IS外伝 Honor of Arena (debac)
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第一話 昇り龍を夢見た少女




『一を以て、之を貫く』
(孔子)



 凰鈴音はこの日、何度目かも分からないため息をついた。IS学園の校庭から見上げる僅かに雲のかかる晴れの空は、その建物に阻まれ屋上から見える景色よりも少し窮屈に見える。気持ちまで窮屈になりそうだ。かと言って、今から屋上に行き、織斑一夏と共に昼食にするという気持ちは湧いてこない。既に彼の周りに集まっていた厄介な専用機持ち達が主な原因なのだが。勿論、鈴音もまた専用機を持ち、国家代表候補でもある。そこに引け目を感じている訳ではない。

 

 ツーマンセルトーナメントが終わってしばらく経ち、鈴音は一人で考え込む事が増えていた。普段、直感的に行動する彼女にとってそれは珍しい事だったが、一夏に「何か悪いものでも食べたのか?」と問われた時はその唐変木っぷりにカチンと来てローキックを数発ぶちかましてやった。彼女の悩みのタネは確かに単純なものかも知れない。しかし、それの解決の為に何をするべきなのか、と問われればその答えは至極複雑なものになる。

 

 篠ノ之箒はまだ専用機持ちでこそないが、一夏とは自分よりも昔から付き合いがあるし何よりISの生みの親である篠ノ之束の妹だ。セシリア・オルコットは英国の名門貴族の出である。シャルロット・デュノアは大手のIS企業デュノア社の令嬢で、ラウラ・ボーデヴィッヒはあの織斑千冬と以前から教官と教え子という形で交流がある上にドイツの特殊部隊の隊長を務めている。そんな彼女らに対し、自分はどんな背景があるだろうか。鈴音の悩みの根底にあるのはそれだった。つまるところ、自分が中途半端な存在に思えて仕方なかった。

 

 凰鈴音は織斑一夏を好いている。彼女が中国の国家代表候補になってまでIS学園に来たのも、ただ彼に会いたいが為だ。古い約束を果たす為だ。史上初の男性IS起動者のニュースを聞いた時は心臓が飛び出る程に驚いた。同時に、彼に再開するまたとないチャンスだと思った。このチャンスを活かす為に、自分の出来る事をした。果たしてそのチャンスは現実のものとなったが、いつの間にか彼の周りには自分と同じように彼に好意を抱く者が集まっていた。そして、自分には彼女達のような背景は無い。どこにでもありえる成り立ちで、どこにでもある結末をたどった家族だ。その上、自分は自他ともにも認める程に激情家である。ローキックを仕掛けた時もそうだったが情けなくなるぐらいに行動が先に出てしまうし、それが原因となってやる事なす事うまく行かなかった事は山程ある。後には後悔ばかりが残るが、それは悪い事に「いつもの事」となってしまいつつあった。

 

 誰でも二つ以上の物事が並べばどちらかに優劣をつける。そして、それが似たようなものであればあるほど、差というのは目立つ。では、この差を埋める為に、この性分をどうにかする為に、自分は何を成すべきなのか。鈴音自身の中では明確な答えが見いだせず、いつの間にかのしかかっていた劣等感をどうにか拭い去ろうと慣れぬ思考は完全に袋小路に入ってしまっていた。

 

 右手首につけている、黒とマゼンタのツートンカラーのブレスレットを指でなぞる。自身の専用機、甲龍。龍とは古来から中国では神獣として、唯一無二の強さの象徴として伝えられてきた。龍が天に昇る様は物事の成就を示すとも言われている。では、龍の名を冠したこのISは自分にとっての昇り龍足り得るのだろうか。自分が他の誰よりも、何事にも強くなれば、織斑一夏の隣に相応しい人であると言えるのだろうか。彼は、自分をちゃんと見てくれるのだろうか。

 

 彼女の疑問に応える者など現れる筈もない中、幾つもの足音が耳に入ってきた。音のした方を見ると、何人もの教師が校門に向かっているのが見えた。その中には織斑千冬や山田真耶の姿もあった。皆、額に汗を浮かべている。随分と慌てているようだ。何となく気になり、鬱屈した気分を変えようと鈴音は彼女達の後を追う事にした。

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 IS学園に向かう手段はそう多い訳ではない。大抵、直通のモノレールが利用される。昼のこの時間も定期便としてIS学園へモノレールは向かっていた。目的地が故に、普段このモノレールを利用する人間は限られる。それはつまり、混雑するという事はまずありえないと言えた。

 

 しかし、この時のモノレールではある一両だけ人が押し詰められていた。そこにいたのはレポーターや記者など、要するに報道関係者だ。皆、自分達の持ち込んだ機材をぶつけ合わないように注意を払いながらも、その視線の先は同じ方向に向いていた。同じ車両の中の、ある座席に深々と座る金髪の女性の方へ、と。透き通るように整った肌。そして、僅かに目元が垂れ下がった切れ長の目で鼻筋の通った顔つき。白いブラウスに下はベージュのスラックス、赤いヒールを履き引き締まったボディラインを魅せている。これだけならば間違いなく美人に分類されるだろう。

 

 だが、その体躯はいささか異様であった。まず、その女性は左目を失っていた。もう少し具体的に言うならば、左の頬から上、額の半分ほどまでに左目ごとえぐるような大きな傷があった。さらに、彼女が今身につけている白いブラウスは左肩の部分からだらりとぶら下がってゆらゆら揺れている。彼女の左腕にあたる部分は、肩から下にかけて全く存在していないのだ。隻眼隻腕、それが彼女の姿だった。だが、彼女の周りに集まった人々はそれを全く気にかける様子もなく、我先にと手にしているマイクを彼女に向けて何やら大声で訪ねている。しかし、そのどれも騒音になって言葉の形を成していない。

 

「いやいやいや。更識の御当主様だけじゃなくて、今年のIS学園の一年ってのはこう活きが良いってヤツなのかね。有名人がこれだけ集まるってのも凄いよ。この織斑一夏ってのはあのブリュンヒルデの弟なんだろ? それに篠ノ之束の妹もいる。オルコット家のお嬢様も。ああこれはすごい! 最近になってデュノア社の御令嬢にシュヴァルツェ・ハーゼの隊長さんときた。よりどりみどりじゃないか」

 

 女性は手にしていた端末を眺めながら、隣に座るショートカットの赤髪の少女にこれまた興奮気味に話しかけていた。その少女は退屈そうに、首元に赤いシャツを覗かせ上下に身につけた真っ黒のスーツの皺を指先で伸ばしている。そして、隣からの話題に全く興味もないように少しの反応も見せず、無表情のままでその両の目の、黄金の瞳を窓の外の風景に向けていた。

 

 少女の視線の先には広大な海と空が広がっている。その中に、ぽつんと海上施設が一基見えた。使われなくなって久しい、廃棄されたプラットフォームだった。本来誰も寄り付くはずのないその周りに、クレーンを伸ばした作業船が何隻もあった。ひっきりなしにクレーンを上下させて、資材をプラットフォームへと移動させている。その柱には、まとわりつくような作業員の姿も見える。どうやら改修工事を行っているようだ。

 

「突然IS学園に行くなんて聞かされた時はびっくりしたけど、これなら退屈しないで済みそうだ。日本の飯は旨いしな。ケツ持ちはしっかり頼むよ」

 

 少女の視線の先にある「それ」に興味を移す事なく、女性はにこやかに笑う。その瞬間、目もくらむようなフラッシュが彼女らのいる車両を包み込んだ。シャッター音が途切れずに鳴り続ける。IS学園に到着する旨を伝える車内アナウンスが、どこか遠いところでひっそりと流れていた。

 

 そして、時間は三日前に遡る。この隻眼隻腕の女―イツァム・ナー―が日本へ、IS学園へと向かう事になった、その時まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まえがきは活動報告にて


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第二話 ISアリーナ

 

 

 人肌を削り落とすような激しい砂嵐が吹き荒び、数メートル先の視界すら覆い尽くす。太陽の光が差し込む事でかろうじて見えるのは、外壁が崩れ落ちところどころ骨組みの見える廃墟だけだ。その中には基礎部分から倒壊したり、別の建物によりかかるように崩れたりしているものもある。このような場所では人どころか、動植物の姿すらまるで見当たらない。

 

 そんな死の空間を、一体の黒いフルスキンIS『ゴーストブル』が駆け抜ける。全身を角張った分厚い装甲で覆われ、前かがみになって飛行する姿は悪路を砕いて突き進む重戦車を思わせた。その背中には自身の身の丈とほぼ同じ大きさのスラスターユニットが左右三つずつ、計六つ接続されている。両足のふくらはぎにあたる部分は殊更に肥大化し、それらを覆うように装甲板が設けられ、その隙間にもスラスターユニットが取り付けられている。

 

 全身という全身にあるこのスラスターユニットから青い炎が噴き出され、重量級のISを前方へと弾き飛ばし続ける。周辺の空気はビリビリと震え、凄まじいGがかかっている事を容易に想像させた。そして、この装甲の前には引っ切り無しにぶつかってくる砂嵐も虚しく音を反響させて遥か後方へと置き去りにされるばかりだ。

 

 ゴーストブルはハイパーセンサーを頼りに、その巨体に似合わない機敏な動きで廃墟の隙間を抜けていく。そして、真っ赤に光るモノアイが未だ垂直に立つ廃墟を捉えると、スピードを維持したままその廃墟の外壁に突っ込んだ。丸穴があき、内部へと突入する。どうやらかつて立体駐車場だったものらしい。屋上まで吹き抜けになっていた。嵐の音がごうごうと内部で反響し続けている。

 

 ハイパーセンサーには、別のISの反応がこの真上にある。拡張領域から取り出した火器を握る。左手にはドラム式のマシンガン、右手にはグレネードランチャーを。さらに、両肩にも装備を展開させた。それは、一対の巨大な握り鋏を思わせた。各装備の展開を終えると、その鋏の歯の部分が紫色に光り始め、口を開ける。すると、鈍い重低音と共にゴーストブル自体の姿が歪む。またたく間にその姿は肉眼では確認できなくなった。消滅してしまった。

 

 だが、ゴーストブルは確かにそこに存在する。視界に捉える事は出来なくとも。そのまま、今度は吹き抜けを通りながら真上に向かって急上昇を始めた。僅かに遅れて、風が舞い上がる。数秒の後、屋上まであと数メートルのところまできた。すると、進行方向を少しだけずらす。先程見つけたISの位置とぴったり重なるように。結果、吹き抜けを通るルートから天井に激突するルートへと変わった。しかし、怯む事無く両手の武器を上に構えて天井に向かって連続して放つ。既にぼろぼろになっていた天井は紙くずのように破片を撒き散らす。ゴーストブルは上昇するスピードを落とす事無く、そして武器を連射したまま天井に体当たりし、外へと飛び出した。

 

 恐らく『相手』は、こちらが廃墟の中に飛び込んだところまでは確認してるはずだ。しかし、ゴーストブルに装備させた鋏のようなユニット、ステルスフィールドは起動後しばらくの間、ハイパーセンサーからも肉眼からもその存在を消す。突然反応を消した事に動揺するだろう。廃墟の外に出たかと思うだろう。そこが狙い目だ。この激しい砂嵐の中、変わらず文字通り真下から脅威が来ているなど思いもしないだろう。だから、足元から火器を撃ち込んでこのまま飲み込んでやる。お前のお得意な超々至近距離戦に持ち込んでやる。ゴーストブルの装甲は厚い。負ける要素など無い。フルスキンの中で、悪意が嗤った。

 

 しかし、再び外へ飛び出したゴーストブルは目の前の光景に、己が動揺した。完全な奇襲だったはずなのに、ハイパーセンサーに反応があった『相手のISの姿』が何処にも見えない。急ぎハイパーセンサーで周囲を確認する。そして、ゴーストブルは驚愕する。『相手』の位置と、自分の位置がほぼ重なっていた。つい先程、自分が奇襲を仕掛けた時と同じように。それが意味するのはつまり。

 

 そこまで思考が回転したところで、真下から実弾とエネルギー弾の嵐を叩きつけられた。油断した、と歯噛みする。相手は、始めからこちらの動きを予測していたとしか思えなかった。自分が空へと突き抜ける時に撃ち抜いた瓦礫と激しい砂嵐に紛れてすれ違い、両者の位置は上下入れ替わったのだろう。そして、ほんの僅かな動揺と静止する瞬間を狙われた。弾丸が右脚部のスラスターユニットに直撃したちまち爆発する。

 

 ステルスフィールドが不可視にするのはあくまで自身と、火器のように自身の触れているもののみ。周囲の風景に溶け込む事は出来ても、そこから突発的に発生した現象まで消す事は出来ない。何もないはずの空間でいきなり爆発が起きれば、それは居場所を相手に教えてしまうのと同じだ。豪雨のように降り注ぐ弾が急速に絞られる。それはより正確にゴーストブルの装甲を撃ち抜こうとしているのは明らかだった。

 

 すぐさま背中の方のスラスターユニットで姿勢を戻し、後方へと飛ぶ。足元にあるコンクリートの壁に弾痕がつけられ破片が舞い上がる。右脚のスラスラーユニットを破壊された為に、安定した姿勢を保つ事は極めて困難になった。しかし、今はそこにエネルギーを使う場合ではない。そこでもたついたならば、『相手』はきっと見逃す事はしないだろう。上半身を二度三度ひねり、距離を少しでも離そうと試みる。

 

 だが、それを引き止めるように全身を小規模な爆発が包んだ。先程攻撃を受けた部分が、時間差で爆発を引き起こしたらしい。これが「相手」の狙いである事は明白だった。今、どこに逃げようとしているのか分かるようにあえて攻撃するタイミングをずらし、一端距離を離そうと動いたタイミングでスラスターユニットが火を吹くよう仕向ける。それを裏付けるように、視界の隅に赤い影が過ぎる。次の瞬間、弾丸が豪雨のように再び降り注いだ。

 

 ゴーストブルは、自分の判断に誤りが無かった事を認めた。それと同時に、『相手』が自分の想像していたよりもずっと素早く、必殺の距離まで近づいていた事を悟った。後の先をこうも容易く取って来るその技量。そして、それを躊躇なく実行する意思。これがISアリーナの覇者なのかと驚愕した。

 

 ステルスフィールドの効果が途切れる。銃撃を受け、装甲に激しい損傷を負ったゴーストブルの姿があらわとなる。直ちに背後からの弾道が絞られた。脚部に続き、背中のスラスターユニットも爆発を起こす。そして、その爆発は連鎖し、とうとう分厚い装甲板を内側から破壊する。自らを制御するユニットを瞬く間に機能停止に追い込まれ、ゴーストブルはそのまま屋上に叩きつけられた。

 

「『ゴーストブル』が沈黙! 勝者は我らがアリーナの覇者! 烈火の女帝! そしてナインブレイカー! 『プロトエグゾス』だ!」

 

 上空を飛んでいたUAVから興奮気味の実況音声が流れる。そして、今まで吹き荒れていた砂嵐が嘘であったかのように止まった。視界を覆っていた砂嵐は今日のような対戦の為に人為的に発生させていたものだったのだ。

 

 視界が晴れた事で、ゴーストブルの目の前に立つもう一体のIS『プロトエグゾス』の五体満足な姿が鮮明になる。カラーリングは真紅をベースとし、アクセントとして紫色のラインが入ったこれまたフルスキンのISだった。しかし、全身を覆う装甲にも関わらず、その体躯はゴーストブルとは全く正反対だ。部分的に角張った造形ではあるが、西洋甲冑のように生身の人間の体型に沿うような姿をしている。その頭部には、正面に伸びるツノのように鋭いアンテナが突き出ていた。

 

 そして、目元にあたる部分に搭載されたモノアイのカメラが妖しげに青く光る。ゴーストブルは恥辱を感じるが、既に機能を停止したISではいかなる抵抗も出来ない。ただただプロトエグゾスの沈黙の言葉を受け入れるだけだ。

 

 こうしてISアリーナ専用エリア『ロストシティ』での一戦は終わった。多くの観客の予想通り、アリーナの覇者の勝利という結果と共に。

 

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 専用機『プロトエグゾス』でロストシティでの一戦を終えたイツァムは控室に戻るや否や右手のみを駆使し、乱雑に赤いISスーツを脱ぎ捨て真っ白いガウンに着替える。この一連の動作は、隻腕となってから何度も繰り返してきた為に流れるようなものとなっていた。それでも、ほっと一息をつくと鏡の前に立ち、少しばかり充血している自身の右目をじっと見つめる。いくらハイパーセンサーが機能しているとは言え、隻眼である彼女にとってここに少なくない負担がかかっている事は容易に想像がつく。そして、肌には汗が浮かんでいた。今すぐにでもシャワーを浴びて洗い流してしまいたいとイツァムは備え付けのシャワールームへと足を運ぶ。

 

 しかし、そんな彼女を引き止めるように洗面台の脇に置いてあった端末から呼び出し音が鳴った。仕方無しにと足を止め、端末を手に取る。

 

「相変わらず挑戦者に容赦がないな」

 

 端末から抑揚のない少女の声が聞こえると、イツァムはため息を一つついた。

 

「ゴーストブルの乗り手、ドクター・ジェーンと言ったね。一介の研究者でありながら、装備のチョイスといい見どころがある。闘い方のセンスも、ね。今日だって私をどうにかして打ち負かそうという意思を感じた。ま、その程度には負けやしないけども。

 流石にハイパーセンサーからも反応を消した時は驚いたけど。あれが噂のステルスフィールドか。私がスラスターユニットを狙い撃ちした時、相打ち覚悟で突っ込んで来られたら装甲の差でもしかしたらもう少し良い勝負になったかもしれない。どっちにしても、そっちがその気ならきちんと真正面からぶつかってやらないと敬意を払った事にはならないだろ」

 

 濡らしたタオルで軽く体を拭きながらイツァムは応える。多少なりとも不快感を拭えた事で、彼女の声の調子にも余裕が戻ってきていた。

 

「ナインブレイカーの矜持、か。まあ良い、本題だ。日本でISアリーナの拠点設立の話が進んでいる。専用エリアの目処も立ったようだ」

 

「ああ、あの国でその話が進むなんてDOVEも今回ばかりは随分と積極的だね」

 

「イツァム・ナー。お前も行くことになった。私も同行する。出発は明日だ。準備をしておけ」

 

「はあ?」

 

 端末からの突然の伝達に、素っ頓狂な声を上げてイツァムは手にしていたタオルを思わず落としてしまった。

 

 ISアリーナ、それはISを一対一で闘わせる一種の闘技場だ。ISの兵器としての有用性が認められた直後には既にその原型は作られており、その歴史はISとともにあると言えた。IS操縦者ならば『ほぼ』自由に参加する事が出来、その戦績によって順位付けが行われる。ルールは至ってシンプルで、相手を戦闘不能にした者が勝者だ。使用する武器に基本的に制限はない。地形を変えるような巨大榴弾だろうと、ISごと真っ二つにするような大出力のレーザーブレードだろうと許可される。それを使いこなした上で勝者になれるかどうかは別として。

 

 このISアリーナに登録されている者の内、上位十名は『ランカー』、更にその頂点に立つものは『トップランカー』となる。現在のトップランカーであるイツァムはその戦闘の熾烈さからいつしか烈火の女帝と呼ばれISアリーナを、彼女を知る者にとって絶大な人気と畏怖の対象になっていた。

 

 そして、ISアリーナの対戦は時に辺り一面が文字通り焼き尽くされる程の結果になる場合もある為、専用のエリアで行われる。それは、ロストシティのようにゴーストタウンになっていた場所を改修したり、砂漠地帯だったり、あるいは傷跡残る旧戦場であったりと様々だ。

 

 この専用エリアは現在、世界各国に数十箇所存在する。内容が内容だけに、専用エリアの新規設置にあたっては国を相手にしての交渉になる事がほとんどだが、そもそもアリーナの運営については複数組織からの共同出資によって設立された『DOVE』という運営会社が一手に担うという形になっており、その中には国の関係機関も含まれていると専らの噂であった。

 

 と言うのも、半ば公然に新装備を試す事が出来たり、純粋な腕試しであったりと事情は様々であるが、このアリーナの運営と興行には莫大な実利が動く。実利主義な一面を持つ組織にとって、そこに乗らない理由など無いのだろう。特に、ISアリーナにおける一切の責任もDOVEに丸投げ出来るという、ある種の隠れ蓑なシステムもそれに拍車をかけた。

 

 日本でISアリーナの拠点が作られる話はイツァムも以前からそれとなく聞いていた。ISの発祥の地とも呼べる国でISアリーナを設置する事が出来れば大きな話題になるというDOVEやそのスポンサー達の判断らしい。しかしながらその調整は実に難航していた。どうやら世界で唯一の教育機関であるIS学園との折り合いがうまくいかず、国際IS委員会も首を縦に振ろうとしなかったらしい。それが、ようやく動き出した事にイツァムは少なくない驚きを覚える。

 

 だが、彼女にしてみればそれは然程重大な事ではなかった。何故ならば、彼女にとってその実力を振るう場所があればそれで良いのである。スポンサーの意向や、IS学園及び国際IS委員会との摩擦などもっての他であった。 

 

「今日の対戦が終わればお前に暫く対戦の予定は無い。IS学園といえばあのブリュンヒルデが教師をやっている場所だ。奴の教え子と模擬戦をやって欲しいと先方からも依頼が来ている」

 

「それは、依頼というか交換条件というかさ。要するに『そっちもそれなりの誠意を見せろ、例えばアリーナのトップを連れてくるとか』ってやつだろ?」

 

 イツァムは半ば呆れた様子で肩をすくめ、落ちたタオルを拾い上げる。端末から聞こえてくる内容は、相変わらずの無茶な要求だった。

 

 いつだったか、ある国で専用エリアを作る事になった際、ISアリーナの有用性を実証する為に自分が駆り出された事があった。その国の代表候補生と闘い勝つ事が出来れば認める、というものだった。その時はISアリーナを侮辱されたような気がして普段よりも輪をかけて容赦なく闘わせてもらった。だが、そこに充実感は無かった。彼女が求めているのは闘争、つまりは情け容赦のない力の激突であり、一方的な力の誇示でも蹂躙でもないのだ。

