星墜つる聖国と剣の天使 (レスレクティオ)
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#1 Outer Heaven

ギルド:セラフィムの設定は完全にオリジナルです。


「待って下さい! まだ話し合いを!」

 

 白い雲間に浮かぶ巨大な城のほんの一角。

 あと数歩歩めばこの城から堕ちてしまいそうな場所に佇んでいた麗しい女性の天使の下に、少々年若そうな1人の天使が駆け寄ってきた。

 

「……ごめんなさい、メタトロン。でも、もう決められた事なの。これ以上私がここに居れば、ギルド全体が揺らいでしまうわ」

 

 そう言うと一歩、天使は歩みを進めた。

 

「本当に、もうお別れなんですか……? ミカエルさん……」

 

「サンダルフォン……」

 

 ふわり、と城の方から別の天使が側に降り立った。その天使もメタトロンと呼ばれた天使と同じく、何処か年若い少女の様な外見をしている。

 

「……貴方たちを置いていく事になってしまって、本当にごめんなさい。ここに来る前から、2人は良く私について来てくれたわね……貴方たちなら、私よりずっと良い天使になれるわ」

 

 また一歩、ミカエルと呼ばれた天使は振り向く事なく雲間へ続く崖に歩みを進める。

 それを、2人で寄り添う様にして見つめている『双天使』のメタトロンとサンダルフォンの表情は、変わるはずもないのにまるで泣いているように見えた。

 

「大丈夫よ。きっと、また何処で会えるわ。メタトロンにサンダルフォン……いいえ、"エノク"さんに"イリヤ"さん……またね」

 

 ミカエルと呼ばれた天使は、振り返ってそう言うと空に自身の身体を預け、10枚の白い翼を風にあおられる花弁のようにはためかせて背中から落ちていった。

 

「「"フィーリア"さぁぁぁぁん!!!!」」

 

 雲間に埋もれていく大天使の姿を目で追いながら、双天使の二人は宙に手を伸ばしてその名を呼んだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ──かつて、ユグドラシルには『セラフィム』という、天使系種族しか入れないものの最盛期はギルドランキング1位のギルドがあった。

 

 ギルドランキング1位という事もあって『セラフィム』は拠点を各地に置いており、メンバーもセラフィムに従う集団(クラン)も含めれば200以上とかなり多く、長きに渡ってその名と威光をユグドラシル全体に轟かせていた。

 

 活動方針は『セラフィム』の守護と存続。

 基本的にギルド間の諍いには手を出さず、必要に応じては軍事力を行使して制裁を加える……まさに、神の住う天国と言っていいギルドだった。

 

 そんな膨大なメンバーを抱える『セラフィム』は、選ばれた上位9人のプレイヤー、通称『御使い』と呼ばれる者たちの話し合いによって運営されていた。

 

 ギルド長たる第一位の「熾天使」

 第二位の「智天使」

 第三位の「座天使」

 第四位の「主天使」

 第五位の「力天使」

 第六位の「能天使」

 第七位の「権天使」

 第八位の「大天使」

 第九位の「天使」

 

 これらは会議の場での序列、及び『セラフィム』の上位に属している事を表している位のようなものだった。上位、といっても単に戦闘能力だけで序列が決められているわけではない。

 まぁ当然上の方が発言権が強いし、下にいけばいくほど発言権は弱くなるのだが。

 

 因みに種族が大天使止まりであっても、主天使や能天使の位に付いていたものもいた。というより、大半が本来の種族と位が異なっていた。

 

 加えて少し複雑だが、この9名とまで行かずともある程度ギルド内での地位が高くなると、ギルド長から冠名を賜る事が出来る。

 それらはウリエルであったり、ザドキエルであったり、ガブリエルであったり……実際に存在した天使の名前を名乗る事を許された。

 そして、その名前に当てられた役割をギルド内で担当した。

 

『セラフィム』において、上記のような実際の天使の名は固有のプレイヤーを名指しするものではなく、役職のようなものだったという事だ。

 

 

 そして俺は元々『第八位 大天使"ミカエル"』という名だった。

 

 

 "ミカエル"の名が持つ役割は『セラフィム』に所属するギルドメンバーのレベルアップやキャラビルドの相談など。

 要は人事を担当する役割であり、最もギルドメンバーと交流関係を持つ役職だ。

 

 あの時は楽しかったと、今でも思っている。

 

 10枚の翼で自由に空を駆け、雲間から見えるユグドラシルのマップをただ眺めて過ごたり、襲われているギルドメンバーを助けに行ったり……まるで、自分が本当の天使になれたようだった。

 

 ギルドメンバーの誰しもが俺のことを「ミカエルさん」と呼び、色々な相談をしてくれた。俺もユーザー名である『フィーリア』そして『ミカエル』という優しい天使の"外見(アバター)"を借りて、その悩みに俺も全力で答え、時に励まし、時に笑い合った。

 

 特にあの2人……メタトロンとサンダルフォン。まるでミカエルの従属天使なのかと思ってしまうくらい、この時代には珍しい純粋な人だった。

 

 あぁ、本当に楽しい幻想(ユメ)だった。

 

 現実(リアル)でそんな事しようと思っても、出来るはずがなかったのだから……。

 

 

 

 

 

 俺は現実では、割と世界的な巨大複合企業のとある会社の社長……の御曹司だった。そのおかげか幼い頃から真っ当な場所で育ち、真っ当な教育を受け、外の世界の事など全く知らないまま、小綺麗なアーコロジーの中ですくすくと成長した。

 

 だから、初めてアーコロジーの外の世界の実情を知った時、俺は酷く動揺した。

 

 いつも食べていた美味しい食事も、安らぎをくれた温かい家も服もベッドも、心地よい綺麗な空気も木々も水も、周りの人達の幸せそうな笑顔でさえ全て、幾人もの人々の死体の上に血と涙で作られた幻想(ユメ)だった。

 

 慣れろ、と俺が展望台で外の様子を見ていた時、両親はそう言った。

 その時急に、ずっと慕っていた両親が悪魔のような恐ろしい存在に見えた。その言葉を発した時の両親の顔は、いつもと変わらない軽い微笑みを浮かべていたからだ。

 

 天国と地獄。

 ずっと空想の産物だと思っていたものが、現実に確かに存在した。

 

 俺は罪悪感に苛まれながら、やがて成人を迎えた。周りの人達は幼い頃誕生日を祝ってくれた時と同じように、溢れんばかりの祝福をして赤い花を撒いてくれたが俺は全く喜べなかった。

 

 ──生きていてごめんなさい。

 

 そんな感情を日々持つようになった。だが俺は自分の立場さえ良くなれば、外の世界の人たちを助けられるのではないかと思い、必死に経営について勉強して必死に働いた結果、もちろん社長である親の贔屓もあったのだろうが、巨大複合企業の1つの会社を任される事となった。

 

 ある時、俺は上の経営悪化を受けて何人かの貧しい社員を解雇せざるを得なくなった。俺はそれを哀れに思い、経営上良くない事だと思いつつも自身の給料を減らしたりしてデータを誤魔化し、解雇を取りやめさせた。俺なりの優しさのつもりだった。

 たが何らかのルートですぐに社長、つまり親にバレてしまい、本部に呼び出された俺は部屋に入るなり父親に胸ぐらを掴まれ、もの凄い見幕で怒鳴られた。

 

「お前は責任者だろう! 誰にでも優しくする事より大事な事があるんじゃないのか!!」

 

 心の中の何かが引き裂かれた音がした。

 再就職なんて実質不可能な世の中だ、会社を解雇されるというのは即ち死を意味する。餓死するか、劣悪な環境で病気になって死ぬか、職に就いていないのに生きている者など1人もいない。

 

 こんな事を続けていれば会社の経営そのものが破綻する、そうすればもっと多くの人が露頭に迷って死ぬだろう。父親の言う事が正しい事くらい元より分かっていた事だ。

 

 だが、だからといって他者に死ねと言うのか。

 過酷な世界を這いずり回るように懸命に生きて、それぞれに家族が居て、幸せなんて塵くらいしか持っていない者に、俺のために死ねと。

 

 この世界は残酷な地獄だ。

 そして、俺は限りなく無力だ。

 

 その日から俺は、優しさというものがよく分からなくなり、部下には温情も慈悲も血も涙もなく、非情な心で接するようになった。

 

 そんな頃、俺はDMMO-RPG『ユグドラシル<Yggdrasil>』に出会った。

 心の底から素晴らしいゲームだと思った、まるで別世界のようなフィールドにいるプレイヤーには強さの差や種族の差はあれど、現実世界と比べれば身分の差は限りなく無いに等しかった。

 

 俺はそこで理想の天使の外見(アバター)を作り上げ、優しい天使の演技をし続けた。心の中で優しさが何なのか分からなくても、効率が悪いと思っても、デメリットしかないと思っていても。

 

 天使フィーリアの外見(アバター)は、俺がずっと追い求めた"誰か"の姿だ。当たり前のように誰にでも優しく、時には命懸けで信じたものを守る。

 こんな人が現実世界に居てくれれば、俺は何かを変える事が出来たのだろうか……と、そんな思いがこの外見には込められている。

 

 そんな幻想も、今日で全て終わる。

 さようなら、美しい世界。

 さようなら、偽りの俺。

 さようなら、フィーリア。

 

 明日からはもう、大のために小を切り捨てる非道で冷徹な俺だけしか残らない。

 

 そんな淡い残滓を胸に、俺はユグドラシルに最後のログインをした。

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 森の香りがした。頬の辺りに草のような感触が伝わり、くすぐったさで重い瞼が開きかける。

 

「ん……」

 

 若く柔らかな女の声がすぐ側で聞こえる、疲れすぎたが故の幻聴だろうか。そうでなかった場合も考え、俺は重い瞼を開けた。

 

 上体を起こすと、そこは見慣れない森の中だった。ぽっかりと空いた木々の隙間から、青白い月の光が優しくこちらを照らしていたが、拠点にしていた自分の住居は何処にも見当たらない。

 

 辺りを見回す。月明かりで視界は良好だが、周りにはただ木と草、近くに小川があるくらいでそれ以外のものは何も見当たらない。

 

(ログイン……出来たのかな?)

 

 フィーリアは現実での仕事が終わった後、今日がサービス最終日の『ユグドラシル<Yggdrasil>』に何とか最後にログインしようと、焦りながらゲームを立ち上げた事までは覚えている。

 

 その時点で、サービス終了時刻となる0時までもう5分も無かったはずだ。

 今の時刻は何分ごろだったか。

 

(あれ、コンソールが出ない?)

 

 空を幾ら突いてもシステムコンソールが出ない。いや、そもそもコンソールなど開かなくとも時刻は右上の時計に表示されているはずだ。

 

 時間のことも妙だが、それ以上に身体に違和感がある様な気がした。具体的には肩や胸、腰の辺りが引っ張られる様に重たいのだ。

 

「…………?」

 

 チラッと目線を下に落とす。そこには本来のフィーリアには無い、たわわに実ったメロンのようなものが、一枚の布ごしに圧倒的な質量を伴う存在感を放っていた。

 だが、この外見(アバター)はゲーム開始日から使っている慣れ親しんだものだ。

 

 いまさら驚く事ではないはずなのだが……。

 

 五感の規制がなされているユグドラシルでは、触っても残念なレベルの感触しかしないと理解しつつも、何かがおかしいと感じたフィーリアは自身の外見(アバター)の胸を新雪を掴むようにそっと揉んだ。

 

「っう……!?」

 

 むにゅっ、という擬音が聞こえそうなほど自身の指がふっくらとした外見(アバター)の胸に沈み込む。そして全く未知の感覚だったが、胸を揉まれているという感触もハッキリと感じ取れた。

 

 慌てて立ち上がり、全身を見下ろす。

 

 腰部と背部に加え、肩部にはそれぞれ身体をすっぽり包めそうなほどの大きさの、触ればふんわりとした感触がしそうな純白の翼が意思に合わせて上下に動いている。

 腰まで伸びた艶やかな白髪は毛先に行くほど薄桃色に染まっており、耳の少し上の頭部にも飛行には使えなさそうな人の腕くらいの小さい翼が2対、すなわち4枚生えている。

 

 白と黒、紺色をベースにした服、というより布が巻きついたといった方が良い衣装であるキトンは、至るところに翼や十字を模した金色のアクセサリーが付いていた。

 そして、頭上にはまるで星の光のような形をした自身の胴体よりひと回り大きな光輪。

 

 間違いなく、ユグドラシルで俺がいつも使っていた露出度ギリギリの外見(アバター)、しかしそれでいて全く不埒な雰囲気は無く、清浄な空気が流れているような天衣無縫の美しさを備えた、己の女神の偶像を形にした10枚の翼を持つ天使、フィーリアの外見(アバター)だった。

 

「変だな、グラフィックが綺麗過ぎr……!?」

 

 そこまで喋って気が付いた、声がおかしい。俺は男だ。なのに、何故こんな物腰柔らかそうな女性の声がするんだ!? 

 

「いや、声だけじゃない……」

 

 月明かりに照らされた近くの小川に駆け寄って身を乗り出し、顔を水面に近づける。

 小川に流れている水は、リアルでもユグドラシルでも見た事がないほど澄んでおり、それも不思議でしなかったが、それよりもあり得ない事が起きていた。

 

「口が……動いてる……?」

 

 水面に映ったのは誰の心にも不快感なく入っていくような、誰もが恋をしてしまうような清楚さを纏った、見た目の年齢的にはお姉さんと呼べるくらいの美しい女神の姿。

 その女神が俺の意思に合わせて口を動かしたり、手で顔を触ったりしていた。

 

 

 ☆

 

 

(……どうしよう)

 

 森の中の小川のほとりでフィーリアは頭を抱えていた。いや、頭を抱えようとすると頭に生えた翼に手が当たるので、翼を抱えているというのが正確か。

 

 考えられる可能性は2つある。1つ目はここがユグドラシル2とかの新作ゲームだという可能性。

 だが、先程の感触といい小川や月の美しさといい、ここがゲームの中だとはフィーリアには到底思えなかったのだ。

 

 そして2つ目は、ここが現実の世界であるという可能性。

 フィーリア自身がこの世界に来たのか、世界が塗り替えられたのかは分からないが……"あり得るとしたら"恐らく前者だろう。つまり、見知らぬ土地に1人で放り出された事になる。

 

 だが先程、試しに〈伝言(メッセージ)〉を使ってみたのだが発動は可能だった。自身の見た目が天使のような姿になっているのも加味すれば、少なくともユグドラシルの魔法は使えるし、ここは全く無関係な場所ではないのかも知れない。

 因みに〈伝言(メッセージ)〉は俺以外誰もプレイヤーが居ないのか、有効範囲内にプレイヤーが居ないのか、誰とも繋がらなかった。GMとも通信不能だ。

 

 フィーリアは魔法詠唱者(マジックキャスター)だ、魔法が使えるなら大抵の事は何とかやりこなせるだろう。

 だが、今はいかんせん情報がない。ユグドラシルというゲームもそれ自体未知を既知へと変えるゲームなのだから、フィーリアも何かを探したりする事に慣れていないわけではないのだが、実際に未知へと踏み込むとなると話が違うというものだ。

 

(とりあえず……周囲の探索が必要か)

 

 ──上位天使創造、門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)──

 

 そう結論付けたフィーリアがスキルを発動させるイメージをすると、突如として足元の地面が光り輝き、周囲をまるで昼間のように眩く照らした。

 そして光り輝く地面からユグドラシルのものと全く同じ姿をした門番の智天使が1体召喚され、周囲の木々を押し除けるようにして宙に浮いた。

 

 門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)

 門番(ゲートキーパー)の名の通り、タンクとして申し分ない耐久力があり、更に探知能力にも優れているという活用の幅の広いモンスターだ。ユグドラシルでは自身の種族が天使でなくとも、召喚モンスターとして使っていたプレイヤーも居るくらいなのだから、その利便性が伺えるだろう。

 

「歩きだと移動が少し面倒ね……〈飛行(フライ)〉」

 

 天使は種族の特性として〈飛行(フライ)〉の魔法を使わずとも空を自由に飛ぶ事が出来る。

 だが〈飛行(フライ)〉の魔法を更に重ねて使うことでより速く、正確な飛行が可能となるのだ。それと、フィーリア自身ゲームでは何度も飛んだ事があるとはいえ、実際に翼で飛ぶとなると上手くいくか少々不安だったのだ。

 

 フィーリアの身体が空高く浮き上がり、暗い森が遠くなると同時に月……かは分からないが、そのような見た目の星の明かりがより強くなる。現実ではデータでしか見たことがない満月の美しさに、フィーリアは思わず「はぁっ……」と感嘆の吐息を洩らした。

 

 〈伝言(メッセージ)〉や〈飛行(フライ)〉の魔法を使って気づいた事だが、この世界にもMP……つまり魔力のようなものがあるのだとフィーリアは感じていた。先程、魔法を使った際に極々僅かだったが、自身の何かが減ったような感覚がしたのだ。

 

「そうね……周囲への警戒をして、私の前を先行しなさい」

 

 そんなフィーリアを後目に、門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)は未だ地面スレスレの所に留まっていたが、フィーリアの呼びかけがあるや否や主人の下へ急上昇すると、やや離れた所で待機した。

 その挙動を不思議に思ったフィーリアが〈飛行(フライ)〉の魔法と自身の翼を駆使して空中をちょっと前に進むと、門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)もそれに合わせて前に進んだ。

 何故かは分からないが、このモンスターとは心と心が糸で結ばれているような、絶対に裏切ったりしないだろうという信頼が伝わって来るのだ。

 

「なるほど……ユグドラシルとは少し違うのかしら」

 

 ユグドラシルでは、ここまで正確な命令は出来なかった。本来、召喚モンスターは周囲に侍らせて自動迎撃に使うくらいのもの。先行しろというような複雑な命令は聞けないし、逆に命令があるまでその場で棒立ちになったりもしない。

 

 ──下位天使創造、水の上位天使(アークエンジェル・ウォーター)──

 

