異世界転生して騎士になった僕(男)は、メスオークどもからくっころを強要されていた。  (寒天ゼリヰ)
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第一章 リースベン戦争
第1話 くっころ男騎士とオーク山賊団


 緑色の肌の筋骨隆々な女たちが、下卑た目つきで僕を見ながら言った。

 

「ほら言えよくっ殺せって!男騎士なんだから言えよ!」

 

「くっ……」

 

 それは女騎士の台詞だろ常識的に考えて。そう言い返したいところだったが、残念なことにこの世界ではメスオークどもの言い分の方が正しいから困る。なにしろここは貞操逆転世界、つまりは女が男の尻を追いかけまわす奇妙奇天烈な場所なのだ。

 ついでにいえば、この世界のオークはメスしか存在しない。オークだけではなく、ゴブリンなんかの定番竿役モンスターもそうだ。僕は額に汗を垂らしつつ、連中を睨みつけた。肌の色を除けば、たんなるやたらマッチョな大女にしか見えない。服装はぼろきれじみた蛮族ファッションで、肌の露出はびっくりするほど多かった。前世の価値観を残した僕から見ればかなりスケベに見える。眼福と言えば眼福なのか?

 

「早くしろ! こいつがどうなってもいいのか?」

 

 そんな僕の内心には一切気付かず、オークはロープでグルグル巻きにされた革鎧姿の少女に汚らしいナイフを突きつけた。猫耳みたいなモノを頭に生やした、やたらとファンタジックな少女だ。オーク討伐をしにやってきた僕が、案内役として雇った冒険者だった。

 かわいらしい顔を真っ青に染めつつ、猫耳少女はあうあうと言葉にならない声をあげている。嗜虐欲をそそる表情だが、残念ながらオーク共の獣欲は僕にしか向いてない。

 

「くっ……殺せ!」

 

 なにがくっ殺せだよ。死にたくはねえよ。くそ、エロゲは前世でさんざんプレイしたけど、まさか自分がこれを言う側になるとか思ってもみなかっただろ……

 

「ギャハハ! 本当に言いやがった!」

 

「まさか生きてるうちにナマでくっころ聞けるとはなあ!」

 

 オークどもはもう、大盛り上がりだ。この世界では戦士と言えば女というのが常識で、男騎士なんてものはほとんどいない。そんな希少種を前にして、オークどもはずいぶんとテンションが上がっているようだ。

 気持ちはわかる。僕だってオークに転生していたら、女騎士のくっころで大興奮していた自信がある。そして欲望にギラついた目でじろじろ見られるのは、正直結構興奮しちゃうんだよな。僕は前世でも今世でも、童貞だった。ぶっちゃけ相手がオークでも、あんまり抵抗感はない。

 

「オラッ! チンコ出せチンコ!」

 

 いよいよとんでもないことまで要求されてしまった。露出狂のケはないので、勘弁してほしいんだけど……

 

「あんまりチンタラしてると、このガキの指を一本ずつへし折っていくぞ」

 

 ひぇっ……そういう痛そうなのはマジでやめてほしい。仕方がないので、装着しているプレートアーマーの腰回りの装甲をめくる。難儀してズボンをずらすと、露わになったパンツにオーク共は歓声を上げた。

 

「へっ、見ろよあの飾り気のない下着を」

 

「男なんて捨てましたってかあ? ギャハハ、これから自分が男であることをしっかり教育してやるから安心しろよ!」

 

 僕が女で、オーク共が男なら、エロゲの一場面にありそうなセリフだ。でも、現実は逆なんだよな。オーク共ははもちろん、人質の猫耳少女まで僕のパンツに視線が釘付けになっている。

 この世界の女性にとって、男の下着はかなり興奮するモノらしい。僕だけパンツ見せるのは不公平だろ! お前らもパンツ見せろよ!! いや、オーク共はパンツ丸出しよりも恥ずかしい格好だったわ。

 

 

「おいおい。テメーまでなんで見てるんだよ!」

 

 下卑た笑みを浮かべつつ、オークが少女を小突いた。小さな悲鳴が上がる。その声で、僕の頭も正気に戻った。

 

「やめろ、その子には手を出すな」

 

「はっ、お優しいことで」

 

 ポーカーフェイスだけは得意なので、オークどもは僕の動揺に気付いていないようだ。バレたら間抜け極まりない上に快楽堕ちルート一直線なので、密かに胸を撫でおろした。

 ニタニタと笑いつつ、オークは少女のほっぺたをナイフの腹でぺちぺち叩く。オークというよりは、チンピラのやりくちじゃないのか、それは。

 

「そのすまし顔も、いつまで続くかな? じきにヒィヒィ言わせてやるからよ」

 

 卑猥に腰をグラインドさせつつ、オークは凄む。

 

「オークの締め付けはすごいぜ? 只人(ヒューム)やら獣人やらじゃ、満足できない身体にしてやるからよ」

 

 男女逆転しても、やはりオークは性的強者らしい。エロゲよろしく、僕も最終的にアヘ顔ダブルピースとかさせられてしまうのだろうか?

 自分のアヘ顔なんぞ想像もしたくもないが、その過程はかなり興味がそそられる。童貞のサガだ。しかし、しかしだ僕も伊達で騎士をやっているわけじゃない。そう簡単に屈してやる訳にはいかないだろ。

 

「……」

 

 とはいえ、人質を取られた時点で武装解除させられたので、僕に出来る抵抗と言えば睨みつけることだけだ。しかし、オークどもからすれば、それですら興奮のスパイスになっているようだから手に負えない。

 

「へへ、いつまでそんな強気でいられるかな? ほら、さっさと出すんだよチンコを。もったいぶるんじゃねえ」

 

「くっ……」

 

 人質を取られている以上、こちらに拒否権はない。それこそエロゲの女騎士みたいなセリフを吐きつつ、僕はパンツに手を添え……。

 

「うわっ!」

 

 乾いた銃声と共に、人質を取っていたオークの頭が弾ける。それと同時に、「突撃ー!」という掛け声が響き渡った。剣やマスケット銃で完全武装した十人以上の騎士たちが、こちらに殺到してくる。別行動をしていた、僕の部下たちだ。

 油断をしていたオークたちは、あっという間に騎士団に蹴散らされていく。どうやら、僕は助かったようだ。

 



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第2話 くっころ男騎士の叙爵

「大儀であったな、アルベール・ブロンダン」

 

 玉座に収まった老女が、僕を見ながら言った。アルベールというのはもちろん、僕の名前だ。前世はなかなかひどい名前だったので、今の洒落た名前はなかなか気に入っている。

 いま、僕が居るのはガレア王国の謁見の間だ。若干華美なほど豪奢な内装や調度品に囲まれ、おまけに後方では楽隊が荘厳な音楽まで奏でている。

 

「はっ、有難き幸せ」

 

 老女の前で跪きながら、僕は畏まった声で答えた。彼女はこの国の女王だ。しかし、今はその偉い人のことよりも、周囲からの視線の方が気になる。痛いくらいの非友好的な視線が、ビシビシと僕に突き刺さっているのだ。

 なにしろ周囲に控えた官僚や貴族は女ばかり。おまけにその大半が頭にツノが生え、爬虫類のような尻尾と瞳孔を持つファンタジックな人種と来ている。一般的な人間の容姿をしている者はごく少ない。

それだけでも萎縮するには十分だが、おまけに大半が侮蔑や嘲笑の表情を浮かべているのだから堪ったもんじゃない。孤立無援、四面楚歌って感じだ。

 

「これでローザス市近辺のオークは完全に駆逐されたと聞いている。わずかな手勢でよくも成し遂げられたものだ」

 

 内心で冷や汗をかきまくっている僕の心境を知ってか知らずか、女王は曖昧な笑みを浮かべつつそんなことを言う。

 とはいえ実際、今回の任務は自分でもよくやったと思っている。事前情報が不十分だったせいで、わずか騎兵二個小隊で総勢百名以上のオーク山賊団と戦う羽目になったのだ。最後の最後で分断され危機に陥ってしまったが、なんとか無事に任務を終えることが出来た。

 

「今回の任務のみならず、卿の活躍と忠誠は並々ならぬものがある。それなりの褒章をもって報いる必要があろう」

 

 その言葉に、周囲の貴族たちが目を見合わせた。とうとう来たか、と言わんばかりの表情だ。王に取り入る奸臣が、という言葉も微かに聞こえてくる。

 確かに僕は血筋はよろしくないし、おまけに若い。小規模とはいえ部隊を任されるような立場にある方がおかしいのだ。保守的な貴族からすれば、面白くはないだろう。

 

女爵(じょしゃく)に叙したうえ、開拓区の代官に任じるようと思っているが、どうか?」

 

 女爵というのは、前の世界で言うところの男爵に当たる位階だ。下っ端と言えば下っ端なのだが、今の僕は単なるヒラの騎士。それが世襲貴族になれるのだから、かなりの出世と言っていい。内心ガッツポーズをしながら、僕は恭しく応えた。

 

「もちろん、異論はございません。有難き幸せに存じます」

 

「陛下!」

 

 しかし当然、それが気に入らない者も居る。豪奢な礼服を纏った中年女が、激しい口調で叫んだ。保守派貴族の重鎮である。

 

只人(ヒューム)の、それも男を叙爵するなど、前代未聞ですぞ! わたくしはそのようなことを認めるわけにはまいりませぬ!」

 

 そうだそうだという同意の声が、あちこちから上がった。

 

「しかし、ブロンダン卿が実績を上げているのは事実」

 

 そう反論したのは、この場において数少ない僕と同じような容姿……つまりは只人(ヒューム)、地球人と大差のない姿をした妙齢の美女だった。

 

「これに報いねば、我が国のコケンに関わるというもの。ガレア王国は有能な騎士に冷や飯を食わせる愚か者だと、神聖帝国の連中に笑われてしまいますぞ?」

 

 そう言って彼女はこちらに視線を向けた。その目つきは、あのオーク連中と比較しても勝るとも劣らないほど好色だ。自然と、背中にぞくりと冷たいものが走る。

 彼女はこの国の宰相だ。助け舟を出してくれるのはありがたいのだが、目つきや表情をみればそれがどういった目的で発されたものなのかは明白である。

 

「ふん、好色狸が何を言うかと思えば。それこそ、男なぞを神輿に祭り上げていると思われる方がよほど恥だろうに」

 

 はっきりとした侮蔑の表情を浮かべつつ、保守派重鎮は吐き捨てた。男を馬鹿にした言い草だが、半数以上の貴族たちは同調して頷いている。こういう考え方は、この世界ではごく一般的なものだ。

 

「錆びついた価値観を経典のように後生大事に抱え込んでいる連中の言いそうなことですな。愚者の嘲笑など、気にする必要がどこにあるのかわかりませぬ」

 

「貴様、愚弄するか!」

 

「よさぬか」

 

 険悪な空気の中、女王が重苦しい声で二人を諫めた。

 

「とにかく、事実としてブロンダン卿は赫々(かくかく)たる実績を上げているのだ。信賞必罰を徹底せねば、貴族の統制が乱れてしまう。オレアン公がなんと言おうが、余はこの判断を翻すつもりはない」

 

 オレアン公というのは、先ほどから文句を垂れている重鎮貴族のことだ。彼女は皺の増えた顔を一瞬ゆがめ、そして侮蔑的な笑顔を僕の方へ向けた。

 

「信賞必罰。なるほど、それは確かに重要ですな」

 

 特に"罰"の部分に力を入れた言い方だった。何かを企んでいる様子である。

 

「オレアン公……」

 

 そんな彼女に、司教服を着た女が何事かを耳打ちした。名前は知らないが、その顔には見覚えがある。重鎮貴族の腰ぎんちゃくの一人だ。

 

「……なるほど、それは良い考えだ」

 

 ニヤリと笑い、重鎮貴族はごほんと咳払いをする。

 

「陛下、リースベンという地域をご存じでしょうか?」

 

「……南方の僻地(へきち)か。たしか、貴殿が随分と出資していた場所だな」

 

「その通りでございます。ブロンダン卿の任地には、そのリースベンを推薦いたしましょう。いかがですかな?」

 

「……」

 

 明らかに怪しい。女王は周囲を見まわした。しかし、異論がありそうなものはほとんどいない。重鎮だけあって、オレアン公の影響力はなかなかのものだ。女王とはいえ、独断だけで突っぱね続けるのも難しい。

 一瞬だけため息を吐いてから、女王は僕に向けて申し訳なさそうな表情で軽く頷いた。下っ端の僕からすれば、女王もオレアン公も雲の上の存在であり、彼女らの判断に口を挟むことなどとてもできない。仕方なく、頷き返して見せた。

 

「良いだろう。それらの手続きは後ほど行うとして、まずは叙爵の儀式に移ることにする……」

 

 そういう訳で、僕の行き先は波乱が約束されたものになってしまったようだ。



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第3話 くっころ男騎士とセクハラ宰相

 それから数時間後。叙爵やらなにやらのもろもろの儀式を終え、僕は王宮のむやみやたらと広い廊下を歩いていた。

 お偉方の長話やら保守派貴族からのやっかみやらに長時間晒され続けた僕の精神は、すっかりヘロヘロになっていた。こんな敵ばかりの場所からはさっさと抜け出して、自宅のベッドでゆっくり休みたい気分になっている。

 

「おや、おやおやおや」

 

「んげ」

 

【挿絵表示】

 

 しかし、そんな僕の望みは無残に打ち砕かれた。長い黒髪の女と出くわして、僕は潰されたカエルのような声を上げた。宰相である。彼女は無駄に整った顔をにたりと好色にゆがめ、僕に向かって大股で歩み寄ってくる。

 

「ずいぶんと酷い対応じゃあないかね? ええ、アル君?」

 

 笑みを顔に張り付けたまま、宰相は馴れ馴れしく僕の肩に腕を回した。豊満な胸が背中に押し付けられ、甘美な感触をもたらす。そのまま流れるような動きで、僕の尻を撫でまわした。言い訳のしようのないセクハラムーブである。

 宰相の熱い吐息が耳にかかり、背中にゾワゾワとした感覚が走る。尻を撫で続ける手つきはひどくイヤらしい。何しろ相手はとんでもない美人なので、興奮するなという方が無理だろう。何といっても僕は前世でも女性経験は皆無だから、耐性などあるはずもなく……。

 

「宰相閣下……ご勘弁を!」

 

 が、この世界の貞操観念は僕が元居た世界とは男女が逆転している。しかも、かなり古い価値観で、だ。

 女性が男性にセクハラするのはなあなあで済まされるのに、男がそれに乗ってしまうと淫乱扱いされてしまうのだから恐ろしい。いくらなんでも理不尽にもほどがあるだろ。ヤられたらヤりかえして何が悪いんだ。いや、やり返すほどの根性はないけどさ。

 

「また君は閣下だなどと……気軽にアデライドと呼べと言っているじゃないか、ねえ?」

 

 粘着質な笑みと共に、宰相ことアデライド・カスタニエは僕の頬を指先でなぞるようにして撫でた。もうこの人ルートに入って(ゴールして)いいんじゃないかという気分になってくるが、何しろ相手はお偉いさんで、僕は下っ端のクソザコ貴族だ。向こうは完全に遊びのつもりでコナをかけているに違いない。

 いくら童貞でも……いや、童貞だからこそ、飽きたらポイと捨てられてしまうことがわかっている相手とは付き合いたくないんだよな。僕の前世がヤリチンの類なら、割り切ることもできたんだろうけど。

 

「あ、アデライト……とにかく、皆見ています。どうか許してください」

 

 ポイ捨てされるのもビッチ扱いされるのも勘弁願いたいので、なんとか宰相の身体を引き離そうと抵抗してみる。もちろん相手は偉い人なので力ずくとはいかないが、幸いにも宰相はあっさりと(しかし名残惜しそうな表情で)僕から体を離した。

 

「まったく、相変わらず身持ちが固いねえ? 私と君の仲じゃないか、少しくらいサービスをしてもいいと思うんだがねぇ」

 

 どういう仲かと言えば、債権者と債務者である。僕は彼女に多額の借金をしているのだ。大半は、僕の部隊の装備を整えるために使った。質の良い軍馬やら新方式の銃やらを用意できるほど、貧乏貴族出身の僕の財布は大きくないのだ。残念ながら。

 

「いえ、その……しかし……」

 

 そういう訳で、僕は彼女には強く出られない。いや、正直に言えば、彼女のような美人からセクハラされるのはむしろだいぶ興奮する。しかし、この世界の貴族の男としては、貞淑アピールをしないわけにはいかない。ひどいジレンマだ。いい加減自分に正直になりたい。

 とはいえ、ただでさえ男騎士などという珍妙な役職についているわけで……この上淫乱などという風評が流れれば、いよいよ結婚相手が居なくなる。そうなれば貴族としてはオシマイだ。跡継ぎを残すのも貴族の重要な仕事の一つであるわけだし。

 

「ふん……まあ今日のところは許してあげよう。ついて来きなさい、話がある」

 

 面白くなさそうな顔で肩をすくめ。踵を返して歩き始めた。僕はセクハラから解放された安堵感と美女からのボディタッチが終わってしまった悲しみを同時に味わいつつ、彼女に続く。債務者が来いと言っているのだ。僕に拒否権などない。

 

「……」

 

 まったく、厄介なことばかりだ。僕は宰相の背中を眺めながら、内心ボヤく。こんな苦労をしているのも、僕が男だてらに騎士などやっているせいだ。しかし、ではなぜ騎士になったかと言えば、僕の選択のせいである。自業自得ということだ。

 僕の前世は、タチの悪いミリオタだった。それを拗らせすぎて、日本を飛び出し他国で軍人になった。そのまま大尉までスマートに出世できたのは良いのだが、平和維持(PKO)活動に参加していたある日、テロ組織の自爆攻撃を喰らいあっけなく死んでしまった。

 あのまま行けば佐官に、そして最終的には将官に上がるのも不可能ではなかったはずだ。そのリベンジを果たすべく、転生後も軍人を目指したのだが……。

 

「ここだ」

 

 過去に思いを馳せていた僕の思考は、宰相の声で現実に引き戻された。彼女はちらりとこちらに目を向けてから、廊下の片隅にある部屋へと入っていく。少々怖いが、僕に拒否権はない。警戒しつつ、部屋に入る。

 品のある装飾が施された小さなテーブルと椅子が置かれた、小さなティールームだ。宰相はにたにたと笑いながら椅子に腰を下ろし、体面の席を指さして僕の方を見た。

 

「はあ、ご相伴させていただきます」

 

 僕が席に着くと、給仕服の男性使用人が慣れた手つきで香草茶の入ったカップを宰相と僕の前に置いた。この世界では、メイドは男の仕事である。王宮で働く彼らは、侍女ならぬ侍男(じなん)などと呼ばれている。

 

「用意がよろしいのですね」

 

 湯気を上げるカップを一瞥してから、僕は言った。どう見てもお茶は淹れたてだ。僕がこの部屋に入ってくる前から準備していたに違いない。

 

「アル君を待たせたくはなかったからねえ」

 

 キザな伊達男のようなセリフだが、宰相が言うとなんだかやたらと下心が透けているように感じるから不思議なんだよな。黙ってさえいれば美人なのに……普段の言動のせいだろうか。

 

「それはありがとうございます……で、話というのはやはり?」

 

 さすがに、単なる世間話のために呼んだわけではないだろう。僕が切り出すと、宰相は呆れたように肩をすくめた。

 

「相変わらずせっかちな男だ。少しくらいは会話を楽しもうという気はないのかね?」

 

「申し訳ありません、そういうタチでして」

 

 この女のペースに乗っていたら、いつまたセクハラされるかわかったものではない。これ以上ベタベタされたら、いよいよ僕の自制心が吹っ飛んで軍人ルートから淫乱ルートへ転落待ったなしだ。

 やれやれと肩をすくめつつ、宰相は使用人たちに退室するよう命じた。あまり多くの人間に知られたい話題ではないようだ。

 

「まあ、アル君もだいたいは予想できているだろう? 話というのは、あのオレアン公についてだ」

 

 あの鬱陶しい保守派重鎮の名前を出しながら、宰相はひどく苦々しい表情を僕に向けた。

 

「やっぱり……」




しげ・フォン・ニーダーサイタマ先生にアデライド宰相のイラストを頂きました。感謝!


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第4話 くっころ男騎士と目に見えない首輪

 オレアン公。この国、ガレア王国最大級の貴族にして、保守派貴族たちを取りまとめる政界の重鎮でもある。当然、僕のような貴族社会の逸脱者は、彼女らからは目の敵にされている。

 

「連中がアル君の叙爵(じょしゃく)に反対するのは予想の範囲内だったが、まさか手のひらを返して君の任地を斡旋(あっせん)してくるとは思わなかったよ。わかっていると思うが、確実に何かの陰謀を仕掛けてくるだろうな」

 

 先ほどまでのスケベな顔からは一転、ごく真剣な表情で宰相は僕に語り掛ける。なんだかんだといって、宰相は僕の支援者には違いない。こういった状況では、親身になって対応してくれる。こういうところがあるから、彼女のことは嫌いになれなかった。童貞特有のチョロさというヤツだ。

 

「それはまあ、確実でしょうが。しかし問題は、何を仕掛けてくるのかわからないという点にあります。リースベンなんて地域、今まで全く聞いたことがないですし」

 

 リースベンは僕の任地になる予定の地域だが、南方の開拓地であるということ以外の知識はまったくない。僕が特別不勉強な訳ではなく、中央に勤める貴族のほとんどが一度として聞いたことがない名前だろう。つまり、それほどの辺境というわけだ。

 

「リースベンはわが国南部の半島にある開拓地でね。半島自体はそこそこ大きいが、エルフをはじめとする蛮族どもがウヨウヨしているから、入植はあまりうまくいっていない」

 

 とはいえ、このアデライド宰相はこの国の外務・内務を取り仕切る人物だ。当然、知識面では非常に頼りになる。

 

「おまけに、神聖帝国と国境を接しているのだからタチが悪いぞ。我が国ガレア王国と神聖オルト帝国という二つの大国に挟まれ、現地は蛮族だらけと来ている。いわゆる火薬庫といっていい場所だ」

 

「それは、また……」

 

 僕は顔をしかめた。エルフが居る、というのが特に聞き捨てならない。連中は森に潜み、優れた魔術と弓術で平原の民を襲い、食料や男を略奪していく。先日交戦したオークよりもよほど厄介な蛮族だった。

 この世界にはエルフをはじめ、様々な異種族がいる。ガレア王国は爬虫類の特徴を持った種族、竜人(ドラゴニュート)が多いし、お隣の国である神聖帝国は獣人(セリアンスロープ)、つまり狼や獅子などの特徴を持った種族が統治している。

 

「つまり、僕は厄介な情勢にある辺境へ島流しになる、という訳で?」

 

「まあ、そうなる。早馬を使っても、王都からリースベンまでたどり着くには半月以上の時間がかかるんだよ。何か異変が起こっても、助けを寄越すにはかなりの時間が必要になってくる」

 

「暗殺だの襲撃だの、やりたい放題ができそうですね」

 

「流石にそこまで直接的な手段には出てこないと信じたいんだがねえ」

 

 香草茶で唇を湿らせつつ、宰相は遠い目で窓の外を見た。

 

「そもそも、アルにそのような遠方に出向かれるのは困るんだよ、分かっているのかね? 私の日々の癒しはどうなるんだね、キミ」

 

「ハハァ……」

 

 そんなもんは知ったこっちゃない。いや、美女からのセクハラがなくなることには若干以上の残念さを感じるが、本気になるにはあまりにも相手の地位が高すぎる。本気になってはいけない相手に誘惑されるくらいなら、いっそ付き合いを断った方がマシだというのが童貞の思考回路というものだろう。僕の忍耐力にも限界がある。

 

「厄介な案件を僕に押し付け、わざと失敗させる。やはり男の騎士など役立たずだと喧伝し、僕を失脚させる……向こうの狙いは、こんな感じでしょうかね」

 

「おそらくは。しかし、向こうも腹の黒さには一家言ある政治屋だ。さらに厄介な陰謀が隠れている可能性も、十分にあると思うのだよ」

 

「でしょうね」

 

 腹の黒さならば目の前の女も負けていないだろうが、まさかそんなことを口に出すわけにもいかない。僕は神妙な表情で頷いた。

 事実として、オレアン公は海千山千の高位貴族だ。油断をすればあっという間に足をすくわれてしまうだろう。

 

「部下たちにもそれとなく伝えておきましょう」

 

 幸いにも、任地には今の部下をそのまま連れて行っても構わないことになっている。完全武装の騎士が二十四名と、それを補佐する従士たちだ。圧倒的な数のオーク山賊団を蹴散らして見せたように、練度は極めて高い。頼りになることこの上ない連中だ。

 

「それがいいだろう。……確か、オレアン公にあの生臭司教が入れ知恵をしてから、突然リースベンを勧めはじめていたな。聖界も一枚嚙んでいる可能性もある。教会には私もツテがあるから、少し調べてみよう」

 

「助かります」

 

 セクハラ女には違いないが、こういう部分では宰相は頼りになる。僕は深々と頭を下げた。彼女は鷹揚に手を振ってそれに応え、こう続けた。

 

「しかし、情報は出せても流石に兵力までは貸すのは難しい。そして、君の手持ちの戦力は騎兵が二個小隊と、あとは現地の衛兵程度。緊急時には平民から兵を徴募する余裕もないだろう。少々、心細いのではないのかね?」

 

「……」

 

 そう言われれば、僕は黙るしかない。いかに精鋭であっても、それを無力化する手段などいくらでもある。"敵"がどういう手を打ってくるかさっぱりわからない以上、警戒はいくらしても足りないくらいだ。

 

「そこで、だ……」

 

 ニンマリと笑って、宰相は懐から紙切れを取り出した。笑顔を顔に張り付けたまま、それをテーブルの上にそっと乗せる。

 

「特別に、利子は格安にしてあげよう。なんといっても、私とアル君の仲だからねえ?」

 

 思わず、顔が引きつった。差し出されたのは、小切手だった。目がくらむような桁の額面が、そこには書かれている。有難い。本当にありがたい。これだけあれば、万全の準備を整えることが出来る。

 が、これは借金である。そして、利子もある。さらに言えば、僕はこの女から既に結構な額を借り入れている。このままでは、借金で首が回らなくなる。ヤバイどころの話じゃあない。

 

「……いつもありがとうございます」

 

 が、僕にはこれを受け取らないという選択肢はなかった。なにしろ、リースベンへの赴任はすでに決定している。退路は断たれている、というわけだ。まったく、やはりこの女も相当にタチが悪い……。

 

「まあまあ、そんな顔をするものじゃないぞ。無理に返済を迫るようなマネはしないからねえ? 安心するがいいさ、くくく……」

 

 宰相はニタニタと笑いつつ、いやらしい手つきで僕の首筋を撫でた。



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第5話 ポンコツ宰相とガバガバ計画

「さて、と……」

 

 退室していくアル君の背中を見送ってから、私、アデライド・カスタニエは大きく息を吐いた。

 

「今のは良かった! なかなか格好良くキマったんじゃあないかね? えっ?」

 

「どうでしょうか?」

 

 そう言い返したのは、アル君と入れ違いにティールームへ入ってきた小柄な騎士だった。彼女……ネルは私の護衛であり腹心でもある人物だ。

 

「無駄に格好をつけた挙句、やったことと言えば借金を増やしただけ。どこにキマったと言える要素が」

 

「あくどい貴族の陰謀を察知し、クールに助け舟を出す。これをイケてると言わずになんというのだね、君は」

 

「はっ」

 

 鼻で笑いながら、ネルは私の対面の席へと腰を下ろした。直接の上司相手に、なんでこんなに辛辣なんだよこいつは。

 

「じゃあせめて、あのお金は借金ではなく無償という形で渡すべきでしたね。向こうからすれば、オレアン公もアデライド様も大して印象は変わらないと思いますが」

 

「そ、そんなわけないだろぉ……あんな腹黒ババアと私の印象が同じだなどと……」

 

 なんてこと言うんだ、この毒舌騎士は。お前じゃなければ、クビにしていたところだぞ。

 

「だいたい、どうやったら借金以外の方法でアル君を攻略できるのかね? あの男はなかなか身持ちが固いのだぞ。いや、チョロすぎても興ざめだが」

 

 そう。この私、アデライドはアル君に惚れているのだ。なんとかヤツを自分のものにしようとアプローチしているのだが、なかなかうまくいっていないというのが現状だった。

 

「返済不能になるまで借金を膨らませ、担保としてアル君自身の身柄を頂く。私は可愛い婿を手に入れてハッピー、アルは借金がチャラになってハッピー。誰も損をしない最高の計画ではないかね?」

 

「娼館と普通の恋愛をゴッチャにしていませんか、ご主人様は」

 

「う、うるさい! 普通にコナをかけても、まったく釣れないのだからしょうがないだろう! もうカネの力を使うほかない!」

 

 仕事に情熱を注ぎ続けた人生だった。男と付き合った経験などあるはずもなく、なんだか怖くて娼館に行くこともできなかった。私の恋愛スペックがやたらと低いというのは事実ではあるが、今さら意中の男をあきらめる気にもなれない。

 私の武器と言えば、資金力だ。ほとんどこれ一本で、ガレア王国の宰相に上り詰めることが出来たのだから、同じ戦術が男にも通用するはずだ。

 

「はぁ……」

 

 しかし、ネルはやれやれとでも言いたげな表情で肩をすくめた。キレそうになるが、相手は既婚者。二十代後半になっても処女を捨てられない私がどう反論したところで、敗北感が増すだけだ。

 

「まあ、それはよろしいんですけどね。どうするんですか、意中のカレは随分と遠方に行ってしまいますが」

 

「それだ! それなんだよなあ……本当だったら、王都から三日四日でたどり着ける場所の代官に任じるつもりだったのに、あの腐れ公爵めが……ッ!」

 

 このままでは、アル君とは年に一度会えるか会えないかの関係になってしまう。そんな事態になればアプローチどころではないし、第一私の精神が持たない。

 

「遠距離恋愛だけは嫌だ、なんとかならんかね?」

 

「遠距離には違いありませんが、恋愛ではないですよね? 一方通行の関係では」

 

 ネルは半目になってため息を吐いたが、こいつの毒舌にいちいち反応していては話が進まない。無言で睨みつけると、彼女はもう一度ため息を吐いた。

 

「まあ、浮ついた話を抜きにしても、アル殿は有能な騎士です。部下も優秀で、我々の派閥の荒事担当としては最も強力な駒の一つ……そんな彼らと分断されたのですから、確かにあまり状況はよろしくありません」

 

「個人的には、あまりヤツには危ないことはしてほしくないが……」

 

 まあ、武器というのは持っているだけで意味があるものだ。人材にも同じことが言える。ネルの言いたいことは理解が出来た。

 

「個人的な嫌がらせと同時に、対抗派閥である我々の力を削ぐ。オレアン公はやはり油断のできん女だ」

 

「アル殿に対する嫌がらせは陽動で、本命はご主人様の方かもしれません。警戒が必要です」

 

 個人的な願望と、政治家・派閥の長としての論理。その両方を頭に浮かべながら、自分の取るべき手段を考える。

 

「オレアン公に気付かれないよう、翼竜(ワイバーン)を調達できないか?」

 

 翼竜(ワイバーン)は空飛ぶトカゲのようなモンスターで、飼いならすことが可能だ。わが国では、貴重な航空戦力として国を挙げて飼育が奨励されている。もっとも、育てるためのコストが極めて高いため、大国とはいえ保有できる数には限界があるが……。

 

「数騎であれば、なんとか」

 

「よろしい。リースベンが遠いと言っても、それは山やら森やら河やらのせいだ。空を行けば、そう時間はかからないはずだ」

 

「承知いたしました、お任せを」

 

 ネルは真面目な顔で深々と頭を下げ、それからニヤリと笑った。

 

「ところでご主人様。翼竜(ワイバーン)を使って、時々アル殿に会いに行こうと思ってらっしゃるでしょう?」

 

「まあ、それはな。お忍びで視察に来たと言えば、名目も立とう」

 

 アル君にも翼竜(ワイバーン)を渡すつもりだから、王都に呼びつけるのもまあ可能だろう。だが、流石にそれをやると印象が悪い気がする。どうしても、という時以外は私自身が出向いた方が良い気がする。

 

「空の旅はなかなか過酷ですよ。お覚悟を」

 

 そう言って、ネルはニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。



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第6話 くっころ男騎士と辺境への旅程

 リースベン赴任が決定してから、一週間の時間が経過した。慌ただしく旅装を整えた僕は、部下たちと共に王都を出立、街道の上を黙々と進んでいた。

 

「……いい天気だなあ」

 

 石畳の街道の左右には、広大な草原が広がっていた。瑞々しい色合いの背の高い草を、晩春の穏やかな風がさわさわと撫でている。聞こえてくる音と言えば風の音と鳥の声、そして僕たちが乗っている馬の蹄の音くらいだ。

 視線を後方に向けると、そこに居るのは僕の部下たちだ。全身鎧(フルプレート)を身にまとい、体格の良い軍馬に跨っている。竜人(ドラゴニュート)の女ばかりで構成されており、男は僕だけだ。

 若干の居心地の悪さを感じるが、それよりフル武装の騎士たちが板金鎧に太陽の光をギラギラと反射させつつ隊列を組むさまは、僕の心に抑えようのない興奮を呼び起こす。前世から続く、ミリオタの悪い癖ってヤツだ。

 

「油断してはいけませんよ、アル様。どこにオレアン公の手の者が潜んで居るかわかりません」

 

 そんな苦言を呈したのは、特徴的な蒼い髪をポニーテイルにした竜人(ドラゴニュート)の女だった。背は高く、同じくらいの体格の馬にまたがっているというのに僕より頭一つ分視線が高かった。

 

「一理ある」

 

 まさか王都を発ってそうそうにちょっかいを出してくるというのは考えづらいが、万が一ということもある。なにしろ、前世はそういう油断を突かれた結果無様に爆死する羽目になったくらいだ。流石に二度目は勘弁願いたいだろ。

 

「そうでなくとも、このごろ物騒だからな。モンスターなり何なりの襲撃がある可能性も十分に考えられる。ソニアの言う通り、警戒は怠らないように」

 

 ソニアというのは、僕の副官だ。この隊の副隊長でもある。彼女の方をチラリと伺うと、ニコリともせず静かに頷いた。

 

「ウーラァ!」

 

 僕の命令に、部下たちはそう元気よく返答する。ウーラァとは、了解の意味だ。騎士と言っても職業軍人には違いないので、この辺りのノリは前職で培ったものがそのまま通用する。

 

「……それで、アル様。リースベンとやらの情報は、どれほど集まったのでしょうか」

 

 僕の方へウマを寄せてきたソニアが、周りの部下たちに聞こえないような声で聞いてくる。騒動があることがほぼ確定している土地なのだから、当然そのあたりが気になっているのだろう。もちろん、僕も出立までの時間を無為に過ごしていたわけではない。

 

「まあ、ある程度は。山と森しかない土地で、数代前から入植がはじまったらしい。けど、南部にはエルフだの鳥人(ハーピィ)だのの蛮族がひしめく大きな半島があって、そこからちょくちょく略奪の被害を受けているらしい」

 

「典型的な辺境開拓地ですね。だとすると、当然モンスターの類も?」

 

「まったく駆逐が進んでいないらしい」

 

 エルフだのオークだのが居るだけあって、この世界にはモンスターと呼ばれる異様な獣たちが多く生息している。狼や虎といった普通の猛獣よりなお危険な生物なので、恐ろしいことこの上ない。

 

「なるほど……さらにはあの(・・)オレアン公の肝いりで開発が進んでいたと。蛮族やモンスターのみならず、現地の人間にも警戒が必要かと思われます」

 

「ほとんど敵地のようなものか。まったく……」

 

 僕の仕事は単なる駐在武官ではなく、現地の代官だ。実質的な領主と言っていい。大きな権限を持っている一方、領地をしっかりと統治する義務もある。

 僕は前世も今世も軍人で、この手の仕事は完全に初めてだ。オレアン公の妨害などなくても、うまくやっていけるか不安な部分がある。

 その上、行政面でサポートしてくれるハズの現地の職員たちまで信用できないとなると、流石になかなか厳しいものを感じずにはいられなかった。

 

「……まあ、アデライド宰相閣下も出来る限り協力してくださるとのことだ。不安要素ばかりというワケでもない」

 

「いや、あの女もあの女で全く信用なりませんが」

 

 ソニアのクールな表情が、一瞬だけひどく不快そうに歪んだ。彼女とアデライド宰相は、ほとんど犬猿の仲と言って差し支えないほど相性が悪い。僕は思わず苦笑いした。

 

「ああいった卑劣で破廉恥な手合いとも状況によっては手を組まねばならない、ということは理解しております。しかし、やはり彼女だけに頼りきるのもまた危険でしょう」

 

 あの人は僕を借金漬けにしようとしているわけだし、そりゃあもちろん危険だろう。

 

「我が母も協力を申し出ております。いや、ハッキリ申し上げれば、こちらも宰相と大差ないような腹黒い油断ならぬ女ですが……」

 

 ソニアの実家は、かなり大きな貴族だ。彼女とは幼馴染のような関係だから、当然その母親とも浅からぬ付き合いがある。確かに、宰相と甲乙つけがたい一筋縄ではいかない人物なのは確かだった。

 そんな大貴族の娘がなぜ僕の副官なんかに収まっているのか自分でもよくわからないが、本人は文句の一つも言わずに粛々と仕事をこなしてくれるので、どうも聞きづらい部分がある。

 

「しかし、宰相のみに依存するよりはマシでしょう。バランスを取って、うまく利用するべきです」

 

 実の母相手に、随分と隔意のある言い草だ。なんだか母娘仲を心配せずにはいられないんだけど……。彼女が僕の隊に居るのは、そういう部分も関係しているのかもしれない。まあ、しかし、同僚のプライベートにあまり首を突っ込むのも良くないだろ。僕はあえてスルーした。

 

「辺境伯様が協力してくれるってんなら、確かにありがたいさ。この手の仕事なら、専門家と言っていいだろうし。悪いけど、協力を要請する手紙を出しておいてくれ」

 

「承知いたしました」

 

 ソニアは瀟洒な態度で一礼して見せる。本来ならこういった要請は僕がやるべきなのだろうが、家族のコネなら本人にやってもらう方がいいだろ、たぶん……。

 

「しかし、やはりリースベン領は遠方。不測の事態が起こっても、対処できるのは我々だけでしょう。やはり、油断するべきではありません」

 

「一応、敵国とも国境を接しているわけだしな。蛮族やモンスターだけに気を取られるわけにもいかない。これは、ハードな任務になりそうだぞ」

 

 僕は小さく息を吐きながら、視線を街道の先へと向けた。



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第7話 くっころ男騎士と怪しげな代官

 やたらと峻険な山脈に、巨大な急流。リースベンにたどり着くために、様々な自然の要害を突破する必要があった。一か月近い旅程を終えた僕の鎧は、砂塵を浴びてすっかりくすんでいた。

 

「やっと着いたか……」

 

 城壁というよりは土塁に近い、簡素な壁に覆われた小さな城砦都市を眺めつつ、僕は感慨深く呟いた。ここがリースベンの中心都市、カルレラ市だ。

 城砦都市といっても、所詮は辺境。現代人の目から見れば、町だか村だか判断が付きづらい規模でしかない。それでも、いつモンスターの襲撃があるのかわからない山道や樹海を超えて来た訳だから、随分と安心を感じる。

 

「予想よりも随分と栄えていましたね。てっきり、掘っ立て小屋が立ち並ぶような開拓村を想像していましたが」

 

 街は背の高い土塁に囲まれているため、外からはあまり様子がうかがえない。それでも教会の高い尖塔やら物見やぐらやらは目にすることが出来る。一応、都市としての体裁は整えているようだ。

 カルレラ市は山の中腹に建設された都市で、すぐ隣をそこそこ大きな川が流れている。視線を南の方へ向けると、農地と森がモザイク状に入り混じった開拓地を目にすることが出来た。煮炊きのモノと思わしき煙も上がっているため、農村もいくつかあるようだ。

 

「最悪馬小屋みたいなところで寝起きするのも覚悟していたが、これなら大丈夫そうだ」

 

 そう言って、僕も胸を撫でおろす。野営などには慣れているけど、流石に普段の生活はしっかりしたベッドで眠りたいからな。

 そんなことを話しているうちに、僕たちは街の正門の前までたどり着いた。巨大な丸太で作られた門は、素朴ではあるが非常に丈夫そうに見える。モンスターなどの襲撃に備えているんだろう。

 

「その旗は……アルベール・ブロンダン様ですね」

 

 門から飛び出してきた衛兵が、隊員の一人が掲げている紋章入りの旗をみて深々と頭を下げる。

 

「そうだ」

 

 僕は頷き、下馬する。部下たちもそれに続いた。相手は下っ端の衛兵だが、騎乗したまま過剰に偉そうな態度をとっても心証が悪いだろう。

 

「……驚きました、本当に男性の騎士様が来られるとは」

 

 衛兵は僕の顔をまじまじと見ながら、若干困惑したような声で言う。まあ、男騎士なんてものはどこへ行ってもレアキャラだから、この程度の反応は慣れたもんだ。

 

「よく言われるとも。……で、だ。陛下からの書状を預かっている。代官どのに取り次いでもらえるかな?」

 

 僕がそういうと、ソニアが背嚢から封書を取り出して衛兵に渡した。衛兵は封蝋に王家の紋章が捺されていることを確認してから、「確かにお預かりしました」と敬礼の姿勢を取る。

 

「すぐに代官が参ります、少々お待ちを」

 

「もちろん」

 

 先触れは出しているから、出迎えの準備はできているはずだ。向こうが嫌がらせをするつもりがなければ、大して待たされることもないだろう。

 その予想は、裏切られることはなかった。十分もしないうちに、正門から妙齢の女騎士が現れる。

 

「やあやあ、お待たせした!」

 

 女騎士は上機嫌な様子でズカズカと僕の前まで歩いてくると、ニコニコと笑いつつ握手を求めてくる。

 

()代官のエルネスティーヌ・フィケだ。リースベンへようこそ!」

 

「アルベール・ブロンダンです」

 

 握手を返すと、エルネスティーヌ氏は笑顔のままブンブンと腕を振った。上機嫌すぎて逆に怖い。

 

「お噂はかねがね! お会いできて光栄だよ」

 

「どんな噂なのかはあえてお聞きしませんが、ありがとうございます」

 

 なにしろ僕は王宮でも浮いた存在だから、妙な噂も出回っているようだ。『貞操を売って昇進した淫売』なんているのが典型的だな。童貞のまま貞操が売れるとは思わなかったよ。詐欺の類か?

 

「ハハハ……正直に言えば悪い噂も聞いたことがあるがね、こうして顔を合わせてみれば、そんなものは根も葉もないデタラメだと理解できたとも」

 

「それは重畳」

 

 エルネスティーヌ氏は僕の背中をバンバンと叩きながら、ゲラゲラと笑った。騎士の清掃ということで僕も板金鎧を着用しているから、特に痛くはない。とはいえ、驚きはある。なんでこの人はこんなにハイテンションなんだ。困惑していると、頼りになる副官(ソニア)がずいと前に出てくる。

 

「元、と代官殿はおっしゃいましたが、まだ引継ぎは終わっておりません」

 

「いや、確かにその通り。まだ(・・)一応私が代官のままだね。さあ、さっさと交代の儀式をやろうじゃないか。さあさあ、さあさあさあ!」

 

 手を振り回しながら代官は踵を返し、正門の中へと戻って行ってしまった。衛兵たちに一礼しつつ、慌てて僕たちも後に続く。やはり代官のこの態度は何かおかしい。ちらりとソニアの方に視線を飛ばした。

 

「あの女、消しますか」

 

「いきなり物騒すぎる」

 

 ボソリととんでもない発言をするソニア。何でいきなりそんな発想になるんだよ。こっちもこっちで、何を考えているのかさっぱりわからない。

 

「何か企んでいる様子ですので」

 

「だからと言って直情的過ぎる……」

 

 普段はクールなのに、なぜこういうときは突然物騒な手段に出るのだろうか、この副官は。正直、本気で理解が出来ない……。

 

「とにかく、今のところはただ怪しいだけだ。何か仕掛けてくる可能性もあるが、それまでは手出ししない事。命令だぞ、分かったな」

 

「……了解いたしました」

 

 ため息を吐きつつ、僕はカルレラ市の中へと入っていった。



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第8話 くっころ男騎士とカルレラ市

 木組みの正門を越え、市内へと足を踏み入れる。目の前に広がるのは、未舗装の大通りとその左右に連なる木造家屋だ。

 

「ほう」

 

 昼時だけあって、大通りには多くの住人の姿がある。注意深く、それらを観察する。通りに出ているのは、ほとんどが若者だ。辺境とはいえ、開拓に参加しようという人間は大半が若者だから、これはまあ当然か。

 しかし、見る限りほとんどの住人が竜人(ドラゴニュート)で、多少獣人が混ざっている程度。彼女ら亜人と呼ばれる種族は基本的に女しか生まれないため、繁殖に只人(ヒューム)の男を必要とする。

 男どころか只人(ヒューム)の姿すら見えないほどだから、この町はとんでもない女余りの状況と見てよさそうだな。これはちょっとよろしくない状況だな。若者ばかりの今は良くても、次世代が生まれてくれないと町は衰退していくばかりだ。

 

「良い町だろう?」

 

 そんな僕の心境を知ってか知らずか、現代官のエルネスティーヌ氏が振り返って聞いてきた。相変わらずのニコニコ顔だ。何が楽しいんだろうな、本当。

 

「ええ。正直なところ、驚いていますよ。思っていた以上に活気がある」

 

 まあ、嘘はついていない。確かに今のところ、町には辺境とは思えないほど活気がある。無骨な木造家屋も未舗装の道路も、みすぼらしいというよりは発展途上の逞しさを感じるほどだし。

 馬を連れ、全身鎧をまとった一団が入ってきたのだから、住民たちの方もこちらに注目している。とはいえ、遠巻きに眺めているだけで、近づいて来ようともしない。興味半分、警戒半分といったところだろうか?

正直なところ、あまり好意的な視線は感じない。この街では、住民と代官の関係はあまり宜しくないのかもしれないな。

 

「そうだろう、そうだろう」

 

 だからこそ、満面の笑みでこの町をほめたたえるこの代官は不気味だ。

 

「せっかくですから、この町についていろいろ教えてもらってもよろしいですか?」

 

 しかし、まさかソニアの主張するような先制攻撃を実行するわけにもいかない。とりあえず、情報収集がてらジャブを打ってみることにする。

 

 

「かまわないとも」

 

 頷く代官だったが、すぐに困ったように頬を掻く。

 

「……とはいっても、流石に王都のような大都市ではないからな。やっと教会の工事が終わったとか、パン屋のパン窯が新しくなったとか、その程度の話題しかないが」

 

「結構なことではありませんか。大きくない都市だからこそ、為政者の目も細部まで届くというものですし」

 

 代官という役職は、王や領主に代わってその地を統治するのが仕事だ。いきなり大都市を任されても、僕では手に負えないだろう。というかそもそも、武官がそのまま統治を担当する封建制という制度自体が、元現代人である僕から見るとだいぶ無理があるように感じるんだよな……。

 まあ、とはいえしかし、郷に入っては郷に従えという言葉もある。この世界で軍人としての栄達を目指すなら、この手の仕事は避けては通れない。

 

「ハハハ……一理ある」

 

 苦笑とも愛想笑いともつかない表情で、代官は空虚な笑い声をあげた。

 

「とはいえ、決してこの町を治めるのがラクというわけではないぞ。何しろ町としての機能はまだ未完成だ。喧嘩や盗みは日常茶飯事、蛮族どもは嫌になるくらいちょっかいをかけてくる……」

 

 その言葉だけは、やたらと実感が籠っていた。いままでのむやみに明るい口調からは考えられないような暗い感情を感じる。これが代官の本音らしいな。

 

「ええ、ええ。肝に銘じておきます」

 

 頷きつつも、周囲の警戒は怠らない。代官の仕事が大変なのは事実だろうが、何らかの陰謀に巻き込まれる可能性も極めて高いわけだからな。それらを同時進行しなければならないと思うと、若干憂鬱な気分になってくる。

 見た限り、住民たちの中に怪しそうな連中はいない。とはいえ、手練れの諜報関係者ならば軽く観察しただけでしっぽを出すような雑な変装はしていないはずだ。万が一誰かが襲い掛かってきた時にどう対応するかを、頭の中でシミュレートしておく。

 

「まあ、そんな話は落ち着いてからすればいいか。……そう大きい町ではないんだ。代官屋敷は、この通りを抜けてすぐだ」

 

 土がむき出しの大通りの向こうを真っすぐ指差し、代官が言う。その指の先には、小さな堀に囲まれた石造りの屋敷があった。砦と家を混ぜたような、ひどく無骨な施設だ。

 代官の住居兼仕事場となるこの施設は、いざとなれば町を守る最後の砦となる場所だ。モンスター、蛮族、敵国といった様々な脅威にさらされている辺境らしく、実用一辺倒の荒々しい雰囲気を放っている。

 

「ぜひぜひ、いろいろと聞かせていただきたく。見ての通りの若輩者でありますから」

 

 表面上だけは和やかに、僕はそう言った。この代官がどういうつもりなのかはわからないが、あえて喧嘩を売るような態度は避けたい。このリースベン地方をつつがなく治めるというのが僕の仕事なのだから、出来るだけ波風を立てないように気を付けなければならない。

 もっとも、僕の後ろに控えるソニアたちは全員臨戦態勢だ。ちらりとそちらをうかがうと、完全に目が据わっている。厄介なことになりそうだなあと、僕は内心ため息を吐いた。

 




しげ・フォン・ニーダーサイタマ先生にアデライド宰相のイラストを頂きましたので、第三話で挿し絵として使わさせて頂きました。


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第9話 くっころ男騎士と夜逃げ

 その後僕たちは代官屋敷へと案内され、代官交代に関わるもろもろの手続きを行った。これで、僕は晴れてこの地の代官となったわけだ。その後は歓迎会を兼ねてちょっとした酒宴が開かれ、久方ぶりのご馳走を味わうことが出来た。

 何か仕掛けてくるのではないかと警戒していたものの、この日は何事もなく過ぎていった。事件が発生したのは、翌日の早朝のことだった。

 

「前代官殿が消えた!?」

 

「はい……」

 

 顔を真っ青にした使用人が、ひどく困惑した様子で頷く。太陽が地平線から顔を出すにはやや早い時間に、僕の部屋のドアがやたらと乱暴にノックされた。そして聞かされたのが、この眠気も吹っ飛ぶようなとんでもない報告だった。

 

「お部屋にも、練兵場にもいらっしゃらない様子で。その上、(うまや)の馬もごっそりいなくなっておりまして」

 

「馬まで……いや、その言い方だとまさか、僕たちの馬も?」

 

「はい。アル様が乗られていたウマも、それどころか荷運びの駄馬までおりません」

 

「……なるほど、話は分かった」

 

 頭がくらくらしてきた。軍馬は調達するにも維持するにも滅茶苦茶コストがかかるんだよ。それに、戦いや訓練で何度も苦楽を共にした相棒でもあるわけ。それが突然居なくなったんだから、ショックは計り知れない。

 とはいえ、指揮官としては混乱して醜態を見せるわけにはいかない。何度か深呼吸をして精神を落ち着け、使用人に頷いて見せた。

 

「消えたのは、エルネスティーヌ氏と馬だけか?」

 

「……わかりません。急いで報告に上がったものでして」

 

「なるほど。いや、それでいい」

 

 申し訳なさそうな使用人を安心させるように、僕は笑いかけた。状況確認のために報告が致命的に遅れるくらいなら、多少確度が低くても急いで第一報を持ってきてくれる方が助かるからな。

 

「とりあえず、急いで僕の部下たちを広間に集めてくれ。並行して、他に異常がないか確認を頼む」

 

「承知いたしました」

 

 小走りで去っていく使用人の背中を見送ることもせず、僕は部屋に引っ込んだ。壁際にひっかけてある剣帯を引っ掴んで腰に巻き、愛用のサーベルを差す。そして、枕元においていた拳銃を手に取った。

 

「……よし」

 

 僕の拳銃は、いわゆるリボルバー式のものだ。もっとも、前世の世界で普及していた現代的なリボルバーとはかなり見た目が異なる。パーカッション・リボルバーと呼ばれる、レンコン型の弾倉へ直接火薬と弾丸を装填する、古いタイプのものだ。

 それでも、銃は単発式が常識であるこの世界では、最大六連発の火力は圧倒的だろう。前世の知識をもとに設計図を引き、腕のいい鍛冶師に作ってもらったものだ。現代知識チートってやつだな。その拳銃にしっかりと弾薬が装填されているのを確認してから、剣帯に付属しているホルスターに納めた。

 

「しっかし、エルネスティーヌ氏はいったいどういうつもりだ……?」

 

 リースベンはオレアン公の肝いりで開発されていた地区だから、その代官であるエルネスティーヌ氏もオレアン公の息がかかっていると見て間違いない。だから、僕たちになんらかの嫌がらせをしてくるというのは、予想の範囲内だ。

 しかし、突然蒸発するとは流石に思わなかった。いったい、何を企んでいるんだ? なんにせよ、馬を奪われたことによる機動力の低下が深刻だな。

 いろいろな思考が頭の中でぐるぐるするが、どうも冴えた考えは浮かんでこない。まあ、情報があまりに足りないしな。

 

「とりあえず、情報収集が先決か」

 

 小さく息を吐いて、寝ぐせのついた髪を乱暴に整える。そのまま、ドアを開けて部屋の外に飛び出した。

 

「アル様!」

 

 すると、目の前にいたのは頼りになる副官、ソニアだ。彼女もまた事情を聴いて飛び出してきたのだろう。ラフな寝間着の上から最低限の武装をした、僕とそう変わりのない格好をしている。

 表情はいつも通りのクールなものだが、眉間にはわずかな皺が寄っていた。ひどく不機嫌な時、彼女はこういう表情をする。

 

「あの女、やらかしてくれたものですね」

 

 やはり殺しておけばよかった、とでも言わんばかりの口調だな。騎士の魂の一つともいわれる愛馬を狙われたのだから、この怒りは理解できる。

 

「僕たち本体ではなく、足を狙ってきたのが嫌らしい。将を射んとする者はまず馬を射よ、ってヤツかね」

 

「馬……? ああ、ええ。なるほど、その通りです」

 

 一瞬妙な表情をしたソニアだったが、すぐに神妙な顔になって頷く。

 

「相手の目的はまだよくわかりませんが、これほど明白にこちらに敵対してきたのです。馬以外にも、何かしら仕掛けてきている可能性が高いのでは」

 

「それはあり得る。というか、確実だろう」

 

 嫌がらせが馬を隠すだけで終わるはずがない。こちらが馬泥棒としてエルネスティーヌ氏を追求すれば、彼女とてただでは済まないからだ。向こうは、この事件が中央に露呈するより早く、こちらを仕留めにかかってくる可能性がある。

 

「急いだほうがよさそうだな。対応策を考えようにも、向こうの出方がわからないことにはどうしようもない」

 

 何はともあれ、状況を明らかにしなくては対応策を考えることもできない。こんなところで話し合っていても仕方がないので、僕たちは代官屋敷の広間に向かうことにした。



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第10話 くっころ騎士と元代官蒸発事件

「代官どころか、行政の実務を担っていた役人がたまで軒並み蒸発しているとはな。びっくりするくらい徹底してるじゃないか……」

 

 それから約三十分後。代官屋敷の大広間には、僕が王都から連れてきた部下たちの大半が揃っていた。

 調査結果については、ソニアが手早くまとめてくれていた。それがまた、聞いているだけで頭が痛くなってくるような内容だったからたまらない。なんと、元代官のエルネスティーヌ氏はもちろん、末端の役人まで姿を消しているというのだ。

 屋敷に残っているのは僕たちと、現地で雇用された使用人たちのみ。完全に異常事態だな。

 

「さらに書類庫が荒らされており、裏庭で大量の書類を焼却した跡も見つかりました。行政文書の大量破棄が行われたものと思われます」

 

「……」

 

 ヤバイ。いや、本当にヤバイ。何がヤバイって、必要な書類や資料はほとんど焼失し、一切の引継ぎを行わないまま実務者が蒸発した状況で、今日から僕がこの町を統治する必要がある、という部分だ。正直かなりヤバい。

 市民からしてみれば、役場の職員がいきなり夜逃げしたような状況だろう。大変どころの話じゃないだろ。

 

「なるほどな。それを一夜で実行できたってことは。この件は前々から計画されていたものだと判断していいだろう。案の定、謀られたな」

 

 重要書類を軒並み焼却し、少なくない数の人間をこっそり屋敷から逃がす。事前準備がなければ、とてもじゃないが実行不能だろう。

 

「馬と書類以外の被害はあるか? 武器弾薬や、こちらの軍資金までもっていかれていたら、もうどうしようもないぞ」

 

「そちらについては無事です。ご指示の通り、しっかり監視をつけていましたから」

 

 ソニアの報告に、胸を撫でおろす。まあ、こちらに仕掛けてくるならまず武器かカネに細工をするだろうと予想してたからな。対策くらいは打ってある。

 もっとも、そちらの警戒に集中していたため、集団夜逃げを察知できなかった可能性もあるが……。

 

「ソニア、連中はまだこの町に残ってると思うか?」

 

「いいえ、その可能性は低いかと。おそらく、すでに町の外へ逃亡済みではないしょうか」

 

「同感だな」

 

 奴らは人間だけでなく、馬も大量に連れている。こちらに気取られることなく、それらを養えるだけの飼い葉を調達するのは難しいはずだ。殺すにしても、馬の死体を人知れず処理するのは極めて難しいものと思われる。

 

「隊長! 遠くへ逃げられる前にさっさととっ捕まえましょう!」

 

「我々にケンカを打ったことを後悔させるべきです。拷問の上、さらし首にするべきかと!」

 

 怒りの形相の部下たちが、口々に物騒な言葉を吐く。晒し首云々はともかく、エルネスティーヌ氏を捕縛したいというのは僕も同感だ。何を思ってこんなことをしでかしたのか尋問したいところだからな。でも、そういう訳にもいかないのが現実だ。

 

「いや……そういう訳にもいかない。悠長にエルネスティーヌ氏の捜索なんかしてたら、行政機能が麻痺したままになってしまう。そうなれば、市民生活に与える悪影響は甚大だぞ」

 

 僕の任務は、あくまでこの地を穏当に治めることだからな。目先のことにとらわれて、本来の目的を見失うわけにはいかないだろ。

 

 僕の手持ちの人材は、剣を振り回したり馬に乗ったりすることに特化した連中と、それを補佐するための従士たちのみだ。行政官よりはまだ、警官の真似事のほうが得意だろう。しかしそれでも、今は慣れない仕事を頑張ってもらう他ない

 

「……こんなこともあろうかと、マニュアルを用意してある。とにかく今は、手分けをして行政機能の復旧に努めよう」

 

 まさかここまで派手に夜逃げされるとは思わなかったが、現地の役人が非協力的であることは予想していた。なので、アデライド宰相に頼み込み、僕の手勢だけで何とか代官業を回すためのマニュアルを作ってもらっていた(そしてその代償に僕は尻を揉まれた)。それで最低限はなんとかなるはずだ。

 

「しかし、大丈夫でしょうか? どうも、向こうの動きは我々を拘束することに主眼を置いているように見えます。別に本命の攻撃があるのではないでしょうか?」

 

「十中八九、そうだろうな」

 

 ソニアの指摘に、僕は顔をしかめる。ここまで派手な嫌がらせをしてくれたのだから、このことが中央に露呈すればエルネスティーヌ氏もタダでは済まないはずだ。

 もちろん、飼い主であるオレアン公の手引きで高飛びする可能性もあるけど……こっちのバックにも、アデライド宰相がついている。僕たちがそう簡単に泣き寝入りするとは、向こうも思っていないはずだ。

 

「あのオレアン公は、反撃を許すようなヌルい嫌がらせだけで満足するようなタマじゃないだろ。こちらが再起不能になるような何かを仕掛けてくる可能性が高いはずだ」

 

「ええ、その通りです」

 

 憎々しげにソニアが吐き捨てた。

 

「とにかく、どんな手を使ってくるのかが予想できません。隠密部隊で襲撃をかけるなら、昨夜がベストタイミングでしょう。それをしてこないとなると、もっと大掛かりな策を仕掛けてくるかもしれません」

 

「書類を焼いたのも、役人を連れて行ったのも、時間稼ぎのためと見るのが自然だからな。そこまでして稼いだ時間で、何をする気だ……?」

 

 唸りながら、部下たちを見回す。何か冴えた意見が出てくればよかったのだが、全員難しい顔で首をかしげるばかりで発言を返すものは一人もいなかった。

 なにしろ情報が少なすぎるし、情報収集に人手を振り分けるだけの余裕も奪われてしまったからな。手も足も出ない、というのが正直なところだ。

 

「……いや、人手が足りないなら人を増やせばいいのか」

 

 そこでふと、王都から出る前にアデライド宰相からもらった……もとい、借りた小切手の額面を思い出す。あれだけあれば、何とでもなるはずだ。

 

「よし、傭兵を雇おう」



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第11話 くっころ男騎士と方針決定

「傭兵、ですか」

 

 感心したような表情で、ソニアが僕を見る。

 

「いざというときは、肉盾として使えば良いわけですしね。なるほど、さすがはアル様。いいアイデアです」

 

 いや、その……もうちょっと言い方ってものがあるんじゃないかな……ソニアの発言が物騒なのは今さらなので突っ込まないけどさ。

 

「……まあ、盾にする云々はさておき、このままじゃ索敵や情報収集すらままならないからな。"敵"に対して受け身のままってのも、よろしくないだろ。出来るだけこちらからアクションをしかけられるよう、体制を整えよう」

 

「ええ、その通りです。急いで傭兵を手配しましょう」

 

 にっこりと笑って頷くソニアだったが、部下の騎士の一人が片手をあげて質問する。

 

「しかし、隊長。こんなド田舎……いや、失礼」

 

 使用人たちの方をちらりと見て、騎士は発言を改める代官屋敷に残った使用人は、この町で雇用された人々だ。その目の前で故郷を馬鹿にするのは無思慮というものだろう。いや、そこまで配慮が出来るなら、最初からド田舎なんて言わないでほしかったけどさ。

 

「もとい、開拓地で、手ごろな傭兵が雇用できますかね? 手足として使うつもりならば、それなりの規模の傭兵団を雇いたいところですが」

 

「この町で、というのは難しいだろうな」

 

 カルレラ市はまだまだ町としての規模が小さいし、その上ほかの地方へのアクセスが悪い。傭兵団からすれば、あまりうまみのない土地だろう。

 

「なので、傭兵は別の場所で雇う」

 

 そう言って僕が取り出したのは、この地方の詳細な地図だった。この世界において正確な地図というのはまだまだ貴重なものなので、騎士と言えどそう簡単に手に入るものではない。これも、アデライド宰相に無理を言って用意してもらったものだ。

 そしてその代償にやはり僕はセクハラされた。地図を貰えるうえ、美女に体中をまさぐられるとか、むしろご褒美なんじゃないだろうか。いや、その先の関係性に発展する目が皆無なのがかなりツライところだけど。

 

「北の山脈を越えた先に、レマ市という街がある。往復で一週間かかるかかからないかくらいの距離だな」

 

 地図をテーブルに乗せつつ説明すると、興味深そうな様子で騎士たちがワラワラと集まってきた。その様子を見るに、彼女らの士気は十分高い様子だ。

 何しろ今は、そうそうないくらい厄介な状況に陥っている。そんな中でも混乱することなく士気を維持してくれているのは、有難い限りだ。心の中で、そっと安堵のため息を吐く。

 

「ここはそれなりに発展した街らしいし、その上領主はアデライド宰相の派閥だ。使者を送って事情を伝えれば、腕のいい傭兵をあっせんしてくれるはず」

 

 馬をはじめとした足りない物資も、レマ市ならば補充できるはずだ。今後のことを考えれば、レマ市に使者を送るのは確定路線と考えていいだろ。

 

「……宰相派閥ですか。協力を要請するのは致し方ありませんが、アル様は絶対にその街に近づかないようお願いします」

 

 やたらと警戒した表情で、ソニアがそんなことを言う。宰相の仲間は全員セクハラ魔か何かだと思っているんだろうか、この副官は。いや、僕を心配してくれているのはわかるけどさ。

 

「まあ、そもそも僕によそ様の領地へ行くだけの余裕ができるのは、しばらく先になるだろ。たぶん」

 

「ならば良いのですが……」

 

 安心したようにその豊満な胸を撫でおろすソニアだったが、今日から馬鹿みたいに忙しくなることが確定している僕からすれば、たまったもんじゃない。思わず顔が引きつりそうになった。

 

「とはいえ、レマ市も結構遠い……傭兵が到着する前にコトが起こってなきゃいいけど」

 

 そもそも、レマ市までは一本道だ。僕がオレアン公なら、その道に刺客を配置しておく。エルネスティーヌ氏の行為が中央に知られると、向こうもかなり厄介なことになるだろうからな。対策はしっかり打ってるだろ、流石に。

 

「やっぱり、馬がほしいな。オレアン公の手のものに使者が襲撃された場合、徒歩じゃあ強行突破さえおぼつかないぞ」

 

 護衛を大勢連れて行けばなんとかなるかもしれないが、今の状況じゃあ送れて一人か二人だろう。

 

「奪われたのは我々の馬のみです。町で使えそうな馬を探して、徴発してしまいましょう」

 

「背に腹は代えられないか……」

 

 強制徴発するからには、普通に売買するより多くの謝礼を持ち主に渡しておく必要がある。強盗じみた手段を取って住民に嫌われるのは、代官としては致命的だからな。

 とはいえ、傭兵を雇う以上出費は多くなる。軍資金は借金が原資であり、補充されるめどは立たない。出来るだけ節約していきたいんだけどなあ……

 

「ケチっていい状況でもないか。よし、そこらで暇そうにしてるやつをとっ捕まえてきて、馬を持ってる人を探してきてもらえ」

 

 僕は腰に下げている巾着から銀貨の入った革袋を引っ張り出し、部下の一人に投げ渡した。カネで買える労働力は、積極的に活用するべきだ。今は節約のことは考えないようにしておく。

 最悪、コトが終わったらアデライド宰相のオモチャとして自分の身体を差し出せば、追加融資の一つや二つしてくれるかもしれない。……なんだか楽しみになって来たな。黒髪美女のオモチャ、悪くないぞ。

 

「そっちは任せた。僕の方は、町の参事会へ事情を説明しに行く。僕たちは行政に関しては素人ばかりだからな……そっちに協力を頼まなきゃ、まともに仕事を回せないだろう」

 

 参事会というのは、いわば市議会のようなものだ。とはいっても、ここは封建制が現役のファンタジー世界。選挙でえらばれるわけではなく、職業ギルドのギルド長をはじめとした町の有力者たちで構成されている。

 彼女らにも思惑やプライドがあるだろうから、ハードな交渉が予想される。気が重いが、こればっかりは他人に任せるわけにもいかないからな。僕が頑張るほかない。

 

「ほかの連中は、マニュアルに従って役人どもが抜けた穴を埋めてくれ。慣れない仕事でなかなか大変だろうが、お前たちだけが頼りだ。よろしく頼む」

 

 僕の言葉に、騎士たちは「了解(ウーラァ)!」と元気な声を上げた。

 



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第12話 くっころ男騎士とカルレラ市参事会

 部下たちに仕事を振ったあと、僕は急いで身だしなみを整えた。都市の自治を担う市参事会は、時には領主を相手にしても一歩も退かず対抗してくることもあるような、一筋縄ではいかない組織だ。

 そんな連中に協力を依頼する必要があるのだから、こちらも当然戦場へ出るくらいの気合をいれておかないと押し負けてしまうかもしれない。愛用の板金鎧を纏い、ソニアとともに代官屋敷を後にする。

 

「たんなる代官の交代でなぜそんなトラブルが発生するんだ!」

 

「中央は何を考えているの? お貴族様の政争にこっちを巻き込むのは勘弁してほしいんだけど!」

 

「そもそも、なぜ男ごときが代官に任命されたんだ。我々をナメているのか?」

 

 三十分後、僕は小さな会議室で市の参事たちに罵倒を投げつけられまくっていた。参事というのは市の有力者たちであり、行政機能が麻痺すれば真っ先に被害を受けるのが彼女らだ。まあ、文句を言いたい気持ちはわかる。

 うるさい、僕だって被害者なんだが!? そう言い返したい気分もあるが、そんな無責任な言葉を吐けばその場でなけなしの信用がすべて吹き飛んでしまう。我慢だ、我慢。

 肝心なことは、彼女らの信用を得ること。僕に代官を任せても大丈夫だと納得してもらうことだ。醜態を見せて参事たちから見放されれば、この事件が穏便に解決されても、今後の市の運営に著しい悪影響を及ぼすのは確実なワケだし。

 

「前任者がなぜこんなことをしでかしたかについては、後ほど調査をする予定だ。しかし、今は……」

 

「聞いたところによれば、衛兵隊も機能不全に陥っているらしいじゃないか! 悪党どもがそれに感付いてみろ、盗みも殺しもやり放題になるぞ!」

 

「その通りだ! 代官殿は、一体どう責任を取るおつもりか!」

 

 とにかく場を治めようとするが、参事たちはまったく僕の話を聞こうとはしてくれない。これでは、協力を要請するどころじゃないな。

 

「何人か見せしめにしましょう。それでいう事を聞くようになるはずです」

 

 ソニアが、耳元でぼそりと呟く。その目は、先ほど「男ごとき」と言い放ったガタイのいい竜人(ドラゴニュート)の参事に向けられていた。

 

「駄目に決まってるだろ」

 

 まあ、男だてらに騎士などやっていればナメられることなんて珍しくもない。こういう事態は想定済みだ。僕は腰のホルスターからリボルバーを引っこ抜き、銃口を天井に向けて発砲した。

 乾いた大音響が会議室に響き渡る。ほとんど全員が反射的に耳を押さえ、一歩下がった。

 

「――いったい何をするんだ! いきなり!」

 

 参事の一人が顔を真っ赤にして吠えたが、僕は気にせず撃鉄を起こし、もう一発撃った。参事は赤かった顔を青くして、腰を抜かす。

 剣も魔法もあるこの世界じゃ、銃を使う人間は少数派だ。まして相手は一般人、銃声など聞いたこともないハズ。効果は抜群だった。

 実のところ、僕が撃ったのは空砲だ。実弾をぶっ放したら、天井に大穴が空くからな。大音響で一時的な難聴になられでもしたら話し合いどころではなくなるので、装填する火薬量も減らしてある。僕は最初からこういう手段に出るつもりだった、ということだ。

 

「失礼」

 

 先ほどまでの喧騒から一転、シンと静まり返った会議室の中、僕は参事たちに笑いかける。前世でこんなことをしでかしたら大変なことになっただろうが、この世界なら問題ない。そう思うと、なかなか愉快な気分になれた。

 

「事態は一刻を争う。あなた方の言う通り、この町の秩序は破壊されようとしているわけだからな。余計な問答で時間を浪費している余力などない」

 

「き、貴様……」

 

 参事の一人が非難がましい声を上げた。しかし、その視線は僕の右手に握られた拳銃に釘付けになっている。

 

「もちろん、現状がかなり不味い状況にあるのは事実だ。しかし、この町に襲い掛かる災難がこれで打ち止めだという確証もない」

 

 拳銃をホルスターに戻しながら、僕は前へ一歩踏み出した。参事たちは何かを言いたげな様子だが、すくなくとも先ほどまでのようなマシンガンじみた文句は言ってこない。銃から吐き出された濃密な白煙を手で払いつつ、僕は言葉を続ける。

 

「混乱に乗じてゴロツキどもが騒ぎを起こす可能性もあるし、あるいは蛮族どもが略奪にやってくるかもしれない」

 

「……」

 

 もともと不安定な情勢下にあるド辺境だ。僕が語ったような出来事が実際に発生する可能性はかなり高い。参事たちの表情が露骨に強張った。

 

「それに、北の山脈の向こうにある国は、ガレア王国だけじゃない」

 

「神聖帝国……」

 

「そう、あの獣人たちの国だ。天性の狩猟者である彼女らの目の前で隙を晒したらどうなるか……想像する間でもないだろう?」

 

 リースベン領はあまり魅力的な土地という訳でもないが、それでも敵が汗水たらして切り開いた農地を簡単な労力で奪えるとなれば攻撃をためらう理由はないはずだ。

 

「カルレラ市、そしてリースベン領は、極めて危険な状況にある」

 

 念押しするかのような口調で、僕はそう言い切った。



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第13話 くっころ男騎士の協力要請

 銃をぶっ放したおかげで、今のところ参事たちは僕の話を聞いてくれる状態にはなった。でも、これはあくまで銃声を利用した動揺に付け込んでいるからに過ぎない。正気を取り戻す前に、ちゃんとした危機感を持ってもらわないとな。

 

「あなた方が血の滲むような努力をして築き上げたこの都市に、不埒な輩の魔の手が迫っている」

 

 舞台に立つ役者のような声音と身振りで、参事たちに語り掛ける。前世にしろ今世にしろ、軍人であれば演説を聞く機会はいくらでもある。それらの記憶から参考になりそうなものを思い出しつつ、言葉をつづけた。

 

「店や、家や、あるいは家族。あなた方には、守るべきものが沢山あるはずだ。侵略者どもは、それを虎視眈々と狙っている! 破壊の限りを尽くし、財貨を奪い、家族や友人を殺し、恋人や夫を犯そうとしている! そんなことを認められるか?」

 

 まるで激怒しているような口調で、僕は叫ぶ。怒りはもっとも伝染しやすい感情だ。相手の不安に付け込むように怒って見せれば、大概の人間は簡単に乗ってくる。まあ、これはどちらかといえば詐欺の手口だけど……

 案の定、ただ困惑するばかりだった参事の目に光が宿った。一人の恰幅の良い女がこぶしを握り締め、首を左右に振る。

 

「認められない。……そんなことは絶対に!」

 

「その通りだ!」

 

 よし、かかった。心の中で安堵のため息をつく。怒りを煽るのは簡単だが、場合によってはその矛先がこっちに向かってくることもよくあるからな。もしそうなれば、どうしようもない。人狼ゲームの人狼よろしく吊るしあげられる前に、尻尾を巻いて逃げ出す以外の選択肢はなくなってしまう。

 

「我々は、団結せねばならない! 内紛などしていたら、奴らの思うつぼだぞ。少しでも隙を見せれば、敵はそれに付け込んでくる!」

 

 腕を振り上げ、僕は叫んだ。これがペテン以外の何だというんだと、僕の中の冷静な部分が毒を吐く。冷静な説得よりは、感情に訴えかけた方が手っ取り早いからな。

 やり方は詐欺的でも、危機に備える必要があるというのは事実だ。自己嫌悪を押さえつけつつ、僕は続ける。

 

「前任者は明らかに、人心の乱れを狙ってこの事件を起こしている。どういう目的があるのかは不明だが、ろくでもないことであるのは間違いない」

 

 荒々しい口調から静かな口調に切り替え、僕は参事たちに語り掛けた。おそらくは彼女もオレアン公の駒の一つにすぎないのだろうが、ここは彼女に泥をかぶってもらおう。

 

「たんなる嫌がらせのために、ここまでのことをするはずがない。何者かが狙っているんだ、この町を!」

 

 実際のところ敵の狙いが何なのかはまだ不明だ。しかし、ここはあえてこの町が狙われていることにしておく。出来るだけ危機感をあおってやらないと、彼女らの協力は得られそうにないからだ。

 

「そういえばあの女、ことあるごとに辺境に飛ばされたと文句を言っていたな……」

 

「まさか、左遷されたことを不満に思って……?」

 

「神聖帝国のスパイにそそのかされたんじゃ……」

 

 参事たちの間に、ざわざわと疑念が広がっていく。やはりエルネスティーヌ氏は、この街の住人とは不仲だったみたいだな。

 しかし、寝返りか。完全にオレアン公の陰謀のつもりでコトにあたっていたが、そういう可能性もあるか。あくまで脅威の一例として挙げた神聖帝国だが、そちらの方も警戒しておく必要がありそうだな。厄介ごとが多すぎて、胃が痛くなりそうだ。

 

「何にせよ、我々が脅威に備えねばならないということには変わりがない。人心の乱れを防ぎ、治安を維持する必要性がある。もちろん、こんなことは言われるまでもなくあなたたちは理解しているだろうが……」

 

「あ、ああ。そうだな。それは確かだ」

 

「町中で強盗が横行するようになったら、商売あがったりだ。神聖帝国だの蛮族だの以前の話だな」

 

 神妙な表情で頷く参事たち。彼女らも本業は別にある。商人にしろ職人にしろ、町が荒廃すれば仕事どころじゃなくなるからな。それは何がなんでも避けたいところだろう。

 

「とりあえず、自警団を強化して町の巡回に当たらせよう。代官様も、それでいいね?」

 

「ああ。本格的な武装も許可する。こちらも出来る限りの協力はするから、どうか自体が落ち着くまでは協力していただきたい」

 

 ガレア王国の法律では、武装は貴族か特別な認可を得た者以外には許可されていない。町の自警団のような人々は短剣やこん棒のような非力な武器しか装備していないわけだ。

 しかし、非合法な武器が裏社会に出回っているのは、前世の世界も今の世界も同じだ。それらを制圧しようと思えば、武装を強化するほかないだろう。正直、後々のことを考えれば本業の衛兵でもない連中に武器は渡したくないが……。

 

「それから、代官屋敷のほうにも人手を回してほしい。何しろ、僕の手勢以外には使用人連中くらいしか残っていないからな。このままでは、行政を回すどころじゃない」

 

「確かに、それは困るねえ……仕方がないか。わかったよ」

 

 不承不承と言った様子で、老婆が頷いた。それを聞いた周囲の参事たちも、協力を申し出はじめる。よかった、これで何とかなりそうだ。

 

「待ってくれ」

 

 そう思った時だった。一人の参事が、僕を睨みつけながら言った。「男ごとき」と発言した、あの女だ。

 

「なるほど、確かに皆が協力してコトに当たる必要性があるのはわかったさ。だけどね、それを男が差配できるはずがないじゃあないか。男は貧弱だからね。そんなヤツをアタマに据えていたら、あたしらまでナメられることになる……」

 

 傲然とそう言い放った女の声には、明らかに僕を馬鹿にする色があった。



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第14話 くっころ騎士の説得

 男に代官などできるわけがない。まあ、言われるだろうなと予想していた発言だった。男は家庭に属するべしというのは、この世界ではごく一般的な価値観だ。そんな風潮の中でいきなり男が自分の上役になったら、そりゃあ反感を覚えるやつだっているだろう。

 

「男は貧弱、ねえ」

 

 一番の問題は女しかいない種族、つまり亜人たちが明らかに僕たち只人(ヒューム)より露骨に高性能な生き物だという部分だ。この国の支配層である竜人(ドラゴニュート)は体格に優れ筋力も極めて高いし、エルフは魔法を扱う能力、つまりは魔力に優れている。

 その点、どうも只人(ヒューム)はぱっとしない、身体は貧弱だし、魔力をまったくもっていない者も多い。それでも、商人や技術者として大成する只人(ヒューム)はそれなりに居るのだが……なにしろ亜人たちの性質上、社会は女系中心にならざるを得ないからな。男はなかなかに肩身が狭いんだよ。

 

「そうさ。そもそも、どうやって男が騎士になったんだ? 上官に竿でも売ったか?」

 

 下卑た笑みを浮かべてそんなことを言う参事。竿竹屋かな? 内心ちょっとウケたが、僕の後ろで「……すぞ」などと呟いているソニアが非常に怖い。刃傷沙汰になる前に、どうにか場を治める必要があるな。

 

「確かめてみるか?」

 

 だから僕は、あえて挑発的な笑みを浮かべて言い返した。情けのない対応をすれば、それこそナメられっぱなしになってしまう。封建主義全盛のこの世界においては、もっとも貴族に求められる要素は武力なんだよ。それを示してやれば、向こうも表立って文句は言いづらくなる。

 ま、こういう感覚は感情的なものだから、内心では納得できないかもしれないけどね。多少の陰口くらいは我慢するほかないだろ。

 

「ようするに、男の騎士は弱いからいけない。そういうことだろう?」

 

「……そうさ。アンタなんかが戦場に出ても、蛮族につかまって『くっ殺せ!』とか言いつつ犯されるのがせいぜいだろうさ」

 

 くっころならすでにオークを相手に発言済みだ。残念ながら……もとい、幸いにも犯される前に助けてもらったけどね。

 そういう意味では、確かにこの女のいう事には一理ある。人質さえ取られなければ、とか、あるいはそもそも分断さえされなければ……とも思うが、そもそもあの作戦で指揮を執っていたのは僕だからな。すべての責任は、自分自身に返ってくる。

 

「本当にそうなるかどうか、試してみればいいさ」

 

 そう言って僕は、ソニアにちらりと視線を向けた、彼女はコクリと頷き、背負っていた二本の棒を差し出してくる。それは、打ち合いの訓練に使う木剣だった。刃にあたる部分には分厚いフェルト布が巻かれ、衝撃を減らす工夫がされている。

 

「くちでどうこう言っても、納得してもらえる話じゃないだろ? だったら、きちんとした方法で実力を証明するまでだ」

 

 ソニアから受け取った木剣のうちの一本を参事に差し出す。彼女は困惑したように、それと僕の顔を交互に眺めた。

 

「い、いや、アタシはたんなる職人だからな……それに、代官殿にケガをさせたりすれば、面倒なことになる」

 

 自分から喧嘩を売って来たくせに、なに日和ってるんだよ!! 正直結構腹が立つが、ここでそれを態度に出せば指揮官失格だ。士官たるもの、そう部下の前で感情を露わにしてはいけない。ニッコリ笑って、「それは残念」と言い返す。

 

「しかし、僕の実力が不明なうちは、あなた方の不安も払拭されないだろう。今後のことを考えれば、僕がどれだけ戦えるのかを一度くらい確認してもらった方が良いとおもうんだが。もちろん、その結果こちらがどんな損害を負ったとしても、そちらにその責任を求める気はない」

 

 僕が舐められたままだと、僕自身はもちろん部下たちも動きづらくなる。町の有力者である参事たちに僕の騎士としての力量を認めてもらうのは、どうしても必要な過程だと最初から考えていた。だからこそ、わざわざ木剣を持ってきたわけだが……。

 

「それはその通りだな。そういえばランドン殿は先日、腕の良い用心棒を雇ったと自慢していたではないか。力試しならば、そちらにやって貰えばよかろう」

 

 参事の一人が愉快そうな表情でそんなことを言う。ランドンというのは、どうやら僕にイチャモンをつけてきた参事のことのようだ。

 

「確かにそうだな。腕利きとはいえ用心棒ごときに敗れたとあっては、騎士としてはあまりにも力不足だろう。試金石とするのは、ちょうどいいかもしれないな」

 

 自分が戦わなくてよいとなったとたん、ランドン参事は元気になった。なんて現金なヤツだ……。

 

「ここまでナメられたら、もうこれは決闘案件ですよアル様。木剣なんてヌルいことを言わず、真剣でやっちゃいましょう」

 

「代官就任そうそう刃傷沙汰は不味すぎる。抑えてくれ」

 

 耳元でボソリと物騒なことを呟くソニアを、僕は引きつった表情で止めた。そして表情を何とか笑顔に整え、ランドン参事に向き直る。

 

「用心棒だろうがなんだろうが、相手になろう。しかしこちらが勝ったのなら、ちゃんと僕を代官として認めるように」

 

「いいだろう」

 

 ランドン参事はニヤリと笑って頷いた。……しかし自分で仕掛けておいて何だけど、戦闘力を示すことが代官として認められる条件になるだなんて、ほんとうにこっちの世界は物騒だな。いや、蛮族だのモンスターだのが跋扈している場所なのだから、それも仕方ないんだろうが……。

 



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第15話 くっころ男騎士と用心棒

 そういう訳で、腕試しをするべく僕たちは野外へ出た。道場じゃあるまいし、屋内で木剣を振り回すわけにはいかないからな。

 

「へえ、男騎士か。実在してるんだな」

 

 例の用心棒がニタニタと品のない笑みを浮かべつつ、舐めまわすような目つきで僕を見る。ランドン参事が連れてきたのは、熊獣人の大女だった。デカいといえば僕の副官のソニアも大概だが、この熊獣人は彼女よりも背が高い。

 熊獣人は鎖帷子(チェーンメイル)の上から鉄製の胸当てをつけるという一分の隙も無い戦装束だった。しかし、何より目立つのは、頭に生えた熊の耳だ。これが獣人の最大の外見的特徴になっている。竜人(ドラゴニュート)が主体の我が国では、少々珍しい人種でもあった。

 

「僕も自分以外の男騎士は見たことがないな」

 

「そりゃ、男に騎士なんてムリだからよ。お前らの仕事なんか、女相手に腰を振る事だけさ」

 

 こっちも女相手に腰を振りてぇよ! 好き好んで童貞やってるんじゃねえぞ!

 内心キレそうになる僕だったが、僕よりもっとキレている奴がいた。ソニアだ。僕の真後ろに控えた彼女が周囲に聞こえないような声で「ミンチにしてやろうかあの女……」などと呟くものだから、かなりの恐怖を感じる。

 

「僕に騎士が務まるだけの実力があるかどうかは、これからわかることだ」

 

 あからさまに馬鹿にされてはいるが、彼女を打倒しなければ参事会には認めてもらえないんだ。むしろ甘く見られているのはこちらに有利ですらある。

 ……だから用心棒に飛び掛かっていきそうな表情をするのはやめてくれ、ソニア。僕の代わりにお前が戦ったら、話がややこしいことになる。なので、僕は一歩前に踏み出して挑発的な笑みを返した。

 

「随分と生意気な男ッスねえ! アネキにボコボコにされてヒィヒィ泣いてるのを見るのが楽しみッスよ!」

 

 そう言って騒ぐのは、熊獣人の腰ぎんちゃくの少女だ。耳やくるんとカールした尻尾を見るに、こちらはリス獣人のようだ。小動物めいた外見で、おもわずホンワカしてしまう。かわいいね。

 

「そりゃいいな。……よし。おい、男騎士さんよ」

 

「なんだ?」

 

 熊獣人がニヤリと笑い、こちらを見る。その目つきはひどく好色だ。聞き返してみたものの、何を言い出すのかは予想がつくな、これは。

 

「お前、童貞か?」

 

「……そうだが」

 

 寄り合い所の前は、大通りになっている。そのため通行人も多い。そんな公衆の面前で童貞をカミングアウトさせられるとか、どういう罰ゲームだよ。とはいえ、誤魔化すのもそれはそれで向こうの思うつぼだ。何も思っていない様子を装って、頷く。

 しかし案の定、通行人や参事たちがセクハラ親父のような目つきで僕を見てきた。なんだかゾワゾワするので、やめてほしい。

 

「へえ、いいじゃないか。アタシが勝ったら、一晩抱かせろ」

 

 いや、僕にとってもご褒美なんだけど、それ。なにしろ、この世界の顔面偏差値はやたらと高い。スケベなことを言い出したこの熊獣人も、かなりのワイルド系美女だ。僕はどちらかといえば小柄な女性が好みなんだけど、それはそれとして彼女に抱かれるならアリよりのアリなんだよな。

 

「……ッ!」

 

 一瞬『試合が始まった瞬間降伏しようかな』などと考えていた僕だったが、無言でブチ切れたソニアが自分の剣の柄を引っ掴んだものだからたまらない。あわてて前へ出ようとした彼女をブロックする。

 

「抑えろ抑えろ!」

 

「しかし……!」

 

「これは命令だ。……いいな?」

 

「……はっ!」

 

 短気ではあっても、ソニアも軍人だ。命令と言えば、不承不承でも従ってはくれる。凄まじく不本意そうな表情で、彼女は敬礼をした。

 ほっと胸を撫でおろし、用心棒の方へ向き直る。とにかく、今はこのいかにも強そうな戦士を、僕が倒すというデモンストレーションが必要なんだ。

 いかにも一流の騎士と言った様子のソニアでは、熊獣人に勝ったところでインパクトはない。それに、部下を代わりに戦わせる軟弱者だ、やはり代官にはふさわしくない……という風評が僕に付きかねないからな。ここは彼女に任せるわけにはいかないだろ。

 

「いいだろう。その条件を認めよう」

 

 万一負けても、ご褒美があると思えばなんだか嬉しくなってくるんだよな。専用CG見たさにエロゲでわざとバットエンドルートに入りたくなるような、危険な魅力を感じる。

 とはいえ、僕は転生者であってループ能力者じゃないからな。ルート確認のためにわざと負けるような真似は、流石にできない。滅茶苦茶残念だ。

 ……いや、童貞歴が長すぎてちょっとおかしくなってないか? 僕。結婚適齢期に入ったのに、全然お相手が見つからないからストレスが溜まっているのかもしれない。身体目当てのヘンな奴らは集まってくるのになあ……。

 

「その代わり、こちらが勝ったらしばらく僕の部隊の手伝いをやってもらうぞ。なんといっても、ウチは人手不足だからな。荷物持ちの一人でもいれば、大助かりだ」

 

「荷物持ちだと? ナメやがって……いいさ。だが、このアタシを馬鹿にした報いはベッドでしっかり受けてもらうよ」

 

 僕、負けたらどんな風になるんだろうね。すごく興味があるんだが。

 

「ヴァルブルガくん、君は私が大金を支払って雇っているんだぞ! 勝手によその荷物持ちになって貰っては困る」

 

 そばで見物していたランドン参事が文句を言う。しかし、その口調は冗談めかしたものだ。自分の用心棒が負けるとは、全く思っていないのだろう。

 

「ははは、まあ見といてくださいよ、参事殿。この調子に乗った男に、身の程ってヤツを理解(わか)らせてやりますから」

 

 ニタニタと笑って、片手に握った訓練用木剣を軽く振った。標準的なロングソードサイズの木剣ではあるが、彼女が持つとショートソードのように見えるからすごい。

 

「しかし、裏族(りぞく)の男を抱くのは初めてだ。なかなか楽しみだな」

 

 裏族というのは、亜人貴族に養われている只人(ヒューム)の一族のことだ。この一族に男が生まれると、貴族はこれを自身の養子として迎え入れる。

 いわば、貴族の夫として相応しい男を安定供給するためのシステムだな。政略結婚のためにも、貴族は身元のはっきりした男を手元に置いておく必要があるんだ。

 とはいえ、裏族はハッキリ貴族と区別されている。あくまでウラの存在、表舞台に立たせてはいけない、ということだ。

 

「僕は裏族じゃない、貴族だぞ」

 

 しかし。僕は一応裏族ではなく貴族の出身だ。只人(ヒューム)の貴族は珍しいが、それ故に裏族扱いするのは最大限の侮辱となる。現代人の価値観を引きずった僕ですら多少カチンと来るのだから、これが母上なら試合なんてことを忘れて(ドタマ)をカチ割りに行っているだろう。

 とはいえ、こんなあからさまな挑発に乗るのは流石に避けたい。あえて余裕ぶった表情で言い返す。

 

「そうかい。ま、裏族だろうが貴族だろうが、抱けるんならなんでもいいけどよ」

 

 僕が否定しても、用心棒はニタニタ笑いを止めない。そのまま木剣を振り上げ、その切っ先を僕へ向けた。

 

「一応、名乗りをしておこうか。アタシはヴァルブルガ・フォイルゲン。流しの用心棒だ」

 

「……アルベール・ブロンダン。騎士だ」

 

 僕も名乗り返し、木剣を構える。切っ先を真上に向け、顔の真横で柄を握る独特の構えだ。

 

「両者、よろしいですかな?」

 

 立会人役の理事が、僕とヴァルブルガ氏に確認する。僕はコクリと頷いて見せた。

 

「よろしい。では、勝負はじめっ!」

 

 立会人の号令と共に、僕は息を限界まで吸い込んだ。それと同時に、前世では存在しなかったチカラ……魔力を、自らの手首へ刻んだふたつの魔術紋へと流し込む。一秒もしないうちに、戦闘準備は完了。肺にため込んだ空気をのどへ流し込み、あらん限りの力を込めて叫ぶ。

 

「キィエエエエエエエエッ!!」

 

 猿のごとき絶叫。突然のことに、ヴァルブルガ氏の動きが止まった。それに構わず、僕は全力で地面を蹴った。弾丸のような加速。困惑するヴァルブルガ氏に向かって、猛然と剣を振り下ろした。

 

「……チッ!」

 

 しかし、ヴァルブルガ氏も素人ではない。大上段から振り下ろした僕の木剣を、自身の木剣でうけとめる。フェルトが巻き付けられた日本の木の棒がぶつかり合い、砲声と聞き間違えそうなほどの大音響が大通りに響き渡った。

 しかし、防御された程度では僕の剣は止まらない。相手の木剣を押し切り、思いっきり彼女の胸当てを打ち据えた。衝撃で木剣がへし折れ、ヴァルブルガ氏が吹っ飛ばされていく。彼女は空中で三回転半し、土煙あげながら地面に転がった。

 

「……え、ええと……気絶していますね。しょ、勝負あり、ということで……」

 

 慌ててヴァルブルガ氏に駆け寄った立会人が、彼女の頬をぺちぺちと叩いて意識を確認しつつ言った。たしかにヴァルブルガ氏は白目を剥き、気を失っている様子だ。

 

「という訳で、僕の勝ちだ」

 

 折れたままの自身の木剣を掲げつつ、僕はランドン参事にドヤ顔を向けた。



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第16話 男騎士と悲しい現実

 文句の付け所がない完璧な勝利を達成したというのに、大通りにはシンと静まり返っていた。参事たちも、そして見物していた通行人たちも、あっけに取られた様子で僕を見ている。

 唯一の例外はソニアだ。彼女は拍手をしてから、僕からおれた木剣を受け取る。付き合いも長いのながら、まあこの辺は慣れたものだ。

 

「お疲れさまでした。相変わらず、素晴らしい腕前です」

 

 しっかりヨイショもしてくれるんだから、本当にいい部下だよまったく。

 

「君らの指揮官として、まあこれくらいはね」

 

 軽く手を振ってこたえてから、いまだ倒れたままのヴァルヴルガ氏のもとへ歩み寄る。未舗装の道路で転がりまくった結果、ギラギラと輝いていた鎖帷子(チェインメイル)はすっかり埃で汚れていた。清掃が大変そうだな、なんていう場違いな感想を覚える。

 

「大丈夫か?」

 

「し、死んではいないようです。まあ、獣人どもの生命力は尋常ではありませんからね。大丈夫でしょう」

 

 立会人がドン引きしたような表情で僕を見つつ、説明する。その口調には、明らかに獣人に対する侮蔑の色があった。

 まあガレア王国は竜人(ドラゴニュート)の国で、我が国と伝統的不仲なお隣の神聖帝国は獣人の国だからな。獣人に対して差別意識を持っている人間(主に竜人(ドラゴニュート)だが)は多いんだよ。

 正直、只人(ヒューム)の僕から見れば竜人(ドラゴニュート)も大概な生命力してるように見えるんだけどな……。

 立会人がどうも信用ならないので、僕もヴァルブルガ氏の様子を確認する。脈拍も呼吸も問題ないようだ。頭も強打した様子はないし、大丈夫……かな?

 

「アル様が勝った証拠として、写真を撮っておきましょう」

 

 スススと近づいてきたソニアが、背嚢からテッシュ箱くらいの大きさの木箱を取り出していった。その木箱には、大きなレンズがくっついている。

 これは幻像機という魔道具(マジックアイテム)で……まあ、いわゆるカメラだ。ソニアは写真撮影が趣味なのか、よくこのカメラを持ち歩いている。

 

「悪趣味じゃない? さすがにそれは……」

 

「首級を取るよりはよほど平和的です。では一枚」

 

 ソニアは気にせず、倒れたままのヴァルヴルガ氏と僕にカメラを向け、ボタンを押す。前の世界のカメラと違い、シャッター音は鳴らなかった。どういう原理で動いてるんだろうな、あれ。ちょっと気になるが、カメラはびっくりするほど高価なのでとてもじゃないが分解しようという気は起きない。

 とりあえず、撮影も終わったので仰向けに倒れているヴァルヴルガ氏の身体をなんとか横向きにして、回復体位を取らせた。死なれても困るしな。

 

「う、うわあ……鉄製の胸当てがひしゃげてる……」

 

 そろそろと近寄ってきたランドン参事が言った。彼女の言うように、ヴァルヴルガ氏の胸当ての肩口の装甲は、戦闘用ハンマー(ウォーハンマー)が直撃したかのように完全にへこんでいる。

 

「そ、その……騎士様? 本当に木剣を使ったんですか? 実は鉄の芯とか入ってませんでした?」

 

 完全にビビっているのか、ランドン参事の先ほどまでの蓮っ葉な口調は鳴りを潜め敬語になっている。

 

「ソニア」

 

「はっ! ……そら、確認しろ」

 

 不正を疑われちゃたまらない、実物を見せてやることにした。半ばからへし折れた木剣を受け取った参事は、巻き付けられているフェルト布を剥がして見分を始めた。

 

「本当にただの木の棒……ですね?」

 

「アル様が卑怯な手段を使う必要がどこにある? あの程度の図体の大きいだけの輩など、アル様にとっては脅威にすらならん」

 

 なぜかドヤ顔で語り始めるソニアだが、流石にそれは言い過ぎだ。だいたい、根本的に只人(ヒューム)という種族は亜人の下位互換みたいなスペックしてるからな。普通なら、まともに勝負にならないんだよ。だからこそ貴族は亜人ばっかりな訳だけど……

 じゃあどうしてこうもアッサリ勝てたのかというと、僕の剣術が初見殺しに特化しているからだ。最短で最大の攻撃を叩き込むことに特化している。さらに言えば、魔術の力もある。身体能力を底上げする魔術に、効果時間を短くして出力をアップする調整を施しているんだ。

 この魔術が効果を発揮している三十秒の間だけは、僕は亜人の戦士に匹敵する筋力や速度を手に入れられる、という訳だ。身体能力で並べば、あとは技量勝負になる。

 

「いや、それは違うぞ。二回、三回と繰り返せば結果は変わってくるはずだ」

 

 最初の一太刀に全身全霊を込めてるわけだからな、これを防がれると非常に厳しくなってくる。そうなれば、時間制限のあるこちらが圧倒的不利だ。特に実戦では慢心すればあっという間に戦死か捕虜にされてチンコ奴隷堕ちの二択だからな。油断はできない。

 

「また謙遜されて……」

 

 ソニアは本気で呆れている様子だからたまらない。滅茶苦茶優秀だけど、なんか信頼が重いんだよな、この副官……。

 

「まあ、それはさておき」

 

 話を逸らすべく、僕はわざと足音を立ててランドン参事に近寄る。そしてその肩を(彼女も竜人(ドラゴニュート)なので僕より背が高い。結構悔しい)、籠手に包まれた手でやや乱暴に叩いた。

 

「これで僕が騎士として、そしてこの地の代官として相応しいと認めてもらって結構だな?」

 

「うっ!?」

 

 ランドン参事は顔を真っ青にして、ほかの参事たちに助けを求めるような視線を送った。最初は喧嘩腰だったくせに、ずいぶんと臆病だな。

 こういう手合いを制御するためにも、やはり初手でこちらの戦闘力を誇示するのは有効な手だった。貴族の商売は舐められたら終わり、というのはこういうことだな。

 

「も、もちろん! いやいや、わたくしは最初からアルベール殿が素晴らしい騎士であることには気づいておりましたがね? 目の曇った者もいたものですな、ハハハ……」

 

「ぐっ! い、いやあ面目ない。ハハハ……」

 

 ほかの参事に速攻で裏切られたランドン参事は、青筋を立てつつも頷いた。ここまで来たら、首は左右に振れないだろう。そんなことをすれば、約束を破ったことに怒った僕が暴れだしてもおかしくないからな。

 実のところ、僕はもう暴れられなかったりするけどな。魔術を使って強引に身体能力を押し上げると、反動で凄い筋肉痛になるんだよ。今も全身がメチャ痛い。涼しい顔をしているが、これはやせ我慢だ。そういう訳で、暴れるならソニアに担当してもらうしかない。

 

「そういう訳で、我ら参事会は代官アルベール殿にご協力いたしましょう」

 

「よろしい。では、詳細を詰めよう」

 

 自警団の強化や指揮系統の変更、行政機能の回復・維持など、参事会の協力をが必要な仕事はいくらでもあるからな。相手がビビり切っている今がチャンスだ、どんどんこっちに有利な条件をのんでもらおう。

 

「……ところで」

 

 そこで、僕は視線を遠くに向けた。そこには、呆然とした表情で僕を見るリス獣人の少女が居た。あのヴァルヴルガ氏の腰ぎんちゃくだ。

 

「兄貴分……じゃないや、姉貴分がやられてショックなのはわかるがね、そろそろ彼女を介抱してやったらどうだ? 子分だろう?」

 

 この国では差別されがちな獣人ということで、参事会の連中もヴァルヴルガ氏の手当てをしようとはしていない。僕たちも忙しいので、流石に彼女のほうまでは手が回らない。できれば、このリス獣人の子にヴァルヴルガ氏の処置を頼みたいのだが……

 

「治療費がないなら、僕が出そう。彼女には僕らの部隊で荷物持ちをやってもらう必要があるからな」

 

 冗談めかした口調でそういって笑いかけ、リス獣人の子に近寄る。いや、本当にかわいいな。もとになった動物がリスだけあって、マスコット的な可愛さがある子だ。自然と表情も緩くなる。

 

「そ、そんな……」

 

 しかし、リス獣人はそのままペタリとへたり込み、ひどくショックをうけた様子で呟く。

 

「嘘だ……まさか、男騎士がこんな……」

 

「……えっ?」

 

 どういう意味だ? よくわからないので、周囲を見まわす。それを見たランドン参事が、それ見たことかと言わんばかりの口調で言った。

 

「そりゃあ、物語に出てくる男騎士と言えば麗しさと凛々しさを兼ね備えた人物と相場が決まっておりますから」

 

「その手の物語は読んだことがないが、まあそうかもな。で?」

 

 おおむね、こちらの世界での男騎士の扱いやイメージは前世における女騎士に準じている。前世では女騎士もののエロゲもさんざんやったから、まあ理解できなくはない。

 

「しかし、現実の男騎士はサルのような奇声をあげつつ熊獣人を一撃で殴り倒すようなゴリラ……もとい、豪傑だった。……それはもう、ショックを受けるなという方がムリでしょう。子供の夢を壊してしまいましたな、アルベール殿」

 

 ……言いたいことは分かるが、理不尽すぎるだろ!!



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第17話 くっころ男騎士と舎弟

 その後、僕は参事たちと本格的な打ち合わせをした。事務系人材を借りたり、衛兵の代わりにするために自警団を強化したり、今後に備えて必要な物資を調達したり……やるべきことは、いくらでもあった。

 ヴァルヴルガ氏との試合が効いたのは交渉自体は比較的スムーズに進んだが、相手も海千山千の商人や職人だ。隙あらば自らの権益を拡大しようとグイグイ突っ込んでくる。それらを躱しつつ話をまとめ終わったのが、昼過ぎのことである。

 

「いやー、兄貴には失礼なことをしてしまいやした。本当に申し訳ねぇ」

 

 精神的にひどく疲弊しながら寄り合い所を出た僕を出迎えたのは、ヴァルヴルガ氏だった。彼女はぺこぺこと頭を下げながら、謝罪をしてくる。いや、兄貴ってなんだよ。

 先ほどまでとの態度の違いに困惑するが、それはさておきその元気そうな様子にほっと息を吐いた。流石に心配してたんだよ、結構派手に吹っ飛ばしちゃったから……。

 

「よくあることだ。態度を改めてくれるならそれでいい」

 

 手を振りながら、少しだけ笑う。本当にもう、行く先々でこの手のトラブルは起きるんだ。めちゃくちゃ舐められるからな、男騎士ってやつは……。いちいち憤慨していたら、胃に穴が空いてしまう。

 

「ありがてぇ……!」

 

 そう言ってまた、ヴァルヴルガ氏は深々と頭を下げた。びっくりするくらい素直に謝って来たな、しかし……なんだか強情そうな雰囲気だったから、またひと悶着あるんじゃないかと心配してたんだが。疑問に思って、ちらりとソニアの方を見る。

 

「獣人どもは野蛮な連中ですが、それゆえに力が強い者を尊敬するという性質を持っています。ヤツもアル様を認めたのでしょう」

 

「なるほど」

 

 向こうに聞こえない程度の声でそんなことを教えてくれるソニアは、やはり出来た副官だ。礼を言って、視線をヴァルヴルガ氏の隣に向ける。

 

「あ、アネキィ……」

 

 そこに居たのは、例のリス獣人の子だ。彼女は目尻に涙を浮かべながら、ヴァルヴルガ氏の鎖帷子(チェインメイル)を引っ張っている。尊敬していた姉貴分の変節に、ショックを受けているのかもしれない。

 

「おいロッテ、お前も兄貴に失礼なことを言ったんだ。少しくらい謝ったらどうなんだ」

 

「え、ええ……」

 

 ロッテという名前らしいその子は、ヴァルヴルガ氏と僕を交互に見た。その表情は、ひどく悔しそうだ。しかし何しろ小動物的な可愛さがある少女なので、そんな姿を見ても腹が立つより先にほほえましさを感じる。可愛いのって卑怯だよな。

 

「ご、ごめんなさいッス……」

 

 あからさまに納得してない表情で、ロッテは少しだけ 頭を下げた。ま、所詮は生意気呼ばわりされただけだ。許す、そう言おうとした。しかしそれより早く、ソニアがズイと前に出る。

 

「随分とナメた態度だな、ええ? 本当に謝る気があるのか」

 

 ヴァルブルガ氏ほどではないにしても、ソニアも随分とデカい。それが凄んでいるものだから、ロッテは完全にビビっていた。ぴゃあと悲鳴を上げながら、ヴァルブルガ氏の後ろに隠れる。

 

「やめんか」

 

 慌ててソニアを止める。貴族は面子商売だから、侮辱されたのならそれなりの対応を取らねばならない。しかし、過剰な謝罪を要求するのも、またよろしくない。

 あんまり詰めすぎると逆ギレして反撃してくるヤツも居るからな。隙を見せた瞬間後ろから刺される、なんてことを避けるためには、ある程度なあなあで済ませるのも大切なんだよ。

 

「とにかく、もうこの件はこれで良しとする。いいな」

 

「了解しました」

 

 ピシリと敬礼するソニアに、僕はため息を吐きつつ返礼した。だいたい、他に忙しい事がありすぎるんだ。こんな大したことのない案件に、あまり時間を取られたくないだろ。

 

「しかし、立場を弁えたというのなら、約束はきちんと守ってもらおう。わかっているだろうな?」

 

「へい、もちろん」

 

 ソニアが厳しい表情で聞くと、ヴァルブルガ氏は神妙な表情で頷いた。

 

「このヴァルヴルガ、女として約束を違えるわけにはまいりません。荷物持ちだろうがなんだろうが、使いつぶしてやってくだせぇ」

 

「今は人手がいくらあっても足りないからな、助かるよ」

 

 相手は熊獣人、体力は無尽蔵だ。ほんの少し前まで気絶していたとは思えないほどケロリとした彼女の表情からも、それはうかがえる。

 なにしろ、動力付きの機械なんか存在しない世界だからな。何をするにも、体力がいる。そういう面では、ヴァルブルガ氏は非常に頼りになるだろう。これは、言い拾い物をしたな。

 

「とりあえず、代官屋敷にでも送りますか?」

 

 ソニアが提案する。確かに、代官屋敷に残った部下たちは今、慣れない仕事に悪戦苦闘しているはずだ。それは手伝ってやりたいところだが……。

 

「いや、慣れないヤツを連れて行ってもかえって邪魔になるだけだろう」

 

 ただでさえ、代官屋敷にはこれから参事連中が事務員を送ってくれることになっているんだ。これ以上人を寄越したら、混乱のもとになる。

 だいたい、ヴァルブルガ氏は事務のできるようなタイプには見えないからな。別の仕事を振った方がよさそうだ。

 

「とりあえず、僕たちもまだ町の方での仕事が残ってる。そっちについて来てもらおうか」

 

「へい」

 

「はいッス」

 

 ヴァルブルガ氏とロッテは、神妙な顔で頷いた。



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第18話 くっころ男騎士と痴女

 その後、町へ出た僕たちは衛兵詰め所へ行って事情を説明したり、商人に必要な物資の調達を依頼するなどした。

 世にも珍しい男騎士である僕はここでもいくつかのトラブルにも見舞われたが、驚いたことにこれはヴァルヴルガ氏のとりなしで簡単に解決することが出来た。どうやら彼女、この町ではそこそこに顔が効くらしい。

 

「なるほど、やっぱりか……」

 

 やっとのことで必要なタスクを終えた僕だったが、そこへ厄介な報告が入ってくる。新たな馬の調達に失敗した、というものだ・

 

「まあ、もともとこんな田舎ですからね。常用馬なんてほとんど必要としていませんから」

 

 そう説明するのは、ラフな格好の町娘だった。なにしろ人手がまったく足りないので、情報収集をするにはこうした一般人をカネで雇うほかない。

 

「その数少ない常用馬も、一週間ほど前に全部前の代官様が徴発しちゃったみたいで」

 

「随分と徹底してるじゃないか……ああ、助かった。ありがとう」

 

 そう言って、僕は町娘に小ぶりな銀貨を一枚投げ渡す。彼女は片手でそれをキャッチすると満面の笑みを浮かべ、「またご贔屓(ひいき)に!」と言って去っていった。その背中を目で追いながら、僕は小さくため息を吐く。

 

「計画的な犯行ですね。向こうは最初からこちらをハメるつもりだったのでしょう」

 

「どうやら連中は、どうあっても僕たちをこの町に閉じ込めておきたいらしいな。これじゃ伝令も送れやしない」

 

 やはりどう考えても、前代官とその一味は僕とこの町を孤立させることを目的に動いているとしか思えない。

 で、あれば、当然この現状が中央に露呈しないように手を打っていることだろう。この状況で伝令を送るのは、敵が準備万端罠を張っているとわかっている場所に無策に部下を突っ込ませることと同じだ。少なくとも今は、そんな勝ち目の薄そうな博打に出るわけにはいかない。

 

「一応、鳩は出したが……」

 

「当然、()も伝書鳩対策は打っているでしょう。一羽たりとも届かないものと想定して行動した方が良いかと」

 

「だろうな」

 

 ファンタジー風味なこの世界では、鳩に手紙を持たせて放つ伝書鳩がもっとも高速な通信方法だ。残念ながら、通信魔法のような使い勝手の良いものは存在しない。

 しかし、鳩はしょせん鳩。大量の猛禽を放つなどの方法で、容易に妨害することが出来る。その上、飛行型モンスターなんかが存在するこの世界の空は、前世の空よりも随分と物騒だ。平時であっても、鳩が無事に目的地に到着する確率は低い。

 

「……」

 

 やはり、現状はかなり不味い状況と言わざるを得ない。ここまで無茶な真似をして僕たちをこの町に拘束しているのだから、この後仕掛けてくるであろう本命の攻撃も当然大規模なものになるのは確定だ。

 僕のやるべきことは二つ。現状報告と共に増援を要請し、それが到着するまでこの町を守る事。それに尽きる。一番肝心なことは、民間人に被害を出さないことだ。くだらない権力闘争で無関係な一般人に被害を出すなんて、あってはならないからな。

 

「とりあえずいったん代官屋敷に戻って、事務処理の方を手伝おう。目の前のタスクを終わらせないことには、動くに動けない」

 

 迫りくる脅威に対抗しようにも、目の前にそびえたつ仕事の山がそれを許さない。まったく、敵ながら上手い手を打ってきたもんだ。

 そんなことを考えていると、こちらに向かって真っすぐに歩いてくる女を見つけた。フードを目深にかぶっており、顔は見えない。いかにも怪しげだ。

 

「……」

 

 ソニアの目つきが厳しくなり、剣の柄に手を当てた。近くに控えているヴァルヴルガ氏も、警戒を露わにする。

 

「……ちっ」

 

 あからさまに剣呑な雰囲気を放つ二人に気圧されたのは、フード女は僕の十メートルほど手前で立ち止まった。

 

「一つ、質問がある」

 

 小さな声で、フード女は聞いてきた。騒がしい街中では、やっと聞き取れるかどうかという声量だ。しかしこの声、なんだか聞き覚えがあるような。

 

「……なんだ?」

 

「パンツ何色?」

 

「おい、痴女だ! 捕縛、捕縛ー!」

 

 思わず僕はそう叫んだ。獰猛な猟犬のような勢いでソニアが突撃し、フード女に体当たりをかます。

 

「うわーっ!」

 

 フード女は悲鳴を上げて地面に転がったが、そんなことで攻撃の手を緩めるソニアではない。そのまま女の腕を掴み、ギリギリと締め上げた。

 

「痛い痛い痛い! やめろぉ! この私を誰だと……」

 

「この女、卑猥なことを叫ぶつもりですよ。黙らせます」

 

「もがもがっ!」

 

 片手で関節技を仕掛け、もう片手で女の口をふさぐソニアの格闘能力はかなりのものだ。

 

「た、たんなる痴女だからね? もうちょっと優しくね?」

 

「いえ、コレは危険な痴女です。わたしは痴女の生態に詳しいのでわかります」

 

 そんなことを言いながら、まったく関節技をかける手を緩めないソニア。そんな彼女を見て、ヴァルヴルガ氏が腰に下げていた戦棍(丈夫な木の棒の先にトゲ付き鉄球が装着された見るからに物騒なヤツだ)を引っ張りぬき、言った。

 

「ええと、とりあえず大人しくなるまでシバいときますかね?」

 

「駄目に決まってるだろ!? と、とにかくその人を代官屋敷にお連れ……じゃないや、連行するぞ! 早く!」

 

 いくらナメられがちな男騎士な僕でも、白昼堂々下着の色を聞いてくるような脳みそピンク色の知り合いは一人にしかない。なんでこの人がこんなところに居るんだ……?

 



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第19話 くっころ男騎士とセクハラ宰相再び

 現行犯逮捕した痴女を連れ代官屋敷に戻った僕は、彼女を尋問室に連れ込んだ。明り取りの天窓しかない小さな部屋なので、人目をはばかるような話にはぴったりだからな。

 ヴァルヴルガ氏にはいったんお帰り願ったので、部屋にいるのは僕とソニア、そして例の痴女だけだ。

 

「で、なぜあなたがこんなところに?」

 

 古ぼけたフードを脱いだ女に、そう話しかける。案の定、フード女の正体はアデライド宰相だった。この国の宰相であり、僕の後援者(?)でもある人物だ。

 王都に居るはずの彼女が、なぜこんなところに居るのか? まったく理解が追いつかない。リースベン領は気軽に来られるような場所じゃないからな。国の重鎮である彼女が、中央を長期不在にしてまでやってくることは絶対にないだろうと思っていたのだが……

 

「ははは……さすがに驚いているようだな。その顔が見たかったのだ、わざわざ私自ら足を運んだ買いがあったというもの」

 

 そう言って、アデライド宰相が愉快そうに笑った。気分を害したのか、ソニアが憎々しげな舌打ちをする。

 

「何しろこんな遠方、その上ほとんど敵地のような場所だからな。アル君が苦労しているのではないかと思ったのだよ。そこで一つ、プレゼントをしてあげようと思ってね」

 

「……と、言うと?」

 

 やたらともったいぶった口調のアデライド宰相に、続きを促した。ほかに聞きたいことはいくつもあったが、ソニアが無表情で青筋を立てている。マジでキレる三秒前って感じだ。

 この人とソニアは相性がやたら悪いからな。出来るだけ話を早く終わらせなくては、大変なことになってしまうかもしれない。

 

翼竜(ワイバーン)さ。こいつがあれば、このリースベン領からもひとッ飛びで王都に行くことが出来る」

 

「……マジすか?」

 

「本当だとも。腹心である君と分断されるのはいろいろと困るからねえ、一騎渡しておこうとおもったのだよ。決してこれは、めったに君と会えなくなった私が寂しさに耐えかねた訳ではなく……」

 

「最高! 宰相最高! うおおおっ!」

 

 思わず僕は歓声を上げた。翼竜(ワイバーン)が居れば、いくつもの問題が簡単に解決する! 最高のプレゼントだ!

 

「ははは、いいぞ! もっと褒めたたえろ! 感激のあまり抱き着いてもよいぞ!」

 

「よろしい、抱き着かせてもらおう」

 

「ウワーッ!」

 

 無表情のまま、ソニアが宰相に抱き着いた。彼女も板金鎧を装着している。おまけに|竜人(ドラゴニュート)だけあって、只人(ヒューム)の宰相よりもかなり体格がいい。

 そんな相手に抱き着かれたのだから、痛いどころの話じゃないだろう。宰相は顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。

 

「ぬおおおお、離さんか!」

 

「ソニア、ステイステイ!」

 

 せっかく貴重な航空戦力を持ってきてくれたのに、この副官はなにをそう荒ぶっているんだ。あわててソニアを引きはがす。

 

「ヌウ……いつものことながら、この女は私のことを何だと思っているのか。私、宰相だぞ? 偉いんだぞ? そんな態度をとって大丈夫だとでも?」

 

「私は辺境伯の娘なので問題ない。宰相の権力と言えど重鎮貴族をどうこうすることはできないというのは、今回の件でハッキリしたからな!」

 

 この副官、宰相相手だと敬語すら使わない。なんでこんなに敵視してるんだろう……・

 

「お、お前実家から半分絶縁状態だろぉ……」

 

「手紙のやり取りくらいはしている」

 

 腕組みをしながら、ソニアはそう言い放った。無表情ながら、なぜかドヤ顔のようにも見える。

 

「まあ、それはさておきだ。翼竜(ワイバーン)の件は承知した。しかし公衆の面前で騎士に卑猥な言葉を吐いたという事実は変わらんぞ。神妙にお縄に着け」

 

「あっ、あれはスムーズに収監されるための方便だ! 普通に接触していたら、敵に怪しまれるからな」

 

 それはまあ、予想していたことだ。カルレラ市内には、敵のスパイが紛れ込んでいると考えるのが自然だからな。人目のない所で会合するには、収監するのが一番だ。

 

「じゃあアル様の下着の色は気にならないんだな?」

 

「なるに決まってるだろ!」

 

「馬脚を露わしたな」

 

 気になるんだ……。

 

「あわよくばナマで見たいとか思ってるんだろう?」

 

「当然だ!」

 

 いやらしい笑みを浮かべ、アデライド宰相は僕の方を見る。

 

「カネならいくらでもある……! 銀貨を何枚重ねればパンツを見せてくれるんだ? ええ?」

 

「やはりこの女は危険です。ここで消しておきましょう」

 

「やめんか!」

 

 アデライド宰相はアデライド宰相だし、ソニアもソニアだ。どうして僕の周りにはヘンな女しか居ないんだろう。

 

「ま、まあそれはさておき……翼竜(ワイバーン)を頂けるのであれば、非常にありがたいことです。しかし、なぜアデライド宰相自らリースベンに?」

 

 確かに、翼竜(ワイバーン)を使ったのであれば王都からこの町までそう大した時間はかからなかったはずだ。それでも、ガレア王国の重鎮の一人であるアデライド宰相が、一人でノコノコ辺境にやってくるのはおかしな話だろう。影武者だと言われても納得するレベルだぞ。

 

「それは、まあ……なんというか……」

 

 引きつった作り笑いをしつつ、アデライド宰相はそっぽを向いた。下手くそな口笛まで吹いている。

 

「アル様にセクハラしに来たんですよ、この女は。どうしようもないセクハラ中毒なのでしょう」

 

「さ、流石にそれは言いすぎだろ……」

 

 いくら温厚なアデライド宰相でも、これは気分を害するだろう。おそるおそる彼女の方をうかがうと……バレちゃあしょうがないと言わんばかりの表情で頷いた。脳みそと下半身が直結していらっしゃる?

 

「こう見えて一途な女なのだよ、私は。そこらへんの侍男(じなん)などで無聊を慰めるような真似はしない」

 

 そりゃ、王宮で働いている男性使用人……侍男(じなん)のほとんどは、貴族の養子だからな。いわゆる行儀見習いってやつだ。これに下手に手を出すと、なかなか面倒なことになるだろう。その点、僕は木っ端宮廷騎士の息子なのでやりやすいはずだ。

 

「は、はあ、ありがとうございます……しかし、お供もつけずに一人で辺境にやってくるなど、危険ではありませんか?」

 

 この人も敵が多い身だからな。隙を見せれば暗殺される可能性も十分ある。

 

「大勢の供を付けるのは、防諜面から考えても逆に不利だ。こちらの動きを向こうに察知されてしまう。アル君に翼竜(ワイバーン)を渡したことは、向こうに知られたくないからね」

 

 ……こういう機転は、流石だよな。いずれは露見することだろうが、短時間でも敵の裏をかけるというのは非常に魅力的だ。

 

「それに、護衛はネル一人で十分だ。今もこっそり、代官屋敷の外で待機してくれているはずだよ」

 

「なるほど、彼女も連れてきていたのですか。それは安心だ」

 

 アデライド宰相の懐刀、ネルは王国でも十指に入る剣士だ。なまじの騎士が五、六人ついているよりよほど安全だろう。

 

「そしてもう一つ……できれば直接会って知らせておきたい重大な情報がある。いくら翼竜(ワイバーン)が早いとはいえ、使者を介して手紙のやり取りをしていたら、間に合わなくなりそうな話がね」

 

 先ほどまでのふざけた表情から一転、アデライド宰相は極めて真面目な顔でそう言った。 

 



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第20話 くっころ男騎士と戦略資源

「重大情報……と言いますと?」

 

 姿勢を正して、僕は聞き返した。宰相自ら直接伝えなければならないと判断するような案件だ。そうとうの大事なのではないだろうか。

 

「ミスリル鉱山だ。このリースベン領で、ミスリルの鉱脈が発見された……」

 

「う、うわあ……」

 

 ミスリルというのは、まあ……この世界特有の金属だ。銀によく似ているが軽量で強靭。通常の金属は魔力を通さないが、例外的にミスリルは良く通す。この特性から、魔道具(マジックアイテム)の作成には必須の素材となっている。

 しかしミスリルは、なかなかに貴重な素材だ。ミスリル鉱脈など、めったに見つかるものではない。それがこの辺境で発見されたということは……つまりでかい火種になるってことだ。

 

「この情報は、女王陛下にすらご存じなかった。オレアン公め、こっそり試掘していたのだ」

 

「利益を独占するつもりでしょうね」

 

 何かを思案している様子のソニアが、静かな声で言った。

 

「ああ。このリースベン領はオレアン公が出資しているとはいえ王領……ミスリル鉱山が出来ても、それは女王陛下のものとなる。オレアン公としては、ぜひとも横取りしたいはずだ」

 

 ものすごくきな臭い話になって来たな。地下資源利権が発見され地域情勢が一気に悪化するというのは、前世の世界でもよくあった話だ。

 

「とすると、僕は……生贄(いけにえ)の羊に仕立て上げられたわけですか」

 

 女王の土地が欲しければ、戦果をあげてその報償としてもらう他ない。しかし、今のガレア王国は比較的平和な情勢だ。戦果をあげるには、まず戦争を起こさねばならない。

 

「そうだ。試掘の際には、鉄鉱脈も発見されたらしい。推測になるが、オレアン公はこの情報を神聖帝国に流したものと思われる。鉄山なら、餌としてちょうどいい規模だからな」

 

「ミスリル鉱山があるとバレれば、相当の大軍を送ってくる可能性もありますからね。そうなれば、オレアン公本人にも収拾不能になってしまう」

 

 しかしオレアン公、とんでもないヤツだ。思いっきり外患誘致罪じゃないか! 自然と、拳に力が入る。国民の安全と財産を守るべき立場の人間が、いったい何をやっているのか。宰相の話が本当なら、即刻逮捕するべきだ。

 

「しかし、そこまでわかっているわけですから……オレアン公本人を叩くわけにはいかないのでしょうか? 家はお取り潰し、本人は死刑。そういうレベルの悪行ですよ、これは」

 

「そうしたいのはやまやまだが……向こうも巧みだ。状況証拠はあっても、物的な証拠はほとんど掴めなかった。前代官の馬泥棒や公文書破棄の件で追及はできるだろうが、それも誰か適当な部下に責任を被せて本人は逃げ切るだろうな」

 

 こちらの現状については代官屋敷に帰ってくる道すがらに説明していた。アデライド宰相にはなんとかこの件を立件して、オレアン公に対処してもらいたかったのだが……なかなか難しいようだ。

 

「悪知恵ばかり働く……!」

 

 悪態の十や二十は吐きたい気分だが、今はそれどころではない。隣国の脅威が現実化してきたわけだからな。現場指揮官の僕には、これに対処する義務がある。

 

「……いや、とにかく今はやるべきことをやっていきましょう。アデライド、一つお聞きしたいのですが」

 

「呼び捨て……」

 

 ソニアがボソリと呟いたが、この人は敬称をつけると文句を言い始めるから仕方ないんだ。好きで予備シテにしているわけじゃないから許してくれ。

 

「アデライドは、翼竜(ワイバーン)を使ってリースベン領に来たわけですよね」

 

「うむ、そうだ。流石に馬車でのんびり旅をするような暇はないからな。正直もう乗りたくないが……」

 

 ひどく青ざめて、アデライド宰相は背中を震わせた。高所恐怖症だったのだろうか?

 

「では当然、乗ってきた翼竜(ワイバーン)は」

 

「郊外の森に隠してある」

 

「現状、何騎居ますか?」

 

「三騎だ。アレは二人乗りが限界だからな。私とネルを運ぶための二騎と、ここへ残していく一騎というわけだが……」

 

 三騎か。軽飛行機相当のユニットが三つ手に入ったと思えば、非常にありがたい。これだけあれば、何とかなる。

 

「では、その翼竜(ワイバーン)を使って、レマ市への伝令と神聖帝国の国境当たりの偵察をお願いしたい。構いませんか?」

 

「レマ市というと、山脈の向こうにある街だな。あそこの領主なら、確かに信頼できる。伝令は確実に送ろう」

 

 レマ市の領主は宰相派閥の人間だ。ちょうど宰相が居るのだから、協力を得るのはたやすいだろう。

 

「しかし偵察の方は大丈夫かね? 神聖帝国には、あの高名な鷲獅子(グリフォン)騎兵が居る。わが精鋭の翼竜(ワイバーン)騎兵とはいえ、少数で突っ込ませるのは危険なのでは……」

 

 王国の空中戦力といえば空飛ぶトカゲである翼竜(ワイバーン)だが、神聖帝国にも同じように鷲獅子(グリフォン)が配備されている。これはワシとライオンの合成獣(キメラ)で、なかなか強力なモンスターだった。

 

「問題ない。鷲獅子(グリフォン)は低空での格闘能力こそ翼竜(ワイバーン)に勝るが、速度に関しては大したことはない。逃げに徹すれば、そうそう捕まりはしない」

 

 そんなことも知らないのかと言わんばかりの口調でソニアが言った。この副官、僕が宰相を呼び捨てているのを聞きとがめた癖に自分はタメ口なんだよな。何度も注意しているが、改める様子はない。

 まあ、彼女も重鎮貴族の娘だ。宰相もあまり咎めない辺り、何かあるんだろうな。あんまり詮索すると、藪蛇になりそうで怖い。

 

「ふーむ……なるほど、良かろう。確かに、リスクを取ってでも敵の情報は欲しい。今日は……もう遅いか」

 

 ちらりと天窓の方を見て、アデライド宰相はため息を吐いた。そこから差し込む光は、すでに赤く染まっている。翼竜(ワイバーン)は夜目が効かないので、夜間飛行は不可能だ。

 

「出発は明日明朝だな。それまでに、レマ市へ送る伝令に持たせる書状も用意しておこう。向こうで調達してもらいたいものをリストアップして桶」

 

「了解です」

 

 僕は深々と頭を下げた。状況は悪いが、宰相のおかげで最悪の事態は避けられそうだ。いくら感謝しても足りないくらいだな、これは。

 

「ところで……ここまでしてやったんだ。私にも何か、役得があってもいいと思うのだがね?」

 

 ところがこの宰相、見直したばかりだというのに好色な笑みを浮かべてそんなことを言い放ちやがった。やっぱりセクハラ宰相はセクハラ宰相だな……。



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第21話 盗撮魔副官と夜の楽しみ

 わたし、ソニア・スオラハティは、自室に戻ると同時に大きなため息を吐いた。長時間にわたる打ち合わせのせいで、あの不愉快なセクハラ宰相と夜中まで顔を合わせ続ける羽目になったからな。泥のような不快感が、精神に絡みついている。

 なにしろあの色ボケ宰相、会議中でも構わずアル様の尻を揉もうとしてきたからな。そこらの一般人なら半殺しどころか九割殺しにしていたところだ。しかし宰相相手にそこまですると流石に問題になるので、頭突き一発で勘弁してやるほかなかった。悔しくて仕方ないが、いずれ借りは返してやる。

 

「まったくあの年増は度し難い……」

 

 いや、宰相だけではない。バカげた陰謀を仕掛けてきたオレアン公も、軍人としての本分を投げ出してその陰謀に加担した全代官も、すべてが腹立たしい。今すぐ死んでほしいし、出来ることならこの手で葬りたい。

 辺境勤務と聞いた時は、邪魔の入らない環境でアル様を堪能できると喜んだものなのに……なぜこんなことになってしまったのだろう? 本当に不愉快だ。

 

「……いけない」

 

 士官たるものはいつでも平常心であれ。アル様の教えだ。考えても仕方ないもので心乱されていては、肝心な時に力を発揮できない。深呼吸をして、精神を落ち着ける。

 ああ、しかしアル様。アル様は素晴らしい。一人も見せしめに殺すことなく三次会の愚か者どもをまとめ上げ、不愉快な熊獣人に立場を弁えさせた。わたしと同い年とはとても思えない鮮やかな手並み。本当に惚れ惚れする。やはり、実家を捨ててでもついて行くべきお方だ・

 

「アル様……」

 

 アル様のことを考えていたら、身体が熱くなってきた。もう一度深呼吸して、落ち着けようとする。だが、無理だ。アル様への想いは、この十数年積み上げてきたものだ。そう簡単に鎮まるものではない。

 それに、最近はしばらく行軍続きだったからな。天幕や安宿の大部屋で雑魚寝が普通という環境では、とても自分を慰めることなどできない。半月分以上の性欲が腹に溜まっているんだから、簡単におとなしくなってくれるはずがない。

 

「仕方ないか……」

 

 ため息を吐き、すでにひどい状態になってしまっている下着を脱ぎ捨てる。スカートはこういう時に楽でいい。下半身がフリーになった解放感を覚えつつ、部屋の隅に置いている木箱へ歩み寄る。ペンダントのように下げたカギを使って錠前を開け、ゆっくり慎重に蓋を上げた。

 

「……大丈夫」

 

 蓋と箱の間に張っていた髪の毛は、切れていなかった。これが切れていたら、私以外の誰かが箱を開いたということだ。下手人は確実に始末しなくてはならない。

 

「ふふふ……」

 

 箱の中身は、大量のアルバムだ。そのうちの一冊と取り出すと、自然に笑みがこぼれる。そっと、アルバムを開いた。

 そこにあるのは、大量の写真。もちろん、被写体はすべてアル様だ。ほかに撮るべき価値のある被写体なんてない。甲冑姿で軍馬に跨るアル様、お風呂に入るアル様、自室でアレをするアル様……。刺激的な写真の数々が、わたしをさらに熱くさせる。

 

「そういえば、出来るだけ早くこの屋敷でも撮影の準備をしなければ……」

 

 王都にあるアル様の自宅の屋根裏は、ほとんどわたしの巣のようになっていた。だからお宝写真も撮り放題だった。

 しかしこの代官屋敷では、そうはいかない。しかし、この有り余る撮影欲を抑えるのはムリだ。わたしにはアル様のお姿を後世に残す義務がある。……いや、この写真はわたしだけの物だ。ほかの誰かに見せてやることなど絶対にない!!

 

「……」

 

 いけない、性欲で頭が茹で上がっているせいか、思考がおかしくなっている。頭を振って、頬を叩く。冷静に、冷静に。

 

「でも、近日中に覗き穴はあけよう」

 

 副官特権で、わたしの部屋はアル様の部屋の隣にしてもらっている。壁に穴をあければ、向こうの部屋は覗き放題だ。

 しかし、撮影までするとなると、開ける穴はレンズが入るくらいの大きさにしなくてはならない。アル様に見つからないように加工するのはなかなか骨が折れるが……そこはわたしの腕の見せ所かな。

 

「しかし、今日のところは……」

 

 そんなことは後回しにすればよい。今肝心なのは、自分の昂りを治めてやることだ。アルバムをめくり、今夜のオカズを探し始める。

 

「どれだ、どれが一番いい……?」

 

 半月以上も我慢してきたのだ。適当な写真で致すのは勿体ない。リースベン領についたら好きなだけセルフプレイができると思ったのに、あの腐れ元代官を警戒していたせいで昨夜は結局何もできなかった。お預けを喰らった分、余計に開放には慎重になる。

 

「……これだ!」

 

 選ばれたのは、サウナに入るアル様だった。この時は他に人も居なかったので、腰に手ぬぐいすら撒いていない。素っ裸だ。

 わたしの尊敬する主の身体は、外見からは考えられないほど筋肉質で古傷だらけだ。なよなよした男を好むものが多いこの国ではあまりウケはよろしくないだろうが、わたしからすればヨダレが出そうな……いや、口元がヨダレまみれになるご馳走に見える。早く食べてしまいたい。もちろん性的な意味で、だ。

 

「だめ、だめ。我慢我慢」

 

 残念ながら、アル様は只人(ヒューム)貴族。結婚相手は只人(ヒューム)でなくてはならない。わたしは竜人(ドラゴニュート)だから、その子供も竜人(ドラゴニュート)になってしまうからな。アル様の実家、ブロンダン家はこれを絶対に認めないだろう。

 アル様には適当な只人(ヒューム)の娘と結婚していただいて、手を出すのはそれからだ。寝取られてしまうようで業腹だが、別の女と婚前交渉をしていたとなればアル様の経歴に傷がつく。副官としてのわたしは、それを容認できない。

 

「……」

 

 少し悲しい気持ちになったが、仕方ない。アル様が結婚されるその日までは、自分で自分を慰めて我慢しよう。初夜は絶対に譲れないが……。

 

「はあ」

 

 ため息をついて、アルバムを持ったままベッドに寝転がる。左手が無意識に体の横を探ったが、そこに愛用の抱き枕はない。致すときには、アレに抱き着きながら……というのが習いだったのだが、ない物はしかたない。早く新しい抱き枕を調達しなくては……。

 

「写真を抱き枕に張り付けられないかな……」

 

 そんなことを呟くが、無理なことは分かり切っている。写真を複写できるのは魔力転写紙だけだ。悲しい。

 

「……まあいいや」

 

 ない物ねだりをしても仕方がない。今は手持ちのモノで出来るだけ気持ちよくなることを目指すべきだろう。

 



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22話

 翌朝。夜明け前の薄暗い時間に、僕たちはこっそりと街を抜け出した。やってきたのは郊外に広がる鬱蒼とした森だ。そこに、アデライド宰相らが乗って来たという翼竜(ワイバーン)が潜んで居る。

 

「ほう、ほうほうほう! いや、やはり翼竜(ワイバーン)はいい!」

 

 翼竜(ワイバーン)とその騎手……竜騎兵たちと合流して早々、僕は歓声を上げた。翼竜(ワイバーン)は全長一〇メートルほどの翼をもったトカゲで、大きさのわりにほっそりした身体をしている。灰色のうろこが、黎明の光を浴びてギラギラと輝いていた。

 しかもそれが三頭もいる。見通しのきかない森の中とは言え、なかなかに壮観な光景だ。ちょっとした直線があれば離陸でき、小回りも効く。非常に使い勝手の良い航空戦力である。指揮官としては、こんなにありがたいものもない。

 

 

「でしょう? 翼竜(ワイバーン)より素晴らしい生き物など、この世にはおりません!」

 

 そう答えるのは、竜騎兵の女性だった。軽量・強靭な魔獣革の鎧をまとい、大きなゴーグルを額に乗せている。地上の騎士とは明らかに異なる格好だ。

 挨拶といくつかの社交辞令を交わし、さっさと本題に入る。迅速果断を旨とするのが竜騎兵だ。話が早くて助かる。

 

「宰相様方をレマ市へ送り、並行してソニア殿を連れて神聖帝国の国境地帯に偵察をかけると……なるほど」

 

「可能だろうか?」

 

 昨夜の話し合いの結果、そういう事になった。なにしろアデライド宰相は極秘にリースベン領を訪れているわけだから、彼女の名前で書状を出しても偽物だと思われる可能性がある。本人が出向いた方がよほど手っ取り早い。

 偵察をソニアに頼んだのは、彼女が写真撮影技術に優れ、さらに地図を製作する技能も有しているからだ。

 航空写真を撮れば言葉で説明されるより敵情がわかりやすいし、もし実際に紛争が発生すれば主戦場になるであろう場所の地図は絶対に必要になってくる。あのあたりの地図はまだ僕も持っていないので、一石二鳥というヤツだ。

 

「前者は簡単ですが、後者はなかなか危険ですな。しかし、私も誇りある竜騎士の一人。不可能とは申しませんとも」

 

「ありがたい!」

 

 オレアン公の陰謀が順調に動いているなら、そろそろ向こう側も何かしらの動きを見せているはずだ。その辺りを調べ上げないと、対応策を練ることが出来ない。

 

「本当に私が行かねばならないのか? もう翼竜(ワイバーン)にはあまり乗りたくないんだがねえ」

 

 アデライド宰相が不満の声を上げる。話し合いの時から、彼女は自分がレマ市へ出向くことを嫌がっていた。どうやら、翼竜(ワイバーン)に乗りたくないらしい。

 僕としては、せっかくファンタジー世界に転生したのだから一回くらいドラゴン(まあこいつらはどちらかというとトカゲだが)に乗ってみたいわけで、どうにも羨ましい。立場を代わってくれないものだろうか。……無理だな、現場指揮官が現場を離れるわけにはいかないだろ。悲しい。

 

「初日なんか、竜騎士殿の背中にしがみついてびえびえ泣いてましたからね、ご主人様。そりゃあいやでしょうね」

 

 そんなことを言うのはネル氏だ。宰相の懐刀である彼女とは、当然僕も面識がある。しかし、主にやたら辛辣なのは相変わらずだな。

 

「な、泣いてないぞ! 風が目に染みて涙が出ただけだっ!」

 

「ゴーグルをつけてたのに?」

 

「……」

 

 黙り込むアデライド宰相に、ネル氏はニヤニヤ笑いを見せた。上司で遊んでやがる……。

 

「……く、くそお……泣いてなどおらんからな!」

 

「ならば、こんな簡単なお使いを断るような真似はしませんよね?」

 

「……わかった! わかったとも! やればいいんだろうが、やれば!」

 

 ヤケクソになって叫ぶ宰相。ネル氏がこちらを見て、ウィンクしてきた。僕としては、苦笑いをして頷くしかない。いや、協力してくれるのは非常にありがたいんだけどね。

 オレアン公の策さえ破ることができれば、逆にミスリル鉱山をこちらのものに出来る可能性も出てくる。そうなれば、宰相も大儲けが出来るはずだ。なんだかんだ言いつつもここまで親身に協力してくれるのは、これが理由だろう。

 

「申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

 

「う、うむ……しかしこれは貸しだぞ。わかっているな?」

 

「はあ、もちろん」

 

 借りを作りたくない相手に、山のように借りが出来ていく。まったく世の中ままならないものだな。このまま返済不能になったら、僕はいったいどうなるんだろうか。普通に怖い。

 

「ところで、このお使いが終わったら宰相はどうするんだ? そのまま王都に帰るのか?」

 

 突然、ソニアが聞いてきた。相変わらずのタメ口だ。

 

「いや、長期出張ということにしているから、まだこちらに滞在できる時間は残っている。手伝えることもあるだろうから、いったん戻ってくるつもりだが」

 

「チッ……」

 

「ええい、どいつもこいつも! 私、宰相だぞ! 偉いんだぞ! みんなして態度が悪いんじゃないかね!」

 

「申し訳ありません、うちの部下が……」

 

「い、いや……こいつらの性根が曲がっているのは生まれつきだ、アル君は悪くない」

 

 慌てたように、アデライド宰相が首を左右に振る。偉そうではあっても存外に寛大なのがこの人の長所だ。

 

「しかし私の心はいたく傷ついた。それを癒すためには何が必要か……わかってるね、君」

 

 が、見直したばかりだというのにアデライド宰相はスススと寄ってきて僕の尻を撫で始めた。今日は鎧を突けていないので、ズボンの上からダイレクトに嫌らしい手つきで触ってくる。

 

「教育が足りないようだな」

 

 止めてください。僕がそういうより早く、ソニアが宰相の胸倉を掴む。彼女は只人(ヒューム)女性としては一般的な身長しかないから、大柄なソニアに迫られるとまるで子供のように見えた。さすがの宰相もこれは恐ろしかったようで、涙目になりながら小さく悲鳴を上げる。

 

「ひん……」

 

「ソニア副官、気持ちはわかるけど、その人を苛めるのは私の専売特許よ」

 

「おっと、失礼……」

 

 ネル氏に窘められて、ソニアは胸倉を離した。半泣きのまま、宰相はネル氏の背中に隠れる。彼女はやや馬鹿にした様子で「おーよしよし」と彼女の長い黒髪をワシワシと撫でた。

 

「ところでご主人様、あまり時間を無駄にしている暇はありませんよ。あまり時間が経つと、街道に人が来るかも」

 

 ネル氏がたしなめた。翼竜(ワイバーン)は前世の飛行機ほどの長大な滑走路は必要としないが、流石に垂直離陸は無理だ。森ばかりのリースベン領で離陸するためには、街道で助走をつける必要がある。

 この辺りの街道は農民と行商人くらいしか利用しないが、それでも人通りが皆無というわけではない。どこにオレアン公や神聖帝国の目があるかわからないので、発着はできるだけ人目につかないよう行いたいところだった。

 

「む、むう……」

 

 宰相は唸りながら物欲しそうな顔で僕を見たが、すぐにソニアの方に視線を移すと慌てて両腕を組んだ。

 

「い、いや、そうだな。うん。では、行こうか」

 

 ソニアが居る限り、積極的なセクハラはできない。ここは退散したほうが吉と判断したようだ。ソニアはクールな表情のまま宰相へ向けてピースサインをした。こいつ……。

 

「よろしくお願いします。……ソニア、そのくらいにしてくれ。それより、偵察のほうは任せたぞ」

 

「もちろん。完璧な成果を御覧に入れましょう」

 

「……無理はするなよ、情報は大切だがソニアの命はもっと大切だ」

 

 自国領であるレマ市へ向かう宰相たちと違い、こちらは明白な領空侵犯だ。危険度は段違いだろう。私人としても公人としても、ソニアの死は絶対に避けたい。

 

「お任せを」

 

 胸に手を当て、ソニアは深々と一礼する。どこへ出しても恥ずかしくない騎士らしい動作だ。

 

「しかし、任務が任務ですので、帰投には数日以上かかるでしょう。アル様も、十分ご注意を」

 

 はっきりと宰相の方を見ながら、ソニアはそう言った。

 

 



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第23話 くっころ男騎士と敵情視察

 アデライド宰相やソニアを見送った僕を待っていたのは、忙しくも退屈な仕事達だった。参事たちが応援を寄越してくれたとはいえやはり人手不足には変わりないし、この仕事に慣れている人間も一人もいないと来ている。自然と、僕はつまらない仕事に忙殺される羽目になった。

 代官や領主の仕事というのは、ヤクザによく似ている。暴力を背景に縄張りの中のトラブルを解決し、よそのヤクザ(別の貴族)の暴威から住人を守る。そしてその対価としてショバ代(税金)をもらう。ショバ代だけ受け取って、自らの義務を果たさないものもそれなりに居る、という部分もヤクザと同じだ。

 そういう訳で代官である僕の元には、

 

「裏路地で勝手に野菜を栽培しているヤツがいる」

 

 だの

 

「放し飼いにしていたブタを隣家が勝手に食べてしまった」

 

 だの

 

「レマ市へ向かう街道に盗賊が出現し、通る者を見境なく襲っている」

 

 だの、しょーもないものから早急に対処すべきものまでさまざまな陳情が上がってくる。小さな町とはいえトラブルの種は尽きず、僕の胃はキリキリと締め上げられた。現実的な脅威が目の前に迫っているというのに、日々の業務で手一杯になってそれらへの対応が遅れるのは、ひどく苦痛だった。

 溜まったストレスはヴァルヴルガ氏の子分……リス獣人のロッテに餌付けすることで解消していたが(両手でクッキーをもってカリカリ食べてる姿が滅茶苦茶かわいいんだよ、この娘)、それにも限度がある。

 

「そうか、帰って来たか!」

 

 三日後、部下からの報告を聞いた僕は飛び上がらんばかりに喜んだ。偶然にも、二人(とネル氏)はほぼ同時にカルレラ市に帰還した。

 偵察任務のソニアはともかく、宰相たちの行ったレマ市は翼竜(ワイバーン)であれば余裕をもって一日で往復できる程度の距離なので、むこうでいろいろやっていたのだろう。

 とにかく早く報告を聞きたい僕は、やっていた書類仕事を急いで片付けると尋問室へと向かった。

 

「只今戻りました、アル様」

 

 尋問室へ入ると、即座にソニアが立ち上がって一礼した。その胸には、ヒモでつられた幻像器(カメラ)が揺れている。

 

「ああ、よく無事に戻ってくれた、感謝する。……アデライド、大丈夫ですか?」

 

 ソニアに笑顔を向けてから、アデライド宰相の方を見る。彼女は、テーブルの上にでろんと身を投げ出していた。顔は真っ青で、プルプルと震えている。

 

「大丈夫ではない……やはり翼竜(ワイバーン)は嫌いだあ……」

 

 どうも、翼竜(ワイバーン)酔いのようだ。着陸してからすぐにこの代官屋敷へ直行してきたらしい。翼竜(ワイバーン)の方は、相変わらず郊外の森へ隠しているのだろう。

 

「ええと、その……落ち着かれるまでちょっと待ちましょうか。先に、ソニアの方の報告を聞いていますので」

 

 今のアデライド宰相には、喋っているとそのまま胃の中身をぶちまけてしまいそうな危うい雰囲気がある。若干心配だが、それよりも偵察の結果が早く知りたい。今はそっとしておこう。

 

「上司が苦しんでおるのだぞ、背中くらい撫でてくれんのかね、君ぃ……」

 

「はいはい、もちろん謹んで撫でさせていただきます」

 

 苦笑して、その通りにしてやる。筋肉がついていないのがはっきりとわかる、すべらかな背中だった。そのまま、ソニアの方へ視線を向ける。

 

「偵察の結果ですが」

 

 宰相を恨みがましい目で見ながら、ソニアは口を開く。こちらは顔色一つ変えていない。三日に渡る偵察任務の直後だというのに、疲れた顔ひとつしていないのはさすがというほかないな。

 

「やはり、戦争準備を始めているようです。具体的に言えば、我がリースベン領に隣接した領地をもつ、ディーゼル伯爵家の軍ですね」

 

「さすがに皇帝軍は出てこないか」

 

 お隣の神聖帝国は、僕たちのガレア王国以上に地方領主の力が強い事実上の連邦国家だ。全面戦争などの余程の事態が起こらない限り、皇帝は出張ってこない。

 

「はい。何人か捕まえて尋問しましたが、ディーゼル伯爵は同盟した領主や皇帝にはこの件を知らせていないようです。おそらく、リースベン領など自分だけで攻略できると思っているのでしょう」

 

「パイを分配する相手は少ないほどいいだろうからな」

 

 オレアン公も、神聖帝国軍の主力が出張ってきたら自分の陰謀が滅茶苦茶になってしまうことは分かっているはずだ。戦争を起こすにしても、地方領主同士の小競り合い程度で終わるよう調整しているだろう。

 というか、尋問とかやったんだな。危険な橋はあまりわたってほしくないが……流石に上空から見ただけではわからないことも多いだろうから、これは仕方がないか。

 

「飼い葉や食料品を運ぶ荷馬車を大量に目撃しましたので、戦うつもりがあるのは間違いありません。近日中に準備を終え、こちらへ進軍してくるものと思われます」

 

「予想通りと言えば予想通りだが、あまり良くないな。早急な対処が必要だ」

 

 向こうは伯爵様だ。こちらのまともな戦力は騎兵二個小隊(馬無し)とその従士隊くらいしか居ないので、対策なしでぶつかれば一瞬で摺りつぶされる。特に馬を奪われたのが厳しい。これを見越して、前代官エルネスティーヌ氏はあんな事件を起こしたのだろう。

 

「とりあえず、撮れるだけの写真はとってありますし、簡単な地図も作っておきました。ご活用を」

 

「助かる」

 

 アデライド宰相の背中を撫でる手を止め、ソニアから何枚もの紙を受け取った。地図が手に入ったのは非常にありがたい。これがないと、まともな作戦すら立てられないからな。簡単な地図でも、あると無いとでは大違いだ。

 

「写真の方もすでに現像に回しています。明日の朝には出来上がっているでしょう」

 

「よくやった、流石ソニアだ」

 

 僕の言葉に彼女は珍しくにっこりと笑い、深々と頭を下げた。

 

「もちろん、貴方の副官ですから」



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第24話 くっころ男騎士と増援要請

 真っすぐに「貴女の副官ですから」なんて言われると、照れすぎて顔がくしゃくしゃになりそうになる。自分の頬をぺちぺちと叩いてから、「ありがとう」とだけ返した。

 そのまま、視線をアデライド宰相の方へ向けた。照れ隠しもあるが、彼女の方の首尾がどうなったのかも非常に気になる。

 

「アデライド、お加減はいかがでしょうか?」

 

 彼女は相変わらずテーブルの上でつぶれていた。いまだに顔色は悪いが、さっきよりはマシになっているようだ。

 本当ならば休んでもらいたいのだが、ディーゼル伯爵とやらが戦争準備を始めている以上こちらには一刻の猶予もない。申し訳ないが、少し頑張ってもらおう。

 

「あ、ああ……すまないが、水を一杯貰えるかね?」

 

「はい、ただいま」

 

 こんなこともあろうかと用意していた水差しからカップへ水を注ぎ。アデライド宰相に渡してやる。彼女は憔悴したような笑顔を浮かべ、首を左右に振った。

 

「出来れば口移しで飲ませてもらいたいのだが」

 

「アル様、こいつ元気ですよ。頭から水をぶっかけてやりましょう」

 

「や、やめんかっ、調子が悪いのは本当だぞ! ジョークだジョーク! 本気になるな!」

 

「たとえジョークでも気持ちが悪すぎる」

 

「うぐぅ……」

 

 またも、アデライド宰相はテーブルに突っ伏した。話が先に進まないのでふざけるのは後にしてほしい。口移しの提案には若干魅力を感じなくもないけど。

 

「で、傭兵団の雇用はどうなったんですか?」

 

 僕は一番肝心なことを聞いた。もし伯爵軍の攻撃が始まった場合、現在の僕の手勢ではまともな抗戦すら難しいからな。

 リースベン領は辺境だから、本国へ増援を要請しても到着にはかなりの時間が必要だ。ガレア王国側の領主も、自領を手薄にすれば帝国側領主の侵略を誘発しかねないので積極的な協力はしてもらえないだろう。ならば、僕が戦力を強化する手段は傭兵団の雇用しかない。

 

「そのあたりは、完全にうまく行った。一個中隊ぶんの傭兵団と契約してきたぞ。アル君の注文通り、銃兵隊を保有した傭兵団だ」

 

「素晴らしい」

 

 僕は思わず、椅子を蹴っ飛ばすような勢いで立ち上がってしまった。歩兵一個中隊は今回の防衛作戦においては必要最低限の戦力だが、銃兵が居るというのが気に入った。

 

「とはいっても、三十名ほどらしいがね。しかし相変わらず銃が好きだね、アル君は」

 

 この剣と魔法の世界にも、銃はある。とはいっても、日本の戦国時代に使われていた火縄銃とほぼ同じものだが。射程も命中精度も極めて劣悪な使い勝手の悪い兵器である火縄銃は、攻撃魔法や弓矢の下位互換扱いをされておりあまり普及していない。

 

「剣と同じかそれ以上に使いなれていますので」

 

 銃に関しては、前世からの付き合いだから、そりゃあ使い慣れているに決まってる。銃のグリップを自分のチンコ以上に握り慣れておけ、というのは訓練兵時代の教官が言い放った言葉だ。

 問題は火縄銃特有の使い勝手の悪さだが……このあたりは小手先の改良でかなり改善することができる。前世から古式銃にも興味があり、いろいろ集めていた。まさかその経験が役に立つ日が来るとは自分でもびっくりだ。

 そうやって作った新式銃は、こういう事態にそなえてある程度の数を用意している。いまさら新しく発注したり改造したりしている時間はないので、傭兵団にはそちらを使ってもらう。

 

「それに白兵で寡兵が大軍に勝つのは奇跡のようなものです。今回のような状況では、防衛陣地を構築して射撃戦を挑むのがもっとも勝率が高いように思われます」

 

「なるほど。ふん、私にはよくわからんが、アル君が言うのならそうなんだろうな」

 

 アデライド宰相は本気でよくわかっていない表情で頷く。この人は商業振興の功績で貴族に叙爵された異例の家の出身だからな。戦争に関しては素人同然だったりする。

 

「とにかく、軍事に関しては君に一任するほかないからな。だからこそ、バックアップは任せてもらいたい。傭兵団以外の要望もおおむね通すことが出来たから、安心してくれ」

 

 そう言って、アデライド宰相は一枚の紙を手渡してきた。僕が事前に渡しておいた、必要なものリストだ。軍馬や火薬など、この町では手に入らない物品ばかりが記載されている。

 

「文官の方も無理を言って融通してもらった。傭兵団と一緒にこちらへ派遣してもらう予定だ。これで、行政面でも一息つけるだろう」

 

「ああっ、それは助かります」

 

 素人ばかりで行政を回すのもそろそろ限界が来てたからな。文官たちが到着すれば、僕も軍事面の課題へ集中できるだろう。現状では、とてもじゃないが迎撃の準備など始められない。

 

「ははは、そうだろうそうだろう。なんといっても、親愛なる君のためだからねえ? もちろん、投資した分はいずれ返してもらうがねぇ……」

 

 アデライド宰相は目を細め、僕の身体に舐めるような視線を向けた。背中にゾワゾワした感覚が走る。異性からの性的な視線って、ここまでハッキリわかるもんなんだなあ……。

 

「オレアン公の策略を逆手にとれば、ミスリル鉱山をこちらが手に入れられる可能性もある。そうなれば、宰相も大儲けできるだろうな。それで十分だろう?」

 

 しかしこの場にはソニアが居る。彼女に睨みつけられたアデライド宰相は、冷や汗をかきながら目をそらしてしまった。

 

「いや、それはそうかもしれないが、ねえ? カネよりも先に欲しい役得があるというか……」

 

「うるさい。貴様にとっても悪い話ではないのだから、馬鹿なことを言っていないで粉骨砕身働け。色ボケしている暇はないぞ」

 

「くっ……」

 

 悔しそうな顔で歯ぎしりするアデライド宰相。どうやら、ソニアは彼女のセクハラを断固阻止する腹積もりらしい。僕としては、助かったような残念なような……どうにも複雑な気持ちになってしまった。

 とはいえソニアの発言には一理ある。今はオレアン公やディーゼル伯への対処に集中するべきだろう。……年がら年中こうやって仕事に追われてるから、僕はいつまでたっても結婚できないんだろうなあ。



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第25話 くっころ男騎士と傭兵団

 翼竜(ワイバーン)の活躍のおかげで事態は随分と進展したが、傭兵団と文官が到着が到着するまでは何もできないという点はどうしようもない。おかげで僕は、それからさらに一週間以上もカルレラ市で待機し続ける羽目になった。

 レマ市からリースベン領へ来るには山脈を越えねばならないので時間はかかるのは仕方がないが、予定日を過ぎても傭兵団が現れないのでひどくやきもきした。

 しかし、指揮官としてはその不安を表に出すわけにはいかない。僕は表向き平然としつつ、代官としての日常業務をこなしていった。その間、出来たことと言えば神聖帝国との国境付近に監視を派遣することくらいだ。現状では、何をするにも人手が足りない。

 

「ようこそカルレラ市へ」

 

 待ちに待った傭兵団の到着の報告を聞き、僕は居てもたってもいられず町の正門前で出迎えた。どうして遅くなったんだ、とは聞かない。遅れた理由は、傭兵たちの姿を見れば一目で理解できたからだ。

 軍装に真新しい返り血の跡を残した傭兵が大勢いる。むっとするほどの血の臭いも感じられた。本格的な戦闘があったのだ。

 

「アンタが依頼者か? はは、本当に男騎士じゃないか」

 

 そんなことを言うのは傭兵団の団長だ。目鼻立ちのはっきりした妙齢の竜人(ドラゴニュート)で、濃い色の長い金髪を飾り紐で無造作に結んでいる。

 ワイルドさとスマートさを兼ね備えた美女といった風情だ。立派な板金鎧をまとったその姿はまさに女傑と言ったところか。ソニアと並んでも、決して見劣りはしない。この世界、どっちを向いても美男美女で困るな……。

 

「そうだ、僕がこの町の代官……アルベール・ブロンダンだ」

 

「ヴァレリー・トルブレ。見ての通り、この傭兵団の隊長をやっている」

 

 ヴァレリーと名乗った傭兵隊長が差し出してきた手を、僕はしっかりと握り返した。すると彼女はニヤリと笑い、僕の肩を叩く。

 

戦場(いくさば)帰りの兵隊を前にして、顔色ひとつ変えないとはな。そこらの男なら、吐いてるかもだぜ」

 

 返り血を浴びた挙句、まともに水浴びもせず行軍をつづけた人間の臭いだ。悪臭というより、もはや異臭と化している。

 もちろん、そんな状態なのは隊長だけではない。彼女の部下である一個中隊……つまり、百人超の兵員たちも同様だ。おかげで正門前は慣れていない人間なら涙と鼻水で顔が滅茶苦茶になりそうなほどの異臭が滞留している。

 

「同じような状態になった経験が、両手と両足の指を全部合わせても足りないくらいにはある。慣れてるよ」

 

「聞いたか、お前ら。どうやらこの方は、剣と鎧を付けてはしゃいでるだけの騎士もどきとは違うようだぜ。賭けはアタシの勝ちだな」

 

「くそ、隊長丸儲けかよっ!」

 

「絶対悲鳴上げて逃げると思ってたのに!」

 

 傭兵たちが何やら騒いでいる。……どうやら、僕の反応をダシにして賭けをしていたらしい。いや、別にいいけどね。

 苦笑しながら、傭兵たちの様子をうかがった。大半が防具はハードレーザーの兜だけ、武装も簡素な槍や戦斧など。数少ない鎧姿の兵士も、ほとんどは革鎧や鎖帷子(チェインメイル)などの安価なものをつけている。板金鎧を着用しているものは、隊長含めて数人程度といったところか。

 装備だけではなく、姿勢や立ち振る舞いからみても精兵からは程遠い連中であることが推察できた。まるで愚連隊のような独特の倦んだ雰囲気がある。ババを引いたかなと内心ボヤいたが、もちろん口や態度には出さない。

 

「で、一応聞いておきたいが……諸君らは何と戦ったんだ?」

 

「盗賊……みたいなヤツらさ。妙に装備は整っていたがね。事前に警告してくれてなかったら、アタシらでもヤバかったかもしれない」

 

「やっぱり出たか」

 

 レマ市とカルレラ市を繋ぐ街道に盗賊が出るようになったという報告が上がってきたのは、ごく最近のことだ。とはいえ事前に予想していたことだったので、アデライド宰相に持って行ってもらった書状には『重装備の部隊に襲撃される可能性あり。こちらに訪れる際には注意されたし』と警告をしていた。

 もちろん、武装勢力の正体は盗賊などではない。おそらくは、オレアン公の手のものだ。彼女としては、僕が中央や他の領主と連絡を取るようなことは絶対に避けたいはずだ。なので、絶対に街道封鎖を仕掛けてくると思っていたのだが…案の定だった。

 

「で、結果は?」

 

「襲撃があるとわかってるんだから、怖い事は何もなかったさ。装備も練度も盗賊離れした連中だったが、逆奇襲を仕掛けて殲滅した。同行してきたお客人たちも全員無事だ」

 

「素晴らしい成果だ。ありがとう」

 

 確かに、傭兵連中に大きなけがを負った者はいないように見える。前哨戦で戦力をすり減らしたくはなかったので、非常にありがたい。

 敵の規模がどの程度だったのかはわからないが、この愚連隊を率いて襲撃を楽にやり過ごしたのなら、この隊長はなかなかの指揮官かもしれないな。

 

「行商人がそいつらに襲われて、すでに馬鹿にならない被害が出ていたんだ。手早く討伐してくれて助かった。報奨金を出そう」

 

「どうぞ」

 

 すかさず、ソニアが中身がたっぷり入った革袋をヴァレリー隊長に手渡した。彼女は受け取ったそれの重さを確認すると、口笛を吹いた。

 

「話が早くて助かる。物分かりのいい依頼者は好きだぜ」

 

 そりゃそうだ。しっかり金を渡しておかないと、あっという間に盗賊へジョブチェンジするのが傭兵って奴らだからな。下手な扱いをすると、援軍どころか敵が増える羽目になる。

 

「僕も腕のいい兵隊は好きさ。……親睦を深めたいところだが、君たちも疲れているだろう? 残念ながらここにいる全員が泊まれるほどの宿屋はこのカルレラ市にはないが、その代わりに民家を寝床に使えるよう手配している。とりあえず今日のところは、ゆっくり休んで欲しい」

 

 本音を言えば、さっさと神聖帝国との国境地帯に派遣したいところだが……残念ながらそうはいかない。兵にあまり無茶をさせ過ぎると、いざ戦いとなった時にまともに実力を発揮できなくなるからな。精神的にも肉体的にも休ませて、英気を養って貰う必要がある。

 街へ到着して早々金を渡したのも、そういう狙いがある。ぱーっと散財して、気晴らしをしてもらいたいところだ。そうなれば地元にこの金が還流してくることになるから、一石二鳥だ。

 

「……いや、あんた。本当に男か? 物分かりが良い依頼者が好きとは言ったが、ここまでは予想外だぜ」

 

 若干困惑した様子で、ヴァレリー隊長は首を傾げた。太っ腹の領主でも、ここまでやることは稀だろう。僕はわざと悪そうな笑みを浮かべ、言い返した。

 

「もちろん、払った分は働いて返してもらう。期待しているよ、優秀な傭兵隊長殿」



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第26話 くっころ男騎士と歓迎会

 諸注意・報酬の分配などをしたあと、傭兵たちはすぐに宿営地がわりの民家へ向かってもらった。傭兵団は兵員だけで百人以上、サポートの人員も入れると結構な数になる。この数の人間を屋根のある場所で寝泊りさせようと思えば、民間人に協力を頼む他ない。

 泊めてもらうための謝礼金、傭兵たちが問題を起こさないよう衛兵を集中配置する手間……ずいぶんとコストがかかったが、テント暮らしを強いた場合に想定される士気の低下を思えば、必要経費と割り切るほかない。

 

「いい湯だった。ありがとう」

 

 傭兵たちを宿営予定の民家へ向かわせた後、僕は傭兵隊長ヴァレリーを含む傭兵団幹部を代官屋敷へと案内した。流石に士官待遇の人間を麦藁の即席ベッドで寝かせるわけにはいかないからな。

 せっかくなのでついでにちょっとした着任歓迎会を開くことにしたが、なんといっても彼女らは戦場帰りだ。血と汗のにおいを流すため、風呂に入ってもらった。有難いことに、この屋敷にはそこそこ広い浴場が備え付けられてる。

 

「気に入ってもらってよかった」

 

 ほかほかと湯気を上げるヴァレリー隊長に、僕はにっこりと笑い返した。傭兵団側の幹部連中は五人程度。この人数なら、代官屋敷の狭いダイニングルームでもなんとかもてなすことができる。

 

「ちょうど料理もできたところだ。フルコースとは行かないが、楽しんでもらえると有難い」

 

 ダイニングテーブルを指し示しながら言う。皿の上に乗っている料理は、ブタの生姜焼きだ。とはいっても、味付けの方はこの国特有のものだ。なにしろガレア王国には醤油がないからな。庶民のご馳走、くらいのポジションのメジャーな料理だったりする。

 代官が客人をもてなす料理としては若干貧乏くさいメニューなんだが、なにしろこちとら金がない。戦争準備で大散財しているので、見栄に回す金すらケチる必要が出てきた。貴族はメンツ商売なので、かなり不味い状況だ。

 

「石みたいなビスケットやかびたチーズに比べればなんだってご馳走さ」

 

 そんなこちらの内情が推察できたのか、ヴァレリー隊長は思ったよりも好意的な表情で頷いた。そのまま席に着くと、給仕が現れて盃にワインを注ぐ。

 

「では、勇猛なる傭兵諸君の着任を祝って」

 

「乾杯」

 

 乾杯のあとはしばし、当たり障りのない話をしながらの食事が続いた。誰も彼もが、食事中に景気の悪くなるような話はしたくないのだろう。まあ、気分は分かる。僕もワインをちびちびと舐めながら、傭兵たちの話を聞いていた。話題は主に戦場の武勇伝だった。

 状況が動いたのは、宴もたけなわになったころだった。酒瓶を片手に近寄ってきたヴァレリー隊長が、僕の隣の席へ腰を下ろす。

 

「代官殿はなかなかいける口みたいだな。良い酒があるんだ、一杯どうだい?」

 

「ああ、いいじゃないか。お付き合いしよう」

 

 前世も今も、僕は酒が大好きだ。おまけに最近はいつ有事になってもおかしくない状況だったから、一滴もアルコールを摂取しない日々が続いていた。さすがに酔いつぶれるほど飲むわけにはいかないが、多少ならいいだろう。

 

「アル様」

 

 ソニアがちらりとこちらを見た。その目には、若干の懸念の色がある。おそらく、毒を警戒しているのだ。アデライド宰相が手配した傭兵とはいえ、オレアン公の息がかかった人物が紛れ込んでいる可能性もある。向こうが出してきたモノを飲食するのは危険だと言いたいのだろう。

 

「……」

 

 大丈夫だと、ソニアに視線だけで答える。毒を盛るつもりなら、もっと手っ取り早い方法があるからな。なにしろ、この屋敷で働いている使用人は前代官時代から変わっていないからな。毒を仕込むなら、そちらにスパイを紛れ込ませておくだけで済む。

 幼馴染だけあって、この辺りは以心伝心だ。ソニアは軽く頭を下げ、使用人に新しい杯を二つ用意するよう申し付けた。すぐさま、僕とヴァレリー隊長の前に真新しい銀杯が置かれる。

 

「アヴァロニアから取り寄せた逸品だ。気に入ってもらえるとおもうが」

 

 そう言って、ヴァレリー隊長は二つの杯に琥珀色の液体を注ぎ、さらに卓上の水差しをとって水を追加する。酒と水が一対一の割合の、いわゆるトワイスアップというやつだな。軽く乾杯して、それを口元に運んだ。花と洋ナシの香りの混ざったかぐわしい芳香が鼻に抜ける。口当たりはなめらかで、喉にスルリと入ってくる。

 ……割ってなお、アルコール度数はかなり高そうだ。味からして、おそらく熟成の進んだウィスキー。ストレートでもかなり飲みやすいタイプに思えるが、水で割っているせいでさらにアルコールのトゲがなくなっている。いわゆるレディ・キラー……いや、こちらの世界で言うならボーイ・キラーか。

 

「これは美味しいな。なかなかいい趣味をお持ちだ」

 

「そうだろう? 私のお気に入りでね」

 

 にこにこ笑いながらヴァレリー隊長は杯を掲げ、ぐっと一気に飲み干した。勿体ない飲み方をするな、こいつ。しかし、一気飲みをした割りに、顔色に変化はない。なかなか酒に強いタイプなのだろう。

 つられたフリをして、自分も杯をあおる。ニヤリと笑ったヴァレリー隊長は、即座に僕の杯に新しい酒を注いできた。

 

「さあさあ、どんどん飲んでくれ」

 

 ……どうやら、彼女は僕をべろべろに酔わせるつもりらしい。おそらく、酔って口が軽くなるのを期待しているのだろう。こちらの弱みを探ろうというハラか。よろしい、受けて立とうじゃないか。



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第27話 くっころ男騎士と酔っ払い

 前世のぶんも合わせれば、僕の人生経験もそれなりに長いものになる。こちらを酔いつぶそうと目論んでいるアルハラ野郎(今回は女郎か)を逆に潰す方法も、それなりに心得ていた。

 おだてて相手の警戒を解き、水や食べ物などの酒以外のモノを口にする隙を与えず、お酌と酒を飲んでいるフリで飲酒ペースを崩す。こうするだけで、結構な酒豪でも意外と簡単に撃沈してしまう場合は多い。

 

「キスしようぜ~。なあいいだろう~キスしてくれよ~」

 

 そうやってヴァレリー隊長にがぶがぶ酒を飲ませ続けた結果、彼女はすっかり駄目な酔っ払いと化していた。「熱い!」とかぬかしてパンツだけになったあげく、僕に抱き着いて無理やり唇を押し付けようとしてくる。

 この人、酔うと露出魔兼キス魔になるのか。腕に押し付けられる生乳の感触におののきながら、僕は驚いた。前世でこういう経験をしようと思えば、高いカネを出してそういうお仕事をしているお姉さんに頼む他ない。

 いや、人生の春を謳歌している陽キャ連中はそうではないのだろが、残念ながら腐れキモオタの僕にはこういう機会は一度足りもなかった。なので、酔っ払い相手とはいえほぼ全裸の美女にベタベタされるのはむしろ嬉しかったりする。

 

「頼むよ~キス~! 減るもんじゃないだろ~」

 

「いや、ちょっと……」

 

 唇を突き出し、ヴァレリー隊長は強引に僕に迫ってくる。相手は竜人(ドラゴニュート)だ、只人(ヒューム)の僕ではまともな抵抗などできない。つまりここでキスされても不可抗力って事だ! 貞淑な男騎士という評判を落とさずに美女にキスしてもらえるぞ!

 

「駄目に決まっているだろうが、この特級馬鹿め」

 

 が、非常に残念なことにこちらには生真面目な副官が居た。無表情のまま額に青筋を浮かべたソニアが強引にヴァレリー隊長を引きはがし、投げ飛ばしてしまう。

 

「なんだこの女郎! やってやろうじゃねえかよ!」

 

 しかし泥酔しているとはいえヴァレリー隊長も素人ではない。床に転がると同時に受け身を取り、バネ仕掛けのおもちゃのような勢いで立ち上がる。そのままファイティングポーズを取ると、ソニアを威嚇した。

 

「どうやら教育が必要なようだな。……アル様、ここはお任せを」

 

「あ、ああ。任せた」

 

 ソニアとヴァレリー隊長の殴り合いが始まった。血の気の多い兵隊ではよくある話だ。僕の配下の騎士たちも、傭兵団の幹部たちも、酒を片手に応援を始める。

 しかし、普通に残念だな。くそ、仕方ないか。そのうちヴァレリー隊長とサシ飲みできないかな。いや、サシ飲みだとキス以上のことを求められても抵抗しきれないぞ。私人としてはむしろ行けるところまで行きたいけど、公人としてはマズイ。

 この世界においては、童貞にもそれなりの価値があるからな。場合によっては恋人や婚約者との婚前交渉すら責められるのに、そういう相手ですらない女性とヤッたら僕は淫乱扱いだ(そりゃその通りだが)。ただでさえマトモな相手にはモテないのだから、これ以上モテない要素を増やしたらいよいよ結婚の目がなくなってしまう。

 

「君たち、分かっているのかね? 未婚の貴族の男にあんなことをして……」

 

 殴り合いの音を背に、アデライド宰相がひどく不満げな様子で言葉を吐いた。その目は完全に据わっている。

 

「も、申し訳ありません」

 

 そう言って頭を下げるのは、傭兵団の副長だ。自己紹介によれば、名前はマリエル・ル・ジュヌ。眼鏡をかけた若い竜人(ドラゴニュート)の女性で、立ち振る舞いから見るに貴族階級の出身だろう。

 

「謝罪をするにしても、それなりの誠意というものが必要だ。わかるね? 男一人を傷物にしかけたわけだからな。それなりの責任が生じるわけだよ」

 

 どの口でアンタがそれを言うんだよ! だったらアンタも責任を取ってくれよ! 内心そう叫んだが、まさか本当に口を出すわけにもいかない。僕は何とも言えない表情で、杯のウィスキーを口に流し込んだ。

 

「まあ、まあ。酒の席での多少の醜態は、見逃してやるのが情けというものですから」

 

「なに? じゃあ私が酔ってアル君にあんなことやこんなことをしても許してくれるのかね? ええっ!?」

 

 アデライド宰相は、その長い黒髪を振り乱しながら僕に詰め寄った。許すよ! ウェルカムだよ! というか宰相は素面でもいい加減やりたい放題しているような気がするよ!

 

「あの、ところでその……その方は」

 

 若干引いた様子のマリエル副長が聞いてきた。こんなところに宰相が来ていることをバラすわけにはいかないので、彼女の紹介はしていなかった。しかし代官である僕よりあからさまに偉そうなのだから、疑問を持つのも仕方のない事か。

 

「気のせいかもしれませんが、そのぉ……アデライド宰相閣下では?」

 

 バレてるじゃねえか! テレビやネットのない世界だから、宰相とはいえ顔を知ってる人は政界関係者しかいないと思ったのに! いや、貴族出身なら知っててもおかしくないか。油断したな……

 

「気のせいだ。私は単なるアドバイザーに過ぎん。それより慰謝料をだな」

 

「そうだ、せっかくだから仕事の話をしましょうか。酒宴でするにはいささか面白みに欠ける話題ではありますが」

 

 ここで傭兵団との関係がこじれても困る。僕はアデライド宰相の言葉を強引に遮った。彼女は不満げな様子で僕の脇腹を突っついてくるが、当然マリエル副長の方はこれ幸いと乗ってくる。

 

「ええ、ええ。我々も別に、お酒を頂きにまいったわけではありませんからね。よろしくお願いします。……ところで」

 

「はい?」

 

「……その、ずいぶんとお酒に強いんですね。ヴァレリー隊長も大概ザルみたいな飲み方する人なのに……」

 

 そりゃ、半分くらい飲んでるフリしてただけだからな! せっかくの酒宴なのに、酒を楽しめないというのは不幸なことだ。好き勝手飲むのは戦勝パーティーまでお預けだろうなと内心ぼやきつつ、ぼくはしらっとした表情で答えた。

 

「まあ、それほどでも」

 

 



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第28話 くっころ男騎士と傭兵団副長

「結局……何を一番お聞きしたいかと言えば、我々はどういう理由で雇われたのかという部分なのですが」

 

 ワインの入った酒杯を手の中で弄びつつ、マリエル副長が聞いてくる。何しろ、依頼を出した段階ではまだこちらも情報が不足していらからな。詳しい依頼内容については、まだ決まっていなかった。

 

「護衛? 他領の威圧? 訓練の相手? まあ、報酬さえもらえれば、我々は大概のことなら出来ますが」

 

「ディーゼル伯爵を知っているか?」

 

「山脈向こうの神聖帝国側、ズューデンベルグ伯領の領主ですね。……まさか?」

 

 相手も戦争を生業にする人間だ。領主の名前を出しただけで、打てば響くように理解してくれる。話が早くて助かるな。

 

「たぶん、想像している通りだ。偵察の結果、ディーゼル伯爵は戦争準備をしていることが分かった。おそらく、目標はこのリースベン領だ」

 

「……なるほど」

 

 マリエル副長は口をへの字に曲げて唸った。

 

「ズューデンベルグ伯領は、南方との貿易で栄えている土地です。なかなかの強敵ですよ」

 

「らしいな」

 

 そのあたりの調査は代官着任前にやっている。周辺情勢の調査は基本だからな。ディーゼル伯爵はこのカルレラ市とは比べ物にならないほど栄えた都市をいくつも抱える大領主だ。当然、保有す軍隊もなかなかのものであることが予想される。

 

「中央からの増援が到着するまで、一か月以上かかる。その上、周辺地域の王国側領主の協力はほとんど期待できない。つまりディーゼル伯爵軍は、僕たちと君たちだけで対処する必要がある」

 

 だいたい、封建領主同士はたとえ同じ王に忠誠を誓っていても、仲間という訳じゃないからな。たとえ他領が侵攻を受けていても、同盟や主従を結んでいない限り援軍を出す義理は無いわけで……周辺領主からの救援は、最初から期待できないものと割り切っておくほかない。

 現代人としての価値観を引きずっている僕としてはどうも馴染めないが、そういうことになっているのだから仕方がない。そもそも、国家という枠組み自体がぼんやりしているような有様だ。

 

「それは……」

 

 さすがに渋い顔になって、マリエル副長は考え込んだ。彼女らの傭兵団は、一個歩兵中隊に相当する戦力だ。一方ディーゼル伯爵軍は、歩兵だけでこの倍以上は用意できるだろう。まともにぶつかれば勝ち目などない。

 しばし、僕たちの間で沈黙が流れた。聞こえてくるのはソニアとヴァレリー隊長が殴り合う野蛮な音と、野次馬たちの管制だけだ。……随分本格的な喧嘩になってるな。なにやってるんだあいつらは……。

 

「できれば、もっと多く傭兵を集めたかったんだがねえ。傭兵が入用なのは、我々だけではない。なにしろ、一か所で戦火が上がれば他へ燃え広がっていく可能性は大きいからね」

 

 沈黙に耐えかねたらしいアデライド宰相が腕を組みつつ言った。彼女とてこの地をディーゼル伯爵やオレアン公に渡したくはないわけで、できれば十分な戦力を用意したいとは思っているだろう。

 だが、地域の緊張が高まれば当然防備を固めるべく傭兵を雇用しようという領主は増えてくる。リースベンが燃えかけていることは、周囲の領主たちも感付いているだろう。結果傭兵団の奪い合いが始まり、用意できた傭兵団はヴァレリー傭兵団のみだった……という説明を、僕はアデライド宰相から受けていた。

 

「無論、我々もプロです。不利な戦いでも臆したりはしません。しかし……」

 

 負けるとわかり切った戦いには付き合いたくない。そういうことだろう。いくら金を貰っても、死んでしまえば元も子もないからな。彼女らの言いたいことは理解できる。

 

「安心してほしい。僕だって、負け戦はご免だ」

 

 ニヤリと笑って、僕は言い返した。負け戦だとわかっていても戦わなくてはならない時があるのが軍人ではあるが、だからと言って唯々諾々と敗北の運命を受け入れるわけにはいかない。

 

「リースベン領とズューデンベルグ領を繋ぐ街道は、わずか一本。そしてその街道は、山岳部ではひどく狭くなっている……つまり我々は、寡兵にとって有利な地形で待ち構えることが出来るというわけだ」

 

 極小人数ならまだしも、軍隊規模となると道を通らずに山越えするのは不可能だ。そして、山岳部のような局地戦では、大軍の有利は生かしきれない。

 

「しかし、そんなことはディーゼル伯爵も理解しているはず。対策を打ってくるのでは?」

 

 そう言ってマリエル副長は反論した。もちろん、ディーゼル伯爵も無能ではないだろうから(実際はどうかわからないが、敵は有能だと仮定して行動するべきだ)、閉所の優位をこちらが一方的にとれるとは思わない方が良い。

 

「当然、そうだろうな。白兵戦では兵士個人の装備と練度がモノを言う。いかに歴戦の傭兵団とは言え、完全武装の騎士と正面からやり合うのは避けたいところだろう」

 

 

「その通りです。我々は決して烏合の衆などではありませんが、装備の差はいかんともしがたい。全身鎧をまとった騎士が騎馬突撃を仕掛けてきたら、止める方法は多くありません」

 

 マリエル副長は神妙な表情で頷いた。彼女らも命がかかっているので、出来ないことははっきり言う。彼女らの傭兵団の大半は武器・防具共に簡素なものしか装備していない。銃兵は居るだろうが、火縄銃が十や二十あったところで騎馬突撃を止めるのは極めて難しい。

 なにしろこの世界には魔法がある。防御力を上げる魔術紋を刻んだ魔装甲冑(エンチャント・アーマー)は銃弾すら弾き飛ばすからな。これを装備した騎士は騎士は、前世の世界の騎士の比ではなく強力だ。

 

「そう、そのとおり。こちらの戦力は軽装備の歩兵が一個中隊に、騎士が二個小隊。まともにやりあっても絶対に勝てない……」

 

 そんなことは最初から分かっている。だが、僕は笑みを深くしつつさらに続けた。

 

「だが、僕は敵とまともにやり合う気はない。要するに、敵の攻勢をとん挫させればいいわけだからな。やりようはあるさ」

 

 そう言ったところで、後ろの方からバタンと大きな音がした。振り向くと、床に転がったヴァレリー隊長が白目を剥いている。その隣で、ボロボロになったソニアが肩で息をしつつも僕にVサインを向けていた。

 

「当然の勝利です。ぶい」

 

「あ、ああうん、そっか……うん……」

 

 向こうの責任者が気絶しているような状況では、とても作戦の詳細を説明するなんてできないな。作戦会議は明日に回すほかないか。ゆっくりしてる時間なんかないんだけどな……本当に困る……。



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第29話 くっころ男騎士とライフル銃

 翌朝。僕たちはカルレラ市郊外にある草原に集まっていた。傭兵団側からはヴァレリー隊長と銃兵隊に来てもらった。ほかの兵隊はまだ休暇中だ。余計に働かされる銃兵隊には申し訳ないが、ちょっとしたボーナスも出すので許してほしい。

 

「銃兵隊、といっても、あくまで実験的に採用しただけだからな。数はそう多くない。二個分隊二十名。それがウチの抱える銃兵のすべてだ」

 

 そう説明するのは、あちこちに傷を作ったヴァレリー隊長だ。泥酔していたせいか、昨夜のことはぼんやりとしか覚えていないらしい。醜態を見せてしまったようで申し訳ないと、朝に会って早々謝罪された。

 

「中隊に二十名なら、かなり比率は大きい方だろう。十分だ」

 

 火縄銃なんて代物は集団運用してナンボの代物だが、鉄砲が不人気なこの世界でこれだけ銃兵を抱えている傭兵団は貴重だ。有難く運用させてもらう。

 そう思いながら、銃兵隊を見回す。だけを火縄銃を抱えた彼女らは、革鎧すら装備していない軽装な姿だ。身なりもお世辞にもよいとは言えないが、姿勢だけはキッチリしている。訓練はちゃんとしているようだ。

 

「マリエルから聞いたが、山間の閉所で大軍を迎え撃つ作戦らしいな。確かにそういう戦場では銃兵は有効だが……」

 

「普通にやれば、一回射撃しただけで壊滅しかねない。いくら閉所でも、流石に二十名では有効な弾幕は張れないからな。わかっているとも」

 

 ヴァレリー隊長の言葉に僕は頷いた。実際のところ、火縄銃……というか、銃身にらせん状の溝、ライフリングを刻んでいない滑腔銃の命中精度は、信じられないほど悪い。少し距離が離れただけで、弾丸があり得ない方向へ飛んでいく。そのため、敵の白目と黒目が区別できる距離まで近づいて撃てというのが、この手の古式銃の基本的な運用だ。

 更に、銃口から弾を込める先込め式(マズルローダー)であるため、連射速度も極めて遅い。熟達した射手でも、一分で三発から四発撃てたらよい方だと言われている。弓とは比べ物にならない遅さだ。もちろん、戦闘中などの劣悪な条件下では連射速度はさらに低下する。

 

「しかし、手はある」

 

 ニヤリと笑って、僕は銃兵隊のほうへ近寄った。

 

「諸君、あの標的を見てくれ」

 

 僕が指さした先には、麦藁の束で作った雑なカカシがあった。ヘルメットのように、古い鍋が頭に被せられている。距離はちょうど三〇〇メートルほどだ。

 

「この距離から、あれに命中弾を出せるか?」

 

「極めて難しい……と思います。分隊全員で射撃しても、一発も当たらないのでは」

 

 銃兵の一人が答えた。他の傭兵たちもうんうんと頷いている。確かに、三〇〇メートルという距離は火縄銃で狙うにはあまりにも遠い。まぐれ以外で命中することはまずないだろう。

 

「僕なら簡単に命中させられる。見てろ」

 

 そう言うと、僕は背負い紐(スリング)で肩にかけていた愛用の銃を銃兵たちに見せた。オーク材の銃床(ストック)騎兵銃(カービン)特有の短い銃身で構成されたシンプルな小銃で、見た目は傭兵たちの持っている火縄銃とそう変わりはない。

 唯一異なる部分は撃発に関する部品で、傭兵たちの銃はレバーを押し込んで火口に火縄を押し当てる、クロスボウに近い構造になっている。しかし、僕の銃には備えられているのはシンプルかつ無骨な形状の撃鉄(ハンマー)引き金(トリガー)だった。

 軽く構えて、撃鉄(ハンマー)を半分だけ上げる。その下には、細い金属製のパイプが頭を出している。腰の袋から出した勾玉型の入れ物を使って、そこへ真鍮製のキャップをはめ込む。

 

「火縄がついてない……?」

 

 その様子を見た銃兵のひとりが、ぼそりと呟いた。僕は軽く笑って、勾玉型ケースを袋へ戻す。そして撃鉄(ハンマー)を一番上まであげてから、銃をしっかりと構えた。

 銃床(ストック)に頬付けし、カカシの頭を狙う。呼吸を一瞬止め、引き金を引いた。撃鉄(ハンマー)が墜ち、真鍮キャップを叩く。撃発。猛烈な白煙とともに、銃口から弾丸が飛び出した。甲高い音を立てて、カカシの頭の鍋は吹っ飛ぶ。

 

「おおっ!」

 

「嘘だろ……!」

 

 銃兵たちが、一斉にどよめいた。期待通りの反応に僕は嬉しくなったが、努めて平静な表情で打ち終わった小銃をソニアへ渡す。彼女は恭しい態度でそれを受け取り、スッと後ろへ控えた。

 

「これは何も、僕が諸君らと比べて特別技量が優れているという訳ではない。武器の差だ。この新式銃を用いれば、諸君らもすぐ同じことが出来るようになる」

 

 僕が使った銃は、前世の世界ではミニエー銃と呼ばれていたものだ。銃身にライフリングが刻まれており、従来の銃に比べて極めて高い命中精度を誇る。これも、愛用のリボルバーと同じく自分で設計図をひいて銃職人に作ってもらったものだ。

 

「聞いたことがある。ライフル、というやつだな」

 

「流石だな。その通りだ」

 

 それを見ていたヴァレリー隊長が、額に指をあてながら唸った。この世界でも、ライフルの理論自体はすでに発見されている。しかし銃という武器自体が日陰の存在なので、そのことを知っている人は極端に少ない。

 やはり、ヴァレリー隊長はそれなりに優秀な人物らしいな。自分の部隊で使っている武器についてしっかりと情報収集を行っている。僕は感心しながら、彼女に頷いて見せた。

 

「しかし、そのライフルとやらはなかなか使い勝手が悪いと聞いたぞ。銃弾と銃身の間にほとんど隙間がないから、装填の際には強引に押し込むしかないとかなんとか」

 

 ヴァレリー隊長の言葉は事実だ。ライフルの理論が発見されているというのにまったく普及していないのはそれが原因だったりする。銃身の口径ぎりぎりの大きさの弾を無理やりねじ込むため、装填にひどく時間がかかってしまう。

 一発撃ったら再装填に一分も二分もかかる、なんていうのは使い勝手が悪いとかいうレベルじゃない。実用性は皆無だ。せいぜい、指揮官の狙撃くらいにしか使えないだろうな。

 

「その問題も解決済みだ。この銃弾は球形弾と変わらない速度で装填できるが、発砲の際の爆圧を受けて尾部が膨らむようになっている。それによってしっかりライフリングにかみ合うようになっているんだ」

 

 ポケットから出したミニエー銃用の弾丸を、ヴァレリー隊長に見せる。ドングリのような形状のそれは、ミニエー銃の本体といっていいほど重要な代物だ。

 

「この銃と弾丸を、今回の作戦の間に限り諸君らに貸与する。……ジョゼット、みんなに銃を配ってくれ」

 

「はっ!」

 

 配下の騎士に、銃の分配を命じた。彼女は神妙な顔で頷き、持ってきた木箱の中からいくつもの銃を取り出す。その様子を見ながら、僕はヴァレリー隊長へ言った。

 

「これが秘策その一だ」

 

「……なるほど。だが、これだけで勝てるほどディーゼル伯爵は甘い相手じゃないぞ。わかっているのか?」

 

 残念ながら、ヴァレリー隊長の表情は優れなかった。そりゃあ、そうだろう。新兵器の一つくらいで無邪気に勝利を確信するような指揮官は無能だ。僕はむしろ安心した。ヴァレリー隊長は現実が見えている。

 

「ジョゼット、銃を配り終わったら傭兵諸君に向こうで使い方をレクチャーしてやってくれ。僕はヴァレリー隊長の作戦の方を詰める」

 

 もちろん、僕の方も策はこれで打ち止めじゃない。部下にそう命令したあと、ヴァレリー隊長へ挑戦的な笑みを向けた。

 

「そんなことはもちろんわかってるさ。作戦は用意してある、まあまずは話を聞いて欲しい」

 

 



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第30話 くっころ男騎士と作戦会議

 銃兵隊はライフルを受け取り、試射を始めた。発砲のたびに前世の現代銃とは比べ物にならないほどの白煙がもうもうと上がる。弾けるような重々しい銃声が、耳に突き刺さった。

 周囲の一般人たちには、演習をするからこの辺りには近寄るなと布告を出している。なので、余計な被害を気にすることなく好きなだけ実弾演習ができるってわけだ。前世と比べればあまりにも簡単な手続きだけで演習が出来るのは、とても有難い。

 

「今の手持ちの戦力では、ディーゼル伯爵軍と正面からぶつかれば絶対に勝てない。そのことは僕も認識している」

 

 銃声響く中、草原の隅に立てた陣幕の中で僕はヴァレリー隊長にそう行った。彼女は頬に出来た小さなカサブタを爪で搔きながら(どうやら昨夜のソニアとの殴り合いでできたもののようだ)、しばし思案する。

 

「あそこは確か、常備軍だけでもそれなりの数を抱えていたはずだ。しっかりと準備しての侵攻なら、それに少なくない数の傭兵部隊も追加されているはず。それに対して我々の戦力が歩兵一個中隊に、そちらが騎兵二個小隊……まあ、無理だな」

 

 傭兵団には、レマ市から軍馬を連れてくるように依頼していた。そのため、なんとか僕と配下の騎士たちは再び騎兵に戻ることが出来た。とはいえ、だからといって事態に光明が差したわけじゃない。騎兵の突撃は強力だが、それだけで勝てるほど戦争はラクじゃないからな。

 

「そうだ。とにかく、普通の野戦になったら負ける。だから、野戦はやらない。攻城戦だ」

 

「……は? 確かあの街道、砦の一つもないだろ? 野戦を仕掛けるしかないんじゃないのか?」

 

 ヴァレリー隊長が目を見開く。確かに、リースベン領とディーゼル伯爵のズューデンベルグ領を繋ぐ街道には、監視用の関所しかない。立派な砦を建てる計画はあったという話だが、予算不足により無期限延期になってしまったようだ。

 敵国との国境にまともな防衛施設の一つもないというのは非常に不用心だが、鉱脈が見つかるまでのリースベン領は侵略するうまみのほとんどない土地だったからな。油断してたんだろうな……

 

「確かに砦はない。砦はないが……ないなら作るほかない」

 

「つ、作る? そんな悠長なことしてて大丈夫なのか?」

 

 額に冷や汗を垂らしながら、ヴァレリー隊長は困惑する。……うん、まあ大丈夫じゃないよ。彼女の言いたいこともわかる。

 

「調べた限り、時間的余裕はない。近いうちにディーゼル伯爵軍は進発してくるだろう」

 

「間に合わないじゃないか!」

 

「間に合わせるしかない。国境の山岳地帯で伯爵軍を止められなかった場合、リースベン領内で戦闘することになるが……リースベンは森ばかりの土地だ。土地勘のない我々では、まともに戦えない」

 

 森林を利用したゲリラ戦は一見有効に思えるが、僕たちもヴァレリー隊長たちもリースベンへ来てからまだ日が浅い。無線もGPSもないような環境で慣れない森林戦をやるなんて、ほぼ不可能だ。

 

「現実的に考えて、この手しかないんだ。……砦と言っても、そんな大層なものじゃない。塹壕、土塁、馬防柵、鉄条網……野戦構築でなんとかなる範囲だ」

 

「……」

 

 ヴァレリー隊長は眉をひそめ、しばらく考え込んだ。このプランが実現可能かどうかを検討しているのだろう。

 

「アタシとしては、正直勝ち目が薄い気がするんだがな。というか、なんだ鉄条網って」

 

「有刺鉄線……ようするに、トゲ付きの針金だな。それを使って作るバリケードだ」

 

 針金自体はこの世界でも普及しているが、有刺鉄線はみたことがない。まだ発明されていないのだろう。

 

「そんなもんで敵が防げるのかね……」

 

「正直に言えば、実戦のデータがないので確たることは言えない。しかし、簡易的に構築できる防御設備としてはかなり効果的だろう」

 

 兵士に対しては不安にさせないために景気のいいことを言うよう心掛けているが、ヴァレリー隊長は士官相当の人間だ。懸念点は正直に共有する必要がある。

 鉄条網は日露戦争や第一次世界大戦で大規模に使用され、機関銃や塹壕との組み合わせですさまじい防御効果を発揮した。でも、それはあくまで前世の世界の話だ。魔法のようなイレギュラーのあるこの世界で、どの程度の効果を発揮できるかは未知数だ。正直、僕も不安を覚えている。

 

「……ま、やるしかないか。準備はできてるんだろうな?」

 

 ヴァレリー隊長は苦しげな呻き声を上げたが、ここまでくればもう否とは言えない。もう前金は渡してあるからな。これでバックレたら傭兵としての信用を失う。

 

「陣地を構築するための資材の調達は終わっている。食料、弾薬、飼料……このあたりも、今の部隊規模なら一か月は継戦できるだけ集めた」

 

「準備が良い事で」

 

「戦争の結果は、事前の準備で八割がた決まる。そういうもんじゃないかね?」

 

 小さく笑って、僕はヴァレリー隊長に聞いた。勝つべくして勝つ、というのが僕の主義だ。そのための準備を怠る気はない。この町に着任する以前から、僕は有事に備えてそれなりの手を打っていた。

 

「……いや、驚いたよ。確かにその通りだ」

 

 ヴァレリー隊長はヤケクソになったのか、愉快そうな表情で僕の肩を叩いた。ソニアが冷たい目つきで彼女を睨む。

 

「で、人足のほうはどうなんだ? 大規模な工事をするなら、結構必要だろう」

 

 人足……いわゆる日雇い労働者だな。工事をするなら、確かに必要だ。

 

「それなりには雇った。……でも、人手はいくらあっても足りない。君たちにも頑張ってもらうから、そのつもりで」

 

「……えっ!?」

 

 え、じゃないよ。当然だろうが。自分の身を守るための設備だぞ。……と言いたいところだが、この世界の兵隊は穴掘りをやらない。塹壕なんか、攻城戦でしか使わないのが普通だからな。嫌ってほどタコツボ(個人用塹壕。ようするにたんなるデカイ穴)を掘らされる前世の兵隊とは違うんだよ。

 隊列を組み、行軍し、戦うまでが兵士の仕事である……というのがこの世界の常識だ。こんなことを命じる僕の方が間違っている。間違っているが、背に腹は代えられない。リースベンは開拓地で、人が少ないんだ。そう簡単に暇を持て余した日雇い労働者は集まらない。

 

「むろん、貴様らだけに工事を任せるつもりはない。我々も可能な限り協力する。……まさか、騎士に穴掘りをさせておいて、自分たちは戦闘が始まるまでのんびりしているつもりではあるまいな、傭兵」

 

 ソニアが冷徹な声でそう言った。この世界の兵隊は穴掘りをしないといったが、こいつらは別だ。ソニアをはじめ、配下の騎士たちはほとんどが僕とは幼いころからの付き合いだ。野戦構築やら何やら、こちらの騎士が普通は習わないような事も叩き込んである。

 

「あ、ああ……うん、了解した……」

 

 何とも言えない表情で、ヴァレリー隊長は頷くのだった。



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第31話 くっころ男騎士と土木工事

 方針が決まったら、あとは行動するだけだ。休暇の終わったヴァレリー傭兵団を補給物資を満載した荷馬車隊や防衛線設営に必要な技術者たちとともに国境地帯へ送り出した。

 僕たちのほうも、ノンビリしているわけにはいかない。レマ市からやってきた文官たちに行政業務を引き継がせると、即座にヴァレリー傭兵団を追いかけた。

 とはいえ、僕たち騎士隊はアデライド宰相の尽力により軍馬を再び手に入れることが出来ていた。当然、徒歩で移動する傭兵団に途中で追いついてしまった。状況が状況だけに、合流はせずそのまま追い抜くことになる。

 

「やあ、早かったな」

 

 頬に付いた土をぬぐいつつ、僕は到着したヴァレリー隊長らを迎えた。場所は、峻険な山脈の谷間に築かれた粗末な街道の途中だ。未舗装の荒れた路面に野良着姿の騎士たちがエンピ(関東ではスコップ、関西ではシャベルと呼称される土木用品)を突き入れていた。

 

「雇い主ばかりを働かせてちゃ、傭兵の名折れだからな」

 

 にやと笑ってから、ヴァレリー隊長はあたりを見回す。

 

「なるほど、ここに防衛線を引く訳か。確かに守りやすそうな立地ではある」

 

 周囲の岩山は非常に険しく、騎兵はもちろん歩兵でも突破は難しい。街道を通過した蹴れば、正面から平押しするしかないということだ。

 

「とはいえ、この狭さではこちらも満足に動けない。ここはいわば、第一関門だな。射撃戦である程度敵の数を減らしたら、そのまま放棄して後方に下がる予定だ」

 

 なにしろ、この場所は街道ぶんの幅しかないからな。戦場に設定するにはさすがに狭すぎる。すくなくとも、白兵戦は無理だ。

 

「妥当だな」

 

 ヴァレリー隊長は頷き、それから後ろを振り返る。並み居る傭兵たちは、ほとんどが顔に疲労の色を浮かべて汗まみれになっている。山間部とはいえこのあたりはそう標高も高くないので、非常に気温も高い。服を脱ぎ、半裸になっているものまで居た。僕にとっては非常に目に毒だ。

 

「荷下ろしが終わったら、いったん小休止! その後は騎士様方を手伝って差し上げろ」

 

「こ、このクソ暑い中穴掘りッスか?」

 

「あたしら、傭兵であって人足じゃないんスけど……」

 

 当然の如く、傭兵たちから不満が上がる。ま、傭兵なんていってもそこらのゴロツキとそう変わらないような連中だからな。真面目な働きぶりを期待しても仕方がない部分がある。

 

「るせー! テメーら穴を掘られるのは大好きだろうが! 立場が逆転したくらいで文句言うんじゃねえ!」

 

 とはいえ、ヴァレリー隊長も伊達で隊長をやっているわけではない。迫力のある声でそう叫ぶと、傭兵たちは仕方がなさそうに散っていった。

 

「……っと、失礼。紳士の前で言うような内容じゃなかったな」

 

 顔をこちらに向けたヴァレリー隊長が、若干申し訳なさそうな様子で言ってきた。穴というのは、つまりあの穴だろう。猥談が好きなのは、どこの兵隊も一緒だ。正直、全く気にならない。何しろ僕自身、前世では卑猥な替え歌を歌いながらのランニングをやらされたりしてたからな。

 

「気にしなくていい。僕も伊達や酔狂で騎士になったわけじゃないんだ。今さらこの程度のことでどうこう言うほどうぶ(・・)じゃあない」

 

「お労しや、アル様」

 

 後ろの方で、ソニアがボソリと呟いた。……たしかに、こんなことだから僕はモテないのかもしれない。貞淑な紳士としては、顔を赤らめて恥ずかしがるのが正しい反応だろう。なんか一気にテンション下がって来たな……。

 

「そ、そりゃあよかった、ウン」

 

 微妙な空気を感じ取ったのか、ヴァレリー隊長はバツの悪そうな表情で頬を書き、視線を部下たちに向けた。

 

「マリエル! アタシは代官殿と打ち合わせに入る。アホ共の監督は任せたぞ」

 

「はーい」

 

 どうやら、部下はともかく自分は休む気はないらしい。有難いことだ。こっちも正直、余裕があるとは言い難いからな。無茶ではない程度には頑張ってもらいたい。

 彼女の肩を叩き、街道の道端に立てた天幕へ案内する。簡易の指揮所だ。天幕の中には簡素な指揮卓と椅子、軍用の無骨な茶器などが並んでいる。

 

「ズューデンベルグ領に偵察を送ったが、まだ向こうは部隊編成が終わっていないようだ。だから、時間的にはギリギリなんとかなりそうだ」

 

 椅子に腰を下ろしながら、現状を説明する。翼竜(ワイバーン)を使った航空偵察なのでそこまで正確なところはわからないが、それでも隊列を組んで進軍を始めれば察知できない道理がないからな。

 とはいえ、偵察に使える翼竜(ワイバーン)は一騎士のみ。残りの二騎はアデライド宰相らが王都に帰還する足のため使えない。戦闘の結果が出るまではリースベンに滞在したいと言っていたアデライド宰相だが、万一僕らが負ければ彼女らにも危険が及ぶ。騎士隊の進発に合わせてお帰り願うことになった。

 

「それは助かるな」

 

 指揮卓に頬杖を突きながら、ヴァレリー隊長がため息を吐いた。卓上の地図を見ながら、小さく唸る。

 

「準備万端で迎え撃っても勝てるか怪しいんだ。いわんやまともな用意もなしで開戦、なんて事態は考えたくもねえ」

 

「そりゃ、僕も一緒さ。……ソニア、悪いがヴァレリー隊長に香草茶を出してくれ」

 

「はっ!」

 

 慣れた手つきで茶瓶を引っ張り出すソニアから意識を外し、ヴァレリー隊長の方を見る。足を組んで頬杖をつくその態度は悠然としているが、その内心はどんなものだろうか? 優秀な士官ほど、演技がうまいものだ。果たして今の状況をどう思っているのやら。

 

「最悪でも、中央からの救援が到着するまではここで持久しなくてはならない。気合を入れて作戦を練ろうじゃないか」



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第32話 くっころ男騎士とダラけた傭兵

 それから、数日が経過した。傭兵団が到着したことで工事は本格化したが、ここで問題が発生した。工事に遅れが発生し始めたのだ。理由は簡単、傭兵側のやる気のなさである。

 

「連中、隙を見つけてはサボってますぜ。まったくロクな連中じゃありやせんな」

 

 指揮用天幕に入ってくるなり、ヴァルヴルガ氏が憤慨した。約束通り、彼女には部隊の手伝いをやってもらっている。膂力に優れた熊獣人は、土木工事のような重労働ではちょっとした重機くらいの活躍を見せてくれる。

 

「みたいだな。……まあ、一杯飲んでいきなさい」

 

 僕は小さく唸ってから、カップに香草茶をいれてヴァルヴルガ氏へ差し出す。「こりゃどうも」と受け取った彼女は、憤懣やるかたないようすで椅子に腰を下ろした。

 

「本来なら、今日中に第一塹壕線と物見やぐらが完成する予定でしたが……この様子ならおそらく明日にずれ込む可能性が高いものと思われます」

 

 そう報告するのは、ソニアだ。彼女は唸りつつ、天幕の外へ視線を向ける。外では、傭兵たちがいかにもやる気の無さげな動きで作業を続けていた。

 

「こういう遅れは、どんどん積み重なっていきますぜ」

 

 副官と熊獣人の意見は一致しているようだ。敵がいつ来るかわからない状況なのだし、工事は予定より早く終わらせたいくらいだからな。未完成の中途半端な防衛線で敵と相対する羽目になれば、こちらは間違いなく壊滅する。

 

「連中にやる気を出させるかなんとかしないと、取り返しのつかないことになるんじゃありませんかね?」

 

「そりゃ、その通りだがな。傭兵共は土木工事なんてのは兵隊の仕事じゃない、くらいに思ってるだろうな」

 

 前世の古代ローマ兵は自前で道を舗装たり建築したりしていたらしいし、前世の僕が所属していた軍隊でも穴掘りは兵士の基本的な仕事の一つだった。しかしこの世界では、その常識が通用しない。

 攻城戦以外で塹壕などを構築することがまれだという事情もあるし、土を操る大地属性魔術師なる存在が居るのも原因の一つだ。ちょっとした工事くらいなら、この大地属性魔術師が一人いれば終わってしまう。

 

「だいたい、このままじゃうちの大地属性魔術師……ロジーヌに負担がかかりすぎる」

 

 とはいえ、本格的に魔術を修めた人間はそう多くない。僕の部下にも、この手の魔法が使える人物は一人きりだ。この防衛線の構築はなかなか大規模な工事になる予定なので、流石に魔術師一人きりで作るのは無理がある。手が足りないぶんは、人力でなんとかするほかないんだが……。

 

「人足を増やすわけにはいかんのですかね?」

 

「補給体制がギリギリすぎる。荷馬車が少なすぎて、食料をここまで輸送するだけでも大変なんだ。このあたりは小さな川しかないから、船も使えないし……」

 

 この後持久戦をすることを考えれば、正直傭兵たちの食べる分だけでカツカツ、というのが実情だった。防衛線が完成しても、兵士が腹ペコではまともに戦えないからな。

 だいたい、辺境開拓地であるリースベンは人口自体が少ないからな。募集をかけてすぐ人足が集まるほど、労働者は余ってないんだよ。

 

「現状の人員で対処するしかないというのなら、仕事をしていない傭兵は見つけ次第半殺しにするのはどうでしょう? 恐怖を覚えればこちらのいう事に従うはずです」

 

 相変わらず、ソニアは物騒だ。僕は小さく息を吐いて、香草茶で唇を湿らせた。

 

「半殺しほどじゃないだろうが、向こうでもサボっているのを見つけたら鉄拳制裁をしているようだからな。それで効果が薄いんだから、罰則を強化しても仕方がないように思える」

 

 下士官が兵を殴っている姿は、工事現場のあちこちで見かけることができた。末端はともかく、傭兵団の管理者層はこの工事の重要性を認識してくれているようだ。とはいえ、それで統制が執れているかといえば怪しいものがある。

 ……しかし、鉄拳制裁か。僕はあんまり好きじゃないな。殴るくらいなら、腕立て伏せなりランニングなりをやらせた方が効果的だ。とはいえ傭兵団はあくまで臨時雇いであり、気に入らないというだけでその方針に口を出すわけにはいかない。

 

「結局、一番の問題は当事者意識の無さだ。不利になれば自分だけ逃げればいいと思っているから、やる気が出ない。だから、罰則が鉄拳から半殺しになったところで、脱走兵が増えるだけだ」

 

 まあ、傭兵と言っても給料は大したことがないという話だからな。そういう面でもやる気が出ないのは仕方がないし、圧力をかけ過ぎれば連中は躊躇なく現場を放棄してどこかへ消えてしまうだろう。こちらに脱走兵を取り締まるだけの警察能力がないのだから、なおさらだ。

 

「そりゃあまあ、その通りなんですがね。ここが敵に抜かれれば、リースベンが滅茶苦茶にされるわけでしょう? 連中には頑張ってもらわにゃ困ります」

 

 一方、ヴァルヴルガ氏のほうはそんな気楽なことも言っていられない。なにしろリースベンは彼女の故郷だ。そう簡単に捨てるわけにはいかない。当然、作業にもずいぶんと身が入っていた。成り行きで部下になった彼女だが、今となってはずいぶんといい人材が手に入ったと満足してたりする。

 

「そりゃ、僕も一緒さ。敵軍の捕虜になればロクなことにならないだろうし、命からがら中央に逃げ帰っても敗北の責任からは逃れられない。リースベン領と僕は一蓮托生と言っていい」

 

「兄貴……!」

 

 ヴァルヴルガ氏は感激した様子で身を乗り出し、そしてカップに入った香草茶を一気に飲み干した。

 

「わかりやした。このヴァルヴルガ、ひと肌脱ぎやしょう。あの腑抜け共のケツを蹴り飛ばして……」

 

「だからそれでは駄目だとアル様が先ほどおっしゃっていただろうが!」

 

 目をギラギラさせながら立ち上がった彼女を、うんざりとした様子のソニアが止めた。

 

「余計なことをするな。アル様に任せておけば万事うまく解決してくれる。貴様は言われた事だけをやっていれば良い」

 

 ……信頼が重いぞ、この幼馴染!

 

「ですよね、アル様」

 

「アッハイ……」

 

 なんだろうなあ。悪い子じゃないんだけどな……。必要ならば、自分から泥をかぶるくらい平気でしてくれるし……。でも重いんだよな性格が。そこに目をつぶれば真面目で有能な、僕にはもったいないくらいの友人で副官なんだけども。

 

「ま、まあ手を打っているのは確かだ。荒っぽい方法に出るのは最終手段にしてくれ」

 

 額に滲んだ冷や汗を拭きつつ、僕は言った。実際、この手のトラブルには前世でも現世でも嫌になるほど遭遇している。今回もこういうことになるだろうなと最初から分かっていたので、事前に準備はしておいたんだ。

 

「少し待っていてくれ。明後日の朝には、連中もそれなりにまじめに仕事をやってくれるはずだ」



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第33話 苦労人傭兵団長と詐術

 アタシ、傭兵隊長ヴァレリー・トルブレは、自分の部隊のあまりの士気の低さに辟易していた。

 

「そこ、ダラダラするな!」

 

「うぇーい」

 

 しゃがみ込んで煙草をふかしている部下に注意するが、返ってきた答えはいかにもやる気のない物だ。まだ半分ほど残った煙草の火を靴底で摺り消し、傭兵はいかにもダルそうに作業に戻っていく。

 ため息を吐きたくなった。あのソニアとかいう副官に、毎日のように文句をつけられている。三日目に完成するはずだったやぐらが、四日目の今日になってもまだ半分しかできていないのだから口を出したくなる気分はわからないでもない。

 

「とはいっても、うちらは土木屋じゃねえしなあ……」

 

 周囲に聞こえないような声で呟く。こういうのは、専門家に任せた方が良いに決まっている。なんで傭兵の自分たちにこんなことをやらせるんだと反論したくなったけど、相場より上の報酬をすでに貰ってるからな……。ちょっと文句は言いづらい。

 それに、進捗が遅いのはアタシらが素人だからというより、兵たちにやる気がないという理由の方が大きい。最初にもらった計画表では、ずいぶんと余裕が取られてたからな。クライアント側も、ある程度こちらが手間取るのは計算済みだったんだろう。

 

「どうすっかな……」

 

 傭兵団なんて気取って見せても、ウチの構成員の大半が傭兵にならなきゃスラムの裏路地で野垂れ人でいたであろう筋金入りのロクデナシどもだ。ハッキリ言って、まともに働かせるのはなかなか難しい。傭兵教育のおかげで短時間の戦闘ならばなんとかこなせるようになったが、娑婆じみた仕事となったとたんこれだ。

 残念なことに、クライアントが男というのも悪い方に働いているのだろう。男にアゴで使われるなんてゴメンだ、なんてことを大っぴらに語るヤツもいる。もちろん、その都度口止めはしている。万一あの狂犬じみた副官に聞かれたら、血の雨が降りかねない。

 とある領主貴族の三女だったアタシが、領地のロクデナシどもを更生させようと傭兵団を立ち上げた結果がこれだ。自分で引き入れた苦労だといえばそれまでだが、本当にもうちょっと真面目に働いて欲しい。

 

「隊長!」

 

 そこへ、副長のマリエルがやってくる。その表情は明るかった。

 

「どうした? 兵どもが突然奮起して作業効率が三倍になったのか?」

 

「い、いえ、そういうアレじゃないんですけど……」

 

 マリエルは表情を引きつらせた。

 

「カルレラ市からの幌馬車隊が到着したみたいです。酒も持って来たって話ですから、有難くいただいちゃいましょうよ」

 

「酒か、気が利いてるじゃないか」

 

 出来ることなら、あの男騎士殿にお酌をお願いしたいところだ。いや、記憶は残ってないがあの人には酒で醜態を晒したらしいからな。無理かな。残念だ。顔が結構好みだからって、ワンチャン狙ったのが宜しくなかった。

 今から考えると副官だのなんだのが見ているあのタイミングで仕掛けたのは失敗以外のなにものでもないが、戦闘と遠征のせいでムラムラ来てたので仕方ない。

 

「結構大規模な荷馬車隊だな」

 

 マリエルと共に向かった先では、何台もの幌馬車が止められ荷下ろしを始めていた。数からみて、カルレラ市にある荷馬車のほとんどを動員してるんじゃないか? 小さい町だからな、荷馬車だって大して無いだろうに。クライアント……アル殿はかなり兵站を重視するタチにみえる。

 (エロ)本の中から飛び出してきたようないかにも男騎士然とした華麗な容姿のアル殿だが、そのやり口はかなりの堅実派だ。野戦構築で砦を作ると言い出した時は正気を疑ったものだが、計画を見てみればかなり現実的にまとめていた。正直、かなり驚いたね。

 

「ウィスキーやブランデーとは言わんが、それなりのワインの一本でも貰えれば有難いんだが」

 

「薄めたビールもどきじゃ気晴らしにもなりませんからね」

 

 なんてことをマリエルと話しながら荷馬車隊の止まっている場所へ向かう。周囲にはすでに、物資を受け取ろうとアタシの部下どもや騎士隊の連中も集まってきていた。ちょっとしたお祭り騒ぎの様相を呈している。そこで、ふとあることに気付いた。

 

「男……?」

 

 荷馬車隊に混ざって、何人もの男が働いていた。それも、若くてきれいな男だ。これから戦場になるであろう場所で何をやっているんだろう、あいつらは。

 

「おい、誰か気の利いたやつが男娼でも呼んだのか」

 

 手近なところに居る部下を捕まえて聞いてみた。バカでかいパン籠をかかえたそいつは、でれでれと笑いつつ答える。

 

「いやいや、最初は私もそう思ったんですがね。どうも、カルレラ市の男たちのようです。『町を守ってくださる兵士様がたを、少しでも応援したい』だそうですよ? 殊勝なことじゃないですか」

 

「へ、へえ……」

 

 言われてみれば、うちの傭兵どもと楽しそうに話をしている少年たちの姿もあちこちで見られた。……しかし、どうもきな臭い。傭兵なんてものは食い詰めたゴロツキの集まりでしかない(その中でもウチは大概だが)。そんな連中に好き好んで近づいて来ようなんて男が、そうそういるもんかね。

 

「こっちに頑張ってもらわなきゃ困るからでしょうね、ちょっと水を向けたら夜の誘いにも簡単に乗ってきますわ。ここだけの話、すでに隠れておっぱじめてるヤツもいますぜ」

 

「……」

 

 これ、完全にクロじゃねえか。どう考えてもそいつらは普通の男じゃねえぞ。男娼だ。

 

「隊長もよさげな男を見かけたら確保しといたほうがいいですぜ。こういうのは早い者勝ちですからね」

 

「お、おう。ま、考えとくわ……」

 

 男娼に一般人のフリをさせて傭兵と寝させる。なるほど、考えたな。いくらうちの傭兵がクズの集まりでも、戦士である以上ベッドじゃ景気のいいことを言いたがる。防衛線が完成してなきゃまともな抗戦ができないのはわかりきってるからな、有言実行しようと思えば工事を頑張るしかない。

 タチの悪い策だ。あの頭の硬そうなソニアがこんな手を思いついたとも考えられないので、発案者はアル殿しかないだろうな。うちの連中は男だからとナメてるやつが多いが、とんでもない。

 

「頭がカラッポのアホに指揮されるよりはよっぽどマシだが……油断ならねえな。熟練の老将軍を相手にしてるくらいの気持ちで相対した方が良いぜ、あの男騎士様はよ」

 

「まさかそんな……ははは、相手は男ですよ」

 

 そう言ってマリエルは愉快そうに笑う。駄目だこりゃ……。

 

「うおー! これがはちみつ飴ッスか! うめー!」

 

 なんて考えていると、妙な声が聞こえてきた。そちらに目をやると、ちっこいリス獣人が手をブンブン振りながら大喜びしている。その隣には、当のアル殿がいた。慈愛に満ちた表情で、リス獣人に菓子をやっている。いや、孫娘をかわいがるおじいちゃんかよ。本当に何歳だよ、あの人は!

 なんだか毒気を抜かれて、アタシは大笑いした。ま、裏切られないぶんには味方は有能なほうがいいしな。悪い人間には今のところ見えないし、そこまで警戒しなくても大丈夫……か?

 

 



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第34話 くっころ男騎士と言い訳

 僕の作戦は見事にうまくいった。一般人に扮した男娼たちにそれとなく促された傭兵たちは一斉に奮起し、工事の進捗は一気に進むことになった。もっこやエンピを担いでキビキビ歩いている傭兵たちをみて、僕は笑みを押さえられない。

 

「バッチリだ」

 

 人間、異性の目があるところではついつい無駄に気合を入れてしまうものだ。男娼たちには、しばらく現場に逗留してもらうよう依頼している。そうしないと、傭兵たちはあっという間になまけ始めるだろうからな……。

 しかし、なんとも複雑な気分だ。僕が童貞をいつまでも捨てられない一方、傭兵たちは仕事が終われば天幕でオタノシミをしているんだからな。もちろん、そうなるように手配したのは僕なんだけど……。

 

「……」

 

 ため息を吐きたくなったが、ぐっと我慢。指揮官は兵の見ている場所で下手な態度を取ってはいけないんだよ。真面目くさった顔をしながら、仕事を続ける。

 指揮官とは言っても、椅子にふんぞりかえって部下をアゴで使っていればそれでヨシ、とはいかない。物資の調達、人員の配置、傭兵や騎士たちの間で発生したトラブルの仲裁、各部隊に割り振る仕事の調整、進捗の確認……やるべきことはいくらでもある。落ち着いて食事を取る時間すらない。

 

「なんとかなりそうだな……」

 

 しばらく続いた激務の日々だが、その甲斐あって防衛線はおおむね完成といっても構わないくらいの状態まで持っていくことが出来た。街道を割るようにジグザグの塹壕が掘られ、土塁が積み上げられている。グルグル巻きになった有刺鉄線も縦横無尽に張り巡らされていた。見れば見るほど、壮観な景色だ。

 

「ああ、アル殿。お疲れ様」

 

 防衛陣地を確認していた僕に声をかけてきたのは、ヴァレリー隊長だった。彼女も僕と同じようにあちこちを駆けずり回っているのか、顔には明らかに疲労の色がある。服も土埃まみれだ。

 

「そちらこそ。いや、助かるよ。君たちの頑張りのおかげでなんとかなりそうだ」

 

「最初はひどいもんだったがな」

 

 ヴァレリー隊長は薄く笑い、小さな声で言った。

 

「あんたが男どもを手配してなきゃ、どうなってたことやら」

 

「さすがにバレたか」

 

 僕は肩をすくめた。男娼を呼ぶのはにわか仕込みの応急策だ。多少のボロが出るのは仕方がない。わかる人間ならばすぐに気付かれてしまうだろう。

 傭兵たちの士気は下がっているようには見えないから、ヴァレリー隊長はまだこの事実を部下に伝えていないようだ。少し笑って、岩陰を指さす。

 

「まあ、言い訳させてほしい」

 

「別に、アタシはあんたを追求しようとは思ってないがね」

 

 皮肉気な笑みを浮かべつつも、ヴァレリー隊長はおとなしく僕についてきた。掘り返して出てきた土やら岩やらはその辺に適当に捨てているので、身を隠せそうな場所はいくらでもある。

 

「一つ聞きたいんだが、この策はあんたが考えたのか?」

 

 岩陰に腰を下ろしつつ、ヴァレリー隊長が聞いてくる。僕は、何と答えるべきか思案した。彼女は騙されたことに憤慨している様子はないが、内心不愉快に思っている可能性は十分ある。なにしろ詐欺みたいな真似をしてるわけだからな、こっちは。

 

「……ありていに言えば、そうだ。はっきり言って外聞が悪いからな、こういう手は。部下たちにはちょっと知られたくない」

 

「まあ、そりゃそうだよな。アタシみたいなのならまだしも、アル殿は男の騎士だ。男娼なんかに仕事を頼んだってだけで、口さがない連中は大騒ぎするだろう」

 

 訳知り顔でヴァレリー隊長は言う。女性優位社会であるこの世界では、当然女性に一夜の夢を提供するサービスも広く普及している。小さな町にも、売春宿のひとつや二つはあるものだ(今回僕が仕事を依頼したのもカルレラ市のそう言ったお店だ)。

 とはいえ、性風俗業が卑賎な仕事扱いされることは、この世界でも珍しくはない。男騎士というお堅い仕事をしている僕がそっちの業界に関わるのは外聞が悪かったりする。風俗通いしてる騎士なんて珍しくないのに、ひどいもんだよな。この辺は、男と女で扱いが大きく違う。

 

「とはいえ、ほかにいいアイデアもなかったんだ。許してほしい」

 

「だから、あんたを追求する気はないって言っただろ」

 

 ヴァレリー隊長は苦笑して手をひらひら振った。

 

「確かに町息子が応援に来たってのは噓かもしれないが、要するにタダで男娼をおごってもらってるようなもんだろ。これに文句をつけるなんて、贅沢だぜ」

 

 町息子……ようするに、町娘の男バージョンだな。僕としては、いまだにこの辺りの言い回しには違和感を覚える。

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

「それに、男のあんたにはわからないだろうが、女ってのは性欲がたまってくるとロクなことをしないんだ。粗暴になったり、問題行動を起こしたりな。そこらの一般人を襲い始める前に、しっかりとしたプロに処理してもらった方が後腐れがなくていいさ」

 

 いや、わかる、わかるよ。すごくよくわかる。

 

「食事、睡眠、男……この辺りは特に、出来るだけ抑圧しないほうがいい。臭いものに蓋をして解決した気になっても、いずれ内圧が高まって爆発する。これを管理できる形で解消してやるのも、指揮官の仕事だと思ってるよ」

 

 兵隊やってる限り、シモの問題からは逃れられないからな。ここから目をそらしてはいけないというのは、前世の将校養成課程でさんざん念押しされた。貞操観念が逆転したこの世界でも、そのあたりに変わりはないだろう。

 

「……驚いた。アル殿、あんた実はめちゃくちゃ若作りだったりしないか? あんたくらいの年齢じゃ、普通そこまで頭が回らねぇと思うんだが」

 

「に、二十になったばかりだが……」

 

 さすがにちょっとドキリとした。前世も合わせれば、僕の人生経験もなかなかに長い。残念ながら女性経験の方は一回もないが。まさか転生者であることがバレたわけでもないだろうが、ズルをしているような気分がして落ち着かない。

 

「それが本当なら、あんたはなかなかの傑物だ。誇っていいぜ、先輩であるアタシが太鼓判を押してもいい」

 

 ニヤリと笑って、ヴァレリー隊長は僕の肩を叩いた。

 

「気の利いた上司ほどありがたいものはない。あんたがアタシらを裏切らない限り、こちらも誠意をもって仕事をしよう。極星に誓ってな」

 

 極星というのは、まあ文字通りこの世界における北極星だ。この大陸における最大宗教、星導教の信仰対象となっており、彼女の言葉はいわば「神に誓う」と言っているようなものだ。

 

「それはありがたい。せいぜい、見限られないよう頑張らせてもらう」

 

 そう言い返した時だった。遠くから「アル様! いらっしゃいますか!? アル様!」という大声が聞こえてきた。ソニアの声だな、これは。ヴァレリー隊長に会釈してから、岩陰から出ていく。

 

「こっちだ!」

 

 めったなことでは大声をあげないのがソニアだ。軽い要件ではないだろう。案の定、走り寄ってきた彼女が口にしたのは、重大な報告だった。

 

翼竜(ワイバーン)が帰還いたしました。ディーゼル伯爵軍らしき隊列がリースベン領に向かっているのを確認した、とのことです」

 

「来たか……」

 

 僕は唸った。いよいよ、開戦の時が近づいているようだ。 



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第35話 メスガキ騎士と野蛮な約束

「おいチビ、聞いたか?」

 

「だれがチビよ、母様」

 

 私、カリーナ・フォン・ディーゼルは、うんざりした声で答えた。口から出た不機嫌そうな声音に、自分でびっくりする。まあ、今日は丸一日行軍を続けて疲れているから、仕方ないのよ、うん。決して私が自分の身長に劣等感を覚えているからではないわ。

 

「ははは、すまんすまん」

 

 母様は豪快に笑い飛ばした。牛獣人の一族である我がディーゼル家は、獅子獣人や竜人(ドラゴニュート)にも負けない体格に優れた武人を輩出することで知られている。母様もその例にもれず、身長は二メートル近い。

 それに比べて私はどうだ。頭のツノと尻尾、胸囲を除けばほとんどハーフリング族扱いされそうなほど身長が低い。……で、でもまだ成長期だし、そのうち伸びるでしょ……。

 

「それで、どういう要件なの?」

 

 考えれば考えるほど落ち込みそうなので、私はすぐに話題を変えることにした。

 

「いやな、これから攻めるリースベン領なんだが」

 

 母様はニヤニヤ笑いつつ街道の先を指さす。そう、私たちは今、山脈向こうのリースベン領を攻撃するために一族郎党を引きつれ進軍している。戦闘要員だけで五百名を超える大所帯が、縦列を作って街道を進んでいた。私たちが居るのは、その最先頭。ド田舎の警備兵に差し向けるには、あまりにも過剰戦力ね。本当、敵が可哀想すぎて笑えて来ちゃう。

 

「どうもそこの代官、男騎士がやってるらしいぞ」

 

「えっ、本当なの!?」

 

 男騎士なんて、ご都合主義の娯楽物語か(エロ)本の中にしかいない存在じゃないの?

 

「マジもマジだ」

 

「バッカみたい。男の癖に騎士なんて」

 

「だよなあ」

 

 母様はまた、ゲラゲラ笑った。

 

「なんでも、只人(ヒューム)の貴族家で女の跡取りが生まれなかったんだと。まったく、そもそも只人(ヒューム)風情が貴族をやるのが間違ってるんだ」

 

「貧弱で軟弱な只人(ヒューム)が戦場に出たところで、ねえ?」

 

 私は小柄だけど、それでも只人(ヒューム)相手ならどれだけ体格差があっても負ける気はしない。簡単に押しつぶす自信がある。只人(ヒューム)がどれだけ鍛えたところで、獣人に筋力で勝つのはムリだもの。当たり前よね?

 

「そうさ。只人(ヒューム)なんて種族は、あたしらに種を差し出す以外に使い道はないのさ」

 

「ひどいわよ、母様。小間使いくらいには使えるわよ!」

 

「それもそうか! カリーナは賢いな! ワハハハハ!」

 

 そう言って母様は私の肩をバンバン叩いた。板金鎧(プレートアーマー)をつけているから、痛くもかゆくもないけどね。生身でも平気でやってくるから、正直止めてほしい。乱暴なのよ、母様は。

 

「そういう訳で、王国の男騎士殿には身の程を理解(わか)らせてやる必要がある。……どうだ、カリーナ。お前もそろそろ成人だ。手前でなにもかも片付ける気があるなら、くれてやってもいいぜ?」

 

「ほ、本当!?」

 

 心臓がドキリと跳ねた。来月で、私も十五歳。騎士見習いから正騎士に格上げだもんね。それくらいの役得があってもいいかも! 男娼やそこらへんの侍男で処女を捨てるよりは、よっぽど刺激的で面白そうね。

 

「とはいえ、お前も大人になるんだ。何もかも親が手伝ってやるつもりはないぞ。やるなら、自分の手で押し倒して屈服させろ。戦場で味わう男の味ほど素晴らしいものはないからな」

 

 つまり、私の手でその男騎士を倒せってことね。まあ、男相手に負けるはずもなし、警戒すべきなのは周りの護衛くらいかな?

 しかし、母様も凄いことを言うわね。母様は私くらいの年齢の時にはもう戦場でハルバードを振り回してたって話だし、占領地の男を相当泣かせたんでしょうね。商社の権利ってやつ?

 

「大丈夫! 私もディーゼル家の女よ。男の一人や二人くらいなんとでもなるわ!」

 

「ほほーう、言ったな?」

 

 母様は愉快そうに口角を上げた。

 

「そこまで言うなら、任せてやる。ヘマするんじゃねえぞ」

 

「もちろん!」

 

 にっこり笑ってそう答え、ふと不安を覚えた。もちろん、自分が勝てるかどうかじゃないわ。むしろ、相手が弱すぎた場合が不安なのよ。だって、相手の指揮官は男な訳でしょう? 臆病風に吹かれてもおかしくないわ。

 

「よく考えたら、リースベン程度の居る警備兵なんか大した数じゃないでしょ? 戦う前に降伏してくるんじゃない、あいつら?」

 

 そうなったら、せっかくの機会を逃しちゃう。それだけは避けたいところね。

 

「べつに、私はそれでも構わないがな。……というか、情報元もどうもキナ臭いし。初戦くらいは被害なしで終わらせたいくらいだが」

 

 後半の言葉は、ひどく小声で聞き取れなかった。どうしたんだろう、難しい顔をしてる。

 

「母様?」

 

「いや、なんでもない」

 

 母様はすぐにいつもの自信ありげなニヤケ面に戻り、肩をすくめた。

 

「確かにお前としちゃそれは困るだろうが、白旗上げてる相手に襲い掛かるのも外聞が悪い。そこでだ」

 

「うん」

 

「リースベンの警備兵には、戦う前に降伏を勧告するつもりだ。その軍使にお前を任命する」

 

「私を?」

 

 どういうつもりだろう。私、いままでそんな仕事をやらされたことなんて一回もないのに。

 

「で、だ。降伏の条件として、男騎士殿に一騎打ちを申し込め。向こうが勝ったら、敵軍の貴族は捕虜にせず放免してやる、なんて条件でな。そしてお前が勝ったら……わかるな?」

 

「な、なるほど!」

 

 さすが母様、賢い! 見た目こそ山賊の頭目みたいな荒々しさだけど、その実頭も凄く回るのよね。まったく、自慢の母親だわ。

 

「そういうことなら、このカリーナ・ディーゼル……軍使の任を謹んでお受けするわ!」

 

「全く現金なヤツだ」

 

 また、母様はゲラゲラ笑って私の肩を乱暴に叩いた。



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第36話 メスガキ騎士とくっころ男騎士

 私たちがリースベン領との国境地帯に到着したのは、それから一週間後のことだった。母様との約束通り、私は護衛の騎士たちとともにリースベン側の陣地を訪れた。

 偵察によれば、こいつらは後方でなにかを作っているみたいだけど、流石にそちらを見せるつもりはないみたい。私たちが案内されたのは、敵の本営から随分と離れた場所に建てられた粗末な天幕だった。

 

「あんたが噂の男騎士? へぇ? ふぅん?」

 

 迎えに出てきた騎士を眺めながら、私は内心ほくそ笑んだ。噂の通り、リースベンの警備兵を率いているのは男騎士だった。短めの黒髪に、ヘーゼルの瞳。生真面目な表情を浮かべた顔は人形みたいに整っている。凛々しい容姿をしているからか、男なのに全身甲冑が良く似合ってるのがニクいわね。物語に出てくる男騎士がそのまま現実に現れたらこんな感じになるんじゃないかしら?

 私は一目見てその男が気に入った。表情が良い。この『男であることを捨てて剣の道に生きています』と言わんばかりの表情がぐちゃぐちゃに蕩けるまで犯してあげたら、きっととても気持ちがいいでしょうね。想像するだけでちょっと濡れてきちゃった。

 

「私はカリーナ・フォン・ディーゼル。栄えあるディーゼル家当主、ロスヴィータ・フォン・ディーゼルの三女よ」

 

「アルベール・ブロンダン。リースベン領の代官だ」

 

 一応礼儀だから、挨拶を交わす。握手をしたアルベールの手は籠手に包まれていたので感触がわからなかった。残念ね。剣の握りすぎでカチカチになってるのかしら? そっちのほうが、剣一本で生きてきた男を蹂躙する感じがあって好みなんだけど。

 

「……どうぞ」

 

 アルベールの副官らしい女が、ひどく不機嫌そうな様子で香草茶の入ってきたカップを差し出してきた。……でも私、正直香草茶は嫌いなのよね、なんか臭いから。そもそもコレ、もとは竜人(ドラゴニュート)の文化だし。

 

「豆茶はないの? 礼儀がなってないわね」

 

「……」

 

 副官の表情は変わらなかったが、目には明らかな殺意が浮かんだ。……いや、余裕ぶってたけどかなり怖いわね、コレ……。この副官、母様ほどじゃないけどかなり体格がいいし……。もし戦うことになったら、アルベールを押し倒す前になんとか分断しないと不味いわね。こんなデカ女と正面から戦っても絶対に勝てないわ。

 とはいえ、それは私とこいつが一対一で戦った場合の話。私のバックにはディーゼル伯爵家がついているのだから、私がちょっとくらい偉そうにしても向こうは文句を言えないわ。案の定、副官は不承不承新しく茶を入れ始めた。

 少し待つと、黒々とした液体の注がれたカップが私の前に差し出された。香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。これよこれ、香草茶なんかよりよっぽどいいわ!

 

「それでいいのよ、それで。ところで、ミルクは?」

 

「ここは戦地だぞ、新鮮なミルクが手に入るはずがないだろう。頭にタワシでも詰まっているのか?」

 

 副官は表情も変えず、そんなことをのたまった。こ、こいつぅ……!

 

「そもそも貴様らは牛獣人だろう。その無駄に大きな乳から自前のミルクを絞り出せばいいのでは?」

 

 思わず腰の剣の柄を掴みかけたが、それより早くアルベールが制止した。

 

「やめないか、敵手をむやみに罵倒するのは騎士の振る舞いではない」

 

「……失礼しました」

 

「謝罪するべき相手は僕じゃない。わかるな?」

 

「…………申し訳ございませんでした」

 

 口をへの字に結んでしばらく黙り込んでいた副官だけど、やがて不承不承という感じで頭を下げてきた。いい気味よ!

 しかしこの男騎士、見た目通り中身はなかなか高潔みたいね。ますます興奮してきた。綺麗なものほど汚したくなるというか……ま、性癖よね。こういう男を腰を振るしか能のない馬鹿に墜とす、みたいなシチュが好きなのよね。好きな(エロ)本のシチュエーションを現実に出来そうだと思うと、もうたまらなくなってきちゃった。

 一回犯して終わり、なんてあまりにももったいないわ。領地に連れ帰ってペットにしたいところね。今のところ私には許嫁もいないことだし、母様が許せば私好みに育てて夫にするのもいいかも。

 

「……にっっっっが!!」

 

 ヒートアップする頭を冷やすために豆茶を一口飲んだら、とんでもなく濃かった。滅茶苦茶ニガいわ! ミルクが入っていないというのもあるけど、それ以前の問題。わざとね、あの副官!

 男の前で無様な姿は見せたくないけど、これはさすがにムリ。あわててアルベールの前におかれた香草茶のカップを奪い、口へ流し込む。臭い香草茶も、この苦くてドロドロした豆茶モドキよりはよっぽどマシよ。

 

「ふう、はあ……」

 

「……大丈夫ですか?」

 

 何とも言えない表情で心配の言葉を口にするアルベールを見て、私は顔を真っ赤にした。よくも私に恥をかかせてくれたわね、あのクソ女! 絶対八つ裂きにしてやる。

 

「……ふ、ふん。問題ないわ。それより、いい加減本題に入りましょう」

 

 なんとか呼吸を整えて、平静を装う。もう、早く本陣へ帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。こんなところに居続けたら、あの腐れ副官にどんな嫌がらせをされるかわかったもんじゃないしね。無礼討ちしようにも、あの副官は私と護衛の騎士が束になってかかっても勝ちそうなほど強そうに見えるし……。

 

「自分たちに勝ち目がない事位、いくらおバカなあなたたちでも理解できているでしょう? 特別に私たちへ頭を下げる機会を作ってあげる。喜びなさい?」

 

「ありていに言えば、降伏勧告ですか」

 

 アルベールは腕を組み、苦々しい表情で言った。そりゃ、この段階で軍使を立てるなんて、降伏勧告以外にないもんね。

 

「まあ、とはいえあなたも一戦もせずに私たちに下るのは不名誉でしょう? アルベール殿と私で一騎打ちをすればいいわ。それで最低限の名誉は守られるんじゃないの。私が負ければ、とりあえず貴族だけは無傷で王国へ帰してあげる」

 

「僕が負けたら?」

 

「そうね、全員捕虜ということでいいわ。それでも、処刑まではしないから安心しなさい」

 

「それは慈悲深い事で」

 

 肩をすくめるアルベール。芝居がかった動作だけど、この男がすると妙に似合うから不思議ね。

 

「そうよ、私たちは優しいの。ああ、不安に思うことはないのよ? もちろん男相手に本気を出すような真似はしないわ」

 

 そこまで言って、ふと私は疑問を覚えた。この男には婚約者や妻がいるのかしら? 容姿から見て、そういう相手が居てもおかしくない年齢に見えるけど……。

 

「そういえば一つ聞いておきたいんだけど、あなた童貞?」

 

 初モノなら初モノで嬉しいし、そうじゃなくても特別な相手がいる男を蹂躙するのは楽しいから、どっちでもいいけどね。でも、気になるじゃない? やっぱり。

 

「……」

 

 さすがにこれは、アルベールも黙り込んだ。ちょっと恥ずかしそうにしてる、可愛いわね。捕まえたら羞恥攻めするのもいいかも。

 

「……童貞ですが」

 

「へえ。じゃ、恋人や許嫁は?」

 

「いませんが」

 

「へ~え? そのトシで? なっさけなーい。男の癖に騎士なんかやってるから婚期を逃すのよ、ばっかじゃないの?」

 

 副官の方をチラチラ伺いながら(挑発しすぎて襲い掛かられたら流石にマズイもんね)煽ってみると、アルベールは何とも言えない表情で口をつぐんだ。うーん、楽しいわ!

 

「ま、喜びなさい。あなたの童貞は私がもらってあげる。一騎討ちで私が勝ったら、その場で犯すわ。勝者の権利ってやつよね」

 

「……犯す?」

 

「当然でしょ。あなたは男なんだから、負ければそうなるのが普通なのよ。さんざんに打ち負かした後、部下の前で滅茶苦茶にしてあげる。楽しみでしょ?」

 

「……」

 

 何とも言えない顔で、アルベールは黙り込んだ。そりゃ、そうよね。初対面の女にここまで言われて嫌悪感を覚えない男なんていないもの。そうやって嫌がる男を無理やり屈服させるのが良いのよ。

 

「ちなみに、降伏を選ばなくても結果は同じよ。今すぐヤられるか、後でヤられるか。二つに一つってワケ。男風情が私の前に立ちふさがったことを後悔しなさい」

 

「そうですか」

 

 微妙な表情のまま、アルベールは唸った。副官なんて、今すぐ私に飛び掛かってきそうな雰囲気を出してる。話を聞いているアルベールの配下たちも、明らかに殺気立っていた。おお、怖い怖い。

 

「ま、部下のことを思えば、降伏の方をお勧めするわ。どうかしら?」

 

「……ええ、まあ。結論は出ました。こちらの返答ですが」

 

「ええ」

 

「一昨日きやがれ、バカヤロー。以上です。では、お帰りください」

 



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第37話 くっころ男騎士と演説

 カリーナ氏が去った天幕では、ひどい罵声が飛び交っていた。もちろん、その矛先はカリーナ氏とディーゼル伯爵家だ。

 

「あのクソ牛女、うちのボスを何だと思ってやがる!」

 

「望み通り血祭りにあげてやるぞ!」

 

 気炎を上げているのは主に僕の配下の騎士たちだが、ほかの傭兵たちも明らかに怒り心頭と言った様子だ。あのカリーナ氏の態度は、お世辞にも尊敬できる敵手とは言い難いものだったからな。あそこまで格下扱いされれば、だれだって怒りは覚えるだろう。

 一方、僕はといえば少し困っていた。なにしろ、カリーナ氏は童顔で低身長、それでいて胸囲はソニア並みかそれ以上という刺激的な容姿だったからな。そんな彼女に犯してやる宣言をされたものだから、「マジか……」という感想が強い。正直かなり魅力的だろ。

 い、いや、しかし僕はロリコンではない。大丈夫だ。ちょっとデカすぎる胸にぐらッときただけだから問題ない。前世では好みの異性のタイプを聞かれると『千歳以上の抱擁力のあるお狐ロリババア』と答えていたが、あくまで二次専門なので絶対にロリコンじゃないんだ。

 

「アル様、申し訳ありませんでした」

 

 僕のそんな思考をソニアの声が遮った。彼女はひどくシュンとした様子で、深々と頭を下げている。カリーナ氏に対する態度のことを言っているんだろうな。確かにアレは少しマズかった。

 

「無様な姿をお見せしました……」

 

「うん……何が悪かったかわかるか?」

 

 周囲に聞こえないよう小さな声で僕は聞いた。注意や叱責なんてのはできれば他に人の見ていない場所でやるべし、というのが僕の主義だった。とはいえ流石にこの状況で彼女を人気のない場所に連れて行くのも難しいしな。

 カリーナ氏の前でソニアを謝らせたのも、正直言えばやらせたくなかった。礼儀として、こちらの誠意をカリーナ氏に見せなければならなかったので仕方なくのことだ。

 

「向こうに要らぬ警戒心を抱かせました。いっそ馬鹿を装って、油断をさせたほうがマシだったように思います。寝首を掻くのが難しくなりました」

 

「……うん、まあそうだね……」

 

 僕の言いたいことはちゃんと理解しているようだけど、やっぱり表現が物騒なんだよな……。いや、確かにその通りなんだよ。せっかくカリーナ氏はわかりやすく油断してたんだから、そのままの気分で本陣に返したかった。それでこっちの戦力を過少報告でもしてくれれば万々歳だったんだけど。

 そのために、わざわざ防衛線を敷設した場所よりもかなりズューデンベルグ領寄りへ交渉用天幕を設営したんだ。迎撃準備をカッチリ整えているところなんか、敵に見せるわけにはいかないからな。斥候相手にも見られないよう、警戒網はしっかり敷いている。

 そういう訳で、ソニアの反省点は全く間違っていない。間違ってはいないが、できればオブラートに包んで欲しいよな。いや、気分的にさ。

 

「わかってるならいい。もうすぐ戦闘も始まる、あんまり気にするな。好き勝手言われた恨みは戦場で晴らしてやれ」

 

「了解」

 

 ソニアは小さく頷いた。あんまり悪い気分を引きずってほしくないからな。さっさとこの話は切り上げることにした。

 

「諸君、ディーゼル伯爵の娘のあの振る舞いを見たか!」

 

 その代わり、口々に文句を言っている配下の騎士や傭兵たちに、大声で語り掛けた。せっかくテンプレみたいな悪役(ヒール)ムーブをしてくれたんだから、せいぜい士気向上に役立ってもらおう。

 

「やつは男をおもちゃくらいにしか思っていない! そんな女に率いられた兵士たちが、占領地でどのような振る舞いをするか……もはや、考える必要もなくわかることだ! そうだろう?」

 

 まあ、実際そうだろう。戦場の兵士なんてのはむやみやたらと気が荒くなるものだ。その熱を引きずったまま町や村に突入すれば、そりゃあ惨事も起こるというものだ。

 

「あのような連中に、我々のリースベンで好き勝手やらせていいのか? 否、断じて否である!」

 

「そうだ!」

 

「牛女どもめ、皆殺しにしてやる!」

 

 僕の言葉に物騒な叫び声を返しているのはなにも騎士たちだけではない。傭兵もだ。なにしろディーゼル伯爵軍が町で狼藉を働いたら、傭兵の恋人(・・)たちもタダじゃ済まないからな。いやが上にでも戦意は上がるだろう。

 男娼たちを町息子に扮させたのはこれを狙ってのことだ。一夜限りの恋人でも、相手に情を覚えてしまうものは少なくないだろう。そういう守るべきものを作ることで、リースベンを傭兵たちの"帰るべき場所"に仕立て上げる。効果は一時的なものだろうが、一戦の間士気が維持できれば十分だ。

 

「あの驕りきった態度を見たか! 奴らは我々をナメている! 許せるか、これが!」

 

「許せない!」

 

「殺す!」

 

「よろしい、結論は出た! 伯爵軍は確かに強大だ。しかし、諸君らの勇戦があれば必ず勝てると僕は確信している! どうか僕に力を貸してほしい、常に忠誠を(センパ-ファイ)!」

 

 僕の言葉に、部下たちはそれぞれ「ウーラァ!」だの「ウオーッ!」だのと気炎を上げている。士気は十分だ。若干ほっとするが、交渉用天幕に連れてきた部下は少人数のみ。本営ではほかに戦闘員だけで百人以上が待機している。

 こちらの戦意を煽るのはカリーナ氏の協力もあって楽だったが、本営の方はどうだろうか。演説の文面は考えてあるんだが、上手くいくかどうかどうも不安だ。

 

「……」

 

 そこまで考えて、僕は自分の手が少し震えていることに気付いた。そう言えば、前世・現世を通して自軍より装備・練度の勝った相手と正面から戦うのは初めてだった。前世の敵は反政府ゲリラやテロリストだったし、現世になってからも主な敵は盗賊や領内に侵入した蛮族どもが中心だ。

 むろんそれらも決して油断のできる相手ではなかったが、ディーゼル伯爵軍はその上を行く。カリーナ氏やその護衛が身に着けていたのも最高クラスの魔装甲冑(エンチャントアーマー)だった。決してたやすく勝てる相手ではない。

 そうはいっても、負けるわけにはいかない。カリーナ氏のお仕置きは魅力的だが、その結果部下が殺されリースベンが蹂躙されるのであれば絶対に容認ができない。僕は、自分の不安が部下に伝わらないよう、ぐっと手を握り込んだ。



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第38話 くっころ男騎士と新兵

「総員、配置が完了したとのことです」

 

 駆け寄ってきた伝令が大声で報告する。軍使を門前払いした以上、いつ戦端が開かれてもおかしくない。臨戦態勢を整える必要があった。

 僕が居るのは、塹壕の中だ。連発銃で戦うことを前提に掘られた前世の塹壕よりも、ずいぶんと幅が広い。銃口から弾を装填する前装銃や槍、投石紐などをスムーズに使うための設計だった。その代わりあまり深くまで掘っていないが、土塁を持ってあるため少ししゃがめば全身を隠すことが出来る。

 

「了解」

 

 端的に堪えながら、塹壕から頭を出して望遠鏡を覗く。ちょうど、この防衛線はやや小高い場所に設置してあるため、伯爵軍が進軍してくるであろう場所を見下ろすことが出来る。とはいえ、まだ敵の姿は見えない。脳髄を焦がすジワジワとした焦燥に、いっそ早く来てくれと叫びたくなった。もちろん我慢するが。

 そのまま、しばらく何もない時間が過ぎていく。ひどく退屈だった。空は雲一つない快晴で、これから戦争が始まるとはとても思えないほどのどかな陽気だった。それが逆に神経を逆なでする。周りの傭兵や騎士たちも同じ気分のようで、むやみやたらと煙草を吹かしたり激しい貧乏ゆすりをしたりしている者が大勢いた。

 僕も煙草が吸いたくなったが、我慢する。紳士はタバコを吸うべきではない、という風潮がガレア王国にはある。当然、一応は貴族である僕は生まれてこの方ずっと禁煙状態だ。煙草より戦争の方がよっぽど身体に悪いんだから、許してくれよと思う。

 

「代官様、代官様」

 

 そんなことを考えていると、突然話しかけられた。そちらに目を向けると、二人の傭兵が居る。片方はいかにも下士官然とした革鎧姿の狼獣人で、もう一人は野良着の若い竜人(ドラゴニュート)だ。若い方は、十代中ごろといったところだろうか? ひどく怯えた表情をしている。

 

「どうした」

 

 戦闘配置中なんだから私語は避けてほしいものだが、僕もいい加減気分転換がしたかったので聞き返す。まあ、まだ敵の姿すら見えてないんだから構わないだろう。

 

「仲間から聞いたんですが、代官殿が童貞って話は本当ですか?」

 

「ッ!?」

 

 思わず吹きそうになった。この緊急事態に何を言っているのだろうか? 近くにソニアが居なくて助かった。もし聞かれていたら、血の惨劇が起こったことは間違いない。幸いにも、彼女は別の場所へ配置している。

 いきなりなんてことを言うんだ、そう言い返したかったが、古兵のほうの表情は真剣だった。一応、話を聞いてやることにする。

 

「突然なんだ、一体。事と場合によってはただじゃおかないぞ」

 

「いや、本当に申し訳ないんですがね。見ての通り、こいつは新兵なんですが」

 

 古兵は何とも言えない表情で頭を下げ、視線を新兵の方へ向けた。彼女は顔を真っ青にしてガタガタ震えている。目はうつろで、こちらの会話も耳に入っていない様子だった。

 

「そうみたいだな」

 

 それを見て、僕も怒りが萎えてきた。情けないヤツ、とは思わない。大の大人だって、戦場を前にすれば平静でいられるヤツの方が少ない。いわんや、彼女はまだ少女だ。こんな子を戦場に連れ出して、という自己嫌悪の方が先に来る。

 

「こんなんじゃ戦うどころじゃないんでね……もし代官様が童貞ってんなら、キスをお願いできないもんかと」

 

 そこまで言って、古兵ははっとなった様子で狼耳をぴんぴんさせた。

 

「いやね、兵隊のジンクスなんですが……戦いの前に童貞にキスしてもらえれば、その戦いでは戦死しないってのがありまして。まあ、気休めなんですが」

 

「あ、ああ……そういうの、あったな」

 

 そういえば僕も、この世界での初陣前には幼馴染の弟(もちろん相手は亜人貴族なので、義理の弟だが)にキスさせられそうになったことがある。もちろん、丁重にお断りしたが。

 

「大それたお願いってのはわかってるんですがね。なんとかお頼みできないもんかと」

 

 ……うーん、言いたいことはわかる。兵隊ってのは、ことのほかジンクスを大切にする生き物だからな。僕自身、同じような気分になったこともある。

 とはいえ、僕は貴族で相手は平民だ。僕自身が構わなくても、周りはそうは言わない。貴族にとって、体面というのは命より大切なものだ。僕自身、ブロンダン家の看板に傷をつけるわけにはいかないという事情がある。

 

「協力してやりたいのはやまやまだが、貴族ってのはいろいろと面倒な所があってな」

 

 まあ、しかし。しかしだ。このまま彼女を放置するというのも、あまりにも哀れだ。僕自身初陣の恐怖はよく知っている、なんなら今だって職務を投げ出して実家へ帰りたいくらいの恐怖心は抱いている。

 なので、僕は震える新兵の前で片膝立ちで跪いた。そのまま、彼女の右手を取る。茫然としていた新兵もこれには驚き身体を固くしたが、気にしない。

 

「あっ、えっ……」

 

 手の甲に軽く口づけをすると、新兵は真っ青だった顔を一瞬で真っ赤にした。「は、はわ」などと訳の分からないことを言いながら、一歩下がる。

 

「これで許してもらえるか?」

 

 前世の僕なら訴えられてたな、これ。などと思いながら新兵に聞く。それなりのイケメンに生まれてよかったよな。その分体力はだいぶ下がった気がするけど。

 

「ま、不味いですよ! 代官様!」

 

 しかし、古兵は慌てた様子で手をブンブン振った。

 

「そういうのは、女が男に対してやるヤツです! 男女逆転なんて、倒錯的過ぎる! こいつの性癖が歪んだらどうするんです!」

 

「え、ええ……ごめん」

 

 どういうことだよ、と思いつつも僕は新兵の手を離した。彼女は両手で顔を押さえてあわあわ言う。

 

「べ、別に嫌じゃないですけどぉ……その……ごめんなさい!

 

 顔を真っ赤にしたまま、新兵は走り去ってしまった。……いかん、調子に乗りすぎた。こんなんだからモテないんだよなクソッたれめ……。

 

「……本当に申し訳ない。状況が落ち着いたらちゃんと謝ると伝えておいて欲しい」

 

「い、いや、まあ、喜んでたみたいなんで、謝る必要はないと思いますがね?」

 

「喜んでたの? あれ……」

 

 やっぱり女の人ってよくわかんないな……などと考えていた時だった。ポンという気の抜けた音が塹壕線に響き渡る。慌てて空を見上げると、パラシュートに吊られた赤い信号弾がピカピカと輝いていた。敵確認の合図だ。

 

「来やがったな。おい、急いで配置に戻れ。合戦用意!」



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第39話 くっころ男騎士と開戦

 土塁からそっと頭だけ出し、望遠鏡を覗く。遠くに、隊列を組んでこちらに進軍してくる全身鎧姿の集団の姿があった。掲げられた旗は牛の頭蓋骨を図案化したもので、貴族の家紋というよりは海賊旗の類に見える。

 

「銃兵隊に伝令。命令があるまで絶対に発砲するなと伝えろ」

 

「はっ!」

 

 今のところ、敵軍に騎兵の姿は見えない。ここは山岳地帯の隘路だからな。下手に馬で突っ込んできても効果が薄いことは向こうもわかっているんだろう。

 代わりに差し向けてきたのは、強固な甲冑を装備した重装歩兵だ。まだ遠いため望遠鏡を通してもよく見えないが、おそらくあの甲冑は大半が魔装甲冑(エンチャントアーマー)だろう。魔力の込められたこの鎧は、ライフル弾すら通さない。射程外からむやみやたらと発砲したところで弾薬の無駄だ。

 

「ソニア様から連絡です。砲兵隊、いつでも発砲可能とのことです」

 

「よし!」

 

 銃弾すら通さない鎧を着た相手に銃で攻撃したところで効果は薄いし、白兵戦を挑むのはもっと不味い。なにしろこっちの主力は魔装甲冑(エンチャントアーマー)どころか普通の鎧すら来ていない奴らが大半だからな。

 銃も剣も効果が薄い上に、うちには高位の攻撃魔法を使いこなす人材もいない。じゃあどうするのかと言えば、大砲を使うしかないだろう。

 

「……問題なさそうだな」

 

 この指揮壕は周囲を一望できる場所に設けているので、砲兵隊の姿も視認することが出来る。そちらに望遠鏡を向けると、広くて深い塹壕の中に安置された大砲の周りで何人もの騎士たちが動いていた。鋳造されたばかりの青銅の砲身が、陽光を浴びてピカピカと輝いている。

 ……実はこの大砲、レマ市で雇った鐘職人にこの場で鋳造してもらった急造品だ。魔法があるこの世界では銃と同じく大砲もあまり人気の兵器ではないので、当然職人もほとんどいない。一方、教会の鐘なんかを作る鐘職人ならそれなりの規模の都市にはかならず居るからな。鐘と大砲は構造的に似ているため、技術の流用が出来る。

 とはいえ、やはり急造品。おまけに運用しているのは正規の砲兵教育を受けた人間ではなく僕の部下……つまり騎士だ。正直、どうにも不安がある。しかし状況が状況なので仕方がない。

 

「軽臼砲、青の信号弾を用意しておけ」

 

「はっ!」

 

 軽臼砲……木製の樽にしか見えない大きな筒の横に居る部下へ、僕は命令を出した。これは打ち上げ花火の発射機とほとんど同じもので、信号弾を発射することが出来る。青の信号弾は砲兵隊へ射撃開始を指示するものだ。

 

「さて、と……」

 

 僕は小さく息を吐いて、再び望遠鏡を敵の方に向けた。全身鎧の重装歩兵たちは、悠然とした足取りで接近を続いている。前進を指示する軍鼓(ぐんこ)(連絡用の太鼓だ)の音が、こちらにまで聞こえてきていた。何とも不安をあおる音色だ。

 

「ふん……」

 

 しかし、指揮官たるもの悠然とした態度を崩すわけにはいかない。小さく息を吐いて、自分を落ち着かせる。じりじりと近づいてくる敵から目を離さない。そろそろ大砲の弾が届く距離に入ったが、発砲指示はまだ出さない。ライフリングもついてない滑腔砲じゃ、遠距離で撃ったところでまともに当たるもんじゃないからな。ましてこちらの砲を運用しているのは素人の集団だ。

 

「後方に弓兵が控えていますね」

 

 僕と同じく望遠鏡を覗いていた騎士の一人が呟く。たしかに、重装歩兵隊の後ろでは弓兵が隊列を作っていた。前衛を射撃で支援するつもりなのだろう。

 

「道が狭いせいで、真後ろにつくしかないようだな」

 

 射撃兵科は白兵兵科の左右を固めるのがセオリーだが、この隘路ではなかなかそういうわけにもいかないのだろう。下手をすれば味方の背中に矢をぶち込みかねない危険な配置だ。それを避けるには、矢を急角度で放って曲射を狙うしかない。

 

「こっちからすれば、都合のいい話だ」

 

 なにしろ、重装歩兵隊の退路を塞いでいるわけだからな。うまくいけば厄介な敵を一網打尽に出来る。

 そんなことを考えているうちに、彼我の距離は一キロを切った。大きく息を吸い、叫ぶ。

 

「青色信号弾、放て!」

 

 ぽん、と気の抜けた発砲音が指揮壕に響いた。マグネシウム粉末の燃焼音がハッキリ聞こえたのとほぼ同時に、大砲の前方を守っていた簡易的な城門が開かれる。そして、銃や軽臼砲とは比べ物にならない発砲の轟音。

 放たれたのは、鉄製の球形弾だ。鉄球は地面をバウンドしながら重装騎兵に襲い掛かり、兵士数人を跳ね飛ばす。榴弾ならもっとたくさん巻き込めるんだが、この世界ではまだ発明されていないので仕方がない。

 

「やっぱりこの程度では臆さないか。いいぞ」

 

 味方を吹っ飛ばされたというのに、重装歩兵隊は勇敢だった。大声で鬨の声を上げながら突撃を開始する。大砲が連射できないというのは、むこうの指揮官も理解しているだろうからな。下手に退いて再装填の時間を稼がせるより、一気に距離を詰めて白兵に持ち込むべし、という考えだろう。

 こちらの大砲は一門のみ。その判断は、間違いなく正しかった。しかし正しい判断だからこそ、簡単に予想することが出来る。

 

「見てろ。連中、月までぶっ飛ぶぞ」

 

 そう言って僕が敵を指さした瞬間だった。疾走する重装歩兵たちの足元で、複数の大爆発が起きる。耳をつんざく轟音に顔をしかめつつも、僕の目は何人もの兵士が空中に吹き飛ばされる姿を捉えていた。

 あの地点には、大量の埋火(うずめび)……つまり原始的な地雷が大量に埋設されている。連中は、地雷原に全力疾走で突っ込んできたわけだ。当然、その被害は甚大なものとなった。



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第40話 盗撮魔副官とにわか砲兵隊

「撃て!」

 

 わたし、ソニア・スオラハティの号令と共に、大砲が轟音を上げた。ここは防衛線最前衛の

砲兵壕。ここではわたしは砲兵隊の指揮を任されていた。

 

「再装填、急げ!」

 

 跳ね上げ式の簡易城門がうなりをあげて閉まる。現在、敵は組織だって反撃できるような状況ではないが、弓隊がいる以上あまり油断はできない。再装填作業中に矢を射かけられたりすれば大惨事になってしまう。

 金色に輝く大砲の砲口に巨大な房のついた棒が差し込まれ、ガチャガチャと前後させて内部の煤を払う。しかしその手付きはどうも不慣れで危なっかしい。

 

「く……」

 

 砲兵を担当しているのは、我々騎士隊だ。普段は馬を駆り剣を振り銃を撃つような訓練ばかりしているような連中だから、砲兵隊としての仕事に慣れていないのは仕方ない。それでも、埋火(うずめび)とかいう地中爆弾が爆発する音が間近で響きまくっているような状況なので、早くしろと怒鳴りたくてたまらない気分になっていた。

 それでもなんとか、騎士隊は麻袋に入った発射薬と鉄球弾を方向から詰め込み、再装填作業を完了した。大砲の台車を二人がかりで押して、反動で後退してしまった分を前進させた。

 

「発射準備よーし!」

 

「城門開け!」

 

 あのヴァルヴルガとかいう熊獣人が、滑車付きのロープを力づくで引っ張る。木製の城門が素晴らしい勢いで開いた。その向こうでは、全身鎧を纏った重装歩兵たちが右往左往している。撤退しようとしている者もいるが、後方は弓兵隊が塞いでいる。そして前進しようにも、埋火(うずめび)と大砲が怖くてにっちもさっちもいかない。まさに混乱のるつぼだ。

 そうこうしているうちに、埋火(うずめび)を踏んで周囲を巻き込み爆死する。なかなか痛快な光景だ。でも、残念ながら埋火(うずめび)は物資の問題であまり多く敷設できていない。そのため、敵が混乱している今のうちに戦果を拡大しておく必要がある。

 

「撃て!」

 

 再度の射撃命令。もちろん、まともな照準などつけてはいない。にわか砲兵に急造砲の組み合わせではどうせ弾はまっすぐ飛ばないんだから、適当にぶっ放して構わないとアル様はおっしゃっていた。

 先端に火縄がついた棒が砲の火口に差し込まれると、轟音とともに鉄球が撃ちだされた。その砲弾は地面でバウンドし、重装歩兵へ襲い掛かる。照準をつけていないとは言っても、狭い街道内で敵は密集している。そうとう運が悪くない限り外れたりはしない。ライフル弾をも防ぐ魔装甲冑(エンチャントアーマー)を身に着けていたところで、質量の暴力には敵いっこない。即死だ。

 

「いいぞ、次だ!」

 

 熊獣人が急いで城門を閉鎖する。わたしは壕から頭だけをだして、さらに敵軍の方をうかがった。敵はかなりの距離まで接近してきている。銃兵隊の射撃がそろそろ始まるはずだ。

 そう考えていると、案の定ライフルを斉射する耳慣れた音が聞こえてきた。砲兵壕を挟んだ左右の塹壕から、噴煙のように真っ白い煙が上がった。

 しかし、一斉射撃で倒れた敵は一人のみ。弾丸が外れてしまったわけではない。命中精度の高いライフル銃だ。半分くらいは命中したように見えた。しかしほとんどの弾丸は、魔装甲冑(エンチャントアーマー)の装甲に弾かれてしまったのだろう。いくら破壊力の大きいライフル弾でも、重装歩兵を倒すには非装甲部にうまく当てるしかない。

 

「素人どもめ! 間合いが近いんだ、後ろを狙え、後ろを!」

 

 思わず罵声が口から飛び出る。甲冑でガチガチに固めた相手に銃は効きづらいなんてことは、銃兵であれば皆知っているはずだ。本来なら、せいぜい鎖帷子くらいしか着ていない弓兵を狙うべきだったんだ。

 そうしなかったのはたぶん、弓兵が遠すぎて狙っても意味がないと考えたからだろう。傭兵団の銃兵は、火縄銃の低い命中精度を補うため出来るだけ敵を引き付けて撃つよう教育されている。その悪影響が出ているのだ。一応ライフル銃を扱うための指導はしたが、所詮は付け焼刃だったということか。

 だが、ライフルの扱いに慣れた私にはわかる。あのくらいの距離なら、ギリギリ有効射程内だ。しっかり狙えば、十分命中が期待できる。

 

「伝令を出すか?」

 

 銃兵が潜んで居る塹壕はすぐそこだ。伝令を出せば、すぐに攻撃対象を変えるよう命じることが出来る。

 

「……おい、銃兵隊に弓兵を狙うよう伝えろ」

 

 おそらく、アル様も同様に考えて射撃目標を変えるよう指示を出すだろう。しかし指揮壕に居るアル様より、前線に居るわたしのほうが早く命令を出すことが出来る。

 こういう時のために、アル様はわたしに前線の指揮を任せてくださったのだ。その期待を裏切るわけにはいかない。小姓に指示を出し、銃兵壕に走らせた。

 

「再装填完了!」

 

「城門開け!」

 

 機械的に号令

を出す。城門が開くと、射撃命令。耳をつんざく轟音とともに射出された鉄球はしかし、今度は誰にも命中しないまま山肌にぶつかって岩を粉々にした。舌打ちが漏れる。

 

「これではこけ脅しにもならないぞ」

 

 大砲を向けられて平常心でいられる人間はそうはいない。我々砲兵隊の仕事は敵兵の殺傷ではなく、脅威を感じさせて前進する意欲を挫くことだ。とはいえ、当たりもしない砲弾では脅威にならないのではないだろうか。やはりできることならもっとまともな大砲と砲兵が欲しい。ない物ねだりをしても仕方がないが……。

 そうこうしているうちに、銃兵隊が再び射撃した。指示通り、今度狙ったのは弓兵たちだった。遠くに見える弓を持った人影がバタバタと倒れた。あちこちから歓声が上がる。私自身、無意識にぐっと拳を握り込んでいた。

 

「銃兵どもに負けていいのか? 気合を入れろ、再装填!」

 

 戦いの興奮が全身を駆け巡るのを感じつつ、私は大声で叫んだ。



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第41話 メスガキ騎士と予想外の悪戦

「被害状況を知らせろ」

 

 部下にそう聞く母様の声は、少しだけかすれていた。篝火(かがりび)に照らされたその顔は、私が今まで見たことがないほど厳しい表情を浮かべている。

 戦端が開かれてから、半日が経過していた。すでに日は暮れ、周囲は真っ暗になっている。竜人(ドラゴニュート)は牛獣人よりも夜目が効く。夜戦は不利だということで、攻撃はいったん中止されていた。

 

「死者は三十名、重傷者七十名です」

 

「……つまり、何か。半日で一個中隊が完全に消し飛んだわけか?」

 

「はい……」

 

「こんな馬鹿な話があってたまるか!」

 

 母様は、激憤のまま地面の小石を蹴り飛ばした。岩肌に小石が当たって弾ける音が聞こえてくる。そんな小さな音も聞き逃さないくらい、陣幕の中は静かだった。誰も彼もが、沈痛な面持ちで口をつぐんでいる。私たちが受けた被害は、それくらい衝撃的なものだった。

 

「倍数の精鋭部隊とぶつかっても、こうはならないぞ! なんなんだあいつらは!」

 

「相手は妙に射程の長い銃を持っていたわ。ディーゼル家自慢の弓兵隊が反撃もできないまま一方的にやられるなんて、おかしいわよ!」

 

 射程と速射性に優れた長弓は、魔法を含めたあらゆる遠距離攻撃手段の中でも最優の武器だと言われているわ。そして私たちディーゼル家お抱えの弓兵は、長い時間をかけて育成した精鋭中の精鋭。それが銃ごときに一方的にやられるなんて、向こうがタチの悪い悪魔と契約してるとしか思えないわ。

 

「それに、地中爆弾の件もあります。あんなものを仕掛けられては、まともに進軍などできません!」

 

 騎士の一人がそう叫んだ。この辺りの山は峻険で、小人数ならまだしも軍単位となると街道に沿ってしか動けない。そんな大切な街道に爆弾を仕掛けられたら、もうどうしようもないわ。もっと広い場所が戦場なら、カンタンに迂回できるのに……。

 

「そうだ、地中爆弾だ。いったいどういう代物なんだ? 踏んだら爆発する仕組みのようだが……」

 

「兵に掘りかえさせて、ひとつ回収することが出来ました。木箱に火薬と鉄クギを詰めて、着火した火縄をくっつけた薄板で蓋をする構造のようです。この薄板を踏み抜くと、火縄が火薬に触れて着火する……という仕組みのようですね」

 

 軍に同行している技官が説明した。説明を聞いただけの私でも、簡単に同じものが作れそうな単純な構造ね。でも、こんな兵器、私は今まで一度も聞いたことがないわ。まさか、あのスケベな男騎士が考案したのかしら? ……まさか、さすがにそれはないわね。むこうに天才的な錬金術師でもいるのかしら?