 

 しかし、今回は少しだけ食指が動く。日本にはあの世界最強と名高いブリュンヒルデが居る。そして、そのブリュンヒルデが教鞭を取るIS学園には世界から国家代表候補が集まるとも聞く。ついに自分が足を踏み入れる事の無かった世界とはどのようなものなのだろう。

 

 程なくして、結局イツァムはIS学園に向かうという要求を受け入れる事にした。日本には、どれほどの実力を秘めた者がいるのか。あわよくば自分を超える者がいるのではという期待を抱いた為であった。

 

 

 

 

 

 



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第三話 善と恵み

 

 

 IS学園の校門前では、一触即発とも表現すべき空気が漂っていた。丁度、校門を境目にして学園側には千冬を筆頭としたIS学園の教師陣が並び、学園前駅側にはイツァムと赤髪の少女が立つ。その間には目には見えぬ、決して両者が歩み寄れない深い裂け目があった。眼下からおどろおどろしい風が吹き上がるようで真耶を始めとして何人かの教師は震え上がっている。

 

「予定の時間よりも随分早い到着だな。それに、今回の訪問人数は三人と聞いていたが」

 

 そんな中にあって、千冬は目の前の二人の女へ努めて冷静に口火を切った。

 

「二つ時間の早い便で先回りをさせてもらった。駅にはどこから集まったのか報道陣が詰めかけていた。予定通りの時間で来ていたら混乱は避けられなかった。もっとも、車両内にはそれを読んだ報道陣が詰めかけていたが。

 ISアリーナ運営の担当者は先んじて海洋プラットフォームの改修状況を確認しに向かった。恐らくそちらに滞在するつもりなのだろう。よってIS学園に滞在するのはイツァム・ナーと私だけだ」

 

「私は改修が終わった後の設備の確認と、まあ客寄せパンダみたいなもんさ。だから暫くは暇という訳。ついでに『滞在中は良かったら模擬戦をやってくれ』と言われてるよ」

 

 赤髪の少女の返答に、イツァムは笑顔を浮かべて続く。両者の反応は非常に対称的だ。少女の方には抑揚が全く無く、自身の発言に全く感情を乗せている様子は無い。一方で、イツァムの方は実に楽しげであった。報道陣に囲まれる事も、長距離移動する事も慣れている。そこにどんな感慨も生まれる事などない。今、彼女を愉快足らしめているのは目の前にいる織斑千冬から発せられられる殺気であった。

 

 イツァムにとっても、織斑千冬は知らぬ人間ではない。彼女が出場し、ブリュンヒルデとしてその名を知らしめたモンド・グロッソについてもだ。それ自体にまるで興味など無かったが、ここに来る前に当時の大会の様子も改めて見た。映像に映し出される彼女の活躍は実に痛快だった。ちぎっては投げ、という言い方では生温い。圧倒的な蹂躙がそこにあった。

 

 きっと、この女は総合部門だのなんだのと、何かと制約のある場ではつまらないだろうと思った。もっと相応しい場と力をぶつけてやらねば無礼であるとすら思った。第二回は弟である織斑一夏の誘拐によって途中で辞退をしていたらしいが、仮に二連覇したとしてもその偉業とやらで決して充実はしなかったはずだ。

 

 そして、実際に会って自分の中の予感は正解だったと確信した。こういう人間に、唯一、勝利という勲章のみを持たせたらどうなるのだろうか。今すぐにでも、何もかもを忘れてISを展開させて闘いたい。心ゆくまで激突したい。イツァムの中で、闘志が爆発しそうであった。

 

「勝手に予定を変更されても困る」

 

「クレームについてはDOVEとマスコミ関係者に入れてくれ。我々は無用な混乱を避ける為、可能な限り善処を試みただけだ」

 

 しかし、当の千冬はと言うと、くつくつと笑うイツァムを横目に赤毛の少女に睨みをきかせる。そして、赤毛の少女の方もまた、先程と変わらず抑揚のないまま言葉を返す。

 

「あの、織斑先生。こちらの方々は」

 

 苛立ちを募らせる千冬に対し、とうとう真耶が覗き込むように彼女の表情を伺い、目の前の二人について尋ねてきた。

 

「ああ、自己紹介がまだだったね。私はイツァム・ナー。ISアリーナのトップランカーをやってる。で、こっちの赤いのが」

 

「ハスラー・ワン。イツァム・ナーのマネージャーと考えてもらって構わない」

 

 二人が自己紹介した後、イツァムが肩をすくめて見せると真耶はわずかに後ずさった。イツァムは、彼女の無意識の行動をひと目見て「優秀」だがもう一歩足りないな、と心の中で評価する。そして、そんな彼女が割って入ってきた事で、すっかり毒気を抜かされてしまった。

 

「あなた方の今後はこれからこちらでも詰めるとして、ひとまず来賓用の部屋へ案内する」

 

「ルームサービスは期待して良いのかい? ああ、まんじゅうが怖い」

 

 その一方で、イツァムと赤髪の少女、ハスラー・ワンの二人に警戒心を顕にしても何の意味もない事を悟った千冬はため息をついて踵を返す。校門での異様な空気を察した生徒達が野次馬になりつつあった。無用な混乱を避ける為に善処する。たった今ハスラー・ワンが言った事自体に千冬も同意する。つまり、まずはこの場をおさめて、本件については後ほど理事長と国際IS委員会にたっぷり問い詰めれば良い。

 

 そもそも、IS操縦者を育成する為の教育機関であるIS学園と、IS操縦者同士に決闘を行わせるISアリーナは全く正反対の性質を持つ。千冬ら教師陣が今回の来訪を知ったのは五日前の事だった。あくまでISアリーナはエンターテインメントと言うが、運営会社であるDOVEを含めてその実態を調べれば調べるほどISアリーナは無法地帯としか思えなかった。なにせ、専用エリアがまるごと吹き飛んだり、IS操縦者が再起不能一歩手前になったりという噂が絶えない。

 

 そういった血生臭さを持つISアリーナの人間に対して警戒心を抱くな、という方が無理な話だろう。千冬の内心に義憤が混じる。一体、国際IS委員会も、IS学園の経営陣も、何を考えているのだろうか。

 

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 

「『IS学園にいる間はIS学園の指示に従うよう伝えてある。模擬戦については当事者同士が同意するならば協力してやって欲しい』か。全く節操ない事だ」

 

 イツァムとハスラー・ワンの二名を来賓用の部屋に案内した後、千冬と真耶は教務室に戻り彼女らの対応について揃って頭を悩ませていた。彼女らが国際IS委員会やIS学園との契約を反故にするとは考えにくかったが、学園内で自由にさせるのも気が引けた。

 

「明日、午前中の内に学園内の案内をしておきましょうか」

 

「……そう、ですね。アリーナと食堂と、トレーニングルームぐらいで十分でしょう。後は向こうの要求に応じて対応すれば良い」

 

 口の中に含んだコーヒーに普段よりも苦味を強く感じながら、千冬は真耶の提案を受け入れる。

 

 ハスラー・ワン曰く、廃棄されていた海洋プラットフォームがISアリーナ専用エリア『コルナート』へ改修されるまであと三日ほどかかり、それと前後してイツァムが設備の確認及びプロモーションで現地に向かう予定になっているという。これらの予定が順調に行けば、一週間程度でIS学園を離れるらしい。

 

 その海洋プラットフォームはIS学園より数十キロ程離れている。天気が良ければ直通のモノレールからの景色に小さく映り込む程度の距離だ。だが、もし。コルナートとしての運営がうまくいったのなら、IS学園にも少なくない影響が出るだろう。千冬はたまらず苦虫を噛み潰す。

 

 そんな彼女を尻目に、真耶は自分のデスクにある端末を操作し、国際IS委員会によって管理されているISコアの所有者のリストを眺めている。すると、しばらくして首をかしげた。

 

「イツァムナー。マヤ神話の神の名前、ですか。彼女の専用機『プロトエグゾス』のコアは、メキシコの所有として確かに登録されていますが彼女自身の事を含め、それ以外の情報が出てきません。ISアリーナ以外で活動する事は滅多にないみたいです」

 

「唯一はっきりしているのは、彼女がISアリーナのトップランカーである事だけ、か」

 

 千冬の苦い反応に僅かに震えつつも、真耶はISアリーナについて調べ始める。イツァムらが日本に入国した事を報道する記事が既にいくつかヒットする。その中には「ISアリーナの覇者対ブリュンヒルデ」といった明らかに特定個人を煽るような見出しや、「いよいよIS学園もご乱心か?!」というようなもあった。前者は兎も角、後者は然るべき対処が必要だと真耶は考え、同時に明日の職員会議での議題の草案を脳内で練り始めた。

 

「ISアリーナ。遠い国の噂のようなものだと思っていたのですが、本当に存在していたんですね」

 

 それから、しばし記事を眺めていた彼女は率直に感想を述べる。彼女自身も学生の頃からISアリーナの話は聞いた事があった。しかし、当時の大多数の人間と同様に「そういうものがあるらしい」程度の認識でしかなく、国際的な大会である『モンド・グロッソ』を真似たものでしかないとも思っていた。当時から世界中でモンド・グロッソを露骨に意識した小規模なイベントは散在していた。そして、どれもが例外なく先細りいつの間にか噂にものぼらなくなった。

 

 だからこそ、ISアリーナもそのうちの一つだと思っていた。まさか、それが今尚続いていてこの日本にもやってくるとは。少なくない驚きを真耶は覚える。そんな彼女に、千冬は委員会や理事長から聞き出したISアリーナの情報を話し始めた。

 

「大々的に広報されるようになったのはごく最近ですからね。正直なところ、今回の彼女達の訪問によってIS学園からあのアリーナに登録する人間が出ない事を願うばかりです。はっきりいって血なまぐさい。

 全く、IS学園が日本にあるからと言って、日本国内の出来事にIS学園が巻き込まれるとは」

 

「登録って。そんなに簡単に出来るものなんですか?」

 

「ISアリーナ自体は、IS適性のある者がDOVEに連絡すれば今すぐにでも登録出来ると聞きます。それこそ、適正問わず、この学園の生徒でも。しかし、参加出来るかどうかというと話は別です。IS操縦者として再起不能な怪我を負うリスクもある。血なまぐさい、と言ったのはこの事です。国家代表候補みたく何かしらの組織に属しているなら、まずそこからストップをかけられるでしょう。

 そういった事情もあって、ランカーはおしなべて異質扱いされています。イツァムのようなトップランカーともなれば尚更。彼女らは何者にも束縛されず、アリーナで闘う事にのみ価値を見出しています。もっとも、そのおかげで劇物であるのは間違いないが排除されるべき危険分子扱いされないで済んでいる、という見方もあるでしょうが」

 

「なんというか、私には良くわからない世界です。力比べをしているだけ、前時代的なようで」

 

 ため息を漏らす真耶に、千冬は頷いた。果たしてこの学園にいるのだろうか。イツァムのような、ただ只管に強さのみを求めるような人間が。

 

 それと同時に、千冬にはもう一つ気になる事があった。イツァムのマネージャーだと言った、ハスラー・ワンという少女の事だ。イツァムの娘と言っても通じそうな程に彼女は幼く見えた。そんな彼女に自分がどれだけ『意識』を向けても彼女は反応しなかった。側に居たイツァムが楽しげな反応をしていた事が目立ち、かえって腹ただしくなる程に。干渉せず、されず。ただそこに存在しているだけ。それが、ハスラー・ワンという人間ではないかと思った。

 

 実際、IS委員会は彼女については『単なる付き人』だとして詳しく話さなかった。千冬も、本命はトップランカーであるイツァム・ナーと、結局会わずじまいとなってしまったが先行して海洋プラットフォームに向かったアリーナ運営の担当者の二名だと考えていた為に、それ以上の追求はしなかった。しかし、実際に彼女らと相対してあの異質さを目の当たりにした事で、委員会が口を噤んだのは『彼女は優先順位が低いから』という単純な理由ではない気がした。

 

 イツァムナー。マヤ神話において完全なる善を司り、人間に文字や作物の栽培方法等幾つもの恵みをもたらした慈悲深き神。今、お供を連れてIS学園にやってきた「彼女」は果たしていかなる恵みをもたらすつもりなのだろうか。千冬は柄にもなく天に祈った。どうか彼女らが機嫌を損ねて神罰など下す事無く、この訪問が無事に終わる事を。

 

 

 

 



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第四話 挑戦者現る

 

 この日の食堂は騒然としていた。理由は明白であった。隻眼隻腕の見知らぬ女が、実に手慣れた様子で昼食を取っていた為だ。その女はカツカレーを食していた。片手で器用にスプーンを使い、カツを口に放り込んでいく。嚥下するたび、舌から伝わる味に満足しているのか実に朗らかな笑顔を浮かべながら。

 

 いつものように食堂にやってくる生徒達は、彼女の姿を見るなりはっとなり遠巻きに様子を伺いながら今日の昼食を吟味する。皆が皆、そういった反応をする為に、ピークタイムにも関わらず彼女の周り一帯は極一部を除いてまるで区切られたように空席が目立つ。

 

 その極一部の例外、つまり彼女の真正面に織斑一夏は座っていた。自身の左隣に篠ノ之箒を、右隣にセシリア・オルコットを座らせて。彼は、両隣からの奇妙なプレッシャーを一身に受けて肩身が狭くなる思いだった。そんな中にあっては、つい先程まで湧いていた『目の前の女性が何者であるか』という興味よりも、何故席順を決めるじゃんけんでチョキを選んでしまったのだろうという後悔が支配的になるのは自然な事だろう。

 

 そんな感情をなんとか払拭しようと、無言のまま手元の焼き魚の身を解す。だが、程なくしてほぼ同じタイミングで両脇からの脇腹を狙った肘打ちを頂戴し、とうとう本題に入る為に口を開いた。

 

「その。どちら様ですか」

 

「んん? 昨日からしばらくの間滞在する事になったイツァム・ナーだ。宜しくな」

 

「あ、はい。俺は織斑一夏と言います。宜しく」

 

 下手をすれば失礼極まりない問いかけにも、その女、イツァムは一度水を口に含んでから穏やかに答えた。まるで親しい友人と雑談するかのような反応に、一夏は思わず気が抜けてしまう。と、同時に、彼女の名前に聞き覚えがあった事を思い出す。

 

 今朝のHRで、副担任である山田真耶が「今日から一週間ほど二名の来賓が滞在する」と話をしていた。自然と、どんな人が来るのかという話題になり、どことなく言いづらそうにしていた彼女は「外国の凄腕のIS操縦者」と簡単に答えた。イツァム・ナーという名前はその時に聞いたものだった。来賓かつIS操縦者というからにはどれほどの堅物かと思っていたが、まさかこんなところで呑気に昼食を取っているとは思っていなかった。

 

「いやあしかし。日本の飯はやはり旨いよ。良いね、このカツカレーってのは。カレーといえばインドやネパールだけども、こんな料理見た事が無かった」

 

 彼の動揺など知る由もなく、イツァムは再びカツをスプーンで掬い頬張る。片手のみで食事を取りながらも、背筋はすっきりと伸び所作も整っている。口調こそ砕けていたが、彼女の食事の様子には気品が感じられた。

 

 見とれた、とまではいかないものの、一夏の中にたった今まであったはずの警戒心はすっかり無くなっていた。そして、自然と彼女のふとつぶやいた疑問に答えていた。

 

「カツカレーって日本発祥の料理ですよ。それに、日本のカレーは独自に進化していて、カレールーが海外に逆輸入されたって良く聞きますし、カツカレー自体も色々なバリエーションがありますからね。トンカツじゃなくてエビカツとか、メンチカツにしたり。……あ、あと千切りのキャベツを乗せるのも見た事があります」

 

 カレー料理について自分の記憶を掘り起こす。幸か不幸か、家の中の事が壊滅的に出来ない姉がいるおかげでこの手の知識には明るい。そんな彼の表情を、イツァムはしっかりと捉える。そして、時折相槌を打ちながら静聴する。一夏は、彼女が自分に向けているものの正体を掴む事は出来なかったが、それに後押しされるようで安堵を覚えていた。自分でも驚く程に話す内容がすらすらと出てくる。

 

「なるほど。日本を離れる時はカレールーをお土産にするのも悪くないね。教えてくれてありがとう」

 

 彼の話が終わる頃には、イツァムはスプーンをカレー皿に置き、姿勢を正していた。そして、最後には頭を下げ感謝の言葉を告げた。

 

 今の話は一夏にとって雑談の一端でしかないつもりだった。しかし、聞き手であるイツァムの態度を前にし、嬉しさと気恥ずかしさを覚えてしまう。同時に、急かされたとはいえ彼女への最初の言葉について後悔が遅れてやってきた。

 

「すみません。さっき、いきなり失礼な事を言ってしまって」

 

「さっきの? ああ、私が何者かって聞いたあれか。この学園の人間じゃない奴が呑気に飯を食っていたんだ。こんな『なり』をしているしね。怪しむって言ったら言いすぎかも知れないけど、気になるのはしょうがないよ」

 

 彼女がそうしたのとはまた違う理由で一夏は頭を下げる。

 

 しかし、当の本人は怪訝そうな表情を浮かべたかと思えば、からからと笑い左肩を少し上げて揺らし始めた。すると、その先にぶら下がるシャツの袖が、少し遅れてゆらゆらと振られる。

 

 彼女のこの行動に対し、彼女と会話をする前であれば横切る度に表情を曇らせる他の生徒と同じような表情をしていただろうと一夏は思う。しかし、短いやり取りの中で彼女の気質のようなものを僅かでも感じ取った彼にしてみれば、これは彼女なりの気遣いである事はすぐに分かった。思わず、笑顔を浮かべてしまった。

 

 そんな一夏の傍らで、イツァムとのやり取りを眺めていたセシリアは心底面白くなさそうに口をへの字に曲げていた。彼を挟んでいる為に表情を伺えないが、恐らく箒も同じような表情をしているだろうという確信があった。

 

 決して、自分達を差し置いて、すっかりこの場に馴染んだ目の前の女性と微笑ましいやり取りをしている事に対し嫉妬をしている訳ではない。そう手前勝手な言い訳を心の中でしながらも、なかなか彼らの会話に入るタイミングを掴めない事に苛立ちを感じていたのも事実だった。小皿に取り分け、フォークの先で弄んでいた乱切りの人参がボロボロになって崩れる。

 

「別にとって喰おうって訳じゃないんだ。そこまで警戒しなくても良いんじゃないか? ミズ・セシリア・オルコット」

 

 いつの間にかフォークで突き刺すには小さくなりすぎた人参を、セシリアが寂しそうに見つめているとイツァムは彼女の名前をフルネームを呼んだ。

 

 その瞬間、セシリアは顔を上げた。これまでの会話の中で自分の名前があがった事は無い。にも関わらず彼女はその名を正確に口にしたのだ。きっと、この学園に来た直後の自分であれば今頃歓喜していただろう。そんな突拍子もない思考が生まれる程に、セシリアの中に動揺が走った。心臓を掴まれたような気分だった。

 

「……私の事、知っているのですか」

 

「そりゃあもう有名人じゃないか。たった今話をしていたのがブリュンヒルデの弟だって事も。その隣にいるのが篠ノ之箒。篠ノ之束の妹だって事もよく知っているよ。この場で皆まで言うのは無粋ってものだけど、ね」

 

 イツァムの言葉に、淀みは無い。そこには聞く者に直接届くある種の爽やかさ、実直さがあった。

 

 国家代表候補のプロフィールについては、調べれば直ぐにでも出てくる。それこそ、イギリスの代表候補で無くとも。ところが、イツァムの口ぶりは、その事を称賛するでも無く、事実だけをありのまま淡々と述べているようだった。視界の隅には、とりとめのない雑談を交えつつ満足げに食事をする生徒達の姿がある。果たして彼女の言う通り、自分の中にあった感情は無粋なのだとセシリアは思い知らされた。同時に、そんな事でたった今動揺してしまった事が急に恥ずかしくなった。

 

 そして、普段ならば『姉の名』を出された途端に不機嫌になる箒ですら、視線が泳ぎっぱなしだった。イツァムの言葉をどう受け止めて、何と返して良いのか良いのか分からず困惑しているのは明白だ。隣で彼女の表情を伺っていた一夏にとっても、彼女がこんなにしどろもどろになるのは久しく見ていないようで視線が右往左往している。

 

「ま、空腹に勝てなかったとは言え、こちらも客人なのに無遠慮だった事は詫びるよ」

 

 三者三様の反応を見せる一夏らを一瞥したイツァムは、気恥ずかしそうに小さく笑った。

 

 気がつけば、彼女らの周りに生徒達が集まりつつあった。どうやら今までの会話を聞き耳立てている中で、すっかりイツァムに対する警戒心は和らいでいたらしい。中には同じテーブルに座る者も現れた。それでも、彼女の両隣は空いたままだったが。

 

「今日は食堂に来てたのね」

 

 にわかに賑やかになった中で、一夏は背後から自分を呼びかける声を耳にして振り返る。すると、そこにはトレーにラーメンを乗せた鈴音の姿があった。鈴音はその場にいた面々を横目に、箒の隣の空いていた席に座ると手早くラーメンを啜り始める。

 

 一夏は彼女のその姿に既視感と違和感を重ねて覚えた。普段なら「自分をおいて食堂に行っちゃうなんて!」というように癇癪を起こす彼女がどうにも大人しい。覇気が無い、というよりも何か考え事をしているように見えた。そして、これがここ数日の彼女の姿だった事を思い出した。

 

「……ああ。凰鈴音、か。中国の代表候補の」

 

 何か、彼女に声をかけるべきだろうか。しかし、一向にその言葉が思いつかない。そんな一夏をよそに、鈴音の姿を見てからずっと首を傾げていたイツァムが呟いた。すると、鈴音の手がピタリと止まる。

