が入る。

 

『こちらドラコパレイユより、路面電車の搬出が終わったので、誘導ヨロタム』

「ウルサロケット、承知。誘導します。進路の確保をお願いします」

 

 交差点へ伸びる線路を後ろ向きに走りながら、《桜銀河》をクィムガンに向けて打つ。ラッチの中に隔離してしまえば、あとはこっちのものだ。クィムガンはギギギと旋回して僕をロックオンすると、にわかに動き出そうとした。

 

『じれったいな! タウルスロケットよりドラコパレイユ、ウルサロケットへ。今からそっちに飛んでくぜ。《直通ホームラン》!』

 

 無線を受けて《桜銀河》を止めれば、タウルスロケットの棍棒がクィムガンの後ろから直撃してそれを打ち飛ばすのが見えた。

 そして、ぼとり。クィムガンは僕を飛び越えて、公会堂前の交差点のど真ん中へと落ちる。それを見た現地の人達の協力により、ようやくクィムガンはラッチに隔離されたのだった。

 

 だけど、これはまだ終わった訳じゃない。

 僕達24人は現地の人達と一旦ラッチの前に集まり、一度トレイニングを解いて再びの作戦会議を行なった。

 ラッチを超えられないノリモンの方や、既にシールドを消耗してしまっている方を除いた8人。これをJRNの24人と加えた計32人がラッチを出たり入ったりしながら対応する。そして、JRN側もユニットがバラけているので、普段の出動の際の様式ではなく一般的に野良のトレイナーがたたかうやり方、つまりはユニット内の誰かのシールドが切れるまでではなく、ある程度削れた段階でラッチを出て交代してしまうという形での対応を行うことになった。

 

「じゃ、僕は後の方でお願いします」

「黄色が多くなってきたら次の交代でキミを呼ぶよ?」

「それならそれでいいです」

 

 最初の10人が入場するのを見送る。そして、僕達は自分が呼ばれるまでの間、最初の方に駆けつけてきた方たちと長崎県警の方とを交えてもう一度このクィムガンの情報の共有をしてもらっていた。

 このクィムガン、動きはするがその加速度は微妙で、レスポンスも遅い。攻撃は近接攻撃が主体ではあるが、連続して近接攻撃を仕掛けた際に一度だけ火炎放射を確認しているそうだ。

 

「でも、これだけ大勢が駆けつけてくれたので助かりましたよ」

「ぼく達はたまたま近くにいただけですから」

「それでも、あの人数じゃそのうちこっちのシールドが足りなくなって逃してしまうかもしれないのに、近くの路面電車のせいでラッチを張っていられませんでしたから」

 

 話を聞けば、あの路面電車の中にはどうやら逃げ遅れた人がいたままの状態で、そこでラッチを張ると彼らもラッチの中に閉じ込めてしまうからこそ、それができていなかったのだという。恐ろしいね?

 先程搬出した際に中の負傷者も救助されて、病院には運ばれたそうだが、命には別状がないことを祈るばかりだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ前:跳躍

 しばらくラチ外で待っている間は、基本的には暇な時間だ。かと言って、離れる訳にもいかないので、その場では自然と雑談が始まった。ラチ内に入らない事を既に決めた者を交えて。

 

「もしかして、今のJRNじゃ基本ラッチの中での対応しかやってないのかい?」

 

 そう聞いてきたのは、ラッチができるより前はJRNにいたという、ピエーデと名乗るノリモンだ。

 

「基本的に今日みたいにたまたまエリアメールが届く場所で出たとかじゃない限り、出動した時にはだいたい既に張られてますからね」

「なるほどね。本当に、色々変わっちゃったんだなぁ」

 

 ピエーデさんは少し遠くを見つめている。

 ……せっかくだし、聞いておこうか。

 

「昔って、どうしてたんですか? 正直、都市機能を守りながら戦うのがこんなに大変だとは思ってもいませんでした」

「いや、守ってなかったよ? 人的被害さえなければ、物的被害は()()()()()()()()()()。そんなおおらかな時代だった。道路とか、普通に割ってた」

 

 えぇ……。

 そりゃで昔の活動報告読んでても今と変わらない程度にはアクティブなはずだよ。

 

「だからさっきのを見て、衝撃を受けたね。今の子たちはこんなことまで気を遣わなきゃいけないんだって」

「ははは……」

 

 ラッチって、凄いなぁ。方針を180度かえてでも導入する価値があったというのは、間違いなく本当のことだったんだろう。何せ「クィムガンを逃さない」「クィムガンの攻撃で設備を壊さない」「トレイナーの攻撃で設備を壊さない」と非常に高機能なのが明白なのだから。今まで逃さないのが一番の目的だと思っていたし、事実開発はその目的だったらしいとは聞いているけれど、副次的な効果が大きすぎる。

 

「そうだ、私からも1つ、質問いいかな? 全然関係ないことだけど」

「答えられることなら……」

「あ、機密とかじゃないよ。まだJRNにいるはずのきょうだいが気になってるだけ。連絡よこさなくてね、フィートって言うんだけど」

 

 あっ。

 連絡よこさないフィートのつくノリモン、微妙に心当たりがあるんだけど……。

 というか、気がついてみればこの方の色使いとか意匠とか、店長そっくりだ。

 

「もしかして、あなたゲッコウピエードって名前だったりしません?」

「お、正解。じゃあ知ってるんだね? 元気?」

「まぁ、元気、かな……」

 

 元気というか、うん。あの店長なら24時間365日元気が有り余ってるタイプだ。

 たぶん工事終わるまでには戻ってくると思うんだけど、今は本当に連絡つかないし、そもそもどこにいるのか謎だが……。

 

「ならいいんだ。でも、たまには連絡するよう伝えてもらえる?」

「たぶん数ヶ月後とかになると思いますよ」

「大丈夫、こっちは年単位で音沙汰ないから」

 

 何がどう大丈夫なのかはわからないけれど、とりあえず今度会ったら連絡するように伝えておこう。

 それから次の話題を切り出そうとしたとき、無線で僕を呼ぶ声がした。

 

『ウルサロケットへ、ラッチまで速やかにお願いします』

「ウルサロケットより、向かいますどうぞ。……呼ばれたので、僕はもう行きます」

「がんばってね、ご安全に」

 

 ラッチの前で伝達事項を聞く。どうもラチ内ではさっきまで上空から睨みを効かせていた航空系のノリモンが入ってこれなくなってしまったので、あの腕を器用に使って跳び上がって逃げるようになって、前衛メインだと対応が少しむずかしくなってきたんだと。

 そして入場してクィムガンを見てみれば、シールドは確かに黄色の領域が増大しているが、それ以上に青が多いようにも見えた。

 まぁ、青ならどうにかできるけど。トモオモテをポラリスにトレイニングすれば、《桜銀河》に何故かノーヴルの属性が載るから。

 

「こちらウルサロケット、入場しました」

『あっ、来てくれたね! ちょっと赤が多めでみんなトランジットしてたらこうなっちゃってね、見てわかる通りだけど頼むよ』

 

 なるほどね、トランジットした側の攻撃じゃキールのは載らないもんね……。普通は逆じゃないかとは思うんだけど、どうしてこうなっているのやら。謎だ。

 

「アルファ側から打ちます、全員できれば射線を開けてもらえると助かります」

 

 トランジットして力を溜めながら、前衛の動きが把握できるくらいにはクィムガンに寄っておく。

 

『ドラコパレイユより、退避完了、発射を許可』

「ウルサロケットより、承知。《桜銀河》」

 

 走りながら打たれた手元から、桜色の光がクィムガンに伸びる。各々のシールドがどれほどの量残っているのかはわからないので、できれば長い時間当てていたい。

 だけど、クィムガンも当然無抵抗ではなかった。この光線がこっちから出ていることに気がついたのか、長い腕を器用にもバネのように使ってこちらへと跳びかかり、そしてその腕を振り下ろして攻撃せんとしている。

 なるほど、これがさっき聞いた跳躍か。()()()()()()()()()

 

掛かった! 《ハイブリッド・アクセラレーション》」

 

 飛び上がってしまったと言うことは、よほどのことがない限り着地までの軌道が決定してしまうということ。僕は射角を上に上げながら、足元を爆発させてクィムガンの下をくぐり抜ける。

 なんのためにここまで歩行射撃やブラインドランの練習をしてきたと思っているんだ。お互いの加速度から計算すれば、巨大なクィムガンの図体の、大きな黄色や青の領域に《桜銀河》を当て続けることなんてそんなに難しくもない。

 しかも、このクィムガンは距離を稼ぐために高く跳び上がってしまった。重力下において、飛行能力がない場合は基本的には斜めに跳び立とうが、滑空時間、つまり動きを読むのが極めてかんたんな時間は上方向への初速度に比例する。このクィムガンは、無防備な時間を自分で作ってしまった訳だ。さっきまで航空系のノリモンがいたからこそやらなかったことを。

 

 つまり、学習してもう二度としてこないかもしれない一度っきりのボーナスタイムだ。だけど、《桜銀河》にとってはそれで十分すぎた。

 流石にイナバウアーめいたこの体勢で狙いを定め続けるのはしんどいので一旦《桜銀河》を止めれば、一番大きなシールドの色は緑へと変わっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ中:Sバースト

『やっぱり、えげつないね』

「僕は緑を処理できないので、後はパレイユのお二方任せますよ」

『はいよ。じゃ、期待のルーキーにかっこいいところを見せてやろうじゃないの』

 

 中泉さんはそう無線で軽口を叩くと、僕の真横をクィムガンに向けて駆け抜けた。そして緑色の光をかすかに纏いながら、その手に持つ長槍をぶんぶんと振り回し、クィムガンのなぎ払いを跳躍で躱すと、その槍を一気にクィムガンにつきたてる! 一撃でけっこう削れているのは、残りが少ないのか、それとも中泉さんの一撃が相当重いのか。

 他の前中衛や遊撃のトレイナー達も中泉さんに続いてクィムガンのシールドを削りにかかる。まだ青も広いし、僕も微力ながら前に行って削ったほうがいいだろうか。

 

 そう思ったとき。

 

『全員下がって! 繰り返す、全員下がって! ラッチが近い人は出場を!』

 

 打って変わって、緊迫した無線が入った。僕もそれに従って、逆転機を作動させて監視しながら後ろ向きに逃げる。

 次の瞬間、急激にクィムガンが独楽のように回り始める。長い腕は遠心力でピンと伸ばされ、明らかに当たればただでは済まないが、幸いにも取り付けられている高さが高く、地面を走る分には当たることはないようで、みな無事にその外側まで逃げることがはできそうだが。

 無線が、騒がしい。

 

『何が始まるんだ!?』

『見たくはなかった。だけど、さっきS(シールド)バースト、その兆候が見えた。()()()

『Sバーストだと!?』

 

 Sバースト。それは、ノリモンが自らのシールドを能動的に破壊し、そこに蓄えられている力を使って強大な力を得るというもの。しかしながら、それは反動として当面の間のシールド展開能力の喪失を伴うため、こちらから能動的に使うことはほとんどない。逆にクィムガンが使うこともないわけではないけれど、残るシールドが少ないときに使っても大した力は出てこないし、そもそも仲間のいない闘いの中なら残りが多いときに使ったところでほぼほぼ決死のスーサイド戦略。やっぱり数年に1度しか国内での例はなく、対策を()()()()()()()()()()()とスクールでは教わっている。

 そんな理論でしか聞いたことのない危険な攻撃が、今、ここで発されようとしているのだ。

 どうすればいい? 近づくのはあまりにも危険だ。かと言って、逃げたところで無事に終わらない可能性だってある。

 Sバーストで向こうのシールドが消えたところで、相手はクィムガンだ。Sバースト以外の攻撃はできるまま。一方、トレイナーのシールドが消えたら? トレイニングは解け、無防備な人間がそこにいるだけ。こうなれば、クィムガンに人間が勝てる訳がない。

 

『救援要請を!』

『莫迦言え、ラッチの内外では通信はできん。そもそもSバーストが一瞬で終わるという確証すらない以上、今出場していったトレイナーから外へと情報がもたらされたところで、すぐの入場は二次災害を引き起こす』

『じゃあどうすりゃいいんだよ!』

 

 無線から絶望的な情報がもたらされる。

 ラチ外へ出てSバーストの影響が届かない場所へと逃げるか、ラチ内でそれをやり過ごすか。出場まで、あと500m。

 

『ドラコパレイユより、出場が間に合う者は出場を、そうでない者は受け身の準備を! 判断は各自で、ぼくは残る』

 

 ピキリ、ピキリ。

 十二分に遠く離れている筈なのに、シールドの割れる前兆の音がはっきりと、しっかりと聞こえる。ラッチまでは間に合いそうもない。かといって、受け身なんて言われたって、どんな攻撃をしてくるかすらわからないのに取りようがない。どうすりゃいいんだ。

 

 ……待てよ?

 シールドがないなら、()()()()()()()()()()()()()()()のでは?

 間に合ってくれ。そう願いながら、手の先に力を溜める。

 シールドが割り切れてから、Sバーストが始まるまでに()()()()()()()()()()()()だし、始まってからも()()()()()()()()()()()()()はず。それに賭けるしかないのでは?

 

 パリン。クィムガンのシールドが、割れた。ここしかない。黄色を狙わなくていいのなら、巻き込みを警戒する程度の余裕ならある。

 

「間に合ってくれ、《桜銀河》ぁ!」

 

 逃げるトレイナーは地面にいるはずなので、それを避けて少し斜め上に桜色の光を伸ばそうとする。それと同時に、クィムガンが爆ぜる。《桜銀河》を発射する。爆風が到達。続けて、大規模な噴炎が周囲に打ち出された。

 

 じわじわと、シールドが削られている感触がする。間に合ってくれ。炎が届くよりも前に。

 

 撃ち続ける。届け。届いているなら、止めを!

 

 炎の壁が迫る。間に合ってくれ。

 

 呑まれる。視界が真っ赤に染まり、その中を《桜銀河》の桜色だけが伸びている。シールドがゴリゴリと削られる。頼む。

 

 シールドにヒビが入る。シールドが割れるときは、外側に向かってしか割れないから、この炎が過ぎるまではおそらく大丈夫。だけど! 神様、仏様、五元神様!

 

 次の瞬間、僕の視界は色を失っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ後:行方不明

 中泉が目覚めた時、ラチ内には静寂だけが広がっていた。クィムガンももうそこにはいなかった。

 

(自滅かな、それとも……)

 

 中泉は視界の隅に捉えていた。Sバーストによりもたらされる噴炎に向かって伸びる一筋の光を。

 無駄なことを。そんなことをしても、この圧倒的な量を誇る噴炎には敵わないのに。彼はその時は確かにそう考えていた。だが。

 

(もしかしたら、()()()かな)

 

 ラチ内を見渡せば、数人のトレイナーが倒れている。つい先程まで彼自身がそうであったように。

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ……。ここにいない4人は出場できたんだよね? 他の6人はぼくも入れてみーんな、耐えられなかったか。とりあえず、全員ラッチコアまで運ぼ」

 

 クィムガンがいなくなっていて幸運だった。中泉は心の底からそう思った。

 シールドが割れ、トレイニングが解けてしまったトレイナーが6人集まったところで、クィムガンには叶うはずもない。ましてや、Sバーストをしたものであればなおさら。その先にあるのは、()()()()()()()()()()か、あるいは()()()()()()()()か。いずれにせよ渡される船車券はろくなものではない。

 

(トレイニングは……まだ、無理か。なら、それほど時間は経ってない)

 

 中泉は1人ずつ背負って倒れている同僚をラッチコアまで運んだ。シールドが効いていたのか、誰一人とて外傷がある様子はない。

 とりあえずは、良かった。全員を運び終えてそう一息ついたところで、彼は違和感に気がついた。

 

(どうして、()()()()()()()()()? あの特徴的な桜色の光線。あれを撃っていたのは彼のはず)

 

 だが、山根の姿は中泉が再び360度見回しても、ラチ内には見当たらなかった。

 ラチ内のうち、少なくともエキステーションの地面は平坦だ。死角など存在しない。動かなくても全体を見回すことができるよう、()()()()()()()()()のだから。

 

(ならば、彼は()()()()()()()()()()()()()()。考えられるとすれば)

 

「ラチ際から撃って、ぼくが呑まれた後に出場した?」

 

 少なくとも、今の中泉にそれを確かめる術はない。誰かラチ外から入ってきてくれれば情報を共有できるのだが。

 彼のその望みが果たされるのに、然程時間は要さなかった。少しして、1人のトレイナーが入場し、中泉の元へとやってきた。

 

「お疲れさまです。よく皆さんご無事で」

「まぁ、ぼくが目覚めた時には全て終わっていたよ。確認したいんだけど、ぼくが退避を告げてからラチ外に出たのは何人だい?」

「えっと、3人で……!」

 

 救援にきたトレイナーも、そう答えた瞬間に指を何かを察して手の指を折った。

 

「10人、ラチ内にはいたんですよね?」

「うん」

1()()()()()()()()ですか?」

「やっぱり、キミもそう思うよね? こんなんだから、このラッチは()()()()()()。開けたら、きっと()()()()()()()()()ような気がするんだ。だから外に出て、念の為今入れ替わりで誰か出てこなかったかを確認してから本部に連絡してほしい。ラチ内でトレイナーが1人、行方不明になったと」

「承知!」

 

 ★

 

 気がつけば、僕は1人色を失った世界に立っていた。

 腕や足を見れば、トレイニングは解けている。どうやら博打には失敗してしまったみたいだ。

 

 どこまでも続く、真っ暗闇の世界。一歩踏み出してみても、本当に進んでいるのかの確証すら持てないし、その先に地面があるのかすらわからない。そもそも、今立っているのだって、確かに足元には何らかの感触があるような気はするけれど、ここに本当に地面はあるのだろうか? そして、この空間が広がっているのか、壁があるのかすらも。

 昨日見えた世界では、一筋の光が見えていたのに、それすらないのだ。

 それはまるで、周りが真っ暗なことを除けばラッチを越えているときのような感覚だ。だけど、その時のような引っ張られている感触もない。

 

 ……あれ。

 これ、帰れるのか? なんか不安になってきた。そもそもどうやって僕はこの不可思議空間に来たんだっけ?

 頬をつねる。痛い。引っ張る。痛い。夢じゃない。夢ならばどれほど良かったか。

 

「……はぁ」

「おや、またこんなところに」

「誰です?」

 

 反応が戻ってくるなんて予想だにしなかったため息に、反応が戻ってくる。振り返れば、クリーム色の髪のノリモンがそこに立っていた。

 

「Sバースト。違うか?」

「……!」

「なるほどな、()()()()()()か。ならば、お前はまだここに来るべきじゃない」

「あの、あなたは……?」

「安心しな、元の次元には戻してやる。それが母なるCycloped様により定められたオレの役割だ」

 

 そう言うと彼は全身を紫色に光らせて、僕の肩に両手を置いた。

 

「あの、お名前を伺っても? それに、ここはどこなんです?」

「名乗るほどの者じゃない。……が、お前は何度かここにまたやってきそうな匂いがする。次にまた会うことがあればそのときに教えよう。ま、来ないで済めばお互い良い」

 

 そう答えながら、彼は僕をよくわからない方向へと押した。

 

「そしてここはどこ、か。難しい質問だな。強いて言えば、()()()()()()()()()とでも言うべきかな」

 

 その言葉が聞こえるや否や、僕の視界は真っ白に染まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ終:報告

 目を開けば、僕はラチ内へと戻っていた。

 何だったんだろう、今の……。

 

「な、な、な……」

 

 声のした方を振り向けば、中泉さんが腰を抜かしてこちらを指さしている。

 

「どうかしましたか?」

「いやいやいやいや、どうかしたも何もないでしょ! ねぇ?」

 

 いや、ねぇなんて言われても……。

 ちょっとだけ意識がどっかに飛んで、戻ってきただけだし、なんなら彼の横には同じように気絶しているトレイナーが5名ほど横たわっている。

 

「いきなり()()()()()()()()()()誰だって驚くって」

「……え?」

 

 目の前に、現れた……?

 もしかして。

 

「あの、僕ってさっきまでどうなってました?」

「知らないって、ここにいなかったんだから」

 

 なるほど。

 つまり、僕はどうやら意識だけ飛ばされたんじゃなくて、体ごとあのどこでもないゾーンに移動していて、それで戻ってきたと。

 

「一体、どういうこと……?」

「それはぼくが聞きたい。そもそも、どこ行ってたのさ」

「えっと、どこでもないゾーン?」

「なんだそりゃ。でも、とりあえずは無事でよかった」

 

 中泉さん曰く、《桜銀河》が見えていたのに僕がラチ内にいないし、外に出てもいないようだったから心配していたのだという。

 

「心配かけてしまったみたいで、ごめんなさい」

「いや、謝らなくても。そもそもSバーストの兆候があった時点で心配にならないわけがないし。本っ当に、全員が無事で良かった」

 

 出場しようにもトレイニングができないほど消耗してしまっていたので、同じような状況の中泉さんの隣に掛ける。それから2人で話しあって、件の『どこでもないゾーン』の話は警察へ出す報告書には書かずに済ませ、情報を一度JRNの、それも一部の中だけに留めて調査するということになった。わからないことが多すぎるからだ。それから無理のないカバーストーリーを軽く仕立て上げる。

 しばらくして、トレイナーが数人ラッチコアへとやってきた。

 

「捜索の手伝いに……ん? ひぃふぅみぃ……、きちんと7人いるじゃねぇか」

「ごめんごめん、灯台もと暗しとはよく言ったもんだね、飛ばされて上に絡まってたみたいで」

「んなことあんのか……? まぁいい、全員いるならラッチ開けていいな?」

 

 中泉さんと話をしたトレイナーは、残りのトレイナーをラッチコアに置いて出場し……そして、ラッチが開かれた。夏の風が顔を撫でる。

 周りを見れば、野次馬がずらり。本当に中が見えないラッチなんか見て何が面白いんだろうね?

 

 その後、気絶したままの5人をとりあえず救急搬送してから、対応に関わったノリモンやトレイナー全員で長崎駅脇の県警本部まで移動して事情聴取を受けながら報告書を仕上げる。JRN本部まで話が行って出動要請が出ているのなら後回しにできたんだけど、今回はエリアメールでの出動だからこのタイミングで行うきまりなのだ。

 そしてそれが終わった頃には、もう日がだいぶ傾いてしまっていた。西彼杵半島の合宿所に戻れば、もう()()()はおろかビーチバレーも終了して、まもなく夕食の時間というタイミングだった。

 

「ただいま」

「お疲れ山根君。まさか合宿中に出てくるなんてね」

 

 部屋に戻ると、4人は既に戻ってきていて僕をねぎらってくれた。どうもこっちに残されていたトレイナー達はみな、僕達が既に対応が終わっても――あのラッチの外側からSNSでライブ配信をしていた現地の一般人がいて、それを見ていたのだとか――、なかなか合宿所に戻ってこないので気が気ではなかったらしい。

 

「どうだった、今日の」

「端的に言って死ぬかと思いました」

「大袈裟な。シールドもあるのにか」

「Sバーストで一気に割られてしばらく気絶して、起きたら終わってたんですよね」

 

 そう答えると、うってかわって部屋に静寂が訪れた。

 

「……すまん、発言は撤回だ。流石にそれは俺も死を覚悟する」

「よく、無事で戻ってきてくれた。本部から望むなら明日の担当を変えてもいいと連絡が来ているが、どうしたい?」

「いや、大丈夫です。あそこにいたトレイナーは全員怪我とかもないですし、僕だってその1人です」

「分かった。だが、仮に明日になって急に遅効性の何らかが効いてくる可能性は否定できない。その時は……」

「私が、出る」

 

 佐倉さんが僕と早乙女さんの会話に割入った。

 でもなぁ。

 

「心配しないでください、僕は大丈夫ですから」

「分かった。でも、無理なら言って。リーダーも、それでいいでしょ」

 

 その時。僕のお腹がグゥと大きな音を立てた。8つの目線が突き刺さる。

 

「よく考えたら午前に出てからずーっと色々やってたからお昼も食べてないや……」

「うん、飯行くか。明日の話は後だ、リーダー。早くしないとこいつガス欠で倒れるぞ」

 

 そうやって焦げ付きそうな話を強引に成岩さんに切ってもらって、僕達は夕食へと向かった。

 

 ★

 

『Sバーストの直後に行方不明。まるで、()()()()()()()()

「うむ。表向き誤認ということにしてあるが、コントロールを取っていたドラコの中泉君が言うに間違いはないだろう。私もまだ内容を確認できていないが、彼のeチッキ端末から動画と音声のデータの提供を受けているので共有する」

『それはそれは。こちらでも確認し、何か新しい事がわかり次第連絡を入れようぞ』

「いや、我々が新小平に戻ってから直接話を聞きたい。無論当事者を交えてな」

『拝承じゃよ、理事長』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ前:第12種目・スワンボートレース

 夏合宿7日目。今日はなかなかにハードなスケジュールで、午前にはスワンボートレースが、午後にはリレーが入っている。午後のリレーは昨日のこともあって急遽5区制から4区制へと変わったから、一応そこで休みを貰おうとおもえば貰えるけど、そこの判断はスワンボートレースが終わってからだ。

 

「異変があったらすぐ言うように。まだ乗り換えは効く」

「昨日から何度も大丈夫だって言ってますよね?」

 

 大村湾の桟橋の上で、僕は早乙女さんと二人スワンボートを前にしている。このスワンボート、2人で操縦するのが前提のようで、1人がペダルを漕いで推進力を得て、もう1人がハンドルを回して舵を取るタイプだ。これは予選と決勝で役割を交代しなければいけないルールなので、僕は予選では舵、決勝ではプロペラを担当することになった。

 

「なるべく君に負担のかからないような作戦にするつもりだ」

「それはどういう」

「凪で波もないから、左に曲線半径150強で曲がり続ける」

「なるほど」

 

 ならばポラリスとのトレイニングだな。あの子の()()には、6軸センサがもともと取り付けてあって、今曲がっている曲線半径がリアルタイムではじき出されるようになっている。それを使えば、半径150mを維持するように舵を取りつづけるのはそれほど難しくはない。

 

 さて、このスワンボートレースのルールであるが、そんなに難しくない。300m離れて設置された2つのブイの周りを3周回る早さを競うだけだ。

 ただ、陸上競技と大きく違うのがスタートの形式だ。陸上競技では、スタートはスタートラインの前に停止してスタートの合図と共に動き出すのが一般的。だがこのスワンボートレースは違う。時計はスタートより前に動き出していて、定められたスタートのタイミングから1秒以内にスタートラインを越えることが要求されている。もちろん、所定のタイミングより早く超えてしまえばフライング、失格。遅れたら出遅れ、これも失格だ。

 

「この競技、考えられる2つある難所の片方がこのスタートだ。それを成功させるためには、自分の脚の生み出す加速度を正確に把握し、波や風の影響までもを考慮する必要がある」

「ちなみにもう1つの難所って」

「コーナリングだ。それを強引に解決するのが、先程君に伝えた作戦だよ」

 

 なるほど。なるほど?

 なんかおかしい気もするけど、とりあえずは早乙女さんの作戦に乗ってみよう。

 レース前に実際のコースを2周(はし)って、動きを確認した。とりあえずは早乙女さんに速度をいくつか出してもらって舵の感覚を掴む。

 

「感覚は掴めたか?」

「だいたいわかりました」

「OK、それじゃ戻ろう」

 

 それから一旦種目参加者全員が集まり、出る予選レースをくじ引きで決める。予選は最初の4レースで、1レースあたり6組が参加する。そしてその後に順位別に6レースの決勝ラウンド、という流れだ。

 くじ引きの結果、ウルサに充てられたのは第1レースの6号、つまり一番外側だ。早乙女さん曰く、この作戦を成功させるのにはベストとも言える配置らしい。実際のところルール上はもっと内側のコースを充てられても外に出ていくことに対するペナルティは1つもないけれど、スタート時にできる限り速度を出しておくためには一番最後のスタートになるここが一番いいのだという。

 

 再び桟橋に戻って、スワンボートに乗りこむ。それから6つのスワンボートが航りだして、レースコースの手前の待機スペースをぐるぐると回る。まだ時計は動いていないけれど、レースは既に始まっている。ここからスタートラインまでの距離とスタートまでの時間とを計算して、狙ったタイミングに狙った速度でスタートラインを越える。スワンボートにブレーキなんてものはないため、速度を出しすぎてしまったらフライングまっしぐら、かといって加速を緩めればスタート速度が遅くなる。だからこそ、ここの逆算が重要なのだ。

 

「前のスワンボートの動きを見ておくように。次にプロペラを回すのは君だ」

 

 今回は加減速に関しては早乙女さんに任せっきりで、僕は前を航る5隻のウェーキからずれないように舵を取っているだけだ。既に前の方ではできる限り内側のコースをとらんと競り合いが始まっている――ブイの横、スタートラインの150m手前にたどり着いた順でコースが決まるルールだ――けれど、そもそもインコースを攻めないので僕はそれを眺めているだけだ。

 そうして内枠争いが確定したあと、最も外側の僕達は最高の条件でスタートできるよう、スタートからかなり離れて加速のための距離を取る。ルールでは、スタート時に内側のスワンボートはそれより1つ内側のスワンボートとの距離が離れすぎると降着となるが、一番の外側であるコースにはそんなルールはない。ゆえに、一番()()()()()()()()()()()()()()()のがこの大外の6コースなのだ。

 

 スタート20秒前。目測で入るべき周回軌道をシミュレートして、スタートラインでの直線から最初のコーナーまで、緩和曲線を含めた各々の位置での曲線半径の推移を確認する。

 

「さぁ、行こうか」

 

 スタート10秒前。スタート地点へと向かって早乙女さんが漕ぎ出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ中:第1R・予選第1

 時計が0を指す。一番後ろからおそろしい脚で早乙女さんが加速したウルサのボートは、最も速く、そして最も早くスタートラインを通過した。他の船よりかなり前に出たのを確認した次の瞬間、僕は少し右に舵を切ってから、大きく左に舵をきる。ボートは急に右へと傾く。

 スワンボートの舵は、一般的な船とは違ってオモテ側についている。だからこうやって一気に逆へと舵をきると、船体の後ろ側がついていけずに漂流してしまうのである。

 その結果として、僕達のスワンボートは急速に曲線半径を縮めた。当然速度も落ちる。

 

「何をしている!?」

「取舵、弱め! これで軌道に乗ったはずです」

「……確かに乗っているが、無茶をするんじゃないよ」

 

 そう文句を言いながらも、早乙女さんは増速を続ける。2番手はまだ後ろ、そのままコーナーを駆け抜けた。真横を見れば、2つのブイがちょうど重なって見える。軌道修正の必要はなさそうだ。

 

「確認、r150。徐々に取舵」

 

 6軸センサーが示す僕達の旋回半径は153m。少しだけ大きいけれど、まぁ許容範囲だろう。

 そして早乙女さんが速度を上げるにつれて舵をさらに強くしていき、曲線半径を同じ程度にとどめる。きっかりとターンしているスワンボートと比べれば、7割ほど航る距離が長くなってしまうこの作戦ではあるが、ならば他のスワンボートより平均速度を7割上げればいい。実際は相手側にはコーナリングの膨らみもあるから、おそらく5割ほどで十分だろう。実に単純な算数だし、早乙女さんははそれをできるという根拠を持っている。

 

「この航り方は、コーナーで減速する必要が全くない。急な加減速ができないスワンボートにおいて、常に加速し続けることができるというのは膨大なアドバンテージだ」

 

 というのが、早乙女さんの持論。

 なんだろう、決して間違ってはいないんだけど、どこかが致命的に間違っているような気がする……。

 

 ★

 

『6号艇ウルサ、大外からありえない速度でコーナーを曲がる! 速い、速すぎるぞ!』

「何やってんだあいつら……」

 

 成岩は、レースの惨状を見て頭を抱えていた。きれいなドリフトを決めてバックストレートへと入ったかと思えば、突然明後日の方向に爆走し、そして1周回ったときには大差をつけて独走。何が起きているのかはわかるが、成岩の脳はその理解を拒否した。

 

「でも良かった。山根君、元気そうじゃん」

「このまま、ファイト」

「お前らこれ見て頭痛くならんの?」

 

 成岩は2人にそう問いかけた。

 だがしかし、彼女たちの目には異常な光景は映っていない。ただ、ユニットメンバーがスワンボートで爆走している様子が目の前にあるだけで、成岩が頭を抱える理由は理解できていないのである。

 

「別に。合理的な作戦」

「独走してるならよくない?」

「良くねえし合理的でもねえよ。このスワンボートレースのルールはほぼボートレースのそれと同じだが、そこであんな動きをする奴は居ねぇ」

 

 成岩と2人の反応の間にある違い。それは、本物のボートレースを知っているか否かだ。佐倉も北澤も、ボートレースについての知識は全くない。

 

「行くんだ、競艇……」

「スクールん時の同期が今ボートレーサーやってんだよ」

「理解」

「あの航りが莫迦だってのはレースなんざ見ずとも、実際の競艇場を見るだけでわかるぞ」

 

 成岩は知っている。通常のボートレース場では水路幅はせいぜい100メートル強で、しかもホーム側は狭いのが一般的だ。円を描くような航行ルートを取ることなど到底できっこないのである。

 

「なんでこんなトンチキボートレースになってんだ……」

 

 そのぼやきが、スワンボートに乗る二人に届くことはなかった。

 

 ★

 

 高速でスワンボートを回し続けて、2週目のコーナーを曲がったころ、異変が起きた。

 

「早乙女さん、大変です」

「どうした」

「取舵、いっぱいです」

 

 舵を切ろうにも、もうハンドルが回らないのだ。

 これ以上加速すれば今の曲率では曲がれなくなり、曲線半径の値は大きくなってしまう。いや、この話をしている間にも速度は僅かに増え続け、既に曲線半径は160m近くまで膨れてしまっている。

 

「分かった、この速度を維持しよう」

 

 そしてそのままバックストレートで周回遅れのスワンボートを大外から追い抜き、最後のコーナーを通過。そのまま流れるように大外のゴールラインを突破した。

 

「面舵いっぱい!」

 

 ハンドルをめいっぱい回し、進路を右に取る。船体が40度ほど傾いてから横滑りして、スワンボートは急速に速度を落として停まった。振り返ってゴールラインを見れば、ちょうど2着3着のスワンボートがゴールラインを越えるところだった。

 

「どうやら心配はいらなかったようだね。本当に好調のようで良かったよ」

「言ったじゃないですか、大丈夫だって」

「ははは、この歳にもなると君の若さが羨ましいよ」

 

 そう言葉を交わしながら、僕達は残りの競走の邪魔にならないように離れて回り、出発した桟橋に戻って、残る予選の3レースの間一度体を休めることにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ後:第10R・決勝戦

 レース8つ分の休憩を挟んで、決勝の第10レース。

 もはやなんか半分くらい決勝に出ているユニットが固定されているような気もするが、今回の決勝は1号ボートがウルサ、2号ボートにアクヮリウス、3号ボートのドラド、4号ボートがドラコの4ユニットでの戦いだ。

 桟橋に降りると、ゴリゴリにトランジットをした早乙女さんが待っていた。

 

「君の調子が良さそうだから、プランAに戻そうか」

「プランA、とは」

「所謂ボートレースの航り方だよ」

 

 つまり、普通に2つのブイを結ぶ直線と平行に航ってターンする、最短ルートをなぞるもので行くとのことだった。

 

「先に言っておくが、()()()()()()。先程の君の舵取り以上だ」

「もちろん大丈夫です」

 

 そもそも、あらゆる方向にたかだか3G程度の加速度がかかった程度で乗り物酔いをしてしまうようじゃトレイナーなんてやっていられないのだ。

 

「加減速のタイミングは指示する」

「承知です」

「それともう1つ重要なことがある。()()()()()()()()()()()()だ。このレースは、もう水上の模擬戦と言って差し支えない。何が飛んでくるかは予測はできない」

 

 ……レースだよね、これ?

 困惑していれば、早乙女さんは遠くを見た。その視線の先、ドラコのスワンボートをみれば、あの二人三脚のを発案した鮫島さんが。なるほど、このレースも絶対大変なことになるなこれ。

 とりあえず僕もトランジットしてからスワンボートに乗ろう。あの狭さじゃ中ではトランジットはできないから。

 

 スワンボートに乗りこむ。スタートの合図とともに、全力でペダルを漕いで航り出す。そしてそのまま手前のブイの周りをぐるっと回って、一番内側のコース確定させた。

 ペダルを緩め、速度が落ちる。

 ここまでは平和だった。

 

 次の瞬間、急に強い追い風が吹き、前へと潮が流れ出したのだ。このままだと、フライングは必至だ。

 

「やはりな。来ると思っていた。だが君の思い通りにはさせんぞ、《遅時水》!」

 

 右をアクヮリウスのスワンボートが流れていく中、僕達の乗るスワンボートは突然ピタリとその場に停まる。

 

「何が起きて」

「周りの水の()()()()()()()した。だが数十秒しか持たんし、時間切れか、あるいは意図的にこれを切った時には()()()()()()()()()()

「つまりスタート数秒前に」

「そういうことだ。計算しておくので、スタートラインを切るまでペダルを漕がぬように」

 

 時計を見る。スタート10秒前。右後ろでドラドが動き出したのが見える。5秒前。憐れにもアクヮリウスがスタートラインを越えてしまった。たぶん後でフライング判定で失格になるだろう。かわいそうに。3秒前。

 

「行くぞ」

 

 《遅時水》の影響が切れ、時が加速しゴムのように前へと引っ張られる。そして0秒と同時にスタートラインを越える。何故か発生している――どうせ誰かがやったのだろう――渦潮を突っ切り、最初のコーナーに届く。そして早乙女さんの神業のようなハンドル捌きで横滑りしながら向きが180度変わる。

 

「さぁ、君の加速を見せてくれ」

 

 ペダルを漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ!

 ぐんぐんと対水速度が上がり、波を切る感覚が気持ちいい。だけど!

 

「この異常な逆潮!」

「そりゃ、先程まで強烈な真潮だったからな。向きを逆転させればこうなる」

「そりゃ、そうですけど!」

 

 ペダルの回転数を上げ、必死で速度を上げようとする真横をあざ笑うかのように、外側をドラコのスワンボートが突き抜けてゆく。なんでこの潮の中で!

 

「あれはスーパーキャビテーション……。いや、それだけではないな! 面舵ぃ!」

「今そんなことをしたら」

「いいや、ようやく()()()()()()よ」

 

 スワンボートが外へ流れる。そして、そうなるにつれて()()()()()()()()()()()いった。

 

「私達はまんまと罠に嵌められた、()()()()()()()()()()

「曲がる前に気付けなかったんですか」

「無茶を言わないでくれ、首が邪魔で右前方は見えにくいんだ」

 

 あぁそうだった! だいたいどうして前の視界が悪いスワンボートでレースなんてやってるんだ。

 こうなったら!

 

「《ハイブリッド・アクセラレーション》!」

「山根君! もう切り返しが」

「えっ」

 

 しまった!

 早乙女さんから右前が見えないように、僕からも左前が見えない。故に、僕はブイを見落としてしまっていた。

 だけど、発動した技は止まらず、僕の体が前へと押されるように力がかかる。結果、スワンボートは加速してしまう。

 幸いだったのは、僕が右の席に座っていたこと。おかげで右側だけ加速したことで、スワンボートが勝手に左へと向いたこと。

 

「一旦落ち着こうか、私も君も」

 

 早乙女さんの舵取りのおかげで、逸れずになんとか2周目に入って加速しながら一息入れる。

 それからは特にアクシデントもなく、スムーズに潮の流れに対応したコースへと早乙女さんは案内してくれた。

 だけど。あの一瞬でかなり引き離されてしまったドラコのボートには、最後まで追いつくことはできなかった。

 

「完敗だな」

「ですね。きちんと潮の流れを読めていた……」

 

 いや、待てよ。

 そもそもこの潮を起こしたのって……。

 

「分かっただろう? 自分に有利な場を作る。それがドラコの強さの理由の1つだ」

「なんか……理不尽というか」

「真の強者には、()()()()()()がある。自らの得意なフィールドを。それに立ち向かうには、()()()()()()()強さが必要なのだよ。我々にはそれが少しだけ足りなかった。それだけの話だ」

 

 桟橋に上がり、トレイニングを解いた早乙女さんの顔は、どこか悔しげだった。そして僕もまた、その気持ちは同じだった。

 もっと、精進しないと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10レ前:第13種目・リレー

 唐突だけれど、各駅停車と特急、速いのはどちらだろうか?

 そりゃあ特急のほうが速い。多くの人はそういうだろう。

 だが。実際はどうだろうか。隣の線路で各駅停車と特急をヨーイドンで同時に走らせたとき、たいていは各駅停車が先に前へと出ていく。そして、その各駅停車に特急が追いつけるのは、次の駅に向けて各駅停車がブレーキをかけ始めるよりも後だった……なんてことは、珍しくもなんともない、割とよくある現象なのだ。

 

 閑話休題。

 今回のリレーだが、重大な懸念があった。

 車輪が使えるルールなのに、一人あたりの距離が、2.5kmしかないのである! 2.5kmというのは、全体的にキールが特急寄りであるウルサにとっては短すぎる距離だ。最低でも5kmはほしい。

 

「位置について、ヨーイ、ドン!」

 

 海から上がって間もないが、リレーの区の担当の決定のために走る予定の4人で短距離走を行った。

 0からの加速は一番早いのが成岩さんで、続いて佐倉さん、僕、北澤さんの順。最初の一人だけはタブレットを持った状態で停止からのスタートになるから、第1区の担当は成岩さんに決まった。

 そしてそれ以降の3人だけれど、まずタブレットの授受のための減速の不要なアンカーに最高速度の高い僕が、残りの2人はそれぞれ話し合って第2区を佐倉さん、第3区を北澤さんが担当することに。

 

「あの」

「なんだい?」

「僕がアンカーですか?」

「速いからな」

 

 ……まぁ、タブレットを繋いでゴールラインを突き抜けるだけだ、何も難しいことはない。僕はそう自分に言い聞かせながらタブレットを受け取る練習を何度かした。

 

 そして、昼食を挟んで。

 少しだけ腹ごなしの時間をおいてから、リレーのレースは幕を開けた。

 24のトレイナーが横一列に並ぶ中、発車のベルが鳴り響く。一般的な本線でのレースの慣習に習って、このベルの2コーラス目が終わった瞬間がスタートだ。

 

 スタートと同時に、成岩さんは《ハイブリッド・アクセラレーション》で強引に最前へと飛び出た。彼はレース前にこう言っていた。ここまでの経験から、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。ごもっともだと思う。

 事実その後ろでは、ドラコのファーストランナーたる氷川さんが既に凍てつくフィールドを作り始めていて、そして憐れにも数名が呑まれている。二人三脚と同じ手なので範囲内でも上手く処理できている人も半分くらいはいるけど。ただ、恐ろしいのはこの凍結は妨害目的ではなく氷川さん自身が走りやすくするためのものであるということ。つまり、他の人が引っかかろう引っかかるまいがが氷川さんにとっては全く関係がなく、その目的が達成されているのである。

 氷を残して、24人は建物の影へと消えていく。……これ、僕はともかく北澤さんの番までに溶けるかなぁ。どうせ佐倉さんがボコボコにしちゃうし、溶けきらなかったら路面が最悪だ。

 

 少し待つと、反対側からファーストランナーが一周して戻ってきた。どうやら成岩さんは逃げ切ることができたみたいで、タブレットを左手に逆手に持って走っている。そして右腕を鉤のように曲げて走り出した佐倉さんの横を通過すれば、タブレットはその佐倉さんの腕に掛かっていた。通過授受だ。

 佐倉さんはこの前と同じように《ホライゾン・レッド》で残っている氷を溶かしながら進んでいく。1つだけ違うのは、車輪が使えるがゆえに轍のように少し連続的に氷が消えていること。とはいえ、それでも走り出しでは足そのものも回すから断続的な氷の消失だけれど。

 そのどうしようもない路面を2番手で追いかけるのは中泉さん。彼は凍結した路面の端で左足を常に滑走させながら右足で凍っていない大地を蹴ってぐんぐんと加速してゆく。

 

「やっぱり味方のは対策してんだな」

 

 戻ってきた成岩さんがそう溢す。そりゃ、対策してなかったら作戦だとかそのあたりの明確なミスでしょ……。

 まぁそれでも、ところどころ佐倉さんが溶かした跡に引っかかって走りにくそうにしているのは、佐倉さんナイスとしか言いようがない。こういう変なことをしてくるユニットと競走しなけりゃならなくなったときは、一番前で誰にも邪魔されずにマイペースで走るのがベストなのだ。最速列車が早朝や深夜の列車に設定されているのと同じように。

 

 そしてタブレットは第3区の北澤さんへと受け渡される。そろそろ僕も準備をしないとな。全てのユニットが第3ランナーへとタブレットを繋いだのを確認してから、僕はテイクオーバーゾーンへと入った。

 隣を見る。ドラコの松代さんが、全身を緑に包んで目を瞑り、鮫島さんの到着を待っている。彼女のキールたるメカマセンゾク号は、レールレースの世界では有名なノリモンだ。その力を借りているのだから、彼女だって間違いなく速いに決まっている。

 成岩さんと佐倉さんが相当稼いでくれたし、北澤さんだってどちらかといえば走るのが速い方だからおそらくここでの授受は一番最初になるだろうけど、ゴールまで逃げ切れるかは怪しい。

 だけど、隣が誰であろうと僕がこれからできること、やることは変わらない。全力を以ってこの2.5kmを駆け抜ける。ただそれだけだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10レ中:アドバンテージ

 北澤さんがやってきて、残り20mほどまで近づいたとき、僕は前を向き、右腕を突き出してモーターを回し、走り出した。

 

「ラスト、お願い!」

 

 北澤さんの姿はまだ視界に入っていないけど、右腕に金属の棒が押し付けられる感触で、タブレットが僕の腕にかかったことがわかった。

 次の瞬間、右から北澤さんが視界に現れて、ブレーキを掛ける音がした。

 

 さっき見えた、鮫島さんとの間にあった距離は僅かに60m程度。この差をたった2キロ半先のゴールまでに使い切らなければ、僕達の勝ちだ。

 普通に考えれば、クシーさんのスピードとポラリスの加速度が出るならそれほど難しくはない。だけど、今回の相手は松代さんなのだ。一時たりとも気を抜くことはできない。

 受け取ったタブレットを首に掛け、強く、強く一歩を踏み出した。

 

 まず飛び出して、フルノッチで加速。早いうちから個別でエンジンを立ち上げて、更にトルクを強めて加速!

 そして緩やかな左カーブを抜けると、次に待ち構えるのは上り坂だ。

 上り坂というのは、加速度にかかるデバフだ。重力加速度に勾配の余弦をかけた分だけの加速度が後ろにかかりつづける。それだけじゃない。鉄道も人間も、前に進むために静止摩擦力を使っている。これは生み出せる力に上限があって、その閾値を超えると滑ってしまって加減速ができない。上り坂はこの閾値すらも奪ってくる。

 ならばどうするか? 僕の答えは、これだ。

 

「《ハイブリッド・アクセラレーション》!」

 

 坂の手前の平坦な区間の終点まで、加速に用いる時間を稼ぎ、そして上り坂に入る直前でこれを使うことで、最も高い速度で坂を登ることができる。スタート時ではなくここまで技の使用を温存した理由がこれだ。

 坂を駆け上り、上りきったところでギアを上げる。次にやってくるのは左カーブ。空気ばねを膨らませてしっかり地面を掴みながら加速する。カーブではどうしても外側の足にかかる力が大きくなってしまうから、こうやって車輪さえまっすぐ接地できてしまえば回転数を少し上げて無茶をしても簡単に加速ができるのだ。

 そしてそれすらも抜けて直線区間をかっ飛ばして、次の左カーブで確認をと後ろを振り返ったとき、僕はここまで確認を怠っていたことを後悔した。

 

 僅か20m強、後ろに迫る緑色の人影。まだスタートから3割ほどしか進んでいないのに、みんなが稼いでくれたアドバンテージは三分の一まで減ってしまっていたのだ。

 カーブを抜ける。ここで仕掛ける。下り坂に入った僕は、一旦ノッチとエンジンの()()()0()()()()()()()

 

「ここまでありがとう、ポラリス。トモオモテ、()()()()()()()()()!」

 

 滑走中の僕を青い光が包み、次の瞬間僕の全身は統一感のある黄色へと戻った。トランジット・トレイニングは、する時こそかの光の改札機の中で静止する必要があるが、解くときはそうではない。僕はそれを、高速向けのノリモンをベースに低速向けや中速向けのトランジットをして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と解釈した。高速域においてはポラリスよりクシーさんの方が加速余力があるから。

 ただ、懸念はモーターやエンジンが動いた状態ではトレイニングを解けないこと。だからこそ、この下り坂を利用したのだ。

 

 後ろの反応はわからない。だけど、やること自体は変わらない! 切り替えたクシーさんの脚で、僕は再びノッチを入れる。加速。加速、加速!

 そして、数百メートル進んで次のカーブに入るとき。もう1度後ろを確認すれば、彼女はなお同じくらいの間を開けて食らいついてきていた。

作戦がうまく行ったのか、行っていないのかはまだ判断できないし、焦るべきか安心すべきかなどわからない。だけれど、この20mのアドバンテージを維持できていることと、彼女がクシーさんのスピードに対応できていること、この2つの事実は間違いなくここにあるのだ。

 

 次なるカーブ。ポラリスとのトレイニングほ終えたから、この区間での強引な加速はもうできない。だけれど、スピードが出ているからこそ()()()()()()()()()()()()()()()()はできる。体をめいっぱい内側に傾けて、左手の車輪を地面に転がす。脚の車輪が、外側へと滑るか滑らないかの境界線上ギリギリのラインを攻めて、このカーブを抜け出す。まだまだまだ、行けるはず。

 

 だけど、感じる。

 

 電気機関車のようにウォンウォンと唸りをあげるモーターの音を。それが車輪へと伝わり、大地を震わせる音を。

 それはポラリスやクシーさんからは絶対に出ない音。モーター自身の振動は、車軸には伝わらない構造になっているから。

 それが、右後ろから徐々に、徐々に近づいてくるのだ。

 

 次の、最後のカーブに入るとき、後ろをちらりと見てもそこには松代さんはいなかった。前を向いても視界にはまだ入っていない。ならばどこだ。右後ろすぐ、僕の体自体が死角を作る領域以外ありえない。

 カーブを抜ける。前をちらりとみれば、そよ直線の先にはみんなの待つゴールライン。だけどその時始めて、前を向いているにも関わらず、松代さんの姿が視界の隅に入った。

 

 ――行かせはしない。

 

 その姿は、僕にそう語りかける。だけど、その言葉はそっくりそのままお返ししてやる!

 フルノッチで車輪を回し、脚を回して前へと進む。もう後は直線だけ。()()()()()()()()()()()()()()()()。進行方向に頭頂部を向け、目に映るのは地面だけ。

 

 勝つのは、僕だ。僕達だ。

 

 モーターが唸りを上げる。喉から言葉にならない慟哭が付き上がる。

 目線の先を、白い直線が一本だけ、通り過ぎた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10レ後:勝利宣言

 ブレーキを扱って、停まる。

 ふと前を見れば、同じように停止した松代さんが振り返ってこちらを見ていた。

 

 勝ったのか? 負けたのか? それが1番気になるけれど、周りを見ている余裕すらなかった僕にはそれを判断する術がなかった。

 少し息を整えてトレイニングを解くと、スッと目の前に手が伸びていた。

 

「いい走りだった」

 

 僕はその、彼女の手をとった。勝利宣言を疑いながら。

 だけど彼女は首を横に振った。どうやら彼女にも、どちらが先にゴールラインを超えたのかはわからなかったらしい。

 

「ただ前へ進むことしか、考えてなかったわ。だけど、2つ言えることがある。貴方の走りが素晴らしかったことと、この区間だけでいえば間違いなく私が疾かったってこと」

「それは……確かかもしれないですね」

 

 なんだ、この人も()()()()()()()()()()のか。一瞬だけ疑ったのが莫迦みたいだ。

 全体の勝利宣言ではない、変わった形の個別の勝利宣言。だけど、それは明らかなこともあり僕の中へとすっと気持ちよく入ってきて、そしてお腹の底に不思議な、ドロドロとした何かを渦巻かせた。

 

「でも、それならもっと疾くなるまでです」

 

 どうしてそんな事を口に出したのかは分からない。ただ、今にも爆発しそうなぐるぐると渦巻く感情、僕はそれを必死に押さえつけていた。

 そんな僕の顔を、松代さんはまじまじと見つめる。そして、

 

「楽しみにしてるわ」

 

 とだけ残して、レースコースの外側、他のドラコのユニットメンバーの待つ場所へと戻っていった。

 

 お腹の底が、苦しい。

 

 吐き出してしまえば、どれだけ楽なことだろうか。だけど、そうしてしまえば、同時に大切な何かまでもを吐き出してしまいそうな気がして。グッとこらえながら、ウルサのみんなの下へと戻る。

 

「お疲れ」

「おかえり」

 

 そんな声が僕に向けられているような気もしたけれど、それに返す言葉はネバネバとした腹の奥から切り離すことができない。喉までやってきたところで、ビヨンビヨンと腹の底へと引き戻されて、出てこないのだ。

 その様子を見かねたのだろうか、成岩さんが僕の背中をポンポンと叩いた。

 

「大丈夫か、山根? 酷い顔してるし、足どりもかなりふらついてるぞ」

「だ、じょ……」

「どこがだ、まともに声すら出せてねえじゃねえか。担架持ってくるから座ってろ」

 

 成岩さんは僕を強制的に地面へと座らせると、担架を取りにすっ飛んでいった。そこまで酷い顔をしているのだろうか? 気になって、検査用の手鏡を取り出して覗き込んだ。

 ……えっ、こんな酷い顔をしてるの、今? 眉間に皺を寄せ、歯を強く食いしばった、酷く歪んだ顔。それが映り込んでいた。そりゃあ、こんなに口元に力が入ってりゃ、声だって出ないはずだよ。

 落ち着かないと。そうして力を抜こうとすれば、腹はチリチリと精神を焦がすような炎を孕む。先にこれをどうにかしなければ。

 

 その頃、競技の方では全てのアンカーが到着して順位が確定したようだった。

 

「リーダー、手伝ってくれ」

 

 担架を運んできた成岩さんが頭を、早乙女さんが僕の足を持って、担架に横たえる。

 遠くで、リレーの結果が読み上げられて。結果は、1位がドラコで、ウルサは2位。それが耳に入った瞬間、耐えんと体中に入っていた力が()()()()()

 

「ごめ……な……」

 

 どくん。

 自分自身の脈動を、強く、強く感じる。

 そして、そこから先の記憶は途切れている。

 

 ★

 

「失礼しまーす」

「待っておったよ、忙しい中すまない」

「ここのところは進捗なくって暇で。むしろ忙しいのは博士の方じゃ?」

「君から話を聞きたいというのも、その忙しさのうちじゃよ」

「話を、ねぇ。長い間探求しているんならともかく、この程久保のような若僧の知っている事なんざ、博士は既に知っているはず」

「そうとも限らんよ。特に深く属人的な事項についてはの」

「属人的……?」

「そうじゃ。程久保君、今日私が君に聞きたいのは、()()()()()()()()()()()()のことじゃよ。君はよく知っておるじゃろう」

 

「……さて?」

「そのくらいは、既に調べがついておるよ。君と山根君、そして綾部君の3人組」

 

「……そこまで調べられてるのなら。でも、この場にいない人の話だから、内容によっては答えかねますよ」

「君も知りたいとは思わぬのか? 気づいておったじゃろう、彼の特異性にの」

「……」

「その沈黙は同意とみなしてよいのじゃな」

「……()()()()()()()()()()()()()()

「ほう?」

「少なくとも、彼の動力源はアクチンとミオシンには限定されていない。カルシウムイオンを放出し、それがトロポニンと結合し、そしてアクチンとミオシンが結合する……生物では普遍的なこの筋収縮のメカニズムで説明するには、反応速度が早すぎる」

「それは、どの程度の話なんじゃ? 失礼ながら人体についてはあまり詳しくないゆえ……」

「山根は自転車のペダルを1秒間に15回回した。ヒトがその動きを自発的にするには、対になった屈筋を別のタイミングで大きく収縮させなければならないが、その筋肉の収縮には()()()()()()()4()0()()()()を要する。後は単純な算数で無理だとわかるかと。彼は生物を超越している」

「して、なぜ」

「わからない。10代の少年が、友情を破壊せずにできるものは限られていたさ。だから、この測定結果より先は何一つ」

「そうか。……山根君はの、超次元の力を引き出す力に秀ておることがわかっておる」

「へぇ」

「気にはならぬか、超次元が」

「……保留かな。もう少し、ノリモンに明るくならないと答えは出せない。それに、彼は興味深い研究対象であると同時に、大切な友人でもあるんだ。過去に培った友情を壊したくはないからね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ前:祝福

 夢見るように目が醒める。時計を見れば午前4時。その割には寝不足の感覚はなくって……あ。そうか。

 

「倒れちゃってたんだ、昨日……」

 

 周りを見れば、4人ともぐっすりと眠っている。そりゃまぁこんな時間だし。

 かといって。目を瞑っても眠れそうにはない。どうしようk……

 

 どくん。

 

 ふいに、心臓が脈打つ感覚を強く感じた。

 

 どくんどくん。

 

 それは、時を経るにつれて強くなってきて。

 

 どくんどくん、どくんどくん、どくんどこん。

 

 ……おかしい。

 この脈動の音を認知してから、なんだか無性に走りたくなってきて。

 

 どこんどこん、どこんどごん、どごんどごん、どごんどどん、どどんどどん。

 

 あたりを見回す。皆、まだ目が覚めるには早いだろう。

 取り返しのつかないことになってしまいそうだから、ふたりのチッキはここにおいておこう。少し、この心臓がおさまるまで、()()()()()()()()()()()()()()()だろう。浅はかな考えかもしれないけど、突き動かされた心は止められない。

 

 ――どどん!

 

 そう、自分の中で決めた瞬間、一度鼓動が高鳴ってから、嘘のように落ち着いた。だけど、動き出した僕はもう、止まらなかった。

 夜間用の勝手口から外に出て、すぐに大地を強く踏みしめる。軽く時速30km程度の徐行で、昨日のリレーのコースを何周か。そうして走っているうちに、昨日感じたお腹の底の炎がまたチリチリと燃え始めるのを感じた。

 だけど、不思議と嫌な感じはしない。昨日はあれほど不気味だった感触が、今は心地いいとすら感じる。

 

 もっと、走りたい。

 

 僕はこんなに、走るのが好きなヒトだっただろうか? 少なくとも、小中学校ではそうじゃなかった。走って身体を動かすより、裏山に入って木登りしたりだとか、そっちの系統で体を動かしていた。

 だけど。今はなぜだか、どこまでも、どこまでも走っていきたい。そんな気分だ。

 

 そうして無我夢中で走り続けて、たどり着いたのはけん引の行われた砂浜。道の続かないどん詰まりなのに、何故かそこに立ち寄りたくなったのだ。

 砂の上では、砂に足が取られて走るのはやや難しい。だけど、数回ほど往復してコツを掴めば、それなりには走れるようになる。どんどんと速度が上がり、所要時間が目に見えて短縮されていくのが()()()()()()()()()()。そうしてビーチの端から端までを数往復して、一息つこうと海の方を見たその時。

 

 僕は、そこに誰かがいた事に気づいた。まだ日の出ていない早朝で、その姿や顔はよく見えない。だけど、オッドアイめいて赤と緑に光る目が、暗闇にはっきり浮かんでいたのだ。

 

「そこにいるのはどなたで?」

 

 そう呼びかけると、ぴかりとその人影はもう1つ、辺りを照らすための光を放った。そして、波をかき分けてこちらへとやってくる。

 つまりは、船舶系のノリモンか、それとトレイニングしたトレイナーか。そのどちらかだ。

 その人影は、波打ち際までやってきて上陸すると、赤と緑の舷灯を消した。

 

「これは失礼しました。妾はライスシャワァ、見てわかる通りの船のノリモンで、怪しい者ではございません。シャワアとお呼びください」

「これはご丁寧に。僕は山根真也といいます……じゃなくって、そもそもこんな時間に浜辺にいる時点で怪しいですからね」

「それは貴方も同じではないですか」

 

 ……ぐうの音も出ない。今の状況客観的に見たら僕も十分に怪しい。身分証とかがあるなら話は別だけど、今はもろもろ部屋に置いてきている。僕の身分を証明できるものは、今ここには何もないのだ。

 

「安心して。海の方には他のノリモンはいませんわ。少し話をしましょう、()()()()()()()

「待って、わかるんですか」

「えぇ、貴方からは他のノリモンの力を感じますもの。でも、少し不思議」

「何がです」

「いえ、なんでもないわ」

 

 シャワァさんはその言葉を残して黙り込んでしまった。

 そう言われるとめちゃくちゃ気になるのが人の性ってやつだ。

 

「僕におかしなところでも?」

「……なるほどね、かわいそうに。まだ、気がついていないのね」

 

 彼女はそう、意味深なことを続けた。

 

「それは一体、どういう……」

 

 そう返したとき。シャワアさんの全身がにわかに緑色に光った。

 今すぐ、この場を離れなきゃいけないと理性は訴えかけているけれど、なぜだか、目が離せない。

 そして。彼女は僕の頭の上に左手を置いた。

 

「受け入れなさい。これは、祝福」

「祝福……」

「そう、祝福。これで貴方はもっと、()()()()()に近づける」

 

 シャワアさんは2つ、鐘の音を鳴らした。

 

 とくん、とくん。

 

 まただ。あの感覚が全身に広がって。

 なんだか、ぽかぽかとあったかくて気持ちがいい。

 理性は危険だと訴えるけれど。それを覆い尽くすかのような心地よさが僕を包む。

 

 どこからともなく、汽笛の音が聞こえる。そして、鉄輪の擦れる音が。

 

 どどん。どどん。どどん。

 

 それは少しずつ僕の脈動と重なってきて。

 

 ばばん。ばばん。ばばん。

 

 ついで、世界から音が消える。

 

「貴方に、我等が五元神の加護がありますように」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ中:叱咤

「おーい、山根、聞こえてるか」

 

 僕を呼ぶ声が聞こえる。

 振り返れば、成岩さんが物凄い形相でこちらに走ってきていた。

 

「あ、成岩さん」

「『あ』じゃねえよこの大莫迦野郎! 昨日の今日で朝起きたら部屋に居ねえ、しかもチッキも端末も貴重品も全部部屋にあるのにお前の体と靴だけが無いって、こっちがどれだけ心配したと思ってる」

「え……あ、ごめんなさい」

 

 しまった。

 みんなが目覚める前には部屋に戻っておくつもりだったのに、気がつけば空はもうかなり明るい。

 

「わざわざこんなところまで来て、これだけ大量に足跡作ってるのを見る限り大丈夫そうだが、一応聞いておくぞ。体の方は大丈夫か?」

「体?」

 

 手を開き、握る。背伸び。腕を振って脚を曲げ伸ばす。腕を回す。胸を反らす。体を大きく横に曲げ、前後に曲げる。ねじる。腕を上下に伸ばす。体を斜め下に曲げ、胸を反らす。旋回。ジャンプ。スクワット。深呼吸。

 

「見ての通り、絶好調です」

「昨日ぶっ倒れた奴の言動とは思えないな! まぁ部屋から脱走する元気はあるのはわかってたけどな。まぁ元気ならいい、戻るぞ。細かい話はメシの後だ」

「はい」

 

 ……うーん。なんか大事なことを忘れているような。なんだっけ?

 


 

「それで、君は何をしていたのかね?」

 

 朝食の後、僕は布団の上で正座して4人に詰められていた。完全に僕が悪かったので文句はない。

 

「朝目が醒めて、ランニングを……」

「北澤君、彼がランニングを日課としていたという噂は、過去に君のもとに入ってきたことはあったかい?」

「一度も聞いたことない。スクールの時から」

 

 そりゃそうだ。そんな習慣全くなかったし、入っていたとしたらそれはフェイクニュースだ。

 

「なんだかとても、走りたかったんです」

「嘘はよくない」

「待とうか、佐倉君。嘘だと決めつけるのもまたよくない。成岩君。彼を見つけたときの周囲の状況は?」

 

 成岩さんは端末に1枚の写真を表示した。砂浜の脇の崖の上から、砂浜を見下ろすように撮影されたもので、波打ち際に僕が立っているのが写っている。

 

「残ってた足跡を見る限りじゃ、あのビーチに半日以内に入ってったのは山根一人だけ。それとは別に、大量に砂が抉れた跡が端から端まで一本連なって、まるで畑の畝のようになっていた。ま、しばらくすりゃ潮が満ちて波で均されるだろうがな」

「なるほど、そこを走っていたんだね? 何度も何度も」

 

 8つの目線の先が、成岩さんの端末から僕へと移ってきた。

 

「そうですね、走る度に所要時間が短くなっていくのが楽しくて」

 

 嘘をついてもしょうがないので正直に話すと、目線のうちいくつかは呆れたものを見るようなものへと変わった。

 

「ふむ……。ならば少なくとも、状況的には一人そこを走っていたというのは間違いなさそうだが」

「もしかして、リレーで負けたこと気にしてる?」

「うっ……」

 

 グサリ。だってあれ、明確に僕が抜かれたのが敗因だし。気にしないわけがない。

 

「図星か」

「なるほど、理解」

「だって僕が抜かれなかったら勝ってたんですよ?」

「アタシの方が距離詰められてたよ?」

「そもそもなんで抜かれない前提で話ししてんだよ、無理に決まってんだろ」

「やってみなきゃわからないじゃないですか」

 

 そう、成岩さんに反論したとき。

 

「……山根君」

 

 普段よりも低い声が、早乙女さんの口から発せられた。

 

「あまりJRNを嘗めない方がいい。君たちの期は例年になく粒揃いで、君も()()()()()ことは事実だ。その中でスクールを終えた君たちにとって、多くのトレイナーは大したことがないように映るかもしれない。だが、それでも私からすれば()()()()()()()()だよ。君の手に届かない先輩は多くいる」

 

 いつになく真剣な表情で、諭すように、ゆっくり、はっきりとそう告げられる。それに対して僕は言葉が浮かんでこず、「……はい」と返すのが精一杯だった。

 

「これは内部でのトレイナー同士での戦いなんだ。必ずしも勝てなくたっていい。もう少し、肩の力を抜いていい」

 

 打って変わって柔和な笑みを浮かべて、早乙女さんはそう言ってくれた。

 その言葉は、今まで聞いてきた教えとは、正反対のものだった。

 

「でも、本気でやらないと失礼だというのは、早乙女さんの……」

「もちろん、本気なのが悪い事とは言わないし、それで負けた悔しさを乗り越えることで得られる強さも当然ある。だからこそ、君は今朝抜け出した。違うかい?」

「……そうです」

「だが、それはやっている最中の話だ。始まる前や終わった後まで緊張していると、このスケジュールでは休まる時間が無い。すると自分が疲労していることにすら気づかなくなるし、昨日のようにまた倒れることになるよ」

 

 それを言われると、反論ができない。

 昨日倒れてしまったのは、紛れもない事実なのだから。

 

「そういう訳だから、今日明日は安静にしていなさい。明日の競技の観戦も駄目だ」

「いや、元気ですよ?」

「倒れても()()()()()()()のかい? 君には疲労が溜まっていると言っているんだ。佐倉君」

「はいよ」

 

 急に背中を叩かれ、僕はそのまま布団にうつ伏せに倒れこんだ。そしてすぐに腰の上に何かが乗る。

 ぺたり。何かが太ももを撫でる。そして、ある一点で止まると、円を書くようにやや強く棒のようなもので押される。

 少しくすぐったくて、膝から先がぴょこんと跳ねる。

 

「あの、何を……」

「やれ」

「はい」

 

 瞬間、太もものその一点に思いっきり衝撃が沈み込む。

 

「えっ……¢£%#&□△◆■!?」

 

 朝の合宿所に、一人の男の声にならない悲鳴が響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ後:休養

「ぁ……ぅぁ……ぁっ……」

 

 布団の上で、ピクピクと痙攣しながら悶えているトレイナーが一人。

 それが僕、山根真也だ。

 

「だいぶ、揉みごたえがあった」

 

 そして真横で艶々としているのが僕をこの状態に持ちこんだ佐倉さんである。おのれ。

 

「疲労、負荷がなけりゃ気持ちいいだけ。痛みはない」

「そういうことだ。スクールの時からオーバーワークの傾向があったという話は北澤君から聞いていたが、ここまでとはな」

「きちんと休むことも覚えろよ」

「はい……」

 

 そもそもこの調子じゃ今日いっぱいはまともに動けそうにすらないけれど。晩ごはんすら食べられるかすら怪しいし、昼は絶対に無理だ。せめてお風呂には入りたいけれど明日までお預けかなぁ……。

 


 

「救いはないのですか?」

「ありません!」

 

 ドラド・ユニットのミーティングは、お通夜になっていた。

 打倒ドラコを掲げて挑んだこの合宿。集合の種目こそ一番最初に長崎にたどり着けたはいいが、その後はもう一度も1位を取れていないどころか、2位すら片手で数えられる程度だけ。

 2位に入る得点は1位のものの9割あるのに対し、3位には7割5分しか入らない。1位を逃して2位となるより、2位に入れずに3位まで落ちる方が痛い。

 

「マジでどーなってんだ、あのウルサとかいうユニット」

「去年は欠員出て不参加、一昨年は構成メンバーの怪我で直前の参加取消、一昨々年は出向ローテの都合で参加できず、その前の年も構成メンバーの療養で、前回の参加が5年前。圧倒的にデータが足りていません」

「そもそも5年前のメンバーから2人変わってる時点でそのデータ使い物にならんでしょ」

 

 5人は再び頭を抱えた。これは悪夢だ。

 しかも、仕入れることのできたデータの中には。新たに入った2人の詳細なデータはない。ドラド・ユニットの情報収集能力は、上から数えて5本の指に入る程。そんな彼らでさえ、新人2人のデータを得られなかったのである。それはなぜか。

 それはその2人がまだJRNに所属して2年目の新人であり、そもそもデータ自体が無いためだ。存在しないデータを入手できる者など、この世界にいるはずもない。

 

 そして、それはさらなる悪夢を示唆していた。即ち、来年度以降である。

 現状ウルサの成績はボラリティが高い。圧倒的な結果で1位となっているものもあれば、失格でそもそも点の入らなかった種目もある。だが、これは新人を2人も抱えている現状での話だ。新人とは、成長の速度が一番早いものなのだ。

 

「来年以降は、今年みたいにドラコとウルサを両方後半組には入れてほしくないねぇ」

「そうなったらどれだけ頑張っても3位争い確定。救いはないのですか?」

「ありません」

「強いて言えば、この2ユニットのいない前半組は天国だったろうな」

「そっちにゃペガススとかいるよ?」

 

 5人は再び顔を見合わせ、口を閉じる。

 そして、同時に同じ結論へと至った。

 

 今回は諦めて、小平に戻ったら全部見直して、このユニットを改革しよう。そして、強くなろう、と。

 


 

 大村湾、長崎空港、ビジネスラウンジアザレア。

 シャワァは上機嫌でタブレット端末を操作し、文書を仕上げていた。

 

(乙女ノ鼻でトシマ号と偶然まみえたのは幸運でした。現時点では協力を求めることはできなさそうなのは残念でしたが、動きだして理想論ではない、現実に実現できるものであると理解いただければ可能性はまだあるでしょう)

 

 彼女はコップの中の飲み物を飲み干して一息入れると、ドリンクバーへ補充に向かう。

 そして戻ってまた、端末へと視線を戻した。

 

(そして、()()()()()()()。不幸にも邪魔が入ってしまいまして、彼はクィムガンへと変わってしまいましたし、賢明ではありませんでしたから暴れだしてしまって、市街地へと出て巨大化、不幸にも討伐されてしまいましたが……)

 

 その時のことを振り返りながら、シャワァは文字を打ち続ける。

 

(本人へのリスクの説明は済ませましたし、その同意も得ておりましたけれど、決して気持ちのいいものではありませんね。それに、あの()()()()()……ラッチ、でしたっけ? アレもいい加減どうにかしませんと。リングは一体何をしているのでしょう。あの中へと閉じ込められてしまっては、次善策に移行することすらできません)

 

『……大阪神戸空港行き142便、東京羽田空港行き442便をご利用の方に……』

 

(ですが、今朝方に彼の痕跡を追って、彼を見納めとしたかのトレイナーと出会えたのは幸運でした。ノリモンの幸福には、優秀なトレイナーの存在が不可欠。彼もまた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。きっと彼も、妾共シエロエステヤードの目指す世界の素晴らしさには同意していただけることでしょう。この()()()()()()()()()()()()()ですから)

 

『……11時30分発、大阪神戸空港行き142便、東京羽田空港行き442便は、まもなく保安検査の締切時刻となります』

「あら、もうそんな時間でしたか。向かいませんと」

 

 そして彼女はタブレット端末をしまうと、足早に保安検査場へと消えていったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ前:寝耳に水

「では、私達は競技へと参加してくる」

「行ってら」

 

 翌日。競技へと参加する早乙女さんたちを僕と監視役の成岩さんは見送った。今朝は目覚めたらあの激痛が嘘のように引いて、体が軽くなっているので、観戦するくらいなら大丈夫だと思うんだけどなぁ。

 

「あの、成岩さん」

「駄目に決まってんだろ」

「まだ何も言ってませんが」

「言わなくてもだいたいわかったぞ」

 

 やっぱりだめかぁ……。

 

「じゃお、せめてお風呂には行かせてください。昨日も一昨日も入れてないので」

「……まぁ、それくらいなら大丈夫か」

 

 ……よし。

 まぁ、風呂に入ると言ってももちろんただのんびりするだけではないのだが。

 

「もちろんついていくからな?」

「はい……」

 

 そりゃそうか。まぁ、そんなに動きのあることをするつもりはないし怒られはしないだろう。

 

 この研修施設の大浴場は3つある。そのうち1つを掃除等に回して、男女双方が24時間いつでも使えるようにしてあるのだ。どうしてこうなっているかといえば、怪我をしたトレイナーやノリモンのリハビリ施設を兼ねているからだ。

 だからこそ、大浴場と言ってもそれ用の設備があったりするのだ、が。

 

「なんとなくそんな気はしてたが、そっちに行くな」

「えー」

「えーじゃねえ。リハビリは休養が終わったあとだ」

 

 という訳で普通の浴槽以外は入らせてもらえなかった。

 だけど、まだある。風呂といえどここは水中には変わらない。当然全方向からの水圧だってかかるし、身体の動かし方だって陸上とは違う。つまり、風呂に入っているだけで僅かながら負荷をかけることは実は難しくない。

 今も、普通に湯船に浸かっているように見せかけて、実は浴槽の底面に手をついて足腰を浮かせ、その中でゆらゆらゆっくりと動かしている訳だ。

 

 そうして2時間弱ほど体を温めて、僕はお風呂から上がった。

 本当はもう少し入っていたかったし、僕は特に何も問題はなかったんだけど……。

 

「うー」

「なんで貴方がのぼせてるんですか……」

「大人しくしてたとはいえ、お前のせいだぞ」

 

 監視員がこうなってしまったので、上がらざるを得なかったのだ。

 

「だったら浴槽から待ってりゃ良かったじゃないですか」

「それはそれで寒いだろ」

「じゃあ脱衣所で」

「したらリハビリの方行くだろお前」

「……ちぇ」

「ちぇじゃないが。……少ししたら部屋戻るぞ」

「おぶって運びましょうか?」

「お前なんで今日監視ついてるかわかってる?」

 

 結局30分ほど脱衣所でぼんやりしてから部屋に戻った。

 そして暇つぶし用に鞄に入れていた薄い本を読んでゴロゴロしてたときの事だった。

 

「……なぁ山根」

「なんです?」

「お前のとこには、()()()()()()()()()()()()()?」

 

 メッセージ?

 一瞬なんの事かわからなかったが、脳の中で線が繋がってすぐに端末を取り出し、開く。

 うわ、風呂入っている間にポラリスから27件も来てる……。

 

「ポラリスから、27……あ、今また来た」

 

 どれも似たような要件で、コダマさんから至急成岩さんへと連絡がほしい旨を伝えてほしいというものだ。

 とりあえずいま横に成岩さんが隣にいる旨を返信すれば、すぐにボイスチャットがかかってきた。

 

「もしもし、ポラリス?」

『あっ! 繋がった! コダマおじちゃん、真也に電話繋がったよ!』

 

 ボイスチャットの向こうでは何やらゴソゴソとしている物音が聞こえる。

 ……何か、あったのだろうか? 成岩さんにも聞こえるよう、スピーカーホンに切り替えて端末を部屋の机の上に置く。

 

「何が起きたんですかね?」

「ん、お前のとこには詳細は来てないのか?」

「いや、成岩さんに伝えてほしいとだけ」

「そうか。これ、コダマ号から送られてきたネットニュースだ」

 

 そう言うと成岩さんは彼の端末の画面をこちらに突き出した。どれどれ、『Innovatech(JPN) Was First to Arrive in George Stephenson Cup, From Crewe to Doncaster』……。

 要するに、ベーテクさんがイギリスで開かれていたレールレースで優勝したという記事だ。ページの中には、いつものラチ内での格好でドンカスター駅に進入するベーテクさんの写真が添えられていた。

 

「何やってんのあのひと……」

「いや本当、何してんだあいつ」

『もしもし? こちらコダマですわ。合宿中、突然の連絡になって失礼』

「もしもし、こちら成岩。先程まで端末を操作できない状況にあったが、今状況を把握した」

 

 事の次第はこうだ。

 ベーテクさんとアドパスさんが渡英した。そして、レースに参加して勝った。以上。これがコダマさんの把握している状況だ。

 

「そっちもそれ以上情報無いのか……」

『ということは、そちらもです?』

「寝耳に水だ、完全に! 待ってろ今ベーテクに電話する」

「9時間の時差があるから向こうは深夜ですよ」

「知るかボケ」

 

 そう言って半分慌てながら成岩さんはボイスチャットをかけた。

 当然、出るわけがない。

 

「寝てんのか、アイツ?」

「だから向こうは深夜」

『……私が言えたことではないですが、まずは落ち着いて欲しいですわ』

 

 聞けば、この情報がもたらされた時のコダマさんとクミさんとも似たような状況だったようで、つながるはずもない音声通話を試みていたらしい。

 

「ん? ちょっと待て、コダマ号が自分でこのニュース仕入れたんじゃなくて、誰かから聞いたように聞こえるんだが」

『その通りですわ』

「誰から?」

『ちょうどここに居るので代わります』

『俺だ』

 

 ……えっ。

 この声は。あまりレールレースには詳しくはない僕ですら知っている、伝説のノリモン。

 

「まさか、帝王(キング)っ……!」

『そう、帝王(キング)はひとり、このヒカリエターナルだ!』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ中:伝説

 ヒカリエターナル号。

 彼は、日本での黎明期のレールレース界における絶対的なヒーローとして君臨し、日本中を沸かせてレールレースのブームを引き起こした張本人である。

 国内でのレールレースでの歴史は浅い。国鉄時代こそ、日中に使わない山手線の浜松町から西日暮里の区間で細々と行われてはいたが、現在のように大々的に、列車を運休してまで行うようになったのはラッチの開発によりノリモンの多くが暇になって以降だ。

 それが今や、わずか20年ほどで誰もが認める一流のエンターテインメントまで上り詰めた。その過程において、彼の功績は非常に大きいといえる。

 そして彼は、勝ち続ける傍らである程度のランナーが集まってくると()()()()()()()()()を遂行。それ以降は挑戦を受けて走ることこそあるが、積極的にレースに出走することはしなくなった。『帝王(キング)たる者、未来の芽を摘みかねぬマネはしない』とは本人の言葉だ。

 

「それで、ヒカリエターナル号。どうして俺等に接触を?」

『単純なことよ。事前に話はあったのかという点の確認だ』

 

 彼は現在は、レールレース界の裏方に回って普段は鉄道会社との交渉やメディア対応、優秀なノリモンのスカウトなどを行っているらしい。

 そんな彼の下に今朝方突然べーテクさんの勝利の知らせが届き、急遽事情を知っていそうなコダマさんを経由して連絡を試みたのだという。

 

「前振りなんてなかったからこっちも驚いてるんだが? なぁ山根?」

「突然話を振らないでくださいよ……。まぁ、確かに聞いていたわけじゃないですね。怪しい文書自体はアドパスさんからありましたけど、あの文面でこれを予想するのは流石に無理が……」

 

 たしか『これからも、驚かせることがあるかもしれません』とは書かれてはいたんだよね。こんなことになるとは思ってもいなかったけど。

 

「あったか? そんなの」

「いや来る最中バスの中で笑ってたじゃないですか」

「あっアレか……」

『なんだ? 心当たりがあるのか』

「ポラリス、聞こえてるんだろ? この前のグループチャットにアドパスから来てた奴見せてやって」

『はーい』

 

 それからしばらく、音声は途切れて。

 

『確認したい、このアドパスというのはまさかだ、かのAdvanced Passenger号ではあるまいな?』

『そうであると言いましたら?』

『だとすれば、突然の出走にも納得がいく。彼女は英国レールレース界の伝説、多少の無理は効くはずだ。だが、なぜJRNにいる?』

「待て、どういう事だ? 俺達はアドパスがJRNに入る前のことは余り知らねぇが、帝王は知っているのか」

『知っているも何も、彼女は同じレールの上で先着を争ったことのある戦友にして、鉄道発祥の地にしてレールレースのメッカたる英国レールレース界における伝説よ』

 

 ヒカリエターナル号によれば、アドパスさんは30年ほど前に英国レールレースのクラシック6冠――クラシック6路線、つまりECML、WCML、GEML、GWML、MMLの5大本線とクロスカントリーで行われる格の高いレースを全て勝つことだ――を史上初めて達成しただけでなく、うちRoyal Scot CupとFlying Scotsman Cupで叩き出した大会レコードは、今尚破られていない伝説の記録として残り続けているのだとか。そんなすごい記録持ってたの……。

 

『その反応を見るに、そこのイノベイテック号のパートナーたるトレイナーすらそれを知らなかったようだな。どういうことだ、コダマ』

『まずは落ち着いてくださいよ、ヒカリエターナル。状況を飲めていないポラリスや成岩らにもわかるよう話しますから。ただ、こっちの3人とそちら側の2人だけの秘密で、口外は無用でお願いしますわ』

 

 コダマさん曰く。

 アドパスさんことAdvanced Passenger号は、かつて世界を飛び回りながら各国の国際レースを荒らし回りながら、その足で彼女の生まれ故郷の復興のために動いていた。そんな中で黎明期の日本のレースに参加して、このヒカリエターナル号に負けたのがきっかけで日本国内のノリモンにまで興味をもち、接触したコダマさんとの間でトントン拍子で話が纏まったのだという。

 

『その時に、レーサーとしての自分を隠したいとの要望があったのですわ。それでずっと私はアドパスと呼びつづけ、過去の話があったときはわざわざどこの国とは言わずに国鉄の崩壊で放浪、というストーリーを話す、という合意になっていたんです』

「なぁ、1ついいか。って事は、だ。べーテクをミッドランドに呼んだのは……」

『ご想像の通りアドパスですわ』

 

 ……なるほど、だいたい話は読めてきた。

 つまり今回の騒動って。

 

「全部アドパスさんのせい、って事ですかね」

「奇遇だな、俺も同じ結論に至った」

『この詳細を聞けば、誰が考えてもそうなるだろう』

『だけど出走したべーテクもべーテクですわ』

 

 結局、向こうが朝になるのを待ってラボのグループチャットでボイスチャットで直接話を聞く。それが一旦まとまった結論だった。

 ……にしても。

 

「べーテクさんもアドパスさんもそんな速いノリモンだったんですね……」

「一応俺はべーテクがJRNに入る直前、コダマ号が接触するきっかけになったレースの話は聞いてたが、アドパスについては初耳だぞ、ガチで」

「そもそもふたりよりポラリスの方が速……」

「おい莫迦帝王に聞かれたら……」

『……ほう?』

 

 あ。

 なんか漏らしてはいけない情報を漏らしてはいけない者に漏らしてしまった気がする。

 

『ポラリス、と言ったな? 君、走るのは好きかい?』

『うん!』

『そうかそうか。ならば……』

「山根、この件についてはお前が責任持てよ」

「これも全部アドパスさんのせいです」

「ちげえよ」

 

 ボイスチャットの向こうでは、ヒカリエターナルさんが急速に外堀を埋めていく様子が聞こえる。

 やってしまったなぁ、これ……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回12レ:George Stephenson Cup

 ――どうしてこんなことになったんだよ。

 

 イングランド中西部、クルー・ダービー線。べーテクは訳もわからぬまま、このローカル線を駆けていた。

 

(おかしいと思ったんだよ、どうしてセント・パンクラス駅じゃなくてユーストン駅から列車に乗ることになったのかとかね。アドパスくんはクルーという街に知り合いがいるから寄っていきたいとごまかしていたけど)

 

 実際、クルー駅の横にはアドパスの妹である車が保存されており、彼女の言葉には()()()()()()()。だが、彼女は本当の、もう一つの理由を述べてはいなかったのだ。

 べーテク達がクルー駅に戻れば、何故か既にダービーで合流する手はずになっていた人のうち数人が到着していたのだ。だがしかし、ダービーへ向かうクルー・ダービー線の列車はキャンセルされている。その理由はレールレース、George Stephenson Cupの開催だ。

 このレースは英国鉄道の父たるジョージ・スチーブンソンの名を冠したレースで、鉄道車両工場のあった町・クルーから、国鉄時代より続く鉄道車両工場が唯一残る町・ダービー、ジョージ・スチーブンソンが晩年を過ごした町・チェスターフィールドを経て、著名な蒸気機関車を数多く生み出した町・ドンカスターへと至るコースを走る、まさに彼の名を冠するにふさわしいレースである。

 そして、べーテクがまさかなと思いながら残りの合流する予定の人がどこで待っているかを尋ねれば、ドンカスターで待っているというのである。

 

「アドパスくぅん?」

「安心して下サイ。登録は済ませてありマース!」

 

 INNOVATECH。アドパスから渡されたゼッケンにそう自分の名前が書かれているのを見て、そしてそれが用意されているという事実に、べーテクは全てを理解したのだった。

 

「一応聞いておくよ、僕のぶんのドンカスターに行くきっぷは」

「ありマセン!」

「はぁ。走ればいいんだね?」

「理解が早くて助かりマース。あと、このレースこれからしばらくお世話になる方々も見てマースので」

「それはそれは怖いねぇ」

 

 そして、準備をするべーテクを横目に、アドパス達はマンチェスター・ピカデリー駅行きの列車に乗り込んで、ドンカスターへと向かったのであった。

 そして、レースが始まって今に至る。

 

(流石に悪目立ちはしたくないけれど、アドパスくんの顔に泥を塗る訳にも行かないからねぇ。とりあえず、中盤に差し掛かったら前の方でとっとと飛び出していった、あの目立つ水色の彼の数チェーン*1後ろにつけて、抜かれるたびにつける対象を変えながらゴールしよう)

 

 だがここでべーテクは1つミスを犯した。彼のいた中団の集団と、彼がつけようとした水色のノリモンのいた先頭集団の間の距離はどんどんと長くなって、ストックオントレント駅を過ぎる頃には視認することすら能わなくなってしまったのだ。

 

(遅すぎるよ、この集団! あんまり目立ちたくはないけど、仕方ないね)

「行くよ、《ハイブリッド・アクセラレーション》」

 

 ロングトン駅を通過してまもなく、べーテクは中団から抜け出して加速し、先行集団を追いはじめた。そしてダービー駅にたどり着いたころにようやく先行集団に追いつく。だが、それはクルー駅で見たものよりも遥かに少ないノリモンしか含まれていなかった。

 分裂している。そう感じた彼はミッドランド本線に入って更にギアを上げて4速に入れる。そしてチェスターフィールド駅を通過して旧線へと入ったところでようやく先頭集団を捕捉した。しかし、そこにかのノリモンの姿はない。それすら引き離して、更に先に行ってしまったのだろう。べーテクはそう解釈した。

 

(これが、本場のレースか。なんだか、()()()()()()()()ねぇ! 必ずや、追い付いてみせようじゃないか)

 

 そして先頭集団すらも追い越し、べーテクは全力を出してスウィンドン駅の小さな右カーブを鮮やかに抜け、ひとり最後の路線、スウィンドン・ドンカスター線へと入った。後ろの集団を引き離して、それが見えなくなってなお、かの水色のノリモンは彼の視界に入らない。

 べーテクは気がついていなかったのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに。このレースでは、シェフィールド近郊の輸送を確保するために、チェスターフィールド駅からスウィンドン駅の手前までの間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()となっている。しかしあろうことか、そのノリモンはチェスターフィールド駅にて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。勿論、その時点で彼は失格、競走からは除外されている。

 そして、それを知らないべーテクは既に先頭にいるのに、存在しない先頭走者を追いかけ続けているのである。それに彼が気づくことは、ゴールであるドンカスター駅に到着、停止した時でなおできていなかった。

 

(……結局、追いつけなかったよ。さて、彼は……あれ、いない)

 

 そうキョロキョロと辺りを見回すべーテクに、1人の男が近づいた。レース主催側の係員だ。その彼の言葉を聞いて初めて、べーテクは自らの大きな勘違いに気がついたのであった。

 

「Congratulations, The Innovatech! You are the FIRST TO ARRIVE!

「えっ? あ……Thank you. It doesn't feel real yet.」

 

 そしてドンカスターで待っていたダービーの人や、しばらくして到着したアドパス達に祝われながら、べーテクの出張の業務は始まったのだった。

*1
レールレースで使われている単位で、およそ20.1メートル



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ後:帝王

 16時。べーテクさんのラボのグループチャットで、再びボイスチャットが始まった。

 

『おはようございマース!』

「おはようじゃないんだわ、こっち夕方だ」

「いや問題はそこじゃないですよね……」

 

 こっちの気持ちを知らないでか、ものすごく元気にアドパスさんが通話に応じた。

 本当にこのひと……。

 

「なぁアドパス。一つ聞くぞ。1435mm……いいや、違うな、こうしよう。4フィート8と2分の1インチ、線路をこの幅に設定したのは誰だ」

『あっ、見つかってしまいマシタか』

「コダマ号にタレコミがあってな、その人今ポラリスと一緒にいるんだが」

『この俺だ。覚えているだろう、Advanced Passenger』

『アイーッ!? 帝王(キング)!? 帝王ナンデ!?』

『「なんで」ではないが?』

 

 ……この口論、冷静に考えるとすごい贅沢な口論だなぁ。なんて言ったって片やイギリス最強、片や日本最強のレールレーサーの口論だもの。

 っていうか当のべーテクさんがなかなかチャットに出てこないんだけど……?

 

『要件はわかっているな? そこにイノベイテック号もいるのだろう?』

『……はい、ご無沙汰してます、ヒカリエターナル号』

『おお、久しいな。まずは勝者に祝福を、おめでとう、イノベイテック号』

 

 ヒカリエターナルさんはそう祝辞を述べた。こういうところはきっちりやるんだな……。

 

『あぁ、ありがとう……。もちろん、それだけを言いに来たわけじゃないんだよね』

『無論』

『まず言い訳していいかな? 僕だってねぇ、いきなりゼッケン渡されて、「君のぶんのきっぷはないけどドンカスターまで来てね」って言われて困惑してたんだよ』

「だからって1着とるこたぁねえだろ」

『気がついたら先頭を走ってたんだよねぇ』

 

 そんなことある?

 

「まぁいい、安心しろべーテク。こっちじゃ状況から()()()()()()()()()()()という話になっているが、間違いはないな?」

『いや全くもってその通りだよ』

『皆さんひどいデース、ミーが何したっていうんデスか?』

 

 いや、どの口がそれを言ってるんですかね。

 

「「『『『全部』』』」」

『国際レースで輝かしい成績を残すことは素晴らしい。だが、日本勢がそうする度に何かしらの声明を出さねばならないこちらの身にもなるがいい。これから文面を考えねばならんのだぞ! 貴様が彼をレースに出すと決めた段階で協会に連絡の一本でもよこしていれば、このようなことをする必要もなかったものを』

「連絡一本入れとくだけでいいんだ……」

「キレてたのそこかよ」

 

 いやまぁ、確かに日本のレールレースを監督する団体が、海外での栄光について言及しないわけにはいかないんだろうけどさ。

 なんか思ってたよりもけっこうしょうもない理由だった……。そもそもレースに出たこと自体を怒っているのかと思っていたけど、どうやらそこは問題ではなかったらしい。

 

『聞いておくぞ、アドパスよ。貴様一度はまた来日するのだろう?』

『えぇ、JRNにはお世話になりっぱなしデスから』

『ならばコダマ号。彼女が戻ってき次第、俺への連絡を依頼したい』

『頼まれましたわ』

『公式のレースではなく催し程度のものではあるが、日本の鉄道で()()()()()()()()()、Advanced Passenger! 勿論、強者たる貴様であれば逃げるという選択肢は取らないはずだ』

 

 ……えっ。

 なんかとんでもないイベントの実施が目の前で決まっているんですが。これ、下手しなくても『夢の対決再び!』とか囃し立てられたりするやつでは? 一部界隈がお祭り騒ぎになる気しかしない。

 大丈夫? 死人とか出ない?

 

『……わかりマシた。新小平に戻った暁には、その挑戦状、受けてたちマショウ』

『良い返事だ。それから、イノベイテック号』

『はい』

『先程貴様の妹分だというポラリスの走りを見させてもらった。()()()()()()()()()?』

 

 あっ。

 その発言が聞こえるや否や、成岩さんは僕の方を向いた。口を滑らせちゃったのは悪かったって思ってるって。

 そして少しの沈黙を挟んで、ボイスチャットから本人の声が聞こえた。

 

『お兄ちゃん。ポラリスね、みんなの前で走ってみたい。ポラリスの走りを、みんなに見てもらいたい。そして、これがポラリスなんだって、知ってもらいたい。車のとき、できなかったデビューランをしてみたい。ダメかな?』

 

 そうだった。ポラリスは、走りたいんだ。その事自体は知っていたけれど、どうやって走らせてあげるべきかは僕はよく分からなかった。

 その1つの答えが、もしかしたらレールレースなのかもしれない。ならば、僕にはそれを止める権利はない。

 そしてそれは、べーテクさんも同じだったのだろう。

 

『わかった。ポラリスがそう言うならね、僕は何も言わないよ』

『……! やったー!』

 

 ボイスチャットの向こうから、大はしゃぎするポラリスの声が聞こえる。余程嬉しかったのだろうか。

 だったら、僕も少し明るくならないといけないな。現状、僕が唯一の彼女とトレイニングできるトレイナーなのだから、支えるという面では大きな役割がある。

 

『でも、僕の懸念事項は共有しておくよ。()()()()西()が何と言うか』

『フン、そんなもの、実力を見せつけて()()()()()しまえばいい』

『前者は、きちんと話せばまだわかってもらえるからいいよ。怖いのは、後者だよ。僕がメガループを走った時も奴等はだいぶ好き勝手書いてくれた。それが嫌で貴方からの誘いを断る程度にはね。そんな奴等を黙らせられると、本気で考えているのかい』

『愚問だな。何故かわかるか』

帝王だからかい?』

『そうだ、帝王だからだ』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ前:第15種目・デュエル

「ただいまー。……って、山根君はともかくなんで成岩先輩までぐったりしてるの?」

 

 イギリスとのボイスチャットを終えてからしばらくして、競技から3人が戻ってきた。当然僕達はそのせいで精神的に疲れが出ており、結果として僕は休んでいなかったこと、成岩さんは僕を休ませなかったことを早乙女さんにこってりと叱られる結末となった。

 これもぜんぶアドパスさんが悪い……んだけど、流石にこれ以上話を大きくしたくないので二人揃って黙って叱られておくことにした。アドパスさんは戻ってきたときのために覚悟の準備をしておいてほしい。

 ただ、体力の回復は認めてもらえたようで、翌日の謎の競技、第15種目・デュエルへの参加は認められることになった。

 

 デュエルとは、定められたルールによる1対1の決闘のことである。この競技では、それを3人一組で行い、2本先取のマッチゲームでのトーナメント形式で行うのだという。

 それで、肝心の定められたルールであるが……。

 

「『山札からカードを1枚引き、そこに記されているもの』……ってこれ、要するに闇鍋じゃねぇか」

「その場での戦術の組み立てが重要。クィムガン対応と同じ」

「そう言われちゃそうなんだがな」

 

 ちなみに、全24のユニットのうち僕達ウルサを含む現時点での暫定上位8ユニットはシードとして第1試合が免除されている。そのため、最初の試合は第1試合を勝ち上がってきたゲミニと戦うことになった。

 1番手の成岩さんが山札からルールカードをドローした。そこに書かれていたのは『匍匐前進:移動は全て匍匐前進で行い、試合中は腹部を地面から離してはならない』、ただそれだけである。

 ルールを聞いたとき、僕は正直にこう思った。これ()()()()()な、と。僕なんてよっぽど近くなきゃ動く必要は全くないし、むしろ相手が機敏に逃げ回れずに地面に這いつくばらざるを得ないこのルール下の方が早く終わってしまうような気がする。

 そしてその予感通り、1番手の成岩さんはレンジの長めの大鎌を振り回して一瞬で相手のシールドを叩き割って終了。2番手の僕ももはや言うまでもなく1分足らずで勝利を確定。あまりにもあっけなさすぎる滑り出しとなった。

 ちなみに、2本先取なのでこうやって連勝すると3番手の出番が消滅してしまう。そうなったときは、3番手が次の1番手になって残り2人は繰り下がることになっている。

 

「……つまらん」

「そりゃこのルールじゃ一方的に勝つに決まってますって……」

 

 普通に引いたルールが悪かった。たぶん煙が充満した現場とかを想定しているんだと思うけど、それならそれでフィールドに障害物をおいておくとか、もっとやりようが……いや、それはそれでルールが決まってからじゃ準備が大変か。うーん。

 

「2人に噛み合ってただけ。普通は匍匐前進はきつい」

「そう言われちゃそうなんだが。俺の場合オオカリベは元から横に振り回すウェポンだし、山根は直進性エグい技があって最早動く必要すらねえしな」

「ん、次のルールに期待」

 

 そう軽く振り返りを終えて、全ての組での第2試合が終わるのを待つ。

 この競技、引いたルールによる所要時間の差が恐ろしく大きいようで、時間がかかってしまっているところはなんと1セットではなく1ゲームで1時間を超えてしまっている始末だ。当該ラッチの周りには、まだ終わらないのかと他のユニットのトレイナーも集まり始め、「引きたくねー」「中じゃサレンダーのチキンレースでもやってんじゃないのか」だとか囁きあっている。

 一体どんなルールなのかと聞けば、そのユニットメンバーの持つカードには『丸腰:体術のみで行い、ウェポンを使用してはならない』と記されている。……うん、そりゃ時間かかるって。一回《桜銀河》を使わずにクシーさんのシールドを割りに行ったことがあったけど、削れるシールドの量が恐ろしく少なかったと記憶している。なんでそんなルールが山札に入ってるんだ。

 

 そうしてだいぶ待たされてから始められた第3試合のルールは、『目隠し:常に目隠しをして行い、それを外してはならない』がドローされた。

 うん、シンプルに難易度が高い。そもそもまともにできるのか怪しい。少なくとも僕は攻撃を当てられる自信も避けられる自信もない。これ、今回の膠着枠なのでは?

 そして競技が始まって、目隠しをした佐倉さんを送り出してみれば、予想に反して彼女は3分もしないうちにラッチから出てきたし、続く不安げだった成岩さんですら入ってから5分で出てきた。どうして……。

 

「そもそもどうやって攻撃を?」

「音でバレバレ」

「オオカリベぶん回しながら動いてたらたまたま当たった」

 

 ……なるほど。けっこう対照的な手段で解決していたみたいだ。佐倉さんは相手の場所を割り当てて攻撃を与えていたのに対して、この話じゃたぶん成岩さんは最後まで相手がどこにいたかを認識すらせずに攻撃を通していた感じっぽい。

 後で撮影データが届くはずだから見ておこう。参考になるかはわからないけど。

 

 そして、次なる第4試合、準決勝。

 僕達ウルサの相手は、またもやドラコだった。

 ……いや、わかってるよ? そりゃ相手は強豪、そしてこっちも自分達が思っていたよりも強く、強豪に踏み入れている域。全てとは言わないまでも、ほぼ全ての種目で戦うことになるというのは考えるまでもなく当たり前だ。

 指定のスペースに向かえば、既にドラコのメンバーは準備を終えている。そして、こちらを確認すると、向こうの1番手である鮫島さんが山札からカードをドローした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ中:準決勝

『ノーガード:少しでもシールドが削られれば敗北』

 

 鮫島さんが引いたそのカードには、そう記されていた。これは一瞬で終わってしまうタイプのルールの方だ。

 

「またアンタらか。そろそろ、板についてきたナ」

「今日もよろしくお願いします」

「一応言っておくゾ。アンタの実力に敬意を示して、新人扱いはしないからナ」

 

 それから2人揃ってラチ内へと入り、トモオモテのトランジットも済ませて準備が整う。

 そして、中で待っていた審判からスタートの合図が出る。

 

 それと同時に、鮫島さんが突っ込んでくる。ただの突進ではない。彼のオモテには、リーゼントめいてチェーンソーが装着されていた。当たればひとたまりもないだろう。

 それを、どうやって避ければいいのかが、スッと()()()()()()()()()()()()()

 

「《クンネナイ》」

 

 大地を強く蹴り、青い光をまとって僕は跳び上がった。そしてその真下を流れる川のように鮫島さんが通過する。そして着地と同時にトモからウェポンであるナタ、コジョウハマを引き抜いて、未だに背中を見せて減速中の鮫島さんの方へと駆け出した。

 

「頼むよ、《ハイブリッド・アクセラレーション》!」

 

 加速し、その背後にコジョウハマを叩きつける!

 だけど、これでうまく行くほどは甘くはない相手のはず。だから、それを受け止められる想定で、そのための技だってこっちにはある。

 

「甘いナ」

「それはどうでしょう、《シララオイ》」

 

 金属同士がぶつかり合う音が聞こえる。つまり、僕の攻撃は防がれたということ。そして、その瞬間に僕は車軸を駆動軸と切り離し、跳ね返される形で軌道上を後ろ向きに走行して距離を取った。

 

 そろそろ、いけるはず。

 何も掴んでいない左手に力を入れる。

 

「距離さえ取ってしまえば、()()()()()()()っ! 《桜銀河》!」

 

 桜色の光が鮫島さんに伸びる。ここまで来たらもう勝ったも同然なので、しっかりとブレーキをかけて立ち止まってから、僕は《桜銀河》を止めて審判のノリモンに目を向ける。目があった。しかし彼は動かない。

 ――まさか。

 

 コジョウハマを構える。その奥に見えるのは、逆向きの真っ白な円錐台。そしてそれは、微かに潮の香りを漂わせながら、確かにこちらへと近づいていた。

 ――渦潮だ。真っ白に見えたのは、周りの空気を吸い込んで泡立っていたから。そして、泡で光が複雑に屈折してしまえば、その内側には届かない。これを目の前にして、先程まで起きていたことが腑に落ちた。

 光が届かないなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから()()()()()()()()()()()()()()()()し、従って()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 うわ、きっつ……。目の前に迫る渦潮を見ながら、僕は正直にそう思った。なんせ近接攻撃を仕掛けようにも近づけば渦潮に襲われ、シールドは削られる。遠距離攻撃は光線であるがゆえに通ることがない。

 

 ――さて、どうする? 逃げるしかない。幸いにも渦潮の動きは遅いので、逃げ続けることはそこまで難しくはない。でも、逃げてどうする? 逃げたところで、勝ち目はあるのか?

 そう考える間にも、渦潮はじわりじわりとこちらに近づいてくる。いつ渦潮が解かれてもいいように《桜銀河》を左手に溜めながら、ギアを繋げ直して後退し、距離を取り続ける。

 考えろ、考えるんだ。

 

 そう考えながら後ろ向きに走っていたその時、急曲線に入ったかのように体の向きが急に変わる。

 これはつまり、直線の起動が終点を迎え、最外周軌道に入ったと言うこと。このどん詰まりから横に逃げて、渦潮から逃げ切れるのか?

 

「いや、行けるはず。ポラリスのスピードなら!」

 

 でも、後ろ向きでは間に合わない。だから。

 跳躍。ニュートラル。空制。ローテート。逆転機。ユルメ。着地。そしてトップギア。走りながらエンドを交換し、そして強く踏み込んで更に加速する。

 そしてどうやってこちらを見ているのかは知らないけれど、渦潮もまた向きを変えて僕を追い込まんとする。これじゃジリ貧、徐々に不利。フューエルユニットの限界が来て先に動けなくなるのは動きの多いこっちだ。それまでに、あの渦潮を攻略せねば。

 とはいえ、どうすれば渦潮を超えられるのか。そもそも、水の壁の厚さすらわからないのに、どうやって攻略すれば……? まずはそれを……。

 

 その時、ふとヒラメいた。

 上だ。渦潮は、上から眺めるものだ。海の中にダイビングして、渦潮に近づいていく人なんていない。

 僕は再び切り返し、逆に渦潮に向かって走り出し、再び《クンネナイ》で跳び上がった。

 

 その瞬間、()()()()()()()。それと同時にそれは高く伸び、回るスピードも上がったように見えた。それはもはや渦潮と呼べるものではなく、塵旋風に水が巻き上げられてた水柱と形容した方が正しいとも思えるようなもの。

 当然、僕の高さはそれを超えるには足りない。だけど、地面を離れているということは、その先の軌道が決定されてしまったということでもあり。もはや止まることも、それを避けることも能わない。出来たことは、バッテリーやら内燃機関やらを積んでいるこの状況で海水に突っ込むのはまずいと、機関を全停止させてトランジットを解くことくらいだった。

 結果、僕はそのままその水柱に突っ込み、そしてシールドに損害を受けた。僕の負けである。

 

 そして、少し置いて審判から正式に僕の敗北が告げられた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回13レ:傲慢

「負けました」

 

 ユニットに戻って、憂鬱になりながら正直に結果を報告する。

 

「そうか。お疲れ」

「どんまい。じゃ、次私だから行ってくる」

 

 ……あれ。もっと厳しい言葉が戻ってくるかと思っていたのに。

 意外にも、淡々と結果は受け入れられて、それっきり。佐倉さんに至ってはすぐに入れ替わりにラッチへと向かっていった。

 かのじょを目線で追いかければ、向こうのユニットから出てきたのは氷川さん。2人はラッチへと入場して、おそらくまもなく中でデュエルが始まった。

 

「今回俺の出番は持ち越されそうだな」

「ですね、ごめんなさい」

「なぜ謝る。ドラコが強かった、それだけだ。現場ならともかく、模擬戦なんてのは負けてナンボだろ。俺だって、模擬戦で負けたからこそ今の俺がある」

「でも」

「じゃあ何だ、お前は負けた戦いからは何も得られないとでも言うのか? それとも、お前はもう既にドラコの鮫島よりも、勝って当然と言えるほど強いとでも言うのか? どっちもんなこたぁねえだろ」

 

 まぁそうなんだけど。なんというか、モヤモヤするんだよなぁ。

 そう悩んでいると、成岩さんは思いもよらぬ言葉を投げかけてきた。

 

「なるほどな、ここ数日、お前が数回()()()()()()()でここまで不調になってる理由が何となく読めてきたぜ。お前いつの間にそんなに()()()()()()んだ?」

「傲慢、ですか」

「傲慢だろ。勝てない自分に価値が無いなんて考えるのは傲慢以外の何物でもねえよ。それはナチュラルに相手が勝てるわけがないと言っているようなものだ」

 

 成岩さんはそうはっきりと僕に言葉を投げかけた。

 言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。

 

「確かに、言われてみれば僕の発言は相手に対する敬意を欠いているようなもの」

「わかってんならやめろや」

「でも、僕はならなきゃいけないんです、日本一のトレイナーに。そのためにはやはり負けなんて極力」

 

 少ないほうがいい。そう言おうとしたところで、僕は成岩さんに止められた。

 

「よし判った。俺はどうやらお前を勘違いしていたみたいだ。確認したい、努力は必ず報われると思うか?」

「やり方を間違えなければ、必ず」

「なら、努力が実を結ばなかった場合、その原因は?」

「努力の方向が間違っていたんだと思います。今まで全部そうでしたから」

 

 ……何を当たり前のことを聞いてくるんだろう。

 今まで努力で何度も報われてきた。スクールに入るのだって、スクールに入った後も、そしてJRNに入るのも。何度か失敗は経験しているけれど、それは全部そこへ至るプロセスに致命的なミスがあったことが後でわかっている。だからこそ、同じミスは許されない。

 そう伝えると、成岩さんは納得したように何度も何度も相槌を返した。

 

「なるほどな、お前は()()()()()()()()()()()()()。その傲慢さは、即ちお前の才能と努力によるものだ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……何をどう解釈されたのかはよく分からないけれど、成岩さんは一人で納得している。

 傲慢さが、才能……?

 

「あの」

「お、ラッチが光った。終わったようだな」

 

 結局それ以上は成岩さんは教えてくれなかった。言ったらお前がお前じゃなくなる、だとか。よく分からん。

 そして促されるままにラッチを見れば、氷川さんがラッチを開けているところだった。ということは、勝ったのは彼で、佐倉さんは負けた。つまり、これでウルサの負けが確定してしまった訳だ。

 少しして、トレイニングを解いた佐倉さんが戻ってきた。

 

「負けた。完敗」

「まぁしゃーねえな。相手が悪かった」

「ん、切り替えてこ」

 

 ……確かに、この切り替えの速さは見習うべきなのかもしれないな。

 そう考えていると、彼女は僕にも声をかけてきた。

 

「山根も、お疲れ」

「お疲れさまです。……1つ聞いていいですか」

「何?」

「負けたのに、どうしてそんなにすぐ切り替えられるんですか」

「まだ競技は終わってない。これから3位決定戦。君にとって、1()()()()()()()()()()()?」

「……!」

「それに」

 

 負けたことを悔やむなら、次にどうするか考えるべき。そう続いた佐倉さんの言葉は、なぜだかとても重く、言葉を返せなかった。

 

「最近、おかしい」

そっとしといてやれ、佐倉。アイツここのところようやく乗り越えるべき壁にぶち当たることができたんだ

なるほど。……もしかして、リレーの後に倒れたのって

そういうことだろうよ、だから俺もそこまで心配してない。これで折れるような奴じゃないさ

 

 色々なことばが、頭の中を駆け回る。すぐ近くで話しているはずの2人の声が、どこか遠くでおこなわれているかのように感じられる。

 

 僕は一体、どうすればいいんだろう?

 そもそも、僕って何者?

 

 全ての第4試合が終わり、3位決定戦の相手が完全に決定するまでの間、僕は1人頭を抱え続けていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ後:《クンネナイ》

「さぁ、始めようか。ドロー!」

 

 第5試合、3位決定戦。成岩さんは勢いよくルールのカードを引いた。

 

「来たぜ、このゲームのルールは、『ノーラッチ』!」

 

 成岩さんは引いたカードを掲げる。

 そこに記されていたルールは、『ノーラッチ:ラッチを解いて行う。施設や観戦者に被害を与えてはならない』。

 

「ノーラッチ!?」

「ノーラッチだと!?」

 

 そしてそれを聞きつけた人たちがわらわらと僕達の周りに集まってきた。

 気持ちはわかる。僕だって見るならラッチなしで戦っている様子が見られるやつを見たい。でも、やる側となってはこれだけ集まられるとやりにくい。

 だけど成岩さんはあまり気にはならないようで、意気揚々とトレイニングして、大鎌を構えた。

 

「はじめ!」

「行くぞオオカリベ、《早々来々(サックハヤキタル)》!」

 

 審判の合図から間もなく、猛烈な踏み込みと大鎌の強烈な一撃が、ドラドのトレイナーを襲う。

 一瞬の出来事である。彼のシールドは、哀れにもにわかに刈り取られきってしまった。

 大歓声が成岩さんを包む。

 

「そこまで! 勝者ウルサ!」

 

 ……いや、早くない? 10秒すら経ってない気がするんだけど。

 え、僕はこの空気の中やらなきゃ駄目なのか。しかもノーラッチじゃ《桜銀河》なんてまともに使えやしない。

 

「ほらよ、ステージは作ったから次で決めてこい」

「いやハードル上げないでもらえます? このルール僕は不利対面ですが」

「つべこべ言わずに行ってこい、よ!」

 

 成岩さんに物理的に背中を押され、僕はステージへと上がって、ポラリスのチッキでトレイニングした。

 

「……ほう? いつもの黄色じゃないんだな」

「ノーラッチで周りにこれだけギャラリーがいるのに使える技がありませんからね」

「それがお前の弱点か、いい事を聞いた」

 

 何だよいい事って。

 そもそもこの場で使うつもりはないし、同じJRNだから合宿終われば完全に味方だ。それが「いい事」である要素なんてどこにもない気がする。それとも《桜銀河》をこの場で使わない事自体がいい事なのか……ありそうなのはこっちかな。

 まぁでも、そっちが《桜銀河》にばかり気を取られているならば逆にこっちだって好都合だ。負けるつもりはない。

 僕はコジョウハマを構えて彼に正対した。

 

 そして審判から始まりの合図が出るや否や、彼は一気に後ろに下がって距離を取る。

 ……なるほどね。僕と同じタイプ。距離を取った戦いが得意な感じか。だからこそ、《桜銀河》を強く警戒していた訳だ。

 ならば、距離を詰めるまで。特に足元にレールがないこの状況では、後ろ向きに走る彼に正面から追いつくのはそんなに難しくない。

 軽くコジョウハマを振り回して牽制すれば、彼はその殆どを体勢を変えて躱した。どうもポラリスとトレイニングする前の僕と同じように、近接攻撃を受け流すすべがなく回避する以外ないように見受けられる。

 

「チ、来るなよ化け物が。こんな話聞いてねぇぞ」

「言ってませんからね!」

 

 一応2人種目の方の模擬戦の予選では、シールドを割る過程こそ北澤さんに任せてはいたもののこっちの戦い方を見せていたはずなんだけど、どうも彼の認識からは抜け落ちていたみたいだ。

 なら、早いところやってしまおう。

 

「《レプンケプ》!」

 

 大海を割るかのようにコジョウハマを突き出し、空気を切り裂いて前進。そしてそのまま彼のシールドに突き刺す。

 何かしらのアクションがあるだろう。その予想とは裏腹に、彼は何も回避行動をしなかった。《レプンケプ》はそのまま通り、彼のシールドを削る。

 だけど、そこで安堵したのがまずかった。

 

 ガシリ。

 

 彼の手は、しっかりとコジョウハマの峰を力強く掴む。

 ――抜けない! なら!

 

「へっ、かかったな。肉を斬らせて、骨を断ぁつ!」

「《クンネナイ》」

「《ズームカノン》! ……てうぉ」

 

 コジョウハマを掴んだ彼ごと跳び上がる。すると彼は足場を失ってバランスを崩し、撃たんとしていたエネルギー弾は見当違いの斜め上の方へと飛んでゆく。

 そして、上空でコジョウハマから手を離し、彼を踏んづけて蹴り落とす。何か下から聞こえるけれど、聞こえない、聞こえない。

 僕が地面へと戻ってきたときも、彼は地面に埋まっていたままだった。

 

「じゃ、これは返してもらいます」

 

 声をかけるも、気絶してしまっているのか反応がない。コジョウハマを回収し、彼のシールドを丁寧に叩き割ってから、流石に心配なので地面から引っこ抜いた。

 そして、僕を歓声が包んだ。

 


 

「ごめんなさい、佐倉さんの出番、なくしてしまいました」

「別に、謝ることじゃない。……ほら、成岩も、何か言ったげて」

「あぁ」

 

 待っていた2人の下に戻れば、成岩さんの様子が明らかにおかしかった。

 ずっと頭を抱えて、ぶつぶつとつぶやき続けている。

 

「どうかしましたか、成岩さん」

「どういうことだ? ほぼ全部前衛じゃないか」

「……問題でも?」

「前の戦い方と、全然違うじゃねえか」

「つまり、《桜銀河》を撃たずに、撃とうともせずに終わったことですか?」

 

 そこを責められても。

 確かに、今までは使わなかったことは殆どなかったけれど。そう思って続ける言葉を探す。

 

「いいえ、今日の結果は当然のものです」

「何が当然だよ、知らねえ動きばっかしやがって。お前いつ飛べるようになった、お前いつポラリスの技を使えるようになった?」

「合宿前から《ハイブリッド・アクセラレーション》は使ってますよね?」

「そうじゃねえよ。そもそもそれは元々べーテクの技だろうが。見逃さなかったぞ、跳び上がる時の青い光を。アレは何だ?」

「何って、《クンネナイ》ですが」

「少なくとも俺は初めて見たし初めてその技の名前を聞いたぞ。それ、()()使()()()()()()()()()()()?」

 

 そりゃ、《クンネナイ》は……あれ?

 言われてみれば。合宿前に《クンネナイ》を使った事はなかった気がする。

 じゃあどうして、僕は《クンネナイ》を使うと()()()()ってことがわかっていたんだ? 逆説的に、僕はこの技をずーっと前から知っていたはず。

 

 ……あれ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ前:第16種目・玉入れ、の後で

「ふぁーあ」

「夜ふかし、良くない」

 

 なぜか徹夜していた成岩さんの手を引きながら、僕達は競技会場へと向かっている。

 今日行われるのは第16種目の玉入れだ。始まってしまえば5分で終わるので半分休養日みたいなもので、だからこそ成岩さんも無理をしたんだと思う。

 

 実際、競技が始まってしまえば、あとは正確に射撃ができる僕と佐倉さんが投げ続けて残りの4人は玉を集めてくるだけ。結果、1分ほど残して玉は全て籠に収まり、残りの時間に暇になる程であった。似たようなユニットもいくつかあったので、たぶん同率で1位になると思う。レギュレーション設定が間違ってるんじゃないかな……。

 そしてそれが終われば、まだ午前中だというのに今日はもうフリーだ。

 

「おい山根、ちょっと付き合え」

「はい?」

 

 ……が、部屋に戻るや否や成岩さんに捕まった。昼寝するんじゃないんですか?

 

「何、昨日も言ったが少し気になったことがあってだな」

「はぁ」

「昨晩、記録映像を見返して確認したが、お前が件の《クンネナイ》を使ったのは、少なくともこの合宿の中では()()()()()()()()()()()だ」

「……え?」

「そしてポラリスと一緒にああだこうだしてるのも知ってるし、()()()()()()()()()()って話も聞いてるんだよ。にも関わらず昨日のは()()()()()()()。その技を使えばどうなるかを知っている動きだ。どういうことだ?」

 

 どういうことって、そこにそういう事実があるならそういう事なんだろう。

 使ったのはその時が初めてで、どうすればいいのかを僕が知っていた、ただそれだけだ。

 

「……お前、自分がだいぶ無茶な事を言ってるって気づいてるか?」

「わかってますよ、おかしいことくらい。それがポラリスに近しい者がすでに生み出していた技ならば、使わなくともすでに誰かが使っているから初めてでも要領が良ければ使いこなしえます」

「だが今回は違うぞ、明らかにポラリスの技だ。少なくとも、べーテクは《クンネナイ》という技に覚えがないそうだ」

 

 わかっている。だからこそ、わからない。

 僕は一体どこで《クンネナイ》の存在を、《クンネナイ》を使うとどうなるかを知った?

 

「……俺から言わせてもらうと、怪しいタイミングが2つある。1つはこの前クィムガンが出た時だ。だが、お前の反応的にそこで編み出したという訳ではなさそうだな」

「あの時は普通に《桜銀河》でやってましたね」

「ならもう片方だな。お前、あの朝海岸で何やってたんだ?」

「何って、走ってましたが」

「俺が見かけた時は立ち止まって海を見てたぞ」

「何か気になるものが見えた気がしたんです」

 

 ちょっと記憶がぼやけている。海岸で走っていて、()()を見つけて海を見た事までは覚えているんだけど。

 

「怪しいな。怒らないから正直に言ってほしい、本当は俺達に黙って……」

「ちょっと待って。その時、彼のチッキは部屋」

「……あぁ、そうだったな。だからこそ心配になったんだった、じゃあ違うか」

 

 結局、心当たりは全て消えて振り出しに戻ってしまった。そう3人で頭を抱える中で、ピコンと成岩さんの端末に通知が入る。

 

「おっ……、やっぱりか」

「誰から?」

「ポラリス」

 

 成岩さんはその端末を僕達の真ん中に置いた。

 そこには、ポラリスとの個別チャットが映されている。

 

「わからんからポラリスにも聞いてみたら、この通り。山根が先にウェヌスから引き出したことが裏付けられた」

 

 そのやりとりの内容。それは、成岩さんがポラリスに《クンネナイ》のことを聞いて、そして彼女もそれを知らなかったというものだった。

 そして今また、さらにメッセージが追加される。

 

『わっすごい! ポラリス、お空飛んでる!』

 

 どうやら向こうで《クンネナイ》を試しに使っているようだ。

 本当にこの技、どこから降ってきたものなんだ?

 というか、そもそも。

 

「……そういえばなんですけど、物凄く今更なこと聞いていいですかね」

「何?」

「新しい技を会得するのって、どうやってるんです?」

「知らないでやってたの?」

 

 いや、だって。

 そもそも僕が技を能動的に会得した経験、既存の《桜銀河》と《ハイブリッド・アクセラレーション》をトレースしたときくらいだし。

 その時はその技の動きをしながら技の名前を叫ぶという、事情を知らずに傍から見たら距離を取りたくなるような方法だったのを覚えている。

 

「《ハイブリッド・アクセラレーション》を教えた時のことを覚えてるな? 基本はあれと同じさ」

「トレイニングしてる子が()()()()()()()()()()()をする。それの繰り返しで、ウェヌスにつながって技になる」

「その技の名前はどうやって知るんです?」

「フッと頭の中に浮かび上がってくる。それを一度口に出せば、技と名前が繋がる」

「なるほど?」

 

 わかるような、わからないような。

 これはトレイニングそのものでもそうなんだけれど、ウェヌスまわりは名前を口に出して発声することがトリガーとなって力を得ることが多い。やっぱりウェヌスってよくわからないな……。

 

「つーかクシー号から教わってなかったのか?」

「それは、ほら。彼女《桜銀河》一本ですし」

「「あー」」

 

 そう答えると、2人は若干哀れみを含んだ目で僕を見た。

 ……やめて!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ中:どこでもないゾーン

「しっかし余計謎だな、その技の出どころが」

 

 確かに、自分では気づかないうちに使えるようになっていたからあれだけど、そもそも新しい技の生み出し方を知らないのに全く新しいものを得ているというのは、普通に考えておかしい。

 

「山根。戻ったら検査」

「鳥満博士のですか?」

「そう。機器も合宿中に直ってるはず」

 

 そうだった。鳥満博士には悪いけど、ちょっと状況が状況なので利用させてもらおう。

 流石に自分でもわからないのだから、こうやってここであぁだこうだ考えるよりは一旦忘れてから検査に突っ込んで有識者の意見を求めた方がいいのかもしれない。

 

「状況は事前に鳥満博士伝えといてもらえます?」

「勿論。精密にやるから丸一日になるけど、空いてるのって水曜だっけ?」

「俺らのとこのインターンもべーテク出張行ったからコアタイム消えて月金も調整いけるぞ」

「オッケー」

「勝手に空いてることにしないでください」

「ん、他に予定とかあんのか」

「いや、基本的にはないですけど……」

 

 流石にお盆周りになると墓参りを兼ねた帰省とか、スクールの時の同期と再会するとかでポツポツと個別で予定が入ったりしている日もあるけれど、その程度でしかない。

 そもそも休日の予定なんてものは、朝の気分で決めているし、それで十分なのだ。

 

「なので鳥満博士の側の都合で大丈夫です」

「わかった。じゃあ連絡を……」

 

 その時。

 明るく爽やかなシンセサイザーサウンドが、佐倉さんの端末から鳴り響いた。彼女の着信メロディのようだ。

 

「もしもし?」

『…………』

「博士、ちょうどよかった。今こっちからもメッセージ投げようとしたとこ」

『…………』

「彼なら今ここにいる。代わる?」

 

 電話をかけながら、佐倉さんはこっちを見た。

 このタイミングで鳥満博士から僕に伝達事項がある、ってことだろうか。

 

「いや、この部屋にいるのは山根と成岩。……わかった」

 

 そう言うと佐倉さんの目線は成岩さんに移った。

 

「何だよ」

「口外無用、いいね?」

「……だいたいの事情はわかった。席外した方がいいか?」

「私は信用してる。だからそこまではいい」

 

 そう言うと佐倉さんは端末を操作し、スピーカーホンに切り替えて僕達の真ん中に置いた。

 

『あー、あー。聞こえておるかの?』

「ご無沙汰しております」

『その声は山根君じゃな。理事長から活躍は聞いておるよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も含めてじゃ』

()()()()()()()()()

『それじゃよ』

 

 あー、その話トシマさんからそっちに行ってるのか。なるほど。

 そうだよな、そりゃ鳥満博士は超次元の専門家だ。話が入っていない訳がない。

 

「おい待てや、その話俺は聞いてねえぞ」

「やっぱその日、何かあった?」

 

 ……あれ、僕この話をしていなかったっけ?

 記憶を辿る。確かに、早乙女さんには言ったけど他の3人には言ってなかった。

 

「軽く説明しますと、長崎市街にクィムガン対応に行ったじゃないですか」

「おう、あの日だな」

「その時Sバーストで相打ちしたという事になってるじゃないですか」

「報告書には、そう書いてあった」

『実はの、その時彼は()()()()()()()()()、「どこでもないゾーン」に飛ばされていたのじゃよ。見ていた者が中泉君しかおらんかった故、2人の間で機密にして報告書ではごまかしとったようじゃがの』

「次元の、外側?」

「は? 何いってんだ?」

 

 え、どこでもないゾーンって、そうなの?

 

「別に次元を移動すること自体は不思議じゃない。そもそも、私達は日常的にやってる」

「んなこたぁねえだろ」

「ある。だって、ラチ内は外と別の次元」

「そうなの!?」

 

 確かにエキステーションの存在とかは物理法則的におかしい気はしてたし、ラチ内と外とじゃ連絡つかないしで、なんか不思議だなぁとは思っていたけれど。確かに、それらは別次元だと言われれば納得できるような気もしなくはない。

 

『をほん、それでじゃ、山根君。こちらでも情報は集めとったんじゃが、どうしても本人でなければわからぬ事もあるゆえ』

「何でしょう」

『その「どこでもないゾーン」から、君はどうやってラチ内へと戻ってこれたのかね』

「えーっと、少し待ってもらえますか」

 

 念の為、一旦廊下に出て誰もいないことを確認し、扉の鍵を閉める。

 

「話します、そこで出会ったノリモンに送ってもらいました。ちなみにその『どこでもないゾーン』というのは彼の言葉です」

 

 そう答えた瞬間、空気が凍りついた。

 

「なぁ」

「何です?」

「どこまで本気で言ってるんだ?」

『待ち給え、まずは話を完全に聞いてからじゃ。そのノリモンはなんと?』

「Sバーストでそこに来たのは彼と同じクチだと言うこと、そして五元神の一柱、Cyclopedにより与えられた役割で僕を元の次元に戻す、と。それで僕は、その言葉通りラチ内へと戻ってこれたんです」

『ふむ。……となると、()()()か』

「やはり、とは」

 

 僕だけでなく、同席している2人も唾を飲む音が聞こえる。

 

『従前より極稀に報告されておるSバースト直後の()()()()()()()じゃよ』

「それって、()()()()()()()()()()()()のではなくて?」

『うむ。現在の主流はその論理なのじゃが、私はこれには懐疑的での。予てより()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と仮説を立てておったのじゃが、それと先程の説明に()()()()()()()()よ』

 

 つまり、こういうことか。

 

「僕が『どこでもないゾーン』に飛ばされたのは」

『間違いなく、そのクィムガン共通の何らかではなくSバーストの影響によるものじゃろうな』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ後:心象風景

更新開いてしまいましたが生きています


「おい山根」

「なんでしょう」

「やっぱり、()()()()()()()()んじゃないのか?」

「いや、本当に何もなかったですよ? 送り返してもらっただけですって。そもそも、どこでもないゾーンで気がついた段階ではトレイニングは解けてましたし」

 

 僕の感覚で言えば、たぶん技を生みだしたのはそこじゃない、と思う。自分でもその感覚をあんまり信用できない気がしてきたけど……。

 

「莫迦野郎、お前が何かをしたんじゃない、お前が何かをされた方だ。その会ったノリモンにだよ」

「えっ……? たぶん? 特に、何も? されて、ない……と、思います?」

「その微妙な間は何だ」

 

 しょうがないじゃんここんところ色々情報量が多いんだから。

 そう悩んでいると、佐倉さんが口を挟んだ。

 

「成岩。それは、聞くだけ無駄」

「はぁ? どういうことだよ」

「相手は超次元に干渉できる。私達が普通に認知できない外側から、影響を与えられる。まさに今でさえ」

 

 そして、電話口の向こうからも佐倉さんの論の補足が飛んでくる。

 

『そうじゃよ。現に多くのノリモンやトレイナーは、超次元からウェヌスの力を得ておるが、その力が他人に与えられておるのを認識できんじゃろ?』

「だが博士、本人は気づけてる」

『それはの、自ら意図して力を得ようとして得たものじゃからじゃよ。そうでなく、押し付けられるものに関しては……ノリモンはともかく、トレイナーに知覚しろというのは余りにも酷じゃ』

 

 逆にノリモンはできるのか。

 いや、でもそうか、そういえば彼らはモヤイを出してトレイナーを見定めしているし、それを僕達は認識できていないんだった。

 うん、これって……。

 

「成岩さん、僕達、傲慢だったのかもしれません」

「……何がだ?」

「考えれば原因がわかるということを、前提条件として話を進めてたじゃないですか。でもこうやって考えたら原因の特定なんて無理ですよ。だって、僕達には認識すらできない次元の話ですから」

「そう、かもしれねえな……」

 

 無理なものは永らく考ていても無理なのだ。気付けない、手がかりすらない答えにたどり着ける訳などない。

 

『のう、ところで何の話をしとるんじゃ君達』

「あ、この話しようとして連絡しようとしてたんだった。簡潔に言えば、山根が出処不明の技を何故か使いこなしてた」

『ふむ。事例自体は無いわけではないが……』

「あるんですか!?」

 

 やっぱり持つべきものは有識者へのコネだ。これに勝るものはなかなかない。

 

『参考になるか否かは保証はできんぞ』

「聞かせて頂けますか」

 

 そして電話口から告げられた内容は、僕の想像を遥かに超えるものだった。

 

『そもそもじゃ、技というのはウェヌスからの力を受けてこの次元内に()()()()()()()()()()ものなのじゃ』

「ずいぶんふんわりとしてますね」

『詳しいことはまだわかっとらんゆえ。兎に角、これがウェヌスに由来するというのが重要じゃ。前にも話したと思うのじゃが、トレイナーはトレイニングしたノリモンを経てウェヌスに繋がる。じゃが、そのノリモンのモヤイの放出の方向によってはウェヌスと直接繋がる大きなモヤイと途中で交わってしまうことが起きうるのじゃ。するとその点を通じて短絡し、ノリモンを介さず直接ウェヌスからトレイナーへと情報が流れうる。この状況においてのみ、トレイナーがノリモンより先に技を知覚しうるとされているのじゃよ』

「情報が電気だとすると、モヤイは導体」

 

 わかりやすいように、軽く佐倉さんが補足を入れてくれた。なんだかわかるようなわからないような。とりあえず、特殊な状況下においてのみそれが起きうるということはわかった。

 だとしたら、なぜあのタイミングで……?

 

「……あの、その状態ってどれくらい珍しいものなのかってのはわかります?」

『正直に言えば、分からん。そもそも、その状態であるかどうかを確かめる術すら我々にはない。ただ、事象が起きればそうであるだろうと言われておるだけじゃ。もしかしたら常にそうであり、我々の定説が誤っているのやもしれぬ』

 

 あぁ、なるほど。

 でも、それって……。

 

「あの、鳥満博士」

『何じゃい』

「要するに、まだわかってないってことのように聞こえているのですが……」

『そうじゃよ。言ったじゃろう、()()()()()()()()()()()()()()()と』

 

 それってそういう意味なの……。

 でも、これでスッキリした。専門家でもわからないことが僕達にわかる訳がない

 そう納得していると、急に真横から奇声が聞こえた。

 

「いいややっぱ納得できねえー!」

「どうした成岩」

「いやな、今の説明でよ、山根が《クンネナイ》を使えるようになった理由がわからない事はわかった。これはいい。だけどよ、じゃあなんで使いこなせてたんだよ、初回から」

 

 ……確かに、そこは謎なまんまだ。

 そう頭を抱えたところで、電話口の向こうからまた解説が飛んでくる。

 

『モヤイを経て心象風景が伝達される事例は数多く報告されておる。それでビジョンがみえたのではないのかね』

「んな事俺は一度も無かったが?」

『じゃが彼の場合、当該ノリモンとトレイニングする以前からその事例が報告されておるよ』

「そんなことありましたっけ?」

「山根、チッキの時」

 

 そういやそうじゃん、思いっきりあった。

 いや、トレイニングするより遥かに前の話だから脳内で除外していたけれど、確かにモヤイから映像が送られてきたんだった。

 

「で、どうなんだ山根。見えたのか?」

「たぶん、似たようなものだと」

 

 厳密には見えてきた訳じゃなくて、たぶん気づかないうちに送り付けられてインストールされていたって言った方が正しいような気もするけれど。

 いかんせん、無意識のうちに全部終わっていたので確証が持てない。

 

「ならいいんだ」

「成岩は、こういうとこ拘るから厄介」

「悪いかよ」

「全然。でも、巻き込まれたくはない」

 

 その後戻ってからの検査の日程を詰めてから、僕はようやく解放されたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ前:北澤の場合

「まだ、まだ足りない!」

「いいぞ、その意気だ」

 

 北澤百合は悩んでいた。

 スクール時代、彼女は常に優等生だった。それでいて人柄もよく、同級生には慕われていた。実技も座学も常に成績上位で、その立ち位置を脅かすものはいなかった。

 だが今はどうだろうか? その同級生であったはずの山根真也は、既に彼女よりも遥かに高いところにいる。

 

(必ずや、追いつきませんと)

 

 北澤も頭では分かっている。そもそもスクールでの成績とトレイナーとしての優秀さの相関は、どちらも上に行けば行くほど下がってゆくことを。決して彼女が同年代のトレイナーと比較して、力のない訳ではないことを。だけれど、今の彼女はそれでは満足できていなかった。数日前までであれば十分満足していたが、満足できなくなってしまったのだ。

 

(前衛の動きは、山根君はほとんどできなかったはずですわ。なのにあのデュエルは何ですの? まだぎこちない部分はありますが、アタシと同期であることを考慮すれば十二分。間違いなく彼はアタシの見えないところで確実に強くなっていますわ。ならばアタシも負けてなどいられません)

 

「《クレインリバー》!」

 

 グサリ。北澤の渾身の突きが、履き潰された廃タイヤに突き刺さる。早乙女遊馬はそれを見て何度か頷いていた。

 

「その技はもうスピードも精度も完成されて言うことはないな。他の技も見たい」

「はい」

 

 彼女の知る中で、早乙女は間違いなく最強の一角だ。だからこそ、北澤は早乙女を頼った。勿論、かのノーラッチの戦いを横で見ていたのが彼だったから、というのもあるが。

 そうして、昨日の玉入れ終了後と今日この時間、北澤はマンツーマンでの指導を受けられる運びとなったのだ。

 

「ならば次は! ……《ONE》!」

 

 北澤は一度下がって距離を取ってから、緑色の光をまといその手に持つショートソードを大地に突き刺した。

 次の瞬間、その少し前方で、緑色の円錐状の衝撃が廃タイヤの穴を貫く。

 ぐりぐり、ぐりぐり。北澤が突き刺した得物を軸に回せば、その衝撃は鞭毛のようにうねり、そして廃タイヤを真上へと投げ飛ばした。

 

「ほう、なかなか様になってきたじゃないか」

「もっちろん。で、さらに《風祭》!」

 

 緑色の旋風が、北澤を包む。彼女は風を足場に廃タイヤを迎えに行き、そして峰打ちでそれを地面へと叩きつけた。

 

「お疲れ。昨日今日でずいぶん動きがまともになったな」

「リーダーのアドバイスのおかげです」

 

 北澤が昨日この2つの技を披露した際は、どちらもまだお世辞にも洗練されていたものではなかった。《ONE》はそもそも目標を貫くことはできず、《風祭》は足を踏み外してしょっちゅう砂浜へと転落。それを似たような系統の技を用いていた早乙女の指導があったとはいえ、丸一日程度でここまでの上達が見られるというのは、紛れもなく彼女の才能と努力に依るものだ。

 だがしかし、それでも北澤の心は満足していない。

 

 次に彼女はポートをスクモ号にトランジットした。右手にはオトメ号に由来するスモールソードが、左手にはスクモ号に由来するダガーが握られている。

 

「リーダー。1回、どこまで通用するか試したい。模擬戦闘を」

「……いいだろう。だが、この模擬戦闘が終わったら今日はもう休養に移ること」

「わかった」

(ぶっつけ本番。ですが、今のアタシなら!)