 

「構造はわかった。対策は?」

 

「火縄が燃え尽きるまで待てば、踏んだところで着火はしません」

 

「どれくらいで燃え尽きるんだ、その火縄は」

 

「どうやら特別製の長期間燃え続ける火縄を利用しているようで……あと二、三日は待たないと危ないでしょう」

 

「なんだと……!」

 

 母様は額に青筋を浮かべたけど、怒鳴るのはぐっと堪えた。悪いのは説明した技官じゃなくて、こんなものを仕掛けた敵軍の方だものね。母様は乱暴者だけど、そのあたりの道理は心得ているわ。

 

「あまりノロノロしていたら、敵の増援が到着してしまう。それはマズイ……」

 

 本来なら、リースベンの警備兵なんて一日二日で片付ける予定だったわけだし。それが予想外に長引いたら、そりゃあ面倒なことになるわよね。眉間に皺を寄せる母様を見て、私は小さく唸った。なにかいいアイデアは思いつかないものかしら?

 

「とはいえ、これ以上の強攻を続けるわけにもいきません。はっきり言えば、すでに今回の遠征で受けた被害は許容量を超えておりまする。私としては、いっそ撤退も視野に入れるべきではないかと愚考いたしますが」

 

 そう語るのは、ディーゼル家に長年勤める老家臣だった。母様は腕を組み、考え込む。

 

「貴様のいう事はわかる。しかし、相手は同格ではなく格下の代官風情だ。しかも男だぞ! そのような相手に退いたとあっては、周りの領主どものナメられる!」

 

 神聖帝国(うち)はお隣のガレア王国以上に領主同士の結束が甘くて、年がら年中内戦が起きているような土地柄だもんね。近所の領主たちも、味方いう訳ではないわ。ディーゼル伯爵は弱い、なんて評判になったら必ず戦争をふっかけてくるバカが出てくるでしょうね。

 

「撤退という選択肢がないのは分かり申した。しかし、ではどういたします? 明日も強攻を続ければ、爆弾が埋まった地帯を突破することは可能かもしれませぬ。今日の戦いでも、何人かは向こうの塹壕までたどり着いた者がおりましたからな」

 

「たしか、トゲ付きの針金に阻まれてモタついているところを、槍で突き殺されたそうだな。……針金くらい、無理やり突破できんのか?」

 

「戦斧で振り払おうとしたり、攻撃魔法を撃ち込んだりするものもいましたが……どうも突破はムリのようです。工兵に除去させるしかありませんな」

 

「銃と大砲の射撃を浴びつつか?」

 

「……」

 

 敵の銃の性能は異常だもの。魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んだ騎士以外を前に出せば、全滅必至よ。その騎士ですら、鎧の隙間に銃弾を喰らって死傷したヤツもすでに何人もでてるわけだし……。それがわかってるから、周囲の騎士たちもみな黙り込んでしまった。

 

「こうなると、緒戦で精鋭を摺りつぶしてしまったのがあまりに痛いな……」

 

 騎士の一人がぼそりと呟いた。最初の戦いで前衛を務めた重装歩兵は、下馬させた騎士の部隊だった。うちの軍では、まちがいなく最精鋭にあたる連中ね。集中射撃を受けた弓隊ほどじゃないにしろ、彼女らもひどい被害を受けてる。戦線復帰はしばらく無理でしょうね……。

 

「とにかく、今は手持ちの戦力で何とかするほかない。少し時間をやるから、一人一つずつ何かアイデアを出してこい」

 

 そう言って母様は、集まっていた配下たちを一時解散させた。そして残った私を呼び寄せ、耳元でささやく。

 

「いよいよもってこの戦いはキナ臭い。どうやら、あたしは敵の罠に嵌まっちまったみたいだ」

 

 私はびっくりした。お母様がここまで言うような事態なんて、初めてよ。

 

「だいたい、敵の動きが全部ヘンだ。戦術も武器も、見たことのないようなやり方をしてきやがる。まるで、名前も聞いたことのないような異国の軍隊と戦っているみたいだ」

 

「確かに……」

 

 わたしは唸った。歩兵は強固な戦列を組み、騎士は堂々たる突撃を敢行する。それが正しい戦場のあり方という物よ。それに比べて、リースベン軍はなんなの? 今日一日戦って、まともな白兵戦すら起きていないというのはあまりに異常よ。

 

「今までのセオリーが通用しない相手だ。負けてやる気はないが、お前も十分注意しておけ。男のケツを追いかけることに熱中しすぎるなよ」

 

「わ、分かってるわよぉ……」

 

 そう言いながら、私はあの憎らしい男騎士の顔を思い浮かべた。真面目そうな顔をして、なんて汚い手を使う男かしら。やっぱり、出来ることなら身の程ってやつを理解(わか)らせてやりたいわね……

 



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第42話 くっころ男騎士と腹ペコ新兵

 日暮れに伴い戦闘は自然に終結したが、だからといって指揮官はすぐには休めない。被害状況の確認や消耗した物資の確認、戦闘詳報の作成など、やるべきことはいくらでもあった。なにしろこれらの仕事を補佐できるような人材は僕の部隊にはソニアを含めた数名程度しかいないで、とにかく処理に時間がかかる。

 

「んーっ!」

 

 指揮卓に散乱した書類を前に、僕は背中を伸ばした。すでに周囲は真っ暗になり、小さなオイルランプのささやかな明かりだけが僕を照らしている。天幕を張っているので、星の光すら指揮卓の周りにははいってこない。

 

「お疲れ様です、アル様」

 

 そう言うソニアの顔にも、疲労の色は濃い。彼女は最前線で指揮を執って貰っていたので、比較的後方にいた僕よりよほど疲れているはずだ。雑務につき合わせてしまって、どうも罪悪感を覚える。

 

「ソニアもな。悪いね、手伝わせて。人手が全然足りないもんだからさ」

 

「いえ。アル様の補佐は副官たる私の本来の任務ですので」

 

 クールな表情で答えるソニアは、まさに軍人の鑑だ。まったく、僕にはもったいないくらいの人材だな。

 

「あまり僕を甘やかしてくれるなよ。お前たちが居ないとまともに仕事ができない身体になってしまう」

 

「つまりアル様の部下として永久就職できるってことですか。そりゃあいい、どんどん甘やかして差しあげましょ。ねえ副長」

 

「ははは、それは良いな。アル様、どうかお覚悟を」

 

「参ったね、まったく」

 

 部下の騎士たちの言葉に、僕は思わず苦笑した。こいつらとはもう随分と長い付き合いになる。ほとんど家族のようなものだ。言われなくても、本人が望まない限り手放すつもりはなかった。

 

「夕餉をお持ちしました!」

 

 そんなことを話していると、指揮壕に入ってくる者がいた。寸胴鍋やらパン入りのバスケットやらを抱えた兵士だ。そこから漂ってくる香りが鼻をくすぐり、今さらながら空腹を自覚する。忙しくしていると、つい食べるのを忘れちゃうんだよな……。

 

「ああ、助かる。おい、テーブルを開けるぞ」

 

 手分けして指揮卓の上に散らばった書類やインク壺を片付け、なんとか食事ができるようにする。荷物を減らしたいので、食事用のテーブルを別に用意するようなことはしていなかった。組み立て式でも、結構邪魔になるからな……。

 腹が減っているのはみな同じだ。整理はすぐ終わり、夕飯が配膳された。とはいっても、大したメニューではない。カチカチの丸パンに、同じくカチカチのチーズ。そして申し訳程度にベーコンが入った乾燥野菜のスープ。なにしろこの世界には缶詰もレトルトもないので、こんなものばかりの食卓になる。

 

「今日の糧を得られた感謝を極星に捧げます……」

 

 手早く食事前のお祈りをして(なにしろ宗教社会なので、これをやらないと不信心扱いされる)、食事にありつく。味気ない保存食でも、空腹は最高の調味料だ。パンを薄いスープに浸してかじると、薄味ながらなかなか美味しい。

 

「お前たちはもう食事は終わっているのか?」

 

 食事を持ってきた兵士がこちらをじーっと見ているので、僕は聞いた。その視線はパンに固定されている。……そういやこいつ、例の新兵だな。ケガもしてないようだし、童貞のキスなしでも初日は無事に切り抜けることが出来たようだ。よかったよかった。

 ………しかし、童貞のキスという響きがもうなんかそれでいいのかお前感があるな。そんなもんを有難がるのは、やっぱり僕にはよく理解が出来ない。

 

「はい、少し前に……」

 

「ふうん」

 

 それにしちゃ、腹をすかせたような顔してるけどな。配給された食事だけじゃ足りないんだろう。とはいえ、初陣の直後にこの態度はなかなか大物だ。丸一日なにものどを通らない、みたいなことになる兵士も多いんだが。

 

「まあ、座れ」

 

「え? ……はっ!」

 

 パンの切れ端を見せると、新兵は目を輝かせて指揮卓の横に置かれた椅子へ座った。パンをやると、竜人(ドラゴニュート)のくせに飢えた子犬のような顔でそれにかぶりつく。こんな石みたいなパンをよくそのまま食えるもんだ。

 

「またアル様の悪い癖が出ましたね……」

 

 それを見たソニアは半目になって言った。僕は人に飯を食わせるのがとにかく好きで、こんなことはよくやっている。飯屋でおごるくらいならまだしも、戦場で自分のメシを兵に分け与えるのは確かに統制上よろしくないんだよな。ソニアが呆れるのもまあ理解できる。

 

「こっそりだよ、こっそり。おい、他の連中には秘密にしておけよ。誰も彼もからたかられたら、僕は餓死しなきゃいけなくなるからな」

 

「はい、はい、もちろん」

 

 あっという間にパンの切れ端を食い終わった新兵は、こくこくと頷いた。僕がにやりと笑うと、ソニアはため息を吐いて肩をすくめた。

 

「……」

 

「おい、そんな目をしても駄目だ。僕だって腹は減ってるんだからな」

 

 残りのパンにまで物欲しそうな目を向けてくるのだからたまらない。これ以上は駄目だ。すきっ腹じゃまともな指揮ができなくなるからな。流石に自分の趣味のために部下に迷惑をかけるわけにはいかん。

 

「戦いに勝ったら、腹いっぱいになるまでごちそうを食わせてやる。それまで我慢しろ」

 

「マジですか」

 

「嘘は言わん。期待しておけ」

 

「やった!」

 

 新兵は大喜びした。十代半ばと言えば、育ち盛りだもんな。そりゃ、腹も減るか。……こんな子供を戦場に連れてこなきゃいけないんだから、本当に嫌な気分だよ。



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第43話 くっころ男騎士と腹ペコ新兵(2)

 なにしろ皆腹を空かせていたから、料理はあっという間になくなった。デザートなど無論あるわけないので、僕は小さくため息を吐いた。砂糖のタップリかかったドーナツが欲しい。レーションに付属していたゲロマズのチョコレートでも許す。

 

「そういえば……」

 

 使い終わった食器を片付ける新兵に、僕は話しかけた。

 

「お前、名前は?」

 

「コレットです。……姓はありません、親に捨てられた身の上なんで」

 

「あ、そう」

 

 突然ヘビィ級の答えが返ってきたが、まあ若い身空で傭兵なんかやってるわけだからそれなりの事情はあるだろう。僕は口をへの字にして腕を組んだ。

 少し考えてから、片づけを止めて座るよう指示する。コレットはちらりとソニアの方を見た。彼女の厳しさはすでに傭兵団でも知れ渡っているみたいだからな。サボっていると思われたくないのだろう。しかし、別にソニアも隙あらばイチャモンをつけるクレーマーじゃないからな。平気な顔で頷いて見せた。ほっと息を吐き、コレットは先ほどまで自分が座っていた椅子へまた腰を下ろした。

 

「何歳だ?」

 

「十五です」

 

「へえ……」

 

 うーん、嫌な感じだな。少年兵(こっちの世界風に言うなら少女兵か)ってヤツは、やっぱり嫌いだ。前世では何度も爆弾抱えたガキが突っ込んでくるのを目にしている。僕自身がアレを指示する立場になってしまったような感覚になるんだよ。

 できれば何だかんだと理由をつけて後方に送りたいところだ。でも、戦力不足の現状ではなかなかそうはいかない。前世の反政府ゲリラやテロリストの指揮官もこんなことを考えていたんだろうか。まったく嫌になるね。

 まあ、僕自身現世では十五の時には戦場に出ていたが、外面はガキでも中身はオッサンだからな。それはそれ、これはこれ。ダブルスタンダードってヤツだ。

 

「初陣はどうだった?」

 

 そこが一番気になる結果だった。なにしろこの新兵、戦闘前はあんなに怯えてたくせに今はケロリとしている。砲声やらなんやらで神経がマヒしているんだろうか?

 

「えーっと、よくわかりませんでした。敵はほとんど銃やら爆弾やらにやられてまともに前進すらできない有様じゃなかったですか。塹壕に隠れてたら、それで終わりでした。伯爵軍の兵士のツラすら拝めなかったですよ」

 

「まあ、そういう戦場になるよう工夫したからな」

 

 敵は遠距離で倒すに限る。敵兵の大半を砲爆撃で倒し、歩兵部隊は制圧のためだけに投入するというのが僕の理想だ。それが兵隊の命と精神を守ることにつながる。

 地上攻撃機や戦闘ヘリはなく、長射程の野砲もない(なにしろこの世界の大砲の射程は傭兵たちに支給した歩兵用ライフル銃と大差ない)この世界ではそんな理想は実現しようがないが、それでもできるだけの努力はしている。

 

「とはいえ、向こうも何かしら対策は打ってくるはずだ。ずっとうまく行き続けるはずがない。油断はするなよ」

 

「そ、そうですか……」

 

 戦場の恐怖を思い出したように、コレットは背中をぶるりと震わせた。

 

「よろしければ、むこうがどういう手を使ってくるのか教えてもらいたいんですが。心の準備が……」

 

「そんなことは僕が知りたいよ」

 

 それがわかればもう勝ったも同然なんだけどな。向こうだってひとかどの封建領主だ。救いがたい無能とは考えづらいので、そうは問屋が卸さないはずだ。

 

「いろいろ考えられる。被害を恐れず強引な攻撃を続けるというのもまた一つの手だし、魔装甲冑(エンチャントアーマー)をつけた巨人兵士に突撃させるとかそういう方法で無理やりこっちの防衛線に穴をあけてくるかも」

 

 巨人といっても、せいぜい身長二・五メートルくらいの超大柄な人種だ。それでも、体力や膂力は一般的な力自慢の亜人種族を片手でねじ伏せるほどのものだ。それが重装甲を纏って突撃してきたら、早々止められるものではない。

 頼みの綱は地雷と大砲だが、地雷はそう大量に埋めているわけではないし初日で随分と消耗してしまった。生き残っている地雷はそう多くはないだろう。起爆装置が火縄なので、二日目あたりからは不発率も増してくる。大砲に至っては、まともに照準をつけることができないのだから期待するだけ無駄という物だ。

 

「あるいは、少数の精鋭部隊に山越えをさせ、こちらの側面や後方に攪乱攻撃を仕掛けてくる可能性もあります」

 

 ソニアが補足した。確かに、峻険な山岳地帯とはいえ少数ならなんとか突破することはできるだろう。攻撃が来るのは前方のみだと思い込むべきではないな。

 

「それなら逆に、こっちから仕掛けるってのもアリじゃないですか? 牛獣人は夜目が効かないって話ですし、迂回して夜襲をしかけてやれば……」

 

「悪くないアイデアだな」

 

 僕がそういうと、コレットは自慢げに鼻を掻いた。

 

「しかし、現有戦力ではなかなかそれも難しい。お前たちヴァレリー傭兵団は、山岳戦の訓練なんか受けてないだろ?」

 

「ええ? ああ、そうですね。確かに……基本、戦場は平地ですし」

 

 山岳で戦うのは非常に難しい。前世の僕もアフガニスタンでひどく難儀した。食い詰め傭兵の彼女らに山岳戦がこなせるとは、ちょっと思えないんだよな。正直に言えば、夜戦能力についても疑っている。いくら竜人(ドラゴニュート)が比較的夜目の利く種族とはいっても、暗視装置を付けたほどにバッチリ見えるわけじゃないし。

 もしどうしても夜襲を仕掛けなければならない状況になれば、僕は直属の騎士だけを選抜して作戦に当たるだろう。夜間の山岳地帯で戦うというのは、本当に難易度が高い。相当大きなメリットがなければやりたくないというのが本音だ。

 

「それに、明日も戦いは続くんだ。疲労を考えれば、夜襲に出せる人員は多くて三十人程度。対する敵はおそらく数百人はいるだろう。嫌がらせ程度の腰が引けた攻撃だって、この戦力差では逆襲を受けて壊滅しかねないぞ」

 

「う、確かに……」

 

 コレットは嫌そうな顔をして唸った。まあ、そもそも竜人(ドラゴニュート)が比較的夜戦を得意としていることは、むこうも理解してるだろうからな。歩哨を増員したりして、対策はとっていると考えるのが自然だ。やはり、積極的に夜戦を挑むメリットは少ない。

 

「まあそういうわけだ。僕はお前たちに無謀な戦いを挑ませるつもりはない。昼の戦いで堅実に勝つつもりだ。あえて忠告しておくが、お前も無茶をするなよ? せっかく慎重策を取ってるんだから、できるだけ安全に戦ってくれ」

 

「ええ、はい」

 

 照れたようにコレットは頬を掻いた。

 

「しかし変わってますね、代官様は。なんとなく、死ぬ気で戦え! みたいなことを言われるかと思ってました」

 

「新兵が死ぬ気で戦ったところで死体が増えるだけだ。流石に任務を放棄して逃げ出されるのは困るがね。死なない程度に頑張って、経験を積んだ古参兵になってもらったほうが助かるんだよ、こっちとしては」

 

 まあ、こいつらは傭兵だから、僕の下で戦うのは今回限りという可能性も十分にあるけどね。まあ、死んでほしくないというのは本音だ。自分が死ぬのも嫌なもんだが、部下が死ぬのもしんどい。どちらとも前世で経験済みだ。

 

「そりゃ、いいですね。古参兵になって戦果をあげたら、こんどこそ代官様のちゃんとしたキスが貰えるかも」

 

「馬鹿、調子に乗るんじゃない」

 

 思わず笑って、コレットの頭をガシガシ撫でた。彼女は照れた様子で鼻をこすっていたが、若干怖い顔をしているソニアを見て「ひぇっ」と声を上げた。

 

「すんません! 殴られる前に退散します!」

 

 慌てたコレットは食器の入ったバスケットや空になった鍋を引っ掴み、逃げ出していった。

 

「肝の据わった新兵ですね。案外、将来は大物になるかもしれません」

 

「だな」

 

 僕とソニアは顔を見合わせ、また大笑いした。

 

 



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第44話 くっころ男騎士と鉄条網対策

 翌日。伯爵軍は日の出とともに攻撃を再開した。兵士たちの遺骸が横たわる街道を、全身鎧をまとった重装歩兵たちが進軍する。

 

「むこうは持久戦に持ち込む気はないようだな……」

 

 望遠鏡を覗きながら、僕は唸った。初日の被害にビビって攻撃を控えてくれるのではないかと期待してたんだが、どうやらそんなに都合のいい話はないみたいだな。王都へ帰還するアデライド宰相に増援の要請を頼んでおいたから、それがリースベン領へ到着するまでにらみ合いを続けることができれば大した被害もなく勝てるんだが。

 まあ、時間が経てばたつほど不利になることは、ディーゼル伯爵も理解しているだろうからな。とにかくこちらは、向こうの意志が折れるか増援が到着するまで死体の山を築き続けるしかない。

 

「とはいえ、流石に向こうも初日ほど無謀な攻撃はしてこないようだな」

 

 伯爵軍は重装歩兵(装備から見ておそらく下馬騎士だろう)を前に出し、銃撃に対して無防備な弓兵や軽装歩兵は後方に控えさせている。初日の攻撃で大勢の弓兵が死傷したからだろう。

 

「うーん……」

 

 鼓膜を殴りつけられるような轟音が響いた。ソニアの指揮する砲兵隊が発砲を開始したのだ。猛烈な勢いで発射された鉄球弾はしかし、一人の敵も巻き込まず明後日の方向へ飛んでいく。敵の隊列は初日の密集陣から打って変わってかなりまばらな横隊だ。これでは、命中精度も攻撃範囲も狭いこちらの大砲ではなかなか有効弾を出すことが出来ない。

 

「対策を打って来たな。無駄弾を撃つくらいなら、射撃を控えた方がましかもしれない」

 

 こちらの弾薬にも限りがあるからな、浪費はできるだけ抑えたい。弾頭に使う鉛や鉄はともかく、火薬に関しては供給量が限られているからな。あまりたくさん用意することができなかった。火器弾薬さえ揃っているのなら、いくらだって持久する自信があるんだが。

 

「牛獣人なら牛獣人らしく、猪突猛進してくればいいものを」

 

 部下の騎士がぼやいた。まあ、気分はわかる。無為無策に平押ししてくるような手合いなら、それはそれで助かるんだが。

 

「赤い布振り回せば突進してくるんじゃないっすか」

 

「馬鹿言え本物の牛じゃあるまいに」

 

「そんなもん振り回すくらいならアル様のパンツでも振り回した方がまだ可能性があるぞ」

 

「駄目だ駄目だ、敵どころか味方までつっこんでくるぞ。先鋒はソニアだ」

 

 人が真剣に方策を練ってるときに勝手なこと言いまくるんじゃねえよ! 騎士どもはほとんどが幼年騎士団、つまり年少の騎士見習いを集めて行う集団訓練以来の仲なので、発言に遠慮という物がない。全く困った連中だ。……というか、あの真面目なソニアがそんなことするはずないだろ!

 

「むっ」

 

 そんなことを考えているうちに、戦場で動きがあった。重装歩兵たちが穴を掘り始めたのだ。よく見れば、彼女らが携えているのは槍や戦斧などではなくエンピ(穴掘りに使う土木用品)だった。

 

「地雷を撤去するつもりか」

 

 埋火(うずめび)は撃発に火縄を使う都合上、使用の直前に埋める必要があるからな。当然、地面にはまだ埋めた跡が残っている。よく観察して掘り返せば、素人でも撤去は可能だろう。

 

「銃弾を浴びながらよくやる」

 

 当然ながら、地雷原はライフル銃のキルゾーンと重なるよう設置してある。銃兵隊はすでに発砲を開始しており、さかんに銃声が響いている。敵の重装歩兵隊は、ライフル弾の嵐を浴びながら作業を続けていた。魔装甲冑(エンチャントアーマー)ならライフル弾も弾けるとはいえ、なかなかの根性でできることではない。

 

「狙撃兵が欲しいな。この距離なら、十分装甲の隙間を射貫けるはずだが」

 

 思わずぼやきが出る。しかしライフル初心者の傭兵団銃兵にそこまでの腕前を求めるのは酷だし、僕の配下の騎士たちにもそこまで射撃に特化した訓練を受けた者はいない。ない物ねだりをしてもしかたがないか。

 

「精度の低さは数で補うしかないか……右翼に攻撃を集中するよう伝えろ!」

 

 下手な鉄砲数打ちゃ当たる、というヤツだ。敵全体に散漫な射撃をしかけるよりは、一方に射撃を集中したほうが良い。いくら魔装甲冑(エンチャントアーマー)とはいえ大量の銃弾を浴びればタダでは済まないだろう。

 

「……」

 

 命令を出してしばらくは、戦場は膠着し続けた。集中射撃を受けてなお、伯爵軍の重装歩兵たちは地雷撤去作業を続ける。掘り出し中に銃弾を浴びて爆死する者も居たが、誰一人として戦線から逃げ出す者はいなかった。敵軍の士気はすさまじいものがある。

 

「敵もなかなかやる……」

 

 こんな相手と白兵戦はしたくない。練度も装備も低いこちらの傭兵たちとぶつかれば、一方的にやられてしまいそうだ。現状はアウトレンジ攻撃に徹しているため、こちらに大した被害は出ていないが……。防衛線が食い破られる事態になれば、攻守は完全に逆転するだろう。

 

「手の空いている奴は、銃兵隊の援護に行け。射程の短い騎兵銃でもないよりはマシだ」

 

 指揮壕に居る騎士たちは、連絡員や指揮の補佐などをやってもらっている。しかし今は少しでも敵を阻止するための火力が欲しい。どうしても残しておかなければならない人材を除き、前線に回すことにする。

 

「しかし、敵は埋火(うずめび)を撤去してどうするつもりでしょうか? ただ単に肉薄攻撃を仕掛けてくるだけなら、鉄条網と塹壕で持ちこたえられると思いますが」

 

「鉄条網の隙間から長槍で突っつかれるだけでも、敵からすればかなり厄介だろうからな。これを突破しない限り、向こうは得意の白兵戦に持ち込めない」

 

「逆に言えば、かならず敵は塹壕戦の突破を図ってくるはず……」

 

 参謀役の騎士が唸った。あの豪快な牛獣人たちが、鉄条網に取り付いてちまちま鉄線を除去なんて地味な真似をするだろうか? 何かもっと、ド派手な手段を取ってきそうな気もするが……。

 

「アル様! 左翼に新手が!」

 

「何?」

 

 見張りの報告に、急いで望遠鏡を覗き込む。そこにあったのは、後面に大量の鉄板を張り付けた大型の荷馬車だった。

 

「戦車モドキか……」

 

 僕の額に、冷や汗が浮かんだ。




なぜ夜襲をしないのかというご指摘があり、43話にそれについての説明を追加しました。わかりづらくて申し訳ありません


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第45話 くっころ男騎士と鉄馬車

 敵重装歩兵による地雷撤去は粛々と進んだ。銃弾、砲撃、そして地雷。様々な攻撃により少なくない数の兵士が倒れたが、その作業の手が止まることはなかった。敵ながらほめたたえたくなる勇猛ぶりだが、こちらとしてはそれどころではない。

 

「予備兵に手榴弾をありったけ持たせて前に出せ!」

 

 すでに血路は開かれてしまった。戦車モドキ……鉄馬車が突っ込んでくるのは時間の問題だ。馬車の車輪では塹壕は乗り越えられないだろうが、鉄条網は突破されてしまうだろう。この段階で第一塹壕線に敵の浸透を受けるのは面白くない。

 

「昨日の今日であんなものを用意するとはな」

 

 コレットの言うように、夜襲を仕掛けていれば馬車の改造も妨害で来たんじゃないだろうか? そう考えたが、やはり手持ちの戦力で夜襲を行うのは無謀だ。防衛戦なのだから、戦力の浪費は絶対に避けなければならない。

 

「大砲を命中させればあの程度の馬車は粉砕できるんですが……」

 

 騎士が唸った。まあ、鉄板を張っていると言っても所詮は木造の馬車だからな。銃弾は防げても砲弾はムリだろう。しかしそれは当たればの話だ。

 

「あの砲じゃムリだな」

 

 なにしろまともな照準器もついてない急造砲だ。しっかり狙っても移動目標に当てるのは不可能だろう。何か代わりになるようなものは……脳裏に浮かんだのは翼竜(ワイバーン)だ。あれで近接爆撃をかければ撃破できるのでは?

 

「いや、駄目か」

 

 翼竜(ワイバーン)には五〇〇ポンド爆弾も空対地ミサイル(マーヴェリック)も搭載できない。手榴弾や火炎瓶を空から投げ落とすのがせいぜいの貧弱な対地火力しか持っていないんだ。退陣攻撃ならまだしも、対物攻撃には使いづらい。

 まあ、しかし翼竜(ワイバーン)を攻撃に使うのは悪いアイデアではない。今は偵察にしか使っていないが、すぐに攻撃に転用できるよう準備させておくことにしよう。とはいえ、まあ今は鉄馬車の対処に集中すべきか。

 

「アレは肉薄して吹っ飛ばすしかないか」

 

 砲兵も航空機も頼りにならない以上、歩兵で対処するほかない。背負った騎兵銃を確認した。場合によっては鉄条網が破られ、塹壕内部に敵の侵入を許す可能性もある。白兵戦の準備はしておかないとな。

 

「来るぞ……!」

 

 そうこうしているうちに、鉄馬車が動き始めた。鉄板の張られた後面を前にし、馬を繋ぐ(くびき)の部分を牛獣人の重装歩兵二人がかりで掴んで突進し始める。ちょうど、馬車が前後逆になって走っている状態だ。

 

「迎撃急げー!」

 

 傍らの真鍮製メガホンを引っ掴んで叫ぶ。銃や砲の発砲音が響く戦場で前線まで声が届くかは怪しいところだが、僕の意をくんだ伝令が弾かれたように指揮壕から飛び出した。

 もっとも、前線も鉄馬車の突撃を許せば不味いことになるというのは理解している。即座に銃兵隊がライフルを馬車に向けて斉射した。

 

「やはり小銃では効果が薄いか……」

 

 しかし、案の定銃弾は馬車の装甲板に弾かれ大した効果を発揮しなかった。……しかし、銃弾を弾けるほどの鉄板となると相当重いはずだよな。それをたった二人で動かすなんて、一体どういう筋肉をしてるんだ。クソ、羨ましい。

 そんなことを考えているうちにも、鉄馬車は着実にこちらとの距離を縮めていく。どうやら、前線部隊によって地雷の撤去が済んだルートを選んで進んでいるようだ。掘り返されてデコボコになった路面に車輪を取られ、車体がガタガタと揺れる。

 

「そのままコケちまえーっ!」

 

 こちらの陣地で誰かが叫んだ。僕もまったく同感だったが、残念ながらそんな幸運は訪れなかった。前線に張り巡らされた鉄条網に向け、鉄馬車がぐんぐんと加速していく。

 

「死にさらせー!」

 

 そんな叫びとともに、塹壕から次々と手榴弾が投げられた。手榴弾と言っても、鋳物の鉄球の中に火薬を詰め導火線をくっつけただけの簡素なものだ。導火線から火を噴き上げながら転がったそれは、馬車の直前で連続爆発する。

 

「うわーっ!」

 

 さすがにこれにはたまらず、馬車はバラバラになりながら横転した。魔装甲冑(エンチャントアーマー)のおかげか馬車を押していた兵士は無事で、ふらつきつつも慌てて逃げようとする。しかしそこへ銃兵の射撃が浴びせかけられ、二人の重装歩兵はあっという間に血塗れになり動かなくなった。いかに強固な甲冑でも、装甲の隙間を狙われてはひとたまりもない。

 

「見たか帝国の野蛮人共!」

 

「一昨日きやがれ!」

 

 こちらの兵士が快哉を叫ぶ。しかし、敵陣にはさらなる動きがあった。二台目の鉄馬車の突撃が始まったのだ。望遠鏡を覗いてよく確認してみると、三台目四代目の鉄馬車も用意されているようだ。

 

「用意できた手榴弾は、確か全部で五十発だったな?」

 

「はい、それ以上は火薬が足らず……」

 

「そうか、わかった」

 

 僕は内心眉をひそめた。さっきの迎撃だけで、少なくとも十発以上の手榴弾が投擲されたはずだ。すべての鉄馬車を迎撃するには、手榴弾の量が足りないかもしれない。

 

「白兵戦にもつれ込む可能性が高い。傭兵団の連中に前衛を任せるわけにはいかないから、場合によっては僕たちが前に出るぞ」

 

 装備の行き届いた重装歩兵を相手に軽装備のヴァレリー傭兵団を矢面に立たせたりすれば、結果は火を見るよりも明らかだ。前衛は僕たち騎士隊が務めるほかない。指揮はできるだけ落ち着いた場所でやりたいところだが、まあ戦力が足りない以上仕方がないだろう。

 

「いつでも第二防衛線へ撤退できるように準備をしておくんだ。後衛戦闘は僕たちが受け持つほかないから、撤退の指揮はヴァレリー隊長に任せる」

 

「了解!」

 

 僕の命令に反論する者は一人もいなかった。いささかタイミングは早いものの、撤退自体は作戦を立てた時点で計画されていたことだからだ。もう一日か二日くらいは持久したかったが、陣地に固執して余計な被害を被るわけにはいかない。

 第一防衛線での作戦目的はあくまで敵の前衛を疲弊させることだ。弓兵にも十分なダメージを与えることができたことだし、今はこれで満足することにしよう。

 

「ま、鉄馬車をすべて防ぎきれるというのなら、それが一番なんだが……」

 

 僕は小さな声でぼやいた。鉄条網さえ破られなければ、これまで通り一方的にアウトレンジ攻撃を仕掛けることが出来る。装甲化した部隊以外は接近すらままならない。そんな戦い方をずっと続けれることが出来れば万々歳なのだが……まあ、そう都合よくコトは進まないだろう。そんな予感があった。

 



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第46話 くっころ男騎士と白兵戦

 その後も、ディーゼル伯爵軍は鉄馬車による突撃を繰り返した。四台目まではなんとか阻止に成功したものの、手榴弾の在庫が尽きてしまったためとうとう五台目に至って鉄条網への突入を許してしまう。

 

「今だ、突っ込め!」

 

 鉄馬車に踏みつぶされ、滅茶苦茶になってしまった鉄条網を踏み込めて伯爵軍の兵士が殺到する。勝機と見たか、後方からも次々と増援部隊が現れた。

 弓兵部隊も再び現れ、矢を盛んに放っていた。しかしこちらに関しては、塹壕と土塁のおかげでほとんど有効弾は出ていない。逆にこちらの銃兵の反撃を受けてジリジリと後退している始末だ。

 

「砲兵隊は慎重に射撃を続けろ。不味いと判断したらこちらの命令を待たずに撤退していい」

 

 大砲は小回りが利かない。アレにもまだ役割があるからな、放棄するわけにはいかないんだよ。僕は大声で命令を出しつつ、塹壕内を走る。傭兵隊では敵の精鋭を防ぎきれない。僕直属の騎士隊で対処する必要がある。

 

「傭兵隊は後方から援護! 騎士は敵の出鼻をくじけ!」

 

 狭い防衛線だ。あっという間に鉄条網の破られた区画へ到着する。すでに敵兵は塹壕内に侵入していた。傭兵たちが槍や剣を振り回して応戦しているが、明らかに旗色が悪い。すでに血塗れになって地面に転がっているものもいる。

 

「傭兵共はいったん退け! 射線に入るなよ」

 

 命令を出しながら、騎兵銃を敵兵へ向けた。一瞬、身体強化魔法を使うべきかと逡巡する。しかし、アレは効果時間が三十秒しかない。その上、使用後には体中が痛くなる副作用付きだ。ここぞという時のために温存しておくべきだろう。雑兵が相手ならば、只人(ヒューム)の貧弱な身体能力でもなんとか戦える。

 

「射撃の(のち)吶喊、行くぞ!」

 

「ウーラァ!」

 

「撃て!」

 

 叫びながら、引き金を引く。配下の騎士たちも同時に発砲した。黒色火薬特有の猛烈な白煙が立ち込め、煙幕を焚いたように視界が遮られる。そのせいで、弾が当たったのかどうかすら視認できない。

 

「突撃―!」

 

 号令と同時に兜の面頬を降ろし、自らも走り出す。すでに騎兵銃には銃剣を装着済みだ。切っ先を真っすぐ前に構え、敵部隊へ突っ込む。

 

「キエエエエエッ!」

 

 剣術の癖でそう叫びつつ白煙の帳を走り抜けると、すぐ前に面食らった様子の重装歩兵が居た。その隙を逃さず、兜に付いた面頬のスリットを狙って銃剣を突き出す。相手はガチガチの重甲冑だ。銃剣が通用する部位は多くない。

 

「うわっ!?」

 

 慌てて体を逸らして刺突を回避する敵兵だったが、僕は即座に銃から手を離して相手へ飛び掛かった。胸元の装甲を引っ掴み、足を引っかけて地面へ引き倒す、柔道の要領だ。

 

「グワーッ!」

 

「チェストーッ!」

 

 背負い紐で体に引っかかったままの騎兵銃を再び引っ掴むと、地面に転がる重装歩兵の首元の装甲の隙間へ銃剣を付き込んだ。くぐもった悲鳴と共に血が噴き出す。

 

「やりやがったな!」

 

 戦斧を大上段に構えた別の敵兵が、そう叫びながら突進してくる。牛獣人らしく、ソニアにも負けないような大女だ。それが野蛮な叫び声と共に全力疾走してくるのだから、凄まじい迫力だ。

 

「キイエエエエエエエエッ!!」

 

 しかし気合で負ければ勝負にも負けるのが戦場の常識。こちらも負けるわけにはいかない。騎兵銃を構えて自らも吶喊する。

 

「ヌオオオオッ!」

 

 唸りをあげて地面に叩きつけられる戦斧を紙一重で躱し、カウンター気味に敵の面頬のスリットへ銃剣を刺し入れた。敵兵は悲鳴を上げながら地面に転がる。

 

「代官殿、お任せを!」

 

 傭兵たちが叫ぶと、転げた敵を手に持った長槍であっという間に突き殺した。

 

「いいぞ、その調子だ!」

 

 いちいちトドメを差していては、その隙を敵につかれかねない。ここは連携して対処に当たろう。

 そう考えつつ、周囲に目を向ける。敵増援はまだ続いていたが、軽装の歩兵が中心になっていた。防衛陣地両翼に配備した銃兵隊が猛威を振るい、突進する敵を片っ端から射殺している。大砲も射撃を続けていた。これだけ敵が多いので、流石に鉄球弾に巻き込まれる兵士も多い。

 塹壕に突入済みの重装歩兵たちも、僕の騎士たちが抑え込んでいた。敵も精鋭だろうが、こちらも精鋭。勝負は互角か、こちら優位に見える。

 

「銃を再装填する。援護を」

 

 いったん後ろへ引き、腰の弾薬ポーチから白い紙製薬莢を引っ張り出した。これ幸いと攻撃を仕掛けてくる敵兵も居たが、味方傭兵が長槍を突き出して威嚇する。

 その隙に面頬を少しだけ開け、紙製薬莢を嚙み切る。中身の火薬を銃口から流し込み、紙に包まれたままの鉛玉で蓋をした。その紙を破いて弾頭の先端だけを露出させると、銃身下に装着された棒を引き抜いて鉛玉を銃身奥へと突き入れる。最後に火口のニップルへ雷管を装着すると、再装填作業は完了。

 慣れた作業なので、三十秒とかからない。それでも、戦場ではたった永遠に近いほど長く感じる。やはりせめてボルトアクション銃が欲しい。そう思いながら、面頬を再び降ろした。

 

「覚悟―ッ!」

 

 そこへ、またも斧を構えた敵兵が突っ込んできた。本当に闘牛じみた連中だな。そんなことを考えながら、即座に騎兵銃を構えて引き金を引いた。湿った銃声と共に、敵の構えていた戦斧の柄が吹っ飛んだ。分厚く重い斧頭が明後日の方向へ吹っ飛んでいく。

 

「アッ!」

 

 敵兵がうろたえるがもう遅い。剣や手槍を手にした傭兵たちが即座に飛び掛かっていった。あっという間に鎧の隙間に刃を突き入れられ、短い悲鳴を上げながら絶命する。

 

「……」

 

 その様子を視界の端で確認しながら、せっかく再装填したのにまたやり直しだと僕は内心ボヤいていた。戦闘の興奮のせいで、血なまぐさい光景を目にしても心にモヤがかかったように何も感じない。でも、後で思い出して気持ち悪くなるんだよな、こういうのって。まったく、実戦ってやつはこれだから嫌いだ。

 

 



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第47話 くっころ男騎士とわからせ

 私、カリーナ・フォン・ディーゼルは息を切らせながら走っていた。リースベン側の陣地からは、火山の噴火のように絶え間なく生えクエンが上がっている。大砲や小銃の砲煙だ。

 狭い街道には何人もの伯爵軍の兵士が横たわっている。とうにこと切れている者も、血を流しながら呻いている者もいた。ありていに言って、地獄みたいな光景だった。

 

「ひうっ!?」

 

 私の真横を、銃弾がうなりをあげて通過した。魔装甲冑(エンチャントアーマー)をしっかり着込んでいるから、直撃を受けても大丈夫。そう頭でわかっていても、背中がぞわぞわする感覚は抑えられない。

 

「ハッ、クソガキめ。ビビってんなら帰ってパパに抱っこしてもらったらどうだ?」

 

 そんなことを言うのは、私の前を走る騎士だった。母様にも負けない立派な体格を禍々しい装飾の施された魔装甲冑(エンチャントアーマー)に納めた彼女は、私の従妹のミヒャエラだった。

 正直、彼女とは仲が悪い。一方的に下に見ている私がディーゼル家当主である母様から可愛がられているのが面白くないんでしょうね。いちいちチビだの臆病者だのと罵倒してくるんだから、堪ったものではないわ。

 

「う、うるさいわねっ! ビビってなんかないわ!」

 

 それでも、この女は騎士としては十二分以上に強い。この地獄みたいな戦場で生き延びるためには、コイツの後ろにいるのが一番なのよね。……いや、ビビってなんかないのよ? ただ、死なないために必要なことを冷静に実行してるだけなんだから。あれ、私誰に言い訳してるんだろ……。

 とにかく、私は憎まれ口をぶつけられつつも、なんとかトゲ付き鉄線の張られた場所まで無傷でたどり着くことが出来た。ムチャクチャになった鉄線フェンスの向こうには、ボロボロになった鉄馬車が塹壕に擱座している。

 

「どけ、雑兵ども!」

 

 敵陣地内になだれ込む兵士や騎士たちを押しのけ、ミヒャエラはぐいぐいと前に出ていく。実戦慣れしているだけあった、この辺りの動きは堂に入っている。

 塹壕の内外は、乱戦の様相を呈していた。敵味方の兵士が入り混じり、白兵戦を演じている。銃声、剣戟の音、怒声、悲鳴、様々な音が混然一体となって私の耳を叩く。私は一歩退きかけたが、それよりはやくミヒャエラが斧を掲げて叫んだ。

 

「我こそはディーゼル家の一番槍、ミヒャエラ・フォン・ディーゼル! ガレアのトカゲどもの中に名をあげたいものは居るか! この私が相手になってやる!」

 

 肝が据わってるってレベルじゃないわねコイツ! でもアンタの得物は戦斧であって槍じゃないわよ!!

 

「ディーゼル家の者か。よくまあノコノコ出てきたものだ!」

 

 敵軍から返ってきた声は、聞き覚えのあるものだった。戦場には似つかわしくない、涼やかな男の声。

 

「男だァ? するってぇと、お前がこのリースベンの代官か。男の癖に騎士をやってる身の程知らず! ハハッ、面白くなってきやがった」

 

「マ、マジでぇ……」

 

 思わず声が出た。何で男がこんな最前線にいるのよ! 馬鹿じゃないの? おかげでミヒャエラに見つかっちゃったじゃない!

 コイツはとんでもないスケベ女で、領地でも好みの男を見つけたら手籠めにしようとするような筋金入りの色情狂よ。戦場で男なんか見つけたら、絶対に犯そうとするわ。アイツは私の獲物なのに!

 

「おい男騎士! 出てきやがれ! 私が戦場の怖さってやつを教育してやるからよぉ!」

 

「や、やめてよ! アイツは私のよ! 母様だって……」

 

「ああ? ガキにゃ過ぎたおもちゃだ! テメェは引っ込んでろドチビ!」

 

「チビじゃなくて成長期!!」

 

 なんて言い合ってたら、むこうから塹壕を乗り越えて出てくるヤツがいた。面頬付きの兜を付けているから顔はわからないけど、あの古臭いデザインの甲冑は間違いない。アルベール・ブロンダンだわ。ヤツは持っていた小銃を近くの兵士に預け、腰からサーベルを抜いた。

 

「教育か、結構! では、胸を借りさせてもらおうか」

 

「へっ! 一騎討ちでもしようってのか? 気に入ったぜ。おい、手ぇだすなよ、お前ら! こいつは私の獲物に決めた!」

 

 だから私の獲物だって! そう言う間もなく、ミヒャエラは戦斧を握ってズンズンと前に出てしまった。

 

「負けても『くっ、殺せ!』なんて言うなよ? その兜の下がどんなツラか知らねえが、チンコがついてりゃとりあえずどうでもいい。飽きるまで滅茶苦茶にしてやるからよ」

 

「好きにしろ」

 

 そう言い捨てて、アルベールは両手で握ったサーベルを大上段に構えた。……サーベルを両手で? よく見ると、そのサーベルは護拳が取り外され柄が延長された妙な代物だった。雰囲気だけは、東方のカタナとかいう剣に似ている。

 

「その言葉、忘れんじゃねえぞ!」

 

 そう叫びながら、ミヒャエラは戦斧を構えながら突進した。

 

「馬鹿! バカバカバカ! さっさと逃げなさいよ!」

 

 思わず私はそう言った。クソ従妹のお下がりで処女卒業なんか絶対いやよ! せっかく極上の獲物を見つけたってのに!

 

「キエエエエエエエエエッ!!」

 

 なんて心の中でぼやいていたら、猿のような叫び声が聞こえた。それと同時に、アルベールが地面を蹴ってミヒャエラに突っ込む。えっ、あれアルベールの声!?

 面食らっているうちに、アルベールはミヒャエラの懐に入っていた。戦斧が振り下ろされるより早く、大上段からのサーベルがミヒャエラに襲い掛かる。彼女はそのまま、縦に真っ二つになった。

 

「……は?」

 

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。だって、あの女は銃弾をも弾く魔装甲冑《エンチャントアーマー》を着ているのよ? それも、魔剣の類でも傷をつけるのが難しい最高級品のハズ。それが、なんで……。

 

「そこに居る小さいのは、カリーナ・フォン・ディーゼルか」

 

「ひっ……!?」

 

 返り血で甲冑を真っ赤に染めつつ、アルベールがこちらを見た。思わず小さな悲鳴が出る。面頬のせいで、その表情はうかがえない。逆にそれが不気味だった。

 

「ディーゼルの縁者が二人。なんとも都合がいい、首だけにして当主に送り返してやる」

 

 そう言って、アルベールはまたサーベルを構えた。その瞬間、下着に暖かい感触があふれる。脚甲を伝って黄色い液体が足元に流れ出た。

 

「キエエエエエエエッ!!」

 

「ぴゃああああっ!?」

 

 その絶叫を聞くと同時に、私は踵を返して走り出した。

 

「母様! 母様! 助けてぇ!! ぴゃああああああっ!!」



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第48話 くっころ男騎士と進退

 泡を食って逃げ出していくチビっ子の背中を見送りながら、僕はこっそり安堵のため息をついた。騎士とは言え年端もいかない子供を殺すのはとても気が重いし、身体強化の魔法もすでに効果が切れている。

 この魔法、短時間で再使用すると反動で体が動かなくなるんだよな。戦場で行動不能にはなりたくないし、さりとて「復仇だ!」と言って勝負を挑んでくれば騎士としては受けざるを得なくなるなる。ビビらせて逃がすのが最適解だったってワケ。

 

「見たか帝国の野蛮人!」

 

「代官様万歳! ガレア万歳!」

 

 一方、こちらの傭兵たちは大盛り上がりだ。竜人(ドラゴニュート)に対してトカゲは禁句中の禁句だからな。まっぷたつになった例の騎士はガレア人の地雷を踏んでしまったわけだ(もっとも、ヴァレリー傭兵団は獣人の比率が比較的高いが)。

 ちなみに、傭兵団と言っても、彼女らはガレアの国内で結成・活動している集団だ。当然、ガレアとは歴史的に仲が悪い神聖帝国を嫌っている者は少なくない。

 

「代官殿に遅れるな、押し返せー!」

 

 そう叫んだのはヴァレリー隊長だった。傭兵たちの先頭に立ち、長剣を振り回して指示を飛ばしている。堂に入った指揮姿だ。対する伯爵軍の兵士たちは、明らかに腰が引け始めている。ディーゼルの姓を名乗る騎士があっけなく敗れたのだから、そうもなるだろう。

 

「むっ!」

 

 しかし、油断はしていられない。特徴的な高音を発しつつ、風の刃が僕に襲い掛かってきた。即座にサーベルを振るい、叩き落す。敵魔術兵の攻撃魔法だ。ここは塹壕の外であり、ボンヤリしていたら敵の射撃を一身に浴びる羽目になる。

 さっと身をひるがえし、塹壕に身を隠す。血塗れになってしまったサーベルを布で拭い、一応点検しておく。魔装甲冑《エンチャントアーマー》をぶった切ったというのに、その刃には欠け一つない。母上が戦場で神聖帝国の大貴族からかっぱらってきたという曰く付きの代物だが、その切れ味は本物だ。

 おそらく、相当良い強化魔法がかかっているのだろう。普通の甲冑ならまだしも、魔装甲冑《エンチャントアーマー》を相手にするならそれなりの業物が必要になってくる。

 

「はー……」

 

 サーベルを鞘に納めつつ、僕は小さくため息を吐いた。動けないほどではないが、全身がダルくて痛い。身体強化魔法の反動だ。只人(ヒューム)が亜人相手にフィジカルで勝つには、なかなか無茶な強化をする必要があるんだよな。

 

「帰って酒飲んで寝たい……」

 

 自分にしか聞こえないような声でそう呟いてから、僕は身体に力を込めた。もうだいぶウンザリした気分になっているが、指揮官たるものそれを態度に出すわけにはいかない。あと一息で防衛線内から敵を押し返せそうだ。もうひと頑張りすることにしようか。

 

「アル様、翼竜(ワイバーン)騎兵から連絡です」

 

 そこへ、一人の騎士が駆け寄ってきた。手には小さな連絡筒が握られている。翼竜(ワイバーン)の騎手が手紙を入れて空中投下するのに使われているものだ。

 

「西側の斜面に敵の別動隊と思われる集団を確認。数、半個中隊程度。以上です」

 

「なるほどな」

 

 なんでもないことのように、僕は言った。あくまで演技だ。内心はそうではない。いよいよ酒が欲しくなってきた。相手の指揮官はそれなり以上に有能なようだ。打てる手はしっかり打ってくる。

 現在、こちらの正面に居る敵戦力は二個中隊ほど。ただし戦場の戦闘正面幅が狭く、塹壕等の効果もあってこちらが有利に立ち回ることができている。

 しかし、反撃に転じたとはいえ鉄条網が破られた状況で横から攻撃を受けるというのは面白くない。うまくしのげたとしても、それなりの損害は出るだろう。

 

「会敵までそう時間はかからないでしょう。いかがいたしますか?」

 

「……」

 

 本当にどうしよう。銃兵隊を再配置すれば、まあ半個中隊程度なら問題なく対処できるはずだ。しかしそれでは正面の敵への圧力が大きく下がる。今まで以上の数の敵が流れ込んでくることになるということだ。

 急いで第一波を塹壕からたたき出し、傭兵たちに投石で攻撃させる……? アリといえばアリだ。一応、こういう状況になることを想定して、投石紐や手ごろな大きさの石つぶての準備はしている。頑張れば、今日一日くらいの持久はできそうな気がした。

 

「撤退準備だ。事前計画に従い、第二防衛線へ後退する。各員に連絡を」

 

 しかし、結局僕はいったん戦線を整理することにした。敵は予想外の痛撃を受け、正面の圧力が下がっている。あえて正面を捨てることで、別動隊を落ち着いて処理できるというのも大きい。こうなれば、敵の指揮官はこれまで好き勝手やられたぶんをお返しをしてやろうと必要以上に攻撃的になるはず。さらなる罠に嵌めるには絶好のタイミングという訳だ。

 この第一防衛線は、あくまで緒戦で敵の数を漸減するためだけに設置してある。なにしろ、街道は狭すぎて自分たちも身動きがとりづらい事この上ないからな。ちょうどいいタイミングで敵に明け渡し、後方の第二防衛線を決戦場にする予定になっている。

 

「撤退指揮は予定通りヴァレリー隊長に任せますか?」

 

「そうだ。殿(しんがり)をやれるのは我々だけだ」

 

 敵に背中を向けているときが一番損害を受けやすいわけだからな。まともな甲冑も来てない連中に最後尾を任せることはできない。

 

「……敵の第一波は跳ね返せそうだな」

 

 塹壕からちらりと外をうかがう。ヴァレリー隊長率いる槍兵たちが伯爵軍を押していた。やはり一騎打ちを仕掛けたのは良かった。敵前衛の士気は明らかに挫けている。

 

「鉄条網の外へ押し出したタイミングで撤退開始だ。ソニアを呼んできてくれ」

 

「了解。ソニア副長をお連れします」

 

 僕の命令を復唱した兵士は、駆け足で砲兵壕のほうへ駆け出した。事前計画では、砲兵はイの一番で撤退することになっている。そこにソニアを張りつけ続けるわけにはいかない。

 殿は難易度が高いうえに危険な任務だからな。万一僕が戦死した時には、ソニアに指揮を引き継いでもらわなきゃいけない。

 ……しかし、総指揮官が一番危険な場所で直接指揮しなきゃいけないのは本当に非効率的だな。銃やらなんやらの兵器の運用に一番熟達しているのが僕だから、仕方ないんだけどさ。まともな士官が僕とソニア、そしてヴァレリー隊長しかいないんだから、本当に人手不足も甚だしい。あと二人くらい居れば、もっと柔軟に部隊運用できるのに。

 

「ま、ない物ねだりをしても仕方がない」

 

 この世界へ転生してからなんど呟いたかわからない言葉を口にしてから、僕は塹壕から飛び出した。ヴァレリー隊長にも撤退開始を伝えなくてはならない。



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第49話 くっころ男騎士と遅滞戦闘

 傭兵たちは思いのほか素直に撤退の指示に従った。今のところ優勢なわけだし、現状維持を主張されるんじゃないかと思っていたんだが……どうやら先ほどの一騎討ちが効いているらしい。あれがなかったら、単にビビッて逃げ出そうとしてるだけだと思われたかもしれないな。結果オーライだ。

 

「急げ急げ! 忘れ物はするなよ!」

 

 伯爵軍を鉄条網の外へ押し返すと、第二波が来襲するまでの僅かな間を縫って僕たちは撤退を開始した。武器や物資はもちろん、戦死者の遺体も後送しなくてはならない。こっちの世界じゃ敵兵の遺体なんかゴミみたいな扱いをされかねないからな。まともに弔いたければ自分たちの手で回収する必要がある。

 

「新手が来ます!」

 

 物見やぐらの見張りが警告の声を発する。流石に早いな。撤退中の味方の背中に攻撃をさせるわけにはいかない。僕は塹壕に身を隠したまま、騎兵銃の撃鉄(ハンマー)を上げた。

 

「とにかく、傭兵どもが陣地転換する時間をなんとか稼がにゃならん。クソみたいな戦いになるだろうが頑張ってくれ」

 

 僕は周囲の騎士たちに言った。すでに後衛戦闘に参加予定の人員は全員集合している。主力は騎士隊だ。伯爵軍の精鋭に対抗できるのは、装備や練度に優れた僕の騎士たちだけだ。

 

「問題ありません。いままで白兵が出来なかった分、存分に暴れさせてもらいましょう」

 

 ソニアがクールな表情で言い切った。しかしその頬は紅を差したように赤い。戦闘の熱気で興奮しているのだろう。

 

「お前はできれば傭兵たちと一緒に後退してほしいんだが。二人そろって戦死したら、指揮を執れる人間がヴァレリー隊長だけになるぞ。そうなったらもう勝ち目なんかない」

 

 指揮ぶりを見るに、ヴァレリー隊長は十分以上に有能な士官だ。しかし彼女はあくまで雇われにすぎない。雇い主が死ねばさっさと降伏してしまう可能性が高い。

 

「ご冗談を。わたしはともかくアル様が戦死されるなど、ありえません」

 

 だから信頼が重いんだよ!! こちとらすでに一回前世で戦死済みなんだよ、無邪気に自分だけは大丈夫なんて考えにはなれない。まあそんな能天気な考えをしている奴に指揮官は務まらないが。

 

「それに、わたしはあくまで副官です。あなたのお傍にいるのが自然なことではありませんか」

 

「しかしだな……」

 

「アル様、ソニアは筋金入りのフリークなんですから問答するだけ無駄ですよ。さっさと戦いましょう」

 

 うんざりした様子で別の騎士が言った。ソニアは『命令』すれば大概のことは聞いてくれる。しかし根がとんでもなく頑固なので、納得ずくで説得するのは非常に骨が折れる。今回は僕が引くしかないか。

 ……だいたい、指揮官が最前線に立たなきゃいけないのが一番の間違いなんだよな。僕だってできれば安全な場所に居たいよ。痛いのも怖いのも普通に嫌だし。ここで負けたら全部オシマイの大一番じゃなきゃ、もっと安定した作戦が取れるのにさ。

 

「そうだな……」

 

 敵の間近でやる話でもない。僕は小さく息を吐いて、敵の出方をうかがった。数は相変わらず多い。しかし流石の伯爵軍も装甲部隊の在庫が切れてきたらしく、兜以外の防具を付けていない軽装の兵士の姿も確認できる。これならある程度は戦えそうだ。

 

「よし、交互射撃で弾幕を張る。射撃準備!」

 

「ウーラァ!」

 

 騎兵銃を土塁に乗せ、照準をつけつつ僕は命令した。まだ敵兵は豆粒くらいの大きさにしか見えないが、ライフルの精度なら十分に命中弾を出せる。

 

「撃ち方はじめ!」

 

 銃声が耳朶を叩く。銃口から吐き出されたすさまじい白煙が僕たちの視界を遮り、敵兵の姿を覆い隠した。本当に黒色火薬ってのは使いづらいな。さっさと無煙火薬を実用化しなくては……。

 

「次、撃て!」

 

 そんなことを考えつつも、口は機械的に次の命令を発していた。自分自身も引き金を引く。銃床を伝わる鋭い反動が肩を叩く。白煙はますます濃くなり、敵兵が完全に見えないほどになってしまった。

 

「風術!」

 

 しかしここはファンタジー世界、対処法はある。傭兵団の魔術師が歌うような声音で呪文を唱えると、どこからともなく大風が吹き煙を散らした。

 僕たちの射撃はそれなり効果があったらしく、何人もの兵士が地面に倒れていた。しかし、それでも敵の前進を無理やり止めるほどの打撃力はない。軍靴が地面を踏みしめる音が、こちらにまで聞こえてくる。

 

「この狭さでは散兵になって射撃を避けることもままならんだろうな。敵ながら哀れだ」

 

 狭い街道内には、敵兵の死体や鉄馬車の残骸などが所狭しと並んでいる。おまけにまだ地雷も残っているとあれば、敵は身を寄せ合って狭いルートを通るしかない。射撃側からすればいいマトだ。弾薬を棒で銃身の奥へ押し込みつつ、僕は小さく笑った。

 

「第二小隊、装填完了しました」

 

「よし、撃て!」

 

 再度の射撃。敵前衛がバタバタと倒れた。騎士の一人が口笛を吹いた。

 

「へっ! カカシどもが、いい気味だぜ」

 

 他の騎士も口々に軽口をたたく。しかし再装填を続けるその手付きはいささかも遅れない。流石の練度だな。やはり頼りになる。

 

「報告!」

 

 そこへ、伝令が飛び込んできた。敵兵から目を向けたまま、僕は「どうした?」と聞き返す。

 

「例の別動隊と撤退中の部隊が会敵しました」

 

「正面はこちらが受け持つから、そっちはそちらの敵へ集中しろと伝えろ」

 

 側撃を受けるのは痛いが、相手は現状半個中隊程度。おまけに足場の悪い街道外から攻撃を仕掛けてきているわけだ。正面の敵と合わせて半包囲状態になりさえしなければそこまで恐ろしいものではない。

 

「了解!」

 

 走り去る伝令を見送りもせずに、僕は敵に銃弾を撃ち込んだ。とにかく、今は手勢だけでここを抑える必要がある。白兵戦の距離まで接近される前に、できるだけ敵の数を減らしておく必要があった。

 



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第50話 くっころ男騎士と催涙弾

手違いで51話として書いていたエピソードを50話として投稿してしまい、削除いたしました。
混乱を招くような真似をしてしまい、申し訳ありません。


 それから三時間は本当に地獄だった。戦力を後方に下げたため別動隊は問題なく撃退できたものの、そのぶん増した正面の圧力が直接僕たち殿(しんがり)部隊に押しかかってくる。一時間もしないうちに鉄条網直前の第一塹壕線は奪取され、僕たちはジリジリと後退し続けた。

 今は何とか、街道の極端に狭くなった場所を利用して遅滞戦闘を行っていた。まともに横隊も組めないほどの狭さだから、敵も大戦力は投入できない。少数で敵を足止めするにはピッタリな地形だ。この辺りの山道には、地形の問題で道幅がやたらと狭い場所が沢山ある。

 

「キエエエエエエッ!」

 

 叫びながら銃剣を敵兵の腹に突き立てる。血を吐きながら苦悶の声を上げるソイツを蹴り飛ばし、その勢いを利用して後ろに下がる。

 

「男風情がッ!」

 

 斧を振りかぶった別の敵兵が突っ込んでくる。僕は急いで騎兵銃から手を離し、リボルバーを抜き撃った。ほとんど同時に二発の銃弾が発射され、その兵士の腹と胸に当たる。引き金を引いたまま指で複数回撃鉄(ハンマー)を弾くファニングというテクニックだ。

 鎖帷子(チェインメイル)を撃ち抜かれて地面に崩れ落ちる敵兵からすぐに視線を外し、リボルバーをホルスターに戻す。それと同時に突き出されてきた槍の穂先をステップで回避し。騎兵銃を引っ掴んで銃剣で刺突し返した。

 

「うっ……この!」

 

 なんとかその一撃を籠手で防いだ敵兵だったが、そこへソニアが突っ込んでくる。大上段から振り下ろされた両手剣(クレイモア)を回避しきれず、肩口を切り裂かれたその兵士は絶叫しながら転倒した。ソニアはなんの躊躇もなしに首元に切っ先を突き入れ、とどめを刺す。

 

「助かる……!」

 

 荒くなった息をなんとか堪えつつ、僕は礼を言った。体力的にかなりしんどくなっていた。敵はほぼ全員僕よりフィジカル面で優秀だからな。まともにぶつかり合うのは、本当にしんどい。前世での蓄積がなければとうに死んでただろう。

 

「副官の職務ですので」

 

 そう答えるソニアの表情は、あくまでクールだ。うーん、フィジカルお化け。全く羨ましいもんだ。

 

「進め進め! 敵は追い詰められているぞ!」

 

「ガレアの魔男がそこに居るぞ! 叩きのめして犯しちまえ!」

 

 伯爵軍の方からは物騒な叫び声が聞こえてくる。いや、魔男ってなんだよ。魔女的なアレか? なんだか響きが間抜けだな。しかし、今日だけで何回「犯してやる!」って言われるんだろうな。童貞としては、なんだかなあと思わざるを得ない。

 

「うちのアル様を犯すだぁ? 出てこいコラ! ぶっ殺してやる!」

 

「牛女のガバガバの穴なんか、アル様も願い下げだっての!」

 

 敵の罵声に、こちらの騎士も闘志を燃やして対抗する。うん、士気が高いのは結構なことだし、僕に対する誹謗に対して怒ってくれるのも嬉しい。でも牛獣人はアリアリのアリだと思います。胸はデカイしちっちゃいツノも可愛いしな。平和的にアプローチされたら一瞬で堕ちる自信がある。童貞のチョロさをナメるなよ。まあ、今は殺し合うしかない関係なのが悲しいが。

 

「牛共が……ステーキにされたいようだな……!」

 

 一番怖いのはソニアだな……憎しみの籠った唸り声と共に、敵兵をバッタバッタと切り倒している。まさに豪傑のような戦いぶりで、敵も前に出られなくなっていた。

 

「無茶はするなよ!」

 

 あくまで今は時間が稼げればそれでいいのだ。敵を倒すのは二の次で良い。僕は部下たちに忠告しつつ、ちらりと懐中時計を確認した。予定通りなら、そろそろ後方の再配置が終わるはず……。

 

「緑色信号弾確認!」

 

 そこへ、見張りの声が飛び込んできた。僕は思わず「よしっ!」と大声で叫んだ。緑色信号弾は準備完了の合図だ。あとは僕たちが撤退するだけで、敵を殺し間に誘導することが出来る。何しろこの街道は一本道だ。

 

「撤退準備!」

 

 とはいっても、正面からガンガン敵が来ている状態ではそうそう後退できるものではない。どんな精鋭でも背中を攻撃されたらひとたまりもないからな。そういう訳で、敵の攻撃を一時的に止める必要があった。そのための準備も、もちろんしている。

 

「煙幕を焚け!」

 

 そう叫ぶと、後方の傭兵たちが大きなタルをいくつも街道に並べ始めた。タルの蓋へ取り付けられた導火線に火をつけ、叫ぶ。

 

「準備完了!」

 

「よし、やれ! 総員、撤退開始!」

 

 合図と同時に、タルがこちらに向かって転がってくる。下り坂だから、かなりのスピードだ。そしてそのタルの中からは、猛烈な勢いで白煙が吐き出されていた。街道内はあっという間に一メートル先も見えないような濃密な煙に包まれた。

 このタルには、遅燃性の火薬と数種類のスパイスが詰められている。当然、そこから発生する煙は目や鼻の粘膜を刺激する成分がタップリ含まれている。原始的な催涙弾というわけだ。

 

「なんだこれ! なんだこれ!」

 

「ウッ、ゲホッ!」

 

 煙をモロに浴びた敵兵たちはさかんに咳き込み始める。催涙弾による攻撃など、この世界ではまず行われることはないだろう。未知の感覚に襲われた彼女たちは、もう戦うどころではなくなっている。

 もちろん、催涙弾を喰らったのはこちらも同じだ。僕も顔中涙と鼻水まみれになり、酷い有様になっている。それでも、全く慌てることなく全速力で後退する。仲間たちもそれに続いていた。

 なにしろ、僕たち騎士隊は定期的にこの催涙煙幕を浴びる訓練をしていた。涙や鼻水は生理現象だから抑えられないが、冷静に行動することはできる。慣れというのは偉大だな。この手の訓練がいざという時非常に有効であることを教えてくれた前世の教官には感謝感謝だ。

 

「ウェーッホ!」

 

 しこたま咳き込みつつも、僕たちはなんとか狭い街道を抜けた。涙に歪む視界の先に映るのは、広い台地だ。ここに引いた第二防衛線によって敵の主力を撃滅するのが、僕の建てた作戦の第二段階だった。



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第51話 猛牛伯爵とアリ地獄

「ヌゥ……」

 

 あたし、ロスヴィータ・フォン・ディーゼルは迷っていた。撤退したリースベン軍に、どう対処するのが正解なのかがわからない。姪のミヒャエラを一騎討ちで倒したリースベン軍は、勢いに乗っていたはずだ。このタイミングで撤退するのは不自然が過ぎる。

 

「報告。前衛部隊は敵軍の猛烈な射撃を浴び、台地への侵入に失敗したそうです」

 

「やはりそうなるか」

 

 事前偵察で確認済みだが、この街道の先には広い台地がある。大軍であるこちらに有利な地形だ。台地内に突入さえできれば、少々の武器の差なら問題なく覆すことが出来る。

 しかしそれは、むこうも理解しているだろう。リースベン軍は台地の入り口付近に再布陣し、こちらの侵入を防ぐ構えを見せていた。

 訳の分からない煙に巻かれ、敵の殿(しんがり)部隊と一緒に台地内へなだれ込むことが出来なかったのが悔やまれる。敵の背中を盾にすれば、銃兵の攻撃は避けられたのに……。

 

「……」

 

 口には出さないが、非常に困った。こちらの士気はもうひどい有様になっている。異様な被害を被っているということもあるし、ディーゼル家の若衆の中では屈指の騎士として知られるミヒャエラが討ち取られてしまったことも大きい。おまけに、当主(あたし)の実の娘であるカリーナが敵前逃亡したとあっては、もうどうしようもない。

 

「しかし、ミヒャエラがやられたか」

 

 素行は良くなかったが、騎士としての腕は折り紙付きの女だった。まだ、あたしはその死を受け入れられない。男にやられるような女ではなかったはずだ。

 聞いたところによると、ミヒャエラは鎧の上から一刀両断されてしまったらしい。力自慢の獣人が常識外れの巨大戦斧を全力で振り下ろしたところで、両断まで行くのはムリだ。それほどまでに魔装甲冑《エンチャントアーマー》の防御力は高い。

 そんな化け物じみた相手と愛娘であるカリーナが戦わずに済んだのは、不幸中の幸いだった。ミヒャエラには悪いが、あたしは内心そう思っていた。

 

「……」

 

 カリーナ。そう、カリーナだ。本当にどうしよう。まさか、こんなことになるとは思わなかった。当主の娘とはいえ……いや、当主の娘だからこそ、敵前逃亡なんて真似をすれば甘い処分は出せない。まだ見習い騎士なのだから、死罪は避けられるだろうが……。

 結局今すぐ判断を下すことはできず、とりあえずカリーナにはあたしの傍仕えを命じていた。事実上の謹慎のようなものだ。馬に乗ってあたしの横で立ち尽くす彼女は、ひどく憔悴した様子でうなだれていた。慰めの言葉をかけてやりたいが、やったことがやったことなので厳しい態度を取らざるを得ない。

 

「ロスヴィータ様、騎兵を使いましょう」

 

 配下の騎士の言葉に、あたしは小さく唸った。今は娘のことを考えている暇はない。はやくリースベン軍を撃破しないと、ガレア王国の救援部隊が到着してしまう。その前にリースベン領を制圧し、ガレア王国側の山道で敵増援を迎撃するというのが当初の作戦だった。

 時間は敵だ。持久戦はできない。被害を覚悟で強引に責めたのは、そういう理由だ。もはやリースベンなど諦めた方がマシだというのは理解しているが、ここで退いてしまえばわが軍の将兵の死が無駄になってしまう。それに、メンツの面でも不味い。戦いを継続する以外の選択肢は無いわけだ。

 

「歩兵での突破は難しいか」

 

「はい。こちらは狭い街道に押し込められ、前進と後退以外の動きはできません。一方、敵軍は台地側にいるため自由な布陣ができます。この不利は覆しがたいでしょう」

 

 街道内の戦闘では、わが軍はもちろん寡兵である敵軍ですら全戦力を前線に集中することができなかった。戦場が狭すぎるからな。台地の入り口を封鎖されると、今度はリースベン軍のみがその制限から解放されることになる。

 

「対騎兵構築物を回避できない街道内ならともかく、台地であれば騎馬突撃も可能でしょう。ここは騎士たちに頑張ってもらうのが一番かと」

 

「ふむ……」

 

 配下の騎士たちは、昨日今日とずいぶんと消耗している。なにしろ、重装歩兵の半数は下馬騎士だからな。地中爆弾だの妙な銃だので尋常ならざる被害を受けた彼女らに、これ以上の負担を強いるのは心苦しい。

 

「騎兵の機動力であれば、射撃を受ける時間も短くなります。銃は装填に時間がかかりますからね、これまでの戦いよりも被害は少なくなるのではないかと」

 

「確かにな」

 

 まあ、これまでの戦いで異様な被害を被ったのは、歩兵の進軍速度が遅かったからというのは事実だ。こちらの武器が届く距離まで接近するのに時間がかかると、それだけ敵軍の射撃機会も増えるからな。

 その点、騎兵の突撃であれば一射目か二射目あたりで槍の届く距離までたどり着けるだろう。それに、銃弾は鎧で防ぐこともできる。やはり、現状では騎馬突撃が最良の選択か。

 

「よし、軍馬の準備しろ」

 

 そう命令しつつも、あたしの気持ちは晴れなかった。奇抜な武器や戦法を抜きしても、敵将は尋常な指揮官ではない。あたしがここで騎兵隊を持ち出すことなど、とっくに予想済みだろう。このタイミングで一度撤退したことから考えても、何かしらの罠が待ち受けているのは確実だ。

 それでも他にいいアイデアがない以上、部下を信じて命令を出すほかない。あたしは心の中で、これ以上酷いことが起きませんようにと極星に祈った。



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第52話 くっころ男騎士と対騎兵戦

「敵騎兵隊確認!」

 

「よし来た」

 

 伝令の報告に、僕は会心の笑みを浮かべた。この戦いに勝つ気概があるのなら、敵はここで騎兵隊を使うほかない。たとえ罠とわかっていてもだ。

 

「本日最後の大仕事だ! 気合入れていくぞ!」

 

「ウーラァ!」

 

 配下の騎士たちの元気な声に、僕は嬉しくなる。キツイ殿(しんがり)任務に、味方からの催涙攻撃。もういい加減に休ませてくれと言いたい気分だろうに、まったくそんなそぶりを見せない。流石の精鋭だ。

 まあ、僕自身そろそろ体力の限界なんだけどな。催涙弾のせいでまだ目も鼻もクソ痛いし、体は滅茶苦茶ダルいし、頭もなんかフワフワしている。可及的速やかに実家に戻って丸一日惰眠を貪りたい気分だが、指揮官が一番最初にヘタれるわけにはいかないんだよな。やせ我慢あるのみだ。

 

「兄貴―! お待たせしましたッス」

 

 リス獣人のロッテが、(くつわ)を引いて軍馬を連れてくる。もちろん、その後ろには馬丁係の従者たちが全員分の軍馬を集めていた。

 騎兵には騎兵をぶつける。それが僕の作戦だ。敵の騎兵隊はそれなりの規模であることが予想される。数少ない銃兵だけでは大量の騎兵には対処できないし、槍兵なんかを直接ぶつけたところで蹴散らされるだけだ。

 第一防衛線みたいな強固な塹壕と鉄条網で四方を囲んでおけば、そもそも騎馬突撃なんて許さないんだが……そこまで大掛かりな陣地を構築をするには、流石に時間も資材も、そして人員も足りなかった。防御構築物があるのは正面だけであり、このままだと迂回を許してしまう。

 

「おーし! んじゃ、行ってくる」

 

 ロッテの頭をわしわしと撫でてから、馬に跨った。味方陣地からは発砲音が盛んに鳴っていたが、軍馬はおびえる様子を見せない。

 馬は本来大きな音を嫌うものだが、発砲のたびに怯えられては僕の部隊では使い物にならない。この軍馬はレマ市で調達した時点で銃声に対して反応が鈍い個体を選別し、さらに陣地構築の合間に特別な調教も施してある。対策はバッチリだ。

 まあその分調達費用はかさんだが、カネを出しているのは僕ではなくアデライド宰相閣下なので何の問題もない。さんざんセクハラされているんだから、こういう時くらいタカってもバチはあたらないだろう。まあ最終的に僕の借金になるわけだけど。

 

「ご武運をッスー!」

 

 手をブンブンと振るロッテたちに見送られつつ、僕たちは馬を進めた。台地内は背の低い草が生えているだけの平坦な地形であり、騎馬で移動する分には快適その物だ。

 台地と言ってもそう広いものではない。すぐに岩山を切り開いて作られた切通が見えてくる。この切通を通らなければ、台地内に侵入することはできない。

 

「アレですね、敵は」

 

 馬を寄せてきたソニアが言う。切通の中ほどには、騎乗した騎士たちの姿があった。切通の出口付近には先ほどから牽制射撃を仕掛けているので、飛び出すタイミングをうかがっているのだろう。

 こちらの塹壕線と出口までの距離は五〇〇メートルほど。軍馬の全力疾走なら三十秒もかからず踏破できる。先ごめ式ライフルの装填速度を考えれば、射撃機会は一回のみ。銃兵隊の数の問題から、ライフルのみでの騎兵突撃の阻止は難しい。その分僕たち騎兵が頑張る必要があるということだ。

 

「……」

 

 シビアなタイミングが要求される作戦だ。背中にじっとりとした冷や汗が浮かぶ。僕は意識して呼吸を整えた。この攻撃の成否が戦争自体の趨勢を決める。緊張するなという方がムリだ。

 

「来ますっ!」

 

 ソニアが鋭い声を上げるのと同時に、敵騎兵隊が突撃へと移った。土煙をあげながら大量の騎馬騎士が切通から出てくる。数は五十騎程度。こちらの騎兵の倍以上だ。

 

「突撃開始!」

 

 叫ぶと同時に拍車をかけた。敵騎兵隊の横腹に、こちらの全騎兵戦力である十七騎が向かっていく。それとほぼ同時に こちらの塹壕線から一斉に白煙が上がった。牽制射撃には旧式の火縄銃を使い、敵が突撃を開始するのと同時にライフルへ持ち替えるよう命令してある。

 精密かつ濃密な弾幕を浴びた敵騎兵隊は五騎以上が一挙に落馬し、凶弾を逃れた騎兵も馬の動揺を抑えるので精いっぱいになる。突撃隊列が乱れた。

 

「殲滅だ! いくぞクソッたれども!」

 

「ウーラァー!」

 

 そう叫びつつ、出鼻をくじかれて怯んだ様子の敵騎兵の軍馬へ拳銃を撃ち込んだ。騎士本人は全身を鎧で固めているため、射撃の効果は薄い。しかし、馬が相手なら問題ない。馬鎧なんてものもあるが、流石に全身はカバーできないからな。

 

「うわーっ!?」

 

 銃弾を浴びた軍馬は痛みのあまり暴れだし、騎乗していた騎士は落馬してしまう。それに構わず、僕は別の軍馬に銃弾を叩き込んだ。すぐに弾切れになるが、悠長にリロードしている時間はない。二挺目の拳銃を引っ張りぬき、攻撃を続ける。

 僕の他の味方騎兵も、同様の戦術を取っていた。敵騎兵隊には既に大量の落馬者がでている。僕の取った作戦は、『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』の格言をそのまま適用したものだ。

 こうした戦術を取ることが出来るピストル騎兵は、従来の槍騎兵を駆逐できるだけの対騎兵能力を備えている。数の差があるとはいえ、こちら側の優位は明らかだった。

 

「騎士ならば槍を持たんか、槍をッ! この卑怯者どもが!」

 

 敵の騎士が長大な馬上槍を掲げながら吠える。僕は「やかましい!」と叫び返しつつ、鞍に固定してあった投げ縄をその騎士へと投げつけた。カウボーイがよく使うアレだ。

 

「グワーッ!」

 

 ロープに絡めとられ、強引に鞍から引きずり降ろされた敵騎士は苦悶の声をあげつつ地面に転がった。

 

「それ以上はやらせんよ!」

 

 そこへ、馬上槍を構えた別の騎士が突っ込んでくる。かなりのスピードだ、回避は間に合わない。

 

「ちぃっ!」

 

 二挺目のリボルバーもすでに弾切れだ。使える武器はサーベルのみだが、これで馬上槍とわたり合うのはなかなかに辛い。これは不味いぞと背中に寒気が走った瞬間、一騎の騎士が相手騎士へと突っ込んでいった。

 

「ソニア!」

 

 彼女はすれ違いざまに大剣を振るい、一撃で敵の騎士の首を刈り取った。即席のデュラハンと化したその騎士は、噴水のように血を噴き出しつつ地面へ転がり落ちた。

 

「助かった! 流石だな、やっぱりお前ほど頼りになる副官は居ないよ」

 

「もちろんですとも。あなたにふさわしい副官はわたし以外おりませんから」

 

 何でもない風に応えるその様は、まさに歴戦の騎士。やはり、僕にはもったいないくらいの部下だな。

 

「それより、そろそろ歩兵を出しても大丈夫なのでは」

 

 ソニアは周囲を見まわしながら言った。予想外の攻撃を受け、すでに敵騎馬隊の突撃隊形は完全に崩れている。落馬を逃れた騎士たちも、こちらの騎士隊との交戦で精いっぱいの様子だ。これでは歩兵陣地へ突撃するどころではない。

 

「そうだな、頃合いとしてはちょうどいい」

 

 腰に付けたホルスターから、大型の信号銃を取り出す。野球ボールほどの大きさの信号弾が取り付けられた銃口を真上に向け、発砲。空砲の爆圧で撃ちだされた信号弾は空中でパラシュートを開き、赤い閃光を発した。

 

「さあ、決着をつけるぞ」



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第53話 くっころ男騎士と騎兵殲滅陣

 信号弾の赤い光が空に瞬くと同時に、塹壕から味方歩兵がワラワラと飛び出してきた。壮絶なまでの鬨の声が暴力的に耳朶を叩く。

 

「騎兵を相手に密集陣も組まぬとは! ナメられた……」

 

 槍を振り上げて憤慨した伯爵軍の騎士は、再装填を終えた銃兵隊の集中射撃で即死した。それに勢いを得た味方歩兵隊は落馬した敵騎士に殺到し、手にした長槍でめった刺しにし始める。

 いくら魔装甲冑(エンチャントアーマー)で身を固めた騎士も、落馬の衝撃で動けなくなっているところを襲われてしまえばひとたまりもない。戦闘というよりは虐殺と言った方が良いような光景が、戦場のあちこちで展開されていた。

 

「キエエエエエエエッ!」

 

 とはいえ、敵騎兵も全滅したわけではない。歩兵隊に襲い掛かろうとする生き残りの騎兵にサーベルで斬りかかり、牽制する。歩兵と騎兵の戦闘力差は歴然であり、放置していれば逆襲を受けてこちらが壊滅しかねない。

 本来であれば、歩兵による対騎兵戦は密集陣で槍衾を作って敵騎兵を迎え撃つのがセオリーな訳だが……なにしろ密集陣は機動性がよろしくない。今回は迅速に敵を殲滅する必要があるため、あえて密集陣は採用していなかった。足りない防御力はこちらで補ってやる必要がある。

 

「ちぃっ!」

 

 サーベルによる一撃は、籠手によって防がれてしまった。今は身体強化魔法を使っていないため、流石に鎧を切断するのはムリだ。致命傷を与えたければ、鎧の隙間を狙うほかない。

 

「その声、例の男騎士か! 男を斬っても誉にはならんが、貴様は別だ! ここで果ててもらう!」

 

「果てるのは貴様だバカヤロー!」

 

 敵騎士は近接戦に不利な馬上槍を投げ捨て、代わりに長剣を抜いた。襲い掛かってくる白刃をなんとかサーベルで受け流し、叫び返す。

 しかし、やっぱり亜人のフィジカルは凄いな。身体強化をせずに正面から戦うのはだいぶしんどい。たんなる兵士ならなんとかなるが、戦闘のプロである騎士ともなれば一筋縄ではいかない。

 

「代官殿!」

 

 しかし、これは戦争だ。別に一対一で戦わねばらないというルールがあるわけではない。すぐに近くに居た歩兵たちが、長槍を手にして集まってくる。

 

「ぐっ……雑兵どもが!」

 

 慌ててその場から離脱しようとする敵騎士だが、そうはいかない。進路をふさぐように馬を進め、サーベルで斬りかかる。

 

「邪魔だ……うわっ!」

 

 サーベルを払いのけようとした敵騎士に長槍が襲い掛かる。穂先で殴られ、落馬した騎士は歩兵たちの手によってあっという間にぼろ雑巾のような姿にされてしまった。

 

「いい手際だ! 覚えておくぞ、お前たち」

 

 傭兵たちに称賛を送ってから、馬を進ませる。この後のことを考えると、敵騎兵隊は迅速に仕留める必要がある。

 

「アル様! 新手です!」

 

 そこへ、従士がひどく慌てた様子で駆け寄ってきた。

 

「増援か。歩兵、騎兵、どっちだ?」

 

「騎兵です! 数は二十騎!」

 

「まだ騎兵が残ってるのか!」

 

 最初の五十騎だけでも多いのに、この上さらに騎兵おかわりか。本当に有利な戦場で戦えてよかった。向こうに主導権が奪われた状態で交戦していたら、こちらは一日と立たずに壊滅していたに違いない。

 

「よし、ここは歩兵隊に任せる。ラッパ手に通達、騎士隊集合!」

 

 まもなく、戦場に信号ラッパの音色が響き渡り、乱戦中だった配下の騎士たちが集まってくる。手早く点呼をとり、部隊を再編成する。

 

「銃兵隊にも切通に突撃破砕射撃を仕掛けるよう連絡しろ。騎兵に続いて歩兵も突っ込んでくるだろうが、これは絶対に阻止する必要がある」

 

「了解!」

 

 しかし、新手か。もう、僕を含めて騎士隊は満身創痍だ。なにしろ、今日一日ずっと戦いっぱなしだからな。いくら精鋭と言っても、体力は有限だ。そろそろ限界が近い。おまけに、これまでの戦闘で拳銃もすでに撃ち尽くしているはずだ。先ほどの圧勝は、あくまで銃ありきの結果だからな。こんな状況で同数の敵相手にまともにぶつかったら、普通に負けかねないぞ。

 せめてリロードする時間があればいいのだが。金属薬莢式ならその場でぱぱっと再装填できるのに、先ごめ式はこれが面倒だ。

 そんなことを考えているうちに、敵の新手はすぐそばに迫っていた。牛の頭蓋骨を意匠化したディーゼル伯爵家の旗が見える。こっちもキツイが、向こうはそれ以上にキツイんだろう。指揮官自ら先頭に立つ必要が出てきたわけか。

 

「アルベール・ブロンダン! 出てこい!」

 

 騎士の一団の中でも、一際大柄な女が巨大な戦斧を振り上げて叫んだ。

 

「あたしはロスヴィータ・フォン・ディーゼル! 姪と娘が随分と世話になったようだな、一族の汚名は当主であるあたしの自らの手で雪がせてもらうぞ!」

 

「御大将自ら首級を献上しに来るとは、なかなか見上げた心意気だ!」

 

 疲れ切った身体に喝を入れつつ、憎たらしい口調を意識して言い返す。士気の維持を考えれば、指揮官同士の舌戦で負けるわけにはいかない。……近代戦になれている身からすると、いまだにこういうやり方には違和感を覚えるけどな。

 

「しかし貴様がこの場に出てくるはるか前から、僕は前線に出て伯爵軍の騎士を殺していたぞ! 一体その間、貴様は何をしていたんだ! 男に敢闘精神で負けて恥ずかしくはないのか、臆病者!」

 

 指揮官がほいほい前線に出てきていいワケないだろ。僕が前に出てるのは単なる戦力不足のせいだよ! 自分自身に内心ツッコミを入れるが、まあ挑発の材料に出来るならなんでもいい。

 

「な、なんだとぉ……!!」

 

「格好をつけて出てきたが、負けそうになって尻に火がついているだけだろう! 戦は下手だが体面を取り繕うのだけは上手だな、ええっ!?」

 

「ふっ、ざけるなッ! 男風情が! 身の程を教えてやる!」

 

 ディーゼル伯爵は戦斧をブンブンと振り回して激高した。よしよし、イイ感じだ。一騎討ちを仕掛けて相手の進軍を阻止しつつ、こちらのリロードの時間を稼ぐ。そういう作戦だった。

 もちろん、こうしている間にも歩兵隊は落馬した伯爵軍の騎士たちを介錯している。そちらはさっさと終わらせて、作戦を次の段階に進ませなければならない。

 

「貴様が怯懦の輩ではないというのなら、まさか一騎討ちを拒むような真似はせんだろうな? 姪や娘の汚名を雪ぐというその言葉、嘘ではないのだろう?」

 

 そういえば、その娘の方はどこへ行ったんだろうか。探してみると……居た。隊列の後ろの方に、やたらと小さな騎士の姿がある。ションベン漏らしながら逃げ出したばっかりなのに、存外ガッツのある奴だな。

 

「良いだろう! 相手になってやる!」

 

 ディーゼル伯爵は怒り狂いながら馬から降りた。……案外、冷静さは失ってないのかもしれないな、こいつ。騎馬のままの一騎討ちなら、またピストルで落馬させる作戦が使えたのに。仕方がないので、僕も下馬する。

 

「アル様、これを」

 

「ン、助かる」

 

 従者がピストルを差し出してきたので有難く受け取り、弾切れ状態になっている自分の拳銃と交換する。普段使っているリボルバーではなく旧型の単発式だが、これでもあると無いとでは大違いだ。

 

「それじゃ、あとは任せた」

 

 ソニアに向かってそう言うと、彼女は兜の面頬を開けてニヤリと笑った。そして腰のホルスターを叩きつつ、しっかりと頷く。

 

「ご武運を」

 

 普通に敵の騎兵隊とぶつかるくらいなら、一騎討ちをやったほうが被害が少ない。僕が勝てば敵総大将が討たれたことでほぼ勝ち確定になるし、負けても銃兵隊や騎士たちの銃をリロードする時間を稼ぐことが出来る。集中射撃さえできれば、二十騎の騎士程度なら十分に対処可能だ。

 しかし、この疲労困憊の状態ではほぼ間違いなく伯爵殿に後れを取るだろうな。大丈夫か? 百歩譲って一騎討ちで敗れる分には問題ないが、普通にそのまま殺されそうでコワイ。さっきから博打みたいな戦い方ばかり強いられるので、だいぶ気が滅入っていた。それもこれも、こちらの戦力が少ないせいだ。



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第54話 くっころ男騎士と猛牛伯爵

 でっっっっか。

 ディーゼル伯爵と向かい合った僕の脳内は、その言葉で満たされていた。まず第一に、体格がデカい。ソニアよりも明らかに背が高いので、おそらく二メートルオーバー。ついでに言えば、甲冑の胸部装甲も凄まじい膨らみだ。いや、本当にすごい。

 

「今さら怖気づいても、もう遅いぞ。分かっているのか?」

 

「今の今までビビって出てこなかった女のいう事か? 大きいのは図体だけで、脳みそも肝も随分と小さいようだな」

 

「……貴様も図体のわりに口はなかなかにデカいじゃないか? ええ?」

 

 低い声でディーゼル伯爵は唸った。大貴族というのは伊達じゃないな。そこらのヤクザも尻尾を巻いて逃げそうなほどの迫力がある。戦争中じゃなきゃ「調子乗ってすいませんでしたー!」つって逃げたいくらい怖い。

 まあでも残念ながらそういう訳にはいかないんだよな。今は戦争で、僕は軍人だ。『我らの生涯における多くの戦いの中で、我らが勇気を失ったことは一度たりともなかった』と謳われるに足る振る舞いをしなくてはならない。

 

「口も頭も腕も貴様より優秀だとも。負けているのは身長だけだ」

 

「ほざけ、青二才が!」

 

 叫びながら、ディーゼル伯爵は巨大な戦斧を構えた。あのサイズの武器に、異様なまでの体躯。うーん、僕も魔装甲冑(エンチャントアーマー)は着込んでいるけど、普通に真っ二つにされそうだな。こりゃマジで怖い。

 本来なら囲んで銃や砲を撃ち込みまくるのが正しい攻略法だろうな。おお、いやだいやだ。もっと早く出てきていたら、一騎討ちなんか仕掛けずに済んだものを。

 まあ、ぐちぐち言っていても仕方がない。僕は口を一文字に結び、サーベルの柄を両手で握って顔の真横で構える。切っ先は真っすぐ真上だ。

 

「では、いざ尋常に勝負――!」

 

「キエエエエエエエエイッ!!」

 

 ディーゼル伯爵が言い切るのと同時に、僕は奇声を上げて飛び掛かった。先手必勝、剣術勝負ではこれしか知らない。身体強化魔法のかかった脚で地面を蹴り、一瞬でディーゼル伯爵に肉薄する。

 

「話通りの戦法だな、男騎士ィ!」

 

 相手の言葉を無視して、全身全霊でサーベルを振り下ろす。それに対し、ディーゼル伯爵は迎え撃つでも防御するでもなく全力で回避を図った。岩のような巨体に見合わぬ俊敏さで、真横へ飛ぶ。

 

「グッ!?」

 

 僕の渾身の一撃は、ディーゼル伯爵の籠手に包まれた左腕を切断することに成功していた。二の腕から先が何かの冗談のような勢いで吹っ飛んでいく。だが、それだけだ。強靭な生命力を持った亜人は、腕一本切り落とされた程度では戦闘不能にならない。

 

「やあっ……てくれるな、男騎士!」

 

 バイザーの奥に見えるディーゼル伯爵の目がギラリと輝いた。右手で握った戦斧が、ギロチンめいて僕へ襲い掛かってくる。

 

「ヌゥッ……!」

 

 迫る分厚い刃を前に、僕の脳裏に前世の剣の師匠の言葉がフラッシュバックした。『初太刀さえ凌いでしまえばチ言われるがは一門の恥ぞ! 命ある限りチェストばし続けて必ず仕留めい!』

 

「キエエエエエエエエエエエエエッ!!」

 

 防御? 回避? しゃらくさい! 全力で攻撃あるのみ! 即座に剣を翻しつつ、さらに一歩踏み込む。戦斧が僕の身体に届くより早く、僕のサーベルがディーゼル伯爵に襲い掛かる!

 

「な、にぃ!?」

 

 さすがのディーゼル伯爵もこれには面食らったようで、反射的に身体を逸らして避けようとする。しかし、間に合わない。横にそれた戦斧が地面に叩きつけられるのと同時に、真下から振り上げられたサーベルの刃が甲冑の腹部装甲を切り裂いた。

 

「チィッ!」

 

 が……浅い! 感触からして、筋肉と装甲板しか切れていない。肝心の内蔵には刃が届いていないということだ。これでは殺しきれない!

 

「二の太刀で駄目ならァ!!」

 

 次の攻撃でチェストするのみ! すでに剣の間合いというには接近しすぎている。躊躇なくサーベルから手を離し、代わりに腰からピストルを抜く。短剣めいた動きで、銃口をディーゼル伯爵の面頬のスリットへ押し付けた。

 

「チェスト!!」

 

 躊躇なく引き金を引く。頼もしい破裂音と反動。が、それと同時に銃身が花のように裂けた。銃弾がスリット部を貫通できず、異常腔圧状態になって銃身が破裂したようだ。くそ、無駄に丈夫な兜をつけやがって!

 心の中で悪態をつきつつも、動きは止めない。ディーゼル伯爵は腕と腹を切り裂かれた失血性ショックに加え、さらに頭部に着弾の衝撃を受けたことで一瞬意識が吹っ飛んだようだ。この隙を逃す手はない。

 

「ウオラアアアアアアアッ!!」

 

 ディーゼル伯爵の腰帯を引っ掴み、投げ飛ばす。腰がイカレそうな重さだが、身体強化魔法の補助があるのでギリギリ大丈夫だ。耳障りな金属音を立てて地面に転がる彼女の巨体を目で追いつつ、腰から短剣を引き抜く。

 

「これで終いだッ!」

 

 叫びながら、伯爵に馬乗りになる。抵抗の隙を与えず、首の装甲の隙間に短剣を突き立てようとした時だった。

 

「母様―!」

 

 鎧に包まれた小さな体が、砲弾のような勢いで突っ込んできた。意識が完全に伯爵へ向いていた僕は、それを回避しきれない。

 

「グワーッ!」

 

 跳ね飛ばされた僕は、ぶつかってきた少女と団子になって猛烈な勢いで地面に転がる。その勢いで手の中から短剣が吹っ飛んでいった。

 

「今だ! 総員、攻撃開始!」

 

 ソニアの声が遠くで聞こえると、連続した銃声が鳴り響いた。しかし、そちらに意識を向けている余裕はない。僕に飛び掛かってきた少女……カリーナが、目をらんらんと光らせながら僕に馬乗りになって来たからだ。このままではとどめを刺される!

 

「キエエエエエエッ!」

 

 魔法の効果が切れはじめ、萎えそうになる肉体に鞭を打ちつつクルリと身体を回す。カリーナは筋力こそ尋常なものではないが、組打ちの実力は大したことがない様子だ。「ぴゃっ!?」と叫びながら無様に転がされる。

 その隙を逃さず、僕は彼女の兜を投げ捨て首筋に腕を回した。もう数秒で完全に身体強化魔法が切れる。今日はだいぶ肉体を酷使したから、このままではそのまま行動不能になってしまう可能性が高かった。その前に、せめてこの少女だけは仕留めておく必要がある。

 

「きゅっ!?」

 

 頸動脈を締め上げると、カリーナはあっという間に白目を剥いて気絶した。前世でも現世でもこの手の訓練は飽きるほどやったから、手慣れたものだ。

 

「ッ……」

 

 カリーナを倒したはいいが、僕もいい加減限界だ。視界が明滅し、全身から力が抜けていく。気合で持ちこたえようとしたが、駄目だった。連続使用じゃなければ意識が飛ぶまではいかないだろと思っていたが、甘かったな。連戦に次ぐ連戦で疲労しきった身体では、身体強化魔法の反動を受け止めきれなかったらしい。まあ、あとはソニアに任せておけば大丈夫か……。



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第55話 くっころ男騎士と激戦の後

 その後、ソニアは僕の期待通りの活躍を見せてくれた。ディーゼル伯爵が倒れた隙に乗じて、ソニアは全面攻勢を仕掛けた。騎兵隊の主力壊滅と総指揮官の敗北に動揺する伯爵軍はその攻勢を受け止めきれず、全面的な潰走状態に陥った。

 しかしここで問題が発生した。街道が狭いため、後退に手間取ったのだ、おまけに、無線機などない世界である。撤退指示が後衛部隊に伝わらずもたもたしているうちに、全力で撤退しようとしている前衛部隊との間で地獄のおしくらまんじゅうが発生した。これにより、伯爵軍では多数の圧死者が出たという。僕はその時気絶していたので、この辺りの事情はすべてが終わってから聞かされた。

 まあ、実のところこれを狙って敵を誘導したんだけどな。なにしろ、敵の数は弾薬をすべて使い果たしても殲滅できないほど多い。火力や白兵に依らない方法で敵戦力を間引いてやらないことには、いずれ数の力で押し切られてしまう公算が高い。最初の五日以内に敵戦力を半減させ、あとはじっくり腰を据えて持久する。それが僕のたてた作戦だった。

 

「あー……」

 

 そういう訳で、翌日。嫌になるような晴天の中、僕は重い体を引きずりつつ仕事をしていた。身体強化魔法の副作用はまだ残っていて、非常にしんどい。どれくらいしんどいかというと、調子に乗ってウィスキーをひと瓶開けてしまった日の翌朝くらいのしんどさだ。つまり死んだほうがマシってレベルということだな。

 とはいえ、ただでさえ肝心かなめの決戦前に気絶して戦線を離脱してしまった身の上だ。休むわけにはいかない。なにしろ、指揮官のやるべきこといくらでもあるからな。

 

「こちらの被害は?」

 

「ヴァレリー傭兵団の死者が十四名、重傷者が三十名。我々騎士隊のほうは、ダニエラが死亡。マガリ、モニカ、ピエレットが重傷です」

 

「そうか、ダニエラが死んだか……」

 

 騎士隊の連中は、幼年騎士団以来の幼馴染ばかりだ。だから、その人なりも良く知っている。ダニエラは貧乏騎士家出身の癖に男遊びが大好きで、娼館に通って財布をカラにしては僕に金の無心をしに来る筋金入りのカスだった。……でも、あいつと飲む酒は美味かったな。

 まるで足元の地面が崩れ去ったような浮遊感を覚える。まったく、最悪の気分だ。……それでも、部下を失うのは初めてではない。前世でも現世でも、少なからず経験している。嫌な話だが、慣れがあった。

 目をしばし閉じて、黙とう。それでなんとか、気分を切り替える。まだこの戦争は終わっていない。指揮官が動揺していたら、勝てる戦も勝てなくなる。

 

「戦傷組は大丈夫か?」

 

「ええ、命の別状はありません。とはいえ、この戦いの間に戦線復帰は難しいでしょうが」

 

「生きてればそれでいいさ」

 

 僕はほっと息を吐きだした。

 

「で、敵の損害は」

 

「正確な集計は終わっていませんが、死体だけで二百以上あるようです」

 

「大漁だな」

 

 伯爵軍はまともに戦線を立て直せるような状態ではなかったため、僕たちは第一防衛線まで再び前進することが出来た。しかし、取り戻した塹壕には、大量の死体が落ちている。

 撤退中に圧死した者たちや、翼竜(ワイバーン)騎兵が投下した火炎瓶で焼死した者たちだ。戦火拡大のチャンスということで、僕はそれまで偵察に専念させていた翼竜(ワイバーン)騎兵を攻撃に転用するよう準備していた。ソニアはそれをずいぶんと有効活用してくれたようだ。

 第一防衛線は塹壕やら鉄条網やらの障害物が大量にあるため、撤退の際には大渋滞が発生したものと思われる。敵ながら、随分悲惨なことになっていた。

 

「つまり我々は一人の犠牲で十人の敵を倒したわけだ」

 

「古今の戦史を紐解いてもそうそうないような圧勝ぶりだな。戦争というより虐殺って感じだ」

 

 となりで聞いていたヴァレリー隊長が、紙巻きたばこを吹かしながらつぶやいた。僕も吸いたくなるので、喫煙するならどこか別の場所でしてほしい。せっかく転生してからずっと禁煙に成功してるんだからさ……。

 

「おまけに、敵の総大将……とその三女も生け捕りだろう? この戦争、勝ったも同然だな」

 

 伯爵軍はディーゼル伯爵を回収できなかった。僕との一騎討ちで倒れた彼女は、現在わが軍の捕虜となっている。治療に当たった衛生兵曰く、重傷ではあるものの命に別状はないとのことだ。まったく、獣人ってやつは丈夫だな。

 

「どうだろうな。軍事的に見れば、もう伯爵軍に挽回の目はほとんどないだろうが……」

 

 だからといって、すぐに白旗を上げるとも思えないんだよな。負けすぎると、かえって終戦は遠くなる。なんとか一戦くらい勝ってから講和しないと、どんな条件を付きつけられるかわかったもんじゃないからな。博打と一緒で、負ければ負けるほど泥沼にはまっていくのが戦争という物だ。

 ディーゼル伯爵の身柄と交換という条件を出したところで、果たして向こうは飲むだろうか? それで終戦したところで、伯爵家に安寧が訪れるわけではない。男騎士風情に一矢すら報いることもできずに敗北したという風評は、貴族としては致命的だからな。向こうとしては、一度だけでも勝利の実績が欲しいはずだ。

 

「これではい、終わり……とはならない気がする。警戒は続けてくれ」

 

「オーケイ、了解しましたよ」

 

 神妙な顔で頷いてから、ヴァレリー隊長は破顔した。

 

「しかし、なかなかデキる奴だとは思っていたが……全く驚いたよ。実は軍神の生まれ変わりだったりするんじゃないのか? アル殿」

 

 単なるいち大尉だよ、前世は。勲章はそれなりにもらってたけどな。

 

「僕がやったのは指図と事前準備だけだ。実際に頑張ったのは前線の兵士たちだよ」

 

「アタシの兵隊どもが、知らないうちに神話の英傑と入れ替わっていたとでもいう気か? はは、こいつは傑作だ」

 

 何とも言えない表情で吐き捨てたヴァレリー隊長は、苦笑しながら靴底で煙草をもみ消す。

 

「しかし、冗談は結構だがね。我々には現実的な問題が立ちはだかっている。つまりは、死体の山だな。いったいこれを、どうやって処理するつもりだ? 燃やすにしても燃料が勿体ないが」

 

「そんなもん、向こうに押し付けるほかないだろ」

 

 季節は初夏、死体なんかその辺に放置していたらあっという間に腐乱する。疫病の温床にしないためにも可及的速やかに処理する必要があるが、なにしろ敵兵の遺体はこちらの全戦闘要員より多いわけだからな。いちいち埋めたり燃やしたりするには時間も物資も人手も足りない。

 

「降伏勧告のついでに、戦死者の回収を頼んで来い。『主君に忠を尽くして殉死した者たちをないがしろにするなど、ディーゼル家は誉という概念を持ち合わせていないのか?』とでも言っておけば、向こうも嫌とは言えんだろう」

 

 向こうが諦めるとも思えないが、総大将を確保した以上一応降伏勧告をしておく価値は十分ある。そのついでに戦死者の処理も頼んでしまおうという算段だ。

 

「……エッグイこというねえ、アル殿も。今は向こうもそれどころじゃないハズだが」

 

 まあ、伯爵軍もひどい有様だろうからな。初日の戦果と合わせれば、兵員の反芻以上が死傷してるんじゃないだろうか。軍事的な基準で言えば、壊滅的と表現しても構わない損害だ。おまけに総大将まで敵軍の捕虜と着ている。伯爵軍の幕僚陣の顔色は真っ青だろう。

 

「だからさ。敵が嫌がることは率先してやった方が良い」

 

「おっしゃる通りで。それじゃ、そのように手配しておく」

 

「任せた」

 

 投げやりに手を振ると、ヴァレリー隊長は苦笑しながら頷いてどこかへ走り去った。敵味方の遺体の処理は喫緊の課題で、とにかく迅速に処理する必要がある。ヴァレリー隊長もそれはちゃんと理解しているようだ。

 

「アル様。敵は今のところ、宿営地を動く様子はありません。時間的な余裕もありますし、少し休まれては?」

 

 心配そうな目で、ソニアがこちらを見てくる。確かに休みたいのはやまやまだが、ソニアもヴァレリー隊長も疲れているのは同じことだろう。僕だけ楽をするわけにはいかないじゃないか。

 

「大丈夫だ。このくらい、慣れてるさ。体は動く」

 

 ま、死ぬほど疲れるのは日常茶飯事だからな。伊達で厳しい訓練をこなしているわけではない。こういった体調でも、十分に働くことは可能だ。……今回の戦いでは、体力配分をミスったが。だいぶ反省が必要だな。気を付けねば

 

「……話は変わりますが、ディーゼル伯爵はさておき娘の方はどうしますか?」

 

 気を利かせてくれたのか、ソニアはふと思い出したかのような顔でそう聞いてきた。

 

「あいつか……」

 

 僕は唸った。あの、カリーナ・フォン・ディーゼルとかいう娘。敵前逃亡に、一騎討ちの妨害。騎士としてはあるまじき行為ばかりだ。彼女はもう、伯爵軍には戻らない方が良いかもしれない。どう考えても、不満のはけ口にされるだろうからな。

 

「あんな奴でも、なにかしら使い道はあるやもしれません。せっかく生け捕りにしたわけですしね」

 

「一理ある」

 

「そうだ、今からあの女に会ってみては? 顔を合わせてみたら、何かしらいいアイデアが出るかも」

 

 ……まさかソニアが捕虜なんかを心配しているはずもない。こりゃ、遠回しに追い払われてるな。どうでもいい仕事を回して、僕を休ませるつもりだろう。ソニアらしい気の回し方だ。せっかくだから、ここはお言葉に甘えさせてもらうか。

 



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第56話 メスガキ騎士と捕虜虐待

「おい、これで全部か?」

 

「怪しいな、どこかに金目の物を隠してるんじゃないの」

 

「ぴゃあ……」

 

 私、カリーナ・フォン・ディーゼルは、リースベン軍の兵士たちの手によって裸に剝かれていた。

 

「ほかに何か隠し持ってるんじゃないかって聞いてるんだよ!」

 

 その狼獣人の兵士は、手槍の石突で私をつっついてくる。なにしろ下着すら奪われているので、その程度でも凄く痛い。目尻にジワリと涙が浮かんだ。

 

「も、持ってないわよぉ……アンタらに取られたので全部だって!」

 

「嘘つけオラァ!」

 

「ぴゃあああっ!」

 

 蹴り飛ばされて、私は地面に転がった。足に重り付きの枷がつけられているから、抵抗することもできない。土まみれになりながら、私は昔のことを思い出した。

 従士として、初めて母様に戦場に連れて行ってもらった時のことだ。母様の活躍もあってあの時は完勝し、たくさんの騎士を捕虜にした。

 捕虜になった騎士は甲冑はもちろん下着まで、身に着けている物すべてを戦利品として奪われていた。さらに、身代金が払えない者は容赦なく処刑されている。あの時は「可哀想に」なんて他人事に思ってたけど、自分が当事者になってみるととんでもない。歯を食いしばったけど、耐えられずに涙がボロボロ出た。

 

「も、もう何も持ってないです……ゆるぢでぐださい……」

 

「ああ? 泣きやがったこいつ! ははははっ! 開戦前にはあんな大口叩いてたのになあ!」

 

「たしか、代官様を犯すとか言ってたのよね。騎士の称号がもったいないくらいのクズじゃない!」

 

 兵士たちは嘲笑を浮かべながら私を槍の石突でつっつく。痛みと、そしてディーゼル伯爵の三女である私が平民どもに好き勝手嬲られている屈辱感で、いよいよ涙が止まらなくなってきた。悔しくて情けなくて、ぎゅーっと拳を握り締めたけど、駄目だ。

 

「ごべんなざい……ごべんなざいぃ……」

 

「はー、馬鹿らし。こんなゴミみたいなのがデカい顔してたのか」

 

「許せないよねえ? 骨の一本や二本くらいへし折っても許されるんじゃないの」

 

 兵士の言葉を聞いて、寒くもないのに私の歯ががちがち鳴り始める。しかし、そんな私の様子にリースベン兵はかえって面白そうな顔になって――

 

「やめんか」

 

 だが、そんな彼女らを制止する者がいた。戦場には似つかわしくない、男の声。慌てて声の出所に顔を向けると、案の定そこには平服姿のアルベールが居た。

 

「ぴゃっ、ぴゃあああああっ!!」

 

 兵隊なんかよりよっぽっど怖いのが来た!! 私は頭が真っ白になり、ひっくり返りそうになった。股からちょろちょろ音がして、尻のあたりの土がドロドロになる。無意識に失禁してたみたいだけど、私はそれどころじゃない。

 だって、魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んだ人間を真っ二つにするなんて、もう人間じゃないのよ! しかもそんな化け物の一騎討ちを邪魔してるんだもの、今度こそ殺される!!

 

「こっ、殺さないでぇ! 謝るから! 許してぇ……」

 

「捕虜を無意味に殺すような真似をするわけないだろ……」

 

 しかし、予想に反してアルベールはひどく微妙な顔でそう呟いた。今のところ、腰のサーベルを抜くような素振りもない。……え、もしかして助かった?

 

「ああ、代官様! ひん剥いた戦利品はそこの籠にまとめておきましたよ」

 

「こいつを倒したのは代官様ですからね。その権利はすべて代官様のものですから……ブローチ一つポケットに入れてませんよ、安心してください」

 

「あ、ああ、そう。ご苦労、助かる」

 

 ひどく困った表情でそう言ってから、アルベールは兵士たちの前に歩み寄った。そして私の方をちらりと見てから、続ける。

 

「それはいいんだが、僕の部隊に居る時は捕虜はそれなりに丁重に扱ってくれないか? こういうのは、あまり気分が良くない。気晴らししたくなる諸君らの気分はわかるんだが……次の補給で酒や煙草を多めに持ってくるよう頼んでおくから、そっちで我慢してほしい」

 

「ああ、こりゃ失礼しました! よく考えりゃ、ションベン垂れたきたねえクソガキの裸なんか、紳士に見せるもんじゃあありませんしね」

 

「すみませんねえ、戦場暮らしが長いとどうもデリカシーが……ははは」

 

「別にそういう訳じゃないんだが……」

 

 げらげら笑う兵士たちに、アルベールは何とも言えない顔をした。戦場で鬼神のように大暴れしていた姿からは想像できない、どこにでもいる普通の男のような表情だった。

 

「まあ、いい。確かにいつまでも裸にしておくわけにはいかないな」

 

 そう言って、アルベールはもう一度私を見た。そして、顔を赤らめてすぐに目を逸らす。

 ……何それ! やめなさいよそういうエロい仕草をするのは! こんな時なのにムラムラするじゃないの!

 ヤバイヤバイ、まだ命の危機は去ってないのに、なんだかびっくりするくらい興奮してきた……。そういやあの腐れミヒャエラが『死にそうなくらいボロボロになった状態で男を犯すときが一番気持ちが良い』とかほざいてたけど、それってこういう事なの!?

 

「もともと着てた服は……ドロドロだな」

 

 そんな私の様子に気付かず、アルベールは私からはぎ取った戦利品が納められた籠の中を覗いて呟いた。甲冑を取られた段階で随分と兵士たちにいじめられたから、服の方はそりゃあもうひどい有様よ。ただでさえ、汗でベチャベチャだったわけだし。

 

「予備の服は……あるわけないか。しばらくこれで我慢してくれ。いや、先に水浴びか?」

 

 そう言ってアルベールは、自分のシャツを脱いで私に寄越した。肌着だけになった彼の上半身と、渡された肌着から立ち上るかぐわしい男の汗の香りが私の情欲をさらに刺激した。

 誘ってるのか、この男は!!!! 押し倒してやろうか!!!! そう思った瞬間、近くに居た兵士が叫んだ。

 

「アーッ! いけません代官様! 紳士がこんな場所で肌を晒されては!! おい、お前も何興奮してるんだクソガキィ! 代官様に指一本触れてみろ、晒し首じゃ済まさんぞ!!」

 

「ごめんなさいぃ!!」

 

 生殺し!!

 



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第57話 メスガキ騎士と篭絡

 その後、私は水浴びを許可されて身を清めることが出来た。服に関しては、残念ながら従士がどこからか持ってきただぼだぼの平服を着ることになってしまった。正直、普通に残念なんだけど……。

 いや、いや。いつ死ぬかもわからない状況でなんでムラムラしてるのよ、私は。我ながらちょっとおかしいでしょ。そう思いながら、自分の頬をぺちぺちと叩く。

 

「食事はとっているのか?」

 

 こちらの気分も知らず、アルベールは穏やかな口調で聞いてくる。本当になんなんだろう、コイツ。戦場でわけのわからない奇声を発しつつ暴れまくってた人間と同一人物とは思えないわ。

 

「……それより、母様は。母様はどうなったの?」

 

 一番気になってるのはそこなのよ。一騎討ちの妨害なんかした以上、もう私の騎士としてのキャリアは終わったようなもの。ただでさえ、敵前逃亡の前科があるわけだし。誉を投げ捨てたものとして、貴族社会の爪弾きものになってしまうでしょうね。もう終わりよ、終わり。

 それでも、後悔はない。……いや、正直後悔はしてる。でも、でもでも、母様が殺されるより余程マシ。『騎士らしい、勇ましい最期でした』なんて胸を張っていう事なんて、とてもできないわ。

 

「生きてるよ。お前と同じように、うちの捕虜になってる。やれ酒だ、飯だと大騒ぎしてるみたいだ。まったく、結構な重傷のはずなんだがよくやるよな」

 

「良かった……!」

 

 自然と、目尻に涙が浮かんだ。歯を食いしばって、袖で拭う。これ以上、この男の前で涙を見せたくないし。

 

「まあ、そういう訳だからお前の献身は無駄にはなっていない。安心しろ」

 

「……うん」

 

 なんだろう。なんだろう、ホント。この男。私を蔑むでもなく、馬鹿にするでもなく、なんでこんな態度をとるんだろう。全く分からない。戦場では、あんなに無慈悲なのに。

 とにかく、母様が無事だとわかって私は安心した。それでも、こいつがミヒャエラの仇であることには変わりはないけど……ぶっちゃけ、あいつのことを滅茶苦茶嫌っていたせいか、そこまで恨みは持てなかった。我ながら、薄情ね。

 

「で、食事は? 食ってないのか」

 

「……食べてない」

 

「食欲は?」

 

「……」

 

 どう答えるのが正解なんだろう、これ。「減ってない!」って答えたいところなんだけど、コイツにはおしっこを漏らしてる所を二回も見られてるのよね……。うわ、思い出しただけで恥ずかしすぎて死にそう……。今さら意地を張っても無駄よね、完全に。

 

「お腹……減ってる。食べたい」

 

「よし。あんまり上等なものは出せないが、腹いっぱいになるまで食わせてやろう」

 

 そう言ってアルベールはニッコリ笑った。

 

「はふはふ、んぐ、むぐ」

 

 それから、三十分後。私は宿営地の片隅にある天幕で麦粥をかき込んでいた。乾燥野菜のスープに堅パンを入れて煮込んだだけの簡単な代物だけど、なにしろ空腹だからすごくおいしい。

 

「ところでアニキぃ、なんスかこの牛女?」

 

 給仕服姿のリス獣人が、いぶかしげな様子で私を見てくる。このリス獣人が私に麦粥を持ってきてくれたわけだけど、配膳が終わってもそのまま下がるどころかアルベールの隣の席に座って馴れ馴れしくぺちゃくちゃお喋りを始めたものだから、私は面食らってしまった。

 

「足枷つけてるってことは、ホリョっスか?」

 

 当然だけど、私の足にはまだ足枷が嵌まっている。両足のリングが短い鎖で連結されている構造のもので、ゆっくり歩く分には問題ないけど走るのはちょっとムリ。正直、かなり鬱陶しい。

 

「ほら、あの……ディーゼル伯爵の三女の」

 

「ああ、いきなり喧嘩売ってきた軍使っスか! アニキ、一体なんでそんなのを!?」

 

「いきなり喧嘩を売ってきたのはお前の姉貴も一緒じゃないか? いや、あれはお前らの雇い主のせいだが」

 

 アルベールは何か言っていたが、私はそれどころじゃない。ほんの数日前の出来事だけど、もう思い出したくもない。あれだけの大言壮語を吐いておいて、この現状は何?

 

「ぴえ……」

 

 また涙と鼻水が出てきた。まだ半分以上残った麦粥の腕をぎゅっと両手で包んで我慢する。そんな私を見て、アルベールは苦笑した。

 

「まあ、そういじめてやるなよ」

 

「いや、アニキがいいってんなら自分が文句を言う筋合いはないっスけどね?」

 

 そう言ってから、リス獣人はぽんと両手を叩いた・

 

「ああ、そういえば聞いたッスよ! 敵前逃亡した挙句親の一騎討ちを邪魔したアホが居るって! そんなんじゃ身代金も出してくれないでしょうし、処刑前にちょっとはいい思いをさせてやろうって優しさっスね!」

 

「ぴゃあああっ!?」

 

 えっ、何、そういう事!? よく考えたら、絶対本家は身代金なんか出してくれないわ! いや、出してくれたところで、どのツラ下げて戻るんだって話だけど……。でも、たしかに身代金を払えないってことは、私ってば処刑されるほかないじゃない!!

 

「処刑なんぞせん。だからいじめるのはやめろと言っているだろうに」

 

「あだっ!」

 

 アルベールのチョップがリス獣人の頭に直撃した。といっても、その手つきはひどく優しいもの。リス獣人も口では痛いなんて言っていているけど、顔が笑顔なものだから説得力は皆無だった。

 

「貴重なロリきょ……じゃない、将来有望な騎士を殺すなんてもったいないことはせんよ。身代金が出ないというのなら逆に都合がいい。うちで働いて、稼いだぶんを自身の身代金に充てればいい。それでお前は自由の身だ」

 

「……え、いいの」

 

「ああ。お前が突っ込んで来てくれたおかげで、僕もお前の母親を殺めずに済んだ。まだ、関係改善の余地はあるだろう。どうだ?」

 

「……ありがとう」

 

 ……こいつ、本当になんでこんなに私に優しいの? 正直、嫌われたり軽蔑されたりしそうなことしかしてないような気がするんだけど、私。

 まさか、まさかだけど。実はコイツ、私に惚れてたりする? いわゆる、一目ぼれというヤツ。それ以外に、私に優しくする理由なんて思いつかないんだけど。いや、流石に無いわよね? 流石にね? ……でも、もしそうだったらちょっと嬉しいかも。



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第58話 盗撮魔副官と寝返り工作

「あれは堕ちたな。想定通りだ」

 

 アル様たちの様子を遠くから眺めつつ、わたし、ソニア・スオラハティは呟いた。視線の先には、まんざらでもなさそうな表情を浮かべるチビ牛騎士の姿がある。

 わたしは今、指揮官用天幕で報告書を読むフリをしつつアル様とチビ牛騎士の観察をしていた。一応ヤツも捕虜なので、いきなり暴れだす可能性も考えられた。いつでもアル様をお守りできるよう、剣の準備はできている。

 

「まあ、あのくらいの年齢だからね。アル様みたいなイイ感じのお兄さんに優しくされたら、あっという間にコロリでしょ。戦場とのギャップもあるから、特にね」

 

 同僚の騎士、ロジーヌが香草茶の入ったカップを片手に応えた。昨日の戦闘の疲れが残っているのか、その表情はひどく眠そうだ。

 

「でもさあ、あんなチビ助を味方にして、なんかいいことあるの?」

 

 お優しいアル様のことだ。捕虜を手ひどく扱うことはまずありえない。そしてチビ牛騎士はチビ牛騎士で、こちらに憎悪を抱いている様子もあまりなかった。ならば、二人を会せれば自然と懐柔ができるのではないかとわたしは考えたのだ。

 そのための策も、事前に打っていた。兵たちに金を渡し、捕虜虐待を控えめ(・・・)にしてやることで、こちらへの憎悪を過剰に煽らずにアル様に助けられた経験をさせる。あとは勝手に向こうがアル様に惚れるという寸法だ。

 雑なやり方だが、まあ別に失敗しても大したリスクがあるわけでもない。成功した場合のメリットは大きいから、やらない理由はないだろう。個人的にあのメスガキは嫌いだが、それがアル様の利益になるのならば多少の不愉快は飲み込める。

 

「ディーゼル家の内情に詳しい人物が手元に居るというのは、大きなメリットだ。アル様がリースベンで働く限り、奴らとの付き合いは続く。そうでなければ困る。せっかく苦労してここまで叩いたんだからな」

 

「確かにね。こっちはダニエラまで失ってるわけだし」

 

 戦争は外交の延長である、というのがアル様の教えだ。ここまで被害を与えたのだから、ディーゼル家の人間がアル様や我々を舐めることは金輪際あるまい。今後の外交は随分とやりやすくなるはずだ。

 これでディーゼル家が倒れて別の家の人間が隣国の領主になったりしたら、また外交関係の構築がやり直しになってしまう。それは非常に困る。アル様が男というだけで舐めてくる(やから)はいくらでも居るからな。立場を弁えさせるために、また一戦しなくてはならないかもしれない。

 

「そうだ。この戦いが無駄だったなんてことになれば、奴に申し訳が立たない」

 

 ロクデナシではあったが、それでもダニエラは我々の仲間だ。その死を無駄にするような真似はできない。

 

「まあでも、よく我慢できるよね。恋敵が増えるんじゃないの、アンタにとってのさ」

 

 重くなった空気を振り払うようにして、ロジーヌはニヤリと笑った。は? 恋敵……?

 

「何を言っているんだ、お前は。あのチビがアル様に好意を抱いたところで、何の問題がある?」

 

 わたしが欲しているのは、この戦争の間だけ利用できる即効性のある情報ではない。あくまで、ディーゼル家と継続した外交関係を結ぶ際に必要になる、長期的な情報源だ。だからこそ、こんな迂遠な策を取っている。恐怖で縛るより好意で縛った方が、離反される恐れが少ないからだ。

 

「あんなチビで雑魚で馬鹿で頭の中に性欲しか詰まってないようなガキがいくらアル様に懸想したところで、わたしにとってはなんの脅威にもならん」

 

 なにしろわたしはアル様の幼馴染で、無二の友人で、最高の副官で、最強の護衛でもある。とてもではないが、あんなクソガキ程度では対等の敵手にはならない。

 ヤツが発情してアル様に襲い掛かるリスクはあるが、それに関しては注意さえしていればどうということはない。体格も未熟なら、技術も未熟な三下騎士だからな。わたしであれば一秒未満で制圧できる。

 

「頭の中に性欲しか詰まってないのはアンタも似たようなもんでしょ」

 

「違う、私の頭に詰まっているのはアル様への尊敬と親愛の情だ」

 

「最後にアル様の写真を撮ったのはいつ?」

 

「今日の未明。悪夢に歪むアル様の寝顔も美しかった。お労しかったから、こっそり添い寝もしてあげた」

 

 いや、添い寝と言っても別に夜這いという訳ではない。断じて戦闘続きでムラムラ来ていたからではないし、バカな妹分が死んだせいで妙に寒々しい気分になっていたせいでもない。あくまで、悪夢を見られていた様子のアル様をお慰めするためだ。抱きしめて頭を撫でて差し上げたら、寝顔も穏やかになっていた。だからわたしは間違ったことはしていない。

 

「早朝からわざわざ人払いしてたのはそういう理由か……」

 

 呆れた表情のロジーヌだが、添い寝はしても手は出していないのだからいいではないか。本人にバレるといけないので、起床される前に撤退したし。こっそりキスくらいはしたが。

 うん、しかしアレはよかった。しばらくオカズには困らないな。いや、自室に帰ればすでに一生かかっても使いきれないくらいのオカズはあるのだが。まあ、多くて困るものではない。

 ああ、しかし……この頃まともに自分で発散する時間すらないのは不愉快だな。本当に。あの牛共、さっさと降伏すればいいものを。

 

「アンタさあ……ホントさあ……そのうちバレてひどい目にあわされるよ。百キロの荷物背負わされて百キロランニングとか」

 

「アル様の命令というのなら、その程度のことは喜んでこなそう」

 

「馬鹿につける薬はないなあ……」

 

 幼馴染になんてひどいことを言うのだろうか、この女は。友人でなければ、泣くまで叩きのめしていたところだぞ。



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第59話 くっころ男騎士と猛牛伯爵

 それから三日がたった。伯爵軍は予想通り、降伏を受け入れなかった。ディーゼル伯爵の身柄を交渉カードにしたのだが、返ってきたのは『伯爵様は名誉の戦死を遂げられた』という無情なこたえである。

 予想通り、戦争はまだ続きそうだ。これ以上戦い続けるのは損だということはもちろん向こうもわかっているはずだが、メンツという物もある。まったく、難儀なものだ。

 とはいえこちらもこれ以上攻勢を続けるだけの余力はない。二日にわたる激戦によって、弾薬を随分と消耗していた。アデライド宰相の増援が到着するまでは、防備を固めて持久体制を取るほかない。

 

「そうかそうか! あたしは戦死したのか!」

 

 酒杯を片手に、当のディーゼル伯爵はげらげらと笑った。全身包帯グルグル巻き、眼帯(ピストルの弾丸の破片が眼球に刺さったらしい)、隻腕というまさに満身創痍の状態だが、その顔色はすこぶる良い。

 とりあえずそれなりに状況が落ち着いてきたため、僕は伯爵軍との交渉の結果を捕虜のディーゼル伯爵に伝えに来ていた。なにしろ、わが軍も敵軍も戦闘後の再編成や戦死者の処理などが忙しくて戦うどころではない。ここ数日、戦場に響き渡っているのは鬨の声や銃声ではなく鎮魂の鐘と従軍司祭の祈りの声だけだった。

 

「うちの連中はバカじゃないからな。ああ、たしかにこの期に及んではあたしは死んでいた方が都合がいい。うん、うん、あたしが幕僚どもの立場でも、同じ判断をするだろうな」

 

 そう言ってディーゼリ伯爵は酒杯に満たされていたウィスキーを一気に飲み干し、おかわり! とからっぽになった酒杯を差し出してきた。僕も伯爵も酒飲みだ。最初は真面目な話し合いだったのだが、気付いたらこんなことになっていた。いろいろと緩いこの世界ではよくあることだ。

 でもそれ、そうやって飲む酒じゃないんだよ。僕の秘蔵の高級ウィスキーだぞ。そうやって飲むならウォッカか焼酎にしていただきたい。いや、この世界で焼酎を見たことは一回もないけど。

 

「……どうぞ」

 

 僕はこんなこともあろうかと用意していたやっすいワインをビンのまま渡した。

 

「ワインなんてもんは酒じゃねえ、単なるブドウ水だ!」

 

 そう言いつつも、ディーゼル伯爵はビンを受け取り一瞬で飲み干した。豪快だなあ……。僕もこんなふうに飲みたいときはよくあるが、生真面目な男騎士のイメージを保つために我慢している。『キエエエエッ!』なんて叫びつつ敵に襲い掛かってる時点でそんなイメージ吹き飛んでしまっているかもしれないが。

 

「で、指揮を引き継いだのは誰だ?」

 

「ルネ・フォン・ディーゼルという人物が臨時の伯爵名代として指揮官になったとか」

 

「あたしの妹だな」

 

 唸りながら、ディーゼル伯爵は酒杯をくいくいと突き出してくる。あんた捕虜なんだけど……。仕方ないので、ウィスキーを注いでやる。伯爵はストレート派のようで、テーブルに置かれた水差しには手も触れない。

 

「自分から喧嘩を売っておいて、ボロ負けして、一騎討ちに負けて、華々しく戦死もできずに捕虜になるときた。もうあたしの権威はボロボロだ。生き恥を晒すくらいなら、とっとと死んでくれというのが部下共の総意だろうなあ」

 

「そうですね」

 

 事実なので、否定しない。澄ました顔で、自分のぶんのウィスキーを舐めるように飲んだ。強烈な煙の臭いが心地いい。この世界で飲んだウィスキーの中でも、三指に入るほど好みの銘柄を今日は持参していた。

 

「こういう時こそあたしは言うべきなのかもな。くっ、殺せって……」

 

「ゴフッ! ゲホッ! いったぁ!!」

 

 思わず吹き出して、鼻にウィスキーが入り込んだ僕は涙目になってもだえ苦しんだ。そんな僕の様子を見て、ディーゼル伯爵は涙が出るほど爆笑している。こ、こいつ……!

 

「いや、言わねーよ? くっころは男騎士の専売特許だ、それを横取りしちゃ悪いだろう」

 

「嫌な専売特許もあったもんだなあ」

 

 僕はどっちかというとくっ、殺せ! じゃなくてくっ、殺す! のほうが好みなんだけど。

 

「まあ、冗談はさておきだ。こちらの軍があたしのことを完全に無視する作戦に出た以上、あたしにゃそれほどの価値はないと思うが。どうするつもりだ? できれば、殺すのは勘弁してもらいたいが」

 

「殺しはしませんよ」

 

 いろんな意味で立場のヤバいカリーナと違って、ディーゼル伯爵の方は十分利用価値があるしな。前者を殺さない以上、後者を殺すこともあり得ない。

 

「じゃあ、こういうのはどうだ。男騎士殿の夜の手管であたしをメロメロにして、そのまま解放する。これで伯爵家はあんたの傀儡ってわけだ」

 

 色っぽい流し目で僕を見ながら、伯爵はそんなことを言う。今までの豪放磊落な態度からは考えられないほどの艶やかな仕草だった。目の前で揺れるクソデカおっぱいに目がいきそうになったが(何しろ僕も随分溜まっている)、なんとか我慢する。なにしろ相手は人妻だからな。性癖的に不倫とかNTRはNGだ。

 

「童貞にそんな手管求めないでもらえます?」

 

「童貞! 童貞か! そりゃあいい! ハハハハ! 負けたのが殊更悔しくなってきたな、勝ってりゃあたしも味見をしてたところなんだが!」

 

「ご夫君に申し訳ないですよ、そりゃ」

 

「そりゃあそうだ、シバかれるじゃ済まんわな! おお、怖い怖い。ガハハハッ!」

 

 酔ってるなあ。というかあんな大けがしてるのに、こんなに酒飲んで大丈夫なのか? 只人(ヒューム)なら普通に致命傷レベルなんだけど。

 亜人、特に一部の獣人や竜人(ドラゴニュート)の生命力は尋常じゃないからな。正直かなり羨ましい。この鬼耐久があれば、前世の僕も死ななくて済んだかもしれない。いや流石に無理か。普通に体の半分ミンチになってたし。

 

「しかし、童貞か。うーん、一生の頼みがあるんだが、そいつをカリーナにくれてやってもらえないか? あいつも捕虜になってんだろ」

 

「嫌です」

 

 嫌じゃないです。でも駄目なんだよな。女の娼館通いは許されるのに、男は妻以外と性交するのはふしだらだと強く戒められるのがこの世界の貞操観念だ。陣中なんていうどこへ行っても人の目がある場所でセックスしてたらバレないはずがない。

 相手が誰であれヤッてしまったらもう手遅れだ。僕には淫乱という評判が付きまとい、一部のスキモノにしか相手をされなくなってしまう。そうなればもはや結婚の目はない。貴族としては、それは絶対に避けなければならない未来だ。

 

「そりゃあそうだろうがなあ。あいつもあんなことをして、しかもあたしもこんなことになった。もはやあたしが庇ってやることはできないから、あいつの貴族としての将来は閉ざされたも同然だ。たとえこの後、わが軍がミラクルめいた逆転をしてもな」

 

「でしょうね」

 

 敵前逃亡だけでも不味いどころじゃないのに、一騎討ちの妨害までやってるからな。もう手の施しようがない。良くて勘当、普通に考えれば死罪。そういう感じだろう。

 そんな有様だから、こっちで引き取ること方向で話を進めているわけだが。母親の危機を前に、自分の命やキャリアを投げ捨ててでも助けに行けるというのはなかなかのガッツだ。騎士には向いていないかもしれないが、兵士には向いている。有能な人材は出来るだけ手元に集めておきたい。しかもあの娘の場合、目の保養にもなるし。

 

「とはいっても、あたしもあの子は可愛い。なにしろ、捨て身になってもあたしを助けに来てくれたわけだからな。貴族家の当主としては厳しい態度を取らざるを得ないが、母親としては感動してるんだよ。なんとか幸せにしてやりたい」

 

「気分は分かりますよ」

 

「で、だ。あんただよ。これまでの戦いで、あんたがとんでもない天才だということはわかった。そして、この虜囚生活であんたの性格が良い……いや、皮肉じゃないぞ、そのままの意味だ」

 

 少し笑って、ディーゼル伯爵は酒杯に口をつける。

 

「とにかく、非道なやつでないことも分かった。もはやカリーナは貴族として婿を迎えることができる立場じゃないから、嫁に出すしかない。この戦争があたしらの勝ちになるにしろ負けになるにしろ、あんたにはカリーナを貰って欲しいんだが」

 

 将としての矜持か、ディーゼル伯爵は負けるとは明言しなかった。まあ、こちらが極めて優勢なのは確かだが、まだ勝負は決まっていない。

 というか、個人的にはかなり不安なんだよな。経験上、勝利を確信すると逆にマズイ。前世の僕が戦死した戦いも『勝ったな、風呂入ってくる』みたいな状況から一瞬で最悪の事態に転がっていったんだ。ましてここはファンタジー世界。敵軍から突然とんでもない切り札(ジョーカー)が飛び出してくる可能性もある。

 

「僕はそっちの人間を随分と殺したはずなんですがね、恨みとかないんですか?」

 

「そりゃあ、あたしの大切な兵士や家族を殺めたんだ。何も思っていないわけじゃない。でも、そりゃあこっちも同じことだ。あたしが今まで何人の敵兵や敵将をひき肉にしてきたと思う? 今さら被害者ヅラはできん。特に今回はこちらから仕掛けた戦争でもあるわけだし」

 

「それは、そう。うん…」

 

 敵を殺した数と味方を殺された数の比率なら、僕も大概殺した方に偏っている。何をされようが被害者ヅラをできないのは僕も同じことだ。もちろん、必要な報復はするが。

 

「で、どうなんだ。貰ってくれるか、あたしの娘を」

 

「貰えるもんなら貰いたいですけどね。男騎士なんてやってると、結婚相手を見つけるのも難儀しますし。でも、只人(ヒューム)の貴族である以上、妻も只人(ヒューム)じゃなきゃ駄目なんですよ」

 

「じゃあうちの裏族(りぞく)の女も――」

 

「話がそれてますよ、アル様」

 

 それまで黙って僕の後ろに控えていたソニアが、突然口を出した、彼女は不愉快そうな表情で、僕の隣へ座る。

 

「伯爵殿には、聞かなくてはならないことがいくらでもあります。この戦争の経緯とかね。無駄話をしている暇はありませんよ」

 

 なるほど、それはその通りだ。オレアン公がなんらかの情報をディーゼル伯爵にリークしたのがこの戦争の始まりだったはず。どういう情報がどういう経路をたどってディーゼル伯爵の元にやって来たのか、よーく調べておく必要があった。

 



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第60話 くっころ男騎士と悪い予感

 それからしばらくの間、伯爵軍とにらみ合うだけの日々が続いた。時おり小部隊が威力偵察を仕掛けてくるものの、その他に大きな動きはない。

 

「指揮官が変わった影響ですかねえ。敵軍からやる気を感じませんよ」

 

 指揮壕で、騎士の一人がぼやく。退屈さを隠しもしない表情だ。この頃じっと敵の出方を見続けているだけで一日が終わる生活をしているのだから、そりゃあ退屈だろうな。

 

「進めば苛烈な迎撃を浴びて地獄、退けば男に一勝もできなかった軟弱者とそしられて地獄。進も退くもできないなら、その場で足踏みし続けるしかない。そういうことだろう」

 

 僕が口を出す前に説明したのはソニアだ。僕もおおむね彼女と同意見で、伯爵軍は今後の方針を決めかねているように見える。動きに一貫性がないのだ。

 

「中央からの増援が到着すれば、こちらから積極的に攻勢が仕掛けられる。それまでの我慢だ」

 

「うーらー」

 

 何とも言えない表情で、騎士は頷いた。

 

「で、いつ頃来るんですか、その増援は」

 

「あと二週間くらい」

 

「……そっすか」

 

 嫌そうな顔をする騎士だが、そりゃしゃあないだろう。王都からこのリースベンまで、どれほど離れていると思っているんだ。

 中央に帰ったアデライド宰相とは、翼竜(ワイバーン)を使って定期的に手紙のやり取りをしている。そのため、中央の情報はある程度こちらにも入ってきていた。

 実のところ、本来ならばもっと早く増援が来る予定だった。なにしろオレアン公は僕たちが壊滅したタイミングで増援を差し向け、リースベン救援を自分の手柄にするつもりだったようだからな。リースベンにほど近い場所に領地をもつ自分の派閥の領主に、即応兵を用意させていた。

 

「頼りにならない味方なら、すぐ来られるみたいだけどな」

 

「えっ?」

 

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 

 オレアン公の息がかかった増援なんか、呼べるはずもない。どう考えてもシャレにならないような嫌がらせを仕掛けてきそうだし、オレアン公に僕の手の内を見せる気にもならないからな。敵だとはっきりわかる敵より、味方ヅラした敵の方がよほど厄介だ。

 そのあたりはアデライド宰相も心得ているので、その領主の派兵を全力で妨害してくれていた。僕が待っているのは、宰相派閥の将軍が指揮する王軍だ。そっちなら、ある程度安心して背中を預けることが出来る。

 

「……ちょっと傭兵共の様子を見てきますわ。あいつら最近たるんでるみたいだし、一発気合をいれてやります」

 

「ン、頼んだ」

 

 きな臭さを嗅ぎ取ったらしい騎士が、表情を真剣なものにして指揮壕から出ていった。状況はこちら優勢だが、油断は絶対に出来ない。オレアン公の陰謀はまだ終わっていないだろうし、伯爵軍に関しても予想不能な一手を打ってくる可能性がある。追い詰められた軍隊はとても怖い。

 

「……そう言えば、ディーゼル伯爵の調書を読みました。やはり、情報漏洩をしていたのは前代官のようですね」

 

 ソニアがするりと寄ってきて、耳元で囁いた。ややハスキーな声が耳に心地よい。

 

「みたいだな」

 

 ミスリル鉱脈の試掘のため、前代官エルネスティーヌ氏は採掘用の資材を集めていた。そして彼女は、意図的にそれをディーゼル伯爵家のスパイへリークしたようだ。

 リースベン領で何かしらの鉱物資源が発見されたことを知ったディーゼル伯爵は、鉱山の存在が公表されて守備兵が増える前にこれを奪取すべく、出兵を決意。そういう流れで戦争が始まったらしい。

 

「僕への妨害の件といい、情報漏洩の件といい、エルネスティーヌ氏ばかりが働いている。陰謀が失敗したときに、彼女にすべての罪を被せるためだろうな」

 

「エルネスティーヌを神聖帝国のスパイだったということにでもしておけば、オレアン公本人が問われる責任は最小限に抑えられるでしょうからね」

 

 いわゆるトカゲの尻尾切りというやつだな(ガレアではトカゲはセンシティブワードなのでこの例えは使えないが)。それでも任命責任があるだろと僕は思うのだが、相手は海千山千の大貴族だ。責任逃れの腕前なら世界トップクラスである。そう簡単には失脚してくれない。

 

「しかし、政治屋の権力闘争となると、末端の僕たちでは手出しができない。歯がゆいが、アデライド宰相に丸投げするしかないな」

 

 当然だが、ディーゼル伯爵やその他の捕虜から聞き出した有用な情報はすべてアデライド宰相へ送っている。それを使ってなんとかこちらへ降りかかりそうな火の粉を払ってもらいたい。

 

「アル様、翼竜(ワイバーン)騎兵から報告です!」

 

 そこへ、通信筒を持った騎士が走り込んできた。ひどく慌てた様子だ。僕はソニアに頷いてみせてから、騎士から受け取った紙へ目に通す。そこには、無視できない情報が書かれていた。

 

「敵領内に新たな部隊を確認。数、二個中隊。伯爵軍への増援と思われる……」

 

「増援ですか。やはり、敵もただ無為に時間を浪費していたわけではないようですね」

 

 厳しい目つきで、ソニアが呟いた。

 

「二個中隊。対処できない数ではない、が……」

 

 普通に考えれば、この程度の増援ならまったく怖くない。伯爵軍の受けた被害は甚大で、二個中隊程度が増えたところで戦力は開戦前のレベルまで回復しないからだ。弾薬はかなり消耗しているが、あと一回程度の防御戦闘ならこなせる。先日と同じように、弾幕を浴びせかけて撃退してやればよい。

 しかし、妙な胸騒ぎがした。なにか不味い事が起きる、そんな予感だ。この手の感覚は、おおむね的中するんだよな。

 

「ヴァレリー隊長を呼んできてくれ。防御計画の再確認をする」

 



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第61話 貧乏くじ伯爵名代と怪しい傭兵

 ひどい貧乏くじだ。わたし、ルネ・フォン・ディーゼルは心の中でぼやいた。リースベン軍の攻撃により、ディーゼル伯爵軍では半数近い兵員が死傷した。残った兵士たちも、もはや士気も規律も吹き飛んでしまっている。脱走、喧嘩、窃盗……そんな報告が、ひっきりなしに上がってくる始末だ。こうなればもう、戦闘集団としてはおしまいだ。

 

「……」

 

 おしまい、そうなにもかにもおしまいだ。こんな有様でリースベン軍に勝てるはずもないし、何もかにも諦めて領地に帰ったりすれば誰が敗戦の責任を取るのかで大揉めするだろう。そうこうしているうちに、周辺の領主がなにかに理由をつけて我らがズューデンベルグ領へ侵攻してくる。

 神聖帝国などといってまとまっているように見えても、実態は独立領主の寄り合い所帯だ。隙を見せれば、当然のように侵略の矛先を向けてくる。それが何より恐ろしい。

 

「伯爵名代様、ヒルダの中隊でまた脱走が……」

 

「またか」

 

 頭を抱えそうになった。戦わないまま、どんどんと戦力が低下していく。このままでは、近いうちに軍としての体裁すらとれなくなりそうだ。

 なにが伯爵名代だ。わたしは姉のロスヴィータを補佐するのが仕事だったはずだ。一家をまとめていくだけの器量などない。おそらく生きているであろう姉には早く戻ってきてほしいが、軍の規律崩壊を防ぐには戦死したということにするほかなかった。

 

「くっ……」

 

 歯を食いしばる。わたしも兵たちと同じように、いっそ逃げ出してしまいたい。しかしそういう訳にもいかない。領地にかえれば夫も子供もいる。ディーゼル伯爵家が奪うものから奪われるものに転落すれば、わたしの家族はどうなってしまうのだろうか? それを思うと、どんな最悪な状況であれあがき続けるほかない。

 

「名代様」

 

「なんだ。脱走か? 喧嘩か? それでも反乱でも起きたか?」

 

 半ばヤケになりつつ、兵に笑いかける。わたしもいい加減ギリギリだった。

 

「いえ。クロウン傭兵団が到着したとのことです。代表者が挨拶に参っております」

 

「ああ……そんなのも呼んでいたな……」

 

 当初の計画では、リースベン領の制圧後国境地帯の山道でガレア王国軍を迎え撃つ予定だった。その際の戦力の補強として、傭兵団を使うことになっていたのだ。それが逆に我々が山道で迎え撃たれ、壊滅的な被害を被っているのだから皮肉というほかない。

 募集をかけていた傭兵部隊は、二個中隊。正直に言えば、今の状況でその程度の増援を得たところで焼け石に水以外の何物でもない。とはいえ、貴重な戦力には変わりがないか。攻めるにしろ退くにしろ、少しでも戦力が多いに越したことはないからな。

 

「いいだろう。通せ」

 

「はっ!」

 

 兵が頷き、指揮用天幕から出ていく。しばらくしてその兵が連れてきたのは、二人の傭兵だった。片方は我が姉にも負けないような偉丈夫で、漆黒の鎧をまとってる。兜の面頬を降ろしたままなので、顔は見えない。いったい何の獣人だろうか? いや、もしかしたらそれ以外の種族かもしれない。

 雇い主の前で顔を隠すというのは不遜極まりない行為だが、わたしはそれどころではなかった。問題はこの黒騎士ではなく、その隣にいるヤツだ。魔術師と思わしきローブ姿のその只人(ヒューム)は、なんと男だった。線の細い、見惚れてしまいそうなほど容姿の整った美少年である。

 

「このようなナリでの挨拶、申し訳ない。かつての戦傷で、とても人に見せられないような顔になっていてな。我はクロウン。傭兵隊長のクロウンだ」

 

 面頬をあげないまま挨拶をするクロウン。まったく、怪しいどころの話ではない。大丈夫なのだろうか、こいつは。戦傷云々も本当かどうかわかったものではない。

 とはいえ、状況が状況である。下手なことを言ってへそを曲げられても困る。わたしは不承不承頷いて見せた。

 

「ズューデンベルグ伯名代のルネ・フォン・ディーゼルだ。状況は聞いているな?」

 

 あえて男の存在は無視して、わたしはクロウンに聞く。どうせ、この女の愛人か何かだろう。戦場にそんなものを持ち込むなど、不愉快極まりない。極力視界に入れないよう意識する。

 

「ああ。リースベン軍は随分と難敵のようだな。我々の派遣した先遣隊も壊滅したと聞いている」

 

 クロウン傭兵団は、事前に半個中隊ほどの戦力をわたしたちに貸し出していた。先日の攻勢の際、姉はそれを敵の側面を突くための遊撃部隊として利用した。しかし結果は無残なものだった。帰ってきたのは、僅か十数名である。

 

「敵は塹壕と妙なトゲ付き鉄線で守られた陣地に籠り、大砲と異様に射程の長い小銃を利用して防衛戦を展開している。おそろしく強固な防衛陣だ。突破は極めて難しい……」

 

「先遣隊の生き残りから報告は聞いている。なかなか面白い敵手だとな」

 

 なにが面白いだ。ふざけやがって。こんな状況でなければ、一発殴りつけているところだぞ。

 

「なまじの手段では攻略できない相手なのだろう? よろしい、相手にとって不足はない。お任せあれ、名代殿。貴殿は見ているだけで構わない。我々が見事、あの陣地を突破して見せよう」

 

「……は? ふざけているのか? 伯爵軍の総力を挙げても突破できなかった防衛陣が、僅か二個中隊程度で……」

 

「突破できるとも。なぜなら我々には、彼がいる」

 

 そういって黒騎士は、隣にいる男の肩を叩いた。



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第62話 くっころ男騎士と対空攻撃

 戦線に異変が発生したのは、伯爵軍陣営に傭兵団が到着した当日だった。

 

鷲獅子(グリフォン)二騎出現! わが軍の翼竜(ワイバーン)を追い回しています!」

 

 伝令が血相を変えて指揮壕に飛び込んでくる。僕の心臓は跳ね上がった。鷲獅子(グリフォン)は鷲の上半身と獅子の下半身を持ったキメラの一種で、神聖帝国でもっとも利用されている空中戦力だ。

 ガレア王国の翼竜(ワイバーン)に比べスピードこそ劣っているものの、パワーや低空での格闘能力は際立っている。極めて危険な相手だ。

 

「今さら鷲獅子(グリフォン)? この段階でか……」

 

 騎士の一人が呟く。この戦争が始まって以降、鷲獅子(グリフォン)が確認されたのは今日が初めてだ。こんなものを保有しているのなら、初日の段階で翼竜(ワイバーン)の排除のために投入していなければおかしい。

 

「新手の傭兵団が保有している個体かもしれん」

 

「そりゃ、相当の金満傭兵団ですね」

 

 翼竜(ワイバーン)もそうだが、この手の騎乗用飛行型モンスターの飼育にはかなりのコストがかかる。傭兵団風情がそうそう簡単に保有できるものではないのだが……。

 とはいえ、今はそんなことを考えている余裕はない。敵は二騎、こちらは一騎。放置していればあっという間に翼竜(ワイバーン)は撃墜されてしまうだろう。

 

「何にせよ、こちらの翼竜(ワイバーン)が墜とされる前に対処しなくては。青色信号弾を撃て!」

 

 一応、こういう時のための作戦は周知してある。僕は命令を出しつつ、傍らにおいていた騎兵銃を引っ掴んだ。

 

「第二種待機中の騎士は予備指揮壕に集合! 急げ!」

 

 そう言ってから。僕も予備指揮壕へ急いだ。騎士たちも、あちこちの塹壕から集まってくる。

 予備指揮壕は、土塁に囲まれたそれなりに広い壕だ。メインの指揮壕が使われている今は天幕ひとつ立っておらずガランとした印象を受ける。そのド真ん中で、僕は騎士たちに方陣を組ませた。

 

「対空戦闘用意!」

 

 叫びつつ、腰のポーチから金属製の小さな物差しのようなものを二つ取り出す。それらをそれぞれ、騎兵銃の照門(リヤサイト)と照星《フロントサイト》へ取り付けた。同様の作業を、周囲の騎士たちも行っている。

 

「対空射撃は実戦じゃ初めてですね。うまく行きますか?」

 

「お前たちならやれるさ」

 

 これらのパーツは、対空射撃用の照準器だ。歩兵銃を用いた対空射撃は、前世の世界における第二次世界大戦やベトナム戦争でさかんに行われていた記録がある。それによって撃墜された航空機も一機や二機ではない。

 といっても、僕たちが使っているのは単発式の先ごめ銃だ。連射能力など皆無に等しいこの手の銃で対空射撃をしたところでどれだけの効果があるのかは不安だが、ほかに対空攻撃の手段などないので仕方がない。剣と魔法の世界と言っても、自動追尾式のマジックミサイルみたいな便利な魔法は存在してないからな。

 

「来ました!」

 

 見張りが叫ぶ。北の空に、鷲獅子(グリフォン)二騎に追い回される翼竜(ワイバーン)の姿が見えた。さすがに一対二は辛いのだろう、まさにほうほうの体という表現が似合いそうな逃げっぷりだ。これは早めに対処しないと不味いかもしれない。

 対空照準器を取り付け終わると、ニップルへ雷管を被せる。ハーフコック状態だった撃鉄(ハンマー)を最大まで上げ、射撃準備完了。周りの騎士たちも全員準備が終わったことを確認してから、僕は叫んだ。

 

「もう一度青色信号弾!」

 

 打ち上げ花火発射機めいた軽臼砲から発射された信号弾が、空中で青い光を発する。それを見た翼竜(ワイバーン)が猛烈な勢いで加速し、こちらへ向けて急降下してきた。鷲獅子(グリフォン)が現れた場合、銃で対処することは事前に翼竜(ワイバーン)騎兵にも伝えている。今の信号弾は対空射撃準備が整った事を知らせるためのものだ。

 

「引き付けるぞ、早まるなよ!」

 

 遠距離で撃ったところで絶対に当たりはしない。僕は部下たちに注意しつつ、翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)の動きを注視していた。逃げる翼竜(ワイバーン)を追い、競うように二騎のグリフォンが後方に食らいつく。

 あっというまに、彼我の距離は羽音がはっきり聞こえる距離まで近づいた。対空照準器を通してその様子をながめつつ、僕は小さく息を吐く。まだだ、まだ早い。

 

「……狙いは先頭の鷲獅子(グリフォン)だ」

 

「ウーラァ!」

 

 風切り音を残して、翼竜(ワイバーン)が僕たちのすぐ真上を通過した。突風が全身を叩き、照準がぶれる。鬱陶しい! そう思った瞬間、鷲獅子(グリフォン)の巨体が目に入る。

 

「撃て!」

 

 反射的に僕は叫んだ。銃声の多重奏。一頭の鷲獅子(グリフォン)が数発の銃弾を浴び、空中で姿勢を崩す。そのまま立て直せず、轟音をたてつつ地面へ叩きつけられた。

 

「相手は鷲獅子(グリフォン)だ! 銃の一発や二発で死ぬようなタマじゃないぞ! 歩兵隊、とどめを差せ!」

 

 命令を出しつつも、視線は残る一騎へ向けられていた。突然僚騎を失った鷲獅子(グリフォン)とその騎手は動揺し、挙動が乱れる。

 翼竜(ワイバーン)騎兵はその隙を見逃さなかった。翼を折りたたみ、空中で急ターン。鷲獅子(グリフォン)とすれ違いざまに、手に持っていた細長い槍を鷲獅子(グリフォン)の鼻先へ突き刺した。

 悲鳴じみた咆哮が、戦場に響き渡る。さすがの鷲獅子(グリフォン)もこれはたまったものではない。もんどりうちながら地面へ墜落する。すぐさま歩兵たちが殺到し、苦しむ鷲獅子(グリフォン)にとどめを刺した。

 

「騎手が生きているようなら回収しろ! 所属をはっきりさせたい」

 

 そう命令する僕の頭上から、パラシュートのついた通信筒がひらひらと舞い降りてきた。翼竜(ワイバーン)騎兵が投げてよこしてきたものだ。急いで回収し、中から手紙を引っ張りぬく。

 

「敵陣に攻勢開始の兆候あり? やっぱりか!」

 

 翼竜(ワイバーン)を狙ってきたのは、攻勢に先立ってこちらの目を潰すためだったわけだ。翼竜(ワイバーン)による偵察はこちらが優勢を取れた大きな要因の一つだからな。

 今回は何とか手早く敵航空戦力を始末できたが、また鷲獅子(グリフォン)が出現したらしっかりと対応できるだろうか? 戦闘中に対空射撃陣形を取るのは簡単ではないが……。心配だが、考えていても仕方がない。その場に応じてベストな判断を下すしかないだろう。

 

「ここは歩兵隊に任せる。騎士隊は総員、持ち場に戻れ!」

 

 しかし、ここにきてまた攻勢か。愚直に突っ込んで来ても無駄なことは、向こうもよく理解しているはず。いったいどう言う手を使ってくるつもりだろうか? 自分も指揮壕に急いで戻りつつ、僕は思案した。



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第63話 くっころ男騎士と戦術級魔法

 指揮壕に戻ってきた僕は、望遠鏡で敵陣を観察していた。ライフルの射程外、望遠鏡で見えるギリギリの距離に全身鎧の重装歩兵たちの姿が見える。掲げる旗には剣と盾の紋章が見えた。伯爵軍とは別口の連中だな。

 

「増援に来たって言う傭兵団か、あれは」

 

ヴァレリー傭兵団(うち)よりだいぶ強そうですね」

 

 近くにいた若い傭兵が呟く。例の新兵、コレットだ。彼女の言うように、敵傭兵団は並みの正規兵よりも上等な装備を身に着けているように見える。ピカピカに磨かれた甲冑が、陽光を反射してギラギラと輝いていた。大半が革鎧すら持っていないヴァレリー傭兵団とは大違いだ。

 

「進軍のラッパや太鼓が聞こえてこないな」

 

 とはいえ、コレットの言葉に素直に頷くのも気が引ける。僕は素知らぬ顔で話を逸らした。

 

「今すぐ突っ込んできそうな陣形に見えるが」

 

 ここから見る限り、敵は突撃陣形を組んでいる。合図があれば、いつでも一気呵成に突っ込んできそうな構えだ。しかし今のところ、傭兵団は一歩もその場から動こうとしない。

 

「新手とはいえ、こっちのやり口は伯爵軍の連中に聞いてるんでしょうね」

 

 騎士の一人が呟いた。現在、第一防衛線は破れた鉄条網などを補修しある程度当初の防衛能力を取り戻している。鉄条網の前に小さめの塹壕を掘ることで、鉄馬車による突破を防げるよう改良も施してある。火薬不足のせいでさすがに地雷の敷設はできなかったが、ただ愚直に突っ込んでくるだけなら対処のしようがあった。

 

「ただにらみ合いをするだけなら何日でも付き合うが……」

 

 しかし、相手は突撃陣形を組んでいる。いったいどういうつもりだろうか? 射撃による援護を受けないまま突撃をしたところで損害ばかり増えるだけだ。

 そこでふと、敵部隊の様子に既視感を覚えた。突撃陣形を組んだまま、敵は待機している。何かを待っているように。そういう状態の兵隊を、僕は見たことがある。現世ではない。前世でだ。

 

「攻撃準備射撃……!」

 

 前世世界の軍事的な常識として、歩兵は砲爆撃で敵陣をめちゃくちゃにしてから突っ込ませるべし、というものがある。彼女らの様子は、その事前攻撃を待っているようにしか見えない。これは不味い、不味い気しかしない。

 

「総員に通達! 攻城魔法クラスの攻撃が飛んでくる可能性がある、防御態勢を取れ!」

 

 伝令が慌てて走るのとほぼ同時に、敵の隊列の中から地味な色合いのローブを纏った魔術師らしき人間が出てくる。

 

「魔術師が一人?」

 

 城壁を打ち崩すような攻城魔法は、複数人の魔術師が力を合わせて術式を組む合奏(ユニゾン)という手法が使われるのが普通だ。そうしないことには、魔力が足りなくなる。ただでさえ貴重な魔術師を複数人運用しなくてはならない攻城魔法は、なかなかに扱いづらい代物なのだが……。

 何にせよ、ひどく悪い予感がする。今すぐ対処しなければいけないが、手持ちの戦力で今すぐあの魔術師を排除する方法はない。ライフルの命中が期待できる距離ではないし、大砲はどこへ弾がとんでいくのかわからない代物だからだ。下手に阻止攻撃を仕掛けて防御が間に合わなくなるくらいなら、一発喰らう前提で動いた方がマシだろう。

 

「来るぞ、総員対ショック姿勢!」

 

 そんなことを考えているうちに、魔術師が手に持っていた杖を掲げた。次の瞬間、凄まじい閃光が走る。

 

「うわっ!?」

 

 それと同時に、重砲の至近弾を喰らったような衝撃が僕を襲った。轟音、閃光、衝撃、熱風。あらゆるものが僕に襲い掛かり、吹き飛ばされそうになる。そこへ何かが飛び掛かってきて僕の身体を抑え込んだが、衝撃のあまり頭が朦朧としてそれどころではない。

 

「被害報告知らせ!」

 

 衝撃がおさまると同時に叫んだが、自分の言葉が聞こえてこない。強力な耳栓をねじ込まれたような不快な感覚がある。大音響を喰らったせいで聴力がマヒしているのだ。いや、鼓膜がやられている可能性もある。

 

「ぐ……」

 

 ひどく重い体を動かし、口の中に入った土を吐き出しつつなんとか起き上がる。僕の身体に覆いかぶさっていたモノが、ゴロンと転がった。

 

「コレットか? お前が助けてくれたのか?」

 

 それは、新兵のコレットだった。どうやら、敵の攻撃と同時に僕に覆いかぶさり、かばってくれたらしい。彼女は血塗れで、ひどく憔悴した表情で口をパクパクしていた。何か言っているのだろうが、聴力が死んでいるせいでさっぱりわからない。

 心臓が、ぎゅっと握り締められたような感覚を覚えた。いくら謝っても足りない気分になる。こちとら人生二回目だぞ。まだ十数年しか生きてないガキの代わりに生き延びるような価値なんかないだろ、僕に。

 

「大丈夫か、おい!」

 

 飛び散った石礫(いしつぶて)に全身を打ち据えられたのだろう。彼女の身体は散弾を撃ち込まれたようにボロボロだった。大きな石が当たったのか、右足は明後日の方向に曲がっている。

 

「何言ってるのかわからんが軽傷だぞ! 気弱になるなよ、オイ!」

 

 もちろん嘘だ。足の骨折は以外にも、前進あちこちから出血している。どこをどう見ても重傷だ。しかし、経験上大けがしてるヤツに「不味い状態だ!」なんて言ったらショックでよりひどいことになるからな。大した怪我じゃないと嘘をついた方がマシなんだよ。

 コレットは心配だが、それだけに気を取られるわけにはいかない。僕は指揮官で、味方の全軍に対して責任を負っている立場だからだ。深呼吸とともに、「常に忠誠を(センパーファイ)」と呟く。自分を落ち着かせるための魔法の言葉だ。

 

「被害は、被害はどうなってる!」

 

 周囲を見まわしながら、叫ぶ。だんだん聴力が戻ってきて、あちこちから上がるうめき声や叫びが聞こえるようになっていた。指揮壕の中はひどい有様になっていた。半ば、生きながら土葬されたような有様になっている。騎士の一人が叫んだ。

 

「味方右翼が蒸発しました!」

 

「なにっ!」

 

 あわてて壕から頭をだして確認すると、確かに右翼の塹壕線が隕石の直撃を受けたようなクレーターへと変貌していた。あそこには銃兵を十名と歩兵を多数配置していたが、あの様子では間違いなく全滅しているだろう。

 右翼からそれなりに離れた場所に設置してあった指揮壕ですらこの被害だ。最前線の砲兵壕に居るはずのソニアは大丈夫だろうか。胸がざわざわする。僕は歯を食いしばって、そして無理やり笑顔を浮かべた。

 

「……なかなか愉快なことになって来たじゃないか」

 

 こりゃ、不味いどころじゃない。視線を敵陣に向ければ、案の定鬨の声を上げながらこちらへ突撃を開始している。今の僕たちの状態で彼女らと交戦を開始すれば、赤子の手をひねるように簡単にやられてしまうだろう。

 あの魔術師、たった一人で戦局をひっくり返しやがった。この威力、おそらくは一〇〇〇ポンド爆弾以上の破壊力だ。一流の魔術師が十名集まって、なんとか発動できるレベルの戦術級魔法。それを一人で扱うなんて、とんでもないチート野郎じゃないか。ふざけやがって。

 はらわたが煮えくり返りそうになったが、拳を握り締めて耐える。兵は常に指揮官を見ている。無様な姿を晒せばあっという間に士気崩壊だ。

 

「動けるヤツは動けないヤツに手を貸してやれ。いったん態勢を立て直す、プランCだ!」

 

 砲爆撃によるショックは兵士の士気を著しく減退させる。練度の低い傭兵どもでは、このショック状態から迅速に立ち直るのは不可能だ。おまけに戦力の要である銃兵隊の火力も大幅に低減しているわけだから、今までと同じような防衛行動をとるのは無理だ。

 幸いにも、ライフルによる攻撃を避けるためか敵の突撃開始地点はかなり離れた場所だった。敵がこちら側の陣地に到着するまで、いくばくかの余裕がある。

 

「緑色信号弾を可及的速やかに発射しろ」

 

「了解!」

 

 一応、こうなった時のための計画も事前に準備してあった。騎士たちが土に埋まった軽臼砲を掘り出し始めるのを一瞥してから、視線をコレットの方に向ける。

 

「おい、悪いが手当はあとだ。ちょっと痛いが我慢しろよ」

 

 そう言って彼女の手を取ろうとすると、コレットは顔を涙でぐちょぐちょにしながら言った。

 

「行ってください……」

 

「なに?」

 

「足が、足が動かないんです……今のわたしじゃ足手まといにしかなりません……」

 

「見たらわかる。それがどうした」

 

 それこそ、早く後送して適切な治療をしないと骨が変な形でくっ付いてしまうかもしれない。こんなところでグズグズしている暇はないんだよ。

 外から見る限り重い外傷は足の骨折のみで、他はかすり傷だ。致命傷には程遠い。しかし、ここで捨て置けば彼女は確実に死ぬ。身代金もとれないような平民の新兵なんか、捕虜には取らないのが普通だ。

 

「こんな足になっちゃったら私はもう、代官様のお役に立てません……親に要らないと言われた私が、代官様のような方のために死ねるなら……本望ですから」

 

「ッ……!」

 

  反射的に怒鳴りつけそうになったが、堪えた。その代わり、無言で彼女の唇に自分の唇を押し付ける。

 

「童貞にキスを貰えば、その戦いじゃ戦死しないって話だったな?」

 

「えっ、えっ!?」

 

 青くなっていたコレットの頬にさっと朱が差す。……自分でやっといたなんだけど、これ後でセクハラで訴えられないかな? いや、いや。今はとにかくこの新兵に気合を入れてもらわねば困る。生きる気力を失った人間が生き残ることが出来るほど、戦場は甘くない。

 

「いいか? お前は絶対に死なない」

 

 そう言って、僕はコレットの身体を抱え上げた。いわゆる、お姫様抱っこの姿勢だ。十五歳にしてはひどく軽い。栄養が足りていないのかもしれない。そう思うと、もうたまらないくらいに嫌になった。戦争が終わったら、腹がいっぱいになるまで飯を食わせてやろう。

 

「なぜならマーリンは戦友を決して見捨てないからだ」

 

 僕が前世で所属していた軍隊は、仲間を見捨てないことを誇りとしていた。たとえ生まれ変わったとしても、その誇りを捨てる気はない。

 

「僕はお前が死ぬのを許さない。わかったら大人しくしろ、抵抗は無意味だ」

 

「は、はい……」

 

「よろしい!」

 

 僕が頷くのと同時に、緑色信号弾が空へ上がった。撤退の合図だ。第一防衛線から退くのは二回目だが、最初の撤退は攻勢のための前準備だった。しかし今回は、防御のための撤退である。戦いの主導権を握っているのは敵の方だ。とても面白くない。

 とにかく、今の状態でまともに敵とカチあったら瞬殺される。精鋭部隊で時間稼ぎを行い、その隙に本隊を台地まで撤退させて部隊を再編成する。それ以外に活路はない。肝心なのは、兵士たちをいったん冷静にさせることだ。

 

「覚えてろよ、神聖帝国のクソッたれども……」

 

 周囲に聞こえないよう、僕は小さくつぶやいた。

 



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第64話 くっころ男騎士と立て直し

 第一防衛線からの撤退は二度目ということで、比較的スムーズに進んだ。僕はコレットを抱えたまま、なんとか切通を超えて台地まで後退することに成功する。

 

「ソニア!」

 

 そこで頼りになる副官の姿を見つけた僕は、大きな声を上げた。ピカピカに磨いてあったはずの全身鎧は土まみれのひどい状態になっているが、動きから見て大きな怪我をしている様子はない。安堵のあまり身体から力が抜け落ちそうになるが、なんとか堪える。本当に無事でよかった。

 

「ご無事でしたか」

 

 ソニアのほうもそれは同じらしく、いつものクールな表情を崩して目に喜色を浮かべた。そしてちらりとコレットの方を見る。

 

「そっちは?」

 

「僕を庇ってこんな有様だ」

 

「ほう」

 

 感心した様子で、ソニアはニヤリと笑う。

 

「新兵の癖になかなか根性が入っていますね」

 

「ああ、ここで失うには惜しい人材だ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 コレットは顔を真っ赤にしていた。男にお姫様抱っこ(この世界風に言うと王子様抱っこか)された状態でここまで連れてこられた彼女は、周囲から注目の的になっていた。この世界の価値観としては恥ずかしくてたまらないだろうが、緊急避難なので許してほしい。今さらだが、抱っこより背負った方がよかったよな絶対。本当にすまない。

 

「代官様! そいつを預かりましょう」

 

 傭兵の一人が出てきて言った。よく見ると、以前僕の前にコレットを連れて来た狼獣人だ。彼女に任せておけば大丈夫だろう。

 

「任せた。お前は後方に下がっていい、手当てしてやってくれ」

 

「ええ、任せてください。衛生兵に預けたら、すぐに復帰しますんで」

 

 頷く傭兵をコレットを押し付け、僕はソニアに視線を戻した。彼女のことは気になるが、今は敵を押さえるのが最優先だ。

 

「とにかく、現状そのままではなんともならん。戦いの主導権は明らかに向こうが握っている」

 

「砲兵隊の撤退指揮にかかりきりになってしまい、現状の把握があまりできていません。説明をしていただけませんでしょうか?」

 

 ソニアは自分を恥じるような口調で言った。とはいえ、最前線に配置していた砲兵壕から人員と大砲を無事に撤退させるというのは、かなりの難事だったはずだ。特に大砲は、今僕が考えている作戦では絶対に必要になる要素の一つだ。彼女を責めることなどとてもできない。僕は軽く笑って頷いた。

 

「今のところ、騎士と傭兵の混成部隊に防御を行わせている。早めに増援を寄越さないと、突破される可能性が高い。騎士隊はそちらに全力を投入するほかないな」

 

 どうも敵の練度は伯爵軍の重装歩兵部隊よりも高いようで、ずいぶんと苦戦している。今は地の利と残存する銃兵隊の支援によってなんとか持久しているものの、放置すれば一時間もせず壊滅する可能性もある。精鋭部隊には精鋭部隊をぶつけるほかない。

 しかし、あの傭兵団はいったい何者なんだ? 鷲獅子(グリフォン)の運用といい、異様な練度の兵士たちといい、明らかに普通ではない。

 

「よろしくないですね。騎士隊を防御戦闘にかかりきりにさせると、こちらが取れる選択肢が大幅に制限されることになります」

 

「ああ、まったく愉快なことだ」

 

 本音で言えば、愉快どころかまったく面白くない。許されるなら、クソッたれめと大声で叫びたい気分だった。

 序盤戦で大勝できたのは、新戦術や新兵器を用いることで伯爵軍に受動的な対応を強い、能動的な行動をするためのリソースを奪っていたからだ。それに対して、今はこちらが受動的な動きしかできない状況に追い込まれている。これは非常にマズイ。

 

「とはいえ、今は耐えるしかない。台地に引き込んで逆襲、なんて手はもう使えないからな」

 

 ライフルの射程を知っていたあたり、敵傭兵団は伯爵軍と戦訓の共有を行っているはずだ。敗北したパターンをそのままなぞってくれるはずがない。その上、こちらはライフル火力が著しく減退しているからな。あの時と全く同じ作戦を取るのはこちらの戦力的にも無理だ。

 

「だからこそのプランCだ。僕はまだ勝利をあきらめていない。だいぶ分の悪い賭けになるが、付き合って欲しい」

 

 プランCは、もうにっちもさっちもいかなくなった時に一発逆転を狙うために立てた作戦だ。当然、成功率はあまり芳しいものではない。すべてをあきらめて白旗を上げるよりはマシ、程度のものだということだな。

 

「ええ、もちろん。わたしはアル様の副官、凱旋パレードだろうが地獄だろうが、どこへでもいつまでもお供いたしますので」

 

「……ふん、嬉しいことを言ってくれる」

 

 やめろよそういうの。ちょっと泣きそうになっちゃっただろ。この副官は、まったく……。

 

「よし、じゃあすまないが総指揮はお前に任せた」

 

「……えっ?」

 

「いや、本当に悪いと思っている。しかし、何が何でも排除しなきゃいけない敵が一人いる。わかるな?」

 

「……あの魔術師ですか」

 

「そうだ」

 

 口をへの字にして腕を組んだ。

 

「ヤツのせいで戦局が逆転したんだ。あのクソデカ攻城魔法をもう一度撃たせるわけにはいかない。僕がヤツを排除する」

 

 あんなのがまたブチこまれたら、今度こそ僕の部隊は潰走以外の選択肢を失ってしまう。あんな大魔法はそうそう連発できないと思うのだが、戦闘が二日三日と長引けば戦線復帰してくるだろうしな。それに、万が一ということもある。ヤツの排除は必須事項だ。

 

「……わかりました、お任せください」

 

 こういう時に、打てば響くようにこちらの意図を察してくれるのがソニアの素晴らしい点だ。彼女は決意に満ちた瞳で頷く。

 

「ちなみに、一応お聞きしますが……いったいどういう手段で魔術師を倒すおつもりですか? ヤツはおそらく、敵の後衛にいるはずです。肉薄するのは非常に難しいと思うのですが」

 

「もちろん、肉薄なんかしない。正攻法で行くよ、狙撃だ」

 

 僕は戦略級魔法なんて使えないが、銃ならこの世界の誰よりもうまく扱える自信がある。ひと一人を殺すのに、大威力の魔法なんか必要ない。銃弾が一発あれば十分だ。



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第65話 くっころ男騎士と狙撃

 攻城魔法を暗い、第一防衛線が失陥してから半日が経過した。その間、ソニアに指揮されたわが軍は類稀なる奮戦を見せ、なんとか台地内への敵侵入を拒んでいた。狭い山道内で、一進一退の攻防戦が続く。

 しかし、敵の戦闘力は異常だった。装備・練度ともに大国の精鋭兵と遜色ないレベルであり、真正面からぶつかれば一方的にやられてしまう。それでもなんとか持久戦ができているのは、ソニアの指揮の巧みさあってのことだ。

 

「……」

 

 戦いの喧騒を聞きながら、僕は歯を噛み締めた。部下たちが戦っているというのに、僕はただ待機していることしかできない。魔術師は、まだ出てこなかった。魔力の回復を待っているのだろう。

 僕は、部下の一人を引きつれて戦場からやや離れた山中に潜んでいた。服装も、普段の甲冑姿ではない。周囲の岩肌に馴染む色合いのローブを着用し、顔にも土を塗り込む徹底ぶりだ。なにしろ、味方陣地から離れて単独行動しているわけだからな。敵に見つかれば、あっという間に囲まれて死、あるのみだ。

 

「風向きが変わってきました。移動しましょう」

 

 観測手(スポッター)役の部下の騎士、ジョゼットが提案する。なにしろ、敵は獣人国家だからな。狼獣人のような鼻の利く種族が混ざっている可能性は高い。常に風下に居続けなければ、臭いで居場所がバレてしまう。

 

「了解」

 

 このあたりは下草すら生えていない岩山ばかりだから、移動すると言ってもノコノコ歩くわけにはいかない。そんなことをすれば一瞬で敵に見つかってしまう。岩陰に隠れるように、匍匐前進。それしかない。硬い岩や砂の上を長時間這って進んできたわけだから、全身がこすれて滅茶苦茶痛かった。

 

「……」

 

 ずりずりと匍匐前進しながら、やはり狙撃兵という連中は尋常ではないなと思う。辛いしきついし、何より孤独だ。味方部隊から離れ、少数で敵陣に接近するというのはかなりのプレッシャーを感じる。

 実際のところ、僕は狙撃兵としての正規の教育を受けたわけではない。しかし、狙撃兵を指揮した敬虔ならある。そこで見たり聞いたりした知識をもとにすれば、なんとかスナイパーの真似事なら出来るはずだ。……正直不安は感じているが、ほかに方法が思いつかないんだからしょうがない。

 そうこう考えているうちに、次の待機ポイントへ到着する。大きな岩と岩の隙間に身体を押し込み、敵から身を隠す。ジョゼットが無言で望遠鏡を覗き込んだ。僕もそれに倣う。

 

「……だいぶ辛そうだな」

 

 この地点は戦場を横から俯瞰できるため、戦況が良く見て取れる。まさに威風堂々といった風情で侵攻する敵傭兵を相手に、味方兵は長槍やライフル射撃を組み合わせることでなんとか対抗している。しかし、やはり分が悪い。地面に転がっている遺体は、明らかにこちら側の兵士の比率が高かった。

 今すぐ持ち場を投げ捨て、味方に合流したい。あいつらは死力を尽くして戦っているのに、お前は何をしているのか。士官としての義務を果たせ。そう言って僕を責める声が、頭の中で鳴り響いている。

 僕の判断は正しいのだろうか? いくら狙撃兵の真似事が出来そうなのが自分だけだとは言え、総指揮官が現場を投げ捨てて単独行動するなんてあり得ないのでは。……じゃあどうやってあの腐れチート魔術師を仕留めるんだよ!

 そう心の中で吐き捨てた僕の脳裏に、ふと前世の剣の師匠の鬼瓦めいた顔が浮かんだ。『あれこれ考えるんはチェストした後で良か!』……その通りだ。今はあのクソ魔術師をチェストすることだけに集中しなくては。

 

「……ッ! 敵隊列後方、例の魔術師です」

 

 頭の中で問答をしていると、ジョゼットが緊迫した声を上げた。僕はあわてて望遠鏡をそちらに向ける。あの地味な色合いのローブは、確かにターゲットの魔術師だ。その隣には、漆黒の甲冑で全身を固めたやたらとデカい騎士がいる。二人は、泰然自若とした足取りで前線に向かっていた。

 ……戦線復帰早くないか? 最悪、数日間は出てこないものと思っていたが。ターゲットが早く出てきてくれたのは嬉しいが、もう例の戦術級魔法が再使用できるようになったのだろうか? もしそうなら、恐ろしすぎる。絶対に放置できない敵だ。

 

「良かったな、今日中にカタがつくぞ」

 

 今日中に魔術師が前線に出てこなかった場合、夜闇に紛れて敵の宿営地に接近する手はずになっていた。これならばほぼ確実に敵魔術師を捕捉できるだろうが、危険度は今の比ではない。戦術級魔法のクールタイムが異常に短い可能性があるという懸念点は出てきたものの、狙撃自体の難易度は下がった。僕は密かに安堵していた。

 

「接近するぞ。ここから撃っても絶対に当たらないからな」

 

 安全を考え、僕たちは敵から一キロメートルほど離れた場所で待機していた。この距離からの狙撃は、一流の狙撃兵であっても専用の特殊なライフルを必要とする。ましてや、僕の腕前では撃つだけ無駄だ。

 二人して、慎重に前進を始める。もちろん匍匐前進だ。芋虫のような動きでじりじりと敵との距離を詰める。客観的に見たら、そうとうダサい姿だろうな。映画に出てくる特殊部隊みたいにスタイリッシュにはいかない。

 

「……」

 

 歩けば数分もかからない距離を、長い時間をかけて詰めていく。腕や腹、足などの地面と擦れる部位に滅茶苦茶な痛みを感じる。たぶん、血も滲んでいるはずだ。血の臭いは目立つ。鼻のいい敵に感付かれるのでは? いや、死臭に満ちた戦場でそんな判別が出来るはずがない。大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。

 しばらくして、やっと匍匐前進を止めた。敵との距離はもうかなり縮まっている。剣戟の音や悲鳴、怒声が鼓膜を揺らす。迷彩で偽装しているとはいえ、まじまじと見られたらすぐ気付かれるであろう近さだ。

 

「やるぞ」

 

 敵の魔術師は、前線に到着していた。歌のような呪文の旋律が、微かに聞こえてくる。女にしては低い声だった。もしかしたら、男かもしれない。自分以外の男が戦場に居るというのは、僕も初めての経験だ。でも、そんなことを考えている余裕はないので完全に無視する。

 連続した銃声が聞こえた。銃兵隊が魔術師へ向かって発砲したのだ。しかし、その銃弾は魔術師には届かない。巨大なタワーシールドを構えた黒騎士が魔術師の前で仁王立ちになり、あらゆる攻撃を弾いてしまう。まるで生きた城壁だ。銃撃を受けてなお、呪文の詠唱は止まらない。

 

「風向、北北西。風速、弱。目標まで距離五百メートル」

 

 指をぺろりと舐めたジョゼットが小さな声で報告した。この世界には風速計もレーザー測距儀もないからな。狙撃に必要な情報はアナログな手段で集めるほかない。風向・風速は肌感覚だし、距離は目測だ。

 

「……」

 

 背中に背負っていた銃を取り出し、巻き付けてあった迷彩布を外す。出てきたのは、普段使っている騎兵銃ではなく長い銃身を持つ猟銃だ。貴族のたしなみである狩猟には僕もよく参加しているが、この銃はその際に使用しているものだ。弾の飛び方などの癖は熟知している。

 意識して呼吸を整えながら、猟銃に雷管を装着。そしてゆっくりと構えた。残念なことに、その銃身の上についているのは光学照準器(スコープ)ではなく物差しのような見た目のアイアンサイトだ

 望遠鏡こそ存在するこの世界だが、そのレンズに正確な十字線(レチクル)を刻むのにはなかなかに難しい。不正確なスコープを使うよりは、使い慣れたアイアンサイトのほうがマシだった。

 

「……」

 

 撃鉄(ハンマー)を上げ、あの魔術師へ向けて照準を定める。幸いにも黒騎士は目の前の攻撃を防ぐのに夢中で、こちらから見れば魔術師の全身が露わになっている。頭だけとか手足の先だけとか、そういう針の穴を通すような正確な照準はする必要がない。体のどこかに弾が当たれば、もう呪文の詠唱どころではなくなるはずだ。

 しかし、この銃も当然単発式だ。再装填している時間はないだろうから、初弾でかならず命中させる必要がある。おまけに照準器はアイアンサイトと来ている。五百メートルという距離は、アイアンサイトで狙うにはかなり遠い。

 

「さあ、神仏照覧あれ……!」

 

 いや、当てる。何が何でも当てる。万一外したら……ソニアには敵に肉薄したりしないと言ったが、あれは嘘だ。全力で突撃してサーベルでチェスト、これしかない。総指揮官としては最悪の振る舞いだが、もし本当にあんな魔法を半日程度のクールタイムで再使用できるのだとしたら、相打ち覚悟でも仕留めなければならない敵だ。何が何でもチェストしてやる。そう思いつつ、僕は呼吸を止めて照準を定め、引き金を引いた。



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第66話 チート男魔術師と狙撃

「ニコラウスくん、悪いがまた仕事だ。出られるか?」

 

 天幕の隅で横たわっていたぼく、ニコラウス・バルツァーは、その言葉に一瞬顔をしかめた。攻城魔法《プロミネンス・ノヴァ》を敵陣に撃ち込んでから、まだ半日しかたっていない。身体は鉛のように重く、ひどい頭痛もする。魔力欠乏症の典型的な症状だ。戦場に出るどころか、身じろぎすることすら煩わしい。

 

「ええ、問題ありませんよ。クロウン様」

 

 それでも、ぼくは体を起こすと柔らかな笑みを浮かべてそう答えた。拒否をしてクロウンに失望されたくなかったからだ。彼女はひどく人使いが荒いが、ぼくの身体を求めてくることは一切ない。その一点において、事あるごとにおぞましい行為を強要してきた今までのパトロンたちより余程マシだ。

 僕は魔術師だ、男娼なんかじゃない。何度そう主張して、踏みにじられてきたことか。飢えたケダモノどもめ、決して許しはしない。内心ではドロドロしたものが渦巻いていたが、もちろん態度には出さない。

 

「それでこそ我の部下だ。リースベンの守備兵ども、なかなかにやる。大きいのを一発喰らわせてやれば、腰砕けになると思ったんだが。敵の指揮官はなかなかの傑物だぞ」

 

 クロウンは相変わらずフルフェイスの兜をかぶっているため、その表情はうかがい知れない。しかし、声は明らかに弾んでいた。彼女は極端な人材マニアで、有能な人間と見れば誰彼構わず自身の手元に置きたがる。敵の指揮官とやらをどうにか勧誘できないか考えているのだろう。

 

「クロウン様。申し訳ありませんが、《プロミネンス・ノヴァ》はしばらくは使えません。魔力量から考えて、対人魔法が限界です」

 

 まあ、そんなことはどうでもいい話だ。所詮クロウンなんて、都合のいい踏み台に過ぎないわけだし。彼女の嗜好なんか、なんの興味もない。彼女の下にいれば、身体を売らずに済む。ただの魔術師として戦える。そして何より、その人脈を利用して自身の名を売ることが出来る。とても便利な雇い主だが、それでもぼくはクロウンのことが嫌いだった。

 

「もちろん、心得ている。後方から適当に見た目だけ派手な魔法を撃ち込んでくれればそれでいいのだ。先ほどの攻城魔法で、ニコラウスくんの恐ろしさは敵に刻みつけられているはずだ。君が前線に出るだけで、敵の士気を挫くことができるだろう」

 

 要するに、カカシというわけか。屈辱的だな。でも、パトロンの命令だ。従うほかない。僕は頷いて、クロウンに従い天幕を出た。近くにいた全身鎧姿の女たちが、無言で僕たちを囲む。クロウンの護衛だ。

 戦場となっている山道にはあちこちに深い穴が掘られていているため、馬は使えない。そのため、前線には徒歩で向かうほかない。ふらつきそうになるが、根性で堪えた。無様な姿を見せれば、「これだから男は」と嘲笑されてしまう。そんなことはぼくのプライドが許さない。

 

「そういえば聞いたか? 敵の指揮官は男騎士だそうだ」

 

「そうですか」

 

 ぼくはわざと、興味のなさそうな声で答えた。実際のところ、驚いている。僕以外に戦場に出ようだなどという奇特な男がいるとは……。

 女たちの社会の中で男が生きていく辛さを、ぼくはよく知っている。その男騎士殿とやらも、さぞ苦労していることだろう。これはちょっと、方針を変えるべきだな。ぼくの目的(・・)を話せば、同志になってくれるかもしれない。間違っても殺さないようにしないと。

 

「……捕虜にしても、乱暴はしないであげてください」

 

「ハハハ……我の栄えある親衛隊が、そのようなことをするはずもないだろうが。淑女だよ、我々は」

 

 クロウンは笑い飛ばすが、なんとも胡散臭い。いや、ぼくに夜伽を命じたりしないあたり、淑女なのはたしかなんだろうけど。彼女の言動はいちいちぼくの気に障る。何一つの不足もなく生きてきた者特有の傲慢さが見え隠れしているせいかもしれない。

 そんな話をしているうちに、前線に到着した。革鎧すら着ていない粗末な装備のリースベン兵が隊列を組み、押し寄せるこちらの部隊をなんとか押し返している。よくもまああんな装備で戦えるものだと、敵ながら感心した。

 

「……」

 

 いや、まともな鎧を着ていないのはこちらも同じことだ。金属は魔力を遮断する。そのため、基本的に魔術師は金属鎧を着用することが出来ない。例外は、自分自身の肉体に作用する内系と呼ばれる魔法を扱う術者だけだ。

 僕は攻撃魔法を得意とする外系魔術師であるため、ハードレザーを縫い込んだ魔術師用ローブが唯一の防具だった。こんなものでは、槍も矢も防げはしない。

 

「君には神聖帝国最強の騎士たちがついている。かすり傷一つ負うことはないだろう」

 

「安心しました」

 

 ニッコリ笑ってそう返したが、内心全く安心などできなかった。それでも、我慢して足を進める。僕は、男であっても戦えることを証明したい。そうして、男なんてただの種馬だと蔑んでくる連中を見返すんだ。

 

「この辺りでいいです」

 

 立ち止まってそう言うと、クロウンは頷いた。僕の前で堂々と立ち、巨大な盾を地面に突き立てる。僕は朗々とした声で呪文を詠唱し始めた。

 

「おおっと!」

 

 そこで、破裂音と盾の装甲を何かが叩く音が連続して聞こえてきた。ぼくは肩をびくりと震わせたが、呪文の詠唱は精神力を総動員して続行する。

 

「これは凄い! あの距離で撃って、ほとんど命中か! あの新式銃、ぜひとも手に入れたいものだが……」

 

 クロウンの恍惚とした声が聞こえてくる。気持ちが悪い奴だ。しかし、銃。初めて見る武器だが、なかなか恐ろしい。あんなものが普及したら、攻撃型の魔術師は駆逐されてしまうのではないか。

 そう思った瞬間だった。突然片足に力が入らなくなり、僕は崩れ落ちた。一瞬遅れて、銃声が一発だけ聞こえてくる。

 

「えっ……」

 

 地面に転がりつつ、ぼくはあわてて周囲を見まわした。そして、ヒトの足らしきものが一本、すぐ近くに落ちていることに気付く。それを見た瞬間、下半身に激烈な痛みが走った。まさか、あの足はぼくの――



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第67話 くっころ男騎士と血濡れの帰還

「ターゲット、ダウン!」

 

 ジョゼットがそう叫んだ時は思わずガッツポーズを取りそうなほど興奮したものだが、その後がまずかった。黒色火薬特有のバカみたいな量の白煙のせいで、僕たちの居場所は即座に敵に露見した。

 あとはもうひどいものだ。大勢の追手に追い回され、死を覚悟するような状況にも五回ばかり遭遇した。それでも生きて味方陣地に帰って来られたのは、敵魔術師が倒れた隙を見計らって反撃を開始したソニアの的確な指揮あってのことだ。

 

「代官殿! 姿が見えないと思っていたら……あの魔術師を撃ったのは代官殿だったんですね!」

 

 ボロボロの姿で帰還した僕たちを出迎えた傭兵が、目を見開きながら叫ぶ。

 

「ああ。あんなヤツに我が物顔で戦場をウロチョロされちゃ困るからな」

 

 ニヤリと笑ってそう答えるが、内心は若干不安だ。なにしろ、銃弾が当たったのは足だからな。追撃しようがかなり迷ったが、結局僕が選択したのは撤退だった。足を奪ったわけだから、強靭な亜人でもしばらくは戦場に出るどころではない。最低限の目的は果たしたのだから、それで良しということだ。

 ましてあの魔術師が本当に男だとすれば、種族は僕と同じ只人(ヒューム)だろう。亜人ならともかく只人(ヒューム)にとっては足一本でも十分致命傷(手足には太い血管が通っているため、そこが傷つくと失血性ショックを起こす可能性が高い)のはずだが……もう戦線復帰とかしてこないよな、流石に。頼むからもう出てこないでくれ。というかそのまま死んでくれ。

 

「しかし、指揮官先頭にも限度がありますぜ。しばらく姿が見えないもんだから、負傷でもされたんじゃないかとハラハラしてましたわ」

 

 驚嘆とも呆れともつかない複雑な目つきで、傭兵は僕たちを眺めた。せっかく用意した迷彩ローブは返り血で真っ赤に染まり、肩から下げた猟銃は銃身が半ばからへし曲がっている。銃身を握ってこん棒代わりに敵兵をブン殴ったせいだ。ジョゼットのほうも大差のない格好をしている。まさに激戦の後、という風情だ。

 しかし、前線にいなかった理由が逃げたからではなく負傷したからと思われていたのは嬉しいな。部下を見捨てて逃げるような人間ではないと思ってくれているのだろうか。この信頼だけは裏切っちゃだめだな。

 

「この人がムチャするのはいつものことだ」

 

 そう言ったのは、台車を引いてやってきた騎士だった。その荷台には僕とジョゼットの甲冑一式が乗せられている。

 激戦の後なんて言ったが、前線ではまだバリバリに戦いが続いている。もう今すぐベッドに倒れ込みたいくらい疲れているが、残念ながら休んでいる暇はない。すぐに戦線復帰しなければ。

 ……まともに人員交代もできないなんて、本当に人材不足が著しいなあ。この戦いが終わったら、なんとか増員できないものか。いや、増強中隊一つだけでこんな過酷な戦場を回してるほうがおかしいんだけどさ。

 

「それじゃ失礼しますよー」

 

 従士たちが出てきて、手早く僕に甲冑を着せていく。一人でやるとなかなか時間がかかるんだよな、これ。おまけに天幕用の布を使って簡易の更衣室を作り、僕の着替え姿が周囲から見えないようにする配慮っぷり。手厚いってレベルじゃないな。僕としてはそこまでやってもらわなくてもいいんだが。

 そうこうしているうちに、着替えはあっという間に終わった。しかし従士の一人がニヤリと笑って、何かを取り出した。

 

「それから、こんなものも用意してみたんですけど……どうします?」

 

 それは甲冑の上から着る外套、サーコートだった。日本で言うところの陣羽織だな。白地にブロンダン家の家紋である青薔薇の紋章が刺繍されたそれは、一見普通に見える……が、その裏地を見て僕は思わず笑ってしまった。

 

「面白い仕掛けだな。お前が考えたのか?」

 

「ええ。先日の一騎討ちもそうですが、アル様は組打ちされることが多いので、いざという時にこういうのがあると便利そうかなと」

 

「確かにな」

 

 僕は苦笑した。別に好きで肉弾戦にもつれ込んでるわけじゃないんだけどな。

 

「どうやって使うんだ?」

 

「左の袖に短い紐が通してあるでしょう? それを引っ張ってください」

 

「なるほど、使ってみよう」

 

 頷いて、サーコートを着込む。天幕で周囲の視線を遮っていた従士たちが、さっと散っていった。僕か彼女らに礼を言い、自分に気合を入れるために叫んだ。

 

「よーし、行くぞ!」

 

 萎えそうになる手足に喝を入れ、前線に向かう。魔術師を撃たれた動揺で、敵はやや後退していた。狭い山道に立ちふさがるようにして味方歩兵隊が槍衾を組み、敵を牽制している。後方の物見やぐらの上から、銃兵隊が盛んに射撃を浴びせかけていた。

 

「アル様、よくぞご無事で!」

 

 ソニアが出迎える。別れた時点で土まみれのひどい格好だった彼女だが、現在は返り血やらなにやらでさらに汚くなっている。彼女もなかなかの激戦を潜り抜けたようだ。

 

「そっちもな」

 

 肩を叩き合って笑顔を交わすが、今はのんびり再会を喜んでいる暇などない。すぐに面頬を降ろし、聞く。

 

「で、状況は?」

 

「味方を摺りつぶしながらなんとか耐久している状態です。……今日一日はなんとかなりますが、明日か明後日には我々は戦闘力を喪失するでしょう」

 

 後半の言葉は、僕にしか聞こえないような小声だった。敵傭兵団はほぼ全員が魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着用している。射撃は効果が薄いため、鎧の隙間を狙いやすい白兵で戦うしかないが……こちらの傭兵たちは練度が低い。かなりの被害が出ただろうな。

 緒戦でこいつらが出てきていたら、もうちょっと安全に戦えたはずなんだがな。手榴弾も地雷もとっくに尽きてる。本当に腹立たしい。

 

「とはいえ、アル様が例の魔術師を討ったこともあり、士気は下がるどころか上がっています。戦闘力はまだ十分残していますよ」

 

 ソニアはそう言うが、被害のわりにこちらが元気なのは彼女の頑張りのおかげだろう。攻城魔法を受けてボロボロの状態だった味方部隊を手早く立て直したのは僕じゃなくてソニアだからな。

 しかし、戦況は本当にギリギリのようだな。このまま戦っていたら、間違いなく負ける。その前になんとか敵の攻勢の意志を挫く必要がある。……いい加減勝負に出る必要があるな。一か八かの賭けになるが、やらないよりマシだ。

 

「ふむ……」

 

 僕は腰のポーチから懐中時計をとりだした。日没まで、あと二時間ほど。夜になれば、敵は退くだろうか? ……微妙なところだな。できれば夜戦に持ち込みたいが、向こうの指揮官が安全策を取る可能性もある。そうならないよう、わざと弱みを見せてやることにするか。

 

「よし。プランCを次のフェイズに移行する。大砲の準備はできているな?」

 

「ええ、もちろん」

 

「よろしい。では、今日中に決着をつけようか」



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第68話 くっころ男騎士と敵の正体

 それからは僕も戦闘に参加し、敵兵と押し合いへし合いを続けた。敵傭兵団は、やはり手強い。練度としては伯爵軍の精鋭部隊にすら勝っているように思える。おそらくは、どこぞの大貴族の子飼いだろう。なんでそんな奴らがこんな田舎の地域紛争に……オレアン公の差し金か? などと思ってしまうのだが、今はじっくり考え事をしている余裕はなかった。

 何しろ敵は数も質もこちらに勝っている。伯爵軍と戦っていた時と違い、こちらの戦死者もジリジリと増えていく。極端に戦場が狭いので、なんとか戦えているだけだ。広い場所に出たら、一瞬で摺りつぶされるだろう。

 

「……後がありませんね」

 

 長槍兵に襲い掛かる敵兵に銃弾を浴びせていた僕に、ソニアがそっと呟く。正面からの圧迫を受けてジリジリと後退していた僕たちの部隊だったが、とうとう切通のある場所まで押し込まれていた。

 この切通の向こうは二日目に伯爵軍を迎え撃った台地がある。そこまで押し出されたら僕たちはおしまいだ。攻城魔法によって銃兵隊の半数が死亡している。あの時の戦術を再現するには火力が足りない。もっとも、一度成功した戦法をそのままなぞったところで、敵はある程度対策してくるに決まっているが……。

 

「あと何分持たせたらいい?」

 

「十五分」

 

「よろしい」

 

 キッツイなあ。今までは後退しながらの戦闘だったから、それでも被害は抑えられた。しかし、その場を動かずに堅守するとなると、どれだけの味方がやられるやら見当もつかない。こちらは既にボロボロで、その十語分のうちに致命的な損害を被る可能性は非常に高い。

 ……本当にどうしようか。攻勢に転じられるだけの戦力を保ちつつ、あと十五分持久し続ける。だいぶキツイ。正攻法は思いつかないな。僕が前に出て敵を挑発しまくったら、また一騎討ちに応じてくれるかな? ワンチャンあるような気がするが、一騎討ちでの時間稼ぎはすでに一度やってるしな……

 

「しょうがないか」

 

 まあ、最悪僕に攻撃を集中させ、それで隙を作るという手もある。何しろ僕は激レア職、男騎士だからな。割と殺さずに生け捕りにしようとする敵が多い。そこに付け入る隙がある。

 そんなことを考えていると、いつの間にか戦場の喧騒が消えている。敵陣に目を向けると、兵士たちが潮が引くように後退していた。はて、と悩む暇もなく一人の偉丈夫が前に出てきた。特徴的な漆黒の鎧。あの黒騎士だ。

 

「アルベール・ブロンダンは居るか? いるのであれば、我の前に出てくるがいい!」

 

「ほう、ご指名か」

 

 ソニアに目配せすると、彼女は静かに頷いた。敵の方から時間を浪費してくれるなら、こんな有難いものはない。長槍を構えて警戒する歩兵たちを押しのけ、前に出る。

 

「僕がアルベール・ブロンダンだ。何用か!」

 

「もちろん、降伏の勧告だ。貴殿らはもう壊滅を待つだけの身だ。まさか、最後の一兵まで戦うつもりでもあるまい」

 

 朗々とした声で語る黒騎士。こいつがこの傭兵団の頭だろうか? そうではなくとも、態度から見れば幹部級なのは明らかだ。こいつをおちょくれば、時間は稼げそうだな。

 

「断る。こちらは小さな傭兵団と貧乏騎士の寄り合い所帯だ。身代金を払えるものなど、片手の指で数えられるほどしかいない。降伏したところで、大半が殺されてしまうだろう!」

 

「無論、そんなことはしない。諸君らの安全は我の名誉をもって保証する」

 

「名も名乗らん相手の名誉など、信用できるものか!」

 

 いや、本当にお前は誰だよ。あれだけの装備と人員を持つ傭兵団だ。只者じゃないのは確かだろうが。

 

「おっと、失礼した。我はクロウン。この傭兵団の長だ」

 

道化師(Clown)? 露骨な偽名だな」

 

「ハハハ……いかにも、その通り。本名はみだりに名乗らぬことにしているが、信用できんというのなら仕方がない。きみはこんな戦いで殺すにはあまりに惜しい人間のようだからな」

 

 黒騎士が後ろに目配せする。すると、大きな旗を担いだ兵士が現れる。兵士は竿に巻き付けられていたその旗を解くと、高々と掲げて見せた。旗に描かれた紋章は、金獅子。見覚えはある。いや、この大陸西方地域でこの紋章を知らない貴族など存在しないだろう。

 

「リヒトホーフェン家の家紋……!?」

 

 リヒトホーフェン家。それは、二百年にわたって神聖帝国の皇帝位を独占し続ける名家中の名家だ。僕たちガレアの騎士からすれば、宿敵と言っていい手合いである。こんな辺境で目にすることなどあり得ない紋章を前にして、僕の背中は粟立った。

 

「我の本名は、アレクシア・フォン・リヒトホーフェン。神聖オルト帝国の先代皇帝である」

 

「……」

 

 おいマジか、という目をソニアに向ける。彼女は無言で頭を左右に振った。これが嘘なら、彼女はタダでは済まないはずだ。先代皇帝を名乗る不埒な輩が傭兵団を率いている。そんなことが神聖帝国の帝室に露見したら、どう考えてもそのメンツにかけて全力で潰しに来るはずだ。

 そんなリスクを背負って、僕たちにわざわざ先代皇帝だと詐称するメリットは流石に無いのではないだろうか。おまけに、あの異様なまでに高い練度と上等な装備。さらには戦術級魔法をたった一人でぶっ放す魔術師……詐欺目的にしては気合が入りすぎだ。……非常に残念ながら、自称アレクシア氏の発言は真実であると考えた方が自然だった。

 

「ふざけるなよ……」

 

 僕は思わずうめいた。ディーゼル伯爵家だけでも厄介極まりないのに、なんでこんなことになるんだよ。



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第69話 くっころ男騎士と逆襲の狼煙

「そちらが先帝陛下であるというのは承知した。しかし、なぜそのような尊き身分のお方がこのような場所におられるのか!」

 

 仮想敵国のことなので、僕もある程度は神聖帝国の動向については把握している。アレクシアという名前も記憶にあった。幼くして皇位を継承し、軍部改革で辣腕を振るった人物だ。数年前に妹へ皇位を譲った後、動向がつかめなくなっている。

 詐欺師が騙るにはちょうどいい名前ではある。鷲獅子(グリフォン)だの戦術級魔術師だのが飛び出してこなきゃ、僕も鼻で笑ってただろうな。

 

「聞きたいか!」

 

 兜の面頬を上げると、アレクシアはニヤリと笑った。凛々しさと美しさを兼ね備えた、高貴な顔だった。……この距離ならなんとかヘッドショットを狙えるんじゃないか? やっちまおうか……。

 

「やめておいた方が良いでしょう。アレクシアは神聖帝国でも並ぶものがないほどの剣士だと聞きます。銃弾を防ぐ自信があるのやも。今は時間稼ぎの会話に徹するべきです」

 

「そうだな……」

 

 あの魔術師が狙撃されたのはすぐ近くで見ているはずだろうしな。それでもあえて素顔を晒すというのは、銃弾程度なら防ぐ自信があるということかもしれない。

 

「我には夢がある! この神聖帝国を統一するという夢がな!」

 

 僕たちがこそこそ話しているのは見えているだろうに、アレクシアは気にすることもなく話し続ける。我の強いやつだな。

 

「きみもよくわかっているだろうが、今の我が帝国は数多の領邦領主の寄り合い所帯にすぎない。領主の独立権を盾に皇帝の命令を平然と拒否し、獣人の同胞同士相争う始末! 領邦同士の垣根をなくし、真に統一された国家へ再編成されない限り、我が帝国に未来はないと我は確信している!」

 

 なるほどな。要するにこの人は、近代的な中央集権国家をつくりたいわけか。それに関しては僕も理解している。でも、じゃあなんでお前はクソ田舎でプラプラしてんだよおかしいだろ。

 

「なるほど、なかなか壮大な計画をお持ちのようだ。しかし、僕の問いの答えにはなっていないように思えるが?」

 

「無論、これも我が帝国の統一のための前準備である。諸邦を巡り、その現状をこの目で確かめる。争いあらば我らも介入し、その実力を持って帝室の威光を示す!」

 

 なるほど、水戸の御老公ごっこね。つまり僕たちは、悪代官に雇われたゴロツキみたいなものか。

 

「つまり、この戦闘に介入したのは偶然だと?」

 

「男が軍を率いていると聞いて、興味を覚えてな。まあ、理由としてはそれだけだ」

 

 そんなのアリかよ! そう叫びそうになった。ゴブリン退治に行ったらドラゴンがいたくらいの理不尽さだ。大国の元元首がそんなホイホイ気軽に地域紛争に介入するんじゃないよ! 心底腹が立つ。恨むべきは自身の不運だろうか、この女の理不尽さだろうか。

 いや、敵の発言を鵜呑みにするべきではない。そんな下らない理由で気軽にpopしていい存在じゃないだろ、先代皇帝なんて。ただでさえ、リースベンはミスリル鉱脈という爆弾を抱えているわけだし。……しかし、裏があろうがなかろうが今はどうでもいい話か。現状を打破しない限り、政治レベルの話は考えている余裕すらない。

 

「我が部下は、帝室の近衛隊から選抜した猛者ばかり。降伏したところで、不名誉にはならん。むしろ、これほど善戦したことをほめたたえられよう」

 

「なるほど、近衛隊ね」

 

 そりゃ、強いに決まってるわな。……中指おっ立てたい気分になって来たぞ。腐れファッキン道楽女が……。

 いや、いや待て? 大国の最精鋭部隊が、こんなド田舎のせせこましい戦闘に参加している? 逆に光明が見えてきた気がする。敵は装備と練度に慢心し、なんの策もなしに平押ししている。それに対し、こちらは最初から敵を迎え撃つべく入念な準備をしていたんだ。むしろこれは、敵精鋭を一気に殲滅するチャンスなのでは……?

 

「この旅には、各地の有能な人材を見つけ出して登用するという目的もあるのだ。我はきみを高く評価している。降伏し、そして我のモノになれ、アルベール・ブロンダン。とりあえずは、宮中伯の地位を用意してやる。どうだ?」

 

 先帝陛下から滅茶苦茶な高評価を頂いているが、僕はそれどころではない。脳みそは全力回転していた。この戦いに大した意味はないことは、敵もよくわかっているはず。伯爵軍と違って、彼女らは戦いの当事者ではないからな。それでも、勝っているうちはいい。しかし、負けるかもしれないという不安が出てきたら? 士気は絶対にガタ落ちするだろう。この敵の弱点はそこだ。

 実際に優勢を取る必要はないんだ。あくまで、精神面で圧倒すればよい。そのための準備は、すでに終わっている。相手をビビらせて士気を下げるという要素は、最初から作戦に組み込まれているからだ。

 肝心なのは落差だ。勝ったと思わせてから、死の恐怖を味合わせる。いくら精鋭でも、状況が突然最悪な方向に変われば精神の切り替えが間に合わない。その間隙を突く。

 

「お断りします」

 

 方針は決まった。あとは勝利に向けてレールを敷くだけだ。頭の中で段取りを組みながら、僕は答える。

 

「ほう、なぜ?」

 

 心底不思議そうな表情で、アレクシアは聞いた。

 

「無能とわかっている人間に仕える気はないので」

 

「無能? 我がか」

 

「そう。無能も無能、ド無能です」

 

「そうか、我は無能か! ハハハハッ!」

 

 挑発のつもりだったが、アレクシアは心底愉快そうに笑った。予想外の反応だが、まあいい。別にこいつがどういう反応をしようがどうでもいいからだ。肝心なのは、彼女の後ろにいる連中。つまりは神聖帝国の最精鋭、近衛隊だ。

 

「後学のために聞いておきたいが、なぜそう思った?」

 

「簡単なことです。貴殿の部下は、近衛隊から選抜された精鋭。そう仰いましたね?」

 

「そうだ。それがどうした?」

 

 僕は面頬を上げ、精一杯真面目腐った表情を作ってアレクシアを睨みつける。……弓やクロスボウで狙撃されそうだから、前線じゃ顔を出したくないんだけどな。向こうが顔を見せているのに、こちらは隠したままというのは不味い。こちらにもメンツがある。

 

「そのような精鋭を、このような名誉も誇りもない戦場に連れ出している。……この戦いで戦死した貴殿の騎士の墓碑には、こう刻まれるわけです。『食い詰め傭兵を率いた男騎士に殺された無能な騎士、ここに眠る』……あまりにも哀れではありませんか? 有能な士官のやることではありませんよ」

 

 アレクシアの背後の騎士たちが、かすかに身じろぎした。被害はこちらの方が多いが、向こうも無傷というわけではない。すでに少なくない死者が出ているはずだ。この世界では男騎士なんてのはエロ本に出てくる存在というイメージがついてるからな。そんなのにやられたら末代までの恥になるだろうよ。

 

「男の身ではありますが、僕も騎士です。誉ある死は喜んで受け入れましょう。しかし、この戦場に誉はありますか? あるのは屈辱と後悔だけです。そんなものにまみれて死ぬのは、僕はごめんだ。帝国の騎士殿がたも、それは同じことでしょう」

 

 格下と思っている相手に殺される屈辱は、僕もよく理解している。前世の僕をぶっ殺したのは、まともな訓練も受けていないであろう反政府ゲリラだった。まったく、情けなさ過ぎてマジ泣きしそうになったね。生まれ変わった今でも頻繁に夢に見るくらいだ。

 

「あの凶弾に倒れた魔術師殿も、このような場所で死んでいい方ではなかったはず」

 

「彼なら生きているが。手当が間に合ったのでな」

 

 クソッ、やはり足一本ではチェストが足りなかったか! ……というか彼って言ったか? マジで男なのか。びっくりだよ、僕以外にも男でありながら戦場に出るようなスキモノがいるなんて。

 

「とにかく。貴殿は大勢の部下を不名誉な戦死に追い込んだわけです。これを無能と言わずになんと言いますか?」

 

「いや、言いたいことは分かるが。大勢というほど、死者は出ておらんぞ」

 

「これから出ますよ。いっぱい出ます。最低でも半分は殺すつもりなので」

 

「は?」

 

 アレクシアが首を傾げた瞬間、耳をつんざくような轟音が響き渡った。敵部隊の背後で巨大な火柱が上がり、吹き上げられた小石が周囲に降り注ぐ。身体を襲う地震のような振動に、誰も彼もが唖然とした。

 

「……ナイスタイミングだけど、なんか早くない?」

 

「予定では、起爆まであと五分というところなのですが」

 

 懐中時計を確認しつつ、ソニアは申し訳なさそうに言った。

 

「導火線の調整が甘かったようですね」

 

「今回に限って言えば好都合だ」

 

 僕は少しだけ苦笑すると、面頬を降ろす。眼前の敵は、明らかに動揺していた。なにしろ彼女らは、あの魔術師の放った攻城魔法を間近で見ていたわけだからな。自陣の方から巨大な爆発音が聞こえてくれば、さぞ嫌な想像が脳裏に浮かんでいることだろう。攻めるなら今だ。

 

「プランC最終フェイズだ。馬車爆弾、突っ込め!」



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第70話 くっころ騎士と最後の攻撃

 爆発の正体は大砲を改造した簡易爆弾だ。火薬を限界まで詰め込み、砲口を塞いだだけの簡単な代物だが、なにしろ大きいので威力は抜群である。僕はこれを、擱座したフリをして第一防衛線の途中へ配置していた。

 いわゆる路肩爆弾というやつだな。前世の僕はコイツにさんざん悩まされたが、いざ自分が使う側になってみると本当に扱いやすい兵器だ。アレクシアも含め、敵兵は爆発の音と衝撃にびっくりして動きが止まっている。ちょうど、攻城魔法を撃ち込まれた時の僕たちと同じだ。

 

「馬車、行きます!!」

 

 そんな叫びとともに、数名の兵士が馬の繋がれていない馬車を押しながら突っ込んできた。切通は下り坂になっており、兵士たちの手を離れても荷馬車はぐんぐんと加速していく。その進路上にいた味方兵があわてて道を開けた。

 

「ウワーッ!?」

 

 勢いのついた荷馬車はそのまま敵陣へ突入した。不運な敵兵が数名跳ね飛ばされたが、悲劇はそれで終わりではない。馬車の荷台に満載されていた火薬ダルが一斉に爆発したのだ。その爆発力は、凄まじいものがあった。なにしろ備蓄してあった火薬をすべて投入したからな。

 爆発に巻き込まれ、幾人もの敵兵が吹っ飛ばされるのが見えた。爽快な気分だ。……でも、アレクシアは巻き込まれてないよな? あいつを殺して、近衛兵たちに仇討の名目を与えるわけにはいかない。そこが一番の不安要素だ。

 とはいえ、深く考えている暇はない。プランCは持久戦を投げ捨て短期決戦を図る乾坤一擲の策だ。使えるリソースはすべて投入してしまうので、この作戦が終われば僕たちの継戦能力は完全に失われてしまう。敵が体勢を立て直す隙を与えるべきではない。

 

「これより逆襲に移る。総員、我に続け!」

 

 僕は大声で叫ぶと、銃剣装着済みの騎兵銃を構えて駆け出しだ。突撃ラッパが鳴り響き、周囲の兵士たちが一斉に鬨の声を上げる。

 

「代官殿に遅れるなーっ!」

 

「帝国のクソどもが、舐めやがって! ぶっ殺せ!」

 

 一方、敵陣はいつの間にか白煙に包まれていた。馬車には爆薬だけではなく、煙幕弾ものせてあった。視界はまったく効かなくなっている。

 

「喰らえ!」

 

 敵陣に突入する寸前、一部の兵士たちが腰の袋から出した何かを前方に投げ込んだ。耳をつんざくような破裂音が連続して鳴り響く。投擲物の正体は、爆竹だ。当然殺傷力はないが、威圧効果は尋常ではない。特に今は、敵は視界を封じられた状態なのだ。

 案の定、情けのない悲鳴があちこちから上がった。敵からしたら、銃声も爆竹も区別がつかないだろうからな。マシンガンじみた連続射撃を喰らったように誤認してくれれば、万々歳だ。

 

「キエエエエエエエッ!」

 

 白煙の中であっけにとられる敵兵を見つけ、その喉元に銃剣を突き入れる。湿った悲鳴を短く発して、その女は地面に倒れ込んだ。

 爆竹の爆発音。本物の銃声。突撃ラッパ。そして剣戟の音や罵声。戦場は完全に混沌に包まれていた。

 

「ヌウーッ!」

 

 煙幕を切り裂くようにして、大柄な重装歩兵が剣を構えて突進してくる。僕は即座に騎兵銃をそいつにむけ、引き金を引いた。銃弾は肩に命中するが、魔装甲冑(エンチャントアーマー)に弾かれてしまう。しかし、姿勢を崩す程度の効果はあった。

 

「やらせんっ!」

 

 その隙を逃さず、ソニアが弾丸のように飛び出していった。クレイモアが閃き、敵兵の首を飛ばす。

 

「お見事!」

 

 僕は称賛しつつも、周囲に視線を走らせた。煙幕にさえぎられてよく見えないものの、いまの敵兵のように積極的に僕たちを迎え撃とうとする者はかなり少ない様子だった。むしろ、かなり逃げ腰になっているように見える。

 事前の精神攻撃が効果を発揮したのだ。『男騎士に率いられた食い詰め傭兵に殺された無能な騎士、ここに眠る』というアレだ。帝室の近衛隊。たしかに精鋭中の精鋭なのだろう。しかし、優秀な騎士である者ほど名誉を重んじる。

 こんなところで死んだら、彼女らには末代まで消えない不名誉が降りかかることになるだろう。男騎士風情に殺されるというのは、そういうことだ。いくら死も畏れぬ勇猛な騎士とはいっても、これは絶対に避けたいはずだ。同じ不名誉でも、死ぬくらいなら逃げて生き残った方がマシ。そういう判断をせざるを得ない状況を強いるのが、僕の作戦だった。

 

「手柄首がより取り見取りだぞ! 突っ込め突っ込め!」

 

 味方の戦意を鼓舞するべく叫び、僕自身も新たな敵を求めて走り出す。半分殺すと宣言したのは脅しではない。二度と僕たちに手出しする気を起こさないよう、彼女らには見せしめになって貰う必要があった。

 

「アルベール! そこに居るか!」

 

「むっ!」

 

 喜悦すら浮かんだ声が耳朶を叩き、背筋に冷たいものが走る。そちらに目を向けると、案の定そこに居たのはアレクシアだった。漆黒の甲冑は煙幕の中でもよく目立つ。かなりの威圧感だ。

 ちょっと脅かしたくらいで逃げるタマじゃないとは思っていたが、案の定か。どうしたものか、判断に悩む。こいつを殺したら、近衛隊は退くに引けなくなるはずだ。それは非常に困る。手持ちの戦力でこの精鋭部隊に勝利するには、逃げる背中に噛みついてやる以外の選択肢はないんだ。

 

「貴様か、アレクシア! その首級、頂いていく!」

 

 腕の一本でもぶった切れば、流石に退いてくれるだろう。本人が継戦を望んでも、周囲が許すまい。そう判断し、騎兵銃を投げ捨てサーベルを抜いた。

 

「キエエエエエエエエエエッ!!」

 

 即座に強化魔法を使い、突進した。アレクシアはそれを悠然と待ち受ける。大上段からの振り下ろし。彼女はそれを、腰から抜いた剣で受け止めた。

 

「のわっ!?」

 

「ぐえっ!」

 

 その結果、二人して同時に悲鳴を上げる羽目になった。アレクシアは防御のために構えていた自らの剣が肩口に激突し、吹っ飛ばされる。一方、僕の方もタダではすまなかった。なんとアレクシアの剣が突如バチバチと放電し、サーベルを通して僕を感電させたのだ。どうやら魔剣の類だったらしい。

 

「男の剣技か、これが! ますます欲しくなった!」

 

 空中で身を捻り、アレクシアは見事に着地した。胴鎧はへこみ、剣は半ばから折れている。だが、それだけだ。中身の方はピンピンしている。電撃のせいで途中で力が抜け、刃筋が通せなかったのだ。対する僕の方はひどい有様で、身体がしびれて剣を構えなおすことすらままならない。そして、その隙を逃す彼女ではなかった。

 

「グワーッ!」

 

 猛烈なタックルが僕を襲う。もともと、体格ではアレクシアのほうが圧倒的に優れているのだ。僕は抵抗すらできず吹っ飛ばされ、地面に転がった。いつの間にかサーベルも手から離れている。

 

「ぐっ!」

 

 不味い。そう思うより早く、アレクシアは僕に馬乗りになった。いつの間にか面頬が上がり、素顔が露出している。酷く興奮したような表情だった。

 

「こんな奥の手を隠し持っていたとは! どうやら我はきみを過小評価していたようだ。宮中伯程度の地位では確かに足りぬな!」

 

 彼女は僕の面頬を押しあげ、顔を近づけた。獣のような吐息が僕の頬を撫でる。

 

「ならば、我の夫になるというのはどうだ? 君にはそれだけの価値がある! 共に神聖帝国統一の礎になるのだ!!」

 

 そう叫ぶアレクシアの目はらんらんと輝いていた。



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第71話 くっころ男騎士と終局

 わーい、生まれて初めてどころか二度の人生を通して初めてプロポーズされたぞ! なんて喜んでいる暇はない。いくら顔が良くて地位が高くても性格がイカレポンチすぎる。普通にノーセンキューだ。

 

「くっ……殺せ!」

 

「ははは! どこかで聞いたセリフだな。しかし、キミほどの男を殺すなど……」

 

「……とでもいうと思ったか! 誰が死ぬかよバカヤロー!」

 

 もちろん、死ぬ気なんかない。勝ち戦で死ぬことほど馬鹿らしいことはないからな。僕は叫びつつ、サーコートの左袖から生えた短い紐を引っ張った。すると、突如として服の表面が爆ぜて連続した爆発音が響く。このサーコートの裏地には、大量の爆竹が縫い込まれているのだ。

 

「ンンッ!?」

 

 さすがのアレクシアも、これには面食らう。動揺して身を固くした隙に、体をひねって強引に拘束から脱した。押し倒されているうちに、体のしびれはだいぶ回復していた。

 

「よくもアル様に! 許さんッ!!」

 

 慌てて僕の腕を掴もうとしたアレクシアに、ソニアの飛び蹴りが突き刺さる。先帝陛下は地面をバウンドしながら十メートルは吹き飛んだ。

 

「うっ、この……ッ!」

 

「うちの代官様になんてことしやがる!」

 

「殺せ! いや、生け捕りにして生まれてきたことを後悔させてやる!」

 

 ふらふらと立ち上がろうとしたアレクシアだったが、そこへ長槍を手にした歩兵隊が殺到してくる。いかに優れた剣士でも、徒手空拳で長槍兵に勝てるはずもない。何本もの槍の穂先で殴られ突っつかれた彼女は、流石に悲鳴を上げた。

 

「痛っ、あだっ! この、やめんか! 我を誰だと……」

 

「極上の手柄首に決まってるだろうが! 首よこせ首!」

 

 一人の兵士が拾ってきてくれたサーベルを構えつつ、僕は大声で叫んだ。

 

「お引きください、陛下! もうこの戦いは駄目です!」

 

 槍兵から逃げ回るアレクシアの肩を、ひどく焦った様子の帝国騎士が引っ張った。それに続いて傍仕えと思わしき騎士が集まり、槍兵隊からアレクシアを庇う。

 

「こんな首狩り族みたいな男と戦っても、百害あって一利もありません! ここは退くべきです!

 

 首狩り族と来たか。まあビビってもらえるんならなんでもいいや。サーベルを振り上げ、威嚇してみる。帝国騎士は明らかに警戒した様子でもう一度アレクシアを引っ張った。

  しかし、敵も明らかに焦っているな。完全に思考が撤退の方向へ傾いている様子だ。正面から戦えば絶対に勝てないような精兵でも、こうなってしまえば対処は容易い。戦闘において最も重要なのは、装備でも練度でもなく士気なのだ。

 

「あの爆発も気になります。もしかしたら、ニコラウス殿と同じクラスの魔術師が敵方に居るのやも……」

 

「う、うむう」

 

 アレクシアは唸った。まあ、敵としては一番気になるのはそこだよな。この世界では爆弾という概念はあまり普及していない。手榴弾レベルの小爆発ならまだしも、大きな爆発なら魔術を用いた方が手っ取り早いからだ。そのため、先ほどの路肩爆弾も魔術によるものだと誤認しているようだ。

 爆弾は一発限りだが、魔術は術者の魔力さえなんとかできれば再使用できる。またあんな攻撃を受ければ……という恐怖は、僕たちもつい先ほど味わったばかりだ。帝国兵の肝もさぞ冷えていることだろう。

 

「万一前後から挟み撃ちでもされたら、いかに我らと言えど……あなた様は、このような場所で果てて良いお立場ではありません! ご決断を!」

 

 じりじりと距離を詰める長槍兵たちを剣で牽制しつつ、帝国騎士は嘆願する。長槍兵の後ろには、小銃を構えた銃兵隊や騎士たちも居る。主君を守らなければならない立場の彼女たちからすれば、さぞ胃の痛む光景だろうな。

 

「……致し方ないか。ミスリルはともかく、アルベールの方はまた今度勧誘すればよい話ではあるし」

 

 ……今、ミスリルって言ったか? やっぱりバレてるじゃないか! いったいどこのどいつがおもらししたのか、戦争が終わったらキッチリ調べなきゃならんな。オレアン公の配下にスパイが紛れ込んでいる、というのが一番妥当な線だろうが……まったく、頭が痛くなってきた。

 

「よし、総員一時撤退せよ! 態勢を立て直す!」

 

 僕はその言葉を聞いて頬が緩んだ。アレクシアは判断を誤った。この状況での正着は、こちらの攻撃を正面から受け止め逆襲することだ。一時的に押されるかもしれないが、こちらの兵力は限られている。いずれリソースが尽きて戦況は逆転するだろう。近衛隊は、あくまで一時的な混乱をきたしているだけなのだ。

 そんなことはもちろん、アレクシアも理解しているだろう。しかし彼女はその判断ができない。なぜなら、後方で起きた爆発の正体がまだわかっていないからだ。居もしないこちらの戦術級魔術師を警戒しているため、積極策は選択し辛くなっている。

 

「撃てーっ!」

 

 この隙を逃せば勝機はない、僕は叫んだ。一斉に銃声が響き、近衛の騎士たちの甲冑に銃弾が命中した。しかし、倒れる者はいない。本当に丈夫な甲冑だよな……。

 とはいえ、撃たれた方も平静ではいられない。彼女らは悲鳴こそ上げなかったものの、慌てた様子でアレクシアを後退させ始めた。ここまでくれば、あとはグイグイ戦線を押し込むだけだ。態勢を立て直す隙なんか与えない。

 

「帝国の腐れ外道どもにはここで引導を渡す! 総員、突撃!」

 

 これまでの防戦でフラストレーションがたまり切っていた味方の兵士たちは、獣のような叫び声をあげて敵陣へ殺到した。当然、敵も精鋭。反撃は苛烈で、こちらの兵は次々と切り殺される。しかしそれでも傭兵たちは怯まなかった。戦友の屍を踏み越え、槍や剣を振るう。なにしろ相手は帝国最高峰の騎士たちだ。それを倒したとあれば、騎士身分へ取り立ててもらえる可能性すらある。

 対する帝国兵は、明らかに動きの精彩を欠いていた。何しろ敵は男騎士、死ぬまで奮戦したところで得られるのは栄光でも名誉でもなく嘲笑なのだ。何が何でも死守してやるという気概が沸いてくるはずもない。それどころか、隙があればあわてて撤退しようとする者すら居る。士気の差は歴然だった。

 

「殺した敵兵の戦利品はすべてお前たちの物だ! ボーナスタイムだぞ、気張って行け!」

 

 最前線のすぐ後ろで、僕は傭兵隊へハッパをかけた。その声に背中を押されるようにして、傭兵たちは攻め手をさらに激しくする。結局、三十分もしないうちに近衛隊の撤退は潰走へと姿を変えた。

 



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第72話 くっころ男騎士と終戦

  逃げる近衛隊の背中を追い回し、僕たちは攻勢を続けた。アレクシアは途中で反転攻勢を仕掛けてきたが、すでに期は逸していた。攻勢に次ぐ攻勢、双方の兵士の命を石臼に投げ込んですり潰すような悲惨な戦闘の末、僕たちは伯爵軍の本営直前まで迫っていた。気づけば日も暮れ、真夜中と言っていい時間になっている。

 

「いったい、敵はどう出てくるかね」

 

 かがり火一つ焚かれていない敵陣の様子を見ながら、僕は呟いた。今夜は満月、明かりがなくとも敵の様子は丸わかりだ。敵兵たちは身を寄せ合い、戦斧や槍を構えながらこちらを睨みつけている。

 ライフルで一斉射撃すれば一網打尽に出来そうな密集陣だが、こちらにはもうほとんど弾薬が残っていない。それどころか、戦闘可能な兵員自体が五十名を割り込む始末だった。危険な攻勢を続けた結果がこれだ。

 こうなることは、プランCの実行を決心した時点でわかっていた。当たり前だが、守るより攻める方が被害が大きくなるものだ。だからこそ、守勢中心の立ち回りが出来るよう作戦を立てていたのだが……アレクシアの参戦によって、その目論見は完全に崩れた。

 

「降伏か、徹底抗戦か……それが問題だな」

 

 そう言ったのはヴァレリー隊長だ。土や血にまみれ、生傷だらけで軍装もボロボロになった彼女の姿はほとんど敗残兵のような有様だった。もっとも、それは僕を含めて全員同じことだ。しかし、皆一様に目だけはギラギラと輝いている。物資が尽き兵員も大幅に減少した以上、この機を逃せば敗北は必至だ。勝利を望むなら、相打ち覚悟でも突っ込む他ない。

 

「相手は夜目の利きにくい牛獣人。突撃をかければ、敵将を討ち取ることは可能だろう。もっとも、こちらも反撃でどれだけ死ぬやら分かったもんじゃないが」

 

「今さらですぜ、代官様」

 

 兵士の一人が蓮っ葉な口調で吐き捨てた。

 

「あとひと踏ん張りってところでイモ引くようなヤツはうちには居ません。あのお高く留まった帝国の騎士どもに一泡吹かせないことには、死ぬに死ねませんからね」

 

「一泡どころか十泡くらい吹いてそうだけどな、すでに」

 

「ハハッ、違いねえ」

 

 くぐもった笑い声が、部隊中に広がった。こんな状況なのに、士気は落ちていない。頼もしい限りだ。しかし、突撃はかけたくない。この攻撃を最後に、我が部隊は戦闘能力を完全に喪失するだろう。本当に相打ちになってしまう。

 一番の問題は、アレクシアの部隊だ。彼女らは完全に敗走し、数十の首が討ち取られている。それでも、まだ戦闘力は残しているはずだ。現在はどこかに潜んでいるようだが、戦闘中に漁夫の利目当てにまた前に出てくる可能性も十分にある。そうなったら僕たちはもうおしまいだ。

 

「しかし、一応礼儀として降伏勧告はしておこうじゃないか。むこうも、開戦前に淑女的な降伏勧告をしてくれたわけだからな」

 

「ああ、ありゃあ傑作だった! ハハハ……」

 

 笑う兵士たちに手を振ってから、僕は兜の面頬を降ろした。月明かりが照らす山道をゆっくりと歩き、敵陣の前に出る。

 

「これ以上の戦闘は無意味である! 武器を置き、白旗を揚げよ! 我々は投降者をむげには扱わない」

 

「ふざけるなー! 王国の魔男が!」

 

「そんな小勢で何が出来る! 降伏するべきなのは貴様らだ!」

 

 当然、敵陣からは猛烈なブーイングが返ってきた。しかし、その声は震えていた。彼女らも、自身がのっぴきならない状況に追い込まれていることは理解しているだろう。まあ、やせ我慢だ。もっとも、やせ我慢をしているのはこちらも同じことだが。

 

「一週間以内に、本国からの増援が到着する。まずは、一個連隊。さらに後詰で三個中隊。奇跡的に我々を打ち破ったとして、諸君らにこれだけの戦力を相手に戦闘を続行できるだけの戦力が残されていると思うのか?」

 

 僕はそう言い返した。もっとも、発言の半分は嘘だ。増援が到着するには二週間近くかかる。しかし、戦場にいる彼女らにそれを確かめるすべはない。案の定、敵の間でざわめきが広がった。

 こちらの増援のことは、考えないようにしていたのだろう。危機的状況に陥った人間は、つい目の前の問題に対処することだけに集中してしまいがちになる。一種の現実逃避だ。

 

「次の戦場はリースベン領ではない、ズューデンベルグ領だ。想像してみるんだ、諸君らの故郷や領地の田畑が王国兵の軍靴で踏みつけられている様を。この期に及んで戦いを続けるのは、無益を通り越して有害である!」

 

 しばらくの間、これといって反応はなかった。ただ、ざわめきだけが増えていく。しかしそのうち、敵陣の一角で松明が点火された。やがて、数名の女たちが前に出てくる。シーツか何かの切れ端で作ったと思わしき急造品の白旗が、松明のぼんやりとした明かりに照らされていた。

 

「武装はしていないようですね」

 

 僕の傍らに控えるソニアが、小さな声で報告した。たしかにその一団は誰一人として剣も斧も携えていない。軍使としての体裁は整っている。

 

「とはいえ、油断は禁物です。ご注意を」

 

「もちろん」

 

 窮鼠猫を噛む、というのはよくある話だからな。油断させて短剣で一突き、なんてことも考えられる。

 

「こちらはズューデンベルグ伯爵名代、ルネ・フォン・ディーゼルである。降伏の条件に付いて話し合いたい!」

 

「承知しました。ゆっくりとこちらに歩いて来てください」

 

 口調がぞんざいにならないよう気を付けながら、僕は言い返した。僕自身、ずいぶんと疲労困憊しているからな。気を抜いたらボロを出しかねない。しかし、相手は伯爵名代。僕より貴族としての格は高い。敗者と言えど、丁重に扱う必要がある。

 白旗を掲げたまま、伯爵名代たちは指示通りゆっくりこちらへ近寄ってきた。たしか、彼女はディーゼル伯爵……ロスヴィータの妹だったか。姉妹だけあって、巨躯なのは同じだ。しかし面頬を上げて露わになったその顔には、隠し切れない疲労と不安の色がある。

 

「リースベン代官のアルベール・ブロンダン男女爵です」

 

 名乗っておいてなんだが、よくわからん称号だよな、男女爵。いや、前世の世界にも女男爵とかいたけどさ。

 まあ、それはさておき伯爵名代と握手を交わす。体格通りの大きな手だったが、微かな震えがあった。

 

「単刀直入に聞きますが、降伏の条件は?」

 

「無条件降伏とは言いません。しかし兵員に関しては、すべて領地へ帰していただきたい。こちらは寡勢、軍がにらみ合ったままでは安心して眠ることもできませんから」

 

「……武装解除を求められなかったこと、感謝いたします。他には?」

 

 そりゃあ、僕の手勢はもう五十人ばかりしかいないからな。まだ数百人は残っているであろう伯爵軍の武装解除を監督するのは並大抵のことじゃない。それならば、いっそ帰ってもらったほうがマシだ。

 ……アレクシアの一味に関しては、そうもいかないだろうが。本当にどうするかね、あいつら。さすがに名目上の雇い主が降伏した以上、戦闘を継続するのは名目が立たないだろう。しかしあの先代皇帝のマッドっぷりを見るに、あまり安心はできない。

 

「あの傭兵団に関しても、幹部級以外はいったんズューデンベルグ領で預かっていただきたい。連中が何かをしでかしたら、降伏を反故にしたと判断させていただくので、ご注意を」

 

「ずいぶんと警戒されていますね。たしかに、尋常の傭兵ではないようですが……」

 

 伯爵名代は不思議そうに小首をかしげた。彼女はあの傭兵団の正体を知らないのだろうか? シラを切っている可能性もあるが……今はまあいい。話を本題に戻そう。

 

「連中には、随分苦労させられましたので……それはさておき、です。和平交渉のため、ルネ伯爵名代殿にはリースベン領に来ていただきたい。もちろん、護衛の同行も許可しましょう」

 

「承知いたしました」

 

 無念そうに、伯爵名代は頷く。まあ、この辺りが落としどころだろう。あまり多くの要求をして、やっぱり降伏やーめた! とか言われたら困る。

 

「実際の和平交渉については、自分ではなくガレア本国から担当者が来る予定です。……現状、こちらからお伝えできる情報はこの程度です。いかがされますか?」

 

「……致し方ないでしょう。ここまでくれば、もはや我らに選択肢はありません。どうぞ、寛大な処置をお願いしたく」

 

 口を一文字に結んでから、伯爵名代は深く頭を下げる。それを見た僕は、一瞬意識が遠のくほどの安堵感を覚えた。これでやっと戦いが終わる……。



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73話 くっころ男騎士と和平交渉

 やっとのことで戦闘が終わったが、僕に休む暇は与えられなかった。降伏した伯爵軍の監視や死傷者の計算、戦闘詳報の作成、戦場の後片づけなど、やるべき仕事はいくらでもある。そしてその中で最も大きな仕事と言えば……和平交渉である。

 

「では、賠償金はこの金額で妥結ということで」

 

 ニヤニヤ笑いでそんなことを言うのは、アデライド宰相だった。『私は戦場では役立たずだが、机上の戦いでは誰にも負ける気はない。万事任せなさい』と大言壮語を吐くや否や、ディーゼル伯爵側の担当者が顔色が真っ青になるほどの素晴らしい交渉術を見せつけた。勝ち取った賠償金の額は、リースベン領なら丸一年以上無税で運営できそうなほどのものだ。

 

「は、はあ……わかりました……」

 

 伯爵側の交渉担当者が、うなだれながら蚊の鳴くような声で答えた。彼女もずいぶんと頑張っていたのだが、流石にガレア王国でも屈指のやり手政治家を相手にするには流石に力不足だったようだ。

 交渉は、すべてアデライド宰相に任せて大丈夫そうだ。やることがなくて退屈をしている僕は、香草茶で唇を湿らせつつ周囲を見回した。

 

「しかし、よくもまあこの狭い会議室にこれだけのメンツが集まったもんだ……」

 

 和平交渉が行われているのは、リースベン唯一の都市カルレラ市の代官屋敷だ。つまり、僕の自宅だな。零細開拓都市の代官屋敷の会議室だ。当然、やたら狭いし備品も粗末だ。会議室としては最低限の機能しかない。

 だが、そこに詰めているお歴々はなかなか錚々(そうそう)たる面子だった。まず、王国側の代表はアデライド宰相。役職としては、王国側の全権大使ということになっている……らしい。彼女の他にも、王軍の将軍(宰相派の法衣貴族で、リースベン救援軍の総指揮官だ)やら、司教様やら、いろいろ居る。

 対するディーゼル伯爵側の代表者は、例の伯爵名代だ。あとは騎士やらディーゼル家の主計係やら……正直に言えば、王国側に比べると格の落ちる連中が多い。しかし、一人だけVIP中のVIPが居た。もちろん、アレクシアだ。

 

「……」

 

 アレクシアの方に視線を向けると、彼女は挑戦的な目つきでこちらを見返してきた。もっとも、戦場でもかぶっていたあの真っ黒い兜を着用しているため、スリットから除く目元以外の様子はさっぱりわからないが……。ちなみに服装は普通の礼服である。それにフルフェイスの兜を被っているわけだから、もう完全に不審者の装いだ。

 どうやら彼女は、先代皇帝アレクシアではなく傭兵団長クロウンとしてこの場に参加しているらしい。それはどうなんだ、と思わなくもない。とはいえ、下手につついて神聖帝国の帝室が出てきても困るからな。

 それに、向こうも向こうで最初から顔や所属を活動していたのにはそれなりの理由があるはず。いわゆる不正規部隊みたいなもんだろう。あまり表舞台には出てきたくないと見える。じゃあ軽々しく所属を明かすなという話だが。

 

「続いては、そのほかの要求だが……」

 

 僕とアレクシアに流れる微妙な空気に気付きもしない様子で、アデライド宰相は熱弁を振るっていた。この手の交渉事に関しては彼女に丸投げしておけば問題ない。頼りになるうえ、ボディタッチまで激しいと来た。理想的な上司すぎて真面目に泣きそうだよ。

 しばらくの間、粛々と会議は続いた。ケツの毛までむしる勢いで、アデライド宰相はディーゼル伯爵家に要求を突き付けていく。向こうの担当者が拒否しても、口八丁で強引に要求を通すのだから恐ろしい。

 まあ、伯爵軍の主力は壊滅してるからな。向こうもあまり強く出られないというのもある。それに比べてこちらはリースベンの救援にやってきた大部隊が無傷で残っている。結局援軍は戦闘には間に合わなかったが、交渉ではとても役に立っている。こちら側の残存戦力が僕の部隊だけだったら、こうもスムーズに交渉は進まなかっただろう。

 

「結構結構、有意義な取引だった」

 

 一通りの要求を通した後、アデライド宰相は満足そうに頷いた。しかしすぐに厳しい表情になり、伯爵家側を睨みつける。

 

「しかし、空手形を渡されても困るからな。契約の確実な履行を保証するためには、担保が必要になってくる。わかるね、君たち?」

 

「人質、ですか」

 

 伯爵名代が難しい表情で唸った。この世界では敗戦側が戦勝側に人質を差し出すことはよくあるが、その人選はなかなか難しい。下手な人物では人質にならないし、有力な人材を差し出せば家の運営に支障が出る。

 未成年の嫡出子がいれば話が早いのだが、ディーゼル伯爵の娘はカリーナ以外成人済みだったりする。じゃあカリーナでいいじゃん、という話になるはずなのだが……

 

「カリーナは勘当済みですから、人質には出せませんし」

 

 残念ながら、彼女は勘当されてしまったらしい。まあ、敵前逃亡に一騎討ちの妨害だからな。そんなことをしたヤツを人質として差し出した日には、舐めていると判断されても仕方がない。……いやーしかしラッキーだ。勘当されたということは、現在カリーナの身柄はフリーってことになるからな。大手を振って味方に取り込むことができる。

 

「……そこで提案なのですが。姉を、ロスヴィータを人質にする、というのはどうでしょうか?」

 

「ディーゼル伯爵を?」

 

 僕は思わず聞き返した。彼女は一応、捕虜交換で伯爵家に戻っている。伯爵家はディーゼル伯爵の戦死を発表していたが、結局戦いには負けてしまったわけだからな。今さら見栄を張っても仕方がないということで、発表は取り消しとなった。現在は敗戦の責任を取り、謹慎中とのことだが……。

 

「こんなことになってしまった以上、姉は当主の座を降りざるを得ません。近いうちに、姉の長女が伯爵家を継ぐ予定となっています。領地に居ても針のむしろでしょうし、いっそそちらで引き取ってもらった方が……」

 

 なるほど、一理ある。事実上の追放だな。とはいえ、人質としての価値は十分にある。そりゃあ、元当主だからな。自分の家の内情は誰よりも詳しいだろう。伯爵家が彼女を裏切った日には、それらの不都合な情報がこちらに暴露されるリスクがある。

 

「ふむ」

 

 アデライド宰相が、こちらをちらりと見る。僕が頷くと、彼女は視線を伯爵名代に移した。

 

「よろしい。そちらの案を受け入れよう」

 

 和平交渉は、これで終了の運びになった。僕たちが手に入れたのは今後十年の相互不可侵、多額の賠償金、リースベンから伯爵領へ入国する商人に対する関税・通行税の撤廃、そしてデコボコ親子が二名……上々の結果である。

 領地は得られなかったが、伯爵領から土地を切り取っても山脈の向こうだからな。実質的な飛び地になるので、統治が難しくなる。そんな土地なら最初から貰わない方がマシだ。

 

「……」

 

 伯爵側に対する交渉は、これでヨシ。しかし問題はアレクシアである。あれほど戦場を滅茶苦茶にしておいて、まったくお咎めなしというのは頂けない。彼女の命まで要求するのはムリだろうが、カネくらいはむしり取らなければ。



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第74話 くっころ男騎士と責任問題

 交渉を終え、ディーゼル伯爵家の者たちは会議室を後にした。しかし、アレクシア……もといクロウンをはじめとするクロウン傭兵団のメンツは部屋に残ったままだ。彼女らも、何事もなかったかのようにこのリースベンを去る気は流石にないらしい。

 

「出来ればアルベールくんと……アデライドくん以外は退出してもらいたんだがな。駄目だろうな」

 

「無論、よろしいわけがありませんな」

 

 渋い顔で将軍がピシャリと拒否する。当然だが、クロウンの正体はアデライド宰相たちには全員伝えている。今さら隠そうとしてももう遅い。

 

「そうだろうな。致し方ないか」

 

 ため息をついてから、アレクシアは兜を外した。中から現れたのは、あの端正で高貴な顔だった。その頭には、ライオンめいた耳がついている。彼女は獅子獣人だ。礼服の腰の部分からは、先端に房のついた長い尻尾も飛び出していた。

 彼女の美しい金髪はふさふさとしており、見ようによってはライオンのタテガミにも見える。タテガミといえばオスライオンの特徴だと思うのだが、こちらの世界のライオンはメスにタテガミがあるのだろうか?

 

「……本物のアレクシア陛下だな。相当出来の良い影武者でなければ」

 

「ハハハ……きみとは二年ぶりになるか、アデライドくん。相変わらずの辣腕ぶり、感心したぞ。どうだ、神聖帝国に来ないか? きみのために帝国の宰相の席は開けているぞ」

 

「どうやら影武者ではないようだ。もちろん、お断りする」

 

 苦虫をダース単位でかみつぶしたような顔をして、アデライド宰相は首を左右に振った。どうやら彼女らは顔見知りらしい。まあ、隣国の重鎮同士だからな。外交の場で顔を合わせる機会はいくらでもあるか。

 

「なかなかエキセントリックな方だな」

 

 将軍が僕の耳元で囁いた。ドン引きといっていい表情をしている。こんな状況で勧誘を始めるなんて、確かに正気の沙汰ではないだろう。

 

「僕も帝国に寝返らないか聞かれましたよ。もちろん拒否しましたが」

 

「いい判断だ。裏切り以前にあの手の上司の下で働くとろくな目に合わないぞ」

 

 ずいぶんと含蓄のある言い草だった。僕も完全に同感である。

 

「今さら前置きなど必要ないでしょうから、さっさと本題に入ることにいたしますが……そちらはいったいどういうおつもりでこの戦争に介入を?」

 

「アルベールくんに語った通りだ。旅先で偶然ガレアの男騎士のうわさを聞いてな。どれほどのものか確かめたくなった」

 

 そんな理由で参戦されちゃ困るんだよ。お前のせいでこっちは想定の三倍近い損害を被ったんだぞ! ムカムカしてくるが、表には出さない。我慢だ。

 

「戦場でミスリルがどうのとかおっしゃっているのを聞きましたが」

 

「耳ざといな。我が未来の夫よ」

 

「夫じゃないです」

 

 宰相の目がすっと細くなった。なんだか雰囲気が怖い。

 

「聞かれていたのならしょうがないか。ミスリル鉱脈がリースベン領に存在することは、そちらに潜り込ませた間者によってすでに調べがついていた。戦略物資を辺境領主だけに独占させることは我の構想にも反するのでな、一枚噛ませてもらおうと参戦した」

 

 やっぱり裏があったか。まあそりゃそうだろう。偶然出てきていい地位じゃないだろ、先代皇帝とか。

 

「情報の出所に関しては……」

 

 不審そうな目つきで、将軍が聞いた。ミスリル云々は、ほんの先日まで僕たちも知らなかった案件だからな。それが敵国にダダ漏れになっているのだから、恐ろしいことこの上ない。

 

「もちろん、黙秘する」

 

「でしょうな」

 

 頷く将軍だが、その表情に落胆の色はない。アレクシアがこの情報を知っていたという事実だけで、ある程度の容疑者の特定はできるからだ。オレアン公を追求するネタに使うには十分だ。

 

「まあ、何にせよだ。我々は負けた。それなりの責任はとらねばらない」

 

 アレクシアは僕の方をちらりと見てから、腕組みをした。立派な体格に負けない立派な胸が腕の上に乗る。思わず「でっか……」と呟きそうになる。

 

「とはいっても、先帝アレクシアではなく傭兵団長クロウンとして責任を取るのが精いっぱいだ。我がガレア国王直属の代官と戦い、そして敗れた事実が公表されれば……お互いにとって不都合な結果を招く。違うか?」

 

 何しろ皇族案件である。下手をすれば王国と神聖帝国の全面戦争になる。地域紛争レベルならともかく、全面戦争となると得られるものより失うもののほうが圧倒的に多いからな。両国とも、それは避けたいだろう。

 

「でしょうな」

 

 対抗するように、アデライド宰相も腕を組んだ。アレクシアがバカでかいので目立たないが、彼女もかなりのモノを持っている。……いかん、思考がスケベなほうへスケベなほうへ流れていく。戦場じゃ自分で解消するのもままならないからな……。

 

「出せるものと言えば、慰謝料くらいか。それも非公式のな」

 

「妥当と言えば妥当でしょうね」

 

 僕は頷いた。命はカネで買えないが、貰えるものは貰っておきたい。戦死者遺族への弔慰金や、戦傷を受けた兵士への年金の種銭になるだろう。

 できれば首が欲しいんだけどな。特にあの魔術師。足が飛んだのならもうまともに戦える身体ではないと思うが、万一ということもある。恨みから自爆テロめいた攻撃を仕掛けてきたりすれば、シャレにならない被害が出そうだ。

 事前にそれとなく提案したのだが、当然のように猛烈な勢いで首を左右に振られてしまった。残念だが、仕方あるまい。

 

「悪いな」

 

 頭を下げてから、アレクシアはさらに続ける。

 

「いや、本当に悪いと思っている。この件で、我もきみもずいぶんと多くの有能な部下を失った。これは耐えがたい損失だ。きみの言うように、我は無能とそしられても仕方がない人間のようだ」

 

「ほう」

 

 もう一度深々と頭を下げるアレクシアに、僕は少しだけ彼女を見直した。案外、殊勝な所も……

 

「まあ、過ぎてしまったものは仕方がないので、この経験は次に生かすことにするが」

 

 いや、やっぱり駄目だわ。切り替えが早すぎる。将校としては切り替えが早いのは美徳だけど、それはさておき普通になんか嫌。

 

「とはいえ、流石にそれだけというのも困りますぞ。誠意はカネで買えませんからな。それなりの態度という物を見せてもらわねば」

 

 アデライド宰相が注文を付けた。言い草が完全にヤクザだな……。

 

「ふむ、一理ある。いや、その通りだ。きみたちとは、これからもそれなりに友好的な関係を保ちたいからな……」

 

 どうやらこの女、まだ僕たちの勧誘をあきらめていないらしい。いい加減諦めてくれ。

 

「では、こういうのはどうだろうか。私人としての我が、きみたちの願いを一つだけ叶える。殴らせろと言われれば無抵抗で殴られるし、頭を下げろと言われれば頭を下げよう」

 

 ぽんと手を打つと、名案だと言わんばかりの態度でアレクシアは立ち上がった。

 

「公人、つまり神聖帝国の先帝・アレクシアとしては、国家に対して不利益になるような要求は聞けない。しかし私人として対応できる範囲であれば、どのような願いも聞き届けよう。どうだ?」

 

 どうだ、じゃないよ。微妙に対応に困る条件を出してくるなっての。

 



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第75話 くっころ男騎士と先帝陛下のケジメ

「どうします? アデライド」

 

 いきなりなんでもいうことを聞いてやる、なんて言われても困ってしまう。ストリップショーをしてくれと頼んだらやってくれるんだろうか? ……やってくれそうだな。こっちの世界の女性は割と気軽に脱ぐからな……。男は肌着姿になるだけでアレコレ言われるが。

 先帝陛下のストリップショーに興味があるかないかで言えばもちろんあるが、そんなことを堂々と頼んだら僕が変態扱いされてしまう。だいたい、この人で興奮したら謎の敗北感がありそうなんだよな。顔は良いけど性格がアレすぎる。

 

「ふーむ……」

 

 アデライド宰相はなんとも難しそうな表情で唸った。そして僕の耳元に口を寄せ、先帝陛下に聞こえないような声で聞いてくる。

 

「正直なところ、私はこの方は嫌いだ。この機会にひとつ、嫌がらせでもしておきたいが」

 

「それは同感ですね。この人、撤退する時ですらなんか余裕ブッコいてましたし……なんかこう、この得意満面の顔が歪むところが見たい」

 

「キミも随分とフラストレーションが溜まっているようだねぇ……」

 

 かわいそうなモノを見るような目でアデライド宰相は言った。……しょうがないじゃないか、こいつのせいで僕の部下が何人も死んだわけだし。おまけにこの人、負けてもまったく悔しそうにしないし。勝ったのに勝った気がしない。これは非常に気に入らない。

 

「まあ、気分はわかるがね? いい機会じゃあないか、一発カマしてみるのも悪くない」

 

「殴っても効果薄そうな気がするんですよ、この人」

 

 ソニアの飛び蹴りくらってピンピンしてるようなヤツだからなあ。強化魔法かけてブン殴ったところでどれだけの効果があるやら。……ここはむしろ、ドン引きさせる方向性で行ってみるか。

 

「私人として出来ることなら、何でも聞いてくれるんですよね?」

 

「無論だ。我に二言はない」

 

「じゃ、指を一本自分で落としてください。利き腕じゃないほうの薬指でいいです」

 

 ジャパニーズ・ヤクザ・スタイルだ。ケジメをつけるというのならこれが一番だろう。隣のアデライド宰相が「ひん……」と小さな悲鳴を上げた。いい反応だ。さすがのアレクシアもこれには余裕顔を保てまい……。

 

「親指は論外だし、小指も剣が握りにくくなる。その点、薬指であれば悪影響は限定的だ。公務を理由には断りづらい……なるほど、考えたな」

 

 そう思ったのだが、なぜか先帝陛下は弾んだ声でそうお答えになられた。……は?

 

「自ら指を落とすという自主性、それに欠損という不可逆性……責任の取り方としてはなかなか理想的だ。薬指一本できみたちとの関係を修復できるというのなら、安いものだ。いいだろう、短剣を用意してくれ」

 

 こいつ無敵か? アレクシアのニコニコ顔を見て、僕はそう思った。王国側も傭兵団(近衛隊)の幹部たちもざわざわとしている。彼女の表情からは、見栄や虚勢の色はまったくうかがえない。本心からの発言だろう。思惑が外れてしまった。滅茶苦茶腹立つなあ! やっぱりコイツ、嫌いだ。

 

「……いえ、その言葉だけで結構です。先帝陛下の誠意は伝わりました。試すような真似をしてしまい、大変に申し訳ない」

 

 精神面で優位に立つために極論をブチかましたのに、それがノーダメではこちらの負けだ。むしろ余裕の態度を崩さなかったアレクシアの評価が上がってしまう。それでは駄目だろう。僕は即座に自身の提案をひっこめた。敵味方の双方から、安堵のため息があがる。しかし当のアレクシアは不満顔だ。

 

「しかし、責任を取るといったのは我だぞ。罰が何も無しでは収まらん。早く短剣を持ってきてくれ、指の一本くらいなら今すぐくれてやる」

 

「うわあ」

 

 僕の負けでいいから、勘弁してくれ。向こうの幹部級が、余計なこと言いやがって! みたいな顔で僕を睨んでいる。立場に守られてるから指一本程度で済んでるんだぞ、お前ら! 本音を言えば、お前ら全員の首を要求したいくらいだよ!

 

「……要するに、あの女が悲鳴を上げるような要求がしたいわけだろう?」

 

 困り切っていた僕に、アデライド宰相が囁いた。

 

「私に考えがある」

 

 そう言って、宰相は自身のアイデアを僕に聞かせた。

 

「そんなことで、効果があるんですか?」

 

「わからん。だが、私が飼っている猫には効果がある。ヤツは獅子獣人なんだから、猫の仲間だろう?」

 

 猫飼ってるんだな、アデライド宰相。王都へ戻ったら触らせてくれないかな……この頃精神が荒み気味だから、アニマルセラピーを受けたい気分だ。

 

「耳と尻尾と体力以外は只人(ヒューム)と大差ないでしょ、獣人……」

 

 僕は唇を尖らせたが、他にいいアイデアがあるわけでもない。仕方がないので立ち上がり、こほんと咳払いする。

 

「……ええと、それでは当初のご提案通り、殴らせていただく方向にいたしましょう。そのほうが遺恨も残りにくいはず」

 

「指落としの件を聞いた後では、なんとも責任の取り方としてヌル過ぎる気はするがな。しかし、きみがそれで構わないのであれば何も言うまい」

 

 困ったような表情でそう言ったアレクシアは、僕の前まで歩み寄った、そのまま、両手を広げる。

 

「さあ、いつでも来るがいい」

 

「では、失礼して」

 

 僕はニヤリと笑い。彼女の真後ろへするりと回った。アレクシアの礼服のズボンからは、ライオンのものと同じような尻尾が生えている。そのすぐ上、背中と尻の間に当たる部分を、僕は平手でシバいた。

 

「ア゛ッ!」

 

 アレクシアが奇妙な声を上げる。痛いほど力は込めていないはずだが……。

 

「効いてるぞ、もっとだ!」

 

 宰相が嬉しそうな声で叫ぶ。まあ、効果はあるようなのでもう何発かやってみるか。

 

「ンッ、あ、あ、あ……」

 

 トントンとリズミカルに叩いてやるたび、アレクシアの腰がぐ、ぐ、と上がっていった。まるでもっと叩いてくれと言わんばかりの動きだった。アデライド宰相曰く、猫の尻尾の付け根を軽く叩いてやるとこんな感じになるらしい。

 面白くなって先帝陛下の腰をシバき続けていた僕だったが、耐えきれなくなったらしい彼女がクルリと身体を回して僕の肩を掴む。その腕には、ちょっと痛みを感じるくらいの力が込められていた。

 

「も、申し訳ないがそれくらいにしてもらえるだろうか。このままでは我慢ができなくなる」

 

 そう言う彼女の顔は真っ赤で、唇の端には唾液まで垂れている。息遣いはひどく荒い。先ほどまでの余裕顔は完全に吹き飛んでいた。……目的は達成したけど、何かヤバそうな雰囲気だぞ。目なんか、完全にトロンとなっている。今さらだが、こんなところでやっていい行為だったのか? 腰叩き……

 

「は、はあ……申し訳ありません。調子に乗り過ぎました」

 

「いや、そんなことはない。しかし、貴様(・・)が望んだことだ。もう我は止まる気はないぞ」

 

 僕に対する呼び方が、きみから貴様に変化していた。流石に怒ったのだろうか? そう思ったが、先帝陛下はそのまま何も言わずに自分の席に帰ってしまった。……その周囲の近衛隊幹部たちが、『こいつマジかよ』と言わんばかりの表情で僕を見ている。しかもその目つきには、若干情欲のようなものが感じられた。……僕はいったい、何をしてしまったんだろうか?



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第76話 くっころ男騎士と襲撃

 その後、会議は微妙な空気のまま終わった。流石に疲労を覚えた僕は、代官屋敷の裏庭でぼんやりしていた。堀と塀に囲まれた裏庭はまったく人気がなく、ゆったりするにはもってこいの環境だった。まあ、元代官のエルネスティーヌ氏がもともといた役人たちを連れて行ってしまったせいで、屋敷自体人が少なくてガランとしてるんだけどな、普段なら。

 

「……」

 

 エルネスティーヌ氏といえば、どうやら捕まったらしい。裁判にかけられ、その日のうちに斬首刑が執行されたとか。我が国がいくら人治国家といっても、即日処刑なんて普通じゃない。どう見てもオレアン公による口封じだ。

 まったく、こういうことに限っては手が早いから困る。エルネスティーヌ氏の直属の上司から結構な額の詫び金が届いちゃったのが憎いね。雀の涙みたいな額だったら、そこから追及できたはずなんだが。

 

「はあ……」

 

 戦争は終わったというのに、懸念事項はまったく減らない。近日中に今回の件を報告するためいったん王都に戻らなくてはならないが、とても気が重い。実家でゆっくりできそうなのは、嬉しいんだが。

 

「見つけたぞ」

 

 そんなことを考えていると、突然後ろからのしかかられた。背中にむやみやたらとデカい胸が押し当てられる感触があった。のしかかってきたヤツはとても大柄で、そのまま押しつぶされそうになる。

 

「げえ、アレクシア!」

 

 横を見ると、絵画みたいに整ったあのクソ女の顔があった。しかしその頬は紅潮し、息は荒い。明らかに興奮している。即座に逃げようとしたが、身体をガッチリ抑え込まれているので動くことすらままならない。

 

「げえ、とはひどいじゃないか。誘っておいて」

 

「誘って?」

 

 何の誘いなのだろうか。少なくとも、食事やランニングのお誘いではないのは明らかだ。というか、どう考えても夜のお誘いだろ。いくら僕が童貞と言っても、顔や雰囲気でそれくらいはわかる。

 

「そうだ。あんな公衆の面前で……流石に面食らったぞ。だが、悪くない。むしろ好みだ。受けて立ってやる」

 

「公衆の……面前? あの腰叩きか!」

 

 ああ、やっぱりアレ、そういう反応だったのか! あの時感じたヤバそうな雰囲気は、勘違いじゃなかったようだ。僕は虎の尾を踏んでしまったというわけだ。まあこの人は虎じゃなくて獅子獣人だが。

 

「なんだ、知らなかったのか? 虎や獅子の獣人は尻尾の付け根を叩かれると発情するからな。つまり、交尾をしたいので襲ってください。そういう意思表明として使われている」

 

 艶っぽい声で交尾とか言わないでほしい。こいつは性格はカスだが顔と体は極上なんだ。ただでさえ戦闘明けでムラムラしてるのに、このままではシャレにならないことになってしまう。

 

「そうです、知らなかったんですよ! なので勘弁してください!」

 

 こちとら竜人(ドラゴニュート)国家のガレア王国出身である。もちろんガレアにも獣人は多く住んでいるが、ほとんど平民だからな。僕も一応貴族階級の末席に居るので、その手の情報を耳にする機会はない。

 

「貴様が知ろうが知るまいが、そんなことはもうどうでもいい。我はもう止まる気はない、そう言ったはずだ……」

 

「ひっ……」

 

 アレクシアは突然僕の首筋に鼻を当てて深く息を吸った。しばらくクンカクンカし続けた彼女だが、やがて鼻を離すと陶然として息を吐いた。

 

「ふっ、だがおかしいな? 発情の匂いがする。貴様も興奮しているんだろうが、このドスケベ騎士め」

 

「ひぇっ」

 

 そういう彼女からも、むっとするような濃いフェロモンの香りが感じられた。いや、興奮するなってほうがむりでしょ。デカくてアツアツの豊満な肉体が背中にぴったり押し付けられて、艶めかしい声で耳元にささやき続けられてるんだぞ。無理。ヤバイ。不味い。

 

「流石に今から始めると邪魔が入りそうなので抑えるが……夜を楽しみにしておけよ? 朝までよがり狂わせてやる……」

 

「まずいですって。陛下、既婚者でしょ? 人妻はマズイ!」

 

 世継ぎを作るのも貴族の大事な役目の一つだからな。大国の元皇帝である彼女に配偶者がいないというのは、ちょっと考えづらい。

 

「陛下ではない、アレクシアと呼べ」

 

 拗ねたような声でそう否定してから、彼女は首を振る。

 

「貴様を夫にすると言ったはずだ。我にはまだ夫はいない。……軟弱な男の子なぞ孕む気はないと縁談を断り続けていたら、妹に国を追い出されてしまったのだ。そんなにえり好みをするのなら、自分で婿を見つけてこいとな。帝冠はしばらく預かっておくから、世継を作るまで帰ってくるなと言われてしまった……」

 

「ええ……」

 

「まあ、正直婿探しなどついでの仕事だと思っていたが……運命というやつはあるものだな。これほど極上のオスが見つかるとは」

 

 そんなことを言いながら、アレクシアは僕の襟元から手を突っ込んでくる。

 

「ニコラウスくんはいささか筋肉が足りず、どうにも抱く気になれなかったが。ハハハ、その点貴様はいい。我の情欲を煽るために生まれてきたような体つきだ……」

 

「チェストォ!!」

 

「ぬわーっ!!」

 

 ムラムラ来ていた僕だったが、ベタベタくっ付いてきてるのがあの(・・)糞女であることを思い出し、猛烈に腹が立ってきた。油断しきっていた彼女の袖口を引っ掴み、ブン投げる。土煙を上げながら地面にたたきつけられた彼女へ間髪入れずに飛び掛かり、関節を極める。

 

「捕食者気取で一方的に好き勝手抜かしやがって! そんなんだから足元掬われるんだぞこのボケナスが!」

 

「ぐぬっ……!」

 

 なんとか拘束から抜け出そうとするアレクシアだが、膂力に優れる獣人とはいえ関節を極められてしまえばどうしようもない。暴れれば暴れるだけ苦しくなるだけだ。

 

「オラァ往生せェ!」

 

 暴れる彼女を抑え込み、僕は叫ぶ。

 

「ハハハ……! まったくどれほど我を興奮させれば気が済むんだ、貴様は! ますます欲しくなった!」

 

 が、アレクシアは抵抗を止めるどころか全力で暴れ始めやがった。なんとか抑え込もうと格闘する僕だったが、やがて耳障りな音とともに彼女の右肩の関節が抜ける。

 

「貴様を犯すためなら腕の一本や二本程度……!」

 

「グヌーッ!」

 

 さすがにそこまでやるとは予想外だ。脱臼した拍子に拘束から半分逃れられ、思わず力が緩む。こうなるともう駄目だ。体重も筋力も違いすぎる。あっという間に逆転され、今度は僕が地面に押し付けられる側になった。

 

「夜まで待つと言ったが、もう無理だ! なあに、初体験が野外というのも趣があっていいだろう!」

 

 性的にマウントを取られるのは嫌いじゃないが、相手が不味い。キチンと禊を済ませたのならば宿敵とでもトモダチになってやるが、彼女はそうではないのだ。なにしろ、無為に人死を出した責任を取ると言ったその日にこの有様なわけだからな。断じて許せるものではない。この状況から逆転するには……喉笛を噛み切るくらいしか思いつかないな。流石にそこまでやったら強靭な獅子獣人でも致命傷だろう。

 ……サラエボ事件みたいになったらどうしよう? しかし、このまま唯々諾々とヤられるのも嫌だ。そう悩んでいると、脳裏に二人の人間の顔が浮かび上がって来た。前世の剣の師匠と現世の母上である。師匠は言っていた。『迷った時はまずチェストじゃ!』母上は言っていた『相手が誰であれ、舐められたら殺せ!』……方針は決まった!