 

「すまない、IS学園に来る事が決まったのはなにせ三日前でね。移動の合間にはある程度目星をつけたIS操縦者について調べるぐらいの時間しか取れなかったんだ」

 

 そう言いながら、イツァムは自嘲気味に肩をすくめた。

 

 鈴音は彼女の言葉に、言い方に。自身の中に苛立ちが生まれた事を認めた。例えその意図は無くても、不本意だと思っても、自分は後回しにされたと思ってしまった。つい今しがた、一夏や箒、セシリアの事はすぐに分かったというのに。自分も、『セシリアと同じ国家代表候補』だというのに。

 

 そこで、はたと気づく。たった今、自分の中に渦巻いている感情。それは、ツーマンセルトーナメント以来、ずっと自分を悩ませ続けているものとどこっか似ていた事を。

 

「イツァムさんはどれぐらいIS学園に滞在する予定なのですか」

 

「マネージャーが言うには一週間ぐらいだったかな? その間は模擬戦の希望があったら受けるつもりだけど、専用エリアの改修が終わるまでは基本的には暇なんだよね。せっかくだから食べ歩きなんてのもやってみたいねえ」

 

 そして、セシリアがイツァムと対話を始める中、鈴音は昨日の昼間に校門でイツァムが千冬らと対峙していた時の事を思い出していた。遠巻きに見ていた自分ですらはっきりと感じ取れて震え上がる程、両者の間には側に誰も寄せ付けようとしない異質な空気があった。それが、今は全く感じられない。

 

 同時に、『この事』が、鈴音の心にささくれを引き起こした。隣に居た箒の顔が少し引きつるのを見た。まるで子供のわがままだと分かっていても、自分でどうしようも出来ない程にイツァムへの苛立ちを止められなくなってた。

 

「……単刀直入にお尋ねする。ISアリーナのトップランカーというのは。つまり、あなたは織斑千冬より強いのか?」

 

 スープだけとなった手元の丼に視線を向けた鈴音の頭上で、箒の声が飛んだ。僅かに沈黙があった。鈴音は、イツァムの返答を窺う為に目線だけを上げる。すると、イツァムは一旦椅子に深く座り直してからため息交じりにこう答えた。

 

「その質問に答えるのは難しいな。あの人とやり合いたいのはやまやまだ。だけど、勝敗がどうなるか、全く見当がつかない」

 

 その回答は、弱腰だ。鈴音がそう思った。『そうさせる程』に、昨日見た光景は強く印象に残っていた。あの時感じたものは、単なる虚勢だったのだろうか。ならば、ISアリーナというのも、トップランカーというのも、或いは。  

 

「軽々しく『絶対』なんて使うべきじゃないと私は思っている。そんな言葉を使うのは、そいつとんだ勘違いをしているか、もしくはよほど自信が無いだけさ」

 

 だが、続けて発せられたイツァムの言葉は、鈴音のそんな内心を抉った。ただ会話を聞いているだけなのに、まるで、自分の浅はかさを見抜かれたと思った。

 

「あの、さ。イツァムさんって言ったわよね」

 

 気がつけば、鈴音は睨みつけるようにイツァムを見ていた。それまで談笑に興じていた一夏達は、場の空気が変った事を悟り、その視線は一斉に鈴音の方へと向く。

 

「模擬戦の相手。それ、あたしが立候補しても良いかしら」

 

 しかし、今の彼女にとっては最早どうでも良い事になっていた。イツァムと出会った事で生じた苛立ちの理由と、数日前からずっと抱いていた疑問はきっと近くて似ている。だが、いくら一人で思案を続けてももはや答えを探す事すら敵わない。結局、それに近づくには『これ』が一番手っ取り早い。彼女の直感が、そう告げる。

 

「挑戦者現る。良いね、待っていたよ」

 

 その一方で、イツァムは真剣な眼差しと共に笑みを浮かべていた。直前まで食事を楽しんでいた女性の姿は、無い。つまり、千冬と相対した時と本質的に違う強烈な威圧感が、鈴音を襲っていた。

 

 

 

 

 



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第五話 かの者ら、華麗にて熾烈につき

 

 鈴音がイツァムに挑戦状を叩きつけた日の放課後。模擬戦が行われるアリーナには学年問わず多くの生徒が集まっていた。やはり、ISアリーナという学園内ではあまり聞き慣れない所からやってきた凄腕のIS操縦者という存在は興味を抱かせるには十分なものなのだろう。

 

 と言っても、物々しい雰囲気という訳ではない。多くの生徒は興味本位で見に来ているだけだ。雲は少なく太陽の光が直接アリーナにさす中、飲み物とお菓子を持参しスポーツ観戦といった調子で模擬戦の開始を待つ生徒の姿もある。良く言えばのどか、悪く言えば緊張感の無い空気が漂っていた。

 

「鈴の奴、大丈夫かなあ」

 

 そんな中、シャルロット・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒと並んで観客席に座っていた一夏は呟く。彼の脳裏には昼間、食堂での鈴音の表情があった。ここ数日の間、彼女はぼんやりしていると表現すべきか、ともかく、どこか上の空だった。普段の彼女を考慮すればどうにも不釣り合いで、思わず体調を気遣ったらローキックで返されてしまった事を思い出す。

 

 だが、イツァムと模擬戦の約束を取り付けた事で騒然となったあの場から去る時だけは、妙に満足気に笑っていた。『口より先に手が出る』彼女の衝動的な一面は、一夏も良く知っている。彼女が何を狙っているかわからない以上、そんな彼女が早まった行動を取らないだろうかと深読みすらしてしまう。アリーナに向かう途中、この事をシャルロット達に話してみたら「新鮮さを感じているだけだろう」とそっけなく返され、結局、自分に出来る事はこうしてただ見守るだけとなった事が口惜しく思えた。

 

 不意に、布がこすれる音が耳に入ってきた。視線を横に向けると、ちょうど一人分の座席をあけたところに黒い日傘をさした赤髪の少女が座っていた。顔全体に影が落ち表情は分かりづらいが、その赤髪よりも暗い色味の赤いシャツ、そして真っ黒のスラックスという出で立ちは、ひと目で外部の人間であると分かった。

 

「ハスラー・ワンだ。今は、イツァム・ナーのマネージャーをやっている」

 

 視線を感じ取ったのか、少女は顔を一夏の方へ向ける事無く自ら名乗る。

 

 一夏は、背筋に冷たいものが走ったのを感じた。ハスラー・ワンと名乗った少女の口ぶりは、イツァムのそれとは真逆で、血が通っているとは思えなかったのだ。

 

「イツァム・ナーは手加減などしない。それは『侮辱』だと考えている。誰であれ、相手を対等に見る事が彼女にとってのトップランカーとしての矜持なのだろう。私には理解できないが」

 

 口ごもる一夏に、ハスラー・ワンは話を続ける。それは、今しがた彼自身が憂慮していた事への回答である事に気づくまでそう時間はかからない。

 

 観客席の空気が変った。丁度、一夏達の座る場所の正面にある入口から甲龍を展開させた鈴音が現れた為だ。一夏は頭を振って、鈴音の健闘をただ祈った。

 

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

「イツァム、ここはIS学園のアリーナだ。お前が普段いるISアリーナとは勝手が違うぞ」

 

「分かっているよ。空に上がりすぎたらエリアオーバー。その時は強制的にシールドエネルギーがゼロになる。これは『こっち側』とほとんど一緒か。違うのはシールドエネルギーが切れたら継続の可否問わず直ちに戦闘終了。わかりやすくて良いね」

 

 アリーナへ続く入り口の前で、イツァムは千冬から『この学園におけるアリーナのルール』の説明を受けると、満足そうに笑顔を浮かべプロトエグゾスを展開させた。瞬く間に頭全体が赤い装甲に覆われる。普段は右目でしか視界を確保できないが、こうしてISを展開させると視界がハイパーセンサーとリンクされ、遠近感含めてより鮮明なものとなる。失われている左手も同様だ。義手と呼ぶには遥かに性能の優れた腕が既に展開されている。脳が握り込むと命令すれば、神経のそれよりもずっと早い伝達速度で左腕が動作する。

 

 軽く体を揺らす。正常にプロトエグゾスが展開された事を確認すると、イツァムはアリーナへと進んだ。一瞬、眩しい程の光が視界を覆う。やがて、程よく踏みしめられた砂地が目の前に広がった。アリーナ外周には観客席が段になって設けられている。この場所から見る限り、満員御礼、とまでは行かないがそこそこ人の入りは良い。今日の観客はIS学園の生徒だ。自分が姿を見せるや否や、ざわつきが小さくなった。多くの視線が集まってる事がよく分かった。

 

 そして、自身が今出てきた入り口と正反対の方向には既に専用機『甲龍』を展開させていた鈴音の姿があった。既に得物である青竜刀『双天牙月』を両手に握りしめて臨戦態勢といった様相だ。フルスキンであるプロトエグゾスとは違い彼女の表情は顕となっている。その顔つきに昼間感じた苛立ちは無かったが、緊張しているようだ。

 

 イツァムは外周に設置されている時計に視線を移す。模擬戦の開始までのカウントダウンが始まっていた。だが、まだ若干の猶予がある事を確かめると、甲龍とのプライベート・チャンネルを開いた。

 

「凰、さっきは失礼な態度をとってすまなかった」

 

「……イツァム、さん?」

 

 その声のトーンは穏やかであったが、同時に真摯なものでもあった。いずれにせよ、鈴音にとっては突然の呼びかけなのは間違いなく、戸惑いと共に目の前のISを動かしているのがイツァム本人である事を確かめるように彼女の名を呼ぶ。

 

「貴方の事を調べさせてもらった。いくらIS適正があるからと言って短期間で国家代表候補まで辿り着くなんて、そう容易い事じゃない。理由はどうあれ、その意思と行動には、『敬意』が払われるべきだ」

 

 その言葉に、イツァムは鈴音が目を丸くするのを見た。

 

 一呼吸置き、彼女の口から発せられたのは、凰鈴音という人間への純粋な称賛。その言葉の節々に確かな悔悟があった。そして、彼女の言う『敬意』の意味するところを分からぬ程、鈴音という人間は薄情でも無い。

 

「静か、だね。トップランカーになってからはISアリーナに姿を見せると、観客が沸くんだよ。やかましいぐらいに。でも、今はとても静かだ。初めてISアリーナに立った時の事を思い出す」

 

 観客席をイツァムは一瞥する。時折、さえずりのような声が聞こえてくるが、そこに居たギャラリーは皆、かたずを飲んで二人を見守っていた。二人のIS操縦者が対峙し、不安とも期待とも取れるよな空気が漂っていた。それは、イツァムにとって懐かしい光景を思い起こさせるものだった。思わず、感傷に浸ってしまうが頭を振り、改めて鈴音を視界に捉える。

 

「よし。じゃあ、やろうか」

 

 鈴音は、その合図に頷いた。自身の頭の中が急速に冴えていくのを感じた。つい先程まであった畏敬の念は消える。代わりに心の中に闘争心が芽生え、体の内側から熱くなる。心身共に、目の前のISと闘う事への準備を整えたようだ。

 

 直後、戦闘開始を告げるブザーが鳴り響いた。そして、その音が鳴るや否や、先にプロトエグゾスが動いた。拡張領域から取り出した二丁のマシンガンをそれぞれ両手に持ち、右肩に発射口が横並びに二つ設けられた連装ミサイルを展開させる。それと同時に、背部のスラスターから大翼のような火が吹き上がった。身を屈めたかと思えば大地を蹴り、全身を加速させた。何の迷いもなく甲龍へと最短の直線距離を突き進む。一瞬遅れて、アリーナに土埃が舞い上がった。甲龍との距離がみるみる縮まる。瞬く間に連装ミサイルのロックオン距離に甲龍を入れると、イツァムは間髪おかずにそれを放った。同時に二発のミサイルが挟み込むように甲龍を狙う。リロード及び再ロックオンが終わると、直ちに続けてもう一度発射する。

 

 鈴音は少なくない驚きを覚えつつも、龍咆を構えながら後方へ飛び上がった。その動きに合わせて、自分を挟撃するように弧を描く計四発のミサイルが追跡してくる。誘導性能はあるようだが、その分速度が犠牲になっているようだ。前傾姿勢を取り、前方へと突き進む。そして、ミサイルに接敵する瞬間、両手に持っていた双天牙月で流れるように四発のミサイル全てを真っ二つにしてやった。一瞬、ミサイルの数が倍になったかと思えば、赤い閃光と黒い煙が生じてその全て爆発する。

 

 相手の初撃を難なく退けると、プロトエグゾスを視界に捉えたまま鈴音は更に突進する。既に衝撃弾の装填は完了している。砲身すら見えぬその不可視の砲撃を彼女はどう捌くのか。鈴音は、無性に期待に打ち震えた。

 

「不可視の砲弾か、良い武器だ。でも、こっちが真っ直ぐ向かってくるからって、それを真に受けていたら好機を見逃す」

 

 イツァムはその様子を見て、誰にも聞こえぬ声で呟く。

 

 プロトエグゾスの背部に吹き上がっていたスラスターの勢いが、破裂するように一際巨大化する。鼓膜を裂くような爆発音がアリーナに響いた。その瞬間、慣性などあざ笑うかのようにプロトエグゾスは甲龍の真上、遥か上空に吹き飛んだ。甲龍から放たれた衝撃弾は空を切り、遥か後方の砂地を削り取る。

 

 鈴音がプロトエグゾスの姿を見失った事に気がついたのは、一呼吸おいた後の事だった。上空から降り注ぐ実弾とエネルギー弾の混ざった豪雨と激しい衝撃、そしてみるみる内に削られるシールドエネルギーの警告音によって、ようやく思考を引き戻される。身を捩りなんとかプロトエグゾスの姿を捉えようとするが、振り向きざま、さっきと同じような爆発音と共にその出鱈目のような機動力によって側面へ回り込まれる。銃弾の嵐が止む気配はまるで無い。堪らず、龍砲を背後に向けて発射するが、無闇に撃たれた砲弾は空を切るばかりだ。

 

 油断と動揺を一緒に叩きつけられた事に恨めしく思いながらも、どこか鈴音は冷静であった。視界にプロトエグゾスを捉えられず一方的に攻撃されているこの状況で、次の一手へと切り替える程度には。常に死角を取り続ける事、それがイツァム・ナーの戦い方なのだろう。その根幹にあるモノは、ISの特性や適正などではない。ただただ、自分を遥かに上回る純粋な実力とセンスによって翻弄されているという事を嫌という程突きつけられる。だが、この模擬戦を見守っている生徒や、一夏の前でみっともない姿を晒すわけには行かない。何より、このまま無意味な抵抗を取り続ける事は、自分のプライドが許さない。

 

 それまで弄ばれるように空中で旋回を続けていた甲龍が、急上昇を始める。銃撃が迫りシールドエネルギーを削られ続けるが、はじめからそんなものなど存在しないかのように。間もなく、プロトエグゾスとの距離が開き、拡散する弾が甲龍の装甲をかすめるだけになる。

 

 『いつものように』距離を離して切返すつもりだろうか。イツァムは僅かな落胆を覚えながら追撃に移った。とは言え、推進部に十分なダメージを与えていない現時点では、なりふり構わず全速力で離れる相手との距離を詰めるのは難しい。つまり、このタイミングで鈴音が一時撤退する事は決して間違っていないともイツァムは考える。

 

 尤も、それがうまくいくのはあくまで逃走経路が延々と直線であった時の場合のみだ。加速する甲龍は瞬く間に上空のエリアオーバーするラインまで近づいている。さて、凰鈴音はどう動くだろうか。牽制がてらイツァムはマシンガンを断続的に放ちながら甲龍の動きを観察する。まさかこのままエリアオーバーで終了とはならないだろう。彼女の気質は、きっとそれを良しとしないはずだ。

 

 甲龍へと向けられていたマシンガンの弾道が次第に絞られていく。エリアオーバー付近まで来た事で、彼我の距離が目と鼻の先と呼べる程に縮まっている。どこへ逃げても追撃出来るよう、イツァムはプロトエグゾスのスラスターにエネルギーを溜めた。

 

 その瞬間、甲高い破裂音と共に、プロトエグゾスの装甲がビリつく程の強い衝撃が走った。爆発音とも異なるそれが、真上へと放たれた龍砲の超特大弾だとイツァムが気づいたのは、既にスラスターを全て止めた状態で背を向けたままの甲龍が猛スピードで落下してきたからだ。

 

 そして、プロトエグゾスが甲龍を受け止める姿勢を取る間も無く、二体のISが激突する。

  

 これには流石のイツァムも冷や汗をかいた。IS自体が動くのならば、ある程度その先は読める。しかし、その発射した瞬間すら不可視の砲撃による反動でぶっ飛ぶとなれば勝手が違う。これまでの撤退行動は『仕切り直し』ではなく『十二分以上に空間を圧縮させる時間を稼ぐ為。そして、まっすぐ自分を追わせる為』という発想に堪らず高揚を覚えた。

 

「捕まえたぁ!」

 

 鈴音が叫ぶ。そこでイツァムは、甲龍の左手ががっちりとプロトエグゾスの右の二の腕を掴んでいた事にようやく気がついた。甲龍の勢いは止まらず、その自重も加わりプロトエグゾスは上昇していた時よりも遥かに早い速度で地面へ急降下していく。

 

「このまま地面に激突させてやるわ!」

 

「無茶するねえ!」

 

 もがくプロトエグゾスに、甲龍の、文字通りの鉄拳が叩きつけられる。既に両者の距離は二の腕一本分のみ。加えて、地面との激突する瞬間までもう時間は無い。それでも彼女はその戦術を変えようとするつもりは無いらしい。直接ISで殴りつけるなど、自身のシールドエネルギーを目減りさせるもので既にダメージを受けている甲龍にとっては自爆も良いところだ。

 

 だが、果たして彼女の言うようにこの勢いのまま地面に激突させれられれば差の開いているシールドエネルギーなど何の意味も無くなるだろう。プロトエグゾスが銃口を向ければそれそのものへ鉄拳が飛ぶ。逃げようと試みても、彼女に掴まれている事、そして、乱打がそれを許さない。

 

「……愉しい!」

 

 無意識の内に、イツァムの口から感情が溢れた。ISと言う超科学の結晶を身にまといながら、やっている事は極めて原始的な殴り合いだ。本能の戦闘行動だ。最早、両手の銃器は役に立たない。無用の長物となったそれらを 投げ捨て、急降下する中でイツァムもまたプロトエグゾスの拳を以て甲龍に自身の拳を以て反撃に応じた。

 

 つい先程まで近距離での機動力を活かした射撃戦が、いつしか格闘戦と呼ぶのも憚られる野蛮な喧嘩に変貌した事に、観客席の生徒達はざわつく。しかし、それが聞こえているであろう鈴音もイツァムもそれをやめようとしない。二人共、観客の事など完全に意識から抜け落ちてしまっていた。鈍い金属の激突する音が、何度も何度も響く。時折、火花を散らしながら。

 

 そして、『その時』が来た。勢いを殺す、などという行動をする素振りも見せなかった二体のISがアリーナ中央の地面に突っ込んだ。その瞬間、砂の波が幾つも地面から舞い上がる。煙幕と呼んでも差し支えの無いほど砂煙が周囲を立ち込め、辺りの視界を覆い尽くした。

 

 観客席が、耳が裂けんばかりの悲鳴で溢れかえる。ただの模擬戦だと思ったら、授業ですら、危険事例としてすら見た事の無い展開となってしまったが故の、当然の反応だろう。やがて、舞い上がった砂は地面に落下する。晴れた視界の先には、甲龍は地面に仰向けで大の字になって寝そべっている姿と、その側に立つ装甲をいくらか損傷したプロトエグゾスが姿があった。

 

「全く、とんでもない」

 

 笑顔でイツァムは悪態をつく。激突する瞬間、ダメ押しで鈴音が甲龍を加速させた事で何とか事態を好転させる事が出来た。勢いを増した甲龍の動きをそのままそっくり利用し、甲龍を受け流して自分と鈴音との位置を入れ替えてやる。これが、寸での所で彼女が出来た大きな反撃だった。重量、加速度、とにかく鈴音の決死行の全てを利用させてもらった。その結果が、これだ。

 

「行けると思ったんだけどなあ」

 

 空を見上げていた鈴音が淡々と言葉を漏らす。後悔がほんの少し混ざっていたが、その言葉とは裏腹にどこか満足げのようにイツァムには見えた。

 

 ブザーが鳴り響く。それは、模擬戦の終わり、即ち、イツァムが勝者である事、鈴音が敗者である事を告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六話 強者の条件

 

 来賓室、といえば聞こえは良いがIS学園のそれは学生寮の設備に毛が生えた程度のものとなっている。そもそも、『高い独立性を保持する為』に普段は外部の人間を入れる事自体が稀になっているからだ。年間の行事の中で外部から人が来る事こそあれど、その時ですら一日限りの滞在の日程となっている。結局、この学園におけるそれはやむを得ない場合のみに使用されるような、避難所のような役割だと言えた。

 

 その為、ベッドは学生寮と同様に、見た目は質素だが快眠を得る為には十二分なものを使用し、家具周りは例えば黒檀をふんだんに使ったとか、金装飾を施してあるという訳でも無い。勿論、天井から豪勢なシャンデリアが吊り下がってもいない。強いて言うならば、寝室とリビングが分けられている程度だが、これは来賓とその関係者との打ち合わせ等する為のもので、至極当然の措置と言えた。そして、今まさにこのリビングでは、正しくその使用目的が成されていた。

 

「面倒な事になったな」

 

 千冬は呆れた様子で、目の前の布張りの二人掛けソファーに座るイツァムに告げる。

 

 昨日の鈴音との非常識極まりない模擬戦の結果を受けて、生徒の反応は実に極端に別れた。方や、我先にとイツァムに模擬戦の申込みを試みる者、方や恐れを成して距離を取る者、と。

 