 フィーリアは少し思案する様子を見せた後、再びスキルを使用して新たな天使を召喚し、その天使にも先程と同様の命令を与える。

 

「ふふっ」

 

 先程の門番の智天使とは違い、派手な演出もなく空中からあっさりと召喚された水の上位天使(アークエンジェル・ウォーター)は、上位と名は付くがユグドラシルでは雑魚の部類のモンスターだ。

 そんな役に立ちそうもないモンスターをフィーリアが召喚した理由は、単にお気に入りのモンスターだからというだけだ。

 

「〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉」

 

 ちょっと気分を良くしたフィーリアは更に魔法を唱え、自身に完全不可知化のバフをかけた。

 今いる場所が森の真ん中かつ夜中とはいえ、こんな月明かりの日に空を飛んでいたら遠目からでも目立ってしまうだろうからだ。召喚モンスターが見つかっても、召喚者が近くにいなければ野良のモンスターだとでも思ってくれるだろう。

 

(不可知化のアイコンが欲しいな……)

 

 完全不可知化の仕様がユグドラシルと同じなら、目視は当然として探知の魔法等も無効化出来ているはずなのだが、フィーリアの目には自身の手のひらも、巨大な翼も先程と何も変わらず見えている。

 

 イマイチ効果を感じれなかったフィーリアは、用心のためもう一度〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の魔法を唱えると、ひとまず森の果てを目指して飛ぶ事にした。

 

 

 ☆

 

 

「────!」

 

門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)、何か見つけたの?」

 

 そういえば、アイテムボックスはあるのだろうかと気になったフィーリアが、アイテムを取り出す時の感覚で手を差し出したところ、腕が亜空間のようなものに吸い込まれ、中には見知ったアイテムが多数存在していた。

 アイテムボックスがこの世界でも有効である事をフィーリアが空を飛びながら確認していた時、不意に門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)が空中で急停止したのだ。

 

「〈敵感知(センス・エネミー)〉」

 

 門番の智天使の視線の先、まばらに野原のある丘陵らしき場所に幾つかの天幕が張られていた。小さくみすぼらしいと表現するのがピッタリなそれは、少なくともキャンプに来た人間のものではなさそうだった。

 一応〈敵感知(センス・エネミー)〉の魔法を使ったフィーリアだったが、距離が遠いからか何の反応もなかった。

 

 早速、アイテムボックスの中のアイテムが役に立つ時かも知れない。そう思ったフィーリアはゲームと同様、整理整頓の行き届いたアイテムボックスに手を伸ばすと、その中から1つのアイテムを取り出した。

 

「ユグドラシルと同じなら……こうかしら」

 

 フィーリアが取り出したのは1メートルほどの楕円形の鏡のアイテム、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)〉だ。これなら一応遠くを見ることが出来る。

 

 しかし〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)〉は簡素なものであるため、用心のために魔法によるカウンターを喰らわないための防御魔法を幾らか唱えてから、フィーリアは両手で鏡の操作を始めた。

 

 フィーリアが手をかざすと〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)〉は前方の何もない丘陵の辺りを映し出した。ユグドラシルでは店の混雑状況の覗き見くらいにしか使えなかった魔法だが、この世界では随分と勝手が違うらしい。

 しかし、見たいのはここではなくみすぼらしい天幕の中とその周辺だ。

 

 ゲームとは勝手の違う操作感に、フィーリアは大いに戸惑った。ズームを間違えて丘陵の雑草に視点が合ったり、遠くで空を飛んでいる者がいると思いきや自分自身だったりと色々苦戦はしたが、どうにかして天幕の近くで1人佇む何者かの姿を捉えさせる事に成功した。

 

「あれは……豚鬼(オーク)?」

 

 ユグドラシルと同じような姿をした亜人、豚鬼(オーク)が一定の方向をじっと見つめていた。ユグドラシルにも亜人というカテゴリーはあったが、装備品は腰布に棍棒程度のものであり、フィーリアと同じプレイヤーには見えなかった。

 つまりゲームのように自動POPしたモンスターか、そもそもこの世界に住み着いている生物という事になる。ここがゲームの中だという可能性はもうほとんど捨てているので、恐らく後者だ。

 

 天幕の中も鏡で覗いてみたが、同じような見た目の豚鬼(オーク)が雑魚寝しているだけだった。

 どうも、この辺りは豚鬼(オーク)の住処らしい。ちゃんとした家ではなく簡易的な天幕なのは、豚鬼(オーク)が定住ではなく定期的に移住をする種族なのだという証拠に他ならない。

 

 天幕の周辺に佇んでいた奴は、さしずめ見張りといったところか。亜人の大半は〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉を使わずとも夜目が利く、最も今日はそんな事を気にする必要のないくらい月明かりが眩しい満月だが。

 因みにフィーリア自身は、装備品によって同等の効果を受けているので〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉を使わずとも視界に問題はない。

 

「変ね、あの豚鬼。どうして同じ方向ばかり……あれは?」

 

 見張りの豚鬼はさっきから全然動いていない、立ったまま寝ているのかとも疑ったが目はしっかりと開いている。

 鏡を操作して豚鬼が見ている方向を伺うと、天幕のある野原からはかなり遠く離れた森の中を木々を押し分けて進む3m程の大柄な亜人の姿があった、人喰い大鬼(オーガ)だ。

 しかも両手で数え切れないくらいの大人数で移動しており、寝付けないのでちょっと散歩に来ましたなどという、平和的な目的で来ていないのは明らかだった。

 

「プォォォォオ〜、プォォォォオ〜!」

 

 人喰い大鬼(オーガ)の姿をはっきりと捉えたのか、先程の見張りの豚鬼(オーク)が天幕の近くにかけられていた角笛を思い切り吹いた。

 この位置からでも聞こえるような音量の角笛を聞きつけ、天幕からバラバラと仲間の豚鬼(オーク)たちが飛び出すと各々簡素な武器を手に取って戦闘態勢を整え始めた。

 

「…………」

 

 その後は、ただただ凄惨な争いになった。

 人喰い鬼(オーガ)たちは森の中を移動していたが、それは別にカモフラージュのためではなくただまっすぐ歩いていただけのようで、あの後あっさりと野原に出てきて豚鬼(オーク)の天幕に向かって突撃していった。

 こんな月明かりのある日に、そしてただでさえ目立つ身体の大きさなのに戦争するなんて馬鹿なんじゃないのかと一瞬フィーリアは思ったが、ユグドラシルの設定では人喰い大鬼(オーガ)は知能は低かった事を思い出し、モンスターは見た目だけでなくその設定もユグドラシルから受け継いでいるのだ、と結論付けた。

 

「グギャォォォォ!!」

 

(おかしい、どうして心が痛むんだ……)

 

 亜人種は基本醜悪な見た目をしている。そのため、ユグドラシルでは異形種よりは少なくが亜人種もPKされ易かった。

 心理的に人間をPKするとなると誰しも見た目で少し躊躇ってしまうが、嫌悪感を抱くような見た目の亜人種や異形種はモンスターを狩るのと同じくらいの気分でPKされていた。

 

 フィーリアも徹底的な差別とまでは行かずとも、亜人種は不気味だと内心思っていなかったわけではない。

 もちろんフィーリアは自分が思い浮かべる女神のイメージを崩したくなかったので、ゲームの時は亜人種のプレイヤーにも優しく接していたが。

 

 話を戻すと、幾ら実際に目の前で殺し合いをしているとはいえ、所詮は醜悪なモンスターの争いだ。そんな奴らが幾ら倒されようが、以前のフィーリアなら何の感情も抱かなかっただろう。

 だが、今は胸がチクリと痛む感覚がする。さらにあの亜人たちを救ってあげたいと心の何処かで思ってさえいるのだ。

 そんな心はもう切り捨てたはずなのに。

 

(もしや、天使になった影響が……?)

 

 この事態を収束させられる魔法の一発でも放ちたい気分になったフィーリアだったが、この世界に何があるか分からない現状、介入してもリスクが大きい事を理性的に考えればこのまま無視するのが最善、と自分に言い聞かせた。

 召喚した天使には上空を飛ばせておき目立たないようにしてから、フィーリアは丘陵の上を逃げるように飛んでいった。

 

 そもそも天使の召喚や使役は出来たが、フィーリアが得意とするとある属性の攻撃魔法がこの世界のモンスターに有効とは限らないのだ。

 

 戦いの火種はあちらこちらに飛び、争いから逃げた亜人が別の弱い亜人と戦い、負けた方の弱い亜人がさらに弱い亜人の土地に踏み込んで……をドミノ倒しのように繰り返した結果、眼下に広がる丘陵のあちらこちらで戦いが発生する大事態になっていた。

 

「…………?」

 

 そのドミノの最後のあたりの亜人はもう逃げるところが無くなってしまったのか、いくつかの集団が丘陵地帯そのものを離れ始めていた。

 だが、その中の幾つかの種族のグループは連絡を取り合うわけでも、互いに協力しているそぶりもないのに同じ方向を目指して進んでいたのだ。

 

 引っ掛かりを覚えたフィーリアは、そのまま空を飛んで亜人の集団を追ってみる事にした。

 

 丘陵地帯の争いは未だ収まりそうになかった。

 

 

 ☆

 

 

(この亜人たち……一体どこに?)

 

 大移動をする亜人の集団の上空を10枚の翼をはためかせながら飛んでいるフィーリアは、一行の様子をカトレア色の宝石のような双眸でじっと観察していた。

 距離にして20mほどしか離れていないが、簡単な探知の魔法を無効化出来る〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉のためか誰も追跡に気付く様子はない。

 

 ずっと移動をし続けている亜人たちは、他の亜人のテリトリーに入らないようにするためか非常にゆっくりと進んでいた。

 この丘陵地帯はどうも本当に多くの亜人種が住んでいるらしく、どこまで行ってもまた別の種族と見られる亜人の住処があった。

 

 このまま近くで亜人を観察していても得られるものはなさそうだと判断したフィーリアは、さらに上空へと瞬間移動を思わせる速度で一気に飛び上がり、亜人たちの行く先に目を凝らした。

 すると、本当に小さいものだったが丘陵地帯を抜けた先に篝火のような灯りが見えた。それだけではなく、小高い壁のような建造物まで見える。

 

 〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉が使える亜人種は夜に篝火など炊く必要はない。それに加えて今夜は月が出ており、亜人種なら夜中に活動するのに十分すぎる明るさなのだ。そう、亜人種であるならば。

 

 他の種、特に人間種は〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉の魔法を覚えなければ夜目が利かない。

 もちろんそんな魔法は、夜に行動するためには必須の魔法だから、ユグドラシルでは覚えていないプレイヤーなど居なかったのだが、実際篝火を焚いているという事は夜目の利かない人間種がいる可能性が高い。

 

 そう考えたフィーリアは亜人たちから離れ、天使を上空に待機させ、先んじて篝火の焚かれている場所に急いで向かった。飛行速度は軽く時速200キロは超えているだろう、翼があるとはいえユグドラシルではあり得ない超スピードだ。

 

 布面積が少なく軽量化されたフィーリアの衣装は、飛ぶ時にはほとんど邪魔にならない。むしろ下半身のキトンの裾が足より長いせいで、地面を歩いているとそれをズルズルと引きずってしまうので動きづらいのだ。

 加えて、翼角から先端の羽根まで自身の背丈ほどの長さの肩部の翼と、その半分ほどの大きさの腰部の翼は、意識して持ち上げていないとこれも地面に擦れてしまう。

 

 ユグドラシルではその辺の判定が曖昧だったので気にした事もなかったが、やはり天使というものは空を飛ぶのが本来あるべき姿なのだろうか。

 

 そんな事を思案しながら夜空を駆けるフィーリアの姿は誰にも見えないし、誰にも感じることさえ出来なかっただろうが、その姿はまるで福音を与える一条の光のようだった。

 

「っ……!」

 

 一瞬で篝火の下まで移動したフィーリアは上空から一帯を眺めようとしたが、そんな事をする必要がないくらいそこは"荒れて"いた。

 

 そこには人間の視点から見ればかなり巨大な壁が地平線の彼方まで続いており、先程の篝火はその壁の一部に密集して焚かれていたものだった。

 

 壁の手前側には無数の亜人たちの姿があり、何と頑丈そうな壁を登っていこうとしていた。中には壁の上にいる兵士に向かって遠距離攻撃を仕掛ける者もいた。明らかに侵略目的の行動だ。

 

 フィーリアが追っていた集団とはまた違う亜人種だったので、追跡していた集団より先に移動を開始していたに違いない。争いに心を痛め、全体を見る事を忘れていたが故の見落としだった。

 

 壁の上ではやはり人間、それも兵士と見られる者たちが右往左往しながら壁をよじ登る亜人たちに向けて矢を射掛けたりして応戦していたが、どうにもあまり効いていない様に見える。

 

 妙だ。

 必死に闘う兵士の姿を上空から見たフィーリアは、まずそんな感想を抱いた。

 ユグドラシルにおいて人間種は最も人気のある種族だった。何故か? それは種族レベルと職業レベルの兼ね合いが……まぁ、詳しくは置いておくとして、簡単に言えば人間種の方が強いキャラクターを作りやすかったからだ。

 

 一方あの亜人たちは数こそ多いが、何というか……装備も含めて何もかもが強く見えないのだ。

 遠距離攻撃は投石や毒液のようなものだけで魔法は全然使っていないし、ユグドラシルに居た亜人のプレイヤーの身体能力ならこれくらいの壁はジャンプで簡単に乗り越えられるからだ。それをせずにいつまで経っても素直に矢を受けているのは、この壁の突破が出来ないほど弱いからに他ならない。

 

 まぁ、この亜人たちはそもそも争いに負けてここに来たのだから弱いだけであって、中には強い奴もいるのかも分からないが、少なくともこの場にいる亜人たちは弱いのだと思われる。

 

 つまり、ユグドラシル基準なら人間側が圧勝出来るはずなのだ。

 しかしそんな亜人たちにさえ、壁の上にいる人間の兵士は何名かはもう既に攻撃を食らって傷を負っている。そればかりか、段々と壁をよじ登る亜人の数が増えたために壁の防衛に対応しきれなくなってさえいた。

 

 なるほど、この世界では人間種は弱いのか。

 

 フィーリアはそう推測した。

 もちろん人間種にも強さの優劣はあるだろう、だがここは国境なのか、街への入り口なのかは分からないがわざわざ壁を築いている場所だ。明らかに戦う事を目的とした防衛拠点であり、いくら亜人たちが突然襲って来たとはいえ、それなり強い人間がいて然るべしだ。

 そんな場所でこの有り様なのだから、平均的に人間種は弱いのだろう。

 

 勿論用心に越した事はない、フィーリアが使うユグドラシルの魔法はこの世界では受け付けられないとかの理由で無効化される可能性もある。

 

 それならば尚のことこんな危険な場所からはさっさと離れて、今は壁の向こうに何があるか探るべきだ。この争いの中なら、例え探知の魔法に引っかかったとしても、こちらに構ってなどいられないだろうから壁を越える絶好のチャンスだ。

 

 でも、それは本当に? このままではあの兵士も、住処を追われた亜人たちも不毛な争いを続ける事になる。彼らを見殺しにして良いのか? 

 助けられるなら、助けるべきでは? 

 

(…………何を馬鹿なことを)

 

 フィーリアは知らず知らずのうちに、アイテムボックスを開きかけていた腕をそっと引っ込めた。

 またこれだ、とフィーリアは思った。顔も名前も所属も知らない他者を助けようだなんて。

 そもそもフィーリアとて自身自分のことで手一杯だ、他の者にかまけている余裕なんてこれっぽっちもない。そんな簡単な事が分からないほどフィーリアは馬鹿ではないし、この世界に来る前だって何度もそんな感情は切り捨てて来た。

 

 そう割り切ったフィーリアは、持ち前の飛行性能を持ってして壁の上を越えようとしたが、どうしてもその場から全く進めなかった。

 

「増援が来るまで持ち堪えろ! 絶対に通してはならん!」

 

「グォォォォァァァァァァ!!!」

 

「おい! 大丈夫か!? くそっ! こいつら、いつにも増して数が多い!」

 

「「………………」」

 

 フィーリアの瞳に映るのは、人間も亜人も仲間のために死力を尽くして戦う姿だった。こんな争いはどちらが勝っても、死んだ仲間がいる以上幸福な未来なんて来ないというのに。

 

(……助けたい)

 

 フィーリアに似た今の声は誰のものだろう。

 それはフィーリアの本心なのかも知れないし、天使の種族的な本能なのかも分からない。

 ただ言えるのは、その声が聞こえた後にフィーリアは即座にアイテムボックスを開き、拠点作成アイテムの〈グリーンシークレットハウス〉を取り出していたという事。

 

 ──下位天使創造、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)──

 

 さらにフィーリアは流れるように自身の持つスキルを発動して、攻守の割合が3/7とバランスの取れた天使モンスターである、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)20体ほどを一気に召喚する。その顔に迷いはなく、ただ天使としてのフィーリアがそこにいた。

 

 やがて、召喚者の呼びに応えた監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)が小隊を組んでいるかのように夜空に横一列に整列して一斉に現れた。

 

 しなやかで柔らかい手を動かす。

 スキルを発動したためか〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の効力は切れてしまったらしく、異変に気付いた兵士や亜人たちが戦いの手を止め、呆気に取られた様子でこちらを見上げているのが分かった。

 

門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)水の上位天使(アークエンジェル・ウォーター)、私の周囲を見張っておきなさい。何かあったらすぐに知らせて)

 

 遠方に置いて来ている2体の天使に頭の中でそう呼びかけると、何となく了解したような感じが帰ってきた。

 

 フィーリアは背中の6枚の翼を大きく広げる。

 すると辺りの空気が浄化され、月の光が天から青白い後光が降り注いでいるようにさえ見えた。

 そして白い羽の舞う夜空の中で、ユグドラシルでのロールプレイで培われた演技力を持って厳粛に、しかし優しい声でフィーリアは天使たちに命令を下した。

 

監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)。亜人たちを私の下まで連れて来なさい」

 