 

「ウオーッ!」

 

 とはいえ只人(ヒューム)と獅子獣人の身体能力の差は絶対的で、チャンスがあるとすれば身体強化魔法の一瞬のバフのみ。しかも、そこまでやっても正面からぶつかれば力負けしてしまうのが只人(ヒューム)の悲しい所だ。暴れることで何とか隙を作ろうとする僕だが、片腕だけで抑え込まれてしまう。アレクシアの端正な顔が近づき、僕の唇をふさいだ。

 

「んっ……ふふ、ハハハ! 甘美な味だ。すばら……」

 

「何をやっているのですか、アレ……クロウン様!」

 

 唇を離すなり哄笑を上げ始めるアレクシアだったが、そんな彼女を咎める声が上がった。あわてて声の出所を見ると、そこには木製の車いすに座った男がいる。その人形のように整った顔には、はっきりとした怒りの色があった。

 

「こういう手段に出ないのが、貴方の最大の美点だと思っていましたが……どうやらぼくの買い被りだったようですね……!」



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第77話 くっころ男騎士とチート男魔術師

 男魔術師は戦場慣れした僕ですらちょっとびっくりするような怒気を放っていた。鋭い目つきで、僕に馬乗りになったアレクシアを睨みつけている。

 

「それ以上狼藉を働くようであれば、ぼくとて容赦はしません。いかな陛……団長とはいえ、魔装甲冑(エンチャントアーマー)もなしにウィンドカッターなりファイアボルトなりを受ければタダではすまないと思いますが?」

 

 やめろよ! 僕まで巻き込まれるだろ! 助けたいのか殺したいのかどっちかにしろよ!

 

「そちらの方も、敵にその身を汚されるくらいなら殺される方がマシだと思っているはず。男騎士とはそういう生き方だと聞いていますので」

 

 そう語る彼の目はマジだった。さしものアレクシアも若干ビビった様子で身を固くする。男魔術師殿の車いすを押している侍男(侍女の男版にあたる使用人)が、不安そうな様子で僕たちと男魔術師の顔を交互に見ていた。……うちの代官屋敷に男の使用人はいなかったはず。こいつもアレクシアの部下だろうか?

 

「……い、いや、すまない」

 

 しばらくにらみ合った後、折れたのはアレクシアの方だった。慌てたように立ち上がり、僕に手を差し伸べてくる。僕は彼女の手を取らず、自分だけで立ち上がった。唇を念入りにぬぐいつつ、彼女から距離を取る。アレクシアは露骨にショックを受けた表情になった。……戦場でシバきまくられてもヘラヘラしてた奴がなんでこれでショックを受けるんだよ!

 まあ、正直キスに関しては若干役得だったような気はするんだけどな。とはいえ犯されかけたのは事実なので、清純(・・)な男騎士としては嫌悪感を覚えているポーズは崩すことはできない。貴族社会を生きる男として、淫乱扱いされるわけにはいかんからな。

 

「助かりました、感謝します」

 

「ぼくは自分の良心に従ったまでです」

 

 僕をちらりと見ながらそう言う男魔術師殿の口調は冷たい。まあ、こいつの足をブチ抜いたのは僕だからな。そのことを知らないにしても、自分から足を奪った連中の首魁ってだけで反感はモリモリ湧いてくるはずだ。

 

「……なんというか、その」

 

 アレクシアの方も、冷静になってきたらしい。彼女にしては珍しく、ひどくバツの悪そうな顔で何かを言いかけた。しかしそれを、男魔術師が「言い訳無用!」と遮る。

 

「とにかく、今はアルベール殿も貴方の顔は見たくもないでしょう。正直に言えば、ぼくもです。言い訳をするなら、お互いが冷静になってからの方が良いはず」

 

 いや、個人的にはアレクシアが動揺している今がチャンスな気がするんだけどな。グリグリ責め立てて、いろいろと要求を通したいところだ。とはいえ、状況の主導権を握っているのはこの男だ。助けてくれた恩もあるから、好き勝手には動きにくい。

 

「……そうだな。押し倒したのは、流石にやりすぎだった。すまない」

 

 頭を下げてから、アレクシアは脱臼した右腕をプラプラさせつつ裏庭を後にした。どことなく、シュンとしているようにも見える。思った以上にしおらしいな。……性欲に引っ張られて行動したあと、ひどい後悔に襲われた経験は僕にもある(一時の気の迷いでつい性癖にマッチしてないお高めのエロゲを買っちゃったときとかな)。今の彼女も似たような心境なのだろうか?

 

「はあ……あんな人だとは思わなかった。淑女的なところだけは高く評価してたのに」

 

 男魔術師殿は、アレクシアを見送りながら深いため息をついた。

 

「ああ、自己紹介が遅れました。ぼくはニコラウス・バルツァー。クロウン殿の傭兵団で魔術師をしています」

 

「アルベール・ブロンダンです」

 

 視線をこちらに戻した男魔術師殿……改めニコラウス氏と握手を交わす。柔らかい手だった。剣の握りすぎでカチカチ手のひらがになっちゃった僕とは全然違う感触だな。顔も美しいし、さぞモテることだろう。

 

「……戦地帰りの兵士は、どうしても粗暴になってしまうものです。理性の働きが鈍くなったり、過剰に暴力的になったり……心の防衛作用ですから、本人にはどうしようもない部分があるんですよ」

 

 アレクシアに対する嫌悪感を隠しもしない彼の顔を見て、僕は言う。ひどい目に遭いはしたが、彼女も戦場から戻ったばかりだからな。ある程度は仕方がない部分がある。それに、あの人の発情スイッチを押したのはどうやら僕自身らしいしな。一方的に被害者ヅラもできないだろ。

 僕もそうだが、戦地から返って来たばかりの人間は平和に適応できないんだよな。どうしても問題行動を起こす可能性は高くなる。そういった事態を起こさないためには、軍や政府による十分なバックアップと周囲からの理解が必要だ。それが欠けると、有名な映画のベトナム帰還兵のようなことになってしまう。もちろん、だからと言ってなんでも許してやれるわけではないが。犯罪を犯せば裁きは必要である。

 

「……冷静ですね、貴方は。あんなことをされたのに」

 

「ひどい目にあうのは慣れていますから」

 

 そう言うと、ニコラウス氏の視線から感じる険が若干和らいだ。

 

「……実は、ぼくは偶然ここに通りかかったわけではありません。あなたに会いに来たんですよ」

 

「ほう」

 

 なんだか、突然雲行きが怪しくなってきたな。この男とはこれが初対面のハズである。それがわざわざ会いに来たとなると……足の復讐? 不味ったね。講和会議中は非武装というのが慣例だから、今の僕は帯剣していない。アレクシアの件もある。会議中はともかく、休憩中くらいは武装しておくべきだったか。

 

「男の戦闘職は希少です。だから、貴方も僕と同じ境遇なんじゃないかって……」

 

「境遇?」

 

 どうやら、物騒な方向の話ではないようだ。僕は内心安堵する。

 

「いろいろ、あるでしょう? 出世をしたければ身体を差し出せ、とか」

 

「ああ……」

 

 まあ、ぶっちゃけある。ケツを撫でるだけで満足してくれるアデライド宰相など、淑女的なほうですらある。直接的に「おい、セックスしろよ」と言われたことも一度や二度ではなかった。それでも僕の貞操が無事なのは、アデライド宰相やソニアの実家……スオラハティ辺境伯家の力添えあってのことだ。いやー、コネってすごいね。

 

「ぼくは……いえ、ぼくたちは、そのような現状を良しとはしていません。男性を女の従属物から解放するべく運動しています。クロウン様の傭兵団に在籍しているのも、その一環です」

 

 ……わあ、なんだかヤバそうな雰囲気だぞ。

 

「後ろの彼も、その活動の同志です。……属する国は違えど、同じような気持ちは貴方も抱いているはず。どうか、ご協力をお願いしたい」

 

 うううーん、言いたいことはわからんでもない。でも、僕の脳みその根底にあるのは民主主義国家の兵隊としての思考法だからな。軍人は政治に干渉するべきではない、という意識は根強い。まあ、軍人(騎士・貴族)が領地を運営する封建制社会でそんなことを言っても妄言以外の何物でもないんだが……。

 何にせよ、僕はあまり主義者にはかかわりたくない。その思想がどんなに良い物であってもだ。軍人としての僕の役割は市民の安全と財産を守るための剣になることだし、組織人としての僕の役割は部下たちをちゃんと食わせていくことだからだ。改革だのなんだのに熱中するあまり、本来の活動が疎かになってしまえば本末転倒である。

 まして、こいつらは他国の人間だ。危ない所を助けてくれたことはありがたいが、できれば他所を当たってほしい。とはいえ、正面から拒否するのもなんだか怖いんだよな。相手は凄腕の魔術師だし、こちらは徒手空拳だ。とりあえず話を逸らして時間を稼ぐことにしよう。

 

「……正直、驚いています。僕たちは、あなたに恨まれても仕方がない仕打ちをしたはず。にもかかわらず、そのようなお言葉を貰えるとは」

 

 僕はニコラウス氏の足を見ながら聞いた。彼の右ひざの先はなくなってしまっている。僕が銃で吹き飛ばしたからだ。なにしろ急所に命中すれば熊でも一撃で仕留めることができる対大型獣用の猟銃だ。人間を相手にするにはオーバーキル気味の威力を誇る。あたったのが胴体なら確実に仕留められてたのにな……。

 

「たしかに、ぼくはあなた方の手により片足を失いました。思うところがないわけではありません。しかし……」

 

 物憂げな顔つきで、ニコラウス氏は一瞬目を逸らした。そんな動作もサマになるから美少年というのは凄い。まるで一枚の絵画のようだ。

 

「ぼくにも夢があります。その実現のためなら、足の一本くらいの恨みなど水に流しましょう」

 

 夢。夢ね。軽くは流せないワードだ。僕だって、一度死んでいるにもかかわらず軍人としての栄達という夢を追い続けているわけだからな。気分は分かる。ま、こいつの抱えてる夢がどんなもんかは知らんがね。影ながら応援するくらいならいいが、カネやら部隊やらを出してくれと言われれば問答無用で断る程度の安い共感だ。

 ……いや、本当に彼らには支援する価値がないのだろうか? よく考えてみれば、彼らは典型的な不穏分子だ。軍事や政治の世界がガチガチの女社会なのは、神聖帝国も同じことだろう。そんな状況で急進的な改革を目指せば反発は避けられない。イイ感じに焚きつけてやれば、なかなか面白い状況に持ち込めるかもしれないぞ。

 うん、うん。悪くない考えだ。ここは言質を取られないよう気を付けながら色よい返事をして、後でアデライド宰相に相談してみることにしよう。なにも僕が個人で動く必要はない。こういう大きな案件は上司に投げるのが一番だ。

 

「なるほど、そこまでの志をお持ちとは。このアルベール、感服いたしました。宜しければ、詳しいお話を伺っても?」



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第78話 くっころ男騎士と夜這い?

「ふーっ……」

 

 様々な雑務を片付け、自室に戻った僕はベッドに転がりながら深いため息をついた。すでに夜も更けている。夕食も、和平成立記念パーティーという形ですでに取っていた。もっとも、パーティーと言っても勝者と敗者が同じ卓を囲んでいるわけだから、あまり雰囲気の良いものではない。正直気が重かったが、これも慣例なので仕方がない。

 アレクシアやニコラウス氏の件に関しても、アデライド宰相に報告を終えていた。自分の提案が原因で僕が襲われる羽目になったことに気付いた宰相は、ひどく恐縮した様子だった。

 

「ちょっとした嫌がらせのつもりだったんだがね……まさか獅子獣人にそんな習性があるとは。本当に申し訳ない」

 

 と何度も頭を下げるものだから、許さないわけにはいかない。実際、敵の弱みを発見することも出来たわけで、プラスかマイナスかで言えばプラスよりの出来事だった。ニコラウス氏の目的も知れたことだしな。

 ニコラウス氏はどうやら、『男が軽んじられるのは、男が戦えないからだ』と考えているらしい。コの考えは、確かに一理ある。戦えぬものに発言権無し、というのは前世の世界でも長い間使われていた考え方だからな。

 彼の当面の目的は、帝国内部に男性を中心とした実力組織を作る事らしい。その組織をもってアレクシアの帝国統一を支援し、発言権を手に入れる。まあ、考え方としては決して間違ったものではない。もっとも、うまく行くかどうかは怪しいが。

 なんにせよ、アレクシアが本気で国内の統一を実行すれば間違いなく国は荒れる。そうなれば、隣国であるガレアにも少なからぬ影響が出るはずだ。情報収集のためにも、敵の内部に話ができる相手を作っておくのも悪くない。実際に支援するかどうかはさておき、交流は続けていくべきだ。……それが、僕とアデライド宰相が出した結論だった。

 

「……さて」

 

 とはいえ、いろいろあった一日だったのですっかり疲労困憊だ。スケベ獣人に誘惑されたせいで体はムラムラしているが、脳はさっさと寝ろと主張している。どうしたものかと悩みつつ寝酒用の酒瓶を選んでいると、ノックの音が聞こえた。

 

「……」

 

 僕は無言で、壁際にひっかけてある剣帯を手早く装着する。ノックが鳴ったのが、ドアではなく窓の方だったからだ。ノックの音は遠慮がちに、だが断続的に聞こえてくる。この部屋は二階にある。夜中に、二階の窓の外に居る来訪者……マトモな手合いのはずがない。

 代官屋敷の窓には板ガラスなどという高価な代物は使われていない。代わりにはまっているのは、丈夫な鎧戸だ。そのため、こちらから外の様子をうかがうことはできない。蹴破られた時のことを考え、窓の正面に立たないよう気を付けながらサーベルの柄に手をかける。

 

「誰だ」

 

「我だ」

 

「我ではわからん、名を名乗れ」

 

 我なんて一人称を使っているヤツは僕の知る限りアレクシア先帝陛下しかいないが、あえて聞く。嫌がらせ半分だ。

 ちなみに、アレクシア陛下をはじめとするクロウン傭兵団の幹部たちは、街の有力者の邸宅に宿泊してもらっている。あのアホ先帝と同じ屋根の下で眠るのは勘弁願いたいからな。なにかに理由をつけて外へ押し出してやった。

 

「……アレクシアだ」

 

「なるほど。夜這いにでも来ましたか?」

 

 そういえば、本番は夜とか言っていた気がする。朝までよがり狂わせてくれるんだったよな? うーん、滅茶苦茶興味はあるね。僕もむこうも何のしがらみもない立場だったら、土下座してでもお願いしたいところなんだけどな。まあ、現実は無情だが。

 

「違う。謝りに来た……この窓は開けなくていい。話だけでもいいから、聞いてくれ」

 

「ほう」

 

 なかなか殊勝じゃないか。僕は少し感心しながら、考え込んだ。アレクシアは、今夜のパーティーには出席しなかった。気分がすぐれないので、ということだったが……実際は怪我をした姿を見せないためだろうな。

 脱臼程度なら獣人にとっては軽傷だろうが、すぐに関節をハメ直したところで動きに違和感が出てしまうのは避けられない。ベテランの騎士ならすぐに「ああ、何か怪我をしたな」と気付くだろう。

 

「聞くだけなら、まあいいでしょう」

 

「……あそこまでやる気はなかったのだ」

 

 ひどく苦々しい口調で、アレクシアは言った。自身の行いを後悔している様子だった。

 

「しかし、どうも我は相手が抵抗すればするほど興奮するタチのようでな……理性のタガが外れてしまった。大変に申し訳ないことをしたと思っている」

 

「ふうん……」

 

 それは肉食系獣人のサガだろうか、それとも帰還兵に特有の病気だろうか。もしかしたら、両者が混ざったゆえの行動かもしれない。

 

「これは言い訳だが……我があそこまで我を忘れたのは、生まれて初めてのことだ。我のことを自由人だの身勝手だのと評す輩は多いが、最低限のラインは弁えているつもりだ」

 

「そうですか」

 

「……いや、今はそんなことを言っても仕方がないな。戦争の件も合わせて、貴様に嫌われそうなことばかりをしている……。しかし、我が貴様を好いているというのは本気なのだ。我にふさわしいツガイは、貴様しかおらん。今となってはそう確信している」

 

「ほう」

 

 手荒く扱ってから、しおらしい態度で謝る。DV夫が良く使う手口だな。意識的にやっているのか天然なのかは判断しづらいが、なかなかの手管だ。僕がエロゲのチョロい女騎士なら、今すぐ窓を開けて仲直りックスにもつれ込んでいたかもしれない。

 ……実際のところ、チョロさで言えば童貞も大概だからな。水に流してやってもいいんじゃないか、くらいの気分が湧いてきているのが恐ろしい。我ながらチョロ過ぎないか?

 

「その……なんだ。本当にすまない。いや、ごめんなさいか……。怖がらせてしまって……」

 

「一つ、いいですか」

 

「なんだ」

 

「怖がらせて、とおっしゃいましたが、僕は襲われている間に一度たりとも恐怖を覚えることはありませんでした。なんといっても、あの程度なら勝ちに持ち込める自信がありましたから」

 

 これは本気の言葉だ。たしかに身体スペックの差はあったが、アレクシアは性欲で頭が茹で上がっていたからな。隙だらけだ。七割くらいの確率でぶっ殺せていた自信はある。

 

「あの状況から逆転できたと? く、ハハハッ!」

 

 それを聞いたアレクシアは、ほとんど反射的に爆笑していた。馬鹿にしたような笑い方ではなく、心底感心したと言わんばかりの様子だった。

 

「本当か!」

 

「ええ。隙だらけだったので。あの時にも言いましたが、自分が捕食者側に居ると思って慢心しすぎなんですよ、あなたは。足元を掬うのはカンタンです」

 

「そうか、そうか! 貴様がそう言うのなら、我は隙だらけだったんだろうな。ハハハ……!」

 

「ええ、そうです。いかな獅子獣人、いかな剣の達人であれ、あそこまで慢心したら赤子同然。勝利をもぎ取るのは容易なことです」

 

 赤子同然は流石に言いすぎだが、まああんなことをやられたんだから少しくらい意趣返ししても良いだろう。しかし先帝陛下は、ここまで言われても怒り出すどころかさらに愉快そうに笑った。

 

「ハハハハ……いや、すまん。我は貴様を舐めていた。アルほどの男が、そう簡単に怖がってくれるはずもないか。確かに我は慢心しすぎだな。少しは謙虚さを覚えた方がよさそうだ」

 

「その通りです」

 

 ……言っておいてなんだが、これは失敗だな。アレクシアは敵である。出来るだけ慢心し続けてもらったほうが戦いやすいんだが。

 

「わかった。とにかく、今回のことは我が一方的に悪い。心の底から謝罪する。次に襲うときは、もっと淑女的にエスコートしよう。約束だ」

 

「いや、そもそも襲わないでください」

 

「そういう訳にもいかん。なにしろ貴様は我の花婿だ。何が何でも頂いていく」

 

 やっぱりぶっ殺しておいたほうがいいんじゃないか、こいつ。何も反省してないじゃないか……。

 

「しかし、今回は我の負けだ。潔く退散しよう。しかし次はこうはいかん、分かったな」

 

「もう来ないでください。次こそぶっ殺しますよ」

 

「嬉しいことを言ってくれる。楽しみにしているぞ」

 

 ……ああ、そうか。この人は抵抗されるほど燃えるタイプの性癖なんだから、ぶっ殺す発言は逆効果なんだ! 無敵にもほどがあるだろ。マジで勘弁してくれ。

 

「今夜はこれで失礼しよう。……最後に一つだけ。お休みのキスを貰っても良いか?」

 

「鉛球とのキスで良いなら今すぐにでも」

 

 ホルスターから拳銃を引っこ抜き、撃鉄(ハンマー)を上げた。その音を聞いたアレクシアは、楽しげに笑う。

 

「……ハハハ、冗談だ。では、我が花婿よ。また会おう」

 

 その言葉を言い終わると、アレクシアは窓枠から飛び降りたようだ。地面に着地する音が聞こえ、そして……。

 

「曲者が! 無事に帰れると思うなよ!」

 

「グワーッ!」

 

 ソニアの叫び声と、何者かが蹴り飛ばされる音が周囲に鳴り響いた。



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第79話 盗撮魔副官と曲者

 わたし、ソニア・スオラハティは自室の壁に張り付き、隣のアル様の部屋から聞こえてくる音に全神経を集中していた。もちろん、手には愛用のカメラを握っている。アル様とて人間、性欲もある。特に今のような戦闘明けの夜は開放的になられる可能性が高く、素晴らしい写真を撮影するチャンスだった。ごそごそ怪しい音がし始めたら、仕事の合間にこっそり壁に開けておいたのぞき穴に急行しなくてはいけない。

 とはいえ、今のところその兆候はない。私は虫のように壁に張り付いたまま、目を閉じて聴覚を研ぎ澄ました。のぞき穴から向こうの部屋の様子を観察したい気持ちがあるが、我慢する。何しろアル様は剣の達人であり、その感覚は鋭敏だ。無遠慮に覗きをし続ければ、間違いなく視線に感付かれる。

 

「……」

 

 目をつぶりながら、考える。今日の会議が終わった後のアル様の様子についてだ。休憩から帰ってきたアル様の礼服には、土汚れがついていた。態度にも違和感があったので、なにか事件があったのは確実だろう。

 その事件についても、だいたいは見当がつく。おそらくは、あのカス先帝。発情したあの雌猫に襲われてしまったのではないだろうか。アレクシアは会議が終わった後忽然と姿を消し、その後姿を現していない。彼女が狼藉に及び、アル様に撃退された。そういう可能性は極めて高い。

 わたしがその場に居れば、アル様のお手を煩わせることもなかっただろうに……そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。その時のわたしは、積みあがった細かい雑務を処理するため屋敷中を走り回っていたのだ。こういうことがあるから、できれば一日中アル様のお傍に居続けたいのだが……人手不足がそれを許さない。

 

「はあ……」

 

 今回はなんとかなったようだが、やはりアル様には常に護衛をつけておきたい。出来ればわたし、妥協して信頼できるベテラン騎士だ。とにかく人手不足がいけない。せめて、気の利いた指揮官級の人材がもう一人いれば、わたしがアル様にお供できる時間が増えるのだが。

 

「ッ!?」

 

 などと考えていると、ギシギシという音が外から聞こえてきた。ちょうど、人が壁を伝って登ってくるような音だ。急いで壁から離れ、カメラを枕元に置いた。代わりに、腰に差していた護身用のショートソードを抜く。

 

「……」

 

 無言で窓際に立つ。もしこれが暗殺者なら、狙いは十中八九アル様だろう。窓から侵入しようとしたところを、真横から奇襲してやる。

 ギシギシ音は、予想通りアル様の部屋の近くで止まった。鎧戸にはまったカンヌキを抜いたその時、隣からノックオンが聞こえてくる。そこで、わたしの動きが止まった。丁寧にノックをしてから入室してくる暗殺者はいまい。これはもしや――

 

「誰だ」

 

「我だ」

 

 耳に入ってきたのは、聞き覚えのある声。案の定、腐れ発情雌猫のアレクシアである。これは夜這いだと直感し、窓から叩き落してやるべくアル様の部屋へ急行しようとしたが……会話を聞いていると、どうもそういう様子ではない。

 アル様と雌猫の会話に耳を澄ませていると、事情が理解できた。予想通り、あのゴミカス先帝は昼間にアル様を襲ってしまったらしい。今夜はそのことを謝るためにやってきたようだ。……謝罪がしたいなら正面から来い! まったく、ふざけた女だ。

 とはいえ、謝罪目的ならば妨害はするべきではない。詫びに何かしらの品を差し出してくる可能性があるからだ。腐っても大国の先代皇帝、むしれるものは何でもむしっておいて損はないだろう。わたしはショートソードを腰の鞘へ戻した。

 

「今夜はこれで失礼しよう。……最後に一つだけ。お休みのキスを貰っても良いか?」

 

 が、そんなわたしの温情をアレクシアは無視した。自身の劣情を言葉にしてアル様にぶつけた挙句、何も差し出さずに帰ろうとしはじめた。立場上こちらが強く出られないと思って、舐めているのではないか? 断じて許せるものではない。雌猫が地面へ飛び降りたが聞こえた瞬間、わたしは窓を開けた。裏庭へ着地したアレクシアの背中を確認して、窓枠を蹴り空中に飛び出す。

 

「曲者が! 無事に帰れると思うなよ!」

 

「グワーッ!」

 

 二階からの落下スピードが加算された猛烈な飛び蹴りがアレクシアにつき刺さった。まともに防御態勢を取れなかった彼女は、毬のように吹っ飛んでいく。もちろん、蹴りの一発程度で済ませてやる気はない。受け身を取りつつ着地したわたしはばね仕掛けのおもちゃのように飛び起き、地面に転がるアレクシアへと馬乗りになった。

 

「む、むうっ……! ソニア・スオラハティか! 誤解だ、我はただ釈明に来ただけで……」

 

「言い訳は許さん!」

 

 馬乗りになったまま問答無用で顔面をブン殴った。もちろん全力だ。アル様に手を出す不埒な輩に手加減をする必要など微塵もない。例え未遂だったとしても、キズモノにされたなどという風評が立ってしまう可能性がある。

 もちろん、アル様は最終的にわたしと結婚するのだから、その手の風評が立ったところでわたしは困らない。むしろ邪魔者が減って有難いくらいだ。しかし、そんなことは重要ではない。肝心なのはアル様の名誉であり、それを守るのが副官であるわたしの責務だ。やはりこの女は無事に返すわけにはいかない。

 

「ウ、ウオオ……素晴らしいパンチだ。やはりきみも尋常な騎士ではない。どうだ、我の近衛に……」

 

「黙れ! わたしの主は生涯アル様ただ一人だ!」

 

 ゴミカスの言葉に貸してやる耳はない。丁寧に丁寧にシバきまくる。殺すのは流石にマズイ。しかし、人間には二百十五本も骨があるのだとアル様はおっしゃっていた。一本や二本程度折れたところで軽症のうちだろう。そのくらいなら大丈夫なはず。

 

「何がおやすみのキスだ色狂いめ! そんなものわたしですら貰ったことがないんだぞ!!」

 

 というか、起きているアル様とキスをした経験すらない。まったく、アル様を庇ってキスを貰ったという例の新兵が羨ましいな。……とはいえ、アル様のために命を投げ出そうとした兵を叱責するわけにもいかない。心の中に湧いてきた嫉妬は、目の前のクソ猫で解消だ。

 

「無事に領地に帰れると思うなよ、下郎が!」

 

 わたしはもう一発、アレクシアの顔面をぶん殴った。



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第80話 くっころ男騎士と酒盛り

 ソニアの手によりボコボコにされたアレクシアは、その後衛兵たちに捕縛されてしまった。一応、『部屋には入ってこなかったし、少しおしゃべりしたら自分から帰ろうとした』と証言はしたのだが……夜中に男の部屋を訪ねた時点でアウトだと言われてしまった。

 結局アレクシアは拘置所で丸一日過ごし、多額の慰謝料を払う羽目になってしまった。クロウン傭兵団の主計係が『このままでは団の運営費が……!』と頭を抱えていたのが印象的だった。アホな上司を持つと大変だよな。

 その事件の後は、大したトラブルが起こることもなく数日が過ぎた。細かい実務者協議も終わり、和平条約は正式に締結。明日には伯爵家の担当者やクロウン傭兵団も帰路につく。やっとのことで、戦争の後始末が終わったのである。

 

「戦勝を祝して、乾杯!」

 

 上機嫌な様子のアデライド宰相が音頭を取り、ビールやワインの入った木製ジョッキで乾杯する。酸味の強い安ビールを一気に飲み干し、ジョッキをテーブルへ叩きつけた。

 

「はー、うまい」

 

 安酒でも勝利の美酒には違いない。気分は良かった。僕たちはカルレラ市中心部にある居酒屋を借り切り、慰労会を開いていた。狭い店内では僕の騎士たちやヴァレリー傭兵団の幹部連中、和平会議に参加したガレア王国のお歴々などがぎゅうぎゅう詰めになって酒や料理を楽しんでいる。

 大国の重鎮が宴を開くにはやや素朴に過ぎる店ではあるが、リースベンにはこれ以上上等な店はないので仕方がない。アデライド宰相自身は『酒はどこで飲むかではなく、誰と飲むのかの方が重要なのだ』と言って、店のランクについては全く文句をつけることはなかった。この辺り、やはり彼女は上司の鑑である。

 ちなみにここにいるメンツだけではなく、ヴァレリー傭兵団の下っ端兵士たちにも大量の酒樽や臨時報酬(ボーナス)を配っているので、今頃は町のどこかで宴会を開いていることだろう。

 

「いやはや、お疲れ様だ」

 

 ニコニコ顔でヴァレリー隊長が言った。傭兵隊長である彼女は当然だが和平会議には参加していない。ゆっくり休養がとれたおかげか、彼女の顔色はとてもよかった。

 

「ありがとう。いや、長かった。はあ……」

 

 対する僕は疲労困憊である。戦争で陣頭指揮を続け、そのまま和平会議に突入したわけだからな。肉体的にも精神的にも休むような暇はなかった。

 

「本当に良く頑張ったな、アルくん。素晴らしい成果だ。私も君のような部下が持てて鼻が高いよ」

 

「いやいや、アデライドのご助力あってのことですよ」

 

 そう言いながら、アデライド宰相のジョッキにビールを注いでやる。彼女は満面の笑みで頷き、ジョッキに口をつける。それを見ながら、僕は陶器のビンに入っている残りのビールを自分の杯へすべて注ぎ込んだ。

 しばらくは、当たり障りのない話が続いた。テーブルのド真ん中に鎮座したガチョウの丸焼きを切り分け、酒で喉奥に流し込む。ワイルドな楽しみ方だが、なかなかにウマイ。

 

「そういえば……」

 

 ガチョウの丸焼きが半分ほど消えた頃、ヴァレリー隊長が僕を見ながら聞いてくる。

 

「アル殿はこれからどうなるんだ? これだけの戦果を上げたんだ、何かしらの褒賞は貰えるだろう。リースベンの代官でいられるのか?」

 

「うむ、たしかにそのまま代官続行、とはならんだろうな」

 

 炒った豆をつまんでいたアデライド宰相が顔を上げ、頷く。……代官に正式に就任してからまだ一か月程度しかたってないんだが、もうお役御免ってことか。いくらなんでも早すぎる気がする。

 

「わずかな手勢を率いて五倍の戦力を持つ敵軍を打ち破り民には一人の犠牲も出さなかった。これは十分、昇爵に値する成果だ。おそらく、王領の一部を切り取ってそこの領主に……という話になると思う。が」

 

「が?」

 

「リースベンは君が防衛した土地だ。君が治めるというのが自然な流れだと私は考える。国王陛下にもリースベン領を下賜すべきだと上申するつもりだ」

 

 アデライド宰相はニヤリと笑った。……リースベンには、ミスリル鉱脈があるからな。僕がこの土地の領主になれば、とうぜんその上司である宰相も莫大な利益を得ることができるだろう。リースベン領に敵を呼び込み、それを撃破することでこの地を手に入れるというオレアン公の計画を乗っ取った形になるわけだな。

 

「とーぜんですよ! ケチな褒美しか出さないようなら、謀反も辞しませんよ、わたしはつ!」

 

 顔を真っ赤にしたソニアが叫んだ。慌てて彼女の口をふさぐ。なんという危険な発言を……。アデライド宰相もヴァレリー隊長も苦笑していた。

 ソニアは、すっかり酔っぱらっているようだ。彼女はビール一杯でフワフワし始める程度には酒に弱い。宴会の最中に寝落ちするなど、日常茶飯事だ。無理して飲むなよ、とは言ってあるのだが、酒に酔う感覚自体は好きなのだという。……まあ、ソニアがこんな状態になるのは仲間同士で集まるような宴会だけだ。アブナイ酔い方をするわけではないので、良しとしよう。

 

「ええと、つまり……僕の仕事自体は大して変化しない訳ですね」

 

 こほんと咳払いをしてから、気を取り直して聞いてみる。短期間であちこちに飛ばされてはたまったものではない。やっとリースベンにも慣れてきたところだしな。

 

「そうだ。まあ、一度王都に戻らねばならないことには変わりないがね。陛下に戦の報告をし、その場で領地を下賜、そういう流れになるよう調整している。……なに、我々には翼竜(ワイバーン)があるのだ。リースベンへはすぐに戻ってこられるだろう」

 

「なるほど、ありがとうございます」

 

 いや、うれしいね。僕も一国一城の主か。母上もきっと喜んでくれるだろう。王都へ帰るのが楽しみだ。

 

「そりゃめでたい。……ところで一つ提案があるんだが、聞いてもらえるか? アル殿」

 

 こちらの態度をうかがう様子で、ヴァレリー隊長が聞いてきた。この顔、こういう話に誘導するために話題を振ってきたようだな。僕はビールで唇を湿らせてから頷いた。

 

「聞くだけなら」

 

「あたしたちを正規兵に召し上げる気はないか? いや、この戦争でずいぶんとうちらも数が減ったもんでね。募兵が終わるまで、新しい仕事が取れそうもないんだよ。このままじゃ今年の冬は越えられねえって、部下共にせっつかれちまって」

 

 ヴァレリー傭兵団には、すでに相場よりかなり多めの報酬を払っていた。それに、クロウン傭兵団からはぎ取った戦利品もある。カネだけなら、傭兵団全員の装備を更新してもお釣りがでるほどあると思うんだがな。

 

「……いや、正直に言うとな? 部下共の中に、アル殿に心酔しちまった連中がいるんだよ。傭兵団を辞めてでもアル殿についていく! なんて言い出したもんだからさ……これ以上人が減ったら、いよいよ傭兵団解散の危機なんだ」

 

「ええ……本気か? ずいぶんとヒドイ指揮をしていた自覚があるんだけどな。よくもまあ、こんなのについて行こうなんて気になったな……」

 

 まあ、これはヴァレリー隊長なりのヨイショだろう。当然だが、傭兵は戦争がなければ収入もない。対する正規兵は毎月決まった給料が入るわけだ。当然、傭兵たちは機会があれば正規兵になろうとするものだ。ヴァレリー隊長も、この機に自分を売り込んでみようと考えたに違いない。

 もっとも、雇用側からすれば必要がなければすぐに解雇できる傭兵のほうが都合の良い存在だ。正規兵は維持に高いコストがかかる。ゆえに、ほとんどの領主は最低限以上の正規兵を持ちたがらない。有事の時にだけ傭兵を雇用したほうが、結局安くつくのである。

 

「ひどい指揮? はは、冗談だろ! 怪我した新兵背負って撤退するような人がさ」

 

「……」

 

 お世辞とわかっていても、面と向かって褒められるのは恥ずかしい。僕は無言でジョッキをあおった。そんな僕を見て、アデライド宰相が愉快そうに笑った。

 

「まあ、悪い提案ではないと思うがね? ディーゼル伯爵は退けたとはいえ、このリースベンは危険な土地だ。君の騎士たちだけで防衛するのは無理がある。結局のところ、兵は必要なのだ」

 

 確かにその通りである。蛮族やらオレアン公派の領主たちやら、脅威はまだまだたくさんある。戦争が終わっても、戦力の維持・拡張は急務だった。幸い、カネもそれなりに手に入った。ヴァレリー傭兵団の泣き所である装備の貧弱さは、すぐにでも改善可能である。

 それに、一度戦場を共に相手でもある。あれだけ不利な戦場で最後まで戦い抜いた連中なのだから、信頼できないはずがない。味方に付いてくれるというのなら、有難いことこの上ないな。

 

「そうですね……では、ヴァレリー隊長。今後ともよろしく、ということで」

 

「ああ、任された」

 

 僕が手を差し出すと、ヴァレリー隊長は満面の笑みで握手を返した。



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第81話 くっころ男騎士と酔っ払い

 宴が始まって二時間も立つと、皆べろべろに酔っぱらってひどい有様になっていた。ソニアはテーブルの上に身を投げ出して熟睡しているし、ヴァレリー隊長は周囲からの喝采を浴びながら下手な歌を全裸で熱唱していた。

 そしてもう一人の同席者、アデライド宰相と言えば、酒臭い息を吐きながら僕に密着していた。いやらしい手つきで僕の身体を撫でまわしながら、彼女はその豊満な胸を僕の背中にぎゅうぎゅうと押し付けてくる。

 

「相変わらず……スケベな体つきをしおってぇ……ほら、抵抗をやめなさい。良いではないか良いではないか、ぐへへ」

 

 大柄で筋肉質な体つきをしている竜人(ドラゴニュート)や大型獣人と違い、只人(ヒューム)であるアデライド宰相の身体は華奢で柔らかい。それがべったり密着しているのだから、まったく役得極まりない。

 僕も大概酔っているので、口では「やめてくださいよー」などと言ってみるものの振り払うような真似はもちろんしなかった。美人だわ、ボディタッチは多いわ、ビジネスパートナーとして頼りになるわ、まったく宰相閣下は理想の上司である。

 結婚相手としては理想なんだが、たぶん彼女は僕のことを火遊びの相手くらいにしか思ってないだろうな。まったく悲しいものだ。僕の身分がもうちょっと高ければ、こちらから求婚していたかもしれない。まあ、たぶん求婚しても玉砕する羽目になっていたと思うが。

 

「アル様ぁー!」

 

 が、そんな幸せな時間も長くは続かなかった。突然飛び起きたソニアが、アデライド宰相に襲い掛かったのである。彼女は一瞬で僕から引きはがされ、ソニアに抱き着かれたまま地面に転がった。

 

「ぬおお離さんか! やめろー!」

 

「くかー」

 

 ソニアの胸の中で暴れるアデライドだったが、ソニアは熟睡しつつも腕を離す様子がない。ちょうど宰相が抱き枕にされてしまった形だ。

 なにしろソニアは身長一九〇センチを超える大女である。一般的な体格の只人(ヒューム)女性であるアデライド宰相が、少々抵抗したところでその拘束から逃れられるはずもない。

 

「こうなったらもうソニアが目覚めるまで離してくれませんよ、アデライド」

 

 酔ったソニアには抱き着き癖がある。僕も宰相閣下と同じような状態になった経験が何回もあった。絶妙なホールド感が結構心地いいんだよな、あれ。代わってくれないかな、アデライド宰相……いかんいかん、酒のせいか自制心が弱まっているぞ。気を引き締めなくては。

 

「な、何ィ!? ええい、はやくこのアホ娘を起こしてくれ!」

 

「まー、やってみますけどね」

 

 ソニアの肩を掴んで揺すってみるが、彼女は「むいー」と奇妙な声を上げるばかりで目を覚ます様子はなかった。酔いが覚めるまで起こすのはムリだな。

 

「やっぱり駄目っぽいです」

 

「くそぉー!」

 

「うはは」

 

 ジタバタするアデライド宰相を見ながら、僕はジョッキに残っていたワインを飲みほした。体格差のある二人がくっついていると、なんだかほほえましく見えてくるので面白い。

 

「あー、兄貴。大丈夫なんですかね、これ」

 

 そんなことを聞いてきたのは、熊獣人のヴァルヴルガ氏だった。決闘に負けて僕の部下になった彼女だが、この戦争ではなかなかに献身的な活躍をしてくれたそうだ。そのため、この酒宴にも僕の騎士たちと共に参加していた。ほんのさっきまでは店の隅で騎士と飲み比べ勝負をしていたのだが、どうやら酒が足りなくなったらしく背中には酒樽を背負っていた。

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。ソニアは優しいから締め落としてきたりはしないよ」

 

「優しい……?」

 

「優しい……?」

 

 アデライド宰相とヴァルヴルガ氏が口をそろえて聞き返してきた。いや、ちょっと短気なところはあるけど、ソニアは優しいだろ。気配りもできるしな。僕にはもったいないくらいの副官だ。

 

「兄貴、酔っぱらっておかしなことを口走ってますね……」

 

「この狂犬、いや狂竜? が優しいわけがないだろうに。アルくんは錯乱しているようだな……」

 

 ソニアに抱き着かれたままの宰相とヴァルヴルガ氏がこそこそと話し合う。寝ているとはいえ、真横に本人がいるのによくそんな話ができたもんだな。シバかれても文句は言えないぞ。……そうやってすぐ手が出るからこんな風に言われるのか?

 

「ちょっと酔いを醒まして来たらどうかね、アルくん」

 

「しばらく夜風にでも当たってきたらどうです?」

 

 心配されるほどは酔ってないと思うんだけどなあ。割と節制して飲んでたし。しかし、二人の目つきは真剣そのものだった。……まあ、ちょっと外の空気を吸ってくるのも悪くはないだろう。苦笑しながら、僕は頷いた。

 

「はいはい、わかりましたよ」

 

 人ごみをかき分け、出口に向かう。足元も危うくなってないし、やっぱりまだそんなに酔っぱらってないと思うんだがなあ。

 

「ふー……」

 

 店の外へ出た僕は、小さく息を吐いた。涼やかな夜風が頬を撫でる。季節はすでに盛夏といっていい時期になっているが、夜になれば気温も下がってくる。確かに、少し火照った身体にこの風は気持ちがいいな。

 この居酒屋があるのはカルレラ市の繁華街だが、なにしろド田舎である。月と星の光に照らされた大通りには、まったく人気がなかった。明かりがついている店も少ない。

 

「……」

 

 そんなどこか寂しい景色の中に、不審者が一名いた。フードを目深にかぶった大柄な女が、僕の方を見るなり速足で近づいてくる。僕は反射的に剣の柄を握った。いつでも抜刀できる姿勢で女を睨みつける。

 

「まて、待て! 怪しい者じゃない。我だ」

 

「……またあなたですか!」

 

 その声には覚えがあった。アレクシアである。月光に照らされた彼女は、ひどい有様だった。顔は傷だらけだし、右腕には添え木を付けて三角巾で吊っている。その傷のほとんどは、ソニアによってつけられたものだろう。なにしろ、先日の夜には随分と念入りに痛めつけられていたようだからな。

 

「いったい、どういう要件です? ソニアに対する仇討ち?」

 

「いや、そんなことはない。あれは我が悪かったのだ。ヤツを恨んではおらん」

 

 アレクシアは首をぶんぶんと左右に振った。

 

「……というか、奇襲とはいえこの我を相手に一方的な勝負に持ち込めるような女だからな。貴様もろとも我の配下に加えたくて仕方がなくなっているくらいだ」

 

「相変わらずだなあ……」

 

 この人のこういう部分は、長所なのか短所なのかいまいち判断がつけづらい。執念深く狙われるよりはよほどマシなのだが、限度があるような気がする。

 

「では、どうしてここに?」

 

 まさか自分も宴会に参加させてくれ、などという要件ではあるまい。お供もつけずにやってきたのだから、それなりの理由があるはずだ。

 

「いや、な……?」

 

 アレクシアは恥ずかしそうな表情で、一瞬目を逸らす。

 

「我らは明日の朝にはこの街を発つ予定だ。落ち着いて貴様と顔を合わせられるのは、今夜が最後になる。だから……」

 

「だから?」

 

「別れる前に、どうしても貴様のキスが欲しくなった」

 

「は?」



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第82話 くっころ男騎士と同情

 いきなりキスを貰いに来たとか言われても、困ってしまう。夜中に僕の部屋に訪れただけでボコボコにされたというのに、この人の辞書に懲りるという言葉はないのだろうか? いや、殴られ過ぎておかしくなってしまった可能性もあるか……。いや、おかしいのはもともとか。

 

「そんな顔をしないでくれ……」

 

 僕がすさまじく微妙な表情をしているのを見たアレクシアは、若干悲しそうな様子で首を振る。

 

「いや、わかっている、わかっているのだ。我が貴様に嫌われていることくらいは」

 

「それがわかっていて、なぜ?」

 

 アレクシアは利き腕である右手が使えない。おまけに、今の僕は帯刀しているのである。無理やり迫ってきても、おそらく九割がた勝てる。それでも、警戒は怠れない。すぐにでも抜刀できる姿勢を作りながら、聞き返した。

 

「……先日、我が貴様にキスをしただろう?」

 

「されましたね」

 

「あの後、唇を(ぬぐ)われたのが思った以上にショックで……なぜか事あるごとに思い出して、いやーな気分になってしまうんだ……」

 

「ええ……」

 

 思った以上に卑近なことでショックを受ける先帝陛下だな……。鋼鉄メンタルなのか豆腐メンタルなのかはっきりしてほしい。僕も異性のちょっとした態度で精神的なダメージを受けてしまった経験はあるけどさ。

 

「夜になるたびにベッドであのことを思い出して、『ウワーッ!』と叫びたくなる気分になるのだ。このままでは不眠症になってしまう。どうにか、あの記憶を上書きしたい……」

 

 気分はまあ、若干わからないでもない。しかしだからと言って、強引に唇を奪った相手にもう一度キスをねだるというのはどういう了見だろうか? 僕がこの世界における一般的な男のメンタルをしてたら、キレるか泣くかしてるところだぞ。

 

「もしかして、あの夜の件も本題は謝罪じゃなくてキスの方だったりします?」

 

 思い出してみれば、あの時もキスがどうとか言ってたな。冗談かと思っていたが、わりと本気だったのかもしれない。

 

「違う! ……そういうつもりが無かったと言えば、嘘になるが。結局、見栄を張って帰ってしまったわけだし……」

 

 そう語るアレクシアの表情には。後悔が滲んでいた。……ここまでくると、一周回ってなんだか可哀想だな。よく考えてみれば、十割自業自得ではあるんだけど。

 

「……もう一つお聞きしたいのですが」

 

 しかし、今はそれより気になることがある。僕は少し考えてから、その疑問を直接ぶつけてみることにした。

 

「なんだ?」

 

「先帝陛下は」

 

「アレクシアと呼べと言ったはずだが」

 

「先帝陛下は、僕を」

 

「アーちゃんでもいいぞ」

 

「……」

 

 めんどくさいなあこの人。いいよじゃあアーちゃんで。アレクシア呼びが定着すると、アデライド宰相のほうも間違えてそう呼んでしまいそうで怖いんだよ。頭文字も文字数も一緒だから、ボンヤリしてたら口を滑らせてしまいそうだ。

 

「アーちゃんは僕を戦場で打倒するつもりなんですよね?」

 

「……」

 

 自分で提案しておきながら、アーちゃんはあからさまに面食らった様子だった。お前が提案したんだぞ。やっぱり止めてくれ、なんて言ってももう聞く気はないぞ。どんなシリアスな状況でもアーちゃん呼ばわりしてやるからな、覚えておけよ。

 

「……まあ、そうだが。理想としては貴様を戦場で倒し、我がものとしたい。強者を正面から打倒する、それが王者の在り方だからな」

 

 抵抗は激しければ激しいほどヨシ、という性癖ならそうなるだろうな。変態め。まったく、ソニアの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。あの真面目さを見習ってくれ。

 

「だが、アルが望むのであれば通常のやり方の婚姻で妥協しても良い。戦いとなれば、多かれ少なかれ人は死ぬ。有能な部下を失うのは……」

 

「それはさておき、ですよ」

 

 アーちゃんの話をまともに聞いていたら夜が明けそうだ。僕は問答無用で話を遮った。

 

「戦場で僕が敗れて、あなたのものとなったと仮定します。その場合、当然僕は怒り狂って全力で抵抗するでしょう。まともに愛し合うような通常の夫婦関係は望めません。キスを嫌がられた程度でショックを受けるような人が、そんな関係を許容できますか?」

 

「いや、それはそれこれはこれだ」

 

 僕は矛盾点を突いたつもりだったのだが、アーちゃんはハッキリと首を左右に振った。

 

「ただ単に嫌われるのは良い。そういう相手を愛で融かしていくのも趣があっていいだろう」

 

「は?」

 

「しかし、気持ち悪がられたり、生理的に無理だと思われるのは……ちょっと違うんだ! わからないか、これが!」

 

 ……ちょっとわかるかもしれない。僕も前世の学生生活では、よく女子にキモがられてたもんなあ……。あれは辛かった。うん、異性にキモがられるのは非常にキツい。僕はなんだか申し訳ない気分になってきた。唇をぬぐったアレは、あくまでポーズだしな。内心、美人にキスされてラッキー、くらいに思ってたよ。

 

「は、はあ……どうやら、申し訳ないことをしちゃったみたいですね」

 

「い、いや、悪いのは我なのだが……しかし、ありがとう」

 

 アーちゃんはあからさまにほっとした様子で、その豊満な胸をなでおろした。

 

「とはいえ、だからと言ってキスしてくれというのは流石に都合がよすぎませんか」

 

 彼女の気分については多少共感できるが、しかし今回の件は完全にコイツの自業自得だ。そもそも僕は押し倒されて貞操を奪われかけたわけだからな。僕がショックを受けたりトラウマになったりしてないのは、前世の価値観を引きずっているせいだ。普通ならこうはいかない。

 

「その通りだ」

 

 塩を振りかけた青菜のようにシナシナになりながら、アーちゃんはうなだれた。……これはちょっと予想外の反応だな。思った以上に、キスの件が応えているらしい。戦場で見せた鋼鉄メンタルっぷりはどこへ行ってしまったのだろうか。これでは、鋼鉄どころか豆腐並みだ。

 

「……そんなことはわかっている。わかっているから、我は女としてのプライドを捨てることにした」

 

 悔しげな声を上げつつ津、アーちゃんは懐から何かを取り出す。なにかヤバイものを取り出すのではないかと、一瞬右手がサーベルの柄に伸びた。

 

「そう警戒しないでくれ。……これは、我がリヒトホーフェン家に伝わる家宝だ。貴様にへし折られた我が愛剣の姉妹剣でもある」

 

 彼女が見せてきたのは、鞘に納められたままの短剣だった。各所に豪華な装飾が施されたそれは、見るからに尋常の代物ではない。

 

「我が愛剣と同じく、雷のエンチャントが施されている。きっと、貴様の役に立つはずだ。……これを私ので、どうか我とキスをしてください。お願いします……」

 

 短剣を差し出したまま、アーちゃんは深々と頭を下げた。……いや、いくらなんでもプライド捨てすぎだろ。いち国家の元皇帝がしちゃいけない態度だぞ、それは。

 正直ドン引きだが、アーちゃんのショボくれた顔を見ているとなんだか哀れに思えてきた。僕にだって、異性の態度一つでしばらく立ち直れないようなショックを受けた経験はある。わりとガチなキモオタだからな、僕は。ミリタリ資料を集めてはぐふぐふ言ってたわけだから、周りからすりゃ相当キモかっただろうよ。……いかん、トラウマが甦って来たぞ……。

 

「つまり、先帝陛下は僕をモノに釣られて唇を許すような軽い男だと思っているわけですか?」

 

「えっ!?」

 

 僕の言葉に、アーちゃんは本気で焦ったように肩を震わせた。ソニアを超えるような大女なのに、その姿は妙に小さく見える。……こんなイケメン女に、こいつも自分の同類か……なんて思う日が来るとは思わなかったな。

 

「いっ、いやっ! 断じてそういう訳では……ちがう! すまない、そういうつもりではなかったのだ……」

 

 顔を青くしながらアワアワするアーちゃんは、哀れを通り越していっそ可愛いくらいだった。まったく美形は得だよな。前世の僕がこんな態度をしてたら目も当てられないくらい無様だっただろうに。……現世だとどうなんだろうな? 悪くはない顔だと思ってるけど、この世界の人間はみんな美形だからなあ。

 

「まったく。そんなんだから、嫌われるんですよ。わかってますか?」

 

「すまない……」

 

「一応、言っておきますけど。これは、好意ではなく同情のキスです。勘違いしないように」

 

「えっ!?」

 

 聞き返してくるアーちゃんに、ぼくはむっすりした顔で返した。

 

「しゃがんでください」

 

「い、いいのか?」

 

「しゃがんで」

 

「はい」

 

 アーちゃんは神妙な顔でしゃがみ込んだ。彼女はやたらとクソでかいので、しゃがんでもらわないことにはキスしにくい事この上ない。僕も、決してチビというわけではないんだけどな……。

 ファーストキスを期待する少年のような顔をしたアーちゃん……アレクシアの唇に、自らのそれを押し付ける。ソニアに殴られまくって傷まみれになった彼女の顔だが、それでも間近で見ると心臓がダメになりそうなほど美しかった。まったく、顔だけは百点満点なのに、なんで性格はこんなのなんだろうか。

 

「ハイ、おしまい!」

 

 アーちゃんの唇は、瑞々しく甘美な感触だった。いつまでも触れていたい気分になったが、それに耐えて即座に唇を離す。僕だって、自分のチョロさは知っている。あんまり触れ合っていたら、即堕ち二コマばりの醜態をさらしそうだからな。彼女に顔を見られないよう、そくざに踵を返して背中を向ける。

 

 

「これでいいでしょ? さっさと帰って寝てください!」

 

「……ありがとう」

 

 深々と頭を下げるアーちゃんを無視して、僕は居酒屋のドアを開けて店内へ戻った。この頬の赤さを誤魔化すためには、大量のアルコールを摂取する必要がありそうだ。



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第83話 くっころ男騎士と朝のルーチン

 ディーゼル伯爵とクロウン傭兵団がカルレラ市から去って、三日が経過した。リースベン領には平和が戻り、僕は代官としての日常業務を淡々とこなす日々を過ごしている。しばらくすれば宮廷へ召還されることになるだろうが、しばらくの間は領地の安定化に努めよ……アデライド宰相はそう言い残して王都へ帰っていった。

 戦争が終わったことで、やっとのことで時間的な余裕が出来た。控えていた鍛錬を平常の強度に戻し、僕は夜が明けてからずっと地面に埋めた丸太を木刀でシバき続けていた。これはストレス解消と剣の修行を両立できる素敵な鍛錬法で、これをやらないことには一日が始まった気がしない。

 

「ふー」

 

 予定通りの回数をこなし、僕は汗まみれになった顔を手ぬぐいで拭いた。木刀を振るっている間はずっと叫び続けるのがこの鍛錬法……立木打ちの作法なので、若干のどに違和感が出ている。しばらく鍛錬をさぼってたせいだな。一週間もすれば、また慣れてくる。

 しかし、やっぱり朝の立木打ちは気分がいい。大声を上げながら全力で剣を振るうのは、これ以上ないくらいのストレス解消になるからな。

 

「おはようさん。朝から精が出るなあ」

 

「オハヨウゴザイマス」

 

 そこへ、声をかけてくるものがいた。振り向いてみると、そこに居たのは元ディーゼル伯爵……ロスヴィータ氏である。その傍らには娘のカリーナも居る。二人とも平服姿だ。

 ロスヴィータ氏は一応人質ということになっているが、ある程度の自由を与えている。監視を兼ねた付き人と一緒ならば、街へ出ても良いということになっているくらいだ。僕も、そしてディーゼル家も、これ以上争う理由を持っていない。そんな状況であえて過剰に行動を制限するというのは、相互不信の元になってしまうからな。

 

「ああ、どうも。おはようご……おはよう」

 

 思わず敬語であいさつを返しかけて、あわててため口に戻す。相手は人質(と新入り)である。元伯爵とはいえ、勝者である僕が敬語を使うのは不味いわけだ。この辺り、貴族社会は非常に面倒くさい。下手に出るような態度を取ると部下たちのメンツまで潰してしまうことになる。

 

「素振りじゃなくて丸太を叩くんだな。面白いやり方だ」

 

「実戦じゃ、素振りの通りに剣が動くのは空ぶった時だけだからね。やっぱり何かに当てる(・・・)感覚はあった方が良い」

 

 木刀(とはいっても単なるちょうどいい太さの木の枝だ)をベルトに差し、二人に近寄る。カリーナがするりと寄ってきて、突然深呼吸をし始めた。えっ、何……

 

「やめんかバカチンが!」

 

「ぴゃっ!?」

 

 カリーナの脳天にロスヴィータ氏の鉄拳が落ちた。チビ牛娘は目尻に涙を浮かべながら悶絶する。

 

「お前なあ、拾ってもらった身分でなあ……まったくエロガキめ。気分は分かるが自重しろ、自重を」

 

「うぅ……ごめんなさい」

 

「まったくこのエロガキは、誰に似たんだか……あたしか! ハッハッハ!」

 

 ……いったいなんのやり取りだ? 母娘だけに通じる会話に、僕は困惑した。まあ、仲が良さげで何よりだ。カリーナは本家から勘当された身の上ではあるが、ロスヴィータ氏の方も人質……つまり半ば家から追放されたような状態だ。二人の間にギクシャクしたような様子は感じられない。

 

「ところで、この後ランニングへ行く予定なんだけど、一緒にどう?」

 

「あ、あんなに朝早くから剣を振り回しておいて、まだやるの!?」

 

 カリーナが目を剥いた。たしかに、剣を振り始めてからもう二時間近くになる。流派の慣例で剣を振るたびに大声を上げていたから、代官屋敷の一室で寝泊まりしているカリーナにも丸聞こえだっただろう。……よく考えてみれば、近所迷惑極まりない鍛錬だなあ。

 

「戦争やら、会議やらで体が鈍っちゃったからな。ちゃんと鍛えなおしておかないと」

 

「会議はともかく戦争で体が鈍るのはおかしいだろ」

 

 ロスヴィータ氏が半目になって突っ込んだ。しかし、戦争といっても大半は待機したり移動したりの時間だからな。どうしても平時よりは訓練に当てられる時間が少なくなってしまうんだよ。こうなると、自然と練度は下がっていく。

 

「まあ、何にせよまだ体を動かしたりないんで……ランニングはする。軽くだけどね」

 

 あんまり長々やってたら、周囲に迷惑がかかるからな。まだ朝飯も食ってないし。それに、僕は士官で代官だ。トレーニングだけしてればそれで良し、という立場ではない。やるべき仕事はいくらでもある。

 

「熱心なことだ。そりゃあ、只人(ヒューム)だ男だと油断してたあたしじゃ勝てる道理がなかったな」

 

 ロスヴィータ氏は苦笑した。そして、ひじから先がなくなった左腕を振って見せる。

 

「しかし、とりあえずは隻腕に慣れるためのリハビリに専念したい。ランニングはあとで勝手にやるから、お供にはコイツを連れて行ってくれ」

 

 そう言って彼女はカリーナの背中を叩いた。

 

「騎士として、カリーナは最初からやり直しになる。こいつがアルベール殿の……ブロンダン家の預かりになるってんなら、鍛えなおす必要があるだろ? 遠慮なくビシバシやってくれ」

 

「ええ!? い、いや、うう……ヨロシクオネガイシマス……」

 

 一瞬ものすごく渋い表情を浮かべたカリーナだったが、すぐに覚悟を決めたように頷いて見せた。騎士としてやり直すなら、これが最後のチャンスということがわかっているからだろうな。僕としては、あえてまた騎士を目指さなくてもいいんじゃないかとは思ってるんだが……まあ、本人がそれを望んでいるなら、応援してやろうか。

 

「よーし、いいだろう。僕がお前を一流のマリーンに鍛え上げてやる!」

 

「えっ、マーリン? なにそれ、伝説の魔術師か何か?」

 

「マリーンだっての! 世界で一番勇敢で一番強い兵隊のことだ。……さあ、モタモタしてる暇はないぞ。まずはウォーミングアップ、しかる後にランニングだ!」

 

 背中をぺちんと叩いてやると、カリーナは慌てた様子で柔軟体操を始めた。その様子をみて、ロスヴィータ氏はゲラゲラ笑う。

 

「死なない程度ならどれだけキビしくしてくれてもいいぞ! 母親であるあたしが許す!」

 

「そんなあ!」

 

 よーし、親の許可が出たことだし、徹底的に鍛えてやることにするか!



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第84話 メスガキ騎士とトレーニング

 私、カリーナは疲労困憊の状態で地面に横たわっていた。十キロメートル、このわずかな距離を走った結果がこれである。たった十キロでへばるなんて情けない、そう思わなくもない。しかしこれには理由があった。

 まずは装備。甲冑に武装一式、おまけに中身のパンパンに詰まった背嚢も背負わされた。総重量は六十キログラム以上。さらに、気候。故郷のズューデンベルグ領から山脈一つ隔てただけの場所の癖に、このリースベン領はやたらと暑い。駄目押しに、歌。アルベールは、走っている間ずっと大声で歌を歌うように強要した。これが思った以上に肺に負担をかけた。

 僅か十キロだと、正直ナメていた。「この程度じゃ腹ごなしにもならないわ!」なんて言ってた過去の自分を殴りたいくらい。

 

「ウオオ……アア……」

 

 私の隣で半死半生になっているのは、リス獣人のロッテだ。彼女とは年齢も近く、捕虜生活を送っているうちに友達のような関係になってきた。自分だけが訓練で苦しむのは嫌だったので、ちょうど近くを通りかかったロッテも巻き込んでやることにしたのだ。……今となっては、ちょっと申し訳ない事をしたなと思っている。

 

「この程度でヘタレやがってこのヘニャチ……モヤシどもが!」

 

 そんな罵声を飛ばすのはアルベールだ。彼は私たちと全く同じ訓練メニューをこなしたというのに、微塵も疲労を感じさせない涼しい表情を浮かべている。本当にこの人、只人(ヒューム)なんだろうか? 獣人相手に体力勝負が出来るなんて、マトモじゃない。

 

「陸に打ち上げられた魚みたいにピチピチしている暇があったら、水を飲め水を! 脱水で死ぬ前にな!」

 

 訓練中のアルベールは、聞くに堪えないような罵倒を私たちに叩きつけ続けた。思わず泣きそうになったけど、本気で言っているわけではないのがだんだんわかってきた。今だって、口汚い言葉を吐きつつも、私とロッテに水がたっぷり入ったジョッキを持ってきてくれた。

 やっぱり、アルベールは根はやさしい男だ。受け取ったジョッキで浴びるように水を飲みながら、そう思う。砂糖と塩が入っているのか、その水は少しだけ甘じょっぱかった。普通の水より飲みやすい。

 

「ぷはー!」

 

 水を飲み干し、また地面に転がる。甲冑がの重さが、まるで拘束具のように私を苛んでいた。……この甲冑も、本当は戦利品として奪われていたはずのものなのよね。なんか、普通に返却してくれたけど……。まったく、お人よしというかなんというか。

 

「うおお、イテーッス! 足が! 足が!」

 

 そんなことを言っていると、足が()ったらしいロッテがもだえ苦しみ始めた。

 

「バーカ、運動不足だからそんなことになるのよ。しばらくアンタも訓練に付き合いなさいな」

 

「こんなのに毎日付き合ってたらマジで死ぬッス! 馬鹿ッスか!?」

 

 涙目で叫ぶロッテだけど、こいつは私と違って甲冑も剣も荷物も持ってないのよね。それでこんなにぐでぐでになるのは流石に情けないわよ。非力なリス獣人とはいえ、ちょっとくらい鍛えておかないと自分のオトコも守れないような情けない女になっちゃうわ。

 

「アンタは私の子分なんだから、拒否権なんてないのよ!」

 

「誰が誰の子分ッスか! イテッ、あだだ……ど、どっちかというと、アンタがウチの子分みたいなもんでしょ!」

 

 ロッテは攣ったままの足を伸ばそうとしつつ、そんなふざけた言葉を吐く。

 

「は? ナメたこと抜かしてるとブチのめすわよ!」

 

「まだ随分と体力が残ってるみたいだな。よし、今度は腕立て伏せでもやるか!」

 

「ごめんなさい」

 

「ごめんなさい」

 

 アルベールはジト目で私たちを見ながら、空になったジョッキを回収した。そんな彼の身体から漂ってくる汗のにおいに、思わず私は深呼吸してしまう。……アルベールも甲冑姿で、露出は全くない。でも、それが逆に私の妄想を刺激していた。あの装甲の中は、いったいどうなっているんだろうか? あー、ムラムラする。

 よく考えれば、汗まみれのアルベールを間近で拝めるという点では、このトレーニングにもなかなかのメリットがあるわね。しばらくオカズには困らないわ……。

 

「しばらくは、こんな感じで基礎トレーニングだ。ロッテは自由参加で構わないが、お前がいた方がカリーナも頑張れるだろうからな。できれば一緒にやってくれると嬉しいが」

 

「う、うううーっ! アニキがそう言うなら……」

 

 ロッテは半分泣きそうになりながらも頷いた。そんな彼女を見て、アルベールは苦笑する。

 

「その代わり、二人ともメシはお代わり無制限だ。腹いっぱいになるまで食えよ」

 

「マジッスか! やったっ!」

 

 ロッテの小躍りしそうな声を聴くと同時に、私のお腹が大きな音を立てた。そういえば、朝ごはんもまだなのよね……。アルベールとロッテの両方からまじまじと見られて、私の顔は火が出そうなほど熱くなった。

 

「甲冑を脱いだら、水浴びをして来い。飯はそれからだぞ」

 

「……はーい」

 

 もしかして、アルベールも水浴びするんだろうか。……覗きたい。アルベールの裸体、正直めちゃくちゃ見たい! この男はセクハラに対して結構寛容なので、ちょっとくらい覗いても大丈夫なんじゃないの? そう思いながらちらりとロッテの方を見た。捕虜だった間はほとんど彼女と一緒に居たので、アイコンタクトでちょっとした意思疎通なら出来るようになっている。

 しかしロッテは慌てた様子で首をブンブンと左右に振り、剣を振り下ろすようなゼスチャーをした。……ソニアかあ。たしかに、アルベールは許してもソニアは許さないでしょうね……さすがにそれは勘弁願いたいわ……。

 



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第85話 メスガキ騎士と朝食

 水浴びと言っても、タライにためた井戸水で汗を流すだけの簡単なものだ。それでも、冷たい井戸水を頭から浴びるのは気持ちがいい。汗を流し、少なくとも体の外側はスッキリすることが出来た。内側の方は、相変わらずだけどね。アルベールがいちいちエロいのがいけない。

 

「ウオーッ! 朝からご馳走ッスね!」

 

 テーブルについたロッテが歓声をあげた。焼きたてのパンと目玉焼きが二つ、そして夏野菜のサラダ。貴族の朝食としては質素だけど、平民であるロッテも同じメニューだ。『自分だけイイものを食べていると、兵から恨まれる。食べ物の恨みは怖いぞ』とは、アルベールの弁だ。

 

「それじゃ、まずは朝食前のお祈りを」

 

 アルベールが音頭を取って、食前のお祈りをした。祈りの言葉を口にしながら、こっそり周囲をうかがう。大テーブルについているのは、アルベールとお母様、そしてソニアをはじめとする騎士たち。

 立場的に微妙な私や平民のロッテが同じテーブルで食事を取っていいのかちょっと不安だったけど、文句を言うものは誰も居なかった。まあ、この食堂に私たちを連れてきたのはアルベールなんだから、その辺りを気にするのは杞憂だったみたいね。

 

「むぐむぐ」

 

 お祈りが終わると、即座ににパンにかじりついた。もうお腹はペコペコで、我慢なんかできない。リースベンのパンは、私の故郷であるズューデンベルグのものにに比べて茶色っぽく、おまけに硬くてパサパサしている。最初は面食らったものだけど、慣れてしまえば気にならない。

 下品にならないように気を付けながらも、ガツガツと料理を平らげていく。なにしろ朝から全力で運動したものだから、私の食欲は底なし沼状態だった。あっという間に皿の上の料理を平らげ、給仕にお代わりを頼む。まずはパン、次にタマゴだ。お代わり自由はすでに確約済みなので、遠慮なんかしない。そんな私を見て、アルベールは楽しそうにしていた。

 

「そういえば、アルベール殿。王都へ行くと聞いたが、いつ頃になりそうなんだ?」

 

 しかし、母様がそんなことを言いだしたのを聞いて、私の手は止まる。王都! 神聖帝国に住んでいた私には、耳慣れない言葉だ。しかし、知識としては知っている。ガレア王国の首都、パレア市のことだ。このリースベン領からは、馬を使っても半月以上かかるとか。

 そんな遠くに出張か……。往復を考えれば、一か月以上。実質的な庇護者であるアルベールがそれだけの長期間不在になるというのは、ちょっと不安だ。別にいじめられたりしてるわけじゃないけど、やっぱり私は不安定な立場にいるわけだし。

 

「今月中には、なんとか。中央の用事に熱中しすぎて代官の仕事が疎かになっている、なんて民に思われたら困るからさ。当面はそっちを優先したい」

 

「大丈夫なのか? 王を待たせて。いや、元敵であるあたしがそんなことを心配するのもおかしな話だが」

 

 眉をひそめながら、母様が聞いた。

 

「まあ、王都には翼竜(ワイバーン)で行くから、少々遅れても問題はない」

 

「ああ、アレか……戦争中もずっとあたしらの頭上を飛び回ってたヤツだな。費用をケチって鷲獅子(グリフォン)を導入しなかったことを激しく後悔したね。上を取られるのがあんなに厄介だとは……」

 

 珍しい事に、母様はあからさまに落ち込んだ様子でため息をついた。平気な風を装ってはいても、やっぱり敗北の責任は感じているんでしょうね。励ましてあげたいけど、私は私で敵前逃亡なんて真似をしてるわけだから……そんな言葉をかける資格なんかない。

 

「……」

 

 ロッテが無言で私の背中を叩いた。そちらを見ると、彼女はニッと笑って親指を立てる。……まったく、この子は! 私はちょっと泣きそうになった。

 

「ま、まあ、そういうわけで、意外と時間的な余裕はある。あるが……流石にそろそろ準備はし始めなきゃいけない。具体的に言うと、人選だな。国王陛下に今回の件を報告しに行くだけだから、お供は二人か三人も居ればそれでいい」

 

「人選も何も、アル様とわたしの二人がいれば十分でしょう」

 

 すました顔でソニアが言った。

 

「いや、悪いけどソニアは留守番だ。……僕とソニアが二人ともリースベンを留守にしたら、誰が責任者をやるのさ」

 

「エッ!? は、ええっ!?」

 

 ソニアの表情が引きつり、私は吹き出しそうになった。この女のここまで焦った顔は、初めて見る。危ない危ない。笑っているところがバレたら殴られるだけじゃすまないわ、絶対。

 

例の件(・・・)もある。僕としても、出来ればソニアにはついて来てもらいたい。でも、お前の他にリースベンの留守を任せられる人間がいないんだ」

 

「うっ……」

 

 確かに、という顔でソニアは黙り込んだ。アルベールは申し訳なさそうな表情で自分の顎を撫でる。

 

「本当に申し訳ないが、人手不足だ。王都に帰ったついでに、その辺りを何とかできないか頑張ってみる。それまではすまないが我慢してほしい」

 

「……はい」

 

 いかにも不承不承と言った様子で、ソニアは頷いた。どうやら、アルベールは何かを警戒している様子だ。部外者の私には、よくわからないが……。

 

「そういう訳で、ソニアは留守番。じゃあ代わりに誰を連れて行くんだって話になるんだけど……とりあえず、カリーナはほぼ確定だ」

 

「はあっ!? 私!?」

 

 そんなことを考えていたら、矛先が突然こちらに向いた。私は驚きのあまり、反射的に立ち上がってしまう。いや、王都には興味があるし、アルベールと一緒に旅をするのも楽しそうだ。連れて行ってくれないかなあ、とは思っていた。しかし、あくまで妄想だ。唐突にそれが現実になったんだから、驚くどころの話じゃない。

 

「うん。……とりあえずお前は、僕の両親に紹介しておく必要があるからな」

 

 えっ、何、両親に紹介!? もしかして結婚報告!? ええ、もしかして知らないうちに私大勝利の流れになってたの!?



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第86話 くっころ男騎士と義理の妹

 こいつい、何か勘違いしてないか? 真っ赤になってフリーズするカリーナを見て、僕はそう思った。こいつを両親に紹介するのは、養子縁組のためである。カリーナが再び騎士を目指すためには、この過程が必ず必要になる。

 

「カリーナよぉ……お前、自分が今やディーゼル姓を名乗れる立場じゃないってことはわかってるよな?」

 

 僕が何かを言うより早く、ロスヴィータ氏が助け舟を出してきてくれた。

 

「えっ、ああ! 勘当されたんだから、そりゃ当たり前か……」

 

「そう、今のお前はただのカリーナだ。そんな人間が騎士になるのは、平民が騎士になりあがるより難しい。脛に傷があるわけだからな。とにかく、せめて貴族家の家名を名乗れるようにしなくちゃいけない」

 

 ロスヴィータ氏の説明は端的だった。なにしろ、今回の件は彼女が頼んできたものだからな。『娘にもう一度だけチャンスをやってほしい』と、多額の謝礼金と共に頭を下げられたのだ。

 実際、この提案にはこちらにもメリットがあった。カリーナを手厚く扱っている限り、ロスヴィータ氏はこちらを裏切れない。人質のようなものだ。ディーゼル家とはこれから末永く仲良くしていきたいからな。その弱みを知る人物が味方に付くのは非常にありがたい。

 

「えーと、つまり?」

 

「簡単に言うと、お前の名前がカリーナ・ブロンダンになる」

 

 カリーナには、僕の両親の養子になってもらう。僕とは、義理の兄妹になるわけだな。知り合いの他の騎士家に養子縁組を頼む案もあったが、これが一番手っ取り早かった。決して、義理の妹なんていう素敵存在が欲しくなった僕がこの案をごり押ししたわけではない。あくまで手間を省くためだ。本当だぞ。

 

「実質結婚じゃん」

 

「何か言ったか、小娘」

 

 恐ろしい顔をしたソニアが唸り声を上げた。カリーナはションベンでも漏らしそうな表情になって「何も言ってないです」と即答する。不満げに鼻を鳴らし、僕の頼りになる副官は腕を組んだ。

 

「これはアル様の慈悲だ。その期待に背けばどうなるか、分かっているだろうな?」

 

「う……」

 

 カリーナの顔が青くなった。これは、ソニアが恐ろしいからだけではないだろう。一騎討ちの妨害、百歩譲ってこれは良い。家族を思っての行動だからだ。しかし敵前逃亡は不味い。一般兵なら死罪もありうる重罪である。二度目があるようなら、流石にロスヴィータ氏も僕も庇いきれなくなる。

 

「万一があれば、僕は自分自身の手でお前の首を落とさなきゃならなくなる。義理とはいえ、家族だ。そんなことはしたくない」

 

 カリーナは口を一文字に結んでこっくりと頷いた。それを見て、僕は少しだけ微笑む。

 

「でも、騎士を目指さないという選択肢もお前にはある。戦場なんて、ろくでもない場所だ。そこから離れてカタギの仕事をやる、というのも一つの手だぞ」

 

 正直に言えば、僕としてはカリーナには軍人以外の道を志してほしいという気持ちがある。戦場がどれだけ過酷な場所なのかは、僕も良く知っているからな。

 ガレアは一度も実戦を経験せずに退役できるような平和な国ではないし、戦場に出れば必ず死の危険が付きまとう。たとえ命は失わなかったとしても、精神を病んでしまう人間だって少なくない。そんな不幸な結末を迎えるくらいなら、商人なり教師なりのマトモな職を目指した方がいいような気がするんだよな。

 

「……」

 

「ひと時とはいえ、お前は同じ釜の飯を食った仲だ。これからは、妹にもなる。たとえ騎士以外の道を目指すとなっても、お前を放り出したりはしない。……どうする?」

 

 しばしの間、カリーナは黙り込んだ。ロスヴィータ氏もソニアも、何も言わない。おしゃべりをしながら食事を楽しんでいた他の騎士たちさえ、空気を読んで口を閉じていた。食卓に着くすべての人間の視線が、カリーナに集中していた。

 

「私は……私は、騎士になります。汚名を着たまま逃げ出したら、私はずっと腐ったままです。……どうか、私に汚名を晴らす機会をください」

 

 絞り出すような声でそう言ってカリーナは立ち上がり、深々と頭を下げた。僕は少し笑って、ソニアに目配せをした。カリーナは彼女を怖がってるみたいだからな。無理に仲良くする必要はないが、ソニアがむやみに厳しいだけの人間でないことは分かってほしい。

 

「よろしい。では貴様を我々の仲間と認めよう。まずは見習いからだがな……よろしいですか? アル様」

 

 こういう時に、即座にこちらの意図を汲んでくれるのがソニアの素晴らしい所である。柔らかな声でそう言ってから、ソニアは僕に肩をすくめて見せた。カリーナが湿った声で「ハイ」と答える。

 

「では、妹よ」

 

「はい、なんでしょう? お兄様」

 

 お兄様!! 僕は小躍りしそうになった。前世は男兄弟しか居なかったし、現世は一人っ子だ。妹というだけでファンタジーみたいなものなのに、相手はロリ巨乳ウシ娘と来ている。天国か? ここは天国なのか?

 気持ちは滅茶苦茶に浮ついていたが、まさかそれを態度に出すわけにはいかない。僕は厳粛な顔で言った。

 

「午前中は座学。午後からは基礎体力の錬成だ。泣いたり笑ったりできなくなるまでみっちりやるからな、覚悟しておけよ」

 

「ぴゃあ……」

 

 カリーナの顔色がまた青くなった。隣のロッテはニヤニヤ笑ってる。……でも、カリーナのことだからな。たぶん友人であるお前も他人事じゃすまないぞ。まあ、訓練を受けさせる手間は一人も二人も大差ない……どころか二人いた方が楽ですらある。二人とも、せいぜい鍛え上げてやろう。

 妹だろうが何だろうが、甘い顔をするわけにはいかない。それは本人のためにならないからな。心を鬼にして、厳しい訓練を課す必要がある。……とはいえ僕はやるべき仕事がいっぱいあるから、教官役は手すきの騎士たちに任せるしかないがな。これだから責任のある立場は嫌だね。



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第87話 くっころ男騎士と不仲な親子

 朝食を終えた僕は、カリーナ(とおまけのロッテ)を暇そうにしている騎士におしつけ、厩を訪れていた。今日は丸一日かけてカルレラ市周辺の農村を視察して周る予定だった。

 なにしろ、僕が代官に就任してからすぐに戦争の準備が始まったからな。各村の村長との顔合わせも終わってないんだよ。それに、税やら蛮族・盗賊の対策やら、話し合うべき話題はいくらでもある。こう言った地道な仕事も、代官の重要な業務の一つだ。

 

「……」

 

 さっさと出発して日の出ているうちに帰ってきたいなあ、なんて思いつつ忙しそうに働く馬丁たちの動きを目で追う。ちょっとした手違いがあり、馬の準備が遅れているらしい。

 気分は少し急いていたが、現場の人間に過度なプレッシャーをかけても良いことはない。のんびりとした表情を心掛けつつ、ぼんやりと物思いにふける。

 

「アル様」

 

 少しして、後ろから声がかけられた。聞きなれたハスキーボイスだ。振り向くと、案の定ソニアがいた。その顔には苦悩が浮かんでいる。カリーナの件……ではあるまい。そのことについては、彼女とも事前によく話し合っていた。

 

「どうした。……王都行きの件か?」

 

「はい」

 

 予想通り、ソニアは深く頷いた。まあ、顔を見れば大体わかる。

 

「オレアン公が座してこの状況を受け入れるとは思いません。御身に危機が迫ることがわかっているというのに、この私が同行できないというのは……」

 

 話題を気にしてか、ソニアは周囲に聞こえないような小さな声で言った。少しだけ掠れた彼女の声音は、妙にセクシーだ。それが耳元で囁かれるのだから、いろいろと堪らないものがある。

 

「確かに、今回の件だけで奴の陰謀のストックが尽きたとは思えない。間違いなく何か仕掛けてくるだろうが……」

 

 相手は国内有数の大貴族であり、合法・非合法を問わず様々な手段を取ることが可能だ。どれだけ警戒しても足りるものではない。確かに、できればソニアには近くに居てほしい状況ではある。

 とはいえ、リースベン領を放置するわけにもいかないからな。リースベンの周りにもオレアン公派の領主はいる。しかもこの頃、森に潜む蛮族どもの動きが妙に静かなのだという。食料や男を求め、隊商や村落に頻繁に襲撃をかけてくるのが蛮族どもの平常運転だ。それが大人しくしているというのだから、逆に不気味さを感じてしまう。何が起こっても対処できるよう、リースベンには信用できる指揮官を残しておきたい。

 

「それに、警戒すべきなのはオレアン公だけではありません」

 

「というと?」

 

「我が母、スオラハティ辺境伯です。この時期はおそらく、王都に滞在しているはず」

 

「……その人は味方では?」

 

 ソニアの母親、スオラハティ辺境伯は僕の支援者の一人だ。彼女が統治するノール辺境領は北は北洋協商同盟、西を神聖オルト帝国に接している。我が国に敵対的なこの二国を同時に抑えられる重要な地を統治しているスオラハティ辺境伯は、国防の要といっても過言ではない。

 そんな重鎮貴族の一人であるスオラハティ辺境伯だが、実のところ僕にとっては最も重要な支援者だと言っていい。僕がアデライド宰相の部下になったのも、宰相と同じ派閥に属していたスオラハティ辺境伯の斡旋だ。

 

「……それがヤツの策なのです。味方ヅラをして警戒を解き、その隙に毒牙を突き立てる! そういう策なのです。気を許すべきではありません」

 

 そんなことを力説するソニアだったが、正直なところ僕としては辺境伯にそれほど悪い印象は抱いていなかった。スオラハティ辺境伯はソニアを通じて幼少期に知り合ったわけだが、何の実績もないただの子供だった僕の話を真剣に聞いてくれたことをよく覚えている。成人してからも様々な便宜を図ってくれたため、僕としては頭の上がらない人物である。

 もちろん、気前のいいだけの人物ではないだろう。それなりの利益を見込んだからこその便宜だろうし、実際に僕からもライフルやら信号弾やらの技術を渡している。しかし、協力関係なのだからギブアンドテイクは当然だ。

 それに、利得を抜きにしてもスオラハティ辺境伯にはいろいろ良くしてもらっている。辺境伯が王都に逗留する際は、かならず僕や僕の家族を自身の邸宅に招き、手厚く歓迎してくれるくらいだ。ヒラの宮廷騎士の家でしかないブロンダン家と隔意なく家族ぐるみの付き合いをしてくれるほどなのだから、その度量の広さは尋常ではない。

 

「実の母親だろうに、そこまで言わなくても」

 

 しかし、ソニアとスオラハティ辺境伯の関係はよろしくない。家庭のことだから詳細は聞けていないが、半絶縁状態になっているという。まあ、そんな状況でもなければ大貴族の長女であるソニアが、ヒラの騎士でしかなかった僕の副官なんかやってるはずもないのだが。

 ……長女、長女なんだよな、ソニア。本来ならば、彼女が次代のスオラハティ辺境伯だったはずだ。僕なんか、顎で使える立場だろうに。本当になんで僕の下についてるのかさっぱりわからん。

 

「実の母だからこそ、です。自分が入っていた腹ですからね、その中身がどれだけ黒いかは知っていますよ。年甲斐もなく色ボケた性悪女! まったく、許しがたい……」

 

 ソニアの声音にはひどく昏い感情が籠っていた。実の親子だろ、仲良くしろよ……なんて無責任なことは言えない。親子だからこそ拗れてしまうこともある。世の中、円満な親子ばかりじゃないからな。

 

「わかった、とにかく注意はしておこう。たしかに、歴史を紐解けば味方だと思っていた相手に背中を刺された例なんか腐るほどある。どれほど警戒しても、したりないということはないだろうからな」

 

 まあ、逆に裏切りを警戒するあまり部下を粛正しまくって、結果自身も没落する羽目になった例も腐るほどあるがな。大事なのはバランスだろう。

 

「ええ、その通りです。アル様を狙う不埒な輩はそこら中にいますからね」

 

「偉くなるのも考え物だな。出る杭は打たれるというヤツか」

 

「偉くというか、エロくというか……」

 

 ソニアの最後の言葉は、声が小さすぎて何を言っているのかわからなかった。しかし、聞き返す前に馬丁がこちらに走ってくるのが目に入る。

 

「お待たせしました! 準備完了です!」

 

「ああ、ありがとう。今行く」

 

 今日は複数の農村を回る予定だから、早く出ないと夜までにカルレラ市に帰ってこられない。僕はソニアに一礼して、愛馬の元へ向かおうとする。

 

「……おや、アル様。その短剣はいったい?」

 

 しかしそこで、ソニアが声をかけた。彼女の目は、僕の剣帯に装着された短剣に向けられている。……アーちゃんの雷の短剣だ。一度は受け取り拒否をした代物であるが、結局別れの日に強引に押し付けられてしまった。希少な武器なのは確かなので、ありがたく使わせてもらうことにした。

 

「戦利品だよ。あの先帝陛下から引っ剝いでやった」

 

「……そうですか」

 

 ソニアの目がすっと細くなる。なんだかコワイ雰囲気だ。僕はあいまいな笑みをうかべてから、そそくさと彼女の元から逃げ出した。



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第88話 メスガキ騎士と猥談

 それからの日々は、慌ただしく過ぎていった。私、カリナ・フォン・ディーゼル……改めカリーナ・ブロンダンは、毎日毎日気絶寸前になるほどの強烈な訓練が課され、へろへろになっていた。

 

「ふひい……」

 

 代官屋敷の中庭にある練兵所で、私はぶっ倒れていた。訓練着はちょっと絞るだけで大量の水気が出てくるほど汗でべちょべちょだ。アルベール、もといお兄様の『泣いたり笑ったりできないようにしてやる』という言葉は脅しでもなんでもなく、その訓練内容は凄まじいものがあったわ。

 朝は日が昇る前から起床ラッパ(と、お兄様が剣の鍛錬で上げる謎の奇声)でたたき起こされ、ランニングやら腕立て伏せやら水泳(今まで泳いだ経験なんてなかったから、危うく溺れかけた)やら様々なトレーニングをやらされる。しかもその合間合間に計算問題をやらされるのだからもうびっくりよ。疲労困憊状態でも頭を働かせられるようにするための訓練……らしいけど。

 訓練はバカみたいに厳しいし、おまけにベッドシーツのシワや軍靴の汚れに対してまでいちいち文句を言われる。そこらの貴族の子弟なら癇癪を起しそうなほどのひどい生活環境だけど……私は充実していた。

 

「ふへへへ……」

 

 自然と笑みがこぼれる。脳裏に浮かぶのは、当然お兄様の顔。なにしろ兄妹だ。スキンシップと称してセクハラしても許される間柄である。実際、休憩時間にちょっとベタベタしてみても、お兄様は嫌がらなかった。結婚云々は勘違いだったけど、これはこれで最高でしょ。やっぱり私、大勝利じゃない。

 

「エロくて綺麗な兄なんて、もうファンタジーみたいなもんでしょ。(エロ)本じゃないと許されないヤツだと思ってたわ」

 

 隣に転がっているロッテに自慢する。たんなる小間使いだったはずの彼女は、気付けば私と同じ訓練兵のような扱いを受けていた。給金が上がると聞いて、二つ返事で了承してしまったらしい。

 

「カリーナはそればっかりッスねえ」

 

 ロッテは私を呼び捨てにする。相手は平民、そして私は伯爵令嬢。以前なら、絶対こんな言葉遣いは許さなかった。でも今は、自然と受け入れられる。一からやり直さなきゃいけない、という意識があるせいだろう。ま、そもそも今の私は偉そうにできる立場じゃないけどね。

 

「羨ましくない?」

 

「……ショージキ、羨ましいッスね!」

 

「でしょ! 堂々と抱き着いても許されちゃうのよ、私!」

 

「い、一日代わってほしいッス……」

 

「駄目に決まってるでしょ」

 

 お兄様はスケベだ。もちろん、スケベなのは性格じゃなくて雰囲気が、よ。ただでさえ妙な色気があるのに、平気で薄着になる。露出が増えても全く頓着しない。たぶん、女社会である軍隊に慣れ過ぎて感覚がマヒしてるんでしょうね。

 でも、こちとら思春期真っ最中。目の前にそんなスケベな男がいたら、当然痴的好奇心をくすぐられてしまう。私も、もちろんロッテもそうだ。私たちの間で交わされる猥談の主役は、とうぜんいつもアルベールお兄様だった。

 

「いやー、しかし……ごつい男って、正直あんまり興味がわかなかったんだけどね、気付いたらなんかイケるようになってたのよね。むしろアレがいいっていうか……」

 

 鍛えているだけあって、お兄様は結構筋肉質だ。着やせするタイプなのか服の上からではわかりづらいけど、薄着になりがちな夏場ともなると誤魔化せない。

 男は小柄で童顔が良い、という風潮は神聖帝国にもガレア王国にもある。そういう意味では、お兄様はあまり一般受けする容姿じゃないんだけど……変に色気があるのよね。綺麗で清純な顔つきなのに、エロいことをしてもなあなあで許してくれそうな雰囲気というか。それが私たちの性癖をおかしくしてるんだと思う。

 

「いや、ほんとそうッスよ。初対面じゃ、なんだこのゴリラ、なんて思ってたんスけど。……女の筋肉はムサいだけなのに、不思議と男の筋肉はエロい。なんなんスかね?」

 

「アンタそれヴァルヴルガさんに聞かれたらシバかれるわよ……」

 

 ロッテの保護者である熊獣人を思い出しながら、私は唸った。あの人は、母様と並んでも見劣りがしない素晴らしい筋肉を持っている。

 

「今日は朝から屋敷を出てるので大丈夫ッスよ」

 

 しかし、ロッテはヘラヘラしていた。この娘、妙なところで肝が太いのよね。いや、休憩中とはいえ練兵場の真っただ中で堂々とこんな話をしている私も大概なんだけど。

 

「話は戻るッスけど、やっぱりさわり放題ってのはマジで羨ましいッスね。こう、首筋とか、スーッと指先で撫でたりしてみたいんスけど。それでちょっと、エロい声とか出されちゃったりして」

 

「あー、確かにそれはイイかも」

 

「自分よりデカい男をテクニックだけで鳴かせまくるのも、結構ロマンだと思うんスよ。お前なんて指先一つでメロメロだぜ、みたいな……」

 

「焦らしに焦らしまくって、自分から挿入をせがませるくらいはやりたいわよね。ワカルワカル」

 

 なんて話していると、足音が近づいてきた。慌てて体を起こすと、私たちの教官役の騎士がいた。お兄様の部下の一人、ジョゼットさんだ。

 

「君たちねえ……さっきから聞いてれば、まったく馬鹿らしい」

 

「アッスイマセン!」

 

「気の迷いです! ごめんなさい!」

 

 自分たちの上官で卑猥な妄想をするなど、許されるはずもない。お兄様の部隊では鉄拳制裁は禁止されているけど、罰走くらいはやらされるかもしれない。私たちは顔を青くした。

 

「アル様のあの凛々しいお姿を見て、そんな感想しか出てこないの?」

 

「ごめんなさい」

 

「そんなアル様にご奉仕される、そういうシチュがいいんじゃないの」

 

「は?」

 

「仕事とベッドで主従が入れ替わる、こんなに興奮するシチュエーションは無いと思うのよ」

 

 ……わかる! でも、まさかお兄様の腹心のひとりがこんな馬鹿らしい話題に乗ってくるなんて思わなかったから、私の頭は真っ白になっていた。

 

「あの……怒らないんですか? 私たちのこと」

 

「そりゃ、本当なら るべきだけど……」

 

 ジョゼットさんは怒ったような顔で言った。

 

「私をふくめた騎士隊のみんなが、子供のころからアル様と一緒に訓練を受けたのよ? 同性みたいな距離感で話しかけてくる異性が四六時中傍にいたら、そりゃあ性癖もめちゃくちゃになるというものよ! 劣情を抱かれても、そりゃあアル様の自業自得なのよ!」

 

「ああ……」

 

「あなた達を叱ろうにも、私を含めてみんな一度はアル様をオカズにした経験があるのよ。今さらどのツラ下げて説教しろって話よね。もはや通過儀礼みたいなものなのよ、アル様でエロい妄想をするのは」

 

 ……い、いやな通過儀礼もあったものねえ。



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第二章 王都内乱
第89話 くっころ男騎士と王都再び


 あっという間に、王都に向かう日が来た。もともとリースベンに配備されている一騎とアデライド宰相が寄越した二騎、合計三騎の翼竜(ワイバーン)に分乗し、僕たちは空の旅を開始する。

 結局、王都行きのメンバーは僕とカリーナ、ロッテ、そして部下の騎士のジョゼットの四名に決まった。ロッテを連れて行くのは、カリーナの精神安定のためだ。この頃必ずカリーナとロッテを一緒に行動させているのも同じ理由だったりする。

 なにしろ、カリーナにとってうちの部隊は敵中みたいなもんだからな。結構な精神負荷がかかっているはずだ。敵味方の感覚が薄い民間人、かつ獣人のロッテが近くに居れば、ガス抜きになるだろうという判断だ。人間ってやつは簡単に病んじゃうからな、注意はいくらしてもしたりない。

 ついでにロッテの教育も出来るんだから一石二鳥だ。あいつ、現状では四則計算も文字の読み書きもできないからな。この世界では義務教育なんてないから、上流階級の人間以外みんなこんなものではあるんだけど……。個人的には、やはり気になる。

 

「ぴゃあ……」

 

「うひぃ……」

 

 それはさておき、王都である。馬なら半月かかる旅程も、翼竜(ワイバーン)なら二日に短縮可能だ。しかしその代わり、翼竜(ワイバーン)の乗り心地は非常に悪い。着陸したとたん、カリーナもロッテも地面にへたりこんでしまった。

 

「ほーら、持ってきてよかっただろ、おしめ(・・・)。昨日に引き続き今日も大活躍だ」

 

 げらげら笑いながら、翼竜(ワイバーン)の騎手が二人に話しかける。翼竜(ワイバーン)騎兵たちは旅の直前に、おしめを用意するよう言ってきた。なんでも、フライト中に恐怖のあまり失禁してしまう者がそこそこいるのだという。ま、鞍を汚されちゃたまったもんじゃないからな……。

 

「も、漏らしてないわよぉ……」

 

「へ~え? 本当か?」

 

「本当! 本当だって!」

 

 顔を真っ赤にするカリーナだが、彼女だけを責めることはできないだろう。カリーナと同じ鞍に跨っていた(本来翼竜(ワイバーン)は二人乗りだが、二人とも小柄ということで強引に三人乗りさせられていたのだ)ロッテも同様の状態だからな。ロリ二人ほどではないにしろ、ジョゼットも顔色は悪い。

 空の旅はすでに二日目だが、一回くらいで慣れるものではないという事か。確かに、ロープ一本で不安定な鞍の上に固定され、地上から数千メートルの高度を飛行するわけだから怖くないはずもない。しかも翼竜(ワイバーン)は竜種としては比較的小柄なため飛行時の安定性も低く、ちょっとした突風で振り落とされそうなほど揺れる。

 

「アルベールさんは平気そうですね」

 

 僕が乗っていた翼竜(ワイバーン)の騎手が、妙につまらなそうな顔で言ってくる。僕に関しては、前世でヘリコプターに箱乗りしたりロープ一本で地上に降下したりした経験があるからな。この世界の人間よりは高さに対する恐怖心は薄い。

 

「見苦しい姿をさらさないよう、やせ我慢してただけだよ」

 

「ちぇっ、抱き着かれたりするんじゃないかって期待してたのになあ」

 

 騎手は唇を尖らせてそういった。……彼女は野性味のある雰囲気の美人さんだ。正直、抱き着いていいなら僕だって抱き着きたい。とはいえ世間体もあるし、何より前世から持ち越した価値観がそれを許さない。

 

「それはさておき、久しぶりの王都なわけだけど……」

 

 視線を北へ向ける。僕たちが降り立ったのは、王都からやや離れた場所にある小高い丘だ(流石に都市部に直接着陸するような真似はできない)。ここからなら、王都全体を一望することができる。

 頑丈な外壁によって幾重にも守られたその街は、まさに城塞都市を名乗るにふさわしい威容だ。しかし外壁の内側には、垢ぬけた瀟洒(しょうしゃ)なデザインの白い石造りの住居が並んでいる。無骨さと優雅さが同居した奇妙な大都市、それが王都パレア市だった。

 

「……今日中に入れるかちょっと怪しいな」

 

 大陸屈指の大都市である王都だが、それ故に往来も激しい。外壁に設けられたいくつもの街門からは、某テーマパークでもそう見ないような長さの長蛇の列が伸びている。真面目に列に並んでいたら、間違いなく街へ入る前に日が暮れてしまうだろう。

 

「わざわざ待たなくても、衛兵に事情を伝えればすぐに入れるのでは?」

 

 騎手が当然の疑問をぶつけてくる。僕は一応貴族だし、その上今回は王命で招集されたわけだからな。本来なら顔パスのはず……ではあるのだが。

 

「これでも政敵が多い身でね。いろいろ注意が必要なんだよ」

 

 とはいえ、衛兵の中にはオレアン公の手の者が混ざっているはずだ。監視されるだけならまだいいが、なにかしらの妨害を仕掛けてくる可能性も高い。何しろ僕は、オレアン公が手に入れるはずだったミスリル鉱脈を横から掻っ攫っていったわけだからな。相当恨まれているに違いない。下手をすれば暗殺すらありうる。

 リースベンを押し付けてきたのはお前だろ! と言いたいところだが、そんな正論が通じる相手でもあるまい。とにかく、向こうの思惑通りの動きをするのは危険だ。平民に変装してこっそり街に入る、くらいの警戒はすべきだろう。

 

「なるほどねえ。女爵どのも大変だ」

 

 騎手は腕を組んで唸った。彼女もアデライド宰相の配下だ。ある程度の事情はなんとなく察しているのだろう。

 

「とはいえ、政治は宰相閣下の得意分野。きっと何とかしてくれるでしょうよ」

 

 そう言って騎手は、視線を下へと向けた。そこには、馬に乗って丘を登ってくる一人の女性の姿があった。おそらくはアデライド宰相が寄越した迎えだろう。こちらに向かって手をぶんぶんと振っている。



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第90話 くっころ男騎士と重鎮辺境伯

 予想通り、馬の主はアデライド宰相からの使者だった。彼女が言うには、スムーズに王都に入ることができるよう準備をしてあるらしい。僕たちは翼竜(ワイバーン)騎兵隊と別れ、使者殿の案内を受けてその場を後にした。

 最悪の場合、この使者殿がオレアン公からの刺客ということも考えられる。突然襲い掛かられたり、あるいは伏兵の潜んだ場所に誘い込まれる可能性を警戒していたが……幸い、それは杞憂だった。彼女に案内された先にいたのは、馬に跨った騎士の一団に護衛された立派な馬車だ。

 

「ああ、なるほど」

 

 騎士隊の掲げた旗には、剣と盾の紋章が描かれている。見覚えのある家紋だ。スオラハティ辺境伯家……すなわち、ソニアの実家だ。

 一団からやや離れた場所で待たされていた僕たちだったが、すぐに馬車の中から一人の女性が降りてきて、こちらに向かってくる。後ろには数名の護衛らしき騎士が続いていた。

 

「久しいな、アル! 一年ぶりか」

 

 そういって女性は、親しげに僕の肩を叩いた。ソニアと同じ蒼い髪を長く伸ばし、シックだが高級そうな狩猟服を纏った彼女こそ、ガレア王国の四大貴族に数えられる重鎮中の重鎮……ノール辺境伯カステヘルミ・スオラハティその人である。

 ソニアの実の母親でもある彼女の年齢は三十代の中頃ほどらしいが、ソニアの姉妹を名乗っても違和感なく納得できる容姿だった。竜人(ドラゴニュート)只人(ヒューム)よりも加齢の遅い種族だが、辺境伯はその中でも特別若々しい。

 

「去年の夏に会って以来ですね。ご壮健そうで何よりです」

 

「まあ、身体には気を付けているからな。……しかし、一年か。君は歳を重ねるごとに魅力的になっていくな。おいて行かれそうで怖いよ」

 

「ご冗談を。僕が子供のころから、辺境伯殿は変わらずお美しいですよ」

 

 僕よりやや高い位置にある彼女の顔を見上げながら、僕はそう言い返す。お世辞ではない。前世の記憶を持ち、それなりの分別のあるガキだった僕ですら危うく恋に落ちそうになってしまったことを良く覚えている。流石に相手の立場が立場なんで自重したけどな。

 

「まったく口が上手い」

 

 満面の笑顔を浮かべたスオラハティ辺境伯はもう一度僕の肩を叩いた。そして視線を僕の後ろに移す。

 

「そちらの牛獣人の子が、報告書にあったカリーナちゃんかな?」

 

「はい、そうです」

 

「えっ、ええと! 初めまして、カリーナ・フォン……いや違う。カリーナ・ブロンダンです」

 

 辺境伯はまだ名乗っていないが、彼女の家紋は神聖帝国でも有名だ。気持ちの準備ができていなかったところに突然とんでもない大貴族と遭遇したものだから、カリーナはカチカチに緊張していた。

 ちなみに、その相方であるロッテのほうはジョゼットの後ろに隠れて微動だにもしていない。下手なことをして打ち首にでもされたらたまらないと思っているのだろう。彼女のような平民からすれば、大貴族なんて存在は理不尽の権化のように思えても仕方がない。ジョゼットはジョゼットで、何とも言えない曖昧な笑顔を浮かべながらロッテの頭を撫でている。

 

「ノール辺境伯、カステヘルミ・スオラハティだ。そう緊張する必要はないぞ、君が騎士としての本分を守る限り、私は君を自分の身内として扱おう。なにしろアルの妹になるんだからな」

 

「はい、アリガトウゴザイマス」

 

 出来の悪いロボットのような動きで、カリーナはカクカク頷いた。そしてスススと僕に寄ってくると、耳打ちする。

 

「と、とんでもない大物が出てきたんだけど、いったいどうして!?」

 

「えーと、なんというか……スオラハティ辺境伯は、僕の二人目の母親みたいなもんで……昔からいろいろお世話になってるんだ、剣術や兵法を教えてくれたりね」

 

「どちらも教える必要がなかったじゃないか。剣も盤上演習も、アルが十三になる頃には私より強くなっていた」

 

「えーと、ハハハ……」

 

 なにしろどっちも前世からやってたからな。でっかい下駄を履いてるわけだからそうそう遅れは取らない。とはいえ、前世式の剣術や戦術をこの世界に合わせてアレンジすることが出来たのは、辺境伯が我慢強く僕の鍛錬や勉強に付き合ってくれたからだ。

 

「……そういや、スオラハティって……もしかして、ソニアも?」

 

「ああ、ソニアは私の娘だ」

 

「ええ……単なる同姓か、せいぜい遠縁だと思ってました……」

 

 スオラハティ辺境伯は少し困ったような表情で周囲を見回し、聞く。

 

「そういえば、ソニアの姿が見えないが?」

 

「申し訳ありませんが、リースベン領を任せてきました。小さな街とはいえ、他に代官名代が出来そうな人間がいなかったもので……」

 

「ああ……なるほど。それはよろしくないな……」

 

 ため息をついて、スオラハティ辺境伯は考え込む。ソニアは母親のことを蛇蝎のように嫌っているが、辺境伯からすれば可愛い娘のままなのだろう。仲直りをしようと話しかけては強く拒否されている。僕からすれば、スオラハティ辺境伯は立派に親としての責任を果たしているように見えるのだが……彼女らの間にある溝は、いったい何が原因なのだろうか?

 

「気の利いた代官経験者を見繕ってきて、そちらに送ろう」

 

「助かります」

 

「大したことではない、気にするな。その代わり……」

 

「ええ、もちろん。次は必ずソニアも連れてきます」

 

「ああ、頼む」

 

 そこまで言ってから、スオラハティ辺境伯は明るい笑顔を浮かべた。

 

「ああ、すまない。私事で時間を取らせてしまった。王都へ入りたいんだろう? 私と一緒に居れば、さしものオレアン公も露骨な嫌がらせはできないよ。安心しなさい」

 

 スオラハティ辺境伯軍は、単純な兵数だけでも王軍に次ぐ国内第二の規模を誇る。強大な政治力を誇るオレアン公も、下手に手出しをすればただでは済まないからな。寄らば大樹の陰、というわけだ。

 

「このために、わざわざタイミングを合わせて狩猟に?」

 

 服装から見て、辺境伯は狩猟の帰りだろう。僕の記憶が確かなら、彼女は狩りがそれほど好きではなかったハズ。僕たちのために、わざわざ狩猟を名目にして王都から出てきたのだろう。

 

「ああ、アデライドに頼まれてな。……アルが恩を感じる必要はないよ? 私もはやく君の顔が見たくてね、先走ってしまった」

 

「やめてくださいよ、照れてしまいます」

 

「ははは……」

 

 少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべてから、辺境伯は路肩に停めてある立派な馬車を指さした。

 

「では、行こうか。アルにはいろいろ聞きたいことがあるから、私と同じ馬車に乗ってほしい。君たちは悪いが、後ろの車両で頼む」

 

 おっと、味方と分断されるわけか。ふとソニアの言葉が脳裏によぎる。辺境伯に気を許すべきではないというアレだ。……とはいえ、今のスオラハティ辺境伯に、僕を害する理由があるとは思えない。彼女が僕を疎んでいるなら、合法的にいつでも僕を斬れる立場にあるわけだからな。それをしないということは、僕はまだ彼女にとって利用価値がある人間ということだ。

 それに、なんだかんだ幼いころから世話になってる人だからな。ソニアと同等の信頼を僕は彼女に置いていた。それに裏切られるようなら、僕の目がどうしようもなく曇っていたということだ。

 

「承知しました」



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第91話 くっころ男騎士と政治の話

 僕が乗せられた馬車は、八頭立ての立派なものだ。当然その客室も広くて快適なものだが、その中に居るのは僕とスオラハティ辺境伯の僅か二名のみ。従卒や使用人はもちろん、護衛の騎士すら同乗していない。

 

「さて、これからの話をしようか」

 

 ふかふかしたシートに腰掛けた辺境伯が、足を組みながら言った。その言葉を合図にしたように、馬車が進み始める。王都付近の街道はすべて石畳で舗装されている。馬車自体もサスペンションが装備されている高級品ということもあり、その乗り心地は(この世界基準では)快適だ。

 

「とりあえず、アルの昇爵は確定した。役職としては城伯、つまりはカルレラ市とその周囲の農村・開拓村を防衛する司令官ということになるが……実質的には独立した領邦と同じだ。現状のリースベンは伯爵領とするには小さいから、子爵相当の爵位になってしまったが」

 

「そもそも、子爵を通り越していきなり伯爵というのはムリな話でしょう。僕が女爵に叙されてから、まだ一年もたってないような状況な訳ですし」

 

 そもそも、爵位なんて奴はぽんぽん上げたり下げたりするような代物じゃないからな。爵位が領地と紐づけられている領邦領主となれば特にだ。

 

「リースベン領が発展すれば、正式に伯爵領に昇格させることができる。カネもモノもヒトもどんどん流すから、どうか頑張ってほしい」

 

「有難き幸せ」

 

 しかし、まったくどうしてこの人はここまで僕に良くしてくれるのかね? たしかに、辺境伯家にはそれなりの利益を供与している。辺境伯軍はすでにライフル銃をはじめとした新兵器の大量配備を進めているし、それに対応した戦術の構築に関しても僕のアドバイスをもとに行っている。

 今の辺境伯軍であれば、王軍とも互角以上に戦えるんじゃないだろうか? 王に忠誠を誓った身でなんてことしてるんだお前は、という話だけど。しかし僕はもともと王都の出身というだけで、ケツモチをしてくれたのはいつだって国王陛下ではなく辺境伯だからな。アデライド宰相にしろ僕にしろ、実質的にはスオラハティ辺境伯が中央での発言権を確保・拡大するための駒に過ぎないわけだ。

 とはいえ、言ってしまえばそれだけだ。たんに自領の軍事改革がしたいだけなら、僕の出世など後押しせずに領地に連れ帰って相談役にでも据えた方が良いだろう。そうなっていないのは、辺境伯が僕(と僕の母親)の『ブロンダン家を有力貴族家にしたい』という願いを聞いてくれたからこそだ。相手は重鎮中の重鎮、こっちの意向を無視して強引に引き抜くこともできるはずなんだがな。

 

「しかし、とうとう僕も独立領主ですか」

 

 ヒラの騎士から出発した僕としては、なかなか感慨深いものがある。神聖帝国ほどの極端ではないが、このガレア王国においても領主の権限は強い。独自の徴税権や軍事権を持ち、一個の国家としてふるまうことを許される。

 もっとも、流石に何もかも自由という訳ではない。国王陛下は僕の領地を保護する義務を持つが、代わりに僕は国王陛下の求めに応じて軍役をこなす義務を負うわけだ。この双務的契約関係が、この世界の封建制度の根幹になっている。

 

「思ったより時間がかかった、というのが正直なところだ。もちろん、アルが悪いわけではないよ。私やアデライドが、君の能力に見合った仕事を用意できなかったのが問題だ」

 

「男の身空でここまでスムーズに出世できることが、まず異例ではありませんか。こんなに有難いことはありませんよ。それもこれも、辺境伯のお力添えあってのことです」

 

 当然だが、ここまで出世できたのはアデライド宰相やスオラハティ辺境伯の強烈なバックアップがあったからだ。たとえ僕の性別が女だったとしても、後ろ盾なしにここまで早く領主にまで成り上がることはできなかっただろう。一生をかけても宮廷騎士のまま終わっていたかもしれない。

 だいたい、今のガレアは比較的平和だからな。盗賊や蛮族を追い回したり、ちょっとした地域紛争を鎮めに行ったりというのが、中央の騎士に課せられる任務だ。このような状況では、大きな出世につながるような成果を上げるのは難しい。

 ……まあ、戦果を上げたヤツを出世させる、という考え方自体僕はあんまり好きじゃないけどな。前世の世界でも、まぐれで大戦果をあげたやつが昇進し軍中枢で滅茶苦茶をやらかした……なんて事態は枚挙にいとまがない。

 

「君にはある程度出世してもらわなくては困るからな……」

 

「……というと?」

 

「いや、気にするな。こっちの話だから」

 

「はあ……」

 

 辺境伯にも何かしらの思惑があるのだろうか? まあ、そうじゃなきゃここまで親身に協力はしてくれないだろうな。何にせよ、辺境伯が事情を語りたがらない以上あまり突っ込んで聞くわけにもいかない。

 

「今はとにかく、目の前の障害をなんとかするのが先決だ。つまりは……オレアン公」

 

「やはり、一筋縄ではいきませんか」

 

「ああ、君の昇爵を決める会議でも随分とゴネていた」

 

 やっぱりオレアン公には恨まれてそうだな、僕は。ひどい逆恨みもあったものだ。

 

「とはいえ、こちらもやられるばかりではない。君がディーゼル伯爵や……例の尊きお方から得た情報をもとに、捜査を進めている。オレアン公はリースベン前代官のエルネスティーヌを処刑して追及を逃れようとしているが、そうはいかない」

 

 尊きお方ことアーちゃんからは、実際のところ大した情報は得られていない。しかし、オレアン公の側近でなければ知りえない情報が神聖帝国へ漏れていたわけだから、その漏洩ルートを予測するのは大して難しいものではない。スオラハティ辺境伯のいい方からみて、犯人の目星はすでについているのだろう。

 

「政治面での闘争ならば、アデライドはなかなかのものだ。それに、私も最大限のバックアップはする。アルは何も心配する必要はない、すべてこちらでよろしくやっておく」

 

「ありがとうございます」

 

 僕はにこりと笑って頷いたが、内心はあまり穏やかではなかった。スオラハティ辺境伯には、オレアン公を追い詰めるだけの自信があるのだろう。しかし下手に敵を追い詰めるとシャレにならない逆襲を誘発する場合がある。窮鼠猫を噛む、というヤツだな。こう言った部分は、軍事的闘争も政治的闘争も同じことだろう。

 

「しかし、オレアン公もなまじの政治家ではありません。どうかお気をつけください」

 

「そうだな。詰めを誤れば、こちらが窮地に陥る可能性もある……」

 

 辺境伯は神妙な顔で頷き、悩ましいため息をついてから視線を窓の外へと向けた。街道の左右には、地平線の彼方まで小麦畑が広がっている。すでに刈り入れはおおかたおわり、畑では大量の麦藁が干されていた。ひどく長閑(のどか)な光景だ。青い空をバックに鳩の群れが飛んでいるせいで、余計にのんびりとしたものを感じてしまう。

 

「……そうだ。せっかくだから、一晩うちの屋敷に泊って行かないか? カリーナや、あの可愛らしいリス獣人の子の歓迎会がしたい」

 

 しばらくの沈黙の後、スオラハティ辺境伯はそんな提案をしてきた。彼女は事あるごとに僕を屋敷に誘う。彼女が王都にやってくる夏のころになると、ほとんど僕は辺境伯邸に泊りがけになるくらいだ。

 

「申し訳ありません。カリーナと僕の両親の顔合わせの件もあります。今日のところは……」

 

「なるほど、それは仕方ないな」

 

 そう言う辺境伯の表情は、なんだか申し訳なくなってくるほど残念そうだった。……しかし、ソニアの忠告を聞いて若干身構えたが、やっぱり全然大丈夫だな。攻撃どころか、セクハラ一つ飛んでくる気配はない。

 この辺りは、さすがソニアの母親だなと思う。マトモで、真面目。必要とあれば荒事も辞さないとはいえ、身内に対しては優しい。よく似ている。やはりこの二人は、僕の知り合いの中でももっとも信頼のおける部類の人たちだ。



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第92話 重鎮辺境伯と寂しい帰路

「それでは、辺境伯様。ありがとうございました」

 

「ああ。万が一ということもある、くれぐれも身辺には注意しておくんだぞ」

 

「はい、もちろん」

 

 アルは笑いながら、私……カステヘルミ・スオラハティの馬車から出ていった。予想通り、王都へはスムーズに入ることが出来た。いかなオレアン公とはいえ、辺境伯たるこの私と正面からコトを構える覚悟はないだろう。今のところ、妨害らしい妨害もない。

 城壁の内側へ入ってすぐ、アルとは別れることになってしまった。いろいろと用事があるらしい。国王陛下も忙しいお立場だから、王都に帰ってきてすぐ謁見というわけにはいかない。それまではゆっくり休んでもらいたいところだが、そうもいかないようだな。まったく、彼はいつ見ても忙しそうにしている。

 

「はあ……」

 

 せっかくの一年ぶりの再会だというのに、話す内容は面白みのない政治やら陰謀やらのことばかり。本当に嫌になる。お互いの近況やとりとめのない雑談なんかの、面白い話題は全く出てこなかった。それが妙に寂しい。晩餐会の誘いも断られてしまった。彼と一緒にとる食事ほど楽しいものはないのに、とても残念だ。

 それ以上の下心がないと言えば、嘘になる。夫と死に別れてからすでに十数年、ご無沙汰なんてレベルじゃない。もちろんセックスはしたいし、それがムリなら添い寝でもいい。彼を屋敷に招くと必ずそんな考えが沸いてくるが、そのたびにソニアの顔が脳裏にちらついて毎回何もせずに帰してしまう。

 去っていくアルの背中を、馬車の窓から眺め続ける。彼が見えなくなった辺りで、馬車は再び動き始めた。ああ、寂しい。別れたくない。アルについていきたい。

 

「……」

 

 自分以外誰も居ない馬車の客室で、私は天を仰いでもう一度ため息をついた。気持ちを持て余しているような感覚が、ずっと私の心を苛んでいた。

 彼……アルベールと出会ったのは、彼が五歳、私が二十歳の時だった。当時、ソニアはひどく荒れていた。一年前に父親、つまりは私の夫が流行り病で亡くなったせいかもしれないし、同年代はおろか年上の少女騎士たちですら相手にならないような天性の剣の才能に慢心していたせいかもしれない。

 とにかく、あの時のソニアは私の手に負える状態ではなかった。『中央の気風を学ばせる』などという建前で、本領であるノール辺境領から遠く離れた王都の幼年騎士団に入団させたほどだ。幼年騎士団というのは、騎士志望の子供たちとベテランの教導騎士たちが集団で訓練し、騎士としての所作や戦技を数年かけて学ぶガレア貴族特有の風習のことだ。

 

「あの頃はひどかった……」

 

 ソニアの荒れようは尋常ではなかったし、私自身夫の死を乗り越えられず鬱々とした日々を送っていた。思い出すだけで寒気がする。

 そんな日々を送る中、幼年騎士団にソニアを預けるために王都を訪れた私は妙な話を聞いた。やたらと剣が強い男の子が居るというのだ。興味を引かれた私は、娘とともにその男の子……つまりはアルに会いに行った。ソニアと立ち会わせてみると、なんと娘は一撃で負けたのだ。私はひどくショックを受けた。一目ぼれだった。

 

「……」

 

 思えば、私は子供のころからちょっとおかしい所のある女だった。ガレアに伝わるおとぎ話に、『赤の聖騎士』というものがある。悪い魔法使いに攫われた王子様を騎士が助けに行く、たわいのない童話だ。私はこの『赤の聖騎士』が大好きだった。

 しかし、私が感情移入していたのは騎士などではなく、王子様のほうだった。騎士を待つ王子様の気分になって、いつもドキドキしながら絵本を読み進めたものだ。

 それに気づいた母(つまりソニアの祖母)は私を殴りつけ、それでも次期辺境伯かとひどくなじった。あれほど傷ついた出来事は他にない。

 

「今からしてみれば、母も悩んでいたのかもしれないが……」

 

 とにかく、その事件を機に私は自分の性癖を隠しはじめた。私は一人っ子で、辺境伯を継げるものは他に居なかった。マトモな女のフリをする必要があった。成長していくにしたがって、『守るより守られたい』『手を引くより手を引かれたい』なんて思っている女では貴族家の当主は務まらないことに気付いてしまったからだ。

 それでも未練がましく夫(当時は許嫁だったが)に甲冑を与えて剣を振らせたりしてみたが、最終的に夫には「もう許してほしい」と泣きながら懇願されてしまった。只人(ヒューム)は、男は……心も体も戦うようにはできていないのだ。流石に申し訳なくなって、それ以降私は自分の性癖を完全に封印した。

 

「……」

 

 その封印を完膚なきまでに破壊してしまったのが、アルだった。彼は強く、優しく、そして賢明だった。私は極星に感謝した。ああ、彼こそが私の騎士様だったのだと、そう思った。

 しかし当時の彼はまだ五歳、ソニアと同い年だ。まさか手を出すわけにもいかない。私は彼の母に頼み込み、彼を自ら教育することにした。自分好みの男に育てるためだ。結果的に、アルは私の好みど真ん中の青年に育ってくれた。

 アルが十五歳になった日、私は彼の寝床に突撃しようとした。アルはどんどん魅力的になっていくというのに、自分はそれに反比例するように年老いていく。それが恐ろしかったからだ。私はアルを抱きたいのではなく、アルに抱いてもらいたかったのだ。出会った時には気にも留めなかった年齢の差が、私にとっての最大の問題になっていた。

 

「……あれは悪いことをした」

 

 アル用の女性用礼服と自分用の男性用ドレスまで用意して実行した夜這いだが、あえなく失敗した。なぜかアルの隣の部屋に潜んでいたソニアに迎撃され、窓から投げ落とされてしまったからだ。あとはもうひどいものだ。マウントを取られ、ボコボコになるまで殴られた。相手は王都の剣術大会で優勝するような天才だ、自身の衰えを自覚し始めた私が勝てるはずがない。

 私は、ソニアもアルのことが好きだったという事実にそれまで気づいていなかったのだ。私は自身の不明を恥じたが、事態はすでに手遅れになっていた。ソニアのほうは、私がアルに向ける熱っぽい視線に気づいていたらしい。夜這い事件を機に、ソニアは家を出ていった。

 

「ソニア……」

 

 ソニアは優秀な娘だ。政治・軍事ともに突出した才能を持つ、百年に一度の天才。彼女の下にも双子の娘がいるが、どちらも『それなりに優秀』以上の存在ではない。次の辺境伯は、絶対にソニアに任せたい。私は妥協することにした。本当ならアルには私の後夫になってもらうつもりだったが、正式な結婚相手はソニアとする。そして裏では私の愛人にもなって貰う。ベストではないが、ベターな未来だった。

 辺境伯の夫として相応しい地位をアルに与えるべく、私は彼の出世を強力に後押しした。そのことはソニアにも伝えている。にも関わらず、彼女は私の元に帰ってこない。次期辺境伯よりもアルの副官としての立場の方が魅力的だと感じているのだろうか? それとも、まだ私に対する怒りが収まっていないのか……。そう考えると、私は胃にジリジリとした痛みを覚えた。

 

「はあ……」

 

 何にせよ、時間はない。ソニア、早くアルと結婚してくれ。アルが抱きたくなるような女で居続けるべく、美容には金も時間もつぎ込んでいる。しかしそれにも限界があるだろう。手遅れになる前に、どうか私に機会をくれ。もう一人寝はいやなんだ。寂しいんだ。

 ソニア、我が娘よ。あまりノロノロするんじゃない。私はお前が「なんだあのナマイキな男は」と地団太を踏んでいたころから、アルに恋をしていたんだ。私の方が先に好きだったんだから、優先権は私にあるはずだ。違うか? いよいよもう限界だ。もう一年待つくらいなら、私はお前と決定的に決裂してでもアルに抱かれに行く。後は野となれ山となれ、だ。



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第93話 くっころ男騎士と実家

 スオラハティ辺境伯と早々に分かれたのには、それなりの理由がある。王都に戻って来たからには、あいさつ回りをしなくてはいけない場所が沢山あったからだ。

 なにしろ、ディーゼル伯爵家との戦争で僕は少なくない数の配下を失った。十分な教育を受けた騎士というのは重要な戦力であって、予断を許さない現状においてはまっさきに補充すべき人材と言える。

 知り合いの一線から引いた騎士を訪ねて、親族や部下からリースベンに移住しても構わないという騎士を探してもらうのだ。僕の知り合いの騎士と言えば大半が宰相派閥の宮廷騎士だから、この辺りは話が早い。本当ならアデライド宰相に直接頼むべきなのだが、彼女もオレアン公対策で忙しいらしいからな。自分でできることは自分でやる、そういう判断だった。

 

「よーし、お疲れ様」

 

 そう言う訳で、僕たちが今日宿泊予定の場所……つまり、僕の実家に到着したのは、西の空が赤く染まった時間帯だった。

 アッパータウンとダウンタウンの間にある微妙な地区に建った、ちょっとした庭付き普通の二階建て住宅。それが僕の実家だ。これより大きな家に住んでいる平民だって、決して珍しくはないだろう。それでも、久しぶりの実家だと思うと高級ホテルに泊るよりも嬉しいものだ。

 

「よく帰って来たな! よーし、まずは駆け付け一杯だ!」

 

 僕を出迎えた母上は、すでに出来上がっていた。ダイニングルームの真ん中にデンと据え付けた酒樽から柄杓でワインを掬い、直接飲んでいる。うわあ、なんて声が自然と出た。僕も呑兵衛具合では人のことを言えた義理ではないが、流石にこれはどうかと思う。

 母上は……なんというか、山賊の頭目のような雰囲気を漂わせた女傑じみた人物である。スオラハティ辺境伯とは同世代のハズだが、似ても似つかない。どちらかといえば、前ディーゼル伯爵……ロスヴィータ氏に似たタイプだった。

 

「今朝からもうずっとこの調子で……止めはしたのですが」

 

 そんなことを言うのは、僕が生まれる前からブロンダン家に仕えている老男中(だんちゅう)(要するに女中の男性バージョン)だった。その顔には、ひどく申し訳なさそうな表情が浮かんでいた。

 

「止めて止まるような人じゃないから……」

 

「お客さんも来てるのに……すまない、本当にすまない」

 

 頭を抱えながら、父上が言った。蛮族の戦士ですと言っても十人中十人が納得しそうな母上と違い、こちらは洗練された雰囲気を漂わせる紳士(もちろん、この世界基準の)そのものだ。しかし、やはりこちらも苦り切った表情をしている。

 

「母上が平常運転でむしろ安心しましたよ」

 

 まあ、この人は僕が物心ついた時からこんな感じだ。いちいち気にしていたら身が持たないので、柄杓を受け取ってぐっと飲み干す。……かなり上等のワインだな。祝い酒って訳か。

 

「ワッハハハ! そう来なくちゃな。さあさ、お客人も座れ! 今日は宴だぞ! 飯もってこいメシ!」

 

 などと言って、母上は強引に僕たちを席につかせる。カリーナとロッテは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたが、幼馴染のジョセットは慣れたもので酒杯を受け取りすでに一杯やりはじめている。

 

「お前がカリーナだな? 話は聞いてる。アタシはデジレ。デジレ・ブロンダン。見たらわかると思うが、アルの母親だ」

 

 どっちかというと僕は父親似だよ! ……まあ、性格は母親似なんていわれるけどな。解せぬ……。

 

「アッ、どうも……カリーナです。ヨロシクオネガイシマス」

 

 ガチガチになりながら、カリーナは頭を下げた。小さなツノが二つ生えたその頭を、母上は軽くひっぱたいた。

 

「ほかでもないアルの頼みだ。アタシの娘になるのは認めてやろう。が、ブロンダン家の一員になる以上、ナメたことをしでかしたら問答無用でブチ殺すからな、調子に乗るんじゃねえぞ小娘!」

 

「ぴゃっ!?」

 

 ノリがもうマフィアかギャングなんだよな、この人。まあこんな脳みそ世紀末じゃなきゃ息子を騎士にしようなんて思わないから、痛しかゆしッてやつだ。慣れてしまえば大したことない。

 

「あー、もう……せっかくアルの祝いの席なのに……」

 

 父上が頭を抱えていた。それを見て苦笑していると、隣に居たロッテが耳打ちする。その目はキラキラと輝いていた。

 

「しっかし、流石は兄貴のお父様ッスね。騎士様となるとあんなんでもこんな出来た婿さん貰えるんスねえ」

 

 身内のひいき目もあるだろうが、僕の父上は結構な美形だ。三十代になった今でも、その魅力はまったく衰えていない。もちろんこの世界基準の色男なので、前世の世界のいわゆるイケメンとは少し雰囲気が違うのだが……。

 

「おいコラ、僕は子供は殴らないけど母上は問答無用で全力パンチしてくるぞ」

 

「……」

 

 ロッテは無言で母上の方を見た。母上は、ヴァルヴルガ氏やロスヴィ《》ータ氏のように体躯に恵まれているわけではない。しかし、身体能力に劣る只人(ヒューム)でありながら騎士などしているだけあって、熟達した戦士特有の鋭い気配を放っていた。只者ではない、というのは素人であってもすぐに肌感覚で理解できる。

 

「聞かなかったことにしてくださいッス」

 

「トクベツだぞ。……あとな、父上は政略結婚じゃないぞ。騎士になったからってそううまく結婚相手が見つかるわけじゃないからな、ヘンな幻想は抱くなよ」

 

 実際のところ、父上はどこぞの大貴族の後添えになるハズだったところを母上に強奪されたらしい。愛剣も盗品なら夫も盗品の盗賊騎士デジレ・ブロンダン。そういう風に呼ばれてたとか。……いやー、実母ながらあまりに強烈だよな。

 

「ウッス……」

 

 ロッテはうなだれた。まあ、こいつも異性が気になり始めるお年頃だからな。やっぱり、一発成り上がってモテモテ、みたいなのを期待してるんだろう。僕も成り上がってモテモテになってみたいもんだよ。……変態にはよくコナをかけられるんだけどね、結婚相手になってくれそうな相手が全然いなくて困るね。

 ブロンダン家は只人(ヒューム)の貴族だから、亜人の嫁を迎えるわけにはいかない。種族が乗っ取られてしまう。だから、知り合いで言えば候補は宰相閣下くらいだ。

 ……性格も容姿も好みだし、頭もいい。アデライド宰相は本気で結婚を申し込みたいくらい魅力的な相手だが、家格が微塵も釣り合わない。その上、嫁入りを頼む必要まであるからな。土下座して結婚を懇願しても、絶対に無理だろう。そもそも、宰相自身が僕をどう思ってるのかよくわからないしな。セクハラしてくるあたり、嫌われてはいないんだろうけど。でも、僕を火遊びの相手程度にしか認識してない可能性も滅茶苦茶高いし……。

 

「はあ……」

 

 せっかく実家に帰って来たというのに、すっかりテンションが下がってしまった。こういう時は、酒を飲んで忘れるしかないな!



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第94話 くっころ男騎士と親子の剣

 歓迎の宴の後、僕たちは泥のように眠った。翼竜(ワイバーン)に乗るのは乗馬よりはるかに疲れる。皆休息を必要としていた。

 そして、翌朝。帰省中とはいえ鍛錬を休むわけにはいかない。朝日が昇るのと同時に、僕はカリーナたちを伴って庭にでた。地価の高い王都だから、庭と言ってもあまり広いものではない。とはいえ、剣を振るには十分だ。

 

「この……丸太を打つ稽古って、何回くらいやってるの? 一日に」

 

 いままで基礎体力錬成を主目的に行わせていたカリーナのトレーニングだったが、もともと鍛えていただけあって最近はそれなりに形になってきた。そろそろ実際の戦闘訓練に入ろうというのである。射撃訓練は流石に街中ではムリなので、まずは剣術と格闘だ。

 ちなみに、ロッテのほうは民間人出身ということでまだ十分な体力を錬成できたとは言えない状態だ。今は僕の母デジレに罵声を浴びせかけられながら、庭の隅で真っ赤な顔をして腕立て伏せをしている。

 

「僕の場合、朝に三千夕方に二千だ」

 

 地面に埋め込まれた丸太の具合を確認しながら、僕は言った。丸太は古びており、真ん中のあたりがひどく削れている。王都に居た頃の僕が毎日毎日飽きもせずに木刀でシバき続けた結果がこれだ。

 無心で木刀を丸太に叩き込み続けるのが立木打ちという修行の基本である。丸太はもちろん木刀も消耗品だ。なので、普通の剣術道場で使われるような凝った造りの木剣ではなく、ちょうどいい太さの木の枝を使う。

 

「お、多くない!? 大丈夫? 腕とかかなり痛くなりそうなんだけど」

 

「慣れたら平気だけど、それまでは確かにキツイよ」

 

 転生してしまったせいで、僕の剣術修行も最初からやり直しになってしまった。三歳だか四歳だかの頃から庭木を相手に立木打ちを再開したのだが、当初はかなり辛かった。しかし続けていけばそのうち気持ちが良くなることはわかっていたので、親に止められようが使用人に止められようが強行したが。おかげでうちの庭木はすべてへし折れてしまった。

 

「どんなトレーニングにも言えることだが、過剰な負荷をかけるのは却ってよくない。この立木打ちも、関節に違和感を覚えたら回数に拘らずすぐやめろ。訓練で無理をし過ぎて実戦で無理できないような体になってしまえば、本末転倒だからな」

 

 無理をする訓練というのは確かに必要だけど、基礎段階でやるもんじゃない。とくにカリーナやロッテはまだ身体が成長途中だからな。細心の注意を払っておかないと、すぐに身体をぶっ壊してしまいそうだ。

 

「はーい」

 

 などと言いつつ、カリーナは丸太を打ち始めた。もともとカリーナは戦斧を獲物としていたが、これはガレアでは蛮族の武器とされている。ガレアで騎士を目指す以上、剣や槍をメインに戦うやり方に組みなおしてやる必要があった。

 幸いにも、僕の剣術は剣を大上段から振り下ろす戦術がメインだ。斧の扱い方とある程度類似点があるので、違和感なくシフトしていくことができるだろう。

 

「こいつもこの剣術か。ったく、アタシの剣を継ぐやつは居ないってことかねえ」

 

 近くに寄ってきた母上が、ため息をついた。僕が使っているのは前世由来の剣術であり、母上から習ったものではない。一応手ほどきは受けているのだが、母上の剣はいわゆる『蝶のように舞い蜂のように刺す』タイプのものだ。初太刀で殺すことを前提にしている僕とはあまりにも相性が悪かった。

 

「すみませんね。でも、こいつは牛獣人ですから……もともとの性質も、これまで習ってきた戦技も猪突猛進型です。母上の剣技を授けても、使いこなせないのではないかと」

 

「オーク共もそうだが、こいつら力技のごり押しばっかりだからな。それであれほど強いんだから、腹が立つ」

 

 亜人たちの驚異的な膂力や俊敏性に苦労させられたのは、母上も同じことだ。その表情には何とも言えない感慨が浮かんでいた。

 剣術はともかく、短期型に調整した身体強化魔法で一撃必殺を狙う戦法自体は母上ゆずりのものだったりする。多くの亜人種はパッシブで強化魔法がかかっているようで、この手の魔法は只人(ヒューム)や非力なタイプの亜人でしか効果を発揮しない。つまり、時間限定で亜人と同じ土俵に立つための魔法というわけだな。

 

「とはいっても、みんながみんなそうというわけじゃないですから。アイツとかね」

 

 僕は真っ赤な顔でフンフン言いながら腕立て伏せを続けるロッテのほうに視線を向けた。リス獣人ははっきり言って正面戦闘向きの種族じゃない。軽業じみたことをやらせれば天下一品ではあるんだが……甲冑を着込んで剣や槍で打ちあうような戦いでは、只人(ヒューム)にも劣るかもしれない。

 白兵が出来ないなら、銃で戦えばいいだけだがな。それに、ロッテを訓練兵にしたのはあくまでカリーナのためだ。訓練が終わった後は後方兵科なりそもそも軍隊から離れた仕事なりをやらせようかと思っている。そもそもガキは戦わせたくないしな。

 

「ああ、確かに悪かねえな。剣をはじめるにはちぃと遅いが、無理ということはあるまい。あんなんでも従者くらいはこなせるだろ」

 

 などと思っていたら、突然母上が燃え始めた。どうやら、ロッテに剣を教えるつもりらしい。……大丈夫かなあ。母上は訓練こそ案外優しいけど、頭が蛮族だから……ロッテも野蛮になってしまうかもしれない。いや、もともとの保護者がヤクザ者のヴァルヴルガ氏なんで、あんまり変わらない可能性もあるが。

 

「やるなら厳しくお願いします。中途半端はよろしくない」

 

「当然だろ、当然。生半可に剣術をかじった人間ほど危なっかしいモンはねぇ」

 

 相手は母上だ、こんなことは言うまでもなかったな。などと思いつつ、僕は自分の鍛錬の準備に入った。国王陛下との謁見は数日後の予定だが、それまでに根回しやらなにやらをしておく必要があった。トレーニングはさっさと終わらせて、家を出なくてはならない。

 ……久しぶりの帰省なのに、忙しくてイヤになるな。ガキどもを連れて王都巡りとか、してやりたいんだけど。そういうのは、全部の面倒ごとが片付いてからになりそうだ。



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第95話 くっころ男騎士と後装銃

 朝の鍛錬と食事を終えた僕は、水浴びで身を清めた後ジョゼットとともに外出した。もちろん、カリーナとロッテは留守番だ。なにしろ母上のシゴキはまだ終わっていない。僕の方は今日はあちこちへ出かける予定だったが、まず目指したのは馴染みの鍛冶屋だ。

 

「よお、久しぶりだな! 待ってたぜ、旦那」

 

 鍛冶屋ラ・ファイエット工房で僕を出迎えたのは、工房長のドワーフだった。ドワーフというとタルのような体形のヒゲモジャのおっさんが頭に浮かぶが、やはりこの世界では女性のドワーフしかいない。人型種族で男が存在するのは只人(ヒューム)だけだからな。

 工房長は子供のような背丈で、その割に手足は太い。それがデフォルメされているように見えて、マスコットのような可愛さがあった。これはドワーフ全体の特徴でもある。

 

「やあ、元気そうでなによりだ。調子はどうだい、親方?」

 

「ひでぇもんさ。あんたが持ち込んだオモチャの設計図のせいで、毎晩夜中までウンウン唸ってたんだよこっちは。まあ、面白かったがね」

 

 上機嫌な様子で親方ドワーフはガハハと笑った。ラ・ファイエット工房は鉄砲専門の鍛冶屋だ。ディーゼル伯爵家との戦争で僕たちが使用した小銃や拳銃はすべてこの工房で生産されたものである。

 

「というと、例の件はうまく行ってるんだな」

 

「ああ。大砲の方はとうに完成して、宰相閣下に納品済みだ。小銃もなんとかそれなりのモノは出来たから、確認してほしい。……ちょうど宰相閣下もご視察に来られてるんだ。待ち合わせしてたんだろ?」

 

「そうなんだけど、早いな」

 

 僕がまだ王都で働いていたころ、工房にはいくつかの新兵器を発注していた。今日はその進捗を確認しに来たわけだ。なにしろオレアン公まわりに不穏な空気が漂ってるからな、荒事には備えておいたほうがいいだろう。

 しかし、アデライド宰相はもう来てるのか。自分が遅れたんじゃないかと不安になって、懐中時計を取り出してみる。しかし、予定の時間まではあと三十分以上あった。今朝の教会の鐘で時間合わせをしたから、時計が狂っているということもないだろう。

 

「それだけあんたに合うのが楽しみだったのさ、待ちきれないくらいにな」

 

「そりゃあ光栄だ」

 

 などと軽口を交わしてから、僕は親方に工房の裏手へ案内された。この工房には小さな試射場がある。僕が頼んでいた新型銃の試作型は、すでにそこへ運び込まれているらしい。

 

「おはようございます、アデライド」

 

「おはよう、アルくん」

 

 試射場に張られた天幕の中には、アデライド宰相がいた。地味だがカネのかかっていそうな夏服を着ている。いかにも貴族のお忍び外出着って感じだな。

 

「久しぶりの実家はどうだった?」

 

「酒をしこたま飲まされましたよ」

 

「デジレは相変わらずだなあ……」

 

 苦笑してから、アデライド宰相は視線を隣の木製ラックに目を向けた。そこには、数挺の小銃が立てかけられている。今となっては見慣れた前装銃(マズルローダー)とは明らかに形状がことなる、奇妙な銃だ。特に目立つのは銃身の付け根に取り付けられた小さなハンドルだろう。

 

「一足早く見せてもらったがね、これはなかなか凄まじい代物だ」

 

 アデライドが視線で指示すると、彼女の傍らになっていた小柄な騎士が新型小銃を手に取った、アデライド宰相のお気に入りの騎士、ネル氏だ。ネル氏は小銃を構え、銃身付け根のハンドルを引っ張って薬室を解放した。そこにテーブルの上に乗った小さな紙の筒を突っ込むと、そのままハンドルを元に戻す。

 引き金を引くと同時に、乾いた銃声が響いた。土嚢に立てかけられた木製のマトに穴が開く。銃口から吐き出された黒色火薬特有の煙幕じみた白煙が晴れるよりはやく、ネル氏は先ほどの同じやり方で新しい銃弾を装填する。そのまま、再発砲。そのリロードの速度は、銃口から弾薬を込める従来型小銃よりも圧倒的に早い。

 

「これはすごい」

 

 関心の声を上げたのは僕の護衛、ジョゼットだ。彼女は僕の部下の中でも最も銃の扱いに優れている。あの男騎士の狙撃任務に彼女を参加させたのもそういう理由があってのことだ。

 

「これは……下手をすれば戦争の形がかわりますよ!」

 

「うん、うん。戦いに関して私は素人だが、これがすさまじい兵器だということはわかる。素晴らしいものを作ってくれたな、アル」

 

「僕が作ったわけじゃありませんよ」

 

 僕は設計図を引いて、各パーツの製造法に関していくつかの助言をしただけだ。あとはすべて職人が頑張ってくれた結果である。

 その設計図自体も、僕ではない架空の錬金術師が作ったものだと周囲には説明している。なにしろ僕は前世知識をもとにこの設計図を作ったわけだからな。新しい発明を生み出す能力なんかない。それに気付かれてボロを出すくらいなら、最初から別人の設計ということにしておいた方が良いだろう。

 

「それにこいつ、性能は確かにいいんですが……量産性が。ねえ?」

 

「うちの工房の規模じゃ、月産で十挺でも達成はまず無理だな。とにかく部品点数が多いし、精度も妥協できねえ。高速連射ができるぶん、耐久性も十分注意する必要がある……」

 

 親方が肩をすくめた。このタイプの後装式ライフル銃……シャスポー銃が前世の世界で開発されたのは、一八七〇年代の頃だ。蒸気機関車もすでに普及していたような時代だから、手工業が中心のこの世界とはあまりにも工業力が違いすぎる。同じように量産するのは不可能だ。

 

「それに、こいつには耐熱ゴムが使われています。ゴムの供給量が限られている以上、ヒトやカネをつぎ込んでもあまり増産はできませんよ」

 

 弾薬を銃身の後ろから装填する後装式(ブリーチローダー)と呼ばれるこの手の銃は、薬室の密閉が問題になってくる。銃口以外の場所から火薬の燃焼ガスが漏れると、弾速や射程距離が悪化するからな。この銃の場合、その問題はゴムリングを使うことで解決している。

 しかしゴムは僕たちの居る中央大陸では産出されず、西大陸からの輸入品に頼っている状況だ。おまけに生ゴムそのままだと耐熱性に難があるので、加硫という特殊な加工をしてやる必要がある。これにもやはり高いコストがかかってくる。

 

「ゴム、ゴムかあ……ゴム無しでは作れないのか?」

 

「作れなくもないんですが……射程が半分くらいになるんですよ、ゴムを使わないと」

 

 前世の世界では射程に勝る前装式ライフル銃を、射程の短い後装式ライフル銃で圧倒した戦例もある。しかし、僕の敵は銃弾を弾くような甲冑を着込んだ騎士たちだからな。その騎馬突撃を粉砕しようと思えば、出来るだけ長い射程が欲しい。

 しかし、美女の口からゴム無しとかいう言葉が出てくるとそこはかとなくドキドキするな。まあ、この世界のコンドームはゴムじゃなくて家畜の腸で作られてるんだけど。

 ……いやーしかし、我ながら溜まってるな。ちょっとした単語でスケベを連想するなんて、中学生じゃあるまいし。ソニアや辺境伯に万が一バレでもしたら、幻滅されてしまいそうだ。気を付けないと。

 

「ふーむ、残念だ」

 

「現状、騎兵用として少数配備するのが限度でしょうね。この銃なら馬上でも再装填しやすいですから、それでもかなりの戦力増強が見込めます」

 

「うむ、なるほど。よくわからんので、任せる」

 

 小首をかしげながら、アデライド宰相はそう言った。宰相は宮廷貴族の出身であり、従軍経験はない。それどころか、戦士としての訓練を積んだことすらないという。封建制のこの世界ではかなり珍しい、官僚型の貴族なんだよな。軍事面に詳しくないのは、仕方がない。

 自分にはよくわからないから、詳しい部下に投げる。これが出来るんだから上等だよ。見栄や誤った義務感で畑違いの仕事に無駄な口出しそしてくる上司・上官なんていくらでもいるからな。

 

「承知しました。……ちなみにこの銃、今何挺くらいできてるんだ?」

 

「検品も終わってるのは……五挺だけだな。不良品なら、その三倍は出てるんだが」

 

 うわ、試作段階とはいえ凄い不良率……こりゃ、多めの報酬を用意しておいた方が良いな。もちろん開発費はすでに支給しているが、これだけ頑張ってくれたんだからボーナスは必要だろう。

 

「わかった、不良品も含めて全部買い取ろう。もちろん、弾薬もね」

 

「そう言うと思って、すでに私が支払っておいたぞ」

 

 宰相がニヤリと笑った。……マジでこの上司、最高過ぎないか?

 

「その代わり……今夜は私の家で、な?」

 

 しかし、そこはさすがセクハラ宰相。その美しい顔を好色に歪ませながら、そんなことを囁いてくる。この人は、まったく……。いや正直嬉しいけどね?

とはいえ、僕は昨日スオラハティ辺境伯のお誘いを断っている。今夜は空いていたので、その埋め合わせをする予定になっていた。いろいろお世話になってる人だからな、まさか断ってそのままというわけにはいかないだろ。

 

「その……申し訳ありません。実は、辺境伯様に既に誘われておりまして」

 

「……なら仕方ないな。私も同行しよう」

 

 なんだか妙に渋い表情で、アデライド宰相はそんなことを言いだした。



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第96話 くっころ男騎士と昼食

 購入した新型後装ライフル銃と弾薬は、すべて実家に送ってもらった。ラ・ファイエット工房を後にした後もアデライド宰相に同行して、いくつかの視察や非公式会談などを行う。ガレア王国の宮廷貴族としては最大の権勢を誇る(もっとも、オレアン公やスオラハティ辺境伯などの大きな領地をもった領主貴族にはさすがに劣るが)大貴族が文字通りバックについているわけだから、話がスムーズに進んで有難い事この上ない。

 昼になると、アデライド宰相に昼食に誘われた。夕食に辺境伯の所へ行くのなら昼食はうちで取れ、ということらしい。もちろん、こちらとしても否はない。王都の一等地に建つ宰相邸で、一流シェフの作る立派なランチに舌鼓を打った。

 

「そう言えば、午後はどうするつもりなのかね?」

 

 食後の香草茶を頂いていると、アデライド宰相が唐突に聞いてきた。一応、彼女とは午前中で別れることになっている。

 

「パレア大聖堂へ行く予定です」

 

 パレア大聖堂というのは、王都パレア市の中心部にあるこの国最大の教会だ。何十年もかけて建築したという立派な聖堂で、ガレアの各地からたくさんの巡礼者が訪れる星導教の聖地のひとつだ。

 

「叙爵の時に、僕をリースベン代官にするよう進言していたのが司教様でしたので……少し気になっていましてね。知り合いの聖職者に、調査を頼んでいたんです」

 

「たしかにそんなこともあったな」

 

 香草茶のカップをいじりながら、アデライド宰相が考え込む。

 

「……君の知り合いの聖職者というと、フィオレンツァ司教か。最年少で司教位に上り詰めた、生ける聖人」

 

「はい。彼女であれば、何か知っているのではないかと……」

 

 この世界は宗教の権威が強いからな。聖職者と仲良くしていると、いろいろとメリットがある。お布施(・・・)をしてみると、目に見える形で現世利益を授けてくれたりな。腐ってるなあとは思うけど、まあ仕方がない。潔癖ぶって余計な敵は増やしたくないので、僕も事あるごとにそれなりの額のお布施と言う名のワイロを教会に納めている。

 もっとも、宰相の言うフィオレンツァ司教はそう腐った人物ではない。貧民救済や孤児院経営に携わり、司教になった後も信徒一人一人の告解や相談を親身になって聞く。まさに聖人の鑑のような人物だった。

 

「奴はどうも胡散臭くて、私は好かんな」

 

 うさん臭さでは人後に落ちない金持ち貴族、アデライド宰相が口をへの字にして唸った。

 

「とはいっても、彼女に悪い噂はないですよ。信徒たちの評判も上々ですし」

 

 そこらの生臭坊主は平気で肉体関係や大金を求めてくるが、フィオレンツァ司教はそんなことはしない。どこぞの宰相と違って尻を触ってきたりしないし、お布施に関しても多すぎると逆に受け取らないくらいだ。

 

「それがかえって怪しいんだよ。清廉潔白なヤツが、あの若さで司教まで上り詰められるものかね。絶対、裏では相当汚いことをやっているはずだ」

 

「異様な出世に関しては僕も人のことを言えないので、ノーコメントで」

 

 僕だって、裏じゃ宰相や辺境伯に竿を売って便宜を図ってもらっている男娼騎士なんて陰口をたたかれてるからな。状況証拠だけ見れば真っ黒なんだから、仕方がないが。

 

「ハハハハ……確かにな。どうだね、噂通り私と寝てみるか? 伯爵くらいならポンと上げてもらえるかもしれんぞ?」

 

「どうぞご勘弁を。貞操は将来の妻に捧げると決めておりますので」

 

 内心は滅茶苦茶寝たいけどな!! あー、残念でならん。とはいえ、誰にでも腰を振るような淫乱男にマトモな嫁が来るわけがないからな。ブロンダン家の将来を考えれば、安易な手段に流されるわけにはいかない。母上も父上も、明らかに異常なガキだった僕をしっかりと育ててくれた恩があるからな。二人の名誉を汚すような真似は絶対してはいけないんだよ。

 

「そうだ、君はそれでいい。くれぐれも、自分を安売りするような真似をするんじゃないぞ」

 

 なんか宰相が良識派みたいなこと言ってるけど、そう思うならセクハラをやめてもらいたいもんだよな。僕の評判が悪いの、七割くらいアデライド宰相のセクハラのせいなんだが。アンタのせいで嫁になりそうな人が寄り付かないんだよ! ……あ、もともとか。前世の時点で嫁どころか恋人すらできなかったもんな……

 しっかし、宰相の真意がわからないな。事あるごとに(もちろん今日の移動中や屋敷を訪れた時にも)ケツを触ってくるくせに、貞操は大切にしろという。宰相にとっては、ケツ揉みくらい挨拶のうちなんだろうか? 『そんなカタいことを言っている男を墜とすのが気持ちが良いのだよグヘヘ』みたいなことを言われて手籠めにされてもおかしくない立場のはずなんだけどな、僕。

 

「だからこそ、フィオレンツァ司教のような女には気を付けるんだ。ああいう聖人ヅラしたヤツほど、裏では人に言えないような異常性癖を抱えていると相場が決まっている」

 

「……」

 

「孤児院の子供たちを毒牙をかけていても、私は驚かんからな。教義で婚姻を禁止されているせいか、聖職者という連中はどいつもこいつも性癖を拗らせている。性的なものを抑圧しすぎると、かえって健全な精神からは程遠くなってしまうものだ」

 

「なるほど」

 

 フィオレンツァ司教の顔を思い浮かべながら、僕は頷いた。もっとも、内心はまったく納得していない。あの人とも長い付き合いだからな。慈悲という言葉が擬人化したような女性、そういう印象がある。もっとも、アデライド宰相にそう反論したところで無意味だろうから、口には出さない。第一印象ってやつは、なかなか覆るものではないからな。

 

「とにかく、用心しておくことだ。何なら、私の騎士を何人か連れて行くといい。ジョゼットも優秀な騎士だが、一人だけでは手が回らない部分もあるだろう」

 

 僕の後ろに控えたジョゼットにちらりと視線を向けて、宰相は言う。フィオレンツァ司教云々はさておき、オレアン公の件もある。護衛は多いに越したことはないだろう。ここは上司の厚意に甘えておこうか。

 

「そうですね、よろしくお願いします」

 



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第97話 くっころ男騎士と聖人司教

 どんな身分にあっても分け隔てなく親身になって相談に乗り、貧民には私財を投げうってでも施しを与える。そんな評判を持つフィオレンツァ司教は、庶民から絶大な支持を得ている。告解やミサをやってくれという依頼は引きも切らず、本来ならば面会なら困難な相手だった。

 

「……」

 

 アデライド宰相と別れた僕は、パレア大聖堂の告解室で待機していた。ジョゼットや宰相につけてもらった護衛の方々は、隣の控室にいる。聖職者と信徒が一対一で罪の告白を行う告解室は非常に狭いので(とはいっても、キリスト教式の告解室ほどではないが)、大人数が詰めかけられるようにはできていない。護衛の意味があるのか、と思わなくもないが、まあ相手は戦闘訓練など受けたこともない素人だ。万一があっても助けを求めることくらいはできる。

 ボンヤリとしながら、星導教について思いを巡らせる。この宗教は我らがガレア王国の国教で、中央大陸の文明国の住人はほとんどこれを信仰している。元は占星術や星を用いた測位などを行っていた技術者の集まりだったらしいが、今となっては前世の中近世カトリック教会のような権威集団と化している。もっとも、崇めているのは神ではなく北極星だが。

 

「お待たせしました、アルベールさん」

 

 ドアの開く音がして、一人の女性が告解室に入ってくる。青白の司教服と、右目の黒い眼帯。なんともアンマッチな服装だが、何よりも目立つのは背中に生えた純白の羽だ。彼女の種族は翼人族。天使の末裔を自称する胡散臭い連中だ。同じ翼をもった種族である鳥人(ハーピィ)と比べると、確かに天使のように見えはするのだが……。

 

「ああ、フィオレンツァ様。お忙しい中、ありがとうございます」

 

 相手は司教様だ。末端の下級貴族でしかない僕よりも圧倒的に偉い。椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。

 

「いいえ、とんでもない。わたくしも久しぶりに幼馴染と歓談できると思って、楽しみにしていたんですよ」

 

 僕みたいなのがなぜこんな大物と簡単にコンタクトが取れるのかというと、まあ簡単な話で昔からの付き合いだからだ。出会ったのは僕が幼年騎士団でシゴかれていたころだから、もう十年来以上の友人ということになる。

 フィオレンツァ司教は僕より三歳年下で、たしかにアデライド宰相言う通り司教としては異例を通り越して異様に若い。不思議と言えば不思議なのだが、宗教組織の例にもれず星導教内部には複雑極まりない権力機構が潜んでいる。何かあったんだろうな、とは思う。しかし藪をつついて蛇を出すわけにもいかないから、『どうやって出世したんだ?』なんてことは聞いたことがなかった。

 

「……できれば、思い出話に花を咲かせたいところではありますが。しかし、残念なことに時間がありません」

 

 司教服のポケットから出した銀時計をチラリとみて、フィオレンツァ司教はため息をついた。天使じみた翼と膝まで届く超ロングのプラチナブロンドを持つ可憐な少女が憂いの表情を浮かべている姿は、まるで宗教画のような荘厳さを感じる。

 

「ふふっ、そう褒めないでくださいな」

 

 少し顔を赤らめて、フィオレンツァ司教が言った。……バレてる! 細かな動作や雰囲気から読み取っているのか、彼女は昔から人の考えを言い当てるのが得意だった。信徒の悩みに寄り添うカウンセラーのような仕事も聖職者の役割の一つだから、この技術はさぞ役に立っていることだろう。

 

「アルベールさんは、分かりやすいですから」

 

 少し苦笑しながら、フィオレンツァ司教は言う。そのヒスイ色の左目がこちらに向けられると、まるで本当に心の奥底を覗かれているような気分になる。不思議な感覚だった。

 

「そうでしょうか?」

 

「ええ、わたくしからすれば……ですが。子供のころから、アルベールさんのことはずっと見てきましたから。他の方ではこううまくはいきませんよ」

 

「なるほど……」

 

 ずっと見てきた、なんて言われると照れるよなあ。まあリップサービスだろうけどさ。……フィオレンツァ司教の貴重な時間を浪費するわけにもいかないから、そろそろ本題に入るか。多忙極まる中で無理やり時間を作って会ってくれてるわけだものな。

 

「ところで、フィオレンツァ様。オレアン公の件なのですが」

 

「ええ、ええ。わかっております」

 

 フィオレンツァ司教はニッコリと笑って、僕の対面に置いてあった翼人用の背もたれのない椅子へ腰を下ろした。僕がリースベンに出立する直前に、彼女にはオレアン公の調査を依頼していた。あれからしばらくたつので、情報収集もそれなりに終わっているだろう。

 

「詳細な調査結果は、後ほどご自宅にお届けします。読後は必ず償却するようにお願いします」

 

「ええ、もちろん」

 

 オレアン公を嗅ぎまわっていることがバレたら、僕もフィオレンツァ司教もマズイ立場に置かれるからな。司教の厚意を無駄にしないためにも、情報漏洩の可能性は可能な限り下げておく必要がある。

 

「ここでは概要だけ話しますが……どうやら、教会内部にオレアン公に取り入り、私腹を肥やそうとしている一派が居るのは確かなようです」

 

「よくある話ではありますが、嘆かわしいものですね」

 

「ええ。教会は利益追求のための団体ではありません。極星様のお導きを民草に伝え、より良い未来へ進むための一助となるのが我々の責務。それを忘れてしまった者は、もはや聖職者とは呼べません」

 

 厳しい表情で、フィオレンツァ司教は頷く。

 

「奴らから見れば、僕は金の卵を産むガチョウを盗んでいった憎い男ということになります。そうとう恨まれているでしょうね」

 

「その通りです。……しかし、あの恥知らずたちはそれだけでは飽き足らず、さらなる恐ろしい計画を立てているようです」

 

「……というと?」

 

「ありていに言えば、クーデター。王を弑逆(しいぎゃく)し、その血塗られた手で王冠を奪おうというのです」

 

「……まさか! そんな大それた真似を……?」

 

 思わず、椅子から立ち上がりかけた。クーデターとなると、不穏どころの話じゃない。オレアン公は陰謀屋だが、だからこそそんな強硬手段に出るというのは意外だった。相当追い詰められない限り、そんな直接的な手は使ってこないイメージがあったのだが……。

 

「オレアン公爵家は、もともと王家の分家。にも拘わらず現国王は外様であるスオラハティ辺境伯や成り上がり者であるカスタニエ宮中伯家をばかりを優遇し、自分たちを顧みていない。そういう不安があるようです」

 

「……」

 

 たしかに、現国王はかなり開明的な人物で、実力があればどんな人間であれ重用する。そうでなければ、例え辺境伯や宰相の後押しがあったところで、男である僕がこうもスムーズに出世できるはずもない。保守派のオレアン公からすれば、面白くはないだろうが……。

 

「辺境伯軍は強力ですが、現在スオラハティ辺境伯はわずかな手勢のみを連れて王都に滞在中。おまけに宰相閣下の懐刀であるアルベールさんも、主力をリースベン領に残して帰還中。コトを起こすにはベストのタイミングでしょう」

 

「辺境伯、宰相、ついでに僕……三人の首をまとめて取るには、たしかに今が好機でしょうね」

 

 理屈だけ考えれば、その通り。確かにここ数年、宰相・辺境伯派閥が力を増していて、オレアン公派閥が相対的に弱体化しているのも事実だ。彼女からすれば、面白くはないだろう。しかしだからと言って、いきなりクーデターを仕掛けるか?

 ……いや、あり得ないと頭から否定してかかるのは危険か。万が一を想定して動くのも軍人の仕事だ。何があっても対処できるよう、準備だけはしておくべきか。

 

「先ほども申しました通り、詳細については紙面にまとめてあります。詳しいご判断は、それをお読みになってからでも遅くはないでしょう」

 

「そうですね……しかし、本当にありがとうございます。何とお礼を言っていいやら」

 

 もしも本当にクーデターが起きた場合、この情報がなければこちらの対処が遅れていたことは確実だからな。場合によっては、本当に国王陛下が弑される可能性もある。

 オレアン公爵家は王家の親戚ということで、大量の護衛を連れて王都に入ることを許されている。 その戦力を利用して電撃的な作戦を実行すれば……王の暗殺、および王女たちの確保は十分に可能だろう。たとえそれに失敗しても、オレアン公爵家の領地オレアン公国は王都から三日ほどの距離にある。すでに軍の動員が終わっているとすれば、即座にパレア市を包囲することだってできるはずだ。

 ……いかんな。悪い想像ばかりが頭に浮かんでくる。まだ本当にクーデターが起きると決まったわけでのないのにな。

 

「お気になさらず。他でもない、アルベールさんの頼みですから」

 

 そんな僕の内心を理解しているであろうフィオレンツァ司教は、愛らしい笑みを浮かべて頷いた。彼女が何を考えているのかは、僕にはいまいち想像ができない。

 

「裏が取れ次第、謝礼を送りますので」

 

「いえいえ、そんなものは必要ありません。だって……」

 

 花のような可憐な笑顔のまま、彼女は自らの右目の眼帯をはぎ取る。

 

「ワタシが欲しいのはぁ……あなたのココロとカラダだからねぇ?」

 

 その金色の瞳を目にしたとたん、僕の意識は遠のき始め――

 

「隣のお邪魔虫たちは眠らせてあるからぁ、たぁーっぷり愛し合って大丈夫だよぉ? 楽しもうねぇ、パパ(・・)ぁ」

 



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第98話 くっころ男騎士と記憶改変

 夕方。僕はアデライド宰相が出してくれた馬車に乗って、スオラハティ辺境伯の邸宅へ向かっていた。

 

「……なんだか石鹸の匂いがするな。風呂にでも入って来たのか?」

 

 対面の席に座ったアデライド宰相が、眉間にしわを寄せて聞いてくる。ひじ掛けで頬杖を付き、足をぶらぶらとさせて明らかに不機嫌そうな様子だった。

 

「いや、朝に入ったっきりですが……汗くさい状態で出向くのも失礼でしょうし、できれば身を清めてから出発したかったのですが……時間がなくて」

 

 フィオレンツァ司教には、かなりの長時間愚痴や雑談に付き合ってもらってしまった。不思議なことに相談をしていた時の記憶がまるで泥酔中のようにあいまいになっていたが、妙にスッキリした気分だ。まるで邪念が消えたような……。これもフィオレンツァ司教の話術の巧みさのおかげだろう。時間があったら、またお願いしたいものだ。まあ多忙を極めているあの人のことだから、そう簡単に私用で面会はできないだろうが。

 とはいえ、それで時間を食ってしまったせいで、帰宅してすぐに辺境伯邸へ向かう羽目になってしまった。僕はまだしも司教は時間の余裕なんかまったくないだろうに、長時間拘束してしまって非常に申し訳ない。

 

「ふうん……で、何もなかったのか? 大聖堂では」

 

 妙に警戒してる様子だな、アデライド宰相は。フィオレンツァ司教が気に入らないのだろうか?

 

「オレアン公に関するショッキングな話以外は、普通の雑談だけですよ」

 

「本当か?」

 

「護衛の人も、何も変わったことはなかったと言っていたでしょう? 大丈夫ですって」

 

「確かに、その通りなのだが……」

 

 頬杖をついたまま。アデライド宰相は低い声で唸った。どうも納得していない様子だな。本当に何も異常はなかったというのに、何が引っかかっているのだろう?

 

「妙に胸騒ぎがするというか、なんというか」

 

「謀反なんて話を聞かされたら、そりゃあ胸騒ぎもするでしょう。僕だって落ち着かない気分ですよ」

 

「……それもそうだな」

 

 なにしろ相手は王家の血族に連なる大貴族だ。序列は低いが、王位継承権すら持っている。大貴族と呼ばれる連中はスオラハティ辺境伯をはじめとして何人か居るものの、オレアン公はその中でも頭一つ抜けているといっていい。

 それが王家に牙を向けるのだから、大変だ。外様のスオラハティ辺境伯家などとは信頼のされかたが段違いだろうから、完全な奇襲に成功するはずだ。もしクーデターが実際に起きたら、王都は天と地がひっくり返ったような騒ぎになるに違いない。

 

「本当にやらかすと思うか、あの老害は」

 

「わかりません。冷静に考えれば、やらない方がメリットは大きいでしょう。しかし、合理的判断を捨ててバクチに出てくることも、ままあることです」

 

 オレアン公爵家には歴史もあるし、カネもある。クーデターなんかしなくても、権力をゆっくりと合法的に掌握する方法はあるはずだ。実際、これまでのオレアン公はそういう方針で動いていたように見える。それが突然今までの戦略を捨て、武力行使に踏み切るなんて言うのは流石に考えづらいんだが。

 

「ただ、純軍事的に考えれば、オレアン公が勝算アリと判断する可能性は十分あります。リースベンで紛争があったばかりですから、神聖帝国との国境では緊張が高まっています。こちらの頼みの綱である辺境伯軍の主力は、領地を離れることができません」

 

 辺境伯が中央での戦争に介入して領地を空にしてしまえば、神聖帝国の領邦領主たちがこれ幸いと侵攻を始めるだろう。部隊は下手に動かせない。

 

「王軍は……オレアン公の息のかかった連中もそれなりに居るからな。部隊単位で敵味方が分かれる可能性が高い」

 

「王軍相打つ、というわけですか」

 

「できれば避けたい事態だが、な……」

 

「……」

 

「……」

 

 僕もアデライド宰相も、しばらく黙り込んだ。考えれば考えるほどドツボにはまっていく感覚がある。

 

「あるいは、こういう可能性はないだろうか? フィオレンツァ司教はオレアン公のスパイで、クーデターの対処のためにこちらが軍を動員したら、それを逆手に取ってこちらにクーデターの容疑を掛けようとしている、とか」

 

「……可能性は、ありますね」

 

 正直、フィオレンツァ司教は疑いたくない。幼馴染と言っていい彼女にハメられたら、ソニアに裏切られるのと同じくらいのショックは受けるはずだ。しかし、状況によっては家族や親友ですら疑わねばならないのが軍人という物だ。可能性がある限り、思考を停止するわけにはいかない。

 

「余計な疑念を陛下に抱かせないためにも、大部隊に戦闘準備をさせるのは避けるべきです。即応戦力はありますから、まずはそちらを使って時間稼ぎをするプランで行きましょう」

 

「そうだな。オレアンがコトを起こした場合、あるいはこの情報自体が我々をハメるための策略だった場合……その両方を考えておかなければならない。これはなかなか難しいぞ」

 

「杞憂だった、というのが一番楽でいいんですけどね」

 

 民間人が大勢住んでいる王都が戦場になる可能性が高いわけだからな、実際に戦闘になればどんな被害が出るやらわかったもんじゃない。そもそも、市街地戦自体僕は嫌いなんだよ。前世で僕が戦死したのも市街地戦の真っ最中だったし……。

 

「しかし、最悪に備えるのが僕の仕事です」

 

「うむ、よろしく頼むぞ。正直に言えば、辺境伯よりも王軍の将軍たちよりも、君のことを信頼している。バックアップには全力を尽くすから、どうか頑張ってくれ」

 

「もちろん、お任せを」

 

 ここまで言われて奮起しないヤツは居ない。僕はにっこりと笑って頷いた。

 

「まあ、とはいえ今詳細を詰める必要はない。我々だけで出来ることは限られているからな。ちょうど良いタイミングで辺境伯にお呼ばれしたものだ。食事の際に、ついでにいろいろ話し合っておくとするか」

 

 ……仕方ないんだけどさ、たぶんスオラハティ辺境伯は思い出話や近況報告なんかを期待して僕を呼んだと思うんだよね。それがいきなりこんな物騒な話題に変わるわけだから、辺境伯はとても残念がりそうな気がするな。なんだか非常に申し訳ない……。

 



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第99話 重鎮辺境伯と晩餐

「……」

 

 私、カステヘルミ・スオラハティは密かにため息をついた。久しぶりのアルとの晩餐だというのに、まったく面白みのない話題の会話をせざるを得ない状況になってしまったからだ。

 

「街中で大砲を使うのか?」

 

「重野砲はともかく、山砲と迫撃砲なら必要な機動性を確保できます。榴散弾とキャニスター弾を中心に運用すれば、建物に対する被害も最低限に抑えられるはず――」

 

 オレアン公のクーデター。それに対抗すべく、フォークを片手にアルとアデライドが議論を交わしている。アルに喜んでもらおうと、料理は私が自作した。なのに、こんな物騒な話をしていては味などまったくわからなくなってしまうだろう。私はもう一度ため息をついて、小さく切り分けた川魚のソテーを口に運んだ。

 いや、わかっている。仕方ないんだ。貴族として、目の前の危機には対処せねばならない。ここですべてを部下に丸投げし、ノンビリ食事に興じるような輩を私は好きになったりしない。こういう彼だからこそ、私は心を奪われたんだ。……まあ、それはそれとしてひどく残念に思う気持ちも真実なのだけれど。

 

「初期対応の主力は、私の護衛たちを使えばいいだろう。数は少ないが、我が辺境伯軍の最精鋭だ。頼りになるぞ」

 

「辺境伯様自ら御出陣ですか」

 

「うん、それもいいだろう」

 

 公爵の反乱を止めるべく、辺境伯たる私が自ら陣頭に立つ。シナリオとしては上等だ。荒事は嫌いだし、近づきたくもない。そんな雄々しい思考を持つ私だが、大貴族としての正しい振る舞いというものも理解している。正直言って戦闘に出るのは怖いが、本当にあの老公爵がそんな大それた真似をするというのなら、自身の勢力を拡大するチャンスだ。

 いや、はっきり言えば別に私は辺境伯家をこれ以上大きくしてやろうという気は薄い。現状維持でも別に構わないんじゃないか、そう思うこともしばしばだ。しかし、ソニアとアル……辺境伯家の次代を担うこの二人のことを思うと、まあやれるだけやってみようか……そんな気分になってくる。

 

「しかし実際の指揮を執るのは、アル。君だ」

 

「……僕が辺境伯軍を?」

 

「そうだ。明らかに君は私よりも戦上手だからな。遊ばせておくのはもったいない」

 

 うまく行けば、アルの昇爵につなげられるだろうしな。伯爵にでもなって貰えれば、辺境伯の夫としては申し分ない。領主貴族というのがやや厄介だが、リースベン領の実際の運営は代官に任せれば良いわけだし。

 

「責任は私が持つ。存分に暴れてくれ」

 

 反乱対策のため、私であっても王都へは大量の戦力は持ち込めない。実際に私が護衛として連れているのは、十数名の騎士のみだ。しかし、王都の外には騎兵を一個中隊待機させてある。領地のノール辺境領から王都まで往復する際の、護衛戦力だ。アルは極めて優秀な指揮官であり、これだけの戦力があればかなり戦えるはずだ。

 

「……畏まりました」

 

 フォークを置き、アルは一礼した。私はにこりと笑い返す。

 

「……難しい話は、これくらいにしようか。せっかくの料理が冷めてしまうよ」

 

 とはいえ実際問題、私はいまだにオレアン公がクーデターを企てているという情報には半信半疑だった。確かに、状況的に考えればこのクーデターの成功確率はそれなりに高い。しかし、長年あの老公爵と対峙している私からすれば、違和感はぬぐえない。少しばかり勝算があるとしても、ここまで冒険的な博打に出てくるような性格ではないはずだ。

 あくまで、クーデター対策は万が一に備えての準備だ。情報元のフィオレンツァ司教に関しても、私はあまり信用していないしな。周囲の評判はいいし、話してみれば確かに人の良さそうな雰囲気ではある。しかし、私の嗅覚は彼女から詐欺師の臭いを嗅ぎ取っていた。全面的に信用していい人物だとは、とても思えない。

 

「今日の料理は、見習いコックが作ったんだ。普段食べているものに比べれば、少々つたないものかもしれないが……」

 

「いえいえ、とんでもない。とても美味しいですよ」

 

「おいしい、か。嬉しいことを言ってくれる。コックに伝えておこう」

 

 今夜の料理は私が作った。しかし、そのことはアルには伝えていない。私の手作りだと知ったら、絶対に気を使われるからな。しかし、だからこそ褒めてもらえるのは嬉しい。私は頬が熱くなるのを感じつつ、彼から顔を逸らした。

 

「……」

 

 視界の端に、ワインのボトルが目に入る。実のところ、私はコレの力を借りてアルに添い寝を頼もうと思っていた。もちろん、アルは酒に強いのは知っている。しかし、私はワイン一杯でベロベロだ。アルコールで気が大きくなれば、脳裏にチラつくソニアの影も振り払うことができるはず。

 とはいえ、ソニアと決定的な決別をする気はないのでもちろんセックスはしない。したいけど、我慢する。でも添い寝くらいならソニアも許してくれるだろう。体の寂しさは我慢できるが、心の寂しさはもう限界だ。私には癒しが必要なんだ。

 でも、呼んでも居ないアデライドが来てしまったせいで、計画は滅茶苦茶だ。流石にこの女の前でアルに秋波を送る訳にもいかない。

 

「ふむ。まだ粗削りではありますが、確かに悪くはありませんな」

 

 そんなことを言いながら川魚をつつくアデライドに、思わず恨みがましい目を向けてしまう。彼女はニヤリと笑った。こっちの思惑などお見通し、そう言わんばかりの態度だ。

 ……アデライドがアルを狙っているのは知っている。向こうも、私がアルを求めていることは知っているだろう。いわゆる、恋敵というやつだ。長年の友人、かつビジネスパートナーであるアデライドだが、だからと言って気兼ねはしないし、されない。

 

「ふん。気に入らないなら、新しいものを出そうか?」

 

「まさかまさか。有難くいただきますとも、ええ」

 

「まったく」

 

 嫌味なものだ。しかし自然と、口元に笑みが浮かぶ。恋敵ではあっても、相手は親友だ。最低限の淑女協定はあって、お互いそれは守っている。一人の男を友人同士で取り合うのは、灰色のまま終わってしまった青春を取り戻したようで愉快だった。

 いっそのこと、二人でアルを共有しようか。そんな不埒な考えさえ湧いてくる。星導教の教えでは、男は亜人と只人(ヒューム)、二人の妻に仕えるべしとされている。男を産めるのは只人(ヒューム)だけなのに、亜人が男を独占していたらどんどん只人(ヒューム)の個体数が減ってしまうからな。だから、私とアデライドが二人そろって本懐を遂げたところで、法的にも道徳的にも何の問題もない。

 とはいえ、それは極星がお許しになってもソニアは許さないだろうな。こっそりアデライドと二人でアルを食ってしまったら、苛烈なソニアのことだから本気で私を殺しにかかる可能性すらある。それは流石に避けなければ。ああ、まったく残念だ。



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第100話 次期オレアン公と聖人司教

 わたし、イザベル・ドゥ・オレアンは憂鬱だった。我が母、現オレアン公アンナ・ドゥ・オレアンがひどく荒れていたからだ。

 

「アルベール・ブロンダンめ……」

 

 無意識に恨み節が口から洩れる。あのガレア唯一の男騎士は、母が仕掛けた罠を正面から打ち破り、挙句の果てにミスリル鉱脈という特大の財宝を我々から奪ってしまった。策士が策に溺れた、言ってしまえばそれだけのことだ。しかし、当事者からすればたまったものではない。

 アルベールにどう対処するかという問題で、オレアン家内部は激論が交わされていた。『ここまで我々の顔に泥を塗ったのだ、殺すしかあるまい』という者も居れば、『五倍の敵を打ち破るような人間に喧嘩を売るべきではない。ヤツにはこれ以上手を出さない方が良い』という者もいる。今に至るまで、結論は出ていない。

 

「はあ……」

 

「ご主人様、香草茶でございます」

 

 ため息を吐くわたしに、一人の少年がティーカップを差し出してきた。品の良い男性用給仕服を着用してはいるが、その首には奴隷身分を表す首輪型のイレズミがいれられている。わたしの飼っているペットの一人だった。声変わりの始まったばかりの甘美な声が、わたしのささくれだった心を癒してくれた。

 

「ああ。……貴様には、今夜の夜伽役を命じる。就寝時間になったら、身を清めてわたしの寝室に来い」

 

「……は」

 

 男奴隷は、表情を変えずに頷いた。しかし、その声には微かな屈辱が滲んでいる。それが、かえってわたしの獣欲を掻き立てた。

 ……とはいえ、今はまだお楽しみに興じるわけにはいかない。まだ対アルベールの会議が終わっていないからだ。あの男は、もうすぐ昇爵してしまう。それまでに、我々の対応を決めねばならない。

 陰謀でハメるのは、難しい。なにしろヤツにはアデライド宰相がついている。所詮は只人(ヒューム)だと舐める輩も多いが、あの女の頭はひどくよく回る。にわか作りの陰謀では逆にこちらが足元を掬われる。

 今回の一件でもそうだ。リースベンで起きた一連の事件や情報漏洩に関して、オレアン家は現在進行形で追及を受けている。迂闊な行動をすれば傷が深くなるばかりだろう。

 

「……」

 

 足元に侍る男奴隷の頭を猫のように撫でながら、わたしは考え込んだ。わたし個人としては、アルベールなどどうでもいい。しかし、音頭を取って彼を排除しようとしていた母、オレアン公はそうはいかない。

意気揚々と蹴り飛ばそうとした小石が思ったよりも大きく、足を痛めてしまったようなものだ。すっかりムキになってしまっている。しかし、下手に現実的な思考ができるせいで大ナタを振るうこともできない。ひどいジレンマだった。

 いっそのこと、辺境伯・、宰相そしてその腰ぎんちゃくのアルベール……この一派を一挙に排除してやろうと主張する人間も居た。たしかに、可能か不可能かで言えば可能だろう。しかし、そんなことをすれば間違いなくオレアン家は反逆者扱いされる。大手を振って彼女らを捕縛できるような大義名分はないからな。困ったものだ……。

 

「若様、ポンピリオ商会のヴィオラ様がお越しです」

 

「良い所に来たな。おい、出て行っていいぞ」

 

 虚無の表情でわたしの愛撫に耐えていた男奴隷に退出を命じる。ヴィオラはわたしの悪だくみ仲間で、なかなかに頭の切れる女だ。何かいいアイデアを出してくれるかもしれない。もちろん、それを周囲に知られるわけにはいかないので人払いはしておく。。

 

「どうも、夜分に申し訳ありません」

 

「とんでもない。いいタイミングだった」

 

 使用人に案内されてきたのは、フード付きのローブで全身を固めた不審な女だった。使用人たちが全員退出するのを確認してから、女はローブを脱ぐ。

 膝まで届く長いプラチナ・ブロンドに、黒い眼帯。折りたたんでいた背中の白い翼が、窮屈そうにパタパタ動いた。ポンピリオ商会のヴィオラなどという名前は、身分を偽るための隠れ蓑に過ぎない。その正体は星導教最年少の司教、フィオレンツァ・キアルージだった。

 

「どうやらお困りの様子でしたので、知恵をお貸ししようと……ね?」

 

「相変わらずの情報網だ」

 

 私が困っている時に限って、この女はこうして呼ばれてもいないのにやってくる。家中にスパイでも紛れ込ませているのだろうか?

 

「ところで、一杯頂きたいのですがよろしくて?」

 

「面の皮の厚い女だ」

 

 苦笑しながら、壁際のキャビネットからグラスを二つとワインボトルを取り出す。フィオレンツァが席に着くと、ワインを注いだグラスの一方を彼女に渡してやった。面倒くさいが、防諜面を考えると部屋に使用人を入れるわけにはいかないからな。私自らやるほかなかった。

 

「……貴様、臭うぞ」

 

 しかし、そこで私は顔をしかめた。フィオレンツァから濃厚な性の臭いが漂ってきたからだ。

 

「わたしにこんなことを言われたくはないだろうが、貴様は一応聖職者だろう。誤魔化す努力くらいしたらどうなのだ?」

 

「おっとり刀で駆け付けましたので、ご容赦を」

 

 聖職者にあるまじき艶めかしい微笑を浮かべつつ、フィオレンツァはワインを自分とわたしのグラスにそそいだ。そのまま一礼して、グラスに口をつける。

 

「あら美味しい」

 

「北イスパニアの最高級品だ。有難く味わえ」

 

 クスクス笑うフィオレンツァ。露骨な話題逸らしだな。

 

「お前が失脚したら困るんだよ。とにかく気をつけろ」

 

「大丈夫ですよ……別に、セックスをしていた訳ではありませんから」

 

「本当か?」

 

「ええ、もちろん。わたくしのパパ(恋人)は童貞のままですし、わたくしも処女のまま……清く正しいお付き合いというヤツです。情欲を鎮めるために、少しばかりハメは外しましたが」

 

「清く正しい、ね。大方、あの童貞狂いの淫獣……ユニコーンが怖いだけだろう?」

 

 童貞を判別する能力を持った変態生物、ユニコーン。こいつらは、貴族が令息の貞操を証明する際によく使われる。星導教の聖職者はセックス厳禁だからな。恋人とやらが童貞を失っていることが周囲に露見すれば、この女もタダでは済まないはずだ。

 

「ノーコメントで」

 

 すました顔でそんなことを言うフィオレンツァに、わたしは肩をすくめた。彼女の弱みをつつきまわしたい気分はあるが、今はそれどころではない。

 

「そうそう。時間は切迫しておりますから」

 

 こちらの心を読んだような発言に、わたしは少しだけ背筋が寒くなる。妙な不安感を払拭すべく口を開きかけたが……

 

「だから、さっさと本題に入るねぇ?」

 

 そう言うなり、フィオレンツァは右目の眼帯をむしり取った。真冬の満月のような冷たい光をたたえた金色の眼を直視したわたしは、わたしは……

……

…………

 

 

……

…………

 

 あれ、わたしは……いったい何を? 目の前には、ワインの入ったグラス? それから、ニコニコ顔のフィオレンツァ。こいつと……酒を飲んでいたのか? 頭がひどくふわふわする……飲み過ぎたのだろうか?

 

「そうだよぉ? 貴方はちょっと酔ってるだけ。でも、まだまだ全然大丈夫だよねぇ?」

 

 そうか、そうだな……うん……でも、何かおかしい気がする。私はまだ、一滴も酒を飲んでいないような……

 

「それより話を戻すねぇ? お母様、オレアン公を倒したい。そうでしょ?」

 

「え……」

 

 そんな……そんな話だっけ……? 確か、アルベールについて相談しようとしていたような……?

 

パパ(アルベール)のことなんてぇ、貴方にはどうでもいいでしょお?」

 

「そう、かな……」

 

「そうだよ」

 

「うん……」

 

 よくわからないけど、そうだったかもしれない……

 

「肝心なのは、貴方の恨みを晴らすことだと思うなぁ」

 

「恨み……ああ、そうだ。あのクソ女……」

 

「オレアン公は、貴方から最愛の男を奪った。たかだか、血が半分繋がっている……それだけの理由でねぇ」

 

 そうだ……弟は、リシャールは……わたしの愛した唯一の男は……奪われてしまった。くだらない馬鹿貴族の婿に出されたんだ……我が母、アンナの命令で……許せない……。

 

「ふ・く・しゅ・う……したいでしょ?」

 

「する……当然する。わたしがオレアン家の当主になった暁には……あのクソ女……死ぬまで監禁してやる……」

 

 わたしは嫡女だし……待っているだけで復讐の機会は訪れる……母はもう老いさらばえている……

 

「気が長いねぇ? ワタシだったら、我慢できないなぁ……」

 

 ……確かに、そうだ。できることなら、今すぐあの女は殺してしまいたいくらいだ……。でも、そんなことをするわけには……

 

「母親に恨みを持ってるのはワタシも一緒だよぉ。親ってだけで偉そうな顔をしてた奴がぁ、媚びた笑顔で私の足を舐める……すっごーく、いい気分だったよぉ? トモダチである貴方にも、この気持ちを味わってほしいなぁ?」

 

 ……確かに、痛快だろうな……

 

「でも、そんなの無理だ……」

 

 母の味方は、あまりにも多い……腕のいい護衛も連れている……

 

「できるよぉ? 貴方が王様になればねぇ」

 

「王様……?」

 

「そうだよぉ。王様って、公爵より偉いんだよぉ? 足を舐めろって言えば舐めてくれるし、リシャールくんを返せと言えば返してくれる。そうじゃない?」

 

「そうかな……」

 

「そうだよぉ」

 

 そんな無茶な。そう思うと、フィオレンツァはぐいと顔を近づけた。奇妙な文様が微かに浮かぶ金色の瞳が視界に大写しになり……

 

「そうだな……」

 

 なんだかいける……気がしてきた。そうだ、リシャールを取り戻さなくては……

 

「ワタシはこうして愛する人としっぽりやってるのにさぁ……貴方は奴隷で無聊を慰めてるわけでしょう? ズルいよねぇ、うらやましいよねぇ?」

 

「……+-」

 

 フィオレンツァからは、相変わらず男の匂いしている……ああ、うらやましい。この乾きは、奴隷なんかじゃ潤せない……

 

「最大の邪魔ものであるスオラハティ辺境伯は、大した護衛も連れずに王都に滞在している。向こうは勝ったと思って油断してるよぉ? 貴方が強硬手段にでるなんて、思ってもいないんじゃないかなぁ?」

 

「……」

 

 ……言われてみれば、チャンスかもしれない。辺境伯、宰相……この二人を制圧してしまえば……。

 

「そうそう。貴方ならできるよぉ?」

 

「わかった……やってみる……」

 

「じゃあ、都合の悪いことは忘れようねぇ。覚えていていいのは、使命だけ。はーい、いち、にー、さーん」

 

 フィオレンツァがパチンと手を叩くと、私の視界はどんどん暗くなっていき、最後には完全に暗転した。

 

「悪いのは貴方たちだよぉ? 余計な情報漏らして、パパを危険にさらしちゃってさぁ……敵があの牛どもだけなら、完全にワタシの計画通りになったはずなのに……一族もろとも戦果(スコア)になって、パパにお詫びしなきゃねぇ?」

 

 



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第101話 くっころ男騎士と謀反

 クーデターなどという物騒な話が出た割に、それから数日は平穏だった。オレアン公は何の動きも見せず、こちらにちょっかいをかけてくることもない。しかし、それが逆に不気味だった。むこうの自業自得とはいえ、僕はオレアン公の顔にガッツリ泥を塗ってるわけだからな。貴族がメンツ商売であることを考えれば、何の報復も無しというのはありえない。嵐の前の静けさ、なんていう言葉が僕の脳裏をよぎっていた。

 もちろん、こちらもその時間を無為に過ごしていたわけではない。実際は怒るかどうか不透明でも、対クーデターの準備をしない訳にはいかないからな。作戦計画を立てたり、納品されたばかりの新型砲を運用する砲兵隊の練度を調べたり、甲冑をはじめとした武具を取り寄せるために翼竜(ワイバーン)をリースベンに送ったり……やれることはすべてやった。

 

「国王陛下から預かったリースベンを戦火に晒すわけにはまいりません。そこで、小官はリースベン・ズューデンベルグ間の山道で伯爵軍を迎撃しようと決意しました」

 

 そういうわけで、国王陛下との謁見当日。僕は謁見の間でディーゼル伯爵との戦争についての報告を国王陛下に奏上していた。もちろん、とうの昔に報告書は上げている。陛下がそれをお読みになられたのかどうかは知らないが、すくなくともあらましは知っているだろう。

 わざわざ口頭で説明する意味はあまりないし、それどころか表沙汰にできない部分(アホアホ元皇帝アーちゃんの件とかな)は誤魔化してるくらいなのだから、この報告はどちらかと言えば儀式的な要素を多分に含んでいる。

 

「しかし、敵は勇猛で鳴るディーゼル伯爵。小官の手勢だけでは、どうしようもありません。そこで……」

 

 広々とした謁見の間に、僕の声だけが朗々と響いていた。僕がリースベンの代官に任じられたときと同じく、謁見の間には多くの貴族や官僚が詰めかけている。しかし、その中にオレアン公の姿は見えない。体調不良という話だが……どうも背中がゾワゾワする。嫌な感覚だ。

 代わりにオレアン公爵家から出席しているのは、オレアン家の次期当主だという女だった。名前は確か、イザベル・ドゥ・オレアンだったか。彼女は僕の方を一瞥すらせず、玉座に身を預けて報告を聞いている国王陛下を凝視していた。竜人(ドラゴニュート)特有の縦に割れた瞳孔のせいもあるだろうが、なんとも剣呑な雰囲気を感じる。

 

「敵は大軍、そのままぶつかれば勝ち目はありません。そこで、小官は傭兵たちの手を借りて簡易的な砦を築くことにいたしました」

 

 奇妙な緊張感を孕みつつも、報告はつつがなく進んだ。アデライド宰相に協力してもらって作った報告書を読み上げるだけだから、仕事としては簡単だ。たっぷり時間をかけて報告を終え、後は予定通り僕の昇爵手続きに入る。

 前回はここで、オレアン公が異を唱えた。しかし今回は、誰も口を挟まない。次期オレアン公……イザベルのほうも、むっすりと口をつぐんでいる。そのまま、何の問題もなく僕は貴族としての階位を女爵から城伯(子爵相当の役職だ)に上げた。

 感慨深いといえば、感慨深い。この世界に転生してからずっと、僕は独立領主になることを目標に行動してきた。なにしろ領主は独自の軍事権を持ってるからな。ヒト・モノ・カネの都合がつく限り、好きに軍隊を編成することができる。ミリオタからすりゃ夢のような環境だ。

 

「卿の類稀なる活躍に敬意を表し、赤竜勲章を授与する。前に出よ」

 

「は、有難き幸せ」

 

 陛下に呼ばれた僕は、周囲を密かに警戒しつつゆっくりと玉座へ歩み寄る。その瞬間だった。謁見の間の正面扉が乱暴に蹴破られた。全身鎧に剣や槍で完全武装した兵士たちが、室内になだれ込んでくる。

 静寂で満たされていた謁見の間は、一瞬で阿鼻叫喚に包まれた。男官が悲鳴を上げ、貴族たちが口々に困惑の言葉を吐く。近衛騎士たちが集まって、陛下の周囲を固めた。

 

「鎮まれ!」

 

 そんな状況で、一人冷静に叫ぶ女が居た。イザベルだ。

 

「ここは我々が制圧した、抵抗は無意味だ。有象無象どもは、余計なことを考えるなよ!」

 

 あいつら、マジかよ。内心そう吐き捨てる。そりゃ、今の謁見の間にはガレア王国の中枢を担う人間のほとんどが集まってるわけだからな、狙うならこのタイミング以外にないだろう。純軍事的に考えるなら、だが。

 

「貴様、自分が何をしているのかわかっているのか!」

 

 近衛騎士の一人が叫んだ。イザベルは、引きつった笑みを浮かべてそれに答える。

 

「謀反だよ。わかっているさ……!」

 

 しかし、政治的に見れば悪手も悪手だ。ここで陛下の身柄を押さえたところで、なんの大義名分も立たない。いくらオレアン公が大貴族だといっても、これでは味方に付く貴族などいないだろう。上手いやり方は他にいくらでもあるはずだ。連中はいったい、どういうつもりでこんな雑な真似をしたのか……僕には理解できない。

 そんなことを考えているうちにも、敵兵たちは得物で貴族たちや近衛騎士を牽制しつつズカズカとこちらへ近寄ってくる。謁見の間では、誰であっても武装が禁止されている。例外は王の身辺を守る近衛騎士のみ。しかし、敵の数は明らかに近衛たちより多い。不味い状況だ。

 

「あの装備……連中は王城の衛兵どもだな」

 

 慌てた様子でこちらに寄ってきたアデライド宰相が、敵兵たちを指さした。たしかに、敵兵が装備している甲冑には衛兵隊のマークがついている。本来なら警備する側である衛兵隊が、王に弓を引いたわけか。なんとも、まあ……。

 

「衛兵隊や王軍の中にはオレアン公の息のかかった人間が大勢いる。これは不味い事になったかもしれんな……」

 

「我ら近衛騎士団にそのような輩はおらん。安心されよ、アデライド殿」

 

 僕の近くに居た近衛騎士の一人が、肩をすくめながらそう言った瞬間だった。窓を割って、またも武装した一団が室内に突入してきた。しかし、そのサーコートに描かれている紋章は火を吐く赤い竜。ガレア王家の家紋だった。近衛騎士団、ガレア軍の精鋭中の精鋭たちだ。万が一に備え、僕たちが用意していた部隊である。

 

「残念ながら、準備は無駄にならなかったようですね」

 

「本当に残念だよ。まさか、あのオレアン公がな……しかし、敵となったからには容赦はせん! 総員、攻撃開始! 王の御前で狼藉を働く不埒者どもに、身の程を教えてやれ!」

 

 近衛騎士はそう叫ぶと、腰から剣を抜いて敵兵たちへ襲い掛かった。



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第102話 くっころ男騎士と相談

 近衛騎士団の活躍により、反乱部隊は次期オレアン公イザベルと共に直ちに謁見の間から蹴りだされた。なにしろ我が国の最精鋭部隊だからな、ほれぼれするような手際だった。

 しかし、これで事件は解決……というわけにはいかなかった。アデライド宰相の懸念通り、王軍の一部の部隊がイザベルに呼応し決起したのだ。王城は一瞬にして戦場へと変貌していた。

 

「まったく、国王陛下に弓引く愚か者がわが軍にこれほど居たとは。嘆かわしいを通り越して情けない」

 

 そういって深いため息をつくのは、さきほど僕に話しかけてきた近衛騎士だった。近衛騎士団長、クロティルド・デュラン。国王陛下の身辺警護の総責任者だった。

 

「オレアン公は、余の従妹だ。王軍の整備にも、随分と協力してくれた。……そのしっぺ返しが、こんな形で現れるとはな」

 

 深い苦悩を表情に刻みながら、国王陛下が首を左右に振った。安全が確保された場所は、この謁見の間のみ。現状では、陛下の避難すらままならない状況だった。

 

「とにかく、この騒動を早く収めねばならない。協力してくれるか、スオラハティ卿、ブロンダン卿」

 

「もちろん最初からそのつもりでございます、陛下」

 

 スオラハティ辺境伯の言葉に、僕は同調して頷いた。内紛なんてものは、初動で潰しておかないと長々続いてしまうものだからな。さっさと何とかしないと亡国の危機だ。

 

「アル、作戦の説明を」

 

「はい」

 

 促されて、陛下に一礼する。予定通り、辺境伯は僕に指揮を任せてくれるようだ。まったく、器がデカいというか、なんというか……。彼女の顔に泥を塗らないよう、せいぜい頑張ってみることにしよう。

 

「まずは、王城の解放。当然、これには我々も近衛騎士団の指揮下で戦います」

 

「そうしてくれると助かる」

 

 近衛団長が頷いた。王城は近衛騎士団のホームだからな、彼女らと一緒に戦った方が圧倒的に効率的だ。それに、いくら王城が広いとは言っても所詮は屋内。下手に指揮系統を分けると、同士討ちということもありうる。

 

「敵は衛兵が主体。装備・練度の差が大きい以上、問題なく鎮圧は出来るでしょう。問題は……」

 

「王都付近に駐留している王軍だな。これらの部隊の中にも、オレアン公寄りの指揮官は少なくない」

 

 腕を組みながら、アデライド宰相が唸った。事前にある程度事情は聴いてたけど、やっぱりヤバいな王軍。どれだけオレアン公に浸食されてるんだよ。結構前からクーデターの計画を進めてたのかね? その割に、反乱の始め方がお粗末だったが……。

 

「陛下の警護が主任務の近衛騎士団を王城の外へ出すわけにはまいりません。よって、これらの部隊の鎮圧は我々が担当します」

 

「我々、ね」

 

 国王陛下が苦笑した。

 

「君は一応、余の騎士のはずだがな」

 

「……」

 

 そう言われればそうだな。辺境伯や宰相の下でずっと働いてるから、どうもそういう意識が薄いというか……失言だな、こいつは。ちょっと困ったぞ。

 

「まあいい、事情は知っている。続けなさい」

 

「……はい」

 

 冷や汗をかきながら、僕は頷いた。

 

「スオラハティ辺境伯の騎兵中隊を中核にして、王軍の信用できる部隊をいくつかお借りして戦闘団を作ります。お借りする部隊については、すでにピックアップして指揮官にも話を通してあります」

 

 僕の言葉に、アデライド宰相が頷いた。オレアン公派ほどの数ではないが、宰相派の指揮官も王軍にはそれなりに居る。

 

「敵がどれほどの数なのかはわかりませんが、兵力でこちらが優越しているようなら、反乱部隊を市外へ押し出します。そしてこちらが劣っているようであれば、戦術を遅滞に変更。王軍の再編成までの時間を稼ぎます」

 

「できれば前者であってもらいたいものだ。オレアン公国から王都まで、わずか三日。オレアン公軍の到着まで、大した猶予はないぞ」

 

 国王陛下が厳しい表情で言った。オレアン公と従妹というだけあって陛下もそれなりの歳になるが、その軍事センスにはいささかの衰えもないようだ。

 

「この戦いは、実質的に王家の内紛のようなものだ。王都で攻城戦など起こせば、民にどれだけの被害がでるか……このような下らぬ権力争いで、民衆に迷惑をかけるわけにはいかん」

 

 それはその通りだ。僕は深く頷いた。ディーゼル伯爵との戦争と違い、この戦いでは時間が敵になる。ダラダラと自体が長引けば、不利になるのはこちらの方だ。

 

「もちろん、準備が終わり次第他の部隊にも出撃を命じるつもりだ。しかし、敵は昨日まで友軍だった部隊だ。なかなか本気で戦うのは難しいはず……アルベール卿、難しい注文であることは理解しているが……頼りになるのは君たちの部隊だけだ。どうか、可及的速やかに反乱軍を鎮圧してくれ」

 

「お任せを、国王陛下」

 

 僕が深々と頭を下げた時だった。派手な音を立てて、謁見の間の正面扉が開く。近衛騎士たちが殺気立ったが、室内に飛び込んできたヤツを見て僕は思わず破顔した。

 見覚えのある、小柄な全身鎧姿の少女。ブロンダン家の家紋である青薔薇の紋章入りのサーコートを羽織り、背中にはロープでグルグル巻きにした甲冑一式を背負っている。その後ろには、ジョゼットの姿もあった。

 

「お兄様、お待たせ!」

 

 兜のバイザーを開き、カリーナがにっこり笑った。僕は片手をあげてそれに応える。彼女が持ってきてくれたのは、僕の甲冑や武装の一式だ。何しろ今の僕は礼服姿で、短剣の一本も携行していない。こんな状態で戦場に出るのはご免だからな。装備を持ってくるよう頼んでいたわけだ。

 

「とはいえ、まずは王城から敵を一掃しなければ。近衛団長殿、ご指示をお願いします」

 

「よろしい、君たちの戦列への参加を認めよう。男だからといって気兼ねはしない。コキ使ってやるから、せいぜい覚悟しておけ」

 

 ニヤリと笑って、近衛団長は頷いた。

 



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第103話 くっころ男騎士と王城奪還

「キエエエッ!!」

 

 大上段から振り下ろしたサーベルが、鎖帷子(チェーンメイル)に包まれた衛兵の肉体を両断した。この手の普通の防具ならば、身体強化魔法を使わずともなんとか対処可能だ。返り血を浴びつつ、僕はさらに叫ぶ。

 

「キエエエエエエエエッ!!」

 

 こちらに向けて槍を突き出そうとしていた衛兵が、その声に驚いて一瞬動きを止める。当然、その隙は逃さない。ふかふかの絨毯を軍靴で蹴り、突撃。全力でサーベルを振り下ろすと、惨殺死体がさらに一つ増えた。

 

「制圧完了!」

 

 近衛騎士の一人が大声で宣言した。確かに、見る限りこの大広間に戦闘力を残した敵はもはや残っていないようだ。居るのは味方と、死体と、投降した敵兵のみ。僕は小さく息を吐いて、サーベルの刀身にベッタリと付着した鮮血を布切れでふき取る。

 クーデターが発生してから約一時間。僕たちは近衛騎士団と協力し、城内の敵の駆逐に精を出していた。敵の兵力の中心は、城の警備全般を担当している衛兵隊だ。しかし、当の衛兵たちの士気は驚くほど低かった。明らかに逃げ腰で、戦う前に投降してくる者すら居た。おそらく、まともに事情も知らされないまま上官の強引な命令で戦わせられているのだろう。

 

「アナタ!」

 

 そんなことを考えていると、僕の肩を叩く者が居た。振り返ってみると、近衛騎士の一人だ。兜の面頬(バイザー)を開き、いかにも高位貴族らしい気品のある顔立ちが露わになっている。

 

「エンチャントされていない量産品とはいえ、鎖帷子ごと敵を真っ二つとはなかなかの剛剣使いですわね! 気に入りましたわ、うちへ来て弟をファックしてもよろしくってよ!」

 

 いきなり何を言い出すのだろうか、こいつは。流石に困惑して、その騎士をまじまじと見る。コンバット・ハイでおかしなことを口走っているだけかと思ったが、そういう様子でもない。

 

「……結構です。僕は男ですから」

 

「まあ、まあ! 本当ですの! まあ!」

 

 僕も面頬を開いて見せると、近衛騎士はぴょんぴょんと跳ねた。

 

「じゃあワタクシとファック……アイタッ!」

 

 そんな彼女の後頭部を、近衛団長がブン殴った。籠手と兜がぶつかる景気の良い音が周囲に響き渡る。……兜つけてるんだから痛くはないと思うんだけどな。

 

「すまない、アルベール殿。こいつは筋金入りのアホでな……」

 

 額に手を当て、近衛団長はやれやれと首を振る。その様子に、思わず僕は笑ってしまった。部下がアレだと、上官はなかなか苦労するものだからな。僕もこの手の経験はある。

 

「愉快な人は嫌いじゃないですよ」

 

「そう言ってくれると助かる。まあ、友人としては悪いヤツではないんだが……おい、お前も笑ってないで働け。捕虜から命令者を聞き出すんだ。敵の指揮系統が知りたい」

 

「はぁい」

 

 不承不承と言った様子で去っていくアホ騎士を見送った近衛団長が肩をすくめる。

 

「しかし、本当に素晴らしい腕前だな。君が女だったら、とっくの昔に近衛騎士団にスカウトしているところなんだが。あの馬鹿に同意するわけじゃないが、弟か息子を差し出してでも味方に引き入れておきたかったよ」

 

「ははは……ありがとうございます」

 

 女だったら、ということは男だとやっぱり厳しいのかね? ま、同性ばかりの集団に異性が入り込むと、ろくなことにならないからな。仕方ないか。

 

「それはそうと、少しばかり不味い事になった」

 

 苦笑いしていた近衛団長だが、すぐに表情を改める。その声音はひどく緊迫したものだった。

 

「というと?」

 

 あまり周囲に聞かせたい話ではないのだろう。近衛隊長は周りを確認してから、僕の耳に口を近づけた。

 

「王城が敵部隊に包囲された」

 

「……」

 

 マジか? マジか……。僕は思わず、額に手を当てた。王城が包囲されたということは、つまり王都パレア市のど真ん中で戦力が展開したということになる。敵は、この中央大陸でも有数の人口密度を誇る大都市を、戦場にしてもかまわないと判断したわけだ。

 もともと、王都が戦場になる可能性については考慮していた。考慮していたが、だからと言って納得できるわけではない。軍人の役割は、まず第一に市民生活を守ることだろうに。オレアン公とその一派は、その使命を投げ捨てたのか? ……許しがたい。容認できない。自然と、剣を握る手に力がこもった。

 

「王城を包囲した部隊は、おそらくパレア第三連隊だ」

 

 その部隊名は聞いたことがある。オレアン公派の部隊の筆頭で、たしか隊長はオレアン公爵家ゆかりの貴族だ。

 

「……なんとまあ、素早い事で。対応は間に合ったんですか?」

 

 連隊、つまり千人規模の敵が城の周りを取り囲んでいるわけだ。事前準備はしていただろうにしても、クーデターが始まってからまだ一時間しかたってないんだぞ。

 

「城門の詰め所も敵に制圧されていたが……何とか突入が間に合った。寸でのところで、堀の跳ね橋を閉鎖することに成功したらしい」

 

「なるほど、よかった。しかし、敵が攻城兵器を出してくる前に、なんとか解囲させたいところですね」

 

 頭の中で、王城の周囲の地形を思い描く。とにかく、市民生活に致命的な影響が出る前に、馬鹿なことをしでかしたアホ共を叩きのめさねばならない。全力で頭を回して、最速で鎮圧するための作戦を練る。

 今回の作戦は、時間が敵だ。敵増援だけが問題なのではない。王都が戦場であり続ける限り、物流は麻痺する。市民生活にどれだけの悪影響が出るか……考えたくもない。最悪の場合、食料が足りなくなる。王都は食料の大量消費地だ。備蓄品だけで、市民と軍人の腹を満たし続けるのは難しい。

 

「ああ。……しかし、城内から打って出るわけにもいかん。現状の戦力では、籠城するので精いっぱいだ。平時体制から、いきなりのクーデターだからな。城内に駐留している兵士は、最低限の数しかいない……」

 

 だからこそ、僕まで剣を振り回して戦う羽目になってるわけだからな。近衛騎士団に十分な戦力があれば、衛兵の制圧は彼女らに任せて城外の味方部隊と合流してる所なんだが。

 

「ということは……外の敵を味方がなんとかしてくれるまで、私たちはお城の中で耐え続けるしかないということですか?」

 

 僕の近くにソロリと寄ってきたカリーナが聞く。作戦の概要については、彼女にも聞かせてあった。僕が城の中で釘づけにされるのはマズイ。そう思ったのだろう。

 

「私としては、できればアルベール殿にも防衛戦に協力してもらいたいところだがね。しかし、そういうわけにもいかんだろう?」

 

「ええ、もちろん。国王陛下から与えられた僕の任務は、『城を守れ』ではなく『反乱部隊を鎮圧せよ』ですから」

 

 とにかく、猶予はほとんどない。オレアン公軍が王都に到着してしまったら、事態は解決不能なほどややこしくなる。その前に王都内の反乱部隊を倒し、可能であればオレアン公やイザベルを捕縛して事態を収拾させる必要があった。

 

「だろうな。……安心しなさい、もうすぐ君たちの城外脱出の準備が整うはずだ」

 

「えっ? でも、お城の周りは包囲されてるって……」

 

「なあに、やりようはいくらでもある。何しろ、ここは"城"だ。政治機能しか持たない"宮殿"とは違う。敵に包囲されることなぞ、設計段階で織り込み済みよ」

 

 ニヤリと笑って、近衛団長はそう言い切った。



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第104話 くっころ男騎士と脱出路

 この手の大きな城には、万が一に備えた秘密の脱出経路が設けられているものだ。僕たちが案内されたのも、そういった目的で建造された地下道だった。とはいっても、僕たちは目隠しをされていたためいったいどういうルートを通って城外に出たのかはさっぱりわからない。僕が目隠しを取られた場所は、どこかの市街地の裏路地だった。

 

「面倒な真似をさせてもうしわけありません。しかし、このルートは極秘ですので……辺境伯様やアルベール殿とはいえ、知られるわけにはいかないのです」

 

 案内してくれた近衛騎士が、深々と頭を下げる。

 

「気にするな。我が城にも、同じような秘密はある」

 

 対するスオラハティ辺境伯は、右手を軽く上げて鷹揚に頷いた。王城から脱出したのは僕とスオラハティ辺境伯、ジョゼットとカリーナ、そして辺境伯の護衛の騎士数名という結構な大人数だ。

 目立たないよう、本来ならもっと少人数で行動したほうが良いのだが……鎮圧軍は名目上、指揮官がスオラハティ辺境伯、そしてその補佐に僕という陣容になっている。あくまで二人そろって味方部隊と合流する必要があった。

 

「ところで、現在地点はどこですか? 出来るだけ早く味方と合流したいのですが」

 

「今、我々が居るのが……ここです」

 

 近衛騎士は、腰のポーチから王都の地図を取り出して僕たちに見せた。軍事用に用いられる、極めて詳細な地図だ。彼女が指し示しているのは、円形状に作られた町並みの外周部……主に貧民が居住している区画である。

 

「ずいぶん歩いたと思ったが、これほどとは」

 

 秘密の地下道は、なかなか大規模なものらしいな。王城からここまで、かなりの距離がある。

 

「味方部隊は、ニノン・シャルリエ広場で待機しているはずです。ここからだと……十分ほどでたどり着けますね」

 

 僕の言葉に、スオラハティ辺境伯が頷いた。鎮圧軍は辺境伯の護衛戦力だった騎兵中隊を中核に編成される予定になっているのだが、この騎兵中隊は普段王都の外で待機している。外様の領主である辺境伯は、王都内に一定以上の戦力を入れることを禁じられているからだ。

 しかし、今は緊急事態。事前に国王陛下の許可を取りつけ、事件が発生した時点で王都内に急行してもらう手はずになっていた。オレアン公の妨害がなければ、そろそろ集結が完了しているはずなのだが……。

 

「王都育ちのブロンダン卿には不要でしょうが、一応案内を準備しています」

 

「というと?」

 

「わたくしですよ、アルベールさん」

 

 タイミングを見計らったように、声がかかる。声の出所に目をやると、青白の司教服を纏った見慣れた少女が路地の影から出てきた。後ろには、お供らしき修道女が数名付き従っている。

 

「フィオレンツァ様!」

 

「お久しぶりです、スオラハティ辺境伯様。それに、お初にお目にかかる皆様も。このフィオレンツァ・キルアージが、皆様をご案内させていただきます」

 

「……これはこれは。驚きましたよ、司教様」

 

 辺境伯は眉を跳ね上げてそう答え、僕に耳打ちしてきた。

 

「アルが頼んだのか?」

 

「いえ、情報を貰って以降は連絡を取っていなかったんですが……」

 

 何しろ、コトがコトだからな。クーデターなんぞに非戦闘員である彼女を巻き込むわけにはいかない。頻繁に連絡をとりあっていたら、どう考えても司教が敵に目をつけられてしまう。彼女は孤児院なんかも経営してるわけだしな。被害がそっちの方に行ったら、不味いどころの話じゃないだろ。

 

「……」

 

 にこにこしたまま、司教は静かに頷いた。そのあたりも理解した上で、僕に協力してくれるわけか。フィオレンツァ司教はあと先も考えずに行動するほど直情的な人間じゃないからな。それなりの保険もかけてあるのだろうか?

 

「わたくしも、部外者ではありませんから。一人だけ後方で知らんぷりをしているわけにはいかないのです」

 

「ふうむ」

 

 辺境伯は小さく唸って考え込んだ。しかし、部外者じゃない、か。確かに、彼女からの情報がなければ僕たちが鎮圧軍を任されるようなことはなかったはずだ。そのことについて、責任を感じているのだろうか? そうだとすれば、なんだか申し訳ない。

 

「ねえねえ」

 

 そんなことを考えていると、カリーナが寄ってきた。

 

「あの方、司教様なの? あの若さで?」

 

「そうだよ。すごいだろ? 星導教史上もっとも若い司教様だ」

 

「ぴゃあ……」

 

 司教と言えば、ひとつの教区を任されるような重大な立場だ。世俗の階級で言えば、伯爵や侯爵なみの大物である。僕の記憶が確かなら、神聖帝国には大きな領地を治め世俗領主のようにふるまっている司教も居たはずだ。帝国出身のカリーナからすれば、余計に偉い人に見えるんだろうな。

 

「お兄様の知り合いってすごいひとばっかりだね……」

 

「自慢じゃないけどコネだけはなかなかのものだよ、僕は」

 

 じゃなきゃこんな素早く出世できてないからな!

 

「わざわざ案内の為だけにいらしたわけではないでしょう? もしや、戦場にも同行されるおつもりですか」

 

「ええ、もちろん」

 

 辺境伯の質問に、司教はしっかりと頷いた。そして、司教服の胸元をはだけて見せる。彼女の薄い胸は、鎖帷子でしっかりと守られていた。色合いから見て、ミスリルでメッキされている……つまり魔装甲冑(エンチャントアーマー)の一種ということだな。鉄はそのままでは魔力を通さないため、魔法で強化するためにはミスリルでコーティングしてやる必要がある。

 板金鎧が普及した現代においては簡易的・補助的な防具として扱われがちな鎖帷子ではあるが、魔力で強化されているなら話は別だ。無強化の板金鎧並みか、それ以上の防御力はあるはず。完全に戦場に出るつもりの装備だ。

 

「反乱軍も、皆が納得ずくで動いているわけではないでしょう。事態をよく理解しないまま、流されて戦っている方も多くいるハズ……」

 

 はだけた司教服を直しつつ、フィオレンツァ司教は悩ましい表情でそう言った。確かに、それはその通りだ。今の敵戦力の中心は、元は王軍に所属していた部隊だ。昨日までの主君に弓を引くことに疑問を覚えている者も多いだろう。

 

「若輩者ではありますが、わたくしも司教。聖職者の言葉であれば、彼女らも耳を貸してくれるでしょう。矛を交えることなく、正しい道へ戻してやることが出来るのではないかと……」

 

 ……そういう手段もあるか。確かに、聖職者から「今すぐ矛を収めるなら罪には問わない」と呼びかけてもらえば、従ってくれる兵士も居そうな気がする。軍人でもない彼女に協力を頼むのは気が引けるが、今は四の五の言ってる暇はないからな。とにかく優先すべきなのは、一分一秒でも早く事態を解決することだ。僕としては、司教の意見には賛成だった。

 

「なるほど、一理あります」

 

 しかし、辺境伯はそうは思わなかったらしい。頷きつつも、その表情は納得していない様子だった。しばらくこの申し出を断る方法を考えていたようだが、やがて深いため息を吐いて頷く。

 

「承知いたしました、よろしくお願いいたします。司教様」

 

「ええ。微力ながら、精一杯お手伝いさせていただきます」

 

 そう言うことになった。

 



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第105話 くっころ男騎士と鎮圧軍

 ニノン・シャルリエ広場。下手な野球場よりよほど広いその公園に、多くの軍人が集結していた。剣と盾の紋章を掲げた重装騎兵隊に、火を吐くドラゴンの紋章を掲げた槍兵・銃兵隊。さらには、小さな大砲を馬で引く騎兵砲隊まで居る。兵数千二百名、八六ミリ騎兵砲四門、六〇ミリ迫撃砲六門。なかなかの陣容だ。これだけ集まると、流石に王都有数の大広場ですら狭く感じる。

 

「これは、これは」

 

 フィオレンツァ司教に案内された先で遭遇したその大部隊を見て、僕は感嘆の声を上げた。戦闘団(コンバット・コマンド)と呼ぶには流石に小規模だが、それでも騎兵・砲兵・歩兵の三兵科が揃った諸兵科連合部隊(コンバインド・アームズ)だ。戦闘力にはかなり期待ができる。

 鎮圧軍の面々は地面に座り込み、大休止の姿勢を取っていた。兵士の雑談の声や息遣い、馬のいななきなどが混然一体となり、独特の雰囲気を放っている。兵士たちも実戦の気配を感じ取っているのか、その面持ちは緊張したものだった。

 こちらに気付いた兵士たちが慌てて立ち上がり、敬礼の姿勢を取る。辺境伯はニコリと笑って返礼した。僕もそれに続く。……この部隊を率いているのは、実戦慣れした指揮官だな。兵士を棒立ちにさせて、指揮官の到着を待つような真似をさせていない。戦闘が間近に迫っているのだから、兵士たちは出来るだけ休ませておくべきだ。

 

「お待ちしておりました、お館様。それに、アルベール様」

 

 兵士たちの中から一人の騎士が飛び出してきて、深々と頭を下げた。。彼女はスオラハティ辺境伯の腹心であり、騎兵中隊の隊長でもある人物だった。当然、辺境伯軍とは浅からぬ付き合いのある僕とも面識がある。

 

「うん、ご苦労。何かトラブルは起きていないか?」

 

 鷹揚に頷いてから、辺境伯が聞いた。彼女らは王都郊外の練兵所で突貫作業で編成され、あわてて王都内に機動してきた。いままで共同訓練すらしたことのない部隊が一緒になったわけだから、なかなか大変だったはずだ。

 

「小さな問題は、大量に。しかし致命的な問題は発生していません」

 

「よろしい。流石は私の精鋭たちだ」

 

「お褒めにあずかり、恐悦至極」

 

 ニヤリと笑ってから、騎士は視線をフィオレンツァ司教に向けた。誰もかれもが甲冑や軍装を纏ったこの場では、青白の司教服はあまりに不釣り合いだ。従軍司祭ですら、普通ならもっと野戦向きの服装をするものだからな。

 

「フィオレンツァ・キルアージ。御覧の通り、司教です。何かお手伝いできることはないかと、辺境伯様についてまいりました」

 

「ああ、貴方が噂の……わたしはトウコ・リューティカイネン。御覧の通り、お館様の元で禄を食んでいる騎士です」

 

「どんな噂なのかは、聞かないでおきましょう」

 

 軽く笑って、二人は握手した。まあ、フィオレンツァ司教は良くも悪くも有名人だからな。若くして司教位についたというだけで、何かあくどい真似をしているのではないかと邪推する輩は居る。

 

「挨拶はこれくらいにして、現状把握をするとしよう。トウコ」

 

「はっ」

 

 トウコ氏は頷き、僕たちを指揮用天幕に招いた。折りたたみ式のテーブルの上には、王都の地図が乗っている。地図の上には、敵味方の部隊を示す赤青のコマがいくつか配置されていた。

 

「王城は相変わらず連隊規模の敵部隊に包囲されています。ちょっとした射撃戦は発生しているようですが、本格的な攻城戦は起きていません」

 

「敵の目的は時間稼ぎ……ということですか」

 

 僕の問いに、トウコ氏は頷いた。

 

翼竜(ワイバーン)による偵察の結果、オレアン公爵領で軍が編成されていることが確認されました。やつらの本命はこちらでしょう。……街中が制圧された状態では、まともな防衛戦はできませんからね。公爵軍の到着までに状況が改善していない場合、最悪王城まで敵の主力が素通しになる危険性があります」

 

「……」

 

 厄介だな。やはり、とにかく街の中から敵を蹴りだす必要がある。そう考えていると、カリーナが僕の胴鎧をコンコンと叩いた。どうやら、質問があるようだ。……この事件が始まってから、カリーナは周囲へ積極的に質問をぶつけるようになったな。少しでも早く一人前になりたいという意識の表れだろうか? だとすれば、保護者としてはできるだけサポートしてやりたい。僕は頷いて見せた。

 

「あの、他の味方はどうなっているんでしょうか? まさか、王軍のすべてが敵に寝返った訳ではないでしょうし」

 

「良い質問だな」

 

 トウコ氏は頷いてから、視線を地図へ向ける。味方部隊を表す青いコマは、ニノン・シャルリエ広場の上に置かれた一群のみ。他はすべて敵である赤いコマだけだった。

 

「もちろん、味方がいない訳ではない。しかし、何しろ敵の決起は突然だった。事前に情報を得ていた我々ですら、なんとか最低限の準備を整えるだけで精いっぱいだったような有様だからな。ましてや、情報の降りてきていなかった一般部隊からすれば、完全に青天の霹靂といっていい」

 

 このタイミングでオレアン公がクーデターを起こすなんて、誰も予想してなかったからな。根回しすらなかったせいで、予兆を掴むことすら難しかった。政治的にはお粗末な行動ではあるが、それ故に軍事的には有効だったというわけだ。奇襲というのはいつだって最高最善の戦法だからな。

 だったら一般部隊にもクーデターの情報を流して桶という話になるのだが……それはそれで難しい。そんなことをしたら、絶対にオレアン公のスパイに察知されるからな。最悪の場合、『王家とオレアン公爵家の離間を謀っている!』なんて言われて、こちらが反逆者の汚名を着せられる可能性すらある。

 

「軍隊というのは、いきなり行動を開始することはできない。何をするにしても、準備は必要だ。中途半端な状態で動かれると、逆に足手まといになってしまうしな。すくなくとも今日中は、味方は我々だけだと思って行動した方が良い」

 

 ほとんどの部隊はすでに動き出してはいるんだろうけどな。しかし王城が封鎖されている以上、王軍は統制だった動きをするのは難しい。敵の電撃的な攻撃が、こちらの指揮系統を滅茶苦茶にしたんだ。これでは、動けるものも動けなくなってしまう。

 

「なるほど、ありがとうございます」

 

 頷くカリーナ、そこへ、辺境伯が口を挟んだ。

 

「味方のことは分かった。では、敵は?」

 

「王城を包囲しているパレア第三連隊の動きが目立ちますが、他にも敵はいるようです。未確認情報ですが、大臣や将軍と言った要職についている者の邸宅が襲撃を受けているという話もあります」

 

「ふむ……アル、どう思う?」

 

「襲撃を受けている方々には申し訳ありませんが、とりあえずそちらは無視しましょう。我々は第一に、パレア第三連隊に攻撃を仕掛けます。王城の包囲を解けば、精鋭の近衛騎士団が戦線に参加できますから。他の敵と戦うのは、それからでも遅くはないでしょう」

 

「わたしも同意見です」

 

 トウコ氏が頷いた。

 

「いいだろう。では、実際の作戦はどうする? 案があるのだろう?」

 

 その言葉に、僕は視線を地図へと戻した。王城の周りにはドーナツ状の広場があり、その周囲を貴族街が取り囲んでいる。同心円状に区画が広がっているわけだな。パレア第三連隊が布陣しているのは、このドーナツ状の広場だ。

 王城付近の貴族街に住んでいるのは、毎日のように登城する重鎮たちだ。当然その重鎮の中には、我らがアデライド宰相も含まれる。……アデライド宰相の自宅には、何度も行ったことがある。四階建ての立派な建物で、周囲の邸宅より頭一つ高い。これは、使える。

 

「宰相閣下には申し訳ありませんが、ご自宅を砲兵陣地として使わせてもらいましょう。ここからなら、迫撃砲の射程内に敵を収めることができます」



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第106話 くっころ男騎士と強行突破

 王都には公設・施設を問わず多くの治安維持組織や防火組織がある。まず手始めに、ぼくはそれらの組織を使って民間人を避難させることにした。なんといっても、民間人のうろついているような場所でドンパチなんかとてもできないしな。それに王都の大通りはいつだって混んでいる。このままでは部隊の機動に差しさわりが出る。

 もっとも、カンの良い市民はすでに王都に異常が発生していることに気付いているようだった。周囲を見回しても、明らかに普段より人通りが少ない。平日の昼間だというのに家や店に籠り、玄関を堅く閉ざしている市民たちも多かった。

 

「民間の自警団や消防団に避難を手伝わせるのは結構ですが、衛兵隊に関してはむしろこちらの邪魔をしてくる懸念があります。王城の衛兵隊とは別組織とはいえ、オレアン公の息がかかっているやも……」

 

 そういう意見も出たが、僕は構わず衛兵隊を投入した。オレアン公の側にしても、民間人は戦場から遠ざけておきたいだろうと考えたからだ。なにしろこのクーデターが成功した場合、オレアン公自身が王都を統治することになるわけだからな。市民感情を悪化させるような真似は避けたいだろう。

 市民に無用な被害を出したくないという点では、こちらと反乱軍の思惑は一致している。避難誘導だけに限れば、こちらの邪魔をしてくることもあるまい。まあ、避難民をわざと誤誘導してこちらの陣地に流し込んでくるような真似をしてくる可能性も、無きにしも非ずだが……。

 前世じゃ市民を盾にするような戦法にさんざん翻弄されたからな。まさかそんな外道なマネはしないだろう、なんて慢心することはとてもできなかった。とりあえず、打てる対策は打っておく。

 

「王都中心部は、一帯が敵の勢力圏内と見て間違いありません。敵が身構える前に一撃を与え、その隙に橋頭保を築きます」

 

 作戦の第一段階の概要を、僕はそう説明した。じっくりと腰を据えて準備している暇はない。方針が決まると、鎮圧軍は即座に進撃を開始した。第一目標は、アデライド邸のある貴族街だ。危険だが、まずは騎兵と騎兵砲の部隊だけで先行することにした。歩兵の移動速度に合わせて行動していたら、奇襲が成立しないからだ。

 軍馬に跨り、大通りを猛進する。王都の中心部に近づいてくると、オレアン公派と思わしき部隊が大通りを封鎖していた。木製の柵と長槍兵の密集陣で道を塞ぎ、一兵たりとも通さない構えだ。

 数は数十人程度で、こちらよりはるかに少ない。しかし、いくら王都の大通りとはいえ百人単位で横隊を作れるほどの道幅はない。大軍の利点は生かしづらかった。隘路を生かして敵を足止めし、本隊からの援軍を待つ。そういう戦術を取る気なのだろう。

 

「ここはわたくしが」

 

 攻撃命令を出そうとした僕だったが、それをフィオレンツァ司教が止めた。馬に乗ったまま、一人だけ前へ出ていく。

 

「おい、あれ……」

 

「司教様?」

 

「フィオレンツァ様だ……」

 

 敵陣に動揺が広がった。フィオレンツァ司教は王都では知らぬ者が居ないような有名人だ。定期的に行われている公開説法などで、彼女の顔を直接見たことがある者も多い。

 

「どうか、ここを通してください。彼女らは、国王陛下直々に逆賊たるオレアン公を討つよう命じられています。その彼女らに矛を向けるということは、すなわち王家そのものに矛を向けるのと同じこと! 今すぐ武器を納めるのです!」

 

「黙れ、生臭坊主め! 我々はここを死守せよと命じられているのだ!」

 

 下級貴族らしき女が、声を張り上げて言い返した。何か言おうとした司教だったが、それより早く敵陣から数名の兵士が飛び出してくる。刺客などではなかった。どの兵士も、武器は投げ捨てていた。完全に戦意を喪失しているように見える。

 

「お、お許しを! 司教様!」

 

「我々はただ、上官に命令されただけで」

 

「撃て!」

 

 バリケードの内側から、クロスボウの矢弾が放たれた。太く短いそれが、脱走兵たちの背中に突き刺さる。彼女らは短い悲鳴を上げて、地面に倒れ伏した。

 

「敵前逃亡は死罪だ! 分かっているな!」

 

 敵兵たちはざわざわとしながら、お互いの顔を見やっていた。こんなものを見せられてなお逃げ出そうとするような根性の座った兵士は、流石に居ないようだ。敵前逃亡という言葉に、僕の隣に居たカリーナが「ぴゃっ……」と小さな悲鳴を漏らす。フィオレンツァ司教は、地面に転がったままの逃亡兵たちの躯を一瞥し、首を左右に振ってからこちらへ戻ってきた。

 

「申し訳ありません、お役に立てず……」

 

「いえ、致し方ありません。兵隊というやつは、一たび動き出せばそう簡単に方針を変えられるものではありませんですので」

 

 この説得が、決起前に行われていたのであれば効果があった可能性は高い。しかし、すでに武器を取って動き出した以上、もう手遅れなのだ。賽は投げられた、というやつだ。当事者ですら、事態を止められなくなっている。

 

「退かないのなら仕方がない。射撃準備!」

 

 まあ、最初から押し通るつもりだったのだ。説得が失敗したからと言って、大した問題はない。こちらの主力は辺境伯軍の騎兵隊……つまり、僕からの技術供与によりライフル銃が配備されているのだ。敵の防御設備は簡素な柵のみで、塹壕も土嚢もない。おまけに、流石の王軍も一般兵に魔装甲冑(エンチャントアーマー)を配備するほどカネがあるわけではない。着込んでいるのは通常の甲冑だ。

 こうなればもう、負ける要素などない。僕はカービン騎兵たちを下馬、射撃のための横隊を組ませた。敵の中にはクロスボウ兵が混ざっているようだが、こちらはライフル装備。射程の差は圧倒的だ。鎮圧軍の兵士たちは、十分な距離をとって銃を構える。

 

「一斉射撃、始め!」

 

 号令と共に大量の騎兵銃が一斉に火を噴き、大通りを濃霧のような白煙が覆う。その激烈な銃声に驚いたか、何匹もの野良犬が悲鳴をあげながら裏路地に逃げ込んでいった。

 

「リロード急げ!」

 

 火薬と鉛弾を銃身の奥へと押し込める、カツカツという音が辺り一面に響いた。黒色火薬特有の凄まじい白煙により、敵陣の様子はうかがえない。しかし、敵から反撃が来る様子はなかった。敵にもクロスボウや弓を装備した兵士は居るのだろうが、それらの射撃武器も二〇〇メートルも離れてしまえば大して恐ろしくはない。数百メートルという距離を取っての戦いは、ライフル銃の独壇場だった。

 

「再装填完了!」

 

「構え! 風術、煙幕を散らせ!」

 

 味方の魔術師が歌うように呪文を紡ぎ、大風を生み出す。白煙が吹き散らされ、敵陣が露わになった。柵の後方に布陣していた敵隊列の前衛はほとんどが倒れ伏し、石畳に血だまりを作っている。後列の兵士はまだ無事だったが、動揺のあまり槍衾を維持できていない。

 

「狙え、撃て!」

 

 僕の命令に従い、二度目の一斉射撃。結果は、先ほどと同じ。わずかに生き残った兵士たちも、武器を捨てて逃げだしていく。それを止めるべき指揮官は、とっくに死んでいなくなっていた。

 

「……実は、実戦でライフルを使っているのを見るのは初めてなのだが」

 

 真っ赤に染まった木柵を片付ける味方兵を見ながら、スオラハティ辺境伯が呟いた。

 

「恐ろしい武器だな、これは」

 

「ええ」

 

 僕は静かに頷く。一撃で敵を行動不能にする威力と、ロングボウすら超える射程。この世界の従来の兵科でこれに対応しようと思えば、ひどく高価な魔装甲冑(エンチャントアーマー)で全身で固めた重装歩兵や重装騎兵を持ち出すほかない。

 

「彼女らの魂は、極星がお導きになるでしょう」

 

 地面に跪き、極星に祈りをささげていたフィオレンツァ司教が言う。聖職者の彼女からすれば、正視に耐えない光景だろう。しかし、彼女は見るも無残な有様になった敵兵たちから目をそらすことはなかった。

 

「アルベールさん。わたくしは、貴方が犠牲を最小限にとどめようと努力されていることを知っています。ですから、これは貴方の罪ではありません。聖職者たるわたくしが保証いたします」

 

「……ありがとうございます」

 

 僕は深々と頭を下げた。市民も、そして反乱に参加している一般兵士ですら被害者だ。こんな無意味な茶番は、さっさと終わらせる必要がある。……そのためには、荒っぽい手段だって使う。矛盾しているようだが、それが軍人の役割だ。流血を伴う選択肢であっても、必要であれば躊躇せずに実行せねばならない。自らの手を汚すことを厭う人間に、指揮官は務まらないんだ。

 

「さあ、急ぎましょう。時間をかければかけるほど、敵の防備は厚くなっていきますから」



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第107話 くっころ男騎士と砲撃

 その後、僕たちは同様の道路封鎖を二つ突破することになった。王都の中心部へ近づくに従い、敵の抵抗も強くなる。しかし、敵主力であるパレア第三連隊の攻撃正面は、あくまで王城だ。その背後を突くような形で機動している僕たちに対しては、どうしても本腰を入れた対応はできない。その結果、僕たちは一時間もしないうちに目的地であるアデライド邸へとたどり着くことが出来た。

 アデライド宰相の屋敷は王都でも屈指の大きさを誇り、その建築様式も荘厳……悪く言えば成金趣味な代物だ。普通、貴族の屋敷は襲撃に備えて堀やらなにやらを備えているものだが、この屋敷にあるのは石造りの塀だけだ。アデライド宰相は戦場に出ることがない宮廷貴族なので、そのあたりの意識が薄いのだろう。

 

「撃て!」

 

 アデライド宰相は、オレアン公から見れば最大の敵の一人だ。貴族街を制圧した以上、敵からすればアデライド邸も必ず押さえておきたい場所の一つだろう。案の定、屋敷にたどり着いた僕たちを出迎えたのは顔なじみの門番ではなく、重武装の敵兵だった。

 僕の号令に従い、敵兵に一斉射撃が加えられる。流石に敵もここには精鋭を配置していたようで、命中弾のほとんどは魔装甲冑(エンチャントアーマー)に弾かれてしまった。しかし、その程度は予想済み。こちらには手練れの騎士が何人もいる。

 

「突撃!」

 

 撃たれたショックで動けずにいる敵兵へ、剣や槍を構えた騎士たちが突っ込んでいった。あっという間に敵兵は叩きのめされ、地面に押し倒される。どうやら、生け捕りにするつもりのようだ。ぼろ雑巾のようにされた敵兵たちは、ロープでグルグル巻きにされ引っ立てられていった。

 

「正門は完全に封鎖されているな……」

 

 下馬したスオラハティ辺境伯が困ったような声で言う。馬車のまま屋敷に入ることができるよう設計されたアデライド邸の巨大な正門は、鉄板で補強された頑丈な扉によって閉鎖されている。敵は屋敷に立てこもる腹積もりなのだろう。

 

「どうするの? 流石に人力で突破は難しいだろうし……街路樹を使って破城槌でも作る?」

 

「目の付け所は良い」

 

 カリーナの言葉に、僕は頷いた。いくらアデライド宰相が戦に備えていないといっても、流石にそこは国内有数の大貴族。その本邸を守る正門は、ちょっとした城門くらいの堅牢さはあるだろう。人力で破壊するくらいなら、攻城兵器を使った方が賢明だろう。

 

「しかし、それでは時間がかかりすぎる。……破城槌なんかより手っ取り早い道具を、僕たちは持ってきてるだろ?」

 

 ニヤリと笑い、僕は後方の部隊に向けて手を振った。すると、馬四頭にけん引された小さな大砲が前に出てくる。試作品の八六ミリ騎兵砲だ。小型軽量の大砲ではあるが、ライフル砲身とドングリ型の砲弾を採用した最新式である。特にドングリ型砲弾は従来の球形砲弾に比べ、同じ口径でも倍以上の砲弾重量を誇る。その威力は見た目ほど低くはない。

 今回、僕はこれを戦場に四門もちこんでいる。そのうちの三門は、アデライド邸前の大通りの制圧へ振り向けていた。この大通りは王城前広場へ直接つながる重要な道路であり、ここを制圧・封鎖しないことには敵がいくらでも増援を流し込んでくる。

 敵の布陣している王城前広場まで、ここから三百メートルほど。もう目と鼻の先だ。こちらの前衛部隊は、とうに敵主力と交戦を開始していた。狭い市街地戦、なおかつ敵の主力は王城の守備兵が引き付けている状況とはいえ、戦力差はなかなかのものだ。可能な限り迅速にアデライド邸を奪還し、火力支援を開始する必要があった。

 

「こ、ここはアデライドの屋敷だぞ!? 大砲を撃ち込むのか……?」

 

「違う派閥のよくわからない大貴族の屋敷に撃ち込むよりは後処理がしやすいと思うので……だいじょうぶ、見てくださいこのカワイイ大砲を。ちっちゃいでしょ? ちょっと派手なドアノッカーみたいなもんです」

 

 実際、騎兵砲はデフォルメされたような可愛らしい見た目をしている。小さな二輪式の台車に搭載されていることもあって、大砲に詳しくない者が見ればオモチャか模型の類だと思うかもしれない。

 そんな話をしている間に、騎兵砲は連結されていた台車から切り離され、アデライド邸の正面に砲口を向けて据え付けられた。この砲は納品されたばかりで砲兵たちも取り扱いには慣れていないはずだが、そうとは思えないスムーズな手際だった。

 

「た、たしかにコレくらいなら大丈夫かもしれないが……うう、四の五の言っている場合ではないか。アデライドに謝るときは、アルも一緒に来るんだぞ。わかったな!?」

 

「ええ、もちろん」

 

 一緒に謝ってはくれるわけか。本当に辺境伯様は人が良い。苦笑しつつ、砲兵隊に命じて騎兵砲に弾を込めさせる。この大砲も先込め式なので、装填手順自体はディーゼル伯爵家との戦闘に使った急造砲と似たようなものだ。

 発射薬を砲口から流し込み、次にドングリ型砲弾の先端に装着されたピンを引っこ抜く。そして砲弾の側面につけられた複数の突起を、砲身の六角形ライフリングに噛み合わせるようにして押し込むのだ。

 

「突撃準備!」

 

 大砲を装填しているうちに、騎士たちに突入の準備をさせておく。砲撃の余波に巻き込まれないよう十分に距離を取らせてから、僕はそう命令した。騎兵銃を持った騎士たちは急いで再装填作業を行い、他の騎士は剣や槍を構えた。僕も鞘からサーベルを抜こうとしたが、それを辺境伯が止める。

 

「アルは前線の方へ行ってくれ。こちらも大事だが、大通りが再制圧されたら我々は孤立してしまう。第三連隊の連隊長はなかなかの切れ者らしいからな、アルに直接指揮してもらった方が良い」

 

「……わかりました」

 

 確かに辺境伯の言う通りだった。屋内戦闘では銃や砲の出る幕はあまりない。僕の指揮官としての持ち味は、火力の扱い方に精通していることだ。ならば、屋外戦闘のほうを任せてもらうのが適材適所というものだろう。

 僕は頷き、突撃の邪魔にならないようカリーナたちと共に隊列から離れた。辺境伯がにこりと笑って手を振り、兜のバイザーを降ろす。

 

「発射準備完了」

 

「撃てっ!」

 

 砲手が砲尾から伸びている紐を引っ張ると、破滅的な破裂音と共に騎兵砲が火を噴いた。発射された砲弾は正門に命中すると、爆発を起こした。これもまた新兵器の一つ、榴弾だ。薄い鉄板を張っているとはいえ、正面扉は所詮木製だ。大砲の直撃にはとても耐えられない。四方八方に木片がまき散らされ、僕の甲冑を叩いた。砲煙が晴れると、見るも無残な姿になった正門が露わになる。

 

「これのどこがドアノッカーだ! まったく……とーつげーき!」

 

 スオラハティ辺境伯がそう叫ぶと、ラッパ手が景気のいい音色を奏で始める。騎士たちがワッと鬨の声を上げ、正門へと突っ込んでいった。……さて、僕も自分の仕事に戻らねば。連隊規模の敵を相手に、この大通りを制圧・維持するわけか。こっちもこっちで、かなり骨の折れる任務だな。



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第108話 くっころ男騎士と大通り防衛作戦(1)

 軍靴が石畳を蹴る音、彼我の兵士の叫び声、剣や槍がぶつかり合う音……閑静な住宅地だったはずの貴族街は、すっかり戦場に変貌していた。敵は密集陣形を組み、ゆっくりと進撃してくる。

 一分の隙も無い、お手本のような横隊だった。文字通りハリネズミのような槍衾を組み、その穂先はまっすぐこちらを向いていた。それが全く同じ歩調で、列を乱すことなく迫ってくるのだ。移動要塞めいた威圧感があった。流石は首都防衛を担っている精鋭部隊だと感心するような練度である。

 対するこちらの戦力の中核は、下馬騎士たちだ。数も、敵に比べればあまりにも少ない。その上、騎士のメインウェポンである馬上槍(ランス)は下馬状態では扱いづらく、敵歩兵の装備している長槍よりはるかに攻撃範囲の狭い長剣や手槍で戦うほかなかった。これは、あまりにも不利だ。

 

「しばらくは、持久戦だ。攻勢が行えるだけの戦力は、今の我々の手元には存在しない」

 

 戦闘の直前、僕は騎士たちにそう説明していた。歩兵隊を置き去りにして進軍したツケだ。手元にあるのは、騎兵隊が一個中隊とわずかな大砲のみ。連隊が布陣する王城前広場へ進撃するのは不可能だ。とりあえずアデライド邸宅前の大通りを維持し続け、歩兵隊の到着を待つ。そういう作戦だった。

 

「射撃開始!」

 

 確かに、敵の長槍兵は脅威だ。しかし、こちらには長槍などよりよほど射程の長い武器がある。僕が命じると、大通りの両隣りにある建物の二階・三階の窓から騎士たちが身を乗り出し、敵の後列に一斉射撃を加えた。建物に潜ませた銃兵の射撃点は、ちょうど敵部隊のあたりで交差するように配置している。いわゆる十字砲火の形だ。こうすることで火力は格段に増すし、敵は回避しづらくなる。

 魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいる者も多いとはいえ、流石にこれはたまらない。普通の甲冑しか着ていない者は体の一部を吹き飛ばされて倒れ伏し、そうでないものも撃たれたショックと恐怖で一瞬身動きがとれなくなる。

 火力というのは、単に敵を殺傷するためだけにあるものではない。攻撃を受けているという心理的な圧迫は尋常ではなく、有効弾が出ないような射撃でも十分な足止め効果はあるものだ。これを主目的とした攻撃を制圧射撃という。今回の攻撃は、まさにその制圧射撃だった。

 

「後退、後退ー!」

 

 もちろん、その隙は逃さない。僕の命令を知らせる信号ラッパが高らかに吹き鳴らされ、それを聞いた前衛部隊が急いで後退する。前衛部隊が引いたことで、射線が空いた。騎兵砲の砲口が自分たちに向いていることに気付いた敵兵は泡を食って逃げようとしたが、密集陣形のせいで身動きが取れない、そうこうしているうちに、三門の騎兵砲が一斉に火を噴いた。小銃とは比べ物にならない発砲音と白煙が大通りを支配し、さらにそれをかき消すような爆発音が起きる。

 騎兵砲で使用する八六ミリ榴弾は炸薬量が少なく、敵陣すべてを吹き飛ばしてしまうような威力はない。それでも、直撃を受ければ魔装甲冑(エンチャントアーマー)装備の重装歩兵であってもひとたまりはなかった。何人もの兵士が四肢をバラバラにしながら吹き飛び、耳と心が痛くなるような悲鳴がいくつもあがる。

 僕はほとんど無意識に自分の腰のポーチを探っていた。酒の入ったスキットルを引っ張りだしかけたところで、手を止める。景気よく吹っ飛んでいく敵兵を見て、僕は言いようのない歓喜を感じていた。それを酒のせいにしたかったのだと思う。ため息を吐いて、スキットルを元に戻す。

 

「まったく、嫌になるね」

 

 殺すのも殺されるのも好きではないが、それはそれとして勝てばうれしいし敵が倒れれば快哉を叫びたくなる。戦場に出た人間は、たいていそうなってしまう。狂っているとしか思えないが、正気のまま殺し合いが出来てしまう人間はほとんどいない。人間の心の、正常な防衛反応だった。

 

「手榴弾だ、ぶち込め!」

 

 僕がそんなことを考えている間にも、戦況は変化していく。最前線で指揮を執るトウコ氏が叫ぶと、騎士たちが一斉に腰にぶら下げていた手投げ爆弾の導火線に火をつけた。そのまま、乱れに乱れた敵隊列へ向けて投擲する。榴弾より小さいが、それでも凄まじい爆発がいくつも連続して起こった。

 

「ぜんしーん、前へっ!」

 

 爆風が吹き荒れる中、盾と剣・手槍を構えた前衛部隊が突撃した。まだ生きている敵兵たちは隊列を千々に乱しながらも、長槍を構えてそれを迎え撃つ。振り下ろされる槍を、騎士たちは盾で受け止めた。別の騎士が槍を避けて反撃しようとするが、後列から新たな槍が突き出され、それを許さない。敵部隊はまだ士気を失っていなかった。豊富な予備戦力を生かし、急速に槍衾を再構築しようとしている。

 

「催涙弾だ、急げ!」

 

 しかし、そんなことは許さない。僕が叫ぶと、こちらの後列部隊が小さなタルを敵隊列に向けて投げ始めた。タルには導火線がついており、それが燃え尽きるとすさまじい白煙を噴き上げ始める。タルの中には、いくつかのスパイスと硝石が詰め込まれていた。当然、そんなものを燃やすことで発生する煙には、激烈なまでの刺激性がある。

 

「うぇっ、ゴホッゴホッ!」

 

「またこれか! ゴホッ、くそっ! 辺境領の蛮族騎士どもめ……騎士の誇りはないのか!」

 

 催涙煙幕に包まれた敵隊列から咳と怨嗟の声が上がる。目やのど、鼻、あらゆる部位に痛みを生じさせるこの煙の中では、慣れていない者はマトモに呼吸すらできない。長槍を投げ捨て、口元を押さえる者すら居た。

 だが、こちらの前衛部隊は防毒面をつけている。ガスマスクというにはやや原始的で、見た目としてはペスト医者のつけるカラスのようなマスクに近いが……こんなものでも、あると無いとでは大違いだ。彼女らは催涙弾の影響を受けることなく前進し、もだえ苦しむ敵を武器や盾で殴りつけた。

 

「ウワーッ!」

 

「やめろ! やめろーっ!」

 

 こうなればもう、まな板に乗った鯉と同じだ。いかようにも料理が出来る。こちらの部隊はグイグイと前進し、敵にそれを押しとどめる力はなかった。

 

「……」

 

 それを見ながら、考え込む。前世で何度も経験した市街地戦は、まさに地獄のような有様だった。路肩爆弾、自動車爆弾、ブービートラップ、捨て駒めいた伏兵……この世の悪意を煮詰めたような卑劣で周到な罠の数々が、僕たちに牙をむいた。過酷な訓練を乗り越えてきた精鋭たちがひとり、また一人とその毒牙にかかっていき、僕自身も最後には……。

 それに比べれば、今のほうがはるかに安心できる戦場だ。この世界には、まだ洗練されたゲリラ戦術論は生まれていない。それに、歩兵個人が持つ火力も全く違う。魔法があるとはいえ、剣や槍、クロスボウ程度の武装しか持たない兵士と、自動小銃で武装した兵士では危険度が違いすぎる。

 ……しかし、しかしだ。武装が違おうと、戦術が違おうと、それを運用しているのが人間であることには変わりない。既存の戦術が通じないなら新しい戦法を考えてくるし、新兵器にもしっかり対策を打ってくる。ボンヤリしていたら、あっという間に形勢を逆転されてしまうだろう。

 

「この場合、敵はどう出てくる?」

 

 正面戦闘では、とりあえず優勢に立っている。しかし、敵にはまだ予備戦力がたっぷりある。その上、パレア第三連隊は名前の通り首都防衛隊だ。当然、王都の地理に関してはこちら以上に詳しいとみて間違いない。ならば、どういった戦術を取ってくるか……。

 

「サイドアタック、かね?」

 

 貴族街にも、裏路地の類は大量にある。大部隊の進軍には不適だろうが、少人数の遊撃部隊ならば十分通行可能だ。こちらも四方八方を監視できるわけではない。

 

「路地に注意だ。いつ敵が飛び出してくるかわからんぞ」

 

「う……了解」

 

「お任せを」

 

 カリーナとジョゼットが頷く。僕の予想が的中したのは、それからしばらくたった頃だった。



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第109話 くっころ男騎士と大通り防衛作戦(2)

 貴族街の瀟洒な街並みは、まるでこの世の地獄のような有様になり果てていた。石畳の敷かれた大通りは血の海と化し、物言わぬ戦死者と腕や足、腹を撃ち抜かれてもだえ苦しむ戦傷者が折り重なって倒れている。血脂と硝煙の入り混じった凄惨な臭いが、鼻腔にねっとりと絡みつくようだった。

 

「この辺り一帯は、しばらく地価が下がりそうだな」

 

「近所にある建物全部事故物件になっちゃったようなもんですからね。はは、可哀想に」

 

 僕の軽口に、ジョゼットが乗ってくる。周囲の騎士たちがくぐもった笑い声をあげた。カリーナが無言で僕たち二人を交互に見た。兜の面頬を降ろしているためその表情はうかがえないが、その動きだけで彼女が『こいつら、マジか……』と思っていることはありありとうかがえた。……いや、シャレにならない状況だからこそ、減らず口を叩いた方がいいんだよ。真剣に受け止めすぎるとだんだん精神がおかしくなっていくしさ……。

 それはともかく、戦闘が終わる様子は微塵もない。敵は相変わらず波のように押し寄せ、砲兵・カービン騎兵の多重射撃によって撃退されている。その攻撃パターンは単調だ。戦いやすいと言えばその通りなのだが、違和感はある。豊富な火力を揃えたこちらに対し、平押しを仕掛けるのは悪手だ。敵の指揮官がマトモな頭を持っているのなら、そんなことにはすでに気付いているはず……。

 

「ブロンダン卿! 南東大路より避難民の集団が接近しています」

 

 そこへ、馬に乗った伝令が駆け込んできた。彼女の報告に、僕は眉間にしわを寄せる。

 

「避難民? こんな鉄火場にか」

 

 これだけ派手にドンパチしてる場所に近づいてくる避難民……怪しいな。普通なら、家にこもるなり戦場から離れるなりするはずだろ。実際、この大通りの家々も完全に門戸を閉ざし、使用人が様子を見に出てくることすらない。射撃用の拠点として使わせてもらっている建物も、国王陛下に用意していただいた免状を使って強引に徴発したものだ。

 もちろん、そんな状況なのはこの大通りだけではない。衛兵隊を使って、王都全体へ外出禁止令を出している。避難民があちこちにあふれる状況になれば、部隊の機動も情報の連絡も補給物資の移送もできなくなるからな。そんな状況は、こちらはもちろん反乱軍側も望んでいないはずだ。

 

「プラドン子爵……避難民のリーダーの言う事には、反乱軍に屋敷を徴発されて外へ追い出されたとか。避難民と言っても三十人程度ですので、大した数ではありませんが……」

 

「その程度の数なら、どこぞの屋敷にでも匿って貰えればいいのに」

 

 カリーナが渋い声でそう主張する。正論だな。しかし、伝令は困ったように頭を振る。

 

「どこの屋敷も、門を開けてくれなかったと言っています。この非常時ですから、それも仕方ないのかもしれませんが……」

 

「筋は通ってますがね、胡散臭いのにはかわりありませんよ。十中八九、敵の策略でしょうね」

 

 ジョゼットが、背中に背負っていた小銃を引っ張り出しながら言った。彼女は普段、僕のやることにはあまり口を挟んでこない。しかし今は頼りになる副官、ソニアが居ない訳だからな。代わりに副官や参謀の役目を果たしてくれるつもりなのだろう。

 

「便衣兵か、本当の避難民か……それはわかりませんが。しかし何にせよ、こちらを罠に嵌めようとしているのは確かなんじゃないかと」

 

「そうだろうな」

 

 僕は頷いた。今も続く敵の攻勢は、陽動の気配が濃い。避難民のフリをした便衣兵……つまり民間人に変装した兵士でこちらの背後を突き、その混乱に乗じて本命の攻撃をぶつける……そういう作戦じゃないかな? こちらが守勢に立っている限り、正攻法で突破される可能性は極めて低い。常識的に考えれば、敵は絡め手を使ってくるはずだ。

 もちろん、汚い手段には違いない。しかし、任務遂行のためなら倫理観を捨てられる軍人はそれなりに居るものだからな。僕だって、人にアレコレ言えた義理じゃないし。

 

「とはいえ、こっちは官軍の旗を掲げてるんだ。まさか銃をぶっ放して追い返すような真似はできないぞ。敵も厄介な手段を使ってくる……」

 

 たしかに目の前の損得だけを考えるなら、避難民たちには武器を向けてでもお引き取り願うべきだ。しかし、国王陛下の名前があってこそ少々の無茶も通ってるわけだからな。その国王陛下の顔に泥を塗るような真似は、絶対にするべきじゃない。罠とわかっていても、あえて踏みにいかなければならないのが正規軍の辛い所だ。

 

「こういう時こそ、わたくしにお任せください」

 

 にっこりと笑って、フィオレンツァ司教が言った。酸鼻を極める光景が目の前で展開されているにもかかわらず、彼女の顔色は良い。存外、肝が太いタイプなんだな。僕の初陣の時より、よほど落ち着いて見えるからすごい。

 

「プラドン子爵……でしたか? 彼女らが本当に保護を求めているというのなら、見捨てるわけにはいきません。これだけの大豪邸が立ち並んでいるのですから、そちらに匿ってもらいましょう」

 

「でも、司教様。もしそいつらが変装した敵の兵隊だったら……」

 

 心配そうな様子で、カリーナが聞く。僕は後方で指揮を取っているから、今のところ戦闘には巻き込まれていない。でも、今は予備戦力なんて一つも持ってないからな。避難民たちの正体が敵兵なら、僕たち自身で対処するしかない。実戦に苦い思い出のあるカリーナとしては、できればそれは避けたいのだろう。

 

「大丈夫。わたくしの司教位は伊達ではないのですよ、カリーナさん。人を見る目には自信があります。もし相手が邪まな考えを持っているようであれば、すぐにピンと来ますから」

 

 黒い眼帯を撫でながら、フィオレンツァ司教は笑う。……そっちの目は見えないんじゃないのか? 冗談のつもりだろうか、よくわからない。とはいえ、彼女の言う事にも一理あるかもしれないな。フィオレンツァ司教の観察眼は本物だ。そうじゃなきゃ、あんなに人の考えをズバズバ言い当てられるはずもないし。

 

「よし、いいだろう。プラダン子爵とやらを呼んできてくれ。とりあえず、一人だけな。ボディチェックも忘れるなよ」

 

「了解! ……まさぐるなら、男の身体のほうがいいんですがね」

 

 伝令がニヤリと笑って頷いた。嫌なら僕がやってやってもいいんだぞ、ボディチェック。……駄目に決まってるだろ、クソッタレ。いかんいかん、聖職者の前であんまり邪悪なことを考えてたら、怒られてしまう。

 

「……」

 

 くすりと、フィオレンツァ司教が笑ったような気がした。



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第110話 くっころ男騎士と大通り防衛作戦(3)

 騎士たちに連れてこられたプラドン子爵は、どうにも風采の上がらない雰囲気の竜人(ドラゴニュート)だった。服装は戦装束ではなく、貴族向けの平服。こちらと接触した時には帯剣していたらしいが、今は腰には何も下げていない。武装解除には大人しく応じたと聞いている。

 

「申し訳ありません、このような時に。ご迷惑をおかけしているというのは、わかっておるのですが」

 

 恐縮と恐怖が入り混じった様子で、プラドン子爵はちらりと目を逸らす。その先には、敵陣に向けて砲撃を続ける騎兵砲の姿があった。矢弾がとどかない程度の距離は取っているとはいえ、ここも最前線。発砲音、剣戟の音、悲鳴……いわゆる戦場音楽と呼ばれる音が、否応なしに耳に突き刺さってくる。慣れていない者にはキツいだろう。

 

「私も国王陛下の臣下、今すぐあなた方にご協力したいのですが……このような状況で、夫子や使用人たちを放り出すわけには参りません。どうか、どこかへ匿っていただきたく……」

 

 びくびくとしながら、プラドン子爵は言う。戦場を知らない臆病者の宮廷貴族、そういう雰囲気だ。すくなくとも、こちらに対する敵意や殺気は感じない。……しかし

 

「駄目ですね、あの方はおそらく刺客です」

 

 フィオレンツァ司教がそう囁いた。本当か? とは聞き返さない。僕の直感も、この女が敵だと告げていた。小心者のような態度をしていても、その立ち振る舞いの端々には武術に親しんだ者特有の気配が滲んでいる。まあ、道場剣術ばかりやっていたタイプの可能性もあるが……今は緊急時。常に最悪を想定して行動しなくてはならない。

 しかし。戦闘に関しては完全な素人であるフィオレンツァ司教に、この手の機微がわかるとは思えない。いったいどういう理由で、プラドン子爵が敵だと判断したのだろうか? まだ、子爵とはほとんど会話を交わしていないはずなんだが。……いや、今はそんなことはどうでもいいか。肝心なのは、この面倒な局面をどう切り抜けるかだ、

 

「ええ、それはもちろん。戦えない者たちを戦火に巻き込むような真似は、騎士として認められません」

 

 司教に軽く頷いて見せてから、僕はプラドン子爵に向けて言う。彼女が刺客だとして、一人で何ができるだろうか? ボディチェックを実施しているわけだから、武器はせいぜい暗器程度しか持ち込めない。僕を含め、周囲の騎士たちは魔装甲冑(エンチャントアーマー)で全身を固めているし、兜の面頬もおろしたままだ。暗器程度ではそうそうやられない。

 魔法という手もあるが、この世界には詠唱破棄なんて存在しないからな。初級の攻撃魔法であっても発動には最短で十秒はかかる。例外は二つ。魔術紋を身体に刻むか(僕の身体強化魔法はこのタイプだ)、魔道具を使うかだ。

 しかし魔術紋を使う方式では攻撃魔法は使えない。魔術紋を刻んだ部位から魔法が飛び出すため、攻撃魔法なんか打った日には自分が一番被害を受ける羽目になる。魔道具に関しては、武器と同様の理由であまり警戒する必要はない。人を殺傷できる威力の魔道具となると、最低でも大型拳銃クラスの大きさになってしまう。

 

「かたじけない。深く感謝申し上げます」

 

「いえ、いえ。当然のことですから」

 

 会話しつつも、頭は全力回転し続けている。"避難民"とやらは後方で待機しているから、少なくとも子爵とは連携することはできない。もし彼女らが騒ぎを起こしても、本陣からは離れているためそれなりに落ち着いて対処ができるだろう。問題はこの女だ。

 甲冑なし、武器も著しく制限されている。そんな状況では、大したことはできまい。……いや、逆に考えるべきか。大したことが出来なくても、問題ないんじゃないか? つまり、プラドン子爵も陽動。そもそも、こんな状況で寄ってくる避難民など、警戒されるに決まっている。本命の攻撃として使うには、あまりにも稚拙だ。つまり……

 

「では、少々お待ちを。伝令を出して……」

 

「敵襲! 西の路地からです!」

 

 伝令の叫びが戦場に響き渡る。その声に、周囲の騎士たちの意識が向けられた瞬間だった。プラドン子爵が腰に手を当てた。そのままスルリと何かを引っ張りぬく。彼女の手に握られていたのは、鞭のようにしなる薄っぺらい剣だった。いわゆる腰帯剣、ベルトのフリをして隠し持つことのできる暗器の一種だ。

 

「ご無礼を、司教殿!」

 

 プラドン子爵は、素晴らしい踏み込みでフィオレンツァ司教に突進する。騎士たちが慌てて阻止しようとしたが、子爵は見事なステップでそれを突破する。尋常な足運びではない。やはり、只者ではなかったようだ。

 しかし、やはり司教が狙われたか。彼女は非武装で、一見防具もつけていないように見える。この場に居る者たちの中では、もっとも戦闘力が低いのは間違いないだろう。……予想通りといえば、予想通りだ。心の準備はとうにできている。即座に司教を庇って前に出た。腰のホルスターからリボルバーを抜き、引き金を引いたまま左手の指で流れるように撃鉄を弾く。

 乾いた銃声が三度鳴って、プラドン子爵が足を止めた。腹に三発、致命傷だ。彼女は血を吐きながら、ゆっくりと倒れ伏す。銃口から吐き出された白煙が、微風に吹き散らされてふわりと舞っていた。

 

「う、ぐ……剣の達人と聞いたが、そんなモノまで使うか……抜かった……」

 

 湿った咳をしつつ、子爵は呟く。司教が手を合わせ、「おお、彼女の魂に極星の導きがあらんことを」と祈った。自分が狙われたというのに、落ち着いたものだ。やっぱり、肝の太さは並みじゃないな。そこらの兵士よりよっぽど根性が座っている。これが聖職者の凄みってやつかね。

 

「迎撃急げ!」

 

  脳みその片隅でそんなことを思考しつつも、僕は何事もなかったようにそう叫んだ。伝令の言うように、西の路地から幾人もの武装した女たちが現れ、こちらに突っ込んで来ていたからだ。予想通り、敵の遊撃部隊がこちらの本丸を脅かしに来たわけだ。もちろん、警戒網は敷いていたが……相手は首都防衛隊だ。地の利を生かし、こちらの知らないようなルートで侵入してきたのだろう。

 不味い事に、プラドン子爵のせいで初動が遅れた。水際での迎撃が間に合わず、遊撃部隊は無傷で大通りに突入することに成功していた。幾人かの兵士がクロスボウを放ち、こちらに攻撃してくる。ほとんどが外れたり盾で防いだりしたが、一人の従士が腹に矢弾を受けて倒れ伏す。反射的に舌打ちが出た。しかし、焦ってはいけない。深呼吸をしてから、指示を出す。

 

「落ち着いて対処しろよ、大した相手じゃない!」

 

 実際、敵は軽装備かつ二十名ほどの戦力だった。いくら後方が手薄といっても、普通に対処すれば問題なく殲滅できる程度の数だ。いくら地の利があっても、大部隊を動かせばこちらの警戒網に引っかかってしまう。隠密のためには、部隊の数を絞らざるを得なかったのだろう。

 おそらくだが、その不利を補うためにプラドン子爵を使ったわけだな。敵襲の混乱に紛れ、フィオレンツァ司教を確保。彼女を人質に取って、状況を有利に進める……そういう策だった可能性が高い。

 

「まったく、汚い手を使ってくる……!」

 

 ジョゼットがぼやきながら小銃を構え、発砲。味方騎士に斬りかかろうとしていた革鎧姿の敵兵がばたりと倒れた。ジョゼットは小銃を構えたままボルトハンドルを引き、弾薬ポーチから出した紙製薬莢を機関部へと押し込んだ。あとはボルトハンドルを戻すだけで、再装填は完了だ。銃口を新たな敵に向け、また一人撃ち殺した。

 

「流石の腕前だな、ジョゼット。頼りにしてるぞ」

 

「ソニアほどは頑張れないので、ほどほどに期待していてくださいな」

 

 敵兵に視線を向けたまま、ジョゼットはにやりと笑った。彼女に渡してある後装式ライフル銃は、従来の銃口から弾を装填するタイプの小銃に比べると圧倒的に発射速度が速い。この火力があれば、敵遊撃部隊の殲滅などたやすいはずだ。問題は……

 

「前衛部隊に通達。後ろは気にするな、敵の本命攻撃が来るぞ!」

 

 この遊撃部隊が仕掛けてきたのは、あくまで攪乱攻撃に過ぎないという点だ。僕が敵の指揮官なら、このタイミングで強烈な一撃をお見舞いする。

 

「敵騎兵接近! 総員、対騎兵陣形!」

 

 前線で、トウコ氏が叫んだ。遠くから、馬の蹄の音がいくつも聞こえてくる。どうやら、敵は騎兵突撃を仕掛けてきたらしい。後衛をかく乱しつつ、前衛に圧迫をかける。それによってこちらの対処能力をパンクさせる作戦って訳だ。……敵の指揮官はなかなか厄介なヤツだな。切れ者だという評判は、本当らしい。

 

「歩兵部隊はまだ到着しないってのに……まったく、面白くなってきたな」

 

 僕は肩をすくめながら、そう呟いた。もちろん、強がりだ。

 

 



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第111話 くっころ男騎士と大通り防衛…

 騎兵突撃が来る。敵がそういうカードを切ってくるのはわかっていた。小回りが利き、機動性も高い騎兵は案外市街地戦に向いた兵科といえる。おまけに、この世界の騎兵は銃弾すら弾く甲冑で全身を固めてるわけだからな。それが集団になって猛スピードで突っ込んでくるわけだから、非常に恐ろしい。

 

「砲兵隊、榴散弾を準備! 地上のライフル隊はクロスボウ持ちを集中砲火だ!」

 

 これに加えて、後方から浸透してきた遊撃部隊も対処しなくてはならないのだから忙しい事この上ない。正面の敵と後方の敵は別々に攻撃してきているわけだから、実質的に二か所の戦場を同時に指揮しなくてはならないようなものだ。いまはとにかく、遊撃部隊の方を早く排除して後方の安全を取り戻したいのだが……。

 

「報告! 避難民どもが攻撃を仕掛けてきました! 現在第七分隊が応戦しています!」

 

「……第一分隊、応援に行ってやれやれ!」

 

 やっぱりこうなるよな。そりゃ、敵の刺客が連れてきた集団が本物の避難民なワケないようなあ! 敵の指揮官の顔が見てみたいもんだね、そうとう底意地の悪いヤツだ。ただでさえ薄い後衛から戦力を抽出するのは気分がよくないが、仕方がない。万一にでも後方に穴を開けられれば、迂回してきた敵部隊がそこから突入してくる可能性もある。

 心の中でぼやいていると、突然何かの破裂音が聞こえてきた。また敵が何か仕掛けてきたのかと焦ったが、よく見ると緑色の信号弾が空中でフワフワと舞っている。こちらが打ち上げたものではない。

 

「宰相閣下のお屋敷の制圧が終わったか……!」

 

 緑色信号弾は、迫撃砲部隊の砲撃準備が完了したときに打ち上げるよう命じていた。アデライド邸の制圧が完了し、観測・砲撃態勢の確立に成功したのだろう。屋敷のほうに目を向けると、その周囲の建物から頭一つ抜けた高さの屋根の上で信号員が手旗を振っている。『イツデモウテマス』……いつでも撃てます、か。

 

「ナイスタイミングね」

 

 明らかにほっとした表情で、カリーナが呟いた。彼女は腰に下げた剣の柄を両手でぎゅっと握り締めていた。震えを隠しているのだろう。ちなみに、彼女にはまだ銃を与えていない。射撃訓練もしてないヤツにいきなり銃なんか渡したら、見方を誤射しかねないからな。護身用の剣が一振りあれば十分だ。

 

「迫撃砲って、よくわかんないんだけど大砲の一種なんでしょ? 撃ち込みまくって、相手の騎兵を滅茶苦茶にしてやれば……」

 

「……駄目だ! まだ撃つな。信号員、しばらく待機するよう伝えてくれ」

 

 近くに居た信号員に命じると、彼女は両手の手旗を振って向こうに命令を伝え始めた。無線通信に慣れた僕からすればまどろっこしく感じずにはいられない通信手段だが、この世界で声の届かない距離の相手に正確な意思疎通をしようと思えば、手旗信号に頼らざるを得ない。

 

「えっ!? どうして……」

 

「迫撃砲は騎兵突撃の阻止には絶望的に向いてない! 効果の薄い攻撃を仕掛けて、こちらの攻撃手段を向こうに悟られちゃ損だ」

 

 迫撃砲というのは、打ち上げ花火の発射機をそのまま兵器転用したような見た目の大砲だ。小型で軽便、それでいて火力も高い。歩兵からすれば実の親よりも頼りになる素晴らしい兵器だが、この大砲は砲弾が極端な放物線を描いて着弾するという特性があった。

 街中で使うぶんには、この特性がかえって便利なのだが……やはり、弾がまっすぐ飛ぶタイプの大砲に比べれば命中精度は低い。突撃を開始した騎兵のような高速移動目標を狙ったところで、ほぼ命中は見込めないだろう。もちろん、牽制程度にはなるだろうが……それでも、僕は今砲撃支援は要請するべきではないという結論を出した。

 

「大丈夫だ。敵が本命攻撃として騎兵突撃を狙ってくるなんてことは、最初から読んでるんだよ。一回二回程度の攻撃なんか……おっと!」

 

 そんなことを語っていると、クロスボウの矢弾が渇いた風切り音とともに飛んできた。慌てて籠手で防御する。甲高い音を立てて、矢弾がはじき返される。装甲は貫通されなかったものの、衝撃は尋常なものではなかった。危うく転倒しかけ、なんとか持ちこたえた。気付けば腕全体がビリビリとしびれ、指先の感覚はなくなっている。着込んでいるのが魔装甲冑(エンチャントアーマー)じゃなきゃ、腕を持っていかれてたかもしれんな。

 

「敵にも腕のいい射手が居るようだ」

 

 笑い飛ばすような口調で、僕は言う。実際はションベン漏らしそうなほどびっくりしたし今もかなりドキドキしているが、それを表には出さない。指揮官の動揺は兵に伝染する。どんな状況であれ、僕は余裕を装う義務がある。

 

「ッ!? 大丈夫ですか!?」

 

 フィオレンツァ司教が泡を食って僕の前に出ようとする。見たこともないような狼狽っぷりだった。僕はあわててそれを押しとどめる。鎖帷子を着込んでいるとはいえ、彼女は兜も被ってないんだからな。集中砲火をされたらあっという間に死んでしまう。

 

「大丈夫ですよ、慣れてますから。ですから、あなたは前には出ないでください。僕のことを盾にしていただいても結構です」

 

「いけません、いけませんよ! アルベールさん。あなたはこんなところで死んでいい方では……」

 

「死んでも民間人を守るのが、軍人の誇りですので」

 

 そういえば、前世でも戦場カメラマンを守りながらドンパチしたこともあったな。僕はそれを思い出して少し笑った。僕はまた、同じような人生を過ごしている。一度死んだというのに一向に治る気配がないのだから、この病気は根が深い。

 

「さっさとクロスボウを持ってる連中を仕留めろ!」

 

 露骨に焦った様子でジョゼットが叫び、自らも小銃を撃ちまくった。集中射撃を浴びて、敵兵がバタバタと倒れる。そこへ、前線の方からワッと大きな声が聞こえてきた。馬の蹄の音が、いよいよ大きくなっている。とうとう突撃が始まったらしい。

 

「ジョゼット、ここは任せた! 僕は砲兵のところへ行く」

 

「了解!」

 

 騎兵突撃阻止の要は砲兵だ。しかし彼女らは先日訓練を開始したばかり。もちろん、この部隊に所属している砲兵は、以前から大砲を扱っている人材を集めて編成されている。砲兵をイチから教育してたら、モノになるまでに丸一年はかかるからな。

 しかし、今回彼女らが扱っている砲弾は、この世界ではおそらくはじめて実戦投入される代物だ。失敗のリスクは十分にある。ここで負けるわけにはいかないので、僕が直接指揮を執ることにした。最低限の護衛と、カリーナにフィオレンツァ司教。そして司教のお供の修道女たちを引き連れ、砲兵たちの元を訪れる。

 

「榴散弾、装填は終わってるな? 装薬と信管はどういう設定だ」

 

「装薬は薬嚢(やくのう)ひとつ、信管は|・五(テンゴ)で切りました、女爵殿」

 

 答えたのは、胴鎧だけ着込んだ若い士官だった。硝煙で薄汚れているが、背筋はピンとしている。

 

「今日から城伯だよ、僕は。……薬嚢ひとつに|・五(テンゴ)ね、了解了解」

 

 僕は頷きながら、敵を睨んだ。前衛部隊の隊列の隙間から、こちらにむけて突進してくる騎兵隊の姿が見えた。さすがガレア王国の最精鋭部隊だけあって、馬まで甲冑を着込んでいる。おそらくあれも魔装甲冑(エンチャントアーマー)だな。

 こちらの部隊は身を寄せ合い、槍や剣を突き出している。本来、対騎兵陣形というのは長槍を持った歩兵が担当するものだ。短い手槍や剣しか持ち合わせない下馬騎士で騎馬突撃を凌ぐのは、なかなか辛いものがある。それを補うのが銃・砲による火力だ。

 

「引き付けろよ、ギリギリを狙え……」

 

 猛烈な轟音を立てつつ接近する騎兵たちを見て、砲手の手が動きかける。僕はそれを制止した。榴散弾の運用は、タイミングが肝心だ。榴弾と違い、この砲弾には発砲後指定した時間で砲弾内の炸薬を起爆させるタイプの信管、時限式信管が採用されている(とはいっても、導火線を用いた非常に原始的な方式を用いているためそこまでの精密性・確実性はないのだが)。

 つまり、逆に言えば敵の眼前で炸裂させてやらないとこの砲弾は十分な効果を発揮しないということだ。運用には非常に気を遣う。敵が十分接近するのをジリジリした気持ちで待ち、敵までの距離が二百メートルまで縮まったところで僕はいよいよ叫んだ。

 

「撃てっ!」

 

 三門の騎兵砲が同時に火を噴いた。わざと発射薬を少なく設定し、遅いスピードで発射された砲弾が放物線を描いて前線部隊の頭上を通過していく。そして殺到する騎兵たちの目の前で弾け飛んだ。内部に仕込まれた導火線が、炸薬に火をつけたのだ。

 砲弾内に格納されていた無数の散弾が炸薬の力で射出され、敵騎兵隊に襲い掛かった。銃弾を弾き飛ばす魔装甲冑(エンチャントアーマー)も、無数の散弾の嵐を防ぐのは不可能だ。騎兵たちは愛馬ごと吹き飛び、全身が文字通りバラバラになる。小口径とはいえ、榴散弾の危害範囲はかなり広い。まるで鉄の暴風を浴びたような有様になって、敵の前衛はなぎ倒された。さしもの精鋭騎兵隊にも動揺が走る。

 

「銃兵隊、打ち方はじめ!」

 

 そこへ、さらにカービン兵たちの十字砲火が襲い掛かった。魔装甲冑(エンチャントアーマー)によって弾かれてしまった銃弾も多いが、榴散弾を受けた直後ということもあり騎兵隊の隊列は完全に乱れてしまう。連続した轟音に怯えた馬が暴れだし、落馬してしまう騎兵も少なくなかった。

 

「催涙弾だ!」

 

 敵の突撃隊形は完全に乱れていたが、それでも敵はあきらめずこちらの隊列に突っ込んでいった。その直前で、後列部隊が催涙弾を投げつける。刺激性の煙幕に巻かれ、人間や馬の叫び声があちこちらか聞こえてきた。煙幕を突破してこちらの隊列に突っ込んできた騎兵も多いが、涙と鼻水で戦うどころではないだろう。馬のほうは、もっとひどい。目鼻の痛みに完全に混乱し、暴走状態になってしまう馬が大勢いた。

 

「この機を逃すな、前進開始!」

 

 そこへ、トウコ氏に率いられた前列部隊が襲い掛かる。敵は大混乱だ。これならば、勝てるだろう。そう安心した時だった。

 

「城伯殿、敵です!」

 

 先ほどの砲兵士官が叫んだ。彼女の指さす方を見ると、すぐ近くの路地から新手の部隊がこちらに向けて突撃してきている。先ほどとは別口の遊撃部隊のようだ。決して数は多くなかったが……不味い。そう直感した。前衛部隊は乱戦中、後衛部隊は先ほどの遊撃部隊とまだ戦闘中だ。砲兵隊を配置している中衛には、ほとんど戦力が……。



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第112話 くっころ男騎士と大通り防衛作戦(5)

 抜かった! 思わず大声で叫びたくなった。一度目の浸透を受けた時点で、こちらの周辺監視態勢に問題があることは明らかだった。状況的に監視を増員するのは無理でも、本陣からノコノコ出ていくべきじゃなかった。いや、この場に僕が居なくとも、砲兵隊がやられた時点でだいぶマズイことになる。……それ以前に、機動部隊のみ突出させたのが間違いだったのか? しかし、機動を歩兵部隊に合わせていたらどう考えても主導権を奪えない……。

 

「アルベール・ブロンダン、覚悟!」

 

 頭の中で様々な思考が渦巻くが、敵はそんなことなどお構いなしだ。裏路地から現れた新手の遊撃隊は、武器を構えてこちらに一直線に突っ込んでくる。これはマズイ。砲兵たちは無防備だ。なんとか彼女らを守り切らねばならない。

 

「銃兵! 撃てる奴だけでいい! 援護を!」

 

 建物内のカービン兵たちに向かって叫ぶ。路地の対面にいる連中ならば、射線が通るはずだ。そういう判断だった。邸宅の窓から銃身が突き出され、連続した発砲音が響く。敵兵はバタバタと倒れた。……が、全滅には程遠い! 妙なタイミングで射撃命令を出してしまったため、まだ装填が終わっていない兵も多かったのだろう。

 

フィオ(・・・)! カリーナ! 距離を取れ!」

 

 とにかく、弱い連中を下げなければならない。命令しつつ、兜の面頬を上げた。敵の前で顔を晒すのは危険だが、こうしないと小銃が頬付できないため照準がつけられないのだ。背中に背負っていた小銃を構える、弾薬ポーチから紙製薬莢を取り出して装填する。……先ほどのクロスボウのダメージがまだ残っている。力の入らない右手でなんとか装填動作を終え、照準をつけた。狙うはクロスボウ兵。コイツが一番厄介だ。

 

「まずは一つ……!」

 

 本調子からは程遠いとはいえ、至近距離。クロスボウ兵は腹を撃ち抜かれ、悲鳴を上げながら地面に倒れ伏した。次弾を装填しようとするが、手の中から紙製薬莢が転がり落ちていく。

 

「アルベールさん! アル!」

 

 フィオレンツァ司教が叫ぶが、僕はそれに答えている余裕はなかった。剣を振り上げ、こちらに突撃してくる兵士が三人いる。全員、防具は革鎧だ。アレならなんとかなる。そう思いながら右腰のホルスターからなんとか左手で拳銃を引き抜き、発砲。響いた銃声が二発なら、倒れた敵も二名。しかし、僕は三度引き金を引いている。……弾切れだ! このリボルバーは六連発だが、暴発防止のために最初の一発は装填していなかった! 役立たずになった拳銃は、即座に捨てる。

 

「しゃら……臭いんだよ!」

 

 震える右手でサーベルを抜こうとするが、やはり動きが鈍い。間に合わない。そう直感した瞬間だった。僕の前へと青白の人影が飛び出していった。特徴的な純白の翼とプラチナブロンド、フィオレンツァ司教である。

 

「この、やられ役の分際でぇ……!」

 

 そんな声とともに、フィオレンツァ司教は手を顔に当てる。眼帯を外そうとしているのだろうか? だが、変事はそれでおわらなかった。

 

「ぴゃああああああっ!」

 

 極端な前傾姿勢になったカリーナが、暴走特急のような勢いで敵へと突っ込んでいったのだ。前をまったく見ていないらしい彼女は、フィオレンツァ司教に衝突、一塊になって敵兵へ衝突した。

 

「ぴゃっ!?」

 

「むぎゃっ!?」

 

「グワーッ!!」

 

 三者三様の悲鳴が上がる。カリーナは小柄だが、膂力に優れる牛獣人だ。その突進力は尋常ではない。三人は諸共になって吹っ飛んだ。僕は急いでサーベルを引き抜き、石畳に転がる最後の敵兵の首筋に切っ先を突き入れた。いかに強靭な竜人(ドラゴニュート)とはいえ、頸動脈を切断されれば即死だ。彼女は鮮血を噴き出しながら、物言わぬ屍と化した。

 

「いかん、アルベール殿をお助けしろ!」

 

 前衛の兵士の一部がこちらに気付き、増援にやってくる。どうやら騎兵との戦いは佳境に入っているようで、それなりの余裕が出て来たらしい。軽武装の小規模部隊でしかない遊撃隊は、あっという間にフル武装の騎士たちによって駆逐された。どうやら、峠は越したようだった。しかし、一度完全に不意を突かれたわけだからな。新手の遊撃部隊が現れないか警戒しつつ、多重事故を起こしたカリーナとフィオレンツァ司教の元へ急いだ。

 

「う、うう……わたくしは構いません、カリーナさんの方をお願いします」

 

 自らを助け起こそうとしているお供の修道女たちを押しとどめ、司教はそんなことを言っていた。こんな時でも他人優先とは、流石は聖人である。

 

「だ、大丈夫ですか? お怪我は……」

 

 彼女ら翼人族は、鳥人などと同じく骨が脆い。飛行のために、骨まで軽量化されているからな。小柄とはいえ全身甲冑のカリーナと大柄な竜人(ドラゴニュート)の正面衝突に挟まれたわけだから、無事では済むまい。手を取り助け起こそうとするが、司教は「ウ゛ッ」と奇妙な悲鳴を上げた。もともと白い彼女の顔色は、すっかり蒼白になっている。

 

「アッ!! 申し訳ありません!!」

 

「だ、大丈夫です。お気になさらず……」

 

 フィオレンツァ司教はそういうが、明らかに辛そうだ。これはちょっと不味いかもしれない。

 

「……い、いえ、問題ありません。不味くはないです」

 

 首を左右に振るフィオレンツァ司教。確かにちょっとした擦り傷以外の出血はなさそうだが、この痛がりようは尋常ではない。痛めてしまったらしい右腕を避けて、もう一度引っ張り起こしてやる。美しかった司教服や純白の翼は、埃ですっかり薄汚れてしまっていた。

 それでも、無事は無事である。僕は安堵の息を吐いてから、カリーナの方を見た。彼女も若干ふらついていたが、修道女たちに介抱されながら何とか立ち上がっている。まあ、こっちは丈夫な牛獣人だ。それに、魔装甲冑(エンチャントアーマー)で全身を防護している。司教ほどのダメージはないだろう。

 

「し、司教様、申し訳ありません。私ったらなんてことを……」

 

 頭をふりふりしながらカリーナが謝る。司教様に体当たりをかますなど、たとえ事故であっても普通なら怒られるだけでは済まない大失態だ。しかし、フィオレンツァ司教はにこりと笑う。

 

「お気になさらず、カリーナさん。アルベールさんを守ろうと行動したのは、わたくしもあなたも同じこと。結果万事うまく行ったのですから、あなたを責める必要などどこにもありません」

 

「ありがとうございます……」

 

 安堵のため息を漏らすカリーナに、僕は苦笑した。とにかく、窮地を脱したのは確かだ。

 

「ありがとう、二人とも。助かった」

 

 二人の援護がなければ、ちょっとヤバかったかもしれない。右腕がこの調子じゃ、まともに剣は振るえない。不覚を取った可能性は十分にある。

 

「とはいえ、フィオレンツァ様。あまり無茶はなされないでください。御身が傷つけば、どれほどの人が悲しむか……」

 

 エンチャントのかかった鎖帷子とはいえ、万能ではない。兜もつけてない訳だから、白兵戦はあまりにも危険だ。あのままカリーナが飛び出さなかったら、下手をしなくても死んでしまっていたかもしれない。庇ってもらったのは非常に嬉しいが、ここは注意しておく必要があった。なにしろ彼女は司教、木っ端貴族でしかない僕よりもよほど重要な地位についている。

 ……しかし、武器一つ持っていないというのに、彼女はどうするつもりだったのだろうか? なんだかよくわからないことを口走っていたような気もするが……よく聞き取ることはできなかった。もしかして、その身を盾にしようとしていたのか?