 

 2人は距離をとり、砂浜に向き合った。

 そして早乙女が廃タイヤを空高く投げ上げる。

 落ちる。それがスタートの合図だ。

 

「《ONE》」

 

 すぐさま2人の間を緑の円錐が遮り、そしてそれは早乙女を討たんと暴れまわる。

 だが、早乙女にとってこの程度の攻撃を避けるなど造作もないこと。だけれど、円錐は彼を討たんと暴れまわる。それはまるで、魚を仕留めんとする蛸の腕のように。

 追われる側もまた、避けることは造作もないと言ったところで、それ以上は厳しい。細長く伸びるこの円錐の届く範囲は広く、また動く速度も決して遅くはないので、その中央に背を向けることは簡単なことではないからだ。

 だからこそ彼は、死角へと動いた。《ONE》の術者はその場を動くことは能わないゆえ、自分で死角を生み出してしまっている。そこへ逃げ込めば、攻撃はどうしても甘くなる。さすれば、余裕が生まれるから。

 

(知っていましたわ。そんなに単純になど行きませんことは。ですが、これならどうでしょうか)

「《ONE》」

 

 ここで北澤は賭けに出た。彼女はこれまでオトメ号の技としてでしか《ONE》を使っていない。だが、彼女の中にはスクモ号もまた、《ONE》を扱えるノリモンだという()()()()()()。そこに確証も根拠もない、ただ彼女の中に()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 

(……行けますわ)

 

 そしてその感覚が示した通り、北澤が左手に持つダガーに紫色の光が宿る。そしてそれを地面に突き刺した。

 

(さぁ、おいでなさいまし)

 

 早乙女は暴れまわる緑の《ONE》に注目するあまり、足元の警戒がやや疎かになっていた。そこから、紫の円錐が勢いよく突き上げたのだった。

 空中に舞った早乙女を見て、北澤は心のなかでガッツポーズをすると、すぐさま彼を迎えに《風祭》で飛び立った。

 

「君も私の想像を超えてゆくのだね」

「同期がそうしたんだから、アタシもそうしないとね」

「はは、同じユニットのメンバーとして本当に頼もしいよ」

 

 北澤は、まだ追い抜かれた山根の域には追いつき返せていない。だが、それができるポテンシャルは有しているだろう。彼女に受け止められながら、早乙女はそう思った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ中:古びたチッキ

 鳥満絢太は、頭を抱えていた。

 超次元の謎を解明するには、人の活動できる期間は余りにも短すぎる。彼ももう、既に定年退職に向けた準備を始めなくてはならない年齢なのだ。

 

「認知し得ぬものというのがこれほど厄介だとは、この研究を始めた頃は思いもせんかったのう」

「急にどうしたんです、博士」

 

 そのボヤキに、ナリタスカイが答えた。

 鳥満の研究室には、若い研究者もいる。彼らの能力が劣っているかといえば、決してそうではない。例えばこのスカイも、一桁世代の優秀なノリモンのひとりだ。

 だがしかし、後をノリモンに完全に託してしまっては、人間でしか認知できぬ、あるいは問題にならぬ領域の研究は取り残されてしまう。それが鳥満の懸念でもあった。

 

「のうスカイ、私は間違えてしまったのかもしれんのう……」

「何を?」

「ラッチじゃよ。あの頃は周囲への被害がこれで無うなると思っとった。じゃが今となってはそれで引き起こしたトレイナーの不足、トレイナーへの配置転換、そして肉体的あるいは心理的外傷によるJRNからの離脱。今でこそトレイナーの絶対数が増えたゆえ持ち直してきとるが、私等当時ですら前線に立つのが怪しうなってしもうた老いぼれと今の若者世代の間がごっそり抜け落ちてしまっとる。その原因を作ったのは、紛れもなくこの仕様でのラッチを世に送り出した私じゃよ」

「……博士、あんたらしくないぞ。嘆いても過去は変えられない。だからこそ、より良い未来を作るべく努力すべきだ、そう言って俺達を励ましてくれたのはあんたじゃないか」

「そうじゃったな……」

 

 スカイに宥められ、鳥満は顔を上げた。

 

(今の私にできることは、私がここを去らねばならぬその時までの間に、超次元の謎を1つでも多く明かすことじゃ)

「すまんのスカイ」

「何かあったのか、博士らしくもない」

「うむ。興味深い名前を聞いてな」

 

 鳥満は胸ポケットから時計を取り出し、そのウォッチフォブの蓋を開けた。

 そこには、小さな長方形の厚紙が一枚。

 

「それは……」

「私のキールたる相棒のチッキよ」

「へぇ。一度お目にかかりたいね」

 

 スカイは無邪気に、悪気なくそう言った。

 だが、それを聞いた鳥満の顔には、影が差さっている。

 

「私だって君達には会わせてやりたいと思っとるが、()()()じゃろうな」

「……すまない。……ん、()()()? ()()()()()()()()()?」

「難しい、で合っとるよ。私は彼が亡うなっとるとは思っとらん。いつかは必ずや」

 

 そう答えると、鳥満はそのウォッチフォブを握りしめ、目を閉ざした。スカイはそんな博士に、かけるべき言葉を見つけることができずに、ただただその様子を見ているほかなかった。

 そうして、少し、だがスカイの感覚では遥かに長い時間が経ってから、鳥満は口を開いて語りだした。

 

「君がJRNに来るよりも前……いや、車として生まれるよりも前の話じゃ。クィムガンが発生し、いつもどおり彼が対応に向かうのを見送って、それっきりじゃ。戻ってきた他のノリモン達に話を聞けば、彼がSバーストの直撃を受けて以降その場から消え失せたのだと。それっきり、今なお行方はわからぬまま」

「……すまん、俺の配慮がなかった」

「いいんじゃ。彼はまだ生きておると、私は信じとる。それが例えこの次元の外側であろうとも」

 

 スカイは理解した。散々文句を言いつつも、鳥満がこの道に進んだ理由を。

 鳥満はその行方を追うつもりなのだ。超次元の彼方へと消えた親友を。そしてそこへと向かう術を探さんとしているのだと。

 だがスカイもまた、超次元を追う研究者なのだ。それがどれだけ難しいことであるのかも、理解できてしまっている。

 そして、またもやスカイは、かけるべき言葉を見失った。

 

「博士……」

「今でも時折夢に出るんじゃ、彼がの。その夢枕で、私と彼はお互い知り得ぬ話をする……そこから着想を経て、研究が進むことも多々あってのう」

「それは、本当に夢なのか? 彼がモヤイから送ってくるものでは」

「私にも分からない。じゃが、ただの夢でない蓋然性が高まってきとっての。この度そこでしか聞かぬ彼独特の言い回しを、別の筋から聞くことができた。それは偶然なのじゃろうか?」

「言い回し?」

「うむ。彼は夢の中で自分が今いる場所を()()()()()()()()()と称しておったわい」

「また独特なネーミングセンスで……」

「じゃろ? じゃから確信したのじゃよ、その名をつけたのは間違いなく彼じゃと。そして、先程の興味深い名前というのは、まさにこのどこでもないゾーンのことじゃよ。この前理事長から伺った話……ラチ内での行方不明となった事象。その原因もSバーストじゃろうと推測されとる。して、その行方不明となったトレイナーというのが、サクラのおるユニットのメンバーでな」

「もしかして、この前俺が案内した彼か?」

「その彼じゃ。昨日電話口で話を聞くことができたのじゃがな、Sバーストの後、彼は()()()()()()()()()に飛ばされたと証言しておった。その名は、そこにおったノリモンに教わったのじゃと」

「……もしかして、そいつが。俺にはそんな愉快な名付けをする奴が複数いて、しかもそんな場所にいるとは思えない」

「君もそう思うか」

 

 そう言うと鳥満はウォッチフォブからチッキを取り外して、そのチッキへと語りかけた。

 

「のう、私等は案外もうすぐまた会えるのかもしれんの、()()()



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ後:原石

 此奴、やりおるな。

 ヒカリエターナルは、ラチ内を駆け回りながら手応えを感じていた。

 英国最速、Advanced Passenger号によりもたらされた厄介事、そしてその後処理に行った先で見つけた原石。彼女を引き込むことができれば、間違いなくレールレースは()()()()()だろう。エターナルはそう考えている。

 

(しばらく訓練を積んで、デビューランは……10月ごろが適正か。ならばカイザーのデビューにぶつけるのも一興)

 

 現在の日本レールレース界には、絶対強者たる【帝国(セントラル)】なる集団がいる。浜松の帝王(キング)ヒカリエターナル、日比津の女帝(エンプレス)ノゾミタキオン、鳥飼の天帝(ロード)ビシャスオサナジミ。同じ路線を走る車に由来する、白い稲妻達だ。

 そして今年、そこに新たなるメンバーが加わろうとしていた。彼の者の名はネオトウカイザー、加減速よし最高速よし曲線通過よしの期待の新星で、既にアマチュアレースにおいて無敗で連勝を重ねている。

 

 だがしかし。【帝国】は()()()()。レールレースファンは長過ぎる一強体制を望んではいない。少なくとも、エターナルの下へと伝わる市井の空気はそう訴えている。

 幸いにもレールレースは公営賭博ではない。オモテのトランジット・トレイニングにより、走るノリモン側が一切関与せずともレース中に外部との秘密通信を行えてしまう関係上、八百長の防止が不可能であるからだ。

 だからこそ、帝王()()()()()()()()()。持続可能なレールレースのために。順位こそ落とさなかったが、辛勝を演じ、力の衰えを演じて、まだ来ぬ世代交代を演じてラストランを行い、プロの世界を去った。それからの彼は、たまに思い出したかのようにアマチュアレースで走ったりしつつも、全国を行脚し素質のある者を積極的にスカウトする役へと回った。後輩が同じ思いをせずに済むよう。

 カイザーにもライバルを充てがうべきだ。そこにこのポーラーエクリプスは()()()()()()。それが彼の考えだった。

 

(カイザーのプロデビューはマススタートでのプロアマ混合のメガループ杯。ならば丁度よい。まだアマチュア枠の募集は始まっていないが、そこで走らせようではないか)

 

「ポラリス」

 

 エターナルは停まってから、隣の線路を走っていたノリモンに呼びかけた。磨けば必ず光るであろう原石へと。

 

「なぁに、エタさん」

「君の走りを、大勢の観客に初めて披露する日が決定した。2か月半後の鉄道の日記念メガループ杯、それまでにルールを覚えてもらう」

「うん!」

 

 ポラリスは元気よく答えた。

 レールレースの大半は、生きた線路を使う以上安全には配慮が必要である上に、設備の損傷は回避しなければならない。故に、ただゴールにたどり着けばいいだけなどという単純なルールではない。

 タブーたる禁則事項だって多々ある。例えば、架線等の設備への接触や閉鎖されていない線路への異線進入、定められた停止位置からの過走などは、どれだけ好成績を残そうと一発でそのレースを失格となってしまういくつかの例だ。

 

「まずはスタート。日本では、同じメロディが2コーラス流れる。この間は動力を動かしてはならないし、微動だにしてはならない」

「うん、1回目で音楽を覚えて、2回目が終わるのと同時に出発するんでしょ?」

「口で言うのは簡単な事。特に君のデビューランたるレースのようなマススタートでは、ここでミスをすると走行妨害を取られかねん」

 

 走行妨害をすれば、審議の末に失格となることがある。故意ではないと認められても重なれば出走停止などの重い処分が下ることになる。ゆえにそれは回避しなければならない。

 特にマススタートの場合、スタート事故は後ろの選手の出発を遅れされることに直結するため、それだけで失格となることは少なくないのだ。

 

「次は最初の1マイルを超えた後。ここからレースは本格的に始まる。そこから先ゴール手前2マイルまでの区間は、複線以上の場合最も右側の線路では追いつかれてはならぬ」

「追いつかれそうになったら?」

「左の線路に戻ることだな。そうせずに3チェーン以上離れていた後ろの選手が2分の1チェーン以内まで近づいた時点で、どれだけの記録を出していようが降着が確定する」

「降着って?」

「追いついてきた選手より先にゴールしても、その後ろの順位となるのだ。勿論悪質な場合はこちらも失格になりうる」

 

 集団の中から抜け出してスプリントをかけるべき時を除いては、1番右の線路には移らない。これが、レールレースでの鉄則。追突が発生した際も、他の線路では後ろが加害と判断されるが、この線路では前が加害と判断され、脱線以上に重い処分が下される。追い抜きもしないのに居座るメリットはあまりない。

 

「わかった。でも、それって右の線路は基本的に空いてるってこと?」

「そうなるな」

()()()()()()()()()()()んだよね?」

 

 何をふざけたことを。エターナルは一度はそう思った。

 だが、この子の脚ならば()()()。そう思わせる走りを、彼女は見せていたのだ。

 

「……面白い。そう解釈したのなら、やってみせるがいい」

 

 こいつは、とんでもないことをしてくれるかもしれないな。エターナルの口元が釣り上がった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ前:第17種目・ビーチフラッグス

 ビーチフラッグス。

 走力や反射神経を競う競技で、うつ伏せに砂浜に横になってから、合図と共に人数より1本少なく立てられたフラグを取りに行くものだ。

 そして毎回フラグを取れなかった1人が脱落し、最後の1人になるまで繰り返す。

 

「なんだ、これは普通の競技じゃん」

 

 これを、参加する24のユニットから3人ずつ、計72人で行うのだ。見よ、砂浜には71本のフラグが立てられている。

 異様な風景だ。全く普通ではなかった。

 

「人数増やすだけで、笑える」

「あの、佐倉さん。これって優勝者は71回走らなきゃいけないってことのように聞こえるんですが」

「20×71=1420。たった1420メートル」

 

 いや、そのりくつはおかしい。計算自体はあってるけど、その掛け算を持ち込むのはおかしくないかな?

 少なくとも、僕は20メートルを71回も走るんだったら普通に1回2000メートル走る方がいい。明らかにそっちのほうが必要なスタミナも少ないし体力消費もないはずだ。

 

「でもさ、私達観戦。走るんじゃない」

「いやまぁそうですけど」

「それに、どうせ始まれば変なことになる」

 

 目下の海岸には72人のトレイナーが豊洲めいて横一列にうつ伏せになって寝ている。配置は適当に決めているらしく、各ユニットバラけていたり固まっていたり様々だ。

 そして、1回戦の火蓋が切って落とされた。

 

 まず、72人のトレイナーのうち60人くらいが普通に立ち上がってフラグを取りにゆく。残りの10人くらいは何をしているのかと言えば、()()()()()()()()()()に行っている。

 ……うん、知ってた。トレイニングを許可している時点で、まともじゃない動きをするトレイナーがいることくらい。

 

 例えばその1人の北澤さんは緑色に光りながら地面にウェポンを突き刺して、その背後から触手のようなものを生やして遠隔でフラグを掴んでそのまま自分の手の方まで持ってこさせている。

 何だそれ、ずるくないか?

 他にもあの手この手で遠隔でフラグを手に入れるトレイナー達。でも、審判がスルーして普通に続行してるあたりそんなに問題視されるような行為ではないみたいだった。

 

 そしてフラグを普通に取りに行った側も阿鼻叫喚だ。

 例えば、2人並んだ選手が、それぞれ2人の間とは逆側のフラグを取りにゆけば、間のフラグは取り残される。もちろん、それを誰かが取らない限り競技は終わることはないので、自分の近傍でフラグを取れなかった選手は左右を見渡して残るフラグを探さなければいけない。それが至るところで発生していた。

 

「……やっぱりこれ、72人でやる競技ではないんじゃないですかね」

 

 それこそ到着翌日の1人競技とか、もっと少ない人数で行うやつじゃないんですかね。

 そう困惑していると、佐倉さんから斜め上の情報が降ってきた。

 

「前に私が夏合宿に来たとき、この競技、5人種目。100人以上いた」

「なにかんがえてるんです?」

「カオスだった」

「でしょうね」

 

 結局、最初の71本の旗が全て取られて最初の脱落者が決定するまで数分ほどかかった。

 ……ビーチフラッグスって、こんなに時間がかかる競技だったっけか?

 それから旗を回収し、植え、荒れた地面を均して。2回戦が始まったのは、1回戦が始まるのから10分強経ってからだった。そりゃ丸一日潰れる訳だよ……。

 ただ、この所要時間も残る人数が減るにつれてだんだんと短くなって、昼休憩に入る頃には試合同士のインターバルは5分強まで短縮されていた。

 

 そして、驚くべき事態も発生していた。この時点で既に早乙女さんがリタイアしてしまっていた。

 15回戦くらいあたりでスタートの反応が鈍くなり、それから少しずつじわりじわりと遅くなる。そして、昼休憩前最後の戦いでついにスタートに完全に出遅れてフラグを得られずにリタイアとなってしまったのだ。

 

「一体早乙女さんに何が……?」

「単純に、あの人もう歳」

 

 ……なるほど。いくらトレイニングしているとはいえ、アラフィフにビーチフラッグスは過酷だった。至極真っ当な理由である。

 

「じゃあなんで担当したんですかね」

「普通は72人でビーチフラッグスはやらない」

「そういえばそうでしたね……」

 

 ビーチフラッグスは人数が増えればそれに比例して連戦数の増える恐ろしい競技なのだ。72人なんて大人数では理論上はできるけれど普通はやらない。……あれ?

 

「あの、前に5人種目でビーチフラッグスがあったんですよね? だったらわかってたんじゃないですか?」

「あれをまたやるとは、ふつう思わない」

 

 佐倉さん曰く、かつて夏合宿で5人種目……即ち100人以上でビーチフラッグスを行なった時は、開始から半日経っても終わらず、日が沈んで真っ暗でそもそも取るべきフラグが見えない中続行して余計に時間がかかり、結果としてすべてが終わったのが日付が変わってからだったらしい。なので今回はそれに懲りて人数を絞ると早乙女さんは踏んでいたのではないか、とのことだった。

 まあその推測は外れて、いまさっきまで目の前では異常な光景が展開されていた訳だけど……。

 

「でも今回は、日没までに終わりそうでよかった」

「本当にそれでいいんですか?」

 

 浜を見下ろしながら、僕は頭をかかえた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ中:基準

 結論から言えば、最後までフラグを取り続けたのは北澤さんだった。

 そもそも、一歩も動かずにフラグを取り続けていたので、彼女に疲労が殆どなかったのだ。その上あの触手の反応は早く、他の遠隔確保勢をなぎ倒しての勝利をもぎ取ったのであった。

 

「勝ってきたよ!」

「お疲れ様です」

「おめでと」

 

 ……ただ、その北澤さんはこの通りまだ元気に溢れているんだけど。残りの2人は。

 

「……もう歳だな」

「上は莫迦なのか? 流石にまたこれやるとはよ」

 

 午後はずっと休んでいたはずの早乙女さんは疲労が抜けきっておらず、足取りが重いのが見てわかるほどだ。

 善戦して60回以上フル加速をする羽目になった成岩さんは文句を言う元気しか残っておらず倒れている。こっちは明日にはケロッとしてそうだけど。

 

「つーか北澤、お前のあの技は何なんだよ」

「審判が何も言わなかったからセーフでしょ?」

「その基準本当に良くねえな……」

 

 ちなみに北澤さんの他にも遠隔でフラグを取りに行ったトレイナーはけっこういて、回数を重ねる毎にむしろ増えていく形だった。

 鎖付きの錨を投げたり、風を起こしてぶっ飛ばしたり――この人は他のフラグも飛ばしてしまったので失格になっていたが――、様々なフラグの回収手段が講じられていたのだ。

 どの競技でも割とルールの根幹から揺るがすような戦法を取ったところで、審判は本当に止めもしないし減点もない。個人的には、スワンボートレースで潮流や風を操るのは失格になっても文句は言えないと思うんだけど、これですらお咎めなしだ。

 もうここまでくると、さぁ。

 ちらりと、佐倉さんの方を見る。

 

「何? 私の顔に、何かついてる?」

「なんでもないです」

 

 逆にどうして佐倉さんは失格なんか取ってきたのかが気になっただけで。他意はない。

 ビーチフラッグスでも失格が出ていたけれど、アレはどう見ても度の過ぎたわかりやすい直接的な妨害だったし。

 そんなことを考えながら、僕は疲れ果てている成岩さんを背負って部屋に戻った。

 


 

「ただいま戻りました」

「あぁお帰り、シャワァ」

 

 スタァインザラブは、その抱える部下とともに戻ってきたライスシャワァを出迎えた。

 

「どうだった? 長崎は。始まりの地は」

「今月も相変わらぬ様子です。ですが、書類に纏めた通り興味深い出会いがありました」

「……ふぅん?」

 

 スタァインザラブは首を傾げた。

 

「誰と会ってきたんだい?」

「JRN理事長、トシマ号。乙女ノ鼻で偶然出会いまして」

「へぇ、あの()()()と」

 

 その反応に、部屋の中が少しざわついた。

 恐る恐る、ジュゥンブライドが口を開く。

 

「その言い方、スタァ様、JRNにコネが?」

「まぁ、古い関係だけどね。ノリモンに成ってからは直接は会ってないし、そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んじゃないかな」

「じゃあ無理か……」

「妾も彼女の、JRNの指針を訊ねましたが、協力を仰ぐのは恐らくは無理でしょう」

「それに、奴ら隠してるもんね、ルースの落し子を!」

 

 シャワァは予想外の声に驚いたのか、その声の主の方を向いて、記憶に合致する姿がそこにいたのを確かめてから発した。

 

「貴女も戻っていたのですか、ブゥケ」

「私だけじゃない、リングもね」

「Affirm」

 

 ライスシャワァ、ジュゥンブライド、ブゥケトス、エンゲヰジリングの4者。そして、彼らを束ねるスタァインザラブ。彼らは同じ目的を共有する者たちである。

 ()()()()()()()()()()()、と。

 

「貴女たちが戻ってきているということは、ついにわかったのですね。リロンチの条件が」

「うーん、あと一歩ってところ。必要条件は絞り込めてきたけれど、まだ十分条件が揃いきってない」

「それだけでも大きいね」

「うん、だから共有する。今のところリロンチの必要条件は、トレイニングのできる相性があるということと、お互いにシールドが存在しないことの2つ。暫定的にね」

「なるほど。ですから後者の条件を引き起こしやすいSバーストの後で稀に起きているのですね……」

「そういうこと。だからこそ、私達は1つ目の条件、相性の良い組み合わせを探す手段を考えなきゃいけない。これは変わらないけど、それがトレイニングの可否と同じだってのが分かったのは大きいはずだ」

 

 そうブゥケが報告を終えると、続いてジュンが口を開く。

 

「それなら皆苦労してるみたいで論文もいくつか見つけた。でもよ、結局トレイナーでなければだめなんだったら、トレイナーの数が少なすぎだろ。そうなると全てのノリモンを救うことはできなくね?」

「そこは安心していいよ、ジュン。トレイナーでなくたって、仮にトレイナーになったとしたらトレイニングができる組み合わせであればいけるっぽいから」

「なら大丈夫か」

 

 ジュンはスタァに目線を投げかけ、判断を求めた。

 

「うんうん、そこまで分かれば今は十分だよ。……それでリング。ルースの落し子は、予想通りの所にいたかい?」

「あぁ。やはり新小平に反応はあった」

「そうか。……待っていてね、ココマ姉さん。時が来たその暁には、ボクが必ず助け出すから」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ後:第18種目・サバイバルクイズ

 サバイバルクイズ。この種目も前日のビーチフラッグスと同じように、最後の1人になるまで終わらない種目である。

 しかも1回のレース毎に必ず1人がドロップアウトするビーチフラッグスと違って、こちらはクイズに全員が正答したり、あるいは逆に全員が間違えたりすればそのクイズは結果に対して全く意味のないものとなってしまう。ゆえに、いつまでかかるかが全く予想できない種目なのだ。

 

 この種目で出されるクイズは全て○×クイズだ。ユニットメンバーが()()()()()()相談して答えを出し、各々独立で指定された○または×のエリアに入って答えの発表を待つ。その繰り返しである。

 そしてそれらのエリアの目の前、待機ゾーンに僕と佐倉さん、早乙女さんの3人で入ってからしばらくすると、競技が始まって放送がかかった。

 

『ではまず第1問。五元神のうち、常に帽をしているのはSans Pareal神のみである』

「Cycloped様では」

 

 佐倉さんがすぐにそう口に出した。

 そうなのか? そもそも五元神なんて絵画や像でしか見ることがないからあまり参考にはならないかもしれないけれど、帽子の五元神といえばあの特徴的な帽子を被っているSans Pareal神のイメージが強い。

 言われてそれを思い出してみれば、確かにCycloped神も帽子を被ってはいる。だけど、こっちはやや鍔の広いだけの普通のハット帽なのでいまいち印象が薄い。

 

「確かにSans Pareal神はときおり脱帽している姿が描かれているものもあるが、逆に脱帽しているCycloped神が描かれているものは見たことがない」

「でしょ」

 

 僕には教養がないのでよくわからないけれど、2人が言うにはそうらしい。というわけで3人で×のエリアへと踏み込む。全体としてはだいたい20人弱が○を選んで――そして敢え無くリタイアとなっていった。

 ただ、その次の問題からはほぼ全員が同じ選択肢のエリアに入り、リタイアは殆どでないものが続く。たまに思い出したかのようになって10人弱が落ちるクイズもあったけれど、それ以外はかなり残存率が高い。

 これは長くなるぞ。そう感じていた中で、急にそれまでとは一味異なるものが出る。

 

『ウェヌス現象が初めて確認されたのは、博多発名古屋行きの寝台特急「金星」号の車内である』

「たしかウェヌスってその列車名から取って名付けられたんですよね」

「そう。金星は、ラテン語でウェヌス」

 

 なら○じゃないのか。そう思ったところで、早乙女さんが待ったをかけた。

 

「だが、ウェヌスが初めて確認されたときは、『明星』号も走っていた」

「明星は、金星の異名……」

 

 なんで同じモチーフの寝台特急が複数も走ってたんだ。しかも早乙女さんによると、彼はそのウェヌス現象の始まりたる車のノリモンと話をしたことがあったらしいのだけれど、その車は金星と明星のどちらも担当していた車だったのだとか。

 つまり、ますますわからない。

 

 結局この問題、シンキングタイムの中で僕達の答えもまとまらず、リスク分散で佐倉さんと僕が○、早乙女さんが×へと進むことになった。

 他のユニットもなかなかに答えがまとまらない様子で、全体としても○×がほぼ半分に割れた形だ。

 

 そして答えは×。つまり、僕と佐倉さんはリタイアになった。

 ちなみに×の理由は『ウェヌス現象が確認されたのは確かに博多発名古屋行きの寝台特急金星号ではあるが、それが起きたのは列車の外であり、車内ではない』だった。全然違うじゃん。

 つまり、ウルサ・ユニットは早乙女さんの懸念した明星号は全く関係ないのにその懸念だけでギリギリ首の皮一枚繋がったということになる。

 

「確かに、車内ならわざわざウェヌス現象に頼る必要、ない」

「……それもそうですね」

 

 車内なら普通にトレイニングは維持できるのだから、わざわざウェヌス現象を発見する手がかりにすらならない。冷静に考えたら、あたりまえのことだ。これはこの種目が○×クイズだからこそ助かった、とでも言うべきだろう。

 

 その後、早乙女さんは孤軍奮闘したけれど最後までは残ることはできず――彼が間違えたのは、過去にJRNに在籍していた、今はデザイナーをしているノリモンに関する問題だった――に、途中でおしまいになってしまった。あの人の交友関係広いはずなのに、意外な問題を落としてくんだな……。

 

「すまない、間違えた」

「謝らなくても、先にリタイアしたのは僕達ですし」

「山根の言う通り。リーダーは1人でがんばった」

「君達が間違えた問題は私も本質的には間違えていたのだが……」

 

 早乙女さんはそう苦笑いをしながら答えた。

 

 それから他の残った人達がクイズに答え続けるのを見ているだけだ。まだ知らないことのクイズも結構あって、役立ちそうな内容もいくつかあったのでけっこう見ているだけでも面白い。最初の方でけっこうリタイアが多かったから早めに終わるかとも思ったけれど、残り5人になってから20問くらい残る全員が正答し続けたので、終わるまでにはかなり時間がかかっていたけれども。

 これで全20の種目のうち18種目が終わり、ここまで短いようで長かった夏合宿もいよいよ終わりが見えてきた。

 最後まで、気を抜かずに頑張ろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ前:第19種目・ユニットレース

 ユニットレース。

 各ユニットから3人、足自慢を持ってきてレースをする競技だ。

 今回のルールでは12kmのパシュート。つまり、3人一組で走って一番後ろの人のタイムを競うものだ。

 なら単純に一番速い人を後ろに配置すればいいのかといえば、決してそうではない。そもそも、前の人を抜いてしまえば最後尾は変わってしまう。

 そして、一番前は空気をかき分ける必要があるから、一番力が要求されて、そして消耗も早い。一方でバックスリップの中に隠れられる残り2人は比較的楽だ。

 なので先頭を交代しながら走るのがセオリーなのだが……。

 

「山根、お前先頭な」

「なぜ」

 

 成岩さんに提示された作戦は、僕が最初から最後まで一番前を走り続けるというものだった。

 成岩さん曰く、この先頭の交代ではタイムロスが出るので最後まで先頭を変えずに走ったほうが早いのではないかという学説もあるらしく。また、それとは別に一番遅い北澤さんの速度に合わせるのだから余裕もできるはずだ、ということらしい。

 

「それなら成岩さんが前でも良くないですか」

「高速域での加速余力はクシー号とお前の方が上だろ?」

 

 そうだっけ?

 そのへんは詳しく調べたことが……いや、あったな。アドパスさんの実験の一環で加速余力を計測していたんだった。ならそこからデータが成岩さんにいっているんだろう。

 

「測ってましたねそういえば……」

「だろ? 俺は一番後ろから加速が鈍めの北澤の背中を押すから」

「鈍くはないんだけど?」

「いや、俺と山根には《ハイブリッド・アクセラレーション》があってだな……」

「えっそれ使う前提だったんですか」

 

 北澤さんを置いていけないから使わず加速するものだと思ってた。

 

「まぁそういうわけだ。スタートの起動加速の増強、そしてゴール前の制動力の増強。この2つは下手に最高速度を上げるよりも時短効果がデカい。だからここが弱めの北澤を後ろから押す訳だ」

「なるほどね」

「……前からも手を繋いで引っ張ったほうがいいですかね?」

「いや、そこまでは要らんと思う」

 

 そして予選がはじまった。

 スタートしてまもなく僕と成岩さんが《ハイブリッド・アクセラレーション》を使い加速。ある程度加速したところで後ろを振り返れば、しっかりと成岩さんが押したおかげか北澤さんもついてくることができている。

 

 だがしかし、僕はその奥でとんでもないものを見てしまった。

 1周2.4kmのレースコースは600m間隔で4ユニットのスタート位置がずらされ、各ユニット毎にゴールラインも異なる。なので他のユニットの走者との競り合いが発生することはない。普通は。

 なのになぜか、1つ後ろからスタートしたはずのカンケルのノーヴルの人が、もう既に後方400mまで迫ってきているのである。

 

 単独で。

 

「……は?」

 

 いや、これパシュートだぞ? ()()()1()()()()()()()んだ?

 

「どうしたの、山根君」

「いや、後ろ……」

 

 僕の言葉に2人も振り返り、そしてその異様な光景を目にした。

 

「アイツ何考えて……あっ!」

「何かあるんです?」

「速度上げっぞ、2人とも! パシュートは、()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 えっ、そんなルールあるの!?

 そもそも予選は順位に関係なくタイムだけを見るタイムトライアル方式なのだから、リタイアさせたところであんまり意味はないはずなのに。どうしてそんなことを?

 

 まあいい。それを考えるのは一旦あとにしよう。今重要なのは僕達は追いつかれてはいけないってことだけだ。

 《ハイブリッド・アクセラレーション》だって柔な加速じゃない。なのにどうして距離を詰められているのか……それは至って単純なことだった。僕達は全速では足を動かしてはいなかったのだ。

 トレイナーやノリモンが走るとき、加速は車輪を回すことによる加速と、足を動かして大地を蹴ることによる加速が重ね合わされる。ゆえに、この動きも決して無視することはできない。

 ではなぜ、そこで全力を出さなかったのか? その理由は至って単純、この予選だけで12km、しかもその後には本戦も12kmの合わせて24kmも走らなきゃいけないのに、1本目のスタートからいきなりスプリントなんてしてしまえば、いくらトレイニングしているとはいえ体力が持たないからだ。

 だが、今は到底そんなことを言っていられる状況ではない。逃げ切らなければ、即リタイアが待ち受けている。

 

 大地を蹴る。蹴る。蹴る!

 きちんと車輪の回転数の制御さえしていれば、車輪の加速度なんかより蹴る加速度の方が大きく出る。ただ、その制御ははっきり言ってかなりめんどくさい。だけど、それをしなければならないし……これ、12km持つのかなぁ?

 

「2人とも、ついてこれてます?」

「アタシは平気!」

「大丈夫だ。あのアホのキールはアオキジェット号、加速に優れるが速度は出ない。もう少し加速すりゃ、アイツには追いつかれん」

「「それを先に言って!」」

 

 それから彼を知る成岩さんが指定した安全な速度にまで到達してからは、また体力を温存する走りに戻り、そして結局ゴールまで追いつかれることはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ中:作戦

 予選の結果は、全体で第4位だった。

 想定外の後方からの接近により、途中かなりペースを乱されてしまうなどのアクシデントはあったものの、意外とそれでも体力は保ち……いや、決勝行けるかこれ? スプリントしたらきつくない?

 というか。

 

「なんで成岩さんが潰れてるんですか」

「覚えとけ、アラサーになるとな、もう体力は落ち始めてくるんだよ。鍛えていてもな」

「えー」

 

 そう言う北澤さんは直後ですら息一つ乱れていなかった。僕達と比べてスプリントしなきゃいけない距離は長いはずなのに。流石はJRNに入った今も出勤日毎に町田から小平まで自転車で往復しているだけある。

 そもそも全力スプリントなんてするつもりはなかったんだなどとのたまう成岩さんを置いて、僕達は他のレースの結果を確認する。

 1位はどうせドラコ……かと思いきや、彼らの順位は3位。一番早かったのはサギッタリウスで、それにウィルゴが続く形になっている。これは……。

 

「なるほど、奴ら潰す気マンマンじゃねぇか」

 

 まだ息の荒い成岩さんが、結果を覗き込みながらそう言った。

 

「どういうことです?」

「そのまんまの意味だ。決勝のスタート位置は順位が下がるごとに600m前からのスタートになる。奴らが妨害を考えるなら、あえて順位を下げる選択肢はアリだ」

「そんなことする人達だっけ?」

「あるいはこうして油断させるか……」

 

 たぶん何かしらの事故があっただけでそこまで考えてないんじゃないかなぁ?

 

「考えないほうがいいんじゃない? 競り合わない競技だし」

「まぁそうだな」

 

 さっきのような奇策に出るユニットはそうそういない、と思いたい。

 だけれど、カンケル・ユニットは1人を完全に分離した1+2の構成でなぜか予選7位と好成績を収めており、あの戦法も割と莫迦にできない上、油断している1つ前のユニットを……あ。

 

「あの」

「どうした」

「カンケルみたいなことをドラコがしてくる可能性ってどれ位あると思います?」

「……あ」

 

 聞いていた2人の顔から少し色が引いた。

 

「なぁ、どうすっか? スタートでスプリントかける?」

「アタシはそれでも大丈夫だけど、成岩先輩はスタミナ保つの?」

「保たん」

「だめじゃん」

 

 カンケルが破天荒なことをしてくれたおかげで全体的に戦術組み直しである。どうしてくれんの。

 

「最初にスプリントして速度を出してからそのまま流して休みます?」

「それしかなさそうだな……。あんまりやりたくねえが」

「でもやるしかないじゃん? だって真後ろドラコだよ?」

「あぁ。幸いにも松代のキールはかのメカマセンゾク号、さっきのアオキジェット号とは異なってノリモンになってから起動加速が鋭くなったクチだ。とすると松代本人のスプリント力にかなり加速度が依存すると見たほうがいいだろう」

 

 それは幸いなのだろうか?

 これは一般論だけど、スプリント力はノリモンと人間を比べると人間の方が強い傾向がある。生まれたときから脚がついている人間と、成って初めて脚を得るノリモンの大きな違いによるものだ。

 そうなると……メカマセンゾク号よりも松代さんの方がスプリント力は強いのでは?

 

「いや、違えんだ。終わってからでいい、メカマセンゾク号が出たレースを見りゃ解る。あいつは車輪抜きで()()()()()()()()()()()をすんだよ」

「なるほど……」

 

 だから600mの差を考えれば、最低限の対策さえしてしまえば仮にドラコがこの戦略を取ってきたとしてもそこまで強く懸念することじゃない、というのが成岩さんの見込みだった。

 

 しかし、まぁ、結局のところ。

 ドラコがどんな戦略をとってくるかなど、こちらでああだこうだ話をしていてもわかることは決してないのだ。だからこそ、考えられうる全ての策に対応できるような準備をしておく他ない。

 

 こうして話をしている間にも、決勝ラウンドのレースは順調に消化されてゆく。気がついた頃には成岩さんの息が再び整い、そしてちょうど5つ目のレースが終わって、まもなくついに僕達の走る最終レースが始まらんとしていたところだった。

 パシュートなので、試合前に僕達以外の3組と接触する機会はない。だから彼らの表情が見えることも、当然ない。况んや彼らの考えにおいてをや。

 

 コースに入る。少しだけ足元の車輪を転がして、現時点での異常がないことを確認する。――よし、おかしな感触はない。

 それから僕はレースコースの進む方を見つめた。11のレース、4のユニット、5周。今朝から断続的に述べ220の車輪が通過したこの道は、既に突き固められていたはずの土すらもえぐれて轍がいくつもできている。

 

「お前ら、準備はいいか」

「アタシはいつでも」

「そう言う成岩さんこそ」

 

 編成は変わらず前から僕、北澤さん、成岩さんの順で、最初に全力スプリント。願わくは、ドラコが初手からの追い抜きの作戦をとってきませんように。

 そう願いながら、僕らはスタートラインの後ろに立った。

 

 そして、レースの始まりを告げるメロディが流れ始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ後:氷

 1コーラス、2コーラス、スタート。

 

「《ハイブリッド・アクセラレーション》」

「《足柄》」

「《早々来々(サックハヤキタル)》」

 

 三者三様のスタートダッシュ。スプリント重点ということもあり、成岩さんが使ったのは《早々来々》の方だった。

 《ハイブリッド・アクセラレーション》は数秒分の加速度の積分を瞬間的に与える技なのに対し、《早々来々》は踏み込みを強化することにより、継続的に数秒間加速度そのものが上がる技。瞬発力では《ハイブリッド・アクセラレーション》には劣るが、中期的にスプリントし続けなければならない状況では《早々来々》の方が有利だという判断なのだろう。

 そして、それを使ったという判断自体が、僕に成岩さんの認知する状況を知らせてくれる。その選択自体が、メッセージなのだと。中途半端な速度じゃ、追いつかれてしまうぞ、と。

 車輪を回す。脚を回す。そのどちらもやらなくてはならないのがこのスプリントという動きなのだ。

 

 スピードをある程度まで上げ、コースの一番長い直線の出口でちらりと後ろを見る。

 真後ろに、ぴたりと北澤さん。その後ろ、少し離れて成岩さん。青い光に包まれて少し速度を上げている。

 そしてその後ろ、後方およそ500m。そこには3つの人影が固まって走っている。

 

「山根君、前!」

「へっ?」

 

 その声に前を見る。そこはスタートから1800m地点……つまりマイナス600m、ドラコのスタート地点だ。

 そうだった、氷川さんはそういう人だった。そこにある氷を見て、僕はそれを思い出した。

 もうエンジンの加速余力はそんなに残っていない。これは空転を起こしにくいという意味では有り難かった。

 それならば、走行抵抗が少ないほうがいい!

 

「まだブレーキをかけるときじゃない、この氷、使わせてもらいます!」

「えぇっ」

「大丈夫、いけるはず」

 

 フランジの外側に取り付けられたゴムタイヤは、そこまで横幅が大きいものではないし溝が入っているわけでもない。だから横滑りの耐性は皆無だ。

 ゆえに氷上では、直線は良くてもカーブは難しいと言わざるを得ない。速度が上がれば、上がるほど。

 

 ……()()()()()()()()()()()()()

 僕はコジョウハマに手をかけた。

 

「僕の答えは、これだっ!」

 

 コジョウハマを右脚の内側に取り付け、車輪を外側に向けて氷を切り取る。僕はアイススケートのように曲がり、その後には轍が残るので後続もそれ以上は滑ることがない。

 意図に気がついたのか、後ろを振り返れば2人ともきちんとその溝に引っ掛けて滑りきった。

 

「危ないことさせやがって」

 

 脚にとりつけたコジョウハマを取り外して車輪の傾斜角を戻していると、後ろからそんな声が聞こえる。

 

「文句を言える程度には余裕があるようで、良かったです」

「はっ、氷で速度があんま落ちねぇからな」

「じゃあ速度上げて大丈夫ですかね」

「おうよ」「ええ」

 

 後ろからの声を聞き、ギアを4速に上げてさらに速度を上げる。今さっき一周目は土の上を走っていたレースコースを、氷を掴んで駆け抜ける。

 しかしこうも氷上できちんと走れるのなら、下手したら氷川さんはゴムタイヤすら履かずに氷の上にフランジを直で載せて走ってるんじゃないだろうか。氷じゃフランジそんなに傷つかないし、ゴムでも横滑りしてしまうのだからもはや鉄輪でも関係ないし。

 仮にそうだとすれば、氷川さんが異様な高速で移動できるのも理解ができるというものだ。何しろまだ融けていないなめらかな硬い氷と鉄輪の崩れない頑強な固体どうしで、実質的に常に軌道上を走ることができるようなものなのだから。

 でも、彼らが走りやすくしてくれたおかげで、僕達もまた走りやすくなっているのは事実。佐倉さんがいたらこれもボコボコにしてそうだけど、僕は使わせてもらうまでだ。

 

「速度を上げ続けるので、無理そうなら言ってください」

 

 後ろにそう伝えて更に加速する。カーブのたびにコジョウハマをセットするのが微妙に面倒だけれど、速度を落とさずに対応はできる。それでこのコースの曲線半径とこの足元なら、250くらいまでならば巡航できるはず。

 気がつけば、あっという間にもう1周。足元では氷が分厚くなり、より走りやすい環境になる。

 

「まだいけます?」

「これだけ地面が固まってるなら余裕よ!」

「角を曲がれるかの方が怪しいかもな」

「なら」

「勿論、曲がれねえなんて無様なことをする訳ねえだろうが、俺達トレイナーなんだからよ!」

 

 心強い声が後ろから聞こえる。

 唸れターボ、唸れモーター! この頃になると、もはや後ろから追いつかれる恐怖なんてものは消え去って、僕の目にはもう前から後ろへ流れる景色しか映っていない。

 さらにもう1周が終わって、4周目。泣いても笑っても残りはたった5キロ弱。

 ラストスパート……と、言いたいところだけど、氷の上でスプリントしたって滑ってしまうだけ。ここは安定をとって速度を維持、減速度を意識……いや、これは氷の上から退けばいいか。ともかく進行あるのみ。

 最終周回に入った頃、前方にはサギッタリウスの姿が見えた。でも、焦っちゃ駄目だ、ゴールには600mの差がある。無理に追いつこうとはせずにただ、滑らないように走り続けるだけ。

 

 ドラコのゴールを越えた。残り600。少し走ってから氷上より横に抜けて、減速の動きをする。ゴール後201m以内に停まることができなければ、その時点で失格だ。

 後ろにいた北澤さんが、成岩さんが横に並んでくる。減速度は僕が1番強いから。

 

「停まれ、停まれーっ!」

 

 横一列になって3人一緒にゴールを超える。50m強過ぎたところで僕は停まった。そして90m程で成岩さんが、180m程で北澤さんが停まり、僕達のゴールが確定した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回17レ:攻略

「えっ、一番なんですか?」

 

 走り終わって暫くして。結果を聞いた僕達はひっくり返ってびっくりしていた。当然、ドラコには負けていると思っていたからだ。

 

「詰められてたよな、俺達」

「うん、それで一か八か氷に乗ったんだよね、山根君?」

「そうですね、行けるか怪しかったですけど……」

 

 正直氷の上がこんなに走りやすいとは思ってなかった。スクールの頃に冬の合宿でアイススケートに連れられた時はもっと動きはぎこちなかったけれど、それから数年ブランク開いてここまで行けるとは。

 

「……まぁ俺らずっと鉄輪履いて活動してっからな、アイスとローラーのハイブリッドだ。それに」

「それに?」

「俺と山根……いや、ベーテクとポラリスはもともと雪国の車だ、氷にゃ強い」

 

 あれ、そうだったの?

 ベーテクさんからそういう類の話はあんまり聞かなかったから、今ここで初めて聞いた気がする。

 

「だから俺は氷上じゃ北澤の方がやや気がかりだったが」

「そう? このくらい平気よ?」

「この人スクールの時から雪の日でも平気で自転車通学してましたからね、バランス感覚は間違いなくありますよ」

 

 雪の日に実家勢が総崩れする中颯爽と自転車漕いでいつも通りの時間に登校してきた時は、そこにいた全員がドン引きしていたのをよく覚えている。

 

「そういうお前もよく氷に入る気になったよな」

「だって3人ともスクール上がりじゃないですか。なら全員がアイススケートの経験がある」

「俺はもう10年近く前だけどな……」

 

 それでも、一度氷の上を滑った経験があって、そして今でも鉄輪を履き続けているのだから大丈夫だ。僕はそう考えたんだ。

 逆にそれがあるか微妙な佐倉さんとかがいたら入ってない。あぶないからね。

 

 それから僕達はユニットに戻って、明日の準備に取りかかった。明日はもう最終種目、僕達全員で取りかかるトーナメント――即ち、模擬戦闘である。

 この夏合宿で僕や北澤さんはかなり刺激を受けて、戦闘スタイルが大きく変わるほど成長したと早乙女さんは見ていた。これに伴って、全員の動き方だとか立ち振る舞いなんかは始まる前と比べて大きく変わることになる。それを初めて行うのが、この最終種目なのだと。

 

 最後まで、気を引き締めて。僕はその言葉を再び胸にした。

 


 

「いやー、やられちゃったね」

 

 中泉はそう言って、戻ってきた3人を出迎えた。

 

「喜ばしい事さ。俺達が抜けても、JRNにはウルサがいる。これ程安心して長期の遠征業務にあたれる材料はないだろ?」

「そんな悔しげな顔でよく言うナ」

「説得力ないよ?」

「あぁそうだよ悔しいさ。俺達だけが使えると思ってた残った氷を見事に再利用されちまったもんだからな」

 

 氷川は悔しげな顔でそう返した。それとは対照的に、負けて尚普段の涼やかな顔を崩さないのは松代だ。

 

「あのユニット、平均的に走るの速いしね。パシュートは、一番遅いのが律速要因になる」

「俺が悪かったてんノカ?」

「違う。ウルサが疾い理由を挙げただけよ」

「2人とも、そう喧嘩なさんな」

 

 松代の言う事は嘘一つない真実だ。

 だがしかし、全体を俯瞰していた中泉にはもう一つ、気になったことがあった。

 

「あと、今回なんか全体的にハイペースだったよね。君たちを含めて4ユニットとも、予選と比べて最初のラップタイムがだいぶね」

「それはカンケルのせい。あんなもの見せられたら、もしやと思って誰しも警戒するでしょ」

「あぁ、アレか。アレは見事だったね」

 

 カンケルは、破天荒な手段で全体6位を掴み取った。パシュートなのに1人が分離し、全速力でその5から8位の決勝戦で最有力であったドラドを最初の周回で追い越して、見事に彼らをそのレースからリタイアせしめたのだ。

 他のチームに追い越されたらそこで終わり。それが、パシュートの基本的なルールである。

 

「実際にそれができる。それを証明しただけで、()()()()()()()()()()()()()()()

「俺達ゃ普通にやってりゃ最速取れるからノーマークで普通に走ってたけど、それが悪かったみたいだな」

「だからハイペースになったウルサは、高速レーンを利用することを思いついたんだと思うわ。そうなると、これまでの私達の走りはもう通用しない」

「バレちゃったもんね、氷の上を普通に走れちゃうこと」

 

 氷で線路を作る。氷川がそれを思いついたのは少し前の事だ。それをこの夏合宿に向けて改善して仕上げ、そして実行した。

 故に、誰もがその対策方法を持っていない。今回の戦術は、その前提でこそ輝く戦術であったのだ。

 だから、もうこの戦術は使えない。使えたとしても、効果は薄いだろう。

 

「まさかこの合宿中にやられるとはな。大抵合宿1つ挟んでから対策のお披露目会になるのが今までの傾向だっただけに、少し悔しい」

「少しじゃないでしょその顔は」

「……あぁ、悔しいさ。長年のライバルと事前に目をつけていた期待の新人がいるユニットとはいえ、目をつけた理由とは違うアプローチで攻略されるのは気持ちのいいものではない」

 

 氷川はそう、一度思いの果てをぶちまけた。そしてその後、吹っ切れたかのようにニュートラルな表情へと戻ったのだった。

 

「でも、いいんだ。これでJRNはまた1つ強くなったんだから。強くなるのは、俺達に限定されないほうが健全ってものさ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ前:最終種目・トーナメント

 最終種目のトーナメント。僕達は、順調に勝ち上がっていた。

 ……いや、本当に語ることはない。だいたいいくらユニット対抗と言ったところで最終的に立っていた人がいればいいのなら夏合宿前からやることは決まっている。

 即ち、《桜銀河》。これをぶっ放せばだいたい勝てる。他の4人も巻き込むけど。

 

 だけど、それすら必要ないことも多々あった。その一番の要因は北澤さんの《ONE》なる技だ。これを一薙ぎするだけで3人のシールドを割り切るなど、単純なキル数でいれば溜めなしですぐに扱える都合上僕の《桜銀河》を普通に上回ってくる。しかもその根本の近くが地味に安全地帯になっているため、味方を巻き込むことがないのも優秀な点だ。

 

 ただ、弱点もあった。

 

 《ONE》を使っている間はどうやら一歩も動けないどころか、それを止めても再び北澤さんが動き出せるようになるまで時間がかかるみたいで、どうも見えている遠距離攻撃を避けることすらできないようだった。

 それでも、非常に強力な技であることには変わりはないんだけれど。

 

「新人が強すぎて辛いぜ……」

「まだ現場で使えるほど熟練してないけど」

()()って事は見込みあるのかよ」

「まぁね、オトメさんからいろいろ聞いてるし」

 

 聞けばあれをもっと細くしてしなやかに動かしたり、あるいは途中で枝分かれさせたりができる技なのだとか。その他にもけっこう応用が効く技らしい。

 

「ほへー」

「そういうアンタはどうなの? 《桜銀河》も色々変わったんじゃない?」

「いやアレは応用無理ですって」

 

 手元で向きだけは変えられるけどあとは直進しかない。なんなら出力を自発的に落とす術すら見つかってない。なんなら、クシーさん以外に使い手がいなかったので同じ技を使える他のノリモンに聞くという方法すら使えない。

 なので本当に《桜銀河》に関して言えば、情けないことにこの夏合宿を通じて全く変わっていないのが実情だ。

 

「つってもお前ポラリスの方を……」

「3人とも、おしゃべりはそこまで。そろそろ決勝の時間」

「はーい」

 

 おっと、もうそんな時間か。

 決勝の相手は、もちろんドラコだ。配置担当の計らいだろうか、今回はきちんと決勝戦で当たるよう配置されていた。

 そして、ここにいる他のユニットの人達もまた、この試合を観戦するのを望んでいるのが、ラッチに入る前からひしひしと伝わってきている。

 

「待っていたよ。ウルサ諸君」

「氷川。今回は君たちにも本気を出してもらう」

「当然さ。お前の目が見抜いた、既に一人前のトレイナーとしてやっていけるレベルの2人を新人扱いする必要はもう消え失せた」

 

 氷川さんはそう言うと、僕と北澤さんに続けて目を向ける。

 

「さぁ、はじめよう」

 

 そして僕達は入場し、続けて観戦を希する他のユニットの人達も入場してきた。

 ……こりゃ、《桜銀河》を使うときはちょっと気をつけなきゃいけないな。

 そんなことを考えていると。ふと目の前に光のかいさが3つ並んで現れていることに気がついた。横を見れば、早乙女さんたちが揃ってチッキを掲げている。

 

「本気で行こう。――駆け抜ける想いよ夢よ希望よ、風も谺も光すらも追い抜かん! ノゾミタキオン号、今このトモに宿れ!」

「あぁ。俺達だって負けてらんねえからな。――旋律響かせし紅き不死鳥よ、姿形変わりてなおその誇りを貫け! スカーレットゾーン号、今このオモテに宿れ!」

「勿論。――世界へ導く果てなき空の道よ、今大地に繋がりてこの鉄路を駆け抜けよ! ナリタスカイ号、今このスターに宿れ!」

 

 ガコン、ガコン、ガコン。先輩方3人が続けざまに改札機へと進入してゲートが閉じた。そして光に包まれて姿を変える。

 成岩さんと佐倉さんはキールのノリモンと同じ派閥のノリモンとトランジット・トレイニングする、ダブルシンボルと呼ばれるトランジットで威力を単純に高める作戦のようだ。

 

「魂に刻まれし山百合の紋章よ、朽ちてなお高貴なるその力を見せよ! スクモ号、このポートに宿れ」

「失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを! ポーラーエクリプス号、このトモオモテに宿れ」

 

 続けて僕達2人もチッキを取り出してその隣に呼び出した改札機に進入する。光が、僕を包む。そして。

 

 ガガガガガコン!

 5つの改札ゲートの扉が同時に開き、トランジット・トレイニングをした僕達ウルサの5人が改札から飛び出した。

 その進む先には、待ち構えるように準備万端なドラコの5人が横一列に並んでいる。

 僕達はお互いに右手を差し出した。

 

「ユニット全員がトランジット。流石はトランジットのデパート、早乙女遊馬の率いるユニット」

「褒めても何も出んぞ。トランジットは目的ではない。私達は……全力を以てドラコを倒す。その為の手段に過ぎん」

「やってみろ。ならばこっちは全力でそれを阻止し、逆にお前達のシールドを1つ残らず割り切るまでだ」

 

「うちのリーダーはあんなこと言ってるけど、まぁまぁゆるりとやりましょうや」

「そう言って油断させようったって無駄だぞ、俺達は本気でいく」

「ありゃ、厳しいねぇ」

 

「久しぶりに、楽しめそうだナ」

「楽しむ? 貴方達は、苦しむだけ」

「言うじゃねェカ。余計楽しめそうダ」

 

「この松代、決して譲らないから」

「譲られなくたって、アタシ達は勝ち取るだけ!」

「……できればね。無理だと思うけど」

「少なくとも、それを決めるのは貴女達じゃないでしょ?」

 

「再び縁が巡り、相見えるか。不思議なものを感じるものだ」

「でも、ここにいるのは前の僕じゃないですよ。明日の僕はもっと強いですから」

「それは。楽しみだ」

 

 そして所定の位置に移動してから、戦いの火蓋は切って落とされたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ中:最終決戦

 戦いの火蓋が切り落とされてから暫くは、予想に反して物凄く静かだった。お互いに距離をとり、近づかんとすれば集団で退く。そんな戦いすら始まらぬ睨み合いが暫くは続いていた。

 

「いつ仕掛ける?」

「山根、頼んだ」

「え、僕ですか」

 

 そうして僕が《桜銀河》を放った次の瞬間、ラチ内は大きく変貌を遂げた。僕達とドラコの間には突然大きな水の壁が聳え立つ!

 ……鮫島さんだ。

 これで対策できるってことが、彼にはもうバレてしまっている。

 

「またこれですか!?」

「アタシに任せて。《ONE》!」

 

 北澤さんの攻撃が波の壁を斬り裂いて、そしてそのまま暴れて奥にいた使い手である鮫島さんを強打したのであろうか、波が崩れ去った。

 

 だけど、次の瞬間。

 崩れ去った波が急に凍てつき、北澤さんの攻撃は逆に捕らえられてしまう。

 

「北澤、それを解くんだ!」

「できるんだったらやってるって! 動けないの!」

「そうか、分かった。ならば私が行こう」

「氷を割る? 私も同行する」

「承知、成岩君は2人の援護を」

 

 そう言って2人が氷壁へと飛んでいってすぐのことだった。オオカリベが僕達の視界を遮った。

 金属音。それに弾かれているのは、長く伸びた槍。

 

「来ると思ったぜ。遊撃のお前が、壁の向こうでただ呆けてるだけな訳が無えもんな!」

「別に5人固まる必要なんてないからね!」

「あぁ。だから、お前の相手は俺だ。後輩には指一本触れさせねぇ! 《早々来々(サックハヤキタル)》」

 

 そう言いながら成岩さんは中泉さんを体当たりで弾き飛ばした。

 奥では2人が氷の壁を割り切ったのが見える。だけど、割れたのは壁だけで、北澤さんはまだ動けない。壁の向こうからは、氷川さんと松代さんが飛び出して2人を迎撃している。

 

 となると、あと1人。僕と同じ遠距離タイプの星野さん。

 それを意識した瞬間、巨大な火球が打ち上げられてこっちに向かって飛んでくる。あいも変わらず、なんなく躱せるスピードの攻撃だけど……って、駄目だ!

 

「キミだけでも逃げて!」

「できません! 一方的になんて……」

「アタシははもう鮫島さんの」

「それ、見て確認したんです? あの壁が消えたのだって、鮫島さんがわざとやったのかもしれない。だから……《クンネナイ》!」

 

 過去に佐倉さんが証明していた。あの火球は攻撃を与えればずらせると!

 念の為背中に左手を隠して備えて、そうして跳び上がる。

 その先で、見えた。鮫島さんがこちらを見ているのを。トレイニングを維持したまま!

 そして彼は、何やらを更にこちらに投げようとしている。ここで僕は、火球に向かうのをやめて背中に隠していた左手を取り出した。

 

「やっぱり。でもね、攻撃の到達速度なら、僕だって負けやしない、《桜銀河》ァ!」

 

 桜色の光が伸び、鮫島さんを包む。そしてそのまま向きを変えて、今度は続けて近くにいた星野さんに向ける!

 それがかなったのと、僕が火球に呑まれたのは、ほぼ同時だった。

 

 シールドが燃える。火球を突き抜け、進む先の地面に叩きつけられる。そして、割れる。

 次の瞬間、僕はトレイニングが解けてリタイアしていた。

 いや、僕だけじゃない。制御を失った火球の進む先を見れば、動きの取れない北澤さん。

 火球が落ちる。そして、続けて火球と《ONE》が消えた。

 だけれど。《ONE》が消えたところで当然氷が消えるはずもなく。

 スコープを覗けば、絡みつくものを失った氷の弦が、まだそこで戦っていた4人のうち氷川さん以外で唯一トレイニングを維持して立っている佐倉さんに向きを変えている。

 

「《ソーゴサンド》」

 

 佐倉さんの2本の剣が、互い違いに挟み込み続けるようにその氷を圧し折った。

 それだけでは止まらない! そのまま彼女は氷川さんに向けて突っ込んでゆく。斬撃を放ちながら!

 

 だけど。

 

 氷川さんは、それで散る男ではない。

 ウェポンを失ってなお、氷川さんの冷気を操る力は失われていない。佐倉さんが彼むのシールドを割らんとしたとき、同時に氷柱が佐倉さんのシールドを貫いて、2人は相打ちとなった。彼は佐倉さんが近寄ってくるのを待ち構えていたのだ。

 ただ、佐倉さんも負けてはいなかった。彼女はここにきてその動きを早めた――つまり、それまでの動きは全てがブラフ。それを超える速度で斬撃を氷川さんに与えた。

 その結果は……相打ち。ほぼ同時に2人のシールドが割れた。この場において、厳密にどっちが早かっただとかを議論する意味はない。まだお互いのユニットに、トレイナーが残っている。

 

 最後に残ったのは、中泉さんと成岩さん。そちらにスコープを向ければ、2人は己のウェポンを振り回してぶつかり合いつづけている。

 だけど攻撃の速度的に、大きな回転運動を伴う成岩さんは徐々に不利だ。

 しばらくして――中泉さんの槍が、成岩さんを貫いた。

 

 ――口ほどにもないね。

 

 中泉さんは成岩さんのシールドを割ることができたと思っとのだろう。そう言うように口が動いた。

 

 だけど、中泉さんの攻撃は成岩さんには当たってはいなかった。次の瞬間、成岩さんのいたところにあったのは大きな松の盆栽。その枝に掛けられた笠からは掛け軸が転がり落ち、そこには4文字の漢字が書道されていた。

 

「《特別通過》だ」

 

 その文字を読み上げるかのような成岩さんの声と共に、何が起きたのかを理解できていない中泉さんのシールドをオオカリベが刈り取った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ後:結着

 ――ワァァアァ!

 

 最後に立っていたのは、成岩さんだった。そんな彼を歓声が包む。

 それに応えるかのように、成岩さんはオオカリベを高く掲げた。

 

 それが収まるとすぐ、観戦しにきたトレイナーはにわかに出場してゆき、トレイニングの解けた僕達9人と成岩さん、そして審判兼記録係のノリモンだけが残される。一癖も二癖もある人々やノリモンが集まっているこのJRNだけれど、こういうところは皆さん本当に律儀だ。

 残った全員がラッチコアに集まって審判から正式に結果が言い渡されると、成岩さんはすぐにラッチを開けに向かった。

 

「してやられたね。何だったの、あの変わり身の術は」

 

 そして中泉さんは成岩さんがいなくなるなりすぐに彼の話を始めた。教えてくれるかはともかく、まずは直接聞けばいいのに。

 

「知らんな」

 

 早乙女さんはそう答えた。

 実はこれ、適当にあしらっているわけでもなく、おそらくは本当に知らない可能性の方が高い。なぜなら早乙女さんは、新しく何らかの技を使えるようになったときにはいきなり模擬戦で用いるべきだ、という論理を展開する人だからだ。

 

「……え? 嘘だよね、貴方ウルサのリーダーでしょう?」

「どうして全員の使える技を事細かく把握する必要があるのか?」

「いや、いきなり味方が知らない技を使ったら困惑しない?」

 

 中泉さんは僕達に回答を促した。

 でもなぁ。

 

「しないが」

「しない」

「しませんね」

「しないよ」

「えぇ……」

 

 だって知らない技に困惑してばっかじゃ実際に現場に出たときに致命的なことになりかねないもの。そもそも、クィムガンが知っている技を使ってくるとは限らないのだから。

 これが、早乙女さんが提唱し、僕達に浸透している論理だ。

 

 そして、この論理が浸透しているからこそ、それで困惑が発生する場合には逆説的に余程大変なことだと実感できる。例えば、この前の《クンネナイ》の時の成岩さんのとかがそれだ。

 

「まぁ、確かにクィムガンはそうだし、ぼく達だって見ても困惑はしないよ。でも、それとこれとは話が別じゃないの」

「別ではないと考えているからこそのこの理論なのだが」

「えっじゃあ巻き込まれないようにとかは……?」

「そもそも巻き込みうる段階では()()使()()()()それを控えるべきであって、味方が何かをする必要など存在しない」

「諦めろ中泉、こいつは昔っからそういう奴だ」

「いや彼がそうでもユニットメンバーはそれで、それで……」

 

 彼は僕達3人の顔を見た。

 

「その顔は納得してるんだ……」

「そこまでだ、中泉。あまり他のユニットの事情に首を突っ込むべきじゃない。俺達を超えたユニットなら尚更だ」

「はーいよ。ちぇ、強さの秘密が分かると思ったのに」

 

 それからしばらく他愛もない話をしていると、急にラッチコアとエキステーションの間に光の壁が現れて。それが消えるとその外側には成岩さんが立っている。

 そして、その隣には。

 

「ご苦労であった。この種目の第一位はこのウルサ・ユニットに確定した。そして、これを以て今回の夏合宿の全種目の終了をここに宣言する」

 

 トシマさんが、そこには立っていた。

 


 

 夕食の席。今日は全てのプログラムが終了したこともあり、明日の予備日を挟んでもえ明後日に新小平に戻るだけだ。

 そこで早速、各ユニットに封筒が1つずつ渡される。シードの扱いとかで順次集計していたみたいだし、もう結果が出たのだろうか。

 

「開けるぞ」

 

 早乙女さんが封筒を開けると、その中に入っていたのは、明日の夜8時15分長崎発のeチケットお客様控えが5枚。どうやら帰りは普通に手配してくれていたらしい。

 ……あれ、これだけ? 結果は?

 僕だけでなく、他の4人も困惑して、お互いに顔を見合わせている。話を聞く限りでは、前にウルサが合宿に参加した時にはきちんとこの帰りの交通手段と同時に結果の通知があったとのことだった。

 そんな中で、成岩さんの表情が急にかわった。

 

「あー、思い出した。そういや去年アイツが言ってたな、結果発表自体は戻ってからになったって」

 

 、ここで全体に向けて詳細な順位を発表しないのは、過去にいろいろ面倒が発生したことがあったかららしい。

 まぁそれでも結果自体はすでに確定していて、それによって帰りの交通手段がかわる。これは、全員が同じ手段で移動すると仮に事故などが起きた際に取り返しのつかなくなる事態が予測されることへのリスクヘッジも兼ねられている。

 僕達に充てられた交通手段は羽田への直行便。到着こそ微妙な時間だけれど、過去の傾向的にはおそらく成績は良かったものと推測できる。

 

「あれ、この航空券。1番A、C、D、H、Kの座席番号って、間あいてません?」

「いや、ほらここ。普通席じゃないから番号は飛ぶよ?」

 

 北澤さんは航空券の一部分を指差して言った。同じ飛行機の中では番号を連続させるよりも通路や窓の接する番号を統一させておく方が何かと管理がしやすいらしい。

 それはともかく、上級クラスの座席が充てられているということは、それ相応の成績だったということなのだ。それは大変喜ばしいことだった。

 

「4人とも、よく頑張ってくれた。お疲れ様」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19レ:エピローグ(終)

『業務連絡です。客室乗務員はドアモードをオートマチックに変更し……』

 

 飛行機に乗り込んで、周りがようやく落ち着いたころ。出発の準備が済んで、そんな放送が流れる。

 そして飛行機は動き出した、のだけれど。

 

「ん、どうした山根、そんなそわそわして」

「いや、なんか逆に落ち着かないというか」

 

 その理由はこの座席。何故か僕達のいる5席だけ、後ろの席との間にカーテンレールはあるし色もクリーム色で異なる。なんなら2列目からは6列の席なのにここだけ5列しか席がないし。

 

「まぁこれ、席ならファーストクラスの席だしな」

「……え?」

「機内サービスが無えから1つ下のクラス扱いしてるだけだ」

 

 ひぇっ。わかってて本部は航空券を渡して来たのか? だとしたら、成績けっこう上……1番は当然あそこだとして、おそらくは2番目か3番目にはいるってことだろうなぁ。

 

「落ち着こうか、山根君。座ってしまえばただの椅子だよ」

「座り心地が妙にいいから混乱してるんですって」

「じきに慣れるだろう」

 

 通路の向こうから、真ん中の一人席に掛ける早乙女さんがそう声をかけてきた。

 

「北澤君を見てみなさい。彼女はもう落ち着いているよ」

「いやだって……」

 

 北澤さんはいいところのお嬢様だし。

 そう言おうとして、口を噤んだ。

 そういえばまだ北澤さんの本性は早乙女さんには知られていないんだった。いつまで隠し通そうとしてるのかは彼女のみぞ知る。

 

「君にも慣れてもらわなくては困るよ。ここまで上の順位に入ったんだ。新小平に戻っても、以前とは地位的に異なる扱いをされるだろう――特に本部からはな」

「えぇっ? 聞いてないですよ」

「私も言っていないが、当然だろう? ……と、離陸だ。話はまた安定した後でな」

 

 その瞬間、飛行機は急に加速し始めて、僕の体は座席に打ち付けられる。

 少しして、ふわり。体全体が飛行機ごと持ち上げられて、飛行機はぐんぐんと高度を上げていった。

 そして、暫くすると。

 

 ポーン。

 ベルト着用サインが消えて、飛行機は水平飛行に入ったようだった。

 

「どうだ、今の離陸でだいぶ座席も体に馴染んだだろう?」

「言われてみれば確かにそう、ですけど……」

「それでいい」

 

 それから機長さんやこの飛行機のノリモンからの挨拶があった後に、客室乗務員さんが飲み物を持ってきてくれた。僕は特製のフルーツジュース、成岩さんはコンソメスープ、早乙女さんは野菜ジュースを選んだ。

 それを飲み干した頃には、確かに座席や空気に対する違和感は消え去っていた。

 

「さて、戻ったら忙しくなるぞ」

「忙しくはならねえだろ。ただめんどくせえ仕事が増えるだけだ」

「それを忙しくなると言うのだよ。……知らないだろう2人に行っておくと、これからおそらくウルサは本部の思いつきによって振り回される事が多くなる」

「断れないんですかそれ」

「3割くらいならできるだろうが、あまりに断りすぎると本部から怒られるぞ? なに、その分手当だって多く出る」

 

 そうは言われても。

 僕はお金が欲しくてJRNに入ったわけじゃないんだけどなぁ。

 

「できれば面倒な仕事をする時間は鍛練にあてたいですね……」

 

 そうぼやくと、今度は隣の席に座る成岩さんから言葉が戻ってきた。

 

「お前は既に十分強いぞ、それは自覚して誇っていい」

「わかってますけど、それって鍛練しなくていい理由にはならないですよね」

「まぁそうだが」

 

 僕は日本一のトレイナーにならなくちゃいけないのだ。昔にコロマさんと交わした約束のために。

 今回の夏合宿は、間違いなくその方向へと進む大きな力になった。だからこそ、参加して良かったとは思う。

 だけど、その結果として今後の鍛練の時間が削れるのなら……。

 

「もしかしてお前、まさかとは思うが。参加しなければ良かった、とか考えてるんじゃないだろうな?」

「……ノーコメントで」

「顔に出てる。一応言っておくが、面倒な仕事っつってもそれやったら通常の業務がかわりに一部免除されるらしいから安心していいぞ」

「誰から聞いたんですかそれ」

「松代」

 

 なら信憑性は高いか。面倒な仕事を引き受けてそうな筆頭ユニットの本人だし。

 

「だいたいよ、強いユニットに仕事振ったところでそいつらに適切な時間的余裕を降っておかなきゃただ使い潰すだけだぞ。そんなことをあのトシマ号が許すと思うか? お前らロケットのトシマ号が」

「……確かに、それはなさそうですね」

「だろ?」

 

 トシマさんは持続可能性を何より重視しているから、持続できないシステムを許して放置するかと言われれば、間違いなく否だ。

 そう考えると、僕は少し考えすぎていたのかもしれない。

 

 そんな話をしながら、僕達の東京への帰路は過ぎていった。

 全てのユニットが新小平に戻ってくる明々後日までは、僕達は待機という名の実質的な休みだ。そこで合宿で少し無茶した疲れを抜いて、また日常の業務に戻ろう。

 

 そんなことを考えながら雑談をしていれば、飛行機はいつの間にか東京国際空港羽田に向けて降下を始めていたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キャラクター紹介:2章終了時点

【ウルサ・ユニット】

 

山根(やまね) 真也(まや)

誕生日:10月14日

出身地:山口県

所 属:ロケット/JRNウルサ

キール:クシー

 

 主人公。新人ではあるが、もはや半人前どころか0.9人前程度の実力はあると認知されている。

 合宿中、ライスシャワァとの謙遜により祝福を得たが、本人は全く覚えていないようだ。しかし、それによりポラリスの技を強く引き出すことができるようになった。

 

成岩(ならわ) 富貴(ふうき)

・誕生日:2月22日

・出身地:愛知県

・所 属:ノーヴル/JRNウルサ

・キール:イノベイテック

 

 ウルサ・ユニットに所属する中堅トレイナー。

 年こそ離れているが、山根は初めての彼の直接の同性の後輩なので大切に思っている。

 

 

早乙女(さおとめ) 遊馬(ゆうま)

・誕生日:4月4日

・出身地:福岡県

・所 属:バランス/JRNウルサ

・キール:コクサイ

 

 長年にわたりウルサ・ユニットに所属するベテラントレイナー。

 だが最近の勢いのある若手を見て、自らの衰えを感じるようになり始めたという。

 

 

北澤(きたざわ) 百合(ゆり)

・誕生日:6月25日

・出身地:東京都

・所 属:パレイユ/JRNウルサ

・キール:オトメ

 

 山根とはスクール時代の同期のトレイナー。合宿中も、彼に強く刺激されてかなりの成長がみられている。

 

 

佐倉(さくら) (そら)

・誕生日:6月22日

・出身地:神奈川県

・所 属:サイクロ/JRNウルサ

・キール:ナリタスカイ

 

 無口な中堅トレイナー。

 既にその動きはかなり洗練されており、もはや修行の意味はあまり無いが、その分逆に後輩の調子を見抜く眼がだんだんと養われてきているらしい。

 

 

【ドラコ・ユニット】

氷川(ひかわ) 日枝(ひえ)

・誕生日:9月20日

・出身地:北海道

・所 属:ロケット/JRNドラコ

・キール:ソヤマ

 

 ドラコ・ユニットのリーダーにして、JRN食堂部の中枢にいるベテランのトレイナー。

 早乙女とは古くからのライバル関係にある。

 

 

中泉(なかいずみ) 良平(りょうへい)

・誕生日:4月3日

・出身地:埼玉県

・所 属:パレイユ/JRNドラコ

・キール:シンカエコー

 

 ドラコ・ユニットではサブリーダーを努め、次のリーダーの有力候補のトレイナー。

 人を見る目が非常に優れており、ドラコの予備メンバーの選抜試験では面接担当をつとめる。

 もちろんその興味は既に他のユニットに入っているトレイナーにも及び、どうやら山根に興味があるようだ。

 

 

松代(まつだい) 美佐(みさ)

・誕生日:3月22日

・出身地:新潟県

・所 属:ノーヴル/JRNドラコ

・キール:メカマセンゾク

 

 ドラコの紅一点。

 気がついたときにはそこにいないし、気がついたときにはそこにいる。その秘訣は鍛えられた彼女の脚にある。

 

 

鮫島(さめじま) (じょう)

・誕生日:11月27日

・出身地:宮城県

・所 属:サイクロ/JRNドラコ

・キール:ダイダルウェイブ

 

 トランジット・トレイニングに長けた波を操るトレイナー。

 あらゆるものから戦術を思いつく天才で、そのインプットのために休日はよく府中や立川の映画館に出没する。

 

 

星野(ほしの) 貴大(たかひろ)

・誕生日:8月23日

・出身地:茨城県

・所 属:バランス/JRNドラコ

・キール:ベテルギウス

 

 JRNのなかで最も一瞬での一撃の重い技、《ベテルギウス・ファイナルキャノン》を操るトレイナー。

 趣味はどこか遠くをぼーっとながめること。

 

 

【その他JRN関係者】

ポーラーエクリプス

・愛 称:ポラリス

・誕生日:9月26日

・出身地:兵庫県

・所 属:ノーヴル/JRN

 

 元気いっぱい、まだ幼いノリモン。走るのが大好き。

 山根が口を滑らせたことによりエターナルに見つかり、レースに出させられることになったが、本人はそれを楽しみにしている。

 

 

Advanced Passenger

・愛 称:アドパス

・誕生日:6月7日

・出身地:Derbyshire州

・所 属:ノーヴル/JRN/BRRD

 

 かつてイギリスのレールレース界でクラシック6冠を達成し、今なお2つのレースレコードを保持し続ける伝説のノリモン。エターナルとの再戦の約束をとりつけられた。

 

 

トシマ

・誕生日:10月28日

・出身地:長崎県

・所 属:ロケット/JRN

 

 現在のJRN理事長。

 乙女ノ鼻にて不思議なノリモンと遭遇し、彼女を警戒対象に入れたが、どうやら間に合っていなかったようだ。

 

 

鳥満(とりまん) 絢太(けんた)

・誕生日:7月7日

・出身地:長野県

・キール:ゲッコウリヂル

・所 属:サイクロ/JRN

 

 JRNで長い間ノリモンの研究をしている博士。

 長崎市街でのSバーストからの帰還を経た山根に対し、研究対象として大きな感情を抱いている。

 それと同時に、何か大きなことに気がついているようだが……。

 

 

程久保(ほどくぼ) 是政(これまさ)

・誕生日:10月4日

・出身地:東京都

・キール:ハツカリ

・所 属:サイクロ/JRN

 

 山根や北澤とはスクール時代からの付き合いがある生物オタクのトレイナー。

 山根の異常性にはいち早く気づいており、研究対象としても友人としても永い付き合いを保ちたいと考えている。

 しかし、現在はある事情により顔をあわせてはいないようだ。

 

 

【JRNの外部の者】

ライスシャワァ

・出身地:兵庫県

・誕生日:11月2日

・所 属:サイクロ/シエロエステヤード

 

 全てのノリモンの幸福を願い、JRNとは別で行動しているノリモン。

 トシマとの謙遜を果たした後、長崎市街にいたノリモンと、そのノリモンを討伐した山根に続けて『祝福』を与え、本拠地へと戻っていった。

 

 

ヒカリエターナル

・出身池:兵庫県

・誕生日:3月日

・所 属:ノーヴル/帝国(セントラル)

 

 黎明期の日本レールレース界のヒーローにして、浜松の帝王(キング)の異名を持つ。

 現在もなお後輩のために活躍し続けるノリモンで、数多くの素質あるノリモンをレールレース界へと誘いつづけている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3章:日常篇
第3章予告編


「おーっす! 久しぶりじゃねぇか、元気してた?」

「ははは、変わってないね、キミは……って」

「なんで一番元気そうな声を上げてる綾部が一番元気そうじゃない見た目してるの……」

 

 ――かつての友との再会。

 

 

「さぁ、みんなまた集まったんだし、リニューアルオープンセールの始まりだァァァ!」

「落ち着いて、店長。まだオープンは半月先だって」

「……ったく。懐かしいなこの感覚。店長といると本っ当に疲れる、だけどそれがいい」

 

 ――古巣への帰還。

 

 

「確認してきたわ。でも、わからないことだらけ。なにしろ彼の曽祖母、並びに祖父。その1人ずつは、共に出生届に母親の記載がなかった」

「そんなことが、ありうるというのか?」

「片や戦時中、片や戦後の混乱期――ありえない話じゃないわ」

 

 ――明かされゆく真実。

 

 

『振り返ってみましょう、先頭はアオキジェット、2チェーン離れてスカーレットセイロン、つづけてナリタエクスプレスとノーザンフィールド、その1チェーン後ろにアマチュア枠からデンエントシリンカン、競り合うようにデンエントシスズカケが続いている、ここまで先頭集団』

「まだ仕掛けない。『【帝国(セントラル)】の走りは、エンターテインメントでなければならない』から!」

 

 ――煌めきの駆け出し。

 

 

「さぁさぁ、まもなく開場です、皆様準備はよろしいでしょうか?」

「はい」「おう!」「Affirm」

「それでは……今年も始まります、JRN一般公開、小川祭、只今開場いたします!」

 

 ――年に一度の催し物。

 

 

「時は満ちた。プロジェクト・ココマは最終段階へと駒を進める」

「確認。準備はできています」

「リロンチなどには頼らずとも、クィムガンを元に戻せる。それを、証明してみせようじゃないか」

 

 ――動き出した計画。

 

 

「へぇ、JRNは動き出したみたいだね」

「妾共も動きましょうか」

「うーん、まだ時期尚早じゃないかな。彼らが動き出したとはいえ、それが終わるまでには時間がかかる。ならば最高のタイミングで突入したくない?」

 

 ――そして、蠢く陰謀。

 

 

「俺は……奴を知っている。確かにだ」

「えぇっ! どういうことだい、ブライト」

「間違いない、彼女は……かつて車だった頃に、俺と同じ線路を走ったノリモンだ」

 

 ――すれ違う者達。

 そして。

 

「強すぎる! これが、はじまりのクィムガン、ルースの落し子……!」

「冗談じゃねえ。トシマ号はこいつを本当に単独で制したっていうのか?」

 

 迫る、脅威。

 

 ノリモントレイナー:輸送の生命

     第3章:日常篇



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ前:男子三日会わざれば刮目して見よ

 男子三日会わざれば刮目して見よ。そんな言葉がある。

 スクールに所属していたあの別れの日。友人の綾部が唐突にこんなことを宣った。

 

「『男子三日会わざれば刮目して見よ』って言うじゃん? ならさ、500日くらいこの3人で連絡絶ってみようぜ!」

 

 共に過ごしたスクールの日々はわずかに1000日強。今思えば、狂気の沙汰としか思えないような提案。

 だけど僕達はその提案に乗った。そして連絡先をお互いに全て削除し、翌日揃ってJRNに入った後はそれぞれの道へと進むことになった。

 

 僕はロケット。程久保はサイクロ。綾部はノーヴルへと。

 

 そして、その日から500日が経った今日。

 僕はまだ日の出る前の午前3時から、約束の地へと走り出す。

 新府中街道を南へ。関戸橋を超え、多摩市に入る。約束の場所はもうすぐそこだ。

 

 東京都多摩市連光寺。都立桜ヶ丘公園、ゆうひの丘。北側に開けたこの丘は、多摩川右岸でも有数の眺望スポットだ。

 僕がそこにたどり着いたとき、そこには待っている人がいた。

 

「500日ぶりだね」

「久しぶり、程久保」

 

 彼は程久保。生物に明るく、そして3人の中でここ桜ヶ丘公園によく訪れる友人だ。

 僕達3人はスクールの頃はよく行動を共にしていたけれど、皆それぞれお気に入りの公園が違っていた。僕は稲城の稲城北緑地公園、程久保は多摩の桜ヶ丘公園、そして綾部は府中の武蔵野公園。それぞれ5km弱離れた公園だ。

 だから3人で集まる時はそのどこか1つに集合して、逆にそうでないとき――この500日間もそうだ――はお互いそれぞれの公園で特訓を重ねていたのだ。

 

「変わらず元気そうで何より」

「そういう君もね。いくつかのルートから、君の活躍はわざわざ張っていなくても流れ聞こえているよ」

「えっそうなの……」

 

 なんかそれはそれで恥ずかしいというかこそばゆいというか。一方的に情報はそっちにわたってるのか。

 

「で、言い出しっぺは一緒じゃないのかい」

「一緒なわけないでしょうが。僕とアイツとも連絡絶ってるんだからね?」

「そうだったね」

 

 そもそも、約束の時間は夜明けの時刻だ。なぜ夏場なのにこの時刻にしてしまったのか、500日前の僕達を殴りたくなってくる設定だ。しかも連絡手段を全て滅ぼしてしまったのでリスケジュールもできなかった訳で。

 それから3つ並んだうちの真ん中のベンチに掛けると、少しずつ空が白み始めて。

 そして。

 

「待たせたな、お二人さーん!」

 

 その懐かしい莫迦の声が東側から近づいてきた。

 僕達は立ち上がり、彼を出迎える。そして彼のその姿に、僕は驚きを隠せなかった。

 

「おーっす! 久しぶりじゃねぇか、元気してた?」

「ははは、変わってないね、キミは……って」

「なんで一番元気そうな声を上げてる綾部が一番元気そうじゃない見た目してるの……」

 

 やってきた綾部は、車椅子を転がしてゆうひの丘に現れたのだった。

 

「いや、キミどうしたのさ。その足は。骨折かい?」

「いんや、腱炎。去年の暮れかな? 訓練中にドジッちゃってよー。今はリハビリ中でさ、もう普通に立ったり歩いたりはできっけど、念を入れて車椅子生活よ」

「お、お大事に……」

 

 社交辞令的にそうは伝えたけれど。見る限り綾部の顔に陰りはなく、この車椅子生活をエンジョイしているようだった。さっきの車椅子捌きだって、そりゃ見事なものだったしね。

 

「念のため聞いておくよ。どの腱をやっちゃったのさ」

 

 ……あ。こりゃ程久保の生物オタクのスイッチが入った奴だ。止めようかとも思ったけど、怪我まわりについてはかなりためになるし放っておこう。いつ僕が同じ怪我をするかもわからないからね。

 

「ん、アキレス腱炎」

「オーソドックスだね」

「と、長母趾屈筋腱炎に長趾屈筋腱炎」

「……うん?」

「それと、長母趾伸筋腱炎と長趾伸筋腱炎」

「ちょっと待とうか」

「それに長腓骨筋腱炎と短腓骨筋腱炎、あと後腓骨筋腱炎、ぜんぶ両足ともな!」

「主要な足の腱が全滅してるじゃないか。何したらそうなるのさ!」

「いやーちょっと走りすぎた」

「それちょっとじゃないよね絶対? しかも全部同時って、君は天才なのか莫迦なのかどっちなんだい」

 

 そう言うと程久保は車椅子の上の綾部に掴みかかった。……って。危ない!

 流石にこれは止めに入った。

 

「落ち着いて、落ち着いて程久保。綾部は一応怪我人だ」

「そうだぞ」

 

 すると彼は少しだけむっとした後、ベンチに掛ける。

 

「……はぁ。まぁいいよ、この程久保の足じゃない。その足はキミの物だ」

「いや、骨は一度折れて治った方が強いって言うじゃん?」

「それ繊維細胞には通用しないって知ってる? ともかく、再発には気をつけなよ?」

「はいよ」

 

 それから再び連絡先を交換してから、お互いに近況報告をしていると、少しして朝日が建物に当たるのが見えた。

 

「いやー、やっぱ綺麗だな、このゆうひの丘から見る朝日は!」

「約束があったから僕達ここには来てなかったもんね」

「……律儀な。この500日、こんな朝早くにはここに来ていないよ」

「ええっ! 勿体ない」

「だいたいここはゆうひの丘だよ? 似た景色は夕方のほうが好きだね」

「はぁ? つまんねー奴だな」

「つまらん奴で結構。君みたいな奇人と一緒にしないでくれ」

「何だと!」

 

 ……なんだか懐かしいな、この感覚。今のウルサとかの居心地が悪いわけではない……どころかかなり良いけれど、肩の力が抜けるのはだんぜんこっちの関係の方だ。

 それからしばらく話したあと、またの再会を誓ってから僕達は桜ヶ丘公園を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ中:帰省

 2人と別れた後。僕はその足で南多摩への抜けて、電車を乗り継いで新横浜駅のホームに立っていた。

 ホームに滑り込んできた白い車体。乙女の祈りが扉を開き、その電車に乗り込んだ。新横浜から一度小倉まで出てから下関に戻る形なので、かなりの長丁場だ。

 

「5番E、5番E席、と……。あ、すみません」

 

 夏の帰省シーズンなので指定席も満席御礼だ。自分の席を探すと、その隣の通路側には既に東京か品川から乗っていたであろう、帽子を被った方が座っていた。網棚に荷物を入れて一声かけてから、一度出していた机をしまってもらって奥に座る。

 

「こんなにいっぱい走ってるのに、満員なんて」

 

 隣の方が可愛らしい声でそう呟いた。

 

「夏の帰省シーズンですからね」

「話には聞いていたけれど、日本に来るのは初めてで」

 

 彼女は物珍しそうな顔で通路に顔を出し、あたりを見回している。

 駅弁を食べながら帰省先での楽しい予定に思いを馳せる家族連れ。既にアルコールの缶を開け、一杯やっている若い夫婦。車内販売の硬いアイスクリームに苦戦している学生。その全てを、興味深そうに見つめている。もしかして、外国の方だろうか。日本語がアドパスさん以上に流暢だったからそうは感じなかったけど。聞いてみるか。

 

「……失礼、どちらからいらしたんです?」

「イギリス。イングランドの北の方、ダーリントンのちょっと北の、ニュートン・エイクリフって街からね」

「イギリスですか。僕は行ったことはないですね、知り合いなら向こうにいますが」

 

 なんか妙にイギリスとは縁があるなぁ。鉄道が生まれた国でもあるし、一度行ってみたいような気持ちもある。

 

「どの街?」

「確か、ダービーって言ったかな。ついこの間から他の知り合い連れて一時帰国中なんですよ」

「あぁ! ミッドランドの。あの、もしかしてなのだけれど。その方ってもしかして、イノベイテック号だったり……?」

「……ご存じなのですか」

 

 いや、あれだけ暴れりゃ話題にはなるか。そう思って話をよくよく聞いてみれば、どうも今向こうでは一番ホットな日本のノリモンが彼なのだとか。

 え、本国ゆえのレールレースの人気ぶりもあるのだろうけれど、そこまで行ってるのか。大変そう……。

 

 それから僕達は世間話や日本やイギリスの文化の話を長くしていた。こういう偶然の出会いで長話が始まるのも、長距離列車の醍醐味のひとつなのだろう。これもなにかの縁と、お互いの端末でパシャリと写真を撮った。

 列車は名古屋を過ぎ、新大阪を過ぎて西へと向かう。新横浜を出た時には満席だったこの列車も、このあたりに入るとぽつぽつと空席がみられるようになってきた。隣の方が降りるのはまだまだ先のようで、どうもお互いに長い旅路である。

 

「でも、久々に父親に会えるので、そう思うと長い旅路でも大丈夫かなって思えるんです」

「そういうものなのね。……あれ、お父様だけ? お母様は」

「母は、僕が幼いうちに他界してしまったので。あまり記憶にも残ってないんです」

「あら……ごめんなさい」

 

 なので母の記憶はあまり残っていない。

 代わりと言ってはなんだけど、それから父は男手1つで僕を15まで育ててくれた。それ以降は全寮制のスクールに通うことになったけど、毎月仕送りも少なくない額してくれていたので、本当に感謝してもしきれない。

 

「そういう貴女にもご家族がいらっしゃるんでしょう?」

「似たようなものよ。両親はとうにこの世にはいないし、一人っ子だからきょうだいもいない。日本に来たのも、たまたま知り合いに呼ばれただけ。……これでお互い様ね」

 

 そう言葉を交わしてから、少し気まずくなって、会話はめっきりと減ってしまった。その方は僕の降りる1つ手前の停車駅、徳山で降りていった。

 それから少しして、僕も網棚から荷物を取り出して小倉駅のホームに降り立った。ホームで少しストレッチをして乗り換え改札を通り、かしわうどんを啜ってから下関行きの電車に乗りこむ。

 電車が動き出して、2駅。そこからさらに響灘を眺める汽車に乗り換えて40分ほど揺られると、汽車は終点の小串という駅に辿りついたのだった。

 

 改札を出て、辺りを見回す。

 ――いた。

 

「お帰り、真也。大きくなったな」

「ただいま、父さん。そっちも元気そうで」

 

 それから父さんの車に乗り込んで、僕は実家へと帰りついたのだった。

 


 

「長旅ご苦労様でした」

「いいや、いいの。この次元に受肉したのも久しぶりだし、こうやって進歩した乗り物に乗ってるのってたのしいからね」

 

 Cyclopedが徳山で降りた2日後。彼女の用事が済んで下松駅に戻ったところで、スタァインザラブは予定通り彼女を出迎えた。

 

「思いもしなかったな。まさかCycloped様がこの次元に直接来ていただなんて」

「言ったよね? 時が来れば必ず戻ってみせるって」

「そんな半世紀以上も前のことを今更言われても困るよ。そもそもCycloped様が成ってからまだ2世紀も経ってないのに」

「うぐ。仕方ないじゃん、他のいくつかの次元の面倒も見たりで忙しかったんだから。……でも、それらの次元で成功した術がある」

「おぉ、それはそれは」

 

 彼女達は、そんな話をしながらやってきた電車に吸い込まれていったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ後:原点

 帰省しての数日間は、久々にのんびりと実家で羽を伸ばすことができた。

 最近の仕事の話――もちろん、機密情報は伏せて――をしたり、久しぶりに二人っきりでドライブに行ったり、昔よく連れて行ってもらったお店でご飯を食べたり。

 そしてもう一つ、重要なこと。

 

「舞音。今年は真也も戻ってきてくれたぞ」

 

 お父さんはその御影石にそう呼びかけた。

 そして一緒に柄杓で水をかけ、スポンジでその直方体を磨き上げる。その石に刻まれた名前、そして10年以上も前の日付には、かすかに土埃が溜まっていた。

 その汚れを、やさしく拭き取り、そして水で流す。時計の長い針が半周もする頃には、その表面は鏡のような輝きを取り戻した。

 

 それは、お母さんのお墓。あまりにも幼い頃の話だったのでよく覚えていないし、その時のことをお父さんはあまり話したがらないのでほとんど情報を持っていないのだけれど、僕を生んでくれた大切な肉親なのは確かなのだ。

 花束を生け、線香を焚きあげる。そして窪みに水を注げば、お父さんがかつてお母さんが好きだったというおまんじゅうを供えた。

 

「真也。父さんな、お前にそろそろ話しておこうと思うんだ」

 

 帰りの車の中で、不意にお父さんはそう口を開いた。

 

「そろそろって、何を?」

「舞音……お前の母さんの、最期の話だ」

 

 舞音はな――

 

 重々しくも、はっきりとお父さんはそう言った。

 

「そう、だったんだ。お母さんは……」

「だからこそ、あの日お前がトレイナーになりたいと言い出した時。俺は複雑な気持ちだったさ。嬉しいとも思ったし、その一方で行かないでくれとも思った」

「でも、結局は後押ししてくれた」

「あぁ。お前が俺や舞音みたいな不幸な者を生み出さぬ力になるというのなら、俺にはそれを止められなかったんだよ。だからこそ、このことはお前が正式にトレイナーとして働き出すか、あるいはその夢を諦めるか。その時まで、秘密にしておこうと思ったのさ」

 

 そう言うお父さんの表情を、僕は窺うことができなかった。それからしばらくはエンジンの音だけが車内に響いていた。

 以前から、僕がトレイナーになるということに対して、お父さんは素直には応援できていないというのは薄っすらと感じてはいた。だけど今日、その原因を初めてお父さんの口から聞いて、理由を痛いほどに理解できてしまった。隠し通していたのも、お父さんなりの配慮の形だったのだろう。

 家に着こうかというその時。もう一度、お父さんが口を開いた。

 

「なぁ真也。一つだけ、父さんのわがままを聞いてくれるか」

「何?」

「俺はな、もう家族を失いたくはない。だから……10年後も、20年後も、俺が生きている限りは、お前はどこかで頑張っていてほしい。わざわざ顔を見せに戻って来なくたっていい、お前が生きているってことだけが俺にとって大事なんだ」

 

 その声は、僅かに震えていた。

 

「わかった。僕、頑張るから。約束する」

「約束だぞ。お前の人生だ、精いっぱい頑張れ」

 

 その夕方。僕はふと気になって、山に入ってあの場所を目指した。運命的な出会いをした、あの場所へ。

 辿りついたその場所は、記憶にあった風景と何一つ変わっていなかった。

 

「懐かしいな。確かあの時はこのあたりにコロマさんがいて……」

 

 もちろんその人影は今はない。だけれど、トレイナーを目指した原点は、間違いなくこの場所にあるのだ。

 崖の岩に寄りかかって、夕日を眺める。いつまでも変わらない、美しい夕日だ。

 

 そう、昔を懐かしんでいたとき。

 左手の触れる岩肌に、何か不自然な凹みがあるのに気がついた。

 

「なんだコレ……文字だ、『真実の星夜』?」

 

 その彫り跡はまだ土埃もほとんど溜まっていないほど新しい。最近誰かがここに来たのだろうか。

 よく見てみようとしゃがみ込むと、コツン。かかとが何かを踏んだ。

 そこを掘り返してみれば、円筒形のガラス瓶が土に埋まっていた。中には便箋が入っている。

 もしかして。開けて取り出せば予想通り。僕に宛てられた手紙だ。

 

『真也君へ

 久々にここに立ち寄ることができたので、手紙を残して置こうと思う。

 ボク達の計画もだいぶ進んでいて、遅くとも再来年の11月には全てが終わると思う。

 そうなったら、ボクはまた、アナタを見つけにいくよ。

 今、アナタが何をしているのかはわからない。約束通り、トレイナーになって企業や組織、あるいは個人として既に活動しているかもしれないし、まだそのための勉強を続けている最中かもしれないね。もしかしたら、夢を諦めかけているかもしれない。

 でも、諦めちゃっても大丈夫。アナタに日本一のトレイナーになれる素質があることは、ボクが一番わかっているから。ボクと一緒に、夢をやり直そう。

 そして、トレイナーになっているのなら、アナタは間違いなく優秀なトレイナーになっていることかと思う。そうなっていたら、きっとボク達は最高のパートナーになれると思うよ

 

 コロマより』

「ここに、来てたんだ。日付は……今年の頭か」

 

 僕はその便箋を懐にしまい、山を降りた。

 

「お帰り真也。どこ行ってたんだ?」

「ちょっと昔を懐かしみに、散歩にね」

「そっか。明日もう東京に戻るんだもんな」

 

 翌日、お父さんに宇部の空港まで送ってもらい、僕の帰省は終わったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ前:ロリコン?

 帰省を終え、新小平に戻った僕は、翌日からいつも通りにユニットの活動に参加するため、ユニット部室に向かっていた。

 

「あ、真也! おはよう!」

「おはよう、ポラリ……ス?」

 

 部室の扉を開けて中に入ると、真っ先にポラリスが僕を出迎えた。

 なんで? どうしてここにポラリスがいるんだ。

 そう困惑していると、奥から聞きつけたのだろう、成岩さん(事情を知っていそうな人)が出てきた。とりあえず、話を聞いておこう……。

 

「あぁお帰り、山根。のんびりできたか?」

「のんびりできたかじゃないですが。なんでポラリスがここにいるんですか」

「なんでって……俺が連れてきたからだが?」

 

 そういうことを聞いてるんじゃない。というか、そこに関しては疑いようがないし、逆にそうじゃないほうが怖い。

 詳しく話を聞いてみれば、成岩さんがコダマさんからポラリスを引き取った後は彼が面倒を見ていたのだが、流石にユニット活動中に目を離すのもだめだろうということで僕の帰省中に早乙女さんに頼み込んだらあっさりと許可されてしまったのだとか。

 ちなみに、ポラリスはすでに他の3人とも打ち解けているらしい。

 

「だいたいユニット活動中は俺もお前もユニットにいるだろ、その間誰がポラリス見てるんだ」

「それこそ合宿中と同じようにコダマさんに」

「コダマ号だってそんな暇じゃねえ。アレはベーテクの莫迦が合宿にポラリスを連れていける手続きのできる間に言い出さなかったがゆえの一時的な例外だ。原則はベーテク(あの莫迦)のパートナーの俺が奴に変わってずっと面倒を見ておくのが当然だろ?」

「なるほど」

 

 確かにコダマさん、自分から仕事増やしまくった結果めちゃくちゃ忙しくなってるって評されていたな。

 それに、口ではそう愚痴をこぼしている成岩さんも、反面その顔は穏やかだし声色も軽い。彼自身も納得は既にしているし、恐らくはそこまで嫌なわけではないのだろう。

 でもユニットの活動中はポラリスの監視できるかって言うとそれも怪くないか? たとえば全員でラチ内入ってる時……はポラリスも入れてしまえばいいのか。後は……うん、だいたい僕か成岩さんのどっちかは隣にいられるな。

 

「ならば、まぁいいのか、な? 早乙女さんの許可も得られてるようだし……」

「考え無しでこんなことしてるわけじゃねえよ。いろいろ考えて俺もお前もいるここに連れてくるのがとりうる最善だと至っただけだ」

 

 ちなみにもう既にだいぶポラリスも馴染んできたらしい。

 本当か? と疑問に抱いているその時、タイミングよく北澤さんが出勤してきた。

 

「あ、おはようポラリスちゃん」

「おっはよー!」

「いや本当にもう馴染んでるんだ……」

「あ、山根君も戻ってきてたんだね。……ちょっといい?」

 

 北澤さんは鞄を置くなり、すぐさま僕の近くに寄ってきた。

 

「ん? 何か変なことでも」

「もしかして……山根君って、ロリコンなの?」

「はい?」

「ぶっ」

 

 北澤さんは真剣な表情でそう突拍子もないことを問うてきた。

 おいそこ、笑うんじゃない。

 

「いやさ、クシー号だってそうだし、ポラリスちゃんもそうじゃん?」

「……言いたいことは分かりたくはないですが把握しました。完全に、誤解です」

 

 助けて。そう腹を抱えて笑っている成岩さんにアイコンタクトをとるも、彼は動かない。

 

「誤解って……。流石にこんな小さな子にトレイニング迫ってるのに言い訳するつもりなの? アンタ尊厳ってものはないわけ?」

「いやトレイニング迫ってきたのはむしろポラリスの方なんですが」

 

 あの状況を放置していたら僕はたぶん死んでいたんじゃないかな? 命と尊厳だったら命の方が大事だよ!

 ってか僕が狙われてるって話はその時に……いや、その余裕すらなくてたまたま部室にいた佐倉さんにしか助けを求めてはなかったかあの時は。

 しかもポラリスがその状況に至った理由だって佐倉さんから直接聞いただけ。下手すると、その前提知識自体を北澤さんが持っていない可能性だってある。しかもそれをここで僕の口から言った所で言い訳としか取られない気がする。

 

 ……あれ、これ。詰んでない?

 そう思ったとき、まだこらえきれぬ笑いの中で声をあげた人が1人。

 

「……くくっ、そこまでにしとけ、北澤。だいたい全部知ってる俺から言わせてもらえば山根の言うことは事実だ。……ぷぷっ」

「そうなの?」

「あぁ。……ひっ、……おいポラリス、お前からも……ぷふっ……山根とトレイニングする前の話をしてやれ」

 

 うん、援護してくれるのは嬉しいけどとりあえず笑うのやめませんか? これそんなに面白い?

 成岩さんはそのまま震えている手でポラリスの肩を掴んで、そして僕達の所に連れてきた。

 

「えーヤダ。恥ずかしいよー」

 

 こら。こっちもこっちでそういう誤解されるようなことを言うんじゃない。

 そのせいか北澤さんの顔はさらにかたくなってしまっている。何を考えているのやら。

 

「山根君?」

「あのね、そもそもポラリスは人型してるって言ってもノリモンですからね? 北澤さんが想像してるようなことは起こり得ません」

「世の中にはお人形で興奮を覚えるような方達がいらっしゃると聞いていますわ」

「素が出てるから、まずは落ち着いて」

「これが! 落ち着いていられる訳! ないじゃありませんの!」

 

 誰か助けて。特にそこでまたゲラゲラ爆笑してる人とか!

 そう心の中で叫んでいたその時。

 

「何してんの。朝から」

 

 事情を知っていて説明してくれそうな救世主が、部室にやってきたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ中:同調

「佐倉さん、ちょっと北澤さんの誤解を解くの手伝ってくださいよ、そこで大笑いしてる人全く役に立たなくて」

「まず、どういう状況?」

 

 佐倉さんはそう言いながらも僕と北澤さんとの間に割って入って、強制的に距離を取らせた。

 

「彼が恥ずかしくて言いたくもないようなことをポラリスちゃんにしたと聞いて、詰めているところですわ」

「だから誤解だって言ってるでしょ、そもそも僕はどちらかといえば被害者側なんだってば」

「じゃあどうしてポラリスちゃんは恥ずかしがるんですの?」

「恥ず……なるほど、理解した。なんの話をしてるのか。まず結論から言う、山根は悪くない。恥ずかしがってるのは、ポラリスの若さ故の過ちだから」

 

 佐倉さんはそう言うとポラリスを抱き上げて膝の上に乗せ、長机の椅子にかけた。その隣にはようやく笑いを抑えられた様子の成岩さんが座り、僕達2人に続くよう促す。

 

「ポラリスがこんなんだから俺がかわりに言おう」

「やめて!」

「悪いなポラリス、言わなきゃこの場はおさまらん。それに、だ。ここにいてあの事を知らねえのは北澤だけ、その北澤もお前の事を案じて怒るような奴だ、理解はしてくれる」

「そうかな……そうかも……?」

 

 ポラリスは両の手で自分の頭を指さしながら目を回している。

 それで言いくるめられるんだったらなんでさっきそれをしてくれなかったのさ。

 

「で、結局なにがあったわけ?」

「簡単に言えばポラリスが山根につきまとい行為をしてたってだけだ」

 

 つきまとい……うん、簡単に言えばそうか。流石にJRNの外ではベーテクさんの監視があったのかそういうことはしてこなかったけど。

 そう考えていると、黙りこくっていたポラリスが顔をオーバーヒートさせながら当時の心情を曝け出した。

 

「だって、真也にポラリスの大事になってもらえるってわかったら、急に真也をポラリスでいっぱいにしたくなっちゃって、それから真也のことしか考えられなくなっちゃったんだもん」

 

 そういやその時のポラリスの心情聞くのはこれが初めてか。いや、想像以上怖いことを言っているというか、あの時そんなこと考えてたんだな……。

 

「ノリモンは、模倣子を他者に植えつけることで世代交代を起こすとされてる。それができていないと無意識下でも認識していると、それがかなう存在に強い執着心を見せる。こんな風に」

「えっと……つまり、ポラリスが()()で山根君が()()だったってこと?」

 

 北澤さんは真顔でそう問うた。

 あの。もっと言い方とかあるでしょ。その表現をするってことは、だよ?

 それに気がついてしまったのか、机の向こうの2人は表情が若干引きつっている。おそらく流石に何も知らないピュアなポラリスはニコニコとしているが。

 

「まぁ、そんな感じでだいたいあってるな。あの時の山根は……まぁ、俺から見ても気の毒なほど精神を消耗してた」

 

 あの時はどうしてポラリスがあんなことになっていたのか知らなかったからね……。

 

「トレイナーがノリモンの模倣子を強く受け取る行為、それがトレイニング。だから、その状況は山根がポラリスとトレイニングした時点で落ち着いた、よね?」

「実際落ち着いたな、あの後」

「なるほどね……。ごめん、山根君。アタシの勘違いだったみたい」

「わかってくれたならいいよ……」

 

 なんかまだ朝なのにどっと疲れが出てきた気がする。早乙女さんが来るまで一眠りするか……。

 

「すまない、遅くなった」

 

 そう思った瞬間、図ったかのように早乙女さんにが出勤してきた。寝る時間は消えた。

 まぁいっか、体は元気だし。たぶん活動始まったらこの疲れは消える気がしてきた。

 

 そして、いつも通りに今日の活動が始まった。

 今日は全体での戦闘訓練……というわけではなく、基礎的なところを練り上げるものだ。その内容は、移動中に先導する早乙女さんの口から明かされた。

 

「さて、山根君。せっかくここにポーラーエクリプス号がいるのだから、君にはトレイナーとしての仕事を叩き込む。具体的には、まずは並走をしてもらうよ」

 

 並走。それは真横にぴったりとくっつけて文字通り並んで走ること。簡単なように見えて、お互いの走る癖を熟知していなければできない高度なものだ。

 それができるのであれば、自然と同調度も高くなり、トレイナー側からはノリモンの力を強く引き出せるというもの。逆にノリモンの側は、生まれつきの人型を操る動きを間近で見ることができるのでより動きが洗練される。その組み合わせでの訓練ができるのならば、最も基礎的で効果の高いものの1つなのだ。

 

「着いたな。まずはここを……そうだな、3周くらいがいいだろう」

「あの、早乙女さん」

「なんだい?」

「ここ、陸上トラックですよね?」

 

 そう、僕達が到着したのは普通の陸上トラックだ。そこに線路はない。

 ここで、並走しろと?

 

「軌道上であれば、車輪の回転数の変化と足の動きの変化、その2つをもってで差異を容易に吸収して強引な並走ができてしまう。故に、並走に限ってはどちらかの影響を排除して走行する方が効果的だと私は考えている」

「なるほど。 ポラリス、走れる?」

「うん!」

 

 そして僕達は早乙女さんの合図で、同時にその陸上トラックを走り出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2レ後:フォーム

 ポラリスの走りは、一言で言うとかなりめちゃくちゃだった。

 真横から見ればわかる。めちゃくちゃなフォームでどう考えても地面に力を伝えられていない。なのに体幹は全然ブレていないし、おまけに足の動きはとんでもなく速い。

 はっきり言って意味がわからない。この常識外れの力こそが、ノリモンなのだ。

 

 だけれど。

 

 いくら常識外れの力を持っているからと言って、型無しでいい訳ではない。きちんとした型を得ることができれば、ポラリスはもっと速く走ることができる。

 

「なるほど。遠目に見るとただ速いだけだが、その実は素質に任せて基礎がなっていないタイプか」

「えぇっ!?」

「早乙女さん!? なんで並走してるんですか」

「悪いかい? 久々に成ってからきちんとした調整を受けていないノリモンを見て、トレイナーとしての血が騒いでしまってね」

 

 視線をポラリスから外して早乙女さんに向ければ、その眼は見たことがないほどにキラキラと輝いていた。

 近年ではトレイナーの役割というのは、対クィムガンとしての戦力としての面ばかりがフォーカスされがちである。しかし、このようにしてノリモンの力をより強く引き出しうる状態まで持っていくことこそが、トレイナーの()()()役割なのだ。

 そして、この早乙女さんは数多くのノリモンとトレイニングしている生粋のトレイナーだ。なるほど、こう考えると今更ながらポラリスをウルサで預かるということを早乙女さんが受け入れたのも頷けるといえる。端っからこれが目的だったんだ、早乙女さんの!

 

「早乙女さん、一応言っておきますが……」

「はは、わかっているよ。君にもその経験は必要だ。だから直接は手出しはしない。だが、逆に言えば君はまだこの経験が無い」

「……わかりました」

 

 ほらやっぱり。僕は確信した。早乙女さんは僕にこの役割の指導をしようとしているのだ。クィムガンへの対応の訓練と平行で!

 こりゃ忙しくなりそうだな。そう思いながら僕はポラリスに意識を戻して、並走を走りきった。

 

「さてポーラーエクリプス号。走ってみてどうだったかい?」

「どうって……普通?」

 

 ポラリスは首を少しだけ傾けてそう言った。

 まぁそうか、本人にとってはそれが普通になっちゃうのか……。

 

「それが、君の感覚なんだね? じゃあ山根君、君の目にはどう映った」

「正直に言いますと、ポラリスの走り方はかなりぎこちないですね。どうしてそういう動きになるのかをわからないまま形だけ強引に同じになるようにしている風に僕には見えました」

「えぇーっ! うそぉ」

「きちんと見ているようだな、私も同感だ」

「というか、事前に傾向とか聞いてるのでそこも合わせてですけど」

「そうか。ならば、やってみなさい」

 

 見様見真似でいろんなことを吸収しようとして9割くらいは上手くいくけれど残りの1割で根本的なミスをする。これはベーテクさんやアドパスさんから事前に聞いているポラリスの傾向だ。

 たとえばアドパスさんから聞いた例だと、紅茶をいれるお湯を沸かすために水をポットに入れるとき、水の中に空気を混ぜ込むために勢いよく水を入れているのを、その理由をわからずに真似しようとして思いっきり零すわ結局斜めに容器の壁にあたって射流になってしまったので空気が入らないわで散々なことになったことがあったらしい。

 そんな訳だから、この走るフォームについてもまぁどうしてこうなったのかはなんとなくわかった。

 

「そうだねぇ。ポラリス、今度は僕のジョギングに併せる形で、一回ゆっくり走ってみようか」

「わかった、やってみる!」

 

 このポラリスの走り方では、速度が低いと上手く走れない。まずはそれを自覚してもらうところからだ。

 僕は時速5kmほどでジョギングを始めた。ポラリスは後ろからやってきて、そして僕を追い越してしまう。

 

「ポラリス! 僕の隣を走るんだ」

「そんなゆっくり走れないよー!」

「僕より足も短いんだからできないわけがないよね?」

 

 やっぱり。

 ノリモンの中には、スプリントはできてもジョグができない者が少なくない。多くのノリモンにとって徐行とは、足を止めて車輪やプロペラをゆっくり回すことであって、足をゆっくり動かすことではないからだ。

 早乙女さんの方をちらりと見る。彼は力強く頷いた。わかった、()()()()()()

 

「まずはジョギングできるようになろうね、いろいろ教えるから」

「はーい」

「まずね、腕のフォーム。肘は伸ばさずにできるだけ直角に。手はピンと伸ばすのじゃなくてだらんと力を抜いて。そして腕を振るときは真後ろに、斜めじゃない」

 

 ポラリスの手を取り、その形を作りながらその体に刻み込む。足回りも同様に覚え込ませる。

 そして一旦走らせてみてから、直っていないところをまた覚え込ませる。これを3回ほど繰り返したところで、ポラリスはようやくジョギングができるようになった。

 

「どうだいポラリス、違うでしょ?」

「……うん、走りやすい」

 

 ポラリスは俯きながらそう答えた。

 

「なんか不満そうな顔してるけど、言わなきゃわからないよ?」

「ずるい」

「……え?」

「ズルいよー! こんな楽な走り方があるなんて、お兄ちゃんも富貴も真也も今まで秘密にしてたんだもん!」

 

 だもんって言われても。

 そもそもまともに走れない事を今まで知らなかった訳だし、速度を落とさずに走ってる分にはよく見てみないと違和感を感じなかったし……。

 

 結局その後、もう一度本気で走ってもらったら本当に目に見えて速度が上がっていた。やっぱりこの子速い……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3レ前:遅すぎた最速、スーパーブライト

「《クヌガノシンキロウ》!」

「くっ、《ハイブリッド・アクセラレーション》!」

 

 成岩さんは攻撃を後ろに下がって躱し、そして追撃を《特別通過》で避けると、その緑に赤のストライプのノリモンにオオカリベを振り下ろした。

 

「俺達の、勝ちだ」

「どーやらこのユニットが恐ろしく強くなってるっつー噂は本当だったみたいだなー」

「へえ、そっちまで噂が広がってんのか、スーパーブライト号」

 

 今日は本部から派遣されたノリモンとの実戦形式での演習だった。

 そして今、それはオオカリベがブライトさんのシールドを割ったことにより僕達の勝ちに終わった。

 成岩さんがラッチを開けに行く間に、先にシールドを割られていた僕達はラッチコアに戻る。

 

「お手合わせ、感謝するよ」

「別にそれほどでもー。これも仕事だし、そもそも俺ぁー今は暇を持て余してるんだ。()()()()()()()()()で」

 

 ブライトさんは早乙女さんの言葉にそう返した。

 ……そう、彼は僕と同じ購買部に所属している、ノリモンである。まさかこんな形で久しぶりに顔を合わせるとは思いもしていなかったけど。

 

「なんだ、山根君の知り合いだったのか。うちはこの後は昼休みだから、話でもしていったらどうだい」

「えっ」

「おや、いいのかい? それじゃー彼は借りてくよ」

「あの、僕の意志は」

「嫌ならいいけど」

「嫌ではないですが……」

「じゃあ借りてくわ」

 

 いや、一応形だけでもいいから確認くらいはしてからにしてもらえませんかね……。

 そんな思いも裏腹に、皆は昼休みにと散り散りになってしまった。

 

「すまんなー、時間取らせて。予定あるなら帰っていいぞー」

「いや、せっかくなので少し話でもしましょう。早乙女さんの提案に乗ったってことは、そっちから何かあるんでしょ」

「いや特になーんもないけどな。相変わらず店長にゃー連絡つかんし……」

 

 ブライトさんはそう頭を抱える。店長がバックヤードの部屋以外で捕まらないのは相変わらずのようだ。

 

「そーいや、お前戻ってくるのか? ユニットに入ってるってことはもう終わってるんだろ、研修」

「4月には終わったので戻ろうとしたんですよ。それで行ったら、ね?」

「あー、3末の異動退職に合わせて工事入りしたからなー。そりゃータイミングが悪かった」

「そもそも再開っていつなんですかね」

「知らねー。この前もヤッちゃんとは一般公開には間に合わせて来るだろーって話はしてたけど、店長の考えてることは分かんねーからな」

 

 いや、まだブライトさんにも知らされてすらないんかい。なんで彼が店長やってるんだ? ここまで放置されると……うん、根本的な疑問が出てきたぞ。

 

「ブライトさんは何してたんですか、この半年」

「里帰りしたり、旧い知り合いに会いに行ったりするついでに旅行とか、後は昔やってたスポーツにふらーっと顔だしたりだな。けどそればっかなのも飽きてきてー、こっち戻ったら模擬戦の募集かかっててな」

「だから珍しく今日仕事してたんですね……」

「どーいう意味だオイ」

 

 文字通りだけど?

 ブライトさんは仕事を始めるとペースに乗ってかなりの実力を発揮する。だけど、その一方でかなりの面倒くさがり屋で、よっぽどやる気のある時以外はそもそもあんまり自発的に仕事をしようとしない。言えばやってくれるけど……。

 なので一緒にシフトに入ったときは結構、まぁ、その……。体はともかく心が疲れやすい、というのが正直な感想だったのだ。

 

「まーいーか。そーいうお前はどーしてたんだ、この半年?」

「僕はユニットの先輩のラボにインターン行ってましたね。厳密には今もインターン中なんですが、海外出張行っちゃったんでそこのノリモン預かって面倒見てます」

「今そこにいるのがそーなのか?」

 

 ほへ?

 彼女なら成岩さんと一緒に……って。

 振り返れば、ポラリスがこちらに飛びかかろうとしていた

 

「まだいたの!?」

「ポラリスもお話しようと思ってたんだもん」

「悪ぃーな嬢ちゃん、山根君をとっちまって。おじさんはスーパーブライト、彼とはまー同じ場所で働いてた仲間でね」

「……ポラリスです。真也はポラリスと初めてトレイニングしてくれたトレイナーなの」

「そーか。そりゃ嬢ちゃんにとって大事な人だ。俺は元気そーなこと確認できたからもう用は済んだし、君に返すよ」

「だから勝手に人の所有権を設定して取引しないでもらえますかね……」

 

 僕を半ば無視して挨拶し、握手を交わすふたり。なんだろう、言っても無駄な気がしてきた。たぶん本当に無駄なんだろう。

 クイクイと、ポラリスが僕の袖を引っ張った。抵抗すると生地が伸びるどころか破断するので、僕は従わざるを得ないのだ。

 

「じゃ、ポラリス()は行くね!」

「わかったから、引っ張らないで。ブライトさん、ヤチさんとかにも僕は元気だって伝えといて下さい」

「……おう。伝えとく」

 

 僕はポラリスに引っ張られるがまま、ポラリスと握手していた手を見つめるブライトさんを置いて演習場から去った。

 


 

「あの嬢ちゃん……ポラリスっていったっけ? やるじゃーないか」

 

 演習場にひとり残されたスーパーブライトは、そう後輩の連れてきていたノリモンを思い出しながら呟いた。

 

「あんな幼く見える子なのに、いきなり握手で自元(アイゲン)領域(ゾーン)を見せてくるなんて、面白いねー」

 

 ノリモンはウェヌスとの間でモヤイという超次元的な繋がりを持つ。一部のノリモンは、そのモヤイの中にそれぞれが存在的に内包する、自元領域と呼ばれる有限の広さの空間を持つのだ。

 

「しかも、あの光景……北斗七星(グランシャリオ)。それって、そーいうことでしょ? ちょいっと調べてみよーかな。彼女が()()()()()()()()()()()()()()の遺した夢の結晶、かの幻の特急じゃーないかってね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回3レ:溜り場Tama River

「一体どうしたのさ今日は。ここまで僕をぐいぐい引っ張ってきたのってだいぶ久しぶりじゃない?」

 

 夕方。活動が終わったあと、僕達は稲城市のいつもの河原で並走訓練を数セットしたあと、土手に腰掛けながら話していた。

 

「なんかヤだったの! お兄ちゃんだけじゃなくて、真也まで遠くに行っちゃいそうな気がして」

「ブライトさんはそんなことしないよ……」

 

 少なくとも、アドパスさんみたいに計画性のあるようなノリモンじゃないし、逆に綾部みたいに突然変なことをしだす訳でもない。その両方を兼ねる店長の方がよっぽど酷いけれど、店長の場合は少なくとも自分でシフトに来られなくなるような事()してこないし。

 

「そもそも君の面倒を見るっていうのはベーテクさんとした約束なんだから、守らずに放り投げるようなことはしないし、そんな予定は絶対に入れないからね」

「ほんと? ポラリスとも約束する?」

「する」

「やったぁ!」

 

 もうだいぶ落ち着いてくれたとは思ってたんだけど、こうしてたまにぶり返すんだよなぁ。多分半分くらい依存されているような気はしている。

 そうなると一番手っ取り早いのは依存先を増やす……つまり、ポラリスがトレイニングできるトレイナーを探してくることなんだけど、これもこれでなかなか難しい。

 ……はぁ。

 

「どうしたんだい山根君。ため息なんかついて」

「いや、ちょっと悩み事……って、程久保?!」

「本当に君はここの河原が好きだな」

 

 顔を上げれば、そこには程久保がいた。この前再会した時に連絡先は教えたんだからわざわざここまで来なくたっていいのに。

 

「真也、その人は?」

「ん? 彼は程久保、僕がスクールの時の親友の1人」

「そうなんだ」

 

 ……程久保にはブライトさんほどの反応は示さないのか。よくわからない子だなぁ。

 

「その子は……ノリモンか。特訓中?」

「そんなところ。で、わざわざここに来たってことは僕に用があるんでしょ?」

「いや特にない」

「えっ」

「え? 強いて言うなら暇だったからだけど……友人に会うのに理由がいるのかい?」

「それもそうか」

「まぁ、だから君達はこの程久保がいないものだと思って特訓を続けてもらってもかまわない。そろそろ息も整ってきただろ?」

 

 程久保はそう言いながら僕達の肩を叩いた。

 

「それって見といてもらえるってこと?」

「だいぶ長い間君の走りを見てなかったからね」

「そうか、頼むよ。行こう、ポラリス」

「うん」

 

 まぁ、程久保が見てくれるなら有り難いか。そう思って僕達はまた並走を始めた。

 最初に早乙女さんに言い渡されてから、少しずつ様になってきた並走。体格も足の長さも全然違う僕とポラリスだけど、ピタリと並んだ僕達はもうお互いの息遣いまで読み取れるようになってきた。歩幅もポラリスに合わせ、足を降ろすタイミングもぴったりだ。

 そうなると、不思議と全くポラリスを見ていないのに、彼女の姿勢が、目線が、はっきりとわかるようになる。きっと間をつなぐ紐がなくても、きちんと二人三脚として走ることができるだろうと思えるほどには。

 そうして是政橋と稲城大橋の間を2往復して戻ると、程久保が呆れたような顔で僕達を出迎えた。

 

「見ない間に本当に生物をやめたんだね、君は」

 

 いきなりだいぶ失礼な発言が飛び出してきたな。

 

「僕はこうして生きているじゃないか」

「いや、そういう事じゃなくて……。たとえばその速度とか」

 

 速度? さっきの感じだと……。

 

「時速53から7くらいかな?」

 

 車輪を履いている訳でもないし、そもそもポラリスがまだ完全には慣れてはいないので、そんなに速度は出ない。これが軌道上だったら時速数百キロは出るのにね。

 

「……なるほどね、君に興味を持つのもさもありなん」

「何の話よ」

サイクロ(こっち)の話。まぁそれは置いといて」

「いや、置かないで」

「君達の走りだけれど」

「スルーかい」

 

 こうなったらもう戻らないからもう話を先に進めるしかないのがこの程久保という人なのだ。

 

「ポラリスちゃん、でいいんだよね?」

「うん!」

「1つ確実に言えるのは、踵から着地するのはやめようか。一見足全体で着地しているように見えるけど、足跡見れば荷重のかかり方がバレバレさ。ボキッてなるよ」

「えっ」

 

 程久保は土にできた足跡の、かかとの部分を指しながら言った。確かにかなり凹んでいる。

 

「着地するときに、つま先を少し下に向けるんだよ、そうすれば衝撃が分散されるから」

「わかった、ありがとう!」

 

 ポラリスはそれを聞くなり、軽く数歩ほど走ってみせた。その足跡は確かに指摘される前とは変わっている。

 

「飲み込みが早いね、あの子は。それに比べて、山根。君はまた関節に負担がかかる走りをしてるんだな、綾部(あの莫迦)みたいになるよ?」

「げっ、それは嫌だ」

「スクールの時にも何度も言ったよね?」

「はい……」

 

 どうも意識してないと忘れちゃうんだよなぁ。そもそもこの点は程久保以外に指摘してくれる人がいなかったし。

 でも、こうやって指摘してくれるのはとてもありがたい。生物に驚くほど明るい程久保以外には、骨や筋肉の正しい役割や使い方を教えてくれる人はあまりいないから。

 

「ありがとう、程久保」

「いいって。目の前で怪我されたら後気味悪いし……それに、この感覚が懐かしい」

「僕もだよ」

 

 それからアドバイスをもらいながら、僕達は日が暮れるまで走っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3レ後:本格化する高速化、ナマラシロイヤ

「シルバーに、青と萌黄色。同じ色だねー、あの嬢ちゃんは」

 

 スーパーブライトは、図書室で数多くある蔵書の中、1冊の雑誌から探し当てた画像を見ながらそう呟いた。

 

(でも、これだけじゃ決定的な証拠とは言えない。後は証拠になりそーなのは……)

「《()()()()()()・アクセラレーション》かなー。同じユニットの人のラボにインターンしてたってことは、関係があるよーな気はしなくもないんだけど」

 

 その技が使われたとき、成岩の周りに漂っていたのは青い光、つまりノーヴルだ。

 スーパーブライトは、ノーヴルにコネを持っていないわけではない。だがしかし、彼はあまりそれらを積極的に使いたいとは考えていなかった。

 

(まーコダマ号に聞ーてもわかるかどーか。そもそも、答えてくれる訳もなさそーだしな)

 

 そう思い、雑誌を閉じて書庫に戻そうと立ち上がったとき。彼を呼び止める者がいた。

 

「その車に興味をお持ちですか、ブライト先輩」

「……誰かと思えば、ロイヤかー。まー、ちょっとした興味だね」

「私は、いくつかの情報を保有しています」

 

 スーパーブライトに話しかけたブラックとシルバーのゴシック・ドレスに身を包んだノリモンは、名をナマラシロイヤという。数年前に運命的なものを感じた彼に勧誘されてJRNの門を叩き、この度ノーヴルに所属することになったノリモンである。

 

「いくつか、ねぇ」

 

 スーパーブライトは怪訝な顔を浮かべる。そこでナマラシロイヤは、持っている情報の一部を開示して興味を惹くことにした。

 

「イエス。私が車でした頃、ラストランを終えて工場へ回送されましたまさにその時、ちょうどこの車が解体されておりました。そして私はそのすぐ後を追ってノリモンに成ったのです」

「わかった、場所を移そーか」

 

 そしてスーパーブライトは食いついた。ナマラシロイヤの持つ情報の中に、()()()()()()があると判断したのだ。

 

「単刀直入に聞こーか。その車は、ノリモンに成っているのか」

 

 場所を移した先で、早速スーパーブライトは切り出した。だがその問にナマラシロイヤは答えない。彼女からも彼はまた、尊敬すべき先輩の一人であることは間違い無いのであるが、その一方で彼が切り込んできていることは一部の者しか知り得ぬ機密情報の一つでもあったからだ。

 

「確認。雑誌を読んでいたということは、かの車が生まれてから解体されるまでの経緯を把握されているはずです。それでも聞くということから、先輩も何かしらの情報を持っているものと推測」

「うんうん、情報の交換かー、わかるよ。でもなロイヤ」

 

 スーパーブライトはニヤリと笑う。

 

「そこで明確に否定しないことが、答え合わせになっている」

 

 しまった。ナマラシロイヤはそう思った。自分の反応はその主張を認めているものだと後から気がついても、もう遅かった。彼女の取りうる選択肢は、黙秘しか残されていなかった。

 そしてそれを、スーパーブライトも察知していた。

 

「成っているんだな、その車は。ノリモンに。黙秘は肯定とみなすぞー」

 

 最早ナマラシロイヤに選択肢は残っていない。それはただ一つ、スーパーブライトを()()()()に引きずり込むこと。

 

「約束。あの日あの場に居合わせた全員で結んだ約束。先輩にもしていただきます」

「おー。何だ」

「保護者の代理たるイノベイテック号。彼または本人の判断するその時まで、本人が顔を見せていない者に対しその存在を決して告げぬこと。逆に顔を見せた者に対しては、極力その車の話をしないこと。それが、あの場で交わされた約束です」

「つまり、ノリモンと車が結びつかないよーに、と?」

 

 ナマラシロイヤは静かに頷いた。

 なぜそんなことをするのか。その言葉がスーパーブライトの喉を通ろうとして……彼は思いとどまった。思い出したからだ。その車が落成した時のかの大地の、かの鉄道を取り巻く状況を。

 そして意趣返しに、スーパーブライトは決定的な情報を開示するのだった。

 

「そうか。ポラリスはそういう車だったもんねー」

 

 その言葉に、ナマラシロイヤの表情が少し強張る。それを見たスーパーブライトは、内心ニヤリと微笑んだ。これでより情報を引き出す土壌が揃った、と。

 

「やはりご存知でしたか。ポーラーエクリプス号を。どなたが先輩に漏らし……」

「今日の午前に直接会った。彼女とな。そして握手したその瞬間にこの俺を自元(アイゲン)領域(ゾーン)に引きずり込みやがった。そのおかげで嬢ちゃんがかの幻の特急じゃないかって疑えた訳だ」

 

 そして遮ったその言葉に、ナマラシロイヤは驚愕を抑えきれなかった。この時点でこの場の支配権は、完全にスーパーブライトへと移ったのだ。情報を持つスーパーブライトと持たざるナマラシロイヤの形に。

 

「会っ、た? 彼女はイノベイテック号に引き取られ、保護されているものと記憶しています」

「俺はそのイノベイテックっつーノリモンは詳しくは知らない。だが、嬢ちゃんが間違いなくここJRNにいるのは確かだ」

「彼女は今どこに。詳細を所望したく」

「落ち着けロイヤ。顔を見た方が安心できるっつーなら、取引を進めよーじゃないか」

 

 かくして、スーパーブライトはポーラーエクリプスの情報を得たのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ前:身体検査

 JRN3号館の外壁は、いつ見ても建物らしくない色合いをしている。もう少し薄い方がいいんじゃないかなぁなどと考えつつも、僕はその入口でスカイさんと合流した。

 

「待っていたよ山根君。合宿中の話を聞いてから、皆今日の日を心待ちにしていたよ」

「僕もですよ。うすうすと自分が何かおかしいという所には気がついているのに、その理由がわからないのって結構不気味ですし」

 

 そう、今日は待ちに待った検査の日。いい加減に自分の体の謎をはっきりとさせたいのである。

 

「さ、行こうか。博士も待ってる」

 

 そうしてスカイさんに連れていかれたのは、鳥満博士の研究室――ではなく、1階に設けられていた救護室の一角だった。

 

「おはようございます」

「うむ。来てくれたか。早速じゃが、まずはレントゲンとエコー検査から始めるぞ」

 

 あれ、意外と普通だ。もっとなんか、特殊な機械とかを使って体をスキャンしたりするのかとも思っていたけれど。

 そう疑問に思って聞いてみれば、通常のバイタルがおかしかったらそれを抜いて検査してもまともな考察はできないとのことで。そりゃそうか。

 まずは検査着に着替えて首から下のレントゲンを撮影。続いてベッドに寝かされ、何かジェル状のものを全身に塗りたくられてその上をバーコードリーダーのようなものが往復する。何度か腕や足を曲げるよう指示され、そしてまた機械が肌の上を滑る。これを何度か繰り返すと全身の筋肉の形だとかが分かるらしい。

 

「終わったよ、お疲れ」

「何か分かりました?」

「これだけで分かる訳無いが……。まぁ、強いて言えば骨がかなり頑丈で詰まっている」

 

 スカイさん曰く、今日は基本的にはデータを取るだけで、分析には一週間程度また時間がかかるらしい。そりゃそうか。

 それから僕達はようやく鳥満博士の実験室へと移動して、また別の検査が始まる。

 今度は立ったまま体中や頭にペタペタと無数の電極を貼られて、しばらく安静にしているように言われる。おそらく神経とか脳波とかそういう感じのものを調べているのだろう。続いて簡易ベッドの上に横になって、またしばらく計測。そしてその後は……。

 

「ランニングマシーン?」

「そうじゃ。君の運動中のデータも必要じゃからの」

 

 うげぇ。ランニングマシーンって、あんまり好きじゃないんだよなぁ。景色が変わらなければ風も感じないので、どうも走っている感じがしないし、どれくらいの速度で走っているかがぱっとはわからないから。

 まぁ、文句を言ってもしょうがないんだけどもね……。

 

「それじゃ始めるぞ」

 

 そして足元が動き出す。普通のランニングマシーンならば、足元の動く速さが手元の液晶に表示されるから、それを見て足を動かせばいいのだけれど、今回はなぜか液晶が消灯しているので足元だけの感覚で速度を掴まなきゃいけない。なんというか、ひどく精神的に疲れる。勾配の変化はもともと足の感覚に頼ってる部分が大きいからまだマシなんだけどね……。

 そうして、30分くらい走ったところでデータが取れたのか、ランニングマシーンは速度を緩めてやがて止まった。そして一休みしてから電極を外し、そのまま次の検査へと移る。

 

 こんな感じで、午前中はほぼ普通の検査を受け続けていた。フィットネスバイクを漕いだり、肺活量の測定をしたり。

 正直なところ、わざわざ鳥満博士のところでやる必要あるのかと疑問に感じるような検査ばかりだ。もちろん、意味があるからこそやってるんだろうけれど……。

 

「お疲れ様」

「……正直な感想言っていいですか」

「わざわざここでやる意味がない、違う?」

「え、なんで」

「顔に書いてある」

 

 そんなわかりやすい顔してたんだ……。

 

「でも、それは違う。あの実験室で、運動機能試験をすること自体に意味がある」

「……といいますと?」

「あの部屋の壁、センサだらけ」

 

 あ、そうか。体中に電極を大量につけていたからそっちばっかり気にしてたけど、何もセンサーはそこだけに限ってなかったのか。

 

「超次元方向からの力の供給があれば、僅かな揺らぎが発生する。壁のセンサはそれを検知してる」

「だからこの部屋で……」

「そういうこと。それとナリタスカイ号の技《イミグレーション》、この2つでこの実験室の外から中へと流れ込むものを把握できる」

 

 なるほど。スカイさんってそんなことできるのか。

 ……あれ? でも、確かウェヌスから力を得るのって。

 

「ちょっと待って。チッキはそっちで預かってもらってるはずですよね?」

「うん、預かってる」

 

 トレイナーが超次元を通じて()()()()力を得ることができるのは、トレイニングしている間だけだ。ならばチッキを持っていない僕に、超次元からの力が加わる要素はないのでは? 鳥満博士は一体何を疑ってそんな検査をすることにしたんだろう?

 

「佐倉さん。それで、どうだったんですか」

「データ見てないし、聞いてもない。まだ」

「じゃあ分かったら」

「勿論」

 

 その後午後も一見ぱっとしない地味な検査が続き、15時頃に採血をして全ての検査プログラムが終わった。

 そしてスカイさんに見送られて、僕は3号館を後にしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ中:人間の限界速度

 鳥満絢太は、頭を抱えていた。

 いや、鳥満だけではない。そのデータを見る者全てが、頭を抱えていた。

 

「のうスカイ、この数値、どう見る?」

「血液成分……ごく普通の健康的な男性のもので、異常な値は見られない。だが、だからこそ……」

「「次に何を調べるべきかがわからない」」

 

 ふたりの声は重なった。念のため多めに採血し、その残りは冷凍保存してあるとはいえ、その全てを解明するには少なすぎる。それを行うには、山根真也5人分の血液を干からびるまで抜き取っても足りないのだから。

 

「何がじゃ。何がこのフラックスを生み出しておる。事象には、それが発生しておる以上必ずや原因が存在するはずじゃが……」

 

 その呟きが消え、研究室の中の音が機械やパソコンの動作音のみになった時。コツンコツンと、扉を叩く音が響いた。

 

「お邪魔します」

「邪魔するなら帰れ、俺達は忙しいんだ」

「まぁ待てスカイ、彼は生物に明るく、また山根君をよく知っておる協力者じゃよ。待っておったぞ、程久保君」

 

 鳥満はそう言いながら程久保を案内し、そして印刷しておいた測定データを渡した。

 

「これが、山根の……」

「どうじゃ。君から見て彼の肉体データに気になることはあるかの」

「少し目を通す時間を下さい」

 

 そう言って程久保はデータを咀嚼する。

 彼は数年前から山根の異常性に気がついていた。だからこそ、それを客観的に示すこのデータを見て一種の感動を覚えていたのだ。

 

「肉体組成は……一般男性のそれ。筋肉や骨格も頑強ではあるもののまぁ普通。次は……トレッドミル運動負荷試験もやったのか。負荷の……んん?」

「何か、彼のデータに異常な点が?」

「いいや、()()()()()()()無いよ。だけどこれ、負荷の値の方は縦軸の単位が間違ってないか」

()()()()()()

「……は?」

 

 程久保は思わず声を出した。

 無理もない。そこに記されているグラフの縦軸は、常軌を逸した数字が刻まれていたのだから。

 

「負荷速度、20m/s(メートル毎秒)。仮にkm/h(キロメートル毎時)だったとしてもここまで心拍数が上がらないのは強いというのに! やっぱり()()()()()()()()()()

「え、あの彼人間じゃないのか」

「いいや、生物学的には人間さ、多分。だけど、生み出される力が生物学的には説明がつかないのさ」

 

 生物の場合、速く走れば走るほど1ストライドあたりに足が地面に接している時間が短くなる。そして速度が上がっていけば、やがてはこの接地時間を短くしていく限界速度に到達する。

 なぜか。脳から神経、神経から筋肉に信号が伝達し、筋繊維が実際に収縮するまでの間には僅かではあるがタイムラグが存在するからだ。それが間に合い筋肉が収縮せねば、あらゆる生物は前へと進むことは能わない。

 

「ダチョウの足を知っているかい? 彼らはヒトと同じように二足走行をしているのに、そのスピードはヒトよりも遥かに速い。それは彼らの踵から先が遥かに長ければ、指だって長いからだ。あらゆる関節はそれより先の長さが長い方がその末端のスピードを出しうるし、可動域だって広くなる。そうすれば足を接地しうる時間的余裕を稼ぐことができる。もちろん、ヒトにはそんなことは不可能だ、物理的にね」

 

 アメリカ・Southern Methodist大学のWeyandらの研究によれば、人間の骨格と足の長さで立脚走において到達しうる限界速度は、()()()69キロメートル毎時に過ぎない。どれだけ筋肉を鍛えようが、反応速度を上げる訓練をしようが、ヒトがその姿かたちを維持し、生物であるかぎりはこの速度を超えることは決して能わないのだ。

 だがしかし。ここにあるデータはどうだ。20メートル毎秒というのは、キロメートル毎時に直せば72だ。この数字は69よりも大きい。

 

「……何が言いたい、要するに」

「つまり、こうだよ。彼は間違いなく()()()()()動力源を以て足を動かしている。それについては、JRNに入って間もない若造のこの程久保なんかよりも、あなた方のほうが明るいはずだよ」

「……結局、そうなるのじゃな。じゃがなぜ唐突にダチョウの話を……?」

 

 鳥満は怪訝な顔で程久保に問うた。

 

「ダチョウを例に挙げたのは、単純にこの前ダチョウから成ったノリモンに会ったからに過ぎない。ノリモンはだいたいそうだけど、彼の足の構造は間違いなく人間のそれだ。なのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言っていた」

「まぁ、ノリモンじゃからな」

「でも、ダチョウだけじゃない。アジアゾウ、イエウマ、ナイルワニ、ニホンジカ、バンドウイルカ、ヒトコブラクダ……。多くの()()()()()()()ノリモンがヒトの骨格でその速度を超過している」

「じゃから、それはノリモンじゃからじゃ」

「そう、ノリモンだからだ。……鳥満博士、この程久保はまだ若造で知識もない。だからこそ、突拍子もない事を言うかもしれないが、大目に見て頂きたいし、誤りがあったら指摘して頂きたい」

 

 そう前置きして、程久保は持論を展開した。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……そんなことが、あり得るというのか?」

「いや、だが。機関車だってノリモンになるし、この世界には人車軌道というものが存在する。頭ごなしに否定できる話じゃないかもしれない」

 

 鳥満とスカイは、その投げかけられた仮説に、背筋が冷えるかのような感覚に襲われた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4レ後:仮説検討

 部室に、いつもいる人がいない。

 そういった異常は、数回程度ならばまぁそんなこともあるかで済まされてしまうが、あまりにも長く続くと流石に無視できなくなってくるものだ。

 

「さて、今日はここまでにしようか。お先に失礼するよ」

「じゃ、私は研究室に」

「2人とも、じゃーねー! また明後日!」

 

 その日も活動が終わってすぐ。佐倉さんは研究室へと飛んでいった。普段は研究の一部ですらリモートと称して部室で行う彼女が、だ。

 

「佐倉先輩、最近忙しいのかな?」

「まぁ研究なんてそんなもんだろ。俺も突然死にそうなくらいタスクが生えてきたことは結構あるからな」

 

 なんだか申し訳ない。

 僕は彼女がここまで忙しくなった理由を知っているどころか、その原因が僕にあることまでなんとなく察せてしまっている。

 

「山根君はどう思う? 最近の佐倉先輩」

「……いや、成岩さんの言う通りじゃないですかね」

 

 とはいえ、研究の内容には守秘義務が入ってしまっているので僕の口からは言えないから、こうやって誤魔化さざるを得ないのだけれど。

 うーん、なんかもどかしい。せめて結果出たら受け取るときに研究室に菓子折り持ってこう……。

 

「……」

「成岩先輩?」

「いや、何でもねぇ。……そういや山根、来週の火曜の終わった後予定空いてるか」

「特に予定はないですが……何です?」

「昼にコダマ号から予定あいてるか聞いとけって言われただけで、詳細は俺も知らん」

 

 直々にコダマさんから飛んでくるってそれ絶対面倒くさいやつじゃん。

 そして内容もまぁ、なんとなく想定できる。うん。

 僕は()()()へと視線を向けた。

 

「コダマのおじちゃんとお話? ポラリスついてっていい?」

「ついてくるも何もお前の話だからどっちにしろ出席させるぞ」

 

 ……まぁ、こういうことである。そもそもベーテクさんかポラリスが関わらないとコダマさんが僕の予定を聞いてくる理由なんざ存在しないわけで。業務の範疇だから別にいいんだけどさ……。残業手当出るし。

 

「……はぁ」

「なんか、お疲れ……」

「別にいいんだけどね、遅かれ早かれ誰かがやらなきゃいけなかったことだし……」

 

 むしろこうなるのがベーテクさんをキールとする成岩さんと同じユニットに所属する僕で良かったと結果論では言えるレベルだ。全く関係ないトレイナーにあの執着心を見せちゃったりしたらそりゃあもう大変というよりは最早事故レベルだし。

 もっとも、その場合はベーテクさんがミッドランドには行く事はなかったような気もするけれど、それはそれだ。

 

「この前はゴメンね、本当に……」

「いいって、誤解だったんだし。それに成岩さんの方が明らかに大きいんだから僕ばっかり文句を言ってもいられないしね」

 

 成岩さんは自宅でまでポラリスを預かって面倒を見ている。にもかかわらず、あの人疲れていたりする素振りを全く見せていないあたり結構すごいと思う。

 そんな彼らの方を見れば。

 

「えっでもポラリスは予定とか、聞かれてないよ?」

「もともとお前にゃ俺達関わらない予定はねえだろうが」

「たしかに、ないけどー!」

「あるなら当然考慮するから言えよ」

 

 微笑ましいような、少し引いてみれば案外そうでもないような酷いやり取りをしている。多分ベーテクさんが引き取ってからずっと一緒にいたから馴れてるってのもあるんだろうな……。

 僕があそこまで馴染めるのはいつになることやら。

 


 

「お帰り、サクラちゃん」

「ただいま。解析どう?」

「ぜんっぜん。一応()()()()()()()()()()()()可能性も調べといてって言われたけど、そうだとすると逆に弱すぎるのよね」

「うん、これまで接してきてそれは絶対違うと思う」

 

 ()()()()()()は、姉から資料を受け取りながら投げかけられたその言葉にそう返した。

 

「じゃあ、他にどんな可能性があると思う?」

「今朝スカイが言ってた通り、ヒトがノリモンに成る、そのメカニズムの最中?」

 

 ヒトがノリモンに成れるのか。余りにも単純なこの命題は、驚くほどに先行研究が存在していなかった。そもそもノリモノイド自体がヒトを模した姿かたちをとるように変化したものであるから、ヒトがそうなっても恐らく外見上変化はまったくない。それは、仮に()()()()()()()()例があったとしても、観測されていない可能性が高いことを意味する。

 

「あり得ると、サクラちゃんは考えてるのね」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「だったら、どこかの新車のデータを持ってくるのが一番比較には適してるのでしょうけど、計測したことってあったかしら……」

「車両にノリモンが宿るメカニズム、安慶名博士とか?」

「うーん、あそこって超次元的な解析まではやってはいなかったと思うのよ。そもそも、鳥満博士(ボス)に言われてるのだけれど、ロケットの子のお話だからあんまり彼を知らない他のラボの方達を巻き込みたくないのよねぇ」

「だとすると、事業者との調整、データ取り……最低、3ヶ月」

「データを取っている間は他のこともできるとはいえ、流石に長いわね……」

 

 ふたりの顔は、一気に険しくなった。

 そして、少し間をおいてから、1つの提案が出された。

 

「それ、ノリモンなら何も鉄道車両じゃなくてもいいのよね、だったらもっと短くなるんじゃない?」

「そっか」

 

 とは言えど、それでも月コースは確実。だけれども、ふたりの間では未知に対する好奇心が面倒くささを上回った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5レ前:ポラリスの領域

「さぁポラリス、スリップストリームで僕について来い」

「うん!」

 

 並走の訓練を始めてから半月ほど。軌道に乗ってからは、左右ではなく前後での並走も取り入れ、今や意識しなくてもお互いの位置や速度が分かるほどになっていた。

 確実に、僕とポラリスは何かで繋がっている。これこそが、鳥満博士の言っていた『モヤイ』というものだろうか?

 そしてその繋がりは、走り終えて立ち止まってなお感じ取ることができていた。

 

「ポーラーエクリプス号、私の見立てでは、そろそろ君が望んでいた事ができるはずだよ」

「本当? じゃあ、やってみる!」

 

 早乙女さんはそうポラリスに声をかける。

 ……いや、ポラリスが望んでいた事って一体何? 逆になんで早乙女さんはそれを把握しているんだ?

 そしてポラリスは僕の方へと満面の笑みを浮かべながら近寄ってきた。

 

 怖い。

 

 僕の中に、一瞬だけそんな感情が浮かび上がる。でも、僕はそれを押さえつけた。

 ポラリスが何をしてくるのかは分からない。だけど、彼女には絶対に僕を害する意図は無いと断言することができるから。

 

()()()()、真也」

 

 そう呼びかけられ、ポラリスが僕の手をとったその時。

 

 どの方向に伸びているのかもすらわからない繋がりに一瞬だけ引っ張られるような感じがした。そして、次の瞬間には星夜を見上げる丘に立っていた。

 

「ここは……?」

「ようこそ、真也。ポラリスの自元(アイゲン)領域(ゾーン)へ」

「自元、領、域……?」

 

 なんだそれは。どこかで聞き覚えがあるような気はするんだけど、いまいち思い出せない。

 

「ここにはね、『なにもない』がある」

「何も、無い……」

「うん。コダマのおじちゃんがね、教えてくれたんだ。この場所のことを、詳しく」

 

 なるほど、コダマさんか。どうせ今日の午後会う予定あるんだしそこで問い詰めるか……あっ。

 そう考えたところで、気づいた。これ、戻れるのか?

 

「どうしたの? 慌てだして」

「ポラリス、これ、戻れるんだよね?」

「どうして? せっかくふたりっきりになれたのに」

「僕達この後コダマさんと大事なお話があるってこと忘れてない?」

「え? でもそれ、今日終わったあとの話でしょ?」

「その時までには戻れるんだね?」

「もっちろん!」

 

 ならいいか。早乙女さんは事情知ってそうだったし、何より帰れるかどうかがポラリスだけにかかっているような気がする。そうなるとここでポラリスの機嫌を損ねるのは本格的にまずい。

 

「そっか、ポラリス。教えてくれる? 君がしたかったことって、いったい何?」

「ポラリスね、からっぽなノリモンなんだ。コダマのおじちゃんが言ってたの。ここにはポラリスの大切な物があるって。でもね、ここには『なにもない』」

 

 いったん深呼吸をして、辺りを見回す。うん、本当になにもない。強いて言えば、()()()()()()()()()()()だけ。

 

 あれ、この風景。()()()()()()()()()。どこかで見覚えがある、ような……?

 

「別に、何もなくたっていいじゃん」

「ポラリスがヤなの!」

「でもほら、星空だってキレイに……」

 

 そう言って空を見上げた瞬間。

 その星空の1点、北極星のところから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして闇は広がって、いつしか全ての星は煌めきを奪われて見えなくなってしまっていた。

 あぁ、そうだ。思い出した。この風景は……!

 

「ポラリスはね、この寂しい丘をたっくさんの素敵な何か、キラキラでいっぱいにしたい」

「それは……どうやって」

「わかんない! だけど、ポラリスね、思ったんだ。みんなは色んな物を見て、色んなひとに会って、色んなお話を聞いてるんだなーって」

 

 ポラリスはどこか遠いものを見るような目でそう言った。その視線の先の空には星がポツンと1つだけ浮かび上がって、()()()()()()を放っている。

 

「大切な物を増やしたい。それが君の願いなんだね?」

「うん! 手伝ってくれる?」

「もちろん。でも、これは君の物語だ。僕は手伝うことしかできないし、いつでも手伝えるわけじゃない。それでもいいなら、ね」

 

 僕はポラリスに向けて手を差し出した。

 そしてポラリスは少し震えながら――その手を、力強くとった。

 

 次の瞬間、僕達はラチ内へと戻っていた。

 振り返って早乙女さんを見れば、こちらを不思議がっている様子もない。

 

(今のは……夢?)