 ただし傷つけないように、と心の中でフィーリアはこっそりと付け加える。

 召喚者の命令を受諾した監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)たちが空中で即座に散開すると、合図も無いのに一斉に降下して地上で騒いでいる亜人たちの確保にかかった。

 

 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)上位天使(アークエンジェル)よりは強いとはいえ、魔法一発で倒されるくらいのモンスターだ。簡単かつ無数に召喚できる中ではこれくらいが手頃だろうと思って召喚したモンスターなので、亜人たちに抵抗されて逆にやられる可能性もあった。

 そのためフィーリアは天使たちが亜人たちを捕まえて持ってくるまでその様子を見守っていたのだが、天使たちの規律が整った動きの前に亜人たちは碌な抵抗も出来ずに、少し時間はかかったが全員確保された。

 やはりこの亜人たちはかなり弱いようだ。

 

「〈全体・真なる蘇生(マス・トゥルーレザレクション)〉」

 

 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)に囲まれた、女神のような天使の口から最高位の蘇生魔法がするりと唱えられる。

 

 中空から溢れた薄い黄色のエフェクトが周囲のまだ温かい死体に降りかかると、絶対に覚める事のない眠りから人間や亜人たちが目を覚ます。

 城壁に居た兵士たちが、倒れて死んでいた仲間たちが呻き声をあげて目覚めたのに気づき何名かが慌てて駆け寄ろうとしていたが、どうにもこちらから目が離せないようだった。

 

上位転(グレーターテレ)……「あっ、あの!」」

 

 ここから早く立ち去るべきだ。そう思って転移の魔法を使おうとしたフィーリアだったが、それまでぼうっと此方を眺めていた兵士の1人が急に声をかけて来た。

 いきなり目の前に現れたのに今まで黙って見ていたのが凄い。現地人と話せる貴重なチャンスかと思ったフィーリアは詠唱を途中で中止すると、少し下降してその人間の側にふわりと近寄った。

 

「はっ、はひゅ……あ、その……!」

 

 その兵士は若い男の様だった。過呼吸になっているのが手にとる様に分かる、ただ視線はこちらの事をじっと見つめており、頭の中でどんな言葉を投げかけるべきか考えているようだった。

 

「あっ、貴女は、い、一体……?」

 

 しどろもどろになりながら、その兵士はそう尋ねて来た。こちらを見上げる視線には悪意も何も感じられず、ただ知りたいという思いからの質問のようだった。

 

「私は──」

 

 フィーリア、と自身の名前を告げようとしたフィーリアの脳裏に2人の天使、メタトロンとサンダルフォンの姿が思い浮かんだ。

 口をつぐむ。もし、あの2人もこの世界にいるのなら……セラフィムのメンバーがいるのなら、そして、あの名前に込められた役割。

 

『ミカエル』それは最も人と接する使命を持った優しき天使の名前、今の自分にピッタリだ。

 どうもこの身体は厄介事を抱えずにはいられないらしい。ならばあの2人のためにも、こちらの世界でも優しい天使でいようじゃないか。そしていつか再会出来たなら……その時は、偽りの優しさを向けていた事を謝罪しよう。

 

 この名は自分への枷だ。少なくとも、今は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ミカエル。私は大天使、ミカエルよ」

 



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#2 来訪

時系列的には、同時期にフィーリアとアインズ様は転移して来た設定です。


「……何だあの光は!? 何かは分からないが……不味いぞ!」

 

 北部の長城に多数の亜人の侵攻あり、その連絡を受けて援軍に来た九色の黒を戴くパベル・バラハは、壁の向こう側から見える青白い光に驚愕していた。

 もう間も無く夜が明ける頃だ、しかし陽の光にしては局所的過ぎる上に何より色がおかしい。長城の向こう側で想像が付かないような恐ろしい事が起こっているのではなかろうか、とパベルの理性は常に最悪の可能性を訴えかけている。

 しかし、パベルは同時にその青白い光を見ているとどうにも安心感のような、自身の愛娘と一緒に居る時のような気分が安らぐ感覚を覚えていたのだ。

 

 気付けば、パベルはその場に留まってぼうっとその光に見入ってしまっていた。

 彼の班員たちもそれは同じようで、全員がその場で歩を止めてしまっていた。

 

「っ……もしや魅了か!? お前たち、目を覚ませ!」

 

 思わず身を任せたくなる抱擁のような、優しく温かな感覚。

 巨双眼族のような亜人の〈魅了(チャーム)〉の影響、と培われた経験はそう警鐘を鳴らしているが、そんな邪悪なのものとは余りにも解離しているとも思っていた。

 結局そのまま立ち尽くすわけにもいかず、あれは危険なものだと自分に言い聞かせる事でどうにかその感覚を振り解いたパベルは、ようやく長城の下まで辿り着いた。

 

「お前たち! 大丈夫か!!」

 

 事態は一刻を争う。

 そう判断したパベルは自らの班員を置いて、一足先に野伏(レンジャー)としての軽い身のこなしで一気に長城の上まで駆け上がると、コンポジットボウを構えながら猫のように城壁に躍り出て、城壁を守る聖騎士たちに大声で呼びかけた。

 

「「「「………………」」」」

 

 だが、その呼びかけに応える者は居なかった。全員息絶えていた、という訳ではない。むしろ、パベルが見た限りでは死んでいる者など1人もいなそうだった。

 では何故か? 全員間違いなく生きてはいるのだが、殆どの聖騎士たちは皆魂が抜かれたかのように微動だにせず、頬に一筋の涙を流して白み始めた空の彼方を眺めて立ち尽くしていたり、膝をついて小さく震えていたりしていたのだ。

 ごく一部、壁の足場に寄りかかるような姿勢でぐったりしている者や、その近くで何とも手際が悪そうな感じで治療を施している者だけは、その例に当てはまらなかった。

 そして、肝心の亜人たちの姿は何処にも見当たらない。

 

「おい……? 一体何があったんだ!?」

 

「ぁ、ぁぁ……ぁぁ、ぁ……」

 

「へ、へいし……ちょう……どの……?」

 

 立ち尽くしていた聖騎士の1人の肩を掴んで揺するも、うわ言を繰り返すばかり。焦るパベルの元に瞼と瞳孔が開きっぱなしのまま、足元がおぼつかない様子の別の聖騎士が倒れ込むように駆け寄って来た。

 パベルは咄嗟にコンポジットボウから手を離し、こちらに倒れそうになった聖騎士の身体を抱き止めるように支え、そのままの姿勢でその聖騎士に問いかけた。

 

「!? あ、あぁそうだ、俺はパベル・バラハだ。教えてくれ、一体何があったんだ?」

 

「そ、それが……しっ、信じられっ……は、話なの、ですが……」

 

 その聖騎士は一瞬体重を預けていたパベルから離れてどうにか自身の両足で自立したものの、ソワソワとしてかなり落ち着きがない様子だった。

 言葉遣いだって上官の前なのだからもっとハキハキと話すべきだというのに、頭の中で情報を整理しきれていないのか、思った事を矢継ぎ早に口にしているといった感じだ。

 そして、その話の内容を聞いたパベルは思わず「は?」と溢し、空いた口が塞がらなくなった。

 

「……待ってくれ。美しい女性の姿をした天使が、上空に現れて、数えきれないほどの天使を召喚し、亜人を全て制圧した後、死者を蘇らせ、全員突然消えた? お前はそう言っているんだよな?」

 

「は、はぃ……」

 

 ただでさえ殺人鬼か暗殺者のように見えるパベルの目付きは、不確かな情報の真意を探りかねて一層鋭いものへと変わっていく。

 

 確かに天使というものはローブル聖王国、特に神殿に所属する神官やパベルのような聖騎士にとっては親しみ深い存在だ。だが、それは戦闘時における召喚モンスターとしての話であって、人間の姿をした天使などパベルは聞いたこともない。

 

 そもそも、何故そんな存在を前にこの男はそれを『天使』だと決めつける事が出来たのだろう。

 いくら翼があって麗しい人間のような姿をしていたとしても、翼が生えた亜人だって中にはいるのだから、まず第一に思うべきは「こいつも亜人ではないのか?」という疑問のはずなのだ。

 

 そんな当たり前の事さえ飛び越して「天使だ」とこの聖騎士に言わしめさせたのだから、何らかの魔法による影響という可能性も考慮すべきだろう。

 

「……分かった、俺は他の奴らの様子も見てくる。お前はとりあえずそこで待機だ、良いな?」

 

 目の前の聖騎士が半ば夢から醒め切っていないような表情でコクコクと小刻みに頷くのを確認したパベルは、狐につままれたような気分のまま、他の聖騎士の下に歩を進めた。

 今日は長い1日になりそうだ……脱力感のようなものを感じて白み出した空をふと見上げたパベルは、陽光を反射して煌めきながら落ちてくる何かが視界に入った。

 それはまるで、舞い落ちる雪のようにも見えたが今の季節に雪など降ったりしない。

 

 それは何度も何度も無風の空で翻る度に、陽光を反射して柔らかな光を発していた。そして、引き寄せられるようにこちらに舞い降りてくるその白い光にパベルが手を伸ばすと、その光が強まり一瞬だけ視界が白く染まった。

 

「羽根……?」

 

 気が付けば手のひらよりも少し大きい、手に持っているのが勿体無く感じてしまうほど神々しく清らかな雰囲気を湛えた、美しい純白の羽根がパベルの手の中で横たわっていた。

 

 

 ☆☆

 

 

(やって、しまった……)

 

 丘陵地帯と壁の中程の場所で目立たないくらいの中空に浮きながら、フィーリアは本日2度目となる頭の翼抱えをしていた。

 第三者が見ていれば『世を憂う女神』などというようなタイトルの絵画になりそうなほど、悩んでいてもため息が出るほどにフィーリアは麗しい。だがそんな事は当人には分からないし、知ったとして今はどうでも良いことだった。

 

(流石に後続の亜人全員を〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で離れた場所に送るのは大変だった……魔力も結構使っちゃったし、考えてみればかなり無駄な事を……はぁ)

 

 加えてフィーリアは、やたら騒いでいて意思の疎通が出来なかった亜人たちにどうにかアイテムで作った拠点の説明を行うのと、そこに押し込むのにも苦労していた。

 その辺りの作業が終わった後、一旦身を隠すために召喚した天使たちは、少し申し訳ない気持ちになったが──全て消滅させた。念じれば光の粒子となって分解されるので、消す事自体は簡単だった。

 特に、あの門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)は身体が大きい上に常に鎧が光っていたり、ギョロっとした目玉の付いたシールドを持っていたり、頭が獅子だったりと異様かつ目立つ見た目をしているので、普段から連れ回すには不向きだ。

 

 フィーリアは魔法詠唱者とはいえ、魔力系ではなく信仰系の魔法詠唱者だ。

 信仰系は回復や蘇生が得意な反面、魔力系に比べて魔力の総量が少ない。まだフィーリアの魔力量に余裕があるとはいえ、無駄使いは極力避けたいというのが本音だ。だが先程の行動はそれに反するものだったし、他にも面倒な問題を抱える事になった。

 

 人助けをしたためかようやく冷静になれたフィーリアは、その問題について頭……ではなく2対の翼を抱えて考え込んでいた。

 

(兵士と亜人たちに顔が割れたな……)

 

 亜人たちはまぁ良いとして、情報を探るに当たってこれから人間と接する機会も増えると予想出来るというのに、これはかなり痛い。

 壁の上にいた兵士が少なかったとはいえ、この天使の顔と姿は極力見せないようにする必要があるだろう。兵士の反応を見れば、明らかに『天使』というもの自体が見慣れない存在のようだったので、一瞬で噂になっているだろう。

 

 〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉等の魔法をかける暇は無かったから仕方なかったとはいえ、こうなるならもっと大勢を相手に出来る記憶操作の魔法を習得しておけば……などとフィーリアはつい無いものねだりまでしそうになったが、終わったものは仕方がないとひとまず思考を切り替え、情報収集の方法を模索する事にした。

 

 さて、と呟いてホバリングしながら、フィーリアは夜空に浮かぶ月の輪郭に何となく目をやる。

 

 この状況において一番手っ取り早いのは町を見つける事だ、それも文明レベルが高く発展している町を。さっきまで通って来た丘陵には亜人の集落くらいしかないようだったから、探るならあの壁の向こう側となる。

 ただ、先程の行動のおかげで町があったとしても……そもそも天使の姿では無理だっただろうが、何かしらの変装をする必要がある。

 

 フィーリアのアイテムボックスには、効果や見た目の異なる武器や装備が沢山入っている。

 何故そんなものを入れていたのかというと、弱点属性のカモフラージュなどの戦術的な理由もあるが、一番はフィーリアが自身のアバターに色々なものを着せるのが好きだったからである。ファッションなど現実で人付き合いのために嫌々やっていた事だったから、ユグドラシルで自由にアバターの衣装を弄れるのが楽しかったのだ。

 

 それがまさかこんなところで役に立つとは、とフィーリアは内心安堵しつつ、肝心の町を探すため今一度〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の魔法を唱えると、白み始めた空を背景に壁の向こう側へと一条の光のように飛び去った。

 

 道中翼の羽が一枚自然に抜け落ちたが、フィーリアがそれに気付くことはなかった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 城塞都市カリンシャ。

 ローブル聖王国を守る要塞線に最も近いこの都市は丘、それもその全体を囲うように存在している。ギリシャの都市国家のような風貌のこの都市は周囲が重々しい市壁に囲まれており、国内で最も防衛力が高い。

 

 城塞都市、と言われればその町の中身も無骨なものを想像するかも知れない。実際この都市内で最も標高の高い場所には籠城のためだけに作られた頑強な城も存在している。

 しかし、ここはUの字を左に回転させてその間に広い海が横たわっているという形をした国土の都合上、丁度南部との交易の分岐点となる場所と近い場所に位置しているため、都市の中身もかなり発展している。

 当然こんな場所はユグドラシルにはない。

 

「………………」

 

 時刻は昼頃。

 店が立ち並び人で賑わうカリンシャの大通りを、1人の人物が急ぐわけでもなくゆったりと歩いていた。

 

 その人物は、純白をベースに薄い金色の装飾の入ったフルフェイスの兜を被っているため、顔から性別を判断する事は出来ない。

 ただ兜と同じ色使いに加えて空よりも深い青を差し色として使ったマント付きの鎧ドレスを纏っており、上半身の身体のラインも加味すれば女性であるという事が見て取れた。

 防御力を高めるのに必要不可欠な装甲は、模様が彫られた逆三角形の金色のプレートを左右の脇腹の下辺りから膝上あたりまで、鎧ドレスの上から被せるようにして何枚か重ねて取り付けているくらいで、後は兜と同じような装飾の小手と肩当てくらいしか装甲らしい装甲はない。

 

 腰には青い氷かクリスタルのような煌めきを剣身に宿した、鍔の部分に翼の装飾がなされている片手剣、もちろん鞘に収めているので外から剣身は見えないが──を差している。

 背中にはまるで美術品のように見事な、金色の鷹の頭のレリーフの付いた空色のラウンドシールドを装備していた。

 

 全体的に白色と布の目立つその姿は、騎士というよりかは神官のような風貌だ。

 まるで、世俗のあらゆる煩悩から解放されているかのような、さぞ高潔な人物なのだろうという清浄な雰囲気を全身から醸し出している。

 

(……お金落ちてないかな)

 

 だが、鎧ドレスの中身のフィーリアはそんな見た目とは裏腹に、かなり俗物的な事を考えていた。

 

 先程〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉でカリンシャにコソコソと忍び込んだフィーリアは、街の様子を粗方眺めた上でアイテムボックスから取り出した装備品を装備して今に至っている。

 ユグドラシルでは職業の異なる武器や防具は装備できなかったため、この世界でもそれが通用するというなら何故剣や鎧ドレスなどが装備可能なのかというと、実はフィーリアは〈戦士(ファイター)〉の職業をLv.1だけ習得していたのだ。

 これもフィーリアが「天使ならやっぱり剣を装備したい」という超個人的な理由で習得していたのが理由だ。

 そのためユグドラシルをプレイしていた頃のフィーリアのメインウェポンは剣でもあり、杖でもある特殊な武器となっている。無論、素手でも普通に魔法は使えるので、この世界では未だアイテムボックスの中で眠ったままだ。

 

 詰まるところ、お遊びビルドだったのが功を奏したというわけだ。もちろん本当にそうなのかは、今のフィーリアに確かめる術はないが。

 

(登録の初期費用5銀貨、か……)

 

 〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉中にフィーリアは冒険者という比較的誰でもなれる職業がこの世界に存在する事を知った。

 何の肩書きも無いのでは生活する上で他者に怪しまれるかも知れないと思い、冒険者になるために組合への登録をしようと考えたのだが、案の定登録のための費用が必要らしかった。

 様々な物を売り買いする人々の様子を見るに、どうもユグドラシルの通貨とは別の通貨が出回っているようだったし、そもそも『5銀貨』がどれくらいの価値なのかさえフィーリアには分からない。

 更に言えば、言語は日本語と同じだったので普通に聞き取れたのだが、冒険者への依頼の書かれた張り紙などは見た事のない文字で書かれていたため全然読めなかった。

 

 つまり、実質今のフィーリアは持ち金0で文字も読めない無職の天使なのである。何と情け無い肩書きだろうか。

 一応、天使の種族的特性が反映されたためか、この世界に来てから眠っていないのに疲れも感じず、喉の渇きも空腹感も無いため現状維持なら出来そうだが状況は殆ど"詰み"の状態だ。

 

 もちろん装備品を売るとか、ユグドラシルの通貨を査定して貰うとか、ちょっとしたアイテムを売却するとか、お金を得る方法自体はある。

 ただ、それらは自身がユグドラシルのプレイヤーであると明かすようなものばかりだ。

 この姿でいる時は大天使ミカエルであるという事は当然として、ユグドラシルプレイヤーである事も隠秘しなければならないので、それらの選択肢はそもそも無いに等しい。

 

 ぶっちゃけた話、後方での支援&回復型に近いフィーリアは個人としての戦闘、つまり1on1は苦手だと自負している。Lv.100の戦士職などに"突然"襲われたら……成す術もなくぶちのめされるだろう。

 だからこそ、自身の正体はなるべく隠していたいわけだ。この世界にいるかも知れない仲間のためにここに居るぞ、と最低限のアピールはするにしても。

 

 結局〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の魔力消費も段々と馬鹿にならなくなってきた上に、覗き見による情報収集だけでは何の問題も解決しないと悟ったフィーリアは、変装をして何か解決策は無いかと思案しながらその辺をとりあえずブラブラしているのである。

 

 何げなしに周囲に目をやる。

 アイテムボックス内の装備品の中ではあまり派手ではないものを選んだつもりが、どうもこの姿でさえこの世界では珍しく見えるらしい。

 その証拠に周りの人々はフィーリアから常に一定の距離を置いており、中には膝から崩れ落ちたと思うと涙を流して祈りを捧げる者までいる始末だ。

 

(……ちょっと待ってくれ、幾ら何でも反応がオーバー過ぎないか?)