 そんな状況でイツァムが学園内を歩けば途端に大騒ぎになる。こうして今、彼女が来賓室にいるのも、半ば無理やり千冬に押し込められた事によるものだ。そんなイツァムの表情はどこか浮かない。それは、昨日の模擬戦に満足していない訳でも、自分のとった行動による影響の大きさを憂えた訳でもなかった。

 

「ま、ま。良いじゃありませんか。模擬戦を申し込んだ方にとってもいい刺激になったでしょうし、こちらとしてはISアリーナのアピールになったんですし」

 

 イツァムの隣に座っていた灰色のスーツに身を包んだ妙齢の女性は嬉しそうに手を叩いた。彼女の目元の皺は震え、後ろで一本に束ねた白髪混じりのダークブラウンの頭髪が揺らぐ。その度に、イツァムは眉間に皺を寄せて視線を窓の外に向ける。

 

「バージュ、と言ったな。ISアリーナの運営責任者として今回のイツァムの行動は独断専行だと思わないのか。あんな喧嘩同然の殴り合いが、ISアリーナの常なのか」

 

「いんやあ。私なんぞがトップランカーをどうにか出来ませんしねぇ。責任者と言っても所詮は雇われの身分ですから。それに、『私どものアリーナ』は相手を戦闘不能にさせる事が最終的な目的なので、多少危なっかしいのも、ま、ご愛嬌ってところです」

 

 千冬が彼女の名を告げその責任の所在を問うても、その女、バージュは大げさな身振り手振りをまじえて口元を歪ませる事に終始する。

 

 なるほどこれは不愉快だ。千冬は、イツァムが先程から一言も喋らない理由を悟った。目線で訴えかけてくるイツァムのその姿勢は、また別の意味で不愉快にさせる。

 

「あぁ、それと。コルナートへの改修工事はおかげさまで順調ですよ。この後また現地の状況と進捗について業者と打ち合わせの予定が入ってまして直ぐに戻らなければなりません。天下のIS学園を是非とも見学させてもらいたいという気持ちもあるんですが、こればっかりは仕方ありませんねぇ」

 

 そんな二人の事など視界にすら入っていないかのようにバージュは一人、海洋プラットフォームの改装工事について話す。実に楽しげなその様子は、千冬はおろか、イツァムに対してすら挑発をしているようだ。

 

 どうぞさっさとお戻りください。そのまま二度とIS学園の敷居を跨ぐ事の内無いように。案内などもってのほかだ。千冬は、心の中で思いのままに毒づく。ふとイツァムの様子を伺うと、彼女は自身の眉間を指先で押さえながらこちらを見ていた。どうやら考えている事は同じらしい。敵の敵は味方、という言葉を思い出した。この場を表現するにはいまいち適切でないようだが、今の感情を踏まえると、どうしてもそれがしっくり来てしまうように思えて仕方なかった。

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 模擬戦から一夜明け、鈴音は自分に向けられる視線が普段とは違うものに変っている事を直ぐに悟った。その原因はわかりきっていた。朝から、二組では何かと合間を縫って、イツァムとの模擬戦の感想について質問攻めにされた。撮影されていた動画も見せてもらったが、第三者からの視点でみたら『ステゴロ』にしか見えなかった。よくもこれだけ派手に闘って五体満足でいられるのだから、シールドエネルギーと絶対防御というISの持つ防御機能の堅牢さを改めて実感させられる。

 

 もっとも、当人やISが無事だと言うのは見た目だけの話だ。本来なら誰もやろうとせず、思いつきもしないような『ステゴロ』を受けて模擬戦が終わった後、アリーナのゲートをくぐった先に待っていた千冬に。鈴音はこっぴどく叱られた。反省文の提出のみで済まされたのは、果たして幸いといえるだろうか。

 

 いずれにせよ、鈴音の心は全く折れていなかった。今、彼女の足は震え一つも無く来賓室へと向かっている。目的は勿論イツァムだ。

 

 思い返せば、昨日の模擬戦のきっかけは自分の癇癪と言っても良い。それにも関わらず彼女は快諾し、全力で闘ってくれた。模擬戦の間、鈴音は自分の悩みが消えている事に気がついた。時間の開いた今となってはいくらか再燃し始めたが、それでも以前よりもずっと軽くなっている。一つの物事に集中し始めるとそれ以外が気にならなくなる。というのは我ながら単純だと鈴音は自嘲気味に笑ってしまう。

 

 来賓室は学園の敷地内、教師をはじめとした職員の生活する教員棟の一角にある。場所は事前に確認しておいたが、なにせ初めて足を踏み入れる場所だし、自分がこの場にいるのは不釣り合いという自覚もあった。すれ違う教職員にぎこちなく会釈をして、時折首をかしげる反応をする人もいたぐらいだ。次第に歩みは早くなり、逃げ込むように目的の場所に急ぐ。

 

 そうして進んだ先に、来賓室の扉があった。焦げ茶の、簡単な筋彫りの施された扉が。鈴音は、唾を飲み込み三度その扉をノックする。これが引き金となって、急に緊張してきた。模擬戦で感じた、イツァムの気迫を思い出してしまった。頭を振る。きっと、今の自分は、それに負け時も劣らず、と言い聞かせた。

 

 油の足りていない、金具の擦れる音がした。眼前の扉が開く。だが、鈴音の予想に反して、そこから姿を見せたのはイツァムでは無かった。

 

「確か、ええと。ハスラー・ワン、だっけ?」

 

「……凰鈴音。要件は、イツァム・ナーか。入れ。私は席を外す」

 

 扉の向こうから姿を見せたハスラー・ワンは、鈴音の顔を見るなり頷く。そして、中途半端に開いていたドアを広げ中へと招き入れた。促されるまま鈴音が来賓室に入ると、ハスラー・ワンは入れ違いとなってそのまま扉を締める。

 

 鈴音が来賓室に入るのは始めての事だったが、その内装は普段自分が過ごす寮とあまり変わらない事に安心感を覚えた。そして、気持ちを落ち着けてから室内を一瞥すると、ドアから地続きにあるリビングでイツァムの姿を見つけた。布張りの、ライトグレーのソファーに背中を預け天井に顔を向けて妙にぐったりとしている。

 

「……おぉ、凰か! よく来てくれたね!」

 

 しかし、鈴音に気がつくや否や破顔し、跳ねるように座り直すと対面のソファーに指先を向けた。

 

「随分疲れてるみたいだけど」

 

「ははは、中間管理職の気持ちを痛感していただけさ」

 

 トップランカーなのに? と喉元まで出かかった言葉を鈴音はぐっと飲み込んでソファーに腰を下ろす。沈み込むような感覚は無く、むしろ跳ね返されるよな強さがあった。学園の所々に置かれている椅子とそう変わらない座り心地だ。

 

 鈴音の着席と同時に、イツァムは背を伸ばし始めた。両手を組んで、真上にぐっと引き上げる。口元から唸るような声がもれた。

 

「今日は下手したらこの部屋で一日退屈に過ごす羽目になっていたかも知れない。貴方が来てくれて嬉しいよ。

 さて、喉も乾いた。オレンジとアップル、どっちが良い?」

 

 オレンジで、と鈴音が答えるとイツァムは立ち上がり、部屋の隅に置かれていた冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の扉によって彼女の上半身は隠れ、ごそごそと漁る音だけが聞こえる。

 

 程なくして彼女は冴えるようなオレンジ色の紙パックを手に戻ってきた。一度それをテーブルに置き、ソファーに座ってから右手で器用にパックに口を広げる。そして、湯呑を自身の手元に持ってくるとそれに注ぎ込んだ。

 

「丁度いいコップが無くてね」

 

 そう言いながら、彼女は鈴音の前にオレンジジュース入りの湯呑を差し出す。決して彼女に非がある訳でもないのに、その言葉にたまらず鈴音は苦笑してしまった。

 

「昨日、模擬戦やった人じゃないみたい」

 

「なんだいそりゃ。私だって人間だよ」

 

 二人は顔を見合わせると、とうとう笑い声を上げる。イツァムもまた同じような心持ちだったらしい。何故か鈴音は無性に嬉しくなる。そうしてひとしきり笑いあった後、イツァムから話を切り出してきた。

 

「それで。わざわざここまで来てくれたんだ。どんな用事だい?」

 

 彼女は破顔したままだったが、視線は鈴音を真っ直ぐ捉えている。この視線は、来賓室に向かうまでの間、ずっと彼女の中にあった枷をいともたやすく壊す。というよりも、この部屋に入った時からすでにそんなものは無くなっていたのだろう。その事にたった今気がついただけなのだと鈴音は思った。

 

「イツァムさんはどうしてISアリーナにいるの?」

 

 それ故に、ぶつけた。自分の純粋な疑問を。

 

 目の前にいる女帝は、疑いようもなく強い。食堂で初めて会った時、彼女は織斑千冬と闘ったらどうなるかという質問に対し即断を避けた。その時は弱腰だと思った。

 

 たった一度の模擬戦を通してここまで言うのはいささか短絡的かも知れないが、今となっては彼女の言わんとする事が身にしみて理解出来ていた。この人は、自分のあり方にぶれる事の無い自信を寄せている。だからこそ、知り得ぬ事、分からぬ事に対しては虚勢などはらず素直に向き合うのだ、と。

 

「……私は、模擬戦をする前に貴方の事を調べさせてもらった。それなのに、私の事を話さない、というのは確かにフェアじゃないね。

 凰。貴方の見せた意思に『敬意』を払おう。私の事、話してあげるよ」

 

 そんな鈴音の姿勢に、イツァムは軽く頷くとこう応えた。そして、背もたれからずり下がっていた体を持ち上げ、深く座り直す。雰囲気が、変わった。自然と鈴音も背筋を伸ばし顎を引く。二人の視線の高さが揃う。イツァムが自身の過去を話し始めたのは、それから間もなくの事だ。

 

「私がISアリーナに参加したのは、そこに私が求めていた『本当の強さのあり方』があると信じたからだ。モンド・グロッソは、競技性という制約に囚われるあまり、無粋だと思った。その判断は、間違いで無かった。今でもそう考えている。

 私はISアリーナに参加して以来、常勝無敗だった。どんな奴も私には敵わなかった。このまま行けばトップランカーも間違いないなんて持て囃されたし、当時の私もそれを信じて疑わなかった。

 でも、トップランカーは、ハスラー・ワンは甘くなかった。私が想像するよりも、ずっと」

 

 穏やかに淀みなく、はっきりとした口調でイツァムは語る。彼女の脳裏には、『その時の事』を、たった今起こった出来事のように鮮明に思い浮かべる事が出来ているようだ。

 

 その中に、織斑千冬がその名を知らしめたモンド・グロッソを貶めるような発言もあった。そして、つい先程すれ違った赤髪の少女が、イツァムのマネージャーだという彼女が元トップランカーだという話にも驚きを覚えた。だが、どうしてか鈴音にはそれらを事を問いただす事が出来ず、黙ってイツァムの話を聞き続けている。

 

「私はハスラー・ワンに全く敵わなかった。試験のようにも思えたよ。アイツが試験官、私は単なる訓練生の一人みたいにね。ISの性能差じゃあない。もっと根本的な所での差を刻みつけられるように蹂躙された。左腕を生身ごと吹き飛ばされるのを見ても、切りつけられた左の眼球が空中で飛び散るのを見ても、『私はこんなに弱くない』と私自身が受け入れられなかった。

 結局、私は降参せず完全に意識を失うまで闘った。勿論、結果は負けさ」

 

 イツァムの口からため息が漏れ、彼女の指先が既に役目を果たさなくなった左の瞼をなぞった。焼け爛れたそれが触れられるたび、ガサガサと乾いた音が小さく鳴る。

 

「悔しかった。体の一部を失って、これでもう今までと同じ生活ができなくなるから、とかそんな理由じゃない。今までと同じように、ISを動かせなくなると思う事が辛かった。

 だから、こんな体になってもISを乗り回せるようにプロトエグゾスを改造した。私自身もそれに耐えられるように鍛え直した。私の全てを使って、もう一度、ハスラー・ワンとやりあう為に。こんな目にあわせたあいつに復讐って訳じゃない。ただ、挑戦したかったんだ。あの『強さ』に。 

 それで、『その時』は思ったよりも早く来た。ハスラー・ワンとの再戦、観客はひと目見て分かるほど冷めきっていた。当然だ。IS搭乗者として再起不能と思われる惨敗したんだからね。でも、私にとってそんな事、もう何の関係もなかった」

 

 時折イツァムの肩は震え、言葉に熱が籠もる。しかし、鈴音はその姿に恐怖を感じる事は無かった。膝の上に置いていた拳が、無意識のうちに握り込まれている。脇目も振らず、ただひたすらに強さを追い求める事。半身を吹き飛ばされてでも、という即物的な話ではなく、もっと内面的なところで、今の自分に到底真似出来ない事だと思った。

 

 深呼吸を一つおき、イツァムは言葉を続ける。記憶をたどる様に、視線を手元に落としながら。

 

 「ギリギリだったよ。今度こそ死ぬかと本気で思った。でも、私は勝った。その瞬間、私は『一人の挑戦者』から『トップランカー』になった。『ナインブレイカー』になった。その直後に、ハスラー・ワンはアリーナを去ったんだ」

 

「その、『ナインブレイカー』っていうのは」

 

「ああ。称号ってやつさ。ハスラー・ワンが乗っていたISの名前、『ナインボール』って言ってね。ISアリーナが出来てから私が勝つまで、ただ一度の負けも無かったんだ。いつしかナインボールはランカーからも恐れられた。生ける伝説、悪魔がいる、と。誰も超えるの出来ない、名実ともに最強のトップランカーだったって訳さ。

 だから、私が史上初めてナインボールを、ハスラー・ワンを倒した時、『ISアリーナの伝説を越えた者』という意味を込めてナインブレイカーという称号が作られて私は受け取った。だから、もし次に私を倒す者が現れたら、そいつが次のナインブレイカーだ」

 

 こほん、と一つイツァムが咳払いをする。その指先が再び紙パックの口を広げ、手元の湯呑にオレンジジュースを注ぐ。かと思えば、一気にそれを飲み込んでしまった。よく見れば彼女の頬は赤みを帯びている。どうやら彼女もまた、自身の昔語りをする中で随分と熱くなっていたらしい。

 

「私は、勝ち続ける事でその称号を守らなきゃいけない。でも、いつか。誰かが私を超えるという結末は必ず来る。私が、ハスラー・ワンを越えたようにね」

 

 やがて、彼女の口から出た言葉。それはかつての自分が、そのままそっくり今の自分のもとへやってくるのだという事実。なまじ、今の立場だからこそ、トップランカーだからこそ痛みを覚える程に分かる事なのだろう。 

 

 だが、鈴音は彼女が諦めている訳でも悲しんでいる訳でもないのだと感じた。むしろ、その事実を喜んでいるように思えた。

 

「……それでも、トップランカーを続けるのね」

 

「勿論だとも。いつか必ずやってくる『自分にとって都合の悪い結末』というのは、私だって怖いさ。でも、それは越えていかなくちゃいけない。私に敗れていった者達や、これから現れるであろう私を超えてくれる者の為にね」

 

 イツァムはさも当然だと、自信をもって応える。鈴音は、無性に気恥ずかしさを覚えた。イツァムの話を聞く内に自分にも似たようなところがあると少なからず考えていたのだが、改めて考えれば、それの指し示す所に計り知れぬ程の距離があった。これでは、まるで自分は我儘を振りまく子供じゃないか。そんな嫌悪感すら覚えてしまった。

 

「その、そういう純粋な強さへの意思に憧れるな、って思って。何となく、あたしがISに乗る理由が不純のように思えて」

 

 無意識の内に嫌味のような感情が溢れてしまい、たまらず俯く。

 

 しかし、イツァムはというとしばらく唸るように思案した後、シンプルでいて、もっとも的確な感想を発した。

 

「……惚れた男の為か?」

 

 鈴音は、途端に体が強張り顔が熱くなるのを感じた。その最中、イツァムの跳ねるような笑い声が耳に入ってきた。

 

「あっはっはは。カマかけだったんだけどまさか図星とはね。それでいて私に挑戦する。本当に面白い娘だ。

 良いじゃないか。ISアリーナの中には、囚人だっていた。政治的なメッセージを出したくて参加してるのもいたし、賞金を家族の治療費に充てる為に参加してるようなのもいた。私みたいに純粋に強さを求めるんじゃなくて、あくまで結果として強さを求めるような、ね。とにかく色んな理由でISアリーナに参加するんだ。それと同じようなものだよ」

 

 実に楽しげにイツァムは笑った。しかし、自分がその中に含まれても良いのだろうかと、鈴音の内心は羞恥と歓喜、悲哀がひどく複雑に混じり合う。それを察したのか、イツァムの顔がぐいと近づく。そして、鈴音の前で左手の人差し指をピン、と伸ばした。鈴音の目線は、自然とそれを追う。

 

「経験則でアドバイスを一つしよう。物事を成そうとする時は『やるべき事』と『出来る事』の二つがある。大抵の場合、この二つは同じにはならない。ほんのちょっとズレたり、正反対になる事だってある。それは時に『迷い』となって自分を苦しめる。やがて、足も止まって、物事に対する思いだって消え失せてしまう事だってあるだろう。その中で、成し遂げようと前に進んでいく事は困難を伴う。

 結局のところ、『やるべき事』はいつだって変わらず、私達はそれに合うような『出来る事』を探していくしかない。だからね、その『二つが一致したと心が思った』のならば、『迷い』を振り切って進むんだ。それが最終的に成功したか失敗したかは些細な違いさ。

 重要なのは、決断し実行するという『揺るぎない意思』。その『意思』が、全てを変えるんだ」

 

 揺るぎない意思、鈴音は心の中でその言葉を繰り返す。果たして、自分にもそのようなものがあるのだろうか。イツァムのように、例え半身を失ったとしても揺らぐ事のない強さが。

 

 そこに至って、頭を振った。きっと、彼女が伝えたい事はそういう事ではないのだろう。もっと、内容を単純化させてみる。果たして、自分が成し遂げたい物事とは何だっただろうか。そして、それに対して自分やるべき事とは。自分が出来る事とは。

 

 にわかに、視界が開けたような心地があった。自然と鈴音は笑顔となり、それに応えるように、イツァムは頷いた。

 

 

 



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第七話 原点

 

 

 雲に覆われた一面真っ黒な夜空の下、外周に設置されているスポットライトだけがアリーナを照らしている。障害物の無い平らにならされた砂地、その中に小さな人影がたった一つあった。多方向からの光源によってこの影は放射状に広がっている。明るい茶色のツインテールがライトの反射を受けて輝き、根本を束ねた黄色いリボンが夜風に吹かれて揺れる。

 

 人影は右手のブレスレットに触れてISを展開させた。黒とマゼンダのカラーリングを施した専用機『甲龍』は、小さく足踏みをしたかと思えば真上に向けて勢いよく飛び上がる。

 

 甲龍が限度いっぱいまで機体を加速させると、周囲の空気はひどくビリつき装甲が震える。あっという間にアリーナの高度限界まで近づく。そこで、一気に体を捻った。瞬時に背中が上を向き、地面に向かって急降下する。数秒の空白があって、激突する瞬間に更に身を翻した。地面に触れるか触れないかのスレスレの位置をほぼ平行に飛び続けるべく、バランスの保持を試みる。

 

 だが、急激な進行方向の切り替えがそれを許さない。僅かに重心がずれた瞬間、甲龍の両脚が地面を削り取り、そのまま前傾姿勢となる。反射的に両手を地面についたが、そこを起点として全身が何度かひっくり返る。甲龍はその身を以て急ブレーキをかけた形となり、砂を舞い上がらせながら数メートル進んだところでうつ伏せとなって停止した。

 

「もう少し、な気がするんだけどなあ」

 

 一旦甲龍を解除し、ISスーツの姿のまま鈴音は仰向けになって両手両足を伸ばした。背中一面に砂が付着する。ジャリジャリとした刺激が、ちょっとしたマッサージのようで無性に心地良い。まどろみを覚える中、イツァムとの闘いを思い出す。

 

 急加速、急停止、急旋回。これらを組み合わせる事で生まれるあの出鱈目とも言うべき超高速機動。言うだけならば単純明朗な彼女の動きを、少しでも自分のモノにしたくなった。無論、そこには専用機のコンセプトも絡む為、甲龍でどこまで近づけるかは分からない。こうして自主練に励んでいるが、昨日の今日でそう上手くいく道理もない。

 

 一夏を含めた他の生徒はすっかりプロトエグゾスの強さに恐れおののいているようだ。しかし、鈴音にはどうしてもあれを恐ろしいものだと思えなかった。今はただ、あの強さに近づきたいという事しか考えられなかった。自分が目指すべき場所は遥か遠い。しかし、自身の頭はこの上なく冴えている事も確かだ。

 

「やっほー」

 

 一つ、大きな深呼吸をする。そして、立ち上がろうとした時、朗らかな声と共に見慣れた慧眼の少女の顔がにゅっと頭上からせり上がってきた。

 

「ティナ? どうしてここに」

 

 鈴音は身を起こすと、驚きを含みながらルームメイトの名を呼ぶ。ティナ・ハミルトンはこの時間ならば、自室のベッドの上で菓子を頬張りながらくつろいでいるはずだ。実際、彼女は上下共に赤いジャージ姿という部屋着のままで目の前に立っている。寮からそのまま飛び出してきたようで、この場には不釣り合いとすら思えた。

 

「ルームメイトが自主練に集中してて中々帰ってこないからね。ちょっと心配になって、様子を見に来たの」

 

 体を強張らせる鈴音に、ティナはにっこりと笑顔を浮かべる。それから、手にしていたスポーツドリンク入のミニペットボトルを手渡した。よく冷えている。どうやらこの為にわざわざ買ってきたらしい。鈴音は軽い会釈をしてから口をつける。普段よりも甘味を強く感じた。

 

「さっきの動き。ちらっと見たけど、凄いじゃん」

 