『夢じゃないよ。遊馬おじちゃんが教えてくれたの。自元(アイゲン)領域(ゾーン)に招待すれば、こうやって真也がオモテをポラリスにしてる間はどんなに遠く離れてもお話できるって!』

 

 頭の中にポラリスの声が響く。

 なるほど、だからか。

 

「早乙女さん。わざわざトランジットでトモオモテ……特に、オモテをポラリスにさせたのって、そういうことだったんですね」

「その様子だと、招かれたみたいだな。その通りだと言っておこう。どうだったかい、彼女の領域(ゾーン)は」

「何も聞かされてなかったのでびっくりしましたよ……」

 

 そう答えると早乙女さんは疑問の色を顔に浮かべた。

 

「うん? 君が彼女に教えたのではないのか?」

「コダマさんから聞いたって言ってますが」

「……失礼。私の早とちりだったようだ。午後は座学にしよう」

 

 そしてその午後は、みっちりとその領域に関するレクチャーを受けたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5レ中:再会

 活動が終わった後。いつも通り早乙女さんは家族の為に定時退勤し、佐倉さんは解析が終わっていない様子で研究室に急行、北澤さんは西府に用事があって行かなければいけないのだとかで退勤したため、部室には僕と成岩さん、そしてポラリスだけが残っている。

 

「で、僕達はいつコダマさんの所に行けば?」

「みんな帰ったって言ったらこっち来ることになったからあと数分もしたら来るんじゃねえかな」

 

 ゴンゴン。部室の扉を叩く音が響いた。

 早いなおい。流石はノーヴルのトップだ。

 僕はそう思いながら扉を開けた。

 

「……て、え?」

「よー山根。邪魔すんぞ。ちょっとお前らに紹介してー奴がいてな」

 

 扉の先にいたのは、僕の想像していなかったノリモンだった。

 

「邪魔するなら帰ってください」

「まーまーそんな硬いこと言わずに」

「先週の……たしか、スーパーブライト号だったか。山根の知り合いだったんだよな?」

「一応。購買部の先輩ですが。……ブライトさん、僕達これから予定が」

「ちょっとした顔見せだ、時間は取らせねー」

 

 顔見せ?

 そう思ってブライトさんの後ろを見れば、もうひとり、見知らぬ人……いや、ノリモンか? 分かりやすい髪色をしていないのでちょっと判断しかねるけれど、長い黒髪を持つ方が立っていた。

 

「トレイナーのお二方は始めまして。そして、ご無沙汰しておりますね、()()()()()()()()()()

 

 彼女は丁寧に頭を下げながらそう、はっきりとポラリスの名前を呼んだ。

 それを聞いた僕達の心の内は……かなり、穏やかではなかった。

 ベーテクさんを含む僕達はポラリスと彼女を知らぬ者の両方が同時にいるところではポーラーエクリプスの名を出していない。それどころか、ポーラーエクリプスの名を口に出すこと自体、トレイニングのためにやむを得ない場合と、周りに人がいないことを確認した場合を除いてしていない。

 なのに彼女は、ポーラーエクリプスの名を知っている。これはつまり上層部でポラリスの個人情報を見られる権限があるか、それかポラリスが直接教えたかのどちらかってことだ。

 

「知ってる方?」

 

 ポラリスはふるふると首を横に振った。

 その瞬間、成岩さんが即座に彼女に飛びかかる。

 

「おい。ポラリスは知らねえっつってるんだが? お前は誰だ、一体」

「この姿では始めてお目にかかるので、わからないのも無理がないのかもしれません。今はナマラシロイヤと名乗っております」

「そうか。で、どこで彼女の事を」

「私が車だった頃、最期に向かった工場で解体され、成ったのがポーラーエクリプス号です。私もその後を追って成りましたが、その頃には既に彼女はイノベイテック号に引き取られておりました」

「あっ! あーっ!」

 

 ポラリスは、思い出したかのように突然声を上げた。その声に、成岩さんは思わずその手を離した。

 

「知っているのかポラリス」

「思い出した。()()()()も成ってたんだね! 久しぶり!」

「今は、ナマラシロイヤです。ロイヤとお呼び頂きたく」

「じゃ、ポラリスのこともポラリス、ね!」

 

 ポラリスは飛び出してナマラシロイヤさんと成岩さんの間に入ると、握手を交わした。

 そしてすぐさまふたりはノリモンに成る前の話や、成ってからのエピソードなどで話を盛り上げている。

 

「なぁ山根、どう思う?」

「多分大丈夫だとは思うけど、後でベーテクさんに電話して一応聞いてみたほうがいいんじゃないですかね」

「確かに昔話噛み合ってるっぽいし、そうするか……」

 

 そう今後の対応を話し合っているところに、何を思ったかブライトさんが乱入してきた。

 

「安心していーぞ、ロイヤは信頼できる。そもそも俺がJRNに呼んだんだ」

「僕はブライトさんの事を詳しく知ってるからいいですけど、成岩さんはこの前の演習が初対面ですからね? そもそもブライトさんに対する信頼が0だと思うんですが」

「JRNにいる奴は流石に0にはならねえよ」

「あはは、厳しいねー。……さ、ロイヤ、少ししたら戻ろーか。彼らこの後用事あるみたいだし」

「その必要はありませんわ」

 

 その声の元を辿れば、ヌッと、開けっ放しの扉からコダマさんが入ってきたところだった。

 そして、その後ろに、さらにもうひとり。

 

「げっ、帝王(キング)……」

「久しいな、スーパーブライト号」

 

 帝王、ヒカリエターナルさんが続けて、部室に入ってきたのだった。

 ……なるほどね? 彼がきているってことは、十中八九要件は限定されている。

 

「人違いじゃーないですか」

「10年破られなかったコースレコードホルダーの顔をこの俺が間違えるとでも?」

「……やっぱりダメかー」

 

 ブライトさんは肩を落としながらそう溢した。なんかとんでもないことが聞こえてきたような気がするけど、ブライトさんってそうだったの……?

 

「そこにいるのは、ナマラシロイヤ号か。流石は一桁世代、この前のデビューラン、見事な走りであったぞ」

「お心遣い、感謝します」

 

 待って、君もなの?

 いや確かにそういうノリモンが連れてきたんならそういう可能性はあるけどさ。

 ……なんだろう。これから始まる話し合い、既に頭が痛くなるような予感しかしない。

 

「ねぇ成岩さん」

「なんだ」

「帰っていい?」

「駄目に決まってんだろ、できるんなら俺だって帰りてえよ」

 

 そしてとりあえず7名全員を座らせてから、話し合いが始まったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5レ後:君の察する通り

「おいコダマ号。帝王(キング)が来るとは一言も聞いてねえぞ」

「そら言ってませんもの」

「言えや事前に」

 

 話し合いが始まるや否や、まず成岩さんがコダマさんに突っかかった。

 

「これ俺らいる?」

「いずれわかるさ。話の中で必ずその時は来る」

 

 そして机の反対側では帰ろうとするブライトさん達をヒカリエターナルさんが引き止めている。なんか巻き込んだ形で申し訳ないような、とはいっても勝手に押しかけてきたんだから自業自得のような……。

 とりあえず、うん。

 

「まずは本題に入りませんか? なんとなく要件はわかってるんですけど」

「まぁ、俺がいるからな。山根トレイナー、君の察する通りだ、と言っておこう」

 

 やっぱり。

 

「巻き込んどいて分からねー話をしないでくれ」

「そうだな、改めて言おう。本日俺がここに来た理由はズバリ! 正式に決定したのだ、『鉄道の日記念メガループ』に!」

「だから何がだよ!」

 

 やっぱりそういうことだったか。

 ブライトさんらには悪いけど、僕達はその言葉で何が決定したのかを即座に把握した。しっかし、一体、ヒカリエターナルさんは何を思ってこのふたりを……?

 

「まぁ、お二方には何の話かはわからないでしょうから、本人の口から話してもらいますわ。ポラリス」

「うん、ポラリスね、レースに出ることにしたんだ!」

「今、何と……?」

 

 そしておそらくそれを聞いて動揺するだろうなと予想していたナマラシロイヤさんが案の定明らかに動揺している。

 まぁ、ポラリスの事情を知っていたのだから、そりゃこれ聞いたらこうなるわな……。というか、ここに来てベーテクさんが工場の人達にきちんと連絡入れてたのか心配になってきたぞ……?

 

「ナマラシロイヤ号、だっけか? 一応言っとくが、この話はポラリスやベーテク、コダマ号も含めて話が纏まっている」

「驚愕。しかしそれは……」

「もちろんリスクだってわかってる。それでもなお、ポラリスの希望を優先することにした」

「だが、俺もコダマも忙しく、彼らトレイナーのお二方はレールレースに関する知識はないと聞いている。故に彼女には関わらせるべき者を増やさねばならぬ。今ここで行わんとしていたのはその話だったのだが。どうやら()()()()()()()()()ようだな」

 

 あ、なるほど。そういう事か。つまりこのふたりがちょうどここにいたから、これ幸いにと引き受けさせるつもりで巻き込まれた訳だ。

 何せふたりともレールレースを走っているのでルールや注意事項を熟知しているし、何より既にこの場にいる――ポラリスを知っているのだ。それに間違いなく、コダマさんはナマラシロイヤさんとポラリスが同郷であったことまでも把握している。つまりポラリスの存在を知っていたか否かに関わらず、ポラリスが成った頃のその地の社会情勢――ベーテクさんの言葉で言えば、()()()()()()()()()()()()()()()こと――を知っている。ここまで来れば、人選として間違いではないことは確かだ。

 

「拝承。私に引き受けさせていただきたく。まだデビューランを終えたばかりですので、力不足ではありますが、何卒」

「うむ、よろしく頼もう」

「よろしくね、ねー……あっ、ロイヤ!」

 

 ナマラシロイヤさんは、話の内容を察するなり即座に頭を下げた。彼女の中にこれを引き受けないという選択肢は無かったようだ。

 

「なー、コダマ号よー。これそーいうことだよなー?」

「察しが良くて助かりますわ」

「……しゃーねーな。後輩のためだ、このスーパーブライト、やってやりますよー。どーせ面倒見るのがロイヤひとりからポラリスも含めたふたりになっただけだ」

 

 そしてブライトさんも流れるように陣営に引き込まれた。口調はイヤイヤで仕方のない雰囲気を出しているが、その顔を見ればそれが本心ではないのは明らかだ。テールライトピカピカ光ってるし。

 

「んで、エタさん、ポラリスの陣営はここにいるあんたら以外の5名ってことになんのか」

「強いて言えば、今英国にいる2名も含まれるだろうが、国内ではそうだな」

「俺らもなのか……」

「あなたベーテクのところのトレイナーでしょうに」

 

 ……あれ、しれっと僕もなんか巻き込まれてる気が。いろいろ僕が元凶になってしまっている面も多いし、ポラリスとトレイニングできるのが僕しかいない以上頼まれたら引き受けるつもりではあったけどさ。

 

「なるほどなー。ま、これからよろしくなー、嬢ちゃん」

「うん、よろしく!」

 

 しかして、ポラリスがレースに出る本格的な準備が始まったのだった。

 


 

「ところでブライト。貴様ここのところはほとんどレースに出てないようだが」

 

 話し合いの終わったあと、不意にヒカリエターナルさんがそう切り出した。

 どうも僕がブライトさんがレースで走ることを知らなかったのは、彼が公式に最後にレースに出たのがもう10年近くも前でそもそも見たことがなかったのが理由のようだった。

 

(わり)ーか? 走りてーとは思わなかっただけだ」

「つまりまだラストランをしたわけではないと」

「まーな。つーか、仮にラストランすることになってもエタさんみてーに大々的にするつもりはねーからな」

「そうか」

「ま、走りたくなったら走るさ、それが俺の性にゃーあってる。ま、いつになるかは知らねーけど」

 

 ブライトさんはおどけながらそう言った。今のレースに彼の走りたくなるようなものはない。その言葉が意味しているのはこういうことだ。

 それを受け取ったのか、ヒカリエターナルさんの顔は少しだけ険しくなった。

 

「これだけは伝えておこう。貴様の走りを見たいと思っている者、待ち続けている者は決して少なくはないと」

「物好きな奴らもいるんだな」

「それだけ貴様の走りが素晴らしいものであった事の証左よ。……そうだな、協会のメンバーとして、そして【帝国(セントラル)】の顧問として正攻法で行こうではないか。貴様がまた走りたくなるようなレースを開いてやる。楽しみにしておくがいい」

「おー、やってみな」

 

 それからふたりは、ガシリと握手を交わしたのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6レ前:店長

 ポラリス陣営が固まって少しした頃。とりあえず週に数日はロイヤさんにポラリスを預かってもらえるので僕達の方も少しだけ余裕が増え、情報収集や自分の訓練の方にも割く時間が生まれたり、久々の丸一日の休日が発生したりした。

 今日はその貴重な休日なので久々に羽を伸ばさんと西国分寺の都立図書館まで行こうと思っていたのだけど。

 

「どうして僕は担がれて運ばれてるんですかねブライトさん」

「うるせー、人間様は黙ってノリモンに運ばれてればいーんだ」

「うわ、らしくないですね」

 

 ブライトさんから連絡があって、新小平駅で少し顔を合わせることにしたらこれである。これ絶対誰かの差金だな。

 そうして暫く輸送されていると、これまた懐かしい顔に出会う。

 

「ご無沙汰してます、瓜生先輩」

「久しぶりね。……そっちもそうなのね」

 

 ……僕と同じように担がれて運ばれている。

 そしてその運んでいるノリモンはヤチさん。ここまで来れば、もう誰がこんなことをさせたのか察しがつく。

 

「店長戻ってきてるんですか」

「そーいうことだ、諦めろ。俺だってこんな目立つ手段取りたくねーし普通に連れてくりゃいーだろって言ったんだが」

 

 店長の判断基準は至って明確だ。

 面白いか、面白くないか。それだけである。ぜひ巻き込まれる側の身にもなってほしい。

 

「なんか、ご苦労様です……」

 


 

「やぁみんな久しぶりだね! 元気してた?」

「元気してたも! 何も! 一番! 連絡取れなかったの! あなたでしょう!」

 

 購買部の店長、ゲッコウフィートさん。そんな彼にツッコミを入れるのは在庫管理の鬼、ヤチヨダイスカイさん、通称ヤチさんだ。

 僕とブライトさん、ヤチさん、そしてヤチさんをキールとする瓜生先輩。購買部には数十名ほどが所属しているけれど、その中ではこの4名はよくシフトの時間も重なるので一緒に動くことがよくあった仲だった。

 

「まぁまぁヤッちゃん、落ち着いて」

「落ち着ける訳、ないでしょうがあぁっ!」

「そのへんにしとけー、俺は店長の話を聞きたい」

 

 店長に張り付くヤチさんをブライトさんが引き剥がす。

 

「ありがとうね、ブライト」

「後で一発殴らせろ」

「なんで」

「後でな、とっとと本題入ろーか莫迦。リニューアルオープンはいつなんだよ」

「ふたりともなんかひどくない?」

 

 そうは言いながらも、根は真面目な店長は資料を全員に配りながら話を始める準備に入った。

 

「さっきブライトがチラって言ってた通り、今日僕がみんなを呼んだのは、ズバリリニューアルオープンが来月、9月の半ばに決まったからなんだけどね」

「最近まで決まってなかったように聞こえるが?」

「ちょっと工事業者が混み合っててね……」

 

 どうもただでさえ供給不足の土建業界で工事も遅れ気味なのに、半導体不足もあって機械類の納期も怪しくなり、工事の終わる時期が見通せるようになったのはもうお盆が明けた後だったのだとか。だいぶギリギリだ。

 

「ま、そういうわけだから、シフト希望調査出しといてね!」

「どこに出せばいいのよ、工事中なんでしょ?」

「普通に構内便で購買部に送ってくれれば、僕のもとに転送されることになってるけど、言ってなかったっけ?」

「「聞いてない」」

 

 そうでもしなきゃ取引先に迷惑かけちゃうかもしれないじゃん? などと宣っているけれど、取引先にかかる迷惑を想像できるのならぜひとも部下にかかる迷惑を想像して頂きたいものである。

 ……無理か。対外的なところは割と真面目にやるのに身内に対してはその配慮が全て「面白そう」で消し飛ばされる方だ、この店長は。そのくせ本当に面白い企画を出して売上上げたりしているからたちが悪いというか、優秀というか……。

 

「とりあえず、月末までには送ってね。それと……」

 

 あ。店長の目が光った。これは何か企んでるな。

 

「さぁ、みんなまた集まったんだし、リニューアルオープンセールの始まりだァァァ!」

「落ち着いて、店長。まだオープンは半月先だって」

「……ったく。懐かしいなこの感覚。店長といると本っ当に疲れる、だけどそれがいい」

 

 ……良かった、まだ常識的な企画で。たぶんリニューアルオープンセールなら普通のお店でもやってるはず。

 そう思ったのも束の間。

 

「というわけで、何をセールしたいかのアンケートがシフト調査のところについてるからそこも忘れず記入しといてね」

 

 あっ駄目だこれ。

 間違いなく始まる。大喜利が。

 そしてそれを何故か採用してしまうのがこの店長なのだ。

 うん。クシーさんのところに行く前にも瓜生先輩から聞いていたけれど。

 

「クシーさんの下でも、ユニットでも結構いろいろな訓練をしてきましたが、やっぱり想定外のアクシデントへの対処法という意味ではここの購買部が一番ですね……」

「いろいろ話題になってる君でもそうなんだね……」

 

 何か理解できないことがあったときの対応を落ち着いてできるようになったのは、だいたい店長と綾部のおかげである。綾部もたいがいひどいけれど、実行してきたことの規模の大きさで言えば、今のところは店長の方が勝っている。

 

「まぁ、現場じゃ何が起こるかわからないですし、これも訓練の一環だと思うことにしますよ」

「その訓練、生かされないと思うわよ」

 

 瓜生先輩の正論が僕を襲う。

 とはいえ、そもそもこのような訓練なんてものは生かされない方がいいに決まっているので、それを願ってやっていくより他ないだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6レ中:ランカーブ

 店長から解放されて、僕とブライトさんは頭を抱えていた。

 

「どーするかあの莫迦店長」

「ここにまともなこと書いてもねぇ」

 

 正直、シフトの方はそこまで気にはしていない。店長は割と適当に組むので似たような希望がある人は割と纏まって配置されるので、今日みたくポラリスを成岩さんに預かってもらってもらってる日にシフトが入るようふたりして調整すればいいからだ。

 だが問題は、このセールである。

 まともなことを書くと、確実に採用されずに大喜利が採用されてしまう。そうなると、現場が死ぬ可能性だってある。

 これを防ぐにはどうするか。言うのは簡単だ。現場が楽でかつ、より面白い品目を記入し、そしてそれを採用してもらうしかない。かわいそうなことに、在庫管理担当のヤチさんはどっちに転んでもセール開催の時点で死ぬけど……。

 

「ノベルティの配布……は間に合わんだろーし」

「お菓子並べてPOSから販売実績抜いて公表するのとかどうですかね?」

「んー? ……おい莫迦やめろ。死人が出るぞ」

 

 駄目か。

 売上は間違いなく伸びるとは思ったんだけどな。

 じゃあ、こうするか。

 

「カップ麺並べます?」

「同類だぞ、それ。だいたい上限が入荷数になるから出来レースだろーが」

「じゃあお惣菜コーナーの唐揚げにレモンをかけたのとかけてないのを用意するとか、お好み焼きに麺が入ってるのと入ってないのを用意するとか……」

「購入数でバトルさせよーとするのやめねーか?」

 

 とは言っても。だ。

 

「エンタメ性ないと別のもの採択されちゃうじゃないですか」

「あー、そーいうことか。落ち着こー山根、これは店長の罠だ」

 

 そう言うとブライトさんは僕を持ち上げてから、ドシンとやや強めに地面に置いた。

 ……罠?

 どういうことだろう。

 

「店長はアンケートのなかから選ぶって言ってたよなー? でもさ、1()()()()とは一言も言ってねーんだよ」

「……え? でも流石に全部は無理ですよね」

「お前はまだ本気の店長を知らねーからそーいう事が言えるんだ。店長はなー、面白いと思えば不可能を可能にする、それができてしまうんだよ」

 

 ……頭が痛くなってきた。つまり、だ。

 僕がどんなことを書こうが書くまいが、店長が面白いと思ったことは実行されてしまう。そして店長含めてみんな死ぬ。

 

「これ僕達死ぬの確定してませんか」

「一緒に頑張ろーな」

 

 その言葉が意味する事を理解できない程、僕は愚か者ではなかった。

 

 ……。

 

「やめますか、考えるの」

「そーしな。なるよーになるしかない」

 

 そして僕達は考えるのをやめた。

 しかし、何も考えないでいると直前まで考えていたことを再び考え出してしまうものである。それを防がんとして別の話題をひねり出そうとして――共通の話題にできそうな、同じものに辿り着くのは、極めて自然な流れだった。

 

「なぁ山根。1つ聞ーてもいーか」

「何です」

「嬢ちゃんってどれくらい走れるんだ?」

「奇遇ですね、僕も同じ事考えようとしてました」

「やっぱりか。とっとと目標ランカーブ作っておきてーんだよな」

「ランカーブ、とは?」

「おーそっからか」

 

 ランカーブというのは、横軸に走行位置、縦軸に速度をとったグラフで、その連続的な変化を見ながら所要時間を検討するのに使うものらしい。まず一番上に基準ランカーブ、所要時間が最短となるよう加減速を行いながら走行した際の最も理想的な曲線を置き、そこから少し下に目標ランカーブを描くのだとか。

 

「それ、基準ランカーブで走る前提じゃダメなんですか?」

「それができたらレースにならねーよ」

 

 レールレースでは、その規定された走行距離毎に比例して、使えるエネルギー量、つまり電気車ならばバッテリーユニット、それ以外ならフューエルユニットに()()()()()()()()()()()()()()ルールなのだという。この残量をブライトさん達ランナーは雑にスタミナと呼んでいて、もちろんこれがレース中にゼロになれば、そこから先はモーターもエンジンも動かせなくなってしまう。そうすると、加速する力はガクンと落ちる。

 だからこそ、加速や速度の維持に使うスタミナ消費量、それに電気車の場合は回生ブレーキで回復できるスタミナ量なんかも考慮して、全体の中で抜いてもいい加速を取捨選択する……。そうして作られるのが、目標ランカーブというものらしい。

 なるほど、それは確かに重要なものだ。

 

「以外と頭脳戦なんですね、レールレースって」

「まーな。ただ、スタミナが切れてもノリモンは車と違って足を動かせる。そこに関しては完全に肉体戦だし、これにかまけてあんまランカーブを検討せずに気合と根性でカバーする奴もまー結構いる。そして何より、レースじゃ他のランナーが一緒に走るし、風だってある。いーか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、予め引いたランカーブ通りに走れることなんざまずねーよ」

「だったら……」

「だからこそ、面白(おもしれ)ーんだ。予め何十通りもランカーブを検討し、その場の状況の変化で偶然の上振れを掴み、そして正解を選び続けていく。俺がコースレコードを叩いたのは、結局は最後は運だよ。だけどな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、目を光らせながら語るブライトさんは……なぜだか、とてもかっこよく見えた。そして、彼が本当にレールレースを好きだという、その想いが強く、伝わってきたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6レ後:試運転

「それじゃあまずは、エンジンだけを使って走ってみようか。まずは全部1速で」

「はーい」

 

 ドドドドドドド。けたたましい音を上げてエンジンを起動させたポラリスが、ラチ内の周回軌道を走り出した。

 今日は早速、ポラリスの性能確認試運転だ。様々な条件でポラリスに走ってもらって、速度やスタミナの時間変化を調べる。このデータがあって初めて、ランカーブを書くことができるのだ。

 とはいえ、ポラリスの場合は走ればその走行データを自動で記録するシステムが車の頃からついているから、ただ普通に何周か走ってもらうだけで欲しいデータが手に入る。それも、足を動かさないで走るのだから補正する必要すらない。そんなものがなかったブライトさんの頃は、データを取るだけでもかなり苦労したのだという。

 

「なー、山根。1つ()ーていーか。嬢ちゃんのスタミナ源ってフューエルであってるんだよな」

「そうですね、蓄電池は載ってますけど、蓄電池なだけでバッテリーユニットではないです」

「で、回生ブレーキも使える、と。ルールの隅をつくよーな存在だな……」

「そうなんですか?」

 

 ブライトさん曰く。

 初期段階で持てるスタミナの量は、バッテリーユニットに比べてフューエルユニットの方が優遇されているらしい。その理由が電気車は大体が持っている発電ブレーキや回生ブレーキ。これらのブレーキは、減速して運動エネルギーを減らすときにスタミナを同時に回復させてしまうことができるからだ。

 そして、大抵の場合これ以外でスタミナをレース中に回復させることはできない。技を使って回復するようなノリモンもいないわけではないけれど、ほんの一握りだ。だからこそ、エネルギーを戻せないフューエルユニットは最初に入れられる量が多く設定されているのだとか。

 

「つまり、フューエルユニットに回生ブレーキの組み合わせは考慮すらされていない、と」

「そもそもが意味不明だしなー。そーいう面ではかなり嬢ちゃんにゃ有利なルールだ」

 

 僕知ってるよ、そういうのって数年暴れたら規制されるやつでしょ。

 それかあるいは、蓄電池を外せって言われるか。ポラリスの場合は蓄電池無しでも走れない訳じゃないけれど、その場合完全にモーターがただのお荷物になってしまう。かといって電気車扱いにすればと言ったところで、蓄電池の容量は……。

 

「……蓄電池容量、電気車のノリモンのバッテリーユニットと比べたらもうどうしようもないってわかりそうなものですが」

 

 車だった頃の速度ならともかく、今のノリモンとしての最高速度から回生だけで停まろうとすると下手したら回生失効する。回生失効とは、回生ブレーキで生み出した電気エネルギーに抵抗がかからなくなることで回生ブレーキが運動エネルギーを奪えなくなり、速度が落ちなくなってしまう現象のことだ。

 それがポラリスの最大の弱点で、彼女はそれを本能的にわかっていたのか初めから空気や排気――エンジンの排気弁を閉じて強力にした機関ブレーキだ――を併用して停まることが多い。逆にそんなことを知らなかった僕は停止直前まで発電ブレーキをかけるクシーさんの走りのクセで、しょっちゅう回生失効させて慌てて空気ブレーキをかける……なんてことがベーテクさんに指摘されるまではよくあった。

 

「多寡じゃなくて有無だからなー。そのへんの判断するのは協会で俺等じゃねーけど」

「難しいですね……」

「まー俺は国際ルール考えると意外と変わらねーと(おも)ーけどな。ヨーロッパじゃ電気式気動車のランナーは少なくねーから」

 

 ヨーロッパの電気式ディーゼルのノリモンも、発電ブレーキを持っている者はいても、それは車だった頃の発電ブレーキと一緒で熱として捨てるだけでフューエルユニットが回復することはない。そして彼らの中に蓄電池を持っている者はいない。つまりはポラリスが持っているのがフューエルユニットである限りは、規制しようとしたところで厳しいだろう、というのがブライトさんの見解らしい。

 

 そんなルールの話をしていると、ちょうど渡した全てのプログラムが終わったようで、ポラリスが戻ってきた。

 

「それじゃ、データもらうよ」

「うん!」

 

 ポラリスの()()の端子からケーブルを繋ぎ、ブライトさんが持ち込んだ端末へとデータを移す。

 その最中、既に移し終わったデータを眺めるのだろう、ブライトさんの顔が少し険しいものとなっていることに気がついた。

 

「なー嬢ちゃん、なんでここ一旦加速やめたんだ?」

「んー? あ! ここはね、充電してたの」

「蓄電池ってそんなに容量ねーのか……。そして充電中はモーターで加速はできねー、と。なるほどなー、あくまで電気は補助か」

 

 それから続いて転送された各ギアでのエンジンのデータを一通り眺めると、今度は逆に笑いだした。どうも今日のブライトさんは感情の波が大きい。

 

「なー山根。嬢ちゃんって本則+(プラス)いくつまでいける車だったか?」

「さぁ……。ポラリス、わかる?」

「50」

「だって」

「そうか。なら今なら……。これはアレだな、超高速域の伸びはいまいちだが、区間新記録くらいは狙えるかもしれねーな」

 

 ブライトさんはそう言いながら、にやりと笑った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ前:府中SRTT葉月CS

 レールレースは、そのほとんどが生きた線路を利用して行われる。廃線になってしまった跡地を使って行われるものもあるけれど、そういうものは決して多くはない。そもそもそういうところはアクセスに難があるので、観客が集まりにくいのである。

 だが、しかし。生きた線路というのは、少なからず利用者がいる。レースの為に列車を止めれば、振替輸送にだってお金がかかる。それでもなおお釣りが来る参加費収入、入場料収入、グッズ売上そして経済波及効果があるからこそレースが開催されているのだが、だからといってあまりにも頻繁に行えば顰蹙を買うのは間違いがない。

 

 ならば。アクセス性がよく、利用者も少ない。そして、運休させても代行輸送に困ことがほとんどない。そんな路線があれば、レースにはもってこいだ。

 とはいえ、流石にそんなに都合のいい路線があるわけ……。

 

「すぐ近く、府中にございますが」

「そうなんですか?」

「えぇ、確か本日もレースを開催していたと記憶しています。実際に赴いて、その空気を感じるのもいいかもしれません」

 

 彼女の言う都合のいい路線。それは、東府中の駅から伸びるわずか1駅、0.9kmの支線だ。普段は2両編成のワンマン電車がトコトコと往復するだけで、日中ともなれば乗っているお客さんの数が乗務員の数より少ないこともよくあるくらい。そもそも、終点の駅は10分も歩けば府中駅までたどり着けるし、特急や準特急は東府中を通過して府中に停車するのだから、朝晩のラッシュ時と競馬開催時を除けばほとんどお客さんがいないのだ。

 そんな競馬場線、通称馬線は、間違いなく関東で最も多くのレースが行われる路線なのだという。というか、そもそもの成り立ちからして、レールレースではないが競馬というレースのために作られた路線である。その気合いの入りようといえば、線路脇に10チェーン毎に目印となる棒が立っていたり、スタートなどの基準となる線も常設のものだったりするほど。短い路線なので、行われるレースは全てタイムトライアル形式のシャトルランではあるが、それでもコアなファンも少なくないのだという。

 

 そんな話をしながら、府中本町の駅から歩くこと10分。僕達は府中競馬正門前駅に到着した。大人2枚子供1枚の入場券を買って改札を抜ければ、だだっ広いホームには電車が停まっていて、その反対側には一部に観客の人だかりができている。

 

「駅のホームに屋台が出店してる……」

「比較的、よく見かける光景かと」

 

 そうかなぁ?

 そう思い、もう一度その屋台の方に目をやれば、隣にいたはずのポラリスが列に並んでいた。

 

「三元豚ロースかつカレーのマイルドをお願いしまーす」

「はいよー」

「なんでカレー……」

 

 そもそもどうして催事の屋台でカレーを売っているんだ。そこは普通は焼きそばとかお好み焼きとかじゃないのか。

 いろいろと疑問は絶えないけれど、まぁ普段の鉄道駅とは異なる雰囲気を醸し出しているということは存分に理解できた。

 

 駅の電光掲示板を見れば、そこに記されているのは次の電車の情報ではなく、走るランナーの名前。普段はろくでもないことが起きたときにしか使われない運行情報のホワイトボードには、駅員さんお手製の応援イラストが描かれている。『府中SR(シャトルラン)TT(タイムトライアル)葉月CS(チャンピオンシップ)』……このボードに記されている長い名前が、どうやらこれから行われるレースの名前のようだった。

 はぐれないように、ポラリスの手をしっかりと握ってホームの先の方まで行く。聞き耳を立てれば、人だかりの中ではワイワイガヤガヤとレースファン達が雑談をしている。

 

「オマエらは誰が勝つと思う?」

「やっぱり特別普通(スペシャルローカル)、アオキジェット号だと思う。シャトルランではここまで23勝0敗、正直負ける姿が想像できない」

「いいや、俺は見えざる足、メカマセンゾク号が上回ると思う。最近ワンウェイから転向してきた奴だから、まだシャトルランの場数は多くはないが、あの加減速はシャトルランでこそ輝くんじゃねーのか」

「確かに競馬場線1/2(ハーフ)マイルは、シャトルランの中でも屈指の短距離コース。加減速のキレとパワーは非常に重要だと言っていい」

「だろ?」

「だがこうも短い往復だと、加減速のキレだけでなく、より手前で停まり折返すためのブレーキングのテクニックが重要になる。転向してきたばかりのメカマセンゾク号が、アオキジェット号程の役者足りうるだろうか?」

「確かに。ワンウェイじゃかなり深いところで停まるしな……」

 

 ある者はこんな風にレースの予想をしたり、またある者はランナーの推しポイントを語り合っていたり。

 そんな人の間をかき分けながら、ホーム先端付近の仮設ベンチに空きを見つけて3名並んでかけると、駅のスピーカーから接近放送のメロディーが流れる。

 

 レースが、始まる。

 線路の方を見れば、第一ランナーのノリモンがホームから飛び降り、そして入線してホーム中程のスタートラインの手前の位置に停まった。彼の目線の先、ホーム先端の代用手信号現示位置では、駅員さんが手に持つ二本の旗のうち、赤い方の停止信号を意味する旗を掲げている。

 

 バサリ。駅員さんが掲げる旗を、進行を意味する緑色のものに変えた。タイムトライアル方式でのスタートの合図だ。それと同時に、ランナーが駆け出したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ中:見えざる足、メカマセンゾク

 第一ランナーは、走り出して1分半ほどしたころに東府中での折返しを済ませて、府中競馬正門前への最初のアプローチを仕掛けていた。回生ブレーキのインバータの音が、空気ブレーキのブレーキパッドが車輪を擦る音が観客席まで響き、観衆を沸かせている。

 そしてスタートラインを少し超えたところで、彼は飛び上がってくるりとその場で回って方向転換をすると、すぐさま東府中へ向けて走り出した。この一連の流れはかなり完成されていて、思わず息を呑む程に美しい。僕は現場や訓練で似たようなことをやったことはよくあるけれど、ここまで美しくはできないと思う。

 そしてそれを6回繰り返してから、8度目のアプローチ。今までの進入とは明らかに違い、やや速い速度で彼は府中競馬正門前駅に突っ込んできた。そしてまたけたたましいブレーキをかけながらスタートラインを通り越し……車止めの、すぐ手前でようやく停まった。

 

「停止位置、よし!」

『停止位置、よし! 所要、12分34秒56』

 

 ランナーの喚呼とその復唱の後に、狙ったかのようなきれいな数字がアナウンスされる。そしてその記録にまたワァっとホームが騒がしくなった。ちなみに、近くでうんちくを撒き散らしていた中年男性の話によれば、このレースだと12分50秒を切ることができれば早い方に分類されるそうだ。

 

 ……いや、はやくないか?

 1/2(ハーフ)マイルを8往復だから8マイルの行程、つまりおよそ12875メートル。それを12分52秒半とすれば平均速度が60km毎時。

 この数字だけだとそれほど速くは見えないし、実際僕だって普通に走るのならその5倍以上は出せるけど、忘れちゃいけない、これはシャトルランなのだ。1/2マイル毎に停まって向きを変えなきゃいけないことを考えると、例えばわずか1/4マイルで倍の120km毎時まで到達して、同じだけの減速度で停まる……これでようやくそのタイムになる計算だ。

 これだけならまだできなくもなさそうだけど、反復するとなれば話は別だ。基準となる地点より手前に停まりそうになったらブレーキを緩めなきゃいけないし、奥まで入ってしまえばその分走るべき距離が延びる。どちらもタイムが長くなる原因となりうる。それを15回も行うだなんて……。

 

「狂気?」

「否。この路線は馬車軌かと」

「違う、そうじゃなくて……」

 

 真顔で的を外した答えをするロイヤさんは置いておいて、僕はホームに上がってきたランナーの方を見た。彼は酷く体力を消耗したようで、駅員さん二人がかりで今は使われていない旧降車ホームへと引き上げられている。そしていれかわりに次のランナーが旧降車ホームから降りて入線すれば、また周りは騒がしくなった。

 

「頑張れー! センちゃーん!」

「いい記録を出しちまえー!」

 

 ――メカマセンゾク。入線したのは、草色の装いに身を包んだ、メカマ軍団のスピードクィーンだった。

 ゆったりと、スタートラインへと歩く彼女。だけど彼女を包むオーラは、明らかに先程のランナーとは異なるものだった。

 そして、バサリ。代用手信号の手旗信号が振り下ろされた。

 

「出発、進行!」

 

 その、掛け声が聞こえるや否や。彼女は――その場から、()()()

 いや、本当に消えたわけじゃない。恐ろしいまでのスタートダッシュを決めて、出発していったのだ。これが、()()()()()()()()()()()()()()()()

 旧降車ホームに立っている、普段は広告を表示する液晶モニターが、追跡するようにカメラがとらえた東府中へと向かう彼女の姿を映し出す。

 

 彼女は、笑っていた。忙しなく動く下半身とは対照的に、その笑顔が崩れることはなかった。そして東府中に向けて速度を落と……していない?!

 そう思ったのも束の間。彼女は東府中の手前、右カーブにてくるりと()()()()()()()()()()()

 

「何を」

「片側の車輪だけに空気ブレーキを作動、トルクを発生させ、その場で回転し前後入替。見事なブレーキ捌きです」

「えっなにそれ……」

 

 そして車輪とレールの間に盛大に火花を散らしながら、東府中に入線するメカマセンゾクさん。彼女はまだ後ろ向きに進んでいるのにもう前へと走り出す動きを見せる。

 そして東府中の2番線に設けられた基準線を越えたところで、まるでバネが復元するかのように府中競馬正門前へとロケットスタートを切った。

 

「はっやーい!」

「アレ本当に転向してきたばっかの動きかよ」

 

 観衆の反応からも、彼女の動きが常軌を逸脱していることが窺える。

 そしてその動きの秘訣は、同じ事を府中競馬正門前で折返しをする際、目の前の線路で間近に()()()することでようやく理解できた。

 

「このモーターの音は発電ブレーキを使ってませんね。後ろ向きに進みながら、ノッチを……?」

 

 なるほど、彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。これにより、彼女が折返しに要する時間は無であり、速度が0になった次の瞬間にはもう動き出していることになる。

 

 そしてこの見事な動きを繰り返した彼女が8往復に要したのは、わずか11分57秒43。12分を切る、素晴らしいと言えるタイムで暫定1位へと躍り出たのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ後:特別普通、アオキジェット

 それからしばらくは、ぱっとしないランが続いた。中には12分台前半に乗るランナーもいたけれど、その逆に16分近くかかったり、あるいは最後の最後に勢い余って車止めに激突して失格になったり、果には脱線してその片道からやり直しになったり。だけれど、ホームにいる人の数はだんだんと増えてきて、その空気もどんどんテンションが上がっていくのが感じ取れる。それはやはり、皆が期待している彼が走るのがだんだんと近づいてきているからだろう。

 

 第十二走者にして、最終走者――アオキジェット。シャトルラン最強と言われるそのノリモンが、まもなく1番に入線しようとしていた。

 焦ることなく。落ち着いた様子で。ゆっくりと、本屋から歩いて旧降車ホームに姿を表せば、瞬く間に歓声に包まれる。

 

「いいなー……」

 

 それを見て感じたのだろう。ふと、ポラリスがそう零すのが耳に入った。

 

「どうしたの、ポラリス」

「ねぇ、なれるかな? ポラリスも、あのひとみたいに」

 

 そういうポラリスの顔は、少し影がさしている。

 でも、きっとなれる。そんな気がして、返そうとしたとき。

 

「なれますよ、きっと」

 

 ポラリスの反対側に座っていたロイヤさんが、そう、力強く発した。

 

「ねーさ……ロイヤ」

「貴女は未だ不完全で、足りなくて、始まったばかり。ですから、不毛の怨嗟ではなく、花が咲くべきです。()()()()()()()()()()()()()()()()、貴女の時じゃなかった。貴女が生まれた時は、まだ。でも、今は違います。花は、必ず咲く。咲かせて、みせます」

 

 ロイヤさんのその言葉にも、どこか悲しげな、いわば懺悔のようなニュアンスが漂っている。それと同時に、まるで何かを誓うかのような、決意のようなものが、薄っすらと滲み出しているのが感じられた。

 

「……うん、ポラリス、がんばる」

「僕達も、君が輝けるように手伝うよ」

「えぇ。ですから、貴女はただ前だけを見ていればよいのです。……まもなく、出発の合図が出ます」

 

 その言葉に1番線へと視線を戻せば、既にアオキジェットさんは入線を済ませ、旧降車ホームの先では駅員さんが赤旗を掲げている。

 そして、観衆が静かになり、あたりが静寂に包まれたとき。駅員さんが反対の手に持つ緑旗へと入れ替えて掲げた。

 

「出発進行」

 

 アオキジェットさんの声が響き、走り出したのが見える。一体何が最強たらしめているのだろうか。少なくとも、この起動加速はかなり鋭いけれどもメカマセンゾクさんみたいな理不尽なものではないし、道中の様子も特に述べることはないほどに普通だ。

 だが、異変が起きたのは、東府中の場内へと進入しようとしたときだった。

 

「……えっ?」

 

 思わず困惑の声が漏れる。モニターに、奇行が映っている。周囲では、同じような声と、慣れた人の歓声が混じってる。

 

「どうして、コサックダンスを……?」

 

 そう、アオキジェットは走りながらコサックダンスのような動きをして減速しているのだ。そして東府中の基準線の真上で停ま……らない!

 なんと言うことだろうか。そのままコサックダンスを続行し、後ろに蹴り出して府中競馬正門前に向かう速度を上げている! つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「これだぜ! この走りだ! アオキジェットに方向転換なんて必要ねぇ!」

 

 興奮した観客が、そう叫ぶのが聞こえる。そしてすぐに後ろ向きに走ってきたアオキジェットさんは府中競馬正門前に入線し、また前向きに東府中へと折返した。

 そしてモニターに、この往復のラップタイムが表示される。

 

「凄い……! 後退してに走っているのに、タイムが変わってない」

「等速。これがアオキジェット号が最強のシャトルランナーと評される所以」

「なるほど……」

 

 アオキジェットさんはそのまま8往復、復路を逆向きコサックダンスで走り切っていた。どうして逆向きからきちんと基準線をギリギリ超えて理想的な再出発ができるのかは本当に謎だ。だけど、最後に突っ込んでくるときはきちんとラインを超えて深いところまで突っ込んできていた――基準線を超えたタイムが記録になるからだ――あたり、確実に自在にブレーキを扱っているのは確かなようだった。

 

『停止位置、よし。記録、11分46秒84』

 

 そして、出てきた総合記録は圧倒的だ。暫定一位であったメカマセンゾクさんの記録から10秒も縮めての堂々の優勝。ゴールインしたときから、表彰が終わりインタビューが始まるまで、歓声が絶えることはなかった。

 

 だけど、その、インタビューにて。

 アオキジェットさんは、また別の意味で観客を騒がせたのであった。

 

「将来的に海外挑戦して、2029年のRainhill Trialを目指すという目標は変わってない。だけど、今日初めてメカマセンゾク号の走りを間近で見て、このままシャトルランだけやっていればいいというわけではどうもなさそうだと感じた。だから。しばらくは、またワンウェイを走ってみたいと思う」

 

 


 

 

【府中S葉CS】SR王者アオキジェット、次走はOW挑戦へ

255
8/27(土) 15:34 配信

               

 

 

 

 

後ろ向きで府中競馬正門前に進入するアオキジェット号(記者撮影)

 

◆府中シャトルランタイムトライアル葉月チャンピオンシップ(40C✕2✕8、27日)

 

 シャトルラン無敗23連勝中のアオキジェットと短距離ワンウェイ強者のメカマセンゾクの初めての対戦カードとなった注目の府中S葉CS。

 

 メカマセンゾクは二番手でのラン、標準ペースより1分近く早い11分57秒43でゴールインし、後の走者に大きなプレッシャーをかけた。

 

 しかし最終ランナー、アオキジェットは動じず自らのレース運びを展開。大歓声に包まれる中、11分46秒84の驚異的な記録でメカマセンゾクをねじ伏せ勝利を飾った。

 

 レース後、アオキジェットはかねてよりの悲願である「将来的な海外挑戦の意向は変わらない」とするも、一転ワンウェイへの挑戦を表明。奇しくもメカマセンゾクと入れ替わる形となりそうだ。

 

 関連記事

 

【府中S葉CS】メカマセンゾク、勝利は「あってもなくてもどうでもいい」

 

【箕面記念】カツタダイスカイがV、短距離路線にも意欲

 

【環状線6耐】キューカンバーヒカリ、驚異の持続で距離伸ばす

 

【りくべつTT】また勝った!ネオトウカイザー、プロデビュー目前か

 

連載:帝王が語る今週のレールレース

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ前:巻き込み

 長く一回、短く二回、そしてまた長く一回。

 その出動の合図が、ミーティング中の部室に響いた。

 

「こちらウルサ……拝承。みんな、出動だ。ポラリスは……」

「今ブライトに連絡とったらOKだとよ。新秋津駅前で待ってるらしいから行ってきな」

「はーい」

 

 その時はまだ、普通の出動だと思っていたんだ。専用列車の乗降場に着くまでは。

 

「何、3か所に同時に発生だと?」

「えぇ、そうなんです。私も耳を疑いましたが……。なので応じていただいた5つのユニットを3分割して、それぞれの対応にあたっていただこうかと」

「つまりうち1件はユニット単独での対応になる訳だな」

「……可及的速やかに増援を手配しますが」

 

 配置担当が頭を抱えながら絞り出したその言葉に、集まった人たちは少しざわついてから……視線が、ウルサに集まった。そういうことらしい。

 

「なるほど、ウルサが単独であたろう」

「お願いします。では、残りのユニットは……そうですね、デルピーヌスとレプス、アウリガとエクレウスで組んでいただこうかと。アウリガとエクレウスはバス移動でお願いします」

 

 そして専用列車で輸送された先で、僕達はまたとんでもないものを見る羽目になった。

 発生場所が線路から少し離れていたので、最寄り地点からトレイニングし、赤色灯を炊いて急行する。視界の先には、ラッチが見えてはいたのだが。

 

「だいぶ道路がやられてんな……」

「相当、暴れたっぽい」

「これでよくラッチを張れたわね」

 

 ラッチが開発されて以降はこういった被害は減ったとはいえ、ラッチを張るより前の被害についてはどうしようもない。幸いにも、今回も人的被害は少なく、数名が軽い怪我をしただけとはいえ、壊れた街を見るのはあまり気分のいいものではなかった。

 

「JRNの者です」

「えっ……これだけ?」

「他の地点でも発生が同時多発しているようで。増援も手配中です」

「それは……厳しいですね」

 

 一度トレイニングを解いてから、現場の警戒にあたっていた神奈川県警の方といくつか言葉を交わした。

 その中で、申し訳無さげに警察の方が爆弾を投下した。

 

「その……申し上げにくいのですが、2名ほど、巻き込んでラチ内に」

「何だと!?」

 

 早乙女さんが柄にもなく焦りの声を上げ、この場に緊張が走った。僕達は、その言葉の意味することがわかるから。

 大禁忌だ。ラッチを超えられるのは、トレイナーがトレイニングをするか、それを解くタイミングのみ。だからこそ、クィムガンが閉じ込められるがために人的被害を抑える手段として浸透した。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、どうなる? それを防ぐために、クィムガンを閉じ込めるためにラッチを張るときは、誰も範囲内にいないことを確認しなければならない。

 

「なぜすぐに再展開をしなかった」

「当方もラッチを張ってすぐに開こうとしましたよ! ()()()()()()んです」

「ラッチを張ってすぐに、ラッチコアから出たのか……」

 

 ラッチを開けることができるのは、エキステーションに誰もいないときのみ。つまり、そのその一瞬の間にラッチコアから何者かが外に出てしまったことを意味する。

 巻き込まれた者がクィムガンから距離を取ろうとして出てしまったのだろうか? 何れにせよ、中で最悪の自体が起きていないことを願うしかない。

 

「分かった。クィムガンの情報はいい。直ぐに入るぞ」

「ですが」

「我々は様々な状況に対応できるよう、訓練を積んでいる。行くぞ」

 

 そう声を荒げながら入場する早乙女さんに続いて、全員でラチ内へと入場すれば、感じる。

 ……違う。これまで対面してきた、どのクィムガンとも。

 

「なんだ、これは」

 

 長年やってきた早乙女さんですら違和感があるようで、否応なしにこれが特異的なものであることを窺わさせられる。

 そしてそのクィムガンは……クィムガンなのか、これ?

 ()()は、こちらから見てラッチコアの手前にそびえ立ち、薄くぼんやりと赤色に光っていた。

 

「成岩君と山根君は取り残された者の捜索を。それと……とりあえず、軽く刺激を与えて反応をみようか」

「アタシがやる、《ONE》」

 

 成岩さんは向かって右に走り出した。ならば僕は左を確認しよう。

 そう思って出発前に僕がポラリスをトモオモテに纏って走り出す横で、北澤さんがそのクィムガンを()()()

 しかし、ここにも異変。なんと触れたところがぽろりと崩れた。つまり、そこにシールドがない。

 

『何だ、これは……』

『リーダーも、わからない?』

『あぁ。念の為、写真を記録しておこう』

 

 巻き込まれた方を探す僕を置いて、無線の奥からは不穏なやり取りが聞こえる。場数を踏んでいる()()()()()()()()()()()()って、どういうこと……?

 

『各局、こちら成岩。ラッチコアにて巻き込まれたノリモン1名を視認。クィムガンの危険は直ちには無さそうだが、接触、保護する』

『こちら早乙女より成岩へ。セチ、ヨロタム』

 

 ……とりあえず1人は見つかったようだ。だけど、左側を右回りに半周しても、それらしき人影は見当たらなかった。

 それを報告しようと無線機に手をかけたとき。

 

『成岩より各局へ、もう1名だが、保護した者より所在情報提供あり、念の為警戒しつつラッチコアに集合されたく』

 

 成岩さんから、再びの情報がもたらされたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ中:大いなる新計画、ジュゥンブライド

「派閥の揃った5人組。……もしかしてJRNの方ですか」

 

 成岩さんに呼ばれてラッチコアに行くなり、そこにいたその不思議な雰囲気を纏う真っ黒なタキシードに身を包んだノリモンは、僕達を見定めてそう言った。

 

「あぁ、その通りだが」

「それはそれは。おっと、名のり遅れたね。俺はジュゥンブライド、見てわかる通りバランスのノリモンさ」

「君がやったのか、これは」

「うーん、ちょっと違うな。まぁ、もうすぐはじまるだろうから見てな」

 

 そう言うとジュゥンブライトはクィムガンを指さした。

 

「待てやジュゥンブライド号。仲間を全員集めたらもう1名の居場所を教えてくれるんじゃなかったのか」

「そんなに焦るなって。すぐわかるから」

 

 ドクン。

 

 その言葉を聞いたとき、何かを感じた。彼の指差す、クィムガンの方から。

 そしてその方を見れば、薄っすらとまとっていた赤い光が少しずつ、じんわりと強くなっているのが確認できた。

 

「何が始まってるの?」

「これ、まるで……」

 

 ピキリ。クィムガンの表面にひびが入って、そこから眩しい赤色光が漏れ出ている。

 

「各位、念の為警戒を」

「「「「承知」」」」

 

 光はどんどん強くなり、表面はクィムガンの表面を割って呑み込む。そのまま少しの時間が経てば、ついに全ての肌が見えなくなると……今度は逆に、急激にしぼんだのだった。

 そして、しぼむとともに体積に反比例してさらに光が強くなる。それはもう、直視できないほどに。

 嗅覚聴覚を研ぎ澄ませ、目を瞑る。音もなく、ただ光だけがそこにあって……そして、まぶた越しの光が弱まったのを確認してから目を開いた。

 

 弱まった光の発光源は、いつの間にやら人型をしていて……最終的には、ひとりのノリモンだけがそこに遺されていた。

 そのノリモンは光が収まると、ふらりと倒れかけて……そこに、ジュゥンブライドさんが飛び込んで受け止める。

 

「あちゃー、気絶しちゃったか」

「終わった……のか?」

「あぁ。ここにはもうクィムガンはいない。いるのは君たち5人のトレイナーと、僕とこの子の2人のノリモンだけさ」

 

 ジュゥンブライトさんはそう言いながらその気絶していたノリモンを背負う。すやすやと、穏やかな寝息を立てているようにもみえた。

 確かに、念の為あたりを見回しても他の存在はラチ内に見当たらない。

 

「どうやらそのようだな。ならば佐倉君、ラッチを……佐倉君?」

「……ん、いや、なんでもない。開けてくる」

「出場したら、本部への連絡も頼むよ」

 

 佐倉さんは何かを考える素振りを見せながらも、ラッチを開けに向かった。

 

「さて、君達も真ん中の方へ。そうしないと開けられん」

「そうなのか。ラッチの中に入るのは初めてだから何もかもが新鮮だ」

「確かに、トレイナーと深く接しない限りはノリモンがここに入ることは普通はないからな。後で神奈川県警には強く言っておこう」

「ははは。あいつらマジしょーもないしな。でも、貴重な経験にはなったよ。危なかったけど」

 

 そんな話を交えながらラッチコアに辿り着く。まだ佐倉さんは出場していないようで、成岩さんが出たらすぐ開けていいと無線を飛ばしていた。

 

「ジュゥンブライド号。1つ、こちらからも参考までに聞いておきたいのだが。最後のクィムガンがああなったのは君がやったのではない、と言っていたが。それはつまり、今君の背中で寝ている子がそうしたという認識で誤りはないだろうか」

 

 早乙女さんは、ジュゥンブライドさんの背中のノリモンを指してそう確認すると、彼からは肯定の答えが戻ってきていた。

 

「俺は暴走したクィムガンのシールドを叩いて割る直前まで持っていくだけで精一杯だった。あとは全て、この子がやったことだ」

「そうだったか。ご協力感謝すると、伝えておいてほしい。私達はこの子が目覚めるまでこの現場に居られはしないだろうから」

「わかった、伝言承るぜ。JRNの……」

「早乙女だ」

 

 そのやりとりの直後に、ラッチコアの周りに光の壁がそびえ立ち、エキステーションと切り離される。ラッチが開く合図だ。

 

「入れられた時はめっちゃ焦ってたからよく見えなかったけど、こんな感じなんだな」

 

 そしてこの光景を目を輝かせて見るジュゥンブライドさん。僕達からすれば当たり前の光景も、彼からすればそうではないんだ。彼の目にはかなり新鮮なものに映っているのだろう。

 それから少しの浮遊感を経てラッチが開かれれば、早乙女さんが警察官の方へとすぐにすっ飛んでいった。アレは相当頭にきているとみえる。

 

「……わかりました。至急戻ります。……あれ、リーダーは」

「警察官の説教しにいったぞ」

「山根、呼んできて」

「えっ僕がですか?」

「至急戻るようにって指示だから」

 

 えー……。あの見たこともないほど怒ってる早乙女さんのとこに突っ込みたくないんだけど。

 まぁ、これも仕事か。

 

「ふたりともノリモンだったから大事には至らなかっただけで、これが普通の人間を巻き込んでみなさい、最悪の場合が発生するまで短ければ1分もかかることは」

「早乙女さん、上から速やかな帰還命令です」

「ない……と、そうか、ありがとう、山根君。……後でJRNより県警本部を経由して通達が行くので、そのつもりでいるように」

 

 意外にも、早乙女さんは僕が要件を伝えればすぐに怒るのをやめて言葉を切り、震える警察官を置いて皆のもとへと戻った。

 

「おかしいなぁ、ラッチ張るときに見えたのは片方は間違いなく人間だったはずなんだけどなぁ……」

 

 そうつぶやいた警察官の言葉は、早乙女さんを追って戻る僕の耳には入らなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8レ後:振り返り

 新小平に戻り、情報整理のために招かれた部屋で僕達が聞いたのは、にわかには信じがたい報告だった。

 

「人為的に、ノリモンをクィムガンに……?」

「はい。アウリガとエクレウスが向かった先からは、そのような目撃証言が」

「それは……事実だとしたら、大変で大変だ」

 

 うお、早乙女さんの語彙力が溶けてる。

 こんな状況の早乙女さんを見たことは今まで一度もなかったので、おそらく相当に動揺しているのだろう。

 

「ウルサの向かった先では、何かイレギュラーはありませんでしたか」

「イレギュラーは、イレギュラーだ」

 

 あっこれは相当駄目なやつだ。答えが答えになってない。

 僕達は顔を見合わせてから、早乙女さんの肩を叩いた。

 

「リーダー、俺から話すから一旦休んでな」

 

 僕と佐倉さんとで脇の下から早乙女さんを持ち上げ、ソファーに座らせる。彼は一度顔に手を当ててから、言葉をひねり出した。

 

「……すまない」

「そのために、5人いる」

 

 早乙女さんはなにか言いたげな顔をしてから、一度首を横に振った。

 

「頼む、成岩君」

「任せとけ。報告する、俺等の向かった先では、現地警察がノリモン2名をラッチに巻き込んでしまっていて、俺等が入場したときにはほぼほぼその巻き込まれたノリモンによりクィムガンは無力化されていた」

「それは……ずいぶん無能な警察官と有力なノリモンですね。それ以外に情報は」

「ない。警察と情報共有する前に巻き込まれた2名の救出のために入場し、出た後は即刻帰還命令だ。巻き込まれた2名の証言も含めて、警察からの報告を待つしかねえ」

 

 あの警察官がきちんと報告まとめられるかには割と疑問符がつくけれど。さすがに本署まで行けば他の警察官も対応に加わってくれると信じたい。

 

「入場前に情報共有をしているものだと想定して帰還命令を出したのですが、事情が事情ゆえ仕方ありませんね。他になにか気がかりなことは?」

「んー、ただ1つあるとすりゃ、帰路で確認したことだが、ユニット全員が入場時にその空気に違和感を覚えていた。ベテランのリーダーから新人の北澤山根まで、全員が、だ」

「違和感、ですか」

「あぁ。気がついたら消えていたが……」

 

 確かあのクィムガンが消える直前くらいまでは、妙な違和感があったのを覚えている。

 

「それと、あの最後の攻撃もアタシは初めて見たかな。知らないだけで、似たようなのがあるのかもしれないけど」

「……いや、私も見たことがないな」

「あの内側からクィムガンを喰らい尽くすかのように強く光ったやつですよね」

「わかりました。一度報告書にまとめて下さい。3ヶ所全てのクィムガンの報告書も届き次第、全て纏めてこちらで精査します」

 

 その言葉の指す意味は、明確だった。

 

「つながっている、と考えて」

「そこも精査すれば結論は出るでしょう」

 

 それから全現場の撤収が終わるまで、僕達は部室待機で報告書を仕上げることになった。

 


 

「さーて、みんな戻ってきたね」

 

 スタァインザラブは集まったメンバーを見て、満足げにそう発した。

 

「さっそくだけど、どうだったか報告してもらうよ。まずはブゥケから」

「一言で言えば、失敗。すぐ嗅ぎつけた野良トレイナーに見つかっちゃって、ラッチを貼られておしまい。状況的には、この前のシャワァのとおんなじ」

「やっぱりラッチ、アレはどういう仕組みなんだろうね。通れるのがトレイナーだけだなんて。……次いこっか、ジュン」

「大成功。リロンチもさせられたし、何より警察がトチって俺ごとラッチに入れたからな」

「……へぇ! それは!」

 

 スタァインザラブは、ジュゥンブライトの手をとって喜んだ。

 

「リロンチの最中にJRNのトレイナーがやってきたけれど、なんとかボロ出さずには誤魔化せたと思う」

「それはよくって、気になるのはラッチの方だよ! アナタから見て、ラッチはどういうものに見えた?」

「ラッチってのは、言うなりゃ結界だ。あの内側は人造的な領域(ゾーン)で、この次元(プレイン)じゃない。そしてその2つをラッチという結界で繋いでいる……俺には、そう見えた」

 

 次元と領域は類似した概念だ。この世界のの中のシステム化された空間で、その内部に意識体が発生しうるものを次元、しえぬものを領域と呼ぶ。そして、どの次元や領域にも属さない残された空間がどこでもない領域(ゾーン)で、モヤイはこのどこでもない領域を通ってそれぞれの次元や領域を繋いでいるのだ。

 ジュゥンブライトの考える、ラチ内の空間は領域であるということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを意味する。

 

「なるほど、別の領域かぁ。それは厳しいね。今度Cycloped様に聞いてみるかなぁ」

「Cycloped神に?」

「うん。あの方、いくつかの次元を行き来しているみたいだからね。じゃあ最後、リング。どう? 上手く行った?」

「……Negative。見られてしまった」

「見られたって、何を?」

「全部だ。ヤバいと思って飛んで逃げたからオレだってことはわからなかったと思うが、祝福を与えたところから一時的にクィムガンになってしまうところまで全てを」

「そっかぁ。アナタはしばらくは今まで通り裏方だね」

「かたじけない……」

「いいのいいの。今回はアナタ達が実際に動いてどうなるのかを見たかったのもあるから。他の方に適性があるのに適性が無いってわかってることをさせるほど、ボクは無能じゃないからね」

 

 スタァインザラブは笑顔でそう言いながら、頭を下げているエンゲヰジリングの肩に手をおいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ前:内覧会

「って感じで、不思議な出動だったんですよね」

「うーん、レオミノルじゃそんな変なのあたったことないなぁ」

 

 店長に指定された集合時間の前。たまたま前入りしていた瓜生先輩――レオミノル・ユニットに所属している――との話の中で、話題は自然と半月ほど前の不思議な出動に移っていた。

 

「でもあのレポートに書いてあることが本当だったら、ヤバいよね」

「ヤバいですよねぇ。ただでさえJRNまで要請が周ってくるクィムガンってラッチがなかった頃は酷い被害を出してたのに、それが人為的に引き起こされたら、それはもう……」

「テロよ、テロ」

 

 結局、まとまった報告書では3か所の発生自体は関連があるとは断定されなかったけれど、同一の人物あるいは組織によって引き起こされた可能性を完全に否定することはできない、といった結論が出ている。()()()()()()()()()()1()0()()()()()()()()()()()()()()()()()()()J()R()N()()()()()()()()()()()()()()()()。緊急的に職員や研究員、あるいは各派閥やスクールなどでの教官などに専じている、ユニットに所属していないトレイナーを集めて対応させるといった提言がまとめられてはいるけれど、どこまで効果があるのやら。

 これ、そのうち今は週に2日半のユニットでの活動がそれぞれたとえば3日とかになったり、あるいはユニットの活動ではなくともユニット全員がJRNの敷地内のみで済む活動に限定されたりする日や時間帯ができたりするんじゃんじゃないだろうか。

 

「JRNにできることなんて、備えることくらいだから。みんなで頑張らないとね……」

 

 結局は、瓜生先輩のこの言葉が全てなのだ。クィムガンが発生する条件が解明されていない以上、JRNはクィムガンが発生してからしか動けないのだから。

 

 そんな話をしていると、ぼちぼち時間も過ぎて約束の時間に近づいて、部屋に集まる仲間の数も多くなってきた。この購買部にはノリモンとトレイナーが合わせて30名ほどが所属しているから、ほぼ全員が集まった形になる。

 そして、自ら予告した時間通りに店長が現れたのだった。

 

「いやぁ、みんな! 本当に待たせたね! 来週の頭、月曜日についにリニューアルオープンだよ!」

 

 と、言うわけで僕達は工事が終わり、まだ新築の内装の香りがプンプンとする購買部へと連れられた。

 まだ商品は納入されていないから、ガランとした棚だけが並んでいるだけだけれど、それでもどこか懐かしい感覚が背骨を撫でた。

 

 それから店長に案内されるまま、リニューアルオープンで変わったところを中心に見て回る。一新されたレジのPOSや、新しくできたカフェテリア――という名のただのイートインコーナーだ――、そして記憶にあるものよりは広くなっているバックヤード。正直、一年前のあの妙に薄暗くボロボロの購買部と同じ場所に作られたものとは思えないほどにきれいだ。

 そして店内を周りつつ、店長は皆から出てきた疑問や質問に丁寧に答えていた。こういうところは真面目にやるんだよな……。

 

「本当に、また始まるのね……」

「やっぱりユニットでの活動だけじゃ寂しいですよね。他の人達みんな研究とかやってますし」

「それもあるけど、ユニットでの立場としてもね。購買部が休みだと備品の経費申請がこんなに大変だったとは思わなかったのよね」

 

 瓜生先輩は遠い目をしながら言う。

 

「そうなんですか?」

「だってコピー用紙買うだけで見積もりとらなきゃいけないし、わざわざ検収もしなきゃいけないのよ?」

 

 3月の改装のために休みに入る前はいろんな部署やユニット、ラボの方々が消耗品をまとめ買いに来ていた理由が分かった気がする、とは瓜生先輩の談だ。

 というか、そんなんなのになんでリニューアルオープンの改装で半年も閉めちゃったんだ……。

 

「君たちは知ってるでしょ、古い設備だましだまし使っててもうボロボロだったこと」

 

 と、頭の中で考えていたことに対して唐突に店長から答えがかえってきた。

 

「あれ、口に出てましたか」

「ばっちり」

 

 店長曰く、本当は別の場所に新店舗作って今までの方から商品と店員はぜんぶ即日移転! で済ませたかったらしいのだけど、本部からその許可が降りなかったらしい。

 

「もしかして長々とやってたのって」

「いや、それはただ単に工賃抑えたかったのが本音だよ。腹いせもちょっとはあるけど」

 

 あるんかい。

 まぁ確かに検収には本部の方の立ち会いが要るらしい――ベーテクさんがなかなか来ないことに対して怒っていたのを覚えている――からこの半年は本部は大忙しだっただろうけど。関係ない方たちからすればとばっちりもいいところだ。

 

「予算絞る本部が悪いね」

「うわぁ開き直ってる」

 

 でもこうなったからこそ、次にリニューアルが必要になったときには別店舗移転が認められるんだろうな。何十年先のことかはわからないけど。

 

 それから僕達が一通りの設備を見て回った後は、全員で輪になって諸々の初回発注分を決めたり、あるいは棚に何をどう置くかの配分を決めたりしていたら、いつの間にやら日が落ちていて。帰り際に来週分のシフトを受け取って、あとはリニューアルオープンの日を待つのみとなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ中:リニューアルオープン

 リニューアルオープン当日。

 僕達は、お客様を迎える前の最後の仕上げをしていた。

 

「陳列よし、POPよし、バックヤード在庫準備よし! 品出し班終わりました!」

「OK! レジ班は」

「バーコードリーダー動作確認、釣銭準備、決済端末通信確認、配布クーポン準備全てOKです」

 

 午前10時の開店まであと4分。店内での最終チェックが終わり、後はもう迎え入れるだけだ。

 僕はレジに立って、時計と入口を何度も交互に見つめていた。

 

 そして、その時がやってきた。

 部屋に流れるラジオが、1秒おきに音を発し始める。そして、長い音を鳴らすと同時に、時計の長い針がまっすぐと真上を指して。

 ついに、新生購買部の、入口の扉が開けられた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 入ってくる方たちに、仲間とともに同じ声をかける。普通は入店早々にレジに直行するような客はいないし、ましてやリニューアルオープンの日ならなおさら。なので少しの間はこうやっているだけだ。

 

 だけど、そんな時間も数分で過ぎて。

 何せあれだけ店内に入ったんだ、一度レジに列ができ始めると途切れることはなくバーコードを読み、金額を伝えてお金をやり取りしたり、決済端末を操作したりしてからレシートとクーポンを渡す。その繰り返しになる。空いている時は鬱陶しいとすら感じる、こっちで金額を伝えてから小銭を探し出す客のその時間だけが、皮肉にも今は逆に僅かに休める貴重な時間になった。

 尚、その間にレジ列が伸びるので結局休めないのではというド正論は禁止である。せっかくセルフレジが新しくできたんだからそっちも使ってくれないかなぁ……。

 

 1時間弱ノンストップでレジを打ち続ければ、ようやくレジ列が解消し、業務に余裕ができる。そこで一息つこうとしたところで。

 

「よろしくお願いしまーす」

 

 カゴいっぱいの商品を持ったお客様がレジにやってきたのだった。結局休めない。

 でも、そんな購買部での業務が、どこかまた懐かしくもあった。

 

 そして、11時を回ってしばらくした頃。その見知った顔がやってきたのだった。

 

「いらっしゃいませー」

「すみません、563位のアイツを3つください

「むりだよ

「えー!? 山根と俺ちゃんの仲じゃん」

「何しに来たんだよお前」

 

 まず入店してまっすぐにレジに直行する時点でおかしいよ。コンビニみたいに収納代行とかやってるわけじゃないんだから。

 前営業日のクレームとかも考えられなくはないけれど、今日はそもそも再開が久しぶりで今更言いに来るわけがない。

 

「えっ……? お客様にそんな言葉遣い……」

「冷やかし目的なら帰ろうな。僕は忙しいんだ」

 

 なんで綾部は被害者面してるんだ。

 話を聞いてみれば、前を通ってそういえば僕が購買部にいることを思い出して入ったらいたから話しかけたとのこと。

 

「気持ちは嬉しいけどさ。……まぁ、後30分もせずに休憩入るからそれまではカフェテリアでまってて」

「そうか、業務中ならしかたねーな」

 

 どう考えてもレジに立ってる時点で業務中だろうという常識は、綾部には通用しないようだった。

 なお、さすがに何も買わずにカフェテリアにいるのはまずいと思ったのか、休憩までの間にゴボウを一本お買い上げしていった。最初からそうしようね。

 

 そして休憩時間に入りカフェテリアに向かうと、綾部はそのゴボウを生のままボリボリと丸かじりしているところだった。

 僕はその向かいに座り、彼が食べるのを一段落させるのを待ってから話しかけた。

 

「さすがにゴボウをそのまま丸かじりしてる人は初めて見たよ……」

「お前だってよく大根とか人参とか丸かじりしてたじゃねーか」

「せめて洗おうね」

「いいじゃねーか」

 

 いや、普通に土ついた皮ごと食べるのは良くないと思うんだけど。確か地場の有機野菜しか扱ってないから農薬は大丈夫なはずだけど、後でお腹を壊しても知らないよ……。

 

「そういえば、もう車椅子はいらないの?」

「おう。今月の頭にもういーだろって話になってな」

「そりゃよかっ……いや、そもそも一体何してあんだけ腱をやっちゃったのさ」

「ん? いや、修行の一環で片足でうさぎ跳びしながら高尾山登り降りしてたらさ、筋肉痛だと思ってたのが実は腱炎でよー」

「片足で、うさぎ跳びして、高尾山……?」

 

 何やってんだこいつ。

 

「ほら見ろよコレ。去年の今頃の俺ちゃんの足」

 

 そう言いながら携帯端末をいじって綾部が出したのは、まるで虫に刺されたかのように足の一部が膨らんで真っ赤に腫れ上がっている写真だった。

 うん、ここまで悪化してりゃ車椅子生活になるわな……。本当に何してんだこいつ。

 

「で、それやってなにか得られるものはあったの」

「療養中ノーブルの事務仕事やっててそっちの要領はかなり良くなった

「僕は君には事務仕事任せたくはないね……」

 

 何考えてるんだコダマさん。かなり忙しいって言ってたから猫の手でも借りたかったんだろうけど。

 

「失礼な。仕事はしっかりやるのが俺ちゃんだぜ?」

「だったら現場出る訓練に支障きたすような怪我を初期段階で気づけずに悪化させないで」

「ぐぅの音も出ねえ」

 

 そう、まるで数年前までのスクールの休み時間でしていたような話を続けていると。

 

「はは、本当に君たちはスクールの時から変わってないっすね」

 

 これまた懐かしい、忘れかけていた声をかけられたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9レ後:同期

「お、どうした名松」

「どうしたも何もユニットの消耗品買いに来たら君が店員と揉めてるのを見て、急いで部室に備品置いて戻ってきただけっすよ」

「なんか綾部がお騒がせしたみたいで……」

「いや、むしろその店員の方が君で納得……いや、安心したってところっすね。人柄わかってない人には喧嘩になるようなふざけ方はしないチキンっすから」

 

 酷い言われようである。実際、気のしれてくるまでは、ふざけはするけれど意味もなく直接的にも間接的にも被害を与えるようなことはしない。そしてそのしきい値の見極めが済むと、そのギリギリのラインを的確に攻めてくる。そんな奴なのだ。綾部という男は。

 というか、この程度の最低限の良心がないような人とはいくらスクールの同期という関係性があったところで、3年間も仲良くなんてできないし、ましてや500日間わざと連絡断って再会の約束なんて取り付けられやしない。そういった面では、お互いに信頼している関係だ。

 

「流石に初対面の奴に殴りかかったらやべーやつだろうが」

「えっ、もしかして自分がやべーやつじゃないと思ってるんすか」

「いいや全然」

 

 そしてこの、僕たちに話しかけてきた名松君もまた、僕達と同じスクールの同期だった人だ。スクールの頃はそこまで僕達とは交友は深くはなかったけれどね。

 

「いつの間に君たちそんな仲良くなったのさ」

「そりゃ同期でノーヴル入ったのこの2人だけっすからね。こっちからしたら君があの委員長と同じユニットにいるって事の方が驚きっすよ」

「そうかな」

「そもそもあの時JRNに入った17人のうち、既にユニット入ってるの君たちと僕との3人だけじゃないっすか。それで最初の2人が両方ウルサに入って、それもスクールの時にそんなに絡みなかったのがってなったら流石に」

 

 言われてみればそうか。そもそもキールが見つからないとユニットには入れない――というかそもそもユニット以外の活動含めてJRNの中でまともに稼げない――し、ウルサも含めて教官役に転向、派閥の方に注力、地方支局への出向、退職などの理由で欠員が出ない限り新しいメンバーを募集すらしないユニットだって少なくはないわけだし。

 ……ん?

 

「あれ、今しれっと君もユニット入ってるって」

「こいつこの前カリーナに入ったらしーぞ」

「なんで君が言っちゃうんすか? ……そういうことっすから、出動被ったときはよろしく頼むっす」

 

 ってことはあのカリーナノーヴルの人がユニットを去ったのか。

 詳しく聞けば、どうやら来月頭付けで教官に転向する都合で名松君が入ったのらしい。

 

「その時はこちらからも宜しく。確かカリーナ・ユニットとは前に1回出動被ったことがあった気がする。高山さんのとこだよね」

「そうっすね、あの時も既に出入りはしてたんすけど、戻ってきた皆さんから君や委員長のこと根掘り葉掘り聞かれたっすよ」

「そんな聞かれるようなことしたっけ……」

「2人揃ってトランジットしといてそれいうんすか?」

「それはただ単に早乙女さんの方針だって」

 

 実際、早乙女さんがそういう戦略を得意としているからウルサがそういう手に出がちなのであって、決して僕達が凄いという訳じゃない。のだけれど、この前瓜生先輩からそこを誤解されることになる理由を聞いてはいるんだけど。

 というのも、先輩のいるレオミノルを含めて、どうも他のユニットではトランジット・トレイニングは数年かけてキールの方を熟練させてから手を伸ばすような扱いをされているものらしい。なのでまだJRNに入って2年目の僕達がトランジットをしている事自体がかなり特異に映るのだとか。早乙女さんや佐倉さんはそんなことを一言も言わずに僕達にトランジットを勧めてきたけれど、それはウルサならではのことだったのだ。

 

「普通ユニットの外の人からの指摘で気づかないすか」

「僕のロケットでの所属、ここだからね?」

「あー……」

 

 と、その時。

 僕と名松君との間を、ゴボウが遮った。綾部だ。

 

「2人とも俺ちゃんのわからん話しやがって。いいなー早く俺ちゃんもユニット入って活動してーな」

「君はまずキールをみつけるところからっすよ」

「見つかってはいるぞ。まだトレイニングできてねーけど

「そりゃあの足じゃむりだよ」

「だからこそ今頑張ってるんだろーが。待ってろよ、2人とも。遅くとも来年中にはユニット入って現場でもバリバリやってやるから」

 

 うおっ、この急な現実的な期限の設定は、綾部が本気で言っている時だけだ。

 こういうときの綾部は、本当に強い。実際彼が現実的なことを言った場合でそうならなかったことは今まで片手で数えられるほどしかない。なんだかんだいって根は真面目な奴なのだ。

 

「待ってるっすよ」

「綾部ならどんなクィムガンでも対応できそうだもんね」

「おぅ……っ待て山根、そりゃどーゆー意味だコラ」

 

 どういうも何も文字通りだけど。

 自分から大波乱を起こすような奴は、そういったことに対する対処法を考えてからやってるわけで、結果として突然のトラブルに上手く対処できたりする。だからこそ、何が起こるかわからない現場では()()()()()()()かなり安定した活躍をしてくれそうなもの。

 

「僕はね、君を評価してるんだよ。だから、待てる。君が活躍するのを」

「そりゃどーも」

 

 それから急に多客の時間が訪れてヘルプに駆り出されるまで、僕達は雑談に花を咲かせていたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10レ前:仮説

「……という訳で、私はこっちを調べたい」

「なるほどのぉ。確かに、これは」

 

 鳥満博士の研究室では、恒例のゼミ発表が行われていた。

 スクリーンには、佐倉の撮影したあるクィムガンの最期()()()()()()映像が映し出されている。

 

「次、参考映像。ヤチヨダイスカイ号のやつ」

「あぁ、ヤッちゃんのアレね……」

 

 切り替わった映像では、象牙色の車体に重機が差し込まれようとしている。そしてそのバケットの先が差し込まれた瞬間――車内が光り、窓が黄色に染まった。

 重機を操る作業員は一度手を止め、一度降りて車に近寄った。そして光が収まったことを確認してから、車端部の梯子をよじ登って車内に入ると――

 

 ――その作業員は、少ししてひとりのノリモン、ヤチヨダイスカイ号の手を引いて出てきたのだった。

 そしてその後、もう一度スライドが切り替わってクィムガンの映像に戻る。客観的に見ても、2つの動画には確かに類似点が認められるだろう。

 

「確かにこれが事実なら、クィムガン対策の方針が変わるかもしれない。でもなサクラ。発生そのもの自体は俺達の専門外だ。発生学の安慶名先生のところに情報提供だけして丸投げするべきだと俺は感じる」

「……っでも」

 

 ナリタスカイは、そう佐倉を宥めた。

 JRNには多くの研究者がいて、そしてそれぞれの得意とする分野が異なる。ここ鳥満研究室の得意分野は超次元で、発生学ではないのだ。

 ならば発生学を得意とする者にタレコミを流すなり、あるいは研究を依頼すればいい。それが、スカイの考えだった。

 

「気持ちはわかる。だがお前だって安慶名先生からすりゃ立派な研究対象になりうる訳だ。ガス抜きのために映像と情報だけ売るなり投げつけるなりするほうが身のためでもあるんじゃないか」

「私もそう思うのう。安慶名さんのとこは間違いなくJRNで一番ノリモンの発生に明るい研究室じゃ。既に持ち込んでいるものも合わせて、彼女の方に持ちこんだ方が丸いじゃろう」

「でも、これが私と似てるとしたら?」

 

 佐倉のその言葉に、ふたりは一度顔を見合わせた。

 

「……ほう?」

「この後ラッチを開けに出場したとき、外にいた警察に聞いた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()1()()()()。でも、私達が見たのはこのクィムガンの中から出てきたノリモンと、もうひとりのノリモンだった。それは間違いない」

「おい、それって……」

 

 スカイは慌てたように立ち上がる。もし彼の懸念が正しいのだとすれば、それは。

 言葉が詰まったスカイのかわりに、もうひとり同席していたノリモンが佐倉に問うた。

 

「クィムガンが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう言いたい訳?」

「そういう事。流石ナリタ姉さん」

「だが待ってほしい。ならば()()()()()()()()()()()ことに無理がある」

「いや、観測されてる事象の、恐らく裏側にある。どういうプロセスかは解らないけど、この録音してくれてたものに、引っかかるものがある」

 

 佐倉は続けて音声ファイルを再生した。成岩が念の為作動させていた、ボイスレコーダーに記録されたジュゥンブライトの発言だ。

 

『あぁ。ここにはもうクィムガンはいない。いるのは君たち5人のトレイナーと、僕とこの子の2人のノリモンだけさ』

「これは、いたはずの人間とクィムガンが消えて、ひとりのノリモンになったことを示唆する発言」

「流石に無理があるんじゃ……」

「次」

『俺は暴走したクィムガンのシールドを叩いて割る直前まで持っていくだけで精一杯だった。あとは全て、この子がやったことだ』

「そしてこれが、その行為の主体が元クィムガン側にあったことを示唆。そして、それを起こすために()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ピクリ。鳥満の眉が動いた。

 

「よもやSバーストを疑っておるな」

 

 Sバーストが起きれば、行方不明者が出ることも少なくはない。だが、単純に行方不明として処理されたその裏で行方不明になった者が別の者に変質させられてしまっていたとしたら?

 見つかるわけがない。仮に姿かたちが完全に異なってしまった後で、自分がその行方不明になった者だと主張したところで、傍から見ればただの狂人に過ぎない。それが信じ受け入れられるわけもない。

 

「ラチ内に入った時から、不思議な感触があった。光りだした時に何かおかしいと思って念の為()()《イミグレーション》でモニタリングしてた」

「しとったら……?」

()()()()()()()。何か、大きなもの――コンマ06立米くらいのものがひとつ、ラチ内に」

 

 それは、超次元方向からラチ内へとその物体がもたらされた事を意味する。

 

「60リッター……小柄な人間やノリモンの体積に近いな」

「この前の山根。Sバーストの後どうなってた?」

「どうなってたって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 そこまでいって、スカイも気がついた。ラチ内という領域(ゾーン)から外に出て、戻ってきたという意味に。

 そして佐倉はスライドを最後の1枚に切り替えた。

 

()()()()()()()()()()()、私はそう思う」

「なるほどのぉ。つまり、この事象を解明することが、山根君の事象の解明にも役に立つ。そう考えておるのじゃな」

「うん。そして確かに、この件は安慶名博士の力を借りたほうがいい。だけど、手を離すべきじゃない。私は」

 

 プロジェクターが暗転し、佐倉は立ち上がった。

 

「私達鳥満研と安慶名研との共同()研究(ラボ)を提案する」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10レ中:発生学者、安慶名秦流

 安慶名秦流は、ノリモン発生学の第一人者の元で学び、そして彼の意思を継いだ研究者である。

 その意思とは、ノリモンが宿り成る必要十分条件を解明すること。長々と編成を組む列車において、どの車にノリモンが宿り、どの車を解体することで成るのか。そもそも、一体どこまでの存在にノリモンが宿るのか。そして、クィムガンはいかなる状況で発生するのか。おそらくは、彼女もまたその師と同じように次の世代へと意思を引き継がせることになるだろう。それほどまでに、重要で難解な命題だった。

 

「おやおやムサコちゃん。どうしたの? そんなに慌てて」

 

 そして、その意思を引き継がんとしているのが、彼女のキールでもあるメカマムサシコヤマだ。ムサコはかのメカマ軍団11姉弟のひとりで、そしてその一員であることを以てノリモンが成る条件の絞り込みに多いに寄与したノリモンでもある。

 

「先程鳥満研の者より伝言を承ったんですけど、その内容がですね」

「もう少しゆっくり喋って頂戴」

「あっ……。ごめんなさい」

 

 ムサコは深呼吸をして一度息を整えると、今度はゆっくりと話し始めた。

 

「まずですね、鳥満研のトレイナーがいるじゃないですか。彼女がとんでもない記録映像と証言とを持ち込んでくれたのです」

「それは、一体どのような?」

「はい! クィムガンが人間と融合して、ノリモノイドに戻ったと推測される事案です」

 

 パリン。陶器の割れる音が鳴る。

 安慶名の足元では、カフェ・オ・レが水たまりを形成していた。

 

「ごめんなさいね、気にしないで頂戴。それと……うまく聞き取れなかったのだけど、もう一度聞かせても」

「クィムガンが人間と融合して、ノリモノイドに戻ったと推測される事案です」

「ら……。聞き間違いではないようだねぇ……」

 

 床の惨状を片付けてから、ふたりは向かい合わせにかけ、落ち着いてから話を再開した。

 

「わたくしとしては、にわかには信じがたいのだけれど。どこまで詳しい話を聞いているのかしら」

「先日の多発発生、要調査とされていますよね」

「もちろんだとも。そもそも、かの人為的なクィムガンの発生もそちらのうちのひとつだっただろう?」

 

 安慶名はJRN本部より、そのクィムガン発生の件について調査の依頼を受けている。目撃証言のみであり、未だ目立った成果を出すには情報が致命的に不足してはいるが、過去に同様の報告がなかったかの新聞記事やインターネット上の書き込みの調査や、仮に同様の報告があった際に目撃者に何を依頼すべきかのマニュアルを纏めておくなど、可能な限りのことはやっていた。

 

「その際に、その目撃とは別のところ、神奈川県の方です。そこで部外者の巻き込みがあったとされる報告があるとされるじゃないですか」

「そうだったかい? あまり関係がないと思っていたので忘れていたよ。確か……あったあった」

 

 机の上の書類の山から一束の報告書が取り出され、安慶名はそれを捲っていった。そして目的の記載を見つけると、ムサコとの間に置いた。

 

「それで、どこが問題なのかい」

「ここ、巻き込まれたのが『ノリモン2名』とされていますよね」

「なっているね」

「ラッチを開けたの、誰とされていますか?」

「UMiC……UMiってどこのユニットだったかねぇ。えぇっと照合表は……あぁ、ウルサか……ウルサ! ウルサのサイクロって、鳥満のところの子じゃないの!」

 

 安慶名はなにかに気がついたかのように興奮して声を高めた。

 

「そうなんですよ。それで彼女、報告書には書かずに一旦サイクロで精査したいとされる事項があったとされるみたいなんです」

「ふぅん?」

「彼女曰く、県警が把握していた巻き込みは()()()()()()()()1()()()()。その会話の録音データも持っているんですって」

「神奈川県警でしょ? 見間違いじゃないの」

 

 しかし安慶名の口角は普段より上がっている。その質問をムサコが、つまりは佐倉が明確に否定する材料を示すのを期待しているのだ。

 

「そこではそうでないと推測されうる映像がある、とだけですね」

「……けちだねぇ。そんなんじゃ何もわからないよ」

「だから、共同()研究(ラボ)がしたいと打診がありました」

 

 普段からニコニコとした笑顔をほとんど絶やさないことに定評のある安慶名であったが、その報告を聞いたときの笑顔はひときわ輝かしいものだった。

 

「そうかいそうかい。鳥満の奴にはわたくしから返事を寄越そう。まさか()()()()()()()()()()()を、あの彼が気づいていないなんて訳はないからね。これは久しぶりに面白くて厄介な研究になりそうだ」

「裏にある意味、とは一体なんですか?」

「おやおや、あなただって気付いているはずだよ? 心当たりがあれば言ってごらんなさい、どんな突拍子もないことでも笑いやしないよ」

「それは……」

 

 ムサコはそれを口に出すべきか少し悩んだ。それが事実だとすれば、とても恐ろしいことだから。

 だが、それは事実から目をそむけていることにほかならない。そう思い直して、彼女は意を決して口を開き、安慶名に確認した。

 

「かの多発発生、前に聞いていた調布でのクィムガン化とこの向ヶ丘での不一致、そしておそらくは桜木町での発生もですね。この全てが同じ組織によって引き起こされた人為的なもの、ということですか」

「全くもってその通りよ! そこには未知なる、それも高度な技術をもった集団がいるとみえる。1人の研究者として、未知との遭遇ほど心が踊らされて、そして恐ろしいものは他にないよ!」

 

 あぁ、お会いしてみたいねえ。そう興奮して口に出している安慶名の体内では、快楽物質が大量に分泌されていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10レ後:船霊

「先ほど安慶名さんから連絡があっての。どうも向こうからもこちらに協力してほしいことがあったようじゃ」

「やった」

 

 鳥満はミーティングで、安慶名の協力が得られたことを報告するした。ラボのメンバーには安堵の色が浮かぶ。

 

「初回会合の日程の調整じゃが、向こうよりいくつかの案をもらっとるゆえ、各々の予定と照らし合わせて決定したい」

「わかった、確認しておく」

「後は本部から長崎の件の中間報告の催促が来とるが……。佐倉、ここに向ヶ丘の件を書いて上へと報告して大丈夫かの?」

「問題なし。JRN全体に公開しうる報告書には書きたくなかっただけ」

「ならよし、連絡事項は以上じゃ。ところでナリタ、調査の方はどうなっとる」

 

 ナリタスカイは、待ってましたと言わんばかりに紙束を手に立ち上がって、報告を始めた。

 

「まず、この前立てた仮説なんだけど、うん……」

「仮説は棄却された」

 

 言葉を濁すナリタに、佐倉は悪気もなくそう言った。

 

「ちょっとサクラちゃん? 私が言う前に言わないでよね」

「だってこの流れじゃ、時間かかる」

「それも成果の1つじゃろうに」

 

 途端に苦い顔で対応するナリタ。

 実際、山根と宿りはじめのノリモンが類似しているのではないかという彼女の仮説は、観測しながら軽自動車にノリモンを宿らせることによって完全に棄却されてしまったのだった。故に、彼女は別のアプローチをとった。山根真也という人間を構成するものに。

 

「少し踏み込んだ調査として、彼の血縁者を探ってみたのよね。とりあえず四等親まで」

「なるほどの。その中にやり手のトレイナーなど、関与しそうなことは」

「確認してきたわ。でも、わからないことだらけ。なにしろ彼の曽祖母、並びに祖父。その1人ずつは、共に出生届に母親の記載がなかった」

「そんなことが、ありうるというのか?」

「片や戦時中、片や戦後の混乱期――ありえない話じゃないわ」

 

 ペラリ。ナリタは手元の資料のページをめくりながら口角を上げた。

 

「でもね、おもしろいことがわかったの。この2人、()()()()()()()()()

「ってことは、彼の父はいとこの娘と結婚したってのか?」

「そうなるわね。もっとも、本人がそれに気がついてるかどうかは怪しいけど。何せ弟さん、つまりの彼の祖父が生まれてまもない昭和21年の春に、2人とも別の家に養子に出されていたから」

 

 この報告を聞いたとき、ラボの全員が一度はこう思った。

 ――怪しい、と。

 だが。

 

「いや、少し待たんか。()()()()じゃ。かのルースの落し子の発生は昭和26年じゃぞ」

「でも、年上の方の話を聞くと、ただ人間との意思疎通ができなかっただけで()()()()()()宿()()()()()()じゃない。ノリモノイドに成ることは決してなかったとはいえね」

 

 はじまりのクィムガン、ルースの落し子は一般的にはノリモンの始まりの事件と混同されている事象だ。たしかにそれが何らかの引き金を引いたことは疑いようのない事実ではあるが、そもそもクィムガン自体が無から発生するものではない。逆説的に、クィムガン自体の研究が進んでいったことによりルースの落し子以前から()()()()()()()()()()()()()ことが証明されているのである。

 そして、我々は古より存在するノリモンを――現在のそれと同じように車から独立した実体を持つ存在であるかは議論の余地が残されているが――知っている。五元神だ。かれらはもともとは19世紀の機関車に由来するノリモンが神性を得たものとされている。

 

「うむ……。観測し得ぬこととその存在自体が無いということは違う。もしやすると、成る事象やトレイナーに準ずる存在は、はじまりのクィムガン以前にもあったのやもしれぬが、それを立証することは困難じゃぞ」

「そうかしら。日本の初期のノリモンってみんな船舶局じゃない? 古くから信仰されている船霊信仰に通ずるものがきっとあると思うのよね」

 

 船霊とは、船の守護神としてほぼ全国的に船乗りや漁師たちに信仰されている神霊のことで、船に宿るとされている。そして全国的に船霊が女神とされていること、船舶から生じたノリモノイドのほぼ全てが女性の外観を有することから、この2つの関連を疑問視する学者も多くいる。

 だがしかし、鳥満は過去にこの件を調査していた。

 

「それは昔に私も疑問に思って調べたことがあったのじゃがな。ただ単に輸送力が慢性的に不足しておった当時の国鉄で、実験に使えるほど暇を持て余しとったのが、元関釜連絡船の船舶だけだったというしょうもない理由だったのじゃよ……」

 

 これは船霊とノリモンの関連を全て否定する結果ではなかったが、初期のノリモンがほぼ全て船舶であることを以てその起源がそうであるという仮説を棄却するのには十分なものであった。

 

「あら、そうなの。でも話を戻すけど、この人物がはじまりのクィムガン以前のトレイナーだったのじゃないかって方向も含めて、私はさらに調査を進めたいと思う。どう考えてもこの夫婦、怪しいもの。それ以外の血縁者に気になる点はなかったしね」

「確かにそれはそうじゃが、必ずしもそこだけに原因があると認められる訳ではないことは忘れてはならんぞ」

「わかってるって」

 

 言葉は厳しいものの、鳥満はその報告と研究自体が必ず彼女の役に立つことを疑ってはいなかったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ前:山百合ステークス

『残り5マイルを切り、カツタダイスカイ、今先頭で経堂を通過! 引き続き上り緩行線、リードはおよそ5チェーン! 2番手には下り急行線をナマラシロイヤが追走、差がなく上り緩行線にシナノグリーン、上り急行線にはキリフリが粘っている』

 

 土曜日の午後。『嬢ちゃん連れてウルサに行くから』とだけ連絡をよこしたブライトさんは、やってくるなりモニタに端末を繋いでインターネットライブ配信を流し始めた。

 映されているのは今小田原線で行われているレースだ。どうやらロイヤさんが走っているのだとかで、見る限り現時点で前から2番目とかなり善戦している。

 

「お前は現地行かなくていいのか?」

「心配してねーからな。まー見てな、代々木八幡で全てが決まる」

『先頭は梅ヶ丘を通過! 後続も続くように地下へと入ってゆく』

『ここから2層の地下区間、深い急行線と浅い緩行線に分かれますからね。コースの選択も結果に影響しますよ!』

 

 先頭のカツタダイスカイ号はそのまま緩行線に入り、ロイヤさんは急行線へと突っ込んでゆく。

 そして中継カメラが少しだけ後ろの様子を映してから、先頭ランナーが東北沢を過ぎて地上に戻ってくる頃にそちらへと戻ってきた。

 

『おぉっとぉ! ここでナマラシロイヤが上がってきているぅ! 先頭カツタダイスカイとの差はおよそ2チェーン』

『下り坂で大きく増速して前に出られたみたいですね』

『そしてカツタダイスカイ苦しいか速度が落ちている、まもなく上原場内、緩行線から急行線へ転線差は1チェーン弱、しかし下り急行線ナマラシロイヤは直進スピードは衰えない! そのまま上原を通過』

「ロイヤすっごーい!」

「必然だ。多摩丘陵の大量のビミョーな曲線ではブレーキを扱わないランカーブを渡してある。そして再加速で消費せず温存したスタミナを登戸の小さいカーブの後から爆発させるよーにね」

 

 ブライトさんは得意げにそう言った。

 そして彼が言った通り、代々木上原を過ぎて山手通りの下に入るところで、ロイヤさんは先頭に並ぶ。

 

『続いて八幡通過、rの大きい下り線、先頭は変わってナマラシロイヤ! ナマラシロイヤが前に出た、ラストワンマイル入って参宮通過、先頭はナマラシロイヤ』

『勝負はまだわかりませんよ! ブレーキングテクニックによっては大きく差が出ますからね』

「舐めた解説じゃねーか。ロイヤのブレーキは俺より鋭いんだぞ」

「落ち着け。ただ単に一般論言ってるだけだろうよ」

『ナマラシロイヤはここで抜け出してぐんぐん差を広げてゆく。その後ろからはカツタダ……いや、シナノグリーンだ、シナノグリーンが猛烈に上がってきて2番手、その後ろキリフリが追走、苦しいかカツタダイスカイは速度が落ちていますがもうゴールはすぐだ。そして先頭2者とも速度を落とし始めながら南新宿を通過、踏切を超えて新宿場内、外側地上を選んだ! カーブ外側シナノグリーンやや不利か、しかし内側ナマラシロイヤは差を詰められ、だが届かない、届かなーい! およそ半チェーン差で新宿入線、だがスピードが速い! 後はお互い停まるだけ、停まれるのか、停まれないのか!?』

 

 小田原線の新宿駅は上下2層で、走行距離の都合から地下ホームはゴールラインから車止めまでが短いのが特徴だが、逆に地上側が特に長いという訳でもない。そしてホームはどちらも櫛形ホームで、車止めに激突すれば真っ正面からその情けない姿が撮影されて、そしてアップロードされたのち決して消えることのないインターネットタトゥーとなる恐ろしいゴール駅なのだという。

 

「一桁世代が俺のよーなそれ以前の奴と決定的に違うのはブレーキの強さだ。あの程度の速度じゃどっちも車止めまでは行かねーよ」

『停まったぁ! 勝ったのはナマラシロイヤ、51マイル20チェーンを走りきり連勝! そして2着にはシナノグリーン』

「ほらな」

「いや実況ってのはそれがわかってても最後までわからないふりをするのが仕事なのでは?」

「そうでもねえぞ」

 

 そうなのか。そうかなぁ……?

 

「で、なんでふたりはわざわざ中継見るの一旦やめてまでこっち来たんだ」

「いやもう来週の月曜日がポラリスのレースだろ? それに向けた作戦会議よ。さて嬢ちゃん、これでランカーブの重要性がわかっただろ?」

「うん。カツタダイスカイさん、東北沢でライト暗かった」

「スタミナ切れはレース終盤には珍しいことじゃねーけど、おかげでロイヤが追い抜けた訳だ。たぶん戦術としてはあそこから先は代々木八幡のカーブもあるから速度を出す必要がねーだろーと捨てたんだろーな」

 

 なるほど。そういうことか。

 ポラリスはどうもスピードを抑えるということをせずに出せるときにどこまでもスピードを出してしまう傾向があった。そんなことしたらカーブとかに突っ込んだとき大変じゃないか? とも思うのだが、彼女の場合ただでさえブレーキ力がかなり強いのに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から、特に問題にはならなかったのだ。

 だが、スタミナが制限されるレールレースでは話が別だ。特にポラリスのフューエルユニットはレース中に残量を回復させる術がない。そうなるとここ一番というところで加速できなくなるおそれがあるわけだ。

 

「いーかい嬢ちゃん。レールレースってのはな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()()()()()。これでわかったろ? 時にはあえてスピードを落とすことだって必要なのさ」

「うん!」

「つーわけで、ここに今度のランカーブを持ってきた。一応皆で確認しておこーと思ってな」

 

 その言葉に目を輝かせるポラリスを横に、ブライトさんはその巻物のようなランカーブを机に広げたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ中:未来皇帝、ネオトウカイザー

「どうっすか? カイザー。調子は」

「絶好調だ。ギャラリーに不調なんて見せられないからな」

「いやそういうことを聞いてるんじゃないっすよ……?」

 

 ネオトウカイザーは、調整を続けていた。彼も彼をキールとするトレイナー、名松一志もまだ若く経験もない者同士であるが、だからこそふたりは気のおけない関係にまで発展しているのだ。

 

「まぁでも、そういう返しができるなら大丈夫っすね」

「おいそれはどういう意味だ……?」

「そのまんまっすよ。さて、今日は出走予定のノリモンのデータを持ってきたっすから、確認するっすよ」

 

 名松は20枚弱の紙束をカイザーに渡した。そこにはメガループへの出走が発表されている、カイザー以外の15のプロの走り方のクセや特性が細かく記載されている。

 

「毎回毎回よくこんなの調べてくるな」

「カイザーと会う前から単純にこっちはレースのファンだったっすからね。苦にはならないっすよ」

「そうだとしても、俺のような出てるレースが少ない連中の情報を集めてくるのはかなり骨が折れると思うが」

 

 カイザーは資料をパラパラとめくりながらそう言った。ノーザンフィールドやスカーレットセイロン、ナリタエクスプレスといった多くのレースに出てくる者から、デンエントシスズカケのようなカイザーと同様このレースをデビューランとする者。さらには今まで走ってきたレースとは全く違う性質のレースを選んできたアオキジェットまで、全てのプロ選手の細かなデータがそれぞれ1枚の紙に纏められている。

 それだけではない。この鉄道の日記念メガループはプロアマ混合レースだ。ゆえに事前に出走を表明している、注目を要するアマチュア選手のデータまでもを名松は集めきっていた。

 そしてそこから想定されるレース展開。マススタートにおいては非常に重要になる要素だ。それが事細かに、しかも数パターン記されている。本当にこのトレイナーは新米なのか? カイザーは訝しんだ。

 

「まぁ、プロランナーの方が分析はしやすいっすよ、動画だって残るんすから。そんで作戦はそこに書いてある通りっす。だいたいのパターンじゃ前半は飛ばしても南武線内のカーブで速度を殺されるから、車列に入ってスリップストリームでスタミナを維持して、多摩川橋梁あたりから飛ばすのに収束する感じっすね」

「だいたい、ということは例外もあるんだな?」

「アマチュア枠は予想がしにくいっすからね。例えば最終順位を気にせず、京葉線内で目立つためのアピールとして逃げに出るランナーもどうせいるんすけど、そういうランナーが車列を形成しちゃったらそれを利用して先頭集団の中でスタミナを温存できてしまうのが出るんすよ。だからそうなる兆しがあったらその時点でそこに加わりにいくべきっすね」

 

 長丁場のレースであればあるほど、スタミナ配分の重要性は増す。10マイル未満の短距離レースの場合はそもそもネックとなる場所が少ないから、とっとと加速して勢い任せに前に出る方が大体の場合有利になる。逆に今回のような100マイルを超える長距離レースになってくると、ボトルネックでの減速を織り込んだランカーブをなぞらなければ後半のネックからの再加速がまともにできないから、勝つことは絶望的になるのである。

 

「つまり全てはアマチュア次第ってことか」

「そうなるっすね。これだから混合レースは予想がしにくいってよく言われるっす。型破りなことをしてくるランナーは数多くいるっすけど、型無しのアマチュアと比べたらまだかわいい方っすよ」

「なるほどな。今までのレースでマススタートじゃなくてタイムトライアルばっか選んでたのはそういう事だったのか」

「そうっすね。一体何考えて帝王(キング)はこんなレースを指定してインビテーションを出したんすかね」

「そういう事を言うなや。前に俺達にいろんなレースを経験してほしいって言ってたし、それ以上の意味はないと思うぞ」

「そうそう。あんまりに君が選ぶレースがつまらないものばっかだったしね。わたしたちで決めちゃった」

 

 そう言うのはビシャスオサナジミ。カイザーと同じ、【帝国(セントラル)】に所属する先輩のノリモンだ。

 

「別にマススタート自体はいいんすよ、ナジミさん。ただアマチュア混じりなのがやりにくいだけで」

「到底デビューラン前に出るセリフとは思えないって」

「だってカイザーはもうアマチュアレベルなんかじゃないっすから」

「そうね。だったら気をつけなよ。アマチュアなのにアマチュアレベルじゃないのは、カイザーちゃん()()()()()()()()()()()()よ」

 

 ナジミはそう忠告した。既にここにカイザーという例がある以上似たような存在がいないとは断言できない。それに気をつけろと言っているのだ。

 そこには彼女がかつて失敗した同じ道を辿ってほしくないという、彼女なりの私情も乗っている。

 

「そうか。だとしても関係ない。プロもアマチュアも纏めてこの俺が」

「カイザーが」

「「倒す!」っす」

「その意気だけは褒めてあげる。でも、慢心してると痛い目を見るぞっ。ナジミさんは忠告したからね?」

 

 カイザーの額が、ナジミの人差し指により弾かれた。そしてその手は、弾き飛ばされたカイザーの頭を追って、その上に乗せられる。

 

「でも、応援してるから。カイザーちゃん、それに、新人トレイナー君も。【帝国】の実力、みせたげな!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ後:鉄道の日記念メガループ

 千葉県千葉市中央区今井、蘇我駅。

 3・4番ホームでは、これから始まるレースに参加する者や、その見送りの者が集まっていた。

 

「オイオイオイ」

「死ぬわアイツ」

 

 そんな声で話す彼らの目線の先にいるのは、真っ白な装いに青の2本線。そう、ネオトウカイザーがレース前の糖分補給をしている。カイザーが食するのは三重県で生産されているあんこをふんだんに使ったお菓子で、またカイザーの好物でもあった。

 そんな彼を眺める者はまたひとり、ふたりと増えてゆく。そしてそれに気がついたのであろう、ついにはベテランのトレイナーまでもが彼の補給に反応した。

 

「ほう、12個入りレッドフクですか……。たいしたものですね」

「どうしても頑張らなければならないとき。あなたのパフォーマンスを、ジャパニーズ・エナジーオカシ・レッドフクが最大限まで高めてくれる。カロリーと炭水化物を同時に手早く摂取できるレッドフクはアスリートも好むエナジーフードである。なぜなら、レッドフクもまた足のはやいアスリートだからだ」

 

 かの【帝国(セントラル)】の期待の新人のデビューランということもあり、カイザーの周りの人だかりはどんどん大きくなっていく。

 そんな中、誰にも気づかれぬように一組のトレイナーとノリモンがエントリー手続きを終え、静かにホームに降りてきていた。身に纏うのは3番線、3号車、4番扉の位置からのスタートを示す番号の記されたゼッケンだ。

 

「緊張してるか? ポラリス」

「ぜんぜん」

「ならいい。思いっきり、走ってこい。東京で山根とブライトが待ってる」

「ロイヤは?」

「船橋法典のエキセンのチケット取れたってことでギャラリーに混じってるんだとよ」

 

 そしてしばらくすると、見送りの方々はホームから出るようにアナウンスが流れ、成岩はコンコースへと上がっていった。それから各ランナーは駅係員に誘導されて、各々のスタート位置のホームの端、黄色い点字ブロックの上に整列する。

 

 鉄道の日記念メガループは、10月第二月曜日スポーツの日に行われる、関東で最も規模の大きなワンウェイレースの1つだ。特に同時に走るランナーの数は日本で最も多く、プロから16枠、アマチュアから64枠の合計80名。これが一斉にスタートするのだから、スタート区間の最初の2マイルは位置取り争いが非常に激しくなるレースだ。

 蘇我を出てから千葉みなと・二俣新町・新浦安・東雲・東京貨物ターミナル・小田栄・尻手・矢向・北府中・新小平・西浦和・東浦和・新松戸・市川塩浜・新浦安・潮見を経て、東京までの115マイルの長丁場。

 このコースは特にきつい勾配があるわけではないし、カーブだって南武線区間を除けば比較的緩やかだ。その殆どの区間が昭和後期の貨物線として設計されたため、その区間は特別な例外を除いて10‰以上の勾配はない。

 だが、最後の最後、新木場から八丁堀にかけては連続した30‰以上の急激な下り勾配がお見舞いされる。これにより意に反して増速して、ブレーキが間に合わずに東京駅の車止めに激突するランナーが毎年出ているのだ。

 

 その東京駅にいる山根から、ポラリスの脳内に呼びかけがあった。オモテをトランジットしてモヤイを通じて呼びかけているのだ。

 

『ポラリス。今だいじょうぶ?』

『うん! もうすぐ入線!』

『こっちでも実況中継を見たりして情報は確認しておくけど、なんかあったら遠慮なく言ってね? ゴールまでこの状態にしておくから』

『うん、ありがと』

 

 その軽いやりとりが終わったあと、少しの間をおいて接近チャイムが鳴った。続けて放送がランナーの名前を一人ずつ呼び上げる。

 

『3番線1号車第1扉、アオキジェット。第2扉、ノーザンフィールド……』

 

 呼ばれた者は線路を挟んだ反対のホームの観客に一礼をしてからホームから降り、入線してゆく。

 

『第3扉、スカーレットセイロン。第4扉、4番線2号車第4扉、ネオトウカイザー。以上16名、プロランナー登録のされている選手です』

 

 カイザーが飛び降りてそのまま入線すれば、向かい側5番ホームより歓声が湧き出した。

 

『続きまして3番線3号車第1扉、デンエントシリンカン。第2扉、ラピッドダイヤ。第3扉、ヨヨギドリーム。第4扉、3号車第4扉ポーラーエクリプス』

 

 そしてポラリスの名も呼ばれ、彼女はホームから線路に飛び降りた。向かい側2番ホームの観客からは、どよめきの声が聞こえる。

 

「なんだあの子」

「ちっさ」

「わかることある?」

「全然わからん」

「足回りにくらべて体格が小さすぎる」

 

 いくらアマチュアランナーとはいえ、ポラリスほどちんちくりんなノリモンはそうそういない。それ以前に、ノリモン全体を見回しても稀だ。にもかかわらず、彼女の足回りは対照的に一般的なノリモンと比較してもかなりゴツい。

 その奇妙な姿は、観衆の気を少し引くには十分すぎる要素だった。多くの者の中では変な子もいるんだなー程度の扱いであるが。

 

『第3扉、モンジュ。第4扉、4番線10号車第10扉、イーチバター。以上合計80名、只今入線しました。駅係員は入線確認を行ってください』

 

 2つの号車につきひとりの係員が、それぞれのランナーに目立った外傷などがないかの目視確認を行い、合図灯で前の係員に準備よしの合図を送る。それが一番前まで繋がれば、そこにいた別の係員が緑旗を挙げ、3番線・4番線ともに掲げられたのが確認されてから。

 

 発車のベルが、鳴り始めた。駅はうってかわって静かになり、1コーラス目が鳴り終わる。

 そして、80名のランナーが神経を尖らせる中――。

 

 ――運命の、2コーラス目が鳴り終わった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ前:蘇我→大井・いきなり故障?

『さぁ始まりました鉄道の日記念メガループ、京葉線他115マイル! まず先頭で飛び出したのはアオキジェット、ただ1名ぐんぐん加速していきます』

「おいおい。ワンウェイの走り方忘れてねーか。ほぼ無制限にスタミナ使えるシャトランじゃねーんだぞ」

 

 ポラリスがレースを走る日。僕たちは東京駅京葉地下丸の内口近くの人通りのない地下通路の端でレース中継を見ていた。

 

「アオキジェットさんがどのあたりまで行けると思ってます?」

「先頭でいられるのも海浜幕張くらいまでじゃねーのか。高速で走れねーだろーしな」

 

 と、そんな話をしていたとき。

 ポラリスから突然届いたメッセージに、僕たちはふっ飛ばされた。

 

『助けて真也ー! エンジンがかからないの!』

「……ええっ!?」

「どーした急に、いきなり大声出して」

「モヤイから連絡があったんですよ、エンジンがかからないって」

「はー!? いきなり故障かよ!?」

 

 こういうときは、まず。エンジンの状況を確認することが重要だ。

 

『ポラリス。一旦エンジンのギアを切り離して。それからスリップストリームで前のランナーにぴったりとくっつくことだけを意識して』

『えー! 電池が持たないよ』

『そうなる前にどうにかする道筋をこっちで立てるから。一応、モーターもできるだけ使わずに、ストライドで加速。できる?』

『わかった、やってみる』

 

 とりあえずはポラリスの走行をモーターだけでいいから落ち着かせる。それから状況の確認だ。

 

「レースコースの縦断面図は……あった。えーっと、この先で下り勾配が続くのは……新木場? そんでこの前のデータだと、電池が切れる速度は……」

「あー、聞こえるポラリス? 新木場までは大きな勾配はないからがんばって。無理だけはしない」

『わかった』

「おいこら勝手に決めんな」

「それ以外選択肢あります?」

「俺は電車だから気動車のことは知らねーよ」

 

 だめじゃん。こちとら一応スクールで電車気動車どころか自家用車から船だの飛行機だの一通りシステム習ってるのに。

 こうなるともう僕でぜんぶ対応するしかない。

 

『ポラリス。まずはエンジンがつかなかったときの状況を教えて。それとエンジンの温度も』

『出てすぐの坂を登りきったところでつけようとしたんだけど、フューエル入れても動かなくって。温度も全然あがらないの』

『フューエルは入れられるんだね?』

 

 だとすると……なんだ?

 燃料でもない、温度でもない。既に動いてるんだからトルク不足でももちろんない。そして6気筒あるのが全部つかないのだから点火装置でもなさそう。あとは……あ。

 

『あの、ちょっとしょうもないこと聞いていい?』

『なに?』

『吸排気口、きちんとあいてる?』

 

 その答えは、しばらく帰ってこなかった。

 そして。

 

『てへっ』

『おい』

『エンジンついたよ! ありがとー! 今ね、海浜幕張をでたところ』

 

 たぶんきのう洗ったときのマスキングテープを剥がし忘れたとか、そんな単純な理由だったのだろう。

 ともかく、重大な故障とかじゃなくてよかった。僕は胸をなでおろした。

 

「ブライトさん、ついたみたいです、エンジン」

「はぁー。心配させやがって。そろそろ先頭は幕張新都心のショッピングモールあたりだろーし、まだそんなに電池は使ってねーよな……? とりあえず画面を実況に戻すぞ」

『振り返ってみましょう、先頭はアオキジェット、2チェーン離れてスカーレットセイロン、つづけてナリタエクスプレスとノーザンフィールド、その1チェーン後ろにアマチュア枠からデンエントシリンカン、競り合うようにデンエントシスズカケが続いている、ここまで先頭集団。そこからおよそ20チェーン開いて……』

 

 中継では、ちょうど先頭集団が新習志野に差し掛かろうとする様子が映っていた。

 

「あっもー新習志野? ペース早くねーか」

「先頭から殿まで3マイルも開いてるっぽいですね」

「アオキに引っ張られたか……?」

 

 さっきポラリスが海浜幕張って言ってたから、先頭までの差はおよそ2マイル開いている。

 

「まーこの時点での2マイルは焦る程じゃねーな。あと100マイルある」

「ですね。フューエルを消費してないこと考えると、最後方まで飛ばなかっただけだいぶ」

「そもそもこの区間は平均的に速度が高いから、その車列に乗りゃーいい。わざわざスタミナ削ってまで前を独走する必要はねーんだよな」

 

 ポラリスの総合特性的には、車列から外れて真に速度を出すべき区間はまだまだ先だとブライトさんは分析していた。

 具体的に言えば、東京貨物ターミナルの先、羽田トンネルの内部だ。ほとんど単線断面のこのトンネルがあるからこそ、それより前で速度を上げすぎるのは得策ではない。

 そしてその最後の最後で、川崎貨物駅に入るための急勾配の線路と、スルーして先へと続く緩やかな上り勾配の線路に分かれる。その地点から多くのランナーは後者の線路に入っていくのだが、そこを前者を選んで追い抜きをかけていくのだ。こっちの線路に入ってしまえば、まもなく追い抜き優先ルールが適用されるようになるため、前のランナーに塞がれることはほとんどなくなると言えるから。

 

 そしてそのままレースは滞りなく進行し、集団は大きな動きのないまま東雲を過ぎて東京港の地下トンネルへと入っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ中:大井→府中・かもしれない運転

 ネオトウカイザーは、先頭集団から20チェーンほど離れた第二集団で東京貨物ターミナルを通過していた。

 一旦地上に上がったところで、彼の無線がラジオ実況をキャッチする。どうも前方とはそこまで離れている訳ではなさそうだ、と彼は判断した。これで離れているのであれば、羽田トンネルの中でこの集団をつっついて前を目指さねばならない。だが。

 

(ここで無理に集団を抜け出して前方集団に追いついたところで、その集団の速度はおそらくこの集団と変わらない。ならば、無様な減速を強いられるだけだ)

 

 そしてそのまま羽田トンネルを過ぎ、再び長い地上区間に戻った。しかし先頭集団も、第二集団も速度は上がらない。

 理由は単純だ。この先の浜川崎までの区間は、小さな曲線が嫌らしい感覚で並んでいるのだ。今のこの集団のスピードは、この曲線を多少の余裕をもって曲がれる程度にはある。ここで右側上り線に入って巧みなブレーキさばきでカーブをギリギリ攻める選択肢も悪くはなく、現にそうする者も数名ほどいる。

 

「まだ仕掛けない。『【帝国(セントラル)】の走りは、エンターテインメントでなければならない』から! まだ耐えるんだ、ネオトウカイザー」

 

 無様な減速は美しくない。そんな繰り返しでスタミナを使うのならば、もっと他に使うべきところがある。それがカイザーの考えだった。

 そして、浜川崎のコーナーを抜けたとき。

 

「……今だ、行くぞ!」

 

 カイザーは加速しながら、右の線路へと飛び移った。ここから向河原までの5マイル以上、僅かな単線区間こそあれどきついコーナーはない。自然な減速でその先の武蔵小杉にかかるコーナーを通過できる程度まで一気にスピードを上げ、同じことを考える者共を追い抜きにかかるのだ!

 中高速域において、カイザーの加速は右に出る者はいない。ゆえに、最も右を走ることができる。

 彼の前を走る者に与えられる選択肢は2つ。加速で競り負けるとわかって左へ戻る姿が、あるいは追い越され義務違反で失格となるかだ。

 カイザーの耳には、何も聞こえていない。カイザーの目には、前へと続く線路しか映っていない。それだけで、十分だから。

 そして八丁畷の手前で川崎貨物からまくりをかけていた第二集団の先頭を追い越すと、その単線区間を遮る者は誰もいなくなった。

 

『シーズンアロー追い越され義務違反で無念の失格! おっとここでその前ネオトウカイザー、ネオトウカイザーが快調に飛ばしている! 単線区間を爆走、先頭集団を追いかける!』

『浜川崎まで温めていたみたいですね。脅威の加速でごぼう抜きです』

 

 尻手を過ぎ、線路はまた複線に戻る。それから少しだけその勢いを保ったまま平間を過ぎるあたりまで右側上り線を走ると、空気抵抗もあり速度が弱って来たカイザーは先頭集団の最後方、アオキジェットの真後ろにつけるように左の線路に戻った。

 そして、武蔵小杉のコーナーを過ぎてからも同じようにしていくつか順位を上げてから、武蔵溝ノ口のコーナーを曲がるとき。

 

 その先頭集団の外側を、銀色の流星が駆け抜けた。

 

「何だ、今の」

『曲がったあぁっ! ゼッケン番号3の3の4ポーラーエクリプス。信じられない速度で溝口のコーナーを抜け、先頭集団を一気に追い抜いた! これが混合レースの面白さ! これが混合レースの恐ろしさ!』

『なかなか速度を落とさないのが気がかりでしたが、どうやら問題はなかったようですね』

(落ち着け、落ち着くんだネオトウカイザー。ここでスタミナを使ってしまえば、後々のネック後の再加速は絶望的になる! お前の強みは何だ、スピードだろ? だが……)

 

 カイザーの中に、迷いが生じていた。もしかすると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もしかすると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 車であった頃から常に『かもしれない運転』を心がけていたカイザーが、その未来の可能性を想起することは必然だった。

 

(こういうことかッ! ナジミ姉の言葉はッ!)

 

 名松はプロのランナーのデータを全員分集め、カイザーはそれを全て頭に入れた。だが、プロでない者についてはそうではない。中にはデータそのものが存在しない者もいるから、集めようがないのだ。

 

(上げるしかない。曲線通過速度を。だが、脱線などという無様な真似を見せるわけにもいかない)

 

 ここから先は、中野島まで同じ程度のカーブが続くクネクネとした線形だ。それはカイザーにとって好都合なことだった。なぜなら、カーブの数だけ試行ができるから。

 こうやってぶっつけ本番で少しずつ横風対策のマージンを削り続け、限界を見極める。そして、その限界速度を以て南多摩のコーナーを抜ける。

 これが、カイザーの選んだ手段だ。幸い今日は警戒すべき風も強くはなく、これからそうなりもしなさそうだった。

 

「風よ。願わくば、俺に味方を――。《エアロ・ダブルウィング》!」

『先頭集団最後方、ネオトウカイザーここで右へと移った。そしてペースもこころなしか早いぞ』

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。前方もまた、ポラリスの好きにはさせぬとカイザーと同じように速度を上げている。ゆえに、カイザーの順位は上がらない。それどころか、先頭のスカーレットセイロンは次のノーザンフィールドとの間のリードすらもを広げているほどだ。

 それでも、コーナーを抜けながらも加速しうるほどに曲線通過速度の圧倒的な差をもつポラリスだけは順位を上げ続けることができていた。先頭スカーレットセイロンは中野島のコーナーを抜けてから一気に速度を上げて粘りこそしたものの、結局は南多摩のコーナーをその無名のアマチュア以上に攻略することは能わず減速を余儀なくされ――そして、多摩川を渡るよりも早くにその背中を追うことになったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ後:府中→船橋・引くほど速い

『さぁここで府中本町、レースは折返し地点だ! 先頭はポーラーエクリプス、既に2番手とは10チェーン以上の大差をつけて独走状態、まだ広がっている』

「わーはやい」

「速いですね……」

 

 僕とブライトさんは、顔色を悪くしながらお互いの顔を見合わせた。

 

「「どーしてこーなった」」

「なんで曲がれるんだ……。嬢ちゃんの重心高いくつで計算したっけなー」

「800じゃありませんでしたっけ」

「ぜってー400すらもねーなアレ。車輪つけた身長で雑に見積もったら安全側に寄り過ぎたかな」

 

 そもそもポラリスの場合、足回りのパーツがかなり重いのにポラリス自身は軽いのだから重心は自ずから低くなる。その足回りですらもただでさえ重い電動機とか蓄電池とかエンジンとかは車軸近くにまとめて、靴底の上にあるのは空気溜めなどの見た目こそゴツいが軽いものばかりだからなお重心は下がる。

 

「で、どうしてランカーブ以上に爆走してるんですかね。モヤイ通じて聞いてもなんかもう笑い声しか帰ってこないのですっごく心配なんですけど」

「……すまん、それは俺が悪い。曲線通過速度の限界がはっきりしねーから安全寄りでランカーブ引いて、備考として制動抜きで通過できるなら出せるところまで出していーぞってことにしといたんだよな」

 

 ほぼそれが原因じゃん……。

 まさかここまでコーナリング巧者だとは思わなかったのだそうで。

 

「これトライゼット号の記録した区間記録に下手したらかなり近づいてるんじゃねーのか」

「それだったら府中本町の時点で実況さん反応してるのでは?」

 

 その疑問に答えるかのように垂れ流しにしている実況放送が入った。

 

『えー区間記録気になっている方も多いかと思われますが、現在協会で遡っての各地点通過時刻を確認しているとの情報が入っております』

『まだ注目すべき走りをしてませんでしたからね。恐ろしいノリモンですよ』

 

 つまりは協会側が基準となる地点の時刻を把握していないから通過時刻が出せないということらしい。

 

「エタさんなーにやってんだ、根回しとかしとけよ……」

 

 ブライトさんはそうランカーブと実況中継を見ながらぼやいた。だがしかしいつの間にかそこにいたのだろう、その帰ってくる訳がないと思い込んでいた呟きに、答えが帰ってきた。

 

「仕方がないだろう。私だって万能ではない」

「いやそれでもプロランナーは全員分記録してるんだから……っていつの間に!」

 

 絵巻めいたランカーブを下げれば、その向こうにはエターナルさんが立っていた。

 

「君達の中に誰かしらは東京にいると思ってな、少し探して見つかったので声をかけさせてもらった」

「……どっから聞ーてた?」

「トライゼット号の辺りからだな。おそらく私の見立てではより短い時間で通過したと見えるよ。今頃武蔵野線各駅やインターネットではかなりの盛り上がりを見せているだろう」

「うっわ確認したくねー」

 

 そう言うブライトさんをよそに、エターナルさんは手元の端末を確認し始めた。

 

「喜べ、既にトレンドを急上昇しているぞ」

「いらねーよ、その情報は」

「『みんなアホなのではというくらいの高速運転ですねーそして先頭は多摩川橋梁を越えました』『ポーラーエクリプス南多摩通過。引くほど速い』」

「呟きを朗読すんなや」

 

 その端末はエターナルさんの手を離れて、ブライトさんの手により画面の明かりが落とされた。一瞬だけエターナルさんはムッとした反応を見せてから、懐より封筒を取り出してすり替えるようにして端末を取り戻した。

 

「これは?」

「来月のレースのうち、デビューランの行えるものを抜粋したリストだ。分かっているだろう?」

「ギャラリーは次走を期待してる、っつーことか。気の(はえ)ー奴らだ」

 

 そうは言いながらも封を開けてリストに目を通しているが。そして目ぼしいものがあったのか、一瞬だけ目線を止めて口角を上げた。

 

「だいたいよー、嬢ちゃんは南武線じゃ強かったが、この武蔵野線じゃ()()()()()()()()。逃げ切れる訳がねーぞ」

 

 ノリモンの出しうる理論上の最高速度は、モーターあるいはエンジンの許容最大回転数と歯車比、そして車輪径の単純な掛け算で決まる。そしてモーターの許容最大回転数は気筒を増やそうが所詮はレシプロに過ぎないエンジンのそれよりも遥かに大きい。こうなると、いくらギアチェンジで補えるとはいえ気動車の理論上の最高速度は電気車のそれに劣ることになる。

 流れてくる実況を聞く限りでは、既にポラリスのスピードは頭打ち。その後ろにじわじわと詰められ南浦和時点でリードは10チェーン弱に戻されている。

 

「なら貴様はどこまで行けると見ている」

「平均毎駅1チェーン詰められ新三郷3チェーン差、江戸川を渡るS字で減速が少ないネオトウカイザーが2番手に出て南流山5チェーン差、そこから同じペースで詰められると見た」

「ほう」

「だがその先は読めねー。全員南武線で速度を出しすぎだ、京葉線じゃほぼスタミナが尽きた状態だろーな」

「その原因を作ったのがポーラーエクリプス号だろうに。ならば彼女の作戦勝ちよ」

「何も考えてねーと思うぞ」

 

 そしてレースはブライトさんの予想通り、市川大野を過ぎた頃にはポラリスとネオトウカイザーさんが1チェーン未満まで迫っていたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12レ終:船橋→東京・自元領域

 走るのって、こんなに楽しかったんだ。

 

 鼻の先が空気を切って、風がほっぺたをなでる。

 

 ホームや橋の上からは、みんなが、ポラリスを見てる。ポラリスだけを、見てくれる。

 

 だから――

 

 ――もっと、走りたい!

 


 

 下り線ポーラーエクリプスは僅かに前を走り、上り線ネオトウカイザーが僅かに速く走っている。その熱い先頭争いに、それを真正面から望むことのできた船橋法典のギャラリーのボルテージは最高潮にまで達していた。

 船橋法典駅は、武蔵野線の中でも珍しい島式ホームの駅だ。特に府中本町寄りのホーム端はまっすぐと伸びる直線区間を正面からとらえられるうえにホーム幅も広いことから、鉄道写真愛好家の間でも人気の高いスポットである。

 そしてそれは、レールレース観戦でも同じ。この地点の指定席入場券やグリーン入場券はプラチナチケットと化すのが恒例となっているのである。

 

『さぁ先頭は法典、ほぼ横並びだがまだ僅かにポーラーエクリプスがリードを保っている』

『本当にこのレースはスピードが落ちませんね。前の区間で区間新記録を記録したポーラーエクリプスに続き、この区間でもネオトウカイザーの区間新記録がほぼ確実と言えそうです』

 

 両者一歩たりとも譲らぬまま、歓声に包まれるホームの両側に分かれ駅を駆け抜ける。

 カイザーは感じていた。追いかけ続けた背中がホームによって遮られようとも、それを突き抜けて来るほどのポラリスの強い感情を。意識しては駄目だとそれを振り切る。

 しかし行田公園のコーナーを抜けてようやく並んだかというまさにその時。視界にはもはや前へと続く線路しか見えていないはずなのに、カイザーの視界は暗転した。

 

 

 魅せる。魅せられる。超次元の彼方、ポラリスの自元(アイゲン)領域(ゾーン)の風景を。

 

 満天の星空が回る、その中心。一際輝く、確かな目標(ポーラー)。そして、それを眺めるポラリス。彼女がそこに手を伸ばさんとした時、訪れる蝕み(エクリプス)がその輝きを遮り、そして広がって頭の上には闇あるのみ。

 

 だけど。その闇の向こう側から、強い想いが伝わってくる。ここで決してこんなもので遮られて終わりはせぬ、と。

 

 ――失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを

 

 蝕まれたはずの目標が再び光を灯し、視界は明転する。するとカイザーの斜め前では、彼の視界から消えたはずのポラリスが、その隅より現れて力強く前進していた。

 しかも迫るのは西船橋の曲線。カイザーがそれを曲がるためには、速度を落とさざるを得ない。彼はギリギリまで粘ってから回生制動を強くかけ、一気に速度を落としつつスタミナを回復。そしてそれを、カーブが終わり切るよりも前から爆発させて再加速に充てる。ポラリスは彼の1チェーン前方だ。

 

 だけれど。いくら回生でスタミナを回復できたところで、それをまたスピードに戻したところで元には及ばない。じわりじわりと再びその差を詰めたところで、舞浜手前のカーブがカイザーに追い打ちをかける。

 

(ここまで? いいや【帝国(セントラル)】を、舐めるなァ! 俺は、ネオトウカイザー号は、まだ走ることができる。俺のため、支えてくれる一志のため、そして何よりも俺を応援してくれる皆のため。諦めはしない、諦める訳には、いかない、絶対に!)

 

 前へ、前へ。どんな小さな前進(アドバンス)だっていい、確実に。

 その意志の力はモヤイを手繰り寄せ、カイザーの自元領域を呼び出した。

 

 

 それは、一筋の道。

 その周りに漂うのは、1つは小さな、だけど大きなエピソード。それは車だった頃、カイザーが乗せてきたもの。

 そしてカイザーが前へと動けば。乗せてきた夢が、想いが、願いが、誓いが。今、カイザーの鼓動に共鳴し輝いて、一筋の道を照らし上げた。

 

 ――王者の鼓動よ、集いし望み谺す光差す道に列を成せ

 

 その道は王道となり、いつの間にやらオレンジ色の絨毯が敷かれている。そしてそれは限界さえ超えて、カイザーを眩く導いた。

 

(――今のは。何だかわからないけど、だけどとても心地良い。今ならば辿り着ける、追いかけ続けた夢のステージへ!)

 

 カイザーとポラリスとの間の距離は、みるみると短くなって。遂には。

 

『おおっとここでネオトウカイザー、ネオトウカイザーがようやく先頭に踊り出たぁ! 【帝国】の底力、ここ葛西の地に刻まれたっ!』

『驚異的な再加速ですね。残り6マイル半弱、最後まで目は離せません』

 

 カイザーの前には、もう誰もいない。2回目の新木場を今度は登る上のホームへと続く線路は、まさに栄光への階段。

 だが。33‰の下り坂にさしかかり、カーブに備えて抑速ブレーキをかけようとしたとき。左後ろからは正気を疑う声。

 

「ポラリスは、走る。走り続ける。だから! 《ハイブリッド・アクセラレーション》!」

 

 ここに来て、ポラリスは下り坂を利用して破滅的に加速した。ゴールまではもう5マイルもないというのに!

 ふたりは再び並んで坂を下りながら、右カーブに差し掛かる。カイザーも釣られるように抑速をやめ、残った僅かなスタミナでコンプレッサーを回してエアサスを作動させた。

 潮見。ここまで来たら、最後は車止めへのチキンレースでしかない。再びの下り坂で、ふたりは地下へと突っ込んだ。

 越中島。単線断面のこの地下トンネル、相手の姿は伺えない。己の力を信じ、ベストをつくして祈るほかない。

 八丁堀。既に両者ブレーキをかけているのか、回生ブレーキの励起音が、エンジンブレーキの駆動音が、空気ブレーキが鉄をこする音が響いている。

 

 そして、東京。

 

「停止位置、よし!」

「停止位置、ヨシ!」

 

 車止めの手前で停まったのは、明らかにポラリスが先だった。前照灯を輝かせ、コンプレッサーを回しながら。だが、先にゴールラインを超えたのがどちらなのかはすぐにはわからなかった。

 


 

      ◇鉄道の日記念メガループ◇先頭2者大接戦のゴール。区分違いでネオトウカイザー・ポーラーエクリプス両者1着か。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回12レ:【鉄道の日記念】メガループを語るスレ

Q.どうして閑話回の文字数が過去最高になるんですか?


27:名無し野電車区

さて今週のもあらかた終わったし来週の注目はこのレースだな

 

28:名無し野電車区

頭数多いからしょうがないんだが、このレースだけは予測がまあ無理だよな、80名って

 

30:名無し野電車区

それでも俺は予想をするぞ!

今回だといつもの顔ぶれの中じゃノーザンフィールドかナリタエクスプレスがいい線行くと思う

ただ怖いのはデビューランや転向連中で、皆似たような条件のデータがないんだよな

 

33:名無し野電車区

>>30

データ無いとはいえ例えばネオトウカイザーなんかは帝国だろ? 長距離は強いんじゃないのか

 

35:名無し野電車区

>>33

まだマススタートも100Mオーバーの長距離もやってないんだよアイツは

特に80名とかいうアホみたいなマススタートじゃ中団から抜け出せないまま仕掛けどころをつかめずに沈む可能性だって低くはないんだぞ

 

36:名無し野電車区

スタートより八丁畷の単線区間のほうが怖い

あそこで前に蓋されたら下手したら空気使わなきゃ追突する

 

38:名無し野電車区

先頭を走りつづければ前には誰もいないよ

そのためにはスタートが一番大事

 

39:名無し野電車区

>>38 むりだよ

 

40:名無し野電車区

>>38

むりだよ

 


 

73:名無し野電車区

さて当日になった訳だが

 

75:名無し野電車区

【いつもの】船橋法典満員御礼

 

76:名無し野電車区

船橋法典はだいぶ終盤やろがい!

 

78:名無し野電車区

>>76

今日はメガループ以外に小金記念もあるんだよなぁ

長距離レースだとその一部区間使って前後に他のレースやることはけっこう多いぞ

 

79:名無し野電車区

はえ〜しらんかった

 

82:名無し野電車区

指定席行ったら隣ナマラシロイヤ号でビビってる

ライバルの視察とかかな

 

84:名無し野電車区

蘇我駅接近鳴ったぞ

まもなく選手入線!

 

85:名無し野電車区

ランナー紹介と入線始まった

 

87:名無し野電車区

>>84-85

目ぼしい子いる?

 

90:名無し野電車区

入線終わるまで待って呉

ちな俺5番から見てるけど2番側誰かおらん?

 

92:名無し野電車区

>>90 丁度打ってたところ

3番スタートのプロは前から2つめノーザンフィールド号がかなり気合入って調子良さそうなのと、最前のアオキジェット号がシャトラン王者の風格を醸し出してる。オーラがやばい

一方で今回デビューのデンエントシスズカケ号は思いっきり入線ミスってコケてた

ノンプロはわからんけど、前の方にかなりちんまいのに足回りゴッツい子がいて少しざわついたかな、俺は初めて見る子

 

94:名無し野電車区

4番側プロ

◎スカーレットセイロン ややソワソワしてる感じがあるけどレース前だしこんなもん

○ネオトウカイザー 入線ビシッと決まっててカッコいい、ただ初の条件が多くて微妙

☆アップルコダマ コース的には決まれば行けるが、何というか覇気さんが行方不明

ノンプロ

・モンジュ いい加減プロデビューしよ?最後方はきついけどたぶんプロ側の表彰台近くのタイムまで叩いてくれる気がする

・アカイミドリ 前半南武線で沈み過ぎなきゃいい線いけなくもなさそう

・サークルゲーム かわいいね

 

97:名無し野電車区

>>92 >>94

サンガツ……って最後おいww

 

98:名無し野電車区

>>94 ノンプロの情報追えてないからたすかる

 

100:名無し野電車区

あっ代用手信号上がった

 

101:名無し野電車区

発車メロディ!

 

102:名無し野電車区

おい、ひとりだけスタートおっかしいだろ

 

104:名無し野電車区

ワンウェイだって言ってんだろアオキジェットォ!

 

108:名無し野電車区

あぁつられて先頭集団もスタートダッシュのペース上がってる……

 

109:名無し野電車区

アオキジェット号がスタミナ持たんのはそうとして引っ張られて前に出た先頭集団も大丈夫かこれ?

 

114:名無し野電車区

ま、まだ序盤だし調整いけるって……いけるよな?

 

118:名無し野電車区

>>109 シャトラン界じゃ有名だけど、アオキの鬼加速は足元使っててモーターあんま使わんからスタミナ消費少ないんだよな

なお、釣られた後続は……

 

121:名無し野電車区

>>118 罠じゃん

 

122:名無し野電車区

うわぁ……

 

124:名無し野電車区

それができるならなんで他のランナーはやらんの?

 

126:名無し野電車区

>>124 エアプ乙

できないからだが? お前線路走ったことないだろ

 

127:名無し野電車区

>>124

アレ上手くやらないと滑るのよ、特に焦って急加速しようとするとなおさら

あんなにスムーズな加速できるアオキがおかしいんだ

 

129:名無し野電車区

>>127 そうなのか。サンガツ

 


 

150:名無し野電車区

誰だよアオキジェット距離足りるか分からんって言ったやつ

塩浜時点でまだ先頭じゃねえか

 

152:名無し野電車区

そらシャトランは名目マイル以上に過酷やからな

でもそろそろきつそうだが

 

153:名無し野電車区

言ってるそばから抜かれてて草

 

154:名無し野電車区

いや加速エグいて

 

154:名無し野電車区

出た! スカーレットセイロン号のスリランカアタックだ!

 

155:名無し野電車区

上り到着線超えるオーバークロスを駆け上らさせるファインプレー

まぁ失格にならんだけええんちゃう?

 

158:名無し野電車区

上ってるうちにNFとエクスにも抜かれちゃった

悲しいね

 

163:名無し野電車区

あぁ浜川崎からの加速が鈍い……もうおしまいだ……

 

165:名無し野電車区

【悲報】シーズンアローほか3名失格、追い越され義務違反@池上新田

 

167:名無し野電車区

>>165 ファッ!?

 

168:名無し野電車区

あのカーブでどうして追いつきが発生するんだよ

 

169:名無し野電車区

>>165 抜いたの誰やねん

 

170:名無し野電車区

どっかそのシーン捉えた中継はないんか

 

173:名無し野電車区

>>169

いま協会公式配信で名前出てきた、ポーラーエクリプス号だって

ノンプロ自身ニキ知ってる?

 

177:名無し野電車区

知らん。初出走は俺の管轄外だ

つーか逆にデータある方がこえーよ

 

178:名無し野電車区

えっ何これは……

 

179:名無し野電車区

ウッソだろお前お前

 

180:名無し野電車区

浜川崎のコーナーってあの速度で曲がれるんだ……

 

181:名無し野電車区

なんだあのちっこいの

もしかして>>92が言ってたのってコイツか?

 

184:名無し野電車区

中継見れてないからあれだけど、ゼッケン番号3-3-4の銀色の子ならあってる

 

185:名無し野電車区

ビンゴやんけ

 

190:名無し野電車区

おい中継! なんでカメラ先頭に戻すんだ!

 

192:名無し野電車区

ふつうは基本的に先頭集団ばっかしか映さんよ

 

195:名無し野電車区

あれセイロンのペース上がってね? 気づいちゃった?

 

197:名無し野電車区

武蔵小杉現地erです

セイロンだけ速度確かに速い…って送信しようとしたらもっとエグい速度で突っ込んてきた奴いてもう乾いた笑っちゃった

その速度であのカーブ曲がったんかお前、トライゼットか?

 

200:名無し野電車区

これでまだプロデビューしてないってマジ?

この走り見て隠微送らんの目が節穴だろ

 

202:名無し野電車区

>>200 初出走やぞ

 

203:名無し野電車区

>>200

誰も見てない定期

きっと次走はデビューランや

 

205:名無し野電車区

速度維持したままコーナー突っ込む時点でヤバイけど引いて見るとスイングバイめいてコーナーで加速してんな

何やこいつ

 

214:名無し野電車区

あっと言う間に2番手まで上がっちゃった

 

216:名無し野電車区

こりゃ南多摩で先頭に出るな、俺は詳しいんだ

 

217:名無し野電車区

セイちゃんそこで張ってもこのあと南多摩のコーナーだよ

 

219:名無し野電車区

ソワソワしてるってことに気付いてた>>94ニキ有能

 

222:名無し野電車区

抜いた

 

223:名無し野電車区

先頭ポーラーエクリプス!

 

227:名無し野電車区

まさかとは思ったけどやりやがったな

こんな中盤でまくりかけて先頭出てくる初出走とか今後期待しかない

 

231:名無し野電車区

府中本町1番線コンコース、ノンプロゼッケンが一番最初に突っ込んできたせいで半分くらい困惑してる

 

233:名無し野電車区

半分くらい予想してたけど武蔵野線入っても速度あんま上がらんのな

 

235:名無し野電車区

✕武蔵野線入っても速度が上がらない

○南武線で既に速度が高い

 

238:名無し野電車区

むしろここで速度上がったら誰が勝てるんだよ

 

240:名無し野電車区

カーブ少ない武蔵野線入って加速したら少しずつだけど差が縮められそうで安心してる自分がいる

 

244:名無し野電車区

セイロンスタミナ切れとらんか

後ろほど速度でとらんぞ

 

246:名無し野電車区

NFエクスがセイロンに近寄ってるのはいいとして、その後ろのカイザーがさらにそことの差を詰めてるのはヤバいわよ!

 

247:名無し野電車区

前にいる1名除いた2位以下で普通にたのしそうな競り合いしてんの笑うわ

 

249:名無し野電車区

まぁプロか否かで表彰台別だからわざわざそことやり合う意味ってプライド以外ないしな……

 

252:名無し野電車区

えっ別なの!?

 

255:名無し野電車区

だったらなんでさっきセイロンは逃げてたんだよ

 

256:名無し野電車区

別よ別。混合レースだと表彰台2つあって片方はアマチュアの表彰台になってる

で、普段もう片方の表彰台側にアマチュアが入ることって滅多にないから知らない人も多いだろうけど、そっちも実はプロランナー登録してないと乗れないのよ

 

258:名無し野電車区

>>255 混合レース特有のルールだからわからなかったか、あるいは上がって来るのがプロじゃないことにまだ気づいていなかったかじゃないかな

 

263:名無し野電車区

あああセイロン再加速出来てない

 

265:名無し野電車区

今来た

セイロンはここまでか、ノーザンフィールド先頭?

 

267:名無し野電車区

先頭はさっきからポーラーエクリプス号だよ

これは2番手争い

 

270:名無し野電車区

つーかその後ろのネオトウカイザー号がこの一瞬で結構つめよったな、何があった

 

272:名無し野電車区

曲線通過速度の差でしょ

先頭走ってるポーラーエクリプスがアホだから目立たんだけでカイザーもたいがいそこおかしいからな

 

275:名無し野電車区

あっエクスが仕掛けた!

 

277:名無し野電車区

行けー! エクス!

 

282:名無し野電車区

レイクタウン場面残り1Cだけど、この先吉川のコーナー曲がれるんかいな

 

285:名無し野電車区

あー減速しちゃった

 

288:名無し野電車区

むしろポーラーエクリプス号はなんなん、なしてそこ曲がれんの?

 

290:名無し野電車区

>>288 見た感じ重心相当低いのと単純に体幹お化けなのでは

 

292:名無し野電車区

そしてしれっとカイザーがだいぶ前まで来てるな、NFも抜かされて先頭まで4Cくらい?

 

295:名無し野電車区

カイザー2番手! 南流山で抜いた、あとひとり!

 

297:名無し野電車区

そのひとりが遠いんだよなぁ

 

300:82

船橋法典現地、かなり盛りあがってまいりました

そしてナマラシロイヤ号はどうもこの先頭ランナーをご存知らしい

 

303:名無し野電車区

>>300 ファッ!?

 

305:名無し野電車区

>>300 彼女を知ってる奴おったんか

そらまぁ本人周りは知ってるだろうけどさ

 

307:82

何ならここで話題に上がるというか、南武線入るより前からその名前呟いてたからなww

知らん名前だなーって聞き流してたら大事になってて草なんよ

 

309:名無し野電車区

そりゃやべーな

 

310:名無し野電車区

市川大野で1チェーン差まで迫っててすげえな

カイザー府中本町時点でどれくらい離されてたっけ?

 

311:名無し野電車区

並んできたな

これ船橋法典からはかなり凄まじいシーンが見られるのでは

 

314:名無し野電車区

船橋法典勝ち組じゃん

>>82せこいぞ!