 

 そんな疑念を抱いたフィーリアは、今まで歩いてきた大通りを振り返る。

 そこには今まですれ違った人という人全てが瞳を涙で無邪気な子供のように輝かせ、胸の前で手を絡めながら「あぁ……ぁぁ……」と口から歓喜の声を溢しながら、天にも昇るような表情を浮かべていた。

 先程までの賑やかさは悉く消失しており、ただ人々が温かな安寧と幸福に包まれているという、ある意味天国のような光景がそこにあった。

 

 即座に原因が分かったフィーリアは、適当な路地裏に飛び込んで身を隠すと元凶となっているであろうスキル名を小さく呟いた。

 

 ──〈希望のオーラ レベルⅤ〉解除──

 

 それだけ呟いた後、フィーリアは盗賊のようにそーっと建物の角から顔を出して大通りの様子を伺った。

 見れば先程の人々は相変わらず天にも昇りそうな表情だったが、そこに新たにやって来た人々はその様子を見て何があったのかと問いただしたり『聖騎士』という名をしきりに呼んでいた。

 恐らく聖騎士という者がここでは警備を担当しているのだろう。その名称を鑑みるにここは宗教色が強い国なのか? とフィーリアは考えながら、段々と大きくなる騒ぎに背を向けて歩き出した。

 

 〈希望のオーラ〉のレベルはⅠ〜Ⅴまであり、それぞれ効果は安心、安堵、平静、安寧、祝福だ。このスキルを発動させておけば自身と周囲の味方に、恐怖の無効化と全ステータスアップの強化(バフ)をかける事が出来る。

 どうも無意識に発動していたらしい、あの壁の上にいた兵士や亜人たちの様子がまともに会話も出来ないほどだったのは、恐らく見た目もそうだろうがスキルによる影響があったからだろう。

 ユグドラシルではあくまでそういう名の強化(バフ)でしかなかったから、別に発動に気を使う事などなかったのだが、そんな所まで本物になってしまうらしい。

 

「おい! どうしたんだ!? 何をされた!?」

 

「っ! これは……どうなっている!?」

 

 チラッとフィーリアが背後に視線をやると同じ空色の紋章の描かれたサーコートを着た、恐らく聖騎士だろうと見られる騎士の集団が遠くからやって来ていた。壁にいた兵士も同じような服装をしていたので、あの兵士たちも同じ聖騎士と呼ばれる者達なのだろうと考えられる。

 

(…………後始末くらいはするべきか)

 

 このスキルがもし絶望のオーラだった場合、罪もない人々を皆殺しにしていたところだった。そう考えれば、全員幸せそうな表情をしているとはいえ事態の収束くらいには付き合うべきだろう。

 

 随分と世話焼きな性格になったものだ、とフィーリアはないし自虐した。

 ユグドラシルでもこれくらいの親切は常日頃していたが、それは言わばロールプレイの一環だった。今は感情に左右されやすくなった結果、そういう行動をせざるを得なくなっているのだから行動原理が大きく異なっている。

 

「あの……そこの方、大丈夫ですか?」

 

 フィーリアは今にも倒れてしまいそうなほどワナワナと震えている近くにいた老婆(被害者)に話しかけるに当たって、一応口調を変えておく事にした。

 声は大天使ミカエルの時と同じもの──即ち未だ違和感の消えない柔らかな女声のままだが、口調が違えば多少のカモフラージュにはなるだろう。

 

「あぁ……神よ、神よぉぉ……どうか……どうか、私を……お救い下さいぃぃ……」

 

「えっ……と、すみません。何をおっしゃっているのか私には分かりかねますが、今あちらの聖騎士の方を呼んで来ますね」

 

 表面上は丁寧な口調で対応したフィーリアだったが、内心『この人もうダメなんじゃないの』という無関心さと『貴女の事を害してしまって本当にごめんなさい』という罪悪感を50/50の割合で同時に抱いており、その不安定な情緒のせいで若干気分が悪くなっていた。

 

 フィーリアは心が2つ入り混じったような不快感を鎮めるため、気が晴れるまで周囲の人々に気遣いをする事を決めた。

 

 

 ☆

 

 

 数日後、カリンシャにて。

 

「あら、フィリアさん! 昨日は猫探し手伝ってくれてどうもありがとうね〜」

 

「おやおや、これはこれはフィリアさんではありませんか……この前はワシが転んでしまったところを助け起こして頂き、本当にありがとうございました……」

 

「フィリア殿、先日は市壁の兵器の修理ばかりか改良までして下さって……カリンシャの聖騎士一同、貴方には感謝いたしております。もし我々の助けが必要でしたら、遠慮なくお申し付けください」

 

(……不本意、といえばそうなんだろうな)

 

 フィーリアは町中を歩くだけで、道ゆく人々に感謝されるようになってしまっていた。

 順を追って説明すると、まずこの街に立ち寄った流浪の旅人、フィリアという体で自身が引き起こした事態の収束に付き合っていた。その過程でここの住民と会話する機会が増えたため、ついでのつもりで住民たちの悩み事に手を貸していたところ、日に日にそれがエスカレートしてしまったのだ。

 悩みといってもこっそり魔法を使ったり、知恵を貸したりすれば解決するレベルのものだったので全く苦にはならなかった。そのため、湧いて出てくるデイリーミッションのような感覚でフィーリアは住民の悩み事を引き受けてしまっていたのだ。

 それらを全て解決するまでに数日、フィーリアの体感としてはあっという間だったが──経過して現在に至っている。

 

(市壁の兵器の件は、ゼフォンが毎日のように新作武器のお披露目をしてたおかげだな〜……構造を思い出しながら修理したら、弩弓が何故か火炎放射器になったけど……)

 

 その過程で幾らかお金を稼ぐ事も出来たため、数日前より行動の幅は広がったといえる。

 

 だが、フィーリアは内心『恐ろしいものだ』とも思っていた。

 この数日間、フィーリアは自分の意思ではなく外見(アバター)に引き摺り回される形で悩み事の解決に当たっていたのだ。下心や目論みなど一切ない、純粋な親切心と胸の奥から溢れてくる愛情に近い感情だけで……まるで、自身が心の底から天使になったかのように。

 

(……側だけの俺にそんな資格はない。前の世界で自分も、他人も裏切って偽善ばかり振り撒いた俺に、天使の資格なんて……)

 

 自分は何者か? 

 その問いを続けなければフィーリアは過去も何もかも全てを投げ出して、自身が背負うべき『偽善』という罪を忘れてしまいそうになっていた。

 

 日陰になっていた適当な建物の壁に寄りかかり、暗い足元に目を落とす。もちろん肉体的な疲労はないのだが、どうにも心労が蓄積していた。

 

 俺の優しさは本当に優しさなのだろうか、とフィーリアは内心考えていた。ただ他人のために身を粉にして働く自分が、周りからチヤホヤされるのが好きだという欲望が優しさに見えているだけなのかも知れない。

 

「はぁ……」

 

 そう考えれば、虚無感からため息の一つも出るというものだ。

 

 天使の種族としての設定はユグドラシルで読んだことがあるはずなのだが、イマイチ思い出す事が出来なかった。だがれっきとした感情があるのだから、こうして悩むのも一応は天使となった者の宿命のなのだろうか──と、フィーリアは自分で自分に果てのない問いを繰り返していた。

 

「フィリアお姉ちゃん? ため息なんて吐いて、どうかしたの……?」

 

 俯いていたフィーリアを、この世界ではありふれた服装をした1人の少女が覗き込むようにして見上げていた。この子は、一昨日前に人混みの中で迷子になっていたところを助けてあげた子だ。名前は確かメルだったか、とフィーリアはすぐに思い至った。

 

「いいえ、何でもありませんよ。疲れたので、少し休んでいただけです」

 

「そうなの? なら良かった……あ!」

 

 メルという少女は何かに気が付いたのか1、2歩フィーリアから離れると、小さな頭をぺこりと下げた。

 

「フィリアお姉ちゃん、この前はありがとうございました! メルね、迷子になった時とっても怖かったんだけど、フィリアお姉ちゃんが助けてくれた時、お姉ちゃんが()()()()使()()()()に見えて、すっごく安心したの!」

 

「……っ!」

 

 その言葉にフィーリアは聞き覚えがあった。

 

 そう、あれはメタトロンとサンダルフォンと会ってまだ間もない頃の事──

 

 

 ☆☆☆

 

 

『メタトロン! サンダルフォン! 大丈夫!?』

 

『ミ、ミカエルさん!? ……すみません、まさかこんなところで待ち伏せされるなんて……私が時間を稼ぎます! ですからどうか、サンダルフォンの回復を優先して下さい!』

 

『私は大丈夫だから……! 待って! メタトロン……っ!』

 

 ユグドラシルにおいてPKは珍しい行為ではない。

 特定のスキルや職業、魔法を習得するためにはPKが必要となる場合もある。何より、PKすれば相手のドロップ品はPKした者に所有権が移るゲームシステムなのだ。ここまでPKが推奨されているのも、ユグドラシルというゲームの魅力といえば魅力だったのだろう。

 

 セラフィムは強力なギルドだ。だがそれ故に他ギルドから恨みを買いやすく、何かされたとしても報復としてこちらから干渉する事は難しい。

 上位のランキングというものは薄氷のような他ギルドとの関係性の上に成り立っている。幾らギルドランキング1位のセラフィムとはいえ、残りの上位ギルドで連合を組まれて対抗されたりした場合、非常に面倒な事になるだろう。

 そのため他ギルドから多少の妨害行為を受けたとしても、無視して報復には及ばないような甘いところを見せつつ『いざという時は……分かっていますね?』という軍事力による刃を常に覗かせる事で、図に乗らせない適度な関係性を保つ必要がある。

 

 これが2位以下のギルドなら"目には目を歯には歯を"の法則に従って被害と同じくらいの報復をしても良いのだが、ランキング1位というのは常にその座を狙われる側であり、つまり全てのギルドと本質的なところでは敵対関係にあるという事と同意義だ。

 

 そのため『ギルメンが襲われたからその場に居合わせたメンバーで対処』はまだ良いとしても『セラフィムの"御使い"の誰かが助けに行く』というのはかなりグレーなのだが──フィーリアは大天使の位に就く前から、外見(アバター)通りの行動を心がけようとしょっちゅうギルメンの救助に当たっていたため、見捨てるべきだと分かっていてもつい助けに行ってしまっていたのだ。

 

 そのせいでフィーリアは最終的にギルドを追放される事になったのだが、それはまた別の話だ。

 

『っ……申し訳ありません。御使いの貴女に助けて頂くなんて……』

 

 プレイヤーを追い払ったのち、開口一番にそう言ったメタトロンは表情で感情を伝えられない代わりに、フィーリアに深く頭を垂れた。

 表情の絵文字の描かれたスタンプを使わない辺り、冗談抜きで自身の力不足を悔いているようだった。

 

『いいのよ、これは私のわがままだもの。貴女が気にする事じゃないわ。サンダルフォンは大丈夫? とりあえず、HPは回復させたけど……』

 

『は、はい……何とか』

 

 麻痺を受けてその場に倒れていたサンダルフォンがよろよろと起き上がるも──ゲームだから元からなのだが、その時のメタトロンはいつもより厳しい表情を向けているように見えた。

 

『……サンダルフォン、何故私を庇ったりしたのですか。貴女は後衛職でしょう! なのにどうしてそんな危険な事を……下手をすれば、貴女が倒されていたんですよ!』

 

『ご、ごめんメタトロン! でも、メタトロンの方が強いから、私が身代わりになれば良いかなって……』

 

『っ! だとしても、見ず知らずの私にそこまでする理由が分かりません! 何故いつも、貴女はそうやって無茶ばかりするのですか!』

 

『なんでだろうなぁ……メタトロンとは、初めて会った気がしないの。一緒に居ると何だか懐かしい気がするから……それじゃ理由にならない、かな?』

 

『……貴女の言いたい事は分かりました、ですが次からはそんな真似はしないで下さい。私が傷ついたとしても、後衛で貴女が支援してくれた方が、全体としての戦力は上昇しますから』

 

 そんな問答をする2人の様子をフィーリアは優しい眼差しで、もちろんアバターに反映はされないのだが──胸の奥に、何か温かいものを感じながら見守っていた。

 それはとても好ましい感覚だったと、今でもフィーリアはそう思っている。

 

『……ふふ、2人とも仲が良いのね』

 

 フィーリアがそう笑いかけると2人の天使は示し合わせたような全く同じ動きで、すぐさまフィーリアの方に向き直った。

 

『あっ、申し訳ありません!』

 

『謝る必要なんてないわ、メタトロン。私も、貴女たちの事を見ていると色々と気付かされる事が多いもの』

 

 まだ問いにも至らない、単なる気付き。

 それでも、これはきっと何か重要な事に続いているとフィーリアは感じていた。

 

『私たちを助けて貰って、本当にありがとうございました。前から思っていたんですけど、ミカエルさんって何だか──』

 

 

 

 

 

 

『──()()()()使()()()()ですね……』

 

 

 ☆☆☆

 

 

「──お姉ちゃん、フィリアお姉ちゃん?」

 

「っ……あぁ、すまない。少し考え事をしていたんだ」

 

 俺が本物の天使、か。

 かつての記憶を思い起こしたフィーリアはそんな事を内心呟いた。

 

(……天使に相応しくないと思うなら『天使と人間の違いとは何か?』という問いの答えを探せば良い。優しさが何なのか分からないなら『優しさとは何か?』という問いの答えを導けば良い)

 

 それらの答えは、天使という存在を期待してくれたあの2人への贖罪となると同時に、今はまだ遠い本物の天使という存在に近づく鍵となる。

 それに、異世界だからこそ現実では分からないような問いの答えが見つかるかも知れない。

 

 何より『天使』という概念はフィーリア自身が一番理解したい事だ。

 

 そう考えると分たれていた心が疑問によって1つになったからか、フィーリアは急に心が晴れる気がした。

 

「ふふっ、なるほど。だったら、いつまでもナイーブでいるのは得策ではないな」

 

「えーっと……な、ないーぶ?」

 

「いやいや、こちらの話だよ」

 

 さて、と呟いてフィーリアは建物の壁から身を離した。次の目的地に向かうためだ。

 少なくともこのカリンシャの町にはメタトロンとサンダルフォン、セラフィムの痕跡もなければプレイヤーの気配すらなかった。この国、ローブル聖王国の首都はホバンスといい、ここより更に西に行ったところにある大都市らしい。そこになら何か痕跡があるかも知れないし、この世界の地理的な概要も掴めるだろう。

 この町はいわばフィーリアにとっての始まりの町だ。少し名残惜しいが、いつまでも留まって居るわけにはいかない。

 

「あれ? フィリアお姉ちゃん、どこに行くの?」

 

「私は旅人だからね、この町には数日程お世話になったけど、そろそろ次の町に行こうかなと思ってね」

 

「えぇー!? そんなぁ、まだ行かないでよぉ……でも、フィリアお姉ちゃんは旅人さんなんだよね……あ! そうだ!」

 

 ゴソゴソ、とメルという少女がスカートのポケットの中に手を突っ込んだと思うと、やがて小さな角笛を2つ取り出した。そして、少々歪な形をした角笛の片方をフィーリアに差し出した。

 

「これあげる! メルの家で作ってる笛だよ! お姉ちゃんがこの町からいなくなるのは寂しいけど……えっとぉ、かたみ? って言うんだっけ?」

 

 フィーリアはその角笛を受け取り、手の上で転がした。何の魔法も効果もない、至って普通の小さな小さな白い角笛のようだった。

 

「メル、この笛をかたみにして、またフィリアお姉ちゃんが町に来るの待ってるから!」

 

 えへへ〜といった笑顔を見せるメル。

 天使には心の臓もなければ血の一滴も流れていないというのに、フィーリアは胸の奥が僅かに温かくなった気がした。

 

「ふふっ、分かった、またいつか会おう。この角笛はずっと大切にするよ……ずっとね」

 

 だからこそ本心でそう呟いたフィーリアは、後でこの角笛をアイテムボックスの大切な物のカテゴリー内に収めておこうと密かに考えた。

 

「メルー? そこで何してるのー?」

 

「あ! お母さん! それじゃあフィリアお姉ちゃん、またねー! 約束だからねー!」

 

 メルという少女は、大きく手を振りながら母親と見られる人物の下に駆け寄っていった。

 フィーリアは兜の下で僅かに微笑むと、その小さな背が人混みの中に消えるまで見守ったのち、裏路地に入り込んでその姿を消したのだった。

 

 

 ☆

 

 

「確か……あった、これね」

 

 警備兵以外は眠りこけているであろう深夜、フィーリアは〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉の魔法を発動させながら、未だカリンシャの町の上空を飛んでいた。

 

 やがて一軒の家を見つけたフィーリアは、音も気配もなくふわりとその家の2階の窓の近くに下降した。窓をそっと開けると、どうもそこは寝室のようでベッドの上で見知った少女がスヤスヤと眠っていた。

 

 その表情を少し見た後フィーリアはこっそりと窓から建物に翼を折り畳んで入り込むと、ベッドの側の机の上にアイテムボックスから〈無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)〉を取り出してそっと置いた。