「うん。この間の模擬戦の影響受けちゃって。まだ、全然モノに出来てないけどね」

 

 ティナの称賛に、自然と鈴音の顔から笑みが溢れる。

 

 だが、素直に喜ぼうとする一方で、鈴音は心の中の異物を感じ取った。胸につっかえるような、息苦しいような気分だ。思考が晴れた今、鈴音はその正体を直ぐに見抜く。そして、これまで感じ取る事すらしてこなかった感情に対して急に恥ずかしくなってしまった。間もなく、すくっと立ち上がってティナの方へと体を向ける。ついさっきまであった朗らかな表情は消え、代わりに、射抜くような真剣な眼差しがあった。

 

「ごめん。クラス代表替わってもらって」

 

 頭を下げ、静かに、それでいて力強く鈴音は言う。

 

「……何か、悪いものでも食べた?」

 

「あたしって食いしん坊ってキャラじゃないよね」

 

 半ば唖然とするティナを尻目に、鈴音は顔を上げると苦笑した。そういえば、数日前に一夏と似たような問答をした事を思い出す。だが、奇妙な事にその時よりもずっと心は穏やかになっている。そして、無意識の内に口が動いた。

 

「本当に今更なんだけど。あたしのわがままを聞いてもらったようなものじゃない。一度決まったクラス代表を後から来た人に替わってもらうだなんて」

 

 そう言う鈴音の視線が、ティナの顔から外れて横へ逸れる。

 

 ここまできて、どうしてか顔を見る事が叶わない。僅かに視界の隅に捉えた彼女が何かを言おうと口を開いたが、鈴音はそれを拒むように更に言葉を繋げる。 

 

「多分、ね。あたし、今までずっと、『ゴール』しか見てこなかったんだと思うの。そこに行く為に何をするべきなのか、何が出来るのか少しも考えてこなくて。それで、きっと沢山迷惑かけていたなって」

 

 ティナは言葉を失った。何時ものような快活さが見る影も無く肩を落としたルームメイトの姿に、本当に『あの凰鈴音』なのかと疑う程に困惑してしまっていた。

 

「……まあ、クラス代表になってたと思えば、二組の事ほっぽり投げて早々一組に顔出しに行ったりとか。あんまりクラス代表らしい事してないからそこは気になってたけど。

 一組はともかく、三組や四組の子なんて、積極的にクラスの取りまとめとか、訓練の補佐やってるって話だよ」

 

 しばらく唸った後に、吐き出すようにティナはこう応える。そのどれもが鈴音にとって心当たりがあるし、全く反論の余地も無い。嫌味を入れているような、しかし、親に諭されれているような気分になり、鈴音は背を丸めてしまう。

 

「本当に、ごめん。勝手な事ばっかりして」

 

 いよいよ己の視線は下へと向く。ティナの言葉が、ずしりと心にのしかかって、痛みを与える。彼女の言う通り、転校したその日にクラス代表を替わってもらい、何をするかと思えばその足で一組へ向かって一夏への宣戦布告をして、それからもあまり二組の事を考えていなかった。無人機が乱入してきたクラス代表戦の時ですら、二組の皆の心配を他所に、自分の気持ちは別の方へと向いていた。それは、きっと自分のやるべき事で無かったのだろう。なまじ文字通り血の滲むような努力の末に獲得した実力とIS適正があるが故に、天狗になっていた、と言えるのかもしれない。

 

「でも、さ」

 

 ひしひしと罪悪感に苛まれる中、頭上でティナの声が聞こえた。そこに、ほんの少し柔らかさが含まれている事に気づいて、鈴音は顔を上げる。

 

「やっぱり、こう面と向かって頭下げられると、ね。それに、今はちょっと違うじゃん? 理由はわからないけど一生懸命頑張ってる。見てるこっちが応援したくなるぐらいに。そういう風に私達を引っ張ってくれるクラス代表なら、歓迎するよ」

 

「……あ」

 

 鈴音の喉の奥から、声にもならないかすれた音が出る。彼女がティナの言葉を受け入れるまで、しばしの時間を要した。自分本位な願いから始まった『凰鈴音』を肯定してくれるような言葉に戸惑っていたからだ。きっと、今の自分は口をあんぐりとあけて、傍から見ればなんとも間抜けな面構えをしているのだろう。

 

 ティナの表情は、和らいでいる。鈴音は思わずはっとなった。その表情は、自分がIS学園に転校して初めて彼女と出会い、ルームメイトとして生活を共にし始めた頃の表情によく似ていたからだ。

 

「ほらほら、ポカンとしないの。ちゃんとやるって決めたんなら、しっかりしなきゃ。『三日坊主』だっけ? とにかく、すぐに投げ出しちゃダメだからね」

 

 そんな鈴音の姿を見てティナがクスクスと笑う。しかしながらその瞳は、僅かな震えも起こしていない。

 

「……うん、うん。そうだね。それがきっと。今のあたしに出来る事なんだ」

 

 鈴音は頭を振って、力強く自分に言い聞かせるように応える。『深み』から引き上げてくれたティナの慧眼が、妙に愛おしく思えた。

 

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 

 自主練を終えた鈴音は校舎から出て、夜風にあたる。自身のツインテールの先がかすかに浮く程の風が気持ちが良い。少しばかり火照った体を撫でられているような気分だ。結局、たった一日の自主練ではイツァムのような動きを模倣する事など到底出来るはずもない。付け焼き刃にすらならなかったが、これまでのように『焦り』に体を引っ張られるような事も無い。

 

 我ながら単純だ。まだ何一つ自分の出来る事が進んでいないのに、もう出来上がった気持ちになっている。今、自分の中にあるこの原動力はイツァムへの憧れなのだろうか。一度冷静になるべく頭を振る。とてもじゃないが片腕を吹き飛ばすような事はしたくない。しかしながら、イツァムの存在は自分が思うよりもずっと大きな影響を与えている事も事実だ。

 

 そして、この事実は自分が一歩を踏み出すきっかけも与えてくれた。ティナを始めとしたクラスメートに対してずっと抱いていたしこりは消えて、背中を押してくれるという事がとても嬉しかった。やるべき事は多く、その為に出来る事はまだ少ない。だが、そのどれもが一つの大きな流れのように繋がっていくのだろう。そう思えば、不思議と心が高鳴った。体が熱くなって、たまらず深呼吸を繰り返す。

 

 不意に、人の気配を感じた。あたりを見回す。しかし、人の姿は見えない。自主練の直後で感覚が鋭くなっているのだろうかと首をかしげる。だが、極近くでブゥーンと機械の駆動するような音が聞こえた。慌ててもう一度周囲を見る。何者かが居る。鈴音は直感した。ブレスレットに触れる。甲龍を展開させるべきか、一瞬躊躇した。だが、『悪意』がそれを見逃す道理もない。

 

 突如、黒い影が鈴音の背後に現れた。それは瞬く間に彼女の口と右手を押さえつけて身動きを封じ、そのまま飲み込んでしまう。悲鳴が上がったかと思えば、その場を過ぎった一陣の夜風がかき消してしまった。

 

 そしてこの瞬間、凰鈴音という少女はIS学園から姿を消した。

 

 

 

 

 



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第八話 禁忌のシステム

 

 

 コンクリートの打ちっぱなしの壁は所々剥げ落ち、それを守るように張り付いている径の大小様々な配管が、何本も上下に伸びている。天井のむき出しになった骨組みからは、蛍光灯がぶら下がり暖色の明かりが降りる。この照明が照らすのは、何の用途で使われるのか見当もつかないような機械ばかりだ。

 

 今、イツァムはハスラー・ワンと共に、千冬の案内によって機械仕掛けの警備室を訪れていた。当然の事だが、この部屋は関係者以外の立ち入りを禁ずる場所であり、来賓である彼女らが足を踏み入れる事など本来ならばあってはならない。それでも尚、自分達のような人間がこの場にいるという事態を受けて、イツァムの目つきは真剣なものとなっていた。彼女の視線は、学園内の至る所を監視するモニターを一瞥する。現在の時刻は深夜0時を回っている。どのモニターにも人の姿は無い。

 

 千冬が手元のキーボードを叩くと、モニターに映し出されていた映像が切り替わる。鈍く光る金属製の床、そして垂直に伸びる柱。その柱と直交する鉄骨には、等間隔に取り付けられた丸いスポットライトがあった。更にその上に視線を移せば、幅は5m以上はあるだろう大型のディスプレイまである。

 

 イツァムは、その無機質な空間の正体をすぐに理解し歯噛みした。

 

「どうしてコルナートの内部映像が?」

 

「この映像はつい先程この学園に送りつけられたものだ。ご丁寧に、匿名でな」

 

 千冬が淡々と回答すると、ふぅん、とイツァムの口からため息が漏れる。

 

 イツァムにしてみれば、IS学園が外部との窓口をどのぐらい厳重に管理しているか分からない。少なくとも発信源を秘匿するという裏技とも言える方法で接触をするなどどれほどのものか。隣でその映像を眺めるハスラー・ワンの様子を横目で伺う。彼女の表情に、まるで変化はない。諦めたように頭を振って視線をモニターに戻す。すると、映像が再び変わった。

 

 背景を見る限り、映像の場所はコルナートである事から変わっていないようだ。そこにいたのは一体の漆黒の巨人。全身に凹凸はほとんど見られず、のっぺらぼうのように表情も無く、後頭部が隆起している。下半身は膝部分が人間のそれに対し真逆、つまり後方へと折れ、両腕は肥大化し前かがみの姿勢をとっている。そして、これらの表面は光沢があるのかライトの反射で所々光っている。その異質な体躯を一瞥しても、得物らしい得物はまるで見当たらない。背後に映るシャッターの大きさを鑑みるに、ISの二倍程度のはあるだろうか。何かを待ちわびるように、じっとしている。

 

「VTシステム、か」

 

「以前この学園で姿を見せたものと形状は違うが、本質的には同じものだろうと我々は考えている」

 

 イツァムは、その姿に心辺りがあった。いや、おそらくその場にいる誰もが同じなのだろう。だからこそ、彼女はその思いのままを口にする。

 

 それに千冬も続いた。彼女の肩は震え、組んだ腕の先の拳がギリギリと握りしめられている。

 

 モンド・グロッソの優勝者の動きを再現するVTシステム。一見すれば最強の模倣が叶うわけだが、IS操縦者に「能力以上の動き」を要求する為、肉体に甚大な負荷をかける事になる。搭乗者の安全など二の次と言わんばかりの代償が、禁忌のシステムと呼ばれる所以である。

 

 イツァムの背筋に冷たいものが走った。これが、ただの記録映像ならば感想一つ言えばそれで済む話だ。だが、目の間のそれは現在起こっている事で、VTシステムのその機能を考慮すれば、自然と『一つの可能性』が導き出されるからだ。

 

「これ、誰が取り込まれているんだ?」

 

 その表現は誇張も含まれていたが、同時に紛れもない事実だ。ISを動かす為の中身、つまるところIS操縦者が必要不可欠である以上、既にVTシステムの起動してるこの黒い巨人の中には誰かが居るという事実が。

 

「凰鈴音が行方不明になっている」

 

 しばしの沈黙の後、モニターを睨みつけたまま千冬が口を開いた。

 

「放課後、自主練としてアリーナを使用しているのを最後に彼女は姿を消した。彼女のルームメイトから、中々凰が戻ってこないと連絡が来てな。調べてみたら凰はアリーナでの自主練を終えて片付けまで済ませている。途中で訓練を抜けたという可能性は無い」

 

「つまり、この学園のセキュリティを突破して誰かが凰を誘拐、そのままVTシステムに取り込んだって言いたいのかい?」

 

「情けない事にな」

 

 イツァムの追求に、自嘲気味に千冬は口角を上げた。

 

 誰にも悟られず、平時とはいえIS学園のセキュリティを突破し一人の生徒の身柄を拘束する。イツァムの記憶の中に、そんな芸当ができる人間に心当たりがあった。同時に、疑念が過る。『そんな行動』が許されるのだろうか、と。思案しかけたところで頭を振り、一人納得する。おそらく、『この静寂こそ正解』なのだろう。

 

「それと、この映像に併せてメッセージが届いた。『コルナートでイツァム・ナーを待つ』と。もちろん、送り主は凰ではない」

 

「だろうね。わざわざ凰があんなものに乗って私を待っているとは思えない。誰かは知らないがこれが挑戦だってなら乗ってやるよ。大切なファンを見捨てるのも後味が悪い」

 

 イツァムの当然と言わんばかりの反応に、千冬は驚きのあまり顔を彼女の方へと向けた。それまでモニターを食い入るように見ていた彼女の目が、丸くなっていた。

 

「お前、まさか本当に一人で行くつもりなのか。こんなあからさまな罠に」

 

「IS学園から外部に人が出す事が容易でない事は分かっているつもりだ。どうせ、凰が行方知れずなのもまだ公にしていないんだろう? 何事も無く明日がくれば良いに越した事は無い。それに、わかりきってる罠ならかえってやりやすいよ」

 

 千冬のそんな驚愕とは裏腹に、イツァムは不敵な笑みを浮かべる。一見すれば、それは余裕の表れと取れるのかも知れないが、側に居た千冬は確かに感じ取っていた。その胸の内に静かな怒りがあるという事を。

 

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 

 南からの潮風がプロトエグゾスの装甲を撫でる。眼下に広がる海を照らすのはたった一つの月明かりで、絶え間なく吹き上がる波の下は底なし沼のようだ。こんな所で墜落すれば、目印も無く救助は極めて困難だろう。

 

 IS学園を発ってから景色の代わり映えしない中、イツァムはそんなとりとめもない事を考えていた。道中に障害など無く、プロトエグゾスのスピードならものの数分で目的地についてしまう。両手のマシンガンも、肩のミサイルも異常が見られず何時もの通りに使える事はとうの昔に確認した。結局のところ、これは暇つぶしでしかなかった。さもなければ、きっと自分は腹の底から沸き立つ怒りに飲み込まれてしまうだろう。

 

 遠くに見えていたコルナートの姿がはっきりとしてきた。外装はほぼそのまま海洋プラットフォームの形状を流用している。ただ、海洋プラットフォームとして機能していた頃に存在していたであろう作業用のクレーンやアンテナ等は全て撤去され、グレーに塗装され直した四本の丸い支柱が海面から空へと向かって伸び、途中には何箇所か手すり付きの簡易な足場が見える。この柱を窓の無い一面の壁が囲っているが、上面はぽっかりと円形状に口を開けている。縁は異形鉄筋が剥き出しになっている。どうやらまだこの部分は作業途中らしい。イツァムは記憶を掘り起こす。確か、完成したらISの攻撃が空へと逸れて行かないようにドーム状の屋根で覆われる部分だ。コルナートの柱の根本には何隻かの作業船が停泊したままになっていて、クレーン車などの作業車両の姿は屋上に何台か見える。念の為、ハイパーセンサーも使って五感を拡張し、人の気配が無いかを見渡す。だが、少なくとも外に気配は無い。

 

 プロトエグゾスが高度を下げ、口の中から飲み込まれるように侵入する。改装を終えたばかりの、まだ真新しい金属の表面が月明かりを受けて鈍く光っている。事前に聞いていたとおり内部は広く、IS学園のアリーナ程ではないが空中戦をやるに十分のようだ。

 

 やがて、床が近づいてきた。一旦上体を起こし着地する。それとほぼ同時に周囲のスポットライトが一斉に点灯しコルナートを、ISアリーナを照らす。真正面に、映像で見たままの漆黒の巨人が居た。

 

「……バージュ、居るんだろう! トップランカーが来てやったぞ!」

 

 だが、イツァムはそんなものなどお構いなしと言わんばかりに『犯人』の名を叫ぶ。

 

「これはこれは。お待ちしておりましたよぉ。コルナートへようこそ」

 

 暫くして、金属質の甲高い反響音と共に柱に設置されていたスピーカーから音声が返ってきた。厭味ったらしく所々語尾の伸びる口調にイツァムは堪らず眉をひそめる。

 

「それ、凄いでしょう? ISアリーナで得た膨大な戦闘データとVTシステムを融合させた中々の傑作です。『クラッシング』とでも呼びましょうか。中にいる凰さんもきっと喜んでいますよ」

 

 だが、スピーカーからはお構いなしにと声が続く。やはり目の前の巨人、バージュが言うには『クラッシング』という名のISに鈴音が取り込まれているようだ。イツァムは周囲を見渡す。少なくとも視認できる範囲にバージュの姿は無い。恐らくこの建物の中のどこかにある管制室から高みの見物を決めているのだろう。

 

「よくもまあ、ISアリーナを、DOVEをコケにするような態度が取れるもんだ」

 

「あなたにとっては残念な事かも知れませんがね。『イツァム・ナーがトップランカーに居座り続ける事』が都合の悪い方々もおりまして。これも、ま。新しいビジネスチャンスってやつです。そういった訳でスポンサーの意向により、消えてもらおうかと」

 

 なるほど単純明快だ。品の悪いジュークボックスにイツァムは独り言ちて、興味をクラッシングへ移す。相変わらずそれは微動だにせず、合図を待っているように見えた。IS学園にて行われたツーマンセルトーナメントの最中に暴走したVTシステムによるものとは形状が異なっている。バージュの言うようにVTシステムそのものとは似て非なるものなのだろう。ISアリーナの戦闘記録が蓄積されているというのなら、きっと驚異そのものだ。

 

 「さてさて、折角の専用エリアのお披露目です。長話するのも無粋でしょうし、存分に闘ってもらいましょうか」

 

 ブツっとスピーカーからの音声が途切れる。それと同時に、クラッシングが動き始めた。身を屈め、背中の肩甲骨付近がうねりながら盛り上がる。やがて、前翅のような形状に変形し一対の巨大なスラスターユニットに変形するや否や、風の音を置き去りにする程の猛スピードでプロトエグゾスに向かって突っ込んできた。それが、鈴音との模擬戦で自分が仕掛けた戦術と瓜二つな事に気がついたイツァムは奥歯を噛み締める。

 

 プロトエグゾスは後方へと飛び上がり、クラッシングから一定の距離を保ちつつマシンガンを放つ。実弾とエネルギー弾が混ざり合いながら上空より降り注ぐが、クラッシングは地を滑るように進路を変えさらに加速した。弾丸の嵐は空を切り床に幾つもの弾痕を残す。その最中、クラッシングの両腕が歪み剣身2メートルはある巨大な実体剣へと姿を変えた。それだけではない。両肩からも生えるように円筒状の砲身が伸びる。

 

 刹那、プロトエグゾスのすぐ脇を目に見えぬ『何か』が過ぎった。凄まじい衝撃が空気越しに伝わる。イツァムが周囲の空気の強烈に震える音を聞いたのはそれから少し遅れての事だった。この『何か』は直撃こそしなかったが、生身に大型車両が激突してきたような衝撃に、思わず体のバランスが損なわれてしまう。

 

「あんなものまで」

 

 鈴音と模擬戦をしていなければ、クラッシングから放たれたモノが龍砲と同じ性質ものである事に気が付かなかっただろう。明確な殺意をもって狙えばこれほど強烈なものに変容してしまう事に、イツァムは舌打ちをしつつも冷や汗をかいた。プロトエグゾスを撃破する為の最適解として導き出されたものが直前に自身と闘った甲龍の模倣とするならば、これほどイツァムの神経を逆撫でさせるものは無い。きっと、初めからバージュはこれが狙いなのだ。

 

 プロトエグゾスが身を翻し上昇する。クラッシングはそれを追うように床を蹴った。イツァムは胃の中がひっくり返るような気持ち悪さをぐっと飲み込み、プロトエグゾスを一気に最高速度まで加速させる。視線を下へと向ける。クラッシングは、その巨体さなどまるで存在していないかのようにピタリとプロトエグゾスの後ろをついて離れない。一瞬震えると、その肩部の砲身がプロトエグゾスへと向けられた。

 

「これは……成長しているのか?」

 

 薄皮一枚の所を不可視の砲弾が過る。クラッシングからの二度目の砲撃が、先程よりもより正確になっている。プロトエグゾスの動きを予測して先に砲弾を置いたようだった。驚く間もなく、彼我との距離が徐々に詰まってきている。プロトエグゾスの加速は変わらない。となれば、それはクラッシングの機動力が更に上昇しているという事を意味していた。

 

 バージュの言葉が脳裏を過る。膨大な戦闘データとVTシステムを融合させた、と。前者が意味するところはこの瞬間も含まれているのだろう。その身を以て戦闘データを収集、直ちに反映させてVTシステムを利用し最も理想的な動きを実行する。理論上、目標を達成するまで無限に成長する。ただ目の前の敵を破壊する為だけのサイクル。これがもたらす搭乗者への対価は、VTシステムの比では無いはずだ。

 

 イツァムは歯を食いしばる。プロトエグゾスの軌道は最早円弧ですら無く、ほぼ直角、あるいは鋭角を描く。だが、クラッシングの追撃が緩む事は無かった。むしろ、プロトエグゾスが動けば動く程追跡は最短距離を通り正確なものとなる。2つの影が、幾何学模様を宙に幾つも描いた。やがて、砲身がプロトエグゾスへ狙いをつけると、大きな唸り声が再び上がった。

 

 強烈な衝撃と共にプロトエグゾスの右手に握られていたマシンガンがひしゃげる。イツァムは慌ててそれを手放すと、鉄塊が遥か後方に置き去りにされて爆散した。恐らく、次に狙いをつけられたらきっともう逃げられない。むしろ、このまま追跡され続ければ、それだけクラッシングにデータを与え成長の余地を与える事になる。ある程度まで成長してしまえば、『先に搭乗者の方に限界がくる』だろう。それでも、クラッシングが動きを止めるとは思えなかった。

 

 プロトエグゾスがクラッシングの方へと振り返る。両手の実体剣を振り上げながら黒き巨人が目前まで迫っていた。たった今破棄したマシンガンの代わりに、すぐさま拡張領域から長い砲身を携えたグレネードランチャーを展開させると、まずは一発撃ち込んだ。