 

317:名無し野電車区

ウッソだろそこから加速すんのかよ

 

318:名無し野電車区

なんだこの化物

 

320:名無し野電車区

つーかポーラーエクリプス号がアマチュアなのに隠れてるけど競ってるネオトウカイザー号もこれがデビューランなんだよな

この展開想像できたやつおる??

 

321:名無し野電車区

西船橋場面:ポーラーエクリプスがネオトウカイザーに半チェーン先行、武蔵野線全区間逃げ切り

高谷支線のカーブ対応のため差を広げられつつあり

 

323:名無し野電車区

新人vs新人……これが世代交代か

 

325:名無し野電車区

カイザーまだ加速できんのかよ

でも次の舞浜のは……厳しそうだな

 

327:名無し野電車区

いや舞浜超えても加速しよるやんけ!

 

330:名無し野電車区

行けるかこれ

 

331:名無し野電車区

カイザー加速して並んできたぞ

 

334:名無し野電車区

抜いたああああああ!

 

336:名無し野電車区

ネオトウカイザー先頭! ネオトウカイザー先頭!

 

343:名無し野電車区

でもこの先エグいコーナーが2つ……どうなるか

 

346:名無し野電車区

ポーラーエクリプス号坂で失速しとるやんけ

スタミナ切れか?

 

348:名無し野電車区

や、ここの上りでスタミナ余してるカイザーがおかしい

 

350:名無し野電車区

>>346 新木場って駅出たらすぐゴールまでの下り勾配だしけっこうどころかかなりペース配分理想に近いの怖すぎんだろ

 

351:名無し野電車区

ポーラーエクリプスまた加速してて草

もうゴール直前だぞ

 

352:名無し野電車区

もう潮見だぞ、ふたりとも正気か?

 

354:名無し野電車区

地下入ったわね

 

356:名無し野電車区

怖い話していい? 越中島で先に通過したネオトウカイザーもポーラーエクリプスもともにブレーキ音がしてない

 

358:名無し野電車区

チキンレースやんけ!

 

359:名無し野電車区

東京ほぼ同時に入ってきたけどどっちが先着したんだ

 

360:名無し野電車区

エッグい速度で入線してきたんだが停まれるのか?

 

361:名無し野電車区

※止まるまでがレースです

 

362:名無し野電車区

うわポーラーエクリプス号止まりやがった、あそこから止まれるんか……

 

363:名無し野電車区

どっちが勝ったんだ?

 

365:名無し野電車区

電光掲示板を信じろ

 

370:名無し野電車区

同タイムで区分違い双方1着wwwww

 

371:名無し野電車区

いや>>249の言ってた通りだけど納得いかねえよこれ

せめてどっちが先かは教えてくれや

 

373:名無し野電車区

でも確かに厳密に見る必要が協会にはないんだよな

たぶん後々何らかの声明が出るとみた

 


 

512:名無し野電車区

落ち着けお前ら

インタビュー報道記事出てるぞ

【メガループ】ネオトウカイザー、デビュー戦で1着

 

514:名無し野電車区

情報量が……情報量が多い!

 

520:名無し野電車区

>武蔵野線24時間耐久

よりによってなんでそのレースを選んだ! 言え!

 

521:名無し野電車区

再来月のG5L指定してるの、デビューランで勝つこと前提にしてるの面白すぎるんだよな

 

524:名無し野電車区

津田沼杯普通CSってゴリゴリのスプリントレースなんだけど、【帝国】陣営は何考えてるんだ

 

528:名無し野電車区

ネオトウカイザー号側は分かった、で、ポーラーエクリプス号側の記事はないのん?

 

531:名無し野電車区

ほらよ

【メガループ】覇者ポーラーエクリプス、プロデビューを表明

 

534:名無し野電車区

君たち情報量の多さでもバトルしてんのか?

 

536:名無し野電車区

次走情報3度見したわ

 

539:名無し野電車区

鵯越ヒルクライムかぁ〜〜……鵯越ヒルクライム!?

 

544:名無し野電車区

マジかいな、鵯越くるんやったら現地見に行くわ

 

547:名無し野電車区

鵯越HCも普通CSもメガループと武蔵野線24耐の間に挟むレースじゃねぇよ、なんでこいつら仲良くクソローテ走ってるんだ

 

552:名無し野電車区

ってかさらっととんでもないこと書いてない?

>ポーラーエクリプスは序盤エンジントラブルに見舞われ

エンジントラブルに見舞われ

エ ン ジ ン ト ラ ブ ル

 

554:名無し野電車区

あっ……

 

557:名無し野電車区

【悲報? 朗報?】ポーラーエクリプスさん、気動車だった

 

560:名無し野電車区

おじいちゃん気動車の性能がお察しだったのは一桁世代よりも前だけだよ

 

562:名無し野電車区

>>560 やめろそれは俺に効く

 

564:名無し野電車区

>>560

僕信じないよ、もう一桁世代がドシドシノリモンに成ってるだなんて

 

570:名無し野電車区

お前ら現実見ろよ……

【メガループ】ネオトウカイザー、デビュー戦で1着

3304
10/11(月) 17:00 配信

               

 

 

 

 

東京駅でフルブレーキをかけるネオトウカイザー号(記者撮影)

 

◆鉄道の日記念メガループ(115M、11日)

 

 最序盤より転向してきたアオキジェットが飛び出し縦長の展開となった鉄道の日記念メガループ。史上稀に見る波乱の盤面を制したのはネオトウカイザーだった。

 

 ネオトウカイザーは序盤のアオキジェットの挑発のかかっていない中団に控え、スタミナを温存。府中本町時点では先頭から1マイル以上も遅れての通過となっていた。

 

 しかしここから驚異的なロングスパートを魅せると、武蔵野線区間での区間新記録を10秒以上も短縮し西船橋時点での差は僅か半チェーン。そのまま葛西臨海公園で先頭に躍り出て東京に到着した。

 

 レース後、ネオトウカイザーは「すっきりしない」とコメント。優勝で得られた招待権を未登録部門で1着となったポーラーエクリプスに即座に行使する構えをとり、ポーラーエクリプス側もそれを承諾、おなじ路線で行われる武蔵野線24時間耐久(12月27日)での再戦を誓った。

 

 また、次走については津田沼杯普通チャンピオンシップ(10M、11月27日)を予定しているという。

 

 関連記事

 

解説記事:混合レースにおける着順の取り扱い

 

【南武杯】パノラマメイデン、勝利のミュージックホーン

 

【小金記念】ラグジュアリスーパーが混戦制す

 

【筑豊記念】ナンプウメモリアルが脅威の捲り勝ち

 

連載:帝王が語る今週のレールレース

 

【メガループ】覇者ポーラーエクリプス、プロデビューを表明

2563
10/11(月) 17:01 配信

               

 

 

 

 

先頭争いを繰り広げながら船橋法典に接近するポーラーエクリプス(右)(記者撮影)

 

◆鉄道の日記念メガループ(115M、11日)

 

 未登録者と登録選手が同時に走行する混合レースであるメガループ。未登録者の区分において最初に到着したのはポーラーエクリプスだった。

 

 ポーラーエクリプスは序盤エンジントラブルに見舞われ車列内を流していたが、これが回復してから本格始動。自らの強みであるコーナリングを利用し南武線を独走、脅威のごぼう抜きを成し遂げ登録選手も含めた全体のトップに立つ。最終盤でネオトウカイザーに抜かれども最後まで喰らいつき、異例の同タイム走破となった。

 

 完走した感想を尋ねると、「走るのってたのしいね」と満面の笑みで応答。ネオトウカイザーにより呈示された登録選手への招待を二つ返事で承諾、着差の出る同一区分での再戦を誓った。

 

 この結果について彼女の関係者のスーパーブライトは「事前の予想より攻めた走りをしてくれたので驚いている」とコメント。デビューランについては鵯越ヒルクライム(14M10C、11月23日)とする方向で調整しているという。

 

 関連記事

 

【メガループ】ネオトウカイザー、デビュー戦で1着

 

解説記事:混合レースにおける着順の取り扱い

 

【南武杯】パノラマメイデン、勝利のミュージックホーン

 

【小金記念】ラグジュアリスーパーが混戦制す

 

連載:帝王が語る今週のレールレース

 




A.そりゃ4更新分+αの裏全部入れたらそーなる


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ前:ソーシャル・ネットワーク・サービス

「それで逃げ帰るように東京を出ちゃったのね。莫迦じゃないの? これから身のふりとか考えさせた方がいいわよ?」

「いや本当に反省してます……」

 

 ポラリスのレースから数日後。僕は隣のレジに立つヤチさんにこってり絞られていた。

 というのも、ポラリスがあそこまで善戦するのを全く予想してすらいなかった――アマチュアの中で順位一桁に入ればいいほうだと思っていた――僕達は、インタビューの受け答えとかを全く用意していなかったのである。

 結果、受け答えのほとんどをそういった経験があって場数を踏んでいるブライトさんのアドリブに任せて僕たちはほとんど突っ立っているだけという始末。

 

「ヤッちゃん、そこまでにしとけ。悪ーのはランカーブ引ーたクセに予測できなかった俺だ」

 

 ブライトさんが、バックヤードからぴょこんと顔だけを出してそう援護はしてくれたけれど、実際自分でも自分に非があることをはっきりと否定できない訳で。

 

「……はぁ。とにかく、貴方達は広報戦略を1回きちんと練った方がいいわよ?」

「広報戦略って言われましても」

「例えば、SNSのアカウントを開設するとか」

「この子みたいにか」

 

 ブライトさんは端末の画面をこちらに向けながらそう言った。

 

 

 

マケタダイスカイ

@WinningLiner

走っています

◎ 軌道上のどこか

128 フォロー中 9,009 フォロワー

つぶやき

  
つぶやきと返信
  
メディア

  
いいね
  

 

   
 
固定されたつぶやき

    
マケタダイスカイ@WinningLiner ・10月2日

    
負けました

 

    
639
4,971
1.2万
<  

 

 

「えーっと、マケタダイスカイ、さん?」

「いや、このアカウントの持ち主はカツタダイスカイ号、レースで負ける度にこうしてスクリーンネームを変えて結果報告をするので一部の界隈でカルト的な人気を誇っている」

 

 なんだそりゃ。自分の名前で遊ぶんじゃない。

 ……ん、()()()()()?。

 

「あの、ヤチさん」

「わたしの姉よ」

「やはりそうでしたか」

 

 ブライトさんこれ絶対知っててやったやつだよね。笑ってるし。

 ……後でどうなっても知らないよ、僕は。既にヤチさんの目が笑ってない。

 

「まぁ、カツ姉程戦略的に使いこなせとは言わないけど。でもちょっとくらいはこっちから発信していかないと、好き勝手言われ放題になってちゃう。それがインターネットの恐ろしいところなの」

「でも僕達はJRNに所属してるじゃないですか。実名でSNSってコンプライアンス的にはどうなんですかね」

「機密情報とかよっぽど過激な思想を流したりしなきゃ平気よ。あとは、個人の意思決定を組織の意思決定だと思われないような文面を心がけること。それさえ守れば、実際やってるのはけっこういるしね」

 

 そんなものかぁ。

 それからポツポツとお客さんが入りだして来たので「ま、考えときなよ」とだけ交わして僕達は仕事に戻った。

 

 そして午後に入ってシフトが終わったあと。

 僕はみんなに連絡してカフェテリアまで来てもらい、広報についての話し合いをすることにした。

 

「……と、いうわけなんですけど」

「広報、ってどういうこと?」

「まあつまりはポラリス、インターネットを通じてお前とファンとの間を繋げるってことだ」

「えっ!? ポラリスそれやりたい!」

 

 ポラリスは手を高く上げながらぴょこぴょこと跳ねてそう言った。テンションが高いな。

 

「私は既に個人的なアカウントを開設し、応援していただいている皆さまとの交流に努めておりますが。正直、ポラリス個人のアカウントを開設するのは推奨しかねるかと」

 

 まぁそれは僕だってそう思う。

 そもそもあの子何書きだすかわからんし、あと単純にインターネットの闇に触れてほしくない。

 

「そもそもポラリスの歳じゃSNSの大半は開設不可能だろうが。例えばさっき見せてくれた奴は13歳未満は登録禁止だったと思うぞ」

「年齢制限として個人が駄目なら、いっそ団体化してその団体のものにする、というのがよくある方法ですね」

「多くはねえよ、誰だそんなこと言った奴」

「北澤さん」

 

 わりとよくあるライフハックだし実際に使ったこともあるって彼女は言ってたけど、どうやら一般的にはそうでもないらしい。

 その時はほへーって聞いていたけれど、言われて冷静に考えてみると確かに使いどころはよくわからないなこれ。一体何に使ったんだあの人。

 

「まーでもありかもしれねーな」

「何考えてんだブライト」

「アカウント乱立させても仕方ねーし、一つのアカウントでポラリスだったり俺だったり山根だったりが対応できる方がいーんじゃねーかって」

「そもそもどういう団体なんだよこれ」

「ぴったりの言葉があるじゃねーか。それこそ【帝国(セントラル)】のよーな」

 

 ブライトさんはそう言いながら、円卓の真ん中に手を伸ばした。

 

「そう、チームだ」

「成程。それはいい提案かと。【帝国】の皆様も、チームのアカウントを有していたと記憶しています」

 

 ブライトさんの手の上に、ロイヤさんが手を置く。

 

「ま、俺は決めたんだ。ベーテクの夢を手伝うってな。そんなベーテクがポラリスのやりたいことができるように願ってるんだから、俺に断る理由なんてない」

 

 さらに成岩さんの手が重なる。

 

「僕も協力する。ベーテクさんとの、約束でもあるから」

 

 そこに僕の手を重ねて、僕たちは8つの目で彼女を見つめた。

 

「……うん! よろしくね、みんな!」

 

 そして、そこに5つ目の手が重ねられた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ中:チーム名

 さて、ブライトさんのノリでチームを結成した訳だけれど。

 

「そもそも、チームって何なんですかね」

「定義は特にねーよ。何名か集まりゃそれでチームだ」

 

 うわすっごく雑な定義だ。というか定義ですらないよそれ。

 

「まー補足すると、一部のレースには確かに複数名でチームとなって走らなきゃいけないよーなのもある。耐久レースによくあるパターンだな」

「あぁ、あの宣戦布告された」

「いや、ムサ線24耐は補給のための並走こそあれど基本は24時間ひとりで走るイカれたレースだ」

「おかしいでしょ。……ポラリス、走れる?」

「がんばる!」

 

 右手でVサインをしながら、ポラリスはそう元気に答えた。まぁ走れるって本人が言ってるし応援はしようか。

 

「あとはあれだな、チームだと一代限りにならずに名前が後々まで残ったりする。現にエタさんはとっくにラストランしてるけど、まだ【帝国(セントラル)】はチームとして残ってるだろ?」

「それの何がうれしいんですか」

「えっ」

「えっ」

 

 僕たちは顔を見合わせた。大きな認識の差が、そこにあるようだった。

 

「私は名前が残り、後々まで伝えられることに喜びを覚えます」

「俺は別にどうだっていいな。きちんと仕事がうまくいって、それで1人でも多くが不幸にならずに済むのなら、名前なんて残らなくたっていい」

「ポラリスはみんなに知ってもらいたい、ポラリスのことを」

 

 きれいに分かれたな。それもノリモンと人間とで。

 ということはここの違いに何かがあるのだろうか? そう思って考えようとしたところで、前に佐倉さんから聞いたことを思い出した。ノリモンって模倣子の拡散が本能として存在するということを。

 

「なるほど、確かに()()()()()()大きな意味がありますね」

「だろー?」

 

 ブライトさんいわく、最近はレース以外でも何かと様々な分野でチームを組むノリモンが増えているのだとか。もしかすると、JRNのユニットも今でさえトレイナーの集まりになっているけれど、最初の方はノリモンのものだったと聞くし、その制度が始まった頃はもともとそういう意味もあったのかもしれない。

 そう考えると、チームを組むという事の意味が理解できてくるような気がしてきた。

 

「それで、だ。チームを組むとなると、アレが必要になるんだよな」

「アレとは」

「名前だよ名前。チーム名。そしてそれがそのまま俺たちのアカウント名にもなる」

 

 基本的に星座の名前からとられているユニット名と違って、チーム名にそんな制限はない。そして制限が無いということは、逆に言えば決めるのが大変だということでもある。

 こういうときは、雑に素案を誰かに出してもらってそれを軸にするのがてっとりばやい。

 という訳で。

 

「ポラリス、何か案ある?」

 

 そもそもがポラリスの為のチームだ。なので、僕はポラリスにまず尋ねることにした。

 ……しかし、帰ってきた答えは。

 

「うーん? 【円形広場だいすきクラブ】とか?」

 

 ……聞いたこっちがこんな顔をするのもなんだけど、ここにいる他の四名の顔が灰になった。

 それで言うと、円形広場とは西国分寺の都立武蔵国分寺公園にある直径150mくらいの円形の広場のことである。体を動かすのにちょうどいいのか、はたまた何かに惹かれるのか、ロイヤさんやブライトさんのお気に入りの場所だそうで、最近はポラリスもそこによく足を運んでいる。

 

「……ポラリス、ちょっと話がある」

「なぁに富貴」

「あのな、もうちょっと抽象的な感じにした方がいい。それとチームって言ってるんだからクラブは不要だ」

「えっと、じゃあ【広場】?」

「抽象的がすぎるぞそれは……」

「まぁまぁ成岩さん、ここから考えていきましょうよ。ポラリス、なんでその広場っていう言葉を拾ったの?」

「広場ってさ、なぁんにもないじゃん。なのにみんな集まってきて、なんかいいなって」

「なるほどね、じゃあさ、どんな広場にしたい?」

 

 こうやって、名前の要素となる種を拾っていく。そうすればポラリスの中にすんとおさまる名前ができるはず。

 

「なんだろう? キラキラしてて、ピカピカしてて、とーっても素敵な広場がいいな」

「キラキラ、ピカピカか……」

 

 となると、光り輝く感じのイメージか。……よし、これにしよう。

 

「だったら、【かがやきひろば】とかどうかな?」

 

 と、提案したのだが、すぐにブライトさんから待ったがかかった。

 

「『かがやき』はやめてくれ。なんか俺がぜんぶやってるみたいじゃねーか」

 

 あっ。そういえばそうか。よくよく考えたら『かがやき』は英語にするとブライトだ。実際問題けっこうブライトさんに頼ってる部分はあるけど、本人がそれを望まないならそれをチーム名に入れるのはやめた方がいいな。

 そう思って別の案を考えようとしたところで、ロイヤさんから代案が飛んできた。

 

「でしたら、【キラメキヒロバ】というのが宜しいかと。御一考頂きたく」

 

 なるほど、煌めきか。いいじゃん。

 

「……うん。ポラリス、【キラメキヒロバ】がいい」

「決まりだな。山根は?」

「いい名前だと思う」

「いや『かがやき』が駄目だからって『きらめき』って、わかってやってるよなロイヤは……」

 

 若干1名ほど頭を抱えているけれど、まあ似たような意味の単語でも、かがやきほど露骨ではないし懸念する必要はないだろう。だめだっていう主張もかがやきのときほど強くはないしね。

 そうして、僕達のチームの名前は【キラメキヒロバ】に決まったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ後:初めてのつぶやき

「よーし、じゃーサインアップするぞ」

 

 机の真ん中に置かれたブライトさんのタブレット端末。そこに映し出されているのは、大手SNSの登録画面である。

 

「IDは……普通に@Kiramekihirobaでいーな? あいてるし」

「いいと思う」

 

 こんな感じでトントン拍子で手続きは進み、あっという間にアカウントが開設された。

 

「で、これ最初は何書けばいーんだ?」

「私にお任せいただきたく」

 

 ロイヤさんはそう言ってタブレット端末を操作すると、ブライトさんが止める間もなく初めてのつぶやきが電子の海に放流された。

 

「一体何書いたんだ? えーっと」

 

 

 

キラメキヒロバ

@Kiramekihiroba

ランナーチーム【キラメキヒロバ】です!

◎ 東京都 小平市

0 フォロー中 1 フォロワー

つぶやき

  
つぶやきと返信
  
メディア

  
いいね
  

 

    
キラメキヒロバ @Kiramekihiroba ・1分

    
今日からつぶやきはじめました!

このたび結成したチーム【キラメキヒロバ】です!

ゆるっとつぶやいていきたく、みなさんどうぞよろしくお願いします!

#初めてのつぶやき (ナ)

 

    
2
1
< 川

 

 

 ロイヤさんなのに意外と文面がらしくない。よくよく読んでみると確かにロイヤさんっぽい言い回しもあるけど、文末に『!』をつけるだけで相当印象が変わるんだな……。

 だが、同じように画面を見ていた成岩さんは別のところに気がついた。

 

「まだ1回しかつぶやいてないのにもうフォローされてるんだが?」

 

 そしてそれを確認しようとフォロワー欄をタップし、画面が切り替わると同時に。

 

「私です」

 

 ロイヤさんがそう答えた。そして切り替わった画面には彼女のアカウントだけが表示されている。

 

「既にいいねされてるのは」

「私です」

「拡散されてるのも……?」

「私です。引用付きと引用無しで1回ずつ」

「恐ろしく早い操作だ……」

「まだアカウント作っただけで運用方針とか決めてねーのに……」

 

 ブライトさんは頭を抱えていた。気持ちはわかる。

 

「つぶやき消します?」

「いや、そこまでする必要はねーと思う。けど次のつぶやきは色々決めた後な」

 

 そう言いながらブライトさんはタブレットの画面を消した。

 

 それから決めたのは、まずつぶやく時のルール。普通のつぶやきは基本的に全員が自由につぶやくことはできるけれど、今のつぶやきのように最後に誰が書いたかをわかるよう括弧書きの中にそれぞれの名前の頭文字をカタカナで入れておくことになった。つまりロイヤさんは(ナ)、ブライトさんは(ス)、ポラリスは(ポ)、成岩さんは(フ)、僕は(マ)だ。念の為(イ)と(ア)を定めておいたけれど、これが使われるのはおそらくだいぶ先になると思う。

 そして返信には原則的に元のつぶやきをした者が対応すること、ただし事前に対応を変わってほしいと連絡を入れた場合は変わってもらえること――主にポラリスを念頭において決まったことだ――などがどんどんルールとしてきまってゆく。

 それから、フォローバックの基準。これは同じランナー、ランナーのチーム、そして協会と報道筋、あるいはコラボの決まった企業さんなどに限定して、勝手なフォローバックはしないこと。

 そして、大前提としてJRN全体のソーシャルメディアガイドラインに従うこと。機密情報を漏らすなとか、誹謗中傷をするなとか、真偽が怪しい情報をみだりに撒き散らすなとか、一般的な内容ばっかりだけれどとても重要なことだ。

 

 そうして小一時間ほど話し合ってから、ようやく次のつぶやきをどうするかという話になった。

 無難に行けば、メンバー紹介なのだが。困ったことにポラリス陣営のうち2名ほどはまだ連絡がついていない。時差が9時間もあるから仕方がないのだが……。

 

「毎日ひとりずつ紹介する形で一週間かければいいんじゃねえか。そうすりゃ数日は時間が稼げる」

「じゃーそーしよーか。最初は……さっきつぶやいちまったロイヤ、お前な」

「拝承」

 

 ……ん? 一週間?

 

「えっと、僕と成岩さんもですか」

「当たり前だろ。俺たちもサポートとはいえチームの一員なんだから」

「でも走る訳じゃないですよね」

「トレイナーの走れるレースもあるが、参加してもいいんだぞ?」

 

 成岩さんはそうおどけて言った。彼なら実際参加しかねないのが怖いけど、今のところ僕にはその予定はない。

 そう、言おうとしたところで。その予定がすでに用意されていることを指摘された。

 

「そもそもポラリスが年末の24耐出るってなるとフューエルの補給できるのが俺かお前だけだ。ほかのみんなは電気車なんだから」

「えっ」

「だからどっちにしろメインとして走る訳じゃなくともレース内で走る事になる。これは決定事項だ」

 

 言われてみれば確かにそうだ。しかも24時間ぜんぶをワンオペでやるわけにもいかないだろうから、僕達2人が両方そこに加わることになる。

 

「で、順番は……」

「ロイヤ、嬢ちゃん、俺、ベーテク、Advanced Passenger号、成岩、山根の順で考えてるが」

「ならそれだな。そういう訳だから、自己紹介考えとけよお前も」

 

 ……あれ、自己紹介って何書けばいいんだ?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ前:カリーナとの出動

「さて、まずはあの子のタイムベルを回収しないとね」

 


 

 月末も近づいた火曜日のことだった。埼玉県さいたま市大宮区大成町でクィムガンの発生が報告されていたので、僕達はそちらへと出動することになった。

 

「早乙女氏。おかしいとは思わぬかね」

「あぁ。ここのところ多くても年に一度程度の、報告書をすべて読み切る前に次の報告が共有されてくる例が続いている。何かの前兆でなければいいが……」

 

 専用列車の中で、早乙女さんが話しているのが聞こえる。その相手は、カリーナ・ユニットのリーダーである高山さんだ。

 そう、カリーナだ。つまり。

 

「いやまさかこんなすぐに一緒になるとは思ってもなかったっすよ」

「僕もですよ。今日はよろしく」

 

 名松もここにいる、ということだ。

 

「こっちこそ宜しく頼むっすよ。委員長も」

「もうアタシは委員長じゃないんだけど?」

「あっ、そうっすね……北澤さん? 聞いてるっすよ、ウルサの新人が2人ともようやってるって」

 

 そう話をしていると、向こうのユニットから気にかけてくれたのか1人、こちらに向かってきた。

 

「おう一志。知り合いか?」

「前に言ったっすよね? ウルサの新人2人は同期だって」

 

 彼女はその名松の言葉に顎に手をあて、そして少ししてから突然口を開いた。

 

「……あぁ!」

「絶対忘れてたっすよね紀勢さん」

「んなこたぁねえし。確か綾部と程久保って言ったろ?」

「ほら覚えてないじゃないっすか!」

 

 名松と紀勢さんはそのまま僕達を置いて軽い口論に発展した。このめちゃくちゃうるさい専用列車の中でよくやるなあ。

 

「なんか楽しそうね」

「そう……かなぁ?」

 

 まぁでも仲はいいんだろうなぁ。あの感じだと。

 そして少しすると、言い合いが終わったのか名松は紀勢さんを連れて戻ってきた。

 

「さっきは済まなかった。カリーナロケットの紀勢佐奈ってんだ、よろしくな」

「アタシは北澤百合、ウルサパレイユです」

「ウルサロケットの山根真也です、今日はよろしくお願いします」

「おう、よろしくな」

 

 なんというか、かなり豪快な方だ。あの人普段ロケットの中で何やってる人なんだろ……。

 少し気になったけれど、それを聞こうとする前に列車は減速を始めた。対応の準備をしなければ。

 

 今回もなぜか例によって2箇所での同時発生のため、こっちに回されているユニットはウルサ、カリーナとエクレウスの3ユニットだけ。なのであまり攻めた戦い方はできない。じゃないと十分に回復できぬままに再入場する羽目になるからだ。

 それを頭に入れた上で、僕達は列車を降りた。目の前の川越線の線路を塞ぐように張られたラッチには、もはやそこから動かせなかったんだなという諦めが感じとれる。

 

「さて、気を引き締めて行こうか」

「我々も行きますぞ」

 

 中にはまるでクラゲのような姿のクィムガンが宙に浮かんでいた。そして僕達を見つけたのか、その触手のようなものをびゅんとこちらに伸ばして攻撃してくる。

 

『トランジットしている余裕すらないか。各位攻撃回避を最優先に、余裕があればシールドを削るように』

「わかってるっすけど、これどうすりゃいいんすか」

 

 目の前で同じように攻撃を避けんとする名松が叫ぶ。避けても避けても次々と襲ってくる攻撃は、僕ももはや回避だけで精一杯だ。

 

「《アークティック・ホワイト》。『みんな、トランジットは今のうちに』」

 

 佐倉さんが白い軌跡を残しながら剣を振るうと、その陰には僅かな安全地帯ができた。そこに早乙女さんと北澤さんが入ってトランジットを始める。

 それを見たのだろう、名松が壁を作ろうとしてくれた。

 

「なるほどっすね。ここはこっちが引き受けるっす! 《ダブルスキンシールド》!」

「ありがとう」

「良いっすよ、ウルサの真髄、見させてもらうっすから」

 

 空気の渦が触手を弾く後ろで、僕はチッキを取り出し改札機を呼び出した。

 

「失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを! ポーラーエクリプス号、このトモオモテに宿れ!」

「……えっ」

 

 何か驚く声が聞こえるけれど、もうトランジットが終わるまで戻れない。

 そして改札機が開いてなにかヤバいことでも起きてるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしながらも飛び出す。

「……君だったんすか」

「何が?」

「いや、終わったら話すっす。今はこいつの対応が先っすよ」

 

 コジョウハマを右手に持つ。触手を払うのだって、このウェポンがあるのとないのとでは安心感が違う。そして左手ではいつも通り《桜銀河》をためておく。

 と、その時。無線から声が聞こえた。

 

『ウルサパレイユより各局へ。いまからクィムガンを止めます! 《安全鉄則 先ず止まれ》!』

「反撃の時間っすね」

 

 赤い光がクィムガンを覆い、僅かなピクピクとした震えを残して動かなくなった。北澤さんが技を使っているんだ。

 ならばこれが解けないうちに!

 

「《クンネナイ》!」

「行くっすよ、《エアロ・ダブルウィング》」

 

 銀色の風が、白色の風が、それぞれ青いラインを伴って飛び上がった。

 上から見ると、北澤さんの技の影響だろうか、シールドの色すら動いていないことがわかる。そして、大きく黄色が出ている周りには他の人はいない。これならば!

 

「黄色を、抜ける! 『ウルサロケットより各局へ、発射します、《桜銀河》!』」

「おっと、避けた方がいいっす、ね!」

 

 急降下して青いシールドを狙う名松とは逆側の、黄色いシールドへと光線が伸びていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ中:ねらわれたもの

『ウルサノーヴルよりウルサロケットへ、莫迦野郎! 撃つんだったらもっと事前に言えや! 危うく突っ込むとこだったぞ』

 

 着地するとともに、成岩さんから怒号が無線で飛んでくる。

 ……一応確認はしたんだけどなぁ。

 

「ウルサロケットより、ごめんなさい、今のうちに削っておきたかったんです」

『事故らなかっし黄色も削れてるから許す』

 

 許された。

 そのやり取りを終えると、攻撃を終えた名松が隣に着地してきた。

 

「怒られたっすね」

「話聞いてるならわかると思いますが、これ誤射が一番怖いんですよね。トレイナーに当たったらパリンですし」

「そうじゃなくともあの鬼気迫るかんじからなんとなく分かるっすよ。さ、もう一回……」

『ウルサパレイユより各局へ、そろそろ限界! 無理ぃ!』

「……と、今から跳ぶのは無しっすね」

 

 むしろ今までここまで止められただけでもかなり助かった。北澤さんはいつの間にこの技を使えるようになったんだか。

 そしてクィムガンの振動は大きくなり、ついにはバネが復元するように全ての触手が高く飛び上がった。

 また攻撃を防いだり避けたりするフェイズか。そう思って動きを切り替えんとしたとき。

 

『カリーナサイクロより各局へ。できるかわからないですが止めてみます』

「参宮さん!? そんなことできたんすか!?」

 

 名松が驚く間もなく、クィムガンは紫色の光に包まれて、再びその俊敏性を大きく損なわさせられた。完全に止まった訳ではないので警戒は必要だけれど、普通にこちらから主体的には攻撃ができるレベルだ。

 ……とはいえ、さっきの《桜銀河》で黄色はだいぶ削れた。なので相対的に黄色が台頭してくるまでは青を殴るしかないのだが、成岩さんが動きの鈍ったクィムガンのシールドをオオカリベで刈り取るわ名松もしれっと一撃が重いわで青もそこそこ少なくなっている。となると、仕事としては陽動だのをして削り要因から攻撃を引き付けた上で逃げまくることになるのだが、それすらもご覧の通りクィムガンの動きが鈍いので必要がない。

 こうなると長期戦を見据えてスタミナ温存のためにあまり動かないのが正解となるんだけど、それはそれでどうなんだろう? そもそも、僕が温存したところで他のメンバーが切れたら同時に交代である。

 ……とりあえず黄色がこっち向いたらいつでも撃てるようにはしておくか。

 

 だけど、それが生かされることはたった一度しかなかった。カリーナサイクロの参宮さんの技が解けて、そこに早乙女さんが続けてクィムガンの行動を制限する技を使ったところで、北澤さんのバッテリーユニットがほぼ尽きてしまったのだ。最初にクィムガンの動きを完全に止めた上にその後に残っていた緑のシールドを桜色に光るショートソードで恐ろしい勢いで削っていたのだからそりゃ消費は早い。彼女を責める者は誰もいないだろう。

 

『ウルサバランスより、ウルサは私を残して撤退を。私は状況把握のため残る。伴って、総指揮を移管したい』

『カリーナパレイユより、吾輩が指揮をとる』

 

 それから僕達は出場し、外で待機していたエクレウス・ユニットの皆さんに大まかな対応方針と注意点を伝えてから、しばしの休憩となったのだった。

 

「北澤、よくやったな」

「そうかな? そうしなきゃみんな動けそうになかったし、何よりその最中動けなかったのを取り戻そうとして余計に消費しちゃった」

「なら次から気をつけりゃいい。少なくとも、今回は北澤、お前の手柄がデカい」

「私もそう思う」

「でも、時間を稼ぐのは佐倉先輩の」

「褒め言葉は素直に受け取っておけや」

 

 この時、僕達は思いもしなかったんだ。

 まさかこのラチ内で対応しなきゃいけない存在が、この後に増えるだなんてことは。

 


 

 鉄道博物館。

 クィムガンの発生により全員が避難することになり、またその被害により停電となり光のない館内で、スタァインザラブは目当てのものを探していた。

 

()()。ここだ。やっとまた会えたね、姉さん」

 

 スタァが取り出したのは、金色の大きな鐘――関釜連絡船、金剛丸の号鐘だった。

 

 金剛丸は、様々な『初めて』の記録の残っている船である。日本で初めて、航海速力が22ノットを超えた船。世界で初めて、客室全てが冷房化された船。世界で初めて、船内電源の全てに交流電源を用いた船。そして――世界で初めて、()()()()()()()()()()()()()()()()

 昭和26年10月。韓国は釜山港を出て、佐世保港に向けて航行中だった金剛丸は、九州に大きな被害をもたらしていた台風Ruthの迫るその道中で運悪く、はじまりのクィムガンの攻撃を受けた。金剛丸は損傷し、佐世保近くの五島列島は宇久島、乙女ノ鼻付近に擱座。乗り合わせていたアメリカ兵や乗員が避難・上陸して数時間後には、金剛丸は見るも無惨な姿に変わり果てていた。これが公式記録に残る、最も古いクィムガンによる被害である。そしてそのはじまりのクィムガンは、その迫っていた台風の名に因みルースの落し子と呼ばれるようになったのだ。

 

 スタァはその金剛丸の号鐘を抱えて博物館を出ると、忌々しいものを見る目で視界に映る半球状の結界を見つめた。

 

「ラッチ……まったく、面倒なものを開発してくれちゃって。でも、()()()()()()()()()()()()()()。そうだね、挨拶でもしていこうかな」

 

 次の瞬間、スタァはその場から消えていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14レ後:神託の預言者、スタァインザラブ

 クィムガンのシールドを割り切り、その対応は終わった。あとは帰って報告書を纏めるだけだ。

 ラチ内にいた11人のトレイナーは、みなそう思っていた。

 

 なのに。

 

「うんうん、やっぱりJRNのトレイナーは優秀だねぇ」

 

 この()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()真っ黒なノリモンは、一体何者なのだろうか。

 

「お主は何者か。吾輩はJRNの高山各務、トレイナー。それに、どうやってここに入った?」

 

 高山各務はそのノリモンにそう問うた。

 ありえない。ラッチの外から誰かが侵入してくることなど。

 

「これは失礼。まず最初の質問に答えると、ボクはスタァインザラブ。全てのノリモンの幸せを願ってやまないノリモンさ。そして次の質問だけど」

 

 高山がその質疑応答を続ける裏で、エクレウスとカリーナの両ユニットはすみやかにスタァを挟むように陣取って集まる。そして情報管理に徹していた早乙女もまた、トランジットをして駆けつけた。

 このノリモンが友好的な存在だと直ちには認められない。それどころか、その可能性はほとんどない。そこにいる誰もがそう感じていた。

 それを感じ取ったのだろう。スタァも強烈な威圧感を放ち牽制する。

 

「超次元領域(ゾーン)を通ってきた、それだけだよ」

 

 最初に動いたのはエクレウス・ユニットだった。高山と話をしている間なら隙だらけだ。そう考えての、あまりにも軽率な行動。

 

「野蛮だね、そういう教育なの? 《暁の望みは大陸に繋ぐ》」

 

 紫色の光が浮かんだ次の瞬間、エクレウスの5人のトレイナーのシールドは全て割られていた。その間もスタァは、しっかりと高山等カリーナを見続けていた。

 

「……貴様」

「正当防衛、ということにしてもらえないかな? 先に手を出したのは彼らだし、流石にシールドの割れたトレイナーにまで攻撃する趣味はないよ」

 

 スタァは苦笑いしながらそう答えた。そして一転、顔を強張らせて。

 

「それとも」

 

 次に威圧感が大きくなる。実力の差は、明らかだった。

 

「あなたたちも彼らと同じように野蛮なの?」

「……あまり、姫の仲間を侮辱しないで」

 

 それでも太多姫はその威圧感の中、声を震わせながらそう返した。

 

「確かに、いきなり攻撃したのは事実だから、そこは謝る」

「どうして、あなたが謝る必要が? 理性のある者がない者の尻拭いをするなんて、不毛以外に当てはまる言葉が無いよね?」

「……!」

「それにね、ボクは怒ってなんかいないよ。ただ火の粉を払っただけ」

 

 エクレウスとて、JRNのユニットだ。わざわざJRNにまで出動要請のかからないような並大抵のクィムガンなら単独で対応できる。

 そんな彼らを、スタァは降りかかる火の粉に形容した。その事実に、太多は声を失った。

 あまりにも格が違いすぎる存在だと、わからされてしまったのだ。

 

「さて。本題に入るよ。あなた達には伝言を頼みたいと思ってるんだ」

「頼まれずとも、ラチ内での全ては報告させて頂く」

 

 声の出なくなった太多のかわりに、高山がそう返した。

 

「そっか。じゃあ話が早いね――欠痕の門は閉じねばならない。かわりの門を用意した。そうあなた達のボスに伝えて」

「いかなる意味を孕むか」

「トシマ姉さんならわかるはずだから。じゃあね」

 

 次の瞬間、ラチ内を支配する威圧感が()()()。そして、スタァの姿も。

 

「どこに、消えた?」

 

 紀勢佐奈の、ようやく捻り出せたその声だけが、ラチ内に響いた。

 


 

「完敗。逃げられたんすよ」

「逃げられた?」

 

 成岩さんと出場してきた名松と一緒に担架を取りに行く道すがら、彼はそう伝えてきた。

 

「スタァインザラブ。そう名乗るノリモンが急にラチ内に現れて。こっちは手出しすらできなかったっす」

「言っている意味がわからないが」

「こっちも何が起きたのかはわからなかったっすよ……。ただ、あまりの威圧感に身体が動かない程だったっす」

「そんなに」

「だからどう報告していいか今高山さんと早乙女さんが詰めているところっす」

 

 もはや意味がわからな……いや、でも。

 あのSバーストの後の、どこでもないゾーン。あそこまで含めてラチ内だと思っていたけれど、あれはラッチの外側に抜け出していたのではないか? そう考えると……?

 

「……超次元」

「知ってるんすか? あのノリモンも言ってたんすよね、超次元領域(ゾーン)って」

「詳しくは知らないけれど、前に僕はラチ内で行方不明になったことがありまして」

「そういや君は長崎でそうだったっすね。反応薄い訳っす」

「こいつが矢鱈変な事象を引くだけだ。あんま参考にするな」

「言い方ひどくない?」

 

 そうやいのやいの言いながら担架を持ってラッチのところに戻ると、佐倉さんがラッチを開けてラチ内の10人が出てきたところだった。うち5人、エクレウス・ユニットの皆さんはその場に倒れている。

 到着していた保線区の方にも手伝ってもらいながら彼らを担架に乗せて川越線の線路から運び出す。応急処理と安全確認さえ終われば、もう間もなく運転は再開されるだろう。

 

 だけど、僕達が日常を取り戻せるようになるのはだいぶ先になるだろう。話を聞いているだけでもここ数ヶ月のクィムガン発生は素人目でも異常だとわかる。わかってしまう。

 そこに現れた謎のノリモン、スタァインザラブ。何かが起きない訳がない。それが何かはわからないけれど、そういった共通認識がここでは出来上がっていた。

 もう事態は既に、出発信号を踏んでいるのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回14レ:相互確証

「待機の件、拝承」

 

 JRNに戻り、本部に報告をしに行って……そして、たまたまトシマさんの予定が入ってない時間があるとのことで10分ほど待ってから直接の報告をすることになった。

 僕達ウルサはまだいいけれど、中で大変なことになっていたカリーナのメンバーはかなり帰りたそうにしている。というかエクレウスがまだ戻ってきてないのだからそっちが帰ってきてからまとめて対応したほうがいいと思うんだけど、それよりも早めに話を聞いておきたいってことだろうか。

 

「俺達要るのか? ラチ外で待ってただけだからスタァインザラブなる者のことは全くわからねぇのに」

「山根と私はたぶんアレを聞かれる。北澤も止めたことについて聞かれるかもしれない」

「……俺は?」

「たぶんいらない」

「おい」

 

 まぁ確かに成岩さんに聞かなきゃわからないことってこの件では無いよなぁ。

 そう考えながらぼーっと2人の賑やかな言い合いを眺めていると、トントンと後ろから肩を叩かれる。

 

「少し、いいっすか」

「何です?」

「いや、ちょっとした確認っすよ。【キラメキヒロバ】の山根トレイナー」

 

 そういやこの人そういう人だったよ!

 名松はスクールの時からレース好きを公言していたし、同じ趣味の人達で集まって話をしているのをよく見かけていた。当時はここまで関わるとも思ってなかったから僕はそこには入ってはいかなかったけど。

 でも流石にこのタイミングでは……。そう思って後ろを振り返ると、彼の肩は強張りちらかしていた。

 

「……別にいいですけど」

 

 きっと名松は、その緊張を散らしたいんだ。それでこの話をしようとしてきたのだろう。彼にかかっている緊張は、僕の比ではないはずだから。

 ならば引き受けた方がいい。そう考えを変えた。

 

「やっぱりそうだったんすね。トランジットをしたとき聞き覚えのある名前が聞こえたっすから」

「あれ、SNSの投稿を見たわけではなく?」

「SNSやってるんすか?」

 

 むしろまだSNSでしか【キラメキヒロバ】の名前は出してなかったような。そう思って聞いてみれば、名松のキールから存在を聞いただけだそうで。つまり、彼のキールのノリモンもまた、レース好きか、あるいはレースに関わりがあるのだろう。

 

「これ終わったら調べてみるっすよ」

「別に調べなくてもいいですが」

「個人的な興味のほか、()()()()()()()()()()もあるっすからね」

 

 ……ん? こっちのチーム?

 つまりこの人、好きが通じてどこかのチームに入っているってことか。とすると、キールのノリモンがランナーなのかもしれない。

 そう1人で納得していると、名松は水色のカードを取り出して、僕に見せてきた。

 

「一応、彼がキールなんすよね」

 

 ……そう、チッキだ。

 そして、そこに記されていた名前は確かに見覚えのあるものだった。

 

「ネオトウカイザー……あっ、この前の……【帝国(セントラル)】の?」

「そゆことっす。こっちでも、これからよろしく頼むっすよ」

 

 名松はにやけながらそう言った。

 

「こちらこそよろしく。ポラリスは……疾いですよ」

「なに、カイザーの方が疾いっす。この前は決着がつかなかった分、カイザーは年末に決着がつくのを楽しみにしてるってこと、彼女につたえてほしいっすね」

「わかった、頼まれましたよ」

 

 そしてちょうどその時、トシマさんが到着して、僕達はそれぞれのユニットへと戻った。

 


 

「計画を早めなければならなくなった」

 

 カリーナとウルサの両ユニットからの報告を受けたトシマは、頭を抱えながらそう溢した。

 彼女のもつペンの先には、数枚の紙束のうちの1枚に何らかの抽象的な図表が記されて、そしてペン先はそれを何度も何度もなぞっている。

 

「この前の発生報告を見るに、彼女らはリロンチを知っていると見受けられる。その上で、それをさらなる高みへと運ぼうとしているのだろう」

 

 クィムガンへと変わり果てれば、そのノリモンの自意識は混濁し、そしてやがては消失する。リロンチは、その自我を回復させる貴重な手段の1つだ。

 ではなぜ、そのようなものが広く知れ渡り、実用化されていないのか? それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「リロンチはノリモンにとって夢のような現象だ。だが……確実に、今の社会のあり方に影響を及ぼす。好転シナリオならば影響は軽微だが、()()()()()()()()()()()2()0()()()()()()()()()()()()()()だろう」

 

 悪化シナリオともなれば……間違いなく、ノリモンの自由は大きく制限される。あるいは、人間によりノリモンそのものの存在自体が迫害されうる可能性とて否定できない。リロンチとは、それほどに大きな危険性を孕んだ事象なのだ。

 そもそも現状のようにノリモンが容易に社会に受け入れられ、そして溶け込んでいるような日常。これはとても強固なものに見えてその実非常に脆い。それはまるで、最強の硬度を誇る金剛石が割れるかの如く。

 当たり前である。ノリモンは人間以上の物理的な力を有するのだから。それは容易に恐怖心を煽りうるには十分すぎる理由だ。そしてその恐怖心が強まれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それはトシマにとって、絶対に回避しなくてはならないシナリオだった。

 

「だが。ラッチを超越する術を確立しているともとれる言動。何より我々が容易に認知しうるほどに動き出したということ自体がもはや残された時間の多くないことの証左やもしれぬ」

 

 ラッチとは結界であり、牢獄である。これでクィムガンを一方的に閉じ込めて被害を低減させ、そしてそれを人間であるトレイナーが対応する。このスキームは人間にノリモンへの恐怖心を抱かせぬようにするには都合がよい。

 だが、ラッチから自力で脱出ができてしまったら? ラッチの意味は無となり、恐怖心が滲み出すきっかけとなるだろう。

 

「前倒しせねばなるまい。プロジェクト・ココマを」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ前:前日準備

 一般公開。普段は関係者以外立ち入り禁止のJRN構内の一部を、不特定多数の来場者に公開する事業である。その中では研究内容のうち、公開できるものの展示が行われたり、あるいは実演実験なんかをやるところもあったりする。

 その一方で、お子様向けの工作教室やミニコンサートなどのイベントやなぜかどこの組織にいてもできる人がいる焼きそばなどの屋台の出展など、いわば周辺住民を交えたお祭りのような側面もある。というかこちらがメインだ。

 そして。我らが購買部にとっては、この日は年に一番の戦いの日でもある。何せJRN公式のグッズだったり、あるいは職員が作ったグッズ――半分以上はパレイユの方々が作った美術品や工芸品の類だ――なども購買に置いて来場者に販売するのだから、お昼のピークがずっと続くような状態になるらしい。

 

「で、なんで僕達カフェテリアの机片付けてたんです?」

「そりゃ売場面積足りねーからな。パレイユの連中は加減ってものを知りやがれ」

 

 一般公開前日。僕達は売場レイアウトの変更をしていた。外部の者に売ってはいけないものや、そもそも一般公開の日には売っても需要が見込めないものをバックヤードに戻して棚を開けてなお、陳列スペースが完全に不足しているのだという。

 ……えっ、そんなにグッズ類多いの?

 

「なんならいまヤッちゃんがPOS作業してるはずだけど見てくるか?」

「いや地獄見えてるんでいいです……」

 

 これだけ広くしなきゃいけない時点で追加登録いくつする羽目になるんだか。しかも工芸品やグッズの類なら複数のものを同じ商品登録で行けるだろうけど、ワンオフの美術品の場合は……。うん、考えたくもないね。

 

「まーその分、いくらかレジ要員をパレイユの方から回してもらうことになってるからいーんだが。支払い方法選択画面は客側になったから今回教えることも少ねーしな。5万超えたときに信用取引じゃなきゃ印紙貼るくらいじゃねーのか」

「滅多に現金で5万超えてくるお客さんなんていなくないですかね?」

「パレイユの連中単価ですら5万超える物を委託してくるぞ」

 

 ええ……。それはもう自分たちで屋台作って売ってってレベルじゃん。よくそれを購買部に丸投げしようと思うな……。

 

「検品したくないなぁ……」

「はは、諦めろ。店長も旅行カウンターの奴らも出てきて明日の朝は購買部総出で検品と陳列だぞ」

「えーやりたくない」

「諦めろ、俺だってやりたくねーしなんなら店長だってそー思ってる」

 

 じゃあなんでやめないんだ。もっと上、本部からの要請とかだったりするのだろうか? それとも、その作業をしてでも得られるリターンが大きいのか。たぶん後者だと思う。

 

「じゃ、作業も終わったので僕は帰りますね」

「お疲れ。明日はここは戦場と化すから、今のうちに休んどけよー。……と、そーだ、1つ忘れてた」

「何ですか」

「明日はローラースケート履いてこい。それだけだ」

 

 そして帰宅し、ちょっとSNSを覗いた時のことだった。僕がそのつぶやきを見つけたのは。

 

    
キラメキヒロバ

@Kiramekihiroba

 

【告知・おしながき】

明日のJRN一般公開、小川祭にて購買部でキラメキヒロバのグッズ販売があります!

アクリルキーホルダー各880円、缶バッジ各440円、クリアファイル各330円となります

#小川祭 (ス)

 

2021年11月6日 17:25・Web App

 

 

 

川 アクティビティを表示

 

 

 

78 りつぶやき 6 引用 391 いいね

 

 

 

 

    
キラメキヒロバ @Kiramekihiroba ・2秒

    
あの、初耳なんですが明日の朝お話聞きにいきますね(マ)

 

    
< 川

 

「は?」

 

 思わず声が出た。反射的につぶやきもした。

 まずグッズ売るって話も初耳だしそもそもさっきまでブライトさんは明日の検品について愚痴をこぼしていた側である。なんで自分で自分の首を絞めて愚痴をこぼしているんだ……。

 ……だめだ、考えてもよくわからない。とりあえず明日も早いしシャワー浴びてご飯食べてとっとと寝よう。

 

 そして翌朝。

 検品作業が始まる前に購買部前で張っていると、段ボール箱を抱えたブライトさんがやってきた。

 

「ブライトさん」

「はい」

「はいじゃないんですが……」

 

 そもそもいつの間に許可とっていつの間に発注してたんだとか、聞きたいことはいろいろある。だけど。

 

「その検品陳列、自分でやってくださいね」

「当然そのつもりだ」

「あとPOS登録とかも……」

「なんでだよ。それはヤッちゃんの仕事だし昨日のうちに終わってる。そもそもこれ言ー出しっペはヤッちゃんだしなんなら店長もなんかしらんけど乗ってきて発注先紹介してきたぞ」

「えぇ……」

 

 なんであなた達がグルなんですかね、余計にたちが悪い。っていうかだったら僕にも事前の連絡の1つくらい欲しかったしポラリスも黙ってないで教えてくれたって良かったのに。

 まぁ、もう過ぎたことだしこれ以上は言うまい。

 

 それから一般公開が始まるまでの間、僕達はJRNの各員が持ち込んでくる商品の検品とPOS照合に追われることになった。彫刻やハンドメイドの日用品、マンガ本まで様々なものが揃っている。中にはこれは売れるのか疑問になるようなほどに需要が行方不明なものもあったけど、まぁそれも含めていろいろなものが集まるのは悪くはないな、と陳列しながら考える僕がいた。

 そして、それらの陳列をちょうど終えた頃。

 

『さぁさぁ、まもなく開場です、皆様準備はよろしいでしょうか?』

「はい」「おう!」「Affirm」

 

 構内放送が、その時間が間もないことを告げる。既にお祭り気分なのか、みんなその放送を流したところには聞こえないとわかっていてもそれに言葉を返していた。

 

『それでは……今年も始まります、JRN一般公開、小川祭、只今開場いたします!』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15レ後:万引き

 万引き。

 商品の代金の一部または全部を支払わずに持ち去る、れっきとした犯罪行為である。

 

 普段の購買部では、この万引きが発生することはまずない。仮に持ち去ったとしても在庫管理の鬼のヤチさんにすぐさま察知されるし、店員もノリモン脚力で追いかけるのでまぁ普通に捕まる。そして捕まれば普通に横領なので最悪懲戒解雇処分が下される。でもこれは普段のお客さんがほぼほぼJRN内部の者だから通用するのであって、外部の方々には懲戒解雇処分なんてできっこないし、そもそも購買部に在庫管理の鬼がいることを知らないのだ。

 なので、今日最も恐れなければならないことはこの万引きなのである。

 

 とまぁ、これは既に店長が口酸っぱく言っていたことなので事前に知っていたのだけれど。現実というものは、往々にして想像を簡単に超えてきてしまうもので。

 

「まだ11時ですよねぇ……?」

「諦めろ。今日一日こんなんだ」

 

 麻袋の中に捕まえた万引き犯を輸送しながら、僕達は愚痴をこぼしていた。

 ……一般に広く公開するということは、招かれざる客もやってくるということでもある。かと言って、まだ始まって2時間も経とうかという程度の時間なのに3件も発生しているのは流石に終わっていると思う。ローラースケート履いてこいって言葉の意味がめちゃくちゃ理解できた気がする。

 

「でも凄いですね、どうしてヤチさんはこの精度で万引きを管理できるんですかね」

「出入りを全て把握する技持ってるからな。経理とか在庫管理とかはめちゃくちゃ長けてんだ」

「へー」

 

 ってことは常に技使ってるのか。それはそれでかなり疲れそうなものだ。

 

「さ、とっととコレを店長に引き渡して次に備えるぞ」

「レジ触りたい……」

「無理だ」

 

 ちなみに、僕達がこのシフトに入れられているのは単純に足が速いからという理由だったりする。購買部には他にもプラさんとかノリモンはいるのに僕が選ばれているのは若干謎だが……。

 

「店長ー! 不届き者でーす」

「お届け物みたいな感覚で言わないで」

「似たよーなもんだろ」

「全然違うよ! ……まぁ、とりあえず受け取ったから、あとはこっちで対応するね。ふたりともお疲れ」

 

 搬入口からバックヤードに入り、麻袋を降ろす。少しは休めるといいんだけど。

 そう思って入口に戻り、在庫状況を確認しているヤチさんの横で来店者に頭を下げて声掛けをす……。

 

「君、ちょっといいかな」

「げっ!」

 

 ヤチさんが声掛けをした人が猛ダッシュで逃げ出した。ウソでしょ……。

 

「これは黒ですね」

「絶対逃がすか莫迦野郎」

 

 一休みする時間すら奪った罪は重い。絶対にとっ捕まえる。

 人通りの多い道は走りにくい。それは、逃げる側も追う側も同じ。だけど、余裕があるのは追いかける側だ。逃げる側は行き着く目標なんてないのに対して、追う側はただ1つの目標を目指せばいいのだから。

 それに気がついたのか、窃盗犯構内の大通りから抜け出して人気のない道へと入っていった。だけど。JRN構内の道なんて、外部の者なんかより僕達JRN職員の方が知り尽くしている。しかも空いた道ならこっちだって速度を上げて走ることができる。結果、僕達と奴との距離が縮まる速度はかえって速くなった。

 

 そして、いくつか目の角を曲がったとき。

 その窃盗犯は、僕達ではなくひとりの来場者に捕まっていた。

 

「前もろくに見ずに走ってぶつかった挙げ句、何も言わずに逃げ去ろうだなんて、どういうつもり?」

「あ、あのー……」

「何? この人の知り合い?」

「いえ、そうではなくて」

 

 僕は事情を彼女に話した。

 彼女はそれを聞くなり笑いながらその窃盗犯を僕達に引き渡してくれた。輸送用の麻袋への梱包作業の手伝いまでしてくれた。

 

「しょうがない人だねえ。盗みをはたらいた挙句に逃げて罪を重ねるなんて」

「お怪我とか、ないですか? 我々が追いかけて貴女にぶつけてしまった」

「どう考えたって悪いのこいつだけじゃない。不法に盗まれたものを取り返そうとすることを咎めることなんてしないわ」

 

 それから改めてお礼を言うと、そのブゥケトスと名乗るノリモンは「行きたいところがあるから」と場を離れていった。

 

「……あれ、どうしたんですかブライトさん。顎に手をかけて」

「いや、なーんか俺は今の奴を知ってるような気がするんだよなー。少ーし懐かしーよーな」

「懐かしい……。もしかして車だったときの同僚とかですかね?」

「かもしれねーな。同時期にノリモンに成った連中は知ってるけどそれ以外は顔すらわからねーし、同じ線路走ってても違う車両基地の車だったらわかんねーんだよな……」

 

 このあたりはけっこうノリモンの間でもたまに話題になることで、元いた事業者から離れて活動していると後輩の顔がわからなくなるのだという。命名のクセでなんとなく察したり、あるいは後輩から見た先輩は顔がわかることが多いのでそこから理解したりするらしい。

 そんな話をしながら、窃盗犯を店長に送りつける。結局この日はこのあとも7回もこの作業をする羽目になった。午後からは追いかける要員が増強されもしていたので、もう呆れて声も出ないような頻度だ。クィムガンでもそんな頻繁に同じ場所では発生しないのに。

 

「で、どうしたんです彼らを」

「ん? 反省の気があれば警察に送ったり、無ければ縄でぐるぐる巻きにしてサイクロの城に放置したり」

「何してんの……」

「自業自得」

 

 そんなこんなで、今年の一般公開は無事……無事なのかこれ? まぁいいけど、とりあえずは大きな事故もなく終わったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回15レ:【JRN】日本ノリモン研究開発機構【新小平】 Part117

151:名無しでGO!

いよいよ明日小川祭だけど行くやついる?

 

154:名無しでGO!

今年はパスかな

去年と似たようなことしかやってない

 

155:名無しでGO!

ここ数年ずっとそうだろ?

俺は息子が行きたいって言ってるから連れてくつもり

 

156:名無しでGO!

来年就活だし下見かねて

 

158:名無しでGO!

>>156 やめとけ 参考にはならんぞ

 

159:名無しでGO!

>>156 激務だぞ(元職員)

警察の仕事と研究所の仕事を同時にやってるようなもの、片方でも病む奴いるんだぞ……

まぁ流石に両方全力って事は無くて、実際は研究の方はノリモンメインでトレイナーはその手伝いって体だけど普通に忙しい

 

162:名無しでGO!

路線板じゃレース組の情報で盛り上がってたのにこっちはそうでもないんだな

 

163:名無しでGO!

JRNランナー会の奴? 毎年未公開情報出てはいるけど今年なんかあったのか

 

167:名無しでGO!

>>163 メガループで暴れたあの子がいるチームが全員JRNじゃないかって話題になってる

しかも今さっきチームからグッズ出すって話がSNSで流れてきてお祭りよ

 

170:名無しでGO!

あの南武線でエッグい走りした子?

 

174:名無しでGO!

なんだろう、JRNの生み出した人造ノリモンって言われても驚かないだろうな

 

177:名無しでGO!

人造ノリモンって何だよ

 

178:名無しでGO!

ノリモンって牛馬除けばもともと人造では……

 

180:名無しでGO!

なんだろう、言いたいことはわかるんだけどな

そもそもそういう研究してるって言われても納得できるというか

 

183:名無しでGO!

やってたとしても公開できないから研究発表には出ないというね

 

184:名無しでGO!

むしろ今どういう研究してるのあそこ

 

188:名無しでGO!

>>184

去年見たのだとクィムガン発生要件を数値化して予測しようとかやってたな

 

189:名無しでGO!

>>184 気になるなら見てきたらいいじゃん

 

192:名無しでGO!

>>189 確かに

 

 

 

 

216:名無しでGO!

入場始まったみたいだな

 

222:名無しでGO!

ミニコンサートのチケット確保したし展示見て回るか

 

225:名無しでGO!

また怪しいトロッコ客車できてる……

 

228:名無しでGO!

購買めっちゃきれいになってるじゃん、うちの職場も見習えよ

 

234:名無しでGO!

前から思ってたけどトレイナーが押してるのは果たして人車軌道と言っていいのだろうか?

 

236:名無しでGO!

人が押してるからよし!

 

238:名無しでGO!

判断基準がガバガバすぎる

 

241:名無しでGO!

オイオイオイオイこりゃ向こうのスレ死ぬわ

 

246:名無しでGO!

>>241 何があった

 

250:名無しでGO!

>>246 いやJRNランナー部のブース行ったのよ

いるんだよ、ポーラーエクリプス号が 本当にJRN所属だった

ファンになった 鵯越ヒルクライム見に行きます

 

255:名無しでGO!

裏山

 

258:名無しでGO!

自分のことポラリスって呼ぶのかわいいね

 

262:名無しでGO!

今から行くか

 

265:名無しでGO!

さっき害悪1名襲来して怖がらせちゃったんでバックヤードに引っ込んだよ

そいつはコダマ号に丁寧な対応で追い出されてた、そして来場者に向かって騒がせたことをコダマ号が謝ってる

 

266:名無しでGO!

許さん

 

268:名無しでGO!

許さん

 

269:名無しでGO!

許さん

 

270:名無しでGO!

どこにでも害悪っているんだな……

 

274:名無しでGO!

今接客出てるのはコダマ号、マーヴェリック号、ヒタチネモフィラ号、エイトプリンシス号、ナマラシロイヤ号

コダマ号曰く、他にも今日はデビュー前から伝説まで勢ぞろいらしい、多分合計勝ち星は3ケタ乗ってる

 

275:名無しでGO!

毎年いるからもはや驚かんけどコダマもSGランナーだよな、なんでいるんだ

 

277:名無しでGO!

>>274 ちょくちょくJRNだってことを知らなかった名前が出てくるの驚き

やっぱり層が厚いなJRN……

 

279:名無しでGO!

>>275

そりゃJRNの理事だからいるでしょ

けっこう部下思いだとも聞くしね

 

281:名無しでGO!

毎年購買部で万引きGメンやってるSGランナーだっているし……

今年もやってんのかな?

 

284:名無しでGO!

やってるし今長さ2mくらいの円筒が入りそうな麻袋をふたりがかりで担いで購買入ってったよ

なにがはいってるんだろうねーぼくわかんないや(棒)

 

288:名無しでGO!

一昨年あたり初めてその光景を見たときは入荷だと思ってたけどそれってそういうことだったの

 

291:名無しでGO!

どうして逃げられると思ったんですかね

 

292:名無しでGO!

ひっでぇ

 

294:名無しでGO!

>>291 それすらわからない程度の頭だからそういうことをするんだよなぁ

 

295:名無しでGO!

人間にはわからんだろうけどワイらノリモンにとっては半分警察みたいなとこの本拠地でんなことするんか……

 

300:名無しでGO!

>>288 今購買の近くで『入荷』されてるの眺めてる

今のところ30分に1回くらい入荷されてる

 

304:名無しでGO!

けっこう多いの草

 

310:名無しでGO!

本当にお疲れ様です……

 

315:名無しでGO!

なんでそんな民度おしまい情報しか流れて来ないのさ

 

321:名無しでGO!

民度終わってる方が話としては面白いから……?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ前:一滴の風

 いつもの河原で、ポラリスの練習に付き合って並走してフォームを確認していたときのことだった。

 

「だいぶ、こっちでも速く走れるようになってきたじゃん」

「本当?」

「本当だよ。さ、今日はここまでにしようか」

「えーまだ走りた……」

 

 つん。ポラリスの太腿をつっつく。

 すると彼女は奇声をあげながらバランスを崩した。僕はそれを受け止める。どうやらだいぶいい感じに疲労が溜まっているようだった。

 

「こんなんなるじゃん、今日はここまで、ね?」

「……はぁい」

 

 トレイニングを解きながらそう言うと、ポラリスは不貞腐れたように返した。

 

「はは、まさかオーバーワークの代名詞たる君がそれを言う立場になるとはね」

 

 後ろから、予想にしなかった声がかけられた。程久保だ。

 振り返れば、彼は誰かを引き連れて立っていた。

 

「部室や購買部じゃなくてわざわざいつ来るかもわからないこの河原に来るだなんて、一体どういう用?」

「やりたいことをするのにこっちの方が都合がよいからね」

「それは君の後ろにいる方と?」

 

 そちらの方へと目を向ける。ぶどう色のポニーテールと、それと同じ色の尻尾が生えているのを見る限りは恐らく生物系のノリモンだろうか。そして、前髪にはほうき星のような真っ白のメッシュが入っている。

 

「はじめまして。吾はゴータデルビエント。ビエントと呼んでほしい。近頃は是政とはよく研究を共にしているよ」

「僕は程久保の同期の山根といいます。……で程久保、僕は何をすればいいのさ」

「簡単な話だよ、ビエント君と併走してほしいんだ」

 

 ……はい? 無茶を言わないでほしい。初対面のノリモンと並走だって?

 

「悪いけど、それはできないかな」

「どうしてだい? 君にとってそんな難しいことでもないだろう」

「いや、僕を評価してくれるのは嬉しいけど流石にどういう走り方をするのかわからないノリモンと並走するのは無理があるって。ポラリスと息をするように並走ができるのも、僕がポラリスとのトレイニングでその加減速のクセをつかめていたのと、そしてそうなるってわかってからずっと彼女の走りを見て覚えたからこそなんだけど?」

「……ん?」

「ん?」

 

 僕と程久保は顔を見合わせた。どうやら認識のズレがあるみたいだ。

 

「……なるほど、理解した。言葉が悪かったみたいだ。改めて言うよ、ピタリと並んで走る必要はないからビエント君と併せて走ってほしい。これで伝わったかな?」

「なるほど理解した。できなくはないけど、全速力のノリモンとはむりだよ」

「いや、流石にそこまでは期待してはいないさ」

「ならばね。とりあえず、ここから稲城大橋までの2km強の往復、そのくらいでいい?」

「それだけあれば十分だよ」

「その間ポラリス見といてね」

「わかってるよ」

 

 そして僕とビエントさんは是政橋南の信号の横に並んで立った。その瞬間、横からくる気配というか、気迫が急に鋭いものとなって、ゾゾッと生える毛という毛が逆立つような感覚に襲われる。

 

「よろしく頼もう」

 

 そのビエントさんの声にも、威圧感のようなものが感じ取れた。

 そして、3、2、1、スタート。その程久保の合図で、僕達は走り出す。

 ビエントさんは強く前に踏み出し、僕の少し前を走っている。しかもこちらが距離を詰めた瞬間、ビエントさんはそれを察知したかのように加速する。その繰り返しでちっとも横に並べすらしない。当たり前だ、僕は人間でビエントさんはノリモンなのだから。

 しかしこれ、程久保は何がしたいんだ? ビエントさんが後ろで僕の走りを見るのならまだ理解ができる。だが今の状況は逆、僕が目の前の尻尾を追いかけるだけだ。全く理解ができない。

 ……いや、違うか。よく見るとビエントさんの被っている帽子には、こちらを見るように後ろ向きの小型カメラが取り付けられている。つまり程久保は()()()()()()()()()()()()()()()()のか?

 そんなことを考えるだけの余裕がある程度のランニングで稲城大橋をくぐり、折返して是政橋までおよそ6分弱。ついぞ僕はビエントさんの前に出ることはできなかった。

 

「やっぱりノリモンには敵わないか」

「君も人間にしてはなかなかやるではないか」

「そりゃどうも」

 

 その場で少し息を整える。ビエントさんは僕よりもそれに少し時間がかかるようで、まだ肩で息をしていた。

 その間に、走り終わったのを確認したのだろう、土手下の程久保とポラリスがこっちに向かってくる。

 

「ありがとう、興味深いデータが得られたよ」

「今ので何を?」

 

 相変わらず程久保の考えていることはよくわからない。だが、それが彼にとっては確かに意味があって、そしてそのロジックが客観的に正しいということはもう何度も理解させられている。天才の考えというのは、得てして尋常人間には理解が及ばないものなのだ。

 

「お礼といってはなんだけど、ポラリスちゃんにアドバイスをいくつか渡しておいたから」

「それはありがたいんだけど」

 

 しかしそれでもこの走りのどこに有用性を見出したのかが気になるのが人の性というものである。そう思って聞いてみても結局わからないかったけれど、モヤモヤするものはモヤモヤするのだ。

 

「どうしたの、真也?」

「いや、天才っているんだなーって」

 

 結局程久保達と新小平の駅で別れたあとも、そのモヤモヤは消えなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ中:投げられた賽

「遅かったか……」

 

 問い合わせた博物館の収蔵品が既に無くなっていた。それは、極めて重要ゆえ、かえって人目のつくように一般公開していた代物だった。しかしそれは、トシマの意に反して数年前の博物館のリニューアルの際にバックヤードへと下げられてしまったのだという。

 

「このスピード感で所蔵品全品検査を実施し、他の紛失がないことが判明しているのは素晴らしいのだが、肝心の号鐘の紛失はいただけない」

 

 錨は大丈夫だろうか。トシマはふと気になって1号館の地下へと降りた。本来は号鐘もこちらに保管しておくべきだったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の博物館送りだったのだ。

 トシマは地下の堅固な扉と壁に輝く操作盤を見つめた。カードキーを走らせ、すると五色の光がひらめく。扉は滑らかに開き、トシマは中へ踏み入った。

 

 中にあるのは、頑強なアクリルケースにおさめられた錨。U字型の金属の先が矢印のように尖り、そしてその中央にロッドが接続されている、一見なんの変哲もないJIS型アンカーだ。

 だが、それは周囲の環境がそうさせているのか、はたまたそのものがそうなのか。とにかく変哲なる存在感を放っていた。

 そう、これは――()()()()()だ。

 

「先月には()()()から70年が過ぎた。この封印をこの地に移してから60年。技術は進歩したが、未だにお前を助けてやることはできていない」

 

 トシマが施した封印は、この錨と号鐘の双方がなければ解けることはない。そして彼女の中にはまた、それを解決しうる時が来るまで未来永劫に渡って見届ける覚悟があった。

 だが、その時は半世紀以上も訪れぬまま。もしかしたらそれは不可能なことかもしれないと、トシマでさえ何度諦めかけたことか。

 

「否、()()()()()()()()()()()()()()だろう。だが許してほしい。現在また将来のノリモンのため、()()()()()()()使()()()()()()()()()()のだ」

 

 トシマは引き続き錨に、彼女の妹へと話しかける。そこに妹がいないとわかっていても。トシマも、いや誰しもがその妹へと話しかけることは最早能わない。それでも、トシマはその行為をやめることはできないでいる。その錨は、数少ない妹へとつながるデバイスの1つなのだ。

 

「だが、光は見え始めている。プロジェクト・ココマはまもなく最終段階だ。早ければあと数ヶ月……今年度中にはリロンチに頼らずともお前を救い出す術を確立できる。遅くとも来年度中には見込みを立たせられるだろう」

 

 それまでの辛抱だよ、もう少しだけ我慢してほしい。そう告げるトシマの顔は、いつもの凛々しくキリッとしたものからは大きく離れて、今にも泣き出しそうなほどの悲壮感を醸し出している。

 

「そう、ようやくだ。70年前も、我々は苦しむお前を助け出すことはできなかった。閉じ込めることしかできなかった。こんな情けない姉で、済まない」

 

 その決して広いとはいえない部屋を出て、扉が閉まる。次の瞬間には、トシマの顔は整い、そしてその目には新たなる決意が宿っていた。

 

「そのためにも、取り戻さねば。号鐘を」

 

 執務室に戻ったトシマは、秘書を呼びつけた。計画を進めるために。それはトシマの本意ではないがしかし、号鐘の紛失により賽は投げられてしまった。

 トシマは各ユニットから提出された活動予定表を確認し、依頼すべきユニットをピックアップすると、ちょうどやってきた秘書に要件を伝えた。

 

「ピュクシス・ユニットかレティクルム・ユニットに特別任務を頼みたい」

「畏まりました。通達しておきます」

 

 数週間前。()()()()()()()()()7()0()()()()。大宮は大成町、博物館の隣に張ったラチ内に現れた、トシマを姉と呼ぶノリモン――スタァインザラブ。仮に紛失ではなく盗難だとすれば、彼女の関与する蓋然性が極めて高いとトシマは認識していた。

 既にスタァインザラブなるノリモンの調査は始まっているが、さらに本腰を入れねばなるまい。ここ半年でJRNが接触した不審なノリモンもだ。確証はないが、裏で繋がっているという仮説は棄却するには無理があるとも、トシマは考えている。

 

「時は満ちた。プロジェクト・ココマは最終段階へと駒を進める」

「確認。準備はできています」

「リロンチなどには頼らずとも、クィムガンを元に戻せる。それを、証明してみせようじゃないか」

 

 号鐘が戻ってきたら、最早博物館に預けておくことなどできない。一度事故を起こしてしまったのだから。それもトシマが過去に万世橋の博物館にそれを預けた時に伝えた要請を無視しての事故だ。

 ならば、JRNで号鐘を保管するしかない。それもまた封印が解けてしまうリスクを孕んでいるが、それこそ定期的なモニタリングで兆候に気づくことができるのだから、盗まれて悪用されてしまうよりはよっぽどいい。

 

「まずは安慶名氏に現状を確認。今のうちから備えられるものがあれば前倒しで進めてゆかねば」

 

 号鐘の再収容と並行して、その後の計画を練る。この紛失により、賽は投げられたのだ。

 

「スタァインザラブ。私を姉と呼ぶ貴様が誰なのかは分からぬ。だが、貴様の行いは――我々が動く理由としては、十分すぎたぞ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ後:屠殺

 川崎街道を西に向かって歩く中、ゴータデルビエントは程久保是政に問いかけた。かのトレイナーは何者なのかと。

 

「山根は山根。この程久保の同期にして親友さ」

「そうは言っても、トレイニングしていたようにも見えない。明らかに尋常人間ではないだろう」

 

 ビエントはあのわずか4km強のランを思い出しながら言った。

 ビエントの出していた速度は、人間だとしたら速すぎる速度だ。それなのに山根真也はビエントに普通にピタリとつけていたどころか、追い抜きをかけようとすらしていたのだ。それは、その速度よりももっと上の速度を出しうることを意味する。

 

「そこがわからないからこそ、君に手伝ってもらった。そして、確証を得た」

「確証とは」

「彼は()()()()()()()に近づいている、とね」

 

 ビエントは言葉を返せなかった。意識していなかった部分を、横から殴られたような感覚に襲われたからだ。

 

「君から1つ、聞かせてほしいことがある」

「何だ?」

「イエウマとして生を受け、そしてノリモンに成った君から見て、ヒトとは何だい?」

 

 これまた答えにくい質問だ。ビエントは率直にそう感じた。そして少し考えてから、歩きながら出来るほどに考えをまとめるのを諦めた。

 

「できれば落ち着いて話がしたい」

「そうだね、晩ごはんにでもしようか」

 

 ふたりはそのまま川崎街道を進み、聖蹟桜ヶ丘の焼肉店に入った。

 机上の肉焼き器を挟んで座り、タブレットから注文をいくつか入れて落ち着いてから、ビエントはタイミングを見計らって言葉を発した。

 

「……吾の個としての考えにはなるが」

「構わない。みんなにも聞いているからね」

「人間は、常に旅をしたがっている。安住の地を有し、そこでの安全を補償されていようが、その外へと飛び出そうとする」

「まぁ、そうしてヒトは生存競争に勝ってきた訳だからね、本能的なものだろうよ」

 

 ヒトは単一種族として初めて、世界中に分布生息するようになった大型の陸上生物であると言われている。その原動力に、この移動欲求が関与していたという学説も存在している。

 

「なぜ人間がそんなことをするのか、吾もかつては理解できなかった。だが、この姿に成ってから、なんとなく分かる気がしてきた」

「それは興味深いね」

「そうだろうか? JRNに多くいる機械だったノリモンだって立ち居振る舞いが生物に近づいているだろう」

「君はもとから動物じゃないか」

「だからこそ人間に近づいているのだよ」

 

 店員により注文品が届けられ、器具に火がつけられる。あたたかな上昇気流が、ふたりの間を上っていく。

 

「ならばヒトがノリモンに成るというのは、如何なる意味をもつのだろうか?」

「分からない。ただ、そのプロセスにおいて、吾から確認せねばなるまい。ノリモンの成るプロセスをだ」

「愚問だね、乗り物が解体される時だろう? スクールでもきちんと習っているよ」

「吾のような生物の場合は?」

 

 ビエントは赤々とした肉片を網の上に並べながらそう問いかけた。

 肉汁が沸き、弾ける心地のいい音が鳴り始めている。

 

「それも同じく、解体さ、れ……?」

 

 程久保はその最中、違和感に気がついた。機械ならば解体されることは分かる。だが、生物にとって解体とは? 多くの生物に起源するノリモンと会話を交えてきた程久保であったが、その点は頭からすっぽりと抜け落ちていた。故に彼は、その詳細をまだ知らないのだ。

 溶け落ちた油に励起された炎が、肉を包んだ。

 知り得ぬものは、想像し補完するより他ないのだ。

 

「炎……火葬されて灰となるのは、解体と言えるんじゃないかな」

「確かにそれも解体と言えるだろう。だが、それでは成ることはない。()()()()()()()()()()()()()

 

 そう答えながら、肉をタレにつけて口に運ぶビエント。「食べないのか?」と促さすような目線に、慌てて程久保も続いた。

 

「つまり意識があるうちに解体されねばならないと?」

「死後半日も経てば、肉体と魂は切り離されて解体は意味を為さなくなる。そうでなければ、もっと多くのノリモンが生物から成っているだろう」

「……たが、どうやって」

「そうだね……。ヒントは意外と近くに転がっているものだよ」

 

 そう言いながら、ビエントは再び肉片を網の上に移した。熱にあてられた肉片が、蛋白が縮むのに伴って踊るように動いている。

 

「……まさか」

「吾からも聞かせてもらおう。仮に彼がノリモンに成れるとして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……っ!」

 

 程久保は言葉に詰まった。そして、その問いかけからして()()()()()()()()()()()()()()()と、押し付けられたことを悟った。

 

「焦げるぞ」

「君はこの話の流れでよく焼肉を食べられるね?」

「誘ったのは是政だろう? 食べないなら吾が戴こう」

「誰も食べないとは言ってないよ」

 

 肉焼き器から焼肉を取りながら、程久保は次の言葉を練りだしていた。

 

「正直、まだわからない。でも仮に、仮にの話だよ」

 

 タレにつけられた肉が、ご飯の上に乗せられる。

 

「山根君にきちんとこの話をして、そして彼がそれを望むならば、この程久保がそれをするという選択肢を排除せずに検討する」

「……ふぅん」

「でも、その話をするのは今じゃないね。まだ彼の力は、ヒトのままでも伸びしろが多いにあるように見えた。それが満たされるまでは、彼に()()()()()()()()()()()()()必要はないだろうからね」

 

 そう言って、程久保は肉でご飯を巻くようにして口に入れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ前:新開地→北鈴蘭台・鵯越ヒルクライム

 兵庫県神戸市北区有馬町、有馬線有馬温泉駅。

 特別にユニットの活動のお休みをもらって関西に来て、新神戸の駅でポラリスと別れて辿り着いたこの駅は、湯煙とはまた違う熱を確かに孕んでいた。

 

 今日はポラリスのプロとしてのデビューランの日。しかも先月のメガループで強いランを魅せていること、そしてこの鵯越ヒルクライムが()西()()()()()()()()()()()1()()()()()()()()()()()こと――事実1マイル、ひとりあたりの脱線発生率は世界の中でもトップクラスなのだとか――など、様々な要因がこの熱気を作り上げているのだ。

 

『ポラリス、今大丈夫?』

『うん! 有馬温泉で待っててね、一番にたどり着くから!』

 

 向こうもどうやら新開地でのエントリーが終わったらしく、これから入場というところらしい。

 端末を開き、グループチャットを確認する。今日のポラリスに渡してあるランカーブは、北鈴蘭台から箕谷までの急な下り勾配での加速を織り込んだ上でその箕谷の谷底にある急カーブを通過できるギリギリまで速度を上げ、その後はスタミナが切れるまでの全力の加速をしてから残りをノッチオフで流す、というものだ。なので僕の役割はそのカーブを曲がれないような速度になるまでポラリスが加速したらそれをやめさせるよう呼びかけること、そして前回みたいにメカニカルトラブルが発生したらその対応策を考えること、それだけである。

 

『待ってるから、頑張ってね』

 

 ポラリスにそう告げて、僕は端末の表示をインターネットライブ配信に切り替えた。

 

『さぁ入線が始まっております、鵯越ヒルクライム! 最も注目を集めているのは彼女、ポーラーエクリプス号でしょう』

 

 ドンとワイプでポラリスが抜かれている。そしてカメラに気がついたのか、手でサインを作りながらアピールをした。うん、引きで見ても調子は良さそうだ。

 ポラリスは1番線4号車3扉……つまり、進行方向に向かって右側の線路の一番前に入線した。ベストはその左側だけど、今回のポラリスの作戦ならばこっちでもあまり問題はない。

 

 そして。

 

『スタート。全者順調な滑り出しです』

 

 ポラリスはスタートと共に青い光に包まれて猛加速した。成岩さん仕込みの開幕《ハイブリッド・アクセラレーション》だ。

 

『最初に飛び出したのはポーラーエクリプス、上り線を独走し湊川に差し掛かる。そしてここから有馬線、試練の坂が待ち受ける! 高低差1100フィートの坂!』

 

 今、実況の方が話した通り、このコースの最大の試練とも言える巨大な坂は、スタート直後に訪れる。

 そもそも鵯越ヒルクライムのコースは、スタートとゴールの標高差が1230フィートもある。これは全てが一様な上り勾配だったとしてさえも17パーミルの、決して緩いとはいえない登り坂だ。だが実際はそんな単調な坂ではなく、まず序盤の湊川から北鈴蘭台までのコース全体の4割強の区間に連続して高低差1140フィート、ここだけで平均しても37パーミルの急坂が待ち構えているのである。

 これがどれほどの坂かといえば、まず回生ブレーキが使えるせいでバッテリー量が低く設定されている電気車の場合、下手にフルノッチを入れてしまえばなんと登り切るまでスタミナがもたない。そうでない車でもフューエル量はかなり限界になる。つまり最序盤からド根性勝負を要求されるのがこの鵯越ヒルクライムなのである。

 その急坂をポラリスは車輪を回し、線路を踏みしめてぐんぐんと登ってゆく。

 

『一旦坂を登って、鈴蘭台への先行争いはデビューランポーラーエクリプスが先導、後からヘミストレージG(グループ)2への昇格がかかっている、マルーンアイボリー2番手に並びかけようとしているが前とはちょっと差があいて追走』

 

 2チェーン、3チェーン。後続との間を少しずつ引き離しながら、ポラリスは丸山を抜けた。この線区に蔓延る50パーミルの勾配もものともせずに、まだまだ速度を上げている。ブライトさんがちょくちょく高尾山に彼女を連れていっていたのは聞いていたけれど、どうやらそれが相当役に立っているようだった。

 

『ポラリス、箕谷』

『へーきへーき!』

 

 念のため確認をいれておく。こうしておかないと忘れられる可能性だってあるから。

 そしてポラリスは鵯越を通過し、鈴蘭台に向かって山をかき分けて登っていく。人家はなく、森の中をひたすら進む。菊水山駅跡、そして鈴蘭台でも同じように彼女へと確認を入れれば、また同じような答えが戻ってくる。一応彼女のことは信用しているけれど、傍から見たら本当に大丈夫なのか怪しい速度だ。

 鈴蘭台でポラリスはようやく左側の線路に移ると、北鈴蘭台へと向けた最後のアタックを開始した。

 

『鈴蘭台を抜けて、先頭は変わらずポーラーエクリプス、後続はもう30チェーンも突き放したひとり旅だ! どこまで行ってしまうのか?』

 

 実況が興奮している様子が聞こえる。まもなく北鈴蘭台、このコースの1つ目のピーク地点だ。

 ここまで過酷な登り坂の続いたこのコース。しかしこれは、まだ序章に過ぎないのだとブライトさんは言っていた。

 さらにもう1つ――真に恐ろしいのは、この後にあるのだとも。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ中:北鈴蘭台→有馬温泉・箕谷を越えて

 有馬線は北鈴蘭台を過ぎると、これまでの登り坂から一転して急な下り坂に変わる。

 下り坂というのは、想像以上に走りにくいものだ。事実、多くの鉄道では上り勾配に対する速度制限はかけられずとも、下り勾配にはそういったものがかかっている場合が多い。それは上り坂と比べて下り坂の方が危険だということの証左でもある。

 では、下り坂の何が危険なのか? スタミナを使わずに加速できる便利な地形ではないのか? 答えは否だ。下り坂は加速()()()地形ではない。加速()()地形なのだから。それがたとえ、()()()()()()()()()()()()

 

『ポーラーエクリプスは北鈴蘭台を通過、ペースが速いが大丈夫か?』

 

 そして加速してしまうということは、カーブを曲がりにくくなることに直結する。いやらしいことに、この先の区間には小さなS字カーブが連続する。50パーミルの下り勾配の中で!

 

『先頭まもなく山の街、曲がれるのか? 曲がれないのか!? 曲がってくれ! 曲がれぇ!』

 

 暴走する実況をよそに、ポラリスは体を左に傾けながら難なく山の街を通過し、次の右カーブに向けて体の向きを変えた。最早足元を動かしている余裕もないのか、確りと両の鉄輪が線路を掴んでいる。そしてその間にも下り坂はポラリスに破滅的な増速を強要しているのだ。

 

『ポラリス、危ないと思ったら遠慮なくブレーキをかけて!』

『ううん、いらないよ! 見ててね真也!』

 

 そう伝えてくる、画面の奥のポラリスは……ぶれていて分かりにくいけれど、確かに笑っている。そしてその楽しげな感情が、モヤイを通してまた伝わってもきている。

 そっか。ならば信じよう、ポラリスを。

 

『曲がったあぁぁ! だがしかし、下り坂、カーブは続く、どこまで行けるのか、行ってしまうのか! そしてここで後続も山の街に到達、飛び出しそうになりながらも耐え忍んで前へと進んでいるがシーズンアロー、マルーンアイボリー、そしてヘミストレおぉっと大丈夫か!? ヘミストレージ立て直した、しかし前との差は広がっている!』

 

 だけど、画面に映るランナーたちは明らかに速度はポラリスほどは出ていない。しかも、既に限界の速度に近づいているのだろうか、下り坂で速度を上がらない。おそらくは抑速ブレーキをかけているのだろう。

 そして次に画面がポラリスに切り替わった時には、彼女はスキージャンプのような過度な前傾姿勢をとってボブスレーめいた低重心を実現させていた。それはだらしのない体型のものが真似をすれば、ポイントや地上子でお腹の肉がユッケになってもおかしくないようなものだ。

 

『さぁ先頭ポーラーエクリプスは箕谷を過ぎてなお、勢いは衰えないどころか後ろをぐんぐんと突き放している! これは強いぞポーラーエクリプス、圧倒的なコーナリングで400フィートの坂をまもなく下りきらんとしている!』

「うわ、本当に抜けちゃったよ……」

 

 そもそも僕はあんな姿勢でコーナーを曲がることを教えてすらいないんだけど、誰が教えたんだアレ……。あの姿勢じゃ足元を動かせないから普通に走る分にはメリットはあまりないけれど、確かにコーナーを攻めるには効果的だ。

 そして姿勢を元に戻し、谷底からはまたしても50パーミルの登り坂が待ち受けている。ポラリスはそこをまた再び大きく足を動かして進んでゆく。

 

『さて後続もつづら折りのコーナーを抜け、まもなく箕谷に到達。2番手マルーンアイボリーはポーラーエクリプスのおよそ60、70チェーンほど後ろだが懸命に走ってああっと! シーズンアロー、シーズンアロー転倒、右前のマルーンアイボリーも巻き込まれてコースアウト! 大丈夫か? その後ろヘミストレージは軌道に留まってその先へと走り抜けてゆく』

 

 箕谷では、姿勢を崩してしまったのかクラッシュが発生してしまっている。忘れてはいけないが、これが本来の有馬線の恐ろしさなのだ。そしてしばらくカメラはこの箕谷近辺を移し続け、この後ろでももう1件の脱線が発生していた。あまり動揺させてはいけないので、脱線の発生はポラリスには伝えず、ただ後ろがだいぶ離れていることだけを伝えておく。

 そして次にカメラがポラリスに戻った時には、彼女は2度目のピークである大池を過ぎていた。もうスタミナもほぼ尽きてはいるが、あとは有馬口に向かって坂を下り、そして最後の有馬温泉へと登りながら減速するだけだから問題はないだろう。

 それから配信を閉じて、ポラリスを迎えるために有馬温泉駅のホームに入ると、既に情報が入っているのか観衆のボルテージは上がりに上がっていて。まもなく、ポラリスが全てのブレーキをフルでかけながら入線してきたのだった。

 

「停止位置、よし!」

『先頭ポーラーエクリプス、強いランだ! 後続を1マイル半以上突き放して今ゴールイン! 2番手ヘミストレージはまだ有馬口にすら立てていない、圧倒的な走りでした! これからが今から楽しみです』

 

 騒がしい歓声の中、僅かに誰かが実況を流しているのが聞こえる。僕はホームに上がろうとするポラリスに手を伸ばして彼女を引き上げた。

 

「お疲れ、ポラリス」

「うん! ポラリスが、いっちばん!」

「ほら、見てくれたみんなにも」

 

 そして後ろに回ってポラリスを抱き上げて、観衆の方へと向ける。ポラリスは一瞬だけきょとんとしたあと、斜め上に向かって勢いよくサムズアップをして、また観衆を沸かせたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17レ後:幻の特急、ポーラーエクリプス

「つっかれたー!」

 

 ポラリスはそう言うと、突然倒れるように僕によりかかってきた。

 まあ実際疲れているんだと思う。何せただでさえこの山岳コースを全力で走り抜けていたのに、その後報道陣複数社からの質問攻め、そして表彰式の後にもう一度の質問攻めである。しかも前情報が皆無だった前回と違って今回は向こうもきちんとポラリスに合わせた質問をいくつも用意してくるわけで。

 結果、質疑応答はかなり長引いた。正直やりすぎというか、少しはポラリスに休む時間を与えてやってほしい。僕が強引に止めなかったら今でもまだ取材という名の質問攻めが続いていたと思う。

 

「でも、楽しかったし、何より嬉しい」

「嬉しいの?」

「うん! みーんな、ポラリスの事をもっと知りたいってことでしょ?」

 

 ……強いな、ポラリスは。

 ふと、報道関係者との間で交わしたやり取りを思い出す。

 

『ポラリスね、もうお客さんを乗せて走ることはできないじゃん?』

『そうですね』

『だからね、これからはポラリスの事を応援してくれるみんなの想いを乗せて走ろうって決めたんだ! ポラリスの事をよろしくね!』

 

 ポラリスはどこまでもまっすぐな笑顔だった。

 でもそれがきっと、ポラリスの本心なんだと思う。ベーテクさんが大事に大事に守ろうとしていたのも事実だし、それはポラリスの為を思っていたというのもわかる。だけど、そこから飛び出した今のポラリスの笑顔は、ベーテクさんの下で保護されていた時のものとはまた違う輝きを放っているように見えた。

 

「ねぇポラリス。ベーテクさんがポラリスを守ろうとしてたこと、どう思ってる?」

「別に、嫌だったとは思ってないよ。お兄ちゃんはポラリスをそうするのが、ポラリスにとっても良かったんだって思ってたのは、お兄ちゃんがポラリスの事を真面目に考えてくれてたからだってポラリスわかってるもん」

 

 ああ。きっと、ベーテクさんや、そして僕が、いや【キラメキヒロバ】のみんなが思っていたのよりもずっと。ポラリスは、強い子だ。

 ベーテクさんにこれを伝えたら、彼はきっと喜ぶだろうな。そんなことが頭をよぎった。そして、これからも彼女の力になろうとも。

 

 それから僕たちは運転を再開した有馬線に乗り込み、谷上で乗り換えて帰路に就いた。新神戸の駅では、新開地の方に同席していたロイヤさんと合流すると、新幹線に乗り込んで横一列に席へと掛ける。

 

「1着、おめでとうございます」

「ありがとー、ロイヤ」

「これで貴女も今期のG(グループ)5のステイタスを獲得……一人前の、ランナーです」

 

 ランナーは成績によってステイタスというランク付けがされる。上のステイタスを得るためには、レースで好成績を残してSP(ステイタスポイント)を得るしかない。

 そして上級のステイタスを得られれば、出られるレースの幅も少しだけ広がる。現状、国内で行われるレースの大半は登録さえしていれば条件を問わないオープン競争だ。だけどポラリスが次に出ようとしている武蔵野線24時間耐久がG5以上を出走要件としているように、制限のかけられているリミテッド競争も少ないながらに存在するし、海外では少なくはないのだ。

 まあ、実際は多くのランナーは無ステイタスかG5で、G4ですら狭き門、G3ともなれば一般的にはエリートだ。そんなわけだから、G2以上を要件とするレースなんてのは世界を見回しても片手で数えるほどしか存在しない。

 まぁ、でも。ポラリスならそこまで上り詰めてしまいそうな気もするけれど。

 

「まずは、私と一緒にG3を目指しましょう」

「うん! でも、同じレースを走るときもポラリスは本気だよ!」

「そのときは、こちらも」

 

 そうしてフィスト・バンプをするふたりを横目に、僕たちを乗せた電車は東京へと時速285kmで走ってゆくのだった。

 


 

【鵯越HC】ポーラーエクリプス、衝撃のデビューラン

231
11/23(火) 12:34 配信

               

 

 

 

 

後ろを置き去りにして独走するポーラーエクリプス号(記者撮影)

 

◆鵯越ヒルクライム(14M10C、23日)

 

 初めての出走にして混合レースたる鉄道の日記念メガループ(115M、10月11日)を制したポーラーエクリプスのプロデビューランとして注目を集めていた今年の鵯越HC。そのポーラーエクリプスが序盤から飛び出して、そのままぶっ千切って2位ヘミストレージまで1マイル半以上の差を開けた圧倒のレコードVを遂げた。同レースで100チェーン以上の大差がつくのは半数が脱落したシナノグリーン以来6年ぶり。

 

 ポーラーエクリプスは1番線4号車3扉からの発走、序盤から大逃げに出て勢いよく鵯越の峠を駆け上ると、後続を一切寄せ付けずに北鈴蘭台を4分33秒1で通過。箕谷に向かう下り勾配に身を任せてさらに勢いをつけ驚異的なスピードでコーナーを抜けた。

 

 そのまま勢いに任せて首位を独走し焦る素振りもなく有馬温泉に入線。10分を大きく下回る9分46秒8の驚異的なコースレコードを記録し、華やかなデビューを飾った。

 

 ポーラーエクリプスの次走予定は変わらず武蔵野線24時間耐久(∞、12月27日)でのネオトウカイザーとの再戦。勾配曲線蔓延る中短距離レースでも見せつけたその実力は、果たして耐久レースでも通用するのか。

 

 関連記事

 

【箱根路S】中距離に帰還のナリタエクスプレスはやっぱり強かった

 

【芝山SR杯】他を寄せ付けぬ記録、メカマセンゾクが達成

 

【高尾山オータムT】秋の高尾に響くデンエントシスズカケ

 

【南紀白浜きのくにC】スカーレットセイロン、取り戻した展望

 

連載:帝王が語る今週のレールレース

 




【TIPS:SPとステイタス】
・SPはレース結果によって1位には10、2位には5、3位には3、4位には2、5位には1のSPが与えられる。
・デビューランの月から翌年前月を1期として、各期末にSPは失効する。
・SPを1獲得すればG5、30でG4、50でG3、80でG2、100でG1のステイタスが与えられる。
・獲得したステイタスは、獲得日からその翌期の期末まで有効である。
・通算2回のG1獲得または1回の獲得かつ50勝以上で半永久的なSGステイタスが与えられる。
・SGランナーは保有するSPにかかわらず、常にG3以上のステイタスが保証される。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ前:アンエクスペクテッド・ゲスト

「おーし! じゃ、やるぞー!」

「おかしいだろ! なんで君がここにいるのさ」

「それは俺ちゃんが綾部だからだ」

「答えになってない」

 

 今日は土曜日。早乙女さんが別件で出張に出ているからいないけれど、一応はユニットでの活動のはずだ。

 なのになんでこいつが集合場所にいるんだ。

 

「北澤さんからも何か言ってやって……」

 

 このユニットにはもう1人、綾部を知る者がいる。僕は彼女にも意見を求めた。

 しかし、返ってきたのは予想外の答え。

 

「いや、アタシが呼んだんだけど?」

「そうだぞ

「なんで??」

 

 主犯はそっちかい。ますます意味がわからない。

 そもそもなんで綾部を呼ぼうと思ったのか。そこを聞いてみれば、綾部は何をしでかすかわからないのでクィムガンがわりのシミュレートにはもってこいなのではと思ったそうで。

 

「なるほど、確かに一理ある」

「えっそれで納得されるの俺ちゃん的にはなんか不本意」

 

 綾部は半ば拗ねる素振りを一瞬だけ見せたが、少し経つともとのおどけた感じに戻った。

 

「なるほどな、そいつが前に言ってた同期か」

「面白い子」

「なんで2人は若干好意的なんですか」

「JRN入ってんだから無能ってことはねえだろ?」

 

 まぁうん、無能か有能かで言えば間違いなく有能だと思う。スクールでの成績だって悪い科目が無いし、むしろトップ争いに参加しているのが綾部だ。それを打ち消すほどの支離滅裂な言動があるだけで。

 

「ま、そーゆー訳で委員長に」

「もう委員長じゃないって」

「……おっと、北澤の奴に呼ばれたって訳。つーことで、やるぞぉ! 俺ちゃんからの攻撃を全員が10分避けきれば勝ちだぜ! じゃ!」

 

 そう言うと綾部は張ってあったラッチに入っていった。

 ……ってかいつの間にトレイニングできるようになったんだ。8月にはまだだって言ってたのに。

 

「楽しそうなやつだな」

「まぁ、一緒にいて退屈はしませんでしたけどね」

「だろうな」

 

 そんな話をしながら、僕達は綾部を追うようにラチ内へと入場した。

 するとどうだ。入場した途端に僕のシールドは割れて、トレイニングが解ける。

 不意打ちか、置き攻撃か。おそらくそのどっちかだろう。

 

「入場直後はせこいんじゃない」

「あ? 油断するのが悪いんだろ、クィムガンは遠慮してくれねーぞ」

「まさかのド正論……」

 

 たしかにそうなんだけど、そもそも入場位置をラチ内から事前に特定することは難しいと思う。たぶんクィムガンにはそれはできない。綾部にはそれができなくもなさそうだと納得できる判断材料はなぜか持ってしまっているのだが。

 

「じゃ、山根以外の3人も、俺ちゃんが相手だ!」

「こいつ1人で対等にやり合う気だ……」

 

 その自信はどこから来るんだ。でもなんかできちゃいそうな気がするんだよなあ、綾部だし。そう思いながら、僕はスコープを覗いた。

 そこに映っていたのは、車椅子に座りながら逆立ちでラチ内を駆ける綾部の姿だった。車椅子の意味が無いぞそれは。

 

「《アークティック・ホワイト》」

「ちょわっ! 置き攻撃はやめろって」

「スポーンキルした貴方には、言われたくない!」

 

 そしてその奇行を止めんと佐倉さんがまず綾部を止めにかかった。

 だけど。引きで見るとわかる。その白い軌跡は、増えていく傍らで何らかによって打ち消されている。恐らく綾部がやっていることだと思うけれど、その素振りは彼にはなく慌てているだけのようにも見える。

 

「今のうちに!」

「おう、――旋律響かせし紅き不死鳥よ、姿形変わりてなおその誇りを貫け! スカーレットゾーン号、今このオモテに宿れ!」

「自由を愛し斗う街を駆けるものよ、公に巡りて若き力に急行せよ! マチッコ号、今このポートに宿れ!」

 

 矢継ぎ早に成岩さんと北澤さんがトランジットして、佐倉さんの援護に加わろうとする。だがしかし。

 

「佐倉、お前は一旦下がってろ」

「……? どうして」

「いやお前のシールド、だいぶ削れてるぞ」

 

 佐倉さんのシールドは、いつの間にか瀕死の状況にまで陥っていた。

 

「……っ! いつの間に!」

「今更気づいても、もう遅いぜ! おりゃあ!」

 

 綾部は真っ白に囲われた籠の中で、虚空に手刀を放った。

 次の瞬間、佐倉さんのシールドは割れ、彼女のトレイニングが解ける。それと同時に、綾部の動きを制限していた軌跡は溶け落ちて、彼の動きはまた自由になった。

 

「不可視の遠隔攻撃か。厄介な」

「それはどうかな。俺ちゃんはこのパーラーカードを使っている! こいつの切れ味は剃刀のように鋭……」

「《安全鉄則 先ず止まれ》」

「うおい! 説明挟んでいる間に対処するんじゃねーよ!」

 

 ガシリ。成岩さんの口に乗せられてウエポンを見せている間に、北澤さんが綾部を拘束した。だけど。

 

「まーいーぜ。俺ちゃんの動きを止めたところで、そっちも動けなくなってるんなら意味がないってもんだ!」

「何……? きゃっ!」

 

 北澤さんのシールドはまた一瞬のうちに切り刻まれる。十数メートルほど離れたところにいるのに。

 だけど。成岩さんが綾部の意識から外れるのにはその一瞬で十分だった。オオカリベを構え、いつの間にか死角へと成岩さんは移動していたのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ中:相互理解と告白

「《早々来々(サックハヤキタル)》!」

「なんの、《ビジネスエコー》」

「な、フェイントだと!? ならばこの《ハイブリッド・アクセラレーション》は使えない……」

「そしてこのパーラーカードによりコンボは完成する!」

「仕方ない、ここで《絵(HAMELN)笛》を発動だ!」

「莫迦な、二刀流だと!? こいつ正気か?」

 

 ……なんだろう。このノーヴル同士の展開の早いやりとりは、インターンを経てもなんだか理解できる気がちっともしない。

 とりあえず、何らかの凄いやりとりが成されていることはわかった。

 

「なるほどな、《絵(HAMELN)笛》のおかげでお前の攻撃は理解した」

「へぇ! なら止めてみりゃいーじゃん、ホラホラホラ!」

「ちぃっ、諦めてはくれねえか。ならしょうがない! 《蓬(IMMORTAL)莱》」

「だがダメージは受けてもらう!」

「効かないと言ってんだよ!」

 

「……ねぇ山根君、あの2人が何してるかわかる?」

「わからん」

「そっかぁ……」

 

 いつの間にやら退避してきた北澤さんも同様に理解できていないらしい。

 だいたい成岩さんも成岩さんで僕が初めて見るような技をしれっと連発しないでほしい。意味がわからないから。

 

「一回、私達は手札の確認をきちんとしたほうがいい」

 

 よくこれで今まで僕たち大きな事故なくやって来れたな……。

 そう考えているうちに、まもなく約束の10分が経とうとしていた。

 

「面白くなってきたな! 本気でいかせてもらおうじゃねーか。《ロールマーク》で運命を回すぜ!」

「よくわからんけど受けきってやる」

「当然、大当たりィ! 切れ味が更に鋭くなってリニューアルしたパーラーカードを喰らうがいい!」

 

 ……これ、戦況をややこしくしてる理由の大半は綾部の攻撃が遠隔なのに見えないせいじゃないだろうか。遠くから見ていてそんな気がした。そして、それを察知できている成岩さんは地味にすごいことをやっているんだということも。

 だけど、どうやらそんな成岩さんも押されているようで。

 

「くっ、《蓬(IMMORTAL)莱》が持たねぇ」

「とどめだぁーっ!」

 

 しかし、次の瞬間。

 成岩さんのいたはずのところにあったのは、大きな松の盆栽が1つ。その枝に掛けられた笠からは掛け軸が転がり落ち、そこには4文字の漢字が書道されていた。

 

「《特別通過》。時間切れだ」

 

 そして、持ち込んでいた時計がけたたましく鳴ったのだった。とりあえず、終わったということらしい。

 

「「「全然わからない……」」」

 

 ……頭の上に疑問符を浮かべる僕たち3人を置き去りにして。

 それから出場して振り返りということになったのだが。

 

「その姿を見た時はギョッとしたが、それに見合う実力はあるみたいだな」

「ったりめーよ。俺ちゃんだって扱えねー力を扱おうとするほど莫迦じゃねーし

「なるほどな……」

 

 と、ノーヴルの2人で勝手に相互理解を深めて他を置き去りにする始末。あまりに話が進まないので、痺れを切らして佐倉さんが解説を要求した。

 すると綾部はそれを拒否した――説明できるか怪しいのらしい――けれど、成岩さんが全てを教えてくれた。大方の予想通り綾部のキールの攻撃は不可視の刃を飛ばすもので、これを成岩さんは音波反射で場所を把握して避けたりあるいは迎撃していたりしていたのだとか。綾部が話の途中でもうんうんと頷いていたので、多分成岩さんの見立ては正しいのだろう。

 そしてその解説が終わったあとで。成岩さんが、またとんでもない事を言い出した。

 

「なぁ、綾部と言ったか。お前さ、ウルサ・ユニットに興味はないか?」

「ん? どーゆーことだそれ」

「俺がウルサを去った後、後釜として入る気はないかと聞いているんだ。北澤や山根と知り合いなら、このユニットにもすぐに馴染めるだろうよ」

 

 この場にいる全員の疑問符が重なった。

 

「成岩、やめるの」

「まだやめねえよ。だがな、近いうちにやめるかもしれねえんだ。俺のキールは今イギリスにいてな、時折お誘いがかかってくるんだよ」

「ちょっと待って、ポラリスはどうするんですか」

「確かにベーテクらが渡英した時は俺が残る必要もあったが、今はロイヤがいる。ベーテクとロイヤとで話も密にしてるらしいしな」

 

 そうか。ロイヤさんは、ベーテクさんと同郷でポラリスの事情を知っているノリモンだ。ならば心配する必要も無いのか。

 それに今のポラリスはレースを通じてだいぶ心の拠り所を増やしてきている。そうなると、必ずしも成岩さんが傍にいる必要はなくて、それよりも研究の都合で渡英する方がメリットとなるかもしれないということなのだろう。

 

 だがしかし、そのあまりにも突拍子も無い話に、僕達はどう反応すればわからなかった。多分早乙女さんとは話はしていたのだろうが、反応を見る限り僕達3人は初耳である。

 そんな中で、その質問を投げかけられた綾部が口を開くことができた。

 

「……魅力的な提案だけどよ、流石に即決はできねーぜ」

「すぐに答えをとは言わない。考えといてほしいってだけだ。なんなら断ってくれても構わない、そうなったら俺の責任で他の後釜を探す」

「そういうことじゃなくてな、今年いっぱいはまだユニットで何をするかとかの研修中なんだよなー、その後じゃねーと」

「えっ綾部君がまともな対応してる……」

「うぉい委員長、どーゆーことだそれ」

「そのまんまの意味に決まってるじゃない」

 

 そうして2人がスクールの時に月1程度で発生していたような言い合いに発展すると、いつの間にやら成岩さんの告白による重い空気は消し飛んでいたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ後:津田沼杯普通CS

 その後、少しだけ綾部と積もる話をしてから。時計の針は真上を指して活動時間が終わった。

 そして次の瞬間、僕はノーヴル2人に拉致られている。どうして。

 

「あの、流石に逃げないからね? 僕歩ける」

「いいから」

 

 にしても、雨が降っているのによくもまあ僕が濡れぬようにいどうさせられるものだ。綾部はこの器用さをもっと別の場所で生かしたらどうだろうか。

 そうして連れられたのは案の定というか7号館。その低層階の一室へと運び込まれたのだった。

 

「1名様ごあんなーい!」

 

 そしてそこで待っていたのは、ポラリスとロイヤさん、そして。

 

「ご無沙汰しとりますわ」

 

 ノーヴルのトップ、コダマさんだった。

 ベーテクさんがミッドランドに行ってからは本当にこの建物に来ることがめっきりなくなったので、彼と会うのは購買部にご来店いただいたときを除けば、恐らくエターナルさんを連れてきた時以来だと思う。

 

「お久しぶりです、コダマさん」

「ポラリスのトレイナーとしての、火曜日の鵯越ヒルクライムでの対応を見ておりましたわ。今回はきちんとできていたみたいで」

「ああなることはわかっていたので、事前に準備もしてましたからね」

 

 それでも想像の3倍くらい来てたけど。

 

「まぁ、それは今日の本題ではありませんわ」

「普通CS、ですよね」

「それもありますけれど、24耐の話をまずはしないといけないのですよ」

 

 というのも、フューエルの補給のためにレース中に誰かがトレイニングして並走する必要があるのだという。しかしブライトさんもロイヤさんも電気車でフューエルを扱えないので、僕と成岩さんが交代でやる必要があるとのことだった。

 それくらいなら余裕だけれど……。

 

「できるのならいいのですわ。それでは、中継の方をつなぎましょうか」

 

 コダマさんが中継をつけると、もう既に数組のランナーが走り始めていた。

 津田沼杯普通チャンピオンシップは、やや変則的なワンウェイのタイムトライアルレースだ。高砂駅東方から津田沼までの10マイルを、()()1()5()()()()()()()()()()()()()()所要時間を競う。しかも一番奥の停止位置目標から手前に停まった距離の合計が1インチ毎に1秒タイムに加算されるうえに全駅にオーバーラン判定がある。総じて加速の鋭さとブレーキングの正確さが問われるレースである。

 数組ほどのランの後、ようやく目当てのカイザーさんの順番がやってきた。

 

『7組上り線、ネオトウカイザー。果たしてこのスプリントレースでどのような結果をもたらすのか? 今スタートです』

 

 カイザーさんは、平均よりやや早い程度のペースで走っている。だけど、驚くべきなのはそこではなかった。小岩、江戸川、国府台。何駅か進むだけで、その特長が読み取れた。

 

「凄い。停止位置がめちゃくちゃ正確だ」

「【帝国(セントラル)】の方達はもっと高い速度域からの一発制動をよく扱っているんですわ。速度の出ないスプリントレースで正確なのは当然」

 

 なるほど。停止位置でのタイム補正はゴール後に一括して加算されるので分かりにくいけれど、隣のランナーが平気で1ヤード近くも手前に止まったりしているのを見るにかなりのアドバンテージを稼げていそうだった。

 

『ネオトウカイザーは正確なブレーキングを刻み続けながらただいま今西船に到着。十秒ほど遅れての下り線キリフリは大きく差をつけられている』

 

 そしてそのままカイザーは危なげもなく津田沼まで走りきった。目測にはなるけれど、全ての駅で1フィート未満の停止位置の差で、特に中山と海神の2駅ではぴったりと停止位置目標に合わせて停まるといる離れ業を見せていた。

 

『7組上り線、ネオトウカイザーの停止位置補正は……58秒! 1分を切る素晴らしい誤差で暫定トップに立った!』

「見た目凡走なのによくやるな」

「それだけ制動制御が優れている証かと」

「やっぱり凄い。今度カイザーとまた戦えるのがとっても楽しみになってきた!」

 

 だけど。まだカイザーさんの優勝が決まった訳ではない。

 最終ランナー、アオキジェット号。シャトルランというのは、いうなればスプリントの繰り返しで、また手前で折り返すための停止位置の正確さも重要となるもの。ともなれば、アオキさんが最も有力視されるのも当然と言えるだろう。

 

 実際アオキさんはスタートすると、最も早いペースかつ最も正確な停止位置で小岩をクリアした。それを次の駅でも、また次の駅でも繰り返す。実況のテンションも鰻登りで、八幡に着く頃には声が裏返り始めるほどだ。

 そして続く鬼越でも見事なブレーキ捌きを見せ、アオキさん自身の顔にも笑みが浮かび上がっていた。

 だがしかし。自信過剰だと集中力というものは大概散漫になってしまうものだ。次の区間、アオキさんは過ちを犯していた。

 

『おおっとアオキジェット、ペースが早いぞ、大丈夫か?』

 

 それまでと比べて、停止位置まで同じ距離なのに速度が高いのである。

 ――そう、恐らく誤認していることにまだ気づいてもいないのだ。緩やかな右カーブの先の停止位置目標の場所を!

 何せ()()()()()()()()8()()()()()()()()()()()()()()6()()()()()()()。つまりホーム端から停止位置までの距離は2両分も短いのである。これを失念するのは致命的な過ちともいえよう。

 しかも厄介なことに、この駅は津田沼方に構内踏切があるから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。一見、停止位置目標はもっと先にあるように見えるだろう。だがそれは偽りなのだ。

 

『中山のホームは短いぞ、減速は間に合うのか!?』

 

 悲鳴のような実況の声が聞こえる。しかしそれは無駄だった。アオキさんは停止位置目標を通り過ぎて、その踏切の上でようやく停まることができた。

 

『オーバーラン、オーバーランだ! 中山の悪魔が牙を剥いてアオキジェット無念の失格!』

 

 信じられぬような顔つきで振り返り、停止位置目標の裏側を見つめるアオキさん。カイザーさんの順位の暫定の2文字が取れた瞬間だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19レ前:武蔵国分寺公園

 東京都国分寺市泉町、都立武蔵国分寺公園。ブライトさんをはじめ、ロイヤさんやポラリスがよく訪れている公園だ。

 いや、ブライトさんだけではない。ノリモンには何か惹かれるものがあるのか、多くのノリモンがこの場所を好んでいるのだという。それはまるで、車好きの人たちが夜な夜な大黒パーキングエリアに集まるかのように。

 そう聞いて、僕は冷静にこう思った。一体武蔵国分寺公園に何があるというのだろうか。大黒パーキングエリアの場合は立地と構造の都合という分かりやすい理由があるが、都立武蔵国分寺公園にはそういったものは無いだろう。

 

「ん? いや、行けばわかるんじゃねーか」

 

 ブライトさんはそう言っていたけれど。行くだけで分かるような特徴があるんだったらもっと早くに耳に入っているような気がするんだよなぁ。

 ただ、百聞は一見に如かずともいうので、休みの日に足を運んでみることにした。

 西国分寺駅を出て、都立多摩図書館の脇を通れば、都立武蔵国分寺公園に到達する。そして少しだけ先に進むとそこに件の円形広場が鎮座していた。

 この円形広場は、半径およそ80mくらいの円形をした芝生の広場だ。……うん、円形の、広場だ。何ら一般的な広場と変わらないように、絵を描いていたり、歌を歌っていたり、あるいは芝生に寝転んでいたりする者がいる。一目で分かる違和感といえば、一般的な公園と比べて人間とノリモンの比が明らかにおかしいことくらい。どうやら、ノリモンに人気なのは事実のようだった。

 そしてこの円形広場の周りには、ランニングコースが整備されている。軽く一周走ってみてわかったが、恐らくこの広場の設計はこの円周の長さがちょうど500mになるようにしている。なるほど、確かにこれは走るには都合のいい広場だ。

 だけど、それは広場の周りのランニングコースにノリモンが集まる理由にはなっても、広場そのものに集まる理由にはならない。この広場そのものにも、何かしらの理由があるはずだ。

 そして僕が芝生に足を踏み入れたとき。

 

 ぞわり。

 

 一瞬だけ、背筋を何らかの電気信号が走って、そして消えた。

 

 間違いない。 この広場、何かがある。

 背筋の違和感が消えてから、また再び辺りを見回す。やはり見た目は普通の広場だ。

 芝生を何度か出入りする。最初に足を踏み入れた時のような違和感はない。

 

「なんだ、今の……?」

「どうしたの? 人間」

 

 そう声をかけられて振り返れば、帽子を被った小柄な方が立っていた。髪色からは微妙に判断しづらいけれど、わざわざ人間って言ってくるくらいだから多分ノリモンだと思う。

 あれ、この帽子、どこかで……?

 

「さっきから何度も何度も広場を出入りしているみたいだけど?」

「いや、少し変な感じがして……」

「ふぅん?」

 

 その時、ふと思い出して端末を開き、アルバムを遡った。目標は8月のものだ。

 ……あぁ、やっぱり。

 

「それはそうと、奇遇ですね」

「何が?」

「8月の写真なんですけど、覚えてませんか?」

 

 僕は彼女に、あの時新幹線の中で撮った写真を見せた。すると目を見開いて驚く様子をみせる。

 

「What's that!? あの時の」

「確か徳山で」

「覚えてるわよ。再会することがあるとは全く思ってもいなかったけど」

 

 彼女はあの後もずっと日本に滞在していて、今はすぐそこ国分寺を拠点にしているのだという。

 

「これもなにかの巡り。わたしのことはロペと呼んで。あなたは……なんて呼べばいいかな」

「さっきと同じように『人間』でも別に構いませんが……」

「わかった、人間」

 

 あ、結局人間でいくんだ。別にいいけど。

 

「それで、人間はどうしてここに?」

「ノリモンの同僚がこの場所を好むので、何があるんだろうな、と気になってですね」

「なるほどね。確かに、わたし達ノリモンにとってこの広場は強い力を感じ取れる場所」

 

 やっぱりなんかあるんだ、ここ。

 そう思っていると、次の瞬間にはロペさんは僕の体をペタペタと触って何かを確かめていた。

 

「Hmm……. What’s this coupler……HERS? It means…… he’s the favorite of the Star, i got it」

「……いや、何してるんですか?」

「あ、ごめんね。あなたも何かを感じたんでしょ? 人間なのに。でもそれっておかしいこと。だって、人間には関係ないから。だから、ちょっとね」

 

 ……なるほど?

 いや、なんで僕が公園の調査に来てるのに調べられてるんだ?

 

「あなた、霊感が強いとか言われたりしたことない?」

「特には……」

「だとしたら。面白い人間」

 

 うんうんと頷きながら、ロペさんは困惑する僕を置き去りにしてひとりで納得している。

 

「ねえ人間。()()()()()()?」

「……一体君は、何をどこまで知っているんですか?」

「うーん、君の知りたいことぜんぶ、かな?」

 

 ……なんだろう。ものすごく胡散臭い。

 だけど。その言葉に真実が混ざっている事を示唆する言葉が、ロペさんの口から続けて発せられた。

 

「それはたとえば、この広場にかかっている()()()()()とか、君がその力に気がつけた理由とかね」

「……何者なんですか、あなた」

 

 チッキケースに手をかけて、念の為警戒する。超次元の概念を理解しているのは明らかだった。

 

「あ、やっぱりトレイナーさんだったんだ。そうだよね、超次元の力を使えるならば天職だもん」

「……どこまで知っているのさ。場合によっては、僕は君を拘束しなきゃいけない」

「ふぅん。でも、それは人間にはできないよ」

 

 はらり。ロペさんの帽子が風に煽られて、そして飛びかけたそれを彼女は掴み手に持った。

 そして、彼女から強い威圧感が発せられる。

 

「――だって、わたしは強いノリモンだからね」

 

 僕は無言のまま、トレイニングをした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19レ中:極めて完成に近い

「トレイナー。歪で、不完全な存在。だけど、ノリモノイドよりは完成に近い」

「何が言いたいんです」

「そしてあなたは、確かにこれまで見てきた中では極めて完成に近いトレイナーだね」

 

 ……駄目だ、話が通じない。

 このプレッシャーの掛け方ははいそうですかと帰してくれるようなものではなく、どちらかといえば逃げるなというメッセージを感じるさせられるものだ。

 一体、なんだ? 彼女の意図は。

 

「言葉の意味が理解できない」

「人間には理解できないだろうね」

「知り合いのノリモンに聞いたとしても、その完成という言葉の意味を答えられる者はいないとおもいますがね」

 

 圧が、オーラが強くなる。ふと周りを見れば、ただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう、何名かが少し距離をとってこちらを見ている。

 

「それは、そう。だって、ノリモノイドはもっと不完全で歪。生物を模しているのに、生物になりきれていないもの」

 

 こちらから手を出してはいけない。あくまでもこのトレイニングは予防なのだ。

 

「だからこそ」

 

 近づいてくる。攻撃する素振りはない。

 

「わたし達には、トレイナーが必要」

「悪いけど、その誘いには乗れない。僕には僕のやらなきゃいけないことがたくさんある」

「そっか」

 

 ロペさんはどこかから楕円形の鉄の輪を取り出した。それで僕を拘束するつもりか。

 いつでもどの方向にでも駆け出せるよう、両足足を直角に開いたまま少し膝を曲げておく。彼女は、動かない。

 

「なーんて、そんなことはしないよ」

 

 そう言って、彼女はそれをストンと地面に落とした。

 

「……何がしたいんです」

「うん? あなたを()()()()()()()()()()のは極めて簡単なこと」

 

 気がついた時には、僕はその鉄輪に束縛されていた。いつの間に!

 そして彼女はニコリと笑うと、またたく間にその拘束を解いてみせた。

 まちがいない。彼女は強者に分類されるノリモンだ。下手な抵抗の仕方をすると予想できない大きな被害が発生する可能性がある。

 

「だけどそれじゃ、まったく意味がない。トレイナーとノリモノイドはお互いに力を引き出すためには、その間の信頼関係がとっても重要だからね。わたしが連れてったところで、絶対にあなたはわたしを信頼しないでしょ?」

「当たり前じゃないですか。そもそも説明だって最初から不十分なのに」

 

 特に()()とか不完全なとか。まるで意味がわからないのに、まるで僕が全てわかっているかのように、あるいは僕の声なんて耳に入っていないかのようにそのまま話を続けている。

 そしてそれは、今この瞬間だってそうだ。僕が口を挟んだとき、一応は話し終わるまでは待ってくれるけれど、その内容に反応してくれるかどうかは気分次第といったところだろうか。反応したければ反応するし、不都合なら完全スルーだ。

 

「だから。あなたがわたしの手を取りたくなったとき、わたしはまたあなたの前に現れる。わたしにはそうなったときに、あなたがわたしの言葉を理解できないような人間には見えないからね」

「そんな時は決して来ることは無いと思いますよ」

「本当に? わたしは近いうちにそうなると感じてるし、()()()()()()()()から。だからその時まで、じゃあね」

 

 そして。ロペさんは()()()()()()()()()()()()()()()。まるで最初からいなかったかのように。

 そして辺りを見回しても、ロペさんの姿はまったく見つからなかった。

 

「なんだったんだ、今の……」

 

 端末の画面をつける。新幹線で撮った写真が表示されている。

 ……とりあえず帰って昼寝しよう。もしかしたら変な夢なのかもしれない。これで起きたときに記憶も端末もこのままだとしたら、改めて本部に投げる報告を作らないと。

 

「……覚えてる。写真も、表示されたままだ」

 

 そして夕方。目が醒めたときもまた、その記憶はこびりついていたし、画面もそのままだ。夢じゃなかったか。

 

「とりあえず、報告かけないと。最近上から言われてる不審者案件のフォーム使えばいいのかな」

 

観測日時12月1日水曜日 午前10時30分頃

観測場所東京都国分寺市泉町

都立武蔵国分寺公園円形広場

外見特徴身長およそ160cm、ぶどう色の長髪。

すみれ色の長袖ワンピースとカーキ色の大きな帽子を着用。

尾部は確認できなかったが、頭頂部に耳があり生物系のノリモンと推測される。

事案自らのトレイナーになるよう声かけの後、実力行使。一時束縛されるも即座に解放される。その後、姿を消した。

備考自らのことをロペと名乗る。声は高め。

英国出身で現在は国分寺を中心に活動しているとのこと。

超次元に関する知識を有すると推測される発言があった。

 

「こんなものでいいかな」

 

 服の色を考えても、彼女がJRNのサイクロだとすれば話は簡単だったんだけれど。経歴的におそらく違う気がする。

 個人的には当然に引き続き警戒するけれど、真にJRN全体として警戒すべき対象かどうかの判断は本部が行うことだ。現在そのリストに入っている者は、みな装いや髪色が白黒に統一されており、恐らく組織的なものであるとされている。ロペさんは無関係のような気もするけれど、それを素人の僕が判断するのは危険だ。

 そう思いながら、僕は送信ボタンをクリックした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19レ後:祝福は聖なる日に

 東京都内某所。

 金剛丸の号鐘を囲むように集まっている、シエロエステヤードの5名。かれらのミーティングが、今始まろうとしていた。

 

「へぇ、JRNは動き出したみたいだね」

「妾共も動きましょうか」

「うーん、まだ時期尚早じゃないかな。彼らが動き出したとはいえ、それが終わるまでには時間がかかる。ならば最高のタイミングで突入したくない?」

 

 そのスタァの提案に、乗ったノリモンがいた。

 

「ならば。私に任せて。この次元に偉大なる祝福のクリスマス・プレゼントを」

 

 ブゥケトスは号証に触れながらそう言った。

 

「クリスマス……いいね、その頃にしようか」

「えぇ。この前の一般公開で、建物の構造と、そしてココマ号の反応からどの場所で鐘をならせばよいかはわかっている」

「それは心強い。みんなはどう?」

 

 スタァインザラブは残る3名へと目線をやりながらそう問いかけた。

 

「それしかないと思います。妾は既にトシマ号と居合わせてしまいましたから」

 

 ライスシャワァはJRNへの襲撃にはまだ適さないと彼女自身考えている。故にその案に乗った。

 

「Affirm。オレは既に警戒対称だろう。あの時のミスのせいで」

 

 エンゲヰジリングが続いた。彼もまた同じだった。

 

「俺もすでにJRNの連中に挨拶をしている。同席していたトレイナーにより報告が上がっていてもおかしくはない。だから念の為控えたいと思う」

 

 ジュウンブライドは少しだけ事情は異なるが、念には念を入れてその役目を降りた。

 結果として、最初からブゥケ以外にはそれを行いうる者はいなかったのだ。その事実に、ブゥケは苦笑いをした。もう少し慎重に行動すべきだと。

 

「スタァ様」

「ボクは封印から解かれたココマ姉さんが変に市民を傷つけたりしないよう、予め人払いとかをしなきゃいけない。だから、その号鐘を鳴らすのはブゥケに任せるよ」

「承りました」

 

 ブゥケは号鐘を手にとると、それを自らの自元(アイゲン)領域(ゾーン)に置いた。ここ数ヶ月の間にCyclopedによりもたらされた技術により、シエロエステヤードはその5名だけでその計画を遂行するのに十分な力を手に入れたのだ。

 

「そしてボクと残るみんなは、並行して次のプロセスの準備を」

「ならばオレは特異点の捜索にあたろう」

「うん、一番警戒されてるリングはそれがいいかもね」

 

 スタァは理解していた。ルースの落し子の復活により、再びこの次元に変革が生じうる事を。そもそも()()()()()()i()()()()()()()()()()/()i()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ノリモノイドに成るようになり、五元神の受肉が能うようになったのだ。ルースの落し子の復活は、そのプロセスの再現に他ならない。

 今ある欠痕の門を閉じる前に、代わりの門を開く。これにより、この次元のノリモンはクィムガンとならずともリロンチを経て完成に一歩近づくことができるようになると。

 そして欠痕の門を閉じれば、ノリモンがそもそもクィムガンへと堕ちることは無くなると。それこそが全てのノリモンに祝福を届ける唯一の手段に他ならないのであると。

 

「リング。あらかじめ言っておくよ。特異点はいつ生まれるかボクもわからない」

「スタァ様でも、ですか」

 

 そもそも、特異点が生まれ、そこに門を開いた事例はこの次元において過去に1つしかない。そこに再現性があるかすら、本当は怪しい事だ。だけど、スタァはこの術以外にそれを引き起こす手段を持ち合わせていなかった。

 

「必ず言えるのは、それはココマ姉さんの復活よりも後って事だけ。前は見つけるまで2ヶ月かかったけど、今ならもっと早くに見つかると思うよ」

「前……?」

 

 リングは首を傾げた。

 スタァはまだ言ってなかったっけと記憶を探す。そういえば、みんなに伝えてなかったな、と。

 

「70年前に今ある門を開いたのはボクだよ。それができたからこそトシマ姉さんはトレイニングして、ココマ姉さんを封印することができた。だけど、ボクはそのプロセスで失敗してしまった――これはその償い。だからこそ、今回は必ず成功させなければならない」

 

 そう語るスタァの目には、決意の星が輝いていた。

 そしてそれを4名がまた目を輝かせながら見ている。4名はみな、スタァに救われたノリモンだからだ。

 

「さて。リング、特異点は早ければ復活したその瞬間より発生しうる」

「I copied。JRNの連中より先にオレ達で。任せてくれ」

「ジュンも別行動だけど、リングと同じことをよろしくね。シャワァはボクと一緒に、学園跡地で復活を見届けて、S(シールド)バーストの備えをしよう」

「Sバースト……? 何故」

「アレがリロンチを促すのは、そもそも超次元の穴を開けるから。だからこそ積極的に起こした方が、特異点は生まれやすくなる」

「なるほど。それが目的だったのですね」

 

 まぁ、机上の空論だけどね。スタァはそう返しながらも、正しい事を疑ってはいなかった。

 これが終われば、この次元は間違いなく大いなる変革を迎え、あるべき姿へと落ち着くのだと。そしてノリモンは進化して、人間とより良い関係を簡単に築くことができるようになると。

 

「さぁ、はじめようか。真実の星夜を。そして全てのノリモンに祝福を」

「「「「全てのノリモンに、祝福を」」」」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20レ前:狙われたJRN

 12月25日、土曜日。

 年の瀬が近づこうがJRNはいつもどおりの土曜日だった。

 

 ……活動が終わり、早乙女さんが帰ろうとした折にその4音ブザーが流れてくるまでは。

 

「皆、このあと予定は?」

「あっても事情話せばわかってくれるって」

「わかった、行こう」

 

 早乙女さんが内線を取る。その間に僕達はこの後の予定に頭を下げながら、軽く出動の準備をした。

 

「何? 出動ホームではなく1号館? 承知」

「……は?」

「聞こえていたと思うが、今回は1号館正面玄関に集合してほしいとのことだ。まるで意味がわからないが……」

 

 ……なんか、ヤバそう。

 そう思いながら部室棟を出て1号館に向かうと、どこからか鐘の音が鳴るのが聞こえて。そして、1号館の内側からマンション広告のように真上に向かって光の柱が伸びていくのが見えた。

 

「急ごう、想像以上にマズい事態が発生している」

「同意」

 

 そしてそれが構内の多くのところで認識できていたのもあって。1号館の前には、既にぽつぽつとノリモンやトレイナーが集まっていた。

 そんな中で、いくつかのユニットが5人揃って到着しているのも見えた。僕達はとりあえずユニットとして集まった者同士で集合してから、指定された入口前へとたどり着く。

 

「カリーナ、レオミノル、ドラコ、アクィラ、カンケル、ウルサ。よし、即応してくれたユニットはみんな来たね」

 

 そこでは、既にラチ内で戦うような装いを汚して纏うクシーさんが僕達を待っていた。これは相当まずい奴だと、それを悟らせるには十分すぎる姿で。

 

「状況を簡潔に言えば、敵意あるノリモンが侵入、襲撃している」

 

 その言葉にざわつきが発生した。半分は驚愕、もう半分は腑に落ちた声。わざわざユニット単位で出動させることを考えると、相当な脅威なのだと判断されているのだろう。

 だがしかし、ここで1つ、大きな疑問がわく。

 

「どうやって、侵入してきたんです?」

「わからない。監視カメラほかのログを見ても、いきなり構内に現れたとしか言いようがない」

 

 帰ってきた答えは、再現性があればあらゆる物理的なセキュリティが無と帰す事を意味するものだった。どれだけ物理的な障壁やセンサを用いたとしても、それを迂回して到達されてしまうのであれば意味がない。

 

「理解はできぬが把握はした。クシー号、我々はいつでも突入できる」

「気持ちは嬉しいんだけど、ここJRNなら戦えるノリモンやトレイナーはたくさんいる。だからキミたちには、次に襲撃される可能性が高いとみられる場所に予め向かっておいてほしい」

「襲撃される可能性が、高い場所……?」

「都立武蔵国分寺公園。そこに向かってほしい」

 

 ……武蔵国分寺公園!?

 この前に何かがあるとは感じていたけれど、本当に何かがあったとは。あるいは、連絡が僕には降りていないだけであのフォームに書いたのが上の目に引っかかったか。

 そして、なぜそこなのかを高山さんが尋ねると。

 

「封印されているんだ。ルースの落し子が、そこに。そして襲撃者はその封印を解く鍵を新小平に持ち込んでいる」

「拝承。急行しよう」

 

 どうやら前者のようだった。あの時感じたのは、恐らく封印から漏れ出した的な何かだろうか。それにしてもなんでトシマさんは対馬海峡で発生したクィムガンを都立公園なんかに封印したんだ? だけど、そんなふと思いついたいくつかの疑問を確認する暇もない。

 西国分寺はすぐそこだ。あまりに近いので、列車をわざわざ仕立てるよりはもうトレイニングして府中街道を直接南下してしまうのが早い。もっとも、北多摩北部建設事務所には上層部が後で菓子折りを持っていくはめになるだろうが。

 

 そうしてたどり着いた円形広場は、土曜日のお昼すぎとは思えないほどに静かだった。だけど、その中心部は薄っすらと赤い光が地面から漏れ出している。

 ……感じる。あの時と同じものを。

 

「あなた達、こちらは危険です! 避難してください」

 

 そして、白い服を纏ったノリモンがひとり、僕達を見つけてすっ飛んできた。言い振りからするに、ここにたまたまいて異変に気がついて避難を呼びかけてくださっていたのだろう。

 そんな緊迫した様子の彼女に、氷川さんは落ち着いて対応していた。

 

「貴女が逃げてください。我々はJRNです」

「えっ……! 失礼しました、もう来て下さったのですね」

「いえ、当然のことです。民間人の避難に協力してくださったであろうこと、感謝します」

「いえ、妾は多少感度が良いだけですので。では、ご安全に」

 

 そしてその白いノリモンは、僕達に頭を下げると大慌てで広場を去っていった。

 さて。これで民間人の退避が恐らく完了したわけだけれど。ここから先はどうしようか。今のところただ光っているだけだし、それを下手に刺激するのも良くはなさそうだ。

 

「この広場を囲むように巨大なラッチを張る事は、佐倉君は可能だと思うか?」

「不可能じゃない。でも、やめたほうがいい。地下深くに封印されているのなら、張ったラッチの内側に本体がある保障はない」

 

 そう、早乙女さんと佐倉さんが検討を重ねているところに。ひょいと高山さんが割り込んできた。

 

「……なら、張る準備だけして封印の解けてから張ればよいではないか」

「危険だぞ。もし解放直後に暴れたらどうするつもりだ」

「そうだな……。ウルササイクロの佐倉と言ったな。そのサイズのラッチを張るのに、何人要するか」

「7人から8人くらい。それだけ居れば」

「ならば。『皆、聞いてほしい。ウルサともう1ユニットを残して、残りの4ユニットは広場の中へ。ルースの落し子が復活したらそれの拘束を第一にし、外にいる2ユニットで4ユニット共々ラチ内に送り込む。これでどうだろうか』」

 

 そして高山さんの提案は受け入れられ、僕達ウルサとアクィラを残して、他の20名はその発光地点を取り囲むように広場の中へと入っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20レ中:祝福の風の息遣い、ブゥケトス

 リンゴーン。リンゴーン。

 

 鐘の音が、中庭に響く。

 

「いくら物理的な障壁があっても無駄だよね」

「それはどうかな。不埒なる者よ」

 

 ブゥケトスは、また力の足りぬノリモンやトレイナーが自分を止めに来たのかと呆れるようにため息をついた。

 

「お姉さん、ひとり? 他の方の惨状を見てるでしょ」

「心外だな。JRNの者が、私の仲間がそれ程に軟で、戦略的撤退も知らぬ無学であると?」

 

 その声に、ブゥケは振り返った。

 明らかに今までとは格の違う相手だ。それは今放たれた威圧感でも、そして既にもたらされている過去の英雄の知識でもそう認識された。

 

「ちょうどよかった。トシマ号。わかるでしょ、私の行きたい場所は」

「不法侵入者の盗人に教える道などない」

「ならば、聞き出すしかないね」

「貴様が投降するまで、決して埒の開かぬ戦いになるぞ」

「やってみなきゃわからないじゃない?」

「そうか。……どんな組織に手を出したのか、思い知るがいい」

 

 バタン。

 複数の中庭周りの扉が開かれた。そこには臨戦体勢のノリモンやトレイナーがいて、合計で十数ほど。

 

「群れると、弱く見えるよ」

「油断を誘えるならそれで結構。さて、この不審者を拘束せよ!」

「承知ッ!」

 

 ロケットの、ノーヴルの、サイクロの、バランスの、パレイユのノリモンが飛び出して。皆がただひとりの対象を狙っている。

 ブゥケはそれに呼応するように、シールドを展開した。

 

「《ハンドルで逃げるなまず止れ》!」

 

 まずシャドウドリームがブゥケの身動きを封じ、続けてバードックヒカリが最初にブゥケに到達して彼女を羽交い締めにする。

 そこからは一方的なタコ殴りだった。次々と絶えることのない攻撃がブゥケを襲い、あっという間にそのシールドは割り切られてしまう。

 余りにもあっけない終わりだ。そう思ってシャドウは技を解いた。ブゥケはそこから消えていた。

 

「どこ行きやがった!?」

「そんなんで私を捕えたつもり?」

 

 声が聞こえる。上だ。ブゥケは気づかぬうちに上方へと移動していたのだ。

 何名かが飛び上がったり、或いは飛び道具で彼女を目指す。だがそれも届かない。

 

「《ファタル・スパイラル》」

 

 風が吹いた。全てを飲み込む致命的な風だ。それは渦を巻き、密集地を襲う。乱気流に飛ばされゆく中での姿勢制御のできる者は多くはないし、持ち主の手から離れてしまったウエポンは風に舞って他の物を傷つけた。

 

「だから言ったでしょう、()()()()()()()()()と」

 

 にやりと口角を上げながら、独り言のようにブゥケは呟いた。事実彼女の言うとおり、群れていたからこそお互いがお互いを意図せず傷つけあってしまう危険な密度にまで到達しているのだから。

 しかし。ブゥケもまた致命的な誤解をしていた。そこにいた全てを飲み込んだから、もう他に戦力はないだろうと考えていた。だがしかし、その時そこにいた者だけがJRNの全戦力ではないのである。

 

「発出。《(エル)(スペシャル)ホワイトアロー》」

「見逃すとでも? 《金星つばめ返し》!」

 

 ブゥケの真後ろ。建物の中から窓を少しだけ開けたナマラシロイヤから発せられた矢がシールドを失ったブゥケに突き刺さり、竜巻の制御を失わせる。そこに屋上からゲッコウフィートが降下しながら攻撃を加えれば、いよいよ竜巻は維持できなくなり、そしてシールドの剥がれた者達が解放された。

 ブゥケの手を離れた鐘が地面に落ちた音が中庭に響く。

 

「何故だ。JRNのノリモンはトレイナーに戦闘を任せっきりになっているはずでは」

「戯言を。今はラッチの機能の都合上()()()()トレイナーしか対応にあたれていないのみ。その時の為の鍛錬は怠るべからざる」

 

 竜巻の内側にいたにも関わらず、無傷のトシマがそう答えた。

 トシマはさも当たり前かのように言っているが、そこにはJRNの苦い経験があった。かつてラッチが開発された当時、トレイナーの戦力は今よりもはるかに少なかった。だがラッチはトレイナーのみを受け付ける。結果として、ラッチという一種のゲームチェンジャーたる発明を有効に活用できるまでには数年単位の時間を要してしまったのだ。

 そしてその後、トレイナーのみが対応戦力にあたれる状況になった現時点においても。また状況が変わった折に同じ轍を踏むまいと、JRN所属のノリモンの過半数は戦闘訓練を継続しているのである。

 

「号鐘は返してもらうぞ」

 

 そう言いながらトシマが号鐘に触れたとき。

 ゴォン、ゴォン。号鐘がおのずから鳴動して、その音を鳴り響かせた。

 

「なっ……!?」

「残念だったね。()()()()()()()()()()()()()。それとも、自分で施した封印の解き方を忘れたのか?」

「……貴様」

「貴様じゃない。私はブゥケトス」

「貴様など貴様で十分だ」

 

 ゆらり。号鐘がふわりと浮き上がりながら、けたたましく音をならす。そしてその鐘は再びブゥケの手におさまった。

 トシマをはじめとして、10のノリモンがブゥケを包囲するように立っている。

 

「シールドのないノリモンを攻撃するほど悪趣味ではない。その鐘を渡すんだ」

「それはこちらとて同じ。まだ、私達の目的は達されていない。それでもこの鐘を欲するなら」

 

 ブゥケは一瞬だけシールドを張り直して……そして、それを自ら割った。

 次の瞬間。空間に穴があいて。そして11のノリモンはそこへと吸い込まれていった。

 

「ようこそ、私の自元(アイゲン)領域(ゾーン)へ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20レ後:きょうだい

 吹雪の夜。それが、再び目を開いたトシマ達の目の前の風景だった。

 

「みな、異常はないか?」

「まーな、いきなり吹雪いてるから驚きゃーしたが」

「任せて。《日向う日輪の輝き》」

 

 アカイニチリンが雪を晴らし、視界が広がる。トシマは辺りを見回した。

 サイクロで薬学専攻のタムファタル号。ノーヴルで理事のコダマ号。パレイユでロマン派のイロドリ号。バランスで統合担当のアカイニチリン号。ノーヴルで空力のズームサンライン号。バランスで集中担当のメカマタマガワエン号。ロケットで購買部のスーパーブライト号。サイクロで超次元専攻のリクチュウ号。パレイユで音楽家のナリタエアウェイズ号。あの時ブゥケトスを囲んでいた者みなの無事は確認できた。

 ――ブゥケトスは? ブゥケはトシマ達を見下すように佇んでいた。号鐘を携えて。

 

「ようこそ、私の自元(アイゲン)領域(ゾーン)へ」

「やはりそうでしたか!」

 

 リクチュウは目を輝かせながら反応した。彼は次元間移動の術を見つけ出さんとする勢力の者であるゆえ、他者の自元領域への移動という明確にそれに当てはまるシチュエーションに興奮を隠しきれないでいるのだ。

 

「落ち着こうか。先ずは号鐘を取り戻すのが先だ」

「……そうですね。解析するためにも、あなたを無事倒して帰ってみせます!」

「なら、お手並み拝見させてもらおうじゃない」

 

 リンゴーン。号鐘がまた、不気味に鳴った。それが開戦を告げる合図になった。

 吹雪がトシマらを襲おうとする。だがニチリンの用意した晴れの区画には届かない。

 

「……姑息な手を」

「自分の自元領域にひきずりこんだオメーには、言われたくねーな!」

 

 そう言いながらブライトは吹雪の中に突っ込んでいった。もともと車だった頃から雪国を駆けていたブライトにとって、この程度の雪はまだ障害にはならない。

 そして到達すると、一閃。斬撃を放つ。

 

「喰らえ、《クヌガノシンキロウ》!」

「なら、《クヌガノオヤシラズ》」

「なっ……!」

 

 攻撃は受け止められ、ブライトはニチリンの区画に戻る。適切なヒット・アンド・アウェイ戦略だ。そしてそれを見て行けると判断したのだろう、何名かがそれに続いた。

 だが戻ってきたブライトやイロドリなど、攻撃に参加しない者もいた。気になることがあったからだ。

 

「ブライトや私と、同じ技を……?」

「俺は……奴を知っている。確かにだ」

「えぇっ! どういうことだい、ブライト」

「間違いない、彼女は……かつて車だった頃に、俺と同じ線路を走ったノリモンだ」

 

 イロドリ、アカイニチリン、スーパーブライトの3者はきょうだいだ。数が多かったので全国にこそ散らばっているが、扱える共通の技だって少なくはない。そしてブライトとイロドリが扱える技を、ブゥケトスもまた扱った。これが指す意味というのは、実に単純なものだ。

 それから何度も攻防の応酬を繰り返す中で。或いは他の者の攻撃を受けたり彼らへと攻撃を加えるのを観測する中で。特定情報を得て、或いは棄却情報を得て。ようやくブライトはその正体の特定に至った。

 

「なーイロドリ。奴を一番良く知っているのはお前じゃねーのか」

「そうなの?」

「俺の記憶が正しければ……奴はお前と同じで4灯ライトのグループだ」

 

 それを聞いてイロドリは……絶望した。そのグループに属する車は8両のみ。うち4両は2両ずつ同一の編成に組まれたため、成る前に2両の人格はもう片方の一部となっている。ほか1両も他の車の意識が強かった。つまり、ノリモンに成るとしたら最大5名。

 

「待って! ドルフィンも、ノスタルジアも、ラストランナーもいる。成ってないのってもうあの子しか」

「その子だと言ってるんだろーが」

「こんな形でなんて、再会したくなかった!」

「俺だってそーだよ!」

 

 気がついてしまったのだ。16年前に、悲惨な最期を遂げた車のことに。

 そしてふたりの感情は……ノリモンとしてまた会えたという喜びが、そんな彼女と敵対しているという悲しみが、そして彼女がここまでの力を持っていることへの一種の親心のようなものが、個別にぐちゃぐちゃにしていた。

 

「いいね、その顔」

「ブゥケトス、お前なー!」

「そして、久しぶりだね、姉貴」

「本当に、貴女なのね」

「うん。そしてその感情(おもい)が、儀式を完了に導く。……ほら!」

 

 リンゴン、リンゴン、リンゴーン。鐘がまた、けたたましく鳴って……そして、この自元領域から消えた。

 


 

「一体何がどうなってるんだ?」

 

 中庭の手前で控えていたトレイナー達はただただ困惑していた。

 不審ノリモンから号鐘を取り返して彼女をラッチに拘束するまでがノリモンの仕事で、後はトレイナーが対応する……はずだったのだ。なのに今彼らの目の前にあるのは氷の柱――侵入者と対応にあたっていたノリモン10名が消えて、代わりに生えてきたものだった。

 

「とりあえず、倒れてる連中を救護室に。何が起こるかわからないから氷柱には近づかぬよう」

 

 そうしてそちらの作業が終わり、引き続き監視をしていた頃。

 どこからか、鐘の音が響いた。

 

 それと同時に、中庭の地面が強く揺れだして。

 

「総員、退避! 退避ー!」

 

 地面から、赤い光が漏れ出して。それを突き破って、鋼鉄の塊が飛び出してきた。

 さらに、続けて奪われたはずの号鐘が音を鳴らしながら突然現れて。

 

「確保しろ」

「あぁ、《ストラトス・グレイ》!」

 

 そうナリタスカイが飛び上がうも間に合わず、号鐘は錨を携えて南南東へと飛んでいったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21レ前:ルースの落し子、ココマ

 円形広場の監視を始めてしばらくした頃。段々と強くなる光に、僕達の警戒も強くなって最高潮に達した頃のことだった。

 

 リンゴーン、リンゴーン。

 

 どこからか、鐘の音が響いた。だけど、その音の源は見当たらない。

 

『各局、各局。今何か聞こえなかったか』

『聞こえました』

 

 ……どうやらみんなにも聞こえているので、気の所為ではないらしい。

 そう確認している間に、もう一度鐘の音が響いて、そして地面から漏れ出る光もまあいっそう強くなる。

 

『下か! 下から来るぞ、気をつけろ!』

 

 僕達は合意なくとも、みなそう結論付けた。その時。

 何かが飛んできて円形広場の真ん中へと落ちて突き刺さった。

 

『何だ?』

『錨……のように見えるな。可能であれば警戒しつつも調査を』

 

 地面の赤い光はより強くなる。

 リンゴーン。リンゴーン。

 また鐘の音が響いて。皆、上を見ていたから気がついた。その鐘が北の空から飛んできたのに。

 

 そして。禍々しいはずなのに、どこか神々しい光景が広がって。

 大地が裂ける。円形広場の地下から、それが復活するのを。

 

 全高およそ40メートル。人形の機械。

 赤い靴は1対のプロペラを後ろに持ち。黒い脚は細くシュッとしていながらも力強さを感じさせる。白い胴は赤い光を照り返しながら5色のシールドで薄く輝き。橙の腕はアクセントとなって彩りを持たせている。

 ……美しい。クィムガンに対する感情ではないことはわかっていながらも、そう感じずにはいられないほどの造形美。これが対応すべき脅威でなかったら、どれほどによかったことか。

 

『あれが、はじまりのクィムガン、ルースの落し子……』

『まずはラッチを張る事を優先に。動く前に張ってしまおう』

 

 幸いにもまだその動きは鈍いように見えた。今のうちに。

 

『ラッチ展開準備は』

『確認、こちらOKです』

『疾く疾くタム』

『ご安全に』

 

 薄い水色の光が、ルースの落し子と円形広場に入った4ユニットをとりかこみ、周囲から隔絶する。

 そして、公園はまた静かになった。

 


 

 名松一志は酷く緊張していた。――いや、威圧されていたと表現するのがより正しいだろう。

 目の前に聳える巨体に。最強のドラコ・ユニットが横にいるといえど、危険になったら一旦出場して態勢を整えることができるといえど、何度それを繰り返してもシールドを割り切ることができるのかわからないと、そう感じさせられるほどの威圧感が、静かなその体躯からですら感じさせられているのだ。

 これで、仮に動き出したら……?