 面白い小説が書かれた本を贈ってもよかったのだが、生憎文字が全て日本語なのでフィーリアは諦めていた。

 

 "私からのささやかな贈り物だ、気に入ってくれると嬉しいな"

 

 元の世界とは異なる文字に悪戦苦闘しながら書いた、花柄のメッセージカードを〈無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)〉の近くに添えると、フィーリアは窓から10枚の翼をはためかせて飛び立った。

 そして、カリンシャの上空をゆっくりと一周した後、聖王国の首都ホバンスに向けて流れ星のようなスピードで飛び去っていったのだった。

 

 



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#3 仲間

やっと原作キャラ?との絡みが書けました。
お待たせしてすみません。


「今帰ったぞ、ネイアはいるか?」

 

 ローブル聖王国首都、ホバンス。

 昼間は人々の喧騒と神殿の静寂とが入り混じるこの町も、夜になればまた違う顔を見せていた。

 そんなホバンスの中心。この国を治める聖王女のお膝元ともいえる一等地に立ち並ぶ、貴族の屋敷ほどではないにしろ中々立派な建物の一つが、九色の黒を戴くパベル・バラハの愛娘とほんの少し恐ろしい愛妻の住む実家だ。

 

「あら、あなた?おかえりなさい。ネイアは2階に居るけど……どうしたの?まだ休みには早かったんじゃないかしら?」

 

「仕事の都合でな。壁の方で少し厄介な……いや、面倒な事が起こったんだが……それが余りに突拍子もない話だったもんだから、九色の俺が直接状況を報告する事になったんだ」

 

 既に聖騎士の業務を終え、自宅に戻って家事をしていたパベルの妻はその手を止めると玄関に居る夫に駆け寄り、身の回りの荷物を受け取った。パベルは軽装の革鎧を脱ぎながら話を続ける。

 

「報告会は明日だ。それで丁度ホバンスに寄れたもんだから、久しぶりにネイアの顔が見たくなってな」

 

「あらあら、そういう事だったのね……てっきり、あなたが娘に会いたくてお仕事をサボったのかと思ったわ〜」

 

「流石に俺もそこまではしないぞ……多分、きっとな。いや、もしかしたらたまにはするかmいだだだだだ!!」

 

 女性ではあるが、パベルの妻は現役の聖騎士である。

 玄関の床に穴が空きそうなほどの破壊力で、尚且つ丁寧につま先を踏み抜かれたパベルが感じた痛みは、きっと人食い大鬼(オーガ)に踏み潰された方がマシだと思えるようなものだっただろう。

 少しの間だけ悶絶したパベルだったが、どうも妻からのこういう仕打ちには慣れっこのようで、尋常じゃない痛みを抱えながらも腰を90度に折って頭を下げた。

 

「……絶対にしません」

 

「それならよろしい。それと、あの子あんまり訓練で腕を上げられていないみたいよ?一応言っておくけど、まだあの事で納得したわけじゃないからね?」

 

「まぁまぁ……でも、今はネイア自身の選択を尊重するべき時期だと思う。そりゃあ、俺もネイアが聖騎士の道を目指した事に、思うところがないわけじゃない。聖騎士になるより、近くのいい男と巡り合って、恋をして、結ばれた方が安全だし、幸せになれる……少なくとも、聖騎士になるよりは。だがあの子が──」

 

「はいはい、そんなに言わなくても大丈夫よ。納得はしてないけど、あの時説き伏せられたんだから、今すぐやめさせろなんて言わないわよ。私は夕飯の支度をするから、あの子に顔見せて来たらどう?」

 

 自身の恐妻に萎縮していたハベルは(助かった……)と、内心で安堵しながら革鎧を妻に預けて身軽になると、そのままの足で2階にある娘の部屋へと向かった。「構いすぎちゃダメよー?」という、やっぱり怖い妻の声を背に受けながら。

 

 2階へと続く階段は短いものの、夜は明かりが少ないのもあって少々薄暗かったが、野伏のパベルは騎士団の中でも特にその目を使って仕事をしている。そんな彼なのだから、この程度の暗さで階段を踏み外すような真似はしなかった。

 やがて、明かりが灯されておらず真っ暗な2階の廊下に面している幾つかの部屋の中から、扉の隙間から光が漏れ出している部屋がパベルの目に入った。パベルの愛娘、ネイアの自室である。

 パベルはその扉の前までわざと足音を立てながら歩み寄ると、身を正して扉を数回ノックした。

 

「……えっと、ネイアー?いるかなー?パパお部屋に入っても良いかなー?」

 

「…………」

 

 猫撫で声からの気まずい静寂。

 以前、パベルはノックも確認もせずに娘の部屋に入った時、そのあまりに完璧な忍び足にネイアが父親がすぐそばまで来ている事に気付かず、突然扉が空いた事に驚いて叫ばれてしまった事がある。その後はもう、パベルは駆けつけた自身の妻にさんざん説教をされたあげく、山羊人(バフォルク)にも勝るとも劣らない健脚での蹴りを2回も頂戴してしまった。

 

 それからというもの、パベルは娘の部屋を訪れる時はだいぶ気を遣うようになった。わざと足音をたてたのも、無意識のうちに足音を消して歩いてしまう職業柄のためだ。

 

「……入るよー?」

 

 一応、本当に入って来て欲しくない時はネイアの方が何かしらの反応をして拒絶する。そのため何も言ってこないという事は肯定と同意義なのだが、それでも最近娘との距離感に悩むパベルは少々不安感を覚えてしまう。

 

「……お帰りなさい」

 

 パベルが軽い木の扉をそーっと開けると、扉から見て部屋の反対側の机の上に置かれている〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の魔法が付与されたカンテラに照らされた愛娘──ネイアの横顔が目に映る。

 言葉遣い的に怒っているわけではなさそうだがパベルの方には一瞬顔を向けただけで、また机の上に視線を戻してしまった。どうやら、騎士団の筆記試験に向けての勉強中だったららしい。

 

「た、ただいまー……宿題中だったんだねー……いやー偉いなー、ネイアは」

 

「………………」

 

 会話が続かない。

 これでもパベルは九色という聖王から与えられる称号の一つ「黒」を頂く凄腕の弓兵なのだが、娘の前ではパベルが親バカな性格のために何とも情け無い姿を晒してしまっている。

 妻と娘以外で彼を知る者がこの状態を見れば「ここまでとはなぁー……」と空を仰ぐ事だろう。

 

 因みに、ネイアが振り返る事なく黙っているのは年頃だから──という理由もないわけではないが、それよりもいきなり変な褒め方をされて反応に困っているというのが大きい。

 

「……ネ、ネイア?ちょーっとだけ、ネイアに見せたいものがあるんだけど……」

 

 しかし、そんな事をパベルは知らない。そのため、これ以上変な会話は出来ないと判断したパベルは早速本題に入る事にした。

 

「な、何?お父さん?」

 

 父親の仕事の関係上、正面から話す機会など滅多にないからかどことなく落ち着きがない様子のネイアだが、それは彼女の父親とて同じこと。

 おまけに2人とも生まれつき目つきが悪いので、第三者が見たら「殺し合いでも始める気か!?」と勘違いしてしまいそうなほど、その場の空気感が悪いように見える。実際は、お互い次の言葉に悩んでいるだけなのだが。

 

「えーっと。ネイアは最近、聖騎士の訓練頑張ってるんだよねー?だから、お父さんからプレゼントをあげようかなーって……」

 

「プレゼント……?」

 

 困惑するネイアにパベルはちょっとおぼつかない動作で懐に仕舞い込んでいた一枚の「羽根」を取り出すと、その「羽根」の軸の部分を持ちながら、椅子に座っているネイアに視線を合わせた。

 

「これは、パパがこの前──」

 

(何、これ……綺麗な羽根……?)

 

 成人男性であるパベルの手のひらに収まりきらないほど大きい純白の羽根は、主の元を離れた今でも仄かに輝き、見ているだけでふっと温かい気持ちを思い出させてくれる気がする。

 

「──が、──になって──それから──」

 

(…………)

 

 その羽根は懐にしまわれていたにも関わらず、羽弁の毛の一本一本が乱れなく生え揃い、根元に近い綿状羽枝など空に浮かぶ雲のようにもこもことしていた。

 薄暗い部屋のせいか、羽根はうっすらと青白いオーラに近い光を纏っているのが視認できる。決して人間では手が届かない雲の上の天空の景色が、その羽根越しに見えるかのような──そんな幻想に、ネイアはすっかり見入ってしまっていた。

 

「──と、いうわけなんだよ。まぁー、パパは珍しい鳥の羽根だと思ってるけどね。ネイア、気に入ったかな?」

 

「えっ!?あっ、うん……!」

 

 話を聞きそびれた、とネイアは思った。

 だが、ここで正直にそれを言ったら自身の父親が目に見えてショックを受けるに違いない。ネイアは騎士団で培わざるを得なかった忖度のスキルが働き、話を合わせておくという結論に至った。

 

「……!!そ、そうかそうか!お守りだと思って、大事にしておくんだよ。それと──」

 

「あなたぁぁー?いつまでネイアの部屋に居るつもりなのー?もうご飯冷めちゃうわよー?」

 

 一階から聞こえて来た母親の声に「そんなに時間が経っていたの!?」とネイアが思うより先にパベルは名残惜しそうに羽根を手渡すと、素早く部屋から出て行った。去り際に何やら色々言っていたが、早口過ぎて何を言っているのかネイアには分からなかった。

 

(本当に、珍しい鳥の羽根……?)

 

 嵐のような父親の来訪の後、再びネイアの部屋は静かになった。

 まぁ一階からは色々と両親の喧騒が聞こえて来るが、本当は凄く仲むつまじい事を知っているネイアからすれば今更気になるものでもなかった。

 

 それより、今はこの羽根である。

 ネイアはそっと羽根をつまむと、何気なしに机の上にある〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の魔法が付与されたカンテラにかざした。すると、その羽根は光を吸収しているかのようにより一層輝きを増した。

 

(……大きさからして普通の鳥のわけがない。確か亜人にも鳥っぽいのはいたはずだけど、こんな雰囲気を亜人の羽根が生み出せるの……?それ以外に考えられるとしたら……)

 

「──天使の羽根、とか?」

 

 天使という種族が存在する事は聖騎士を目指している以上、当然ネイアも知っている。

 

 ただ、それは聖王国がよく戦いの際に用いる召喚モンスターとしての話だし、そもそも召喚魔法には時間制限があるので、体の一部である羽根がいつまでも残っているのは不自然だ。

 そうなれば天使という種族が召喚モンスターなどではなく、独立した意思を持って何処かで生きている者もいるという事になるが……。

 

(案外、誰も知らないだけで近くにいたりするのかも)

 

 そう結論付けたネイアは羽根を机の傍に置き、再び騎士団の筆記の宿題に取り掛かった。

 

 既にその羽根の主が、何度も何度も上空を通り過ぎている事に気付きもしないで……。

 

 

 ☆☆

 

 

 朝方、ローブル聖王国の首都ホバンスに存在する、とある宿の少し安っぽい木目調の部屋にて。

 

「っ、くひゅん!寒さなんて感じないはずなのだけど……寒さといえば、換毛期って天使にもあるのかしら?……イマイチ思い出せないわね」

 

 寒さ云々の前に呼吸が必要ない天使がくしゃみをするのは不自然なのだが、恐らくフィーリアの人間側の精神が干渉して起きたくしゃみのような何かなのだろう。

 

「まぁ今は……〈感知増幅(センサーブースト)〉〈敵感知(センス・エネミー)〉……周囲の警戒の方を優先すべきね」

 

 白と金色のフルフェイスの兜と鎧ドレスを纏ったフィーリアは、少々頼りなさそうなベッドに腰掛けてボソリと探知魔法を唱えた。

 

 魔法が発動して詠唱者だけに見える緑色のオーラがフィーリアを中心に放たれると、床を透過して緑色の光の玉がレーダーに映り込んだように幾つか浮かび上がった。

 結果、1階に数名の人影はあるものの、こちらを覗いている者はいないようだった。

 

「スクロール、は……使うしかないわね」

 

 何者かが探知魔法を用い、離れた場所からこちらを覗いている可能性もある。現状、新たに魔法のスクロールを入手するにはそれを取り扱う町の店から購入するしかなく、売っているものは高い値段の割に超低位のものばかり。

 そのため、あまりスクロールは使いたくないというのがフィーリアの本音だが、正体がバレるというリスクを考えれば背に腹は変えられない。

 

 フィーリアは探知魔法に対して阻害効果のある魔法のスクロールをアイテムボックスから取り出すと、軽く上に放り投げた。

 羊皮紙が瞬く間に燃え上がり、部屋の中に黄色い光の粉のようなものが拡散していくが、それ以外には何の反応も起こらなかった。

 つまり、誰もフィーリアに対して探知魔法を使っていない、という事を示している。

 

「……大丈夫、よね?」

 

 フィーリアは確かめるように呟きながら、まずは兜をそっと脱ぐと、滑らかな白髪が一瞬波打つように踊って肩に流れた。

 ベッドの上に兜を置いた後、深い海のような色合いの青いマントを外すと、普段は隠れていて見えない鎧ドレスの背中側にあった、トランプのダイヤのような形をした菱形の切れ込みが露わになる。その切れ込みからは、雪のように白いフィーリアの素肌が肩から腰の辺りまで覗いていた。

 しかしそれも一瞬の事で、装備品を外した事によって隠されていた白翼がふわりと現れた。

 

 ユグドラシルでは装備を身につければ、サイズは自動的に外見(アバター)に合ったものになるし、角や翼があったとしてもそれが邪魔になる事はない。フィーリアはそれを逆手に取って、自身の背中に生えている白翼を隠したのだ。

 

 フィーリアが所持している鎧ドレスを含めた装備は全て天使用で、どれもこれもご丁寧に背中に翼用の切れ込みがあるため、その上にマントを羽織る事で翼を消している。

 因みにユグドラシルに於いて、マントは首から下げる扱いの装備品だ。

 

「ん〜っ、疲れた〜……」

 

 少々あられもない声を出しながら、フィーリアは身体を伸ばしつつ背中の6枚の白翼を目一杯に広げた。

 安宿の低い天井に触れてしまいそうなほど巨大な白翼を伸ばし切ったフィーリアは、今度はその6枚の翼をパタパタと軽く前後に動かした。意識せずとも残りの頭に生えている、飛行にはまるで役立たなそうな小さい4枚の羽根も連動してピコピコと動いている。

 

 天使は種族の特性として疲れたりしない。実際今のフィーリアに肉体的な不調は何一つないが、それでも疲れたと呟いているのは精神面からくる倦怠感のためだ。

 

 フィーリアはカリンシャからホバンスまでローブル聖王国の国土を描いた地図、それに己の翼と〈飛行(フライ)〉の魔法のみで移動したのだが、距離の問題で数時間も飛び続ける事になってしまった。

 その間は継続的に〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を発動させていたため、その魔力消費も多少は倦怠感の要因ではあるのだが、それ以上に長時間の飛行でフィーリアに残る人間側の心が地面に足が着いていない事に違和感を感じ、気疲れしてしまったというのが倦怠感の正体だ。

 

 そのため、真夜中に首都ホバンスに辿り着いたフィーリアが真っ先に行った事が、寝泊まり出来る場所の確保だった。

 まぁ夜に宿屋は閉まっているので、その間はホバンスの上空を偵察がてら「宿屋開かないかなー」と呟きながらぐるぐると旋回して朝を待っていたのだが。

 

 その後、夜が明けて「いざ宿屋へ」と久々に地面に降り立つと足が地面に吸い付くような感覚と何処か落ち着くような感覚を同時に覚える事もあり、改めて自身が特殊な存在なのだと感じさせられたりもした。

 そんなこんなで安宿を見つけたフィーリアは、文字通り羽を伸ばしているというわけだ。

 

(それにしても、今のが俺の声だなんて。ユグドラシルではボイスチェンジャーを使って性別を誤魔化してたけど、その時の声とは比較にならない美声だな……)

 

 フィーリアはベッドに腰掛けたまま「ら、ら、ら〜」と軽く歌ってみると、つっかえる事なく思うがままの音程が口から出て来た。そもそも声だけではなく、生きる上でどうしても感じるであろう身体的な不快感が全て消え失せている。

 例えるならば、人間として最低限必要な部分だけを取り出してその上からメッキでもされたような、清々しくはあるが無機質な存在になった気分というか。

 

 そのままフィーリアは、アイテムボックスから何の効果もないただの手鏡を何気なしに取り出すと、兜を脱いだ自身の顔をまじまじと見つめた。

 

(やっっば、本当に顔が良すぎる……今なら自分の姿に恋して泉に落ちた馬鹿の気持ちも分かる気がするなぁ……うはぁ照れてる顔も可愛い……)

 

 白く滑らかな髪の毛、切れ長だが奥には果てない優しさを感じさせる瞳、妖艶さとは無縁の薄さを持つにも関わらず柔らかそうな唇。おまけに全体的にスレンダーなモデル体型だと言うのに、出るところは自然と出ているというこれ以上ないくらいの体つき。綺麗だとか、美人だとか、そんな事は当たり前過ぎて褒め言葉にならないレベルだ。

 

 キャラクリをしたフィーリア自身が見てもこれほどの感想が出るのだから、何も知らない状態で出会ったら誰でも恋をしてしまうだろう。

 

(いっそ演者とかになって名前を売る、なんてどうかな?この世界にそんな職業があるかは分からないけど……いや、やり甲斐はあるけど結構大変な仕事だってハニエルさん言ってたか)

 

 フィーリアはほっぺたに手を当てながら、そこそこ仲が良かった自身より1つ上の階級である『権天使』ハニエルの事を思い起こすと同時に、腰を落ち着けた今試してみたい事も思い付いた。

 フィーリアは手鏡をしまうと、かつての記憶を辿りながら下の階に聞こえないような小さな声で、コッソリと魔法の詠唱を行う。

 

「〈星幽界の障壁(アストラル・バリア)〉』

 

(……何も起きない、か)

 