 

 クラッシングの懐で火球が発生する。近接信管故に直撃こそしていないが、動きが鈍った。振り上げられたままの両腕に左手のマシンガンを連射しつつ、リロードを終わらせたグレネードを胸部に向かって更に一発打ち込む。クラッシングが怯んでいるのか、或いはこの攻撃すらもデータとして蓄積する為に受け入れているのか。イツァムは黒き巨人の意図を測りかねていた。

 

「機能停止まで追い込むには時間も無い、か」

 

 だが、それ故に彼女は至極冷静に観察していた。実弾がクラッシングに撃ち込まれる度、クラッシングの表面がゴムのように波打つ様子を。それによって、何発かの弾丸が勢いを失いを失い落下する。グレネード弾が爆発する瞬間も同じだ。衝撃を吸収するようにクラッシングの表面はゴムのように波打ち変形する。この現象は、戦闘データを蓄積し、直ぐに反映させる為の必要な処置なのかも知れない。だが、一発一発の威力に比例してクラッシングの表面が歪むという事に、イツァムは活路を見出した。

 

 クラッシングが身を震わせ、プロトエグゾスへの突進を再開する。この程度の火力なら押し切れると学習したのだろう。イツァムはプロトエグゾスの装甲の下で実に嬉しそうに笑う。そして、彼女もまたクラッシングに突撃した。

 

 間もなく訪れた相対する二機のISが正面衝突は、コルナートが真っ二つに裂けんばかりの衝撃波を引き起こす。このような事態を想定して作られていたであろう柱は震え、ワンテンポ遅れて炸裂音と共に外方向へ向けて圧し曲がる。床は一部が盛り上がった事で更に衝撃をまともに受け何枚かひっくり返り、まるで紙くずのように吹き飛ばされてしまった。そして、その中に、プロトエグゾスが持っていたであろうマシンガンも見えた。

 

「精密射撃は苦手なんだ。まあ、死にはしないだろう。多分」

 

 イツァムは、平然と呟く。左手には、プロトエグゾスの身の丈程の銃身を持った白銀のレーザーライフルがある。左右方向に狭く真っ平らであるが、手元のグリップ部分へ行けば行くほど上下に広がっていく特異な形状だ。そして、そのレーザーライフルの銃口部分が、まるで初めからそういった用途であるかのようにクラッシングの脇腹に突き刺さっていた。痛覚を持たぬであろうクラッシングでさえ異物感を得て身を捻る。それとほぼ同時に、レーザーライフルとクラッシングの連結部から青い光が漏れた。クラッシングの表面が一際大きく波打ち、甲高い爆発音が何度も響く。

 

 このレーザーライフルは、一発あたりの威力はマシンガンの比でない一方、発射時に高い熱量を持ってしまう欠点がある。その為、過熱から生じる爆発という事態への安全装置として、一定の発射間隔を設けられている。高威力の単発式、それがこの武器の特性だ。だが、イツァムは、何の躊躇いもなくその安全装置を切ってレーザーライフルをマシンガンの如く連射していた。たちまちにレーザーライフルの至る所が赤熱し黒煙を吐く。

  

 クラッシングの装甲を波打つ衝撃が急速に大きくなり、やがて、レーザー弾に押しのけられるように歪み始めた。数秒の後、ガチンと弾けるような金属音がプロトエグゾスの手元で鳴った。あっさりと発射限界を超えたレーザーライフルの内部機構が破損し、物言わぬ鉄塊と化した。既に銃身そのものが、歪に膨れ上がり変形している。 

 

 間髪無く撃ち込まれた強烈な衝撃と、レーザーライフルが伝える過熱にクラッシングが身悶えしている。苦しんでいるようにイツァムには見えた。ほくそ笑み、レーザーライフルをプロトエグゾスの手から離す。

 

 クラッシングが大きく背を反らした。短期間に最適化されたシステムが、イツァムの次に行動を極めて正確に予測した。だからこそ、イツァムはその通りにしてやった。ほぼ密着状態のまま、グレネードランチャーを突きつける。クラッシングの脇腹に突き刺さったままの、今まさに爆発せんとしていたレーザーライフルへと。

 

 三度目の火球は、一際大きなモノとなった。クラッシングの表面は最早人型を失い、汚泥のようにドロドロとなる。その中から鈴音の姿が見えた。唸るクラッシングとは真逆に、彼女の瞼は閉じられ既に意識は失われているのが見て取れる。

 

 見計らったように、プロトエグゾスがその左手をクラッシングの腹部に突っ込ませた。急速に硬化しつつあるコンクリートのような感触を他所に、腕を奥深く侵入させ鈴音の背中に回すと力のまま引きずり出す。悲鳴のような金切り音が鳴り響く。クラッシングの内部と酷く擦れた事で手首から前腕部にかけての装甲が削げ落ちる。そして、空いた右腕で鈴音を抱きかかえると、損傷の激しい左腕は彼女の肩に添えた。

 

 搭乗者を失ったクラッシングが体を震わせながら膝をつく。プロトエグゾスは、そこから一旦離れ、近くにの柱の側に一旦着地する。

 

「……イツァム、さん? ここ……は?」

 

 鈴音の口からうめき声が漏れ、瞼が震えながら開いた。クラッシングによる超大な負荷によるものなのだろう。彼女の顔はイツァムの方へと向いてこそいるが、瞳は震え焦点がまるであっていない。ハイパーセンサーを通して彼女の健康状態を確認する。意識がやや混濁しているのは見ての通りで呼吸は弱々しいが、それ以外のバイタルサイン、即ち血圧や脈拍、体温は良好だ。きっと今のこの症状も、暫く横になって休めばたちまちに回復する。

 

「出来たての専用エリア『コルナート』の中さ。ひどい内覧会になってすまないね。どうしてこんな所にいるのかとか、そういう細かい話は後だ。IS学園から応援を呼ぶよ」

 

 イツァムは顔を綻ばせ、冗談交じりに鈴音の質問の応える。

 

 しかし、鈴音の顔からたちまちに血の気が引いていく。目は見開き、唇を震わせている。それは、たった今の戦闘の影響でない事をイツァムは直ぐに悟った。

 

「後、ろ。来る……。」

 

 その言葉で、イツァムは目を覚ます。そうだ。重要な事がまるで抜け落ちていた。鈴音がこの場に一人でやってくるはずがない。誰かがここに彼女を連れてこなければならない。それも、IS学園のセキュリティを抜けて。そんな芸当が出来る人間を一人、知っていたというのに。その人間とは、バージュでは無いと確信していたのに。

 

「はははは! 搭乗者を引きずり出す、IS学園の時と同じじゃあないか! その程度の事、想定していなかったとでも?!」

 

 唐突に、施設内のスピーカーからバージュの叫ぶような笑い声が響いた。

 

 背後から動かぬはずの『悪意』が迫った。イツァムは悪寒を感じ取り、鈴音を抱きかかえたまま金属の床を蹴った。

 

 

 

 

 



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第九話 目覚める龍

 

 クラッシングの振り上げた剣がプロトエグゾスの背後へ迫り、左腕を切り裂いた。肩から分断されたそれは錐揉み回転をしながら宙を舞う。遂には重力に従うがまま床に叩きつけられ、幾つかの微小な破片を撒き散らす。

 

 イツァムは既に自分の体から離れていったモノへ微塵も興味を示す事なくその場を離れ、右腕の中で震える鈴音を柱の影に一旦下ろす。手を離す直前、不安を強めた鈴音の体が一層強張った。肩をすくめ、右の手のひらで少女の頭を撫でてやる。返答は無かったが、一度頷くとその表情がほんの少しだけ和らいだ。

 

 決意を新たに踵を返す。その視線の先に、ゆっくりとこちらに向かってくるクラッシングの姿があった。先程までとは打って変わったその動きに、まるで始めから鈴音の介抱を促していたように見えた。

 

 今、イツァムの中には寸でのところで鈴音を庇い、既に失った経験のある部位を改めて犠牲にしただけで済んだ事によるある種の安堵があった。同時に、この信じがたい状況に目をみはる。クラッシングから、確かに鈴音を救出した。搭乗者の居なくなったISは動かなくなるはずだ。しかし、この黒いISは間違いなく再起動し自分に向かってきた。そこには明確に『殺意』があった。

 

 近づいてくる巨人を見やる。腹部に、鈴音が引きずりだされた事で出来た大きなクレーターがあった。そこに軟体性の装甲が流れ込み、全身の節々がボコボコと沸き立つ。やがて、何事もなかったかのように元の姿へと戻っていく。だが一点、これまでと違うところがあった。胸部の辺りが、内側から押しのけるように盛り上がる。やがて、それは門のように左右に開き、一人の女の上半身が顕となった。

 

 腰まで伸びる長い黒髪。前髪は眉までかかる程度で真っ直ぐ揃えられ表情は顕になっている。糸目と見紛う程の細目の目尻は上がり、眉の細さもあって視線の鋭さは増す。

 

「ドクター・ジェーン。……そうか、はじめからそのISに二人居たのか」

 

 イツァムは驚きと共にその女の名を告げた。IS学園に来る直前、専用エリア『ロストシティ』で出会った挑戦者の名を。

 

 ドクター・ジェーン。これがISアリーナで彼女の呼ばれる名前だ。フルスキンの重量級IS『ゴーストブル』を操り、トップランカーに挑戦する程の実力を持つ。そんな彼女が、異形のISの操縦者として目の前にいる。もちろんその時はお互いにフルスキンであった為に直接顔を合わせた訳では無い。イツァムが彼女の事を知ったのは、挑戦を受けた際にハスラー・ワンより相手の情報を受け取った時の事だ。

 

 イツァムは、この事実を素直に受け入れる。無論、クラッシングの中に身を潜めていたという事に、では無い。ゴーストブルに搭載された兵装『ステルスフィールド』は起動すれば不可視となり、ハイパーセンサーからも痕跡を消す。イツァムが納得していた理由はこれだ。彼女のISならば、IS学園に単身潜入し鈴音を誘拐する事が可能だろうと考えていた。だが、その予想が当たっていた事に対して喜びなど欠片も感じられなかった。

 

「全く、無茶するよ。そのISは二人乗りじゃあないだろうに」

 

「戦闘データの蓄積と反映をリアルタイムで行うにはこれが最適だった」

 

 失望を含んだ充実感を、イツァムは吐き捨てる。

 

 一方、放たれる殺気とは裏腹に、ジェーンの口ぶりは実に落ち着いていた。或いは、そうでなければ鈴音のようにVTシステムに意識ごと奪われるという状況に陥ってしまうのだろう。それに釣られるように、張り詰めた空気の中でイツァムは彼女へ尋ねる。

 

「あんたが研究者としての一面を持っている事は聞いていたが。VTシステムにも関わっていたって事か」

 

「私は開発者の一人にすぎない。IS学園でのVTシステムの暴走事件の後、研究所は破壊されてしまったがな。いずれにせよあのまま運用するには無理があった。戦闘データの新規収集が必要だった。

 バージュの誘いは渡りに船だった。ISアリーナは、実にちょうど良かった。強者のデータを収集、際限なく成長し、強化していく。搭乗する人間の限界すら越えて。

 その果てに、ようやく『お前』に届いた」

 

 ああ、とイツァムの口からため息が漏れる。そして、覚悟を問わんとする真剣な面持ちで、諭すような真摯な眼差しで。極当たり前のように、彼女はこの言葉を発した。

 

「そこまでして。心も、体も。良識だとか、世の中のありとあらゆる理だとかも不要と断じて。お前は強くあろうとするのか」

 

 クラッシングの足が止まった。既に、両者の距離は五メートルも無い。

 

「生死など、結果の残滓に過ぎない。私は超える。お前を倒し、ナインブレイカーを超える。『これ』は私そのもの。『これ』にはそれが出来る事を、証明してみせよう」

 

 淡々と語られるジェーンの決意を聞き、イツァムは満足げに頷く。それが合図のように両者はにじり寄った。プロトエグゾスは右手にレーザーライフルを展開し、クラッシングは両の実体剣を構えながら。

 

 それは、古い時代の決闘さながらの光景だった。方やガンマン、方や剣士という異種の組み合わせだが。程なくして、にじり寄った両者の距離はとうとう二メートルを切った。既にプロトエグゾスのレーザーライフルの出力は最大となり、銃口部から青い光が露出している。恐らく、一発放てば使い物にならなくなるだろう。一方で、クラッシングの二刀はたった今見せつけた通りISの装甲を容易く破壊する。半壊しているプロトエグゾスが斬撃を受ければ、搭乗者も無事では済まされない。果たして言葉はなく、一撃必殺の意思を携えた静寂だけがこの場を支配する。

 

 それからどれだけの時間が経過したかは定かではない。イツァムもジェーンも、互いを睨み合ったまま微動だにしない。二人の息遣いが遠いところから聞こえてきた。そんな中、先程までの戦闘で酷く損傷していた壁の一角が剥がれ落ち、床へと落下する。甲高い残響音が、緊張の糸を切る。一閃が、走った。

 

 もし、プロトエグゾスが五体満足の状態であったならば、レーザー弾が先にジェーンの頭部を撃ち抜いていただろう。しかし、左腕を失った事による僅かな重心のズレによって、引き金を引くタイミングが遅れた。刹那の時間にも満たないような、存在を認識する事すら困難な空白によって、雌雄は決せられた。

 

 イツァムは、実体剣が下方より振り上がるのを見た。剣の切っ先が、プロトエグゾスの胸部を逆袈裟に切り裂く。自身の決定的な敗北を文字通り刻みつけられた。フルスキンの装甲が代わりに持っていかれなければ。ゾッとするイツァムの体が、間髪入れずに強烈な衝撃に襲われた。いつの間にか放たれた不可視の砲弾の直撃を受けた事に気がついたのは、プロトエグゾスが床に叩きつけられ、何度ものたうち回った後の事だ。

 

 その反動を全て殺す事が出来ず、骨に響く痛みと衝撃にイツァムは襲われる。いくらISが優秀な防御機能を持っていたとしても、搭乗者が体を動かさねば意味を成さない。そして、彼女にはその意思こそあったが、全身を這い回る苦痛と吐き気により肉体への伝達が阻害されていた。

 

 その中で、床越しに等間隔の振動が伝わってくる。横たわる視界の半分は所々破損した金属製の床で占められ、残りの半分を自身へ徐々に近づく漆黒の脚が遮った。

 

「懐かしいもんだ」

 

 イツァムの呟きに、その脚がピタリと止まる。

 

「ハスラー・ワンとやりあった時もこんな感じだったよ。腕をもがれて目がかすむ。生きてて二度もこんな経験をする事になるとはね」

 

「それでも尚諦めないか。冷静とは程遠い」

 

 プロトエグゾスの全身が震える。もがくように、頭部だけが上がった。ボロボロになったモノアイのカメラが巨人を見上げた。

 

「ああ。こういうのは、慣れているんだ」

 

 イツァムがそういうや否や、プロトエグゾスの上半身が床を鞭打り、反動で全身が大きく浮き立った。スラスターを吹かし、飛び上がろうとする。だが、その背中をクラッシングの巨大な脚が勢い良く踏みつけた。行き場を失った推力がプロトエグゾスを強烈に揺さぶる。上下に挟まれる圧迫感と痛みを受け、イツァムがとうとう苦悶の表情を浮かべる。唯一の幸いは、頭部が未だ装甲に包まれていた事でこの表情をジェーンはおろか、バージュや鈴音にも見られずに済んだ事だろう。

 

「今度こそ、お前が『下』だ。その意思ごと、踏み潰す」

 

 クラッシングからかけられる圧力が増し、イツァムの肉体が、プロトエグゾスの装甲ごとギリギリと締め付けられる。だが、ジェーンの予想に反し悲鳴の一つも上がらない。動きを全く封じられ、じわじわと死の気配が近づいているというのに。

 

 この真紅の仮面を破壊して素顔を拝んでやろうか。一瞬そんな考えがジェーンの思考に過る。しかし、今やそれは無駄なはずだ。自分が求めるものはこの力によるナインブレイカーの打倒だけ。もう間もなくプロトエグゾスの装甲が、破裂するが如く裂ける。そうすれば、流石にこの闘いも終わるだろう。ジェーンは、胸中に渦巻く不安を押さえこむように、今まさにプロトエグゾスに伸し掛かっている脚に更に重みをかけた。

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 自分なんかをかばってしまったが為に片腕を破壊され、またたく間に追い詰められていく。

 

 柱にもたれかかる鈴音の瞳には、ずっとプロトエグゾスの蹂躙される様子が映っていた。イツァムの最期の抵抗も虚しく、彼女は今まさに踏み潰されようとしていた。鈴音には、まるで理解出来なかった。どうして、逃げようとしないのか。敗北を認めて、勝負を終わらせようとしないのか。焦りと、不安と、怒りが湧き上がる。身の危険を感じながらも、何も出来なかった凰鈴音という愚か者などとっとと見捨ててしまえば良いのに、と。

 

 ようやく体の自由が戻ってくる。震えながら上げた右手のブレスレットは無事のままだ。あのジェーンという女の意識はイツァムに向いている。今ならば甲龍を機動させて、一目散に撤退すればきっと自分は助かるだろう。そして、その足でIS学園に助けを求めるべきなのだろう。

 

 だが、鈴音はその考えを『常識』としながらも、決して是だと認める事がどうしても出来なかった。例え、この場が何者かの意思によって作られたものであったとしても。

 

 鈴音は思う。今、自分がやるべき事とは何か。目の前のそれは、悪だと思った。アリーナの名誉を、イツァムの願いを踏みにじる行為だと思った。それを打倒しなければならない。見過ごしてしまえば、きっと自分は弱いままだ。そして、これが今の自分のやるべき事だ。ならば、今、自分の出来る事とは。そこまで考えて、鈴音は理解する。イツァムは言っていた。『やるべき事と出来る事が一致するならば、迷う事はない』と。

 

 鈍い痛みの走り回る体は、いつの間にか鋼鉄の床を蹴って走り出していた。衝撃が、直に足から骨まで響く。しかし、直ぐに痛みは収まった。次の瞬間にはもう、甲龍の装甲が足を包んでいた。視界がゆがむ程、体が急加速した。今まで体感した事のない衝撃が、体を襲う。しかし、体の奥底から湧き上がる何かが、鈴音の背中を強く押した。そこには、『龍』が居た。

 

 突然発生した爆発音へジェーンが振り向く。甲龍を展開させて真っ直ぐこちらに向かってくる鈴音の姿があった。その姿をひと目見て、ジェーンの得た感情は『不愉快』だった。甲龍の後方に続く一対の龍砲が、自身へと向けられている。不可視の砲弾故、発射する直前までどこを狙うかを示す必要などどこにもない。だというのに、その砲身はジェーン本人へと露骨に向けられている。「お前の相手は私だ」と言わんばかりに少女の視線は鋭い。

 

 そして、空気が震えた。ジェーンの予想通り、龍砲から砲弾が放たれた。学習したVTシステムが高速で計算した弾道を、鋭い痛みと共にジェーンの脳に注ぎ込む。数秒の後、クラッシングの左腕が振り上げられ、実体剣の刃先で砲弾を受け流した。遥か後方の柱が衝撃を受け圧し曲がった。

 

 甲龍は身を翻し、二機のISが十数メートル程離れる。プロトエグゾスの時と状況は異なり、お互いの得物では決して相手に届かない距離だ。

 

「私でさえ口を挟まなかったのに。神聖な決闘の場に乱入してくるなんてとんでもない人ですねえ。ドクター・ジェーン、あなたの目的はナインブレイカーの打倒でしょう? 物事には優先順位というものがあるはずですが?」

 

「……黙れ。お前と私の優先順位は違う」

 

 スピーカーから再び発せられたバージュの言葉に苛立ちを覚えたジェーンが語気を荒げると、慌てて回線を切る音が聞こえた。どうやらここまで明確に反抗されるとは思っていなかったらしい。情けない奴だと思いながら、ジェーンは甲龍を見やる。

 

 クラッシングが甲龍に対峙する。自然と、ジェーンが鈴音を見下ろす格好となった。プロトエグゾスとのこれまでの展開を目の当たりにしていたであろうにも関わらず、この挑戦者の瞳はいささかも震えていない。その瞳に、ジェーンはクラッシングの剣先を向ける。

 

「戦場でひとたび刃を向ければ、言葉による問答など最早何の意味もなさない」

 

「望むところよ」

 

 凛とした発声と共に鈴音が不敵な笑みを浮かべ、双天牙月を構えた。

 



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第十話 越えて行く者

 

 

 凰鈴音の心は決して強い訳では無い。幼い時分は今ほど快活ではなく、どちらかと言えば内気な方であった。そんな少女が両親の都合で日本にやってきた折に、慣れぬ環境の中でいじめのターゲットになってもどうして抵抗する事が出来ようか。そして、理不尽な境遇に甘んじるより他に無かった中で、織斑一夏に助けられ交流する事で彼に対し恋心を抱くのも極自然な流れだった。

 

 しかしながら、想いを募らせるも両親の離婚という悲劇に見舞われ、それに加えて中国への帰国という生活環境の目まぐるしい変化は少女の心に大きな傷を残した。大切にしていたものが自分の手から引き離される事に底無しの恐怖を感じ、やがて猛烈な怒りという反応を示すようになった。だが、この事が益々彼女の心を弱くし、折れてしまった心を隠す為に彼女は強さを求めてしまった。結局の所、現在の彼女の気性の荒さは、弱くて脆い心の裏返しとも言えた。

 

 ともすれば、イツァムを庇う為にクラッシングに立ち向かったのは虚勢の現れなのかも知れない。彼女を突き動かしているものは言うならば義憤であり、彼女自身には全く関係の無いものだ。これまでの彼女であれば、到底思いつく事すらなかっただろう。そんなものに対して、体が素直に動いていた。無論、そこには自身は被害者だという怒りがあったが、心を支配するには至らなかった。代わりに、充実感が溢れて元来の弱い己を鼓舞する。自分が本来願っていたもの。手に入れようとしていたもの。それが、漆黒の巨人の向こう側にある。そんな確信があった。

 

 一対の双天牙月を以てクラッシングに斬りかかる。その剣身はすべて実体剣に捌かれる。ならば、と斬撃の合間に龍砲をねじ込む。弾道の隙間を縫うようにクラッシングは回避する。いずれも反応はやや鈍く、装甲の表面を掠める。鈴音は悟る。今はまだ、自分の動きを学習している最中なのだろう。

 

 一方、ジェーンはひたすらに驚愕していた。甲龍の動きが加速度的に向上している。VTシステムの学習が明らかに間に合っていない。彼女が文字通りに進化を遂げているようにすら思えた。

 

 バージュから聞いた話を思い出す。凰鈴音という少女はISを直感で動かすタイプで、その動きを言語化して他者へ説明する事をまるで放棄しているという。だが、肝心のISの技術がどうだと言われれれば話は別だ。中学三年からISに関する勉強をようやく始めて、そこから国家代表候補まで上り詰める地力は疑う余地もない。彼女を努力の塊、向学心の鬼だと評する人間は多いが、その正体は学んだ事をスポンジの如く恐ろしい速さで吸収する天才肌と言うべきなのだろう。自身の会得した技術を周りに解説しないと言うのも、学習能力の高さ故に表現しきれないからだという事を心のどこかで自覚しているからなのかもしれない。

 

 つまり、彼女はVTシステムに取り込まれている間、VTシステムが必死になってかき集めた学習を無意識の内に追体験し、自分の経験として吸収してきたのではないだろうか。それこそ、たった今ジェーン自身がクラッシングを通じて甲龍の動きを学習するのと同じように。

  

 乱打の中、甲龍が上方向に跳ねたかと思えば、鋭角を刻みながら急降下した。極めて短距離だが、プロトエグゾスの機動よりも遥かに早い。ジェーンは自身の体が震えている事にこの時初めて気がついた。凰鈴音は体の良い生贄に過ぎなかった。だが、この戦士はVTシステムを、ジェーンというランカーを今まさに越えて来た。まさかISアリーナの外でこのような『戦士』に出会えるとは!