 

「なんなのよ、これは! 信じらんない」

 

 太多姫の上げた声は、ラチ内の20人みなが共感できる部分があるものだった。場数を踏んでいるドラコの者でさえも。

 

『こちらドラコロケット。動きの鈍い今のうちにシールドを削る』

『……へぇ、がんばってね』

 

 そのアナログ無線に、唐突に何者かが割り込んだ。カリーナの5人には聞き覚えがある声だった。

 

『こちらカリーナロケット。また貴様か、スタァインザラブ号!』

『スタァインザラブだと!? どこだ!?』

 

 無線の電波はラッチを超えられない。これは割り込んできたスタァインザラブがラチ内にいる事を意味する。

 そして各ユニットの索敵担当が探してみれば……彼女は確かにいた。ルースの落し子の肩の上に!

 

『貴様の目的は何だ、スタァインザラブ』

 

 氷川日枝が問うた。彼とて真艫な答えが戻って来ることは期待はしていなかったが。

 

『今日はね、ボクはもう何もしない。やるべきことはもう全部終わったからね』

『は、とは何だ』

『だって、後はぜんぶ姉さんがやるだけだもの。ねぇ姉さん。ここにいる人達は、間違いなく日本でもトップクラスの実力を持ってる。()()()()()()()()()()()()()()()()

『おい待て、どういう……』

 

 氷川の質問は遮られた。動き出したルースの落し子によって。最悪なことに、ルースの落し子の動きが緩慢なのが復活してすぐだからであるという予想は当たってしまっていたのだ。

 動き始めたルースの落し子は、その足元の大きなプロペラから車すらも吹き飛ばすような強い風を生み出してトレイナー達の行動を制限した。

 

「この程度の風くらい、どうってことないっすよぉ! 《エアロ・ダブルウィング》!」

 

 果敢にも名松は風に抗い、その距離を詰めようとする。彼を含めて、この風の中で動くことができるのはわずか数名程だった。

 そして彼は飛び上がってそれを目指した。ルースの落し子の肩に乗るスタァを!

 だがしかし。彼が彼女に到達することはなかった。

 

『うんうん。トシマ姉さんの頃から70年も経ってるんだし、あなた達でどうにかできない相手ではないよね。だって70年前はあの海やその上の空でまともに動けた子なんていなかったもの。それじゃ、がんばってね』

 

 スタァはその無線を残してルースの落し子の肩から消えたのだ。忽然と。

 名松はスタァの居た場所――それの肩の上に着地すると、攻撃を警戒しながら彼女の痕跡を探している。

 

『こちらカリーナノーヴル、スタァインザラブの痕跡は無いっすね』

『レオミノルサイクロより、こちらでも奴につけたマーカーの反応の消失を確認。』

『……なるほど、前の報告通り本当に逃げられたか。レオミノルサイクロへ、マーカーをつけているならレオミノルは出場してスタァインザラブを追ってくれ。入場3出場2で回す』

『承知』

 

 そしてレオミノルの5名はわざと風でラッチまでふっとばされてそこから出場していった。スタァを追うために。

 そして。残された15人とルースの落し子との戦いが、本格的に始まろうとしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21レ中:はじまりのクィムガン

 不動亜紀は、ノリモン発生学の研究者である。

 発生学者、安慶名秦流に師事し、メカマムサシコヤマ号をキールとする彼女の研究対象は、『はじまりのクィムガン、ルースの落し子は如何にして発生したのか』であった。

 そんな彼女は今カンケル・ユニットのトレイナーとして、そのルースの落し子を目の前にしている。その研究をしていた彼女にとって、この事はとても光栄で、感慨深くまた興味深いものであるとともに、その知識からして絶望的なものでもあった。

 

「あのスタァインザラブとかいうノリモン……間違いなく発生に関わっている。そいつを問い詰めなきゃ。必ず。そのためにも」

 

 ルースの落し子を倒す。不動はそう決意した。

 まずは風を止めなければ。そのためにも、まず流れを、テンポをつくる。それがカンケルの闘い方だ。そしてその根幹をなすのが。

 

「任せろ。心地のいいテンポを聞かせてやる」

 

 カンケルパレイユ、声問未来である。彼はキールのオトイネピアと共に音楽活動をする傍ら、その音楽を以て現場に物理的な変化をもたらす力を持っている。

 

「行くぞ、『最果ての気持ち』」

 

 〽何時になれば失われた道を僕ら ここで夢見ることやめるだろう

 

 声問が歌うたび、その声が聞こえる範囲では風が弱まる。流れる切なくも力強いメロディが、ルースの落し子の起こす風に立ち向かい、凪がせているのだ。

 

 〽忘れられたエボリューションを 何度繰り返して曲がり渕走ってゆこう

 

 それだけではない。音楽の力は、それを聴くトレイナー達とウェヌスとの繋がりをより強固にする。結果として、より強い出力を以てルースの落し子と対峙できるようになっているのである。

 そして、カンケルは位置的にも動き出した。

 

 〽降り注ぐ冷たい水、川は今も流れてる

 

 まず飛び出したのが銀城理沙、ノーヴルの若手トレイナーである。かつて前方不注意で味方の攻撃に突っ込んで以降その積極性は失われていたが、同じ轍を踏まぬと改善して今では立派に斥候の役割を果たすことができるようになっている。

 

 〽変わりない想い載せて閉ざされたレール進もう

 

『各局、こちらカンケルノーヴル。ルースの落し子への攻撃を開始する』

『ドラコロケットより、動けるならどんどんやってくれ。奴が本格的に動くまでは各ユニットでの裁量に任せたい』

 

 ドラコ・ユニットですらも、まだ全員が風からは抜け出せそうにない。そんな中で、風を抜け出した者がいればそちらの好きにさせるのが良いと判断されたのだ。

 これで、銀城は好きに動くことができるようになった。そしてカンケルの皆も同様に動くお墨付きを得た。

 

 〽果ての天北、走り出した

 

「喰らえ、《ジェットチョッパ》」

 

 銀城の斬撃がルースの落し子に届く。シールドはそこまで削れているようには感じられはしないが、でも0ではなかった。

 

『シールドの微小な減少を確認。ルースの落し子だってクィムガンだ。割り切れる、必ず!』

 

 〽軌跡を遺すため失われた道は繋がらずとも

 

 銀城に続いて、残る二人も前に出て順調にシールドを削り始めた。だけど。

 ――おかしい。事前知識があるだけに、不動はそう感じていた。故に、彼らを追わず一旦引きで観測と考察を続けることにした。

 

 〽土地は昔のまんまで帰りを待っている

 

 ルースの落し子は、成った直後から甚大な被害を発生させたクィムガンだ。なのにこれだけ攻撃を加えていて全くの無抵抗ということはあるのだろうか?

 何せ1年以上にわたって波を起こしては船を沈め、風を起こしては航空機を落とし対馬海峡を死の海にした程の加害性を持っているクィムガンだ。それなのに、復活して以降やったことといえば暴風を撒き散らすだけ。一体何がこの違いを生み出しているのだろうか?

 

 〽果ての景色、気持ちを知るだろう

 

 そして不動は気がついた。

 記録に残るルースの落し子の攻撃手段の大半は水を操る技だ。そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だけどここは陸上。あのプロペラは本来の力を生み出せていないし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 だとするならば、まずい。

 

 〽忘れない

 

 音楽が終わる。声問のパターン的に、この『最果ての気持ち』の曲の流れででてくる技は!

 

「この心地よい流れで決める! 《ヤムワッカナイ》!」

「声問! (ワッカ)はダメぇ!」

 

 不動の制止は、間に合わなかった。

 冷たい水がルースの落し子に向かって伸びる。風が弱まった。嵐の前の静けさのように。

 

『カンケルサイクロより各局へ、一旦引いて態勢を立て直す』

 

 前に出ていた銀城が不思議がったのも束の間、その水がカンケル・ユニットに襲いかかった。

 奪われたのだ。コントロールを。

 

「な、流れが言うことを聞かない」

「思い出すのが遅れてごめん、これがルースの落し子の本質……。水を操るクィムガンだからこそ、水を使っちゃいけないんだ」

「そんな莫迦な」

『各局、こちらカンケルサイクロ。ルースの落し子は水を操り船を沈め、風を操り飛行機を落とすクィムガン。水と風には気をつけて』

 

 だからこそこのクィムガンは海上に甚大な被害をもたらしたのに陸上へは被害をほとんど与えなかった。故に、人々の記憶にもそれがどのように戦うのかはあまり残っていないのである。

 前線からカンケルのトレイナーが一時撤退する際、うち1人のシールドが割れてしまった。銀城は彼を回収すると、カンケル・ユニットは無念にも出場して後続のアクィラといれかわることになったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21レ後:座礁

 水が奪われた。

 氷川日枝は、目の前で起きた事象をそう分析した。

 

「気をつけろよ鮫島」

「1つくらい封じられたところデ、全く問題は無いナ」

「それでこそだ。行くぞ。『ドラコロケットよりカリーナノーヴルへ、危ないから左肩の上から動くな』」

 

 入場してきたアクィラに各個の方針を伝え、ついにドラコは動き出した。風を切って最初にルースの落し子に到達したカリーナの名松一志、水を飛ばしてきたカンケルの声問未来。彼らやそのかわりに入場してきたアクィラに気をとられてドラコへの警戒が薄れている今のうちに、可能な限りシールドを削って――あわよくば、ケリをつけてしまおうと。

 

「やっちまえ。《最強砕氷載希望》」

 

 氷川の放つ氷が、空気を、水を、シールドを砕いてゆく。

 

「一気に決める。《トゥー・モロー:ビューティフル・ターム》」

 

 草色の風と化した松代美佐が、迫る水を避けて美しい未来をルースの落し子に叩き込む。

 

「これだけ大きな的に、巻き込む恐れもない。《ベテルギウス・ファイナルキャノン》」

 

 巨大な火球が生み出され、近づく水を沸かすほどの熱量のそれを落としてルースの落し子の右肩に直撃させたのは星野貴大だ。

 

「悪いけど、ぼく達の時代にはもうはじまりのクィムガンは似合わないね。《究極進化革命理論》」

 

 中泉良平が投げた槍は弾丸のように飛び、水が来る前にルースの落し子のシールドを貫いた。

 

「コイツで決めてヤル。《ラスト・チェーンソー》」

 

 そして、自分自身を飛ばした鮫島勝はオモテにつけたチェーンソーに自らの運動エネルギーを乗せて水の壁を通り抜け、ルースの落し子のシールドを削り取った。

 

 5人全ての、必殺技とまではいかずともそれなりに重用している技。それが全てきちんと直撃すれば、並のクィムガンのシールドならば一瞬で砕け散ってしまうほどのもの。だが、ルースの落し子は動かずとも強固だった。

 

『1割ちょい、かな?』

 

 中泉が状況を分析する。かつての英雄、双葉清彦がトシマ号とトレイニングをしての対応にあたった際は、およそ丸一日彼の活動しうる時間をかけてその程度であったということを考えると、70年という時間の重みは非常に大きい。逆にいえば、知見の集積や技術の進歩により効率的な技の使い方を得られるようになった現在の水準での攻撃でなおこの程度であるということ自体が、当時は大変な脅威であったことを理解させてくる。

 

『そこまでできるほどは持たねぇナ』

 

 だが。一番重要なことは、今の一連の攻撃でルースの落し子が強くドラコを警戒してしまっているということ。事実声問の放った水は肩上の名松ではなく完全にドラコを狙っているし、風だって再び吹かせはじめている。今と同じことは、少なくとも再入場直後までは出来はしないだろう。

 だが、今度は逆にドラコの攻撃に注意が向いたことによりカリーナやアクィラへの注意が削がれた。

 

「隙だらけじゃない!」

 

 太多姫が風を潜り抜け、ルースの落し子を殴った。それに肩上の名松がようやくそこから降りながら続き、そして他のカリーナやアクィラのメンバーも続く。

 そして、ルースの落し子はひとまとまりにして氷川の方へと向けていた水を呼び戻し彼らへと向けかえんとしたが。

 

「悪いがその悪い川(ウェンナイ)は見納めにさせてもらう」

 

 氷川は、その漂う水を全て凍結させた。これでルースの落し子が操ることのできる流体はまた空気のみに戻り、そして風の勢いが増して気を抜いていた者を遠くへと吹き飛ばしている。だけど、そのクィムガンはその場所からは動かない。

 

「……ねぇ、リーダー。1つ思ったんだけど」

 

 その氷を粉砕しながら中泉は氷川に話しかけた。

 

ルースの落し子って、解き放たれたときから全くあそこから動いてないけどさ。もしかして今()()()()()()()()()()()じゃないかな?」

 

 氷川の顔は中泉からは氷に阻まれて窺うことができない。だけど、彼らの間では声色と間だけで十分だ。

 

「……つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「そう。動くのすら水任せだったんじゃないかなって」

 

 発生したのが海の上だったからこそ大いなる脅威となったが、陸上に上がれば――当然、油断してはいけないことに変わりはないけれども――案外そうでもないクィムガンだ。これが中泉の導いた1つの仮説だった。

 そもそも、これはクィムガンのみならず、ノリモン全般に言えることであるが。使うことができると認識している技が少なければ、それが全て使うことのできないシチュエーションに陥った時には、ウェポンやあるいは己の肉体そのもので戦うしかないのである。

 

「だがウェヌスの力がかかった風は、僅かながらも確実に俺達のシールドを削っている」

「あのさ、今日は普通の出動だよ、そのために外で待ってるユニットがいるんでしょ!」

 

 それに、油断していいとは一言も言っていない。そう言いながら中泉は氷を砕ききると、再びルースの落し子のシールドを削りに戻ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22レ前:門

「なんてことをしてくれた。《船車接続(ラインコネクト)下關》!」

 

 トシマは激怒している。アンカーチェーンが伸びる。係留索が伸び、ウネウネと蛸の腕のように空を舞い、そしてブゥケトスをついに捕まえた。

 だが、残る9名のうちコダマを除く8名にはいまいちトシマがこれ程までに激怒する理由がピンときていなかった。

 

「なー、そもそも一体何なんだあの鐘は」

「かわいそうに、君たちそれも知らされずに私と戦わされているんだ」

「オメーは黙ってろブゥケトス、盗品を取り返すのにそれが何かなんて関係ねーよ」

「私の手からはもう離れたけど」

「関係ない。こちらがなんのために封印したと思っているのか。《興亜之光》!」

 

 トシマの首、チョーカーネックレスに取り付けられた鐘から、一筋の光線がブゥケに伸びてそのシールドを割った。色に関わらず。

 

「やはりそうだったのね、トシマ号、あなたも」

「なんのことかな」

「とぼけても、その横の部下たちにもきちんと見えているだろう」

「違うな、門が開かれるよりも前に得た力だとでも言っておこう」

 

 シールドが全て割れ、解放されたブゥケは手に持つウェポンを一度しまうと、両手を上げながらアカイニチリンが晴らしているエリアへとちかづいてきた。

 一方のトシマらは臨戦態勢を崩さず、そんな様子のブゥケをも警戒している。

 

「トシマ号。負けを認めようか」

「負けたのは貴様だ」

 

 トシマは回収した自らの錨を手に持ち、いつでも投げられるぞと威嚇しながら返した。

 

「それはどうかな。もう私の目的は完遂された。号鐘は次元を超えて封印を解いている」

「ならば追うしかあるまいな。ここから出してもらうぞ」

「させると思って? 儀式が終わるまであなたをその下へ連れて行く訳にはいかない」

 

 パチリ。ブゥケが指を鳴らすと、急激に吹雪が弱まり、あれほど強かった風も一瞬の間に凪いだ。

 そして、JRNの10名とブゥケの間の視界はクリアになる。

 

「そちらが私を連れて行く訳にゆかぬのなら、なおさら私は行かねばなるまい」

「ここは私の領域。出すも出さずも私次第。特に、まだ超次元を渡れぬあなた達は」

 

 パチリ。もう一度ブゥケが指を鳴らすと、降り積もった雪が舞い、机と椅子になった。座れというメッセージだ。

 ブゥケはその椅子にかけて言った。

 

「安心して。私達は必ずしもJRNと敵対する意図はない」

「窃盗と不法侵入をしてなおよく言う」

 

 トシマは雪の机を叩いた。そしてそこは部分的に崩壊する。どこからか局所的な吹雪が吹いて、あっという間に復元された。

 

「落ち着いて、落ち着いてトシマ号。怒っても事態は好転しない。ほら、紅茶でも」

「一旦話を聞くだけ聞かせてもらおうじゃありませんの、いいですね?」

 

 タムファタルとコダマがトシマを落ち着かせて椅子にかけるよう促した。

 トシマは渋々といった感じで椅子にかけ、数名もそれに続く。そして残った者は座った者たちの後ろに立った。

 

「……仲間に免じて話を聞こう」

「強情だね、私を倒したとて戻れやしないというのに」

「なんだと」

「本当さ、今だって特段引き留めている訳でもない。好き勝手に帰ったらいい、超次元を渡れるならね」

 

 お茶でもどうぞ、そう言ってファタルが渡した紅茶を飲みながら、ブゥケはそう返した。

 トシマは歯ぎしりをしながらもその言葉を受け入れた。彼女達はまだ、超次元を渡る術を会得していなければ、その見込みすらようやく立ったばかりなのだ。

 

「安心して。全て終わればきちんともとの次元に帰す。約束しよう」

「我々自身が人質という事か……。分かった。それまで話をしよう。やはり超次元の研究は……どうだい、リクチュウ」

 

 リクチュウはサイクロの超次元専攻のノリモンだ。ウェヌスへの接触を目指すなかで、超次元コミュニケーションの実用化は必要不可欠であり、現時点ではそれを研究している。

 

「はい! 超次元通信技術はeチッキでの実証も終わり間もなく実用化、同じ理論で航行技術も今年度中には実証実験を開始できる見込みです!」

「とのことだ。同じ手は使わせぬ」

「それはそれは。間に合ってよかった」

 

 ブゥケの笑顔を、トシマは憎たらしいものを見る顔で睨んだ。

 しかしブゥケはそれを気にもせず言葉を紡ぐ。

 

「さっきも言ったけど、私達シエロエステヤードはJRNとの対立を望んでいない。だけど、現時点ではシャワァが協力できる状態ではないと判断をしていたからこそ、こうして闘うことになっている」

「シャワァ……ああ、覚えているとも。ライスシャワァというノリモンの語った不可能な夢を」

「不可能じゃない。そう判断したから動いている」

「不可能に! 決まっているだろう!」

 

 トシマは再び立ち上がり、動き出そうとした。そんな彼女の頭に。バケツいっぱいの雪が被せられる。

 

「何をする」

「トシマ号は一旦頭を冷やした方が宜しいですわ。その状況では合理的な判断はできません」

 

 トシマの肩を上から押して、コダマは彼女を強制的に着席させる。そしてそのまま、向かいにかけるブゥケを見つめた。

 

「ブゥケトス号。その夢の内容は理事会でも不審な言動として聞いておりますわ。ですけど、それと金剛丸号の号鍾とのがいまいちわからないのですわ」

「いや、それはこちらでもおおよそ予想がついている」

「なんと」

「確認したい。貴様らシエロエステヤードと言ったな、そこにスタァインザラブという者がいるだろう」

 

 ブゥケトスは紅茶に口をつけながら静かに頷いた。

 

「ならば伝えておくんだな。替わりの門が開くことは無いと」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22レ中:救済と祝福と

 トシマは黙りこけたブゥケトスに向かって、言葉を続けた。

 あの封印は、ルースの落し子から国土を守るためのものではない。逆にルースの落し子をノリモンやトレイナーにより倒されてしまわないように設けたものであると。

 それはルースの落し子がはじまりのクィムガンであり、その解析によりクィムガンやひいてはノリモンの根源に迫ることができると当時の者たちが考えていたからだ。

 

「だが封印を解かれてしまった以上仕方あるまい。貴重な研究対象であるが、じきにトレイナー達が亡き者にしてしまうだろう」

「ならないよ」

「なに?」

「ならない。だって、スタァ様がそんなことを知らないとでも?」

 

 スタァインザラブが西国分寺、都立武蔵国分寺公園にいるとブゥケは笑いながら続けた。トシマとスタァでは、スタァの方が一枚上手だったのだ。

 

「はじまりのクィムガン以上に力のあるクィムガンならばその後で何度も発生しているのを知っているのはJRNだ。ならなぜ彼らの時に門は開かなかった――いや、穴は開かなかった?」

「……かの時ほど戦いは長期化していない」

「違うね、解っているのならばなぜここで言わない?」

 

 トシマはその答えを返すことができなかった。理由を知らないわけではなかったが、仮にスタァがそれを知っていたとしても戦略的に黙秘をすべきだと判断したからだ。

 それを見て、ブゥケは更に情報を投下することにした。

 

「重要なのは、はじまりのクィムガンが穴をあけた事があるという事だけだ」

「ジュゥンブライドがそうしたような事をしたい、ということか」

「大当たり。やはり、JRNは無力化すべき組織ではない」

 

 だがこの肯定はトシマにとって到底受け入れがたい選択肢――リロンチが採用されているという事に他ならない。それは対応に当たっているトレイナー1人の存在を必ず奪う選択肢だからだ。

 トシマは人間とノリモンの間に亀裂が入り、溝が深まって分断される事を何よりも恐れている。さすれば人間はノリモンを社会的に排除する――そして、それが能う力を有していると。リロンチはそれを促進しかねない。

 

「やはり本音を言えば、私達はJRNと手を取り合いたい」

「不可能だ、それを行うのが前提であれば」

「なぜ? リロンチは禁忌じゃない。その発生が公になったとしてもなお、社会はそれを受け入れると私達は考える」

 

 ここにJRNとシエロエステヤードの認識のずれがあった。

 JRNは、リロンチを公にすれば人間はそれを拒否すると考えている。シエロエステヤードは、環境が変われば人間はそれに適応する能力があると考えている。

 どちらも部分的に正しく、間違っている。確かなことはそれが0か1かの問題ではないことにお互いが白黒つけなければならないと考えているということだ。

 

「話にならん。どうして人間が自らの害となる存在を認めるとでも思うのか」

「この社会、自らの存在を全て捨ててでもノリモンになりたいという人間は探せばたくさんいる。リロンチに用いるのが彼らだけならば、Win-Winの関係にしかならない」

 

 SNSには多種多様な人間が生息している。特に社会に疎外感を感じている者ほど、自らの全てを捨ててでも別の存在となりたい、生まれ変わりたいと考えるものである。シエロエステヤードはその様々なコミュニティに潜入し、そしてそういった欲望を持つ人間と接触し、リロンチのコアとしていたのだ。

 

「戯言を。いるわけがないだろう」

「インターネットで接触してから、現状は何度もその意思を確認してからやっている。流石は最大幸福を追求するあまり、一部の者の犠牲を厭わない考えを持つ者。現代社会のそういった層にすら興味がないとは」

「貴様、言わせておけば」

「でもそうだろう。100の幸福と1の不幸があって、不幸を解消するとそれらが全て消えるのなら、JRNは見てみぬふりをする」

 

 図星だった。完全に見てみぬふりをする訳ではないが、100の幸福を奪ってでも行うほどのものでないとすればノータッチ……それがトシマの方針だった。

 何も言い返せないトシマにかわって、スーパーブライトが苛立つように反駁した。

 

「ふざけるな。俺達はそのような不公平は許容しない。100の幸福を奪わずともその不幸を解消する術を探し出す」

「でも見つかるまでの間はなにもしない。できない。違う?」

「不幸を解消するためだろーが、それ以上に幸福を奪っていー理由にはならねーだろーが」

 

 ブライトはそれができるノリモンだった。だからこそ、ブゥケの、ひいてはシエロエステヤードの考えは理解しがたいものとなってしまっている。

 しかしトシマとブライトだけがJRNな訳ではない。JRNには様々な考えの者が所属している。故にさらなる反駁をできる者がいるのである。例えば、コダマのような。

 

「何もしない訳がないでしょう。私達は救いを求める声があれば、それを救う合理的な術が見つかるまでの間も彼らと対話を繰り返しますわ」

「それで結局何もできなかったら、どうするつもりなの?」

「自らの力不足を正直に詫びる、それだけです。逆に聞きますわ。自分達は全ての者に手を差し伸べることができるとお思いで?」

 

 ブゥケは、その問を鼻で笑った。

 

「できない。だからこそ、手の届く範囲に入ったものは無差別にすべて助ける」

「そちらの方が余程不公平じゃありませんの!」

「力がつけば何れ全てに祝福を届けることができるようになる」

「それはこちらとて変わりないことですわ」

 

 同じ理想を抱きながら、その過程を異にする者たちの終わることのない口論は、数時間ほど続いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22レ後:正義

 平行線の議論の末、11名のノリモン達の多数には共通認識が生まれていた。

 話をするのは、不可能ではない相手だ、と。この相手は、信用のできる対立組織だと。

 お互いがお互いの正義のために動いている。それは、お互いの正義のベクトルが一致すれば容易に協力しうるし、内積が負になれば手を取り合うことは絶対に不可能となる。

 

 だがうち1名、タムファタルは机から少し離れた雪の上で体を動かす傍ら、内心してやったりといった顔をしていた。

 ファタルはブゥケトスに紅茶を勧め、ブゥケはそれを飲んだ。薬入りの紅茶を。

 

「……なーファタル。お前()()()だろ?」

「なんですかブライトさん。喉乾いてません?」

「不自然すぎだろ。さっきGFJ(グレープフルーツジュース)飲んだから喉乾いてねーんだ」

 

 スーパーブライトはファタルの様子と過去の行いから彼女が何をしたのかを察していた。過去の行いに関して言えば購買部の万引き犯を3号館の廊下に放置するのだからブライトはどちらかといえば共犯者であるが。

 

「安心して。JRNの不利益になることはしていないし、むしろ超次元専攻のためになってる」

「明るくはないから詳しくはわからねーけど、それは確かだろーな」

 

 JRNはブゥケとの直接の対決には負けた。だが、今後を見据えるとむしろ勝ったと言っても過言ではない情報を引き出すことに成功している。これにファタルの投薬が関与しているのは明らかだった。見よ、ブゥケはトシマらに誘導されるがまま本来口外する必要もない情報まで口に出し、そしてそれをリクチュウがしっかりと記録しているのを。

 ブゥケとJRNの直接対決がブゥケの勝利なのは揺るぐことはないが、今後の展開を考えれば情報の獲得に走ったのは正解だったといえよう。

 ふたりは机へと視線を戻した。今はもうお互いに探ることがなくなってきたのか、どうでもいいことばかり話をしている。

 

「ねぇ、貴女は何がしたいの。お姉ちゃんに教えてよ」

「長いこと連絡を寄越さなかったのに今更姉面を?」

「それは! 貴女が成っているなんて思いもしなかったから。そうだと知っていたら貴女をすぐに探していた」

 

 イロドリは涙を流しながらもブゥケに迫った。

 

「ごめんなさい、こんなお姉ちゃんで」

 

 そのイロドリの問いかけに、ブゥケはしばらく声を出せなかった。言葉が見つからなかったのだ。だけど、きょうだいの仲を悪くすることが得策ではないと言う認識をブゥケも確かに持っていた。

 少しして、ブゥケは言葉を見つけておもむろに話しだした。

 

「……今は、こうして別の組織にいる。だけど、全て終わったあとになら……いや、いや、結論が同じで過程が違うだけならば、いずれは手を取り合う関係になれるかもしれないね。どちらにせよ、次のブーケは投げられた」

 

 ゴォン。鐘がなった。その音色は金剛丸のそれとは違うものだ。

 

「鐘の音……!」

「警戒する必要はない。全てが終わったことを知らせる音。これから全員をもとの次元に戻す」

 

 トシマは全員を呼び寄せ、ここへ連れ去られた時のようにブゥケを囲むように整列させた。

 続いて彼らは何らかの圧力を感じた。不思議な浮遊感が何かを切り分けて進むのを感じる。自分たちはその場から動いていないのに。それはブゥケの自元(アイゲン)領域(ゾーン)に招かれた時とまったく同じ感覚だった。

 気がつけば、トシマ達はJRN1号館の中庭に戻っていた。中庭を監視していた者が突然戻ってきた彼らに驚き、報告をあげるために臨時本部へとかける足音が響いた。

 

「さて、もはや私はここにいる義理もない」

 

 そうしてブゥケがそこを去ろうとしたとき、ふとその手首にロープが巻かれていることに気がついた。トシマのものだ。

 

「逃しはしないぞ。貴様次は既に投げられたと言ったな?」

 

 トシマは、重く響く声でそう問い詰める。意味がないとわかっていても。

 あくまでも、ブゥケの自元領域の外側ではJRNとブゥケは完全に対立したままなのだ。トシマはそれを示さねばならなかった。

 

「さぁね。投げられた行方は、投げた私にだって分からない。でも、風の息づかいを感じていれば、事前に気配はあるはずだ」

「そうか、ならばもう貴様に聞くべきことはない。ラストランの準備はいいな?」

 

 次の瞬間、ブゥケはその場から消えた。トシマ達は追うことはしなかった。それができないと分かっていたから。

 繋がる先の消えたロープはその場に落ちた。

 

「逃げたか。リクチュウ号」

「ログはとってあります。おかげで研究も」

「なるべく早く頼むぞ」

「承知」

 

 さて、解放されたということは、学園跡地はどうなっているかな。トシマがそう考えていると、帰還を確認したのだろう、ちょうどクシーが寄ってきてその報告を上げてきた。

 それは――彼女の、想像していた中で最悪のパターンだった。

 

「トシマ号、戻ってきたんだね」

「……あぁ、奴には逃げられたがな」

「そっか。でも、それより大変なことが起きている」

 

 クシーの顔には、焦りの表情が見えている。一呼吸おいてから、彼女はそれを口に出した。

 

「武蔵国分寺公園のクィムガン、Sバーストによりトレイナー複数名の行方が分かっていないんだ。当時ラチ内にいたユニットは――」

 

 あぁ、そうか。

 長崎の件を起こしたのも、ライスシャワァだったのだろうな。トシマはそう推測した。

 

「ブゥケトスの対応に当たっていた9名。悪いが、今から西国分寺に向かうぞ」

「承知」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ上:傾向と対策

 円形広場にラッチが貼られて、はや数十分が過ぎた。

 新小平の本部と通信してお互いの状況を確認する傍らで、まずレオミノル・ユニットが出場してきて、現れたというスタァインザラブを追跡しに行った。そしてしばらくしてカンケル・ユニットが出場してきて、かわりにアクィラ・ユニットが入場した。

 そして、出てきたカンケル・ユニットからフィードバックを共有してもらっているところだ。

 

「なるほど、流体を使うクィムガンか」

「俺が間違えたんだ、だから」

「いや、禁忌を発見してくれただけありがたいよ」

 

 早乙女さんはそう声問さんをフォローしていた。実際、『こうやったらうまくいった』パターンを1つ紹介されるよりは、絞りきれない選択肢のうち1つを確実に削る報告があったほうが有り難い。

 

「……で、カンケルのリーダーは」

「あそこでラボの鯖に繋いでる。彼女、発生が専門で今ルースの落し子の発生追ってるから」

「それは心強い」

 

 それからしばらくの間は、本部と通信しながら不動さんが引っ張ってきた過去のデータの分析をすることになった。

 クィムガン対策において過去のデータを引っ張ってくるような状況が発生することはまずないらしい。というのも、過去に対応したクィムガンと同じクィムガンと対応することはまずない上、類似例を探す場合はデータを探している間に対応が終わってしまうからだ。

 だが今回は違う。今回対応しているのは正真正銘のルースの落し子だ。ゆえに過去データだって役に立つというもの。

 

「あった。アメリカ海軍の調査レポート」

「英語じゃん」

「仕方ないでしょ、当時日本はアメリカの統治下だったんだから」

 

 何はともかく僕達はその資料を読んだ。

 軍艦。近づくまでもなく波に襲われ転覆あるいは圧壊。沈没。

 航空機。半径3000フィート程度の半球状の領域に入れば風に煽られ不安定に。墜落。

 潜水艦。戻ってこないので通信もできずデータなし。

 遠距離砲撃。当たらん。魚雷。当たらん。機雷。無反応。

 結論。お手上げ。対馬海峡全域から東シナ海東武にかけて、被害低減のために航行ならびに飛行を推奨しない区域の設定を提案。

 

「ねぇこれなんの役に立つの」

「いや、極めて重要。やっぱりここに書いてあるクィムガンの攻撃手段、ぜんぶ波か風で他の一切の言及がない。ラチ内での観測でもそうだったから推測してたけど、これが記録からも正しく裏づけされている」

「……なるほど」

 

 つまりあれだ。ルースの落し子、恐らく《桜銀河》がめちゃくちゃよく刺さる相手だ。投げ道具は風で煽られれば外れてしまうけれど、光線はそうじゃない。それに反撃してこないのなら、ずっと打ちっぱなしでもいいわけで。

 

「顔に出てるぞ」

「射線上に入らないでくださいね」

「もうやらないって!」

 

 過去にそのミスをやってしまった銀城さんが横から吠えた。ならいいや、黄色は僕が安全に撃ったろ。

 

「あっそうそう。風でシールドがじわじわと削れるから気をつけて」

「把握した」

 

 それから少し練っていると、こんどはドラコの人達が出てきて、僕たちがいれかわりに入場することになった。

 ラチ内では、確かに吹くはずのない風が吹いている。ルースの落し子によるものだろう。

 

『ウルサ・ユニット、ただいま全員入場』

『こちらカリーナロケット。対象が巨大かつ移動しないゆえ各ユニットの裁量に委ねる。オーバー』

「いや戦略雑だなおい!」

 

 成岩さんが思わず突っ込んだ。どうも無線で問い合わせた感じ、本当にあのど真ん中から動くすべがないらしい。まな板の上の鯉とはよく言ったものだ。

 

「……70年前、こんなのに苦労してたの?」

「そりゃ海の上じゃないからな」

「それに、昔はノリモンもトレイナーもいない。双葉氏が後のトシマ号と最初のトレイナーとなって、ようやく対抗手段を得たけど、当然知見もない。全てが、手探り」

 

 だけど、現在は違う。それだけの話だ。

 僕はトランジットもせずに、手の先に力を溜め始めた。その必要は無かったから。

 

『ウルサロケットより。射線上、入らないで下さい』

「やるんだ」

「これが一番効くと思います。《桜銀河》」

 

 桜色の光が、ルースの落し子にのびる。そして巨体の黄色のシールドに当たった。

 

「じゃ、俺達もやるか」

「あぁ。動かないのであればトランジットをする必要をも、ない」

 

 みんなは風をかき分けてクィムガンの方へと駆けていった。僕はそのまま動かずに、飛び交う無線を聞いて状況を把握しながら《桜銀河》を打ち続ける。

 しばらくすると風に削られ続けたのか、参宮さんのシールドがそろそろ危ういということで早速にも交代することになった。……って、早くない?

 

『カンケルのシールドはまだ回復しきってないのでは?』

『仕方ないだろうが。近寄ると風でゴリゴリシールドが削られる』

 

 じゃあ近づかなければいいのでは? 僕は訝しんだ。

 とはいえ、回復しきってない薄いシールドだろうと無いよりは幾分かマシだ。なのでカリーナの撤退は避けられず、結果としてまだ割れた人のシールドが完全に回復するよりも前のカンケルが戻ってくることになってしまった。

 

 これ、今度は今度でアクィラの後はウルサとカンケルがほぼ同時に落ちることになりそうだけど、大丈夫なのかなぁ? 大丈夫じゃない気がする。……よし、それよりも前にすべて割り切ってしまうことを目指そう。まずは僕のできる黄色からだ。

 そう思いながら、僕は照射し続けている《桜銀河》と、その先のルースの落し子を眺めていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ中:選択と集中

 《桜銀河》を打ち始めてからおよそ20分ほどが経った。この技は打ち始めから時間が経つにつれて1秒あたりに割ることのできるシールド量が増価していくので、それがこれだけの長い時間ともなればかなりの量のシールドを削れているはずである。

 にもかかわらず。たまにわざと攻撃を上方に反らして見える範囲での黄色のシールドの量を確認しているのだけど、現状でも他の色の半分程度までしか減っていない。もちろんその間も他の色のシールドも削られているはずなので、単純に半分にまでしか削れていないという訳ではないのだろうけれど……。

 

 だが、その疑問はアクィラと入れ替わりに戻ってきたドラコの鮫島さんにより明かされた。

 鮫島さんはラッチやシールドについての研究をするグループにいて、おかげで僕たちが割合の変化で見て推測するしかないシールド残量を目測で推定できるらしい。僕は前に中泉さんからそう聞いたことがある。

 

『……最悪だナ。そんな気はしてたガ、シールドの回復が早スギル』

『どういう事だ』

『文字通りダ。黄と緑以外シールドの回復速度に損失量が間に合ってイナイ』

 

 クィムガンの……いや、ノリモンやトレイナーのシールドは放っておけば少しずつ復活する。ただし、張っている間はそのスピードは極わずか……の、はずなのだ。その極わずかのスピードですら、削っている速度より早いというのである。

 

『じゃあ何、私達の攻撃はほとんど無意味だったということ!?』

『無意味ではナイ。回復するシールドにヨリ、黄色のシールドも全方位により分散サレル。それによりウルサロケットが攻撃を当て続けられてイル』

 

 なるほど。そういう側面もあるのか……。

 それから鮫島さんは、より効果的な作戦を提案してくれた。可能な限り多くのトレイナーがロケットの派閥のノリモンにトランジットし、先に黄色をすべて叩き割るというものだ。その間、他の色のシールドは回復してしまうことになるが、もはや殆ど削れていないので誤差のようなものらしい。

 

『ロケットとトランジットできぬ者モ、その内で可能な限り多くができる派閥に集中スベシ』

『それもできなければ』

『休メ。攻撃するだけ無意味ダ』

 

 一度割られきった色のシールドは、他の色のシールドがある限り再展開されることはない。正確に言えばできないらしい。そういう訳で、今回は徹底的に1〜2色ずつ潰していくという方向にまとまりつつあった。普段はそんなことをするとそのうちシールドの面積がかなり減ってしまって攻撃を当てるのが面倒になっていくのであまり取ることのない作戦だ。

 

『ドラコロケットよりウルサロケットへ。その技の特性は以前より聞いている。決して止めるな』

『承知しました』

『それでは各局。決してウルサロケットの射線内には入らずに、できれば逆側から叩いていこう。《船車接続(ラインコネクト)稚内》!』

 

 そして全体での黄色削りが始まった。こっちでやることといえば、まず《桜銀河》を止めないこと、そしてルースの落し子が風を操って近くのトレイナーを《桜銀河》の方へと飛ばしてくるので、そうなったときに攻撃を反らすことの2つだ。そもそも向こうでは声問さんが風を打ち消してくれているらしいので、飛んでくることもほとんどない。

 しかも、ルースの落し子が《桜銀河》からシールドを逃がそうとすれば、向こう側にいる氷川さんらの集中攻撃をうける。そっちを避けようとすればこっち側に黄色が回ってきて《桜銀河》で削ることができる。そうしてそれを10分ほど続けたころ。

 

『各局、各局。黄色は見えるか』

『1箇所発見、攻撃します』

 

 雷撃が、ルースの落し子に落ちて。そして、黄色のシールドが割れた。

 

『割れたナ。この調子だナ。次は緑ダ』

 

 喜ぶ間もなく次の色を割るための作戦が始まる。どうやら北澤さんがしれっとだいぶ削り続けていた緑が選ばれたようだった。

 

『緑以外は……ウルサとカンケル、それぞれシールド残量は』

 

 なぜ? と思いながらも残量を告げる。どうも作戦の最中にユニットの交代が入ればバランスが崩れることになりかねないのだという。なるほどね。

 

『承知、カンケルを一旦撤退、カリーナを入れてほしい』

 

 シールドがまだ回復しきっていないうちに再入場したカンケルの人達の残量は、僕たちよりもひどいものだった。ここで戦略的に交代を入れ、回復に充てるという訳だ。

 そして、かわりに入ってきたカリーナの戦力も考慮した結果、次はメインをパレイユ、それができぬ者はノーヴルで攻撃することになった。

 

「失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを! ポーラーエクリプス号、このトモオモテに宿れ!」

 

 今度はポラリスの力を借りて前に行き、直接コジョウハマで青のシールドを殴る番だ。このコンバートこそがトランジット・トレイニングの強みで、もちろんルースの落し子が初めて発生したときは無かったもの。

 さて、今度は近接で割りにかかりますか。

 

 そう思っていた僕たちの頭の中では、いずれかのシールドの割れたときにだけ発動される、クィムガンの最も危険な行動は隅の方へと追いやられていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ後:爆発と脱出

「《シララオイ》!」

 

 吹き荒れる風を切り裂きながら、その先のルースの落し子をコジョウハマで殴る。

 ルースの落し子の生み出す風は想像以上に厄介だ。直接シールドを削る量は本当に微々たるものだけど、長時間さらされていれば当然無視できるものじゃないし、何よりまともに攻撃を当てるのが相当きつい。ぶれる。僕だけじゃなくて、名松や鮫島さんのような風に耐性を持つ人以外はみんなそうだった。

 攻撃が完全にシールドに当たらないわけじゃないからシールドは削れてはいるけれど、当たりどころが変なので姿勢を崩してしまう。するとその後に体勢を立て直すまでに少し時間がかかる。それが何度も続けば、けっこうなフラストレーションが貯まるというものだ。

 それは周りの他のトレイナー達も同様だった。飛び交う無線でも、みな少しずつ言葉にトゲが出始めている。だけど目に見えてルースの落し子のシールドから緑や青が減り、紫や赤が広がっているのが見えているのがせめてもの心の救いだった。

 

 そして、さらに殴り続けて。もはや緑がほとんど見えなくなった頃。眼の前に緑のシールドを確認して。

 

『ウルサロケットより各局へ、右足に緑を確認』

『ウルサパレイユより、向かいます!』

 

 そして、やってきた北澤さんが桜色に輝くスモールソードをそこに突き立てた。

 

「これで、終わって! お願い!」

 

 ピキリ、ピキリ。

 シールドにひびが入る音が聞こえる。これであと3色だ。

 そう安堵したとき。

 

『まずい! みんな、逃げて! できればラチ外に!』

 

 中泉さんの鬼気迫る無線が飛んできた。

 あれ、割れるシールドって……もしかして!

 僕はその場ですぐさまルースの落し子に背を向けて走り出した。

 

S(シールド)バーストが来る!』

「やっぱりかぁ、《ハイブリッド・アクセラレーション》!」

 

 だけどこのラッチ、もとがそもそも大きな円形広場に張ったものだからエキステーションだって結構広い。そもそもルースの落し子が動けないことを知らない時に張ったんだから仕方がないのだけども……。

 逃げられるか逃げられないかで言えば、間違いなく逃げられない人が出る。だけど逃げられる人は逃げ切って、これを報告する義務がある。

 シールドが割れる音が後ろから聞こえる。早く逃げないと。そう思って足元の()()()()()()()()()何度も強くレールを踏んでいた中で。うまく車輪が粘着できずに、つるりと鉄と鉄が滑った。

 しまったと思ったときにはもう遅かった。そのまま転倒、顔から地面に激突し()()()()()()()()

 あれ、()()()()()()()()()()()()()……?

 

 後ろを振り返れば、遅い来るのは水の壁。既に呑まれてしまった人影もみえる。そして、その盛り上がった水の上で、ルースの落し子は先程まで全くその位置を変えることが能わなかったとは思えない程に機敏に動いていた。

 一瞬で理解した、させられた。どうやったのかはわからないけれど、この水はルースの落し子が出したものだと。逃げなきゃ。しかしこうも地面に水が入っていると、体重の軽い僕たちは粘着力の増強があっても……いや、逃げるのに必ず地を這う必要はない、《クンネナイ》だ!

 

 そう飛び上がってラッチを目指す僕を襲ったのは、乱気流だった。揺れに呑まれて、体の制御が効かなくなって。そして、次の瞬間目の前にあったのは――水面だ。伸ばしたコジョウハマと腕とが水を切り分けて、僕はその中へと突入するほかなかった。

 そして水の中に入ったということは、ルースの落し子の支配する空間に入ったということ。もう助からないぞ。酸欠からだろうか、薄れゆく意識の中で僕はそう感じていた。

 


 

 気がついたとき、僕は久遠に続くかのような闇の中に漂っていた。どこまでも続く、真っ暗闇の世界。この空間が広がっているのか、壁があるのかすらもわからない。

 ……あれ、この状況覚えがある。Sバーストの直後だというのも同じだ。トレイニングが解けてしまっているのも。ということは、だ。

 

「探しているのは、この俺か」

「やっぱり」

「また来そうな匂いはすると踏んでいたが、まさかこんなに早くに来るとはな」

 

 振り返れば、あの時と変わらず紫色の光を薄く纏ったクリーム色の髪のノリモンが僕の後ろにいた。

 

「約束通り、俺の名を告げよう。俺はゲッコウリヂル、次元の狭間の案内人だ。さぁ、お前をこのどこでもないゾーンから脱出させよう」

「山根といいます。すみません、何回も」

「謝らなくていい。これが俺の仕事だ」

 

 彼はそう言うと僕を抱きかかえて動き出した。道すがら、リヂルさんは起きたことについて問いかけてきた。

 

ルースの落し子って、伝わりますかね」

「やはりお前、その次元だったのか。前もSバーストだとか言ってたし」

「ご存知なんですね」

「縁のある次元でな。そこのはじまりのクィムガン――崩壊しかけているノリモンの名前だろう」

「封印から解かれて、戦ってたんです」

 

 言葉は、帰ってこなかった。

 こちらからリヂルさんの表情は見えない。だけど、ルースの落し子を知っていたとなると恐らくはその被害については知っているだろう。

 そして、かなりの間を置いてから状況を呑み込めたのだろうか。ようやく答えが帰ってきた。

 

「それでか。ノリモンが崩れる時が一番こうなりやすい。今日は同じとこから数人飛ばされてきてる」

「数人? あの時は15人いたはず」

「そんなにはここには留まっていないさ。元の次元から飛び出していないか、或いは()()()()()()()()()()()()()()か。どっちかだろ」

 

 他の次元って?

 そう問いかけようとしたけれど、口が動かない。それどころか身体が重くなってゆく感覚に見舞われる。意識が、飛んでゆきそうになる。

 

「済まない、俺は今お前を騙している。悪く思うな、Cycloped様の指示だ――」

 

 再び薄れゆく意識の中で、その謝罪の言葉は僕には届かなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24レ前:ReLaunch

 円形広場に到達したトシマらは、その光景に困惑していた。

 何せ円形広場の真ん中には、ラッチもなくただルースの落し子が薄っすらと赤い光を纏って立っていたのだから。

 

「なぜラッチを解除している」

「ウルササイクロがその必要はないと判断したからです」

「私が、開ける判断をした」

 

 識別コードを呼ばれた佐倉空が、すぐさま名乗り出てトシマの前にやってきた。トシマは彼女にどういう状況だったのかを尋ねた。

 

「あれは水が無ければ動けない。それを一番知っているのはトシマ号、あなたのはず」

 

 佐倉はやる気の感じられない声でそう答えた。

 声だけではない。その目もまた、燃え尽きたかのように覇気が全く感じられない。

 

「疑うなら、軽くあれの表面を撫でればいい。まるでメレンゲでできた城」

 

 佐倉の言うことを検証するために、コダマはパーラーカードを投げた。それは突き刺さるどころかクィムガンの足を軽々と貫通して、奥の木に突き刺さった。

 

「……ハリボテのようですわ」

「この状況のクィムガン、前に見たことがある。最早クィムガンとは呼べないかもしれないけど」

「9月頭にウルサが出動した件の報告書に記載されていたものか?」

 

 佐倉は静かに頷いた。それは同時に発生していた件の方が注目すべき事象が発生していたために、当時はあまり注目度の高くはない報告書ではあった。だが後から検証と精査をしていく中で、具体的にはリロンチの発生を疑う中で、引けず劣らず重要な事象が発生していた可能性が高いと判断した報告書でもあった。そしてその高い可能性はただ今をもって発生したと断定され、その報告書は最も重要度の高い報告書であったと再分類された。

 

「差し支えなければ、最後の状況を聞かせてほしい」

 

 すぐに言葉が戻ってくることはなかったが、少しの間をおいてから佐倉はポツポツと紡ぎ出した。

 

「みんな、近接で攻撃してた。遠隔メインの人も、トランジットして前で。それで――みんな、呑まれた。私は斜め上に逃げた、だから水が届かない、それで助かった。でも、それを見て助かったのは私だけ」

 

 Sバーストを見た後、シールドを割られることなく脱出ができたのは、佐倉ただ1人だけだった。そのほかは松代美佐が中泉の忠告の後に脱出が叶い、Sバーストを見ることなく出場していたのみ。そして全てが終わってから再突入した際、ラチ内に残っていたのは氷川日枝、鮫島勝、紀勢佐奈、高山各務、北澤百合の5人のみ。残りの8人はみなルースの落し子のSバーストにより超次元に押し流されてしまったのだ。

 

「その5人は……」

「脱出して、しばらく待って。アクィラが入場したら、倒れてた。私が知ってるのは、それだけ。ほかの8人の仲間は……仲間は」

「無理をしなくていい。状況は把握した」

 

 トシマはスタァインザラブを見失い公園に戻ってきていたレオミノル・ユニットに佐倉を預けると、トレイナーたちを撤収させ新小平に戻って休むよう指示し、本部には監視要員の手配を要請した。

 そして、広場には10名のノリモンが残された。彼らの目線はルースの落し子に集中している。

 

「見ておくといい。ブゥケトスの言っていたリロンチが間もなく終わる」

「リロンチ、って……」

「聞こえていただろう。このルースの落し子は、今は蛹のようなものだ。いずれ中からノリモンが出てくる。かの報告書に記載されていた通り。……いや、間もなくか」

 

 ルースの落し子が薄っすらとまとっていた赤い光が、少しずつじんわりと強くなってゆく。

 そして、間もなく。ピキリと、クィムガンの表面にひびが入って、そこから眩しい赤色光が漏れ出す。それはどんどん強くなって、クィムガンの表面を割って呑み込んで。そのまま少しの時間が経って、ついに全ての肌が見えなくなると……今度は逆に、急激にしぼんだのだった。

 そして、しぼむとともに体積に反比例してさらに光が強くなる。それはもう、直視できないほどに。

 その様はまるで、何か神聖な儀式のようで。そこにいた者達はみな、その光景に圧倒されてただ黙ってそれを眺めることしかできなかった。

 

「これが、リロンチだ」

 

 トシマはそう発した。

 しばらくすると、その光が弱まった。その発光源は、いつの間にやら人型をしていて……最終的には、ノリモンが1名、そこに遺されていた。

 そのノリモンは光が収まると、ルースの落し子の向いていた方へと投げ出された。それに気がついたナリタエアウェイズが駆けつけて彼女を受け止めた。

 ルースの落し子の元いた場所には、『何も無い』が残されていた。

 

「あの、トシマ号。これがリロンチだとしたら、なんでこれを禁止してるんです。それに、N.A.W.の腕の中のノリモンは一体……?」

 

 誰も声すら出せなかったところで、不動亜紀がようやく問いかけることができた。それは、事情を全く知らぬ者がみな抱いていた疑問でもあった。

 

「彼女は……ルースの落し子()()()ノリモンだ」

「それって」

「新小平に戻るぞ。話はそこでだ」

 

 そして残された『何も無い』の監視を到着した手配された者達に任せて、トシマ達もまた新小平のJRNへと戻っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24レ中:存在する記憶

「ん、うぅ……。ここは?」

「目が醒めたか」

 

 JRN1号館の救護室で、トシマは目を醒ますのを待っていたそのノリモンに話しかけた。

 

「自分自身の名前はわかるか?」

「私の、名前……?」

 

 そのノリモンはトシマと同じキャメルカラーの髪をかきあげ、額に手を当てた。

 

「私はココマ。ココマ……だよね?」

 

 確かにココマというのは、ノリモンの名前としては普通の名前だ。だが、彼女の事情を共有している者からすれば、その名前が最初に出てくるのは不気味なことでもだった。

 

「ふむ……。ココマ号、私の名前はわかるな」

「トシマ号、ですよね?」

「記憶はある、か。ならば聞きたいのだが、ブゥケトスという名前に聞き覚えはないか?」

 

 ココマの眉がピクリとふるえた。

 

「どうして、その名前を」

「知っているのだな」

「私が追い出された()()()()()()()()の、スタッフの方です。追い出された後も、相談に乗ってくれて」

 

 この様子を中継で見ている、会議室の中がざわついた。ココマの発言には大きな矛盾をはらんでいるからだ。

 そこの誰しもが疑問に思った。一体なぜノリモンの口からひとり親という言葉が出てくるのだろうか? ()()()()()()()()()()()()()というのに? と。

 

「ひとり親の、互助会」

「娘がいるんです。だけどその互助会のメンバーは年々シングルマザーの方が増えてまして。それでシングルファザーだった私は最終的に追い出されてしまって。だけど、その後も話に乗ってくれていたのがブゥケトスさんだったんです」

 

 ここまで話してなお、ココマは矛盾に気がつかない。なぜなら経験した事象であることに間違いはないのだから。

 だがしかし、その様子を会議室で見ている9名のノリモンはみな眉間にしわを寄せ、頭を抱えている。リロンチとは何たるかを知らなければ10人中10人が間違いなくそれはおかしいと思わずにはいられないことだったからだ。何せ娘がいるシングルファザーを自称する者が明らかにノリモンの名を名乗り、しかも女性の容姿をしているのだから。

 

「あの、どうして皆さん、頭を抱えて……」

「問題ない、続けてくれ。君とブゥケトスとの関係を聞き終わったら、なぜ我々が違和を感じているのかを説明すると約束しよう」

「……わかりました。その後は話というよりも愚痴を聞いてもらったり、ちょっとした相談に乗ってもらったりした程度ですけど」

 

 だが、そのちょっとした相談の中に、トシマの腑に落ちるものがあった。ブゥケトスに対し、娘にとっては遺された親が父親ではなく母親だった方が幸せだったのではないかと話していたのだという。そしてそれに対するブゥケの答えは。

 

「『仮にそうだったとしても、これまでの貴方の頑張りは否定されるべきじゃない。どんなに辛いことがあっても、その先で()()()()()()()()』、か」

 

 ブゥケはその発言をかなり曲解してこの自体を引き起こしたのではないか? トシマは訝しんだ。何しろシエロエステヤードはリロンチを祝福と考えているような言動がみられるのだから。

 そしてまた、ここまでの話でココマがどのトレイナーであったのかも絞り込みができるようになっていた。

 

「ココマ号。確認したいことがある。我々の抱いている違和感についてだ」

「なんでしょう」

「単刀直入に聞こう。君は……ノリモンか? それとも、人間か?」

 

 トシマはココマがどちらを答えるのかはわかっていた。リロンチという現象を理解していたからだ。だが、その一方で相反する答えが欲しいという気持ちも確かに存在していた。

 そんなトシマの内心も露知らず、ココマは飄々と問いに答えたのだった。トシマの想定していた答えを。

 

「何を当たり前のことを聞いているんですか? 私はノリモン、ココマです」

「……そうだろうな。ならば自分で話していて、おかしいと思わなかったのか? 我々ノリモンには生殖能力などない。娘など生まれるはずもない。いわんや片親になどなるはずも」

「わた、しは……?」

「君が話してくれたエピソードは、我々の知る1人の人間の男性のものに重なる。早乙女遊馬というトレイナーだ。その名前に聞き覚えは?」

 

 ココマは……そのとき初めて自分に違和感を感じながら、首を横に振った。ココマの記憶の中には、早乙女遊馬という名前はもはやどこにもなかったからだ。

 

「ならばこうしよう。佐倉空、成岩富貴、北澤百合、山根真也。これらの名前に聞き覚えは」

「あるに決まってるじゃないですか。私が仕事を一緒にやっている方達で」

()()()()()()()()()()()

「そう……なのでしょうか? でも、私はノリモンで、それに……」

 

 そう言いながら、ココマの起こしていた上半身は崩れ落ちる。トシマはそれを慌てて受け止めると、再び寝具に横たえた。

 

「私はノリモンで、私の名前はココマで、私は……?」

「すまない、混乱させてしまって。君が自分自身をココマだというのならば、君はココマというノリモンであると我々はみとめる。だから安心してほしい。JRNが君の身を保証する」

「ありがとう、ござい、ます……?」

 

 そしてココマは、再び眠りについた。トシマは彼女に掛け布団をかけると、一度頭を下げてから、会議室に繋がるカメラの方を見たのだった。

 

「諸君、これが、リロンチだ」

 

 そしてカメラに向かって、トシマはそう宣言した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24レ後:あとしまつ

「中継を見てもらった通り、あれがリロンチだ。発生してしまった事象は認めざるを得まいが、今後起こしてはならない」

 

 会議室に到着するなり、トシマは待っていた9名のノリモンにそう告げた。

 リロンチは人間を消費する現象だ。人間とノリモンの共存を望むトシマにとって、そのような事象は決して認めることができないものだった。

 

「ゆえに、リロンチという事象自体、できれば内密にしてもらいたい。この存在が広まればそれを行わんとするノリモンが出かねない。それは即ちノリモンが人間に害をなす存在へと堕ちることに他ならない」

「どうですかね。クィムガンがノリモンの成れの果てだということと同じように、結局はいつか公開することになるのではないです?」

「いずれはそうする必要もあるだろう。だがそれは今ではない、と言っている」

 

 すぐさま懸念を示したコダマに、トシマはすぐさま反駁した。

 だが彼女の想定外にも、会議室の反応は半々だった。事象があるとわかっているのなら、それは無視することができないのだから速やかに公表すべき、という考えだ。コダマの他、イロドリやズームサンラインがその考えだった。逆に絶対に公表すべきではないとの考えはタムファタルやリクチュウも有していた。

 

「……一般に公表するかしないかは、今後の理事会で決定する。いいな、コダマ号」

「えぇ、どちらの結論が導き出されるとしましても統一した基準が必要ですから、それがいいでしょう」

「であるからそれまでは、ココマ号がリロンチを起こしたことは黙秘しておいてほしい。決定以降はそれに従ってもらいたい」

 

 この判断を先送りにする提案は、渋々という形ではあるが受け入れられた。

 だがそのほかにも、解決すべき問題はたくさんある。スーパーブライトが持ち込んだのも、そのうちの一つだった。

 

「それはいーんだが。だとしたら、ココマはどーすんだ。そこからバレるぞ」

 

 ブライトの言いたいことはこうだ。明らかに言動に矛盾のあるココマを放っておけば、親交のあった者は真実に気がつき、そしてそれを流布するだろうという懸念だ。

 

「無論こちら側に入れて面倒を見る。彼女は被害者だ――つまり、当事者だ」

「早乙女氏が()()()ことは遅かれ早かれ伝わる。残された娘さんは? コクサイ号は? ウルサ・ユニットは? そこにいきなり現れたノリモンがいたら誰だって訝しむだろーが」

 

 だんだんとブライトの語調は加速している。早乙女はJRNの中でもかなり顔の広いトレイナーだ。いなくなれば発表などなくとも気がつく者も少なくないことは容易に予想しうる。そこをブライトは一番警戒しているのだ。

 だが、トシマには策があった。

 

「君だって聞いていただろう。行方不明のトレイナーは他に7人もいる」

 

 木を隠すなら森の中。行方不明者を隠すなら、同じ行方不明者の集団に放り込んでおけばいい。特にこの場合は、それを検証できる者はそうそういまい。しかもそのような者がいればそれはそれで行方不明者の足掛かりが見つかったということになるのだから、それはそれでJRNにとっても喜ばしい事になる。

 

「……わかってんのにわかってねーことにするのか」

「彼を核としてココマ号がリロンチを行ったのを認識しているのは我々だけだ」

 

 ブライトは理解はしたが納得はしていないとでも言いたげな顔で引き下がった。頭の中ではそうするのが最もよいと認められているのに、心がそれを拒否しているのだ。

 しかしこれですべての問題が解決したわけではない。シエロエステヤードがルースの落し子を用いてのこした爪痕は、あまりにも大きかった。

 

「そもそもほかの7人は大丈夫なんですかねぇ?」

「わからん。だから今も対策本部では協議中だ。さらに都立武蔵国分寺公園に残った『無』の監視も継続している」

 

 行方不明の7名――中泉良平、星野高大、成岩富貴、山根真也、太多姫、参宮五十鈴、名松一志。『無』を監視していても出てくることは無く、未だにどこにいるのかも――そもそも、生きているのかもわかっていないのだ。以前同じくS(シールド)バーストが発生した際に山根が突然帰還するという事象があったゆえ、希望が完全に失われているわけではないものの、それは望むほど大きくはないことは誰しもがわかりきっていた。

 そして、円形広場にぽっかりと口を開けるように残された『無』。空間があるはずなのに、そこには何もない。そもそも近づいて安全なのかもわからない。現場からの報告によると鎖鎌を投げ入れてみればいつまで経っても接地する気配すらなく鎖を最大限まで使い果たしてしまったという。それはまるで、底無し沼のように。この『無』を、ひいては円形広場を今後どうしていくかもまた、大きな課題として残されていたのだった。

 

「だがリクチュウ号、その話は……いや、ココマ号のリロンチに関する話以外はここではなく対策本部に移動してから行いたい」

 

 そしてその後のいくつかの質疑応答を交えた後、秘密を抱える10名のノリモンは解散となった。ある者は更なる情報を求めて対策本部に赴き、またある者は一旦自分の中の情報を整理するために自らのパーソナルスペースへと向かったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25レ:エピローグ(終)

 ブゥケトスの襲撃の翌日。

 未だに都立武蔵国分寺公園に残る『無』は消えず、行方不明のトレイナー7人の手がかりすら見つかっていない。

 

「……そうか。象牙色の髪をしたノリモンか」

 

 変わったことがあるとすれば、ラチ内で倒れていた5人全員が回復し、目を醒ましたことだ。そしてその5人は全員がルースの落し子S(シールド)バーストの後に象牙色の髪のノリモンと会ったと証言しているのだ。

 そのノリモンは一体また何者なんだ? トシマの頭を抱える材料がまた一つ増えた。

 

 コンコンと、扉の叩かれる音がする。入室を許可すると、慌てた様子の氷川日枝が勢いよく入ってきた。

 

「トシマ号、緊急の要件だ」

「何かを思い出したのか」

「いや違う。eチッキを通じて()()()()()()()()()()

 

 中泉良平は、行方がまだわかっていないはずでは? トシマは訝しんだ。だが氷川は左腕につけられたeチッキの端末を見せながら、真剣な目でそれを見るようトシマに促した。トシマもその画面を覗き込む。そこには、本当に中泉からのメッセージが届いていたのだった。

 

 氷川へ

 これを読んでくれたら、まずは何でもいいから返信をしてほしい。届いているという確証がほしいんだ。なにせ携帯通信も使えず、電話だってつながらない。これが最後の望みなんだ。

 今ぼくは、新小平駅にいる。武蔵野線の、新小平駅だ。

 でも、ここにJRNはない。JRNがあったはずの場所に行くと、そこにあるのは国府台に移転したはずの病院だった。それだけじゃない。自宅のあるはずの場所に帰れば、そこには畑が広がっていたんだ。

 それに、一番重要なこと。道行く人々をみて、おかしいと思った。ノリモンがいないんだよ。頭がおかしくなっちゃったのかと思ったよ。

 幸いにも現金は使えたから、その日はネットカフェで過ごした。そこでふと気になって、ネットニュースを見たんだ。やっぱり、ノリモンのノの字もなかった。それどころか、ネットサーフィンをしても同じ。

 さすがに莫迦でもわかるよね。ここにノリモンはいないって。しかも不気味なのは、それでもUSBやコンセントの仕様が同じでこのeチッキを充電できたこと。これは夢なんじゃないかって思って、もうそのまま眠りについたよね。

 でも、朝起きても何一つかわっていなかった。それで、ようやくふと気になって、もうやけくそになってトレイニングをした。したら、できちゃった。

 これって、きちんとモヤイでウェヌスには繋がってるってことだよね? ということは、JRNにも、そうだよね? 信じていいんだよね?

 それでeチッキのこの機能を、試してみることにする。もし、これを読んだのなら。返信してほしい。きちんと繋がっていることを、僕に教えてほしい。

 

「……どういうことだ」

「中泉は生きている。それは確かだ」

「それはわかる。だがこの文の内容は」

 

 まるで異世界にでも飛ばされているかのようではないか。トシマは震えた声でそう言葉をひねりだした。

 ウェヌスのような領域(ゾーン)があるのは認知している。だが、その先に今いる次元と同じように人々が生活を営んでいるような別次元があることを、トシマらは認識していなかったのだ。

 確かに、言われてみれば可能性としてありえない話ではない。だがそれは、おとぎ話やファンタジーの世界だと勝手に決めつけられていたものだった。宇宙人の存在のように。だがしかしそれは、中泉からのメッセージという形で今間違いなくトシマの前に現実として突きつけられている。

 

「あいつはこんなことでジョークを言う奴じゃない。取り急ぎ、読んだ旨を送っていいか」

「ひとまずはそうしよう。こちらでも状況を呑み込めず、結論を出すのは遅くなるかもしれないとも伝えておいてほしい」

「そうだな」

 

 端末を弄り中泉への返信を送りながら、氷川はふと、一つの可能性に気がついた。星野にも同じように連絡を試みたほうがいいのではないか? と。

 

「他の7人も、同じだろうか?」

「……わからぬ。だが、できればそうであってほしいな」

「同じ事象によって行方不明になったのだから、その可能性は高いんじゃないか」

 

 その氷川の言葉が真実だとするならば。JRNは行方不明になった者達とつながっている。ならば、全員を帰還させる手段が存在する。今は見つかっていなくても、必ず。

 トシマはまず、手始めに超次元専攻の有識者へと招集通知を送った。幸いにもすぐに返信があり、その日の昼過ぎには彼らの意見を聞くことができた。

 彼らにその後もいくつか交わしたeチッキ上での中泉とのやり取りを見てもらい、そして氷川の仮説に矛盾がないことを確認した。さらにもう一度3ユニットのうちJRNに帰ってこられている7名をその会議に呼んでヒアリングを行う中で、北澤百合が象牙色の髪のノリモンから()()()()()()()()()の名を聞き出し、そして別次元の存在を直接示唆する発言を引き出していたことがわかった。それはその仮説をさらに後押しするものだった。

 

「行方不明となったトレイナー達は生きている。ならば全員を取り戻すしかあるまいな」

 

 超次元専攻の有識者と3ユニットの帰還者に加えて、理事会の理事たち。トシマはまず彼らを集め、新たなるプロジェクトの概要を告げ、施行を宣言した。

 

「新規プロジェクト。目標は行方不明者全員の発見と帰還だ。これをプロジェクト・ベガと名付けよう」

「ベガ……ベガか。よし、最後まで振り向かずにやってやろうじゃないか」

 

 オルペウスと同じ失敗はしないと決意しながら、そうトシマに同調した。

 ここに、プロジェクト・ベガははじまったのだ。




【おしらせ】
 筆者多忙のため、申し訳ないのですが4章連載開始は9月までお待たせしてしまう形になります。
 それまでの間は閑話などの不定期な投稿の予定です。半月に1回くらいは投稿したいと考えています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キャラクター紹介:3章終了時点

【ウルサ・ユニット】

山根(やまね) 真也(まや)

誕生日:10月14日

出身地:山口県

所 属:ロケット/JRNウルサ/キラメキヒロバ

キール:クシー

 

 主人公。現在行方不明。

 ポラリスとの鍛錬を積み、彼女の力をさらに強く引き出せるようになった。

 どうやらその出生には、少し不思議なところがあるようだ。

 

 

成岩(ならわ) 富貴(ふうき)

・誕生日:2月22日

・出身地:愛知県

・所 属:ノーヴル/JRNウルサ/キラメキヒロバ

・キール:イノベイテック

 

 ウルサ・ユニットに所属する中堅トレイナー。

 キールのベーテクの誘いと、【キラメキヒロバ】の結成でポラリスがお互いに良く知るノリモンに彼女を預けられることになったため渡英を検討しているが、行方不明になってしまった。

 

 

北澤(きたざわ) 百合(ゆり)

・誕生日:6月25日

・出身地:東京都

・所 属:パレイユ/JRNウルサ

・キール:オトメ

 

 山根とはスクール時代の同期のトレイナー。師であった早乙女の教えに従い、地元のバスなど多くの車両等とのトレイニングを交えながら、本当の自分を目指して成長している。

 行方不明にはなっていない。

 

 

佐倉(さくら) (そら)

・誕生日:6月22日

・出身地:神奈川県

・所 属:サイクロ/JRNウルサ

・キール:ナリタスカイ

 

 無口な中堅トレイナー。

 最近は研究の一環として、山根を同じユニットの仲間としてのみならず、研究対象としても見ているきらいがある。

 ルースの落し子のSバーストからギリギリで脱出し、その様子をいち早く本部へと伝えた。

 

 

【ドラコ・ユニット】

氷川(ひかわ) 日枝(ひえ)

・誕生日:9月20日

・出身地:北海道

・所 属:ロケット/JRNドラコ

・キール:ソヤマ

 

 ドラコ・ユニットのリーダーにして、JRN食堂部の中枢にいるベテランのトレイナー。

 行方不明になった仲間を探す術を探している。

 

 

中泉(なかいずみ) 良平(りょうへい)

・誕生日:4月3日

・出身地:埼玉県

・所 属:パレイユ/JRNドラコ

・キール:シンカエコー

 

 ドラコ・ユニットではサブリーダーを努め、次のリーダーの有力候補のトレイナー。

 行方不明になってしまったが、いち早くeチッキを通じてJRNとの通信を行った。

 どうやら彼の飛ばされた先にはノリモンはいないようだ。

 

 

松代(まつだい) 美佐(みさ)

・誕生日:3月22日

・出身地:新潟県

・所 属:ノーヴル/JRNドラコ

・キール:メカマセンゾク

 

 ドラコの紅一点。

 気がついたときにはそこにいないし、気がついたときにはそこにいる。その脚を生かして、唯一Sバーストの発生前にラチ外に出場することができた。

 

 

鮫島(さめじま) (じょう)

・誕生日:11月27日

・出身地:宮城県

・所 属:サイクロ/JRNドラコ

・キール:ダイダルウェイブ

 

 トランジット・トレイニングに長けた波を操るトレイナー。だがルースの落し子には流石にかなわなかったようだ。

 行方不明にはなっていない。

 

 

星野(ほしの) 貴大(たかひろ)

・誕生日:8月23日

・出身地:茨城県

・所 属:バランス/JRNドラコ

・キール:ベテルギウス

 

 JRNのなかで最も一瞬での一撃の重い技、《ベテルギウス・ファイナルキャノン》を操るトレイナー。

 趣味はどこか遠くをぼーっとながめること。行方が分かっていない。

 

 

【カリーナ・ユニット】

高山(たかやま) 各務(かがむ)

・誕生日:11月1日

・出身地:富山県

・所 属:ロケット/JRNカリーナ

・キール:トウカイジャーニー

 

 引退した元リーダーから引き継いでカリーナ・ユニットを率いるベテランのトレイナー。

 行方不明になった仲間を探す術を探している。

 

 

太多(たいた) (ひめ)

・誕生日:12月28日

・出身地:岐阜県

・所 属:パレイユ/JRNカリーナ

・キール:エメラルド

 

 カリーナ・ユニットに所属する、少し我が儘な若手のトレイナー。だけどそれが許される程度の力はある。

 その我が儘も、ルースの落し子には通用せず、超次元の彼方へと飛ばされてしまった。

 

 

名松(めいしょう) 一志(いちし)

・誕生日:1月20日

・出身地:三重県

・所 属:ノーヴル/JRNカリーナ/帝国(セントラル)

・キール:ネオトウカイザー

 

 教官となりトレイナーを引退した武豊生路のかわりにカリーナに入った新人で、山根や北澤のスクール時代の同期。

 レースを見るのが昔からの趣味で、今はトレイナーとしてキールのネオトウカイザーのサポートもしている。

 だがしかし、Sバーストに巻き込まれて行方不明になってしまった。

 

 

参宮(さんぐう) 五十鈴(いすず)

・誕生日:4月1日

・出身地:京都府

・所 属:サイクロ/JRNカリーナ

・キール:アマテラスエンジン

 

 霊感が高く、ユニットメンバーからしても何をしているのかわからないと言われるトレイナー。ただし、起きている事象からして彼自身が嘘をついているわけではないようだ。

 行方が分かっていない。

 

 

紀勢(きせい) 佐奈(さな)

・誕生日:3月20日

・出身地:和歌山県

・所 属:バランス/JRNカリーナ

・キール:トリプルクラウンド

 

 カリーナ・ユニットのにぎやかし担当だが、実力も確か。運がいい。

 Sバーストに巻き込まれたが、運よく戻ってくることができた。

 

 

【キラメキヒロバ】

ポーラーエクリプス

・愛 称:ポラリス

・誕生日:9月26日

・出身地:兵庫県

・所 属:ノーヴル/JRN

 

 元気いっぱい、まだ幼いノリモン。走るのが大好きで、レースに出ることになった。

 トライアルとして鉄道の日記念メガループで好成績を収め、鵯越ヒルクライムにて車だったころに果たせなかったデビューランを果たした。

 

 

スーパーブライト

・愛 称:ブライト

・誕生日:5月17日

・出身地:兵庫県

・所 属:バランス/JRN/キラメキヒロバ

 

 山根と同じ購買部に所属するノリモン。

 かつてはレースにおいて加速力も最高速度もいまいちなのになぜか勝ちを重ねてG(グループ)1のステイタスを得、ついにはレコードまでもを叩いたことから遅すぎた最速の異名を持つ。

 趣味はオリエンテーリング。

 

 

ナマラシロイヤ

・愛 称:ロイヤ

・誕生日:8月6日

・出身地:山口県

・所 属:ノーヴル/JRN/キラメキヒロバ

 

 ブライトによってコダマに紹介され、JRNに入った一桁世代のノリモンで、レールレースのランナー。

 同じ工場においてポラリスの次に成ったノリモンでもありお互いに面識もあったため、【キラメキヒロバ】結成後は主に彼女がポラリスの面倒を見ている。

 

 

イノベイテック

・愛 称:ベーテク

・誕生日:3月23日

・出身地:新潟県

・所 属:ノーヴル/JRN/キラメキヒロバ

 

 ノーヴルの若手研究者で、成岩のキールでもあるノリモン。

 妹分のポラリスの事をとても大切に思っており、彼女の幸せが第一。今はイギリスのミッドランドに出張中で、レース後にポラリスの活躍を聞いたときには周りの人がドン引きするレベルで喜んでいた。

 

 

Advanced Passenger

・愛 称:アドパス

・誕生日:6月7日

・出身地:Derbyshire州

・所 属:ノーヴル/JRN/BRRD/キラメキヒロバ

 

 かつてイギリスのレールレース界でクラシック6冠を達成し、今なお2つのレースレコードを保持し続ける伝説のノリモン。

 現在はイギリスの生まれ故郷の再興のために活動し、それに伴って研修講師としてベーテクを連れて一時帰国している。

 

 

【その他JRN関係者】

程久保(ほどくぼ) 是政(これまさ)

・誕生日:10月4日

・出身地:東京都

・キール:ハツカリ

・所 属:サイクロ/JRN

 

 山根や北澤とはスクール時代からの付き合いがある生物オタクのトレイナーで、今も多くの生物系ノリモンと一緒にノリモンの発生の専攻へと進んだ。

 山根の異常性にはいち早く気づいており、研究対象としても友人としても永い付き合いを保ちたいと考えている。スクール時代はよく無茶をする山根や綾部を止めることの多かった彼だが、今でも2人が変わっていないことに安堵と不安を抱いている。

 

 

綾部(あやべ) (りょう)

・誕生日:3月15日

・出身地:東京都

・キール:コダマ

・所 属:ノーヴル/JRN

 

 山根と程久保とでスクール時代に仲良くやっていたトレイナー。「人生楽しまなきゃ損」がモットー。

 非常に友人思いではあるが自分自身の事には無頓着で、JRNに入って以降無茶がたたって一時的に車いす生活になったりもしている。

 成岩によりウルサへと招待されてはいるが……。

 

 

鳥満(とりまん) 絢太(けんた)

・誕生日:7月7日

・出身地:長野県

・キール:ゲッコウリヂル

・所 属:サイクロ/JRN

 

 JRNで長い間ノリモンの研究をしている博士。

 長崎市街でのSバーストからの帰還を経た山根に対し、研究対象として大きな感情を抱いている。

 それと同時に、何か大きなことに気がついているようだが……。

 

 

トシマ

・誕生日:10月28日

・出身地:長崎県

・所 属:ロケット/JRN

 

 現在のJRN理事長で、最初期に力を得たノリモンのうちのひとり。

 かつてルースの落し子を無力化したが、彼女を助ける術を探すため国分寺市内に封印した。

 しかしその道筋が70年近くの時を経てようやく経ったころに、封印の鍵となる金剛丸の号鐘が盗難される。慌ててプロジェクト・ココマの前倒しを検討したが、やはり間に合っていなかったようだ。

 

 

ココマ

・誕生日:10月31日

・出身地:長崎県

・所 属:バランス/JRN

 

 早乙女遊馬を核としてリロンチを遂げたルースの落し子そのもの。

 まだリロンチから日が浅く経過観察中ではあるが、トシマは彼女をJRNで保護することを決定している。

 

 

【帝国】

ヒカリエターナル

・愛 称:エターナル

・出身池:兵庫県

・誕生日:3月日

・所 属:ノーヴル/帝国

 

 黎明期の日本レールレース界のヒーローにして、浜松の帝王(キング)の異名を持つ。

 現在もなお後輩のために活躍し続けるノリモンで、数多くの素質あるノリモンをレールレース界へと誘いつづけている。

 

 

ネオトウカイザー

・愛 称:カイザー

・出身池:愛知県

・誕生日:1月16日

・所 属:ノーヴル/帝国

 

 【帝国】の期待のルーキ―であるランナーで、名松のキールでもあるノリモン。

 デビューランから2戦2連勝で勢いに乗ってはいるが、彼自身はまだ納得できる勝負をしていないと不満げに話す姿が報告されている。

 

【シエロエステヤード】

スタァインザラブ

・愛 称:スタァ

・出身地:長崎県

・誕生日:3月30日

・所 属:サイクロ/シエロエステヤード

 

 全てのノリモンの幸福を願い、JRNとは別で行動している団体、シエロエステヤードを統べるノリモン。

 ルースの落し子の真実やリロンチなる事象についての知識も有しており、それを以てルースの落し子を復活させた。

 

 

ライスシャワァ

・愛 称:シャワァ

・出身地:兵庫県

・誕生日:11月2日

・所 属:パレイユ/シエロエステヤード

 

 全てのノリモンの幸福を願い、JRNとは別で行動しているノリモン。

 トシマとの謙遜を果たした後、長崎市街にいたノリモンと、そのノリモンを討伐した山根に続けて『祝福』を与え、本拠地へと戻っていった。

 

 

ジュゥンブライド

・愛 称:ジュン

・出身地:Ankara県

・誕生日:8月2日

・所 属:ノーヴル/シエロエステヤード

 

 ラチ内で『祝福』を与えたノリモンのリロンチを成功させ、それを知らないウルサに堂々と名乗ったノリモン。

 それ以降はJRNの目に着くような行動ではなく、インターネットを通じて『祝福』を望むノリモンや、自分を捨てたいと考える人間への接触に回っている。

 

 

ブゥケトス

・愛 称:ブゥケ

・出身地:山口県

・誕生日:4月25日

・所 属:バランス/シエロエステヤード

 

 JRNを襲撃し、ルースの落し子の封印を解く引き金を引いたノリモン。

 自元(アイゲン)領域(ソーン)にトシマらを拉致して封印解除の時間稼ぎをするも、薬学専攻の者に盛られたのもあっていろいろしゃべってしまったようだ。

 ブライト曰く、彼のきょうだいのうちのひとりらしいが、これまで行方の分かっていなかった16年間の間に一体何があったのだろうか……。

 

 

エンゲヰジリング

・愛 称:リング

・出身地:Snohomish郡

・誕生日:1月30日

・所 属:ロケット/シエロエステヤード

 

 シエロエステヤードの中で唯一の航空系のノリモン。

 最初にジュン・ブゥケと共に祝福を与えに行った際に駆け付けたJRNのトレイナーにより顔を覚えられてしまったため、それ以降はジュン同様裏方に回っているほか、測定機器を持って空からの反応の調査をしていた様子。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

臨91レ:In Eclipse

これは、ベーテクとポラリスの『はじまり』のおはなし

※この回はPixivにも重複投稿しております。


 幻の特急。

 かつてそう呼ばれた気動車がいた。

 

 ある者は彼女をこう評した。『技術者の狂気の夢が具現化されたもの』と。

 ある者は彼女をこう評した。『学習したコンコルド』と。

 ある者は彼女をこう評した。『動力性能向上と環境性能向上を両立させる次世代特急車両』と。

 ある者は彼女をこう評した。『身の丈に合わぬ贅沢品』と。

 

 彼女は一度本線に出たっきり、何一つ乗せることは叶わなかった。デビューランすら、夢のまた夢だった。

 これは、そんな彼女がまた別の形でデビューランを迎えるまでのおはなし。

 

 ★

 

「もう話す機会がないかもしれないから、あやまっておきたいことがあるんだよ」

 

 イノベイテックはその車に片手を当てて話しかけていた。

 まだ肌寒い日が続くなか。雪の積もる工場の解体線に、ぽつんと1両だけ停まっている。もともと3両編成だったその車のうち2両の解体は完了し、もはや跡形もない。

 その車の横では、重機のスタンバイが完了していた。

 

「ごめん。僕が、力不足だったよ」

 

 その謝罪の言葉は、おそらくその車には届いているだろう。だが、既にほぼ全てのぎ装が取り外されたその車は、もはやその声が聞こえていても言葉を返すことはできなかった。

 

「君がやってきた前の日、僕はどうすればいいかわからなくて、昔お客様を乗せていた懐かしい路線でぶらりと一日散歩をしていたんだよね」

 

 途中の駅でおりて、ぶらりと街なかに出て。汽車が来ないのがわかっているからと、本線上を駆け抜けたり。そして海辺の駅で夕日を眺め、終点に向かっていた。

 

「でも、最後の交換駅で怖くなってしまってね。涙がこらえきれなくなってしまったんだ」

 

 その駅の待合室でひとり泣いていたベーテクに声をかけたのは、近くで農業に従事する老いた男性だった。

 

『何があったのかはわからぬ。じゃが辛いことがあれば、吐き出してしまえばいい』

 

 男性はベーテクの背中を優しく叩きながらそう語りかけた。

 ベーテクは話した。一人ぼっちで走った日々のこと。先輩きょうだいが急に全員いなくなったこと。この線路を離れなくてはならなくなったこと。実験のこと、そして明日やってくる、きょうだいのような車のことを。

 だけどその車は――既に、その役目を終えてしまった。まだ生まれたばかりで、工場からの回送すら終わってもいないのに。その車が元の計画通りにお客様を乗せて駆けるということは、もう決してないと言われたも同然のような状態だった。

 

『新聞が騒いでおったな、幻の特急と』

『もう僕の頭の中はぐるぐるなんだよ。初めての直接の弟か妹かという車がやってくる嬉しさと。その閉ざされた、失われた来るはずだった未来の大きさとで! あの子はたくさんのお客様を乗せて、想いを乗せて走るはずだった、なのに、なのに!』

 

 男性はそう慟哭するベーテクの言葉を否定しなかった。優しく受け止めて、まるで自分がその境遇になったかのように、その感情を咀嚼してくれていた。

 

『お前さんの抱える気持ち、痛いほどに伝わってきおった』

『だったら教えてほしい。僕はいったい、どうしたらいい。どうやってあの子を迎えればいい。何度上を説得してなお、その不幸な決定一つすら覆せなかったこの僕が』

『既に起きてしまった事は変えられぬ。それを悔やんでも仕方のないことじゃ』

『諦めろっていうのかい』

『そう受け止めるのなら、お前さんがその子を迎えるべきではないじゃろうな』

 

 事実ベーテクの思考回路は、尋常な状態を外れかかっていた。その根底にあったのは、焦りだった。

 彼は成ってからのこの1か月間、常にその車の事だけを考えて行動していた。直々に上にかけあったりもして、その最悪の結末だけは回避されるように努めて、そして失敗し続けていた。

 

『例え話じゃよ。お前さんが足を怪我していたとする。お前さんはその状態で走りだすのかね』

 

 ベーテクはその言葉を聞いて気を悪くした。ベーテクのみならず、会社の皆が一番気にしている事だったからだ。

 

『冗談を言っているのかい、3年前に何があったか知っているだろう? 車輪のフラット、人間で言えば足の爪先を怪我しているようなもの。そのフラットがあるのに走り続けたのが原因で、僕達は特急を燃やしてしまったんだよ。その傷が今、あの子を幻の特急にしようとしているというのに』

『そうじゃったか……。じゃが今のお前さんは今にも走り出そうとしているように見える。結論に向っての。そんな走りじゃ、その子を本当に幻の特急にしてしまうじゃろうよ』

 

 彼のその言葉には、強い芯があった。それはベーテクの傷ついた思考回路を、ぐちゃぐちゃの感情を一度崩壊させてその内に宿る弱気と無力感と、そして臆病さを瓦礫の下敷きにしてしまった。そのかわりに落ち着いた空間だけが残って、その時ようやく、成ってから初めてベーテクはその車を取り巻く状況を一歩引いて、客観的に認識することができた。

 内側からの働きかけだけでは、何も変えられやしない。外からも、何かをせねば。

 

『そんなのは嫌だね、絶対に』

『そうじゃろう。幻という言葉ほど、悔しい言葉もあるまいて』

『ありがとう。疑わしい時は手落ちなく考えて最も安全と認められるみちを採らなければならない。いつも心がけていた言葉の1つだけれど、その意味をもう1段階深く理解できたよ』

 

 そのとき作られた芯は、今なおベーテクのメンタルモデルに強く刻まれている。

 

「あの日、あの時。僕の物語は最後の交換駅を出た。君を助け出すために」

 

 本社はスピードを悪と考える世論に呑まれた。ならばその世論を変えてしまえばいい。

 だからベーテクはその子に受け継がれるはずだったその身に宿すスピードを衆目に焼き付かせることにした。そうすれば、世論は大きく動くだろうと考えた。

 では、スピードを衆目に晒すことのできる手段とは何か? 軌道系のノリモンであるベーテクならば、レールレースへの出場が手っ取り早い。そしてベーテクは日本で最も規模の大きいレース、鉄道の日記念メガループに出場し、プロ登録のされていない部門で最も早くゴールに辿り着いた。この速さが次へと受け継がれることなく途絶えてしまうかもしれないことを訴えれば、それで世論はスピードを受け入れる――その甘すぎる考えが、そこにあったから。

 だが、もちろんそれは青すぎた。世論は、何一つ変わらなかった。本社の考えも。

 

「結局それはうまくいかなかった。だから次に僕は君をここから外に出そうとしたんだ」

 

 次にベーテクが考えたことは、世論を気にしすぎている本社からその車を引き離すことだった。最早本社にとってその車が不要となっているのなら、それを必要とする者へと引き渡した方が幸せだろうと考えたのだ。そこで白羽の矢が立ったのが、メガループを制した後にベーテクへと接触してきていたコダマだった。

 コダマの手引きによりベーテクはJRNノーヴルに招かれ、そしてJRN内部の事情を知った。はじめは研究目的として引き取ることを考えていたが、それよりももっと現実的なものを見つけることができた。

 JRNでは、クィムガン発生時のトレイナーの出動用に3両編成の気動車を1編成保有している。この車は適切な整備により見劣りなく稼働させることができていたが、それでも落成から40年以上が経過し、老朽化は進行していた。このリプレイスに、ベーテクは妹分たるその車を推薦したのだ。

 その提案はかなりいいところまで進んで、彼も何度か職員を連れて工場まで足を運んでいたのだが、致命的な点を見落としていた。同じ3両とはいえ、現行の車は全長が41メートルの小柄な車だ。ゆえにJRNの施設は、これに合うサイズで作られていた。それに対しベーテクの妹分は全長が60メートルある。JRNに投入するためには、中間車を脱車する必要があったのだ。

 だがしかし、ここで構造的な弱点が露呈した。彼女は先頭車に1ユニットずつ、中間車に2ユニットの駆動装置を持っていた――中間車を脱車すると、性能が大きく下がってしまうのだ。これでは出動用の車とするには足りなかった。

 

「その後も何度か別の名目で君を引っ張って来れないかと考えた。でも、だめだった。僕の、僕の力が足りなかったんだ。ごめん。君を助けることは、ついぞできなかったよ」

 

 ベーテクは車体に向かって頭を下げた。長い時間をおいてから頭を上げると、重機に乗る作業員に、最後の話が済んだことを告げた。

 そして、幻の特急は真に幻の特急となった。なってしまった。ベーテクはそれが耐えられず、その様を見ることもなく挨拶を交わすと工場を飛び出した。

 あの老人に、再び会えるだろうか。彼にも謝らなければならないな。そう思いながらベーテクは代行バスに乗り込んだ。彼がかつて走ったこの鉄路さえも、妹分を助けるために奔走している間に高潮の被害を受け、路盤が流失していた。まだ未来は決まってはいないが、地元自治体の不理解を見るにもう二度と列車が走ることはないのは明らかだった。あの最後の交換駅で列車の交換が行われることも決してないだろう。その事がまた、ベーテクの心に負った傷に塩を塗り、土を塗った。

 

「なくなってしまうんだね、ぜんぶ。この2年半、僕は何をしてきたんだろう。守りたいもの、守れなかった。1つも。もういっそ――」

 

 その日はもう遅いので、ベーテクは少し手前の町に宿をとった。

 チェックインしホテルの客室に入るなり、ベーテクは崩れ落ちた。その目からは塩水が無制限に分泌されてとどまることをしらない。

 

「どうして、どうして! 僕が! どれだけ!」

 

 誰が悪いのか? 嘆いても現状は変わらない。妹分を失い、思い出の鉄路を失い。二兎を追う者は一兎をも得ずと言うが、一兎に専念しても一兎も得られぬことだってある。結果として、ベーテクは全てを失うことになったのだ。

 1時間弱ほど泣いて泣いて泣き続けると、流石に爆発した感情も落ち着いたのか。ようやくベーテクは床からその身体を起こす事ができた。

 

「ごはん、食べにいこうか」

 

 時計の針は午後8時を回っている。このままでは夕食を食べそこねてしまうような時間だ。ラストオーダーも近く、夕食会場にはとうベーテク以外の宿泊客はいなくなっていた。

 1人のホテルスタッフが、タイミングを見計らっていたのだろう、ちょうど食事をとりおえたベーテクのもとにやってきた。

 

「お客さん、イノベイテック号だろ? あの3年前のメガループの」

「……それが何か」

「あんたのファンなんだ。あの走りを見て、それに昔そこの線路を走ってたノリモンなんだって聞いてね」

「僕の過去の栄光なんてものは、もはや蝕まれて失われているさ。もう速さを求めることに、価値なんて無い」

 

 吐き捨てるように、ベーテクはそう自らを切り捨てた。

 あの頃はまだあの子を何とかできると思っていたし、この町にも鉄の足音が響いていた。その時の輝きは、永遠の日食のように失われたのだ。

 

「何があったのかは知らないが、せっかくこの地に戻ってきたんだ。ゆっくりしていったらいい」

「『先ず失墜すれば、どこにも残らない』。イギリスのことわざだよ、知っているでしょう」

 

 ベーテクはひどくドライにスタッフの手を拒絶した。スタッフは何かを察したのか、それ以上彼に何かを強いることはなかった。

 

 翌朝。昨晩の件について、そのスタッフの非礼を詫びに、直々にホテルのオーナーが詫びを入れに顔を出した

 

「申し訳ない。うちの若いのが気分を害してしまったようで」

「いや、いいんだ。僕の気分は当面は優れることはないだろうから」

「まだ。まだ決まったわけではないだろう」

 

 オーナーの言葉の意味を飲み込むのに数秒の時間を要した。そして、ベーテクは彼が線路のことを話しているのだと理解した。それは確かに、ベーテクの心を乱したものの1つだ。そちらの道筋に光があれば、もう片方にも光が見えるかもしれない。そう考えたベーテクはオーナーの話に乗ることにした。

 

「むりだよ。あそこを直してまた走り出したとしても、波はまたあそこを蝕む。その対策工事のお金は誰が出すんだい」

「本来は」

 

 オーナーはその投げかけられた問いに答えようとした。だが間髪をいれずにベーテクが次の言葉を紡ぎ出したのを見て、まずは全て吐き出させるべきだと判断し、言葉を引っ込める。

 それに気づいているのか気づいていないのか。ベーテクはさらに毒づいた。

 

「国も本社も一定程度お金を出すと言っている。残りを出さないと言っているのはいったい誰だい。そこが変わらない限り、この町に鉄の足音が響くことは二度とない。それを選んでいるのは、一体誰なのさ」

 

 ベーテクは言葉を止めてオーナーの方を見た。ここで答えが欲しいという無言のメッセージだ。

 

「知っていますとも。沿線自治体の不理解ほど、鉄道の運営に余計なものはいない」

「わかっているのなら、何故」

「内地の方で赤字の地方鉄道の事業再生に携わっていましてね。だからこそわかるのですよ、この線路は救えないと」

 

 オーナーはきっぱりとそう言った。

 そのあまりの割り切りの良さに、ベーテクの心は僅かに揺れ動いた。その話がでたときから、彼が夢を見ていると思っていたからだ。

 

「本音を言えば、私だって線路が残る方がうれしい。確かに、今ある者をどう活用していくかというのは重要ですが、『今そこにあるからもったいない』だとか『過去に投資をしたのだからもったいない』といった過去や現在に囚われすぎる判断は、結果として未来を失わせます」

「そういう考えも、あるのか」

「えぇ。私の個人的な感想ですが、飲み放題の元を取ろうとして急性アルコール中毒で搬送される若者のような判断をしている大人はけっこういますよ」

 

 あぁ。経営者というのは、強いな。ベーテクは素直にそう感じて、そして自分のちっぽけさを痛感した。

 

「もう、やめだやめ。いくら嘆いたとて、過去は変わりやしない」

「どうか、されましたか」

「僕自身の話ですよ。このホテルに泊まって、本当に良かった。またこっちに戻ってくることがあればここに泊まりますよ」

「それはそれは、ありがとうございます」

 

 幸いにして、ベーテクには居場所があった。

 これからは過去の事をすべて忘れて、自分のために生きていくのもいいかもしれない。そういう選択肢を、とってもいいんだ。その考えは、ベーテクの心を急激に軽くした。

 

「バスの時間は……10時33分か。まだ2時間以上ある」

 

 そう思って客室に戻った時。

 ベーテクの電話が、鳴った。工場からだった。取るかどうか少し悩んでから、ベーテクはその電話に出た。

 

「もしもし」

『あぁ、よかった。今ちょっといいか? 大変なことが起きた』

「今更言うようなことが?」

 

 何だろうか。その車の解体はもうだいぶ前に決まっていたし……?

 

「まさか」

『何を思い浮かべてるのかは知らないけど、結論だけ言う。()()()

「……! 昼過ぎには戻る」

 

 あぁ、これは。

 きっと、最後のチャンスなんだ。ベーテクはそう思って、反対に戻るバスの時間を調べた。9時7分発、あと20分強。

 

「急ごう」

 

 いるかすらわからないあの老人を探しに行くより、いるとわかっているその子のもとへと。チェックアウトの手続きを済ませ、ちょうどロビーにいたスタッフとオーナーに頭を下げると、ベーテクは駅へと向かって走り出したのだった。

 

 ★

 

「お帰り、ベーテク」

「あの子は」

「こっちだ」

 

 工場につくなり、ベーテクはその車がいた場所にに通された。そこにもうその姿はなく、かわりに5両編成の電車が停まっている。新幹線開業で転属してきた車に押し出されて役目を終え、次に解体される予定の特急電車だ。

 電話をしてきた作業員に言われるがままに半信半疑で乗務員扉から車内に入り、ベーテクは客室に進む。そこには誰もいなかった。

 

「いないじゃないか」

「否定。隣の車に」

 

 電車に宿るノリモンが、放送設備を通じてその子の居場所を告げる。その隣の車、4号車の最奥部、1番A席にその子は座っていた。

 客室に誰かが入ってきたことに気がついたのか、彼女は立ち上がってベーテクの方に歩いてくる。その時初めて、ベーテクは彼女の姿を見た。

 流れるように長い、梨地仕上げされたステンレスのような銀髪に、前髪には明るい青色のメッシュ。そしてその青のメッシュの端っこにはもう1色、萌葱色のメッシュが走っている。このベーテクのそれと同じようによくわからない髪色は、彼女がノリモンであることを示していた。

 

「お兄ちゃん、なの?」

「僕は、イノベイテックだ」

「お兄ちゃんだ!」

 

 彼女はその小さな体躯でベーテクに飛びついた。ベーテクはそれを優しく受け止めて、そのまま立ち尽くしていた。

 

「ここにいる。いなくなって、ない」

「ねぇお兄ちゃん。どうして泣いてるの?」

「……えっ?」

 

 ベーテクは彼女に言われて、頬に手をやった。濡れている。

 いつの間にやら、ベーテクの目からは涙がこぼれていたのだ。

 

「はは、ここのところいろいろなことが重なって、どうもいろいろとわやになってるみたいだね」

「大丈夫?」

「大丈夫だよ。そういえば。聞かせてくれないかな、君の新しい名前を」

 

 恐る恐る、ベーテクはそのノリモンに問うた。

 

「ポーラーエクリプス、です。それが今の名前! あらためてよろしくね、お兄ちゃん」

 

 ピクリ。ベーテクの眉が少し動いた。そしてその名前を反芻するように何回か繰り返した。

 

「エクリプス……。そうか、そうかぁ」

「へんかな?」

「へん……ではないね。君のことをよく表した名前だとは思うよ」

 

 だいぶ悪意に塗れたネーミングだけどね。ベーテクは素朴にそう思った。ノリモンとしての名前がつけられるということは、車として訪れるはずだった輝きは永遠に失われていることに他ならないのだから。一度すら走れていないこの子の名前にその単語をつけるということは、そういうことなのだろうとベーテクは結論付けた。命名者の意に反して。

 

「えへへ。そっか。ねぇ、お兄ちゃん。お願い、していい?」

「何をだい?」

「あだ名、つけてほしいなって。お兄ちゃんがベーテクって呼ばれてるみたいなの! ほら、ポーラーエクリプスって、長いじゃん?」

 

 ポーラーエクリプスはその萌葱色の目を輝かせている。彼女はこの2年半、自分を救うために兄が動き回っていたことを工場の人から聞かされていた。だからこそ、自分は彼にとっての特別だということは理解していたし、逆に兄は彼女の特別なものになっていたのだ。

 

「いいのかい? 僕がつけて」

「お兄ちゃんが、いいの」

「……わかったよ。嫌だったら言っておくれよ」

 

 ベーテクは考えた。エクリプスという最悪な単語はその要素から外したいが、かと言って元の名前と明らかに違うのはそれはそれで適切ではない。

 

「そうだねぇ……。ポラリス、はどうだい? ()()ーエク()()でね」

 

 ポラリス。それは、空に浮かぶ二等星、アルファ・ウルサエミノーリスの慣用名だ。その星はシリウスやカノープス、アルクトゥルスのように明るい星ではないが、その輝きで多くの旅人を導いてきた過去を持つ。

 気に入ってくれればいいのだが。そう思いながら、ベーテクはその反応をうかがっている。

 彼の妹分らしく、彼女は彼が彼女の名前を聞いたときと同じように、『ポラリス』の4文字を何度も呟いている。

 

「……うん! ポラリスがいい! 一生大切にするね。だって成ってからお兄ちゃんから初めてもらった贈り物だもん!」

 

 そう満面の笑顔で返すポラリスを見て、ベーテクは安堵した。間違ったネーミングではなかったことに。

 

「気に入ってくれたなら嬉しいよ。今日から君はポラリスだ」

「うん! ポラリス!」

 

 その後、ふたりきりの話が終わったのを見越して工場の人達が何人か4号車にやってきて、座席を回して座るよう促した。これからの話をするために。

 工場の誰ひとりとして、ポラリスが成るまで彼女をどうするかをまったく考えていなかった。そうなることをまったく想定していなかったのだ。落成してから2年半というのは一般的には鉄道車両がその場で成るには短すぎる期間だったから無理もない。

 ノリモンは宿る車が解体されるときに受肉する。これを成ると言うのだが、このとき落成してからの期間が短いと実体化できずにウェヌスへと送られてしまうと考えられている。中には五元神のようにウェヌスで力をつけて後からこの次元に戻ってきて受肉するノリモンもいるが、それはかなりのレアケースだ。

 

「これだけ見た目が幼いと、少しな」

「見た目も何も本当に幼いんだけどね。2歳半だよ?」

 

 ノリモンは成ったとしても、数割程度は元の事業者に残ることを希望して人間と同じように働いていたりする。そして多くの輸送事業者は人手不足の傾向にある上、今まで車として走ってきたノリモンはその路線を嫌というほどに知り尽くしているので研修も少なくて済む。そういった事情もあって、だいたいの社局では形を変えた上での再就職を制度として持っているのである。

 だがしかし、そうしてお客様の前に出すことを考えると、ポラリスの見た目はあまりにも幼すぎた。その髪や目の色を見ればすぐにノリモンだとわかるとはいえ、そうだとわかるまでの一時の間ですらお客様を不安にさせるわけにはいかない。

 

「だから会社では残念ながら彼女を置いておく余裕もなくってね」

 

 ベーテクは苛立った。結局ポラリスをどこまで振り回せば気が済むんだ、と。

 

「これまで2年半も会社の都合でずっとこの工場の中に軟禁していたんだよ? それなのにまた会社の都合かい。彼女の好きなようにさせてやればいいでしょうよ、僕はそう思うね」

「確かにそれが慣例だから一応聞いておこう。ポーラーエクリプス号、君はこれからどうしたい?」

 

 その問いかけに、皆の目線がポラリスに集まる。もちろんベーテクの目も。だからこそ、工場の人達がにやけているのに彼は気づかなかった。

 

「ポラリスは、ずっとここにいた。楽しくなかったわけじゃないけど、ここ以外の世界も見てみたい」

「なるほどな。じゃ、宜しく頼んだぞベーテク」

 

 作業員はいつの間にやらベーテクの後ろに立ち、その肩を叩きながら言った。

 

「えっ、僕?」

「俺達はここでしばらくやらなきゃならない仕事がある。今年度だけで100人以上も退職しやがったせいで、残ってる俺達はここを離れられないんだ。だから彼女にはお前しかいない」

「よろしくね、お兄ちゃん!」

「いや待って」

 

 もちろん、この結論はベーテクが来るよりも前にとっくにポラリスの希望を聞き出し、彼が到着するまでの間に会社上層部まで話を入れて決まっていた。なんなら今の彼の上司であるコダマにまで調整をすでに済ませていたのである。

 そもそも作業員が言ったように、ノリモンの今後は本人の希望が強く関わるのだからそれを真っ先に聞いていない訳が無いのだ。

 

「何だよ、車の時から自分のとこに引っ張り出そうとしてたのにか?」

「車として引き取ることに対して話は通しているけれどね! ノリモンとしてとなったら話は別なんだよ」

「なら今聞いてみれば?」

 

 内心ニヤけながら、全部知ってる工場の皆さんはコダマに連絡をとるベーテクを眺めていた。帰ってきた答えは、もちろん許可だった。

 拍子抜けするベーテクに、ポラリスが上目遣いで声をかける。

 

「ポラリスね、お兄ちゃんと一緒がいい。ダメ?」

「面白い日常にはならないと思うよ?」

「それでも、一緒がいいの」

「……わかったよ。君のお願いだというのならば、僕が君を新小平に連れて行こう」

 

 こうして、またしても何も知らないイノベイテックさん(19)はポラリスを引き取ることになったのだ。

 

「これからもよろしくね、お兄ちゃん」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4章:学園編
1レ前:武蔵野線24時間耐久


残暑厳しい中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
休載期間とさせていただいておりましたが、本日より連載を再開します!


「テントケだ? なんだってんだよ! それって」

 

 12月27日月曜日、午前2時。

 ネオトウカイザーは、その報せを聞いて激怒していた。

 

「仕方ないだろ! トレイナーの本業ってのはそっちだ」

「それは理解しているし、一志からも聞いてる! だがアイツは怪我1つないんだろ? だったら……」

「カイザー」

 

 立ち上がってどこかへ行こうとするカイザーを止めるノゾミタキオン。彼女とて、カイザーのことは流石に気の毒には思っていた――なにせデビューラン以降これまで、カイザーは満足のいく勝利をあげていない。そしてこの武蔵野線24時間耐久も、すでにそうなることが確定してしまったのだから。

 だがタキオンはその甘えを許さない。ポーラーエクリプスと【キラメキヒロバ】へのように競走に重大な支障の出るほど、ルースの落し子は【帝国(セントラル)】に影響を与えていない。それなのにカイザーが走るのをやめることは、それこそ観客を更に裏切ることにほかならないのだ。

 

「【キラメキヒロバ】には時間が無さすぎた。事象の発生が一昨日の夕方、他のチームメンバーにその話が流れたのが昨日の朝だって話だからな」

「……くそったれ」

 

 そう吐き捨てて、脱力したようにいすにかける。そんなカイザーをタキオンは暖かくも厳しい目つきで眺めていた。

 

「これから先彼女と相まみえる機会はごまんとある。時間さえありゃ彼女がまた立ち上がることはお前もわかってんだろ?」

「だからこそ、だってのか」

「手ぇ抜くんじゃねぇよ?」

「わーったよ、圧勝してやる」

 

 そしてカイザーは自らに割振られたスタート駅まで移動し……そして、午前3時。当初の予定通り、武蔵野線24時間耐久レースは幕を開けたのだった。最も注目されていたランナーのうち1名を欠いた形で。

 耐久レースは、文字通り長時間走り続けるレースだ。しかしそれでは途中でスタミナが切れてしまうので、ランナーは途中に補給を受けながら走ることになる。それぞれの陣営が選択した1つの地点から補給担当が並走し、走りながらフューエルやバッテリーを補給するのが一般的な形だ。

 しかしポラリスの陣営、【キラメキヒロバ】のチームはこの補給担当であるトレイナーが全員行方不明となってしまった。ゆえにポラリスは、前日になって急遽レースへの参加のとりやめを表明せざるを得なかったのだ。補給を受けなければ、高速度域で24時間をも走り続けることなど到底できないのだから。

 順調に走り出したカイザーの姿を中継で捉えると、タキオンはボソリと呟いたのだった。

 

「……恨まないでくれよ、カイザー。アタシもエンターテイナーの端くれとして、アンタの心をこれ以上揺する訳にゃいかねぇ」

 

 耐久レースは長時間の走行を行うためランナーの精神変動も当然好まれない。既にポラリスのテントケのアナウンスであれほどまでに動揺しているカイザーに対してさらなる情報を与えることは、タキオンにはできなかったのだ。

 

 ★

 

『きっと君は来ない、きっと誰も来ない! 独走状態のままネオトウカイザーが独りきりのゴールインし、チェッカーを受け取りました!』

 

 翌日早朝。カイザーは2位となったキューカンバーヒカリに周回以上の大差をつけて24時間耐久を制した。だがしかし、彼の心は満足していなかった。満足することはできなかった。

 

「お疲れ、カイザー」

「当然の結果だ」

 

 表彰やインタビューを終えて控室に戻ってきたカイザーはそう吐き捨てた。

 

「……カイザー。その言葉は取り消せ。極めて失礼だ」

「誰にだよ」

「一緒に走ってたランナーにだ。確かに実力差があればそう言いたくなるだろうが、そんな彼らにでも敬意を示せなくなったらランナーとしておしまいだ」

「……そういう意味じゃねぇんだが」

 

 ふてくされたように、カイザーは椅子にかけて机に体を投げ出した。そんな彼に寄り添って、タキオンはその肩に手を置いた。

 

「気持ちは分かるけどよ、しょうがねぇだろうが。JRNはクィムガン対応がメインの仕事だ。その結果としてこうなることも、な」

「やけに向こうの肩を持つじゃん」

「……そうだな、黙っとこうかと思ってたんだが。アタシがチッキを渡したトレイナーも1人行方がわかってねぇ。アイツらはな、文字通り命かけてアタシ達を、社会を守ろうとしてくれてんだよ。どうして文句が言えるか」

 

 タキオンの目は本気だった。それを見て、カイザーは申し訳なく思った。しかしその様子を見たタキオンもまた、カイザーの事を気の毒にも思っていた。この子はまだ何も知らされていないのだと。

 

「……なぁカイザー」

「何だ」

「いや、なんでもねえ」

 

 カイザーの心はまだ弱い。タキオンはそれがわかっていたからこそ、その伝言を伝えられていないのだ。それが長引き、ついにはレースを終えてしまった。今更思い直せば、ポラリスのテントケの報せが彼に届いたまさにその時が、言い出せる最大のチャンスで、そして決定的な崩壊を導かない最後のチャンスだったのかもしれない。だが、それが今更わかったところで、もう遅かった。

 

 ふたりのいる控室の扉が叩かれる音がした。

 

「入るわよ、カイザー」

「……ナジミか」

「あら、タキオンさんもまだいたのね。カイザーに、お客さん」

 

 そして、ビシャスオサナジミはそのノリモンを部屋の中へと案内したのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ後:傷跡

「俺に、客……? 誰だよ」

「カイザーが一番会いたいと思ってる子のうちのひとりだと思うわ。……ほら、おいで」

 

 ナジミは廊下にいるノリモンに声をかけ、部屋の中へと案内した。

 そして招かれたノリモン。シルバーをベースに前髪に青と萌黄のメッシュの入ったそのノリモン。彼女は確かにナジミの言うとおりカイザーが最も文句を言いたいと思っていた者だった。

 

「ごめんね、レースに出られなくって」

「……ポーラー、エクリプス号」

 

 震える声で、カイザーは話しかけた。レースに出てこなかったことへの怒りと、ポラリス自身は無事であり、こうして会いに来てくれていることへの喜びが混じって、カイザーの心情はぐちゃぐちゃだったからだ。

 

「それと、おめでとう」

「……受け取れないな、その祝福は。お前のいないレースでの勝利に意味はない」

「そんなことないよ! ほかのみんなだって」

「だったら!」

 

 カイザーは声を荒らげてポラリスの言葉を遮った。ポラリスは驚いたように言葉を止めてカイザーを見つめる。その様子を、ナジミとタキオンはいつでも止められるように構えながら見守っていた。

 

「お前独りでも、レースに来ればよかった」

 

 無茶を言っていることは、発言主のカイザーが一番理解している。何せカイザーだって、レース中にタキオンやナジミから補給を受けることがなかったら、完走することなど夢のまた夢だったであろうことは容易に想像できた。しかも自分自身だって、フューエルを扱ったり、補給したりすることができやしないことだって。だからこそ、カイザーはそれ以上は何も言わなかった。

 だけどポラリスは――それを、冗談だとは受け取らなかった。

 

「そうだよね。ポラリス独りでもできるんだって、やってけるんだってこと、やってみせなきゃだよね」

「……うん?」

 

 自らに言い聞かせるように、少しうつむいてそうつぶやくポラリス。カイザーは自らの軽率な発言を少し後悔して、一歩引き下がった。

 だがしかし次の瞬間。そのカイザーの手を、ポラリスがガシリと掴んだ。

 

「来月からも、ポラリス、走るから。だからさ、今度こそ。一緒に走ろうね」

 

 ポラリスの萌黄色の目が、カイザーの黄金色の目をとらえた。そして少しして、それは相互の関係になった。

 

「……わかった。次こそレールの上で決着をつけよう」

「うん!」

 

 青春ねぇ。そうつぶやきながら、ナジミはキラキラしているふたりの様子を温かい目線で見守っている。だけどその目線が打って変わって鋭いものになるのに、さほど時間はかからなかった。

 次に出てきたポラリスの言葉が、そうさせたのだ。

 

「強いんだね、カイザーは。ポラリスも負けないように、もっと強くならなきゃ」

「……その言葉は、今は受け取れない。俺が直接お前に先着する時まで取っておいてくれ」

「ううん。今だからこそ言えるんだもん。だってさ――」

 

 その言葉は、ナジミが、タキオンが。今までカイザーに言えなかった言葉だったから。

 ふたりはカイザーと同じ、【帝国(セントラル)】に属するノリモンだ。同じチームの者として、たとえ真実であってもカイザーのパフォーマンスを落としうる情報を与えることはできなかった。

 だがポラリスは違う。既にレース自体が終わっていること、そして彼女自身がその喪失を乗り越えて再び動き出そうとしている段階に既に到達していることもあって、情報を開示することに一切の戸惑いは無かった。

 

「――真也達がいなくなっちゃって、まだ見つかってないって聞いて、ポラリス辛くなっちゃって。昨日の夕方に、ようやく元気になれた。でも、カイザーは違う。レースに出て、それで勝ってる」

 

 ポラリスは既にカイザーがそれを克服した上でレースに出場しそして勝利を収めたのだと、本気で思っていたのだ。事実に反して。

 

「……おい、それってどういうことだ」

「えっ?」

「そこまでだ、ポーラーエクリプス。そこから先のセンシティブな内容は【帝国】の問題だ」

「あっ……、ごめん」

 

 カイザーの疑問に答えようとするポラリスを、タキオンは強く止めた。そして訪れてきてくれたことに礼を言ってから、ポラリスを帰して控室の扉を閉めたのだった。

 

「おい、タキ姉」

「なんだ?」

「一志の声を聞きたい」

 

 タキオンの動きが、止まった。

 それはカイザーが正しい現状の把握を行うのには充分すぎるものだった。

 

「知ってたのか」

「言っただろ、アタシが渡したトレイナーもわかってねぇって。その時に見つけたら教えてほしいと、いなくなったトレイナー全員の名前を聞いてる。その中にいたんだよ」

 

 そのリストは、ポラリスもまた受け取っていた。だからこそ、タキオンはカイザーのパートナーであるトレイナー、名松一志の行方がわかっていないことを把握していたのだ。

 そして、ポラリスもまた然り。だからこそ、当然カイザーもその事を知っているものとして接していたのだ。

 

「なんで、だまってた」

「レースにならねぇだろ、お前」

「知らなかったの、俺だけかよ」

 

 だがタキオンの言うこともまた事実であろうことは、カイザーが一番よく理解できてしまっていた。今こうして改めてその報せを聞いて、心の安寧が揺るがされた。この状態で24時間耐久を完走できるかどうかと聞かれれば、怪しいと言わざるを得ない。

 そしてそれを理解できてしまったからこそ、カイザーの怒りはやり場のないものへと変わってしまった。レールレースはエンターテイメントであり、カイザーはエンターテイナーなのだから、ギャラリーの期待には全力で応えるよう努めなければならない。ポラリスと違って、こちらは実際に完走したことが示す通り走行に支障がない状態だったのだから、そこに支障を増やすわけにはいかない。

 エンターテイナーとしてのカイザーの気持ちと、1名のノリモンとしてのカイザーの気持ち。それらが混ざり合わずにモザイクとなってカイザーに襲い掛かる。

 

「……こんちきしょうめ!」

 

 苦し紛れに吐き出すことができたそのカイザーの乾いた言葉に、タキオンもナジミも声をかけることはできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1便:武蔵國の国分寺の跡

 目を開けたら、映っていたのは小さな孔のたくさん空いた長方形の石膏ボードが敷き詰められている天井だった。

 そしてその天井からはカーテンが吊られていて、まるで病室のような……そんな感じのする、風景だった。

 

 なんで、ここにいるんだっけ?

 確か、……あっ、そうだった。ルースの落し子の対応に出てた時にS(シールド)バーストで超次元に飛ばされて、それでゲッコウリヂルさんに送ってもらったんだった。

 ってことは、あの後倒れて誰かが運んでくれたんだな。

 

 ……あれ?

 でも、JRNの救護室ってこんなんだったっけな。確かカーテンの色は緑色だったような気がするんだけど。

 じゃあ、どっかの病院? なんか、気づかないうちに大変な怪我とかでもしてたり……?

 

 そう思って確認しようとして、体を起こしてみる。腕も足も、少し動かしてみても思った通りに動いてくれる。大きな怪我とかをしてるわけじゃなさそうだ。それと同時に、周りの感じからここが少なくとも病院じゃないなってことはわかった。

 ナースコールが、ない。それに設備だって妙に簡素なように見えた。どちらかって言うと、救護室とか、そっちのような感じがする。

 

「……ここ、どこだ?」

 

 声も出る。そのことに少し安心したところで、声を出したから気がついたのだろうか、区切りとなるカーテンが外から開かれた。

 

「おや、目を覚ましたかい?」

「はい、えっと……」

「良かったぁ。君、息はしてるのに運び込まれてから丸一日以上眠ったまんまだったからさ」

 

 目を覚まさないんじゃないかとね。そうおどけて言いながらそのノリモンは手元の端末をいじりだした。

 

「すみません、心配をかけたみたいで」

「礼なら君をここに担ぎ込んできた子に言いなよ、今呼んでるからさ。そもそもここに運び込まれた子の面倒を見るのは僕の仕事だからね」

 

 当たり前のことをしたまでと、軽く僕の言葉を流す。

 いや、待って。担ぎ込んできた子? 僕を、この知らない所に?

 なんだろう。恐ろしい感じがしてきた。そもそも、武蔵国分寺公園には、ラッチの外には2つのユニットが待機していたはず。彼らが病院でもJRNでもないどこかに僕を担ぎ込むだろうか?

 恐る恐る、僕は尋ねた。

 

「あの、1つお伺いしたいんですが。ここって……?」

「うん? 保健室だよ?」

 

 さも当たり前かのように――いや、実際にそうなんだろう、そんなこたえが戻ってくる。

 じゃあ、一体。

 

 ここは、どこだ?

 

 保健室、というからには恐らく何らかの教育機関だと思う。だとしたらなんで、僕はここに担ぎ込まれた?

 担ぎ込んだのは、一体、誰?

 そう頭の上に疑問符を浮かべていると、その保健室の主の方もどうやら気になることがあったみたいで僕に質問を投げかけてきた。

 

「君、どこから来たんだい? 学園の者じゃないよね、見たことない顔なんだけど」

 

 ……学園?

 聞き覚えのない単語が、耳に入る。

 

「新小平、です」

「なんだ、すぐそこじゃん」

 

 すぐそこ。この反応は2つの意味を持ってる。

 1つはここが、文字通り新小平からそんなに離れてない場所だってことだ。……学校ならいくつかある。大学だって知ってる。でも、わざわざ『学園』って単語を使うような場所は僕は知らない。自慢じゃないけど、スクールで学ぶために上京してきてから散歩がてらに近所の散策はしてるから、知らないってことはそんなにないはず。

 

 だとすると、ここでもう1つの意味が効いてくる。新小平といえば、ある程度学のあるノリモンになら半分以上はJRNのことだと伝わるはず。なのに、この場では。どうやら新小平というのが特に意味を持たない一般的な地名として処理された。

 それは一体、どういうことだろうか? この方は、JRNが新小平にあるという事を知らないか……いや、待てよ?

 

 ふと、自分の胸を見る。JRNの職員であることを示すピンバッジは、いつも通りそこに留まっていた。ならばどうして、どこから来たという質問を? この方はJRNをそもそも知らない? そんなことがあるのだろうか?

 

 ここは、いったい、どこ? ……まさか。

 その可能性に気がついた瞬間、背筋を冷や汗がダラダラと滝のように流れた。

 

「それで、学園には何しに?」

「わかりません。目が覚めたらここに」

「うぅん? じゃあ目が覚める前は何してた?」

「……戦ってて、それで吹き飛ばされたんです」

 

 信じてもらえるかはわからないけれど、超次元だとかそういった話をしてもむやみに混乱させちゃうだけだ。これでもなるべく簡単にわかりやすく伝えたつもり。信じてもらえるかはわからないけど。

 

「戦ってた? 君が? しかもそれで学園の敷地にってことかい? 俄かには信じがたいね」

 

 そう言いながら、その方は僕の目をじっと覗き込んだ。

 

「なんですか」

「なるほどね。あれだけ寝込んでて、目が覚めて直ぐに嘘を吐く余裕があるとも思えない。とりあえずは嘘は無いと判断しよう。で、どこで戦ってたら学園にまで飛ばされることになったんだい」

「武蔵国分寺公園です、都立の」

 

 僕がそれを伝えた時。急に穏やかだった目の前の顔が歪んだ。

 

「聞いたこともない公園だね。名前からすればどこにあるかは容易に想像できるけど」

「じゃあそこからってことで」

「それが、そういうわけにもいかない理由があるんだよね」

 

 ピシャリ。彼は後ろ手でカーテンを閉じながら、真剣な表情で僕の横へとやってくる。

 

「どうやら君からは話を詳しく聞かなきゃいけないみたいだ。武蔵國の国分寺の跡地があるのは、この学園の敷地の中だよ。ここ、中央鉄道学園のね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2便前:学園

「目を覚ましたって本当ですか」

 

 カーテンの裏で、ガラガラと引き戸が開けられた音がした。すると彼は逃げるなよと耳打ちをして、カーテンの外側へと箱乗りのように首を出した。

 

「あぁ、早かったねトウマ。本当だよ、ほらこっち来て」

 

 もう一度カーテンが開けられて、トウマと呼ばれたノリモンが姿を表す。どうやら彼女が僕をここに担ぎ込んでくれたらしい。

 

「本当に目が覚めてる。良かったあ」

「ここまで運んできていただいたみたいで」

「いいのいいの、困ってる人を見つけたら助けるのが当たり前でしょ?」

 

 そう言いながら彼女は彼に促されるままに、僕のいるベッドの横にパイプ椅子を展開して掛けた。

 

「さて、改めて自己紹介を。私はクモエコロ、ここ学園の養護教諭をしているよ」

「一応はこの学園の生徒会役員を務めさせてもらってる、トウマっていうの」

 

 そしてふたりは、暗に僕に名乗れと圧力をかけるようにこちらを覗き込んだ。別に助けてくれたんなら、拒むつもりもないんだけど。

 

「僕は山根真也と言います」

「ひょっとして、人間?」

 

 ……え?

 ひょっとしなくても何も僕は生まれてこの方、人間をやめたつもりもないんだけどなぁ。

 そんなふうに困惑する僕を置いて、クモエコロさんはトウマさんの方に詰め寄り始めた。

 

「話が違うんだけど、トウマ?」

「そんなはずないよ? だって空からこの人が降ってきた時、確かに力を感じたもの。ただグラウンドに落っこちて土煙が収まってからはそうじゃないけど、じゃなかったらあんな高いところから落ちてきて外傷がないなんて……」

「待って、僕って空から落ちてきたの?」

 

 いやまぁ、あんなS(シールド)バーストをもろに受けたらそうはなるんだろうけど……。

 

「ふーむ……。そうだ、山根君といったね? 君はそれ以外に名前を覚えてたりしない?」

「僕の名前はただ1つ、山根真也だけですが……」

 

 目覚めたときから薄々と感じてはいたけれど、決定的に何かがおかしい。なんだろう、まるで閉鎖されたコミュニティに踏み入ったかのように、こっちの常識が通じなくて逆に向こうの常識を僕が持っていないかのような――事実そうなんだろうけど――、妙に気持ちの悪い疎外感があった。それが何に起因するものなのかはもうわかっている。わかってはいるけれど、だからといって心地のいいものじゃない。

 そしてその妙な違和感は、どうやら向こう側も持っていたみたいだ。

 

「トウマ、どう思う?」

「不慮の事故で学園内に侵入してしまったのなら、回復しだい去っていただこうかなって思ってました」

 

 ……うん、まぁこれはそうだ。

 僕がJRNの中で負傷者を見つけたとして、救護室に連れてったらよっぽど酷い傷がない限りそうすると思う。

 

「まぁそれが普通だろうね」

「だけど、このまま学園の外に出せば良からぬことが起こりそうな雰囲気がするの。だからさ、ちょっと話し合わなきゃいけないかもだけど落下の衝撃で記憶障害になってる、ってことにして保護かな」

 

 トウマさんは懐から端末を取り出して、何らかのメッセージを送りながらそう提案した。

 

「いや保護って何?」

「それがいいと思うよ。まぁ、生徒会なら悪いようにはしないと思うよ? それに君は何も知らないのだろう? 学園の事も、おそらく私達のことも」

 

 まだよくわかってない僕を置いて、クモエコロさんがその判断を支持する。そんなこと突然言われても普通に困るだけなんだけど……?

 

「あのですね、僕だって帰るべき場所があるんですが」

「それはそうだろうね。でも、武蔵国分寺公園、だっけ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……っ!」

 

 脳裏に何度もちらついて、一度も考えないようにしてたことを。

 だってそうだ。そもそもリヂルさんとあった時点で、僕が元の次元から飛ばされていた事は確実なんだ。それで元の次元に戻すって彼は言っていたけど、そこで何かを間違えたか、或いはトラブルが起きたか何かで別の次元に送られてしまった……そう考えるのが自然なような気がする。こうやって来られたのだから帰る術はあるはずなんだけど、学の浅い僕には到底見当もつかないスケールの大きな話だ。

 落ち着こう。焦っても、どうにもならない。深呼吸をしてから、僕は心を落ち着かせてクモエコロさんの質問に答えた。

 

「正直わかりません。本当に、帰れるのかすら」

「その顔は状況を私達よりも把握しているように見えるね?」

「僕はここに来る前の事を覚えていますから」

 

 だからこそ、わかる。わかってしまった。

 『超次元空間にある次元は、あらゆる可能性を否定するものではない』。鳥満博士が前に言っていた言葉だ。そしてそれは、空想のものとして認知されがちなものすらも。

 だって今、僕はおそらく、パラレルワールドとでも呼べるような次元にいるのだから。

 ならば僕は……かえって、学園を出るわけにはいかない。学園を出たところで居場所なんてないし、この次元に戸籍なんてないのだから福祉の対象になるかすら怪しい。ならば保護すると言ってもらえているのであればお世話になったほうが良さそうだ。

 

「トウマさん。ここは学園と言ってましたよね。歴史か地理の教科書があれば見させていただきたいのですが」

「わかったわ。君の荷物も生徒会室の方で預かってるし、案内するわ。……歩けますか?」

「その前に。保護とはどういうことなのかを教えていただけますか」

 

 その質問を投げかけたとたん、チカリとトウマさんの両肩が赤と緑に光った。……船のノリモンかなぁ?

 

「学園があなたの身分を保証します」

「どうやって。生徒会にそれほどの権限があるとは思えませんが」

「……まぁ、学校の感覚ならばそうだよね。でも、()()()()()()()()

 

 トウマさんはそう言いながら、ニコリと微笑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2便後:生徒会長

 トウマさんに連れられ、建物の中を進んでゆく。さっき一度外に出た時に夕焼けが見えたし、時間帯のせいなのだろうか。はたまたもともと人通りの少ない場所なのだろうか。その廊下は、恐ろしいほどに静かだった。

 

 生徒会。それは生徒によって組織された自治組織のことだ。基本的には全校生徒が会員であり、生徒による生徒のための活動組織で、その役員として生徒会長だとか、そういった役職が生まれてくるもので、こういった役員は生徒の選挙によって決まることが多い。

 だけど、この学園の生徒会は違った。毎年の年明けから年度末にかけて、学園で最も強い者を決める競技会が行われる。それを制した者が生徒会長を始めとした翌年度の役員になる、というものらしい。

 

「つまりあなたも」

「そういうこと。ま、会長には負けちゃったけどね」

 

 つまりはその生徒会長というのが、この学園で最強なのだ。

 ……なら。

 

「その競技会って、知識勝負とかもあったりするんですか」

「もっちろん。文武両道はこの学園のモットーの1つだもん」

 

 異次元からの訪問者のこととか、そういうことを知ってる者がいたっておかしくないはずだ。仮にその存在を知らなくたって、手がかりくらいならもっていても。だって、僕のいた次元にだって鳥満博士がいたんだから、この次元にだってそういう識者がいたっておかしくはないはず。

 そんなことを考えながらトウマさんについていくと、彼女は大きな木の扉の前に止まった。

 

「着いたよ、ここが生徒会室」

 

 トウマさんが扉を押すと、それは見た目とは裏腹に軽々と滑らかに開かれて、そして僕たち2人を受け入れた。

 その奥では、執務机にかけた、恐らくその机の主であろう者がこちらに目を向けていて……そして、僕をとらえたのだった。

 

「ふむ。確かに見たことのない顔だ。トウマ君、その子が件の迷い人だね?」

「えぇ。連れてまいりました」

「そうか。……君、そこのソファにかけなよ。それと、肩の力を抜いてもらって構わないよ。君が学園を害す意思をもたないのなら、むやみに事を荒立てるのは愚かだからね」

 

 その、推定生徒会長の言葉に従ってソファにかけると、会長さんは回収してくれてたんだろう、あの時身に着けてたはずの端末とか、チッキとかの持ち物を入れた袋を携えてむかいのソファにすわった。

 

「申し遅れたね、私は生徒会長を務めさせてもらっているシンカリムドルナと言うんだ。良ければ君のことを教えてくれないかな、()()()()()()()()()

「……えっ?」

 

 今、会長さんは何ていった? もしかして、知識を持ってる?

 顔面がこわばる。それを見たのだろう、会長さんはニコリと微笑んだ。

 

「おや、図星だったかな」

「図星って」

「常識が怪しいって、クモエコロ教諭からうかがっていたからね、だが君がどこから来たのかは私たちも何も知らない。だけどもね」

 

 そういいながら、会長さんは紙袋を机の下から取り出す。中にはチッキケースや端末、小物入れに靴などの僕の持ち物が入っていた。

 

「あまりお行儀はよくないことだけれど、君の端末のほうを見させてもらったよ」

「見たんですか」

「見たともいえるし、見てないともいえるね。私が確認できたのはロック画面だけさ。でもね、学園の中だというのに、()()()()()()()()()()2()()()()()()()()()()()()()()()()なんて異常な状況。それだけで君が外部からの来訪者であることの裏付けの1つにはなるだろう?」

 

 そんな些細なことから。やはり学園最強というのは洞察力もかなり強いんだ、ということがひしひしと伝わってくる。

 だけどそれは僕にとっては絶望の材料の1つにもなった。だって、そんな彼女でさえもわかっているのは僕がここに来る前にいたのがこの次元の外側であるということだけ。その言いぶりからして、どうやってこの次元の外側とを行き来できるのかどうかも、おそらく把握できていないのだろうということも。

 ……いや、もう直接聞いてしまおう。だめならば、だめで切り替えなきゃいけない。

 

「念のため確認させてください。会長さんは僕のような人と以前に会ったことは」

「そうだね、君の疑問にも答えよう。私にはないとね。……トウマ、君は?」

「いや?」

 

 ……そっか。あんまり期待はしていなかったけど、やっぱりそうだよね。

 でもこれではっきりした。僕はおそらく、すぐにはJRNに帰れない。それがはっきりした瞬間だった。

 

「そうですか」

「やけに冷静だね?」

「ここであわてても、帰れないことに変わりはないですからね。だったら、そのエネルギーは帰る手段を見つけるのに使ったほうがいい。それに」

 

 紙袋の中から、お目当てのものを取り出す。本当はできるかどうかはわからないけれど、僕の中には絶対にそれができるという確信めいたものがあった。

 

「――この次元だって、もと居たところと繋がってますから」

 

 僕の体を黄色い光が包んだ。この光こそ、この次元とウェヌスが、みんながいる次元とが超次元的に繋がっていることの証左に他ならない。

 そう、さっき取り出したのはチッキだ。僕のキールたるクシーさんと僕とをつなぐ、モヤイの先のアンカー。そこにモヤイが伸びてこれる場所なんだ、ここは。

 だってここに僕を送り込んだのがゲッコウリヂルさんで、そんな彼だってウェヌスから力を得ているのだから。

 

「これは驚いたね。君はいったい何者なんだい?」

 

 黄色い光が晴れると、興味深いものを見るような目で会長さんがそう聞いてきた。

 いまならば、自信を持って言える。自分が何者であるのかを。

 

「僕は山根信也、JRNに所属するトレイナーです」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2D:『世界をつなぐ柱』

「お前、すごいな」

「よしてくれ。全てが全て、俺の力だってわけじゃねえ」

 

 仲木戸俊成の賛美に、成岩富貴はそう返した。

 

「それでもすごいぞ。力を借りられるってことは、それほどの力を持つ者からお前が認められてるってことだろ?」

「まあ、そう言われればそうなるな」

「ならばお前もすごいんだろうよ。その力があれば、『世界をつなぐ柱』の真実にだってたどり着ける気がしてきたぜ」

 

 仲木戸は世界の謎を追う冒険者である。彼の冒険の生涯の目標たる『世界をつなぐ柱』には、この世界の外側に広がる未知なる道へとつながる門があると広く信じられているのだ。

 そんな彼が冒険のさなかで見つけた、虚空にぽっかりと空いた穴。そこから降ってきたのが、正にいま彼と行動を共にしている成岩であった。

 この男は、自らの夢見た世界からやってきたに違いない。そう直感的に感じた仲木戸は、彼を助けて冒険への同行をもちかけた。

 

「本当にあるのか? その『世界をつなぐ柱』ってヤツは」

「不思議な奴だな。柱が世界の外側につながってる事はすぐに信じたのに」

「その柱が実在するなら、な。全てをすべて信じてるわけじゃない」

 

 仲木戸は知っている。この世界の誰しもがこのダンジョンの最奥部の柱の存在を疑ってなどいないことを。だからこそ、この発言も成岩が本当に柱の向こう側から来たのではないかという確信を一層深める材料として仲木戸は受け取った。

 確かに、世界の外側に繋がる門の存在は一般的にはすぐに信用できるものではない。だが成岩は薄学ではあるが知っていた。ラッチが超次元の技術を使用していることを。

 そして、夏に発生した後輩の一時的な行方不明の知らせを受けて、まさに追加の知識を得んとしていたさなかでの、それも同一の事象により発生した異次元への漂着。その偶然の積み重ねにより、成岩は自らの身に何が起きたのかを推定するのに大きく時間を要さなかった。

 そして、仲木戸の与太話とそれを重ねて、その中の真実の存在をすみやかに認めることができたのだ。

 

「まあいい。百聞は一見に如かずと言う。着いてきな」

「んなすぐたどり着けるのかよ」

「柱にはな。……ほら、そこだ」

 

 仲木戸の指差した先には、洞窟の中に大きく広がった空間。その中央部に、洞窟の岩肌には似合わない真っ赤な太い柱が鎮座していた。

 

「あれが『世界をつなぐ柱』だ。このダンジョンの深い階層には必ずこれが刺さってる部屋がある。だから俺達冒険者の間ではコイツがずっと下の階まで続いていて、そのどっかに中に入る扉があるんじゃないかって噂されてるのさ」

「ふぅん? ならわざわざ遠回りなんてしなくてもよ、《厚(THICKNESS)賀》!」

 

 そう言うと成岩はオオカリベを振りかざし、柱に殴りかかった。仲木戸はそれを止めることはしなかった。無駄だとわかっていたからだ。

 そしてオオカリベの先が柱に当たるか否かというその時。その接触点の周りに薄っすらと赤い膜のようなものが光ったのを、成岩は見逃さなかった。それは彼にとって非常に馴染みの深い、よく知るもの――シールドであったからだ。

 

「無駄だよ。柱は誰にも壊せない。それに、柱に沿って地面を掘り進めようとした冒険者も過去にいたけど、途中から地面が掘れなくなることは何度も報告されてる」

「……へえ。だが俺の見込みじゃ、こいつ割ろうと思えば割れるぜ?」

 

 そう言いながら、成岩はチッキケースに手を伸ばして目当てのものを取り出せば、すぐさま光を呼び寄せた。

 

「――大いなる石狩の川の流れよ、ロンジに注ぎてその力を満たしたもれ! イシカリトス号、このオモテに宿れ!」

 

 そして柱と同じ赤い光に包まれてから少しして。頭部の髪色と装飾が象牙色と赤ベースに変わり、黄金色のシャチホコの髪飾りを携えた成岩が姿をあらわした。

 

「成岩氏、それは……」

「話は後だ。下がってろ、只じゃ済まないかもしれんぞ。……《イシカリサンダー》!」

 

 髪飾りの間から放たれた成岩による雷撃が、柱に突き刺さる。

 それは柱の表面に……いや、柱の表面を覆う赤いシールドにひびを入れて、それを割り切る勢いで削っている。

 

「柱が、砕けようとしている……? 何が起きてるんだ?」

「知らんのか? ありゃバランスのシールドだ。だからこうすりゃ割れるんだ、よ!」

 

 成岩が攻撃を止めれば、限界を超えた柱のシールドが、割れた。成岩はにやけるも、その覆われていたものを見た次の瞬間、その笑顔は急に険しいものになった。

 そこにあったのは、シールドの割れる前と何一つ変わらない柱の姿。再びオオカリベを突き立てれば、また同じようにシールドに阻まれている。

 

「シールドの内側にシールドだと? 2枚で済む……訳が無いな。まさかとは思うが、この赤色、()()()()()()()()()()()()()()()()ったりしないよな?」

 

 そう言いながら、成岩はシールドに手をおく。……僅かにではあるが、柱が外に拡がって、押し返されているのを、彼は感じとった。鮫の歯めいて内側からどんどんとシールドが形成されているのだ。

 成岩は思考の渦に入りながら、計算を回す。そもそも複数のシールドを張ってくるノリモンですら、成岩の知識の中にはない。その上何枚あるのかすらわからないシールドを削りきることなど、果たして実行しうるものなのだろうか?