 

「それは貴方も同じことです、アルベールさん。わたくしだって、貴方が傷つけば悲しい」

 

 拗ねたように、フィオレンツァ司教は口を尖らせた。その声に、先ほどの自分の行為に対する後悔は感じられない。しかしよく見ると、そのほっそりとした足は小さく震えていた。当然だ。これまで戦場に出たこともない人間が、本職の兵隊の殺気を正面から浴びたわけだからな。胃のあたりが、きゅっとした。そういう恐怖は、軍人である僕が肩代わりするべきものだというのに……。

 

「……それと、先ほどわたくしをフィオと呼びましたね?」

 

「え? あ、そういえば……」

 

 焦りのあまり、僕は彼女の愛称を口走っていた。幼い頃はそういう風に呼んでいたのだが、流石に彼女が司教位についてからは敬称を使っている。司教様相手に馴れ馴れしい口調で話しかけるなんて、不敬だからな。

 

「も、申し訳ありません」

 

「いえ、違うのです。昔を思い出して、少し懐かしくなりました。今後も、そう呼んでいただいて結構ですよ?」

 

「う……」

 

 僕は頬を掻いた。なんだか、上手く話を逸らされてしまった気がする。まあ、助けられた身ではあまりガミガミと説教する資格もないだろう。ため息を吐いて、近くに寄ってきたカリーナの頭を兜の上からぽんぽんと叩く。

 

「まあ、なんにせよ……助けていただいて本当にありがとうございました。……カリーナもだぞ? 本当に助かった。お前が居なけりゃ、どうなってたことか。流石は僕の妹だ」

 

「うぇへへ、それほどでも……あるよ?」

 

 面頬の下で渾身のドヤ顔を浮かべていることがありありとわかるそのカリーナの声音に、僕は思わず吹き出しそうになった。

 



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第113話 秀才連隊長と憂鬱なる参謀団

 わたし、ジルベルト・プレヴォは、指揮用天幕の中で地図とにらめっこをしていた。すっかりヌルくなった香草茶で唇を湿らせつつ、地図上に乗せられたコマを弄る。わたしの指揮するパレア第三連隊は、王城を包囲したままあの(・・)アルベール・ブロンダンの部隊と交戦することを強いられていた。これはいわゆる二正面作戦の状態であって、当然我々はひどく不利な状況に陥っている。

 本音を言えば、王城など無視して部隊の全力をもってブロンダン卿を倒しに行きたい。今の彼の部隊は騎兵一個中隊程度だが、後方からは大隊規模の歩兵部隊が複数戦場に向かっていることが確認されている。もしこれらの部隊が合流したら、おそらく事態は我々の手には負えない状況になるだろう。

 現在、我々は王城の周囲を取り囲み消極的な射撃戦を行っていた。国王陛下は秘密の経路を使ってすでに王城を脱出している可能性も高かったが、それでも包囲を解くわけにはいかなかった。オレアン公派の部隊が王城を取り囲んでいるという状況そのものに、象徴的な意味合いがあるからだ。それに、どさくさに紛れて火事場泥棒じみた真似をする輩が出てくる可能性もある。

 

「連隊長殿」

 

 天幕の中に伝令が走り込んできた。その表情を見ただけで、彼女が何を伝えたいのかは理解できる。

 

「攻撃失敗か」

 

「……はい。騎兵隊は兵員の四割が死傷し潰走。遊撃部隊、攪乱部隊に至っては帰還者は数名……壊滅です」

 

「ブロンダン卿の首は獲れたのか?」

 

「いえ……失敗です」

 

「そうか。わかった、下がっていい」

 

 ため息を吐きたい欲求を、香草茶の一気飲みでごまかす。空になったカップを従士に押し付けて、お代わりを要求した。参謀が無言で、ブロンダン卿と交戦状態にあった部隊のコマを、後ろに下げる。

 

「……やつの部隊は、現在騎兵隊一個中隊程度の戦力のハズ。倍以上の数をぶつけて、これですか? なんだかタチの悪い手品でも見せられている気分だ」

 

 別の参謀が、呆然とした様子で呟く。

 

「だから、作戦前に言っただろう? あの男は、間違いなくガレア最強の指揮官の一人だ。間違っても、片手間に倒せる相手ではないと。城内の部隊でヤツを仕留められなかった時点で、こうなることは見えていた」

 

 前々から、彼には注目していた。派閥や所属部隊は違えど、注目に値する軍人だと判断したからだ。それほど、彼の積み重ねてきた武功はすさまじいものがある。

 

「しかし、しかし奴は男ですよ? 男に指揮される部隊が、こんな……!」

 

 わたしは頭を抱えそうになった。こんな意識では、勝てる戦であっても負ける。敵を侮る将校など、無能を通り越して有害ですらある。

 

「奴らの指揮官は、スオラハティ辺境伯のハズ。実際の指揮も、辺境伯が執っているのでは? 我々の精鋭が男に敗れるなど、あり得ません」

 

 黙り込んでいた方の参謀が、渋い表情をしながらうなるような声で言う。……たしかにスオラハティ辺境伯は将としても有能だと聞くが、こちらの現場指揮官だって手持ちの人材で一番有能なヤツを差し向けていたんだ。指揮官の頭が同格なら、ここまで無惨な負け方をするとは思えない。つまり、敵の指揮官が特別なヤツだったと判断するほかない。

 しかし、参謀共のこの感覚には心底軽蔑するしかないな。ブロンダン卿が男だからと言って、なんだというのか。彼は以前から結果を示してきたし、我々の前に立ちふさがった今でも強烈な存在感を示している。何をどう判断したら、コレを侮って大丈夫だと思えるんだ? この作戦を成功させるつもりなら、最優先で対策を立てるべき敵の一人だろうに。

 

「知っているか? ブロンダン卿は、あのソニア・スオラハティと互角の剣の腕を持っているらしいぞ」

 

「……そんな、嘘でしょう?」

 

 ソニア・スオラハティは有名人だ。王都の剣術大会で連続優勝し、御前試合の経験も幾度もある。間違いなく、王国でも三指に入る剣の達人だと断言できる。

 

「互角というのが過言であっても、すくなくともまとも試合が成立するレベルの剣士であることは間違いない。それはわたしがこの目で確認している」

 

 その時の記憶を思い出して、私は暗澹たる気分になった。当時は「素晴らしい後輩ができたものだ」と感心していた。派閥は違えど、同じ王国軍人だ。頼りになる味方が現れたことを、無邪気に喜んでいた。それがどうだ、我々は武器を向けあう羽目になり、その結果私の部下が大勢死んだ。

 なぜ、王軍同士が戦う必要があるのだ? 我々は味方だったはずだ。わたしはオレアン公爵家の傍流の出で、確かにオレアン公に従う義務はある。だからこそ、こうして王に剣を向けるような真似もしている。しかし、自らの任務の正統性について、疑問を覚えるなというほうが無理があった。

 

「国王陛下のおひざ元にわたしを送るなど……まさか、公は謀反をお考えなのですか?」

 

 連隊長に着任する直前、わたしはオレアン公にそんな質問をぶつけたことがある。

 

「まさかまさかだ。そんな馬鹿な真似を、この私がすると思うのか? あくまで、これは将来に向けた布石に過ぎない。クーデターのような性急で乱暴な手段を取らずとも、こうしてジワジワと王国の中枢に食い込んでいけば、やがてオレアン公爵家は合法的に国王位を手に入れることができる。私や娘の代では難しかろうが、孫の代では……な?」

 

 そしてオレアン公から返ってきた答えがこれだ。何が孫の代だ、馬鹿らしい。今となっては、なんたる詭弁と憤慨せざるを得ない。それでも私が公の命令に従っているのは、公爵家にぶら下がることでかろうじて存続している実家を想ってのことだ。そうでなければ、こんな命令など最初から無視している。

 

「それが本当だとしても、だから何だというのです?」

 

 剣の腕と指揮能力は関係ないだろう。そう言いたげな様子で参謀の一人が首を振った。私は従士が持ってきた香草茶を受け取り、その熱い液体でのどを潤す。それなりにいい茶葉を使っているはずだが、何の味も香りもしなかった。そんなものを感じ取るだけの余裕が、いまのわたしの心の中にないのだろう。

 

「ヤツの部隊が、どれだけ白兵戦をしたというのか。今回の作戦だけではなく、彼はずっと火器に頼った戦い方をしている。これがどういう意味なのか、わからんか?」

 

 私の脳裏に浮かんでいるのは、リースベン戦の報告書だ。彼のやり方で編成された部隊が、初めて他国の正規部隊とぶつかった戦闘である。気にならないはずもない。謀反の命令を受領したその日に、わたしは急いでその報告書を取り寄せて熟読していた。

 

「男の、只人(ヒューム)の身の上でそれだけの剣術を修めているのだ。どれほど辛い修行をしたのか、想像もできない。……にもかかわらず、彼は剣に頼らない。銃や大砲を軸に戦術を組み立てた。その方が効率的と判断したからだ」

 

「……」

 

「必要だと思えば、どれほどの時間と労力をかけてきたものであっても投げ捨てることができる。これが、指揮官にとってどれほど重要な資質かわかるか? 事前に立てていた作戦に拘泥するあまり敗北を喫した将は、古今東西いくらでもいる。しかし、彼はそのような凡百の指揮官とは明らかに違うんだ。なぜそれがわからん!」

 

 有能な敵を侮って負けるなど、あまりに無能だ。わたしはすっかり、参謀たちを罵りたい気分になっていた。追い込まれているのはこちらだというのに、彼女らにはいまいち真剣みがない。

 

「……馬鹿らしい」

 

 それまで黙って聞いていた女が、侮蔑的な口調でそう言った。彼女は立ち上がり、肩をすくめる。

 

「ビビりすぎですよ、連隊長殿。たしかに、こちらの被害は大きい。しかしそれは、アルベールなにがしの指揮能力から来るものではありません。武器の性能差です。辺境伯軍は、ライフルを大量配備している。その上、今回は新式砲まで配備しているという話ではありませんか」

 

 こちらを馬鹿にしていることを隠しもしない態度で、女は語った。彼女は、連隊隷下(れいか)の中隊の隊長だ。予備戦力として待機を命じていたのだが……どうやら思うところがあるらしい。

 

「あたしから言わせれば、アルベールとやらは戦闘の素人です。火力の扱い方を理解しているとはとても思えない。あたしの中隊であれば、鎧袖一触で勝利できますよ。何しろ武器が同じだ。その上、今なら数も同じ。で、あれば指揮能力に優れている方が勝つに決まっています」

 

 彼女の部隊は、ライフル兵中隊だ。今年になって、初めて新設されたタイプの部隊である。兵員の以上がライフルを装備しているのだ。ライフルは、アルベールが銃を発注している工房から非合法な手段で手に入れたサンプルをコピー生産したものだった。雷管なるパーツは再現が出来なかったため、撃発方式はこちらの鉄砲鍛冶が考案した火打石を使う方式だが……少なくとも、射程や威力は同等の性能を備えていた。

 

「火力の扱い方を理解していない? どういうことだ」

 

「簡単です。あの男は、兵士を分散させて戦う。密集陣形はめったに使わない。機動性を上げるための工夫でしょうが……所詮は男の浅知恵だ。精度に優れたライフル兵だからこそ、密集陣形を取らせるべきなのに。そうすりゃ、面積当たりの火力は飛躍的に上がる」

 

 ヘラヘラと笑いながら、彼女はそう言った。……理屈はわかる。が、妙に嫌な予感はした。しかし、わたしもライフル兵なる兵科を扱った経験はほとんどない。実際の運用に関しては、部隊長である彼女に一任するほかなかった。

 

「連隊長殿。あたしに出撃を命じてください。そうりゃ、一時間もしない間にあの男の首を献上して差し上げますよ。いや、生け捕りが良いかな? はは、その時にゃ先に味見をさせてもらいますが、ご容赦を。せっかくの男騎士なんでね」

 

 わたしはため息を吐きたい気分になったが、結局出撃を許可した。今のところ、彼女の他に打開策を持っていそうなヤツがいなかったからだ。



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第114話 くっころ男騎士とライフル中隊(1)

 騎兵隊を撃退した僕たちだったが、敵の攻勢はさらに続く。敵が引いてすぐ、騎兵隊の穴を埋めるように新手の部隊が現れた。

 

「敵は中隊規模の銃兵? 確かか?」

 

「ハイ」

 

 見張り部隊からやってきた伝令が、しっかりと頷く。

 

「確認できた限り、ほとんどの兵士が小銃を装備していました。すくなくとも、槍兵はいないようです」

 

「ふーむ」

 

 銃兵といっても、彼女らが装備しているのが従来の滑腔銃(銃身にライフリングが刻まれていない銃)なのか、ライフル銃なのかで対処法がずいぶんと変わってくる。滑腔銃なら楽なんだけどな。なにしろアレは射程が短い。魔装甲冑(エンチャントアーマー)装備の白兵兵科に突撃させれば、簡単に倒すことができるだろう。それがネックで、この世界の銃兵は冷や飯を食ってるわけだし。

 しかし、そう簡単にはいかないだろうなという直感があった。なにしろ相手は精鋭・パレア第三連隊。彼女らが編成した部隊が、そんなに弱いはずもない。おそらく、敵銃兵が装備しているのはライフル銃だ。こちらの装備しているライフル銃の銃身や弾頭は、この世界の技術でも容易に製造できる(そうでなければ量産できない)。現物さえ入手できれば、簡単にコピー品を製造できるだろう。

 

「敵の陣形は?」

 

「密集した横隊をいくつも重ねているようです」

 

「なるほどな」

 

 敵はいわゆる、戦列歩兵方式の戦術を取るつもりだろう。銃兵をずらりと並べ、合図に合わせて一斉射撃をする。それを、相手が隊列を維持できなくなるまで繰り返し、最終的には突撃で勝利をもぎ取る。極めて破壊力の高い戦術だ。前世の世界でも、ライフルの普及以前は多用されていた。

 

「だとすると、向こうの方が銃兵は多いだろう。前衛部隊に守りを固めさせよう」

 

 同じ中隊規模の部隊と言っても、こちらは半数が白兵戦用の装備をしている。なにしろこちらは本来騎兵だからな。なんだかんだいって、槍騎兵の突撃は極めて強力だ。すべての騎兵をカービン騎兵に転換するより、それぞれの兵科をバランスよく準備しておいた方が柔軟に立ち回ることができる。

 とはいえ、敵は全員が銃兵……ということは、半数が銃兵のこちらの倍以上の火力を発揮してくるわけか。しかも、こちらが装備しているのは銃身が短い騎兵銃(カービン)で、向こうはおそらくフルサイズの歩兵銃。射程も負けている。これと戦うには、ちょっとした工夫が必要だな。

 

「ちょっと前衛の指揮官と打ち合わせをしてきます。フィオレンツァ様はここで休んでいてください」

 

 指揮用天幕の下でぐったりとしているフィオレンツァ司教に声をかける。どうやら、彼女の右腕は完全に折れてしまったようだ。衛生兵が応急手当を行い、添え木をした上で三角巾で腕を吊っている。こんな有様で戦場を動き回るのはムリだ。

 ちなみに、フィオと呼べと言われはしたが、流石に公衆の面前で愛称を使う訳にもいかない。その呼び方は私的な付き合いの時だけにさせてくれと頼んであった。

 

「……すぐ戻ってきてくださいね。前線は、危なすぎます」

 

 ひどく不満げな様子で、司教はそう言った。自分も同行したいという気分がありありとわかる声だった。もちろん、頼まれても拒否するけどな。これ以上彼女に負担を強いるわけにはいかない。

 しかし、怖い思いもしたはずだし実際に怪我までしているというのに、気丈なものだな。その表情には、明らかにこちらを心配する色がある。躊躇なく僕を庇って敵の前に出たことと言い、流石は聖人と呼ばれるだけのことはある。自分より他人を優先するその姿勢は、まさに聖職者の鑑だ。

 

「わかってますよ」

 

 危険を冒すのが軍人の役割みたいなところはあるけどな。とはいえ、僕だって無駄に痛い思いをしたいわけじゃない。死ぬのはもっとご免だ。前回の戦死ではどういう因果か転生することができたが、次こそいよいよ地獄行きかもしれない。

 フィオレンツァ司教に別れを告げ、カリーナ(司教と違いこちらは傷一つなかった。やはり牛獣人は丈夫だ)を伴って前線に移動する。もちろん、先ほどの反省を生かし護衛も引き連れている。どうやら僕の首が直接狙われているような雰囲気もあるからな。

 

「距離一キロ半。すぐに向こうの射程距離に入りますよ」

 

 僕を出迎えたトウコ氏が、望遠鏡から目を離さずに行った。大通りの向こう側では、敵銃兵隊が進軍してきている。横隊を維持したままの、一糸乱れぬ行軍だ。軍靴が石畳を踏みしめる音が、こちらにまで響いている。等間隔に聞こえるその音が、敵の練度を物語っていた。行軍が上手い部隊は戦闘も上手いものだ。

 とはいえ、大人数を一斉に動かしているわけだから、その歩みは遅い。なにしろ、敵部隊は兵士同士の肩が触れ合うような密集隊形をとっている。これを崩さずに進ませようと思えば、あまりスピードは出せない。密集隊形最大の弱点だ。この間に、作戦を伝えておくことにしよう。

 

「急いで馬車を出してくれ」

 

 工兵にそう命令する。戦闘の合間を縫って、僕たちはある程度の数の馬車を徴発していた。本来は食料や弾薬を運ぶために用意したものではあるが、別の用途にも使えるように準備していた。

 まもなく、鎖やロープで連結された馬車が運び込まれ、道路を封鎖するような形で配置された。これを掩体……つまり遮蔽物として活用する作戦だった。木造の車体では弓矢ならともかく銃弾を防ぐのはかなり難しいが、それでもないよりは圧倒的にマシだ。

 

「射撃戦が始まったら、君たちはこの馬車群を活用してとにかく耐えてくれ。進むことも、退くことも許可できない」

 

「後衛の盾になってくれ、ということですか」

 

「そうだ。おそらく敵は、君たちの隊列が崩れるまで突撃は仕掛けてこない。一定の距離を維持するはずだ。そこを……」

 

「銃と大砲を使ってタコ殴りにする?」

 

 トウコ氏の言葉に、僕はニヤリと笑って頷いた。もっとも、面頬は降ろしているからこちらの表情は分からないだろうがな。前世の世界では、ライフルの登場に伴い密集隊形は使われなくなっていった。その理由を、連中にはたっぷり教育してやるつもりだった。

 

「とにかく、我慢比べだ。大きな盾を持っているヤツを先頭にして、ガチガチの持久体制を取ってほしい」

 

「了解しました」

 

 望遠鏡を従士に手渡してから、トウコ氏が頷いた。魔装甲冑(エンチャントアーマー)と同じ技術で、盾も強化されている。当然、いかなライフルであってもそう簡単には貫通できない。土嚢や塹壕がなくても、かなり持久できると僕は踏んでいた。

 

「しばらくはライフルで滅多打ちにされると思う。辛い任務だが、どうか踏ん張ってほしい」

 

「撃たれると言えば」

 

 近くの騎士の一人が、ぽんと手を打った。

 

「クロスボウで撃たれたって聞いたんですけど、大丈夫ですか? ブロンダンさん」

 

「平気だ、平気。当たったのは籠手だし」

 

 僕は右手をブンブンと振った。まだ若干シビれは残っているが、先ほどよりはずいぶんとマシになっている。今ならば、剣もちゃんと握れるだろう。

 

「君たちはこれから、銃で撃ちまくられるんだぞ。それを命令する僕が、クロスボウの一発や二発でピーピー泣くわけにはいかん」

 

 いくら魔装甲冑(エンチャントアーマー)が丈夫といっても、直撃すればかなりのショックがある。それに、全身鎧といっても完全にすべての場所が装甲化されているわけではないからな。装甲のない場所や薄い場所も当然ある。前衛部隊にとっては、辛い任務だろう。

 

「そりゃ、こっちも同じですわ。男が見てるってのに、多少撃たれたからって逃げ出すような軟弱者はうちの部隊にゃいませんよ。なあ!」

 

 おう! と騎士たちが威勢のいい声を上げた。僕の頬が思わず緩む。

 

「やめろよ、あんまり格好いい所を見せるのは。惚れちゃいそうだ」

 

「へへ、そりゃあ無理ってもんですよ。存分に惚れて頂きたい」

 

「馬鹿言え、まったく」

 

 騎士の肩を叩くと、彼女はゲラゲラと笑った。まったく、気のいい連中だ。

 

「ところで……」

 

 釣られて笑っていると、トウコ氏が耳元で言った。周囲をはばかるような小さな声だ。

 

「歩兵部隊は、まだ到着しないのですか? 予定の刻限は過ぎていますが……」

 

「……まだみたいだ。伝令は出してるんだが、帰ってこない」

 

 今はまだ何とかなってるが、弾薬も有限だ。いずれじり貧になるのは確かだ。その前に、数の上での主力である歩兵部隊と合流しなきゃいけないわけだが……今のところ、歩兵部隊が現れる様子はない。いったい、どうしたというのだろうか? 正直に言えば、不安を感じている。

 ただ進軍が遅れているだけならまだいいが、市街地戦はイレギュラーが発生しやすいからな。もしかしたら、こちらとは別の敵部隊と交戦が始まっている可能性がある。オレアン公側に寝返った部隊は、第三連隊だけじゃないだろうしな。その場合、下手をすれば増援がこちらにたどり着けないかもしれない。

 

「あと三十分して歩兵部隊が到着しないようなら、場合によっては撤退も視野に入れる。我々だけで王城を解放するのは不可能だ」

 

 トウコ氏と同じく、周囲に聞こえない微かな声でそう答える。現在優勢が取れているのは、あくまでこの通りに引きこもって防戦に徹しているからだ。王城前広場のような広い場所で連隊規模の敵と交戦したら、一瞬で潰されてしまう。

 

「了解」

 

 堅い声で、トウコ氏は短く答えた。今日のうちに王城の解囲に成功しないことには、こちらの勝利はおぼつかなくなってしまう。オレアン公爵軍の主力が王都に到着する前に、なんとか都市内の敵は負いだしておく必要があるからな。ここで引けば、間違いなくじり貧になってしまうだろう。

 とはいっても、無意味な玉砕をするわけにはいかない。どうしてもとなれば、撤退を選択せざるを得ないだろう。厳しい状況だった。僕は深呼吸をして、思考を切り替える。今は目の前の敵を倒すことに集中するべきだ。



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第115話 くっころ男騎士とライフル中隊(2)

 敵銃兵隊が射撃を開始したのは、距離五〇〇メートルからだった。数十名単位で横隊を組んだ銃兵が足並みをそろえ、一斉に発砲する。そして装填をしている間に後列部隊が前に出て、また一斉射撃。これを繰り返しながら、ジリジリと全身を続ける。装填にかかる時間が長いという先ごめ式の弱点をおぎない、こちらに隙のない連続射撃を浴びせ続ける作戦のようだった。

 

「間合いが遠いな……」

 

 五〇〇メートルというと、射撃距離としてはかなり遠い。ライフル銃は一キロメートルくらいは弾が飛ぶのだが、照準器の問題でかなり接近しないと命中が見込めないのだ。実際、敵の射撃の精度はお粗末なものだった。弾のほとんどが石畳や民家の壁をえぐり、空の彼方へ飛んでいくものもある。

 馬車の車列に身を隠したこちらの前衛部隊は、それにじっと耐えていた。銃を持たない彼女らは、敵に反撃することができない。では、なぜそんな部隊を前に出しているかと言われれば、味方部隊の盾になって貰うためだ。射撃戦では強力な銃兵も、乱戦に持ち込まれると弱い。例え銃剣があっても、本職の槍兵にはそうそう勝てるもんじゃないからな。前衛部隊が健在な限り、敵は突撃には移れない。

 

「砲撃を警戒しているのでしょうか?」

 

 ジョゼットが寄ってきて、耳元で囁いた。僕は頷く。

 

「たぶんな」

 

 密集陣は砲撃に弱い。そんなことは、敵の指揮官も心得ているはずだ。大砲といっても、小型の騎兵砲だからな。射程はライフルと大差ない。やや離れた場所から射撃をはじめ、こちらの戦力を少しでも削っておこうというハラだろう。

 

「連中、装備は悪くない。適正距離で打ちあうのは勘弁願いたいな」

 

 望遠鏡を覗き込みつつ、僕は唸った。敵銃兵は青い軍装の上から胴鎧を着こみ、頭にはケトルハットと呼ばれるツバ付きの鉄帽子を被っていた。全身鎧ではないにしろ、装甲化された部隊ということだ。まともに銃兵同士で撃ち合ったら、厄介なことになりそうだ。

 

「有効射程に入る前に敵を減らしたいのはこっちも一緒だ。砲撃開始!」

 

 騎兵砲が火を噴き始める。弾種は榴弾だ。砲弾は敵横隊の付近に着弾し爆発を起こすが、射撃も前進も止まらない。彼女らがとっている戦列歩兵戦術は、とにかく敵の攻撃に耐えながら射撃を続行する我慢比べの要素が強い戦法だった。当然、根性の座った連中を選抜して編成しているはずだ。容易なことでは動揺を与えることができない。

 その上、騎兵砲の命中精度も決して高いものではないという問題もある。これまでの戦いでは敵の間合いが近かったため、比較的容易に命中弾を出せたのだが……今回はなかなかの遠距離戦だ。スペック上は有効射程内ではあるものの、砲兵が扱いに習熟していないということもありなかなか直撃を出せずにいるようだ。

 

「来たな……!」

 

 しかし、こちらの装備する大砲は騎兵砲だけではない。甲高い独特な飛翔音を出しつつ、空から砲弾が落ちてくる。迫撃砲だ。アデライド宰相の屋敷に配置した砲兵たちが、射撃を開始したのだ。

 が、その砲弾は敵の隊列から大きく離れた位置に着弾し、むなしく爆発した。大貴族の邸宅と思わしき屋敷の庭先に墜ちる砲弾もある。僕の額に冷や汗が浮かんだ。

 

「頼むから、民間人への誤射だけはしないでくれよ……」

 

 迫撃砲は、砲弾の軌道が極端な放物線を描く。命中精度は極めて悪い。もちろん、僕だって初弾命中など期待していない。とはいえ、やはり限度がある。この辺りの屋敷はすべて石造りだから、庭先に着弾するくらいでは大した被害は出ないが……邸宅に直撃したりすれば、シャレにならないことになる。それだけは避けろと厳命してはいるのだが、やはり事故の可能性をゼロにするのは難しいからな。とてもヒヤヒヤしてしまう。

 砲撃を受けつつも、敵は前進を続けていく。発砲煙が煙幕のようになって、彼女らの隊列を隠していた。時折騎兵砲が直撃をだし、榴弾や榴散弾が敵兵をなぎ倒す。しかし、そうやって出来た穴は即座に後列の部隊が塞いでしまった。一発二発程度では、隊列は揺るぎもしない。そして、頼みの綱の迫撃砲は相変わらずの有様だった。時折至近弾は出すものの、次の射撃では着弾が離れてしまう。

 

「距離四〇〇!」

 

 見張り員が叫ぶ。ここまで近づくと、敵の射撃もある程度当たり始める。案の定、馬車の車体はスパスパと抜かれていた。まあそれはいい。馬車に期待しているのはあくまで目隠し効果だ。その後ろに控えた前衛部隊は盾と甲冑でガッチリ固めているため、甲冑の隙間や弱点を狙われなければ大丈夫だ。しかしそれでも当たり所が悪く、悲鳴を上げながら倒れ伏す味方兵も増えてきた。味方の銃兵は、まだ射撃を始めていない。射程の短い騎兵銃では、もっと接近しないことには有効弾は期待できない。

 騎兵砲と迫撃砲がその穴を埋めるように、射撃を続けている。騎兵砲は安定して命中するようになってきた。しかし、所詮は前装式。発射間隔は一分に一発程度だ。これでは、敵隊列を粉砕するのはなかなか難しい。だからこそ発射速度に優れる迫撃砲に期待しているのだが……残念なことに、いまだに弾着は安定していなかった。敵隊列の近くに弾が落ちることもあるのだが、所詮は六〇ミリの小口径砲。直撃しない限りは大した効果を発揮できない。

 

「大丈夫なの?」

 

 カリーナが不安の声を漏らした。僕は「大丈夫だ」といって頷き、彼女の頭をぽんぽんと叩く。しかし、僕自身も内臓を直火で炙られているような焦燥を覚えていた。勝てるとは踏んでいる。とはいえ、敵の銃火力は極めて高い。砲撃が安定して命中しはじめる前に、前衛が壊乱してしまうのではないかという不安があった。

 敵の連続射撃は、そんな不安を抱くほどに強烈だった。ライフル兵のみで編成された部隊など、(前世はさておき現世では)僕ですら指揮をしたことがない。彼女らこそが、現時点のこの世界で最も高い火力をもった中隊だと断言できる。こちらの前衛部隊は剣と槍のみでそんな化け物部隊と相対しているわけだから、心配するなという方が無理だ。味方の隊列から悲鳴が上がるたびに、焦燥は深くなっていく。

 

「距離三〇〇!」

 

「カービン兵、射撃開始!」

 

 僕の命令に従い、建物内の味方銃兵が発砲し始めた。流石にこれは効果があった。銃声が上がるたびに、敵兵が数名ずつ減っていく。彼女らの装備している胴鎧は魔装甲冑(エンチャントアーマー)のようだが、腕や足は防護されていない。集中射撃をしかければ、十分な効果があるようだった。とはいえ、まだ距離が遠い。積極的にダメージを与えるためには、もっと接近して撃ちたいところなのだが……残念なことに、敵部隊はそこで足を止めた。

 そこからは、猛烈な射撃戦が始まった。彼我のライフル兵が全力射撃を繰り出す。お互いの火器から放出される白煙で、大通り全体が霧がかかったようになる。騎兵銃の有効射程にはやや遠い距離での戦闘だったが、それを操っているのは辺境伯軍の精鋭騎士だ。しばらくするとコンスタントに命中弾を送り込めるようになり、敵の損害も増えていった。

 とはいえ、対するこちらもタダではすまない。馬車はハチの巣のように穴だらけになって、崩落するものもあった。人員の方も、無事とは言い難い。防御態勢とはいえ、甲冑や盾を貫通されて倒れる者も増えてくる。魔装甲冑(エンチャントアーマー)も無敵ではない。

 とはいえ、彼女らの役割はあくまで盾に徹すること。前衛部隊が敵の攻撃を吸ってくれるぶん、カービン兵たちは邪魔を受けずに火力を発揮できるという寸法だ。もちろんそちらに応射する敵銃兵もいたが、なにしろカービン兵たちは大通り両脇の建物の窓から銃だけ出して射撃しているわけだからな。身体を晒しているのは、照準をつけている間だけだ。装填の間もずっと棒立ちを強いられる敵銃兵に比べると、遥かに安全だった。

 

「いいぞ、もっと……」

 

 被害は大きいが、優勢なのはこちらの方だ。味方を鼓舞しようと叫んだ瞬間、大声で指示を出していた例の砲兵士官が血をまき散らしながら地面に倒れた。どうやら敵の射撃を喰らったらしい。あわてて部下たちが助け起こそうとする。そこに、さらに射撃が加えられる。まともな甲冑も着込んでいない砲兵たちからすれば、たまったものではない。若い兵士が慌てて逃げ出そうとして、下士官がブン殴ってそれを止めた。

 

「……」

 

 嫌な感じだ。僕は深く息を吐きだした。思った以上に、砲兵たちが苦戦している。想定では、もっと遠距離から敵を殲滅するつもりだったのだが……訓練期間が短すぎたのだろう。慣れない兵器を扱ったところで、その性能を十全に発揮できるはずもないからな。

 もちろん、砲兵隊がまるっきり使い物にならなかったとしても、勝てるように作戦は立てている。全身を暴露して戦っている敵銃兵と、建物に隠れながら射撃が出来る味方銃兵、どちらが有利かなど考えるまでもない。今や敵の火力は戦闘開始時から三割から四割ほど減じているが、こちらの銃兵にはほとんど損害が出ていないのである。近いうちに、火力差は逆転するだろう。

 それでも、前衛に過大な負担を強いてしまっているのは事実だ。考えが甘かった。新兵器に期待するべきではないというのは、軍人の常識だというのに……。

 

「迫撃砲隊、次より効力射だそうです!」

 

 そんなことを思っていた矢先だった。手旗を持った信号員が、待望の報告を上げてくる。別に、迫撃砲部隊は適当に砲弾を撃ちまくっていたわけではない。着弾する位置を確認しつつ、照準を修正していた。いわば、『照準のための射撃』だ。しかし次からは効力射……つまり『敵に打撃を与えるための射撃』になる。僕はこの瞬間を待っていた。

 

「ブロンダン様!」

 

 そこへ、伝令が走り寄ってくる。彼女がもたらした報告を聞いて、僕は会心の笑みを浮かべた。これで、やっと反撃に移ることができる。

 

「後衛部隊、乗馬せよ! 敵陣突破の準備だ!」



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第116話 増長中隊長と火力戦

 あたし、エロディ・タレーランは高揚していた。貴族街の大通りを、あたしの中隊が一糸乱れぬ動きで行進している。世界で初めての、銃兵のみで編成されたライフル兵中隊。あたしの夢が結実した、世界最強の兵隊ども。その初陣だ。興奮するなという方が無理がある。

 

「中隊長、あれを」

 

 中隊最先任下士官が、敵陣を指さした。そこには、道路を封鎖するような形で配置されたいくつもの馬車があった。その後ろには、敵兵が防御陣形を組んでいるようだ。

 

「あんなものでは、銃弾は防げませんぜ。向こうもライフルは使ってるって話なのに、そんなこともわからんのですかね」

 

 馬車の中には高位貴族用の御立派なものも混ざっているが、初戦は馬車。木製の車体など、簡単に貫通できる。回転しながら飛翔するライフル弾の貫通力は、従来の球形弾より遥かに高い。

 

「男に指揮された部隊だぞ、まともな判断が出来るはずがないだろうが」

 

 愛用の房飾りのついた兜の位置を直しつつ、あたしはにやりと笑った。

 

「確かに!」

 

 最先任下士官はげらげらと笑う。あたしも同感だった。アルベール・ブロンダン、男の身でありながら騎士になった奇人。ライフルは、この男のお抱え錬金術師が発明した兵器だという。ライフルだけではない。信号砲やらなにやら、様々な便利で革新的な兵器の数々が、この錬金術師の名前で発表されていた。アルベールはそれを使い放題というわけだ、まったく羨ましい。

 強力な武器のおかげで勝利しておきながら、それを自らの成果として喧伝する! まったく、ド汚い人間だ。あたしはあの男が心底気に入らない。

 

「しかし、指揮がマトモじゃないとしても、相手はあの精強で有名な辺境伯軍だ。油断はするんじゃねーぞ」

 

 実際、大通りはひどい有様だった。まさに屍山血河というやつで、折り重なるように大量の戦死者が路上に倒れている。このすべてが、先ほどまでの戦いで死んでいった味方兵だ。地獄のような光景だったが、自然と戦意が沸いてくる。辺境伯軍の連中には、こいつらと同じ目にあってもらわにゃ我慢ができん。とくに、アルベールだ。屈辱的な方法で犯した後、とびっきり残虐に殺してやる。

 

「ええ、そりゃもちろん」

 

 ケトルハット(鉄帽)の具合を直しながら、最先任下士官は頷いた。軽口は叩いても、こいつらはあたしが選抜に選抜を重ねた精鋭兵だ。無様な戦いぶりなど、見せるはずもない。

 しばらく行進し、敵陣までの距離が五〇〇メートルまで縮まると、私は「構え、(つつ)!」と号令を出した。敵を狙い撃つにはやや遠いが、射撃隊形である横隊は一列が三十名に設定している。一度の射撃で三十発の銃弾が発射されるということだ。多少の不利は手数で補えると判断した。

 敵の手札の中で一番怖いのは、大砲だ。どうやら敵は市街地でも使える小型砲と、それに対応した炸裂弾を装備しているらしい。まったく、おもちゃ箱かってくらいポンポン新兵器が出てくるのだから呆れるよ。しかし、大砲とはいえ射程はライフルと大差ない。遠距離戦なら、そう畏れることもないだろう。

 

「これより躍進射撃を開始する。撃ち方はじめ!」

 

 号令に従い、前列部隊のライフルが一斉に火を噴いた。敵は馬車の後ろに隠れている。どうせ正確に狙い撃つのはムリなのだから、弾幕を叩きつけて士気を削ぐ作戦で行こう。

 射撃の終わったライフル兵は、その場で装填を始める。銃口を真上に向け、火薬と弾頭を入れ、棒で押し込む……戦場でやるにはあまりにも悠長な作業だ。手慣れた兵士でも二〇秒はかかる。これは射撃場でやった場合の数字で、様々な悪条件や焦り、恐怖などが邪魔をしてくる戦場では、さらに装填にかかる時間は伸びる。

 だから、装填中の兵士を追い越してさらに後列の兵士が前に出る。そして銃を構え、発砲。さらにその部隊を追い越して、新たな横隊が前に出る。そのころには、最初に発砲した部隊も装填を終えている。これを繰り返すことで、隙間なく弾幕を叩きつけ続けることができるのだ。

 

「……ッと!」

 

 敵の大砲が射撃を開始した。砲弾が隊列近くの石畳に落ちると、大きな音を立てて破裂する。爆炎があたしの頬を撫でた。耳がキーンとなるような爆音に、思わず頭を振る。しかし、あたしの頬には自然と笑みが張り付いていた。砲撃を受けつつも、部下たちは整然と射撃を続けていたからだ。まったく、最高の兵隊どもだ。下手くそめ、どんどん撃ってくるがいいさ。

 もう少しすると、別の大砲があたしたちの部隊に発射されるようになった。独特の飛翔音を立てながら、急角度で砲弾が落ちてくる。発射地点はここからは確認できない。どうやら、小型の臼砲(文字通り臼のような形状の大砲)のようだ。最初は肝をつぶしたが、どうやらこいつは臼砲の例にもれず命中精度がよくないらしい。まったく命中弾が出ないので、思わず鼻で笑ってしまった。

 

「ちっ!」

 

 が、流石にいつまでも無傷とは行かない。敵の小型砲が隊列に直撃し、何人もの兵士が吹き飛んだ。なにしろ肩が触れるほどに密集した兵士たちのド真ん中で砲弾が炸裂するのだから、被害は尋常なものではない。思わず舌打ちが出た。

 

「補充急げ!」

 

 後列の部隊から人員を出して、空いた穴を埋める。こうなることはわかっていたので、予備戦力は大量に引き連れていた。

 

「敵が撃ち始めました!」

 

 報告されるまでもなく、あたしの耳にも敵の発砲音が聞こえてくる。火薬の燃える白煙が、大通りの両脇にある建物の窓から上がっていた。それも、二階や三階の窓だ。厄介な場所に銃兵を配置している。正面の敵からは発砲煙が上がっていないところを見ると、手持ちの銃兵はすべてそっちへ置いているのだろう。

 ほとんど反射的に、そちらへ打ち返す味方兵がいた。射撃を統制する上では、決して褒められた行動ではない。あわてて下士官たちがそれを止める。

 

「……」

 

 一瞬、考え込んだ。正面の敵と左右の銃兵、どちらを先に対処するべきだろうか? ……正面の敵だ。なにしろ、銃兵の方は発砲の直前まで屋内に隠れている。むやみやたらに応射しても、大した効果は無いはずだ。その上、ここは貴族街。とうぜん、敵が潜んでいる建物も貴族の屋敷だ。こちらの反撃が原因で、建物内に残っていた住民や高価な調度品を傷つけてしまったら……たぶん面倒なことになる。効果の薄い攻撃で、そこまでのリスクは冒せない。

 結論としては、さっさと正面の白兵部隊を片付け、銃兵の方は各個撃破を狙うことにした。屋内戦闘になりそうだから、後詰の別部隊に任せた方が良いな。わざわざ銃兵同士が狭い場所で戦うことはない。

 今、我々がやることは敵正面の突破を図り、後方の味方のために道を作ってやることだ。精強な辺境伯の騎士たちも、こうして距離をとって射撃を加えれば反撃すらできずに耐えることしかできなくなる。殲滅は容易だろう。

 

「前進止め! 停止!」

 

 そこで、あたしは部隊の停止させた。ここにいる部隊は下馬した騎兵隊だというから、使っているのは銃身の短い騎兵銃だろう。こちらの歩兵銃に比べれば射程は短いはずだから、この距離を維持して戦えばこちらが有利なはずだ。……できれば、部隊を後退させたいくらいだけどな。でも、敵の射撃を受けつつ部隊を反転させるような真似をすれば、それこそ敗北必至だ。多少銃撃されるくらいは我慢しよう。

 

「……くそ」

 

 そう思って、戦闘を続行したのが間違いだったかもしれない。時間が経つごとに敵の射撃は精密になり、こちらの兵士はみるみる減っていく。胴体は魔装甲冑(エンチャントアーマー)で守っているため少々撃たれたところで大した問題はない。しかし、無防備な手や足を撃ち抜かれ、どんどん倒れていくのだ。手足を失ったからといって、強靭な竜人(ドラゴニュート)は即死したりしない。部下たちが苦悶のうめき声を上げながら地面の上でもだえ苦しむ姿は、あたしをひどく嫌な気分にさせた。

 密集陣形でライフル兵同士が打ちあえば、大きな被害が出る。そんなことは、最初から分かっていた。しかし、被害が出る前に敵を殲滅してしまえば、問題ない。ライフル兵中隊の攻撃力なら、それが可能なはずだった。計算上ではそうだった、はずなのに……。

 

「隊長、そろそろ突撃した方が良いのでは」

 

 さすがに不安そうな様子で、最先任下士官が聞いてくる。……彼女の言うことはもっともだ。これ以上部隊の数を減らされたら、たまったものではない。壊乱する前に、突撃に移るべきだ。

 しかし、あたしはその判断が下せなかった。敵の前衛部隊は、相変わらず馬車の後ろに隠れてこちらの攻撃に耐えている。……そう、馬車が邪魔で敵の被害状況がわからないんだ。もしかしたら、結構な数の敵が生き残っているかもしれない。銃剣(これもアルベールの錬金術師が開発した兵器らしい)を小銃に着剣すれば、銃兵でもそれなりの白兵戦能力があるが……それでも本職の槍兵には敵わない。

 突撃に移るのは、十分に敵が減ってからだ。そうしないと、反撃でこちらがやられる。ここに至って、やっとあたしはアルベールの狙いに気付いた。この馬車群は、弾避けのために置いているのではない。自軍の部隊を隠すための、目くらましだ。しゃらくさい手を使いやがる……!

 

「突撃しましょう、隊長! 手遅れになります!」

 

 緊迫した表情で、下士官が叫んだ時だった。空から、あの甲高い飛翔音が聞こえてきて――



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第117話 くっころ男騎士と騎兵突撃

 迫撃砲は、極めて優秀な兵器だ。砲弾を砲口から『落とす』だけで撃発できるため、従来の大砲に比べて圧倒的に発射速度が速い。さらに反動をすべて地面に受け流す構造であるため、発砲しても照準がずれないというメリットがある。

 僕たちが持ち込んだ迫撃砲の発射速度は、最大で一分間に二十発以上(ただし持続射撃の場合は一分に十発未満)。これが、六門ある。そして、ガレア王国軍では一個中隊の定数は百二十名と決まっている。……つまり迫撃砲部隊が本気になれば、一分あれば敵兵一人に付き一発の六〇ミリ榴弾を配達することが可能だということだ。

 

「迫撃砲、全力射撃!」

 

 用意してもらった軍馬に跨りつつ、僕は叫んだ。まもなく、大気を引き裂くような飛翔音とともに砲弾の嵐が敵横隊に叩きつけられる。『次より効力射』という言葉は嘘ではなかった。初弾はいきなり敵部隊のド真ん中に着弾し、続く射撃もそれに近い位置に落ちていく。

 迫撃砲弾は六〇ミリという小さなものだから、一発一発は大した威力ではない。しかし、それがすさまじい勢いで大量に叩きつけられるのだからたまったものではない。鼓膜を突き破りそうな連続した炸裂音が響き、砲声に慣らしてあるはずの軍馬がうろたえるほどだ。

 とうぜん、棒立ちの状態でそんな攻撃を叩きつけられた敵ライフル兵中隊は、目を背けたくなるような悲惨な目にあっていた。バラバラになった人間がおもちゃのように吹き飛び、死んでいく。肩を寄せ合うような密集陣だから、味方が邪魔になって逃げることすらできない。敵隊列は、熱湯をかけられた砂糖の塊のように溶けていった。

 

「ぴゃああ……」

 

 その凄惨な有様を目にしたカリーナが悲鳴を漏らす。……子供にはこんな光景を見せたくなかったな。でも、火力で一方的に叩きのめすやり方が一番味方の損耗が少ないんだ。辺境伯から預かった騎士たちを、これ以上殺すわけにはいかない。

 

「前衛は、隊長が戦闘続行可能だと判断した小隊のみ突撃準備! それ以外は下がれ!」

 

 当たり前だが、こんな状況で射撃を続ける敵兵はいなかった。今のうちに、部隊の配置転換を行っておく。射撃で敵の隊列を崩し、突撃でとどめを刺す。戦術の常道だ。

 前衛部隊は敵の猛射を浴び、ひどい有様になっている。できれば、全部隊を下げたいくらいだった。しかし、彼女らは反撃もできないままここまで耐えたのだ。敵にやり返してやりたい気持ちは強いだろう。まだ戦闘力を残している部隊に関しては、フラストレーション解消を兼ねて暴れてもらおう。

 

「迫撃砲、打ち方やめ!」

 

 準備が整ったところを見計らい、射撃停止を命令する。すでに、敵隊列があった(・・・)場所は、戦場というより死体置き場といったほうが正しそうな有様になっている。ここまでくれば、もはや突撃をかける必要もない。だが、それでも僕たちには進むべき理由があった。信号員が「砲撃終了!」と叫ぶ声を聞き、僕はサーベルを振り上げた。

 

「これより敵の封鎖を突破し、王城前広場へ突撃を敢行する。総員、我に続け!」

 

 猛烈なまでの鬨の声があがる。僕はその声に背中を押されるようにして、馬の腹を蹴った。ボロボロになった馬車群をすり抜けつつ、味方騎兵と共に前に出る。わずかに生き残った敵銃兵がなんとか立ち上がり、迎撃しようとする。だが、一発二発の銃弾では突撃の奔流をとめることはできない。

 

「進めーっ!」

 

 敵兵の死体を踏みしめ、前進を続ける。折り重なった戦死者の隙間から、立派な房飾りがついた兜を被った女が這い出して来るのが見えた。隊長か何かだろうか? 生かして返すわけにはいかない。すれ違いざま、サーベルを使ってその首を叩き落した。

 血の池地獄と化した大通りを抜け、僕たちは王城前広場へと急いだ。広場への入り口は敵兵によって封鎖されていたが、バリケードなどがないのは確認済みだ。構わず、敵兵の集団へと突っ込む。パンパンと銃声が聞こえた。カービン騎兵たちが乗馬したまま射撃を始めたのだ。

 

「ウワーッ!」

 

「逃げろ! わたしたちまで吹き飛ばされるぞ!」

 

 反乱軍の兵士たちは、泡を食って逃げ出し始める。ライフル兵中隊のたどった悲惨な最後は、彼女らのほうからも見えただろう。敵と勇壮に戦っていた部隊が、突然大量爆死したのだ。恐慌を起こすなという方が無理がある。

 ベテランの下士官たちが慌てて兵を統制しようとしていたが、もう遅い。先鋒を務める槍騎兵たちが、その長大な馬上槍を敵兵にお見舞いする。あちこちから悲鳴が上がり始めた。こうなればもう、歩兵部隊で騎兵を止めるのは不可能だ。

 

「ワハハハハッ! 痛快ですねえ! やはり突撃こそ騎兵の華。待ちに待った瞬間ってヤツですよ」

 

 馬に跨ったトウコ氏が傍により、戦闘の高揚を露わにした声で言う。……この人、前衛で敵の滅多打ちに耐えてたはずなんだがな。いつの間に馬を用意したのか知らないが、ずいぶんと元気そうだ……流石竜人(ドラゴニュート)、流石精鋭辺境伯軍といったところか。尋常なバイタリティじゃないな。

 それはさておき、敵はすでに壊乱をはじめている。砲声、銃声、そして悲鳴。あらゆる戦場音楽が、僕たちの味方に付いていた。反乱軍兵を追い回す騎兵の姿に、無事な部隊の兵士すら恐怖を覚えて持ち場から逃げ出しつつある。

 実際のところ、騎馬突撃といっても騎兵中隊の全員が参加できたわけではない。反転攻勢は突然だった。前衛部隊のほとんどは軍馬を用意する暇がなかったため、まだ大通りの馬車陣地にとどまっているはずだ。そのため突撃に参加できたのは少数の後衛部隊のみ。簡単に敵陣を突破できたのは、派手な砲撃を見たせいで敵がビビっていたからだ。

 

「耐えるだけの時間は終わりだ! 食い散らかすぞ!」

 

 こんな小部隊では、敵陣に突っ込んだところですぐに反撃を受けてやられてしまうだろう。そんなことは分かっているが、僕は笑みを顔にはりつけそう叫んでいた。その理由はただ一つ。背後から聞こえてくる、うるさいくらいの鬨の声だった。我々の突撃に呼応し、増援が現れたのである。

 増援の数は、三個歩兵大隊。そう、味方歩兵部隊がやっと到着したのだった。味方部隊接近の報告を受けた僕は、その場で突撃を決心していた。騎馬突撃で突破口をあけ、そのまま敵の本陣である王城前広場に主力部隊とともになだれ込もうという作戦である。その作戦は、見事に成功しつつあった。



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第118話 くっころ男騎士と想定外

 持久体制から一転、全力の攻勢をしかけたこちらの動きに、パレア第三連隊は対応しきれなかった。彼女らの主力はもともと、王城の守備兵と戦っていたのだ。それがいきなり横合いから殴られたのだから、たまったものではないだろう。

 

「王城前広場から敵を駆逐する。突撃!」

 

 やっとのことで到着した歩兵大隊に、僕はそう命じた。遅れたことを詫びるように、歩兵隊は奮戦する。そうこうしているうちに、別の大通り二か所からも新たな歩兵大隊が突入してくる。この合計三個歩兵大隊が、僕たちの主力だ。これだけの軍勢が揃えば、戦力的には敵大隊とまったく互角だ。もはや防御的に立ち回る必要などまったくない。

 王城前広場は、ガレア王国の歴代の英雄の銅像が立ち並ぶ荘厳な公園として整備されている。荘厳かつ広々とした王都民の自慢の広場は、百人単位の部隊同士がぶつかり合う激戦区と化していた。

 

「進め進め! 後れたぶんは戦働きで挽回しろ!」

 

 歩兵部隊の指揮官が、唾を飛ばしながら命令する。一個大隊は、定数三百六十名。平時ゆえの予算不足や行軍中の落伍者の為にこの部隊は定数を満たしていないが、それでも数百人が一斉に敵に攻撃を仕掛ける様は壮観だった。

 僕の前世の役職は、中隊長。部下は百数十名だった。しかし、今は合計で千人以上の兵士が僕の指揮下に居る。もちろん彼女らは借り物の部隊だし、僕自身も正式な指揮官という訳ではない。しかし、それでも現実として僕の指示一つで兵隊千人が進んだり退いたりするのだ。背筋にはゾクゾクとした快感が走っていた。前世から続く夢の先に、今の僕は居る。

 

「戦闘をこなしてきた様子はないが、いったいどうして遅れたんだ? ああいや、責めているわけではない。部隊がすべて予定通りの時間に到着するなんて、ありえないことだからな」

 

 とはいえ、いつまでも興奮しているわけにはいかない。突破口を開くための突撃を完遂し、味方歩兵部隊の後方へと戻ってきた僕は、手近にいた若い士官にそう聞いた。この大隊だけではなく、すべての歩兵部隊が予定より大幅に遅れて到着したわけだからな。それなりの理由があるはずだと考えたからだ。

 

「避難民の大群に巻き込まれたんですよ。平民街のほうは、ひどいことになってます」

 

「何だって!?」

 

 顔色を変えて聞き返したのは、先ほど合流したばかりのスオラハティ辺境伯だった。僕自身も、顔から血の気が失せた。

 

「避難民だって? 国王陛下の名前で戒厳令を出してるんだぞ。いったいどうして家の外に出てくるんだ」

 

「そう思って、私も尋ねてみたんですがね。貴族街の方から、パンパン、パンパン聞きなれない音がするもんだから……戦術級の魔法の打ちあいになってるんじゃないかって、避難民たちのほとんどがそう言ってました。そんな状態じゃ、家の中も安全じゃないって……」

 

「なにっ……!」

 

 僕は、反射的に頭を抱えそうになった。そりゃ、当たり前だ。小銃や大砲を用いた戦争なんか、この世界の住民は未経験だ。剣や槍をぶつけあい、弓矢と魔法を撃ち合うのがこの世界の伝統的な戦い方である。異様な音を出したら、そりゃ派手に魔法戦をやっていると思われてしまう……。その不安感が、流言飛語を産んだのだろう。完全に僕の計算ミスだった。

 

「避難民は、どの程度居るんだ」

 

「たくさんですよ、たくさん。平民街の大通りは、避難民でいっぱいになってます。とても進軍なんかできないような有様で……味方の翼竜(ワイバーン)隊が助力を申し出てくれましてね。その誘導に従って、やっとのことで王城前広場までたどり着けたんです」

 

「面倒なことになったな」

 

 顔を引きつらせて、辺境伯が言った。彼女は腕組みをしたまま、ちらりとアデライド邸のほうを見る。周囲の建物より頭一つ高いその屋敷は、王城前広場からもよく見える。その屋根には、相変わらず手旗信号員が待機していた。迫撃砲の発砲音も聞こえる。

 前線には手厚い火力支援が続けられていた。迫撃砲弾を喰らって防御陣形が維持できなくなったところに、味方歩兵部隊が突っ込んでいくのだ。戦闘は一方的だった。

 

「純軍事的に見ても、よろしくない。火薬庫は郊外にあるからな。避難民があふれて交通がマヒすれば、補給が受けられなくなる。……それだけならまだいいが、統治的に見てもこのままでは不味い。反乱の鎮圧が終わるころには、王都の治安はめちゃくちゃになってしまっているかもしれないぞ」

 

「混乱によって少なくない数の死傷者が出るでしょう。それに、火事場泥棒の類だって……。しかし、衛兵隊だけで事態を収拾するのは難しいですね」

 

「ああ。軍が出動しないことにはどうしようもない」

 

 しかし、そんなところに人員を割いている余裕はどこにもないのである。僕と辺境伯はそろって考え込んだ。

 

「話は聞かせていただきました」

 

 そこへ、静かだが力のこもった声がかけられた。そちらへ顔を向けると、腕を三角巾で吊ったままのフィオレンツァ司教が、ふらふらと歩いてきていた。後ろには、お供の修道女の姿もある。

 

「フィオレンツァ様! いけません、こんな前線に出てきては……」

 

 状況は有利とはいえ、熾烈な戦闘はいまだに続いている。ここは比較的後方だが、どこからか流れ矢が飛んでくるかもしれない。

 

「男のアルベールさんが戦っているのです。女である私が、いつまでも後ろで震えているわけにはいきません」

 

「……」

 

 そう言われてしまうと、ぐうの音も出ない。僕が黙り込むと、司教はにこりと柔らかく笑った。

 

「避難民の方ですが、我々に万事お任せください。大聖堂には、総出で混乱の収拾にあたるようすでに指示を出しています」

 

「……」

 

 辺境伯が静かに息を吐いた。借りを作りたくない相手に借りを作った、そういう表情だ。しかし、背に腹は代えられない。今はとにかく、一刻を争う状態なのだ。

 

「仕方がないか。司教様、よろしくお願いします」

 

「ええ、ええ。もちろんです」

 

 笑顔のまま、司教は深々と頷いた。そして顔を青くして、「イタタ……」と小さくうめき声をあげる。戦闘に直接参加したわけでもないのに、満身創痍だな。まあ、僕の不注意と義妹の突進が原因の怪我なのだから、申し訳ないことこの上ないが……。

 

「とにかく、今は王城の解囲に全力を尽くしましょう。戦闘が終われば、民衆も落ち着きを取り戻すでしょうから」

 

 そのためには、まずパレア第三連隊の撃破だ。敵は彼女らの他にもいるが、第三連隊こそがオレアン公派部隊の中核であるのは確かだ。こいつを倒してしまえば、状況ははるかに改善するだろう。

 

「逆に考えると、これは敵の策かもしれないな。状況が不利になったので、手段を選ばずこちらの足を引っ張ろうと……」

 

「まさか、とは思いたいですが……敵の善性に期待するべきではありませんね。その可能性も考慮すべきでしょう」

 

 なにしろ、相手はあのオレアン公だしな。汚い手を使うことに、躊躇はないだろう。

 

「相手の思惑に乗らないためにも、今は速攻あるのみか。そろそろ敵も態勢を立て直して、本格的に反撃をしてくるだろうが……どうする?」

 

「当然、考えてあります。王城の方に信号弾で連絡を入れました。もう少しすれば、跳ね橋が下りて近衛騎士団が出撃してくるはずです。敵の注意が近衛騎士団に向いている隙に……」

 

「大攻勢を仕掛ける?」

 

 難しい顔をして、辺境伯は人差し指をぐるぐると回した。

 

「もちろん。しかし、本命はそちらではありません。末端の兵士をいくら殺しても、仕方がありませんから。そこで、騎兵隊にもうひと頑張りしてもらうことにしました」

 

「迂回して本丸を一気に落とす気か。確かに、兵たちは上官の命令に従っているだけだ。本心から王に矛を向けている兵士など、ほとんどいないだろう。頭さえ落としてしまえば、それ以上抵抗はすまい……」

 

「ええ、その通りです」

 

 ライフル兵隊との戦闘で大きな被害を被った騎兵中隊主力も、すでに再編成を終えている。これを使って、僕は敵連隊長を直に狙いに行く作戦を立てていた。



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第119話 秀才連隊長の決心

 わたし、ジルベルト・プレヴォは、香草茶を飲み干してから大きく息を吐いた。わたしは、人生の大半を軍務に捧げて生きてきた。その経験により磨かれてきた感覚が、自分たちに破局が迫っていることを知らせていた。部下たちも、同様の感覚を覚えているのだろう。わたしたちの居る指揮用天幕の下には、鉛のように重い空気が流れていた。

 

「前線はほとんど崩壊状態です。未確認の新型砲……らしきもので前衛は滅多打ちにされ、統制もままなりません。さらに、王城から出撃してきた近衛騎士団が後方で暴れており……いや、後方といいますか、先ほどまでの前線なのですが」

 

 伝令士官が、ひどく言いづらそうな口調で説明する。

 

「要するに、どちらが前でどちらが後ろかもわからないほど戦場は混乱しているということだな」

 

 香草茶のカップを叩き割りたい衝動をこらえつつ、わたしはそう言った。もはや、戦場は制御不能な状態になっている。これが二正面作戦の末路か。まあ、そうもなるだろうな。ブロンダン卿の部隊と接触した時点で王城の包囲を解き、戦線を整理するのが正着だったのだろう。

 ……いや、その場合はもう二度と王城の包囲はできなかったかもしれない。結局、一番の問題は戦力不足だ。クーデターに参加した部隊は我々だけではないが、それらの部隊は妙に動きが鈍い。おまけに、街に避難民があふれるようになってからは、連絡すらできない状態になっている。連携した作戦行動を行うなど、不可能だ。

 我が連隊が単独で動いている限り、ブロンダン卿の部隊と正面から戦えば必ず負ける。兵士の質は同じ程度だろうが、武器の差が大きい。もしかしたら、指揮官の差も……。この差を埋める手段を、わたしは持ち合わせていなかった。

 

「とにかく、今は統制を取り戻すべきです。遅きに失した感はありますが、いったん退いて部隊を再編制したほうがよろしいでしょう。こんな状態で戦っても、被害がむやみに増えるだけです」

 

「こんな状態で撤退などしたところで、それは潰走と変わらないだろう! それこそ、余計な損害を被ることになる!」

 

 参謀が意見を出すと、また別の参謀がそれを激しく否定する。先ほどから、こんなことがずっと続いていた。混乱しているのは前線だけではない、ということだ。並み居る参謀たちも、そしてわたし自身も……この状況を打破できるような名案は持ち合わせていなかった。

 『とにかく部隊を安全な場所まで撤退させて態勢を整えるべき』……正しい。『この状況で敵に背中を見せれば、挽回不能なレベルの損害が出る』……これも正しい。つまり、どんな選択肢を取ろうが、結局大きな人的被害が出るということだ。蛮族や敵国の暴威から主君と衆民を守護する役目を追っているはずの兵士たちが、こんな無為な戦いで大勢死ぬ。本当に馬鹿らしい……。

 

「そういえば、オレアン公とイザベル様はいずこにおられるのですか?」

 

 そんなことを考えていると、参謀の一人が聞いてきた。オレアン公と、その嫡女であらせられるイザベル様、この反乱の首謀者とも言える二人は、姿をくらませたままだ。体調不良を理由に登城しなかったオレアン公はもちろん、王城に居たはずのイザベル様もわたしたちの前には一度も現れてない。

 もちろん、イザベル様は王城内で近衛騎士団に捕縛されたわけではないだろう。もし宰相派閥がイザベル様の身柄を押さえているのなら、こちらにむけて喧伝してくるはずだからな。そちらの方が、話が早くて良いのだが……。まったく、人に嫌な仕事を押し付けて……お二人は、いったいどこへ行ってしまったというのだろう?

 

「……」

 

 わたしが黙り込んでいるのを見て、参謀たちも釣られたように口を閉じた。先頭に立って旗を振るべき人々が、なぜ姿を見せないのか。まさか、逃げたのでは……そういう嫌な想像が、周囲に伝染してしまったのだろう。……嘘でも、オレアン公やイザベル様は別の場所で戦っていると言うべきだっただろうか? 

 確かに、この戦いに勝ち抜くためには嘘でもなんでもついて兵を鼓舞するべきだ。しかし、この状況から挽回しようと思えば、多大な努力と犠牲が必要だ。そのコストを支払うだけの気力は、もはやわたしにはなかった。こんな無意味な戦いで、兵たちに死兵になれと命じることができるような厚顔無恥さは、持ち合わせていないのだ。

 

「……」

 

「……」

 

 その沈黙は、重い帳のようだった。静かな指揮所の中と対照的に、戦場は騒がしい。前線の方からは、ひっきりなしに銃声と砲声、そして兵たちの悲鳴が響いてくる。確認せずともわかった。悲鳴を上げているのは、こちらの兵士たちだ。

 ああやって、虎の子のライフル兵中隊も壊滅したのだろう。百数十名いた兵士も、中隊長のエロディも、誰一人帰ってこなかった。エロディは調子に乗りやすいという悪癖はあったが、決して悪い指揮官ではなかった。まだ開発されたばかりの新兵器を大胆に採用し、新戦術を作り上げる……こんなことは、並みの指揮官ではできない。惜しい人材を亡くしたものだ。

 

「どうされますか、連隊長」

 

「……」

 

 参謀が捨てられた子犬のような表情で問いかけてきたが、そんなことはわたしが聞きたいくらいだ。この状況で、わたしに何が出来る、なにをやるべきなのか? 小さく息を吐いて、懐から煙草入れを取り出した。表面に精緻な文様が刻印された、銀製のものだ。

 ……そういえば、この煙草入れは初陣の直前に父上から贈られたものだったな。鼻の奥がツンとして、反射的に目を逸らした。手の感覚だけを頼りにして一本取り出し、口にくわえる。従士が慌てて火縄を持ってきたので、それを使って先端に火を灯した。

 

「ふう……」

 

 これがわたしの人生最後の煙草になるだろうな。そんな考えが頭をよぎるころには、わたしの考えはすでにまとまっていた。煙草をつまむ自身の指が小さく震えているのを見て、思わず笑う。多くの兵を死地に送っておきながら、自分が死ぬのは怖いのか。我ながら情けない女だ。

 

「これ以上、余計な死者を出すわけにはいかない。戦っているのは、王国軍人同士なんだ。こんな事態になって得をするのは、ガレア王国の敵だけだろう。だから……」

 

「北西大路の部隊より伝令! 騎兵部隊による攻撃を受けているようです」

 

 そこへ、息を切らせた伝令兵が飛び込んでくる。参謀たちの間に、緊張が走った。現状ですら、我々の部隊の対処能力はパンクしているんだ。さらに新手が現れたとなると、もうどうしようもない。予備戦力なんて、とうに払拭しているんだ。迎撃すらままならないまま、北西大路は突破されるだろう。

 

「未確認情報ですが、敵部隊の先頭には青薔薇の紋章付きのサーコートを着た騎士が居たという情報もあります」

 

「青薔薇の紋章? ブロンダン家の家紋じゃないか。指揮官先頭とはな、男騎士の癖に気張るじゃないか……」

 

 参謀のひとりが、笑いながら言った。その声音からは、自分たちの前には姿も現さないオレアン公爵家の連中への恨み節がはっきりと感じられた。

 ……北西大路といえば、私たちのいる連隊指揮所に最も近い大通りだ。どうやら、ブロンダン卿も気付いたらしいな。もっとも少ない犠牲でこの無意味な戦いを終わらせる方法に……。

 

「いいタイミングだ。迎撃はするな、ブロンダン卿の部隊は素通ししろ」

 

「は、しかし……」

 

 何か言い返そうとする伝令兵を手で遮ってから、わたしはまだ吸い始めたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。まったく、残念だ。この一本を吸い終わるまでは、待っていて欲しかったな。

 

「白旗を用意しろ。このクソみたいな戦いに終止符を打ってくる」

 

 

 

 



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第120話 くっころ男騎士と降伏

 白旗を掲げてこちらに近づいてくる一団を見た時、僕は思わず安堵のため息を吐きそうになった。時刻はすでに夕方で、王都の白い街並みは夕日に照らされ真っ赤に染まっている。夜戦ってヤツは不意打ちは受けやすいし同士討ちの可能性も高いしロクなもんじゃない。できれば避けたいところだった。竜人(ドラゴニュート)は夜目の利きやすい種族だが、それでも限度はあるんだよ。

 とはいえ封鎖されていたハズの大通りを素通しされ、何の抵抗もなく敵本営の真後ろに出られた時点でこうなることは何となく予想がついていた。敵側も戦闘が夜になっても終わらないような事態は避けたかったのかもしれないな。

 

「総員停止!」

 

 率いてきた騎兵隊を止め、敵の指揮官と思わしき女性に会釈する。彼女は兜も被っておらず、気丈な表情が浮かんだ顔が露わになっていた。その顔は、確かにパレア第三連隊の隊長、ジルベルト・プレヴォ氏で間違いなかった。直接面識があるわけではないが、僕も王都暮らしの騎士だったわけだからな。顔を見る機会は多少あった。

 

「話し合いがしたい!」

 

 ジルベルト氏が大声で叫んだ。前線では、まだ壮絶な戦闘が続いている。響いてくる銃声や砲声のせいで、声が聞き取りづらいことこの上なかった。

 

「承知しました! こちらへゆっくり歩いて来てください!」

 

 おそらくは、降伏か休戦の申し入れだろう。時間稼ぎ、あるいは話し合いのフリをしてこちらの油断を誘う可能性も無きにしも非ずだが……とにかく、話を聞いてみる価値はあるだろう。

 ジルベルト氏はおとなしく指示に従い、旗手と従士だけを伴ってこちらに歩み寄ってきた。相手に感付かれないよう気を付けながら、腰の拳銃を確認する。万一に捨て身の攻撃を仕掛けられても、対処できるようにしておかねばならなかった。何しろ一回暗殺じみた攻撃を仕掛けられてるわけだからな。二回目があってもおかしくないだろ。

 

「パレア第三連隊、連隊長のジルベルト・プレヴォと申します。一応、始めましてになりますか」

 

 しかし、結局銃を抜く機会は訪れなかった。彼女は指示通りゆっくり僕たちの前に歩み寄り、一礼する。僕も覚悟を決めて、馬から降りた。馬上で返礼するのは非常に失礼な行為だ。たとえ敵同士でも、相手の名誉は尊重する必要がある。

 

「アルベール・ブロンダンです。パーティやパレードで何度かお目にかかったことはありますが、直接会話するのはこれが初めてですね。お会いできて光栄です、プレヴォ郷」

 

 僕よりやや高い位置にある彼女の顔を見上げながら、握手をする。

 

「アルベール卿、単刀直入に申しますが……」

 

 本来ならば、挨拶をした後は社交辞令を交わすのが貴族のマナーである。しかしジルベルト氏は前線の方をちらりと見てから、いきなり本題に切り込んできた。失礼だとは思わない。僕だって、自分の部下が戦っている中で長々と無意味な会話に興じるような趣味はないからな。

 

「条件付きで、降伏に応じる用意があります」

 

 なるほど、休戦ではなく降伏か。パレア第三連隊は、現状では確かに劣勢に立たされている。しかし、もう一押しすれば簡単に倒すことが出来る……などということはない。第三連隊が苦戦しているのは、僕たちと近衛騎士団、二つの部隊と同時に戦っているからだ。

 いったん王城前広場から撤退し、部隊を再編制すればまだまだ戦えるはずだ。他の味方部隊と合流すれば、王城前広場の再奪還だって不可能ではないだろう。極論、彼女らは時間稼ぎさえ成功すればそれで勝ちなんだからな。指揮官さえやる気なら、どうとでもなるはずなのだが……。

 

「条件付き、ですか。内容はどういったものでしょうか?」

 

「わたしがこの首を差し出しますので、部下たちはどうか許していただきたい。命令を出したのは私なのですから、そのすべての責任はわたしが取るべきなのです」

 

「……」

 

「我が連隊の兵士たちは、ほとんど全員が王都やその近郊で生まれ育った者たちです。国王陛下に対する叛意など、あろうはずもございません。わたしが、オレアン公爵家の傍流の出身であるわたしが命じたからこそ、彼女らは武器を取ったのです。責任を負うべき人間は、わたし一人なのです」

 

 なるほどな。……うん、なるほど。そう来たか。もともと、責任感の強いひとだったんだろう。部隊の兵士たちをこれ以上死なせないためには、ここで降伏するしかないと判断したわけだな。たしかに、これ以上戦闘を継続すれば泥沼じみた状況になるのは間違いない。負けはしないが勝てもしない戦いが長々と続き、兵士の被害はどんどん増える。僕だって、そんな状況は勘弁願いたい。

 

「ブロンダン卿、わたしは貴方の命を直接狙うような作戦を実行しました。さぞお怒りのことだと思います。そのことについては、弁明のしようもありません。しかしどうか、お慈悲を頂きたく」

 

 ジルベルト氏は、地面に膝をつこうとした。土下座をするつもりだ、そう直感した僕は慌てて彼女の肩を掴んでそれを阻止した。……彼女は武装解除もしていない。むやみに近づくのは危険だ。そんなことは僕だってわかっているが、ほとんど反射的に動いてしまった。幸いにも、ジルベルト氏が僕に襲い掛かってくることはなかったが……。

 

「やめてください、連隊長殿(カーネル)! 謝ってもらう必要などありません!」

 

 ここは敵陣で、僕たちの周りには彼女の部下が大勢いるのだ。部下の前で土下座などすれば、士官としての威厳など吹き飛んでしまう。つまり、部下が言うことを聞いてくれなくなるということだ。そんなことは彼女も理解しているだろう。指揮官としての地位を投げ捨ててでも、部下の助命を優先する。そういう判断がなければ、こんな行動はとれない。ジルベルト氏は本気だ。

 僕は泣きたい気分になってきた。なぜこのような立派な将校と、敵味方に別れて戦わなければならないんだ。本来なら、味方だったはずなのに……。この人と(くつわ)を並べて戦えていたら、さぞ心強かっただろうに。

 

「万事承知いたしました、このアルベールにすべてお任せください。とにかく、今はこのくだらない戦いを早く終わらせましょう。味方同士で殺し合うほどバカげたことはありません」

 

「感謝いたします……!」

 

 大きく息を吐いて、ジルベルト氏は頷いた。その目には、確かな安堵の色があった。

 

「指揮下の部隊に即時停戦命令を出します。そちらも矛を収めて頂けますか?」

 

「ええ、もちろん」

 

 こうして、王城前広場の戦闘は夜を待たずして終結したのだった。



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第121話 くっころ男騎士と休養

 反乱に加担したことに対して一切の責任を問わないことを明言すると、パレア第三連隊のほとんどの兵士たちは大人しく投降を受け入れた。そもそもの話、第三連隊以外の部隊も含めると反乱に参加した兵士は二千人を超えるだろうからな。これら全員を投獄したり処刑したりするのは、現実的ではない。王軍の戦力が大幅に低下してしまう。

 とはいえ、流石にそのまま放置しておくことはできない。なにしろ、平民街の避難民騒ぎはまだ続いていたからな。駐屯地に返すことすらままならない状況だ。とりあえず一時的な武装解除の上、今日のところは路上で野営させることに決めた。

 それらの処理が終わったころには、すでに夜中になっていた。この世界では街灯はまだ生まれていないから、街を照らしているのは月と星だけだ。ハッキリ言って、部隊を組織だって運用できるような状況ではない。避難民たちがひどく気になったが、今日のところは僕たちも休むことになった。

 

「う、うわあああああっ!? 私の屋敷が!?」

 

 僕は野営でも構わなかったのだが、辺境伯は「せっかく街中なのだから、できれば屋根のある場所で寝たい」と言い始めた。まあ、それもその通りである。そこで、ちょうど手近にあるアデライド宰相の屋敷で一泊させてもらうことにしたのである。……が、よくよく考えれば宰相閣下のご自宅は戦場になっていたわけだ。それはもう、ひどい有様になっている。

 正門は砲撃で吹っ飛ばされているし、屋敷の中も鮮血の跡が生々しい。家具や調度品もひどく損傷し、廃屋の方がマシなんじゃないかとすら思えるような状態だ。包囲解除に伴い、やっと帰宅することが出来たアデライド宰相は屋敷に入るなり顔を真っ青にしてぶるぶると震え始めた。

 

「ああっ、大溟(ダイメイ)帝国から仕入れた壺が! はわっ!? サマルカ星導国で描いてもらった肖像画も! ああ、ああ、なんてことだぁ……」

 

「大変申し訳ありません」

 

「悪かったとは思っている……」

 

 半泣きになりながらうろたえるアデライド宰相に、僕とスオラハティ辺境伯は平謝りすることしかできなかった。反乱軍に占拠されていたアデライド邸だが、その時点では大きな混乱もなかったため屋敷はそう荒れていなかった。こんな状況になったのは、僕たちの部隊が突入したせいである。

 僕たちが居るのは、アデライド邸の正面ホールだった。豪華だが成金趣味のうかがえる落ち着かない空間だったその部屋は、いまや荒れに荒れたひどい有様になっている。宰相お気に入りの美術品の数々もズタボロだ。屋敷を制圧下反乱軍部隊は比較的淑女的(・・・)な連中だったお陰で、使用人たちは無事だったが……みな疲れ切っているので、片付けも後回しにされている。

 

「うう……い、いや、君たちを責めるのはお門違いだろうが……しかしこれは……高かったのに……ああ……」

 

「家族や使用人は誰一人ケガもしてないんですから、別にいいじゃないですか。買いなおせばいいんですよ買いなおせば」

 

 ヘラヘラと笑いながらそんなことを言うのは、宰相の護衛兼腹心の騎士、ネルだった。竜人(ドラゴニュート)としては珍しく小柄な彼女に抱き着いた宰相は、そのままギリギリと締め上げた。

 

「理屈としてはその通りだが貴様の態度が気に入らんわーっ!!」

 

「グワーッ!!」

 

 悲鳴を上げるネルだが、この程度で強靭な竜人(ドラゴニュート)が痛みを感じるはずもない。単なるじゃれ合いだろう。僕は少し笑って、肩から力を抜いた。アデライド宰相は、コントめいたやり取りで僕たちの緊張を抜こうとしてくれているのだろう。忙しいばかりでいい事などまったくない一日を過ごしてしまったせいで、全員疲労もストレスも溜まっている。

 

「いや、本当にすまないな」

 

 くたびれた笑みを浮かべつつ、辺境伯は肩をすくめた。汗を流すため、彼女はさきほどまで風呂に入っていた。そのせいで、ソニアと同じ色合いの空色の髪はしっとりと濡れている。風呂上がりの妙齢の美女……めちゃくちゃ色っぽいよな。いや、親友の母親にそんな感想抱いちゃイカンのだけども。

 

「まあ、仕方ないというのはわかるが……はあ」

 

 ため息を吐いてから、アデライド宰相はネルから身体を離した。

 

「ところで、ヤツが風呂から出てくる前に相談しておきたいのだが……明日以降はどうするつもりなのかね?」

 

 ヤツというのは、おそらくフィオレンツァ司教だろう。王城は解放できたので、彼女には大聖堂に帰ってもらおうとしたのだが……まだ自分の仕事は終わっていないと言われてしまった。どうやら、司教もこの屋敷で一夜を過ごそうというハラらしい。それを知ったアデライド宰相は、露骨に嫌そうな顔をしていた。

 

「第三連隊は撃破したが、反乱部隊は他にもいる。そちらの鎮圧に回りたいところだが……街の避難民たちが問題だな」

 

 スオラハティ辺境伯は困ったような表情でそう答え、僕の方に目配せした。

 

「偵察部隊を送りましたが、平民街の方は本当にひどい有様みたいですね。日が暮れてからも、混乱は収まっていないようです。今は手すきになった近衛騎士や大聖堂から派遣された司祭たちが治安維持活動にあたってくれていますが……どう考えても手が足りませんね。明日以降は、我々も手を貸すべきでしょう」

 

 本音を言えば、僕たちの部隊もすぐに平民街に向かいたかったのだが……激戦の後だ。兵士たちは皆疲れ切っている。しっかり休ませないことには、行軍すらままならない。それに、実戦直後で気の立っている兵士たちを、民間人の誘導に充てるのはなんだか怖いからな。

 代わりに治安出動したのは、近衛騎士たちだった。彼女らも疲れ切っているのはこちらと同じだろうが、国王陛下の鶴の一声があった。このクーデターによって、王家の威信が揺らぐことを恐れているのだろう。王家の紋章を背負った近衛騎士団たちを積極的に動かすことにより、民に安心感を与える作戦だという。まあ、イメージ戦略だな。

 

「そうなると、戦力を分散せざるを得ないわけか。厄介だな」

 

 辺境伯は不満げに唸った。大量の避難民が、一気に街の出口に集まっている状況だからな。そいつらを全員家に連れ戻そうと言えば、人手はまったく足りない。反乱軍の鎮圧をしつつ、避難民の誘導もする……現状の戦力では、ほぼ不可能に近い。治安維持に忙殺されている間に、再び王城が包囲される事態もありうる。

 

「一応、いくつかアイデアはあります。明日の朝までに、作戦としてまとめておきます」

 

 すでに時刻は夜中だ。そんなことをしていたら、寝ている時間は無くなるが……まあ、体力には自信がある。一日二日程度の徹夜なら、どうということはない。寝不足で指揮に影響が出る可能性は否定できないが、無策のまま明日を迎えるのはもっと不味いしな。

 

「すまないが、頼む。それから……」

 

 スオラハティ辺境伯の言葉を遮るようにして、誰がの腹から大きな音が鳴った。アデライド宰相が顔を真っ赤にして「すまん」と言った。

 

「昼から何も食べていないのでな……夕食、いや、夜食の準備はまだなのか?」

 

 恥ずかしさを誤魔化すように、宰相は近くに居た使用人に聞いた。空腹なのは、僕も一緒だ。早くメシにありつきたいのだが……。

 

「アッ! ……申し訳ありません、食事の用意ですが……できません」

 

「エッ!?」

 

「備蓄していた食品は、すべて反乱軍が徴発してしまいまして……兵糧にするとかなんとか、言っておりましたが」

 

「エエッ!?」

 

 宰相は素っ頓狂な声を上げた。僕も、まったくもって同感である。いったいどうしようか、部隊で備蓄してある保存食を食うしかないか……そう思っていたところで、別の使用人がこちらに走り寄ってくる。

 

「ご主人様! お客様が来られました」

 

「客!? こんな時間にか。いったいどこのどいつだ?」

 

「デジレ・ブロンダン様です」

 

 ……えっ、母上!?

 



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第122話 くっころ男騎士とタマネギ

「こんなこったろうと思ったよ」

 

 ニヤニヤと笑いながら、母上は背負い式の大きなカゴを床へ置いた。その中には、大量のタマネギが入っている。

 

「こういう場合、第一に不足するのは兵糧だからな。準備しておいて……」

 

「ふひいーっ!」

 

 母上の発言を遮るように、ロッテが大声を上げながら背負子(しょいこ)を降ろす。こちらにも、大量の食材が乗せられていた。彼女の顔は真っ赤になっている。リス獣人である彼女には、この荷物は重すぎたようだ。はあはあと荒い息も吐いている。カリーナが苦笑しつつ、水差しを渡してやった。

 

「……まあ、とにかく大した量じゃないが食材は持ってきた。ハラが減っては戦はできぬ、だ。話を聞く限り、戦いは明日も続くんだろ? これ食ってさっさと寝ちまいな」

 

「母上! 流石ですね……助かります」

 

 こんな夜更けに何の要件かと思えば、食料の差し入れだった。このままではレンガみたいな堅パンやら無駄に塩辛い干し肉やらで飢えを凌がなくてはならないところだったので、非常に助かる。別に保存食が嫌いなわけじゃないが、飯がウマイにこしたことはないからな。新鮮な食材は大歓迎だ。

 

「それでは、お預かりします」

 

 使用人が出てきて、カゴを厨房へもっていこうとした。……が、宰相宅の使用人は、ほとんどが只人(ヒューム)だ。山のようなタマネギが入ったカゴを、一人で持ち上げるのは難しい。母上はため息を吐いて、自分でカゴを背負いなおした。母上も只人(ヒューム)女性には違いないが、普段からの鍛え方が違うのである。伊達に亜人に混ざって騎士をしていたわけではない。

 

「仕方がない。アタシが直々にメシを用意してやるよ。アルの好きな揚げタマネギだ」

 

 タマネギはこの辺りの特産品だ。旬になれば、安価で大量に出回る。おまけに保存も利くということで、王都の庶民たちにとっては救世主といっても過言ではない食材である。さして裕福でもない我が家でも、馴染みの料理だった。……ちなみにタマネギというと動物に食わせてはいけない食材の筆頭だが、どうやら獣人たちには全く影響がないようだ。平気でバリバリ食べている姿をあちこちで見るからな。

 

「アルは揚げたタマネギが好きなのか?」

 

 興味深そうな様子でスオラハティ辺境伯が聞く。タマネギといえば、庶民の野菜だ。ブロンダン家のような貧乏騎士一家ならともかく、辺境伯のような大貴族の食卓に出てくることはあまりないだろう。

 

「ええ……まあ」

 

 少し恥ずかしくなって、僕は頬を掻いた。もともと、あんまり食事に拘るタイプじゃないからな。安くてウマくてたっぷりあるならもう文句なんてあるはずもないんだよ。

 

「ふうん……」

 

 自分の顎を撫でながら、スオラハティ辺境伯は考え込んだ。そして母上の方へ歩み寄り、笑いかける。

 

「では、デジレ殿。私にも少しばかり手伝わせてくれるかな? 実は私も、料理が趣味でな。少しばかり気晴らしがしたい気分なんだ」

 

「アンタみたいな大貴族様が? そいつは意外だ。……ええ、ええ。結構ですとも。しかし、アタシがやるような雑な調理法を見たら、憤死しちまうかもしれませんが」

 

 この世界の女性にしては珍しく、母上は家庭内でもよく料理を作っていた。しかしその調理法は、軍隊仕込みの極めておおざっぱなものだ。前世の世界で言うところの、男料理に近い。料理なんて、量があって味が濃ければなんでもいいと思っている節がある。……僕に関しても、完全に同類だからな。その手の雑でジャンキーなメシは大好物だが。

 

「ほう、それは逆に楽しみだ」

 

「なるほど? まあ結構結構。では調理場をお借りしますよ、宰相閣下!」

 

「あ、ああ……」

 

 勢いに押され、アデライド宰相は困惑しながら頷くことしかできない。ため息を吐く彼女をしり目に、母上はロッテと辺境伯を伴って調理場へ行ってしまった。

 

「……まあ、お邪魔虫が出て行ってくれたのはいいか。まだ一匹残っているが」

 

 ぼそりと呟きつつ、宰相はカリーナを一瞥する。よくわかっていない様子で小首をかしげる我が義妹だったが、そんな彼女に構わずアデライド宰相はスススと僕の傍に寄ってきた。あ、これは来るなと直感するのと同時に、彼女の手が僕の尻をわしづかみにする。そうそう、宰相閣下はこうでないとな。一周まわって安心感すら覚えるわ。

 

「……あの……アデライド……」

 

「気にすることはない、楽にしなさい」

 

 気になるし楽にするのも無理だよ!! そんな僕の心の叫びを知ってか知らずか、宰相はその美麗な顔に好色な笑顔を張りつけ、僕の尻をスリスリと揉み続ける。

 

「んなっ! な、な、な、何を……!」

 

 その光景を目撃したカリーナは、当然顔を真っ赤にした。……いや、よく考えたらコイツも初対面で僕を犯すとか言ってなかったか? 尻を揉むよりそっちの方がひどい気もするんだが。……どっちもどっちか?

 

「職権乱用だ! 私はアルの上司で債権者だからねぇ? 当然、アルの尻を撫でくり回す権利だって持ってるわけさ……羨ましかろう! ムハハハ!!」

 

 殊更に悪そうな顔でそんな宣言をするアデライド宰相。……ふーむ。やはりアデライド宰相もストレスが溜まってるみたいだな。宰相は根っからの文官肌だし、今日のクーデター騒ぎはなかなか辛いものがあったろう。殊更に悪ぶって見せて、精神の均衡を保とうとしているわけだな。

 

「げ、下衆すぎる……」

 

 ドン引きしている様子のカリーナだが、お前も大概だぞ。いや、宰相の方も大概だが。

 

「お互い、積もる話もあるだろう? 食事が出来上がるまでの間に、情報交換をしておこうじゃないか。もちろん、機密に触れる話もある。カリーナ君に聞かせるわけにもいかないから……二人っきりで、な?」

 

「あ、ごめんなさい。用事があるのでムリです」

 

 こんな美女と個室で二人っきり……なるほど魅力的な提案だ。しかし、悲しい事に僕にはまだやるべき仕事が残っていた。割と真面目に残念だよ。クソッタレめ。いや、カリーナを一人で放置するわけにもいかないので、結局こんな提案は飲めないんだけどな。今日はカリーナにもだいぶ悲惨な光景を見せてしまった。あんまり一人きりにはしておきたくない。母上がロッテを連れてきてくれたのは、とても有難い。

 

「用事? 一体なんだというのかね、この私を差し置いて……」

 

「捕虜にしたジルベルト連隊長ですよ。自害でもされたらコトですから、もう一回釘を刺しに行かなくちゃ」

 

 パレア第三連隊隊長、ジルベルト・プレヴォ……捕虜となった彼女もまた、この屋敷に勾留されていた。彼女は自分の首を差し出すなどと言っていたが、とんでもない。あんな軍人の鑑のような人物を、簡単に殺すわけにはいかないだろ。



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第123話 秀才連隊長とくっころ男騎士

 わたし、ジルベルト・プレヴォは、ベッドに転がりながらため息をついた。アデライド宰相閣下の屋敷に連れてこられてから、すでにそれなりの時間がたっている。わたしは客室らしき部屋に案内され、そこに軟禁されていた。とはいっても、流石は宰相閣下の屋敷。わたしの家の自室よりも、よほど広くて過ごしやすい部屋だ。わたしは枕に頭を預けながら、壁際に設置された燭台の灯火を見る。

 

「……流石に、な」

 

 ポケットから煙草入れを出して、手の中で弄る。幸いにも、煙草は没収されなかった。吸おうと思えば、吸える。とはいえ、どうにもそんな気にはなれなかった。ケースに入っている煙草は、あと二本。節約しないと、あっという間になくなってしまう。

 

「いや、馬鹿らしい考えか。節約なんて……」

 

 ブロンダン卿は、部下たちの安全を保障すると明言した。彼は、約束を違える人ではないだろう。それについては、安心して良い。しかし……やはり、ここまで大それたことをしたのだから、誰かが責任を取らなくてはならない。つまり、わたしだ。近日中に、わたしは処刑されるだろう。

 反乱部隊はわたしの第三連隊の他にもいる。それらに対する見せしめとして、明日には斬首されてしまうのではないか。そんな不安がわたしの精神を炙っていた。ほとんど無意識に煙草入れから一本取り出し、口にくわえようとする。しかし、震える手ではうまく煙草をつまめない。結局途中で取り落とし、煙草はシーツの上に転がった。

 

「……寝煙草はよくないな」

 

 火事でも起こしたら大事だ。無理やり顔に笑みを張りつけながら、わたしは煙草を拾った。そこで、突然部屋の扉がノックされる。わたしの肩がびくりと震えた。死神が来た。そんな子供じみた錯覚を覚えるほど、わたしは自身に迫る死の運命に恐怖していた。あまりにも、情けない。こんな恐怖が長々と続くくらいなら、いっそ一思いに殺してほしい。そんな矛盾した想いすら湧いてくる。

 

「……はい」

 

「夜分遅くに申し訳ありません」

 

 なんとか表情を繕い、落ち着いた風を装って返事をする。返ってきた声は、聞き覚えのある男の者だった。

 

「アルベール、ブロンダンです。入れて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「どうぞ」

 

 まさか、自分の生殺与奪の権を握っている相手に否と言えるはずもない。わたしは自分から部屋のドアを開いた。

 

「失礼します……ちょっと待っててくれ。用事があったら呼ぶから」

 

 後半の発言は、お供の騎士(確か、ジョゼットとかいう名前だったか)に向けた言葉だった。彼は疲れたような笑顔を浮かべ、部屋に入ってくる。夜中に、見目麗しい男が自分の部屋を訪ねてくる……こんな状況でなければ、ワクワクしていたかもしれないな。思わず、乾いた笑みが出た。むろん、今の私の胸は悪い意味でドキドキしている。

 

「それで……どういったご用件で?」

 

 ブロンダン卿と共に椅子に座ると、わたしは開口一番そう聞いた。

 

「喫煙者とお聞きしたので、差し入れを持ってまいりました」

 

 そう言ってブロンダン卿が出してきたのは、木箱に入った煙草の束だった。一緒に、手のひらサイズの金属製の箱も添えられている。一瞬煙草入れかと思ったが、それにしては小さい。

 

「ああ、これはありがたい。助かります。……ところで、この道具はいったい?」

 

「オイルライターですよ。僕の部隊で手榴弾等の着火具として使用されている道具です」

 

 ブロンダン卿はそのライターとやらを手に取ると、蓋を開いた。中にはヒモで出来た灯芯が入っている。灯芯横に取り付けられた車輪状の部品を指ではじくと、火花が弾けて小さな火が灯った。……なるほど、オイルランプと同じような構造になっているわけだな。……こんな便利な道具を、ブロンダン卿の部隊は配備しているのか。

 

「喫煙のたびに火縄やらなにやらを用意するのは手間でしょうから、どうぞお使いください。これは差し上げますので」

 

「……かたじけない」

 

 わたしは深々と頭を下げた。すくなくとも、彼はわたしをすぐ処刑するつもりはないようだ。煙草の量はなかなかのもので、相当なヘビースモーカーでもない限りは一晩ではとても吸いきれないだろう。末期の煙草なら、一本二本あれば十分だからな。わたしは、密かに安堵した。

 

「それから、状況がひと段落しましたので……現状報告もしておきます」

 

「お願いします」

 

 わたしがこっくりと頷くと、ブロンダン卿は煙草を一本差し出してきた。有難く咥えると、先ほどのオイルライターで火までつけてくれた。紫煙を深く吸い込んで、吐き出す。緊張のあまり味などわからないが、少しは落ち着いた気分になった。

 

「第三連隊ですが、ほとんどの人員が滞りなく投降しました。一部、制止を振り切って逃走した部隊もありますが……」

 

「オレアン公爵家に縁の深い指揮官の部隊でしょう。そういう士官は、わたし以外にも何人か居ました」

 

「僕と言い、あなた達といい、王軍の病巣もなかなか根が深いですね」

 

 そういって、ブロンダン卿は苦笑する。……そういえば、彼も王軍に仕えながら実質的にはスオラハティ辺境伯の部下だったな。そういう意味では、わたしも彼も同じ立場なのだろう。

 

「それはともかく、投降した部隊に関してはおおむね問題ありません。兵や下士官に対しては、一切の処分なし。中隊長以下の士官たちも、せいぜい自宅謹慎。そういう処分になりそうです」

 

「……よかった」

 

 ほっと胸をなでおろす。ここで、彼が嘘を吐く理由もないだろう。この言葉は信用して構わないはずだ。わたしの大切な部下たちがこれ以上無駄に死ぬのは、耐えられない。だからこそ、投降したのだ。ブロンダン卿が約束を守ってくれる人で良かった。……しかし、そうするといよいよわたしの処分か。

 ああ、死にたくない。一人の男も抱かないまま死ぬなんて、いやだ。せめて娼館くらい行けばよかった。婚約者……あの金銀と宝石にしか興味を示さない、くだらない男。アレに義理立てする必要が、どこにあったというのか。所詮、家の都合だけで決まった婚約だというのに……。震える手で煙草を吸い、大きく息を吐く。いつの間にか、室内はひどく煙たい有様になっていた。窓を開けていないせいだ。換気をした方が良いのはわかるが、立ち上がる気力がなかった。

 

「……」

 

 そんな私の心境を察したのか、ブロンダン卿はなんとも言えない表情で黙り込んだ。気まずい沈黙が、薄暗い部屋の中に漂う。燭台のろうそくが燃えるジジジという音が、妙に耳障りだった。

 

「プレヴォ卿。指揮官は、自らの命令の責任を取る義務があります」

 

「……ええ、むろんそんなことは分かっております。今さら命が惜しいとは申しません。どうぞ、好きな時にこの首を落としてください」

 

 私はブロンダン卿を怒鳴りつけそうになったが、なんとか自分の気持ちを押さえつつそう答えた。指揮官の責任、それがわかっているからこそ、わたしはこうして大人しく捕まっているんだ。にもかかわらず、今さら確認を取るなんて……

 

「だったら、貴方が反乱の責任を取る必要はない。僕はそう考えています」

 

「……え?」

 

「反乱の命令を出したのは、オレアン公でしょう。あなたの家族が、オレアン皇国に居ることは調べがついています。命令を拒否すればどうなるか……考える必要もありません。実質的に、人質を取られていたようなものですからね」

 

「……」

 

 もしかして。もしかしてだが……ブロンダン卿はわたしを殺す気がないのだろうか? 彼の鳶色の瞳が、じっとわたしを見つめている。ひどく真剣な目つきだった。

 

「家を守らなくてはならない貴族としての義務と、命令を順守する軍人としての義務。あなたはその二つを、最後まで守り抜きました。誰にでもできることではありません」

 

「……」

 

「あなたを処刑すれば、確かに話は早い。反逆者は、皆殺しにするべき……そういう考え方も、理解できます。しかし、不本意な任務でも最善を尽くし、部下のために命を投げ出すこともいとわない……そんな軍人を政治の都合で殺してしまうなんて、認められるものではありません」

 

 ……どうやら、ブロンダン卿は本気のようだった。思わぬところから希望が見えてきて、わたしは大きく息を吐いた。すっかり短くなった煙草を灰皿でもみ消し、両手をぎゅっと握り締めて彼を見つめ返す。

 

「……つまり?」

 

「あなたの処刑は全力で阻止します。ご家族に関しても、救出計画を練っています。あとはこのアルベール・ブロンダンにお任せください」

 

「……」 

 

 ひどく情けない話だが、その言葉を聞いた途端わたしの目には涙が滲み始めた。わたしに無茶な命令を下したオレアン公とイザベル様は、姿すら見せない有様だというのに……この(ひと)は、敵であるわたしにすらこれほどの慈悲を向けてくれている。そう思うと、自分の中で張り詰めていた糸がプツンと切れてしまったような感覚があった。

 涙はあとからあとからあふれ出してくる。それを堪えようと歯を食いしばったせいで、ブロンダン卿に返事をすることすらままならない。彼は椅子から立ち上がると、わたしの両肩に手を置いた。

 

「あなたは尊敬に値する軍人です、プレヴォ卿。次の戦場では、ぜひ味方としてあなたと共に戦いたい。そのためには、ここで死んでもらうわけにはいかないんですよ」

 

 悪戯っぽく笑う彼の顔を見て、とうとう私の精神は限界を迎えた。目からボロボロと涙が零れ落ち、思わずブロンダン卿に抱き着く。彼は驚いた様子だったが、優しい表情で抱きしめ返してくれた。彼の無骨な手がわたしの背中を優しく叩くと、もう我慢ができなくなる。硝煙の甘い香りの混ざった彼の体臭がわたしのささくれだった心を優しく包み込む。ブロンダン卿の胸を借りたまま、しばしの間わたしは声を上げて泣き続けた。



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第124話 くっころ男騎士と遅い晩餐

 僕はほっとしていた。あの様子なら、ジルベルト氏は心配する必要はないだろう。彼女が責任を感じて自殺するような事態は、なんとしても回避する必要があった。ジルベルト氏のような誠実で優秀な将校を失うのは、何としても避けたい。それに、僕も一人の軍人として彼女の境遇には思うところがあった。安い同情と言ってしまえば、それまでかもしれないが……。

 

「むぐむぐ」

 

 不安がひとつ解消すると、今度は猛烈に腹が減ってきた。アデライド宰相と同じく、僕も昼間は何も口にしていない。身体がカロリーを求めていた。そういう訳で、僕はダイニングルームに向かうと揚げたタマネギを片っ端から腹にねじ込む作業に没頭していた。カラリと素揚げされたタマネギは、ほんのり甘く非常に美味だ。少し塩を振ってやれば、いくらでも食べることができる。

 

「いやーウマイ。生きてるって感じがする……」

 

「キミたち一家はワイルドだねえ」

 

 タマネギが山のように積み上げられた大皿の前でご満悦になっていると、隣に座っていたアデライド宰相が呆れたような表情でそんなことを言う。今晩の献立は、大量の揚げタマネギと焼いただけのベーコン、そしてパンという簡素なものだ。一流シェフの作った料理に慣れ切った宰相からすれば、確かにとんでもなく雑に見えるだろう。

 

「ふーむ、しかしたまには悪くないね」

 

 ニコニコとしながらスオラハティ辺境伯が言う。彼女は何度も戦場に出た経験がある武闘派領主貴族だからな、こういう軍隊メシにも慣れているのだろう。……とはいっても、辺境伯はナイフとフォークを使う上品な食事姿だ。その横でタマネギを手づかみでバクバクやってるうちの母親とは大違いな。ちょっと恥ずかしいのであとで父上にチクっておこう。

 

「アルはこういうシンプルな料理が好きなのかな?」

 

「ええ、まあ……お恥ずかしながら」

 

「なるほどね。ふむ、参考になるよ。ありがとう」

 

 いったい何が参考になったのだろうか? よくわからないが、辺境伯は妙に嬉しそうだった。僕は彼女に笑い返してから、次のタマネギに取り掛かる。有難いことに、この体は大量に油ものを摂取しても気分が悪くなったりしないからな。若い身体万歳だ。

 

「よくそんなにタマネギばかり食べられるな……」

 

 ちょっと呆れたように宰相が笑った。僕はすでに、五個目のタマネギに取り掛かっている。確かに言われてみればその通りだ。ちょっと恥ずかしくなって、目を逸らした。

 

「揚げたタマネギひとつで自分たちは獅子になれるって歌詞の軍歌があるので、それにあやかろうかと」

 

「なに、獅子だと? あのどこぞの元皇帝みたいになるのか?」

 

「えっ!? いや、それはちょっと……」

 

 アーちゃん……あの変人元皇帝みたいになるのは正直勘弁願いたい。いや、そもそも獅子獣人全員があんな性格してるわけないだろ、流石に。

 

「まあ君があの色ボケ女のような性格になったら、それはそれで楽しめそうだがねえ? ワハハハ」

 

母親(アタシ)の前で息子にセクハラとは良い度胸ですな、宰相閣下」

 

 額に青筋を立てながら、母上が立ち上がった。……そりゃそうだよな、うん。僕はすっかり慣れてしまってるけど、この世界の常識ではアデライド宰相は大概だからなあ……母親の前でそんな言動したら、そりゃキレられて当然だわな……。

 

「アッ……いや、これは……」

 

「お義母様、この人さっきお兄様のお尻を触ってたよ」

 

「いいだろう。表に出ろ」

 

「……すいません私が悪かったです許してください」

 

 アデライド宰相は自身の護衛のネルのほうを見たが、彼女はニヤニヤ笑いのまま首を左右に振るだけだった。どうやら、ご主人様を守る気はさらさらないらしい。宰相は顔を青くして、即座に謝った。同じ只人(ヒューム)とはいえ、文官である宰相とバリバリ武闘派の母上ではタカとハトほども戦闘力が違う。

 しばらく、そんな益体のない雑談をしながらの食事が続いた。戦闘の緊張がやっとほぐれて来たのか、みな多弁だった。そして山盛りのタマネギがなくなったころ、ぽつりとフィオレンツァ司教が言った。

 

「しかし、一時はどうなるかと思いましたが……なんとかこの内紛は短期間で収束させられそうですね」

 

「まだ、油断はできませんけどね。しかし、峠を越したのは確かです」

 

 敵の主力部隊である第三連隊は撃破した。他にも敵は残っているが、情報を聞く限り数・装備・練度ともに第三連隊ほどの脅威度ではない。これらを撃破し、オレアン公とその娘イザベルを捕縛すればこのクーデターは解決……となるはずだ。問題は避難民だが……。

 

「アルベールさんが無事でよかった。クロスボウで打たれた時と言い、敵に奇襲を受けた時と言い……わたくし、もうハラハラしてしまって」

 

「ご心配をおかけして、申し訳ない」

 

 自分でも相当ビビったよ、あれは。やはり指揮官先頭は考え物だな。できれば後方の安全な場所で指揮したいんだが……無線どころか有線通信もないこの世界では、それはかなり難しんだよな。結局、僕自身が前に出るのが一番手っ取り早いという結論になってしまう。

 

「大切なお体なのですから、わたくしとしてはできればアルベールさんには……」

 

 フィオレンツァ司教の発言を遮るように、ダイニングルームの扉が乱暴に開かれた。室内にいる全員の視線が、ドアに向かう。そこに居たのは、顔を真っ赤にして息を切らせた一人の兵士だった。

 

「た、大変です、閣下!」

 

「どうした、藪から棒に。まあ、落ち着き給え。おい、給仕。水を一杯……」

 

 兵士の様子は尋常ではない。アデライド宰相は彼女を咎めず、落ち着かせようとしたが……

 

「国王陛下が、誘拐されました!」

 

 兵士の言葉に、僕は一瞬思考が凍り付いた。国王陛下が? 誘拐された? いったい、どうやって……。

 

「え、は……? なんでぇ……?」

 

 皆が凍り付く中、顔を真っ青にして呟くフィオレンツァ司教の言葉が妙に耳に残った。……これは、不味い事になったかもしれない。



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第125話 次期オレアン公と野望

 わたし、イザベル・ドゥ・オレアンは安堵していた。私の目の前には、国王が居る。近衛騎士団の警戒が緩んだ隙を突き、誘拐したのだ。国王は手枷をはめられている者の、暴れる様子はない。それどころか、スヤスヤと眠っている。抵抗されないよう、特殊な睡眠薬を投与したのだ。

 準備不足ということもあり、武力だけでクーデターを成功させるのは難しい。いかな精鋭の第三連隊とはいえ、王軍が全力で抵抗すれば敗北する可能性は十分あった。……だからこそわたしは、第三連隊が破れることを前提に作戦を立てていたのだ。

 第三連隊が戦っている間、わたしは手勢と共に王城内に潜伏する。そして連隊が劣勢になり、城内の近衛騎士団が外へ打って出たタイミングを狙って国王を誘拐する。あとは王城内にいくつも設けられた秘密の脱出経路のうちの一つを使い、こっそりと城外に出るという寸法だ。連絡ミスで作戦の実行が遅くなったが……却ってそれが良かった。国王は愚かにも、自身の護衛である近衛騎士団の大半を避難民の保護へ出動させていた。わずかな手勢でも、攫うのは簡単だった。

 現在、我々は平民街に用意したセーフハウスに滞在している。国王を奪還されるリスクを考えれば、貴族街にある我が屋敷には戻れない。ここで一夜を明かし、夜明けとともに王都を発つ……そういう計画だ。

 

「ふふ、くくく……一時はどうなるかと思ったが、なんとかなるものだ。これも極星のお導きという訳か」

 

 国王の身柄さえ押さえてしまえば、話は簡単だ。王の名前を使い、『クーデターを起こしたのはオレアン家ではなく、宰相一派の方である』と発表する。むろん、今さらこんなことを言ったところで信用する者はいないだろう。しかし、牽制にはなる。日和見している連中が宰相や辺境伯に手を貸す事態を避けることができれば、それで良い。目的は、あくまでわが領地からの増援が到着するまでの時間稼ぎだ。

 

「お待たせしました」

 

 そういって豆茶を持ってきたのは、わたしが寵愛を与えている男奴隷だった。高揚のせいか、妙にむらむらしている。秘密のセーフハウスだ、宰相一派に見つかることもあるまい。一戦くらいやっても問題ないだろう。一瞬そう思ったが……やめておく。すべてうまく行けば、わたしはこの国の支配者になる。そうすれば、他家に婿に出されてしまった弟を取り戻すことができるのだ。性欲解消の道具程度にしか思っていない相手とはいえ、身体を重ねるのは弟に申し訳が立たない。

 

「……ふう」

 

 豆茶の苦い味が、わたしに冷静さを取り戻させた。セーフハウスの外からは、ひっきりなしに怒号や悲鳴が聞こえてくる。避難民騒ぎは、平民街全体を包んでいるのだ。セーフハウスの周囲の平民たちも、王都から脱出しようと群れを成して街門へと向かおうとしていた。

 これだけ混乱した状況だ、宰相一派はこちらの動きを掴めまい。流言飛語をばらまいて、平民どもの危機感をあおった甲斐があったという物だ。時間稼ぎという目的を考えれば、男ごときに敗北した第三連隊の軟弱者たちよりもこの馬鹿な平民どものほうがよほど役に立っている。せいぜい暴れて、宰相や辺境伯の手を焼かせてもらいたいものだ。

 

「わたしはそろそろ休む。払暁と共に、王都からは脱出する予定だ。準備はしっかりやっておけよ」

 

 そう言って、わたしはベッドに向かった。セーフハウスと言っても、元は平民の一家が住んでいた小さな家だ。部屋数は極端に少ないため、この部屋以外に寝室に使える場所はない。国王陛下と同室で寝るとは、まったく光栄なことだ。そんなことを考えていた矢先である。

 

「突入!」

 

 そんな大声と共に、ドアを破るような音が別室から聞こえてきた。わたしは慌てて壁際に立てかけていた愛剣を引っ掴み、護衛たちとともに寝室から飛び出した。この部屋の窓は小さく、脱出には使えない。敵襲が来たのなら、正面から打ち破る以外の選択肢はないのである。

 寝室の向こうは、そのまま玄関を兼ねた食堂になっている。そこに居たのは、完全武装した大勢の騎士たちだ。宰相一派に嗅ぎつけられたか、一瞬そう考えたが、違った。騎士たちの纏っているサーコートに描かれた紋章には、見覚えがあった。

 

「グーディメル家の家紋だと……!?」

 

 ガレア王国には、四大貴族と呼ばれる名家がある。グーディメル侯爵家は、その一つだ。……とはいっても、我々オレアン家やスオラハティ辺境伯家に比べるとその存在感は限りなく薄い。先代の当主がとんでもない浪費家で、身代を食いつぶしてしまったのだ。

 現在は、過去の栄光と権威だけでかろうじて大貴族扱いされている有様であり、政治の場でも軍事の場でもまったく目立つことがない。四大貴族とは名ばかりの、地味な連中だった。

 

「お久しぶりね、イザベル」

 

 騎士の一人が、兜のバイザーを開く。……知っている顔だ。グーディメル家当主、バベット。わたしの幼馴染である。

 

「貴様……助勢に来た、という顔ではないな。まさか……」

 

「逆賊を成敗しに来たの。当然でしょう? わがグーディメル家は国王陛下の忠実なしもべ、王家の敵は我らの敵だもの」

 

 ニヤニヤと笑いながらそんなことを言うバベットだが、彼女の思惑など考えるまでもない。国王の身柄を横から掻っ攫う気なのだ。グーディメル家は、政治力も軍事力もゴミ同然。自身で事態を動かすような能力はない。……が、国王を手中に収めれば話は変わってくる。この女は、我々のクーデターを利用してお家の再興をするつもりだろう。

 

「今の王宮は、政治を私物化する佞臣(ねいしん)ばかり。只人(ヒューム)の分際で宰相なんてやっている成り上がり者を筆頭に、ろくでもない下賤の屑どもしかいない。大掃除をするには、いい機会でしょう?」

 

「漁夫の利を狙うとはな。ふん、博打打ちの娘も博打打ちだったということか、血は争えんな」

 

「隙を見せるあなた達が悪いのよ」

 

 そういって、バベットは悪びれもしない。……わたしは無言で周囲を見回した。わたしの手勢は、誘拐作戦の際に近衛騎士団と交戦し、ずいぶんと損耗している。それに対し、バベットの部隊はそれなりに多い。これは、ちょっと……いや、かなりキツいかもしれない。

 

「しかし、どうやってここを嗅ぎつけた? オレアン公爵家の中でも、このセーフハウスの存在を知る者はそう居ないというのに」

 

「あなたが可愛がっている肉棒奴隷が居るでしょう? アレね、実はわたしのお下がりなのよ」

 

「……貴様!」

 

 怒りのあまり、わたしは剣を抜き放った。あの男がスパイだったとは……! この女、どうやらかなり前からわたしの身辺を嗅ぎまわっていたらしい。

 

「ハハハハ……! せいぜい抵抗しなさい。あなたの首級は、グーディメル家再興の礎になるの。光栄に思いなさいな。……行きなさい、突撃!」

 

 バベットの号令に従い、配下の騎士たちが襲い掛かってくる。わたしは剣を構え――

 

 



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第126話 くっころ男騎士と混迷

 国王陛下が誘拐された。その報告を受けた僕たちは、全兵員を叩き起こし捜索に向かわせた。しかし、夜を徹して捜索したにもかかわらず、その行方はようとして知れない。貴族街は比較的落ち着いた状況だったものの、平民街のほうは大通りに避難民があふれ、部隊の機動にすら難儀する有様なのだ。まともな捜索活動などできるはずもなかった。

 

「やはり、陛下は平民街の方にいらっしゃるのだろうか?」

 

 難しい顔をしたアデライド宰相が、腕を組みながら言う。僕たちは指揮用天幕の下に集まり、テーブルに乗せられた地図を囲んで今後の方針を話し合っていた。すでに夜は明けており、周囲は明るい。この時間になっても手掛かり一つつかめないような有様なのだから、焦りもするという物だ。

 

「その可能性は高い……が、敵はこちらがそう考えることを予測して、あえて貴族街を潜伏場所に選んだ可能性もある」

 

「もしくは、すでに王都から脱出しているか……ですね」

 

 スオラハティ辺境伯の言葉に続けて、僕は言った。

 

「ウムウ……!」

 

 宰相は頭を抱えて唸った。僕たちが持っている現状の情報では、どこに誘拐犯が潜伏しているのかサッパリ予想できないのである。こんな状況で闇雲に探し回っても、国王陛下が見つかるはずもない。

 

「すまない、油断していた……」

 

 憔悴した様子でそんなことを言うのは、近衛団長だ。彼女に率いられた近衛騎士団の主力部隊は、平民街で治安維持活動にあたっていた。王城に残り国王陛下を警護していたのは、予備部隊だけだった。誘拐犯どもは、その隙をついて国王陛下を攫ったわけだ。

 

「まさか、イザベルが城内に潜伏していたとは……てっきり、すでにどこかへ脱出しているものかとばかり思っていた」

 

「あの女は謁見の間での一戦以降、完全に姿をくらましていましたからね。普通、この手の反乱では首謀者が先頭に立つことで正統性をアピールするものです。それがなかったことに、僕はもっと違和感を覚えるべきでした」

 

 落ち込んでいるのは僕も同じだ。王城の防衛に成功したところで、国王陛下の身柄を奪われたのでは意味がない。戦略的には完全敗北だ。パレア第三連隊による王城包囲は、あくまで陽動だったのだ。

 

「反省は国王陛下を取り戻してからすれば良いのです。今は、捜索に専念いたしましょう」

 

 キッパリとした口調で、フィオレンツァ司教が言う。彼女も教会関係者のツテを使い、情報の収集に当たってくれていた。もっとも、今のところ有効な情報は上がってきていない。手すきの聖職者は全員避難民たちの説得に出るよう大聖堂から命令が下されているからな。そちらに忙殺され、情報収集どころではないのだろう。

 

「それから、一つ提案なのですが……オレアン公の邸宅を――」

 

「大変です!」

 

 司教の言葉を遮るようにして、顔を真っ赤にした伝令兵が指揮用天幕に飛び込んでくる。……既視感が凄いな。

 

「どうした、この期に及んで何が大変なんだ」

 

 苦虫をダース単位で嚙み潰したような顔でアデライド宰相が聞く。事態はすでに僕たちの対処能力を超えたものになっている。これ以上トラブルが起きるなんて、勘弁願いたい。……でも、悪いことは重なって起きるものだからな。はあ、嫌だイヤだ。

 

「国王陛下が、グーディメル侯爵家によって保護されたそうです!」

 

 ……グーディメル家? 意外な名前が出てきたな。たしか、ひどい金欠状態でまともな軍隊を維持することすらままならなくなっている領主貴族だ。オレアン公派の貴族が「あの連中は四大貴族の面汚しだ」とかなんとか言っているのを聞いた覚えがある。

 

「何、それは本当か?」

 

「はい。陛下誘拐の実行犯として、イザベル・ドゥ・オレアンの首がグーディメル侯爵邸の前に晒されていたそうです」

 

「イザベルが討たれた……!?」

 

 唖然とした様子で、フィオレンツァ司教が呟く。宰相は思案顔で眉間を揉み、再び伝令兵の方を見た。

 

「朗報か悲報か判断しづらいな。それで、連中は何と言っている?」

 

  相手は没落貴族だ。国王陛下を使ってなにか良からぬことを企む可能性もある。それがわかっているから、国王陛下が発見されたという報告にもかかわらず喜ぶものは誰一人としていなかった。

 

「それが……ええと……」

 

 伝令兵はひどく言いづらそうな顔をしていた。……こりゃ、間違いなく悲報の方だな。僕は頷いて、彼女に続きを話すよう促した。

 

「……グーディメル家の発表を原文のままお読みいたします。『この戦いは、宰相・辺境伯派閥と公爵派閥が起こした私戦にすぎない。私利私欲のために王都の治安を乱す両派閥に、懲罰を下すべし。それが国王陛下の御意志である』……以上です」

 

「は、はあああああっ!?」

 

 指揮卓をバシンと叩いて、フィオレンツァ司教が立ち上がった。勢いのあまり彼女が座っていた折りたたみ椅子が吹っ飛んでいった。その顔は、幼馴染である僕ですらそう見たことがないほど怒り狂っている。

 

「……ッ!?」

 

 周囲の視線が自分に集まっていることに気付いたのだろう。司教は慌てた様子で首を振り、こほんと咳払いをした。

 

「……失礼いたしました。しかし、私利私欲で動いているのはグーディメル家のほうでしょう。あまりに恥知らずな行動です。許しがたい」

 

「それは同感だが……厄介なことになったな。つまり、戦いは我々とオレアン公派、そしてグーディメル侯派の三つ巴になったわけだな?」

 

「はい。どうやら侯爵は、国王陛下の勅令と称してあちこちの部隊に命令書を送り付けているようです」

 

 や、厄介な真似をしてくれるなあ。グーディメル侯が本当に国王陛下の身柄を確保しているなら、好き勝手に勅令を出すことができるからな。現場の人間には、その命令書が本当に陛下の御意志で作成された物なのかを確認するすべはない。少なくない数の正規部隊が敵に回る可能性があるぞ。

 

「外道め……許しがたい!」

 

 近衛団長が指揮卓を殴りつけた。香草茶のカップや筆記用具が一瞬宙を舞う。王族の警護を行うのが近衛騎士団の本分だ。それがこんな状況になっているのだから、責任を感じるなという方が無理だ。

 

「……焦っても仕方がありません。相手が正統性で殴りつけてくるなら、こちらも同様の方法で対処するべきでしょう」

 

 落ち着きを取り戻したらしいフィオレンツァ司教が、近衛団長の肩を叩いた。

 

「……というと、もしや」

 

「ええ、王太子殿下です。誘拐されたのは、国王陛下だけ。殿下はご無事なのでしょう?」

 

 国王陛下も、それなりに高齢だからな。当然、世継もいらっしゃる。なるほど、そっちを担ぎだす訳か。なかなかいいアイデアだ。偽の命令書に従ってるだけの正規兵たちなら、王太子殿下に剣は向けづらいだろう。

 

「あ、ああ……確かに殿下はご無事だが……その……」

 

 しかし、近衛団長はなぜかしどろもどろになってしまった。その視線は、僕の方に向けられている。

 

「あのお方とブロンダン卿を引き合わせるのは、正直おすすめできないというか……」

 



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第127話 くっころ男騎士とナンパ皇太子

「ほう! ほうほうほう! 君がアルベールくんか! 噂通り……いや、噂以上だな。凛々しく、そして美しい! まるで野バラのようだ!」

 

 ガレア王国皇太子フランセット・ドゥ・ヴァロワは、僕の顔を見るなりそんなことを言った。僕はもともと木っ端貴族でしかないため、皇太子殿下と間近で顔を合わせるのは初めての経験となる。神聖帝国の元皇帝、アーちゃんことアレクシアとは違い、彼女は優女(やさおんな)然としたスマートな美女だった。一応、全身鎧の戦装束だが、装備や小物が洒落ているおかげか兜を外しただけで見事な伊達女に見えるのが凄い。

 老齢の国王陛下に比べると、殿下はひどく若い。僕より若干年下だろう。実のところ、陛下の一人娘は十年ほど前に流行り病で亡くなられていた。現皇太子殿下は、陛下の孫だ。

 こちら側のメンツは、軒並みなんともいえないような顔をしている。なにしろ、彼女は指揮用天幕にやってくるなりいきなり大仰なセリフで僕を誉め始めたからだ。現状報告すらまだ受けてないだろうに、何だこの人は。

 

「余はフランセット。フランセット・ドゥ・ヴァロワ。よろしく、アルベールくん」

 

「ど、どうも……アルベール・ブロンダンです」

 

「ああ、そう堅くならないでほしい。男性という物は、自然体でいるときが一番美しいのだ。……ああ! そのサーコートの煽薔薇の紋章は、ブロンダン家の家紋かな?」

 

 ニコニコと笑いながら、殿下がズイと顔を近づけてくる。爽やかな柑橘の香りが鼻腔をくすぐった。どうやら、香水をつけているらしい。

 

「え、ええ、そうです」

 

「青薔薇の花言葉は不可能……男でありながら騎士でもある君には、ある意味もっとも相応しくない花かもしれないね。君は不可能に挑み、そしてそれを乗り越えたのだから!」

 

「その……殿下。差し出がましいようですが、状況をお考え下さい。国王陛下の危機なのですよ」

 

 頭痛をこらえるような表情の近衛団長が、殿下を遮った。……いや、予想以上になんかアレなひとだな。いくらなんでもノータイムで口説かれるとは思わなかったぞ。あの厳粛で開明的な国王陛下の娘とはとても思えないな……。

 そういえば、皇太子殿下が童貞の五十人斬りを成し遂げたとかなんとかいう噂を聞いたことがあるな。流石に多少の誇張はあるだろうが、彼女が百戦錬磨の遊び人だというのは本当だろう。

 ……社交界に顔を出すこともない木っ端騎士である僕にすらそんな情報が入ってくるんだから、大概だよな。真面目一辺倒(ということになっている)の男騎士である僕からすれば、天敵のような相手だ。男女経験の差で一瞬にして丸め込まれてしまいそうで怖い。近衛団長の懸念も、その辺りにあるのだろう。

 

「ああ、心配することはない。グーディメル侯爵にとって、お祖母様は生命線だろう。丁重に扱ってくれているはずだよ」

 

 とはいえ、頭の方はしっかり回るらしい。たしかに、グーディメル侯爵が国王陛下を害する可能性は限りなく低い。軟禁程度はするだろうが、それ以上はムリだ。なにしろ、侯爵は自前の戦力をほとんど持っていない。こちらと対決しようと思えば、国王陛下の名前を最大限活用する必要がある。

 

「ところで、アルベール君にひとつ聞きたいんだが……パレア第三連隊を同数の部隊で圧倒し、半日で降伏に追い込んだという話は本当かな? あの、王軍最強と名高い第三連隊をだ!」

 

 皇太子殿下は馴れ馴れしく僕の肩に腕を回しながら、そんなことを聞いてくる。いや、近いよ! 王族の距離感じゃないよ!

 

「え、ええ、まあ。彼女らも、味方に剣を向けるのは抵抗があったのでしょう。そうでなければ、ああも早く降伏するはずもありませんから.」

 

「いやいや、しかし彼女らも戦いの場において手を抜くような真似はしないだろう。まったく、素晴らしい手腕だね。尊敬に値する!」

 

「あの、殿下……」

 

 妙にヨイショしてくるじゃん……偉い人が妙にこっちを褒めてくるときって、だいたいロクなことになんないんだよな。なんか無茶ぶりしてきそうな気がする。

 

「しかし、このような人材が独立領主となってわが軍から出ていくのは、途方もない損失だと思わないか? できることなら、これからも余のもとで働いてもらいたいのだが。もちろん、相応のポストは与えよう。さしあたり、連隊長というのはどうかな? ちょうど隊長職に空きができたことだし」

 

「いや、結構です……」

 

 連隊長ってそれ、まさか第三連隊の隊長か!? たしかに、いくら助命嘆願が通ってもプレヴォ卿をそのまま留任するなんてのは無理だろうから、連隊長の座は空くだろうが……いや、いくらなんでもそれは気まずいだろ。勘弁してくれ。

 

「まあまあ、そう言わないで。余は釣った魚にはきちんと餌を与える主義なんだ。もちろん、十分な地位と報酬は約束するよ?」

 

「随分と僕を買ってくれますね……」

 

 評価されるのは嬉しいが、ここまで来ると胡散臭い。しかも、彼女はアデライド宰相にも負けず劣らずの好色な目つきで僕の身体を舐めまわすように眺めているのである。警戒するなという方が無理だ。

 

「それもこれも、お隣のアレクシアのせいさ。あの女、どうやら血筋を問わずに有能な人材を集めているそうじゃないか。こちらとしても、負けてはいられない。その上、この事件だ。いい機会だから、王宮に巣くう寄生虫どもは今回で一掃してやる。その上で、若く優秀な人材を大量登用する。悪くないプランだろう?」

 

「……なるほど」

 

 神聖帝国の元皇帝アレクシア……アーちゃんの名前を口にした時だけ、殿下の目つきが鋭くなった。どうやら、殿下はアーちゃんにライバル意識を抱いているらしいな。

 

「それで、どうかな? リースベンなどという僻地へ行ってしまうくらいなら、余の手元にいてほしいんだが。君の遺留の為なら、特別なご褒美をあげたっていい」

 

「はあ、特別なご褒美ですか。いったい、どのような代物で?」

 

 いくら僻地と言っても、腐っても領主だ。たいていの場合、宮仕えの宮廷貴族よりも領地を持った領主貴族のほうが収入は多い。アデライド宰相の実家であるカスタニエ宮中伯家などは、例外中の例外だ。

 

「そうだな、余が君の子供を一人産んであげるというのはどうだろう? もちろん、王位継承権の無い庶子という扱いにはなるが」

 

「は?」

 

 何を言っているんだ、この皇太子は。ちらりと周囲を見回すと、近衛団長が干し柿のような表情になっていた。……なんとか言ってくれよ。アデライド宰相もスオラハティ辺境伯も、凄い顔をして黙り込んでいる。

 しかし、子供を何だと思ってるんだよ。倫理観ガバガバじゃねえか。道具に使う前提で子供を産むなんて、冗談じゃない。気に入らないね、そういう考えは。……この世界、わりとこういう人多いんだよなあ。本当に嫌になる。

 

「わが国には公認愛人って制度があってね、その制度を使えば合法的に婚外子を作ることができる。……王家の血筋が入れば、ブロンダン家は安泰だ。悪くない取引だとおもうけどね?」

 

 ……この人の考えることは僕には理解できん! 正直ドン引きなんだが。アーちゃんとは別タイプのおかしい人だな。まさかとは思うが、子供云々はスムーズにベッドインするための言い訳だったりしないだろうな? ……この人の場合、それも否定できない。この女によって、たくさんの貴族令息が泣かされたという話も聞いている。

 まあ、それはさておき公認愛人ね。前世の世界で言う、公妾みたいなものだろうか? 個人的には、愛人に甘んじるのは勘弁願いたいね。独占欲は強いタイプなんだ。そもそも、殿下と僕の間に出来る子供は絶対に竜人(ドラゴニュート)になるわけだしな。ブロンダン家の跡継ぎは、只人(ヒューム)じゃなきゃ困るんだよ。

 

「殿下、聖職者の前で私生児を作る話をするとは……感心致しませんね」

 

 そこに、フィオレンツァ司教が割り込んでくる。いつも通りのニコニコ顔に見えるが、付き合いの長い僕にはわかる。あれは、相当に気分を害している表情だ。私生児に関しての話題は、司教の地雷だった。彼女は幼いころから、不義の子供を作ってしまう大人をひどく憎いんでいる。

 その理由を直接聞いたことはないのだが……おそらく原因は彼女の母親だろう。フィオレンツァ司教の母親は聖職者なのだ。そして星導教の聖職者は、結婚を禁じられている。彼女自身、自分の出自には思うところがあるのだろう。

 ちなみに、女性優位社会であるこちらの世界で言う私生児は、正式な夫以外の男が父親である子供のことだ。前世の世界と同じく、嫡出子と私生児は厳格に区別される。星導教の教えでは、夫以外の男と子供を作るべきではないとされているからな。もっとも、こちらの世界はあくまで母系社会だから、誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せるんだけどな。

 

「ああっ、これは失礼。教会に睨まれるようなことは、出来るだけ避けたいな。許してほしい、司教サマ」

 

 ヘラヘラと笑うフランセット殿下に、フィオレンツァ司教は深いため息を吐いた。彼女としてはお説教のひとつもしたい気分だろうが、相手は大国の王女である。いかに司教とはいえ、なかなか強く出るのは難しい。下手をすると聖界(教会権力)と俗界(世俗権力)の戦争につながるからな。

 

「怒られてしまったことだし、本題に入るとしようか。要するに、オレアン公派とグーディメル侯派を制圧したいわけだな? しかし、二つの勢力を同時に相手をするのは少々厄介そうだ。できることなら分断を図りたいところだが……」

 

 態度は軽薄な殿下だが、やる気自体はあるようだ。戦線に参加することを要請した際も、二つ返事で頷いたらしい。一応、皇太子としての責任感は持ち合わせているのだろう。

 

「ええ。もちろん負けるとは申しませんが……二正面作戦となると、大きな被害が出ることは間違いないでしょう。内戦など、無益の極み。こんなことで、貴重な兵や物資を浪費するわけには参りません」

 

 殿下から意識して身体を離しながら、僕は言った。こちとらチョロさに定評のある童貞だ。あまりベタベタされると、絆されてしまう可能性もある。フランセット殿下は一見オタクに優しいギャルに見えるが、実態は目についた女をつまみ食いしようとしているヤリ〇ンチャラ男と同じような存在だ。油断してはいけない。

 

「その口ぶり、どうやら名案があるようだね」

 

「ええ。すべてうまく行けば、あと一戦するだけで事件は解決します」

 

 僕はニヤリと笑って、そう言い切った。



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第128話 聖人司教の思惑違い

 ワタシ、フィオレンツァ・キアルージは焦っていた。状況が、どんどんワタシの手を離れていく。何の準備もしていない状況でクーデターに踏み切ったオレアン公陣営は、あっけなく敗北。一族郎党処刑。鎮圧を主導したパパ……アルベールは栄誉を得て、大団円。そういう計画だった。

 にもかかわらず第三連隊は妙に善戦するし、パパは直接狙われるし、あの腐れブラコン貴族のイザベルは妙な策を巡らすし、全く注意していなかった影薄貴族はしゃしゃり出てくるし……もう、最悪。こうなると、自分の計画の甘さを痛感せずにはいられない。もしかしたら、ワタシには陰謀は向いていないのかもしれない。

 

「はあ……」

 

 馬車の座席に身を埋めながら、ワタシは深いため息を吐いた。作戦の準備に入ったパパたちと別れ、ワタシは馬車に乗って郊外を目指している。状況の主導権を取り戻す必要があった。

 それに、どうやら戦場では思っていた以上にワタシは役立たずみたいだからね、その現実は受け入れなきゃいけない。出来ることならこの手と眼でパパを守護(まも)ってあげたいのに、実際は足を引っ張ることしかできないなんて。守るはずの相手に守られるなんて、本末転倒じゃない。妄想の中では、もっと華麗に動けるのに……本当に、現実ってやつはクソねぇ。

 正直に言えば、あの性悪王太子の元にパパを置いていくのはかなり心配なのよねぇ。とはいえ、ワタシにはやるべきことがある。王太子については、宰相と辺境伯に任せておくしかなさそうねぇ。まあ、あの二人もパパを想う気持ちは本物だし、政治屋としても優秀だからね。たぶん大丈夫でしょう。

 

「フィオレンツァ様、お加減はいかがでしょうか……?」

 

『ずっと不機嫌なの、やめてほしいなあ。面倒くさい』

 

 対面に座るお供の修道女から、そんな声と思考が同時に発される。ワタシは、生まれつき他人の思考が読める異能を備えていた。言葉とは裏腹にこちらを心配する様子などいっさい持っていない修道女だったが、その程度のことで不快感を覚えるほどワタシはうぶ(・・)ではない。ニッコリと笑って、頷く。

 

「ええ、問題ありませんよ。腕の方も、ほとんど痛みませんし」

 

 もちろん、嘘だ。ヘシ折れた右腕はいまだにジンジンと痛んでいる。涙が出ちゃいそう。はあ、パパに抱き着いて思う存分甘えたい。よく頑張ったねって、ぎゅっと抱きしめながら頭を撫でてほしいよ。でも、そういうわけにはいかないだよねぇ。自分で始めたこととはいえ、つらい。

 

「しかし、あの牛獣人……許しがたいですね。フィオレンツァ様の腕を折るなど……なんらかのペナルティを与えた方が良いのでは」

 

『勘当娘の分際で聖職者を傷つけるなど、あり得ない。死んで詫びるべきだ』

 

「あれはあくまで事故です。故意ではないのですから、責めるのはお門違いというものです」

 

 これだから、聖職者は嫌いだ。むやみやたらに偉ぶって、ばからしい。聖界の人間だろうが、俗界の人間だろうが、ゴミであることには代わりないじゃないの。皆まとめてパパの肥やしになってしまえばいいのに。

 だいたい、あの牛獣人の子……カリーナはパパを救うために行動したのよ。結局パパは怪我一つしなかったワケだし、結果オーライ。その過程でワタシの腕が一本折れるくらい、大したことじゃないわ。

 それに、まだ未熟とはいえあの子も将来はなかなかの騎士になりそうな気がする。やる気もあるから、パパの護衛にはピッタリよね。頭も悪そうだから、ソニアと違って扱いやすいだろうし。しかも胸も尻も牛獣人らしく立派で、丈夫ないい子を産んでくれそうじゃないの。そんな利用価値のカタマリみたいな子を殺すなんて、あり得ないわよ。

 

「流石はフィオレンツァ様。まさに海のようなご慈悲ですね」

 

『まったく、この人は……アルベール関連になると、突然あまあまになってしまうな。度し難い』

 

 ……なかなか、好き勝手思ってくれちゃって。まあ、いいけどねえ。所詮雑魚のたわごと、小虫の羽音と同じだもの。いちいち気にしてたら、身が持たないわ。

 とはいえ不愉快には違いないから、できれば潰してしまいたいけれど……この女は、ワタシのもう一つの能力については教えている。助手としては、まあ使いやすい部類だからね。少なくともしばらくは始末する予定はないわ。

 

「そういえばフィオレンツァ様。我々は、どこへ向かっているのでしょう?」

 

 微妙な雰囲気になった空気を振り払うように、修道女が話を変える。パパたちには「いったん大聖堂に戻り、集まった情報を整理してきます」といって出て来たけれど……もちろんこれは嘘。

 計画は滅茶苦茶になったせいで、パパにくっついてノンビリ戦場見学をしている余裕はなくなっちゃったのよねぇ。あちこちに根回しして、パパができるだけ有利になるよう手伝わなきゃいけない。

 

「ドミニク大橋です。グーディメル侯爵は、そちらで陣を張っているようですから……ひとまずは、彼女の真意を確かめることにいたしましょう」

 

 ワタシの手の者は王都のあちこちに潜んでいるから、兵を動かせばすぐに情報が入ってくる。どうやらグーディメル侯爵は国王の名前入りの命令書を乱発して、四方八方から兵を集めているみたい。そんな有様だったから、居場所の特定は容易だったわ。まったく、馬鹿よねぇ。

 他人の思考が読めるワタシならば、面会にさえ成功すれば相手の思惑もすべてわかってしまう。そして場合によっては、もう一つの能力も使ってパパが有利になるように侯爵の思考を誘導するつもりだった。

 とにかく、大切なのはさっさとこの内乱を終わらせること。火をつけるのは簡単だったのに、鎮火させるのは思った以上に難しい。我ながら、かなり思慮が浅かったみたい。結局パパも危険にさらしちゃって、ちょっと自己嫌悪してる。

 実際のところ、ワタシはパパが自己犠牲を躊躇しないタイプの人間であることを、ちゃんと理解してなかったんだと思う。よく考えれば、前世のパパが死んじゃったのもそういう性格のせいだものね。いくら思考が読めようと、ワタシみたいな性格ゴミ屑女じゃあホンモノの英雌(えいし)……もとい、英雄の行動を予測するのは難しい。これからは、その辺りをしっかり考えて計画を立てないとね。

 

「なるほど、畏まりました」

 

 深々と頭を下げる修道女だけど、その腹の中は真っ黒。今の状況も、ガレア王国の貴族勢力が内紛で消耗してくれてラッキー、くらいに思ってるのよね。貴族たちの力が弱くなれば、教会が勢力を伸ばすチャンス……そういう考えみたい。はあ、世の中クズばっかりで困っちゃうわねぇ。やっぱり、パパ以外の人間は信頼できないわ。



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第129話 聖人司教と催眠

 避難民どものせいで、目的地であるドミニク大橋へたどり着くには普段の三倍の時間がかかった。何をするにしても、この避難民共が邪魔だ。大人しく家でジッとしていればいいものを……。

 グーディメル侯爵はドミニク大橋に陣を敷き、王都各地から部隊を集めて(自称)鎮圧軍の編成にかかっているらしい。当然、大橋は一般人立ち入り禁止になっている。ワタシたちの馬車も、途中で止められてしまった。

 

「申し訳ありませんが、聖職者と言えどここを通すわけには参りません。どうぞ、お引き取りください」

 

 そんなことを言っている警備兵の声が聞こえたので、ワタシは馬車から降りた。周囲を見回すと、大橋の周りには大勢の兵士が忙しそうに働いていた。路上には木製の馬防柵や天幕がいくつも建てられ、簡易拠点化が進んでいるようだ。

 ……結構、たくさんの兵隊が集まってるみたいねぇ。パパは、昨日の段階で王都防衛隊に出撃準備命令を出していた。侯爵は、あの老いぼれ国王の名前を使うことでそれらの部隊を横から掻っ攫っていったわけ。ちょっと許しがたいなぁ。

 

「司教様……!」

 

 こちらの御者と問答していた警備兵が、ワタシの顔を見て表情を引きつらせる。

 

『フィオレンツァ司教とは……面倒なヤツが来た』

 

 ふーむ、心を読む限りあんまり歓迎されてないみたいねぇ。まあ、そりゃそうか。ワタシは意識してにこやかにわらい、警備兵に歩み寄る。

 

「初めまして。パレア教区を任されております、フィオレンツァ・キルアージです。グーディメル侯爵殿にお目通り願いたく、参上いたしました」

 

 まずは正攻法だ。司教ってのは、えらいからね。王侯だって、粗末には扱えない。

 

「それが……申し訳ありません。グーディメル様はご多忙でして……」

 

『フィオレンツァ司教は宰相派閥に肩入れしているから、面会を求められても門前払いしろ……という命令だったな。まさか本当に来るとは』

 

 なるほど、向こうはワタシと宰相(まあ、ワタシが味方してるのはパパ個人なんだけど)たちとの関係を知ってるみたいね。名前だけの没落貴族かと思っていたけど、案外しっかりとした情報網を持ってるのかしら? 一応、この事件が始まるまでは表立って宰相派の貴族たちと関わるような真似はしてなかったんだけどなぁ。なにしろ、オレアン公陣営とも付き合う必要があったからね。

 いや、単純にパパたちと一緒に戦場に出ている姿を見られただけかもしれない。教会がパパたちの陣営を支援しているというところを周囲にアピールするために、わざわざ目立つ形で参戦したわけだしね。これは仕方ない。

 ワタシが参戦したところで戦力的には役立たずだってことは理解してたけど、それはそれとして司教というネームバリュー自体がパパを守る盾になるのよ。教会相手に剣を向けたい奴なんて、あんまりいないしね。まあ、それでも危ない状況がちょくちょくあったから、かなり肝が冷えちゃったけど……。

 

「それは……困りましたね。王都にこれ以上の混乱が広がることは、司教として容認できません。できることなら、侯爵殿の本意をお聞きしたかったのですが」

 

「しかし、これも命令ですから……大変申し訳ありません」

 

 顔は申し訳なさそうな警備兵だけど、本音では『早く帰ってくれないかなあ』とか思ってる。嫌ねぇ、まったく。まあ、素直に通してくれるなんて、最初から思ってないけどさぁ。宰相派として動いている姿を見られていた以上、むこうはこっちを警戒するだろうしね。うーん、ここはあきらめた方が良さげ?

 でも、もうちょっと頑張ってみようかな。うまく行けば、国王が監禁されている場所が判明する可能性もある。侯爵の戦略は、国王の身柄を確保してることが前提だからねぇ。それが奪い返されたら、もう王軍兵士たちに命令する方法はなくなる。手勢の少ない侯爵は、その時点でデッドエンドってコト。

 

「まあ、そう言わず……確認だけでも取っていただけませんでしょうか?」

 

 困ったような顔をして、わたしは懐から銀貨入れの袋をチラリと覗かせた。それを見た衛兵は、ニヤリと笑う。

 

「……こちらへ」

 

『なんだよ、カタブツって話だったが……結構話がわかるじゃないか。まあ、そりゃそうだよな。この若さで司教になったんだ、裏じゃそうとうあくどい事もやってるだろうし……』

 

 小さく頷いた警備兵は、ワタシの手を取って裏路地へ向かった。そりゃ、表通りでワイロのやり取りなんかできないもんねぇ? ……しかしこの警備兵、なかなか失礼ねぇ。

 

「グーディメル様にお取次ぎすればよろしいのですね?」

 

 裏路地に入った警備兵は、周囲に人がいないことを確認してから銀貨入れを受け取った。その重さと感触を確かめると、彼女の顔に下卑た笑みが滲みだす。

 

『取り次ぐフリだけして、駄目でしたって報告すりゃあいい。カネは一度ポケットにいれちまえば、こっちのモンだ』

 

 あらあら、悪いことを考えてるわねぇ? でも、こういうクズが信頼に値しないなんてことは、最初から理解している。このワイロは、あくまでこいつを人気のない場所に誘い出すための罠でしかないのよ。ワタシは無言で、自らの眼帯をはぎ取った。

 

「……ッ!?」

 

 露わになったワタシの魔眼を見てしまった警備兵は、半分眠っているような表情になって動きを止める。これが、ワタシのもう一つの能力だった。

 

「侯爵がワタシを通すなって命令を出したのは、ほんとぉ?」

 

「え……? あ、ああ……確かに、司教は通すなと言っていた……」

 

 泥酔したような様子で、警備兵は答える。目つきは不確かで、表情は茫洋としていた。

 

「ふうん……でもそれって、表向きのことなのよねぇ」

 

「表向き……?」

 

「貴族や聖職者ってやつは、あくどいものだからねぇ? 敵対しているフリをして、裏では繋がっている……そんなことは、日常茶飯事なの」

 

「なるほど……」

 

「実はワタシも、侯爵のスパイでねぇ? 宰相のところに潜り込んでいたの。いろいろ情報を奪ってきたから、侯爵に伝えなきゃいけないのよぉ。だから、ワタシを侯爵のところに連れて行ってほしいなぁ?」

 

 この警備兵は、ワタシのことを躊躇なくワイロを渡してくる生臭坊主だと思っている。それを利用して、デタラメを吹き込もうという作戦だった。ワタシの魔眼を見た人間は、著しく判断力が落ちる。こうなれば、口先三寸で丸め込むのは簡単だ。無茶な話であっても、強引に納得させることも可能だった。

 

「……ん? いや……それなら手紙か伝令でいいのでは……?」

 

 が、今回は催眠のかかりようが浅かった。疑問を取っかかりにして、警備兵の目にだんだんと理性の光が戻ってくる。……やっぱり駄目か!

 うまく催眠をかけるには、相手がワタシを信頼している必要があった。本来ならある程度相手と付き合い続け、信頼関係を構築してから催眠にかけるのが常道だった。今回は非常時だから、一か八か初対面の相手に使ってみたんだけど……駄目みたいね。長い付き合いのあるパパやイザベルのようにはうまく行かない。

 

「魔眼を見るまでの記憶は忘れてね。はい、さん、にー、いち」

 

 こうなってはもうどうしようもない。警備兵が完全に理性を取り戻す前に、記憶のリセットをかけることにした。ワタシが手を叩くと、警備兵は一瞬白目を剥く。それと同時に右目にひどい痛みが走った。まともに信頼関係を結んでいない相手の記憶を消すのは、負担が大きい。パパなら丸一日分の記憶を飛ばしたところで、ほとんど痛みなんてないのに……。

 

「……あれ、私はいったい何を」

 

 ハッとなった様子で、警備兵が周囲を見回した。彼女が気を失っているうちに、ワタシも眼帯は再装着しておいた。痛みをこらえつつ、心配をしているような表情を顔に張り付ける。

 

「大丈夫ですか?」

 

「え? ああっ、申し訳ありません。ちょっとめまいが……ハハ」

 

 自分の手の中にある革袋を見て、警備兵は慌てて頭を下げた。なくなった記憶は、催眠時のものだけ。ワイロについては覚えているから、彼女はすぐにそれをポケットにしまった。

 

「では、少々お待ちください。すぐにグーディメル様にお聞きしてきますので」

 

 そう言って、警備兵は本営のほうへ戻っていった。侯爵に取り次ぐ気なんて、さらさらないのにね。……はあ、銀貨はどうでもいいにしても、貴重な時間を無駄にしちゃった。

 まあ……侯爵の方は最初から駄目でもともとくらいの気分だったし、仕方ないか。次は、日和見をしている部隊の所に行こうかな。最初から敵対する気満々の侯爵と違って、こっちは比較的簡単に丸め込めるはずだから……パパの味方に付くよう説得(・・)してしまおう。



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第130話 くっころ男騎士と敵の敵

 いったん大聖堂に戻ることになったフィオレンツァ司教を見送った後、僕たちは少数の部隊を率いて出撃した。騎兵隊二個小隊と、騎兵砲一門、およびその運用要員というコンパクトな独立部隊だ。攻勢を仕掛けるには心許ない戦力だが、この部隊は近衛騎士団から抽出した部隊だった。そのため、騎兵は全員が魔装甲冑(エンチャントアーマー)をで全身を固め、練度も士気も最高レベル。まさにガレアの最精鋭といっていい連中だった。

 

「こんな作戦、よく考えたものだ」

 

 そんなことを言うのは、フランセット殿下だ。彼女には、しばらく最前線で働いてもらう必要がある。もちろん、純軍事的に考えれば殿下は安全な後方に控えていてもらうべきなのだが……僕の立てた作戦は、軍事というより政治的なシロモノだった。敵にこちらが官軍であることをアピールするためにも、フランセット殿下には目立つ形で活躍してもらわなくてはならない。

 そう言う訳で、本来ならこの任務は殿下率いる近衛騎士団に丸投げするつもりだったのだが……殿下に「副官が必要なんだ」と強引に同行を命じられてしまった。僕の名目上の主君はガレア王家なので、殿下にそう言われてしまうと拒否権は無い。なんだか、完全にロックオンされてる気がするな。

 

「この戦いは、より多くの王軍を味方につけたものが勝ちます。なにしろごく少数の非正規部隊をのぞけば、今の王都に駐屯している戦力は近衛騎士団と王軍の王都防衛隊のみですからね」

 

 王都とその郊外には、五つの連隊が駐屯している。それらのうち、明確に僕たちに味方をしているのが指揮官が宰相派閥の貴族であるパレア第五連隊だ。そしてオレアン公派戦力の中核である第三連隊は、すでに降伏済みだである。このほか、二個ほどの大隊が原隊から離反してオレアン公派についているようだ。

 一方、新たな敵となったグーディメル侯爵は国王陛下の署名入り命令書を使って残り三つの連隊に自分の元へ参陣するよう要請している。

 実のところ、その命令書は僕たちの第五連隊の元にも届いていた。第五連隊の高級指揮官は宰相派で固められているため、現状離反者は出ていないが……これまで官軍だったはずの自分たちが突如賊軍呼ばわりされる状況に、やはり動揺は隠せない。

 

「つまり、首都防衛隊の指揮官たちから僕たちに対する戦意を失わせてしまえば……戦わずしてグーディメル侯爵の戦力を丸裸にすることができるわけです。なにしろ、彼女の持つ独自戦力はほとんどありませんから」

 

 もちろん、侯爵も領主貴族には違いないんだから、領地には最低限の兵力はあるんだろうが……そこは王都への戦力持ち込み禁止ルールが生きてくる。スオラハティ辺境伯と同じく、彼女が王都近郊に連れてこられる戦力は一個中隊が上限だ。その程度の数なら、普通なら戦うまでもなく降伏するだろう。

 まあ、僕も昨日は一個騎兵中隊で第三連隊に挑んでいたのだが……これは、敵の主力が王城前から離れられない状況だったからこそだ。第三連隊が完全にフリーハンドでこちらに対処できるような状況であれば、騎兵中隊だけ突出させるような真似は流石にしない。

 

「丸裸、ねえ。アルベールくんは女性を丸裸にするのが好きなのかい?」

 

「相手が何であれ、丸裸にするのは大好きですね。戦場に限って言えば」

 

 アデライド宰相のおかげで、際どい冗談には慣れている。おまけに今は脳みそも戦場モードだ。ほとんど反射的に、面白みのない答えが口から飛び出していった。平時なら、ちょっと恥ずかしがるくらいはするんだが……。

 

「おお、怖い怖い。余も丸裸にされないよう、気を付けないといけないな」

 

 ニヤニヤと笑いながら、殿下は言う。そりゃ、出来ることなら殿下をベッドの上で丸裸に剥きたい願望はあるけどね。愛人扱いだわ、どうも子供に対するスタンスが食い違ってるみたいだわ、どうも彼女にくっついていくのは気が進まないんだよな。フランセット殿下よりも、アーちゃんのほうがいい条件出してるしな。どっちか選べと言われたら、消去法でアーちゃんかもしれん。

 まあ、こういう遊び人の言う言葉をいちいち真に受けるのも馬鹿らしい。甘い言葉を囁いておいて、実際はオモチャ程度にしか思ってない可能性の方が高いんじゃないか? 本気になって馬鹿を見るのは僕の方だ。この人の言うことは、離し半分程度に聞いておいたほうがいいだろう。

 

「……まあ、しかし君の言うこともわかる。この戦いは、敵兵の損害も出来るだけ減らさなくてはならない。敵兵一人を殺せば、明日のガレアを守る兵士が一人減るわけだからな。だからこそ、君の作戦が気に入った。戦わずして勝つ、素晴らしい発想だ」

 

「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり……先人の言葉に(なら)ったまでです」

 

 これは、孫武の言葉だ。彼が書いたとされる兵法書、孫子は現代においても指揮官の必読書とされている。今も昔も、そして前世の世界も現世の世界も……戦争がヒトとヒトのぶつかり合いであることには変わりがないからな。この手の知識は、案外と頼りになる。

 

「良い言葉だね。ガレアの王太子として、胸に刻んでおこう」

 

 そう言って笑ってから、殿下は表情を真剣なものに戻した。

 

「……しかし、本当に面白い発想だな。まさか、オレアン公を味方にしようだなんてね」

 

 ……オレアン公の身柄を確保する、それが僕たちの任務だった。クーデターの発生直前から姿をくらませていた彼女だが、フィオレンツァ司教がその居場所を明らかにしてくれた。なんとオレアン公は、自宅で監禁されているというのだ。

 

「この反乱の首謀者は、どうやらオレアン公ではなくその娘イザベルのようです。彼女にとっては、オレアン公は目の上のたんこぶ……邪魔者以外の何物でもありません。なにしろ、オレアン公はひどく慎重で保守的な人物ですからね。性急なクーデター作戦など、承認するはずがありません」

 

 これはフィオレンツァ司教の言葉だが、なるほど言われてみれば納得する。たしかに、最初からこのクーデターには妙な違和感があった。オレアン公が主導した作戦にしては、粗末に過ぎる。お家騒動が大規模に飛び火してしまったような状況なのだろう。

 最初からこの違和感に疑問を覚えていたフィオレンツァ司教は、オレアン公の身辺を調査していたそうだ。その結果、ここ数日公爵本人は一度も屋敷から外出していないことが判明した。どうやら、彼女は自宅で監禁されてしまっているらしい。

 第三連隊を撃破した後、僕はオレアン公邸のある区画を最優先で制圧しようとした。しかし猛烈な反撃にあい、攻勢は途中でとん挫している。現在は屋敷周辺を封鎖し、にらみ合いをしている状態だった。敵部隊は今のところ要人をどこかへ移送するような動きは見せていないため、オレアン公はいまだに屋敷内に居るものと推測されている。

 しかし、まさかオレアン公が屋敷に居るとはな。事前にその情報がわかっていれば、もっとたくさんの部隊を送っていたのに。道理で防衛戦力が多いはずだよ。あの時点では、オレアン公本人が黒幕だとばかり思ってたからな。私兵と共に出陣しているものだとばっかり思っていた。

 

「敵の敵は味方ですから。それに、この状況で一番不利な状況にあるのはオレアン公本人です。もはや、公爵派の主力である第三連隊は降伏済みで、これ以上戦い続けたところで勝ち目はありませんからね。まして自身はこのクーデターに反対していたというなら……恩赦や減刑をチラつかせてやれば、すぐこちらに転ぶのではないかと」

 

 まあ、明後日あたりにはオレアン公爵軍が王都に到着するんだけどな。しかし、次期当主が死亡し、現当主もこちらに捕縛されている状況であれば、公爵軍も王都には手出しできまい。公爵軍を止めるためにも、オレアン公の身柄は絶対に確保する必要があった。

 

「我々の部隊とオレアン公派の部隊が糾合されれば、かなりの戦力になります。兵士の数を頼りに敵に戦闘をためらわせ、あとは……」

 

「余が前に出て、こちらの正当性を訴える。王軍相打つ事態を避けたいのは、向こうも同じだ。戦わなくてもいい理由を見せてやれば、自然と戦意は崩れる。……まったく、素晴らしい策士ぶりだな。余の軍師になってほしいくらいだ」

 

 その言葉に何と返そうか一瞬悩んだが、僕が結論を出すより早く先導の騎士が大きな声で叫んだ。

 

「これより封鎖区画へ入ります。敵防御陣地、視認しました!」

 

「よし、敵が迎撃態勢を整える前に防衛陣を突破する! 砲兵隊、射撃準備!」

 

 僕と話している時の甘い声音から一転、フランセット殿下は凛々しい声でそう号令した。



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第131話 くっころ男騎士と用兵術

 敵は馬車や付近の民家から運び出してきたものと思わしき家具類で即席のバリケードを作り、強固な防御陣地を構築していた。こういった場所に無策で突っ込むと、騎馬騎士であっても大きな被害を受ける。僕もさんざんに使った手だ。ではいざ自分が攻撃側にたった場合、どういう風に対処するか? これも、当然普段から考えてある。

 

「射撃開始!」

 

 フランセット殿下の号令に従い、八六ミリ騎兵砲が火を噴いた。耳がキーンとなるような轟音と共に、榴弾が炸裂する。バリケードといっても、所詮は木製だ。強力な火器の前には遮蔽物としては機能しない。

 

「二、三発撃ち込めば敵は壊乱するでしょう。あとは騎兵突撃で蹂躙するだけです」

 

「なるほどな」

 

 殿下は僕の言葉に頷きつつ、再装填作業に入った砲兵の方を見た。装填の隙をついて反撃しようと、敵のクロスボウ兵が前に出てくる。そこへ、味方弓兵が猛烈な射撃を加えた。矢の雨あられを前に、クロスボウ兵は後退せざるを得ない。

 僕たちが到着する前から、この大通りには味方部隊が展開し敵とにらみ合っていた。弓兵と槍兵で編成された伝統的なタイプの歩兵部隊だが、相手の装備も同水準だ。支援目的なら十分に活躍できる。

 

「装填にはどれくらいの時間がかかるんだい?」

 

「あの騎兵砲の場合は、実戦では一分間に一発が限度ですね。これは理想的な条件の場合で、戦闘が続くと砲身の過熱、要員の疲労などでどんどんと再装填速度は下がっていきます」

 

「威力・連射速度共に、簡易版攻城級魔法と大差がないわけか。このクラスの魔法なら、それなりの魔術兵二人が居れば安定して運用できる。魔術兵を代替するだけの価値があるかというと、少し怪しいかもしれないな……」

 

 どうやら、フランセット殿下は頭の中で騎兵砲部隊と既存の魔術師部隊、どちらの方が使い勝手が良いか考えているようだ。……そういう観点で見ると、正直魔術師の方が圧倒的に扱いやすい。なにしろ、騎兵砲は小さいとは言ってもやはり青銅のカタマリだからな。結構重い。柔軟に運用するのはなかなか難しいだろう。

 一方、魔術師は凄い。なにしろその身ひとつで行動できるからな。砲兵に比べて部隊員が少人数で済むのも大きい。運用の自由度が段違いだ。

 もっとも、魔術師も万能というわけじゃない。継戦能力は砲兵の方が段違いに高いし、その上魔術師兵は育成に十年以上かかる。

 いや、小さな炎の矢を飛ばす程度の魔法なら才能さえあれば三年で習得できるのだが、同じ魔法を複数人で発動するユニゾンという技術は非常に習得が難しい。この技術を修めた魔術師は、平民出身であっても貴族扱いされるほど貴重な人材だった。当然、気軽に戦闘に投入するわけにはいかない。切り札として、ギリギリまで温存されるのが普通だった。

 

「砲兵は一年二年あれば育成できますし、教育をマニュアル化することで大量育成もしやすいのが特徴です。なにしろ魔術師の育成方法は口伝が中心ですからね。魔術兵が一人戦死すれば、その穴埋めにはなかなか苦労します。それに比べて、砲兵は比較的容易に補充できますよ」

 

 砲兵も、歩兵などに比べれば圧倒的に育成に手間も時間もかかるのだが……それでも魔術兵に比べればだいぶマシだ。それに、魔力云々の先天的な才能も必要ないしな。

 

「砲兵と魔術兵……どちらも長所と短所があります。状況に応じて使い分けるのが一番ですね」

 

「なるほど、正論だな」

 

 馬上で腕組みをしつつ、殿下は何かを思案しているようだった。そうこうしているうちに再装填が終わり、二射目が発砲される。バリケード代わりの馬車がバラバラになって吹き飛び、周囲の兵士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めた。

 やはり、大砲を防ぐにはせめてしっかりした塹壕が必要だ。この程度のバリケードでは、壁にすらならない。明らかに、敵兵には動揺が広がっていた。

 

「魔術兵と砲兵の混成運用……面白い観点だ。用兵に関していえば、君は余より優れているのかもしれないな。君のような部下を持てて、余は幸せだ」

 

「……いえ、そのような。自分など、まだまだです」

 

 偉い人に「自分より優れている」なんてほめられても、全然嬉しくないよな。下手すりゃ消される奴じゃん。このパターンで粛清された将軍なんか、歴史上に何人もいるからな。

 

「君が女だったら、余の強力なライバルになっていたかもしれない。アルベールくんが男として生まれたことを、極星に感謝するべきだな」

 

 そう言ってから、殿下は兜のバイザーを降ろした。すでに敵は壊乱に近い状態になっている。とはいっても、所詮は小口径砲だ。出ている被害自体は、大したことはない。しかし、頼りにしていたバリケードが無効化されたことで、敵は腰が引け始めている。こういうタイミングで攻撃を仕掛ければ、勝利を得るのは簡単だ。

 

「砲兵隊の次の射撃の後、総攻撃を仕掛ける。騎兵隊、突撃用意」

 

「はっ!」

 

 槍騎兵を先鋒にして、騎兵隊は密集した突撃陣形を組んだ。僕は殿下の右横を守る位置につく。一応用意してきた後装ライフル銃に弾薬を装填し、槍のように構えた。この騎兵隊で銃を持っているのは、僕だけだ。今回は射撃を中心にしたサポートに徹する方が良いだろう。

 こちらの動きを見て、敵陣にも緊張が走る。槍兵が集まって、槍衾を作り始めた。しかし、砲兵の前で兵を密集させるのはむしろ愚策だった。猛烈な砲声と共に放たれた榴弾が、敵密集陣のド真ん中で炸裂する。

 

「突撃にぃ……かかれ!」

 

 殿下の号令と共に、僕は馬の腹を蹴った。僕が乗っているのは、母上が実家の厩舎から連れてきた軍馬だ。僕とも付き合いが長いから、手綱を握らずともこちらの意図は察してくれる。蛮声を上げる近衛騎士たちと共に、敵陣に向け一気に加速した。

 

「うわああっ!?」

 

「逃げろ逃げろ! てったーい!」

 

 槍衾を吹き飛ばされたことですっかり戦意を失った敵兵は、武器を捨てて一目散に逃げだし始めた。こうなると、もう指揮官や下士官がどれだけ頑張っても統制を回復するのはムリだ。

 

「逃げるなっ! 軟弱ものォ!」

 

 指揮官らしき鎧姿の女が、長剣を振り回しながら叫んでいるのが見えた。僕はその女に向けて騎兵銃を撃ち込む。しかし、襲歩中の馬上はひどく揺れる。流石に命中はしなかった。

 だが、僕の騎兵銃は後装式だ。ボルトハンドルを引き、弾薬ポーチから出した紙製薬莢を装填する。そのまま、発砲。今度は指揮官の胴鎧に命中した。

 

「う、うわっ!?」

 

 もっとも、指揮官級は流石に魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいる。銃弾は貫通しなかった。しかし、いかに頑丈な甲冑でも被弾のショックまでは殺せない。衝撃のあまり転びかけた敵指揮官に、槍騎兵が突撃をかける。長大な馬上槍で胸元を刺し貫かれた敵指揮官は、長い悲鳴を上げながら絶命した。

 

「女爵殿がやられた!」

 

「もう駄目だ、何もかもおしまいだ!」

 

 指揮官が戦死したことで、敵は総崩れになった。逃げ出す敵兵たちに、槍を構えた騎兵たちが殺到した。騎馬突撃を防ぐための馬防柵は、砲撃の余波であらかた吹っ飛んでいる。馬車や柵の残骸を踏みつけて肉薄攻撃を仕掛けた騎兵隊は、あっという間に多くの敵歩兵が血祭りにあげた。

 

「このままオレアン公の屋敷まで一気に突破する! 者ども、続け!」

 

 そう叫びながら先陣を切るフランセット殿下の姿は、先ほどまでの軽薄な態度からは考えられないほどの堂々とした騎士ぶりだった。……この人、やっぱりただのナンパ師じゃないな。



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第132話 くっころ男騎士と前哨戦

 一たび敵陣の突破に成功すれば、あとはお決まりの勝利パターンだ。騎兵がブチ抜いた敵隊列の穴に歩兵がなだれ込み、暴れまわる。分断され混乱しきった敵に、その攻撃に対抗する手段はなかった。

 戦果拡大は歩兵隊に任せ、僕たちは一気に大通りを疾走してオレアン公邸を目指した。なにしろ、大貴族だけあってオレアン公の屋敷には堀をはじめとした本格的な防衛設備がある。モタモタしていたら、攻城戦じみた泥沼の戦いに巻き込まれかねない。

 

「跳ね橋、確保しました!」

 

 幸いにも、攻撃はうまく行った。増援部隊を送り出すため、オレアン公邸の跳ね橋は下りたままになっていたのだ。まさに出撃の真っ最中だった敵騎兵隊を蹴散らし、僕たちはそのまま屋敷の敷地へと突入する。

 さすがはガレア王国軍の最精鋭、近衛騎士団だ。雑兵はおろか、公爵家に仕える騎士たちですら相手にならない。数にして倍以上の相手を圧倒し、あっという間に正門前の区画を確保することに成功した。まったく、惚れ惚れするような大暴れっぷりだった。

 

「第一〇七中隊、到着いたしました!」

 

「結構! 我々はこれより屋敷内部に突入する。玄関が奪還され、我々が孤立するのを防ぐのが君たちの仕事だ。しっかり余の背中を守ってくれよ」

 

 追いついてきた歩兵隊に、フランセット殿下は退路の確保を命じた。どうやらこの王太子、自ら先陣を切って屋敷に突っ込んでいくつもりのようだ。屋内戦闘は極めて危険だから、できれば後方で指揮に専念してほしいのだが……。

 

「殿下!」

 

 僕と同じ意見らしい近衛団長が咎めるような声を出したが、フランセット殿下は片手でそれを制する。

 

「王家の権威を見せつけることで、戦わずして兵の戦意を奪う……それがこの作戦の骨子なんだろう? しかし、後方でふんぞり返って偉そうにしているだけの女に、兵たちは畏怖を感じてくれるだろうか? いいや、そんなはずはない。オレアン公は、余自らの手で救出(・・)する必要がある」

 

 確かに、一理ある考えだった。なにしろ王家は当主である国王陛下が誘拐されてしまうという失態を演じている。あまり情けない姿を見せ続けていると、王家の権威そのものが揺らぐからな。そうなると、例えこの反乱を無事に乗り切ったとしても次々と新たな反乱が頻発するようになってしまう……。

 

「それに……アルベールくん、君も突入班に志願するつもりだろう?」

 

「それは、まあ。オレアン公には前々から好き勝手なことを言われていますし、煮え湯を飲まされた経験もあります。見返してやりたいという気分は、それなりにありますからね」

 

 正直に言えば、僕は安全な後方で待機していたかった。戦力不足なら仕方がないが、近衛騎士団の連中はクソ強いからな。僕一人がいようがいまいが、大して影響はないんじゃないだろうか? あえて危険な任務に志願するほど、僕はスリルに飢えていない。

 もちろん、オレアン公に恨みがあるというのは本当だ。けれども、見返してやりたいとか復讐したいとか、そういうつもりはあまりなかった。僕は指揮官で、少なくない数の部下の命を預かっている。それに加え、これからは領民の面倒も見なくてはならない。

 こんな状況で私怨を優先するのは、責任の放棄に他ならないからな。己に課された責務を果たすことが、僕の誇りだ。これを捨ててしまえば、僕は胸を張って死ぬことが出来なくなる。そんなのはご免だね。

 

「君ならそう言うと信じていたよ。……つまりこのままでは、余に『男の背中に隠れていた王太子』などという不名誉極まりない風評がついてしまうということだ。いくらなんでも、これは不味い。そうだろう?」

 

 じゃあなんで殿下の言葉に頷いたかというと、彼女が僕をダシにして出陣するつもりだと察したからだ。ま、一種のゴマすりだな。殿下の愛人になる気はないが、それはそれとして疎まれるのはマズイ。機嫌を取っておく必要があった。

 なにしろ僕は国王陛下に忠誠を誓いつつも、裏ではスオラハティ辺境伯の指示を受けているような人間だからな。第三連隊のジルベルト隊長と、似たような立場だと言える。つまり王家からすれば、いつ裏切ってもおかしくない人材ということだ。暗殺とか陰謀で失脚とか、そういう事態は避けたいんだよ。

 

「確かに、そうですが……」

 

 そういう事情を察したのだろう、近衛団長は渋い表情で僕を見てから首を左右に振った。主君のムチャな命令に従ったばっかりにこのような事態を招いてしまった彼女としては、この手の命令は受け入れがたいものがあるのだろう。とはいえ、臣下である彼女には拒否権は無い。いかにも不承不承といった様子で頷いて見せた。

 

「……致し方ありませんな。しかし、突出するような真似はしないようにお願いいたします」

 

「わかっているさ、余も戦争処女ではないんだぞ? 無意味に危険な行動をするほど、馬鹿ではない」

 

「……はあ」

 

 近衛団長は大きなため息を吐いた。反乱が発生してから、彼女は苦労しっぱなしだな。そろそろ胃薬が必要になってくるんじゃないだろうか……。

 

「しかし、流石はオレアン公。ずいぶんと広い屋敷ですね」

 

 話題を変えるため、僕はオレアン公邸のほうを見ながら言った。オレアン公の屋敷はレンガ造りの立派な建物で、驚くほど広い。面積で言えばアデライド宰相の屋敷より上だ。流石国内屈指の大貴族だよな。王都の別邸でこれなんだから、領地にある本邸はどれほど豪華なのか想像もつかない。

 これからその広い広い屋敷に踏み込み、一人の年寄りを見つけ出さなくてはならないのだから大変だ。使用人や衛兵をとっ捕まえて尋問するという手もあるが、事情が事情だけに間違いなく情報統制が敷かれているだろう。なにしろ、今の公爵家は次期当主が現当主を抑えて主君に反逆しているわけだからな。まあ、結局その次期当主は討ち取られ、グーディメル侯爵の屋敷の前で晒し首になってるわけだが……。

 

「この屋敷の隅々を探索していたら、二日三日はかかってしまいそうだ。何とかしたいところですね」

 

「もちろん、虱潰しに探すような真似はしないよ。安心していい」

 

 ニヤリと笑って、フランセット殿下は頷いた。

 

「なにしろ、王家とオレアン公爵家は親戚同士だからね。この屋敷にも、何度も招かれたものさ。ある程度の間取りは頭に入っているとも」

 

 ……なるほど、フランセット殿下が同行を申し出たのは、なにも政治的な目的だけが理由ではないらしい。お荷物で終わる気はない、そういう気概があふれた声だった。



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第133話 くっころ男騎士の大暴れ

 アッサリと正門を確保できたのは良かったのだが、敵はどうやらこちらを屋敷内に引き込んでから叩く作戦に切り替えたようだった。屋内に踏み込んだ僕たちに、敵は熾烈な反撃を仕掛けてくる。オレアン公邸は部屋はもちろん廊下も馬車が通行できそうなほど広く、戦いはいつの間にか剣や槍を正面からぶつけあう本格的な合戦へと発展していった。

 

「キエエエエエエエエッ!!」

 

 敵兵の突き出してきた手槍をステップで回避し、反撃として鎖帷子(チェインメイル)で守られた横腹に銃剣を突き刺す。この銃剣はエンチャントが施されており、安物の鎖帷子(チェインメイル)程度なら平気で貫通する。

 

「ぐあっ!?」

 

 悲鳴を上げる敵兵に構わず、騎兵銃の引き金を引いた。発砲の反動で、半ばまで刺さった銃剣を引き抜く。

 

「よくもっ!」

 

 そこへ、剣を大上段に振り上げた別の敵兵が突っ込んできた。いかな後装式ライフルでも、もう装填は間に合わないタイミングだ。僕は躊躇なく騎兵銃から手を離した。銃の背負い紐(スリング)はしっかり肩にかけてあるから、床に墜とす心配は無いのだ。

 

「キエエエエッ!!」

 

「グワーッ!!」

 

 振り下ろされた長剣を籠手で弾き、そのまま肉薄。敵兵のベルトを引っ掴むと、足を絡みつかせて転倒させる。その勢いをそのまま利用して、近くに居た別の敵兵に向けてブン投げた。

 

「ムッ!」

 

 そこへ、聞きなじみのない言語が聞こえてくる。節のついた、歌のような旋律……魔法の詠唱だ。声の出所に目をやると、そこにはローブ姿の数名の魔術兵が居る。

 呪文の詠唱はすでに最終段階に入っているようだ。手練れの魔術兵なら、対個人用魔法なら十数秒で詠唱を終えてしまう。時間的余裕は微塵もない。僕は即座に腰から拳銃を引き抜き、引き金を引いたまま撃鉄を指ではじいた。銃声がほとんど一発に聞こえるような早撃ちで、レンコン型弾倉に装填された全五発の銃弾がすべて発射される。

 

「うっ!?」

 

 ピストル掃射を受け、魔術兵たちはバタバタと倒れる。しかし、一人は無事だ。呪文を唱え終わった彼女は、風鎌(ウィンドカッター)の魔法を僕に向けて発動する。

 

「チェストォッ!」

 

 僕はそれを、スライディングでなんとか回避した。さらにその勢いのまま、前転で跳ね起き魔術兵に突進。サーベルを抜き放ち、一撃で切り捨てる。鮮血が噴出し、僕の白いサーコートを赤く染めた。

 

「ぐっ……! こんなバーサーカーが男だぁ? 悪い夢でも見てるのかね、あたしは……!」

 

 先ほど投げ飛ばされた敵兵がフラフラと立ち上がりつつ、再び剣を構えた。彼女と一緒に吹っ飛ばされた他の兵士たちもそれに続く。

 コイツらは鎖帷子(チェインメイル)ではなく、魔装甲冑(エンチャントアーマー)と思わしき板金鎧(プレートアーマー)で全身を防護している。生半可な攻撃では倒せないだろう。鎧の隙間を狙うか、身体強化魔法を使って甲冑ごと一刀両断するか……。前者は時間がかかるし、後者は手っ取り早いが消耗する。いつまで戦闘が続くかわからない今のような状況では、できれば強化魔法は温存しておきたい。

 

「栄光のガレア近衛騎士団が、男の後塵を拝するわけにはいかん。突撃!」

 

 しかし、僕は一人で戦っているわけではない。そこへ、剣や槍を構えた近衛騎士たちが突っ込んでくる。栄光の、という自称は伊達ではない。近衛騎士たちは巧みなコンビネーションで敵を翻弄し、手際よく敵の騎士を仕留めていく。僕は急いで戦列に参加しようとしたが、それを止める者がいた。

 

「いや、目覚ましい活躍ぶりじゃないか、アルベールくん。しかし悪いが、余は少しバテてきた。後ろへ下がって休みたいから、ついて来てほしい。君が前に出ている時に、余が後退するわけにはいかないからね」

 

 フランセット殿下だ。彼女の王家の紋章の入ったサーコートは返り血でひどく汚れており、激戦の跡がうかがえる。でも、バテてきたってのはウソだな。呼吸がまったく乱れていない。なんなら、僕の方がよほど疲弊している。体力オバケの揃いの竜人(ドラゴニュート)騎士と同じ戦列に立つのは、只人(ヒューム)の身の上ではなかなかに辛い。

 要するに、見るからに僕がへばってるんで後退させたいわけだな。ここでわざわざ自分をダシにするあたりが、殿下らしい。そりゃモテるわ。童貞を五十人食ったって噂も本当かもしれん。……いや、流石に五十人は嘘であってくれ。

 

「はっ、了解しました」

 

 まあ、せっかくなんでここは休ませてもらおうか。僕だって、好き好んで大暴れしてるわけじゃない。敵が襲い掛かってくるから、仕方なく応戦してるだけだ。一応僕は殿下の副官ということで同行してるんだから、ぽんぽん戦闘に参加しちゃマズイんだけどな。

 それもこれも、部隊を二分割したせいだ。戦力不足により、指揮官まで剣を握って戦闘に参加しなくちゃいけないような状況になっている。部隊を分散させるのは悪手以外の何物でもないが、これにはやむを得ない理由があった。

 オレアン公が監禁されている可能性のある場所は、最上階にある彼女の自室と、地下にある牢屋の二か所だと殿下は推測していた。これをそれぞれ回っていたら、時間がいくらあっても足りない。速攻をかけないことには、オレアン公を別の場所に移送されてしまうからな。これを防ぐには、自室と地下牢に同時攻撃を仕掛けるしかない。

 

「……しかし、別動隊からの合図はまだ来ないな。距離から考えれば、そろそろ目的地にたどり着いてもいい頃だろうに」

 

 前線で戦う近衛騎士団を見つつ、フランセット殿下は呟く。別動隊が向かった先は、オレアン公の自室だ。どちらかの部隊がオレアン公を発見した場合、窓から手旗信号を使って中庭に展開した砲兵部隊に指示を出す手はずになっている。この合図を受けた砲兵隊が空砲をぶっ放し、発砲音でもう一方の部隊にオレアン公発見を伝える……そういう寸法だ。

 ちなみに、別動隊の案内はフランセット殿下の従者が担当している。その従者は殿下とともに何度かオレアン公の部屋を訪ねたことがあるため、まず迷うことはないだろう……とのことだ。

 

「単に進撃に手間取っている、という可能性もありますが……」

 

「いや、違うな。おそらくだが……やはりオレアン公は地下牢に監禁されているのだと思う。だからこそ、余はこちらの部隊に同行したのだからな」

 

 どうやら、フランセット殿下は地下牢ルートを本命だと考えているようだ。……いくらイザベルの独断で起こしたクーデターだとはいえ、現当主を牢屋に閉じ込めるような真似をするだろうか? 僕としては、自室に軟禁されている程度だろうと思っていたのだが……。

 

「不思議そうだね」

 

 立ち止まって、殿下が聞いてくる。その顔は兜の面頬で隠れているが、ニヤリと笑っているような気配があった。

 

「オレアン公と娘のイザベルには確執があったんだ。表向きは仲良くしてたがね。……とある一件が原因で、イザベルは母親を恨んでいた。反逆する機会があったなら、意趣返しに牢屋に監禁するくらいはするだろうと思っていたのさ」

 

「なるほど」

 

 細かい事情はわからないが、僕は頷いておいた。どうも、オレアン公爵家内で何かしらの事件があったようだ。もちろん、それについて根掘り葉掘り聞いたりはしない。世の中、知らない方が良いことなどいくらでもある。

 

「ここまで大それた真似をするのは予想外だが、公爵家で何かしらの内紛が起きるとは思っていたんだ。王家に余計な火の粉がかからないよう、万一に備えて屋敷の間取りをこっそり調べておいたのさ。だから、地下牢の位置もバッチリわかるというわけだ」

 

「準備が宜しい事で」

 

 自慢げな殿下に、僕は思わず苦笑した。やっぱり、上級貴族の世界は怖いな。表向き仲良くしている親戚同士でも、戦うことを想定して準備をしなければならないとは。

 

「まあ、そういうわけでアルベールくんは大船に乗ったつもりで……」

 

 自慢げな様子で語るフランセット殿下だったが、彼女の言葉を遮るように前線で複数の怒号が上がった。そちらに視線を向けると、近衛騎士の一人が血を流して倒れている。ひとり、やられてしまったようだ。豪奢な全身鎧を纏った敵騎士が、とどめをさそうと剣を振り上げている。

 

「ちっ!」

 

 反射的に小銃を構え、急いで弾薬を装填する。間に合えよと祈りながら、引き金を引いた。幸いにも、剣が振り下ろされる前に銃弾が敵騎士の胴鎧に命中した。貫通こそしないが、姿勢を崩す程度の効果はある。

 

「やらせるかっ!」

 

 その隙を逃さず、近衛騎士の一人が槍を突き出した。しかし、敵騎士は槍の一撃を盾でいなす。負けじと連続攻撃を仕掛ける近衛騎士だったが、敵騎士は余裕を持った動きで槍の穂先を躱し、的確な反撃を繰り出した。うなりを上げて迫る長剣を避けるため、近衛騎士は慌てて後退した。……こりゃ、かなりの手練れだな。

 

「……あの甲冑、見覚えがある。去年の王都剣術大会で、準優勝した騎士だな。名前は確か、オドレイ・セリュジエだったか」

 

 殿下のその言葉に、僕の眉が跳ね上がった。王都剣術大会。その名の通り、王都で一番の剣士を決める武術大会だ。ほんのこの間まで王都に住んでいた僕は、もちろん毎年観戦しに行っている。

 

「去年の、というと……ソニア相手にかなり善戦したヤツですね。ずいぶんとヤバいのが出てきたな」

 

 僕の親友にして副官でもあるソニアは、この王都剣術大会の常連優勝者だ。その化け物じみた剣の腕前は、僕も良く知っている。そのソニアを相手にギリギリの所まで粘り、惜しくも敗れたのがそのオドレイという騎士だった。当然、その実力は折り紙付きである。

 

「我々が本命(・・)に近づいたから、むこうも切り札を切って来たという事かな」

 

「かもしれません」

 

 頷いてから、僕は前線に向けて駆け出した。相手はソニアといい勝負をするような強敵だ。さすがに、後ろでノンビリ休んでいるわけにもいかないだろ。

 

「オドレイ・セリュジエ! 僕はアルベール・ブロンダンだ! 貴卿に一騎討ちを申し込ませてもらおう!」

 



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第134話 くっころ男騎士と偽情報

 僕の一騎討ち宣言に、戦場は凍り付いた。近衛騎士たちはこちらをうかがい、「大丈夫か?」「相手はあのセリュジエ卿だぞ?」と口々に不安の言葉を口にする。

 確かに、彼女らの言葉ももっともだろう。先ほどまで僕が戦っていた相手は、装備も練度も大したことのない雑兵が大半だ。しかし、目の前にいるセリュジエ氏はそうではない。王国でも最上位に位置する騎士が、最高級の武具を纏っているのだ。こんな相手に男風情が一騎討ちを挑むなど、無謀を通り越して単なる馬鹿だ。

 

「ほう、噂のブロンダン卿か!」

 

 そんな中、セリュジエ氏は兜のバイザーをあけてニヤリと笑った。武張っているが、なかなか愛嬌のある顔立ちだ。

 

「ソニアから話は聞いているぞ。男でありながら、自身に比肩する剣士だとな」

 

「……ほう!」

 

 ソニアが、ねえ。同じ剣術大会の決勝戦で戦ったのだから、ソニアと個人的な面識があるのは予想内だったが……まさか僕のことを話題にしていたとはな。

 

「あの女、随分と貴様のことを自慢していたよ。……そうか、あのブロンダン卿か。面白い……その一騎討ち、このオドレイ・セリュジエは謹んで受けさせてもらおう!」

 

 ふーん、なるほどね。ソニアが僕のことをアレコレ言っていたわけか。どういう風に話していたのか興味はあるが……それより気になる点がある。あのソニアが、オレアン公に連なる騎士に僕の剣術について話すものだろうか? 僕は結構前から、オレアン公には有形無形の嫌がらせを受けている。いずれ正面から敵対する可能性のある相手だということは、ソニアも理解しているはずだが……。

 

「大丈夫なのか、アルベールくん」

 

 心配そうに、フランセット殿下が僕の肩を叩いた。

 

「ここは余に任せてくれ。余も、剣術にはそれなりの自信があるんだ」

 

「いけません、殿下。臣下として、貴女様の身を危険にさらすわけには参りません」

 

 僕だって一騎討ちなんぞしたくはないんだが、仕方がない。相手がかなりのツワモノだってのは確かだからな。こんな騎士が時間稼ぎに徹したら、面倒なことになる。最悪、後ろからも敵がやってきて挟み撃ちだ。

 しかし、一騎討ちではそんな姑息な戦法は使えない。なにしろ僕は男騎士だからな。積極性に欠けるような戦い方をすれば、男相手にビビっていると後ろ指をさされかねない。そうなれば、マトモに騎士として生きていくのはムリだ。

 

「行けるのか?」

 

「……行けなかったら、その時はその時で」

 

 僕が殺されそうになっている隙に集中攻撃を仕掛け、仕留めてしまえばいい。勝てば官軍ってやつだ。今は名誉ある戦いよりも、いかに早くオレアン公を確保するかのほうが大切だからな。

 なにしろこうしている間にも、平民街は混乱のるつぼと化している。こういう人心が乱れたタイミングは、人さらいや強盗のようなゴロツキ連中の稼ぎ時だからな。できるだけ早く軍を治安出動させる必要があるんだが……オレアン公やグーディメル侯と争っている状況では、とても治安維持に人手を回す余裕なんかない。こんなくだらない内乱は、さっさと終わらせなきゃダメだ。

 

「……わかった、任せよう」

 

 僕の意図を察したのだろう、フランセット殿下は静かに頷いた。賢明な上官で助かるね。そんなことを考えながら、近衛騎士たちが作った戦列をかき分けてセリュジエ氏の前に出る。

 ……なかなかの体格の持ち主だな。おそらく、身長は一九〇代、ソニアと同じかやや高いくらいか? 羨ましいね、まったく。僕ももうちょっと背が伸びたら良かったんだが。……いや、この国じゃ童顔で背の低い男がモテるからな、これ以上体格が良くなったら、非モテが加速しちゃうな。それは勘弁だ。

 

「……」

 

 サーベルの刀身に付いた血を拭い、構える。普段のような切っ先を真上に向ける構え方ではない。右手だけで柄を握り、右半身を前に出す……レイピアやフルーレのような刺突剣を扱う時に近いポーズだ。

 この構えは、母上が多用しているものだ。相手の攻撃をステップで回避し、全力の刺突で甲冑の隙間を狙うカウンター戦術……それが母上の好む戦法だった。

 

「なるほどな」

 

 笑みを深くしたセリュジエ氏は兜のバイザーを降ろし、自らも剣を構えた。右手に長い片手剣、左手にカイトシールド……ガレア騎士の剣術としてはごくスタンダードなものだが、それ故に隙は少ない。最小限の動きで攻撃にも防御にもつなげることができるから、相対しているものからすればやりにくいことこの上ないな。

 しかし、僕は彼女のその反応を見て密かに面頬の奥でほほ笑んだ。相手は強敵だし、最悪隙をついて手榴弾で爆殺してやろうかと思っていたが……どうやらマトモに剣で戦っても大丈夫そうだ。勝つためなら手段を選ぶ気はないが、奇策ってのは多用するとどんどん効果が薄くなっていくからな。正攻法で勝てるならそれに越したことはない。

 

「では、いざ尋常に……勝負!」

 

 自陣の公爵軍兵たちとこちらの近衛騎士たちを睨みつけてから、セリュジエ氏はそう宣言する。手を出すなよ、という牽制だろう。僕は深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。いつの間にか、戦闘は完全に停止している。彼我の兵士や騎士たちは、僕たちの立ち合いを固唾をのんで見守っていた。

 

「……」

 

「……」

 

 お互い無言でにらみ合う。普段なら、戦いが始まったとたん大声で叫びながら敵へ突っ込んでいくんだが……今回、僕は向こうの攻撃を待っている風を装って相手の出方をうかがっていた。なにしろ相手はソニア並みの剣士だ。まともに立ちあったら普通に負ける。工夫が必要だった。

 僕がソニアと剣術の試合をすると、八割の確率でこちらが負ける。あの副官は、本当にビビるほど強い。……しかし、これだけ戦績に差が出るのは、ソニアが僕の戦法をよく心得ているから、という部分も大きかった。なにしろ、僕の剣術は初見殺しじみた代物だからな。 大してセリュジエ氏は、僕とは初対面だ。おまけに、どうやらソニアが何かを吹き込んでいるようだ。まさかあのソニアが、僕が不利になるような情報を敵に流すはずもない。むしろこの場合は……

 

「ふっ!」

 

 剣を振りかぶり、セリュジエ氏が地面を蹴った。一見、先制攻撃を仕掛けてきたように見える。しかし、よく見ればそれにしては踏み込みが浅い。おそらく、こちらのカウンターを誘い、それをカウンターで返す腹積もりなのだ。

 

「……ッ! キエエエエエエエエエッ!!」

 

 それがわかっているから、僕は即座に構えを普段のモノに戻して叫んだ。相変わらずの蛮声とともに剣を大上段から振りかぶり、突進する。カウンターを狙っているように見せかけて、実際はいつものように先制攻撃でカタをつける。それが僕の作戦だった。

 相手は鍛え上げられた竜人(ドラゴニュート)の騎士だ。まともに立ち合えば、こちらが圧倒的に不利になる。勝利するには、チェスとされる前にチェストするしかない。初太刀が入れば勝ち、回避されると負け。乗るか反るかの大博打だ。どちらにせよ、勝負は一瞬でつく。

 

「ッチ!」

 

 こちらの策に引っかかったことを察して、セリュジエ氏は即座に盾を構えた。流石に判断が早い。僕は構わず、身体強化魔法を発動。全身全霊の力を籠め、剣を振り降ろした。

 

「ぐあっ!?」

 

 サーベルの刃は盾の装甲を戸板のようにカチ割り、さらにその下の左手を籠手ごと断ち切った。胴鎧の脇腹部分にあたって、ようやくサーベルの一撃はとまる。

 

「嘘、盾ごと!?」

 

「剛剣なんてレベルじゃないぞ、どうなってるんだ……」

 

 周囲の騎士たちが騒いでいるが、構っている暇はない。左腕を失いつつも、セリュジエ氏は戦意を失っていなかった。バックステップでこちらから距離を取りつつ、袈裟懸けに剣を振り降ろす。いったん退いて態勢を立て直すハラだろう。だが、そうはさせない。

 

「逃がさんよ……!」

 

 僕は籠手を盾代わりに使って相手の斬撃を防ぎつつ、セリュジエ氏に肉薄した。そして先端が切断された彼女の左手の脇に腕をねじ込んだ。そのまま柔道の大外刈りの容量で、この大柄な騎士を地面に引き倒す。

 

「チェスト!」

 

 床に背中を打ち付けて悶絶するセリュジエ氏に、僕はすかさず追撃を加えた。逆手に握りなおしたサーベルの切っ先が、兜のバイザーに付いた視界確保用のスリットに突き刺さる。……当然、スリットの先にあるのは眼球、そして脳だ。セリュジエ氏は濁った悲鳴と共に即死した。

 ……あっさり勝てたが、これはソニアのおかげだ。セリュジエ氏が僕の戦法を知っていたのなら、まず第一に僕の初太刀を躱すように動くはずだからな。予想通りソニアは僕と彼女が戦う事態を想定し、デタラメを吹き込んでいたようだ。

 只人(ヒューム)の騎士は珍しいから、母上はガレア騎士の間ではちょっとした有名人だったりする。当然、その戦法を知っている者も多い。僕は母上と同じ流派の剣術を使っている……そういう風に、ソニアはセリュジエ氏に紹介したんじゃないかな? あの頭の回る副官は、それくらいの小細工は平気でやる。

 

「今だ、突っ込め!」

 

 そこへ、フランセット殿下が命令を下す。あっけに取られていた近衛騎士たちは、弾かれたように敵陣に突っ込んでいく。切り札が一瞬のうちに敗れたショックに打ちのめされていた公爵軍兵には、それにあらがうだけの気力は残されていなかった。



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第135話 くっころ男騎士と地下牢

 切り札だったはずのセリュジエ氏が一分も立たずに討ち死にしたものだから、公爵軍兵側の動揺は大変なものだった。もちろん、その隙を逃すフランセット殿下と近衛騎士たちではない。ここぞとばかりに攻勢を仕掛け、あっという間に敵を蹴散らしてしまった。

 やっぱり、一騎討ちってのは凄いな。勝てばこちらの士気が上がり、敵の士気は落ちる。僅か一人の敵を倒すだけで、戦闘の流れその物が変わってしまう。このメリットは滅茶苦茶おおきい。……まあ、負けたら逆の立場になる訳で、ハイリスク・ハイリターンな博打ではあるんだが。

 

「いや、驚きましたよ、ブロンダン卿。あのセリュジエ卿をこうも容易く捻るとは」

 

「あなたの噂は前々から聞いておりましたが、正直信じていませんでした。まさか、ここまでとは……我が不明を恥じるばかりです、申し訳ない」

 

「盾ごと相手をぶった切るとか、騎士というよりもはや暴力の化身ですよね」

 

 地下へと向かう階段を下る僕の周りには、何人もの近衛騎士たちが集まっていた。褒めてくれるのは嬉しいが、なんだか恥ずかしい。当たり前だが近衛騎士団は女性ばかりなので、いわゆるオタサーの姫(この世界の場合は王子だが)になったような気分だ。……まあ、今の僕は返り血で全身真っ赤かになってるんだけどな! どんな物騒な姫だよ。

 

「止めたまえよ君たち、アルベールくんが困ってるじゃないか」

 

 苦笑しつつ、フランセット殿下が僕と騎士たちの間に割り込んでくる。殿下は僕の肩に手を置くと、ぐっと顔を近づけてきた。やたらと整った気品のあるイケメンフェイスが急迫したものだから、僕の心臓は飛び上がった。

 

「しかし本当に素晴らしい腕前だね、アルベールくん。もしかして、あのソニアくんより強いのでは? ソニアくんとセリュジエ卿の試合は、あれほど一方的ではなかったが」

 

「まさか!」

 

 その言葉に、僕は思わず笑ってしまった。ソニアは僕の副官だから、当然手合わせをする機会は毎日のようにある。だから、実力差はよくわかってるんだ。とてもじゃないが、彼女より自分のほうが強いなんて幻想は持てないね。

 

「十回試合をやって、なんとか一本か二本か取れる……その程度ですね。本物の天才ですよ、あいつは」

 

 だいたい、竜人(ドラゴニュート)只人(ヒューム)では地力が違いすぎるからな。セリュジエ氏との一騎討ちでも、持久戦にもつれ込んでいたら勝機は万に一つもなかっただろう。実力を発揮する前に初手で叩き潰す、これ以外に勝ち筋は無い。圧勝か、ボロ負けか。そういう勝負だったんだよ、あれは。

 それに、ソニアの偽情報もあった。アレがなきゃ、まともに剣術で戦うのはかなり難しかった気がするんだよな。一騎討ちを仕掛けたのは、剣術で勝てる自信があったからではない。僕が手榴弾を持っていたからだ。いくら広いとはいっても、所詮は屋内。遠くから手榴弾を投げつけまくれば勝てる、そう考えていた。

 

「それでも一本や二本はとれるのか……」

 

「百回やっても一勝もできないな、あたしじゃ」

 

 若干呆れた様子で、近衛騎士たちが笑いあう。……ガレア王国の最精鋭と呼ばれる騎士たちにここまで言われるとか、本当に凄いヤツだよな、ソニアは。本当になぜ僕の副官なんてやってるのか、不思議でならない。

 しかし、王都に戻ってきてからまだ大した時間もたってないっていうのに……ソニアとは、しばらく会っていないような気がするな。なんだか寂しい気分だ。あいつとも長い付き合いだからな、ほとんど半身みたいなものだ。

 

「……」

 

 近衛騎士たちがワイワイと盛り上がる中、フランセット殿下は僕の肩に手を置いたまま黙り込んだ。何かを思案している様子だった。どうしたのかと聞こうとしたが、それより早く彼女はにこりと笑う。

 

「きみのような臣下を持てて、余は幸せ者だな。これからも期待しているよ、アルベール君」

 

「ええ、もちろん」

 

 愛人になるのは勘弁願いたいけどな。まあ、君主と臣下としての関係なら、何の問題もない。戦場での動きを見る限り、フランセット殿下はなかなか切れ者のようだ。さぞ仕え甲斐のある、英明な国王陛下になってくれることだろう。

 

「……おっと、おしゃべりはこのくらいにしておいたほうがよさそうだ」

 

 そこで突然、フランセット殿下は僕の肩から手を離して足を止めた。階段の終点が見えてきたからだ。その先にあったのは、短い廊下と丈夫そうな木製の門だ。地下だけあって、流石に薄暗い。明かりと言えば、壁にかけられたオイルランプくらいだ。

 

「調べによれば、あの門の向こうに地下牢がある」

 

 殿下が指さした門は、カンヌキがかけられ堅く閉ざされていた。カンヌキが内側ではなくこちら側……つまり外にかけられているあたり、侵入者を拒むための門ではなく、内側に居るものを逃さないための門であることは明らかだった。

 

「守衛は……おりませんね」

 

 近衛団長が周囲を見回しながら、言った。たしかに、普通なら牢屋の前には警備の者を置いておくのが普通だろう。しかし、それらしき人影はまったくない。

 

「閉じ込められているのは、オレアン公爵家の当主だからね。次期当主が現当主を監禁しているなんてことを、一般兵に知られるわけにはいかない……」

 

「なるほど。情報漏洩を避けるため、あえて守衛を配置していないと」

 

「ああ。流石に牢屋の前を警備する兵に、中に誰が居るのかを隠し通すのは難しいだろうからな。本格的な牢獄ならまだしも、ここはあくまで私的な地下牢に過ぎないわけだし」

 

 なんで私的な地下牢なんて用意してるんだよ、って感じだが……どうやらこの手の地下牢は、たいていの大貴族の屋敷にあるらしい。叛意のある家臣を閉じ込めたり、その貴族にとって都合の悪い人物を表沙汰に出来ない方法で処分するときに使ったり……いろいろと活用されているのだという。貴族社会って怖いね。

 

「危険がないか調べさせます。少々お待ちください、殿下」

 

 先ほどまでの弛緩した空気は、いつの間にか完全に霧散していた。真剣な表情でそう言う近衛団長に、フランセット殿下は笑みを消して頷く。

 指示を受け、数名の近衛騎士が先行した。床や壁にトラップの類がないか調べつつ、近衛騎士たちはゆっくりと進んでいく。やがて奥の門までたどり着くと、彼女らはこちらに向かって手を振った。

 

「罠の類は無いようですね。いかがしましょう」

 

「むろん、突入する。さてさて、オレアン公は本当にこの向こうに居るのやら……居なきゃ困るんだがね」

 

 そう言って、フランセット殿下は一歩を踏み出した。

 



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第136話 くっころ男騎士と旧守派公爵

 門を超えると、そこは牢獄だった。鉄格子で仕切られた小部屋が六つと、守衛室らしき場所がひとつあるだけの殺風景な場所である。閉め切った地下空間だけあって、むっとするような湿気と熱気、そしてランプに使う鯨油が燃える臭いと汗の匂いが混然一体となった不快な空気が滞留している。

 鉄格子の向こうには、何人もの女たちが捕らえられていた。その数は多く、明らかに牢屋はキャパオーバー状態だった。半分以上が、老人と言っていい年齢だ。おそらく、オレアン公爵家でも現当主派閥に属し、次期当主イザベルによるクーデターに参加しなかった連中だろう。

 

「んなっ! フランセット殿下!?」

 

「どういうことだ、これはいったい……」

 

 僕たちを見て、老人共はくちぐちに困惑の声を上げる。そりゃあ、王太子が突然現れたらびっくりするよな。

 

「鎮まれ、皆の者! 余は貴殿らを救出しに来たのだ! 心配する必要はない」

 

 堂々とした様子でそう宣言するフランセット殿下に、老人たちは面食らった様子で顔を見合わせた。『助かった!』という風な安堵の表情を浮かべている者は、ほとんどいない。自分たちの屋敷に完全武装の近衛騎士団を伴った王太子が踏み込み、最奥部である地下牢に突入してくる……その意味がわからないような貴族はあまりいないだろう。

 

「イザベルは討たれましたか」

 

 かすれた声でそんなことを言う老女には、僕も見覚えがあった。オレアン公だ。普段はむやみやたらと偉そうな態度が目立つ彼女だが、監禁中だけあって流石に憔悴した様子だった。しかし、その目には強い意志の光があった。心までは折れていないのだろう。

 

「イザベルは死んだ。確かにな……しかし、我々が討ったわけではない。王都は今、少し面倒なことになっている」

 

「……」

 

 オレアン公は一瞬顔を悲痛に引きつらせたが、すぐに気丈な表情でそれを覆い隠す。

 

「まあ、こんな状態では落ち着いて話もできない。とりあえず、牢屋から出てもらおう。……余は君たちを被害者だと認識している。大人しくしている限りは丁重に扱うので、安心してほしい」

 

 安心してほしいと言いつつ、殿下の口調は脅迫しているようにしか聞こえない物騒なものだった。逃げ出せば殺す、殿下はそう言っているのだ。

 それから三十分後。解放(・・)された老人たちは、疲れ切った表情で床に腰を下ろしていた。彼女らからすれば息のつまる地下からはさっさと出たいところだろうが、残念なことに上階の安全は確保されていない。なにしろ屋敷に突入した兵力はわずか二個小隊、この程度の戦力で広大なオレアン公邸を制圧するのは不可能だ。

 退路を確保しつつ、伝令を出して別動隊との合流を急ぐ。それが僕たちの当面の方針だった。作戦目標のオレアン公は確保したのだから、慌てて屋敷からの脱出を図る必要もない。

 

「イザベルは、確かにグーディメル侯爵に討たれたのですか?」

 

 大まかな事情を説明し終わると、オレアン公は張り詰めた声でそう聞いてきた。フランセット殿下は静かに頷く。

 

「ああ。もし彼女を討ったのが我々であれば、この場にその首を持参している。その方が話が早いからね……」

 

 実際、フランセット殿下は公爵軍と交戦する際、なんどかイザベルが死亡したことを伝えて投降するよう勧告している。しかし、その証拠を出せなかったばかりに、殿下の言葉を信じる公爵軍の指揮官はいなかったのだ。

 

「で、あれば討たれたという情報そのものがグーディメル侯爵の欺瞞工作である可能性は?」

 

「確かにイザベルは晒し首にされている。まあ、その首が単なるそっくりさんだという可能性は無きにしもあらず、だがね? しかし、ならばなぜ彼女は『わたしは生きているぞ!』と名乗り出てこないのか……不思議だね?」

 

「……」

 

 オレアン公は娘が生きていると信じたい様子だった。正直、以外だ。彼女は冷徹な陰謀家のイメージが強いからな。娘が死んでも「所詮反逆者だ。死んで当然」くらい言うのではないかと思っていたのだが……。明らかに、今のオレアン公はショックを受けている。

 

「なるほど、だいたいの事情は分かりました」

 

 深い深いため息を吐いてから、オレアン公は僕の方を見た。

 

「殿下はオレアン公爵家を取り潰しにするおつもりはないと、そういうわけですな?」

 

「無論、その通りだ。オレアン公爵家は長きにわたって我が王家を支えてきた忠臣、たった一人の人間の乱心を理由に潰してしまうのは、あまりに惜しい」

 

 ……なんで僕の方を見て、そういう判断をしたんだ? それがわからず小首をかしげていたら、殿下はニヤリと笑ってオレアン公に頷いて見せた。オレアン公は、何かを理解した様子で頷き返す。え、どういうこと?

 

「彼はリースベンで華々しい活躍をしたと聞いております。もしや、今回も?」

 

「ああ。僅か一個中隊の戦力でパレア第三連隊に痛撃を与え、降伏の切っ掛けを作った」

 

「そうですか、他所で遊ばせておくのは惜しい人材だと」

 

「そういうことだ。アルベールくんほど頼りになる騎士はそう居ないからね、手元に置いておきたいのさ。オレアン公もそのつもりで頼むよ」

 

「あ、あの、お褒めにあずかり光栄なのですが……ちょっと話が見えないといいますか」

 

 僕は思わず、二人の会話に口を挟んだ。どうも、嫌な予感がしたからだ。しかし殿下は胡散臭い笑みを浮かべて、軽く肩をすくめる。

 

「ああ、すまない。本題に戻ろうか。……要するに、余は今回の件はイザベルの独断だと思っているわけだ。公の責任を問う気は、今のところない。……だからこそ、臣下としての義務は果たしてもらいたい。まずは反逆者の討伐だ。グーディメル侯爵は、あなたにとっては娘の仇。復仇の機会を与えよう」

 

「……有難き幸せ。承知しました。老骨の身ではありますが、粉骨砕身お仕えさせていただきます」

 

 そう言って、オレアン公は深々と頭を下げた。……僕は政治オンチだから、先ほどのやり取りについてはいまいちよくわからない。とはいえ、殿下が暗に『反乱の責任は全部イザベルとグーディメル侯爵に押し付けていい。その代わり、王家の言う事には全部イエスで答えろよ』と言っていることはわかる。

 やはり、殿下は切れ者だ。今まで、公爵家は割と好き勝手やってきた。しかし、この件でオレアン公は殿下に大きな借りができたわけだからな。もはや、公爵家が生き残るには殿下のイエスマン(ウーマン?)になり下がるほかない。名前だけ残し、実権は奪う……この期に乗じて、殿下は中央集権化を図るつもりのようだ。

 まあ実際の話、今までの戦いで損耗したのは、王都に駐屯している王軍の部隊ばかりだからな。オレアン公爵軍については、ほとんど無傷だ。オレアン公は処刑、公爵領も没収……そういう話になったら、二度目の反乱が起きかねない。そんな事態を避けつつ、オレアン公爵家を有名無実化する。なるほど、冴えた手だ。

 

「よろしい。では、まずは公爵軍の連中に剣を降ろすよう説得してきてもらえるかな? 今の状態では、共闘どころではないからね」

 

「ええ、お任せください」

 

 ……とりあえず、オレアン公の説得には成功したようだった。あとはグーディメル侯爵だな。



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第137話 メスガキ騎士と重鎮辺境伯

 私、カリーナ・ブロンダンは眠気をこらえていた。濃いめに淹れてもらった豆茶にミルクをたっぷり入れ、一気に飲み干す。昨夜はずいぶんとバタバタしていたから、短い時間しか眠ることができなかった。おかげで少し暇な時間が出来るとすぐに瞼が重くなってしまう。

 それでも、多少なりとも眠れただけマシだ。お兄様なんか、一睡もしないまま夜通し国王陛下の捜索をしてたからね。私も手伝おうとしたけど「そのトシで夜更かしなんかしてたら、背が伸びなくなるぞ」って言われて断られちゃった。確かに、私が居ても足手まといになるだけかもしれないけどさ……自分が頼られなかったのは、ちょっと悲しい。

 とはいえ、私が役立たずだというのは事実だから仕方ない。今だって、指揮用天幕ではいろいろな人が資料や地図を見ながらアレコレ話し合っているというのに、私は隅っこの方でボンヤリしていることくらいしかやることがない。情けないったらありゃしないわ。

 

「やあ、随分と眠そうだね」

 

 そこへスオラハティ辺境伯がやってきて、私の隣に置かれた折りたたみ椅子に腰を下ろした。そう言う辺境伯もひどく眠そうな表情で、目の下には微かにクマができている。この人はお兄様と一緒に一晩中あちこち駆けずり回ってたみたいだから、そりゃ疲れてるわよねえ。

 

「裏の休憩用テントで一眠りしてきても構わないよ」

 

「い、いえ、大丈夫です」

 

 心配そうな様子の辺境伯に、私はあわてて首を左右に振った。この人は、私みたいなガキにもよく気を使ってくれる。本当に、あの鬼みたいなソニアの母親とは思えないくらい優しい人よね。アイツなら、「そんなに暇なら腕立て伏せでもしてたらどうだ?」くらい言ってると思う。

 

「……自分こそ休んだらどうだ、という表情だな」

 

 そう言って、スオラハティ辺境伯は苦笑した。そこへ従士が香草茶の入ったカップを持ってきたので、辺境伯は一礼してからそれを受け取った。湯気の立ち上るカップをあおり、ほっと息を吐く。

 

「年を食うと体力が落ちていけないな。十年前なら、この程度は全然平気だったんだが……」

 

「そ、そんなことは……」

 

 なにしろ相手はかなりの偉い人だから、私は冷や汗をかきながらその言葉を否定した。私だって一応伯爵の娘だったわけだけど、辺境伯の治めるノール辺境領と私の実家があるズューデンベルグ伯爵領では、領地としての規模が天と地ほども違うわけだし。気兼ねするなってほうがムリよ。

 

「とはいえ、今はちょっと眠れる気分ではなくてね」

 

「……ええと、その、私も同じ感じです。お兄様は大丈夫かなって、心配で」

 

 あの軟派な王太子サマに連れていかれてしまったお兄様のことを考えると、どうも眠りたいという気分じゃなくなっちゃうのよね。あの人、普通にお兄様を狙ってる感じだったし……。まさかとは思うけど、そのまま連れ去られちゃったりしないわよね……?

 

「そうだな、確かに落ち着かない。……ここだけの話、王太子殿下にアルを預けるのは反対だったんだが」

 

 周囲に聞こえないよう声を抑えながら、スオラハティ辺境伯は言う。たぶん、みんなそう思ってるんじゃないかな。アデライド宰相なんて、すごい顔色になってたし……。

 

「男癖があんまり良さそうな方ではないですしね。お兄様ってば、純情だから簡単に騙されちゃいそう……」

 

 軍隊育ちなせいか、お兄様は女の人に対する距離感が近いのよね。その癖、女の性欲には鈍感だし……ああいう遊び人からすれば、カモみたいなもんでしょ。ちょっとヤバイんじゃないかって思うんだけど、相手は王太子だし断ることもできない。ヤな感じ。

 

「それもある。しかし……どうやら私は殿下から疎まれているような気配があるからな。男女の感情以前の問題で、私たちとアルの離間工作を仕掛けてきそうな気がするんだ」

 

「ああ……」

 

 辺境伯の言葉に、私は思わずうなってしまった。そりゃ、そうならないほうがおかしいわよね。君主と有力な地方領主が仲良しこよし、ということはあんまりない。なんといっても、反逆が怖いからね。

 しかも、今回はあの第三連隊とかいう部隊の件もある。王軍に所属しているにもかかわらず、別の領主貴族の影響を受けているというのは、あの連隊長もお兄様も一緒だもの。当然警戒するわよ。とはいえ、殺すのは惜しい……だったら、自分の陣営に取り込んでしまえ。王太子殿下がそう考えていても、おかしくは無いわ。

 

「まあ、流石に王太子殿下も、オレアン公やグーディメル侯に続いて私まで敵に回すようなつもりはないだろう。今回に限って言えば、アルは無事に戻ってくると思う。……しかし今後のことを考えると、気が重い」

 

 寝不足のせいか、辺境伯は若干弱気になってるみたいね。気持ちはすごくわかるけど……。正直に言えば、平和的に人材の取り合いをしているだけなら私には無関係なのよね。辺境伯陣営だろうが王太子陣営だろうが、私のやること自体は変わらないわけだし。

 とはいえ、やっぱりああいうナンパ女の下でお兄様が働くっていうのは、あんまりいい気分はしないけどね。とはいえ、現状だってタチの悪いセクハラ女の下で働いているんだから、似たようなものではあるんだけど。私としては、お兄様にはこの淑女的な辺境伯サマの直属の部下になってもらうのが一番安心できるかもしれない。

 ま、そうは言ってもこの辺境伯も、時々お兄様をヘンな目で見てるけどね。でも、お兄様は割とみんなからヘンな目で見られてるからね。今さらその程度ことを気にしてたら、やっていけないわ。ソニアやその部下の騎士たちの性欲でギラついた目つきよりは、辺境伯の切ない目つきのほうがだいぶマシよ。

 

「……はあ。しかし、そんなことは今考えてもしょうがないな」

 

 ため息を吐いてから、辺境伯は周囲を見回した。指揮用天幕の下では、参謀や下級指揮官たちが忙しそうに働いてるけど……方針がすでに決まっているせいか(一応名目上は)鎮圧軍の総指揮官であるはずのスオラハティ辺境伯は、手持無沙汰な様子だった。

 この作戦はお兄様がたてたものだけど、私にはそれがどういう内容なのかいまいちよくわからない。投降したはずの第三連隊やお城に居る軍楽隊まで集めて、派手なことをやろうとしてるみたいだけど……具体的に、グーディメル侯爵とやらとどう戦うのかは見えてこない。

 合戦場の策定やらなにやら、戦闘の前にはいろいろと準備しなきゃいけないことがある。でも、お兄様が命じたのは進軍ルートの検討のみ。そのほかの命令も、戦闘というよりパレードの準備というのが近いような代物ばかり。いったい、お兄様はどういうつもりなんだろうか……?

 

「とりあえず、アルが帰ってくるまでは私もやることがない。疲れているのは確かだから、横になるくらいはしておこうか。カリーナ、君も一緒に来なさい。私の護衛ということにしておいて、一緒のテントで寝れば周囲の目は誤魔化せる。あとで他の連中にあれこれ言われる心配はないよ」

 

 にっこりと笑って、スオラハティ辺境伯はそう言った。確かに、私だけで寝ていたら「兄であるアルベールや周囲が頑張っているのに、一人だけ休むなどけしからん!」という話になってしまう。どうやら、辺境伯はそれを心配してくれているらしい。思わず、胸の奥がジンと熱くなった。本当にどこぞの鬼みたいな副官やらセクハラ宰相やらとは大違いね!



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第138話 くっころ男騎士と馬鹿げた作戦

 老いたりと言えども、オレアン公はやはり尋常な貴族ではなかった。なかば混乱状態にあった公爵軍をあっという間にまとめ上げ、殿下の前に整然と並べて見せた。王都各地で散発的な戦闘を続けていた公爵派の部隊にも伝令を送り、降伏を命じる。正午の鐘が鳴るころには、すべてが終わっていた。

 オレアン公に従う部下を引きつれ、僕たちは王城前広場に設営した指揮本部へ帰ってきた。グーディメル侯爵に対抗するため僕が考案した作戦には、多数の兵士が必要なのだ。せっかくオレアン公がこちらについてくれたのだから、もちろん有効活用させてもらう。

 

「……王都民たちに王軍の健在をアピールしつつ、侯爵側についた部隊を牽制するわけか。なるほど」

 

「そうです。敵も味方も王軍であることにはかわりありませんからね、同士討ちをしたい人間など、そうはいません。その心理を利用します」

 

 テーブルに乗った王都の地図を囲みつつ、僕たちは作戦の最終確認をしていた甲冑を着込み完全武装状態のオレアン公が、眉間にしわを寄せながら地図上のコマを弄る。

 

「……さっきからやたらと楽器の音が聞こえるが、まさか軍楽隊まで引き連れていく気かね?」

 

「ええ、もちろん。パレードには、勇壮な行進曲がつきものでしょう?」

 

 オレアン公の言う通り、指揮用天幕の近くでは軍楽隊が楽器のチューニングをしていた。正直、かなりうるさい。

 

「パレード、パレードね。確かにその通りだ。……一周まわって笑えて来たな」

 

「珍しく意見が一致したな、オレアン公。私も初めてこの作戦を聞いた時は、何かの冗談かと思ったよ」

 

 乾いた笑みを浮かべるオレアン公に、珍しくスオラハティ辺境伯が同調した。この二人は、顔を合わせると高確率で言い争いが始まる程度には仲が悪いのである。流石にこんな状況で喧嘩を始められたら溜まったものではないので、僕はほっと安堵のため息を吐いた。

 

「確かに、冗談のような作戦ではありますね。内乱の真っ最中に、楽器をかき鳴らしながらあちこちを練り歩くなんて」

 

 王家と軍の健在を見せつけ、民衆の不安を払しょくする……そういう名目で、盛大なパレードをしながら王都を練り歩く。それが僕の立てた作戦だった。グーディメル侯爵の部隊と遭遇しても、攻撃は仕掛けない。それどころか、パレードに参加するようフランセット殿下直々に命じてもらう予定だった。

 何しろ、グーディメル侯爵側の戦力は大半が王軍の王都防衛隊だからな。彼女らは国王陛下の命令だから、仕方なく侯爵に従っているに過ぎない。そこに、付け入る隙があるのだ。

 

「肝心なのは、グーディメル侯爵と王都防衛隊を分離することです。侯爵は独自の戦力をほとんど持っていませんからね。王軍の協力を失えば、もう何もできなくなるはずです」

 

「理屈はわかる。しかし、兵士たちは余の命令に従ってくれるかな? そこが一番不安なんだが」

 

 香草茶の入ったカップを片手に、フランセット殿下が難しい表情で聞いてくる。確かに、その通りだ。いくら殿下が王太子でも、現国王の勅命を取り消すような権限は持っていない。普通に考えれば、殿下が「お前たちもパレードに参加しろ」だなどと言ったところで無視されるだけだ。

 

「おそらく、問題ないでしょう。同士討ちなんてしたくないのは、向こうも同じでしょうから。戦わなくてもいい理由さえ提示してやれば、積極的に乗ってくるはずです」

 

 オレアン公に協力を仰いだのは、このためだ。オレアン公の私兵を使って部隊を使って部隊を水増しし、大軍を装うわけだな。こちらの数が多くなればなるほど、向こうの戦意は低下する。

 あえてパレードという形にするのも、同じ理由だ。こっちがバッチリ臨戦態勢を整えていたら、相手も自衛のために戦闘準備をせざるを得なくなる。だからこそ、こちらに戦うつもりがないことをアピールする必要があるわけだが……その点、パレードはいい。軍楽隊の演奏とともに派手に行進するわけだから、"実戦感"はあまりない。その割に完全武装だから、いざという時にはすぐに戦闘に移行できるというメリットもある。

 たしかに、自分で考えてもバカらしい作戦だと思う。しかし、そんなくだらない作戦だからこそ、向こうの部隊も乗ってくれるような気がするんだよ。なにしろ、王軍の中にマジ(・・)な内乱を望んでる人間が沢山いるとも思えないからさ。笑い話で済ませられるなら、それに越したことはないだろ。

 

「……「『グーディメル侯爵を討て』ではなく、『パレードに参加せよ』という命令ですからな。戦闘命令よりは、よほど心情的に従いやすいでしょう。それに、王都防衛隊の兵士たちは、王都やその周辺集落で募兵された者たちです。王都の治安回復には、積極的に協力してくれるのではないでしょうか?」

 

 そう言って僕を援護したのはオレアン公だった。少し驚いて彼女の方を見ると、小さくため息を吐いてから僕に会釈をしてきた。

 

「自分としましては、この作戦には賭けてみる価値はあると思います。なにより、うまく行けば兵にほとんど犠牲を出さずに済むというのが良い。これ以上王軍の戦力が減じれば、新たな反乱を誘発する可能性もありますからな」

 

「確かにそうだ。反乱だけではない、周辺国の侵攻も……」

 

 思案顔で、フランセット殿下は視線を宙にさ迷わせた。アーちゃんの顔でも思い浮かべているのだろう。

 

「よろしい。では、やってみようじゃないか。準備ができ次第、進発を……」

 

「報告!」

 

 そこへ突然、伝令兵が飛び込んでくる。……なんだか既視感があるな。同じ意見らしいスオラハティ辺境伯が、額に手を当てた。

 

「どうした、そんなに慌てて。余の妹でも攫われたか?」

 

 苦笑しながら、フランセット殿下が聞く。発言を遮られたというのに、叱責もしないあたり彼女も懐が広いな。

 

「フィオレンツァ司教がお戻りです。なにやら、皆さまに知らせておきたいことがあるとか」

 

 どうやら、悲報の類じゃないみたいだな。思わず安堵のため息を吐いた。……フィオレンツァ司教は、情報収集をすると言って出ていったきりだったな。何か有益な情報でも入ってきたのだろうか?

 

「ああ、司教様か。いいだろう、お通ししなさい」

 

「いえ、それが……」

 

 頷く殿下だったが、伝令兵は奥歯になにか挟まったような態度だった。小首をかしげていると、おそるおそるといった様子で言葉を続ける。

 

「なんというか、ひどい状態でして……そのままお通しして大丈夫なものかと」

 

「……は?」

 

 ひどい状態? え、なに、どういうこと?



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第139話 くっころ男騎士とお腐れ司教様

「ひどい目にあいました」

 

 憮然とした表情で、フィオレンツァ司教は言った。彼女は全身生ごみまみれのひどい有様だ。青白の司教服はもはや洗濯しても無意味なのではないかというほど汚れ、美しかった純白の羽にはクズ野菜の切れ端だのトリの骨だのがこびりついている。

 

「な、なにがあったんです、フィオレンツァ様!」

 

 いったい何がどうなったらこんなことになるのだろうか。僕は慌てて司教の元に駆け寄った。ツンとした腐敗臭が目鼻を突き、涙が出そうになる。こりゃ尋常じゃないな。

 

「刺客に襲われました。おそらく、グーディメル侯爵の手の者でしょう」

 

  ため息交じりに、フィオレンツァ司教はそう答える。僕は彼女の背中側に回り、失礼と断ってから羽や髪に付着した生ゴミ類を取り始めた。こんな状態では、風呂にも入れない。

 

「アルベールさん! 結構ですよ、自分でやりますから……」

 

「髪はともかく羽は自分じゃ何ともならないでしょ!」

 

 逃げようとする司教を、僕が推しとどめる。従士が駆け寄ってきて「私にお任せを」と言ってきたが、止める。幼馴染であるフィオレンツァ司教がこんなことになっているのだから、僕も平静ではいられない。彼女の身づくろいを手伝うことで、自分を落ち着かせる効果もあった。

 

「すみません……はあ……」

 

 謝りつつも、フィオレンツァ司教は安心したように肩から力を抜いた。若干、表情も柔らかくなったように見える。

 

「その、司教様? 襲撃を受けたのは分かりましたが……だからといってなぜそんなことに?」

 

 司教の放つ悪臭が我慢ならないのだろう、席から立ち上がったフランセット殿下は一歩どころか十歩ほど後ずさりしつつそう聞いた。その表情はひどく引きつっている。

 

「……剣や槍で武装した集団に追い回されまして」

 

「はあ」

 

「慌てて飛んで逃げたのですが」

 

 言いづらそうな様子で、司教は羽を軽く動かした。翼人族の羽は飾りではない。一応、空を飛ぶことは可能だ。もっとも、腕などというデッドウェイトを抱えているせいか、鳥人(ハーピィ)たちのように自在に空を飛び回るのは難しいらしいが……。

 

「その……日ごろの運動不足が祟ったのか、すぐにバテて墜落してしまい……」

 

 ああ……司教、普段から移動には馬車使ってるしなあ……運動する機会とかないよなあ……。

 

「逃げ切れた自信がなかったので、ちょうど炉端に止まっていた生ゴミ運搬用馬車の荷台にしばらく隠れる羽目に……」

 

「……なるほど」

 

 肥料の原料として生ごみを集めている業者だな。……つまり、荷台に積まれた生ゴミの山の中に隠れてたわけか。夏場だからなあ、完全に腐ってただろうな……。いくらなんでも可哀想だろ……。

 

「しかし、なぜ司教殿は襲われたのだろうか?」

 

 スオラハティ辺境伯が小首をかしげた。たしかに司教はこちらの陣営で動いてくれているが、情報収集を中心に立ち回ってくれているハズだ。聖職者を襲撃したとなると、外聞もよろしくない。独自戦力を持たず、大義名分がなくては動けないグーディメル侯爵が司教を害そうとするのは、確かにちょっと不自然な気がするな。

 

「情報収集などと誤魔化しておりましたが……実はわたくし、別なこともしておりまして。それが許しがたかったのでしょう、グーディメル侯爵は」

 

「別なこと……? いったい、どのような」

 

 フランセット殿下が渋い表情で聞いた。余計なことをしてたんじゃないか、とでも言わんばかりの表情だ。

 

「敵陣営の切り崩しです。具体的に言えば……王都防衛隊の各連隊長に、侯爵には協力しないよう直接要請しに行きました」

 

「おお!」

 

 思わず声が出た。どうやら、フィオレンツァ司教は僕と同じ結論を出していたらしいな。グーディメル侯爵は、王軍の協力がなければ戦うことはできない。だからこそ、この両者を分断してやれば余計な被害を出さずに事態を収拾できるという寸法だ。

 

「して、成果は?」

 

「パレア第一連隊はこちらについてくれることになりました。もうしばらくしたら、伝令を送ってくるはずです」

 

 それまでの憔悴した表情から一転、見ているこっちまで愉快な気分になってきそうな渾身のドヤ顔とともに司教はそう言い切った。……なんだか懐かしい気分になって来たな。今でこそ落ち着いたけど、子供のころの彼女は結構ヤンチャな感じだったんだよ。

 

「第四連隊も、好意的中立を表明してくれました。正式な勅命に正面から反抗するのは難しいが、あれこれ理由を付けて時間を稼ぐのでその間にカタをつけて欲しい、とのことです」

 

「最高!」

 

 僕は思わず司教に抱き着いた。王都防衛隊には五つの連隊がある。そのうち、第五連隊はこちらの指揮下にあり、第三連隊はすでに降伏済みだ。そこからさらに二個連隊が脱落すれば、残るは第二連隊のみ。残存した第三連隊は、無罪放免を条件にこちらに付くよう説得しているから……戦力差は三倍になる。

 リースベン戦争からこっち、ずっと不利な戦力差での戦いを強いられてたからな。なんだか感慨深い。第二連隊がまるまる敵についたとしても、これだけ兵力に差があるなら降伏してくれる可能性が高いのではないだろうか? 手早く、そして彼我共に無傷で矛を収めることができる。指揮官として、こんなに嬉しい事は無い。

 

「ふひゃあ! い、いけませんよアルベールさん、ふへへ……イテテ、あっ、割と真面目に痛い!」

 

「アッ! 申し訳ない!」

 

 よく考えれば、僕は全身甲冑姿だ。それに抱き着かれたりしたら、痛いに決まっている。そもそも、司教は右手を骨折してるんだ。甲冑がなくとも、抱き着くのはマズイ。

 

「い、いえいえ、お気になさらず……」

 

「アル、君まで生ゴミまみれになってしまっているじゃないか……」

 

 いつの間にか隣に来ていたスオラハティ辺境伯が、慌てた様子で僕と司教を引き離した。……言われてみれば、無遠慮に司教にくっついてしまったせいで僕の甲冑にもだいぶ汚れが付着していた。

 

「いや、まあ、さっきまで血塗れだったわけですから……ちょっとくらい汚れても別に……」

 

 とはいえ、実戦に出れば多少の不衛生さには目をつぶる必要があるからな。実際、今日はすでに一度全身返り血まみれになってた訳だし。流石にそのままにしておくと不潔だし甲冑も錆びてしまうから、本営に帰ってきた際に最低限の着替えと手入れはしているけどね。

 

「しかしだね……はあ、まったく……」

 

「いや、素晴らしい成果だ! 流石はフィオレンツァ司教様だ。やはり、只者ではないな」

 

 辺境伯の言葉を遮るように、フランセット殿下がパチンと手を叩いて破顔した。そのままズンズンと司教に歩み寄り、その手を握ってブンブンと握手する。……なんだか、ちょっとわざとらしい喜び方だな。さっきまで、はっきりドン引きしてたからなあ……それを誤魔化したいんだろう。しかし、その首筋にはハッキリと鳥肌が立っていた。汚いのが苦手なのかね?

 

「え、ええ……ありがとうございます。ところで、殿下。身づくろいをしたいのですが、お風呂を用意していただいてもよろしいでしょうか?」

 

「もちろんだ! 今すぐ用意させるから、可及的速やかに体を洗ってきてほしい」

 

 引きつった笑みを浮かべながら、フランセット殿下は頷いた。

 

 

 



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第140話 くっころ男騎士と行進準備

 王城前広場に、兵力が集結していた。最初から僕たちの指揮下に居た第五連隊はもちろん、フィオレンツァ司教の仲介により合流を果たした第一連隊、そして一度は降伏した第三連隊すらも、完全武装の上で整列をしている。近衛騎士団やスオラハティ辺境伯、オレアン公爵の私兵などを合わせ、その数五千名以上。現代軍では旅団規模の戦力ではあるが、この世界では十分に大軍といっていい数である。

 生ゴミまみれになったフィオレンツァ司教を風呂に沈めた後、僕たちは出撃前の最後の準備を行っていた。自分自身の装具はもちろん、兵の点呼や軍旗の準備、行進ルートの最終確認など、やるべき作業はいくらでもある。

 

「次の戦場では、ぜひ味方としてあなたと共に戦いたい……ブロンダン卿は確かにそうおっしゃられましたが、まさか昨日の今日で(くつわ)を並べることになるとは思いませんでしたよ」

 

 自らの武具一式を点検しつつそんなことを言うのは、パレア第三連隊・連隊長のジルベルト・プレヴォ氏である。反乱の責任を取るため収監されていた彼女だったが、第三連隊の指揮のため一時的に釈放されたのである。

 

「……でしょうね。僕も同感です」

 

 僕は神妙な顔で頷いた。もちろん、彼女の釈放に反対する者はそれなりにいた。しかし、アデライド宰相やスオラハティ辺境伯に頼んで、なんとか通してもらったのだ。

 戦わずしてグーディメル侯爵を屈服させようと思えば、こちら側の戦力は出来る限り増やしておきたい。第三連隊の戦列復帰は必要な措置だった。

 大量の兵士を整然と行進させるのは、案外難しい。勝手を知らない新任の指揮官では絶対に無理だ。ぶっつけ本番でパレードをやる以上、第三連隊の指揮はジルベルト氏に頼むしかなかったという事情がある。

 

「とはいえ、任されたからには最善を尽くしましょう。部下たちのためにもね」

 

 真剣な表情で、ジルベルト氏はそう言い切った。実際、いくら兵に責任なしとは言っても、第三連隊に対する王国上層部の目は冷ややかだからな。失った信頼を取り戻すには、真面目に任務をこなすほかない。今回の作戦はいい機会だろう。

 

「……ああ、そうだ。プレヴォ卿、貴方のご家族の件ですが」

 

 とはいえ、昨日あれだけ激しく殺し合った相手と隊列を組むのだから大変だ。現場レベルでは、すでに何件もトラブルが起きている。ジルベルト氏には後がない。第三連隊が原因で作戦に支障をきたすようなことがあれば、彼女の立場はいよいよ不味いものになってしまう。

 今の彼女は、とんでもないプレッシャーを感じているはずだ。その重圧を少しでも和らげようと、僕は水面下で進めていた案件の話をすることに決めた。オレアン公爵領にいる、彼女の家族のことだ。

 

「……ッ!」

 

 表情を硬くして、ジルベルト氏は作業の手を止めた。そのまま周囲を伺いつつ僕に近寄り、小さな声で聞き返してくる。

 

「……実のところ、それが一番気になっておりました」

 

「でしょうね」

 

 ジルベルト氏が反乱に参加したのは、公爵領に住んでいる自分の両親や姉妹の実を案じてのことだ。彼女の一族はオレアン公の家臣であり、ジルベルト氏が命令を拒否するようなことがあれば、家族にまで累が及ぶ。ほとんど人質を取られていたようなものだな。

 

「最初は武力で救出するプランを考えていたのですが……オレアン公がこちらについたことで、話は容易になりました」

 

「オレアン公、ですか……」

 

 何とも言えない微妙な表情で、ジルベルト氏は唸った。オレアン公には相当の恨みがあるみたいだな。目が完全に据わってる。

 

「イザベルに一杯食わされただけという話ですが、本当でしょうか? たんに娘に罪をなすりつけて、自らの保身を図っているだけでは」

 

「少なくとも、彼女が地下牢に監禁されていたというのは事実です」

 

「自作自演で閉じ込められたフリをするくらい、平気でやるお方ですよ。油断してはいけません。……いえ、今はそんなことはどうでもよろしい。それで、どうなったのですか?」

 

「プレヴォ家の方々を安全に王都に移送するよう、公爵家に命令を出してくれましたよ」

 

 現在のオレアン公は非常に多忙だ。すでに進軍を開始している公爵軍に大して攻撃中止命令を出したり、派閥内の貴族たちに事情を説明したり、キリキリ舞いをしている。

 そんな有様だから、僕の頼みなど無視されるのではないかと思っていたのだが……驚くことに、公爵はすぐさま書状一式を用意してくれた。

 

「命令書の内容は僕がこの目でちゃんと確認してありますし、配達役も信頼できる人物……具体的に言えば、僕の母に頼みました。万事問題ありません。一週間以内には、ご家族と再会できると思います」

 

「なんですって、ブロンダン卿のお母上が!?」

 

 驚いた様子で、ジルベルト氏は声を上げた。僕が母上を伝令役に選んだことが、そうとう意外だったのだろう。とはいえ、これは仕方のないことだ。信頼が出来て、ある程度の荒事にも対応でき、おまけに今すぐ王都から出ていっても問題ないほど暇を持て余している……母上以外に、そんな人間の心当たりはなかった。

 

「ええ。我が母デジレは今でこそ現役を離れていますが、戦場では多くの首級をあげた優秀な騎士でした。今でも腕は鈍っていません。たとえ公爵が約束を反故にしても、母であればなんとかしてくれるはずです。どうかご安心ください」

 

「そこまで……そこまでしていただいてよろしいのですか、ブロンダン卿」

 

 絞り出すような声でそう言うジルベルト氏の目尻には、微かに涙が浮かんでいた。僕はニッコリと笑って、彼女の肩を叩く。

 

「もちろんです。あなたは忠義を果たしたのですから、オレアン公はそれに誠意で報いるべきなのです。僕はただ、その履行を求めただけに過ぎません」

 

 この人の立場は、僕とよく似ているからな。どうも他人事のようには思えないんだよ。……まあでも、下心もある。ジルベルト氏は非常に優秀な指揮官だからな。出来るだけ仲良くしておきたいし、出来ることなら味方に引き込みたい。

 

「いいえ、いいえ! ここまでしていただいたのです。この御恩は、この身に変えてでもお返しせねば……」

 

「ああ、アルベールくん! こんなところに居たのか」

 

 感激した様子でまくしたてるジルベルト氏だったが、誰かの声がそれを遮った。声の出所に目をやると、そこに居たのは案の定フランセット殿下だ。彼女は軍馬に跨り、ニコニコと笑いながらこちらを見下ろしている。

 

「駄目じゃないか、余の元を離れては。今日の君は、余の副官なんだぞ?」



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第141話 くっころ男騎士と行進準備(2)

「駄目じゃないか、余の元を離れては。今日の君は、余の副官なんだぞ?」

 

 その命令、まだ生きてたのか。僕は困惑した。確かに、オレアン公邸に踏み込む前に、僕はフランセット殿下の副官に任じられた。とはいえ、彼女には既にしっかりとした部下がついている。僕が口や手を出す必要など、まったくなかった。白兵戦の時は流石に手伝ったが、それだけだ。

 仕事のない場所に居たって仕方がないからな。だから、この後はスオラハティ辺境伯の所につもりだったのだが……どうやら殿下は僕を逃すつもりはないらしい。

 

「しかし、殿下。ご存じでしょうが、僕は評判のあまり宜しくない人間です。身体で上官に取り入って出世をしている毒夫だとか呼ばれているんですよ? そんな男がお傍に居たら、殿下ご自身の名誉を傷つけてしまいます」

 

 いやまあ、殿下は童貞五十人斬りなんて噂があるような人だからな。こと男性関係方面において、傷つくような名誉があるのかどうかは、ちょっと怪しいんだが……。

 しかし僕の評判が悪いというのは本当だ。確かに、僕は相当に不自然な出世をしているわけだからな、外野がそう判断するのも仕方がないだろう。とはいえ、この期に及んでこの軽薄軟派な王太子殿下に鞍替えしたら、僕の淫売男としての名声(・・)はいよいよ不動のものとなってしまう。流石にそれは避けたいだろ。

 

「好きに言わせておけばいいのさ。所詮は目の曇った塵芥(ちりあくた)どもだ。そんな連中が何を言おうが、大した影響はないだろう」

 

 自信ありげな表情で首を左右に振るフランセット殿下だが、僕はそうは思わないんだよな。しょせん、人ひとりの力なんか限られたものだし。世捨て人になるならともかく、軍という組織で生きていくにはむやみに人に嫌われるような行動は避けた方がいいんじゃないかね?

 まあ、その割に前世の僕は平気で陸軍や海軍のイベントに参加してたけどな! 軍隊ってのは縄張り意識が強いから、そういうのは結構嫌われるんだよ。でも、趣味だから仕方ないね。最終的に優先するのは、やっぱり自分自身の意志だ。

 

「……」

 

 あんたも大変だな、という表情をしながらジルベルト氏がこちらを見た。どうやら、僕に同情してくれているようだ。まあ、この人も上官のアレコレで随分と苦労してきただろう人だからな……。

 

「不満そうだね? いや、申し訳ないとは思っているんだ。確かに、余は君にふさわしい仕事を与えられていない。しかし、それは君を侮っているからじゃあない」

 

 ちょっと焦った様子で、フランセット殿下はそう弁明する。

 

「むしろ、余に旗や看板のような役割を押し付けたのは君の方だ。ちょっとくらい、手伝ってくれたっていいだろう?」

 

「う……」

 

 どうやら、殿下は「お前が余を客寄せパンダにしたんだから、お前も一緒に見世物になるのが道理だろうが」と言いたいらしい。……確かに僕は世にも珍しい男騎士だから、話題性は十分だ。殿下と一緒に行進してるだけで、かなり目立つだろう。

 王室の武威を示し、民衆の鎮静化と反乱軍に対する威圧を同時に行うのがこのパレードの意義だ。その主役である殿下の引き立て役として僕を傍に置くというのは、一理ある考えではあった。

 

「……承知しました」

 

 相手は王太子殿下である。しょせん新人城伯でしかない僕に、命令を拒否する選択肢などない。内心盛大なため息を吐きながら、不承不承頷いた。

 

「いや、助かるよ。ありがとう」

 

 殿下はニッコリと笑って頷き、それから視線を僕の隣にいるジルベルト氏に向けた。

 

「ああ、そうだ。ジルベルトくん、第三連隊のほうはどんな調子かな? 昨日の今日だ、あまり無理をさせるのは良くないと思うが」

 

「問題ありません、殿下」

 

 さっと表情を引き締め、ジルベルト氏は短く答えた。彼女の指揮する第三連隊は、昨日の戦いで随分と被害を出している。けが人も多いから、実際にパレードに参加するのは五百人程度だ

 

「よろしい。……この任務を無事に終えることができれば、余としても君を庇いやすくなる。大変だろうが、出来るだけ頑張ってほしい」

 

 殿下のその言葉に、ジルベルト氏ははっとなった様子で僕を見た。僕が頷き返すと、彼女は強張った表情で短く息を吐いた。……フランセット殿下にジルベルト氏を庇うように頼んだのは、僕だ。もちろん、アデライド宰相やスオラハティ辺境伯にも同じことを依頼してある。

 王都のド真ん中で起きた反乱の先鋒を務めたのがジルベルト氏だ。彼女の元の上司であるオレアン公は自身のお家の立て直しに集中しなくてはならないから、ジルベルト氏にまで気を回すのはムリだろう。彼女には新たな庇護者が必要だった。

 

「どうぞお任せください、殿下。王都防衛隊の最精鋭と呼ばれた第三連隊が、いまだ健在であるということをお見せいたしましょう」

 

 第三連隊は反乱に参加した挙句、わずか半日の戦闘で降伏してしまった。忠誠心にも練度にも問題がある連中など、さっさとクビにしてしまえ。そういう意見が王軍の上層部に出てくるのは、自然な流れだろう。部下想いのジルベルト氏としては、それはぜひ避けたいはずだった。

 

「うん、期待しているよ」

 

 にっこりと笑って、フランセット殿下は鷹揚に頷く。

 

「……さて、アルベールくん。そろそろ作戦の決行時間だ。準備をして、早く本営のほうに来てほしい。作戦の最終確認がしたいからね」

 

「了解です」

 

 僕はジルベルト氏に一礼して、歩き出そうとした。すると彼女は僕の肩に手を置き、耳元に口を寄せて囁いてくる。

 

「ご注意を、ブロンダン卿。殿下もオレアン公と同じかそれ以上に油断のならないお方です」

 

 小さな小さなその言葉に、僕は小さく頷いた。政治関連はからっきしの僕だが、フランセット殿下がなまじの策士ではないのはなんとなくわかる。全面的に信頼するのは、やめておいた方が良いという予感があった。



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第142話 ナンパ王太子とくっころ男騎士

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワは愛馬の背中の上で懊悩していた。パレードが始まってから、すでに一時間が経過している。王城前を進発した我々は、貴族街を素通りしてそのまま平民街へと向かった。比較的落ち着いた状況の貴族街とは違い、平民街の方は相変わらず混乱している様子だったからだ。

 大通りにあふれていた平民たちは、軍楽隊の演奏に押し出されるようにして道の両脇へと退避した。代わりに道路の真ん中を歩くのは、余の率いる大部隊だ。

 磨き上げられた甲冑が真夏の陽光を反射してギラギラと輝き、普段の倍以上の数が用意された王家の紋章が描かれた軍旗が風にはためいている。勇壮という言葉が具現化したような、素晴らしい行進だった。そんな我々を、平民どもは畏怖と機体の籠った目で見つめている。

 

「ヴァロワ王家万歳!」

 

「反逆者どもに鉄槌を!」

 

 聞こえてくる歓声は、そんなものばかりだ。平民どもも、今回の騒ぎには辟易しているらしい。まあ、当然民衆の中にはこちらの手の者を紛れ込ませ、応援の声を上げるように扇動させているがな。

 とはいえ、早くこの混乱を鎮めて欲しいというのは、民たちの本音だろう。いざというときのため、反乱が始まって以降はずっと王都の外壁の門は閉鎖されている。王都内部の人間が外へ出ることも、外部の人間が中へ入ることもできない状況だということだ。

 王都は食料の供給を外部に頼っている。それが寸断されている状況で、不安を覚えないものなどいないだろう。実際、すでに食料価格の高騰は始まっている。麦をはじめとした穀物類など、昨日の倍以上の値段になっているというから驚きだった。確かに、これでは庶民などたまったものではないだろう。

 

「……」

 

 とはいえ、四大貴族のうちの二家が反乱を起こしたにしては、被害は微少だ。第三連隊をのぞけば、王軍はほとんどダメージを受けていない。

グーディメル侯爵についたという第二連隊についても、連隊長にまともな判断力があれば早期に降伏するだろう。……まあ、そうならずともこの戦力差なら圧勝できる。向こうが徹底抗戦を選択しても大丈夫だ。

 唯一の懸念事項はお婆様、つまり国王陛下だが……四大貴族とは名ばかりの没落貴族でしかないグーディメル侯爵が曲がりなりにも反乱を起こせているのは、陛下の身柄を確保しているからだ。その唯一の武器を投げ捨てるとは思えないので、安心しても良い。……まあ、万が一の場合に備えた準備は裏で進めているが。

 

「ふーんふーふふーん、んふふっんふふっふふふーん」

 

 反乱の件は、それでいい。問題は、別のところにあった。余の隣にいる男……アルベール・ブロンダンだ。彼も、そして余も兜は被っていない。民衆に対するアピールのためだ。

 素顔を晒したアルベールは表情こそ至極まじめなものだが、よく耳をすませば鼻歌をうたっていた。ひどくご満悦な様子だ。本人に聞いてみたところ、「僕は兵隊の行進を見るのが三度の飯より好きなんですよ」……とのことだった。

 

「……」

 

 本当にどうしよう、この男。対処に困る。コナをかけてはいるのだが、まったくこちらになびく様子がない。何しろスオラハティ辺境伯家の現当主と次期当主を同時に堕とすような筋金入りの毒夫だからな、女慣れしているのだろう。

 この男のことを考えると、お婆様に恨み言をぶつけたくなる。どうしてこんな化け物をこんな状態になるまで放置していたのだろう? どう考えても、将来的にはオレアン公やグーディメル侯など足元にも及ばないような巨大な火種になるような人間なのに……。

 自分の部隊の数倍の数を相手に、常に勝利し続けているのがアルベール・ブロンダンだ。さらに自ら剣を抜けば天下無双、おまけに人心掌握にも長けているのだからたまらない。正真正銘の英傑だ。

 

「まったく……!」

 

 思わず、舌打ちが出そうになる。そんな傑物を、国内最大の貴族であるスオラハティ辺境伯が抱えているのだ。辺境伯が反乱を起こせば、我がヴァロワ王家は高確率で敗北する。ヴァロワ朝は余の代でおしまい、次からはスオラハティ朝だ。

 そんな事態を避けるには、アルベールをこちら側に引き込む他ない。……残念なことに、殺害という選択肢はない。直接的に彼を害せば、辺境伯と宰相は即座に反乱を開始するだろう。そうなれば、神聖帝国の獣人どもも介入を始める。最悪の場合、ガレア王国は滅びる。

 

「……」

 

 余は極力感情を表に出さないよう気を付けながら、アルベールの方を見た。こちらの視線に気づいた彼は、にこりと笑って一礼してくる。……男など道具に過ぎないという主義である余ですら、少しばかり心が動きそうになるほどの華やかな笑顔だ。

 しかし、油断してはいけない。彼は恐ろしい人間だ。昨日だって、この男は第三連隊のライフル兵中隊を僅か三十分で消滅させるという化け物じみた所業を行っている。当時彼が率いていた部下は、下馬した騎兵中隊が一つだけ。つまり、敵味方はまったく同じ戦力を持っていたことになる。

 しかし、敗北したのはライフル兵中隊の方だ。それも、三十分という短時間の間にライフル兵中隊は最後の一兵にいたるまで完璧に殲滅されている。こんな異様な戦例は、古今東西のどの戦史にも乗っていない。あまりにも、異様に過ぎる。

 

「……はあ」

 

 アルベールに笑顔を返してから、余は密かにため息を吐いた。この男は人外の化け物、いわば魔王のような存在だ。敵に回せば破滅は避けられないかもしれない。味方に引き込み、飼い殺しにして無力化する。それくらいしか対処法はないだろう。

 しかし彼は、すでにスオラハティ辺境伯とアデライド宰相の寵愛を受けている。つまり、辺境伯と宰相から得られる以上のメリットを提示しなければ、こちらにはついてくれないということだ。そうなると、選択肢は一つ。王配……つまり、余の夫としての地位を与えるほかない。

 

「お婆様め……!」

 

 思わず、恨み言が漏れる。非常に困ったことに、余は一年前に婚約が決まったばかりだ。相手は西の島国、アヴァロニア王国の第一王子。お婆様が持ってきた縁談だった。実際、東と北に敵国を抱える我が国としては西のアヴァロニアと関係を深めるのは悪い選択ではないだろう。

 だが、アルベールが居るならば話は別だ。お婆様は、何が何でもこの男を王家に寝返るよう工作すべきだった。余の婚約者の席が空いていれば、それが餌として機能したというのに……。

 

「どうしよう、本当に」

 

 周囲に聞かれないよう、微かな声でそう呟く。余は困り切っていた。今さら婚約破棄など言い出したら、アヴァロニアとの関係悪化は避けられない。しかし、アルベールは公認愛人程度の地位ではこちらに転んでくれそうにない。このままでは不味い。本当に不味い。我が国ガレア、我が王家ヴァロワが、この男一人のために滅びかねない。

 

「……」

 

 結局、余が頑張ってこの男を口説くしかないのだ。アルベールが余のモノになれば、亡国の魔王は一転してガレア中興の国父と化す。一発逆転の妙手だ。活路はそこにしかない。

 しかし、そう上手くいくものだろうか? 正直、かなり不安だった。むしろ、こちらが丸め込まれてしまうのではないか? スオラハティ辺境伯、その娘のソニア、そしてアデライド宰相、ついでにフィオレンツァ司教……みな、一筋縄ではいかない曲者ばかりだ。それを自在に手のひらの上で転がしているのだから、やはり彼の手管は尋常ではない。こんな暴れ馬を、果たして余は御せるのだろうか……?

 

「はあ……」

 

 もはや、ため息を吐くしかないな。どうするんだよ、本当に。



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第143話 ギャンブラー侯爵と大博打

 わたし、バベット・ドゥ・グーディメルは困惑していた。辺境伯・宰相派閥の者たちは、驚くことに軍楽隊を引き連れて街中を行進している。報告を受けた時は見張りか伝令が泥酔しているのかとすら思ったが、どうやら事実らしい。

 イライラしながら、わたしはぬるくなった豆茶を一気に飲み干した。視線は、指揮用天幕の外に向けられている。わたしたちの陣幕のすぐ隣には、第二連隊の連隊指揮所が設営されていた。しかし、味方に付いているのはこの連隊のみ。現状では、戦力が足りない。

 

「第四連隊はまだ参陣しないのか?」

 

「はい、催促の連絡は出しているのですが……兵たちの準備がまだ終わらないとのことで」

 

「昨日の時点で戦闘準備命令が出ていたのは知っているのよ……! 一兵たりとも動かせないなんて、そんなハズないでしょうが……!」

 

 血がにじむほど強く拳を握りながら、わたしはなんとか叫びだしそうになるのを堪える。予想以上に、戦力が集まっていない。第二連隊にグーディメル侯爵家の私兵や陪臣などを加えた千数百名が、わたしの掌握している全戦力だ。

 それに対し、敵方には第一・第五連隊が参陣している。未確認情報だが、降伏したはずの第三連隊も加わっているのではないかという話もあった。これほどの戦力差……とても勝てるとは思えない。

 

「相手方には王太子殿下がいらっしゃいます。おそらく、殿下に剣を向けたくないのではないかと……」

 

「なぁにが王太子殿下よ! こっちには国王陛下がいるのよ!」

 

 もちろん、王太子殿下が敵方につく事態はわたしも想定していた。でも、こちらは国王陛下の身柄を確保しているんだからね。王太子より国王の方が、コマとしては強いハズじゃないの。普通に考えればそうでしょ?