『権天使』ハニエルは死霊系魔法詠唱者(マジックキャスター)だった。

星幽界の障壁(アストラル・バリア)〉もそんな死霊系の魔法の1つであり、フィーリアはユグドラシルではその魔法を見た事は何度かあったが、自身は信仰系のビルドをしているため当然習得はしていなかった。

 

 魔法を詠唱したにも関わらず魔力の変化をフィーリアは感じなかった上に、何の効果(エフェクト)も無かったという事はつまり、知っているだけでは魔法を使ったりは出来ないという事だ。

 

 西へ西へと大移動をしているフィーリアだが、そろそろ何処かに拠点を置く必要があると感じ始めていた。先程の魔法の事もそうだが、この世界はユグドラシルの法則がある程度通用するのにも関わらず、地理的にはユグドラシルの名残すらない。

 

 つまるところ謎が多すぎるのだ。今のところ他のプレイヤーの痕跡すら無いが、国の首都ともなれば何か知っている人がいるかも知れない。プレイヤーの情報が無くとも、この世界の全体図はある程度把握しておきたいところだ。

 

 ここで言う『全体図』とは、地理だけでなく文明やそこに生きる者なども含めた全ての事だ。全体を把握出来ていないと、そこから逆算して今何をすべきか考えられない。

 だが、今のように常に他者からコソコソと隠れながらでは腰を据えて調査することもままならない。そのため、自身の領域となる拠点が必要だ。

 

(町の外の人目につかない辺境にでも本拠地は構えるとして、効率的な情報収集のためにもこの首都の何処に〈転移門の鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉が置けるサブ拠点を購入すべき……かな。だったら……)

 

「……働かないとね。いつまでもふらふらしていたら、大天使として示しがつかないわ」

 

 フィーリアは現在、カリンシャで幾らか稼いだお陰で、銀貨6枚と銅貨10枚の所持金があった。冒険者協会への初期登録費用が5銀貨なので、これを元手に冒険者となれば、晴れて無職大天使から卒業となる。

 

 因みに、フィーリアは種族的に言えば大天使(アークエンジェル)どころか熾天使(セラフィム)であるが、そう言い表すと『熾天使』の称号を持つギルド長の顔に泥を塗ってしまう気がするので、あくまで『大天使』と呼称している。

 まぁその呼称も正確には「元」が前に付くのだが。

 

 改めて兜とマントを装備して白翼と素顔を隠したフィーリアは、小さめの部屋を出て1階に降りると、宿屋の主人に軽く挨拶をしてから一旦宿屋を後にした。

 

 宿屋のあるホバンスの大通りにはカリンシャよりも規模の大きい建物が立ち並び、商店では様々な物が売り買いされている。少し店の中に目をやれば、色とりどりの果物から雑貨のような小物、流石に昼は静かな酒場に、質の良さそうな皮鎧を店の前に並べている鎧鍛冶の店まで何でもある。

 

 日々を生きている人々の活気を確かに感じることが出来る町でありながら、ところどころにある年代の古そうな建物のためか、町並みにはどこか洗練された清らかな雰囲気を感じる。

 少なくとも元の世界のコロニー内のような、栄えているだけで"行き止まり"の場所はではない。

 

『"聖"王国』なんていう堅苦しい名前の国の首都だから、さぞ町中も宗教色の強い厳粛な雰囲気なのだろう、というイメージを抱いていたフィーリアにとっては良い意味で予想外だった。

 

 そしてその通りの端にある、一際大きな建物の前でフィーリアは立ち止まった。

 

 その建物は冒険者ギルド、カリンシャにも似たような建物があったのでこの世界の簡単な文字しか読めないフィーリアでも気付く事が出来た。

 

 建物の中に入ると、首都という事もあってか受付カウンターには既に何人か並んでいる。フィーリアはその列に加わると、順番が来るまでぼんやりと辺りを見渡していた。

 

(ん……?)

 

 すると、フィーリアの視線がとある人物に釘付けになる。

 その人物は金髪の女性で、傍には杖を携えており、一目見ただけでフィーリアが知る限り魔法系の職業のどれかだと分かるが、それとは別にその女性の容姿がフィーリアの目を引いたのだ。

 

 女性にしてはかなり背が高く、胸も大きい。全体的にバランスの良いスタイルをしているが、特に目を引くのが顔だろう。髪の色は黄金色で、肌の色も白く、瞳も透き通っている。

 元の世界の基準からすれば美女という言葉が相応しい人物であり、フィーリアは普段からそれを上回る(自分)を見慣れていなければ見惚れていたかも知れなかった。カリンシャでもたまにそんな美男美女を見かけた事があったが、この世界は顔面偏差値が元の世界より高いのだろうか。

 

 やがてフィーリアの番が回ってくると、受付嬢が声を掛けてきた。フィーリアは即座に我に帰ると返事を返した。

 

「すみません、冒険者になりたいのですが……」

 

「はい、かしこまりました。ではお名前を教えて頂けますか?」

 

 冒険者登録の手続きというのは非常に簡素なもので、名を名乗り初期費用を支払いをした後は、特に何か紙に書き込む事もなく注意事項の説明へと移っていった。無料で第三者を治癒してはならないという説明をされた時には、少々やるせない気持ちになったが。

 

 フィーリアは話を聞き流しながら、チラリと先程の美女の方を見るが、彼女は既に手続きを終えたのか、今はもう別の受付カウンターへと移動していた。フィーリアと同じような手続きをしているあたり、どうも彼女も登録に来た様だ。

 

(そういえば、あの人はなんであんなに緊張してるんだ?)

 

 フィーリアは、先程から若干挙動不審な女性を見てふと疑問に思った。

 

 冒険者協会の登録料として銀貨5枚を支払う必要があるのは、駆け出しの冒険者がすぐに死なないようにするための処置の一環らしい。登録をしようと思えば出来るが、ホイホイと登録させない絶妙なラインなんだとか。

 確かに、冒険者とは時に命懸けの仕事となるのだろう。新人にとって登録は多少なりとも緊張するものなのかもしれない。しかし、彼女の様子はどうもそれだけではないような気がした。

 

 フィーリアは少しの間観察していたが、すぐに興味を無くして再び自身の順番が来るのを待った。結局、その後フィーリアは特に問題なく冒険者としての登録を終えると、身分の証明になる冒険者プレートを受け取った。

 

 冒険者プレートは金属板で出来ており、駆け出しのフィーリアは(カッパー)のプレートだ。階級が上がるに連れて(カッパー)(アイアン)(シルバー)(ゴールド)、ミスリル、アダマンタイトとプレートの材質が変わる。

 

 そして、フィーリアは早速冒険者協会の中にある掲示板の下に向かった。

 

 冒険者協会は依頼の受注や達成報告などの手続きを行う場所だ。建物内の巨大な掲示板には様々な依頼が書かれた紙が貼り付けられており、この紙を剥がして受付に持っていき、契約金を支払って受注となる。

 

 無事依頼を達成すれば契約金以上の報酬が貰えるので、それを元手にどんどん仕事を請け負うのが冒険者のやり方らしい。

 

(えーっと、なになに……魔法、を……ほ、捕虜にする……?ダメだ、素だと全然読めないな。こんな時は……)

 

 フィーリアはあらかじめ鎧ドレスのポケット内に隠していた、片眼鏡(モノクル)型の翻訳機能のあるマジックアイテムを取り出し、そのレンズ越しに依頼書をじっと見つめた。

 

 この世界に来る前のフィーリアはその立場と職業上、何ヶ国語も話す必要があったため言語を学ぶ事に慣れてはいた。

 ただ、いくらなんでも数日では簡単な単語を覚えるのがやっとだ。この前の手紙だって殆ど現地の書籍の例文のコピー&ペーストをしたから書けたのであって、手紙を書いている時は意味の分からない文字の羅列をこの片眼鏡(モノクル)で確認しつつ、疑心暗鬼になりながらたどたどしい文字で綴っていた。

 

 幸い、魔法の効果かフルフェイスの兜は視界を確保する穴などが無くとも、装着者側からは外の様子がはっきりと見えるため、片眼鏡(モノクル)で数多の依頼書を流し読みするのにそこまで時間はかからなかった。

 

 その依頼書の内容はざっと見ただけでも亜人討伐、薬草採取、護衛、素材収集、お使い……大体が傭兵か雑用じみた仕事だったという事くらいは分かった。

 どうもこの世界の冒険者というのは、そんなに夢のある仕事というわけでもないらしい。

 

 やがてフィーリアはまだ貼られて間もないと見られる、めぼしい一枚の依頼書を見つけた。

 

 内容:プラートまでの護衛(日帰り)

 条件:階級問わず、2人以上のパーティーのみ。

 報酬:銀貨6枚

 備考:プラートまでは馬車で移動します。途中、モンスターに襲われる可能性がありますが、戦力的に問題なければ襲われた際の戦闘を許可します。ただしその場合、最低2人以上での行動をお願いします。

 依頼主:ラスティ商会

 

 プラートはホバンスに来る途中で上空を通り過ぎた、カリンシャとホバンスの間の小都市だ。

 フィーリアはこの依頼文を何度か読み返した後「悪くない」と内心思った。

 

 今使っている装備品は普段の神器(ゴッズ)級ではなく、1つ下の伝説(レジェンド)級や2つ下の聖遺物(レリック)級のレアリティのものだが、それでもちょっとやそっとの事じゃ壊れたりはしない。食事も食べようと思えば食べれるのだろうが、全く食欲を感じないので天使の身体には不必要なものなのだろう。

 

 つまり、フィーリアの所持金──現在銅貨10枚は、宿代以外に使う用途がないという事だ。その宿でさえ、寝床ではなく身を隠すための仮拠点というだけで、場合によっては野宿して切り詰める事だって出来る。

 

 この護衛の依頼は、他の依頼と比べて報酬がかなり良い。大体、駆け出しの(カッパー)の冒険者が受けられる依頼など、薬草採取が殆どでその報酬も銅貨数枚といったところだ。

 

 そもそも依頼書にはさも当たり前のように「薬草」と書いてあるが、フィーリアには薬草と雑草の違いが分からない。そんな状態で依頼を受注したところで散々な結果になるのは目に見えているし、報酬も安いのでは話にならない。

 それを踏まえた上での護衛依頼だ。

 

 一応、護衛より討伐依頼の方が力を出し惜しみなく振るえるというメリットはあるが、そういう依頼は最低でも1つ上の(アイアン)級からのものしかないので諦めた。加えて、誰かを守るというのはフィーリアの得意とするところだった。

 ただ、一点だけ問題があった。

 

(2人以上のパーティー……)

 

 見ての通りフィーリアはソロである。幸いここは冒険者協会、周囲には沢山の冒険者がいるので、近くの適当な冒険者にでも話しかけて勧誘しようかと思ったフィーリアに、何者かが声をかけて来た。

 

「ねえ、君。ちょっといいかな」

 

「……なんでしょうか?」

 

 フィーリアに声をかけたのは、先程まで挙動不審だった金髪の女性だった。

 女性はフィーリアに近付くと、ニコリと微笑みながら話しかけてくる。

 

「冒険者協会は初めて?」

 

「……えぇ、まあ」

 

「じゃあさっき登録したばかりなんだね。私はビビアナ。君の名前は?」

 

「……フィリアです」

 

「フィリアかぁ。可愛い名前だね。ところでさ、その依頼を受けるんなら、私と一緒にパーティー組まない?」

 

「はい?」

 

 突然の申し出に、フルフェイスの兜の中でフィーリアは目を丸くした。

 

「実は私も、まだ登録したばかりで色々と不安だったんだけど……君みたいな女の子が仲間になってくれるなら安心だよ!冒険者って、女の子とかあんまりいないからさ〜。しかも君、剣士なんでしょ?魔法詠唱者(マジックキャスター)はまだ女の子もそこそこいるんだけど、女の子で剣士やってる冒険者なんて、全然居ないんだよね〜」

 

「え?あ、いえ、そんな事言われましても……」

 

「大丈夫!私が君を魔法で支援してあげるから!」

 

「ちょっ!?︎」

 

 ビビアナは強引にフィーリアの手と依頼書を取ると、そのまま強引に受付へと手を引いていく。

 フィーリアは別に振り解く事も出来るには出来るのだが、そのやる気に満ち溢れた様子に気負けしてしまい、そのまま引きずられていった。

 

「あの、本当に困りますので……」

 

「だから大丈夫だって!任せておいてよ!!︎」

 

 ビビアナは満面の笑みを浮かべ、自信満々の様子だった。フィーリアは諦めて抵抗する事をやめると、大人しくビビアナの後についていった。

 

「あ、そうだ。君って今何歳なの?声的に同年代ぽいけど……」

 

「20歳です……(外見(アバター)の設定は)」

 

「そっかぁ。私より1つ下なんだ。私は21歳だよ。よろしくね、あ、フィリアちゃんって呼んでもいい?」

 

「……はい」

 

「ねえ、フィリアちゃんはどうして冒険者になろうと思ったの?」

 

 フィーリアは自分が何故ここに来たのかを──もちろん正体や経歴には嘘も交えながら、不自然にならないよう簡単に説明した。

 

「へー、そうなんだ。フィリアちゃんは偉いね。普通はお金稼ぎのために冒険者になる人が多いのに、誰かを助けようとしてわざわざ登録しに来るなんて」

 

「………………」

 

「フィリアちゃんは優しい子だね。そういう子は、きっと良い冒険者になれると思うよ」

 

「……ありがとうございます」

 

 フィーリアが礼を言うと、ビビアナは人の良さそうな笑顔で応えた。

 

(変な人に絡まれたけど、なんとかなるかも知れないな。誰にするかもう少し慎重に選ぼうと思ってたけど……魔法詠唱者(マジックキャスター)なら、この世界の魔法についてある程度知る事が出来るかも)

 

 そう考えたフィーリアは、とりあえずビビアナという女性に付いて行く事にした。別に誰かと組もうという目星がついていたわけでもない、むしろ勧誘の手間が省けた分、ラッキーだったとも言える。

 

「すみません、この依頼を2人で受けたいんですけど……」

 

 ビビアナはそんなフィーリアの思惑などつゆ知らず、さっそく受付に依頼書を持っていくと、カウンターで対応に当たっている受付嬢と話し始めていた。

 

「はい、依頼の受注ですね。では、まずお名前を教えて頂けますか?」

 

「ビビアナ・オルティスです、こっちは相棒のフィリアちゃんです!」

 

「かしこまりました。では、契約金は2人合わせて銅貨8枚になります。成功報酬は後日精算となりますが──」

 

 後ろからやり取りを眺めていたフィーリアは「いつから相棒になったのやら」と半ば呆れながら、そう心の中で呟いた。

 

 

 ☆☆

 

 

 日が丁度真上に来た頃、フィーリアとビビアナは冒険者協会の内部の大きめの待合室に通された。

 

 待合室の扉を開けると10人は座れそうな長テーブルと、同じ依頼を受けたであろうそれぞれが違う武器を持った4人の男がいた。

 

 プレートを見る限り4人とも(シルバー)級で、長テーブルの端に固まっているところを見るにフィーリアとビビアナのような急拵えのパーティーではなく、れっきとした冒険者チームのようだった。

 そんな4人組の男は入ってきたばかりのフィーリアとビビアナの姿を見る否や、顔をしかめ──その中でハルバードを背負ったリーダー格らしき男が小さく舌打ちをした。

 

「チッ……また女か。ついてねぇな」

 

 それに続く様に他のメンバーも口々に不満をこぼし始めた。仲間内の会話にしては部屋全体に聞こえるくらいの大声で、である。

 

「全く、どうして私達がこのような子供のお守りをしなくてはならないのやら」

 

「仕方ねぇだろぉ、階級問わずって書いてある依頼を受けたんだからよぉ?」

 

「でもよ、正直言って……(カッパー)の女とか足手まといにしかなんねえじゃねえか……マジでさ」

 

 フィーリアは小さくため息をつく。あまりにも雑魚っぽいセリフに、何だか悲しさまで感じたが故のため息だ。

 

 待合室の中央には10人分程の椅子が並んでいる木製の長テーブルがあり、その片隅に4人組の冒険者は集まっていた。壁際には幾つかの棚が立ち並び、そこには冒険者協会かの備品と思われる様々な本や道具類が陳列されている。

 

 フィーリアはそんな部屋内を一瞥した後、4人組の文句に耳を貸す事なく、彼らの対面の椅子に流れるような動作で腰掛けた。

 その様子を見ながら、ビビアナもおずおずと隣に座る。自分達より階級が2つも下であるにも関わらず「相手とせず」といった様なフィーリアの振舞いを見た4人は、それぞれ更に目に見えて気分を悪くしていた。

 

 お互いに言葉を交わす事なく、しばらくそのまま沈黙が続いた。

 その間も、冒険者組合の受付の方からは依頼を請け負っている人達や受付嬢の声が微かに聞こえてくる。それがやたらと両者の空気の悪さを引き立てていたが、フィーリアは無視を決め込んでいた。

 

「お待たせしまし……たぁ」

 

 そこへ、恐らく依頼主だと思われる栗色の髪をした年若い女性が扉を開けて入って来たが、空気感の悪さを感じ取り、その場でピシッと石像のように固まってしまった。

 全員の視線がその栗色の髪の女性に集まる中、ようやく我に帰ったのか、その女性はアワアワしながら机の前まで移動すると「すぅー……」と深く深呼吸をして話し始めた。

 

「えっと、皆さんが今回の依頼を受けて下さった冒険者の方々ですね?私はラスティ商会のホバンス支店長代理のサラ、と申します!今回は店の商品を馬車でプラートに運搬するのですが、皆さんにはその道中の警護をお願いしたいです。あ、報酬は依頼書にある通り、1人当たり銀貨6枚。もし途中でモンスターを討伐した場合、素材はそのモンスターを討伐したパーティのものにして下さって構いません!」

 

 何処か気弱そうに見えるサラは、何も見ずにそう一気に捲し立てると「ふぅ〜……」と小さく胸を撫で下ろしていた。何というか、頑張って説明を暗記して来たんだろうなぁという印象を受ける様子だった。