 そんな成岩に、現実に戻ってきた仲木戸がようやく声をかけた。

 

「だから言ったんだ、()()()()()()()()()って。表面に単独でひびが入る程とは思わなかったが、数十人で攻略しようとしてそうなってもこの通り脱皮しておしまいなのさ」

「……理論上は可能性がありうる、ってレベルだな。このシールドを割るのは」

「さぁ、もっと下の階層に……っておい、理論上は行けるのか?」

「まぁな」

 

 だがしかし、本当に割り切ることができるかは当の成岩本人にもわかっていなかった。

 シールドにいくらダメージを蓄積しているとて、外部からの圧力があればそのシールドは割れるかわりにそこにとどまり続ける。それ故に、シールドを割るには一度攻撃の手を緩める必要がある。その手間と時間を考えると、シールドを1枚割る時間があればその1つ内側のシールドを前進させて外側の位置に持っていくことは容易なように思えた。

 だが、いくら玉ねぎめいた多層構造になっていようが、必ず限界というものはある。その皮を剥き続ければなくなるように。つまり、シールドの補充が間に合わない程に早くシールドを割りつづけることができれば可能なはずなのだ。

 

「問題は、内部でどれだけの早さでこのシールドを補充できるのかってとこだな。それによっちゃ当然不可能だ」

「お前すごいな、この柱の構造までわかるのか」

「ほぼ推測だぞ。俺が柱の主ならそうするってだけだ」

 

 主? その単語は、仲木戸にはいまいちすぐにはピンとこなかった。そんな彼の顔を見て、成岩はさらに言葉を加えた。

 

「シールドには内側と外側が明確にあって、内側には必ず持主がいるんだよ。つまりこの柱、間違いなく中に誰かがいる」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3レ前:継続会議

 新小平、JRN1号館。年末の仕事納めも終わり一般的には休暇となっている者も多いこの12月27日月曜日、ここは未だにピンと張りつめた空気が漂っていた。

 25日に発生したルースの落し子への対応。それで行方不明となった8人のトレイナー、そして武蔵国分寺公園に残された『無』。JRN発足以降最悪の事態と言ってもいいこの状況に、年末年始の休暇をとっている余裕など存在するはずもなかったのだ。

 

「まずはナリタスカイより武蔵国分寺公園の『無』の調査報告をさせてもらう。かの『無』はラッチのような一種の結界、具体的には超次元的に屈折させるタイプの界面に近いものである可能性が最も大きいと現時点では考えている」

 

 そう言いながらナリタスカイはこの継続会議の参加者に向けて動画を再生した。彼の説明によれば、これはまっすぐと界面に向けて突き立てた棒の先端に取り付けられたカメラにより撮影されたものだ。

 その映像には、なんとも奇妙な様子が映し出されていた。まるでガラスレンズを押し付けたかのような干渉縞のような模様がうかびあがったかと思えば、次の瞬間には明転したり、その次には様々な模様が回転しながらその軌跡で螺旋を描きだす。まるでパソコンのスクリーンセーバーのような映像であるが、これは実際に撮影されたものなのだという。

 

「そして手元に手繰り戻したカメラに異常がないことを確認した後にレールを挿入し、そこから外れぬように一往復の走行を行った」

「突入したのか? 『無』に」

「あぁ。不思議な空間だったよ」

 

 スカイが言うには、無の先にあるのは押し潰した麻布のようにも感じられる、だらだらと続く空間だったという。時折ごく小さな刺すような感覚がして、痛みとなることもある。だがその目に映る景色は、撮影されたものと違いはなかった。そしてそこから戻るときにはほとんど動いていない一方で眩暈に襲われてかつ、その中で未知の目的地へと繋がる綱に引っ張られて進むような感覚がして、武蔵国分寺公園に戻ってきたのだという。

 

「1つ言えるのは、あの線路を外れていたら俺はここに戻ってこれたか解らないということだ。()()()()()()()()()()8()()()()()()()()()()()()。取り急ぎの報告は以上だ、現場では今も博士達が測定機器を『無』に挿入しているだろうから、次の報告の時にはまた何かしらが判明していると思う」

 

 その報告を聞いて、一部の者は戦慄した。まだ特性もわかっていない、測定機器すらも入れていない謎の空間に足を踏み入れるなど、なんと不用心なことか、と。カメラに異常が見られなかったからだとスカイは言うが、それでも恐ろしい事であるのに変わりはないだろうというのが多くの者の見解だった。

 

「……ハツカリ号」

「サイクロの長として、本件調査報告のまとまるまで再突入を禁ずる」

「承知。博士にも伝えておきます」

「おい待て」

 

 まさか鳥満絢太も立ち入ってはいないだろうな。ハツカリはそう問おうとしたが、すぐさま問うのをやめた。愚問だからだ。既に立ち入っていないわけがない。

 それからいくつかの質疑を交えたのち、『無』の調査に戻ろうとしたスカイを引き留めて、本題となる話題――行方不明となったトレイナーの捜索と帰還へと会は進んだ。

 

「まずは進捗から。8人のうち2人とは連絡がついた。だが同様の手法では、残る6人とは連絡を取ることが不可能だ」

「なんだって!?」

「eチッキを用いたものだ。ゆえに先行運用を開始しているドラコ・ユニットの2人とのみ連絡がついている形になる。だがその2人の置かれている状況は他の者もそうであると推測されるので、共有しておきたい。氷川君」

 

 トシマに呼ばれ、今度は氷川日枝が報告を始めた。曰く、2人は別の次元に流れ着いている、と。

 それを聞いた途端、また会議室はざわつきはじめる。そのほとんどは信じられぬとでも言いたげのものであったが。

 

「別の次元に、知的生命体が?」

 

 その言葉に反応したのは、まさに今会議を抜け出して西国分寺へと向かおうとしていたスカイであった。彼は氷川の報告を聞くなり出る準備をやめてメモ帳と筆記用具を取り出し、その公開された情報から真実にたどる道を探すモードに入っている。

 

「超次元はあらゆる可能性を否定するものではない。俺たちのいるこの次元と同じように文明があったっておかしくないだろ?」

 

 鳥満ら超次元論者の間の共通認識では、この次元の外側には無数の次元が存在しているとされる。そして無理数が任意の有限の長さの数列を内包するように、次元の可能性は無限であり、どのような次元が存在していても不思議がないのである。

 

「長崎の件でS(シールド)バーストが超次元的な外力を与えうるは裏付けられていた。今回の事象もそれに類似するものとして私は見ている」

「つまり、他の6人も2人のいる次元にいると?」

 

 その、どこかから聞こえてきた疑問。それに対し、肯定の言葉が返ってくることは無かった。

 

「前提をはき違えている。俺が確認した限り、その文面からはどうも中泉と星野は()()()()()()辿()()()()()()()と考えるべきだ」

 

 そしてまた、会議室はざわついたのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3レ後:決起

 東京都国分寺市、都立武蔵国分寺公園。

 戦いの傷跡として『無』の遺された円形広場は、未だに厳重な警戒態勢が敷かれ、有識者による調査が昼夜通じて行われていたていた。

 

 そして、その様子を遠くから望む者が、独り。

 

 Cycloped。五元神のうちの1柱だ。

 

「まさか、ここまで大きくなっちゃうとはね。封印されてる間にもパーシーが力を分け与え続けてたのかな? いや、でも」

 

 あんなめんどくさがりやのあの子がそんなことするわけないよね。そうつぶやきながらCyclopedはこの次元を後にして超次元の彼方へと向かった。反対側から『無』を覗き込むために。

 Cyclopedはこの『無』が何たるかを知っている。この『無』はルースの落し子が次元に開けた穴であると。そしてこの穴を正しく整備して門としてしまえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ――そして、シエロエステヤードがそれを目的に活動していることも。だからこそ、その穴がここまで肥大化していることに興味を強く持ったのだ。

 『無』の裏側から近寄ってゆくCycloped。そこで超次元の力の流れを感じるにつれて、彼女の瞳の色には次第に興奮の色が差されてゆく。それはこの穴が彼女の想定よりも、ずっと素晴らしいものであることに因るものだった。

 

「なるほどね。ここでこれを門にしちゃうことはとってもかんたん。だけど……それじゃ、面白くないよね」

 

 『無』の裏側で、Cyclopedがそうつぶやいたとき。棒が一本、するすると穴の向こう側から伸びてきた。鳥満らがこの『無』の調査のために挿入したものである。

 それをみてCyclopedはまた1つ面白い事を思いついて――その棒をガシリと掴んだ。少しすると、向こう側で何か引っかかりを感じたのだろう、棒は上へと引き上げられて、そして彼女もまた『無』と呼ばれる穴を通過して、武蔵国分寺公園へと現れたのであった。

 

「みんな! 誰か出てき……嘘でしょ」

 

 棒を引き上げていた佐倉空は、その姿を認めるなりその存在がいかなるものであるかを認め、驚愕の声を上げた。そして棒と共に現れたその存在を『無』の横にていねいに移動させると、同じように驚く者もいる他の調査員の横に並んで、その存在と向き合うように立つ。

 

「Cycloped、様……?」

 

 誰かがそう、呟いた。その名を知らぬほど無学なものなど、そこにいるはずもなかった。

 そして自分の名を呼ばれたのを認識したCyclopedは、ゆっくりと起き上がって、その言葉に返したのだった。

 

「うん、そうだよ。はじめましての方ははじめまして、かな」

 

 その挨拶で、まだ驚いていなかった者たちも驚くことになったのだった。

 

 ◆

 

 シエロエステヤード。欠痕の門を閉じ、かわりの門をたてることで全てのノリモンに祝福を届けるべく、スタァインザラブを筆頭に活動する集団である。

 そんな彼らもまた、『無』をながめていた。公園の周囲は警視庁とJRNにより封鎖されているが、公園の北側には中央線賀走っている。この駅間の定期券を購入し一区間を何度も往復することで、わずかながらも武蔵国分寺公園の『無』を観測し続けることができるという魂胆である。そうして各々が何度もその『無』を目に焼き付けた後で、彼女らは国分寺市内の拠点の1つへと移り、今後の計画の確認に入った。

 

「どう思われましたか、スタァ様」

 

 ブゥケトス――JRNを襲撃し、ルースの落し子の封印を解いた当のノリモンが、そうスタァに問いかける。

 

「想像以上だよ。あれならばきっと、半年もすれば立派な門が作れる」

「半年も!?」

 

 そう驚きの声を上げたのはジュゥンブライドだ。彼は長くても四半期程もかければ門ができると考えていた。

 

「今もあの穴がJRNの管理下にあって、それが当分解けなさそうだからね。まずボク達の管理下に一部を置くだけでも1ヶ月、そこから少しずつ門を作りながら仮の門を作り上げるのに3ヶ月。あとは妨害による進捗の遅れを考慮して2ヶ月かな。もっとかかるかもしれないけど」

 

 スタァが懸念しているのは、JRNによる妨害だ。彼女はノリモンになる前から、姉たるトシマの性格を知っている。故にこの門の構築をトシマらが妨害しにかかってくることは容易に想定できることだった。

 トシマは力による現状の変更を認めない。現在のパワーバランスを保ち続けることこそが最善であり恒久的な平穏をもたらすものだと思っているがゆえ、後手後手で均衡を取りに来るか、あるいは均衡を崩す行為を妨害しにくる。それは進歩を拒み、停滞を招くものであるとスタァは考えているが、トシマはそれを正しいと信じて疑わないのだ。

 そして門の建造は間違いなく、このバランスを崩す行為にほかならない。ならばトシマは必ず妨害を試みるだろう――それがスタァの認識だった。

 

「でも、トシマ姉さんより情報を持ってるのはボク達だ。そこのアドバンテージがあれば、遅くはなっても必ず門を開ける。そのためにも……みんな。改めて、力を貸してくれないかな」

 

 スタァはここに集まる他の4名を順番に見つめた。ブゥケトス。ヱンゲェジリング。ライスシャワァ。ジュゥンブライド。みな、スタァの考えに賛同し、新たな名を授かった者たちだ。

 4者は次々とそのスタァの言葉に同意し、円陣を組むように伸ばされた手の上に手のひらを重ねた。

 

「ファイ・オー!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3デ:羽田空港の夜

 中泉良平の辿り着いた次元は、ノリモンのいない次元だった。にもかかわらずトレイニングは可能であり、背筋が薄ら寒くなるような不気味な感覚を彼は覚えた。

 幸いだったのは、eチッキによるJRNとの連絡が双方向で可能だったこと。トレイニングが可能ならばとダメ元でユニットのリーダーたる氷川へと送ったメッセージに、返信が戻ってきたことで、今いる場所とJRNとの繋がりが失われてはいないことがわかったことだけが、彼の心の支えとなっていた。

 

「本当に、近くて遠いところまで来ちゃったね……」

 

 深夜0時10分、羽田空港第3ターミナル。年末年始の繁忙期だというのに、人の気配のほとんどないこの野営地の様子を見て中泉はそうつぶやいた。

 この東京では……いや、世界中でスペイン風邪に匹敵する疫病が大流行している。ワクチンの開発や人々の慣れもあって日常を少しづつ取り戻してきてはいるが、水際対策としてほぼ鎖国状態のままで、国際線のターミナルたるここに活気は存在していない。

 

「夜を明かすだけの僕にとっては、静かな方がありがたいけれど。賑やかなこの場所……いや、違うか。賑やかな第3ターミナルを知ってるだけになんだか少し寂しいね」

 

 長い4人がけのソファにかけ、eチッキ端末にケーブルをつなぎ充電する。もうだいぶ慣れてきたとはいえ、自分の知る存在がないのに電源の規格が同じなのは、中泉にとってやはり奇妙な感覚だった。

 そうして中泉はぼんやりと出発カウンターの方を眺める。出発案内の液晶には黄色の欠航の文字が並び、無人のカウンターはまるで世界が終わってしまったかのような印象さえ与えてくる。

 空港といえば、この次元では航空業界に20年前に発生した大きな出来事もまた、中泉の記憶とは異なっていた。

 2001年9月11日。中泉の記憶ではこの日に起きたはハイジャック事件は、ニューヨーク・ニューアーク発サンフランシスコ行きの航空便がハイジャックされ、ワシントンD.C.のホワイトハウスに直撃したものだった。時の大統領こそフロリダ州の小学校の視察のため不在であったため難を逃れたが、副大統領や多くの閣僚を含む政務官が犠牲となった。

 だがこの次元では、この事件で建物に衝突した航空機は3機にも上り、未遂となってペンシルベニア州に墜落した航空機――中泉の記憶にある、ニューアーク発サンフランシスコ行の航空便だった――の乗客乗員も含めておよそ3000人もの被害を出した、非常に大規模なテロ事件として記録されていた。その後にアメリカがイラクとの戦争へと突っ込んで行ったのは中泉の知る歴史と違いはなかったが……。

 

「歴史に修正力がはたらいているのかな、大まかな歴史は変わらない……ってことなのかもしれないね。それに、ルースの落し子も」

 

 当然ながら、この次元にクィムガンは発生していない。それによる海上交通の閉塞も然り。その結果として歴史はどう動いたか。

 驚くべきことに、この次元では未だに朝鮮戦争が終結していないのだ。海上封鎖により日本からの補給が途絶えてジリ貧となって南側陣営が敗北した中泉の知る歴史と異なり、この次元では供給が続いて南北の勢力が拮抗し、その結果として今でも朝鮮半島は2つの国家に割れているし、偶にミサイルが日本に飛んでくることがあるのだという。

 ミサイルなど航空系のノリモンの力があれば無力化は難しいものではないのだが、ノリモンのいないこの次元ではそうも言っていられない。それがまた、大問題になっているのだとか。

 

「……とりあえず、今日の報告はこのくらいかな。しっかし、こっちの次元の情報なんかあったってJRNにはなんのメリットもないと思うんだけどなぁ。これが僕たちの知らないようなノリモンの本質を知ってる次元だったらそうでもないの……に……?!」

 

 その質問を本部がしてきた意図は何かというところまで気が回って、中泉はようやく気がついた。気がついてしまった。自分の身の回りで精一杯だったからこそ、気づかずに済んでいた事実に。

 あの時、S(シールド)バーストに呑まれたトレイナーは何人いた? ()()()()()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()()

 ――否、そんな訳がない。だからこそ、この次元の情報を聞いてきているんだと。同じ次元に飛ばされたのではないかということを確認するために。

 

 だとしたら。

 

「eチッキを持っていない、カリーナやウルサのユニットのトレイナー達は? もう一人前とはいえ、新人が……3人!」

 

 もし、同じ次元にいるのならば。連絡を取れる僕が探しに行かないと。きっと昨日の僕と同じように、途方に暮れているはずだ。

 

「名簿。そうだ、名簿を」

 

 中泉はeチッキを開き、追加のメッセージを入力した。あの時ラチ内にいたトレイナーの中で、僕と同じような境遇になっているトレイナーがいるのならば教えてほしい、と。

 

「僕1人が、くよくよしてる訳にもいかない。eチッキがあるだけ僕はまだマシな境遇なんだ。それから……」

 

 中泉は少しブレインストーミングをして、明日以降の行動を決めた。JRNに帰還するために、共にJRNに帰還すべき者を探し出すために。

 そうして中泉は目を閉じ、朝に備えて一旦の休息に入った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4便前:保護

「それが、君の本当の姿か」

 

 会長さんはクシーさんの力を身にまとった僕を見てそう言った。なるほど、会長さん達から見るとそういう認識になるんだ。

 ここでのノリモンと人間の在り方はまだよくわからないけど、反応を見る限りでは人間がノリモンの姿になることを多少驚きは擦れど別段不思議がっている様子もない。つまり、トレイニング的な何かが行われてるってことなんだろう。

 

「いいえ、違いますよ」

 

 そう言いながら、僕はトレイニングを解いた。今度もまた、あまり驚いている様子もない。

 

「こっちの姿が、僕の本当の姿です。さっきのは知り合いの力を借りてただけです」

「知り合いの、力を借りる……?」

 

 そしてこの言葉には、会長さんもトウマさんも頭をかしげて、お互いに目線で何らかのやり取りをしている。どうやらこの概念は学園にはないらしい。うーん……?

 

「……すまない。申し訳ないのだが、私達は今の言葉の意味がいまいち咀嚼することができていない」

「力を借りるってことは、その姿の子がまた別にいるってこと?」

「端的に言えば、トウマさんの言ってる通りです。さっきのはクシーさんの力をまとっていたわけなんですけど」

 

 そう言いながら、僕は今度は別のチッキを手に掴みトレイニングする。青い光が、僕を包み込んだ。

 そして小さな声でいつもの口上を読み上げれば、今度は銀色を纏った姿となって光が晴れる。

 

「このように、別の知り合いの力を纏うことだってできる訳です」

 

 すると会長さんは机を離れてこちらの方にやってきて、近寄ってから僕の姿をまじまじと見つめている。

 ……なんだろう、けっこう恥ずかしいような。どうにかならないかとトウマさんにアイコンタクトを送ってみるも、諦めろとでも言いたげな感じの目線が戻ってきた。どうやらどうにもならないらしい。

 そして彼女が反時計回りに僕の周りを観察しながら1周し終えると、僕と向き合うような位置に立って、僕の顔をまっすぐと見つめて言った。

 

「これはこれは、本当に興味深いね。君、この学園の外に出てもいく当てがないのだろう? トウマから先ほど話をもらった時は本当にそうするべきかどうか定かでは無かったけれど、今決めたよ、君を学園で保護しようじゃないか。この学園の中にいる間は君の身分と自由と衣食住を保証しよう」

 

 会長さんの右手が僕と会長さんの間に伸びて、そこに僕の右手が伸びるのを待っている。そして顔を上げれば、彼女はにこりと笑っている。

 僕はこの次元の事を何も知らない。ならば。この差し伸べられた手を掴むのは、そんなに悪い選択肢じゃないように思えた。

 

 だから僕は、その右手に右手を重ねた。

 

「決まりだね。これからよろしく頼むよ」

「こちらこそ、右も左もわかってない僕なんかを受け入れてもらって」

「ふふふ。君のことが分からないのはこちらも同じこと。だからこそ価値があるというものではないのかね?」

 

 そういう会長さんの目には、確かな意思が固くあるとともにその周りを僅かな狂いの色が漂っている。それはJRNで研究に夢中になっているみんながしている眼とあまり相違ないものだった。

 

「さて、君を受け入れると決まった以上、いくつかの事務的な手続をしなくてはならなくてね」

「それはまぁ、そうでしょうね」

 

 会長さんは応接用のソファに案内して、そして自身の机からいくつかの書類を見繕いながらそう言った。

 まぁ書類を書くくらいなら普段の活動でも意外とさせられているので苦にはならない。めんどくさいけれど。

 

「それで書類を作成するにあたって、差し当たって君に決めてもらわなくてはならないものがあってだね」

「決めるべきもの……?」

「あぁ。とても大切なもの……どの書類を作るのにも、必要なものなんだ」

 

 そう言いながら書類の束をコンコンと応接用の机で纏めて僕の方に正位置になるように置くと、一番上となった書類の上に左手を置いてから会長さんは再び僕の目を覗き込んだ。

 

「この学園の中での、新しい君の名前だよ」

「僕は山根真也です。それ以上でも以下でもないのですが」

「それは人間としての名前だろう? 私だって持っているよ。だがそれはこの学園の中では用いられることはめったにない。私の『シンカリムドルナ』のようなカタカナの名前でお互いに呼び合っている」

 

 ……ん? 人間としての名前を?

 そんな疑問を浮かべていることも露知らず、会長さんは淡々と言葉を続けている。

 

「これには真面目な理由としょうもない理由があるのだが」

「真面目な理由は……」

「一般の人間よりも私達ははるかに強大な力を持ってしまっている。それゆえに一目でそうだと分かる名前で区別することが求められているのだよ」

 

 まあ、これはなんとなくわかる。というか元の次元でもノリモンの名前がカタカナなのは人間の名前と混用されないようにするためだというのが大きいと小耳にはさんだこともあるくらいだし。

 

「それで、しょうもない理由は?」

「基幹システムが古くて半角カタカナしか受け付けないんだ」

「それは3秒で改修して?」

 

 座っているのにずっこけそうになった。会長さんは苦い笑みを浮かべている。どうもそのシステムをもとにどんどんと外部システムを拡張していった結果いまさらそこをいじるわけにもいかなくなっているのらしい。

 だけどまぁ、こっちもわからなくもない。そもそも、僕の元居た次元でも、元来は電報でやり取りを行ってたことにルーツがあってカタカナの名前になった歴史がある。それが初期のコンピュータ通信で都合が良くて継続されて、そして今でも伝統として続いてる面もあるんだとか。

 ……あれ、これあんまりこの学園のシステムの事笑えないな。

 

「まぁ、こういった理由で名前が必要なのだよ」

「なるほど」

 

 それにしても、ノリモンのようなカタカナの名前か。考えたこともなかった。

 会長さん曰く、多くの人はスーッとその名前がおぼろげながらに頭の中に浮かんでくるものらしいのだけど、流石に僕はそう言うこともなく。

 さて、どうしたものか……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4便後:名前

「さて、新しい君の名前を教えてくれないかな」

 

 ぱっと思いついた自分を示すカタカナの文字列は、コールサインたるウルサロケットだった。

 だけどこれは違う。役職の名前であって、今僕に割り当てられてるだけで僕固有の名前として使っていいものじゃない。だから却下だ。

 同じような理由で、当たり前だけどクシーさんやポラリスの名前を借りるのもなし。どっちも僕の名前じゃない。

 

「……ごめんなさい。ちょっとすぐには思い浮かばないです」

「そうか。しかしその名前がないと手続を進められないのだが」

 

 どうも学園内部じゃ全てそのカタカナの名前で決裁や処理が行われる都合で、本当に名前を決めないとどうしようもないらしい。それでいうとこの手元にある書類の束も、パラパラとめくってみればもちろん全てそっちの名前での署名が必要になるみたいで、本当に何もできなさそうな雰囲気が漂っている。

 

「決めなきゃだめかぁ……。もう下の名前そのまんまマヤとかじゃダメですかね」

「少し調べてみようか。……あぁダメだ、過去の名簿と競合している」

 

 名前かぶりもダメなんかい! 一体いつの時代のオンラインゲームか何か? いやカタカナしか入力受け付けない時点でだいぶ古いシステムなんだろうけれど……。

 そもそも、既に学園を去った方の名前までチェックする必要なんてあるのかなぁ。

 

「それ、思い浮かんだ名前が被った時にどうしてるんですか……?」

「私もいくつかの例を知っているし、同じ名前で4回別の人が申請を出して跳ねられた事例も見ているよ」

 

 ダメじゃん。システムが。JRNにも同じ名前のノリモンが複数いる例はいくつかあるけれど、実務上困ったという話を聞いたことがない。なんならベガさんなんて各派閥にそれぞれいるレベルだし。

 そう思い出しながら会長さんの話を聞いていたら、どうやらこの学園でもそれが多重に発生した名前はベガなのらしい。次元が変わっても、よくつけられがちな名前は変わらないようだ。

 

「その4回の例はみなちがう手段で解決していたよ。1人目はヴェガ、2人目はオリヒメ、3人目はベガザスター、4人目はトリプルマウスを名乗ることになった」

 

 ヴェガさんは、微妙に表記を変えて被りを回避した。

 オリヒメさんは、連想される別の単語を用いて被りを回避した。

 ベガザスターさんは、別の単語を付け足すことで被りを回避した。

 トリプルマウスさんは、思い切って全く違う名前に変えてしまうことで被りを回避した。

 この中のどれかと同じ事をしろ。それが、会長さんの意図なのだろう。

 ……それにしても。

 

「ベガが2回も被ったのによくオリヒメが空いてましたね……」

 

 というよりもむしろ、誰もオリヒメとは名乗らないのにもかかわらずベガが3回申請される程にはやっぱり星の名前というのは名前として付けられやすいのだろうか。ポラリスだってこのあだ名は星の名前だし、JRNのユニットの名前だって星座に由来した名前がついている。

 星、星かぁ。

 

「……あ」

「何か思いついたのかい?」

「思い出したんです。昔に『君には必ず、この名前が必要になる時が来る』って言われたことを」

 

 そう、それは僕がまだ小さかった頃。その日は父さんが夜勤だって聞かされてたから、夜に日が暮れてからもコロマさんと一緒に星を見ていたっけ。

 あの時コロマさんは、星は道筋を示してくれる大事なものなんだって教えてくれた。周りに何も見えない闇の中でも、時計と照らし合わせて星空を見れば、今自分がどこにいるのか、そしてどこに向かって進んでいるのかがわかるんだって。

 そしてその時に一緒に、こう言われたんだ。

 

『ボク達がそのうち離れ離れになっても、きっと同じ星空を見ていて、そしてボク達を繋いでくれる。この大切な星空にちなんで、真也に大切な名前を』

『名前?』

『うん。忘れちゃダメだよ。君には必ず、この名前が必要になる時が来るんだから。星空、という意味の遠い遠い国のことばで――』

 

 名前が必要になる時。それってきっと、今のことなんだ。

 ならば。どこまでこの事を見通していたのかは知らないけれど、コロマさんにもらったこの名前を使わせてもらおう。

 

()()()()()()()()()

 

 そう声に出すと、不思議とその名前がしっくりと体になじむような気がしたんだ。

 

「なるほど、いい名前だ。今までに使われては……いないね。ならばこの学園の中で、今この時から君はシエロエステヤードだ」

「はい!」

 

 それからパシャリと顔写真を作成してから学園のシステムに登録するため、最初に記入した書類をトウマさんがどこかへと持っていった。そして僕が残りの書類を会長さんの手ほどきを受けながら埋めてそれが全て終わるころに、彼女は1つの封筒を持ってようやく戻ってきたのだった。

 

「これ、君――いや、こう呼んだ方がいいね。シエロのだよ」

 

 開けるよう促され、中を開くと。プラスチックのカードと三つ折りにされた文書が入っていた。そして、そのプラスチックのカードには。

 

「シエロ、エステヤード」

 

 そのさきほど決めた名前が、しっかりと刻まれていたのだった。

 それをまじまじと見つめる僕の様子がよっぽどおかしかったのだろう、会長さんは一度だけぷっと噴き出すと、少ししてから僕の肩に手を置いた。

 

「ともかく、それがあればこの学園の中での身分は保証される。無くさないようにな。再発行には手数料がかかるぞ」

「無くしませんって」

「それから、だ」

 

 会長さんとトウマさんはまた真面目な顔になると、ふたり並んで僕の前に立った。

 そして、揃って穏やかな笑みを浮かべると、僕に向かってこう発したのだった。

 

「生徒会長として、君を学園の仲間として歓迎しよう。シエロエステヤード君」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回4便:迷い人

「へえ、あの子をねえ」

 

 クモエコロは生徒会からの連絡を受けてそう呟いた。

 きっかけは昨日の夕方の事。彼の仕事場に、後輩にして教え子でもあるトウマがその子を背負ってやってきたのだ。

 

 ◆

 

「どうしたトウマ? その子は? 見ない顔だけど」

「さっき空に穴が開いて、そこから落ちてきたの」

「は?」

 

 トウマは嘘をついている。その言葉を聞いてクモエコロはまず直感的にそう思った。だが、少し息をおいて考えるとそれはそうではないかもしれないという可能性にも至った。

 第一に、トウマはいたずらで嘘をつくような人ではない。これはクモエコロが指導者として、彼女の人となりをみてきたからこそ間違いがないと言えることだ。

 第二に、トウマの顔は真剣そのものだった。それに彼女のまとう雰囲気も然り。人をだまそうとしている者のそれとは、大きく異なっていた。

 

「……とりあえず、そこのベッドは使っていいことにしよう」

 

 それに弱っている人を放っておくこと自体、クモエコロの養護教諭としてのプライドが許しやしなかった。

 パッと見今すぐに何かしらの外科的な手術が必要なほどの大きな怪我をしているわけでもなければ、顔色が極端に悪かったり発熱していたりするわけでもない。目が覚めてうごけるようになるまでは独断でここに置いておいても罰は当たらないだろう。クモエコロはそう考えたのだ。

 

「ありがと」

「その代わり、何があったのかは聞かせてもらうけどね」

 

 トウマの連れてきたその人間の青年を触診を兼ねて楽な格好にしてからベッドに寝かせ、布団をかけるクモエコロ。心拍数も穏やかなので、しばらくすれば目を覚ますだろうと判断し、カーテンを閉めて区画の外に戻った。

 その頃ちょうど、トウマが紙袋に青年の所有物を纏めていたところだった。そこにクモエコロが脱がせたいくつかのものを入れようとしたとき、ふとその中のものに目が行ってしまった。

 

「……車輪?」

 

 僕達ならともかく、なぜふつうの人間がこのようなものを? クモエコロは訝しんだ。

 その様子をトウマは見逃さなかった。

 

「ね、へんな子でしょ?」

「まぁね。聞かせてくれるよね、この子を見つけた時の事」

「もっちろん。だってその時から変だったんだもん」

 

 トウマはしっかり頷きながらそう答えて語りだした。

 

 それは生徒会の業務を終えて、トウマが寮に戻ろうとしたときのことだった。普段は通らない道だけれど、なぜか今日は広場の方を通って寮へと戻っていた。

 そして広場に差し掛かった時、誰かの声が聞こえたような感覚に襲われた。その広場には五元神の彫刻がそれぞれ置かれていて、トウマが感じた声の方を振り返ればそこにはSans Pareil様の彫刻が鎮座している。

 トウマはその彫刻の方に駆け寄って、自然とお祈りを捧げていた。そして今度こそはと寮に戻ろうとして振り返った時、広場の真ん中の空に奇妙な穴が開いていたことに気がついたのだ。彼女はその穴から目を離せなくなった。

 そして間もなく、その穴から投げ出されるようにこの青年が飛び出してきて。トウマが危ないと思って駆け寄って彼を受け止めた時には、空にあったその穴は消えてしまっていた。

 

 その話を聞いたクモエコロは、そんな莫迦なことがあるのかと率直な感想を抱いた。

 だがしかし。その五元神の広場では不思議な体験をしたという生徒が多いのもまた事実。それはかつて生徒だったころのクモエコロ自身もまたそうであった。

 

「だとしたら、あの子はどこから」

「わかんない。だけどさ、聞いたことがあるんだ。平行世界ってものがあるかもしれないよって」

「まーたシャイの戯言かい? 莫迦莫迦しい……と言いたいところだけども」

 

 もしかしたらこの場合は本当に実際にシャイに話を聞いた方がいいのかもしれないな。そんな考えがクモエコロの頭の中をよぎった。そしてそれを確かめるために紙袋の中に手を突っ込んだのだった。

 

「なにしてるの?」

「一応、あの子の持ち物の中に連絡先が分かるものがないかをね。うちで保護してることは伝えておいた方がいいでしょ?」

 

 クモエコロがポーチの中を失礼すれば、そこに財布を見つけた。そしてその中を開き、連絡先の記されているものはないかとカード類を抜き出す。

 

「これは銀行キャッシュカードで、これはポイントカードで。これは……おっ、職員証だ。山根真也というんだね、彼は」

 

 そしてその職員証に記されている電話番号に、クモエコロは電話をかけた。

 ……()()()()()()()()()()()()

 

「嘘でしょ?」

「どうしたの、先生」

「電話が繋がらない。電話番号が使われてないんだ」

 

 そしてまじまじとその職員証を見れば、山根真也が所属していることになっている組織と所在地の組み合わせにも違和感を覚えた。東京都小平市小川東町に、こんな名前の独立行政法人はあっただろうか? 仮にこれが偽物だとして、こんな精巧な偽物を作ってまで財布の中に常駐させるだろうか?

 これは本当にシャイに話を聞いた方がいいかもしれない。この時初めて、クモエコロは彼を頼ろうと思ったのだった。

 

「もしもし、シャイ? クモエコロだけど。……いや、お叱りではないよ、君に意見を聞かなくちゃいけないかもしれなくなってね。流石に今日はもう遅いから明日の朝か昼あたりで……いつでもいいの? じゃあ朝8時ごろそっちに行くから」

「先生、もしかして……」

「うん。彼は本当に、この世界の人じゃないかもしれない。この荷物は生徒会の方で預かってもらえるかい?」

「わかった」

 

 そしてクモエコロはカードを元通りに戻してから、トウマに荷物を託したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5便前:入寮

 寮。組織が構成員向けなどに設置する、多人数の住居だ。特に教育機関の学生や生徒向けに置かれたものは、学生寮と呼ばれている。

 

「まさかまた、学生寮に入ることになるとはね」

「またってことは、前に入ってたことがあるの?」

「スクールの時に、3年だけ。それからは借り上げの職員寮だから、普通のアパートみたいなものだったし」

 

 スクールの時の寮は、部屋こそ別々だったけれども水回りは建物で共通のものを使っていた。どちらかといえば、住宅というよりはビジネスホテルとかの客室に近い感じの部屋だったし、料理なんてできる設備は部屋に無かったから決められた時間にみんなで食堂でご飯を食べていた。そしてこの学園の寮も、やっぱりそういう感じのものらしい。

 

「あの、食事にお金とかは」

「いらないよ?」

「流石にただ飯は申し訳ないというか……」

 

 そう答えると、どうも生徒会は僕の持っている異世界の知識に大して相応の価値を見出しているとのことらしい。

 知識なんて言われても、僕が持っているものなんて専門の入口程度に過ぎなくて、そんなに価値はない思うんだけどなぁ……。

 

「そんなことはないよ。だって君さ、とっても落ち着いてたじゃない?」

「慌てても帰れるわけじゃないですから」

「そう、それ! その反応をしてる時点で、この世界の誰よりも詳しいってことだと思うの」

 

 どういうこと? と思ったら、どうもトウマさん達の感覚だと、仮に異世界に飛ばされたとしたらそんなに落ち着いてなんていられないとのことで。そもそも、異世界自体が――中には本気で信じている人もいるが――到底俄かには信じられるものではないのだと。

 そうは言われても、僕は超次元に飛ばされるのはもう2度目だし、なんなら1度目と同じシチュエーションで飛ばされている。そうなればもう大変なことになるのは目覚める前から覚悟はできていたようなものだ。元の次元に戻すとか言っておいて全然違う所に送ったリヂルさんは許さないけれど、それはこの際正直どうでもいい。本質的に言えば……。

 

「つまり僕達は異次元の存在を現実のものとして認識しているけれど、あなたたちはそうではないと」

「さっきまではね。でもシエロの話を聞いてたら本当にあるんじゃないかって思えてきたよ」

「本当にあるんですよ」

 

 そんな話をしながら歩いていると、これからしばらくお世話になる――できればそう長くはお世話にはなりたくないが――寮が見えてきた。この学園にはハーベスト、ディザイア、ブライト、アイビス、ファルコンという5つの寮があって、ここはそのうちの1つ、ファルコンだ。なにか引っかかるようなネーミングなんだけど、具体的にどこで聞いたのかを思い出すことができるかといえば無理だし、そもそもなんのことなのかすらわかりそうで微妙にわからないような、そんなもどかしい感じのする名前だった。

 ファルコンの寮はロの字型の建物で、吹抜けの中庭をぐるっと囲む廊下の外側に個室が並んでいる形だ。そして廊下の内側には、各階毎の共用スペースとトイレや洗濯スペースなどの水回り、そして昇降施設があって、食事や入浴以外は最悪その階だけで生活が完結できるようになっている。

 そして1階のロビーの奥はちょっとしたホールになっていて、食事時はここが食堂がわりにもなるらしい。お風呂は地下に大浴場が1対。1フロアのスペースを大胆に使った広々とした設計だ。

 トウマさんはそう一通りの設備の説明をしてくれた後、僕にあてがわれた部屋まで案内してくれた。先ほど受け取った学生証をかざして電子ロックを解き扉を開けると、その中にはロフトベッドとその下に机、そして収納スペースががあるだけの、簡素だけれども落ち着いていてどこか懐かしいような、そんな小部屋が広がっていた。

 

「ごめんね、備え付けの什器は用意できてるんだけど、備品とか消耗品とかはまだ準備ができてないの。でも、一週間以内には揃うよう手配してあるから」

「なんか……いろいろありがとうございます」

「いいのいいの。気にしないで! それじゃ、またご飯時になったら来るから」

 

 そう言うとトウマさんは部屋のドアを閉めて去っていってしまった。そして僕はその部屋に1人残された。その場に静寂が訪れる。

 

「あ、れ……?」

 

 次の瞬間。どうしてか今まで感じないでいた不安と孤独感が、急に津波のように押し寄せてきて、止まることを知らない。

 そしてついには……涙までもが目から、あふれ出た。

 身体中の力が抜けて、すぐそこにあるベッドにすらたどり着けず、その場にへたり込む。

 

「どうして? 涙が、止まらない」

 

 帰ることができるのかという、不安。

 遠くまで来てしまったんだという、孤独感。

 そして――帰る術が本当はまだ手がかりすら掴めていないという、絶望。

 

「ユニットのみんな……ブライトさん……ポラリス……程久保に綾部……。会いたい、帰りたい」

 

 つい先ほどは半分笑いながら聞き流していた、トウマさんが自分だったらこうなっていたと言っていた状況に今更ながら陥って、抜け出すことができない。

 みんなは元気にしているのだろうか。心配をかけてやいないだろうか。いや、とっくに大騒ぎになっているに違いない。なのに僕は五体満足で元気だという報せの1つすらJRNへと届けることができないという無力感。それがさらに僕を苛んだ。

 

 最早意味を成す言葉の形をしていない慟哭をあげ、上半身を支える力すらもなくなって床へと倒れ込む。そして僕はそのまま意識を手放した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5便後:施し

 気がついた頃には、窓の外は闇に落ち、薄く赤い光がわずかに西の空に見えるだけになっていた。それと同時に、ドンドンと扉をたたく音が聞こえる。

 重い体を持ち上げてそちらの方へと向かおうとしたとき、ガチャリと外側から解錠されて扉が開く。

 

「あ……」

「あら? 起きてるじゃないのWake up」

「えーっ!? 返事をしてよね、シエロ!」

 

 外からやってきたのは、トウマさんともう1名、アップルグリーンの髪をしたやや大柄な方だった。鍵を開けられるってことは、たぶん寮の管理とかそういう感じの方だろうか?

 

「ごめんなさい、今さっき起きたところで。……その方は?」

「寮母のミノル先生。英語の授業もやってるの」

「はじめましてYou all right? あなたの事情は生徒会から聞いてるわHeard」

 

 そう独特な話し方で話すミノル先生。さすがに寮母の先生には話す必要があるか。

 とはいえ。

 

「こちらこそはじめまして。……トウマさん、他は生徒会からは誰に情報を?」

「うん? あとは学園の上層部だけの予定。それと、クモエコロ先生から1人、それだけになるかな。他の人にはただの転入ってことで」

 

 曰く、学園は一応学期制ではあるけれど単位制なのもあって、通年で転入生が入ってくること自体は珍しい事じゃないらしい。だから言わなかったらボロを出さない限りバレないだろうとのこと。

 ……そのボロが一番出そうなんだけどなぁ。

 

「まあ、それはともかく! そろそろご飯の時間だから呼びに来たの」

「もうそんな時間……そういえばこっち来てから何も食べてなかったな」

「でしょ? それならなおの事早くいかなきゃ!」

 

 そう言って、トウマさんは駆け出していった。僕達を置いて。

 

「あっこら、廊下は走っちゃダメですProhibit!」

「……僕を置いてったら意味がないんじゃ」

「ふふ。あの子、最近元気がなかったから空回りしてるんじゃないかしらLion's skin」

 

 えっ?

 それってどういうことだと聞こうとしたとき、廊下の先から声が聞こえた。

 

「シエロ、はーやーくー!」

「ほら、行ってあげなさいなFollow。……あ、走るのはダメよNo run」

 

 そう言ってミノル先生は僕の背中を叩く。促されるように僕はトウマさんを追った。

 その後で先生が僕の部屋の床のまだ乾ききっていない水たまりをじっと見つめていたことに、僕は気がつくはずもなかった。

 

 ★

 

 トウマさんに教わったところによると、この寮の食事の形式は、変則的な食事形式だった。

 2回の食事は午前も午後も時間は6時から9時までの3時間。このうち、最初から2時間は食べ放題のビュッフェ形式で、おかわりも原則自由。それ以降は定食スタイルで、それでも余ったものは遅くなった子のためにお弁当として用意される形だ。

 だからみんな朝は早起きするし、夜も寮には早く戻ってくる。胃袋を掴まれれば、行動パターンは簡単に変えられてしまう。中には少食だったりで空いている後ろの時間帯を好んでやってくる子とか、夕方は遊んだりしたい子もいるけれど、そういう子がいるのも織り込み済みでシステムとして出来上がっているのだという。

 まぁ、つまり。何が言いたいかというと。

 

「やっぱり。お腹空いてたんだ」

 

 ルースの落し子との戦いの前、昨日の朝ごはんから何も食べてなかった僕は、最初の1口をお腹に入れた瞬間に猛烈な空腹をようやく認知して絶賛おかわり中、という訳だ。

 普段はそんなにご飯を食べる方ではない……んだけど、流石にこれだけ食べていないと話は別で、体中が食べろと命令をしてくる。自分でも信じられないほどに口の中に、胃の中に食べ物が放り込まれるのに、それでもまだ足りないという恐怖。

 結局、大人気なくも片手では数えられないほどおかわりをして、そして全て平らげてしまった。

 

「ごちそうさまでした」

「ホント、よく食べたねえ。一度に全部盛ってたら絶対に目立ってたよ」

「いやいやそんなに物理的に盛れませんし運べませんって……」

 

 そう言う僕に対して、トウマさんは指を左の方に向けた。その先を見れば、顔も見えない程に高く積み上げるように盛られた料理を器用にも運んでいる者の姿が。絶対前すら見えてないでしょアレ。

 

「今は冬休みだからあの子以外は実家に戻ってるんだけど、この寮、あんなのが何人かいるから」

「見なかったことにしていいですか?」

「数日もしたら見慣れるよ」

 

 うわぁ、見慣れたくない……。

 そうは思いながらも、実際数日もすりゃ見慣れていそうな自分がいるわけで、ものすごく微妙な気持ちになった。

 

 それから部屋に戻ると、ミノル先生からの一通の便箋が机の上に置かれていた。入浴の後でもいいので、都合の合う時間に寮長室まで来てほしいとのことだった。

 ……入浴って言っても、着のみ着のままでこの次元に放り出された訳で、着替えなんて当然持ってないけど? それに、タオルだって……いや、待てよ?

 もしかしたら。そう思って、僕はクローゼットの扉に手をかけた。そこにはタオルセット一式と、コンビニで売ってるシャツとパンツ、それに部屋着めいたフリーサイズのガウンが1着だけ入っていた。タオルを手に取ると、ぱらりと1枚の紙が落ちた。

 

『どうせ持ってないだろうから渡しておくね。ガウンは着替えを調達でき次第保健室まで返してね。他の下着やタオルは出血や水没時用の消耗品だから気にしないで。 クモエコロ』

 

 その文を読んだとき、ブワッと目尻が熱くなった。どうしてみんな、見ず知らずの僕に優しくしてくれるんだろう。もちろん、裏に知識欲があるのは知っているけれど、それ以上にもらってばっかりな気がする。

 

「とりあえず、お風呂行こう」

 

 まず着替えてから、今まで着ていた服を洗濯機に突っ込んで、僕は地下の大浴場へと向かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5L:アマテラスエンジン

 参宮五十鈴は困惑していた。彼はサイクロの派閥で五元神について調査を行う研究員でもあるトレイナーだ。

 他の行方不明となったトレイナーと同じく、彼も別の次元に辿り着いたのだが、彼の場合は辿り着いた場所とタイミングが悪かった。

 

 参宮が辿り着いたのは、ちょうど儀式を行っていた地下神殿の祭壇だったのだ。

 

 その結果、あれよあれよという間に参宮は神として仕立て上げられてしまった。

 

「おれは神ではないと、何回言えばわかるのですか」

「おいたわしや、権現の際の衝撃で記憶が混乱してしまっているのでしょう」

「あなた方の信じる神とは、その程度の存在なのですか」

「あまりご自身を卑下なさらないで下さい」

 

 何度参宮がそうではないと反論しようと信者はこの調子である。恐らく自らの儀式の失敗を認めたくないがゆえの行動だろうと彼は考えた。彼にすればはた迷惑な話である。

 だからこそ参宮は、何もしなかった。巫女や供人という名の監視役が四六時中ついているとはいえど、トレイニングしてアマテラスエンジンの力を借りれば脱走することは十分可能だと考えられる程度だ。だがしかし、この信者らの集団の大きさがわからない以上は神性を高めてしまうような手段をとるのはあまり好ましいものではないと判断したのだ。

 参宮にできることは、彼の知識にある数多の神話の神々の行動をリストアップして極力同じ行動をとることを避けることだけだった。そうして神性を失わせてゆけば、ゆくゆくは呆れられて解放されるはずだと。

 

 幸いにして、囲われていることもあり衣食住には困らない。持っていたチッキケースなども勝手に神具とみなされ、畏怖されて信者は触れようともしないこともまた幸いだと言えた。ただ、神殿が地下にあるからなのか――実際はそれ以前の問題なのだが――端末の通信は遮断されており、外の様子を信者に尋ねても真面な答えが返ってこないことは参宮の不安を加速させていた。

 

 そんなある日のことだった。神殿に襲撃者がやってきたのは。信者たちはあっという間に制圧され、生きのこった者は参宮に助けを乞いに集まるほど。

 そのとき初めて、参宮はこの教団が大した力を有していないことを知った。ならばもう我慢する必要もないだろうと、彼はトレイニングした。

 

 とたんに、集まった信者は沸き上がった。そして参宮が音のする方へと向かった時、その顔に光が戻ったのだった。参宮が彼らの期待通りに動くつもりなど到底ないことを知らずに、その目の前に現れた救世主に希望の光を見たのだ。

 そして参宮は、侵入者を負傷させた。彼が脱出するのに必要最低限な数だけ、なるべく後遺症の残らないように。侵入者のやってくる方を、外の匂いのする方を目指して。

 

 参宮はその脱出を経てなお、真実を知ることはできなかった。

 

 ★

 

 星野貴大は、その写真を見て驚愕した。そこに映っていたのが彼の知る者であったのに対し、その公開されているプロフィールが彼の全く知り得ぬ者であったからだ。

 

「……これはどう見ても、カリーナの参宮氏のトレイニングした姿。しかし新興宗教カルト団体の教祖とは如何に?」

 

 その写真のある記事では、この男はカルト団体のアジトをつきとめた治安団体が捜査をしているときに逃げ出したと記されている。だが星野の知る参宮は研究者であり、カルトとは程遠い人間だった。いわんやその首謀たる教祖をや。

 だが、これを見て星野は安堵した面もある。1つは少なくとも参宮は同じ次元に飛ばされていることがわかったこと。1人での活動がほとんどないJRNで活動していた星野にとって、見知らぬ次元に1人だけというのは正直多少心細い面もあった。そしてもう1つは、そこに映されているのが()()()()()()()()姿()であることだ。これはすなわち、トレイニングしていない場合であれば参宮がこの次元の治安組織の指名手配の対象はならないことを意味する。

 そして星野はeチッキによる超次元通信で、あの時発生した事象の報告をJRN本部より受けている。eチッキを持たぬトレイナー――そこにはもちろん、参宮も含まれている――と音信不通になっていることを含めて。ゆえにこの2点から示された星野のすべき行動は、ただ1つ。

 

「一刻も早く合流しなくては」

 

 心細さを埋めるため。帰還の術を共に探るため。そして、この事を恐らく知らぬであろう参宮が()()()()()()()()()()()()()()()()()()。星野はeチッキでJRNに一報を入れると、そのカルト団体の地下神殿と称されるアジトがあったとされる洞窟を目指した。

 

 その洞窟の周囲は、未だ捜査が行われていることもあり厳重な警戒が敷かれていた。星野がそこに到着したとき、ちょうど洞窟の中から拘束された信者が数名ほど連れ出され、車へと移されているところだった。

 

「おっと、君。この洞窟に何か用かな」

 

 治安組織の捜査員が1人、洞窟に近寄らんとする星野を止める。

 

「この男を追っている」

 

 星野はそう言って、件の新聞の写真を見せた。

 

「ほう? こいつの知り合いか?」

「一方的に知っているだけだ」

「……被害者か。悪いけど、こっちでもまだ見つかっていなくてね」

 

 そう言う捜査員を見て、星野は率直にこう思った。コイツらの感覚は鈍すぎると。その地に未だアマテラスエンジンの技の影響が漂っているのを星野ははっきりと感じ取ったからだ。それを追える今ならば、こんなところにもう用はなかった。

 

「そうか。早く捕まえてほしい」

「おうよ、まかせときな」

「失礼した」

 

 そして星野は元来た道を引き返すふりをして、アマテラスエンジンの技を追いはじめたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6便:異文化コミュニケーション

「すみません、シエロエステヤードですが」

 

 入浴を終えた僕は、タオル類と回収した洗濯物を部屋に干してから、置手紙にあった通りに2階のミノル先生の部屋へと向かった。

 

「待ってましたよWelcome」

 

 それからその部屋の応接間に通されて、机を挟むようにかける。その机には、既に何枚かの紙資料が置かれていた。

 

「それはこの寮のルールだから、一応読んでおいてねPerusal。By the way……」

 

 そう言うと、ミノル先生は机の向こうから僕の顔に手を伸ばし、両肩に手を置いた。

 

「あなたがいままで居た所とここでは、きっと文化とかマナーとかが少し違うDisconnect」

「それはもう、なんとなく感じています」

 

 この次元のノリモンは、元居た次元のノリモンとは決定的に違う性質がある。そこから少しずつ、作法だとかの細かな差異が生まれて行って、そして結果的に文化レベルの違いが生まれている。

 決定的だと思ったのは、人間である僕にノリモンとしての名前を名乗らせることに全く抵抗感がなかったこと。それどころか、そう名乗るように言ってきたということは元の次元では考えられないことだった。

 

「ミノル先生。1つだけ、聞いておきたいことがあるんです。ここでは、あなた方と人間とはどのような関係性なのですか」

「……えっと?」

「人間の僕がシエロエステヤードと名乗ること自体、僕のいた日本の習わしとは違うんです」

 

 だけど、ミノル先生はすぐには答えを返してくれなかった。恐らくだけれど、僕の言ったことを飲み込むのに時間がかかっているんだと思う。だけどその顔は少しずつ影が差し、赤い目は光を放ち始めた。

 そして少しして、やや声を低くして()()()()()()()()()()()()()()()を尋ねてきた。

 

「……いえ。文化が違うかもしれないことを先生が認識しているからこそ、切り出せた話です」

「なら、まだよかったわNot worst。今の質問、聞く人によっては殺されてましたよKilled」

「ころっ……!?」

 

 そしてその理由を聞いて、初めて僕はその質問が愚かだったことを理解した。

 驚くべきことに、そもそも生物ですらなかった元の次元のノリモンとは大きく異なって、この次元では彼らは人間の子として生まれ、また彼ら同士や彼らと人間とで子を成すことができる存在だった。それはつまり、いわば人種の一種のような存在だったのだ。

 そしてさっきの質問は彼らを人間ではない扱いをしていたのだから、ナチュラルに人種差別をしていたようなものだ。それが分かってしまえばたしかに、今の質問は殺されても仕方がないといえよう。

 

「……ごめんなさい」

「本当に遠いところからやってきたということがよくわかりましたClearly。ならばあなたに、私たちの大切なものについても伝えておかなくてはなりませんね、名前についてをName」

 

 そう言うと、ミノル先生はその名前の特異性について語り出した。

 この世界での彼らの名前は、与えられるものではなく名乗るものであるというのが大原則らしい。その名前はほとんどの子が8歳から10歳ごろの間になぜか頭の中にすっと思い浮かぶもので、なぜそうなのかはわかっていないとのことだった。

 

「もちろん、名乗る前にはご両親からGiven name……日本では幼名と呼ばれてる名前で個人を識別するのよisolation。だけどIdentified name、実名を名乗るようになってからは、幼名は家族ほどの親しい間柄でしか使わなくなるわAvoid」

 

 この実名の名乗りに前後して、彼らは肉体的に顕著な成長がみられて、そして力を得るのだという。この一連の流れの事を、ミノル先生はローンチと呼んでいた。

 そこで僕は、1つの疑問を抱いた。

 

「でも先生。ならばどうして名前はカタカナなんですかね」

「私もそうだったのだけれど、実名が最初に浮かび上がってきたとき音だけで意味はわからなかったのよねCryptic。だから日本では昔っから表音文字であるカタカナで表す伝統になっているんじゃないのかしらTradition」

 

 ちなみに、名前被りで改名を要求されてしまう学園のシステムについて尋ねたところ、ローンチが終わるまでの間は自分で納得できるのであれば実名を変えて名乗り直すことができるので、意外にも発達に問題は起きないらしい。その一方で、ローンチが終わったあとに名乗り直そうと別の名前をいくら考えたところで、絶対にその名前が自分自身の名前だと認識できることは無いとの研究結果もあるのだという。

 結局、実名というのは自分が自分自身の名前であると認識できる事が一番重要なんだ。そう納得したところで、今度は逆にミノル先生の方から神妙な顔でこちらに質問を投げかけてきた。

 

「……ねぇ、シエロエステヤードさん。Possibly、こちらの都合で自分をシエロエステヤードと名乗ることに苦痛を感じてたりとかはないかしら?」

「それはあんまりないですね。その名前でと会長さんに言ったとき、どうしてだかは僕にもわからないんですが、パズルのピースをはめるときのように妙にしっくりとくる感覚があったんですよ。それに郷に入っては郷に従えと言いますし、この学園にいる間は僕はシエロエステヤードです」

「So、ならいいのだけど……」

 

 それからも時間にして30分ほど、学園に根ざす文化についてや危険な地雷になりうるタブーを教わった。

 とりあえず、これだけ教わっておけばコミュニケーションの中で地雷を踏んで大事になることもないだろう。

 

「なにか困ったことがあったら、気軽に相談に来なさいなCounsel。寮母っていうのは、寮生活のAdviceのためにいるようなものなんだからStay」

「ありがとうございます。でも、できればお世話にならないようにがんばります」

「Good luck!」

 

 それからその日はもう遅いので、部屋に戻って床に就いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6レ:ダービーに届いたもの

斜体のセリフは英語だと思ってください
流石にこの量を英語で書いたら読みにくいですので


 英国はミッドランドのダービーに滞在するイノベイテックにその報せが届いたのは、その発生から数日が経ってからだった。

 

ベーテク、日本から手紙だ

ありがとう、ランサー

 

 ベーテクはマグカップでミルクティーを飲みながら、ダービーでの協力者であるクリムゾンレッドの髪を持つThe Lancerからその国際郵便を受け取って読むと、すぐさま顔を真っ青にしてマグカップをその場に落としてしまった。その様子を見たランサーは、何か悪い知らせでも見てしまったのかとベーテクに声をかけた。

 

どうした、ベーテク

日本が、JRNが大変なことになっている。できればアドパスくんを呼んでほしい

 

 ベーテクの下に届いた報せ。それは彼のパートナーでもあり、帰るべき場所でもあるトレイナー成岩富貴と、その後輩であり何度も顔を合わせた仲である山根真也を含めた8人の行方がわからなくなってしまったというものだった。ベーテクそれを口に出しはしなかったが、その表情はランサーに緊急事態を悟らせるのには十分すぎるものだった。

 

何だと!? ……おい、カリバー! アドパスはどこにいるか知ってるか

探してきまっす!

 

 ランサーは助手のExcaliburにAdvanced Passengerの捜索を頼むと、すぐさまベーテクの背中に手をあてて寄り添った。

 

何があったのかは知らないが、その表情を見るに辛いことがあったのだろう。仮に今すぐに日本に戻るべき事象ならば、それを止めることはしない

済まないね

いいんだ、もう既にお前からは多くの事を教わった。最初の契約は果たされている。本音を言えばできるだけこっちに留まってほしい面も当然あるけれどもな

 

 ランサーはそう励ますと、未だに手の震えているベーテクのかわりにマグカップの破片とミルクティーを片付ける。ベーテクもようやく落ち着いたのか、手紙を机に置くとその後処理に加わりながら言葉を紡いだ。

 

だがこのあとに視察があったはずじゃないのかい?

 

 ベーテクの言うとおり、年明けには英国の顔ともいえるノリモン、St Simonがここダービーを訪れる事になっているのだ。それはようやく再び活動を始めたダービーの、ひいてはその功労者であるアドパスとベーテクへのシモンなりの興味の表われでもあった。

 

あれでも英国淑女の一端なんだ、事情を話せばわかってくれる

聞こえてくる評判を聞く限りかなり怪しくないかい?

 

 そうベーテクが懸念するのにも訳があった。

 シモンはその実力や功績で多くの者に慕われているが、それと共に悪いエピソードも多く知られているノリモンである。その雑多なエピソードに共通点を見出すとすれば、やりたいことはできるだけやる、やりたくないことは絶対にしないということだ。せねばならないがやりたくない事は、彼女を慕い集まってくるノリモンに押し付ける。そのようなノリモンなのだ。

 ただし裏を返せば、やりたいことをするため、そしてやりたくない事を回避するためにはあらゆる努力と才能の出し惜しみをしないということでもあり、そのある意味でまっすぐな姿もまた彼女の人気のひとつとなっている。

 

なぁに、あのアップルグリーンのトガリネズミ機関車は古い仲でね。扱い方はわかって……

 

 そうランサーがケアしようとしたとき。

 部屋の扉が突然、勢いよく開かれた。アドパスのエントリーだ。

 

大変な事って何ですか!

あのなアドパス、扉は大切に……

一大事だってカリバーから聞いてますよ

 

 その様子にベーテクは頭を抱え、そしてこの様子だからこそシモンとの長い付き合いを納得してしまったのだった。

 

「アドパスくん、とりあえずこの報せ、を!」

 

 興奮するアドパスに、ベーテクはそう日本語で言って手紙を彼女の目前に押し付けて視界を遮った。彼女はそれを手に取って読むと、その興奮していた表情は蒼ざめてゆく。

 

「これ、本当デースカ?」

「わざわざ国際郵便を使ってまで、ドッキリを仕掛けてくるような者がJRNにいるかい?」

「……」

 

 そうは言うベーテクであるが、彼も内心では嘘であってほしいと思っている。しかし無慈悲にもアドパスは、事実確認のため端末を取り出して日本のニュースサイトにアクセスした。その中には、確かに手紙にあったように、都立武蔵国分寺公園の空中に穴が開いている空撮写真の添えられたニュース記事が配信されている。

 そのあまりにも現実離れした風景に、それを覗き込んだ者はみな言葉を失った。

 

「Oh……」

何だこの写真は? コラージュ画像ではないのか?

いや、別のアングルもあるねぇ……

 

 そしてそれを以て、ベーテクらはその手紙に記されていた内容――成岩富貴らが行方不明となってしまったことを真実として認めざるを得なくなった。

 だが、それが真実ならば。

 

ランサー。一応の契約期間は、僕の滞在資格に合わせて半年だったね?

そうだな

なら、延長はなしでそのタイミングで帰国をしたい

……今すぐでなくていいのか?

 

 ランサーは確認のためにベーテクの顔を覗き込んだ。

 ベーテクの目は、まっすぐとランサーの目に照準を返している。

 

本当は今すぐ戻りたい気持ちだって無い訳じゃぁない。だけどね、戻ったところでこの事態は僕が力になれるレベルを超えてしまっている。ならば最初の約束くらいは果たしてから戻るよ。それが僕のけじめさ

ならそのタイミングで、一緒に渡日したいです

わかった。航空券は手配しておこう

 

 願わくば発見されてJRNで再会する成岩くんに、胸を張って言える実績を。そう心に誓って、ベーテクは業務に戻ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6R:追いかけっこ

「なんっなんすかぁーっ!」

 

 名松一志は逃げていた。その緑の悪魔から。

 彼を追うDiamond Jubileeは、アップルグリーンの髪をたなびかせて、到底乙女がしてはいけないような表情で走っている。

 

「待ってくださいまし~! ダイアのフィアンセ~!」

「だから違うって言ってるじゃないすかー!」

 

 なぜ名松はダイアに追われるようになったのか。それを知るためには時を少し遡らねばなるまい。

 

 それはダイアが面白いもの探しのためにある無人島を訪れた時のこと。その島を探索していた彼女は、その一角にある砂浜で倒れている青年を見つけた。その青年こそ、名松一志その人である。

 他のトレイナーと同じように、名松も超次元の彼方へと飛ばされてしまった。そして彼が流れ着いた先こそ、この次元のその浜だったのである。

 だがしかし、もちろんダイアはそのような事情を知らない。そのうえ、この島に定住者がいないこと、潮の流れからこの島に自然と漂着することは天文学的な確率でしか存在しないと言われていること、そして島ごと地権者から買い上げていたこともあって、彼女はまず名松に運命的なものを感じとった。この瞬間から、彼女の脳内では彼の所有権は既に彼女の中にあった。

 

 しかしそんなダイアであったが、流石に最初に行ったことは救命行為であった。漂着から時間がさほど経っていなかったこともあり、名松の意識が回復するまであまり時間はかからなかった。

 

「う……ここは……?」

「あら~! 目を覚まされたのですね~」

 

 目を開いた名松の目前にあったのは、膝枕をして彼の顔を覗き込むダイアの顔だった。このときばかりは、彼は彼女のことを天使か女神かのように思えていた。このときばかりは。

 

「ひと? えっと、ここは……?」

 

 名松は起き上がって辺りを見渡した。片側は海で、いくつか別の島が浮かんでいるのが見える。もう片側は森のようになっていて、その向こうを見渡すことはできなかった。

 

「ここはダイアの島ですのよ~」

「島……? なぜ……?」

 

 名松は気を失う前のことを懸命に思い出そうとしていた。都立武蔵国分寺公園で戦っていた事、そこでS(シールド)バーストから逃げようとして、《エアロ・ダブルウィング》で飛び上がってラッチ際までたどり着いたものの、ギリギリ間に合わずに呑まれてしまった事を。だがどれをとっても、島に流れ着く理由がわからなかった。

 だけれども。今そこにいることだけは、どうしようもない事実だった。

 

「あなたが助けてくれたんすか?」

「えぇ、こちらに倒れてましたのよ~」

 

 そう穏やかな笑顔で伝えるダイアではあるが、既にその笑顔の裏には獰猛な獣が存在していた。だがしかし、名松はそれに未だに気がついていない。瞳を見れば気がつけていたのかもしれないが、彼女の瞼は微笑むために優しく閉じられていた。

 

「申し遅れました、Diamond Jubileeと申しますの~。ダイアとお呼びくださいまし~」

「あっどうも、僕は名松一志、トレイナーっす」

「あら~、トレーナーさんですのね~」

 

 その一瞬があだとなった。

 次の瞬間、ダイアは一歩近寄って名松の唇に唇を重ねていた。その行動に驚いた名松はコンマ数秒の後にバックステップで距離をとるも、遅すぎたことは誰の目にも明白であった。

 

「な、ななな」

「これであなたは、ダイアのものですわ~」

「ど、どういうことっすか?」

 

 混乱する頭で、名松は問いかけた。

 ダイアの論理は、こうだ。彼女の所有する島にいたのだから、名松の所有権は彼女にあると。名松にはその論理の意味が当然、わからなかった。おそらくダイア以外の誰にも理解はされないであろう。

 

「命の恩人といえど、さすがにそれはいただけないっすね。僕は僕だけのものっす」

 

 名松は怒りながらそう反論した。しかしダイアは落ち着いた様子で、追い打ちをかけて自らの支配下に彼を置こうとする。

 

「ですが、この島を出るにはダイアの船が必要ですのよ~? それにお乗りにならないのであれば、この島に来るのもまたダイアの船だけなのですわ~」

 

 つまりどちらにせよ、ダイアのみが名松の隣に立つことができるという意味である。

 ダイアは1歩名松に近づき、それに呼応するように名松は1歩下がった。腰のチッキケースに手をかけながら。

 

「ご安心なさいまし、危害を加えることはいたしませんわ。さぁ、ダイアの船でお屋敷に」

「なら、こうするしかないっすね。あんまり人前で見せるものじゃないんすけどね!」

 

 そう言いながら、青い光に包まれる名松。彼を直視していたダイアは、一瞬のけ反らざるを得なかった。

 

「な、何ですの~!?」

 

 そして名松は、ネオトウカイザーの力を纏った。

 

「そのお姿は……」

「貴女の力はなくとも、僕はこの島を出られるんすよ。《エアロ・ダブルウィング》!」

 

 そして名松は空気の翼をはためかせ、視界に映っていた別の島に向けて飛び立ったのだった。

 ダイアは目の前で起きたことを理解するのに数秒の時間を要した。そしてそれを理解したときに彼女の中に生まれた感情は、悔しいだとかしてやられた打とかというものではなく、むしろ名松への執着心を高まらせるものだった。

 

「ふふ、面白い御方。まさにダイアの隣に立つのにふさわしい。必ずや、ダイアの手で捕まえてみせますわ~」

 

 ここから、名松とダイアによる人生をかけた鬼ごっこが始まったのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ前:臨時ユニット

 年末も近づくJRN、ウルサ・ユニットの部室。

 綾部綾は今日、スクール同期にしてそのユニットに所属する北澤百合によりその部屋に呼び出されていた。

 

「失礼するぞー」

 

 鍵がすでに開けられていた扉を開けて綾部が部屋に入ると、その中には呼び出した北澤の他は佐倉空のみがやや元気のなさげな顔をして座っていた。

 

「あ、綾部君」

「……ん? 2人だけ? 山根とかの男性陣はどこ行った?」

 

 その質問に、2人はすぐには答えられなかった。明らかに様子のおかしい2人を前に、綾部はやや困惑した様子で近づいた。

 

「お、おい。どうして2人とも黙り込んで……」

「綾部君。とりあえずそこに座って。全部話すから」

「……おう」

 

 芯の通った強い声を発した北澤。その雰囲気に、流石の綾部も何らかを察しとった。それも、かなり悪いニュースであることを。

 綾部はゴクリとつばを飲み込んで、言われたとおりに彼女らの向かいにかけると、前のめりで問いかけた。

 

「なにがあったんだ? 結論から頼む」

 

 北澤は一度佐倉と目を合わせて頷いてから、その綾部の問に答える。

 

「3人は今、行方が分かってない」

 

 それはあまりにも突拍子もない答えだった。部室の中の時間が止まり、静寂が訪れた。

 

「……は?」

 

 綾部は北澤の言葉を飲み込めなかった。頭では何を言っているのかは理解しているが、心がそれを認めるには時間が足りなかった。

 綾部は立ち上がって机に手をつき、前のめりになって焦るように尋ねる。

 

「なぁ、北澤。嘘なんだろ? 山根達はどっかに隠れて、俺ちゃんを驚かせようとしてるとか」

 

 だが北澤はその問いには答えずに、ただただ俯くばかりだった。そんな彼女にしびれを切らして、綾部が隣に座る佐倉に何か言ってくれと訴えた後になってようやく、北澤はかすれるような声で答えた。

 

「嘘じゃないよ」

 

 その言葉に綾部が振り向いて北澤の顔を見ると、彼女の白目は走る血管が赤々と主張している。そんないたく辛い心情を抱えている様子を見て、彼も都立武蔵国分寺公園で発生した真実を受け入れた。

 

「本当に、行方がわかっていないんだな」

 

 打って変わって落ち着いた口調で尋ねる綾部。それに北澤は、コクリと頷いて肯定の意を示した。

 綾部は椅子に掛け直すと、両手でその頭を抱えた。

 

「そうか……」

「口外は無用。外向けには、大怪我扱い」

「同じJRNで友人とはいえ、俺ちゃんはまだ部外者だろうが……あぁ、そういうことかよ。俺ちゃんを部外者でなくすつもりだな?」

「理解が早くて助かる」

 

 その時。部室の扉が、もう一度開かれた。入ってきたのは高山各務と紀勢佐奈、カリーナ・ユニットの二人だった。

 

「高山のおやっさん?」

「うむ? 君は確か、名松の友の……」

「綾部だ」

 

 そこで、綾部は気がついた。気がついてしまった。やってきたのが高山と紀勢の2人だけであることに。そこから彼が真実に辿り着くのはそれほど難しくない事だった。

 

「なぁ委員長さんよ、例の時にカリーナもラチ内にいたのか?」

「……うん」

「なるほどなぁ。……高山のおやっさん、名松の奴は何処行った?」

 

 高山は目線で佐倉に何らかを訴えた。彼女はそれに全部話していいと答えると、落ち着いて話を進めるべく全員に着席を促した。

 

「名松、太多、参宮の行方は分からぬ。今なお超次元専攻の者がかの『無』を調査中との知らせのみぞあるが」

 

 高山はそう言って、もう一度佐倉に目線を向ける。

 

「……流石に、そんなすぐには掴めない」

「そっか、名松もか……」

 

 綾部は背もたれに体重を預け、斜め上を眺めた。名松は綾部のスクールの同期の中で唯一同じノーヴルの派閥に入ったトレイナーだ。それゆえ、近ごろはかなり親しくしていた仲でもあった。

 スクールの頃の1番の友人のうちの1人。スクールを出て、JRNに入ってからの1番の友人。その双方を同時に失ったということは、綾部の心情を大きく揺り動かすのには十二分すぎるものだった。

 

「なぁ。どうすれば2人を探しに行ける?」

「それを行う準備の為に、我々はここに集まったのだ。佐倉殿、いざ本題に入ろうぞ」

「うん、入ろう。合同での活動のこと」

 

 そもそも、カリーナの2人がウルサにやってきた理由。それは武蔵国分寺公園で行方不明となった8人のトレイナーを捜索する活動を合同で行うための打ち合わせであった。ウルサに残ったのはサイクロの佐倉とパレイユの北澤、カリーナで残されたのはロケットの高山とバランスの紀勢。そこに重複する派閥はない。共に過半数の構成員を失っていたこの2つのユニットが組むのは当然の流れだった。

 

「なるほどな、それで残るノーヴルの俺ちゃんを呼んだって事か」

「そういうこと。これで5つの派閥が揃うでしょ?」

 

 既に年明け以降に綾部のウルサへの加入がもともと検討されていたことも、この北澤の判断を後押ししていた。高山からしても、新たに参加することになる彼が行方不明となった名松の友人であることは都合が良かったので、北澤のその提案を受け入れていたのであった。

 

「引き受けてくれるか?」

「あのなー、友が2人もどこにいるか分からなくなって、そいつらを探すのに手を貸すことを拒むような奴がどこにいるんだ? 俺ちゃんはそこまで性根が腐ってるような人間じゃねーし」

「リーダーは高山さん、貴方に頼む」

「うむ、引受けよう」

 

 そして今、この5人による臨時のユニットの結成が当事者の間では合意に至ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ中:封じられし宝玉、ココマ

 それから善は急げということで、新しく結成された臨時ユニットでは早速模擬戦を執り行うことになった。

 その相手として名乗り出たココマは独り演習場に待機している。

 

「あの3ユニットには私が迷惑をかけてしまった。償いをしないと」

 

 ココマははじまりのクィムガン、ルースの落し子そのものであったノリモンである。それゆえいくら自我を失って暴走していた時の話と言えど、7()()()()()()()()()超次元の彼方へと飛ばしてしまったことに大きな罪悪感を感じていた。

 もちろん被害の大きさで言えば、ルースの落し子が最初に発生したときのものの方が大きい。だがしかし、今の彼女には当時の記憶はなく、もう片方の片割れの記憶の方が強く残されているがゆえ、その片割れと親交の深い顔ぶれを飛ばしてしまった事の方に強く罪悪感を感じているのだ。そして、その片割れを伏せて騙してしまっていることも。

 

「今、私にできることをやらないと。それが償いになるんだから」

 

 間もなくして、演習場に5人がやってきた。みな、ココマの記憶にある顔だ。そのうちの1人を見て、なるほど彼を呼んだのかと彼女は納得した。

 

「どうも、ココマと申します。本日はどうぞよろしく」

「こちらこそ、よろしく頼む」

 

 ラッチが張られ、それに呼応するようにココマはシールドを張った。それに5色の色が染まっていることは、彼女に自分自身がもうノリモンであることを強く意識させる行為の1つだった。彼女はもう、人間ではないのだ。

 そんなココマの心情も知らず、臨時ユニットのトレイナー達は意外にも落ち着いた様子でトレイニングをしココマの方を見ている。そしてラチ外からシールドを張った最後の1人が到着して、模擬戦は幕を開けた。

 

 まずは佐倉空が飛び出して、ココマの動きを封じんと《アークティック・ホワイト》を繰り出す。だがしかし、ココマはその攻撃の特性を十分に理解していた。その技の数少ない弱点をも。

 そして、ココマはそれを突きに動いた。

 

「こんなもの、《エアーコンディション》」

「対策された、初見で!?」

 

 ココマは心の中で謝りながらその氷を溶かし、佐倉を吹き飛ばした。だが次の瞬間、入れかわるようにその佐倉の時間稼ぎの間に準備を終えていた紀勢佐奈、そして高山各務が前に出てきて、彼らによる攻撃がココマに襲い掛かる。

 もちろん、それらの攻撃もココマは知っていた。ゆえに、対策しようとしたのだが。

 

「《安全鉄則 先ず止まれ》。そして《銀桜花》」

「……! 体が」

 

 トランジットを終え動きを止める技の準備の整った北澤百合により、ココマはクリティカルなタイミングで対策を阻害され、2人の攻撃をもろに受けることになった。これで黄色と赤のシールドが削れて……。

 そう思って、残りのシールドを確認したココマは気がついた。青のシールドがもうほとんど残っていないことに。

 

「いつの間に……!?」

「おっ、今更気がついたのか?」

 

 その攻撃を放っていたのは綾部綾だった。それは、空を舞う不可視の刃。それを彼は最初の佐倉の攻撃の頃から少しずつ、少しずつだが確実にココマに当て続けていたのである。彼女がシールドが削られていることに気がついたころには、もう遅すぎたのだ。

 ココマは記憶をあさり、そのからくりを探る。その中には心当たりが1つ。

 

「この技は、コダマ号の……! わかっていたら対策が」

「相手の攻撃がどんなのかなんて、事前にわかるわけねーじゃん? なら削られ始めた頃に気付けないのが悪い」

「くっ……」

 

 ココマは悔しがって歯ぎしりをした。なぜならば、その綾部の発言は彼女がかつて人間のトレイナーとして活動としていた頃に口酸っぱく言っていたことでもあったからだ。つまり、何も言い返すことができないのである。

 ここでココマは、青色を捨てた。もうほとんど残っていない青のシールドを死守することを諦め、残りの4つの防衛に注力することにしたのだ。

 だが、しかし。綾部は青のシールドを全て削ったあとも、攻撃の手を緩めなかった。むしろ、そこからはわざとココマが見えるような攻撃に転換して彼女に受けていい攻撃と受けてはいけない攻撃の判断を強制し始めたのだ。その間にも佐倉の、紀勢の、高山の、そして北澤の攻撃がココマに入れかわり立ち代わりに雪崩のように襲い掛かっていた。

 

 綾部の攻撃の他にもう1つ、ココマにとっての想定外だったのは、その残る4人の動きが完全にココマの攻撃を封じている事だった。だがしかし、これに関しては至極当然ともいえることだ。なぜならば彼女ら4人はルースの落し子の対応にあたり、そして仲間を失ったトレイナーなのである。ルースの落し子の攻撃がどのようなものかは把握しているし、そもそもS(シールド)バーストさえなければルースの落し子を完封していたような対策をあの場で取れて、そして連携して動くことができていた。それを無意識のうちに強く意識した動きは、もちろんその変化した存在であるココマにも適用しうるものだったのである。

 つまりココマは、唯一ルースの落し子に対面していなかった綾部の攻撃を防げなかった時点で、遅かれ早かれ敗北が確定してしまっていたのだ。

 動きを知っていると言えどもその攻撃を防ぎきることができずに徐々に削られていくシールドに、まだ自らの技の把握すら終わっていない現状では手も足も出ないことをココマが察知して、そしてサレンダーを言い渡すまで時間は長く要さなかった。

 

「私の負けです」

 

 そして、この勝利を以て5人による臨時ユニットは、一定の結束と自信を得たのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7レ後:超次元の穴の向こうへ

 都立武蔵国分寺公園に開いた超次元の穴の先には、別の次元が広がっていて、そこに生活する人々がいる。

 その事実は超次元専攻の研究者を多いに興奮させ、彼らの精神に麻薬のように影響を与えていた。

 

「eチッキの信号を解析し、その発信元へのベクトルを特定だ」

「ならば念のためアンテナがもう1本ほしい、半指向性のを」

 

 ナリタスカイもまた、調査を行っている研究員の1名だった。彼は報告の為にJRNへ戻った時を除けば、最初に到着したときからずっと武蔵国分寺公園での調査に加わっていた。

 もともと異文化コミュニケーションへの興味の大きかったスカイにとって、異次元への探訪は夢の1つであった。だがしかし今となってはもはや夢ではなく、それは現実に近く、また実施しなければならないことの1つとなっている。そしてそれを行うためには、まずは超次元の座標系を確定し、向こうの次元の正確な位置を知ることが必要だった。

 

「1つずつ、1つずつ明らかにしてゆくしかない。この久遠に広がる闇のような謎を、全て解き明かすまで」

 

 幸いなのは、飛ばされてしまったトレイナー達もまた、超次元航行の術を持ってはいない事だった。それゆえ、この武蔵国分寺公園から彼らは一直線に飛ばされたという仮説、通称爆心仮説がおそらく正しいとされている事。そして、それは目の前の『無』の解明されつつある性質の1つである座標の回転を用いれば、ここから一直線に飛び込むことで当該次元に辿り着ける可能性が高いと推測されているのだ。

 だがしかし、それが正しいとしても課題は他にもある。超次元に飛び出したとて、どのようにして戻ってくるのか? それがわからなければ、飛ばされたトレイナーの救出などできる訳もなかった。つまりは、手詰まりである。

 

「そもそもだ。向こうの次元に辿り着けたとしても、似たような穴が向こうの次元に確実に存在するわけではない。ならば、この穴を開けたS(シールド)バーストの解析が先に必要になるのではないか?」

 

 スカイはそう考えるに至った。だがそこには、決定的に大きな問題が残っている。鳥満絢太はそこを鋭く指摘した。

 

「じゃが、どうやって?」

「起こす」

「ふむ?」

「Sバーストを、起こす」

 

 それは到底、正気の沙汰ではない行動だった。そんなことをしてしまえば、さらなる超次元への押し出しによる2次被害を起こしかねない。故に鳥満はそれを却下した。

 

「駄目じゃスカイ。それは認められん」

「じゃあ、どうやって超次元への穴を開ければいい?」

 

 頭ごなしに否定するだけならば誰でもできる事だ。ここで代案を出せるかどうかに指導者としての質が出る。鳥満はそれができる人だった。

 

「ラッチを使えばよい」

 

 ラッチもまた、超次元を活用した技術である。ラッチは連続性を部分的に保ったまま切り離した断面を結界とし、そして結界の内側を拡張することで成り立っているのである。

 

「そうか、結界を張らずにラッチを張れば穴を開けられる……いや、結界を張らないと()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のではなかったか?」

「……痛いところを突くのぅ」

 

 スカイの指摘もまた事実だった。ラッチはその結界があるからこそ張ることができ、そして開くことができるのだ。特にラッチを開くプロセスにおいては、結界ごとこの次元にパズルや型のようにはめ込むことによって、エキステーションの収縮とこの次元への復帰を同時に行うプロセスになっており、結界は不可欠といえよう。

 問題点は他にもある。スカイは頭にてを当てながら、そのうちの1つを口に出した。

 

「仮にできたとしても結界がなければこの『無』のように超次元の穴が残存してしまう。それは後への影響を考慮すると決して良くはない」

「然様。それをいかにかするのが力の見せ所じゃよ」

 

 鳥満の言う通り、どうすれば良いのかが全てわかっているのならば研究者など必要ない。それがわからないからこそ、彼ら研究者が試行錯誤を繰り返して正解にたどり着くプロセスに価値が生まれるのである。

 

「……駄目だ、思いつかねぇ」

 

 そう吐き出すスカイの様子を見て、鳥満は何かに気がついた。

 

「のうスカイ。休みはとっておるか?」

「そんな余裕は無いでしょう、例の彼だって行方不明になってるのに」

「ふむ、休め。24時間休め」

 

 そう言いながら、鳥満はスカイの視界を遮った。スカイは意味がわからないとでも言いたげに鳥満の顔を覗き込む。

 だが鳥満は強い言葉でそれを留めさせた。

 

「これは業務命令じゃ。一刻を争いたい事態であるのは確かじゃが、それで失敗して被害を拡大させてしまっては元も子もない」

 

 これは鳥満の経験でもあった。定義に基づいてただの数式を変換して理論を作る場合は徹夜は有効な手段になりうるが、閃きが必要なときは大して有効な手段にはならない。それならば、体と頭を休めておいたほうが附帯する雑多な仕事の業務効率も上がる分有効になる。

 そしてこの、超次元の穴を開ける手段の検討は後者であると鳥満は見ている。ゆえに、休息を命じたのだ。

 

「……わかりました、博士」

「向こうの次元座標の特定は引き続き進めておこう」

「博士も定期的に休んでくださいよ? また安慶名さんにくたばるんじゃないかと思っただとかいろいろ言われますよ」

「それは勘弁じゃな」

 

 そしてスカイは、休息を取るために公園を後にしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8便前:この世界のシステムに

 また目を覚ましても、天井は昨晩見たものだった。もしかしたら全部夢かもしれないだなんて淡い希望は打ち砕かれて、僕のシエロエステヤードとしての2日目が始まった。

 昨日言われた通りに生徒会室に向かうと、そこには会長さんの他に人影が3つ。聞けば、みな僕という存在に興味がある者だという。

 

「話さないんじゃなかったんですか」

「いや、何人かには話すとは伝えたはずだよ? とりあえず順番に紹介しよう。まずは学園長のシンカフラッシュさん、数学教諭のシャドウイメージ先生、そして今年度入学者の主任担任教諭のアシノコ先生」

「あの、ちょっと待ってください?」

 

 なんか若干1名ほど違くない? 他の方はまだわかるとして、なんで数学教諭がいるのさ。

 どうやら向こう側も僕からそういう質問が出ることは想定済みだったようで――そりゃ明らかにおかしいもの――、その理由を話してくれた。

 

「いや、確実……かどうかは保証しかねるけれども、おそらく学園の中で一番君の力になれる人のうちの1人がこの数学のシャイ先生なんだよ」

 

 そう会長さんに紹介されて1歩前に出てきたシャイ先生は、僕の首くらいの背丈でぼさぼさの髪に、ぶかぶかの白衣の袖が手の先よりも長い、いろいろ突っ込みどころのある装いをしていた。そもそも、数学に白衣は普通は必要ないと思うんだ。

 

「シャドウイメージだ。君の生まれ故郷について、詳しく聞かせてくれないか?」

 

 そう言いながらシャイ先生は精一杯の背伸びをして僕の目を覗き込んだ。その体は小刻みにプルプルと震えている。

 ……どうしよう。少し迷って、僕は中腰になって目線を落としてから口を開いた。

 

「シエロエステヤード、と名乗らせていただいています」

 

 そう僕から名乗ったところで、シャイ先生は少し首を傾げた。そして僕の両肩に手を置くと、そのまま後ろを振り返って会長さんの方へと目をやった。

 

「名乗らせたのか? 幼名と同じ名前のルールの所から来たとクモエコロからは聞いているんだが?」

「そうしないと、学園のシステムに乗らないからね」

 

 すました顔をしているような声色で、会長さんはそう答えた。そうするのが当たり前だと言わんばかりに。

 それを聞くとシャイ先生の表情はねっとりとした、そして油のようにぎらついた笑みへと変わり、声色もやや高くなった。

 

「そうかそうか、実に興味深い事態を引き起こすかもしれないねぇ!」

 

 そしてもう一度僕の方に目線を戻すと、明らかに興奮した様子でぐっと僕の顔を見た目に反して力強く引き寄せた。

 ……顔が近い。そして、その顔は満面の笑みのはずなのに、どこか冷静で、そしてどこかわずかに恐怖を感じさせるものだった。

 

「あえてこう呼ぼう、シエロエステヤード。君はもう、この世界のルールで名乗った時点でただの来訪者ではなくなった。この世界のシステムに組み込まれたんだよ!」

「この世界の、システム……?」

「そうさ。世界はカオスの支配する寄せ集めではない。秩序あるシステムだ。君はその秩序に従い、受け入れ、そして変わってゆくことしかできない。その過程をしかと見させてもらおうじゃないか」

 

 要するに、僕がここに居続ける限り僕は今の僕のままではいられないとか、そういうことを言いたいんだと思う。

 シャイ先生は左手を僕の肩から外すと、その手でトンと僕のおでこを突っついた。白衣の袖ごしに。そして上ずった声で次の言葉を残して去っていった。

 

「話が気になるのなら、研究室においで。いくらでも話をしてあげよう。それでは失礼させてもらうよ」

「相変わらず自由人だねぇ、悪い人ではないのだが」

「それに一応授業等もやることはきちんとしていますから。コミュニケーション能力の多少の難くらいは目をつぶれる範囲ですよ」

 

 そう会長さんと一緒にシャイ先生を評価するのは学園長さんだ。その前であんなことしていたんだなと後から驚きは出てきたけれど、どうも彼曰く裏表がないという面では生徒指導上かえってやりやすい面もあるのだとか。

 

「ところで、学園長さんと会長さんはどちらも『シンカ』から名前が始まってますけど、その、ご家族とかで」

「血縁関係ではないよ。ただ、私の使える技はどうも学園長と似通っているようだけどね」

「僕の地元ではきょうだいで名前の一部に同じ語句が入ってたり、命名規則に乗ってつけられてたりすることが多いんですよね」

 

 きょうだいは当然の如く似たような経験やイベントを車だったころに経験しがちだから共通で扱える技が多い。だから新しいノリモンと会った時にまずは名前を確認して他に似た名前のノリモンがいないかを探してみるトレイナーは多いのである。

 だけどこの次元はどうやら様子が少し違った。

 まず、同じ部分を名前の中に持っている者同士で、ローンチの後で髪色や使いうる技が似通うことは事実とされてはいるものの、どうもその理由は未だに解明されておらず、有識者の間でも様々な論争が繰り広げられているらしい。

 

「それは実に興味深い話ですね。シャイも退出しなければこの面白い話を聞けたでしょうに」

 

 僕の話をそう評価しながら、学園長さんはそう微笑んだ。

 ……なるほど、ねぇ。学園長さんとシャイ先生って。




おかげさまで連載開始から1周年となりました。これからも本作をどうかよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8便後:学園への案内

「さて、あの人の事はおいておいて、本題に入りましょうか。シエロエステヤード君、君についての事ですよ。さ、こちらにどうぞ」

 

 学園長さんはどこからか数冊の冊子を取り出しながらそう話題をきりかえると、アシノコ先生と一緒になって応接室へと僕を案内した。

 

「まずは学園の長として、このシンカフラッシュから君に歓迎の言葉を。中央鉄道学園へようこそ。こちらにいらっしゃったのも不本意とは伺っていますが、ですからこそ君がこれ以上の不満を抱くことのないようにと最大限の対応はいたしましょう」

「お心遣いは感謝しますが……。どうしてそこまで、それも最初は侵入者であった僕に親身にしていただけるんです?」

 

 そう尋ねると、学園長さんはすっと目を細めて、会長さんから聞いていないのかと尋ねてきた。どうやら彼も同じ考えなのらしい。

 

「ご安心ください。実際のところ規模の経済が効きますからね、設備に余裕を持たせている現状、実際のところ今更お1人増えたところで対応コストはさほど増えないものなのですよ」

 

 専用の設備が必要になるのであれば話は別ですが、と付け加えて学園長さんはにこりと笑った。うーん、そんなものなのかなぁ……?

 そう頭の中でぐるぐるしていると、急に部屋の空気が変わる。体感気温が明らかに下がって、まるで凍てついたかのように張り詰めた。威圧感だ。その出処の方へと顔を向ければ、ほら。

 

「学園に害なすものであれば……わかっていますね?」

 

 その学園長さんの言葉のあと、その笑顔は一切変わらないまま部屋の空気は氷解してもとに戻る。なるほど当然といえば当然なのだろうけど、今の感じからして彼もかなりの実力者のようだ。

 

「しませんって」

「ええ、こちらもそう信じていますよ。さて、この話は一度置いておいて、これからの貴方の話をしましょうか」

 

 そしてそこで、僕はこれから他の生徒と同じように授業を履修する傍らで、僕のJRNでのお話を直接彼に開示できる範囲で話しつつ、そして僕の帰還の術を探る形を提案された。

 

「……もしかして、帰る術が見つかったらついてくるおつもりで?」

「そうしたいのは山々なんですがね、流石に学園を長期間離れることはできないのですよ」

 

 学園長さんはものすごく残念そうな声色でそう答えた。残念だと言っていたあたりからそんな気はしていたけど、やっぱりこの方もJRNに興味があるみたいだ。

 

「仮に相互に簡単に行き来ができるようになったとしましたら?」

「もちろん伺いますとも。そのためにも、まずは君の帰る術を探すところからですが」

「ありがとうございます」

 

 ……なるほどね、なんとなく学園長さんの本当の魂胆が見えてきたような気がする。

 よし、この提案、受けよう。もともと帰るためには誰かの協力が必須だったんだ、これ自体は咎められはしないだろう。

 

「では学園長さんの提案通りということでよろしくお願いします」

 

 そして僕は頭を下げて、学園長さんの方を見た。彼はまたニコリと微笑んで、そして右手をこちらへと伸ばした。僕もその手を取るのに迷いはなかった。

 

「えぇ、承りました。その方向で最終の調整をいたしましょう。履修に関してはアシノコ先生の方から説明をがありますので」

 

 学園長さんはアシノコ先生へと目配せをして、取り出した資料を机の上に並べている。アシノコ先生はそれを確認しながら口を開いた。

 

「改めまして、アシノコです。あなたの出自のことは先程も聞いてるし、まぁかなり大変だとは思うけれど……こんなことを言うのもなんだけど、先生の立場としては純粋に学園生活をまず楽しんでほしい。それだけは伝えておきます」

 

 真剣な眼差しでこちらをアシノコ先生は見つめている。先生としての熱意が感じられる視線だ。

 

「大丈夫です、いい加減に切り替えて、ここまで来たらもうこの状況を楽しまなきゃ損な気はしていますから」

「……そう! じゃあ、困ったことがあったら気軽に言ってくださいね。先生は半分は生徒の相談のためにいるんだから。それじゃ、学修の案内をさせてもらうね」

 

 そして学修案内と書かれた冊子を開いて、その説明が始まった。

 まず驚いたのが、この学園、なんと卒業という概念がなければ、在学上限年数も規定がない。そのかわりに全ての学期において1つも講義を履修しなければ、あるいは直近1年間に1単位も修得できなければ、他に特段の事情がない限り即座に学園を退学させられてしまうらしい。学修のゴールはいくつかのプログラム毎に規定の単位が揃えば修了が認定される形だ。

 

「単位を集めきったらどうなるんですかね」

「そうなる前にみんな学園そのものや、あるいは外部から引き抜きがあって生徒をやめてくの」

 

 それか1つも単位を取れずに去っていくか。そのような形で、いずれみな退学していくのだという。なかなか不思議な感じがするのだけれど、どうもこの次元でも普通は僕の知っている形のようで、学園が特殊であるらしい。なんかそこは安心した。

 それからも履修登録の仕方や、単位認定のシステムなどを教わってから、この会合は終わりになった。

 

 次の冬学期が始まるのは年が明けてから。それまでの冬休みの間は、僕は学園の雰囲気に慣れたり、冬学期に向けた準備をしたりする期間だ。その間にもここの空気をもっと知らないと。

 

 そう思いながら、貰った資料をまとめてから応接室を出たら。

 

「さて、シエロエステヤード君。私としては君の今の実力を見てみたい面がある。お手合わせ、願えるかな?」

 

 会長さんが、扉の前に仁王立ちしていたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8レ:絆と友と、信頼と

「ウルサ・ユニットに入ることになった」

 

 そう手短に、綾部稜はノーヴルでお世話になっている先生とキールたるノリモンへと報告をした。

 

「そうか、君もユニットに。おめでとう、君のユニットでの活躍を願っているよ」

「ありがとう」

 

 綾部に対しこれまで教鞭を執っていた武豊生路はそう彼に祝福の言葉を送った。だがもう1つの人影は彼らに背を向けたまま微動だにしないでいた。

 あまりにも不審であったので、武豊もそちらに注目した。そして声をかけるべきだと告げようとしたところで、そのノリモンはようやく口を開いたのだった。

 

「ウルサ……そうですか。これで綾部君も1人前ですわ」

 

 ……未だ、綾部に背を向けたまま。

 そんな彼に、綾部は声をかけた。なぜ彼がそうしているのかを推測する材料を綾部は持っていたからだ。

 

「ウルサに何があったのかは、俺ちゃんだって聞いてる。わかった上でウルサの力になると決めた」

「ウルサだけでは、ありませんのよ……」

「それだって聞いてる。だからウルサは当面はカリーナと一緒に活動することになった」

 

 カリーナ。そのユニットの名が綾部の口から出たとき、武豊の体がピクリと動いた。それもそのはずで、カリーナは武豊がつい最近まで所属していたユニットなのだ。しかもふたりの会話から判断できる情報として、そのカリーナにも、そして綾部の入ったウルサにも何かしらの大きな異変が起きていることは容易だった。

 だからこそ、武豊は問いかけた。そのノリモン、ノーヴル・ユニットを統べるコダマへと。

 

「なぁ。一体カリーナやウルサに何があったんだ?」

「武豊先生はカリーナのOBですし、お伝えしておいたほうがいいかもしれませんわ。綾部トレイナーにも、私の伺っております全てを」

 

 そしてコダマ、赤い目のままでようやく2人の方へと振り返ったのだった。そして彼は共有した。理事会や会議等で報告されている現状とその見解を。

 

「……そうか。参宮と太多、それに名松まで」

「一応秘密で頼みますわ。あまり漏洩するとよろしくないですから」

「わかった」

 

 そう言うと、武豊はコダマに頭を下げて部屋を去ろうとした。

 

「どちらへ?」

「高山のところへ」

「彼らも心を休める時間が必要では」

「ウルサと共に動き出した時点でそれはもう必要ないだろう。それに」

 

 そして武豊は扉に手をかけて、開きながら告げる。

 

「高山も紀勢も、そんな柔なトレイナーじゃない」

 

 扉が閉じ、部屋には静寂だけが残った。1秒、2秒と時がただ過ぎてゆく。そしてボソリと、綾部が呟いた。

 

「武豊先生があんなに慌てることってあるんだな」

「既にカリーナを離れていますけれども、彼にとってカリーナの仲間との絆は決して消えるものではないのでしょう」

「……それは俺ちゃんだって、同じだ」

 

 綾部とてかつてスクールに在籍していたころの親友との絆は未だに切れてはいない。だからこそ彼はウルサに入り、そしてその活動に加わることを決心したのだ。

 

「なぁ、コダマ号」

 

 そして覚悟を決めたかのように、綾部はコダマにさらに1步だけ近寄り、そして正対した。

 

「先に謝っておきたい」

「……どうされたのです?」

「やらなきゃいけないことが俺ちゃんにもできた。でもそれをする力はまだ、俺ちゃんにはない。力がなかったから、名松や山根が大変なことになったときに、委員長みたいに隣に立つことすらできなかった」

 

 綾部の中にあった感情。それは友を喪失した悲しさではなく、その危機すら知らなかった、知ることができなかった悔しさであった。それは確実に彼の心を動かし、そして彼の向上心を獰猛に奮い立たせているのだ。

 

「もちろん、誰にも皆を守れる力なんてなかった、いや持てるわけもなかったからこそあぁなった。そんなのはわかりきってる、わかりきってんだ! でも仮に自分に力があれば、そんな後悔が今更溢れ出て、俺ちゃんをつきうごかしてる。だからこそ……力を得るために、道を見誤っちまうかもしれない。取り返しのつかないことを、しちまうかもしれない。そうなっちまった時のために、予め謝っておきたい」

 

 そして綾部は、コダマに頭を下げた。だがコダマはその謝罪を受け入れなかった。

 

「自分、勘違いしているんじゃないです? 謝罪は免罪符ではありませんし、そうならないように自らを保つのもまた、強さの1つなんですわ。だからこそ」

 

 そして綾部のその直角に曲げられた腰から少し頭よりの背中に手を置くと、真下へと力を込める。

 

「自分は力をつけなければなりません。そのために、その悔しさは必ず役に立つのですわ。でも、その力の使い道を誤れば、また後悔することになりますよ」

 

 コダマによりさらに折り曲げられた腰。その結果、綾部の目の前にあるのは綾部自身の足となった。

 

「過ちを繰り返すのです? 1()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは自分のはずなのですわ」

「うっ……」

 

 綾部が彼の同級生よりもトレイナーとしての活動が始まるのが遅くなった理由。それは、かつて彼が抜きん出んと無理なトレーニングをし、足の腱を痛めてしまい、長期の療養を強いられたからだ。先程の彼の発言は、まるでその経験から学ばずに轍に車輪を乗せるようなもの。

 

「最も早い道を選ぶために立ち止まって考えるのは、決して悪いことではないのですわ」

「……駄目だな、俺ちゃんって」

「今の自分にはユニットの仲間ができたのですから彼らを頼るべきですわ。自分も彼らも、決して弱くはないのですから。自分1人で解決しようとするのは、彼らを信用していないようなものですよ」

 

 そのコダマの言葉は、綾部の進路を正しく導くものだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9便前:近くて遠い場所

 学園の北西の隅、北府中へと伸びる中央線の支線の真横にその建物はあった。普段は野球や陸上競技のコートとしても用いられるこの演習場と呼ばれる円形の建物であるが、その使用用途の中にはJRNではラッチを張ってやるようなこと――つまり、戦闘があるらしい。

 

 そして僕はいま、この演習場のど真ん中に会長さんと、そして寮母のミノル先生と一緒にポツンと立っている。

 ……いや、なぜ??

 

「さて、予約が入っていなかったから午前中いっぱいは抑えてあるが……」

「『早い鳥は虫を捕まえる』という諺もありますSaying。早めに始めましょうBigin!」

 

 そう言うミノル先生の方を見れば、その全身を覆うように確かな力を感じさせる赤い燐光が走り、そしてそのシルエットを変化させている。多少見慣れたものとは違うものの、それはまさしくノリモンがぎ装を取り出すときの動きとその結果そのものだった。

 燐光が収まるも、ミノル先生はその髪と同じアップルグリーンをベースに闇のような黒色を配して、その中にアクセントとしてわずかに赤色の走っている装いに包まれて、その手には銅のような茶色の鞭が握られている。そして足を見れば、その腰につけられた3つの太いシリンダのピストンの先の継手からは足先につく大きな車輪まで太いロッドが走っていて、車輪の上の覆いにはその孤に沿うようにMINORUの文字が主張していた。

 シリンダやロッドに左右が連動する大きな車輪を持つまるでスチームパンクの世界から出てきたかのような装いは、蒸気機関車のノリモンによく見られる姿だ。だけれど両足のシリンダからてこで繋がっている、そのお尻につけられた3つ目のシリンダに、そしてそこから伸びる、デルビエントさんみたいな生物系のノリモンの尻尾めいた3本目のロッドについて言えば、それらは今までに見覚えのない姿だった。

 

「さぁ、君も展開するんだ」

「……えっ」

 

 その声に振り返れば、そちらでも会長さんがぎ装を出し終えていた。やや奇妙な足回りのミノル先生とは違って彼女の装いは本当に見慣れた姿で、やはりこの次元でもノリモンはノリモンなのだという安心感があった。

 うん、安心感はある。なのに僕が半ば驚いたような声を出してしまったのは、会長さんの装いの色こそエターナルさんのような白と青なんだけど、その意匠には非常によく見覚えがあったからだ。

 それを確かめるためにも、僕はチッキに手をかけ、クシーさんの力を纏った。体になじむいつもの姿だ。だけれども。

 

「ふむ。昨日も思ったがやはり似ているな」

 

 この姿……つまりクシーさんの装いは、会長さんの装いとは黄色と白の違う、いわば色違いなだけの瓜二つなものだった。これはこれで、実に奇妙な感覚だ。

 

「奇妙な感じですよ、ここまで似ているなんて」

「展開の様子は違うのに、ぎ装は似ているHowever」

 

 きょうだいならば意匠が同じなのは普通のことなので今さら驚きはしない。でも、クシーさんにはきょうだいがいないという話は彼女やコダマさんの口から聞いていた。だからこそJRNやその前身組織ではコダマさんが兄代わりとなっていたことも。

 じゃあどうして、ここまでクシーさんと会長さんの装いの意匠は似通っているんだ? それは明らかに見たことのない造形をしているミノル先生よりもよっぽど不思議で不気味な感じが僕を襲った。

 

「だがこれではっきりとした。昨日は見間違えかと思ったが、どうもそうではなかったみたいだね。君がこの世界の外から、それもこの世界に来られる程の遠くて近い場所から来たというのも頷けるような気がするよ」

 

 君の話を信じていなかったわけでは決してないとフォローを入れながら、会長さんはトレイニングをそう評した。それを見て……僕の中に、ちょっとした悪戯心が生まれてしまったんだ。

 チッキケースにかけた左手、取り出したのはもう1枚。そして改札機を呼び出し、頭の上に疑問符を浮かべようとしているふたりを無視して、さもあたり前かのような顔つきでチッキを突っ込んだ。

 

「――失われし星の輝きよ、果てしなくなつかしい大地に最後の煌きを! ポーラーエクリプス号、このトモオモテに宿れ」

 

 外にいる彼女たちに聞こえるように、わざと大きめの声でそう宣言すれば。色と意匠と、さらに足回りの形すら変えて、青い光の中から飛び出した。

 振り返れば、彼女たちはポカンとした顔でこっちを見ている。わざとそれに気づかないふりをしながら足のコジョウハマを構えても、それは変わらないままだった。

 

「さて、始めましょうよ」

「……すまない、少し待ってほしい。いまいち状況が飲み込めていなくてね」

「何がですか?」

 

 あ、だめだ。これ、なんか楽しい。

 

「わかっているんだろう、その顔は」

「もちろん。でもお手合わせを願われて、まだ始まってもいないのにもう手の内を明かす人なんてどこにもいませんよ?」

「……それもそうだな。ならば始めようか。そしてその後で話を聞かせてもらおう」

 

 会長さんは腰に掲げていた銃を引き抜いて、そう僕の言葉に応じた。

 この次元でどこまで動けるのかはまだ分からないけれど、力を借りるよ、クシーさん、ポラリス。心のなかでそう呼びかけて、僕達はまず握手を交わしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9レ:決定的決壊

「きっとこれは、めがみさまがくれた試練なんだ。だから、頼っちゃいけない。ポラリスだけでもやってけるってこと、みんなに見せないと」

 

 ポーラーエクリプスはそう言って、スーパーブライトの差し伸べた手を拒んだ。

 

「ここでブライトやロイヤを頼るのは簡単だよ? だけど、それじゃポラリスはいつまでもこのまんま。お兄ちゃんに頼って、富貴に頼って、真也に頼ってた。独りでもできるんだってことを示したい」

「そーか。それが嬢ちゃんの考えなら否定はしねー。でも、本当にどーしよーもなくなった時は言うんだぞ? 遅すぎて詰んでからじゃ、打てる手も打てねーから」

「わかった、ありがと」

 

 武蔵野線24時間耐久の出走取消から少し経って、チーム【キラメキヒロバ】ではこれからどうするかという話が開かれていた。2人のトレイナーを欠いてはいるが、とうぜん停滞したままではいられない。ポラリスの1月のレースは耐久レースではなく無補給が可能なので予定通りだが、その先はどうするべきか。そこでいちばん落ち込んでいるであろうポラリスを元気づけようと呼んでみれば、ブライトの想像に反して意外にも彼女はケロッとしていたのだった。

 

「じゃーこれから、どのレースを走るかとかも資料渡すから決めてみるか?」

 

 そう、半ば茶化すようにポラリスに問いかけるブライト。だが、彼女から戻ってきた答えはまた、ブライトの想像の上をゆくものだった。

 

「ちょっと先のだけど、もう3月と4月のは決めてるよ」

「そーか。……って、もー決めたのか!?」

 

 あまりにも変わりすぎているポラリスを見て、ブライトは逆に不安になった。最初は悲しさを強さで乗り越えたものだと感心していたが、今となってはそれは虚勢なのではないかと心配する気持ちがそれを上回る程だ。

 さて、どう声をかけるべきか。それをブライトが悩んでいる間に、沈黙を保っていたロイヤが口を開いていた。

 

「驚愕。よろしければ伺いたく」

「そーだな、一応聞いておこーか」

「4月のは青春18杯、これはカイザーが出るらしいって話だから。それでね、3月は胆振最速決定戦に出ようと思ってる」

 

 胆振最速決定戦。そのレース名が出た時、ブライトの顔はまた強張った。そして、その時はブライトの中で疑惑が確信になった瞬間でもあった。

 

「……おい、胆振最速決定戦って、室蘭線じゃねーか」

「うん、そうだよ。あそこを走る、それが一番だもん」

「本気か?」

 

 知っていたほうがいいと、イノベイテックからブライトが聞いていた話。それは、室蘭線の白老町社台で発生したものだった。だからブライトはまずそこを通るレースは選択肢から外していたのだ。

 そんな室蘭線のレースを、ポラリスは自ら選択した。それこそ、過去を乗り越えなければならないという脅迫概念を彼女の中にブライトが見いだす程には。あまり取りたくない手ではあったが、彼はベーテクへの相談を検討に入れた。

 そうブライトが脳内で考える時間は、本当に一瞬の間であった。しかしまたもやそのわずかな間にロイヤが先に口を出していた。

 

「胆振最速決定戦……貴女も」

「『も』って事は、ロイヤも?」

「今度ではありませんがいずれは。走り慣れた線路でもありますから」

 

 ブライトは頭を抱えた。本来ならば、ロイヤはそれを止めるべき立場のはずなのだ。だがしかしロイヤはポラリスの選択を後押ししている。それがブライトには理解ができなかった。

 

「おいロイヤ、お前は止めろよ……」

「拒絶。ポラリスの希望です。それに、あの線路は彼女の走るべき線路。止めるのは不粋かと」

 

 ロイヤの目もまた、本気だった。ブライトが耳打ちをして、それとなく社台の話を聞いているかを確かめても、ロイヤはだからこそ走るべきなのだと考えを改めなかった。

 そして数分の攻防の末、ブライトはついに、首を縦に振った。

 

「……わかった、ならば3つ条件がある。手続きとか登録だとかを自分でするんだ」

「もちろん、そのつもりだよ」

「そして2つ目。決して後悔するんじゃねーぞ」

「しないもん!」

「ほんとーかー?」

 

 だが首を縦に振ってなお、ブライトはまだ半信半疑だった。既にポラリスのメンタルに相当なダメージが入っているのは疑いようがない事実だ。確かに室蘭線で過去の失敗を乗り越えれば、大きな自信となって心の傷を埋め、そして大きな成長の糧となるだろう。だが逆に2度目の失敗を起こしてしまえば、彼女のメンタルを再起不能なものにしかねない。危険な賭けだ。

 

「最後。2月のレースは俺が決める」

 

 ならば、その傷が致命的なものにならないように。現状のポラリスの戦績は1戦1勝。これはある意味で不幸な戦績だ。それに次のレースだってポラリスの足回りの調子を見て、都合のいいレースへの登録を済ませている。ならば胆振最速決定戦よりも前にするには、2月しかない。

 ブライトは心を鬼にすることにした。それがせめてもの彼の情けで、心を決めたポラリスへ彼ができる精いっぱいのことだったから。

 

「分かった、よろしくね」

 

 その今までがそうだったようにブライトがポラリスを勝たせるために協力していると信じているかのような彼女の表情を見て、彼は心の中で彼女に謝った。

 

 それから会合を終え、ブライトが普段通りに購買部のシフトに入って、そして訪れた昼休みの話だった。有力なランナーの出場予定の情報をチェックしている彼にポラリスからその、信じられない報せが届いたのは。

 

『ねぇブライト。真也とお話ができたって言ったら、ブライトは信じてくれる?』

 

 そのメッセージを見たとき、ブライトは素直にこう思った。可哀想なことにポラリスはもう壊れてしまったのだ――いや、()()()()()()()()()()()()()と。そしてシフトが終わり次第、すぐにポラリスがいるはずの7号館へと急行したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9便後:実戦上無意味な戦略

 ミノル先生の立会のもと、僕たちは模擬戦のスタート位置についた。

 JRNでの模擬線では、相手のシールドを割り切るのが勝利条件だった。だけれど、当然文化の違うこの学園では、ルール自体も変わってくるようで。

 

「勝利条件は相手を10秒間のノックアウト、あるいは規定のエリア外へと出場させたとき、そしてサレンダーを宣言させたとき。これがこの学園でのメジャーなルールだね」

「ならばそれで。郷に入っては郷に従えと言いますからね」

「それではミノル先生、レフェリーを頼むよ」

「合点承知のUnderstand」

 

 そしてミノル先生が間に入り、その手に持つ鞭を構えた。

 

「それでは、この鞭の先が地面を叩いたらStart。準備はReady?」

 

 2つの首が縦に振られ、確認するようにもう1つも同じ動きをした。そしてミノル先生の鞭が高く振り上げられて。

 バチンと、大きな音を鳴らした。

 

「! 《ハイブリッド・アクセラレーション》」

 

 咄嗟の判断で斜め右前方に加速すれば、元居た場所を大質量が通過する。ぶつかってしまえば、間違いなく弾き飛ばされてしまっていただろう。危ないところだった。

 

「ふむ、今のを避けるか」

「危ない匂いはしていましたからね。それじゃ、こっちから、も!」

 

 速度を増したまま《シララオイ》で距離をつめ、コジョウハマで殴りかかる。

 見た感じでは会長さんの攻撃は銃撃タイプだ。ならば近接戦闘に持ち込んてしまう方が有利だろう。

 だけど。

 

「詰めさせないよ、《エターナル・ゼロ》」

 

 その一言で、僕の運動エネルギーは急速に失われた。なるほど、簡単に近づかせてはくれないというわけか。なら。

 一度距離をとりながら、左手の先に力を溜める。シールドらしきものが見当たらないこの次元で、どれほどの効果があるのかはわからないけれど、やってみるしかない。

 

「ならば、《桜銀河》でッ!」

 

 あの次元では、最強に近い性能だったこの技。だけれど、こっちじゃおそらく目眩まし程度にしかならないだろう。何せ割るべきシールドはないのだから。

 だけど実際目眩ましでも構わない。眩んでくれれば、そして僕を一瞬でも見失ってくれさえすれば!

 会長さんを光の中に捉え次第、《桜銀河》を撃ったまま《クンネナイ》で跳び上がって上空へと逃げる。お互いにお互いの力を把握できていないときは、より相手の想像に及ばないことをしたほうが有利――その早乙女さんの教えに従って。

 そして《桜銀河》を止めれば、ほら。目を開けてから、ぐるりと周囲を見渡すまだ気がついていない会長さんの真上から急降下し、体重をもかけてコジョウハマを振り下ろした。

 

「……上か!」

「今気がついても、遅いですよ!」

()()()()()()()

 

 次の瞬間、逆に僕の視界が暗転し、コジョウハマがなにかに突き刺さった。引き抜こうとしても壁のようなものに当たってうまく引き抜くことができない。体を動かして壁を探せば、ここは円筒形のような空間の内側だと分かった。

 ……なるほど、そういうことか。引き抜いたら駄目だ、銃身か何かの中にいる!

 

「私の勝ちだよ、シエロエステヤード」

 

 外からそんな声が聞こえる。サレンダーを狙っているのだろう。でも!

 

「まだ動けなくなったわけじゃない」

「似たようなものだろう。私が引金を引けば、君はノックアウトだ」

「なら引けばいいじゃないですか」

 

 そう答えたにも関わらず、会長さんは案の定引金を引かなかった。

 

「あまり傷つけることはしたくないのだよ。君が降参をすれば、その必要はなくなる」

「……嘘ですね。引けないの間違いでしょう? だってこっちからの力は、そんなに弱くないんですよ」

 

 銃や大砲の類には、腔発という現象が発生しうる。それが起こってしまえば、僕だけでなく扱う会長さんの方にも痛み分けの形で損害は免れなくなるし、この砲身は使うことはできなくなるのだ。しかも奥にある砲弾には既にコジョウハマが刺さっているのだから、余計にそのリスクは大きくなっている。だからこそこうやって僕にサレンダーをさせることで勝利を確定させようとしているんだ。

 でも、その手には乗らない。

 

「いいや違うね。引金を引く必要が無いだけさ」

「詭弁ですよね、その手には乗りませんよ」

「……そんなに上手くいくわけがない、か。仕方ない、君を解放しよう」

 

 諦めたかのような声が、外から聞こえる。その言葉の後に、砲身の角度が、体の角度が急に変わって、コジョウハマに掴まって宙ぶらりんのようになる。

 ……なるほど、ただでは帰さずにかわりにコジョウハマを捨てさせるつもりか。でも、僕の武器はコジョウハマだけじゃない。その誘い、乗った!

 

 そう思って手を離して下へと落下し、そして着地した地点は、規定のエリアの外だった。

 

「そこまでOver! Winner、シンカリムドルナ!」

 

 ミノル先生の声が、演習場に響いた。僕の負けだ。

 

「……いつの間に」

「おしゃべりをしている間になめらかに、ね。サレンダーを選ばなかった時の最終手段だよ。地味ではあるけれど、極めて有効だろう?」

 

 クスクスと笑いながら、会長さんはそう言った。

 そうか、この次元では模擬戦はエンターテイメントの側面があるんだ。だからこそ、実戦としては無意味なこういう戦略が生まれてくる。それが頭からすっぽりと抜けていた。

 

「ルールから生まれる戦略まで頭が回らなかった僕の完敗です」

「ふむ、それは知識を得れば勝てるとでも言いたいのかい?」

「いまからわかるわけないじゃないですか」

 

 そう笑って誤魔化しながら返事を返す。

 知識を得たところで、その時はその時だ。勝てるかもしれないし、結局勝てないかもしれない。それで問題があまりないのだから、かなり気楽な話だ。

 

 ……それと比べたら。JRNは今、どうなってるんだろう。ユニットのみんな、購買部のみんな、【キラメキヒロバ】のみんな。それに、クシーさんやコダマさん、そして程久保や綾部達。僕がいなくなったことで大騒ぎにはなっていそうだけど、みんな元気にしているのだろうか。ポラリスだって24時間耐久の直前で僕は飛ばされた訳だけど、きちんと走れたのだろうか?

 そう、向こうのことを思い出していたとき。

 

『ねぇ、真也? 真也なの?』

 

 頭の中に、思い浮かべていた声が突然響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10便前:つながり

『えっポラリス、いま、聞こえてる?』

『聞こえてるよ! 真也、どうしていなくなっちゃったの?』

 

 答えが戻ってきて、僕はハッとした。

 そうか、オモテをトランジットした時の意思疎通はモヤイを通じて行うもの。トレイニングができるのであればできない訳がなかったんだ。これは盲点だった。

 これならばJRNがどうなってるのかとかそういうのも聞けるし、僕が元気なことや今のところ安全な環境にいることも報告できる。ひとまずの安心感が僕を包んだ。

 

『ねぇ、いつ帰ってくるの? 真也がいなくなっちゃってみんな心配してるし、ポラリスはレースに出れなかったんだよ?』

 

 心配した声色で、ポラリスはそう僕に呼びかけた。

 そっか、出られなかったんだ、武蔵野線24時間耐久。成岩さん1人じゃ補給はギリギリ間に合いはするけど、絶対に負担がえげつないもんなぁ。

 

『……本当にごめんポラリス。でもいつ帰れるのかは、僕でもわからない。でも、できるだけ早く帰りたいと思ってる』

『分かった、待ってる。でも、必ず帰ってきてよね、ポラリスとの約束!』

『うん、約束する』

 

 よし、それじゃあ……。

 

「どうしたんだい、シエロ君。何度も何度も表情を変えているようだけど」

「……え?」

 

 気がつけば会長さんが僕の顔を覗き込んでいた。

 そうだった。ポラリスとの通話は周りには聞こえていない。そもそもこの次元にはトレイニング自体がないのだから、オモテのトレイニングで通話ができることすら認知されていない。

 つまり客観的に見れば、僕は独りでに表情をコロコロと変えていただけに見えるわけで。……うん、怪しいねこれ。

 

「ちょっと自分の中で振り返りをしているだけですよ」

 

 説明するのも面倒だし、どうせ把握すらされてはいないので一旦誤魔化す。ポラリスの方にも少しだけ待っていて欲しいと伝えたら、そのまま待ってくれると戻ってきた。

 

「そうか、それならば結構。なんだけれど、いくつか確認したいことがあるからまず場所を移したくてね。当日飛び込みで利用を希望する者の為に用が終われば早めに撤退する。それがマナーなんだ」

 

 そう言いながら、会長さんはあの中から取り出したのであろう、コジョウハマを返してくれた。

 

「わかりました、それでは向かいましょうか」

「ぎ装はしまわないのかい?」

「動いてて力の入り方とか、ちょっと感覚が違ったので少しこのまま動きたいのですが」

 

 もちろん大嘘だ。動いていた感覚で言えば、JRNにいた頃と正直大してかわりはない。だけれど、それでもポラリスと話をするためには、トレイニングを解く訳にはいかない。

 そういう訳で、ぎ装をしまって移動を始めた会長さんとミノル先生にそのままついて行く。もちろん、この時間も有効活用するけれど。

 その最中で、歩きながらポラリスと話す。どうも向こうでは僕の想像していたよりも事態は大変なことになっているらしい。

 

『そっちでは僕はどうなってることになってる?』

『行方不明だけど、みんなには8人とも大怪我して入院してることにしてるって。コダマのおじちゃんが言ってた』

『8人!?』

 

 そんなに。詳しく聞いてみれば、どうも成岩さんもそうなってしまったようで、それゆえポラリスはれを走れなくなってしまったのだという。

 でも、たしかに言われてみればそりゃそうだ。あのS(シールド)バーストをモロに食らったのはどう考えても僕だけじゃない。ならば他のみんなも僕みたいになっててもおかしくない。しかも今の僕みたいに安全なところにいるかも分からなければ、おそらくこうやって話をできることにも気づかないまま音信不通な気がする。

 そりゃ大騒ぎになる。ならざるを得ない。

 

『それとね、公園なんだけど』

『武蔵国分寺公園?』

『うん。空に穴が空いたまんまなの。それでサイクロのみんなが調べてる』

 

 ……空に、穴?

 一体どういうことなんだろう。

 

『穴って、何?』

『わかんない。ポラリスも1回見に行ったんだけど、なんか景色がぐにゃっとしてて』

『景色が、ぐにゃっと……?』

 

 一体どういうことなのだろうか。言葉で説明を受けたところで全くイメージが湧き上がってこない。

 それをさらに訪ねようとした、そのとき。

 

「着いたよ、シエロ君。ほら、中に入って」

 

 目の前では、会長さんが扉を開けた扉を抑えながらこちらを見ている。

 ここから先はこっちの次元でまた別の話が始まる。流石に両方を同時に処理はできないので、いったんポラリスとの通信を終えることに……あっ。

 ここで僕は、ちょっと危ういことに気がついた。

 

『一応確認したいんだけど、今は何月何日の何時何分?』

『え? えっと、12月28日の午前10時48分だけど』

『良かった、ならこっちの時間と同じだ』

 

 懸念してたのは、時差の存在だ。この意思疎通が不自然じゃなく行われているから時間の進む速さはおそらく同じだとして、こっちと向こうとで時差があって昼と夜とがズレていたりすると向こうの都合の悪い時間に応答を求めてしまいかねない。逆に今そういうことがないことが確認できたので、これで次に話しかける時間を決められる。

 

『ちょっとこっちで手が離せなくなるから、また夕方から夜辺りに話したいんだけど、ポラリスは時間あいてる?』

『えっと、5時からなら』

『わかった。その時間になったらまた話すね。できればだれか……そうだね、ブライトさんかコダマさんかを呼んでおいてもらえると助かる』

『うん、約束だよ!』

 

 そして会長さんに促されるままその部屋に入り、僕はトレイニングを解いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10便後:Watcher

「シエロ君? シエロエステヤード君?」

 

 会長さんに呼びかけられてまたハッとした。どうも話をしている間でさえ、僕はぼんやりとしていたらしい。

 

「……あっ、ごめんなさい」

「大丈夫かい、さっきからずっと反応が鈍いじゃないか」

「なんだか妙に慣れない感覚があったので。まずは慣らすところからですかね……」

 

 そう言って、笑って誤魔化す。

 この話の間、僕はずっと意識の決して少なくない割合を持っていかれてしまっていた。話を聞いていなかった訳ではないけれど、どうしてもJRNとの間で連絡が取れるようになったということがそれだけ僕にとって大きいことだったのだ。

 

「だったら今日の午後はゆっくり休むといいわRest」

「そうだね、これも含めての慣らしの期間だ。今日は君の方のフィードバックだけにしようか」

「なんか、わざわざ時間を作ってもらったのにごめんなさい……」

「なに、元から午後は別のタスクをする予定だったからね。早まったとして、前倒しにするだけさ」

 

 はんこを押す仕草をしながら、会長さんはそう言った。それを見て僕はさらに申し訳ない気持ちになった。せっかく僕のために時間を割いてくれているのに。

 よし、一旦JRNのことはできるだけ考えないように置いておいて、話に集中しよう。

 そう思って前を向きなおすと、会長さんもちょうど咳払いをして本題に戻そうとしたところだった。

 

「さて、話を先ほどの模擬戦に戻そうか。私が一番気になったのはあの光線だよ。あれは何だったのかい?」

「《桜銀河》のことですか」

「いや、そのスキルの名前は私は知らないよ? だがその《桜銀河》の光の中にいる間、ぎ装が急に鉛のように重くなって私は一切の動きができなかった」

 

 動けなかった? どういうことだろう。《桜銀河》に動きを封じる効果はないはず。

 それを伝えても会長さんは事実私は動けなかったのだと主張してくる。

 

「僕の地元では、《桜銀河》はシールドを割る為のものでした」

「シールド、とは?」

 

 小首をかしげる会長さん。しかしどこから説明すればいいのやら……。

 この次元にクィムガンは……おそらく、いない。それを踏まえて説明するとどうなる?

 

「なんて言えば良いんですかね……。クィムガンという怪物というかお化けみたいな存在が発生するので、その対応をする仕事をしていたんです。それでそのクィムガンが纏っているシールドを割らなくてはいけなくて」

 

 伝わるのかどうかは正直怪しい。恐らく伝わらないだろう。

 だけれど、雰囲気だけでも伝わってくれればぐっと説明が楽になる。

 

「Hmm……。まるでFictionのような」

「まあ、彼にとってはそれが現実なのだろう。申し訳ないが、私達はそれをイメージすることになることは頭に入れておいてほしい」

「仮に作り物の話でも、なんとなくでイメージしてもらえればいいんです。話を戻すと、そのシールドを含む……僕達はウェヌスと呼んでいるところとの繋がりを断つのがこの《桜銀河》なんですよ」

「すまない、話が突然飛びすぎていまいち理解ができないのだが……」

 

 まぁ、うん。それは仕方がないか……。

 

「要するに、人間には無害なはずなんです、《桜銀河》は」

「ではなぜ打った」

「ただの目くらまし程度にはなるかなぁと」

 

 見えていなければ、攻撃は防げまいと。

 ただ問題は僕からもその光束の中のどのあたりに会長さんがいるのかが見えなかったことで、このせいで1度止めてから打撃に移る必要があったのだ。

 

「そのおかげで私のスキルが間に合った、ということか」

「動けないのがわかっていたらそのまま近接攻撃に移ってましたね」

「それはそれは恐ろしいね……。もしそうなっていたら厳しい戦いを強いられるところだったよ」

 

 笑みを浮かべる口元とは対照的に、会長さんの目は全く笑っていなかった。その燃えるような熱い視線は僕から離れない。そんな僕たちの様子を、ミノル先生はじっと黙って見ている。

 それからしばらくは、そんな感じのやり取りが続いて。

 

「さて、今日はこのあたりでお開きにしようか。体をゆっくり休めるといい」

「ありがとうございました」

「ふふ、君の体が馴染んだ頃にもう一度お手合わせ願いたいものだね」

 

 そう言いながら、会長さんは僕を送り出した。

 

 ◆

 

「ミノル先生、貴女シエロエステヤード君の戦いぶりを見ては率直にどう思った」

「彼が異世界から来てまだ馴染んでいないというのは、真実だと思うわTruth」

 

 シンカリムドルナは、シエロエステヤードが十分離れたのを確認してからMinoruの意見を問うた。

 

「その心は」

「まず前半。彼が私達の知らないルールで過ごしていたかはまだ怪しいけれど、間違いなく彼は私達のルールで過ごした経験がない動きをしていたわMovement」

「それは即ち前者ではないのか?」

 

 ミノルは異文化コミュニケーションに長けている教諭だ。それゆえリムドルナはシエロを彼女が寮長を務める寮に充てたし、この模擬戦の立会を依頼した。

 そのミノルが言うには、シエロの動きはルールで勝利するためでなく、相手を徹底的に叩きのめすためのような動きをしているのだという。

 

「シエロの言っていたシールドやウェヌスという言葉は、確かに彼が文化を異にする人である可能性を示してるSentence。だけど確定したわけじゃないわNot clear」

「そうかい? 私には確定しているように見えるけれど。だいたいぎ装を2段階で出すことがあるか?」

「それは……別の色なのも気になるわねColour。とにかく、冬学期が始まるまでは見ておくわWatch」

「宜しく頼むよ」

 

 リムドルナとミノルはその後も少しの情報を共有し、そして未来の学園に易をもたらさせるための動きを継続するのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10レ:要調査を廃止

「要調査を廃止しました」

 

 メカマムサシコヤマはそう、彼女の所属する研究室の長たる安慶名秦流に報告した。

 

「そうかい、それではじまりのクィムガンはどうだったと」

「対面してみれば、案外普通のクィムガンとその性質には違いは見られなかったと。弊はそんなことはないと思うのですが……」

「今は」

 

 安慶名は強く太い声で、ムサコの報告を遮った。

 

「あなたの意見はいらないよ。あたしゃ事実を聞いているんだ」

「失礼しました。それで、例のクィムガンの特に要考慮とされる点ですが。その環境支配能力は特筆すべきものがあると亜紀は言っていました」

 

 それは実際に対面して対応した、不動亜紀だからこそ感じ取れたものだった。普通のクィムガンならば、ノリモンやトレイナーの繰り出した技による水や風の支配を生み出したそばからすぐさまに奪うことなどできやしない。せいぜい等距離の壁を超えてからようやく完全に奪うことができる、というのが関の山である。

 だがしかし、ルースの落し子は違った。それは声問未来の繰り出した《ヤムワッカナイ》による水を即座に奪い取り、それ故に彼らカンケル・ユニットへともはや回避することすら能わない打撃を与えたのであった。

 

「奪われることはすぐにわかったけれど、あんなに早く奪われるとは思いもしてなかったと、亜紀は述べてました」

「それだけ力が大きかったってことだろうね。だからこそ、のあの穴かい」

 

 そう言いながら安慶名は南の空を見た。ここから直接目視することは能わないものの、そこに何が生まれたのかはもはやJRNにいる者の共通認識となっている。

 通称として『無』と呼称される超次元の穴。その調査が進んでゆくにつれて、その暫定的につけられた呼称とは裏腹に興味深い性質を有していることが段々と明るみに出はじめていた。

 

「鳥満のジジイが躍起になってるあの穴。お前さんはあれを開けたのは()()()()()()()()()()で間違いないと思うかい?」

 

 ムサコはその安慶名の問いの答えが分からなかった。JRNの中にはそうであるという見方が大きく広がっているのも事実ではあるが、公式記録、専門家の分析、関係者の証言のいずれにもそのはじまりのクィムガンが現れた1951年からそれが対応される翌年までの間に似たような現象が発生したというものは存在していないのだ。そう考えると、これだけ大きな穴が残されたとして、それがルースの落し子の力のみによって生み出されたものだとは、ムサコには判断しがたかった。

 

「……弊にはまだわかりません。関与しているのは間違いないといえるのですが、単独で開けたものかどうかは断定しかねます。それゆえあの穴は要調査とされるのです」

「聡い姿勢だ、それでこそあたしの教え子だよ」

「先生は違うと」

 

 その問を待っていましたと言わんばかりに自らの机に戻り、そして紙束を手に取ると、それをめくりながらムサコを呼び寄せた。

 

「それは」

「猛々しくもJRNに踏み込んできた連中のことさ。なかなかリクチュウめが口を割ってくれなかったからまぁまぁ高くついたけれどね」

 

 ()()()()()()()()()。その団体の名が、その紙には記されていた。

 

「奴らの目的は、ルースの落し子の復活ではなかった……?」

「いいや違うね。理事長はとうにそれに気がついているけれど、まだそれを広めていない」

「なぜ」

「広めること自体が、恐らくリスクになるからだろうね。何せ『ジュウンブライドがそうしたように』と理事長は言っていたらしいからねぇ」

 

 チカリ。ムサコの目が瞬いた。

 なにせそのジュウンブライドという名は……クィムガンがノリモノイドに戻る事象を起こしたと、安慶名らが推測していた存在だったからだ。

 

「まさか」

「そのまさかだよ。その名前を聞いたときにゃ、あたしゃ驚いたさ。そこがそう繋がるのかってね」

「つまり()()()()()()()()()()も……!」

 

 そのときムサコは思い出した。その時のクィムガンの結末と、不動から聞いたはじまりのクィムガンの結末の類似性に。

 

「……亜紀は言いませんでした。そこからノリモンが出ていたとは」

「リクチュウは口を割ったさ、リロンチと理事長が呼ぶ事象が発生したってね」

 

 その事が指し示す事の意味を理解できぬほど、ムサコは莫迦ではなかった。彼女は恐る恐る安慶名に確認を行う。

 

「もしかして、8人とされる人の中に……?」

()()()()()()()()。どうも理事長が口封じをしてるみたいでね、リクチュウがようやくあたしに口を割ったのもこの前のジュウンブライドの件のあたしの見解との交換でだよ」

「そう……ですか」

 

 ま、いずれあたしのとこにゃ直接来るだろうけどね。そう言いながら安慶名はその紙束をムサコに押し付けた。

 

「未公開かつ不確実な情報だからくれぐれも気をつけなさいよ」

 

 押し付けられた文書に目を通すムサコ。そこには彼女の得られなかった情報もあったが、彼女の得られた情報により補完がなされてより解像度の深まるものも多かった。そういったものに当たるたび、彼女は余白にその不動からヒアリングして得た情報を記入して、それを完全なものへと近づけてゆく。

 そしてその作業を終えると文書を安慶名に渡して、ムサコは改めてこう切り出したのだった。

 

「ノリモンはどこから生まれてくるのか。超次元専攻の方たちの言うウェヌスというものが実在するとされるのなら、弊はそれは次元のような広がりをもつとされると考えています」

「いなくなってしまった7人のトレイナーの中にもそこに辿り着いている人がいるかもしれないねぇ」

「弊もあの穴を通りウェヌスを目指します。ウェヌスは弊達にとって永遠の要収鋲スポットとされていますから」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11便:交わして

 ……よし、と。

 僕はこの次元で目覚めてからこれまで起きたことを箇条書きに書き連ね、そして向こうからの情報を纏めておけるだけの紙をまた別で準備した。

 時計を見る。時刻は夕方16時53分。まもなく、ポラリスと約束した時間になる。部屋の鍵を確かめて、そしてチェーンもかけてから僕はトランジットトレイニングをした。

 

 そして、長い針が真上を指すよりも少し前に。向こう側から、声が聞こえた。

 

『真也、ちょっと早いけどだいじょーぶ?』

 

 どうやら向こう側も5時前だということは、向こうとこっちで時間が流れる速さも同じなようだ。それを確認して僕は少しだけほっとした。

 

『うん、大丈夫。そっちには誰がいる?』

『コダマおじちゃんとブライトを呼んできたよ!』

 

 そう元気よく答えてくれたポラリス。なるほど、ふたりともいるのか。ならば僕が無事だという情報は向こうにもすぐに伝わるはず。

 

『じゃあまずふたりに伝えてくれる? 僕は無事で、安全な場所にいるって』

 

 そうお願いすると、ポラリスから肯定の意が戻ってきてから少しの間は不感の時間が続いた。きっと向こうでは彼女とふたりとが話をしているんだと思う。

 そして1分ほど経ってから、想定外のものが飛んできた。

 

『あのね、ブライトから確認したいことがあるって。「購買部にいるレオミノルのトレイナーのキールは誰だ」って』

『えっ、ヤチさんだよね? どうし……あっ』

 

 そうか、向こうのふたりはまだポラリスの言葉を完全に信じてくれている訳じゃない。それで僕が知っているけれどポラリスが知らなそうなことで確認してるんだ。

 それからコダマさんからも似た趣旨の質問が飛んできて、それに答えるとようやくふたりともポラリスの言葉を信じてくれたらしい。ぷっくりと頬を膨らませているのが目に浮かぶような、そんな声でポラリスが教えてくれた。

 

『まぁまぁ落ち着いてポラリス。……それで、今度はこっちから聞きたいんだけど、あのあと公園やJRNがどうなったのかって教えてもらえないかな』

 

 そしてふたりからポラリスを経由して教えてもらった情報は、驚きのものだった。

 まずあの公園。昼間にも聞いたとおりに空にぽっかりと穴が開いているらしい。だけど、その現象は少し耳に覚えがあった。

 

『そういえば、僕がこの次元に着いたのを見てた方も空に穴が開いてたって言ってたな』

『そうなの? いま見に行ける?』

『僕が落ちてきてすぐに閉じちゃったって』

 

 これを聞いたふたりがどういう反応をしているのかは、僕からはわからない。だけど向こうからの反応が戻ってくるまでに時間がかかっているあたり、恐らく何かしらの議論が行われているのだろうと推し量ることができた。

 それからもこんな感じでポラリスを介した話は続いて、僕の方からも今までのなりゆきを告げる。ポラリスはところどころ変な反応をしてくるし、その向こうのふたりからもかなりの数の質問とそれに応じた向こうの持つ情報が飛んできて、事前に用意したメモ紙の余白はほとんど埋まるほどだった。

 

 まずわかったことといえば、S(シールド)バーストで飛ばされた8人のうち、JRNとの連絡が取れるようになったのは恐らく僕が3人目である事だ。既に連絡が取れている2人はドラコの2人で、eチッキを通じてテキストチャットが通じているのだそうだ。

 だけど、ここからが問題。なんとその2人の飛ばされた先の次元はそれぞれ違う次元で、しかもコダマさんが判断するには僕の話とも違う点があるのでここともそれぞれ違うのだということ。つまり8人はそれぞれ別の次元に辿り着いている可能性が高いということだった。

 

『今はサイクロの子たちが頑張って迎えに行く方法を探してるんだって。でも、いつになるかはわかんないって』

『わかった。こっちでも帰る方法を何とか探し出してみるつもり。だけど、こっちもいつになるかはやっぱりわからない』

 

 それから、JRNとの定期的な情報確認のために次に話をする日時を決めると、一旦向こうでは解散となったらしい。

 ならばこちらもトレイニングを……。そう思ったところで。

 

『ねぇ、真也』

 

 ポラリスに、呼び止められた。解くのをやめて、そちらに耳を傾ける。

 

『何、ポラリス?』

『真也はさ、帰ってくるんだよね』

『うん、帰るよ。どれだけ遅くなっても、必ず』

 

 それは決して揺るがない僕の決意だ。あの次元にはみんながいる。父さんがいる。そして、コロマさんがいる。そのそれぞれとの約束のために、僕は必ず帰らなきゃいけない。

 

『……富貴も、帰ってくるよね』

『もちろん。あの人なら、絶対ね』

 

 成岩さんもそうだ。あの人はベーテクさんに救われたって言ってた。だからこそ、ベーテクさんのいるあの次元に戻るためには努力を決して怠らないだろう。

 この、2つの答えを聞くと。ポラリスは思い切ったように声を立てた。

 

『じゃあさ! ポラリスね』

 

 でも、その後でポラリスは言葉が詰まってしまったのか、そこに間ができた。呼びかけてみようかとも思ったけれど、少し考えてからこれは彼女が言い出すのを待った方がいいと判断できた。

 そして、1分弱が過ぎて。

 

『ポラリスね、今までいつも甘えてばっかりだった。でも、お兄ちゃんとアドパスが旅立って、富貴と真也もいなくなっちゃって。……だから、決めたんだ。ポラリス独りでも走っていける、立派なノリモンになれるってこと、証明してみせるって』

 

 それは、ポラリスの決意だった。

 ロイヤさんやブライトさんに頼る選択肢だって、ポラリスにはあるはずなのだ。にも関わらず、彼女はそれを棄却した。それこそが、彼女の決意。

 ……ならば。僕のできることは、その背中に最後の後押しをすることだけだ。

 

『帰ったとき、楽しみにしてるよ』

『うん! ポラリスの成長を、見せつけてあげるから』

『でも、ポラリスが考えてるより僕は早く帰っちゃうかもね』

『だったら、真也が考えてるより早く立派なノリモンになる。約束する!』

 

 そして僕たちはその約束を交わして、この日の通話を終えたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ前:掴んだ影

「おや、どうしたのブライト」

「荷物ロッカーに入れっぱで急行したからな、取りに来ただけさ」

 

 閉店間際の購買部。発注作業を行っているゲッコウフィートのいるバックヤードにスーパーブライトは姿を現した。

 

「あ、そうだ店長。1つ聞きてーことがあるんだけど」

「ん? 発注終わるまで待ってくれる?」

「わーった。暇だし締め作業手伝ってくる」

「悪いね」

 

 フィートは発注用のタブレット端末をいじりPOSや天気予報とにらめっこしながらブライトを見送った。

 

 そして、購買部の店じまいが終わり、みなが退勤した後。

 

「それでブライト。聞きたいことってなんだい?」

「店長のきょーだいのうちの1名の話さ」

「うん? 珍しいね急に」

 

 そう言いながら、フィートはブライトに手にもつ2本の暖かい缶飲料をの片方を手渡した。

 ブライトはそれを受け取ると、1口だけ口に含んで、少ししてからそれを飲み込んだ。

 

「まー、けっこー大事な話になるかもしれないし、ならないかもしれない」

「もったいぶらなくていいから、誰のことなのかを……」

「ゲッコウリヂル号」

 

 ピカリとフィートの目が瞬いて、薄っすらと光が残る。それをブライトは見逃さなかった。

 

「あの子か。でもどうしてだい? だってあの子は……」

 

 もう長らく、どこにいるのかわかってないんだ。その言葉と山根真也から聞いた情報を総合的にロジックしてブライトは理解した。

 

S(シールド)バースト」

「なんだ、知ってるんじゃん」

「いーや? 行方不明ってので頭に浮かんだのがそれだってだけだ」

「……そっか」

 

 カシュッと心地いい音を立てて、フィートはその缶を開けた。そして少しだけ飲むと、おもむろに語りだしたのだった。

 

「もう君がまだ車として走っていて一番かがやいていた頃、僕が成ってからすぐの話だよ。あの子は僕のきょうだいの中で一番早く成った子でね、あの日もクィムガンの対応に出てったんだ」

 

 だがその日、ゲッコウリヂルは戻ってこなかった。そのクィムガンの対応に一緒にあたっていた同じケンタウロス・ユニットのノリモンも、奇跡的に逃げ切った1名によりみな気絶した状態で発見された。

 その時にクィムガンが使ったのが、Sバーストだったのだ。

 それからの懸命な捜索にもかかわらず、リヂルは見つからなかった。半年の後に捜索は打ち切られ、そして彼は行方不明として扱われることになったのだ。

 

「それっきり、あの子を見た者はいない。1名たりともね」

 

 語り終えるとフィートは缶に残った飲み物を一気に喉に流し込んだ。そして荷物に手をかけて立ち上がる。今までブライトが見たことないほどにしんみりとした様子で。

 そんな彼に、ブライトは言葉をかけるのをためらった。そしてその言葉に詰まる様子を見て、彼は話を終わりだと判断した。

 

「この話はこれでおしまい。それじゃ、僕はお先に失礼するよ」

 

 くるりと、ブライトに背を向けて歩き出すフィート。だがそこに、ブライトは意を決してようやく遅すぎる言葉を投げかけた。

 

「……なー。じゃーさ、ゲッコウリヂル号に会ったって報告があったとしたら、どーする?」

「そりゃもちろん聞かせてもらいたいよ。あれば、の話だけど」

「あるんだな、それが」

 

 フィートはピタリと立ち止まって、ゆっくりと振り返った。からかいや冗談では済まされないぞとの意を載せた目線を乗せながら。

 

「どこで君があの子の名前を知ったのかは知らないけれど」

「それも含めて話す! 大事な話かもしれねーんだ」

 

 ブライトの表情もまた、負けないほどに必死だった。それを見てフィートは、話くらいは聞いてみようと彼の下へと戻る。

 

「都立武蔵国分寺公園。あそこで何があったのかは聞ーてるだろ?」

「まぁね、山根君が大怪我をしちゃったから仕方ないとはいえ、シフトも組み直さなきゃだもん」

「山根は大怪我なんかしてねーよ。五体満足で生きてる、近くて遠い場所で」

 

 それとあの子と何の関係が。そう吐き出そうとしたとき、それを遮るかのような勢いでブライトがまくし立てる。

 

「あいつはSバーストに飲まれて超次元に飛ばされた。今までずーっと音信不通で、そして今日よーやくオモテのトランジット・トレイニングで連絡がついて事情を把握できた。そこでこー言ってたんだ、『超次元に飛ばされて最初に気がついたとき、ゲッコウリヂルと名乗るノリモンにより今いる次元へと送られた』ってな」

「それであの子の名を……? にわかには信じがたいね」

「嘘だと思うなら理事長にでも確認したらいーさ、本当は山根は行方不明になってるんだとな。俺はたまたまあの日理事長と一緒に行動してた――これは店長もみてたよな?――から真実を聞かせてもらってんだ」

 

 フィートは頭を抱えて、そして数回頭を振った。彼の頭の中ではリヂルの影を掴めた嬉しさと、そしてそんな都合のいい話があるはずはないという疑いとが渦巻き、どちらの感情を表に出すべきかを判断できないでいた。

 そんなフィートが苦し紛れにできたことは、確認することだけだった。

 

「……その言葉に嘘はないね? 嘘だったら、僕は怒るよ」

「ゲッコウリヂル号どころか山根まで蔑ろにするよーな嘘をつくと思ーか? それにな、山根は前にも一度同じように行方不明騒ぎを起こして、その時も同じノリモンに助けてもらったそーだ。その時の報告書にそのノリモンの容姿だとかが書かれてる。まだ信じてもらえねーのなら、まだサーバにあるはずだからそれを読んでくれ」

 

 そう言って渡した紙片には、サーバ内の報告書のアドレスが記されていた。

 フィートは業務用端末からそちらにアクセスし、その報告書にアクセスして目を通す。すると当該部分を読み進めていく中でわなわなと体が震え始め、そして雪崩れるように座り込んだ。

 

「あの子だ。生きてたんだ、今も生きてるんだ。よかった……」

 

 ブライトは、そんなフィートの体を落ち着くまでずっと支え続けていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11レ後:超次元の彼方

 かつて消えたゲッコウリヂルの足跡の発見。都立武蔵国分寺公園を訪れたコダマからそれが彼をキールとしていた鳥満絢太に告げられたのは、その情報がJRNにもたらされた翌日のことだった。

 鳥満はそれを聞くと、1枚のチッキを取り出して手に握りしめて『無』の方へと振り向いた。

 

「やはり生きておったか、あの向こうで」

「鳥満博士はずっと主張しておりましたよね、ゲッコウリヂル号は生きていると」

「それこそが私が当時あまり見向きもされていなかった超次元へと進むきっかけだったからの」

 

 久しぶりに力を借りるとするかの。そう言って鳥満は衝動的にトレイニングをした。その姿は山根が超次元の彼方で見たリヂルの姿にそっくりだった。

 鳥満は老い、その反射神経ではもはや満足にクィムガンの対応にあたることは能わないだろう。だがしかし、それはあくまでも向こうからの攻撃があるクィムガン対応での話だ。それ以外の用途では、依然として彼のトレイニングは有効な手段となりうる。

 

「鳥満博士、何を……」

「これまでの調査により、命綱を着用しての突入の安全は既に確認されておる。ならば、私もそれをしてみんとするのみ」

 

 カチャリ。鳥満は金具を嵌めて命綱を着用し、その一端を公園に仮設で設置された杭に括り付けた。コダマがその『無』の方へと目をやれば、雑多なケーブルの他にも何本かの命綱がそこへと伸びているのが確認できる。

 

「……まだ本部は許可を出してはいなかったと記憶しておりますが」

「昨日付で安全審査は終わっておるぞ、昼には今日付で本日以降の許可が出たことになるはずじゃ」

 

 そう堂々と言う鳥満をコダマは止めるべきか否か判断に迷った。コダマはノーヴルであり、鳥満はサイクロである。ノーヴルにはノーヴルの、サイクロにはサイクロの文化と独自ルールがあり、そしてお互いにその詳細はあまり知らない。ノーヴルのそれでは確実に黒であるこの行為がサイクロにおいてどうであるかを、コダマは知らなかったのだ。

 そして数秒の思考の末、可能な限りのアドバイスに留めることにした。

 

「二次遭難だけは絶対に起こさないように頼みますわ」

「そのための命綱じゃよ。……それでは、行こうかの」

 

 そうして『無』へと立ち入り超次元の彼方へと進んでゆく鳥満の姿を、コダマは無事を祈りながらただ見ていた。

 

「……午前9時5分。一応、記録しておきましょうか」

 

 そして鳥満がした行動の記録を、万が一の改ざんのおそれがないよう独自にコダマもとったのだった。

 

 ★

 

 Cyclopedは五元神の1柱たる根源の女神である。

 そんなCyclopedは多くの次元を渡り歩き、そしてそれぞれの次元の者へと加護を与えたり、或いは気まぐれで特定の次元へと干渉したりを繰り返していた。

 

 干渉と言っても、直接次元に何かを行う訳では無い。その次元に存在する者のみがその次元の将来を決定し、そして次元を変化させてゆくことが許される――それが五元神の間で交わされた、次元への干渉に関する唯一にして絶対のルールだ。

 そんな干渉している次元の1つへと、彼女は超次元空間の中をその体躯の末端を触手のように伸ばし、その次元へとつっこんでその次元の存在と似た姿の三次元構造物として投影していた。その投影された『Cycloped』はその次元の中をその次元に生きる者と同じように動き回り、その次元への干渉の結果を望む賛同者を増やすよう動き、時には次元を変化させる力を授ける。これがルール通りのプレイだった。

 

「ふんふん、外を目指してくるのかぁ。いいねいいねいいね、この次元が他の次元にも影響力を持てば、同じような変化を連鎖的に起こしやすくなるというもの。……まぁ、理解できるかはわからないけど」

 

 そう独り呟くCyclopedの投影体は、都立武蔵国分寺公園の様子をしっかりと見ていた。

 Cyclopedがシエロエステヤードの構成員に与えた技術では、彼女らはこの次元から遠く離れることはできない。そのようにCyclopedが設定したのだから。しかしこうして自ら理解し、解析し、習得した技術であれば当然そのような枷はなく、遠くの次元への航行が能う技術が生まれうるのだ。

 

「スタァ達が勝っても、JRNが勝っても。この勝負、私にとってはメリットしかない。それに……」

 

 Cyclopedはスゥッとその次元から意識を抜いて、別の次元へと意識を向けた。それは()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 

「あの子達のはたらきのお陰で、あの次元の殻はもう弱まっている。だからこそ、あの子も飛び出してきた訳だけど」

 

 その次元には、今まさに干渉しようとしている次元で投影体を動かしている中で見つけた、器としての素質が高い人間を送り込んだ。彼がその次元の素晴らしさに気が付き、Cyclopedの考えに同調した暁には。彼をもとの次元に戻してその器を満たしてやれば、まもなくその次元は()()()()だろう。

 

 クスリ。Cyclopedは笑みを浮かべた。

 

「ふふ、こっちもきっと、私の勝ち。Rocketちゃんには悪いけど、ぜんぶ、全部塗り替えちゃうんだから」

 

 過去に力及ばず、完成させることができなかったものを完成させる。それは、Cyclopedにとってある種の慈愛の表現の形であり、祝福を与える行為に等しかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12便前:アカシックレコード

 中央鉄道学園、通称として内部的には学園、外部的には英字の頭をとってCTSCと呼ばれる機関。その学園に飛ばされてきて数日が経ち、だいぶ学園の生活にも慣れてきた。年末年始だというのに不足していた什器の搬入も終わり――もともと倉庫に在庫自体はあったようだ――、きれいだった部屋はだんだんと僕の色が見え始めている。

 そして、日が進むにつれて朝晩の食事に集まる生徒の数もだんだんと少なくなっていた。全寮制とはいえ、みんなは学園の外にも帰るべき場所があるんだ。

 でも、僕は? 地元以外で年明けを迎えることは、はじめての経験だった。父さんが待っている家に今年も帰る予定だったけど、その予定はなかったことになってしまった。寮には帰る交通費が足りなかったりして残る生徒もいるけれど、そもそもまだどうやって帰ればいいのかすらわかっていないのは僕くらいだった。

 

「……何やってるんだろう、僕は」

 

 1人、部屋の中で呟く。

 JRNの方では、着々と調査や解析が進められていると聞いている。進捗があるかといえばまだ役立つ進捗かはわからないというのが正直なところらしいけれど、それでも何一つ為せていない僕なんかよりはよっぽどまともだ。

 本部からの伝言では、身の安全を守れる環境にいるのならば無理して帰還手段を探す必要はないとのことだった。かわりに指示されたのは、この次元でのノリモンのあり方を歴史や公民の教科書から学び報告を持ち帰ること。文化が違えばそこに気づきが生まれて、外の文化の者からしか見えないその差にこそ本質的なものが眠っている可能性があるのだとか。

 ……まぁ、そんなのは建前で。本部からすれば、できれば僕たちにあまり動いてほしくないってのが本音なのだろう。下手に動いて安全な所に戻れなくなるよりは、本部が僕たちを迎えに行くことができる技術を開発できるまでは安全な場所にとどまってほしい。通信が可能ならばなおさら。これは、次元を超えない事故などでの遭難なんかのマニュアルにも書かれていたことだ。

 

 まぁ、でも。

 それって、裏を返せば無理をしなければ――安全な場所に居続けさえすれば、帰る術を探してもいいということだ。

 そうと決まれば。

 

「失礼します」

「おやおや、誰かと思ったら。シエロエステヤード君ではないか」

 

 僕が訪ねたのは、シャイ先生のいる数学科準備室だった。

 とても数学とは関係のなさそうな書籍や器具が雑多に棚に並べられているその部屋の奥でシャイ先生はけだるそうに佇んでいたが、入室した僕の姿を認めるや否や急に打って変わって元気に部屋の入口の方まで飛んできたのだった。

 

「リドルからもらったのを見たよ。やっぱり、君はストレンジャーだ」

「リドル……?」

 

 誰だそれ。少し考えながら数少ない共通の知り合いの名前を思い浮かべる。

 あてはまりそうなのは……あぁ、いた。シンカ()()()ナ。

 

「会長さんってことは、模擬戦のですか」

「そう、それだ。さて、私からも聞きたいことは山ほどあるし、君もそうだから来たのだろう? そこに座っ……」

 

 そう言いながらシャイ先生はきょろきょろと何かを探している。

 

「椅子……椅子……どこやったっけ?」

「えぇ……」

「この部屋に長居するのなんて私くらいだからねぇ。一応用意はしてあったはずなんだけど」

 

 だからといって自分から座ってと言ってから気付くのはどうなのさ。喉まで出かかったその言葉を押しとどめられたのは、我ながらにしてけっこう頑張った方だと思う。

 結局、シャイ先生が部屋の奥からパイプ椅子を見つけ出すまでには数分ほどがかかった。どうも案外いい加減な方のようだ。

 だけどその僕の評価が覆されるのにかかる時間は、そんなに長くなかった。

 

「さて、何から話そうか。……そうだね、まずは君に1つ聞いておこう。君は無限を考えることは、不必要な事だと思うかな?」

 

 僕が椅子にかけるなり、シャイ先生はそう僕に問いかけてきた。

 質問の意図はこの段階では全く分からなかった。だけど、その質問には自信をもって答えることができた。

 

「必要に決まってるじゃないですか」

「それは私が数学科だからそういうのだろう? ならこうしよう、医学の先生が同じ質問をしてきたら君はどう答える?」

 

 そう聞かれて、僕は答えに困った。

 数学の問題じゃ、無限は絶対になくてはならない概念だ。だけど、医者が無限を考える必要があるのかと言われたら? おそらく、ないだろう。だけど……うーん?