 

「相手にはあのアルベール・ブロンダンがおりますからな……」

 

 わたしのとなりで香草茶をすすっていた老参謀が、ぼそりと呟く。アルベール・ブロンダン。スオラハティ辺境伯とアデライド宰相の寵愛を受ける、男騎士……その名前は、もちろんわたしも聞いたことがある。彼は、いまやガレア王国で一番有名な下級貴族だろう。

 

「王都に住まう軍人で、第三連隊の精強さを知らぬ者などおりませぬ。それを僅か数時間で制圧してみせる手腕……どうやら、今までの報告書は虚偽のものではなかったようですな」

 

 宰相や辺境伯と敵対することを決断した時点で、当然アルベールの資料も最大限取り寄せていた。しかし、彼の上げた戦果報告書の内容は、非現実的なものばかりだった。リースベンでの戦闘など、四倍か五倍の数の敵を相手に圧倒している。

 いくらなんでも、これはフカシ(・・・)だろう。わたしも、そして参謀たちもそう判断した。実際、報告書で敵や戦果の量を少々盛るくらいはみんなやっていることだから、わたしたちがそう考えるのも無理はない。

 しかし……残念なことに、今回の件でアルベールの報告書は虚偽ではないことがハッキリしてしまった。たしかに、わたしだってあんな化け物と正面からぶつかり合いたくはない。こちらが戦力的に圧倒している状況ならまだしも、現状では相手の方が優勢なのだからなおさらだ。

 

「……そんなこと、わかってるわよ。当然、手は打ってるわ」

 

 アルベールが居る限り、こちらに勝ち目はない。それは戦術指揮能力云々だけの話ではなく、彼我の士気の問題でもある。アルベールにビビって味方が集まらないのなら、そのアルベールを排除してしまえばいい。

 現在、彼はフランセット殿下と共にパレードの先頭で行進しているという話だ。パレードなどと言っても、実際は単に移動隊形で街中を行軍しているだけ。戦闘隊形でないなら、ちょっとした攻撃でも大きなダメージを狙えるハズだ。そう思って、わたしは先ほど遊撃隊に攻撃命令を出していた。

 

「しかし、斬首作戦には失敗したのでしょう?」

 

「……まあね」

 

 だが、結果は惨敗。どうやら、アルベールたちは周囲に護衛部隊を潜ませていたようだ。まあ、王太子殿下が矢面に立ってるワケだから、そりゃあ無防備なはずがない。やはり、軽武装・少人数の遊撃部隊などでは話にならないようだ。

 

「斬首作戦自体は、第三連隊も実施したようですしな。同じような作戦の焼き直しが通用するはずもない……」

 

「……そうね」

 

 まともに戦おうと思えば、やはりフル武装の正規兵を使い他ない。幸い、数では圧倒的に劣勢とはいえ相手は移動隊形だ。まともにぶつかり合えば、一時的でも優勢を取れる。

 

「相手が体勢を整えて戦闘隊形になるまでは、こちらが有利よ。短期決戦を狙うべきね」

 

「だとすると、作戦目標は絞る必要がありますな」

 

 老参謀が唸った。偵察の結果、敵は四千人を超える戦力を保有していることがわかってる。ゆっくり戦っていたら、別動隊に回り込まれて包囲殲滅されてしまうでしょうね。一撃を加えて、そのまま離脱。おそらくは、それが私たちの限界……。

 

「第一目標は、アルベールの殺害ないし確保、第二目標はフランセット殿下の保護(・・)……というのはいかがでしょう?」

 

「そんなもんでしょうね。そして目標を達成し次第、そのまま撤退。相手の混乱に乗じて態勢を立て直す……そういう作戦で行きましょう」

 

 本来、時間をかければかけるほどこちらは不利になるわけだけど……そのままでは勝ち目がないのだから仕方がない。アルベールやフランセット殿下を確保すれば、明らかに時間稼ぎを狙っている第四連隊もこちらにつかざるを得ないだろう。そうして戦力を増やし、再度決戦を挑む。こちらの勝ち筋はそれしかないわね。

 しかし、フィオレンツァ司教を取り逃がしたのが残念だったわね。第一・第四連隊がこちらにつかなかったのは、あの生臭坊主の工作によるものである可能性が高い。こちらに接触を図ってきた時点で殺しておけば、状況はもっとマシになっていた可能性が高いのに……。

 

「ええ、妥当な作戦かと」

 

 頷く老参謀に第二連隊の連隊長を呼ぶよう指示してから、わたしは密かにため息をついた。従者が持ってきたアツアツの豆茶を口に含みつつ、我ながら分の悪い賭けだなと自嘲する。

 しかし分の悪い賭けだろうが何だろうが、乗らなくてはならない理由がわたしにはあった。このままでは、グーディメル侯爵家はもう二度と政治の表舞台に立つことなく朽ち果ててしまう。そんなのはご免だ。

 

「ま、もし負けても歴史書にはわたしと侯爵家の名前が刻まれることになるのは確実。無名のまま消えていくよりは、愚かな反逆者としてでも歴史に名を遺すほうが余程マシでしょ」

 

 ニヤリと笑ってから、わたしはそう呟いた。半分は強がりだが、もう半分は本音だ。乗るか反るかの大博打……悪くない。燃えてくるね。



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第144話 くっころ男騎士とパレード

 しばらくの間、パレードは順調に続いた。一見ズラズラとならんで歩いているだけのように見える行進だが、隊列を維持したり歩幅を合わせたりと、気を付けるべきことはいくらでもある。特に僕は騎馬なので、隣にいるフランセット殿下とぴったりシンクロするように馬を操る必要があった。これがなかなか神経を使う。

 とはいえ、ドンパチするよりは余程気が楽というのも確かだ。こっそりと周囲をうかがうだけの余裕もある。視線を前に向けると、露払い役の従士たちが大通りにあふれた民衆をかき分けて部隊が行進するスペースを作っている。

 

「……」

 

 周囲は王都民たちでごった返している。自爆テロを喰らったら、一巻の終わりだな。そんな思考が脳裏をかすめる。実際、敵の暗殺部隊らしき連中を密かに撃退した……などという報告も上がっているので、この懸念は杞憂ではないだろう。

 剣と魔法の世界とは言え、火薬を用意すること自体は大して難しいものでもないからな。それに、火薬を使わずとも魔法を使えば大爆発くらい簡単に起こせるし。……警戒すべきは爆弾より魔法使いか。うーん、胃がキリキリしてきたな。

 

「おい、殿下の隣の人……男じゃないか?」

 

「ああ、聞いたことがある。王都唯一の男騎士、アルベール・ブロンダン卿!」

 

「うっそ、男騎士って実在するの? (エロ)本限定の存在かと思ってたわ」

 

 歓声に混じって、そんな声も聞こえてくる。殿下の真横に居るせいか、悪目立ちしてるみたいだな、僕。どうもむず痒く感じちゃうな、こういうのは。兜をしっかり被って、一般兵たちの隊列に混ざっていればこんなことにはならなかったのに……。

 とはいえ、民衆の話題のタネになるのは悪い事ばかりではない。平民たちの不安を解消するのも、このパレードの目的のひとつだからな。

 

「あれだけ兵隊さんがいるんだ、戦争はすぐ終わりそうだな」

 

「フランセット殿下自らが御出陣なされるんだ、なんとでもなるさ」

 

 実際、パレードを眺めている民衆のほとんどは好意的な反応をしている。フランセット殿下が先頭に立っている、というのが良いのだろう。やはり、こういう状況では王族の知名度を生かすのが一番だ。

 

「……」

 

 ゆっくりと息を吐いて、軍楽隊が奏でる行進曲に耳を傾ける。一定のリズムで地面を踏みしめる軍靴の音が耳に心地よい。

やはり、パレード行進は良い。気分が高揚する。行進するだけなら、部下は誰も死なないしな。ずーっとこれだけやって軍人生活を終えたいくらいだ。

 訓練! パレード! 訓練! パレード! その繰り返し。まったく素敵な生活だね。まあ、国民からは穀潰しだの税金の無駄遣いだの批判されそうだが。……でも、軍人なんて仕事は無駄飯喰らいなくらいがちょうどいいのさ。それだけ平和って事だからな。

 

「殿下、偵察隊がこちらに向けて進軍してくる部隊を発見しました。第二連隊の連隊旗を掲げているようです」

 

 しかし、どうやらそう都合よくはいかないようだ。伝令がコソコソと近づいてきて、周囲に聞こえない程度の声でそう報告する。フランセット殿下の眉間に微かな皺が寄った。

 

「これだけ戦力を揃えたのに、向かってくるか」

 

 実際のところ、僕も殿下も戦わずに済むことを期待していた。使える兵員をすべて投入してズラリと並べて見せたのは、グーディメル侯爵を威圧するためだからな。

 『敵にこれだけの戦力があるんだから、戦いを挑むのは無謀だ』……侯爵がそう判断してくれるのではないかと期待してたんだが、どうもそういう訳にはいかないようだ。敵ながら、無茶をする。

 

「おそらく、戦闘隊形に移る前に一撃を加えて離脱する作戦でしょう。十中八九、目標は殿下ではないかと」

 

 一応副官に任じられているので、私見を述べる。もっとも、フランセット殿下は聡明だ。僕が口に出さずとも、この程度のことは理解しているだろう。

 

「だろうな。君たちを反乱軍だと断じるには、余の存在があまりにも邪魔だ」

 

 軽く笑ってから、フランセット殿下は表情を引き締めた。従士を呼び寄せて兜や馬上槍を受け取りつつ、鋭い声で命じる。

 

「市民たちを避難させるんだ。ただし、慎重にな。混乱に陥ってしまえば、かえって被害が大きくなる」

 

「はっ!」

 

 命令を受けた騎士たちが散り、大通りの両端で騒いでいる平民たちのほうへ向かっていった。もちろん、戦闘が発生する事態も想定済みだから、市民たちを避難させるための計画も事前に準備してある。

 

「余を確保することが目標だというのなら、敵は戦力を集中しての一点突破以外の作戦は取れないはずだ。戦場はそう広範囲にはならない。市民の避難も限定的なもので大丈夫だろう」

 

「しかし、避難に従わない市民も居そうですね」

 

 ちらりと沿道の方に目をやりつつ、僕は言った。行進曲や軍靴の音で興奮したのか、市民たちは熱狂している。戦場見物や、下手をすれば勝手に参戦する者すら出てきそうな雰囲気だった。

 

「多少の被害はやむを得ない」

 

 フランセット殿下は断定的な口調でそう切り捨てた。

 

「無論、出来るだけのことはやる。しかし、肝心なのは全体の被害を抑えることだ。市民の避難に集中しすぎて、敵に好き勝手動かれる方がよほど不味い事になる」

 

「……ええ、その通りです」

 

 そう言われてしまうと、僕は頷くしかない。……もっとも、この作戦を立てたのは僕だからな。僕だって、殿下とは同じ穴のムジナだ。

 シンプルに敵を殲滅したいだけなら、強引な手段を使ってでも戦場から市民たちを排除し、そこで決戦を挑むというプランもあった。その作戦を採用しなかったのは、敵兵に戦闘を躊躇させるためだ。

 敵兵とは言っても、そのほとんどは王都で生まれ育った連中だ。自分の故郷を焼きたいとは思わないだろう。群れを成す市民を見れば、戦闘前に降伏してくれるのではないか……そういう打算があった。

 

「……さて、余の腕の見せ所だな。うまく兵士たちを説得できればいいが」

 

 そのためには、殿下に頑張ってもらう必要がある。彼女が「パレードに参加せよ」と命じることで、敵に戦わずに済む選択肢を提示することが出来るのだ。

 

「殿下なら出来ますよ」

 

 ここまでくれば、僕に出来ることはない。僕がそう言うと、殿下は小さく笑って「無責任だなあ、君は」と肩をすくめた。



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第145話 くっころ男騎士と迎撃作戦

 民衆の避難が進む中、敵も部隊の展開を始めた。大通りの向こうに第二連隊の連隊旗が翻るのが見える。ほんの先日まで味方として過ごしてきた相手の旗が敵方にあるのは、なかなかに胸糞が悪かった。

 

「想定通りといえば想定通りだが、やはり敵は避難完了まで待ってはくれないな」

 

 腕組みをしながら、フランセット殿下が小さく唸る。案の定、市民たちの避難には手間取っていた。大通りなどといっても、大軍が行動するには狭すぎる。それに市民たちがあふれているのだから、これでは戦闘隊形に以降するのも難しかった。

 

()軍は戦力的に劣勢ですから、こちらが移動隊形のうちに攻撃を仕掛ける以外に勝ち筋はないでしょう。速攻を仕掛けてくるのは自然な流れです」

 

 傍に寄ってきた騎士が、そう答えた。全身鎧にフルフェイスの兜という姿だから、一見誰なのかわかりづらいが……この騎士の正体はオレアン公だ。老齢ゆえに戦場に出なくなって長い彼女だったが、今回はそうもいかない。倉庫で(ほこり)を被っていた愛用の甲冑と槍を引っ張り出して参戦することと相成った。

 さすがに歳が歳なので、全身板金鎧なんか着用して大丈夫なのかと心配したが、今のところ危なげなく行軍についてきている。年老いたとはいえ、やはり竜人(ドラゴニュート)だ。やはり只人(ヒューム)とは基礎体力が違うな。

 

「だとすると、いきなり騎兵突撃を仕掛けてくる可能性が高いな。なかなか悩ましい局面だが……アルベールくん、君ならこういう状況をどう乗り越える?」

 

「騎兵突撃を相手にするときは、砲兵の射撃で粉砕するのが常道ですが……」

 

 僕は視線を周囲に向けた。僕たちの周りですら、避難民の誘導は完了していない。市民たちは興奮した様子でわあわあとわめき、誘導役の騎士や兵士たちはなかなかに難儀している様子だった。

 こんな状況で大砲なんかぶっ放したら、大変なことになる。もちろん敵が居る場所にも市民たちは残っているから誤射は避けられないし、大砲の砲声自体がひどいパニックの引き金を引いてしまう可能性があった。

 そもそも、この避難騒ぎは僕が王都の中心街で鉄砲や大砲を撃ちまくったせい発生した節もあるからな。大型火器の使用には慎重にならざるを得ない。

 

「この状況ではまともに火力を発揮するのは難しい。こちらも騎兵を出すべきでしょう。王道といえば王道ですが、伝統的な馬上槍試合(ジョスト)のスタイルで対抗しましょう」

 

 できれば支援としてカービン騎兵を付けてやりたいところだが、馬上射撃は命中精度がよろしくないからな。外れた弾丸が民間人に当たってしまうのは避けられない。その点、馬上槍なら誤射の心配はないから比較的安心して運用できる。

 

「そもそも騎兵突撃に大砲で対抗することを常道と呼ぶのが、私には理解できんのだが……」

 

 呆れたような、疲れたような口調でオレアン公が呟いた。……言われてみればその通りだな。この世界における対騎兵突撃戦術の常道といえば、同じく騎兵で対抗するか歩兵部隊に槍衾を組ませるかの二択だろう。

 

「時代が変わったということか。老いたな、私も」

 

「いや、彼の言うことは正直余も理解できないから安心したまえ、オレアン公。騎兵相手に砲撃するなど、聞いたこともない」

 

 苦笑しながら、フランセット殿下がオレアン公の肩を叩いた。……これ、下手したら『やはり所詮は男、まともに戦術すら理解してないのか』くらい言われる奴だよなあ。気を付けなきゃマズイ。

 

「そんな顔をするな、アルベールくん。今さら君の作戦立案能力にケチをつける奴がいたら、そいつの目は腐っているとしかいいようがないぞ」

 

「はあ、ありがとうございます」

 

 僕まで慰められてしまった。すぐにフォローを入れてくれるあたり、やはりフランセット殿下は人の心の機微に聡い。モテ女は違うね、やっぱり。

 

「それはさておき、騎兵を使うのは賛成だ。……そうだな、第三連隊の騎兵隊を使うか。彼女らも汚名を晴らす機会を欲しているだろう」

 

「……もうしわけありません、殿下。第三連隊の騎兵隊は僕が撃破してしまいました。再編成をしている余裕はなかったので、おそらく戦闘に耐える状態ではないかと……」

 

 非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、僕は具申した。『騎兵突撃を砲兵で粉砕する』……第三連隊の騎兵隊は、その戦術の犠牲になったばかりだ。もちろん完全に殲滅されたわけではないが、敵と正面から戦うのはまだ厳しいだろう。

 いや、仕方ないんだよ。第三連隊は精鋭で、手加減して勝てるような相手じゃなかった。全力でブチのめすくらいの勢いで戦う必要があった。

 

「……」

 

「……」

 

 微妙な沈黙と共に、フランセット殿下とオレアン公が目を合わせた。二人ともフルフェイスの兜を被っているから、その顔は完全に隠されている。しかし、呆れた表情を浮かべているような雰囲気が明らかに感じられた。

 

「……なら仕方ない。近衛騎士団を使おう。まあ、余も前に出る必要があるのだからな。王族の護衛であれば、近衛以上の適任は居ないだろう」

 

 フランセット殿下には、敵軍の説得という大任があるのだ。通信機や拡声器がない以上、肉声が届く距離まで敵に接近する必要があった。

 しかし、殿下の身柄を確保することがグーディメル侯爵の狙いだろうから、当然これは極めて危険な作戦になる。護衛のための戦力は、十二分に用意しておかないとマズイ。

 

「近衛団長、余の近侍を任せる。よろしく頼むぞ」

 

「はっ!」

 

 ピシリと姿勢を正しながら、近衛団長が威勢のいい声で応えた。近衛騎士団も昨日から戦い通しだろうに、その声には全く疲労の色がない。流石は精鋭だ。

 ……同じく徹夜明けの僕は、そろそろ疲れが出てきた。この程度でヘバるなんて、情けない。前世は一日二日の徹夜なんか、全然平気だったのになあ。只人(ヒューム)という種族は、もしかしたら地球人類よりも貧弱にできているのかもしれない。

 

「近衛騎士団は余に同行し、敵部隊が説得に従わない場合は阻止攻撃を仕掛ける。その隙に、歩兵隊は市民の避難を進めつつ迎撃態勢を築け」

 

「了解!」

 

 殿下の命令を受け、伝令兵が何人も飛び出していく。通信機がない以上、命令の通達にはこういう古典的な手段を用いるほかないわけだが……やっぱり不便だな。

 

「殿下、これを」

 

 そんなことを思いつつ、僕はフランセット殿下に愛用のリボルバーをホルスターごと手渡した。受け取った殿下は、ホルスターから引っこ抜いた拳銃を物珍しげな目つきでしげしげと眺める。

 現状、リボルバー拳銃を運用しているのは僕の部隊と辺境伯軍だけだから、殿下もこのタイプの銃を生で見るのは初めてだろう。

 

「第二連隊に話しかける前に、空に向けてぶっ放してください。かなりの注目を集めることができると思います」

 

「……なるほどな、良い手だ。有難く借り受けよう」

 

 そう言って、殿下は腰のベルトにホルスターを固定した。

 

「グリップの上についたパーツ……撃鉄を完全に起こし、引き金を引けば弾が出ます。最大六発の弾を装填できる連発銃ですが、暴発防止のために五発しか装填していません。ご注意を」

 

「なるほど、わかった」

 

 殿下は頷き、こほんと咳払いをした。

 

「……よし。敵の方も、そろそろ攻撃を仕掛けてきそうな気配がある。手遅れになる前に、先手を打つことにしよう。近衛騎士団、我に続け!」



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第146話 くっころ男騎士とナンパ王太子の説得

 近衛騎士団を率いたフランセット殿下は、臆することなく前へ進んでいく。もちろん、殿下の副官を任じられている僕も同行することになった。説得のためには殿下が敵に近づくほかないが、敵の目的もまた殿下の確保だからな。なかなかリスキーな作戦だ。

 

「ふむ、向こうは精鋭を前面に立てるか」

 

 突撃のための密集隊形を組みつつゆっくりと近づいてくる敵騎兵集団を見ながら、フランセット殿下が呟いた。敵の騎兵は全身を板金甲冑で防護し、馬にも優美な馬鎧を装着している。彼女らは領地を持たない宮廷騎士の集団で、練度・装備共に最高クラスの部隊だった。

 これほどの部隊と正面からぶつかり合えば、近衛騎士団とはいえ無傷では済まない。そもそも、本来なら彼女たちは味方のはずなのだ。有事となればさぞ活躍してくれるだろう精鋭部隊を内紛で損耗させるなど、あってはならないことだ。僕と同じ気持ちになったらしい殿下の手に、力がこもるのが見えた。

 

「……」

 

 彼我の距離は五〇〇。馬の機動力ならば、あっという間に乗り越えられる距離だ。これ以上接近するのはマズイ。殿下は馬を停止させた。近衛騎士たちが馬上槍を構え、いつでも迎撃に移行できる体勢で待機する。僕もサーベルを鞘から抜いた。

 いくら大通りが広いといっても、騎兵が自由自在に機動できるほどの幅は無い。おまけに避難し損ねた民間人が大量に居る。とてもではないが、敵の側面へ迂回することなどできはしないだろう。戦いが始まれば、正面からぶつかる以外の選択肢はなかった。

 

「さあ、始めようか。一世一代の大舞台だ」

 

 フランセット殿下は小さな声でそう言うと、大きく息を吸い込んでからピストルの銃口を空に向けた。乾いた銃声が、真夏の陽光に照らされた大通りに響き渡る。

 

「第二連隊の勇士たちよ、聞け! 余はガレア王国国王、ルイーズ・ドゥ・ヴァロワが嫡子、フランセット・ドゥ・ヴァロワである」

 

 朗々とした、歌い上げるような声だった。今にも襲歩に移行しそうな様子だった敵騎兵隊は、面食らった様子で減速する。彼女らはあくまで、国王陛下の勅命……とされる命令書をもとに行動しているだけだ。当然、王太子たるフランセット殿下に槍を向けたい者などいない。

 

「止まれ、突撃中止! 中止だ!」

 

 隊長らしき騎士が慌てた様子で部隊を制止する。とはいえ、騎兵突撃は極端な密集隊形で行われるため、急停止をすると凄惨な事故を招きかねない。敵騎兵隊が完全に止まったのは、彼我の距離が一〇〇メートルを着るほど接近してからだった。

 

「……第一関門は乗り越えたな。むこうはこちらの話を聞いてくれそうだ」

 

 殿下がボソリと呟いた。この距離で前進を止めてしまえば、再度突撃に移るのは難しい。馬が加速しきる前に接敵してしまうからだ。

 

「僕がグーディメル侯爵なら、わき道から遊撃隊を突っ込ませて殿下の身柄を狙います。気を抜いてはいけません」

 

「むろんだ」

 

 小さく頷き、殿下は視線を敵騎兵隊へと戻した。

 

「諸君らに問う! 諸君らはいかなる理由があって余の軍勢に矛を向けるのか!」

 

 殿下の言葉に、第二連隊の騎兵たちはざわざわとざわつき始めた。そんなことを言われても……という感じだろう。彼女らは単に命令に従って行動しているだけだ。

 少しして、一団から一騎の騎士が前に出てくる。どうやら、彼女らの隊長のようだ。害意がないことをアピールするためか、槍は持っていない。

 

「我々は、国王陛下の命により反乱を起こしたオレアン公とスオラハティ辺境伯の軍を鎮圧しに参ったのです。王太子殿下こそ、どうしてこのような場所におられるのです?」

 

 どうやら、グーディメル侯爵からは大した説明は受けていないようだ。まあ、そりゃそうだよな。中途半端な嘘をついて誤魔化しに感付かれるよりは、最初から与える情報を絞ってしまった方が楽に部隊を掌握できる。

 

「反乱? そのようなものは、とうに終結している!」

 

 困惑した様子の騎兵隊長に、殿下は凛とした声でそう言い返した。

 

「オレアン公もスオラハティ辺境伯も、余の元に参陣しているのだ。そのような状況で、戦闘を継続できるはずもない!」

 

 そう言って殿下が指さした先には、オレアン公爵家とスオラハティ辺境伯家の家紋が描かれた軍旗があった。たしかに、争っているはずの両家の軍旗が同時に掲げられているというのはおかしい。

 そもそも、このパレードには侯爵も辺境伯も当人が参加しているわけだからな。隊長の目の前で、二人に握手してもらったっていい。そうすれば、反乱は終結したという殿下の言い分を彼女らは信じざるを得なくなる。

 

「反乱が終わっている以上、諸君らに下された命令は無効である。よって、余が新たに命じる。第二連隊は直ちに戦闘態勢を解除し、余のパレードに参加するのだ」

 

「パレード……」

 

 何とも言えない声音で、騎兵隊長が唸った。こちらが行進曲をかき鳴らしながら街中を練り歩いているのは、彼女らも事前偵察で把握しているだろう。『なんだこれ……』と困惑しているうちに、グーディメル侯爵が攻撃を命令した……そういう感じだろうか?

 なんにせよ、侯爵が何と言おうがオレアン公とスオラハティ辺境伯が和睦している以上は鎮圧命令は無効である。ほかならぬ王太子がそう言っている以上、彼女らはそう納得するほかない。

 

「昨日から散発的に続いた戦闘により、王都の民はさぞ不安を感じていることだろう。王家と王都防衛隊の武威を示し、民衆に安心を与える。それこそ、今の我々が果たすべき最大の任務である!」

 

 自信に満ちた態度で、フランセット殿下はそう言い切った。その態度は威風堂々としたもので、まさに王者の風格がある。

 

「さあ、諸君! 余に続け! 今こそ王軍の使命を思い出す時だ!」

 

「……はっ! 了解いたしました!」

 

 フランセット殿下は無体な命令を出しているわけではない。あくまで、たんにパレードに参加しろと言っているだけだ。こちらにはパレア第一連隊や第五連隊、それに第三連隊の旗も掲げられているから、戦闘に突入すれば王軍相打つ事態は避けられない。

 いくら王命とはいえ、にわかには納得しがたい任務だ。それに比べれば、パレードへの参加など遥かに気楽にできる任務だろう。騎兵隊長は姿勢を正しながら敬礼をし、振り返って部下たちに命じる。

 

「突撃隊形解除! これより王太子殿下にお供してパレードに参加する!」

 

 その言葉を聞いて、微かにフランセット殿下の方が下がった。流石の彼女も、多少緊張していたらしい。僕は視線を周囲に向けた。僕の経験上、こういう気が抜けたタイミングが一番危ない。

 

「……ッ! 殿下、奇襲です!」

 

 そしてその懸念は、杞憂ではなかった。わき道から、革鎧を着込んだ軽騎兵の集団がこちらに向けて突っ込んで来ていたのだ。大通りの両脇には大量の群衆が居たが、お構いなしに蹴散らしている。明らかに攻撃態勢だった。

 

「ちぃっ! 迎撃用意!」

 

 心底忌々しそうな様子で、フランセット殿下が叫ぶ……。



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第147話 くっころ男騎士と初動

 わき道から現れた敵は革鎧や鎖帷子をまとった軽騎兵の集団だ。装備が軽いだけに、その動きは警戒だった。サーベルや槍を振り上げ、(とき)の声をあげつつ凄まじい速度でこちらに突っ込んでくる。しかし、攻撃はそれだけではなかった。

 

「ぐあっ!?」

 

 群衆の中から、クロスボウの矢弾が飛んでくる。どうやら、市民の中に敵が潜んでいたようだ。的クロスボウ兵は大した数ではないようだが、至近距離から放たれただけあって精度が高い。矢弾が騎士や軍馬、さらには近くに居ただけの一般人に突き刺さりあちこちで悲鳴が上がる。

 

「やりやがったな、クソッタレめ……!」

 

 敵は平気で民間人を巻き込むような戦術を使ってくる。この手の光景は、前世でも飽きるほど見てきた。僕は舌打ちをしつつ、軍馬の腹を蹴ってフランセット殿下の前に出る。

 

「アルベールくん!?」

 

「副官の務めですので!」

 

 短くそう答えつつ、サーベルを構えた。近衛騎士たちは迎撃態勢に移ろうとしているが、クロスボウの一斉射撃により足並みがそろわない。案の定、数騎の軽騎兵が近衛騎士の防御陣を突破し、こちらに突っ込んでくる。

 

「どけっ!」

 

「キエエエエエッ!」

 

 敵騎兵が怒声を上げたが、こちらも蛮声を上げつつ馬を走らせる。突き出された槍の穂先を胴鎧で受けつつ、全力でサーベルを振り下ろした。敵兵は馬上で真っ二つになり、鮮血を噴き出しながら地面へ落下していく。

 

「むっ……」

 

 よく見れば、敵兵は革鎧の上からサーコートを着込んでいた。その生地に刺繍された紋章には、見覚えがある。オレアン公爵家の家紋だ。

 

「グーディメル侯爵め、しゃらくさい真似をする……!」

 

 それを見たフランセット殿下が、苦々しい口調で吐き捨てた。むろん、この敵兵がオレアン公の手の者であるはずがない。オレアン公が今さら殿下の身柄を狙ったところで、大した意味はないからな。グーディメル侯爵のかく乱工作だろう。

 

「殿下!」

 

 そう叫んだのは、第二連隊の騎兵隊長だった。目の前で王太子が襲撃されたわけだから、そりゃあ慌てもするというものだ。彼女は馬上槍を捨て、腰から剣を抜き放った。こちらに加勢しようというのだろう。馬上槍は強力だが、なにしろデカくて重いので乱戦には全く向かない。

 

「待てっ! こちらはこちらで何とかする、諸君らは周辺警戒を!」

 

 しかし、フランセット殿下はそれを制止した。……大通りと言っても、道幅はそこまで広くないからな。一か所に大量の騎兵が固まっていたら、身動きがとれなくなる。これ以上の増援は、かえって有害だと判断したのだろう。

 狙われているのは自分だというのに、フランセット殿下は冷静だなこりゃ、仕え甲斐のある上官だ。そんなことを考えつつ、別の方向から襲い掛かってきた敵軽騎兵を切り捨てた。

 

「第二射、来るぞ!」

 

 近衛騎士の一人が叫んだ。それとほぼ同時に、敵クロスボウ隊の斉射が飛んでくる。相変わらずの無差別射撃だった。少なくない数の民間人が地面に倒れ伏し、絶叫を上げる。

 近衛騎士団も無事では済まない。数名の騎士がやられてしまった。ライフル弾をも防ぐ魔装甲冑(エンチャントアーマー)とはいえ、装甲の隙間を撃ち抜かれてしまえば無意味だ。

 

「総員、下馬せよ!」

 

 そう命令したのは近衛団長だった。何しろ僕たちの前方には第二連隊の騎兵隊が布陣し、後方には味方歩兵隊が居る。そして左右は群衆だ。まともに動き回れるような状態ではない。動けなくなった騎兵なんて、ただのマトだ。こんな状況で一方的な集中射撃を喰らえば、どれほどの被害が出るやらわかったもんじゃない。

 

「アルベールくん、この状況……どう見る?」

 

 近衛騎士たちがあわてて下馬していく中、馬にまたがったままのフランセット殿下が聞いてきた。動揺を精神力で強引に押さえつけたような、不自然に抑揚のない声だった。

 

「これは明らかにかく乱を目的とした攻撃です。近いうちに本命が来るでしょう」

 

 少数の軽騎兵隊、民間人に紛れたクロスボウ隊……この程度の連中は、厄介ではあっても致命的ではない。こちらにはフル武装の近衛騎士団が居るし、すぐ後ろには王都防衛隊の歩兵部隊も控えて。態勢を立て直して反撃すれば、すぐに殲滅することができるだろう。

 とうぜん、そんなことはグーディメル侯爵も理解しているだろう。敵の目的は、あくまで混乱を引き起こすことだけだ。実際、無差別射撃のせいで大通りは阿鼻叫喚めいた有様になっている。民間人は悲鳴を上げて逃げ惑い、右往左往している。近衛騎士団側はなんとか反撃を試みようとしている者の、民間人たちが邪魔でまともに身動きが取れない状態だった。

 

「本命ね。狙いはやはり余か」

 

「でしょうね。……近衛騎士団は防御に専念させ、反撃は他の部隊にやらせましょう」

 

「なに?」

 

 少し驚いた様子で、フランセット殿下は全然に目をやった。隊列を組んだ近衛騎士団が、敵クロスボウ隊に反撃を試みようとしている。しかし、クロスボウ隊は巧みに群衆を盾にしておりなかなか接近できないような状況だ。

 

「クロスボウ隊は出来るだけ早く制圧したほうが良いように思うが」

 

 味方部隊はすぐ近くにいるが、戦場は混とんとしている。支援を要請しても、すぐには動けないだろう。そうこうしているうちに、第三射・第四射を喰らってしまうのではないか。フランセット殿下はそんな懸念を抱いているようだ。

 

「多少時間がかかっても、ここは堅実に立ち回るべきです。いくら精鋭の近衛騎士団でも、防御と攻撃の同時進行はツライ。無理に反撃を強行すれば、どうしても隙が生まれます。間違いなく、敵はその隙をついてくる」

 

「……確かに一理はあるが」

 

 殿下は不満そうだが、ここは無茶をするべき状況ではないからな。あまり焦って行動するべきじゃない。そりゃ、目の前で民間人がガンガンやられてるわけだから、焦るなって方が無理だろうが……こういう敵は、そんな感情を利用してこっちの行動を操ろうとしてくる。相手の思惑に乗っちゃだめだ。

 

「全身甲冑の騎士は、クロスボウで打たれまくられてもそう簡単に死にはしません。もちろん、民間人の犠牲者は出来るだけ減らしたいところですが……しかし、ここで殿下が攫われてしまえば、犠牲者数の桁が一つや二つは増えることになりますよ」

 

 せっかく反乱の早期鎮圧が見えてきたんだ、ここで失敗するわけにはいかない。反乱が長期化すれば物流が滞り、下層民から順番に餓死していく。そんな事態は絶対に容認できない。

 

「一の悲劇を容認してでも、十の悲劇を防ぐのが我々の仕事です。それを忘れてしまうような人間に、指揮官は務まりません」

 

「……その通りだ。わかった、近衛騎士団を呼び戻そう」

 

 一瞬考え込んだ後、フランセット殿下は頷いた。僕は密かに安どのため息を漏らす。目の前の惨劇を何とかしようと躍起になるあまり、かえって被害を増やしてしまう……新米指揮官が良くやりがちな失敗だ。

 殿下は聡明だが、流石に実戦経験は浅いようだからな。この辺りは、副官である僕がサポートしなくてはならない。無駄に長い軍歴の役立てどころだ。……前世と現世を合わせたら、二十年以上軍隊で飯を食ってるわけだものなあ、僕。

 

「しかし、君は余と大して変わらない年齢だというのに……流石の冷静さだな。ますます手放したくなくなってきたよ」

 

 ……えっ? いや、それは勘弁してほしいかな……殿下の所に居たら、『まあ愛人でもいいか……』ってなっちゃいそうだし。だいぶチョロいからな、僕ってば。



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第148話 くっころ男騎士とオレアン公の意図

 僕の意見具申を受け入れたフランセット殿下は、敵クロスボウ隊への反撃をいったん中止し近衛騎士団を後退させた。盾を持った騎士を正面に展開し、防御陣形を組み上げる。クロスボウは強力な兵器だが、流石に守りを固めた重装騎士が空いてでは分が悪いのだ。

 

「歩兵隊は避難民の誘導を急げ!」

 

 騎士隊の円陣の真ん中で、フランセット殿下が声を張り上げて命令する。戦場が狭く有効活用しづらいとはいえ、こちらには膨大な数の予備戦力がある。そこから歩兵隊の一部を抽出し、戦場から民間人を追い出すことにした。

 とにかく、今一番問題なのは戦場に民間人があふれていることだ。これさえ何とかすれば、クロスボウ隊や軽騎兵隊などライフル兵の一斉射撃で容易に殲滅できるんだが……。

 

「隣接した大通りでも、市民の避難と道路の封鎖を行いたいところですね。おそらく、敵の主力は迂回攻撃をしかけてくるはずですし」

 

 地図を見ながら、僕はそう進言する。彼我の戦力は五対一といったところで、こちらが圧倒的に有利だ。しかし、パレード中に急襲をくらったせいで、こちらの部隊の大半はいまだ移動隊形のままだからな。

 こんな状態ではまともに戦えないし、下手をすれば各個撃破を喰らってしまう。早急に迎撃態勢を整える必要があった。

 

「なかなか難しいな。後列の部隊では、まだ前線で何が起こっているのか把握していないだろうし……」

 

 兜のバイザーの位置を直しつつ、フランセット殿下が唸った。この混乱した状況では、伝令を出しても無事に到着するやらわかったものじゃないからな。前線から離れた部隊の指揮官に情報や命令を伝達するのは、かなり難儀だった。

 

「第二連隊の連中を使うのはいかがでしょう?」

 

 そんな意見を出したのはオレアン公だった。第二連隊の連中というのは、さきほどの騎士隊だろう。彼女らは現在、フランセット殿下の命令に従い周辺の警戒に当たっている。

 

「当家の家紋を帯びているあたり、今仕掛けてきている部隊はグーディメル侯爵の私兵でしょう。しかし、敵の主力はあくまで第二連隊。つまり、あの騎兵どもなら、敵の主力部隊にいきなり攻撃を仕掛けられることはないということです。なにしろ、味方でありますから」

 

 オレアン公の声にははっきりとした苛立ちがあった。まあ、そりゃそうだろうな。敵はオレアン公爵家の家紋を使っている。くだらないかく乱工作だが、罪を擦り付けられかけた当人としてはたまったもんじゃない。

 

「なるほど、そうやってこちらの事情を第二連隊の本部に伝えてもらうわけですか」

 

 彼女ら騎兵隊は投降(というのもおかしいが)し、こちらの指示に従ってくれる状態になっている。しかし、あくまでこちらに寝返ったのは前衛部隊の一部だけだ。第二連隊の本隊は、いぜんとして敵対状態のままだ。……無線か、せめて有線があれば接触しなくても事情を説明できるんだがな。本当に面倒だ。

 

「なんだかんだといっても、有利なのは貴方たちの側なのですからな。この状況で、向こう側にまわりたい者なぞそうはおりません。事情さえ理解すれば、すぐにこちらについてくれるでしょう」

 

 ……逆に言えば、こちらが戦力的に劣勢だった場合は、そのまま攻撃を続行してくる可能性もそれなりにあるのが恐ろしい。前世の歴史でも、王族が隙を見せたとたんに下克上を狙われるケースはそれなりにあるからなあ。王座が狙えそうだと判断すれば、不埒な考えを抱く連中も居るだろう。

 

「僕も同意見です。周辺警戒程度の任務なら、後詰の部隊でもできます。しかし、第二連隊本部の説得は、彼女らにしかできない任務ですからね。優先すべきは後者でしょう」

 

「なるほど、わかった」

 

 フランセット殿下は頷き、配下の紋章官を呼び寄せた。紋章官というのは貴族の家紋などを記録・管理する役職の者で、それが転じて軍使や外交官のような仕事をこなすことも多い。

 

「第二連隊に対して現在の任務を停止し、余の元に参陣するよう要請する命令書を作成してくれ。もちろん、正式な書面でな」

 

「はっ、承知いたしました」

 

「クロスボウ、来ます!」

 

 紋章官が頷いた途端、前線の騎士が叫んだ。耳障りな風切り音と共に、大量の矢弾が飛んでくる。紋章官は悲鳴を上げて地面に伏せ、近くに居た騎士が慌てて盾を構えてそれを庇う。それを見て、数名の騎士が鼻で笑った。……紋章官は文官(シビリアン)なんだから、そりゃ戦闘慣れしてないのは仕方ないだろう。

 

「まったく、こっちには殿下も居るってのにさ……!」

 

 目の前に飛んできた矢弾をサーベルで切り払ってから、僕は深いため息を吐いた。こちらを反逆者呼ばわりしつつ、王太子に矢を射かけてくる……やりたい放題にもほどがあるだろ。

 まあ、曲射のクロスボウ弾ごときで重装騎士を倒すのは難しいというのは、確かなんだが。それにしたって万が一ということもある。もし王太子殿下がケガでもしたら、どうするつもりなのか。……そのための、オレアン公爵家のサーコートか。事情を知らない一般兵や民衆からすれば、連中が本物のオレアン公爵軍兵に見えてもおかしくはない。まったく、悪辣なことだ。

 

「早く命令書を用意するんだ。いいな?」

 

「は、はい!」

 

 慌てて立ち上がった紋章官が、全力疾走で後方へ走り去っていく。その背中を見送ってから、殿下は肩をすくめた。

 

「命令書なんて用意するより、余自ら同行したほうが早い気がしてきたな」

 

「いけませんよ、殿下。敵は貴方を狙っているのですから……」

 

「わかってるよ。……しかし、事情を分かっている者を同行させた方が良いのは確かだ。書面だけだと、説得力が足りない。国王陛下の命令書と王太子の命令書が並んでいれば、優先するのは前者だろうからな」

 

「……確かに」

 

 考えてみれば、そりゃそうだよなあ。でも、流石にフランセット殿下を前に出すわけにはいかない。現状ですら、結構危険なんだ。これ以上危ない真似はさせられない。

 

「で、あれば……私とブロンダン卿が適任でしょうな」

 

 そんなことを言いだしたのは、オレアン公だった。彼女はあまり面白くなさそうな様子で、自らの胴鎧を叩いて見せる。

 

「グーディメル侯爵の出した偽勅は、私の派閥と宰相・辺境伯派閥の間で起こった私戦を鎮圧せよ……というものでしたな。で、あれば、その紛争の当事者である私とブロンダン卿が一緒に居れば、勅令の内容に矛盾が生じます」

 

「なるほどな。反乱は終結したという余の主張にも、説得力がうまれるわけか。……ううーん、アルベールくんを敵地(・・)に出すのか? 正直、やめてほしいのだが」

 

 突然妙なことを言いだしたな、この婆さんは。オレアン公本人はともかく、僕まで出ていく必要があるんだろうか? 面食らう僕をしり目に、殿下は腕組みをして唸った。

 

「しかし、私だけでは説得力が足りませんよ。その点、彼は宰相の懐刀として有名です。紛争当事者の双方が揃えば、向こうも納得してくれやすいのではないかと思いますが」

 

 オレアン公はそう説明するが、僕としてはリスクのわりにメリットの少ない作戦のように思える。……歳を食ってるとはいえ、オレアン公は一流の大貴族だ。その彼女が、むやみに危険なだけの作戦を立案した? なんだか、違和感があるな。

 

「……」

 

 兜のバイザーからのぞくオレアン公の目は、完全に据わっていた。覚悟を決めた戦士の目つきだ。……なるほど、そういうことか。

 

「そういうことなら、ご協力いたしましょう」

 

「アルベールくん? 大丈夫なのか?」

 

 心配そうな目つきで、フランセット殿下が僕を見た。まあ、そりゃ殿下からすれば僕が頷くとは思わないよな。とはいえ、ここはオレアン公の思惑に乗るのも悪くない。うまくやれば、彼女に恩を売りつつ一手で事態を解決できる可能性もある。

 

「ええ、問題ありません。そうでしょう? オレアン公爵閣下」

 

「……ええ、もちろん」

 

 そういって頷くオレアン公の声は、凪の海のように静かだった。



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第149話 くっころ男騎士とオレアン公の覚悟

 典型的な円形都市である王都は、同心円状に大通りが広がっている。上空から見れば、まるで輪切りにしたタマネギのように見えることだろう。オレアン公の提案を飲んだ僕たちは、本隊が展開している場所の隣の大通りへと移動し、その場で布陣した。予定では、第二連隊からの接触をここで待つことになっている。

 戦力としては第二連隊から寝返った騎兵が一個中隊、オレアン公の私兵が一個小隊、後は僕の護衛役の騎士が十名ほどだ。……僕の持ってる戦力が一番少ないので、少々不安だ。元第二連隊の騎兵たちはもちろん、オレアン公も味方とは言い難い相手だしな。

 

 

「なんだかこれ、すごく罠っぽくないですか? アル様」

 

 そんなことを囁くのは、僕の幼馴染件部下の騎士ジョゼットだった。フランセット殿下が僕の護衛としてつけてくれたのは、近衛騎士たちだ。近衛を貸してくれたのはありがたいが、しかし彼女らもいわば王家の私兵だ。正直、心の底から信用することはできない。

 いくら僕でも、身辺を信用できない味方だけで固められるのは不安すぎる。そこで、手近にいたジョゼットとカリーナを連れてくることにしたのだ。まあ、部下が二人増えただけでは正直気休めにしかならないが、それでも居ないよりは圧倒的にマシだ。

 

「罠だよ」

 

「ええ……」

 

 横で聞いていたカリーナがドン引きしたようなうめき声をあげた。彼女は全身鎧をまとい、立派な軍馬に跨っている。身長がやたらと低いことをのぞけば立派な騎士ぶりといっていい姿だったが、よく見ると手綱を握る手が震えている。……まあ、流石にビビるよな。僕だって内心結構怖いよ。

 

「まあでも、おそらく僕は大丈夫。問題は……」

 

 ちらりと視線を逸らした先に居るのは、オレアン公だ。彼女はピシリと背筋を伸ばし、自分の馬上槍の握り具合を確かめている。落ち着き払ったその態度は、陰険な策謀家というよりは老練なベテラン騎士という印象の方が強い。

 

「……」

 

 ジョゼットが無言で腰のホルスターに収まった拳銃をいじる。万一の事態が発生すれば、いつでも撃てる姿勢だ。彼女はオレアン公をひどく警戒している様子だった。……そりゃ、そうだよな。あの老人のせいで、僕たちは大切な仲間を失っている。不信感を抱くのも当然のことだ。

 

「……ちょっと、オレアン公と話をしてくる」

 

 そんなジョゼットを手で制し、僕は馬をオレアン公の方に向かわせた。

 

「……公爵閣下、一つお聞きしたいのですが」

 

「何だね」

 

 オレアン公の口調はひどくぶっきらぼうだった。

 

「この程度の()で、魚は釣れますかね」

 

「……やはり、気付いていたか」

 

 小さく息を吐いてから、オレアン公は馬上槍を従士に預けた。そして兜のバイザーをあけ、僕の方を一瞥する。なんとも不機嫌そうな表情だった。

 

「もし気付いていなければ、こんな危ない作戦に同行するような真似はしませんよ」

 

「それもそうだな」

 

 唸るような声で、オレアン公は答える。彼女がわざわざ味方主力から離れ、こんな危険な任務に志願した理由には見当がついていた。おそらく彼女は、自分自身と僕の身柄を餌にしてグーディメル侯爵を誘っているのだ。

 

「まあ、安心しろ。グーディメル侯爵は食いついてくるさ、必ずな……」

 

 どうやら、オレアン公にはグーディメル侯を誘引する自信があるようだ。その声には力があった。

 

「貴族としてのくらいは低くとも、貴様は辺境伯陣営の重鎮だ。侯爵としては、ぜひとも排除したい相手に違いない。……確かに、ヤツの本命は殿下かもしれんがね、殿下は近衛騎士団によって護衛されている。直接狙うのはなかなか難しい」

 

「強固な要塞を攻略する前に、周辺の小さな砦を潰しておく。そういう感覚ですか」

 

「男の癖に、ずいぶんと戦のやり方に詳しいな」

 

 皮肉げな様子でオレアン公はくつくつと笑った。

 

「そして、あのボンクラ侯爵の手勢は少ない。攻撃を仕掛けようと思えば、自ら出陣するしかないだろう」

 

「理屈はわかりますが、オレアン公自ら出陣する必要は……自分の首を餌にするなんて、危険ですよ」

 

「殿下に命じられずとも、あの痴れ者は確実に我が手で仕留めねば気が済まん。母娘仲は最悪だったが、それでもイザベルは私が腹を痛めて産んだ子だ……」

 

 そう言いながら、オレアン公は籠手に包まれた手を握ったり開いたりした。……彼女は娘のかたき討ちを望んでいる。そのために、殿下を誤魔化してまで自ら出陣したのだ。

 

「貴様こそ、そこまで理解していながら付き合ってくれるとは思わなかったぞ。貴様の言う通り、この作戦はなかなかに危険だ」

 

 まあ、自分自身をオトリにするわけだからな。そりゃ、危険だろう。僕たちの周囲に展開している騎兵隊も、信頼できるとは言い難い。場合によっては、僕たちをグーディメル侯爵に差し出す可能性すらある。

 

「グーディメル侯爵さえ討ってしまえば、この戦いは終わったも同然です。リスクを冒すだけの価値はある」

 

 ……僕の脳裏には、市民たちがクロスボウの一斉射撃に巻き込まれて死んでいく姿がこびりついていた。内乱が長引けば、あの悲劇は何度だって再現される。そんなことは容認できない。

 

「それに、僕が死んだところでこの国は揺らぎませんからね。僕の首一つで王都に平穏が戻るなら、それはそれで構いません」

 

「……勇敢だな。正直、驚いたよ」

 

「僕の命令により、多くの部下が死地へ飛び込んでいきました。それと同じように、必要であれば僕自身も死地へ飛び込んでいくべきでしょう。それが指揮官の義務というものです」

 

 そりゃ、わざわざ死にたいわけじゃないがな。でも、所詮は二度目の人生だ。一周目(・・・)の連中に比べれば、簡単に賭けられる程度の命だろう。三周目があるかどうかは知らんがね。

 

「……そういうわけにもいかん。貴様が私の巻き添えで死んだら、次代のオレアン公の立場がいよいよ不味くなるだろうからな」

 

 しかし、オレアン公は困った様子でそう呟いた。

 

「もし私がしくじったら、その時はわたしごと侯爵を討ってくれ。ヤツを取り逃がすよりは、そちらの方がよほど良い……いや、貴様にとってはそれが最善の結末か。はは」

 

 乾いた笑みを浮かべて、オレアン公は大きく息を吐く。これまでの自らの所業を思い出したのだろう。実際、オレアン公の策略のせいで僕は部下を失っている。そうそう許せる相手ではないのは確かだ。

 

「まあ、もし私が生き延びたのなら、この萎びた首は貴様にくれてやる。私に恨みはあるだろうが、今回だけは協力してほしい」

 

 ……思った以上に覚悟が決まってるな。どうも、オレアン公は勝敗に関係なくこの戦いを生き延びるつもりはないらしい。

 

「……殿下は、責任を問わないと言っていたように思いますが」

 

「年長者として忠告しておくが、私や殿下のような人間の言葉を、額面通りに受け取ってはいけない」

 

「なるほど、肝に銘じておきます」

 

 やっぱり、そういうことか。僕は強い酒を一気飲みしたいような気分になった。要するに、殿下はオレアン公に『自分のケツは自分で拭け』と暗に命令していたわけか。

 たしかに、実の娘であるイザベルが国王陛下に公然と反旗を翻したわけだからな。そりゃ、この老婆も今まで通り公爵家の当主を続けるわけにはいかないよな。自分の貴族としてのキャリアはこれでお終いなのだから、最後に一花咲かせよう……オレアン公は、そう考えているのだろう。

 

「……正直に言えば、貴方のことは嫌いです。言いたいことだって、たくさんあります。……しかし、命を懸けた戦いに挑もうとしている騎士に送るべき言葉はただ一つ。どうか、ご武運を」

 

 僕はそう言ってから、馬から降りてオレアン公に敬礼をした。彼女は無言で歯を食いしばり、天を仰いだ。

 

「……私はこれまで、幾度となく貴殿を侮辱してきた。しかし、それは完全な誤りだったようだな。すまなかった、ブロンダン卿。貴殿は本物の騎士だ」

 

 ……まさか、オレアン公に謝られるとはな。予想外過ぎて、絶句してしまった。そんな僕を見て、オレアン公はくすりと笑う。

 

「残念だ、本当に残念だよ、ブロンダン卿。もしも貴殿が私の臣下の子として生まれていたら、孫あたりと結婚させて囲い込んでいたのに」

 

「それは僕にとっても残念ですね。いい加減、身を固めたいんですが……男らしさが足りないせいか、いまだに相手が見つかりません」

 

 神聖帝国の元皇帝とか、軟派な王太子殿下とか、妙な相手からはよくコナをかけられるんだけどね。身の丈に合った現実的な相手が全然現れなくて困る。父上に、早く孫の顔を見せてやりたいんだが。

 

「……何を言っているんだ、ブロンダン卿。男らしさも何も、それは宰相と辺境伯が……」

 

「監視部隊より報告! 旗印を掲げていない不審な騎兵隊が、こちらにむけて急接近しています!」

 

 面食らった様子のオレアン公が何かを言おうとした瞬間、泡を食った様子の伝令兵が走り込んできた。オレアン公の表情が硬くなり、兜のバイザーを降ろした。

 

「旗印を掲げていない? 第二連隊の連中なら、連隊旗なり王家の旗なりを掲げているはずだ。つまり……」

 

「グーディメル侯爵、ですか」

 

「ああ。……さて、悪いが話はここまでだ、ブロンダン卿」



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第150話 くっころ男騎士と同士討ち

「敵の規模と兵種は?」

 

 敵接近の報告を上げた伝令兵を呼び寄せ、僕は質問を投げた。この世界には国際法や戦争法などはないが、それでも戦争を行うにあたっての最低限のルールはある。敵部隊は旗印を掲げていないという話だったが、これは明白にルール違反だった。

 そんなルール違反上等の連中が接近しているんだから、警戒心が沸かないはずがない。どんな汚い手段を使ってくるのか分かったもんじゃないからな。

 

「規模は一個中隊程度、兵種は重騎兵と軽騎兵が半々の模様です」

 

「重騎兵と軽騎兵の混成部隊? 妙だな……」

 

 同じ騎兵でも、重装騎兵と軽騎兵では役割が全く違う。前者は攻撃を主軸としたバリバリの戦闘兵科だし、後者は偵察や追撃といった補助的な役割をこなす兵科だ。

 とうぜん、この二者を混ぜて運用するケースはあまりない。重装騎兵が求められる場面では軽騎兵の防御力・攻撃力は弱すぎるし、軽騎兵が求められる場面では重装騎兵は鈍重かつスタミナが足りないからな。

 

「間違いない、グーディメル侯爵だ」

 

 従者に預けていた馬上槍を受け取りつつ、オレアン公が断言した。

 

「侯爵家は左前だ。マトモな重騎兵なぞ揃えられん。足りない分を、傭兵で補ったのだろう」

 

「なるほど。……仕掛けてきますかね?」

 

 僕は味方騎兵隊の隊長の方をちらりと見ながら聞いた。戦力的には、こちらが優越している。まともにぶつかり合えば、九割がたこちらの勝利で終わるだろう。敵もそれは理解しているだろうから、無謀な攻撃はしてこないのではないだろうか?

 

「あの没落侯爵は、悪知恵だけは働くからな。おそらく何かの策があるはずだ」

 

「……なるほど」

 

「貴殿、今悪知恵が働くのはお前も一緒だろう、とか思わなかっただろうな?」

 

「まさかまさか」

 

 もちろん、思ったよ。

 

「公爵様、城伯殿、いかがしましょう?」

 

 騎兵隊長が困ったような表情で聞いてきた。彼女らは第二連隊から降ってきた部隊だから、指揮系統があいまいなまま味方に編入されている。誰の指示を聞けばいいのか迷っているのだろう。

 実戦を前にした状況で、これは不味い。僕は即座にオレアン公の方を見た。彼女は今かなり不味い立場に置かれているが、それでも貴族としての階位は一番高いからな。こういう時は、シンプルに一番肩書が偉い人に任せるに限る。

 

「とりあえず、周辺警戒を厳としつつ臨戦態勢のまま待機。これは敵の陽動かもしれない。いきなり手を出すのは不味いだろう」

 

 オレアン公の出した命令は、僕が頭の中で考えていた内容とほぼ同じものだった。政府中枢で陰謀をこねているイメージの強い彼女だが、意外なことに戦場での判断は冷静かつ堅実だな。

 

「はっ!」

 

 騎兵隊長は威勢のいい声で返答し、矢継ぎ早に部下たちに指示を出し始める。それを見つつ、僕は自分の部下二人を呼び寄せた。

 

「カリーナ、実戦で銃を扱うのは初めてだろう。大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫。練習では、ある程度当たるようになってきたし……」

 

 自信なさげな様子で、カリーナは自分の騎兵銃を握り締めた。僕やジョゼットは試作型の後装ライフルを使っているが、彼女が持っているのは従来型の前装式ライフルだ。

 銃口から弾丸を込める前装銃は発射速度がひどく緩慢で、火力が低い。とはいえ、カリーナが訓練で使っていた銃は従来型のものだからな。新兵にいきなり新兵器を渡したら、扱いを間違えてしまう危険がある。旧式でも、扱いなれた武器を使ってもらった方が良いだろうという判断だ。

 

「当てようなんて思わなくていい。敵のいる方向にぶっ放せばいいんだ」

 

 ニヤリと笑って、ジョゼットが言う。幸いにも、僕たちが居る大通りには民間人はあまりいない。フランセット殿下たちの居る大通りで起きた騒ぎを聞いて、逃げ散ってしまったのだろう。ここでなら、安心して銃を使うことができる。

 

「鉄砲など、雑兵の武器だと思っていたのだがな」

 

 どこか寂しそうな様子で、オレアン公が言う。彼女らの世代から見れば、銃など邪道な兵器だろう。連射力では弓に劣り、運用性ではクロスボウに劣り、火力では魔法に劣る。あまりにも存在意義が薄い。

 

「槍ではなく、鉄砲を使う騎兵か。使い物になるのか?」

 

「正面からの戦いでは、槍騎兵のほうが強いのは間違いありません」

 

 誤魔化しても仕方ないので、僕は正直に答えた。いかにも古色蒼然として見える槍騎兵だが、その攻撃力はかなりのものだ。

 

「しかし、突撃専門の槍騎兵と比べれば様々な任務に使えますからね。そういう意味では、使い勝手は良い。……とはいえ、まあ、三騎ごときでは大した意味はありませんが」

 

 この場には百人以上の騎兵が居るが、その中で火器を装備しているのは僕たち三人だけだ。この程度の数では、大勢に影響はない。

 辺境伯の部隊を借りることができていたら、それなりの数のカービン騎兵も確保できたんだがな。今の僕は王太子殿下の配下として動いているのだから、こればっかりは仕方がないだろう。

 

「……なるほどな」

 

 頷いてから、オレアン公は視線を前方に戻した。よく見れば、敵部隊は目視できる距離まで近づいていた。監視部隊の言うように、確かにその部隊は何の旗も掲げていないようだ。

 

「敵部隊、動きを止めました」

 

 望遠鏡を覗き込みながら、見張り役の騎士が報告する。彼我の距離は、まだ一キロメートルは離れていた。

 

「攻撃準備にしては、随分と離れた場所で停止したな」

 

「やはり、別方向からも攻撃を仕掛けてくる腹積もりでしょう」

 

 オレアン公の言葉に、僕はそう答えた。先ほどの戦いでも、グーディメル侯爵は側道から遊撃部隊を突っ込ませる戦法を使っている。今回も同じ手を狙っているのだろうか?

 

「側面防御を厚くした方がよさそうだな」

 

「そうですね」

 

 頷きつつ、僕は内心ため息を吐いた。カービン騎兵とは言わないが、ライフル歩兵が手元にいればかなり楽だっただろうに。大した防具を装備していない軽騎兵が相手なら、ライフルの一斉射で攻撃を粉砕することだって可能だ。

 まあ、そうはいってもこちらは精鋭の重装騎兵部隊だ。しかも、足かせになる民間人も居ない。少々の攪乱攻撃なら、落ち着いて対処すれば跳ね返せる――

 

「後方の監視部隊が攻撃を受けています!」

 

 そこまで考えたところで、突然そんな報告が飛び込んできた。

 

「後ろから? ふむ、敵の規模は」

 

 落ち着いた様子で、オレアン公が聞き返した。バックアタックは恐ろしいが、当然その対策も打ってある。小規模部隊に後ろを取られたくらいなら、問題は無いのである。

 

「極めて大! 相手は、いえ、()は、第二連隊の旗を掲げています!」

 

 だが、そんな余裕ぶった考えは伝令兵の言葉で一気に吹っ飛んだ。第二連隊が、無警告で攻撃を仕掛けてきた? 意味が解らない。こちらの部隊は、第二連隊所属の騎兵隊だ。相手からすれば、味方のはずだぞ!?

 

「それは本当なのか?」

 

 内心の動揺を抑えつつ、僕は落ち着いているフリをしながら聞いた。

 

「はい。装備や規模からみて、第二連隊の主力で間違いないそうです。我々は、原隊から攻撃を受けています!」

 

 伝令兵は、ほとんど泣きそうな声音でそう叫ぶ。……後方に第二連隊、前方にグーディメル侯爵の私兵集団。どうやら、僕たちは敵に挟まれてしまったようだ。いや、本当になんでいきなり攻撃を仕掛けてきたんだよ、第二連隊は。

 



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第151話 ギャンブラー侯爵と欺瞞作戦

 わたし、バベット・ドゥ・グーディメルはご満悦だった。目の前では、防御陣形を組んだ敵部隊に第二連隊の弓兵・クロスボウ兵がさかんに攻撃を加えている。それに対し、敵はまともに反撃できていない様子だ。

 ま、そりゃそうよねえ。相手は槍騎兵中心の騎兵部隊で、射撃武器はほとんど持っていない。そりゃ、反撃なんてできないよねえ? ま、それ以前に、いくら攻撃を喰らったとは言っても、原隊に反撃するのはなかなか勇気が必要だろうけど……。

 

「同士討ちとは……見ていて気分の良いものではありませんね」

 

 隣にいる副官が、微妙な表情でそんなことを言う。……そうかな、割と気分いいけど?

 

「とはいえ、名将と名高いアルベール・ブロンダンをハメたと思えば大戦果でしょ。運が良ければ、ハメられるほうも出来そうだし。せっかくの男騎士、できれば食べてみたいところね」

 

「……」

 

 嫌悪感を丸出しにした表情で、副官は黙り込む。まったく、神経が細いわねえ。

 

「しかし、こんな作戦をよく考え突きましたね。味方の寝返りを前提に策を組み立てるとは」

 

「そりゃあね。そこらの凡骨とは頭の出来が違うのよ、わたしは」

 

 敵が王太子殿下を持ち出してきた場合、第二連隊の一部が離反するのはわかっていた。そして、離反した部隊が原隊をなんとか説得しようということも読めている。……だったら、そこへ罠を張るのは当然のことでしょ。

 第二連隊の指揮官には、あの騎兵中隊の隊長は宰相に買収されているようだと事前に吹き込んでいる。そして、その騎兵隊が、攻撃命令にも従わず怪しい動きをしている……そりゃ、裏切ったものと判断するのが普通よね。

 さらに、そのオマケとしてオレアン公とアルベールが同行してきたのだから、もう笑いが止まらない。敵陣営の要人二人を、一挙に撃破できる大チャンス! 分の悪い賭けだと思ってたけど、これは本気でいけるかもしれない。

 

「敵が弱ってきたら、一撃を加えてオレアン公・アルベールを奪取する。ババアは殺していいけど、男できれば生け捕りで。アルベールを捕まえたヤツは、一番乗りでヤッちゃっていいよ。頑張ってね」

 

「さっすが親分! 話が分かるッ!」

 

「男騎士とヤれるなんて、そうそう無いッスからね! (たぎ)ってきたッスよ~!」

 

 武器を振り上げながら、わたしの部下たちが下卑た声を上げる。……カネで雇った傭兵たちがこういう反応なのはまあ当然として、侯爵家の直臣である騎士たちも喜んでるのが凄いわねえ。ゲス君主にクズ臣下、割れ鍋に綴じ蓋みたいなものかしら。

 

「まったく、わたしにふさわしい軍勢ね。面白くなってきたな」

 

 ニヤニヤ笑いながら、視線を前線へと戻す。敵部隊は、守りを固めたまま一切の身動きもできないような状態になっている。反撃もできず、撤退もできず……可哀想にね。

 とはいえ、第二連隊側の攻撃も積極的とは言い難い。なにしろ、裏切り者とはいえ相手は自分たちの仲間だから、どうしても攻撃することに抵抗がある。結果、弓やクロスボウを最大射程から打ち込む以上のことができていない。

 うーん、ちょっと不味い。射撃に徹するのはいいけど、ここまで腰の引けた攻撃では有効打が入らない。敵の主力がいるのは、すぐ隣の大通りだからね。あんまりノロノロしてると、増援が来ちゃう可能性がある。

 

「よーし! いっちょ男騎士サマのケツに火をつけてあげましょうか。軽騎兵隊、下馬をして前進!」

 

 まあ、この程度は予想済み。軽騎兵たちを馬から降ろし、前進させた。せっかくの騎馬隊を下馬させるのは勿体ないように思えるけど、これからやる作戦を考えれば仕方がない。

 まあ、フル武装の騎士たちを相手に軽騎兵を突っ込ませるわけにはいかないしね。正面戦闘で頼りにならない以上、補助的な任務を与えた方がいいってものよ。

 彼女らを馬に乗せたのは、あくまで主力部隊である重騎兵たちに追従して機動するためだ。チンタラ徒歩で移動してたら、いつまでたっても戦場にたどり着かないからね。

 

「重騎兵隊は、突撃準備を整えつつ軽騎兵隊の後ろについていけ!」

 

 命令を出しつつ、わたしも馬を進ませる。ゆっくりと敵陣に接近し、距離が三〇〇まで縮まったところで、わたしは全部隊に停止命令を出した。

 

「軽騎兵隊、射撃用意!」

 

 号令を出すと、軽騎兵隊は背負っていた小銃を構えた。防御陣形を組んでいた敵兵に、あからさまな動揺が広がるのが見える。……そりゃそうよねえ。あの精鋭で鳴らす第三連隊が、辺境伯軍の銃兵隊に敗れたばかりだもの。ビビるなってほうが無理な話よ。

 ま、実際はそれほどビビる必要なんかないんだけどね。なにしろ、軽騎兵隊が装備している小銃は、わたしが武器商で買い集めた旧式の中古銃ばかりだもの。アルベールが使っているという、ライフル? とかいう新型とは射程が違いすぎる。三〇〇メートルなんて遠距離で撃っても、絶対に当たらないわよ。

 

「撃てっ!」

 

 でも、そんなことはお構いなしにわたしは射撃命令を下す。鼓膜を殴りつけられるような銃声が鳴り響き、真っ白い煙が霧のようにわたしたちの視界を遮った。銃声にビビって逃げようとする自分の愛馬を、なんとか抑える。

 話には聞いてたけど、本当に騎兵と相性の悪い兵器ね、銃は。わたしはなんとか堪えたけど、落馬をしている味方兵も居る。少し離れた場所に居るわたしたちですらこれなんだから、やっぱり軽騎兵隊は下馬させておいて正解ね。

 

「うわーっ!?」

 

 でも、ビビっているのは馬だけじゃない。一斉射撃を浴びた……と思い込んだ敵の騎士たちが、足並みを乱す。もちろん、実際にはまったく被害は受けていない。それでも、アルベールが作り上げた銃への恐怖が先立ち、浮き足立つのは避けられないようね。

 いや、思った以上に効果は抜群だわ。屋敷を売り払ってまで、小銃一式を用意した甲斐があったわ。これで効果ナシだったら、とんだ道化を演じる羽目になっていたわね。

 

「今だ、突撃開始!」

 

 こんな詐欺みたいな手段が、そうそう通用するはずもない。詐術であることがバレる前に、わたしは突撃命令を出した。



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第152話 くっころ男騎士と破れかぶれ突撃

 不味い事になった。敵の銃を持ちだした時点で、僕は内心そう思った。そしてその懸念は、現実となる。敵下馬騎兵が一斉射撃を氏、煙幕のように白煙が上がる。銃声を聞いた馬が怯えだし、動揺した味方騎士たちが隊列を崩してしまう。

 敵の銃がライフルではなく、従来型の滑腔銃であるのは明らかだ。なにしろ、僕の見る限りこの銃撃によって倒れた味方の騎士は居ないようだからな。これがライフルなら、どんなヘタクソが使ってももうちょっと命中弾は出ているはずだ。

 

「ちっ……」

 

 だが、そんな何の打撃にもならないような攻撃であっても、士気に重大なダメージを与えるのが銃という武器だ。大きな音、そして煙。そういうものに、人間は本能的な恐怖を抱く。

 まして、今の味方部隊は原隊から攻撃を受けたことでひどく動揺している。そこに予想外の攻撃を加えられれば、浮き足立つのも当然のことだ。

 

「敵銃騎兵隊、突撃に移ります!」

 

 ジョゼットがひどく抑制的な声で報告する。相手の騎士たちは、大通りの中央に布陣した下馬軽騎兵たちを避けるようにして二手に分かれ、こちらに向けて加速を始めた。不味い。非常に不味い。ここまで味方全体が動揺している状況では、騎兵突撃を受け止められない。

 せめて騎兵砲が一門か、ライフル兵が一個小隊でも居れば相手の出鼻をくじけるのに。そんな考えが脳裏をかすめるが、手元にないカードのことを考えても仕方がない。今は現有のカードでなんとかこの状況を打破する方策を考えねばならない。

 

「落ち着け! みんな落ち着くんだ!」

 

「おい、貴様ら! 情けないぞ!」

 

 騎兵隊長や気の利いたベテラン騎士がなんとか兵たちを宥めようとしているが、敵の騎兵突撃が迫っている状況では悠長に過ぎる。このまま敵の突撃を許せば、隊列が分断されるのは間違いないだろう。

 そのあとはひどい乱戦が始まって、まごまごしているうちに第二連隊の連中もつっこんでくる。そうなったら、各個撃破されてあっという間に全滅だ。とにかく、このまま突撃を受けるのは不味い。

 

「総員、突撃! 我に続け!」

 

 僕は反射的に叫び、馬の腹を蹴った。ジョゼットがベルトにひっかけていた信号ラッパを取り出し、突撃曲を奏で始める。どうやら、彼女も僕の意図を察したらしい。

 

「う……行くぞ! 貴様ら!」

 

「ウオオオオッ! ヴァロワ王家バンザーイ!」

 

 混乱で脳ミソが機能不全を起こしていても、普段からの訓練で身体にしみついた動作はそうそう忘れることはない。だからこそ、騎士という人種は突撃という単語と信号ラッパの音色を耳にすれば勝手に身体が動き始めるのだ。僕はその騎士の本能を利用することにした。

 僕に釣られるようにして、周囲の騎士たちも一斉に軍馬を進発させる。向かう先は、突撃を開始した敵騎兵隊である。大通りのうちの片方は第二連隊の主力らしき部隊に塞がれているのだから、突破を図るのならこの方向しかない。

 

「突撃! 突撃! とつげーき!」

 

 サーベルを振り上げながら、僕は渾身の力で叫ぶ。敵の突撃を茫然と受け止めれば、敗北は避けられない。ならば、突撃に突撃をぶつけて対抗するのが最適解なのである。

 幸いにも、重騎兵戦力はこちらが優越している。正面からぶつかれば、おそらく勝てるだろう。それがわかっているから、敵は銃を使ってこちらの動揺を誘ったに違いない。セコい小細工だが、なかなか厄介だ。やはり敵の司令官……グーディメル侯爵はなかなか頭が回るタイプのようだ。

 

「キエエエエエッ!」

 

 三〇〇メートルなどという距離は、馬の全力疾走……襲歩であれば一瞬で踏破できる程度のものだ。敵騎兵の姿がぐんぐんと大きくなり、突き出した馬上槍の穂先がきらめく。五メートル近い長さの馬上槍に対し、こちらのサーベルは刃渡り一メートル程度……圧倒的に不利である。

 おまけに、イの一番で飛び出した僕は味方の先頭に立っている。つまり、ほとんど単独で敵と接触しなくてはならないということだ。本来なら、こういう場合は密集した突撃隊形を組むべきなのだが……防御隊形からそのまま突撃に移行したのだから、仕方がない。

 今さら引き返すこともできないので、僕は逆に馬を加速させた。猛烈な勢いで迫りくる馬上槍をサーベルで受け流し、そのまま流れるような動作で敵騎兵の首元に切りかかる。

 

「グワーッ!」

 

 硬質な金属音が響き渡り、敵騎兵が落馬する。甲冑のせいで致命傷は与えられなかったようだが、追撃する余裕はない。衝撃にしびれる右手に力を込めつつ、前方から迫る新たな敵を睨みつける。

 今回はなんとかしのげたが、やはり得物の射程差はいかんともしがたい。二度も三度も馬上槍を防げるだろうか、そう考えた瞬間だった。猛烈な勢いで一騎の騎士が僕を追い抜いていった。その騎士の纏うサーコートには、見覚えがある。オレアン公だった。

 

「前に出過ぎなのだッ! 男の分際で!」

 

 そう叫ぶや、オレアン公は年齢を感じさせない見事な馬さばきで突進していき、敵前衛の一騎に襲い掛かる。

 

「失せろ、雑兵がッ!」

 

 オレアン公の馬上槍が、敵騎兵の胸に突き刺さる。強固極まりない魔装甲冑(エンチャントアーマー)であっても、流石にこれほどの一撃は防げない。哀れなグーディメル侯爵派騎士は血を噴き出しながら吹き飛ばされていった。

 

「やりますね、年寄りの分際で」

 

 口笛を吹いてから、僕はそう言い返した。もちろん、男の分際で、などと言われた意趣返しだ。

 

「オレアン公やブロンダン城伯に後れを取るな! 行け!」

 

「ウオオオオッ!」

 

 追従してきた味方騎士たちも、鬨の声を上げながら敵騎兵に殺到していく。馬上槍を構えた騎士同士が正面衝突し、凄まじい衝撃音があちこちで響き渡った。敵味方共にシャレにならない被害が出ているようだが……あきらかに、優勢なのはこちらの方だ。

 

「よし、良い調子だ。このまま敵陣を突破……」

 

「おい、この青薔薇のサーコート……こいつがブロンダン卿だ!」

 

「引きずり降ろせ! 新鮮な男だぞ!」

 

 安堵する間もなく、そこへ手槍や長剣を持った下馬軽騎兵たちが襲い掛かってくる。まさか重騎兵同士が正面からぶつかり合っている場所へ徒歩で突っ込んでくるとは思わなかった僕は、思わず面食らってしまう。

 

「なんだ、貴様らは!」

 

 左手で手綱を引っ掴んで、馬をコントロールする。突き出される槍の穂先を回避しつつサーベルで反撃するが、敵の数が多くあっという間に防戦一方に追い込まれる。どうやら、下馬軽騎兵たちは僕を集中的に狙っているようだ。

 

「ぐあっ!?」

 

 そのうち、槍の穂先についたカギ爪でひっかけられて僕は落馬してしまった。なんとか受け身を取って即座に立ち上がるが、いつの間にか完全に囲まれてしまっている。

 

「この声、間違いない! 本物の男騎士だ!」

 

「最低限の仕事は果たした! かまうこたぁねェ、路地裏に引きずり込んでヤッちまおう!」

 

 下馬軽騎兵たちは、口々に下卑た言葉を喚き散らしながら距離を詰めてくる。……落馬の衝撃で、全身が痛い。おまけに味方は敵重騎兵と戦うので精いっぱいで、援護は受けられそうにない。相手は軽装備の雑兵とはいえ数はなかなかのものだし、こりゃヤバいかもしれんぞ……。



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第153話 くっころ男騎士と大ピンチ

 敵中で馬から引きずり降ろされ、歩兵に囲まれる。これは騎兵の死亡フラグみたいなものだ。僕を囲んでいる敵兵は革鎧や鎖帷子を着込んだ軽武装の連中だが、なにしろ数が多い。単独で事態を打開するのは、なかなか難しそうだ。

 サーベルを構えながら、目だけを動かして周囲をうかがう。ジョゼットやカリーナが援護してくれるのではないかと考えたからだ。しかし、残念ながら彼女らはやや離れた場所で乱戦に巻き込まれているようだった。

 いや、ジョゼットたちだけではない。味方部隊は、すっかり散り散りになっていた。密集隊形を取らないまま、強引に突撃を始めてしまったせいだ。これでは、救援など期待できるはずもない。

 

「へっへっへ、痛い目は見たくないだろ? 坊ちゃん。剣を置きなよ、優しくしてやるぜ?」

 

「顔見せろよ、顔。男だてらに剣を振るってるようなヤツだ。岩みたいなツラだったらとんだ興ざめだぞ」

 

 敵の雑兵どもは、口々に下卑た言葉を吐きながらこちらを威嚇してくる。……いやー、ヤバいな。これはちょっと勝てる自信があんまりない。うすうす感付いていたが、やっぱりどうも今回の作戦は拙速が過ぎたかもしれない。

 自分をオトリに使うにしても、もうちょっとうまいやり方があったような気がする。疲れて判断力が鈍ってるのか、自分の故郷である王都がヤバいんで焦っているのか……両方だな。

 

「キエエエエエッ!」

 

 しかし、今は後悔している暇などない。とりあえず、僕は大声で叫びながら敵に切りかかってみることにした。数を頼みに油断している敵兵たちの隙をつくのは、大して難しくもなかった。鎖帷子姿の敵兵を真っ二つに切り捨て、僕は吠える。

 

「切り捨てられたい奴から出てこいコラ!」

 

「おいやべーぞなんだこいつ!」

 

「男騎士というか男バーサーカーじゃねえか!」

 

 顔を青くしながら、敵兵たちが一歩退く。この反応は予想済みだ。僕は兜のバイザーを開いてから腰のベルトにひっかけていた手榴弾を取り出し、そこから生えている安全ピンと短い紐を順番に口で引っ張りぬいた。

 

「チェスト手榴弾ッ!」

 

 僕はその手榴弾を敵集団の足元に投げつけた。鉄球は白煙を吐き出したかと思うと、鼓膜が破れそうな大音響とともに派手に破裂する。至近距離で起爆したため、僕もタダではすまない。半ば吹っ飛ばされるようにして地面に転がり、頭がぐわんぐわんと揺れる。

 

「アイテテ……」

 

 ちらりと自分の身体に目をやると、サーコートが破片で切り裂かれボロボロになっていた。生身で受けていたら、たぶん死んでいただろう。魔装甲冑(エンチャントアーマー)さまさまだ。

 しかし、無茶をしただけあって効果は抜群だ。三、四人の敵兵が、一目で即死しているとわかるような無残な姿で地面に転がっている。血と硝煙のまざったひどい悪臭が鼻を突いた。

 

「やっぱ、手榴弾はこうじゃなきゃな……」

 

 ふらふらと立ち上がりつつ、そう呟く。今回、僕が使った手榴弾は摩擦発火信管を採用した新型の試作品だった。これはマッチと同様の発火機構を備えており、紐を引っ張るだけで起爆することができる。従来の導火線に点火することで起爆するタイプの手榴弾に比べると、圧倒的に手軽に使えるのがメリットだ。

 

「お、おい、どうすんだよアレ」

 

「生け捕りにしろったって……」

 

 とはいえ、所詮は手榴弾。一発だけで敵を殲滅できるような威力は無い。だが、目の前で大勢の仲間を吹き飛ばされた敵兵たちは冷静ではいられない。顔に冷や汗を浮かべながら、じりじりと後ずさっていく。

 内心、ほっと安堵のため息を吐いた。僕はとにかく持久力がないので、連戦には耐えられない。瞬間火力で敵をびびらせ、救援を待つというのが僕の作戦だった。

 

「どけ、どけ! ザコどもの出る幕じゃあない!」

 

 しかし、そこへ馬に乗った敵重装騎兵が現れる。先ほどまでの雑兵とは違い、魔装甲冑(エンチャントアーマー)らしき全身甲冑を着込んだ精鋭兵だ。彼女は従士に馬上槍を渡すと、剣を抜きつつ馬から降りる。

 

「そいつはあたしの獲物だ。傭兵は傭兵らしく死体でも漁ってな!」

 

 どうやら、相手は騎士のようだ。しかし、物腰からして第二連隊の所属ではあるまい。やはり、グーディメル侯爵の私兵だろうか? こいつら、軍旗も家紋入りのサーコートも来てないから所属がわかんないんだよな。僕は兜のバイザーを降ろしつつ、彼女に声をかけた。

 

「貴様、グーディメル侯爵の手の者か」

 

「へへ、カンがいいじゃねえか」

 

 貴族というよりは、山賊といったほうが納得できそうな口調でその騎士は答えた。なるほどな、どうやら一応オレアン公の策はうまく行っているらしい。このまま、グーディメル侯爵本人も引きずり出したいところだが……。

 

「アンタを捕まえりゃ、しばらく好きにしていいって話だからな。楽しませてもらうぜ、男騎士サマよぉ!」

 

 騎士を名乗っていても、中身はさきほどの雑兵どもと大差ないようだ。敵騎士はそんなことを叫びつつ、イノシシのような勢いで突進してくる。

 

「ちっ……!」

 

 僕は舌打ちをしつつ身体強化魔法を発動させた。この魔法は体力を大幅に消耗するから、できれば温存しておきたかったのだが……魔装甲冑(エンチャントアーマー)装備の騎士が相手では、仕方がない。

 

「キエエエエッ!」

 

 渾身の叫びをあげつつ、サーベルを大上段に構えて突進する。敵騎士は慌てて迎撃の構えを取るが、もう遅い。真上から振り下ろされたサーベルの刃は、魔装甲冑(エンチャントアーマー)ごと彼女の身体を切り裂いた。

 

「グワーッ!」

 

 断末魔の叫びをあげながら、敵騎士は地面に倒れ伏す。どちゃりと粘液質な音がして、石畳が赤黒く染まっていく。

 

「ウ、ウワーッ! 化け物だ!」

 

 当然、それを見た雑兵たちはあからさまに動揺した。そりゃあ、そうだろう。魔装甲冑(エンチャントアーマー)の防御力が尋常ではないことは、兵隊ならみんな知っているからな。それが破られたのだから、ビビるのも当然のことだ。

 

「い、命あっての物種だ! ずらがるぞ!」

 

「死ぬまで戦えなんて命令はうけてねぇからな、退け! 退け!」

 

 そしてその作戦は、どうやらうまく行ったようだ。敵兵たちは血相を変え、一目散に逃げていく。……さっきの騎士の言葉が本当なら、あいつらは傭兵らしいからな。不利な状況になれば、こんなものだろう。

 

「……ちっ」

 

 だが、その代償も大きいかった。身体強化魔法の効果時間は、わずか三十秒のみ。それが切れるのと同時に、全身にひどい倦怠感が襲い掛かる。足に力が入らなくなって、思わず地面に膝をついた。

 

「あっヤッベ……」

 

 無意識に、そんな言葉が漏れた。どうやら、いよいよ体力の限界が来たようだ。普段なら、強化魔法一回くらいでここまでバテることはないのだが……昨日から戦いっぱなしだからな。疲労がたまっていたのだろう。

 しかし、参った。身体がまったく動かない。疲れている自覚はあったが、ここまでヒドい状態になるのは予想外だった。身体強化魔法を使ったのは失策だったな。戦場のド真ん中でこんな状態になるのは、マズイとかいうレベルでは……

 

「あっはは、無様ねえ。御高名な男騎士どのも、こうなっちゃオシマイだわ」

 

 侮蔑に満ちた言葉をぶつけられ、僕はなんとか顔を上げた。そこには、痩せた貧相な軍馬に跨った全身甲冑の女が居た。フルフェイスの兜のせいでその顔はうかがえない。だが、不思議と僕には確信があった。この女こそ、かのグーディメル侯爵に違いない。



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第154話 くっころ男騎士とくっころ

「貴様がグーディメル侯爵か」

 

 僕を馬上から傲然と見下ろす騎士に、問いかける。妙に痩せた軍馬に跨った彼女は、紋章入りのサーコートや盾などの所属を表す物品を何一つ身に着けていない。しかし、この女にはヒラの騎士とはとても思えないような風格があった。

 

「おや、ご存じ? たしか、直接顔を合わせた覚えはないけれど。……その通り。わたしこそが、ガレアの誇る四大貴族、グーディメル侯爵家……の、残りカス。バベット・ドゥ・オレアンよ」

 

 兜のバイザーを上げたグーディメル侯爵は、にっこりと笑って優雅に一礼する。口調こそ明るいものの、その声音には悪意と嘲笑がべったりと付着している。

 

「悪いけど、一緒に来てもらうわよ? ブロンダン城伯。安心しなさいな、殺しはしないわ。利用価値がなくなっても、奴隷市場に売り払うくらいで許してあげる。わたしは男には優しいの」

 

 どうやら、グーディメル侯爵は僕を拉致する気のようだ。アデライド宰相やスオラハティ辺境伯への取引材料にするつもりだろうか? ……あの二人にはさんざん世話になっている。迷惑をかけるわけにはいかないな。

 

「ぐっ……!」

 

 渾身の力を籠め、サーベルを杖代わりにすることでなんとか立ち上がろうとする。無論、大人しく連れていかれる気などさらさらない。力の限り抵抗するつもりだった。

 しかし、身体の方は全くいうことを聞いてくれない。立ち上がるのが精いっぱいで、剣を振るうどころか一歩前に踏み出すことすらできそうにない。銃があればまだマシなのだろうが、騎兵銃は落馬した拍子にどこかへ吹っ飛んでいってしまったし、拳銃はフランセット殿下に貸したままだった。

 

「あっはは、健気ねえ。好きよぉ、そういうの」

 

 なんとか剣を構える僕に、グーディメル侯爵は甘ったるい口調で嘲笑を投げつけた。

 

「こんな凛々しい男騎士様を、腰を振るしか能のないおバカさんになるまで調教する……楽しみ過ぎて、もう濡れてきちゃった」

 

 童貞としては魅力的に感じずにはいられない宣言ではあるが、僕は彼女の手に落ちるわけにはいかない身の上だった。歯を食いしばり、腑抜けた体になんとか喝を入れようとした瞬間だった。朗々とした声が、戦場に響き渡る。

 

「狼藉はそこまでだ、バベット」

 

 声の出所に、目を向ける。そこに居たのは、長大な馬上槍を携えたオレアン公だった。立派な体格の軍馬に跨り、豪奢な甲冑をまとった彼女の姿は、騎士道物語の一場面を描いた絵画のように勇壮だった。いかにも盗賊騎士といった風情のみすぼらしい格好をしたグーディメル侯爵とは、あまりに対照的だ。

 

「……へえ、生きてたか。嬉しいね」

 

 オレアン公の方を見たグーディメル侯爵はニヤリと獰猛に笑い、兜のバイザーを降ろした。

 

「前々からアンタのことは気に入らなかったんだ。母娘ともどもこの手でブチ殺せるなんて、よほどわたしは日ごろの行いが良かったようね」

 

「……そうか、やはりイザベルを殺したのは貴様か」

 

 馬上槍を握る手にぐっと力を籠めつつ、オレアン公は絞り出すような声で言った。

 

「弁明は地獄で聞こう」

 

「ふっ、地獄でやるべきなのは母娘水入らずの会話でしょ? 生前は、随分とすれ違ってたみたいだからねえ、わたしが直々に和解の機会をあげるわ」

 

「もはや言葉は不要か」

 

 静かな声でオレアン公はそう言うと、馬上槍を構えて馬を突撃させた。グーディメル侯爵もそれに続く。両者は真正面から相対したまま、ぐんぐんと加速していった。伝統的なスタイルの、槍騎兵同士の戦いだ。身体がまともに動かない僕は、それを見守ることしかできない。

 

「くたばれ、耄碌(もうろく)ババアッ!」

 

 しかし両者の槍が交差する寸前、突如グーディメル侯爵が左手で拳銃を抜き、オレアン公の軍馬に弾丸を撃ち込んだ。予期せぬ被弾に軍馬が暴れ、オレアン公は落馬しそうになる。

 

「ッ! 舐めるな、若造!」

 

 しかし彼女は、手綱を強引に引っ張りなんとか態勢を立て直す。それと同時に、耳をつんざくような重苦しい打撃音が周囲に響き渡った。ほとんど同時に、オレアン公とグーディメル侯爵が落馬する。どうやら、相打ちらしい。

 

「オレアン公……!」

 

 僕はあわててオレアン公に駆け寄ろうとしたが、身体がついてこない。一歩踏み出した瞬間、足に力が入らず地面に転がってしまう。無様にも、僕は地面に転がった。なんとか立ち上がろうとするが、イモムシのようにもぞもぞと動くのが精いっぱいだった。

 

「……ッてぇ……クソババアが……」

 

 なんとか起き上がろうもがく僕の耳に、嫌な声が聞こえてくる。グーディメル侯爵だった。彼女は右肩を抑えつつも、ふらふらと立ち上がる。しかし、対するオレアン公は倒れ伏したままだ。彼女の周りの石畳には、血だまりが出来ていた。

 

「死ぬまでわたしに迷惑かけやがってよ、クソッタレめ……!」

 

 憤怒の声を上げつつも、グーディメル侯爵は倒れ伏したままの僕の元へふらふらと歩み寄る。そして、僕を蹴りつけて強引に仰向けに転がした。そのまま。兜のバイザーを上げようとする。だが、落馬の衝撃で壊れてしまったのか、バイザーはびくともしなかった。

 

「ちっ」

 

 舌打ちをしてから、グーディメル侯爵は兜を脱ぐしてた。彼女の顔には、手負いの肉食獣のような獰猛な笑みが張り付いている。頬が紅潮し、目がギラギラと輝いていた。

 

「まあいい。ババアは殺したし、宰相と辺境伯に対する人質も手に入る。つまり、すべては計画通りって事なんだから……」

 

 彼女はそう言って僕の兜を奪い取り、遠くへ投げ飛ばした。そして僕の身体に馬乗りになってから、唇同士が触れ合いそうな距離まで顔を近づける。

 

「へえ、綺麗な顔してるじゃないの……あー、クソ、痛ったい……ムカつくなあ、この場でヤっちゃっていいかな? ダメに決まってるか……」

 

 グーディメル侯爵の甲冑は、右肩の部分に大穴が空いていた。この様子では、肩の骨や関節は完全に砕けているだろう。腕の切断を余儀なくされるような大けがだった。

 しかし、強靭な種族である竜人(ドラゴニュート)はこの程度のけがで死ぬことはない。まだまだ彼女は戦闘力を残している。……つまり、万事休すということだ。

 

「くっ……殺せ!」

 

「く、ははははっ! そのセリフを現実で言う男が居るとはね! 殺すわけないでしょうが、バカ男。正気を失うくらい滅茶苦茶に犯してやらないと、こっちの気が済まないのよ」

 

 勝利を確信した笑みを浮かべつつ、グーディメル侯爵は無理やりに僕の唇を奪おうとした。しかしその瞬間、僕の頭突きが炸裂する。

 

「とでも言うと思ったかゴミカスがーッ!!」

 

 そう叫びながら、僕は腰にひっかけてあった最後の手榴弾を取り出した。この距離で起爆すれば僕も無事では済まないだろうが、所詮は黒色火薬だ。このボケカス女の身体をうまく盾にすれば、ワンチャン生き残ることもできるだろう。そんなことを思いつつ、安全ピンを引っ張りぬく。

 

「僕の故郷を滅茶苦茶にしよって! 貴様だけはチェストせにゃ気が済まんッ!!」

 

「ホ、ホアーッ!?!? やめろ馬鹿ッ!!」

 

 この女さえ倒してしまえば、王都に平和が戻るのだ。僕の大切な故郷を、これ以上戦場にするわけにはいかない。僕は最後の力を振り絞り、手榴弾から伸びた紐を咥え――



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第155話 くっころ男騎士と執念

 このままグーディメル侯爵に拉致されれば、アデライド宰相にもスオラハティ辺境伯にも、そしてなによりも大勢の王都民にも迷惑をかけてしまう。そんなことは絶対に容認できない。僕は最後の力を振り絞り、手榴弾の起爆ヒモを引っ張りぬこうとした。

 

「早まるなよ。……若造が、そう死に急ぐもんじゃあない」

 

 だが、それより早く、僕の身体に馬乗りになっていたグーディメル侯爵の首元に短剣が突き刺さる。頸動脈に傷がついたのだろう、鮮血が噴水のような勢いで派手にまき散らされた。

 真っ赤に染まっていた顔を急速に青ざめさせながら、侯爵は後ろを振り向く。そこに居たのは、甲冑を自身の血で染めたオレアン公だった。

 

「テ、メェ……生きて……」

 

「この程度で死ねるモノかよ、貴様を地獄に送るまではな……」

 

「ああ、クソッ……こんな……」

 

 竜人(ドラゴニュート)の生命力は凄まじいものがあるが、それでも頸動脈が切断されればほぼ即死だ。グーディメル侯爵は腰の剣の柄を握ろうとして、そのまま脱力して僕の上にゴトリと倒れ込む。それ以降、彼女はピクリとも動かなくなった。

 

「……大丈夫か、ブロンダン卿」

 

 オレアン公はそう聞いてきたが、大丈夫ではないのはどう見てもオレアン公の方だった。彼女の胴鎧の腹部装甲には、馬上槍が突き刺さって出来たものと思わしき大きな穴が開いている。そしてその穴からは、白っぽい紐のような臓器が飛び出していた。……おそらく腸だ。

 

「……助かりました、閣下。僕は大丈夫です、身体が言うことを聞かないだけで……それより、その怪我は」

 

「いや、貴殿が無事ならいい。……この傷は気にするな、どうせ私が死ぬのは既定路線だ……」

 

 そう言って、オレアン公は地面に倒れ込んだ。失血のせいで、足が立たなくなったのだろう。ぷるぷると震える手で、彼女は兜のバイザーを上げる。露わになった皺だらけの顔は、脂汗だらけになっていた。

 

「しかし、私が……この腐れ外道の業突くババアが、男を守って死ねるとはな……ハハ、騎士道物語の主人公のようではないか……なんたる皮肉……ああ、だが、悪い気分ではない……」

 

 真っ青な顔に心底楽しそうな笑みを浮かべながら、オレアン公はごぽごぽと湿った咳をした。背筋に嫌な感覚が走り、僕はなんとか身を起こした。

 

「駄目なのですか」

 

「駄目だろうな……」

 

 僕の無意味な質問に、オレアン公はなぜか晴れ晴れとした表情で応える。 ……腹に穴が開いて、おそらく中身(ないぞう)も傷ついている。こうなると、竜人(ドラゴニュート)でももう駄目だ。手の施しようがない。腸の内容物に含まれる毒素や細菌が、血管を通して全身に回ってしまうのだ。

 そんなことは、僕も理解している。なぜなら、前世の僕も似たような死に方をしたからだ。……この虫の息になった老人は、仲間の仇だ。こいつの策略のせいで、幼馴染の騎士が何人も死んでいる。それはわかっている。わかっているが……。

 

「……」

 

 歯を食いしばり、自分に覆いかぶさるようにしてこと切れているグーディメル侯爵を押しのけた。そのまま這うようにしてオレアン公ににじり寄り、籠手に包まれたその手を握る。

 僕とオレアン公は完全な他人で、彼女がどんな人生を送ってきたのかも、どういう考えの持ち主なのかもよくわからない。何か声を掛けたい気分だったけれども、何も思いつかなかった。

 

「ふ……」

 

 そんな僕を見てオレアン公は微かに笑い、僕の手を優しく握り返した。その目つきはひどく茫洋としていた。失血のせいで、もうマトモに物が見えなくなっているのだろう。しかし、触覚は残っているはずだった。前世の僕が死ぬときも、触覚と聴覚は最後の方まで残っていた記憶がある。

 

「私はお前の宿敵だぞ、分かっているのか……?」

 

「ええ。……あなたの策略のせいで、僕の友人たちは命を落としました。あなたを憎んでいないと言えば、噓になります」

 

 しかし、もはや僕が手を下すまでもなくオレアン公はじきに死ぬ。そう思うと、彼女を罵倒しようなどと思う気持ちは微塵もわいてこなかった。悲しいとも嬉しいともつかない奇妙な感情で胸がいっぱいになったまま、僕はオレアン公の手を握りつづけた。

 

「ふん、まったく……」

 

 掠れた声でそう呟き、オレアン公はもう片方の手で僕の頭を撫でた。祖母が孫をかわいがるような、優しい手つきだった。

 

「優しい子だなあ、お前は……」

 

 そんなことを言いながらオレアン公は僕の頭を撫で続け、やがてゆっくりとその手から力が抜けていった。僕は慌ててその手を取り、両手で握り締める。一瞬だけ、微かな力で握り返した後、彼女の手は二度と動かなくなった。

 

「……はあ」

 

 何とも言えない気持ちをため息に変換して外に吐き出した後、僕は周囲をうかがった。いつの間にか、戦いは終結しつつある。優勢なのは味方側だ。もともと、戦力的にはこちらが優越していたのだから当然のことだろう。統制を取り戻した味方部隊は、グーディメル侯爵軍の残党を駆逐しつつあるようだった。

 不安なのは第二連隊の連中だが、こちらが乱戦に突入して以降彼女らはまったく動いていない。やはり、相手が味方ということもあり戦意が薄いのだろう。大勢が決しつつある現在も、戦闘に介入してくる様子はなかった。

 

「これなら、大丈夫か」

 

 そろそろ、スオラハティ辺境伯やフランセット殿下が増援を寄越してくるはずだ。そうなれば、もう心配する必要などない。首謀者を失った反乱軍は、すぐに鎮圧されることだろう。

 そんなことを考えていると、だんだんと視界が暗くなってきた。オレアン公ほどではないにしろ、僕もいい加減限界だった。何とか意識を保とうと頑張ったが、無駄な努力だった。

 

「お兄様!」

 

 バタバタと落ち着きのない足音が聞こえる。なんとかそちらに目をやると、下馬したカリーナがひどく慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる姿が見える。僕は少し笑って、オレアン公の手を握りしめたまま意識を手放した。

 

 

 



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第156話 くっころ男騎士の目覚め

「暑ぅ……」

 

 目を覚ました僕の第一声がそれだった。ひどく寝苦しく、体中が汗まみれになっているような感覚があった。瞼を開いて周囲を確認すると、どうやら僕はそれなりに広い寝室で横になっているようだった。

 部屋の中は真っ暗で、光源といえば開け放たれた窓から入ってくる月光くらいだ。僕が意識を手放したのは夕方になる前のことだったから、少なくとも数時間以上は寝込んでいたに違いない。

 

「……」

 

 窓が開いているあたり、どうも僕は敵の捕虜になったわけではないらしい。おそらく、味方に回収されたのだろう。そこまで考えてから、僕は目を閉じた。身体は相変わらずひどくダルかったし、眠気もすさまじいものがあった。

 そこでふと、僕は自分が抱き枕を抱えていることに気付いた。熱く、柔らかく、しっとりと濡れた抱き枕だ。大きさも重量感も、抱きかかえて寝るにはちょうどいい。僕はその抱き枕をぎゅっと抱きしめ、顔をうずめて深呼吸した。なんだかいい香りがして、思わず頬擦りしてしまう。

 

「ふへっ、ふへへへっ」

 

 抱き枕から奇妙な声が上がった。あわてて目を開いてみると、そこにあったのは抱き枕などではなかった。長い黒髪が特徴的な、人間の後頭部だった。

 

「あ、アデライド……」

 

「アッ!?……いや、違うんだ」

 

 抱き枕改め、アデライド宰相は僕に後頭部を向けたまま弁明した。なぜか僕は、宰相に抱き着いた状態で寝ていたらしい。……いや、まったく意味が解らない。

 

「私は寝汗を拭ってやろうとしただけなのに、君がベッドに引き込んできたんだ。断じて私から同衾しようとしたわけではないんだ。だからすべて君が悪いんだ、いいな?」

 

 ……いや、そんなことあり得るか? ああ、でもちょっと前に同じような言い訳を聞いたな。朝起きたら、なぜかソニアが横に居た時の話だ。似たようなことが続いてしまった以上、僕には近くに寄ってきた人間をベッドに引きずり込む奇癖があると判断するほかない。危険人物にもほどがあるだろ……。

 それはさておき、彼女のあでらいど宰相は僕に負けないくらい汗まみれで、ひどく煽情的な香りがする。異性の汗の匂いって、どうしてこんなに欲情を誘うんだろうな。これはヤバいと直感して、僕は即座に彼女から距離を取った。

 実際、これは非常に不味い状態だった。疲労困憊状態だと、かえってエロい気分になりやすいんだ。こんなところで息子を元気にしてしまったら、僕の童貞などあっという間に宰相に食われてしまう。……いや、責任を取ってくれるなら、正直そのルートは大歓迎だけどな。

 

「そ、その反応はひどくないかね? 私ときみの仲だろうに」

 

 だが、宰相が若干傷ついたような声でそんなことを言うものだから、僕は困ってしまった。異性に拒否される悲しさは、よく知っている。アデライド宰相とは今後も仲良くやっていきたいからな、あんまり嫌がるようなムーブはしない方が良いか。本音で言えば、そりゃ嫌どころか嬉しいくらいだし。小柄な妙齢美女との同衾なんて、めったにできるもんじゃない。

 僕は不承不承を装いながら、宰相の方に身を寄せる。そうすると、彼女はあからさまにほっとした様子で息を吐き、好色な笑みを浮かべて僕の身体に抱き着いてきた。

 

「ふ、ふん! それでいいんだ、それで」

 

「こんなの周囲にバレたら、面倒なことになりますよ……」

 

 小声でぼやいてから、僕は頭を軽く振った。寝起きでぼんやりしていた頭が、やっとハッキリしてきたのだ。宰相と睦言めいたやりとりをするのは楽しいが、今は確認しておかなければならないことがいくらでもある。

 

「アデライドがいるということは、ここは……」

 

「ああ、私の屋敷だよ。流石に、気絶した君をそこらの道端に放置しておくわけにはいかなかったからねえ」

 

「なるほど、助かりました」

 

 アデライド宰相の屋敷はオレアン公派の兵士との戦闘でひどい被害を受けたが、流石にすべての部屋が荒らされているわけではない。この部屋はおそらく、無事だった客間の一つだろう。

 

「一応言っておくが、身体を拭いたり着替えをさせたりしたのは、うちの侍男(男の使用人)たちだ。私は指一本触れてないから、安心したまえ」

 

「はあ、アリガトウゴザイマス」

 

 言われてみれば、全身汗まみれではあるものの返り血の類は完全に拭き取られている。服装も、清潔な寝間着に変わっていた。あのままの状態で寝込むのは衛生的によろしくないので、非常にありがたい配慮だった。

 

「ところで、戦況のほうは?」

 

「……まあ、君はそんな奴だよな」

 

 アデライド宰相は深いため息を吐いた。……いや、しょうがないだろ。まあ、宰相とこんなことになっている時点で、おおむね一件落着したのだろうと予想は出来るが、軍人の義務という物もある。

 

「第二連隊は降伏し、侯爵軍の残党は殲滅された。現状、これ以外の反抗勢力は出てきていない。つまり、王都に平和が戻ったということだ」

 

「良かった……」

 

 僕はほっと安堵のため息を吐いた。反乱の首謀者である次期オレアン公イザベル、そしてグーディメル侯爵は死んだ。首謀者が居なくなった以上、部下たちも長々と抵抗する意味を見出せなかったのだろう。投降するなり逃げるなりして、あっというまに勢力が離散してしまったに違いない。

 

「あとは、まあ……王都民に対する慰撫工作だな。フランセット殿下が王軍を率いて、日没寸前まで王都を練り歩いた。ある意味、戦勝パレードだな。そうとう、派手にやったと聞いているよ。そのおかげで、王都各地の混乱も沈静化しつつある」

 

「一件落着、ということですか」

 

「そうだ」

 

 頷いてから、アデライド宰相は僕をぎゅーっと抱きしめた。小柄なわりに豊満な(もちろん牛獣人のカリーナと比べれば慎ましいものだが)バストが僕の胸板に押し付けられ、つぶれた餅のように変形する。非常に心地の良い感触だったが、いろいろな意味でヤバい。僕は両足の指にぐっと力を籠め、息子が余計な気を起こさないように頑張った。

 

「一応言っておくが、私だって遊んでいたわけではないぞ。君たちが戦っていた間、私もあちこち飛び回って折衝をしていたんだ。四大貴族のうちの二つが失陥したことによる政治的混乱を防ぐための会合とか、混乱に乗じて余計なことをしでかす勢力が出ないようにするための牽制とか……」

 

 いじけたような口調でそんなことを言いながら、アデライド宰相はプイとそっぽを向いた。どうやら、彼女は自分が戦闘に一切参加できなかったことを恥ずかしく思っているらしい。貴族は戦ってナンボという価値観は根強いからな。まあ、気分はわかる。

 しかし宰相は宮廷貴族、かつ新興の家ということもあり独自戦力など持っていないし、ある程度は仕方のない部分はある。それに、前線でドンパチするだけが戦争じゃないからな。彼女のような人間が居ないと、前線の僕たちはあっという間に干上がってしまう。

 

「知ってますよ、アデライドが頼りになるってことは」

 

「……ならいいが」

 

 アデライド宰相は深いため息を吐いた。何しろ距離が近いので、ほとんど首筋に息を吹きつけられたようなものだ。背筋にゾクゾクと妙な快感が走る。……ほんとにヤバイ、勘弁してくれ。

 

「味方の損害とか、今後の展望とか、いろいろ教えていただきたいですが」

 

 そこで僕は話を逸らすことにしたのだが、アデライド宰相は露骨に嫌そうな顔をする。

 

「そう心配せずとも、大丈夫だ。カステヘルミ……辺境伯が万事うまくやってくれている。味方の損害も、まあ皆無という訳ではないが……君の知り合いは全員無事だ」

 

「はあ」

 

 神妙な顔で、僕は頷いた。……知り合いは全員無事というが、オレアン公はその中に入っていないようだな。まあ、アデライド宰相からすれば、彼女は敵以外の何者でもないだろう。こればっかりは、仕方のない事だ。

 

「しかし、それはさておき……君ねえ、男女が同じベッドに入っているんだよ? もっと艶っぽい話題は無いのかねぇ」

 

「艶っぽい話題って……いったい、どんな?」

 

 こちとら童貞である。そんな話題のレパートリーは無い。

 

「……えー、好きな下着の色とか形とか?」

 

「……」

 

 しかし、大概なのは宰相も同じだった。いや、それも男女がベッドの中で語り合うような話題じゃないだろ。

 

「……ええい、そんな目で見るな!」

 

 拗ねた声でそう言ってから、アデライド宰相は僕の首筋に噛みついてきた。もちろん、甘噛みだ。心地よい痛みに、思わず小さく悲鳴を漏らす。

 

「私が普段ケツ揉みくらいで我慢してやってるからって、油断してるんじゃないかね? まったく……」

 

 アデライド宰相は深い深いため息を吐いてから、僕から離れる。

 

「まあ、君もまだ休養が足りないだろう。あとは私たちにまかせて、ゆっくりしていたまえ……おっと」

 

 そう言ってベッドから出ようとしたアデライド宰相だったが、突然に動きを止めた。そしてこちらを振り返り。ニヤリと笑う。

 

「なんだ、アル。誘っているのかね?」

 

 宰相の視線は、彼女の袖をつまむ僕の手に向けられていた。それに気づき、僕は驚く。そんなことをするつもりなど、微塵もなかったからだ。完全に無意識の行動だった。

 

「あ、いや、これは……」

 

 思わず、しどろもどろになる。……ちょっと、精神的に疲れてるのかもしれない。オレアン公が、目の前であんな最期を遂げたわけだからな。彼女のことははっきり言って嫌いだったが、だからといってその死を喜ぶ気分にはなれない。精神がひどくささくれ立っている自覚があった。こういう時には、生きている人間の体温が恋しくなる。

 

「まったく、君は()いやつだねぇ。仕方がない、今夜は抱き枕になってやるとするか .……わかってるよ、抱かれたいわけじゃないんだろ? 我慢してやるさ、今日の所はな」

 

 いや、むしろ抱かれたい気分ではあるんですけどね。……でも、婚前交渉は不味いからなあ。畜生め。



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第157話 くっころ男騎士と義妹

 次に僕が目覚めたのは、翌日の昼過ぎだった。アデライド宰相の添い寝のおかげか、気分も体調もずいぶんと回復していた。しかし残念なことに、僕が期待していたようなイベントは起きなかった。好色で鳴らす宰相閣下だが、こういう時ばかりは淑女的だ。

 職務に戻った宰相と別れた僕は風呂に浸かり、飯を食い、千回ほど立木打ち(地面に埋め込んだ丸太を木刀で打つ鍛錬法)をして、精神を平時モードへと戻した。いつまでも戦争気分のままでいるのは精神的によろしくないからな。

 王都の方も、次第に平穏を取り戻しつつある。多少の混乱はまだ続いているようだが、衛兵隊で何とかできるレベルの話らしい。軍隊が長々と市街に展開し続けるのもよろしくないので、フランセット殿下は王軍の撤収を発表した。

 殿下が王軍の早期撤収を決断したのは、国王陛下の身柄の保護に成功したからという点も大きかった。陛下は、どうやらグーディメル侯爵のアジトに監禁されていたらしい。国王陛下はやや衰弱しているものの、命に別状はないと聞いている。数日休養すれば政務に復帰できる見通しとのことだ。

 

「ふう……」

 

 実家の庭先で、僕は香草茶を飲みつつため息を吐いた。デッキチェアの背もたれに体重を掛けつつ、ぼんやりと空を眺める。鳩の群れが、青い空をのんびりと横切っていた。

 状況としては、一件落着といっていい。もちろん、国家の中枢で血みどろの殺し合いが起こったのだから、政治の現場はいまだ大混乱中だ。アデライド宰相やスオラハティ辺境伯、それにフィオレンツァ司教などは、随分と大変な思いをしているらしい。

 

「平和だねえ」

 

「だなあ」

 

 隣に座ったカリーナの言葉に、僕はぼんやりと答える。政治にかかわっている方々は大忙しのようだが、僕は暇を持て余していた。戦場のド真ん中でぶっ倒れる醜態を晒してしまったせいで、しばらくの強制休暇を命じられてしまったのだ。

 まあ、もともと政治云々からは距離を置いていたし、面倒を見るべき部下も手元に居るのはジョゼットとカリーナ、あとは少数の従士たちだけだ。直接的な戦闘が終結してしまえば、もうほとんど僕の仕事は残っていなかった。

 

「飲みに行ったら怒られるかな」

 

「そりゃ駄目に決まってるでしょ、お兄様」

 

「だよなあ」

 

 僕はため息を吐きながら、膝の上に乗せた新聞に目を落とした。ガレア王国では活版印刷が普及しているので、少なくない数の新聞社も存在している。当然、今日の新聞で最も多くの紙面が割かれている記事は、反乱事件についてのものだった。

 文字列の中に自分の名前を見つけて、僕は顔をしかめた。どこにどんな取材をしたのかは知らないが、記事では僕がまるで英雄であるかのように書かれていた。正直、勘弁してほしい。僕だって大概、叩けば埃が出てくる人間なんだ。あまりに目立つと、ボロを出してしまう可能性も上がる。

 

「……」

 

 香草茶を口に含みつつ、紙面を目で追う。益体もないような記事ばかりだが、暇つぶしには十分だ。退屈……そう、退屈なのだ。母上は第二連隊長のジルベルト氏の家族を保護するために王都から出ていったままだし、父上は使用人たちと食料品の買い出しに出かけている。話し相手になってくれるのは、カリーナだけだ。

 普段、こういう時はトレーニングでもして暇をつぶすのが常なんだが……昨日ぶっ倒れたばかりなので、今日一日くらいは安静にしておけとアデライド宰相と父上に厳命されていた。

 

「ねえ、お兄様」

 

「うん?」

 

「昨日のアレ……」

 

 ちらりと義妹のほうを見ると、彼女は妙に不安そうな様子だった。僕は新聞を畳み、彼女の方に体を向ける。

 

「ちょっと、無茶しすぎなんじゃないかって……思うんだけど」

 

 曖昧な言い方だったが、カリーナの発言の意図は察しがついた。まあ、そりゃそうだよな。戦闘中にいきなりぶっ倒れるなんて、周りからすれば危なっかしくて仕方がないだろう。

 

「気はつけてるんだけね……」

 

 僕は小さく唸った。筋力に劣る只人(ヒューム)が強力な亜人と白兵戦を戦うには、身体強化魔法に頼るほかない。しかしその効果時間は短く、おまけに体力の消費が激しすぎるという欠点も持つ。

 万全の状態ならば一回使ったくらいではなんともないが、昨日のようにすでに疲労困憊の状態で使用すれば、行動不能になってしまう。自分でも、この魔法の使い勝手の悪さには辟易しているんだが……今さらどうしようもない。

 

「兵隊というのは、必要ならば死ぬほどの無茶だってやらなきゃならない仕事だ。昨日の一件は僕もヒヤリとしたが、もし今後同じような状況に陥っても、全く同じような対処をすると思う」

 

「……」

 

 まあ、反省すべき点はいくらでもある。昨日の作戦は明らかに拙速に過ぎたし、自分自身かなり焦っていた。冷静な判断ができていれば、もっと安全に勝利できていた可能性はそれなりにある。

 まあ、そうはいっても常に最善の選択をし続ける人間なんていないんだ。実戦に出続ける限り、また似たような窮地に陥る可能性は十分にある。「大丈夫、もうあんなことにはならないよ」などと無責任な嘘を吐くわけにはいかなかった。

 

「でもな、カリーナ。僕にはもう成長性はあまりないが、君は違う。成長期真っ盛りだ。僕がピンチになっても助けられるような、立派な騎士になってくれると嬉しい」

 

「……出来るかな、わたしに。昨日だって、大したことはできなかった。ただ、見てるだけで……」

 

「新兵なんて、そんなもんさ。五体満足で生き残った時点で、百点満点だ」

 

 どうやら、カリーナは自信を喪失しているらしい。しかし、新兵なんてものはたいていそんなもんだ。むしろ、きちんと身体が動いていた分上出来の部類だろう。落ち込む必要などまったくない。

 僕だって、前世の初陣の時は先任曹長に随分とドヤされたものだ。……前世の両親の顔はおぼろげにしか覚えていないというのに、戦場の記憶だけは鮮明によみがえってくる。不思議だな。

 

「自信を持て、カリーナ。初陣でビビって逃げ出したお前はもういない。昨日のお前は、最後まで己の役割を果たそうとしたんだ。これを成長以外の何だ?」

 

 僕は新聞とティーカップをテーブルの上に置くと、カリーナの前へと歩み寄った。そして彼女の両肩に手を乗せ、その目を真っすぐに見据えながらそう言う。

 

「よく頑張ってるよ、お前は。流石は僕の妹だ」

 

「……うん」

 

 頬を染めながらカリーナは頷き、控えめにその小さなツノの生えた頭を差し出してくる。撫でてくれ、ということらしい。勿論、拒否する理由などない。僕は彼女の頭を優しく撫でた。白と黒の混ざった不思議な色合いの髪の毛は柔らかく、とても手触りが良かった。

 

「明日も休暇だからな。ロッテも連れて、王都観光に行こうか」

 

「いいの?」

 

 カリーナはパッと表情を輝かせ、聞き返してきた。現金なものである。

 

「あんまりあちこちは行けないけどな。あんなことがあった直後だし……」

 

 二日で終わったとはいえ、内乱があったわけだからな。情勢も完全に落ちついているとは言い難い。とはいえ、直接戦場になった区画以外は日常を取り戻しつつあるという話なので、場所さえ選べば大丈夫だろう。

 それに、終戦記念だとかなんとか言って、お祭り騒ぎが始まっているということも聞いている。内乱の間営業できなかった食堂や職人たちが屋台を出して、損失の埋め合わせを目論んでいるようだ。僕たちもせいぜい散財して、景気回復の一助になってやろうじゃないか。

 

「まあ、最低限美味いメシだけは保障しよう。王都の飯屋は名店ぞろいだぞ、楽しみにしておけ」

 

 物流も再開して、食料品の不足も解消されつつある。王都メシの思い出が母上の揚げタマネギだけじゃ可哀想だからな。いろいろ食わせてやることにしよう。今から楽しみだ。



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第158話 義妹騎士と重鎮辺境伯(1)

 私、カリーナ・ブロンダンは歓喜していた。お兄様とデート、デートである。嬉しくないはずがない。ロッテも同行するというのが若干気に食わないが、まああの娘は私の子分なので良しとする。お兄様と別れた私は、財布に全財産を詰め込んで古着屋に向かった。もちろん、出来る限りの洒落をしてお兄様にアピールするためだ。

 が、残念なことに古着屋には私の身体に合う服はまったく置いていなかった。牛獣人と竜人(ドラゴニュート)では体格にかなりの差があるから、仕方のないことだった。もちろん、今から新しい服を仕立てている時間などない。どうやら、デートには普段着で出向くほかないようだ。

 意気消沈しつつ帰宅した私は、その後悶々としつつ一夜を過ごした。翌日が楽しみ過ぎて眠れないなどというのは、初めての経験だった。

 そして、いよいよデート当日。早朝の鍛錬を急いで終わらせ、お兄様と(ついでにロッテも)一緒に家を出る。パレア大聖堂をはじめとした観光名所を巡り、お兄様にいろいろと解説してもらう。とてもとても楽しいひと時だった。

 

「……」

 

 問題が発生したのは、昼食時だった。なぜか、途中でスオラハティ辺境伯が合流したのだ。いや、なんでよ。おかしいでしょ。この人、大国・ガレア王国屈指の大貴族でしょ。そこら辺の路上で出会っていいような相手じゃないわよ。

 

「なるほど。ジルベルト氏は連隊長職を辞任しましたか」

 

「留任でも構わないのではないか、という意見もあったのだけどね。結局、処分が正式決定する前に、ジルベルトは自分から職を辞してしまった。彼女の件は、これでうやむやになりそうだ」

 

「まあ、重い処分が下らなかったのはありがたいですが……彼女ほどの人材が王軍から離れるのはなかなか痛い損失ですね」

 

 お兄様とスオラハティ辺境伯は、路上に設営されたテーブルを挟んで何やら難しい話をしている。いわゆる、オトナの話ってヤツ。当然、私とロッテは蚊帳の外。二人して、屋台で買ってきたガレット(そば粉クレープ)をモソモソと食べつつお茶を飲むくらいしかやることがない。

 

「……おっと、申し訳ない。せっかくの休暇に、野暮な話をしてしまったな」

 

 しかし、そこは人の良い辺境伯様。露骨につまらなそうな顔をしている私たちを見て、申し訳なさそうに会釈をした。……この人からあのソニアが生まれたなんて、正直信じがたいんだけど。容姿はともかく、性格は正反対じゃないの。

 

「い、いえっ、そんな……」

 

 とはいえ、相手は母様(ディーゼル家の方のね)より遥かに大きな領地を治める辺境伯様。あまり殊勝な顔をされると、逆に困ってしまう。私はカチコチになりながら首を左右にブンブンと振った。

 

「しかし、茶飲み話にふさわしい話題ではないのは確かだからな。この話は、ここまでにしようか」

 

 スオラハティ辺境伯はそう言って香草茶を口に運び、小さく笑った。その表情は、まるで想い人に焦がれる少女のよう。やっぱり、この人はどう見てもお兄様に恋してる。そうじゃなきゃ、お偉い大貴族様が下町の屋台街なんかに来るはずないもんね。

 私はまるで冷水を浴びせかけられたような気分になった。ライバルというには、あまりにも相手が大物過ぎる。辺境伯様と競り合って、お兄様をモノに出来る自身などない。

 いや、辺境伯だけじゃないわよね。その嫡子であるソニアに、アデライド宰相。さらにはガレアの王太子殿下までお兄様にコナをかけている。……メンツがヤバすぎる! そんな連中を差し置いて、お兄様と結婚する? 絶対にムリ!

 

「……」

 

 結局のところ、私がお兄様を手に入れられる可能性があったのは、リースベンの戦争のときだけだ。あそこで勝っていれば、捕虜にしたお兄様を私の婿にすること造作もなかったはずだ。しかし、残念なことにその機会は永遠に失われてしまった。

 現実的な思考をしてみる。今の私は実家を追い出された勘当娘で、ブロンダン家の養女。立場としては厳しいけれど、致命的なわけではない。騎士としてのキャリアを積めば、いずれ縁談も来るだろう。相手はおそらく、ブロンダン家と同格の騎士家や、お兄様とのコネが欲しい下級貴族の縁者だろう。

 私も貴族の一員として生まれたわけだから、そういう男たちがどういう連中なのかは知っている。まるで観賞用の花のような、美しくも儚い奴らだ。間違っても朝っぱらから奇声を上げつつ丸太を乱打したりしないし、戦場でフル武装の騎士を一刀両断したりもしない。

 

「今さら、無理よね」

 

 周囲に聞こえないように小さな声で、私はそう呟く。お兄様のことを諦めて、そんな軟弱な男と結婚する? 絶対にムリ。アルベール・ブロンダンという炎のように苛烈で海のように優しい男を知ってしまった以上、もはや温室育ちの男では刺激が足りない。満足できるはずがない。

 

「ロッテといったか。君はガレットは好きかな?」

 

「は、はいッス。安くて美味いもんで、ハハ」

 

「うん、実は私もそうだ。子供のころは、良く食べていたものだ。母に内緒で、こっそりとね」

 

 和気あいあいと会話する辺境伯を見て、私の頭は高速回転した。騎士道には、ミンネという概念がある。騎士は身分の高い男性(主に君主の夫だ)にも忠誠と奉仕をささげるべし、という考え方だ。

 そしてこのミンネは、騎士と君主の夫君の恋愛という面もあった。自分の夫が高潔で高名な騎士から愛をささげられるのは誉れである。その愛が(よこしま)なものでないのなら、たとえ妻であっても邪魔をするべきではない。騎士道はそう語っている。

 ……要するに、一種の愛人だ。私の勝機はそこにしかない。お兄様の妻となった偉い人に気に入られることで、夫を共有する許可をもらう、そういうルートだ。

 

「ふむ……」

 

 そうと決まれば、誰かの陣営に参加するしかないが……ソニアの下に付くのはダメだ。性格が苛烈すぎて、こんな提案なんかしたら絶対に殺される。宰相も論外。性格が破廉恥すぎる。なら、もう、この目の前にいる優しい大貴族様に頼るしかないのではなかろうか?

 幸いにも、取り入る隙はありそうだ。何しろ辺境伯様からすれば、実の娘が恋のライバルということになる。そして辺境伯は領主貴族だから、普段は自分の領地から離れられない。圧倒的に不利な状況だろう。そこがスオラハティ辺境伯の弱点だ。

 

「……」

 

 そうと決まれば、話は早い。私はこっそりロッテに目配せした。

 

『お兄様を辺境伯様から引き離して』

 

『なんで?』

 

『理由はあとで説明する。早く!』

 

 アイコンタクトである。訓練兵として苦楽を共にしている私たちは、言葉に出さずともある程度の意思疎通は可能だ。ロッテは嫌そうな顔をして、ため息を吐いた。

 

「……アニキィ、ちょっとトイレ行きたいんスけど、場所がわかんなくて」

 

「ええ……仕方ないなあ。辺境伯様、申し訳ありません。ちょっと、こいつを案内してきます」

 

「ン、いいよ。行っておいで」

 

 なんだかんだお上品なお兄様は、「ションベンなんか、その辺の裏路地でやってこい!」とは言わない。軽く苦笑して、椅子から立ち上がる。そして辺境伯様に一礼して、ロッテとともにどこかへ歩いて行った。

 良し! 私のような下っ端と辺境伯様が二人っきりになれる機会など、そうそう無い。説得を試みるなら、今しかないってコトだ。失敗すれば、私は辺境伯様から睨まれることになる。そうなれば、私の貴族としてのキャリアはいよいよお終いだ。緊張するわね。

 

「あの、辺境伯様……実は、お話しておきたいことがあるのですが」



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第159話 義妹騎士と重鎮辺境伯(2)

「あの、辺境伯様……実は、お話しておきたいことがあるのですが」

 

 ドキドキしながら、私はそう切り出した。ここで失敗したら、私の人生はなにもかもお終いだ。いち見習い騎士程度の存在がこのクラスの大貴族に睨まれればもう正騎士昇格など不可能だし、そもそも相手はあの(・・)ソニアの母親だ。普段は穏やかでも、自分のオトコに手を出されたと判断したとたん烈火のように怒り出す可能性もある。

 

「何かな?」

 

 そんな私の懸念を知ってか知らずか、スオラハティ辺境伯は気楽な表情で小首をかしげ、そしてくすりと笑う。

 

「アルを遠ざけたということは、まあそういう話なんだろうけど」

 

「……よ、よくお分かりですね」

 

 さすがは大貴族だ。私程度の思惑なんか、お見通しみたい。まあ、ロッテとバッチリアイコンタクトしてたからね、そりゃあバレるか……。

 

「君がアルを見つめる目つきはだいぶ露骨だからね。気づかないのは、あのニブチンくらいだろう。……まあ、私も人のことは言えないだろうが」

 

 くすくすと笑いつつ、スオラハティ辺境伯は香草茶を口に含む。

 

「で、君は私に何を提案するつもりかな? 聞くだけなら、聞いてあげよう」

 

「は、はい」

 

 私はゴクリと生唾を飲んだ。完全に、こちらの思考が読まれている。飲まれているような感覚があったが、だからと言って口をつぐむわけにはいかない。なけなしの勇気を振り絞って、口を開く。

 

「言うまでもないでしょうが、私はお兄様のことが好きです。将来的に、男女の関係になりたいと思っています」

 

「うん。それで?」

 

 にこやかにほほ笑みつつ、続きを促す辺境伯様。いまのところ、気分を害している様子はない。……そういうフリをしているだけかもしれないから、まったく安心できないけど。

 

「しかし、現状ではその目的を達成するのはまず不可能です。お兄様は様々な相手から狙われていますし、対する私は後ろ盾も実績もないただの小娘に過ぎないからです」

 

 私は必死に脳を回転させた。思い出すのは、お兄様がしてくれた軍学の授業だ。私は小隊か何かを率いる下級指揮官で、スオラハティ辺境伯は司令部。そういう風に仮定して、報告と要望をわかりやすく伝達する。

 口先三寸でごまかすようなやり方は、おそらく絶対に通用しないだろう。だからこそ、私は正面突破を狙うことにした。誠意をもって、辺境伯様に私の意志を伝えるのだ。

 

「私がお兄様に釣り合うような地位まで出世できたとしても、そのころにはお兄様はすでに既婚者になっているハズです。それでは遅い、遅すぎる」

 

「だろうね」

 

「ですから、私はお兄様との結婚は諦めます。そうせざるを得ません。代わりに、お兄様にはミンネを、騎士としての愛を捧げます。その御許可を、辺境伯様に頂きたいのです」

 

「妥協だな」

 

 スオラハティ辺境伯の言葉は端的だった。

 

「いいのかな? 君は、それで。ミンネというのは、まあ公に認められている権利ではあるが……だからこそ、プラトニックな関係であるという建前は重要だ」

 

 まあ、そりゃそうなのよね。星導教が推奨しているのは、あくまで一夫二妻制。そこから外れた関係であるミンネでは、当然肉体関係を結ぶのは禁じられている。……実際は、だいたいヤることはヤッてるんだけどね。いわゆる、タテマエってやつ。

 

「もし君が本懐を果たし、アルの子供を産むことになっても……公的には、その子供の父がアルであるということは公表できない。わかっているのか?」

 

「構いません」

 

 私はしっかりと頷いた。しかし、内心は穏やかではない。ちょっと泣きそう。せめて、ソニアやジョゼットさんと同じようにお兄様の幼馴染として生まれていればもうちょっと選択肢があったのに。出会ったのが遅かったばっかりに、敵味方に別れて生まれてしまったばっかりに、これほどの妥協を強いられる。悔しくないはずがない。

 

「栄光の敗北より、無様な勝利を目指せ。それがお兄様の教えです。義妹として、私はその教えを守ります。私に勝ち筋があるとすれば、このルートだけでしょう。不本意ではありますが……」

 

「なるほど、君の覚悟は分かった」

 

 頷いてから、スオラハティ辺境伯は周囲を見回した。お兄様が帰って来てはいないか確認したんだろう。こんな話をお兄様に聞かれるわけにはいかないからね。護衛の騎士たちが頷いて見せると、辺境伯は少し笑って視線を私に戻す。

 

「しかし、今の私には君を支援する理由は無い。私だって、人並みの独占欲はある。むしろ、私にとって君は邪魔者だ。排除したほうが得なのではないかな?」

 

「いいえ、それは違います」

 

 正念場だ。私は両手をぐっと握り締めた。ここで辺境伯様に自分の有用性を示せなければ、私は一生を敗北者のまま終えることになる。

 

「私はお兄様の義妹、つまりは身内です。軍機の類はさておき、私的な生活の情報を収集するのは容易い立ち位置ということですね。どれほど優れた軍略家であっても、正確な情報がなければ判断を誤ってしまいます。恋という戦争でも、それは同じことでしょう。つまり……」

 

「君が私の間諜(スパイ)になってくれると」

 

「はい」

 

 ドキドキしながら、私は頷いた。辺境伯様は落ち着いた様子で、香草茶の入ったカップを口に運ぶ。

 

「……まあ、いいだろう。確かに、私も手詰まりを感じていたところだ。この辺でひとつ、攻勢をかけてみるのも悪くない」

 

「では……?」

 

「君にひとつ、試練を授ける。それを達成すれば、君とアルが私的な関係を結べるよう手助けしてあげよう。……ああ、勘違いをしてはいけないよ。私がやってあげるのは、あくまで関係の公認と外野からの妨害の排除だ」

 

 にやりと笑って、辺境伯様は人差し指をゆっくりと振る。

 

「アルが君を拒否するようであれば、私は彼の肩を持つ。ミンネなんてものを持ち出したのだから、騎士として恥ずかしくない方法で口説き落とすべきだよ」

 

「……ッ!」

 

 私は心の中でバンザイの声を上げた。どうやら、第一関門は突破したらしい。もちろん、私だって辺境伯様の名前を借りて強引にお兄様に迫る気はない。……そんなことしたら、間違いなくぶっ殺されちゃいそうだし。

 

「ありがとうございます、辺境伯様。それで、試練というのは……」

 

「私とアルと、そしてソニアの仲を取り持ってくれ」

 

「えっ、ソニア……様!?」

 

 私の顔から冷や汗が噴き出した。猛烈に嫌な予感がする。

 

「私が描いている絵図は、アルとソニアが正式に結婚し、その裏で彼と愛人関係を結ぶ……というものだ。アルを後夫にしたいという気分はもちろんあるが、娘の恋路を邪魔するわけにはいかん。君と同じように、私も妥協をしているんだ」

 

「は、はあ……」

 

 つまり、スオラハティ辺境伯は(ソニア)と事を構えるつもりはないという事か。『ソニアの足を引っ張りますから!』なんて言わなくてよかったわ。

 

「しかし、ソニアはそれが気に入らないらしくてね。家を飛び出して、それっきりだ……だが、私もこれ以上は譲歩できない。ソニアと仲直りをしたいし、アルとも男女の関係になりたい。君にはその手伝いをしてもらう。いいね?」

 

 無理よ、そんなの!! 私は内心で叫んだ。彼女が自分の母親に抱いているであろう感情は容易に想像できる。それを解きほぐして、母娘で男を共有する手伝いをしろ? いや、絶対ムリじゃないの!?

 

「あ、それとは別口に、アルの護衛も頼みたいね。彼は有能な騎士だが、自分の命を躊躇なく投げ捨てようとする悪癖がある。それでも、ソニアが居れば大丈夫だと思っていたが……いくら娘が有能でも、一人ではどうにもならないこともある。今回のようにね……」

 

「……ええと、その、つまり……私にソニア様の代わりが務まるような騎士になって欲しいと。そういうことですか?」

 

「そうだ」

 

 ……ソニアって、ガレア最強の騎士の一人とか言われてる女なんだけど、それと同じくらい強くならなくちゃいけない……ってコト!? 無茶! ムり! だいぶムリ!

 

「……わかりました。お任せください」

 

 辺境伯様の出した条件は、二つともとんでもない無理難題だった。しかし、拒否をすればお兄様を手に入れる機会は一勝失われる。私は泣きそうになりながら、頷くほかなかった……。



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第160話 重鎮辺境伯と義妹騎士

「……わかりました。お任せください」

 

 ひどく緊張した様子で頷くカリーナに、私、カステヘルミ・スオラハティはにっこりと笑い返した。顔を青くしながら冷や汗をダラダラと流すこの小柄な牛娘を見ていると、なんだか自分があくどいことをしている気分になるが……彼女にとっても決して悪い話ではないのだから、勘弁してほしい。

 まあ、実際のところ、彼女が協力を要請してくるように仕向けたのは私なんだけどね。見事に策が嵌まったおかげで、私はご満悦だ。なにしろ、アルはカリーナを殊更に気に入っている様子だったからな。味方に引き込めば、大きなアドバンテージとなるだろう。

 アデライドがアルとの添い寝を成功させ(昨日さんざん自慢された)、フランセット殿下までアルに興味を抱き始めた今、私ものんびりとしてはいられない。アルの争奪戦で出遅れている自覚はある。ここらでひとつ、挽回の一手が必要だと判断した。

 私がわざわざ下町までやってきたのも、そのためだ。カリーナが協力を頼んでこなければ、こちらから同じ話をするつもりだったのである。幸いにも、彼女はこちらの思惑通り動いてくれた。あえて友好的に接して話が通じるタイプであることをアピールした甲斐があったよ。

 

「とはいえ、無理は禁物だよ。特にソニアは、ああいう性格だから……拙速に事を進めすぎると、君自身も危険な目に合うかもしれない」

 

「は、はい……」

 

 彫像のようにカチカチになっているカリーナを見ていると、自然と表情が緩む。アルがこの娘を気に入っているのも理解できる話だな。ちっちゃいものというのは無条件で可愛いものだ。頭の方が残念ならなおさらだろう。

 もちろん、私も彼女を一方的に利用するつもりはない。カリーナが約束を守る限り、こちらも契約を反故にするつもりはなかった。ミンネ? 結構結構。アルも、私やアデライドのような人間ばかり相手をしていたら、疲れてしまうだろう。その点、カリーナであれば性格的にも年齢的にも立場的にも、アルの気晴らしの相手としてはぴったりだ。

 

「そう緊張しなくても大丈夫だよ。なあに、君が私を裏切らない限り、私も君を裏切らない。この契約がある限り、我々は友人同士だ。……そうだな、友人になった記念に、いいことを教えてやろう」

 

 私はニコリと笑いながら立ち上がり、友人のような気安さでカリーナの肩に手を置く。ナメられても困るが、怖がられ過ぎても困るからな。ある程度のご褒美はあげても良いだろう。

 

「な、なんでしょう?」

 

「アルはな、マッサージと称せば体中を触っても嫌がらないぞ」

 

「えっ!?」

 

 カリーナが驚愕の声を上げる。予想通りの反応に、私は笑みを深めた。

 

「アルはちょっとびっくりするくらい無防備な所があるからな。さも『下心なんかありませんよ』みたいな顔をして提案すれば、疑いもせずに頷いてくれるよ。私の彼が子供のころは、鍛錬の後によく全身をもみほぐしてあげたものだ。んふ、んふふふ……」

 

 性徴が始まったばかりの青い肉体の感触を思い出して、私は手をワキワキとさせた。あれは本当に素晴らしい日々だった。今でも、夜に自分を慰めるときはよくお世話になっている記憶である。……いい加減一人寝は寂しいなあ!! 

 くそぅ、アデライドめ。私を差し置いて楽しみやがって。添い寝なんて素晴らしいイベントがあったのなら、私も呼んでくれればよかったのに。親友同士じゃなかったのか、私たちは。あー、ムカムカムラムラする。なんとか、アルが王都にいるうちに彼を私の寝床に招かねばなるまい。

 

「ま、マジですか!? ど、どの程度までは行けるんですかね」

 

 案の定、カリーナは私の振った話題に食いついてきた。この年齢の娘など、一皮むけばこんなものだ。「友人として仲良くなるなら、下ネタが一番」……これは、私の従卒をやっている騎士の言葉だが、ある意味真理をついていると思う。

 ……見習い騎士とこんな下劣な話をしていることが母上にバレたら、殴られるだけじゃ済みそうにないな。別にいいじゃないか、遅れてきた青春だよ。

 それに、カリーナとはある程度仲良くなっておく必要がある。あんまり圧力を与えすぎて嫌われては、元も子もないからな。土壇場で裏切られたりすれば、たまったものではない。恐怖や欲望より、情で縛った方が扱いやすい人間というのはそれなりに居るものだ。

 

「首筋とか、脇腹とか、内ももとかなら大丈夫だ」

 

「首筋!」

 

「イイところを突いてやるとな、それはそれは素晴らしい声を上げてくれるんだよ、彼は。たまらないぞぉ……」

 

「マジですかあ……」

 

 カリーナは恍惚とした顔をしながら、手をワキワキさせた。アルが見たら百年の恋でも冷めそうなツラだな。まあ、私も似たような表情をしているだろうが。好色とかスケベとか言うとアデライドの専売特許のはずだが、私もカリーナも大概だった。

 

「しかし、実行するときはくれぐれも注意するんだ。ソニアにバレたら、ただではすまないぞ。私も肩の関節を外された」

 

「ぴゃっ!?」

 

 興奮に上気していたカリーナの顔が、一気に青くなった。ソニアの恐ろしさは、彼女も把握しているようだ。我が娘ながら、あの子の苛烈さは尋常なものではない。一体、誰に似たんだろうか。父も母(つまり私だが)もどちらかと言えば穏やかな気質だし、祖母……私の母も、厳格ではあったがあそこまでアレではなかったぞ。

 

「実行の前には、必ずソニアの居場所を確認するんだ。所在不明の場合は、決して手を出すな。変な所に潜んで、アルを監視している可能性が高い」

 

「こ、怖すぎる!」

 

 いや、本当に怖いよ、あの娘は。なんなんだろう、本当に。いくら何でも天井裏に隠れてるのは反則だろうに。

 

「……カステヘルミ様、アル様が返ってきましたよ。お下品な話はそのくらいになさってください」

 

 そんなことを考えていると、護衛の騎士があきれた様子で口を挟んできた。見れば、確かにネズミ獣人の子……ロッテを釣れたアルが、こちらに向かって歩いてきている姿があった。

 

「おっと、残念だな。……カリーナ、リースベンに戻る前に、一度うちに遊びに来なさい。アルを攻略するのに役立ちそうな情報を、いろいろ教えてあげよう」

 

「良いんですか? やった!」

 

 全身で喜びを爆発させるカリーナに、私は思わず苦笑した。とにかく、私は出遅れているからな。巻き返しを図るには、彼女に頑張ってもらうしかない。そのためには、助力を惜しむわけにはいかなかった。

 アデライドは、まあいい。彼女がアルを手に入れたところで、最終的には二人で彼を共有する形に落ち着くだろうからな。今の争奪戦も、いわば子供のじゃれ合いのようなものだ。お互い、本気で足の引っ張り合いをしているわけではない。

 問題はフィオレンツァ司教とフランセット殿下だ。彼女らにアルを奪われるわけにはいかない。そろそろ、私たちも本気になってアルを獲りに行く必要があるだろう。



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第161話 くっころ男騎士と酒場(1)

 義妹たち(正確に言うとロッテは違うが)との王都巡りは思った以上に愉快で、気付けば夕方になっていた。二人の方もそれなりに楽しんでくれたらしく、終始上機嫌だった。

 しかし、いつの間にか辺境伯とカリーナが仲良くなっていたのは意外だったな。まあ、辺境伯は結構な子供好きだからな。良くも悪くも子供っぽい部分のあるカリーナを気に入ったのだろう。

 

「さて……」

 

 義妹ふたりを実家の父上に預けたあと、僕は再び家を出た。もちろん、酒を飲むためだ。もちろんカリーナたちと戯れるのも楽しいが、大人には酒でしか癒せない痛みがあるものだ。

 今回の内乱騒ぎは、予想以上に僕の心をささくれ立たせていた。こういう時は、記憶が飛ぶまで酒を飲むのが一番だ。幸いにも休暇は明日まで貰っているので、丸一日つぶれるようなひどい二日酔いになっても問題ない。

 

「いらっしゃい。……あらま、アルさん。お久しぶりですね」

 

 僕が向かったのは、実家からやや離れた場所に店を構える造り酒屋だった。僕が王都で暮らしていた時は、二日に一回は通っていた馴染みの店である。

 

「どうも。……とりあえず赤。つまみに炒り豆も」

 

「あいよ」

 

 店主に注文すると、すぐにウェイターが赤ワインで満たされた木製ジョッキを持ってくる。ちょっと際どい格好をした、可愛らしい少年だ。いわゆる看板息子というやつである。この国には労働法も風営法もないので、夜のお店で年若い少年少女が働いているのは決して珍しい事ではない。

 そしてこの世界の酔客といえば、大概が女性だ。男性が一人で飲みに来ることなどほとんどない。そのため、給仕役も男性が好まれるわけだが……僕としては、露出の多い独特の衣装に身を包んだ同性に給仕されるのは、いまだに慣れない。

 

「ありがとね」

 

「どうも」

 

 愛想笑いを残して去っていくウェイターを見送ってから、ワインに口を付ける。爽やかな酸味と、微かな渋み。うん、おいしい。安酒屋の出すワインなぞはいろいろな混ぜ物で水増ししているのが普通だが、この店はそんな誤魔化しはしない。それでいて価格は日雇い労働者でも手が出る程度に抑えているのだから、なかなかの優良店だ。

 

「今年も出来がいいね、大将。三タルくらい貰って行ってもいいかな?」

 

「そりゃ、いいけどね。そんなに買って行って大丈夫かい? アルさん。酒屋が言うのもアレだが、飲み過ぎは毒だよ」

 

「自分で飲みやしないよ、そんなに。お土産用だよ」

 

 本気で心配している様子の店主に、僕は思わず吹き出しそうになった。このワインは、リースベンで待っている僕の騎士たちやロッテの保護者役である熊獣人のヴァルヴルガ氏へのお土産だった。

 ちなみに、カリーナの実母である元ディーゼル伯爵……ロスヴィータ氏も結構な酒好きなのだが、流石に元伯爵に庶民向けの安ワインを贈る訳にはいけない。そちらには別口で王侯用の高級ワインと北の島国……アヴァロニアから輸入されたウィスキーを準備している。

 

「お土産? 王都の酒をですか。……もしかして、最近妙に顔を出さなくなったのは」

 

「ああ、引っ越したんだ。南の……リースベンってところ」

 

「……聞いたこともない土地ですね。そりゃ、大変だ」

 

 同情顔の店主に、僕は思わず苦笑する。まあ、そりゃ王都民からすればリースベンなんて場所は知らないだろうな。なにしろ開拓がはじまったばかりのド辺境だ。

 

「ご苦労なことですなあ。ああ、でも、引っ越しということは……もしかしておめでたい話ですかね」

 

 店主の勘違いに、僕は表情が引きつりそうになった。確かに、この世界では男が遠くへ引っ越すといえば結婚が理由である場合が多い。転勤が発生するような仕事をしている男など、ほとんどいない訳だからな。

 

「残念ながら、独り身なのは相変わらずだよ」

 

 僕はワインをジョッキの半分ほどまで飲み干してから、そう答えた。いい加減結婚したいという気はある。しかし、相手がいないことにはどうしようもない。求婚じみた真似はされたが、その相手は神聖帝国の元皇帝だの自国の王太子だの、現実味のない連中ばかりだ。

 僕の自意識が過剰なのでなければ、アデライド宰相からも憎からず思われている……ような気もする。しかし、こっちもかなりのお偉いさんだ。木っ端貴族の僕では釣り合わない。貴族の結婚ってやつは、釣り合いを取るのが何より大事だからな。結局、彼女と結婚するのも現実的ではない。

 普通の貴族令息なら、こういう場合社交パーティーにでも出て相手を探す者ものなんだけどな。僕の場合、そうはいかない。なにしろ僕は詩作だのダンスだのといった、一般的な貴族令息が当然のように履修しているスキルを習得していない。パーティーなんかに出たって恥を晒すだけだ。

 なんというか、八方ふさがりなんだよな。いっそ、アデライド宰相の愛人に収まるのが現実的かもしれない。でも、僕はそれなりに独占欲があるほうだからな。別に本命の夫がいる上々で二号三号に甘んじるのは、ちょっと無理かもしれない。それならまだ一生独身を通した方がマシだ。

 

「……そりゃ、すいませんね」

 

「いや……」

 

 何とも言えない表情の店主に、僕はため息を吐いた。ツマミの炒ったエンドウ豆を口に運び、ワインで流し込む。人生、ままならないものだ。

 

「母さん、悪いけど厨房の方手伝ってよ。手が足りなくてさ」

 

 そこへ、疲れ顔の少女がやってきてそんなことを言った。店主は「はいはい」と苦笑して、こちらに一礼する。

 

「すいません、行ってきますわ」

 

「あいあい、どーぞどーぞ」

 

 仕事の邪魔をするのも申し訳ない。僕は手をひらひらと振って彼女を見送った。ワイワイ騒ぎながら飲むのも悪くはないが、一人で黙々と飲む酒もそれはそれで趣がある。僕はどちらも嫌いではない。

 舐めるようにワインを味わいながら、周囲を観察する。まだ本格的な酒盛りには早い時間帯だが、客の数は多い。みな、ガヤガヤと上機嫌な様子で酒を酌み交わしている。

 僕はほっと小さく息を吐いた。内戦が長引いていれば、こんな景色も見ることはできなかっただろう。これは、僕たちが守った平和だ。そう思うと、少しだけ心が軽くなった。

 

「……」

 

 自然と耳に入ってくる酔客たちの会話の内容は、やはり先の内戦についてのものが多い。国内屈指の大貴族の次期当主が王家に公然と反旗を翻したわけだから、そりゃあ一般市民たちからすればさぞ心配だったことだろう。

 しかし、結果的に内乱は僅か二日で鎮圧された。酔客たちは、口々に王家やフランセット殿下を賛辞している。いい傾向だ。反乱などが起こった割りに、人心は乱れていないように思える。

 

「……おっと」

 

 益体のない事を考えていると、いつの間にかジョッキが空になっていた。ぼんやり飲んでいると、どうしてもペースが早くなっちゃうな。

 ワインの度数を考えると。こんなビールみたいなスピードで飲み干すのはちょっとよろしくないんだが……まあいいや。今日は徹底的にダメになりたい気分だし。さっさと二杯目に行ってしまおう。僕はちょうど近くを通りかかったウェイターに、ジョッキを掲げて見せる。

 

「赤、おかわりで」

 

「はーい、少々お待ちを」

 

 ウェイターはジョッキを受け取り、急ぎ足で去っていった。酒がなくなって手持無沙汰になった僕は、素焼きの皿に乗ったエンドウ豆をポリポリとかじる。

 すきっ腹にワインを流し込んだせいで、すでにほろ酔いといっていいくらいにはアルコールが回っていた。しかし、まだ時刻は夕方だ。夜中まで飲み続けたければ、そろそろ何か料理を頼んだ方が良かろう。

 

「おい兄ちゃん」

 

 そんなことを考えてると、突然声を掛けられた。振り向くと、そこに居たのはワイルド系のお姉さんだ。服装は普通の平民福田が、腰には簡素なこん棒を差している。種族は竜人(ドラゴニュート)ではなく、犬っぽい外見の獣人だ。南大陸に多く住む、ハイエナ獣人だろうか? なんにせよ、雰囲気からしてやくざ者か用心棒の類のように思える。

 

「一人かい? だったら、こっちへ来てお酌をしてくれないか」

 

 ワイルド系お姉さんが指さした先には、これまたならず者然としたお姉さま方の集団が居た。竜人(ドラゴニュート)は一人もいない。狐や狼などの獣人ばかりである。彼女らはこちらを見ながら、にやにやと好色な笑みを浮かべていた。

 

「男の一人呑みは危険だぜ? 悪い酔っ払いに絡まれるかもしれないからよ。その点、あたしらと一緒なら安心だ」

 

 僕の肩に馴れ馴れしく手を回しながら、お姉さんはワルい笑みを浮かべた……。

 



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第162話 くっころ男騎士と酒場(2)

「男の一人呑みは危険だぜ? 悪い酔っ払いに絡まれるかもしれないからよ。その点、あたしらと一緒なら安心だ」

 

 馴れ馴れしく僕の肩に手を回しながら、ワルっぽいお姉さんはそんなことを言った。その蓮っ葉な態度はまさに場末のチンピラそのもの。絡まれたのが世間知らずのお坊ちゃんであれば、腰を抜かして動けなくなってもおかしくないほどのガラの悪さだ。

 しかし僕も軍隊生まれの軍隊育ち、ガラの悪い連中には慣れている。場末のチンピラなんぞよりよっぽどおっかない連中と普段から関わっているわけだからな、この程度の相手ならカワイイものだ。僕はにっこりと笑って立ち上がり、小首をかしげる。

 

「お酌をするのは良いが、タダ酒奢ってくれるくらいの甲斐性はあるんだろうね?」

 

「当然、当然!」

 

 ゲラゲラ笑いながら、お姉さんは自分たちの席の隣を指さした。そこには、小ぶりなワイン樽がデンと鎮座している。どうやら、タルごと買いきって酒宴を楽しんでいるらしい。豪勢なことだ。

 それならば、こちらにも断る理由は無い。他人の金で飲む酒ほどウマイものはないからな。僕は一応貴族ではあるが、懐具合の方はまったく寂しいものだ。なにしろ僕は収入の大半を武具の収集や技術開発のための資金援助に当てている。自由になるカネは存外に少ないのである。

 

「それじゃ、ご相伴にあずかりましょうかね」

 

 彼女に頷き返し、席を移動する。もちろん、注文しておいた赤ワインのお代わりを受け取るのも忘れない。ウェイターが持ってきたジョッキの中身を腹に流し込んでから、お姉さんたちの一党を見回した。

 数は五人ほど。どいつもこいつもガラが悪い。武装は、目に見える範囲では警棒サイズの小さなこん棒程度。しかし仕込み武器の類を持っている可能性もある。……一瞬でそこまで確認し、自分の腰に差した木刀にチラリと目をやる。

 

「変わったモンを差してるな、兄ちゃん」

 

 いかにもやくざ然とした女たちだけあって、僕のそんな動きを見てある程度察したらしい。狐獣人の女がニヤニヤと笑いながら、木刀を指さしてそんなことを聞いてくる。

 

「今回の乱でフランセット殿下の側仕えをしたっていうあの男騎士……ええと、ブロンダン卿だったか? そいつの影響でも受けたのか」

 

「違うよ。実家が剣術道場でね。僕も小さいころから仕込まれた」

 

 突然自分の名前が出たせいで面食らったが、まさか本人ですと申告するわけにはいかない。僕は椅子に腰を下ろしつつ、事前に準備しておいた言い訳を口にした。

 ちなみに、愛用のサーベルではなく木刀を持ってきたのには理由がある。ガレア王国は存外に武器の所持制限がキツく、一般人は武装することができないのだ。帯剣を許されるのは衛兵や従士、許可を得た傭兵、それに貴族くらいのものだ。男の僕がこれ見よがしに真剣を差していたら、あっという間に正体が露見してしまう。

 一応は貴族である僕がこういう大衆酒場に出入りしていることがバレると、宰相や辺境伯からやいのやいの言われてしまうのである。。そのため、こう言った場合には身分を偽って説明することにしている。

 一時的とはいえ愛剣を手放すのは若干不安だが、相手がしっかりとした防具を身に着けていないのであれば真剣だろうが木刀だろうが関係ないので問題はない。せいぜい、斬殺か撲殺かの違いだ。都市内での護身用なら、木刀で十分だ。

 

「へーえ? オトコが剣術道場ね。……けっこうデキんの?」

 

 ハイエナお姉さんは、そんなことを聞きながらジョッキを突き出してくる。お酌をするといったからには、付き合わねばなるまい。僕はタルに満たされた白ワインを柄杓(ひしゃく)ですくい、ジョッキに注いでやる。

 まあ、少なくとも店内にいるうちはそうそうトラブルは起こらないだろう。この店はそのあたりはしっかりしている。ヤンチャをし過ぎると、怖いお姉さまがたが大挙してやってきて「お客さん、ちょっと裏で話そうか」とどこかへ連れていかれる羽目になる。このハイエナ獣人さんたちも、そう無体な真似はすまい。

 

「まさかあ。この間も、()ってる最中にスタミナが切れてね。ひどい目に合った」

 

「そりゃそーだ。あんた、試合や鍛錬は好きにすりゃいいと思うがね。調子に乗って、ヘンな連中に喧嘩売ろうとは思わない方が良いぜ」

 

 ヘンな連中の代表格みたいな面構えのハイエナ姉さんは、至極まじめな表情で忠告してくる。自分たちに剣で対抗しようとしても無駄だぞと牽制しているのかとも思ったが、どうやら本気で心配してくれているらしい。

 

「男だてらに剣術をやってるってこたぁ、たぶんアンタは一人息子だろう。親御さんに心配かけちゃいかんぞ」

 

「そりゃそうだね。肝に銘じておくよ」

 

 僕の答えに、ハイエナお姉さんは満足した様子で頷く。そしてテーブルのど真ん中にデンと鎮座しているデカい川魚の香草焼きを取り皿に切り分け、僕に押し付けてきた。まだホカホカで、湯気を上げている。香ばしい香りが食欲を刺激した。

 

「おっ、いいねえ。ありがとう」

 

 さっそく一口食べてみる。白身魚特有の淡泊な味わいに、ハーブの香りがマッチして素晴らしくウマい。感嘆しながら、赤ワインを食道へ流し込んだ。

 

「……やっぱり魚には白だな」

 

「当然だろ。魚には白、肉には赤! 極星様だってそう仰ってらぁ」

 

 狼獣人のその言葉に、僕は吹き出しかけた。当然だが、星導教の教えにそのような物は無い。

 

「そりゃいけない。さっさと白に切り替えにゃバチが当たるな」

 

 とはいえ、川魚には赤ワインより白ワインのほうが合うというのは事実である。僕はジョッキの中にまだタップリ残っている赤ワインをごくごく飲み始めた。

 

「おっ、いい飲みっぷりだねえ!」

 

 それを見た獣人たちが、歓声を上げてはやし立て始めた……。

 

「あー、腹いっぱい……」

 

 それから、一時間後。僕たちはすっかり出来上がっていた。テーブルには空になった皿がタワーのように積み上がり、酒樽の中身は半分まで減っている。当然、僕を含めた全員がぐでぐでに泥酔していた。

 

「食うのにも飽きて来たし、一局どうだい?」

 

 酩酊顔のハイエナ姉さんが、ポーチから大量の木札を取り出して言った。仲間の獣人たちは「いいねえ!」と笑いながらテーブルの上を片付け始める。

 

「札並べか」

 

「ルールは知ってるかい、兄ちゃん」

 

「一応」

 

 札並べというのは、ガレア王国ではごく一般的なテーブルゲームだ。ルールとしては麻雀やポーカーに近い。様々な絵柄の描かれた木製の札を捨てたり拾ったりしつつ、特定の役を作ってアガる、そういうルールである。戦地での暇つぶしにはピッタリの遊びだから、当然僕も何度もプレイしたことがあった。

 

「でも、今日はカネはあんまり持ってきてないんだ。種銭が足りないんじゃないかな」

 

 酒場でこの手のゲームが出てきたのだ。当然金を賭けるつもりだろう。この国には博打を禁止する法律などないのである。

 

「別にいいんだぜ、カネなんぞなくとも。失点したら、そのぶん服を脱ぎゃあいいんだ。カンタンだろ」

 

「まじで」

 

 実質脱衣麻雀! 僕のテンションはカチ上がった。なにしろお姉さま方はワイルド系の美人ぞろいである。前世でこんなメンツと脱衣ゲームをプレイするには、結構な大金が必要になるだろう。それにタダで参加させてくれるというのである。

 

「じゃあそのルールで行こう。こっちが脱ぐんだから、当然そっちも脱ぐのがフェアってもんだよな?」

 

「……誘っといてなんだが、もうちょっと恥じらいを持った方が良いんじゃないのか? 男として」

 

「こちとら、生まれてこのかたずっと女所帯で生活してるんだ。着替えとか水浴びとかしてたら必ず覗かれるんだよ! 少々肌を見られたからって今さらなんだよ!!」

 

 幼年騎士団のころからのぞきは日常茶飯事だった。幼馴染の騎士連中はほとんど全員が覗き経験者で、例外はソニアくらいのものだ。最初は恥じらっていたものだが、もうすっかり見られるのにも慣れてしまった。まあ、流石に最近は随分とマシになってきたが……。

 

「そ、そうかい。まあ、本人がいいってんならこっちも拒否する理由はねえ。いいぜぇ、全員脱衣ルールだ」

 

 ハイエナ姉さんは苦笑しながら肩をすくめる。僕はニヤリと笑って、木札を受け取った。博打にはそれなりの自信がある。前世じゃ、事あるごとにラスベガスで豪遊したものだ。その対価として三回ほど無一文になるまでムシられたが、まあ勉強料みたいなもんだ。

 

「よし、じゃあまずは親を決めようか」



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第163話 ナンパ王太子と酒場

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワは困惑していた。内乱が終結した今、王家の最大の懸案事項はアルベール・ブロンダンだ。

 オレアン公の失脚・戦死により名実ともに国内最大の領邦貴族となったスオラハティ辺境伯から厚い寵愛を受け、我が宮廷の宰相とも愛人関係にあると噂される。さらには指揮官としても極めて優秀で、おまけにどこからか強力な新兵器まで調達してくるのだからどうかしている。

 当然、ガレア王国の王太子たる余は彼をひどく警戒していた。穏当な手段としてはこちらの陣営に取り込みを図るか、あるいは無力化を図る。それが無理なら最悪殺害。そういう計画を考えていた。彼を放置していれば、必ずや王国に災いをもたらす。なんとか対処する必要があった。

 

「いけませんよ、殿下!」

 

 アルベール・ブロンダンがどんな人間なのかを調べるのは急務だ。休暇を与えていた彼がどこぞへ出かけると聞いて、余は即座に尾行を試みることにした。内乱の直後である。処理すべき政務は天を突く山のように積みあがっていた。しかし、最優先すべきなのはアルベールだ。余は半泣きで縋りつく腹心を振り払い、街へ出かけた。

 もちろん、本来このような仕事は部下に任せるべきだ。しかし、彼に対する対処を部下に一任した結果が、余の現状である。ひどく出遅れている自覚は、余にもあった。なんとかアルベールの人となりを調べ上げ、弱味なりなんなりを見つける必要がある。

 もちろん、余は諜報員としての訓練など受けてはいない。普通に尾行すれば、あっという間にバレてしまうだろう。しかし、対処法はある。わが王家の所有する秘宝の中には、このような状況にピッタリの魔法具(マジックアイテム)があった。気配を遮断するマントや、幻術で外見を変化させるブローチなどだ。余はそれらを用いて、丸一日アルベールを尾行し続けた。

 

「くそぅ……くそぅ……猫札さえ来ていれば僕の勝ちだったのに……」

 

 その結果がこれだ。アルベールは今、ならず者たちの手にかかり裸にされかかっていた。ひどく悔しそうな表情でズボンを脱ごうとしている。あのズボンがなくなってしまえば、彼の身体を守るものはパンツだけになってしまう。

 うら若き青年のナマ脱衣である。卓を囲むならず者共は大盛り上がりだ。店内の他の客たちも、口笛を吹いたり歓声を上げたりとひどく騒がしい。

 

「何やってるんだ彼は……」

 

 酔客たちに紛れてその姿を見つつ、余は思わずそんなことを口走った。頭が痛くなって来た。我が王家最大の脅威と言っていい男が、そこらのならず者とのゲームに負けて全裸に剥かれつつある。認めたくない現実だった。

 ちなみに、彼と同じ卓で札並べに興じている女どもも無傷ではなかった。すでにほとんど全裸になっている輩も居る。見苦しいことこの上ない。

 

「脱ーげ! 脱ーげ!」

 

「やれーっ! すっぽんぽんだーッ!」

 

 酔客(バカ)どもの歓声に、頭が痛く成ってくる。政務を丸一日投げ捨てた結果がこれか。酒場の件だけではない。昼間も大概だった。アルベールが獣人の子供二人を連れ王都巡りをした、ただそれだけ。見るべきものなど何もなかった。

 スオラハティ辺境伯がやってきたときは若干緊張したが、これも肩透かしだった。彼女とアルベールは、当たり障りのない会話しかしていない。間諜(スパイ)の技術としては定番の、隠語を用いた会話ですらないようだった。

 しかしあの辺境伯、自分の年齢と立場を理解しているんだろうか? 二十歳は年下であろう見習い騎士と猥談に興じるなど、正気の沙汰ではない。宰相派閥には色ボケしかいないのか。

 

「と、止めなくてよろしいのですか、殿……若様」

 

 お供の騎士が、そう耳打ちしてくる。……確かに、これ以上は見ていられない。男性が公衆の面前で下着だけになるなど、あってはならないことだ。流石にこれは座視しているわけにはいかない。

 幸いにも、幻術ブローチの効果で、今の余はどこにでもいる平凡な竜人(ドラゴニュート)の姿になっている。魔法のチョーカーで声まで変えている徹底ぶりだ。アルベールの前に姿を現しても、余がフランセットであるとは気付かれまい。

 

「やめないか、貴様ら!」

 

 余は声を張り上げつつ、椅子から立ち上がった。酒場中の視線が余に集まる。

 

「男性の裸体を見世物にするなぞ、淑女の行いではない!」

 

 ならず者どものテーブルにずんずいと歩み寄った余は、着ていた上着をアルベールに投げ渡した。彼はまだズボンこそ吐いているものの、上半身は裸だ。紳士の自覚があるんだろうか、この男は。

 

「……何言ってるんスか、騎士様。合意の上でやってるゲームッスよ? 別にいいじゃあありませんか」

 

 不満の表情で、連中のリーダーらしきハイエナ女が反論の声を上げる。彼女の視線は、私の腰に向けられていた。今の私は、平服に護身用の剣を吊っただけの簡素な服装だ。傍目から見れば、休暇中の下級騎士に見えることだろう。喧嘩慣れしたならず者とはいえ、喧嘩を売りたいとは思わないはずだ。

 

「合意? 酒を飲ませてか」

 

 実際、アルベールはずいぶんと酔っぱらっているようである。顔は真っ赤で、目の焦点は微妙にズレている。とはいえ、完全な泥酔状態というわけではないようだ。困ったような表情で、余を見つめていた。

 

「あの、騎士様。僕は……」

 

「君は黙っていなさい」

 

 余はピシャリとアルベールの言葉を制止した。先日まで、余は彼をとんでもない毒夫だと認識していた。しかし、今日一日の行動を見るに、どうもその印象は間違っているように思えてならない。普通に考えて、そんな狡猾な人間がならず者どもと脱衣ゲームに興じた挙句全裸に剥かれるなどという事態はまずあり得ないだろう。いくら何でも間抜けすぎる。

 こいつ、実は途方のない軍才を持ってるだけのチャランポランなのでは? そういう疑いが、余の頭の中にムクムクと湧き上がっていた。海千山千の貴族たちを手のひらの上で踊らせる策謀家にしては、あまりに行動がアホっぽすぎる。

 

「へっ、お高く留まりやがって。騎士さんよお、アンタだって内心見たいんだろ? この男の裸がさ」

 

 狐獣人の女が、ニヤニヤ笑いながらそんなことを言ってくる。……確かに、正直に言えば見たい! アルベールの体は鍛え上げられており、よく見ればあちこちに大小の傷跡があった。まぎれもない戦士の身体だ。その癖、決して男らしさを失っているわけではない。

 そのギャップには、妙な色気があった。背徳的な魅力である。余の好みは、紅顔の美少年だったはずだ。しかし、彼を見ていると妙な性癖に開眼してしまいそうだ。

 ……が、しかし。男性の裸体というものは、薄暗い寝室で眺めてこそのものだ。こんな公衆の面前で晒していいものではない。とくに彼は、一応貴族の令息なのである。

 

「確かに彼は魅力的だ。……が、だからこそ貴様らのような連中のオモチャにさせるわけには行かないのだ」

 

「……おいおい、騎士様。そりゃああんまりじゃないか? まるでアタシらを悪党みたいに扱ってさ」

 

「騎士だからってナメやがって。剣を抜けば、こっちがビビって退いてくれるとでもおもってんのか、ええっ!」

 

 ならず者たちは、殺気立った様子で立ち上がる。すでに、腰からこん棒を抜いている者もいた。……正体を隠しているとはいえ、こうもナメられると多少は腹が立つ。少しばかり、身の程を教えてやる必要がありそうだな。

 

「……ふん、痛い目が見たいらしい。良いだろう、相手に――」

 

「やめろッ!」

 

 剣を抜こうとした余を止めたのは、アルベールの大声だった。その声音は、まるで見習いを叱責する教導騎士のようだった。ガレア騎士の習いで、余も幼い頃は幼年騎士団に参加している。反射的に背筋が伸び、敬礼の姿勢になった。これはもう、条件反射だ。

 

「酒の席での喧嘩はよくあることとはいえ、刃傷沙汰はよろしくない。わかるね?」

 

「は、ハイ」

 

 アルベールの決然とした声に、ハイエナ女が困惑した様子で頷く。

 

「暴力を振るうのは、最後の手段だ。対話による解決を諦めてはいけない……という訳で飲みながら話し合いをしようじゃないか! 大将、芋焼酎持ってきてくれ!」

 

「ええっ!?」

 

 突然呼び止められた店主が、妙な声を上げた。

 

「い、イモジョーチュー? なんです、それ」

 

「あ、無いのか芋焼酎……そらそうか……」

 

 ふわふわした声音で、アルベールが呟いた。イモジョーチュー……聞いたことのない言葉だ。よその国の酒だろうか? 外国の物品に詳しい余ですら知らないような代物が、こんな普通の酒場にあるはずもない。彼は相当酔っぱらっているようだな。

 

「じゃっ、ジンでいいや。それならあるだろ?」

 

「え、ええ……ありますけども。一杯でよろしいですか?」

 

「ボトルで二、三本!」

 

「ま、毎度あり……」

 

 すごすごと裏に引っ込んでいく店主を見送ってから、アルベールは余の方を見てニコリとほほ笑んだ。

 

「さあさ、騎士様。どうぞ席についてください。一緒に吞みましょうよ」

 

「あ、うん」

 

 出鼻をくじかれた余は、ほとんど強引に着席させられてしまった。そして彼はニヤリと笑い、卓上に散らばった木札を集め始める。

 

「それでは、新メンバーに騎士様を加えまして第二回脱衣札並べ大会を始めたいと思います」

 

「やらないよ!?」



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第164話 ナンパ王太子と帰路

 飲み会に巻き込まれてから、しばらくの時がたった。「そろそろ店じまいだから出て行ってくれ」と酒場を追い出された余は、共の騎士たちと夜の街を歩いていた。すでに通行人がいるような時間ではない。閑散とした街並みを、満月の青白い光がぼんやりと照らし出していた。

 

「あのう、若様。お代わりいたしましょうか……?」

 

 供の騎士の一人が、余の背中をチラチラと見ながら聞いてくる。しかし、余は首を左右に振った。

 

「酔いつぶれた男性一人も背負えないような人間に、国を背負う大任は果たせないだろう?」

 

 余の背中では、アルベールがスヤスヤと寝息を立てていた。彼はあの後もずっと、浴びるように酒を飲み続けていたのだ。とんでもない酒豪ぶりだったが流石に限界が来たようである。

 もっとも、本人は最初から酔いつぶれる気満々で飲みに来ていたようだ。いつの間にか店主に小銭を握らせ、店内の一角で一夜を明かす許可を得ていたのである。

 しかし、余にも淑女としての自負がある。まさか、うら若い男性を酒場の隅に放置して帰宅するわけにはいかない。すっかり酔っぱらった彼から何とか自宅の住所を聞き出し(もちろん実際は彼の自宅の場所などとっくに把握しているが)、送り届けてやることとなったのである。

 

「しかし、殿下、その……足元が危ういと言いますか」

 

「だいじょうぶだ! この程度なんということはない」

 

 確かに、余の足取りは若干蛇行気味だ。しかし、これは決して千鳥足などではない。アルベールが重いのだ。彼は、男にしては背が高いし筋肉もついている。それなり長身である余ですら、油断すると地面に彼の足を引きずりかけるくらいだ。だから余がフラフラしているのは、この男のせいである。きっとそうだ。

 まあ実際のところ、わざわざ余が背負わずとも馬車でも出してくれば早いのだが……夜半に馬車を調達してくるなど、大貴族か相当な大商人にしか許されない贅沢だ。一応、今の余は貧乏貴族の三女ということになっている。今さら設定を崩すのも面白くないので、人力で運搬することにした次第である。

 

「さ、左様で……」

 

 供の騎士は、あきれた様子で頷いた。……たしかに、余が深酒しすぎたのは事実だった。何しろ、アルベールはびっくりするようなペースで酒杯を干していくのだ。見ているこちらまで、自然と飲酒ペースが上がっていくのも仕方のない事だろう。最終的には、あの獣人どもの一団もすっかり酔いつぶれて全滅してしまった。最後まで無事だったのは余だけだ。

 ……しかし、悪い時間ではなかった。アルベールの話は愉快だったし、皆が酩酊した状態でふわふわしながらプレイする札並べも思った以上に面白かった。もちろん、脱衣ルールは全力で拒否したが。

 気取ったパーティーや夜会しか知らない余としては、とても新鮮な体験だったのは事実である。あの獣人どもも、膝をつき合わせて話してみれば存外に悪い連中ではなかった。最終的には、肩などを組んで大声で歌を歌っていたような記憶もある。当初の険悪な空気など、いつの間にかすっかり霧散していた。

 

「しかし、まったく……この男は度し難い。自分を女だと勘違いしているんじゃないだろうね?」

 

 ぼそりと独り言をつぶやく。彼の今日一日の行動は、まさに下っ端騎士の休日そのものだ。昼間は家族や従卒の子供たちと遊んでやり、夜は酒場に繰り出して痛飲する。同じような一日を送った騎士は、王都だけでもかなりの数がいるだろう。

 なんとなく、アルベールの人となりが理解できたような気がする。彼は、騎士・兵士としての自任が強いタイプだ。酒を飲んでいる最中も、行動や言動の端々からそれをうかがうことが出来た。

 よくよく考えてみれば、この男は貧乏騎士家の出身である。しかもブロンダン夫妻には子供が彼しかいないわけだから、幼い頃から騎士にするつもりで教育していたものと思われる。現在のような人格が形成されるのも、ある意味当然のことだろう。

 

「……杞憂だったのかもしれないな」

 

 アルベールの小市民的な一日を見ていると、そんな気分になってくる。馬鹿なゲームに興じながら酒を飲む彼はひどく楽しそうだった。とてもじゃないが、国家転覆や権力掌握などの大それたことを目論んでいる人間には見えない。すくなくとも、強烈な上昇志向を持っているタイプの人間でないのは確かだろう。

 

「だとすれば……」

 

 脳裏に浮かんでくるのは、昼間のスオラハティ辺境伯と牛獣人の小娘の会話だ。連中がアルベールを性的に狙っているのは明白である。余には、どうもそれがおぞましいものに思えてならない。

 奴らがやっていることは、囲っている妾を武装させて前線に投げているのと同じことだ。騎士ならば騎士らしい扱いという物があるし、男として扱うならキチンと庇護してやるべきだ。そのどちらの義務も果たさずに、美味しい所だけしゃぶり尽くそうというのは……あまりにも醜悪すぎる。

 アルベール・ブロンダンという人間は、彼女らに取ってさぞ都合の良い人間だろう。戦場においての彼は、まさに軍神といっていい存在だ。それを囲い込めば、権力闘争でも非常に有利になる。

 それに加えて、夜になればベッドに招くこともできるのだ! 昼も夜も自分のために健気に働いてくれる男だ、さぞ可愛かろうな。権勢欲と性欲を同時に満たせるなど、まさに一挙両得というほかない。

 

「許せないな……」

 

 自然とそんな言葉が口を突いて出た。慌てて、背中のアルベールの様子をうかがう。その寝息は穏やかで、目覚めるような兆候はなかった。余はほっと安堵の息を吐く。

 余は、なぜこれほど苛立っているのだろうか? この男と過ごした時間は、決して長いものではない。この程度の付き合いで、人ひとりの人格をすべて理解できるはずがないではないか。

 もしかしたら、これまでの態度はすべて演技という可能性もある。実は最初の予想通り、狡知に長け女を手のひらで転がす傾国の毒夫だった……という可能性もまだ捨てきれないのだ。余がこのような感情を抱くのも、アルベールの作戦のうちなのかも……。

 

「……ああ、まったく」

 

 酔っぱらっているせいか、思考がうまくまとまらない。余は、どうすれば良いのだろうか?先ほどの自分の言葉が頭の中でリフレインする。『男性一人も背負えないような人間に、国を背負う大任は果たせない』……たしかにその通りだ。しかし、その男一人が、なんと重いことだろうか。

 正直に言えば、彼の正体は悪の権化のような毒夫でした……というのが、余にとっては一番都合がいいかもしれない。しかし、もし彼が驚異的な軍才を持て余しているだけのイチ騎士だったりすれば……。

 ……ああ、考えたくもない。余は、そんな人間を排除することができるだろうか? あくどい色ボケ貴族どもに、ただ利用されているだけの哀れな男を? 嫌だ、本当に嫌だ。しかし、王家や王国に対して害をなす人間がいるのであれば、それを排除するのは王太子たる余の義務である。

 

「……」

 余は無言で、夜空を見上げた。青白い満月が、妙に滲んで見えた。ぐっと拳を握り締め、余は考えるのをやめた。今の余の仕事は、この男を無事に家まで送り届けることだ。それ以上のことは考えたくない。背中に感じる重さと温かさが、余の心の女の部分を妙に刺激していた。この時間が永遠に続けばいいのに。そんな益体のない考えが、頭の中に浮かんで消えていく……。



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第165話 くっころ男騎士とお説教

 翌日。休暇最終日にも関わらず、僕は丸一日を無為に過ごす羽目になった。なにしろ深夜というよりもはや早朝に近い時間に帰宅したわけだから、目を覚ましたのは昼過ぎの話である。そして目を覚ましたら覚ましたで、強烈な二日酔いが僕の全身を苛んだ。しばらくベッドから動けないほどだったので、大概である。

 

「アル、いいかい? 一人で酒を飲みに行くのは良い。いや、本当は良くないが、まあ仕方ない。しかしね、見ず知らずの騎士様に背負われて熟睡しながら帰宅するというのは流石にどうかと思うよ」

 

 夕方になってやっとノソノソと寝床から出てきた僕に、父上が驚くほど渋い表情でお説教を始めた。盗賊騎士一歩手前みたいな経歴をしている母上と違い、父上は正統派の貴族令息である。当然、この世界の男性としては非常にマトモな価値観を有している。

 最初は僕が剣を振るうことすら嫌がっていた父上が、今回の僕の醜態にいい顔をするはずもない。そりゃまあ、そうだよな。前世の価値観で言えば、未婚の令嬢がどこぞの居酒屋で真夜中までドンチャン騒ぎをしたあげく、前後不覚の状態で見知らぬ男性に連れてこられたようなものだものだ。そりゃ小言の一つや二つはぶつけたくなるだろう。

 

「申し訳ありません……」

 

 心配されているのはわかるので、『チッ、うっせえな。反省してまーす』みたいな態度はとれない。僕は自主的に床に正座し、父上のお説教を粛々と受け入れるだけのマシーンと化した。

 ちなみに、父上はまだ三十代だ。つまり、僕の前世の享年と同じくらいという事である。精神年齢で言えば、本来僕の方がだいぶ年上のはずなんだがな。現実はコレである。精神年齢が肉体年齢に引っ張られてるやら、それとも僕が魂レベルでチャランポランなのやら……たぶん後者だな。

 

「僕は戦場に出たことはないが、そこが大層つらい場所だということは知識で知っている。その記憶を酒精でかき消したいと思うのは、仕方のない事だ。だがね、そういう時はせめてウチで飲んでくれないかな? 僕でよければ、いくらでも話に付き合うから」

 

「まっこと、その通りでございます……」

 

 正論である。ド正論である。しかし、家族には見せたくない姿というのもあるものだ。見ず知らずのお姉さま方と遊ぶのも楽しいしな。それにまさか、カリーナやロッテと脱衣札並べに興じるわけにもいかないだろ。……公衆の面前でパンイチになりかけたなんて知ったら、父上はショックで寝込んでしまうかもしれないな。

 

「アル、自覚はないだろうが君だって一応貴族令息なんだぞ。見知らぬ男性に連れられて、夜中に帰ってくるなんて……あの騎士様が良い方だったから良かったものの……」

 

 そういえば、あまり覚えていないがどうやら僕は例の騎士様に背負われて帰ってきたらしいな。なんとも親切で面倒見のいい人だ。ずいぶんと迷惑をかけてしまったようだし、できればお礼と謝罪をしておきたいな。あの酒場で待っていたら、また会えるだろうか? でも、近いうちにリースベンに戻らなきゃいけないんだよな……。

 

「あのう、奥様」

 

 などと考えていると、使用人がおずおずといった様子で声をかけてきた。ちなみに、この世界では奥様とか奥方とかいう単語が指しているのは男性の方だ。"旦那様"は女性の方なので、まあ当然のことと言えよう。とはいえ、僕の精神にはいまだに前世の価値観がこびりついているので、時々混乱してしまう。

 

「ああ、すまない。どうしたんだ?」

 

 こほんと咳払いをしてから、父上は聞き返した。若干恥ずかしそうな様子である。……この年齢(トシ)になってもいまだに親にお説教喰らってる僕の方がよっぽど恥ずかしいけどな!

 こんな姿、カリーナやロッテには見せられないな。幸いにも、彼女らの相手はジョゼットがやってくれている。どうやら、気を回してくれたらしい。気の利いた部下を持てて、僕は幸せ者だよ。

 

「旦那様がお戻りになられたようです」

 

「……今日戻ってくる予定だったかな? 今、初めて聞いたような気がするんだけども」

 

 頭痛をこらえるような表情で、父上が言った。母上は僕の依頼を受け、オレアン公爵領へ行っていた。第三連隊の隊長……いや、元隊長のジルベルト氏の家族を保護するためだ。オレアン公爵領は王都からそれなりに離れているので、内乱終結後もまだ戻ってきていなかったのである。

 内乱が穏当に終わったとはいえ、ジルベルト氏の立場はかなり微妙なものだ。フランセット殿下の追認により、保護作戦は続行の運びとなった。現当主と次期当主がほぼ同時に倒れたオレアン公爵家内部は、今頃大荒れ状態になっているだろうからな。妙なことになる前に、さっさと逃げ出してもらった方が良い。

 

「ええ、自分もです。先触れもなく、唐突にご帰宅されまして……」

 

「はあ、まったくデジレは……流石はアルの母親だな」

 

 は?

 

「わかった。アル、出迎えに行こうか」

 

「イエス、サー」

 

 何にせよ、お説教がこれでお終いというのは大歓迎だ。僕は神妙な顔で頷き、立ち上がろうとした。しかしそれより早く、部屋のドアがガチャリと開かれる。

 

「おーう、戻ったぞ!」

 

 入ってきたのは、母上だった。彼女はニコニコ顔で父上に突撃し、旅装のまま強引に抱き寄せる。

 

「会いたかったぞ~! マイダーリン(モナムール)!」

 

「うわあ酒臭い!」

 

 もみくちゃにされながら、父上が絶望的な表情で叫んだ。母上の顔は真っ赤で、体中からアルコールの臭いを放っていた。どこをどう見ても完全無欠の酔っ払いだ。昨夜の僕並みかそれ以上にひどい有様である。

 父母が仲良しなのは大変結構だが、息子の前でお熱いところを見せるのはちょっとやめていただきたい。なかなか微妙な心地になるからな。特に僕みたいな独り身行き遅れ男にはクリティカルだ。

 

「ああ、もう……流石はアルの母親だ……」

 

 は???

 

「息子の癖に他人ですみたいな顔してんじゃねえよオラァ! お前も来るんだよ!」

 

 父上を抱えるようにして、母上は僕の方にも突撃してくる。そのまま、父子揃って母上にもみくちゃにされてしまった。こうなった酔っ払いに対抗するには、こちらも酒を飲む他ないだろう。……昨日の今日で飲酒なんかしたら、いよいよ父上の胃が壊れてしまいそうだな。流石にやめておくか。

 まあ、この様子ならジルベルト氏の家族はうまく保護できたみたいだな。よかったよかった。妙な政争に巻き込まれ、職を辞す羽目になった彼女には同情を感じずにはいられない。せめて、家族の安全くらいは確保してやりたかったのだ。懸案事項が一つ消えて、僕はほっと胸をなでおろした。

 さて、残る仕事はあと一つ。募兵である。なにしろ、先のディーゼル伯爵との戦いはなかなかの激戦だったからな。手持ちの兵力をずいぶんと消耗してしまった。しかしド田舎のリースベンで兵士を募っても、応募者が来るはずもない。人余りの王都にいるうちに、兵士を調達する必要があった。



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第166話 くっころ男騎士と募兵

 ガレア王国においては、城伯という位は名目上はさておき実質的には独立領主である。そして独立領主というのは、軍備は自弁するのが基本だ。まあ、独立した軍権を持っている以上、軍隊を自前で組織するのは当然のことだ。

 さて、ここでリースベン城伯たる僕が保有している戦力を見てみよう。まずは騎兵が一個小隊。僕がリースベン代官を任じられる前から指揮している、子飼いの部下たちだ。カービン騎兵と槍騎兵を中心に構成された、少数精鋭部隊である。

 そしてもう一つが、傭兵のヴァレリー隊長率いる一個歩兵中隊だ。練度に関しては正直褒められたものではないが、この世界では珍しく銃兵隊を組織的に運用するノウハウを持っているのが特徴だった。

 騎兵小隊が一つに、歩兵中隊が一つ。リースベンのようなド田舎に駐留するにしては、過大なくらいの戦力である。とはいえ、リースベンは敵国と国境を接し、領内には大量の蛮族がうろつく危険地帯。最低限、これくらいの戦力は必要だ。

 

「ヴァレリー中隊は、ディーゼル伯爵との戦争で半壊したままだ。なんとか兵士を補充しないと、領内の守備もままならない」

 

 カリーナとジョゼットに、僕はそう説明した。二日酔いとお説教で終わった休暇最終日の翌日。僕たちは、王都郊外にある王軍の屯所に居た。大規模演習も可能な広大な演習場には、私服姿の女たちが集まっている。

 我らリースベン軍には兵員が足りない。しかし、リースベンで兵士を募集しても、人は集まらないのである。なにしろ入植がはじまったばかりの開拓地だ。暇を持て余しているような若者はあまりいない。一方、その点王都は最高だ。なにしろ人口が多いから、慢性的に人余り状態だ。正規兵の募集を出せば、あっという間に応募者が殺到してくる。

 

「ぴゃあ、すごい……これだけ居るなら、中隊の充足どころか新設くらいできるんじゃないの?」

 

 カリーナが目を丸くしながら言う。実際、応募者の数はかなりの数だ。正規兵になれば、とりあえず飯の心配をする必要はなくなるからな。日雇い仕事で口に糊する層の庶民たちからすれば、それなりに魅力的な仕事ではあった。

 

「どうだろうな? 新兵だけで部隊を編成するのはムリだし、第一……」

 

「第一?」

 

「話を聞いただけで、大半はそのまま帰っていくだろうさ」

 

 僕はそれだけ言って会話を断ち切り、事前に準備してあったお立ち台の上に登った。そして、被っていた兜を外す。今日の僕は完全武装だ。この世界では男はナメられがちだが、全身鎧を着こんでも自在に動けるところを見せてやれば多少は反応がマシになるのだ。

 

「おい、本当に男だぜ」

 

「噂は本当だったのか……」

 

 応募者たちがざわざわと騒がしくなる。僕は無言で、彼女らを見回した。ほとんどが、見すぼらしい古着を纏った若者たちだ。少女と言っていいような年齢の者も混ざっている。

 そんな連中の中に、僕は見覚えのある顔を見つけた。先日酒場で一緒に呑んだ、ハイエナ獣人のお姉さんとその仲間たちだ。実は、飲んでいる最中に「危ないけど割は良い仕事があるんだ。興味ない?」とこっそりと勧誘を行っていたのである。

 驚愕の表情を浮かべている彼女らに、僕はニヤリと笑って口の前で人差し指を立てた。一緒に脱衣札並べを楽しんだ相手が、いかにも騎士ですという恰好をして出てきたんだ。そりゃびっくりするよな。彼女らは顔を赤くし、コクコクと頷く。

 

「おはよう、諸君。まずは自己紹介をしよう。僕はリースベン城伯のアルベール・ブロンダンだ」

 

「アルベールって……」

 

「オレアン公の乱でフランセット殿下の側仕えをしたって言う……」

 

「宰相の愛人って話じゃなかったか?」

 

「えっ、宰相? スオラハティ辺境伯の愛人だって聞いたぞ?」

 

 僕が話し始めたというのに、女たちはざわざわとひどく騒がしい。軍人なら懲罰モノの態度だが、一般庶民はこんなものである。僕は苦笑をしてから、声をさらに張り上げた。マイクとスピーカーがありゃ楽なんだけどな……。

 

「今日、諸君らに集まってもらったのは他でもない。リースベン軍の新たな兵士を募集するためだ」

 

 力強い口調で僕はそう言い切ったが、若者たちは一様に『リースベンってどこだよ』と言わんばかりの表情をしていた。……まあ当然か。僕だって、代官に任じられるまでは知らなかったような辺境の土地だもの。王都の一般市民たちが知っているはずもない。

 

「リースベンは我らがガレア王国の南部に位置する開拓地だ。まだ入植がはじまったばかりの小さな領地だが、先日領内でミスリル鉱脈が発見された。十年もしないうちに、大発展を遂げるのは間違いない」

 

「つまりそれって、現状はたんなるクソ田舎……ってコト!?」

 

「ええ……」

 

 若者たちの間に、露骨な落胆が広がっていった。パレア市民は、中央大陸でも有数の大都市に住んでいるという自負がある。街の中心部ですら舗装されてないような田舎に行くのは、そりゃ嫌だろうな。

 この時代、軍人や貴族ならともかく一般市民はまともな地理の知識を持っていない。精密な地図は軍事機密だしな。せいぜい、東には神聖帝国があり、北にはアヴァロニア王国がある……そのくらいのことしか知らない。

 彼女らはおそらく、リースベンを王都近隣にある小領だと勘違いしていたのではないだろうか? そうでなきゃ、これほど人が集まるわけがない。明日も知れぬ開拓地の兵士と、大都会パレアの日雇い労働者……どちらがマシかといえば、たぶん後者だからな。どっちもしんどいのは確かだが。

 

「……あの、城伯様。質問をしてもよろしいでしょうか?」

 

 僕の表情で何かを察したらしい年若い少女が、おずおずといった様子で手を上げた。

 

「何かな?」

 

「その。リースベンという場所は……王都からどれほど離れているのでしょう?」

 

「……徒歩なら一か月以上はかかる距離かな」

 

「……ありがとうございます、城伯様」

 

 少女の表情は露骨に引きつっていた。うん、言いたいことは分かるよ。

 

「い、一か月!」

 

「いやだよアタシ、そんなド田舎で骨をうずめるのは」

 

 応募者たちも顔色を変えていた。リースベンは遠い。とにかく遠い。彼女らのこの反応も、僕は予想済みだった。しかし、予想が出来ていたからと言って、対処法があるかといえば否だ。

 金の余裕がある貴族ならともかく、普通の庶民に片道だけで一月かかる旅路というのはあまりに非現実的である。王都に里帰りしようにも、路銀を用意できないのだ。リースベンに渡ったが最後、そこで一生を終える覚悟が必要になってくる。

 

「もちろん、リースベンへ渡航するための費用は全額こちらで出す。移動中も、給料は出し続けよう」

 

 僕は内心冷や汗をかきながらそう説明したが、若者たちの反応は芳しくない。

 

「カネ貰ってもなあ、使う先がないんじゃなあ」

 

「里帰りもできないような場所で暮らすのはちょっと」

 

 などと言って、すでに帰り支度を始めている者すらいる。こりゃあ参ったなと、僕は内心ため息を吐いた。まさか強制的に徴兵していくわけにもいかない。補充兵は、リースベン近隣の友好的な領主に頼んで集めてもらおうか。そんなことを考えていた矢先だった。

 

「……どうやら、遅参してしまったようですね。申し訳ありません、アルベール様」

 

 聞き覚えのある声だった。慌てて、声の出所に目をやる。そこに居たのは、馬に跨った全身甲冑姿の立派な騎士だった。その甲冑の形状には見覚えがある。先日戦場でまみえたばかりの相手だ。見覚えが無いはずがない。

 

「ジルベルト・プレヴォ、ただいま参上いたしました」



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第167話 くっころ男騎士と臣下

 ジルベルト・プレヴォ。王都を守護する五つの連隊の中でも最強と言われる精鋭・第三連隊の元隊長である。内乱の責任を取り、職を辞したと聞いている。しかし今の彼女は、退役軍人とはとても思えないまさに騎士の正装と言っていいような格好をしていた。

 ひと揃いの全身甲冑に、フルフェイスの兜。もちろん、腰にも見事な長剣を差していた。乗馬ブーツのカカトでは、金色の拍車がギラギラと輝いている。その堂々たる騎士ぶりに、演習場に集まった若者たちは憧れと羨望の入り混じった視線を向けていた。

 

「家族の件は、本当にありがとうございました。感謝してもしきれません」

 

 軍馬から降り立つと、ジルベルト氏は最敬礼の姿勢を取ってそう言った。百人を超える若者たちの視線など、まるで気にしていない自然な所作だ。

 

「まさか、生きて家族と再会できるとは。正直に言えば、あの戦いに参加した時点で家族のことはすっかり諦めておりました」

 

「気にすることはありません、プレヴォ卿。僕は自分に出来ることをやったまでです」

 

 別に、百パーセント善意でやったことでもないしな。ジルベルト氏は極めて優秀な指揮官だ。戦場で相対した彼女は、おそろしく手強かった。奇手と外道戦術で盤面をひっくり返すことに特化したグーディメル侯爵とは比べ物にならない、正統派の用兵家である。

 そんな彼女が下野して腐るなどあまりにももったいないし、もっと言えば味方に引き込みたい。だからこそ、僕は母上に彼女の家族の保護を依頼したのだ。

 

「いえ、いいえ。ブロンダン卿。わたしは、一生かかっても返しきれないほどの恩を頂いたのです。ですから――」

 

 ジルベルト氏は兜を脱いで従士に預けると、僕の方へと歩みよった。僕は慌ててお立ち台から飛び降りる。彼女は敵手としても尊敬できる人物だ。まさか、台に乗ったまま相手をするわけにもいかない。

 とはいえ、志願兵候補(とはいっても、あまり芳しい反応は得られていないが)を無視してジルベルト氏と話しこんで大丈夫なのかは不安だ。ちらりと彼女らの方をうかがうと、ジルベルト氏の方を見ながら何やらコソコソ話をしている。

 

「おい、あれって第三連隊の……」

 

「裏切り者じゃないか!」

 

「いや、家族を人質に取られて、ムリヤリ戦わせられてたって話だぞ」

 

「汚いことしやがる。まあ、そうでもなければ、あの第三連隊が国王陛下に槍を向けるはずもないか……」

 

 どうやら、若者たちはジルベルト氏についてご存じらしい。その反応は、決して否定的なものばかりではない。まあ、第三連隊の精強さは民衆にも広く知れ渡っているからな。その隊長ともなればそれなりに有名人だ。

 

「わが剣と命を、貴方様に捧げます。どうぞ、|如何様(いかよう)にもお使い潰しください、ブロンダン卿」

 

 しかしそんな周囲の反応も気にせず、ジルベルト氏は僕の眼前に(ひざまず)いて臣下の礼を取った。……流石に顔が引きつりそうになった。確かに彼女の協力は欲しいが、流石にここまで重いヤツは求めていない。

 だが、ジルベルト氏の表情は真剣そのものだ。多数の平民の前で膝をついたのだ、尋常な覚悟ではあるまい。逆に言えば、僕に拒否する選択肢は無いということだ。ここまでされてしり込みするような人間は、貴族としての度量が足りないとしか言いようがない。

 

「……ありがとう。貴殿の剣は、確かに預からせていただく」

 

「預かる、ではありません、主様。我が忠誠は、わたしが死ぬまで貴方様だけのものなのです。わたしはその覚悟を持って、ここにやってきたのです」

 

 跪いたまま、ジルベルト氏は真剣な目つきでそう断言する。……主様と来たか! だいぶ重いよ!!ソニアたちのアル様呼びにも違和感があるっていうのにさあ……個人に対する忠誠なんてものは、せいぜい部隊から離れるか退役するまでで十分じゃないのか?

 

「わかった、プレヴォ卿。ならば、どうかあなたの家のことはブロンダン家に任せてほしい。主家として、責任をもって面倒を見させていただく」

 

 彼女の家は、長年の主家だったオレアン公家から離脱したわけだからな。その立場は宙に浮いている。ジルベルト氏が臣従した以上、その一家に貴族としての生活を保証するのは僕の仕事である。……しかし、公爵家から城伯家への鞍替えとなると格落ち感が甚だしいな……。

 

「感謝いたします、主様。どうぞよろしくお願いします」

 

 そう言って深々と頭を下げるジルベルト氏を、僕はあわてて立ち上がらせた。こう畏まられると、背中がむずむずして仕方がないな。いやだって、僕ってばかなりのダメ人間だもの。酒場で酔っぱらって裸になりかけるような男だぞ? そんなやつに、こんなガチガチの敬礼なんかする必要ないっての。

 

「……そういえば、主様」

 

 立ち上がったジルベルト氏は、膝の土埃も払わずにちらりと遠くを見た。演習場の出入り口のほうだ。

 

「募兵をしているということは、兵力が足りないのでしょう?」

 

「ああ。僕の部隊は、先のディーゼル家との戦争でずいぶんと数が減ってしまった。とにかく歩兵の数が足りないんだ」

 

 騎兵、それに砲兵はアテがあるんだけどな。しかし、とにかく頭数が必要になる歩兵はそうもいかない。だからこうやって人を集めているわけだが。

 

「実は、主様に忠誠を誓いたいと思っているのは、わたしだけではありません。今回の件で軍を退役することにした第三連隊の兵士の一部が、主様の軍へ参加させてほしいと申しておりまして」

 

「ええ……」

 

 なんでだよ、そんなことあるか? 反乱初日の戦闘で、僕は第三連隊を相手に大立ち回りを演じた。それにより、結構な数の死傷者が出ているはずだ。一般兵たちからすれば、僕など戦友の仇以外の何者でもないだろう。にも関わらずこちらに参陣しようというのは、酔狂を通り越して異常じゃないのか?

 

「数は七十人ほどで、半分はわたしの郎党のような連中です。もう半分は……人生の半分以上を軍隊で過ごしてきた老兵たちでして」

 

「ほう。それがまた、なぜ僕の元に?」

 

「主様の計らいで、一般兵には責任を問わないという形になりましたが……やはり、以前のように扱われることはないでしょう。飼い殺しにされるくらいなら、退役したほうがマシだ。しかし、今さら普通の仕事に就くのも難しい。彼女らはそう言っておりました」

 

 なるほど、軍人生活が長引きすぎて娑婆に戻れなくなっちゃった連中か。軍隊と一般社会では常識が違いすぎるからな。娑婆に戻ってつまはじきモノになるくらいなら、軍人で居続けた方が良い。そういう思考になっちゃう。僕もそのタイプの人間だからよーくわかるよ。

 

「一度は矛を交えたからこそ、我々は貴方様の強さと高潔さを存じております。兵士を続けるというのなら、できれば優れた指揮官の元で働きたいと。そう考えるのは自然なことでございましょう?」

 

「なるほど、わかった」

 

 僕は頷き、自分の頬を叩いた。照れて赤くなっているのを誤魔化すためだ。そんなに褒めないでほしい、恥ずかしいから。

 

「第三連隊の兵士たちは、誰もかれもが比類なき精兵だった。それが僕の元で働いてくれるというのなら、こんなに有難いことはない」

 

 しかし、七十人か。ヴァレリー隊長の歩兵隊と合わせれば、ぴったり一個中隊が編成できる数だな。これで歩兵の頭数が揃った。……そんなことを考えていたのだが、ジルベルト氏は軽く頷いて、こちらを遠巻きに眺めている若者たちに目を向ける。

 

「しかし、この程度の数では足りないでしょう。……ちょうどそこに、イキのいい若者たちがいますね?」

 

「え? ……あ、ああ。しかし、どうも反応が悪くてね。やはり、リースベンは遠方だ。王都民としては、故郷から離れたくないのだろうが……」

 

「いいえ、主様。どうか我々にお任せを。大丈夫。あのくらいの若者など、無鉄砲なものです。すこし背中を押してやれば、簡単にこちらに転んでくれますよ」

 

 そんなことを言うジルベルト氏の顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。



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第168話 くっころ男騎士と演説

 ガレア王国軍制式の青い軍礼装を纏った兵士たちが、演習場を行進している。七十名以上が歩幅までピタリと揃えて縦列で進んでいく様は、壮観そのもの。リズミカルな軍靴の音が鼓笛隊の奏でるラッパやドラムの音色とまじりあい、独特の戦場音楽を作り出していた。

 

「あの軍装は、一体?」

 

 死んでも治らない重篤なミリオタである僕は、この手の光景が大好きである。とはいえ、ジルベルト氏や募兵応募者たちの前でひとり興奮するわけにもいかない。冷静を装いつつ、隣のジルベルト氏に聞く。

 

「軍服の返納を少し待っていただいたのです。私服で行進演習をしても、あまり映えませんからね。彼女らに"軍人の格好良さ"を見せてやるには、やはり完璧な軍装姿であるほうが望ましいでしょう」

 

「なるほど」

 

 感心しながら、視線を兵士たちに戻す。彼女らは、リースベン軍に参加してくれるという元第三連隊の一般兵たちだ。ジルベルト氏は、彼女らに合戦を想定した演習をするように命じていた。

 その目的は、もちろん若者たちに対するデモンストレーションだ。この演習で軍人の格好良さを見せつけ、自分もこの人たちの仲間になりたい! と思わせる……それがジルベルト氏の作戦だった。

 そしてその作戦は、今のところうまく行っているようだ。若者たちは、キラキラとした目で行進する兵隊どもを見ている。王軍の青い礼装は、王室御用達の一流デザイナーがデザインしたひどくあか抜けた代物である。それを一分の隙もなく着こなした屈強な女たちが、一糸乱れぬ見事な行進を見せている。格好良くないはずがない。

 

「懐かしいなあ」

 

 思わず、そんな言葉が漏れる。前世の僕が軍人を志したのも、同じような理由だ。間近で見る精鋭部隊の行進ほど格好の良いものはなかなかない。

 まあ、現実は甘くなかったがね。ピカピカの軍装を纏った格好いい軍人さん、などというイメージは入隊後に粉々に打ち砕かれてしまった。実際の兵隊の仕事なんてのは、大半が汗と泥と血とクソでドロドロになるようなものばかりだ。

 

「陣形、横隊に転換!」

 

 指揮官の号令に従い、兵士たちが陣形を変える。移動用の縦隊から、戦闘隊形の基本である横隊への転換だ。兵士たちは足を止めることもなく、有機的な動きで横二列に並び始めた。

 

「すごい……」

 

 カリーナが感嘆の声を上げる。言っちゃなんだが、ウチのヴァレリー中隊などとは比べ物にならないほどスムーズな陣形変更だからな。精鋭の名は伊達ではない。

 

「流石は第三連隊だな」

 

「主様からお褒めの言葉を賜ったとなれば、彼女らも喜びましょう」

 

 少し安心したような声で、ジルベルト氏が応える。彼女は視線を若者たちに移し、口角を上げた。

 

「効果は絶大なり、ですな」

 

 見事な動きで陣形転換を終え、槍の穂先をピシリと揃えた兵士たちを見て、若者たちは歓声を上げていた。王軍の精華とまで呼ばれた第三連隊の演習を間近で見たのだ。魅了されないはずがない。兵士の募集に集まってくるような血気盛んな連中ならなおさらだ。

 

「あとはトドメを刺すだけでしょう。お願いできますか、主殿」

 

「いいのか?」

 

 彼女らは、ジルベルト氏が育ててきた兵士だ。その働きを、僕の募兵に利用するのはどうも失礼な気がする。こういうデモンストレーションをするなら、本来僕の部隊でやるべきなんだが……。

 

「何の問題が? わたしも、そして彼女らも、すでに貴方の部下なのですよ」

 

「……了解」

 

 (元とはいえ)上司であるジルベルト氏がそういうのだから、僕が四の五の言っても仕方がない。僕は再びお立ち台に登った。それを見た鼓笛隊が、勇壮なバックミュージックを奏で始める。……いや、気が利きすぎだろ!

 

「諸君!」

 

 兵隊に向けられていた若者たちの視線が、僕に集まる。僕は深呼吸をして、自らの心を落ち着かせる。軍隊の綺麗で格好いい部分だけを見せて彼女らを騙し、兵隊に仕立て上げる……詐欺師と言っていい所業だ。

 まして、リースベンは立地が立地だ。実戦は避けられないだろう。命を失ったり、あるいは重い障害を負ってしまう可能性はかなり高い。随分と非道な真似をしている自覚はあった。

 

「想像してみたまえ。栄光の軍服を身にまとい、あの隊列の中で槍を構える自らの姿を!」

 

 答えは間髪入れずに返ってきた。兵隊の募集に集まってくるような連中だ。ほとんどは、その日暮らしの貧民たちである。彼女らはツギハギの古着を纏い、薄汚れた姿をしている。対して、兵隊たちはピカピカの軍服姿だ。その姿は、あまりにも対照的だった。

 

「諸君」

 

 優しく語り掛けるような口調でそう言いながら、僕は若者たちを見渡す。彼女らは、興奮でギラギラした目を僕に向けている。

 

「リースベンは新しい土地であり、リースベン軍も新しい軍隊だ。しかし、どれほどの伝統をもった軍隊であれ、最初はゼロからスタートしたのだ。諸君らの若き力があれば、新たな歴史を築き上げることも不可能ではない!」

 

 僕は背中に背負っていた騎兵銃を取り出し、周囲に見せびらかすように掲げ持った。

 

「僕の元には新たな武器があり、新たな戦術がある。旧来の軍隊を駆逐するだけの力を持った、新たなる軍制! その先鞭をつけるのが、我がリースベン軍だ!」

 

 後ろの方で見ていた旧第三連隊の兵士たちが、何とも言えない表情を浮かべた。……そりゃ、彼女らはその新軍制とやらにやりたい放題された立場だもんな。微妙な気分にもなるだろうさ。やりにくいなあ。

 しかしちらりとジルベルト氏のほうを見ると、彼女はコクリと頷いた。どうやら、話をこういう風に持っていくのも織り込み済みらしい。流石の切れ者ぶりだな。

 

「諸君」

 

 自信ありげな笑みを浮かべて、僕は若者たちを睥睨した。

 

「僕が君たちに与えられるものは、三つだけ。腹いっぱいの飯と、まっさらな軍服と、そして世界最強の兵士という肩書だ! さあ、どうする? 僕と共に、新たな時代を歩きたい者は居るか?」

 

 若者たちは、両手を上げて何かを叫んでいた。混然とした熱気が、演習場を包み込んでいる。

 

「やります!」

 

「リースベン、行ってやろうじゃねえかよ!」

 

 この様子ならば、契約書にサインさせるのはカンタンだろう。……いや、しかし本当に詐欺以外の何者でもないな、これは。ひどいものだ。来世はいよいよ地獄行きだな。……今さらか。

 

「よろしい! 歓迎しよう、若人たちよ! 共に同じ旗を仰ぎ、共に同じ釜の飯を食おうじゃないか! ……さてジョゼット、契約書の準備を」

 

「はっ!」

 

 後ろに控えていたジョゼットが頷き、演習場の端に設営されている天幕の元へ走り去っていく。僕は無言で、視線を若者たちに戻した。どいつもこいつもひどく興奮し、兵士たちの方を見ながらアレコレ話し合っている。その中には、先日知り合ったハイエナ姉さんとその仲間たちの姿もあった。 



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第169話 くっころ男騎士とカタブツ子爵

「リースベンに出立するのは一週間後。それまでにキチンと旅の準備を整えておくように……」

 

 お立ち台に上がったジョゼットが、志願兵たちに説明や諸注意を行っている。二百人ちかい数の志願兵たちの注目を一身に浴びているというのに、彼女は一切気後れしている様子はなかった。

 

「流石は主様の部下ですね」

 

 それを見ながら、ジルベルト氏……いや、一応臣下になったのだから、呼び捨てにするべきか。ジルベルトが上機嫌な様子で呟いた。

 

「ああ、ウチでも指折りの優秀なヤツだ。ヒラの騎士にしておくのが勿体ないくらいなんだが、毎度のように昇進を断られててね。困ってるよ」

 

「第三連隊にもいましたよ、そういう人材は。現場主義と言うべきですかね? 管理者側からすると、痛しかゆしという感じで」

 

「優秀な人間はさっさと責任者側に来てもらいたいんだがね、困るよなあ。特にウチは人手不足だ」

 

 僕は笑いつつ、ジルベルト氏の方をうかがう。前世の僕が指揮していたのは中隊だし、現世の僕もほんのこの間までは小隊規模の騎士部隊を預かっていただけだ。

 それに比べて、ジルベルト氏は熟練の連隊指揮官である。組織運営や人材の扱い方に関してはプロ中のプロといっていい手合いである。なんとも優秀な人材が味方についてくれたものだ。陪臣どころか直臣もいないヒラの宮廷騎士家でしかないブロンダン家としては、絶対に手放すわけにはいかない人間である。

 

「というわけで、着任早々で申し訳ないがジルベルトにも存分に腕を振るってもらいたい。構わないかな?」

 

「ええ、無論です。部隊の指揮だろうが下水道のドブさらいだろうが、全力で実行させていただきます」

 

「リースベンに下水道は無いよ……」

 

 ジルベルト氏の目つきは真剣そのもので、冗談を言っている様子はない。ドブさらいを命じれば、本当にやり始めそうだ。そういう重い感じの忠誠はヒンッ……ってなるからやめてほしい。

 

「僕たちは、三日後にリースベンに戻る予定だ。もちろん、翼竜(ワイバーン)でね。あまり長時間領地を留守にするわけにはいかない」

 

「えっ、もう帰っちゃうのか……残念」

 

 カリーナが唇を尖らせ、首を左右に振った。王都から離れるのが嫌な様子だ。……そりゃそうだよな! リースベンに帰ったら、また訓練漬けの日々だものな!

 

「前日には丸一日休暇をやるから、我慢しろ」

 

「本当? やった!」

 

「そのかわり、リースベンに戻ったら死ぬ寸前までシゴいてやるからな。覚悟しておけ」

 

「エ゛ッ!?」

 

 顔面蒼白になるカリーナに、ジルベルト氏が噴き出しかけた。慌てて口元を抑え、顔を真っ赤にする。こんなところで声を上げて笑い出したら、志願兵どもに示しがつかないからな。僕は苦笑して、話を真面目な方向へ戻す。

 

「なんとかもう一騎翼竜(ワイバーン)を調達してくるから、ジルベルトにも僕たちに同行してもらいたい。さっきも言ったように僕たちは人手不足が著しいからな。リースベンでいろいろやってもらいたい仕事があるんだ」

 

 とりあえず、一番最初にやるべきなのは指揮官としての再訓練だな。彼女は優秀な指揮官だが、剣と槍、弓矢にクロスボウ、そして魔法を扱う軍隊の人間だ。ライフルと大砲を使って戦う軍隊のやり方を覚えてもらう必要がある。

 

「承知いたしました」

 

 一切の躊躇も見せず、ジルベルトは頷く。

 

「家族や郎党については、志願兵たちと一緒に来てもらうしかない。申し訳ないが、しばらくは単身赴任状態だな」

 

「連隊長をやっていた時も、家族はオレアン公爵領におりましたから。それに、郎党の方も問題ありません。彼女らの多くは元連隊幹部です。行軍に不慣れな新兵たちでも、うまく統率してくれるでしょう」

 

「え、連隊幹部!?」

 

 僕は慌てて元第三連隊の兵士たちの方に視線を向けた。彼女らは、志願兵たちと共にジョゼットの話を聞いている。言われてみれば、士官用の軍装を着ている者がやたらと多い。

 こちら側に参戦した古参兵は七十名以上。その約半分がプレヴォ家の郎党だという。そしてその郎党の多くが連隊幹部とすると……どんぶり勘定でも最低二十名だな! 僕は気が遠くなりそうになった。

 連隊幹部といえば、中堅以上の士官しかなれない重要な役職である。士官不足が著しい我がリースベン軍としては、喉から手が出るほど欲しい人材だ。それが突然これほど大勢わが軍に参陣したのだから、棚からボタモチどころの話ではない。

 しかし、士官というのは育成にも維持にも莫大なコストがかかるものだ。それをこれほど多く抱えているというのは、尋常な家ではない。最低でも女爵、現実的に考えればそれ以上の貴族家だとみて間違いない。

 

 

「あの、プレヴォ卿。一つお聞きしたいのですが、貴殿はもしかして爵位持ちでは?」

 

「一応、子爵に任じられておりました。まあ、ネコの額ほどの土地も持たぬ、宮廷貴族ではありますが。……しかし主様、臣下に敬語を使う必要などありませんよ」

 

 城伯(ぼく)と同格じゃねえか! いやむしろ、歴史が長くて血筋もいいぶんプレヴォ家の方が確実に格が高いよな……。僕は自分をシバき倒したくなった。情報収集が足りていないにも程がある。そりゃ、若くして連隊長なんて要職についてるわけだものな。僕みたいな下っ端騎士の出身であるはずもないか。

 郎党の規模から考えれば、むしろ子爵でも低いくらいだ。流石は名門・オレアン公爵家の傍流というだけのことはある。にも関わらず領地は持っていないということは……公爵家内では、武官の育成を担当していた家だったのかもしれないな。 

 

「いや、その、あの……」

 

 僕は顔に冷や汗を浮かべながら狼狽えることしかできなかった。プレヴォ家はオレアン公家の家臣。そこで思考が停止していたのだ。彼女の家族を保護する作戦についても、母上に丸投げしてたし……ああ、なんたる不覚!

 

「そのような顔をなされないでください、主様。子爵位など、所詮はオレアン公爵家の傍流という立場だけで手に入れた地位です。投げ捨てても惜しくない程度の価値しかありませんよ」

 

 そうはいかんでしょうが! 家臣に家格に見合った待遇を与えるのは、主君の義務だ。少なくとも、プレヴォ家の家族や家臣がキチンと生活できるだけの扶持(ふち)は与えねばならない。

 むろん、ブロンダン家にそんな資金力は無い。リースベンも、将来はさておき今現在は大金が沸いてくるような土地ではないのだから……もはや選択肢は一つしかない。アデライド宰相だ。おかしいなあ、どんどん出世してるはずなのに、それに比例して借金が膨らんでるんだが?

 

「ソ、ソウデスカ……」

 

 僕は顔面蒼白なままコクコクと頷いた。今さら「やっぱ主従関係を結ぶのはナシで!」とは言えない。それに、新しく領地と軍隊を建設・運営する以上は、どうしても家臣は増やしていく必要があるしな。その第一号が子爵家だっただけの話だ。……しかし、年上の部下ですら扱いが難しいというのに、格上の臣下なんてどうやって扱えばいいんだろうな? マジで困る……。

 

 

 

*********

追伸

体調不良のため、明日(22/3/19)の投稿はお休みします

 



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第170話 くっころ男騎士と移民志願兵

 その後、結局僕はジルベルトに押し切られ、彼女を臣下として認めることになった。部下は今までもそれなりに居たが、家族や郎党ぐるみブロンダン家に仕える本格的な家臣は初めてなので、だいぶ緊張する。

 とはいえ、手持ちの士官が激増したのは非常にありがたい。現代軍制に慣れた僕からすれば、この世界の軍隊は士官が少なすぎるのである。中隊ですら、多くて三名。小隊など、下士官が統率している有様だ。これでは、小部隊単位での有機的運用などできるはずもない。

 密集陣で戦う分には、この編成でもなんの問題もないんだけどな。しかし、ライフルや火砲を用いた火力戦を戦う場合、部隊を分散させられないのは致命的だ。火力戦が有効であることは、すでに戦場で証明されたからな。今後は敵も積極的に模倣してくるはずだ。実際、今回の内乱でもライフルを装備した兵士と矛を交えているわけだし。

 

「ふーむ……」

 

 三々五々に解散していく志願兵を見送りつつ、僕は小さく唸った。頭の中で、リースベン軍の編成案を考えているのだ。兵士は思った以上に集まった。士官も結構な数がいる。なんとも理想的な状況だ。ワクワクするね。

 まあ、予想以上に軍の規模が膨らんだせいで問題も発生したけどな。現状のリースベンの国力では、この規模の軍隊を維持するのはだいぶ厳しい。しかし、軍の削減という選択肢はない。なにしろリースベンはミスリル鉱脈という爆弾を抱えているわけだからな。近隣の領主から侵攻をうけるリスクはかなり高い。ここはもう、宰相や辺境伯にケツモチしてもらうしかないだろう。

 

「あ、あの……」

 

 そんなことを考えていると、突然話しかけられた。声の出所に目をやると、そこに居たのはハイエナ姉さんだった。彼女はひどく赤面し、モジモジしている。

 

「こ、この間はサーセンした……まさか、貴族様があんなところに来るとは」

 

「ハハハ、何の話やら。我々は初対面のはずでは?」

 

 ニヤリと笑って、そう答える。それを見て、ハイエナ姉さんはさらに顔を真っ赤にした。ミルクチョコレート色の肌をした異国情緒あふれるワイルド系美女がしどろもどろになっている姿は、なかなかの眼福だ。

 

「そ、その、ええ、ハイ」

 

 貴族の令息があんな大衆酒場で酒を飲んでいた、などという話を表沙汰にするわけにはいかないことはハイエナ姉さんもわかっている様子だ。食べごろのトマトのような顔をして、彼女はコクコクと頷いた。

 

「そう言えば、君もリースベン軍に?」

 

「エッ!? アッ、はい。えーと、こういう時は……お世話になります?」

 

「そんなに緊張しなくても……」

 

 苦笑しながら、彼女を天幕へと招く。近くで暇そうにしていた従卒を捕まえて香草茶を注文し、折りたたみ椅子に腰を下ろした。

 

「さあ、座って座って。そう硬くならないでほしい、これから同じ釜のメシを食う仲じゃないか」

 

「で、でも、お貴族様に失礼があったら……」

 

「確かにねぇ、気に入らない平民はすぐに無礼討ちにする、なんて貴族も居ないこともないけどさあ。……そんな人間が脱衣札並べなんか、やるわけないだろ?」

 

 最後の一言は、彼女にしか聞こえないよう小さな声で囁いた。ハイエナ姉さんは顔を茹でタコのようにしつつも、「確かに」と頷く。

 

「ニンゲンってやつは、徹底的にバカになりたくなる時がたまにあるんだ。そういう時間を共有できる友人(・・)ってのは、なかなか貴重なものだろ?」

 

 そこまで言って、ふと自分が彼女の名前も知らないことに気付く。お互い半裸状態まで見ておいて、名前も聞いていないなどというのはヘンな話だが……酔っ払いにはよくあることか。「友人……」などと呟きながらぽんやりしている彼女に、名前を尋ねてみる。

 

「そういえば君、名前は? ……その前に自分が名乗らなきゃ失礼ってものか。僕はリースベン城伯アルベール・ブロンダン」

 

「ザフィーラっていいます。姓はないです」

 

「綺麗な響きの名前だな。気に入った」

 

 笑いながら握手を求めると、彼女はカチカチになりながらも応じてくれた。手袋ごしにもわかるような、硬い手だった。……しかし、ザフィーラか。この辺りじゃ聞かないような名前だな。やはり、異国の出身か。僕たちの住む中央大陸西部では、ハイエナ獣人はほとんど見ないしな。

 そこへ、従卒が香草茶を持ってくる。ザフィーラに一礼してから、カップに口を付けた。なにしろ僕は全身甲冑姿で、しかも季節は真夏である。喉が渇いていないはずがない。アツアツのお茶でいいから、のどを潤したい気分だった。

 

「あちっ!」

 

「あんまり慌てるな、お茶は逃げないぞ」

 

 どうやらザフィーラは猫舌のようだ。目尻に涙を浮かべながら真っ赤な舌を突き出す彼女に、僕は思わず苦笑してしまう。

 

「そういえば、出身はどこなんだ?」

 

「南大陸です。アタシは生まれがあんまりよろしくないもんでして……故郷に居てもロクなことがないってんで、中央大陸で一旗揚げようと思いましてね。……ああ、密航はしてませんよ? 臨時雇いの水婦に応募したんスわ」

 

「そりゃ、見上げたバイタリティだな」

 

 この世界の海運は、案外発展している。魔法で風を操る技術が確立されているからだ。とはいえ、木造帆船を用いた航海が安全なはずもない。

 

「南大陸といえば、風土や食べ物もだいぶ違うだろう? なかなか苦労したんじゃないのか」

 

「いやあ、大したことないッスね。クソみたいな環境の故郷に比べりゃここは天国ってもんです」

 

「流石だなあ」

 

 ザフィーラに強がりを言っている様子はない。随分と兵隊向きの精神構造をしているようだ。こういうバイタリティにあふれたタイプの人間は、個人的には非常に好ましく感じるね。

 

「とはいえ、リースベンは王都とはだいぶ気候が違う。体調に異変を感じたら、すぐに上の者に報告するんだ」

 

「……了解です。しかし、なんか思ってたのと違うッスね。兵隊なんか、もっとこう……一山いくらで扱われるモンかと」

 

「一山いくらの兵隊なんかいらないよ、僕は。欲しいのはスペシャリスト、プロ中のプロだ。そんな連中を、粗末に扱うはずがない。言ったろう? 世界最強の兵士にしてやると」

 

「世界最強……へへ、そりゃあいい響きッスね」

 

「まあ、その分死ぬほどキツい訓練は受けてもらうがな!」

 

「うへえ、勘弁してくださいよ」

 

「ヤだね」

 

 ゲンナリとした様子のザフィーラに、僕はくすくすと笑いながら肩をすくめた。練度が上がれば致死率も下がる。僕は部下が死ぬのが何より嫌いなんだ。鬼や悪魔と罵られようとも、訓練で手を抜くつもりなどさらさらなかった。

 



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第171話 くっころ男騎士とお誘い

 その夜。僕はスオラハティ辺境伯の屋敷に招かれていた。募兵の件についての報告をするためだ。とはいえ、そう堅苦しい会合ではない。もうすぐ王都を発つ僕への送別会も兼ねた、ラフな晩餐会だった。

 父上の監視から離れ、ガッツリ飲酒するチャンスである。泊りの準備までして、僕は喜び勇んでスオラハティ邸にお邪魔していた。なにしろ辺境伯はガレア屈指の大貴族。当然、食卓に供される酒類も僕では手が出ないような高級なものばかりだ。

 

「なるほど、格上の臣下か。そりゃあ扱いづらいだろうな」

 

 スオラハティ辺境伯は、苦笑しつつ赤ワインの入ったグラスを傾けた。彼女はソニアと同じく結構な下戸なので、普段はあまり酒を飲まないのだが……めずらしいことに、今日は自分からワインを出してきたのだ。少々驚きつつも、僕は「そうなんですよ」と頷く。

 

「単純に気兼ねする、ということもありますし……実務的には、扶持(ふち)の問題もあります。ミスリル鉱山が稼働し始めるまでは、リースベンは単なる辺境の小領ですからね。得られる利益も限られています」

 

 子爵様に対して、そこらのヒラの騎士みたいな額の俸給を渡すわけにもいかないからな。リースベンは面積だけは大したものだから、土地を与えるという手もあるが……密林と蛮族しかいない、未入植の土地なんか貰っても困るだけだろ。

 

「得られる利益と言えば、軍の維持の問題もありますね。軍人がどーんと増えるわけですから、食料の供給が間に合うのか若干の不安が……」

 

「それに関しては、ディーゼル伯爵家を使いなさい。調べたところによると、あそこはなかなかに肥沃な土地らしいからな。穀物の生産量も多い。和平条約で関税も撤廃しているから、小麦も大麦も安く仕入れられるはずだ」

 

「ズューデンベルグ伯爵領ですか……」

 

 僕は考えながら、目の前に置かれた子牛のソテーを一口食べた。……うん、ウマイ。流石大貴族の晩餐だ。貧乏騎士家であるブロンダン家では、牛肉なんてまず食べられないからな。

 せっかくだから、カリーナとロッテにも食わせてやりたかったのだが……なぜかカリーナに断固拒否されてしまった。本人は「辺境伯様の邪魔をするわけには……」などと言っていたが、いったいどういう意味だろうか? ……ちなみに、牛肉だろうが牛獣人は平気で食う。人は人、動物は動物、そうはっきり区別されているのだ。むしろ、同族喰らい扱いするのは非常に失礼なことなのだ。

 

「敵国に食料を依存するのは危険ではありませんか? 確かに和平はしていますが……状況によっては再び仕掛けてくる可能性もありますし」

 

 リースベン戦争の悲惨な戦場を思い出しながら、僕は唸った。あれほどボコボコにしたのだから、即座にまた敵対してくる可能性は低いだろうが……万一ということもある。そうでなくとも、ディーゼル伯爵家が潜在的な敵であることには変わりがないのだ。そんなところから輸入した食料に依存するのは、どうかと思うのだが……。

 

「十中八九、大丈夫だ。アデライドが手を打ってるからね」

 

「……というと?」

 

「和平条約により、リースベン=ズューデンベルグ間は無税で交易することができる。それに比べて、周囲の諸領はお互いに高い関税をかけているんだ。なにしろ、我がガレア王国と神聖帝国は歴史的に不仲だからね」

 

「なるほど。リースベンと伯爵領が、両国間貿易の窓口になる訳ですか」

 

 合点がいった僕は、深く頷く。なるほど、アデライド宰相はそこまで考えて和平条約の条項を組んだわけか。流石というしかないな。

 

「そういうことだ。無税と言っても、通行する商人が増えれば比例して領地に落ちる金も増えていく。莫大な戦費を浪費してしまったディーゼル伯爵家は、軍の立て直しにこの金を使うしかない。そして再建が終わるころには、経済的にお互いズブズブに……という寸法だ」

 

 そう言って、スオラハティ辺境伯はまたワインを飲んだ。……ペース早いなあ、大丈夫かな? ソニアなんか、ビール一杯で酔っぱらうというのに。

 

「とはいえ……さすがにそれだけに頼るというわけにはいかない。軍人が多いと言っても、所詮は数百人単位だし……その程度の食料であれば、周辺諸邦からの輸入でなんとでもなる……はずだ! 何とかならなかったら私自ら出て行って話を付けてやる」

 

 そう語るスオラハティ辺境伯は目が据わっていた。ちょっと怖い雰囲気だ。酔ってるなあ。

 

「輸入祭りですねえ。僕の財布で支え切れるやら」

 

 飢饉などのことを考えたら、できれば食料は自領で賄いたいところなんだがな。すくなくとも、しばらくは難しいだろう。リースベンへの入植が始まってから、まだ大した時間は立っていないのだ、田畑の面積も、まだ十分とはいいがたい。更なる開墾が必要だ。

 とはいえ、リースベンの立地を考えれば軍備をケチるわけにもいかないからな。貧弱な戦力のせいで敵勢力にミスリル鉱山を奪われました、などという事態が発生すれば、僕はもちろんガレア王国も大損害を被ることになる。ここは上からの支援を受けつつ、なんとかやりくりしていくしかないか。

 

「なあに……カネの心配をする必要はない! 私とアデライドがジャブジャブ注ぎ込むからね……」

 

 なんだか呂律が怪しくなってきたな、スオラハティ辺境伯。ビールみたいな勢いでワインなんか飲んだら、当然そうなるわな。普段酒を飲まない人ならなおさらだ。

 

「あ、あの、辺境伯様……そろそろお酒は控えた方が」

 

「そうかな……? そうかも。確かになんだかふわふわしてきた……」

 

 酔いやすいとはいっても、スオラハティ辺境伯はどこぞの母上のような面倒な酔い方はしない。彼女は素直に頷き、空になった酒杯をテーブルに置いた。

 

「……」

 

「……」

 

 そこから、会話が途切れた。険悪な雰囲気……というわけではないが、なぜかスオラハティ辺境伯はチラチラと僕を見つつも口を開かない。何か、切り出しにくい話題でもあるのだろうか? 仕方がないので、子牛のソテーをワインで流し込みつつ、辺境伯の出方をうかがう。

 

「その……」

 

「はい」

 

「実は、ちょっと相談に乗ってほしい事があるんだ。構わないかな……?」

 

 そう問いかけてくるスオラハティ辺境伯の顔は真っ赤だった。アルコールのせいだろうか?

 

「ええ、もちろん。僕と辺境伯様の仲ではありませんか。どのような相談でもお任せください」

 

「……ならいい加減カステヘルミと呼んでくれてもいいじゃないか」

 

「えっ?」

 

 辺境伯はボソリと呟いたが、声が小さすぎて聞き取れなかった。問い返すが、辺境伯は「なんでもない」と切り捨て、こほんと咳払いする。

 

「実は最近、不眠気味でね。その……アルに……」

 

「はあ」

 

 不眠か。そりゃ、よろしくないね。睡眠は健康の基礎だ。……とはいえ、僕にそんなことを相談しても、大したアドバイスはできないと思うんだが。こういうのは軍務一辺倒の戦争バカより、きちんとした医師や薬師に相談するべき案件だ。

 

「添い寝をお願いしたいんだ」

 

「エッ」

 

 予想外の発言に、僕は思わず酒杯を取り落としかけた。いきなりだな。なんで添い寝!?

 

「違う! 違うんだ。抱かせてくれとか、そういうことではない。勘違いしないでくれ!」

 

「は、はあ……」

 

 辺境伯は湯気でも出しそうな顔色でアワアワと弁明する。

 

「我々竜人(ドラゴニュート)は元来、一人寝はしない生き物なのだ。種族として寒さに弱いにもかかわらず、故郷であるアヴァロニアは北方の地にあるからな。複数で同じ寝床を共有し、温め合う……数百年前までは、王侯ですらそういう習慣があった。もはや本能なのだ」

 

「な、なるほど」

 

 正直よくわからない説明だったが、僕は何とか納得している風を装って頷いた。辺境伯はまた一体、どういうつもりでこんなことを言いだしたのだろうか? アデライド宰相ならともかく、相手は優しく真面目なスオラハティ辺境伯である。まさか寝床へ引き込んでそのまま襲うつもりではないだろうし……

 いやしかし、よく考えてみれば幼年騎士団時代はよく幼馴染どもが僕の寝床に突撃してきた記憶がある。そのたびに、ソニアがちぎっては投げちぎっては投げしていたものだが……もしかしたら、本当にそんな本能があるのかもしれないな。

 

「そういう訳で、一人で眠るのはなかなかのストレスで……しかし知っての通り、私にはすでに夫もおらず、娘たちもすっかり大きくなってしまった。立場が立場だから、下のものを寝床に招くわけにもいかない。だから……な? アル、後生だから、私と一緒に寝てくれないか? もちろん、ヘンなことはしない。約束する」

 

 スオラハティ辺境伯は、両手を合わせながらそんなことを頼んでくる。……ヘンなことをしてしまうリスクは僕の方にもあるんだよなあ! なにしろ彼女はオトナのの美女。結構な年上とはいえ、ストライクゾーンにはバッチリ入ってる。

 しかし、万が一辺境伯とそういう(・・・)関係になってしまったら、気まずいどころの話じゃない。別にソニアとは恋人でもなんでもないわけだが、浅からぬ関係なのは確かだからな。僕だって、もしソニアと父上が裏でデキてたりしたらショックで三日三晩寝込む自信がある。彼女の方も、それは同じことだろう。

 

「頼むよ、アル……アデライドとは一緒に寝たんだろう? 私だけ置いて行かれるのは……その、なんだ……嫌なんだ……」

 

 うわあ、先日のアレ、バレてるのかよ。僕は思わず頭を抱えそうになった。情報の出所は、もちろんアデライド宰相本人だろう。彼女と辺境伯は、親友と言っていい間柄だからな……。

 

「……わかりました」

 

 アデライド宰相の件を出されると、もはや断るのはムリだ。宰相にしろ辺境伯にしろ、僕の強力な後援者だからな。どちらか片方だけを優遇するのはよろしくない。……という言い訳が成り立つ。そりゃ僕だって辺境伯とは一緒に寝たいよ。滅茶苦茶魅力的だもの、この人。ソニアの母親じゃなきゃ、いっそ行けるところまで行ってしまいたいくらいだが……。

 

「要するに、辺境伯様に安眠をお届けすれば良いわけですね? お任せを」

 

 要するに、お互いがヘンな気分になる前に辺境伯を寝かしつけてしまえば良いのだ。僕はそのための作戦を脳内で組み立てつつ、大きく頷いて見せた。



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第172話 重鎮辺境伯とナマASMR(1)

 私、カステヘルミ・スオラハティは、妙な性癖に目覚めつつあった。

 

「痛かったら行ってくださいねー」

 

「あ、ああ……」

 

 王都屋敷にある、私の寝室。長らく自分自身と使用人くらいしか入ってくることがなかったその部屋に、オトコが……アルが居る。ただそれだけで興奮せざるを得ない状況だというのに、この魔性の男はとんでもないことを提案してきたのである。

 

「あっ、あっ、もっとゆっくりやってくれ……刺激が強すぎる」

 

「おや、申し訳ありません」

 

 ベッドの上でアルに膝枕をされた私は、彼に耳かきをされていた。アルの操る耳かき棒は、繊細かつ大胆に私の耳穴を蹂躙している。この男、異様に耳かきが上手い。私とて腐っても大貴族、風呂で体を洗うのも使用人に任せるような立場だ。当然、耳かきをされた経験も一度や二度ではない。

 しかし、そんな私も彼の前ではまな板に載せられた魚のように無力だった。耳かき棒が微かに動くたび、くすぐったいような快感が私の脳髄を焼くのである。尋常な手管ではなかった。

 

「いやあ、魔力灯って便利ですねえ。夜半でも安全に細かい作業ができる」

 

 などと言いながら、アルは私の耳をカンテラ型の魔力灯で照らす。これは光を発する魔道具で、ロウソクやオイルランプに比べて圧倒的に光量が多い。……つまり私の耳の中も丸見えということだ。正直、滅茶苦茶恥ずかしい……

 

「あ、アル、貴様……随分と耳かきが上手だな……? 普段からやっているのか?」

 

「幼年騎士団時代、幼馴染どもへの"ご褒美"でよくやってたんですよ。今でも、時々頼みに来るヤツは居ます」

 

 手を止めたアルは、耳に息がかかるような近さでそう囁いた。背筋にピリピリと快感が走る。あまりにも距離感が近い。普通に話せばよいものを、なぜわざわざ耳元で囁くんだ? わかってやってるのか? 私を煽ってるんじゃないだろうな?

 そもそも、膝枕という姿勢自体が不味いのである。彼の筋肉質な肉体が、すぐ顔の横にある。戦うことを前提に鍛え上げられた、戦士の身体だ。縋りついて何もかも任せてしまいたくなるような願望が、私の脳内にムクムクと湧き上がってきていた。

 

「そ、そうなのか……もしかして、ソニアも?」

 

「そうですね、割と頻繁に……」

 

 ずるいぞ!!!! 私がつまらない執務に忙殺されている間に、こんな気持ちいいことをしていたのか我が娘は!!!!

 

「やっぱり……リラックスしていないと安眠なんて出来るものではないですから……寝る前にこうやって気分をほぐすと、寝つきもよくなるのではないかと」

 

 相変わらずの囁き声で、アルはそんなことを言う。リラックス……リラックス? いや、確かに癒されはするのだが……むしろ興奮してこないか? これは。

 

「ちょっと、お耳をふーってしますね」

 

「あふっ!?」

 

 そんなことを考えていたら、耳に息を吹きかけられた。思わず妙な声が出る。き、気持ちが良すぎる……。

 

「はい、じゃあ続き行きますね」

 

「ま、まってくれ! もう一回! さっきのをもう一回?」

 

「ええ? 仕方ないですねえ」

 

 苦笑と共に、アルは再び私の耳に息を吹きかけた。あまりの心地よさに、尻尾に自然と力が入ってしまう。竜人(ドラゴニュート)の尻尾は太くて長い。それが目に見えてピンと立っているのだから、恥ずかしいことこの上ない。しかし、もはや私は外聞に拘っていられる状況ではなかった。

 

「もう一回! いや、ずーっとふーってしてくれ!」

 

「もう、辺境伯様ってば」

 

 などと言いつつも、要望にはとりあえず応えてくれるのがアルという男だ。結果、私は息だけで別の世界に行きかけた。

 

「お耳をいじられるのも……悪くないでしょう? 聞くところによると、耳を舐められたり噛まれたりすることを好む方も結構いるようで」

 

「舐めたり噛んだり!?」

 

 な、なんて倒錯的な……というか、そんなことを耳元で囁かないでくれ! おかしな気分になってしまう! もうなってるけど!

 

「きょ、興味はあるな……アル、ちょっと試してみてくれないか?」

 

「駄目ですよぉ、辺境伯様。そんなことをしたら、寝られなくなってしまいます。これはあくまで、安眠目的の耳かきですからね」

 

「それはそうだが……」

 

 どこまで私を惑わせば気が済むのだ、この男は! 私は三児の母だぞ! それが、まるで処女の小娘のように……。

 

「さあさあ、続きをしますよ」

 

「ああっ……!」

 

 再び耳穴に耳かき棒がさし込まれ、私は情けない声を漏らすだけのオモチャと化した。……え、じゃあ、何か? 彼の幼年騎士団の同期達は、子供の時分からこんなことをされていたのか? 彼女らの性癖が心配になってきたな……。

 

「ここは指の方がやりやすいか……」

 

 そんなことを言いながら、アルは私の耳の溝をなぞる。武器ばかり握っていたことがよくわかる、節くれだった武人の指だ。ああ、そんな理想の騎士様(・・・)の指が、まるで宝物を触るような手つきで私の耳をいじっている! 心と体の奥がじんわりと暖かくなってくるような心地だった。

 

「……これでよし。はい、右耳はおしまい」

 

「あっ……」

 

 しかし、至福の時間は長くは続かない。彼が手を止めると、無意識に尻尾かくにゃりと力なく曲がった。

「もうちょっと、もうちょっとやってくれないか?」

 

「だめだめ、やりすぎは(かえ)ってお耳を傷めますよ」

 

 そう言ってアルは私の耳にまた息を吹きかけてきた。

 

「あひぃ!」

 

「じゃあ、ひっくり返ってくださいね、辺境伯様。次は左耳です」

 

 思わずアルの顔を見ると、彼はニヤニヤと悪戯っぽく笑っていた。私の反応を楽しんでいるようだ。……こ、この若造め! 確かに私は受け身寄りの方が好きな性癖(タチ)とはいえ、我慢の限界はあるんだぞ! ここまで挑発されたからには、大人の威厳を見せつけてやるのもやぶさかでは……

 いや、駄目だ! この雰囲気ならアルも受け入れてくれそうな気がするが、バレたらソニアに殺されてしまう! あの娘はやたらと聡いからな、アルに口止めをしたところで、雰囲気や気配ですぐに察してしまうだろう。

 随分と酔っぱらっている自覚のある私だが、アルコールの力を借りてなおソニアへの恐怖は乗り越えられない。アルを巡って親子関係が決定的に断絶するのももちろん恐ろしいし、シンプルにあの暴力も怖い。あの娘、躊躇なく親の関節を引っこ抜きにかかってくるからな……。

 アルに最初にツバを付けたのはこの私なんだぞ! なんでここまで娘に気を使ってやらねばならないんだ。別の意味でムカムカしてきたな……

 

「うう、分かった……」

 

 結局、私はアルの言葉に大人しく従うしかなかった。……いや、しかし……十五歳も年下の男に好き勝手やられるのも、悪くはないな……。どうもおかしな性癖に目覚めてしまったような気がする。

 ただでさえ、私は世間からは認められないような性質を抱えているんだ。そこへ新たにタチの悪い性癖を追加するのはやめてほしい。このままではアル以外では満足できない身体になってしまう。……いや、今さらか。私の騎士様(・・・)は、最初からアル一人っきりだ……。

 



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第173話 重鎮辺境伯とナマASMR(…

 結局、私は耳かきが終わるころにはもうヘロヘロのフニャフニャになっていた。が、しかし……耳かきはあくまで本番前の余興に過ぎないのである。そういう訳で、私はアルとともに寝床に入ることとなった。

 

「んふ、んふふ……」

 

 私がアルに語った竜人(ドラゴニュート)の本能云々という話は、添い寝を頼み込むための作り話ではない。好きな男の体温を隣に感じる、これほどまでに充足感を覚えることが他にあるだろうか? 私は心の底から湧き上がってくる歓喜を抑えることができなかった。

 

「やっぱり、竜人(ドラゴニュート)は体温が低いですね。ひんやりして気持ちがいい……」

 

 私と向かい合わせに寝ころんだアルが、そんなことを言う。お互いに夏用の夜着姿なのだから、密着すれば当然肌と肌が直接触れ合うことになる。私が彼の暖かさを心地よく感じているように、アルも私の低い体温を受け入れてくれているようだ。ああ、たまらない。

 

「そうか? んふふ、いいぞ。もっとくっ付いてやる」

 

 私は嬉しくなって、彼を抱き寄せた。アルは男にしては大柄ではあるが、スオラハティ家は長身の家系。ソニアほどではないにしろ、私とて彼を包み込めるだけの体格はある。

 

「やめてくださいよぉ、辺境伯様。僕、だいぶ汗をかいちゃってますから」

 

 確かに彼の肌は汗でしっとり濡れているが、だから何だというのか。もちろん、私はそんなことは気にしない。汗をかいているというのなら、私の身体で涼めばよいのだ。

 

「アルぅ……こういう時くらい、呼び捨てにしてくれたってかまわないんじゃあないか?」

 

 私は唇を尖らせながら、文句を言ってやる。ベッドの中でまで主人ヅラをしたくはないのだ、私とて。

 

「私の思い上がりでなければ、我々はそれなりに深い関係のはずだ。そんな他人行儀な呼び方は、良くないと思うなあ」

 

「……カステヘルミ、やめてくださいよ。そういう思わせぶりなことを仰るのは……。僕は人生で一度も女性と交際したことがない人間ですよ? 勘違いしてしまいます」

 

 拗ねたような口調でそんなことを言うアルに、私はため息を吐きたい気分になった。何が勘違いだ。こちらはずっと本気だよ、お前が子供のころからな……。

 とはいえ、ここで私の気持ちを告げるわけにもいかない。何しろ今宵の私は情けなくも娘と同い年の男に添い寝を懇願し、さらには耳かきひとつで余人には見せられないような醜態を晒した女だ。こんな状態で愛を告白するほど、私は恥知らずではない。

 

「……」

 

 仕方がないので私は無言で彼の頭を撫でてやった。彼は心地の良さそうな表情で目を閉じる。……本当なら、頭を撫でられたいのは私の方なんだがなあ。しかし私は辺境伯で、アルは自らの立場を弁えている男だ。はっきりと命令しないかぎり、彼はそういうことはしてくれないだろう。

 

「……そろそろ寝ましょうか。明日も忙しいですし、あまり夜更かしするのはよろしくない」

 

「……ああ、そうだな」

 

 本音で言えば、むしろ徹夜でアルと仲良し(・・・)したい気分なんだがな。残念だ、非常に残念だ。初夜は娘に譲られなばならない。……はあ。

 

「それじゃあ、失礼して」

 

 などと考えていると、突然アルはぐいと私の頭を抱き寄せた。そのまま、彼は私の耳を自らの胸へと押し当てる。男にしてはひどく分厚い胸板が私の頬にくっ付いて、ああ、ああ!!

 

「あ、アル、一体何を……」

 

「今夜の僕の任務は、カステヘルミに安眠をお届けすることです。ご存じですか? 心音には、人を安心させる効果があるそうです」

 

「な、なるほど……」

 

 よくわからないが、彼が言うのなら間違いはないだろう。そう思い、耳を澄ませてみる。……彼の心拍は、やや早かった。私と同じように、彼もドギマギしているのかもしれない。

 だが、確かにその音を聞いていると己の心が凪いで行くのを感じた。身体から、自然と力が抜けていく。ああ、これは悪くない。むしろいい。そう思っていると、アルは優しく私の背中を叩き始めた。

 

「アル、お前……私は大人だぞ? こんな、子供を寝かしつけるみたいに……」

 

「ああ、すいません。つい癖で」

 

「癖? お前、他のヤツにもこんなことをしていたのか?」

 

 思わず、硬い声が出た。しかし彼は小さく笑って、軽く頷く。

 

「子供のころの話ですよ。幼馴染連中とか、あとはフィオレンツァ司教とか」

 

 なぜここであの翼人司教の名前が出るのだろうか? 一瞬困惑したが、そういば彼女は家庭の事情で王都の幼年騎士団に預けられていた時期があったはずだ。もしや彼女も、アルたちの同期なのだろうか?

 

「……というと?」

 

「あの子たちも、今では立派な大人ですが……昔はホームシックやらなんやらで、寝られない子も多く居ました。幼年騎士団は、親元から離れて集団生活するわけですからね。馴染むまでは、なかなか大変です」

 

「ああ、まあ……私も経験があるから、それはわかる」

 

 甘ったれたガキどもを一人前の騎士に育て上げるための組織である幼年騎士団は、それはそれは厳しい場所である。私も、幾度となく涙をあふれさせた記憶がある。

 

「ベッドでぐすぐす泣いているのを見てると、こう、可哀想になってきちゃって……心音を聞かせて、背中を撫でてやって、まあ……今と同じような感じですね」

 

「お、お前、お前なあ……」

 

 思春期の娘どもにそんなことをしていたのか!? 心が弱っているときに同年代の少年からそのような所業をされて、マトモでいられるはずもない。性癖も男性観も滅茶苦茶に破壊されてしまう! 

 耳かきといい添い寝といい、まったくアルはどうかしている。自覚的にやっているなら趣味が悪いことこの上ないが、彼のことだからおそらく天然だろう。逆にそれが恐ろしい。流石の私も彼の同期達が哀れになってきた。彼女らはマトモに結婚できるのだろうか……。

 

「……ま、まあいい。続けなさい、アル。私も君の手管には興味がある」

 

「え? ああ、はい。わかりました」

 

 彼は頷いて、再び私の背中をトントンと叩き始めた。壊れ物を扱うような、柔らかな手付きだ。心臓の音を聞きながら、その優しい感触に身を任せていると、なんだか幼少期に戻って父上の胸の中で寝ているような心地になってくる。

 ……知らないうちに、目尻に涙が浮かんできた。子供のころは、よくこうして父上に寝かしつけてもらったものだ。あれからもう何十年もたつというのに、まるで昨日のことのように思い出すことができる。ああ、あの頃に戻りたい。

 

「子供を寝かしつけるみたいに、とは言ったが……私にはこれで十分な気がしてきたな。三十代も中ごろだというのに、私はあのころから全く変わっていない……情けない泣き虫のままだ……」

 

「人は、いくつになっても心の中に子供のころの自分を飼っているものです。時には、それを表に出してやるのも大切なことだと思いますよ」

 

「うん、うん……そうだな。ああ、その通りだ」

 

 私は小さく頷いてから、ゆっくりと目を閉じた。いつの間にか、身体を内側から焦がすような欲情は収まっていた。

 

「なんなら、子守歌もお歌いしましょうか?」

 

「……お願いしよう」

 

 私はもうダメかもしれない。



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第174話 くっころ男騎士と朝チュン?

 なんだか普通に仲良し(・・・)するよりよほど倒錯的な一夜を過ごしてしまった気がする。朝目覚めるなり、僕はイの一番にそんなことを思った。

 

「ううん……」

 

 僕の胸に顔をうずめるようにして眠っているスオラハティ辺境伯が、悩ましい声をあげる。その表情は非常に安らかなものだ。どうやら昨夜の夢見は悪くなかったらしい。

 それは良い。それは良いのだが、困った。なにしろ辺境伯は非常に魅力的な女性である。そんな彼女を全身で抱きしめるような姿勢になっているのだから、大変だ。具体的に言えば息子が元気になりかかっている。これだけベッタリ密着した状態でアレを固くしたら大変なことになってしまう。

 

「まずいなあ……」

 

「ん、う……ああ? どうしたの……?」

 

 ぼそりと呟くと、その声で辺境伯が目覚めてしまった。ぼんやりとした目で僕を見ながら彼女は子供のような仕草で小首をかしげる。

 

「なんでもありませんよ、辺境伯様」

 

「カステヘルミって呼んでよぉ……」

 

 完全に寝ぼけた様子でスオラハティ辺境伯は亜麻布の夏用掛布団を跳ね飛ばし、僕に馬乗りになってきた。その動きは緩慢で、抵抗しようと思えば容易ではあるのだが……なにしろ相手は上司である。変に反撃して怪我でもさせたら大事だ。仕方なく、僕は無抵抗主義を貫いた。あくまで仕方なくだ。「こんな美女に押し倒されるなんて役得だなあ」などという不埒な考えは全くない。

 

「まったく、お前は……」

 

 馬乗りになったまま、彼女は僕の唇を奪おうとした。ソニアによく似た端正な顔が近づいてくると、否応なしに鼓動が跳ね上がる。ひゃあ、この人酔ってる時より寝ぼけている時の方がタチが悪いぞ。

 

「アッ!!」

 

 しかし、唇同士が触れ合った瞬間、辺境伯が正気に戻った。僕の身体の上から飛びのき、床に落ちて尻もちを搗く。

 

「アイタッ!?」

 

「へ、辺境……じゃないや、カステヘルミ、大丈夫ですか!?」

 

 慌てて僕もベッドから降り、彼女を助け起こす。目尻に涙をためつつ、辺境伯は「アイタタタ……」と小さな声を漏らした。

 

「す、すまない。どうやら昨日の酒が残っているようだ」

 

 などと謝ってから、辺境伯はひどく慌てた様子でベッドの下やらタンスの中やらを確認し始めた。顔には冷や汗が浮かんでいる。

 

「な、なにをされているのですか? 突然……」

 

「いや、万一ソニアが潜んでいたら殺されかねないなと思って」

 

「そんなところにソニアが居るわけないじゃないですか……」

 

 確かにこんな状況をソニアに見られたらヤバいが、ベッドの下やらタンスの中やらにソニアが居るはずがないだろうに。錯乱しているのだろうか、辺境伯は。……そもそも、ソニアは遠く離れたリースベンでお留守番中だし。

 

「いや、たまにこういうところに隠れているから怖いんだよ、我が娘は……」

 

 どういうことだよとは思ったが、真剣そのものの表情であちこちを見分している辺境伯には文句を付けづらい。黙って見守ることにした。

 

「ふう、流石に杞憂か」

 

 五分後。安堵のため息を吐きながら、辺境伯は苦い笑みを浮かべた。

 

「いや、しかし……本当にすまないね。さっきのことはできれば忘れ……わす……ソニアの前では都合よく忘れてほしい」

 

「は、はあ、わかりました」

 

 本当に都合がいいなあ! ……いや、僕も辺境伯にキスされました、などということをソニアに知られるわけにはいかないけどさあ。

 しかしこの頃、いよいよ宰相や辺境伯の愛人呼ばわりされても否定しづらい状態になってきたな。不味いと言えば不味いが、別に宰相派閥に居る限りはそんなに困らないのも事実なんだよな。

 とはいえ、宰相はまだしも辺境伯の方は僕をどういう風に見ているのかちょっとよくわからない。気に入られているのは確かだろうし、意識されているような気もしているのだが……なにしろ幼馴染兼親友の母親だ。距離感が図りづらい部分がある。それに、僕は化石じみた根っからのクソ童貞だ。自意識過剰で勘違いしている可能性も捨てきれない。

 

「申し訳ないが、よろしく頼む。……はあ、情けない」

 

 なんとも言えない表情で辺境伯はため息を吐き、ベッドに腰掛けた。早朝だというのに、妙に疲れたような顔をしている。

 

「香草茶でもお淹れしましょうか?」

 

「いや、結構だ」

 

 辺境伯は首を左右に振り、自分の隣に座るように促した。拒否する理由もないので従うと、彼女は僕の肩に自分の頭を預けた。スオラハティ辺境伯は僕より十センチくらい身長が高いのでかなり不自然な姿勢になるが、彼女は気にしない。ソニアと同じ蒼く美しい長髪から、香水らしきシトラスの香りがほのかに漂ってくる。

 ……やっぱり、意識されてるんじゃないのか? 僕。自意識過剰かねえ……うーん、男女関係のこととなると、自分の感覚がまったく信用ならんからな。とはいえ、こんなことを他人に相談するわけにもいかないし……。

 

「アル、今日の君の予定は?」

 

「ええと……午前中にパレア大聖堂でフィオレンツァ司教と面会。午後からは王城に参内して、フランセット殿下に今回の件の最終報告……という流れですかね。夕方からは、リースベンに戻るための荷造りをするつもりです」

 

「せわしいな」

 

 僕の肩に頭を乗せたまま、スオラハティ辺境伯は寂しそうな口調で呟く。

 

「……良ければ、今夜もうちに泊まらないか?」

 

「申し訳ありませんが、そういう訳には……実家で過ごせる期間も、もう長くはありませんし」

 

 なにしろ、僕は実質的にリースベンの領主になるわけだからな。どこぞの戦地で野垂れ死にしたり、ポカをやらかして領地没収などという事にならない限りは、あの土地に骨を埋めることになる。王都で過ごせる最後の時間は、両親とともに居たいものだ。

 

「それもそうか。……ごめんね、無理を言って」

 

 普段とはまったく違う口調で、辺境伯は小さく謝った。センチメンタルな気分になっているのかもしれない。

 

「いいえ、そんなことは」

 

「時間が出来たら、今度は私がリースベンに行くよ」

 

「そんな、滅相もない!」

 

 なにしろ辺境伯が治めるノール辺境領はガレア王国の最北端で、我らがリースベンは最南端である。翼竜(ワイバーン)を使っても、気軽に行き来できる距離ではない。

 

「いいや、絶対に行く。ソニアにも会わなければならないし……」

 

 (ソニア)の件を出されると、僕も文句が言えなくなってしまう。なにしろ、ソニアは本来スオラハティ家の跡取り娘だ。それが出奔して僕なんかの下で副官なんかをしているわけだから、辺境伯としてもなんとか直接会って話がしたいところだろう。

 

「……承知いたしました。大した歓迎もできませんが」

 

「いいよ、ソニアとアルがいるなら。私はそれだけで満足だから……」

 

 湿った声で、辺境伯は言う。……僕たちは、明日か明後日には王都を発つ予定だ。そうなればもう、彼女とはしばらく会えなくなるだろう。寂しくなるな……。



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第175話 カタブツ子爵と憂鬱な朝

 わたし、ジルベルト・プレヴォはハラハラしていた。なにしろ、敬愛する主様が国内有数の重鎮貴族の屋敷から朝帰りしてきたのだ。心配にならないはずがない。やはり、主様がアデライド宰相やスオラハティ辺境伯に身体を求められているという噂は本当だったのか……?

 

「……」

 

 パレア大聖堂へ向かう馬車の車内で、主様は物憂げな様子で窓の外を眺めていた。午後からは王城に参内よていなので、今日の主様は礼服姿だ。ただし、ガレア王国では男性武官用礼服の規定がない。そのため、着用されているのは女性武官礼服を小改造した代物だ。

 いわゆる女装に近い服装だが、なにしろこのお方は戦装束慣れしているからな。実用性皆無のヒラヒラした男性用礼服よりは、余程似合っている。

 

「……」

 

 わたしは無言で考え込んだ。ジョゼット卿の代わりに王城参内時のお供に指名された時は小躍りしそうなほど喜んだものだが、いまのわたしの心の中はドロドロしたもので一杯になっていた。

 むろん、噂としては知っていた。身体を使って宰相や辺境伯に取り入り、不自然な出世を遂げている男。周囲からは、主様はそういう風に見られている。しかし……ただの噂だと思いたかった。これほどの軍才を持ったお方が、なぜ体まで差し出さねばならないのか。まったく、やはり上級貴族連中は腐っている。比喩ではない、本物の吐き気を感じた。最悪の気分だ

 

「なんだか、勘違いされているような気がする」

 

 怨恨じみた思考を脳内でグルグルと回していると、主様が苦笑を浮かべながらそう言った。

 

「勘違い、ですか……」

 

「そう、勘違い。あの噂を真に受けているんだろう? 辺境伯様の愛人とかなんとか」

 

「……はい」

 

 少し躊躇してから、わたしは頷いた。否定すべきだというのは分かっていたが、できなかった。主様の身体からは、華やかな石鹸の香りが漂っている。朝から風呂を浴びねばならないようなことを、昨夜の主様はやっていたのだろう。そう思うと、心がきゅっと締め付けられるような心地になった。

 

「冷静に考えてほしい、僕の副官は誰だ?」

 

「ソニア・スオラハティ様です」

 

 彼女は彼女で、主様とは別の意味で有名な人物だ。ガレア屈指の大貴族の長女として生を受け、王国最強と呼ばれるほどの剣の腕を持ちながら、男騎士に仕えることを選んだ変人中の変人……。

 

「で、僕が昨夜泊ったお屋敷の主人は?」

 

「カステヘルミ・スオラハティ様です」

 

「その通り。そして両者は親子だ」

 

「はい、存じております」

 

「よく考えてみるんだ……自分の幼馴染兼親友が、自分の実の母親とそういう(・・・・)関係になっているという状況を」

 

「さ、最悪すぎる……」

 

 言われてみれば、とんでもない話だ。わたしだったら、怒りと絶望のあまり母を殴りに行くかもしれない。

 

「そうだろ? 僕にとっても辺境伯様にとっても、ソニアは大切な相手だ。彼女の気分を害するような真似はしないよ」

 

「そ、そうですか……」

 

 なるほど、一理ある。しかし、風呂上り特有の血色の良い主様の顔を見ていると、どうにも不安になってくる。辺境伯様は、十年以上前に夫を亡くされているのだ。性欲を持て余しているにちがいない。そんな彼女がこんなスケベな男を前にして、襲わずにいられるものだろうか?

 ……い、いや! 何がスケベな男だ! 相手は大恩ある主様なのだぞ! それをスケベだなどと……この不忠者め!! ああ、もうっ! わたしのバカ!

 

「ど、どうしたんだ」

 

「いっ、いえっ! なんでもございません!」

 

 わたしはブンブンと首を左右に振った。……はあ、ストレスと共に性欲が溜まっているのだろうか? まったく、不味い状況だな。今回の件で婚約も解消になってしまったし、さりとて今さら娼館を利用するのもなんだかコワイ。今まで通り、性欲は自分で処理するしかあるまい……。

 ……しかし、この年齢で婚約解消か。別に愛し合っていた仲というわけではないので、心情的にはむしろ清々しているのだが……今のわたしの立場を考えれば、新たに結婚相手を見つけるのは極めて難しいだろうな。世継はまあ、親戚から養子を貰うという手があるが。

 そんなことを考えつつも、自然と視線は主様に向かっていた。脳裏に、あの夜の抱擁が蘇る。情けなくも涙を抑えられなくなってしまった私を、この方は優しく抱きしめてくださった。それだけで、どれほどわたしの心が救われた事か。不遜だとは理解していても、この想いを完全に封じ込めることはできなかった。

 

「そういえば、よろしければソニア様について、お話を伺ってもよろしいでしょうか? おそらく、わたしにとっても重要な上官になられる方でしょうし」

 

 どんどん思考が妙な方向に行ってしまうので、私は話を変えることにした。実際、ソニア・スオラハティは主様の幕下でも最重要といっていい人物だ。新参者たるわたしにとっては、嫌でも関わっていかなければならない相手と言える。直接挨拶を交わす前に、ある程度の情報を収集しておく必要があるだろう。

 

「そうだな。まだ大聖堂に到着するまでは、しばらくかかるだろうし……」

 

 窓から周囲の様子を伺いつつ、アル様は頷く。我々の馬車は、渋滞に巻き込まれていた。ここは大都会たる王都パレアの中心街である。その混雑ぶりは尋常なものではない。

 

「ソニアと直接会ったことはあるかな?」

 

「パーティで顔をお見かけしたことは、何度か。しかし、直接会話したような経験はございません」

 

 いち子爵に過ぎないわたしからすれば、辺境伯の娘など雲の上の存在だ。向こうから話しかけてこない限り、こちらから声をかけることすら憚られる相手なのである。

 

「そうか。しかし、彼女についての噂はいろいろと耳にしているだろう。剣を握れば天下無双、机上演習では敵なし。智・武・勇を兼ね備えた、まさに英傑と呼ぶほかない女」

 

「ええ、もちろん」

 

 ソニア・スオラハティは、幼いころからその神童ぶりで有名だった人物である。大人になった今でも、その才能は色あせるどころか輝きを増している。ガレア貴族の貴族社会では、トップクラスの有名人と言っていい。

 

「それらの噂はおおむね真実だ。太古の英雄譚から飛び出してきたような人間だよ、彼女は。正直に言えば、なぜ僕の副官などに収まっているのやら、当の僕ですらよくわからない」

 

 自らの武勇伝を語るときよりもよほど自慢げな表情で、主様はそう言い切った。その顔を見て、わたしの心がじくじくと痛み始める。……考えずとも、この感情の正体には見当がつく。ああ、どうやらこの私は、あのソニア・スオラハティを恋敵だと認識しているらしい。



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第176話 カタブツ子爵と恋愛相談(1)

 パレア大聖堂の控室で、わたしは静かに煙草を吸っていた。主様が告解室へ入って、すでに三十分ほどが経過している。フィオレンツァ司教に王都を離れる挨拶をしてくるとのことだったが、いったいどんな話をしているのだろうか? 妙に気になるが、臣下としてはあまり突っ込んだことを聞くわけにもいかない……

 

「ふう……」

 

 煙を吐き出し、短くなった紙巻煙草を灰皿に押し付ける。陶器製のその皿の中には、すでに何本もの吸い殻が落ちていた。なにしろ居心地が悪いので、ついつい喫煙量が増えてしまう。

 あの反乱で、わたしはフィオレンツァ司教の身柄を狙っている。これは主様に対して斬首作戦を仕掛けるための前準備であり、あくまで目くらまし目的の陽動だった。とはいえ、司教様の身を危険にさらしたのは事実である。

 聖職者を狙うなどガレア貴族としてはあるまじき行為であり、この一件だけで死罪にすら値する。……にもかかわらずこの期に及んでなお叱責を受けていないのだから、逆にわたしはひどく不安を感じていた。

 

「……」

 

 愛用の煙草ケースから新たな一本を取り出し、口に咥える。オイルライター(主様から頂いた大切なものだ)のフタを開き、歯輪に指をかけたところで、控室のドアが開かれる。

 

「お待たせ」

 

 入ってきたのは、主様だった。わたしはあわてて煙草とライターをポケットにしまい、立ち上がる。

 

「……失礼しました。おかえりなさいませ、主様」

 

 やっとこの居心地の悪い空間から解放される。わたしは内心安堵のため息を吐いていたが、主様は少し困った様子で自らが入ってきた出入り口の方を見る。

 

「司教が、ジルベルトにも会っておきたいと言ってるんだ。ちょっと、行ってもらえるかな」

 

 まさかのご指名である。わたしの血圧は一気に下がった。正直に言えば、拒否したい。が、相手は王都の宗教界における最高権力者の一人だ。いち子爵であるわたしに拒否権があるはずもなく……

 

「お、お招きいただき、ありがとうございます……」

 

 それから五分後。わたしはひどく手狭な告解室で、フィオレンツァ司教と一対一で相対していた。質素だが美しい青白の司教服に身を包んだフィオレンツァ司教は、ニコニコと機嫌よさげな様子で私を見ている。

 

「アルベール・ブロンダン様が臣下、ジルベルト・プレヴォ。ただいま参上いたしました」

 

「西パレア教区、教区長のフィオレンツァ・キアサージです。初めまして、子爵様」

 

 ニコニコ顔のまま、司教はわたしに握手を求めてくる。むろん、断るわけにはいかない。わたしは彼女の手を握り返した。剣など握ったこともなさそうな、柔らかな手だった。

 わたしに対してなんの敵意もなさそうな様子の司教ではあるが、相手は泥沼の宗教界で若くして異例の出世を遂げている正真正銘の怪物である。その内心を読むことなど、わたしにはとても不可能だ。泣きたくなるほどの不安を感じずにはいられなかった。

 

「そ、その……司教様。先日の件は、大変申し訳ありませんでした」

 

 とりあえず、初手は謝罪だ。あれこれ言い訳したり、誤魔化したりするのは不味い。下手に駆け引きを仕掛けるよりは、最初から白旗を揚げてしまった方がよほどマシだろう。

 

「あなたの謝罪を受け入れましょう、プレヴォ子爵様。……勘違いされているようですが、はっきりと申しておきましょう。わたくしは、あなたに責めを負わせようという気はさらさらありません。なにしろ、あなたはあくまで命令を受ける立場でしかなかったわけですからね」

 

 フィオレンツァ司教は手をひらひらと振り、笑みを深くした。

 

「誤った命令を遂行すれば、自然とその過程や結果も誤ったものとなる。当然のことです。それによって生じた損害の責任は、命令者だけが負うべきなのです」

 

 朗々とした口調でそう語ったフィオレンツァ司教は、湯気を上げる香草茶のカップを口に運んだ。

 

「……さて、詰まらない話はこれで終わりにしましょう。時間は有限ですからね」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 恐れていた話題が一瞬で流され、わたしの顔に冷や汗が浮かんだ。有難いと言えば、確かにありがたい。が、権力者のこの手の発言を真に受けるのは危険だ。彼女はいったいどういうつもりなのだろうか……。

 

「子爵様をお呼びたてした理由は、他でもありません。アルさんを攻略(・・)するための情報を伝えるためなのです」

 

「攻略!?」

 

「そう、攻略。好きなのでしょう? アルベールさんが。男性として、ね」

 

 わたしは思わず、座っていた椅子から転げ落ちそうになった。いきなりなんてことを言うんだ、この司教様は。秘めていたハズの想いが、ほぼ初対面の相手に見抜かれている!