 

「それで、こちらの方々は確か銀級の……えと、何でしたっけ……?」

 

「はーっ……〈レウコン〉だよ。俺がリーダーのフレデオン、蛮人(バーバリアン)だ。で、そっちのヒョロいのが盗賊(シーフ)のアンデリク」

 

「ふふ……初めまして、アンデリクです」

 

 依頼主であるサラの前だからか、口調は落ち着いているものの相変わらず機嫌の悪そうな口髭を生やした大柄な男、フレデオンはアンデリクと呼ばれた、枝のように細く口元を布で隠している男に目をやった。

 

「コンポジットボウを持ってる茶髪がニコランド、射手(アーチャー)だ」

 

「よぉ」

 

 続いてフレデオンは優男のような見た目をした少し色黒でコンポジットボウを背負っている男、ニコランドに視線を送った。意識しているわけではないのだろうが、ニコランドの笑顔は妙に不気味だった。

 

「んで、魔術師(ウィザード)のゴードリーだ」

 

「ま、よろしくな」

 

 最後に枝葉のような杖をくるくると器用に回し、恐らく17か18くらいの歳に見えるこの4人の中では一番若そうな男、ゴードリーの紹介を終えたフレデオンは対角に座っているフィーリアたちの方に刺々しい視線を向けた。

 

「──で、お前ら誰だ」

 

「ひうっ、え、え〜と……」

 

 フィーリアの隣に座っているヒビアナはどうも男性から向けられた敵意にすっかり怖気付いたらしく、先程までの明るさが嘘のように黙り込んでしまっていた。

 

(今度は俺が先導しなきゃ、って事か……)

 

 半ば無理矢理だったとはいえ、パーティーを組んだ以上ビビアナは仲間だ。

 ユグドラシルでは当然フィーリアにも始めたばかりで弱い頃があったし、その時一番頼りになったのは仲間の存在だった。

 

 天使(エンジェル)は見た目こそ人間種に近いがれっきとした異形種だ。そのため天使も異形種狩り、という特定の職業習得という名の差別も受ける事も多々あった。

 その上、骸骨(スケルトン)粘体(スライム)鳥人(バードマン)半魔巨人(ネフィリム)昆虫(インセクト)悪魔(デビル)などその辺りの種族ならば「同じ日陰者の異形種同士だから」と仲良くやれるのだろうが、天使はなまじ神聖なものとして捉えられるがために「天使はちょっと……相性がね」のような区別も受けやすかった。

 天使の中にも邪悪色に染まってそういうコミュニティで上手くやっていく奴もいるにはいるのだが、大半の天使は異形種の中で更に孤独という、孤立無援の立場に陥りやすかった。

 

 だから天使はよく天使同士で助け合ったし、仲間を作ることが他の種族より大切だった。

 そうしないと何処にも居場所がなかったのだ。

 

『っはぁ、くっ……』

 

『いけねぇな姉ちゃん、回復しか出来ない天使のくせに外を歩いちゃ』

 

『お前らいつも仲間うちでお高くとまりやがってさぁ……気に食わねえんだよ』

 

『空は私たちのもの〜ってか?普段高いとこから見下(みくだ)してるやつに見下(みお)ろされる気分はどうだ?』

 

 フィーリアは支援系の職業だったがために、幾らかレベルを上げてもなお異形種狩りの対象にされる事があった。そんな時助けてくれた、仲間。

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神炎(ウリエル)!!』

 

 その時助けてくれた天使に誘われてフィーリアが加入したのが、発足して間もない有象無象のギルドだった頃の『セラフィム』であり、その天使こそ後の『第一位 熾天使ウリエル』というギルド長だった。

 

 その後何を話したか……フィーリアにはもう遠い記憶過ぎて思い出せなかった。

 だが、いずれにせよフィーリアはギルドに誘ってくれたウリエルさんに感謝しているし、ゲームの中だったとはいえ人間的に尊敬してもいる。であれば当然、恩を受けた者として報いなければならない。

 

 だが今はその恩を返すべきギルド長は居ない。

 しかし、出会って間もないがビビアナという仲間ならいる。ならばひとまずはこの仲間に恩を返すとしよう。

 

 それはきっと、自身を慕ってくれたメタトロンとサンダルフォンがミカエルという天使に望む、理想の姿でもあるだろうから。

 

(よし、気張っていくか!)

 

「皆さん初めまして、私は──」

 

 籠の中に囚われていた(フィーリア)は、新たなる世界で翼を得た。決意と愛を心に秘め、同胞の想いを背に受けて、楽園から今飛び立つ。

 

 ミカエルという名の天使の軌跡は、まだ始まったばかりだ。

 




以下、ステータス設定。(読み飛ばしても大丈夫です)

「ミカエル(フィーリア)」

種族・・・異形種(天使)
分類・・・プレイヤー
異名・・・「全ての星を司る愛の女神」
役職・・・「(元)セラフィム第八位『大天使』」
住居・・・ローブル聖王国?
属性・・・極善       カルマ値+500

種族レベル
・天使         Lv.10
・大天使        Lv.10
・権天使の祈り手    Lv.5
ほか        残りLv.25

職業レベル
・戦士(ファイター)  Lv.1
・女司祭(プリエステス)Lv.10
・セラス        Lv.5
など        残りLv.34

種族 Lv50 職業 Lv50 合計 Lv100


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#4 在るべき場所

オルドウィスおもちさん、akasiaさん、あんころ(餅)さん、麻婆餃子さん、誤字修正ありがとうございます!

今まで見た事がないくらいUA・お気に入り数が伸びてて驚きました。


 

「……ふむ」

 

「ねぇ、フィリアちゃん。さっきからずっと見てるそれって……地図?」

 

 ホバンスからプラートに向けて街道を行く、ボロくもなく立派でもない至って普通のほろ馬車。

 ひと抱えはある木箱が満載された荷車の隅でカタカタと揺られているフィーリアは、対面で足を抱えるようにして座っているビビアナにそんな質問を受けた。

 

 馬車はフィーリアたちが乗っているものの他に、後ろに同じような馬車が少し間延びした形で2台続いている。

 3台ともフィーリアたちが受けた依頼にあったラスティ商会の馬車であり、1つ後ろがラスティ商会のホバンス支店長代理のサラが乗る馬車で、もう1つ後ろが(シルバー)級冒険者チーム〈レウコン〉が乗る馬車、という順だ。

 危険度の高い殿に戦力を割き、1番前の馬車は後続が来るまでの時間稼ぎをする……という編成なのだろう、とフィーリアは説明を受けた時に考えていた。

 

 3台の馬車はホバンスから少し離れた森沿いの街道に差し掛かったところであり、麗かな小鳥たちのさえずりが遠くから聞こえてくる。この世界に四季があるなら、間違いなく今は春だろうと思えるくらいのどかな昼下がりだ。

 

「えぇ、まぁその……この辺の地理を今一度確認しようかと」

 

 そんな中フィーリアが荷車の床に広げて翻訳機能のある片眼鏡(モノクル)を使って熱心に見つめているのは、御者から借りた世界地図だ。地理を今一度確認しようというフィーリアの言葉に嘘はないが、依頼を安全に達成するためというより周辺国家について知るのが目的だ。

 

(ローブル聖王国、スレイン法国、竜王国、バハルス帝国、リ・エスティーゼ王国に、アーグランド評議国か……)

 

 カリンシャにいた頃はどうにもローブル聖王国内の地図しか見当たらず、中々掴めなかったこの世界の概要をようやくフィーリアは把握し始めていた。

 その地図を見て一番最初にフィーリアが思ったことは「比較が難しいな」だった。国土の広さが国力に直結するというなら王国と帝国が強国に当たるのだろうが、この地図上では法国と竜王国と評議国が見切れてしまっているため、その3国が地図の外にとんでもない国土を持っているという可能性もある。

 当然、その事を地理に詳しいであろうこの馬車の御者に地図を借り受けた際それとなく尋ねたのだが、返ってきた答えは「分からない」だった。 

 

 聖王国は隣接するとある丘陵地帯のために他国との国交が殆どなく、国民もあまり他国の事は知らないのだとか。

 

 その丘陵の名は、アベリオン。

 ローブル聖王国の国土の東に隣接する巨大な丘陵地帯で、多種多様な亜人種が住み着いているという。中にはフィーリアが目撃した人喰い大鬼(オーガ)を始めとする人間を食料にする種族も住んでいるらしく、単に聖王国に攻め入ってくる事もあれば、種族間の抗争の果てに聖王国側に雪崩れ込んでくる事もしばしば。

 その対策として、聖王国はアベリオン丘陵との境に遠大な壁を設けているらしい。

 

 これらの情報からフィーリアが目覚めた場所はアベリオン丘陵の西側、つまり聖王国寄りの何処かだったのだろうと推察は出来る。

 しかし、地図だけではこれ以上の情報は集められそうにない、そう考えたフィーリアが借りた世界地図を元の形に丸めていると、馬車がいきなり止まった。

 

「お二方!前方で道を塞いでいる亜人の群れが!恐らく小鬼(ゴブリン)人喰い大鬼(オーガ)です!」

 

(噂をすればなんとやら、か……)

 

 御者の叫ぶような報告が聞こえたフィーリアは馬車の荷台から飛び降り……る前に、対面に座っているビビアナの様子がおかしい事に気が付いた。戦闘前だからというのもあるだろうが、それにしても妙に落ち着きがない。

 

「ど、どうしようフィーリアちゃん……」

 

「……?どうするもこうするも、私が前衛になりますから貴方は──」

 

「いや、小鬼(ゴブリン)だけじゃなくて人喰い大鬼(オーガ)もいる群れだよ!?銅級の私たちだけじゃ……」

 

 確かに、人喰い大鬼(オーガ)は名前の通り体躯が大きい種族だ。気負けするのも仕方ないかもしれない。実際フィーリアもアベリオン丘陵を通過する時に何体も見かけたため、それは把握している。だが、ユグドラシル基準で言うならちょっと力強いだけで動作が鈍い雑魚モンスターだ。

 

(後ろからも戦闘音が聞こえるな……挟撃か。なら、正面突破する以外の道はないかな)

 

 いくら人喰い大鬼(オーガ)が弱いとはいえ、あの体躯で道を塞がれたら肝心の馬車が通れない。少々気の毒だがちょっと痛めつけてでも退いてもらうしかない。

 それに、魔法や特殊技術(スキル)の行使は問題なく行える事は確認済みだが、剣の腕前というPS(プレイヤースキル)がこの身体でも問題なく発揮出来るかはまだ分からない。あの程度のモンスターなら万が一にも負けないだろうから、職業(クラス)的に不得意な近接戦闘の訓練にはちょうどいい。

 

 だがその前に、プレッシャーで怯みきっているビビアナを励まさなくてはならない。利己的に言うなら、名声を高めるために必要だから──もっとも、実際にフィーリアがそんな事を考えついたのはビビアナに声をかけた後の話なのだが。

 

「大丈夫ですよ。私が命に変えても守り抜きますから。その代わり、ビビアナさんは後方から強化魔法のみに専念してくれませんか?」

 

「でも……フィリアちゃん1人で大丈夫なの?」

 

「気持ちは分かります。ですが、ここは私に任せて下さい。1匹も通したりしませんので」

 

「……分かった。じゃあフィリアちゃんを信じるね」

 

 フィーリアはようやく落ち着きを取り戻したビビアナの手を取って立ち上がらせると、その手を優しく握りながら共に馬車から降りた。

 時には現実(リアル)の悩みさえ持って来るギルメンの1人1人に親身に接し、決して相手を否定する事なく立ち直らせて来た『ミカエル』の名は伊達ではない。

 

(数は……10、いや、11匹かな?)

 

 馬車の前方に躍り出たフィーリアが抜き放った片手剣──予備武器といえど、その剣の青い水晶のような刃には彼方の空の気配があるのだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 軽率な考えだった。

 ビビアナは御者から人喰い大鬼の存在を知らされた時、そう後悔していた。

 昔から、ビビアナは少しばかり魔法の才能があるからといってすぐ調子に乗ってしまうところがあった。冒険者になったのだって、そこら辺の魔法詠唱者より優れている自分なら普通に働くよりもっと高みに行けるだろうという自惚れからだ。

 

 その結果がこれだ。

 本来、人喰い大鬼(オーガ)のような強力な亜人種を相手にするのは、ド素人の(カッパー)級の冒険者ではなく、最低でも(アイアン)級の実力がある冒険者数人の仕事だと聞いたことがある。なのに、自分の実力を過信したせいでこんな窮地に陥ってしまった。

 

(フィリアちゃん凄く真剣そうだったから、つい信じるって言っちゃったけど……本当に大丈夫なのかな……)

 

 年下にあそこまで言われるなんて、ビビアナ自身情けない話だと思っている。

 ならばせめて、彼女の邪魔にならないよう自分に出来る事をするしかない。ビビアナはまだ買って間もない鋼で出来た小さい杖を強く握りしめると、精神を集中させて強化魔法を紡ぎ始めた。

 

「〈下級筋力増大(レッサーストレングス)〉!〈下級敏捷力増大(レッサーデクスタリティ)〉!」

 

「……ありがとうございます。それでは、行ってきます!」

 

 魔法の行使を終えた直後、こちらに視線を向けながら人喰い大鬼と自身との間で背を向けて立ち塞がっていたフィリアの姿が一瞬でかき消えた。

 

(えっ……!?速すぎない!?)

 

 慌てて少し離れた位置にいる亜人の群れに目を向けると、盾を左手で正面に構え、右手の剣を後ろに流すような姿勢で突っ込んでいくフィリアの姿があった。だが、やや距離が離れているがために正面にいた人喰い大鬼には、充分攻撃まで移れるだけの時間があった。姿勢を低くして突っ込んでいくフィリアに対し、丸太のような腕を大きく振り上げる人喰い大鬼。だがフィリアは、その足を全く止めようとしない──そしてついに、振り下ろされた人喰い大鬼(オーガ)の右腕が彼女を捉えた。

 

(あんなの、まともに食らったら死んじゃうよ!!)

 

 だが、そんなビビアナの予想はあっさりと裏切られる事になる。

 フィリアに岩石のような人喰い大鬼の拳が当たりそうになった次の瞬間、彼女は()()()いた。それは、まるで背中に羽根でも生えているかのような──見事な宙返りだった。

 丁度フィリアの胴体を狙っていた人喰い大鬼の拳は、空中で逆さまになった彼女の頭上を掠めた。捻りを加えた宙返りの遠心力でフィリアの鎧ドレスのスカートが花のように開き、すれ違いざま背後を取った彼女はその首筋目がけて、回転の勢いのまま、その剣を横なぎに振った。

 

「はぁっ!!」

 

 鈍い()()()と共に、人喰い大鬼は糸の切れた人形のように地面に崩れ落ち、フィリアは近くの小鬼の上に軽やかに着地した。当然、踏みつけられた小鬼は彼女の足元でそのまま伸びた。

 

 その光景を見て、ビビアナは我が目を疑った。彼女が見せた動きは明らかに人間離れしている、とても銅級冒険者のものではない。聖王国内では最もランクの高いオリハルコン級の冒険者を上回るどころか、聖騎士団の団長に勝るとも劣らない速さと強さを兼ね備えていたようにさえ見えた。

 もしかしたら、自分はとんでもない人物とパーティーを組んでしまったのかもしれない──そうビビアナが考えている間にも、フィリアは襲ってくる亜人達を次々と倒していった。

 

 それはもはや戦いと呼べるものではなく、幻想的な剣の舞だった。

 青い水晶のような刃は流星のような残光を引いて煌めき、鏡のように磨き上げられた緑色の丸盾は閃光となって火花の輝きを受け止め、哀れにもその光に当てられた亜人は次々に倒れていった。

 

 ビビアナはその剣の舞に見惚れながらも、ふとある事に気がついた。

 よく見ると、フィリアは素早く動きながらも必ず1匹ずつしか倒していないのだ。加えて、彼女に倒された小鬼(ゴブリン)人喰い大鬼(オーガ)は全員血の一滴も流しておらず、ただ剣の(とい)の部分で急所を殴られて気絶しているだけだった。

 つまりこれは、彼女が亜人を殺さないよう手加減をしているという事に他ならない。

 

 聖王国に於いて、亜人種は忌むべき存在だ。 

 今では完全な防衛体制が整っているとはいえ、国土の東に面しているアベリオン丘陵の亜人種たちの侵攻により国土が蹂躙された歴史がある。何より、人喰い大鬼(オーガ)のように人間を捕食する亜人種もいるのだ。だからこそ、そんな亜人種たちに対して情けをかけようとする彼女の姿はかなり異端だった。

 

(どうして……?あの子って一体、何を考えて戦ってるの?)