 そんな僕の様子を見て、シャイ先生は得意げに言葉を紡いだ。

 

「ほら、答えに困るだろう? 無限は数学において必須であるが物質的世界にはあり得ないというのは、100年強前の数学者の言葉だよ。でも、それが本当にあり得ないのかはわからない。ただし私達が観測し、認知しうる範囲というのは高々有限に過ぎない。だからこそ、考える必要は無いとも言えるし、あるともいえるのさ」

 

 ……うーん? なんともかっちりとしていて、そして適当な論理だ。

 どちらかといえば数学者より哲学者が考えそうなことだ。だけれどその内容は論理的で、そして非現実的なもので。

 そして、シャイ先生が続けて放ったことは、それと関係のある数学的な事実だった。

 

「たとえば、君が何かを考えたとしよう。だがその君が考えた事を、どんな形でもいいから数字として暗号化すればどのようなものであれ私はその数列をすでに複数持っている。それは円周率であり、自然対数の底であり、そして2の平方根でもあって、それらの無限に続いていく小数点以下の数字の列の中には、必ず君の考えたことが含まれている。いや、君の考えたことだけじゃないさ――」

 

 この世界のすべては、その数値というアカシックレコードに記されている。シャイ先生はそう言った。

 そして、そのアカシックレコードから引用されたものこそが今目の前に発生している事象なのだとも。そして全てが記されているからこそ、全てが発生する可能性は否定できないのだ、と。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12便中:超次元多元世界仮説

「全ての可能性は存在する。それが存在しないのだとすれば、私達がそれを観測できないだけ、観測するリソースを持ち合わせていないだけだ」

 

 シャイ先生の続けているのは、ものすごく哲学的な話だ。僕の脳はそれらの話の一部を理解することを拒み、そして気が遠くなってきたような気さえしてくる。まるでスパゲッティの怪物が僕の思考をスパゲッティにしてくるかのような感覚だ。

 

「でもそれって、いんちきじゃないですか? 観測できないものの存在を議論する意味って」

「だが事実、君は私が今まで観測しえなかったところから来たのだろう? もちろん、私の理論上はその存在は否定はされていないよ」

 

 そう言われて、僕はそうかもしれないと思った。それと同時に、そうじゃないかもしれないとも思った。そしてそのどちらもが、シャイ先生の理論には存在していた。

 

「まぁ、観測しえないというのはこちらの話だ。君たちがこの世界を観測できていたのかどうかすらは、それこそ私の観測できる埒外だ。でも、君があまりにも落ち着いているということからして、君が前もってこの世界の存在を考えることができていたというのは事実のようだがな」

「それは、まぁ……事実ですね」

「ふぅん?」

 

 シャイ先生の目が、ピカリと光った。

 ……対応を間違えたかもしれないな、今の。こうなったらもうやけくそだ、向こうが理解できないほどの話をして困惑させてやる。

 

「なら聞かせてもらおうか、どうして君はそうも落ち着いていられる?」

「僕は元の次元の外側に超次元的に飛ばされた――そのこと自体はこの次元に着く前から認識していた事実です。そしてこの次元でも僕が力を借りることができるのだから、僕の元いた次元からこの次元までは超次元的な繋がりを有することができる。繋がっているのなら、来ることができたのだから同じ事象を発生させて同じ経路を逆走すれば帰ることができる。それが分かっていたからこそ、僕は落ち着いていられたんです」

「超次元か、なるほどね。君はそういう解釈をしているんだね」

 

 ……あ。駄目だ。普通に受け入れているしなんならこの考え方自体既に持ってそうな反応だこれ。

 そう思って目線を斜め下に向けてシャイ先生の顔を見ると、首を少しだけ傾けて頭の上に疑問符が乗っていた。そして何かを期待するような目で、僕の方をじっと見つめているのだ。

 

「……なんですか?」

「それだけかい、君の落ち着いた理由は」

「それだけですね」

「なるほど、君は相当肝が座っているようにみえる」

 

 そう言いながらシャイ先生は2枚の厚紙を重ねて、僕との間においた。

 

「だけどそれを論じる前に1つ、確認しておきたいことがある。『超次元』という言葉が指すものだ」

「たしかに、その認識がずれていたらまともには……」

「だろう? さて、私は君の言葉から少なくとも2つの意味での超次元を連想したよ」

 

 1つは、幾何学的な超次元。つまり、この3次元よりより高次な空間のことだという。

 そしてもう1つが、複数の『次元』を超えているということ。これは僕が彼女の言う世界のことを次元と呼んでいることから、そっちの意味で使っているのではないかという考えだ。

 ……確かに、そう言われてみれば僕は今まで超次元という単語をそういうものだという認識ていた。指摘してもらえばこれは何らかの前提があって初めてそうだといえるものだ。

 

「専門にしていた訳ではないので詳しくは知らないんですけど、もともとは前者の意味で話を進めていくうちに後者の意味での異次元の存在を認めることになるって感じなんじゃないですかね」

「ふむ、ということはもともと高次元の仮定のあとに多元宇宙論に移行したのか。そしてその転換地点には何らかのファクトがある……うん、いい知見だ」

 

 スラスラとそうやって言葉を紡ぐシャイ先生。彼女は論理という面ではどちらかというと、網羅的にあらゆる仮説を把握してどれが正しいのかを見極めるタイプの詰め方をするの方みたいだ。

 

「確認させてほしい。君の地元では、多元世界仮説――いや、君の言葉で言おう。他の次元の存在を認知しているんだね?」

「そうですね、認知しました」

 

 実際に認知したのはつい数日前、中泉さんからeチッキで連絡があったのが初めてで、そもそもその頃には僕はもうここにいたんだけど、今現在で認知しているのは事実らしいのでそう答える。するとまた、シャイ先生は目を物理的に光らせて何らかのメモをとった。文字が汚すぎて僕からは読めないけれど。

 

「なるほどなるほど。ということは、君は既に別の次元に行ったことがあった、だからこそ慌てていない。違うか?」

「いや、別の次元にたどり着いたのはここが初めてですよ。そもそも仮にそうなら僕はとっくに帰ってますって」

 

 そう伝えると、ハッとした様子でそれもそうだねとシャイ先生は返した。そして少しだけ考える素振りをしてから、更にもう1つ問を増やしてきたのだった。

 

「君はここが別の次元であることを認識してから、自力で帰れないことを自覚するまでにかかった時間はどれくらいだった?」

「1分もないですよ。無理ですもん」

「つまりそれを判断できる材料が君にはあったわけだ。となると……」

 

 ペラリ。シャイ先生のメモ帳は次のページへ。それもまもなく埋まる程に、彼女は論理を練っていた。

 その後もいくつかの質疑が続いて。そしてようやく結論が出たのだろう。メモ帳を一旦閉じると、僕の方を向き直したのだった。

 

「君の認識と論理はだいたい分かった。残念ながら私からその論理の正誤に関しては明確な答え返すことはできない――なぜならば私もわかっていないからだ。君達の論理に反証しうる材料を私は持ちえていないのだよ」

「つまり……?」

「君達の論理を信用しよう。君の言葉が正しいのなら、私達――いや、学園にとっても大きな進歩となりうるからな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12便後:次元が低すぎる

 シャイ先生の言った多元世界仮説という言葉。それは、僕が初めて聞く言葉だった。

 それがどうも僕の言う次元を指す言葉に対応するのらしいのだけど、いまいちパッとはわからなかった。それを伝えると、先生は快く教えてくれた。

 

「まぁ、前提として多元世界仮説というのは数学ではなく物理学の分野から派生した考えだから私の専門ではないけれどもね」

 

 シャイ先生が言うにはこうだ。たとえば、布の下に色のわからないボールがあったとして、そのボールの色をは布をどけた時点で1つに定まる――逆に言えば、どける前にはそのボールの色は1つに定まっていない。その状態のとき、あらゆる色である無限の世界が存在して、そして観測という行為によりそのうちのどの世界であるかが決定するというのだ。

 これのどこが物理学の論理なのかはわからなかったけど、そこには波動関数というものが関係しているらしい。そして非観測側と観測側の両方を古典力学でなくこの波動関数的に解釈するとこの多世界解釈に行き着くのだという。

 ……何を言っているのかはよくわからないし、それは先生も説明できるほどには理解できていないそうなのだけれど、とりあえず世界がたくさんあるということは理解できた。

 

「そしてここからが私の専門の領域。複数の世界があるのなら、それらの世界の間の距離というものはある定時においては一意に定まらなくてはならない。それを説明しようとしたときに、より高次元の座標を仮定すれば無限の世界を含む世界群が確実に存在することになる。だけどその距離を認めるには、()()()()()()()()()()()()。これが多元世界仮説の高次元への拡張だよ」

 

 なるほど、こっちの理解はすぐに入ってきた。そもそも、三次元では説明するのに次元が低すぎるという話自体は鳥満博士もしていた。つまりこれは同じ思考プロセスによるもので、おそらく似てる考え方なんだろう。

 

「恐らくは君の居たところでも、この三次元で未解決の問題が先にあった……違うかい?」

「そうだとは聞いています。けっこう昔のことらしいですが」

 

 そこから先を説明しようとして、僕は言葉に詰まった。

 確かチッキとウェヌスのまわりか何かがそうだったはず。それで超次元に拡張して、そしてイギリスのノリモン、St Simonが発見し命名した自元(アイゲン)領域(ゾーン)も実は超次元で説明できるのではないかとされて、そして最終的にラッチが開発された……これが、僕の知る限りの超次元の大まかな技術史だ。

 だけどこれをどう説明すればいい? そもそもチッキやウェヌスはトレイニングという現象があったからこそ気づくことができたもの。この次元にはそういうのが用いられてはいない。それに自元領域だってあるかどうかわからない。

 そんな僕を見かねたのだろう。シャイ先生は優しくこう声をかけてくれたのだった。

 

「……明るくないのなら、むりして説明しようとしなくたっていい」

「なんかすみません、情報もらってばかりで」

「いいや、そんなことはない。むしろぜんぶ教えてもらうより、自分で謎を解き明かしてゆく方が私は好きだよ。そもそも、君の世界でのおそらくこの世界での認識より進んでいる認識を得られただけでもかなり大きな収穫になるからねぇ!」

 

 そう言いながら背伸びをして僕の頭をポンポンと叩いた。

 確かに、シャイ先生の目はかなり満足げで、ここから論理を組み立てようとしているのが伝わってくるほどだ。

 そして次に机の上のメガネを取ると、その萌え袖で器用にも着用して、顔つきをキリッとしたものへと変えた。

 

「さて、ここで本題に戻ろう。残酷な話になるかもしれないけれどもね。これらを組み合わせたとき、理論上は君のいた世界は間違いなく存在する。だがしかし、それを探し出して戻ることは不可能とは言わないが極めてむずかしいと言わざるをえないね」

「……そうですか」

「おや、これも驚かないのかい?」

 

 そりゃだって、無限の世界の中から1つの世界を探し出すのは至難の技だ。だけど。

 

「JRNのみんなも超次元に飛び出して僕を探そうとする準備を進めているし、何よりどこでもないゾーンにはリヂルさんがいる」

「どこでもないゾーンとは?」

「どの次元にも属さない領域のことで、リヂルさんがそう呼んでいるんです。そしてリヂルさんは以前に僕がどこでもないゾーンに投げ出された時にもとの次元に戻してくれた。だからきっと、彼に会えば僕はもとの次元に戻れるはず」

 

 そう伝えると、シャイ先生は一瞬だけ動きを止めて、そしてぷるぷるとエンジンのように小刻みに震えだした。そして数秒して、ギアが繋がったように動き出して僕へと飛びかかってきた。

 バタン。受け止めきることができずに、僕は椅子ごと後ろに倒れて投げ出される。そして馬乗りになったシャイ先生は僕の上から、その決して長くない髪が僕にかかるほどの近さで怒鳴るようにまくし立てた。

 

「……そういう大事なことは先に言いなさいよ! この世界に着いたときに気を失っていたとクモエコロが言っていたから、そこの記憶はないんだと認識していたよ!」

 

 それから僕が僕の次元でS(シールド)バーストという爆発で飛ばされてからの事を含めて、シャイ先生から猛烈なインタビューを受けた。曰く、経験ならば知識なくともその事実だけを伝えてくれるだけでいい、と。

 そしてそれだけで、今日一日の時間を使い果たしてしまったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ前:エマージェンシー・アクシデント

 進捗というものは、物事をやり始めたときにはものすごく進むように見えて、それでいて途中で壁にぶち当たって停滞するものである。

 それはJRNでも決して例外ではなかった。事実最初の1週間に得られた進捗を最後に、行方不明者探索は行き詰まっていた。何より、武蔵国分寺公園より『無』へと突き立てられたいくつもの計測機器は想定をはるかに超える勢いで劣化が進行し、片手で数えられる程度の日数も経たないうちに使い物にならなくなってしまうのが、また探索を拒んでいた。

 音信不通のトレイナーもそうだ。現状8人のうち連絡が取れているのも、ドラコの2人の他にはポーラーエクリプスを介した山根真也に星野貴大と合流することのできた参宮五十鈴だけで、残る4人とは依然として連絡は取れていないまま。彼ら4人は本当に生きているのか? などという半ば諦めの含まれた声も上がり始めるほどだ。

 ……もっとも、多くのJRN職員はこの事実を知らない。あの時武蔵国分寺公園に居合わせた者、そしてそんな彼らと関係を持つ一部の者、並びに有識者や責任のある者にのみ、この行方不明者の情報は共有されている。そんな限られた者の中でさえ、残る4人の捜索はトリアージ的に放棄すべきであるという論、放棄する必要まではないが連絡の取れている4人を優先すべきとする論が提唱され、会議は大きくこの3つの宗派に分裂してしまっているのだ。

 

 だが、連絡の取れていない早乙女遊馬が見捨てられるかもしれない――その情報が、彼により助けられた者のうち一部を強く刺激してしまった。メカマタマガワエンもそのうちの1名だった。

 

「あーっと、メカマタマガワエン号か。なぜここに?」

「あの時私は崩壊するルースの落し子を見た。だからここに来れば、何か気づくことがあるかもしれないって」

 

 タマはブゥケトスの自元(アイゲン)領域(ゾーン)へと進入した10のノリモンのうちの1名である。それが故に、彼女の言い分も一理ある、と納得してしまったのだ。

 そして事件は起きた。近づくならば、命綱を。そう伝えようとして振り返った時には既に、タマは命綱を繋がずに『無』へと飛び込んでしまったのだ。

 それはつまり、『無』への身投げ。現場の調査員でさえ命綱がなければどこへゆくのかもわからないとされる超次元の彼方へと、タマは消えていった。

 

「エマージェンシー、エマージェンシー! 鳥満博士は本部への連絡を、ほか手の空いている者、空きそうな者は命綱を繋いで『無』に突入し、メカマタマガワエン号を捜索!」

「承知!」

 

 超次元専攻の動きは早かった。現状トライとエラーだけを繰り返していた最中でのこの事故は本部からすれば致命的な判断を下されかねない。すべての期日を本部直属のロケットの事故調査委員会に握られて報告書を要求される、通称『罰ゲームモード』への突入は現場の誰もが恐れることだった。

 一度『罰ゲームモード』に入ればまともに研究は続行できなくなる。それを回避するためにはタマを見つけ出すことは必要条件のなかでも最も大きいものだ。

 

 だが、しかし。十名強が命綱をつけて超次元の彼方へと突入したものの、タマの消息どころか痕跡すら追うことはできなかった。タマの飛び込んだ位置、方向に合わせたナリタスカイでさえ。

 5分。10分。30分。懸命の捜索活動にも関わらず、ただ時間だけが過ぎてゆく。

 

「どうしますかね、ナリタさん」

「どうするも何も、探し出さなきゃダメ。絶対に」

 

 だが、そう超次元空間でナリタとリクチュウが議論をしているとき。奇跡は起きた。

 謎の男が超次元空間を航り、そしてふたりの方へと近づいてきたのだ。そして彼が抱えているのは。

 

「メカマタマガワエン号!」

「……またこの次元か」

「貴方、何者?」

 

 アイボリーをメインに、闇のような紺色を纏うそのノリモンは、その質問には答えなかった。

 

「この子の知り合いか?」

「まぁ。……JRNのリクチュウといいます」

 

 だがそのリクチュウの答えに、彼は少しだけ驚きの色を見せた。

 

「JRN……!?」

「同じくJRNのナリタスカイ。貴方は?」

 

 ふたりは薄々と気がついていた。そのノリモンの正体が、山根により報告された彼であるということに。そして戻ってきた答えにより、それは真実であることが確認されたのだ。

 

「名乗るほどの者でもない……では、済まされないか。俺はリヂル、ゲッコウリヂル。はぐれ者にして、偉大なるCycloped様の僕だ」

 

 リクチュウとナリタはゆっくりも顔を見合わせ、そしてゲッコウリヂルの方を向いた。

 

「なるほど。貴方は何をしにこの次元へ?」

 

 ナリタがそう尋ねると、リヂルは済ました顔で「Cycloped様の使命を果たすのみ」とだけ答えた。彼の言う使命とは、このどこでもないゾーンに漂流する者を元の次元に戻すこと。それゆえ、見つけたタマを戻しに来た折に接触したのだ。

 

「分かったわ。……伺いたい話があるから、私達の次元に来てもらえる?」

「それはできない」

「なら、その子をここで私達が預かる。そして私が連れて帰って、そして――」

 

 かわりに、貴方が会うべき人にここに来てもらうわ。そのナリタの提案に合意して、リヂルはタマを次元へと連れ帰ったのだった。

 

「見つかったわ!」

「でかしたナリタ! 各員に発見を通知、引き上げを」

「……そして鳥満博士、貴方は超次元の突入の準備を」

 

 何故? 鳥満絢太はそのナリタの言葉に疑問を抱いた。だがその疑問は、次の言葉で完全に吹き飛んだのだった。

 

「――ゲッコウリヂル号がお待ちです」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13レ後:再会

 超次元の彼方はどこでもないゾーンで、リクチュウはその姿をしっかりとその目に捉えていた。

 片や超次元の果てより来たりしノリモン、ゲッコウリヂル。そしてもう片方は、そのリヂルとまったく同じ意匠の装いをした鳥満絢太だった。それもそのはずで、鳥満は彼のキールたるリヂルの力を纏っているのだから。

 

「久しぶりじゃの、リヂル」

「本当に、絢太なのか。あのJRNなのか」

 

 信じられないとでも言いたげなリヂルと、同じように体の震えている鳥満。横で見ているリクチュウが命綱による案内の役目を終えた今戻ったほうがいいのではないかと考えるほどに、ふたりだけの空間が形成されていた。

 

「……信じておったよ、未だ生きておると。そして超次元を研究し、おまえを探す術を探しておった」

「そうだったのか。なら俺のほうが何もしてないな、お前がいつか来ることだけを信じていたのみだから」

「済まなかった。私が不甲斐ないせいじゃ。おまえを30年もこのようなところに」

「俺だってただこのどこでもないゾーンを彷徨うことしかできなかった。どこかに入ってしまえば、そこから抜け出せる自信がなく……結局、ここで生き延びる術を選ぶことしかできなかった」

 

 それ以上はもう、言葉は不要だった。2つの人影は自然と重なって、お互いがお互いを抱きしめていた。

 そして彼らにとって充分なだけの時間の後、ふたりはまた向き合った。

 

「リヂル。帰ろう、私達の次元に。そして一旦落ち着いてから、話をしたいことがたくさんある」

 

 鳥満は手を伸ばした。だが、リヂルはその手を取らなかった。取れなかったのだ。そして悲しそうに首を横に振ったのだった。

 

「どうしてじゃ」

「済まん、絢太。俺はもう、このどこでもないゾーンを彷徨うことしかできない体になっちまった。もう二度と、JRNには帰れない」

「この命綱がJRNへとつながっておるとしてもか」

 

 首をゆっくりと、リヂルは今度は縦に振った。

 

「それぞれの次元の中がどうなってるかはわからなくとも、JRNのある次元がどれなのかはこれでようやく解って、そして覚えることができた。絢太、お前がここにまた来るのならいつでも俺達はまた逢えるし、そしてお前をJRNへ帰すことができる……それが俺に赦された最高の贅沢なんだ」

 

 本当は帰りたい。その気持ちはリヂルの中には大きく存在する。だがそれがもはや叶わぬ夢となってしまうような選択肢を過去にとったことは、彼自身が最もよく理解していたことだった。そうしなければ、このようにして再び会うことすらできなくなっていたのだから。

 しかし鳥満はそのようなことを当然知るはずもなかった。ゆえに彼は自分を責めはじめることになった。

 

「それは……私が長い間来ることができなかったのが悪いのか?」

「違う! 断じて違う。JRNに戻れなくなったのは俺の驕りが回り回ってきた罰で、そしてお前と逢えること自体が寛容なるCycloped様の情けだ」

 

 声を荒げて鳥満の反省を否定するリヂル。S(シールド)バーストに飲まれてしまったのも自分の油断によるものが大きく、そのきっかけからして鳥満に一切の責任は存在しないと、そう主張を重ねた。

 ひと呼吸おいて、鳥満は再び理論的な思考を再開させる。もはや過去は変えられまい。ならば未来は――。そして1つの結論に至る。

 

「ならば――リヂルがJRNへ戻れぬのならば、私は必要なときだけJRNへと戻ろう」

「駄目だ。絢太はJRNに、その次元に帰れ。そんなことをしたらお前はアイテールになって消えてしまうぞ」

 

 このどこでもないゾーンはどの次元や領域(ゾーン)にも属さない、純粋に空いている空間である。それはそこにいる存在がやがて時間とともに空いている存在へと化すことを意味する。この無限の空間にある純粋なエントロピーと純粋なエネルギーにより、あらゆる物質は時間とともに分解されて消えてしまうのだ。その空虚のようで満ち溢れている純粋なエントロピーと純粋なエネルギーのことを、リヂルはアイテールと名付けたのである。

 

「ならば、如何にしておまえはここまで生き延びた」

「さっきも言っただろ、Cycloped様の情けだと」

 

 そして、かつて自らの体が消えゆくのをリヂルが認知したころ、そんなリヂルに手を差し伸べた存在がいた。それこそが五元神の一柱たる女神、Cyclopedだったのだ。彼女は消えゆくリヂルにこう持ちかけた。

 

『私の手伝いをしてくれるのなら、あなたはここで消えゆくことはなくなる。ここで消えゆく者がなくなる手伝いをね』

 

 リヂルはそれを受け入れた。そうすれば、いつかはまた友に逢えると信じて。だがしかし、その代償としてリヂルはアイテールと、どこでもないゾーンと似通った性質となった――いかなる次元にも、立入ることができなくなってしまったのだ。

 

「なるほど、それで測定機器の劣化が激しかったのじゃな……」

「だからお前もあまり長居しないほうがいい。どっかの次元に入ればアイテールの影響はすぐに抜けるが、長居して蝕まれたものはもう戻らないからな。下手したら俺みたいに性質ごと変わっちまうかもな」

「うむ、わかった。では、今日のところは一旦戻るかの。リヂルから聞いた話も、改めて依頼したい事も向こうでまとめねばならん」

 

 鳥満は命綱を辿り、自らの次元へと戻り始めた。リヂルはその背中を見守っていたが、いよいよ鳥満がその次元へと入らんとしたとき、抑えきれずに声を上げた。

 

「絢太!」

「……なんじゃ?」

「元気でな」

「フッ、おまえこそ」

 

 その後に続く言葉は、示し合わせもしていないのに全く同じで、声が重なり合ったのだった。

 

「「また会おう」」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13D:安全階層

「《特別通過》だ、莫迦野郎」

 

 成岩富貴はオオカリベをそのクリーチャーに振りかざし、それを破壊した。これでこの階層は攻略し、一時的とはいえ次の階層への道が開かれる。

 

「ふぅ~っ! やるねぇ!」

 

 そう成岩を評価するのはシンカライジングルナ、白と青が流れるような装いの、名のしれた冒険者である。彼女は仲木戸俊成とは奇妙な縁があり、このダンジョンを探索中によく出くわす程度の仲である。それ故に、お互いのことはある程度信頼していたし、その実力や才能を理解してもいた。

 だからこそ。仲木戸はライルが窮地に陥っていたのを見過ごせなかった。それを助けてからというもの、彼女は彼らと行動を共にするようになったのだ。

 

「あと、2つ。そこに安全階層がある」

 

 安全階層とは、このダンジョンにおいてクリーチャーが出現しない特殊な階層のことである。成岩はその存在を初めて聞いたとき、そんな都合のいい存在があるのかと思わず突っ込みたくなったものであるが、事実その階層は存在しているのだ。

 そして、その安全階層には長期滞在をしていたり、或いは定住すらしている者がいる。そこにはダンジョンの中であるというのにまちが開かれて、そしてにぎわいを創出している。これは成岩らにとっても好都合だった。柱のシールドをブレイクするためには、人手が必要なのだから。

 

「とはいえ、どうなんですかな。成岩さんの言う通りに『柱』がシールドでできているとしても、それほどのシールドを全てブレイクするのに赤のシールドブレイカーがどれだけ必要になることやら」

「最低でも2ケタは要る。それを柱の色の薄い階層に迎えれば」

 

 『柱』の色は階層によって濃淡がある。その色の薄い階層ならばシールドも少ないだろうというのが、仲木戸と成岩の推測だ。

 そしてその『柱』の階層別の濃淡を調査している酔狂な研究家も、次の安全階層を拠点にしていると仲木戸はかつて小耳にはさんだことがあった。その者から薄い階層を聞きだせば、頭数が少なくて済むだろうと。

 

 それから彼らは次の階層も難なく通過し、そして安全階層へとたどり着いた。

 そのフロンティアと呼ばれる安全階層のまちは、成岩にとって安心感を与えるものだった。そもそもこの次元へと辿り着いて以降、彼はずっとこの『柱』のダンジョンを進み続けている。時折行商の者と取引をすることはあっても、それはにぎわいとはとうてい程遠い寂しいものだった。それと比べれば、このフロンティアはなんと大きなにぎわいを見せていることが。

 

「まちを見ると安心するな……」

「やっぱり? 知らないまちだとしても、帰ってきたって感じがするんだよね」

 

 まちの中に入っていけば、そこはもうダンジョンの外とはさして変わらない――ただし、地下街であるという点に目を瞑れば、だが――生活の営みが行われていた。その中をもう慣れたと言わんばかりにスイスイと進む仲木戸についてゆき、成岩たちはある区画の前に辿り着いた。

 

「ここは……?」

「えっ、あんた冒協を知らないの?」

 

 冒協というのは、冒険者の互助組合である。加入こそ任意の団体ではあるが、冒険者の過半数が加入している組織だ。

 

「じゃあ俺は外で待ってた方がいいな。組合員じゃないわけだから」

「いや、俺の協力者という面でむしろお前にはついてきてほしいんだが」

 

 そう渋る顔をする成岩をよそに、仲木戸はその後ろの者へと目線で合図を送った。次の瞬間、仲木戸はそのふたりによる丁重なエスコートにより、冒協の建物の中へと踏み入ることになった。

 

「いらっしゃ……あら、久しぶりじゃない」

 

 仲木戸を認めるなりそう声をかけた右が赤で左が青のオッドアイが特徴的な者は、この支局で受付を担当するツダヌマスカイである。

 

「おふたり一緒なんて珍しいわね。それと……その子は? 見覚えがないんだけど……」

「ちょっとこいつのことで用があってな。誰か『柱』に明るい奴はいるか」

「ある程度明るくなかったらこんなところに配属されないわよ。まぁまずそちらの方がどなたなのか、というところから伺いたいけど」

 

 そう言いながら、ツダは受付の内側からメモ用紙を取り出して、話を聞く準備を整えた。

 

「あー……。それはちょっと、ここじゃできねぇな。部屋借りてそこでなら話せるが」

 

 いいな。そんな目線を仲木戸は成岩に送る。その返事は、あきらめの溜息と小さな頷きだった。

 そしてそれを確認したツダは、そこに高度な事情が存在することを察すると、内線電話をかけてすぐさま部屋と相談要員の手配へと入ったのだった。

 

「2階201号室。そこで待ってて」

「誰が来るんだ?」

「調整中。即応人員がちょうどいま出払ってちゃっててね、戻ってき次第その子になると思うんだけど」

「それっていつ来るかも」

「わからないわ。決まったら部屋に内線かけるから」

 

 そう言いながらも、ツダは慣れた手つきでトークンタイプのカードキーをアクティベートしている。そしてそれを仲木戸に差し出した。

 仲木戸は後ろをちらりと見て数組が対応待ちになっていることを確認すると、それをしぶしぶと受け取った。

 

 そして、201号室で待つことおよそ30分強。今から担当者が向かうという内線が彼らに届けられる。それが誰なのかを電話口の仲木戸が問おうとしたとき。

 

「失礼するよ」

 

 その声とともに扉が開けられ、アップルグリーンの髪をたなびかせるFlying Fox支局長が彼らの前に現れたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14便前:電光鉄火

 電光鉄火。それは、トウマさんにつけられた異名だった。

 冬学期が始まってから、僕の生活はまた1週間周期のものに戻った。基本は気になっていた講義を週に3コマだけ履修して、あとはシャイ先生のゼミ――とはいっても、いるのは僕とシャイ先生に、ときどき会長さんやトウマさんが顔をのぞかせるだけ――でお互いの知識の確認や考察で帰る手段を検討し、そして生徒会に顔を出したり、あるいは競技会の練習を覗いたり、または体を鈍らせないためにフリーマッチに参加してみたり。

 そんな中で聞こえてきたのが、そのトウマさんの異名だった。当たり前なんだけれど、彼女とて生徒会の役員なのだ。それは要するに前の競技会で一定以上の成績をおさめているということでもあって、その強さは学園内では広く知られているのだ。

 

 で、どうしてそんな話をしているのか、といえば。

 

「いくわよ、私のスキル! 《目鉢(ビッグアイ)炎壁(ファイアウォール)》!」

 

 ぶわり。炎の壁がトウマさんと僕との間を塞ぐように立ち上がる。何が起きるのかはわからないけれど、間違いないのはその壁からは熱波が発せられていて、迂闊に近寄るだけでシールドが削られてしまうということだけだ。

 上を飛び越す? とんでもない。熱せられた空気は上へと上がっていくのだ。地上と大差ないどころか、余計に酷いことにもなりかねない。

 

 ならば、僕がやるべきことは1つ。炎を、消す!

 

「借りるよ、力を。《サタイペ》」

 

 炎の壁と僕の間に、もう1つ壁が生える。数列の木が並んだ壁だ。それは防風林めいて、僕へと襲いかかる熱風を弱めた。

 それだけじゃない。その木の合間を縫うように水が流れ、集まれば川となって炎の壁へと向かっていった。

 

 そう、今やっているのは模擬戦だ。今日は講義もゼミもないからと図書室に向かおうとした僕を呼び止めたトウマさんから、今季の競技会に向けた調整を手伝ってほしい、という頼みを引き受けてしまったからだ。

 調整というくらいだから軽いもの――せいぜいデコイを使った程度――だと思っていた僕の認識とは裏腹に、トウマさんから言い渡されたのは競技会ルールでの模擬戦。それも、この前に会長さんと相まみえたときのものと全く同じものだ。

 

「さて、備えますかね……」

 

 呼び出した木のうち1本に近寄りながら左手に力をため、《桜銀河》をスタンバイさせておく。

 この《サタイペ》は壁としてはかなり便利で、木々の中に相手を引きずり込めばゲリラ的な不意打ちができる。だけど、いつもの対応の時は他のユニットもいる以上普通に味方の邪魔になる上に直接シールドを削るようなものでないため使ったことはあんまりない。

 だけど今回みたいな味方のいない戦いならば、それは有効な手段の1つになる。

 

 トウマさんの方を警戒していると、急に熱を感じなくなる。どうやら炎の壁が消えたらしい。そして。

 

「なにこれーっ! スペリーにいっぱい引っかかるって思ったら!」

 

 そんな悲鳴が聞こえた。

 なるほどね、とうもあの壁越しにこっちの位置を把握すふ手段をトウマさんは持っているらしい。だけど、それは恐らく原始的なレーダーか何かで、この木も感知してしまったのだろう。ならばこの木を有効に使っていこう。

 僕は《クンネナイ》で飛び上がって、木の上へと身を隠した。これからやるのはゲリラ戦。相手の死角から繰り出すヒットアンドアウェイの連続攻撃でどんどん疲弊させていく。その繰り返し。

 

 そう、思っていたのに。

 

「とりあえず……邪魔なものはどかしてみつけないと。《腰長(ロングテール)薙払(スイングモウ)》」

 

 その声の次の瞬間、一本の木がメキメキと音を立てながら倒れた。そして、少し時間が立てば次の木が。だいぶ原始的かつ暴力的な解決をするつもりのようだ。

 でも、まぁいい。近づいてくるのなら、こっちにとっては本望。攻撃は一発が限界だろうけど……。

 コジョウハマを強くにぎりしめて下を見て、耳を研ぎ澄ませる。一旦は遠くなったそれらの立木の悲鳴は、少しすると戻ってき始めて、そして少しして視界の中にも入ってきた。

 目に映ったトウマさんは……回転しながら、何かを振り回していた。そしてその円周上に木が当たれば、その木の表面から削れている。そうやって木を薙ぎ倒しているんだ。それは僕のいる木にどんどんと近づいてきて。……でも。

 

「上が、がら空き! 《シララオイ》!」

「えっ、上!?」

 

 回転するトウマさんに真上から急降下し、一気にケリをつける!

 ぐるぐると回っている状態は、基本的に急に止まることはできない。真横から攻撃を加えるのは巻き込まれの可能性があって現実的ではないけれど、上方、それも角度が急であればあるほど無防備になるのだ。

 よし、そのままコジョウハマを……。

 

「でも、見つけたっ! 《鬢長(アルバコア)雷撃(サンダーボルト)》」

 

 何らかの電流が、僕に当たった。それで少しだけズレて、僕の攻撃は外れて地面へと……降り立てなかった。体が痺れて、うまく受け身を取ることすらできなかったのだ。

 そしてなんとか立ち上がったところで。

 

「ふっふん、私の勝ちだね。いくわよシエロ、《(ブルーフィン)衝撃(インパクト)》ッ!」

 

 僕は抵抗もできないまま、トウマさんに弾き飛ばされる形で規定エリアから外に出てしまったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14便後:恩返し

「やっぱり上ががら空きになっちゃってたかぁ」

 

 まだしびれの残る僕の体を起こすのを手伝ってくれながら、そうトウマさんは振り返りを入れた。

 

「まあ対応されちゃいましたけどね」

「あと少し間に合わなかったら絶対に負けちゃってたわ」

「なんか会長さんにも似たようなこと言われたなぁ……」

 

 実はこの言葉って褒め言葉ではないのでは? 僕は訝しんだ。

 だけどトウマさんは、そこではなく別のところに噛み付いてきた。

 

「えっ、会長といつの間に?」

「彼女と会った翌日にね。演習場が空いていたんだってさ」

「……ふーん」

 

 この反応からして、どうも会長さんはこのことをまだトウマさんには話していなかったみたいだ。あの言い分だとそれはそれでおかしいような気もするけれど、まぁ確かに半分は彼女自身の興味だったようにも見えるし。彼女とて生徒会長である以前に1人のここの生徒なんだなと、そう感じた。

 

「それで、どうだったの」

「負けましたよ?」

「……まぁそうだよね。会長だもの」

 

 そうは言いながらも、トウマさんの表情はどこか安堵の色が窺えるものだった。そしてぎ装を仕舞って僕の横に座りこむと、僕の方を向いてこう訪ねてきた。

 

「ねぇ。シエロはさ、出るの? 競技会」

 

 その声はどこか悲しげで、重いものだった。

 

「出なきゃいけないんですよね、僕だって一応ここの生徒ってことになってるんだから」

 

 競技会に出るのは留学中などでない限りは生徒の義務だ。それは僕だって例外ではなかった。

 実際のところ、学園長さんはその義務を免除してもいいとは言ってはくれてはいた。でも逆に出ないほうが不自然だというのなら、僕に出ないという選択肢はなかった。

 

「でも、帰れるようになったら帰っちゃうのよね?」

「まぁね。でもそれはそれです。やるんだったら、僕は本気で挑みますよ」

 

 それに、競技会で好成績をおさめたからといって必ずしも生徒会役員になる必要があるわけじゃない。例えば外部組織からのスカウトを受けている最中だとか、そういった事情があれば断ることだってできる。むしろ……。

 

「僕が会長さんや君にお世話になり続けるには、好成績を残したほうがむしろ都合がいいんじゃないですかね?」

「うーん、確かにそうなんだけど……」

 

 あー、もやもやするー! そう言いながらトウマさんは急に立ち上がって、走りだしてしまった。急いで追いかけようとしたけれど。

 

「あっちょ……ぴゃ!」

 

 僕の足にはまだ痺れが残っていて、力を込めたところで妙にくすぐったくてこそばゆい感覚が襲い、バランスを崩してしまった。そんな僕を置いて、トウマさんは1人ファルコンの寮へと戻っていったのだった。

 

「ちょっと、トウマさーん!」

 

 その声への返事は、トウマさんからは戻ってこなかった。かわりに聞こえてきたのは、おそらく今のやり取りを見ていたであろう先生のものだった。

 

「……まったく、あの子は素直じゃないんだからShould be herself」

「いつからいたんですか」

「通りがけにあの子の《目鉢(ビッグアイ)炎壁(ファイアウォール)》が目について寄っただけよStopped」

 

 それからミノル先生の手を借りて、僕はようやく立ち上がった。そしてそのまま肩を借り、まだわずかに痺れの残る足で競技場を出て屋外のベンチへと移動したのだった。

 

「なんか、すみません」

「いいのよ、そもそも敗者の負傷があればその手当は勝者の義務なのHafta do。なのにあの子ったら……」

 

 そういえば、始業式でそんなことを学園長さんが言ってたっけ。でもまぁ……。

 

「怪我してるわけじゃないんですけどね……」

「痺れでしょparalyse。立派な負傷よ」

 

 その場合は、しびれが取れるまで横にいるべきなのだというのが一般的な解釈らしい。なのにトウマさんはそれを怠ったのだと、ミノル先生は半ば呆れた様子だった。

 ……まさか。

 

「もしかしてなんですけど、よくあることなんですか?」

 

 そう恐る恐る聞くと、先生は静かに頷いた。

 ミノル先生の見解では、トウマさんはまだ精神の発達が肉体や実力の発達に追いついていないように見受けられるとのことだ。それ故彼女は寮の中でも孤立気味で、生徒会役員の集まりが唯一の心の拠り所になっているのではないかと先生は分析している。

 

「本当は寮生のそういった悩みの相談にのって解決してあげるお手伝いをするのも寮母の仕事の1つなんだけれど、どうも手が回らなくってindecuacy」

「……手伝いましょうか?」

 

 そう提案すると、ミノル先生は驚いたような顔で僕の方を向いた。

 

「シエロさん、でも、あなたは……」

「僕が帰るまでの間だけでも、トウマさんの力になりたいんです。この次元で僕を見つけてくれたのは彼女ですから」

 

 それに。

 そもそもノリモンのそういうサポートをするのだって、トレイナーの仕事の1つだ。それは次元を超えても変わらない。

 

「恩返しがしたいんです」

「……気持ちは嬉しいけれど、やっぱりこれはあなたの仕事じゃないわNot your job」

 

 そう言って、ミノル先生は僕の肩に手をおいた。

 

「……でも」

「でも! あなたがトウマの力になりたいHelpfulというのなら、止める権利は誰にもないわNo right」

「……はい!」

「だけどそれは寮母の仕事の肩代わりではないわnot take over。それはあくまでも寮母の仕事My job。だから……」

 

 お互いに、頑張りましょうね。にこやかにミノル先生はそう言った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回14レ:セゾンスーパースプリント

 ノゾミタキオンは頭を抱えていた。それは彼女の弟分であり、同じチームのメンバーでもあるネオトウカイザーが半ば廃人めいて完全に無気力になってしまっているからだ。

 

「お前来週末のレースどーすんだ?」

「テントケで……」

「ったく。ポーラーエクリプスの奴が休んだときはあんだけキレ散らかしてたのにいざ自分がそうなったらコレか」

 

 カイザーは言い返す言葉が出なかった。事実そうなのだから。そんな彼の様子を見て、これは確かにレースに出せる状態ではないなとタキオンは悟った。

 果たして時間の経過がカイザーを救うだろうか。それは誰にも分からない。だがしかし、彼が今、自分と向き合う時間を必要としているのは事実だった。

 

「どうだった? カイザーちゃん」

「ありゃまだ走れる状態じゃねえな。ったく、本当に何処行っちまったんだよ一志の奴も……」

 

 行方不明となった名松一志が戻ってくるのが一番だ。それはこのチーム【帝国(セントラル)】の共通認識だ。だがしかし、【帝国】はこの問題を解決するのにはあまりにも無力だった。

 タキオンはそんな現状と自分へと苛立つように歯ぎしりをすると、彼女らのシェアハウスを出ようとした。

 

「ちょっと、どこ行くの?」

「ひとっ走りしてくる。落ち着いたら戻る」

 

 バタン。乱暴に閉じられた玄関の扉を、ビシャスオサナジミは心配するように見つめていた。タキオンとて、お世話になったトレイナーの1人である早乙女遊馬を失った身でもあるのだ。

 ここ数日、【帝国】ではずっと同じような状況が続いていた。ナジミも彼女のトレイナーなどに相談してはいるものの、根本的な問題の解決なくしてできることは対処療法に限られていた。

 

「ふたりとも、何か前を向くきっかけがあるといいんだけど……」

 

 ただ独り残されたナジミは、そう言いながら頬に手を当てた。そしてしばらくして何かを思いついたように手を叩いたのだった。

 

 ★

 

 埼玉県所沢市、池袋線所沢駅。ナジミはカイザーをこの場所に連れ出していた。

 

「連れて行きたい所って……」

「ここよ?」

「またなんでレースに」

 

 そう、カイザーの言う通り、今日はここ池袋線では複数のレースが行われる。ナジミの目的である冬のセゾンスーパースプリントは、新秋津から所沢へと至る連絡線を活用した1マイル(40チェーン)のワンウェイのタイムトライアルレースだ。このレースはワンウェイレースの中でもレインヒルディスタンスすら下回る特に短い走行距離の電撃戦として有名で、どちらかというと長距離レースの方を主戦場とする【帝国】にはあまり馴染みのないレースだった。

 

「本当になんでか分からないの?」

「全く」

 

 重症ね。ナジミはそう言いながら、手元の端末を操作してインターネットに接続し、そのSNS投稿を開いた。

 

 

    
キラメキヒロバ

@Kiramekihiroba

 

【おしらせ】

武蔵野線24時間耐久は直前でのお休みになってごめんなさい。ポラリスはもう元気です!

土曜日の冬のセゾンスーパースプリントで、みんなに元気な姿を見せます! だから、応援よろしくお願いします!

#SSS冬 (ポ)

 

2022年1月18日 15:28・Web App

 

 

 

 

 

 

902 りつぶやき 285 引用 1601 いいね

 

 

 

 

 

 この投稿の最後には(ポ)とつけられているから、これはポーラーエクリプスによる投稿だ。彼女は現状、カイザーの一番のライバルである選手だ。そんな彼女の所属するチームのSNSを確認していないほど、カイザーは弱っていたのだ。

 

「そうか、ポラリスが……」

「本当に見てなかったのね」

 

 ナジミは溜息をつきながら、端末を戻した。投稿の返信には、少しは心無いものもあったが、概ねポラリスを応援する言葉が並んでいる。それは彼女がまだデビューしたばかりのルーキーだからか、それともその見た目が幼いからか。その要因は分からなかったが、この反応を見るに立ち直ることというのは前向きに見られることが多いのだとナジミは再認識した。

 願わくば、カイザーにもその成功体験を。そのためには、まずは彼に立ち直って貰わなくちゃ。ならば、このレースではポラリスに積極的な評価が下される結果を――。そう思いながら、ナジミは端末をしまった。

 

「さ、そろそろ始まるわ」

 

 レースが始まれば、1分間隔で総勢24名のランナーが一発勝負でタイムを競う。

 1名、2名……。ブレーキをけたたましく鳴らしながら、どんどんとランナーが到着し、そして淡々とタイムが告げられて、その数字に一喜一憂する。その一連の流れを見て、観客もまた湧き上がる。

 だけれど、その空気をさらに沸かす者が現れた。16番目の選手にして、ゼッケン番号5902番――ポーラーエクリプスだ。彼女は全走者からおよそ40秒ほどの間隔で高速度を維持したままに進入し、結果として基準走行時分である2分0秒を大幅に下回った1分39秒6で停止したのだ。このコース上には大きな左カーブがあることを考慮すれば、それは恐るべきタイムであった。

 

「あの子はもう前を向き始めている。あなたも前を向く時よ」

「でも……」

「でもじゃない。あなただってこの歓声を巻き起こす力を持っている。それに――」

 

 ――仮に名松君が戻ってきたとして、今のカイザーちゃんの姿を見たら、なんて言うでしょうね。そのナジミの言葉は、カイザーの心に深く突き刺さって貫通し、そしてできた穴にはポラリスの巻き起こした歓声が入り込んできた。

 ――俺だって、この歓声を呼び起こせる。そのためには勝たなければ。また走り出さなければ。

 

「私たちはただひたすらにずっと、走り続けてきた。それが私たちだとね。もう一度走りましょう? 同じ景色も、きっと変わるはずよ」

「あぁ……じっとしてちゃ、いられない。踏み出せば、止まらない!」

「そう、それでいい」

 

 ナジミが貫いたのは、カイザーの心の弱い部分。そこをなんとか誤魔化してくれてもいた名松は今はいなくなってしまった。だけれど、勝熱(じょうねつ)を燃やし後悔しないようにと飛び込んだカイザーにはもう、名松のその役割は必要なかった。

 自らの勝利のため。ポラリスとの約束のため。そして、いずれ戻ってくるであろう名松を、笑顔で後悔なく「おかえり」と受け入れるため。カイザーは来週のレースに向けての調整を再開したのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15便前:君の力になりたくて

「ごめんね、さっきは」

 

 その日の夕食を食べ終わり、寮の共用スペースで少しのんびりしていたとき。トウマさんは僕を見つけるなり、すぐさま近寄ってきてそう謝ってきた。

 

「大丈夫ですって、少し休んだらしびれはとれましたし」

「そうなんだけど……ほら、ルールとかじゃなくって、そもそも人としてだめだよね」

 

 トウマさんは少し俯いて、申し訳無さげにそう打ち明けた。

 

「一応聞くよ、どうして僕を置いて走ってっちゃったんです?」

「それは……」

 

 言葉に詰まる様子で、トウマさんはまた俯いた。なるほど、ミノル先生が言ってたことはこういうことなのかな。

 だけどこういうときに役立つ心理学的な科目も、僕は一応スクールで修めてはいる。人間よりはるかに強い力をもつノリモンに癇癪を起こされてしまっては命がいくつあっても足りないから、そういった一種の地雷を踏まないような立ち回り、そして落ち着かせられるような立ち回りというのは――あくまでもケースバイケースであるという前提があるとはいえ――覚えさせられていることだった。

 とはいえ、ノリモンもそれなりに話の通じる者ばかりだから、それを使う機会は意外と少ない。逆にポラリスの時はその科目で習ったことを活用する余裕すらなかった――そもそもベーテクさんや成岩さんがその役割を担うものと認識していて、そんな状況で不意打ちを食らってしまった――のだ。だから結局使ってはいない。

 だけど今僕の目の前にいるトウマさんは、おそらくそれを活用するべきだということはすぐにわかった。

 

「わかった、言いたくないなら言わなくてもいいですよ。だけど、なにか困っていることがあるのなら言ってくださいよ? 力になれるかもしれない」

 

 ……こうは言ったけれど、おそらく困ったことがあっても助けを呼ぶこと自体が不器用で難しいんだろうということはなんとなく想像できた。だからこそ、その素振りがないかを注視するのが重要なのだ。

 そしてそういう性格だと、もしこれをそのまんま伝えてしまうとその素振りすら出さなくなってしまう。それは当事者にとってもストレスになるので、絶対にやってはいけないと教わっている。

 

「……でも、シエロは探してるんでしょ、帰る方法を」

 

 その答えに、僕は心のなかですこしだけホッとした。帰る方法を探しているのかと聞いてきたということは、断る理由をどうにかして探そうとしているか、あるいはトウマさんなりに頼ってもいいかどうかを決めあぐねているということだ。その心は、僕の方に断る理由があってほしいということであって、多少なりとも心を開いてくれているということの現れだ。

 

「そんなにすぐには見つかりませんって。そもそも、それが問題になるんだったらこんな提案しませんから」

「でも……」

「トウマさんがこの次元に落ちた僕を見つけてくれたからこそ、こうやって探すことも叶ってるんですよ? そうじゃなかったら最悪野垂れ死んでいたかもしれない。その恩返しくらいさせてくださいよ」

 

 そして、決断ができない優柔不断であるということは、こっちから押していけばいずれ押し切れる可能性が高いということ。恐らくは彼女の性格からしてここではまた物理的に逃げるだろうけど、それは当然想定済みだ。

 

「あっ」

「今すぐ答えを出さなくてもいい。だけど僕はそうしてもいいと、悩みがあるのならば力になりたいと思っていることは伝えておきます」

 

 手をとって、しっかりとそう伝える。

 そして手を離せば、トウマさんの手は宙に浮いたまま動かなかった。よし、考えているな。

 今このタイミングで重要なのは、僕に相談できるということを意識させること、ただそれだけだ。それさえ意識の片隅にでも置いてもらえれば、ふとしたきっかけで悩みを打ち明けてくれる可能性はぐっと上がる。それがどんなに小さな悩みだとしても、少しでも力になってあげることができるのならば。

 それこそが、トレイナーの仕事なのだから。

 

 そして僕は、一旦ここでトウマさんから距離をおいて部屋に戻った。これ以上押すのはかえって彼女を刺激してしまって逆効果だ。

 それに、ミノル先生が言うには普段から1人で悩みこむことの多いトウマさんをこの状態で1人にすれば、その悩みこみの中に自然と僕のことが紛れ込む。それは僕の存在を更に強く意識させるのには効果的と言えるだろう。

 

 ……そう、思ったのだけれど。

 その効果は、僕が想定していたよりもはるかに強かったことに気がついたのは、その次の日のことだった。会長さんに呼ばれて生徒会室に入ったとき、授業に向かうシエロとちょうどいれかわりのタイミングでの入室だったのだが……。

 

「おはようございます」

「あっ! おはようシエロ! 私は授業だから行くね!」

 

 そんな普段通りのトウマさんを見送って部屋に入ると、鋭い空気が僕を襲った。

 

「……会長さん?」

「おはよう、シエロエステヤード君」

 

 その会長さんの挨拶は、何やらただならぬ雰囲気を孕んでいる。少し速足で彼女の机に向かうと、彼女はその椅子を机と反対向きに向けて座っていた。

 

「おはようございます」

「いきなりで済まないが、今日の予定はみなトケてしまったよ。新しく君と話をする必要が生まれたからね」

 

 そう言いながら椅子を回して僕の方を向いた会長さんの目は、月の光が如く黄金色に染まって光っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15便中:理解しえぬ行動

「シエロエステヤード君。君は帰ることを諦めたのかい?」

 

 次に会長さんの口から出てきたのは、そんな言葉だった。

 

「どうして諦めなきゃいけないんですか?」

「違うのかい? 私は君の動きをそう判断しているよ」

 

 どうして……。いや、自明か。

 

「トウマさんのことですか」

「そうさ、どういうつもりなんだい?」

「どういうつもりも何も、ただの恩返しですが」

 

 ふむ、恩返し。そう言いながら会長さんは立ち上がり、そして僕の顔へと手を伸ばした。

 

「君の生まれ故郷では、恩返しという名目で異性を口説く風習でもあるのかい?」

 

 えっと……? 会長さんは一体、何を言って……?

 

「そもそも口説いた記憶はないのですが」

「嘘はいけないよ」

「いや本当にないのですが……」

 

 あれを口説いたと認識するのならば、それはトウマさんの方に問題があるのでは? そもそも、口説いたって……。

 ……と、ここで1つ、重大な認識のずれを思い出した。スクールでの前提とこの次元でのそもそもの前提の違いを、あの時はすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。そうだとすれば、これに関して言えば少し迂闊だったかもしれない。

 まず、スクールで習っていたときのこと。それはとうぜんその対象はノリモンで、彼らは人の形を模してはいるが生物ではない。故にノリモンがトレイナーに親愛の意やお気に入りのおもちゃに対するかのような独占欲を抱くことはあっても、恋愛感情というものを抱くことは決してないのだ。

 だけどトウマさんは、この次元の人達は決してそうじゃない。みんな、人間だったんだった。だから普通に恋愛感情が発生しうる。

 ……まぁ、それだとしてもそういう認識になる、のか? あのやり取りは。

 

「とりあえず、その反応を見るに何かしらのやり取りがあったことは事実のようだね? ならばその行動の、君側としての解釈も一応聞かせてもらってもいいかい?」

「もちろんですとも」

 

 そして昨日の出来事を包み隠さず話すと、会長さんは今度は思いっきり頭を抱えて、右手ではペン回しを始めてしまった。

 

「原因は理解した。ミノル先生は一体何を考えているんだ……」

「あ、そこなんですか」

「そうだが? 確かにトウマは複雑な事情を抱えていて、そこへの偏見のない共感者を周りに増やして行ったほうがいいのは事実だ。だがしかし、前提となる文化が違う者にカウンセリングを依頼するのは理解しかねる」

 

 ミノル先生は、生徒思いの先生であるという印象が広く持たれている。もともと留学生としてひとり学園にやってきて、そして生徒として優れた成績をおさめたことが認められて学園の教諭に登用された彼女だからこそ、孤独感や心細さを抱えることがないようよく寮生の様子を見て動き回っているのだという。

 だからこそ、会長さんはミノル先生がそうした理由が分からなかった。こうやって情報を整理してみれば、たしかによくわからない行動だ。

 

「そもそも引き受けた君も君だよ?」

「話しませんでしたっけ? ここに来る前はそういう仕事をしていたって。だからこそその時は疑問には思わなかったのもあるんです」

 

 だけどその話はミノル先生にはそもそもしてたっけな? 考えれば考えるほど、わけがわからなくなってきた。あの場で彼女なりの意図は間違いなく、それも強いものがあったはずなのに。

 お互いに頭の上に疑問符を浮かべて顔を見合わせて、そして目線を交わす。そんなことをしても、ミノル先生の考えがわかるはずもないのに。

 

「まぁいい。君の考えは理解できたし、後からこちらでもミノル先生に話を伺うとしよう」

「なんか話してくれなさそうな匂いがするのは気の所為ですかね」

「気の所為ではないだろう。……それと、私からは君の判断についてもう1つだけ聞かせてほしい」

 

 ――君がトウマの力になれぬまま帰る術が見つかった時、どうするつもりなのかい?

 

 よりいっそう強張った顔でそう聞いてくる会長さん。なるほど、たしかにそれはだけど、僕はシャイ先生のゼミなどでその質問に対する答えをすでに用意していた。

 

「帰ったからと言って、僕と学園との関係がなくなるわけじゃないですよ」

「……何を言っているんだい?」

「僕がここに来ることになったきっかけは事故です。帰るためには、同じものを起こさなきゃいけない。それも、制御された事故を。そしてそれができるのならば、僕はまた学園に来ることができるし、もちろん学園からまた帰ることだって」

 

 きっかけを再現するということは、つまりそういうことだ。再現できなければ僕はこの次元に囚われたまま、その無限に深い井戸型ポテンシャルを抜け出すことはできない。逆に再現できれば僕はこの次元を離脱してJRNに帰れるし、そうなれば最初のルースの落し子により引き起こされた事故と同じようにこの次元に流れ着くこともまたできるはず。それが僕たちが導いた結論であり、ポラリスを通じてJRNにも伝えてあるものだ。

 すると会長さんは、思いもよらぬことを言い出した。

 

「つまりトウマを連れて行くことだってできる訳だ」

「理論上は可能ですけど、さすがにやりませんよ? 彼女にも家族がいるでしょう」

 

 その、何も考えずに出た言葉が。会長さんの顔をまた固くしたのだった。

 

「……いない」

「え?」

「彼女の家族はもう、既にいないのだよ。君はやはり、彼女についてあまりにも無知だ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15便後:伝説

「いないって、どういうことですか」

「文字通りの意味さ。そもそも、君が来たあの日に彼女は帰省していなかっただろう?」

 

 ……確かに、あの時は多くの生徒が帰省していて寮も学内も閑散としていた。会長さんとトウマさん以外の生徒会役員の皆さんですら。

 なのにトウマさんは、僕や留学生などの単純に旅費が捻出できなかったりして帰るのをやめた人達、そして近所に実家があって徒歩で遊びに来た生徒たちと一緒になってファルコンの寮で年越しを迎えたのだ。その時はまぁそんな子もいるよねという感じで納得していたが、よくよく思い出してみれば彼女は家族が話題になったとしてもその話をしていなかったし、誰も彼女にその話を振ることすらしていなかった。

 それはつまり……そういうことだったのだろう。そして、だからこそ彼女はこの次元で独り身となってしまった僕を気にかけてくれていたのだとも。

 

「なるほど、そういうことだったんですね。帰るべきところが学園の外にないからこそ年末もここにいたと」

 

 その問いに会長さんはただ静かに頷いて、それだけで肯定の意を示した。

 ……これ、さらに踏み込んで聞いてしまっておいた方が良いのだろうか?

 

「過去に何があったんですか?」

 

 すると会長さんは、一旦ピタリと動きを止めてから口を開いた。

 

「知ってはいるが、君に伝えることはできない。あの子がそれを忘れたいと望んでいるのならともかく、それと向き合って行くと決めているのだから、これ以上は本人の口から聞くべきだ。私から告げることではない」

 

 そして聞かぬ内に憶測でわかったつもりになってはいけないほどのものだとも僕に釘をさした。それに僕が頷くのを見届けると、彼女はそれでいいとだけボソリと呟いてから椅子にかけ直す。すると先程までの尖った空気とはうってかわって円やかな雰囲気を醸し出し始めた。

 

「だがそれとは別に、私個人の立場としてはと注釈をつければの話ではあるが……単純にあの子が心を開くことのできる、頼りうる存在が増えるというのは喜ばしいことだよ。私はディザイアだからどうしてもファルコンでの事には疎くなってしまうからね」

「……いいんですか、疑った相手なんかに頼んで」

「あまり気分のいいものではないけれど、公私の意見が対立することなど珍しくもないだろう?」

 

 困った笑みを浮かべながら、そう彼女は吐いた。仮にそうなったらもちろん感情を無にしてでも私を滅して公を演じる必要がある。

 

「あなたも悪い人ですね」

「世渡り上手と言ってもらえないかな」

 

 だからこそ、注意をしたうえでの僕の選択だということにしたいのだろう。その意図は察する必要もないほどに伝わってきた。

 

「それと最後に、もう1つだけ聞いておこう――」

 

 ★

 

「それでは、本日はここめででFinish! お疲れさまでしたHave a great weekend」

 

 講義棟。Minoruの担当する講義が終わり、彼女やその生徒たちは昼休みを迎えようとしていた。

 退出する生徒を見送りながら、講義に用いたタブレット端末で回収した小テストの答案用紙を一枚一枚撮影していると、その端末にピコンと1件の通知が立った。メールを受信したのだ。

 

「Hmm……? shinka.rimmed.luna@……あ、生徒会長さんか」

 

 答案を撮影する手を一旦止め、ミノルはそのメールを開いた。それを読み内容を把握したところで事務的な返信をすると、再び答案の撮影に戻る。だがその機械的な作業の裏で、彼女の思考はメールの続きにあった。

 

「やはり生徒会長さんも、シエロさんには注目しているみたいねFocusing」

 

 ミノルのは異文化コミュニケーションを好んでいる。だからこそ、おおもとの文化や価値観が言語がほとんど同じだと認められるのに何か重大な認識がズレているシエロエステヤードは、彼女にとって格好の供給源となっていたのだ。

 もちろん、他者同士の異文化コミュニケーションを観察して楽しむというのは、通常なら不審者として扱われて通報されてしまうであろう。だがしかし、ミノルはファルコンの寮母でもあった。その立場を持ってすれば、その評価は反転し、よく目を注いでくれている熱心で面倒見の良いというものに変わる。その文化的価値観のズレからくるトラブルの対応や、彼らの持ちかけた相談に乗ること等は決して楽なものではなかったが、彼女の個人的な愉悦が満たされるというメリットの方が彼女には大きかったのだ。

 

 そして、もちろん昨日シエロにトウマのことを依頼したのもまたそんなミノルの興味があったからに他ならない。

 もちろんそこに寮母としての采配も存在していた。トウマは心に孤独を感じている。そんな彼女を救えるのは、おそらくこの学園でおなじく独りぼっちで彼女と比較して精神が成熟しているシエロだけだ。そんな考えである。

 だがそれは、決定要素の半分にも満たない。異文化コミュニケーションの結果に生まれる、双方の持つ文化のそれともまったく異なる新しいカルチャー。それこそが、ミノルの目的だった。

 

「いくら生徒会長と言っても、邪魔はさせませんよNever disturb」

 

 そして答案の撮影を終えると、それらをまとめてカバンの中に入れ、講義室をあとにしたのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ前:貨客船K123号の終焉

 長崎県佐世保市宇久町木場、乙女ノ鼻。

 JRN理事長、トシマはこのはじまりの地に再び足を運んでいた。1名のノリモンを連れて。

 

「何か思い出せることはないか?」

「……ごめんなさい、わかりません」

 

 そしてトシマに連れられてこの地を訪れたノリモンは、名をココマと言う。彼女はここ乙女ノ鼻にて発生したはじまりのノリモン、ルースの落し子の成れの果てである。

 そんなココマの中にあると思われる記憶を辿りに彼女をここに連れてきたのはその記憶の中に現在JRNが直面する危機の解決の糸口が見られるのではないかという望みがトシマの中にあったからだ。

 

 武蔵国分寺公園に開いた穴――『無』。まだトシマが成る前のこと、かつてこの地で似たようなものを見たという話を、彼女の乗組員のうち1人がしていた。当時は他の乗組員からも信用されず、そのまま報告書にも乗らずじまいの虚言として扱われていたそれだったが……。

 

「今思えば、真実だったのであろうな」

 

 錯乱しただけだと扱われていたからこそその報告は文書として残らず、ただトシマの記憶の底にわずかに残るだけとなっていた。それゆえ、彼女もそれを思い出すのには数週間もの時間を要してしまい、結果としてココマを連れて再訪することができたのは、『無』の発生から1ヶ月弱が過ぎたころとなってしまったのだ。

 

「……70年も前の話だ。当時の人間はもう殆ど残っていないだろう」

「当時二十歳だとして、90ですか」

「我々ノリモンは終わる時まで機能の劣化はなくそのまま残り続ける。だが人間は決してそうではない。当時を知る人からどれだけ記録が得られるか」

 

 それは今まで必要に迫られることがなかったがゆえ、忘却の一歩手前まで追いやられていた記憶だ。そして70年の時を経て、今ようやくその記憶が必要になった。だが70年という時は、後から辿るには大きすぎる時間だった。

 

 トシマ達は島の中を歩き出した。僅かな情報に縋るために。道行く老人に古い記憶や記録がないかを尋ねた。だがはじまりのクィムガンの発生やそれによる全島避難を覚えている者はいても、乙女ノ鼻で座標した貨客船K123号の、それもその甲板上に現れていたとされる不思議な空間の歪みを見ていて、なおかつその記憶が残っているものは終ぞ見つかることはなかった。

 

「手がかりは見つからず、か。想定していたとはいえ、実際に足を運んでこうともなればなかなか精神にくるものがあるな」

 

 島を一周して乙女ノ鼻へと戻ってきて、彼女らは一度休息をとるため四阿に入った。そしてその椅子にかけたとき――。

 

「うっ、うっう……! うーうーうー! うっう、う」

「どうした、ココマ号」

「急に……めまいが!」

 

 四阿の中で、ココマが急に頭を抱え苦しみだしたのだ。トシマは駆け寄って彼女の震える体を支えた。

 ココマの体は小刻みに痙攣し、顔には苦痛の表情が浮かんでいる。その突然の容態の変化には、実力者たるトシマとて対処療法しか取ることができなかった。

 

「こんなの、知ら、ない……? 知ってる? 何、こりぇ」

「落ち着こう、まずは力を抜いて」

 

 もはやココマは発する言葉の呂律すら回らなくなってきている。トシマはそんなココマの隣に座ると、その体を自分の方へと倒してその上半身の荷重を受け止めた。俗に言う膝枕である。痙攣による震えが、直直にトシマの体へと伝わった。

 そしてしばらくトシマが呼びかけたり体を撫でたりするなどして落ち着かせていると、次第にココマの体の震えは落ち着いて、そしてやがてすぅすぅと軽やかな寝息をたてはじめた。

 

「……眠ってしまったか。やはりこの地には感じるものがあったのだろう」

 

 トシマは少し悩んで、この地で過去に発生したことを伝えることにした。正確に言えば、後のココマとなるものが発生させたもの、であるが。

 

「ココマ。最早君に聞こえているかは判りかねるが、聞いてほしい。この場所は君にとって特別な場所なのだよ。ここは君が乗り物としてのいのちを終えた場所であり、クィムガンへと化した場所でもあり、そして……」

 

 ここ宇久島は乙女ノ鼻は、最初のトレイナー、双葉清彦によりはじまりのクィムガン、ルースの落し子が討たれた場所だ。そのことを優しく告げた。

 

 ★

 

 早乙女遊馬は思い出した。自らが早乙女遊馬であることに。

 そして彼は、ふわふわとした浮遊感の中で目を覚ました。地に足をつければそれは消え、周囲の風景もだんだんと認知できるようになった。

 四方には、煌めく宝石でできた壁。結晶の形からして、ダイアモンドだろうか? その小部屋から覗く通路の壁もそうだ。すべてが、ダイヤモンド出できていた。

 

「どうしてこんなところにいるかは分からぬが……。ひとまず脱出しなければ」

 

 そう思って早乙女は外へと向かい始めた。だが、いくつもの分岐のあるこの金剛石の迷路は行き止まりだらけで次の小部屋と呼べるような空間に辿り着くのですら決して短くない時間を要してしまった。

 そしてたどり着いた小部屋には、少女が独り座っていた。彼女は反射で彼の入室を把握すると、その椅子を降りて言った

 

「ようこそ、私の自元(アイゲン)領域(ゾーン)へ」

「君は?」

「私のことは、誰よりもあなたが知っているはずだよ」

 

 ココマは、ニコリと笑いながらそう返した。するとその姿は段々と透明になってゆき、そしてある程度薄くなったところで早乙女の耳元で囁いた。

 

「だって、あなたは私で、私はあなただもん」

 

 どういうことだ。早乙女がその言葉を発することはなかった。次の瞬間、彼とココマは重なり合って、そしてもとからそうであったかのように、パズルのピースがピッタリとハマるが如く染み渡った。

 

「はじめまして、私。これからもよろしくね、私」

 

 早乙女はその声がどこから聞こえたのかは分からなかった。だけど、次に彼がきょろりと辺りを見回して、そして壁のダイヤモンドを覗き込んだら。

 

 ダイヤモンドに映るその姿は、いつの間にやらココマのものになっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ中:祝福は空の上に、エンゲヰジリング

 武蔵国分寺公園で調査を行う研究者の数は、一時期よりも相当に減少していた。調査をやめたわけでは決してなく、データが充足してJRNからわざわざ出向く必要性がうすれたからである。

 だがそんな中でも、新たに武蔵国分寺公園へと足を運ぶ者もいた。

 

「遂にこの時が来た」

「全員……救出!」

 

 ウルサ・ユニットとカリーナ・ユニットの暫定合同ユニットである。彼らの左手には、新しく増備されたeチッキ端末がセットされていた。

 その5人だけではない。その後ろから5名のノリモン――ナリタエアウェイズ、メカマムサシコヤマ、スーパーブライト、ココマ、そしてノゾミタキオンだ。彼らもまた、そのユニットと目的を同一にしていた。

 即ち、この『無』より超次元に進出し行方不明となったトレイナーの捜索と回収にあたるというものである。今回はその前準備としてどこでもないゾーンへと飛び出し、そしてそれぞれの動きを確認するということになっている。

 

「連絡の付く4人からの話では、この先で我々の常識が通用するかは不明だ。気を引き締めて臨もう」

 

 高山各務がそう音頭を取り、そして研究者達といくつかの言葉を交わすと、彼らは次々と『無』へと飛び込んでいった。

 

 そして研究者達が彼らを見送って、ほっと一息ついたその次の瞬間である。上空から、1名のノリモンが武蔵国分寺公園に急襲してきたのだ。

 

「……《ストラトス・グレイ》! 誰だっ!」

 

 とっさにナリタスカイが飛び上がって、その人影を捕まえて地上へと引きずり降ろした。そして他の者もワラワラと集まって、その不審者を取り囲むと同時に対空能力のある者はその脱出を直ちに阻害できるような備えに動く。

 そんなJRNの研究員の動きに内心感動しながらも、その不審者は動じずに堂々と挨拶を行った。

 

「初めまして、ではないかもしれんな」

 

 侵入者がいたとて、初犯なら普段であれば厳重注意で警戒区域外へとそのまま返すだけ。だがしかしその姿に見覚えのある者がいたとなれば話は別となる。

 それはかつて、JRNで要注意人物とされていた、不審者のうちのひとりだったのだと気づいた者がいたのだ。

 

「やはりお前も、ブゥケトスやジュゥンブライドの仲間だったか」

 

 ナリタスカイがそう呟いた言葉を、彼の耳は聞き逃さなかった。

 

「Affirm」

「……成程、航空のノリモンか。何をしにここに来た」

「オレはエンゲヰジリング、祝福を与える術を得に来た」

 

 そう言いながら、リングは――薄っすらと、発光した。

 

「トレイニングしていない人は伏せろ!」

 

 何かを警戒した声が響く。それはリングの耳にも入り、そして彼を悲しませた。

 

「酷いな、オレ達は決してJRNと敵対したい訳ではない」

 

 エンゲヰジリングの目は据わっていた。それは戯れ言ではなく、本心でそう思っているのだ。

 だがJRNからすれば、既に多くの損失が出ている以上、その言葉はまったく信用できないものだった。

 

「そんな言葉、今更信用できる訳がないだろう!」

「ならばどうすれば信用してもらえっかな……」

 

 そう言いながら、リングは両手を顔の横に持ち上げて、無抵抗を示すために目の前のスカイに手のひらを向けた。

 何故か? それはこの段階ではリングがするべきことはなにもないからだ。彼の役割は最終的に閉じられた穴の、最後に残った部分を特異点へと輸送することにある。

 その重要な作業は、超次元の穴の向こう側でスタァインザラブが今行っている。だから彼は今はそれを邪魔させることがないよう注目を引き付けておくことが重要なのだ。

 

「……そうだな、まずはここに来た目的を聞こうか」

 

 ウェポンを構え、いつでも攻撃できるぞと威嚇しながらスカイはリングに聞いた。それに対してリングは落ち着いて答えた。

 

「この超次元の穴を塞ぐ。それだけだ」

 

 だがその先に行わんとすることは、リングは言わなかった。

 

「何だと? お前らが呼び覚ましたルースの落し子が開けた穴だろうが」

「だからこそ、だ。オレ達の引き起こしたこの穴はオレ達の手で塞ぐ。それが生み出した者の責任ってやつだ」

「だったら!」

 

 声を荒らげてスカイはさらにリングに迫る。彼の所属する研究室のメンバーであり彼をキールとするトレイナーである佐倉空も、仲間を超次元に飛ばされてしまっているのだ。彼女がいたく悲しみ、仲間を探し出すために動いていたのを間近で見ていたスカイからすれば、目の前の相手は到底許すことのできない存在となっていた。

 しかし、リングはそんなことは露知らずに塞ぐべき理由をつらつらと述べ立てる。

 この穴の向こうには、あらゆる物質をエネルギーに変えてしまうアイテールという高エントロピー流体が充足していること。それがこの次元に僅かながらも無秩序に流れ込んでいること。それはこの次元の崩壊を招くため、この穴を塞がなくてはならないこと。

 リングが述べたそれらの事象は、この場の研究者たちが薄々ながら感づいており、ゆくゆくはその結論に至るだろうと予想していたことでもあった。

 

「だから、オレ達はこの穴を処分する」

 

 だがそれは、JRNにとっては禁じ手とも言えるものだった。この『無』からのみでしか超次元へのアクセスができない以上、これを喪失することは8人のトレイナーと10名の捜索隊の喪失を意味する。その救出が満了するか、あるいは――あまり想定したくない事態ではあるが――断念が正式に伝えられるまで、この穴を閉じるという選択肢は彼らにはなかった。

 

「巫山戯るな! 俺達の仲間はこの穴の向こうに消えていった。お前らが呼び起こしたルースの落し子によってな。全員を救出するまでこの穴は塞がないし、塞がせもしない。決して!」

「それはJRNのエゴだろ。消えた仲間と世界と、どちらが重要なんだ?」

 

 その言葉に、スカイは更に迫った。だがやはり、リングはそれを気にもしない。

 

「それに、だ。1か月もアイテールに晒され続けていれば、神の加護でもない限り既にアイテールと化してるだろうよ」

「つまり何だ、俺達の研究は無駄だってのか」

「そこまでは言ってない。それにもう1つ……超次元に出るのならば必ずしも穴を使う必要もない。()()()()()()()

 

 そう言い残すと、リングは忽然とその場から消えたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16レ後:偽りの秩序

 どこでもないゾーンに飛び出した改ウルサ・ユニットは、出てすぐに驚愕することになった。

 

「なぜ、お前がここにいる!」

 

 超次元空間の中で、高山各務はそう叫んだ。

 その視線の先にいたのはスタァインザラブ。高山と紀勢佐奈の2人、カリーナ・ユニットからすれば因縁の相手でもあった。

 その者は叫び声に振り向いてJRNからやってきた10名に気がつくと、ゆっくりとそちらへと歩いて近づく。既にウェポンを構えているJRNの者共とは対称的に。

 

「あぁ、この前の! そっか、もう出てきたんだ。……知らない子もいるね、改めまして。ボクはスタァインザラブ」

 

 そう、悠長にロングスカートを広げ、片足を引いてて腰を下げるカーテシーで一礼をするスタァインザラブ。そこには明らかな強者の余裕があった。

 いや、あって当然と言えよう。なにせスタァは五元神の1柱、Cyclopedの加護を直々に受けたノリモンなのだから。実際、彼女の扱う技術や知識は多くの面でJRNに所属するものを上回り、そして10名が束になってもその優位は変わらないのだ。

 そしてその実力を、カリーナの2人は直々に目にしている。だからこそ、高山は声を荒げても手を出すことはしなかった。

 

「ようこそ、超次元の世界へ。ボクはJRNの進歩を歓迎するよ」

「どういうつもりだ?」

「言葉通りさ。ボク達はJRNと敵対したいわけじゃない。むしろこれからの世界にも必要な組織だと思っている。そこは評価しているんだよ? だからこそ、その進歩を心から歓迎する」

 

 その言葉は伝わっても、真意をすぐに正しく理解できた者はいなかった。ただそこにあったのは、感じられた圧倒的な強者との実力差と純粋な狂気だけだったのだから。

 そしてようやく言葉を飲み込んだのであろう、恐る恐るスーパーブライトが尋ねる。

 

「なら、進歩したJRNがどーすることを望んでいるんだ?」

「別に。今まで通りの事をしてもらえれば、ね。秩序を守るのには、今も秩序を守り続けてくれているJRNの力は絶対に必要だからね」

 

 スタァの笑顔を絶やさず、ニコニコとしたままそう答えた。だがそんな彼女の回答に苛立ちが増したのか、叫ぶように高山は問う。

 

「ほざけ。謝罪しろ! その秩序を乱そうとしているのは……」

 

 高山からしてみれば、彼女はその仲間にクィムガンを呼び覚まさせ、そしてカリーナの信頼するユニットメンバーを超次元の彼方へと追放するきっかけを作った当事者だ。そんな彼女が、JRNを敵視していないと? ならばなぜ、太多や参宮、名松は消えねばならなかったのだ、と。

 だが、その問いが投げかけられるのが終わるよりも早くに、それを遮るようにスタァが声を上げる。

 

「そうだね、ボクは謝罪しなきゃいけない」

 

 そしてスタァは意外にもあっさりと、高山たちに頭を下げたのだった。

 高山たちは拍子抜けして、一歩引いてその言葉のお互いの解釈を確認すると、その言葉の続きを待つという結論に至る。

 だがその解答は、高山が要求していた問いへの回答ではなく、スタァの持つ解釈を補強する為のものだった。

 

「70年前、誤った秩序を定着させてしまった。その結果として、JRNをはじめとした各国の機関には大変な苦労をかけさせてしまった。そのことを改めてお詫びしなければならない。そして……」

 

 ここでスタァの下げられた頭が上げられると、その表情は自信満々と言わんばかりに決意に満ちていた。

 

「誤った秩序は、あるべき秩序に作り直す必要がある。それこそが、誤った秩序を生み出してしまったボクのけじめであり責務だ」

 

 きっぱりと、スタァはそう言いきった。

 

「我々の護っていた秩序は偽りであると?」

「残念ながらね。でも、決してそれはJRNの仕事が無意味だったことを意味するものじゃない。偽りの秩序でも、無秩序よりは遥かによい状態であることに変わりはないし、その秩序があったからこそボクは正しい秩序をつくるための行動に専念できた」

 

 礼を言うよ。そう言ってスタァは、もう一度頭を下げた。

 いまいち話のかみ合わないスタァの行動の意図を探るため、高山はさらに質問を追加する。

 

ルースの落し子の復活も、必要だったことなのか」

「必要だったかのかといえば、確かではないね。だけど、そうするのが好ましいと判断したからそうしたってだけ」

「ならば……ならば!」

 

 怒りに震えながら、声を荒らげる高山。更にまくしたてるように言葉を続ける。

 

「返してもらおうか、我等の仲間を! 太多姫を、参宮五十鈴を、名松一志を……彼らだけではない、中泉良平も星野貴大も早乙女遊馬も成岩富貴も山根真也も、みなあのルースの落し子が飛ばし去った! お前の判断で超次元の彼方にな! 改めて言おう、『謝罪しろ』と!」

「そうかい、それは気の毒、な……」

 

 ここに来てこのやり取りの中で初めて、スタァは言い淀み動揺し、そして高山らに背を向けた。それを見逃すほど高山は弱くはない。

 

「なんだ、予想外だとでも言うのか?」

 

 その言葉に、ボソボソと呟くばかりのスタァ。高山はさらに苛立って、一歩踏み出さんとした。

 そのとき。スタァはくるりと振り返って、そして周囲の空間を紫色に発光させながらこう言い放った。

 

「ならばそれも、償わなければならないな。あなた方の手助けをしよう」

 

 ――Cycloped様の祝福を。その言葉が聞こえるか否かというところで、高山らの意識は紫転した。

 

 ★

 

 ナリタスカイらは困惑していた。

 ルースの落し子への対応から丸一月以上都立公園に鎮座していた『無』。それが突然、今、彼らの前で急速にしぼみ始めたのだ。それは消えた7人のトレイナー、そして探しに出た10名へと物理的に繋がる現状唯一とも言える窓であったが、彼らに成すすべはなかった。

 そしてそれがサッカーボールほどの大きさにまで縮んだとき。

 

「……Rotate。この穴は貰っていくぞ!」

 

 どこからともなくエンゲヰジリングが現れて、あっという間にそれを動かして持ち去ってしまった。

 1月30日13時30分。都立武蔵国分寺公園は元の姿を取り戻した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17便前:競技会

「超次元方向への褶曲。それを起こすには、膨大な力と力のぶつかり合いが必要になる」

 

 シャイ先生のゼミで1ヶ月かけて導き出したこの仮説。これこそが、僕がもとの次元へと帰るために、この次元を飛び出すための鍵になるものの1つだと僕たちは考察した。

 もともと僕が超次元に飛び出したのも、2回いずれもS(シールド)バーストによる膨大なエネルギーがあってのことだった。それがどうして超次元に飛び出ることになるのかはわからないままだったけれど、これに関してはシャイ先生がこういう仮説を立てたんだ。

 

「専門の範囲外だけど、プレートテクトニクスっていうのは知っているかい? 球殻を回るように動くプレート同士がぶつかると、その大きな力によって行き場をなくした大地が上にせり上がることがある」

 

 そしてさっきの発言に至るわけだ。

 つまり、3次元の大きな力同士がぶつかったときに行き場をなくした僕が超次元方向に飛ばされたのではないか。そういった仮説だ。

 そして、直近で大きな力同士がぶつかり合う機会といえば。

 

「――《ポロペ》!」

 

 大いなる水に押され、向こうに立っていた人影が遠くへと流れる。味方の巻き込みを考慮せずに、どう考えても《桜銀河》以上に範囲の広い技を使えるのは爽快感はあるけれど、これに慣れると戻ったときが危ないな。

 そんなことを考えながら、僕はレフェリーの方を見た。

 

『勝者、シエロエステヤード!』

 

 そう、僕がいま参加しているのは、学園の年度末の奇祭たる競技会の予選である。

 ふだんの講義カリキュラムに影響を与えないように長期間に渡って夕方から夜にかけて、1日に十数試合ずつ分散して行われるこの競技会は、生徒や教諭たちの格好の注目の的でもある。それだけでなく、リアルタイム生中継配信を通じてインターネット上に公開され、そしてそれが学園外からのスカウトの判断材料になったりするのだという。

 そんな下手したら人生がかかるかもしれないものなので、生徒たちはみな本気だ。

 

 そんな本気の力と力のぶつかり合いだからこそ、空間の褶曲が起こりうる。それがシャイ先生の見込みだった。

 流石に人間1人に影響が出るような巨大な褶曲はそんなにすぐには発生しないだろう。そもそも発生して誰かがいなくなれば一大事として既に大きく認知されていなければおかしい。だが、もっとミクロな世界であればより頻繁に発生している可能性がある。その可能性を探るためには、ここで観測を試みるのが一番だ。それに、他にも試しておきたいこともあったしね。

 

 ……とまぁ、こんなふうに試行錯誤をしながら何度も連続して思いっきり怪しまれずに動くことができるという面では、この競技会は都合が良いのである。

 

 ★

 

「まずは予選通過おめでとう。これで今後も試行回数が増えるね」

 

 競技場から戻ってきた僕に対してシャイ先生がかけたのは、そんな言葉だった。

 

「その返し方はなにかおかしくないですかね」

 

 まるでなにか人には言えないような非人道的だったり倫理的に怪しい実験をしているかのような物言いである。あんまり人に言えないのは間違ってはないんだけど……。

 

「他の参加者と違って、君は帰るのが目的だろう? ならばこれが適切じゃない?」

「もうそういうことにしておきます……」

 

 どう考えても適切ではないと思うのだけれど。

 それから、僕たちはさっそく中継映像のアーカイブを見返すことにした。

 

「どうして押し流しちゃったのさ。これじゃ力がぶつからない」

「いや、このあとですよ。……ほら、ここで水が急に全部消えた」

 

 僕がわざわざあまり使ったことのない技を使ったのも、そこに理由がある。《ポロペ》で生み出される膨大な量の水。それはどこからやってきてどこへ還るのか?

 この次元やJRNでは、技で出てくるものは――ぎ装を除いて――その場で生み出されて分解されていると解釈されて、そういうものだと受け入れられている。だがしかし、本当にそうなのだろうか? 仮にそれがぎ装と同じようなものだったら?

 

「なるほどね。案外、身近なものほど不思議な現象だとしても不思議だとは思わない。そういった面では、君の仮説は面白い」

 

 つまり、技を使うこと自体は超次元方向から力を取り出すことだとは言われているけれど、そこにもともと物理的な力も加わっているのではないかという仮説だ。

 そもそも、である。競技前に持ち込みが色々とチェックされる以上、観測機器を持ち込むことはできず事後にこうやってチェックすることになる。そしてただ純粋な力同士のぶつかり合いを見たいのであれば僕なんかより適切な人選があるわけで。

 だからこそ、僕が出るときにはそれまでに出てきた仮説を1つでも多く検証できるような動きにしたほうが賢明だ、という判断だ。

 

「一番質量のある存在を出し入れしているのがさっきの《ポロペ》なんです。だから何か感覚を研ぎ澄ませればわかるんじゃないかなとも思ったんですけれど……」

「その言葉尻の萎み方からして、どうやら失敗のようだね」

「お恥ずかしながら」

 

 だけど、この競技会での戦いはまだ片手では数えられないほどに残っている。トライとエラーを何度でも繰り返して、こっちからでも帰る方法を探してゆくんだ。

 そんな決意を胸に、僕は決勝トーナメントで戦うことになるであろう相手の予選での戦いぶりのアーカイブに目を通し、どうやって動いていこうかを考えだしたのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17便後:衝撃の報せ

 競技会で、帰る手がかりを見つける。

 そして得られた手段でまた帰ることができれば、他の人を見つけるための役にだって立つだろう。

 

 そう、思っていたのに。

 

 予選を突破したその日の夜。僕は定例のポラリスとのミーティングで、その悲劇を耳にしたんだ。

 

『なくなっちゃった。武蔵国分寺公園の、穴』

 

 その報告ただ1つだけだったのならば、まだ良かったのかもしれない。だけれど、事態はもっと悪いものだった。

 武蔵国分寺公園の『無』を通じてどこでもないゾーンへ探索へと向けた演習へと向かった者たちもまだ、帰ってきたという報告がないのだという。

 

『聞きたいんだけどさ、ポラリス。何名、入ってたの……?』

『10』

 

 最悪である。僕を含む8人を探しに行くために、10名に二次災害が発生してしまった。

 しかも、である。どうもeチッキを配備してから超次元へと向かわせたのに、そのeチッキに送ったメッセージですら反応が確認できてないのだという。

 

『……ごめん。僕から謝罪したいってこと、本部にはそう伝えておいて』

『どうして謝るの?』

『そりゃ謝るよ、僕が』

『だって、悪いのはあのクィムガンでしょ?』

 

 ……そうなんだけどさぁ。

 結局、こっちからはあまり報告を伝えられぬままポラリスとの話は終わってしまった。そしてそのあとも、そのもやもやは取れないまんまだった。

 

 少し、落ち着こう。そう思って寮の中庭に出て深呼吸をする。冷えた空気が肺に入って、少しだけ脳の温度が下がった気がした。

 そして10分強ほどしてから部屋に戻ろうとしたとき。

 

「あっ、シエロ! 予選通過おめでとう」

 

 ……できれば今は会いたくない人に捕まってしまった。

 

「あ、うん。ありがとう」

「どしたの? 元気ないじゃん」

「まぁ、ちょっとね……」

 

 正直今は放っておいてほしい……けれど、たぶんトシマさんの性格的にそうもいかないんだろう。

 

「あ、そっか。シエロは初めてだもんね、競技会。何か困ったことでもあったんでしょ。たとえば……」

 

 ……ほらね。

 

「競技会のことじゃないんですが」

「えっ? じゃあ何なの?」

 

 ぐいっと顔を近づけて僕の顔を覗き込むトウマさん。無邪気というか、デリカシーがないというか。

 ならば。

 

「仮に、仮にの話ですよ? トウマさんが何かをしたり、あるいは何かをしなかったりして。それが巡り巡って誰かを傷つけるなどしたとしたら、トウマさんはどうしますか」

 

 どうせ明確な答えなんか帰ってきやしない。そう思ってその質問を投げかけた。

 だけど、戻ってきた言葉は。

 

「二度と同じことをしないように頑張る。もう起きちゃったことで悩んでもしょうがないでしょ?」

 

 そう、きっぱりと凛々しい顔でそう言い放ったんだ。

 

「しょうがないって……。その人に会ったときどんな顔をすればいいのか」

「え? 会えるの?」

 

 打って変わってきょとんとした顔に転げ落ちた。勝手に人を殺人者にしないでほしい。

 気が付かないうちに溜まっていた息を吐き出して、僕は次の言葉を吐き出した。

 

「会えるかどうかはわかりません。だけど、僕としては会いたいと思ってます」

「そっか。シエロも……。ごめんね、変なこと聞いちゃって」

 

 なんだか気まずくなって、その後は言葉は続かなかった。

 

 自室に戻って、もう一度思考の渦に身を投げる。トウマさんの言っていた事は事実ではある。つまり、これからどうすればいいのか――いや、それは明白だ。この次元から最低限どこでもないゾーンに飛び出す。そうすればリヂルさんにJRNに戻してもらえる。そのためには、あらゆる検討を加速させていかなければならない。これは、既に行っている取り組みを強化していくのが正解だろう。

 そして、どうして向こうでそんなことになってしまったのかをこっちからも考えなければ。

 そもそも向こうでそんなことになってしまったのは、こっちと比べて研究が進んでいたからだ。『無』があって超次元に飛び出せるのもあるし、単純にマンパワーだって大きいのだからそこで研究が一番進むことだってわかり切っていたことだ。それに、どこでもないゾーンにてリヂルさんとのコンタクトがとれてからは、どうせ彼が送り返してくれるのだからとより元の次元から離れたところまで活動範囲を広げてその性質を探っていたとの話だって聞いている。

 

 ……あっ。

 

 いや、待てよ。『無』が消えたのならば、JRNはどこでもないゾーンにアクセスする手段を喪ってしまったのでは? ならば、それを前提に動いていた向こうの計画は大崩れだ。そうなったら、僕たちを探しに行く有力な手段すら喪ったわけで、もともと再発も何もないのではないか?

 よし、決めた。

 JRNが再びどこでもないゾーンへとアクセスする前に!こっちから帰る術を確立させよう。それが、僕のできる最大限の解決策だ。

 

 そう決意を強くして、僕は床に就いた。

 

 ★

 

 気がついたとき、僕はそこでふわふわと浮いていた。視界はぼやけて……いや、違う。ぼやけているのは空間の方だ。

 そんなどこでもないゾーンに似た、でも少し違う雰囲気のする――そしてどこか優しくて、心地のいい空間に、僕は漂っていた。

 

「そなたもこちら側に目覚めたか」

 

 どこからか、そんなどこか心に染み入るような落ち着いたバリトンボイスが聞こえる。

 その声の主を探せば、少し離れたところに、いた。黒いハットを被り、黄色いオーバーコートの下には、同じく黄色いレザー――おそらく鹿――のズボンを身に着けた、少し怪しい紳士が。しかも彼の周囲の空間は、ぼんやりと黄色に光っている。

 声に答えようと近づこうとしても、その距離は決して縮まらなかった。

 

「それに、既にSans PareilとCyclopedの祝福を得ていると見える」

「あの、あなたは……」

「おっと、これは失礼。こちらはRocketという。聞いたことはあるだろう、シエロエステヤードよ」

 

 聞いたことがないわけがない。基礎の基礎としてスクールでも、そして学園でも教えられている五元神、その1柱なのだから。

 そして、Rocket神が歩みを始めれば、どれだけ近づこうとも縮まらなかった距離がいとも簡単に縮まり、そして0となる。

 

「五元神、ですか。なんの御用で?」

「そなたの悲しみと決意が、こちらを呼び寄せたのだよ。それに応えに馳せただけさ」

 

 黄色い光が渦を巻く。そして、少しずつ、少しずつ僕の中にそれが入ってくるような気がした。

 

「シエロエステヤード。そなたの旅路に幸多からんことを」

 

 僕の視界は、黄色く染まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17M:五元神の会合

 超次元のかなた『雨が丘』にて、Sans Pareilは困惑していた。久々に会合が開かれたと思いきや、そこに向かえば目の前で美しくない口論が行われていたのだから。

 

「お二方とも、やめたほうが良いのではなくて?」

 

 そう彼が呼びかけた先で激しい口論を広げているのは、片や黄色基調に正装する神、Rocket。もう片や紫の装いを纏う女神、Cyclopedだった。

 

「何があったんです? 大方そこのじゃじゃ馬が何かちょっかいを仕掛けたのでしょうけど」

「サンもロケットの肩を持つの? だいたいちょっかいって何さ。停滞していた次元のためにちょちょっとお手伝いをしてあげただけなのに」

「それが余計だと言っているのだよ。わからないのかロペ。我らへの助けを望む声なき所に無闇に介入すべきではない」

 

 サンはため息をついた。こいつらはいつまで同じ醜い討論を続けるのかと。

 

「お二方はいくつの次元で同じ争いをすれば気が済むのです? お互いに冷静になるべきですよ」

「……また、やっていますのね」

「ヴェルか。お察しの通りですよ」

 

 続いて雨が丘に到着したのは青いドレスを召した女神、Noveltyだった。いつものことではあるが、彼女が全員が集合する前に先立って喧嘩を始めるロペとロケットのことは最早気にもせずに円卓の青い椅子――彼女の指定席だ――に座ると、釣られるようにサンも緑の椅子に続く。

 そしてその様子を見て、ようやく喧嘩をしていた者たちもそれぞれの席につき、そして赤の席だけが残った。

 

「パーシーはまた遅刻か?」

「最初に私が来たときいなかったからそうじゃない?」

「みんな僕のことをなんだと思ってるのさ……。まぁいいけど……」

 

 4柱が声の主に目を向ければ、入口には一応赤でまとまってはいるもののかなりラフな格好をした神、Perseveranceが既に到着していた。

 

「今日は間に合ったのか。珍しいな」

「いつも遅刻してるみたいに言わないでくれる?」

「ですがいつも遅刻してるじゃありませんの」

 

 パーシーはヴェルの余計な一言に言い返せなかった。それが真実だったからだ。そして一度がくっとしながらも、予定された時刻より前には赤の席につき、会合に参加する意志を示した。

 コホン。そして一瞬の静寂の後に咳払いをして、ロケットが口を開いた。

 

「またロペの介入が発覚した」

「やっぱりかぁ」

 

 わかっていたと言いたげな口調で、パーシーがそう答えた。そしてその後の対応を行うべきかについて、続けて述べる。

 

「次元の修復力を舐めちゃいけないよ。なーんもしなくたっていいんじゃないかな」

「変化の早さも、ですわ。いずれ最適な姿に落ち着くでしょう」

 

 パーシーとヴェルの判断は一致した。過去の介入は気にせぬ静観である。彼らは次元の強かさを信用しているからこそ、多少の介入があったとしてもその次元がそれを理由に直ちに崩壊するわけではないと考えているのだ。

 

「……サンは?」

「わたくしの判断は変わりませんよ? 結果として次元が美しくなればいい。ただしそれを判断するのはわたくし達ではなく、その次元に住まう未来の者です」

 

 サンは中立を投げ入れた。彼は介入が美しさを奪うことも与えることもあるのは理解しているが、すべての次元に介入するのでなければ次元群が2つに分かれるだけであり、その中それぞれに美しい次元とそうでない次元が生まれる。つまり、介入そのものはあってもなくてもどうでも良いという判断である。

 そしてその意見が出尽くしたところで、パーシーがため息をついた。

 

「結局こうなるじゃん? ロケットよぉ、毎回呼び出されるこっちの身にもなって欲しいね。ロペも流石に控えるべきだけど、あんたも許容範囲が狭すぎるよ」

「ロケットは機械だからわかんないと思うけど、わたしは常にわたし自身も進化してくの。だからそれぞれの次元だって、そうなるように働きかけた方がいい」

 

 ロペはロケットを煽るようにそう捲し立てた。残りの3柱にも被弾するような物言いで。その結果、ピクリとサンとヴェルの眉間が動いて目が光る。

 

「君は黙っておいたほうが美しくありませんか?」

「今の言葉は看過いたしかねますわ」

「うん、落ち着こうか。今はそういう話じゃないよ。さ、話を続けてよロケット」

 

 パーシーは内心そのボイラを沸かせながらも、落ち着くよう宥める。話が進まなくなるからである。めんどくさがり屋の彼ではあるが、こういった会議の時にはそれを早く終わらせるよう強く働きかけ、話題を元に戻す役割を持つ。彼がいなければ今までの会合も結論が出るまで長い時間を要してしまったであろう。

 

「そうだな。確かに今までの介入程度であれば、目くじらを立てる必要もないとは考え直していた頃だよ。だが今回の介入はより厄介だ。ロペが1つの次元に介入した結果、その次元は次元を越える力を探求し、そして他のいくつかの次元との通信まで確認されている」

「おー、それはヤバいね」

 

 だが、口ではそう言ったパーシーでさえ、当初の意見を変えることはなかった。それは他の2柱もそうだった。

 

「複数の次元の交流があったとしても、それは次元の内部での異文化交流との多少の程度の違いではありませんか?」

「それぞれの次元が、多次元交流を前提とした形に変化してゆく……ただそれだけではありませんこと?」

「ふたりに同じ。それにね、僕は逆にロケットがあるがままの姿を神聖視し過ぎだと思うな。だいたいね、前からおもってたんだけど――」

 

 ロペが次元を作り変えるよう介入するのが嫌ならば、ロケットはそうさせないよう介入すべきだ。パーシーはその旨を言い放った。派手にやるロペとは程度の問題であり、パーシーもヴェルもサンも小規模な介入自体は行っている。だからこそ、ロケットもそうすべきだという合意形成が、何度も同様の議論が繰り返される中で既に3柱の間では為されていたのだった。

 そしてそのままロケットの議案は否決され、ロペの介入は他4柱による厳重注意のみという形で結論づけられた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ前:からげんき

 新宿発高尾山口行き特急電車。新宿駅の3番ホームに停まるその先頭車両10号車で、ポーラーエクリプスは独り線路を眺めていた。再来週のレースである高尾山冬そば杯に備え、線形を確認し、そしてランカーブを描くためである。

 これまでのレースでは、これらの作業はポラリスのチームメイトであり、コーチのような存在でもあるスーパーブライトが行っていた。だがこのレース、そして次の胆振最速決定戦ではポラリスが自分で考えてランカーブを引くという約束になっていた。

 

 それに、そもそも。

 

「ブライトまで、いなくなっちゃうなんて……」

 

 ポラリスはもはや、ブライトの力を借りることはできない。彼もまた、彼女のパートナーたるトレイナーと同じように超次元の彼方に消えてしまったのだから。

 

「どうしてみんな、いなくなっちゃうんだろう」

 

 やっぱりポラリスは、生まれてきちゃいけなかったのかな。ポラリスに近寄ると、みんな不幸になっちゃうんじゃ? そんな思考が、ポラリスの頭をよぎる。

 事実ポラリスの周りに居た者の中でポラリスの近くに今現在い続けることができているのは、同じ【キラメキヒロバ】のメンバーでもあるナマラシロイヤただ独りだけである。それ以外の者はみな、不慮の事故や仕事の都合でJRNを離れることになってしまったのだ。

 

(ダメだよ、そんなこと考えちゃ。有馬温泉でポラリスを待ってた皆の顔は? 笑顔だったでしょ?)

 

 ぶんぶんと頭を振って、ネガティブな思考を振り落とす。レールレーサーはエンターテイナーだ。見る人を楽しませるには、まずは自分が元気を出さないと。

 

 発車のベルが鳴り、電車が走り出した。駅を出てからしばらくは、右へ左へと微妙なカーブが続く真っ暗なトンネルの中を電車のヘッドライトだけが照らして進んでいる。ここで初めて、ポラリスはブライトが軽々とこなしていたことの凄さを知った。

 ブライトがポラリスに渡していたランカーブの巻物には、勾配や曲線の情報が事細かに記載されていた。それがなければ効率のいいランカーブなんて引くことはとうぜんできないのだから。だけれどポラリスがいざ自分でランカーブを引いてみようと手を動かそうとしたとき、彼女の手元にはその情報があるわけではなかった。

 だからこそこうやって、電車に乗って曲線標や勾配標を探してメモを取ることにした。だけどそれは、ポラリスの思っていたよりもはるかに大変な作業だったのである。

 

(ブライト……。やっぱり、すごいランナーだったっていうのは本当だったんだね。ポラリスはまだまだ追いつけないや。でも……)

 

 必ず、その遠い背中にいつかは追いついてみせる。それこそが、ポラリスに与えられた試練なんだ。

 

 そしてポラリスは、その会社のワンデーパスを握りしめて、何度も何度も新宿と高尾山口を往復した。そして集められたものはブライトが入手していたようなきちんとした完全なデータではなかったが、それでも簡易的にランカーブを引くことができる程度のものだった。

 それをもとに、ポラリスは自分の手ではじめてランカーブを引いた。幸いなことに、ポラリスのメカニカルな性能については彼女のトレイナーとブライトが計測していた速度や燃費のデータが残っている。それと先程とってきた線形の情報を組み合わせれば、無数のパターンのランカーブが出来上がる。

 そして、使用するフューエルの量ごとにそれらの中からポラリスがもっともよいと思ったランカーブを書き出した。彼女の兄貴分であるイノベイテックは車のころから燃費の研究を行っており、その頭脳と足回りを引き継いだ彼女にとってこの程度の計算は苦ではなかった。

 

「……よし、できた!」

 

 こうして出来上がったランカーブは、たしかにブライトの作るものよりは洗練されていないものなのかもしれない。だけれど、こうやって彼女独りでランカーブを書き上げたという経験自体が特別な意味を持つということ自体が【キラメキヒロバ】のメンバーであれば――たとえこの次元を離れていたとしても――理解を得ることができる事実なのだ。

 

 そんなポラリスの様子を、ロイヤは暖かく見守っていた。ロイヤにとって、ポラリスは車であった頃は同じ会社のかなり年のはなれた後輩であり、ノリモンとしては同じ工場で成った直近の先輩なのだ。ゆえにベーテクと同じ様に、彼女もポラリスが車だった頃のあまりにも不憫な車生も、そうなるに至った背景も全て知っていた。自らが期待のニューカマーとして受け入れられ、やがては一桁世代としてたくさんの希望をのせて華々しく走り抜いていたのとはまったく対称的なそれを。

 だからこそ、ロイヤもまたノリモンとなったポラリスの幸福を傍から願っているのである。

 

「夜食です」

「……あっ、ありがと」

「あまり無理をしてはいけませんよ?」

 

 ロイヤが一時的に厄介になっているベーテクの自宅のリビングで、うつらうつらと上半身を振り子のように揺らすポラリス。その目線の先のタブレット端末には、ポラリスと同じ冬そば杯への出場をすでに表明している、チーム【一体、陣馬】に所属するヤマダのレース映像が流れていた。

 そして小一時間ほどしてから、そろそろ食べ終わった頃だろうと食器を下げに再び戻ってきたとき。動画を開いたまますやすやと寝息を立てていたポラリスの両肩に、ロイヤはそっと毛布をかけたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ中:Callsign JYHR

「ごめんなさい! 私のせいで……わたしのせいで!」

 

 ココマはうろたえながら頭を下げていた。彼女の周りには、まだ目覚めていないトレイナーやノリモンが転がっている。

 

「落ち着こーか、ココマ号。俺達がこうなったのはスタァインザラブのせーだ」

「でも……でも!」

「仮にあんたのせーだとして、この状況をどーにかできるのか? じゃないんだったら、それを考えるのが一番の償いだろーが」

 

 スーパーブライトはこうココマを叱咤した。

 ここで彼らの状況を詳しく見てみよう。暫定ウルサ・ユニットと5名のノリモンは、どこでもないゾーンでのスタァインザラブとの交戦の後、みな失神してしまった。そして現在、彼らはみなやけに静かで暗いこの場所に倒れていたのだ。

 そしたまたひとり、ナリタエアウェイズが目を覚ました。

 

「ここは……」

船橋(ブリッジ)、のようですね」

 

 ココマは目を光らせて辺りを見回しながらそう言った。だがしかし、そこの照明は落とされ、窓の外にも広がっているのは闇ばかり。そこから外を見ても、あるはずの水平線も見えやしなかった。

 

「なぜ俺たちはこんなところに?」

「知らねーよ、わかったら苦労しねーが」

 

 せめて照明でもつかねーのか。そう言いながら、倒れている者たちを踏まないように船橋の中を探索するブライト。だが、そこに目当てのものはなく。

 そんなブライトの視界の隅に、じいっと窓からオモテを見つめるココマがうつった。

 

「なんかあるのか?」

「いえ、ただ……。ものすごく懐かしいような気がするんです」

「それはあんたが船のノリモンだからじゃねーのか? ……まぁ、その感覚も手がかりになるかもしれないが」

 

 そして3名が引き続き手がかりを探していると、ブライトがアルファベットの文字列を発見した。

 

「何だ、これ。アルファベット4文字……?」

「……っ! 船名符号! 無線で船を識別するためのもの」

「あぁ、コールサインか。その符号は?」

「J、Y……」

「Y? ヤンキーのY?」

「……? そうだが」

 

 読み上げるブライトをN.A.W.はそう遮った。するとN.A.W.はこう答えた。

 

「……日本の船じゃない」

「わかるのか?」

「あぁ。コールサインは最初の2文字でどこの国のものか予め割り振られている。日本に割り振られているのはJA(ジュリエットアルファ)からJS(ジュリエットシエラ)、7Jから7N(ノヴェンバー)、そして8Jから8Nだ。JYはない」

 

 N.A.W.を含めたナリタを冠するきょうだいは、車だった頃から国際的な視野を広く持つ必要があった。航空分野においても相応の知識があり、そしてそれ故に無線のプレフィックスについても――少なくとも日本ではないことが判別できる程度には――有していたのだった。

 

「では、JYはどこの国だ?」

「どこだったかな。確か……」

「JYは、ヨルダン。ヨルダン・ハシミテ王国」

 

 そう答えたのは、いつの間にか目を覚ましていた佐倉空だった。

 

「佐倉トレイナーか。早速で悪いが、eチッキで本部に報告を」

「内容は?」

「10名全員五体満足、外傷出血なし。ヨルダン船籍の船の船橋とみられる謎の空間にいる、と。こんなところだろーか?」

 

 ブライトからの指示を受け、佐倉はeチッキ端末の操作をはじめた。端末のバックライトが、暗い船橋の中にぼうっと浮き上がった。

 その裏では、気になったことがあったのだろう。N.A.W.がブライトの方へと近寄り、そこに貼ってあるコールサインを確認する。

 

「たしかにJYだ。だが……おかしくないか?」

「何がだ?」

「ヨルダンって、中東の国だぞ? なんで日本にいるんだ?」

 

 N.A.W.の意見はもっともである。これがパナマやリベリアならば説明はつくが、ヨルダンはそれらの国のような措置をとっているわけではないのだ。

 

「じゃーこのコールサイン、『JYHR』は何なんだ? 偽物か?」

「……っ! 待って!」

 

 ここで何かを言いたげにしていたココマが初めて、会話に割り込んだ。

 

「どーしたココマ号」

「この船は、日本の船よ」

「でもJYだぞ」

「昔は、Jから始まる符号をぜんぶ日本が使えてたことがあった。その頃の船よ」

 

 3対の光る目が一斉にココマを向く。

 

「心当たりが、あるんだな?」

「えぇ。だってJYHRは私の妹の船名符、号……?」

 

 すると突然、ココマは頭を抱えて苦しみだした。佐倉はすぐさまeチッキへの入力を中断して駆け寄って、その身体を支える。

 

「どうしたの」

「知らない……知ってる? どうして? 違う、私は……違わない?」

 

 ココマは、いまそのコールサインをきっかけにココマとしての記憶を思い出したのだ。それが今の素体に由来する別の記憶を持つココマからすれば、大きなストレスとなっているのであった。

 

「落ち着いて、ココマ号」

「私は……だれ? 何者?」

「わかった、一旦この話はおしまい。みんなも、いいね?」

「そーだね、落ち着いてからにしよーか」

「そうだな、本部からの返信と、みんなが目覚めるのを待とう」

 

 そして佐倉はeチッキへの入力を再開した。謎のコールサイン『JYHR』、そしてそれにココマが心当たりを持っていそうなことを含めて。

 そしてその文面をブライトとN.A.W.も確認した後、佐倉はそれを送信したのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18レ後:さぁ、はじめよう。

 佐倉空が送信したメッセージに取り急ぎではなく正式に返信が戻ってきた頃には、ノゾミタキオンとメカマムサシコヤマもまた目を覚ましていた。

 

「それで、本部は何と?」

「まずは全員無事なことへの安堵。それと、どうもこの船、本部は心当たりがあるみたい。ただ……」

「ただ?」

 

 言いよどむ佐倉に、ナリタエアウェイズがその先の言葉を迫った。

 

「その船、今は海底にいるって」

 

 その言葉に、返す言葉を発せられる者はひとりもいなかった。そしてしばらくしてから、「やっぱり……」と小声でココマが呟いただけだった。

 

「おい待てよココマとやら。やっぱりってどういうことだ?」

 

 だがタキオンはその言葉を聞き逃さない。そう尋ねると、しまったとでも言いたげな顔をした後にココマは口を開いた。

 

「聞き覚えがあったような気がしたんです。で、海底だって聞いた話で確信しました。この船は――」

 

 ――昭和18年に日本海に沈んだ私の妹です、と。

 だがしかし。その言葉に反して今彼女らのいる船橋の外には空気が確かに存在しているように見えた。

 

「……どういうことだ?」

「どこか別の次元か、あるいは誰かの自元(アイゲン)領域(ゾーン)か……。確実にいえるのは、ここは()()()()()()()()()

 

 佐倉はそう結論づけた。恐らくは後者であろうという見解を添えて。

 

「どうしてそう思った?」

「通信時間が短い。中泉さんのとこには30秒近くかかってた。それがここからだとたった数秒。ほとんどラチ内と変わらない」

 

 コンコンとeチッキを人差し指で叩いて答える佐倉。最新の研究では、通信時間からそのeチッキの場所とJRNのある次元との距離に極めて高い相関があることがわかっている。佐倉はそれを根拠に、この場所がもとの次元に付随する領域の1つであると結論づけたのだ。

 だとすれば、この自元領域は誰のものなのか? それは皆が考えることだった。それにいち早く検討をつけたのはノリモンの発生の研究をしているムサコだ。この場所は、恐らく船名符号JYHRその船がノリモンとなった姿の自元領域である、と。

 

「しかしそれはありえないとされる」

「どうして?」

「はじまりのクィムガンが発生したのは昭和26年。その船の沈没より8年も後の話し!」

 

 事実ムサコの言うことは正しい。ノリモンのはじまりはそのルースの落し子の発生である昭和26年の秋である、というのが発生の分野での常識であり定説となっているのだ。神たる五元神を除いて。

 

「じゃあ何なんだよ、この場所は?」

「それは……わからないとされた」

 

 頭を抱え、ムサコはそう返した。とたんにずっこける何名か。あれだけ自信満々に言っておいてそれを自ら否定した挙げ句にわからないとすれば、そうなるのも仕方がないだろう。

 そんな中で、N.A.W.はただひとり思考を重ねている。

 

「1ついいか? 前々から気になっていたことがあるんだが」

「何?」

「くだらないことを聞くかもしれんが……はじまりのクィムガンより前に、本当にノリモンはいなかったのか?」

 

 N.A.W.の言いたいことはこうだ。その船はノリモンに成っていると。それは発生の分野に明るくないからこそ、その前提を疑って出た疑問だった。

 

「……要調査とされている」

「ならばその可能性が」

「しかし過去に何度もその証言はあるとして、弊の知る限りでは信頼できるものは1つもなし……」

 

 強いて言えば五元神がそうだと言われているが、それは規格外の話である。その旨を伝えると、ムサコはまた黙り込んだ。

 

「どうした?」

「あるかもしれない。いずれにせよ当該ノリモンとは要接触とされるが。……恐らく向こうでも似たような議論がなされているものと思われる」

 

 いずれにせよ、JRNへ戻らなければ……。ムサコはそう言ってから、突然顔をしかめた。

 

「何故……何故?」

「何があった?」

「いや……。弊はこんなのは知らないとされる。なのになぜ、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 その言葉の後、一斉に聞いていた5名もまた青ざめてお互いの顔を見た。

 

「なぁ……」

「お前もか」

「どうして?」

 

 そう、みな気づかぬうちにこの領域から抜け出してJRNへと帰る術を覚えていたのだった。

 それはとても恐ろしい事だった。確かにここに来る前はそんなものは知らなかった。それどころか、行方不明者の救出に必要不可欠であるため喉から手が出るほど欲していた力であった。それが何故か今、自分たちの手の中にあるのだ。

 

「……どうする?」

「誰かまず1名JRNに戻って、それから考えたほうがいいんじゃないか?」

「N.A.W.に同じ。誰が行く?」

 

 コロン。スーパーブライトの袖から、サイコロが落ちた。決め方は決まった。

 そして、それが振られた結果。

 

「3、だな」

 

 その目に割り振られたタキオンが先に戻ることになった。そして次の瞬間、彼女はこの領域から消えたのだった。

 

 ★

 

「ここが、特異点なんだね?」

 

 スタァインザラブが尋ねると、ライスシャワァは静かに頷いた。

 

「いまここに、新しい門を開こう。……リング」

「Affirm」

 

 そしてエンゲヰジリングが、都立武蔵国分寺公園から特殊な輸送方法で運んできたそれを、そこにかざした。

 すると、カチリ。虚空のはずなのに、どこか収まりの良い感覚がして、リングは手を離した。それは、そこに在るのが当たり前だと言わんばかりに宙に浮いている。

 

「今こそ門を開くときだよ。どうやらかれらも目覚めたみたいだしね」

 

 そう言って、かわりにスタァがそれにてをかざした。

 

「さぁ、はじめよう」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回19便:探訪

「結局彼も、出場することにしたのですか」

 

 競技会のトーナメント表を眺めながらシンカフラッシュはそう発した。

 

「より面白いことになりそうですねFocus」

「えぇ、最大限の緊張感をもって注視して参りましょう。しかしこちらといたしましては、できれば彼には帰還の術を確立していただくことを優先していただきたいというのが、本音ではありますが」

 

 フラッシュが少しだけ息を溜めて吐いたのを、Minoruは見逃さなかった。シエロエステヤードの持つこの次元に存在しない知識は喉から手が出るほどに欲しいものであったが、どうしても彼1人の持つ知識の量には限界があったし、それにどうも少し隠し事をしているようにも見受けられていた。ともすれば、フラッシュの中で逆に彼の元いた次元を探訪する事への重要性が日に日にましていくのは至極当然のことであった。

 

「それだけ彼がこの学園に染まったということですよDyed。それに、つい先日までルールすら知らなかった彼がどれ程善戦するのかを見たくはありませんかBeginner?」

 

 対称的に、ミノルの声色はやや高まっている。彼女からすれば、今の中途半端な状態のシエロの動きはすべてが非常に興味深い結果をもたらすものだった。

 

「その混沌の重要性は理解しておりますが、あいにく貴女のような趣味は持ち合わせてはございませんので」

 

 少しだけにこりと笑みを浮かべて、フラッシュはそう返した。

 そもそも、ミノルを教諭として登用することを推薦したのはフラッシュである。彼女の持つ性癖を理解した上で。だからこそ彼はシエロが協議会に出る意味も当然理解はしていた。

 だがしかし。それで引き起こされるものよりも超次元での交流の方が確実に学園に変化をもたらす。そういった確信があるからこそ、フラッシュはそちらをシエロには優先して欲しかったのである。

 その話をミノルに伝えれば、彼女は少しだけ考える素振りを見せた。

 

「……シャイさんから聞いていないのですかYet?」

「聞いていない、とは」

「この参加は、帰るための仮説の検証もあるらしいですよVerify」

 

 その話自体はすでにシャドウイメージから報告は受けてはいた。フラッシュはそれをあまり信用していなかったが。

 

「検証が必要ならば、私が直々にお手伝いをさせていただきたいとはお伝えしてありますが」

「それではいけない理由があったのでしょうねFactour」

 

 それを聞くと、フラッシュはすこしだけ機嫌を悪くした。その裏にある感情は、シャイへの嫉妬だ。

 

「……あなた方は」

「What's up?」

「あなた方は、仮に彼が帰還する術を確立した暁には、彼についていくおつもりですか」

 

 それは、フラッシュが今の立場ではなかったらやりたかったことの1つでもあった。だがしかし、立場がそれを許さなかったのだ。

 そしてそれは、ミノルもまた同じであった。

 

「すぐには行きませんWait and see。どれだけ気軽に行って帰ってこられるか、それがわからないとCan't judge」

 

 ミノルとて寮長である。数年来ために溜め込んできた有休はありはすれど、流石に数週間以上にもわたる長期に及んでファルコンを離れることは彼女の信念がまたそれを許さなかった。

 だからこそ、どれだけ気軽に往来ができるのかということには関心が高いのである。それが気軽であればあるほど、分割した短い休暇で訪れることが可能になるのだから。

 

「シャイ先生は……どうでしょうかね」

「あの人は行きたがりますよWanna。向こうで大きくシエロの言う超次元を学んで、そして帰ってくると思いますStudy abroad」

「より容易に往来のできる環境を構築していく。それをシャイ先生が行うのであればしっかりと支援して参りましょう」

 

 そしてゆくゆくは、一度でいいからシエロの元いたJRNという組織を訪れてみたい。フラッシュはそう思った。

 

 ★

 

「なるほど、これが超次元への褶曲というわけだ」

 

 顕微鏡を覗きながら、シャイはそう呟いた。

 

「ただ物理的な力を加えるだけでは駄目で、何かしらのスキルを発動した状態の力を加える必要がある。ともすればやはり、シエロエステヤードの言う通りスキルには常に超次元的な力が付与されているのだね。ならば逆にこうしてみよう」

 

 次にシャイは屋外に出て実験装置を組み立て始めた。と言っても、かなり簡易なもので滑車の先に重しがあって、その反対側からロープを引いてそれを持ち上げるだけのものだ。

 それを慣れた手付きで組み立て終わると、ポケットからピンポン球を取り出して、そしてロープで引き上げた重りの下で手を離した。

 

「《ハンドルで逃げるな先ず止れ》」

 

 シャイのスキルによって空中で静止するピンポン球。そして少しだけ離れると、シャイは重りを落下させた。

 

 重りが、ピンポン球に到達する。シャイのスキルと重りの運動エネルギーが衝突する。()()()()()()()()()()()()()

 シャイが重りを持ち上げると、そこにピンポン球の残骸はなく、何もないままであった。

 

「行ったか。超次元に」

 

 そして空中に留め置くものを少しずつ大きく、重くしてゆきながら、何度か同じように実験を繰り返す。

 そして、野球ボールで同じ実験をしたとき、スキルで留め置かれたボールが重りを受け止めた。

 

「なるほどねぇ、このままでは人間を飛ばすのは難しいか。でも、糸口は掴めただけ良しとしよう」

 

 そう笑いながら、シャイは機材を片付けたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19L:ポワ

 薄暗い森の中。持ってきた大荷物を下ろして一部だけ手に持つと、うっすらと光る半球状のドームに、星野貴大はeチッキ端末を押し付けた。するとそこから光が彼をつつみ、そして消えていった。

 

 その様子を、彼を追いかけてきていたFairwayは見ていた。そして星野と同じように腕をそれに近づけ、そして離してを繰り返す。だがしかし、彼と同じように彼女を光が包むことはなかった。

 

「……どうなってるのかしら?」

 

 その呟きに応える者はいない。その半球の内側はこの次元とは隔絶された領域(ゾーン)なのだから、星野にその声が聞こえるわけもないのだ。

 そう、この半球はラッチだ。それもかなり小さなもので、ラッチコアの直径はわずか数メートルしかない。星野はなぜこの次元において、この次元の者たちが出入りすることの能わないラッチを使う必要があったのか? その理由は、ラチ内を見れば自ずから明らかとなる。

 

 エキステーションにより直径10m強ほどまで拡張されたラチ内は、生活感に溢れていた。そしてその中にはトレイニングを解いている星野の他に、もう1つの人影が。

 

「どうだ参宮。『神』との交信は」

「なかなか難しそうですね。JRNに戻ってからも継続する必要はありそうです」

「それすらいつとなるか分からんのにか……」

 

 そう、このラッチの中にいたのはこの次元において不幸にも指名手配されてしまった参宮五十鈴であった。彼は新興宗教団体により勝手に神と崇められてしまっていたのだ。

 信仰というものは仮にそれが偽りであったとしても、信者のその信じる心自体は存在してしまっているものだ。そしてその信心の強さは幸か不幸か、参宮を1つ上のステージにポワしてしまったのである。

 ――参宮の脳裏に、声が響く。

 

『ふぅん、まだ耐えよるのか。早く私に体を預けてしまえばいいものを』

「誰が渡すものですか」

 

 その少女と思しき特徴を持つ声を参宮が始めて聞いたのは、脱出の後に森の中を飛び、そして小川のそばに降り立って一息つこうとしたときだった。その時、彼の周りには誰一人とて存在しないにも関わらず、しかしどこかで一度だけ聞いた声が、鼓膜を介さずに彼の頭の中へ流れ込んだのだ。新興宗教の(まじな)いは彼に確実に影響を与えていたのである。

 一体この声の主は何者なのか。参宮がそう考えたとき、その思考を読むかのようにそれは語りかけた

 

『吾のことが気になるか、吾が依り代よ』

「おれはおまえの依り代になった覚えはありません」

『吾と繋がっているおぬしの肉体は、同じく吾を降ろしうる依り代としても機能している。それは紛う事なき事実じゃよ』

 

 その言葉を否定する材料を参宮は持ち合わせていなかった。何しろ一度気を抜けば彼の肉体の制御はそれに奪われて、彼の意に反して動き出すのだ。その事象がそれの意志によって起こされているのである。星野により発見され、ラチ内へと半ば封じられるように保護されたころには、彼の心は擦り切れる寸前であった。

 

「おれの身体を奪ってどうするおつもりで」

『人聞きの悪いように宣うの? おぬしが吾に身体を預けたところでおぬしがおぬしであることには変わりはのうて。同時に吾の身体となるだけじゃ』

「まるで意味がわかりませんが」

『そもそも、吾ほどの存在にもなれば今でも依り代の肉体を好むがままに弄ることも可能とではあるがの』

 

 次の瞬間、かようにという言葉が響くと同時に参宮の右手が変形し、そして元に戻った。それを見て、それがまったく痛みを伴わなかったことも含めて彼は冷や汗をかいた。その様子を見ていた星野もまた目を凝らす。

 

『安心せい、手を加えることはせぬよ。おぬしに興味が湧いたからの。吾好みにしたところで、それでおぬしの味が塗りつぶされてはそれこそつまらぬというもの』

「できればおれとしてはすべてを諦めてもらいたいのですがね」

『それは飲めぬというものよ。これほどまでに馴染む存在も類稀でのう』

 

 それは無慈悲にそう告げた。それはつまり、参宮の体から出ていく気は更々ないということである。

 この厄介な同居人にどう対応すべきか。参宮にとっては、JRNへの帰還以上に厄介な問題だった。

 

「……すみませんね、星野さん」

「この次元においては数少ない同郷で同じJRNに属する者だ。互助は当然だろう」

「おれは何もできてませんよ」

「後輩だからな。お前がお前の後輩と同じ状況になったときにそうしてやれ」

 

 そう言いながら、星野はラチ外へと出場した。そこにはアップルグリーンの長髪を持つ人影があった。

 

「フェアーか。なぜこんなところまで」

「これだけの大荷物を持って森の中に入っていったらそりゃ目立つわよ」

「……それもそうか。ご覧の通り、キャンプに荷物を運んでいただけだ」

 

 小分けにした荷物の一部を持ち、ラッチに再入場しようとする星野。そんな彼にフェアーは声をかけた。

 

「手伝おうか?」

「その必要はない。そもそもお前は中に入れんぞ」

「……あなた何者なの?」

 

 そのフェアーの問いに、星野はこう答えながらラチ内へと入った。

 

「まだ何も成していない。何物にもなれなかった成れの果てよ」

 

 それから何度かラッチを出入りして荷物をすべて搬入するのを、フェアーは言葉もなく静かに見続けていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

回19レ:Rainhillの五元神

 イギリス、ヨークシャー州。ペナイン山脈を超える西風のフェーン現象により比較的温暖で乾いているこの地域は農耕には適さない。かわりにこの地に根付いたのは畜産産業だった。犬のヨークシャー・テリアや豚のヨークシャー種、あるいは牛のショートホーン種などはそれらの動物を扱うならば知らない者はいないだろう。

 時は産業革命。そんなヨークシャーにもうひとつの授かりものがあった。石炭やソーダを始めとした鉱物だ。そして根付いていた畜産の支えもあって、この地は大きく発展することになったのだ。

 ひとつは、繊維産業。羊もソーダも豊富なこの地において、材料はすべてが整っていた。そしてもうひとつが、鉄道である。運ぶための製品に加えて、それを牽く馬もこの地で多く生産されていたのだ。

 そして、時代は少し下り蒸気機関車の時代。南ヨークシャーのドンカスターの街に作られた車両工場は、ロンドンとスコットランドのエディンバラを結ぶ大幹線の旗艦工場として、数々の優秀な機関車を生み出していた。

 St Simonもまた、その工場で生み出された機関車の1両であった。

 

 ヨーク市リーマンロード、国立鉄道博物館。シモンの髪と同じアップルグリーンの塗装を纏った1両の蒸気機関車の横で彼女は待っていた。

 

「ようこそ、ヨークへ」

「……日本語を話されるとは思わなかったよ」

「半永久的とも言える私達の生涯において、どこに新しく学習することを妨げるものがあろうか?」

 

 どうして彼女は日本語で話しかけたのか? それは彼女が待っていた相手が日本のノリモンであるイノベイテックだからだ。彼は先月末までの半年間、ダービーのThe Lancerの下に派遣され、彼の率いる団体の再始動のための指導を行っていたのだ。

 

「見習いたいね、その心は」

「JRNでは多くのノリモンが研究をしていると聞く。それも似たような動機によるものだろう?」

「そうかもしれないね」

 

 そう恐る恐る発されたベーテクの答えに、シモンは少しだけ満足げに微笑んだ。

 ベーテクは既に何度かシモンと顔を合わせていた。それにランサーからも彼女の性格を聞かされている。だからこそ、彼女の機嫌を損なうことの決してないようその受け答えはかなり慎重にならざるを得ないのだ。

 

「この博物館には、君に紹介したい機関車がいてね。ふだんはマンチェスターにいるのだが、今日は特別にヨークまで来てもらっている」

「その後ろの機関車かい?」

「60103……私の姉ではない。もっと君を驚かせる機関車さ。さぁ、ついてきたまえ」

 

 エスコートするようにシモンはベーテクの手を引き、そしてバックヤードへと入ってゆく。それに逆らうという選択肢は彼は持ち合わせていなかった。

 作業員たちに会釈しながら一度分解されて整備中の展示車両の間を抜け、奥へ奥へと進んでゆくシモン。そして一番奥、搬入用のシャッターの手前の古びた機関車の前へと辿り着いた。

 

「この機関車は、まさか……」

「そのまさかさ。レプリカではない、正真正銘の本物さ」

 

 彼らの目の前の機関車は、奇妙なかたちをしていた。車両の前方には銅のポイラーが、そして後ろには逆台形の箱型のタンクが乗っている。2対の大きな車両のうち、タンク側の車軸の上には一対のピストンが置かれていた。

 そんな奇妙な形ではあったが、ベーテクは確実にその機関車の名前を知っていた。

 

「Novelty」

 

 それは五元神の1柱にして、ベーテクらノーヴルの派閥の神であるノリモンの名前だった。つまり目の前にある機関車は、いわば御神体とでも言うべきものなのだ。

 

「御名答。他にも我々はRocket号とSans Pareil号も保有している。残念ながらこの3両だけだけれどもね」

「解体されているはずでは……」

「一度はそうだ。黎明期の機関車であるがゆえ彼らはみなRainhill Trialの後に試行錯誤で改造され、オリジナルの部品は取り外されていった。ここにあるのはそしてそのオリジナルの部品を再び組み立てた……言うなれば、神の抜け殻」

「それは本当に本物なのかい? テセウスの船か、あるいはスワンプマンのようじゃないか」

 

 機関車Noveltyの前で立ち止まり、まじまじとそれを見つめるベーテクの後ろで、シモンの目が少しだけ光った。

 

「Rainhillの五元神とは、一体何物なのか? 本当にノリモンなのか?」

「あなたは五元神を疑うと?」

「存在するのは真実だろう。だが彼らは我々の知るノリモンが成る条件に当てはまっていないにも関わらず人の姿を得ている。奇妙だとは思わないか?」

 

 ベーテクは言葉を返さなかった。だがしかし、彼のテールライトがかすかに点滅するのをシモンは見逃さなかった。それだけで彼らの間の意思疎通には十分だった。

 

「君は来週には日本に帰るのだろう?」

「……金曜日の直行便でね」

「ならば覚えておいてほしい。まだオフレコではあるが、10月に日本に招待されていてね」

「10月……日本の150周年の何かかい?」

「その通りさ。その時には、君の……いや、君達の見解を改めて聞かせてもらおう」

 

 ガバリとベーテクは振り返った。その目を光らせながら。

 

「それは……JRNへの依頼かい?」

「依頼ではないよ。ただ私から情報を与えただけだ。それと……少なくともシルドンにあるSans Pareil号は、Sans Pareil号として最後まで残った機関車を当時の姿に復元した姿であると伝えておこう」

 

 ベーテクの目がまた、またたく。

 

「それを伝えれば、僕達は言われなくても考察を始めるだろうと?」

「違うのかい?」

「違わないねぇ」

 

 そしてシモンとベーテクは握手を交わしてから、言葉なくバックヤードを去ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20便前:変化

「行くぞ、《アルクトゥルス》!」

『おぉっとここでシエロエステヤード選手の大技が炸裂したぁーっ!』

 

 雄牛型の衝撃波が、飛び上がった対戦相手に直撃して弾き飛ばす。そしてそのまま彼は規定エリアから逸脱し、僕の勝利が決まった。

 

『勝者、シエロエステヤード! 1回戦に続く鮮やかな勝利でした!』

 

 観客がわぁっと歓声を立てるのが聞こえる。いったいどうしてひとが戦っているのを見て楽しいんだとも思うけれど、この人の入りようからするにこの次元では本当にメジャーな楽しみなのだろう。

 僕はその歓声の中心で、立会人に会釈してからフィールドを後にした。

 

 控室に戻ると、真っ先にトウマさんが出迎えてくれた。彼女も僕の直前の試合に出場して勝利し、次の戦いにコマを進めていた。

 

「すごいじゃんシエロ! 連戦連勝じゃん」

「トウマさんだって。ほぼ一方的に勝ってるじゃないですか」

 

 トウマさんの《鬢長(アルバコア)雷撃(サンダーボルト)》はとても強力なスキルだ。唯一の弱点である溜めに時間がかかる点も《目鉢(ビッグアイ)炎壁(ファイアウォール)》で時間稼ぎができるし、その炎越しにこっちの位置を確認されてしまう。仮にそれを突破して近づかれても直接《(ブルーフィン)衝撃(インパクト)》で弾き飛ばしてしまえばいい。

 やっていることはとても単純なのに、それぞれが高度に噛み合っているせいでかえって対処しにくい、それがトウマさんの強い理由だった。

 

 だからこそ、()()()()()()。いずれ僕もトウマさんに当たることになる。その時に彼女に《黒衝撃》を()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 だからこそ僕は、ここまでのトーナメント2戦でトウマさんの戦法を真似た。そもそも、エリアアウトというルールのあるこの次元の模擬戦では、圧倒的にそっちを狙ったほうが勝ちやすいのだ。それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()しね。

 僕の目的は、この競技会を勝ち上がることではなくて、あくまでも帰る手段を見つけることなのだから。

 

 そのために。僕は控室のテレビ画面に映る中継を見て、さらに他の選手の様子を伺う。

 機会は多い方がいい。だから、勝ち抜いてこれから戦うであろう人が物理的に大きな力をかけるような人なのか。それを知っておかなきゃならない。

 そう熱心に液晶へと目線を注ぐ僕の様子を見て思ったのだろう、トウマさんはふいにこんなことを言い出した。

 

「シエロも変わったね」

「何が?」

「だってさ、競技会に出るのだってしぶしぶって感じだったじゃん。それなのに今のシエロ、すっごくキラキラしてる!」

 

 ……そうだったっけ?

 でも、少なくとも今はそうじゃない。だって。

 

「見つけましたから。競技会に出る意味を」

「そっか」

 

 そう言うと、彼女はくるりと回って僕から少し距離を取って、何やらボソボソと呟いている。その表情は、こちらからうかがうことはできなかった。

 

「トウマさん?」

 

 不審がって声をかけると、トウマさんの体はびくりと一度だけ動揺した。そして少しだけ間をおいてから、急にまたくるりと向きをかえて、大きな声で僕に呼びかけた。

 

「シエロ。もしぶつかったら、正々堂々とやろうね」

「もちろん。今度こそ、負けるつもりはない」

 

 お互いに、強く頷いた。彼女の大声控室の他の生徒たちからは、ヒューヒューとヤジが飛んでくる。

 それに耐えられなかったのだろうか、トウマさんは急に顔を赤らめると、すこしあたふたとしながら走って控室を去っていった。

 

「……トウマちゃんって、あんな表情できるんだ」

 

 少ししてから、1人の生徒がそう呟いた。

 

「そんなに珍しいんですか」

「知らないの? あの子、入ったときからずーっと暗いまんまで。去年の競技会で結果を残して生徒会に入ってからは会長さんのおかげでだいぶ柔らかくなったけど、あんな顔は今日初めて見たな」

「そうだったんですか。年末に転入したばかりで……」

 

 前にも会長さんから聞いていたけれど、どうやら昨年度のトウマさんは本当に孤立していたらしい。それで去年の夏頃からようやく変わり始めたのだけれど、その頃には有力な結果もあって学園内ではみんな彼女の評判や人となりを知ってしまっていたし、さらにある意味ではその実力から高嶺の花といった感じにもなってしまっていた。それがゆえ、ピュアに接することができなくなってしまっていて、そしてそんな様子で接してくる他の生徒にはトウマさんの方も少しだけ距離をおいてしまっていたのだという。

 

「……ごめんね、知らせちゃって。もしかしたら知らないままのほうが良かったかも」

 

 その子はそう謝ってきた。

 なるほど、だからこそ会長さんやミノル先生は何も知らないで接し始めることができていた僕に。でも。

 

「そんなことはないですよ。後から昔の話を聞いたところで、僕の知っているトウマさんは今のトウマさんですから」

「そっか。優しいんだね、シエロエステヤードさんは」

「まぁ、学園に来て初めての友達ですからね。それに……」

 

 優しいとか、優しくないとかじゃない。

 そもそも不安定な子の助けになるのは、その……その?