 

「な、な、な……」

 

 わたしは陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせた。誤魔化したり、しらを切ったりするような余裕さえ、わたしから失われていた。それほど、この司教様の発言は衝撃的だった。

 

「なぜバレたか、ですか。簡単なことです」

 

 にっこりと笑って、フィオレンツァ司教はぐいと身を乗り出してわたしに顔を近づける。眼帯に包まれていないほうのヒスイ色の目には、隠し切れない喜色が浮かんでいる。

 

「アルベールさんとは長い付き合いですから、その行動パターンもよく存じております。そして内乱終結後の貴方の動きを見れば……もう、考えるまでもありません。抱きしめられて、慰めの言葉をかけられて……コロッと。そういう感じでしょう?」

 

 驚きのあまり、心臓がおかしな音色を奏で始めた。どうしてここまで具体的な内容を的中させられるんだ? まさか、主様が漏らした? いや、そんなはずはない。主様は人の名誉や尊厳には殊更に気を使われる方だ。聖職者が相手とはいえ、わたしの情けない姿を他人に喧伝するとは思えない。

 だとすれば、状況証拠から組み立てた推理という可能性が高いが……そうとう人心に通じてなければ、これほど精度の高い予測はできないだろう。最年少司教の肩書は伊達ではないということか。やはり、油断ならぬ相手だ。

 

「図星……ですね? ええ、ええ、わかりますとも。ご安心ください、子爵様。もちろん、このことは口外いたしません。なにしろ、わたくしはあなたを応援しているのですからね」

 

「お、応援……」

 

「そう、応援」

 

 身体をひっこめたフィオレンツァ司教は、ニヤニヤ笑いのまま香草茶を飲んだ。そして、ねっとりとした口調で言葉を続ける。

 

「わたくしとしては、アルベールさんはマトモな女性と結ばれてほしいのですよ。なにしろ、彼の周囲にはタチの悪い女性が多い。右を見ても変態、左を見ても変態。もう、目を覆わんばかりの惨状です」

 

「へ、変態ですか……」

 

 清廉なる司教様の口から飛び出すには、あまりにふさわしくない単語である。わたしとしては、困惑するしかない。

 

「わかりやすい所でいえば、アデライド宰相様ですね。彼女は年がら年中アルベールさんのお尻を撫でまわしています」

 

「……」

 

 噂では聞いていたが、まさか本当にそんな破廉恥な人物が我が国の宰相だったとは……。わたしは思わず頭を抱えた。ほとんど無意識にポケットからクシャクシャになった煙草を取り出し、口に咥えた。そこでハッとなって、あわてて煙草をポケットに戻そうとする。

 

「あっ……申し訳ありません」

 

「いえ、結構ですよ。狭い部屋ですが、換気はキチンとしています。どうぞ、お好きになさってください」

 

「感謝いたします……」

 

 司教様の慈悲に感謝しつつ、加えなおした煙草の先端に火をつける。紫煙をゆっくりと吸い込み、そして吐き出した。一服しないことには、頭がどうにかなりそうだった。

 

「しかし、まあ……彼女はヘタレなので、案外危険性は低いのです。本当に危険な人物は、他に居るのですよ」

 

「……というと?」

 

「ソニア・スオラハティ。彼女の正体は、卑劣なる覗き魔です」



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第177話 カタブツ子爵と恋愛相談(2)

「の、覗き魔!?」

 

 稀代の天才、ソニア・スオラハティにはまったく似合わない単語である。驚くわたしに、フィオランツァ司教は神妙な表情で頷いて見せた。

 

「そう、覗き魔。アルベールさんの私生活は、ソニアの完全な監視下にあります。着替え中も、水浴び中も……いついかなる時もね。彼女は副官という立場を利用し、己の薄汚い欲望を満たしているのです」

 

「そんな……冗談でしょう?」

 

 わたしは顔を引きつらせ、煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んだ。煙草だけではなく、酒まで飲みたい気分になってきた。あの威風堂々としたソニア・スオラハティが、覗きなどというバカげた真似をしている? シラフで聞くにはあまりに荒唐無稽な話だ。

 

「証拠はあるのですか?」

 

「証拠、証拠ですか。ふふふ」

 

 にこにこと純真無垢なように見える笑みを浮かべつつ、フィオレンツァ司教は香草茶を一口のみ、優雅な動作でカップをソーサーに乗せる。

 

「リースベンに到着したら、まずアルベールさんの自室を検分してみてください。あの女のことですから、のぞき穴の一つや二つや三つくらいは作っているはずです。わたしがここでアレコレ言うよりは、ご自分の目で確認していただいたほうが確実でしょう」

 

「……」

 

 何も言えなくなったわたしは、無言で指に挟んだ煙草から立ち上る紫煙を目で追った。フィオレンツァ司教の口調や表情は確信に満ちており、嘘を言っている様子はない。……まさか、本当なのか?

 

「覗きだけではありません。彼女は盗撮にも手を出していますよ。彼女の趣味は、アルベールさんの卑猥な写真をコレクションすることなのです」

 

「は、破廉恥な……!」

 

 高価かつ希少な魔道具である幻像機(カメラ)をなんということに使っているのだろうか? わたしは頭が痛くなってきた。

 

「主様は、ご存じなのですか?」

 

「まさか! 彼は、ソニア・スオラハティのことを信用しきっています。彼女がそのような悪行に手を染めているなど、想像すらしていないはずです」

 

「主様本人がご存じなくとも、司教様が伝えて差し上げればよろしいのでは……?」

 

 彼女の話が本当なら、今すぐ主様にはソニアの悪行を伝えておかねば不味いだろう。油断しきった状態では、覗きも盗撮もやられ放題だ。そう思ったのだが……フィオレンツァ司教は、悲しげな表情で首を左右に振る。

 

「ほとんど家族のように思っている幼馴染から、そのような薄汚い劣情を向けられているなどと……アルベールさんにはとても言えませんよ。真実を知ってしまえば、どれほどのショックを受けることか。わたくしは、あの方の傷つく表情など見たくはないのです」

 

「……」

 

 確かにその通りである。主様がソニアに向けている信頼は、尋常なものではない。そんな彼女が裏切っていると知れば、主様は人間不信に陥ってしまうかもしれないな。

 

「そういう訳で、貴方にはソニア・スオラハティに対する防壁となって貰いたいのです。能力的に見ても性格的に見ても、それが可能な人物は貴方を置いて他に居ませんので」

 

「……わたし程度の人間が、あのソニア・スオラハティに対抗するなど……可能なのでしょうか?」

 

 むろん、フィオレンツァ司教の話がすべて真実だった場合、ソニアをなんとかしないという選択肢はない。女としても臣下としても、覗きだの盗撮だのといった行為は看過できるものではないからだ。

 しかし、相手は天賦の才(ギフテッド)という言葉が誰よりも似合う真正の怪物だ。本家から使い捨てられてしまう程度の人材でしかないわたしに、出来ることなどあるのだろうか?

 

「できますよ」

 

 しかし、フィオレンツァ司教は自信に満ちた表情でそう言い切った。

 

「あなたには、ソニアにない強みをいくつも持っている。……具体的に言えば、組織力。ソニアは確かに天才ですが、実家とは半ば絶縁状態。いくら優秀でも、個人でしかありません。それに比べて、あなたにはプレヴォ家の一族郎党がいる」

 

「は、はあ……」

 

 なんだか生臭い話になって来たぞ。

 

「ご存じの通り、ブロンダン家はあくまで小さな宮廷騎士家にすぎません。領地経営に必要な人材は、他所で募るほかない。そこで必要になってくるのが、あなた達プレヴォ家というわけです」

 

「我々も、しょせんは宮廷貴族の一家に過ぎませんが……」

 

「それでも、家としての規模や歴史はブロンダン家とは比べ物になりませんよ」

 

 フィオレンツァ司教の言葉に、わたしは頷くほかなかった。ブロンダン家については、もちろん調査している。一族と言っても、騎士位を持っている人物ですら主様とその母君であるデジレ卿の二名だけ。家臣も持たず、居るのは数名の使用人のみ。

 典型的な宮廷騎士の家庭だ。はっきり言えば、この規模の家が広さだけなら伯爵領級のリースベンを統治するのは難しい。外からの援助が必要だ。

 

「アルベールさんはもちろん、ソニアですら貴方のことは無碍(むげ)にはできません。リースベンという領地において、あなたの率いるプレヴォ家こそが最大の派閥になるのですから」

 

「な、なるほど」

 

 理屈で言えば、その通りかもしれない。が、わたしたちはあくまで新参者である。そんな我々が数を頼みに傲慢な振る舞いをすればどうなるか……少し考えればわかることだ。むろん、わたしとてわざわざ積極的に不和の種をまこうとは思っていない。郎党たちにも、綱紀粛正を厳命してある。

 

「しかし、わたしは……」

 

「ええ、貴方のおっしゃりたいことはわかります。わたくしも、別にあなたに派閥闘争を行えと言っているわけではないのですよ。あなたには、ソニアに対抗できる力がある。それをお伝えしたかっただけなのです」

 

「……」

 

 わたしは黙り込むことしかできなかった。この女は危険だ。わたしの直感がそう告げていた。今すぐ話を切り上げ、告解室からでていくべきだ。が、わたしは動けない。彼女の言葉が、まるで蜘蛛の巣のようにわたしの心を絡めとっていた。

 

「いいですか、ジルベルト・プレヴォさん。アルベールさんの近くに居る女たちのことを思いなさい。セクハラ宰相に、覗き魔副官。このような連中がアルベールさんと結婚し、あなたの主人としてふるまう……許せますか? そのようなことが」

 

「うっ……」

 

 確かに、その通りである。あの高潔でやさしい主様が、好色な女どものオモチャにされてしまう……ああ、最悪だ。絶対に許せない。今朝のことを思い出せ。辺境伯の屋敷から出てきた主様を見て、わたしはどんな感情を抱いた? あのような不快な感覚を、これからずっと味わい続けるのか? 嫌だ。絶対に嫌だ。

 

「あの女どもの手管でアルベールさんの心が堕ちてしまう前に……あなたがアルベールさんを手に入れてしまいなさい。それが彼のためにもなります」

 

「……はい」

 

 ゆっくりと頷く私を見て。フィオレンツァ司教は天使のようなほほえみを浮かべた。

 

「では、本日の本題に移りましょう。わたくしは、アルベールさんの幼馴染。その性格は、よく存じております。そんなわたくしが考案した、彼を攻略するための作戦……興味、ありますでしょう?」

 

「……あります」

 

 もはや、わたしに拒否権は無かった。



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第178話 カタブツ子爵と恋愛相談(3)

 愛するからには愛されたい。なんとも自分勝手な考え方だが、これがわたしの本音だった。主君と男女の関係になろうとするなど、臣下にあるまじき不遜ぶりである。わたしは改めて自らの浅ましさに嫌気がさした。紫煙を肺一杯に吸い込み、すっかり短くなってしまった煙草を懐から出した携帯灰皿に押し込む。

 

「あら、不遜だなんて」

 

 天使のような悪魔のほほえみを浮かべたフィオレンツァ司教が、そんなことを言う。内心を見透かされているとしか思えないタイミングの発言に、わたしは肩の震えが抑えきれなかった。

 

「むしろ、貴方は忠義者ですよ。なにしろ、アルベールさんは自分が婚期を逃しつつあることに少々焦っておりますからね」

 

「そ、そうなのですか……?」

 

「ええ、もちろん。普通の貴族令息ならば、成人を迎える前にすでに婚約者が決まっているのが普通ですからね」

 

「確かに……」

 

 とはいえ、婚期云々で言えばわたしも大概なのだが。幼年騎士団時代の同期達は皆結婚したというのに、わたしはいまだに独り身である。実家も元婚約者の家もオレアン公爵領にあるというのに、わたし一人が王都で責任ある立場になってしまったせいだ。

 

「まあ、そんなことはどうでもよろしい」

 

 懐中時計をちらりと確認してから、フィオレンツァ司教は視線をわたしのほうへと戻した。相手は宗教界の重鎮だ。いろいろ予定が詰まっているのだろう。……その貴重な時間を割いてまで、この人はなぜわたしに恋愛のアドバイスなどをしようとしているのだろうか? むろん、善意という訳ではないだろう。何かしらの思惑があるはずだが……。

 

「肝心なのは、出来るだけ早くに想いを伝えることです。プレゼントを渡したり、デートに誘ったりして『わたしの想いに気付いて……』とアピールするようないじましい真似は時間の浪費にしかなりません」

 

「ええっ、つまり……その、貴方のことが好きです、などと言わなければならないということですか?」

 

「その通り。いえ、それですら不足です。誤解の余地を与えぬよう、しっかりと自分の想いを伝えるべきです。「わたしはあなたを男性として愛しています」くらいは言うべきですね」

 

「は、恥ずかしすぎる……そ、それに、突然そんなことを言われても、主様も困ってしまうでしょう。下手をすれば……いや、下手をしなくても疎まれてしまうのでは?」

 

 少なくとも、わたしの婚約者はそういうタイプだった。興味のない女からの好意など、気持ち悪いだけ。そんな言葉を吐いていた記憶がある。

 

「平気です。アルベールさんはチョロいので。むしろ、好意を伝えられることでかえって相手を意識してしまうでしょう。そうなればもう、こちらの術中にはまったも同然。そういう状態に持ち込んでから、デートなりなんなりに誘ってやればあっという間にコロリ……です」

 

「そんな、思春期の小娘ではないのですから……」

 

 わたしは思わず呆れてしまった。わたしは確かに娼館にすら行ったことのない処女だが、大人の恋愛がそんなに単純なものではないということは心得ている。……長い事独り身をやっていると、耳ばかり肥えていくからな。

 

「アルベールさんのメンタルは、それこそ思春期の小娘のようなものですよ。なにしろ、あの方は幼少期からずっと同年代の娘どもと一緒に騎士としての訓練を受けてきたわけですからね。女性の友人はたくさんいるのに、同性の友人は一人もいない。そういう方です。一般的な男性と同じような感性をしているはずがない」

 

「ええ……」

 

 主様には同性の友人がいらっしゃらない……? 本当か? ……いや、本当かもしれないな。軍隊がどれだけ男性と縁のない組織なのかは、わたしもよく心得ている。その上、主様は社交界にも一切顔を出さないお方だからな。そもそも、同年代の男性と顔を合わせる機会すらないはずだ。

 

「その上、周りの女どもの態度もよろしくない。遠慮や傲慢から、アルベールさん本人には自分の好意を伝えていない者ばかりですからね。そのせいで、彼は自分をヘンタイにしかモテない行き遅れ男だと認識しています」

 

「あ、あれだけあちこちの女からコナをかけられているのに!?」

 

 ソニアにアデライド宰相、それにスオラハティ辺境伯も。主様に好意を向けている女は多い。これはわたしの直感だが、この三人以外にも主様を好いている女は居ると思う。これでモテてないは嘘だろう。

 

「アルベールさんは自分に自信がありませんから。自分が微塵も男らしくないことを気にしているのです。直接的に愛を伝えられない限り、彼は確信が持てません。だから、できるだけ早くに好意を伝えるべきなのです」

 

「は、はあ……」

 

 確かに、主様は一見男性らしさには欠けているように思える。身長は高いし、筋肉質。手は剣ダコでごつごつしている。容姿は整っているものの、どちらかと言えば女性的な美形と言っていい。

 が、それはあくまで外見上のことだ。情けなく涙を流すわたしを、主様は優しく抱きしめてくださった。その上、家族の心配までもしてくれた。外見上はさておき、内面はひどく男性的で包容力のある性格なのである。そういうギャップが、主様最大の魅力と言っても過言ではない。

 

「同感ね」

 

「はい?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 こほんと咳払いをして、フィオレンツァ司教はカップに残った香草茶を飲み干す。

 

「それから、もう一つ。跡継ぎに関する不安、これを解消して差し上げるのも重要です。プレヴォ家も格式ある家ですから、当然それなりの規模の裏族も抱えているのでしょう? 未婚の裏族女性も、一人や二人は居るのでは」

 

 裏族というのは、亜人貴族が養っている只人(ヒューム)の一族ことだ。なにしろ亜人は女しか居ない種族だから、どこかから男児の養子を貰わないことには政略結婚すらできない。しかし、養子とはいえ貴族令息を名乗るのだから、それなりの血筋と教育が必要だ。

 そこで、亜人貴族(我々)は、優れた只人(ヒューム)たちを一家ごと抱え高等教育や礼儀作法を幼少期から叩き込むことにした。扱いとしては、継承権のない親戚のようなものだ。

 ちなみに、ガレア王国は一夫二妻が基本である。亜人貴族が婿を迎えた場合、その伝統に従い身内の裏族女性とも夫を共有するのが普通だった。貴族と裏族は血のつながらない親戚といういびつな関係である。それを繋ぎ合わせるため、夫をかすがい(・・・・)(木材同士を連結するのに使うコの字型のくぎ)として利用するのだ。

 

「ええ、もちろん」

 

「で、あれば何の問題もありません。ブロンダン家は只人(ヒューム)の一族、当然その跡継ぎも只人(ヒューム)でなくてはなりません。そこが、アルベールさんの一番の懸念なのです」

 

「なるほど……」

 

 言われてみれば、その通りである。通常の亜人貴族家では、こんな問題は発生しない。なにしろ令息とはいえ養子に過ぎないわけだから、男性には家督の継承権がないのである。これは只人(ヒューム)貴族特有の問題だなと、小さく唸り声をあげてしまう。

 頭の中で、プレヴォ家に属する結婚適齢期の只人(ヒューム)の娘たちをリストアップしてみる。血縁はないとはいえ、姉妹同然に育ってきた女たちだ。強引に結婚させるような真似はできない。主様のような男性が好みで、なおかつわたしに協力してくれそうな娘が居てくれればいいのだが……。

 

「あなたの子はプレヴォ家の跡取りに、そして只人(ヒューム)の妻の子をブロンダン家の跡取りに。そういう方向で行くことを、早めに伝えておくのです。いいですね?」

 

「承知いたしました」

 

 わたしは素直に頷いた。思った以上に真面目なアドバイスが来たので、すこし驚いている。

 

「しかし、司教様。なぜわたしに、これほどの助力を?」

 

「簡単なことです。貴方の応援をすることが、アルベールさんの幸福につながる……そう考えているからですよ」

 

「あ、主様の幸福、ですか……」

 

 なんだかふんわりした理由だな。はぐらかされているのだろうか?

 

「より良い人生を送るためには、相応の伴侶が必要です。その点、貴方は良い。真面目で、裏切る心配もない。血筋、格式、能力、問題なし。運命を感じざるを得ません。やはり、これは星のお導きでしょう」

 

「は、はあ……」

 

 褒められている、というのはわかるが……なんだか困ってしまうな。なにしろ、競合相手が化け物ぞろいだ。そんな中で、わたしが主様の伴侶として適任だと言われても、お世辞を言われているとしか思えない。

 

「どうも、貴方には自信が足りないようですね。しかし、あえて言わせてもらうと……恋愛という領域では、あなたは極めて優勢なのです。ソニアやアデライド宰相よりもね」

 

「いくらなんでも、それは」

 

 わたしは苦笑しながら、煙草ケースから最後の一本を引き抜いて口に咥えた。ライターで着火し、紫煙を吐き出す。自分が負け犬でしかないことなど、よくわかっている。

 

「いいえ、いいえ! 冷静に考えてみなさい。ソニアにしろ宰相にしろ、偉すぎる。城伯でしかないアルベールさんからすれば、本来雲の上の人間です。結婚相手としては、少々問題のある身分差でしょう。しかし、あなたは子爵……位階としては、城伯と全くの同格です。結婚するために越えねばならないハードルが、圧倒的に低い。これはアドバンテージですよ」

 

「……確かに」

 

 言われてみれば、その通りである。わたしは思わず、着火したばかりの煙草をもみ消した。現実逃避をしたいような気分が、消し飛んでしまったからだ。

 

「アルベールさんにとって、貴方は現実的な結婚相手です。その上、リースベン内部での立場も有力と来ている。ソニアのような内部勢力からも、宰相のような外部勢力からも手を出しづらい。なにしろ、プレヴォ家の協力なしにリースベン領を運営していくのは困難ですからね」

 

「……」

 

 その言葉を聞いたわたしは、黙り込む他なかった。突然、主様との結婚という未来が現実的なもののように思え始めたからだ。

 

「あなたの望む未来は、決して遠いものではありません。必要なのは、それをつかみ取る覚悟だけ」

 

「……そうですね、ええ。一度は敗者に堕ちた身ですが……この(いくさ)ばかりは、負けるわけにはいかない。そういう気分になってきました」

 

「よろしい。粉骨砕身の努力をなさい。さすれば、極星様は絶対にあなたを見捨てはしません」

 

 ニッコリと笑ってそう言った司教だったが、ふと顔色を青ざめさせる。

 

「あ、でも、暴走はしてはいけませんよ。ソニアにしろ、宰相にしろ、アルベールさんにとって必要な人材ではあるのです。彼女らを直接排除するような真似は、絶対にしないように。リースベンで内乱が発生した場合、一番迷惑を被るのはアルベールさんですからね」

 

 そう語るフィオレンツァ司教の口調は真剣そのものだ。誰かに暴走されて、ひどい目に合った経験でもあるのだろうか?

 

「え、ええ。もちろん」

 

「水面下でのさや当て程度ならば、喜んで応援いたしますが……本格的な戦争は、絶対におこしてはなりませんよ。絶対ですよ? そんなことをしでかしたら、わたくしは躊躇なく貴方の敵に回ります。いいですね?」

 

「は、はい……」

 

 迫力すら感じるフィオレンツァ司教の剣幕に、わたしは頷くほかなかった……。



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第179話 ナンパ王太子と予期せぬ協力者

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワは困り切っていた。時刻は昼過ぎ、場所は王城内の小部屋。内乱の最終報告と称して、余はアルベールを王城に呼び立てていた。むろん、これはあくまで名目だ。本来の目的は、彼に首輪をつけて王家のコントロール下に置くことだったのだが……その目論見は、失敗しつつある。

 その原因は、余の対面に座ったアルベールの背後に控えている人物だ。ジルベルト・プレヴォ。王軍の最精鋭部隊、パレア第三連隊の元隊長にして、オレアン公派閥屈指の軍人家系プレヴォ家の当主。そんな彼女が、家ごとブロンダン家の家臣となった。ほかならぬ本人からそのことを聞かされた余は、危うく自らの奥歯を噛み潰しかけた。

 

「そうか、出立は明日か……」

 

「はい。リースベンは不安定な土地ですから……あまり長い間、領主不在にしておくのはよろしくありません」

 

 アルベールと益体のない会話を交わしつつ、余は思考を巡らせる。ブロンダン家には家臣が足りない。余はそこに付け込む腹積もりだった。こちらの手の者を家臣として送り込み、ブロンダン家の内部で影響力を確保する腹積もりだったのだ。

 しかし、その目論見は実行する前にとん挫してしまった。プレヴォ家は、規模こそ小さいものの名家と言って差し支えのない連中だ。そんな彼女らと比べてしまえば、余の用意できる人材などたかが知れている。むろん、我々は王家だ。極めて有能な家臣も多く抱えている。が、リースベンは遠方だ。替えの利かないような有能な部下を、開拓途中の辺境に送るわけにはいかない。下手をすれば島流しだと勘違いされてしまうリスクもある。

 

「残念だな。せめて一度くらいは、一緒に夜会へ行きたかったのに。むろん、パートナーとしてね」

 

 平静を装いつつ、アルベールに笑いかける。本当にどうしようか、この男。今回の内乱で、宰相派閥は我が宮廷の最大勢力になってしまった。反乱軍との戦いで先頭に立ち、際立った戦果を残したアルベール本人の存在感も増している。

 戦果、そう戦果だ。彼は戦果を上げ過ぎている。主君として、成果を上げた臣下にはなにかしらの褒賞を与えねばならない。だが、リースベンの一件で城伯位を与えた直後にこの一件だ。将来的な昇爵は確定事項にしろ、今すぐにというのは宮廷の序列的に不味い。王領の一部を下賜するという手もあるが、リースベンからは飛び地となってしまうためアルベールも扱いに困るだろう。

 仕方がないので、王家の蔵から引っ張り出してきた剣(先々代のガレア王が愛用していた魔法のサーベルだ)とそれなりの額の金銭を、この後ひらく戦勝式典で下賜する予定だ。……救国の英雄に剣一振りとカネしか渡さないなんて、王家はケチだ! などと批判を受けるのは間違いないだろうな。

 はあ、憂鬱だ。あんまりいろいろ渡し過ぎて、アルベールの勢力が伸長したら困るんだよ。仕方がないじゃないか。リースベン領さえなければ、宮中伯位に引き上げるという手もあったんだが……。

 

「僕のような山猿を引き連れて夜会など行った日には、殿下が笑われてしまいます」

 

 そんなこちらの気分になどまったく気づいていない様子で、アルベールはそんなことを言う。思わずため息を吐いたい気分になった。

 

「まさか! 今の王都に、君を馬鹿にするものなど居ないさ。なにしろ王家を救った英雌(えいし)だ」

 

 余は苦笑しながら、肩をすくめる。女装の麗人が王太子とともに反乱軍に立ち向かう……まるで演劇や小説のような出来事だ。庶民たちはもちろん、貴族の間でも今回の件は話題になりつつある。

 もっとも、この件には裏がある。王家の世論がアルベールに好意的になるよう、余が手を回したのだ。もちろん、親切心からそうした訳ではない。本音で言えば、彼にはリースベンに行ってほしくないのだ。極端に有能な軍人が、辺境で領主となって独立する……どう考えても、不味い状況だ。最終的には、軍閥化して王家に牙を剥くリスクもある。

 危険な兆候を見逃さないためにも、彼は余の手元に置いておきたい。いくら王家でも、リースベンなどというド辺境まで目は届かないのだ。その上で、味方に引き込めるのなら万々歳なのだが……。

 

「君は謎めいた男性だからね、王宮の社交界でも話題になっているよ。どうかな? ちょっとくらい、顔を出してみるのも悪くないと思うんだけどね」

 

 今回の内乱で、宰相・辺境伯派閥の勢力が随分と拡大してしまった。もはや、王太子である余ですら彼を王都に縛り付ける権限はないのである。強引な命令を出せば、宰相や辺境伯、それにアルベール本人の不興を買う。これは不味い。下手をすればまた内乱だ。

 仕方がないので、余はアルベールをパーティー漬けにして王都への滞在日数をズルズルと引き延ばす作戦に出た。接待に次ぐ接待で彼の心をグズグズに溶かし、贅沢慣れさせる。そうやって、ド田舎のリースベンになど行きたくないような気分にさせる。

 ……自分で考えた作戦ではあるのだが、なんとも不確実なやり方だな。実際、アルベールの反応はよろしくない。苦笑しながら、首を左右に振る。

 

「申し訳ありませんが、社交界には嫌な思い出しかないものでして……僕のような粗忽者では、壁の花にすらなれません。場違いで珍妙な見世物のように扱われるのは、耐えがたい」

 

 どうやら、アルベールには社交界やパーティーに対するトラウマがあるようだ。その口ぶりには、ひどく苦い感情が混ざっている。おそらく、以前に出席したパーティーか何かで、からかわれたり馬鹿にされたりした経験があるのだろう。なにしろ彼はガレア王国唯一の男騎士だ。珍獣扱いをする馬鹿も、まあ出てくるだろう。

 

「……無理にとは言わない。でも、残念だな」

 

 舌打ちをこらえながら、余はアルベールに笑いかけた。彼を馬鹿にしたのは、どこのどいつだろうか? 貴様のせいで、余はひどく面倒な状況に陥っているぞ。まったくもって不愉快だ。

 

「そういえば、話は変わるが……リースベンの運営は、なんとかなりそうかな? ブロンダン家には、領地経営のノウハウはないだろう。領地経営というのは、なかなかに骨の折れる事業だ。内政に携わった経験のある気の利いた文官とか、欲しくはないかい? 手が足りていないようであれば、こちらで融通しても良いが」

 

 仕方がないので、方針をもとに戻すことにする。つまり、彼の勢力の中に王家の息のかかった人物を送り込むプランだ。幸いにも、プレヴォ家は宮廷貴族の家系だ。内政向けの人材など、ほとんどいないだろう。

 

「それに関しては、スオラハティ辺境伯様が手を回してくれました。代官経験者五名を含む、文官三十名の派遣。現状のリースベンの規模を考えれば、十分すぎる数です」

 

「……そうか、それは良かった」

 

 やはり、駄目か。余はため息を吐きたい気分になった。それはまあ、そうだろう。彼のバックに居るのは、国内屈指の領地貴族スオラハティ辺境伯だ。内政向けの人材を融通するなど、造作もない事だ。

 アルベールはもともと、リースベンの代官だったのだ。領地の運営に必要な人材は、すでにある程度揃っていたはず。そこへさらに文官三十名が追加されたわけだから……もはや、新たに部下を送り込む余地はない。

 

「主様。意見具申の許可を頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 そこへ、それまで無言を貫いていたプレヴォ卿が口を挟んでくる。少し驚いた様子のアルベールだったが、すぐに頷き返した。

 

「構わない、許可しよう」

 

「ありがとうございます、主様」

 

 真剣そのもの表情で一礼したプレヴォ卿は、ちらりと余の方を見る。

 

「確かに、現状のリースベンであれば、これだけの数の文官が居れば問題なく回る事でしょう。しかし、将来的なことを考えれば、文官はさらに増員しておいた方が良いのではないかと」

 

「将来的なことと言うと……」

 

「ミスリル鉱山です。戦略資源であるミスリルが産出されるのですから、自然と人は集まってくるはずです。今のリースベンには、都市を名乗れる街は一つしかありませんが……十年後、二十年後には、新たな都市がさらに増えているはず。そうなれば、現有の文官だけでは数がたりなくなるでしょう」

 

「……確かにそうだな」

 

 なるほど、見えてきたぞ。アルベールが何かを言う前に、余は深々と頷いて見せた。

 

「人材育成というものは、将来を見据えて行うものだ。人材の不足が顕在化してから募集を行うような泥縄式では、いろいろと問題がある。そうだな、プレヴォ子爵」

 

「ええ、その通りです。王太子殿下に人員を融通していただけるというのでありば、これほど心強い事はございません。この話、受けておくべきかと」

 

 ふむ、ふむ。そうくるか。よしよし。余は思わず安堵のため息を吐きそうになった。アルベールの家臣になったプレヴォ卿ではあるが、どうやら宰相らの門閥に下ったわけではないらしい。

 彼女は裏切り者、反逆者の汚名を着せられた人間だ。せっかく無罪放免になったのだから、またも王家に反旗を翻すような状況には陥りたくない。そう考えているのだろう。

 

「……」

 

 プレヴォ卿のほうをじっと見つめてみると、彼女はコクリと頷いて見せた。なるほど、やはりそうか。少なくとも当面の間は、彼女は余の味方だと考えても問題なさそうだ。

 

「確かにその通りだな。……それでは、殿下。お手間をおかけして申し訳ありませんが、文官の追加派遣をお願いしたく存じます」

 

 一方、アルベールはこの会話の裏に潜んでいる意図に気付いた様子はない。言葉を額面通りに受け取っている、そういう印象がある。……ううむ、どうやら彼は政治向きの人間ではないな。少なくとも、海千山千の重鎮貴族たちを手のひらの上で転がすような器量は持ち合わせていないように見える。やはり、彼自身は宰相らに操られているに過ぎないのだろうか?

 だとすれば……やはり、彼とは敵対したくないな。公人としても、そして私人としてもだ。好色貴族に人生をオモチャにされているだけの哀れな男を政治の都合で殺すなど……絶対に嫌だ。どうにかして、彼を保護してやりたいものだが……。



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第180話 ナンパ王太子と次世代軍制

 とりあえず、リースベンに王家の息のかかった人物をねじ込むことには成功した。余は内心で安堵のため息を吐きながら、男中(だんちゅう)(女中の男版)を呼んで香草茶を注文した。緊張のせいか、喉がカラカラだった。

 

「そういえば……」

 

 退室していく男中の背中を見送ってから、余は自分の腰に目を向けた。そこには、牛革のホルスターに収まった大型拳銃がある。先日の内乱で、アルベールから借り受けたものだ。

 

「すっかり忘れていたが、これを返しておこう。貴重なものだろうからね、借りっぱなしというわけにもいくまい」

 

 拳銃をホルスターごとベルトから外し、テーブルの上に乗せる。……しかし、連発式拳銃か。何度見てもすさまじい代物だな。こんなものが普及したら、騎兵の戦い方はずいぶんと様変わりしてしまうだろう。

 

「ああ、これですか。返さずとも結構ですよ、殿下」

 

 拳銃を見たアルベールはにこりと笑い、こちらへ押し返してくる。

 

「……いいのかい?」

 

「ええ。これを作った工房から、宣伝を頼まれておりましてね。王太子殿下ご愛用の品となれば、これ以上ないほどの広告となりましょう」

 

「いや、王太子を金儲けの道具にする気かい? 君もなかなかワルだな」

 

 笑いながら、余は再びホルスターをベルトに固定した。実際、余はなかなかこの銃を気に入っていた。もらえるのであれば、有難く貰っておこう。

 

「悪いことついでに、これもお渡ししておきましょう。……ジルベルト」

 

「はっ!」

 

 アルベールの後ろに控えていたプレヴォ卿が、持っていたカバンから五冊の本を取り出してテーブルに並べる。タイトルはそれぞれ、『野戦指揮官教範』『歩兵操典』『砲兵操典』『騎兵操典』『兵站術心得』だ。手書きではなく活版で印刷された量産品で、簡素だが丈夫そうな装丁だった。

 

「これは……」

 

 『野戦指揮官教範』を手に取り、めくってみる。……思わず、気が遠くなりかけた。これは、鉄砲や大砲を用いた軍隊の兵法指南書だ。土産物のような気軽さで出してきていい代物ではない。

 なにしろ、アルベール式の軍制がどれほど強力なモノなのかは、この内乱やリースベン戦争で証明されている。あの精強なパレア第三連隊ですら、アルベール式軍制を採用した部隊には一方的な敗北を喫しているのである。そんな新軍制の指南書だ。下手な禁書の類よりもよほど危険な本なのではないだろうか?

 

「だ、大丈夫なのか? こんなものを余に渡して」

 

「渡さないほうが不味いと考えました」

 

 それまでの笑みから一転し、アルベールは神妙な表情で視線を机の上の本に向ける。

 

「この本は、僕がリースベン代官に任ぜられる前に書き上げたものです。小銃と大砲を主軸に編成された軍隊の指揮法、戦術、作戦術、さらには各兵科の戦法や訓練のやり方まで、何もかもがこの本に詰まっています」

 

「……それで?」

 

「これらは、すでに辺境伯軍の公式教範として採用されています。とうぜん、編成についてもこの本の通りに転換しつつあるのです」

 

 なるほど、言われてみれば辺境伯の私兵たちはライフルで武装していた。アルベールは、正式な騎士になる前から辺境伯の配下だった人物である。辺境伯軍がいち早くアルベール式の軍制を取り入れ始めるのも、当然のことだろう。

 

「一方、王軍はほとんどが伝統的な編成のまま……これは、非常によろしくない。王軍と辺境伯軍の戦力バランスが崩れてしまう」

 

 余の懸念の根幹を突くような言葉だった。そう、余が恐れているのは辺境伯軍の反乱だ。オレアン公に続き、スオラハティ辺境伯まで反乱を起こしたら……ガレアと王家は滅茶苦茶になってしまう。王太子として、それは絶対に避けねばならない事態だ。

 

「辺境伯様は、お優しい方です。王家に牙を剥くような真似は、絶対になされないでしょう。しかし、戦力バランスの変化は情勢不安を招きます。そのうち、不埒な考えを持った人間がどこぞから湧いてくる可能性も高い……」

 

「そうだな。たとえ王軍と辺境伯軍がぶつかり合うような事態が起きずとも、王家や王軍を侮る者が増えるのはよろしくない」

 

 余の言葉に、アルベールがしっかりと頷いた。……と、そこで部屋の扉がノックされた。注文していた香草茶が出来たらしい。慌てて本を隠し、入室を許可する。そして香草茶を受け取ると、ほとんど追い出すような勢いで男中を退室させた。

 

「しかし良いのか? この本は、おそらく辺境伯軍の軍機に属するものだろう。そんなものを外に流出させたことが露見すれば、キミもただでは済むまい」

 

「一応、辺境伯様の許しはいただいております。辺境伯様も、内戦は絶対に避けたいというお立場ですから……即座に許可を出してくださいました。……まあ、辺境伯軍の軍人からすれば、面白くはないでしょうが」

 

 そこまで言って、アルベールは湯気の上がる香草茶を一口飲んだ。……そうか、スオラハティ辺境伯も了承済みか。朗報と言えば、朗報である。内乱を避けたいのは向こうも同じであることが分かったのだからな。

 しかし、しかしだ。辺境伯は、自らの愛人を平気で戦場に出すような卑劣な女だ。正直に言えば、まったく信用ならない。歩み寄ったフリをして、こちらの背中を刺してくる可能性もある。警戒を緩めるわけにはいかないな。

 

「……しかし、王都は僕の故郷です。ここが、二度も戦場になるような事態は絶対に避けたい。……そのためには、王軍には無敵の存在であってもらわねば困るのです。なにしろ、勝てない相手に戦争を仕掛ける馬鹿はそう多くありませんからね」

 

「なるほど、分かった」

 

 思わず、涙が出そうになった。辺境伯はさておき、アルベール個人は決して私利私欲の人間ではない。余は、そんな確信を持ちつつあった。

 脳裏に浮かぶのは、アルベールの休日の姿だ。昼間は小娘どもと王都巡りをし、夜になれば安酒場で見ず知らずの女どもと痛飲する。なんとも陳腐で……楽しげな日常だ。そんなくだらない毎日を守る事こそが、彼の目的なのかもしれない。……やっと、この男の本質を理解できたような気がした。

 

「ありがとう、感謝する。……しかしだ。万が一、余がこの力を侵略に利用するつもりだったら……どうする?」

 

 いたずらめかしているが、半分は本気だ。我が国は複数の敵対的な国家と国境を接している。状況次第では、我が国の方から戦端を開くこともありうるだろう。

 

「この方式……火力戦ドクトリンをもとに編成された軍には、決定的な弱点があります。はっきり申しますが、外征に使うのはオススメしかねますね」

 

「……というと?」

 

 アルベールは、ニヤリと笑ってから香草茶を飲んだ。丁寧な動作でソーサーにカップを置き、言葉を続ける。

 

「火力戦型の軍隊は、ひどく大喰らいです。一度の会戦で射耗する弾薬の量は、荷馬車の一台や二台で賄えるものではありません。当然、戦闘部隊は重厚長大な輜重(しちょう)段列(いわゆる補給部隊)を引き摺りながら機動せざるをえません」

 

「……」

 

「そうすると当然進軍速度は遅くなりますし、補給路を叩かれるリスクも増えます。国内、あるいは国境地帯で戦う分にはなんとかなるでしょうが……敵国の中心部に進軍すれば、ほぼ確実に途中で補給体制が破綻します。そうなれば、戦わずしてわが軍は負けますよ」

 

「なるほど、な……。いや、面白い。誰もかれもが防衛型の軍隊を編成するようになれば、自然と戦争も少なくなる……君は、そういう絵図を描いているわけか」

 

 よく考えられている! 余は思わずうなりそうになった。思えば、リースベン戦争でも今回の内乱でも、アルベールは敵を迎え撃つ戦法を多用している。火力戦ドクトリンとやらで編成された軍隊は、攻勢に向いていないのだ。

 

「流石だな、ますます君が欲しくなった。……どうかな、余の元で働いてみないか? 与えられる限りの最高の待遇は約束するが」

 

 感動しつつも、余はなんとも複雑な気分になっていた。銃や大砲の飛び交う戦場が、いかに悲惨なものになるか……経験の少ない余でも、多少は想像することができる。そしてアルベールは、その地獄のような戦場に身を投じようとしているのだ。

 これが、竜人(ドラゴニュート)であれば余も気にせずにいられた。だが彼は只人(ヒューム)で、さらに言えば男なのだ。いかに鍛えたところで、その肉体は戦闘向きとは言い難い。

 竜人(ドラゴニュート)は、亜人の中でも特に戦闘向きの人種だ。つまり、我々(ドラゴニュート)は男たちを庇護する義務を負っている。その義務を投げ捨て、男を戦場に追いやるなど……気分の良いものではない。

 

「申し訳ありませんが、そういうわけには参りません。辺境伯様にも宰相閣下にも、並々ならぬ恩義がありますから。これを裏切ることは、僕の信条に反します」

 

「……そう言うと思ったよ。残念だ」

 

 予想通りの答えに、思わずため息を吐いてしまう。アルベールを直接の部下にすれば、あらゆる問題は解決するのだ。彼を前線に出さないよう差配することなど、造作もない話だからな。本人が満足する程度に軍事に関わらせつつ、緩やかに飼い殺しにすればよい。それが本人のためにもなる。

 しかし、現実は無情である。今の余に彼の人事をどうこうする権限はない。なぜならば、彼はすでに宰相たちのモノだからだ。せめて宰相や辺境伯の毒牙にかかってしまう前に彼と出会っていれば、このような苦悩など感じる必要などなかっただろうに。これが極星のお導きだとすれば、なんとも残酷なことだ。



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第三章 蛮族たち
第181話 くっころ男騎士とリースベン帰投


 とうとう、王都を離れる日が来た。来た時と同じく、移動手段は翼竜(ワイバーン)だ。なにしろリースベンはガレア王国の最果てだ。徒歩や騎馬で移動していたら、リースベンに戻るころには初秋になっている可能性もある。

 見送りには、アデライド宰相やスオラハティ辺境伯、フィオレンツァ司教、さらにはフランセット殿下までお越しくださった。いち城伯の送別にしては、あまりにも豪華すぎるメンツである。嬉しいと言えば嬉しいが、それより先に恐れ多い気分になってしまった。

 

「ケガや病気には気を付けるんだよ、アル。お前はすぐに無茶をするから、心配で心配で……。何かあったら、ソニアを頼るんだ。お前たちは一蓮托生なのだから……」

 

 スオラハティ辺境伯は、涙ぐみつつながながとお説教じみた文句を繰り返していた。心配をかけるような真似をしている自覚はあったので、もちろん大人しく受け入れるしかない。

 別れを惜しみつつも、テイクオフ。楽しい楽しい空の旅だ。巨大爬虫類に跨って大空を舞うのはなかなかの開放感だ。そういえば、前世でも空中機動(ヘリボーン)訓練のたびに大喜びしていた記憶がある。三つ子の魂百までということわざは、どうやら生まれ変わった後にも通用するらしい。

 もっとも、この世界では僕のような人間は少数派のようで、カリーナやロッテは地上で休憩するたびに

 

「うえええ、気持ち悪……」

 

「ちょっと漏れちゃった……」

 

 などと言ってノックアウト寸前のボクサーのような表情で悶絶していたし、ジョゼットも顔色が真っ青になっていた。例外と言えば、スオラハティ辺境伯が用意してくれた新たな翼竜(ワイバーン)に騎乗したジルベルトくらいである。

 

「わたしは竜騎士としての訓練も受けておりますので」

 

 平然とした表情でそんなことを言うジルベルトに、僕は羨ましさを覚えずにはいられなかった。なにしろ彼女だけは、翼竜(ワイバーン)に一人乗りしているのである。むろん僕たちは翼竜(ワイバーン)を操る技術など持っていないので、操縦は騎手に丸投げするしかない。

 翼竜(ワイバーン)を独りで自由自在に操れたら、さぞ気持ちの良い事だろう。機会があったら、翼竜(ワイバーン)騎手の訓練も受けてみたいものだな。

 

「やっと着いた~!」

 

 そして、翌日。とうとう、僕たちはリースベン唯一の都市であるカルレラ市に帰還した。城壁がわりの土塁を目にしたカリーナが、半泣きになりながら大喜びする。そうとう、空の旅に精神を削られてしまったようだ。二度目の実戦を経験しても、この子は相変わらずビビリのままだ。

 翼竜(ワイバーン)たちを郊外にある厩舎に収容し、僕たちは正門から街中へ入る。土がむき出しになった未舗装道路に、武骨で素朴な木造建築群。見慣れた光景が、僕たちを出迎えた。

 

「ほう、これがリースベン。これがカルレラ市ですか。思った以上に活気がありますね」

 

 ジルベルトが感心の声をあげる。王都と比べればド田舎そのもののカルレラ市だが、もともとリースベン開拓を担当していたオレアン公が派手に資本投下をしていたおかげで活気だけはなかなかのものだ。ひなびた田舎町といよりは、好景気にわく発展途上の街という風情がある。

 

「良い街だろう?」

 

 そう言ってから、僕は自分もこの街に来たばかりのころに全く同じ言葉を投げかけられたことを思い出した。まだ二か月しか立っていないというのに、なんだか随分と昔の話のように思えるから不思議だ。

 

「ええ、もちろん」

 

 土煙を上げながら通りを行きかう荷馬車を眺めつつ、ジルベルトが頷いた。僕たちを発見した通行人たちが「おや代官様! おかえりなさい」などと声をかけてくるので、手を振って応える。

 

「もう代官じゃないんですけどねえ」

 

 ジョゼットが苦笑しながら首を左右に振る。そして、「似たようなもんじゃ無いッスか? 城伯も代官も」などと茶々をいれたロッテにアイアンクローを喰らわせた。

 

「こらこら、鉄拳制裁はうちの軍規では禁止だぞ」

 

「そうッスよー! 暴力反対!」

 

「申し訳ありません、アルさま」

 

 ピシリと姿勢を正して謝るジョゼットだが、その顔には悪戯っぽい笑顔が浮かんでいる。もちろん、付き合いの長い僕にはその意図はしっかりと伝わっている。

 

「というわけで、ロッテ。カルレラ市外周ランニング、三周分な」

 

「アアッ!」

 

 絶望的な表情で凍り付くロッテを見て、ジルベルトが噴き出しそうになる。……最近わかって来たけど、この人結構笑いの沸点が低いなあ。

 リースベン領の州都とはいえ、カルレラ市は小さな街だ。そんなくだらない話をしているうちに、市中心部の代官屋敷へと到着する。城伯などという役職に任じられた以上、ここが僕の()になるわけだが……木造だし、小さいし、城らしさは微塵もない。まあ、こればっかりは仕方がないが。

 

「アル様ァァァァッ!!」

 

 代官屋敷の正面では、部下の騎士どもと共にソニアが待ち構えていた。街門の衛兵から、連絡が来ていたようだ。彼女は顔を真っ赤にしながら、全力疾走でこちらに突撃してきた。

 

「ウワーッ!!」

 

 なにしろ、ソニアの身長は一九〇センチオーバー。長身の多い竜人(ドラゴニュート)の中でもかなりの偉丈夫……ならぬ偉丈婦だ。そんなデカい女騎士が全力で突撃してきたのだから、ほとんど暴走特急である。恐怖を覚えるなというほうが無理がある。衝突の瞬間、僕は反射的に彼女を投げ飛ばした。

 

「アル様ァッ!?」

 

 しかし、相手はソニアである。即座に受け身をとった彼女はバネ仕掛けのオモチャのように立ち上がり、再び突撃を開始。組打ちにはそれなりに自信のある僕も、流石にこれは対処不能だ。フルパワーで抱き着かれた僕は、あえなく地面に倒れ込んだ。

 

「お待ちいたしておりました! お待ちいたしておりました! ああ、やっと帰ってきた! ああっ!!」

 

「なにこの……何!?」

 

 とんでもない勢いで僕に頬擦りしてくるソニアに、ジルベルトがドン引きしている。

 

「おーよしよし、ごめんなあ、面倒かけたなあ」

 

 経験上、こうなったソニアはそうそうなことでは満足しない。僕は苦笑しながら、彼女の頭をワシワシと撫でる。普段はクールなソニアだが、実のところ彼女は尋常ではない寂しがりやなのだ。この辺りの性格は、スオラハティ辺境伯によく似ている。……いや、寂しがり具合では、ソニアの方がよほどひどいのだが。

 

「はあ、見苦しい姿をお見せしました。申し訳ありません」

 

 十分後。やっと落ち着いたソニアが、ため息を吐きながら深々と頭を下げる。ジョゼットが半目になりながら「本当だよ」とボヤいた。上官と部下の関係にある彼女らだが、なにしろ幼馴染なのでひどく気安い態度を取る。ソニアはこほんと咳払いをしてから、僕の服についた土埃を払った。

 

「ジョゼット。貴様、あとで覚えておけよ……おや、新顔ですか」

 

 ジョゼットを睨みつけた後、ソニアはジルベルトの方を見た。歓迎の笑みを浮かべようとした彼女だが、即座に顔色を帰る。

 

「……わたしの記憶違いでなければ、もしやジルベルト・プレヴォ氏ですか? オレアン公派閥の……」

 

 ソニアの言葉に、ニヤニヤ笑いながら僕たちを眺めていた騎士たちの表情が強張る。なにしろ、彼女らはオレアン公の策略で戦友を失っているのだ。妙な誤解をされる前に、事情を説明したほうがよさそうだ……。



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第182話 くっころ男騎士と顔合わせ

「お帰りが妙に遅いとは思っていましたが、まさか王都でそのような事件が起きていたとは……」

 

 領民たちの目もある正門前で、込み入った話をするわけにもいかない。代官屋敷の内側に引っ込んだ僕たちは、会議室にソニアらを連れ込んで事情を説明していた。

 リースベンは、王都からあまりにも離れている。翼竜(ワイバーン)や伝書鳩のような手段を使わない限り、迅速な情報伝達など不可能だ。そのため、ソニアらは今の今までオレアン公の反乱については知らずにいたのである。

 

「やはり、わたしが同行できなかったのが残念でなりません。そのような重大事のさなかに、お傍に居られなかったとは……ソニア・スオラハティ、一生の不覚であります」

 

 苦み走った表情でため息を吐くソニアは、まさに忠臣の鑑といった風情だった。僕はその肩をぽんぽんと叩き、笑いかける。

 

「内乱は長期化する可能性も高かった。ソニアにリースベンを任せていたからこそ、僕は躊躇(ちゅうちょ)なく戦闘に介入できたんだ。感謝してるよ」

 

「しかし……いえ、過ぎてしまったことをああだこうだ言っても仕方がありませんか」

 

 もう一度ため息を吐いて、ソニアは香草茶をゆっくりと飲んだ。自らを落ち着かせようとしているようだが、相変わらず眉間には皺が寄っている。そうとう不満を感じている様子だな。

 

「その通りだ。結果的に、心強い味方もできたわけだしな。……お互い名前や顔は知っているようだが、改めて紹介しよう。新たに我々の幕下に加わることとなった、ジルベルト・プレヴォ子爵だ」

 

 貴族同士が初顔合わせをする際は、仲介者がお互いを紹介するのがガレアの習わしである。ジルベルトを指し示しながらそう言った後、僕はソニアの方を見る。

 

「で、こちらがソニア・スオラハティ。僕の親友にして副官。出来る限り、仲良くやってくれると嬉しい」

 

「親友……」

 

 妙な表情で、ジルベルトが呟く。はて、なにか引っかかる事でもあるのだろうか……? 同じ疑問を持ったのか、ソニアも一瞬眉を跳ね上げた。しかしすぐに表情を戻し、手を差し出す。

 

「よろしく、プレヴォ卿」

 

「お会いできて光栄です、スオラハティ様」

 

 ちいさく咳払いをしてから、ジルベルトはソニアの手を握り返した。そして、微苦笑を浮かべながら言う。

 

「……まさか、わたしのことをご存じだったとは。少々、驚いています」

 

「わたしのことはソニアと呼べ、プレヴォ卿。その姓はあまり好かない」

 

「……承知いたしました」

 

 ソニアが実家と半絶縁状態にあることは、有名な話だ。理由を聞きもせず、ジルベルトは頷く。

 

「よろしい。……貴殿のことは、もちろん前々から知っていた。敵にしろ味方にしろ、有能な将校については把握しておくべきだからな」

 

「有能、ですか。……その評価が過大だったと思われぬよう、粉骨砕身の努力をいたしましょう」

 

「良い答えだ、気に入った。期待しているぞ、プレヴォ卿」

 

「ええ、お任せを」

 

 二人の様子を見て、僕は少し安心した。リースベン戦争のこともあり、僕の部下たちはオレアン公を嫌う者が多い。そして、ジルベルトはそのオレアン公の派閥に属していたわけだからな。うちの陣営にちゃんと馴染めるか不安だったが……旗振り役のソニアがこの調子ならば、まあ大丈夫だろう。

 

「ソニア、良ければジルベルトにうちの流儀をいろいろと教えてやってほしい。いままでずっと、何かあったらお前に丸投げするほかないような状況が続いていたからな。仕事を分担できるようになれば、お前の負担も減るだろう」

 

「それはありがたいですね。つまり、副官に専念できるということですか」

 

 なんだか妙に嬉しそうな様子で、ソニアが言う。……それはそれでどうかと思うけどなあ。僕ごときの副官に専念させて構わないような人材じゃないでしょ、あなた。でも、有難いのは事実だからなあ……ああ、まったく。適材適所を実現するのはなかなかに難しいものだ。

 

「そういうことなら、ぜひわたしにお任せを。今回のような留守番役は、二度とやりたくはありませんからね。リースベンはプレヴォ卿に任せ、わたしはいつでもアル様のお供ができる……そういう体制を目指していくことにしましょう」

 

「は、はあ」

 

 妙に熱意のあるソニアの様子に、ジルベルトがちょっと引いている。正直に言えば、僕も若干困惑していた。が、ソニア本人はそんなことなどおかまいなしだ。

 

「プレヴォ卿。軍学について、年下のわたしにあれこれ指図されるのは業腹だろうが……我々の部隊のやり方は、他所の軍隊とは大きく異なっている。申し訳ないが、一度頭の中をまっさらにして話を聞いて欲しい」

 

「それは、もちろん。わたしは、主様の指揮する部隊に敗北を喫しているのです。その新戦術の有用性について、疑問を抱く余地などません。どうぞ、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いします」

 

「ああ、任された」

 

 頷いてから、ソニアは眉をひそめた。

 

「アル様の指揮する部隊? 王軍内に、アル様のやり方で指揮できる部隊はまだできていないのでは……? 砲兵はともかく、歩兵や騎兵についてはまだ錬成すら始まっていないと記憶しておりますが」

 

「あー、なんというか、その……」

 

 実際、その通りである。内乱がはじまるまでは、王軍内部で最大勢力だったのがオレアン公派閥だ。僕の発案した軍制改革案が採用される可能性など、微塵もなかった。宰相派閥に属する部隊ですら、ほとんどライフル兵が居ないような有様だ。唯一、砲兵隊だけは試験運用にこぎつけることができたが……。

 

「スオラハティ辺境伯ですか」

 

「……ああ、そうだ。騎兵中隊を借りた」

 

「ああ、まったく……! あの女、油断も隙も無い……!」

 

 心底腹立たしい様子で嘆くソニアに、僕はため息が抑えられなかった。相変わらず、彼女は母親のことが気に入らないようだ。スオラハティ辺境伯はちょっとヘンな所はあるものの、決して悪い方ではないように思うんだがなあ。ソニアはなぜ、母親に対してここまで敵意をむき出しにするんだろうか? 

 

「アレに借りを作ったまま、というのはよろしくないですね。今回の件をダシにして、何かを要求してくるようであれば……すぐにわたしにお知らせください」

 

「……要求? 例えば、どんな」

 

「夜伽とか」

 

 ……手遅れじゃん。もうやっちゃったよ、スオラハティ辺境伯の夜伽。いや、性交渉はなかったのでセーフだ、ウン。しかし、こんな言い訳がソニアに通用するとは思えない。誤魔化すしかないな。

 

「わかった、すぐに言うよ」

 

「ええ。その時は、腕の二、三本をへし折ってでも止めてきますので」

 

「やめなさい」

 

 どうして僕の副官はここまで物騒なんだろうか? 本当に勘弁してほしい。

 

「そんな事より、お腹が減ったよ。昼飯、食べてなくてさ。ちょっと早いが、夕食にしないか?」

 

 母娘喧嘩じみたことを長々と聞きたくはない。僕は、そうそうに話を逸らすことにした……、



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第183話 盗撮魔副官と窮地

 わたし、ソニア・スオラハティは興奮していた。自然と荒くなる呼吸を意識して落ち着かせ、周囲を見回す。時刻はすでに夜。ロウソクの微かな明かりに照らされた自室の内装は、いつもと変わらない様子である。

 

「……」

 

 だがしかし、隣の部屋……つまり、アル様の居室から聞こえてくるゴソゴソという音が、わたしの心をかき乱していた。これほどの長い期間、アル様と離れ離れになっていたのは、本当に久しぶりのことだった。そのせいで、わたしはすっかり欲求不満になっていた。

 むろん、わたしの手元にはアル様の卑猥な写真が山のようにある。それらを使用して、自らを慰めることは十分に可能だった。だが、写真だけでは駄目だ。やはり、アル様本人が傍に居なければ……肉体的には満足できても、精神的にはかえって寂しさが増すばかりなのだ。

 

「んふ、んふふふ」

 

 上機嫌で、わたしは幻像機(カメラ)の準備をする。隣から聞こえてくるガサゴソ音は、なかなかに騒がしい。おそらく、荷物の整理でもされているのだろう。翼竜(ワイバーン)での旅はひどく疲れる。おまけに、夕食(ささやかながら、帰還パーティーが開かれた)ではそれなりにお酒を召されていた。今夜はぐっすりお眠りになられるはずだ。

 アル様は、非常に眠りの深い方だ。起床ラッパだとか敵襲等の特定のフレーズが耳に入らない限りは、そうそうのことではお目覚めにならない。つまり、しっかり眠っていることを確認してから部屋に突入すれば、やりたい放題ができるのだ。

 これだけ寂しい思いをさせられたのだ。少々ハメを外してもバチは当たるまい。あられもない寝姿を接写しまくり、添い寝をしつつコッソリと自分を慰め……ああ! ああ!

 

「添い寝……」

 

 だが、自分の脳裏に浮かんだ添い寝という単語が、わたしの興奮に水を差す。アル様はわたしの「夜伽とか」という発言に対し、一瞬反応が遅れていた。わたしのアル様の付き合いは長いから、その内心も手に取るようにわかる。我が母、カステヘルミ・スオラハティは、アル様に対し添い寝を命じたに違いない。

 むろん、アル様は実質的にはあのバカ親の臣下である。命令された以上、断ることはできなかっただろう。まあ、アル様は人に頼られると少々無茶な頼みでも聞いてしまう悪癖があるので、命令に対して抵抗もしなかったのではないかと思うが……はあ、度量が広いのも考え物だな。

 

「年齢を考えろ、色ボケめ……!」

 

 むろん、セックスまではしていないだろう。そのあたりは、アル様の反応で察することができる。しかし、娘のオトコに色目を使うなどどういう神経をしているのだ。まったく、やはり王都に同行できなかったのは一生の不覚だ。わたしが四六時中お傍にいてお守りせねば、アル様はいずれどこぞの馬の骨にヤられてしまうに違いない。

 

「まあ何にせよ、アル様は無事にわたしの手元に戻ってきてくれた……」

 

 もう二度と手放すものか。決意を新たにしつつ、ほとんど無意識に股へ向かおうとする右手を抑え込んだ。まだだ、まだ早い。最高に気持ちよくなるためには、アル様がしっかりと寝付くまで待たねば……。

 

「……アル様は一体、何をされているのだ?」

 

 隣室から聞こえてくるガサゴソ音は、妙にうるさい。荷下ろしにしては音が大きすぎる。流石に違和感を覚えたわたしは、わたしとアル様の部屋を隔てる壁へと近寄った。

 この壁には、のぞき穴が開けられている。むろん、そうそうなことではバレないような擬装を施してあるから、アル様にはいまだに気付かれてはいない。わたしは首をひねりながら小さな穴を覗き込み……

 

「……ッ!?」

 

 怒りに燃える碧眼と目が合った。

 

「ウワアアアアッ!?」

 

 尻もちをつきそうになり、わたしはなんとか堪えた。アル様の瞳の色は、美しい鳶色だ。碧眼などではない。

 

「く、曲者だッ!」

 

「曲者はあなたです、ソニア・スオラハティ様」

 

 壁のむこうから、ひどく冷徹な言葉が帰ってくる。その声音には、聞き覚えがあった。ジルベルト・プレヴォ。あのいかにも切れ者然とした女である。

 

「主の部屋にこのような穴を開けて……何をされているのですか、あなたは」

 

「いや、これは……」

 

「言い訳は貴方の部屋で聞きましょう」

 

 そう言うなり、碧眼の主は壁から離れていった。すぐにドアの開閉音が聞こえ、わたしの部屋がノックされる。

 

「……ど、どうする!?」

 

 覗きがバレてしまった! それも、幼馴染ではない新参者にだ。このような経験は初めてである。反射的に、壁際のラックに安置された愛剣に視線が吸い寄せられる。

 

「駄目だ駄目だ!」

 

 アル様は常日ごろから、「軍人とは暴力のプロだ。暴力を行使すべき状況で行使せぬ者、あるいは行使するべきでない状況で行使する者……そのどちらもが、軍人失格である」とおっしゃられている。覗きの証拠隠滅で同僚を叩っ斬るのは、たぶん軍人失格に値する行為だろう。

 

「開けてください、ソニア・スオラハティ様。応じぬようであれば人を呼び、強行突入しますが?」

 

「やめてくれ!」

 

 人を呼ばれるのは不味い。非常に不味い。幼馴染の騎士どもには私の盗撮癖を知っている者もいるが、一般兵や使用人にまで露見するのは流石に不味い。それに、アル様本人にバレるのはもっと不味い

 チクショウ、なぜこの女がアル様の部屋に居るんだ? 私の同類か? たしかに、彼女がアル様に尋常ならざる感情を向けている気配は感じていたが……。

 

「ああ、なんてことだ……!」

 

 頭を抱えつつ、ドアを開く。そこに居たのは、全身甲冑で完全武装した騎士だった。フルフェイスの兜まで被り、手は腰に差した剣の柄を握っている。……いや、いやいやいや! なんでそんな格好してるんだ! ふざけるなよ!

 

「ソニア・スオラハティ様……あなた、その恰好は? やはり痴女なのですか?」

 

 もっとも、服装に疑問を持っているのはジルベルトも同じだったようだ。彼女はわたしの肢体を無遠慮に睨みつけながら、冷たい声で聞いてくる。

 

「違う! 暑くて服を脱いでいただけだ!」

 

 確かに、いまの私はショーツ一枚しか身に着けていない全裸寄りの服装だ。なにしろ、わたしはアルさまとの同衾を目論んでいたわけだからな。服など着ていては、あの心地よい体温を全身で楽しむことができない。

 だが、この格好で外をうろついていた訳ではないのだ。文句など言われる筋合いはない。アル様だって時々パンツ一丁でお眠りになられていることがあるんだぞ!!

 

「貴様こそ、なぜアル様の部屋に居たんだ!? アル様をどこへやった!」

 

 肝心なのはそこだ。この女がアル様を害していたとすれば……許せるものではない。全身に力がみなぎる。武装の不利がなんだというのか。組打ちには自信がある。この女をさっさと叩きのめし、アル様の居場所を吐かせる必要があるのでは……?

 

「主様は、飲み足らないから二次会へ行くとおっしゃられて牛獣人の母娘と共に街へ出ていかれましたが」

 

「アル様ァ!?」

 

 なにをやっているんだ、アル様は! 酒場へ行かれるのならわたしも誘ってくれ! 泣くぞ! マジ泣きするぞ!!

 

「そしてわたしが主様の部屋に居た理由も簡単です。この部屋にのぞき穴が開けられている、という情報を耳にしましてね。主様がいらっしゃらないうちに、確認しておこうと思いまして」

 

「だ、誰から聞いたんだ、そんな話!?」

 

 新参者相手にわたしの性癖をバラすような者が、幼馴染の中に居るとは思えない。だが、わたしの作ったのぞき穴の偽装は巧妙だ。最初からある(・・)と分かったうえで探さねば、見つけられるものではないはずだ。いったい、どこから情報が漏れたというのか。

 

「フィオレンツァ司教様ですよ」

 

「なん、だと……!?」

 

 フィオレンツァ。わたしの不倶戴天の敵。その名前を耳にして、わたしは自分がスッと冷静になっていく感覚を味わった。頭に上っていた血が、一気に下降する。

 

「なぜ、ここでヤツの名前が出てくる」

 

 自分でも驚くほど冷え切った声で、わたしはジルベルトを詰問した。

 

「あの女は、故郷のサマルカ星導国へ帰ったはずだ……!」



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第184話 盗撮魔副官と誘惑

 フィオレンツァ・キアルージ。あの女とわたしは、一応幼馴染のような関係ではある。あの女は南方にある星導教の総本山サマルカ星導国の出身だが、家庭の事情でパレア大聖堂に預けられ、そこで育った。

 わたしがアル様を意識し始めたころには、すでにあの女は彼の周囲をウロチョロしていた。本来聖職の関係者とは無縁の幼年騎士団にまで出入りをしていたのだから、筋金入りのアル様フリークだ。当然のことだが、わたしは奴が嫌いだ。生涯の宿敵とすら思っている。

 とはいえ、フィオレンツァはアル様がリースベン代官に任じられたのとほぼ同時に、星導国へ帰還命令が出ていた。そうでなければ、アル様の王都行きなど認められるはずもない。あの女は、あまりにも危険だ。

 

「……確かにフィオレンツァ司教様は星導国に一時出向しておりましたが……すぐに王都に戻ってこられましたよ。あのお方は、相変わらず西パレア教区長のままですから」

 

「なにぃ……!?」

 

 無意識に、歯ぎしりをしてしまう。あの女、わたしを騙すために一芝居打ちやがったな! あの外面だけはいい毒羽虫は、それくらいのことは平気でやる。フィオレンツァからすれば、わたしは目の上のたんこぶだからな。アル様と離間させるためならば、どんな手でも使ってくるはずだ。

 

「貴様……! あの女の手先か!」

 

 で、あれば……ジルベルト・プレヴォがリースベンにやってきたのも、フィオレンツァの離間工作の一環と考えるのが自然だ。思わず、甲冑姿のジルベルトを睨みつけてしまう。

 

「……安心してください。わたしの主様は、アルベール・ブロンダン卿ただおひとりのみ。司教であれ国王であれ、主様の邪魔となるのならば切り捨てて見せましょう」

 

 フルフェイスの兜のスリットから覗くジルベルトの目には、非常に危険な光が宿っている。明らかに狂信者の目つきだ。むろん、その信仰(・・)の対象は星導教やフィオレンツァ個人ではあるまい。……うん、これはシロだな。

 

「……なるほど、失礼した。だが、フィオレンツァには気を付けておくように。アレは腹に致死性の毒をたっぷり抱え込んだ、要駆除対象害虫だ。それがアル様の周囲をブンブン飛び回っているのだから、わたしとしても気が気ではないんだ。そのせいで、少々過剰反応をしてしまった」

 

「そ、そこまで言いますか……相手は一応、司教様なのですよ?」

 

「耳触りの良い言葉ばかり吐く人間が、詐欺師以外の何だというのか。貴様もあの女の言動の数々を思い出してみろ」

 

「……言われてみれば」

 

 小さく唸り声をあげるジルベルトに、わたしはほっとため息を吐く。この様子ならば、彼女がフィオレンツァの手下である可能性は薄いだろう。おそらく、口先三寸で丸め込まこまれていたのではないだろうか? あの生ゴミから湧いてきた羽虫は、そう言った工作だけは得手としているのだ。

 

「あの女の所業を教えておこう。あれはわたしとアル様が八歳のころ……」

 

「誤魔化しても無駄ですよ、ソニア様」

 

 ジルベルトはピシャリと言った。

 

「今、追及されているのは司教の罪ではなく、貴方の罪なのです」

 

「チィッ!」

 

 おもわず舌打ちをしてしまう。流石に、この程度で話を逸らすのはムリか。

 

「そんなものまで用意して……まったく、なんと破廉恥な」

 

 枕元に置かれた愛用の幻像機(カメラ)を一瞥してから、ジルベルトはため息を吐く。……言い訳は通用しそうにないな。半裸で幻像機(カメラ)を弄っている女を見たら、わたしだって即座に盗撮の現行犯だと判断するだろう。

 

「いや、これは、なんというか……」

 

 困った。非常に困った。どうすればよいのだろう。わたしは、圧倒的に不利な状況に追い込まれていた。暴力的な手段でジルベルトを黙らせるのは不可能だ。ここで手を出したら、アル様にひどく迷惑をかけてしまう。そしてもちろん、金銭的に買収するのも難しいだろう。

 このままでは、わたしの密かな趣味が暴かれてしまう。そうでなくとも、覗きや盗撮に関しては間違いなく全面禁止になる。それでは不味い。性処理もせずにアル様のお傍で働いていたら、そのうち絶対に暴走してしまう。なにしろ、アル様の女の下半身をイライラさせる手管は尋常ではないからな。

 

「あなたに恥という概念はないのですか、ソニア様。主の部屋にのぞき穴を開け、こっそりと写真まで撮影するなど……断じて許せるものではありません!」

 

 わたしは悪くない! アル様がドスケベすぎるのがいけないんだ! ……というのがわたしの偽らざる本音ではあったが、まさかそんなことを面と向かってジルベルトに言えるはずもない。わたしは奥ゆかしく黙り込んだ。

 

「……」

 

 さて、どうしようか。なんとかして、この状況を切り抜けねばならない。彼女の口を封じ、覗きや盗撮を黙認させねば……わたしは破滅だ。ううむ、何かいい手は……

 

「いいですか、ソニア様。四六時中男性が傍にいるような状況ですから、劣情を抱いてしまうのは仕方がないかもしれません。しかし、それを行動に移すなど……」

 

 そうだ、劣情だ! ジルベルトとて女。しかも、明らかにアル様に恋心を向けている。そこに付け入る隙があるのではないだろうか? 彼女の言葉は間違ってはいない。あんなドスケベ男が近くに居たら、そりゃあ劣情もわいてくる。この女だってそうだ!

 つまりは、この女にもわたしと同じ穴のムジナになってもらうということだ。一方的に弱味を握られるのは不味いが、お互いに弱味を握り合ってしまえば少なくとも拮抗状態には持ち込むことはできる!

 

「確かにその通りだ。……白状しよう、わたしはアル様のあられもない写真を撮影する趣味がある」

 

 方針が決まってしまえば、あとは行動に移すだけだ。神妙な顔でそう言ってから、わたしは自分のベッドのシーツをはぎ取った。その下に敷かれた麦藁の束の中から、小ぶりな木箱を取り出す。

 

「……ええと、その……何をなさっているのです?」

 

「貴様の言葉で、己の罪深さを自覚したのだ。我が罪を白日の下に晒し、告解をしようと思ってな」

 

 首にかけたチェーンにくっついた小さなカギを使い、木箱のロックを解除する。箱の中におさめられているのは、立派な革表紙のアルバムだった。

 これこそ、わたしの秘密のコレクション……の、ダミーである。収められた写真は、比較的ソフトなものばかり。もちろん、本命のドスケベ写真集はもっと厳重に隠してある。このアルバムは、万が一わたしの盗撮趣味がバレてしまった時……つまり、今のような状況で出来るだけ罪を軽くするために用意した囮だった。

 

「さあ、プレヴォ卿。わたしの罪を見てくれ」

 

 ニヤリと笑ってから、アルバムのページをめくる。薄着姿で筋力トレーニングを行い、汗でびっしょりになったアル様。お腹を丸出しにして昼寝をするアル様……そのような写真が、各ページに張りつけられている。この程度の写真なら、バレたところで傷は浅い。アル様は、笑って許してくれるだろう。

 

「なっ……!」

 

 が、ジルベルトからすれば、十分に刺激的に感じている様子だった。兜の上からでもはっきりわかるほど、彼女は狼狽している。予想通りの反応だ。この女は、いかにも真面目一辺倒で生きてきたような雰囲気がある。おそらく、男と手をつないだこともあるまい。

 

「プレヴォ卿。そんな兜を被っていたら、しっかり写真が見えないじゃないか。ちゃんと兜を脱いで確認してほしい」

 

「あ、ああ……」

 

 言われるがまま、ジルベルトは兜を外した。その顔は、真っ赤に茹で上がっている。視線は完全にアルバムに固定されていた。……ふむ、ふむ。視線から読み取るに、この女は男の鎖骨を好む性癖(タチ)か。よしよし。

 

「この写真など、ひどいものだろう。我ながら、なんという写真を撮ってしまったのだ」

 

 そう言って見せたのは、甲冑を脱いで涼むアル様のバストアップ写真だ。鎧下のボタンは全開で、その胸板が露わになっている。……ちなみに、これは盗撮写真ではない。訓練後の休憩中に、本人に許可を得たうえで撮影したものだ。隠し撮りする必要がなかったため、自分で言うのもなんだが随分とうまく撮れている。

 形の良い鎖骨が、汗に濡れて光っている。ああ、エロい。興奮してきた。この鎖骨に舌を這わせ、思う存分にしゃぶりたい。そんな感情が湧き出してくる。それでもなんとか平静を装いながら、ジルベルトをうかがう。彼女は、まるでご馳走を前にした猛獣のような表情をしていた。

 

「う、うう、こ、こんなものを見せないでください! ソニア様! 卑猥が過ぎる!」

 

 仕方ないじゃないか、そもそも被写体であるアル様本人があまりにも卑猥なのだから。そう思いつつ、神妙な表情でアルバムを閉じる。それを見たジルベルトが、「あっ……」と小さく声を漏らした。……「見せないでください」などと言った割りには、随分と残念そうじゃないか。ええっ?

 

「いや、すまない。……ところでプレヴォ卿。ひとつ、頼みがあるのだ。どうか、このアルバムはあなたが始末してほしい」

 

「エッ!?」

 

 ジルベルトは、すさまじく狼狽した様子で私の方を見た。うんうん、いいぞ。この反応を待っていた! ハハハ、真面目ヅラをしておきながら、貴様もなかなかのスキモノじゃないか。このまま、わたしと同じ場所まで堕ちてこい。そうすれば、貴様も共犯者だ!

 

「情けない話だが、己でこれをどうこうするだけの勇気が持てないのだ。どうか、頼む」

 

 有無を言わせず、アルバムをジルベルトに押し付ける。むろん、これはわたしにとっても苦渋の決断だ。わたしとて、独占欲はある。アル様のあられもない姿を新参者に見せてやるなど、業腹にもほどがある。が、背に腹は代えられない。穏当に事を進めるには、これ以外の手段はないと判断した。

 どれほどの痛みを伴う選択肢であっても、勝利のために必要ならば躊躇(ちゅうちょ)なく決心せよ。これもまた、アル様の教えである。アル様の腹心として、その教えに背くわけにはいかない。

 

「いや、その……困ります」

 

 口では嫌がっても、身体は正直なものだ。ジルベルトは、結局アルバムを受け取ってしまった。さあ、この生真面目な騎士様は、このアルバムをどういう用途に使うのかな? 自制心が勝てば良いのだが……そうもいくまい。何しろ、アル様の色香はわたしをも狂わせるほどだからな……。



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第185話 くっころ男騎士とカタブツ子爵の失陥

 翌日の早朝。僕は代官屋敷(と言っても僕は領主になったわけだから、領主屋敷というのが正しいか)の中庭で、日課の鍛錬をしていた。昨夜は少々深酒をしたので、早起きするのはちょっとばかり辛かったが……まあ、自業自得なので休むという選択肢はない。

 

「ふう」

 

 規定回数の二千回の立木打ちを終え、僕は大きく息を吐いた。地面にぶっ刺さった丸太を大声を上げながら木刀でシバき続けるこの立木打ちという訓練は、ストレス解消にももってこいだ。起床直後にあった二日酔いじみた不快感も、すっかり消え失せていた。

 

「お疲れ様です」

 

 そう言って水筒代わりの革袋を差し出してきたのは、ソニアだった。彼女も僕の訓練に付き合ってくれていたため、体中汗びっしょりだ。しかし、その表情はまさに元気ハツラツ。昨日よりも、明らかに心身共に充足した様子である。何かいいことでもあったのだろうか。

 

「ああ、ありがとう」

 

 まあ、元気なことは良い事だ。革袋を受け取り、乾いた身体に水を流し込む。なぜか、ソニアが水を飲んでいる僕の口元をじーっと見ているが……なんだろう? 

 

「朝の鍛錬はこれで終わりですか」

 

「うん」

 

 革袋をソニアに返しつつ、僕は頷く。身体を動かすのは気持ちがいいから、いつまでも続けていたい気分はあるが……しかし、そういうわけにもいかない。僕は領主で、しかもリースベンから長期間離れていた。こなすべき仕事が山のようにたまっているのだ。

 

「あいつらが終わったら、ひとっ風呂浴びて朝飯といこうか」

 

 僕の視線の先には、ぴゃあぴゃあ言いながら丸太を木刀で打ち続けるカリーナの姿があった。その隣には、普通の素振りをしているロッテも居る。……なぜか、二人とも肌着姿だ。訓練の最中に「暑い!」と叫んで他の服を脱ぎ去ってしまったのだ。

 たしかに、暑いのは確かだ。なにしろリースベンはかなりの南方で、しかもかなり海が近い。比較的北方、かつ内陸部にある王都パレア市とは気温も湿度も大違いだった。僕だって、本音を言えばパンツ一丁になりたいくらいの気分だった。

 ……男が野外でそれをやると大変なことになるから、やらないけどな。女の肌着姿は許されても、男の肌着姿は許されない。この国は、そういう価値観で動いている。

 

「ちょっとはサマになってきましたね、あの連中も。まあ、新兵としては……という基準ですが」

 

 木刀を振り続ける二人を見ながら、ソニアが感心の声を上げる。

 

「二人とも筋は悪くないよ。鍛錬を続ければ、両方ひとかどの剣士になれるんじゃないかな」

 

 カリーナはもともと騎士教育を受けていた少女だから、武器を戦斧から長剣に持ち替えてもそれなりにサマになった動きをしている。完全初心者のロッテも、短時間ながら母上の指導を受けたのが良かったのか急速に腕を上げていた。

 ……でも、正直僕はそれどころではない。前世の価値観を引きずった僕からすれば、肌着姿の少女たちが野外で運動している姿には犯罪的な背徳感を感じずにはいられないのである。正直、直視できない。ちゃんと服を着てほしい。

 

「なるほどね。……体の鍛錬はまあいいとして、頭のほうの鍛錬はどうされるのですか?」

 

「カリーナはもちろん、指揮官としての教育をする」

 

 なんだか馬鹿っぽい仕草をよくしているカリーナではあるが、一応は伯爵の娘である。軍人としての教育も、ある程度は受けている。頭の出来も、決して悪いものではない。本人が騎士を志しているのだから、それ相応の教育を提供してやるのが保護者としての義務である。

 

「ロッテの方は……まだ文字も計算も勉強途中だからな。進路を決めるのは、それからでも遅くないよ」

 

 彼女らはせいぜい、前世で言うところの中学生くらいの年齢だ。今の段階で進路を完全に固定してしまうのも、いかがなものかと思ってしまう。とくにロッテは下層民の出身で、「教育? なにそれ」状態だ。まずは基礎教育を受けさせるのが先決だな。

 

「楽しそうですね」

 

「若人の成長を見守ることほど楽しい事が、他にあるかね? すくなくとも、戦場で敵をぶっ殺しているよりはよほど建設的だ」

 

 軍人失格ぎみの発言ではあるが、相手は気心の知れた幼馴染だ。ソニアは苦笑しながら「確かに」と笑った。

 

「ふへえ、やっとおわりぃ……」

 

「あっついッス~……」

 

 そうこうしているうちに、二人が剣を振る手を止める。双方、疲労困憊の様子だ。だらしなく芝生の上に寝転がり、ぐでぐでとし始める。

 

「お前たち、朝っぱらからそんな調子でどうする。朝食が終わったら、今度は穴掘り訓練だぞ」

 

「うええ」

 

「勘弁してほしいッス!」

 

 抗議の声を上げる二人だったが、もちろん訓練の手を緩める気はない。練度が上がれば死傷率も下がる。できれば、彼女らには僕より後に死んでもらいたいものだ。若者に先立たれることほど嫌なことはない。

 

「頑張ったら、ご褒美に耳かきでもなんでもやってやるよ。さあ、踏ん張れ訓練兵ども」

 

「やった! 流石はお兄様!」

 

 寝転がっていたカリーナが跳ね起き、抱き着いてくる。やめなさい、童貞には君の身体は刺激的過ぎる。身長はロッテと変わらない彼女だが、胸囲はソニア並みかそれ以上なのである。まさかこんな少女に欲情するわけにもいかないので、本当に辛い。yesロリータ、noタッチ。そんな言葉が、脳裏に去来する。

 

「朝食の前に罰走がお望みのようだな、新兵。よろしい、わたしも付き合ってやろう」

 

「ぴゃあ……」

 

 しかし、僕の傍にはおっかない副官がいるのである。汗まみれロリ巨乳に密着されるという素敵イベントは、あっという間に終了してしまう。ソニアに凄まれたカリーナは、顔色を青くして即座に引き下がった。嬉しくもあり残念でもあり……複雑な気分だな。

 

「馬鹿やってないで、さっさとメシにしよう。よく動き、よく食べ、よく寝る。これに勝る身体づくりはないぞ」

 

 メシという単語に可愛らしいリス耳をぴくりと跳ねさせたロッテが慌てて立ち上がり、姿勢を正した。ほぼ同時に腹がぐぅと鳴る。かなり腹が減ってるみたいだな。まあ、夜明け前からハードな運動をしてるんだから、当然のことだろう。

 

「まずは汗を流してこい」

 

 僕の言葉に元気よく「うーらぁー!」と答えた二人は、急いで代官屋敷の裏手にある小川へと向かっていった。一応、屋敷には風呂もあるのだが……とにかく気温が高いので、お湯ではなく冷水を浴びたいのだろう。

 

「相変わらず、飴と鞭がお上手ですね」

 

「そうかね? あんまり自覚はないが」

 

 などとソニアと話しながら、南国特有の強烈な日差しから逃げるように屋敷へと入る。日陰に入るだけでも、体感的には随分とマシになった。代官屋敷は風通しの良い造りで、廊下には涼しい風が吹き抜けていた。

 

「おや」

 

 と、そこへ対面から見覚えのある人物が歩いてくるのが見えた。ジルベルトである。

 

「おはよう、ジルベルト」

 

「……ッ!?」

 

 声をかけると、ジルベルトはひどく驚いた表情で僕の方を見た。寝不足の色が濃い顔が、一気に真っ赤になる。

 

「お、お、お、おはようございますっ!?」

 

 挨拶を返すなり、ジルベルトは脱兎のように逃げ出してしまった。……えっ、何その反応。結構傷つくんだけど。

 

「……やっぱり使った(・・・)か。ふふふ」

 

 隣のソニアが、何やら意味深長なことを呟いた。なにやら、事情を知っている様子だ。

 

「ソニア、お前……」

 

 まさか、新人いびりでもしたんじゃなかろうな。一瞬そう考えてしまったが、彼女はそのような卑劣で陰湿な真似をするような人物ではない。首を左右に振り、口先まで出かかった言葉を引っ込める。

 

「どうしたんだろうか、ジルベルトは」

 

「まあ、大したことではないでしょうね。……とはいえ、一応事情を聴いてきましょう。アル様は、お先にお風呂へどうぞ」

 

「あ、ああ……」

 

 そう言われてしまえば、僕としては頷くほかない。ジルベルトが去った方向へと歩いていくソニアを見送りながら、僕は釈然とした気分で首を傾げた。

 



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第186話 カタブツ子爵と盗撮魔副官

 わたし、ソニア・スオラハティは会心の笑みを浮かべていた。

 

「どうしたんだ、プレヴォ卿。アル様の顔を見るなり逃げ出すとは、流石に失礼だぞ」

 

「う、うう……」

 

 廊下の隅へと追い込まれたジルベルトは、顔を真っ赤にしながら頭を抱える。彼女は、見るからにひどい寝不足の様子だった。もしかしたら、夜明けが来るまで遊び(・・)つづけていたのかもしれないな。

 性欲とは生理的な欲求である。抑圧し続ければ、精神にひどい悪影響を及ぼす。さて、このいかにも真面目そうな騎士は、いったいどれほどの間己の性欲を押さえ続けていたのだろうか? そして、その抑圧のタガが緩んだ時の爆発力は、いかほどのものか……他人事ながら、心配になってくるな。

 

「ハメましたね、わたしを」

 

 周囲に我々以外の人影がないことを執拗に確認してから、ジルベルトは口を開いた。その声には、深い怨恨の色がある。……ふむ、これはよろしくないな。わたしは別に、この女をやりこめたいわけではないのだ。

 わたしの作戦目標は、あくまで盗撮やのぞきの黙認を勝ち取る事。彼女に過剰な打撃を与え、わたし自身が嫌われてしまえば元も子もなくなる。

 

「いや、すまない。ここまでのことになるとは思っていなかったんだ」

 

「あ、あんな卑猥なモノを渡しておいて……! こっちは、もう一か月以上性欲なんて処理できてないのに……!」

 

 ……随分と禁欲的だな、この女は。わたしなら、一週間と耐えられない気がする。

 

「ああ、なんということだ……主様をオカズにしてしまうなんて! なんたる不忠! こうなれば、もはやわが命をもって償うしか!」

 

 そう叫ぶジルベルトの表情は、真面目その物。冗談を言っている様子はない。ええ……たかだがこのくらいのことで、そこまで過剰反応をするものか? この女の忠義、なんだか重くないか?

 

「主君で自慰をした程度のことが死に値する罪なら、わたしはすでに十回や二十回は処刑されているはずだぞ。正気に戻らないか、プレヴォ卿」

 

「そうですね、万死くらいには値すると思います。貴方の場合は」

 

「口が悪いな、貴様は……」

 

 ギラリとこちらを睨みつけるプレヴォ卿の目つきは、肝の太さには自信があるわたしですら少々恐怖を覚えるほど鋭い。

 

「いやいや、すまない。誠心誠意お詫びしよう。わたしはあくまで、貴様と友誼を結びたかっただけなのだ」

 

「友好関係を結ぶために差し出すようなモノですか、アレが?」

 

「ああ、そうだ。同じ男で自慰をした以上、我々は姉妹のようなもの。もはや、友人以上の関係と言っても過言ではない」

 

「どういう理論ですか、それは」

 

 半目になるジルベルト。……いや、わたしもムチャなことを言っている自覚はあるさ。だが、あえて茶化した態度をとることで、雰囲気を軽くしたかったんだよ。

 

「はあ、王都ではオレアン公の術中に嵌まり、リースベンではソニア様の術中に嵌まり……まったく、わたしが何をしたというのか」

 

 大げさに嘆いて見せた後、ジルベルトはため息を吐いた。それから、ちょっと困ったような表情で聞いてくる。

 

「しかし、よろしいのですか? ソニア様。わたしの予想が正しければ、貴方とて主様に尋常ならざる想いを向けているのでは……」

 

「ああ、もちろん。わたしはアル様を愛しているとも」

 

 そうでなければ、実家を捨ててアル様の副官になるような真似はしない。母親が心底気に入らないとはいっても、つつがなく日々を過ごしていればそのうち自然に家督が転がり込んでくるような立場だったのだ、わたしは。スオラハティ家の当主にさえなってしまえば、あの色ボケババアなどいかようにも対処できたはずである。

 

「わたしのような新参者が主様に懸想しているなど、不愉快なのでは」

 

「いいや、まったく」

 

 ジルベルトの疑問に、わたしは即座に首を左右に振る。

 

「美しい花に多くのミツバチが寄ってくるのは当然のことだ。その程度のことで騒ぐほど、わたしは狭量ではない。……むろん、その美しい花に毒針を刺そうとする不愉快な害虫は、当然駆除するが」

 

 具体的に言えば、あの腐れババアとか、発情した神聖帝国の元皇帝とか、そういう連中である。だが、今わたしの目の前に居るのは、たかだか自慰の一度や二度で激しい罪悪感を抱くようなウブな女だ。それくらいなら、不快感よりもほほえましさの方がよほど強く感じる。わたしはにっこりと笑って、彼女の肩を優しく叩いた。

 

「アル様が好き? 結構。貴様が淑女的な態度でアル様と接する限りは、わたしも貴様を一端のライバルとして扱おう。正道をもって戦う敵手を邪道で排除したとなれば、わたしの度量が問われるからな」

 

 これは、偽らざるわたしの本音である。まともなアプローチ方法でアル様を奪われるのならば、それはわたしがその程度の女だったというだけの話だ。

 

「覗きや盗撮は淑女的な態度のうちに入りますか、ソニア様?」

 

「は、入らない……」

 

 そこを突かれてしまうと、困る。しかし、覗きにしろ盗撮にしろ、仕方がないのだ。アル様から放たれる危険な色香に耐えつつ真面目に副官業をこなすには、定期的に性欲解消をせざるを得ないからな。

 

「おや、意外とマトモな良識をお持ちですね。このジルベルト・プレヴォ、感心致しました」

 

「貴様、なかなかに口が悪いなあ! 年齢はさておき、アル様の部下としてはわたしのほうが先輩なのだぞ! わかっているのか!?」

 

「わたしの忠誠心が向かう先はアル様ただお一人のみ。そのほかの人間に、無条件の敬意を向ける気などさらさらありません。敬意が欲しいのならば、それにふさわしい態度を取っていただきたい」

 

「くっ……! 正論を……!」

 

 わたしもアル様第一主義を掲げている身の上である。そう言われてしまえば、反論はしづらい。

 

「いいだろう、貴様の主張を認める。だが、冷静に考えてみろ。我々は、ともにアル様とリースベンを盛り立てていく立場ではないか。お互いに反目しあって、なんのメリットがあるというのか」

 

「むう……」

 

 難しい顔でうなるジルベルトに、わたしは更なる追撃を仕掛ける。

 

「我らの仲を引き裂こうとする手合いは、ブロンダン家の家中に不和をもたらさんとする外敵である。そのような手合いの言葉など、傾注には値しない!」

 

「た、たしかにそれはそうですが」

 

「そうだろうそうだろう。わかってくれたようで幸いだ」

 

 だからと言って盗撮や覗きが許されるわけないだろ。そう言いたげな表情のジルベルトに、わたしはにっこりと笑いかけながら強引に肩を組んだ。

 

「外敵に対し、我らは強固な方陣を組んで対抗せねばならない。そのためには、信頼関係の醸成は不可欠だ。そういうわけで、まずは裸の付き合いで親睦を深めていこう。ちょうど、風呂が沸いているのだ。一緒に入ろうじゃないか、わが友よ」

 

「こ、こんな朝から風呂ですか!? さすがにちょっと、遠慮したいのですが」

 

「貴様、夜通しヤッていたんだろう? その……なんだ。けっこう、臭うぞ? そんな状態で一日過ごすつもりか?」

 

「エッ!?」

 

 顔を真っ赤にするジルベルトを、わたしは無理やり風呂の方へ引っ張っていった。



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第187話 くっころ男騎士と新兵受け入れ計画(1)

 風呂で汗を流し、朝食をとったあとはいよいよ仕事の時間である。僕がリースベンに帰還して最初にやるべき仕事……それは、王都で集めた新兵どもの受け入れ場所を作る事だった。

 

「募兵に応じた者たちの数は、三百人近い。リースベンにたどり着くまでに多少脱走者はでるだろうが、それでも二百人は下回らないだろう。彼女らが到着するまえに兵舎を用意する必要がある」

 

 代官屋敷あらため領主屋敷の会議室。決して広くないその部屋には、我が陣営の幹部たちが集まっていた。ソニアやジルベルトはもちろん、傭兵団を率いてリースベン戦争を共に戦ったヴァレリー隊長や、ディーゼル家への人質である元ディーゼル伯爵のロスヴィータ氏などもいる。

 

「三百! そりゃ、盛大に集まりましたね」

 

 感嘆の声を上げたのはヴァレリー隊長だった。彼女は、一個歩兵中隊相当の部隊を率いていた元傭兵隊長だ。当然、用兵術に関してもそれなりに精通している。

 

「アタシの手勢と合わせれば、へたすりゃ三個中隊も編成できますな。……言っちゃなんですが、リースベンくらいの大きさの領地でこの数の常備軍を抱えるのは、いささかオーバーでは」

 

「正論だが、まあリースベンは特殊な土地だからな。こればっかりは仕方ない。扶持(ふち)はちゃんと出すから、安心してほしい」

 

 これに関しては、アデライド宰相が全面的にバックアップしてくれるので問題はない。ミスリル鉱山は、彼女にとっても金の卵を産むガチョウのようなものだ。その防備に対して手を抜くことなどありえない。

 

「とはいえ、現状のリースベンでは彼女らの衣食住を保証できないのも事実。一か月以内をめどに、彼女らの受け入れ準備を整える」

 

「まず優先すべきは、食料ですね。リースベンの穀物生産量は、決して多くはありません。三百人ぶんの食料をいきなり調達しはじめたら、食料価格の暴騰は避けられませんよ」

 

 ソニアの言葉に、僕は頷いて見せた。リースベンはガレア本国からは山脈で隔たれた場所にあり、気候も土壌も大きく異なっている。それゆえ、ガレア式の農法をそのまま流用することができなかった。リースベン式の農法はいまだに試行錯誤の途中であり、食料生産はまだまだ不安定な状況だった。

 

「それに関してだが……ロスヴィータさん」

 

 僕が視線を向けると、身長二メートルを超える隻腕の牛獣人はニヤリと山賊めいた笑みを浮かべた。……しかしいつ見てもデカいな、この人は。これであの小柄なカリーナの母親なのだから、驚きである。

 

「ああ、食料に関してはあたしがなんとかする。ズューデンベルグ伯爵領は小麦の一大産地だからな。その程度の数なら、容易に調達できる」

 

 実のところ、この問題に関しては昨夜の段階ですでにロスヴィータ氏には話を通してある。返答はスムーズだった。

 

「敵に麦なんか売って大丈夫なんですかね、元伯爵殿」

 

 何とも言えない表情でそう聞くのはヴァレリー隊長だ。彼女はリースベン戦争で、多くの手勢を失っている。そしてそのリースベン戦争で我々が戦ったのが、このロスヴィータ氏の率いるディーゼル伯爵軍だった。

 ヴァレリー隊長からすれば、ロスヴィータ氏は部下の仇だからな。そう簡単には、溝は埋まらないだろう。……王都からやってくる兵士たちの中には、僕がズタボロにした第三連隊に所属していた者も含まれているんだよな。現状の彼女らと同じような状態になる訳か。やりにくいなあ……。

 

「敵? 冗談がキツいぜ、隊長殿。あんたらにしこたま叩きのめされたせいで、うちの軍隊はぼろ雑巾も同然よ。それに対して、リースベン軍の数は倍以上に増えるわけだろ? もはや敵にすらなれんよ、我が伯爵家では」

 

 皮肉げな笑みとともに、ロスヴィータ氏は肩をすくめる。……実際のところ、元敵である彼女を幹部級会合に参加させているのは、この感想を引き出すためだったりする。あえて情報を開示することで、「これ以上ウチに喧嘩を売ってくるなよ」と釘を刺しているわけだな。

 

「だいたい、ああも一方的にやられたんだ。もう二度とアルベール殿とは戦いたくないし、もっと言うなら味方同士になるのが最善だ。アンタだってそうだろ? 元・第三連隊連隊長殿」

 

「ここで頷いたら、わたしが勝ち馬に乗りたくて主様に降ったように思われるではありませんか。ノーコメントで」

 

 突然水を向けられたジルベルトは、すました態度で目を逸らした。今朝会った時のあの妙な態度はすでに消え、落ち着いた様子に戻っている。おそらく、一緒に朝風呂に入ったというソニアが裏でケアをしてくれたのだろう。本当に気の利いた副官だよ、あいつは。

 

「まあ、食料に関してはカネさえあればなんとでもなる。幸いにも、今年は小麦も大麦も豊作だ。パンだってビールだっていくらでも市場に出回っている」

 

 僕はそう言いながら、手元の資料を一瞥した。実際のところ、今の僕は金だけは唸るほど持ってるんだよな。ディーゼル伯爵家からふんだくった賠償金に、先帝陛下アーちゃん……もとい謎の傭兵クロウンから貰った慰謝料。さらに内乱鎮圧任務で得られた報奨金に、アデライド宰相にケツを揉ませて手に入れた借入金もだ。これだけあれば、リースベン程度の小領ならば五年は無税で運営できる。

 もちろん、所詮はあぶく銭だ。あと先考えずに浪費すれば、あっという間に使い果たしてしまう。これらの金は、あくまでリースベンの発展に利用するべきだろう。領地にガンガン投資を突っ込み続ければ、自然と税収も増えていくはずだ。最終的には、現状の軍備を自前で維持できるようになるのが目標かな。

 

「となると、最大の懸案事項は兵士たちの住処(すみか)ですね。三百人ぶんの兵舎となると、一筋縄にはいきませんよ」

 

「アタシらの兵舎も、やっと最近完成したばかりだからなあ。人手はよそで借りるにしても、建材が足りるのかね」

 

 ジルベルトの言葉に、ヴァレリー隊長が追従する。このカルレラ市は小さな街だ。現状では充足率五割……つまり六十名ほどの数しか居ないヴァレリー中隊ですら、ほんの先日まで民家を間借りして生活しているような有様だった。当然、その五倍ほどの数の兵舎を新設するわけだから、たいへんな大事業になる。

 

「建材……たしかに問題ですね。遠方から輸入するとなると、あまりに割高になりすぎる」

 

 眉間にしわを寄せて、ジルベルトが唸った。リースベンは森ばかりの土地ではあるのだが……伐採したばかりの生木はそのままでは建材として利用できず、年単位の乾燥期間を必要とする。今から伐採していたのでは、とても一か月後には間に合わない。

 

「建材に関しては、心配する必要はない。木材はある程度の備蓄はまだまだ残っているし、それでも足りない分は僕が何とかできる」

 

 なにしろ、リースベンはオレアン公が肝いりで開発していた土地だ。将来の発展を見据え、かなりの量の木材備蓄があるのだ。彼女は老獪な大貴族だ。この手の計画的な内政に関しては、アデライド宰相以上のモノがある。

 

「準備万端ですね」

 

 ちょっと呆れた様子で、ヴァレリー隊長が肩をすくめた。……いやまあ、建材に関してはオレアン公の政策にただ乗りしてるだけなんだけどな。

 



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第188話 くっころ男騎士と新兵受け入れ計画(2)

「ねぐらが決まったのは結構ですがね」

 

 兵舎の建設計画の大枠についての話し合いが終わった後、ヴァレリー隊長が煙草に火を灯しながら口を開いた。

 

「アタシらは軍隊を作ろうとしているわけだから、箱だけ準備すりゃいいってわけでもないでしょう。武器も必要ですし、装具もいろいろと入り用だ。それだけじゃあありません。編成や訓練に関しても、しっかり考えとかにゃあなりません。……ま、この程度のことは、アル殿ならば言う必要もない事でしょうが」

 

 煙を吐き出しながらそんなことを言うヴァレリー隊長に、僕は頷いて見せた。もちろん、それらの準備についても計画を立ててある。……ちらりとジルベルトの方を見ると、自分も煙草を吸いたそうな顔をしていた。薄く笑いかけて頷いてから、僕は視線をヴァレリー隊長に戻した。

 

「いや、口に出して確認することは非常に重要だ。僕一人が頭の中でこねくり回した計画じゃ、あちこちボロがあるだろうしね。違和感や矛盾を感じたら、どんどん指摘してほしい」

 

 そう前置きしてから、僕は香草茶を一口飲んだ。ジルベルトがオイルライターの蓋を開くパチンという音が聞こえ、室内に漂う煙草の匂いが濃くなった。

……ああ、僕も吸いたいなあ。この世界、妙に男性喫煙者に当たりが強いんだよな。婚活市場ではすでに不良債権になりつつある自身の身の上を考えれば、これ以上女性から嫌われそうな要素を増やすわけにもいかない。我慢、我慢だ。前世じゃ一日二十か三十本は吸ってたのにな。転生してずーっと禁煙に成功してるのは、我ながら偉いと思う。

 

「これは編成にも関係する話だが、僕はリースベン軍の歩兵は基本的にライフル兵で構成するべきだと考えている」

 

「……そりゃすごい」

 

 ポーカーフェイスで、ロスヴィータ氏が呟いた。しかし、内心は穏やかではあるまい。彼女が率いるディーゼル伯爵軍の進撃を阻んだのは、僅か三十数名の鉄砲隊だった。

 戦場さえしっかりと設定すれば、それだけの火力で数百名の敵軍を足止めできるのがライフルという兵器である。そんな危険な代物を、僕たちは大量配備しようとしているのである。

 

「全員がライフル兵というのは、流石に近接戦では不安を覚えずにはいられませんがね。まあ、銃剣があればある程度カバーできるんでしょうが」

 

「銃剣というと、あの鉄砲の先端に取り付ける短剣か」

 

 紫煙をくゆらせながら、ジルベルトが聞く。そう言えば、彼女の指揮していたライフル兵隊は銃剣を装備していたのだろうか? 突撃が発起するまえに、迫撃砲の集中砲火で殲滅しちゃったからな。その辺り、よくわからない。

 

「その通りです、子爵殿。アタシも初めて見たときは驚きましたがね、ありゃ素晴らしい発明ですよ。白兵能力の低さが、鉄砲兵の泣き所でしたから……小銃を短槍として使えるんなら、運用の柔軟性はグンとあがります」

 

「なるほど。噂を聞いて、わたしの部隊でも一応導入していたんだがな。日の目を見る前に……その、なんだ。戦いが終わってしまったから、実戦でどの程度役立つものなのかわからなかった。しかしどうやら、なかなかに有用な兵器のようだな」

 

 あ、やっぱり配備してたのね、銃剣。第三連隊が装備していたライフルは、どうやら僕らが使っている工房の製品をデッドコピーした代物らしいからな。着券装置も、そのまま踏襲したのだろう。

 

「もちろん、ヴァレリー隊長の言うように白兵能力の低下は懸念すべき点だ。特に、リースベンは森ばかりの土地だからな。ここで戦う限り、白兵を避けるのはムリだ」

 

 まあ所詮は装填に時間のかかる先込め式の銃器だ。たとえ全く障害物のないまっさらな平原でも、やっぱり白兵戦は起きるだろうがね。それに、この世界にはライフル弾にも耐えうる強固な甲冑もあるわけだし……。

 

「これに関しては、白兵戦に特化した兵科を十分に用意することで対処する。……とはいえ、それよりなにより根本的な問題がある。歩兵全員に配備できるほど数のライフルは、すぐには用意できないということだ」

 

「ああ、まあ……そりゃそうっすね」

 

 苦笑いをしながら、ヴァレリー隊長が灰皿に煙草を押し付ける。鉄砲は比較的安価な武器だ。クロスボウなどと比べれば機構的にもシンプルで、大量生産はしやすい。

 前世の中近世では火薬の調達に難儀していたようだが、これもこの世界では容易に解決可能だ。なんといっても現世には魔法がある。特に錬金術という技術体系は極めて有用だ。人間や家畜のし尿から魔法でアンモニアだけを抽出し、それをオストワルト法で硝酸へ変換する。そういう方式で、火薬は安価に大量生産できる。魔法と近代化学のハイブリットだ。

 

「中央大陸屈指の大都会である王都パレア市とはいえ、鉄砲鍛冶の数は限られてるからな。ノール辺境領の鉄砲鍛冶にまで声をかけて、ライフルの大量発注を行ったが……それでも、用意できたのはせいぜい歩兵の半分程度の数だ」

 

「残りの半分は、しばらく別の武器を持たせておくしかないということですね」

 

 ソニアが僕の言葉を補足した。こればっかりは、仕方がないのである。この世界においては、長い間鉄砲は二流三流の武器とされていた。当然、その生産を生業とする人間は少ない。

 もちろん、僕としても積極的な投資を行い、鉄砲鍛冶の養成には力を入れている。リースベンにも王都の工房から親方を招き、工房を開設してもらう手はずになっていた。しかし、それらの措置が実を結ぶには、まだしばらくの時間がかかるだろう。

 

「なるほどなあ」

 

 懐から出した新しい煙草を手の中で弄びつつ、ヴァレリー隊長が唸った。

 

「歩兵の大半をライフル兵に置き換えるという目標を目指しつつ、実運用に支障をきたさないように編成するとなると……短槍兵にするしかないでしょうな。幸いにも、銃剣と短槍の操法はそれなりに共通したものが使えますし」

 

「いいアイデアだ。……短槍も発注しなくちゃいけないな。はあ、また金と手間がかかるぞ」

 

 僕はため息をついたが、内心はワクワクしていた。遠足の前準備をしている時のような、稚気じみた気分が胸の中に湧いている。まったく、我ながら救いがたい趣味をしているな。

 

「訓練の手順や内容についての策定は、わたしにお任せを。銃が届き次第、ライフル兵に兵科を切り替えられるような柔軟性の高い構成をめざせばよいわけですね?」

 

「ああ、その通りだ。頼りにしてるぞ、ソニア」

 

 この手のことは、ソニアに任せておけば間違いはない。まったく頼りになる副官だと感心しながら、僕は頷いた……。



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第189話 くっころ男騎士と蛮族対策

 僕たちがリースベンに帰還してから、二か月が経過した。季節はすでに秋……と言いたいところだが、リースベンは相変わらず暑い。夏が去る気配はまだまだ無かった。

 

「こんな個人用塹壕(タコツボ)じゃあ手榴弾一発も防げんぞ! 堀り直し!」

 

 教導役の騎士に罵声を浴びせかけられた新兵たちが、不承不承と言った態度で穴掘りを再開する。ここはカルレラ市郊外の軍駐屯地……の隣にある演習場だ。一か月ほど前に到着した兵士たちは、ここで厳しい訓練を受けていた。

 

「まだまだ実戦に出せるような有様ではありませんね」

 

 僕の隣で訓練を眺めていたソニアが、ため息交じりにボヤく。

 

「基礎的な教練だけでも、履修完了には一〇週間かかるんだ。僅か三週間の訓練では、こんなもんだろう」

 

 苦笑しながら香草茶を口に含むと、遠くからドカンという派手な爆発音が聞こえてきた。演習場内に意図的に残した森から、大量の鳥がバタバタと飛び立つ。

 これは、砲兵隊の射撃訓練だ。近代的な軍隊は歩兵だけでは成り立たない。砲兵、そして騎兵を組み合わせた諸兵科連合(コンバインドアームズ)を編成することで、より高い戦闘力を発揮することができる。もちろん、僕としてもリースベン軍に砲兵隊・騎兵隊を創設しないという選択肢はなかった。

 

「砲兵の錬成はうまく行っているんだろうか」

 

「ええ、順調ですよ。なにしろ、砲兵のほとんどが王軍から引き抜いてきた者たちですからね。まったくズブの素人とは訳が違います」

 

「心強いことだ」

 

 比較的早期に戦力化できる歩兵と違い、騎兵や砲兵と言った専門職を一人前に育て上げるには、かなりの時間と費用がかかる。しかし、リースベンの防衛力増強は急務だ。訓練が終わるまでノンビリと待っているわけにはいかない。

 こういう時は、すでに仕上がった人材をよそから引き抜いてくるに限る。砲兵は宰相に頼んで王軍から回してもらった者たちだし、騎兵も同じようにスオラハティ辺境伯に紹介してもらった連中だ。持つべきものはコネである。

 

「そんな軟弱ぶりで男を満足させられるとでも思ってんのかユル〇ンども! そんな体たらくじゃ蛮族どもに男を取られちまうぞ!!」

 

 演習場のあちこちからは、騎士や下士官たちががなり立てる罵声が聞こえてくる。ああ、僕もああやってシゴかれてた時期があったなあ。懐かしくなって、思わず笑みが漏れる。むろん当時はただただ辛いだけだったが、のど元過ぎればなんとやら。今となっては輝かしき記憶の一部だ。

 

「騎兵と砲兵はいいとしても、歩兵があの状態ではね。正直、不安を感じずにはいられません。特に今時期は、蛮族どもが活発化しがちですし」

 

 難しい表情で、ソニアが唸った。僕は軍用の折りたたみいすに体重を預けながら、少し考えこむ。彼女の言うように、夏から秋にかけての時期は蛮族の活動が活発になる。麦の収穫時期が終わり、穀物庫がいっぱいになっているからだ。

 そしてリースベンは辺境の開拓地、蛮族の脅威度は中央の比ではない。当然、ある程度の対策は実施済みだ。即応部隊を編成し、各地の農村に分散配置して警戒に当たらせている。この部隊はほとんどが第三連隊出身の古兵で構成されており、僕たちの前でヒィヒィ言っている訓練部隊と違ってすぐにでも実戦に投入できるだけの練度がある。

 

「例年なら、それこそシラミ潰しのような有様になっているはずなんだよな、この季節は……」

 

 僕は視線を空に向けながら、記憶を手繰り寄せる。農民や自警団員たちの証言によれば、晩夏から初秋にかけては毎週のように蛮族の小集団が農村や街道を襲い、食料や男たちを奪っていくそうだ。

 

「で、当の蛮族どもの動きはどうなってるんだ? 哨戒は念入りに行うよう、即応部隊には命じてあったが」

 

「相変わらず、ですね。動きらしい動きは、まったくありません。斥候や、野営の痕跡すら確認できていないのですから……はっきりいって、異常事態です」

 

 ……だが、今のところ僕の耳にはそのような報告は上がってきていない。このカルレラ市はもちろん、周辺の農村もいたって平和だった。なにしろ、今月に入ってから一回も襲撃は起きていないのである。家畜の一匹、男児の一人たりとも奪われていない。こんな年は初めてだと、農民たちも首をかしげていた。

 

「お兄様を恐れてるんじゃないの、蛮族連中も」

 

 などというのは、汗まみれで荒い息を吐くカリーナだった。彼女の隣には、これまた疲労困憊状態のロッテが倒れている。二人には、ほんの先ほどまで格闘訓練をやらせていた。今は休憩中だ。

 

「だったらいいがね、相手はあのエルフだぞ? 何か企んでると考えるのが自然だ」

 

 僕は顔をしかめながら言い返した。リースベンでは、蛮族と言えばエルフらしい。他の種族も居はするものの、もっぱら襲撃を仕掛けてくるのはエルフ部族の戦士たちだった。

 森の妖精的なイメージのあるエルフだが、この世界では蛇蝎のように嫌われている。連中は極めて寿命が長く、さらには魔力の素養を持ったものも多い。しかし気質は極端に閉鎖的で、文明社会と関わろうとしない。その癖、男や食料を求めてちょくちょく攻撃を仕掛けてくる。つまり、老練で魔法が得意な蛮族だ。こんなに恐ろしいものはなかなかない。

 

「リースベンは、大半が未探索地域。大まかな地図さえも作成されていないような場所だ。エルフどもが裏でどんなことをやっていても、こちらからは確かめるすべがないのだ」

 

 ソニアが僕の言葉を引き継いだ。これまで盛んに挑発行動をとっていた勢力が、突然大人しくなる……軍人としては、相手が戦争準備をしているのではないかと疑わざるを得ない状況だ。地球の現代国家なら、衛星写真でその手の行動は丸わかりなんだが……この世界ではそうもいかない。敵が未開の森の中に潜んでいるのならなおさらだ。

 

「あまり無茶はしたくないが、新兵どもの戦力化を急いだほうがよさそうだな。いつ大規模な攻勢があってもいいように、しっかり準備をしておくべきだ」

 

 例年通りなら、回数こそ多いがあくまで小規模襲撃が中心なので即応部隊だけで対処ができるはずだった。だが、エルフたちが戦争を目論んでいるなら話は別だ。急いで本格的な迎撃態勢を整えておく必要がある。むろん杞憂の可能性も十分にあるが、軍人である以上は常に最悪の事態に備えておくべきだろう。

 まったく、今年はひどい厄年だ。リースベン戦争が終わり、王都内乱が終わり、やっと平和が来るかと思えば今度は蛮族と来たか。本当に勘弁してほしいね。



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第190話 くっころ男騎士と農村

 リースベン軍の戦力化を急ぎつつ蛮族の情報を集めることにした僕たちだったが、しばらくたっても相変わらず進展はなかった。

 なにしろリースベン地域は半島状の地形で、面積は非常に広大だ。しかしその大半が蛮族の支配下であり、僕たちが掌握しているのは半島の付け根部分にあるわずかな面積のみ。人里から少し奥へ踏み込めば、そこは非友好的な原住民の潜む未開の樹海なのである。そんな場所に、手持ちの僅かな戦力を割いて斥候隊を送り込むことなどとてもできない。

 

「地上からの探索が難しいなら、空中からやってみよう」

 

 ということになり、僕は翼竜(ワイバーン)騎兵たちに空中哨戒を命じた。手持ちの翼竜(ワイバーン)はスオラハティ辺境伯の援助に三騎まで増えており、ある程度は継続した紹介網を構築できると判断したからだ。

 もちろん、空からでは森に潜むエルフを見つけ出すことは難しい。しかし、炊事の煙くらいなら確認できるのではないかと思ったのだ。

 だが、残念なことに有力な情報は何一つ得られなかった。相変わらず蛮族どもは沈黙を保ち、リースベンには平和な空気が流れ続けていた。何とも不気味な話である。

 いい加減に焦れてきた僕はカルレラ市にほど近い農村へと向かうことにした。こういう時は、現地の人間に話を聞くのが一番だと判断したのだ。

 エルフをはじめとする蛮族連中は、農村部を狙って襲撃することが多い。なにしろ、防衛設備が貧弱だからな。常日頃から蛮族どもの脅威にさらされている農民たちは、新参者である僕らよりよほど実情に詳しいはずだ。

 

「改めて挨拶申し上げます。アッダ村の村長、コリンヌ・テシエです」

 

 農村の中心部にある、村長の家。そこで僕は、村長一家から歓待を受けていた。農村の村長というと腰の曲がった老人をイメージするが、この村の長はいかにも要領がよさそうな中年の竜人(ドラゴニュート)だった。リースベンは開拓がはじまったばかりの土地だから、案外老人は少ないのである。

 適当に挨拶を交わしつつ、僕は周囲をうかがった。村長宅とはいっても、その大きさは周囲の家と大差ない。藁ぶき屋根の木造平屋という、農村にはよくある様式の建築だった。

 もちろん、素朴なのは外側だけではない。僕たちが案内された部屋も、囲炉裏と大きなテーブルが置かれているだけの簡素な場所だった。どうも、この部屋が村長宅の食堂らしい。促されるまま席に着くと、村長の夫らしき男がお盆をもって寄ってきた。

 

「どうぞ、領主様。……領主様にこんなものをお出しするなど、本当ならば打ち首モノでしょうね」

 

「いえいえ、結構。普段食べているものと同じ料理を出してくれといったのは、僕の方だからな」

 

 村長の夫は湯気の上がる木椀を差し出してきた。受け取って中身を覗き込むと、そこに入っているのは燕麦(エンバク)とコーリャン(モロコシとも言う。南方原産の穀物)の粉を煮込んで作ったドロドロの粥だった。

 リースベンは温暖湿潤な気候で、小麦の育成にはあまり適していない。そのため、しっかりとした小麦のパンは結構な高級品だった。代わりに庶民の主食になっているのが、この地の気候に強い燕麦やコーリャンだった。

 

「それでは、いただきます」

 

 食事前のお祈りをしてから、麦粥を口に運ぶ。塩だけで味付けされた、素朴な味わいだった。少々味気ないのは事実だが、まあ僕は食事に気を遣う人間じゃないからな。腹に入ればなんでもいい、みたいな意識は少なからずある。

 もっとも、そんな考え方をする人間は貴族では少数派だ。実際、同行してきたソニアやジルベルトは妙な顔をしつつ粥を口に運んでいる。まあ、しょうがないよな。ガレア本国では燕麦は家畜の飼料というイメージが強く、貧民たちですら積極的には食べたがらない。ましてや彼女らは貴族、多少は抵抗を感じてしまうのも致し方のない話だろう。

 

「一応、白パンもご用意していたのですが」

 

「それは我々が帰った後、自分たちで食べなさい。民がどのようなものを食べているのかを知るのも、領主の仕事のうちだ」

 

 村長の言葉に、僕は首を左右に振った、これは半分本心から出た言葉ではあるが、下心がないと言えばうそになる。なにしろ、領主と言っても僕は所詮よそ者で、なおかつ男だ。領民たちから嫌われてしまえば、日常の政務もままならなくなる。多少あざとくとも、ご機嫌取りをしておいた方が良いと判断した。

 こういう中央の権威が弱い辺境では、独立独歩の気風が強い。貴族だなんだといって偉そうにしていたら、あっという間に支持を失ってしまう。立ち振る舞いには、それなりに気を付ける必要があった。

 

「いやはや、御見それいたしました」

 

 にっこりと笑って、村長が頷く。この中年の竜人(ドラゴニュート)は、領主である僕を前にしてもまったく物怖じをする様子がない。なかなか肝の据わった人物のようだ。まあ、開拓村のリーダーを務めるような人間だからな。只者ではあるまい。

 そんなことを考えつつも、僕たちは麦粥を片手に村長一家と雑談をする。今年も相変わらず小麦の実りが悪いだとか、村の教会をしっかりとした石造りにしたいだとか、そういう当たり障りのない話題が中心だ。本題には、なかなか入らない。なにしろエルフは略奪・強姦上等のロクデナシどもだから、飯時の話題としては少々刺激が強いのだ。

 

「さて……」

 

 僕がそう切り出したのは、食事が終わってしばらくたってからのことだった。使用済みの食器類をもって炊事場の方へ向かう村長の夫や使用人たちの背中を見送りつつ、食後のビールに口を付ける。……なかなか面白い味だ。原料は大麦ではなく燕麦で、ホップの代わりに爽やかな匂いのするハーブで香りづけされている。正直、現代的ビールとは味も香りも全く別物だった。

 

「そろそろ、蛮族たちの話を聞かせてほしい」

 

「へぇ、わかりました」

 

 村長は即座に頷いた。僕たちが村を訪れた理由は、当然到着時にきちんと説明してある。蛮族対策は辺境の農村にとっては死活問題だ。彼女らは快く僕たちを歓迎してくれた。

 

「まあだいたいのところは、そこの騎士様にすでにお話している通りなのですが」

 

 ジルベルトの後ろに控えた中年騎士をちらりと見てから、村長は小さく息を吐いた。蛮族に対する防衛、および情報収集はジルベルトの部下たちに任せてある。プレヴォ家の郎党たちはみな実戦経験豊富な古兵ばかりだから、この手の任務にはぴったりだ。

 

「二度手間で申し訳ないが、相手は蛮族だ。警戒しすぎる、ということもあるまい。悪いが、もう一度たのむ」

 

「そりゃあ、もちろん。私らも、連中には難儀させられとりますからね。領主様があいつらを退治してくれるってんなら、いくらでもご協力いたしますわ」

 

 ニヤリと笑って、村長は素焼きのコップになみなみと注がれた燕麦ビールを一気に飲み干した。



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第191話 くっころ男騎士と村長

 蛮族と一言で言ってもその実態は様々だが、ようするに我々の社会に敵対的な亜人の部族集団のことである。こういった連中は、しばしば村落を襲い男を奪っていく。繁殖を只人(ヒューム)に全面的に頼った亜人社会の問題点だ。もともとその部族内で抱えている只人(ヒューム)の母数が少ないと、次第に血が濃くなりすぎてしまうのである。機会を見て、外から新たな血を供給する必要があった。

 

「毎年、この時期には嫌ッちゅうほど蛮族どもが村の周りをウロチョロするものなんですがね」

 

 素焼きのコップでがぶがぶとビールを飲みつつ、村長は語った。ビールと言っても、ひどく酒精の薄いものだ。ガレアにはこうした低アルコール飲料を、水代わりに飲む文化がある。

 

「ガレア本国にも、蛮族どもはおりますがね。リースベンに居るのは、あんな連中とはやはり格が違います」

 

「まあ、あいつらは野盗に毛が生えた程度の連中だからな」

 

 僕は、リースベン代官に任じられる直前の任務を思い出しながら答えた。あの時僕が相手にしていたのも、オークの蛮族だった。ああいった手合いは、確かにそこらへんの無法者と大差はない。

 

「やはり、このあたりの蛮族は手ごわいか」

 

「そりゃあね」

 

 遠い目で視線をさ迷わせながら、村長は燕麦ビールを一口飲んだ。

 

「最近はまだマシですがね、入植したばかりのころは本当にひどかった。滅ぼされた開拓村も、ひとつやふたつじゃあありませんよ。女は皆殺し、男は子供から年寄りまで連れ去っていく……残虐な連中ですよ、連中は」

 

「なんと無体な……!」

 

 憤懣(ふんまん)やるかたない様子で、ジルベルトがテーブルを殴りつけた。ビールの入ったコップがこぼれそうになり、慌てて抑える。それを見たジルベルトは赤面し、「申し訳ありません」と頭を下げた。

 

「しかし、そんな連中がこの頃はまったく顔を出さない。正直、せいせいしておりますがね。しかし不気味でもある。領主様の武威を恐れておるんでしょうか?」

 

 その可能性も十分にある。蛮族などと言っても、厳しい環境の中で生き延びてきた人々だ。危機に対する嗅覚は人一倍強いはずである。リースベンの軍備がいきなり増強されたものだから、様子見に徹しているということも考えられる。

 僕はちらりと、隣のソニアを見た。ビール入りのコップを手の中で弄んでいた彼女は、そっと首を左右に振った。油断するべきではない。そう言いたいのだろう。もちろん、僕も同感である。無条件に楽観論を信じてしまう人間は、士官には向いていない。悲観的なくらいがちょうどいいのだ。

 

「それなら領主冥利に尽きるがね、相手は蛮族……それもエルフなんだろう?」

 

「ええ、まあ。この辺で蛮族といったら、だいたいエルフですわ。カラスやスズメの鳥人とか、オークもたまに見ますがね。とはいえ、一番数が多くて一番厄介なのは、まちがいなくエルフどもです」

 

 元地球人としては、エルフとオークには対照的なイメージがあるんだがね。この世界では、どうやら両者は並び称される存在らしい。脳内イメージと現実の乖離(かいり)ぶりに、正直いまだに混乱してしまう時がある。

 

「長命種はな、厄介だよな」

 

 聞いた話では、エルフは数百年以上の寿命があるという。経験の長さはそのまま戦闘力に直結するから、並みの竜人(ドラゴニュート)騎士では一対一でも苦戦する場合が多いという話だ。……そんな連中が男目当てに集落に攻撃を仕掛けてくるのだから、なんとも恐ろしい。

 

「ええ、連中はとにかく頭が回る。生半可な罠では見破られるし、それどころかこちらを罠に嵌めてくる始末。数名の小さなグループですら、毎年難儀して追い返しておりますよ」

 

 そこまで言ってから、村長は唐突に声を小さくした。

 

「実際、三年前にはえらい目にあいましてね。男が四人も連れていかれました」

 

「それは、また……」

 

 なんとも痛ましい話だ。僕は思わず顔をしかめた。蛮族だなんだといっても、亜人であることには変わりない。エルフであっても繁殖には只人(ヒューム)の男が必要だ。攫われた男たちは、エルフどもの集落で繁殖用種馬にされていることだろう。

 

「居ても居なくても悩みの種になるとは、まったくロクでもない連中ですわ。さてはて、エルフどもはどこへ消えてしまったのやら」

 

「大規模な攻勢の準備をしている、ということも考えられる」

 

 村長にしか聞こえないよう、声を小さくして僕は言った。村長は顔をしかめ、大きく息を吐く。

 

「信じたくはありませんが、あり得る話ですな。対策はどうなっておるのでしょうか」

 

「むろん、僕の兵たちも張子の虎ではない。現在、急いで各地の防備を固めている状況だ」

 

 嘘です、張子の虎です。だってさ、うちの兵隊どもは半分以上が兵役未経験の新兵だぞ? 最低でも三か月、できれば半年以上は訓練をしなきゃ、まるで使い物にはならない。だが、領主としてはそんな不安になるような事実を領民たちに伝えられるはずもない。

 

「とはいえ、何も情報がない状態では動きづらい事この上ない。なんとか、エルフどもの尻尾を掴みたいところだが」

 

「私らと違って、連中にゃ尻尾は生えておりませんがね」

 

 竜人(ドラゴニュート)特有の太く長い尻尾で土間の地面をペシンと叩いてから、村長はニヤリと笑った。……領主相手に平気でこんな冗談を飛ばしてくるあたり、やはり根性が据わっている。開拓村のリーダーを任されているだけのことはあるな。

 実際問題、僕にしても領主という立場にあぐらをかいて強権的にふるまうような真似は、とてもできないのである。リースベンの民たちは、故郷を離れて森しかない僻地を村や農地に変えていった人々だ。それだけの根性があるのだから、気に入らない領主に対して強訴や一揆を仕掛けてくるような真似も平気でしてきそうだな。

 

「ま、もちろん出来る限りのご協力はいたしますよ。奴らが好き勝手しやがったら、一番迷惑を被るのはこっちですからね。とりあえず、何をすればよいので?」

 

「とりあえず、村の周辺で異変を感じたらすぐに軍の方へ知らせるように皆へ布告を出してほしい。どんな小さな違和感でも、気にせず通報するように……とね。たとえ取り越し苦労でも、責めを負わせるような真似はしないから」

 

「ええ、それくらいなら、もちろん」

 

 蛮族対策のため、リースベンの各農村には即応部隊を配置する小さな駐屯地を作っている。早馬と伝書鳩を併用した緊急通報システムの構築も、すでに終わっている。なにかあれば、すぐにカルレラ市の領主屋敷へ情報が飛んでくるよう手はずは整えていた。

 

「それから、エルフどもがどんな場所から現れ、どういう風に攻撃を仕掛けてくるのかも知りたい。そういったことに詳しい者を紹介してくれないか」

 

 むろん、「違和感があったら知らせてくれ」程度の通達であれば文書だけで十分なのである。僕がこの村までやってきたのは、実際の戦場になるであろう場所を自らの目で確認しておくためだった。地形や周辺状況、それに敵の戦法……これらの情報は、やはり現地で自分の足と目と耳を使って確かめるに限る。資料や部下の報告だけに頼って判断を下すような真似は、出来るだけ避けるべきだ。

 

「ふむ、でしたら自警団員が適任ですな。よござんす、手配いたしましょう」

 

「助かる」

 

 礼を言ってから、ビールで口を含ませる。相変わらず不思議な香味であるが……悪くない。

 

「しかし、このビールはなかなかうまいな。余っていたら、ひとタル分けてもらえないか」

 

「お気に召していただいたようで何より。これは、私の夫が醸したビールでしてね。我が家の自慢なんですわ。一つと言わず、二つでも三つでも持って行ってくださいな」

 

 誇らしげな表情で、村長は胸を張った。なるほど、やはり自家製か。予想通りだな。

 

「ありがたい。代わりと言ってはなんだが、ニワトリかガチョウを何羽か持ってこさせよう」

 

「そりゃあ嬉しいですな! この辺じゃ肉を手に入れるのもなかなか難儀でね、たまには孫にも美味いものを食わせてやりたいと思っておったんですわ」

 

 この歳で肉類を食べられる年齢の孫がいるのか。田舎は世代交代が早いな。……いや、スオラハティ辺境伯がソニアを産んだのも、十代のころだからな。単純に僕の結婚が遅れているだけか。あー、胃が痛くなってきた。最近、自分の中で結婚という単語が断酒や禁煙と同じカテゴリに分類されつつあるような気がする……

 まあそれはさておき、初顔合わせの感触としてはまずまずの様子である。カルレラ市の参事会と交渉した時もそうだったが、地元有力者を相手にする時はなかなかに気を遣う。正直、兵隊どもと一緒にそこらへんの野原を走り回ってるほうがよっぽど楽だな。



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第192話 くっころ男騎士と猟師狐

 雑談が終わると、村長は「案内の者を連れてきます」と言って家から出ていった。僕たちはこの後村の外の探索を行う予定だったが、なにしろここは文明の最果てリースベン。村や街道から一歩外に出れば、そこは未開の原生林である。地元の地理に詳しいものの案内なしにうろつくのは、軍人と言えど自殺行為だった。

 

「……どうも。自警団員の、レナエルです」

 

 それから十分ほど後。村長が連れてきた自警団員は、ぶっきらぼうな口調でそう名乗った。黒と銀の入り混じった複雑な髪色の、カリーナと同年代と思わしき狐獣人の娘である。彼女は夏だというのに薄汚れた革製の長袖ジャケットを着込み、腰には大ぶりなナタとナイフを差していた。猟師の服装だ。森の案内には、もってこいの人選だろう。

 

「リースベン城伯のアルベール・ブロンダンだ。今日はよろしく頼む」

 

 にこりと笑って、握手を求める。レナエルと名乗った娘は一瞬面食らった様子だったが、少し躊躇してからコホンと咳払いする。そして自分の服で何度も手を拭ってから、僕の手を握り返した。

 

「……その、汚れた手で申し訳ありません」

 

「何を言う、働き者の良い手じゃないか」

 

 確かに、レナエルの手はお世辞にも綺麗ではない。爪やシワに草の汁がしみこみ、すっかり黒ずんでいた。こういう汚れは、風呂に入ってしっかりと洗ってもなかなか取れるものではない。しかし、真面目に仕事をしていたら手がボロボロになっていくのは当然のことだ。僕だって、剣ダコでゴツゴツした男とは思えないような手をしている。

 

「ほう、銃ですか」

 

 レナエルが背負っているモノを見て、ソニアが感心の声をあげた。銃身の長い、火縄式と思わしき猟銃だ。ガレアにおいては、猟師の武器といえば短弓である。鉄砲を使っている者は、あまり多くはない。

 

「皆さま、鉄砲をお持ちのようでしたんでね。案内は、銃の扱いに精通した者のほうが良いのではないかと思ったもんで」

 

 ニコニコ顔の村長が、そう説明する。確かに、僕の腰にはリボルバーの収まったホルスターが吊られているし、ソニアやジルベルトも騎兵銃を持参している。もちろん、護衛の騎士たちも例外ではない。

 ジルベルトの部下などは、これまで銃を一度も撃ったことがないという者も多かった。しかし、リースベン軍人たるもの例外なく射撃に精通するべし、というのが僕の方針である。士官や騎士が相手でも、容赦なく射撃訓練と銃器の携帯を命じていた。

 

「レナはわが村でも一番の鉄砲の名手でしてな。去年もエルフを一人、その猟銃で仕留めとります」

 

「ほう」

 

 この村に競うほどの数の鉄砲の射手が居るのかよというツッコミはさておき、この年齢でもう実戦経験済み、しかも敵を殺したこともあるというのはびっくりだ。正直、なんだか複雑な気分だな。とはいえ、ガレアでは十代中ごろで成人なのである。この辺りの感覚は、現代人とは大きく違う。

 

「そいつは素敵だ。頼りにしているぞ」

 

「……」

 

 レナエルは無言でコクリと頷いた。どことなくアホっぽ……純真なところのあるカリーナとちがい、なかなかにクールな性質(タチ)のようだな。 そんな彼女の様子をほほえましそうに見ていたジルベルトだが、ソニアに肩を叩かれてコホンと咳払いをした。

 

「聞いていると思うが、我々はエルフどもの動向を追っている」

 

「ハイ」

 

「君には村の郊外の案内と、エルフどもがどういう手を使って攻撃を仕掛けてくるのか、そしてそれをどうやって撃退しているのかを教えてもらいたい。出来るね?」

 

「……お任せを」

 

 頷くレナエルに、緊張の色はない。なかなか度胸がある娘だな。なにしろこちらは僕やソニア、ジルベルトに加えて護衛の騎士が十名近く居る。しかもその全員が完全武装だ。こんな物騒なことこの上ない集団に同行しなくてはならないのだから、ガチガチに硬くなってもおかしくないだろうに。

 

「村長がいるうちに聞いておこう。エルフどもは、極めて狡猾で危険な連中だ。そんな強力な敵に対して、この村はどういうやり方で対抗しているんだ?」

 

 エルフは魔法を使いこなし、頭もよく回る。本業の兵士ではない自警団には、少しばかり手の余る敵だろう。とはいえ、この村は毎年の襲撃シーズンをなんとか凌ぎ、いままで存続している。なにか上手い作戦があるのだろうか?

 

「ふむ……」

 

 村長は少し考えこんで、周囲を見回す。そして民家の方を指さした。

 

「それほど冴えたやり方ではないんですが、この村は民家と民家がやたら密集しとるでしょう?」

 

「確かに」

 

 言われてみれば、農民たちの家はまるで建物同士が合体したような見た目になっている。構造としては長屋に近いだろう。土地だけは無駄に余っているリースベンで、あえてこれほど家を密集させるのはなんだか変だ。

 

「あれはね、城壁代わりですわ。家を盾にして、屋根から弓矢やら投石紐やらで攻撃を仕掛けるわけです。エルフどもは確かに強いですが、数は多くない。十人以上の集団は見たことがありません。だから、矢や石を雨のように浴びせかけてやれば、なんとか撃退くらいはできます」

 

「ほう」

 

 なるほど。村の設計そのものが防衛戦を前提に構築されているわけか。流石は辺境、まさに常在戦場である。

 

「しかし、この村の家は木造ばかりだ。火計を仕掛けられると、不味い事になるのでは? エルフといえば弓と魔法。そのどちらも、家に火を放つにはもってこいの道具だが……」

 

 そんな疑問を呈したのはジルベルトだ。たしかに、家を防御拠点として使うにはそれがネックになってくる。王都の民家はたいていが石造りやレンガ造りだから、少々の攻撃では小ゆるぎもしないのだが……この村の家は一軒の例外もなく藁ぶき屋根だ。火矢の一本や二本を撃ち込まれるだけで盛大に燃え始めそうに見える。

 

「それはそうなんですがね。エルフ連中は、なぜか火を使わんのですわ」

 

「毒矢とか、風の魔法は撃ちまくってくるんですが」

 

 村長の言葉をレナエルが補足する。ふーむ、エルフは火計を使用してこない、か。

 

「森林火災を恐れているのかもしれないな。森は奴らの住処(すみか)だ。派手な火事が起きれば、彼女らも困ったことになるだろう」

 

「どうでしょうねえ? 見張りのために村の近くにある木は全部切り倒してありますから、村ン中で派手な火事があっても、森まで延焼することはまずないと思うんですが」

 

 僕の仮説は、村長が否定した。確かに、言われてみれば村の外縁部はすべて広大な畑になっていた。木など一本も残っていない。麦類の収穫が終わった後を狙えば、火計を使っても延焼の危険性はほとんどないだろう。

 

「そもそも、エルフなんて森の獣と大差ない生き物ですからね、本能的に、炎を嫌ってるんじゃないかと」

 

「ど、どうかなあ」

 

 ナチュラル差別発言に、僕は思わず冷や汗が滲んだ。あまり気分の良いものではないが、こればっかりは仕方がないだろう。日常的に殺した殺されたを繰り返している間柄なのだから、自然と恨みつらみも溜まってくる。

 

「まあ、その辺りはエルフ本人に聞いてみなきゃわからんだろう。考えても無駄だ」

 

 エルフは炎を使わない。この情報が手に入っただけでもなかなかの収穫だ。僕は咳払いをしてから、村の出入り口の方へと視線を向けた。

 

「とりあえず、いったん森の方へ行ってみよう。まあ、エルフとばったり出くわすこともないだろうが……痕跡のひとつくらいは見つかるかもしれん」

 

 そうはいっても、すでにこの辺りはジルベルトの部下の斥候隊が探索し尽くしている。大したものは見つからないだろうなと、僕は内心ため息を吐いた。まあ、僕の本来の目的はあくまで前線の視察だ。探索はついで程度に考えておこう。



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第193話 くっころ男騎士と探索

 村長と別れた僕は、レナエルに先導され護衛の騎士たちと共に郊外へと向かった。さすがは辺境開拓地といったところで、村外縁部の田園地帯を抜ければそこはもう未開の原生林である。樹高一五から二〇メートルほどの大木の立ち並ぶ原生林はひどく鬱蒼としており、来るものを拒む威圧感がある。

 

「君は猟師だろう」

 

 隊列の先頭を歩くレナエルに、僕はそう聞いた。彼女は下草をナタで切り払いつつ、「ハイ」とだけ短く応えた。なにしろ人の手が全く入っていない森だから、前へ進むだけでもなかなかの難事だ。

 大樹の枝葉が陽光を遮っているせいか草は案外少ないが、それでもナタや山刀が無ければとても前へ進めない程度には茂っている。その上地面には、苔の生えた木の根が縦横無尽に張り巡らされており、一瞬でも気を抜けば即座に転倒してしまいそうなほど足元が悪い。

 

「では、この辺りの森は庭も同然かな」

 

「庭と呼ぶには、少し物騒です。狼とか、魔樹(トレント)の類もよく出ますし」

 

 魔樹(トレント)というのは、普通の樹木に擬態して近くを通る野生動物や人間を捕食するモンスターである。要するにダイナミッククソデカ食虫植物だな。僕たちの住む中央大陸西方では、もっともポピュラーなファンタジー生物だ。

 竜人(ドラゴニュート)やら獣人やらがそこらじゅうで闊歩しているだけあって、この世界にはこの手の怪生物が少なからず生息している。僕も転生したばかりのころはそういう生物を見るたびにワクワクしていたものだが、今となってはイノシシやシカと同じようなモノと認識するようになっていた。

 

「でも、村で一番この森に詳しいのは、自分たちの一家です」

 

「なるほど、それは頼もしい。君が案内役で助かった」

 

 これは僕の偽らざる本音だった。慣れない原生林で藪漕(ヤブこ)ぎなど、冗談ではない。僕も山林でのサバイバル訓練は受けているが、それでも地元の専門家には勝てるはずもないからな。やはり先導役は必要だ。

 実際、この森はなかなかに険しい場所だった。温暖湿潤な気候のせいか、ガレア本国の森よりもずっと植物の種類と数が多い。そしてサイズもデカイ。軍隊が行動するには、あまりにも辛い土地だ。

 

「予想されていたことですが、森の中で戦うのは避けた方がよさそうですね。まともに戦闘行動ができる地形ではありませんよ、ここは」

 

 隣を歩くソニアが、周囲を見回しながら言った。真昼だというのに、この森の中はひどく薄暗い。おまけに大量の樹木のせいで見通しも効かないし、地面はコケと根っこまみれでまともに踏ん張りもきかないと来ている。こんな場所で、敵と戦う? 冗談じゃないね。

 

「同意見だな。……レナエルくん、ひとつ質問をしてもいいかな?」

 

「ハイ」

 

「例えばの話だが、君が鉄砲兵と槍兵をそれぞれ十五名ずつ部下に持つ指揮官であると仮定しよう」

 

「……ハイ」

 

 レナエルは立ち止まり、こちらを振り返った。いかにも聡明そうな藍色の瞳が、僕をじっと見つめている。僕は片手に持った方位磁針を確認しつつ、南西方向を指さした。見渡す限り、このあたりでもっとも樹木の密度が濃い場所だ。

 

「十名のエルフ兵があちらの方向から攻撃を仕掛けてきたとする。さて、君ならどうする?」

 

「逃げます。一目散に」

 

 レナエルは即答した。ジルベルトが「ふむ」と小さく声を上げる。

 

「数の上ではこちらの方が三倍多い。それでも撤退を選択するわけか」

 

「ハイ。森の中では、エルフどもに勝ち目はありません」

 

 ナタを腰の木鞘に納めたレナエルは、ゆっくりと僕の方へ近づいてきた。そして、僕の指さしてきた方向をちらりと一瞥する。

 

「あの方向からと領主様はおっしゃいましたが……エルフどもは、一かたまりになって一斉に攻撃を仕掛けてくるような真似はしません。あちこち分散して、茂みや樹上に潜み……こちらが気を抜いたタイミングで、弓矢を射かけてきます」

 

妖精弓(エルヴンボウ……)

 

 ソニアがボソリと呟く。いかに蛮族じみた存在であろうが、エルフはエルフである。彼女らはみな弓の名手だという話だ。

 

「あいつらの弓は小さいですが、竜人(ドラゴニュート)でも引くのに難儀するほどの強弓です。取り回しが良く、それでいて射程はロングボウと大差ない。鉄砲では勝ち目がありませんし、槍なんて論外だと思います」

 

 ショートボウの取り回しの良さとロングボウの射程を併せ持つ強弓、ね。前世の世界で言えば、モンゴル弓が近いだろうか? モンゴル式の弓は湿気に弱かったはずだが、エルフ弓にはそのような欠点はないのかね? この高温多湿なリースベンの先住民族だからなあ、エルフどもは……。

 

「鉄砲兵の持つ小銃が、二〇〇メートル先の目標でも問題なく命中させられるほど長射程のものだった場合でも?」

 

「大差ありません。森の中では、射程の長短はあまり関係がないので。それより、連射が出来るか否かが重要です」

 

「つまり、森の中でエルフと戦ってはいけない、ということだな」

 

「ハイ」

 

 レナエルはコクリと頷いた。エルフたちは、森林戦に特化した連中だ。そりゃ手強いに決まってるわな。相手の有利な土俵で戦うべきではない、というのは戦術の基本だ。部隊を森の中に突っ込むような真似は、現に慎むべきだろう。

 

「自分は森の中をうろつくのは得意ですが、それでもエルフには絶対に勝てません。戦うなら、村の傍まで引き付けるしかないです」

 

「なるほどな、参考になった。ありがとう」

 

「いえ。所詮は素人意見ですから、あまり気にしないでください」

 

「いいや、そんなことはない。筋の通った、合理的な意見だった。センスがあるよ、君には」

 

 会話をしつつも、僕の頭は高速回転していた。地形は厳しく、敵は精強。対エルフ戦は、かなりの難事になりそうだ。しかしリースベンを統治し続ける限り、エルフたちとの戦闘は避けられない。なにかしら、上手い作戦を用意しておく必要がある……。

 

「何はともあれ、エルフどもがどう動くつもりなのかを知りたいな。相手の出方がわからないことには、防衛計画を立てるどころではない」

 

「そうですね。案の定と言えば案の定ですが、エルフがこの辺りに居るような痕跡はまったく見つかりませんし」

 

 ソニアが唸るような声でいった。まあ、当然と言えば当然なんだがな。なにしろ、村の周囲の森は現地の自警団や僕の部下たちが念入りに調査を行っている。攻撃や偵察の兆候があれば、すでに報告が上がってきているはずだ。

 

「野営の跡や糞便の類でも落ちてれば、話は早いんだが」

 

「ふ、糞便」

 

 ひどく面食らった様子で、レナエルが僕を見た。なんだかすごい表情をしている。

 

「え、なに……」

 

「アル様、自覚はないでしょうがあなたは一応貴族令息なんですよ。それがいきなり糞便なんて言うから、びっくりしてるんじゃないですか」

 

 などとツッコミじみた口調で言ってくるのは、護衛として連れてきた僕の部下だった。こいつも幼馴染の一人なので、口ぶりが容赦ない。

 

「普通の貴族令息は糞便なんて言わないのか」

 

「言うわけないでしょ」

 

「じゃあなんて言うんだよ。お大便か?」

 

「お大便……」

 

 茫然とした様子で、レナエルが呟く。それを見たジルベルトが噴き出しそうな表情で口元を抑えた。顔が真っ赤になっている。

 

「いやその……ごめん」

 

 僕は日常的に兵隊どもと一緒に卑猥な歌を大声で歌いながらランニングしているような人間である。いまさらお上品さなんて求めないでほしい。そう思いつつも、ひどくショックを受けている様子のレナエルにはちょっと申し訳ない気分になってしまった……



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第194話 くっころ男騎士と森の茶会

 その後も僕たちは必死になりながら森の探索を続けたものの、探せども探せどもエルフが居た痕跡らしきものは見つからない。いい加減に疲れてきた僕たちは、休憩を取ることにした。

 従卒たちがてきぱきと折りたたみ式のテーブルとイスを並べ、焚き火で香草茶を沸かす。ガレア貴族は行軍や戦闘の最中にも平気でガバガバお茶を飲むので、その世話を担当する従者や従卒たちも慣れたものだ。

 

「いやはや、しかし……リースベンの森はなかなかの難物だな」

 

 香草茶で満たされたカップを口に運んでから、僕は小さく息を吐いた。野外活動に関しては人並み以上に得意なつもりだが、流石に少々くたびれた。

 

「しかし、いい経験にはなりました。エルフの足取りを掴めなかったのは残念ですが、視察としては大成功の部類でしょう」

 

 ハンカチで額の汗をぬぐいつつ、ソニアが笑う。竜人(ドラゴニュート)は比較的暑さに強い種族だが、ソニアは北方のノール辺境領の出身だ。リースベン特有の湿気を含んだ暑苦しい空気は、少々苦手なようである。

 

「やはり、部下からの報告や地形図だけに頼って作戦を立てるのは危険です。指揮官自らが現場に足を運び、己の五感を使って状況を確認するべきでしょう」

 

「そうだな」

 

 ため息交じりに、僕は頷いた。確かにその通りだ。予想以上に、この森は危険な場所だった。僕らだって、レナエルの案内がなければ途中で遭難していたかもしれない。

 見通しが効かず、足元も悪く、目印になるような特異な地形もない。ついでに言えば、地図もない。こんな場所に軍隊を突っ込むなど、もってのほかだ。行軍中には大量の落伍者が出るだろうし、補給線の維持も極めて難しい。敵からの攻撃がなくとも、みるみるうちに戦力が削られていくだろう。

 

「森林での行軍・戦闘訓練は大幅に増やしておいたほうがいいだろうな。王都周辺の森とは、あまりにも勝手が違いすぎる」

 

 それでも、いざとなれば不利とわかっている場所へも突っ込んでいかなくてはならないのが軍隊という組織だ。その準備はしておくべきだろう。幸いにも、演習場として使える場所はいくらでもある。リースベンは、ほぼ全土がこの場所と同じような樹海に覆われているのである。

 

「そうなると、リースベンの森林に精通した人物を教官役に据えるべきですね。わたしの郎党たちも、このような場所で戦った経験のある人間はおりませんし」

 

 湯気のあがるカップにふぅふぅと息を吹きかけながら、ジルベルトが言う。

 

「そうだなあ……」

 

 少し考えこみながら、僕はポーチからビスケットを取り出した。包み紙を剥がし、一枚口に運ぶ。はちみつのほのかな甘みが口の中に広がった。茶菓子にはぴったりの味付けである。

 

「ほい」

 

 持ってきたビスケットは三枚。残る二枚を、無言で香草茶を飲んでいたレナエルに手渡した。彼女はひどく驚いた様子だったが、すぐに「ありがとうございます、領主様」と頭を下げて受け取った。

 

「……ッ!」

 

 おずおずとビスケットを口に運んだ彼女は、一瞬だけ目を輝かせてあっという間に一枚平らげた。どうやら、お気に召してくれた様子である。人がうまそうにメシを食っている様子ほど、見ていて楽しいものはない。僕はホクホク顔で香草茶を飲み干した。

 

「教官役が出来る人間が軍にいないとなると、外部から募るほかないか」

 

「そうですね。まあ、詳しい話はカルレラ市に戻ってからにしましょう。このような場所で、軍機に属する話をするわけにも参りませんし」

 

 ソニアが周囲を見回しつつ言った。なにしろ、森はエルフの領域である。いわば、敵地も同然だ。この辺りにエルフが居るという証拠は出てきていないが、警戒するに越したことはないだろう。

 

「確かにな。まったく、居るのやら居ないのやらわからないのが一番困るよ」

 

 堂々と姿をさらして攻撃準備をしてくれているのなら、まだやりやすいんだが。困ったもんだね。

 

「レナエル、君の意見を聞きたい。この辺りにエルフが居るのか居ないのか……どう思う?」

 

「……わかりません」

 

 二枚目のビスケットにかぶりつこうとしていたレナエルはピタリと動きを止め、数秒間考え込んでから首を左右に振った。

 

「エルフたちは、犬の鼻すら誤魔化すことができるようです。正直、自分が手に負える相手ではないと思います。……役立たずで申し訳ありません」

 

「相手はエルフだからな、一筋縄ではいかないだろうさ。あまり気に病む必要はない」

 

 優しげな口調で、ジルベルトが慰める。実際問題、こればっかりは仕方がないだろう。エルフは長命種、つまり百年以上の時間をかけて野伏(レンジャー)としての鍛錬を積んできた連中だ。我々短命種がそれに立ち向かうのは、生半可なことではない。

 

「ジルベルトの言う通りだ。できないことをできないと認めるのは、大人でもなかなか難しいものだよ。君は立派だ」

 

「……」

 

 少し赤くなって、レナエルは狐耳をぴこぴこさせた。いやあ、いいねえ狐っ娘は! うーん、可愛い。これで御年ウン百歳とかなら最高なんだが、まあ現実は甘くない。獣人の寿命は、おおむね只人(ヒューム)と同じ程度の長さだ。ファンタジックな異世界とはいえ、どうやらお狐ロリババアは実在しないようである。非常に残念だ。

 

「……ふう」

 

 一つため息を吐いてから、僕は従卒に香草茶のお代わりを頼んだ。とりあえず、当面は新兵たちの錬成を急ぐほかあるまい。敵の出方がわからないことには、どうしようもないのだ。どんな事態が発生してもいいように準備を整えておくべきだろう。そんなことを考えていた矢先だった。

 

「やあやあ。このような森の中で茶会とは、なかなか風情のある話じゃな」

 

 鬱蒼とした原生林の中で聞くには、あまりに不釣り合いな幼い声だった。あわてて声の出所に目を向けると、そこに居たのはぶかぶかのポンチョを纏った幼女だ。木漏れ日に照らされた長いプラチナ・ブロンドがきらきらと輝き、妖精のような幻想的な雰囲気を放っている。

 

「良ければ、ワシも混ぜてはくれんかね?」

 

 幼女はそんなことを言いつつ、友好的な笑みを浮かべて手を振ってくる。まるで、通りすがりの旅人が挨拶がてら声をかけてきたような風情だった。だが、先ほどまであの場所には誰も居なかったはずだ。この場には十数名の騎士と、それ以上の数の従卒たちがいる。彼女らの監視の目をかいくぐってここまで接近できる人間が、単なる幼女であるはずはない。

 そして何より、僕たちの警戒心を煽る要素があった。彼女の耳は、笹穂状にとがった長いものだったのだ。このような身体的特徴を持っている種族と言えば……

 

「エルフ、だと……!?」 



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第195話 くっころ男騎士のファーストコンタクト

「総員警戒態勢! 攻撃は別命あるまで禁止!」

 

 リボルバーをエルフ幼女に向けつつ、僕は叫んだ。部下の騎士たちが慌てて剣や銃を構える。このエルフ、いったいどこから出てきたんだ? 休憩中とはいえ、ここは敵地といっていいような場所だ。当然、警戒は緩めていない。十分な数の騎士たちに、見張りを命じていたはずだ。

 今回、僕が連れてきている騎士は自分の子飼いの部下……つまり幼年騎士団の同期達と、ジルベルトの郎党たちだ。どちらにせよ、騎士としての腕前は折り紙付きである。そんな彼女らの監視網を突破し、密かにここまで接近したのだから、この幼女は尋常な相手ではない。

 

「軽臼砲準備! 赤色信号弾、いつでも撃てるようにしておけ!」

 

 探索中にエルフと遭遇してしまう可能性は、もちろん考慮していた。こういう時のために、上空には翼竜(ワイバーン)を待機させてある。信号弾をぶっ放せば、村に駐留している味方部隊を連れてきてくれる手はずになっていた。

 

「おやおや、いきなり武器を向けるとはひどいのぅ。安心せい。ワシには、オヌシらを害するような意図は微塵もありゃせんよ」

 

 幼女エルフは、苦笑しつつ両手をパーにして武器を持っていないことをアピールした。とはいえ、だからといって安心できるものでもない。周囲にはこの幼女以外のエルフの姿はないようだが、姿を隠して潜んでいる可能性も十分に高い。

 

「何用だ、エルフ」

 

 冷え切った声音で、ソニアが聞く。彼女は愛用の両手剣を抜き放ち、いつでも突撃できる姿勢になっていた。

 

「挨拶じゃよぅ、挨拶」

 

 一方、エルフのほうは、妙に牧歌的な表情を浮かべつつ口を尖らせた。すくなくとも、その顔には敵意らしきものはうかんでいない。

 

竜人(ドラゴニュート)の国……ガレア王国じゃったか? そやつらが、この地に新たな代官を送ったと聞いてのぅ。挨拶の一つでもしておかねば、礼儀知らずとそしられてしまう」

 

「蛮族に礼儀を説かれる筋合いはない!」

 

 ジルベルトが吠える。

 

「わはは、ひどい言いようじゃなあ! ま、致し方ないか」

 

 ケラケラと笑ってから、エルフは肩をすくめた。そしてピシリと姿勢を正し、一礼する。蛮族エルフがするにしては、妙に典雅な動作だった。

 

「一応、挨拶をしておこう。ワシは、リンド・ダライヤ。新エルフェニア帝国の長老衆の一人として、ガレア王国はリースベン代官のアルベール・ブロンダン卿に挨拶を申し上げる」

 

 なんで蛮族が僕の名前を知ってるんだよ! 思わず叫びそうになったが、ぐっと堪える。指揮官は部下の前で動揺を見せてはならないのだ。

 ……というか、長老っていったよな今。見た目は幼女だが、中身は高齢という事か。つまりは、ロリババア! なんたることか、まさか人生初の生ロリババアが、敵対勢力の者とは。わが身の不幸を呪わずにはいられないな。

 

「謹んでお受けしよう、ダライヤ殿。しかし、ひとつ訂正したいことがある。今の僕はリースベン代官ではなく、城伯だ」

 

「おや、それは申し訳ない」

 

 ひどくバツの悪そうな表情で、ダライヤ氏は頭を下げた。蛮族という前評判のわりには、妙に淑女的な立ち振る舞いである。もちろん、だからと言って警戒を解くわけにはいかないが。

 しかし、新エルフェニア帝国ね。名前の響きからして、エルフたちの国だろうか? 規模や体制が知りたいな。まったく、情報不足も甚だしい。相手は僕の名前や立場まで把握しているというのに、こちらは向こうの国名すら今初めて聞いたような有様なのだ。これは、圧倒的に不利な状況と言わざるを得ない。

 

「まあ、とにかく……今日は挨拶をしに来ただけなのじゃ。そう警戒する必要はない」

 

「……黙れ、エルフめ。その臭い口を閉じろ」

 

 怒りの籠った声でそんなことを言うのは、レナエルだった。彼女は猟銃を構え、僕の前へと出てきた。どうやら、庇ってくれているようだ。

 

「やめなさい、レナエルくん。騎士が民間人に庇われちゃ、恰好がつかないじゃないか」

 

 苦笑しながら彼女の肩に手を置き、半ば強引に後ろに下がらせる。ヒートアップして発砲されちゃ、たまったもんじゃないからな。このエルフは、少なくとも今すぐは攻撃を仕掛けてくる様子はない。つまり、情報収集のチャンスということだ。

 

「非常に申し訳ないが、僕は新エルフェニア帝国なる国は寡聞にして存じ上げない。詳しく聞かせてくれると嬉しいが」

 

「うん、その辺りはまあ……茶でも飲みながら話し合おうではないか。立ち話というのも、風情がないじゃろう?」

 

 エルフ幼女の言葉に、僕はちらりとソニアの方を見た。彼女は無言で剣を背中の鞘に戻し、代わりに腰に差した短剣の柄をぽんと叩く。護衛なら任せろ、ということらしい。なんとも頼りになる副官だ。彼女が居るのだから、少しばかり相手の思惑に乗ってやっても構わないだろう。

 

「いいだろう。しかし、武器の類はすべて手放してもらえるとありがたい。見ての通り、男の身でね。怖いんだ」

 

「北の山脈で、隣国の兵隊どもを殲滅した男が良く言う。実に勇敢な戦いぶりじゃったがのぅ」

 

 ディーゼル伯爵との戦争も見られてたのかよ!! 情報戦で完全敗北してるじゃねえか!! どうするんだ、これ。思った以上にやりにくい相手だぞ、エルフ。やはり長命種は伊達ではないということか。平気でこちらの想定を上回った手を打ってくる。

 

「まあいい。しかし、その代わりと言ってはなんだが、従者を一人呼んでも構わんかね? ワシの身に何かがあった場合、本国に知らせる必要があるからの」

 

「了解した」

 

 僕が頷くと、後ろに下がっていたレナエルが厳しい目つきで僕を見た。

 

「領主様、大丈夫なのですか? 相手はエルフですが……」

 

「たとえ敵でも、交渉の窓口くらいは作っておいた方が良いんだ。安心しなさい、僕は君たちの利益代表者だ。君たちの不利益になるような真似は、断じてしない」

 

「……もうしわけありません、出過ぎたことを言いました」

 

 そんなことを話していると、エルフ幼女が指笛を吹いた。甲高い音色が、鬱蒼とした森に響き渡る。……すると、遠くから鳥の羽音らしきものが聞こえてきた。ばさり、ばさりというその音は次第に接近し、やがて茂りに茂った木々の枝葉を避けて真っ黒い鳥のようなモノが飛来する。

 

「ないか御用じゃしか、大婆様」

 

 黒い鳥のようなモノは幼女エルフの真横に着地すると、こちらを無遠慮に眺めつつそんな言葉を吐く。よく見れば、ソレは鳥ではなくカラスの鳥人だった。鳥人というのは、文字通り鳥型の獣人だ。フィオレンツァ司教をはじめとする翼人と違い、他の人種で言うところの腕にあたる部位が翼になっている。軽量化されているぶん、空中戦では翼人より数段手強いという話だが……。

 

「護衛を頼ん」

 

「承知」

 

 そういえば、リースベンに出没する蛮族には、カラスやスズメの鳥人も含まれていると村長が言っていたな。どうやら、彼女らは協力関係にあるようだ。……ただでさえ厄介なエルフが、空中戦力まで保有している? こりゃ参ったね。戦いたくねえなあ……

 



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第196話 くっころ男騎士とロリババアエルフ(1)

「……」

 

「……」

 

 なんとも居心地の悪い雰囲気が、森の中に漂っていた。場の中心人物であるエルフの長老とやら……リンド・ダライヤ氏は、澄ました顔で香草茶をすすっている。従者のカラス獣人のほうは、ビスケットや乾燥豆を足で器用につまんで(鳥人は腕がまるまる翼なのでモノが持てないのだ)ガツガツと食い続けていた。しかし、その金色の眼はさきほどからずっと僕の方へと向けられている。非常に居心地が悪い。

 一方、こちらの陣営もひどく殺気立っていた。ソニアは自然体に見えてすぐにでも短剣や拳銃を抜ける姿勢になっているし、ジルベルトもダライヤ氏を睨みつけていた。レナエルに至っては、親の仇と遭遇してしまったような表情である。

 

「良い茶葉じゃのう。いやあ善哉(よきかな)善哉(よきかな)

 

 そんな針の筵じみた状況だというのに、ダライヤ氏はまるで実家に居るかのようなくつろぎぶりだった。どういう面の皮の厚さをしてるんだろうか。只者じゃないね、まったく。

 いや、このロリが尋常な手合いではないことは、最初から分かっていたさ。わざわざこちらの警戒網を突破して見せたのは、伏兵の可能性をチラつかせることでこちらの動きを制限するためだろうし、鳥人との協力関係をに初手で提示してきたのも、空を使った戦術がこちらの専売特許ではないことを知らしめる意図があってのことだろう。

 いきなり奇襲を仕掛けられるより、よほど厄介な事態に陥っている気がする。すくなくとも、奇襲効果はバッチリだ。状況の主導権は明らかに向こうが握っている。

 

「ふうむ……」

 

 唸りながら、香草茶を飲む。頭の中であれこれ考えつつ、視線を近くの木の根元に向けた。そこには、エルフとカラス鳥人が所持していた武器類が置かれていた。彼女らは、一応は武装解除に応じてくれたのである。

 まず、目につくのは奇妙な木剣だ。これは木の板を剣の形に成型したもので、刃の部分には無数の黒曜石の破片がはめ込まれている。前世世界における中南米……マヤやアステカなどの文明で使われていた特殊な剣、マカナに近い構造の代物だった。

 これは本来、製鉄技術を持たなかった中南米先住民族ならではの武器なのだが……彼女らの持っていた他の武器には、普通に鉄が使われている。ダライヤ氏は取り回しの良さそうな山刀を例の木剣と一緒に差していたし、カラス鳥人も長く鋭い鉄製の鉤爪が装着された革の足袋を履いていた。いったい、エルフたちはどういう理由であんな使いにくそうな木製武器を作ったのだろうか……?

 

「ワシの剣が気になるかね」

 

 片方の口角だけを上げる特徴的な笑みと共に、ダライヤ氏が問いかけてきた。少し迷ってから、僕は頷く。少しでも、エルフたちの情報が欲しい。向こうが教えてくれるというのなら、それを拒む理由はあるまい。

 

「その剣のことを、我々は妖精剣(エルヴンソード)と呼んでおる。何の捻りもない、面白みに欠ける名前じゃな」

 

「はあ」

 

 妖精弓(エルヴンボウ)に妖精剣《エルヴンソード》ね。エルフは固有(ユニーク)武器が多いんだな。……そういや、ダライヤ氏は弓矢を携行してないな。さすがに、話し合いに射撃武器を持ち込むのは控えたのだろうか?

 

「オヌシらも魔法の剣は使っておるじゃろうが……元来、魔法と鉄の武器は相性が悪いものじゃ」

 

「そうだな」

 

 基本的に、金属類は魔力を通さない。甲冑や剣などに魔法の効果をエンチャントするには、例外的に魔力をよく通す特殊な金属であるミスリルでメッキしてやる必要があるのだ。しかし、ミスリルは希少な金属である。とうぜん、魔装甲冑(エンチャントアーマー)や魔剣の類の製造コストは極めて高い……。

 

「……つまり、武器の材料に石や木を使えば、低コストで魔法の武器が作れると」

 

 少し驚いた様子で、ソニアが聞く。ダライヤ氏はにっこりと笑って頷いた。

 

「その通り。エルフの戦士は、雑兵の一人に至るまで魔法の剣を所有しておるのじゃ。恐ろしかろ?」

 

「……なるほどね」

 

 独自の技術体系まで持ってるじゃねえかよ! 何が未開の蛮族だ、めちゃくちゃヤベー連中じゃねえか!! んひぃ、こんな奴らと森の中で戦うなんて、絶対に嫌だぁ……どうしよう、コレ。

 しかし、不思議だな。こんな連中が、なぜ略奪強姦三昧の蛮族生活なんてしてるんだろうか? そもそも、リースベンに入植がはじまったのもここ二十年くらいの話らしいしな。それ以前は、エルフたちも自給自足で生きていたはずなのだが……。

 

「しかし、そのような優れた技術をもった方々がなぜ我々の集落を襲うのだろうか? 武器を向けあうよりも、交易の相手として仲良くしたほうがお互いのためになるように思うが」

 

 むろん、彼女らからすれば僕たちの方が侵略者であるという可能性も十分にある。しかし、農民たちの話を聞くに、エルフどもは集落を滅ぼそうとせず、あくまで略奪に重点を置いた攻撃を仕掛けてきているようだ。これは正規軍というより、盗賊のやり口である。どうも、彼女らの行動原理が見えてこない。

 

「うむ、まあ実際、ワシもそう思うんじゃがのぅ……」

 

 ため息を吐いてから、ダライヤ氏は香草茶を飲んだ。そしてちらりとレナエルの方を見てから、申し訳なさそうな様子で言う。

 

「しかし、交易をしようにもワシらが差し出せるものなどほとんどないのじゃ。カネがない。しかしモノやヒトは欲しい。そうなるともう、奪うほかないじゃよ」

 

「差し出せるものがない、ねえ」

 

 本当かね? 話を聞く限り、技術も知性もそれなり以上に持ち合わせている連中だ。交易の材料がないなどということは、考えづらいように思えるが……。

 

「信じておらぬようじゃな? しかし、これは本当のことじゃ。その証拠に、我らの国名には新の文字がついておる。この意味がわかるか?」

 

()エルフェニア帝国もあった、と」

 

「その通り。我らの国は、一度滅んでおるのじゃ。その切っ掛けは、十年ほど前の話で……」

 

「大婆様」

 

 突然、カラス娘がダライヤ氏の言葉を遮った。彼女は何とも言えない表情で、上司のロリババアエルフの方を一瞥する。

 

「ラナ火山ん噴火なら、百年前ん話ど」

 

 その言葉に、ダライヤ氏は耳まで真っ赤になって顔を逸らした。……しかしこのカラス娘、言葉がめちゃくちゃ訛ってるな。

 

「そ、そうじゃったか。歳を食うと、時間の感覚があいまいになっていかんのぅ……」

 

 ダライヤ氏は深くため息を吐き、頬をポリポリと掻く。油断ならぬ敵幹部とはとても思えないような、可愛らしい動作だった。

 

「……まあ、それはさておき、じゃ。あれは百年前、栄華を極めておった我らの帝国に、恐ろしい凶悪な厄災が襲い掛かった。この半島の中心部に存在する火山が、突如として大爆発を起こしたのじゃ」

 

 突然昔話が始まり、ジルベルトが露骨にげんなりした表情になる。……正直同感だが、これも情報収集の一環である。大人しく聞くしかあるまい。



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第197話 くっころ男騎士とロリババアエルフ(2)

 リースベン半島の中央にある火山が、百年前に噴火を起こした。ダライヤ氏のその言葉が真実なのかどうか、僕は少しの間考え込んだ。大規模噴火が起きたのであれば、その影響はリースベンだけにはとどまらないはずである。王国史の中に、それらしい記述があったような……。

 

「そういえば、百年ほど前にガレア南部に大量の火山灰が降り注ぎ、冷夏が続いた時期があったな」

 

「十年戦争の引き金を引いた出来事ですね」

 

 十年戦争と言えば、ガレア王国と神聖帝国が直接激突した大戦争だ。名前の通り戦争自体は十年ほどで終結したが、その火種は終戦したのちも随分と後を引き、幾度となく大小の戦乱を引き起こした。そんな歴史上の大事件の引き金を引いたのが、リースベンの火山だというのだろうか?

 

「時期が被っているのだから、まあ原因は我らがラナ火山じゃろうな。まあ、それはさておき今は我らの帝国の話をしよう」

 

 こほんと咳払いをして、ダライヤ氏は香草茶を飲み干した。僕はちらりと従卒に目配せをして、お代わりを持ってこさせる。

 

「おお、気が利くな。感謝する。……噴火の影響は、すさまじいものがあった。ラナ火山のふもとにあった我らが帝都に火砕流が直撃し、全滅。これだけでも、頭を抱えたくなるような大損害なのじゃが……」

 

「被害はそれにとどまらなかった、と」

 

「うむ。一番の問題は、溶岩ではなく火山灰じゃった。帝国全土の農地が、降灰によって使い物にならなくなってしまったのじゃ。おかげで、とんでもない飢饉(ききん)が起きた。首都が全滅し、さらには食料危機まで起きた……もはや、状況を収拾できる者は誰もおらん」

 

 その愛らしい顔に苦々しい表情を浮かべつつ、ダライヤ氏は深いため息をついた。寿命の長いエルフたちにとっては、百年前などさして昔の話ではないのだろう。

 

「結果、帝国は崩壊。熾烈な内乱も発生した。同族同士で食料を奪い合う、恐ろしく悲惨な戦いじゃ。……いや、エルフだけならまだよい。しかし、問題は只人(ヒューム)じゃ。奴らは寿命が短く、身体も弱い。我らの帝国に住んでいた只人(ヒューム)の数は、わずかな期間で一割未満まで減少した」

 

「い、一割」

 

 ジルベルトが生唾を飲み込む。この話が本当なら、とんでもない話だな。これが竜人(ドラゴニュート)や獣人のような短命種の国の出来事なら、地域全体から人類が消え去っていてもおかしくはない。

 

「農地の激減は慢性的な食糧不足を招き、内乱はひどく長引いた。やっと戦争が終わり、新たなるエルフェニア帝国が建国されたのが……ええと……二、三年くらい前の話じゃったかな、ウル」

 

 ウルというのは、どうやら従者のカラス娘らしい。相変わらず足をつかってカブガブバクバクとこちらの糧食を食い散らしていた彼女は、じっとりとした目つきで主人を睨みつけた。

 

「新エルフェニア帝国ん建国は、あてが生まれた年ん話ど。あてが二歳や三歳に見ゆっと?」

 

「……見えんのぅ」

 

 カラス娘はため息を吐き、こちらをちらりと一瞥する。

 

「大婆様はびんたはシャッキリしちょっが、長生きしすぎて時間ん感覚があいめになっちょっ。こんしん言葉は話半分に聞いちょいた方がよかよ」

 

 彼女の言葉はひどく訛っている。言いたいことはなんとなくわかるが、その理解が正しいのかはいまいちわからない。困惑しつつも頷いて見せると、ダライヤ氏が半笑いになって手をひらひらと振って見せた。

 

「エルフ訛りじゃ。オヌシらには、少々聞き取り辛いじゃろう。こちらの人間は、エルフも鳥人もみなこのような言葉遣いをする。今のうちに、慣れておいたほうが良いじゃろうな」

 

 方言のような物だろうか? まあ、この世界には全世界共通語のような都合の良い存在はないからな。ギリギリ意思疎通できる程度には言葉が通じるというだけでも、ありがたいと思わねばなるまい。

 カラス娘の言葉遣いがこちらでの標準だとすると、ダライヤ氏はわざわざこちらに合わせた言葉を使ってくれているわけか。うーん……わざわざ言葉の通じやすい人材を寄越してくるあたり、やはり向こう側にも交渉の意志自体はあるのかね? とはいえ、新エルフェニア帝国云々の情報は、すべてダライヤ氏からもたらされたものだ。彼女が嘘八百を並べ立てている可能性もある。十分に警戒しておく必要がありそうだ。

 

「それはさておき、問題はわが国の現状じゃ。なんとか内戦は終わったが、相変わらず政情は不安定なまま。しかも百年近く延々と戦い続けていたわけじゃから、農地の再建も進んでおらん」

 

「食料不足が続いているわけか」

 

「うむ。我らが何十年も内乱に興じている間に、農地のほとんどは森に還ってしまってのぅ……今や我らは狩猟・採取生活に逆戻りよ。ワシの生まれたころ……五百年ほど前より、よほど原始的な生活を強いられておるのじゃ」

 

「大婆様はエルフ芋が伝来すっ前ん生まれやろう。少なかどん、千歳以上なんな間違いなかはずど」

 

 またまた、カラス娘がジト目で指摘した。ダライヤ氏の顔が真っ青になる。

 

「……ウソじゃろ?」

 

「なんで嘘をつっ必要があっとな」

 

「ワシはもう四桁歳になっちょったんか。えーころ加減往生そごたっね……」

 

 ビックリするほど渋い顔でため息を吐いてから、ダライヤ氏は交渉茶をガブ飲みした。……えっ、なに、この人千歳オーバーなの? 滅茶苦茶好みなんだけど! ……いやいや、今はどれどころじゃない。寿命が長いということは、それだけ経験の蓄積も多いということだ。戦えば、とてつもなく手強い相手になるのは間違いないだろう。

 

「ま、まあ、ワシの歳なんぞどうでもよい。話をもとにもどすぞ」

 

「は、はあ……」

 

「食料不足も深刻じゃが、問題は他にもある。只人(ヒューム)の人口も回復どころか減少し続けておるのじゃ。このままでは、新エルフェニア帝国は建国から百年とたたず滅んでしまう」

 

 千年オーバーの寿命があるなら、男不足はそこまで深刻な問題じゃない気がするんだがな。しかし、エルフたちが積極的に男性を拉致しているのも事実だ。何か事情があるのだろうか? ううーん……まあ、今手元にある情報だけではなにもわからん。要調査だな。

 

「だからといって、他人の土地から人やモノを奪っていいはずがないだろう」

 

 レナエルのほうを一瞥してから、僕はダライヤ氏を睨みつけた。これまでの話が全て本当ならば、エルフたちにも同情の余地は十分にある。しかし僕はリースベンの領主であり、領民たちの生活を守っていく義務がある。どのような事情があれ、こちらに武器を向けてくるのならばエルフは敵だ。

 

「まあ、そうじゃな。エルフにしろ竜人(ドラゴニュート)にしろ、生きるか死ぬかの状況に置かれれば、感覚がどんどんと獣に近くなっていくものじゃ。倫理など、あっという間に投げ捨てられてしまう。……が」

 

「が?」

 

「現状を憂う者も、確かに存在はしておるのじゃ。我らの皇帝陛下は、オヌシらとの話し合いの場をもちたいとおっしゃられておる。どうかね? リースベン城伯殿。この提案、受けてはもらえんかの?」



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第198話 くっころ男騎士とロリババアエルフ(3)

「話し合いの場、ねえ……」

 

 ダライヤ氏の提案に、僕は額を手で押さえながら唸った。むろん、交渉自体はこちらも大歓迎だ。うまくやれば、エルフたちに拉致されてしまった男たちを故郷に帰してやることもできるかもしれない。まあ、向こう側はひどい男不足という話だから、そう簡単にこちらの要求が通るとは思えないが。

 まあ、交渉が決裂したところで、こちら側にメリットがないわけではない。なにしろ、わがリースベン軍は大半が新兵ばかりのひどい状況だ。こいつらを戦力化するには、まだしばしの時間がかかる。交渉が続いている間は、相手もなかなか性急な真似はできないだろう。時間稼ぎにはぴったりだ。

 

「もちろん、会議を開くこと自体には僕も賛成だ。とはいえ、いますぐというわけにもいかない」

 

 問題は、このロリエルフが信用に足る相手か否かだ。なにしろ、エルフェニア帝国云々の話は、彼女一人の口から聞かされたにすぎない情報だからな。全部嘘っぱちである可能性も、十分にある。

 とにかく、新エルフェニア帝国というのが実在していること、そしてダライヤ氏が同国で責任ある立場についていること。この二点は最低限なんとしても確認しておきたい。実務的な話し合いを始めるのは、それからだ。

 

「ある程度、検討の時間が欲しい。構わないだろうか?」

 

「正直、駄目と言いたいところじゃなあ。このまま冬を迎えれば、また何人もの民が餓死するはめになる。そうならぬよう、こうしてわざわざ森の果てまでやってきたわけじゃし」

 

「じゃっどん、相手にも相手ん都合があっんよ、大婆様。こちらん都合ばっかい押し付けては、話し合いなぞ成立すっはずもあいもはん」

 

 渋い表情をするロリババアを、カラス娘が諫めた。……諫めてるんだよな? 訛りがキツすぎて、自分の理解が正しいのかちょっと自信が持てないんだけど。参ったなあ、新エルフェニア帝国とやらの住人は、こういう喋り方が基本なんだよな。マトモに会話が通じるんだろうか……? 真面目に交渉をする気があるのなら、彼女らの言語もある程度勉強しておいた方がいいかもしれないな。

 

「わかっちょるわかっちょる」

 

 苦い薬を飲みほしたような表情で、ダライヤ氏は手をひらひらと振った。やっぱり、この人も素で話すときは訛ってるみたいだな。

 

「そもそも、そちらはワシらのことを詐欺師ではないかと考えておるじゃろう? ま、初対面の相手をそう簡単に信頼できるはずもないからのぅ。こればっかりは、まあ仕方のない話じゃが」

 

 まあそりゃあね。特にこの人は、たった一人でこちらに接触してきたわけだし。国家の重鎮という雰囲気は、正直言ってまったくない。……とはいえ、大勢のエルフの戦士とこんな場所で遭遇してたら、問答無用で救援を呼んでいたがね。そうなれば、話し合いどころか戦闘へ一直線だ。

 

「とにかく、早急に信頼関係を醸成するべきだとワシは考えておる。そちらはどうじゃろう?」

 

「戦い以外の選択肢を探るのは大切だろう。とはいえ、僕もしょせんは新米領主だからな。あまり強権的にふるまいをするわけにはいかない。……ソニア、領内の者たちの意見を取りまとめるには、どのくらいの時間がかかると思う?」

 

 頼りになる副官に向けて、僕はそう聞く。もちろん、言葉通りの意味ではない。交渉の引き延ばし工作の一環だ。付き合いが長いだけあって、このへんは阿吽(あうん)の呼吸だ。ソニアはさも考え込んでいるようなフリをしつつ、唸り声をあげる。

 

「そうですね、十日もあれば……なんとか」

 

「十日、十日か……それはさすがにダライヤ殿に申し訳ない。七日程度に縮まらないか」

 

「難しいですね。まあ、出来るだけ短縮できるよう、努力はいたしますが……あまり期待しないでください」

 

 うーん、すごい猿芝居だ。年齢四桁の御老人に、こんな雑な交渉術が通用するもんかね? ……ああ、案の定ダライヤ氏が微妙な笑みを浮かべている。こりゃ、バレてるね。ううーん、キッツい。事態の主導権を完全に奪われている。戦術的に考えれば、ここはいったん引き下がって仕切り直しを図る場面かな?

 

「それだけ時間がかかるというのは、ワシのことが信用できんからじゃろう。よろしい、そちらの……カルレラ市だったか。その付近の森に、こちらの兵隊を集めて(しん)ぜよう。さすれば、頭の固い連中もすぐに己の誤りに気付くじゃろうて」

 

 やめてください、そんなことをされたらリースベン軍の信用がズタボロになってしまいます。……くっそー、州都であるカルレラ市近郊ですら、ちょっと離れればすぐに原生林という地理状況だからなあ。あのあたりに潜伏されたら、手出しができないぞ。困った……。

 

「あまり挑発的な言動はしないでいただきたい、ダライヤ殿。話し合いがしたいのなら、それなりの態度という物がある。それとも、エルフ族は戦争をお望みか? ならば、結構。我らの畑をあなた方の血で満たすというのも一興だ」

 

 絵にかいたような虚勢だな。我ながら恥ずかしくなってきたぞ。しかし、弱気を見せれば一方的に食い物にされてしまうのが交渉というものだ。幸い、リースベン軍は頭数だけならばそれなりに揃っている。見た目の上での戦力は、なかなかのものだ。

 新エルフェニア帝国とやらの戦力がどの程度の代物かはわからないが、すくなくともこちらを大幅に上回っている可能性は低い。なぜかと言えば簡単で、戦力的に圧倒しているのならば話し合いなどせず武力にモノを言わせた方が手っ取り早いからだ。

 

「おお、怖い怖い。お互い、血を流すのは嫌じゃろ? できれば、話し合いでカタをつけたいんじゃがなあ。しかし、帝国内部にも血の気の多い連中はそれなりにおる。今はワシが抑えておるが……あまり長くはもたぬぞ?」

 

 おうおう、ヤクザみたいな脅し文句だな。蛮族の面目躍如って感じだ。まあ、実際のところ我らがガレア王国も一皮むけばこいつらと大差はないがね。

 

「しかし、こちらにも都合はある。そうだな……五日後でどうだろうか? 今度は、僕の屋敷にご招待しよう。森の中では、なかなか落ち着いて話し合いもできないからな」

 

「おや、そうかのぅ? 森の中ほど落ち着ける場所は、そうそうないと思うのじゃが」

 

「エルフにとってはそうかもしれないがね、僕は見ての通り只人(ヒューム)……それも男だ。今だって、どこからともなくあの悪名高い妖精弓(エルヴンボウ)が飛んでくるんじゃないかと、チビりそうなほど怯えているんだぞ?」

 

「ハッ、面白い冗談じゃのぅ……まあ良い、五日後で結構じゃ。次はエルフの部下たちも連れて来るが、良いかね?」

 

 くつくつと底意地の悪そうな笑い声とともに、ダライヤ氏は頷いて見せた。内心、ほっと息をつく。とりあえず五日稼いだ。まあ、及第点だろう。

 

「ああ、もちろん。しかし、千人も二千人も連れて来るのはやめてくれよ? それだけの数のごちそうを作れるほど、うちの台所は広くないんだ」

 

「んっふふふ、面白い男じゃの、オヌシは。けっこうけっこう。とりあえずは、手始めに四、五人ほどにしておこうか。それくらいなら、構わんじゃろ?」

 

 ……流されてしまった、残念。向こう側の人口について、ある程度推測できるような反応を返してくれるんじゃないかと期待してたんだがな。流石に無理か。

 

「ああ、それくらいなら大丈夫だ」

 

「うむ、うむ。大変結構! では、今日のところはこれくらいにするかの」

 

 ほっと息を吐いてから、ダライヤ氏が折りたたみいすから立ち上がった。どうやら、このハードな交渉もこれで終わりのようだ。身体から力が抜けかけるのを、ぐっと堪える。なにしろ相手はとんでもない強敵だ。緊張するなという方が無理だ。

 

「連絡員がわりに、このウルを置いていく。何かあったら、コイツに伝えるようにたのむぞ」

 

 ところが、ダライヤ氏はそんなこちらの内心を読み取ったかのように人の悪い笑みを浮かべ、カラス鳥人の背中をパシンと叩いた。……えっマジ? エルフ側の人間を僕の屋敷に迎え入れなきゃならないの? 実質的にスパイじゃん。やめてよマジで……。

 

「……了解した」

 

 とはいえ、我がリースベン領と新エルフェニア帝国の間には、一切の国交がない状態だ。たしかに、大使館とは言わずとも連絡窓口くらいは設けておく必要がある。流石に、この提案を断るわけにはいかなかった。

 ……こっち側も一人くらい、向こうに送っておくか? ううーん、相手の野蛮ぶりは折り紙付きだからなあ。何かの拍子に、殺されてしまう可能性もある。人材不足が甚だしい今のリースベンに、そんな無茶な任務に送り出せるような人間は居ないだろ。くそう、このままでは情報格差が開いていくばかりだ。なんとかして、突破口を見つける必要があるぞ……。



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第199話 くっころ男騎士と蛮族カラス娘

 ダライヤ氏との会談が終わったころには、すでに西の空が赤く染まっていた。どこにエルフの潜んでいるのかわからない危険な森で一夜を過ごすなど、いくらなんでも勘弁願いたい。僕たちは農村へと戻り、そこで宿をとることにした。

 

「うまか! うまか!」

 

 村長宅の土間にて、例のカラス鳥人……ウルが騒いでいた。彼女は右足の指でスプーンをつまみ、器用に料理を口に運んでいる。テーブルマナーにうるさい人間が見たら怒りのあまり卒倒しそうな光景だが、鳥人は他のヒト種のような手をもっていないのだから仕方がない。

 

「なんです、あのカラス鳥人は……」

 

 ひどく不審なモノを見る目をしながら、村長がコソコソと問いかけてくる。

 

「森の中で出会ったんで、連れてきた」

 

 農村部の人間は、エルフに対して強い敵愾心を持っている。森の中での出来事を、正直に話すわけにはいかなかった。とりあえず、なんらかの成果を上げるまではエルフたちとの会談は内密に行う必要がある。

 

「大丈夫なんですか? カラス獣人といやあ、蛮族ですよ……」

 

「お腹いっぱいにしとけば無害なんじゃないんですか、知りませんけど」

 

 そんなことを言うのは、ふくれっ面のレナエルだ。今日一日世話になったということで、彼女も晩餐に参加しているのである。とはいえ、レナエルは森の中での出来事が相当に気に入らなかった様子だ。会談が終わってからこっち、ずっと不機嫌な様子だった。

 

「……そうそう、安全なヤツだよ、あいつは。まあ、念のため監視もつけてる。貴重な情報源なんだ、許してくれ」

 

「はあ、そうですか。まあ、確かにオツムの出来はあんまりよろしくなさそうなヤツですがね」

 

 不信感の籠った目で、村長はウルを睨みつけた。……オツムの出来は、どうかなあ。言葉が通じにくいだけで、かなり聡明そうな雰囲気があるんだよな、あのカラス娘。だいたい、あのキレ者のダライヤ氏がアホを寄越してくるとも思えないしな。とにかく、油断をするわけにはいかん。

 

「あの、領主様。これでよろしいでしょうか?」

 

 コソコソと会話をしていると、村長の夫がやってきた。彼は、小さめのバケツほどの大きさのブリキ缶が乗ったカゴを持っている。

 

「ああ、ありがとう」

 

 ブリキ缶を受け取り、テーブルの上にデンと乗せた。何の塗装もされていない大ぶりなその缶は、ほかほかと湯気を上げている。村長の夫に頼み、湯煎をしてもらっていたのだ。

 

「ああ、これが例のカンヅメとやらですか」

 

 興味深そうな様子で、ジルベルトが聞いてくる。缶詰。そう、缶詰だ。ライフル銃などと並行し、知り合いの職人にこっそり作らせていた代物である。なにしろこの世界の軍用糧食は、ひどくお粗末な代物だ。戦地に居る間はカチカチの石ころみたいな堅パンやビスケットばかり食う羽目になる。オカズも、乾燥豆や燻製チーズのような日持ちのするモノしかでてこない。

 そんな食事ばかりでは、士気があがるはずもないからな。そこで開発したのが、缶詰だった。幸いにも、この世界には既にブリキ(鉄板に(スズ)メッキを施したモノだ)の製造技術はあった。それで缶を作り、食品を詰めてハンダで密閉する。あとは煮沸消毒してやるだけで立派な缶詰の完成だ。……まあ、鉛中毒を起こさないハンダ付け法の開発に、随分と手間取っちゃったけどな。

 

「そうだよ、量産品第一号だ。こいつのおかげで、我がリースベン軍の食料事情は劇的に改善するぞ」

 

 にっこりと笑いつつ、缶切りでブリキ缶を開封する。前世の世界では、缶詰の開発当初は缶切りが存在せず、レンガなどにこすりつけて開封していたという話だ。しかしもちろん僕は元・現代人なので、しっかりと缶切りもセットで開発済みである。

 ブリキ缶の中身は、水煮にした鶏肉だ。湯気と共に、かぐわしい香りが室内に充満した。豆入りのスープをゴクゴクと飲んでいたカラス娘が足を止め、キラキラした目でこちらを見てくる。出会ってからこっち、ずっと飯を食ってるなあこの娘。ダライヤ氏は信用ならないが、食料不足云々は本当かもしれない。

 

「それも食い物と?」

 

「鶏を煮たヤツだよ。食べるか?」

 

「いただきもす!」

 

 カラス娘はニッコリと笑って頷いた。素焼きの皿に鶏の水煮をよそい、彼女に渡す。ニコニコ顔のウルは、足の指でフォークを掴んでそれを食べ始めた。

 鳥人の足をしっかりと見るのは初めてなんだが、やはり他のヒト種とはだいぶ構造が違う。足というより手に近い構造だな。器用に動かせるが、長距離を歩き回るのは苦手そうだ。まあ、彼女らは空を飛んで移動できるから、それでもさして不便はないのだろう。

 

「領主様はなんというか、お貴族様らしくありませんな。食事の配膳も、自分でやっちまいますし」

 

 ちょっと呆れた様子で、村長が肩をすくめる。

 

「下級騎士の出身だからね、僕は。高貴なフリをしても、あっという間に地金が出てしまう。だったら、最初から野卑にふるまった方がマシというものだ」

 

 匙の上げ下げまで使用人にやってもらうのが貴族の流儀であるが、貧乏騎士のブロンダン家が雇える使用人の数などごく僅かだ。当然、家事の類も自分でやることが多かった。女爵、そして城伯に昇爵したあとも、この習慣は変わっていない。

 ……こんな有様だから、社交界に出ても馬鹿にされるんだよなあ。そうはいっても、着替えまで他人任せなんて面倒くさくてやってらんだが。まったく馬鹿らしい話だ。

 

「なるほどねえ。ま、こっちとしては付き合いやすくて助かりますがね?」

 

 半笑いでそう言ってから、村長は取り分けた鶏肉を一口食べた。

 

「おや、こいつはウマイ」

 

「だろう? これが一か月、二か月とたっても腐らずにそのまま食えるんだ。便利だとは思わないか」

 

 などと言いながら、僕も自分の分を食べてみる。……塩とハーブだけで味付けした素朴な風味だが、悪くはないな。変な金属臭もしない。うん、これなら安心して兵士たちにも提供できるぞ。試作品には、とても食べられないような代物も多かったからなあ。感慨深い。

 

「にわかには信じがたいですね。これで何も魔法を使っていないというのだから、驚きです」

 

 妙な顔をしつつ、ジルベルトがもむもむと鶏肉を咀嚼する。

 

「とはいえ、士気の維持を考えれば素晴らしい発明でしょう。来る日も来る日も乾物やら燻製やらばかり食べる生活は、なかなか辛いものがありますし……」

 

「コストが高くて大量生産に向かないのが難点だがね。しかし、職人の数が増えればコストも下がっていくだろう。ある程度量産出来たら、防災用として各村落に配布してもいいかもしれない」

 

 などとジルベルトと話していると、ソニアが従卒を呼んで何かを持ってこさせた。見覚えのある、陶器製のボトルだった。

 

「アル様、どうぞ」

 

「ああ、ありがとう」

 

 よく見ると、僕が王都で買ってきた安物の白ワインだ。有難くお酌をしてもらい、一口飲む。あっさり系の鶏肉によく合う、すっきりとしたさわやかな味わいだった。うん、うん。いいね。ちょっとした晩酌気分だ。

 

「ウル殿、葡萄酒はいかがかな?」

 

「お酒まで頂いて良かとな? あいがともさげもす!」

 

 カラス娘は、もうニッコニコだ。よーしよしよし、感触は悪くないぞ。この子はいわば公然としたスパイだが、だからと言って邪険に扱う気はない。むしろ、ガンガン接待していった方が良いだろう。味方に転んでくれれば言うことなしだし、それが無理でも出来るだけこちらに悪感情は抱いてほしくない。これは、いわば外交戦なのである。

 ……鶏缶と安いテーブルワインで仕掛ける外交戦ってなんなんだろうね? 流石に貧乏くさいにもほどがあるだろ。いや、ワインはともかく缶詰は、この世界では最先端テクノロジーではあるんだが……。前世の感覚が残っているせいで、どうも微妙な感覚を抱かずにはいられないな。

 



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第200話 くっころ男騎士と猟師狐の決意

「みなさんがたは北ん山脈ん向こうからおじゃったとな? あそこは大変な難所ち聞いちょったが」

 

「確かに、あの山脈は超えるだけで死傷者も少なからずでてしまうような土地だったがね。しかし、先人が文字通りの血路を開き、山道を整備してくれたのだ」

 

 酒が進めば口も進む。カラス娘のウルとジルベルトは、盃を交わしながら親しげに会話していた。ワインボトルをすでに一本開け終わっているウルはそのミルクチョコレート色の肌をすっかり朱に染めており、健康的な色気を放っている。

 

「……」

 

 なんとも羨ましい心地で、僕は彼女らを眺めていた。出来ることなら酒をカーッと飲み干して彼女らの輪に入りたいところだが、暫定スパイであるウルの前で泥酔するわけにもいかない。抑制した、つまらない飲み方をするほかなかった。

 まあ、そもそもここは他人の家だものな。一晩の宿を借りている身の上で、あまり羽目を外すわけにもいかないだろ。いや、すでに結構な迷惑をかけているような気もするが。詫びも兼ねて、あとでしっかり謝礼を渡しておかねばなるまい。

 ちなみに、当の村長一家はすでに寝室に引っ込んでいる。開拓村の生活は厳しく、村長と言えど自ら農具を振るわなければ生活もままならない。明日も早くから農作業が待っているそうだ。

 

「……」

 

 なんとも言えない気分で杯を傾けていると、なんだか声をかけてほしそうな表情でこちらをチラチラ見ているレナエルが目に入った。なにやら、話がある様子だ。時折ウルのほうにも目を向けているから、彼女には聞かせたくない話に違いないだろう。

 

「すまない、ちょっと飲み過ぎたようだ。夜風に当たってくる」

 

「ああ、お供しますよ。主様」

 

 ジルベルトが慌てて立ち上がるが、酒が回っているせいで若干ふらついている。その隣に居たソニアが、強引に彼女を席に戻した。

 

「酔っ払いのお供など必要ない。貴様はここで飲んでいれば良いんだ。……ですよね、アル様」

 

 どうやら、ソニアは僕の意図を察してくれているようだ。付き合いが長いとはいえ、やはり本当に気の利く副官だね。僕にはもったいないくらいだ。……ちなみに、彼女はまだ一滴も酒を飲んでいない。下戸ではあっても酒が嫌いなわけではないソニアだが、彼女が酒精を口にするのは仲間内だけで集まっている時だけだ。

 

「村の中だ、そう危険なこともあるまいよ。……レナエルくん、エスコートを頼んでもいいかな」

 

「……ハイ」

 

 狐耳をピコーンと跳ね上げながら、レナエルは無表情に頷いた。表情はクールだが、感情表現の分かりやすい娘である。

 

「あっつぅ……」

 

 それから、五分後。村長宅の玄関前で、僕はうめき声をあげていた。夜風に当たるとは言ったが、ここは南方のリースベンだ。夜になっても、相変わらずやたらと湿度と温度の高い不快な風しか吹いていない。屋内よりはいくぶんかマシではあるが、それでも汗が乾くような快適な気温からは程遠かった。

 

「リースベンは、いつまで夏が続くんだ? 王都なら、とっくに過ごしやすい季節になってる時分なんだが」

 

「あと、二か月くらいは暑いままです」

 

 ふさふさの尻尾を揺らしながら、レナエルが応える。村へ戻ってきてすぐに猟衣を脱いだ彼女だったが、今は背中に鉄砲を背負い腰には着火済みの火縄を下げている。いざという時に、僕を守れるようにするためだろう。まったく、淑女的な少女だな。

 

「夏が終わると、急に冬が来ます。雪は山の上のほうでしか降りませんが、それでも存外に寒いです」

 

「なかなかハードな気候だな」

 

 僕は思わず苦笑した。過ごしやすい気候の季節がないじゃないか、それでは。

 

「ところで、僕に何か用があるように見えたが。いったいどういう要件かな」

 

「……」

 

 眉間にしわを寄せて、レナエルは一瞬顔を逸らした。なんと切り出すべきか、頭の中で吟味している様子だった。

 

「……その」

 

「うん」

 

「自分を、領主様のところで働かせていただきたいのです」

 

「ほう」

 

 いきなりの求職活動だな。正直、少し驚いたな。昼間の様子を見る限り、彼女は若いわりになかなか優秀な猟師のようだった。それに、危険で強力な蛮族と遭遇しても、即座に人を庇って前に出る度胸もある。猟師のままでも、十分に暮らしていけそうに見えるのだが……。

 

「領主様は、自分の軍を鍛えるために森に慣れた人間を集めたい、とおっしゃっていました。……自分なら、適任だと思います」

 

 森林戦の訓練教官が欲しいという、アレか。対エルフ戦を考えれば、平原でしか戦えない現状のリースベン軍は明らかに不利である。少しくらいは、森の中で戦えるようにしておかないとな。

 もちろん、付け焼刃の訓練ではエルフには勝てまい。とはいえ、たとえ上手く平原戦に持ち込みエルフ軍を打ち破れたとしても、部隊が森に立ち入れないような有様では追撃すらできない。一度の会戦で敵を殲滅できるはずもないからな。追撃、あるいは撤退のことも、しっかりと考えておく必要があった。

 

「……自分はまだ若いですが、物心ついた時には既に母と一緒に森の中をうろついておりました。経験は十分に積んでいます」

 

「わかってるよ。君の能力に疑問はない」

 

 僕は首を左右に振った。

 

「問題は、うちの軍隊の教官役をやるなら、カルレラ市で暮らす必要があるということだ。流石に、この村から駐屯地に通うのは難しいからな」

 

 カルレラ市とこの農村は結構な近所だが、それでも毎日徒歩で往復するのは辛い。なにしろ道が悪いからな。教官をやってもらうなら、駐屯地の兵舎に住んでもらったほうが効率的だ。

 

「構いません。自分は三女です。どうせ、そのうち実家からは出て行かなくてはならない身の上ですから」

 

「なるほどな。しかし、ハッキリ言ってあまり給金は出せないぞ? 専業で猟師をしていたほうが、いい生活ができるかもしれない」

 

 なにしろ、リースベン軍はこの規模の領地としてはかなり破格の大軍だからな。ディーゼル家からの賠償金や王室に貰った褒賞やらで、どうにか運営費を捻出している状況だった。とうぜんこれらのカネはあぶく銭なので、将来のことを考えればあまり浪費するわけにもいかない。

 

「衣食住の面倒を見てもらえるのであれば、無給でも構いません」

 

「教官が無給じゃ、僕がとんでもないケチだと思われちゃうだろ。勘弁してくれ。……なんでそんなに軍隊で働きたいんだ? キミは。別に、兵隊に憧れているわけでもないんだろう?」

 

 彼女はすでにちゃんとした職についているわけだから、ウチの新兵どもとはまた話が違う。定職にもつかずフラフラしてるゴロツキならともかく、しっかりとしたカタギの人間がわざわざこんなヤクザな業界にはいってくる必要もないと思うんだがな。

 もちろん、教官役は教官役だ。実戦に投入するつもりはない。とはいえ、エルフどもの潜伏能力を考えれば、演習中に襲撃を受ける可能性だって十分にあるからな、危険なことには変わりない。

 

「あのエルフども、話し合いがしたいと言いつつ詫びのひとつもありませんでした」

 

 ひどく不機嫌そうな様子で、レナエルは吐き捨てる。

 

「自分の弟は、小さい頃に奴らに攫われかけました。なんとか、連れ去られる前に取り返しましたが……弟は、今でも女が怖くて仕方がないようです。そのせいで、いまだに婚約者すら決まっていません」

 

「……なるほど」

 

 弟というと、異母姉弟か。貴族と違い、平民はあまり男児を養子には取らない。しかしその代わり、亜人も只人(ヒューム)も一塊になって一個の家族として生活している場合が多いという話だ。

 

「復讐がしたいとまではいいません。しかし、奴らの偉そうなツラを見ていると腹が立ちます。一言くらい詫びを入れさせないことには、我慢が出来ません。……しかし、それには力が必要です。弱い相手に、あいつらが頭を下げるとはとても思えませんから」

 

「なるほどな……」

 

 たしかに、レナエルの言う事には一理がある。エルフたちが対話をする素振りを見せてきたのは、彼女らが突然人権意識に目覚めたからではないだろう。リースベンの統治者が、わずかな手勢しか持っていなかった前代官から、それなりの数の軍隊を引き連れた僕に代わったからだろう。話し合いをするにも、武力の裏付けがいる。悲しい話だが、これが現実である。

 

「領主様のお力で、あのエルフどもの頭を引っ掴んで地面にこすりつけられるというのならば、これほど嬉しい話もありません。ぜひご協力させていただきたいのです」

 

「よし、わかった」

 

 なるほどな。要するに彼女は、リースベン軍を強化することで間接的に己の目的を達成するつもりらしい。実際問題、ただでさえ強力なエルフたちに個人の力で対抗するのは不可能だからな。数の力に頼らざるを得ないのだろう。

 まあ、そもそもレナエルの要望がなくとも、エルフたちと和睦するのならば謝罪をしてもらうのは必須事項だからな。略奪・凌辱を受けた事実から目をそらして仲良くしようとしたところで、実際に被害を受けていた民衆たちは絶対に納得しないだろう。最低限の(みそ)ぎは必要だ。

 

「君が良いのであれば、むしろこちらから頭を下げて頼もう。どうか、僕に手を貸してほしい」

 

「お任せを」

 

 そう言って一礼するレナエルの顔には、珍しく笑みが浮かんでいた。

 



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第201話 くっころ男騎士と火山探索

 農村で一夜を明かした後、僕たちはカルレラ市に帰還した。想定外の事態が幾度も発生した現場視察ではあったが、エルフたちと接触を持てたのは大きい。とりあえず今後の方針を話し合うべく、僕は領主屋敷の会議室に家臣団の幹部たちを集めていた。

 

「とにかく、情報戦で圧倒的に後れをとっている。このような状態では和睦をするにしろ戦争をするにしろ圧倒的に不利だ」

 

「新エルフェニア帝国という国名ですら、我々は初めて耳にしたわけですからね・……もっとも、そのような国家が実在するのかどうかすら、現段階では確証が持てない訳ですが」

 

 難しい表情をしながら、ソニアが香草茶のカップを弄んだ。

 

「情報源があのエルフひとりだけというのは、やはりマズイ状況ですね。彼女の言葉の十割が嘘という可能性は低いでしょうが、情報にフェイクが混ざっていてもこちらには検証する手段がありませんし」

 

「その通りだ。早急に独自の情報源を確保しないことには、僕たちは延々とダライヤ氏の手の中で踊り続けることになる」

 

 ダライヤ氏の発言にどれだけの真実が含まれているのかはまだわからないが、彼女がかなりの切れ者であるのは明白だった。年齢四桁以上という話も、おそらく嘘ではあるまい。見た目こそひどく愛らしいが、交渉相手としてはとんでもなく厄介な相手である。

 

「そういうわけで、我々の当面の目標はダライヤ殿らとは別口で独自にエルフと接触を持つことだ」

 

「その意見には賛成です。……しかし」

 

 ちょっと困ったような顔でジルベルトが僕の方を見る。エルフ探索は彼女が担当していた仕事だが、今までまったく成果は上がっていなかった。ブロンダン家に移籍して初めての仕事が不調なので、ジルベルトも少々参っている様子だった。

 

「これ以上の探索を行ったところで、あらたにエルフを発見するのは難しいよう思えます。……情けないことを申してしまい、申し訳ありません。しかしこのリースベンの森は、わたしたちの情報収集能力では手に余ります。その事実は、認めざるを得ません」

 

 確かに、ジルベルトの言う通り更なる調査をしたところで得られるものはないだろう。これは彼女らが悪いのではなく、リースベンの樹海が広すぎるせいだ。いわば、(わら)山の中から一本の針を探し出そうとするようなものだな。

 

「このむやみやたらと広い森を、五十名に満たない手勢で探索し尽くそうというのがまず無理な話なんだ。気にすることはない。……もちろん僕も、やみくもに探索範囲を広げようというわけじゃないんだ」

 

「……というと?」

 

「ラナ火山だよ。百年前に噴火し、エルフの国を滅ぼしたというアレだ」

 

 そう言ってから、僕は一枚の地図を取り出した。茶色がかった紙の上には、ヘタクソな木こりが伐採した切り株のような形状の半島が描かれていた。これが僕の領地、リースベン半島である。

 リースベンは面積の大半が未探索の地域ではあるが、船を用いた沿岸測量により半島の大まかな形状や面積は判明している。この世界の測量術は前世欧州の大航海時代よりも優れているから、精度に関してもある程度信頼できるだろう。

 

「ダライヤ殿の話では、リースベン半島の中央部にラナ火山はあるらしい。とりあえず、翼竜(ワイバーン)を使ってこの山を見つけ出す。ガレア南部全域に火山灰をまき散らすような大火山だ。空から探せば、そう苦労せずに見つけ出すことができるだろう」

 

地図上のリースベンの真ん中あたりを指で指し示しつつ、僕は言った。この半島はそれなりに大きいが、それでも翼竜(ワイバーン)であれば半日ていどで縦断できる程度の広さでしかない。目標の位置がある程度絞れるなら、火山の一つや二つを見つけるのもそこまでの難事ではないはずだ。

 

「確かに、このラナ火山とやらの付近にはエルフどもの旧首都があったという話ですが……」

 

 思案顔のソニアが、地図を見ながら小さく首を傾げた。

 

「二つほど、この案には問題があるように思えます」

 

「言ってみろ」

 

 部下からの異論・反論は大歓迎というのが、僕のスタンスである。周囲にイエスマン(ウーマン?)しかいなくなった指導者など、悲惨なものだからな。もちろん、付き合いのながいソニアもそのあたりは万事承知している。

 

「ひとつ。旧首都の所在地といっても、大規模噴火があったという場所です。ましてエルフは長命種、百年前などほんの昨日の出来事でしょう。そんなところに、エルフたちがいまだに住んでいる可能性は低いように思えます」

 

「それはそうだろうな。火砕流に沈んだという旧首都の上に、そのまま新首都を建設するような真似はしないだろう」

 

 ダライヤ氏の言葉が本当ならば、リースベンのエルフ族全体が絶滅の危機に瀕したような大噴火だったらしいしな。その厄災の元凶となった場所の近くに街をつくるような真似は、普通に考えて控えるだろう。

 

「とはいえ、火山の近くには一人のエルフも居ないということは考えづらい。次の噴火の兆候を見逃さないよう、観測所の類を構えている可能性が高いだろう。その上を翼竜(ワイバーン)でブンブン飛び回ってやれば、むこうも何かしらのアクションを仕掛けてくるんじゃないかな」

 

「なるほど」

 

 ソニアは頷き、香草茶で舌を湿らせた。

 

「では次、二つ目。リースベン半島は、面積だけは広大です。その上、飛行中の目印になるような地形も判明していない。そのような場所に翼竜(ワイバーン)を派遣すれば、騎手は迷子になってしまいますよ」

 

「確かに。わたしも竜騎士としての訓練は受けていますが、目印もない場所で飛行するのは不可能です。ベテランの騎手も、それは同じことでしょう」

 

 この世界には当然ながらGPSなど存在しない。飛行中に自分の現在位置を見失えば、あっという間に迷子になってしまう。そこで竜騎士は、山や街、海岸線などを目印にして飛行するわけだ。しかしリースベンのような未探索地域では、このような手法は利用できない。

 

「ああ、その通り。……だが、世の中には何の目印もない大海原でも、問題なく自分の現在位置を把握できる連中が存在している」

 

「……星導士」

 

 ボソリとソニアが呟いた。星導士というのは、その名の通り我らがガレアの国教、星導教の役職の一つだった。そもそも星導教じたい、外洋を航行するための航法術から発展した宗教である。当然、彼女らは皆実用的な測量技術を習得している。

 星導士はその中でも、特に天測に特化した技術職だった。常日頃から天測台と呼ばれる施設に住み、占星術めいたオカルティックな未来予測から科学的な天気予報まで、さまざまな業務を行っている。いわば天測のプロフェッショナルだ。

 

「その通り。もともと、リースベン内陸部の航空偵察はやろうと思ってたんだ。すでに、最寄りの天測台に星導士を派遣するように要請を出している。その星導士を翼竜(ワイバーン)の後席に乗せて飛べば、未探索地域でも安心して長距離飛行が出来るという寸法だ」

 

「……星導士が来てくださるのですか?  このリースベンに」

 

 大陸西方では俗界権力と聖界権力は分離している。辺境の零細地方領主が星導士の派遣要請をだしても、なかなか受理してくれないのが現実だった。しかし、僕のお友達には星導教のお偉いさんがいるのため、そのあたりはいくらでも融通が利くのである。持つべきものはやはりコネだな。

 

「ああ、フィオレンツァ司教から要請を出してもらった。今日の朝早くに最寄りの天測台へ翼竜(ワイバーン)で使いを出したから……明後日には探索飛行を始められるだろう」

 

「……」

 

「……」

 

 フィオレンツァ司教の名前を出した途端、ソニアとジルベルトがひどく渋い表情で顔を見合わせた。……えっ、なんなのその反応?



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第202話 くっころ男騎士と好景気

 方針決定から二日後。急ピッチでもろもろの準備を終え、ラナ火山探索隊は無事飛び立った。とはいっても、我がリースベン領が保有する翼竜(ワイバーン)は僅か三騎のみ。翼竜(ワイバーン)も生き物だから酷使すれば身体を壊すし、貴重な航空戦力を探索だけに振り向けるわけにはいかないという事情もある。一度の出撃(ソーティ)に投入できる翼竜(ワイバーン)の数は一騎のみだ。

 この程度の数で成果を上げられるのかは(はなは)だ疑問だが、他に有効な手を思いつかないのも事実。しばらくは、ローテーションで一騎ずつ探索に投入するほかなかった。

 

「はえー、立派な都じゃのう」

 

 翼竜(ワイバーン)隊が何かを見つけだすまで、カルレラ市の僕たちは待ち続けるしかない。内心焦れつつも、僕はカラス娘のウルとともにカルレラ市市内を歩いていた。彼女が、街中の見物をしたいと言い出したからだ。正直に言えば彼女には何も見せたくはなかったが、将来のことを考えれば断るわけにもいかなかったのである。

 

「ヒトもモノも多か。大都会ん風情じゃなあ」

 

「気に入っていただけたようで、何より」

 

 しきりに感心の声を上げるウルに、僕は穏やかに笑いかけた。僕たち為政者側はエルフの国との接触よりてんてこ舞いの状態だが、街中は剣呑からは程遠い賑やかさだった。大小の荷馬車が土煙を上げながら往来を行きかい、露天商や行商たちがさかんに客寄せの声を上げている。

 現在のリースベンは、空前の好景気に沸いていた。リースベン戦争の講和会議の結果、リースベン領とズューデンベルグ領の間の通行税や関税が廃止されたからだ。リースベン・ズューデンベルグ間のルートを通る限り、商人たちは安い税金で両国間貿易ができるのだ。理に聡い商人たちが、この機を逃すはずもない。

 

(おのこ)もたくさん歩いちょっね。こいが竜人の街じゃしか……」

 

 ……景気こそいいが、相変わらずカルレラ市はド田舎である。市の中心街ですら道は未舗装だし、領主屋敷を含めて石造りやレンガ造りの建物はない。外から来た連中も女ばかりだから、男女比率もひどく偏ったままだ。このカラス娘、皮肉を言ってるのか?

 そう思ったが、どうやらウルは本気で感心しているようだった。……新エルフェニア帝国、もしや思った以上に人口が少ないのか? 国力だけ見れば、お隣のズューデンベルグ伯爵領(つまりカリーナの実家だ)のほうが上かもしれん。

 ただ、だからといって安心はできない。戦争の勝敗は、国力だけで決まるものではないからだ。特にリースベンは大軍の優位を生かしづらい地形だしな。

 

「エル……じゃない、あなたの国は、どんな場所なんですかね?」

 

 そんなことを聞くのは、全身甲冑姿のカリーナである。残暑の厳しい時期だから、彼女の額には大量の汗が浮いている。普段着を着てくればいいものを、どうも僕の護衛を気取っているらしい。猟師のレナエルといい、この世界の女の子たちは勇ましいな……。

 ちなみに、僕たちに同行しているのはカリーナ以外に騎士が三名と少数の従卒だけだ。ジルベルトは対エルフの調査や防衛準備やらの指揮から手が離せない。ソニアは僕の護衛につくといって聞かなかったが……彼女にも、新兵たちの教練という重大な仕事がある。ほとんど強引に、そちらのほうへ向かわせた。

 交渉にしても戦争にしても、こちらの戦力が大きいに越したことはないからな。新兵どもには、一日でも早く一人前になって貰わねばならない。

 

「あてん国じゃしか……」

 

 何とも言えない複雑な表情で、ウルは空を見上げた。

 

「とにかっ、男んおらん国じゃ。長命種ん方々はともかっ、あてらはわっぜ困っちょっる」

 

 男が居ない。寿命の長いエルフたちはともかく、短命種の鳥人たちは困っている……って意味かね? ここ数日でずいぶんと慣れてきたが、それでも彼女らの言葉はひどくわかりづらい。

 まあ、こっちから男を攫って行ってるくらいだものな。そりゃ、相当な男不足なんだろうさ。……しかし、肝心なところははぐらかしたな。人口とか、街の発展具合とか、そのあたりがとても気になるんだが……その手の質問をしても、うまく誤魔化されてしまうのが常だった。

 やはり、このカラス娘はかなり頭が良い。こちらに与えてよい情報、与えてはいけない情報をしっかり吟味している様子である。まあ、今の彼女の役割は完全に外交官のそれだからな。アホでは務まらない仕事だ。

 

「へぇ……」

 

 神妙な顔で頷くカリーナだが、義理の兄である僕にはわかる。たぶん、彼女はウルが何を言っているのか半分も理解できていない。言葉が難しすぎるのだ。

 

「あそこで売っちょっ食べ物はないじゃしか?」

 

 苦笑していると、ウルは道端に出ている露店を指さして聞いてきた。露店の中には鉄製の大釜が据え付けられており、丸い物体が大量に油で揚げられている。……ガレアの庶民の味方、揚げタマネギだ!

 

「揚げたタマネギだ。食べるか?」

 

「たまね……? ようわかりもはんが、食べてみもす」

 

 ほう、エルフェニアにタマネギはないのか。農地ではどういう作物を作ってるのか、気になるな。この地方の原住民である彼女らの伝統的な作物のほうが、リースベンの気候に合っているはずだ。場合によっては、エルフェニア式の作物や農法を導入したほうが食料の生産効率はあがるかもしれないな……。

 

「カリーナ、すまんがコイツで買えるだけ買ってきてくれ」

 

「はーい、お兄様」

 

 銀貨を投げ渡すと、カリーナは素直に露店のほうへ走っていった。出会った頃は伯爵令嬢らしく鼻っ柱が強かった彼女だが、この頃はすっかり素直になっている。日ごろの軍式教育のお陰だろう。……しかし勘当済みとはいえ、伯爵令嬢をパシリに使っていいものなのかね?

 

「そういえばウル殿。君たちは普段、どういうものを食べているんだ?」

 

 気を取り直して、そう聞いてみる。この手の質問なら、彼女も素直に答えてくれるのではないかと考えたのだ。

 

「そうじゃなあ……あてらは普段、エルフ芋とよばるっ作物を食べちょる」

 

「エルフ芋!?」

 

 エルフと、芋。なんだか妙な組み合わせだ。

 

「エルフ芋は茎も根っこも食べらるっ素晴らしか芋でしやんせ。リースベンの土でもよう育つ」

 

「……」

 

 妙な既視感に、僕は一瞬考え込んだ。リースベンは森だらけの土地だが、土壌に関してはお世辞にも農地向きとは言い難いものがある。雨が多いせいで、養分を含んだ表土があっという間に流出してしまうせいだ。

 やせた土地でも育つ、茎も根っこも食える芋。すごく、覚えがある。前世で軍人をやっていたころは、ソイツで作った酒を日本から取り寄せそれこそ毎日でも飲んでいたような……。

 

「それってもしかして……赤紫色の皮がついてて、太くて短い紡錘形で、食べると甘い……そういう芋だったりする?」

 

「おお、ようご存じじゃなあ。そいがエルフ芋じゃ」

 

 にっこりと笑って、ウルは頷いた。……サツマイモじゃねーか!! 僕の地元じゃ、カライモとも呼ばれていたアイツだ。えっ、なに、エルフってサツマイモが主食なの? というか、なんでサツマイモに自分たちの種族の名前までいれてるんだよ。ええ……エルフのイメージがどんどん崩壊していくんだけど……。

 



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第203話 くっころ男騎士とハニートラップ

 リースベン・エルフはサツマイモを主食にしていた。なんだか意外ではあるが、取引次第ではこちら側にも導入できる可能性があるというのは非常にありがたい。この芋は条件が悪くとも十分な収量が見込めるため、リースベンのような食料生産能力に不安のある土地にはピッタリの作物だった。

 ……しかし、なんでド辺境のリースベンにサツマイモなんかあるんだろうな? 前世の世界じゃ、たしか南米原産だったはずなんだが。いや、考えても無駄か。僕は学者じゃなくて軍人だからな。そういう考察をするのは僕の仕事じゃない。

 

「おまたせ、お兄様!」

 

 そんなことを考えていると、カリーナが素焼きの深皿に山盛りの揚げタマネギを乗せて駆け寄ってきた。タマネギの量が、思ったよりもだいぶ多い。カネを渡し過ぎていたみたいだな……。

 

「おお、ありがとう。ここじゃ落ち着いて食事もできない。どこか、落ち着ける場所へ行こうか」

 

 土煙を上げながら大通りを行きかう荷馬車隊を一瞥してから、僕は苦笑した。こんな土っぽい場所で食事をしていたら、あっという間に口の中がジャリジャリし始めるのは間違いない。

 

「うまか! うまか!」

 

 それから、十分後。僕たちは大通り近くの小さな公園に軍用の折りたたみテーブルやイスを並べ、揚げタマネギを食べていた。ホカホカと湯気を上げるそれを、ウルは満面の笑みを浮かべつつ口に投げ込み続けている。

 この人、出会ってからこっち延々飯を食い続けてる気がするな。いや、提供してるのはこっちなんだけどさ。そのうち、体重が増加しすぎて飛べなくなっちゃったりしないだろうな? 他人事ながら心配になって来たぞ。

 

「……」

 

 そんな彼女の姿を、カリーナが何とも言えない微妙な表情で眺めている。足を使って食事をするウルのスタイルに、違和感を覚えているのだろう。鳥人はみなこうやって食事を取るという話だが、鳥人自体この中央大陸西方ではあんまりメジャーな種族じゃないからな。カリーナの反応も、わからなくはない。

 

「あてが食事をしちょっと、こちらんしはみんなそげん顔をすっね」

 

 それを見たウルが食事の手……いや、足を止め、苦笑する。足の指でつまんだフォークをプラプラと揺らし、小さく息を吐く。

 

「こん国ではいっちょん鳥人の姿を見もはんでね。見慣れんのは、まあ仕方がなかやろうが」

 

「す、すいません。珍しくて……」

 

 カリーナが冷や汗をかきつつ頭を下げる。鳥人の腕は、そのまま鳥の翼のような構造になっている。当然、モノを掴むような芸当は不可能だ。さまざまな亜人種の暮らすこの世界においては、種族的な特徴にあれこれ言いがかりをつけるのは最大級の侮辱とされていた。むろん、貴族令嬢としていっぱしの教育を受けているカリーナが、その程度のことがわからないはずもない。

 

「気にせんでん結構ど。じゃっどん、あてらは食事ん前にはキチンと足を洗うちょる。不潔じゃとは思わじいただくっと嬉しか」

 

「ええと、ハイ……」

 

 まーた何を言ってるのか理解できてない様子だな、この牛娘は。仕方がないので、ざっくり翻訳して彼女に耳打ちしてやる。ここ数日で、僕はエルフ訛りにある程度慣れてきていた。まあ、それでもいまいちわかりづらいときはちょくちょくあるが……。

 

「わ、わかりました!」

 

 僕の言葉にふんふんと頷いて見せたカリーナは、顔を赤くしつつ何度も頷いた。そんな彼女の様子に、ウルは少し愉快そうにクツクツと笑う。

 

「まあ、そいでも気になっちゅうとなら、だいかに食べさせてもらうちゅうともアリやなあ。たてば、アルベールどんとかに」

 

 食べさせてもらう……いわゆる『あーん』か。なんだかこっぱずかしいことを言い始めたな、このカラス娘。しかしよく考えれば、鳥人は道具類を使うには不向きな種族ではある。いかに足が器用だとしても、流石に手のように自在には使えないからな。それを思えば、手を持った他種族に食事の介助をしてもらうのも、彼女らに取っては日常の一部かもしれない。

 

「……どうぞ」

 

 僕は自分の皿に取り分けていた揚げタマネギのひとかけらをフォークで突き刺し、ウルの眼前に差し出した。彼女はかなり面食らった様子でそれを見ていたが、やがて意を決した様子でそれにかぶりついた。

 

「見られちょらんじゃろうね……」

 

 タマネギを飲み込んでから、ウルはボソリと呟いて空を見上げた。そしてほっと息を吐き、頭を左右に振る。いつの間にか、彼女の顔は真っ赤になっていた。……恥ずかしいなら最初から提案すんなや!

 というか、ナチュラルに空を見上げたあたり、やっぱりカルレラ市上空にはエルフ側の鳥人が偵察に来てるんだろうな。しかしある一定の高度を取られたら鳥人と普通の鳥の区別なんかつかないし、そもそも迎撃手段が翼竜(ワイバーン)だけというのも厳しい。なにしろ、たった三騎しかいないからな。現状、放置するしかないということだ……。

 

「お次をどうぞ」

 

 しかしだからこそ、くだらないこととはいえ動揺を誘えたのは非常に気分が良い。ニヤリと笑って、僕は次のタマネギを差し出した。

 

「……」

 

 ウルはジロリと僕を見てから、恥ずかしそうにそれにもかぶりつく。うんうん、悪くないぞ! 彼女には会話の主導権を握られっぱなしだったが、今ならばこちらのペースに巻き込める気がする。……なんだかカリーナが、『マジかこいつ……』みたいな顔で僕を見ているが、気にしないことにする。

 

「そういえば、サツマ(エルフ)芋うんぬんの時にも思ったんだが……我々は、君たちのことを何も知らない。これから交流を深めていくにあたり、この状況は非常に悪いと思うんだ」

 

「むぐむぐ……そ、そうじゃなあ」

 

 次々に差し出される揚げタマネギを啄みつつ(まあ鳥人にクチバシはないが)、ウルは頷いた。

 

「かまわない範囲で、いろいろ教えてくれると嬉しい」

 

「そりゃ、構いもはんが……」

 

「助かるよ!」

 

 妙にチラチラと周囲を気にしつつ、ウルは肯定した。どうにも、心ここにあらずと言った様子である。よーしよしよし、いいぞ。この隙に、必要な情報を教えてもらおう。

 僕は従卒の持ってきた燕麦ビール(これもそのあたりの出店で買ってきたものだ)をカップに注ぎ、ウルに差しだした。彼女はもうどうにでもなれといった様子で、僕が手に持ったままのカップに口を付ける。

 ……彼女はガレアではまず見ないような異国情緒あふれる褐色美女である。しかも胸元もあらわな薄着姿だ。そんな魅惑的な女性が目と鼻の先で喉を鳴らしつつビールを飲んでいるわけだから、妙に倒錯的なエロスを感じてしまう。うーん、役得役得。

 

「……一番気になってるのは、エルフの寿命だ。ダライヤ殿は御年千歳以上という話だが、外見は非常に若く見える。エルフという種族は、もしや不老不死なのか?」

 

 そう、問題はそこだ。もちろん(ダライヤ氏の話が本当だったと仮定して)内戦やら食料不足やらでエルフ人口がずいぶんと減ってしまっているようだから、完全な不死というわけではあるまい。とはいえ、寿命の枷が無いというだけでも、ずいぶんと脅威だ。

 

「こげんこっしながら他んおなごん話をすっなや……」

 

「なんて?」

 

 ウルは何かボソリと呟いたようだが、上手く聞き取れなかった。問い返しても、彼女は「ないでんあいもはん」としか答えない。……なんでもないよ、という意味かな? 本当に難しいぞ、エルフ訛り。

 

「おっしゃっ通り、エルフには寿命があいもはん」

 

 ため息を吐いてから、ウルはそう答える。……エッ、マジで不老不死なのあいつら? ますます男を攫う理由がわからなくなってきたな。繁殖の必要が限りなく薄い生き物じゃないか。訳が分からん……。



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第204話 くっころ男騎士とエルフの秘密

 エルフには寿命がない。その言葉に、僕は思わず顔をしかめそうになった。そんな連中とどうやって戦えというのか。

 

「よくわかんないんだけど、エルフは年を取らないって言ってるの? もしかして」

 

 カリーナが耳打ちしてくる。僕はコクリと頷いた。本当に寿命の上限がないのかは不明だが、あの見た目はロリなダライヤ氏も年齢四桁なわけだからな。せいぜい百年程度しか生きていられない僕たち短命種から見れば、実質無制限みたいなもんだ。

 

「ど、どうしよう。そんなのを敵に回して、勝てるとは思わないんだけど……」

 

「流石に不死身の戦士というわけではないだろうが、厄介だな。千歳オーバーの御老人が大量に居るとすれば、経験の蓄積も尋常ではないハズだ」

 

 逆に、前代官はこんな連中をどうやって撃退していたのか不思議でならない。軍備だって、僕の軍と比べればはるかに少なく、装備も貧弱だったハズだ。……普通に考えて、小手先の工夫で何とかできるレベルじゃないだろ。裏で取引でもしていたか、あるいはエルフたちがフカシ(・・・)をこいているか、そのどちらかだろうな。両方かもしれんが。

 

「そげん顔をせんでん、大丈夫じゃ。エルフたちは無敵ん軍団じゃらせんじゃ」

 

 コソコソと話し合う僕らを見てウルはニヤリと笑い、声を潜めてそう言った。

 

「本当はあまりゆわん方が良か事じゃっどん、一宿一飯ん恩義もあっとで特別にお教えしもんそ。エルフたちは、けしみたがりじゃ。そけ付け入っ隙があっと」

 

 ……何か重大な秘密を教えてくれているらしいが、訛りのせいで肝心な部分がよくわかんねえ!! なんだよ、けしみたがりって!? 冷や汗をかきながらカリーナの方を見るが、彼女は『私に聞かないでよ!』とでも言わんばかりの表情で首をブンブンと左右に振った。

 

「ええと、こちらん言葉でゆと…… 死にたがり、やろうか」

 

 僕らの反応を見て意味が通じていないことに気付いたのだろう、ウルはひどくバツの悪そうな表情でそう言い直した。

 

「寿命を持たんでこそ、生にしがみつっことを恥じゃち考ゆっエルフ部族じゃ」

 

「ふむ……」

 

 少し考えこみながら僕は頷き、フォークで揚げタマネギを刺してウルの前に差し出した。彼女は一瞬だけ照れたような表情になってから、パクリとそれを食べた。

 ……なぜか、隣のカリーナが自分の持っていたフォークを差し出しつつ、口を開けている。この義妹、妙にあざといな。仕方がないので、彼女にも食わせてやる。ウルがちょっと憮然とした顔になった。

 

「ほら、ビールもどうぞ」

 

 彼女にはペラペラ気分よくエルフ族たちの秘密を喋って貰わねばならない。僕は中身の少なくなった彼女のカップに燕麦ビールを継ぎ足し、差し出してやった。『それでいいんだ、それで』とでも言いたげな様子で、ウルはそれをゴクゴク飲み干す。……いやあ、なんかコレ楽しいな。やはり、人が旨そうに飲食している姿ほど見ていて面白いものはない。

 

「ぷはっ……ええと、エルフん生死観やったね。ただ長う生きっだけなら、そこあたいん草木にだってしきっ。そいがエルフたちん口癖じゃ。より良う生きっよりも、より良う死ぬ(けしん)ことを是とすっわけじゃなあ」

 

 そう言ってから、ウルは次はタマネギだとばかりに大口を開けた。お望み通り、ドでかいタマネギを突っ込んでやる。

 

「あぐあぐ……具体的に言えば、彼女らは名誉ん戦死を遂ぐっか、子を産んで死ぬ(けしん)ことを良しとしもす」

 

「ほう」

 

 名誉の戦死云々、ねえ。内戦で人口が激減したのも、それが原因かな? 美しい死にざまを求める連中が、身内同士で相争う事態になれば……派手な集団自殺の様相になってもおかしくない。さぞや悲惨な戦いだったことだろう。

 

「子を産んでって……どういうこと?」

 

 難しい表情で、カリーナが聞いた。そうそう、そこも気になるんだよな、エルフの繁殖事情。いや人間相手に繁殖なんて言葉を使うのは不適切か。でも、子作り事情と言い換えてもそれはそれでなんだかヤバそうな雰囲気あるしな……。

 そもそも、不老長寿の長命種のわりに激烈に男求めすぎなんだよ、エルフは。いや、攫ってきた男たちは、配下の鳥人や只人(ヒューム)なんかにも渡してるんだろうけどさ。それにしたって限度ってものがあるだろ。もちろん、子孫繁栄のためではなく単に性欲解消のためだけに男を拉致しているという部分も大きいんだろうが……。

 

「ああ、身近に長命種がおらんとこん辺りはようわかりもはんね。エルフたちは、あっ程度ん年齢になっと時が止まったごつ成長も加齢もせんくなっとじゃ。じゃっどん一たび子を孕めば、そん止まっちょった時が再び動き出し、あてら短命種と同じようように歳をとっごつなりもす」

 

 ……子供が出来ると、加齢するようになる? 少し面食らったが、確かに不老長寿のエルフたちが無制限に子供を産めたら、世の中エルフばかりになってしまう。

 しかし、現実にはエルフは少数部族に過ぎないわけだ。繁殖力が極端に低い種族なのではないかと予想していたのだが、なるほどそういう事情があったのか。

 

「ガレアには結婚は人生の墓場、という言葉があるが……エルフたちにとっては、文字通りの意味になるわけだな」

 

「そん通り。エルフたちにとって、男を作ったぁ死ぬ(けしん)ことと同義じゃ。それも、華々しか戦死と同じか、それ以上に名誉な死じゃ。じゃっでこそ、奴らは男を強う求むっわけじゃなあ」

 

 ふーむ、なるほどなるほど。エルフたちの文化が、なんとなくわかってきたような気がする。不老ではあっても不死ではないがゆえに、彼女らは死を強く意識しているわけか。まあ、長生きするだけが人生じゃないしな。そのあたりは、僕としてもある程度理解できる。

 

「んっ!」

 

 などと考えていると、ウルが催促するように口を突き出してきた。まるで餌を求めるひな鳥のようだ。まあ、彼女はひな鳥どころか、僕と同じくらいの身長のデッカイ鳥人間なんだが。苦笑しながら、タマネギを彼女の口に放り込む。

 しかし、裏取りは必要にしても貴重な情報が手に入ったな。やはり、彼女に対する接待作戦はうまく行っていると考えてよいだろう。接待を継続し、どんどんこちら側に引き込んでいきたいところだな。



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第205話 くっころ男騎士と新発見

 ウルからの聞き取り調査、新兵の教練。出来る範囲でエルフに対する対抗策を進めつつも、僕は内心焦れていた。老獪なエルフ族の長老・ダライヤ氏から主導権を奪い取るには、現状のやり方では明らかに不足だ。特に情報戦での不利が痛い。

 しかし、地上からの情報収集はすでに手詰まり状態だ。起死回生の可能性があるのは、ラナ火山探索飛行隊のみ。とはいえ、案外リースベン半島は広いのである。すぐに成果を上げるのは難しいのではないかと、不安に思っていたのだが……。

 

「結論から先に申し上げますと、ラナ火山らしきモノは発見できました」

 

 ダライヤ氏との会談が予定されている日の前日。探索飛行から帰ってきた騎手と星導士を出迎えた僕は、待望の報告を聞くことができた。……探索が始まってから、まだ二日しかたってないんだけど。いやめっちゃ早くない?

 何はともあれ、詳しい話を聞かなくてはならない。僕は騎手と星導士の二人を、領主屋敷の会議室に招いた。従卒にハチミツがたっぷり入った香草茶を入れてもらい、二人にふるまう。温暖なリースベンとはいえ、空の上は案外寒いものだ。まずは身体を温めてもらうことにする。

 

「……驚きました、星導士様。まさか、この短期間で発見するとは。最低でも、一週間以上かかるのではないかと考えていたのですが」

 

「大したことはありません」

 

 丸眼鏡に星導服(前世の修道服によく似たデザインの、白黒の長衣だ)という姿の星導士が、ふふんと自慢げに平坦な胸を張った。彼女はリースベン領の最寄りにある天測台から派遣されてきた人物で、フィオレンツァ司教の知人だという話だった。

 

「火山という地形は、何もない場所から唐突に生えてくるものではありません。火山活動は周辺の地形や土壌にも大きな影響を及ぼしますから、そのあたりを勘案しながら探索を行えば発見はそう難しいものではないのです」

 

「ほう」

 

 地学に関しては、僕はまったくの素人だ。火山だのなんだのといった分野には、まったく疎い。思わず感心の声を上げると、丸眼鏡の星導士はさらに胸を張った。

 

「星導士を空ばかり眺めている連中だと批判する者もおりますが、それは偏見という物です。天測はもちろんですが、地形についてもきちんとした知識を持っていなければ、正確な測量など行えませんから」

 

「なるほど、御見それしました」

 

 鼻高々の様子の星導士の言葉を、ソニアがばっさり切った。

 

「ところで、わたしの幻像機(カメラ)をお貸ししていたはずです。キチンとした写真は、撮れたのでしょうか」

 

「ええ、もちろん」

 

 にっこりと笑い、星導士は首から下げていた幻像機(カメラ)をソニアに返却した。……とはいえ、この道具は現代のデジタルカメラほど便利な代物ではない。写真を見るためには、きちんと現像してやる必要がある。

 もちろん、飛行隊が帰還した時点ですぐに乾板(フィルム・カメラで言うところのフィルムに当たるパーツ)は回収しており、突貫作業で現像するよう命じていた。僕が近くに居た技官のほうをちらりと見ると、彼女は頷いて何枚かの写真を会議机に並べた。

 

「ほう、これがラナ火山」

 

 写真に写っていたのは、なんとも迫力のある大きな山だった。火山と言っても、富士山のような堂々たる姿ではない。山脈のようにも見える複雑な形状で、山体の上半分がクレーターめいて陥没している。典型的なカルデラ火山のようだ。

 日本の山でいえば、阿蘇山が近いか。カルデラ部分には大量の水が溜まっており、はっきりと湯気が立ち上っていた。火山活動はいまだに継続しているようだ。

 

「山の周辺の樹海は、灰を被って白っぽくなっていました。おそらく、いまだに小規模な火山灰の噴出が続いているのでしょう」

 

「これほど大きな火山がリースベンにあったとは……半島全土のエルフを絶滅の危機に追い込むような大噴火を起こしたという話も、ある程度の信憑性がありそうですね」

 

 難しい表情で写真に顔を近づけたジルベルトだったが、ふと別の写真が目に入り動きを止める。そこに映っていたのは、ひどくブレた黒っぽい塊だった。よく見れば、大きな鳥のような形をしている。

 

「……一つお聞きしたいのですが、これはもしやカラス獣人では?」

 

「ハイ。火山の付近を旋回して写真を撮影していた際、十名ほどのカラス獣人に襲撃を受けました」

 

「火山より先にそっちを教えていただきたかったのですが、星導士様……」

 

 僕は思わずつっこんだ。ラナ火山を探していたのは、あくまでエルフたちと接触するための手がかりを探してのことだ。ウルとダライヤ氏の関係を思えば、カラス獣人がいたということは近くにエルフもいる可能性が高い。

 

「アッ、申し訳ありません。火山の方に気を取られて、すっかり頭から飛んでおりました。未開拓地の測量中に、鳥人蛮族に襲われるなんて珍しくもない事ですし」

 

 僕が頭を抱えたい気分になっていると、相方の騎手が「この方、ずっとこの調子で……」とボソリとぼやいた。どうもこの星導士様は、人間よりも調査対象のほうに集中しすぎてしまう性質(タチ)のお方のようだ。まあ、学者肌の人間には珍しくもない話だが……。

 

「襲撃は、無事に切り抜けられたのか?」

 

 星導士様も騎手も怪我をしている様子はないが、一応聞いておく。万が一ということもあるしな。

 

「ええ、もちろん。翼竜(ワイバーン)はカラス鳥人などより遥かに優速です。回避に徹すれば、そこまで恐ろしい相手ではありませんよ」

 

「我に追いつく敵機なし、って訳か。流石はガレアの誇る翼竜(ワイバーン)騎兵隊だ」

 

 ドンと胸を叩いて見せる翼竜(ワイバーン)騎手に、僕は安堵のため息を吐いた。翼竜(ワイバーン)とその騎手はわが軍の(かなめ)といっていい重要戦力だし、そもそも心情的にも部下のケガや戦死はできるだけ避けたいと思っている。彼女らには無事に帰ってきてもらわねば困るということだ。

 

「では、例のブツの投下にも成功したわけか」

 

「はい、確かに投下いたしました。落下傘(パラシュート)とやらもキチンと開いていましたから、カラス鳥人どもが相当なマヌケでない限りはちゃんと回収してくれるでしょう」

 

 僕は、作戦前に「エルフやカラス鳥人と遭遇した場合、これを投下してくれ」と命じて落下傘(パラシュート)付きの大きな布袋を騎手に渡していた。中身はビスケットや乾燥豆、チーズと言った軍用糧食だ。

 エルフたちの国で深刻な食糧危機が起きているという情報は、おそらく事実だ。そこで僕は、食料を手土産にしてエルフらと穏当に接触を図ろうと考えたのである。

 

「よしよし、いいぞ。申し訳ないが、明日以降もラナ火山付近へ飛んでくれ。そして、カラス鳥人たちが出てきたら救難物資を投下だ。しばらくの間、他の翼竜(ワイバーン)騎兵たちとローテーションでこの任務を続けてもらう」

 

「了解しました、城伯殿」

 

「頼んだ。しかし、無理はしないように。危険を感じたら、即座に撤退するんだ。君たちを、このような場所で失うわけにはいかないからな」

 

 念押ししつつ、僕は頭の中でこれからの方針について考えていた。翼竜(ワイバーン)兵たちと接触したのは、新エルフェニアのカラス鳥人なのだろうか? 可能性としてはそれが一番高いように思えるが、別勢力である可能性も捨てきれない。とりあえず、その辺りを確かめるのが作戦の第二段階になるだろう……。



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第206話 くっころ男騎士とぼっけもんエルフ

 待望の報告があった翌日。とうとう、新エルフェニア帝国との第二回会談の日である。前回の会談がエルフのホームグラウンドである森の中で突発的に開かれたこともあり、今回の会議会場は我らがカルレラ市の領主屋敷で開催されることになっていた。

 とはいっても、彼女らはこのリースベン領で狼藉の数々を働いてきた蛮族である。市民感情を考えれば、まだこの会合を(おおやけ)にするわけにはいかない。ダライヤ氏らには変装をお願いし、その特徴的な笹穂耳を隠した状態で領主屋敷にまで案内することになった。

 

「ウル、オヌシちょっと太っておらんか」

 

 会議室に入ったダライヤ氏は、出迎えた部下に対して開口一番そんな言葉をぶつけた。何しろウルはカルレラ市にやってきてからずっと接待漬けご馳走漬けの日々だったのである。そりゃ、多少はふくよかにもなるというものだ。まあ、もともとが少々痩せぎすに過ぎる体形だった彼女だから、むしろ今のほうが健康的に見えるが。

 

「気のせいにごわす」

 

「左様か」

 

 ジト目でウルを睨んだ後、ダライヤ氏はため息を吐きつつ席に腰を下ろした。

 

「ところで、アルベール殿。予定通り随伴員を連れてきたが、かまわんかね?」

 

 ダライヤ氏が連れてきた部下は合計四名。一人はカラス鳥人で、残りはエルフだった。カラス鳥人は背格好、外見年齢ともにウルと大差ないが、エルフの方はバラエティ豊かだ。

 少女にしか見えない外見のものもいれば、いわゆるお姉さん風のエルフもいる。共通点といえば、皆一様に妖精めいて容姿が整っていること、そして軒並み胸が平坦気味であるということくらいだ。流石は弓を得意とする種族といったところか。ガレア王国で妙に弓の人気がないのも、竜人には胸の大きな者が多いせいだしな……。

 

「もちろん、問題ない。全員、歓迎させてもらおう」

 

 にっこり笑ってそう言ってから、僕は従卒を呼んで全員分の香草茶を淹れるようにように頼んだ。ところが、そこにダライヤ氏の部下……僕とそう大差ない外見年齢の背が高いエルフが口を挟んでくる。

 

「領主どん、茶も悪うなかが、食い物も欲しか。(オイ)らもう腹がペコペコで、背中と腹がくっちちめそうじゃ」

 

 いきなり食料要求をしてきたぞ、こいつら。腹ペコはウルだけの専売特許ではないようだ。ダライヤ氏の話が本当なら、このエルフたちも新エルフェニア帝国とやらの宮仕えだろ? それがこの欠食っぷりとなると、なんだかだいぶ不安になって来たな。エルフの食糧危機は、かなり深刻なレベルなのかもしれない。

 ……しかしそれはさておき、このエルフ訛りよ。黙ってさえいれば息をのむほど幻想的で美しい女性から、やたらと訛った荒っぽい言葉が飛び出してくるんだから、ギャップがスゴイ。視覚と聴覚が喧嘩をしているような錯覚を覚えずにはいられなかった。

 

「コラ、イルダ! ちょかっなんちゅうこっをゆど。礼儀知らずとそしられよごたっとか、ワレは!」

 

 渋い顔でダライヤ氏が怒声を飛ばす。だが、イルダと呼ばれたエルフはニヤリと笑って自分の腹を叩いた。

 

「じゃっどん、腹が減っては戦はできらんともゆ!」

 

「戦をしに来たわけじゃなか!」

 

「ダライヤどんはヌルか! 奪い、奪われっとがエルフん生きざまちゅうもんじゃろう」

 

 部下の反抗にダライヤ氏は反論しようとしたようだったが、それより早く別のエルフが椅子を蹴とばすような勢いで立ち上がった。少女めいた外見のエルフだった。

 

「議バ言うな! イルダどん! お(はん)のごつ若造(にせ)は、後ろで黙って話を聞いちょりゃよかど!」

 

「今オイんこつを若造(にせ)ち言うたか!」

 

 売り言葉に買い言葉。イルダと呼ばれたエルフの方も乱暴に立ち上がり、少女エルフに詰め寄った。どうも、口ぶりからすると少女エルフのほうが年上らしいな。エルフ族は外見と年齢がまったく比例しない種族なのだろう……。

 

「おう若造(にせ)じゃ若造(にせ)じゃ! 若造(にせ)ち言われてはらかっとが、そんないよりん証じゃ!」

 

「戦死もできず子もなせず、ただただ長生きしちょっだけん化石エルフめ! 吐いた唾は吞めんぞ!」

 

 腰に下げた木剣の柄を引っ掴んで、イルダが吠えた。少女エルフの方も顔を憤怒に染め、自らの木剣に手を乗せる。一触即発の空気である。外交交渉中に内輪もめ始めるんじゃねえよ! こっちの陣営の人間、全員ポカンとしてるじゃねえか!

 

「こんなのと交渉しなきゃいけないんですか、我々は」

 

 そうボソリと呟くのはジルベルトだ。正直、まったく同感である。いくらなんでも血の気が多すぎるだろ。マジで勘弁してほしい。

 

「しかし、交渉という選択肢を潰して残るのは戦いの道のみ。交渉も嫌だが、戦うのもちょっとイヤだな、わたしは」

 

 ソニアが何とも言えない表情で小さく息を吐く。その言葉に、ジルベルトが頭を抱えた。

 

「それもそうですね。ああ、頭が痛くなって来た……」

 

「奇遇だな、僕もだよ」

 

 頭も胃も痛くなって来た。なんとかししてくれよという気持ちを込めてダライヤ氏の方を見ると、彼女は本気で申し訳なさそうな表情で頭を下げてくる。

 

「せからしかど、お(はん)ら! ちと頭を冷やしてけ!」

 

 そしてなおも怒声を上げ続けるエルフ二名の方を睨みつけると、その矮躯(わいく)に見合わぬ怒声を上げた。ブチギレた人間にはさらなるブチ切れで対抗するのがエルフの流儀なのだろうか? そのまま彼女は、奇妙な旋律の歌のような言葉を吐いた。魔法の呪文詠唱である。

 

「グワーッ!」

 

「グワーッ!」

 

 局所的な突風が吹き、エルフ二人が窓の外へ吹っ飛ばされていった。被害を受けたのはその二人だけで、他の人間はもちろんテーブルに乗った香草茶のカップまで無事だった。

 人を吹っ飛ばすほどの突風を起こした場合、並大抵の術者であれば余波で部屋中が滅茶苦茶になっていたはずだ。そうならなかったのは、ひとえにダライヤ氏の魔力と術式の制御が尋常ではなく高精度だったからだろう。しかも、魔法自体の発動速度も極めて速かった。……さすがは御年千歳の超ベテラン、背筋が寒くなるほどの魔法の腕前である。

 

「失礼した、アルベール殿。 若い者は血の気が多くていかんのぅ、ワシを見習ってほしいもんじゃ……」

 

 ため息を吐き、ダライヤ氏は香草茶を口に流し込んだ。……そこで、ぐぅという可愛らしい音が彼女の腹から聞こえてくる。

 

「……あのバカの言葉を支持するわけではないが、腹が減ったのは確かじゃのぅ。すまぬが、食事の用意をしてはくれんじゃろうか?」

 

 ダライヤ氏は顔を真っ赤にし、ぷるぷると震えつつそういった。……思わず笑いそうになったが、実際のところ笑いごとではない。長老ですらこの有様とか、新エルフェニア帝国の食料事情はどうなってるんだよ。飢饉にしてもほどがあるだろ……



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第207話 くっころ男騎士とエルフ芋

 腹ペコエルフの集団に対し、僕が提供したのは軍隊シチューと呼ばれるガレア王国の伝統料理だった。これは大鍋にありあわせの材料を大量にブチこみ、濃い味付けをして煮込んだだけの代物である。

 名前や調理法からわかる通り、これは兵隊や肉体労働者向けの大衆料理である。隣国の使節団に提供するには、少々……いや、多大に問題があるような代物だが、エルフたちが「とにかく早く食べたい!」と言い出したのだから仕方がない。凝った料理は準備と調理に時間がかかるのである。そこで選ばれたのが、リースベン軍の兵士の昼飯として準備されていた軍隊シチューだったのだが……。

 

「見れ、豚肉が入っちょっぞ!」

 

「ひゃー! 豚肉なんて、何年ぶりじゃろうか。たまらんの!」

 

 もっとも、当のエルフは庶民料理だろうが大喜びの様子である。みな笑顔を浮かべながら、ガツガツと猛烈な勢いで鍋の中身を食い散らしていく。喜んでくれるのはうれしいが、本当にエルフたちの食料事情が心配でならない。使節団クラスがこれってどういうことだよ。帝国なんて名乗っちゃいるが、本当にマトモに国のていを成している組織なのか……? 実は世紀末ヒャッハー集団だったりしないよな?

 

「じゃっどん、ほんのこて一国ん長が男じゃとは。大婆様に聞いた時は騙されちょるんじゃらせんかち思うたくれなんじゃが」

 

 などと考えていると、一人のエルフがそんなことを言った。先ほど開口一番にメシを要求した挙句喧嘩をおっぱじめ、ダライヤ氏の風術により窓外に吹き飛ばされたヤツだ。彼女は頭に大きなタンコブを作っているが、それ以外にケガはない。この部屋、二階にあるんだけどな……まったく丈夫な連中だよ。

 しかし、このエルフ……外見的には、エルフ使節団の中では一番の年かさ(とはいっても、僕と同年代かちょい上程度だが)に見えるんだよな。しかし、彼女より遥かに年下の少女っぽいエルフからは若造扱いをされていた。ウルの言葉によれば、エルフはある程度の年齢に達すると加齢・成長が止まるそうだが……その時期には、個人差があるのかもしれないな。

 

「気に入らんかね?」

 

「むっつけき大女と喋っくれなら、若か男に相手をしてもろうた方が楽しかでな。今ん方が良か」

 

 うちはホストクラブじゃねーぞ! おもわず叫びそうになって、こほんと咳払いをして誤魔化す。

 

「……そういえば、アルベール殿」

 

 そんな僕の様子を見かねたのか、ダライヤ氏が苦笑しながら声をかけてくる。彼女は持っていたスプーンを皿の上に置き、腰に巻き付けたポーチの中をゴソゴソと漁った。

 

「ウルに聞いたのじゃが、なんでもエルフ芋に興味があるとか。手土産代わりに実物を持ってきたから、受け取ってもらいたい」

 

「おお、有難い」

 

 ウルはカルレラ市に滞在している間、何度か仲間らしきカラス鳥人と接触している姿を確認している。一応彼女は連絡員という名目で僕らのところに派遣されていたわけだから、これを阻止するようなことはしていなかった。

 

「ふーむ」

 

 受け取ったエルフ芋とやらを検分してみる。……どこからどう見てもサツマイモだ。その特徴的な赤紫色の皮に土が付着していないことを確認してから、意を決して生でかじってみる。……味はやや甘く、独特のイモくささが感じられた。前世で食べ慣れた風味である。やっぱサツマイモだコレ!

 

「あ、アル様!」

 

 毒を警戒しているのだろう、ソニアが血相を変えて立ち上がった。即座にそれを手で制止する。この血の気の多い連中のことだ。毒殺なんてしゃらくさい真似をするくらいなら、直接剣を向けてくるに違いない。

 ……まあ、このエルフ芋とやらが生食厳禁の作物である可能性もあるがね。しかしこいつが本当にサツマイモなら生で食べたところで何の問題もないし、実際持ち主であるダライヤ氏は僕を止めようともしていない。おそらくは大丈夫だろう。

 

「……どうじゃね、お味は」

 

「嫌いじゃないけど、焼くか煮るかしたほうがおいしいかも」

 

「じゃろうなあ。ワシも蒸しエルフ芋が好物での、一度やってみるといい」

 

 ニンマリ笑って、ダライヤ氏が頷いた。

 

「エルフ芋はこの地の気候と土壌によく合った作物じゃ。我が国と貴国の友好が成った暁には、育て方をそちらに伝授しても良いと考えておる」

 

 おっと、いきなり仕掛けてきたな。確かにサツマイモ……もといエルフ芋は栄養に乏しい土壌でもそれなりの収量が見込めるすばらしい作物だ。今のリースベンの農民は、気候に合っていない麦を四苦八苦しながら育てている状態だからな。コイツの導入に成功すれば、食料の生産量は劇的に向上するだろう。

 ……そんな高性能作物・サツマ(エルフ)芋を育てるノウハウを持っておきながら、新エルフェニア帝国とやらはこちらから食料を略奪しなくてはならないほど困窮しているわけだからな。なんともきな臭い話だ。やはり、ダライヤ氏は何かを隠している。僕はサツマイモを生のままボリボリとかじりつつ、考え込んだ。

 

「リースベンの領主どんは、女々しかお方じゃのう。エルフ(サツマ)芋を生んまま丸かじりすっなんて、(オイ)らでもめったにやらんど」

 

「こんお方は、五倍ん敵にもひっまず突撃すっすごかぼっけもんちゅう話じゃ。並みん男じゃち思うちょったら、やけどすっど」

 

「ほほーっ、一度手合わせしよごたっもんじゃな」

 

 ……なにやらエルフどもがアレコレ言っているが、気にしない気にしない。前世の地元じゃめったにやらなかったが、生サツマイモも普通に食えはするんだよ。ちょっと消化には悪いけど……。

 

「むろん、我々としても貴卿らとは仲良くしていきたいと思っている。だが、それには超えていくべきハードルが無数にあるだろう」

 

 二度と我々の集落や街道で狼藉を働かないこと、そして彼女らの盗賊働きで被害を受けた民衆へキチンと謝罪すること。この二点は最低条件だ。ここを無視して友好だなんだと言ったところで、今までエルフたちに煮え湯を飲まされ続けてきたリースベンの民は納得しないはずだ。

 

「ま、そのあたりはおいおい、な? こちらにしてもそちらにしても、相手に要求したいことはいくらでもあるじゃろう」

 

 ダライヤ氏はにっこりと笑ってウィンクした。このロリババア、外見上は文句の付け所のない完璧な童女なのが非常に厄介だ。こういう愛らしい仕草をされると、自然とこちらまで相好を崩してしまいそうになる。ペースが掴みづらいことこの上ないんだが……。

 



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第208話 くっころ男騎士と外交交渉・エルフのターン

「要求、要求ね。確かにその通りだ」

 

 相手に要求したいことがあるのはお互い様である。ダライヤ氏のその言葉に、僕は小さく唸ってから香草茶で口を湿らせた。そして、皮つきの|サツマ(エルフ)芋の最後のひとかけらをかじる。向こう側の主張がわからないことには、交渉など成立しない。実のある交渉にするためにも、ここはちょっとつっこんで聞いてみるべきかな。……まあ、この会合におけるこちら側の最大の目的は、交渉ではなく時間稼ぎだけど。

 

「それで、具体的に新エルフェニア帝国は我々に何を求めているんだろうか? 見ての通り、我が領地はまだ開拓のさなかにある。出せるものなど、あまりないが」

 

「そうだな……むぐむぐ……」

 

 皿に残った軍隊シチューを急いでかき込み、そして鍋からお代わりを山盛りによそってから、ダライヤ氏は再び口を開いた。まったく、身体は小さいのによく食べる人だなあ。食欲旺盛なロリババアとかこっちの性癖わかっててブチ抜いてきてるんじゃなかろうな?

 

「ま、ウルや我々を見ればわかることだが……今の新エルフェニア帝国は著しい食料不足でな。まず第一に、そこを援助してもらいたいんじゃ。食べ物がないことほど、切実な問題はないからのぅ」

 

「食う物がなかなら他所から奪うてくればよか、などち思う輩も多かでな。とにかっ、腹が減っちょっ奴は気が荒うなっていかん」

 

 少女のような見た目のエルフが、長老の言葉に同調した。先ほど窓外へ吹っ飛ばされた二名のうちの片割れである。

 

「それはそうだが……」

 

「主様。連中は食料も狙いますが、男性も同時に攫って行くのです。糧食を向こうに提供することになったら、今度は男性も要求してくるのでは……」

 

「それに、渡した食料がどう使われるかもわかりませんし。もしかしたら、こちらに侵攻する際の軍用糧食として使われる可能性もあります」

 

 両隣りに座ったジルベルトとソニアが、交互に耳打ちしてくる。タイプの違う美女二名に両耳から囁かれるの、だいぶヤバいな。シリアスな状況なのになんだかムズムズしてきたぞ。いかんいかん。邪念を振り払いつつ、二人に頷いて見せた。

 まあ、安易に相手の要求を呑むべきではない、というのが確かだな。まだ交渉は始まったばかりだし、迅速に結論を出せるほどの情報も集まっていない。慎重に判断するべきだ。

 

「なるほど、わかった。しかし、あなた方にはサツマ(エルフ)芋という優れた作物がある。どうしてそれほどひどい食糧危機が発生しているのか、よければ教えてもらいたいところだが」

 

 一番気になるのは、そこなんだよな。火山噴火のせいで昔からある畑が壊滅してしまったとしても、それはもはや百年も前の話だ。現在のラナ火山は広範囲に影響を及ぼすほど激しい活動はしていない。そんな大噴火が起きればこのカルレラ市にも火山灰が降り注ぐはずだから、すぐにわかるだろう。

 ラナ火山から離れた場所であれば、農地の再建は十分に可能だったはずだ。しかし、この腹ペコエルフ集団を見る限り、そのような新農地がキチンと稼働しているようには思えない。天候が原因の飢饉の可能性もあるが、こちら側の農民の話ではここ十年ほどは干ばつ・冷夏等も起きていないようだし……。

 

「それはもう、すべて内戦のせいじゃ。身内同士で延々争い続けている間に、大半の農地は森に還ってしもうた」

 

「おいらはあんたらんごつ農民と戦士がわかれちょらんでな。農作業ん間も、剣を佩いちょくのがエルフん流儀じゃ。逆に言えば、戦うちょっ間は農地ん面倒を見ちょっ時間がなかちゅうこっになる」

 

 ダライヤ氏の言葉を、頭にタンコブを作ったお姉さんエルフが補足する。戦国時代の土佐国で活動していた一領具足と呼ばれる半士半農集団みたいな軍制だな。協力関係にある鳥人種がまったく農作業に向かない種族なので、自然と農民の比重が上がってしまった結果の制度なのかもしれない。

 イメージ的には、エルフと言えば狩人みたいなところはあるんだけどな。まあ、狩猟だけで大勢の人間を養っていくのは不可能だしな。いやが上でも、農業には手を出さざるを得ないわけか……。

 

「しかし、新たな農地が開拓できないわけではないはずだ。事実、我々の農民は森を切り開き立派な田畑を作っている」

 

 窓の外にちらりと目をやりながら、ソニアが言う。カルレラ市は平屋ばかりだから、二階からでもそれなりに遠くまで見通すことができる。町の中と外を区切る土塁のむこうには、青々とした畑が遠くまで続いていた。

 

「新エルフェニア帝国が建国されたのは、二十年くらい前だという話だが……それだけの期間があって、いまだに自給自足には程遠いというのは……少々違和感を覚えるのだが?」

 

「……」

 

「……」

 

 何とも言えない表情で、エルフたちが顔を見合わせる。しかし、ソニアの言葉ももっともだ。連中は、僕たちと違ってリースベンの気候に合った農法や作物を持ってるわけだしな。

 可能性として一番高いのは……内戦が現在も継続している、というものだろうか。エルフ使節団を見ていると、とても一国の外交担当者とは思えないような連中のように感じられる。つまり、新エルフェニア帝国と名乗る組織自体が、規模としてはかなり小さいのではなかろうか?

 

「……いや、もちろん農地の再建作業は進めておるのじゃが。しかし、我が国もいまだに政情が不安定でな。不逞(ふてい)(やから)があちこちにおって、事あるごとに畑を焼き討ちしていくのじゃよ」

 

 ……エルフがエルフの森を焼くんじゃねえよ! 盗賊暮らしをしているオークどもですら、最近はそんな真似はせんぞ! 

 

「あんボケカスども、エルフ式焼き畑農法とか称して畑に燃ゆっ油をバラめていっど。こちらん軍じゃ、火を使うた戦術は少し前から禁止しちょるんに……向こうはお構い無しじゃ」

 

 燃える油って、そりゃ(焼夷弾)ナパームじゃねえか! エルフがそんな代物使うんじゃねえよ! もう僕の中でもエルフのイメージはズタボロだよ!

 ……いやちょっと待て、火計禁止? 農村の村長は「なぜかエルフどもは火計を使ってこない」などと言っていたが、それは軍法でそう決まっていたからか。なるほどな……。

 

「とにかく、そういうわけでこちらはひどい食料不足なんじゃ。なんとかそちらから融通してもらわんことには、にっちもさっちもいかなくなってしまう」

 

「……はあ」

 

 身から出た錆びってヤツだろ、それ。いやまあ、根本的な原因は天災だけどさ。しかしまあ、歴史を紐解いてみればエルフに限らず人類そのものがこの手の愚行は何度も何度も繰り返してるしなあ……。

 

「そうなる前に貴殿らの国へ攻め込み、農地と農民ごと食料を奪ってしまえ……などと主張する者すらおるのじゃ。むろん、そのような事態はお互いにとって不幸な結果を招くことになる。ワシとしては、穏当な方向で話を進めたいと思っておるんじゃがなあ」

 

 うーん、見事なまでの強盗の論理だ。とはいえ、追い詰められた人間に倫理を期待するのも無理な話だしなあ。どうしたもんかね……。

 仮にエルフたちが全面侵攻に踏み切った場合でも、負けるとは思わない。こっちにはガレア本国からの増援も期待できるしな。しかし、彼女らの攻勢を凌いだところで、森の奥地へと撤退されたらこっちは手出しできないからな。無理に追撃すれば、ゲリラ戦で多大な被害が出るのは間違いない。結局、町の近くで迎撃戦を展開し続けるしかないということだ。

 だいたい、本国からの増援なんか呼んだら、その分の糧食はリースベンで調達するしかなくなるしな。食料価格は暴騰し、貧民から順番に餓死していくことになる。マジで勘弁してくれ。戦うにしても、ガレア王国軍が全面的に参戦するような事態はなんとか避けねばなるまい……。



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第209話 くっころ男騎士と外交交渉・只人のターン

「とりあえず食料が欲しい、というそちらの主張は分かった」

 

 香草茶を一口飲んでから、僕はエルフ使節団に向けてそう言った。むろん、彼女らの本音としては欲しいのは食料だけではあるまい。エルフたちの略奪対象としては、男性もまた食料と並ぶほど重要な存在である。

 しかし、今回の交渉では、男のおの字も出してこなかった。モノならともかく人間を交渉の材料にすれば、こちらの態度が硬化するのがわかっているからだろう。もちろん、僕としても領民の男たちを生贄に捧げるつもりなど微塵もない。

 

「では、こちらからの条件を伝えよう。まず第一に、これまでの狼藉を正式に謝罪すること」

 

(オイ)らに謝れちゅうとな?」

 

 例のお姉さんエルフが睨みつけてくる。……このエルフども、顔の造形は高貴さすら感じられるほど整っているのに、誰もかれもが目つきが悪いんだよな。

 

「当然だ、強盗とは仲良くできない。はっきり言って、我々から見た貴殿らエルフ族の印象はひどく悪い。その悪化したイメージをなんとかしないことには、交渉をするにしても領民たちは納得してくれないだろう」

 

「むぅ……」

 

 ダライヤ氏を除くエルフ族一同は若干ムッとしている様子だったが、ウルを含むカラス鳥人二名は『まあそりゃそうだろうな』と言いたげな表情だった。この辺りの意識は、エルフと鳥人で差があるのかもしれない。

 ……いざ戦争となっても、この二者はできれば分離しておきたいなあ。交渉が決裂した時に備えて、離間工作をしておくべきかね? しかし、離間工作が表沙汰になったら、間違いなくエルフたちの態度が硬化しそうだしなあ。なかなか塩梅が難しそうだ。

 

「ま、とりあえず参考にはしよう。で、次は?」

 

 一方、ダライヤ氏はニコニコ笑いでこちらの主張を受け流す体勢だ。目に見える反応を返してこないので、その内心はまったく読めない。やはり、切れ者だな。先ほどの魔法の手際を見るに、戦場でも非常に厄介な動きをしそうに見えるし……現状、エルフたちの中では一番の要注意人物である。

 

「今まで我々が受けた損害の補償、および拉致された者たちの返還。そして、略奪をはじめとした暴力行為の停止。……要するに、悪化した関係をニュートラルなものに戻すための(みそ)ぎだ」

 

「言おごたっことは分かっどん、無か袖は振れん」

 

 少女エルフが困ったような表情で吐き捨てた。ま、エルフ側からすりゃそうだろうな。略奪停止はこちらからの援助次第で実現するが、前二つはまず無理だろう。物納にしろ金納にしろ賠償を行うような余力は今のエルフ族にはないだろうし、せっかく手に入れた男たちをわざわざ返還するような真似もすまい。

 

「……この辺りは、今後の交渉次第ではある程度融通を効かせても良いと考えている。絶対条件ではないということは、頭に入れておいてくれ」

 

 僕は薄く笑って、エルフたちにウィンクして見せた。「そんな条件飲めるか!」とか言って、交渉を打ち切られちゃ困るからな。ある程度柔軟な姿勢は見せておかねば。だいたい、この交渉はリースベン軍の戦力化までの時間稼ぎという面も大きいしな。とりあえず、会議が出来るだけ長引くように誘導せねばなるまい。

 

「ま、そちらとしても当然言いたいことはあるじゃろうからな。受け入れるかどうかはさておき、検討はしよう」

 

 神妙な顔で頷いてから、ダライヤ氏は皿に山盛りになった軍隊シチューをスプーンでかき込んで、表情をとろけさせる。味がお気に召したのだろうか。カワイイ。

 

「なんにせよ、今の段階ではお互いにすぐ条件をのむ、というわけにはいくまい。我々は、今の今までまともに交流してこなかったわけだからな。交渉の妥結を目指すなら、相互理解の機会が必要だと思われるが」

 

 思案の表情を浮かべつつ、ソニアがそう提案した。

 

「そうじゃなあ……我々は、お互いのことを知らなさすぎる、という点はワシも同感じゃ」

 

 澄ました顔でダライヤ氏は言う。……あんた、滅茶苦茶僕らのことに詳しかったじゃねえか!

 

「さしあたって、こちらからも連絡員を派遣しよう」

 

「む、連絡員か……それはやや、時期尚早のような気もするが」

 

 どうも、ダライヤ氏は相互に連絡員を置くという案には賛成しかねる様子だった。香草茶をすすりつつ、渋い表情になる。おそらく、自分たちの内情を見せたくないのだろう。

 エルフ使節団の様子を見る限り、新エルフェニア帝国とやらは国家としてまともに運営されているのかかなり怪しい部分がある。おそらく、内側はボロボロだ。そんなものをこちらの連絡員に目撃されたら、交渉で足元を見られる羽目になる。

 とはいっても、こちらはすでに一名連絡員を受け入れているのである。今さらこっちの連絡員は受け入れないなどという主張は、とてもじゃないが認められない。

 一回目の交渉では慎重を期すためこちら側の連絡員は派遣しなかったが、エルフたちにも一応真面目に交渉をしようという気があることが分かった以上、できることなら複数名の腹心を送り込みたいところだ。

 

「まあ、そう言わずに。この案を受け入れてくれるなら、そちらの連絡員の増派も認めるが……どうかね?」

 

 僕はダライヤ氏以外のエルフたちをちらりと見ながら言った。彼女らは「ほう」と小さく声を上げ、一斉にその視線をウルに向ける。

 

「んあ?」

 

 我関せずの様子で軍隊シチューをガブガブ食っていた(欠食エルフどもと違って、きちんと朝食は提供してたんだが……)ウルは、妙な顔をして眉を跳ね上げる。痩せぎすのエルフたちと違い、彼女は体形も顔色も健康的だ。

 

「……そんた良か案でごわすな!」

 

「剣を打ち交わすばっかいが戦ではありまさんめえ。ここは(オイ)にお任せを」

 

 よーし引っかかったぞ! 案の定、ダライヤ氏はひどく渋い表情になっている。さらに追撃を仕掛けることにしよう。

 

「ただし、我が領に来るにあたって一つだけ、あなた方に守ってもらいたいことがある」

 

「何やっど?」

 

 そう言って眉を跳ね上げたのは、少女エルフだった。お前主戦派じゃなかったんかい!