 

 甲龍がクラッシングの右の砲身に向かって左腕を伸ばし、双天牙月を突き立てる。そのまま、突進した勢いを殺す事なく体を捻った。全身が回転し、クラッシングの装甲をずたずたに切り裂くと肩部の砲身を斬り飛ばす。反動で、クラッシングが大きく後方へと退いた。そして、甲龍を挟んだ向こう側で、ドロドロに溶けた砲身だったものが落下し蠢く。両者の距離が今一度離れる。幾ばくか冷静さを取り戻したジェーンは既にクラッシングでなくなったモノに見向きもせず、視線を甲龍へと向けた。手負いとなった獣を逃すまいと鋭い視線が、自分を射抜いていた。

 

 クラッシングが一度身を沈める。ジェーンは心がはち切れんほど震えるのを感じながら、甲龍へと飛びかかった。クラッシングの両手の実体剣が甲龍へと迫る。だが、その切っ先が装甲に触れようとした瞬間、地響きのような衝撃が辺りに響き渡った。彼女らの足元の鋼鉄の床が紙くずのように舞い上がり、大小様々な破片が飛び散る。甲龍の体が沈む。そして、クラッシングもまた、足をつける場所を失い崩れるように前のめりになって倒れ込んだ。

 

 ジェーンは、視界が回転する中で鈴音が笑っているのを見た。この状況が彼女の意図した通り、即ち、甲龍が足元に向けて最大出力の龍砲を放ったのだと直ちに理解する。このままでは奈落に落ちる。本来ならば彼女にとってこのまま甲龍と共に落下するという事を回避する事は容易いはずだった。再度上昇すれば、難なく逃れる事ができるはずだった。

 

「これ以上手間をかけさせるとあたしの手に負えなくなるんでしょ? だったら、その前にアリーナに倒してもらう事にするわ」

 

 さもありなんと、鈴音が呟く。ダメ押しと言わんばかりに甲龍の拳がジェーンのみぞおちを叩いた。意識を僅かに奪われた。その瞬間、二体のISが崩れ行く穴の中へと飲み込まれる。衝撃が鋼鉄の床を伝わり、雪崩のように落ちていく。その最中、鈴音はジェーンの両肩を掴み、甲龍のスラスターを点火して落下速度を加速させた。二体のISの質量も加わり、その加速度は瞼を明けていられない程となる。

 

「私ごと瓦礫の中に沈めるつもりか。その程度でISは機能を停止しないぞ」

 

 小さく咳き込みながらジェーンは皮肉げに言う。だが、鈴音は脇目も振らず甲龍を加速させ続けていた。

 

 ジェーンの口元で舌打ちの音がした。VTシステムはあまりにも非常識なアイディアだと判断したようだが、鈴音が何を企んでいるのかをジェーンは直ぐに理解する。纏わりつく甲龍を引き剥がそうと残っていた右肩の砲身を向けるが、甲龍から一足先に放たれた砲弾が放たれる。ほぼ密着状態で放たれ甲龍自身もただでは済まない。それを証明するように鈴音は歯を食いしばって目を細めている。しかし、その瞳の奥底に並々ならぬ覚悟があり、クラッシングの肩を掴む手は揺らがない。

 

 そのまま数メートル程落下したところで突如、ドン、と一際大きな衝撃と共にクラッシングが静止した。けたたましい程の甲高い警告音が鳴り響く。ジェーンは、反射的に耳を塞ごうとするが指先一つも動かせない。

 

「馬鹿な、こんなやり方で」

 

 この警告音は、ISアリーナの領域から外れた事によるエリアオーバーを知らせるものだった。領域外に出てしまったISは直ちにエネルギーを全て失い、機能を停止する。ISアリーナの基本ルールが、クラッシングの動きを止めたのだ。

 

 ジェーンは目をみはる。確かに、今しがた鈴音がやったように相手を外に押し出すというようなエリアオーバーを利用した戦術というのは存在する。だが、それは多くの場合偶然の産物だ。エリアオーバーに巻き込まれる可能性がある為、狙ってやろうとはしないのが常だ。ましてや、ISアリーナでの戦闘をやった事などない筈の鈴音が、この戦術を何の躊躇いもなく実行するとは。

 

「エリアオーバーの判定ラインがどう張り巡らされているかちょっと不安だったけど。ま、結果オーライね」

 

 一方で、鈴音はあっけらかんとしていた。ジェーンの顔が益々驚愕に歪んでいく。果たして鈴音の言う通り、ISアリーナとして改装されたばかりの場所でエリアオーバーの判定が機能しているという保証などどこにもない。ジェーンにしてみれば、いや、おそらくイツァムですら、それを無謀としか表現しないだろう。

 

「全く、とんでもない奴だ。あるかどうかも分からないもので、勝負を仕掛けるとはな」

 

「あたしはただ、自分の勘に従っただけよ」

 

 鈴音の、あまりにも自信有りげな姿に思わずジェーンの顔から笑みが漏れた。ここまで堂々とされてしまっては、何を言おうと『結果の残滓』にしかならない。

 

「……私の負け、か」

 

 堪らず、ジェーンは顔を上に向けてため息をつく。そして、淡々と言葉を紡ぎ出した。

 

「バージュと結託してお前を攫い、ISアリーナの管理外でイツァムに戦闘行為をしかける。禁忌と言われたVTシステムも使った。これだけの事をしたのだ。私はきっと然るべき所より、然るべき制裁をされるだろう。

 ……何もかもを賭けた。そうするだけの価値があると信じたからな。悔いはない」

 

 そこに後悔は微塵も感じられない。高潔な覚悟すらあった。

 

 ところが、鈴音にしてみればどうにも面白く無かった。ジェーンが相当の覚悟をもってこの場に臨んだ事は勿論理解していたが、その先にあるただ沈んでいくであろう未来に、ただ理不尽さを受け入れるしか無かった自分の過去が重なったからだ。

 

「その、あたしはあんた達の事情はさっぱり分からないけど。それでも、イツァムさんとはちゃんとした形で決着を付けたほうが良いんじゃない? こんな、極一部の熱狂的なファンしか集まらないような場所でやるんじゃなくて、さ」

 

 クラッシングの肩から手を話し距離を取る。微動だにしない黒き巨人を見下ろしながら、鈴音は大義そうに言う。反射的に、ジェーンは彼女を睨んだ。

 

「……情けをかけるつもりか」

 

「流石に人さらいを前にしてそんな事考えてないわよ。これはあたしなりの、あたしの挑戦を受けてくれたあんたへの『敬意』の払い方ってところ」

 

 その少女の目は決闘を始める前と打って変わり穏やかで慈しみのあるものになっていた。果たしてその見通しは甘い、と言わざるを得なかったがジェーンは口を噤む。脳裏に、諦めたはずの光景が自然と浮かぶ。満員のギャラリー、悲喜こもごもの歓声が響く中、そんなもの関係なしと言わんばかりにプロトエグゾスと力をぶつけ合う。それはきっと、とても愉しい事なのだろう。

 

 糸のように細い目元から涙が一筋流れた。まるで、ジェーン自身の人間性が完全に消失していない事を知らしめるかのように。

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 イツァムは柱に背を預けたまま、たった今鈴音達が吸い込まれていった巨大な穴を見つめていた。激しい衝突音が繰り返し響いていたが、今は静寂だけがあった。果たして彼女達の結末がどうなったのか。それを確かめようにも酷く傷んだ体が動く事は無い。

 

 不意に、頭上から突風が吹き付けるような音が聞こえてきた。見上げると、そこには暗い影があった。やがてこの影は大きくなる。何かが近づいてきている。

 

 程なくして、イツァムの前に一体のフルスキンISが降り立つ。プロトエグゾスのそれよりもずっと暗い赤を中心としたカラーリングで、両腕の前腕は二の腕に比べて一回り程長い。頭部は西洋兜とも、和兜とも取れるような形状をしており、プロトエグゾスのような鋭い角が一本、額にあたる部分から長く伸びる。更に特徴的なのは、その肩越しにあった左右一対のスラスターユニットだ。どうやら直接IS本体と接続されているようだが、ちょうどIS一体がすっぽり収まってしまいそうな程に大きい。

 

「ハスラー・ワン、いや、今は『セラフ』か。あんたが来たって事は、勝負はついたんだな」

 

「ああ。勝者は凰鈴音。ドクター・ジェーンはエリアオーバーによって敗北した。

 間もなくIS学園の人間が来る。凰鈴音と共に彼女らに運んでもらえ。ドクター・ジェーンは学園経由で然るべき場所に連行される。私が出るまでもない」

 

 軽く頷いてから、イツァムは口を開いた。そして、彼女が『セラフ』と呼んだISから、ノイズ混じりのハスラー・ワンの声が返ってくる。その言葉を聞いたイツァムは、嬉しそうに笑うと無音になったスピーカーを一瞥してからこう応えた。

 

「そうかい。それなら、ケツ持ちの方はしっかり頼むよ」

 

 僅かな沈黙を挟み、セラフが浮上する。あたりに突風を撒き散らしながら、コルナートから飛び出す。またたく間に点となって、やがて見えなくなった。

 

 それから、入れ替わるように大きな竪穴から甲龍が飛び上がってきた。そのまま身を翻すと、イツァムの目の前でゆっくりと着地する。僅かに微小な金属片が舞い上がった。

 

「あれ? 今誰かいたような気がしたんだけど」

 

「まさか。戦闘が終わって気が立ってるんじゃないか」

 

 首を傾げる鈴音に、イツァムはけらけらと笑いながら応える。そうかも、と鈴音は空を見上げて頷いた。いつの間にか、そこには煌々とする満月があった。それが照らす影は、彼女らの姿の他に全く無い。

 

「どうやらバージュは一足先に逃げたみたいだ。全く悔しいね」

 

「……そっか」

 

「ま、それはそれとしてさ。決着の瞬間を見れなかったのは残念だけど、ナイスファイトだったよ」

 

「ありがとう」

 

 いささか不謹慎であったが、イツァムが空を見上げる鈴音を労う。すると、鈴音は頬を赤らめると頭を振った。

 

 イツァムは、そんな勝者の表情をしばし堪能する。彼女とIS学園で初めて模擬戦をした時にあった迷いが、今はもう感じられない。その上で、非公式とは言えISランカーを打倒したのだ。心のあり方が変った、などと高尚な事を言うつもりなど勿論無い。だが、果たして彼女が勝ち得た『確固たる意思』が揺らぐ事はもうないだろう。

 

「ああ、それとね。明日は一日ベッドの上だと思った方が良いよ。

 意識してたかは分からないけど。私の動き、真似してただろ? 慣れない奴がそれをやると、体が悲鳴を上げるのさ。すごい筋肉痛ってやつだ。今は平気だろうけど、多分明日は一日ベッドの上だよ」

 

 イツァムが微笑む。それに釣られて、鈴音は得も言われぬ引きつった笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 



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第十一話 黒い帳

 

 千冬はコルナートへ向かうヘリの中で、ある種の見当違いな思案に耽っていた。IS学園の所有するこのヘリの乗り心地は存外悪くない。内部は軍用のものを流用した事を思わせる無骨な構造だが、前後左右に二列ずつ、計四席の一面モスグリーンのシートは程よく体重を受けて沈み込みヘリ全体から伝わる衝撃を吸収してくれる。IS学園の外れから離陸する時も、一般的なヘリならば耳を塞がずにはいられない程に喧しいバタバタと鳴る特有の駆動音、所謂ブレードスラップと呼ばれる音もほとんど気にならなかった。ドイツでの教官時代に何度かヘリに乗る機会があったが、その時と同じぐらい快適だ。これならば騒音によって飛び起きるような生徒も居ないだろう。

 

 不謹慎であったが、千冬の脳裏には毎度面倒事に巻き込まれる弟の顔が浮かぶ。それと同時に、心の中で悪態をついた。こういう事に費やせる程に予算が潤沢ならば食堂にお高い酒でも置いてくれれば良いのに。そうだ、次の職員会議で提言でもしてやろうか、と。そんな事を考えてしまう程に、千冬の胸の内というのは実に穏やかで無かった。

 

「イツァム・ナーより連絡が入った。目標を沈黙させ、凰鈴音を救出する事に成功したとの事だ。織斑千冬、我々もコルナートへ向かうぞ」

 

 警備室で待機していたハスラー・ワンが唐突にそんな事を告げたのは、イツァムが先行しコルナートへ向かってから二時間程経ってからの事だった。初めて顔合わせをした時と何ら変わらない淡々とした口ぶりと、有無を言わさぬ冷徹な姿勢に、千冬は改めてこの少女から『自分こそISアリーナの主だ』と言わんばかりの傲慢さを感じ取る。同時に、IS学園に関わる事件だというのに、自分の預かり知らぬ所で物事が進んでいるという焦燥感も心の奥底から沸き立っていた。

 

 今、ヘリの中では千冬は後部座席の左側、ハスラー・ワンは前部座席の右側に座っている。お互い顔を突き合わせずに済んでいるのは千冬にとってある意味幸いと言えた。イツァムはともかく、この少女と思しき何かはどうにも信用出来ない。この一連の事件も、狂言だったのではないかとすら疑ってしまう。

 

「それと、これを渡しておく」

 

 『念の為』に備えようとした時、まるでそれを見計らったかのようにハスラー・ワンが振り返った。千冬は思わずぎょっとするが、彼女が黒い破片のようなものを差し出していた事に気づき反射的に受け取る。機内はお世辞にも明るいとは言えない。目を細めながら、それを天井の照明にかざす。自分が手にとったのは、一枚のメモリーカードだった。

 

「バージュはDOVEやIS学園の情報をいかがわしい連中に売りさばこうとしていた。狙いはさておき、その手の連中にIS学園への襲撃計画も持ちかけていたようだ。そういった情報も入っている。役に立つだろう」

 

 ハスラー・ワンの解説が耳に入ってくる。千冬は、緊張した感情に水をさされた事で却って冷静さを取り戻していた事を自覚すると、軽く頷いてからメモリーカードを上着のポケットにねじ込んだ。自然と、ハスラー・ワンと目線が合う。そして、彼女の意図を汲むと語気を荒げつつも言葉を発した。

 

「この学園を、凰を危険に晒した事への詫びのつもりか」

 

 この問いに、ハスラー・ワンは沈黙で返す。冷たい目線が脅しつけるように千冬へと注がれる。そこには『これで手打ちだ』という意思がありありと浮かんでいた。

 

 諦めたように椅子に座り直す。窒息する程に重たい空気の中でヘリを操縦する羽目になったパイロットには、せめて労いの言葉一つでもかけてやるべきだろうか。そんな事を思いついた時、ガクン、とヘリが一際大きく揺れた。体が浮き上がるような感覚が続けてやってくる。今まさに声をかけようとしたパイロットからヘリが着陸態勢に入った事を告げられた。高度が下がり、窓から見える風景が急速に変わる。

 

 ヘリから見えるコルナートの姿が大きくなってきた。人の気配は無く、緩やかな波の音だけが辺りに響く。とても直前まで戦闘があったとは思えない程に静かだ。だが、上方の開口部より降下するにつれ千冬の顔が強張った。金属製の支柱はへし折れ、壁は剥がれ構造体が顕となっている。床の何箇所かがめくれ上がり、その縁は紙くずのようは破片となってあたりに散乱していた。激しい戦闘があった事を想像するに難しくない。そんな中で、小さな人影を二つ見つけると、途端に先程までハスラー・ワンに抱いていた感情が薄れていく。

 

 イツァムは柱を背に腰をおろしぐったり頭を下げている。それとは対称的に、この状況に似つかわしくない程の満面の笑顔で鈴音はヘリに向かって両手を振っていた。千冬は、無意識の内に緩んでしまいそうになった頬を右の掌で覆った。何かの拍子にハスラー・ワンや鈴音にこんな姿を見られたらと思うと急に気恥ずかしくなる。そして、ハスラー・ワンの話が事実であった事にようやく胸をなでおろした。

 

 軽い衝撃が一つあって、ヘリが着陸する。今にも決壊しそうな感情の濁流の中で、果たして鈴音にどんな言葉をかけてやれば良いのか。千冬の中で答えは一向に出てこない。そんな彼女を嘲笑うかのように、ハスラー・ワンが目の前を横切った。直ぐ側にある扉がスライドし、外気が入り込む。土埃が酷く舞い上がっていたのだろうか、口の中に僅かにジャリジャリとした感触が生まれた。一度、瞼を閉じて深呼吸をする。いかにも大儀そうに全身を力ませて立ち上がり、ハスラー・ワンに続いてコルナートへと降りる。鈴音が、駆け足気味に歩み寄ってきた。

 

「心配かけてすみません。あたしは今の所無事なんですけど、イツァムさんの方が酷いみたいで。あと、犯人はあの穴に落ちて身動き取れなくなってます」

 

 しかし、開口一番、はにかみながら笑う彼女からそんな言葉を投げかけられたものだから途端に可笑しくなった。一体全体、彼女はここで何を成し遂げたというのか。千冬は頭を振る。寸でのところで自身の感情が表に出るのを防ぐ事が出来たのはきっと、普段の立ち振舞のおかげだろう。

 

「そうか。イツァムは私が運ぶ。聞きたい事は山程あるが、こんな所に長居は無用だ。体が動くというのならば、さっさとヘリに乗れ」

 

 そう言いながら、鈴音のすぐ脇を通り過ぎる。多少の言い方のキツさを分かっていたが、これ以上向かい合っていると碌でもない問答をしてしまいそうだった。視界の片隅で、鈴音が頭を下げてヘリに乗り込むのが見えて口の端から小さなため息が漏れる。

 

 ハスラー・ワンはと言うと、たった今鈴音の話にあがっていた、床に空いた巨大な竪穴を前かがみになって覗き込んでいた。犯人とやらの様子を伺っているのだろう。ここまで来たのならば、最早IS学園として下手に手を出すべきではない。普段から彼女らがそうしているように、ISアリーナに関する事はDOVEに任せてしまえば良い。その為に彼女はこんなところにいるのだろうから。

 

 投げやりな感情をその場に置いて、千冬はイツァムの前に立つ。自然と、彼女を見下ろす格好となるが、当の本人はまるで気にした様子もなく顔だけを千冬へと向けた。

 

「いやあ、IS学園の生徒は本当に優秀だよ。普段の指導の賜物かな」

 

 その表情は血の色が薄く、若干青みがかっている。身動き一つ取る気配も無い。目立った外傷は認められないが、どうやら鈴音の話は事実のようだ。それでも、イツァムは鈴音や千冬らを労った。一見すれば皮肉かと思う程の発言ではあったが、全く嫌気のない空気に、親しい友人とするような話しぶりに、千冬はどうしても毒気を抜かされた心地になる。

 

「外傷は無いな。フルスキンのおかげか」

 

 果たして千冬は、イツァムの問いに答える素振りを見せず身を屈める。そして、イツァムの右手を握るとそのまま自身の首にかけて引っ張り上げた。彼女は一瞬苦痛に顔を歪めるのが見えたが、この程度ならば慣れたものだと敢えて無視する。そんな心情を理解したのか、耳元で小さな笑い声が聞こえた。

  

「踏み潰されそうになっていたから体中が芯から痛い。運ぶなら優しく頼むよ」

 

「医務室についたら今度こそまんじゅうを嫌というほど食わせてやる。だから、それまでは我慢しろ」

 

「それはそれは。全く怖い事を言うねえ。勿論熱いお茶も用意してくれよ」

 

 二人は、IS学園で初めて顔を合わせた時のやりとりを思い起こさせる会話をしながらヘリに乗り込む。既にシートに腰をおろしていた鈴音がそのやり取りを聞いて怪訝そうな表情を浮かべていたが、千冬もイツァムも、とうとう解説してやる事など無かった。

 

 

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 

「ひ、ひひ。いひひひ」

 