 

 あれ?

 

「わ、急に頭を抱えてどうしたんですか?」

「いや、大丈夫です。さっきの試合の疲れが出てしまっただけですから」

 

 そうだ。

 ()()()()()()()()()()()()()のは、当たり前のことだ。

 

「……とにかく、トウマさんの過去がどうであれ、力になれるときは力になりますよ、それが友達ですから」

 

 そう答えると、その子の表情は解れて安堵の色を浮かべた。

 それから少しの間その子と話を交わしてから、僕は寮の自室に戻ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20便後:激突

 戦いの約束が果たされるのは、案外早かった。

 本戦2回戦が終わり、週明けには3回戦のカードの抽選があった。そこで、僕とトウマさんは早速にももう相見えることになったのだ。

 

 開始位置に立つ白黒の少女を正面から見据える。

 トウマ。昨年度ベスト4。ウェポンは1対の錨と巻き上げて長さを調節しうる錨鎖。

 今まで何度もお互いの調整と言って模擬戦闘に付き合い、そして付き合わさせてもらった相手だ。お互いある程度の手の内は知っているし、知られている。

 だからこそ、双方とも今までの戦法は通用しないだろうし、させるつもりもまたない。

 

 だからこそ。僕達は、まだ見せていない手の内を使うか、あるいは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 相手を痺れさせる《鬢長(アルバコア)雷撃(サンダーボルト)》を、相手の動きを阻害する《桜銀河》をいかに出させずに炸裂させてゆくか。それが重要になってくる。そのためには《サタイペ》は、《目鉢(ビッグアイ)炎壁(ファイアウォール)》は。考えるべきことはたくさんあるのだ。

 正直な話、このルールでの経験、そしてそれを前提とした戦闘センスから何までこっちが劣っているというのは最初からわかりきっている。でも負けるつもりは無い。決して。

 

「シエロ。負けないからね」

「こっちこそ」

 

 もっとも、僕の最大の目的は勝つことじゃない。だからこそこの戦いを楽しんで、真正面からぶつかり合わなきゃいけないんだ。

 

『はじめ』

「《ハイブリッド・アクセラレーション》!」

 

 立会人の声が聞こえるのとほぼ同時に、僕は勢いよく飛び出した。

 トウマさんの時間稼ぎは《目鉢炎壁》で行うことはわかりきっている。だから、それが展開される前に先制攻撃で片付けてしまえばいい。

 そんな甘い考えは、トウマさんの錨鎖により受け止められる。

 

「そうは、させないよ。《腰長(ロングテール)薙払(スイングモウ)》」

「さすがだね、でも! 《ポロペ》……いや、《ファマルフト》」

 

 逆転機を扱って、トウマさんの攻撃の範囲外に出ながら次のスキルを発動する。水が回転する錨を受け止めて勢いを失わせ、そして飛沫が飛んだ。

 固体に固体をぶつけるよりは、流体で受け止めたほうが確実に勢いを殺すことができる。変形や流れを生み出すのにだってエネルギーを使うし、生み出される複雑な流れはエネルギーを吸収するから。

 そして、この液体を挟むと言うのは、おそらくトウマさんの他のスキルに対しても有効に機能するはずだ。電撃だってすぐ下の地面に接地して届かないし、炎だって消してしまうのだから。

 

 だけど。

 こう安直に考えた時の僕は、スキルありきで考えていて頭からすっかりと抜け落ちてしまっていた。トウマさんの持つウェポンが()であるということを。そしてそれがそもそも本来どういう目的で用いられる道具なのかということを。

 

「このくらいな、ら……! 《テカケウマツマヌオールマシ2》!」

 

 それほど多くもない水。複雑な流れの水。だけどトウマさんはその上に乗っかってはしってくる。

 そうだった。錨は、もともと船の道具。つまりトウマさんは!

 

()()()()()()()()()()()()()()、ってことですか」

「当たりだよ!」

「だったら、《クンネナイ》っ!」

 

 襲いかかるトウマさんを跳び超えて、上からの攻撃を試みる。今ならば《鬢長雷撃》の準備はされていないから、撃ち墜とされることもない。

 ――だから。

 

「――上から《アルクトゥルス》!」

 

 雄牛型の衝撃波をトウマさんの方へと飛ばす。それと同時に《ファマルフト》で出した水を消して、トウマさんを座礁させて動きを一時的に止める。

 体勢を崩しながらも下の地面に着地するトウマさん。もう回避行動を取ることはできやしないだろう。

 こうなれば、彼女のできることはおそらく、1つ。

 

「水がっ! じゃあここで、《(ブルーフィン)衝撃(インパクト)》ッ!」

 

 ……そう、迎撃だ。《黒衝撃》と《アルクトゥルス》がぶつかって、まるでこの競技場が壊れてしまうかのようなほど大きな音が競技場に響いた。

 

 この時を、待っていたんだ。大きな力、それもスキルとスキルの正面衝突。そこにスキル特有の超次元からの力が加わって、空間に歪みが発生するのか、それともしないのか。

 僕は翻りながら着地し、その衝突地点を見つめた。すでに三次元的には力が散逸し始め、その下の地面からは砂煙が舞い上がっている。それに阻まれて、その向こうのトウマさんの様子は見えなかった。

 

 バリバリという轟音は10秒強ほど響き続け、光を伴わない技同士の衝突の筈なのに、砂煙の向こうから光を感じる。そしてその後――

 

 ――急に、競技場は静かになった。

 砂煙が晴れる。その時。

 

「今だっ! 《鬢長雷撃》」

 

 雷が、僕を襲った。シールドをあっという間に削り、トレイニングが解ける。

 気がついたときにはもう遅かった。続くトウマさんの攻撃によって、僕はエリア外へと弾き飛ばされていた。

 

『決まったぁ! そこまで、短くて長い激闘を制したのはトウマ選手だ!』

 

 試合中は気を散らさないようにエリア内へは控えられていた立会人のアナウンスが、僕の耳にも響いた。

 

 ★

 

 シャドウイメージは、その様子を中継映像で見ていた。だがしかし。

 

「うーん、流石にこうも周りを巻き込んでいると何が発生しているかはわからないねぇ」

 

 スピーカーからの音は割れ、中継側の判断で一旦ミュートとなる。その半ば放送事故のような状態が少しだけ続いて、そして砂煙が晴れたとき。

 

 シャイは発見した。おそらく衝突地点であったところに浮かぶ()()()()()()()()()を。

 それは数秒もしないうちにおさまり、その向こうは今やまっすぐと地面を映している。だが、巻き戻してコマ送りをすれば、その異常が発生していたことは明らかであるように彼女には見えた。

 

「……あの先に、シエロ君のいた場所が、超次元の高度な知識が。もうすぐだ、もうすぐそこに手が届きそうだよ。あーっはっはっはっは」

 

 シャイは一人っきりの自らのゼミ室でそう高笑いをした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20D:忍耐の階段

「《イシカリサンダー》! これで、決まれぇっ!」

 

 柱を守る赤いシールドが割れて、その柱の側面の穴がついに顔を出した。

 だがしかし、数十秒ほど経つと新たなるシールドが張られ、その穴は塞がってしまう。

 

「……またか。これで何度目だ」

「落ち着いて。入口が露出している時間は確実に伸びている。だから、《バレットパレット》!」

「協力するよ、《Watet Scoop》」

 

 シンカライジングルナとFlying Foxが追加で攻撃を加えてできたてのシールドを破壊し、また穴が顔を出す。

 だがしかし、それがまた新しいシールドにより塞がれることは誰の目にも明らかだった。

 

「……どうする?」

「どうするも何も、入るしかねぇだろ」

 

 柱に開いている穴は通れないことはないもののかなり小さく、直径はおよそ0.5m程度しかない。そこを通過中にもし追加でシールドが張られてしまったら? 匍匐前進でそれを抜けるのには少し怪しいそれを考えると、穴はあってもむやみに進入する判断を下すことはできなかった。

 とはいえここで引き返すこともまた考えがたいことだった。ようやく見つけられたその道を諦めるという選択肢は、少なくとも今の彼らにはないのだ。

 もう一度張られたシールドを割ったとき、何かを思いついたフォックスがすぐさま動いた。

 

「あの穴の向こうに、我々の望むものがある。それが何なのかを明らかに探り出すというのが、このダンジョンに潜るアタシ達の目的だよ!」

「フォックス支局長、何を!?」

 

 鞭が飛び、その先が穴の中へと入った。そしてフォックスがそれを引っ張ると、それはピンと張られた形になった。

 フォックスの意図はこうだ。この鞭に沿って滑って行けば、その進行方向と垂直な断面積が小さいままで速度を出すことができる。そうすれば小さな穴であっても通過できる、というものだ。

 

「これにぶら下がって行きな。資材運びのロープウェイめいてね」

「分かった、先ず俺が行こう」

 

 そう言って成岩富貴が手と足の先の車輪を滑車のように鞭にのせて、穴の向こうへと滑ってゆく。そして同じようにしてライルと仲木戸俊成がそれに続く。だがしかし、その後彼らに続くものはいなかった。

 

「アンタらも知りたいんじゃなかったのかい」

「だけど支局長……」

「そうかい。カイロスの髪型を知らないとは言わせない。そういう判断をしたんだよ」

 

 フォックスは彼らの方を振り返ることすらせずに足の車輪を鞭に絡ませ、巻き取るように穴へと滑り込んだ。そして彼女が通過し終えるのとほとんど同時に、その穴はシールドで塞がれてしまったのだった。

 

 その柱の中では、成岩らは突入してくるフォックスと、その後ろで穴にシールドが張られるのを見張っていた。少しすると新たに張られたシールドが淡く光って、そこに攻撃が加えられている様子がわかる。にも関わらず、フォックスは後続を待つつもりは全くないようだった。

 

「意気地なしは確実にたどり着けども最速でたどり着くことはない。外の奴らは置いてくよ」

 

 フォックスは、外に残る者はシールドを割ることはできても中に入ることができるようになるのはとうぶん先だろうと見込んでいた。その言葉を証明するかのように、つぎにシールドが割られたときにも誰も入ってくることなく、追加のシールドが張られてしまう。

 それがさらにもう一度だけ繰り返されたのを見て、残りの3名も諦めたようにフォックスに賛同したのだった。

 

「そうだな、先に進もうか。と言っても階段は上にも下にも続いているが……」

 

 仲木戸は一応そう聞いてはいるが、彼の中には確信があった。いや、彼だけではない。4名全員が、直感的に正しい方向を感じ取ったのだ。

 

「全員、判るって顔してるな? 上か下か、一斉に指差して確認しようじゃないか」

 

 全員の指が、同じ方向を指した。

 後続のためにライルが自分たちの進んだ方向を示す書き置きを残してから、4名はその方向へと進み始めた。

 

 無限に続くかのような長い長い螺旋階段は方向感覚を失わせ、もはやそれを何週まわって、そしていくつ分の階層を跨いだのかすらも把握は難しくなるほどだ。途中から騙し絵のように実は昇ってすらおらず、同じ場所にとどまり続けているのではないかと錯覚させられるほどだ。

 疑心暗鬼になった仲木戸は、階段を100段進むたびに印を残しはじめた。だが進んでもその印を見かけることはなく、逆に一旦引き返せば印を発見できる。それはその階段が騙し絵などではなく本当に続いていて、そして彼らがそこを確実に進んでいることを示していた。

 

「どこまで続くんだ、この階段は」

「あの安全階層から地上まで、最速で駆け抜けた記録ですら1週間だよ。柱の中だから横移動がなくただ昇り続けるだけって言ってもね……」

「……そりゃ、そうか」

 

 だが、それもやがて終わりを迎える。

 数回の休憩を経て、丸一日以上。外からの光のない柱の中、狂いに狂った体内時計ではどれだけの時が過ぎたかはもはや誰もわからなくなったころ。

 

 彼らの前に、1枚の扉が姿をあらわした。

 

 すると仲木戸は奇声をあげながら徐ろに荷物を解き、何かを探し始めた。そして荷物の中から1冊の本を取り出すと、高速でページをめくり始めた。

 

「もしかして、心当たりがあるの?」

「なかったら探さん!」

 

 そして仲木戸は、ページをめくるのをやめた。そのページには、扉にあるものとまったく同じ紋章が印されていたのだった。

 

「本当にあったんだ、この『忍耐の紋章』が!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21レ前:ナリタスカイと超次元

 超次元へと消えていったトレイナーの捜索活動は、急展開を迎えていた。二次遭難で行方不明となったと推定された10名が自力で帰還したのだ。

 

「わかってる。使えることが不思議な事くらい。でも、その力を使うしかない。皆を探すには」

 

 その帰還した者のうちの1トレイナーである佐倉空は、ヒアリングにはっきりとした眼と口調でそう答えた。どうしてその領域から出ることができたのか、そしてこの次元から今も外に出ることができるのかを。

 都立武蔵国分寺公園の『無』の喪失と共に、JRNは超次元へのアクセス手段を失った。ゆえに佐倉らの得たこの力だけが頼りとなってしまったのである。

 

 だがしかし、その能力の獲得は喜ばしいことではあるが、それ以上に恐ろしいことでもあった。何せ証言によれば彼らがその力を獲得したのは――。

 

「スタァインザラブによるもの、ね……」

 

 状況を整理するとこうだ。『無』のこちら側でエンゲヰジリングとのやり取りがある間、むこう側ではスタァインザラブとのそれがあった。その結果として、『無』は両側から閉じられて、かわりに佐倉らが超次元へのアクセスの術を得た。

 ヒアリング中のナリタスカイは頭を抱えた。スタァの目的は何で、なぜそのようなことをするのか――それがいまいち掴めなかったからだ。スタァの発した『誤った秩序は、あるべき秩序に作り直す必要がある』との言葉。誤った秩序とは? あるべき秩序とは? そして、その『誤った秩序を生み出してしまった』とは? すべてが分からなかったが、その一方で彼女が一貫した目的意識を持って活動しているということだけは読み取ることができた。

 

「彼女はいったい、何がしたいのかしら」

「必ずしも、敵対を望んではいない。そう言ってた」

「その言葉には嘘がなさそうなのよね……」

 

 だが、スタァの言葉が真実であろうと嘘であろうとJRNの為すべきことは変わらない。そしてそれを成し遂げるためには、スタァによってもたらされた力を使わざるを得ないのである。

 

「スタァインザラブは超次元を使ってる。活動できてる。あそこにいたことからも、間違いない」

「だからと言ってそれは貴女が活動できる理由にはならないわよ?」

「かもしれない。でも、そうするしかない。そうしなきゃいけない」

 

 佐倉の意志は揺るがない。超次元への探訪を既に行っていた彼女にとって、最早超次元は完全なる未知の恐怖の対象ではなくなっているのも、その気持ちを後押ししているのだ。

 

「……貴女ですらそうなら、他の9名もきっとそうなのよね」

「ごめん、ナリタお姉様」

「いいのよ。私達JRNに残る者は、私達の仕事をするわ。だけどこれだけは約束して」

 

 ――必ず、帰ってきてほしい。

 そう伝えて肩に手をおいたナリタの目を見て、佐倉はしっかりと頷いたのだった。

 

 ★

 

「すまんな、エアウェイズ。お前にばっか負担をかけることになって。本当は俺が自分でやれればいいんだがな」

 

 ナリタスカイは彼らの実験スペースに弟のナリタエアウェイズを呼び出すと、まず到着した彼に兄としてそう謝罪した。スカイが彼を呼んだのは、彼がどこでもないゾーンでスタァと謙遜し、そして自由に超次元をわたる術を身につけたからだった。

 その術こそ、スカイら超次元専攻の者たちが普遍的に得られればもっとも嬉しいもの。それを意図しない形とはいえ確立したN.A.W.のその術を、スカイは解析したかったのだ。

 

「なぁに、スカイ兄さんが俺に頼んでくれたおかげでこれから新しい世界……『次元』って呼んでるんだっけ、それを見られるんだ。それが新しい歌のタネになる。その先には、俺の知らない音楽だってあるかもしれない。俺だってそれを聞きたい」

「はは、お前は本当に歌が好きだな」

「そのために必要なデータ取りならいくらでも手伝うさ」

 

 そう言いながら、N.A.W.はスカイの用意したモニタリング装置を装着した。彼が先日突然得た力を用いて超次元と行き来を行うことで、その手段の解析を行い、その技術を一般的なものにする――それがスカイのねらいなのだ。

 そして、そのセンサ類が正しく機能していることを確認すると、N.A.W.は次元の壁を容易く抜けて超次元へと飛び出した。部屋に独り残されたスカイは、モニタリング装置からリアルタイムでデータを得られているのを確認してニヤリと笑みを浮かべた。

 

 そして、10数秒の後。

 送られてくるデータの一部がもう一度だけピコンと動くと、どこからともなく静かにN.A.W.がこの次元へと戻ってくる。

 

「おかえり」

「ただいま、いいデータは取れた?」

「バッチリさ。そっちこそ疲労感とか、だるさとかはないか?」

「まったく」

 

 その言葉を証明するように、N.A.W.はその場でぴょいっと飛び跳ねた。彼にとって超次元への移動はもはや、少しだけ集中力こそ要求されはするものの、障害物競走でハードルを超えるかのごとくコツさえ掴めば難しいものではないのだ。

 

「分かった。念のためあと数回頼んでも?」

「OK」

 

 再びN.A.W.はこの次元の外に出た。そのデータはスカイのパソコンに蓄積され、機械学習により導かれたその特徴ある変位の要因分析は、回数を重ねる毎に精度を増してゆく。それが使い物になる程度まで固まるまで、彼らはデータの採取を継続したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21D:柱の主、Perseverance

 仲木戸俊成がその扉を恐る恐る開けると、その奥から何やら手を叩く音が聞こえてきた。

 

「いらっしゃい、よく来たね」

 

 突然かけられる声。その声に驚いて、仲木戸は開きかけた扉を一度閉じた。

 

「……どう思う?」

「絶対怪しいでしょ」

「だよなあ……」

 

 シンカライジングルナの言葉にその場の全員が賛同した。そもそも、誰も入ることができなかった柱の中をを長時間昇り続けて辿り着いた場所に既に先客がいる……だなんてことは、どう考えても怪しい。

 

「考えられるとしたら……この柱はダンジョンの外に繋がっていたのか?」

「支局長、それって?」

 

 Flying Foxの仮説はこうだ。彼女らの知るこの『柱』のダンジョンには、前から知られている入り口の他にもう1つの入口があって、それがこの螺旋階段である、と。

 しかしその論理には問題があった。仮にそのようなものがあったとして、その先に誰か来ているならば、冒協からそのダンジョンの内部の支局長であるフォックスに話が全く来ていないのはおかしいのである。

 

「いいや、違うね。聞かなかったことにしておくれ」

 

 フォックスは自分で出した解釈を棄却した。そうすると、答えは自ずから決まってくる。先ほどの者は……。

 

 ガチャリ。

 

 扉の前で頭を抱える4名が手を触れていないのに、扉が開く音がする。そちらへと皆が目線を向けると、そこでは先ほどの声の主が向こう側から扉を開けてこちらを覗き込んでいた。

 

「入りなよ。落ち着ける場所もあるからさ」

「……ならばこのFlying Foxに教えてほしい。ここはどこで、貴方は何者なんだい?」

 

 フォックスは他の3名の前に出てそう問う。

 するとその者は「ちょっと待ってね」とだけ言って一旦扉を開放して固定してから、改めて4名の前に立った。

 

「名乗るのが遅れたね。僕はPerseverance、気軽にパーシーとでも呼んでほしいな。そしてここは、僕の秘密基地さ」

 

 そう言いながらPerseveranceは右手を胸に当て、頭を下げた。

 それでも、4名のうち3名は警戒を緩めない。

 

「Perseverance……?」

「聞き覚えのない名前だな」

「それに秘密基地とは?」

 

 そう、パーシーの言葉を反芻して、お互いにお互いの認識を確認する。だが最後の1人、成岩富貴はずっと考え込むような仕草をしていた。

 

「どうした成岩?」

「俺はその名前を知っている。だが……」

 

 成岩は、目の前にいるパーシーが彼の知るPerseveranceかどうかの確信は持てなかった。そして恐る恐る彼の知るPerseveranceが知っているであろう名前を挙げた。

 

「Noveltyという名前に聞き覚えは?」

 

 3名はその名前には聞き覚えがなかった。成岩はこの次元においてそれぞれの派閥が単に色で呼ばれていることから、ここで五元神の名は通用しないのだと認識をしていたが、それはその通りだったのだ。

 しかしもちろんパーシーは違う。その名前を知っている。そして、それを知っている成岩に興味を持った。

 

「そこの彼は僕が何者か知っているみたいだね」

「だからこそあの多層構造のシールドを展開できた」

「御名答。ささ、僕の正体も分かったことだし、中に入りなよ。話は中でするからさ」

 

 くるりと回って部屋の中へと戻るパーシー。成岩はそれに躊躇せずついていった。

 

「待てよ、1人で納得すんなって」

「すぐにわかる。それよりも、支局長達も早く中へ。彼の機嫌を損なうのが一番危険だ」

 

 成岩が真剣な表情と口調で発したその言葉に、3名もしぶしぶ中へと歩みを進めた。

 部屋の中はあの無機質な螺旋階段から続いていたとは思えないほどに普通な――と言うにはいささか豪勢であったが――風景が広がっている。ただ異質なのは、その部屋には扉はあっても窓が一切設けられていないということくらいだ。だがそれも、地下室と考えればそれほど不思議な要素でもなかった。

 そしてパーシーは、4名をソファーにかけさせて、そして紅茶を配ってから改めて話を続けたのだった。

 

「分からないことも多いだろうからね。1つずつ、質問を受け付けるよ」

「先ほどこの『柱』の周りのシールドを張ったのを肯定していたけど、このダンジョンを作ったのも貴方なのかい?」

 

 フォックスがまずそう聞いた。パーシーはにこやかに紅茶を一口だけ口に含んでからそれに肯定した。お互いに表面上の笑顔を崩さぬまま。

 

「みんながここに潜って先へ先へと進もうとしていく中で生まれるドラマを楽しみながら見させてもらってたよ」

 

 ……流石にこの言葉にはフォックスの顔も多少引きつったが。

 その次にライルがダンジョンを作った理由を尋ねると、パーシーはここに誰かが来るのをずっと待っていたのだと答えた。答えになってはいないような気もするが、ライルはそれを試練か何かなのだと理解した。

 そして、その次に質問権を行使したのは成岩だった。

 

「俺は別の次元で戦っていて、気がついたらこの次元にいた。それに貴方は関わっているか?」

「……流石に別の次元のことは分からないね。だけど」

 

 パーシーの記憶の中には、先日の会合があった。そしてそこで発された言葉の意味を理解した。

 

「この前にロペが次元を越える力を探求させるほど大きなことをしてたらしいけどね。あっ、ロペってのはCyclo……」

「Cycloped」

「そう、やっぱり僕達のことを知ってるんだ。君だけ持ってる知識が違うことを鑑みるに、君が外から来たのは本当みたいだね」

 

 そして最後に、仲木戸の質問権が残った。

 仲木戸は――彼がここを目指すようになったその理由について尋ねた。するとパーシーは少しだけ考えてから、こう言い放ったのだった。

 

「その噂の事は僕は知らないよ。でも、そうすることはできる。ロペがそういうことをしでかしたんだから、僕にだってそれをやる権利があるからね。さて、貴方達はそれを望むのかい?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21レ後:貢献

「それで、また君は無茶をしたのかい。今年に入って何度目だい?」

「してねえよ。これが無茶だってんなら何1つ為せなくなっちまうだろーが」

 

 超次元より帰還した綾部綾は、友人である程久保是政に身体機能に異常がないかの調査を手伝ってもらっていた。

 

「何が起こるかわからないと言う面では無茶だよ! ……まぁ、今回は特には異常はなさそうだけれど。だいぶ君の身体も莫迦になってるんじゃないのか? 君の頭みたいにね」

「何だと!? どういう意味だおい」

 

 軽くポカリと殴りかかる綾部を、程久保は軽く受け止めて冗談だよと答えた。

 程久保の調査の結果、綾部の身体には異常は見当たらず、おおよそ健康な20代の男性の身体そのものである事は分かった。そもそも、ラッチという超次元技術を常用しているトレイナーが超次元の移動をおこなったとて、ただちに健康に害を及ぼす訳がないのだ。

 それを確認すると、綾部は立ち上がった。

 

「行くのかい?」

「じっとしてちゃいられないだろ」

 

 苛立つように、そう答える綾部。その後ろには、彼ならではの焦りと恐怖があった。それは話をしている程久保にも伝わるほどのものだった。

 

「……そうだね。この程久保もなにかの力に立てればいいかとおもっていたけれど、どうやら力不足のようだ」

「お前の分まで俺ちゃんは頑張るからよ。お前はここで待っていてくれよ。もしかしたら俺ちゃん達が探しに出てる間に、山根や名松達が帰ってくるかもしれねーだろ?」

「……そうだね」

 

 苦い表情で、程久保は綾部を見送った。そしてしばらくしてから、彼はごつんと自らの机を叩いた。

 悔しかった。許せなかった。親友が行方不明になったというのに、何一つとして動くことができていない自分が。

 そして程久保がもう一度机を叩こうと手を振り上げたとき。

 

 その手を、そっと受け止めた者がいた。

 

「やめな」

「……ビエント」

 

 程久保は、くるりと振り返るとじっと声の主、ゴータデルビエントの目を見つめた。

 

「物にあたっても仕方がない。それに、是政らしくもない」

「この程久保だって、そうしたくなる時もあるさ。今みたいにね」

 

 そしてその手を振り払ってから優しく降ろすと、今度は体ごとビエントの方に向けた。

 

「……君は悔しくないのかい?」

「何が」

「君だって、チッキを渡した相手が超次元の彼方へ消えていったんだろう? それなのに、このJRNにとどまって、何一つとしてその捜索に関われていないことが」

 

 わなわなと、震える声で程久保はそう尋ねた。しかし対称的に、ビエントは終始落ち着いていて、芯の通った声ではっきりとそれに答えたのだった。

 

「吾は一志を信じている。信じているからこそ、チッキを渡したのだ。だからこうはっきりと言える。吾が動こうが動くまいが一志は帰ってくると」

「でも、それって」

「吾は戦闘向きでない。探索向きでもない。ならば吾が捜索メンバーに加わったとして、足を引っ張るだけだ。そしてそれは是政、君もだ。違うか?」

 

 程久保は声を出せなかった。図星だったからだ。そしてゆっくりと首を縦に振ってから声を絞り出した。

 

「違わない。この程久保は、無能だ」

「無能ではないだろう? それに先ほども捜索メンバーの役に立っていたではないか」

 

 ビエントはこう続けた。何も現場に出ることだけがその捜索に関わることではないと。後方で支援を行うことも、立派な貢献の一形態なのだと。

 そして、程久保は既にその役割を果たしているのだとも。

 

「あんな程度、貢献なんかじゃない」

「是政。君は彼……綾部と言ったかな。彼の相談をどの程度の頻度で受けている?」

「およそ1週間に3回程度だね」

 

 ビエントは驚いた。その頻度が彼女の想定していたものよりも3倍ほど多かったからだ。だが程久保は、それでも親友としては少ないくらいだと述べている。

 

「充分だ」

「何が! 山根達がいなくなって1ヶ月強、この程久保がその真実を知ってから4週間! たった10回強だけ綾部に会って話を聞いたりしていたところで、それが見つかることにどう繋がるっていうのかい?」

 

 程久保はその間、常に焦りと罪悪感に苛まれていた。それは彼の心を確実に蝕み、いまや即席ラーメンの麺のようにスカスカな状態にまで陥ってしまっているのだ。

 そんな程久保を奮い立たせるように、ビエントは強い言葉を投げかける。

 

「繋がっている。現に綾部は、是政がここにいるからこそ多少無茶をしてでも見つけることを優先しようとしているのではないのか!」

 

 その言葉に、程久保ははっとした。そしてその自分の見識の狭さと、綾部に対する理解のなさを自覚させられて、涙を流したのだった。

 

「あ、あぁ……。綾部ぇ、どうして君はそんなに莫迦で、大莫迦者なんだい? そしてこの程久保は!」

 

 程久保は自分が急に情けなくなった。綾部が不器用で、そして実は思慮深くて仲間想いなことを知っておきながら、その真意に気づかずにいた自分が。

 ポカポカと自分の頭を叩いてから脱力して倒れ込む程久保。そんな彼を、ビエントはその胸で優しく受け止めた。

 

「ビエント……」

「是政。もう、君のすべき事は分かっただろう?」

 

 ビエントは程久保の頭を包むように、その後頭部に両手を回しながらそう問いかけた。泣き崩れる彼からその答えは戻ってはこなかったが、彼はその答えを理解していた。

 そしてビエントもまた、程久保がその答えを理解していることを確信していたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22便前:アプローチ

「負けました。完敗です」

「そんなことないよ、シエロだって強かったわよ?」

 

 その日の夜。僕達は寮の共用スペースでお互いの健闘を称え合っていた。普段はあんまり寮の中でも目立つことのない僕達だけれど、さすがに試合でぶつかったその当日ともなれば自然と注目を集める程にはなり、周りには軽く人だかりができている。

 

「2人共強かったぜ? フィールド整備がギリギリになるほどだったなんてよ」

「そうそう! あの大激突のときなんかどっちが勝つんだろうってハラハラしちゃった!」

「うん、みんなありがとね。次も頑張るから、応援してくれたら嬉しいなって」

 

 会長さんは言っていた。この時だけは、トウマさんは人気者になれるのだと。だけどこの競技会が終わったら? また、残酷にも彼女は見向きもされなくなってしまうだろう。それでも応援してくれる生徒のためにも――もちろん自分自身のためというのが1番だけれど――、トウマさんは頑張るのだ。

 

「それで、シエロはどうするの?」

「どうするも何も、僕の競技会はこれでおしまい。僕は僕のやるべきことに戻りますよ」

 

 と言っても、そのほとんどはもう達成されたようなものだ。なぜならトウマさんと全力でぶつかれば空間の褶曲が発生することがわかったから。だから最後の詰めとしてシャイ先生のゼミで小規模なものを起こして性質を追っていく、それだけだ。

 ……まぁ、だけと言ったところでこれこそどれだけ時間がかかるのかはわからないのだけれども。

 

 そして、もう1つ。

 これは、僕の独りよがりな恩返しだ。

 

 ★

 

「シエロエステヤード君は負けてしまったよ」

「ええ、既にうかがっております。下手に勝ち上がってしまい、学園外からの注目を集める――これはもとから望ましい形ではありません」

 

 夜も静まり、建物の明かりのついている部屋もいよいよ少なくなってきた頃。シャドウイメージの準備室を訪れたシンカフラッシュは、そこでこの報告をうけた。

 フラッシュからすれば、いつ学園どころかこの世界を去るかすら分からないシエロエステヤードが有力な結果を残してしまうことは決して好ましいものではなかった。しかし学園の知らない技術を持つシエロが、学園のルールにおいてどれだけの実績を残しうるのかは興味深い事案ではあったため、競技会を注視していたのである。

 

「ねぇフラッシュ。あなたの目には彼はどう映った」

「率直に申し上げますと、彼の持っている背景知識はどうもエリアアウトを前提としていないのではないかという懸念がございました。ですが……」

 

 蓋を開けてみれば、エリアアウトを勝ち筋として勝ち星を重ね、負けた相手も有力者たるトウマである。それはフラッシュの関心をさらに高める材料になるには充分だった。

 それを聞くと、シャイは薄っすらと笑みを浮かべてフラッシュに話を持ちかける。

 

「やっぱりそうなんだね。じゃあさフラッシュ。ここにその今日の試合での観測データがあるのだが……」

「どのような、観測データですか」

「驚かないでよ?」

 

 そしてパソコンを操作し、そのデータを呼び出すと、それを確認したフラッシュを隠しきれないほどに興奮させたのだった。

 

 ★

 

 翌日。僕は学園の南側、府中寄りにある容積率の都合で空き地となっている区画を訪れていた。敷地を拡張したところで既存区画の増築に容積をとられてしまって建物のないこの一帯は人通りも少なく、静かな寂しい空間が広がっている。

 そして、ここは前に会長さんから聞いていた、トウマさんの好むトレーニングスポットでもある。だからこそここで待ち伏せをしているというわけだ。

 

 少しの間待っていると、トウマさんは1人でこの場所にやってきた。そして僕を見つけると、意外にも彼女は僕に駆け寄ってきて、開口一番にこう尋ねてきた。

 

「どうして、シエロがここにいるのよ」

 

 もちろん、この質問が出てくることは想定済みだ。だからこそ、ぼくは落ち着いてそよ質問に答えた。

 

「僕がトウマさんに負けたからです」

「……どゆこと?」

 

 目を細めて、首を傾げるトウマさん。いまいち僕の言葉の意図を読みあぐねている様子だった。

 そこで僕は建前の方をしっかり話した。僕は敗れてしまったが、負けてしまったからにはトウマさんには勝ちを重ねてできる限り上の結果までのぼりつめてほしい。そう考えるのは自然なことだと。

 

「それに、この前も言った通り、前から僕は君の力になりたいと思ってます」

「……でもさ、シエロは私より弱いじゃない」

「たまたまですよ?」

 

 確かに現状は調整のための模擬戦でも若干負け越しているけれど、流石にほぼほぼ互角の戦いはできていると思う。そもそも昨日のも視界不良の中での最後の一撃が重くてエリアアウトしたのが敗因だし。

 

「確かにトウマさんは僕より強いところもあります。でも、弱いところもありますよね?」

「それはそうだけど……でも、やっぱダメ。シエロに頼っちゃ」

「あっ、ちょっと待っ……だめかぁ」

 

 そう強張った顔で言うと、またあの時のようにトウマさんは走って何処かへ行ってしまった。

 ……ダメじゃないか。これじゃあの時と同じだ。僕も成長していないし、何よりこうやって物理的に逃げてばっかりじゃトウマさんのためにならない。

 

 もうちょっと、アプローチの方法も考えないとなぁ。そう思いながら、僕は北の方へと戻るのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22便後:観察眼

「おっ、目を覚ましたか」

 

 クモエコロは、ベッドから出てきた生徒にそう声をかけた。

 競技会のシーズンともなれば、勝者にせよ敗者にせよその衝突により負傷したり、あるいは力を使い果たして倒れてしまう生徒はどうしても普段よりは多くなる。そうなると保健室の養護教諭たるクモエコロのもとには多くの生徒が集まることになるのだ。

 

「だいぶ楽になったよ、すまなかったね」

「何、それが僕の仕事だよ。そもそも君だって生徒の1人なんだからここを使う権利はあるさ、シンカリムドルナ君」

 

 身体を起こしてそう言葉を交わすのは、生徒会長たるシンカリムドルナだった。

 

「まあ、申し訳ないと思うんだったら、適度に休息をとることを覚えておいてほしいね」

「……本当に、すまないね。でもこちらにも休む訳にはいかない理由があってね」

 

 その言葉を聞いたクモエコロは、すぐさまベッドに駆けつけてリドルを寝かせた。しかし彼女は不満げな顔をしながら抗議の声をあげる。

 

「私はもう大丈夫だが……」

「ダメだね、まだ休みなさい。声色だって本調子じゃないよ?」

「……だが」

 

 そう言い返そうとするリドルを見て、クモエコロは溜め息を吐いた。

 

「タスクが溜まっていて、それで昨日は競技会にも出場して。一応聞くけど、最後に6時間以上寝たのはいつだい?」

「……一昨日だ」

「嘘だね」

 

 その場しのぎの嘘は、すぐに見破られた。そして嘘をついたということ自体が、その裏に話したくない真実があることを裏付けてしまっているのだ。

 クモエコロはまっすぐと目を覗き込んだ。目を逸らすリドル。その先へと顔を動かすクモエコロ。その無言の小さな追いかけっこはしばらく続いた。そして少ししてから観念したようにリドルは答えた。

 

「……正月休みだ」

 

 その答えにもう2月だぞと呆れるクモエコロ。そもそも本来は生徒会長とてそれほどハードワークを要求される役職ではない。だがリドルはお節介からか自分で仕事を増やしてしまい、そして自らを追い詰めてしまっていたのだ。

 

「ディザイアまで担架を転がそうか」

 

 リドルはすぐにも休息をとる必要がある。それがクモエコロの見解だ。しかしリドルはこの期に及んでそれをよしとしなかった。

 

「必要ない。歩けるからね」

「生徒会室に行くつもりじゃないだろうね?」

 

 答えることなく、沈黙する。それが肯定の意味を持っているのは誰の目から見ても明らかである。

 クモエコロはまた呆れたように溜め息をついた。

 

「図星かい? ダメだよ休まなきゃ。送るからね、ディザイアに」

 

 いくらリドルが生徒会長だとしても、彼女は所詮生徒で、そしてクモエコロは教諭なのだ。そのパワーバランスが逆転する機会は決して頻繁に発生するわけではない。ましてや、このような明らかに彼女の方に原因がある状況においてそのようなことがありうるだろうか? いや、ない。

 リドルは諦めたように呟いた。

 

「全てお見通しか」

「観察眼がなきゃこの仕事は務まらないからね」

 

 そう軽く……本当に、軽い気持ちで返したクモエコロ。だがしかし、その言葉への返しは、彼の想定の外側に出ていた。

 

「ならば……教えて頂きたいことがあるのだが」

 

 キリッと、リドルの纏う雰囲気が変わる。クモエコロは彼女の目を見た。何かをごまかそうとしているそれまでのあやふやな弱い目とは打って変わって、強く芯の通った目線が彼を指している。

 まるでその観察眼があるという言葉をひきだすのが目的だったかのような動きに、クモエコロは少し驚きつつもしっかりと対応した。

 

「なんだい、言ってごらん」

「シエロエステヤード、という生徒についてだ」

「……年末に突然()()()()()()()()()()彼で合ってたかな」

「そう、その彼だよ。先生から見て、最近の彼はどう映っている?」

 

 もちろんクモエコロは覚えていた。昨年末にトウマが連れてきた見知らぬ不思議な彼のことを。

 シエロエステヤードを名乗り学園に編入した彼も、他の生徒と同じように何度か保健室を訪れていた。だけどその度に、クモエコロの中には不思議な違和感が生まれていた。

 

「彼は……変わってしまったね」

「変わった、か。どのように?」

「編入生ならよくあることなんだけどね? 初めてここに来たとき、彼は明らかに異質な存在だったよ。でも今は、1人の生徒として自然に溶け込んでいるように僕には見えるんだ」

 

 まぁ彼の異質度合いは他の編入生よりも強かったけれどもね、とクモエコロは付け加えた。実際、シエロは初めてここに来たときにクモエコロの知らない公園の名を挙げて、そしてそこから来たと言っていたのだから。さらに彼を運んできたトウマも、空中に突然開いた穴から落ちてきたと供述していたことも考慮すれば、彼がもともとこの世界ではないところから来たという非現実的な答えがもっとも現実的な解釈になる。

 そんなシエロでさえ、今は立派な学園の一生徒なのだ。それは学園という組織がなせるものなのか、それとも彼の環境への適応性が強いのか。どちらかはクモエコロには分からなかったが、彼がここに来た頃から変質している、というのは確かなことなのは明らかだった。

 

「……そうか」

「今も生徒会で保護しているのかい?」

「保護というほどではないが、定期的に顔を合わせているよ。だが、私は取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないな」

 

 リドルはどこか遠くを眺めるような目で、そう呟いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22デ:遠い背中の君に

「ねえ。君はぼくが異世界からやって来たって言ったら、信じてくれるかい?」

「突然変なことを言うじゃんか」

 

 冬の真っ赤な夕焼けの中で飛び出た中泉良平のその言葉に、鈴鹿稲生は吹き出した。

 だけれど不思議と、鈴鹿にはその言葉が嘘だとは思えなかった。

 思い出してみれば、中泉には初めて会ったときから謎が多かった。ときどきマシンに話しかけたりするし、それで意思疎通ができると思っている。いや、違う――本当に意思疎通ができているとしか思えないように不調の原因を言い当てるし、改良点を見いだす。

 そんな不思議な彼だからこそ、鈴鹿は中泉を自らのチームに招き入れたのだった。

 

「……でも、信じるよ」

「じゃあさ、ぼくがそっちに帰らなきゃいけないとしたら?」

 

 鈴鹿は中泉の目を見た。

 真っ直ぐで、据わっていて、真摯な目だった。マシンに向き合う時のように。突拍子もないことを言っているかのようだけれど、その目は嘘を言っているようには見えなかった。

 

「その時が近づいてるのか?」

「わからない。でも、近いうちにそうなると思うんだ」

「……そっか」

 

 だからだろうか。中泉が長期契約を結びたがらなかったのは。それどころか、3ヶ月契約ですら長いと拒んだのは。

 そして鈴鹿は――ふと、気になった。中泉があんな不思議な観察眼を養うに至った世界の事が。

 

「じゃあさ、教えてもらえるか? その世界の事を」

「そうだね。君には語っておくとするよ。不思議な友達、ノリモンのいる世界の事を」

 

 そして中泉は語りだした。鈴鹿の耳には、それははじめはあまりにも嘘くさいなと感じるような、まるでフィクションのような御伽話に聞こえていた。だけれど中泉が話を進めていくうちに、その細かで実際に体験したことのあるかのような――本当に彼は実際に体験しているのだが――話しぶりに、中泉はいつの間にか聞き入ってしまっていた。

 

 中泉の話が終わりを迎える頃にはとっくに日も落ちて、彼らのいる丘は静かな真っ暗闇に包まれていた。そして鈴鹿は初めて中泉と会った時のことを思い出していた。

 あの寒い雨の夜。身なりもきちんとしていた割にはほぼ一文無しで首都高の高架下に佇み、立ったまま眠っていた中泉の姿を。

 

「それで俺が聞いたときに帰る場所がない、と」

「あの時は嘘をついた。そこは申し訳なく思ってるよ。でも……」

「まぁ、そうだろうな」

 

 正直に言えるようなたどり着きうる帰る場所は、確かにあの時の中泉には無かったのだから。仮に正直に話していたとして、当時の鈴鹿がその言葉を今のように受け入れられるとは――今も半信半疑ではあるが――思えない。それは鈴鹿自身が一番良くわかっていたことだった。

 

「今なら……少しくらいなら信じてやってもいいかな」

「……そっか。そうだよね。嘘みたいだってのはぼく自身が一番わかってる」

「でも、だ」

 

 バン! と、中泉の背中を叩く鈴鹿。驚いて振り向く中泉の目をと鈴鹿の目が合ったとき、改めて鈴鹿は言葉を紡いだ。

 

「その話が本当なら、お前は疾く走れるんだろ? 俺はそれを見てみたい」

 

 中泉は拍子抜けしたような顔で鈴鹿を見つめると、ぷっと吹き出した。

 

「おい、なんで笑うんだよ」

「ごめんごめん。でも、いいよ。走ろう。だけど今じゃない。あの子を連れてきてくれないかい?」

 

 その投げかけのあと、2人の間を静寂が通過した。そして一度瞬いた鈴鹿の目は、本気の様子を見せていた。

 

 ★

 

 その次の夜。ヘルメットを被りマシンに乗り込んだ鈴鹿は、サーキットに立つ中泉をキッと見つめた。

 

 すると中泉は、緑色の光に包まれてその姿を変え始めた。鈴鹿が瞬きをする間に、彼は普段の姿からはかけ離れた白と青の装いと機械に身を包んでいる。

 そして中泉は、鈴鹿のもとへ駆け寄った。

 

「3周でいいかい?」

「あ、あぁ。その姿は……変身?」

「ちょっと違うかな。でも、格段に力が出せるんだ。……さぁ、君の好きなタイミングででていいよ」

 

 そう言う中泉の顔には、余裕の色が見られた。

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 鈴鹿は走り出した。中泉と出会ってから、格段に調子が良くなったそのマシンで。

 確実に手応えを感じる。この力なら、もっと鮮やかな景色を見られる。その事に関しては、中泉に感謝しないとな。

 

 そう思いながらミラーをちらりと見たとき。そこには人形の何かがぴったりと鈴鹿の後ろにつけていた。

 

「嘘だろっ!? なんでこんな速さで……いや! 負けねぇ。俺は負けねぇ!」

 

 ミラーの向こうで、中泉は笑っていた。はっきりと見えた訳ではなかったが、そんな確信があった。手足のように思いのままに動くマシンを操り、全力で逃げる鈴鹿。だが、中泉はじわりじわりと並んでくる。

 その時間は永遠のように長く、一方で過ぎ去るように一瞬だった。

 

 やがて鈴鹿の顔の横に、ガラスを挟んで中泉の顔があった。そしてファイナルラップに進んだそのタイミングで。

 

 ――先に行くね。

 

 鈴鹿の耳には、そんな声が聞こえた気がした。

 そして中泉は、弾丸のように前へと飛んでいった。鈴鹿が必死に食らいついたところで、その背中を眺めることしかできない。だからこそその背中は、鈴鹿の目に強く焼き付けられた。

 そして鈴鹿がコントロールラインを駆け抜けた時もまた、その視界には変わらず中泉の背中があったのだった。

 

 その背中を、鈴鹿は引退のその時まで忘れることはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ前:特異点

 北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉、珍小島公園。

 湖を望む陸繋島の先で、ライスシャワァは湖とその真ん中にそびえる中島を見つめていた。彼女にとって馴染みはないながらも縁の深いその場所で。

 

「この場所に特異点があったというのも、果たして偶然なのでしょうか」

 

 仮に運命というものがあるのならば、この状況のことを指すのでしょう。シャワァはそう呟いて、仲間の到着を待っている。

 シャワァの心は揺れんばかりに高揚していた。これで多くの者に祝福を届けることができると。これで少しでも多くの罪を償うことができると。それは過去に大きな業を背負うべきことをしてしまった彼女にとって、1つの救いの形であった。

 

「ライスシャワー、それは祝福。新たなる命のための祝福。その名を妾に下さった理由が、今ならば少しは理解できるような気がします」

 

 一歩、また一歩。シャワァは湖面へと踏み出して、そして膝を曲げて水の上に浮かんだ。目を閉じれば、ゆらゆらとかすかに揺れる水面が彼女の身体を揺らし、その心を落ち着かせている。

 そしてシャワァは感じ取った。特異点のその場所を。目を開いて、その場所を見つめる。見つめる。それは水の下に。

 そのことを確認すると、シャワァは面舵をとって湖水上を小回りする。そして湖岸の方を見た時、砂州の上でブゥケトスが彼女を見つめていたのを認めると、そちらの方へと直行した。

 

「声をかけてくださればよかったのではありません?」

「ごめん。何かしていたようにも見えたからね」

 

 そう言いながらブゥケはにへへと笑った。

 

 ――ブゥケも、笑うことが増えましたね。

 

 シャワァはふとそう思った。スタァインザラブが初めて連れてきた十数年前のブゥケは、ずっと暗い顔をしていた。自らの感情を押し殺し、常に何かにおびえるような感じで震えていた。こんな子が本当に力になるのかと心配になるほどに。

 ブゥケだけではない。その数年後のジュゥンブライドもそうだった。それが今や、ふたりとも自然な形で笑みを浮かべているし、実力だって見ていて申し分ないと言えるほどに育っていた。

 シャワァの表情もいつの間にやらほぐれて、そして無意識に口角も上がり穏やかな笑みを浮かべている。

 

「何笑ってるの」

「……あら、いつの間に。気を悪くされたならごめんなさいね」

「別にいいけどさ」

 

 そう言ってシャワァから目線をそらして、ブゥケは湖の方を見つめた。つられてシャワァもまた湖を見る。

 ゆらゆらと揺れる水面に、雪が落ちて溶けていく。

 

「もう少ししたら、みんなも来る。室蘭の港からは多分ジュンが運んでるはずだから」

「そうですか。……まもなく、全てが終わるのですね」

「終わりじゃない。これは始まり。違う?」

 

 ブゥケが笑う。シャワァもまた笑い返した。

 

「そうですね、これは始まり。祝福のシャワーを蒔くための始まり」

「祝福のブーケは、もう投げられてる。それをみんなが受け取るための準備を」

「……そして、祝福のブライダルは開かれる」

 

 ふたりがその言葉に振り向くと、そこにはもうひとり。ジュンだ。

 ジュンはその手に超次元の穴を携え、そして雪にまみれている。そしてもう片方の手で湖を指すと、シャワァにその確認をとった。

 

「本当にこの湖に特異点が?」

「妾が確認しているわ。……あとのふたりは?」

「リングなら空から、スタァ様は超次元から監視してただけだからそろそろ戻ってくるぞ」

 

 そしてジュンの言う通り、まもなくそのふたりも合流してこの洞爺湖畔にシエロエステヤードは全員が集合したのだった。

 スタァインザラブが一度ジュンから超次元の穴を受け取ると、その状態を確認してから、今度はそれをシャワァに受け渡した。

 

「特異点の場所はわかるね?」

「先程確認しました」

「じゃあ、超次元の穴をそこへ。リングは引き続き上空の警戒、ブゥケとジュンは湖畔からワッチを」

 

 いつになく真剣な声でスタァは指示を飛ばす。当然のことだ。彼女にとってこの取り組みは70年前の失敗を克服し、乗り越えて修復するための要なのだから。

 つまり、それは。ここ北海道は洞爺湖に門をつくりウェヌスとの繋がりを構築し、そしてそこからこの次元に新しい形で情報を流入させる。その門を通りこの次元に流れ込むアイテールの性質は、今までの門を通ってきたものとは変わる。アイテールの性質が変われば、そこからマナを生み出し、活用して活動するノリモンも当然影響を受ける。これらによりこの次元のルールを変えてゆくことで、クィムガンは理論上もう発生しなくなる。そうして過去の過ちを修復することこそがスタァの目的なのだ。

 

 シャワァが再び湖岸に進み、特異点へと向かう。そして湖底の特異点へと冷たい水をかき分けてたどり着くと、そこに超次元の穴を置いた。

 特異点。それはもともと次元の壁の薄いところ。そこに超次元の穴が開けば、ほかの場所では生まれないアイテールの流れがこの次元の中にも生まれるのだ。

 カチリ。シャワァはその手に何かがピタリと嵌ったかのような感覚を覚える。特異点に超次元の穴が設置され、いよいよアイテールの流れが変わりはじめた。

 それはとても小さな流れ。だけれど、水の上のスタァはそれを間違いなく感じ取って、その顔に笑みを浮かべた。

 

「さぁはじめよう、賽は投げられた」

 

 スタァは流れの変わったアイテールを追って、また超次元へと飛び出した。そしてこの小さな超次元の穴の向こう側から、その穴を門として完成させる取り組みを始めたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ中:黄金の旅路、ゴールドフェリー

 愛媛県今治市、来島海峡。

 JRNの理事長、トシマはある団体へと協力を求めるためにこの地を訪れていた。

 

 その団体の名はタイヨーアライズ、日本で――いや、世界でもっとも強いと言われている海上ノリモン自警団体である。彼らは日本国籍の、日本企業の、そして日本の船主の船の安全を守るために世界中にネットワークを構築しているのだ。

 その本部となる拠点が、ここ今治にある。

 

「ようこそお越しくださいました」

 

 出迎えた者に案内され、トシマは応接室へと通された。

 そこで待つように言われて10分ほど経った頃だろうか、ノックの音とともに1名のノリモンが入ってきた。

 黄金のような黄土色のトップスに、太陽が如く鮮やかな黄かん色のスカートを履いた、やや痩せ気味で背が高いノリモン。トシマは彼女をよく知っていた。

 

「ご無沙汰しているよ、ゴールドフェリー号」

「こちらこそですわね、トシマ号」

「いや、こう呼んだ方がいいか? ルドルフ」

 

 このゴールドフェリーがタイヨーアライズの現在の代表で、そして10年ほど前に彼女がJRNへと出向してきた際にトシマが直接教鞭をとった教え子なのだから。

 ふたりは互いに微笑みながら握手を交わしてソファに腰掛けた。

 

「先生にそう呼ばれますと、懐かしい気持ちがしますわね」

「相変わらずお元気そうで何より。早速で悪いが、本題に入らせてもらいたい」

「えぇ、そうしましょう。たしか……」

 

 ルドルフは机に備え付けられたモニターに目を通し、トシマから事前に送られていたメールを確認した。

 

「情報提供と、そして警戒のお願い……?」

「そうだ。地上での話ではあるが、昨年末に西国分寺で起きた事象は耳にしているだろう?」

「えぇ。……なるほど、わかりましたわ。それを引き起こした」

「話が早くて助かるよ。そのだな……」

 

 トシマは一度部屋の中を見回した。その意図を察したルドルフは静かに頷いて、机越しに顔をぐっとトシマの方に寄せる。

 トシマはルドルフの耳に口を近づけ、そして囁くように、しかしはっきりと告げた。

 

「スタァインザラブという者が率いるシエロエステヤードという団体だ」

「存じ上げませんわね」

 

 体勢を戻して、ルドルフはそう答える。事実JRNとは違って、タイヨーアライズの活動においてシエロエステヤードと相見える事態は過去に発生してはいなかった。もっとも、表立って活動していなかっただけで同席していたことは当然あったと考えられるが。

 

「どのような団体ですの?」

「彼女らは力により現在の秩序を変更しようとしている。それが為されれば……」

「為されれば?」

 

 ルドルフはゴクリと息を呑み、トシマの顔を見つめた。トシマはその視線を受けて、ゆっくりと口を開いた。

 

「何が起こるか、分からない」

「……とは?」

「本当に分からない。1つ確かなのは、私達ノリモンは今までのままでは決していられなくなり、その変化を受け入れざるを得なくなる。それだけだ」

 

 頭を垂れてそうトシマは打ち明ける。

 応接室を沈黙が駆け抜けた。ルドルフの目の前にあるのは、彼女の尊敬していた凛々しい恩師の姿ではなく、生まれたての子鹿のように未知の恐怖に怯える姿だった。

 ――今ならば、先生を。

 ルドルフの脳裏に、少しだけ邪な考えが過った。

 

「協力は、いたしかねます。それでは積極的な調査は出来ません。……まぁ、消極的……たとえば、偶発的に遭遇した場合にお伝えする、といった形であればお力には添えるかと」

「それで構わない。今は少しでも多くの目が必要なのだ」

「……ですが、1つだけ条件があります」

 

 トシマは首を上げ、ルドルフの目を見た。そこにあったのはかつて見た成ったばかりで右も左も分からぬノリモンの顔ではなく、タイヨーアライズの代表として成長したかつての教え子の顔だった。

 

「条件、とは」

「その前にお伺いしても宜しいでしょうか。JRNは、いつまで貴女を理事長なんかにしておくおつもりで?」

 

 トシマには、その質問の意図が分からなかった。彼女自身では流石に今のポジションに長く居座り続けるのも如何なものだろうかとは感じ、後継の育成にも努めていたが、ルドルフの問いは明らかに彼女を責めているものではない。

 そう少し困惑しているトシマに、ルドルフは言葉を付加する。

 

「貴女ほど優秀な方ならば、今の私のように調整や決断といった重荷のある仕事ではなく、もっと現場に出て解決に直接携わった方がよろしいのではなくて? それこそ、我々タイヨーアライズの先輩方のように」

 

 トシマの頭には、かつての同僚であり、今はタイヨーアライズにて世界中を駆け回り活動している親友であるソウマの顔が朧げに浮かび上がった。たしかにそれも、1つの目標となる姿だろう。だが。

 

「まだ私には、すべきことが残っている。理事長としてのな。それを投げ出す訳にはいかない」

「それは貴女を理事長に縛り付けるためのホーサーではなくって?」

 

 トシマの言葉が詰まる。キラリと、ルドルフの目が光った。

 

「まぁ、お伺いしたいのはそれだけです。閑話休題としましょう。JRNからの当該団体へのワッチの話、それをお受けする条件として、1つの条件。それは……」

 

 立ち上がりトシマの隣へと回り込んでから、小声で彼女の耳もとで囁くルドルフ。

 ゆらゆらと、ポンツーンのようにトシマの瞳が揺れた。

 

「……持ち帰らせていただきたい」

「今すぐに、とは言いませんわ。ですが、積極的なお返事はいつでもお待ちしております。その後で、かの団体についてわかったことがありましたらJRNへと直ちにお伝えしましょう」

 

 ルドルフはそう微笑みながら、未だに揺れ動くトシマを置いて応接室を出たのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23レ後:その場所はどこでもない

 もう一度、超次元に旅立つ時が来た。

 都立武蔵国分寺公園の『無』の消失から1週間。帰還した10名の調査隊のバイタルチェックや経過観察も一通り終わり、現行体制での捜索活動に問題はないという結論が下された。そして再び、超次元へと旅立つ時が来たのだ。

 超次元へのアクセスが能うのは6名。5名のノリモンはすべてが可能であるため、それぞれが同じ派閥のトレイナーを連れて飛び出して、どこでもないゾーンにて合流した。

 

 だが、しかし。

 

 そう意気込んでどこでもないゾーンへと飛び出たものの、彼らはどこでもないゾーンの広大さを知らなかった。

 彼らが進めども進めども、風景は複雑なパターンが続くばかりで、他の次元がどこにあるのかすらわからない。そもそも、どっちが上でどっちが下か、そしてどっちが右でどっちが左なのかすら。唯一つ言えたのは、彼らが感じ取ることのできるJRNのある次元の方向が後ろだということだけだった。

 

「……いや、こっちだな」

 

 ただ1人、綾部綾を除いて。

 

「でたらめを言ってない?」

「でたらめじゃねえ。俺ちゃんは感じるんだ、こっちから知っている感覚をな」

 

 北澤百合のその至極真っ当な疑問にそう綾部は答えた。その顔に迷いはなく、ただ一方を向いている。

 

「……どうしよう?」

「他に行くべき方向を感じ取った者がおらぬのならば、少しでも可能性のある方に進むべし」

 

 臨時ユニットのリーダー、高山各務はそう判断して綾部の感じた方向へと進むことを支持した。

 皆、帰る方向だけはわかっていることもあって、半信半疑ながらもその判断自体には異を唱える者はいなかった。

 

 それから綾部を先頭に数kmほど進んで。

 綾部は、ある一点で立ち止まってこう言った。

 

「ここだ」

「……何もないが」

「確かにここなんだよ、俺ちゃんが感じたのは」

 

 そう主張する綾部ではあったが、事実そこには何もなく、周囲と何一つ変わらぬ不思議な空間が広がっていた。

 何か感じていたというのは嘘だったのではないか。そのような旨を口に出すメカマムサシコヤマ。歯を強く噛み締めながら客観的な反駁を探す綾部に、ノゾミタキオンが助け舟を出した。

 

「おいムサコ。アタシは彼を信じるよ。ここに何かあるってのは本当なんだろうってな」

「しかし、虚言で決めつけを行うのは劣っているとされる」

 

 間に割り入ったタキオンは、さらにムサコににじり寄る。スーパーブライトがそれを止めようと間に入ろうとしたが、ふたりはそれを弾いて今にも一触即発の雰囲気だ。

 

「虚言だぁ? それこそが決めつけってもんじゃないのか?」

「裏付けなき感覚など、虚言と差のあることなし」

「頼むから何が起こるか分からないよーなところで喧嘩しないでくれ……」

 

 そんなブライトや周囲の者たちの願いも虚しく、ふたりの言い合いは激しくなる。

 発生の研究をしているムサコからすれば、トレイニングしているとはいえ人間である綾部が超次元の感覚を掴みとることは考え難いことであった。それが裏付けとなって、彼の言葉を否定しているのだ。

 

「じゃあ教えてくれ。アンタには何かわかるのか? どの方向に進むべきなのか、どの方向に進んではいけないのか」

「それは……弊には分からないとされた」

「それなら綾部の言葉を完全に否定する必要なんてないじゃねぇか」

 

 タキオンがここまで怒り、そして綾部を庇うのにも理由があった。彼女もまた、行くべき方向を感じ取っていたのだ。しかしその方向は、奇妙なことにその方向と別の方向に進んだとしてもJRNを指し示していたがゆえ、言い出すべきではないと認識していたのである。

 それでもタキオンは、その感覚を否定したくなかった。だからこそ、同じ感覚を持っていたであろう綾部の言葉を信じているのであった。

 

「しかし! 綾部トレイナーの示したこの場所には、この通り何もないとされている! この要説明は廃止できない」

「……できるよ」

「できるが」

 

 ここで始めて、佐倉空とナリタエアウェイズがタキオンに味方した。

 彼女たちの言い分はこうだった。即ち、この場所と綾部の感じ取った場所にはさらなる超次元のズレがあるのだと。

 

「例えばの話。ある建物の中でビーコンを探していたとする。そのビーコンからの信号で地図上にその場所が表示されたとして、ビーコンが3階に、探索者が1階にいれば? ビーコンと探索者の位置は、地図上では重なってる。実際には違う場所なのに」

「つまり、俺達の認知してない次元軸方向に距離があるって事だ」

「……お二方の主張は理解。しかしそれは……」

 

 それらの仮定がすべて正しいとして、この捜索方法では決して綾部の感じ取った場所に行くことはできない。その残酷な仮説を提示していた。

 あれほどやかましかった探索隊は、突然静かになった。

 

「……他に、行くべき方向の分かる者はいるか?」

 

 高山が探索隊を代表してそう全員に聞いた。誰ひとりとして、答える者はいなかった。

 そしてすこししてから、おずおずとブライトが手を挙げた。

 

「JRNに戻ろう。一度再検討を挟むべきだ」

「然り。何もない砂漠で捜し物をするようなもの。何か別に他の次元の場所を知る術を検討すべきやもしれぬな」

 

 高山はそう言って頷いた。そのときふと、ただ俯いて黙り込んでいる綾部の姿が目に入った。

 

「すまん。俺ちゃんの言葉のせいでこんなことになって」

「こんな……? 全員無事ではないか。それにまだ若い君には、間違える権利は残っておるよ」

 

 そう声をかけながら、高山は綾部の背中をポンポンと叩いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24D:《門(GATESEPARATER)別》

 この次元に常駐している五元神のうちの1柱のPerseveranceはこの次元にいくつものダンジョンをこの次元の者たちの力を試すために作っていた。その中でもこの『柱』のダンジョンは特別なもので、一度最深部まで潜ってから延々と続く螺旋階段を登らなければこの場所にたどり着けないよう設計してあったのだ。

 もちろん、この者たちが途中の階層でシールドを破り強引に突入していたこともパーシーは把握していた。だが、その強引な突破というのもまたパーシーの好みであった。それがゆえ、ここにたどり着いたということを以て、その身元を明らかにし、そして最終試練を与えることにしたのである。

 

 そして、彼らはその試練を乗り越えた。パーシーがその力を分け与えるに値することを示したのである。

 

「おめでとう。貴方達は耐えきった。その忍耐を称えて、さらなる未知なる道への門を開く力を与えよう」

 

 パーシーは最終試練を突破した4名にそう告げた。

 

「未知なる道への門……夢見た世界。それに、成岩氏の推測していた柱の主。全てが今、俺の目の前にある」

 

 少年のようにはしゃぐ仲木戸俊成。表には出してはいないが、Flying Foxやシンカライジングルナも同じ心情であった。

 だが、1人。成岩富貴だけはまた異ったものを抱えている。

 

 ――これでこの次元を飛び出たとして、俺はJRNに帰れるのか?

 

 短い間とはいえ冒険を共にした仲間が喜ぶのを見て、水を差すようなそんな懸念を口に出すことは成岩にはできなかった。

 

「なあ、成岩氏! その先にあんたの生れ育った場所があるんだろ? 着いたら、案内してくれよ」

「……ああ。たどり着いたならな」

「おう、約束だぞ?」

 

 不安を隠すように表情を繕って、成岩はそう返した。舞い上がっている仲木戸はそれに気づかなかったが、普段から他の者をまとめる立場であるフォックスはその迷いを決して見逃さすことはなかった。

 フォックスは手招きをして成岩を呼び寄せると、小さく耳打ちをした。

 

「成岩君。君は……」

「いい。今話すことじゃねえ。それに彼だってすぐ実感するだろうよ」

 

 そう言ってから成岩は少しだけ冷ややかな視線を、今度はライルと喜びを分かち合う仲木戸に刺した。フォックスは苦笑して彼らを眺めながらも、一転パーシーの方へと注目を向ける。

 

「……話は済んだかい?」

 

 ひょうひょうとその視線を受け流してパーシーはそう問いかける。そして反駁の無いことを確認すると、続けざまに一番近くにいたライルの前にゆく。

 

「ほら、はいっ!」

 

 パンっ! と乾いた音が響いた。パーシーが手を叩いた音だ。

 

 しかし、何も起こらない!

 

「……え? 何、今の」

「いや、じつは、ね? あの忍耐の試練。その中で貴方達の中に僕の力を注いでいたんだよ。そしてそれにも君たちは耐えた。だから君たちはもう、門を開く力を手に入れているんだよね。――ほら、超次元の声に耳を傾けてごらん?」

 

 拍子抜けするような声でそうパーシーは告げた。しかし、その超次元声という言葉の意味は彼らには分からなかった。

 ……後輩に起きた事故から、それのさわりだけではあるが同じユニットメンバーに教えを請うていた成岩を除いて。

 

 成岩はいち早く超次元の声に耳を傾け、そしてそれを理解した。そして、何をすべきかを悟ったのだ。

 ――開け、超次元の門!

 

「《門(GATESEPARATER)別》」

 

 超次元の門は開かれた。その門の中には五色の虹の光が輝いている。それは仲木戸がかつて成岩と会う直前に見た光と同じものだった。

 

「ああ、この光だ。お前が落ちてきたのは。行こう」

 

 その仲木戸の言葉に頷いて、彼らは門を潜ったのだった。遥かなる超次元、どこでもないゾーンへと。

 そして門が閉じ、そこに何もなくなったのを見て、ひとり残ったパーシーはこう呟いたのだった。

 

「……ロペ。君の思い通りには、決してさせないよ。その次元を目指す動機を持つ者をこちらに寄越したのは、僕の力を持たせた者を招く理由になったのは、君だ」

 

 ★

 

 超次元へと飛び出した彼らを待ち受けていたのは、なんの手がかりもない広大などこでもないゾーンだった。進めども進めども、彼らの先に広がるのは変わり続ける美しくも不気味な五色のパターンばかりで、他の構造物が見つかることはない。

 そこを進み続けて数分。丸一日にもわたる螺旋階段を登り続けた彼らですら、進んでいるという実感の持てないこのどこでもないゾーンを進み続けるのには精神的か苦痛が早速にも生じ始めていた。

 

「なぁ、ここが本当にお前の生まれ故郷なのか?」

「んなわけねえだろ。こんな場所で生物が生まれると思うか?」

 

 一旦の休憩を挟む中で、そう言いながら成岩はぐるりと腕を回した。彼らを包むアイテールは空気のように軽い流体でありながら、踏みしめたり座ったりすることができた。そして力を抜けば、まるで水中にいるかのようにふわふわとその場に浮くことだってできるのだ。それは彼らにとって不思議な感覚だった。

 

「それで、どっちにあるんだ?」

「……わからねえよ。そもそも帰れるのかすら。確かなのはこの広がる空間のどこかに俺の帰るべき場所――JRNがあって、そして俺でもお前でもない誰かの地元があるかもしれないってことだけだ」

 

 でも進むしかねえだろ? そう言って、成岩は仲木戸に微笑みかけた。その言葉は、ライルとフォックスの耳にも入っていた。

 

 そして、もうひとりの耳にも。

 彼は3名に注目されている成岩の後ろに音もなく現れた。そして成岩に声をかけたのだった。

 

「今、JRNと言ったか」

 

 オオカリベが彼の鼻先に突きつけられる。成岩がとっさに構えたのだ。

 

「誰だお前」

「これは失礼。俺はゲッコウリヂル、このどこでもないゾーンの水先人さ」

 

 両手を顔の横に挙げて敵意の無いことを示しながら、ゲッコウリヂルは名乗ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24レ前:帰着

 東京都国分寺市泉町、都立武蔵国分寺公園。

 先月末まで空に穴が空いていたがゆえに封鎖されていたこの公園も、再オープンに向けての整備が行われていた。

 カンケル・ユニットは、この円形広場の警戒にあたっていた。一時期は多くの超次元専攻の研究者達が集っていた広場であったが、今は見る影もなくがらんとしている。

 

 そんな冬の夜の中で、その現象は起こった。

 

「穴が……再び開いている?」

 

 声問未来はその音をいち早く察知し、無線でユニットメンバーに警戒を促す。

 広場の真ん中の上空に、再び穴が開いていた。

 

 そして。そこからぽとりと、4つの人影が落ちる。銀城理沙が受け止めようと駆けつけたが、間に合わずに彼らはその暫定的に埋め戻された土の上に落下した。

 土煙が上がる。そうして落ちてきた4名の中には、彼らの見知った顔が1つ紛れ込んでいた。

 

「……えっ、この人」

 

 そう、ルースの落し子との戦いでカンケル・ユニットと共闘し、そして行方不明になっていたうちの1人、成岩富貴である。超次元の旅路を経て、ゲッコウリヂルの助けもありこの武蔵国分寺公園へとようやく帰還したのだ。

 カンケルの5人は円形広場の中心に集まり、その顔を確認した。誰もがそれを成岩だと判断したが、他の3名については誰も顔を見ても分からなかった。

 

「とりあえず、本部に連絡! 成岩トレイナーだけでなく、ほか3名とも救護を!」

 

 リーダーの不動亜紀はそう指示を飛ばして、そしてJRN本部を混乱に陥れたのだった。

 

 ★

 

 ロンドン、パディントン駅。

 空港行きの列車を待つイノベイテックのもとに、ボイスチャットの招待が届いた。

 

「うん? 誰だい、……え?」

 

 そう言いながら端末を見たベーテクは、そこに信じられないような名前を見た。

 見間違いかと思って目を擦る。

 

 表示は変わらない。震える手で、それに応答した。

 

「もしもし?」

「……よぉ、ベーテク。声聞くのも、久しぶりだな」

 

 その瞬間、ベーテクの頭の中に電気信号が走った。まだ最後に声を聞いてから1か月半しかたっていないのに、ずいぶんと長い間聞いていなかったような気がするその声に、自然と目尻からは液体が流れだしていた。

 

「なんだ、今イギリスにいるベーテクに言うのは間違ってるような気もするが……。その、ただいま」

「おかえり! 元気かい? 怪我とかはなかったかい?」

「大丈夫だ。ベーテクが日本に帰ってきたらまたゆっくり話そう。俺もまぁいろいろ話したいことがあってな」

「うん、うん! ゆっくり話そう!」

「とりあえず今は、手短に声だけでも聞かせておきたかった。それじゃ、色々と報告とか諮問とかあるみたいだから切るぞ」

 

 通話が途切れる。ベーテクはその場に座り込んで、チャットアプリの画面の成岩がオンラインであることを示す表示をまじまじと見ていた。

 少しすると、合流しようとAdvanced Passengerがその異常な状態のベーテクを見つけて、そして心配になって駆け寄った。

 

「ベーテクさん!? 大丈夫デースか!?」

「大丈夫だよ、大丈夫だったんだよ!」

「お、落ち着いてくダサイ、とりあえず……」

 

 アドパスはベーテクの身体を引き上げて肩に抱えた。そしてその後に合流したExcaliburと共に、ベーテクとその荷物を空港行きの列車に乗せたのだった。

 その間もベーテクはずっと涙を流していた。彼が落ち着いたのは扉が閉まり、列車が動き始めたあとの話だった。

 

 列車の中で紅茶を飲みながら、落ち着きを取り戻したベーテクはふたりに謝った。

 

「すまないね、さっきは見苦しいところを見せて」

「本当ですよ、何があったんデース?」

「いや、さ……」

 

 そう言いながら、ベーテクは端末のログを見せた。それを覗き込むアドパスとカリバー。そこには、先ほどパディントン駅にいた時間にベーテクと成岩が通話していたことを示す記録が残っていた。

 

「誰です、この……せいがん?」

 

 成岩のことを知らないカリバーは、隣で肩を震わせているアドパスにそうたずねた。

 

「He's Mr. Narawa, a trainer of Vatech. And……」

 

 アドパスはそう答えようとするが、彼女自身も驚いていてうまく言葉を紡げなかった。彼女もまた、成岩との親交は深いのだ。そもそも成岩とベーテクが初めて会ったときから、彼女はふたりと一緒にいたのだから。

 これから日本に向かうカリバーのためにもできる限り日本語で会話を話であったにも関わらず出てきた言葉は英語だったのを見て、一通り動揺し終わって一周して落ち着いたベーテクがかわりにカリバーに教えた。

 

「彼はね、成岩くんはね、僕のトレイナーなんだ。でも、去年の末に事故が起きて、それから彼がどこにいるかはわからなくなっていたんだよ」

「えーっと、あー、Missing?」

「うん、行方不明、だったんだ」

「ゆくえ、ふめい……。Oh……」

 

 それを聞いてカリバーもまた、その意味をようやく理解した。成岩が見つかったのだと。戻ってきたのだと。そしてパディントンの駅でのベーテクや今のアドパスがこれほどにも落ち着きを失う理由を把握したのだった。

 

 アドパスが落ち着いたのは、列車がヒースロー・セントラル駅に着く少し前のことだった。3名は列車を降りると、第3ターミナルの出発カウンターへと歩みを進めた。この日の夜、19時ちょうど発の東京羽田行きの飛行機に乗るために。

 

 JRNへと、向かうために。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24レ後:技術と知見を求めて

「どうもはじめまして。私はオトメ、このJRNの理事を務めさせていただいております」

 

 パレイユの派閥のリーダー、オトメは会議室に集まった超次元からの客人に向かって頭を下げた。

 

「これはご丁寧に。アタシはFlying Fox、この子たちはまぁ、アタシのビジネスパートナーみたいなものさ」

「えぇ、成岩から聞いております。特にそちらの仲木戸さんにはお世話になったと」

 

 そう言いながら、オトメは仲木戸俊成に微笑んだ。

 

「いえ、俺は……自分の目的のために、彼を利用したに過ぎません」

「目的、とは?」

 

 仲木戸は冒険者だ。まだ知らない場所を目指して、どこまでも探求していく……それこそが、彼の目的となっていた。そして、そんな彼の前に現れたのが成岩富貴だったのだ。

 仲木戸は成岩がそのダンジョンの中に落ちてくるのを見て確信した。彼は自分が夢にまで見た世界から来たのだと。

 

「ダンジョン、ですか」

「はい、そうです。俺と氏はただ、目的の方向性が同じだっただけなんです。だからお互いがお互いを利用していた」

「……なるほど。ですがそれでも成岩を保護してくださったことは事実です。本人にかわり、そして組織を代表してお礼申しあげます」

 

 オトメは頭を下げた。

 しかし仲木戸は、逆に冷や汗をかいた。ここまで感謝されるということは、実は成岩はここではとても身分の高い人だったのではないか? そんな懸念が彼を襲ったのだ。

 それに際して、ダンジョンの中とはいえわりと軽口を叩いていたことが彼の仲木戸の脳裏を走る。背中に冷や汗がダラダラと滝のように流れるような感覚が急に彼を襲っていた。

 

「あの、オトメ、さん」

「はい」

「もしかして俺達、何か無礼をはたらいていてしまっていたのでしょうか」

「……へ?」

 

 オトメは顔を上げて、目をパチクリとさせた。

 そこにはあまりにも心配そうな顔色で、しかし覚悟が決まったように据わった目でオトメを見つめる仲木戸の顔があった。

 

「罰を受けなければいけないのなら、全ての責任は俺にあります。俺の接し方を見て彼女たちも氏への接し方を判断した訳ですから。悪いのは、俺だけなんです」

「お、落ち着いてください。私達にあなた方を非難するような理由など1つもございません」

 

 慌てて謎に罪悪感を抱える仲木戸をフォローする羽目になったオトメ。そこにシンカライジングルナが落ち着けよと背中に一撃を加えるまで彼は落ち着かなかった。

 

「何すんだよライル」

「それはこっちのセリフ! オトメさん困ってるでしょ? ……ごめんなさい、うちの幼馴染が」

「……幼馴染、ですか」

 

 オトメはライルの何気なく発したその言葉を繰り返した。それに、軽くとはいえあれだけ力を込めていたであろうライルの平手打ちをまともに受けても仲木戸が口答えできる程度で済んでいることにも着目した。さらに先ほど仲木戸の発していたダンジョンという言葉をも合わせて、総合的に判断して結論に至った――彼女たちのいた次元はこの次元とはルールが違うのだと。

 先月に作成していた、他次元の者が現れたときのマニュアルを再び頭に思い浮かべながら、落ち着いて対応に戻った。

 

「Flying Foxさん」

「フォックスでいい」

「ではフォックスさん。あなたが成岩についてこの次元にいらしたのも、同じ理由ですか?」

「そうだね」

「でしたら、ぜひともあなた方のいらっしゃった次元の話をお伺いさせていただいてもよろしいでしょうか」

 

 もちろんその間は滞在する場所を設け、また彼女らの帰還のための協力までする、とオトメは提案した。これはマニュアル通りの提案である。

 マニュアルの作成時には、このようなことが起きた場合その次元において次元渡りの方法にある程度の検討がつけられている可能性が高いということ、そしてこの次元に来た者はこの次元において拠点は当然なくそのまま放り出すのは人道上問題があるということから、このような扱いが決められたのだ。そして、別次元の技術を吸収し解析することで、未だに謎の多いノリモンについての知見を深めることが期待されているのである。

 

 フォックスはその提案を受け入れた。オトメが、JRNが自分たちに何を求めているかを察し、それを提供することは問題ではないと考えたからだ。そして、それがお互い様であり、彼女側からも同様のことを行う機会が得られるという打算もあった。それにライルと仲木戸も続き、その提案は完全に受け入れられる運びとなった。

 

 ★

 

「そうですか、Perseverance様が」

 

 ノーブルの派閥のリーダー、コダマは帰還した成岩からその報告を受けていた。

 

「それで、その使えるようになった新たな技は今でも使うことができるんです?」

「もちろん。少しお待ちを」

 

 そういうと成岩はチッキを取り出しトレイニングし、技を使う準備を整えた。

 

「この通り、《門(GATESEPARATER)別》」

 

 すると成岩の目の前に門が開き、その先には超次元の空間が広がっているのが見えた。コダマが今までさんざん見てきた武蔵国分寺公園の球体のそれとは違って、平面状の結界がそこにはあった。

 

「こちらって、閉じたりはできるんです?」

「もちろん。全てがこの技で完結している」

 

 そして成岩は門を閉じ、超次元との接続をなくした。その門があった場所には、元通りの空間が広がっている。

 それを見て、コダマはこの技は有用であると考えた。

 

「成岩君。辞令ですわ。こちらから連絡はしておきますので、来週からサイクロの超次元専攻の方へ行ってもらいます」

「しかしコダマ号、明日にはベーテクが……」

「大丈夫ですわ。これまでの半年、向こうでできていたではありませんの」

 

 そうコダマが微笑んで、そして成岩の肩に手を置いた。続けて目を合わせて、彼はお願いをしたのだった。

 

「超次元で手に入れたその力、まだ帰れていない7人を探すのに使わせてください」

「承知。できれば佐倉のいる……鳥満博士のところへ」

「もちろん。鳥満博士がこの分野には一番明るいですから」

 

 そしてコダマはその場で鳥満絢太へと連絡をし、正式に成岩の出向が決まったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25レ前:新宿→府中・開幕、冬そば杯!

 東京都新宿区西新宿、新宿駅。

 3面3線の地下ホームで、ポーラーエクリプスは出発を待っていた。

 いや、ポラリスだけではない。既に20名のノリモンが10名ずつ、1番線と3番線に分かれて入線していた。

 

 『高尾山冬そば杯』。それが今日この線路で行われるレースの名前だ。この新宿駅から高尾山口駅までの片道27マイル50チェーンのワンウェイレースが、まもなく幕を上げようとしていた。

 

 ★

 

 さぁ、この日がやってまいりました冬そば杯。

 まさに東京の冬空、雲ひとつない澄み渡るほどの快晴に恵まれたこの武蔵野の鉄路を20名の選手が駆け抜けます。

 

 現在中継は新宿駅に繋がっております、ただいま入線が完了したところでしょうか。3番線先頭には今レース注目の選手、現在馬車軌(シブロク)レース8連勝中のチーム【一体、陣馬】のヤマダが出発を待って体勢を整えております。

 注目の選手といえばもうひとり。同じく3番線前から8番目、現在2戦2勝、デビューランでのコースレコードの記憶もまだ新しいチーム【キラメキヒロバ】のポーラーエクリプス。狭軌(サブロク)以外のレースは今回初めてではありますが、どのような走りを魅せてくれるのか楽しみではあります。

 他に1番線には前から3番目に一桁世代の実力者、チーム【シュンカンイドウ】のナンプウメモリアル、さらに6番目にはゴムタイヤの刺客ナンコウスミノエなど、目が離せない展開となりそうです。

 

 さあ、まもなく発車のメロディ鳴りスタートです。

 

(3音の下降音、3音の上昇音の後、7音のメロディ、そして和音で構成されるレース開始の合図が2回鳴る)

 

 さぁスタート、ここでヤマダがいいスタートを切った、第一コーナーを抜けて下り線へ、続けてその後ろからレーサルビアがピッタリと後をつけています。上り線の先頭はデンエントシスズカケが力強い加速を続けて下り線のヤマダに追いつくかというところです。

 笹塚で地上に出まして並ぶように飛び出してきたデンエントシスズカケ、ヤマダ。その後ろからレーサルビア、コマゴメホープが続いてウイングヘイワジマ。そして地下で追い越しをかけたのかナンコウスミノエここにいる。ここまでが第一集団。ここから追い抜き追い越しが激しくなってゆきます。2チェーン離れて第二集団にシーズンアロー、並ぶようにナンプウメモリアル、その後ろからラピッドオジカとオーエステン、すこし離れてアルペンロマンスそこから半チェーン離れてアカイソニックそしてトウヨコハクラク、ただいま明大前。そして後方集団がおおっとここでポーラーエクリプス猛烈なアタックで第二集団へと向かっている、後方集団はマーヴェリック、並びかけてきたナラビスタ、追い上げるキューカンバーヒカリ、ヒタチネモフィラ、ズームサンライン、そして最後方ぽつんと独りアサヒスーパーレラ。

 

 さぁ先頭は八幡山を下山しながら芦花公園のカーブへ。ヤマダのリード少し開いたか、続いたデンエントシスズカケ。第一集団きれいに通過していく。第二集団ここでも強いポーラーエクリプスがごぼう抜きで前めにつけて虎視眈々と先頭を狙っている、その後ろナンプウメモリアルも上がっていく。

 しかしここから高速区間、集団のペースも上がっていきます。加速しながら次々と千歳烏山をしっかり通過していきます。おっとここで最後方アサヒスーパーレラ、ぐんぐん進んでゆく、キューカンバーヒカリはこのままだと追い越され義務違反だが……なんとか下りに転線し乗り切った、そしてスリップストリームを掴むように上り線に再転線しその後を追い上げています。後方集団からアサヒスーパーレラが抜け出した! 後方集団、ペースが速い速い、国分寺崖線の下り坂に勢いづけられあっという間につつじヶ丘を通過しています!

 

 各選手次々と柴崎からの地下区間へと入っています、地下区間での追い越しはテクニックが必要ですからここでのコース選択は重要になりますが全体的に下り線に入った選手が多いように見えます。ここでは上り線の下り坂で勢いをつけたいところですが……と先頭のヤマダは早くも地下を抜けて西調布、差は開いている、差は開いている、はるかな空の果てまでも君は飛田給! 二番手レーサルビア粘るも届かないか、ヤマダが独走状態だ!

 そして後ろを振り返りますと伸び切った第一集団の最後方を既にポーラーエクリプス捉えている、差は少しずつですが縮まっているようにも見えます、がほぼ同速といったところでしょうか。その後ろナンプウメモリアルはやや遅めか、オーエステンが並んでじわじわと左から抜き返しています。

 さらにその後ろからはものすごい勢いでアサヒスーパーレラが猛追! 地下を走っている間に何があったのでしょうか、既にアルペンロマンスを抜いてナンプウメモリアルまでおよそ3チェーン、2チェーン……。

 おっと並走状態ナンプウメモリアルようやく後ろを振り返りました、がしかしもう遅かった、武蔵野台にて追い越され義務違反、無念の失格となってしまいました。

 

 そして先頭ヤマダはまもなく府中、その先に向けて火花を散らしながら速度を落としています。レーサルビアとデンエントシスズカケもそれに続いてブレーキ、さぁレースは後半戦へと進んでゆきます。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25レ中:府中→高尾山口・満足

 府中から先は百草園までが小さなカーブの続くコース。各選手のテクニックが試されます。先頭ヤマダは問題なくスムーズに1つずつパスしている、見事な加減速です。

 続くデンエントおぉっとよろけたが大丈夫か? 立て直してカーブをクリア、デンエントシスズカケ分倍河原、レーサルビアはやや速度を落としながらも通過している。

 

 第一集団、残りも次々と府中に入っていきますが皆下り線を走行しています。警戒しているのでしょう。そう、曲線と言えばこの選手、注目のポーラーエクリプスだ、いま右側上り線から速度を全く落とさずに府中のコーナーを駆け抜けています! 外側から体を大きく傾けましてポーラーエクリプス、府中2号曲線を抜けて分倍河原、勢いは衰えない! 内側に回ってさらにナンコウスミノエを追い抜きながら中河原、現在6番手ポーラーエクリプス依然速度差は大きなまま、えー多摩川の橋梁に差し掛かろうとしています。その後ろナンコウスミノエから5、6チェーンほど離れてアサヒスーパーレラは大きく失速しながらも虎視眈々と第一集団を狙っています。

 その後ろキューカンバああぁああっ! キューカンバーヒカリは分倍河原で体制を崩しまして線路を逸脱して着地! これが魔の府中、これが府中の恐ろしさ! そのさらに後ろここから第二集団、並びながらオーエステン、シーズンアロー。横一線でキューカンバーヒカリの横を駆け抜けますがやや落ち着かない様子です。アカイソニック、アルペンロマンスと続きましてトウヨコハクラクが通過。ラピッドオジカここにいた、ここまでが第二集団です。後方集団はヒタチネモフィラに並びナラビスタ、マーヴェリックに最後尾ズームサンライン。えーここでキューカンバーヒカリ復帰を断念しリタイアの知らせが届きました。現在18名の選手が高尾山口を目指しています。

 

 冬晴れの多摩丘陵を進みます、先頭は依然として地の利が功を奏してヤマダが抜けています。その後ろ抜きつ抜かれつレーサルビアとデンエントシスズカケが一進一退の攻防を繰り広げる。その後ろではウイングヘイワジマが鋭い加減速で高幡不動のコーナーからの立ち上がり、しかしもうここまで来ていた、ブレーキレスで駆け抜けたポーラーエクリプスが並びかけて今南平で抜き去りました。そこから十数チェーン離れてコマゴメホープそしてそのさらに後ろアサヒスーパーレラが上り線から再びペースを上げていくか。ここまで第一集団7名、先頭との差はおよそ……1マイル弱と いったところでしょうか。その後ろ第二集団は大きく離れています。先頭ヤマダが北野まで来たので、優勝争いはこの7名の争いとなりそうです。

 

 速度を落としながら高尾線に入りましてラストスパートだ、2番手争いはレーサルビア、デンエントシスズカケ、そして速度を落とさぬポーラーエクリプスはどこまで行けるでしょうか。ここが山だ、先頭ヤマダは山田を抜けています。そして2番手争いは中河原から続く高低差500フィートの坂の中一切勢いを殺さぬポーラーエクリプスが既にデンエントシスズカケを抜いてレーサルビアに並びかけています。先頭ヤマダとの差はおよそ10チェーンといったところでしょうか。しかしまだここから高尾まで2マイルあります!

 

 ポーラーエクリプスが少しずつ前に出ている、ヤマダを捉えているのかめじろ台、そしてヤマダも粘って逃げている! ヤマダが逃げる、ポーラーエクリプスが追いかける! レーサルビアは速度が上がらない! そして狭間は同じ駅構内に捉えているそしてこの先には試練のカーブ、S字カーブ!

 

 ヤマダ制動逃げ切れるか、ポーラーエクリプス速度をまだ落とさない! 差は5チェーン、4チェーン高尾を通過。

 ラストワンマイルの単線区間に先に入線したのはヤマダ! ヤマダが先に入線! しかしその背中にはポーラーエクリプスまだ諦めていない様子で勢いが衰えない差は2チェーン! ゴールに向けたチキンレースの幕開けだが! トンネルを抜けて左カーブ、優雅に駆けるヤマダは車輪から火花だがポーラーエクリプスが突っ込んで突っ込んでああっああぁ!

 

 ポーラーエクリプス線路を逸脱、飛んでいったぁ!

 

 そのままヤマダの横を飛んでゆく痛恨の脱せ……いや、違う、脱線ではない! 続く右カーブで復帰したぁ! 先頭ポーラーエクリプス空中を描くライン! 常識破りの追い抜き芸! ポーラーエクリプス火花を散らして高尾山口に入線したぁ!

 

 だがまだ終わっていない、減速は間に合うのか! ブレーキシューから火花、止まれるのか、止まれないのか! 車止めは目の前だ、が!

 

 止まったあぁーっ! 1着はポーラーエクリプス! 2着はヤマダも停止し確定! そして続いてレーサルビアもただいま入線しています。

 

 足元不慣れな馬車軌(サブロク)でもやはり強かった! 今年の冬そば杯はポーラーエクリプスが優勝をつかみ取り、そして3戦3勝、G(グループ)4への昇格となりました!

 

 ★

 

 高尾山口駅の車止めの前で、ポラリスは複雑な顔で自らの足を見つめていた。

 

(勝った。勝てちゃった。ポラリスの力で。でも……)

 

 ポラリスがこのレースに望むにあたって引いたランカーブは、とても拙いものだった。それを示す材料がそこにはあったのだ。

 それはフューエルの残量。東京や有馬温泉に着いたときにはほとんど残っていなかったそれが、今は使い切ることができずに余らせている。それをきちんと使えていれば、最後にあんな危険な賭けに出る必要もなかったのだ。

 

 やっぱり、ブライトには叶わないや。ポラリスは漠然とそう思った。

 ポラリスは顔を上げた。しかし歓声が彼女を包んでいた。彼女の中で納得は行かずとも、それは彼女の中だけの話だった。苦し紛れの跳躍ですら、周囲からはヒロイックなものに映っていた。

 困惑しながらもそれに応えるように右手を挙げると、その歓声はまたわぁっと大きくなった。

 そしてポラリスがホームに上がると、そこにはポラリスの予想だにしていなかった人影があったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25レ後:冬そば杯・おかえり

「お疲れ。俺がいない間にもまた一段といい走りができるようになってるじゃねぇか」

 

 高尾山口でポーラーエクリプスを関係者として待っていたのは、超次元に消えていた成岩富貴であった。

 

「富貴!? どうして。いつ帰って……」

「大事なレースだってブライトに聞いてさ、じゃあ黙っとこうかって」

「おかえり!」

 

 ポラリスは成岩に飛びついた。そんな彼女を成岩はタオルで受け止めて、そして優しく包み込んだ。タオルに隠れる形で、彼女の目からは溢れるものがあった。

 

 そのまま控室に通されると、ようやく成岩はポラリスのタオルを取った。そして椅子に座らせると、自分は扉の横の壁に寄りかかる。

 ポラリスはじっと、そんな成岩の顔を見ていた。

 

「富貴、帰ってきたんだね。本当に」

「あぁ。ただいま」

 

 そう成岩は呼びかけた。しかしポラリスは、少しうつむいた。

 

「……どうした?」

「ねぇ富貴。真也も帰ってくる、よね?」

 

 成岩の帰還。それはポラリスの願いを現実に近づける出来事でもあった。だがしかし、それ故にそれが果たされないという恐れすらも近づけてしまったのだ。

 成岩は静かにしゃがんで、ポラリスに目線を合わせた。そして俯く彼女の肩に手を置いた。

 

「帰ってくる。いや、俺達が探し出して連れて帰る。その為に俺が異次元で手に入れた力を使うんだ」

 

 一瞬、成岩は視線をそらした。ポラリスはその両目に注目して不安を見た。それは彼女も同じだった。そして切望とそれに声を震わせた。

 

「異次元で……」

 

 震える視線を、成岩は戻した。すると入れ代わりに今度はポラリスが視線をそらす。

 

「ねぇ。帰ってきた富貴は富貴だよね。じゃあ、帰ってきた真也も真也なのかな」

 

 超次元を経て、山根真也とポラリスは定期的に交信していた。それが山根とJRNを結ぶ唯一の経路だった。だが。

 

「真也と話をしてて、こう思っちゃったんだ。真也が真也じゃなくなっちゃうって」

 

 山根が超次元で過ごすうちに、その在り方が変わっている。交信の中で、彼の感覚や雰囲気が少しずつ変わっているようにポラリスは感じ取っていた。

 

「……それはコダマ号には?」

「言ったよ。でも『お年頃の人間とはそういうものですわ』って」

 

 あまり似ていない声真似で伝えるポラリス。そのおかしさに成岩はぷっと吹き出しそうになったが、いつになく真剣な彼女の顔を見てそれをぐっとこらえた。そして言い聞かせるような穏やかな語り口で話しかけたのだった。

 

「そうだな。俺達はそういうものだ。それにポラリス、お前だってそうだ」

「そうかな?」

「そうだ。帰ってきてお前を見て驚いたさ。明らかに雰囲気とか変わってたからな。ベーテクが会ったらもっと驚くんじゃないか?」

 

 成岩はワシワシとポラリスの頭を撫でる。しかし彼女の表情は晴れないままだ。

 

「なーんにも、変わってないよ、ポラリスは。だけど真也は変わってるんだ」

「んなことねぇよ。ロイヤから聞いたぞ? 今日のレースの作戦だとかも独りでぜんぶお前が考えてたんだってな。それで勝てたんだから」

 

 すると急にポラリスは癇癪を起こしたように反発して、そして力強く成岩の目を睨みつけた。その目力の強さに、成岩はさらに彼女の成長を感じ取った。

 

「それでも! ブライトみたいな作戦は作れなかった。馬車軌(シブロク)の足元だって、もっとうまく掴めてた。それができてたら、もっと――」

 

 そこからさらにポラリスは言葉を続けようとした。だが成岩の言葉がそれを遮った。

 

「そりゃそうだ。お前はブライトじゃない。スーパーブライト号にある経験が、お前にはない。だが経験なんてこれから積んでいけばいいんだ。お前はそうすれば強くなれる。ブライトだってそれを認めてくれると思うぞ」

 

 そう微笑んで、ぷくっと頬を膨らませて不満げなポラリスの頭に手を置く成岩。彼女は強く抵抗することはなくその手が乗るのを受け入れた。

 ポラリスはじいっと、成岩の目を見つめていた。彼女にとって成岩はイノベイテックの次に馴染みが深い者で、そして最も長い時間を共にしたトレイナーだ。相性が悪くトレイニングはできなくとも、彼女は彼を信頼しているのである。

 

「それに、今日のレースでお前を見てたのはブライトだけじゃねぇよ。お前がこの冬そば杯を制したという事実は何万人もの観客が見てたんだ。ここで観戦していた、そして中継を見ていた、な。そいつらや協会にとってお前が納得いこうがいくまいがお前は勝者なんだよ。つまりなんだ、ポラリス、お前の走りはお前が思う以上に認められてる、強かったってな」

 

 成岩は時計を見た。表彰式の時間は刻一刻と近づいていた。そろそろポラリスを仕上げるべきだと判断して、そして立ち上がってそのまま彼女を持ち上げた。

 

「ちょ、ちょっと富貴!?」

 

 懐かしい感覚が、ポラリスの中によみがえっていた。スーパーブライトはポラリスを対等なチームメイトとして見ていたがゆえ彼女をそのように扱うことはなかったし、ナマラシロイヤは感情を出すのがあまり得意ではなく機械的だった――そもそも機械ではあるが。それに対して、彼女がまるで親戚の妹であるかのように接してくる成岩は、ポラリスにとって貴重な存在の1人だったのだ。

 それを思い出したのか、ポラリスの表情は自然と少しだけ解れていた。

 

「それでいい。やっぱりお前は自然に笑っている姿が一番似合う」

「……あ」

 

 ポラリスがこうして笑えたのは、いつぶりだろうか? 少なくともこの1月半、彼女がこのような笑顔を浮かべたことがあっただろうか?

 セゾンスーパースプリントで優勝したとき、ポラリスは満たされなかった。だが今は満たされている。

 ポラリスを下ろしたとき、成岩が彼女の雰囲気に再会した時から感じ続けていた違和感はいつの間にやら薄らいでいた。

 

「ほら、そろそろ時間だぞ」

「うん! 行ってくる!」

 

 そして扉を勢いよく開けて廊下へと出ていくポラリスを、ホッとした様子で見送ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26便前:ぎらつく油

 シャドウイメージは悩んでいた。

 計算上、シエロエステヤードが帰るために必要な超次元の褶曲。それは計測された彼の力とトウマの力とを合わせれば確実に発生させられるものだった。あとはその大きな力同士をどのようにぶつけていくか、そこの検討がつけば問題は解決してしまう。

 だが、ここにきてシャイの中には、本当にシエロを帰してしまっていいのかという邪な思いが浮かび上がってきていた。それはシエロの召還が現実的なものになったからこそ生まれた思いだった。

 

「あれだけの力を生み出せる人を他に見つけなければ、シエロエステヤード君が去ったら……」

 

 学園の南エリアへと繋がる、東八道路にかかる陸橋の欄干によりかかりながら、朝の通勤時間帯の道路の往来を眺めるシャイ。来る者があれば往く者がある。それは自然なことだった。彼の下を通り抜ける車のように。だけれど。

 

 そのとき、大きな音がした。シャイがそちらに視線を向ければ、ハイブリッド自家用車が1台と、まるで観光バスのように荷台と運転台が一体になっている大きな貨物自動車が衝突事故を起こしていた。

 ため息をつきながら、警察に通報するシャイ。その下では、事故車両に阻まれて流出することができなくなった車列が滞留している。

 どす黒い邪な考えが、シャイの腹の奥底に、それはぎらつく油のように注がれる。こびりついたそれは、もはや振り払おうとしても簡単には落ちないぎらつく油汚れだ。

 

「この計算結果を知っているのは、まだ私だけだ。これを伝えなければ、いくらあの2人が手を組もうが超次元への褶曲は起こり得ない。だが……」

 

 それは果たして、正しい行いだろうか。シャイはそうは思わなかった。むしろ倫理的には決して正しくない、自らの欲に塗れた誤った行いであると……それは、彼女本人が一番よくわかっていた。

 

 遠くで、サイレンの音が響いている。事故処理に駆けつけた警察のものだろうと、シャイは思った。事実そうだ。だが彼にはには、その邪な考えを振り切れと言っているかのようにも聞こえた。

 

「……戻るか」

 

 ボソリと呟いて、シャイは北へと戻ろうとした。そのために顔を回したとき、彼は彼の後ろにその紫色の女がいることに初めて気がついたのだ。

 

「……なんだい、じっと見てて。私に何か用でも?」

 

 あぁ、成績に関する苦情は受け付けないよ。そうシャイは言おうとした。だが、言えなかった。いや、言わなかったのだ。言う必要が無いと分かったから。

 その姿の持ち主が誰であるかは、学のあるものならばすぐにわかることだ。いや、無くともこの威圧感を放つ存在が少なくとも只者ではないことは判別できるだろう。

 それほどまでに、格の違う存在だった。

 

 シャイの背中に、冷や汗が走った。なぜそれがここに居るのか、彼女には理解できなかった。

 

「はじめまして、かな? シャドウイメージさん」

 

 そう呼びかけて、Cyclopedは微笑んだ。

 

「はじめましてだと思うのなら、名乗ったらどうだ?」

「必要ないでしょ? 君はわたしを知っている」

「人違いかもしれないじゃないか」

 

 平然を装って対応するシャイであったが、内心に余裕はなかった。

 

「そうだね……わたしのことはロペって呼んで」

「それは愛称か何かだな? まあいいよ。それでロペ、あなたは私に何の用で」

 

 ロペは帽子をの前のつばをくいっと上げた。2人の目線を遮るものはなくなった。紫色の瞳が、シャイを捉えた。

 

「君の願いを叶えに、かな」

「……ならばお引取り願いたいが」

()()()()()?」

 

 ロペの帽子の中で、何かがモゾモゾと動いて帽子を揺らす。シャイにかかる威圧感がさらに強くなった。

 

「君は彼を……山根真也を帰したくないと思ってるんだよね」

「……そんな幼名は知らないね」

「へぇ。彼もこの次元のルールに従ったんだ」

 

 シャイはロペの『彼』が指す者が誰なのかを直ぐに理解した。理解した上でとぼけてみせた。それは一時的な関係であるとはいえ、教師と生徒という関係を壊してしまうものだったから。

 

「じゃあ言い方を変えるね。君はわたしがここに連れてこさせた青年を知っている。超次元の水先人に」

「……さぁな。あいにくホームルームは持ってないんだ、生徒個人の家庭事情なんて覚えてないさ」

「そうだよね、生徒になったからこの次元のルールに従う必要があったんだよね」

 

 ロペは満面の笑みを浮かべていた。シャイはしまった、と思った。

 そしてその答えは、シャイの間違いであってほしいとの願いを完全に否定するものでもあった。

 

「わたしは君のその願いを叶えることができる」

「断るね、そんな陰謀には私は乗らない。あなたが彼を引き止めたいのなら、直接彼に話をするべきだ」

「どうして? 君はそう望んでいる」

「あなたには分からないだろうが、教育者には教育者の論理と倫理がある。私はそれに反することはできない」

 

 いくらロペが威圧感をかけようと、口では毅然とした態度を貫くシャイ。その足はすくみ動けなくなっているが、それこそが余計にその手を取ることができない理由となっていた。

 その信念が心の灯火となって、ぎらつく油汚れを焼き尽くした。

 

「それは……素敵な心がけだね。そうだね、君の手は借りないよ」

 

 意外にも、ロペはあっさりと引き下がった。シャイは内心ホッとする一方で、ロペが別のターゲットに同じことをするだろうとの憶測が新たな懸念材料となった。

 

「私だけではない。学園の誰しもその陰謀には乗らないよ」

「うんうん、わかったよ。でも、これだけは忠告しておくよ」

 

 コツンコツンと、ロペの鉄の靴が陸橋を叩く音が近づいてくる。シャイの足は動かなかった。

 

「今日から45日。それよりも前に彼をこの次元の外に出しちゃいけない。それは決して彼のためにならないし、そうしたら彼は間違いなく不幸になる」

 

 シャイの耳元でロペはそう囁くと、徐ろに()()()()()()()()。超次元へと逃げたのだろうと、彼女は直ぐに理解した。そして、その場にへたり込んだのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26便後:五元神の戯れ

 その日、シャイ先生の様子はおかしかった。いつもどこか挙動不審ではあるけれど、今日はそれにも増してへんだった。

 

「……シャイ先生?」

「あ、すまない」

 

 たとえば、こんなふうに数学の実験の最中ですら上の空になっていたり。普段だったら実験の最中にその対象から注目を外すことなんてないのに。

 それだけじゃない。ゼミのときだって、僕の報告わ聞くのも上の空だったし、僕が質問を投げかけてもそれに答える素振りすらしていなかった。

 

「いや、何でもないさ。続けよう」

「先生! 逆です逆!」

 

 今度はシリンダーに繋ぐ弁を完全に逆向きにセットしようとしたシャイ先生。やはり様子がおかしい。

 

「……今日はやめにしませんか」

「いや、ダメだ。君は帰らなきゃいけない」

「このまま実験を続けたほうが帰らぬ人になってしまいますよ!」

 

 実験装置を一旦止めて、内線電話をかける。こんなことをしているのになお、シャイ先生はその場で装置が止まっていないかのように無意識に実験機材を動かしている。重症だ。

 

『はいこちら保健室』

「すみません、数学科準備室、シャドウイメージ先生のところなんですが、明らかに先生の様子がおかしくて」

『シャイ先生が? 分かった、今向かう』

 

 すぐにやってきたクモエコロ先生を部屋に招き入れて、シャイ先生のもとに案内する。シャイ先生はまだ僕が装置を止めたことに気づかぬまま実験を継続しているつもりになっていて、しかもそこにいやしない僕に話しかけてすらいた。その反応がないことにも気がついていない様子だ。

 

「……重症だな」

「やっぱり?」

「運ぶのを手伝ってもらえるかい?」

「もちろん」

 

 そしてクモエコロ先生はシャイ先生のもとに向かうと、慣れた手付きで手刀を叩き込んだ。

 ポケットから鍵を拝借して施錠してから、倒れたシャイ先生を担架にのせて保健室まで運ぶ。競技会のこのシーズン、生徒が無茶をしてこうやって運ばれることは珍しくもないが、さすがに先生がこうやって運ばれることはあまりない。とはいえ、シャイ先生は背丈も生徒とほとんど変わらないくらいだし、何よりまだ若いので、生徒が運ばれている様子とは傍から見たら見分けはすぐにはつかなさそうだけど。

 

「でも珍しいですね、シャイ先生がこんなんなるのって」

「そうか? 根底はいつもこうだろ。昔っから考え事をすると別のことが頭に入らなくなる。流石に今日ほどのことになることは年1くらいだが」

 

 だけれどクモエコロ先生によると、普通はそうなると活動すらしなくなってよく講義をすっぽかすので、今日みたいにほぼ何も考えずに手癖だけとはいえきちんと行動しているのは確かに珍しいのだという。でもそっちの方が危ないと思う。

 

 それから保健室で数分ほど昔のシャイ先生の話を聞いていると――どうもクモエコロ先生とは付き合いが長いようだ――、ようやく彼女は目を覚ました。

 

「あれ、ここは……保健室?」

「そうだぞ。シエロエステヤード君が通報してくれて、んで駆けつけたらお前狂ってたからな」

「狂ってって……そうだ、実験」

 

 ベッドから立ち上がろうとしたのだろうか、シャイ先生をクモエコロ先生は慌てて押さえつけに行った。ジタバタ暴れるシャイ先生は、本当に先生というよりも生徒だと言われたほうが納得するような光景だ。

 

「ダメだ。安静にしていなさい」

「私はどうなってもいい。彼を……シエロエステヤード君を帰すのは教員としての責務だ」

「こう言ってるが? シエロエステヤード」

 

 亀の首のようにカーテンから頭を出して、そう尋ねてくるクモエコロ先生。僕もベッドの近くに寄ってシャイ先生の様子をうかがう。

 

「いたのか」

「今日は無理ですよ。急ぎはしないですから」

「でも、君は……君は元の次元に帰るんだろう? その為にはデータが必要なんだぞ?」

 

 これは事実だ。だけど1日実験が遅れた程度で取り返しのつかなくなるタイプのものでは決してない。むしろ急いて安全を損なうくらいなら、いくらでも待って確実か、あるいはよりリスクの少ないタイミングを待つべきだ。

 僕がそう伝えると、シャイ先生は黙り込んで何かを考えだした。クモエコロ先生の言うところに基づけば、こうなったらもう何を言っても届かないのだろう。

 そして、しばらくしてから一言こう発したのだった。

 

「君は……五元神を知っているか」

「もちろん知っていますよ。Rocket、Novelty、Cycloped、Perseverance、そしてSans Pareilの」

「そうだ。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「そうですね」

「奇妙だとは思わないか? どこから来たのかも分からない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのか。だが、こんな仮説はどうだい」

 

 五元神の戯れで、君はこの次元にやってきた。それがシャイ先生の仮説だった。たまたま五元神が共通していたのではなく、五元神が共通する世界だからこそ彼らは僕を移動させ得たのだと。

 そのとき、僕の頭の中にはひとり、思い当たる者がいた。

 

「……ゲッコウリヂル」

「誰だい、それは」

「超次元の水先人です。僕が事故で元の次元から投げ出された後、会ってはいるんですが」

 

 よくよく思い出してみれば、おかしい。

 彼は僕を元の次元に戻すと言ったのだ。なのにどうして、僕はここにいる? いや、違う。あの時リヂルさんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ただ、元の次元に戻すのが――。

 

「『母なるCycloped様により定められたオレの役割』、それが彼にとっての水先案内だって」

「そうか。ならばCyclopedには気をつけろ」

 

 繋がった、ような気がした。

 突拍子もないような仮説で陰謀論だと言ってしまえばそれまでだけれど、それはどうしてか腑に落ちたし、何より僕がいまここにいるという最大の謎を説明できている仮説だ。

 

 だけど、それならば。

 僕にできることは、一体何があるのだろうか?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26R:スピードの向こう側

 東京都府中市小柳町の屋敷に、名松一志は身を寄せていた。いや、正確に言えば寄せさせられていた、と言ったほうが正しいだろう。

 

 もっとも、今となってはその主従関係はほとんど逆転しているも同然なのだが。

 

 Diamond Jubileeが名松と運命的――と、彼女が思い込んでいる――出会いをしてからおよそ10日。長きにわたる追いかけっこの末、ついに彼女は彼を捕まえることに成功した。

 そうして屋敷に本人の意志に関係無く連れてこられた名松が見たのは、あまりにもだらしのないダイアの生活であった。

 

 名松はまだ若いとはいえ、れっきとしたトレイナーである。この次元に飛ばされてくる前だって、生活能力がお世辞にもあるとは言えないネオトウカイザーのパートナーとなって、その生活を丸一年も立たずに矯正させた実績もある。

 そんな名松のトレイナーとしての性だろうか? 彼はダイアの生活へのお節介を勝手に初めていたのだった。

 

 当然、ダイアは反発した。彼女は自分のやりたいようにやりたいのだから。しかし……。

 

「そんなに口うるさくするのでしたら、あなたなんか出ていきなさい!」

「えっ、出ていっていいんすか」

「……あっ、ダメにきまってますわ〜!」

 

 何度このやり取りが繰り返されたことだろうか。他の使用人たちも、その様子を微笑ましく、そしてありがたく眺めていた。過去にそのようなことをしたかつての使用人たちは追放されていたのだから。

 ダイアはどこまでもわがままだった。ダイアにとって、その名松の指導は快いものではなかった。だがしかし、彼を失いたくはなかったのだ。彼のお節介を受け入れるのと、彼を諦めて追い出すのと。悩みに悩んだ末、選んだのは前者であった。

 

 しかしその決断から数週間が経った今、ダイアはそれをもはや後悔してはいなかった。名松の指導を受け入れていくうちに彼女の調子や能力は当然のように上がっていたからだ。そもそも、彼はその道を学び頭に詰め込んだトレイナーなのだ。そのうえこの流れ着いた次元には、彼の能力を開花させるに足るもう1つの理由があった。

 

「そもそもどうして僕なんかにこだわるんすか」

「最初は、ただ運命的な出会いだと思っていましたわ。ですが……それからあなたが逃げ続けたからですわ〜! このダイアから! そこから、()()()()()()()()()()()()()()()()と思いましたのよ」

 

 そう、この次元は陸空海を問わずレースの極めて盛んな次元であったのだ。それゆえ、名松の持つレールレースの知識は、この次元においても無用ではなかった。

 何か大事なことがあれば、レースによって決定する。そしてそのレースに勝てば敗者は言う事を聞く。そんなレース脳が一般的な価値観となっているのである。

 そんな中で名松は()()()()()()()()()。この次元のしきたりを知らぬ彼には分からなかったが、それは最も原始的なレースである追いかけっこを行う意志があることの表明にほかならない行為だったのだ。

 そしてそれを後々ダイアから聞かされた名松はまずは肩を竦めた。そして無人島で目が覚めてから抱き続けていた違和感の理由を知った。そうなればむしろ彼女のようなお嬢様に捕まったことはかなりの幸運だったといえよう。少なくとも、食住に困ることはなかったのだから。そして、資料の調達にも。

 名松は強いトレイナーだった。ダイアの屋敷に囚われてなお、そして彼女への教育をする傍らで、決してJRNへの、彼のキールであるカイザーのもとへの帰還を諦めてはいなかったのだ。

 

 そして名松は、ダイアの屋敷の蔵書を読み漁るうちに、なぜこの次元でこれほどまでにレースが盛んなのかという根源的な問いの答えとともに、帰還の手がかりになりそうな記述を見つけた。

 それは加速する世界でしか見出せない善悪を超越した、揺るがなき境地。スピードを超えたスピードの向こう側に、()()()N()o()v()e()l()t()y()()()()()()()()がある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()その神に捧ぐものとして、果たしてレース以上に適切なものがあるだろうか。

 

「同じ神様の名前、違った()()()()()()()()()()()()。いったい、どういう事っすかね……」

 

 その記述を見たとき、名松は思わずそう呟いた。

 名松がトレイナーズスクールで習った歴史では、レインヒルのレースに勝った機関車はRocketだった。なのにどうして違う? 疑問は絶えなかった。

 そして、名松は1つの納得する答えを導き出した。即ち、ここはレインヒルのレースの勝者が異なるパラレルワールドなのだと。

 

「トレイニングができる。神様も同じ。そもそも、僕がここにやってきた。帰れない理由はたぶん無いっすけど……」

 

 こんなことになるのなら、もっと次元について勉強しておくべきだった。名松はそう後悔した。彼がその勉強をしたのは、スクール同期である山根真也の行方不明の事案が報告された直後に軽く触れたのみで、勉強していないも同然だった。

 そうなれば、名松の持つ判断材料の中で、とれるものはただひとつ。

 

「……目指すしか無いっすね、『スピードの向こう側』を。この表現はノーヴルではよく使う概念っすから」

 

 幸いなことに、ダイアもまたそこを目指す者の一端だ。彼女をサポートしカイザーと同じように育て上げてゆけば、きっとそこにたどり着けるだろう。

 名松はそう決意してから、その本を一旦閉じて本棚に戻したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27レ:エピローグ(終)

「イノベイテック、ただいま戻りました」

「えぇ、ご苦労さまです」

 

 英国から帰国したイノベイテックは、真っ先にコダマのもとへと報告に向かった。その後ろにはAdvance PassengとExcaliburも並んでいる。

 そのカリバーを見つけるた、コダマは留学めいて来日してきた彼にも挨拶をした。

 

「それと……Welcome to Japan, Excalibur. This is Kodama, a director of JRN-Nvl」

「あ、日本語で、大丈夫です。よろしくお願いします。カリバーと呼んでください」

「よろしくお願いしますわ」

 

 それから少しの間コダマはカリバーと話をしてから、アドパスに彼を案内するように頼んだ。そしてふたりが部屋から出たのを確認すると、部屋の扉に鍵をかけたのだった。

 

「……さて、本題に入りましょうか」

「うん。まだ帰ってきてないトレイナーのことだよね? 成岩くんは帰ってきたけれど……」

「えぇ、まだ帰ってきたのは彼だけですわ」

 

 そして帰還した成岩富貴は、その帰還の術を以て他の行方不明者の探索に活用すべくサイクロの専門チームのもとに出向いている。それがゆえ、ベーテクの研究室には戻れそうもないことをコダマは詫びた。

 ベーテクは怒るだろう。コダマはそう思っていた。だが、実際の態度はその想定とは正反対のものだった。

 

「仕方ないよ。成岩くんだって大切な仲間が何人もいなくなってるんだもの。それと比べちゃ、彼を置いてダービーに高跳びした僕なんて優先度は下も下に決まっているじゃあないか」

「……あなたにしてはやけに軽く引き下がるじゃありませんの」

 

 ニコニコと笑みを浮かべながらそう返すベーテクに、拍子抜けするコダマ。それもそのはずで、ベーテクは成岩の決断について直接飛行機の中でそのメッセージを受け取っていたのだから、それを受け入れる準備は済んでいたのだ。

 

「殴られる覚悟はしていましたわ」

「そんなくだらないことを僕がするとでも?」

 

 にこやかな笑み。それは何か裏がありそうな雰囲気を醸し出している。

 コダマは一瞬だけそれを追求しようと考えたが、それに気づかないふりをすることにした。ベーテクの性格を考えれば、この先でそのあからさまな笑みの意図を明らかにしようとしてくるだろうと考えたのだ。

 

「……それで、レインヒルには行ってきたのです?」

「もちろん。マンチェスターやヨーク、シルドンにもね。だけど……」

 

 ここにきて、ずっと笑みを浮かべていたベーテクの顔に、はじめて陰りが差した。

 

「見つかってしまったよ」

「……どちらに?」

「サンシモン号……」

 

 コダマは頭を抱えた。

 St Simonと言えば、英国で最も実力とカリスマを兼ね揃えているノリモンであり、そして現地ではトガリネズミに例えられるほどに我を貫くことで有名だった。彼女を本気で怒らせた者は英国の表社会で生き残ることが難しくなるとまで言われる程に。

 そんなシモンに目をつけられてしまった。コダマはそのことを重く受け止めた。

 

「起きてしまった事は仕方ありませんわ。それで、彼女は何と?」

「ダービーでの最後の仕事を終えた後にヨークに呼び出されてね、そこで歴史の矛盾の見解を尋ねられたよ。……日本語で」

「来日する気マンマンじゃありませんの」

「そもそも日本の鉄道150周年のイベントで招待されているって言っていたけどね?」

「……そうでしたわ」

 

 コダマの口腔から空気が抜ける音がした。どうしてシモンを招待したのかと今すぐヒカリエターナルを問い詰めたくなったが、もはや後の祭であることは明らかだった。

 こうなれば、できることはただ1つ……シモンが来日した折に、どのようにして彼女に不満を募らさせないようにするか。それを考えることだ。

 

「それでヨークでは何と?」

「サンシモン号はレインヒルの五元神に疑問を抱いている。その根拠として、Cycloped神とPerseverance神はノリモンになるには明らかに活躍期間が不足していることを、残りの3神は機関車が現在も残存していることを挙げていたよ。そして来日した暁にはもう一度僕に会ってその答えを聞きたいともね」

 

 そしてベーテクは机の上に、1枚のCD-ROMを置いた。それはヨークでシモンに渡された、彼女の持つ独自の研究データの一部が焼かれたものだとベーテクは述べた。

 それを舐めるように見回すと、コダマはそれを持ち上げてボソリと呟いた。

 

「……こちらでも、五元神ですか」

「でも、とは?」

「Perseverance神に会ったことで帰ってこれたのだと、成岩君は述べていましたわ」

 

 それを聞いてがたりと机の上に乗り出すベーテク。その額をコダマは片手で受け止めた。

 

「Perseverance神に!? それって……」

「落ち着いてくださいな、ベーテク。ハツカリ号にはこちらから伝えておきますわ。我々は神の研究をさらに加速させる必要があると」

 

 そしてコダマは力を強め、ベーテクを軽く弾き飛ばした。そして少しよろけながらも体勢を整えて、ベーテクは再び机の前に戻った。

 

「詳しいことは、本人の口から直接聞いたほうがいいですわ。まもなく戻ってくる頃でしょうし」

「そうだね。その後で気がついたことがあれば……ハツカリ号に直接持ってったほうがいいかい?」

「その可能性があることも伝えておきますわ。それじゃ、取り急ぎ報告すべき事が他になければ、長旅の疲れもあるでしょうし、今日はゆっくり休むといいですわ」

「そうさせてもらうよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5章:再集編
1レ前:無茶


 東京都町田市野津田町、町田市立野津田公園。

 北澤百合は、彼女の地元たるこの地で修練に励んでいた。

 

「休みなよ、百合」

 

 攻撃の手を止めて、マチッコはそう北澤を気遣う。事実北澤の足はプルプルと震えており、既にその運動能力の限界の訪れがすぐそこにあることは疑いようもなかった。

 だが。北澤はそれを指摘されてもなお、ウェポンをマチッコに向け、継続の意志を見せている。

 

 北澤の中には焦りがあった。あの日超次元の先に消えた同僚が――彼女の恩師たる早乙女遊馬やスクール時代からの同期である山根真也に名松一志などが五体満足である可能性は日に日に減っていくのだ。にも関わらず、いくらどこでもないゾーンを彷徨おうとも彼らの手がかりは何一つとして得ることができていないのだから。

 いや、もう既に助からないかもしれない。そんな不安すら、何度彼女の頭をよぎったことだろうか。何度超次元へと探訪してなお、一度たりとも別の次元に辿り着けていない現状が、北澤の希望を奪っていった。そして超次元の穴が閉ざされたあの日、全ての希望は失われてしまったかのようにも思えた。

 

 だが、しかし。

 超次元の彼方へと消えたはずの成岩富貴が戻ってきた。そして彼により再びどこでもないゾーンへの、超次元へのアクセスの術が得られたのだ。それはいつまで続くのかはわからないが、それでもJRNに再び希望を抱かせるのには十分すぎるものだった。

 

「走れないトレイナーには、決してターンは回ってくることはありません。まだ、休むわけにはいきませんのよ」

 

 そう言って、北澤は走り出した。彼女は、自分達がいくらどこでもないゾーンを彷徨おうとも他の次元にすら辿り着けていないのは、自分達の――とりわけまだ新人たる自分自身と、そして綾部綾の実力が不足しているからであると考えている。綾部は巫山戯た人間ではあるが、本当に大切なことに関しては人知れず努力を重ねていることは、スクール時代の学級委員長の経験から知っていた。ならば、自分も彼に負けるわけには行くまいと、足を引っ張るわけにはいくまいと自らの体を苛めているのである。

 それこそ、やりすぎるほどに。

 

「頑張り過ぎだって! 百合はトレイナーだけど、そもそも人間なんだよ?」

「いいから、続けなさいませ!」

「……《安全鉄則 先ず止まれ》」

 

 しぶしぶといった形で、マチッコは北澤の動きを止めた。

 マチッコの目にも、北澤がオーバーワークを自らに課しているのは明らかだった。そもそもマチッコ自身、地元のサッカーチームのスタッフとしてその練習を支える立場にあり、そこのプレイヤー達が人間の肉体の限界を攻めている姿を見ている。そこで養われた目は確かだ。

 

「っ! まだ……まだまだぁっ!!」

 

 北澤はその技に抵抗し、動かんともがいている。そんな彼女へ、心配混じりの目をマチッコは向けた。

 

「姑息な手はおやめなさいまし! この技が何もできないことは私だって理解していますわ」

「そうだね。《安全鉄則 先ず止まれ》に囚われたら何もできないよ。ボクも百合も。()()()()()()()()()()()()()()()

「ならどうして」

「もー! これじゃボクがトレイナーみたいじゃーん!」

 

 マチッコは、北澤に無理をしてほしくない。それが彼女のためにならないのは明らかなのだから。勿論彼女に退っ引きならない事情があることは――それを彼女から打ち明けることはなかったが――知っていた。だからこそ、マチッコは。

 

「百合。ボクはね、卑怯だよ。だから姑息な手を使ったんだ」

「それはどうい……」

「待たせたなマッチー! そして委員長、頭を冷やせ、《ビジネスエコー》!」

 

 隣の森から、空気の波が北澤を襲った。彼女はそれにすぐに気がついたが、それを回避することはマチッコの技により封じられていた。そして衝撃は彼女のシールドを直撃する。

 

「どうして……どうしてあなたがここにいるのよ!?」

 

 ――綾部君!

 

 そう叫びながら、北澤は波の来た方を見ようとした。しかしその必要はなかった。彼女を攻撃した彼――綾部綾は、彼女の視界の中へと自ら飛びこんできたのだから。

 そして綾部はマチッコの隣に着地すると、その横に立って北澤を見た。

 

()()()()()()

「そういうことだぜ、委員長。早乙女さんや山根に会いたいのは分かるが、だいぶ無茶してるらしいじゃねぇか」

 

 にやけながらそう言う綾部に、北澤はカチンときた。もともとオーバーワークで腱炎を発症して半年以上療養し、座学研修のみとなっていたのは綾部の方ではないか、と。

 

「あなたには言われたくないわね」

 

 不機嫌な声色でそう返すと、綾部はニヤリと笑う。

 

「そうだろーな。()()()()()()

 

 その言葉は逆に彼女に彼女自身の状況を客観視させることになった。自分が過去の綾部のようになったら? 彼のそれは平時だったからこそギリギリ笑い事で済まされたが、今のこの深刻なタイミングでそうなったら?

 そんなの、()()()()()()()()()()()()()()()。北澤はそう思った。

 

「……綾部君」

「なんだ?」

「ありがとう」

「んあ? お礼はココマ号に言うんだな。俺ちゃんは彼女からアンタが無茶してるって話を聞いただけだ」

 

 意外な名前が綾部の口から出てきたものだから、北澤は少し驚いた。

 ココマは――仲間を失った北澤たちのことをずっと気にかけてくれているノリモンだ。北澤の目にはそんな彼女のことは、少しだけお節介な方だなと映っていた。

 そして、ココマは山根らが超次元の彼方へと飛ばされていたことを知っている。つまりは彼女には上層部からその情報を与えられる理由があるのだろう――そのこと自体が、北澤たちにとって彼女のお節介を信用して受け入れる材料にはなってはいた。

 

「ココマ号が、か」

「あぁ。俺ちゃんは直接言えばいいって思うんだが、どうも彼女は俺ちゃんが止めた方が効くって思ってたらしくてな」

「……効いたわね、実際。アンタなんかに心配されるだなんて」

「どういう意味だよ」

「胸に手を当ててかんがえたら?」

 

 そう言って、北澤はクスリと笑った。

 

「でも、ありがとう。止めに来てくれて」

「そういうところは本当に真面目だよな。その言葉は受け取っとくぜ」

 

 さて、ココマ号に報告に……。

 そうJRNへと戻ろうとする綾部を、ちょっと待ってと北澤は引き止めた。

 

「……なんだよ」

「絶対に、見つけ出そうね」

「当ったり前だろーが。そのために俺ちゃんはウルサに入ったんだ」

 

 そう改めて確認して、綾部は似合いもしないような爽やかな笑みを見せた。

 

「……あんたにその笑顔は似合わないわね」

「は? なんだよそれ」

「そのまんまの意味よ」

 

 そんな2人の様子を、少し離れた所からみている者がいた。

 

「なんかいい感じだからボクはここで失礼しよ。じゃ!」

 

 マチッコだ。

 そして2人に背を向けて、彼女は走り出したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ中:超次元

「成る程。これが成岩の」

 

 成岩富貴の作り出したその超次元の門を行き来しながら、佐倉空はそれを分析していた。

 都立武蔵国分寺公園の超次元の穴が閉じられた今となっては、この造られた門だけが、JRNからどこでもないゾーンへと、超次元へと繋がる唯一の窓となっている。もっとも、武蔵国分寺公園から動かすことのできなかったものと違って、この門は遥かに小規模で、そしてどこにでも作ることができるのは研究がしやすいという側面もあるのだが。

 

「俺のじゃねえ。《門(GATESEPARATOR)別》はベーテクの技だ」

 

 成岩が恥ずかし紛れにそう言うと、佐倉は彼の隣に立つ者の方へと顔を向けた。

 

「……彼はそう言ってるけど」

「僕は知らないよ、こんな技は」

 

 聞かれたイノベイテックはそう済ましたように言うが、その反面で彼の目線は門に釘付けとなっていた。彼も研究者の端くれであり、この門に興味深い点を見出すのも当然といえよう。

 そしてその様子を見て、佐倉はこう呟いた。

 

「知らなかった、か」

 

 ベーテクは《門(GATESEPARATOR)別》を知らなかった。その事実を、佐倉は再確認し、肩を落としたのだった。これで心当たりがあれば、研究をより早くすすめることができたのに、と。

 そんな佐倉の肩に、成岩は手を置いた。

 

「そりゃまあ、佐倉だって解るだろ。ノリモン自身が()()()()()()()をトレイニングしたトレイナーが扱えることがあるってのは。よくリーダーだってやってたじゃないか」

 

 技とは、ウェヌスからノリモンが力を引き出すものだ。しかしノリモンとそれをトレイニングしたトレイナー、そしてウェヌスとがモヤイで繋がってさえいるのであれば、引き出しを開いてその力を引き出すのは必ずしもノリモンである必要はない。なんなら、引き出しの開け方のスキルは、使用者側に依存するのである。

 だからこそ、熟練のトレイナーであった早乙女遊馬は彼がトレイニングしたノリモンよりも早く、その技を引き出す事ができていたのだ。そして今回は成岩が、それをしたということである。

 

「まぁ、でも。僕の技なんだから、僕にできない理由はないってことだろう? なら、やってみるしかないねぇ!」

「やめておくべき。今は。技の持ち主が知らないことがわかっただけで充分」

 

 佐倉はそう言って、門を開こうとするベーテクを止めた。ノリモンの使う技とそのトレイナーの使う技は確かに同じものである。しかし、それが完全に同じであるわけではなく、使い手であるトレイナーによって微妙に引っ張られて性質がぶれることがあるからだ。

 しかもこの《門(GATESEPARATOR)別》は未だに詳細には不明な点が多い超次元に関わる技である。仮にそのぶれが致命的なものとして発現してしまえば、取り返しのつかない事態に陥ってしまう可能性を否定できなかった。

 そして佐倉は、ひとり成岩の開いた門の前に立ち、ふたりにこう告げた。

 

「今、私達にできること。それはこの超次元の性質を解き明かして、そしてリーダーたちを迎えに行くための方法を確立することだけ。それが終わるまで私達はこの近くて遠い超次元を遠くまで進むことはできない。いや、それを許可出来ない。これが超次元専攻としての、私の見解」

 

 だが、それに意義を唱える者がいた。他次元より超次元を経て帰還した成岩である。彼は帰還のときにそうしたように、自分は他の次元に迷い込んでも門を開いて帰ることができると考えていた。

 しかしその考えにも、佐倉は顔を縦に振らなかった。

 

「ダメ。今ここで成岩を失ったら、JRNはまた超次元へのアクセスを失うことになる。そうしたら、もう二度とリーダーには会えない。リーダーだけじゃない。山根や、他のまだ行方のわからない5人にだって」

「俺は他の次元に行ってもまた超次元に戻れるんだが?」

「だけど、この次元に戻れるかはわからない。違う?」

 

 図星だった。成岩がこの次元に帰ることができたのは、ゲッコウリヂルの助力があってこそであるというのは、彼とて認識はしていたのだ。認識した上で、また助けてもらえるまで待てばいいのだと考えていた。

 しかし佐倉は……それがあまりにも甘い考えであることを証明できるだけの材料を手に入れてしまっていたのだ。それがゆえ、成岩の意見には賛同できなかった。

 

「超次元空間……私達はどこでもない領域(ゾーン)と呼んでいる、そこに長時間居続けることは決して推奨できるものじゃない。ゲッコウリヂルはあそこに居続ける事ができるかわりに、()()()()()()()()()()()()()()()()

「つまり、俺が長居すれば戻れなくなるってことか」

「違う。そうしたら成岩は……()()()()

 

 成岩の言葉は途切れた。しばらくして、嘘だよなと言葉を吐き出しながら佐倉の目を見たが、佐倉は微動だにしなかった。彼女の言葉に偽りがなかったからだ。

 どこでもない領域はアイテイルという純粋なエネルギーに満ちている。ゆえに通常の物質がその中と至るようなことがあれば、アイテイルの高いエントロピーと穢れ無き純粋なエネルギーによって徐々に侵され、最終的には完全にアイテイルへと分解されてしまうだろう。事実JRNが武蔵国分寺公園の穴からどこでもない領域を観測していた際には、その内部へと連続的に突っ込んでいた観測用の機材の表面がまるで溶解したかのように消耗しており、特にカメラのレンズは光学的な性質を失うほどであったのだ。

 どこでもない領域とは、そんな危険な領域なのである。

 

「……マジかよ」

「どれくらい長居すれば致命的なものになるのかはわからない。わからないけど、試す訳にもいかない。だからまだ、捜索隊もいつまで経っても……!」

 

 佐倉は拳を握りしめた。試すことすら出来ず、仲間を迎えに行くことすらできない。そのことに憤りを感じているのは、佐倉もまた同じだったのだ。

 そんな佐倉の様子をもみて、成岩はついにかけるべき言葉を失った。そして自分がどれほど無謀なことを考えていたのか、そしてこの次元に戻ってくることができたのがいかに幸運なことであったのかを実感させられたのだった。

 そして1つの、最悪のシチュエーションが成岩の頭をよぎった。

 

「なぁ佐倉。もしかして、リーダー達は」

「それは、平気だと思う。ゲッコウリヂルを、信じるのなら」

 

 だが……今の彼らには、それを確かめる術すらなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1レ後:友情

「くっ……。調整を間違ったか……だとすると……」

 

 午前3時、JRN3号館、発生専攻研究室――通称、動物園。この専攻に所属する程久保是政は、疎外感を紛らわす為に研究に没頭していた。

 

「となると、やはりクィムガンの特性に由来しているこの交雑因子が……」

「なーに一人で根詰めてやっているんだい! そんなに詰めてばっかじゃ、重要な点をも見落としてしまうよ!」

 

 そんな程久保を心配するように、彼の師事する安慶名秦流は背中を叩いた。タイミングも悪く彼は画面に思いっきり頭をぶつけてしまってはいたが、彼女はそれを心配してはいない様子だった。

 

「ちょっ、安慶名先生いきなり何を」

「わたくしがこんな真後ろにいてなお気が付かないほどの狭い視野では、目指す真実には辿り着けやしないよ」

 

 安慶名はそう言いながら程久保の背中をもう一度叩いた。確かに先生の言う通りだと彼は思った。しかしそれでもなお、彼の中の孤独心は彼を弱火で焦がすようにじりじりと焦り立てていた。

 

「……なぁ、悩みでも抱えてるんじゃないのかい。不動ちゃんやヒザク君も心配していたけど、ここのところずっとそうじゃない」

 

 そしてそれもまた、安慶名には見透かされていた。何十年も観察と研究を続けていた彼女は紛うことなき分析のスペシャリストなのだ。

 しかし程久保は声を詰まらせた。ここに来て、自分の懸念が杞憂かもしれないという思い……いや、そうであってほしいという願望が相談という行為を思いとどまらせてしまったのだ。仮にこの疑惑が杞憂ならば、先生に相談して大事にするべきではないのだと。

 

「言えないのかい、かわいそうなことだねぇ」

「かわいそうって、誰が」

「あなただよ」

 

 安慶名は、今度は程久保の肩を後ろから抱えた。そうして捕まった彼女の手は彼の頬に当たり、そしてそこを流れる水滴を受け止めた。彼のメンタルには相当な負荷がかかっていたのだ。

 

「まぁ、今すぐにとは言わない。だけどね、少しくらい近くの大人を頼ったっていいじゃないの」

「……ごめんなさい」

「おや、どうして謝るんだい? まだ致命的な失敗をしたわけではないのに」

 

 その言葉は、程久保が今のままで続けていれば、なにか取り返しのつかない事態を起こしてしまうのではないかという懸念を安慶名に抱かせるには十分すぎる状態だった、ということを暗に示していた。

 ではなぜ、程久保はこれほどまでに追い詰められていたのか? その理由を語るには、年明けに話を遡らせることになる。

 はじまりは彼の親友、綾部綾がもう1人の親友、山根真也の所属するウルサ・ユニットに所属することが正式に決まった旨の報告を綾部から受けたことであった。そのとき彼は最初は綾部のことを羨ましいな、とただ少し思っただけだった。

 しかしそれ以降も、程久保は親友であるはずの山根と顔を合わせていなかった。どうも綾部によれば、山根の身に不幸があり、入院中であるらしいのことではあるのだが、1ヶ月以上にわたって一切の見舞いすらできない状態であるというのが程久保には不思議だったのだ。

 それだけではない。今年に入ってからというもの、その綾部はどこか忙しそうにしているようにも見えていた。なにかおかしいのではないかと同じく同級生であり、ウルサ・ユニットに所属している北澤百合に事情を伺おうとすれば、彼女もまた忙しなさげで、そして余所余所しい態度を見せていた。しかも2人とも言葉をはぐらかすばかりで、まっすぐと程久保の目を見て答えてくれることはなかったのだ。

 

 その全てを、程久保は隠すことなく安慶名に話した。そして彼女はその懸念を、無神経にも笑い飛ばした。

 

「友達思いは結構なこと。それにね、あなたが隠し事をされてると感じていることは……まぁ確かに彼らは怪しい」

「……やはり?」

「わたくしだって聞いていればそうは思ったね。……ならば、の話だよ。その山根君が()()()()()()()()()ってことを隠してると思っているんだい?」

「それは、まぁ……」

 

 最悪のストーリーであるとするなら、それは山根の死にほかならない。だが程久保はそれを口に出すことはできなかった。

 そんな程久保の様子に、安慶名は答えを待たずに程久保へとアドバイスを加えた。

 

「いいかい程久保。隠し事をされてるって感じた時は、なぜそれを隠しているのかという事を考えた方がいい。これはわたくしの勘だけどね、彼らは悪意があって隠している訳じゃない」

「ならば、なぜ……」

「あなただって親友にすらまだ言えないような研究に関わってもいるだろうに。いいかい、まともな隠し事っていうのはね、()()()()()()()()にするものだ。そしてその真実は往々にして隠し事をしている側ですらわかっていなかったりする……違うかい?」

 

 事実、この発生研究室には未解明の謎が沢山残っていた。それらの謎に近づくための実験や考察はいくつも重ねているが、その中には不確かなものだって多いのだ。

 仮にその不確かな情報が外部に漏れたらどうなる? その憶測でしかない情報が研究者によって考えられているというだけで事実であるかのように認識され、それに基づいてはいけないのに基づいた、新たなる憶測や流言が飛び交う自体になりかねない。そういった場面では、秘匿とは混乱を招かぬためのものでもあるのだ。

 

「……違わない」

「だろう? あなたが彼らを信用しているのであれば、そこに要らぬ悪意を見出すべきではありませんよ」

「それも、そうか。少し、頭を冷やしてくる」

 

 そう言って程久保はコンピュータをスリープモードに切り替えると、研究室の外へと出ていった。

 そして、程久保の座っていた椅子を少しだけ見つめてから、こう呟いたのだった。

 

「まったく、隠し事がお上手でない。とはいえ彼らの間柄を鑑みれば程久保君だけがあれを知らないのも、そして彼に隠し続けさせるのもまた酷なこと。1人戻ってきても来たことだから、徐々に情報を開示する範囲を広げていくのも、考えるべきフェーズに入ってきたのかもしれないね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2便前:仮説と陰謀のモザイク

 根源神Cycloped(サイクロペッド)。そしてリヂルさん。

 僕をこの次元に連れてきたのは、間違いなく彼女達だ。

 

 だが、どうやって?

 どこでもない領域(ゾーン)に漂う僕をこの次元に届けた、というのならまだわかる。でもいったいどうして、僕が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ?

 いや、こう考えたほうがいいかも知れない。あのクィムガンがS(シールド)バーストを起こしたのは、C()y()c()l()o()p()e()d()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 ならば、どうして? Cyclopedは何のために僕をわざわざこの次元に? ポラリスから向こうの話を聞く限りじゃ、何人かはちゃんとリヂルさんに元の次元に戻してもらっていたはずなんだ。なのに、どうして僕はこの次元にいる?

 

 そこに、理由があるとするのなら。

 

「この次元での在り方を見せることで、他の誰でもない、僕に何かを伝えようとしているのでは?」

 

 こっちにおけるノリモンはあくまでも少しだけ特別な力を持った人間の一種に過ぎない。向こうではノリモンは生物ですらないのだから、そこはとても大きな違いになる。

 でもその点を除いたら、驚くほどに僕の元いた次元とこの次元とは差異が少ない。この次元でも日本の鉄道は、フランスでサン=シモン主義を学んだ渋沢栄一が、その空想的社会主義を日本型資本主義に昇華させることにより発達した、という点まで同じなのだ。だから仮にCyclopedの意思がはたらいているとするならば、この大きな違いを()()感じ取らせたいのだろう。

 ……なぜ僕なのかは、わからないけれども。

 

 だけど、仮にCyclopedが僕をこの次元に送り込んだのだとしたら、またどこでもない領域に戻ったところで、リヂルさんはこの次元に僕を送り返すに違いない。つまり僕はCyclopedに何らかを課されているのだろう。

 それは一体何だ? 帰る術を探す傍らで、それもまた探さなきゃいけない。

 

「……それが、君の仮説かい?」

 

 それらをすべて聞き終えてから、シャイ先生は普段通りに気だるげにそう聞いてきた。そしてゆっくりと立ち上がって、そして黒板の前に立った。

 

「だったら、その仮説について論じるよりも前に、こっちからも話をしておかなくてはいけないね。信じてもらえないかもしれないが、あの倒れた日の朝、私は――Cyclopedに会っていた」

「……え?」

 

 いきなりこの人は何を言っているんだ? Cyclopedに?

 

「それが本物の神であるかどうかはわからない。だが、ただならぬ雰囲気を纏っていたのは事実だ」

「だからあの時挙動がおかしかったんですか?」

「もうちょっと手加減のある言葉運びを心がけてほしいね」

 

 少しだけ不機嫌そうにシャイ先生は笑った。笑ってから、一転して真面目な顔になった。

 

「ここで重要な話をもう1つしておかなくてはならない」

「なんです?」

「Cyclopedは言っていた。あの日から45日を過ぎるまで、君をこの次元の外に出すことは推奨しない、と。これを聞いて君はどう思う?」

 

 推奨しない、か。なるほどね。

 向こうが推奨しないということは、それまでに帰ろうとすると不具合が発生するということ。もちろん、Cyclopedにとって。

 そもそも、仮にこの次元に僕を閉じ込めておく必要があるというならば、Cyclopedは直に僕にそれを伝えるべきだ。だが実際は一度たりとも現れてすらいない。それどころかわざわざシャイ先生に伝言を渡している。

 明らかに怪しい。どう考えても、おかしい。

 

「必ず、帰らなきゃいけない。そう思いました」

「奇遇だね、私も同じだよ。正直に言えば私はあの神と会うまでは君をまだ帰したくないと思っていた。そうすれば二度と超次元にふれることはできなくなってしまう――それが怖かったからね。だが今は違う。奴の言うタイムリミットよりも前に君を帰さねばならない」

 

 そう言うシャイ先生の目は、今まで見た中でいちばん光り輝いていた。

 

「これを踏まえた上で、君の仮説はどうだい」

「全く意味がないんじゃないかと。むしろ元の次元に僕がいると邪魔だから、わざと外に出した――ただそれだけ」

「そうだろう。君の元いたところで何が起きているのかは知らないけれどね、恐らくは碌でもないことでも起きてるんじゃないの」

 

 あぁ、そうだ。あのルースの落し子を目覚めさせた連中。間違いなく何か別の目的のために動いている。恐らくは、そこにCyclopedもかかわっていると考えたほうがいい。

 なぜ僕がいると都合が悪いのかはわからない。わからないけれども、間違いなく碌でもないことだ。

 そうだとするならば、僕はできる限り早く帰らなきゃいけない。そうでなくても帰還を急ぐことは間違いないけれど、余計にそうなったと言える。

 

「……シャイ先生」

「理論は既に完成している。微弱ながらに超次元の穴を開けることにも成功している。ほかに必要なものは、より出力の高いものだけさ」

「いや、違います。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リヂルさんはCyclopedの配下だ。見つかれば、僕を元の次元に戻すのではなく、良くてこの次元、悪ければ他の次元に送り込む可能性だって高いだろう。

 もちろん、その次元からまた超次元へ飛び出せばいいのだけれど、そうなると今の理論のような大出力を必要とするものは都合が悪い。

 それを伝えると、シャイ先生はそれもそうだなと頭を抱えた。

 

「時間がないのは分かってます。でも、もう一度考え直さなければいけない」

「確かにそうだねぇ……。だけど、既に成功している手段の改良ならば、何も道筋が見えていなかった今よりもよっぽど道筋は見えているといえる。必ず、君を帰すとここで再度約束しよう」

 

 それからもう一度、僕とシャイ先生は改めてお互いの手を握った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。