 

「エルフの戦士たちは、皆美しく勇猛だ。さぞや男たちにモテることだろう。とはいえあまり羽目を外し過ぎて、嫉妬した我が領の女たちが僕に陳情してくるような事態は避けてもらいたい」

 

「……い、いやいや、安心召されや。エルフェニアんエルフは皆硬派じゃ。男にうつつを抜かすような腑抜けはおりまさんめえ」

 

「とはいえ、男女んこっじゃっでな。万が一もあっ。そん時はキチンと責任を取っで、領主どんにはご迷惑はかけもはん」

 

 僕の言葉に、エルフたちがソワソワし始めた。わはは、予想通りの爆釣である。ダライヤ氏が「おいやめろ」みたいな顔をしてこっちを見ているが、知ったことではない。もはや、彼女一人が連絡員増派案を拒否しても、数の力で押し切られそうな勢いである。……こんな見え見えの策に引っかかるような連中を外交の場に連れて来る方が悪いと思うんだよな、この場合。

 まあ、何にせよ一矢は報いた。新たな連絡員が何人来るかは知らないが、アデライド宰相に腕の良い男スパイを派遣しても割もらわなきゃならんな。本格的にハニートラップを仕掛けて、エルフたちから神秘のベールをはぎ取ってやる……。



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第210話 くっころ男騎士とサシ飲み(1)

 結局、第二回交渉は夕方まで続いた。お互いの主張は平行線で、進展と呼べるものはほとんどない。せいぜい、連絡員の交換が正式決定されたくらいだ。まあ、根回しをしていない会議が長引くのは当然のことだし、そもそも僕の第一目標は時間稼ぎである。今のところ、事態は僕が引いたレールの上からはそれほど逸脱していない。

 

「ブロンダン殿、貴殿はなかなかの酒好きときいておる。エルフェニア特産の酒を持ってきたのじゃが、一杯付き合わんか? 無論、二人っきりでな」

 

 交渉が終わった後、スススと近寄ってきたダライヤ氏が、陶器製のビンを見せながらそんなことを言ってきた。幼女が酒瓶を持っていると少しギョッとするが、まあ彼女は千歳オーバーの合法ロリだからな。酒くらい飲むだろ。

 

「ああ、それはうれしいな。有難くいただかせてもらおう」

 

 僕は即座に頷いて見せた。エルフの酒にはもちろん興味があったし、サシ飲みというのも魅力的だ。お互い、部下たちの目がないところでしか語れないような内容の話もあるだろう。

 夕食時ということもあり、酒は食事をしながら飲むことにした。僕はダライヤ氏を領主屋敷内の小さな応接室に案内し、自らもソファに腰を下ろした。召使たちの手により、すでにテーブルの上には最低限のツマミとグラスが乗っている。

 

「エルフの酒というと、もしや材料はサツマ(エルフ)芋かな」

 

「もちろんじゃ。サツマ(エルフ)芋とエルフの食生活は、もはや不可分のものじゃからな」

 

 そんなことを言いながら、ダライヤ氏は僕のグラスに透明な液体を注ぎ入れた。どうやら、醸造酒ではなく蒸留酒のようだ。鼻を近づけてみると、案の定芋焼酎の香りがした。うわあ、すごく懐かしい。前世では、ほとんど毎日飲んでたんだよな。

 

「イモが材料というと……この酒、かなり貴重なものでは?」

 

 食料不足の折である。エルフにとって重要なカロリー源であるイモを、酒のために浪費するような真似はできないだろう。

 

「うむ……材料も足りなければ、生産できる場所もないというのが実情じゃな。ラナ火山が噴火するまでは、エルフェニアの各地に蒸留所があったんじゃが……今となっては、一つも残っておらん。今使われておるのは、手製の簡単な蒸留器じゃ……」

 

 ため息交じりに、ダライヤ氏はそう語った。ううーん、残念なことだな。安定供給ができるなら、輸入してもいいと思ってるんだが。この様子では、それも難しそうだ。

 何はともあれ、貴重な酒を貰うだけもらっておいて、こちらは何も出さないというわけにはいかない。僕は給仕を呼んで、一本の酒瓶を持ってきてもらった。

 

「南ハルベル産ブランデー、エクストラ・オールド(追熟)等級。お気に入りの一本だ。お贈りしよう」

 

「ぶらんでー、というとブドウの蒸留酒じゃったな。こりゃあ嬉しいのぅ」

 

 ダライヤ氏はニコニコ笑いながらビンを受け取り、代わりにエルフ酒(芋焼酎)を渡してきた。交換というわけだな。

 

「せっかくじゃから、ワシはこちらを頂こう」

 

「どうぞどうぞ」

 

 ブランデー瓶の栓を抜き、ダライヤ氏にお酌する。ガレア貴族の流儀ではこう言った場合、酒を注ぐのは給仕の役割だ。とはいえ、相手にお酌してもらっておきながら、こっちは使用人任せというのはあまりに失礼である。

 

「それでは、乾杯」

 

「かんぱーい」

 

 グラスを打ち付け合い、芋焼酎を口に運ぶ。ああ、この鼻孔に滞留するような芋の香り、ほのかな甘み! まさに芋焼酎だ。前世の故郷を思い出して、少し泣きそうになる。

 

「ぷぇっ」

 

 などと感動していると、ダライヤ氏が奇妙な声を上げた。そちらを見ると、彼女は真っ赤な顔をして目尻に涙をためている。……アルコールが濃すぎたか! あわてて水入りのコップ(チェイサー)を差し出すと、彼女はあっという間にそれを飲み干してしまった。

 

「ほぇぇ、おどろいた。ガレア国では、このような強い酒が流行っておるのか?」

 

 涙を拭きながら、ダライヤ氏が大きく息を吐く。僕が渡したブランデーは無加水の樽出し(カスクストレングス)仕様で、アルコール度数は五〇から六〇パーセントもある。よく考えてみれば、慣れない人間がいきなりストレートで飲むような代物ではなかった。

 エルフ酒(芋焼酎)も蒸留酒ではあるのだが、口当たりからみて度数は前世の焼酎と大差ないかやや低いくらいだろう。エルフたちにとっては、これくらいの濃度がちょうどいいのかもしれない。

 

「い、いや、その、申し訳ない。決して、そちらに嫌がらせをしてやろうとか、そういうつもりで渡したのではなく……」

 

「わかっとるわかっとる。香りを嗅げば、この酒が非常に良いものであるというのは理解できる。ワシの口がお子様だっただけじゃ。……まあ、実際のワシは子供どころかババアじゃがな!」

 

 ころころと笑って、ダライヤ氏は冗談めかしてそういう。僕はほっと胸をなでおろした。些細な誤解が原因で交渉が決裂するなど、良くある話だからな。エルフどもの要求を聞くかどうかはさておき、交渉自体は今後も続けるつもりでいる。こんなところで打ち切りになっちゃ困るんだよ。

 

「しかし、そのまま飲むのはワシには少々辛いのぅ。少しばかり、薄めさせてもらっても良いかの?」

 

 赤い舌をチロリと出しながらそんなことを言うダライヤ氏は、外見年齢に似合わぬ艶めかしさがある。生唾を飲むのをこらえつつ、僕は少し思案した。

 

「そうだな……」

 

 暦の上ではすでに秋だというのに、今夜も相変わらずひどく暑い。こういう時は、涼しげな飲み方が良かろう。……意識したら余計に暑くなってきたな。思わずシャツのボタンをはずし、襟元を楽にする。ダライヤ氏の目が、一瞬僕の胸元に向けられた。本人は意識していない、反射的な動作なのだろう。彼女は慌てたように目を逸らした。

 

「こんな夜は、ハイボールがいいだろう」

 

 この手の視線には慣れている。僕は気にせず、給仕に炭酸水と氷、そしてガラス製のタンブラーを持ってきてもらった。タンブラーに氷をたっぷり入れ、良く冷やす。ブランデーを指一本半ぶん注ぎ、マドラーでグルグルとかき回す。あとは炭酸水を注げば完成だ。

 ハイボールというとウィスキーで作るのが普通だが、ブランデー・ハイボール(フレンチハイボールともいう)もなかなかウマイ。まあ、爽やかな果実香がブランデーの持ち味だからな。炭酸水とは、案外相性がいいんだよ。

 

「ほう、これまた豪勢な飲み方じゃの」

 

 差し出されたグラスを見て、ダライヤ氏が感嘆の声をあげた。炭酸水はともかく(カルレラ市の近くには炭酸泉が湧いているのだ)、氷とガラス製のグラスはかなり貴重な代物だ。特に、夏場に氷を楽しむjことが出来るのは上流階級の特権といっていい。

 ファンタジー世界なんだから、氷くらい魔法でバンバン作ることが出来りゃいいんだけどな。温度を下げる魔法はひどく魔力を浪費するし、なにより魔法で製造した氷は真っ白で見栄えが悪いのだ。結局、透明な氷を楽しみたければ冬場に作ったヤツを氷室で保管しておくしかない。

 

「僕もめったにやらない飲み方だけどね。なかなかイケるよ。さあさ、どうぞ」

 

「では、お言葉に甘えて」

 

 ダライヤ氏は大ぶりなタンブラーを両手で持ち、口元に運んだ。容姿が容姿なので、子供に酒を飲ませているような罪悪感がある。実際は子供どころか、僕の何十倍も長く生きてるわけだけど……。

 

「ほう! ほうほうほう! これはいいのぅ。炭酸のおかげか、ブドウの香りが鼻の中を抜けていく。ふむーん、気に入った」

 

「それは良かった」

 

 ニッコリ笑ってから、僕の方もエルフ酒(芋焼酎)をあおる。本当に懐かしい味だ。自然にぐいぐいと飲み進めてしまう。それに釣られるようにして、ダライヤ氏も乾燥豆などをつまみながらハイボールをあっという間に飲み干し、お代わりまで要求してきた。なかなかいける口である。

 結局、給仕が夕食をもってやってくる頃には、二人ともかなり出来上がってしまっていた。酒が進めば、話も進む。あの蛮族エルフどもの長老とは思えないほど、彼女の話は軽妙洒脱で面白かった。

 

「そういえば……」

 

 夕食を食べ終わってしばらくたってから、顔をほんのり赤く染めたダライヤ氏がそう切り出した。彼女はすでにハイボールを五杯も飲み干していたが、正体を無くしている様子はない。童女めいた外見とは裏腹に、アルコール耐性はかなり高い様子である。

 

「今日の会議のことなんじゃが……オヌシは、我らエルフのことをさぞ野蛮な種族だと思ったことじゃろうな」

 

「……それは」

 

 なんとも返事をしづらい話題である。僕は芋焼酎の入った陶器カップをくるくると手の中で弄びつつ、小さく唸った。

 

「誤魔化さんでも良い。正直、ワシもヤツらのことは野蛮じゃと思っておる……」

 

「ええ……」

 

 いきなりのカミングアウトに、僕は困惑した。



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第211話 くっころ男騎士とサシ飲み(2)

「昔はこうではなかった、というと語弊があるが……」

 

 エルフは野蛮である。当のエルフ族の族長からでたそんな言葉に僕が困惑していると、ダライヤ氏は片頬をあげて笑った。そしてブランデー・ハイボールで口を湿らせ、ため息を吐く。

 

「確かに、ワシが生まれた頃もまたエルフは血の気が多く直情的な種族じゃった。じゃが、ここまでひどくはなかったんじゃよ……」

 

「要するに、飢饉と戦乱が原因で人心が荒れていると」

 

「……話がやたらと早いのぅ」

 

「歴史をかじっていれば、まあ飽きるほど遭遇するパターンなんで……」

 

 日常的に飢えや戦闘のストレスに晒され続けた人間は、たとえ元が穏やかな性格だったとしてもどんどん戦闘的になっていってしまう。それは人の心の自然な働きだ。前世にしろ現世にしろ、僕はそれが原因で性格が豹変してしまった人間を何人も見てきている。

 社会秩序が崩壊すると、その地域に住んでいる人間全体にそういう傾向が出始めるんだよな。当然、治安は最悪になる。こうなると、新たな秩序を構築するのは至難の業だ。このエルフたちは、おそらくそういう状態に陥っているのだろう。

 

「まあ、その通りじゃな……」

 

 眉間にしわを寄せながら、ダライヤ氏は肩を落とした。見た目が愛らしい童女なので、そんな仕草もひどく可愛らしい。卑怯だよなあ、ロリババアってさ。

 

「事実として、オヌシらにとっては今のワシらは迷惑な隣人じゃろう。しかし、できれば根気強く付き合ってもらいたいんじゃ」

 

「ふーむ」

 

 僕は唸りながら、エルフ酒(芋焼酎)を口に運んだ。実際のところ、僕だってエルフとは戦争はしたくないんだよな。前世で受けた軍隊教育の記憶が、僕に「原住民と密林で戦うのはやめておけ」とガンガンに警鐘を鳴らし続けている。

 僕がかつて所属していた軍隊は、それでひどい目に合ってるからなあ。ナパーム弾やら枯葉剤やらを雨あられと降らしても、密林ゲリラは殲滅できなかった。不用意に全面戦争を選択すれば、僕たちも同じ運命をたどることになる。

 

「三世代以上の長さに渡って憎み合ってきた勢力同士が関係修復するのは、容易ではない。そして我がリースベンの現役世代は、入植してから二代目だ。つまり、エルフと和解するには今が最後のチャンスだということだ」

 

 今のリースベンは開拓最初期に入植した者たちの子供が、成人を迎えつつある時期だ。このままエルフたちと慢性的な紛争状態が継続すれば、エルフ族そのものが我々の不倶戴天の敵になるだろう。

 僕としては、それは避けたい。今後の領地発展の大きな妨げになるからだ。僕……というかアデライド宰相は、このリースベンを商業と工業を主軸にして成長させていく計画を立てている。そしてそのためには、強固な物流網の構築が不可欠だ。

 その大切な物流網を、ゲリラ戦術を得意とするエルフたちに脅かされ続ける……考えたくもない状況なんだよな。味方、ないし中立くらいの関係にはなっておきたいところだろ。

 

「うむ、然り然り」

 

 何度も頷いてから、ダライヤ氏はハイボールを飲み干した。そして、壁際に控えている給仕にグラスを掲げて見せる。

 

「おかわり!」

 

「申し訳ありません、氷がもうなくて……」

 

「おおう……」

 

 ひどく悲しそうな表情でダライヤ氏はガックリとうなだれた。ごめんよ、嗜好品に回せる金はあんまりないんだ、ウチは……。いや、金そのものはそこそこあるんだけどな。領地内への投資と軍備増強にガンガン使ってるから、あんまり無駄遣いできないんだよ。

 しかし、エルフどもとの全面戦争が発生した場合、それらの投資のほとんどが吹っ飛んじゃうんだよな。困るなあ、せっかく自前の軍隊を作ることが出来たのに、カスみたいなゲリラ戦ですり減らすなんて勘弁願いたいだろ。

 軍隊ってやつは、戦わないでいるときが一番役に立ってるんだよ。孫子も百戦百勝は善の善なる者にあらず、と言っている。零戦無敗の軍隊こそが至上ということだ。現代的な言い方をすれば、抑止力が機能している状態ということだな。

 

「それじゃ、こっちをどうぞ」

 

 こんなこともあろうかと用意していたワインを酒杯に注ぎ、ダライヤ氏に回してやる。「おっ、すまんのぅ」と笑いながらそれを受け取った彼女はニコニコ顔で杯に口をつけ、ごくごくと飲み始める。

 

「ぷはぁ! いやー、うまいのぅ。オヌシらと仲良くなれば、この美酒も売ってもらえるようになるわけじゃろ? ワシとしては、喧嘩なぞしたくはないのじゃ」

 

「ははは、確かに」

 

 酒云々は冗談にしても、ガレア王国と平和裏に取引ができるようになれば、エルフたちにも十分な利益はあるはずだ。彼女らの指導者層の人間であるダライヤ氏が、こういう部分に理解があるのは非常にありがたい。トップ層が頑固だと、もうどうしようもないんだよな。下の下策である戦争という選択肢を選ばざるを得なくなってしまう。

 

「今のエルフに足りないのは、平和と食料。そこさえ何とかすれば、エルフェニアは十分に交渉可能な相手になるという認識で構わないな?」

 

「うむ……あと、男も足りんが」

 

 ちらり、とダライヤ氏が僕の股間に視線を向ける。なんとも艶めかしい流し目だ。やめろよ背中がゾクゾクしちゃっただろ! ロリがそんなエロい表情しちゃいけません! ババアだけど!

 

「もはや現在のエルフェニアの状況は、自前だけで解決できぬのじゃ。言い方は悪いが……強盗になるか、寄生虫になるかの二択じゃよ」

 

「ずっと寄生されちゃ困るよ。うちだって、御覧の通り裕福ではないわけだから。無駄飯喰らいの居候など蹴りだしてしまえ、などと言い出し始める連中だっているだろう」

 

 実際のところ、融和策にだって問題はあるしな。こういうのは、病人の介護と一緒だ。無理をすれば共倒れになるし、心血を注いで面倒を見ても快癒(かいゆ)するとは限らない。実際、前世の僕が居た国もそれで何度も痛い目に合ってるしな……。イラクやアフガンに派遣された経験もある身としては、この手の融和策が想定通りにうまく機能するとはとても思えない。

 戦うも地獄、融和するも地獄。まったく嫌になるなあ。本当に厄介な領地を押し付けられたもんだ。死んで地獄に行った暁には、オレアン公に文句の一つでも言ってやらなきゃ気が済まないよ。いや、地獄には行かずまた転生しちゃうという可能性もあるが……。

 

「そこはもう、お互いの努力でなんとかするほかないのぅ」

 

「お互い、ねぇ」

 

 エルフどもは、協力してくれるんだろうか? そういう疑問を込めてダライヤ氏に視線を向けると、彼女はニッコリ笑って両手を広げる。

 

「上位者としては、部下や民草たちに先駆けて範を示さねばならんな。どうじゃ、ブロンダン殿。ワシと仲良く(・・・)してくれるかね?」

 

 などと言いつつ、ダライヤ氏はまたエロい流し目で僕を見てくる。むろん、彼女の言う仲良し(・・・)が言葉そのままの意味ではないことくらい、流石に僕にも理解が出来る。してーなー! ロリババアと仲良し(・・・)してーなー! でも淑女……ならぬ紳士としては、ウンとは言えないんだよなあ。くそぅ……。



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第212話 ロリババアエルフと蛮族カラス娘

 ワシ、リンド・ダライヤは、上機嫌な心地でベッドに身を投げ出していた。時刻はすでに深夜。ブロンダン殿から提供された客室は手入れが行き届いており、真新しいシーツの感触が肌に心地よい。

 

「いやー、若い男と飲むなぞ一体何百年ぶりかのぅ。やはりいいもんじゃ」

 

 昼間の会議はひどくつまらぬものじゃったが、その後の酒宴はとてもよかった。若い男とサシで飲むなど、何百年ぶりじゃろうか? ……記憶を探ってみると、そもそも男と一対一で酒を飲んだ経験自体がないような気がする。これだけ永く生きておきながら、なんと華のない人生じゃろうか……はあ……・。

 

「大婆様、人に『(ほだ)されんよう注意せい』などちゆちょいて、自分だけお楽しみと?」

 

 などと聞いてくるのは、腹心のカラス族ウルじゃ。ヤツは半目になりながら、ワシを睨みつけてくる。

 

「なぁにを言うておるか。一番いい思いをしとるのはオヌシじゃろう。まったく、ちょっとの間にぷくぷく太りおって……そのうち、目方が増えすぎて飛べぬようになっても知らんぞ!」

 

 耕作地の減少とそれにともなう食料不足は極めて深刻じゃ。特に敵対勢力のエルフ火炎放射器兵の活動が極めて厄介で、今年だけでもかなり数のサツマ(エルフ)芋が成長しきらぬまま地中で焼き芋になってしもうた。同胞相手に兵糧攻めを仕掛けるなぞ、本当にろくでもない連中じゃ……。

 そういう訳で、現在の新エルフェニアの人間は上から下まで例外なく一日一食の食事を強いられておる。なんなら、丸一日水以外は口にせぬという時もあるほどじゃ。そんな中でこのカラス娘は、ここしばらく三食酒付き男付きの酒池肉林生活を楽しんでおったわけじゃから、まったく羨ましい限りじゃ。

 

「まあ、ここが楽園んごたっ場所なんな事実じゃっどんね。マァ、向こうにもそれなりに思惑があって、あてをもてなしちょっちゅうたぁ分かっどん」

 

 その漆黒の翼をパタパタと振りながら、ウルはため息を吐く。このカラス娘は、頭の方は実によく回る。リースベンの者たちが自分に優しくするのは、情報を得るためであるということはキチンと理解しておるようじゃ。

 

「役得というヤツじゃな。ま、せいぜい楽しめばよいじゃろう」

 

 笑いながらベッドから立ち上がり、小ぶりなテーブルの上に酒瓶を置く。ブロンダン殿からお土産にもらった、例のブランデーじゃ。壁際の棚から陶器製の小さな杯を二つ持ってきて、酒瓶から琥珀色の液体を注ぎ入れる。その片方をウルに渡してやると、彼女は「あいがとごわす」と一礼し、それを受け取った。

 上司であるワシが部下に酒を注いでやるというのも変な話じゃが、鳥人連中はモノを持ったまま歩くことができないのだから仕方がない。本来ならエルフなり只人(ヒューム)なりの従者がやるような仕事じゃが、今この場にはそのような者はおらぬしな。

 

「……」

 

 ウルのヤツは酒杯を足でつまんだとたん、妙に寂しそうな表情で視線を空中にさ迷わせた。

 

「どうした」

 

「いや、なんちゅうか……自分の足で酒を飲んちゅうとが、こげんとぜんねもんじゃとは。やっぱい、男ん手で飲ませてもらうとがいっばんじゃなあ」

 

「飲ませてもらったんか、男の手で」

 

「……」

 

 カラス娘は、その褐色の肌を真っ赤に染めて頷いた。ひどく照れている様子じゃった。

 

「誰じゃ、ブロンダン殿か」

 

「ん」

 

 目をそらしながら、またウルは頷く。ワシは思わず、額に手を当ててしもうた。エルフェニアの鳥人たちにとって、誰かから直接食べ物や読み物を貰うという行為は、親子や夫婦の間でしか行われぬ特別な物じゃからな。未婚の男が、未婚の鳥人に酒を飲ませてやる。これは、ほとんど求婚に近い。

 

「……ブロンダンどんは、お(はん)らん習慣にちて知っちょっとか?」

 

 言葉を普段のものに戻し、小さな声で聞く。盗み聞きを警戒してのことじゃ。ブロンダン殿はそれなり以上に歓迎してはくれているが、それでもここが敵地であるという現実は変わらんからのぅ。

 

「絶対知らんやろう」

 

「じゃあ、どうすっど。なんちゃって新婚生活を楽しんだけでおしめか?」

 

 まだしばしの間はウルにはこの街で働いてもらうつもりではあるが、流石にいつまでもというわけにはいかん。明らかに色気づいている様子の部下に、ワシは呆れた目を向けた。

 

「お互い勘違いしちょっフリをして仲を深め、抜き差しならんくなったタイミングで偶然を装いこん習慣を教ゆっ。あとは『あてん純情を弄んだんか!』てゴネれば晴れてあては既婚者ん仲間入りちゅう訳じゃなあ」

 

「お(はん)……」

 

 我が部下ながら、あまりにセコい。エルフであれば、「そげん雄々しかおなごはエルフェニアにはいらん。腹ァ切れ!」と言われかねん態度じゃが、こやつはカラスじゃしのぅ……。

 

「政略結婚じゃ、政略結婚。あては故郷ん為、わが身を犠牲にしてこん国に嫁入りすっとじゃ」

 

「ほーん」

 

 ワシは軽蔑しきった目でヤツを見ながら、酒杯のブランデーを一気に飲み干した。濃度の高い酒精が喉を焼き、思わず咳き込みそうになる。……やはり、ワシはもうちょっと軽い酒の方が好みじゃな! 目尻に浮かんだ涙をぬぐいつつ、ワシはため息を吐いた。

 

「では、将来的にはワシとオヌシは義理の姉妹になるわけじゃな?」

 

 言葉を戻し、ニヤリと笑いかけてやる。そうすると、ウルは眉を跳ね上げながらぐいと詰め寄ってきおった。

 

「どげん意味じゃしか」

 

「そのままの意味じゃよ。政略結婚! 素晴らしい響きじゃなあ。ワシのような化石級の売れ残りが婿を手に入れるには、略奪か政略結婚しかないのじゃ。わかるじゃろ?」

 

「お、大婆様もアルベールどんを!?」

 

「しっ、声が大きい! 連中に聞かれたら、警戒されるじゃろ。静かに話すんじゃ」

 

「す、すみもはん」

 

 ウルは唇を尖らせ、酒杯を口に運んだ。そしてちょっと顔をしかめ、舌を出す。やはり、この酒は我々には少々キツすぎるようじゃ。水で薄めんことには、飲めた代物ではない。どうもブロンダン卿は普段この手の酒をそのまま飲んでいるような口ぶりじゃったが、流石にそれはどうかと思うぞ……。

 

「交渉がある程度まとまった段階で、ワシの本来の身分を明かす。ブロンダン殿も戦争は望んでいない様子じゃったからな。こちらから政略結婚を申し込めば、なかなか断れぬハズじゃ」

 

 エルフは歳を取らぬ。つまり、いくら年齢があがろうとも性欲は減退せぬということじゃ。実際のところ、アルベール殿の身体はだいぶソソる。酒を酌み交わしている間も、ワシは頭の中でずっとあの鍛え上げた肉体を寝床で弄ぶ妄想をしておった。ああ、たまらんのぅ。

 あのような生真面目で意志の強そうな男を猫かわいがりして、ワシにだけ甘えた顔を見せるようにしつければ……さぞ愛らしかろうな? 想像するだけで、股が濡れてくるほど興奮してきたわい。んっふふふふ……

 

「セコかねぇ」

 

「お(はん)にいわれたくないわっ!」

 

 渋い表情で言い捨てながら、慎重にブランデーを飲む。ちょっぴりだけ口に含むと、なんとも芳醇なブドウの香りが鼻孔をくすぐった。香りはよいんじゃがなあ、酒精がなあ……。

 

「こちとら、もう数百年も同胞のために働いて来たんじゃ。いい加減、隠居しても良いじゃろう?」

 

 とくにラナ火山が噴火してからは、苦労ばかり多い日々じゃった。もういい加減、楽になりたいんじゃよ。普通のエルフなら二百か長くとも三百年もすれば夫を迎えて隠居をするというのに、何が悲しくてこれほど永きにわたって働き続けねばならんのか。

 

「数百年ちゅうか、千年以上やなあ?」

 

「ア、そうじゃった、うぐぐ……まあ何にせよ、子を産み、育て、そして死んでいく。それが生物として正しい生き方というものじゃ。自然の摂理に逆らい続けるのも疲れてきた。そろそろ、我が人生も終幕の時じゃよ」

 

 エルフにとって、結婚と隠居は同じ意味を持つ言葉じゃ。なにしろ、子を孕んだエルフは加齢が再開するからのぅ。あとはせいぜい、数十年しか生きられぬ。子を産んだ後の人生は、余生のようなものじゃ。

 若い燕を捕まえて、甘やかしたり甘やかされたりしながらただれた余生を過ごす。それが、若かりし頃からのワシの夢じゃからな。あとは四、五人ほど子供を産んで、そやつらに見送られながら老衰で穏やかに逝く……はー、なんとも魅力的な最後じゃのぅ。

 

「まあ、大婆様んゆことじゃっで、あては否定しもはんが」

 

 ウルはため息を吐いてから、卓上の水差しを使って酒杯のブランデーを薄めた。そしてそれを一気に飲み干し、もう一度息を吐く。

 

「あてらん幸せな結婚のためにも、エルフェニにはしきっだけ高か値札を付けてアルベールどんに売り払おごたっところじゃなあ。きばりたもんせよ、大婆様」

 

「ああ、任せておけ。このボロボロの国を、出来るだけ綺麗に畳んでやるのがこの婆の最後のお役目じゃでな」



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第213話 くっころ男騎士と新勢力

 ダライヤ氏らはそれから二日間カルレラ市に滞在し、新エルフェニア帝国へと帰っていった。交渉自体の進展はほとんどなかったが、まあ実質的に初顔合わせのような会議だったのだからこんなものだろう。

 連絡員に関しては、お互い三名ずつ交換することで妥結した。新エルフェニア側はウルを留任し、さらにエルフが二名追加。一方、僕は自らの幼馴染の騎士たち三名を送ることとした。なにしろ、重要かつ危険な任務だからな。一番信用できる連中を選抜する必要があった。

 

「ンヒィ……」

 

 エルフたちがカルレラ市を去った三日後。僕は自らの執務室で、書類の山に埋もれていた。この世界の封建領主は前世で言うところの三権(司法権・行政権・立法権)を一手に握る役職なわけだから、当然処理すべき業務もすさまじい量があるわけである。

 机仕事というのは、どうも肌に合わない。合わないが、自らの職務を投げ捨てるわけにもいかないのである。ウンウン言いながらペンを走らせていると、執務室のドアがノックされた。「どうぞー」とやる気のない声で返事をすると、入ってきたのはカリーナだった。

 

「お兄様、手紙が来てるよ」

 

 ニッコリと笑ってそう言うわが義妹は、デスクワークの疲れも吹き飛ぶ可愛さだった。カリーナ自身も士官候補生としての教育の真っ最中だから、ひどく忙しいはずなのだが……それでも、こうして暇を見ては僕の仕事まで手伝ってくれる。何ともありがたい話だ。

 

「おお、助かる」

 

 手紙の束を受け取ると、カリーナは当然のような顔をして頭を突き出してきた。撫でてくれという合図だ。とにかく、この牛娘は頭を撫でられるのが好きなのである。むろん、拒否する理由もない。彼女の白黒の髪をぐりぐりと撫でまわしてから、僕は手紙の方に目を向けた。

 

「ええと……いろいろ来てるな」

 

 手紙は数十通もあり、なかなかに多い。少々げんなりしながら差出人を確認していると、見逃せない名前を見つけてしまった。

 

「げえ、アーちゃん」

 

 その手紙に書かれていた差出人名は、クロウン。そのほかには苗字すら書かれていない不審極まりない手紙ではあるが、僕にはこの名前に覚えがあった。隣国・神聖帝国の元皇帝、アレクシア陛下……通称アーちゃんの偽名である。

 リースベン戦争に偽名で参加していた彼女の手により、僕はひどい迷惑を被っている。さらに、和平交渉の際に起きたトラブルにより、彼女は僕に妙な執着をみせるようになってしまった。正直、名前すら見たくない相手だが……流石に、そのまま捨てるわけにもいかない。僕はため息を吐いてから、卓上に置いたナイフを使って封蝋を外した。

 

「面倒ごとじゃなきゃいいが……」

 

 ボヤきつつ、内容を流し読みする。アーちゃんは少々……いや、かなりアレな性格をしているが、腐っても大国の元皇帝。丁寧な字と典雅な文体で、時候の挨拶や当たり障りのない近況報告がつづられていた。……そこまではいい、よくある御機嫌伺いの手紙である。問題は、その後の本題だ。

 

『ソニア殿にへし折られた我が腕は完治いたしましたが、貴方に開けられた我が心の穴は、治るどころか日々大きくなるばかりであります。この傷を癒すには、再び貴方から特効薬を頂くほかないでしょう。いずれまた領地にお邪魔いたしますので、その時はししなにお願いいたします』

 

 ……要約すると「そのうちまた会いに行くから、その時はキスしてね」だろうか? なんだろうね、この人。実際のアーちゃんはまさに唯我独尊という言葉が高身長豊満ドスケベボディを得て擬人化したような女なんだが、手紙ではキャラが変わってしまうようだ。

 しかし、キスねえ。なんか流されて唇を許しちゃった僕も悪いが、味を占めて二回目を要求するアーちゃんもアーちゃんだよ。あんた、敵国の元皇帝でしょうが。……などと考えていると、封筒から金色のモノがポロリと落ちてきた。

 

「わあお」

 

 拾ってよく見てみると、それは金貨だった。大昔に滅んだ大国が鋳造していた、純度の高い高価な代物である。……そう言えば、前回は"キス代"として魔法の短剣を貰ったが……今回は現金か。いよいよもって売春めいてきたな。何とも言えない気分になりながら、僕は彼女のことを思い出した。

 身長二メートルオーバー、かつ体格に見合った非常に豊満なバストを持った獅子獣人の美女。それがアーちゃんである。おまけに家柄も非常に良いときている。それほどの人物から迫られるのは、まあ悪い気はしないが……性格がちょっとな。どうかしてるくらいの人材マニアだし、身勝手だし、エロい感じで迫ってくるし……いや最後のは長所かもしれない。少なくとも僕にとっては。

 

「参ったな……」

 

 何にせよ、敵国のお偉いさんからカネをもらうのはヤバイ。下手をしなくてもスパイ嫌疑をかけられてしまう可能性がある。とくに、この金貨はめったに出回らない貴重な品物だからな、下手に市場に流せばあっという間に足がついてしまいそうだ。

 エルフ関連だけでも寝不足になりそうなほど厄介なのに、更なる火種を押し付けるのはやめてもらいたい。さあてどうするかね。腐ってもカネだ、死蔵するのは惜しいし……。

 

「……そうだ」

 

 ひとつアイデアを思いつき、手紙の束を探ってみると……見つけた。シンプルな白い封筒に書かれた差出人名は、ニコラウス・ヴァルツァー。アーちゃんに使える名うての魔術師にして、世にも珍しい男性軍人である。

 リースベン戦争で、僕は彼を狙撃し足を吹っ飛ばしている。が、同じ男性軍人ということもあり、戦後も多少の交流は続いていた。交流というか、男性の権利拡大を目論む彼が、一方的に僕を仲間認定してるだけのような気はするんだが。

 

「よし、やっぱりか……」

 

 封筒を開いて中身を確認する。内容は、いつも彼が送ってくる手紙と大差ないものだ。彼が主導している権利拡大運動の現状説明と、助力の要請である。ちょうど臨時収入があったから、ぜひ運動にご協力させてもらおうかね。敵国内部に潜んだ反動分子に、活動資金を渡す……十分に、我が国の国益に資する行為だろう。

 

「さあてと」

 

 僕は立ち上がり、執務室に備え付けの暖炉へと歩み寄った。そしてアーちゃんの手紙にライターで火をつけ、炉の中に投げ捨てる。

 

「え、お兄様……いいの、燃やしちゃって」

 

 困惑した様子でカリーナが聞いて来たので、僕はニヤリと笑って言ってやった。

 

「いいんだよ。世の中には、人に見せられないような手紙だってある」

 

「そ、それって間諜(スパイ)的なやつ!?」

 

 我が妹は、目をキラキラさせながらズズイと近寄ってきた。彼女は十四歳、その手の謎めいた分野には興味津々のお年頃である。可愛いね。

 

「まあ、そんなものだ。敵国内に潜んでいる、僕の知り合いからの手紙だよ」

 

「へぇーっ! すごい!」

 

 嘘はいってないぞ、嘘は。

 

「しかし、ちょっとくたびれてきたな。カリーナ、時間はあるかい? もし手すきなら、お茶に付き合ってくれると嬉しいが」

 

「いいの? もちろん!」

 

 全身を使って大喜びする義理の妹を見ていると、こちらまで元気になってくる心地だった。目の前で大いに揺れている体格に不似合いな豊満な胸のせいで別の部分まで元気になりそうだったが、それは足の指にぐっと力を入れて我慢する。こんなところで兄の威厳を失いたくはないからな。

 

「よしよし。じゃあ――」

 

 壁際に控えた従兵に、僕が声をかけた瞬間だった。突然に、執務室のドアがノックされる。

 

「アル様、わたしです」

 

 声の主は、ソニアだった。カリーナが一瞬ひどく嫌そうな顔になったが、まさか我が副官の入室を拒むわけにはいかない。僕はこほんと咳払いしてから、「入れ」と短く返した。

 

「ラナ火山付近の探索に出ていた翼竜(ワイバーン)が帰還いたしましたので、ご報告いたします」

 

 部屋に入ってきたソニアは、平素と変わらぬ口調と表情でそう言った。だが、付き合いの長い僕にはわかる。これは、何かあった時の態度だ。

 

「ン、どうだった。変わったことでも起きたか?」

 

 翼竜(ワイバーン)隊は毎日のようにラナ火山に派遣し、救援物資の投下を行っている。この火山の付近に、カラス鳥人がいることが判明していたからだ。カラス鳥人の居る場所には、エルフもいる可能性が高い。ダライヤ氏とは別の情報ルートを構築するのが、僕の目標だった。

 

「例のカラス鳥人から、平和的な接触を受けたようです。そして着陸を求められ、騎手はそれに応じたのですが……」

 

「ふむ」

 

「着陸した先には、エルフの集落があったそうです」

 

「やるじゃないか!」

 

 狙い通りの流れである。僕は思わずぐっと手を握り込んだ。

 

「で、どうだったんだ。奴らは、自分たちを何と名乗った? 新エルフェニア帝国か」

 

「いいえ。……正統(・・)エルフェニア帝国。彼女らは、自分たちの勢力をそう呼んでいたそうです」

 

「正統、正統と来たか……」

 

 どうも、ダライヤ氏らとは別勢力の様子である。僕は小さく唸ってから、なんとも嫌そうな表情のカリーナに向けて頭を下げた。

 

「すまない、カリーナ。茶会はまた今度になりそうだ。……ソニア、直接報告を聞きたい。騎手は竜舎か?」

 

 さてさて、正統エルフェニア帝国ね。いったいどんな連中だか知らないが……とりあえず、ダライヤ氏の話がどこまで真実なのかは確認できそうだ。少しだけ、肩の荷が下りたような心地だった。……まあ、錯覚だったけどな。



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第214話 くっころ男騎士と自称正統派

「疲れているところ申し訳ないが、緊急を要することだ。悪いが、ちょっと付き合ってほしい」

 

 ソニアを伴い、僕はカルレラ市郊外に設営された竜舎へとむかった。竜舎というのは、要するに翼竜(ワイバーン)用の厩舎だ。外見上はカマボコ型の木造建築で、牛や馬などの家畜小屋よりも随分と大きい。

 それでも、大型の飛行性爬虫類である翼竜(ワイバーン)にとってはかなり手狭な環境だろうが……まさか、肉食の大型爬虫類を放し飼いにするわけにもいかないからな。

 

「ええ、もちろん問題ありません、城伯様」

 

 顔に疲労の色をにじませつつも、竜騎士はひどく恭しい態度で一礼した。その隣では、例の丸眼鏡の星導士様が湯気の上がるカップを片手に何やらメモ帳をいじっている。

 

「むしろ、こちらからご報告に上がろうと思っていたのですが」

 

「居てもたってもいられなくなってね」

 

 僕は軽く笑って、竜舎の前に置かれた休憩用のベンチに腰を下ろした。そして、自分のとなりをトントンと指で叩いて竜騎士にも据わるように促す。彼女は少し笑って、僕の指示に従った。なぜか星導士様の方までついてきて、僕の隣に座ってしまう。まあ、両手に花状態だから別にいいけど……。

 

「リューティカイネンくんにも香草茶を」

 

 従兵にそう命じてから、僕は竜騎士殿に向き直った。ちなみに、リューティカイネンというのはこの竜騎士の名前だ。ガレアではあまり聞かないタイプの姓だが、これは彼女がスオラハティ辺境伯麾下(きか)のノール辺境領軍から派遣されてきた人物だからだ。

 

「それで……正統エルフェニア帝国だったか。まずは、どういう経緯で連中と接触したのか教えてくれるかね」

 

「ハイ。もともと、今日はいつものように救援物資を投下してそのまま帰ってくるつもりだったのですが……その前に例のカラス鳥人の連中が出てきましてね」

 

「ふむ」

 

 友好的な接触を目指して、僕は毎日のようにラナ火山付近で食料の入った袋を落下傘投下させていた。中身は食料、それも軍用の堅パンや燻製肉、チーズなどである。

 

「また迎撃に出てきたのかと思って、いったんは撤退しようとしました」

 

 鳥人部隊が出てきた場合、すぐに撤退するように僕は命じていた。なにしろ翼竜(ワイバーン)とその騎手はきわめて貴重な存在だからな。こんなところで失うわけにはいかない。

 

「ところが、カラス連中はこちらへ無理に接近しようとせず、遠巻きに旋回しながら足で握った旗を振ってきました。こいつは様子がおかしいなと思って、手を振り返してやりながら接近を試みたのです」

 

「あの時はびっくりしました」

 

 香草茶の湯気で丸眼鏡を曇らせた星導士様が、唇を尖らせて文句を言う。そのコミカルな姿にほおを緩ませていると、従兵が香草茶を淹れて持ってきた。竜騎士殿がカップを受け取るのを見計らって、ポケットから金属製の酒用水筒(スキットル)を取り出す。

 中身はブランデーだ。こいつを香草茶に混ぜてやると、なかなかウマいのである。まずは竜騎士殿のカップに注いでやり、その後に自分のカップにもいれる。仕事中なので、量はちょっぴりだ。

 

「おお、有難い」

 

「私もお願いします」

 

「はいはい」

 

 星導士さままでカップを差し出してきたものだから、僕は思わず苦笑してしまった。もちろん、断る理由もないので要望通りにしてやる。

 

「カラスどもは、案の定攻撃を仕掛けてきませんでした。それどころか、こちらについて来いとばかりに我々の前をチョロチョロ飛び始めたので、私は彼女らの指示に従い着陸したのです。……そして、降りた先にあったのがエルフどもの集落でした」

 

「いきなり集落まで案内されたのか」

 

 警戒心の強いエルフたちにしては、なかなか大胆なやり口である。僕は少々驚きながら、ブランデー入りの香草茶を一口飲んだ。

 

「エルフどもの集落は、地形と樹木を使って巧妙に擬装されておりました。あれは、明らかに戦時を想定した構築でしたね」

 

「ふーむ……建物はどんな様式だった?」

 

「ええと……名前が出てこないのですが、原始人が住むような粗末な家ばかりでしたね。いわゆる、その、たて、たて……ナントカ」

 

「竪穴式住居」

 

「そうそれ」

 

 星導士様の補足に、騎手は我が意を得たりとばかりにウンウンとうなづく。この二人、にわか作りとはいってもなかなかいいコンビのようだ。

 

「竪穴式住居かあ……」

 

 日本でも、石器時代から平安時代までの長きにわたって利用された非常に歴史のある様式の建物である。……つまり、竜騎士殿の言う通りの"原始人の家"ということだ。どうも、予想以上にエルフたちは原始的な生活を送っているようである。

 

「戸数や人口は?」

 

「偽装が巧妙だったので、正確な数はわかりませんが……百戸前後というところでしょうか。住人の方も、せいぜい数百名程度かと」

 

「町というより村だな、それは」

 

 普通に考えれば、その集落は僕たちの領地でいうところの農村に当たる場所だろう。どこか別のところに首都に相当する集落があるのだろうか?

 

「で、連中は自分たちを"正統エルフェニア帝国"と名乗ったわけだな?」

 

「ハイ。連中のリーダーを名乗るエルフは自分を前エルフェニア皇帝の直子だと申しておりました。新エルフェニアを名乗る連中は、僭称(せんしょう)軍であり、自分たちこそが正統なエルフェニア帝国の後継者だと……」

 

「うわあ……」

 

 南北朝時代かな? 僕はうめきながら、香草茶にブランデーを追加した。予想はしていたが……どうも、新エルフェニア帝国とやらは統一国家ではないようだ。というか、というか、人口わずか数百名の集落に皇族の末裔が居たのか。まさかとは思うが、その村が首都に相当する拠点なんじゃなかろうな……。もしそうなら、かなり小さい組織ということになるが。

 

「正統エルフェニアとやらのリーダーは、なんと名乗っていた?」

 

「フェザリア・オルファンです。エルフェニア帝国最後の皇帝の三女ということですが、まあ自称ですからね。話半分に聞いておいたほうが良いでしょう」

 

「なんだか話が複雑になって来たな……」

 

 やはり、エルフ社会はいまだに内戦下にあるようだ。新エルフェニアに正統エルフェニアね。はあ、勘弁してほしいだろ……

 

「フェザリア氏は、我々にもっと食料を寄越してほしいと要望してきました。どうやら、食料不足は新エルフェニアだけで発生しているわけではないようです」

 

「どいつもこいつも……」

 

 黙って話を聞いていたソニアが、忌々しそうな様子で吐き捨てた。正直、僕も同感だな。別に、我がリースベン領だってメシが余っているわけではないのだ。気軽に大盤振る舞いするほどの余裕はない。

 

「んまあ、翼竜(ワイバーン)に搭載できる程度の食料であれば、連日送り付けてもいいがね。とにかく、そちらとも交渉用の窓口を作りたい。とりあえず友好的な接触を継続しよう」

 

 内戦なんぞに介入したくはないが、それはそれとして情報は集めたい。僕は調査の継続を命じることにした。

 

「できれば、そのオルファン氏とも直接会って話がしたいな。現状の食糧支援の継続を餌に、会談に引きずり出せないか試してみよう」

 

「了解しました」



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第215話 くっころ男騎士と戦略資源

 新エルフェニア帝国だけでも対応に苦慮しているというのに、正統エルフェニア帝国などという連中まで出てきたのだからたまったものではない。だが、僕はリースベンの領主である。「もうしーらない!」と現実から目を逸らすわけにはいかなかった。

 幸いにも、両勢力ともに拠点にこちらの人間を派遣できる状況にあったから、一週間もたつ頃には結構な情報が集まってきた。僕は渡された報告書をめくりながら、自分の執務室でウンウンと唸り続ける。

 

「……うううーん」

 

 まず、新エルフェニア帝国のほうに派遣している連絡員が送ってきた報告書に目を向けてみる。彼女らは、カルレラ市から徒歩で三日ほどの距離にある新エルフェニア帝国の集落に滞在していた。数日に一度、カラス鳥人の手で(というか足で)そこから報告書が送られてくる手はずになっている。

 

「我に食料無し、文明なし、男無し。戦地から来たような手紙だなあ」

 

 報告書の内容は、なかなかに悲惨である。どうやら、翼竜(ワイバーン)隊が発見した"正統"側のエルフ集落と同じく、"新"側のエルフたちもかなり原始的な生活を営んでいるようである。住居は竪穴式で、食事は一日一食粗末なものが出るだけ。ついでに言えば、住人はエルフやカラス・スズメ等の鳥人ばかりで、只人(ヒューム)はまったくいないらしい。

 連絡員として派遣したのは、僕の幼馴染の騎士たちだ。当然だが、幼少期から軍人としての心得を叩き込まれた精鋭である。そんな彼女らが、冗談交じりとはいえ泣き言めいた報告書を上げているのだから尋常ではない。

 

「昔はあちこちに酒の蒸留所があったって話なんだがなあ。完全に文明崩壊を起こしてるじゃないか、これは」

 

 いわばポストアポカリプスである。エルフ連中が長命種だからこそなんとか生き残っているのであって、これが短命種ばかりの文明だったらとっくに完全に滅びていたかもしれないな。

 我々が接触したエルフ勢力は二つ。"新"と"正統"のエルフェニア帝国だ。どうやら、この両者は戦争状態にあるらしい。日本史で言うところの、南北朝時代のようなものだろうか? 何にせよ、ダライヤ氏らが言っていた"不逞の輩"とはこの正統エルフェニア帝国ということで間違いがなさそうな様子だった。

 

「参りましたね、これは。敵に回すのはもちろん、味方にするのもなかなかに厄介ですよ」

 

 執務机の対面に座るソニアが、その形の良い眉を跳ね上げながら言った。

 

「こんな有様の勢力をまともに復興するには、かなりのコストがかかります。農地すらないわけですから、リターンすら見込めない」

 

 ダライヤ氏の態度を見るに、どうやら彼女は僕らの力を使ってエルフェニアの復興をやりたいようだ。とはいえ、ソニアの言うように、彼女の思惑に乗ったところでこちら側の利益が少なすぎる。さりとて、殲滅を選択するのも難しいのだからたまったものではない。しかし……

 

「……いや、それはどうだろうか? まだ確信はないが、もしかしたら将来的には莫大な利益が手に入るかもしれない」

 

 僕はエルフたちの言葉を思い出しつつそう言った。彼女らは、反政府組織の与太者どもが燃える油を畑にバラまいていると言っていた。しかし、植物性や動物性の油脂類は案外燃えにくいものである。兵器としての燃焼剤に使うのは、なかなかに難しい。

 しかし、エルフたちの言葉が本当なら、どうやらその油は単体で燃やすことができるようだ。……もしやとはおもうが、石油系の揮発油を使っているのではないだろうか?

 

「と、言いますと?」

 

「エルフどもの勢力範囲内に、石油が沸いている可能性がある」

 

「せきゆ……?」

 

「地中に存在する油だよ。こいつがあれば、いろいろなことができる」

 

 石油は近代文明における賢者の石である。燃料としての利用のみならず、さまざまな有用な物質を含んでいる。というか、そっちがメインだ。合成ゴムがあれば紙製薬莢を用いた後装ライフル銃(シャスポー銃という)の量産が可能になるし、無煙火薬の製造に使う添加剤の原料にもなる。軍事面だけみても、すさまじいメリットだ。

 今のところ我々リースベン軍の装備は世界最新と言っても過言ではないが、いつまでもそのアドバンテージは続かない。実際、この間の内乱では敵方もライフル銃の集中運用をしていたしな。新兵器開発の手を緩めるわけにはいかないんだよ。

 

「……よくわかりませんが、最優先で確保すべき資源ということですね」

 

「その通り。それも、平和的な手段でな。せっかく有用な資源があっても、輸送の最中に敵にやられてしまえば元も子もない」

 

 僕の言葉に、ソニアは難しい表情で腕組みをした。その非常に豊満な胸が腕にのっかる形になり、なかなか眼福な光景である。

 

「現実として、エルフを完全に滅亡させるのは難しいわけですしね。やはり、融和路線を継続するしかないのか……」

 

「実際に方針を決めるのは、石油の存在が確定してからだがね。それに、融和路線とはいってもエルフどもと一戦や二戦くらいはしなくちゃならない可能性も十分にある……」

 

 こちらからの干渉を急激に強めれば、エルフ側でも反発が生まれるだろうしな。比較的スムーズに進んだ明治維新ですら、かなりの量の流血を伴ったんだ。ましてや、エルフたちの好戦性はなかなかのもののようだし……。

 

「しかし、そうなるとエルフェニアとやらが分裂国家なのが難点ですね。彼女らが内戦を続けるようであれば、資源の採掘どころではなくなってしまうでしょう」

 

「そこなんだよなあ……本当に困るよ」

 

 ため息を吐いてから、僕は従兵を呼んで何か甘いものを持ってきてくれと頼んだ。考えることが多いせいか、脳みそがしきりに糖分を要求してきていた。

 

「とりあえず、今は"正統"の方のエルフェニアについて重点して調べてみよう。ダライヤ氏ら"新"のほうのエルフェニアからは引き出せない情報を持っている可能性もある」

 

「承知いたしました。……"正統"のリーダー、オルファン氏は我々と直接会って話がしたいと言っているようですね」

 

 机の上に広げた報告書のうちの一枚を手に取ってから、ソニアはそう言った。ラナ火山付近のエルフ集落には、毎日のように補給物資を持たせた翼竜(ワイバーン)を派遣している。"新"と同じく"正統"もひどい食糧難の状態であり、翼竜(ワイバーン)に搭載できる程度のわずかな食料でもなかなか喜んでくれている様子だ。

 少なくとも、"正統"は僕たちを敵だとは認識していない様子だ。これは非常にありがたい。できることなら、我々が仲介にたって"新"と"正統"の和解を図りたいところだな。まあ、実際はそう簡単にはいかないだろうが。

 

「いきなり直接対話か、前のめりだな。おそらく、こっちも要求は食料支援だろうが。ふむ……」

 

 ダライヤ氏らの話によれば、燃える油とやらを運用しているのがこの"正統"の連中である。その製法さえ明らかになれば、石油の有無も確認できるだろう。とりあえず初手でトップ会談というのは、悪い選択肢ではないように思える。

 

「よし、向こうの申し出を受諾しよう。できれば、最初の会談はむこうの拠点で行いたいところだな。その方向で話を進めてくれ」

 

「アル様が、その正統エルフェニアとやらにゆかれるのですか? 副官としては、頷きかねますね。余りにも危険です」

 

「わかってるよ。しかし、向こうのリーダーをこっちに呼びつけるのも心証が悪いだろう? 仲良くやりたいなら、こういう積み重ねが大切だよ」

 

 僕はそう説明するが、むろんこれは建前である。本当の目的は、燃える油とやらを僕自身の目で確認することだ。この世界では、まだ石油の積極利用は始まっていないからな。実物を見たところで、それを石油製品かどうか判別できるのはリースベンでは僕くらいのものだろう。

 エルフ領に本当に石油があるなら、僕の対エルフ政策もだいぶ変わってくる。現状の技術力では石油はそこまで重要度の高い資源ではないが、将来的には間違いなく重要になってくるからな。下手をすれば、ミスリル鉱山以上の火種になる可能性もある。早いうちに判別しておかないとマズイことになりそうだ。

 

「……しかし、連中の集落は例の火山の傍でしょう。道もありませんから、空路で向かうほかありません。ですが、我らが保有する翼竜(ワイバーン)は僅か三騎のみ。護衛のための戦力があまりにも少なすぎます」

 

「大丈夫さ、ソニアにもついて来てもらうからな。お前が傍に居てくれるのなら、どんな敵だって怖くない。そうだろ? 僕の大切な副官どの」

 

「……ッ! え、ええ! もちろんです、アル様。どうぞ、このわたしにすべてお任せを」

 

 いつものクールな表情をふにゃりと崩しつつ、ソニアは頷いて見せる。ひどく照れている様子だった。……ヨシ、説得成功!



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第216話 くっころ男騎士とラナ火山

 "正統"のエルフェニアとの交渉は、トントン拍子に進んだ。トップ会談を打診した際は、"正統"のリーダー、オルファン氏から「こちらの方がカルレラ市に行っても良い」という返答貰ったほどだった。正直、"新"の連中よりよほど話が早い。

 ただ、うまい話には裏があるものである。"正統"の態度が柔らかいのは、それなりの理由があるはずだ。その辺りを見誤れば、間違った判断を下してしまいかねない。情報収集のためにも、第一回の会談は"正統"の本拠地で行うことにした。

 ただ、僕も一応はリースベン領の指導者である。あまり無茶な真似をするわけにもいかない。手持ちの翼竜(ワイバーン)をフル動員して前日のうちに護衛戦力を"正統"の集落に送り込み、それから僕も出発することと相成った。

 

「ほーう、これがラナ火山か」

 

 そして、会談当日。機上……ならぬ騎上の人となった僕は、上空からラナ火山を見下ろしていた。立派な山体が見事なまでに吹っ飛び、巨大なカルデラ湖を形成している姿は自然のダイナミズムを感じさせる。こんな巨大火山が盛大に噴火したのだから、エルフたちが暗黒時代を迎えたのもむべなるかなという感じだ。

 

「ここへ来るたびに、あいつがまた火を吹いたらどうしようかと不安になります。実際、ちょくちょく小爆発を起こして灰やら石やらまき散らしている様子ですし」

 

 僕の前の鞍で手綱を握るリューティカイネンくんが、ちらりとラナ火山を一瞥しつつ言った。翼竜(ワイバーン)には当然風防(キャノピー)などついていないので風の音は非常にうるさいが、大声を出せばなんとか会話は可能である。

 

「まあ、その時はその時さ」

 

 あのクラスの火山が本気で爆発したら、リースベン半島自体が致死圏内にすっぽり入ってしまうことだろう。その時は諦めて往生するしかない。こういうのは、あまり気にし過ぎてもしょうがないものだ。

 しかし、火山か。うまくやれば、硫黄も取れそうだな。硫黄は火薬の類を製造するために必須の物質だ。これを近隣で調達できるようになれば、弾薬のコストをかなり下げることができるぞ。エルフたちも、貿易を始めれば多少おとなしくなってくれるかもしれない。今日の会談で、提案してみようか。そんなことを考えていると、北の空に小さな黒点がいくつも現れた。

 

「おや、あれは……鳥人かな? 出迎えだろうか」

 

「……なんだか、おかしいですよ。普段の出迎えはもっと南の方から出てきます」

 

 そう応えるリューティカイネンくんの声には、緊張感がみなぎっていた。鞍にマウントされた長大な槍を手に取り、しっかりと構える。臨戦態勢だ。

 

「敵かね?」

 

「わかりません。しかし、いままでこの方向から鳥人連中が現れたことはありませんからね。警戒するに越したことはないでしょう。まして、今はアルベール様を乗せているわけですし」

 

「空のことは君が一番くわしいだろう、任せたぞ。僚騎にも警戒を命じておこうか」

 

「お願いいたします」

 

 リューティカイネンくんが頷くのを確認してから、僕は鞍に取り付けられたホルダーから手旗を引っ張りぬいた。周囲を飛ぶ二騎士の翼竜(ワイバーン)に、手旗信号で戦闘準備を命じる。ちなみに、この二騎にはそれぞれソニアと案内役の星導士様が搭乗していた。

 そうこうしているうちに、謎の編隊との距離はどんどん縮まっていく。やはり、それはカラス鳥人の集団のようだった。足にはカギ爪の装着されたブーツを履いており、明らかに戦闘を意識した装備であることがわかる。

 

「騙されたかな、"正統"のやつらに。地上の騎士たちは大丈夫だろうか」

 

 昨日のうちに"正統"の集落へ派遣した騎士は四名。もし"正統"がこちらにだまし討ちを仕掛けてきたのであれば、おそらく今頃は……。僕はひどく嫌な気分になって、ゆっくりと息を吐きだした。いきなり向こうの陣地に乗り込むのは、拙速が過ぎたかもしれない。うーむ、やはりダライヤ氏のようにうまくはやれないか……

 

「それはわかりませんが、とにかく今は我々の安全を第一に行動するべきです」

 

「そうだな……回避が最優先だが、自己判断で交戦も許可する。なんとか、切り抜けてくれ」

 

 敵の正体はまだわからないが、攻撃を仕掛けてくるようであれば反撃も必要だろう。国際問題になったらその時はその時だ。

 

「お任せを。今方向転換をすると、おそらく敵に後ろを取られます。ここは、正面からぶつかった方が良いでしょう。しっかり鞍につかまっておいてください」

 

「了解した」

 

 陸戦にはそれなりに自信があるが、空戦は完全な素人だからな。ここは専門家に丸投げすべきだ。僕はそう判断し、自分の腰に取り付けられた安全帯を確認した。

 そうこうしている間に、カラス鳥人どもとの距離は相手の顔まで確認できるほどまで近づいていた。ブーツに取りつけられたカギ爪が、陽光を受けてギラリと輝く。あきらかに、こちらに襲い掛かろうとしている様子だった。あと数秒もしないうちに、交戦距離に突入するだろう。リューティカイネンくんが、槍を握る手に力を込めた。その瞬間である。

 

「ッ!?」

 

 上空から、別のカラス鳥人編隊が急降下してきた。彼女らは猛スピードで先ほどの編隊に襲い掛かる。足のカギ爪で翼や胴体を切り裂かれ、血をまき散らしながら先ほどの連中は墜落していった。猛禽の狩りを思わせる、見事な襲撃ぶりである。

 

「リューティカイネンどんか!?」

 

 襲撃をしかけてきたカラス鳥人のうちの一人がぱっと上昇に転じ、僕たちの隣へとやってくる。

 

「ガルジャか! いったい、何が起こっているんだ!?」

 

 どうやら、そのカラス鳥人はリューティカイネンくんの知人のようだ。彼女がそう叫び返すと、ガルジャと呼ばれたカラス鳥人は憤怒の表情で叫ぶ。

 

「僭称軍ん連中じゃ。奴ら、こげん時に襲撃を仕掛けてきよった! お(はん)らに迷惑はかけられん。はよ逃げぇ!」

 

「僭称軍というと、新エルフェニア帝国か……」

 

 どうやら、彼女らは"新"の連中とは戦争状態にあるようだからな。運悪く、戦闘に遭遇してしまったのだろうか? いや、もしかしたら僕たちと"正統"の交流を阻止するために攻撃を仕掛けてきた可能性もあるか。

 

「何はともあれ、地上には友軍が四名も残っているんだ。逃げ帰るという選択肢はない。リューティカイネンくん、いったん僕らを地上へ降ろすんだ。余計な荷物を載せていては、君も飛びづらいだろう」

 

「……了解! エルフどもの村へ降ろします。よろしいですね?」

 

「構わない、行け!」

 

 頷いてから、僕は手旗信号で同様の指示を僚騎へと出した。……航空無線が欲しいなあ! いちいち手旗を振らなきゃならないのは、ちょっと面倒くさいぞ。

 それはさておき、僕の指示を受けたリューティカイネンくんは翼竜(ワイバーン)を操り急降下をし始めた。気圧が急激に変わったせいで、鼓膜が圧迫されるような感覚を覚えた。即座に耳抜きをしてそれを解消する。

 

「減速します、しっかり捕まって!」

 

 木々の(こずえ)に接触しそうな高度まで降りてくると、リューティカイネンくんは翼竜(ワイバーン)に翼を広げさせて急制動をした。身体が前に向かって吹っ飛びそうになるので、なんとか鞍につかまってそれをこらえる。そのまま、リューティカイネン君は見事な手綱さばきで木と木の隙間を縫って地上へ向かった。

 

「ほう……!」

 

 そこで目にしたのは、樹木に寄り添うように建てられた大量の円錐状の粗末な家屋……竪穴式住居だ。どうやら、ここが"正統"とやらの集落らしい。

 

「しばらく地上で敵をやり過ごす。君は空中待機だ。自衛戦闘は認めるが、積極的に戦う必要はない。状況が落ち着いたら発煙弾で合図する」

 

「了解」

 

 早口で命令を伝えてから、僕は腰の安全帯を外した。そのまま(あぶみ)を蹴り、地上へと降りる。強烈な衝撃を覚悟したが、分厚い苔がクッションになってくれた。ぐるぐると回転して受け身を取り、なんとか停止する。

 

「ウオオ、目が回る……!」

 

 ふらふらしながら、何とか立ち上がった。兜の上から頭を叩きつつ、周囲をうかがう。女の叫び声や剣戟の音が聞こえた。どうやらエルフの村は戦場と化している様子だ。

 

「こりゃ、面白い事になってるじゃないか……!」

 

 やけくそ気味に、僕はそう呟いた。もちろん、皮肉である。まったく、厄介なことになってしまったもんだ。



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第217話 くっころ男騎士とへいわなエルフのむら(1)

「アル様! ご無事ですか」

 

 僕に続いて着地したソニアが、心配そうな様子で駆け寄ってくる。軽く手をあげてつつ「問題ない!」と答えた。

 

「それより、星導士様は?」

 

 僕は周囲をキョロキョロ伺いながら聞いた。なにしろあの人は別組織の人間だし、星導士という役職自体がなかなかに偉い。こういう状況では、イの一番に守らねばならない人だった。

 

「ここに居ますよ~」

 

 そこへ、パタパタと音を立てながら星導士様が飛んでくる。彼女はフィオレンツァ司教と同じく、翼人族だ。鳥人ほどではないにしろ、単独で空を飛ぶことができる。

 

「ああ、良かった。厄介ごとに巻き込んで申し訳ありません、星導士様。御身は必ずお守りいたしますので、我々から離れないようにお願いいたします」

 

 援護や情報提供をしてくれたあたり、"正統"側は敵ではないと判断できるが……全面的には信頼できない。ここは、固まって動くべきだろう。それに、翼人は腕などというデッドウェイトがあるぶん、飛行能力は全面的に鳥人に劣るからな。下手に飛行していたら、狩られてしまいかねない。

 

「はいはい、よろしくお願いしますよ」

 

 バリバリの戦闘地帯に突入したにもかかわらず、星導士様は顔色も変えていない。図太いというか、なんというか……。

 

「よし、ではまずは地上部隊と合流しよう。戦力がたった二名では、話に……」

 

「お(はん)ら、何者じゃ! 名を申せ!」

 

 ソニアに指示を出そうとしたところで、鋭い声が飛んでくる。見れば、エルフの一団がこちらに矢をつがえた弓を向けている。全員が革鎧を着こみ、腰には矢筒とエルフ特有の奇妙な木剣を差していた。エルフの戦士団だ。僕を守ろうと即座に前に出ようとするソニアを手で制しつつ、僕は叫ぶ。

 

「リースベン城伯、アルベール・ブロンダンだ! 貴殿の官姓名もお聞かせ願いたい!」

 

「リースベンちゅうと、リューティカイネンどんの国か! おい、武器バ降ろせ、敵じゃなか」

 

 一団のリーダーらしきエルフがそう命令すると、エルフたちはいっせいに弓を降ろした。

 

(オイ)は正統エルフェニアん頭領をやっちょる、フェザリア・オルファンじゃ」

 

「おお、貴殿が……」

 

 どうやら、いきなり正統エルフェニアのリーダーと遭遇することができたようだ。僕は彼女をまじまじと確認してみる。外見年齢は僕より若干若いくらいで、ポニーテールにまとめたプラチナ・ブロンドと、凛々しい表情が特徴的だった。

 彼女はたしか、エルフェニア皇族の末裔を名乗っているんだったな。その話の真偽は分からないが、確かにどことなく高貴さを感じさせる容姿だ。エルフの姫騎士って感じだな。

 

「お(はん)、甲冑など着こんじょるが男じゃろう。部下に案内させっで、いったん安全な場所まで退け」

 

「そういう訳にはいかない。昨日のうちに派遣した騎士たちとまだ合流できていないからな。部下を見捨てて逃げるような真似はできん」

 

「……まあよか、ちてきやんせ」

 

 一瞬の逡巡(しゅんじゅん)の後、オルファンしは僕たちを手招きした。どうやら、部下たちのところまで案内してくれる様子である。

 

「部下たちはどうしている? 無事なのか」

 

「お客人を危なか目に合わすっわけにはいかん。今は後方で待機してもろうちょる」

 

 ……このエルフども、思ってたのよりだいぶ理性的だな。てっきり、戦闘に参加させられてるものだとばっかり思ったが。僕としては、この戦闘にはあまり介入したくない。参戦したところでメリットは薄いし、あのカラスの言葉が本当なら今彼女らが戦っているのは"新"のほうのエルフェニア軍だ。下手に戦端を開いて、そっちと戦争状態になるのは避けたい。

 

「なるほど、ご配慮に感謝する。……質問ばかりで申し訳ないが、今貴殿らが戦っている相手は何者だ? 新エルフェニア帝国とか名乗っている連中だろうか?」

 

 僕は村の中心部のほうに視線を向け、聞いた。そこでは、激しい戦闘が起きている様子だった。悲鳴、怒声、剣戟の音、さらには魔法により発生したと思わしき暴風の音まで鳴り響いている。

 

「そうじゃ、僭称軍ん連中や。……こん頃カラスや竜を飛ばし過ぎたせいで、隠し村ん位置がバレてしもたんじゃ」

 

 ……わあお、バリバリ内戦状態だ。火中の栗だなあ。拾いたくはないが、石油がなあ……欲しいよなあ石油。……それはさておき、カラスや竜を飛ばし過ぎたと言ったか。竜というのは、おそらく我々の翼竜(ワイバーン)だろう。村の場所が敵に漏れたのは、我々の責任でもある訳か……。

 

「もうちょっとでサツマ(エルフ)芋ん収穫時期じゃちゅうとに、こりゃ村ん放棄は避けられんな」

 

「また餓死者がでっなあ」

 

 戦装束のエルフたちが、ボソボソとそんな話をしている。オルファン氏はひどく渋い表情になって、言い返した。

 

「男ん前で情けなか話をすっな!」

 

 なんともキッツい話だなあ。確かに、周囲のエルフたちは誰もかれもひどく痩せこけている。そうとう栄養状態が悪いのだ。そりゃ、治安も悪化するよな。日本だって、かつては飢饉のたびに一揆がおきてたわけだし。

 

「ひわっ!?」

 

 などと考えていると、鋭い風切り音と共にいくつもの矢が飛んできた。反射的に星導士様を庇いつつ腰のサーベルを抜き放ち、直撃コースにはいっていた矢を叩き落す。柄を握る手がビリビリとしびれていた。相当な強弓から放たれた矢のようだ。

 

「ヌゥ、新手か!」

 

 エルフたちは一気に殺気立ち、木剣や弓を構えた。矢が飛んできたほうに目を向けると、二十名ほどのエルフの集団がこちらに弓を向けている。おそらく、"新"の連中だ。

 彼女らは再び一斉に矢を放ってきた。こちら側のエルフが唄うような調子で魔法の呪文を詠唱し、暴風を発生させる。飛んできた矢は、すべてその風によって吹き散されてしまった。

 

「チェストーッ!」

 

 だが、敵方もそれは予想していた様子である。彼女らは蛮声と共に木剣を抜き、一斉に突貫してきた。恐ろしく前のめりな戦いぶりだ。

 

「オルファンどんとお見受けいたす。手柄首を頂きに参った」

 

 先陣を切ったエルフ兵が、そう叫びながらオルファン氏に襲い掛かる。

 

「きさんらごときに落とさるっほど柔い首じゃなか!」

 

 怒声を上げつつ、オルファン氏は己の木剣で敵の剣を受け止めた。双方の剣が交錯した瞬間、爆発的な暴風が発生し敵エルフ兵が吹っ飛ばされていった。どうやら、木剣にエンチャントされていた魔法が発動したようだった。エルフどもが持っている木剣はすべて魔法の品物である、というダライヤ氏の話は本当だったようだな。

 頭の片隅でそのようなことを考えつつも、僕はサーベルを握る手に力を込めた。敵は、僕たち相手にもお構いなく襲い掛かってくる。

 

「星導士様、あそこの木陰に隠れていてください。乱戦が始まったら、庇いきれませんので」

 

「は、はーい! おお、こわいこわい……」

 

 非戦闘員を退避させ、僕はサーベルを掲げて敵エルフたちに向けて叫んだ。

 

「こちらはリースベン城伯、アルベール・ブロンダンである! 貴殿らの行動は、当方の安全を害している! 攻撃を続行するようであれば、自衛のために反撃をする!」

 

 こいつらが"新"のエルフたちなら、むやみに攻撃を仕掛けるのはマズイ。一応、こちらの立場を明らかにして制止を試みた。……が、相手の反応は無情だ。

 

「こんわろ、男じゃど! 避妊薬はあっか?」

 

「カビ生えたで捨てもした!」

 

「まあよか、当たったやそん時はそん時じゃ。久しぶりん男や、生け捕りにすっど!」

 

 わあ、セックスのことしか頭にねえぞこいつら。当たった(・・・・)らエルフ特有の不老性を失ってしまうというのに、いくらなんでも刹那的過ぎやしないかね?

 

「その言葉、宣戦布告とみなす!」

 

 とはいえ、こちらもムザムザ犯されてやるわけにはいかない。……いや、正直興味はあるけどね? でも、流石にそれは領主として不味いだろ。仕方がないので、僕はサーベルを振り上げた。磨き上げられた刀身が木漏れ日を浴び、ギラリと輝く。

 

「当方に迎撃の用意あり! キエエエエエエッ!」

 

 攻撃は最大の防御である。僕は地面を蹴り、敵に突撃を仕掛けた。ソニアが「アル様ァ!」と叫んだがお構いなしだ。僕の戦闘スタイルでは、敵に先手を許す方がマズイからな。

 

「グワーッ!」

 

 さしもの蛮族エルフも、男がいきなり奇声を上げながら襲い掛かってくるとは思わなかったのだろう。彼女らが一瞬ひるんだ隙に、先頭のエルフ兵を一刀両断する。まずは一人。しかし、敵はまだまだいる……



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第218話 くっころ男騎士とへいわなエルフの村(2)

「こんわろ、ただん男じゃなかぞ! すげぼっけもんじゃ」

 

「こん種なら強か子が孕めるぞ、囲んで犯せ!」

 

 初手で味方一人が斬殺されたというのに、エルフ兵たちは怯む様子はない。むしろ顔に喜色を浮かべ、武器を手にこちらへ突っ込んでくる始末だ。……子供孕んだら不老じゃなくなるってのに、なんでそんなに男を犯したいのさ! 緩慢な自殺かよ。

 何はともあれ、突っ込んでくるなら迎撃せねばならない。僕は返り血に濡れるサーベルの柄をぐっと握り締め、突撃した。だが一度見た戦法だからだろう、今度のエルフ兵は怯まなかった。

 

「腕ん一本や二本でけ死んなよ、短命種(にせ)ッ!」

 

「キエエエエエエエッ!」」

 

 両者の剣が正面からぶつかり合った。その瞬間、エルフ木剣から猛烈な突風が吹き出し、僕の身体を吹き飛ばす。

 

「ウワーッ!」

 

「グワーッ!」

 

 だが、エルフの方もただでは済まない。木剣は当然切断され、肉体のほうも半ばまで切り裂かれた。致命傷である。だが、僕の方はそれをしっかり確認する余裕もない。風により十メートルは吹っ飛ばされ、大木に衝突して地面に転がり落ちた。全身甲冑を着ているとはいえ、なかなかに痛い。

 

「アル様!」

 

「平気だ!」

 

 なんとか立ち上がったところへ、ソニアが駆け寄ってくる。僕は彼女の肩を叩いてから、敵の方へ視線を戻した。彼女らは弓や木剣をこちらに向けながら、じりじりと距離を詰めている。

 

「あの木剣、なかなか厄介だぞ」

 

「エルフは皆魔剣を持っているという話は本当だったわけですか……」

 

 さっきは風の魔法だったからよかったものの、炎や雷などが飛び出して来たらシャレにならない。呪文を唱えずとも即座に魔法を発動可能なこの手の武器は、近接白兵戦では恐ろしいほどの効果を発揮する。

 さりとて、距離をとれば今度は例の妖精弓(エルヴンボウ)が飛んでくるのだから恐ろしいことこの上ない。彼女らエルフは蛮族ではあるが、戦士としての能力は一般的なガレア騎士を上回っている様子だった。

 

「良か敵じゃ! ないと良か敵じゃ!」

 

「斬られてけ死んか孕んでけ死んか、どっちも魅力的じゃ。ここまで生き恥を晒した甲斐があったというものでごわす!」

 

 味方二名が死んでるのに怯むどころか士気あがってるじゃん! こいつら怖いよ! どれだけ死にたいの! かなり嫌だなあ、こんなのが敵なのか? こちらの新兵連中がこの死兵どもにカチあったら、一瞬でやられてしまいかねない。練度も士気も違いすぎる。何とかして、戦闘以外のやり方で黙らせたいところだな……。

 

「かかれ!」

 

 敵指揮官らしきエルフ兵が叫ぶと、弓兵が一斉に矢を射かけてきた。傍の樹木を盾にして集中射撃を凌ぐが、その隙に木剣を持ったエルフ兵集団が一気に肉薄してくる。

 

「男に先陣を切られたぞ! 恥ずかしゅうはなかとな!? 者ども、挽回ん時ぞ!」

 

 そこへ、オルファン氏に率いられた"正統"の方のエルフ戦士団が突っ込んでくる。彼女らは弓兵の射撃により敵の突撃の出鼻をくじき、さらにそのまま木剣による白兵戦に移行する。組織は違えど、このあたりの戦法は"新"も"正統"も大差ない様子だった。

 

「とりあえず、現状はこのまま"正統"に味方したほうがよさそうだな」

 

「"新"の連中は、聞く耳持たずの様子ですしね。まるで獣ですよ」

 

 このエルフ兵どもを見ていると、ダライヤ氏やそのお供たちがどれだけ理性的だったかわかってくる。この兵士らはおそらく、あまり統制の取れていない雑兵なのだろう。……雑兵でこの練度? 怖すぎるだろ……。

 

「ちぇすとーッ!」

 

 エルフ兵の一人が、そんな叫びをあげながら突っ込んでくる。何がチェストだよそいつはこっちのセリフだ!

 

「チェスト!!」

 

 負けじと叫び返しつつ、突貫。エルフ弓兵が牽制の矢を放ってくるが、どうやらわざと狙いを外している様子だったので無視をする。生け捕りを狙っているせいだろう。妖精弓(エルヴンボウ)はかなりの強弓のようで、その弾道は直線的だ。威力は抜群で精度も高いようだが、そのぶん軌道は読みやすい。

 

「キエエエエッ!」

 

 とにかく、エルフ兵の木剣は厄介だ。魔法が発動する前に叩ききる他に対処法はない。全力で剣を振り下ろし、エルフ兵を一刀両断する。

 

「ナイスチェスト!」

 

 近くに居た味方エルフ兵が満面の笑みで親指を立ててくる。彼女も全身返り血まみれだというのに、ひどく愉快そうな様子だった。僕は親指を立て返して、「センパーファーイ!」と叫んだ。自分でも少々訳が分からなくなっているが、戦闘の興奮でちょっとおかしくなっているのかもしれない。

 

「ムッ!」

 

 そこへ、ひゅおんと風切り音を立てて矢が飛んできた。地面を転がってそれを回避し、起き上がるのと同時に二の矢をつがえようとしていたエルフ弓兵をリボルバーを向ける。引き金を引いたまま。剣を握る右手で撃鉄を弾く。乾いた銃声と猛烈な白煙が上がり、エルフ由美兵は腹から血を流して倒れた。

 

「なんじゃあん武器は!?」

 

「ウオオオオッ!」

 

 困惑するエルフ弓兵の集団へ、両手剣を抜き放ったソニアが突っ込んでいった。弓兵たちは一斉に射撃を仕掛けるが、彼女はライフル弾の直撃にすら耐える魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいるのである。多少の被弾などお構いなしに突撃を続け、雑草を刈るようにエルフ弓兵を薙ぎ払っていく。ここは深い森の中だ、弓兵と言えど、なかなかアウトレンジ攻撃はできないのである。

 

「リースベンとやらん戦士はおなごも男もすごかぼっけもんばっかいじゃな」

 

「修羅ん国でごわすな」

 

 "正統"のエルフ戦士が、ひどく楽し気な様子でそんな話をしているのが聞こえた。お前らにだけは修羅の国とか言われたくねえよ! 内心突っ込んでいると、呪文を詠唱する声が聞こえた。こちらが身構えるよりも早く、魔力による突風が吹いて地面の落ち葉を巻き上げる。

 

「チッ!」

 

 目くらましだ! 風切り音と共に、複数の矢が飛んでくる。エルフ兵は状況に応じて弓と木剣を切り替えて戦うようだ、この柔軟性は、極めて厄介である。僕は慌てて、その場から飛びのいた。

 

「チィエエエエエッ!」

 

 そこへ、樹上から木剣を構えたエルフ兵が飛び降りてきた。流石にこの攻撃は予想外だ。慌ててサーベルを構え、頭上からの一撃を受け止める。強烈な衝撃が全身に走った。思わず、一歩後退してしまう。

 

「ぐっ!」

 

 初太刀は防いだが、エルフ兵の剣技は見事なものだった。地面に着地すると同時に鋭い二の太刀を繰り出してくる。僕は慌ててそれをサーベルで防いだが、その衝撃で柄が手の中から吹っ飛んでいってしまった。

 

「さあ、婿取りの時間じゃ!」

 

 エルフ兵が会心の笑みを浮かべ、木剣を構えなおす。その瞬間、僕の脳裏に前世の剣の師匠の顔がフラッシュバックした。

 

『武器がなかときは素手でチェストすりゃよか!』

 

 ほとんど無意識に僕はぐっと腰を下ろし、そして身体強化魔法を発動させつつ地面を蹴った。猛烈なタックルがエルフ兵に炸裂し、彼女は悲鳴を上げつつ地面に転がった。

 

「グワーッ!」

 

「注意一瞬怪我一生じゃスカタンがァ!!」

 

 僕はそのまま、エルフ兵の背後に回り込んで彼女の首を締めあげた。肉体の基本的構造は竜人(ドラゴニュート)もエルフも同じである。頸動脈を締め上げられたエルフ兵は、あっという間に白目をむいて気絶した。

 

「アル様!」

 

 そこへ、見慣れたガレア様式の甲冑を纏った騎士四名が走り寄ってきた。事前にこの村に派遣していた、僕の部下たちだ。彼女らはひどく慌てた様子で僕を助け起こし、地面に落ちたままになっているサーベルを拾ってきてくれた。

 

「おお、すまない。助かった。……全員無事のようだな、嬉しい限りだ!」

 

 どうやら、全員怪我一つしていない様子だ。僕は思わず、安堵のため息を吐きそうになった。大切な部下たちを、こんな場所で失う訳にはいかないからな。

 

「アル様こそよくご無事で! しかし、なかなか厄介な状況ですね。助太刀いたします」

 

 騎士たちは剣や槍を抜き放ち、そう叫んだ。敵はやや劣勢の様子だが、損害に構わず無茶な攻勢を続けている。退きたがっているような素振りの兵士は、誰一人いなかった。無茶ではあるが、油断をすればこちらがやられてしまいそうな恐ろしさがある。……まあ、"正統"のエルフ兵も似たような雰囲気だが。

 エルフ兵は、敵も味方も死兵ばかりのようだ。死ぬか勝利するまで戦い続けてやるという気概が強く感じられる。そりゃ、こんな覚悟ガンギマリの連中が内戦をおっぱじめたら、悲惨な状態になるのも当たり前のことだろうよ……。

 

「ああ、頼んだ!」

 

 内心に湧き上がってくる嫌な感覚をこらえつつ、僕はそう返した。この内戦をどうにか止めない限り、リースベンに平和は訪れそうにない。内部で延々バチバチやり続けているから、食料の自給すらままならない状態になっているんだろうな……

 



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第219話 くっころ男騎士と歓迎会

 "新"の連中と思わしき部隊を押し返すことに成功したのは、西の空が赤くなり始めたくらいの時刻になってからだった。行動は蛮族その物としかいいようのないエルフ戦士団だが、士気・練度に関しては精強無比といっていい水準にある。なかなかの激戦だった。

 被害の方は、"新"が戦死者二十八名、重傷者七名、捕虜一名。一方"正統"はといえば、戦死者十名、重傷者十二名である。防御側ということもあり、"正統"が終始有利に先頭を進めていた印象だった。ちなみに、僕たちリースベン軍は無傷である。

 しかし、普通なら戦死者と負傷者の割合は一対二くらいに落ち着くのが多いんだけどな。なんだこの極端な戦死者比率は。文字通り、死ぬまで戦った連中が多かったという訳か……。

 そして、夜。村の広場ではエルフや鳥人たちが集まり、宴会をおっぱじめていた。一応名目では僕たちの歓迎会ということにはなっているが、まあ気晴らしも兼ねているのだろう。

 

「なんたっ女々しか剣技やろうか。まったく感服いたし申した」

 

「まったくじゃ。あや素晴らしか太刀筋やった。良かったや教えてくれんか」

 

「僅か一太刀であん憎らしか僭称軍んやつばらが二枚下ろし!こげん痛快なこっがあっか? いや無か!」

 

「アルベールどんなほんのこて男なんか? 確認しよごたっでチンコを出してはっれんか」

 

 小さな焚き火の前に座った僕の周りには、エルフたちが鈴なりになっていた。どうやら、僕の剣技がエルフたちの琴線に触れた様子である。あれやこれやと質問されたり褒められたり……まあ、悪い気分じゃないな。なにしろエルフたちは外見だけは妖精じみて可憐なので、モテ期が着たような錯覚すら覚える。

 

「やめんかお(はん)ら。見苦しか真似はよせ」

 

 そこへオルファン氏がやってきて、エルフどもを追い払ってしまう。彼女らは文句をたれつつも、抵抗はせずにそのまま散って行ってしまった。少々残念である。

 

「ご迷惑をおかけしもた、ブロンダンどん。…………あん連中んこっだけじゃなか。昼間んこっもじゃ」

 

 頭を下げながら、オルファン氏が木椀をさしだしてくる。どうやら、料理をもってきてくれたようだ。

 

「降りかかった火の粉を払っただけだ。お気になさらず」

 

 ニッコリ笑って頷き、僕は木椀の中身を確認した。……具はサツマ(エルフ)芋と、そしてクワガタか何かの幼虫らしきイモムシがほんのちょっぴり。あとは大量の菜っ葉である。うわお、こいつはスゲェ。

 この汁物らしきナニカの他に、食べ物はなかった。それでも、エルフやカラス鳥人たちは「今夜はごちそうじゃ」と大喜びしている。もちろん食料危機云々の話は知っていたが、予想以上にひどい。

 

「ふむ、なかなか美味しいな」

 

 まあ、出されたものはありがたくいただくのが僕の主義である。スプーンで謎のイモムシを拾い上げ、口に運んでみる。クリーミーで濃厚な味わいだ。ハラワタもきちんと処理しているのか、土臭さも感じなかった。全然悪くない。問題は、カロリー源であるイモやムシが少なすぎることだ。

 汁物の質量と体積の大半を占めているのは、謎の草だ。これはどうやら野菜や山菜の類ですらないようで、ひどく筋張っていて青臭い。おそらく、コイツの正体は毒がないだけのそこらへんの雑草だ。食べ物がすくないので、水増し目的でいれているのだろう。

 

「……」

 

 ソニアと星導士様が、ものすごい表情でイモムシを眺めている。どうやら、虫を食うのには抵抗がある様子だ。まあ、ガレアには食虫文化はないからな、仕方がないか。……僕は前世のころから、ハチノコとかイナゴとかを平気でバリバリ食ってたような人間なので全然平気だが。

 

「そうゆてもれると嬉しか」

 

 少し笑って、オルファン氏は自分も芋汁を一口食べた。その笑顔には、ひどく哀愁が漂っている。憂いを帯びた高貴な顔が焚き火の明かりに照らされたその様子は、まるで一枚の絵画のように美しかった。まあ、食べているのがイモムシなので若干違和感があるが……。

 

「城伯殿、お注ぎいたしもす」

 

 酒瓶を持った只人(ヒューム)の女性がやってきて、僕に一礼した。只人(ヒューム)と言っても、ガレアに住んでいる只人(ヒューム)族とは若干容姿が異なっている。おそらく、リースベン先住民の末裔だろう。少なくとも、こちら側の集落から攫われてきた者ではないのは確かだ。

 

「おお、ありがとう」

 

 愛用の酒杯を差し出すと、その只人(ヒューム)は恭しい動作で酒瓶の中身を注ぎ入れた。もっとも、これはエルフの地酒などではなく僕らが提供したワインだ。聞くところによると、正統エルフェニアではもう酒を造っていないのだという。まあ、貴重な食料を消費して酒を造るのは、彼女らの食料事情的にかなり厳しいのだろう。

 

「あいがたや、あいがたや。何十年ぶりかん命ん水じゃ」

 

「まったくじゃ。ブロンダンどんには感謝してんしきれんど」

 

 エルフたちは、コップ一杯のワインを涙を浮かべながらチビチビと飲んでいる。これ、相当ヤバいなあ。食料はほとんどなく、もちろん嗜好品の類もまったく供給されていない。そりゃあ、好戦的にもなるってもんだ。僕は嫌な気分になって、内心ため息を吐いた。

 とにかく、エルフたちの政情が安定しないことにはリースベン領も立ちいかない。しかし、はっきりいって自前で始末がつけられそうにない状況なのだから、多かれ少なかれこちらからの介入は必須である。

 

「ところで、ひとつお聞きしたい。昼間の連中は、君たちの言うところの僭称軍……自らを新エルフェニアと名乗る勢力で間違いないのだろうか?」

 

 とりあえず、僕はまず一番気になっていることを聞くことにした。不可抗力とはいえ、ガッツリ"正統"の連中と共闘してしまったからな。あの蛮族どもが新エルフェニアの兵士なら、外交的に拗れてしまう可能性もある。

 そもそも、今回の襲撃は意図的なものなのだろうか? 翼竜(ワイバーン)自体は"新"の奴らも確認しているだろうから、牽制や妨害の意図があっての派兵でもおかしくはないが……それにしては攻撃の規模が大きいような気がする。ううーん……。

 

「おう、そうじゃ。(オイ)らはずっとあん連中と戦争をしちょっど。……もっとも、ごらんの通り状況はよろしゅうなかが」

 

 オルファン氏は、声を潜めてそう答えた。流石にこういう話は、周囲に聞かせたくはないのだろう。

 

「場所が知られてしもた以上、こん村も近かうちに放棄したほうが良かじゃろう。(オイ)らはまた流浪ん民になる」

 

 ゲリラだなあ。どうも、エルフ内戦は"正統"側が不利な立場に立たされているようだ。"新"に比べて明らかにこちらに友好的な雰囲気を出しているのも、外部からの助けを求めているためだろうか?

 

「僭称軍とやらは、強大なのか」

 

「……」

 

 イモムシ汁をすすってから、オルファン氏はコクリと頷いた。

 

「リューティカイネンどんから聞いた話じゃが、お(はん)らリースベンは北ん方にあっ国らしいな」

 

 エルフたちに交じって酒を飲んでいるリューティカイネンくんのほうをチラリと見てから、オルファン氏はその薄い胸元から一枚の紙……というか、薄く伸ばした樹皮を取り出した。そこには、リースベン半島全体の地図が描かれている。原住民だけあって、僕らの持っている地図よりも随分と情報量が多い。

 しかし、"正統"の連中はダライヤ氏らと違って、こちらの情報をほとんど知らないようだな。まあ、"正統"は見るからに寡兵だ。そもそも、僕たちの居るカルレラ市の周辺まで人を送ることができないのではないだろうか?

 

「北ちゅうと、北方山脈んあたりじゃろう。あん辺は、僭称軍ん勢力が近か。お(はん)らも、あん連中と戦うたこっがあっんじゃね?」

 

 彼女が指さした場所は、確かにカルレラ市があるあたりである。僕たちが今いる場所、つまりラナ火山からは、ずいぶんと離れている。

 

「確かに、リースベンはちょくちょくエルフの襲撃を受けていた。もっとも、そのエルフたちが新エルフェニアなどという名前を名乗っていたことすら、判明したのはほんのこの間のことだが」

 

「フウン……」

 

 片眉を上げて唸ってから、オルファン氏はワインを飲みほした。そして、やや残念そうな表情で杯の底に残った僅かなワインを眺める。飲み足りない様子だが……翼竜(ワイバーン)で運べる物資の量なんか、ごく僅かだからな。残念ながら、お代わりはない。

 

「こいは(オイ)の予想じゃが……お(はん)らンところに、僭称軍から使者が来たんじゃらせんかね?」

 

「……来た。確かに来た」

 

 ここは、嘘をついても仕方がない。僕は頷いて見せた。そして、自分の杯をオルファン氏に渡してやる。彼女はそれを受け取りかけたが、一瞬ひどく自己嫌悪したような表情になってそれを拒否した。……どうやら、失礼な真似をしてしまったようだな。「申し訳ない」と小さく謝ってから、僕は言葉を続ける。

 

「彼女らの言葉の真偽を確かめるため、あちこち調べていたところで君たちと遭遇したわけだ」

 

「なるほど……」

 

 思案顔で、オルファン氏は唸る。食料不足なのは、"新"のほうも同じだ。彼女らが僕らに何を求めているのかは、彼女も予想していることだろう。リースベンから"新"に食料が流れ込むようになれば、"正統"はますます危機的状況に立たされることになる。

 

「良かったや、使者ん名前を教えてくれんか? ログスか、それともハルファンか?」

 

 ログスにハルファンね。どっちも利いたことのない名前だ。僕は首を左右に振ってから答えた。

 

「リンド・ダライヤ氏だ」

 

「……たまがった。頭領自ら出てきたんか」

 

 ……頭領? マジ?

 

「彼女は、自分のことを新エルフェニアの長老と名乗っていたが……?」

 

「まあ、嘘はゆちょらん。確かにヤツは長老じゃが……一年ほど前に謀反を起こしてな。僭称皇帝を殺して、僭称軍ん頭領に成り代わったど」

 

 わあ、ちょうどエルフからの襲撃が激減した時期じゃねえか。なるほど、エルフどもが方針転換したのは、頭が変わったからか……。いやしかし、マジかよ。あのロリババア、自分の立場を偽ってやがったな!

 



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第220話 くっころ男騎士と二正面作戦

 あのロリババアが新エルフェニア帝国のトップだったとは。流石に少々驚いたが、あの切れ者っぷりを見れば納得できることだ。僕は小さくため息を吐いてから、イモ汁をすすった。

 

「あん人は、(オイ)若造(にせ)やった時ん教育役でな。まあ、知らん相手じゃなか」

 

「……ほう」

 

 微かに懐かしさを含んだような声で、オルファン氏が言う。口ぶりからして、決して悪い関係ではなかったようだ。そんな相手とも敵味方に別れて戦わなくてはならないのだから、内戦というやつは本当にクソだ。僕は何とも言えないような気分になって、残り僅かなワインを少しだけ飲んだ。

 

「じゃっどん、今となっては打倒すべき敵や」

 

「あの人にもあなたにも、やるべき仕事がある。それが相いれない以上、戦う他ないと」

 

「わかっちょっじゃらせんか。ほんのこて女々しか男じゃな、お(はん)は」

 

 薄く笑って、オルファン氏は頷いて見せた。しかし、女々しい呼ばわりされると何とも言えない気分になるな。まあ、向こうとしては褒めてるんだろうが……。

 

「……ダライヤ氏の話は興味深いが、今はもっと建設的な話をしよう」

 

 どうも、オルファン氏とダライヤ氏はそれなりに親しい関係にあったようだ。"新"に対する戦略を練るためにもダライヤ氏の性格や価値観について詳しく聞いておきたいところだが、オルファン氏も部下の目のある場所ではあまり率直な意見を言えないだろう。その辺りは後回しにするとして、とりあえず本題に入ることにしようか。

 

「僕は君たちと取引がしたい。そのためにここにやって来たんだ」

 

「取引? 見てん通り差し出せっもんなあまりなかが、マァ話だけは聞くど」

 

 周囲の粗末な竪穴式住居群をちらりと見て、オルファン氏は皮肉げな様子で笑った。……内戦が始まる前は、こうじゃなかったんだろうなあ。おそらくだが、かつてのエルフはガレアにも負けない立派な文明を持っていたのではないだろうか?

 しかし、火山の噴火とそれに伴う内戦により、エルフ文明は完全に崩壊してしまった。ポストアポカリプス、世紀末ヒャッハー時代だ。正直なところ、一般エルフ兵のアレっぷりを見てると前世で読んでいた漫画に出てくるモヒカン軍団を思い出さずにはいられないんだよな。

 

「ウン……まあ、過大な要求をする気はない。僕らが必要としているのは、まず第一に情報だ。例えばこの地図であったり、僭称軍共の軍備であったり」

 

「なっほどな。よかじゃろう、知っちょっ情報はすべて話す。ないでん聞いてくれ……そん代わり、貰ゆっもんな貰うどん」

 

「対価ね。一体、君たちは何が欲しいんだ」

 

 頷くオルファン氏に、僕は分かり切った質問をした。この雑草しか入っていない汁物をみれば、まあそりゃあこのエルフたちが何を求めているかなど考えずともわかる。

 

(オイ)は戦い以外んこっには(びんた)ん回らん人間や。じゃっで単刀直入に言どん、とりあえず食料を寄越してくれ欲しいど」

 

「食料ね……」

 

 思った通りの要求である。僕は少し思案した。少々の量ならば、まあ問題はないが……この集落の人間全体を養う量となると、実現は難しくなってくる。この村と我らがカルレラ市は、それなりに離れているのだ。輸送の問題がある。

 街道さえ通っているなら、まあ何とでもなるんだが……そんなものはないからな。使えるとすれば……僕は、あぐらをかいているオルファン氏の膝の上に乗った地図に目をやった。思わずその真っ白い素足のほうに視線がいきそうになるが、鋼の自制心で我慢した。

 

「……ふーむ」

 

 その地図によれば、カルレラ市の隣を流れる大河がこのラナ火山の傍まで続いているのである。この河は川幅も水深もそれなり以上のもので、ある程度大きな川船も運航することができる。安全さえ確保できるなら、下手な街道を使うよりもよほどたくさんの物資を輸送することが可能だろう。

 もっとも、その安全が問題なんだけどな。なにしろ、この川はエルフ……おそらくは新の連中の勢力圏のド真ん中を通っている。あまりにも危険だ。なにしろ、今の今まで川の下流の探索が進んでいなかったのも、エルフどもの妨害のせいだしな。

 

「現状の我々の力では、ラナ火山の付近にまで大量の物資を輸送することはできない。翼竜(ワイバーン)による定期便を継続するのが精いっぱいだ」

 

「いっちょん足らんが、まあ良か。欲をけたや、僭称軍ん連中に横取りされかねん。そうなっては元も子もなかぞ」

 

 やや残念そうな様子のオルファン氏だったが、納得はしてくれた様子だ。しかし、ダライヤ氏といいこの人といい、エルフのトップ層はなんだかんだ理性的だな。雑兵エルフはあんな有様なのに……いや、賢明な指導者がいなければ、生き残れないような状況だったせいかもしれないな。

 

「じゃっどん、我々ん食料備蓄も少なか。こん村を捨てんなならん以上、長うはもたんぞ。こん冬には、全員餓死すっか玉砕すっかを選ばんなならんかもしれん。そうなればわいたちも困っとじゃらせんか?」

 

「……というと?」

 

(オイ)らん方を向いちょった僭称軍共ん戦力が、お(はん)らん方へ向かうちゅうこっだ」

 

「……」

 

 確かに、その通りである。新エルフェニアの勢力は、僕たちと"正統"の二勢力に南北を挟まれる状態になっている。この両者と戦う場合、二正面作戦を強いられるということだ。

 だが、"正統"が滅亡してしまえば状況は変わってくる。"新"は全戦力をもって我々リースベン軍と相対することができるようになるわけだな。コイツは、確かに少々マズイ。ダライヤ氏はリースベンとの和睦を望んでいるようだが、あの勢力が一枚岩とはとても思えないからな。戦力的に優位に立てるなら、いっそ征服してしまえ。そのような考えを持つ者が現れてもおかしくない。

 今日遭遇したような蛮族エルフどもが、僕の領地に流れ込んでくる? 冗談じゃないにもほどがあるだろ。勘弁しろって感じだ。むろん、負けるとは言わんが……厄介なことには変わりない。ガレア本国からの増援も、すぐには来ないだろうしな。

 

「ちなみに、良かったら教えてほしいんだが……君たちと僭称軍、それぞれどれだけの戦力を持ってるんだ?」

 

(オイ)らが四百、僭称軍が千二百ちゅうところじゃ。カラスやスズメどもを合わせてな」

 

 ……いや多いな! リースベン軍は千人未満だぞ!? 食料不足のエルフェニアが、それだけの兵士人口を支えられるはずが……ああ! そうだ! こいつら半士半農の屯田兵だ……! 戦っていない間は、労働力を食料生産に充てられるんだ。だから、兵士階級の人口比率が高くてもなんとかやって行けるわけか……。

 農民兵の最大の弱点は、農作業の合間に訓練を行う都合上どうしても練度が低くなってしまうことなのだが……エルフどもは寿命が長いからな。その分、経験の蓄積が多い。農民兵でも、こちらの騎士階級と同等以上の戦闘力を発揮してくる。これは非常にマズイ。質で劣ってる上に数でも劣っているんだ、こりゃそうとう苦しい戦いになるぞ。

 

「うーむ……」

 

 これまで、リースベンにはあまり大人数のエルフ兵がやってくることはなかった。この原因が二正面作戦にあったとすると、一応筋は通る。むろん、オルファン氏が自分たちにとって都合のいいことばかり言っている可能性もあるが……。

 しかし、防衛戦での戦いぶりを見るに、彼女ら"正統"の戦力も決して馬鹿にできるものではないからな。"新"が少なからぬ戦力を"正統"対策に張り付けているのは間違いないだろう……。

 ううーん、これは根本的に戦略を練り直したほうが良いかもしれないな。領民のことを考えれば、万が一にも我々は負けるわけにはいかん。何とか対処法を考えねば。

 

「もうちょっと、詳しい事が聞きたいな。情報料を追加で出そう」

 

 僕は、腰に付けたポーチから金属製の酒水筒(スキットル)をこっそり出してオルファン氏に見せた。彼女は一瞬ニッと笑って、近くにある竪穴式住居を指さした。

 

「良か。部下に聞かせ辛か話もある。二人っきりで話すど」

 

 ……サシ飲みが好きだねえ、エルフは。まあいいや、傍にはソニアもいる。いざとなれば、彼女を呼べば何とかしてくれるだろう。



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第221話 くっころ男騎士と蛮族皇女(1)

 オルファン氏に案内され、僕は小さな竪穴式住居の中へお邪魔した。土むき出しの土間に、石を組んで作った簡素な囲炉裏(いろり)……外見通りの、原始的な内装である。室内にはちょっと目にしみるほどの煙の臭いが満ちており、僕は思わず目をしばたたかせる。

 

「あばら家で申し訳なかが」

 

 少し申し訳なさそうな様子で、オルファン氏が言った。まあ、確かにあばら家ではある。言っては何だが、自称皇族にはあまりにも似合わない建物だった。

 とはいえ、不快な空間かといえばそうでもない。床はきちんと清掃されており、壁際には農具や武具といった様々な道具類が整理整頓された状態で安置されている。その中には、ちょっと目を引くデザインの長櫃(ながびつ)もあった。表面に、狩人やその獲物と思わしき文様が、精密な筆致で描かれている。このような簡素な小屋には、かなり不釣り合いな見事な家具だった。

 

「座りやんせ」

 

 ムシロの座布団を指さして、オルファン氏が言う。僕が大人しくそれに従うと彼女は僕に素焼きの酒杯を手渡してきた。そして熾火(おきび)のくすぶる囲炉裏にいくつか薪をくべてから、自分もムシロへ腰を下ろす。

 

「こいつは少々酒精がキツいので、水で割って飲むことをおすすめする」

 

 僕はそう言って、酒水筒(スキットル)から彼女の杯へ酒を注いだ。今日僕が持ってきているのは、アヴァロニア特産のウィスキーである。焼酎程度の度数の酒に慣れているエルフには、少々アルコールが濃いだろう。

 

「フウン、確かにキツそうじゃな」

 

 オルファン氏はウィスキーの香りを嗅いで、頷いた。そして近くに置いてある水がめから柄杓で水をすくい、酒杯に注ぐ。「馬鹿にするんじゃねえ、少々酒精がキツいくらいがちょうどいいんだ」などと言っていきなりストレートでイッキをし始めるような真似はしなかった。

 昼間見た戦場のオルファン氏は、いかにもエルフの指揮官らしい勇猛果敢な戦いぶりたった。だが、今のオルファン氏は落ち着いた思慮深い性格に思える。どっちが素に近いかと言えば……おそらく後者だろうな。慎重な人間が果敢なフリをするのはそう難しい事ではないが、逆はなかなか困難だ。

 

「お(はん)も、ホラ」

 

「ああ、ありがとう」

 

 オルファン氏が柄杓を差し出してきたので、自分の酒杯にも水を入れてもらう。普段はストレート派の僕だが、たまには水割りも悪くない。

 

「……フム」

 

 無言で柄杓を片付け、水割りウィスキーに口を付けたオルファン氏は、感心した様子で小さく声を貰う。どうやら、お気に召してくれた様子だ。

 

「煙ん匂いがすっな。こげん酒ははいめっ飲んどん、悪うなか」

 

 酒杯から唇を離したオルファン氏は、小さく息を吐いてからそう言う。囲炉裏の炎に照らされた彼女は、妖精のごとき美しさだった。

 

「それは良かった。次の定期便の時に、同じ銘柄のものを一本お送りしよう」

 

「いいや、結構じゃ。返せっものがなか。恵んでもろうてばっかよかっと、人間がやっせんごつなってしまう」

 

 恵んでもらってばかりいると、人間が駄目になってしまう……と言いたいのかな? やはり、エルフ訛りは難しい。僕が難しい顔をして頷くと、彼女は少しだけ表情を柔らかくした。

 

「こんたどこん国ん酒なんじゃ? お(はん)ん国か」

 

「いや、これはアヴァロニアという……北西にある大きな島国からの舶来品だな」

 

「そうか、アヴァロニア……聞いたことんなか国や。もう二百歳を超えてなげちゅうとに、(オイ)ん世間はまだまだ狭かもんじゃな」

 

 しみじみとした様子で、オルファン氏はもう一口水割りウィスキーを飲む。囲炉裏の焚き木が、パチリと音を立てて爆ぜた。

 

「のう、アルベールどん。こげん飢えてんなお内輪もめを辞められん(オイ)たちエルフは、お(はん)らにはさぞ愚かに見ゆっじゃろう」

 

 いきなりブッこんできたな。答えに窮し、僕は酒杯を口に運んだ。

 

(オイ)はなにかに理由を付けて僭称軍と戦い続けちょっが、本当ん目的はただ一つ、口減らしじゃ。耕作地ん面積に比べ、いまだにエルフん人口は多すぎる。餓死すっか、戦死すっか。(オイ)はこん二択を部下に強いるしかのうなっちょっる」

 

 わあお、とんでもないことをぶっちゃけ始めたぞ、この自称皇女様。お家の再興に協力しろだとか、そういうことを言われるんじゃないかと予想してたんだが……どうやら、オルファン氏の目的は別のところにあるらしい。

 

「だが、戦いが続っ限りは畑をいじっちょっ時間はどげんしてん減っし、新たな畑を開墾すっ余力もなか。どしこ口減らしをしてん、そん分戦乱に巻き込まれて畑が減っていっじゃっでまた食料不足が起こる……」

 

「……」

 

「こん悪循環を何十年も続けた結果が、今んエルフェニアじゃ。こんままでは、あと十年もせんうちにエルフェニアは滅ぶ。"正統"も"新"も関係なく」

 

 一気にそこまでまくしたててから、少し疲れた様子でオルファン氏は酒杯の中身を一気に飲み干した。ため息を吐く彼女に、新たなウィスキーを注いでやる。

 しかしこの人、かなり冷静に自分たちの現状を把握している様子だな。こんな明日も知れぬ生活をしているというのに、高い視点を保ち続けている。皇族の末裔、皇帝の直子という話は、真実かもしれないな。すくなくとも、並みの人物ではないのは確かだ。

 

「飢えてけ死んよりは、戦場で敵ん剣に倒るっ方がマシ。そう思うて、(オイ)は部下を戦場に送り続けてきた。じゃが……」

 

 きゅっと唇を結んでから、オルファン氏は酒杯のウィスキーをあおる。ところが、水で割っていないウィスキーはやはりエルフにはキツかったようだ。ゴホゴホとむせて、慌てて柄杓から直接水を飲む。

 

「……失礼した。とにかっ、おいはこん状況が気に入らん。とにかっ気に入らんのじゃ」

 

「……」

 

 確かに、それはさぞ辛かろう。部下を失う悲しみは、僕もよく理解している。かける言葉が見つからず、僕はため息を吐いた。

 

「僭称軍の連中から聞いた話だが、あなた方はあちら側の畑を焼き討ちしているらしいな。貴殿の目的がエルフ族そのものの存続なら、このような真似はしない方が良いと思うが」

 

 ここで、僕は少しオルファン氏に切り込んでみることにした。彼女が僕らに救援を求めたいのは、なんとなくわかる。だが、同胞を焼き討ちするような奴らに手助けをするのは、それなりに抵抗があるからな。

 

「確かに、そげん手を使うたこともあっど。お(はん)の言う通り、外道の手じゃ。じゃっどん、どしこ本当ん目的が口減らしでん、部下どもに面と向かってそうゆわけにはいかんのじゃ。戦うでには、勝つためん作戦を立つっべきじゃ」

 

「……そうだなあ。ただただ死んで来いと命じるのは、あまりにも、あまりにも……」

 

 僕も一人の指揮官だ。この辺りの感覚は、よくわかる。戦死が避けられないなら、その死を出来るだけ有意義なものにしてやるのが指揮官の責務というものだ。ただただ無意味なだけの作戦に部下を駆り立てるなど、とてもできるものではない。

 

(オイ)らは劣勢や、取れる作戦など限られちょる。"新"ん連中には悪かとは思うどん、いま(オイ)が第一に考ゆっべきなんな(オイ)に付き従うてくれちょっ部下と民草なんじゃ」

 

「……なるほど」

 

 嫌な話だが、理解はできるなあ。僕だって、必要とあらば自国内で焦土作戦を実行しなくてはならない立場だ。どれだけの汚名を被っても、戦わねばならぬときが軍人にはある。

 

「もはや、(オイ)らに出来っことは己らが滅ぶまで戦い続くっことだけじゃ。ここまで来たや、自分たちではどうにもならんのじゃ」

 

「……」

 

「……それもこれも、(オイ)ん器量が足らんせいじゃ。情けなか話じゃが、認むっほかなか。なあ、アルベールどん。お(はん)なら、こん状況をなんとかしきっんじゃなかとか?」

 

「それは……」

 

 僕は、砂をかみしめてしまったような心地になって顔をしかめた。しかし彼女は、ぐいと身を乗り出して僕の両肩を掴む。

 

「内ん人間に出来んこっでん、外ん人間にならば出来っじゃろう。お(はん)らには食料があり、こん半島ん外ん知識もある。……(オイ)に出来ん仕事であってん、お(はん)にならば出来っとじゃらせんか?」

 

 そう言うなり、オルファン氏は姿勢を正して地面に頭をこすりつけた。いわゆる、土下座の姿勢である。

 

「どうか、我らエルフ族を救うてくれんか」

 

「オルファン殿! やめろ、頭を上げてくれ!」

 

 僕は慌てて彼女の身体を引き起こそうとしたが、オルファン氏は凍り付いたような鉄面皮でそれに抵抗する。

 

「貴殿が望んんであれば、おいは腹ァ切ってんよか、名誉を汚されてんよか。奴隷として売り払うてくれてん構わん。じゃっで、なにとぞ、なにとぞ、エルフ族を……」

 

 ああ、胃が滅茶苦茶痛くなってきたぞ。どうするんだよ、これ!



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第222話 くっころ男騎士と蛮族皇女(2)

 さすがに僕は困惑した。まさか初回の会談で「自分はどうなってもいいから、エルフ族を救ってくれ」などと言われるとは思ってもみなかったからだ。外交上、これは白旗を揚げたに等しい行為である。最終的に援助は必要だとしても、最後までやせ我慢をしてくるのではないかと思っていたのだが……。

 何はともあれ、土下座などされていてはまともに会話にならない。僕は何とかオルファン氏を起き上がらせ、彼女の酒杯に水を注いだ。アルコールのせいで彼女が冷静さを失っているのではないかと一瞬疑ったが、オルファン氏の顔色はまったくかわっていない。

 

「オルファン殿、年下の僕がこのようなことを言うのも失礼な話だが、他国の使節にそのような真似はしないほうが良い。弱みに付け込まれ、貴方の守るべきものたちが奴隷のような立場に堕とされてしまう恐れがある」

 

「わかっちょっ。わかっちょっが、どうせこんままではじきに(オイ)らは滅ぶっとじゃ。ならば、少しでも可能性んあっほうに賭くっべきじゃと判断した」

 

「……」

 

 どうしたもんかね。僕は思案しながら、水割りウィスキーを喉奥へ流し込んだ。実際問題、僕としても彼女らエルフがいつまでも内乱祭りじゃ困るんだ。争っている勢力のひとつが全面的に協力してくれるなら、彼女らの内戦に介入して停戦の手伝いをするというのもアリかもしれない。

 

「ひとつ聞きたい。今のこの地に、エルフの勢力はいくつあるんだ? "新"と"正統"の他に、武装勢力はあるのか?」

 

 "ネオ・エルフェニア"だの"エルフェニア・マーズ"だの、怪しげな勢力が乱立しているようであれば、この地に平和をもたらすのは尋常なことではない。さすがにそんな状況の土地に介入するのは勘弁願いたいだろ。

 

「十年、二十年前はそげん連中もおった。じゃが、今ではほぼ残っちょらん。畑やカラスどもを維持でけんごつなって滅ぶか、当時すでに最大勢力やった僭称軍に吸収さるっかしてしもたど」

 

「ほう……」

 

 雑多な勢力が居ないのはかなりの朗報だな。まあ、そんな連中を吸収しちゃった"新"の連中は一枚岩からは程遠い状態になっているだろうが……。今日この村が襲撃されたのも、"新"の中の一部勢力が暴発した可能性は十分にあるな。

 

「もう一つ聞きたい。君たち"正統"の人口は? はっきり言うが、僕らだって食料が余っているわけでも裕福なわけでもない。出せる食料には限度があるんだ」

 

「そんた戦えん連中も含めて、ちゅうこっじゃな? で、あれば……合わせて五百人くれだ」

 

 戦闘員が四百人の勢力で、総人口が五百人? やっぱ滅茶苦茶だぞ、エルフ。いくら半士半農とはいっても、戦闘員比率が高すぎる。そら食料危機も起きるわ……。

 だが、だからこそ思っていたよりもだいぶ総人口は少なかった。つまり、食糧支援を行う場合、送るべき食料の量が少なくて済むということだ。合計五百人程度なら、まあ輸送の問題さえ解決してしまえばなんとかなる。

 ……その輸送の問題が一番のネックだがな! 彼女らに物資を届けるには、新エルフェニアの勢力圏の真っただ中を通過する必要がある。そして、使える交通手段は河川のみ。河川交通は大量の物資を運搬できるが、その代わり襲撃を受ければ逃げることすらできない。参っちゃうね。

 

「非戦闘員が百名しかいないのか……」

 

 僕は思わずつぶやいた。これがすべて只人(ヒューム)と仮定して(実際にはあり得ない仮定だろう。病気や負傷、加齢などで戦線離脱した亜人もいるはずだ)、その半分が男としても、僅か五十名しか男が居ないことになる。とんでもない女余りだ。

 これはあくまで予想だが、戦えなくなったものは姥捨て山めいて切り捨てられているんじゃないだろうか。戦える人間ですら、口減らしが必要になっているわけだしな。ましてや戦えない者の扱いなど……ああ、まったく嫌な話だ。

 

「五百人ぶんの食料を提供すること自体は、十分に可能だ。ただ、それをここまで持ってくるのは不可能に近い。どう考えても、運んでいる最中に僭称軍に横取りされてしまう」

 

「じゃろうな……」

 

 オルファン氏は少し唸って、再びリースベン半島の地図を取り出した。そして、半島の付け根あたりを指さす。

 

「お(はん)らん街は、こんあたりにあっとじゃったな?」

 

「そうそう、正確に言うと、この辺りだな」

 

 僕は地図上の一か所をぽんぽんと指で叩いた。その拍子に、オルファン氏から漂ってくる微かな良い香りに気付いた。香水ではない。おそらく、香木を服に焚きしめているのだろう。やっぱこの人、脳筋蛮族なんかじゃないな。下手したらうちの母上より文化的かもしれん。

 

「で、あれば……距離が問題じゃちゅうとなら、近ぢてしめば良か。歩っなり飛ぶなりしてな」

 

 えっ、来ちゃうの、カルレラ市に!?

 

「どうせ、こん村は放棄せねばならんど。僭称軍に場所がバレた以上、じきに討伐軍がやってくっ。正面から敵ん本隊と衝突すりゃ、我らに勝ち目はなか」

 

「……」

 

「お(はん)らん街ん近くに、おい(オイ)らん新しか村を築く。こいで輸送ん問題は解決じゃ」

 

 そりゃあそうだけどさあ……ううううーん。この辺石油が湧いてるかもしれないんだよなあ……ラナ火山付近から"正統"が撤退したら、その油田も"新"が回収するわけだろ? ちょいとそれは避けたいな……。

 勢力としてデカいぶん、あっちのほうが数段厄介なんだよな。滅亡寸前で焦ってる"正統"と違って、"新"のほうは交渉でこちらから譲歩を引き出そうとする程度にはまだ余裕があるわけだしな。こっちが石油を求めていることがバレたら、どう考えても交渉の材料にされちゃう……。

 

「聞っところによれば、お(はん)らん国には臣下に土地を与えて軍役を求むっ制度があっそうじゃな? どうじゃ、エルフん古強者を臣下にすっ気はなかか」

 

「それは非常に魅力的な話だ。話なんだが……」

 

 確かに状況次第では、"正統"を移民としてリースベンで受け入れるのもアリかもしれない。もちろんどう考えても地元住民とトラブルを起こすだろうから、あまりとりたい選択肢ではないが……。しかし、彼女らが滅んでしまった場合、"新"の対抗組織が僕たちだけになってしまうからな。それは困る。

 

「ただ、君たちがこの場所から撤退すると、僕たちは少々困ったことになるかもしれない」

 

「ちゅうと?」

 

「一つは僭称軍に二正面作戦を強いることができなくなる点。戦力集中ができるようになれば、僭称軍の中の強硬派が勢いを増す可能性がある」

 

 そもそも、"新"の戦力を分断しておくメリットは、オルファン氏が主張してきたことだしな。僕がまっすぐに彼女のヒスイ色の瞳をを見ながらそう言うと、オルファン氏はコクリと頷いた。

 

「もう一つは……」

 

 そこまで言って、僕は少し躊躇した。石油について、オルファン氏に伝えても大丈夫か迷ったからだ。

 

「僕は、君たちの勢力圏内に極めて有用な資源が埋まっているのではないかと考えている。それが僭称軍の手に落ちる事態は避けたい」

 

 しかし、結局僕は正直に自分の考えを伝えることにした。彼女が極めて聡明かつ有能な指導者であることは、この短時間の会話でもよく理解することが出来たからな。ここは、腹を割って話すことで信頼関係を醸成するべき盤面だ。

 

「有用な資源? そげんもんがあっとか、(オイ)らん土地に」

 

「いや、まだわからんのだが……石油という資源だ。地面から湧いてくる、黒い油だよ。覚えはないかね?」

 

「ああ、燃油か!」

 

 オルファン氏はぽんと膝を打った。どうやら、覚えがある様子だ。

 

「あや臭うて火計にしか使えんような油ど。そげんもんが必要なんか、お(はん)らは」

 

「今の技術では、確かに使いづらい代物だ。しかし、将来的には金銀と同等かそれ以上に重要な存在になると僕は確信している」

 

 実際問題、石油を有効活用するにはかなり高度な技術が必要だ。今のところ、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンを実用化するめどもたっていないしな。しばらくの間は、石油から分離することが出来る化学成分を使っていくつかの薬品を作る程度がせいぜいだろう。

 ただ、いずれこの世界にも産業革命が発生するだろう。それは僕が死んだ後の話になるだろうが、将来のためにも油田は手に入れておきたい。

 

「そげん重要な物なら、結構。(オイ)らが知っ限りん燃油池ん位置は教ゆっで、煮っなり焼っなり好きにしてくれてかまわんど」

 

 油田焼いたら大惨事になるだろ! というか口ぶりからして複数湧いてるのかよ! どんな資源大国だよ! あちこちから石油が沸いているエルフの森、可燃性が高すぎて怖いよ。そのうち爆発炎上するんじゃねえのか? ……いや、火山のせいですでに爆発炎上した後か。これじゃ森の国どころか火の国だよ。

 

「いや、その、貰えるのは嬉しいが、現状の戦力では貰っても維持できないというか……それに、エルフも農業以外の産業を自前で起こせるようになっておいたほうが良いだろうし……」

 

 今は困窮してるから、「あんなもの渡して食料がもらえるならぜひ!」みたいな意見も多いだろうが、将来的には「食料不足に付け込んで油田を安く買い叩いた」なんて言われることは確実だしなあ。弱みに付け込んで、向こうから強引に資源を奪い取るような真似はしたくないぞ。こいつら長命種だから、その手の恨みは絶対に忘れないだろうし。

 

「食糧支援にしろ移住にしろ、今すぐには決められない。どっちも"新"の……僭称軍の領地を通行するわけだしな。できれば、あいつらの出方を確認してから方針は決めたい。翼竜(ワイバーン)による食糧支援は継続するから、少し我々に猶予をくれ」

 

 結局、僕は結論を先送りにした。まあ、"新"の連中も交渉次第ではまともな和睦が成立する可能性もあるしな。"正統"ばかり肩入れして、"新"の連中の態度が硬化する事態は避けたいだろ……。

 



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第223話 くっころ男騎士と別れ

 翌日、朝。僕は翼竜(ワイバーン)隊に、出立の準備をさせていた。滞在は今日までの予定だ。なにしろ、リースベンには僕のやるべき仕事が積みあがっている。あまり長く執務から離れていると、そいつらが大渋滞を起こして僕の睡眠時間が消し飛んでしまうからな。

 

「もう帰っとか、アルベールどん。あと一日くれはおりゃよかとに」

 

「次来っときは、あん剣技にちて教えてほしか。あや良かもんにごわす」

 

 帰り支度をしていると。"正統"のエルフたちが集まってきて口々にそんなことを言ってくる。思った以上の歓迎っぷりに、僕としても少々驚いていた。おそらく、防衛戦で積極的に戦っていたのが良かったのだろう。一度(くつわ)を並べて戦ったからには戦友である、という理屈らしい。

 こういう戦士らしい、竹を割ったような考え方は僕としても実に好ましい。敵としては厄介極まりないエルフどもだが、一たび懐に入ってしまえばそこまで悪い連中でもないようだ。

 まあ、必要に迫られれば彼女たちとも敵対しなければならないというのが、軍人の辛い所だがね。すでに心情としては"正統"に肩入れしたい気分にはなっているが、僕が最優先に考えるべきなのは己の部下と領民たちだ。そちらをないがしろにしてまで、"正統"に協力することはできない。

 

「次来るときは、酒もたっぷり持ってくるよ。その時は、ぜひ君たちの武勇伝を聞かせてくれ」

 

 僕は別れを惜しむエルフたち(時々カラスやスズメの鳥人も混ざっていた)一人一人に握手をし、別れを惜しむ。こういう細かい積み重ねが、あとあと役に立ってくるんだよ。彼女らには、出来るだけ我がリースベン領に対して好意的になってもらいたいからな。

 

「うへへへ」

 

 一人のエルフがハグを求めてきたので応じてやると、彼女はそんな奇妙な笑い声を漏らした。まあ、喜んでくれたようで何よりだが……抱き合ってみると、エルフの痩せっぷりがわかるな。本当に、骨と皮ばかりの身体だ。こんな状態で、よく戦えるもんだよ。

 

「ああ、ずり! (オイ)もやってくれ」

 

(オイ)も!」

 

 それを見ていたエルフたちが、ワラワラと集まってきた。ワオ、モテモテだぜ。もちろん、悪い気はしない。エルフってばみんなとんでもない美人だしな。この世界は全体的に顔面偏差値は高めだが、その中でもエルフたちは頭一つ以上抜けている。

 

「コラ、お(はん)ら。あまりアルベールどんを困らせっな。出発が遅うなったや、今日中に領に帰りつけんくなってしまうど」

 

 ところが、ボーナスタイムは長くは続かない。オルファン氏がやってきて、エルフどもを追い払ってしまう。非常に残念だ。もっともそれは他の連中も同じことのようで、一人のエルフ兵が言い返す。

 

「そいが狙いど、オルファン様。でくればもう一泊くれしていってもらおごたっじゃっでね」

 

 エルフたちが爆笑し、オルファン氏が肩をすくめる。僕とソニアは顔を見合わせ、苦笑しあった。敵対さえしなければ、エルフどもはなかなかに愉快な連中である。

 

「みんな、悪いが後は任せたぞ。苦労をかけるが、そのぶんは報酬で埋め合わせをするから頑張ってくれ」

 

 僕は、近くに居た護衛の騎士たちにそう声をかけた。翼竜(ワイバーン)は三騎しかおらず、しかもそのうちの一騎には航法担当の星導士様が搭乗する必要がある。一回の飛行で輸送可能な人間は、僅か二名のみということだ。

 そう言う訳で、最初にカルレラ市に帰るのは僕とソニアだけで、他の連中は次回以降の便ということになるし、さらに言えば一名は連絡員としてしばらく"正統"の連中に同行させることになっていた。少々申し訳ない気分にはなるが、こればっかりは仕方がない。

 

「ええ、大丈夫ですよ。この村は、結構居心地がいいですから」

 

 ニヤリと笑って、騎士の一人がそう答えた。まあ、確かに居心地は悪くない。粗末な竪穴式住居とはいっても、流石に露営よりは百倍マシだしな。ただ、メシがなあ……イモやムシはいいとして、雑草はなあ……流石にキツいよなあ。しかも、普段は一日一食しか出ないらしいし……。

 あと、地味にラナ火山が厄介だ。あの山、夜中でもお構いないなしに爆発を起こしまくるんだよ。せいぜい火山灰をまき散らす程度の小爆発だが、なにしろうるさいので睡眠妨害も甚だしい。桜島だってもうちょっと大人しいぞ。

 正直、こんな不安定な山の近くに集落を構えるなど、危険極まりない行為である。じゃあなぜ"正統"がこんなところに住居を構えているのかと言えば、"新"の連中が攻撃を仕掛けにくい場所を選んだ結果らしい。うーん、世知辛い。

 

「アルベールどん、こっちん連絡員ん準備もできたげな」

 

 そこへ、エルフ兵の一人がやってきてそう報告した。彼女の後ろには、旅装を整えたカラス鳥人とスズメ鳥人がそれぞれ一名ずついる。彼女らが、"正統"側の連絡員だ。ある程度の意思疎通のためにも、やはり連絡員の交換は必須である。

 連絡員が鳥人なのは、彼女らが自分の翼でリースベンまで飛んでいけるからだ。いちいち翼竜(ワイバーン)で運んでいたら、騎手も竜も疲れ果ててしまう。

 

「よろしゅうたのみあげもす、アルベール殿」

 

「よろしゅうー」

 

 カラス鳥人が一礼すると、スズメ鳥人もそれに続く。スズメ鳥人は子供のような見た目で非常に可愛らしいが、なんだか妙に緩い喋り方だった。……うーん、そんなところもキュートだ。小鳥のスズメを、そのまんま擬人化しましたといった様子である。カルレラ市に帰ったら、たっぷり飯を食わせてやろう。

 

「ああ、よろしく」

 

 とりあえず二人と握手を握手(もっとも、相手は鳥人なので握るのは足だが)を交わしてから、僕はオルファン氏に向き直る。

 

「それでは、そろそろ出立させてもらおう。オルファン殿、世話になったな。ありがとう」

 

「ああ、大したことじゃなか。……アルベールどん、例んこつは頼んだど」

 

 例のことというのは、"正統"の移住計画だ。オルファン氏としては、かなりこの計画を推している様子である。まあ、彼女はさっさと戦争を終わらせたいというのが本音だろうから、"新"からの攻撃を受けづらい場所を新天地に選びたいんだろうな。

 

「ああ、前向きに検討しよう。だが、すぐに結論を出すのは難しい。少しの間、待っていてくれ」

 

 とはいえ、こっちも"新"の連中はあまり刺激したくないしなあ。この計画をそのまま実行するのは、やや難しいかもしれない。それに、"新"の連中には昨日の襲撃事件についても責任を取らせにゃならんからな。あまり多くの要求を同時に投げつけると、相手方が暴発するリスクが高まる。難しい所だ。

 

「ああ、それから……例の捕虜についてだが。予定では次の翼竜(ワイバーン)便で回収していくから、申し訳ないがそれまではそちらで管理しておいてほしい」

 

「ウム、しっかりと見張っちょく」

 

 オルファン氏はコクリと頷いた。例の捕虜というのは、昨日の戦闘で僕が締め落としたエルフ兵だ。"正統"には捕虜にメシをやるほどの余裕がなく、このままでは処刑されてしまう。そこで、僕たちが代わりに面倒を見ることにしたのだ。

 これは別に、人道的な見地からの提案ではない。単純に、一般的なエルフ兵のサンプルが欲しかったからである。性格や文化、対応法など、エルフについて知りたいことはいくらでもある。せっかく捕虜を手に入れたのだから、その調査実験の検体になってもらおうということになったのだ。

 まあ、実験と言っても非道なものではない。僕が知りたいのは、エルフがどれだけガレア的な生活様式に適応できるかという部分だからな。可能な限り、彼女には健康で文化的な生活を送ってもらうつもりでいる。

 

「助かるよ」

 

 僕がそう言うと、オルファン氏はコクリと頷いてから腰のベルトに差した木剣を鞘ごと引っこ抜いた。そしてそれを、僕に手渡してくる。

 

「恵んでもろうてばっかいでは、気分が悪か。大したもんじゃなかが、持って行ってくれ」

 

 大したものじゃないといいつつ、その刀身の腹には木の葉をモチーフにした見事な装飾が彫り込まれ、鍔にはヒスイらしき宝玉まではめ込まれている。刃の部分に装着された黒曜石も、透明度の高い美しいものだ。決して実用一辺倒の代物ではない。たぶん、ラナ火山が噴火する前の、エルフ社会に余裕があったころに作られたものだろうな。

 

「……有難くいただこう。深い感謝を」

 

 あからさまに貴重な品物を渡され申し訳ない気分になったが、ここは受け取りを拒否する方が失礼だろう。せめて、この剣に恥じぬよう可能な限りの支援は続けるべきだな。

 最大限の敬意を示すために片膝をついてから木剣を受け取り、オルファン氏の手の甲に口づけした。これ、本来は男女逆でやるべき作法なんだけどな。まあ、いいだろ。僕だって正式な騎士なわけだし。

 

「……」

 

「それでは、また会おう!」

 

 無言で赤面するオルファン氏をしり目に、僕はエルフたちに手を振ってから竜騎兵たちの元へ向かった。さあて、帰還だ。カルレラ市じゃ、面倒ごとが列をなして待っているぞ……。ううーん、帰りたくねえ。



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第224話 ロリババアエルフと元老院の惨劇

 ワシ、リンド・ダライヤは絶望しておった。

 

「そ、それは本当なのか? "正統"の集落を襲撃したら、リースベン勢……それもブロンダン殿本人まで居て、しかも彼らにまで刃を向けてしまったというのは?」

 

「事実じゃ」

 

 頷くカラス伝令兵に、ワシは頭を抱えそうになった。せっかく掴みかけた命綱を、自分から切り落とそうとするとは何事か! 怒鳴りつけそうになる自分を何とか抑えるため、何度も深呼吸する。アツくなってはいかん。とにかく冷静に、冷静に……。

 とりあえず、他の連中の反応を確認すべくワシは周囲を見回した。ここは、ワシらの集落の集会所、名目の上では元老院と呼ばれている施設じゃ。まあ、見た目は他の民家と大差ないが。見栄の為だけに立派な建物を建てられるような余裕は、今のワシらにはないんじゃ……。

 しかし建物は粗末でも、そこに集まっている者たちは長老衆や氏族長といったエルフェニアの重鎮ばかりじゃ。我らエルフェニアは、実質的にはこの元老院による合議制で運営されておる。

 

「面倒なこつになりもしたな」

 

「エルフのぼっけもんが戦場で男と遭遇したや、まあ見境なっ襲い掛かっとが普通や。そげん場所におったブロンダンどんも悪か」

 

「じゃっどん、なんでそげんところにリースベン勢がおったんじゃ。まさか、あん叛徒どもを支援しようとしちょったんじゃなかろうな」

 

 長老や氏族長たちは、好き勝手に感想を述べておる。焦っている者もいれば、怒っている者もいた。そんな中で、落ち着き払った態度のエルフが一人。長老衆の一人、ヴァンカ・オリシスじゃ。

 

「で、ブロンダン殿は無事なのか。それが一番肝心だ」

 

 ヴァンカの言葉遣いは、エルフ訛りがまったくない。ワシのように、古臭くもない。あくまで現代的な、ガレア王国風の言葉じゃ。異色な点は、それだけではない。エルフは通常、いくら遅くとも二十歳の中頃になれば成長や老化が止まるのじゃが……ヤツの外見年齢は、只人(ヒューム)で言うところの三十歳くらいに見える。

 これは、この女が経産婦だからじゃ。ヴァンカはワシと同年代の、エルフェニアにおける最古老の一人だったのじゃが……十年ほど前、リースベン領から攫われてきた男を保護し、結婚した。二人の仲は睦まじく、いつの間にか言葉遣いまでガレア式に変えておったほどじゃった。

 

「怪我一つしちょらんそうじゃ。ブロンダンどんな鬼神んごつ戦いぶりで、我らン戦士を退けたとんこっじゃ」

 

「フン……」

 

 ヴァンカは腕を組み、不満げに息を吐いた。

 

「男に負けるとは、なんと情けない連中だ。……まあそんなことはどうでもいい、叛徒どもはどうなった? ちゃんと倒せたのか」

 

「いや……攻勢は失敗いたしもした。ブロンダンどんらリースベン勢ん助力もあり、損害多数。派遣した部隊ん大半が戦死し、僅か十名ほどが戻って来たにすぎもはん」

 

「なんたることだ! 戻ってきた連中は厳しく処罰せよ! 戦働きもできんごく(イモ)潰しどもが……!」

 

 忌々しげな様子で、ヴァンカは吐き捨てる。ワシは嫌悪感で吐きそうになった。昔は、こんなことを言うような女ではなかったのだ。しかし五年ほど前、"正統"の攻撃によって夫と娘を失ってしまってから、ヴァンカは変わってしもうた。

 そもそも、エルフの伝統では結婚した者はあらゆる公職から引退するのが通例じゃ。夫を失って復讐に狂ったヴァンカはその慣例を破って長老に復職し、過激な意見を振りかざすようになった。今では、危険な思想を持つ連中の指導者のような立場になってしまっておる。

 

「まてまてまて! そもそも、"正統"の集落に攻撃を仕掛けるなどワシは聞いておらんぞ! 誰が命令を出したのじゃ!」

 

(オイ)じゃ」

 

 氏族長の一人が手を上げた。氏族長といっても、ひどく若い(まあ、エルフなので外見上はわかりづらいのじゃが)。それもそのはず、こやつはラナ火山の噴火以降に生まれたエルフじゃった。一昔まえであれば、青二才(にせ)と呼ばれて半人前扱いされる程度の年齢じゃ。

 今のエルフェニアは、こやつのような若造と年寄りしかおらん。ちょうどよい年齢のものは、内戦と飢饉で死に絶えてしもうた。そりゃあ、亡国の危機に陥るというものじゃ……。

 ワシのような年寄りが大きな顔をするのもマズかろうが、若造どもも困った連中しかおらん。なにしろ、ヤツらはエルフェニアがバラバラになっていく姿を見ながら育ってきたわけじゃからな。エルフ道とは死ぬことと見つけたり、というような極めてアブない考え方がしみついておる……。

 

「リースベン勢と叛徒どもが同盟を組んだやマズか。話し合いがまとまっ前に、ブチ壊しちょこうち思うてな。雑草は芽のうちに摘んでおっこっが肝要じゃ」

 

「そんなことをしたら、却って逆効果じゃ! 敵の敵は味方ということで、むしろ叛徒どもと盟を結びかねんぞ!!」

 

 ワシは、腹を抑えながら叫んだ。胃の腑に穴の開きそうな心地じゃ。わが国にはアホしかおらんのか……!?

 

「それで、何人の戦士を送ったんじゃ」

 

「カラスどもをいれて、五十名ほどじゃ」

 

 ウワーッ!? 五十人も送って、十人しか帰ってこんかったのか!? こやつ、今のエルフェニアの人口を知っておるのか!? そんな消耗の多い戦をしていては、あっという間に我らは一人残らず絶滅するぞ!!

 

「叛徒どもを殲滅しようという、その意気や良し!」

 

 ヴァルカが落ち着いた声でそう言う。いや良くないわその意気は!! 確かに"正統"は迷惑な連中じゃが、向こうとて戦いたくて戦っておるわけではない。十分な食料さえ供給されれば、自然と交戦の頻度は減るはずじゃ。少なくとも、無理攻めをして強引に殲滅する必要はないと思うんじゃが。

 そもそも、このアホ若造(にせ)氏族長が、一応は皇帝たるこのワシに秘密で兵を動かせたというのが信じ難い。実のところ、攻撃を主導したのはヴァンカのヤツではないのか……? 今の新エルフェニアで、ワシの裏をかけそうな人間などヤツしかおらぬのじゃが……。

 

「だが作戦に失敗し、貴重な戦士を大勢失ったのは許しがたい。責任を取って腹を切れ」

 

「……」

 

 ヴァンカのその言葉に、若造氏族長は顔色を変えた。しかし奴が反論するより早く、別の氏族長が立ち上がって主張する。

 

「リースベン勢に対すっ言い訳も必要じゃ。交渉を打ち切られてしめば、困ったことになっど。責任者ん首を差し出せば、向こうも納得してくるっじゃろう。そいで手打ちちゅうこっにすりゃええんじゃなかか」

 

「おお、そん通りじゃ!」

 

「切腹せい!」

 

 他の者共も、口々に同調の言葉を上げる。ワシの胃も悲鳴を上げた。なんでこんなに殺したがり死にたがりなんじゃ。そんなんじゃから絶滅寸前まで追い込まれておるのじゃぞ! こやつら、わかっておるのか!?

 

「おお、やれちゅうならやってやっど!」

 

 若造氏族長は顔を真っ赤にして、腰から山刀を引っこ抜いた。そのまま胡坐を組み、山刀の切っ先を己の腹に突き刺す。真っ赤な血が傷口から吹き出し、議場の座卓や地面を汚した。

 

「介錯しもす!」

 

 別の若い氏族長が飛び出してきて、切腹した氏族長の首を木剣で叩き斬った。腐ってもエルフの戦士、一刀両断じゃ。若造氏族長の首が地面にゴロリと転がると、周囲から拍手が上がる。

 

「お見事な最期にごわす!」

 

「合掌ばい」

 

 もう嫌じゃこんな野蛮な連中……リースベンに亡命したい……。んおおお、じゃがそういうわけにもいかん……少なからぬ血を流してまで皇帝位を簒奪したんじゃ、最後までその責任を放棄するわけには……。貧乏くじと分かったうえで起こした謀反じゃが、やはり辛いものはツライ。ああ、胃の腑が溶けそうじゃ……。



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第225話 くっころ男騎士と捕虜尋問(1)

 こうして、波乱まみれた"正統"との交渉は終了した。気苦労の多い交渉であったが、得られたものも多い。リースベン半島全体の正確な地図やエルフェニアの人口・兵数などの軍事的に重要な情報。さらには、エルフ領に石油が埋蔵されているのではいかという疑問も解決した。

 エルフ領……少なくとも、"正統"の勢力圏内で石油が湧いているのはまず間違いない様子である。彼女らが火計の際の燃焼剤として使っている液体火薬を実際に見せてもらったのだが、確かに石油系揮発油の臭いがした。

 少量のサンプルをもらい受けたので、後ほど錬金術師に渡して分析する予定ではあるが……この液体火薬は、どうやらかつて東ローマ帝国などで使用されていた、いわゆるギリシア火薬と同じような代物のようである。

 

「さて……」

 

 カルレラ市に帰還し、急いで処理しなくてはならない仕事を可及的速やかに片づけた僕は、領主屋敷の地下へと向かった。そこにあるのは、牢屋である。この屋敷は一応軍事施設なので、捕虜などを収容するための施設も当然存在する。

 とはいえ、今は比較的平和な時期だからな。地下牢に収監されている人間は、僅か一名のみ。"正統"の集落での戦いで手に入れた、"新"側エルフ兵の捕虜だ。

 

「お気を付けください。相当狂暴な手合いですよ、あいつは」

 

 僕をここまで案内してくれた看守がそんなことを言う。エルフ捕虜はほんの一時間ほど前、翼竜(ワイバーン)によって"正統"の集落から移送されてきたばかりだが……どうやら、その作業はなかなか難儀したらしい。まるで猛獣を運んでいるようだったというのは、移送を担当した竜騎士の弁である。

 

「ウン、ありがとう。何かあったら声をかけるから」

 

 看守にそう答えてから、僕は視線をエルフ兵に向けた。鉄格子の向こう側にいる彼女は、ふてくされた様子で床に直接座り込んでいる。拘束の類は一切しないようにと事前に命令してあったため、今の彼女は手枷一つ付けていない身軽な格好である。

 

「やあ、二日ぶりだな」

 

 鉄格子の前に立った僕は、できるだけ友好的な笑みを心掛けつつそう話しかけた。彼女は、僕が戦場で締め落としたエルフ兵だ。一応、初対面ではない。

 

「……なんたっ恥や! 男に負けたあげく、虜囚ん辱めをうくっとは!」

 

 エルフ兵は憎悪の籠った声でそう叫び、鉄格子を叩いた。慌てて看守が剣を抜くが、手でそれを制止する。このエルフ兵には手枷や足枷はつけていないが、魔法の発動を妨害する特殊なブレスレットは装着してもらっている。少々暴れたところで、鉄格子の破壊などは不可能だ。

 

「こげん恥を受けては、生きてはおれん! (オイ)の剣を返せ、腹を切らせろ!」

 

 ……つまり、「くっ殺せ!」ということか。まるで敵の手に落ちてしまった美人エルフみたいなセリフだ…………いやまあ、敵の手に落ちてしまった美人エルフなんだけどな、コイツ。

 しかしエルフ、切腹とかするのね。武士かな? 苛烈な戦士の文化というのは、世界が変わってもあまり大差がないということだろうか。なかなか興味深い。

 

「……僕としても、君の名誉を汚す気はない。切腹したいというのなら、希望はかなえよう」

 

 なにはともあれ、尋問である。せっかく捕虜を手に入れたのだから、根掘り葉掘り情報を聞きださなきゃな。でも、今の状態では絶対にこっちのいう事なんか聞いてくれないだろう。中途半端な拷問など、間違いなく逆効果だ。なにしろエルフは飢餓状態で延々内戦を続けてきたような連中である。その忍耐力は尋常なものではあるまい。

 そこで僕は、北風と太陽作戦に出ることにした。力づくで情報を聞き出すのが難しいのなら、逆に好感度を稼ぐ方向でやってみようということだ。このやり方、案外効果的なんだよな。

 

「だがその前に、一杯飲まないか?」

 

 ニヤリと笑ってから、僕は鉄格子の前にワインボトルをデンと置く。この行動は流石に予想外だったのだろう。エルフ兵は目を丸くして「……は?」と妙な声を上げた。

 

「酒で(オイ)を釣ろうってんか? そげんこっで、(オイ)ん口が軽うなっとでも思うちょるんじゃなかろうな」

 

 思ってまーす。まあ、もちろん口には出さないけどな。僕はさも心外そうな顔をして、首を左右に振る。

 

「まさか! 優れた戦士に敬意を表す風習は、エルフにもあるだろう。先日の君たちの戦いぶりには、かなり驚かされたからな。勇猛にして果敢! まさに戦士の鑑だ」

 

「おっおう……」

 

 真正面から褒めてやると、エルフ兵は満更でもない様子で赤くなった頬を掻いた。褒められ慣れていない様子だな。ふむふむ、扱いやすそうだ。

 

「男とは言え、僕も一人の武芸者だ。かくありたいと願う理想像を目の前で見せつけられれば、関心もする。腹を切って死ぬというのなら、その前にぜひ一杯奢らせてくれ」

 

「そ、そこまで言われて断ったぁ、却って失礼じゃな。よかじゃろう、いただっとすっど」

 

 よーしよし、効いてる効いてる。まあ、エルフどもはみんな酒好きの様子だからな。目の前で酒瓶なんか見せつけられたら、そりゃあ獄中でだって飲みたくなるさ。僕も呑兵衛だからわかるよ。

 僕は持ってきていた酒杯にワインを注ぎ、料理受け渡し用の小窓から牢屋内へそれを差し出した。エルフ兵は乱暴な手つきでそれを受け取り、一気に飲み干す。流し込むような飲み方だ。コイツはそこそこお高い銘柄なので、そんな勿体ない飲み方はしないでいただきたい。

 

「ほら、お代わりをどうぞ」

 

 エルフ兵が無言でカラになった酒杯を返してきたので、再び満杯まで注いで渡してやる。そして自分の酒杯にも同じだけのワインを注いでから、僕は地下牢の床に腰を下ろした。

 

「せっかく一緒に呑むんだ。名前くらいは教えてくれないか、勇猛な戦士殿」

 

「……リケ・シュラント」

 

 エルフ兵はひどくぶっきらぼうな口調でそう答える。しかし、口元は若干緩んでいた。わあお、予想の三倍くらいチョロいぞ、このエルフ。褒め殺しはなかなかに有効なようだな。

 

「おお、リケ殿か。僕はアルベール・ブロンダンだ。短い間だが、どうかよろしく」

 

「ん」

 

 小さく頷いてから、リケ氏は酒杯に口を付ける。それを見て、僕は近くに居た従兵に声をかけた。

 

「すまないが、つまみを持ってきてくれ」

 

「はい、ただいま」

 

 従兵は小走りで地下牢の外へ出ていき、そしてすぐに湯気の上がる木椀が二つ乗ったお盆を手に戻ってくる。それを受け取った僕は、片方をリケ氏に押し付けた。

 

「……敵から施しを受くっほど、おいは落ちぶれてしまおらんぞ」

 

 が、リケ氏は不機嫌そうな様子で木椀を押し返してくる。こいつ、丸一日以上何も食ってないはずなんだけどな。こういう気位の高さと忍耐力があるから、エルフは強いんだ。皮肉ではなく本気で感心するよ、まったく。

 

「いいや、リケ殿。これは施しではない。ともに酒を飲む相手に(さかな)も出さないような真似をすれば、僕が不心得者だとそしられてしまう。僕の名誉のためにも、どうか受け取ってほしい」

 

「し、仕方がなか。特別だぞ」

 

 ムッスリとした顔で、リケ氏は木椀を受け取った。そしてその香りを嗅ぎ、腹を鳴らす。エルフ特有の白い頬が、一瞬で真っ赤に染まった。彼女は自棄を起こした様子で、木椀に盛られた軍隊シチューをガツガツと食べ始める。

 

「……」

 

 計画通り。僕は無言で満面の笑みを浮かべた。これは、一種の実験だった。具体的に言えば、食事の心配をしなくてよくなったエルフが、どれくらい大人しくなるのかを調べているのだ。

 エルフどもはやたらと野蛮だが、これには慢性的な食糧不足が原因なのではないかと僕は考えていた 。空腹が続けば精神が荒れるし、糖分が不足すれば思考力まで鈍ってくるからな。逆に言えば、十分に食料を提供してやればエルフの狂暴性を抑え込むことができるのではないだろうか。

 これはまだ僕の想像にすぎないが、この仮説が実証されればエルフたちとの共存に活路が見えてくる。試してみる価値はあるはずだ。リケ氏には、その実験のサンプルになってもらおう。

 

「お代わりはいくらでもあるぞ、さあどんどん食べてくれ」



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第226話 くっころ男騎士と捕虜尋問(2)

 すきっ腹に酒を流し込めばどうなるか? 答えは簡単、あっというまにべろべろのぐでぐでになる……だ。

 

「年寄り衆は(オイ)らんこっを若造(にせ)若造(にせ)ち呼んで馬鹿にすっどん、えーころ加減少しは認めてほしかど」

 

 結果、リケ氏は二十分もしないうちにすっかり泥酔状態になってしまっていた。エルフ族は一般的に酒に強いものが多いようだが(ただ、高アルコール飲料は口が慣れていないようだ)、こうなってしまえばもはやまな板の上のコイである。僕のように尋問官としての教育を受けていないズブの素人でも、容易に様々な情報を引き出すことができる。

 リケ氏本人の個人情報も、それなりに集まった。彼女は年齢七十歳で、ラナ火山噴火以後の生まれらしい。これは伝統的なエルフの価値観ではまだまだ若造の扱いをされるような年齢で、我々の感覚で言えば十代後半から二十代前半くらいの感覚のようだ。

 ところがここ百年ほどエルフは急激な人口減少の真っただ中にあり、百歳から二百歳くらいの現役世代の大半が戦死や餓死でいなくなってしまった。その結果、今のエルフェニアには年寄りと若者しかいないのだという。

 

「どうだろうねえ。僕にはエルフの年寄り衆の考え方は分からないが……君の戦いぶりは見事だったよ。年寄りたちが何と言おうと、君は胸を張っていいと思うよ」

 

 そういって、僕は鉄格子ごしにリケ氏の酒杯にワインを注いでやる。ワインボトルは、すでに二本目だ。僕も多少は飲んでいるが、大半はリケ氏の胃の中に消えてしまった。飢餓状態でいきなりこんな量のアルコールを摂取してもこの程度の乱れようですんでいるのだから、エルフの頑健性は尋常なものではない。只人(ヒューム)ならとっくに意識を失ってるんじゃないだろうか?

 

「そ、そうか?」

 

「ああ。特に、あの樹上からの奇襲は見事だった。運よく僕は生き残ったが、一歩間違えればやられていただろうな」

 

 実際、エルフの戦士がやたらと手強いのは確かだ。流石に竜人(ドラゴニュート)や大型獣人には及ばないものの身体スペックはかなり高いし、魔力にも秀でている。それに技術や発想力も伴っているのだから手が付けられない。真面目に戦いたくないよ、こんな連中とは。

 まあ、だからこそこうしてガッツリ味方に引き込もうとしてるわけだからな。たとえエルフどもと全面対決することになっても、一部のエルフや鳥人はこちらの陣営に引き込みたいところだ。そうしない限り、平坦な地形以外で戦えばこちらが一方的に負けることになる。

 

「……そげんこっをゆてくれたんな、お(はん)が初めてじゃ」

 

 やや湿った声でそう言って、リケ氏はワインをがぶがぶと飲んだ。別に、お世辞のつもりで言ったわけじゃないんだがな。確かに、リケ氏の戦闘技術は感嘆に値するレベルだ。エルフにはあまり『褒めて伸ばす』みたいな文化は無いのかもな。

 

「人間の能力なんてものは、味方より敵の方が正しく評価できるものさ」

 

「そんたそうかもしれん……」

 

 唸るリケ氏に、ツマミの炒り豆の入った布袋を手渡す。最初はこちらからモノを貰うことに抵抗感を示していた彼女だが、気付けばすっかり抵抗なく受け入れてくれるようになっていた。いやー、助かるね。ハンガーストライキとかされたら普通に困るし、今後もぜひキチンと食事の類は受け取ってもらいたいところだ。

 彼女は腹を切ると言っているが、無論僕としてはそんな真似を許す気はない。エルフ対策を考えるにあたって、手元に一般的なエルフのサンプルが居るといないのでは大違いだからな。情報を制する者は戦も制するのだ。

 

「しかし、残念だな」

 

 そういう訳で、僕は彼女の自決の意志を挫くことにした。

 

「ないがじゃ」

 

「君のような優れた戦士が、自ら命を絶つことがだ」

 

 僕はため息を吐いて、ワインを一口飲む。実際これは僕の本音でもあったから、意識して演技する必要もない。

 

「名誉と誇りを守るための自決に、ケチをつけるつもりはもちろんない。無様な生よりも美しい死を、という考えも理解できる。だが……」

 

「……」

 

「残念だ。ただただ残念だ。君と一緒に酒を飲むのは、なかなかに楽しい。友達になれるかもしれない相手が、明日には冷たくなっているというんだ。こんなに残念なことがあるか?」

 

「じゃ、じゃっどん、(オイ)は……」

 

「手を、出してくれないか」

 

 リケ氏の言葉を遮って、僕は彼女の目をまっすぐに見つめながらそう言った。彼女は少し躊躇してから、鉄格子の隙間から左手を突き出してくる。幻想的な容姿に似合わない、剣ダコまみれの手だった。

 僕はその手を、両手を使ってぎゅっと握る。リケ氏は肩を震わせたが、手を引っ込めるような真似はしない。その頬は、酒気のせいだけではない赤みがさしていた。

 

「この体温が、温かさが、世界から永遠に失われるんだ。それはとてもとても悲しい事だと、僕は思う」

 

「……」

 

「これまで、僕は何人もの戦友を見送ってきた。かつては暖かく、力強かった手が……だんだん、冷たく固くなっていくだ。こんなにひどい気分になることは、他にはない。きっと君が死んでも、僕は同じ心地を味わうことになるだろう」

 

「……そうじゃな」

 

 震える声で、リケ氏はそう答えた。気づけば、彼女のヒスイ色の瞳から涙がこぼれだしている。

 

(けし)んちゅうこっは、冷たっなっちゅうこっだ。オイん父親も、(けし)んだときはひどっ冷たかった」

 

「……」

 

(オイ)ん両親はな、餓死したんじゃ。身体が動かんくなって、(びんた)も回らんくなって、最後は寝ちょっどか起きちょっどかわからん状態になって、そんまま逝ってしもた」

 

 ぼろぼろと涙を流しながら、リケ氏は湿った声でそう語る。まったく、悲惨な話だ。聞いている僕の方まで、気付けば涙が滲んでいた。

 僕の前世のひい爺さんは、戦地で餓死したと聞いている。太平洋戦争の時分の話だ。僕は小さいころから、祖母にその話を何度も聞かされて育ってきた。だからこそ、飢えというものをひどく嫌悪している。腹ペコの人間を見ると、我慢ならなくなるんだ。

 

「あげんもんな、人の(けし)み方じゃなか。(オイ)は、あげん死に(けしみ)方をすっとが怖い(おじ)かど。じゃ、じゃっで、戦死や切腹に逃げようとしちょっど。オイは臆病者(やっせんぼ)じゃ、若造(にせ)嘲笑(わら)われても仕方なか……」

 

 僕の手を強く握りながら、リケ氏が慟哭(どうこく)する。……なるほどな、ある程度分かって来たぞ。エルフたち……特にその若者の心の根底にあるものは、飢えに対する恐怖だ。飢え死にするくらいなら他の死に方のほうがマシ。そういう意識が、彼女らに捨て鉢じみた行動を促している可能性が高い。

 やはり、エルフたちに対する食糧支援は必要だな。彼女らを腹ペコのまま放置していたら、まともに交渉すらできない。"新"も"正統"もだ。食料の調達や輸送法について、しっかりと計画を立ててみることにしよう。

 

「勇者とは、恐れを知らぬ者のことではない。恐怖を乗り越えるすべを知っている者のことだ」

 

 僕は、勤めて優しい声でリケ氏に話しかけた。

 

「恐怖を覚えることを恥じる必要はない。人生は長いんだ、生きていれば……きっとその恐れを乗りこなすことが出来るようになるはずだ」

 

「……」

 

「なあ、リケくん。死ぬのは少し待ってくれないか? 僕は君にひもじい思いをさせる気はさらさらない。腹を一杯にして、身体と頭を休ませて……それから、ゆっくりと考えてみてほしい。死というのは、人生の結論だからな。そして結論というものは、性急に出してよいものではない。そうだろ?」

 

「……わかった」

 

 リケ氏は微かに、だが確実に首を縦に振った。どうやら、説得は成功した様子だ。僕は思わず、ほっと安堵のため息を吐いた。



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第227話 くっころ男騎士と幹部会議(1)

 その日以降、リケ氏は自決をしようとはしなくなった。説得は成功したと判断していいだろう。だが、エルフがらみの問題は他にいくらでもあった。僕は自分の執務室で部下から上がってきた報告書を読みつつ、深いため息を吐く。

 

「案の定、だよなあ」

 

「ええ、案の定です」

 

 僕の言葉に、ソニアが同調する。報告書の内容は、"新"と"正統"の連絡員同士がトラブルを起こしたというものである。まあ、そりゃそうだよな。あいつら、犬猿の仲だし。しかも、他に適当な建物がないからって、双方領主屋敷に滞在してるし……。

 薩摩藩士と会津藩士が同じ屋敷に住んでいるようなものだから、トラブルを起こさない方がおかしい。流血沙汰にまで至っていないのがほとんど奇跡のようなものだから、こればっかりは僕が悪い。悪いのだが、なんともならない。民家を徴発して仮の大使館とする案もあったが、カルレラ市参事会の反対により廃案になってしまった。

 

「あんな野蛮人共を市内で受け入れるのすら、許しがたいのです。連中はどうか領主屋敷から出さないように」

 

 とのことである。まあ、言いたいことはわかるよ。あいつら、マジで野蛮だしなあ。街の実質的な運営者である参事会としては、当然拒否するだろうさ。

 僕は一応領主だが、こういう問題ではあまり強権は振るえない。参事会の連中がストライキを起こし始めたら、市の運営がおぼつかなくなるからな。貴族というと絶対的な権力者というイメージがあるが、市民の連中も案外したたかなものだ。

 

「とはいえ、片方に出て行ってもらうというのも難しい。片方の勢力だけに肩入れする事態は避けたいからな」

 

 とりあえず、僕は"新"と"正統"は平等に扱うべし、という方針を立てていた。まあ、ぶっちゃけると漁夫の利を狙いたいからなんだけどさ。でも、実際どっちの勢力とも喧嘩はしたくないからな。あんまり片方ばかり贔屓(ひいき)するのはマズイ。

 "新"は勢力が大きく、兵員の数でも質でもこちらに勝っている。ただし、大勢力であるがゆえに統制は取れていない様子だ。少なくとも、"新"内部の穏健派、親ガレア派閥とだけでもある程度は仲良くしておきたい。

 一方、"正統"はというとこちらも付き合い方が難しい。ほとんど一枚岩かつこちらに好意的なのはありがたいが、彼女らの要求はこちらの勢力圏内へ移民することだ。これはちょっと、飲みにくい。彼女らが占拠しているラナ火山の一帯には石油が大量に湧いているようなので、ここを"新"に奪われる事態は避けたい。

 

「市内に拠点を構えるのが難しいのなら、やはり郊外に移ってもらうほかありませんね。予備の兵舎を使えば、短期間で体裁は整えられるはずです」

 

「それはそうなんだが……エルフどもを兵隊たちの近くには置きたくないんだよな。こちらの手の内を晒したくないし……」

 

 なにしろ、リースベン軍は結構な割合で新兵が混ざっている。古強者揃いのエルフェニア軍と比べると、なんとも頼りない有様だ。そんなわが軍の実情がエルフたちにバレたら、どう考えても"新"内部の強硬派が不埒なことを考え始めるにちがいない……。

 

「確かに、それはそうですね」

 

 ため息を吐き、ソニアは香草茶に口を付けた。まったく頭の痛い問題だよな。あのエルフども、内情は滅茶苦茶なのに武力だけは高い水準を維持してるしさあ。防衛だけならリースベン軍でもギリギリなんとかなるが、殲滅を狙うならガレア王国軍の主力を持ってきてもキツそうな気がするぞ。

 

「とりあえず、もう一回参事会に要請を出してみよう。このままあの連中を同居させておくのはマズい」

 

「そうですね……取り返しのつかない事態が起きる前に、何とかすべきです」

 

 あいつら、血の気が多いからなあ。まったく何とかならんもんかね。僕は口をへの字にしながら、視線を窓の外に向けた。いつの間にか、空の色は秋めいた深い青に変わっている。まあ、気温も湿度も相変わらず高いんだが。

 香草茶を飲みつつ現実逃避していると、執務室のドアがノックされた。一瞬ドキリとするが、叩き方からして緊急性のある案件ではなさそうだ。僕は密かにため息を吐く。このところトラブル続きなせいで、若干ノイローゼ気味になってしまっているようだ。

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 入室してきたのは、蒼い士官用軍服姿のジルベルトだった。この軍装はリースベン軍向けに用意させた新式であり、そのあか抜けたデザインが凛々しいジルベルトには良く似合っている。甲冑美女もいいけど、軍服美女もいいよね。眼福眼福。

 

「定期報告です。現在、各村付近では敵対勢力の活動は確認されておりません。平穏そのものです」

 

 敬礼をしてから、ジルベルトはそう報告する。現在、彼女には古兵を中心に編成した部隊を任せ、国境警備に当たってもらっている。交渉中とはいえ、いつエルフどもが暴れだすのかわかったもんじゃないからな。警戒は怠れない。

 

「了解、ご苦労だった。……ちょうどいい所に来たな、ジルベルト。ちょっと相談に乗ってくれないか」

 

「……ええ、もちろんです! 我が主」

 

 一瞬ソニアのほうを見てから、ジルベルトはにっこりと笑って頷く。僕は彼女を椅子に座らせ、従兵を呼んで香草茶を注文した。

 

「相談というのは、他でもない。エルフたちの件なんだが」

 

 当然だが、ジルベルトにはこれまでに得られた情報はすべて共有している。彼女とソニアは、リースベンの両輪といっていい重要な幹部だからな。

 

「僕はとりあえず、両エルフェニアに停戦を要請してみようと思っている。食糧支援を対価にしてな」

 

「……なるほど」

 

 ジルベルトは軽く頷いて、ソニアのほうに目配せした。我が副官も頷き返し、少しだけ思案する。どうもこのところ、この二人は仲良さげな様子である。

 いやまあ、足の引っ張り合いなんかをされても困るから、協力し合っている分には別にいいんだが。しかし古参の副官と手勢を率いて参陣してきた新幹部なんて、反目しあわない方がおかしいんだよな、普通に考えて。いったいどういうやり方で仲良くなれたのか、詳しく知りたいところだ。

 

「両者が敵対している分には、別に構わない。むしろ、一枚岩になられる方が困る。しかしだ、全力で殴り合いをしているような状況は、それはそれで困る。お互いにヒートアップしていたら、交渉どころではなくなるからな」

 

 そもそも、全力で殴り合いなんかしてる状況では危なくて食糧支援なんかできたもんじゃないからな。向こうの要求を呑むためにも、停戦は必要だ。

 

「一理あると思います。ただ、実現できるかどうかは怪しいですね。話を聞く限り、トップはともかく配下はお互い恨み骨髄の様子ですし」

 

「それが問題だよなあ……」

 

 ジルベルトの主張に、僕は唸った。ダライヤ氏とオルファン氏は、必要に応じて停戦協定を飲む程度の柔軟性はあると思う。だが、末端や中級幹部はといえば、まあ納得せんだろうな。命令を無視して攻撃を続行するくらいの真似は平気でやりそうだ。先日の襲撃も、おそらくはそんな流れで実行されたのだろうし。

 ……襲撃、襲撃なあ。あの案件については、"新"に対してガッツリ追求しなきゃならない。厄介だなあ。あんまり詰めすぎると、交渉派エルフが"新"の内部で不利になるだけだし、さりとてこちらとしてもまったく追求しない訳にもいかない。僕たちにもメンツってもんがあるからな。

 次回の"新"との会合は、明後日に開かれることになっている。それまでに、こちらの方針を決めておく必要があるだろう。ああ、しんどい。いや、もしかしたらダライヤ氏のほうがしんどい思いをしているかもしれないがね。

 

「正直、僕としても妙案が思いつかないんだ。そこで、君たちの意見が聞きたい。なんとかして、エルフ内戦を止める方法はないだろうか?」



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第228話 くっころ男騎士と幹部会議(2)

 エルフの内戦を終わらせる。この難問を前に、僕は解決策を見いだせずにいた。なにしろ百年近く続いている戦いだ。そう簡単には終わらない。

 

「……やはり、物理的に引き離すしかないと思います」

 

 ジルベルトは従兵が持ってきた香草茶を受け取り、一口飲んでからそう言った。

 

「継戦を望んでいるのが上層部だけで、下々は戦いに飽いている……そういう状況なら、簡単ですが。しかし今回の場合はそうではないでしょう。お互いが隣人である限り、戦いを止めることはない気がします」

 

「それはそうだが……つまり、"正統"を我々の領地に受け入れるということか?」

 

 要するに、オルファン氏の提案をそのまま飲むという事である。確かに戦争を終わらせるにはもっとも手っ取り早い手段だが、問題点も多い。南北に分散していた"新"の戦力が、すべて僕たちの方へ向くというのもなんだか怖いし……。

 

「はい。幸いにも、リースベンは土地だけは余っていますから。しばらくは食料を融通してやりつつ、彼女ら自身の手で森を開墾(かいこん)してもらえば良いのではないかと」

 

「しかしその場合、我々は"新"の全軍と相対することになる。"正統"に肩入れしたことで"新"の態度が硬化し、前面衝突に至った場合……こちらが不利な立場に立たされるのでは?」

 

 僕が反論するよりも早く、ソニアがそう指摘した。むろん、ジルベルトとて優秀な軍人である。指摘されるまでもなく、その程度のことは理解しているだろう。彼女は香草茶を飲みつつ、少しの間思案する。

 

「……連中は、半士半農の集団です。内戦が終われば、開墾や農作業が忙しくなって戦うどころではなくなるのでは」

 

「それは、一理あるかもしれないな」

 

 エルフはその寿命の長さから農兵特有の練度が低いという問題を完全に解決しているが、身体が一つしかない以上は当然限界もある。差し迫った脅威がない限りは、戦いよりも農作業を優先せざるを得ないのだ。

 

「戦いが終わっても、彼女らの仕事は終わりません。むしろ、本業に専念できるようになるわけです。これほど絶望的な食糧難の状態にあるわけですから、戦う必要がなくなれば食料増産に全力を挙げるはずです」

 

 そこまで言ってから、ジルベルトは執務机に置かれたリースベン半島の地図に目をやった。オルファン氏の持っていた地図の模写だ。原住民が作ったものだけあって、僕たちが以前に使っていた地図よりもだいぶ正確かつ精密にできている。

 

「それに、敵に二正面作戦を強いることができなくなるというのも、考えようによっては利点になります。外敵の脅威度が低くなる分、エルフたちは少ない兵力で防衛を行えるようになります」

 

「ほう、それで?」

 

「そのぶん、農業に振り分けられる人間の数が増えるわけですから……しばらくすれば、食料事情は改善するでしょう。"正統"のみならず、"新"に対する食糧援助も、段階的に減らすことができるわけです」

 

 

 なるほどな。確かにそれはそうだ。みんなが戦士として戦っているせいで、農業をする余裕がない。これが、今のエルフ社会が抱える最大の問題だ。外圧が減れば、その問題は解決する。

 

「合理的に考えれば、当然そうなるだろうな。……合理的に考えれば、だが」

 

 その形の良い眉を跳ね上げてから、ソニアはため息交じりで言った。そして香草茶で口を湿らせ、続ける。

 

「連中は根っからの蛮人どもだ。合理的な判断をしてくれるだろうと期待するのは難しいかもしれない」

 

 うううーん、ソニアの言うことも一理あるなあ。先日の襲撃時の"新"側雑兵、だいぶヤバかったもんなあ。死に場所を求めてるとしか思えないような暴れっぷりだった。あんな連中が戦いを止められるのかと聞かれれば、僕だって首をかしげざるを得ない。

 だが、その辺りを検証するために捕虜のリケ氏で実験してるわけだからな。結論を出すのは、まだ早かろう。実際、満腹になった彼女は比較的おとなしくしているわけだし。

 

「とはいえ、エルフが理性もないただの暴れたがりの獣だと仮定してしまえば、もはや戦う以外の選択肢はなくなってしまうぞ。いっそ、一戦二戦くらいは覚悟したうえで、理性的なエルフやカラスたちがこちらにつくように動いたほうが良いかもしれない」

 

 "新"が強気に出られるのも、兵力が多いお陰だからな。内部で分断してやれば、対処のしようもあるかもしれない。それに、森林戦のノウハウは圧倒的にエルフのほうが多いわけだしな。エルフ勢力の一部をこちらで吸収するというのは、悪いアイデアではないだろう。

 むろん我がリースベン軍も森林での戦闘力を高めるべく、猟師などを教員にして特別訓練を行っているわけだが……正直、エルフに対抗できるレベルではないからなあ。いっそ、森林猟兵としてエルフを直接雇用するというのは悪くない。

 幸いにも、"正統"は比較的こちらに好意的だからな。土地を与える代わりに軍役を課すという契約には、簡単に応じてくれるだろう。そもそもリーダーであるオルファン氏自身が、そういう提案をしてきてるわけだし。

 

「とりあえず、いったん"正統"を取り込む方向で考えてみようか」

 

 正面からエルフと戦争をする事態を避けたい以上、僕たちが取れる方針は融和策だけだ。強硬論に舵を切るのは、話し合いで解決できない事態に陥ったときのみである。もちろん、それはそれとしていざという時のために戦争の準備はしておくがね。"汝平和を欲さば、戦への備えをせよ"というやつだ。

 

「しかしその場合、放棄されるであろうラナ火山付近の土地をどうするかという問題がある。あのあたりは、できればオルファン氏らが領有したままにしておきたいんだが」

 

 石油さえなければ、別に捨ててもらっても全然かまわないんだけどな。しかし、幸か不幸かあのあたりは石油の宝庫である。適当に捨て置くわけにはいかないし、エルフの窮地に付け込んで僕たちのほうで回収してしまえば、将来的な遺恨になりかねない。かなり扱いが難しい土地だ。

 

「……その、なんですか? せき、石油? とかいう油は、現状ではあまり役に立たないわけでしょう、アル様」

 

 少し考えこんでから、ソニアはそう聞いてきた。

 

「ああ、まったく無益という訳ではないがね。とはいえ、石油は加工に手間がかかる。まともに利用できるようになるまでには、年単位の時間が必要になってくるだろう」

 

 蒸気機関すら作れない現状の技術力では、ガソリンや軽油なんかあっても仕方ないしな。石油から作ることができる化学薬品類は役に立つだろうが、それだって別に今すぐ確保しなければならないほど重要なものではない。

 

「……では、こういうプランはどうでしょう。"正統"にはこちらの土地を与え、対価として軍役を提供してもらう。その上で、ラナ火山付近の土地は書類上彼女らのものとし、こちらに貸し出してもらう」

 

「ほう、租借ですか」

 

 ジルベルトが頷く。租借というのは、要するに国家間で行う土地の貸し借りだ。

 

「ええ、その通りです。一時的にでもラナ火山が我々のものになれば、"新"は手を出してこないでしょう。……彼女らが合理的に判断してくれさえすれば」

 

 チクリと刺してくるなあ。まあ、ソニアはエルフ連中をあまり信用していない様子だ。こればっかりは、仕方あるまい。気に入らない方針でもキチンと真面目に意見を出してくれる辺り、ソニアは本当によくできた副官だ。

 

「しかし、飛び地なんか借りてもな。とてもじゃないが、防衛なんかできないぞ」

 

 本領の防衛だけで精いっぱいなんだよなあ、リースベン軍じゃ。たとえ新兵の練兵が完了しても、飛び地を管理できるほどの余裕はないだろう。

 

「実際に防衛する必要はありません。名目だけあれば良いのです。降灰のせいであのあたりの土地は耕作にはまったく適していませんし、石油とやらもエルフにとってはただの油です。我々と事を構えてまで欲しいような土地ではないでしょう」

 

「なるほど……」

 

 さすがはソニアである。僕は思わず感心した。

 

「そして、"正統"がある程度安定してきたら、ラナ火山は彼女らに返却する。こうすれば、我々は収奪者というそしりを受けずに済みます」

 

「流石はソニアだな、良いアイデアだ」

 

 特に、租借というアイデアが良い。租借料として、食料を送ることができるからな。オルファン氏は一方的にモノを恵んでもらうだけの関係を嫌っている。しかし、正当かつ公平な取引であれば、喜んで応じてくれるだろう。

 それに、ラナ火山を一時的に領有できるとあれば、僕たちにもそれなりのメリットがある。石油は確かに短期的には役に立たないが、あそこには別の資源も眠っている。火山につきものの物質、硫黄だ。なにしろ僕らの主力兵器は銃や砲だからな。火薬の原料になる硫黄は、いくらあっても足りないくらいだ。

 

「そういう方向で、オルファン氏に一度打診してみよう」



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第229話 カタブツ子爵と真面目な話

「少しいいか、ジルベルト」

 

 わたし、ジルベルト・プレヴォが主様の執務室から退室すると、追いかけてきたソニア様が突然話しかけてきた。このところ、ソニア様はわたしを呼び捨てにするようになっていた。粗略に扱われているわけではなく、むしろ友人のような気安さを感じる態度なので、別にいいと言えばいいのだが……。

 

「どうかされましたか、ソニア様」

 

「いや、大したことではないが……一緒に昼食でもどうかと思ってな。二人っきりで」

 

「……」

 

 わたしは思わず渋い表情を浮かべた。昼食を共にするのは別に構わないが、二人っきりというのがいただけない。つまり、他人の耳のある場所ではできない話がしたいということだからだ。これが軍機に関わるような話題であれば格好もつくのだが、実際のところはただの猥談である。

 例の写真で……その、致してしまって以降、わたしはすっかりソニア様に弱みを握られていた。いや、別に脅迫をされているわけではないのだが……卑猥な話題を出されても、断りづらいというか。

 

「……仕方ありませんね。承知いたしました」

 

「まったく、そろそろ素直になってしまえば良いものを」

 

「……」

 

 ニヤリと笑うソニア様に、わたしは深々とため息を吐いた。

 

「……さて、不真面目な話をする前に、真面目な話をしようか」

 

 それから、十分後。わたしたち二人は、領主屋敷内の小さな応接室にいた。食事をとるのなら食堂に行った方が良いのだろうが、あそこはとにかく人が多い。この頃は、エルフェニアの連中までウロチョロしている始末だ。密談に使えるような場所ではない。

 

「真面目な話と言いますと、エルフたちの件ですか」

 

 現状、我々リースベン幹部陣の中での最大の懸案事項がそれだ。わたしはすぐに察しがついた。

 

「ああ、そうだ。エルフどもは、もはや自力で態勢を立て直せる状況ではない。結局、放置ができない以上はある程度こちらから関わっていかねばならないのだろうが……」

 

 ソニア様は難しい表情でそう言ってから、テーブルに乗せられた料理をフォークでつつく。今日の昼食はローストチキンだ。普段よりも随分と豪勢なメニューである。アル様のリクエストらしいが、理由はよくわからない。何かの記念日だろうか……?

 

「関わるにしても、その塩梅が難しい。今は"正統"を吸収する方向で動いているが……本当にあの連中が信用できるのかも、まだ判然としないわけだしな」

 

「我々にとって、エルフたちはほとんど未知と言っていい存在ですからね。油断ならぬ相手とはいえ、手の内をある程度知っている神聖帝国の連中の方がよほどやりやすい手合いです」

 

 実際のところ、わたし自身エルフと直接対面したのは新エルフェニア帝国とやらの連絡員が初めてだった。その敵対勢力である正統エルフェニア帝国に至っては、まだカラスやスズメの鳥人にしか会っていない。この状況でエルフどもを心から信頼するなど、流石に不可能である。

 もっとも、エルフや鳥人どもが極めて優秀な戦士というのは事実のようだからな。出来るだけ戦いは避けるべし、というアル様の方針は理解できる。そもそも、いざ戦いとなれば矢面に立たされるのはわたしの元部下たちだ。とてもじゃないが、積極的に戦おうという気にはならない。

 

「そうだな。一時期よりはずいぶんとマシだが、それでも情報不足は否めない。とにかく、仲良くするにしろ敵対するにしろ、我々はエルフや鳥人どもについてもっと詳しく知らねばならんのだ」

 

 そこまで言って、ソニア様はローストチキンを口に運んだ。さすが高位貴族の直子だけあって、その仕草はひどく典雅だ。公爵家の分家筋とはいえ、所詮は子爵でしかないわたしとは訳が違う。

 

「次回の"新"との交渉次第だが……もう少ししたら、"正統"のオルファン氏との二度目の会談が行われるだろう。その時は、わたしの代わりにジルベルトがアル様の傍仕えをしてくれ。貴殿も、一度くらいはエルフの村を自分の目でみておいたほうがいい。『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』というヤツだ」

 

 百戦うんぬんの言葉は、わたしにも聞き覚えがあった。主様が定期的に開いている、軍学の講座でおっしゃられていたフレーズだ。

 

「それはありがたいことですが……よろしいのですか? そのような重大事をわたしなどに任せてしまって」

 

「貴殿だからこそ任せたいのだ。わたしに何かがあった時に、代わりを務められるのは貴殿だけだからな。信頼しているぞ、わが友よ」

 

「……承知いたしました」

 

 こういうところは、すごく卑怯だと思う。主様といいソニア様といい、まったく人心掌握に優れた主従である。

 

「とにかく、我々二人で協力してこのエルフ案件はさっさと終わらせてしまおう。これ以上、アル様にご苦労をおかけするのは心苦しい」

 

「ええ、同感ですね」

 

 この頃の主様は、ひどく忙しそうなご様子だ。あちこちに手紙を出したり、リースベン内外の有力者と会談したり、捕虜を尋問したり……。主様は確かに優れた騎士ではあるが、それでも男性であることには変わりないのだ。過労でお体を壊してしまわないかと、ひどく心配になってしまう。

 

「この頃のアル様は、兵どもの訓練どころではなくなっているからな」

 

「……よくわからないのですが、それに何の問題が? いや、確かに主様直々の訓練は、兵たちにとっても得難い経験になるでしょうが」

 

「汗まみれになりながら兵たちを指導しているアル様ほどソソる被写体はないからな。シャッターチャンスが……」

 

 物憂げな様子でため息を吐くソニア様だが、わたしは呆れずにはいられなかった。この期に及んで、シャッターチャンスとは。彼女には盗撮はやめろとたびたび言っているのだが、一向に改善する様子がない。

 

「ソニア様、何度も何度も申し上げておりますが……」

 

「別にいいじゃないか。日常のワンショットだぞ!」

 

 ソニア様は憤慨した様子でそう抗弁した。

 

「日常だろうがなんだろうが、すべての写真がなんだか卑猥じゃないですか! あなたが撮ると!」

 

「違う、わたしの写真が卑猥なのではない! アル様そのものが卑猥なのだ!」

 

「卑猥なのは主様ではなく、貴方の目と頭ですよ」

 

「頭が卑猥なのは貴殿も同じだろうがこのムッツリスケベ!」

 

「主様の前以外ではフルオープンでスケベな貴方にだけは言われたくありませんね!」

 

 ……真面目な話をしていたハズなのに、すぐこれだ。だから、この方と二人っきりになるのは嫌なんだ……。

 

「だいたい、アル様が卑猥ではないはずがないだろうが! この間など、風呂上りに肌着姿で屋敷内をうろうろしていたぞ! あれを卑猥と言わずに何を言うんだ!?」

 

「あ、あ、あれは確かに卑猥でしたが……」

 

「ところで、あの時に撮った写真が手元にあるのだが……いるか?」

 

「………………ほ、欲しいです」

 

 まあ、喧嘩をしてもすぐに仲直りしてしまうのだが。このところ、わたしにもソニア様のスケベが伝染している気がする。朱に交われば赤くなるというが、助平根性も同じなのだろうか……。



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第230話 くっころ男騎士と捕虜拷問

 幹部会議を終えた僕は、捕虜のリケ氏と昼食をとった。場所は、先日の地下牢ではなく客室だ。まあ当たり前の話だが、牢屋は居心地が悪いからな。態度の軟化を狙っている以上、長期間収監しておくのはマズイ。そういうわけで、今朝からきちんとした部屋に移ってもらったのだ。

 まあ、流石に監視はしているがね。当然部屋の前には歩哨を立てているし、窓などから逃げ出したりしないよう改造も施した。いろいろと手間はかかるが、こればっかりは仕方ない。彼女は貴重なサンプルだし、我々の元で過ごす以上はある程度我々リースベンに好意的になってもらいたいという打算もあった。

 

「あ、あっ……い、いまんエルフェニアは元老院によっ合議制で、一応皇帝はおっもんの実際ん権限は……あっ、あっ、そげん浅か所ばっかりっ……!」

 

 食後。僕はリケ氏を尋問していた。彼女はベッドに横になった状態で僕の膝の上に頭を乗せ、その笹穂状にとがった耳を僕によって好き勝手いじられている。僕が握った耳かき棒が動くたび、リケ氏は嬌声じみた声をあげていた。

 

「だめだめ、あんまり深い所に突っ込んだら、鼓膜が傷ついちゃうでしょ。……しかし、合議制ね。じゃあ、きみたちに攻撃命令を出したのは、皇帝じゃないのか」

 

「そ、そうじゃ。あっあっ、(オイ)は氏族長んベリンどんに命令されて……たっ、頼ん! あっ、そこっ、もっと強う……っ!」

 

 リケ氏はここ数日で、すっかり素直になっていた。もう一歩踏み込んでも大丈夫そうだと判断した僕は、彼女に耳かきを提案したのである。最初は恥ずかしがって拒否していたリケ氏だったが、ローストチキンと高級ワインをたらふく飲み食いさせたらあっという間に陥落した。まあ、最初からまんざらでも無さげな様子だったからな。酒が入って自制心が緩めば一発よ。

 自慢ではないが、僕の耳かきの腕前はなかなかのものである。なにしろ、僕には幼年騎士団の同期全員の耳をほじり倒した経験がある。精強なエルフ戦士も、こうなってしまえばまな板の上のコイも同じだ。すっかり快楽堕ちして、情報をぺらぺら喋るようになってしまった。

 

「だーめ」

 

 耳元で囁くようにそういってから、彼女の耳穴に息を吹きかける。リケ氏は情けない声を上げ、顔も耳も真っ赤にしてしまった。いやー、楽しいね。僕は情報が得られ、リケ氏は快楽を得られる。まったくwin-winの関係だ。

 やはり、北風と太陽作戦は間違っていなかったようだな。エルフは今までずっと苦しい生活を続けてきたから、苦痛に対する耐性はかなり高いように見える。反面、快楽耐性は濡れた障子紙以下だ。

 おそらくこれはリケ氏個人だけの傾向ではあるまい。こういう手は、他のエルフにも有効そうだな。エルフたちとの交渉には、男娼を連れていくことにしよう。……相手が蛮族だからなあ、割増賃金は必要だろうな。まったく、このところカネがいくらあっても足りないよ。困ったもんだ。

 

「元老院とやらは、あんまり意思統一はできていないのかな?」

 

「元老院は朝出た命令が夕方には撤回さるっような場所や……あっ、そこ、よか……し、従おうちゅう気にはならんで、結局自分の所ん氏族長んゆ通りに動っほかなか……あっ、う、も、もっと……」

 

「朝令暮改だねえ。上がそんなんじゃ、部下は大変だ。そんな環境で、君はよく頑張っていたね。すごいよ、本当に」

 

 恋人に対する睦言のような口調で、彼女にそう囁いてやる。まあ、前世でも現世でも僕には恋人が居たためしがないから、あくまでイメージだけどな! ……なんで恋人が居た経験はないのに、ダース単位の数の女性に耳かきをした経験はあるんだろうね、僕。

 いや、これに関しては僕は悪くないぞ。幼年騎士団の同期、あの幼馴染どもが十割悪い。訓練が厳しいぶん休憩中くらいは優しくしてやろうと甘やかしていたら、つけあがりやがって。人を何だと思ってるんだ、まったく。

 

「す、すごくなんかなか! (オイ)なんぞ……」

 

「いいや、凄いよ。胸を張っていい。だから、今はゆっくり休め。これだけ頑張ったんだから、その権利はある」

 

 そう囁きかけながら、僕はリケ氏の頭を撫でてやる。毎日しっかり三食をとり、風呂にも入るようになったおかげか、彼女の髪は輝くような美しさを取り戻しつつあった。

 いや、髪だけではない。肌ツヤが良くなり、血色も良好である。わずか数日で、リケ氏はとてつもなく美しくなり始めていた。よくよく考えれば、慢性的な栄養失調状態にありながら、エルフ族はあれほど美しかったのだ。それが健康な状態を取り戻したのだから、もう無敵である。ほとんど容姿チート状態だ。エルフやばい。

 

「お、(オイ)は、(オイ)はあ……ッ!」

 

 リケ氏は感極まった様子だったが、僕は容赦なくその耳孔に再び耳かき棒を突っ込んだ。

 

「アッ!」

 

「ところで、君たちの皇帝について聞きたいんだけど……皇帝は、リンド・ダライヤ氏で間違いないんだね? あの、童女のような姿の老エルフ」

 

「そ、そうじゃ。あっあっ、あん年寄りど!」

 

「ふうん」

 

 オルファン氏の発言の裏が取れたな。やはり、ダライヤ氏は"新"の元首か。とはいえ、国内の統制は取れていない状況というわけだ。ううーん、難しいところだな。こちらと友好関係を築きたいという彼女の主張は本当かもしれないが、その方針に部下が従っているかというと怪しいようだ。

 まあ、新エルフェニア自体、すでに機能不全を起こしているように見えるからな。ほとんどゾンビみたいな国だ。場合によっては、いっそ介錯してしまう必要もでてくるかもしれない。とはいえ僕たちとしては見えている地雷を踏みに行くわけにもいかないから、介錯はエルフたち自身の手でやってもらいたいところだ。

 まあ、いわば明治維新だな。……でも、明治維新はほとんど奇跡みたいな出来事だからなあ。正直、そう上手くはいかないだろ。やっぱり、こっちからもある程度干渉しなきゃダメかねえ。あー、嫌だなあ。手とか出したくないんだけど。

 

「じゃあ、今度は元老院だ。元老院を構成してるのは、長老衆と氏族長だね? 彼女らの名前と性格が知りたいんだけど」

 

「さ、流石にそんた……(オイ)もエルフん兵子《へご》じゃ。敵にそげん大切な情報を漏らすわけには……」

 

「そっかあ」

 

 僕はリケ氏の耳から耳かき棒を引っこ抜いた。そして、少し強めに息を吹きかける。

 

「ああっ!」

 

「耳垢を払うね」

 

 そして枕元に置いた小さな羽箒を手に取り、その特徴的な長耳の溝を羽根の先端でなぞるように優しくくすぐった。ただでさえ赤かった彼女の顔が、更に真っ赤になる。どうやらエルフは耳が敏感なようで、こうして優しく弄ってやるとリケ氏は大変に乱れるのである。

 

「あっ、や、や、やめて! そんたやめてっ! お、おかしゅうなっ! うっ! アアッ!? お、教ゆっ! 教ゆっで!」

 

「いい子だ」

 

 にやりと笑い、僕は羽箒を手放した。代わりに、もう一度彼女の耳に息を吹きかけてやる。

 

「アッ!!」



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第231話 くっころ男騎士と捕虜返還

「お、お(はん)はダレヤ婆様ん近侍ん……」

 

「へい。大婆様ん傍仕えを務めさせていたでちょりもす、ウル・フォリアンにごわす。貴殿がリケ・シュラントどんじゃな? お話は伺うちょります」

 

 翌日の朝。領主屋敷の中庭では、捕虜のエルフと連絡員のカラスが向かい合って頭を下げてあっていた。僕は昨日の耳かきにより、リケ氏に対する懐柔工作はおおむね完了したと判断した。そこで、計画を次の段階に勧めようと考えたのである。

 具体的に言うと、キャッチ&リリースだ。いったん彼女を解放し、自分の意志でこちら側へ寝返ってもらおうというのだ。敵を味方にするときは、自分の手で退路を断ってもらうのが一番確実で安心できるからな。

 まあ、そのまま戻ってこない可能性もあるが……あそこまでやったんだ、たぶん大丈夫だろう。それに、彼女からは既に必要な情報はすべて聞き出してある。万が一逃げ出したとしても、こちらは損をしない。

 

「そ、そん、なんちゅうか……」

 

 リケ氏はひどくしどろもどろになっていた。今すぐ逃げたそうな様子だ。……まあ、機能あんなことになったばかりだからな! さぞ気まずかろうよ。

 ちなみに、気まずそうなのはウル氏も同じだ。なにしろ彼女ら"新"は先日の襲撃事件で失態を演じたばかりだ。その件に関しては一応謝罪は受けているのだが、この件に加えさらに昨日"新"の連絡員エルフが"正統"の連絡員とトラブルを起こしている。そりゃあ、居心地が悪いだろうさ。

 

「あてはカラスじゃっで、エルフん方々ん考え方はいめちようわかりもはん。とにかっ、無事でないよりじゃ」

 

 にっこりと笑って、ウル氏は折りたたみ椅子にリケ氏を座らせた。この辺りの柔軟性は、カラス鳥人ならではだ。現在我々はエルフの"新"側連絡員も受けて入れているが、今回はそういう連中は呼んでいない。あの連中は、正直言ってだいぶ頭が固いからな。リケ氏に心無い言葉をぶつけてきそうな気がする。

 

「せっかっんご馳走じゃ。冷むっ前に頂いてしめもんそ」

 

 椅子の前には、たくさんの料理が乗ったテーブルがあった。今日の朝飯である。エルフェニアの連中の態度を柔らかくするには、ウマイ飯を食わせるのが一番だ。そういう訳で、昨日に続き今日もご馳走である。まあ、ド田舎のリースベンなりのご馳走なので、メインディッシュは豚の生姜焼きだが……。

 

「お、おお! そん通りでごわす。はよ食べよう」

 

 リケ氏は首をぶんぶんと振ってから、気を取り直したように笑った。僕は彼女に笑い返し、自分も席に着く。食前のお祈りをしてから、食事開始である。ちなみにエルフやカラスは、当然ながら星導教式のお祈りはしない。手を合わせて一礼するだけだ。日本人のやる「いただきます」に近いかもしれない。

 

「リースベンでは良う肉が出てくっね。故郷(さと)じゃあまり食べられんで嬉しか」

 

 それからしばらく後。油の乗った豚バラを頬張りつつ、ウルがそんなことを言い出した。この頃彼女はよく『あーん』を求めてくるのだが、流石に今日は控えている様子だ。いつものように、足の指で器用にフォークを握っている。

 

「エルフは弓の名手ばかりだろう? 君たちの村は森の中にあると聞いている。獲物はそこかしこに居るのでは?」

 

「まだエルフが沢山残っちょった時分に、食い物になりそうな動物はほとんど狩り尽くしてしもたんじゃ。今じゃ、獲物はほとんど残っちょらん」

 

 大量の豚肉を白ワインと共に喉奥へ流し込んでから、リケ氏がそう説明した。豪快な食べ方だが、容姿がとんでもなく美しいので不思議と絵になってしまう。ズルいよなあ、美人ってさ。

 

「陸ん幸だけじゃなか。川ん幸もじゃ。あれだけ大きかエルフェン河も、今じゃ小魚ばっかいか」

 

 エルフェン河というのは、このリースベン半島を縦断するように流れている大河だ。僕らの住むカルレラ市も、この川のほとりにある。

 

「リースベンに大型の動物や魚がいないのは、そういう理由だったのか……」

 

 フォークで豚肉をいじりつつ、僕は唸る。猟師(あの狐っ子のレナエルだ)から聞いた話だが、リースベンは獲物になるような動物があまりいないのだという。彼女自身、普段狙っているのは小鳥類だと言っていた。これだけ森の深い土地だというのに、なぜこんなに動物相が貧弱なのかと首をかしげていたのだが……なるほど、その原因はエルフたちだったのか。

 

(オイ)が生まるっ前は、エルフだけで何万人もおったちゅう話なんじゃが。そりゃあ、どしこ森が広うとも、狩猟と採集だけで全員食べさせていっなんて無理な話やったんじゃ……」

 

「大昔ん話じゃなあ。カラスんあてからすりゃ、もうほとんどおとぎ話くれん感覚ど」

 

(オイ)もそうじゃ。エルフちゆてん、ラナ火山噴火以降ん生まれなんじゃっで……」

 

 二人はしみじみと語り合いながら、ワインを飲んでいる。酒が入ったせいかウル氏の対応が良かったのか、リケ氏からは先ほどまでのぎこちない雰囲気が消えていた。

 

「……はあ、じゃっどん良かねぇ、こん国は。食べ物も酒もたくさんあっ。いっそ、こっちに住み着こごたっような心地になっちょっじゃ」

 

 空になった酒杯をひらひらと振りながら、ウル氏が突然そんなことを言い始めた。いきなりなんてことを言うんだこのカラス娘は。あんた一応一国の代表者一行だろうが。亡命をほのめかすような発言はちょっと不味いんじゃないのか?

 少々面食らってしまったが、どうもウル氏は何かしらの意図があってこんな発言をしたようだ。彼女は薄く笑いながら、リケ氏の方を見ている。……なるほど、暗に新エルフェニアには帰ってこないほうがいいと言っているわけか。

 

「……」

 

「本国に帰ってん、出てくったぁ芋がちょっぴり入った雑草ん煮物ばっかいど。貴殿も、こちらで新しか生業を見つけた方が良かかもしれもはん」

 

「わ、分かっちょっさ。(オイ)がもう、故郷(くに)に戻れんていうたぁ。こげん恥を晒してしもた以上は……」

 

 リケ氏はフォークをぐっと握り締め、深く息を吐いた。この様子だと、"新"は捕虜返還要求をしてこないようだな。単純に捕虜を容認しない文化なのか、それとも兵力が一人分回復するよりも食料消費が一人分減るほうが大切なのか……両方あり得そうで嫌だなあ。

 

「なあに、我らとリースベンが盟を結べ(きびれ)ば、こん街にも大勢んエルフがやってくっごつなっやろう。そうすりゃ、貴殿はいっばんの先輩になっわけじゃ。こんた、そう悪か事じゃなかやろう?」

 

「まったく、カラスは現実的にごわすなあ……」

 

 少し呆れた様子で、リケ氏は肩をすくめた。しかし、その顔には晴れやかな笑みが浮かんでいる。どうも、故郷に対する未練を吹っ切ったようだ。ウル氏がにやりと笑って酒杯を突き出してきたので、僕はそれにワインを注いでやる。

 ……ううーん、これは……ウル氏はこちらの思惑を読んでいたのかな? だとしたら、うまく躱された形になるが……とはいえ、積極的に妨害してこようという様子もない。彼女はどういう目的で動いているのだろうか……?



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第232話 くっころ男騎士と鳥人たち

 どうも、ウル氏は新エルフェニア帝国の国益以外の、独自の思惑を持っているようなフシがある。フォークに刺した豚生姜焼きを口に運びつつ、僕は考え込んだ。

 正直、彼女がどういう動機で動いているのか僕にはわからないが……明らかにウル氏はそこらの雑兵エルフよりも頭が回る様子だからな。油断できんぞ。

 ……そもそも、僕自身今のような外交戦には向いてないと思うんだよなあ。今は何とか立ち回っているが、ダライヤ氏の手の上で踊っているんじゃないかという不安もある。そろそろ、アドバイザー的な人を読んだ方が良いかもしれない。幸い、僕の周りにはこの手のハードな交渉を得意としている人は何人か居るわけだし……。

 

「おお! アルベールどんにウルどん! うぇーい!」

 

 などと考えていると、突然そんな言葉を投げかけられた。何も考えていないような、とんでもなく能天気な声音である。

 

「おや、シャナイくんか」

 

 声の出所に目をやれば、そこに居たのはなんだかアホっぽい表情をしたスズメ鳥人である。スズメ鳥人らしく、茶色と白の混ざった面白い色合いのふわふわした短髪と小柄な体つきが特徴的な娘だった。"正統"から送られてきた連絡員の一人、シャナイくんだ。

 

「旨そうなもん食べちょっね! あてもまぜて!」

 

 テーブルの上に乗った山盛りの生姜焼きを見ながら、シャナイくんはヨダレをたらしそうな表情でそんなことを言ってくる。思わずホンワカした心地になってしまった。実際の年齢は知らないが、スズメ鳥人はみんな童女のような外見だからな。正直、めっちゃカワイイ。

 

「僕としては構わないが……」

 

 ちらりと、ウル氏やリケ氏のほうを見てみる。彼女らは"新"陣営の人間だ(まあリケ氏はその"新"から「帰ってこなくていいよ」と言われてしまったわけだが)。"正統"側であるシャナイくんと同じ食卓を囲むのは、抵抗があるかもしれない。

 

「あては結構ど。そもそも、シャナイどんとはよう一緒に食事をとっちょっし」

 

 ウル氏はそう言って頷き返してきた。……一緒にメシ食ってるの? エルフのほうは、喧嘩をしでかしたばっかりなのにねえ……鳥人は柔軟だな。

 一方、リケ氏のほうは僕の耳元に口を寄せ、「こんわろ、叛徒どもんスズメか?」と聞いてきた。叛徒というのは、"正統"に対する"新"側の蔑称のようだ。まあ、"正統"側も"新"を僭称軍などと呼んでいるので、まあどっちもどっちだ。

 

「うん、"正統"の連絡員のシャナイくんだ」

 

「叛徒どもんスズメと、うちん皇帝ん腰ぎんちゃくがよろしゅうやっちょっとか。まったく、これじゃっで鳥人共は」

 

 ため息を吐いてから、リケ氏はワインを一気飲みした。だから高いワインをそんな風に呑むなっての! ああ、勿体ない。

 

「まあよか。どうせ(オイ)はエルフェニアから捨てられたんじゃ。なんやかや文句をゆ義理も権利もなか」

 

「その代わりうちの子になったんだからいいでしょうが」

 

 ちょっぴり拗ねている様子のリケ氏の肩を軽く叩いてから、僕は従兵を呼んで椅子と水の入った壺を持ってこさせた。まあ、何にせよ二人とも異論はないようだ。シャナイくんを迎えても構わないだろう。

 

「あいがともす!」

 

 元気いっぱいに僕と従兵にそう言ってから、シャナイくんは椅子に腰を下ろした。そして、簡素な構造のサンダルを脱いで素足になると、水の入った壺でジャブジャブと足を洗う。手の代わりに足を使って食事をするのが鳥人たちのやり方だが、それ故に彼女らはかなり衛生には気を使っているようである。

 足を洗い終わったシャナイくんは、その可愛らしい小さな足でフォークを握り、「いただきもす!」と笑顔で叫んでから豚肉をガツガツと食べ始めた。カワイイ。めっちゃカワイイ。あー、オルファン氏あたりに頼んだらスズメ鳥人の一人くらいこっちの従兵に回してくれないかなあ。見てるだけで心労がガンガン回復していくような心地だぞ。

 ……でも、そんな提案したらどう考えてもスパイぶちこまれるよなあ。リースベンの領主としては、流石にそれはマズイだろ。はあ、貴族ってヤツは本当にままならないもんだね。

 

「そういえば……」

 

 そこで、ふと気になってウル氏に視線を向ける。

 

「君はシャナイくんともともと面識があったのか? どうも、仲が良さげに見えるが」

 

 よく考えてみれば、シャナイくんの第一声からしてウル氏を友達のような気安さで呼んでいたわけだしな。すでに食事まで共にする仲とあれば、以前からの友人だった可能性もある。

 

「顔を合わせたんな、彼女がこん屋敷に赴任してからじゃ。とはいえ、せっかっ"正統"ん方々と矛を交えず話し合いがでくっ環境じゃで……有効活用せねばち思いまして」

 

「なるほどなあ」

 

 たしかに、"新"と"正統"はほとんど断交状態のようだからな。他国の領主屋敷という特殊環境でなければ、話し合いもできないわけか。それはそれで問題だよなあ……やはり、両勢力を和睦させるには僕たちが仲介するほかないかもしれない。

 正直に言えば、僕たちからすれば別に仲良しこよしさせる必要もないんだけどな。ただ、あんまりバチバチやってると、この辺り一帯の治安が悪くなるわけで……工業・商業立国を目指している僕としては(まあ、商業に関しては僕というよりアデライド宰相の意向だが)非常に困る。行商人たちを大勢呼び込むためには、彼女らには出来るだけ大人しくしてもらわなければならない。

 

「じゃちゅうとに、あんボケ……失礼、あん石頭は、まったく……。ほんのこて、昨日ん件は申し訳あいもはん。こちらん不手際じゃ」

 

 憎々しげな様子でため息を吐いたあと、ウル氏は僕に頭を下げてくる。この人もなかなか苦労してるみたいだなあ。この間の襲撃事件の件でも、彼女は地面に頭をこすりつけるような姿勢で謝罪してきたし……。大変な役職だよ、この人も。他人事ながら、同情せずにはいられないな。

 

「まあ、流血沙汰にならなくてよかったよ、昨日は。再発防止のためにも、できるだけ早くそれぞれに大使館を用意したほうが良いだろうな。とはいえ、こちらも僕の一存だけで何もかにもを決めてしまうことはできないんだ。街の連中と交渉をしているから、少し待ってくれ」

 

 カルレラ市参事会は、エルフどもを領主屋敷から出すなと主張している。彼女らは街の治安を守る義務があるわけだから、そういう主張になるのも仕方のない話だが……それじゃ困るんだよな、こっちは。下手しなくても流血沙汰が起こりかねない状況なわけだし。

 まあ何にせよ、エルフたちに対して融和路線を取る以上は、いつまでも市内にエルフや鳥人を入れないという措置を続けるわけにはいかないんだ。明日のダライヤ氏らとの会談次第だが……近いうちに、参事会とも直接交渉したほうが良いだろうな。はあ、まったく……身体がいくつあっても足りないほど忙しい。

 

「うまかーっ! 肉食い放題なんて、リースベンは極楽んごたっ国やなあっ!」

 

 そんな僕の苦悩とは裏腹に、シャナイくんは満面の笑顔である。ううううーん、可愛い。後でお土産にお菓子でもあげようかな。……そういや、最近カリーナやロッテに餌付けしてないな。精神がどうも荒み気味なのは、そのせいか。近いうちに、一回リフレッシュの機会を設けたほうが良いかもしれない。

 



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第233話 くっころ男騎士と第三回会談(1)

 とりあえず必要な根回しも終わり、いよいよ第三回の"新"との交渉の日が来た。外交交渉中の相手を襲撃してしまったという失態は相当なものであり、こちらとしてもナァナァで済ませるわけにはいかない。だが、"新"を追い詰めすぎると暴発してしまう可能性もある。これはなかなかハードは交渉になりそうだと、僕もソニアも覚悟していたのだが……。

 

「先日の件は、大変に申し訳なかった」

 

 領主屋敷にやってきたダライヤ氏は、開口一番にそう言った。そして、従者のエルフがやってきて、大きな桶を僕たちに手渡してくる。桶の中からは、プンと腐敗臭が立ちのぼってきていた。こ、これは、まさか……。

 

「……攻撃命令をだした、氏族長リベンの首じゃ。責任は取らせたので、できればこれで手打ちにしていただきたい」

 

 やっぱ首桶じゃねーか! わあお、蛮族呼ばわりされてるのは伊達じゃないぞ。初手でいきなり生首を持ってくるとは……。さすがにちょっと、フタをとって中身を確認する気にはならない。

 なにしろダライヤ氏らの集落は内陸部にあるからな。防腐用の塩は手に入りにくいだろう。おそらく、中身はひどく腐敗しているはずだ……。

 

「……とりあえず、あなた方に真面目に謝罪をする気があることは理解した」

 

 正直こんなモンを貰っても困るが、さりとて受け取らない訳にもいかないんだよな。これを拒否したら、謝罪も受け入れないということになってしまう。いやでも本当に嫌だなあ……こんな代物をうちの領地に置いておいたら、なんだか祟られそうで怖いぞ。

 

「塚を作って、きちんと弔ってやろう」

 

 イヤそうな表情で首桶を受け取ってくれたソニアにそう頼み、僕はため息を吐いた。こういう真似は、せめてこちらと相談したうえでやってほしい。いきなり責任者に(おそらく物理的に)詰め腹を切らせた上、その生首を差し出してくるというのはやりすぎだ。僕としては、もうちょっと穏当なやり口のほうが好みだな。

 しかし彼女らがここまでやった以上、更なる追及はしにくい。僕たちとしては、彼女らに暴走されるのが一番困るわけだからな。(彼女らの価値観に基づいて)自主的に責任を取ったというのに、こちらがそれを無視すれば当然いい気はしないはずだ……。はあ、全く面倒な。

 

「要するに、手違いと現場の暴走。これが重なった結果が、この襲撃事件だということか」

 

 それから、三十分後。領主屋敷の会議室で、僕たちは事件の経緯の説明を受けていた。大きな机をを挟み、西側に僕やソニア、ジルベルト、それに騎士や文官などが並び、反対側にエルフやカラス鳥人で構成された新エルフェニア代表団という夫人である。

 ダライヤ氏によれば、今回の事件は"正統"に強い敵意を持つ軍内部のグループが勝手に攻撃作戦を実行し、そこへ運悪く僕たちが居合わせた……という経緯で発生したらしい。本来なら攻撃を中止すべきだったのだろうが、現場の人間が男を見て興奮したせいで話がややこしくなったようである。

 まあ、僕を殺したところでダライヤ氏にメリットはないからな。一応、この説明で納得しても良いだろう。とはいえ実際のところはわからんがね。ダライヤ氏がシロでも、その部下はクロかもしれない。"新"内部に僕たちのことが気に入らない一団がおり、妨害工作を仕掛けてきている……そういう可能性もあるからな。

 

「その通り。そちらを害そうなどという意図は、微塵もなかったのじゃ。そもそも、"正統"の拠点にまさかブロンダン殿本人がいるなど、予想すらできなかったわけじゃし……」

 

 塩を振りかけられた青菜のような態度で、ダライヤ氏が釈明する。こりゃ、そうとう参ってる様子だ。他人事ながら、さすがに可哀想になって来たな……。言うことを聞かない部下たち、刻一刻と減っていく食料庫の中身……為政者としては、ほとんど最悪と言っていい状況だ。そんな中で国をかじ取りしていくのは、尋常な労力ではあるまい。

 

「この程度では誠意が足らんというのなら、ワシが全裸で土下座しても良い。じゃから、どうか許してはくれんじゃろうか……?」

 

 会議机に頭をこすりつけながら、ダライヤ氏はそう懇願する。……いや、全裸土下座はやめてくれよ。好みド真ん中の女性が全裸土下座してる姿なんて、普通に見たくないだろ。

 

「新エルフェニア皇帝たるダライヤ殿がそこまでおっしゃられているのだ。これでいや許さぬといえば、むしろこちらが狭量とそしられることになるだろう。そうだな、ソニア」

 

「ええ、不幸な事故だったということで」

 

 ソニアはシレっとした顔で頷いた。生首を受け取った直後にこういう態度を取れるのだから、やはり我が副官の肝はなかなかに太い。

 

「んむぅ……」

 

 一方、新エルフェニア皇帝と呼ばわりされたダライヤ氏は何とも言えない表情でうめき声を上げた。彼女は、自分の立場をたんなる長老だと偽っていたわけだからな。そりゃあチクリと一刺ししておきたくもなる。

 ダライヤ氏がなぜそんな嘘をついていたのかはわからないが、とにかくこちらも独自の情報源を持っていることをアピールしておくに越したことはない。いつまでもお前の手のひらの上で踊り続けたりしないぞ、という意思表示だ。

 

「しかし、そちらの国内がこれほど不安定な状況では、食糧支援を行うのは難しいぞ。こちらの輸送隊の安全が確保できないからな」

 

「そ、そんた……」

 

 "新"代表団たちの顔色が変わった。なにしろ、彼女らはメシを求めてこちらに接触してきているわけだからな。はっきりと「食料を送るのは難しい」などと言われてしまえば、非常に困ったことになってしまうだろう。

 

あなた(あた)方が、わざわざ危険を冒す必要はあいもはん。安全な場所で物資を受け渡してもれれば、あとは我々がなんとかすっで」

 

 代表団のカラスがそう主張した。もっともな意見だが、僕は首を左右に振る。

 

「いいや、輸送は僕たちがやる。君たちに物資を渡しても、"正統"の集落までは届けてくれないだろう?」

 

「アルベールどん! 叛徒どもん肩を持つ気か!?」

 

「あんわろらは逆賊ど。飯などやらんでん良か!」

 

 僕の主張に、エルフたちがざわついた。そりゃそうだろうな。"新"から見れば"正統"は憎い敵でしかない。そんな連中にまで食料を送るといえば、気分はよろしくなかろう。

 でも、こちらとしてはそういうわけにはいかないんだよな。"新"だけに肩入れして、"正統"が滅んでしまうという事態は絶対に避けなければならない。エルフたちが一枚岩になり切れていない現状は、こちらにとっては随分と有難いものだからな。

 ……いやまあ、"新"単体で見ても、一枚岩とは言い難い状態だけどな。ぶっちゃけ、"正統"が滅んだら滅んだで、今度は"新"が分裂してしまいそうな気配はある。それはそれで困るんだよ。状況がコントロールできなくなるし。

 

「皆の衆、落ち着け」

 

 エルフ代表団の中で唯一平静な態度を保っているダライヤ氏が、部下たちを諫めた。

 

「アルベール殿は、むやみに戦乱を煽るよう不埒な輩ではないじゃろう。"正統"にも食料を送るというのも、なにか考えがあっての事のように思える。まずは、話を聞いてみることにしようではないか」

 

「ううむ、大婆様がそうおっしゃらるっんであれば……」

 

「まあ、話だけは聞いてやってん良かが。……納得すっかどうかはさておき」

 

 ダライヤ氏のおかげで、エルフたちは不承不承と言った様子で矛を収めてくれた。……このロリババア、僕が"正統"にも手を貸す腹積もりであることを予想してたみたいだな。

 まあ、エルフたちが話を聞いてくれる姿勢になったのはありがたい。とりあえず、例の"正統"移住計画について"新"に提案してみることにしようか。なにしろ、この計画は総勢五百名が"新"の勢力圏を突破してこちらの領地にやってくるわけだからな。"新"が納得してくれないことには、実行不可能だ。

 

 



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第234話 くっころ男騎士と第三回会議(2)

 こちらをじっと見つめてくるエルフ代表団(カラスもいるが)を極力意識しないようにしつつ、僕は香草茶で口を湿らせた。やっぱり、こういうガチガチの交渉事は苦手だな。前世にしろ現世にしろ、この手の仕事は今までほとんどしてこなかったわけだし……。

 しかし、僕はリースベンの領主である。つまり、領民や臣下の安全と利益を保護する義務を負っているということだ。逃げ出すわけにはいかない。僕はいかにも自信ありげな微笑を浮かべつつ、彼女らを見回した。こういう演技だけは得意なんだよな、僕は。

 

「僕が提案するのは、"新"と"正統"の完全な分離だ。食糧支援を引き換えに、"正統"の者たちにはこの街の北……つまり、山脈のふもと辺りに引っ越してもらおうと考えている」

 

「……ほお?」

 

 ダライヤ氏が愉快そうな表情で指をはじく。他のエルフは、かなり驚いた様子で近くに居る同僚たちとこそこそ話を始めた。一方、カラス連中は静かなものだ。ウル氏にしろ代表団員にしろ、興味なさげな様子で茶菓子を食べている。

 うーん、温度差がすごいな。カラス鳥人たちは、エルフの行く末にはあまり興味がないのかもしれない。とはいえ、食料生産をエルフたちに頼っている鳥人からすれば、エルフ国家の情勢変化には敏感にならざるを得ないと思うんだが……。エルフェニアからリースベンへの乗り換えでも検討しているのかね? だとすれば、有難い話だが。

 

「これにより、"新"と"正統"の間に我々リースベンが挟まることになる。戦闘を再開しようと思えば、我が国の領土を通過する必要が出てくるというわけだ。むろん、僕はそんな真似を許す気はない」

 

 まあ、あくまでこれは理論上の話だがね。実際問題、我々の目の届く範囲など限られているからな。少数のコマンド部隊程度なら、密かに僕たちの勢力圏内を通過することも可能だろう。なにしろ、リースベンは大半が密林に覆われているのである。

 とはいえ、大規模部隊の越境が難しくなるというだけでもそれなりに価値はある。戦争の抑止効果はそれなりにあるだろう。木としては、リースベン領の治安を守ることができるのなら何でも良いのだ。

 

「緩衝国になってくれるという訳か」

 

 さすがに、ダライヤ氏の理解は早い。彼女は感心した様子でニコリと笑い、周囲を見回した。

 

「ワシとしては、土いじりをしている時間が増える分には大歓迎じゃが……オヌシらはどう思う?」

 

「わざわざそげん面倒なことをせずとも、糧食せあれば叛徒どもなど一ひねりじゃ。リースベンは議バ抜かさず食料だけ出してくれりゃよかど」

 

「じゃっどん、あん連中ん兵子はすげぼっけもんばっかいだぞ。そう簡単にはいかんめえ。厄介な連中を回収してくるっちゅうじゃっで、任せてしもた方が良かんじゃね?」

 

 どうも、エルフたちは賛否両論の様子である。まあ、そりゃそうだろうな。"新"の連中からすれば、"正統"と僕たちが結託しているようにも見える構図だし、そう簡単に納得はできないだろう。

 そもそも、彼女らの内戦は百年近く続いているわけだからな。そう簡単に終わるような代物なら、とっくに終結してるはずだ。実際はそうなっていないのだから、僕たちが介入したところでそうそううまくいくはずがない。

 

「まあ、意見ん一つとして聞いちょこう。じゃっどん、別に我々は貴殿らに戦争を止めてくれと頼んじょるわけじゃなかど。そこあたいは、しっかり理解してもらおごたっ」

 

 エルフの一人が重々しい声でそう主張した。僕としては「延々内戦を続けられるとクソ迷惑だから、こっちと取引したいんなら即座に戦闘を停止せよ」というのが本音だが、エルフたちからすればまあ正論かもしれない。下手しなくても内政干渉だものな、こっちの提案は。

 

「そんたそうじゃ」

 

(オイ)らんこつは(オイ)らで決むっ。外様にアレコレ言わるっ義理はなか」

 

 実際、幾人かのエルフはその意見に同調してしまった。物資は出せ、口は出すなといわれても困るんだけどなあ。そういうことは、食料くらい自前で調達できるようになってから言いなさいよ。

 ……とはいえ、ポッと出の僕たちから指図を受けたくないという彼女らの考え自体は、僕だって共感できるが。こういう独立独歩の気概を持っていない人間に、ひとつの勢力を背負っていく資格はないしな。まあ、限度はあるが。

 

「まあ、とりあえず"正統"をどうするかというのは、後回しで良いだろう。君たちの喫緊の課題は、食料を得ることだ。違うかね?」

 

 今の段階であまりつっこんだ主張をしても無意味だろう。僕は話を逸らすことにした。愚直に己の望みを主張するだけでは、目的の達成などできるはずもない。時には迂回も必要なのだ。……たぶんね? 正直その辺よくわからないので、扱いなれた戦術論の応用で考えてみることにする。

 

「それもそうじゃ」

 

 香草茶のカップを両手で持ちつつ、ダライヤ氏が頷いた。軍用のそのカップは竜人(ドラゴニュート)向けに作られており、当然ロリ体形の彼女にはあまりにも大きすぎる。ちょっと持ちづらそうだ。カワイイ。

 

「はっきり言えば、リースベンには君たちに食料を供給することは可能だ。むろん、タダというわけにはいかないが」

 

 手元の資料をちらりと見てから、彼女らに向けてそう言ってやる。まあ、供給可能とはいっても、もちろんリースベンだけでエルフェニア全体が必要としている食料を賄うことは不可能だがね。なにしろリースベンの耕作面積はいまだにかなり狭いし、土地自体があまり麦などの生産には向いていない。

 そういうわけで、エルフたちに渡す食料は他所から買い付けることになりそうだ。むろん、これをガレア王国だけで賄おうと思うと、それこそ買占めじみた真似をしなくてはならなくなるのだが……幸いにも、お隣のズューデンベルグ領は麦の一大産地だ。ディーゼル伯爵家の助力があれば、なんとかムリなく必要な量の穀物を集めることができるだろう。

 

「即座に提供できるのは、千人分の食料を一週間ぶん。その後は少々厳しくなるが、エルフェニア全体の冬越しに必要な量はなんとか提供するめどが立っている」

 

 ソニアが僕の説明を補足してくれた。戦争や飢饉に備え、リースベン各地にはそれなりの量の穀物が備蓄されている。これの一部を放出して当座をしのぎつつ、順次輸入品に切り替えていくというのが僕たちの計画だった。

 できれば輸入には頼りたくないんだが、こればっかりは仕方がない。エルフェニアほどじゃないにしろ、リースベンの農業は極めて弱体だからな。あまり負担をかければ、今度はこちらで飢饉が発生する。少々高くついても、食料に関しては外部から供給するほかない。

 

「まあ、(オイ)らも強盗じゃなかで、タダで食い物を寄越せとは()わん。じゃっどん、はっきりゆて出せっカネはなかど」

 

 情けなさそうな顔でエルフの一人がそう言った。まあ、そりゃそうだろうね。ない袖は振れないだろうさ。むろん、その辺りは織り込み済みだよ。

 

「わかっているさ。とりあえず、代金に関してはすぐには求めない。だがもちろん、エルフェニアの復興が成った暁には、かならず回収させてもらう」

 

 まあでも、実際のところ時間と平和さえあればそのあたりはなんとでもなるんだよ。虎の子のミスリル鉱山も、もうすぐ採掘がはじまるしな。商業に関してもはっきり言って絶好調だ。地域の安定さえ維持し続けることができれば、エルフどもに供給する食料の代金なんてものは短時間のうちに回収可能だ。メシはくれてやるから大人しくしてくれ。これが僕の本音である。

 

「だが、エルフェニアを復興させるには、内戦状態の解消は必須だ。当然の話だが、剣を振るのが忙しいあまり農具を握る時間がないようでは、戦災復興どころではないからな」

 

「……」

 

 さすがのエルフも、これには黙り込むしかなかった。指摘されずとも、そんなことは彼女たち自身が一番よくわかっているだろう。この隙に、僕はさらに畳みかける。

 

「今すぐ和平せよとまでは言わない。まずは、一時停戦だ。そうだな……半月でどうだ? 半月の間、"正統"との戦闘行為を停止してもらいたいんだ。そしてその平和が続いている間は、我々が責任をもって食料を供給し続けよう」

 

 これはもう、最低条件だ。なにしろ両勢力がドンパチやってる状況では、"正統"に食料を届けることができないからな。僕としては、片方の勢力だけに肩入れをする気はない。こちらの負担は増えるが、これに関しては絶対にケチっちゃ駄目な盤面だ。どっちかを優遇したら、どう考えてもかえって戦闘が激化する。

 

「さあ、どうする? エルフ諸君」

 

 僕はニヤリと笑って、新エルフェニア代表団に問いかけた。まあ、笑ってるのは顔だけだがな。僕の胃はすでにキリキリとした痛みを発していた。領主ってヤツは、思っていたのよりも五倍くらいキツイ仕事だ……。



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第235話 くっころ男騎士と愚痴

 第三回の会議は、夕方ごろまで続いた。途中から"正統"の連絡員も会議に参加したのだから、まあ激論にならないはずがない。しかし停戦云々は"新"や僕たちだけの意向では実現しないからな。これは仕方のない話だ。

 疲労困憊になるような激しい会議だったが、それでもなんとか停戦は実現した。それも、まるまる半月だ。つまり、こちらの要望がすべて通ったという事である。代表団のエルフたちは随分と抵抗していたが、ダライヤ氏の援護射撃もありなんとかなんとか要求を通すことに成功した。

 さらにはその停戦期間中に僕とダライヤ氏、そしてオルファン氏らが直接会って三者会談が行われることも決まった。これは大きな進展と言っていいだろう。"新"と"正統"の和平成立への第一歩だ。まあ、今後も紆余曲折があるだろうから、あまり油断はできないが……。

 

「お疲れ様じゃ、ブロンダン殿」

 

 その夜。僕はダライヤ氏をサシ飲みに誘っていた。半ば、お互いに対する慰労会のようなものである。彼女の方も、喜んで応じてくれた。やはり、エルフという種族はかなりの酒好きである。

 ダライヤ氏の差し出してきた酒瓶から芋焼酎を注いでもらい、お返しに僕はブランデーの水割りを渡してやる。軽く乾杯して、酒をごくごくと飲む。ああ、芋くさい。これだよこれ。酒飲んでるなーって感じだ。

 

「いやはや、一時はどうなることかと思ったが、なんとか穏当な方向に軌道修正できてよかった」

 

 深いため息を吐きながら、僕はボヤく。"正統"の集落で襲撃を受けた時は、最悪の場合交渉の決裂すらあり得ると考えていた。幸いにも"新"が迅速に対応してくれたおかげで、事なきを得たがね。……それはそれとして、いきなり生首を手土産に持ってくるのはどうかと思うがね。

 

「まこと、その通りじゃ。まったく、すまんのぅ……うちの若いモンが。ハァ……」

 

 そう語るダライヤ氏の表情はひどくくたびれている。国内の調停で相当神経をすり減らしてしまった様子であった。妖精めいた神秘的かつ可愛らしい容姿のロリが修羅場続きのサラリーマンみたいな顔をしているのだから、ギャップが凄い。

 

「言うことを聞いてくれないか、部下たちは」

 

 相手は皇帝陛下である。敬語を使った方がいいんじゃないかと思いつつも、僕は平素と変わらぬ口調で問いかけた。……本当に、どういう態度で接したらいいのか困るなあ。領主としてはあまりへりくだった態度をとるわけにはいかないし、さりとて礼を失するのは不味いし。

 

「聞かん聞かん。ぜーんぜん聞かん!」

 

 ダライヤ氏は左手をブンブン振り回してそう言ってから、ブランデー水割りを一気に飲み干した。……高いんだぞその酒は! リケ氏といいこの人といい、美酒をなんだと思ってるんだ。

 

「長老で皇帝なのに……」

 

「そもそもエルフの価値観では、長老なぞたんなる死にぞこないじゃ。別に特別尊敬されるわけでもない……」

 

 唇を尖らせながら、ダライヤ氏が酒杯を突き出してくる。すこし苦笑しながら、水割りのお代わりを注いでやった。この水割りは、昨日作っておいたものだ。その場で作ったものよりも、アルコールのトゲが少なく飲みやすい。前割りという主砲である。

 

「そして皇帝などといっても、所詮は謀反で手に入れた地位じゃ。あの跳ね返りどもに言うことを聞かせるには、権威が足りぬ。ワシとて状況が許すなら、大鉈(おおなた)を振るって綱紀粛正を図りたいところなんじゃがのぅ」

 

「頭領というのは、なかなかままならないものだなあ。僕も、領主がこれほど不自由な立場だとは思わなかった……」

 

 ガレアの宮廷騎士隊長をやっていたころの方が、よほど自由だったような気がする。僕はなんとも言えない心地で炒り豆を口の中に投げ込み、芋焼酎で流し込んだ。

 

「オヌシもなかなか難儀をしとることじゃろう。大変じゃのぅ」

 

「あなたに比べれば、だいぶマシだろう。僕はいい部下に恵まれているし……」

 

 ソニアにしろジルベルトにしろ指示にはキチンと従ってくれるし、僕の方が間違っている場合はキチンと指摘してくれる。彼女らは理想的な部下と言っていい。

 それに比べてダライヤ氏は大変だ。なにしろエルフどもは反骨心と闘争心のカタマリであり、ほとんど生きた爆弾のような連中だ。こんなヤツらをまとめようとするのは、並大抵のことではあるまい。

 

「確かにそうかもしれぬが、ワシはウン百歳の年寄りじゃ。五、六歳くらいのブロンダン殿とは経験の量が違う。その若さで良く頑張っておるよ、オヌシは……」

 

「ちょっと待って、僕はそこまで若くない」

 

 あとアンタもウン百歳どころか千ウン百歳だろ! わざとなのかボケてるのかは知らないけどサバ読み過ぎだぞ!!

 

「えっ、じゃあ何歳なんじゃ」

 

「二十くらい……」

 

「大して変わらんじゃろ五年も二十年も」

 

「だいぶ違うよ!」

 

「そ、そうか……ウムムム……」

 

 ダライヤ氏は何とも言えない表情で水割りブランデーをすすった。まったく、これだから長命種は。時間の感覚が我々と違いすぎてビビる……。

 

「ワシからすると、オヌシら只人(ヒューム)はパッと咲いてパッと散る儚い花のような生き物じゃからなあ。なんともかんとも……この感覚の差は埋めがたいのぅ」

 

 桜みたいな生き物だな、僕たち。いやまあ、彼女の主張はわからなくもないが……。

 

「まあ何にせよ、ワシとオヌシではおかれている立場や状況が違いすぎる。比較は無意味じゃ。ブロンダン殿が尋常ならざる苦労と努力の末に今この場所に居るのは事実なのじゃから、胸を張ってもバチはあたるまいて」

 

「ハハハ……あなたほどの人物にそこまで言ってもらえると、流石に嬉しいな」

 

 炒り豆をつまみつつ、僕は苦笑した。

 

「しかし、お互い頑張っているだのなんだの言いあって、これでは傷の舐めあいだなあ」

 

「傷の舐めあいで何が悪い! 頭領の苦労を理解できるのは頭領だけじゃ」

 

 そう言って、ダライヤ氏はその真っ赤な舌をベッと出して見せた。酒精が回って顔色が良くなっているせいか、なんだかエロく見えてしまう。

 

「まあ、ブロンダン殿が許してくれるのなら、傷以外の場所も舐め合いたいものじゃがのぅ。わははは」

 

 全然オッケーでーす。僕もロリババアと全身の舐めあいしてぇなあ……。この人とはできるだけ仲良くやっていきたいし、あわよくば深い関係になれないかな……? 結婚とかできれば、"新"との関係改善も期待できるし……。

 いやでもブロンダン家の跡取りはどうするんだよという問題がな。次代のブロンダン家の当主はエルフですとかいう事態になったら、たぶん母上がキレるからな……。やはり、嫁は只人(ヒューム)じゃないとマズイ。はあ、えり好みできる立場でもあるまいに、どうして結婚相手の種族なんかを気にしなきゃいけないんだよ。

 

「アル様、アル様。なにやら不埒な単語が聞こえたような気がするのですが、大丈夫でしょうか?」

 

 などと考えていると、突然部屋のドアがノックされてそんな言葉をかけられた。ソニアの声である。僕とダライヤ氏は、同時に肩を震わせた。ソニアの声音に物騒な雰囲気を感じ取ったからだ。

 

「い、いや、気のせいだろう。リースベンとエルフェニアの建設的な未来について話し合っているんだよ、僕たちは」

 

「そ、そうじゃそうじゃ! 真面目な話題じゃから、何も心配する必要はない!」

 

 こういうセクハラは大歓迎なんだけど、当然ながら生真面目なソニアは絶対に許してくれない。守ってくれるのはありがたいが、流石に過保護過ぎやしないかねえ、まったく。

 ……セクハラといえば、我らがアデライド宰相閣下は今頃どうしているんだろうか? 暇をしているようなら、そろそろご助力をお願いしたところなんだがな。私人としては好ましいダライヤ氏だが、交渉相手としては僕の手には余る。タヌキにはタヌキをぶつけたいところなんだが……。



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第236話 くっころ男騎士と難物

 僕は軽く息を吐きながら、酒杯の芋焼酎を飲み干した。ロリババアからセクハラを受けるのは心地が良いが、あまり調子に乗っているとソニアに心配をかけてしまう。スケベ方向に傾いていた思考を、真面目な方向へ修正する必要がありそうだ。

 

「しかし……いいな、この酒は。すっかり気に入ってしまった」

 

「そうじゃろうそうじゃろう芋焼酎(エルフ酒)は我らの至宝じゃ」

 

 ニコニコと笑いながら、ダライヤ氏は陶器製の大きな徳利(いわゆる貧乏徳利に似た酒器だ)から僕の酒杯へ芋焼酎を注いでくれた。礼を言ってから、もう一口飲む。前世で愛飲していた日本製芋焼酎よりも随分と芋臭く雑味も多い代物だが、これはこれで趣があって良いと思う。

 

「……エルフとの交流が本格的になってきたら、蒸留所を建ててうちでも生産できるようにしようかなあ」

 

 芋臭い香りを胸いっぱいに吸い込みながら、僕はぼそりとそう呟いた。すると、ダライヤ氏がにぱっと破顔する。普段の皮肉げな胡散臭い笑みではなく、本心から喜んでいるのがはっきりとわかる笑顔だった。

 

「おおっ! それは誠か!?」

 

「どうせ、蒸留所は作るつもりだったからな」

 

 僕は頷きながら、芋焼酎を舐めるように飲んだ。ちなみに、蒸留所を作ろうとしているのは僕が呑兵衛だからではない。むしろ、飲用以外の用途でアルコールを必要としているからだ。高濃度アルコールはそのままでも消毒液として使えるし、小銃や大砲の撃発に使う特殊火薬の原料にもなる。

 そんな重要な物資の一つであるアルコールは、やはり自前で生産できるようにしておいた方が良い。軍事物資は基本的に自給すべしというのが、僕の信条だ。

 

「あとは、何を主な原料とするかだが……麦やブドウは、リースベンの風土にはあまり合っていない作物だ。ならば、大量供給が見込めるサツマ(エルフ)芋を用いるのが適当だろう」

 

「確かにそれはそうじゃのぅ」

 

 自身の酒杯を満たすブランデーをちらりと一瞥しつつ、ダライヤ氏は頷いた。ちなみに、サツマ(エルフ)芋に関しては我がリースベンでも導入予定だ。先ほどの会談の際に、すでに新エルフェニアから種芋を買い付ける契約も結んでいる。もちろん、代金は銀貨などではなく食料である。イモとムギの物々交換だな

 

「蒸留所を建てる時は、ぜひワシらにも協力させておくれ。もはや、ワシらエルフェニアは大規模な蒸留所をひとつも保有しておらんからのぅ。簡易的な蒸留器では、やはり質も量も期待できん……」

 

 憂いを秘めた表情で、ダライヤ氏は息を吐いた。この人も、なかなかの呑兵衛みたいだからな。愛飲していた酒がほとんど生産できなくなっている現状には、やはり思うところがあるのだろう。

 うさん臭い所のあるダライヤ氏だが、こういう部分は信頼しても大丈夫なように思える。……まあ、今のエルフたちの暮らしぶりを見れば、現状を憂うのも当然か。自力救済が難しい以上は、最寄りの隣人に助けを求めるのも致し方のない事だろう。

 

「むろん、その時はよろしくお願いしたい」

 

 こういう平和的な交流なら、いくらでも推進していきたいところなんだけどなあ。そう簡単にうまくいかないのが現実のイヤなところだ。僕は少し息を吐いてから、ブランデーの水割りをうまそうに飲んでいるダライヤ氏の方をチラリと見た。

 

「……今のリースベンの民からすれば、はっきり言ってエルフたちは迷惑な隣人だ。食料を奪い男を攫い、まさに敵以外の何者でもない」

 

「うむ……」

 

 悲しみもせず、怒り出すでもなく、ダライヤ氏は穏やかな様子で小さく頷いた。

 

「しかし……将来的には、もっとも近く、もっとも親しい友だと。そう胸を張って言えるような、素敵な関係を目指していきたいところだな」

 

「そうじゃな、まったくの同感じゃ。しかし……」

 

 にっと笑って、ダライヤ氏は僕の左手を優しく握ってきた。

 

「なんなら、もっと近い関係を目指すのも悪くはない。例えば、家族とか夫婦とか……のぅ?」

 

「……」

 

 手を握ったまま、ダライヤ氏はそのちっちゃい指で僕の手の甲をさわさわと優しく撫でる。なんだかイヤらしい触り方だ。どこぞの宰相のせいでかなりのセクハラ耐性がついている僕だが、相手は色事とは全く無縁に見える妖精じみた容姿のロリだ。自然と、心臓の鼓動が早くなってしまう。

 なんか、普通に口説かれてない? 僕。うわあ、普通にクラッときたぞ。……い、いや、しかし……自意識過剰の可能性もあるのでは……? こと男女関係においては、僕の感覚はまったくの役立たずだからな……。

 

「しかしだ」

 

 そんなこちらの困惑などまったく気にしていない様子で、ダライヤ氏は素早く手を引っ込めた。そして真剣な表情になり、続ける。

 

「エルフのすべてが、そのように考えているわけではない。"新"の中枢である元老院ですら、それは例外ではない」

 

「……ほう」

 

 いきなり真面目な話になってきたぞ。ほとんど無意識に脳内が仕事モードになり、早鐘を打っていた心臓もあっという間に平常運転に戻ってしまう。我ながら、切り替えが早すぎる。せっかくロリババアと飲酒してるんだから、もうちょっといい気分に浸っていたかったのに……。

 

「とくに、長老衆のヴァンカは危険なヤツじゃ。あの女は夫子を"正統"の攻撃で失い、強い憎しみを抱いておる。エルフェニアの未来よりも、己の復讐心を優先しておることは間違いない」

 

 わあお、既婚者かよ。子供が出来ると加齢が始まるエルフの特性を考えれば、子を失った時の悲しみや喪失感は只人(ヒューム)竜人(ドラゴニュート)以上のものがあるかもしれないな。そりゃあ、復讐に狂いもするというわけか……。

 

「要注意人物と」

 

「うむ。オヌシは"正統"との和平を仲介しようとしているワケじゃろう? ヤツからすれば、面白くないどころの話ではないハズじゃ。当然妨害はしてくるじゃろうし、場合によっては直接的に牙を剥いてくるやもしれぬ……」

 

 ため息をついてから、ダライヤ氏はヤケになった様子で水割りブランデーを一気に飲み干した。ぷはあと酒臭い息を吐いてから、さらに言葉を続ける。

 

「むろん、ワシもヤツはできるだけ抑え込むつもりではいる。しかし、まあ……はっきりいって、効果は薄かろうて。若造(にせ)どもはワシを腰抜け呼ばわりして侮っておるし……」

 

 ぺこぺこと弾を下げながら、ダライヤ氏はそう説明する、他人事ながら、ひっでぇ内情だなあ。国を名乗ってるけど、もはや山賊団と大差ない気がする。……穏当な人間は長い戦乱で淘汰されちゃったんだろうなあ。

 それに、エルフどもはどいつもこいつも飢えている。腹を空かせると、人間どうしても気が荒くなっちゃうからな。奴らを大人しくするには、やはりいったん腹を満たしてやる必要があるだろう。建設的な話をするのは、それからでも遅くない。

 衣食足りて礼節を知る、という言葉もある。飢えて頭が回らなくなった連中に対して、怒ったり失望したりしてはいけない。そういうもんだと諦めて、じっくり腰を据えて付き合っていくしかないのさ。それが、前世の僕がアフリカや中東で得た教訓だ。

 

「ワシとしては、"正統"とはさっさと和睦すべきじゃと思うんじゃがのぅ。むこうのフェザリアも、同じ考えじゃろう。あやつは、エルフの兵子(へご)とは思えぬほど穏やかで理知的な女じゃから……」

 

 フェザリアというと、"正統"のリーダーのオルファン氏のことだな。そういえば、ダライヤ氏はもともと彼女の教育係だったという話だ。こうして敵味方に別れてしまった後も、お互いを信頼し続けているわけか。なんともお辛い話だ。

 

「なんにせよ、オヌシが平和を望むのであれば、ワシは協力を惜しまん。しかし、増えるのは味方ばかりではない。ゆめゆめ油断せぬことじゃ」

 

「味方が増えれば敵も増える。厄介な話だ」

 

 あー、やだやだ。僕、こんど"新"の本拠地に行くことになってるんだよなあ。しかも三者会談の予定だから、当然オルファン氏もやってくるわけだ。反"正統"派からすれば、絶好の攻撃チャンスじゃないか。どう考えても、なんか仕掛けて来るぞ。本当に勘弁してくれよ……。

 

「頼りにしているぞ、ダライヤ殿。我々は比翼の鳥、運命共同体だ。リースベンとエルフェニアが無二の友となるために、まずはトップ同士模範を示していこうじゃないか」

 

「……うむっ! 任せておけ!」

 

 裏切るなよと釘を刺したつもりなのだが、ダライヤ氏は満面の笑みで頷いて見せた。……まさか、言葉通りの意味で取られたわけじゃないよな? 

 

 



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第237話 くっころ男騎士と離間作戦

 翌朝。朝食後、僕は会議室にソニアとジルベルトを呼び出していた。むろん、昨日の会議の結果をふまえ、今後の方針について話し合うためだ。

 

「やはり、エルフは難物ですね」

 

 食後の香草茶をすすりつつ、ソニアがため息をつく。こちらの要求を通すことには成功したものの、昨日の交渉はなかなかにハードだった。エルフたちはひどく強情で、かたくなだ。話し合いの相手としては、正直かなりつらいものがある。

 

「正直、すべてが上手くいって"正統"との和平が成ったとして……末端が従ってくれるのかは、怪しいように思えます。いや、末端だけではなく中枢も」

 

 うなるような声で言うジルベルトに、僕は頷いて見せた。脳裏に浮かぶのは、昨日のダライヤ氏との会話だ。夫子を"正統"に殺され、復讐に狂ってしまったという長老のヴァンカ氏……彼女は、間違いなく我々の妨害に出てくるだろう。

 

「結局のところ、一番厄介な部分は……こちらに好意的な人間も、否定的な人間も、同じく"新エルフェニア帝国"というタグがくっついているというところだ」

 

 僕は会議机の天板を指先でなぞりながら、思案した。"新"は"正統"とちがい、明確な旗印を持たない。単純に、行く場所がない連中が群れているだけだ。だからこそ、内部には様々な思惑をもった人間がいる。

 こういう無秩序な集団と、マトモに交渉しようというのがまず難しい。一度決まった約束も、内部のゴタゴタにより反故にされてしまう可能性が多々あるからな。

 

「"新"には、いったん滅んでもらうしかないかもしれない」

 

「戦争ですか」

 

 ジルベルトが、その形の良い眉を跳ね上げた。

 

「やれと命じられれば、もちろんやりますが……正直、あまり良い手のようには思えません。おそらく、勝てたとしても多大な被害を被ることでしょう」

 

 こういう、面と向かって否定をぶつけてくる部下っていいよな。厄介ごとについて話し合っているというのに、僕はなんだかホンワカした心地になった。指揮官が不適当と思われる方針を打ち出したときは、しっかり反論をする。これが参謀のあるべき姿だ。指揮官としてきわめて有能なジルベルトではあるが、幕僚としてもやはり優秀である。まったく、僕は良い部下をもったものだな。

 

「だろうね。それに、こちらの勝利条件は交易路の保護だ。全面戦争が発生した時点で、我々の負けだよ」

 

 戦わずして勝つ、これが戦略の理想だ。無意味に戦いを挑むなど、下策も下策である。

 

「しかし、"新"は危うい組織だ。叩き割るのにハンマーを使う必要はない。軽い力でつついてやれば、勝手にバランスを崩して自壊しそうな気配がある」

 

「なるほど、内部分裂狙いでしたか。失礼いたしました」

 

「いいや、ジルベルト。君は何も失礼なことなどしていない。そのままの君でいてくれ」

 

 イエスマン(ウーマン)の幕僚なんて、単なる無駄飯ぐらいだからな。僕がニヤリと笑ってそう言うと、彼女は少し顔を赤らめて頷いた。

 

「つまり、旗幟(きし)を鮮明にせよと迫るわけですね? 敵なら敵、味方なら味方であると明言させる、そういう作戦ですか」

 

 愉快そうな顔で、ソニアが言う。こういう搦め手じみた作戦は、ソニアの得意とするところだ。大貴族の当主としての教育を受けているだけあって、清濁を併せ呑む度量が彼女にはある。

 

「そうだ。こちらの手に負えないような過激派は、エルフたち自身の手でパージしてもらう」

 

 内戦を止めるために内戦を起こすというのもおかしな話だが、もうどうしようもない。話し合いだけで解決するのならば十年でも二十年でも付き合うが、おそらくそれは無理な話だろう。エルフたちの好戦性は尋常なものではない。

 まあ、不幸中の幸いもある。エルフたちが、我々を侵略者として認識していない点だ。このカルレラ市が建っている場所も、もとはエルフたちの土地だっただろうにな。入植者と原住民の軋轢(あつれき)ってのは凄まじいものがある。下手をすれば、百年二百年にもわたる断絶の原因にもなるんだ。

 エルフたちから延々敵視されたままでは、領地の発展などままならないだろう。しかし、今であれば容易に取り込むことができる。タイミングがいいといえば、タイミングがいいだろう。ラナ火山噴火以前に入植を始めていたら、これほどスムーズに話は進まなかったはずである。

 

「まずは、"新"内部をグズグズに溶かす。食料を流し込みつつ、有力者をこちら側に取り込んでいくんだ。食わせて飲ませて抱かせれば、おそらく少なくない数のエルフはこちらに傾くだろう」

 

 エルフが快楽に弱いのは、捕虜のリケ氏に対する実験で実証済みである。最初は強情に見えても、接待漬けにしてしまえば堕ちるのは早い。

 

「食わせて飲ませて、まではなんとかなりますが……抱かせる、ですか」

 

 ちょっと不審そうな様子で、ソニアが聞いてきた。まあ、カルレラ市はド田舎だからな。有力者の篭絡ができそうな高級男娼など、当然いない。

 

「ウン。とりあえず、アデライド宰相に男娼の調達を頼んである。近いうちに、こちらに到着するだろう」

 

 実際、"新"の連絡員を篭絡するための男スパイ連中は、すでに活動を開始している。現在、使用人を装って連絡員たちに接近中だ。寝技めいた戦法はアデライド宰相の得意とするところであり、このあたりの手際は非常に良い。

 

「なるほど。……それは良いのですが、まさかアデライド本人も来たりはしないですよね?」

 

 ソニアはひどく嫌そうな顔で聞いてきた。まあ、彼女とアデライド宰相は犬猿の仲だからな。そりゃ、顔を合わせたくないだろうが……残念なことにそうは問屋が卸さない。

 

「いや、しばらくしたら来るよ。正直、エルフ案件は僕の手には余る。こういうときは、上司を頼るに限るからさ。救援を頼んでおいたよ」

 

 実際、あの人はこういう外交戦は得意中の得意だからな。僕が指揮するより、よほど巧みにエルフたちを丸め込んでくれるだろう。……まあ、残念なことに宰相閣下は現在多忙らしいからな。今すぐ来るという訳にはいかないらしいが……。

 

「チッ!」

 

 憎々しげに、ソニアは舌打ちした。……そこまで嫌うことはないと思うんだけどなあ。ちょっとケツを撫でまわしたり卑猥な言葉をかけたりしてくる以外は、いい人じゃないか。身分差がなかったら、求婚してるところだぞ。いやまあ、ガレアの貴族社会では男から求婚するのはアウト気味の行為なんだが……。

 

「まあ、今は宰相閣下のことはさておいてだ」

 

 こほんと咳払いして、僕は香草茶で口を湿らせた。

 

「当面の方針としては、"新"内部で我々のシンパを増やすことを最優先とする。それと同時に、"正統"との和平を強力に後押ししていくわけだ。こうすれば、過激派たちは自然と焦燥を深めていく……」

 

「そして暴発しかけたところを、エルフたち自身の手で始末してもらう。そういうことですか」

 

「その通り!」

 

 さすが、自慢の部下たちは話が早い。僕は満足して頷いた。

 

「むろん、危険もある。まず間違いなく、過激派は僕たちに妨害を仕掛けてくるだろう。直接的な暴力に訴えかけてくる可能性も、十分にある。しかし、だからこそ焦らず、ゆっくりと、確実に"新"の中枢へと浸食していくんだ」

 

 要するに、リケ氏に対してやったことをそのまま拡大して"新"全体に仕掛けていくわけだな。

 

「なるほど……よい作戦のように思えます。わたしとしては、賛成ですね」

 

「同感です。あんな連中の内戦に巻き込まれて、自慢の部下たちをすり減らすような真似はしたくありませんし」

 

 ソニアもジルベルトも、しっかりと頷いてくれた。どうやら、異論はないようである。……いやー、ほんとに我がリースベンは上意下達がラクでいいね。憔悴しきったダライヤ氏の顔を思い出して、なんだか申し訳ない気分になった。部下にイエスマンしかいないのも問題だが、だからといってあそこまで無秩序なのは論外だよなあ……。



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第238話 くっころ男騎士と食料調達

 幹部会議を終えた僕は、領主屋敷を出てカルレラ市中心部にある邸宅のひとつを訪れていた。邸宅と言っても、そこは田舎のリースベン。それほど立派な代物ではない。王都にある僕の実家……つまり、貧乏騎士家の屋敷と大差ない大きさだった。

 

「おお、よく来たな」

 

 が、小さな門構えに反し、応接室で僕を出迎えた人物はなかなかの大物だ。ロスヴィータ・フォン・ディーゼル。前ズューデンベルグ伯にして、我が義妹カリーナの実母である。要するに、元伯爵殿ということだな。

 彼女はリースベン戦争の敗戦を機に伯爵職から引退し、和平条約を守るための人質としてカルレラ市に移住した。もともとは領主屋敷に住んでもらっていたのだが、この頃僕の屋敷はエルフやカラスで一杯になっているからな。すっかり定員オーバーの有様だったので、近所にある邸宅を買い上げてそちらへ引っ越してもらったのである。

 まあロスヴィータ氏としても、小さいとはいえ自分専用の屋敷で暮らした方が気が楽だろう。それに、彼女は領地から夫や使用人なんかを呼び寄せて、なかなかの大所帯になっていたしな。タイミングとしてはちょうどよかった。もっとも、一応人質には違いないので、護衛と称して騎士を配置し監視は続けているが……。

 

「お久しぶりです」

 

「本当だよ。ほんの少し前までは、毎日顔を合わせてたのにな」

 

 もともと敵同士ではある我らだが、ともに呑兵衛ということもありそれなりに打ち解けていた。エルフどもの件で忙しくなる前は、よく一緒に酒を飲んでいた仲である。もっとも、流石にこの頃はそんな余裕はなくなっているが。

 人質といいつつも、彼女はディーゼル伯爵家の窓口のように扱われていた。現ディーゼル伯爵は彼女の長女だから、当主の座を退いた現在でも家中にはそれなりの影響力を持っているのである。ズューデンベルグ領と相談や取引がしたいなら、ロスヴィータ氏に話を通してもらうのが一番手っ取り早い。

 

「で、用件は何だ」

 

 娘であるカリーナと違い、ロスヴィータ氏は身長二メートルを優に超す偉丈夫である。見た目はいかにも筋骨隆々な武人という感じだし、中身の方もイメージそのままの竹を割ったような性格だ。面倒な前口上など抜きにして、いきなり本題を求めてくる。

 

「ズューデンベルグ領から、穀類を融通してもらえないかと思いまして」

 

 彼女の治めていたズューデンベルグ領は、麦の一大産地である。大規模な畑と先進的な農法により、リースベンとは桁ひとつどころか二つくらいは違う量の穀類を生産している。山脈で隔てられているだけのお隣さんだというのに、まったくどうしてここまで差がついたのかと思わずにはいられない。

 

「なるほどな。まあ、だいたい予想はしていたが……例のエルフの一件か」

 

 豆茶をすすりながら、ロスヴィータ氏は気楽な声でそう言う。昨日ダライヤ氏が両手で持っていたものと同じような大きさのカップなのに、彼女が持っているとなんだかお猪口のように見えるから不思議だ。本当にロスヴィータ氏はデカい。

 

「ええ。連中に、食糧支援をすることになりましてね」

 

「ほーん、酔狂なこった。蛮族ごときにメシをくれてやろうなどとは」

 

 そのいかつい肩をすくめて、ロスヴィータ氏は苦笑する。リースベンほどではないにしろ、ズューデンベルグ領も辺境には違いない。蛮族との戦いも、幾度となく経験しているはずだ。

 

「鉛玉より麦粒のほうが有効な相手と判断しました。指揮官としては、敵に応じて適切な武器を選択するべきですからね」

 

「なるほど? ……まあいい。それで、どれくらい入り用なんだ」

 

「こちらを」

 

 僕は、ロスヴィータ氏に一枚の紙を手渡した。彼女はそれを見て眉を跳ね上げ、小さく唸る。

 

「なかなかの量だな。これだけ一気に集めるとなると、流石のウチでも少しばかり骨が折れるな」

 

「でしょうね……」

 

 なんだかんだいって、エルフどもの数は結構多いからな。全員を食わせていこうと思えば、結構な量の食料が必要になってくる。むろんそのすべてをズューデンベルグ領で賄う気はないが、それでもやはり要求量は大きくなってしまった。

 いくら一大産地でも、これだけの量の麦を一気に集めて輸送しようと思えばかなりの難儀があるはずだし、他の取引先との商売ににも少なからず影響が出るに違いない。ロスヴィータ氏としても、この提案を無条件に飲むような真似はしないはずだ。そこで僕は、追撃を加えることにした。

 

「無理を言っている自覚はあります。手間賃こみで、価格は相場の三割増しでどうでしょうか?」

 

 量が量なので、三割増しでも結構な額になってしまう。しかし、こんなこともあろうかと先日アデライド宰相に「カネをくれ!」と手紙でせっついておいた。それなりに色よい返事が返ってきたので、近いうちに銀貨のたっぷりはいった木箱が届けられることだろう。持つべきものは金づ……頼りになる上司である。

 まあ、実際のところ我がリースベン領が生み出す収益は、巡り巡ってアデライド宰相の懐に入るわけだからな。そのリースベン領が安定化するのであれば、宰相本人にも身銭を切るだけのメリットは十分にある。

 

「ふーむ……」

 

 少し唸ってから、ロスヴィータ氏は豆茶を飲み干した。従者にお代わりを頼んでから、彼女はこちらに目を向ける。

 

「……むしろ、相場の一割引きで売ってやると言ったら、どうする?」

 

「……」

 

 その言葉に、僕は思わず黙り込んだ。いくら金持ちのアデライド宰相でも、財布の中身は無限ではない。安くなる分には、当然ありがたい。有難いのだが……この手の提案には、だいたいウラがあるものだ。諸手を上げて喜ぶような真似はできない。

 

「条件は?」

 

「保護契約だ。ありていに言えば、リースベンには我らを守ってもらいたい」

 

「ええ……」

 

 ズューデンベルグ領はお隣さんだが、我がガレア王国の宿敵神聖オルト帝国に属している。それを保護しろとはいったいどういう了見なのか。思わず、僕の眉間にしわが寄った。

 

「リースベン戦争のせいで、伯爵軍の戦力はすっかり消し飛んでしまった。こうなると、周囲の領主たちがギラギラしはじめる。ウチの麦畑は、なかなかに魅力的だからな」

 

「……ズューデンベルグ領と接している他国の領地は、このリースベン領のみのはず。つまり、神聖帝国所属の他の領主があなた達の領地を狙っているわけですか?」

 

「ああ。ガレア王国と違い、神聖帝国では内部の領主同士が頻繁に戦争をしている。皇帝が保護してくれるのは、外敵に攻め込まれた時だけだからな。内輪もめをする分には、自由なんだよ」

 

 ……話には聞いていたが、本当にひどいな神聖帝国。内紛はエルフだけの専売特許ではないということか。まあ、神聖帝国などと名乗っていても、実態は領邦領主の寄り合い所帯だ。国家というよりは、連合と言ったほうが実態に近い。共通の敵が居るときは呉越同舟で協力するが、そうでない時はあくまで他人でしかないのだろう。

 とはいっても、貴族……とくに領主貴族は、どこの国でもそういう傾向はあるがね。我がガレア王国でも、先日大物貴族が大反乱を起こそうとしたばかりだからな。あまり人のことを言えた義理でもない。

 

「今の伯爵家のは兵もなければ金もない。はっきり言えば、絶体絶命の状況だ。落ち目の領主を助けてやろうなどというお優しい貴族は、神聖帝国にはおらんものでね。困ってるのさ」

 

「はあ、なるほど」

 

 これは困ったことになったぞ。僕は何とも言えない心地になりながら、黒々とした豆茶をすすった。コーヒーによくにたその風味を楽しむ精神的余裕もなく、思案する。

 ディーゼル伯爵家に滅んでもらっては困る。程よく弱った彼女らがお隣さんだからこそ、僕たちは内政とエルフへの対応に集中できるんだ。ズューデンベルグ領が他所の領主に征服されてしまえば、その前提が崩れてしまう。しかも、せっかく構築した交易ルートまでご破算になるのだから、やってられない。まったく、最悪な事態だ。

 

「一度矛を交えたからこそ、リースベンの……いや、ブロンダン城伯家の力はよく心得ている。頼りにならない皇帝家は切り捨てて、ブロンダン家についた方が良いのではないかという意見まで、ディーゼル家の中では出ているんだ」

 

 ニヤリと笑って、ロスヴィータ氏はそんなことを言う。……いやいや、いやいやいや、どうするんだよコレ。エルフ問題だけでも死ぬほど厄介だというのに、これ以上トラブルを持ち込むんじゃないよ!



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第239話 くっころ男騎士と隣国

 どうやら、ディーゼル伯爵家な神聖帝国国内の、他の領主からの侵攻を警戒しているようである。実際神聖帝国ではこの手の内輪もめは日常茶飯事であり、杞憂であるとも言い難い。

 僕たちとしても、ディーゼル伯爵家が滅んでしまうのは困る。伯爵家を屈服させるまでには、少なくない量の血が流れたわけだからな。リースベン戦争で亡くなった部下たちの死を無駄にしないためにも、この我々にとって都合の良い関係が水泡に帰すような自体は避けねばならない。

 

「そちらの要望はわかりました。しかし、今日明日に結論を出せる問題ではありませんね」

 

 僕は豆茶を一口飲んでから、元ディーゼル伯爵ロスヴィータ氏にそう答えた。他国の内紛に武力介入とか、そういうのはマジで勘弁願いたいだろ。しかも、今はエルフの内紛を調停している真っ最中なわけだし。この上さらに厄介ごとを抱え込むのは普通にムリだ。

 しかも、神聖帝国はエルフェニアと違って広くて人口も多いからな。防衛戦争とはいえ、下手に介入すると大戦争に発展する危険性もある。ガレア王国でも領邦領主にはある程度の独自外交権が認められているが、流石にこの案件はその範疇を逸脱しているように思われる。

 

「まあ、そりゃわかってるさ。大丈夫、緊張が高まっているといっても、侵攻の兆候をつかんだとかそういうマジでヤバいレベルの話じゃあない。まだ外交戦の段階だよ」

 

「多少なりとも、猶予はあると」

 

「ああ。まあ、もちろん出来るだけ早く結論を出してほしいのは確かだがね」

 

 さすがに、緊急性のある話ではないらしい。僕は内心安堵のため息を吐いた。エルフに対処しつつディーゼル伯爵家の問題にも手を出すなど、絶対に不可能だ。しかしたとえ参戦せずとも、隣の領地で戦火が上がり始めればこちらとしてもある程度の対応は必要になってくる。

 とはいえ、わかっているリスクを放置するわけにもいかないしなあ。ズューデンベルグ領が不安定化するのはマズイ。あそこからの食料供給が途絶えれば、エルフどもを食わせていくなど絶対に不可能になってしまう。なんとしても、戦争が起きないよう手を打たねばならない。

 そういうこちらの事情を理解したうえで、ロスヴィータ氏はこの話を打診してきたんだろうな。まったく油断も隙も無いったらありゃしない。

 

「しかし、我々リースベンが神聖帝国内部の戦争に関わるのはあまりにもリスクが高い。これは、完全に僕の職権を逸脱している案件です」

 

 とはいえ、これは神聖帝国内部の問題だからなあ。僕らが介入すれば、かなりマズイ事態になってしまうかもしれない。下手すりゃ王国と神聖帝国の全面戦争に発展するリスクもある。流石にそれは避けたいだろ。

 

「わかってるさ、そんなことは。ただ、まだ戦争が起きると決まったわけじゃあないからな。リースベン戦争やガレアの王都で起きた内戦のせいで、ブロンダン殿の武勇は諸国に鳴り響いている。我らが同盟すれば、好んで手出しをしようという輩はあまり居ないんじゃないかと思うがね」

 

 我らがリースベンを番犬代わりに使うことで、野心を持った周辺領主を牽制したい……それがロスヴィータ氏の狙いのようだ。まあ、武勇云々はさておいても、現在のリースベン軍は城伯の私兵とは思えないほど充実しているのは確かだからな。ある程度の抑止力にはなろう。

 しかし、抑止力が上手く機能せず、戦争が始まる可能性だってあるわけだからな。領主としては、楽観して安請け合いするような真似だけは絶対にするわけにもいかない。難しい所だ。

 

「……とりあえず、上司に相談してみましょう。あまり期待されても困りますが」

 

 こういう時は、上司に丸投げするに限る。幸い、アデライド宰相は近いうちにリースベンにやってくる予定だからな。その時に、ロスヴィータ氏やディーゼル家の幹部と直接話しあって貰えば良いだろう。

 だが、上層部ってやつは基本的に腰が重いものだからな。あれこれ話し合いをしているうちに、事態がマズイ方向へ転がっていく可能性もある。そうならないよう、現場でもある程度の保険はかけておくべきだろう。そう判断して、僕はさらに言葉をつづけた。

 

「とはいえ、要するに一番の問題は伯爵軍の兵力が不足していること……ですよね?」

 

「まあ、はっきり言えばそうだ。リースベン戦争の死傷者数は異常だった。戦力が元通りになるには、何年もの時間が必要になる。言っちゃなんだが、この提案はあたしらの戦力が回復するまでの時間稼ぎみたいなもんだ」

 

 何とも言えない表情でロスヴィータ氏は言う。まあ、彼女の子飼いの騎士をぶっ殺しまくったのは僕たちだからな。少々言いづらい部分はあるだろう。

 

「なるほど。では、傭兵で穴埋めするというのはどうです?」

 

「兵も居ないが金もないんだ、ウチは。どこかの誰かさんに多額の賠償金を払っているからな……」

 

 ジト目になって、ロスヴィータ氏が指摘する。……講和会議ではアデライド宰相が獅子奮迅の活躍を見せてたからなあ。賠償金も、相場よりも随分と多くむしり取っていた。そりゃ、金欠にもなるか。

 

「大丈夫、カネではなくメシで動く兵隊にツテがあります」

 

「……なるほど?」

 

 いかにも猛将といった風情のロスヴィータ氏だが、元領主ということもあり決して単なる脳筋ではない。こちらの言いたいことは、すぐに察してくれたようだった。

 要するに、ズューデンベルグ領にエルフを派遣するということである。三食食い放題という条件で募集すれば、おそらく少なくない数のエルフが応じてくれるはずだ。口減らしにもなって、一石二鳥である。こんどの三者会議で提案してみることにしよう。

 

「それはありがたい、よろしく頼もう。……が、保護契約のほうも、とりあえず宰相殿に相談だけでもしてくれないだろうか? 後悔はあと先に立たない。できるだけ、万全を期しておきたいからな」

 

「まあ、相談するだけなら……」

 

 実際、ディーゼル家が滅ぶのは困るしな。上司に取り次ぐくらいは、やってもいいだろう。僕はしっかりと頷いた。

 

「ありがたい!」

 

 にっこりと笑ってから、ロスヴィータ氏は豆茶を一気に飲み干した。

 

「まあ、こちらの話はそこまで急がなくても大丈夫なんだが……そっちはなかなか急を要しているわけだろ? 支払いに関してはツケでいいから、出来るだけ早くそちらに回せるよう手配しておくよ」

 

「ご配慮に感謝いたします、ロスヴィータ殿」

 

 なんだかんだいって、ロスヴィータ氏はこういう面ではとても話の分かる相手である。僕はほっと息を吐いてから、彼女に一礼した。

 

「なあに、あんたはあたしにとっちゃ息子も当然。これくらい、何ともないさ」

 

 にやりと笑って、彼女はそんなことを言う。……息子、ねえ。ものの例えだよな? なぜだか罠に嵌められているような心地がしてきたのだが、たぶん気のせいだろう。

 

「はあ、しかし……久しぶりに真面目な話をしたから、肩が凝っちまった。領主は引退したんだがね」

 

「ハハハ……ご苦労様です。気晴らしついでに、今夜飲みにでも行きますか」

 

 ロスヴィータ氏はかなりの酒好きで、エルフ案件が本格的になる前はよく一緒に酒盛りをしていた。まあ、飲み友達といっても過言ではないくらいの関係ではある。この頃忙しくて、なかなか飲み会をする時間も取れなかったが……たまにはいいだろう。そう考えての提案だったのだが……

 

「いや、悪いが付き合えない。しばらく禁酒する予定でな」

 

「……えっ!?」

 

 こ、このウワバミ大酒のみが禁酒!? 僕は思わず、豆茶のカップを取り落としそうになった。天地がひっくり返っても、この人が酒を断つのはあり得ない。そう思っていたのだが……。

 

「そりゃまた、一体どうして? いきなり、健康に目覚めでもしたんですか」

 

「いや、ちょっと」

 

 にへらと笑って、ロスヴィータ氏は己の腹をさすった。

 

「ガキが出来ちまったみたいでな」

 

「ワアオ……」

 

 いきなりの告白に、僕は椅子から転げ落ちそうになった。



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第240話 くっころ男騎士とおめでた

 ロスヴィータ氏が懐妊した。予想外過ぎて椅子から転げ落ちそうになったが、とりあえず僕は笑顔で祝辞を述べることにした。困ったときには、まず笑え。それが僕の信条である。

 

「それはそれは、おめでとうございます」

 

 彼女の腹は今のところ、まったく膨れていない。時期から考えて、カルレラ市に移住して以降にできた子供だろうが……。ロスヴィータ氏は、領地から夫を呼び寄せているからな。まあ、夫婦が揃っているんだから、子供が出来ることもあるだろう。

 カリーナの母親でもあるロスヴィータ氏だが、多くの亜人貴族は十代のうちに結婚して子供を産むのが一般的だ。ロスヴィータ氏本人もまだ三十代で、女ざかりといっていい年齢である。頑丈な亜人ということもあり、出産に関してもそこまで心配しなくても大丈夫ではなかろうか。

 

「ちょいと気が早いですが、腕のいい産婆を手配しておきましょう」

 

「助かる。……あっ! 悪いが、妊婦はもう一人いる。準備は二人分で頼みたい」

 

「……もう一人は、一体どなたで?」

 

 ロスヴィータ氏の元に居る伯爵家の人間は少ない。その中で二人も妊婦が居るというのは、かなりの驚きだ。恐る恐る聞いてみると、彼女は赤くなった頬を掻きつつそっぽを向いた。

 

「あたしの義妹……つまり、夫のもう一人の妻だな。只人(ヒューム)だよ」

 

「……」

 

 神聖帝国も我らがガレア王国と同じく星導教が国教だから、結婚は基本的に一夫二妻制である。夫を共有している妻同士は、義理の姉妹という扱いだ。

 とはいえ貴族の場合、夫を共有するのはおおむね自分の家で抱えている只人(ヒューム)の一族、裏族(りぞく)であることが多い。血は繋がっていないとはいえ裏族(りぞく)は家族や親せきとして扱われるため、義理とは言っても本当の姉妹よりも仲が良い場合も多い(貴族の場合、血縁上の姉妹は継承権の関係でモメがちである)のだが……。

 

「そっ、そんな顔するなっての! 責任を手放して、時間が出来て……せっかくだから楽しまなきゃ損だろ! 夫婦三人で"仲良く"するくらい、いいじゃないか」

 

「いや、悪いとは言ってませんが」

 

 つまり、人質生活をしつつ三人プレイを敢行したわけか、この夫婦。ううーん、フリーダム。まあ、よそ様の性生活に口出しするほど、僕も野暮じゃないがね。何にせよ、家族が増えるのはめでたい事だしな。

 

「ま、まあご両名とも、全力でバックアップいたしますので……ご安心を」

 

「すまねぇな、この忙しい時期に」

 

 申し訳なさそうな顔で、ロスヴィータ氏は頭を下げた。今の我々がエルフ案件にかかりきりになっていることは、彼女も知っている。何しろ彼女らディーゼル家の助力がなければエルフたちの食料需要に応えることなどとてもできないからな。事情を離さないわけにはいかなかった。

 

「忙しいことを言い訳にしてそちらの方向性の努力をサボった結果が今の僕ですよ。結構なことじゃないですか、赤ちゃんの二人や三人くらい……」

 

 これが例えば、ソニアあたりが妊娠で現場を離脱……という事態なら大事だけどな。でも、この人の本業はあくまで人質だ。大した影響はない。

 ……しかし、ソニアの妊娠かぁ。そんなことになったら、密かに泣くかもしれん。子供のころは、「僕、将来的にはソニアと結婚することになるのかなあ」とか思ってたんだが……距離感が近い割に全然そっちの話題を出してこないし、たぶん彼女にとって僕は性別が違うだけの親友、みたいなポジションなんだろうなあ……。

 いやまあ、ソニアってばお偉いさんの嫡女だし、そもそもブロンダン家の嫁は只人(ヒューム)じゃなきゃ駄目ってことはソニアやスオラハティ辺境伯も知ってるはずだし、よく考えてみればそんな目は最初からなかったんだよな。よくもまあ、そんな思いあがった勘違いができたもんだよ、僕ってば。

 

「おいおい、そんなんじゃ困るぞ。あたしは、孫と娘を同時に抱っこするのが夢なんだから」

 

「……はい?」

 

 僕がいくら行き遅れようが、ロスヴィータ氏に孫が出来る時期には影響しないと思うんだが……。

 

「カリーナだよ、カリーナ。あいつももうすぐ成人だ。そろそろ、子供のことも考え始めたほうがいい時期だろ」

 

「ああ、なるほど」

 

 僕は納得した。たしかに、義理の兄である僕が婚活で苦戦していると、カリーナにも悪影響があってもおかしくない。ガレアや神聖帝国の貴族は成人(中央大陸西方の場合、十五歳が成人年齢だ)を迎えると同時に結婚し、そのまま第一子を妊娠、という流れが多いしな。まだ十四歳とは言え、カリーナもうかうかはしていられない時期が来つつある。

 二十代はもっとも戦士として脂が乗る時期だ。身重の状態で戦地に行くわけにはいかないので、出産は十代のうちに済ませておくべき……そういう考え方が、亜人貴族たちの間では一般的なのである。

 僕の周りに居るのは結婚もせずに仕事が恋人みたいになってるやつらばっかりだから、その辺りの感覚がすっかりマヒしてたよ。アデライド宰相なんか、アラサーで未婚だしさ。幼馴染の騎士たちも誰一人として結婚してないし……他人事ながら、心配になってくるよ。いやまあ、僕も全く同じ状況な訳で、人のことはまったく言えないんだけどさ。

 

「あいつは確かに勘当娘だ……。立場上まともな結婚は難しいかもしれない。しかし、好いた男と連れ合いになるくらいの幸せはあっていい。そうだろ?」

 

「ええ、もちろん」

 

 そうなんだよな。カリーナは実家から勘当されている立場だ。結婚相手を見つけるのは、僕以上に大変かもしれない。しかし、義理とはいえ僕は兄だ。あいつの幸福な未来のためには、全力で骨を折ってやろうじゃないの。

 

「カリーナには、絶対に不憫な想いはさせません。このアルベール・ブロンダンに、万事お任せを」

 

「すまないなあ。あんたには、本当に世話になるよ。この恩は決して忘れん」

 

 目尻に涙を浮かべ、ロスヴィータ氏は右手で僕の手をぐっと握り締めた。思わず、暖かい気持ちが胸からあふれ出してくる。かつては敵同士だった我々が、こうして本心から手を握り合える関係になったのだ。これほど素晴らしい事は他にはない。

 

「こうなったからには、我々は家族と同じだ。穀物の件は、あたしに任せておけ。絶対に、必要量すべてを供給して見せる。本家の連中がなんと言おうとな」

 

 どうやら、ロスヴィータ氏のおかげで食料の調達はなんとかなりそうな気配だ。あとは、どうやって輸送するかだが……こればっかりは、三者会談の結果次第だな。さてさて、正念場だぞ。



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第241話 くっころ男騎士と気晴らし

「はあ……」

 

 その夜。僕は夕食を食べながら、思わずため息を漏らした。忙しい。あまりにも忙しすぎる。ロスヴィータ氏から驚愕の報告を受けた後、僕はディーゼル伯爵家の懸念や要望について書き記した手紙を用意し、伝書鳩を使って王都のアデライド宰相の元へと送った。

 むろんこの世界にはワープロやパソコンなどは存在しないので、当然手書きである。しかも輸送方法が鳩などという代物だから、飛行中に猛禽等に捕食されてしまう恐れもある。そのため、こういう重要な手紙は一度に少なくとも三通は送る必要があった。

 さらに言えば、手紙を書き終わった後も僕の仕事は終わらなかった。エルフの受け入れに関してカルレラ市参事会と会議をしたり、錬成途中のリースベン軍を視察しに行ったり、とにかくやることが多い。忍法分身の術の習得を真剣に検討したくなるほどの多忙ぶりだ。

 

「お疲れですね」

 

 一緒に食卓を囲んでいたジルベルトが、心配そうな声で聞いてくる。

 

リースベン(うち)は文官が少ないからな。どうしても、領主の負担が……」

 

 まあ、リースベン政府の母体となったのは僕の騎士たちだからな。文官が少ないのは仕方がない。アデライド宰相やスオラハティ辺境伯の計らいで何人かの文官が派遣されてきていたが、それも焼け石に水といった風情である。

 

「しかし、人材は無から湧いてくるわけじゃあないからな。しばらくは、この体制で行くしかあるまい」

 

 僕はもう一度ため息をついてから、秋野菜のサラダをフォークでつついた。むろん文官の増員に関しては手を打っているが、今すぐ改善するほど即効性のある手ではない。結局、今のところが僕が気張るほかないのだった。

 

「しかし、あまりにも根を詰めすぎるとお体に障りますよ。少しくらい、お休みになられた方が良いのでは」

 

「同感ですね」

 

 ジルベルトの言葉に、ソニアが同調する。

 

「アル様はここ一か月間、ほとんど休まれておりません。いくらなんでも、これは働き過ぎです。一日くらい休んだって、バチはあたりませんよ」

 

「……そうかもしれないが、僕が抜けると仕事が滞るだろう? 休んだところで、処理すべき仕事の量が減る訳で無し……」

 

 一日ぶんの仕事が後日に持ち越しになったら、却ってしんどいことになりそうなんだよな。それはちょっと嫌だろ。

 

「問題ありません。幸いにも、明日の予定はこまごまとした重要度の低いものばかりです。わたしでも代行できる程度の仕事ですし、お休みになられては」

 

「しかし……」

 

 副官に仕事をブン投げて自分だけ休むというのは、少々気が引ける。僕が首を左右に振ろうとすると、それより早くソニアはにこりとほほ笑んだ。

 

「アル様が倒れられたら、心配のあまりわたしの方まで仕事どころではなくなってしまいますよ。これでは、かえって非効率です」

 

「……すまない。僕は本当にいい副官を持った」

 

 まったく、僕にはもったいないくらいの人材だ。どうしてソニアは、次期辺境伯の地位まで捨てて僕についてきてくれたのだろうか? 理由はわからないが、とにかく返しきれないほどの恩があるのは確かだ。

 

「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 

 僕は少し笑ってから、スープを口に運んだ。明日が休みになったとたんに何故だかメシが美味く感じ始めるのだから、まことに現金な話である。良く煮込まれて柔らかくなった根菜類を味わいながら、明日の予定について考える。

 せっかくの休みだ。一日中ベッドでごろごろして過ごすなど、あまりに勿体ない。そもそも、この頃会議だの机仕事だのばかりやっているから、すっかり身体が鈍っちゃってるんだよな。外へ出て、ぱーっと運動したほうがよさそうだ。ただ、明日は夕方に"お客様"がやってくる予定なんだよな。それまでには、屋敷へ戻ってこなきゃマズい。

 

「久しぶりに、馬で遠乗りでも行ってこようかな」

 

 できれば狩猟でもしたいところだが、残念なことにリースベンにはあんまり狩りごたえのある大きさの獣が居ないんだよな。鳥打ちもそれはそれで楽しいが、今はそういう気分にはなれなかった。

 

「ああ、それはよろしいですね。ですが、この頃なにかと物騒です。煩わしいでしょうが、護衛はしっかりとつけるようお願いいたします」

 

 たしかに、一人で出ていくのはマズそうだな。ダライヤ氏から過激派エルフの話も聞いたばかりだし。……いや、まあ、エルフに関していえば、ほとんど全員が過激な連中なワケだけどさ。

 しかし、"正統"との戦争継続を願っている連中からすれば、僕は目の上のタンコブだろう。暗殺のような手段に出てくる可能性もある。ある程度の警戒は、しておくに越したことはないかな。

 

「そうだな。暇してそうなヤツを見繕って……」

 

「あっ、主様! 護衛でしたら、わたしにお任せを!」

 

 僕が言い終わるより早く、ジルベルトが身を乗り出してそう主張した。その剣幕に、流石に少し面食らってしまう。

 

「ど、どうしたんだ、突然」

 

「い、いえ、その……」

 

 ジルベルトはちらりとソニアのほうを見て言いよどんだ。我が副官はニヤリと挑発的な笑みを浮かべ、微かに頷いて彼女に続きを促す。……なんだろう、コレ。知らないうちにアイコンタクトが成立するレベルでなかよくなってるのか、この二人。

 

「せっかくの機会ですから、主様との信頼関係の醸成を、と思いまして……」

 

「ほう」

 

 そういえば、ジルベルトと一緒にどこかへ遊びに行った経験はないな。ソニアとは、数えきれないほどあるんだが……。確かに、そういうのも悪くないかもしれないな。デートに誘われたみたいで、なんだか嬉しいし。

 ……ちょっと遊びに誘われたくらいで、デートだなんだと浮ついた気分になるのが非モテこじらせすぎだろって感じだ。こんな有様だから、変な勘違いをして結婚時期を逸するんだぞ。はあ……・

 

「僕としては嬉しい話だが、仕事の方は大丈夫なのか? 確かに今はエルフどもも大人しくしているが、油断はできないぞ」

 

 ジルベルトの仕事は、農村部の警備だ。エルフどもが妙な動きをしていないかどうか監視し、場合によっては現場の判断で迎撃を開始する。対エルフ防衛作戦の初動を担当する、極めて重要な役職だった。

 

「一日くらいでしたら、問題はないでしょう。主様にソニア様がいらっしゃるように、わたしにも自慢の部下がおりますので」

 

「なるほど……」

 

 言われてみれば、その通りである。ジルベルトのプレヴォ家は、僕のブロンダン家よりもよほど長い歴史を持ち血筋も良い一族だ。部下の質や数に関しては、疑問を挟む余地もなく優秀である。

 

「わかった。それじゃあ、明日一日のエスコートをお願いしよう。よろしく頼む」

 

「光栄です、主様」

 

 露骨に嬉しそうな表情で、ジルベルトは一礼した。



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第242話 カタブツ子爵と酒盛り

「いよっっっっし!!」

 

 わたし、ジルベルト・プレヴォは歓喜していた。ダイニング・ルームから退室したとたん、喜びをこらえきれず右手をグッと握ってそう叫んでしまう。デート、主様とデートである。勇気を出して誘った甲斐があったというものだ!