 コルナートから数十キロ離れた海上にて、小型のモーターボートを操舵するバージュは狂ったように歪んだ笑みを浮かべていた。潮風によって乱れた髪を直そうともせず体は酷く震え、凍えるように冷たい指先はほとんど感触を失っている。目線は正面を向いているはずなのだが、どこへ向かおうとしているのか。その瞳は皆目見当もつかない程に虚ろだ。

 

 ドクター・ジェーンにイツァム・ナーの再戦の場を与えて改良されたVTシステムのデータ取りを行いつつ、トップランカーを排除する事。それが彼女が逃亡する為に用意した手土産だった。だが、結果は散々なものだ。まさかVTシステムの生贄にした凰鈴音がジェーンを打倒するとは全く想定していなかった。挙げ句に、コルナートの管理システムのコントロールもいつの間にか奪われ、クラッシングと甲龍がエリア外に落下していく時も何も手を出せなかった。こんな事になるならば、VTシステムのコントロールを無理やり掌握してイツァムを抹殺するべきだった。だが、後悔してももう遅い。『逃げるあて』も全て失った。もはやこの身一つで一刻もどこかへと早く逃げなければ。

 

「DOVEに潜り込んであちこちとパイプを作ろうとしていたようだな。悪名高いあのテロ組織とも、か。節操の無い事だ。」

 

 背後から少女の声が聞こえた。反射的に目を見開く。その声に、良く聞き覚えがあった。だが、こんなところで聞く事になろうとは全く考えていなかった。額に脂汗が浮かぶ。咄嗟に、腰に下げていたホルスターから拳銃を抜き、振り返った。

 

 その瞬間、眼下から赤い光の筋が過ぎった。そして、それとほぼ同時に手にしていたはずの拳銃が宙を跳ねる。バージュは、そのグリップを自分の右手が握り込んだままになっているのを見た。やがて、暗い海に落ち僅かな水飛沫を上げる。一連の挙動が、コマ送りのようにあまりにもゆっくりと流れる。その映像を最後まで見届けてから、恐る恐る視線を落とした。

 

 手首より先に本来あるはずの右手が無くなっていた。代わりに、酷く焼け焦げて真っ黒になった手首の断面がジュクジュクと蠢いている。ショックのあまり脳が痛みはおろか、熱すら感じる事を拒む。それと同時に、自身を支えていた両脚から急速に力が抜けてその場にへたり込んでしまった。

 

 彼女の視線の奥に、ハスラー・ワンの姿があった。左腕はまるまる赤い装甲に包まれ、甲の付け根からレーザーブレードが伸び、それが発する赤い光が煌々と輝いている。死神に射竦められ、バージュは悲鳴一つもあげられない。

 

「内通者の始末。手を組んだ組織の炙り出し。お前の成そうとした事にイレギュラー要素は存在せず、何一つDOVEから離れていない」

 

 ハスラー・ワンがそう告げると、ゆっくりと歩き出した。ボートの底が軋む音が、徐々に大きくなる。バージュは、それが無理な事だと頭で理解しながらも、逃げようと後ずさる。だが、程なくして船首側のフレームに背中がぶつかり、目を見開いたままの表情が一際苦悶に歪んだ。

 

「我々は『管理』は出来ても、越えて行く者を『追跡』する事は出来ない。それが我々の役割。そして、『お前は管理される側』だ」

 

 その言葉と共に、ハスラー・ワンの左腕が振り上る。そして、目も眩むような赤い光が、周囲を照らした。

 

 バージュは、それが自分の胸元に突き刺さる瞬間を見た。死にゆく者へのせめての手向けなのか、不思議と痛みは無かった。胸の中に鋭利な刃物が沈んでいく感触だけが広がっていく。間もなく、どこにも逃げる事を許さないように黒い帳に囲まれ、己の意識とこの世界との繋りが途絶えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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最終話 女帝は昇り龍を見る




『終わってしまったと嘆くのではなく、それが起こった事に喜ぼう』

(ガルシア・マルケス)



 

 

 コルナートでの闘いから一夜が明け、鈴音はイツァムの予言通りIS学園の医務室のベッドの上にいた。VTシステムに取り込まれ戦闘に巻き込まれた時の怪我は軽症で済んだが、体へかかっていた負荷は鈴音の想像を遥かに上回っていた。打撲や捻挫を生温いと感じるぐらいに全身の筋肉という筋肉が炎症を起こし、IS学園の医務室に運び込まれた頃には体を僅かでも動かせば猛烈な痛みが全身を駆け巡った。無事なのはせいぜい指先ぐらいだ。結果、目に見える外傷は無いのに、ほぼ全身に包帯を巻かれた姿になってしまっていた。

 

 そしてこの痛みが、文字通り痛烈に彼女に知らしめる。病室の真っ白い天井を眺めるだけの自分へ、昨夜の出来事が夢で無かった事を。視線を下に向ければ、ギブスでがっちりと固定された左脚が見える。かかとの下には嵩上げ用のクッションがある。何でも、これが無いと治療中に足がむくんでしまうのだという。右脚の方はまだ幾分か動くが、それでも湿布薬をこれでもかと言うほど処置された上での包帯だ。そこには固定されているか否かの違い程度しかない。もっとも、肩から手首にかけて丸々ギプスに固定された両腕に比べればまだ良い方なのだろうが。

 

「ごめん。怒ってる、よね?」

 

 拘束されている状態となんら変わらない現況を一瞥してから、鈴音は呟くように言う。すると、ベッドの脇の椅子に座り、果物ナイフでりんごをくし切りにしていたティナの手が止まった。深呼吸にも似た、深いため息が聞こえた。

 

「一日部屋に戻ってこないと思えば、真夜中に医務室に緊急搬送されてベッドの上で包帯ぐるぐる巻きになってるのに、何も思わない訳ないでしょ」

 

 普段の明朗快活さが嘘のようにその口調は静かだ。そして、そこからはじき出された言葉が鈴音の心に突き刺さる。彼女が怒るのも当然の事だろう。昨日、アリーナで一丁前な事を言ったのにこのざまだ。鈴音は、額を床につけて謝りたかったがこんな状態ではそれも叶わない。痛みに堪えて顔を傾ける。ようやく視界にティナの姿を捉えた。目を凝らして見れば、その目尻には涙が溜まっていた。

 

「何してたか、とか。聞かないの?」

 

「聞いたところで答えるようなら、鈴の方から先に言ってる。違う?」

 

「……ううん、違わない」

 

 彼女がどれだけ自分の身を案じていた事だろうか。全身から血の気が引いていく程に心が締め付けられ、鈴音は息苦しさを覚える。しかし、昨夜の出来事は口外厳禁と固く命じられた以上、この緩みつつあった口を開く事は出来ない。自分がこうなった経緯を告げたらどうなるか。鈴音でも事の重大さはわかった。そして、連れ去られる直前まで一緒に居たティナに、例えば『訓練で無茶しすぎた』といったその場しのぎの嘘などきっと通じないだろう。つまり、今、出来る事と言えばただ口を噤む事だけだった。

 

 その上で、鈴音はふと思う。きっと、自分が沈黙する本当の理由はそういう範疇には存在しない。どうしても上手にそれが何かを自分の中でまとめ上げる事は出来なかったが、敢えて名前を与えるならば、きっと『名誉』だと言うのだろう。奇妙な高揚感が、体温をじわりと上げていく。

 

 小皿にりんごを盛り付け終えたティナが、その一切れに爪楊枝を刺して鈴音の口元へ運んだ。鈴音は、甘い香りと共に昨夜からろくに食べていない事を思い出した。にわかに湧いた空腹感に従うがままに齧りつくと、甘酸っぱい香りと味が口の中に広がる。咀嚼する度にあふれる果汁が、体に沁みていくような心地だ。

 

「とりあえず、二組の皆には私の方からうまく言っておくから。その包帯姿がなんとかなったら心配かけた事、ちゃんと謝るように。ね?」

 

「うん、ありがとう」

 

 鈴音は、ティナのその言葉に深く頷く。そして、しっかりと嚥下してから感謝を告げる。自分でも驚く程に、凛とした発声だった。すると、ティナはたちまちに頬を赤らめて顔を背けてしまった。頭を掻いて、何やら独り言をつぶやいている。機嫌を損ねてしまっただろうか。鈴音の中に不安が過るが、しかめっ面になったり、困ったように歪ませたりとせわしなく変わるティナの横顔を伺う限りどうもそういう訳では無いように思えた。

 

「まあ、私も元クラス代表っていうか。クラス代表を替わってもらった身としてちゃんと見届けないと行けないと思うから」

 

 しばらくの後、ティナが先程とは違う色合いのため息をつく。そして、鈴音の方へと視線を戻すと、手元のりんご一切れを彼女の口の中へと放り込んだ。強引さを感じながらも、鈴音もまたそれを受け入れ今一度りんごを頬張った。なんだか妙に可笑しくなって笑い声が漏れてしまう。すると、待ちわびていたようにティナも笑った。程なくして二人の笑い声が混じり合い、病室を満していく。

 

 その最中、不意に扉をノックする音が響き二人は顔を見合わせた。そして、身動きの取れぬ鈴音に代わり、ティナが返事をしながら立ち上がり扉へと向かう。スライド式の扉が横滑りされ、隙間風がベッドシーツの端を揺らす。

 

 何やら身じろぎするティナの肩越しに二言三言の話し声が聞こえると、扉が開ききる。そこには、イツァムの姿があった。だが、鈴音は大して驚く事も無く、どうも、と短い挨拶をする。視界の片隅で、軽い会釈をしてから病室から出ていくティナの姿が見えた。どうやら、彼女なりに気を利かせてくれたようだ。

 

「お互い、名誉の負傷ってやつだな」

 

 開口一番、イツァムはそう言うとティナの座っていた椅子に腰を下ろした。それから、足元にあった保冷庫の扉を開け、手にしていたオレンジジュース入りの紙パックを入れる。鈴音にとって特別それが好きな訳ではなかったが、今更それにつっこむのも野暮だろうと喉元まで来ていた言葉をひっこめて彼女の表情を伺う。額や首に巻かれた包帯に生々しさがあったがそんなものも随分と慣れているようで、来賓室で話した時と同じように朗らかに笑っていた。

 

 さて、鈴音にとってこの来客は予想をしていたが、思考が整然としていたかというと話は別だ。昨夜の死闘を否が応でも思い出す。動かす事の出来ない体が一人歩きしているようで鈍い痛みが這い回る。その中で、どんな言葉をかけるべきか。とりとめもない世間話だとか、イツァムへの称賛だとか。或いは、こんな事態になった事への恨み節だとかが幾つもの単語に分裂して飛び跳ねる。

 

「えっと、その。あの、ジェーンって人は」

 

 結局、鈴音の口から後悔混じりに出てきたのはそんな言葉だった。イツァムは怪訝そうな表情を浮かべている。まさか、いの一番に出てきた言葉が、自身を拐った人間を気にかけるものだとは思っても居なかったらしい。それから、言葉を選んでいるのかしばし唸ってから口を開いた。

 

「ドクター・ジェーンの処罰についてはDOVEの管轄さ。私らが気にしてもしょうがない」

 

 肩をすくめておどけるような態度だったが、その言葉の裏にあるものを直ちに感じ取った鈴音の背中に冷たい何かが走る。

 

 ジェーンがバージュと手を組んで引き起こした今回の事件は、一般的に見ても非道なテロ行為そのものだ。どれだけ言い繕うとも、そこには情状酌量の余地など全く無い。『そうするだけの価値があった』とは本人の談だが、そのようなズレた感覚が認められる筈もないだろう。鈴音もまた、『ズレた』充実感を胸の内に認めていただけに何も言えなくなってしまい、目を伏せてしまう。

 

「……まあ、死んだ方が遥かにマシって思うぐらいの地獄に叩き落とされて、それでも這い上がって私に挑戦するっていうのなら。その時はまた相手をしてやるつもりさ」

 

 そう言いながら、イツァムは直ぐ側にあった丸テーブルに手を伸ばし、その上の小皿からりんごを一切れつまんで口にした。鈴音は、自身の戸惑いをいとも容易く見抜かれたような気持ちだった。体の自由が効くのならば、きっと今頃肩を縮こませていた事だろう。緩やかに空気が冷えていくように感じられた。

 

「で、用件なんだけど。良かったらISアリーナに参加しないか?」

 

 だが、その空気はイツァムのこの一言で変わる。鈴音は、自身の中に驚きは無く、不思議と冷静である事に気がついた。或いは、彼女がここを訪れると予想していた時には既にこうなる事を覚悟していたと言った方が正しいのかもしれない。

 

「私が推薦する。理由は、言わなくてもわかるだろ? 文句を言うやつが居るなら、そいつは腕っぷしで分からせれば良い。それがISアリーナだからね。

 だからさ、今じゃなくても良い。IS学園を卒業した後でも。ISアリーナに来て欲しい」

 

 声量を落としながらも淀みなくイツァムは話す。やや前のめりの姿勢となった彼女の隻眼が見ているのは、凰鈴音の表情だけではきっと無い。それ故に、鈴音は無言の視線で返す。だが、次の瞬間にはにらめっこをしていて負けを認めたかのような軽い笑い声が病室に響いた。

 

「どうして笑うのさ。私は冗談で言ってるわけじゃないよ」

 

「それはそうだけどさ。だって、『この人は断るだろうな』って顔してそんな事言われたら、笑っちゃうわよ」

 

 口を尖らせるイツァムに、その笑い声の主である鈴音はにべもなく返す。なるほどイツァムの提案の中身こそ真剣なものであったが、それを発言した彼女の頬はよくよく見れば緩みきっている。えびす顔、とまではいかないが目尻は下がりとても一人の少女の未来を真剣に案じているようには見えない。

 

「……全く、惚れた男がいるってのは、どうにも厄介だね」

 

「イツァムさんだって同じようなもんでしょ。……でも、ありがとう。『ナインブレイカー』にそう言ってもらえると凄く嬉しい」

 

 鈴音は天井へと顔を向け、今一度枕に頭を沈み込ませた。一方で、視線を切られてしまったイツァムは堪らず苦笑いをしてみせる。皆まで言わずとも、その心の内を理解し合う。言葉の要らない、心の交流がそこにはあった。

 

「さて、折角のお誘いも断られたんだ。私はそろそろ行くよ。次の対戦の予定も入ったからね。プロトエグゾスも直さなきゃならない。もう会う事も、無いかな」

 

 膝を軽く叩き、軽妙な音を立てるとイツァムが立ち上がる。急に遠くなった視線に鈴音は胸に痛みを覚えたが、既に病室の出入り口に視線を向けるイツァムがその事に気づく事などあるはずもないだろう。

 

「じゃあな、『鈴』。短い間だったけど、貴方と出会えて楽しかったよ」

 

 そして、イツァムは踵を返し病室を後にする。扉が閉まる瞬間まで、ずっと手を振りながら。その様子を、鈴音はただ黙って見つめ続ける。口元は歪みっぱなしだったが、それでも必死に溢れ出そうな何かを押し留め続けた。

 

 ガチャン、と扉が閉まる。その先から聞こえてくる規則的な足音はやがて小さくなり立ち消えたように聞こえなくなる。

 

 突如として、鈴音の目から涙が溢れ出した。表情はたちまち崩れ、口元も震える。身動き一つ取れない中、滝のように流れ落ちる涙を止める事など出来ず枕元をあっという間に濡れていく。上ずった声は、やがて悲鳴のような泣き声に変わった。

 

 目の前の風景が溶けて混ざり合って一つに成ったような真っ白な世界で、鈴音は叫び続ける。自分にとって都合の悪い結末は、いつか必ずやってくる。でも、それは今じゃなくても良いじゃないか。必然なのは分かっていたが、こんなにもすぐじゃなくても良いじゃないか。更に自身に問うた。ならば、つまらない意地など張らず、口約束でも良いからISアリーナに行くと宣言すれば良かったのだろうか。いいや、そんなちっぽけな見栄など自分ですら騙す事は出来ないだろう。イツァムは、それをわかっていたからこそ最後の最後で『最高の敬意』を払ってくれたのだ。それを汚す事などありえない。袂を分かつイツァムの為にも、そして、これからの自分の為にも。

 

 顔の周りに柔らかい布があたる感触を覚えた。涙でぼやけた視界に、驚いた顔のままタオルで自分の顔を拭うティナの姿が映っていた。ますます流れる涙が増す。青い顔をしたティナが、何か声をかけていたのがわかった。うまくそれを聞き取る事さえ出来なかったが、きっと自分の事を気にかけてくれているのだろうと鈴音は思った。だから、ただただ頭を振る。そして、願った。今、この瞬間だけは、こみ上げる感情のまま弱い心を曝け出す事を許して欲しいと。

 

 

 

 

※      ※      ※

 

 

 

 

 

「あーあ。もったいない事をした」

 

 イツァムは大きなため息をつく。IS学園駅を出発したモノレールの車内は、ここに来た時のマスコミ関係者の喧騒さが嘘のように静かだ。だが、きっと終点は人でごった返しているだろう。なにせ、今回の来日で起きた鈴音の誘拐及びコルナートでの戦闘行為は秘密裏に処理され、『待望されていた専用エリア予定地で重大な崩落事故が発生し、ISアリーナの拠点設置が無期限延期』となっている。果たして彼女が千冬に告げた通り、IS学園にとっては何事もなく明日を迎える事になった訳だがISアリーナの関係者にとっては別だ。とにかくあれやこれやと殺到するだろう。しかしながら、今回の件についてはDOVEを通してくれと言い張り続けるしか無い。容易に想像出来る混乱に少なくない嫌気を覚える。

 

 だが、彼女が今げんなりとした表情を浮かべている理由はそんな些細な事では無いのは明らかだった。隣に座るハスラー・ワンを見やる。赤髪の少女は、IS学園にやってきた時と同じように、面倒くさそうに窓の外に視線を向けていた。たった今自分の発した言葉に反応する様子も全く見られない。

 

「凰のような逸材は、そう見つからない。首ねっこ捕まえてでも、引っ張ってくるべきだったかな」

 

 それでも、イツァムは彼女に向かって話を続ける。わざとらしく、所々言葉を強めながら。

 

「バージュの失態で、暫くは日本でのISアリーナの誘致は不可能だ。日本へ入出国は恐らく可能だが、IS学園の関係者との接触は厳禁となる」

 

 すると、観念したかのようにハスラー・ワンはイツァムの方へと顔をゆっくりと向けた。彼女の回答はイツァムが求めていたものとは程遠かったが、その言わんとする所は容易に想像がつく。イツァムは、シートの身を預け天井を見上げる。IS学園で最後に見上げたものをどうしても思い浮かべ、切なさがこみ上げてくる。

 

「なあ、ハスラー・ワン。本当にもうISアリーナには復帰しないのか?」

 

 振り切るように、イツァムは寂しげに目を伏せて尋ねた。脳裏に、強き矛と弱い盾を持った一人の少女の姿が浮かべながら。

 

「私は、もう一度あんたと本気でやり合いたいと思っていた。今度は私がトップランカー、あんたが挑戦者として。それが叶えば、もう悔いは無いと思っていた」

 

 彼女の口から吐き出されたのは、トップランカーとなった彼女がずっと秘めていたもの。彼女自身の真の願望とも言えるものだった。それは、根本的なところでは、あのジェーンと同じようにひたすらに強さを求め続ける戦士としてのあり方を求めていたといえるだろう。勿論、彼女が鈴音に話した『ナインブレイカーの矜持』も嘘ではないが、それでも『意地にも似た自尊心』とやらはそう簡単に捨てられなのだなと自嘲気味に笑う。そして、初めこそ弱々しかったその口ぶりも、言葉をハスラー・ワンへと手渡した事で次第に力強いものへと変っていく。揺るがない確信へと進んでいく。

 

「でも、凰と出会って、ああ、こういう奴と出会えるんだったらトップランカーであり続けるのも悪くないなって思ってしまった。今回私を呼んだのは、もしかしたらそれが本命か?」

 

 最後に、ハスラー・ワンへと詰め寄る頃には、既に烈火の女帝としての強かさが溢れていた。今すぐ、この場でISを展開させて戦闘を開始させても構わない。そんなぎらついた視線が、目と鼻の先のいるかつての覇者を挑発する。

 

「昇り龍」

 

 だが、ハスラー・ワンはその覚悟に何の迷いも見せず、首元に刃をつきつけるように言葉を返した。それを受けて、あと半歩詰め寄ろうとしたイツァムの体が、ピタリと止まる。そこにあったのは、少なくとも躊躇では無かった。ただハスラー・ワンの次の言葉を待ち構える覚悟だけがあった。

 

「龍が天へ登る時、何かを成し遂げた事を意味する。イツァム・ナーが出会ったのは、それだ」

 

 目を反らす事無く、或いは淀みなく、ハスラー・ワンは告げる。その瞬間、見えぬ刃は鞘に戻り、遠くからモノレールの走行音が徐々に戻ってくる。

 

「あんたにしちゃあ珍しい。随分と詩的な事を言うもんだな」

 

 頭を振って、イツァムはシートに座り直す。たちまち喜びに良く似た感情が腹のそこから湧き上がり、闘志が静まる。そして、緩んだ頬を右手で抑えつけた。

 

「……女帝は昇り龍を見る、か。その先には、何があるんだろうな」

 

 それから、イツァムは感慨深く呟く。その隻眼に既に後悔は無い。IS学園に来た時以上の期待が携わって輝いていた。

 

 二人を乗せたモノレールは止まる事無く走り続ける。つい先程まであったコルナートの姿は、IS学園の姿はイツァムらの視界から消え、遥か後方へと置き去りにされた。急速に風景が変わり、このモノレールの終着駅の姿が急速に大きくなる。その上空には何機かヘリが見える。報道関係のものだと想像するに難しくない。空ですら既に先客が居るのだ。イツァムは、駅員達の苦労を思い、「やっぱりな」と苦笑した。

 

 こうして女帝はIS学園を去った。天に登っていく、二度と会えぬ龍の姿に思いを馳せながら。

 

 

 

 

(了)

 

 

 

 

 

 




あとがきは活動報告にて


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