 

 ビビアナにはそれが分からなかった。

 人間を捕食するような奴らにどうして情けをかけるのか。そんな疑問を抱きながらフィリアの戦いぶりを見ている内に、いつの間にか彼女の周りから亜人たちは姿を消していた。倒れている亜人の数的に、半分くらいは身の危険を感じて森の中に逃げてしまったようだった。

 

「あっ、ビビアナさん。支援ありがとうございました。特に傷などはありませんよね?」

 

 フィリアの元に駆け寄るビビアナ。フィリアは息が上がっている様子もなければ、兜を始めとした装備品には傷ひとつ付いていない。全くの無傷と言って差し支えない状態で、逆にビビアナの事を気遣う余裕さえあるようだった。

 

「うん、大丈夫だけど……フィリアちゃんって本っ当に凄いんだね……」

 

 ビビアナは感嘆のため息をつく。

 この短い間に見ただけでも彼女の戦い方は並大抵の努力では身につけられない、極限まで洗練されたものだと感じたからだ。

 

「いえいえ、私なんてまだまだですよ」

 

 謙遜して首を横に振るフィリアだったが、ビビアナの目から見てもその言葉は嘘だと分かった。恐らく彼女は、幼い頃から類まれなる戦闘の才能を持っていたに違いない。だがそれを鼻にかけず、努力し続ける事ができるのもまた才能なのだろう。「私とは正反対だよ」とビビアナは内心自虐した。

 

「ねえ、フィリアちゃん……ちょっと聞いてもいいかな?」

 

「ええと、少し待って下さい……ふむ、どうやら後方の戦闘も終了したようですから問題なさそうですね。はい、なんでしょうか?」

 

 突然真剣な表情になったビビアナに対し、フィリアは何か重要な話でもあるのではないかと思ったようだ。フィリアは片手剣を鞘に収めると、兜の隙間から目を合わせるようにしてビビアナの方に向き直った。ビビアナは大きく深呼吸すると、意を決して口を開いた。

 

「あなたにとって、亜人種っていうのはどういうものなのかなって思って……その、私はついさっきまで亜人と会った事もなかったし、どんな生活をしてるのかとか全然知らないんだけどさ……人間を食べる(おぞ)ましい種族だ、って事だけは知ってるんだ。だから、あなたの行動が理解できなくて……あっ」

 

 そこまで言うとビビアナは口を閉ざした。そして自分が失礼な質問をしている事に気がつき、慌てて頭を下げた。

 

「あ、ごめんなさい!別に答えにくいならいいんだよ!?変なこと聞いちゃって、ほんとにごめ──」

 

「……ビビアナさん、謝らないでください。確かに、亜人種は人間種の敵なのでしょう。私が彼らを見逃した事で、他の誰かが食い殺されてしまうのかも知れません。でも、それでも彼らを助ける事で、救われる命もあると思うんです」

 

 ビビアナの言葉を遮るようにしてフィリアが声を上げた。そして、彼方の空を見上げながら言葉を紡いでいった。

 それは遠い過去を思い出すかのような口調であり、また同時に自分自身へ言い聞かせているようにも聞こえた。

 

「私は……ずっと孤独でした。何処にも私の気持ちを分かってくれる人がいない世界。……産まれが原因で、皆んなに疎まれる世界。そんな世界で、私を救ってくれた人──そして、信じてくれた人たち。彼女たちは本当に優しかった……温かかった……。彼女たちが向けてくれた気持ちがあったからこそ、私は変われたのでしょう。だから、例え亜人種が相手でも、私が情けをかける事で彼らが何かを感じて、そしていつか人間たちと分かり合えたのなら……きっと、それが彼女たちへの恩返しになる筈だと、そう思うんですよ」

 

 空の彼方を眺めながら、どこか寂しげな雰囲気でそう語るフィリアを見て、ビビアナは何とも言えない感情に襲われた。自分より年下のこの子は今まで一体どれほど辛い思いをしてきたのだろうか? どれだけ悲しい思いを経験したのだろうか?どれ程苦しい思いを味わってきたのだろうか? ビビアナには想像する事しかできない。しかし、この女性の悲痛なまでの優しさに触れて、胸が締め付けられるような感覚を覚えた事は確かだった。

 

 ビビアナは自分の胸に手を当てて考える。ビビアナはこれまで、自分の為だけに生きてきた。そこに他人の事を考える余地などなかったし、必要がないと思っていた。

 だからこそ、彼女の考えは新鮮だった。

 

 ──自分以外の誰かの為に。

 

 それが一体どのような心境なのか、今のビビアナには到底理解できるものではなかった。だが、不思議と嫌な気分ではなかった。むしろ彼女についてもっと知りたいとさえ思った。

 

(私も、フィリアちゃんみたいになれば何か分かるのかな……)

 

 自然とそのような思考に至った自分に驚きつつも、ビビアナの心の中には一筋の光のようなものが生まれていた。

 

「……ありがとう、フィリアちゃん。なんだかスッキリしたよ!」

 

「いえいえ、こちらこそ。私の長話に付き合って下さり、ありがとうございました」

 

 2人は互いに頭を下げると、どちらからともなく笑い合った。

 ビビアナの心に芽生えた僅かな変化は彼女の運命を大きく変える事になるのだが、この時の彼女にはそれを知る由などなかった。

 

 

 ☆

 

 

「その……さっきは悪かったな」

 

 亜人の群れを撃退した後、馬車に積んだ荷物に被害がないか御者と依頼主のサラが確認している間、談笑していたフィリアとビビアナの元に〈レウコン〉のリーダーであるフレデオンがやって来ると、開口一番謝罪の言葉を口にした。

 

「最近、大した実力もないくせに難しい依頼に参加したがる……まぁ、自惚れてる奴だな。そんな(カッパー)級の奴らと組まされてばっかだったんだ。だから、ついあんたらの事もそういうのと同類なのかと思ってな……」

 

(あぁ、なるほど……)

 

 バツが悪いのか視線を合わせずに頭を掻きながら話すフレデオン。

 フィーリアはまだ冒険者について齧った程度しか知らないが、命を張る必要のある仕事だという事は理解していた。

 もし、パーティを組んだ仲間が無駄に突撃したり、勝算のない無謀な作戦を立案して失敗した場合、その被害はパーティ全体に及ぶ。これがゲームならしばらく愚痴るくらいで済むだろうが、現実では死ねばそれで終わりなのだ。故に、そういった行動に出そうな人間に対して懐疑的になってしまうのは致し方ない事だろう。

 

「お気になさらず。私の方こそ、あなた方に対して礼節を欠いていたのですから、そう思われるのも無理はないですよ」

 

 フィーリアは特に気にした様子も無くそう言って軽く頭を下げた。ビビアナはどこか居心地が悪そうな表情を浮かべたものの、フィーリアの真似をするかのように続いて頭を下げた。

 

「すまねえな……メンバーには俺から言っておく。まぁその……アイツらも悪い奴らじゃねえんだ、許してやってくれ。それはそうと、あの亜人どもはここに置いとくつもり……いや、倒したのはあんたらだから、俺が口出しすることじゃねえな。今のは忘れてくれ」

 

 フレデオンは街道の傍に寄せられた気絶している人喰い大鬼(オーガ)小鬼(ゴブリン)に視線をやりながらそう言ったものの、すぐに自分が余計な口出しをしている事に気付き、少し気まずげに顔を背け、他のメンバーと合流するために足早に立ち去っていった。残された2人は何とも言えない空気感の中、お互いに顔を見合わせる。

 

「ビビアナさん、私が言い出した事ですが……本当に良いんですか?あの亜人たちにトドメを刺して耳を持っていけば、報酬が増えますよ?」

 

「え?あ、うん!別に大丈夫だよ!それより早く馬車に戻ろう?まだ先は長いみたいだからね!」

 

 一瞬だけ驚いたような声を上げたビビアナだったが、彼女は慌てて誤魔化すように笑顔で答えてみせると、先に歩き出してしまった。

 

(……それにしても)

 

 フィーリアはビビアナの後を追いながら、先ほどの一件を思い返していた。

 剣技の方はこの装備でも充分発揮出来るようだった。一応、馬車の陰になってビビアナの視界から外れた瞬間に〈軽量化(ウエイト・リダクション)〉の魔法を使ってあらかじめ身軽になってはいたが、翼があるなら魔法無しでもあのくらいの動きは可能だろう。

 何度も言うようにフィーリアは信仰系魔法詠唱者だ。戦士系の職業(クラス)戦士(ファイター)Lv.1だけで、神官(クレリック)のような近接戦闘を行う職業(クラス)は習得していない。それでもあれ程の動きが可能なのは、フィーリアの全レベルの半分を占める種族レベルによる基礎能力値(ステータス)の高さと、仲の良かったギルメンとの何試合にも渡るPvPの産物だ。戦いの恐怖心もうっすらと感じる程度で、今後の戦闘行動に支障をきたす事はないだろう。強化魔法をかけてもらうと身体能力はどうなるのかという事も大体分かった。

 

 それよりフィーリアが気にしているのは、亜人たちを見逃してしまった事だ。

 フィーリアは戦いの寸前まで、相手はこちらを殺すつもりで襲ってきたのだから殺してしまっても致し方ないだろう。そう考えていたのだがいざとなると迷いが生じてしまった。この手で命を奪うという行為に強い忌避感を覚えてしまっていたのだ。もし、自分が相手の立場だったら?食うものに困って仕方なくやったのかも?あの亜人たちにも大切な仲間がいるのでは?そんな考えが幾らでも浮かんできて──結局、全ての亜人を剣の面の部分で叩いて気絶させる事にした。1匹たまたま踏みつけてしまった小鬼(ゴブリン)が居たが、つい「あっ、すみません……」という言葉が口から出てきたのには、自分自身耳を疑った。

 

(そう……あれは優しさなんかじゃない、ただ俺が命を奪う責任に耐えられなかっただけだ)

 

 フィーリアは自分の情けない考えをそう断じてみたものの、何故か胸の奥がズキリと痛む気がした。

 

 

 

 

「それでは、皆さん。私たちはここで失礼します」

 

 陽が傾き始めた頃、ようやく依頼を終えてホバンスに戻ってきたフィーリアとビビアナは、そう言って首都ホバンスを囲う市壁の門の辺りでサラたちに別れを告げた。

 

「はい、今回はありがとうございました!また機会がありましたら、よろしくお願いいたしましゅ!……噛んじゃったぁ

 

 依頼主のサラはそう言って深々と頭を下げる、そんな様子を見た〈レウコン〉のメンバーはそのドジっぷりに少々苦笑いを浮かべつつ、軽く会釈をした。

 

「あぁ、またな。あんたらならすぐ銀級なんて追い越せるだろうが……ま、それまでは先輩として面倒見てやるよ」

 

「全く、我々のリーダーも相変わらずですね……ですがその通りでしょう。あなた方は言わば、我々よりも強い冒険者の卵なのですから」

 

「そぉんな事言って、リーダーもアンデリクも少し悔しいんじゃあねぇのかぁ?俺たちだって負けちゃいられねえぜぇ?」

 

「ん?馬車の中で『前衛が全部倒したら射手(アーチャー)の役目がねぇよぉぉ』って、マジに1番悔しがってたのお前じゃねーか、ニコランド」

 

 そんな会話を交わした後、4人組の(シルバー)級冒険者チーム〈レウコン〉は、これから酒場に繰り出そうとする仲間たちの肩を叩き合いながら、依頼主のサラは再び荷物を載せた馬車に乗り込み両者とも雑踏の中に消えていった。

 

「あーっ!!?」

 

 〈レウコン〉とサラの後ろ姿を見送っていると、突然ビビアナが何かを思い出したかのような声を上げた。何事かと思い、フィーリアが隣に立つビビアナの方へ視線を向けると彼女はどこか気まずそうな表情で口を開いた。

 

「あの……フィリアちゃん、あの人たちフィリアちゃんだけじゃなくて、私も強いって勘違いしてるんじゃあないかな……って思うんだけど……どうしよう

 

 そう小さく溢すビビアナの言葉を聞き、フィーリアは額……がある辺りの兜に手を当てて溜息をついた。考えてみれば当たり前の事だが、彼らは亜人と戦っているフィーリアの姿を見たわけではない。だから、彼らの中ではフィーリアとビビアナという優秀な冒険者パーティー、というイメージが出来上がっていたのだろう。

 

 手柄を独占したいというわけではないが、話したところビビアナは第二位階の魔法までしか使えない*1ので、変に実力を誤認されると後々厄介な事になりかねない。

 フィーリア自身、取得している職業(クラス)は信仰系魔法詠唱者に該当するものだというのに、特殊スキルのせいで超火力が出せる魔力系魔法詠唱者だと間違われる事が多々あった。フィーリアの場合はPVPの際の威圧に利用したりもしたが、ビビアナの場合はそうもいかないだろう。

 

(どうしたものか……)

 

 他人を巻き込んだ以上、もう、戻れない。

 フィーリアは思考を巡らせる、そしてふとある考えに至った。

 

「そうですね……私の説明不足でした。ではお詫びと言っては何ですが、私と冒険者チームを組みませんか?」

 

「えっ!?」

 

 フィーリアの提案にビビアナは目を丸くして驚いた。

 それもそうだろう、フィーリアとビビアナは今日出会ったばかりなのだ。そんな相手からの唐突なチーム結成の提案など驚くのも無理はない。冒険者チームは言わば命を預け合う仲間だ、こんな突拍子もなく決めるものではない事はもちろんフィーリア自身理解していたが、これ以上良い考えが出てこなかったのだ。

 しばらく2人は無言のまま見つめ合ったあと、ビビアナは意を決したように口を開いた。

 それは、フィーリアが予想していた答えとは全く違うものだった。

 

「……うん!組む!組みます!よろしくお願いします!」

 

 ビビアナのその言葉に今度はフィーリアが驚く事になった。

 正直、断られるとすら思っていたからだ。そうでなくとも、もっと難色を示すかと思っていたのだが、その返答は快諾と受け取っても良いくらいに前向きなもので、フィーリアは思わず面食らってしまった。

 

(……でも、まぁ……いいか……)

 

 自身の手を握ってブンブンと上下に振りながら喜んでいるビビアナを見たフィーリアはそんな事を考えながらも、自分の頬が緩んでいくのを感じていた。

 こうして、フィーリアは彼女と共に冒険者としての第一歩を踏み出したのだった──

 

 

 ☆☆

 

 

「多分、これで上手くいくはずなのだけど……」

 

 正式なチーム結成はひとまず明日行う事にしてビビアナと別れたフィーリアは、人目につかない夜を待ってから首都ホバンスの北東、平野を抜けた更に先のおよそ人間はおろか亜人さえ住んでいなさそうな山間部の上空で、フィーリアは超位魔法の詠唱を行なっていた。彼女の周りには半径20メートル程の球状に幾つもの青白い魔法陣が形成されており、それらは互いに干渉し合って複雑な紋様を描いていた。

 今いる場所と山の頂上との位置関係は10kmほどいったところだろうか。これほどの高さでもフィーリアからすればほんの数分で辿り着ける距離でしかない上、天使は呼吸が不要な種族のため息苦しさを感じることは全く無い。超位魔法は通常の魔法と異なり、発動までそこそこ時間がかかるため、その間フィーリアは、今発動準備時間中の超位魔法《天地改変(ザ・クリエイション)》について考える事にした。

 

 《天地改変(ザ・クリエイション)》はフィールドエフェクトを変更出来る超位魔法だ。ユグドラシルに於いて、自然環境というものは基本的に大きく変化しないようになっている。

 例えば、ユグドラシルでは火山や雪山などの特定の場所では溶岩が絶えず流れ続け、雪山は常に極寒の地のままだ。だが、《天地改変(ザ・クリエイション)》を使えばそれらの自然環境を大きく変える事が出来るようになる。主に熱や冷気の打ち消しとして使われていたものだが、フィーリアはそれを別の目的で使おうとしていた。

 

「《天地改変(ザ・クリエイション)》!!」

 

 長い発動準備時間が終わると同時にフィーリアの口から呪文が唱えられ、超位魔法が発動する。辺りが一瞬光に包まれた後、彼女の周囲の空には先程までは無かった雲が現れ始め、その雲間から大小様々な浮遊島が幾つも出現した。石畳が敷かれた神聖な雰囲気を漂わせる浮遊島はまるで天界そのもののようで、月明かりに照らされたそれは幻想的な光景を作り出していた。

 

 《天地改変(ザ・クリエイション)》はあくまでフィールドエフェクトを変更する超位魔法であり、浮遊島が幾つも現れるのは妙に思えるかもしれない。しかし、これには裏がある。

 

 フィーリアはこの一帯のフィールドエフェクトを『天界』に変更した。天界は神聖属性と正属性のフィールドエフェクトが常に発生しているのだが、それに加えて『空』のエリア判定も追加される。『空』のエリア判定が追加された場所は〈飛行(フライ)〉の魔法か、種族的に飛ぶ事が出来ないと結界を張られたようにその一帯への侵入が不可能となる。だが、そうなると《天地改変(ザ・クリエイション)》で空棲種族専用の無敵ゾーンが何処にでも作れてしまう事になるため、これはマズイと思った運営は飛べない者への侵入不可効果を削除した上で『天界』のフィールド内には幾つかの足場が必ず出現するという仕様に変更した。その足場こそ、この浮遊島なのだ。

 そう、フィーリアがこの場所を訪れた理由は活動拠点の作成だ。

 

(久しぶりだなぁ……この景色。ギルドを追放されてからは、もう見る事なんて無いと思ってたんだけど……)

 

 翼を折り畳み、浮遊島に降り立ったフィーリアはそんな事を考えて少し感傷に浸っていた。思い起こされるのはユグドラシルでの日々、そして今はもう会う事が出来なくなってしまった仲の良かったギルドメンバーたち……。ちょうど〈セラフィム〉のギルドホームがある場所もこんな地形だった。

 

「ウリエルさん……メタトロンにサンダルフォン、それに──」

 

 そう呟きながらフィーリアは目を閉じる。瞼の裏に浮かんできたのは輝かしくも懐かしい、大空を舞う仲間たちの姿。きっと次に瞼を上げた時には消え去ってしまう、幻。

 

(みんな元気かなぁ……?また、会いたいな……)

 

 そう思った時だった。

 突然フィーリアの全身が引き裂かれるように痛みだし、次いで頭が割れんばかりの頭痛に襲われた。あまりの激痛に耐えきれず、フィーリアはその場に膝をつく。

 

(あぐっ!?っ……うぅ……!!何、これぇ……っ!)

 

 激しい苦痛は益々酷くなり、耳が遠くなるほどの音量で鳴り響く金属音にも似た音が頭の中で反響し始める。それと同時にフィーリアの視界には黒いノイズのようなものが発生し始めた。

 そのノイズは収まる事なくどんどん広がっていき、脳を直接万力で締め付けられるような苦痛とともに、フィーリアの意識は深く沈んでいった。

*1
それでも現地人の大半は第三位階までしか使えないらしいので充分凄い




今回はちょっと箸休め。
原作の動向を見る限り、ビビアナは別にそこまで善人ってわけじゃないと思うんです。もちろん誰でも死にかけたらあれぐらいして当然でしょうから、本当にどこにでもいる普通の人なんだと思います。原作では『金髪の女性で信仰形魔法詠唱者』くらいしか分かっていないので、ほぼ全て独自設定のキャラクターです。
感想・評価等お待ちしております。


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