 主様にどうアプローチしようか悩んでいるうちに、気付けば数か月が経過していた。当然ながら、この間に進展は全くなかった。ソニア様とこそこそ猥談をするだけの、わびしい毎日である。しかし、このたびやっと一歩を踏み出すことができた。小さな一歩ではあるが、それでも進展は進展である。

 

「あまり大声を出すと、アル様に聞かれてしまうぞ」

 

 一緒に出てきたソニア様が、あきれた様子でそう忠告する。わたしは思わず赤面して、自分の口元を抑えた。

 

「まったく……」

 

 ため息を吐いてから、ソニア様は少し苦笑した。それからわたしの肩を叩き、言葉を続ける。

 

「話しておきたいことがある。一杯付き合ってくれるか?」

 

「え、ええ、ハイ。もちろん」

 

 ……冷静に考えると、ソニア様はかなり強火のアル様ガチ勢。そんな彼女の前で主様をデートに差そうなど、軽率ではなかっただろうか? ヤキを入れられるのではないかと少々怯えつつも、わたしは頷くことしかできなかった。

 

「待たせたな」

 

 それから、十分後。わたしはソニア様の自室に居た。主様の居室の隣にある、あの部屋である。そういえば、ソニア様はこの部屋ののぞき穴をキチンと封鎖したのだろうか? ……この方のことだから、むしろ塞いでいるはずがないという確信があった。

 それはさておき、肝心のソニア様である。部屋にはいってからしばらくの間、枕元のキャビネットをゴソゴソと漁っていた彼女だったが、やっとお目当てのものを発見したらしい。一本の酒瓶を、テーブルの上にデンと置いた。

 

「これは……」

 

 私にも見覚えのある銘柄だった。西の島国、アヴァロニア舶来の高級ウイスキーだ。

 

「わたしの記憶が確かならば、ソニア様はそれほどお酒を好まれなかったハズ。どうしてこのような高価なものを……どなたかからの贈り物でしょうか?」

 

「いや、その……アル様が美味しそうに飲まれていたので、わたしも試しに買ってみたのだが……思った以上にキツくて、放置せざるを得なくなったのだ。まあ、来客用だな」

 

「そ、そうですか……」

 

 こういう、妙なところで可愛げがあるのがソニア様の面白いところだ。笑いをこらえつつ、手酌で酒杯に注ぐ。ガレアでは水などで割って飲むものも多いウイスキーだが、本場のアヴァロニアではストレートが基本だという話だ。まずは、そのまま行ってみることにしよう。

 

「その、それでは、いただきます」

 

「ああ。……処理しきれなくてこまっているんだ。好きなだけ飲んでくれ」

 

「ええ……」

 

 ちょっと困惑しつつも、ウイスキーを口に含んでみる。……鼻の奥に、強烈な磯の香りと炭火のような風味が流れ込んだ。思わずむせそうになり、あわてて水で流し込んだ。こ、これは……なんだ? 本当に酒なのか? 薬のような風味もするのだが……

 

「凄いだろう? アル様はこれを、喜び勇んでお飲みになられるのだ。正直、お酒の趣味に関しては全く理解できない部分がある……」

 

 そう語ってから、ソニア様は自らもこの酒だか異臭のする薬品だかわからないようなウイスキーを少しだけ飲んだ。そして涙目になりながら、水をがぶ飲みする。どうやら、ヘンな酒でわたしに嫌がらせをしているわけではないようだ。本気で処理に困っている様子である。

 

「しょ、正直、これはちょっとキツいですね……それこそ、主様に差し上げればよろしいのでは……?」

 

 本当に主様は、このような酒を好まれているのだろうか? さすがにちょっと、信じがたい。確かに飲みにくい酒というものはそれなりに存在するが、これは常軌を逸しているように思える。

 

「それも検討したのだが……正直に『キツ過ぎて飲めませんでした』と申告するのは恥ずかしいし、さりとて嘘をつくのも申し訳ないし……」

 

「盗撮の方がよほど主様に申し訳ない所業ですよ、ソニア様」

 

「……」

 

 無言で唇を尖らせてから、ソニア様はウイスキーを口に運んだ。そしてむせた。やはり、この酒はそのまま飲むのはあまりにも危険である。せめて、水で割らねばなるまい。……というかソニア様、すでに顔が真っ赤になりつつあるな。下戸なのにウイスキーなど飲むから……

 こうなれば、この酒はわたしが処理するしかあるまい。わたしは腹をくくって、酒杯に水を追加で注いだ。きちんと薄めてやらないと、大量に飲むのはムリだ。

 

「それで……今回は一体、どういったご用件でしょうか?」

 

 こほんと咳払いをしてから、わたしは本題に入った。雰囲気からして、ヤキ入れの類ではなさそうなので密かにほっとしている。

 

「ああ……アル様の遠乗りの件だ。浮かれている様子なので、すこし諫めておこうと思ってな」

 

 わたしに倣って酒杯に水を注ぎつつ、ソニア様はそう言った。

 

「エルフどもも含め、アル様の身柄を狙うものは少なからず居る。わたしが同行できない以上、頼りになるのは貴殿だけだ。浮ついた気分になるのは理解できるが、あまり油断せぬようにな」

 

「……それは、もちろん。どうぞわたしにお任せください」

 

 事実上のデートとはいえ、あくまでわたしは護衛である。あらゆる危険から、主様をお守りする義務がある。もちろん、わたしとしてもそのお役目をないがしろにするつもりはない。

 

「うむ、それでよし。……言いたいことは、それだけだ」

 

「な、なるほど……」

 

 思った以上にあっさりしていたので、わたしは少し拍子抜けしてしまった。嫌味のひとつでも言われるのではないかと思ったのだが……。

 

「しかし、その……よろしいのですか? わたしが、主様と仲良くして」

 

「良いも悪いもない」

 

 ソニア様は即座に首を左右に振った。

 

「今のリースベンには、アル様とわたしの代理を務められる人間は貴殿しか居ない。つまり……」

 

「つまり?」

 

「わたしがアル様と二人っきりの休暇を過ごすには、貴殿に頑張ってもらうほかない」

 

「……ああっ!」

 

 なるほど、それで合点がいった。わたしは思わず手をぽんと叩いてしまう。要するに、ソニア様は「お前がデートに行くのは認めてやるから、次はわたしのデートに協力せよ」と言っているわけか。

 

「困っていたのだ。わたしの代理がいなくて……ジョゼットの奴は一向に責任ある立場に付こうとしないし……」

 

 ぶつぶつと愚痴りつつ、ソニア様はウイスキーの水割りを飲む。ジョゼットというと、主様たちの幼馴染騎士の一人だったか。確か、王都の戦いでは主様の補佐を担当していた記憶がある。

 

「宰相だの司教だのの影響を排除しつつ、この領地を運営していくには……我ら二人がしっかりと協力して、アル様を盛り立てていく必要があるのだ。……この意味が解るな?」

 

 ソニア様はすでにすっかり酔っぱらっている様子だった。まだ、酒杯の中身は半分も減っていないというのに……やはり、この方にはお酒は飲まさない方が良いのではないだろうか。

 

「そ、それは、まさか……」

 

「うむ。……むろん、アル様が認めればの話だが」

 

 どうやら、ソニア様はわたしと自分で主様を共有するプランを考えている様子である。ガレア王国では亜人と只人(ヒューム)による一夫二妻が推奨されているが、これ以外の形態の結婚が認められていないわけではない。固い絆で結ばれた主従や友人同士が夫を共有する例も、少なからず存在している。

 驚くわたしなどお構いなしに、ソニア様はがぶがぶとウイスキーの水割りをのんだ。そして、ぷはあと磯と煙の混ざった臭いの息を吐く。いや、いやいやいや、下戸がこの勢いで酒を飲むのは不味いぞ。流石に止めた方が良いのではないかと思ったが、行動に移すまえにソニア様は言葉をつづけた。

 

「貴殿には、期待しているのだ。実のところ、わたしは己が色ボケの変態である自覚はある……。なにしろ、あの女の娘だからな……あの女と同じように暴走して、アル様を傷つけたり嫌われたりするのが、ひどく怖い……そんなことになる前に、わたしを止めてくれる人間が欲しいのだ……」

 

 すっかり酔っ払いの口調になってしまったソニア様は、そう主張する。若干要領を得ない部分はあるが、ようするにソニア様はわたしにストッパー役を期待しているらしい。どうも、ソニア様はわたしをずいぶんと買ってくれている様子である。じんわりと、胸が熱くなるような心地がした。

 しかし、あの女の娘、か……むろん、これはスオラハティ辺境伯のことだろう。王都で、主様が辺境伯の屋敷で一夜を明かしたことを思い出す。あの時、主様は何事もなかったと説明していたが……。

 

「……」

 

 忌まわしい想像が脳内に浮かび、わたしは慌てて首を左右に振った。水割りを一気に飲み干し、酒精の力で悪い気分を吹き飛ばそうとする。

 

「貴殿がいれば、わたしはやっと前に進める気がするんだ。だから……」

 

 そんなわたしのことなどお構いなしに、ソニア様はつらつらと言葉を重ね続けた。……どうやら、今夜一晩はずっとこの酔っ払いの相手をせねばならないようだな。しかし、悪い心地ではない。少し苦笑してから、わたしは自分の酒杯にウイスキーのお代わりを注いだ。



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第243話 くっころ男騎士の遠乗り

 翌日の早朝、僕は愛馬を駆りカルレラ市を出た。お供はジルベルトと数名の騎士たち、それに荷物持ちや雑用を担当する従者・従兵たちだ。本来ならばもうちょっと少人数で身軽に行動したいものだが、僕も一応領主なので大所帯になってしまうのは仕方ない。

 それはさておき、朝の乗馬は気分が良い。季節も晩秋が近くなり、流石のリースベンも気温が下がってきた。清涼な風を全身に浴びながら馬を駆けさせると、何とも言えない開放感がある。

 

「存外、リースベンにも平原はあるんだよなあ」

 

 周囲を見回しながら、僕は呟いた。今、僕たちが居るのはカルレラ市南部の田園地帯だ。綺麗に整えられた畑のウネにはすでに冬麦が作付けされており。青々とした芽を茂らせている。

 農民たちにはまことに申し訳ないが、エルフたちと全面戦争に至った場合はこの畑を最終防衛線にするほかなさそうだ。森では絶対にエルフたちには勝てないからな。こういう拓けた地形で、射撃武器を生かした迎撃戦を展開するのが僕たち唯一の勝ち筋になるだろう。

 しかし、そんなことをすれば当然畑は滅茶苦茶になってしまうし、弾丸に使っている鉛で土壌が汚染されてしまうリスクまであるのだ。だからこそ、そんな事態にならないよう外交で戦争を回避すべく動いているのだが……世の中、絶対はないからな。万が一の事態は、常に想定しておかなければならない。

 

「あの丘は、前線指揮所として使えそうだな。しかし、見晴らしがよい分集中攻撃を受けるリスクも大きいか……。周囲に複数の野砲隊を展開して、相互支援できるようにしておきたいところだが……」

 

「あ、あの、主様」

 

 頭の中で作戦をこねくり回していると、すぐ隣にいたジルベルトが若干困惑した様子で声をかけてきた。

 

「せっかくの休暇なのに、そんなことを考えていては頭も心も休まりませんよ」

 

「確かにそうだが……」

 

 もっともすぎる指摘に、僕は唇を尖らせた。しかし、地形や建築物を見るとついつい頭の中で戦闘のシミュレーションを行ってしまうのは、指揮官の職業病のようなものだろう。

 

「しかし、ジルベルトも気分はわかるだろう。条件反射だよ、これは」

 

「それは、まあ」

 

 ジルベルトは苦笑して、肩をすくめた。彼女とて一流の指揮官だ。僕と考えることは同じだろう。

 

「しかし、意識して思考を"本業"から遠ざけておかないと、心が疲れ果ててしまいます。羽を伸ばして良いときは、無理にでも休むべきでしょう」

 

「……一理ある」

 

 少し笑ってから、僕は農道の横に生えている大木を指さした。

 

「気分転換もかねて、そろそろ朝食にしようか」

 

 実のところ、出立が早朝だったため、僕たちは朝飯もまだ食べていないのである。日も高くなってきたことだし、そろそろ腹ごしらえにはちょうど良いころ合いだろう。

 

「なるほど、ロスヴィータ殿がご懐妊されましたか」

 

「監視は最低限にしているとはいえ、一応人質なんだけどね、あの人。戦場でも大変に勇猛な方だったけど、私生活でもなかなかに果敢だよ」

 

 それから数十分後。僕たちは道端の大木の根元で朝食をとっていた。メニューはバゲット、カリカリに焼いたベーコンエッグ、そしてキュウリのピクルスという簡単なものだ。もっとも、ベーコンエッグは従兵がこの場で調理してくれた出来立ての物だから、なかなかにウマいのだが。

 

「しかし、こう……身近でこういう話題を聞くと、なんだか焦ってしまうな。僕もそろそろ、行き遅れにカウントされはじめる年齢だ」

 

 両面焼きの卵をフォークで弄りながら、僕はボヤいた。いい加減結婚しなきゃマズいし、そのためには真面目に婚活する必要があることも理解してるんだが……なかなかそういう気分にならないので困る。こと軍事面以外では嫌なことからはすぐ逃げ腰になってしまうのが、僕の悪い所だ。

 

「そっ、そうですか……」

 

 行き遅れという単語を聞いたジルベルトは、露骨に挙動不審な様子になる。ちょっと照れているような雰囲気だ。……えっ、今の言葉に照れるような要素あった!?

 

「そ、その……主様のご両親も、心配されているのでは?」

 

「痛い所をついてくるねえ……」

 

 僕は思わず小さく唸った。無論、母上も父上も早く世継を作ってほしい様子である。もっとも、貴族の結婚などというものは本来両親が縁談を組むのが普通なのである。ところが我が母上は、成り上がり者の盗賊騎士だ。縁談を組めるようなツテは、ほとんどなかった。

 どうやら母上は僕に結婚相手が居ないのは己の力不足が原因と考えているらしく、事あるごとに僕に謝ってくるのだ。気分としては、下手にせっつかれるより余程つらいものがある。

 

「いい加減、安心させてやりたいとは思ってるんだけど……結婚って、相手が居なきゃできないだろ? 困ったことに……」

 

 こういう場合、社交界で相手を探すのがセオリーなんだけどな。ただ、僕は非常に社交界との相性が悪い。社交界デビューで「このオスゴリラめ!」とさんざんに馬鹿にされたのがトラウマになっているのだ。あんな気分の悪い場所に行くくらいなら、部下を率いて戦場に立つほうがよほど気分が楽だ。

 

「……居るといったら、どうします? 相手が」

 

「えっ」

 

 顔を真っ赤にしてしつつ、ジルベルトが僕の耳元で囁いた。

 

「その、なんというか、その、その……わたっ、わたしじゃ、そのっ、だ、だめ……」

 

 ひどく照れた様子で、ジルベルトは言葉を絞り出そうとする。……鈍い僕でも察しがついた。えっ、これ、もしかして告白を受けている? どういうこと!? そんなフラグ立ってたっけ?

 混乱する僕をしり目に、ジルベルトは顔から湯気を出しそうな様子でなんとか言葉を続けようとし……そして、ひゅおんと音を立てて飛来してきた矢が、僕の足元に突き刺さった。

 

「敵襲!」

 

 護衛の騎士たちが叫ぶ。照れ顔から一瞬で戦士の表情に戻ったジルベルトが僕の腕を引っ掴み、己の身体を盾にしながら木陰へと連れ込んだ。その間にも、矢は連続して周囲に着弾する。

 

「おいおいおい」

 

 正直心臓が口から飛び出しそうになるほどビビッたが、僕は指揮官である。部下の前で無様を晒すわけにはいかない。努めて平静を装いながら、大木で身を隠しつつ矢の飛んできた方向をうかがう。

 そこに居たのは、奇妙な集団だった。ボロくて小さな荷馬車の荷台からワラワラと出てきた覆面の女たちが、こちらに矢を射かけてきている。覆面と言っても、普通の代物ではない。時代劇に出てくる虚無僧が被っているような、釣鐘型の深笠だった。

 

「あの服装……連中、エルフですね」

 

 憤怒の籠った声で、ジルベルトはぼそりと呟いた。赤かった顔は、すっかり青ざめている。その原因は恐怖などではなく、怒りだろう。本気でブチギレている表情だった。

 彼女は口を一文字に結ぶと、兜を被ってバイザーを降ろした。護衛役ということもあり、ジルベルトは甲冑を着込んだ完全武装の状態である。一方、僕は帯剣こそしているものの防御力皆無の乗馬服だ。迎撃に関しては、彼女らに任せた方がよさそうだ。

 ジルベルトの言う通り、敵集団はエルフがよく着ているポンチョ姿だった。それに虚無僧型の笠を被っているのだから、ほとんど悪趣味なテルテル坊主のような風体である。正直、かなり不気味だ。

 

「なんだあの胡乱な連中は……」

 

 反"正統"派の刺客だろうか? 彼女らがエルフなら、風体こそ奇妙ではあるものの油断できる相手ではないはずだ。僕は内心で彼女らに罵声を飛ばしつつ、頭を戦闘モードに切り替えた。



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第244話 くっころ男騎士と襲撃

 襲撃を仕掛けてきたのは、十数名の虚無僧エルフ兵である。対するこちらの戦力は、僕を入れて騎士が六名。従者・従兵は戦力にならないので除外だ。

 敵がたんなる雑兵であればなんとでもなる人数差ではあるが、服装から見て相手はエルフだ。彼女らの戦闘力の高さを考えれば、一対二の戦力差は辛いものがある。僕は大木を盾にして虚無僧エルフ兵の矢弾を防ぎつつ、部下たちに指示をした。

 

「従兵たちは後方へ退避! 騎士隊は発砲を許可する。装填急げ!」

 

 我がリースベン軍には後装式のライフル銃も配備されているが、これはあくまで試作品であり、実際の主力は従来型の先込め式ライフル銃だ。護衛の騎士たちが持っているライフルもその例にもれず、彼女らは慣れた手つきで銃口から火薬や銃弾を装填し始めた。

 慣れた人間であっても、先込め式の装填にはそれなりに時間がかかる。それが終わるまでじっとしているのも面白くないので、僕は拳銃を抜いた。しかし、ジルベルトは僕の肩を叩いてそれを制止する。彼女は首を左右に振ってから己の拳銃を抜き、木陰からリボルバーだけ突き出してエルフ集団に向けて連続で発砲した。

 むろん、そのような打ち方では命中弾など期待できない。しかし、牽制としては十分な効果がある。派手な銃声と白煙に驚いたのか、相手の射撃の手が一瞬止まった。

 

「装填完了!」

 

 そして僕の騎士たちは、みな熟達した射手でもある。それだけの時間があれば、初弾の装填も完了する。僕は躊躇なく「打ち方用意!」と叫んだ。騎士たちが木陰から身体を出し、銃を構える。「打て!」の命令と共に、彼女らは一斉に引き金を引いた。

 滑腔銃(銃身に螺旋溝を掘っていないタイプの銃)であれば数を揃えて一斉射撃をしなければとても命中など見込めないが、我々の装備しているものはライフル銃である。この程度の数でも、十分に効果を発揮する。複数の銃声と白煙が上がるのとほぼ同時に、虚無僧エルフ兵数名が悲鳴を上げて地面に倒れた。

 

「再装填!」

 

 再び木陰に引っ込んできた騎士たちが、スムーズな手つきで再装填を始めた。さく杖(銃身に弾を押し込むための棒)を使うカツカツという音が、周囲に響き渡る。

 

「主様」

 

 ふたたび、ジルベルトが僕の肩を叩いた。しかし、今度は制止するためではない。彼女は大木の根元に幾本(いくほん)も転がっているエルフの矢を指さした。

 

「連中の矢には、ヤジリがついていないようです」

 

「むっ……」

 

 言われてみれば、確かにヤジリがついていない。これでは、矢羽根のついたただの棒だ。むろんエルフの使っている弓はなかなかの強弓だから、こんな代物でもある程度の殺傷力はあるだろうが……攻撃が目的ならば、わざわざこのような真似はすまい。

 

「……なるほど、警告か」

 

 おそらくだが、この襲撃は僕の命を狙ったものではない。和平仲介の意志を削ぐための警告、牽制の類だろう。そうでなければ、わざわざ殺傷力の低い武器を使って攻撃してくる理由がない。

 そうなると、こちらに脅威を与えただけで相手の目標は達成されたことになる。反撃をせずとも、退いてくれるのではないだろうか。そう考え、虚無僧エルフ兵の方をうかがうと……確かに攻撃の手は緩まっている。例のボロ馬車を盾にしつつ、撤収の準備をしているようだった。

 

「一人か二人は捕虜を取って、相手の真意を確かめたいところだが……」

 

 戦力的には、相手の方が優位なんだよな。こんなところで、貴重な部下の命を失うわけにはいかない。もちろん、己の命もだ。このまま退いてくれるのであれば、いっそ見逃した方がよいのではないだろうか?

 

「これだけカマしておいて、無事に帰ろうなどと……! 許せるものではありませんね」

 

 が、ジルベルトは不満げな様子である。フルフェイスの兜を被っていてもわかるほど、彼女は怒気をあふれ出している。なんでこんなに怒っているのだろうか? やはり、告白を邪魔されたからか? ……やっぱ、告白だよなあアレ、たぶん……。

 いかんいかん、実戦の最中に余計なことを考えていては、勝てる戦も勝てなくなるぞ。僕は己の頬をパチンと叩いた。反撃を望むジルベルトの気分はわかるが、今は安全が第一だ。とりあえず、諫めておこうか。そう思って、口を開いた瞬間だった。

 

「アル様、新手です!」

 

 装填を終えた騎士の一人が、そう叫んだ。彼女の指さした先には、畑のウネの間を猛烈なスピードで疾走してくる集団が居た。ポンチョに深笠という怪人ルックな虚無僧エルフ兵と違い、こちらは暗緑色の装束を身にまとっている。遠いせいで良く見えないが、こちらも布で顔を隠しているようだ。

 

「敵の増援? いや、これは……」

 

 覆面兵の向かう先はこちらではなく、虚無僧エルフ兵たちのほうだった。彼女らは足を止めることなく弓を構え、矢を射かける。虚無僧エルフ兵は慌てて荷馬車を盾に身を隠した。……こいつら、エルフ兵にしちゃ判断や動きがトロ臭いな?

 

「あんな変な格好の連中、わが軍に居たか?」

 

「いえ……覚えがありませんね」

 

 ジルベルトも首を左右に振る。虚無僧どもは敵だから正体不明でも不思議ではないが、あの覆面どもはそうではない。味方……とは言わずとも、少なくとも敵ではないようだ。だが、何者かがわからない以上は油断できない。

 

「打ち方待て」

 

 部下たちにそう命じてから、僕は腰のポーチから望遠鏡を引っ張り出し、謎の覆面どもを観察した。明らかに森での迷彩効果を狙ったものとわかる動きやすそうな濃緑の装束に、同色の覆面。虚無僧笠によって頭が時代劇方向に引っ張られているせいか、どうにもニンジャっぽさを感じてしまう。そして、その耳は今となってはすでに見慣れた笹穂状の長いものだ。

 

「エルフの……忍者?」

 

 ボソリと僕が呟くのとほぼ同時に、エルフ忍者集団の先頭を走っていたヤツが手裏剣っぽい何かを虚無僧エルフが隠れる荷馬車へと投げつけた。黒光りするそれはボロ荷馬車の荷台に突き刺さり、突然爆発する。どうやら、魔法の手裏剣だったようだ。

 

「グワーッ!」

 

 爆発の規模は大したものではなかったが、明らかに年代物とわかるその荷馬車は一撃で崩壊してしまった。泡を食った様子で逃げ出す虚無僧エルフたちに、忍者エルフたちが一斉に襲い掛かった。

 両者の練度は残酷なまでの差があった。エルフ特有のあの山刀(そう、山刀である。例の木剣ではない)を抜いて迎撃しようとする虚無僧エルフたちだったが、忍者エルフたちは弓や木剣を巧みに扱い、あっという間に彼女らを制圧してしまう。戦闘というよりは虐殺といったほうが近い、圧倒的な戦いぶりだった。

 

「わけのわからん連中に襲い掛かられたと思ったら、今度は訳の分からん連中に助けられた……」

 

 マジで何なんだろうか、このトンチキ連中は……。



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第245話 くっころ男騎士とエルフ忍者

 虚無僧エルフと忍者エルフの戦いは、一方的なものとなった。虚無僧エルフたちの練度はあからさまに低く、新兵同然とまでは言わないにしろエルフ特有の老練かつエキセントリックな戦いぶりからは程遠い有様だ、対する忍者エルフたちはまさに精鋭といった動きで、巧みに虚無僧エルフ兵を追い詰めていく。

 結局、十分もしないうちに虚無僧エルフどもは制圧されてしまった。大木の木陰から様子をうかがっていた僕たちに向かって、忍者エルフの一人が手を振ってくる。

 

「もし! もし! ご無事じゃしか!」

 

 至極友好的な声のかけ方である。状況から考えるとこちらを援護してくれたとしか思えないわけで、少なくとも敵ではないのだろうが……なにしろ怪しい連中である。素直に信用して良いものか、やや疑問だな。

 

「どうしたものか。なかなか素直に信用しづらいような風体をしたやつらだが」

 

 ジルベルトの方を見て、僕は聞いてみる。彼女は、何とも言えない微妙な顔をしていた。怒りが不完全燃焼してしまった表情だ。虚無僧エルフどもは自分の手で倒したかった、そう言わんばかりの態度である。

 

「……事情を聴いてみるくらいはしても大丈夫ではないかと。こちらに危害を加えてくる腹積もりなら、素直にあの妙な被り物をした連中と協力して我らに剣を向けた方が手っ取り早いでしょうし」

 

 ただ、ハラワタが煮えくり返っていても判断は冷静なのがジルベルトの美点だ。彼女は少しだけ思案し、そう返してきた。

 

「そうだな……総員、銃降ろせ。デコッキングを忘れるな」

 

 すでに射撃準備を終えていた騎士たちに、僕はそう命じた。彼女らは撃鉄を指で押さえ、撃発しないように気を使いながら慎重に引き金を引く。撃鉄を上げたままにしておくと、何かの拍子に暴発してしまうリスクが高いからな。こういうのは、きちんと指示しておく必要がある。

 

「問題ない! 助太刀を感謝する!」

 

 木陰から顔を出し、忍者エルフたちにそう声をかける。幸いにも、彼女らは豹変して弓を向けてくるような真似はしなかった。少し緊張していたので、内心安堵のため息を吐く。

 

「こちらはリースベン城伯のアルベール・ブロンダン、およびその配下の騎士である。よろしければ、そちらの所属を教えていただきたい」

 

「《(オイ)らはダライヤ婆様ン直属の透波(すっぱ)衆じゃ! 婆様に命じられて、御身を密かに護衛しちょったど」

 

 透波というのは、現代的に表現すれば潜入工作員である。やはりこの連中、一種の忍者だったらしい。まあ、この手の役職は古今東西の軍事組織に存在するからな。彼女らを忍者だと認識してしまうのは、僕が元日本人だからだろうが……。

 しかしこいつら、話が本当なら少なくとも今日の早朝からずっと僕たちをストーキングしてたわけか? まあ、そうじゃなきゃこれほどいいタイミングで救援に入ることなんてできなかっただろうが……すばらしい潜伏能力だと、感服するほかないな。我々も素人ではないというのに、その監視の目から完全に逃れていたわけだからな……

 

「ダライヤ氏の部下か……」

 

「なんだか、きな臭いですね。この襲撃自体、あの老エルフの自作自演かも」

 

 僕がボソリと呟くと、不審そうな表情をしたジルベルトがそう耳打ちしてきた。実際、その可能性はそれなりにある。僕らの信用を得るため、でっち上げの襲撃を仕掛け、それを配下に救わせる……いわば、泣いた赤鬼作戦である。

 まあ、今手元にある情報では、この襲撃がダライヤ氏のマッチポンプか否かは判断がつかん。真偽の判断は後回しにするしかないだろうな。

 

「まあ、そうだとしたらこれ以上僕らに危害を加えてくることはあるまい。当面は安全だということだ」

 

 ジルベルトにそう答えてから、部下を引き連れて忍者エルフたちの元へと向かう。地面には複数の虚無僧エルフたちが倒れていた。大半は死んでいるようだが、まだ息のあるものもいる。生存者は、忍者エルフたちの手で拘束されていた。

 

「ありがとう、助かったよ」

 

 僕は軽く頭を下げて、忍者エルフのリーダーらしき女に手を差し出した。彼女は覆面を取ってニヤリと笑い、握手を返してくる。……覆面、取っちゃうんだ。いや、良いけど。

 間近で見てみると、やはりこの連中はエルフで間違いないようだ。遠目では忍者装束に見えた服装も、よく見ればエルフ様式の野良着を戦闘向けに改造した代物のようである。冷静になってみると、正直和風な雰囲気はあまりなかった。

 

「なんのなんの。お安か御用ど。相手は若造(にせ)、腹ごなしにもならん連中じゃ」

 

「ニセ……?」

 

 ニセというと、エルフ訛りで若造、あるいは短命種を指す言葉だったはずだ。僕が小首をかしげていると、忍者エルフ・リーダーは縄でグルグル巻きにされている真っ最中の虚無僧エルフへと歩みよった。そして、その特徴的な虚無僧笠を強引に外す。

 その中から出てきたのは、やはりエルフだった。ひどくやせ細ってはいるが、それでも尋常ではなく美しい。ただ、当然と言えば当然だがその顔に見覚えは無い。しかし、忍者リーダーが見せたかったのは、捕虜の顔ではなく笠の方だったようだ。彼女はその不気味な被り物を、僕に手渡してくる。

 

「我らん掟では、半人前んエルフは男に顔を見せっべからず、とされちょる。そこで、こげん代物で顔を隠すわけじゃな」

 

 「|くっ、殺せ《こげん辱めを受けては生きてはおれん、さぱっと殺せ》!」などとわめいている捕虜虚無僧を無視しつつ、忍者リーダーはそう説明した。なるほど、エルフは教育の段階でガッツリ男女を分離するわけだな。スパルタや薩摩などでも使われた手だ。そんなに禁欲的なやり方をしているから色仕掛けに弱くなってしまうのでは……? と思わなくもない。

 

「本来、こげん半人前は戦場に出らんよう厳命されちょっるんじゃが……」

 

「そもそも、何者なのですか? この連中は」

 

 やや厳しい口調で、ジルベルトが詰問する。僕は彼女の肩を優しく叩き、視線で僕に任せろと合図をした。彼女はハッとなり、己を恥じたような様子で何度も頷く。

 

「おそらくは、我らん身内やろう。叛徒どもには、もはやほとんど若者は残っちょらんちゅう話じゃし」

 

 そう言って、忍者リーダーは深々と頭を下げた。確かに、"正統"の集落ではこんな被り物をしたエルフは一度も見ていない。ということは、こいつらの所属は"新"で間違いあるまいが……まさか、すぐにそれを認めるとはな。

 

「また我々ん仲間がアルベール殿らにご迷惑をかけてしめ、大変に申し訳あいもはん。大したお詫びはできもはんが、責任を取れとおっしゃらるっんであれば(オイ)が腹を切りもんそ」

 

「い、いや、腹は切らなくていい」

 

 なんでエルフはすぐ切腹しようとするんだ……だいぶ困るんだよそういうのは。勘弁してくれ。

 

「それより、なぜ君たちの所の若者が僕らを襲撃したのかを知りたい。君たちに剣を向けられるような真似はしていないつもりだが」

 

「無論、そん通りじゃ。大恩あっアルベール殿を害そうとすっなど、断じて許せっもんじゃらせん。こんわろらはエルフェニアん恥じゃ」

 

 忌々しげな様子で、忍者リーダーは捕虜を蹴り飛ばした。ぎゃあと悲鳴を上げて、若いエルフは地面に転がる。……いや、エルフの場合、見た目で年齢を判別するのは不可能なんだけどな。実際、外見上は捕虜エルフよりも忍者リーダーのほうが若く見えるし……。

 

「おおかた、ヴァンカ殿に妙なことを吹き込まれたんやろう。あん婆は、叛徒どもを倒すためならばなんでんやっ修羅じゃで……」

 

 聞いた名前だな。ダライヤ氏が言っていた、エルフの長老衆の一人……過激派の要注意人物だ。もっとも、これはあくまでダライヤ氏から出た情報だからな。頭から信用することはできない。彼女が、僕を利用して政敵を陥れようとしている可能性もあるし……。

 

「ないにせよ、詳しか話はこん馬鹿どもから聞いた方が早かやろう。生きちょっ捕虜はすべて引き渡すで、煮っなり焼っなりご自由にしたもんせ」

 

 ……わあお、また捕虜が手に入っちゃった。これでは、我々はカルレラ市に戻らざるを得なくない。いや、そもそも襲撃があった時点でデートどころではなくなっているんだが。はあ、非常に残念だ。せっかく、ジルベルトとなんだかいい雰囲気になってたのになあ。クソッタレのアホエルフどもめ……。



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第246話 くっころ男騎士と腹ペコ忍者たち

 襲撃を受け、捕虜まで得てしまった以上、このままデートを続行するわけにはいかない。大変に残念ではあったが、僕たちはカルレラ市に戻ることとなった。

 連れ帰った捕虜たちを部下に任せ、僕たちは食事をとることにした。なにしろ、あのアホエルフどもは朝食の真っ最中に攻撃を仕掛けてきたのだ。せっかくの料理は戦闘の余波で滅茶苦茶である。僕たちはすっかり、お腹がぺこぺこになっていた。

 

「うまっ! うまっ!」

 

「おおっ、肉が入っちょっじゃらせんか。こりゃうまか!」

 

 そういうわけで僕たちは領主屋敷のダイニング・ルームで朝食だか昼飯だかわからない食事をとっていた。その中には、あのエルフ忍者たちの姿もあった。助勢(とはいっても、虚無僧エルフたちは実質的に彼女らが独力で倒したわけだが)のお礼として、食事を提供したのである。

 あきらかに精鋭部隊の人間とわかる彼女らも、やはりエルフェニアの所属。当然のように欠食状態だったので、この申し出には大層喜んでくれた。

 

「なるほどな。君たちはダライヤ氏の命を受け、密かに僕を護衛していたわけか……」

 

 うまそうにバクバクとパンとスープをドカ食いするエルフ忍者たちをちらりと見つつ、僕は言った。予期せぬ襲撃で、僕は殊更に疲労感を覚えていた。いっそのこと、彼女らのように無心でメシをかき込みたい気分になっていたのだが……それが許されるのは兵か、せいぜい下士官までである。士官である僕にそのような自由はない。

 この忍者どもがダライヤ氏の部下であることはすでに聞いていたが、やはり怪しげな連中だけに詳細を聞いておく必要があった。幸いにも、忍者リーダーは気さくにこちらの質問に答えてくれている。どうやら、ダライヤ氏から積極的に情報開示をしてよいと指示をうけている様子だった。

 

「そん通りじゃ。ダライヤ婆様は、叛徒どもん村で起きたあん一件を非常に(わっぜ)重う見られちょりましやんせ、二度とあのような(あげん)こっが起こらんよう、我らにアルベール殿をお守りせよと命じられたわけじゃ」

 

 忍者リーダーの説明に、僕は小さく唸った。なるほど、過激派の刺客をエルフ自身の手で排除することで、融和派は己の本気度を示す腹積もりらしい。

 だったら最初から姿を現して大々的に護衛をしてくれれば良いものを、と思わなくもないが……忍者は正面戦闘で侍に勝利するのが難しいのである。エルフ版忍者もそれは同じようで、襲撃者に対して奇襲を仕掛けるために姿を隠していたとのことである。……それにしたってせめて僕には知らせておいてほしいが。

 まあ、今さらあれこれ言っても仕方がない話だ。クレームは命令者であるダライヤ氏につけるとして、僕は忍者リーダーに別の疑問をぶつけることにした。

 

「結局、君たちの懸念は的中してしまったわけだが……今回の襲撃は、本当に"新"の反"正統"派閥の者が仕組んだことなのだろうか?」

 

「おそらくは。まあ、たんなっ野良強盗エルフちゅう可能性もあっとどん」

 

 忍者リーダーは、チラチラと料理を見つつそう言った。士官が見栄を張らなきゃいけないのは、ガレアもエルフェニアも同じのようである。

 

「じゃっどん、今はリースベンの民や財物を害すべからずちゅう令が出ちょります。盗人働きをすっにしてん、隣国ん……ズューデンベルグやったか? あちらへ行っとじゃらせんかと」

 

「君ら、ズューデンベルグにも遠征してるのか……」

 

 思わず僕は呆れてしまった。山越えまでして野盗じみた真似をしているわけか。無駄に根性が据わってるな。ズューデンベルグ領の物流が妨げられると僕たちも困るので、次回の会議で強盗行為そのものを禁止するように頼まなきゃならん……。

 

「まあ、あのエルフどもがどうしてこのような暴挙に出たのかはいずれ明らかになることでしょう。捕虜が四人もいるのですからね」

 

 香草茶のカップを片手に、ソニアが言う。彼女は妙に顔色が悪かった。聞いたところによると、二日酔いだそうである。彼女が二日酔いになるなど、いままで一度もなかったことだ。流石に少し驚いてしまった。

 まあ、彼女の言うようにこちらには捕虜が居るからな。しっかりと尋問すれば、ある程度の事情は判明するだろう。……しかし、連中は若い半人前のエルフらしいからなあ。実際のところ、あまり大した情報は持っていないだろうが。所詮は鉄砲玉である。

 

「しかしそれはさておき……アル様の身が明確に狙われた、というのが問題ですね。我々としては"新"に抗議せざるを得ませんし、今後の警備体制も見直す必要が出てきました」

 

「まことに申し訳なか」

 

 忍者リーダーは頭を下げた。……救援からこっち、頭を下げっぱなしだなこの人。他人事ながら、同情してしまいそうだ。

 

「……」

 

 しかし、可哀想な人はこちらにもいる。ジルベルトだ。彼女は一見平素通りの態度に見えるが、よく見れば動きや発言に精彩がない。優れた指揮官というのはたいてい演技が美味いものだ。ジルベルトも、例外ではない。そんな彼女が目に見えるほどのダメージを受けているのだから、その落ち込みようは大変なものがある。

 やっぱり、告白の邪魔をされたせいだろうか? どう考えてもアレ、愛の告白だったしな……。僕としても、あの言葉の続きは非常に気になる。いやまあ、彼女は竜人(ドラゴニュート)なので、只人(ヒューム)の嫁を貰わなきゃいけない立場である僕としてはいろいろとアレな部分はあるんだが……。ううーん、難しい所だ。

 何はともあれ、あとで二人っきりで話す機会を作っておくべきだな。恋愛についてはそこらの少年少女以下の経験しか持たない僕でも、こういう状況をそのまま放置しておくのはマズいということくらいは理解できるし……。

 

「……エルフとの融和路線に冷や水をかけられたのは事実ですが」

 

 そんなことを考えていると、等のジルベルトがそう発言した。ひどく抑制の効いた声だ。

 

「しかし、これが反"正統"を掲げる勢力の策謀だとすれば、その思惑に乗るというのも面白くありません。対エルフの行動方針に関しては、現状維持を続けるべきだと愚考する次第であります」

 

「確かにそれはそうだな。ここでイモをひいたら、それこそ奴らの思うつぼだ」

 

 現状、僕たちは"新"内部の融和派と強硬派の分離を狙うという作戦をとっている。とうぜん、強硬派からすれば面白くない状況だろう。彼女らが僕たちを目の仇にするのも当然のことだ。初志を貫徹しようと思えば、この程度の嫌がらせでエルフに対する手を緩めるわけにはいかない。

 しっかし、なんでせっかくの休日にこんな面白くもない話をしなきゃいけないんだろうね。普通に腹立ってきたな……。いや、いかんいかん。指揮官たるもの常に冷静でなければ。ジルベルトを見習って、僕も落ち着こう。

 

「……イモといえば、我々のイモ料理はどうだろうか? 諸君らの口に合えば良いのだが」

 

 気分を変えるために、僕はエルフ忍者たちに向かってそう言った。今日のメニューはいつもの軍隊シチューに"新"から輸入されたサツマ(エルフ)芋をぶちこんだだけの代物……いわば、ガレア風芋汁である。

 

大変に(てぇへん)美味(うめ)かど、毎日だって食べよごたっくれだ」

 

 フォークに刺したイモを見せつつ、忍者リーダーはにこりと笑う。……サツマイモを食ってる忍者、略して薩摩忍。そんなくだらない考えが脳裏に浮かんでくる。薩摩忍は何の感度が三千倍にされるんだろうね? チェストに至るまでの判断基準? ……そこまでいったらもはや全自動殺戮マシーンだな。

 いかんいかん、僕の頭がアホになりつつある。ストレスのせいかね? そのストレスを解消するための休日がこんな有様なんだから、たまったもんじゃないな、まったく……。

 

「それは良かった。お代わりはいくらでもあるから、腹いっぱいになるまで食べてくれると嬉しい」

 

 忍者リーダーに笑顔を向けつつも、僕の内心は憂鬱だった。エルフの刺客も、流石にカルレラ市の市内には侵入してこないだろうし……この会食が終わったら、ジルベルトとどこかへ出かけようかな? 出来るだけ早く、あの告白めいた言葉の真意を聞きただしたいところだ。



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第247話 くっころ男騎士と告白テイクツー

 エルフ忍者たちとの会食を終えた僕は、ジルベルトを誘ってカルレラ市の郊外へと出かけた。襲撃を受けた直後に外出というのも不用意なように思えるが、ここにはリースベン軍の駐屯地がおかれているのである。安全性で言えば、領主屋敷並みかそれ以上だ。

 むろん、あんなことがあった以上は休暇を切り上げ、執務に戻るべきなんだろうが……告白めいた言葉を投げかけられ、しかもそれが襲撃によりうやむやになってしまったわけだ。恋愛クソザコの僕としては、正直言葉の続きが気になりすぎて仕事どころではない精神状態になってしまっていた。

 

「このハンドルを回している間に、このボタンを押すと……こういう風に、音が出るわけだ」

 

 駐屯地の一角にある新兵器の開発ラボで、僕はジルベルトに最近実用化されたばかりの新装備を見せていた。それは絶縁被覆付きの銅線がたっぷり入ったドラム型糸巻き、ハンドルのついた木箱、シンプルな形状のスイッチなどが組み合わされた奇妙な物体である。

 木箱のハンドルをジルベルトにぐるぐると回してもらい、僕はスイッチを押す。すると、スイッチの反対側の銅線端に取り付けられていた電子ブザーが間抜けな音を出した。

 

「このままだと、たんなる子供のオモチャのようにしか見えないが……長鳴と短鳴を組み合わせることで、かなり複雑な信号も送信することができる。伝令や伝書鳩に頼らず、遠距離と通信をやり取りできるわけだ。むろん、銅線の届く範囲内の話ではあるが」

 

 簡単に言えば、超原始的な有線通信機である。発電機・ブザー・スイッチを連結しただけのきわめて簡易な構造で、現代であれば子供でも製作できる程度の代物だ。しかし、リアルタイム通信手段を持たないこの世界の軍隊からすれば、こんなものでもあると無いとでは大違いになってくる。極めて重要な発明だった。

 

「なるほど……最前線の情報を、即座に指揮官に知らせることができるわけですか」

 

「その通り。これからの時代の軍隊は、こいつが必須の道具になっていくだろう」

 

 僕は木の板に取り付けられた簡単な構造のスイッチを撫でつつ、そう語った。指揮だけではなく、砲兵射撃にもこの通信機は大活躍するだろう。前線の観測所から送られてきたデータをもとに、後方の砲兵隊が目標を直接照準することなく発砲する射撃法……つまり、間接射撃が極めて容易におこなえるようになるのだ。これは、革命的ですらある。

 

「なるほど、素晴らしい」

 

 感心しつつも、ジルベルトは気もそぞろな様子である。しかし、それは僕も同じことだった。やはり、アレは愛の告白だったのだろうか? 気になる。非常に気になる。

 ……告白めいた言葉の続きを促すために連れてきたのが、新兵器の開発ラボってどういうセンスしてるんだろうね、僕。そんなんだから、前世・現世合わせて五十年以上にもわたってパートナー無しなどというひどい戦績になるんだぞ。

 

「近いうちに、こいつを各農村に配備しようかと思っている。有事の際の緊急通信用にな。伝令を飛ばすより、よほど早く情報を伝達できるようになるぞ」

 

「おお、それは楽しみですね。エルフどもが大人しくしているうちに、しっかりと迎撃態勢を整えておかねばなりませんし」

 

「そうだな。融和派はともかく、ヴァンカ氏ら過激派に関しては本格的な交戦に発展する可能性はそれなりに高い……平和を求めるからこそ、戦には備えておかないとな」

 

 真面目腐った話をしつつも、僕たちの間にはなんとも言えない雰囲気が漂っていた。しんどい。非常にしんどい。僕のような戦争バカには、こういう空気は耐えがたいものがある。

 いよいよ我慢できなくなって、僕はジルベルトに椅子に座るよう促した。そして僕も椅子に腰を下ろしつつ、周囲をうかがう。新兵器のラボといっても、実態はただの作業小屋である。その内装はそこらの納屋と大差ない。

 普段は技師や錬金術師が忙しそうに働いているこの実験ラボだが、今日は僕たち以外の人間の姿は無かった。なにしろ、今日は休日なのである。……人気がないことがわかっていたから、わざわざここへジルベルトを連れてきたわけだが。

 

「……ところで」

 

「……ハイ」

 

 間を持たせるための前座を早々に切り上げ、僕は本題に入ることにした。ジルベルトは、すっかりカチカチになっている。顔色は赤くなったり蒼くなったり、ひどく忙しそうだ。だいぶ動揺している様子である。

 もっとも、動揺しているのはこちらも同じことだ。ただ言葉をつづけるだけのことに、まるで準備万端待ち構えている敵防御陣地に対して火力支援も無しに攻撃を仕掛けるときのような心地になっている。それでも、ここで逃げるわけにはいかないのである。小さく息を吐きだしてから、僕はジルベルトをじっと見つめた。

 

「先ほど……エルフどもから襲撃を受ける直前、なにやら興味深い言葉を聞いたような気がするのだが」

 

 言葉を吐き出した後、僕はひどく後悔した。もう少し、雰囲気のある切り出し方があったのではないだろうか? しかも、相手を選べるような立場でもあるまいに、かなり偉そうな言い方になってしまった。ああ、僕のバカヤロウ。

 

「君が良ければ、もう一度あの話の続きをしてもらってもよいだろうか?」

 

 どうしよう。本当にどうしよう。非常に困った。むろん、ジルベルトは素晴らしい女性だ。生真面目で有能、身を捨てて部下を救わんとする優しさも持ち合わせている。僕のような男にはもったいないほどの女性だ。

 種族が原因の跡継ぎ問題がなければ、二つ返事どころかこちらから頭を下げてお頼みしたいくらいの相手ではある。が、この種族問題がデカいのだ。なぜなら、僕が只人(ヒューム)の貴族だからである。

 

「……」

 

 僕の言葉を受け、ジルベルトは顔を真っ赤にしてうつむいた。悪い反応ではない……ような気がする。行けるか? だが、いざ告白されたとして、僕はどう応えれば良いのだろうか。いくら考えようと、結論は出ない。困った。

 

「そのこと、なのですが」

 

 しばらく黙り込んでいたジルベルトは、ひどく情けなさそうな顔をしてそう言った。その表情は自己嫌悪にあふれている。あ、駄目だこれ。そんな直感が僕の脳髄に走る。

 

「……も、もうしわけないのですが、わ、わ、忘れて頂けると嬉しいです……」

 

 ジルベルトは、塩を振りかけられた青菜のような態度でそんな言葉を絞り出した。僕は、「そうか、わかった」と返すことしかできない。……そ、そうか、ここで退くか……。ここは僕の方から追撃すべき状況なのではないか? いや、無茶をすればこちらも致命傷を負いかねない。どうしよう、これ……。



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第248話 義妹騎士の焦り

「ううーん……」

 

 私、カリーナ・ブロンダンは困り切っていた。お兄様と、ジルベルトさんがなんだかいい雰囲気になりつつあることを知ってしまったからだ。

 発端は、ヘンな態度の二人が人気のない作業小屋……開発ラボ? とかいうところに入っていく姿を発見したことだった。もちろん小屋の周りにはお兄様の護衛を担当している人たちがいたけど、そのリーダーがジョゼットさんだったのが幸いした。

 ジョゼットさんはお兄様の幼馴染で、わたしの教官でもある。だから、ある程度の融通が利くのよね。事情を話して頼み込んだら、なんとか盗み聞きすることを許してくれた。もちろん、それが原因で軍機を知ってしまったら、きちんと黙秘するようにと念押しされたけどね。

 

「まんざらじゃなさそうだったなあ……」

 

 深いため息を吐きながら、私は呟く。どうやら、ジルベルトさんがお兄様にプロポーズか何かをしようとして、エルフの刺客に邪魔をされ……その後、お兄様が愛の告白の続きを促した。そういうシチュエーションらしい。

 勇気が足りなかったのか、結局ジルベルトさんは肝心なことは言えなかったけど……雰囲気を見れば、言いたかったことはバレバレよね。お兄様も、それはわかっている様子だった。

 ジルベルトさんは有能だし、家柄もいい。ちょっと背は低いけど(まあ、それでもわたしよりはだいぶ高いんだけど……)、とても頼りになる軍人なのは確かなのよね。お兄様とお似合いといえば、お似合いかもしれない。悔しいけど、それは認めざるを得ない。

 

「だいぶマズい……よねえ?」

 

 なにしろ、私もお兄様を狙っている立場だ。今の状況は、かなりよろしくない。もちろん、私も自分の立ち位置がとても不安定なものであることは承知している。ブロンダン家の養子になったとはいえ、結局私なんてただの勘当娘でしかないわけだしね。

 そこでガレア屈指の大貴族であるスオラハティ辺境伯と取引をし、実質的な愛人関係になることの許しを貰ったわけだけど……その代わり、辺境伯様とその娘であるソニアの関係修復を命じられているのよね。

 あれだけ拗れた母娘仲を修復するなんて、どう考えても難しい。だから、忙しさにかまけて放置していたわけだけど……いい加減、行動を開始する必要がありそうね。取引の内容や貴族としての序列を考えれば、辺境伯様を差し置いて私がお兄様にアプローチをかけるわけにはいかないわけだし……。

 

「ううーん」

 

「どうしたんだカリーナ、さっきからブツブツと」

 

 私がウンウン唸っていると、隣に居た当のお兄様が話しかけてくる。思考が言葉になって口から洩れていたことに気付いた私は、顔が真っ赤になってしまった。

 

「なっ、なんでもない!」

 

「そ、そうか……。もうすぐお客様が来るんだから、しっかりしてくれよ? カリーナ。親しい相手とはいえ、一応かなりのお偉いさんなんだから」

 

 少し笑いながら、お兄様は私の頭を優しく撫でた。その心地の良い感触に、顔が緩んでしまう。以前は私が求めない限りは頭を撫でてくれなかったお兄様だけど、最近は調教(・・)の甲斐あって自然に私の頭に手を乗せてくれるようになった。……調教と言っても、私的な時間のたびに撫でまくるように要求し続けただけだけどね。

 今、私たちは来客を出迎えるべく領主屋敷の中で待機している。予定では、あと半時間もしないうちに到着する予定……らしい。王都から大物がやってくるということで、使用人たちは調度品や掃除の最終チェックに余念がない様子だった。

 

「わ、わかってるって!」

 

 そう応えつつも、私の心は晴れないままだった。こうして頭を撫でてくれるのはとてもとてもうれしいけれど、結局は兄妹関係の延長線でしかないわけだしね。それ以上を望む私としては、この立場に甘んじ続けるわけにはいかない。そう理解はしてるんだけど……その先へ踏み出していくのには、なかなかの勇気が必要なのよね。

 というかあの狂犬、いや、狂竜のソニアに近づくというのがまずキツい。滅茶苦茶怖い。しかも、その目的が仲たがいをしている母親との関係修復でしょ? 見えている逆鱗に触れに行くようなもんじゃないの。考えるだけでおしっこ漏らしそうなんだけど……。

 

「……」

 

 無言で、お兄様の後ろに控えているソニアをちらりと確認する。今朝の彼女はひどく体調の悪そうな様子だったけど、今は平気そうな顔をしている。毎月来るアレが、ちょっと重めだったんだろうか? よくわからないけど、あのソニアが体調を崩すところなんて初めて見たから、かなりびっくりした。

 それはさておき、ソニアはジルベルトのことをどう思っているんだろうか? ジルベルトがお兄様にアプローチを仕掛けていると知ったら、怒り狂いそうな気もするけど……でも、この二人はなんだか仲のよさげな様子なのよねえ。

 友人同士が同じ男を好きになった場合、結末は二つのパターンがある。仲たがいをするか、かえって仲が良くなるかだ。親友同士で夫を共有するなんて、そう珍しい話でもないしね。……前者も困るけど、後者もこまるなあ。うううーん。

 

「はあ……」

 

 なんにせよ、可及的速やかにソニアに接近し、スオラハティ辺境伯との仲を取り持つ必要がある。急がないと、どんどんお兄様が遠くへいってしまう……。ああ、本当に失敗した。グズグズし過ぎた。

 以前、お兄様は「戦術的な勝利を収めるには、相手の機先を制し続けイニシアティブを確保し続けることが肝心だ」と言っていた覚えがある。どうも、この法則は恋愛でも当てはまるみたい。そりゃ、何のアクションも取らずにボンヤリしていたら、劣勢に立たされるのは当然のことよねえ……。

 とはいえ、私も戦わないままただ敗北を受け入れるような真似は絶対にできない。劣勢を挽回できるよう、なんとか頑張らないと。今さら、どこの馬の骨ともわからないようなモヤシ貴族令息なんかと結婚させられるなんて、絶対に嫌だしね。お兄様じゃなきゃダメなのよ、私は。

 

「恋は戦争、か」

 

 お兄様に聞かれないよう、密かに呟く。この言葉が本当ならば、これまでお兄様から習ってきた軍学が役に立つはず。ええと、こういう場合まずどうするべきか……『己を知り、敵を知らば百戦危うからず』……これだ! とりあえず、ソニアに関していろいろ調べてみよう。それから、ジルベルトさんについてもね。

 ……本当に、ライバルが多くて困るなあ。いちおう、私のバックにも大貴族様がついてるはずなんだけどねえ。領地が遠すぎて、全然支援が来ないのよねえ。はあ、辛い。もっと味方が欲しい……。

 

「パレア教区司教、フィオレンツァ・キルアージ様が到着されました!」

 

 そんなことを考えていると、伝令がやってきてそう告げた。私は自分のほっぺたをパチンと叩く。何はともあれ、今はお客様の出迎えだ。お兄様の恥になるような真似をするわけにはいかないからね。シャンとしないといけない。



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第249話 くっころ男騎士と聖人司教

 このところ、エルフとの交渉は外交戦の様相を呈している。まあ、戦争回避のための交渉だ。ある程度荒々しいものになるのは仕方のない話だろう。とはいえ、僕はあくまで軍人だ。しかも、出身は貧乏騎士家と来ている。政治や外交のノウハウなどまったく持っていない。

 こういう時は、専門家を呼んで手伝ってもらうに限る。そこで僕は、上司であるアデライド宰相にリースベンへ来てもらえないかと打診をしていたのだが……これがなかなかうまくいかなかった。

 何しろ王都はでは、四大貴族のうちの二つが反乱を起こすというとんでもない事件が起きたばかりだ。政界は荒れに荒れていた。今やガレア王国最大派閥となりつつある宰相派のトップとしては、なかなか辺境を訪れるような時間が作れずにいるのだ。

 

「どうもお久しぶりです、アルベールさん。それに、ソニアさんも」

 

 そこで代わりにやってきたのが、ガレア宗教界の大物フィオレンツァ司教である。彼女は宰相派閥の人間ではないが、僕の個人的な知己……というか、幼馴染だ。彼女も多忙な身であるというのに、僕の現状を知って助力を申し出てくれたのだ。正直、滅茶苦茶有難かった。

 いつもの青白の司教服に身を包んだ彼女は、その天使じみた愛らしい顔に友好的な笑みを浮かべつつ握手を求めてきた。翼竜(ワイバーン)に乗ってきたというのに、まったく平素通りの顔色をしている。彼女は自前の飛行能力を持つ翼人族だ。空の旅には慣れているのだろう。

 

「ご多忙のところ、本当にありがとうございます。フィオレンツァ司教様」

 

 その小さな手を握り返しつつ、僕は頭を下げた。本心からの言葉だ。なにしろ、星導教の司教というやつは実に偉い。世俗貴族でいえば、最低でも伯爵……場合によってはそれ以上に相当する役職なのだ。そして、パレア教区……つまり王都の教会を統括しているフィオレンツァ司教は、司教の中でもかなり上の方の序列だった。

 僕より三歳年下の彼女がいったいどうやってそのような要職に就いたのかは定かではないが、なんにせよそのような実力と権威を兼ね備えた大物がエルフに対する交渉の助力のためにわざわざやってきてくれたのだから、万の軍勢が増援にやってきたような頼もしさを感じる。

 

「大したものではございませんが、饗応(きょうおう)の準備をしております。さあさあ、こちらへ」

 

 時刻はすでに夕方、そろそろ空腹になってくるころ合いだろう。僕の提案に、フィオレンツァ司教はにっこりと笑って頷いた。そして、ちらりとソニアのほうを見る。この二人は昔から犬猿の仲……というか、ソニアが一方的に司教を敵視しているフシがある。案の定、彼女は獲物に飛び掛かる寸前の猟犬のような顔をしてフィオレンツァ司教を睨みつけていた。

 それはまあ、いつも通りなので気にするほどのことはない。しかし、司教のほうの反応はやや意外だった。少し驚いたような顔をしてから、さらにジルベルト(先ほどの件が尾を引いているのか、砂漠で日晒しになった葉物野菜のような有様になっている)の方まで見る。両者を交互に見た後、彼女は一瞬だけひどく妙な顔をして額に手を当てた。

 ……何が何だかわからないが、まずはメシである。僕もすっかり腹ペコになっていたし、ジルベルトの告白の不発でもやもやとした気分も抱えていた。こういう時は、酒とメシで脳みそを誤魔化すに限る。

 

「なるほど、おおむね事情は理解いたしました」

 

 それから一時間後。領主屋敷のダイニングルーム。食事をしつつ現状の説明を受けていたフィオレンツァ司教は、そう言って頷いた。むろん彼女とは頻繁に手紙で情報のやり取りをしていたが、やはり文章よりも直接話したほうがわかりやすいものである。

 

「アルベールさんとしては、エルフたちとは積極的に融和を図りたいと考えているわけですね?」

 

「はい、その通りです」

 

 僕は頷いてから、酒杯に入った赤ワインで喉を潤した。大切なお客さんとの会食ということで、今日は手持ちの中でも一番いいワインを出している。なにしろ僕の先ほどの件でだいぶ精神がささくれだっていたので、やけ酒の勢いで酒杯の中身を口に流し込んだ。司教は一瞬心配そうな顔をしてから、すぐに笑顔を取り繕いなおして自らもワインを飲んだ。

 

「……大変良い香りのワインですね。さすが、アルベールさんはお酒の趣味が良い」

 

「いや、そんな。僕は酒精が入っていればそれで良いような、あまり趣味のよろしくないタイプの酒飲みですから」

 

 ……気を使わせてしまっちゃったか。なんだか申し訳ない心地になりつつ笑いかけると、隣の席に座ったソニアがこっそりと僕の膝を叩いた。彼女の方に視線を向けると、油断するなといわんばかりの表情をしている。……なんでここまでフィオレンツァ司教を嫌ってるんだろうな、ソニア。アデライド宰相に対するものよりもさらに態度が厳しい気がする……。

 

「こほん……ええと、それでは、本題に入らせていただきましょう。司教様をお呼びたてしたのは、他でもありません。エルフに対する交渉に御助力願うためです」

 

「ええ、承知しておりますよ。なかなか、手ごわい相手とか」

 

 頷きつつ、フィオレンツァ司教は酒杯を揺らしてワインの香りを吸い込んだ。

 

「……そのとおりです。エルフたちは、確かに蛮族とそしられても仕方のないような気質をしています。しかし、誇りに準じる気高さや、様々な道具を独自に開発する知恵も持っているのです。敵に回すよりも、味方としたほうが余程このリースベンの利益につながるものと確信しております」

 

 今回の会食に、エルフ関係者は一人も参加していない。だから、僕は率直な意見を言葉にした。フィオレンツァ司教はふむと頷いて、上品な所作でワインを飲む。可愛らしい少女のようにしか見えないフィオレンツァ司教だが「そんな、うふふ」、お酒はなかなかいける口なのである。

 ……こちらの内心を読み取ったようなタイミングで、フィオレンツァ司教が嬉しそうに笑っている。相変わらず、チートじみた人間観察能力だな。ほとんど読心術とかそういうレベルじゃん……。

 

「わたくしとしては、アルベールさんの方針に賛成ですね。たとえ不倶戴天の敵であっても、手を握り合う未来を目指すべきである……。それが極星様の教えですから」

 

「むろん、万一の事態には備えるべきですが」

 

 ムッスリとした様子で、ソニアがそう主張した。

 

「まあ、戦いはわたくしの得手とするところではありませんから……その辺りに関しては、アルベールさんやソニアさんにお任せいたします。しかし交渉に関しましては、どうぞわたくしをお頼りください。微力ではございますが、アルベールさんのお役に立てるよう粉骨砕身努力いたしますので」

 

「そんな、微力などと」

 

 謙遜にしても、あんまりである。交渉事に関しては、僕よりも何倍も優秀な方だからな。

 

「もうすぐ、エルフの二大勢力のトップとの直接会談が予定されています。その時には、どうぞよろしくお願いいたします。頼りにしておりますよ、司教様」

 

「ええ、お任せを」

 

 フィオレンツァ司教はにっこりと笑い、ぐっと拳を握り締めて見せた。……ううーん、めっちゃカワイイ。

 

「うふ、うふふ。アルベールさん、そんなにわたくしを喜ばせて、もうっ!」

 

 うわあ、また心を読まれた!



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第250話 盗撮魔副官と悪質酔っ払い女

 わたし、ソニア・スオラハティは非常に……とても困っていた。我が宿敵、フィオレンツァがこのリースベンに来てしまったからではない。いや、それも大きな懸念点であるのは確かなのだが、今はそれどころではなかった。

 

「あのドグサレエルフどもがぁ……」

 

 わが友、ジルベルトがとんでもないことになっていたからだ。我々がよく内緒話に使っている小部屋で、彼女は浴びるように酒を飲んでいた。さらに、酒の合間に煙草まで吸うものだから、部屋の中は煙幕を焚かれたようになっている。たいへんな荒れようだった。こんなジルベルトは、私も初めて見る。

 こまった。非常に困った。わたしは、彼女とフィオレンツァへの対策法を話し合いたいのだが、どう考えてもそれどころではない。彼女は「エルフめぇ……許さん」と呪詛を吐きながら、酒をがぶ飲みしている。

 当のフィオレンツァはというと、領主屋敷で晩餐をしたあと、カルレラ市の教会へと去っていった。わたしの強い要望により、あの女を屋敷に泊めるような事態だけはなんとか回避することに成功したのだ。腐っても生臭でも一応聖職者なのだから、教会で面倒を見てもらうのがスジというものだろう。

 

「あいつらさえいなければ……アイツらさえいなければあ!」

 

「ま、まあ、落ち着くんだジルベルト」

 

 わたしは冷や汗をかきながらジルベルトをたしなめた。

 

「これが落ち着いていられますか! あのバカみたいな被り物をした腐れ耳長さえいなければ、わたしは思いを遂げることができたっというのに!」

 

「お、思いを遂げるぅ!?」

 

 おもわず、持っていた酒杯を取り落としそうになる。酒を口に含んでいなくてよかった。もしそうなら、噴き出してひどいことになっていたはずだ。

 

「それはまさか、プロポーズということか?」

 

「ええ! そうです!」

 

「ええ……」

 

 確かにわたしは彼女がアル様にアプローチをかけることは認めているが、それにしてもかなり性急すぎるのではないだろうか? 十年来の付き合いであるわたしでさえ、そこまではまだしていないというのに……。

 

「それは、その……少し拙速なのではないか? ジルベルト。こういうのは、騎兵突撃と同じだ。きちんと準備を整え、相手の隊列が乱れたタイミングで仕掛けるのが常道では……」

 

「甘ぁい!」

 

 酒杯に残った例のやたら臭いウィスキーを一気に飲み干してから、ジルベルトが叫んだ。酔いすぎてちょっとおかしくなってないか、この女。

 

「そんな風にチンタラしていたら、いつの間にか友人や部下としての立ち位置に固定され、心地は良いけど発展性は皆無の化石じみた関係に落ち着いてしまいます! そうなったらおしまいですよ!」

 

「ウッ!!」

 

 いきなりナイフのような言葉が飛んできて、わたしは思わず胸を抑えた。

 

「そ、そんなことがあるか! 見ろ、わたしとアル様を! 実質両想いじゃないか!」

 

 あんな事件があったせいとはいえ、王国随一の大貴族の次期当主の座すら捨てて、アル様に付き従うことを選んだのだ、わたしは。それほどの覚悟を見せたわけだから、当然アル様とてこちらの気持ちには気付いているだろう。

 

「いくら長い付き合いでも、言葉にしなきゃわからないことなんていくらでもありますよ!」

 

「そ、そうかもしれないが、しかし……」

 

「本当に両思いだというのなら、主様に「愛してる」だの「好きだ」だの言ってみればいいんですよ! 「僕も」って返してきたら間違いなく両想いだと考えていいわけで、わかりやすくていいじゃないですか!」

 

 ジルベルトはずいぶんとよっぱらっているようで、とんでもなくグイグイつっこんでくる。まあ、そりゃあそうだろう。彼女は、わたしであればとっくに意識を失っているであろう量の酒をすでに腹の中に納めている。

 

「そ、そ、そんな恥ずかしい真似、できるかっ……!」

 

「盗撮のほうがよほど恥ずかしい行為だと思います! 言ってくださいよ愛してるって! 二人で言えば怖くないですよ! 一緒に告白しましょう!」

 

「う、うるさいっ! ほっとけ!」

 

 私はそう叫んで、ウイスキーを飲み干した。ああっ! 喉が痛い! しかも臭い! やっぱりストレートで飲むのは駄目だこの酒は!

 

「げほげほ……うぇっ……き、貴殿こそ、そんなことを言って……プロポーズに失敗しているではないか!」

 

「ンッ!!」

 

 ガツンと音を立てて、ジルベルトはテーブルへ突っ伏した。そのままぷるぷると震えつつ、情けないうめき声を上げる。

 

「だ、だってぇ……あ、あ、あんな珍妙な集団に襲われたら、もうプロポーズなんて無理じゃないですかぁ……」

 

 珍妙な、というのはおそらく、襲撃者が被っていたという釣鐘型の奇妙な被り物のことだろう。わたしも実物を見せてもらったが、なかなかに不気味な代物だった。

 

「よしんば主様が頷いてくれたとしても、告白記念日とか結婚記念日とか、ことあるごとにあの連中が脳裏に浮かんでくることになるんですよ! プロポーズとあのバカエルフどもを紐づけて記憶しちゃったら!」

 

「ウッ……そ、それは少しイヤかもしれないな……というか貴殿、記念日とか気にするタイプなのだな……」

 

 勇猛な騎士にして有能な指揮官でもある彼女が、こんな恋に恋する町息子みたいなことを言い出すとは思わなかった。思わず冷や汗が垂れるが、ジルベルトはお構いなしだ。

 

「これがまだ、強敵だったら良かったんですよ! 危機的状況を乗り越えて、愛の炎も燃え上がったかもしれませんっ!」

 

 そう叫びながら、ジルベルトは手酌で例のくさいウイスキーを酒杯に注いだ。とうとう、酒瓶に中身はカラになってしまった。どう考えても飲み過ぎだが、彼女はおかまいなしにガブガブと飲み干す。

 

「でもあいつら、訳の分からない怪しげな増援に全滅させられるほどの雑魚さじゃないですか! 何のために出てきたんですかまったく! 道化にもなれませんよあれでは!」

 

「そ、そうだな、ウン」

 

「あれを良い記憶にするのはムリです! あんな連中に襲撃された日に、告白の続きなんて絶対に嫌ぁ……うえええ」

 

 情けない声をあげつつ、ジルベルトは涙をあふれさせる。……ううむ、流石になんだか可哀想になって来たな。

 

「ううううーっ! あのエルフども、許せないぃ……」

 

 ジルベルトは愛用の煙草入れから煙草を取り出し、口に咥えた。そしてアル様に貰ったというオイルライターで火をつけ、また煙幕を張りはじめる。

 

「ソニア様も飲んでくださいよぉ……わたしのおごりですからぁ……」

 

 そんなことを言いながら、ジルベルトはどこからともなく取り出したワインをわたしの酒杯に注ぎ始める。……や、やめろ! わたしの杯には、あのくっさい酒が入っていたんだぞ! どんな美酒でも、これと混ざったらただのくっさい液体になってしまう!!

 困った。非常に困った。ジルベルトはすっかり面倒な酔っ払いと化してしまった。どうしよう、コレ……もうわたしも酔っ払いになるしかないのか?

 

「ああ、まったく!」

 

 叫びながら、わたしは仕方なく酒を飲んだ。……やっぱりワインまで臭くなってるじゃないか! 注ぐならせめて新しい酒杯にしてくれ!

 



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第251話 聖人司教と二日酔いの二人

 ワタシ、フィオレンツァ・キルアージはなんとも複雑な気分をかかえていた。久しぶりのパパ(アルベール)との再会、嬉しくないはずがない。しかし同時に、自分の仕込みが完全に不発に終わってたことに気付いてしまったのだから、もう頭を抱えるほかない。

 パパの部下としてソニアに対抗できる人物を送り込み、あの女の影響力を削ぐ……そういう計画だったはずなのに、どうしてこうなったのかしら? ……そもそも、ワタシの立てた計画が上手くいった例自体、あんまりない気がするけどねぇ。

 そんなことを考えつつ教会で一夜を明かし、朝食をとってからワタシはパパの住む領主屋敷に向かった。その狭い玄関でワタシを出迎えたのはパパと……そして、今にも倒れそうな顔色をしたソニアとジルベルトだった。

 

「おや……お二人とも、大丈夫ですか? お休みになられたほうが良いように思われますが」

 

「……貴様が気にすることではない」

 

「……」

 

 ソニアはぶっきらぼうにそう答え、ジルベルトに至っては口を開くことすらできない様子だった。まあ、読心能力のおかげで説明される必要もなくワタシには事情が理解できるわけだけど……。

 ジルベルトがパパへ告白しようとして、失敗。ソニアはその愚痴に夜明け近くまで付き合っていたと。……いや、いやいやいや、仲良くなりすぎじゃない? 対抗するどころか、もはや親友みたいになってるじゃないのぉ……どうして? なんで?

 ま、まあ、致命的に仲たがいするような事態になっているよりはマシだし、我慢するしかないかぁ。ワタシは適度な緊張感を保って欲しかっただけで、骨肉の争いをして欲しかったワケじゃないしねぇ? ウン、計画通り計画通り。……全然計画通りじゃないけどそういうことにしておく。

 

「ソニアもジルベルトも、無理はするなよ」

 

『ソニアはジルベルトのやけ酒に付き合ってくれたのか……申し訳ないな。本来、僕がカタを付けなきゃいけない問題なのに……』

 

 パパの口から出た声と心から出た声が同時に聞こえてくる。相変わらず、温厚というかなんというか……ワタシがパパの立場だったら、ジルベルトに対してだいぶ怒ってたと思うけどねえ? まあ、そういう人だからこそ、ワタシの本当のパパになってもらおうと決めたわけだけど……。

 しかしジルベルト、思った以上にヘタレねぇ。あれだけ真面目な攻略法を教えてあげたんだから、てっきりもう告白も成功させてくっついてるものかと思ってたのにさぁ。王都を発って、いったいどれほどの時間がたってると思ってるのよ、まったくぅ……。

 

「も、申し訳ありま……うぷっ」

 

 ジルベルトはゾンビじみた顔色のまま頷き、口元を押さえた。こりゃだめねぇ、今日一日は絶対に使い物にならないわ。

 

「あとで、教会秘伝の薬湯を持ってくるよう、部下に命じておきます。それを飲んで、今日はゆっくり療養するのです」

 

 まあ、とはいえ仕事面ではそれなりにパパの役に立ってるみたいだしねぇ。許してあげましょうか。愛を告げることには失敗したとはいえ、パパからの好感度はむしろ上がってるみたいだし。これなら時間が解決してくれるかな。

 ワタシがこういうのに手を出すと、たいていロクなことにならないのよねぇ。完璧な計画(チャート)を組んだはずなのに、どうしてこう毎回ガバが発生するのかしらねぇ?

 

「き、貴様の世話にはならんぞ……」

 

『この羽虫め、いますぐアル様の前から消え失せろ』

 

 ソニアは相変わらずねぇ。ヤだなあ、あんまりこの人に近寄りたくないんだけど。好感度低すぎて、いざという時の催眠もまったく効果ないだろうしさぁ。ワタシがリースベンに滞在している間だけでも、なんとか遠ざけておけないかなぁ?

 いやでも、パパのピンチってだいたいソニアが居ないときに発生してるのよねぇ。やっぱいるわ、この女。盾の役割は、ワタシじゃ果たせないし。悩ましいわねぇ……。

 

「ソニア! お前はもう、まったく……そんな有様じゃ、部下に示しがつかないぞ。士官の威厳を損なう行為は、厳に慎んでもらわなきゃ困る。罰として、今日一日は自室で謹慎だ。薬を飲んで寝てろ」

 

「申し訳ありません……」

 

『うう、わたしは副官失格だ……』

 

「い、以後このようなことの無いよう……気を付けます……」

 

『情けなさ過ぎて泣きそう……こんな有様じゃ主様に嫌われちゃう……』

 

 大丈夫よぉジルベルト、パパは世話好きだから情けないくらいのほうが好感度上がるわよぉ。そしてソニアは盗撮なんかしてる時点で副官失格だと思うわぁ……。いやワタシも大概聖職者失格のカスだけどねぇ?

 

「はいはい、解散解散。部下たちには、僕の方から伝えておくから」

 

 パパに追い出されて、二日酔い女二人は部屋を去っていった。これで二人っきり! いやまあ、使用人や護衛の騎士たちもいるから、全然二人っきりじゃないけどね。

 でも、ソニアがいないだけでだいぶ心が楽になるわぁ……アイツ、怖すぎるのよねえ。恋愛事以外の察しは異常にいいし、考える前に手が出るから、思考を読んでも回避できないし……。

 

「申し訳ありません、フィオレンツァ様。見苦しいところをお見せしました」

 

「いえいえ、結構ですよ。人間、たまには羽目を外したくなるものです」

 

 にっこりと笑って、そう返す。まあ、計画は完全に破綻したけど、最悪の方向には行っていないしヨシとしようかな。

 

「それはさておき、本題に入りましょうか」

 

 ワタシも別に、遊ぶためにリースベンに来たわけじゃないからね。キッチリ仕事もしなきゃいけない。……王都はともかく、リースベンはパパのおひざ元だからなぁ。王都みたいなことにならないよう、そうとうに気を付けなきゃダメよねぇ……。頑張れ、ワタシ。

 

「今日の予定は……たしか、エルフとの面会ですか」

 

「ええ。会談本番の前に、フィオレンツァ様にエルフがどういう種族なのかを知ってもらおうと思いまして」

 

 フィオレンツァ様ねぇ。フィオって呼んでくれないかなぁ? パパは公私の区別をきっちりつけるタイプだから、今は難しいだろうなぁ……。はあ、ヤな気分。

 

「なかなか、難儀な方々というお話ですが……」

 

「まあ、どうしてもね。彼女らも、状況が状況なので」

 

『個人としてはなかなか好ましい部分もあるけど、過激派連中がなあ……』

 

 ……パパったら、だいぶ苦労してるみたいねぇ。まあ、長命種の蛮族だものね。そりゃあ普通に考えて厄介よねぇ……。とはいえ、だからこそうまくやれば頼もしい味方になってくれるハズ。これからの計画のことを考えたら、出来るだけパパの手持ち戦力は増やしておかなきゃマズいしね。頑張ってみましょうか。

 



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第252話 聖人司教と元捕虜エルフ

 パパ(アルベール)に案内され、ワタシは応接室に通された。エルフと面会するためだ。ワタシも仕事柄いろいろな種族と顔を合わせる機会が多いけど、エルフは今回が初めてだった。

 応接室で待っていたのは、同性のワタシでも感嘆しそうになるほどの美しい少女だった。直視することすら憚られるような整った容姿に、輝かんばかりの金の髪。とてもじゃないが、蛮族には見えない。正直、かなり面食らった。ただ、問題が一つ……。

 

『なんじゃこんわろは、ハトの鳥人か? いや、腕も生えちょっぞ。見たことん無か種族じゃろうか』

 

 思考の訛りがキツい! 半分くらいしか意味が読み取れない! ど、どうしよう……ワタシのアドバンテージの六割くらいが消し飛んでないこれぇ……? 暗号言語でも使われてるような気分なんだけどぉ……。

 

「こちらは、当家の食客のリケ・シュラント氏です。……リケ、この方はパレア市……僕たちの国の都で星導教の教区長をされている、フィオレンツァ・キルアージ様だ」

 

 そんなこちらの内心には気付いていない様子で、パパがエルフを紹介してくれる。こういう場合には、仲介者がお互いの紹介を行うのがガレア貴族のマナーだ。

 

「リケ・シュラントです。よ、ヨロシクおねがいします」

 

『食客! 物は言いようじゃな。今ん(オイ)は単なっごく潰しじゃなかじゃろうか……』

 

 ひどく読みづらい思考と共に、リケとやらが手を差し出してくる。ワタシは己の内心をおくびにも出さず、にっこりと笑って握手に応じてやった。

 

「フィオレンツァ・キルアージです。お会いできて光栄ですわ、リケさん」

 

 このエルフ、心の声はひどく訛ってるけど、言葉遣いの方は(ちょっとぎこちないけど)ガレア風ね。思考が読みづらいからちょっと確証が持てないけど、どうもこの頃ガレア言葉を覚えるために自主的に猛勉強してるみたい。

 

「ど、どうも……」

 

 頭を下げてから、リケは慌てた様子でパパに身を寄せて小さな声で聞いた。

 

「教区長とか司教とかようわからんのじゃが、偉かお方なんか?」

 

「偉い人だよ。部下の数なら僕の十倍以上いるんじゃないかな……」

 

「ひぇっ……」

 

 まあ、確かに部下の数はそれなりに居るけどさあ……結局、親(とは認めがたい血縁がつながってるだけの女)のコネと能力を生かした脅迫で成り上がった立場だしねぇ。あんまり、胸を張りづらいのよねぇ。自らの知識と才覚で出世してるパパのほうが、百倍えらいわ。

 それに、惚れた弱味ってのもあるしねぇ。パパに頼まれたら、部下くらいいくらでも貸すし。職権乱用しまくりよぉ、もう。伊達や酔狂で生臭不良聖職者やってるわけじゃないのよ、ワタシも。

 

「そう緊張する必要はありませんよ。わたくしは、あくまでアルベールさんのお友達としてここにいるのです。同じくアルベールさんのお友達であるあなたに偉ぶって見せるほど、恥知らずではありませんもの」

 

 有象無象にどんな態度を取られたって、気にならないしねぇ。

 

「そ、そうですか。あいがとごわ……ありがとうございます」

 

 頭を下げるリケに、ワタシはにっこり笑い返した。……しかし、物騒な前評判のわりに普通に話が通じるわね、この女。いやまあ、なんかの拍子に逆鱗に触れたら、問答無用で切りかかってくるんだろうけど。

 まあ、この辺りはパパの作戦勝ちみたいなところもあるかもね。徹底的に相手から攻撃性を削ぎ落すような対応を、意識して行ってたみたいだし。エルフと共存するためのテストを、このリケとやら使ってやってたんでしょうねぇ。

 

「それでその……そのような高貴なお方が、私ごときになんの御用でしょうか? (オイ)……じゃなか、私などはたんなる雑兵でして、あまり参考になるようなお話もできませんが」

 

『話せっことは全部話してしもたせいで、もう尋問んネタがのうなってしもた。困った、こんままでは耳かきしてもれんくなっ……』

 

 えっ、このエルフ、パパに耳かきしてもらってるの!? うらやましいいいいっ! ワタシはもう何か月もしてもらってないっていうのにさあ! ……ううううーっ! なんとか、リースベンに滞在している間に一回くらいはやってもらおう。でも、そうなるとソニアが邪魔よねぇ。どう考えても邪魔してくるだろうし……。アイツがダウンしている今がチャンスかな?

 しっかし、このエルフもすっかりパパに魅了されてるわねぇ。流石の人心掌握術だわ。なんとか、ワタシもこういう真似が出来るようになりたいけど……催眠やら読心やらを駆使しても、なかなか難しいというのが現状なのよねぇ。

 

「いえ、いいえ。そんなことはありませんわ。わたくしがお聞きしたいのは、エルフの風俗や宗教に関してです。わたくしの役割は、ガレア王国とエルフェニア帝国の橋渡しの一助になることですから」

 

「な、なるほど」

 

『こん腕付き白ハト女、(オイ)らに星導教とやらを布教すっつもりか』

 

 あ、一瞬で目論見がバレた。実際、ワタシの目的はエルフに対する布教で間違いない。とはいっても、別に『世界の四方(よも)にこの素晴らしい教えを広めるのが我が役割!』などとシャチホコ張った考えをしているわけではない。エルフどもを信徒にしてしまえば、食糧支援の資金源として星導教の財布が使えるようになるからだ。

 今後のことを考えれば、パパの資金はできるだけ温存しておきたいのよね。この手は、そう悪いプランではないと思う。エルフたちが宗教戦争を起こすリスクも無くはないけど……星導教は異教に対してはかなり穏健(代わりに異端に対しては異様に苛烈だ)で、なんなら掛け持ち(・・・・)さえ認めている変わった宗教なのよね。相手が受け入れてくれるのなら、たぶん大丈夫だと思うんだけど……。

 まあでも、ワタシも藪をつついて蛇は出したくないからねぇ。リースベンで宗教戦争とか、本当にシャレにならない。布教に対する抵抗が大きそうなら、このプランを廃案にすることも考えてはいる。……それを調べるために、わざわざこの元捕虜のエルフに会わせてもらってるわけだし。

 

「とくに気になるのは、エルフの宗教です。あなた方は、どのような信仰を持たれているのでしょうか? いち聖職者としては、非常に気になるところですね」

 

 しっかし、案外頭の回転は速いわねえこいつら。雑兵でこれなら、首領のダライヤとやらはどれほどのものか……ちょっと怖くなってきたなぁ。相手は年齢四桁オーバーのババアでしょ? 知謀戦では勝てる気がしないなあ……。

 最悪、この魔眼についても見抜かれてしまう可能性もある。永いこと生きていたら、ワタシの同類と出会った経験もあるかもしれないしね……。眼帯を特別製のものに変えて、あえて読心能力を封じておくのもアリかな。どうせ、訛りのせいで思考は半分くらいしか理解できないし……。

 

「信仰ですか……」

 

『やっぱいそげん話か。アルベールどんも面倒な人を連れてきたもんじゃな。坊主ん話はしゃらくせぇで好かん』

 

 あ、かなりイヤそう。でも、感触としては悪くないな。異教の聖職者を相手に、憎悪でも嫌悪でもなくまず面倒という感想が出てくるあたり、そこまで宗教に熱心ではない証拠ね。

 別に、ワタシとしても本気でエルフたちに星導教を広めたいわけじゃないしねぇ(というかワタシ自身、星導教なんて道具としか思っていないワケで……)。なあなあでいいのよ、こんなのは。形ばかりの洗礼さえ済ませてしまえば、あとはこっちでなんとかできるからね。

 

「まあ、大したものではありませんが……獣を狩ったり、芋を掘ったり、人が死んだりした時は手を合わせて拝んだりするくらいで」

 

「ほう」

 

 何に対して拝むのだろうか? 神? 精霊? あるいは祖霊? そのあたり、根掘り葉掘り聞いておかないとね。火種になりそうな部分は徹底的に潰しておかなきゃマズい。王都みたいなトラブルは、もう二度と起こしたくないからねぇ……。



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第253話 聖人司教と懐かしき日々

 リケとかいう元捕虜のエルフへの聴取が終わった後、ワタシは引き続き"新"、"正統"の連絡員とも会談をした。相変わらずエルフどもの思考は訛りがひどすぎて読みづらかったけど、総じて反応は悪くなかった。

 『面倒な戒律がないのなら、改宗を考えても良い』と明言した者までいたから、ワタシはだいぶ安心した。エルフの宗教観はずいぶんとユルいみたい。これなら、強引だったり性急だったりする手を使わなければ十分に安全な布教はできそう。

 エルフ連中を信者にしてしまえば、困窮した信徒たちを救うという名目で炊き出しが行えるし、千人単位での新規信者獲得に成功すれば、星導教内でのワタシの評価も上がる。まったくwin-winの取引じゃないかしら?

 

「アーイイ、そこ……」

 

 その後、ワタシとパパ(アルベール)は一緒に昼食を取り……食後の時間を利用して耳かきをしてもらっていた。パパは優しいから、「ぶっ続けの会談で疲れてしまった」などと言えば簡単に耳かきくらいしてくれる。……まあ、実際のところ面倒な人間の相手は慣れてるから、このくらいじゃ全然疲れてないけどね。

 ワタシはソファーに横になり、パパの膝を枕にした状態で耳をいじられていた。耳かき棒が動くたびに、あられもない声が漏れだす。あんまりヘンな声を上げると妙な勘違いをされそうだから、正直嫌なんだけど……我慢が出来ないんだから仕方がない。

 

「フィオは本当に耳かきが好きだねえ」

 

 苦笑しながら、パパは耳かき棒を自在に操る。そのたびに、何とも言えない快感が走った。昔からパパの耳かきはすごかったけど、最近いっそう磨きがかかっているみたい。いやぁすごいわぁ……。

 ちなみに、パパの口調がラフなものになっているのは、この場に他の人間が居ないからだ。ナイショ話がしたいという名目で、昼食は個室で取ることにしたからね。普段ならこういう場合にもソニアがくっ付いてきて邪魔をしてくるんだけど、今日は二日酔いでダウンしているので好き放題できるってワケ。

 

「ええ、もちろん。しかし、わたくしだけが特別好んでいるというわけではないでしょう? この手付きは明らかに普段から他人に耳かきをし慣れているものです。ソニアさんなどにも、してあげているのでは」

 

「まあ、その、ノーコメントで」

 

『ソニアもカリーナも……最近はリケ氏もか。本当、みんな好きだねぇ』

 

 こんな可愛くて格好良くてエロい男性がタダで極上の耳かきをしてくれるんだから、そりゃあ人も集まってくるというものでしょうねぇ。あー、ソニアが羨ましい。だいぶズルい立場よぉ、あの女……。

 

『しかし、フィオレンツァ司教に耳かきをするのも久しぶりだなあ。昔はよくやってたものだけど……』

 

 そうそう。子供のころは、耳かきも添い寝も好きなだけしてくれたよねぇ。随分とめんどうくさいヤツだったワタシを、邪険にすることもなく……ああ、まったく。あの日々のおかげで、ワタシがどれだけ救われたことか。はぁ、あの頃に戻りたい……。

 

「それはさておき……どうかな、エルフたちの感触は」

 

「悪く……んふっ、そこ好き……悪くないですね」

 

 優しく耳垢を削ぎ落されるような感覚に吐息を漏らしつつ、ワタシは答えた。久しぶりのパパとのスキンシップに、言いようもないような至福の満足感が胸の中に湧きおこっていく。ついでに、性欲も。

 ……いけないいけない、いくらでもごまかしがきくパレア大聖堂と違って、ここはパパの屋敷だからね。ヘンなことをしたら、一発でバレる危険性がある。そうなったら、パパの立場も悪くなっちゃうからね……。

 

「あくまでエルフたちの自主性に任せる、という方向性ならば……んっ……布教をしても大きな問題は発生しないように……あっ、イイ……思います」

 

「なるほど」

 

 頷いてから、パパは私の耳に息を吹きかけた。とたんに、私の脊髄に法悦めいた感覚が走る。

 

「あひぃ……」

 

「はい、こっちの耳はお終い。ひっくり返ってね」

 

「は、はい……」

 

 もちろん、ワタシはすぐさまパパの指示に従った。寝返りを打つように転がり、逆側の耳を上にする。すると……ワタシのちょうど目の前に、パパのお腹と股間が……。

 あー、だめだめ、えっちすぎる! む、娘に対してそんな誘惑をしてくるなんて、なんて悪い父親なのかし……いや十割ワタシが悪いわね? 一方的に父親認定した相手に一方的にワタシが欲情しているだけだわ。

 あー、冷静になったら罪悪感がムクムクと。どうしてこう、すぐスケベな気分になっちゃうのかしら? やっぱり、淫乱の娘は淫乱になる運命(さだめ)なのかなぁ……。ああ、あの血縁上は母親ということになっているドブ女め!

 

「まあでも……エルフはなかなかケンカっ早い種族だし、独自の文化も持っている。何が地雷……じゃないや、逆鱗なのかまだわからない部分があるし、宗教関連は慎重にやったほうが良いと思うな」

 

 そんなこちらの内心には気付いてない様子のパパは、私の耳に無造作に耳かき棒をつっこみつつそう言った。こんなニブニブで、良く今まで純潔を保てたわよねぇ、パパってば。ソニアがいなきゃ、どう考えても誰かに食べられてるわ……。

 

「あふっ……も、もちろんその辺りは分かっております。わたくしとしても、無用な争いは避けたいですし……」

 

 忠告されるまでもなく、当然ワタシもそのあたりは理解していた。星導教は比較的ユルめの宗教だけど、それでも他宗教といさかいを起こすことはよくある。中央大陸東部で信仰されている天陽教とは、定期的に戦争をしているしねぇ。

 ここがパパの領地じゃなきゃ、ある程度テキトーにやっちゃうんだけど……今回はそういうわけにもいかない。できるだけ慎重に立ち回らなきゃあ……。

 

「それに、極星様の導きは日々の暮らしを少しでも良くするためのもの。思考停止して金科玉条のように教えを守っていればそれでよい、というものではない……それがわたくしたちの考えです。彼女らエルフの文化を無視して己の戒律を押し付けるような真似は、かえって極星様の教えに背くことになりますから」

 

 実際、ワタシたち星導教は宗教集団を名乗ってはいるけれど、実態はたんなるクソデカ星占術集団だからね。パパの前世の世界で言えば……陰陽寮? とかいう組織が近いかなぁ。もちろん腐敗したり硬直化したりしてる部分は多々あるんだけども……他宗教に対する柔軟性は、なかなかなものがある。

 そういう面では、エルフとは相性がいい気はするのよね。彼女らはどうやら一種の精霊信仰を行っている様子だけど、星導教ならその従来の信仰と対立することなく共存可能だし。唯一神をあがめる天陽教じゃ、こうはいかないんだけど。

 

「なるほどね」

 

 パパは頷きながら、ワタシの頭を優しく撫でる。その甘美な感触に、ワタシは思わず目を細めた。はあ、こんな時間が永遠に続けばいいのになあ……。

 

「……エルフたちの現状は、目を覆いたくなるような悲惨なものです。聖職者としては、座視はしていられません。どうかわたくしにおまかせを、アルベールさん」

 

 ……まあ、正直エルフとかどうでもいいんだけどね。でも、あの連中が大人しくなれば、パパの仕事も随分と楽になるだろうから……娘としては、頑張りどころねぇ。せいぜいミスをしないよう、気を付けてやっていきましょうか。



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第254話 くっころ男騎士と河川警備艦マイケル・コリンズ号

 それから数日後。僕はソニアとフィオレンツァ司教を連れ、カルレラ市のすぐ隣を流れる大河、エルフェン河のほとりへとやってきていた。カルレラ市の水源でもあるこの川には小さな川港が築かれており、漁船らしき川船がいくつも係留されていた。

 今日から僕たちは、三者会談に出席するため"新"の集落へ旅立つ予定だった。すでに荷物や人員の準備も整え、あとは出発するだけという状態である。

 

「ほう、これは……随分と大きな川ですね」

 

「ええ。水量だけなら、王都のセイル川にも負けないでしょう」

 

 フィオレンツァ司教の言葉に、にっこりと笑って僕はそう返した。……ただ、大きいわりにあんまり魚がいないんだよな、この川。小魚はまあ多少取れるんだが、王都でよく食べられているカワマスのような食いごたえのある魚はまったくいない。

 どうも、そういう魚は旧エルフェニア崩壊期に絶滅してしまったらしい。せっかく川があるのに食料源としてあまり役に立たないのは、非常に残念な話だ。

 

「これだけ水が多ければ、かなり大きな船であっても運用が可能です。エルフの二勢力に供給される食料は、すべてこの川を使って輸送される予定になっております」

 

 しかし、川の価値というものは魚だけにあるわけではない。むしろ、輸送手段としての利用の方が本分と言える。剣と魔法のこの世界には、トラックなんてものは存在しないからな。陸上輸送の主役は、荷馬車である。

 だが、当たり前だが一台の荷馬車で運べる荷物の量など限られているからな。どうにも使い勝手が悪いのは事実である。しかし、船を使うことができれば、この辺りの問題は一挙に解決する。トン単位の輸送も容易に行うことができるのが、河川交通のメリットだ。

 

「ええと、二勢力というと……"新"と"正統"でしたか。エルフの方々も、なかなか難儀をされているようですね」

 

 沈痛な面持ちで、フィオレンツァ司教が川下を見やる。慈悲深い人情味のある彼女のことだ。食い詰めて蛮族と化してしまったエルフの現状には胸を痛めずにはいられないんだろう。

 

「……」

 

 そんな彼女を、何とも言えない表情でソニアが見ている。先日はジルベルトともども完全にダウンしていた彼女だったが、流石にもう体調も回復し、顔色もすこぶるよろしかった。

 この二人が揃ってあんなことになるとは……流石に少々驚いた。まあ、ソニアの方はジルベルトに付き合ってくれただけだろうが。……しかし、本当にどうしたもんかね、ジルベルトは。考えても考えても結論が出ないので大変に困る。僕個人としては、彼女は非常に好ましい女性であるのは確かなんだが……。

 

「それで……あの船が、今回の旅に使うという?」

 

 フィオレンツァ司教の声で、僕はハッと我に返った。そうだ、今はボンヤリしている暇はない。

 

「ええ、その通り。マイケル・コリンズ号、わがリースベンの水上戦力第一号です」

 

 川港に係留されている中でも、ひと際大きな川船を指さして僕は胸を張った。……大きいと言っても、周囲の漁船やボートに比べてのことだけどな。ガレアの西部や南部の港に停泊している商船群から比べれば、はるかに小さい。まあ水深の浅い河川で運行することを前提に設計されたものだし、なにより数か月という短期間で建造された代物なので、仕方のない話なのだが。

 この船は、もともとエルフェン川上流の山脈で建設が進んでいるミスリル鉱山との航路を保護するために建造されたものだ。最低限の機動性を確保するために帆装も備えているし、野盗や海賊……ならぬ河賊を追い払える程度の火器も装備されていた。

 砲艦外交を行うには少々小さすぎるものの、エルフたちに対しても多少の威圧効果を発揮できればいいなあ……などと僕は考えている。

 

「"新"および"正統"との三者会談には、この船を使って向かいます。もちろん、船倉に食料を満載してね」

 

 三者会談の会場である"新"の集落には陸路でも向かうことができるが、当然この集落とカルレラ市の間には街道など整備されていない。徒歩ならなんとか踏破できるが、荷馬車の通行は難しい。……というか、不可能だ。

 そこで、僕は就役したばかりのこのマイケル・コリンズ号を足として使うことにしたわけである。これなら人員と物資の輸送を同時に行うことができる。一石二鳥の方策であった。

 

「なるほど、船旅ですか。久しぶりなので、楽しみですね」

 

 感心した様子で、フィオレンツァ司教は頷く。船旅といっても、どちらかといえばジャングル・クルーズに近い代物になるだろうがね。とはいえ、労せず冒険気分が味わえるのは確かだ。

 ……冒険気分というか、マジで冒険なんだけど。先日の襲撃を思えば、反"正統"派が和平仲介や"正統"に対する食料供与の妨害工作を仕掛けてくるのは確実だし。

 

「ただ、エルフたちも一枚岩ではありませんから……かなり高い確率で、襲撃を受けるものと思われます。むろん我々も総力を結集して御身をお守りいたしますが……」

 

「問題はありません。その程度の覚悟はしたうえで、わたくしはこの場に立っているのです」

 

 真剣な顔でそう言った後、司教は悪戯っぽく笑った。

 

「それに、アルベールさんと戦場を共にするのは、初めての経験ではありませんし……ね?」

 

 確かに、王都の内乱ではフィオレンツァ司教も僕と一緒に戦場に出ていたわけだからな。直接戦闘には参加しなかったものの、すでに実戦は経験済みなのである。彼女の度胸はホンモノだ。

 

「ふん……」

 

 一方、面白くなさそうなのがソニアだ。彼女は、己が王都内乱に参加できなかったことを、いまだに根に持っているらしい。まあ、フィオレンツァ司教への対抗心もあるのだろうが……。

 

「ハハハ……そうでしたね。まあ、今回もどうぞ大船にのった心地でお任せください。まあ、実際は大船どころか小舟なんですがね」

 

 小さく笑ってから、僕はマイケル・コリンズ号が接弦している桟橋を指す。

 

「さあさあ、どうぞご乗船を。内部をご案内いたしましょう」

 

 こうして、僕たちの船旅が始まった。



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第255話 くっころ男騎士と船旅

 河川舟艇マイケル・コリンズ号はエルフェン河の流れに乗り、ゆっくりと進んでいく。"新"の集落があるのは川下だ。帆や(オール)を使わずとも、川の流れが勝手に目的地に連れて行ってくれる。

 ……行きは楽でいいんだけど、帰りは流れに反して進むことになるからかなり大変なんだよな。人力や馬なんかで強引にけん引して進むしかない。自前のエンジンを持った現代舟艇のような自在な運用は難しいのである。

 

「進めども進めども森ばかりだなあ」

 

 マイケル・コリンズ号の上甲板で、僕はぼんやりとしながらつぶやいた。出航してから半日が経過したが、カルレラ市周辺の田園地帯を抜ければあとは森と山しかないのがリースベンという土地である。どっちを向いても一面のクソミドリなのだから、あまり景色を楽しむという気にもならない。

 

「歩いていくよりは随分と時間の短縮が出来るはずだが……さて、到着まではどれくらいかかるかな」

 

 カルレラ市から"新"の集落(ルンガ市というらしい)までは、徒歩で三日の旅程である。ただし、カルレラ市・ルンガ市間には街道は結ばれていない。ほとんど手つかずと言っていい原生林を踏破する必要があるわけだから、当然余計な時間がかなりかかるわけだ。直線距離で考えれば、両市は大して離れていないはずである。

 

「あてもこげん船を使うたぁ初めてっじゃっでようわかりもはんが、丸一日程度で到着すっとじゃらせんかと」

 

 そう答えたのは"新"の連絡員、カラス鳥人のウル氏であった。彼女は大きな木箱に腰を下ろし、心地よさげな表情で頬に当たる風を楽しんでいる。南国リースベンもすっかり秋が深まり、ずいぶんと涼しい風が吹くようになっていた。

 

「なるほど。まあ、仕方がない話だが……一回は、船上で夜を明かす必要がある訳か」

 

 僕は小さく唸った。現状の旅路は平穏そのものだが、反"正統"派の妨害が予想されている以上、あまり油断もできない。いつ襲撃があるのかわからないので、なかなかに神経を削られる。

 僕は小さく息を吐いてから、背後を振り返った。そこには、回転式の砲架に収められた小ぶりな大砲があった。マイケル・コリンズ号の主砲、試製五七ミリ速射砲である。王都内乱でも活躍した八六ミリ騎兵砲もたいがい小さな大砲だったが、さらに小型のチビ大砲だ。そして、異なるのは大きさだけではない。砲身の材質は青銅ではなく鉄……それも鋼製だし、砲尾には大きなハンドルが取り付けられていた。

 この試製五七ミリ速射砲は、砲口ではなく砲尾から弾を装填する後装式という方式を採用していた。そのため発射速度は従来の大砲を大きく上回り、理論上はこの砲一門で従来砲四門に匹敵する火力を持っている。まったく素晴らしい、新世代の大砲だった。……スペックデータ上では、の話だが。

 しかし、所詮は新兵器だからな。正直な話、僕はコイツをまったく信頼していなかった。なにしろこの後装砲、開発段階では頻繁に砲身の破裂事故を起こしたいわくつきの代物だ。一応その問題は解決しているという話だが……事故ってやつは最悪のタイミングで起こるとしたものだからな。警戒は必要である。

 

「アルベールどんが不安に思うことはなか。不埒な輩がでたや、我々が追い払うてやる。安心せぇ」

 

 などと胸を張りつつ言うのは、甲板上で警備に当たっていたエルフ兵だ。彼女は革鎧の上からポンチョを着込み、弓矢や木剣で完全武装している。同様の格好をしたエルフは、周囲に何人もいた。

 彼女らは、"新"から派遣されてきた護衛たちだ。どうやらダライヤ氏は先日の襲撃をかなり重く見ているらしく、護衛の人員を大幅に増やしてきたのである。エルフによる妨害はエルフ自身の手で跳ねのける、という気概の表れらしい。

 

「頼りにしてるぞ、君たち。そのかわり、メシは腹いっぱいになるまで出すからな。どうか期待してくれ」

 

「おう、任せとけ!」

 

 ドンと(エルフ特有の薄い)胸を叩き、エルフ兵はガハハと笑った。黙っていれば妖精のような幻想的な美しさを持つ種族なのに、彼女らはいちいち豪快である。ギャップがスゴイ。

 しかし、確かにエルフ兵は頼りになるが……"敵"が"新"内部に居る以上、彼女ら護衛人員の中に裏切り者が潜んでいる可能性はそれなりにあるんだよな。獅子身中の虫ってヤツだ。警戒を緩めるべきではないだろう。

 やはり、こういう時に一番頼りになるのは信頼のおける身内だろう。僕はちらりと、後ろに控えるソニアの方を見た。ここ数日不調続きだった彼女だが、流石に回復したらしく顔色は平素通りに戻っている。

 

「……」

 

 彼女は背中の愛剣の柄をぽんと叩き、頷く。彼女はガレア王国でも一、二を争う腕前の剣士だ。それほどの騎士が護衛に当たってくれているのだから、その安心感は尋常なものではない。

 安心感と言えば、あのニンジャ集団はどうしているんだろうか? 助太刀のお礼に昼食をご馳走してから、一度も姿を見ていないんだが……まだ僕を護衛する任務を続けているのだろうか。まったく、本物の忍者のように謎めいた集団である。

 

「じゃっどん、良か季節になったね。あては暑いの(ぬっかと)は好かん。ずっとこげん気候ならよかんどん」

 

 などと考えていると、ウル氏が世間話を振ってきた。確かに、良い気候である。太陽は相変わらずギラギラしているが、風は涼しいので汗ばむこともない。……季節的には、そろそろ晩秋なんだがな。王都なら、すでに冬服に衣替えをし始める時期だ。流石は南国……。

 

「しかし、聞いた話ではリースベン……エルフェニアの秋は短いそうだな。あっという間に冬になってしまうとか」

 

「そうじゃなあ。リースベン(・・・・・)の冬は、案外さんかど。冬支度には手を抜かん方が良か」

 

 こっちがわざわざエルフェニアと言い直したのに、あえてリースベンと言うあたりなんだか確信的なものを感じるなあ……。やっぱり、ウル氏らはエルフェニアを捨ててこっちにつく気なのではなかろうか? この会談が終わったら、そろそろ真意を確かめたほうが良いかもしれない。

 本当に鳥人衆がこちらの陣営に鞍替えするなら、大歓迎なんだよな。彼女らは翼竜(ワイバーン)よりも随分と小回りが利くし、数も多い。これは偵察や哨戒といった任務にはもってこいの特性だ。将来的には、空中からの弾着観測(文字通り、大砲の着弾を観測する任務。砲兵はこの観測結果をもとに照準を修正し、正確な射撃を行う)なんかも可能になるかもしれない。

 

「……寒いのは嫌いだ。まあ、我が故郷ほどではないだろうが」

 

 ソニアが憮然とした表情で呟いた。彼女の故郷、ノール辺境領は極寒の地だ。真冬ともなれば完全に氷雪によって閉ざされ、生半可な服装で外出しようものならあっという間に凍死する。寒さに弱い竜人(ドラゴニュート)にはあまりにも辛すぎる土地だった。

 僕も子供のころに何度かあそこで冬越しする機会があったが、寒すぎて顔面蒼白になったソニアが四六時中密着してくるものだからひどく参った。どうやら、ノール辺境領の竜人(ドラゴニュート)には只人(ヒューム)を湯たんぽがわりに使う文化があるらしい。性癖がおかしくなるからマジでやめてほしいだろ……。

 

「ソニアどんの生国は北ん方じゃっとな?」

 

「北も北、ガレア王国の最北端だ。今頃の時期には、すでに雪で真っ白に染まっているくらいの場所だぞ」

 

「ひえ、雪」

 

 エルフ兵がぶるりと体を震わせた。

 

「こっちじゃ山ん上くれでしか降らんぞ、そげんもんな」

 

「なんだ、寒いと言っても大したことはないではないか、リースベンの冬は」

 

 ドヤ顔でそんな宣言をするソニアだが、彼女はかなりの寒がりなので初雪が降る遥か前から着ぶくれしてモコモコの状態になっているのが常である。エルフたちにマウントを取れる立場ではないと思う。

 

「しかしソニア……」

 

 ちょっとばかりからかってやろうと、僕が口を開いた瞬間だった。大きな足音がこちらに近づいてくるのが聞こえた。僕は反射的に腰のサーベルの柄を握りつつ、そちらへ顔を向ける。いよいよ襲撃が来たのか、そう思ったのである。

 

「……ッ!」

 

 が、そこに居たのは顔を真っ青にして口元に手を当てたフィオレンツァ司教だった。彼女はひどく慌てながら船べりに駆け寄り、水面へ向けて嘔吐した。

 

「う、うぇ、おろろ」

 

「ワァ……」

 

 襲撃ではなかったが、大事には変わりない。僕はあわてて彼女に駆け寄って背中をさすり、ポケットから出したハンカチで口元を拭いてやった。フィオレンツァ司教の顔色は、ほとんど土気色になっている。

 

「だ、大丈夫ですか? フィオレンツァ様」

 

「う、うう……大丈夫です……星導教の聖職者が船酔いとは、情けな……オエーッ!」

 

 言葉の途中で再び吐き気が来たらしく、彼女はとんでもない表情をしながら再び水面に向けてリバースした。だ、大惨事……。

 実のところ、嘔吐祭りになっているのはフィオレンツァ司教だけではない。エルフ兵も、そしてこちらのリースベン兵も、船旅は初めてというものがそれなりに多いのである。当然、結構な数の人間が船酔いでダウンしている。そういう連中があちこちで吐きまくっているものだから、船上にはすえたような臭いが漂っていた。

 こんな死屍累々の状況で襲撃を受けたら、本気でシャレにならないんだよな。何事もなく終わればいいんだが……経験上、だいたいこういう時には悪いことが重なるものだ。今のうちに、戦闘準備を整えておこう……。



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第256話 義妹騎士と見張り任務

 私、カリーナ・ブロンダンは、友人たちと密談していた。場所は、マイケル・コリンズ号のメインマスト(とはいっても、この船にはマストは一本しかないけど)の先端に設けられた見張り台だ。私たちは、この場所で見張りをするよう命じられていた。

 時刻は真夜中……というか、すでに早朝と言っていいような時分だ。とうぜん、周囲はまだ真っ暗。夜目のあまり効かない牛獣人にはやや辛い時間帯だけど、まあ私は正規の見張り員にくっついて来ただけだから、あまり困ってはいない。

 

「それでね、辺境伯様は自分とソニアの仲直りを手伝えって言うのよ。だいぶ無茶でしょ!?」

 

 視線を周囲の水面に向けつつ、私はそう熱弁する。この船は今、クルーの就寝のため川のド真ん中に錨を降ろして停泊中だった。そういう状況だから、周辺警戒にはたいへんに気を使っている。そりゃ、泊ってる状態で攻撃を受けたら大事だから、当然のことね。

 ちなみに、見張り台には私を含めて四人もの人間が詰め込まれていた。一人は私の子分、リス獣人のロッテ。さらに同年代ということでつるむことの多いコレットという竜人(ドラゴニュート)の新兵。そして最後に、近頃森林戦教官としてリースベン軍にやってきた、レナエルという名前の狐獣人の猟師だ。

 この頃の私は、このレナエルに師事しながら森林戦の訓練を受けていた。相手は平民だから口に出さないけど、内心は先生って呼んでる。このレナエル先生がコレットと一緒に見張りに出るということで、私もロッテと一緒に参加させてもらったというワケ。……この見張り台は内緒話にはもってこいの場所だからね。

 

「やっぱ厳しいッスよ、ソニア様は。なんか気に入らないことをしたら、ハエを潰すみたいな気軽さで叩き潰されそうな恐ろしさがある」

 

 ロッテが声を震わせながらそう言った。確かに、ソニアはめちゃくちゃコワイ。スゴイ美人なのに目つきはやたらと悪いし、しかもかなり暴力的。実の母親である辺境伯様の関節をひっこ抜いたこともあると、辺境伯様本人が言っていた。

 いや、何なの母親の関節を抜くって。私ならどんなにブチ切れても、親にそんな真似をしようとは思わないわよ。怖すぎでしょ。戦場での印象も相まって、私はソニアの前に立つだけでおしっこを漏らしそうになる。

 

「そうそう。見た目も怖けりゃ中身も怖いのよ、ソニアは。正直近づきたくもないわぁ……」

 

 月の光に照らされてきらきらと輝く川面(かわも)を見ながら、私はため息をついた。そのおっかないソニアと辺境伯様を仲直りさせなきゃスタートラインにすら立てないんだから、我ながら困難な恋路に足を踏み込んじゃったもんだわ。今さら後戻りもできないし。

 

「で、でも、意外とソニア様はお優しい方ですよ」

 

 そんなことを言うのは、新兵のコレットだ。彼女は一揃いの魔装甲冑(エンチャントアーマー)に身を包み、腰には立派な長剣を佩いている。一見それなりに裕福な見習い騎士のような装いだけど、実のところ彼女はたんなる平民の一兵士だ。

 実は、コレットはリースベン戦争でお兄様を庇い、大怪我を負ったらしいのよね。この甲冑は、その返礼として下賜されたというハナシ。一見気弱そうな彼女だけど、どうもなかなかガッツがあるらしい。

 

「この剣も『アル様を守ってくれた礼だ』って、ソニア様に個人的に贈って頂いたモノですし……」

 

「えっ、そうなの!?」

 

 私は思わずコレットの方を見た。言われてみれば、なかなかに立派な剣だ。魔法もかかっているらしい。売り払えば、ちょっとした屋敷が買えるくらいのカネにはなるんじゃないかしら。

 ……正直、私の剣よりいいヤツじゃない? アレ。私が今使ってるの、デジレ母様のお下がりのサーベルだし。一応魔法剣ではあるけど、予備として持っていた代物らしくかなり安っぽいのよね、コレ。うわあ、羨ましいなあ。

 

「でも、それはソニア様は城伯様のこととなると突然甘々になるってだけのハナシじゃないッスか?」

 

 ロッテが唇を尖らせながら言った。ううーん、確かにそれはありそう。ソニアはお兄様に関することとそれ以外で露骨に判断基準が変わるタイプだし……。忠犬というか、狂犬というか。いやまあ、犬じゃなくて竜なんだけどね。

 

「い、いやでも、たぶん……見た目ほど冷たい方じゃあ、ないと思うんですけどね? ソニア様は……」

 

 しかし、コレットの意見は変わらないようだ。彼女は遠い目をしながら、そんなことを呟く。

 

「ううーん」

 

 私は思わずうなってしまった。何にせよ、あの難物を攻略しないことには、私はお兄様と一夜を共にすることもできないのだ。それは嫌だ。とても嫌だ。私は今すぐにでも、お兄様を寝床に押し倒して鳴かせてみたいんだからね。

 

「……結局のところ、ソニア様とある程度仲良くならないことには、本題に入ることすらできないのでは」

 

 それまで黙って見張りに専念していたレナエル先生が言う。ぶっきらぼうな口調だけど、別に私たちがうるさいから不快に思っている……というワケではないハズ。彼女はいつだってこういう言い方をするからね。

 

「難しい獲物を仕留めるときは……いっそ相手の懐にぐっと踏み込んで、致命的な一撃を叩き込む。……そういう作戦も、有効だったりします」

 

 視線を遠くへ固定したまま、レナエルは腰に下げた大ぶりな狩猟用ナイフを叩く。なるほど、猟師らしい意見ね。

 

「……確かに。どうにかこうにか、ソニアとオトモダチになれないか頑張ってみるほかないかなぁ」

 

 敵を知り、己を知れば、ナントカカントカ。お兄様も軍学の講義でそう仰っていた。やはり、勇気を出して一歩踏み込むしかないか。……ソニアとお友達に、か。年齢も離れてるし、どうしたものかなあ。ううーん、いっそお兄様に聞いてみるのもアリかもね。幼馴染同士なんだから、攻略法くらい知ってるかも。

 

「……というか、カリーナ様は……それほど怖い思いをしてでも、城伯様と、その……添い遂げたいわけですか?」

 

「そりゃあそうよ! あんなエロくて格好良くて可愛くて性格の良い男、他に居ないもん!」

 

 レナエル先生の問いに、私はビシリと答えた。

 

「え、エロいって……」

 

「エロイわよ! エロいでしょ」

 

「エロいッスね」

 

 子分のロッテは即座に頷いた。なにしろコイツは私と一緒にお兄様にシゴかれていることがよくあるからね。薄着で運動するお兄様のドスケベボディを間近で楽しむ機会も多い。そりゃ、エロい以外の感想は出ないでしょ。

 

「……」

 

「……」

 

 レナエル先生とコレットが、そろって無言になった。見張り中だから顔こそこちらには向けていないけど、呆れた表情を浮かべているのは気配だけでもハッキリと分かった。

 

「なによぉ、アンタら。一階、お兄様との格闘訓練に参加してみればいいのよ」

 

「格闘訓練?」

 

「そう! 組打ちや関節技の訓練なんか、最高よ! ぎゅーっと抱き合って、お尻もさわり放題! オカズには困らないわよっ!」

 

「く、組打ち!? 寝技!?  密着!?」

 

 珍しく、動揺したような声を上げるレナエル先生。いくらクールに見えても、そりゃあ男のカラダに興味津々の年頃だからねぇ。こんなことを言われたら、気にならない方がどうかしてるわよね。

 

「良い考えッスね! 猟師ったって、格闘の心得はあっても損はないッスよ。ぜひとも一緒に訓練するッスよ……城伯様と一緒に!」

 

 こういう時、イの一番に調子に乗るのがロッテだ。「そ、そんな……」と焦るレナエル先生に、思わず私は笑みをこぼし……

 

「んっ!?」

 

 視線の先に、複数の動くものを見つけた。川の上流の方だ。しかし、牛獣人はまったく夜目が利かないので、その正体まではわからない。

 

「レナエル、あれって」

 

 そちらを指さしてレナエル先生にそう聞くと、彼女は望遠鏡を引っ張り出して目に当てた。

 

「小舟だ……人が乗ってる」

 

 小舟!? こんな、周囲に集落なんてない森のド真ん中で!? そんなの、どう考えても普通じゃない。レナエル先生も同感らしく、焦った表情でマストにひっかけられているハンマーを引っ掴んだ。そして、備え付けの小さな半鐘を思いっきり叩く。

 

「敵襲! 後方より敵と思わしき一団が接近中!」

 



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第257話 くっころ男騎士と水上戦闘用意

「敵襲だって?」

 

 マイケル・コリンズ号の航海指揮所に飛び込むなり、僕はそう叫んだ。周囲にはいまだに半鐘の音が連続して鳴り響いている。ただ事ではない雰囲気だ。

 指揮所といっても、所詮は小さな川船だ。一応屋根はあるものの、それ以外はまったくの露天状態である。その手狭な空間に、艦長をはじめとした士官たちが集まっている。ほとんどが就寝中に半鐘でたたき起こされた手合いらしく、多くのものが寝ぼけまなこだった。

 

「川上より正体不明の小舟の一団が接近中とのことです。数は確認されているだけで五(そう)ですが、何分夜間ですので……おそらくは確認漏れがあるでしょう」

 

 そう報告したのは、艦長だった。中年の竜人(ドラゴニュート)だ。彼女は王都のそばを流れる大河、セイル川で商船の雇われ船長をしていたところを僕がヘッドハンティングした人材だった。民間出身者ではあるが、河賊(ようするに海賊の河川版)の襲撃を何度も退けた経験のある、なかなか剛毅な人物だ。

 

「小舟、ね。まっすぐこっちへ突っ込んできているのなら、たんなる漁民ということもあるまい」

 

 そもそも、この辺りにはリースベン側の集落はないからな。九割がた、ボートを操っているのはエルフだろう。

 

「回避は可能かね?」

 

「帆装があるぶん、足はこちらが早いでしょう。しかし、そんなことは向こうも理解しているはず。おそらく、下流側にも罠を張っているのではないかと思われます」

 

 さすがは実戦経験者、艦長の状況判断はなかなかにこなれている。こいつは頼りになるぞと思いつつ、僕は小さく息を吐いた。

 

「本船は、短時間であれば川の流れに逆らって動くこともできたな?」

 

「はい、城伯様。漕ぎ手と風術師の負担が大きいので、長時間は難しいですが」

 

 魔法で発生させた風を用いて船を自由自在に操る技術は、こちらの世界ではごく一般的なものだ。これに亜人特有の剛力を持った漕ぎ手たちが加われば、河川であってもかなり自由な機動をすることができる。

 

「……敵の思惑に乗ってやるのも面白くない。ここは、あえての正面突破を図ろうと思うが……どう思う?」

 

「大変結構かと」

 

 ニヤリと笑って、艦長は被った三角帽の位置を直した。民間出身とはおもえない根性の座り方だ。

 

「ソニア、陸戦隊の様子はどうだ」

 

「船酔いと、それに伴う寝不足でひどい状態です。無事な者もおりますが、少数ですね」

 

 ちょうど指揮所へ入ってきたソニアに問いかけると、返ってきたのは無情な答えだ。まあ、平民出身の兵士たちは船なんてめったに乗らないからなあ。仕方がないのかもしれない。騎士階級であれば、まだ行軍で川船に乗る機会はそれなりにあるんだが……。

 しかし、陸戦隊がまともに戦えない状態なのはマズイな。この船に搭載されている兵装で、対舟艇用に使えるものは艦首付近に装備された試製五七ミリ速射砲が一門のみ。試作兵器ゆえにその信頼性はカス同然だし、そもそもまだ東の空がかろうじて明るくなってきたかどうかくらいの時間帯だ。主砲をぶっ放したところであまり役に立つとは思えない。

 そうなると、頼りになるのは陸戦隊の小銃射撃くらいのものなんだが……参ったねえ。まあ、船酔い状態でも敵に向けて発砲するくらいはできるだろう。命中しなくとも、牽制程度になれば十分かな?

 

「ウル、ウルはいるか?」

 

 少し思案してから、僕はそう叫んだ。「へいへい、ないか御用やろうか?」と言いつつ、上甲板のほうから見覚えのあるカラス鳥人が顔を突っ込んできた。ひどく眠そうな表情をしている。

 

「いちおう、例の小舟に警告を行いたいんだが……夜間飛行は難しいか?」

 

 残念ながら、この世界には電気的な拡声器など存在しないのである(メガホンくらいならあるが)。接近する小舟群に言葉による警告を行うのは難しい。しかし、いきなり問答無用で火器をぶっ放すのは流石に嫌だ。一応、相手はまだ敵対行動をとってないからな。もしかしたら、たんなる民間船の可能性もあるし……。

 こういう時こそ、鳥人の出番だろう。彼女らはこの小さなマイケル・コリンズ号の甲板でも離着陸を行えるほど小回りが利くのだ。偵察も兼ねて、ちょいとひとっ飛びしてもらうことができれば話が早いのだが……。

 

「あてらは夜目が利きもはんで……こうも暗かと難しか。最悪、自分がどこを飛んじょっとかわからんくなって、地面に突っ込んことになっじゃ」

 

空間識失調(バーディゴ)か……」

 

 僕は思わずうなってしまった。よく考えれば、鳥人たちは高度計も速度計もなしにその身一つで空を飛んでいるわけだからな。視界不良の状態での飛行は、自殺行為に等しいわけか。これは困ったな。

 

「じゃっどん、リースベンの船が川を下ってくっで、邪魔をせんごつちゅう触れはすでに出してあっとじゃ。そいでもなお近ぢてこようとすっ輩が、マトモな連中であっハズもあいもはん」

 

 しきりに目をこすりながら、ウル氏はそう説明する。どうも、彼女は朝にはかなり弱い性質(タチ)らしい。

 

「警告などっちゅうしゃらくせぇ真似は必要なかやろう。問答無用でチェストすりゃええとじゃ」

 

 ……さすが異世界、交戦規定(ROE)もなにもあったもんじゃないな。しかし、本船に搭乗している"新"の人員の中では、ウル氏が最上位者なのである。その彼女がこう言っているのだから、まあ警告なしの射撃をおこなっても構わないだろう。……たぶんね。

 

「漕手、操帆員、配置につきました」

 

 伝令が飛び込んできて、そう叫んだ。半鐘が鳴りはじめてからまだ大した時間もたっていないのに、もう戦闘配置が完了したのか。むろん、夜襲は警戒していたから、事前に警戒態勢を取らせていたという部分も大きいだろうが……それにしても、艦本来の乗員たちはなかなかに優秀だな。高い金を出して雇った甲斐があったというものだな。……まあ、カネの出所は僕ではなく、アデライド宰相の財布はであるが。

 

「たいへん結構! ……城伯殿、抜錨いたしますが、よろしいですね?」

 

「ああ、頼んだ」

 

 現在、マイケル・コリンズ号は川下側に艦首を向けている。ところが、この船の艦尾側には大砲がないのである、このままチンタラしていたら、無抵抗のままケツを掘られることになる。そいつはさすがに面白くないだろ。さっさと迎撃態勢を整えなきゃマズい。

 僕が頷いて見せると、艦長は鋭い声で部下たちに指示を飛ばし始めた。ベテランだけあって、なかなか堂に入った指揮ぶりである。水上戦は、彼女に任せておいて大丈夫だろう。

 そもそも、僕は前世でも現世でも水上戦は経験してないからな。いわば、素人も同然である。ヘンな指示を出して味方を混乱させるわけにはいかない。丸投げ以外の選択肢はないということだ。

 

「錨を上げろ! 全速前進!」

 

 専門の魔法使いたちが風術を使って帆を膨らませるのとほぼ同時に、漕ぎ手たちが声を揃えながら(オール)を振るい始めた。微かな軋みの音とともに、マイケル・コリンズ号は前進を開始する……。



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第258話 くっころ男騎士と射撃戦

取り舵一杯(ハードアポート)!」

 

取り舵一杯(ハードアポート)ヨーソロー(マム)

 

 後方から接近する敵船団を迎撃するためには、艦を一八〇度回頭させる必要がある。艦長の号令に従って操舵手が舵輪を回し、船はゆっくりと方向転換を始めた。小型艦だけあって、舵の効きはなかなかに良好である。

 

「城伯殿」

 

 感心していると、艦長から声をかけられた。「どうした?」と返すと、彼女は少々申し訳なさそうな様子で頭を下げる。

 

「自分は古い船乗りでしてね、衝角(ラム)や移乗攻撃の心得はありますが、火器の扱いはとんとわかりません。万が一にも失敗するわけにはいかない航海ですのでね、よろしければ、戦闘指揮をお願いできないかと」

 

 ……そりゃそうか! 実戦経験者つっても、やっぱり民間船の船長だものな。火器の扱い方など知っているはずがない。むしろ衝角や移乗攻撃(相手の船に陸戦隊を乗り込ませる戦術)をやったことがある時点でびっくりだよ。

 

「……なるほど、わかった。すまないが、指揮権をしばらく借り受けよう」

 

 とはいっても、僕だって水上戦の経験はないんだよなあ。正直、ぜんぜん自信はないが……いちおう、前世の僕は海軍兵学校を卒業している身の上である。ズブの素人ではない……ハズだ。いやまあ、卒業後は陸戦畑一本だったんだけどさ。

 なにはともあれ、頼まれたからにはなんとしてもやり遂げねばならない。僕はこほんと咳払いをしてから、周囲を見回した。このマイケル・コリンズ号の航海指揮所はほぼ完全に露天状態だから、ここから目視で甲板の様子を観察することができる。

 

「陸戦隊を艦首側に集めろ、小銃射撃で敵を牽制する」

 

「陸戦隊、集合!」

 

 ソニアが指揮所から身を乗り出して、そう号令した。マイケル・コリンズ号には艦内電話どころか伝声管すら装備されていないので、下達をしようと思えば大声を張り上げるしかない。

 

「主砲、射撃準備はどうだ」

 

「いつでも撃てます、城伯殿!」

 

 返ってきたのは、なかなか頼もしい答えだ。この艦の主砲は航海指揮所のすぐ前にあるから、肉声での会話も十分に可能だ。……まあ、射撃戦が始まれば銃・砲声で会話どころじゃなくなるだろうがな。

 

「照明弾の準備はできているな?」

 

「もちろんです、城伯殿」

 

「よろしい。……本艦の乗員はかなり優秀と見える」

 

 この三者会談がマイケル・コリンズ号の実質的な処女航海だというのに、乗員たちの手際にはまったくモタついたところがない。思わず褒めると、艦長がニヤリと笑った。

 

「城伯殿、船尾……いえ、艦尾の例の武装は、どうしましょう?」

 

「アレは対地攻撃用だ、小舟相手に使うような代物じゃない。温存しておこう」

 

 実のところ、本来マイケル・コリンズ号は艦首と艦尾に一門づつ、合計二門の五七ミリ砲を搭載する設計だった。しかし、今艦尾側に据え付けられているものは、防水帆布製のカバーがかかった大きな箱である。これは、この旅のために急遽調達した"秘密兵器"だった。

 とはいえ、敵はあくまで小舟。奥の手を使う必要はないし、そもそもこの兵器の性質を考えれば小さなボート相手には効果が薄いだろう。ここは、小火器と大砲だけで対処すべきだ。

 

「艦長、あの小舟どもが敵と仮定して……どういう風に仕掛けてくると思う? 個人的には、火矢が怖いが」

 

 前世の世界なら、対戦車ミサイル・無反動砲とか小型の対艦ミサイルなんかを警戒すべき盤面なんだが、現世にはその手の兵器はまだ登場していないからな。小さなボートにはサイズ相応の非力な兵器しか搭載できないはずだが……。

 

「そうですな。弓矢や投げ槍、あとは手投げ弾がせいぜいでしょうか。移乗して白兵戦を仕掛けてくる可能性もありますが……やはり、怖いのは火を用いた戦術でしょうね。なにしろ、こちらは可燃物を大量に搭載している」

 

 艦長は頷きつつそう答えた。現代軍艦なら、可燃物は可能な限り減らすというのがセオリーなんだが……この世界は、そもそもまだ木造船の時代だからな。そりゃ、火を付けられたら盛大に燃えるに決まっている。まして、マイケル・コリンズ号には大砲や小銃に使う火薬がたっぷり載っているわけだから……火災など起きようものなら大変なことになる。

 

「なるほどな。弓矢の射程(レンジ)には入れたくないが……」

 

 そんなことを思案しているうちに、艦の回頭が終わる。艦長が「舵戻せ(ミッドシップ)!」と号令を出し、マイケル・コリンズ号は直進状態になった。とはいっても、川の流れに逆らって進んでいるわけだから、そのスピードはあまり早くない。

 しかし艦の両舷で(オール)を振るっている漕ぎ手たちにはなかなかの負担がかかっているらしく、なかなかつらそうな声が上がるのが聞こえてきた。長時間この状態を維持するのはムリだろう。風術師の魔力の問題もある。

 

「照明弾、撃て!」

 

 僕の命令に従い、甲板に設置された信号砲が火を噴いた。陸上で用いられているモノと全く同じ、打ち上げ花火の発射機めいた木製の簡易砲だ。打ち上げられた照明弾は空中でパラシュートを展開し、未明の大河を明々と照らし始める。

 そのしらじらしい光によって、こちらに接近してくる小舟の姿が露わになった。丸太をそのまま掘りぬいて作ったと思わしき、原始的なカヌーである。その戦場には数名の兵士らしき人影も見えた。報告では五(そう)とあったが、見る限り七(そう)居る。

 

「目標、前方の小舟群。主砲、射撃開始(ファイア)!」

 

「目標、前方の小舟群。主砲、撃ちぃ方はじめ!」

 

 砲術長が命令を復唱するのとほぼ同時に、試製五七ミリ速射砲が咆哮した。口径が小さい分野戦砲などに比べれば控えめな砲声だが、それでも小銃などとは比べ物にならない大音響である。近くに居たウルが翼で耳を塞ぎ、「雷鳴んごたっ!」と叫ぶ。

 放たれた砲弾は放物線を描いて飛翔し、敵小舟からかなり離れた位置で水柱を上げた。ほとんど大暴投に近い外れっぷりだが、なにしろ相手は小さな丸木舟だ。奇跡でもないかぎり初弾命中など起こらない。

 

「……ふむ、退かないか」

 

 とはいえ、威嚇としては十分な効果があったはずだ。しかし、相手は回避のために散開をしたものの接近をやめようとはしなかった。やはり、相手は普通の漁民などではない。

 

「射撃を続けろ」

 

 装填手が砲尾のハンドルを回し、薬室を開放する。そしてその中に砲弾と装薬をひとまとめにしたカートリッジを押し込み、抜いていた閉鎖機(四本の縦溝が刻まれたネジのような部品だ)をさし込んで回す。十秒足らずで再装填は完了だ。従来の砲ではどれほど頑張っても装填には三十秒以上かかっていたことを考えると、圧倒的なスピードと言っていい。

 間髪いれず、二射目を発砲。しかし、また外れだ。……まあいい、たった一門の砲であんなちいさな目標に命中弾を出そうってのがまず無理な話だ。本命は別にある。

 

「陸戦隊、展開が完了いたしました」

 

 ソニアの報告に、僕は頷いた。見れば、甲板上にズラリと兵士たちが並んでいる。甲板上には漕ぎ手も多くいるので、なかなか窮屈そうな様子だ。

 

「よろしい。……ライフル隊、撃ち方はじめ!」

 

 こういう相手には、大砲よりも小銃の方が効果的である。敵ボートが射程内に入ったことを確認してから、僕はそう叫んだ。

 

 



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第259話 くっころ男騎士と不可解な敵

「よろしい。……ライフル隊、撃ち方はじめ!」

 

 命令を下すと、陸戦隊は一斉射撃を開始した。……一斉射撃と言っても、それは言葉のアヤだ。実際はひどくバラバラで不ぞろいな射撃である。訓練中にこんな無様な真似をしたら、下士官からとんでもない罵声が飛んでくるだろう。うちの軍では禁止されているが、よその軍隊であれば鉄拳制裁モノである。

 それだけならまだしも、発砲の後の再装填までおぼつかないものだからたまったものではない。モタモタしているだけならまだいい方で、さく杖(銃口から弾丸を押し込むために使う棒)や小銃本体を取り落としてしまう者まで居るのだから、目も当てられない。無茶苦茶だ。

 むろん、原因は陸戦隊の練度や士気ではなく、船酔いと船体の動揺である。陸戦隊などといっても、所詮臨時編成。実際は、船上での戦闘訓練など一度もやっていないのだから、この醜態も致し方のないところだろう。

 

「……今後はもっと船を活用した訓練もやるべきだな」

 

「そうですね……これはひどい。錬成期間短縮のためにこの手の訓練を省略するよう進言した、わたしの手落ちです」

 

「責任者は僕だぞ。人の仕事を奪うな、副官殿」

 

 ソニアとこそこそ話しつつも、視線は敵ボート群へ固定している。小銃射撃を受けたエルフの小舟は、ひどく慌てた様子で右往左往している。漕ぎ手が負傷したのか、川の流れに任せるがままになっているものも居た。不ぞろいな射撃でも、それなりの効果はあったようだ。

 ……それはいいのだが、この航海指揮所は露天だ。艦の舳先間近で大量の小銃が一斉に発砲されたのだから、当然それによって発生した硝煙が煙幕のようになって指揮所内へと流れ込んでくる。ひどく視界が悪くなるし、おまけにこの煙はなかなか刺激性があるのである。目も鼻も喉も痛くなり、咳き込んでしまう者も多かった。

 

「……こりゃ、凄いですな」

 

 歴戦の艦長も、さすがにこれには涙目になっていた。それでも、堂々とした態度で泰然自若であるように装っているのだから、やはりベテラン士官は偉い。長く指揮官やってるとこういうやせ我慢ばかり得意になっていくんだよな。

 

「まあ、こればかりはな。完全密閉された艦橋を用意するか、射撃ポイントと指揮所を離すくらいしか解決策がないから……仕方がないだろう」

 

 小さく肩をすくめてから、視線を前方に戻す。陸戦隊は再装填の真っ最中だが、その間にも主砲は発砲を続けていた。速射砲の名に恥じない、見事な連続発射だ。小口径とはいえ大砲は大砲、腹の底に響くような砲声がこの速度で連射されると、かなりの迫力である。いやあ、頼もしいね。

 しかも、発射速度が速いということは修正射撃も迅速に行えるということだ。着弾のたびに照準を修正し続けたことで、その狙いはかなり正確なものになってきている。直撃弾こそまだ出ていないものの、上がった水柱で一(そう)のボートを転覆させることにすら成功していた。

 

「素晴らしい!」

 

「こいがリースベンの力か……!」

 

 ソニアとウルが、同時に感嘆の声を上げた。片や歓喜が、片や戦慄が滲んだ声だった。

 

「この砲は、陸戦でもかなりの効果を発揮しそうですね」

 

「ああ、もちろんだ。……数さえそろったらな」

 

 頬を紅潮させながらそう言うソニアに、僕は内心ため息を吐きたい気分になりながらそう答えた。たしかに後装砲は強力な兵器だが、当然量産性はたいへんに低い。この世界の工業力では、鋼のカタマリを大砲のカタチに成型するだけでも一大事だ。

 それに加え、強度や精度もたいへんに高い水準を求められるのだから、満足の行く合格品を一門製造するだけでも大量の不良品が出る有様である。もちろん、この手の問題は技術の円熟によってある程度解決可能なのだが……少なくとも、今すぐの量産が不可能なのは確かである。

 結局のところ、リースベンの砲兵火力はしばらくの間は製造や維持が容易な前装砲でお茶を濁すしかないということだ、もっとも、前装式とはいえ一応はライフル砲だからな。古いタイプの大砲よりはよほど強力なのは事実なので、まあなんとかはなるだろ。

 

「陸戦隊、装填完了!」

 

 そんなことを考えているうちに、やっとのことで小銃の再装填が終わる。普通に陸地で再装填するのよりも、倍近い時間がかかっていた。遅い。あまりにも遅い。ノロノロしているうちに、敵の小舟はずいぶんと接近してきていた。すでに弓矢のレンジだ。ボートに乗ったエルフたちは、さかんに矢を射かけ始めた。

 もっとも、水上での射撃戦に慣れていないのは向こうも同じことのようだ。勇ましい風切り音とともに飛翔する矢は、マイケル・コリンズ号に命中することなく水面へと叩きつけられていく。

 

「撃ち返せ!」

 

 再びの発砲音。艦首付近が白煙に包まれる。うーん、煙い。この問題は、無煙火薬が普及するまでは解決できないだろうな。試作品なら既に完成してるんだが……兵士全体に配布する量は、とてもじゃないが用意できない。まったく、ままならないものだな。

 ……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。今の敵の攻撃、なんだか違和感があったな。よく見れば、射かけてきているのは普通の矢のようだ。警戒していたような火矢は、一本も混ざっていない。

 よく考えてみれば、今は未明の時間帯だ。連中が火炎兵器を携行していたら、明かりが漏れるのですぐわかるはず。しかし、敵ボートはどれもランタン程度の明かりすらついていない。火矢の持ち合わせはないということか?

 

「あいつら、なぜ火矢を使わない? こちらから発見されやすくなるリスクはあるが、それに見合った効果は期待できるはずだ……」

 

「そんた、我々ん軍では火計は全面的に禁止されちょりますで……」

 

 傍にいたウルがそう言うが、僕は首を左右に振った。

 

「軍規で禁止されているというだけで大人しく従うような連中だったら、そもそもこんな襲撃は仕掛けてこないよ」

 

「確かに」

 

 ウルも違和感を覚えたらしく、腕(というか翼)を組んで小さく唸った。この敵、なんだかヘンな気がする。不利を承知であえて縛りプレイをしているような、そのわりに不利を覆すための策も用意していないような……。

 

「城伯殿、あれを!」

 

 思案していると、見張り員が川岸を指さして叫んだ。そちらに目をやると、エルフらしき集団が河原を走っている。どうも、丸木舟を神輿めいて担いでいるようだ。暗くて良く見えないが、照明弾のおかげでかろうじて視認することが出来た。

 

「担いでいる小舟は……十以上ですね。多い!」

 

 とはいえ、それは只人(ヒューム)の目で見た場合の話だ。竜人(ドラゴニュート)は夜目が利く。不確かな光源でも、なかなか正確に敵情を観察することができるのだ。

 

「多いな。今頃増援か?」

 

「いや、おそらく違う」

 

 砲術長が呟くと、すかさず艦長が否定した。

 

「おそらく、下流側で罠を張っていた連中だ。こちらが川を遡上(そじょう)し始めたので、あわてて上流側の味方と合流しようとしているのではないだろうか?」

 

「泥縄だな」

 

 僕は思わずつぶやいた。エルフとはおもえぬグダグダな戦運びだ。彼女らは戦バカではあるが、それ故に手強い相手でもある。……にもかかわらず、この体たらく。やはり違和感がある。

 

「……まあいい。移動中の敵がすぐそこに居るんだ、戦闘態勢に移る前に撃破しておきたい。主砲、目標変更。右舷川岸を移動中の敵集団。弾種は榴弾」

 

「目標、右舷川岸の敵集団へ変更。弾種、榴弾」

 

 砲術長が復唱し、前方を向いていた五七ミリ砲が右側に指向される。こうした柔軟な目標変更が出来るのも、速射砲のメリットだ。

 

「射撃準備完了」

 

「主砲、撃ち方はじめ(ファイア)!」

 

「主砲、撃ちぃかた始め」

 

 砲手が主砲の薬室から伸びたりゅう縄(撃発用の火管に繋がったヒモ)を引っ張り、周囲に轟音が鳴り響く。飛翔した砲弾は、なんといきなり敵集団のド真ん中へ着弾した。爆発が起こり、複数人のエルフ兵が吹き飛ぶ。

 ……もっとも、所詮は口径五七ミリの小さな砲弾だ。榴弾とはいっても、その炸薬の量は歩兵用の手榴弾よりも少ない。起きた爆発はかなり控えめなものであり、当然敵に与えた被害もたいしたものではなかった。

 

「ウオオ! やったな!」

 

「我らがリースベン砲兵隊の初戦果だ! めでたい!」

 

 それでも、主砲要員たちは大喜びである。思わず僕まで頬が緩むが、そこへひゅおんと矢が飛びこんできた。しかも、運悪く僕に直撃するコースだ。

 

「ムッ!」

 

 反射的に防御態勢を取ろうとしたが、それより早くソニアが凄まじい勢いで僕の前に出た。そして、なんと落ちてきた矢を手でキャッチする。長距離曲射で勢いを失っていたとはいえ、飛翔中の矢をそのまま捕まえるなど尋常の技ではない。

 

「ご無事ですか!? アル様」

 

「頼りになる副官のおかげで無傷だよ。ありがとう、助かった」

 

 僕は内心安堵のため息を吐きながらそう答えた。船上とは言え、露天の航海指揮所はまったく安全な場所とは言い難い。塹壕の中の方がよほど安全だろう。やはり、海戦は恐ろしい。

 

「……アル様、これを」

 

 なんとも言えない心地で唸っていると、ソニアがキャッチした矢を僕に手渡した。……なんと、その矢にはヤジリがついてなかった。先日の襲撃で使われたモノと、同じような代物である。

 

「なに……?」

 

 火矢を使わないどころか、ヤジリすらついていないだと……? おかしい。いくらなんでもおかしすぎる。これは実戦だ。わざわざ殺傷力を下げた武器を使う必要がどこにある? 実際、今もエルフ兵たちは攻撃を受けて命を散らせているのである。主砲の対地砲撃二射目が炸裂し、丸木舟を担いだエルフ兵が吹き飛び……・

 

「城伯殿! 閉鎖機が動きません、固着してしまったようです! 主砲、発射不能になりました!」

 

「……了解。修理できないか試してみろ」

 

 ……どうやら、頼りにならない武器を使っているのはこちらも同じみたいだな。まったく、これだから新兵器ってやつは……。



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第260話 くっころ男騎士と疑問

 こちらは主砲が使用不能になり、さらに陸戦隊は船酔いで戦う前から満身創痍という有様。対するエルフ兵はヤジリのない矢で縛りプレイ状態。こんな状況で、戦いがグダグダにならないはずがない。

 そうこうしているうちにこちらの漕ぎ手と風術師は疲労でダウンし、マイケル・コリンズ号は川の流れに逆らって動くことができなくなった。あとはもう、流されるままである。

 そのまま漫然とした射撃戦が続いたが、相手が移乗攻撃に移ろうとしたあたりで業を煮やしたこちら側のエルフ護衛兵が陸戦隊を押しのけて戦闘を開始した。船酔いでひどい有様だったのはエルフ兵たちも同じことだったのだが、やはりもともとの地力が違いすぎる。見事な弓さばきで、敵エルフ兵を追い払ってしまった。

 

「なんともまあ……無様な戦闘だった。これは改善点が多そうだ」

 

 平時の落ち着きを取り戻したマイケル・コリンズ号の片隅で、僕は朝食を食べつつそう言った。この船はひどく小柄で、専用の食堂なども存在しない。小さな船室で缶詰のようになりながら食べるか、上甲板で日光を浴びながら食べるかの二択である。僕は、後者を選択した。

 時刻は既に朝というのは憚られるような時間帯になっており、南国特有の遠慮会釈の無い陽光が容赦なく僕を照り付けている。晩秋のはずなのに、なんだか暑い。

 

「訓練内容を見直す必要がありますね。水兵に関しては、文句の付け所の無い見事な手際でしたが……戦闘部門のほうが、あまりにもぐだぐだ過ぎた」

 

 木椀に入った軍隊シチューをスプーンで弄りつつ、ソニアがそう言った。この船の運用要員には、大きく分けて二種類の人間が居る。航海に関わる仕事をしているものと、戦闘に関わる仕事をしているものだ。前者は民間から引き抜いてきた者たちで、後者はリースベン軍に所属していた者たち……つまり、いわば陸軍将兵である。

 ソニアの言うように、航海(海ではなく川だが)要員に関しては素晴らしい練度を示してくれた。だが、戦闘要員は本当にひどかった。褒められるのは、砲兵隊くらいである。しかしそんな彼女らですら、機械的なトラブルで戦闘不能になっている……。

 むろん、不慣れな水上戦闘である。まともな訓練もしていないのにいきなり実戦を強いられたのだから、陸戦隊の兵士たちを責めるのはお門違いだ。責められるべきは、適切な訓練や戦闘計画を用意できなかった我々上級士官である。

 

「街道が未発達なリースベンでは、流通網はこのエルフェン河を中心に整備するほかない。速成教育のために省略してきたが、これからはしっかりと水上戦闘の訓練もしたほうが良いな」

 

 エルフェン河の上流……というか源流に近い場所には、虎の子のミスリル鉱山がある。現在、この鉱山付近には鉱山技師や鉱婦達が集まる小規模な集落ができつつあった。だが、山脈の奥深くにあるこの地点まで、カルレラ市から街道を伸ばしていくのはなかなかに時間も費用も掛かる。どう考えても、河川を軸に据えた交通網を構築したほうが早くて安上がりだ。しかも、一度に運べる荷物の量も多い。

 

「戦力化を急いだのが裏目にでましたね……」

 

 ソニアはため息交じりにそんなことを言う。なにしろ、エルフェニアと長々交渉を続けていたのは、リースベン軍が最低限戦えるようになるまでの時間を稼ぐためだったからな。なにしろわが軍は健軍されたばかりで、新兵の比率がやたらと高かった。こんな状態では、実戦どころか抑止力としてすら機能するのか怪しい。早急に解決する必要があった。

 その甲斐あって、一応新兵教育は終わりつつあったのだが……今回の戦闘結果を見るに、改善の余地はまだまだあるようだ。敵が縛りプレイをしていたからなんとかなったものの、制約なしのエルフ兵たちと交戦していたらどうなっていたことやら……まったく恐ろしい。

 

「カルレラ市に戻ったら、兵士の訓練計画の見直しを行おう。しかし、今はそれより気になることがある」

 

「……エルフたちがなぜ、このような真似をしたか……ですね?」

 

 僕の言葉に続けてそう言ったのは、フィオレンツァ司教だった。一晩たってもまだ船酔いは収まらないらしく(まあ船酔いはそう簡単には治らないので当然だが)、相変わらず顔色はひどく悪かった。食事も喉を通らないらしく、代わりにショウガ入りのホットワインを飲んでいた。もちろん酒にまで酔うと逆効果なので、酒精は水でずいぶんと薄めてある。

 非戦闘員である彼女は交戦中はずっと船室に隠れていてもらったが、どうやらこっそり戦闘の様子を覗いていたらしい。やはり、彼女もエルフ兵の挙動には疑問を抱いている様子だった。

 

「ヤジリのついていない矢を用いたというのは、先日に受けたという襲撃と同じですね。たしかに、かなり不可解な行動です」

 

「そう、ちょっとした小競り合いならわかるんですよ。死傷者のほとんど出ないような、牽制目的の作戦なら……でも、前回にしろ今回にしろ、エルフ兵は少なからず被害を受けています。命を懸けた戦いで手を抜くのは、流石におかしい」

 

 司教に頷き返しつつ、僕は思案した。前回の襲撃で生き残ったエルフ兵は僅か数名。あとは全滅だ。今回の戦闘でも、少なくない数のエルフが死んでいるはずだ。

 

「エルフたちは確かに死にたがっているとしか思えない行動をとることもありますが……いくらなんでも、わざわざ殺されに来るような真似はしてきませんでした。今回と前回のエルフ兵は、今までとは行動パターンがやや異なっていたように思われます」

 

 なんで部外者が居るんだよ、と言いたげな表情でフィオレンツァ司教を睨みつけつつ、ソニアが言う。

 

「しかし、相手の指揮官はどういう思惑があってこんな真似をしたのだろうか? もちろん、"正統"との和平を阻止したいという意図はあるんだろうが……それ以外にも、なにかありそうな気がする」

 

 ただたんにこちらの和平仲介の邪魔がしたいだけなら、もうちょっといい手があると思うんだよな。たとえば、少数のコマンド部隊をこちらの勢力圏に浸透させ、農村部にゲリラ攻撃を仕掛けるとか。そうすれば、領民たちの反エルフ感情が高まり、こちらは身動きが取れなくなる。

 エルフ兵にはそういった特殊作戦を実行するだけの能力が十分あるし、戦に関することにはひどく頭の回るエルフたちがこの手の作戦を思いつかないはずもない。

 にもかかわらず、なぜ効果が薄いわりに被害も大きいこのような作戦を立案・実行するのか……正直、まったくわからない。むろん、最善の選択肢を延々と選び続けられるよりはだいぶ楽だが、不気味さを感じずにはいられないな。そりゃ、相手の指揮官がマジでアホだとか、若いエルフが何も考えずに暴れているだけという可能性も無きにしも非ずだが……どうも、嫌な予感がする。

 

「そうですね……二度あることは三度あるとも言いますし、今後もこの手の襲撃が置き続ける可能性は十分にあります、しかし、これを漫然と撃退し続けるというのは……避けたほうが良いかもしれません。手ぬるい攻撃を繰り返すことで、こちらの油断を誘う作戦やもしれませんし」

 

「確かに。……ううむ、しかしこれまでのエルフ兵の行動を見ると、それだけでは説明がつかない気がする」

 

 僕は唸りつつ、軍隊シチューの汁に浸し込んだパンを口に入れた。保存用の堅焼きパンだ。水分でふやかしてやらないと、レンガみたいに固いのでとても食べられたものではないのである。

 租借しながら、思案する……やっぱり、前回と今回の敵はなんだかヘンだ。相手指揮官は、兵たちにわざと弱い武器を渡してから攻撃をしかけている。これでは、レンガの壁に生卵をぶつけているようなものだ。勝ち目など、あるはずもない。ただただ兵隊が無駄死にするだけの、まったく不毛な作戦……。まるで懲罰部隊だな。

 

「相手の行動が不可解に思えるときは、だいたい場合こちら側の情報が足りていないのだ。今は情報収集に全力を注いだほうが良いかもしれない」

 

「そうですね、せっかくエルフたちの本拠地に乗り込むわけですし……」

 

 ソニアが川下の方へ視線を向けながら言った。今日の昼頃には、目的地であるエルフの集落、ルンガ市に到着する予定だ。彼女の言うように、この機会を利用してアレコレ調べてみた方が良いだろう。

 

「情報収集でしたら、わたくしの得手とする分野です。それなりに力になれると思いますので、どうかご期待を、アルベールさん」

 

「おお、有難い。フィオレンツァ様のお力添えがあれば、まさに百人力です」

 

 僕の言葉に司教はにっこりと笑い、副官はツバでも吐きそうな表情で目を逸らした。……だから、何でソニアはそんなにフィオレンツァ司教のことが嫌いなんだよ。この手の分野ではマジで頼りになるんだぞ、司教は!



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第261話 くっころ男騎士とエルフ帝都

「ほう……ここがルンガ市、新エルフェニア帝国の都……」

 

 昼過ぎ。僕たちは、予定通りルンガ市に到着した。この街はエルフェン河に面した場所にあり、小規模ながら川港も作られている。そのため、マイケル・コリンズ号で直接乗り付けることができるのだ。

 なんでエルフたちの町に川港があるかといえば、漁業の為らしい。エルフェン河は大きい魚はほぼおらず、最大でも大人の小指くらいの大きさにしかならない貧相な小魚が少しだけ泳いでいるような有様なのだが……そんな小魚でも、エルフたちにとっては重要な食料源なのだという。

 

「なるほど、巧みな擬装ですね」

 

 周囲を見回しながら、ソニアが言う。ルンガ市の港はマングローブによく似た(もっとも、エルフェン河は淡水なので正確に言えばマングローブではないが)水没林の中に設けられており、周囲はもちろん上空から見ても容易にはその位置が露見しないように工夫されている。流石にマイケル・コリンズ号ほどの船を隠すのはムリみたいだが……丸木舟程度ならば、十分隠せるだろう。

 

「まるで隠し砦だな……」

 

「明らかに戦時を想定した設計です。流石というほかありませんね、いくら探してもエルフの集落が見つからないはずだ」

 

 ソニアとそんな会話をしつつ、粗末な浮橋を渡って地面に降り立つ。真っ青な顔をしたフィオレンツァ司教が、「まだ地面が揺れてるような気がするぅ……」と情けない声で呟いた。な、なんだか申し訳ないな、僕が同行を頼んだばっかりに、こんなに衰弱しちゃって……。

 

「よ、ようこそ、皆の衆」

 

 そこへ、ダライヤ氏が出迎えにやってきた。"新"の皇帝という本来の身分が露見した後も、彼女は相変わらず地味なポンチョ姿だった。事情を知らない人間が見れば、彼女が一国家の長だとはとても思わないだろう。……まあ、そもそもエルフたちの現状を思えば、長とはいえ身を飾り立てるような余裕はないのだろうが。

 

「不逞の輩に襲われたと聞いたが、大丈夫かの……?」

 

「けが人は少し出たが、問題ない」

 

 どうやら、我々が襲撃を受けた件はもう知っているらしい。ダライヤ氏の愛らしい顔には、冷や汗が浮かんでいた。この人も、本当に大変だよなあ。エルフ族全体のことを思って行動してるのに、当のエルフたちがまったくいうことを聞いてくれないんだからさ……。

 

「しかし、見ての通り我々は慣れない船旅と水上戦闘で少々疲れていてね、休ませてくれると有難いんだが……」

 

「も、もちろんじゃ! もてなしの用意もしておる。ついてきてくれ」

 

 そう言って、ダライヤ氏は森の奥を指さした。……もてなしと言われても、こっちの人員は半分以上が船酔いでダウンしてるんだよなあ。ごちそうを出されても、たぶん食べられないな……。

 それから十分後。僕たちはルンガ市の市街を歩いていた。……都市だの市街だのと言っても、実際のところ外見上は"正統"の隠れ里と大差ない。粗末な竪穴式住居が巨樹に寄り添うように建てられており、当然ながら舗装路の類もない。ひどく粗末で原始的な集落だ。

 しかし、"正統"の集落でも思ったが、エルフの町はどこも徹底的に擬装されてるな。わざわざ巨樹にくっつくようにして建物を作っているあたり、おそらく意識的なものだろう。航空偵察を避けるための工夫だ。建物は原始的なのに、その設計思想は異様に現代的だ。ここまで徹底して対飛行兵を意識して建設された都市など、ガレア王国や神聖帝国にもまずないだろう。

 

「それで……我々を襲った連中は、何者なのだろうか?」

 

 町の様子を観察しつつ、僕は先導するダライヤ氏に質問した。僕の視線の先には、釣鐘型の深笠を被った不審者……虚無僧エルフの姿がある。先日の襲撃時にも目にした連中だ。彼女らは今のところ遠巻きに我々を眺めているだけで、襲い掛かってくる様子はないが……やはり不気味ではある。

 まあ、聞いた限り虚無僧ファッションは一定年齢未満のエルフたちの標準的な装いらしいからな。虚無僧エルフが全員敵という訳ではないはずである。……たぶんね。

 

「調査中じゃ」

 

 ダライヤ氏の返答は端的だった。そして僕たちの方を振り返り、ひどく申し訳なさそうな表情で頭を下げる。

 

「いや、煙に巻こうとしておるわけではないのじゃ。ただ、どいつもこいつも調査に非協力的でのぅ……一朝一夕には、なんともならんのじゃ。必ずや真相は伝えるゆえ、今少し待ってほしい」

 

「そうか……わかった」

 

 そう言われてしまえば、僕としては頷くほかない。そりゃ、襲撃を受けた身としては思うところがないわけではないが……ダライヤ氏に詰め寄ったところで何の意味もないからな。

 現状"新"で最もこちらに友好的な人間であるダライヤ氏に、あまり圧力をかけるわけにはいかない。彼女が失脚した場合、次の"新"のトップが穏健な人物だとは限らないからだ。過激派の元締めという噂のヴァンカ氏などが新皇帝に就いたりした日には、目も当てられない。

 

「一応、こちらでも調査はしているがね。やはり、国も種族も違う以上はなかなか上手くいかない。出来るだけ早く真相を明らかにしてくれると嬉しい」

 

 実際、僕たちも調査自体はしてるんだよ。先日手に入れた捕虜を尋問したりしてな(ちなみに、今朝の襲撃では捕虜は得ていない)。しかし、はっきり言って捕虜尋問も上手く行っていないというのが実情だった。

 別に、捕虜たちの口がやたらと固いとか、そういうわけではない。むしろ、男娼を用いた懐柔工作により、彼女らはペラペラなんでも喋るようになっていた。……だが、虚無僧エルフたちは所詮鉄砲玉である。まともな情報など、与えられているはずもなかった。

 『カゴ一杯ぶんのイモをやるから、リースベンに潜入して領主にヤジリのついていない矢を射かけてこい』……そう言われて、カルレラ市の近郊へ潜伏していたらしい。サツマ(エルフ)芋ひとカゴぶんの報酬で他国の領主を襲うのか、エルフどもは……。

 そんな雑な刺客でも、カラスやスズメの偵察兵が居ればある程度的確なタイミングで襲撃を仕掛けられるのが恐ろしい。エルフ式戦術の神髄は、高度な空陸協同にあるのだ。

 

「無論じゃ」

 

 コクコクと頷くダライヤ氏の顔色は、いまだ船酔い状態から回復していないフィオレンツァ司教と大差ないほど悪かった。この人も、たいがい可哀想だよな。ここまで上意下達の上手くいってない組織のトップなんて、貧乏くじ以外の何物でもないだろ。

 ため息を吐きたい心地で、僕は周囲をうかがった。僕たちの周りには、たくさんの野次馬が居る。エルフにカラス鳥人やスズメ鳥人、変わったところではクモ虫人(アラクネ)まで居る。ガレア王国ではあまり見ない人種のオンパレードだ。

 この中に、新たな襲撃者が居たらどうしようか。一応、僕たちの周囲は陸戦隊やエルフ護衛兵が固めているがね。しかしこのごろ襲撃続きだから、どうも警戒してしまう。

 

「男や、若か男がおっど」

 

「なんで戦装束を着ちょっど、女装趣味ん変態か?」

 

「とんでんなかスキモノじゃな。スケベや……」

 

 そんなこちらの懸念とは裏腹に群衆は好き勝手なことをいい合っていた。誰が女装趣味の変態じゃ! この世界では甲冑着てるだけで女装扱いされるから本当に困る。スオラハティ辺境伯は、良く似合ってると褒めてくれたのになあ……。

 

「……見えてきたぞ。あれが我が新エルフェニア帝国の元老院じゃ」

 

 内心ぶつぶつと文句を言っているうちに、いつの間にか僕たちは町の中心部にたどり着いていた。ダライヤ氏の指さした先には、大きな竪穴式住居があった。……そう、ただ大きいだけの竪穴式住居だ。これが元老院かぁ……いや、僕の住んでる領主屋敷も大概だけどさぁ。

 

「一応、饗応の準備もできておる。粗末な家じゃが、まあくつろいでくれるとうれしい」

 

 情けない笑みを浮かべながら、ダライヤ氏はそう言った。彼女は旧エルフェニアが崩壊する遥か前からこの国に居るわけだからな。自国の現状を、恥ずかしく思っているのだろう。……ううーん、本当に可哀想だなあ。できれば彼女の力になってやりたいが……ううーむ……。



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第262話 くっころ男騎士と過激派?

 ダライヤ氏に案内され、僕たちは新エルフェニア帝国の元老院に入っていった。元老院といっても、所詮は竪穴式住居。そのそう広くはない室内にはムシロが敷かれ、中心部にはこの手の建築の常として囲炉裏が設置されていた。強い煙の匂いが僕たちを包み込み、思わず咳き込みそうになる。

 

「……」

 

 そんな手狭な空間に、少なくない数のエルフが詰めていた。カラスやスズメの鳥人も少数ながら混ざっている。友好的な表情をしている者もいれば、胡散臭そうな目つきでこちらを見ている者もいた。

 ちなみに、その中には"正統"のエルフは一人もいない。ダライヤ氏の話によれば、"正統"の使節団はまだ到着してないとのことである。まあ、彼女らはリースベン半島のかなり奥地に住んでるからな。移動にもなかなか時間がかかるのだろう。

 

「皆の衆、待たせたな。こちらがガレア王国リースベン領の領主、アルベール・ブロンダン殿だ」

 

 ダライヤ氏の紹介に、エルフ元老たちがざわつく。「ほんのこて男や」「リースベンは男に領主を任せっとな」「後ろに控えちょっあん騎士は相当な使い手に見ゆっ。一度手合わせしてみよごたっね」……などという言葉が聞こえてきた。

 まあ、僕も男の身空で騎士などやっている人間だから、この手の反応は慣れている。気にせず自己紹介をしてから、続けてソニアやフィオレンツァ司教を紹介した。

 

「ウルザ氏族の長、テリシアじゃ。よろしゅう」

 

「お会いできて光栄だ、テリシア殿」

 

 続いて、元老側が挨拶をはじめた。人口のわりに、新エルフェニアでは元老の数が多かった。ナントカ氏族の氏族長だの、長老だの、いろいろ居る。覚えるだけでもなかなかに大変だった。とはいえ、右から左へ聞き流すわけにもいかない。僕は必死になって脳にエルフたちの顔と名前を刻み込んだ。

 

「ヴァンカ・オリシスだ。お噂はかねがね聞いているぞ、ブロンダン殿」

 

 そんな中、出てきたのがあのヴァンカ氏である。過激派エルフの元締めだと、ダライヤ氏が言っていた人物だ。少女やせいぜい二十代前半くらいの外見年齢の者が多いエルフたちの中に合って、彼女は際立って年かさに見える。外見上は、僕の母親と同性代くらいだろう。ただ、エルフだけあってその容姿はやはりたいへんに整っている。

 憂いを秘めた未亡人、そういう印象だな。意外だったのは、その声音が思った以上に穏やかで優しげなものだったことだ。とてもじゃないが、過激派の親玉のようには見えない。むしろ、穏健派だと言われた方が納得できる雰囲気だった。

 

「……あなたがヴァンカ殿か。一目お目にかかりたいと思っていたんだ。どうぞよろしく」

 

 しかしまあ、だからと言ってガードを緩めるわけにはいかないからな。にっこり笑って、僕は彼女と握手した。ヴァンカ氏は気さくにそれに応じ、続けてソニアやフィオレンツァ司教とも握手する。

 ううーん、スムーズ。なんだかずいぶんと予想と違う展開だな。罵声くらい飛んでくるんじゃないかと思っていたが……。しかし、相手はダライヤ氏と同じくらいの古狸らしいからな、まあ演技は上手いだろうさ。内心はグツグツ煮えたぎっている可能性も十分にある……。

 

「積もる話もあるじゃろうが、まあまずは歓迎の宴と行こう」

 

 挨拶が終わると、ダライヤ氏はにこにこと笑いながらそう言った。給仕たちがやってきて、囲炉裏で湯気を上げている足つきの特大土鍋の中身をお椀によそい始めた。……冷静に考えて、元老院の議場のド真ん中にでかい鍋がデンと置かれている光景はなんだかヘンだな。いやまあ、議場っつっても竪穴式住居なんだから、むしろ似合っているくらいなんだけどさ……。

 妙な心地になりつつも、給仕からお椀を受け取る。中身は、案の定芋汁だった。ただ、"正統"の集落で提供されたものと違い、中身はそれなりに豪華だ。具はサツマ(エルフ)芋に青菜(見た目からしてきちんとした野菜だ。雑草ではない)、キノコ類、そしてクワガタか何かの幼虫と思わしきイモムシ。うーん、びっくりするくらいマトモだ。

 

「ぴぃ……」

 

 などと考えていたら、隣のフィオレンツァ司教が悲鳴じみた小さな声を上げた。見れば、司教はぷるぷる震えながら信じられないものを見るような目つきで茶色い汁に浮かぶイモムシを睨みつけている。

 そういえば、ガレアをはじめとした中央大陸西部には、あまり食虫文化が普及してないんだよな。そんな中で育ったフィオレンツァ司教からすれば、このイモムシ汁はなかなかにショッキングな代物だろう。……僕は前世の時点で平気でバッタとかセミとか食ってたタイプの人類なので、全然気にならないのだが。

 

「……僕が代わりに食べましょうか?」

 

 周囲に聞こえないよう気を付けながら、フィオレンツァ司教に聞いてみる。しかし、彼女は首をふるふると振った。

 

「あ、アルベールさんに恥をかかせるわけには参りません。が、頑張って食べますぅ……」

 

 ただでさえ船酔いの影響で食欲もないだろうに、よく頑張るものだ。僕は思わず感心してしまった。流石は聖人と呼ばれるだけのことはある。

 とはいえ、食文化ってやつはなかなかにセンシティブだからな。文化交流の際は、できるだけ相手と同じものを食べた方が良い。嫌悪感をむき出しにして拒否したりすれば、大変なことになってしまう。司教には悪いが、エルフと友好関係を築くためにはここで頑張ってもらいたいところだ……。

 

「もしや、ガレアではイモムシは食わぬのか」

 

 そこへやってきたダライヤ氏が、そう囁きかけてくる。まあ、フィオレンツァ司教のみならず、こちら側のほとんどの人間が戦慄した様子でイモムシを眺めているのだから、そりゃあ異常も察知するというものだろう。

 

「当たり前だろうが、馬鹿め」

 

 が、ダライヤ氏に続いて現れた人物を見て、僕は内心驚愕した。ヴァンカ氏である。彼女はムッスリとした表情で僕のお椀に匙を伸ばし、イモムシをすべて回収した。その代わりに、薄く伸ばした樹皮の包みを押し付けてくる。

 

「私の夫も、虫に慣れるにはかなりの時間がかかった。他国の人間に、我々の貧相な食文化を押し付けるべきではない」

 

 ……ほう、死に別れたというヴァンカ氏の夫は、よその国の人間だったのか。いやまあ、よその国というか、たぶんリースベンに居たガレア人なんだろうが。うーん、略奪婚かな。

 というか、僕のイモムシが全部ヴァンカ氏に持っていかれちゃったんだけど。まさか、気を使ってくれたのか? 自分で食べるのかと思ったら、持っていったイモムシの大半をダライヤ氏のお椀に移してるし。疑問に思いながら、渡された包みを開いてみる。

 

「おお……」

 

 そこに入っていたのは、串焼きになった小鳥だった。まだ暖かい。うまそうな香りがふわりと漂っている。

 

「ガレアの方には、こちらのほうが馴染みがあるだろう。……蛮族に渡された食物など信用できんというのなら、私自ら毒見をしても良いが」

 

「い、いえ、結構です。ご配慮、感謝します」

 

な、なんなの、この人……? どういう理由で、こんな真似をするんだ? 想像とは正反対の態度だ。わけがわからん。何かの策略か……? いやしかし、うううーん。

 ……僕が悩んでいる間に、ヴァンカ氏は無言で去って行ってしまった。え、なに、マジで厚意でイモムシ回収してくれたの? な、謎過ぎる……。頭の中を疑問符でいっぱいにしながらフィオレンツァ司教の方を見ると、彼女は自分のお椀を両手で持ちながらヴァンカ氏の背中を恨みがましい目つきで睨みつけていた。どうやら、自分のイモムシも持って行ってもらいたかったらしい。

 

「……なんだか、前評判と全然違うんだけど、あの人」

 

「ウ、ウム。ワシも困惑しておる……」

 

 僕の言葉に、ダライヤ氏もコクコクと頷いて見せた。ヴァンカ氏が怪しいと言った張本人がこの様子なのだから、僕に彼女の真意が推し量れるはずもなかった。謎は深まるばかり、って感じだ。



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第263話 くっころ男騎士と饗応

 ちょっとしたトラブルはありつつも、歓迎の宴はスムーズに進んでいった。料理としてはエルフお得意の芋汁の他にもこちらがもちこんだニワトリの水煮缶なども提供され、好評を博していた。むろん、酒もである。

 当然だが、宴といっても友人同士でやるような和やかなものではない。実態は"新"首脳部との会談であり、その話題も至極マジメなものばかりだった。三者会談の前哨戦といった雰囲気である。

 

「やはり、あなた方も何かしらの商売を始めたほうが良いように僕は思うが」

 

 芋焼酎(エルフ酒)をちびちびと飲みつつ、エルフたちにそう提案する。彼女らには出来るだけ早く自給自足の生活に戻ってもらいたいが、リースベンの密林を切り開いて畑を開墾するのは並大抵の労力ではない。しばらくの間は、食料は外部から供給するほかなかった。

 だが、そのためにはカネが必要だ。当面は我々が立て替えるにしても、やはりいつまでもおんぶに抱っこでは困る。アデライド宰相はガレア王国でも有数の富豪だが、そうはいっても流石に無限の資金力を持っているわけではないからな。

 

「言おごたっことはわかっし、(オイ)ら自身としてんよそ様に頼り切りちゅうたぁ矜持が許さん。じゃっどん、商売ちゆてんなあ……今んエルフェニアには、商売んタネなんぞないも無かごつ思ゆっどん」

 

「特産品もなかれば食料もなか。あったぁ木とぼっけもんだけ! 商売より山賊でもやった方がマシじゃらせんか」

 

 エルフ氏族長たちは、酒杯を片手にそんなことを言う。……山賊でもやった方がマシというか、ほんのこの間まで山賊やってましたよねあなた方。いやまあ、皇帝がダライヤ氏に代わって以降は、エルフによる略奪は起きていないが……。

 

武骨者(ぼっけもん)が居るなら十分だろう。武力は商材としては決して悪いものじゃないぞ」

 

「そうですね、エルフの戦士はみな手強い。傭兵として売り出せば、あちこちから引く手あまたではないかと」

 

 僕の言葉に、ソニアが追従する。ちなみに、彼女は酒ではなく白湯を飲んでいた。何しろ彼女は酒精に弱いタチなので、こういう時には一滴も口にしないのが常だった。

 

「なっほどなあ。確かにそんた良かやもしれん」

 

外国(とつくに)ん戦場で戦ゆっとも魅力的じゃな。エルフェニアと違うて、メシも男も多かじゃろう。乱捕りし放題じゃど」

 

 思った通り、傭兵業の提案はわりと好感触だった。……でもナチュラルに略奪(乱捕り)し放題とか言うなや、この蛮族どもめ。……いやまあ戦場での略奪自体は、蛮族ならずとも日常茶飯事だけどな。

 まあこればっかりはしょうがない。この世界ではまだマトモに戦争関連の国際法も整備されていないし、略奪等の狼藉を抑止するのは軍規と個人の倫理観のみだ。ヤンナルネ。

 

「じゃっどん他所へ戦いに出ちょっら、エルフェニアん防備が疎かになっど。そんた流石に困っど」

 

 そう主張するのは、若い(とはいっても、エルフの実年齢を外見から推定するのは不可能だが)氏族長だった。どうも彼女は僕たちを信用していないらしく、胡散くさげな目つきで僕らを睨んでいる。

 おそらく、こちらが言葉巧みにエルフの戦士たちを国外に連れ出し、その隙にエルフェニアを攻め滅ぼすとか、そういう想像をしているのだろう。まあ、僕も軍人だからな。そういうプランだって、一応検討はしている。

 が、実際にそんな真似をするかと言えば、たぶんやらない。そういう後々まで遺恨が残りそうなやり口は、費用対効果が薄いからだ。僕の目的はリースベンの治安維持であって、エルフの族滅ではないのだ。

 

「しかし、現状を維持し続けてもじり貧になるだけじゃぞ、ワシらは。何かしら、新しい事は始めねばならんと思うが」

 

 右手の人差し指をクルクルと回しつつ、ダライヤ氏がそう主張する。氏族長はむぅと唸ってから酒杯を煽った。その中身はリースベン特産の燕麦ビールだ。エルフたちには、高価なウイスキーやブランデーよりもこういった大衆的な低アルコール飲料のほうがウケがいい。

 しかし、彼女らにとってもこれは難しい問題だよな。旧エルフェニアの時代から、彼女らは鎖国じみた政策を行っていたみたいだし。他国と貿易したような経験は、ほとんどないのではないだろうか?

 たとえ必要に迫られてのことであっても、新しい事を始めようとすれば少なからず反発が生まれてしまうのが人間の社会というものだ。誰もかれもが、合理的かつ理性的な判断が下せるわけではない……なんとも厄介だな。僕はため息をついてから、ヴァンカ氏から貰った小鳥の串焼きを一口食べた。

 

「……うーん」

 

 難しいと言えば、そのヴァンカ氏が一番難しいんだよな。彼女は宴が始まってからこっち、会話にも参加せずに黙々とこちらの持ち込んだワインを飲んでいる。どうにも、声をかけづらい雰囲気だった。

 とにかく、彼女の目的が分からないことには行動のしようがないんだよな。ヴァンカ氏は"正統"に夫子を殺されたという話だから、その復讐心は"正統"にのみ向けられているのだろうか? だから、こちらが"正統"を手助けしない限り無害とか……ううーん。

 

「……」

 

 考え込んでいると、フィオレンツァ司教が優しく僕の肩を叩いた。そして、にっこりと笑って見せる。どうやら、自分に任せろと言いたいらしい。流石は司教様、以心伝心だな。こちらの思考はお見通しということか、伊達に幼馴染はやっていないな。

 まあしかし、今はとにかくヴァンカ氏以外の"新"の有力者をどうにかする方を優先するべきだな。厄介なバックグラウンドをもっているヴァンカ氏と違い、こちらはまだ対処が容易だ。

 難攻不落の要塞を攻略するとき、まずやるべきことは要塞の周囲にある支砦の無力化だ。相互支援を断つことで、敵本丸の無力化を図るのである。このセオリーは、対人関係にも応用できる。とりあえず、ヴァンカ氏の周囲に居るであろう過激派エルフの切り崩しを図ってみよう。

 

「おや、氏族長様。酒杯が空になっておりますよ、お注ぎいたしましょう」

 

 例の若い氏族長の傍に、給仕服を着た青年がスススと寄って行った。僕たちが連れてきた、男性使用人である。彼はにっこりと笑いながら氏族長の酒杯にビールを注ぎ込んだ。

 

「ああ、悪かね……んぐんぐ」

 

 氏族長はビールを一気に飲み干し、殊更に乱暴な手つきで酒杯を座卓に叩きつけた。そのまま、締まりのない笑顔を男性使用人に向ける。

 

「もう杯が空になってしもた、もう一杯頼ん」

 

「女らしい飲みっぷりですね! 流石は氏族長様!」

 

 艶やかな笑みを浮かべつつ、青年はお代わりのビールを注ぐ。……よしよし、効果は抜群だな。同様の光景は、宴会場と化した元老院のあちこちで繰り広げられていた。

 エルフは男に弱い。事前調査でそれがわかっていたから、僕は少なくない数の男性使用人をこの旅に同行させていた。むろん使用人というのは名目であり、その正体はアデライド宰相から借り受けた男スパイたちだ。その手管は本物であり、二日三日あれば有力者たちの寝所へも侵入を果たしているだろう。篭絡しつつ情報も抜き取る、一石二鳥の作戦だった。

 ……しかし、なーんで童貞の僕が他人のセックスの斡旋しなきゃいけないんだろうね? 理不尽だなあ……。



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第264話 聖人司教と蛮族ども

 ワタシ、フィオレンツィア・キルアージはほっとしていた。当面の方針が決まったからだ。エルフたちは訛りがキツくてめちゃくちゃ心が読みづらいし、船酔いはキツいし、虫を食べさせられたりもしたけど、それでもこの旅に同行して良かったと思う。

 エルフ酒と言うらしい芋の匂いのするお酒を飲みつつ、ちらりと視線を元老院(を名乗るあばら家)の隅へと向ける。そこでは、例のヴァンカとかいうエルフの長老が、ムシロの上で胡坐を組みつつ黙々とワインを飲んでいた。周囲には取り巻きが何人もいて、アレコレ話しかけているけど……ヴァンカはまったく相手にしていない。

 

「どう思います? あの方」

 

 隣で汁椀に入ったイモムシをフォークでつんつんしていたソニアに話しかける。ワタシと同じく、ソニアもイモムシは食べたくないみたい。そりゃそうよねぇ、ムシなんて人間の食べ物じゃないわぁ……パパ(アルベール)は平気みたいだけど。

 

「……」

 

(このカス女にわたしの考えを伝える必要があるのか? いや、しかし外交戦に関してはこの羽虫もそれなりに役に立つ。アル様の為にも、ここは我慢するべきか……)

 

 ソニアは無言だったけど、魔眼のおかげでその思考は丸見えになっている。本当、嫌われてるわよねぇワタシ。いやまあ、いいんだけどねぇ。パパ以外の相手からどう思われようが興味もないし……。

 

「不気味なヤツだ。最大限の警戒が必要だろうな」

 

 結局、ソニアは正直にこちらの問いにこたえてくれた。ワタシに対する嫌悪感と、パパに対する忠義心がぶつかった結果、後者が勝ったみたい。それでいいのよぉそれで。パパの役に立ちたいという気持ちは同じなんだから、協力できる分野では協力して頂戴な。

 

「確かに、一筋縄ではいかない雰囲気はありますね」

 

 周囲に聞こえないよう気を付けながら、ワタシはそう言う。けれど、実のところワタシはヴァンカに対する警戒を一段階緩めていた。読心で確認した結果、アレはそこまでパパにとっては有害な相手ではないということが分かったからね。

 むしろ、うまく扱えばパパの利益になるかもしれない。もちろん、対応を誤れば大火傷しかねないから、注意は必要だけどねぇ。あの女はパパに対しては全く害意を抱いていないけど、それはそれとして危険なヤツなのは確かだし。

 

「ただ、個人的な所見を述べさせてもらうと……あの方本人よりも、むしろその周囲の方々の方が危険なように思われます」

 

 ヴァンカは長老だけあってアレコレ考えているみたいだけど、その取り巻きは揃いも揃って考えなしの無能ぞろい。これは別にヴァンカの見る目がないわけではなく、むしろ馬鹿を選んで味方につけてるみたい。

 個人的には、下手な策士よりも行き当たりばったりの馬鹿のほうが怖いのよねぇ。策士は真面目にゲームに参加してくれるけど、馬鹿はゲーム盤を叩き壊しちゃうような真似を考えなしにやっちゃうし。……王都の一件のワタシかな? わあ、自己嫌悪で今すぐ死にたくなってきちゃったゾ。

 まあでも、死ぬにはまだ早い。やることがいっぱい残ってるしね。汚名返上名誉挽回の機会は、まだまだあるでしょ。まあ、せいぜい頑張ろうねぇ、ワタシ。

 

「確かに、無能な働き者ほど恐ろしいモノは無いからな」

 

 適切なタイミングで適切な罵倒を飛ばしてくるのやめなさいよぉ! ワタシのことを指しているわけではないとわかってるのにドキッとしちゃったじゃないのよぉ!

 

「襲撃のやり口から見るに、連中はかなり考えなしで行動するタチのように思える。まさかそんな愚かな真似はしないだろう、などという慢心はするべきではないだろう」

 

「そうですね。少なくともカルレラ市に戻るまでは、気を緩めない方が良いでしょう。ここは戦地も同然です」

 

 実際、氏族長とやらの中には今にもこちらに切りかかってきそうな雰囲気の連中もいるしね。襲撃は、今朝の一回だけでは終わらないでしょうねぇ……。

 

「珍しく意見が一致したな。……わたしはアル様をお守りすることに専念するからな。貴様も女なのだから、自分の身は自分で守ることだ」

 

「……わかっておりますよ。男性の後ろに隠れるような真似は、もちろんいたしません」

 

 いちおうワタシ個人の護衛もこの旅には同行させてるけど、それでも心配だなあ……。虚無僧エルフ兵? とかいうのはさておき、エルフたちの個人武力はパパですら強く警戒するレベルだし。パパのついででいいから、ワタシも守ってほしいんだけど……。

 

「……しかしどうしてもというのなら、守ってやらんことはない。むろん、対価は貰うが」

 

 そんなこちらの内心を見透かしたようなことを言いながら、ソニアはスススと自らの木椀を押し付けてきた。その茶色い汁の中には、イモムシが何匹も浮かんでいる。うぇぇ、やっとのことで船酔いがおさまって来たのに、また吐きそう…。

 

「……わたくしに、これを食べろと?」

 

「……」

 

(こんなものは竜の食べ物ではない。ニワトリにでも食わせておけばいいのだ)

 

 無言でソニアは頷いた。……誰がニワトリよぉ! ハトよりひどいじゃないの!

 

「仕方ありませんね……」

 

 でも、ワタシに選択肢なんかない。仕方なく、木椀を受け取った。うううーっ! せっかく頑張って自分のぶんのイモムシを食べ終わったのに! ワタシだって頑張って食べたんだから、アンタも食べなさいよぉ! 提供された料理を他人に押し付けるなんてホストに失礼よぉ、パパの顔に泥を塗る気!?

 

「うう……」

 

 内心文句を言いまくりつつ、ワタシはため息を吐いた。ソニアはプイとそっぽを向いて、こちらを見ようともしない。仕方がないので、ワタシはぎゅっと目をつぶってイモムシを一匹口に運んだ。異様に柔らかいソーセージを嚙みつぶしたような、不快な歯ざわり。味自体はそこまで悪くないけど、生理的嫌悪がスゴイ。吐きそう。

 

「くっ……」

 

 口直しにエルフ酒をがぶ飲みして、芋臭い息を吐きだした。本当に辛い……。まったく、なんでこんなことに……エルフの食糧事情の改善は急務ねぇ。もてなしを受けるたびにこんなモノを食べさせられちゃ、たまったもんじゃないわ。

 ダライヤとかいうおばあさんに、炊き出しの打診をしなきゃいけないわねぇ。近隣の教会にも協力を要請しないと……ああ、面倒くさい。でも、やらないわけにはいかないしねぇ。

 

「カルレラ市とこの街の間に、早急に通商路を確立したいところじゃな。そのためには、やはり安全性の確保が……」

 

 そのダライヤおばあちゃんは、パパと一緒になってなんだか難しい話をしている。おばあちゃんと言っても、見た目は子供だけどねぇ。長命種って、本当にすごい。次に生まれ変わるなら、翼人よりもエルフがいいなあ。

 

(はーっ、酒を飲んだアルベール殿はどうしてこうエロいんじゃろうなあ……なんとか上手く言いくるめて布団に引きずり込みたいのぅ……)

 

 ちなみに、子供みたいなのは見た目だけじゃなくて思考もそうみたい。さっきから、スケベなことばかり考えてる。一四、五歳くらいの時のソニア並みね……。いやアレよりはこのおばあちゃんの方がマシか。

 でも、こんな色ボケババアでも、かなりの切れ者だという前評判は事実みたい。こいつもこいつで、要注意人物なのよねぇ。うまいこと立ち回らないと、最悪魔眼の存在に感付かれる可能性がある。

 いざという時のために、魔眼を封じる特殊な眼帯も用意してきてるけど……このおばあちゃんと直接話をするときは、それを装着したほうが良いかもね。はあ、厄介だなあ……。

 

「……」

 

 なんとも言えない心地でお酒を飲んでいると、入り口から一人のスズメ鳥人が入ってきた。彼女はダライヤおばあちゃんに駆け寄ると、何かを耳打ちする。何かトラブルでも起こったのかと一瞬心配になったけど、どうやらそれは杞憂だったよう。おばあちゃんは相好を崩し、座布団代わりのムシロから立ち上がった。

 

「どうやら、"正統"の連中が到着したようじゃ。みなで出迎えてやろうではないか」



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第265話 くっころ男騎士と蛮族皇女再び

「ほんのこの間袂を別ったと思ったら、もう再会か。まったく、運命というヤツはよくわからんのぅ」

 

 元老院にやってきた"正統"の使節団を出迎えたダライヤ氏は、皮肉げな笑みを浮かべてそう言った。

 

「百年近く前ん話がほんのこん間、か。ダライヤも変わっちょらんな」

 

 使節団を率いてやってきた"正統"の頭領、フェザリア・オルファン氏は何とも言えない懐かしそうな表情で肩をすくめる。旧友同士の対面を思わせる、和やかな雰囲気だった。

 

「ワシからすれば、オヌシが生まれたのもほんのこの間の話じゃよ。『ババどの、ババどの』とワシの後ろをついて回っていた日々が、昨日のことのように思い出せる」

 

「昔ん話じゃろうが!」

 

 赤面するオルファン氏の肩を、ダライヤ氏は声を上げて笑いつつ叩く。オルファン氏は旧エルフェニア皇族の末姫であり、かつてのダライヤ氏はその教育役だったという話だ。その後にエルフェニアを襲った天災と内乱により両者は敵対することとなったが、個人としては決して嫌い合っている様子ではなかった。

 もっとも、それはあくまで個人の話。"新"のエルフたちは、明らかに"正統"の使節団に激しい敵意を向けていた。対する"正統"の使節団も、喧嘩なら買うぞと言わんばかりの態度である。元老院の内部には、まるで突撃を発起する直前の歩兵部隊のような剣呑な雰囲気が満ちている。

 オルファン氏が連れてきた使節は僅か十数名。戦闘になれば全滅は避けられない戦力差だが、"正統"のエルフたちに怯む様子はなかった。やはり、エルフの戦士の根性の座りようは尋常ではない。

 

「……」

 

 僕は無言で、ヴァンカ氏を一瞥する。なにしろ彼女は夫子を"正統"のせいで失っているという話だ。下手をすれば、この場で剣を抜きかねない。場合によっては力ずくで止める必要があるだろう。

 ……だが、そんな懸念とは裏腹に、ヴァンカ氏はさしたるアクションをしなかった。オルファン氏のほうをちらりと見て、それで終わりだ。剣を握るどころか、睨みつけさえもしない。彼女の取り巻きたちは、ひどく物騒な様子でアレコレ話し合っているというのに……。

 さて、これは一体どういうことだろうか? おかしい。明らかにヘンだ。復讐に狂って、一度引退していた長老にも復帰したというのがヴァンカ氏だ。夫と娘を殺した者たちの首領を前にして、ここまで落ち着き払った態度をとれるものなのだろうか?

 

「また会うたな、ブロンダンどん」

 

 ヴァンカ氏の態度はひどく気になるが、彼女にばかり注意を払っているわけにはいかない。なにしろ、僕はリースベンの代表者なのだ。こほんと咳払いしてから、オルファン氏と握手する。

 

「お元気そうでなによりだ、オルファン殿」

 

 お元気そうで、というのはリップサービスなどではない。実際、オルファン氏は前回に会った時よりもずいぶんと顔色が良くなっていた。"正統"に対する食糧支援はいまだに継続中だ。翼竜(ワイバーン)で空輸できる食料の量などたかが知れているが、それでもある程度栄養状態は改善しているらしい。

 

「積もる話もあるじゃろうが、まあ駆け付け一杯やっていけ。御覧の通り、宴の準備は整っておる」

 

「準備ができちょっどこいか、宴もたけなわん様子じゃらせんか」

 

 僕たちの背後を見ながら、オルファン氏は笑った。何しろ地面にはあちこちに徳利や木椀が散乱しており、壁際では少なくない数のエルフやカラスが酔いつぶれて寝息を立てていた。陽キャ大学生の飲み会だってここまでひどくないぞと言いたくなるような死屍累々ぶりだった。

 まあ、壁際で倒れている連中は別に酔っ払いだけじゃないがね。僕にセクハラを仕掛けてきて、ソニアの手でボコボコにされた者も数名混ざっている。……なんで外交戦の真っただ中にセクハラしてくるんだろうね? アホなんだろうか。

 

「まあ、酒と芋汁はまだいくらでも残っておるからの。安心せい」

 

 そう言って、ダライヤ氏はオルファン氏を半ば強引にムシロの上に座らせた。使節団の他の者たちも、それに従って腰を下ろす。給仕たちがテキパキと芋汁と酒を配布した。形ばかりの乾杯をしてから、各々木椀や酒杯に口を付け始める。

 しばらくは、挨拶も兼ねて当たり障りのない会話が続いた。さっさと本題に入ればいいのにと思わなくもないが、戦闘だって最初は索敵や牽制から始めるものだ。外交戦も、セオリーとしては似たようなものなのかもしれない。

 

「それで……貴様らは、これからどう身を振るつもりなんじゃ」

 

 三十分ほどたってから、やっとのことでダライヤ氏が切り込んだ。この頃になると芋汁も芋焼酎(エルフ酒)も在庫が掃け、提供される食材や酒は僕たちがマイケル・コリンズ号で持ち込んだものが中心になっていた。

 "新"の食料事情は"正統"に比べれば多少マシな様子ではあるが、それでも余裕はほとんどないはずである。この会合では料理も酒も盛大にふるまわれたが……おそらくこれはそうとう無理をしているはずだ。

 以前からこのルンガ市に駐在させていた連絡員の話では、食事は一日一回。メニューも貧相な芋汁か、それすら無く小さなふかし芋が一つだけということもあるらしい。なんとも厳しい状況だな。

 

「食料がなんとかなっなら、もはや(オイ)らに戦う理由は無か。ラナ火山ん隠れ里は捨てて、リースベンに移住しようかち思うちょる」

 

「逃ぐっとな?」

 

 挑発的な笑みを浮かべてそんなことを言ったのは、若い氏族長だった。……本当に"新"は氏族長が多いな。たぶん、これはガレアの貴族制における当主のような役職なのだろう。帝国を名乗っている新エルフェニアだが、その実態は貴族共和制だ。

 

「そげん有様じゃっで、叛徒どもは弱かど。お(はん)のような(ごつ)弱腰ん頭領に率いらるっ部下共が可哀想(ぐらしか)じゃ」

 

「戦も知らん若造(にせ)ずいぶんと(わっぜ)大口をたたっじゃらせんか。弱か犬ほど良う吠ゆっち聞っどん、こんた本当じゃな」

 

 売り言葉に買い言葉である。オルファン氏の部下の一人がそう言い返した。最近わかってきたのだが、若いエルフにとって青二才(にせ)と呼ばれることは最大級の侮辱になるようだ。血の気の多い氏族長は、一瞬で沸騰し酒杯を地面に投げつけた。

 

(だい)若造(にせ)や、そん首こん場で叩き落してやっても良かど!」

 

「ここで剣を抜いてみろ、その時点で交渉は決裂したとみなすぞ」

 

 せっかくの和平会議だ。アホのせいで滅茶苦茶にされてはたまったものではない。僕は即座に両者の前へと身を乗り出した。

 

「男風情が議バ言うなっ! こいは女同士の話やど、すっこんどれ!」

 

「アル様を男風情と言ったか!」

 

 氏族長の言葉に、こちらの騎士数名が瞬間沸騰する。エルフほどではないにしろ、竜人(ドラゴニュート)も大概血の気の多い種族だ。ちょっとしたトラブルが原因で流血沙汰が発生する。

 まあでも、正直この程度のトラブルは予想済みだ。長々と身内で殺し合いをしていたエルフたちが、そう簡単に落ち着いて話し合いが出来るはずもない。僕は小さく笑って、肩をすくめた。

 

「では仕方がない。お言葉通り、すっこんでおこう。ソニア、撤収の準備だ。申し訳ないが、荷下ろし中の食料をもう一度船に積み込んでくれ。交渉が決裂した以上、食糧支援はいったん中止するほかない」

 

「わあっ、待て待て!」

 

 これに慌てたのが、過激派ではない他の元老たちだ。せっかく食料面で一息つけるところだったのに、こんなくだらないことで支援をフイにするのはあまりにも惜しかろう。

 

「さっきんなお(はん)が悪かど、アルベールどんに謝らんか」

 

 別の氏族長にたしなめられ、過激派元老は歯ぎしりする。しかし、彼女とて食料は欲しい。腹が減っては戦はできないのである。こちらからの食糧支援が中止になれば、対"正統"戦にも支障が出る。

 

「むぐぐ……申し訳なか」

 

 結局、不承不承といった様子で氏族長は頭を下げた。僕は片手をあげ、鷹揚にそれに応じる。まったく、本当に勘弁してもらいたいものだ……。



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第266話 くっころ男騎士と和平交渉

 ことあるごとに煽られてはまともに議論などできるはずもない。そこで僕は、会談におけるルールを作ることにした。ルールと言っても、そう大層なものではない。

 まず第一に、武器を抜いたり魔法を使おうとしたりしないこと。第二に、相手の発言は遮らず、最後まで聞くこと。そして第三に、挑発的な言動をしないこと。ごくごくシンプルな最低限度のルールではあるが、これを遵守してもらわないことにはとてもじゃないが議論は成立しないからな。"新"、"正統"そして我々リースベンも、これを破った者は例外なく退場処分ということになった。

 

「こほん……」

 

 やっとのことで会議のルールが策定され、なんだかダレた雰囲気になってしまった元老院(を名乗る竪穴式住居)。その中央で、ダライヤ氏が可愛らしい声で咳払いをした。そしてワインで口を湿らせる。

 ……エルフ式の会議って、ほとんど酒宴と変わりないな。まあ、ガレアのやり方でも、ちょっとした低アルコール酒くらいは出るけどさ。ここまでガッツリ酒飲みながら話し合うことは、流石にあり得ない。こんな方式でやってるから、話し合うより暴力を使った方が早い! なんて考え方になるんじゃなかろうか?

 

「ええとそれで……"正統"としては、リースベンへの移住を目指している、という話じゃったな?」

 

「そうじゃ」

 

 頷いてから、オルファン氏はニワトリの水煮を食べる。彼女は酒はそれほど飲んでいないが、代わりにかなりの量の料理をすでに平らげていた。どうやら、かなり腹ペコだったようだ。……いやまあ、エルフはだいたい腹ペコなんだが。

 

「いつまでもラナ火山にしがみちちょってん、仕方が無か。幸い、アルベールどんが畑ん一部を分けてくるっちゅう話じゃっでな。有難う使わせてもらおうかと」

 

 ラナ火山の周囲の土地を我々リースベンが租借し、そのかわりリースベンが開拓済みの土地の一部を"正統"へ譲渡する……この案は翼竜(ワイバーン)便を通してすでにオルファン氏に打診済みであり、ほとんど内定といっていいほど話が進んでいた。あとは"新"が納得するかどうかだ。

 まあ、細かい事を言うと、租借と土地の譲渡は別個の条約にする予定だがな。ラナ火山の租借料は移住して生活基盤を失う"正統"の自立支援という形で行い、譲渡の方は正式に"正統"がリースベンの一部として吸収されることを条件にしている。

 要するに、リースベンの土地に住むんだからリースベンの法に従ってくれ、ということだな。ガレアとエルフェニアでは、常識からしてだいぶ違う。これまでの経緯もあり、もとのリースベン住人との軋轢も予想される。移住は前途多難だ。"御恩と奉公"方式の双務的封建契約では、トラブルが発生した際の対応が難しくなってしまう。そのため、あえて吸収という形を取ることにしたのだ。

 

「ふん、要すっに土地乞食か。オルファン皇家も落ちぶれたもんじゃな」

 

 氏族長の一人が煽るような口調でそう言った。いきなりの、議会ルール違反である。ダライヤ氏の目がギラリと光った。

 

「やれ」

 

 どこからともなく現れたエルフ忍者が、氏族長を羽交い絞めにした。身動きが取れなくなった彼女は、あっという間に元老院の外に引きずり出されていく。……やっぱりあの忍者たちはダライヤ氏の配下だったか。高い練度にトリッキーな戦術、こりゃ敵に回したくない連中だなあ……。

 

「アイエエ!」

 

 氏族長の情けない悲鳴をバックに、ダライヤ氏は肩をすくめる。それを見たオルファン氏がクスリと笑った。

 

「……畑と食料せあれば、もはや(オイ)らに戦う理由はなか。戦いを終わらすっには、よか機会なんじゃなかじゃろうか?」

 

「その通りじゃ。ワシから見てさえも、この内乱は長く続きすぎたように思える」

 

 即座に同調したのはダライヤ氏だ。だが、"新"の元老たちには不満げな者も多かった。そんな彼女らを代表するかのような態度で、ヴァンカ氏が挙手する。

 

「確かに、この戦いの発端は食料の奪い合いだった。だが、ダライヤの言う通り、この戦いは長く続きすぎた。腹を満たせるようになったからといって、もはや矛を収められるものではない」

 

「そん通りじゃ! こん戦いでどれだけん仲間がけしんだち思うちょる!」

 

「叛徒どもを一人残らず根切りにせんな、腹ん虫が収まらんど!」

 

 ヴァンカ氏の言葉に、過激派元老たちが一斉に気炎を上げた。……まあ、彼女らの言うことにも一理あるんだよな。恨みや憎しみはそう簡単に消えるものではない。百年も戦い続けて来たのに、今さら講和などと言われても納得できないだろう。

 

「愚か者どもめ! 近頃は、戦死する者より餓死する者のほうが多いではないかっ! ぐだぐだと戦いを続けてみろ、じきに"新"も"正統"も区別なくエルフ族は共倒れじゃぞ!」

 

 必死の形相で、ダライヤ氏は叫ぶ。僕のすぐ近くに居たカラス娘のウル氏が、「カラスやスズメも、じゃなあ」と呟いて僕に目配せした。わあ、とうとう露骨に寝返りを示唆してきたぞ。

 

「それに何の問題が?」

 

 一方、ヴァンカ氏の方は、皮肉げに笑ってからワインをラッパ飲みした。ひどくやさぐれた態度だ。当初の優しい雰囲気は鳴りを潜め、過激派の親玉らしい言動である。……なんだか二面性のある人だな。

 

「死も恐れぬ勇敢さが、エルフの美徳だ。屈辱的な平和よりも、名誉ある戦いを目指す。それがエルフの生き方というものだろう?」

 

「そん通りじゃ! よう言うた、ヴァンカどん!」

 

「叛徒どもやよそ者んゆことを聞っ義理は無か! 戦争継続じゃ!」

 

 わあわあと叫び始める過激派エルフたち。僕は無言で、ウル氏とヴァンカ氏を交互に見た。彼女は少し笑って、首を左右に振る。ふむ……ウル氏がこっちに着くのはほぼ確定か。有難いことだ。

 だが、問題はどの程度のカラス鳥人を離反させられるか、だな。エルフがやたらと強いのは、鳥人による航空偵察あっての部分も大きい。カラスやスズメなどの鳥人族全体を味方につけることができれば、エルフの戦闘力を大幅に削ぐことができるんだが……。

 

「つまり、(オイ)らん移住を認むっ気はなかと」

 

 氷山のような声音で、オルファン氏が聞く。流石は皇族の末裔、そこらの凡骨には出せない威圧感だ。だが、ヴァンカ氏はそれにひるむことなく、ニヤリと笑い返す。

 

「むろん、その通り」

 

「……」

 

 オルファン氏は、無言でため息を吐いた。そして、乱暴な手つきでワインをがぶ飲みする。ううーん、ヴァンカ氏ら過激派は、どうも妥協してくれる様子がなさそうだな。予想はしていたが、やはり議論だけではこの問題は解決しないみたいだな……。



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第267話 くっころ男騎士と未亡人エルフ(1)

 会議はその後夜まで続いたが、予想通りほとんど進展はなかった。さっさとこの内乱から足ぬけしたい"正統"と、戦争継続を望む"新"の過激派たち。まあ、そりゃそうだよな。"新"のほうが圧倒的に戦力で勝ってるわけだし、勝てる(と思っている)戦争を中途半端な形では終わらせたくないのだろう。

 "新"の継戦派と和平派の比率は、七対三といったところだ。圧倒的に継戦派が多いように見えるが、この中には周囲の意見に同調しているだけの風見鶏や、穏健な意見を出して弱腰扱いされるのを恐れているだけの者も居るだろう。そう言った層を取り込めば、五分五分くらいには持ち込めそうな気がするんだが……。

 

「ふぅ……」

 

 元老院の外に出た僕は、小さくため息を吐いた。交渉が上手くいかないこと事態は予想していたが、やはりいい気分はしない。精神的に、随分と疲労してしまっていた。

 野外は既に真っ暗で、只人(ヒューム)の僕には数メートル先も見通せないほどだった。なにしろこの集落は木々の影に隠れるような形で建設されているので、村の中には星明りすら届かないのである。ランタンなどの灯りが無ければ、散歩もままならないような状態だ。いや、物騒だからしないけどね、散歩なんて。

 はあ、しかし疲れたな。煙草の一本でも吸いたい気分だ。残念ながら、転生してからこちら禁煙続きなので煙草の持ち合わせは無いが。酒で我慢するかね? いや、過激派どもがまた襲撃を仕掛けてくる可能性もある。すでにかなりの量のアルコールは摂取しているのだから、これ以上の深酒はやめておいた方がいいだろう。

 

「……お疲れのようだな、ブロンダン殿」

 

 何とも言えない心地で夜風に当たっていると、闇夜の中から何物かが現れてそう言った。背後に控えていたソニアが剣の柄に手を伸ばし、スッと僕の前に出ようとする。だが、僕はそれを手で抑えた。

 

「交渉相手がなんとも手強くてね、弱っているんですよ」

 

 僕はそう言って、相手に笑いかける。そこに居たのは、ポンチョ姿のヴァンカ氏だった。こちらと違い、護衛の類は伴っていないように見える。おそらく、攻撃を仕掛けにきたわけではないだろう。……まあ、周囲は真っ暗だから、伏兵がいてもたぶんわからないんだけどな。

 しかし、ヴァンカ氏はどういう目的でこちらに声をかけてきたんだろうな? いくらなんでも、世間話をしにやって来た訳ではあるまい。やっぱり、警告かね。まあ、油断はしないほうが良いだろう。なにしろ彼女はダライヤ氏並みの年寄りだという話だ。とんでもない奇策や陰謀を腹の中に秘めている可能性もある。

 

「エルフを相手に交渉をしようというのが、まず間違っているのだと私は思うがね。……これは脅しではなく本心からの忠告だが、君たちリースベンは我々に関わらないほうが良い。無用な被害を受けるだけだ」

 

 脅しではないと言っているが、直球の脅迫に聞こえちゃうなあ……。僕は少し笑って、視線を遠くにさ迷わせた。かがり火一つ焚かれていないエルフの村は深井戸の底のように真っ暗で、何も見通すことはできない。

 

「そういう訳にはいかないんだ。あなた方が延々と戦い続けていると、こちらまで迷惑を被ることになるからな」

 

 工業と商業を軸にリースベン領の発展を目指す僕とアデライド宰相の計画において、物流と食料生産を脅かすエルフたちの存在はかなりの脅威だ。彼女らには可及的速やかに大人しくなってもらわねば困る。

 それに、"新"は千人以上の兵力を持っているという話だからな。彼女らが"正統"を倒し、残った戦力がすべてこちらを向くような事態は避けたい。リースベン軍には僅か数百名の兵力しかないんだからな。

 もちろんガレア本国の援護がある以上、我々単体でエルフに対処するわけではないのだが……なにしろリースベンはド辺境だ。王国軍が到着するまでには、かなりの時間がかかる。本格的な戦争が始まった場合、最低でも一か月は独力で対処する必要があった。

 

「……心配することはない」

 

 思いのほか優しい声でそう言ってから、ヴァンカ氏は薄く笑う。元老院から漏れ出す微かな光に照らされたその笑みは、ぞっとするほど凄惨だった。

 

「そう遠くない未来、我々は滅ぶ。そうすれば、このエルフェニア……いや、リースベンはすべて君たちのものだ。……ああ、沿岸部は別だがね? あそこは、人魚の土地だからな……」

 

 え、人魚とか居るの、リースベン。海の蛮族の代表選手じゃん。厄介だなあ……。いや、いや。今はそんなことを考えている場合じゃないわ。いきなりとんでもない事を言い放ちやがったなこの未亡人。

 

「……ほう。なかなか刺激的な言い草だな」

 

「事実を言っているまでだ」

 

 薄く笑ったまま、ヴァンカ氏は持っていたワインをラッパ飲みした。お上品な貴婦人といった風貌の彼女だが、蓮っ葉な動作が妙に様になっている。

 

「……他の何よりも名誉ある死を望むのがエルフという生き物だ。……外国(とつくに)には集団で自死するネズミが居ると聞いたことがあるが、エルフもそのネズミと変わらん」

 

「レミングか……」

 

 北方に生息するネズミの一種、レミングは集団自殺を行うという伝承がある。まあ、これはあくまで俗説のようなもので、実際はたんに移住目的の大移動中に事故で海に転落する個体が居るだけという話だがね。

 ……しかし、この世界におけるレミングの生息地は、ガレア王国最北端のノール辺境領が南限だ。南方のリースベンに住むヴァンカ氏が、よく知っていたものである。昔のエルフは案外に外部とも積極的に交流していたのかもしれないな。

 

「この"死の行進"に巻き込まれれば、貴殿らもタダではすまないだろう。事が収まるまでは、遠くへ退避することをオススメする。……なあに、そう長くは待たせないだろうさ」

 

「……」

 

 つまり、余計な手を出すなと言いたいわけか、この未亡人は。確かにまあ、事実としてエルフは滅亡寸前だ。そのまま放置していたら、大半の者は数年で餓死するのではないだろうか? それを待つというのも、戦術としては間違っていないのかもしれない。

 ただ、このプランの場合、どう考えても末期状態に陥ったエルフが野党化するんだよな。統制の取れていない小集団なら、まあ撃退は難しくないだろうが……それでも、少なくない被害を受けるのは間違いない。

 

「残念ながら、そういうわけにはいかないんだ。僕の仕事は、市民の安全と財産を守ること。タチの悪い野盗や山賊が大発生するような事態は、絶対に防がねばらない」

 

「そうか」

 

 ヴァンカ氏は何とも言えない表情で、首を左右に振った。本気で残念そうな様子だった。僕は少し考えて、ソニアのほうをチラリと見る。彼女はヴァンカ氏に聞こえないような小さな声で、「歩み寄りは難しそうですね」と囁いてきた。

 

「ただ、まったく話し合いの通じないタイプというわけじゃなさそうだ。ここは一つ、懐に飛び込んでみよう。護衛は任せて大丈夫だな?」

 

「……お任せを」

 

 ソニアがコクリと頷くのを見てから、僕はヴァンカ氏に笑みを向けた。

 

「……だが、こちらに事情があるように、そちらにも事情があるのだろう。落ち着ける場所で、いろいろ話を聞かせてもらっても良いだろうか?」

 

 和解はムリでも、せっかくの機会なのだから情報収集くらいはしておきたい。今のところ、ヴァンカ氏の真意は不明だからな。このあたりをキチンと理解しておかないと、相手の出方を見誤る可能性が大きくなってしまう。

 

「まあ、いいだろう……だが、一つ聞きたい。レマ・ワインという銘柄の葡萄酒を探している。持ち合わせはあるか?」

 

 レマ・ワイン。聞き覚えのある銘柄だった。リースベンから最も近いガレア王国内の街、レマ市で作られているワインだ。 ただ、レマ・ワインはガレア王国全体で見れば無名と言っても差し支えの無い零細産地で、マズくはないが特別ウマいわけでもない。そのため、この宴会では他の有名産地の銘柄を選んで提供していた。こちらにも見栄があるからな。

 

「ああ、あるとも。……もしや、亡くなった御夫君の?」

 

 そんなあえて避けていたレマ・ワインを欲しがるというのだから、それなりの事情があるはずだ。そしてレマ・ワインは、産地が近所ということもありリースベンではもっとも一般的に出回っているワインだった。亡くなったというヴァンカ氏の夫がリースベンの出身だったとすれば、もっとも飲みなれている酒だと考えて良い。

 

「……そうだ。彼は、ことあるごとにレマ・ワインがまた飲みたいと言っていた。しかし、このエルフェニアではそのようなものはなかなか手に入れることができない。結局、一滴も飲ませてやることができないまま……あいつは……」

 

 そう語るヴァンカ氏の声は、若干湿っているようだった。彼女はいまだに、夫の死から立ち直れていないのかもしれない。

 

「……なるほど、承知した。そういうことならば、すぐに用意させよう」



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第268話 くっころ男騎士と未亡人エルフ(2)

 エルフはサシ飲みが好き。この法則は、どうやらヴァンカ氏にも当てはまるらしい。思った以上にアッサリ個人会談に応じてくれたので、僕はほっとした。

 だが、ここは蛮族エルフの集落で、相手は過激派の首魁と目される人物だ。さすがに、個室で二人っきり……というわけにはいかない。仕方が無いので、僕たちは元老院の裏手に野戦用の指揮卓と折りたたみ椅子を出して、即席の会場を拵えることにした。

 

「レマ・ワインを好んでいたということは……もしや、御夫君はリースベンの出身なのだろうか」

 

 指揮卓の上に乗ったオイル・ランプの揺れる炎を見ながら、僕はそう切り出した。ヴァンカ氏に聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず一番肝心なところから取り掛かることにしたのだ。

 ダライヤ氏の話によれば、ヴァンカ氏はもともと穏健な人物で、夫子の死を期に過激な言動を繰り返すようになってしまったのだという。とはいえ、それはあくまで伝聞にすぎないわけだからな。彼女の行動原理が本当に復讐心によるものなのかを、きちんと直接確かめてみる必要があった。

 

「……ああ、そうだ」

 

 陶器製のワインボトルを手に、ヴァンカ氏は頷いた。彼女には、レマ・ワイン三本をプレゼントした。この銘柄は、典型的な大衆酒だ。貴人が呑むような代物ではないが(まあ僕は平気でがぶがぶ飲むけど)、どうやら彼女にとっては他の何よりもうれしいプレゼントだったようだ。渡して以降、ボトルを手放そうとはしなかった。

 

 

「よろしければ、なれそめを教えて頂いても?」

 

 情報収集のチャンスである。僕は身を乗り出して、聞いてみた。ヴァンカ氏が過激派のリーダーなのは、ほとんど間違いのない事実だ。正確な分析のためには、どんな些細な情報でも欲しい。

 

「……貴殿がリースベンにやってくる遥か前から、我々はあの地で狼藉を働き、食料や男性を略奪していた。彼もまた、その被害者の一人だった」

 

 すこし考えこんでから、ヴァンカ氏は遠くを見る目つきでそう言った。……特に、リースベンの入植が始まった時期はほとんど戦争のような有様だったらしいしな。そりゃ、さぞ凄惨な出来事も起こっていたことだろう。

 しかし、被害者ね。ずいぶんと我々に寄り添ったものの見方だな。過激派の首魁って話だったから、もっとガチガチのエルフ民族主義者みたいな性格を想像してたんだが。

 

「そういう経緯だったから、当然……私が出会った時には、彼は本当にひどい状態だった。複数人のエルフ兵から乱暴されて、抜け殻のようになっていたんだ」

 

「……」

 

 まあ、良くある話だよな。相手は蛮族・エルフ。この乱暴極まりない連中が、捕らえた男をどう扱うかなど……簡単に想像できる。さぞ悲惨な目にあったことだろう。

 

「同じような光景は、これまで何度も見てきた。だが、その時だけは……どうしても我慢が出来なくなったんだ。ほとんど反射的に、あの痴れ者どもの首を叩き落し……彼を保護した」

 

 わあ、ナチュラルに物騒極まりない単語が出てきたぞ。一見紳士……いや、淑女的でも、やはりヴァンカ氏もエルフのぼっけもんだ。なかなかにおっかない女性である。

 そして、僕の隣に座るソニアも『わかるわかる』とでも言いたげな表情でウンウンと頷いていた。ヴァンカ氏も大概だがソニアも大概だ。なんで僕の周りにはこういう女性しかいないんだろうね? いやまあ、いいけどさ……。

 

「当時の彼はひどい状態だったが、世話をしているうちにだんだんと元気を取り戻していった。やがて、我々は結婚した……」

 

 そこまで言ってから、彼女は酒杯に入ったワインを飲みほした。ちなみに、中身はレマ・ワインではない別の銘柄だ。どうやら、ヴァンカ氏はレマ・ワインはあくまで夫の墓前に供える腹積もりらしく、渡したボトルには一切手を付けようとしていなかった。

 

「偽善、欺瞞だ。自己満足だ。本当に彼のことを想っているのであれば、リースベンに帰してやれば良かった。彼は何度も、故郷に戻りたいと言っていたのに……私が手放すことを拒んだばかりに、こんなことに……!」

 

 酒杯を掴んだヴァンカ氏の手に力がこもった。僕は小さく息を吐いて、白湯を飲む。敵地でこれ以上酔っぱらうわけにはいかないので、白湯を用意したのだが……こんな話を飲み干すには、白湯などでは明らかに力不足だな。キツイ蒸留酒(スピリッツ)が欲しくなってくる。

 

「貴殿らから見れば、私はさぞ愚かに見えるだろう。自業自得で最愛の男を失い、八つ当たりじみた復讐心に身を任せている。挙句、リースベンにまた迷惑をかけているのだ」

 

「公人としては、貴方の行動は容認できません。我々の目的は、リースベンに平和と安定、繁栄をもたらすこと。そしてあなたは、不逞の輩を集めてこのリースベンの治安を悪化させている。許せるものではありませんね」

 

 そう言ったのは、ソニアだった。彼女はなんとも言えない表情で視線をさ迷わせ、それから小さく息を吐く。

 

「……しかし、私人としては、貴方を応援したい気分ではあります。あなたと同じ立場に置かれれば、きっとわたしも同じように狂うでしょうから」

 

 その言葉は、ひどく実感の籠ったものだった。おそらく、これはソニアの本音だろう。なんだかんだいって、彼女はとても情に厚いタイプだからな。まったく、ソニアの夫になる男は幸せ者だよ。

 

「……そうか。そう言ってもらえると……少し心が軽くなる」

 

 胸が締め付けられるような笑顔でそう答えたあと、ヴァンカ氏は手酌でワインを己の酒杯に注いだ。

 

「しかし、だからこそ大変に申し訳ない。貴殿らの目的がこの地に平和をもたらすことである以上、私は貴殿らとは敵対せざるを得ないのだから」

 

「話し合いでの解決は……難しいのだろうか?」

 

「不可能だな。今の私の存在意義は、彼の遺言を守る事だけ。それだけが、私が行き恥を晒している意味なのだ。連中に食料などを渡してもらっては……困る」

 

「……非常に残念だ」

 

 ヴァンカ氏の意志は固い様子だ。説得は不可能だろうな。僕はため息を吐いて、ポーチの中を探った。出てきた酒水筒(スキットル)を開栓し、中身を喉へ流し込む。キツい酒精の刺激と若いウイスキー特有の青臭さが、気付け薬のように僕の脳天を揺さぶる。

 

「最後の警告だ、ブロンダン殿。エルフに関わるな、始末は私がつける。そう長くは待たせない。すべてが終わった後で、貴殿らは悠々とこの半島を手に入れれば良いのだ」

 

「己の復讐の燃料として、エルフ族そのものを燃やし尽くすつもりか……」

 

 僕は小さな声でそう呟いた。凄惨な笑みを浮かべて、ヴァンカ氏が頷く。……どんな経緯であったとしても、容認できる考えではないな。いっそ、彼女はここで殺してしまった方がマシかもしれない。

 ……だが、そんなことをすれば、間違いなく"新"との戦争状態に突入する。さすがにこれはマズい。"正統"と連携すればなんとか"新"を打倒することはできるかもしれないが……こちらも少なくない被害を受けるのは間違いない。僕の目標はリースベンの発展なのだから、全面戦争が発生した時点で戦略的には負けているようなものだろう。

 

「……少しばかり、酒を飲み過ぎた。今日のところは、これくらいにしよう」

 

 そう言って、僕は立ち上がった。これ以上込み入った話をしても、却って溝が深くなるだけだろう。今日のところは、これで撤退だ。利害が徹底的に一致しない以上、ヴァンカ氏との敵対は避けられないが……無意味な話し合いでも時間稼ぎにはなるからな。いくら頑なな相手でも、対話の道を閉ざすわけにはいかなかった。



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第269話 くっころ男騎士と異文化交流(1)

 ヴァンカ氏との会談は物別れに終わった。まあ、最初から予想できていたことではある。話し合いだけで何もかも解決する程度の問題なら、エルフ内戦だってとうに終わってるだろ。世の中には、暴力じゃなきゃ解決しない問題もそれなりにあるものだ。

 とはいえ、こちらから手を出すのはよろしくない。"新"内部の穏健派まで敵に回してしまう可能性が高いからだ。こういう場合は、相手に決別の引き金を引かせるに限る。なんとか上手い事、"新"を敵味方に分離するよう立ち回らなくては……。

 そんなことを考えつつ、僕は"新"に提供された竪穴式住居で一夜を明かした。ヴァンカ氏やその部下が襲撃を仕掛けてくるのではないかと厳戒態勢をしいて準備万端待ち構えていたのだが、驚くことに何事もないまま夜明けを迎えることができた。……正直、かなり意外だ。

 

「キエエエエッ!」

 

 そして、早朝。僕は手近な場所に生えていた雑木に木刀(エルフの使う黒曜石の刃を持った物騒な代物ではない、普通の木刀だ)を叩き込んでいた。立木打ちと呼ばれる、基本的な剣の鍛錬だ。

 特別な理由がない限り、僕は毎日休まずこれをやっている。鍛錬をサボればあっという間に腕が錆びつくし、朝から全力で体を動かすのも気持ちがいい。修行とストレス解消の一石二鳥だ。

 まあ、剣を振るうたびに大声を出すせいで、周囲には不評だがね。カルレラ市の市民たちからは、「教会の鐘代わりに働く勤勉な領主様」だの「一番鶏の擬人化」だのといった不名誉な呼ばれ方をすることもある。

 

「びゃあああっ!」

 

 情けない声を上げつつ、義妹のカリーナも同様の鍛錬を行っている。いや、彼女だけではない。護衛として同行している騎士たちも、少なくない数の者が同じように剣を振るっていた。彼女らは大半が僕の幼馴染だから、長い間一緒に過ごしているうちに習慣が伝染(うつ)ってしまったのだ。

 

「面白か事をしちょるな、アルベールどん」

 

 手拭いで汗を拭っていると、一人のエルフが声をかけてきた。見覚えのある顔だ。エルフ元老の一人で、ダライヤ氏やヴァンカ氏と同じく長老職にある御老人だった。もっとも、相手は長命種のエルフ。外見上は、十代の少女としか思えない。

 

「男とは思えん剛剣じゃ。ワシがあと二百歳若かれば、試合を挑んじょったかもしれんな」

 

「ありがとう、ヴリン殿」

 

 にっこりと笑って、礼を言う。"正統"の集落に行った時もそうだったが、なぜか僕の剣術はエルフたちから受けがいい。もっとも、それがわかっているから、村(一応このルンガ市は都ということになっているが)のド真ん中で剣を振るっているわけだがね。一種のデモンストレーションだ。

 実際、僕たちの立木打ちを見物しているのは長老だけではない。少なくない数のエルフやカラスが興味深そうにこちらを見ている。……正直、ちょっと恥ずかしい。

 

「よかったら、一緒にどうだろう? 朝から汗を流すのは気分がいいぞ」

 

「ワシはやめちょこう。腹が減りすぎて、今動いたや倒れそうじゃ」

 

 冗談めかした声音でそんなことを言いながら、長老は自分の腹をさすった。……でもこれ、たぶん本当だろうな。この集落の食料事情、本気でヤバいし。この集落のエルフの一日の摂取カロリーは、たぶんリースベンのそこらの農民の半分以下だ。よくもまあ、この状態でこうも元気に過ごせるものである。エルフはめちゃくちゃ頑健な種族のようだ。

 一方、カラスやスズメなどの鳥人や、只人(ヒューム)などはかなりヘロヘロになっている者も多い。今から考えてみると、出会った当初のウル氏なんかはかなり元気な部類だったようだ。一般のカラスやスズメはひどく痩せているし、髪や羽根もボサボサになっている。明らかにあらゆる種類の栄養素が足りていない。

 まあ、そりゃそうだろうな。頼みの綱であるサツマ(エルフ)芋ですら、数が足りていない様子である。どうやら、戦争にマンパワーが取られ過ぎて畑が荒れ放題になっているらしい。それに加え、"正統"側のエルフ兵は平気で畑を焼き討ちするのだから手に負えない。もう滅茶苦茶だ。

 

「こげんのは若か者んやっこっじゃ。どげんじゃ、リィン。お(はん)、やってみんか?」

 

 長老は、近くに居た若いエルフ(とはいっても、外見でエルフの年齢を判断するのは不可能だが)を呼び止めてそう言う。そのエルフは、素っ頓狂な顔で「(オイ)にごわすか」と聞き返した。

 

「まあ、なかなか面白そうな鍛錬法なんは確かにごわす」

 

 そう言って、若エルフはその辺に落ちている真っすぐな木の枝を手に取った。腰に差していた山刀で長さや持ち手を簡単に整えてから、何度か振ったり手に叩きつけたりして具合を確かめる。どうやら満足の行く出来になったようで、彼女は小さく頷いてから手近な雑木の前で即席木刀を構えた。……綺麗な構え方だ。明らかに、剣術の基礎ができている。そこらの騎士見習いなどでは、相手にならないほどの実力だろう。

 ガレアの一般的な騎士よりも、エルフェニアの一般農民のほうが強いのではなかろうか? まったく恐ろしい国だ。やっぱり、こいつらとは戦いたくない。兵員の質でも量でも負けてるとか、ちょっと泣きたくなる。

 

「……ヤァッ!」

 

 そんなこちらの思惑など気付きもしない様子で、若エルフは木刀を雑木に振り下ろした。甲高い音を立てて、木剣は木の幹に弾かれる。若エルフはその形の良い眉を跳ね上げた。

 

「据え物斬りじゃと油断しちょったが、こんた案外……」

 

 どうも、木剣が弾かれたのがご不満のようである。彼女は何度か振り方を変えて雑木を叩いたが、どうにも上手くいかない。……とは言っても、これはこのエルフの剣技が未熟だからではない。彼女の剣術が、生身の人間を斬ることを前提に構築されているせいだ。

 エルフ兵はガレア騎士のような大仰な防具は纏わない。せいぜい、固い獣皮でできた簡易な革鎧を着ている程度だ。軽装の人間と戦うための剣術では、太い木の幹に歯が立たないのも当然のことである。

 

「木を打つことに関してはアルベールどんの方が先輩なんじゃ、手取り足取り教えてもろうてはどうじゃ?」

 

 ニヤニヤ笑いながら、長老殿がそんなことを言ってくる。若エルフは顔を赤くして「手取り足取りぃ!?」と叫んだ。

 

「いや、しかし……剣の振り方を見ればわかるが、彼女もひとかどの剣士だ。僕のような短命種(にせ)の、しかも男が剣技の指南を行うなど、あまりにもおこがましいのでは……」

 

 なんだかんだいって、この世界では男はナメられがちだからな。訳知り顔でアドバイスするような真似ははしたないし、何より相手のプライドを傷つけることになる。だからこそ、あまり口出しをしなかったわけだが……。

 

「い、いやあ、そうでもなか。青二才は卒業したとはいえ、おいもまだまだ未熟な身。他流ん者から教えを受くっちゅうとも悪うなかじゃろう」

 

 が、予想に反して若エルフはこちらをチラチラ見ながらそんなことを言ってくる。ありゃま、なぜか好感触だ。まあ、本人が言うなら少しばかり口や手を出しても見てもいいが……。

 

「……そういうことなら、まあ。思うに、手首に力が入りすぎていると思うんだ。生身の人間を斬るならまだしも、丸太や甲冑はひどく硬いから、そういう握り方だと手首を痛めてしまう」

 

 若エルフの手首を優しく掴みつつ、そう言ってみる。彼女は満更でもなさそうな様子で「ほ、ほお?」と頷いた。その視線は、なぜか僕の胸元に釘付けだ。確かに今の僕はシャツ一枚の軽装だが……男の胸なんぞ見ても何も楽しくないと思うんだがねえ。

 

「ち、近か。男にこげん近寄ったんな初めてじゃ。良か匂いがすっ……」

 

「今なんて?」

 

「いっ、いいや、なんでも無か。つまり、こう振ればいいわけじゃな? ……ヤッ!」

 

 首をブンブンと振ってから、若エルフはまた雑木を打った。今度は幹で弾かれることなく、きちんと木剣を振りぬくことが出来た。すでに基礎ができている人間だから、飲み込みは早い。

 

「流石だな、その調子だ! ……それともう一つアドバイスなんだが、声はもっと派手に出した方が気持ちがいいぞ」

 

「……おっ、おう! わかりもした! キエエエエエエイッ!」

 

 猿じみた叫びを上げながら、若エルフは雑木を親の仇のようにシバき始めた。周囲のエルフたちも興味を覚えたのか、手ごろな枝を拾って周囲の木々を打ち始めた。やはり普段の素振りと調子が違うせいか「おういアルベールどん! (オイ)にも教練を頼む!」と声がかかり始める。

 

「はいはい……」

 

 その求めに従って剣の振り方や握り方を手ほどきしつつ、僕は密かに笑った。わざわざ敵地ともいえるルンガ市の真ん中で鍛錬を始めたのは、こうやってエルフたちを誘い込むという狙いもあった。武士じみた価値観を持つエルフのことだ、武術を軸にしたコミュニケーションが有効だと思ったんだよな。一緒に汗を流し、同じ釜の飯を食う。連帯感の醸成にはもっとも効果的な手法である。

 ヴァンカ氏らとの全面対決は避けられないであろう状況だが、それ故に出来るだけ多くのエルフをこちらに取り込む必要がある。リースベン軍単独でエルフどもと戦うなんて、絶対に避けたい。一般エルフたちとはせいぜい仲良くなっておきたいところだ……。

 

「まーたお兄様が無自覚誘惑してる……」

 

 なにやら我が義妹が呟いている様子だったが、その声はエルフたちの発する猿じみた奇声によってかき消されてしまった。

 



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第270話 くっころ男騎士と異文化交流(2)

 即席の剣術交流会は、思った以上に好評だった。エルフたちは強い尚武の気質を持っているし、新しいやり方を積極的に学ぼうという向上心も持ち合わせている。異国の剣術にも興味津々だった。

 この様子だと、大砲や小銃を手に入れたらノリノリで使いこなしそうな気がするんだよな。技術が流出しないよう気を付ける必要がありそうだ。現状ですらシャレにならないほど強いのに、この上さらに遠距離攻撃手段が増強されるとか本気で勘弁願いたい。

 

「ああ、生き返っ心地じゃ。腹がいっぱい(よかひこ)になって動けんくなっなんて、何年ぶりん経験じゃろうか」

 

「アルベールどんには足を向けて寝られんのぉ」

 

 そんなこちらの思惑など一切気にしていない様子で、エルフたちは腹をさすりながら満足そうな声を上げている。交流会の後、村の広場で第一回の炊き出しが行われたのだ。

 提供されたのはありあわせの材料を大鍋にブチこんで煮込んだだけの軍隊シチューと、レンガのような硬パンのみ。質より量を優先したなんとも寂しい食卓だが、それでもエルフたちは大喜びだった。

 むろん、エルフたちに粗末な食事を提供しておきながら、僕たちだけ豪華な料理を食べるような真似はできない。炊き出しの配給所から料理を受け取り、木陰に腰を下ろしてソニアらと朝食をいただく。

 

「あん剣技、初太刀はとんでんなっ強力だが……逆に言えば、そいを躱されてしめば大きな隙がでくっごつ見ゆっ。そげん状況になった時はどう立ち回っど?」

 

「阿呆、避けられたやどうすっなどち考ゆっこと自体が雄々しかど。初撃で確実にチェストすっ、なんとも女々しか武者ぶりじゃらせんか」

 

 そんな僕たちの周りには、大量のエルフたちが鈴なりになっていた。皆、僕の剣技に興味津々のようだ。正直、結構嬉しいね。ガレアでは、この剣術は猿のようで野蛮だとたいへんに評判が悪いからな。

 すこし苦笑しながら、硬パンを軍隊シチューに沈める。このパンは名前の通りとんでもなく硬く、そのままではとてもじゃないが歯が立たない。汁物に漬け込んでパン粥のようにして食べるのが一般的だった。……まあ、エルフたちの中には平気でそのままバリバリ食ってるやつもいるが。

 

「そういえば……ウチん氏族長から聞いたんじゃが、こん後叛徒どもん里にも行くんだって(めくどって)?」

 

 一人のエルフが、広場の片隅に居る集団をちらちらと見ながら言った。オルファン氏を中心とした、"正統"の使節団だ。まるで見えない壁でもあるかのように、彼女らの周りには人が居ない。僕たちとは対照的な状態だった。

 よそ者より元身内のほうが嫌われているなんて、あんまりいい状況じゃないよな。今さら仲良くしろだなんて言っても無意味だろうから、口には出さないが。百年も身内同士で殺し合いをしてたんだ、その溝はそうそうのことでは埋まらないだろう。

 

「ああ。もちろん、今日明日じゃないがね。この会談が終わったら、あっちの村にもいくつもりだが」

 

 無論、予定の上では……であるが。ヴァンカ氏と決裂してしまった以上、平和裏にこの村から出ていけるかはかなり怪しい。いままでは牽制じみたしょっぱい攻撃しかしてこなかった過激派たちだが、今後はいよいよ本腰を入れて僕たちの排除にかかってくる可能性が高いだろう。

 まあ、そうなったときのことを考えて、こうやって一般エルフたちと交流してるわけだがね。エルフにはエルフで対抗すべし。一人でも多くのエルフを僕たちの味方にする、それがこの交流会の目的だった。……たとえその努力が実らなかったとしても、知り合い相手なら剣を振るう手も鈍くなるかもしれないしな。

 

「叛徒どもはとんでんなかならず者ん集まりじゃ。男んお(はん)は近寄らんほうが良か」

 

「そん通りじゃ。あいつ(あんわろ)らんこっだ、毒を盛ってムリヤリ手籠めにすっくれは平気でやっじゃろう」

 

 訳知り顔でそんなことを言うエルフたち。……ならず者云々は君たちが言えた義理ではないと思うなぁ……いや、口には出さないけどね。僕は曖昧な笑みを浮かべながら、肩をすくめた。

 

「まあ、仕事だから」

 

 なんなら、"正統"の隠れ里でムリヤリ手籠めにしようとしてきたのは"新"のエルフ兵のほうだったしな。危ないといえば、圧倒的に"新"のほうが危ない。まあ、だからと言って"正統"に対してまったく警戒をしない、というわけにもいかんがね。

 

「アル様の安全はこのわたしが守る。貴殿らが心配する必要はない」

 

 ちらりとエルフたちの方を一瞥しながら、ソニアが言った。彼女も、途中から剣術交流会に参加している。だから、エルフたちも彼女が尋常の騎士ではないことは知っていた。少なくない数のエルフたちが「確かに」と頷いた。

 

「じゃっどん、多勢に無勢ちゅう言葉もあっ。ソニアどんが並々ならん武人であっことに疑いはなかが、警戒すっに越したことはなかど」

 

「そうじゃな。とっに、叛徒どもん火炎放射器兵はとても(わっぜ)厄介や。戦いなれちょっ(オイ)らですら手を焼かさるっ」

 

「焼かさるったぁ手だけじゃなくて畑もじゃがな!」

 

「違いなか! グワッハハハ!!」

 

 エルフたちは大爆笑した。笑っていい冗談なのか、それは。

 

「男が危地へ向かうとに、黙って見送っちょってはおなごがすたっど。わかっちょっじゃろうな、お(はん)ら」

 

「おうっ、任せちょけ! アルベールどん、叛徒どもん巣へ行っときは、(オイ)らも連れて行ってくれ。男んために死ぬの(けしんと)がエルフん華よ、こん命を賭してでもアンタん身は守ってやっ」

 

「良か考えじゃ! (オイ)も一枚噛ませてもらうど」

 

 スプーンを剣のように掲げて、エルフたちがそんな主張をはじめる。わあ、勝手に盛り上がるんじゃねえよ。危地というならこの村の方がよっぽどアブナイ場所だろ!

 もちろん、"正統"の集落へこいつらを連れて行くような真似はできない。そんなことをしたら、適当な因縁をつけて勝手に戦争をおっぱじめそうな雰囲気がある。

 

「ま、まあまあ、落ち着いてくれ。おしゃべりに夢中になっていたら、メシが冷めてしまうぞ。せっかくの料理なんだ、美味しく食べてくれよ」

 

「確かにそうだ。有難ういただっことにしようか」

 

「こげんご馳走にそげん失礼な真似をしたや、もったいなかカマキリにチェストされてしめそうじゃ」

 

 なんだよもったいなかカマキリって。勿体ないオバケ亜種か?

 

「……」

 

 僕が小首をかしげていると、ソニアが密かにサムズアップをしてきた。どうやら、懐柔作戦大成功と言いたいらしい。……いやまあ、嫌われているわけじゃあないと思うんだが、これを懐柔成功といっていいものなんだろうか……。



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第271話 くっころ男騎士と愚痴大会

 朝食の後は、再び会議である。比較的スムーズに進んだ交流会から一転、こちらは荒れに荒れた。この内乱から一秒でも早く足抜けしたい者と、自分たちが滅びることになろうとも相手を殲滅したい者。この両者の溝が、そう簡単に埋まるはずもない。……戦争は始めるのはカンタンなのだが、終わらせるのはその何倍も大変なのだ。

 結局、六人目の退場者が出たあたりで、会議は休会となった。このまま話し合いを続けていたら、乱闘が発生しそうな雰囲気だった。むしろ、いまだに誰一人暴力に訴えていないことの方が不思議なレベルだ。一応、両エルフェニア共に仲介者である僕たちの顔を立ててくれているのかもしれない。

 

「あのわからずや共ぉ……!」

 

 元老院からやや離れた小屋で、ダライヤ氏が気炎を上げている。彼女は酒瓶を小脇に抱え、手酌で酒杯にワインを注いでは一気に飲み干していた。見た目だけは童女のようなダライヤ氏だから、その光景はなかなかにインモラルである。

 

「このままいけばエルフは滅亡じゃ! 奴らとてそのくらいは分かっておるじゃろうに!」

 

「少し飲み過ぎじゃらせんか? 一応、会議はもうしばらくしたや再開予定なんじゃ。ベロベロに酔ってい(よくろうちょっ)たら、話し合いどころじゃなくなってしまうど」

 

 酒臭い息を吐きながら文句を言うダライヤ氏をたしなめるのは、オルファン氏だ。もともとは主従かつ師弟という関係にあっただけに、その声音は友人に対するもののように気安く優しげなものだった。

 我々は現在、親睦会という名目でトップ会談を行っていた。もっとも、会談というよりは愚痴大会に近いような有様だが。ちなみにメンツは僕とフィオレンツァ司教、ダライヤ氏とウル、そしてオルファン氏の五名である。ソニアの方はヴァンカ氏ら過激派の襲撃に備え小屋の外で警備に当たっている。

 

「飲まずにいられるか!」

 

 そう叫びつつ、ダライヤ氏はガボガボとワインを飲み干す。やさぐれ幼女だ。高い酒なんだから、もうちょっと味わって飲んでもらいたい。いや、気分はわかるがね。

 

「阿呆どもは捨てて、あてらだけでリースベンに亡命してはどうじゃ、大婆様」

 

 ため息交じりにそんなことを言うウルに僕とオルファン氏はギョッとしたが、ダライヤ氏は空っぽになった酒瓶と酒杯を放りだして地面をゴロゴロする。

 

「したーい!」

 

「ええ……」

 

 トップ自ら亡命希望なんて、末期状態にもほどがあるだろ……いや、もともとポストアポカリプスレベルの末期状態だわ、エルフェニア。

 

「のうブロンダン殿、割と真面目に全部投げ捨ててそっちへ亡命したいんじゃがなんとかならんかね」

 

「あなたが"新"を見捨てたらあいつら全員手に負えない無法者集団になるじゃん……駄目に決まってるでしょ」

 

「じゃよなぁ!! くぅ、貧乏くじ!」

 

 ダライヤ氏はそんなことを叫びつつゴロゴロとローリングして壁際におかれた木箱に近寄り、中から新たなワインを引っ張り出した。そのまままたゴロゴロと転がって、僕の隣へ戻ってくる。ローリングロリババアだ。フローリングとかならまだしも、ここは地面がむき出しの土間だぞ。バッチィからちゃんと足を使って移動しなさいよ。

 

「この件が終わったらワシは隠居して男とイチャイチャしながら余生を過ごすからな! ブロンダン殿、その時は頼んだぞ!」

 

「えっ、僕!?」

 

「当たり前じゃろうが! こんな限界食い詰め女しかいない国に居たら、いつまでたっても処女のままじゃ! ワシがあの阿呆どもの面倒を見ていることで、リースベンにもそれなりの利益が発生しているわけじゃからのぅ! 報酬として、そのあたりの面倒をみてくれても良いのではないかのぅ!」

 

 つまり年金と男が欲しいってことか……まあ実際、この人の存在が新エルフェニアの最後のストッパーになってるのは事実だからな。そのくらいの報酬は、出してもバチは当たらないかもしれない。……年金はともかく男かぁ、地味になんかヤだなぁ。僕じゃ駄目だろうか? まあダメだろうな……。

 

(オイ)若造(にせ)やった頃も、引退しよごたっ引退しよごたっと繰り返しゆちょったが……変わらんなぁ、ダライヤは」

 

 半目で自身の元教育役のロリババアを見ながら、オルファン氏はため息を吐く。そして素朴な湯飲みに入った香草茶をゆっくりと味わってから、もう一度ため息を吐いた。……驚くべきことに、オルファン氏は今のところ一滴の酒精も口にしていない。エルフどもは外交会議中でも平気で酒をかっくらうような連中なので、これは本当にびっくりだ。根が真面目なんだろうな、オルファン氏は。

 

「じゃっどん、こん問題を解決せんこっには隠居どころじゃなか。継戦派をどげんして抑ゆっか、こいが問題や」

 

 湯飲みを座卓に置いてから腕組みをし、オルファン氏が言う。……結局、その通りなんだよな。ダライヤ氏もオルファン氏も、戦争なんてさっさと辞めたいと思っている。両トップの意志が共通しているのにそれがなかなか実現できていないのは、配下に戦争の継続を訴えるものが多いからだ。

 むしろ、下っ端になるほど和平を拒む者が多いような風情がある。まあ、そりゃそうだろうな。現場の者は、百年近く戦い続けてるわけだし。長年矛を交え続けている相手と今さら和解するなんて、気持ち的にはなかなか難しいだろう。

 

「実際……ダライヤさんのところほど主張は激しくありませんが、オルファンさんの部下たちにも、この和平会議に納得の行っていない者はいるようですし」

 

 それまで黙って酒を飲んでいたフィオレンツァ司教が言った。その言葉に、オルファン氏は眉間にしわを寄せて視線を逸らした。思い当たるフシはあるのだろう。実際、今日出た六名の退場者のうち、二名は"正統"の使節団の者たちだった。

 

「……少々乱暴な手段ではありますが、いっそのこと和平に反対する者を粛清する、というのもアリかもしれません。ちょうど、反対派の旗印になりそうな者もおりますし」

 

「ヴァンカか」

 

 ダライヤ氏はほっぺたをぷぅと膨らませ、首を左右に振った。……普段は柔和なフィオレンツァ司教からこんな過激な意見が出てくるとは、かなり驚きだ。彼女も、さきほどのぐだぐだ会議には思うところがあるのかもしれないな。

 

「ヤツを殺した程度で事態が改善するなら、とうにやっておる。ワシは先代皇帝を(しい)して皇帝位を簒奪(さんだつ)した女じゃぞ? その程度の策は、とっくに検討済みじゃ」

 

 そう語るロリババアの表情は、なんとも複雑なものだ。かつてダライヤ氏とヴァンカ氏は友人関係にあったという話だが……そんなヴァンカ氏の殺害を検討しなくてはならないとは、まったく殺伐とした話である。

 

「結局、問題は下々の者たちなのじゃ。連中は個ではなく群体なのじゃから、頭を挿げ替えたところでその方針が変わることはない。やるなら根切りじゃが……ただでさえこれほど減ったエルフを、これ以上減らせというのか? そんなことをしたら、いよいよ我々は絶滅してしまうぞ……」

 

「むぅ……」

 

 口をへの字にしながら、フィオレンツァ司教は唸った。僕は小さく息を吐いて、小屋の真ん中で煙を上げる囲炉裏に目を向けた。揺らめく炎を見ながら、ワインを一口飲む。……考えても考えても、冴えたアイデアは湧いてこない。

 

「結局のところ……過激派どもが暴発しないよう気を使いながら、下っ端エルフたちを融和派に転向させていくしかないだろうな。地味で面倒な作業だが、破れかぶれになって無意味な死人を出すよりは百倍マシだ」

 

 僕の言葉に、ダライヤ氏とオルファン氏は頷いた。幸い、蛮族そのものと言っていいエルフたちも、腹さえ満たしてやればそれなりに大人しくなることがわかっている。これは百年にもわたる内戦だ、一朝一夕で解決する問題ではない。ここは、地道に一歩ずつ状況を改善していくほかないだろう。

 



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第272話 盗撮魔副官と義妹騎士

 わたし、ソニア・スオラハティは不安だった。アル様が、よりにもよってあのフィオレンツァと一緒にエルフどもと飲み会を始めてしまったからだ。あの羽虫女の危険性は言うに及ばず、ダライヤとかいう見た目童女な年寄りも明らかにアル様を性的な目で見ている様子だ。最愛の男がそんな連中と一緒に酒を飲んでいるのに、のほほんとしていられる女など居ないだろう。

 唯一、あのオルファンとかいう自称皇族は誠実そうに見えなくもないが……安心はできない。一見生真面目そうに見えても、内部ではグツグツと性欲が煮立っている可能性も十分にある。

 

「むぅ……」

 

 頭をブンブンと振ってから、わたしは折り畳みテーブルに乗っているカップを口につけた。中身の香草茶はすっかり冷めているが、気にしない。従兵にお代わりをもってくるよう命じてから、わたしは腕を組んで周囲を見回した。

 今、わたしは部下の騎士たちとともに周辺監視を行っている。アル様を狙う不埒な輩は、フィオレンツァやダライヤだけではないのだ。エルフの過激派連中はいつ暴発するやらわからないような状況である。最大級の警戒を維持する必要がある。

 

「……」

 

 そんな状況だというのに、周囲を見張りもせずにこちらをチラチラチラチラうかがっている不埒なアホが居る。カリーナだ。本来アル様の警護はこのウシ娘の仕事ではないのだが、本人の強い希望により参加を許していた。

 最初はやる気があってよろしいと感心していたものだが、このような状態では監視どころではない。わたしは殊更に大げさな仕草でため息を吐き、テーブルの上に置いていた兜をかぶった。

 

「カリーナ、貴様の仕事はわたしの監視か?」

 

「ぴゃっ!? い、いえっ! 違います!」

 

 びくんと震えて、カリーナは姿勢を正す。リースベン軍に入ってみっちりと鍛えなおされたおかげか、こういう動作だけはとてもこなれている。だが、中身の方はやはりまだまだ新兵だな。ビビりが過ぎる。

 

「だったら、見るべき場所が違うんじゃないのか」

 

はいっ、上官殿(イエスマム)! 申し訳ありません!」

 

「謝っている暇があったら己の職務を果たせ、いいな?」

 

「はっ!」

 

 ピシリと敬礼して、真面目に周辺警戒を始めるカリーナ。出会った当初は跳ねっ返り以外の何者でもなかったこの娘だが、軍隊式教育の甲斐あって今ではすっかり従順になっていた。

 

「……で、わたしに何か用か?」

 

 そんな彼女に歩み寄り、周囲に聞こえないよう気を使いながらそう聞いた。周りには我々以外にも十数名もの騎士とエルフ警備兵が居る。大手を振って雑談を始めるのはあまりよくない。

 

「えっ、い、いや、用ということもないのですが……」

 

 嘘をつけ嘘を。だったらなんであんなにずっとチラチラ見てきたんだ。用が無いはずないだろうが。呆れた目つきで睨んでやると、カリーナのやつは「ぴゃあ……」と情けない声を上げながら背筋を震わせた。まるでヘビに睨まれたカエルだ。……そこまでビビられるとちょっと傷つくな。いや、ナメられるよりは百倍マシなのだが。

 

「思えば、せっかく同じ屋敷で暮らしているのに、ソニア様とまともにおしゃべりをしたこともないな、と思いまして……」

 

「……」

 

 確かに、わたしはこのウシ娘と私的な会話をしたことはほとんどない。むろん、命令や報告などの任務に必要な会話はするが。しかし、上官と部下の関係などそんなものだろう。特に、カリーナは騎士隊ではなく一般歩兵の訓練部隊に所属している訳だからな。当然、会話する機会などほとんどないのだ。

 

「確かにそれはその通りだが、わたしと貴様はオトモダチではないのだ。なぜわざわざ雑談などする必要があるんだ」

 

「……」

 

 カリーナは露骨に困った顔をした。わたしは無言で、ヤツが被っている兜のバイザーをムリヤリ降ろす。士官たるもの、部下の前で動揺を表に出すような真似をしてはいけない。コイツはまだ見習いだが、それでも士官候補には違いないのだ。

 

「あっ、スイマセン……ええと、それで、ですね……確かに自分とソニア様はオトモダチではありませんが、自分がお兄様の義妹である以上、ソニア様も義姉(あね)のようなものではないかと思いまして」

 

「……ほう」

 

 言われてみれば、一理ある。スオラハティ家を捨てた以上、わたしも将来的にはブロンダンを名乗ることになるわけだからな。確かにコイツはワタシの義妹でもあるわけか。ふむ……。

 妹と聞くと、実家に残してきた二人を思い出す。双子だというのに正反対の性格をした、面白いヤツらだ。もう一年以上顔を合わせていないが、元気をしているだろうか? ……拠点をこのリースベンに移した以上、もう奴らと顔を合わせる機会は一生ないかもしれないな。我が故郷ノール辺境領はガレアの北端、このリースベンからはあまりにも遠すぎる。

 

「ブロンダン家を盛り立てていく上でも、我々が親睦を深めるというのは悪くはない事なのではないかと、その……」

 

「ふーむ」

 

 確かにその通りではある。今では城伯家にまで成り上がったブロンダン家ではあるが、実態は新興の騎士家でしかない。臣下といえばジルベルトのプレヴォ家だけだし、親戚や姻戚もほとんど居ないわけだ。組織としてあまりにも弱すぎる。

 むろんそういう部分はわたしやジルベルトが補佐していくつもりではあるのだが……なるほど、こいつもそれに協力するつもりはあるわけま。まあ、一応カリーナも出身は伯爵家だ。そういう最低限の責任感は持ち合わせているらしい。少しばかり見直したな。

 もっとも、下心はそれなりにあるだろうがな。どう考えても、このウシ娘はアル様を狙っている。しかし、こいつが独力でアル様と結ばれるのは極めて困難だ。そこで、わたしの下につくことでおこぼれを頂こうという考えだろう。

 

「なるほど、その意気や良し。だが、今は任務中だ。そちらに集中するように」

 

「は、はい、ソニア様」

 

 ひどく残念そうな声音でそう言いながら、カリーナは頷く。……バイザーを降ろしても無意味だな。感情がダダ漏れだ。アル様のような立派な士官になるには、まだまだ時間と修業が必要そうに見える。……いや、わたしでさえ、一生かかってもアルさまに追いつける気はしないのだが。

 

「……カルレラ市に戻ったら、ジルベルトと茶会をする予定になっている。貴様も招待してやろう」

 

「えっ、あっ!? ……ありがとうございます!」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶカリーナに、わたしは思わずため息を吐いた。やっぱり駄目だこいつ、誰かがきちんと指導してやらねばならない。……そしてそれは、義姉であるわたしの役割だろう。

 まあ、こいつの言うようにブロンダン家内部の結束は可能な限り強固にしていかねばならない。淫獣……もとい我が母やアデライド宰相をはじめとして、外敵はいくらでもいるわけだからな。最近はエルフの脅威も増している。少しくらいは、コイツに譲歩してやってもいいかもしれない。

 

「……っ!?」

 

 そう考えていた時だった。風切り音と共に、一本の矢が飛来してくる。反射的に防御態勢になったが、その矢は誰にも命中することなく近くに生えていた木の幹へ突き刺さる。二の矢、三の矢が続く様子はなかった。

 

「これは……矢文ですね」

 

 おずおずと突き刺さったままの矢に近づいた騎士が、大きな声でそう言った。どうやら、矢には手紙が結わえ付けられていたようだ。……伝令ではなく矢文とは、なんとも味な真似をする。わたしは眉間にしわを寄せながら、部下に命じてその手紙を持ってこさせた。

 

『村内に不穏な動きあり。警戒されたし』

 

 手紙には、達筆なガレア文字でそう書かれていた。それ以外は、何も書いていない。差出人の名前すらなかった。こんなモノを送り付けてくるような相手と言えば……例のエルフニンジャ? とかいう連中以外に居ないだろう。わたしの眉間の皺は、ますます深くなった。



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第273話 くっころ男騎士と元老院の惨劇テイクツー(1)

『村内に不穏な動きあり。警戒されたし』

 

 まあエルフどもは年がら年中不穏な動きをしてるだろって感じだが、こんな手紙を受け取ってしまった以上は対応しないわけにはいかない。騎士隊はもちろん陸戦隊にも臨戦態勢を取らせ、マイケル・コリンズ号にも出港準備を指示する。

 だが、現状まだ我々は(やる気の全くない二回の襲撃モドキを除いて)何の手出しも受けていないのである。この段階で無差別に戦闘をおっぱじめたり、いきなり尻に帆をかけて撤退、などという真似をするわけにはいかない。いつでも戦えるように準備しつつも、僕たちは再開された会議に出席した。

 

「だいたいなあ、ないが気に入らんってきさんらがリースベンに逃げ込んこっがいっばん気に入らんど。男ん治むっ国に守ってもらうつもりなんか?」

 

「そん通りじゃ! 逆ならまだしもなんでエルフが男に守らるっど! 誇りはどげんした誇りは!」

 

(オイ)らにもリースベンにも手を出したんなお(はん)ら僭称軍じゃろうが! お(はん)らと敵対すっ者同士で手を組んでないが悪かど!」

 

「そも、リースベンに守らるっ気など我々にはさらさらん! 傍若無人な僭称軍ん脅威にさらされたリースベンの民を(オイ)らが守っとじゃ!」

 

 そんな我々の焦燥とは裏腹に、会議の方は相変わらずって感じだ。悪い意味で白熱しているというか、そのうち誰かが剣を抜くんじゃないかという雰囲気。

 しかしまあ、"新"と"正統"の関係は最初から最悪だったわけだしな。まだ直接手を出した者が居ないという時点で、だいぶ頑張ってるよ。……例の矢文に書かれていることが本当なら、もうそろそろその忍耐も限界が来ているみたいだがな。

 

「……」

 

 僕は無言で、ソニアの方を見た。彼女は薄く笑って、微かに頷く。いざという時はお任せを、そういう表情だ。獲物に飛び掛かる直前の猟犬のような雰囲気を出している。そしてそれは、他の護衛騎士たちも同じだった。

 ……エルフもエルフだが、こっちもこっちだな。暴走して勝手に暴れだしたりしないだけ、まだマシだが。話し合うより殴った方が早いと考えてしまうのは、軍人の悪癖だぞ。暴力でなんでも解決するなら、アフリカも中東もとっくに平和になってるんだよ。いやまあ、殴らないとなんともならない状況も、確かにあるんだがね。

 

「はあ……」

 

 密かにため息を吐いて、思考を回す。現状、我々に出来ることは少ない。なにしろ、不穏な動きがあるという一報しか我々のもとには届いていない訳だからな。そもそも、敵がどの勢力なのかすらわからない。これだけの情報でどう対処しろというのだろうか?

 

「胃のあたりがジリジリしてきますね」

 

 僕の隣に座ったフィオレンツァ司教がそう囁いてくる。軍人としてはそれなりにベテランである僕ですら落ち着かない心地なのだから、民間人である彼女の不安感はいかばかりなものだろうか? 大変に申し訳ない心地になって、僕は小さく頭を下げた。

 

「アルベールどんとしては、どげんしよごたっど? 本気で叛徒どもんケツモチをやっつもりなんか?」

 

 口を開こうとしたところで、突然"新"の氏族長に水を向けられる。どうやら、悠長に内輪でおしゃべりをしている暇はないらしい。肩をすくめて、僕はエルフたちに笑いかけた。

 

「再三言っていることだが、我々の目的はエルフェニアの安定化だ。……この地に平和をもたらすためならば、僕たちは"新"も"正統"も関係なく手を差し伸べる。それだけだ」

 

 言ってて何だが、こんな綺麗ごとでエルフどもが納得してくれるはずもないよなあ。まあ、会議に関しては時間稼ぎという面も大きい。男スパイたちによるエルフの有力者に対する取り込み工作は順調に進行中だ。頑固な過激派はともかく、日和見の者たちは近いうちにこちらに転ぶだろう。

 ……この段階で敵対勢力が動き始めたのは、その寝返り工作を警戒してのことかもしれないなあ。エルフたちだって、正面から戦うだけしか脳の無いバカどもではないわけだし。ううーん、ままならないものだなあ。

 

「逆に言えば、我々は断じて戦争に協力する気はないということだ。"新"と組んで君たちと戦うような真似は絶対にしないし、その逆もまた……」

 

「天誅!!」

 

 突然のことだった。元老院内部を警備していたエルフ兵が、何の前触れもなく木剣を抜いてこちらへ突っ込んでくる。僕は反射的に腰に刺したサーベルを引っこ抜いて迎撃しようとしたが、それより早くどこからともなく飛来した手裏剣がエルフ兵の腹に突き刺さる。

 

「グワーッ!」

 

 血を吐いて地面に転がるエルフ兵。どうやら、元老たちの間に紛れていたエルフ忍者が援護してくれたらしい。しかし、凶手は彼女だけではなかった。少なくない数の警備兵が、一斉に木剣を抜きこちらや"正統"の使節団へ襲い掛かる。

 僕はちらりと、議場の隅にいたヴァンカ氏を一瞥する。彼女は憎々しげな表情で、額に手を当てていた。なんだろう、この反応。なんだか違和感があるな。この襲撃は、ヴァンカ氏の指金ではないのだろうか? 気になるが、今はそれどころではない。僕はすぐに彼女から意識を外し、剣を構えながら襲撃者と化したエルフ警備兵を睨みつける。

 

「なるほど、最初から敵の浸透を受けていたわけですか」

 

 ショートソードを抜きながら、ソニアが言う。彼女の愛剣は刃渡り一四〇センチを超える大ぶりな両手剣だ。いくら広いとはいえ、議場内で自在に振り回すのは難しい。そこで、取り回しの良いサブ武器で戦う腹積もりのようだ。

 警備にあたる衛兵や近衛騎士などに暗殺者を紛れ込ませておく手法は、この手の襲撃では定番と言える。とはいえ、敵の数はなかなかに多い。警備兵の大半が敵に回っているのではないだろうか? まったく、厄介な話だ。

 

「なんじゃ貴様人が話をしちょっ最中に! 死んで(けしんで)詫びれ!」

 

「僭称軍め、血迷うたか!」

 

「チェスト!」

 

 そんな有様だから、元老院内はもう大混乱である。……大混乱だが、そこは血の気の多いエルフたち。怯えて逃げ回るものなど一人もいなかった。僕たちと同じく襲撃を受けた"正統"使節団は即座に剣を抜いて迎撃したし、"新"の元老たちの中にも激怒して襲撃者たちに襲い掛かるものがいた。……"新"側で一番キレてるのは、さっき僕に対して質問してきた氏族長だな。

 

「年寄りをたぶらかして我らん国を割ろうとすっ毒夫め! 覚悟!」

 

 当然、僕の方にも新手が突っ込んでくる。『チェストされる前にチェストするんが戦の必勝法ぞ!』前世の剣の師匠の言葉が脳裏に浮かび上がる。僕は即座に剣を構え、エルフ警備兵に飛び掛かった。

 

「キエエエエエエエアアアアアッ!!!!」

 

 ブチ切れ気味に叫んでやると、エルフの凶手は露骨に怯んだ。その隙を逃す僕ではない。一刀両断、エルフ兵は真っ二つになった。まき散らされる血と臓物を見て、エルフたちが感嘆の声を上げた。

 

「こいがガレアん男騎士か!」

 

「素晴らしか手並じゃ、(オイ)らに引けを取らんぼっけもんじゃな」

 

 僕は彼女らを無視して、倒れ伏した凶手を観察した。彼女が持っている武器は、黒曜石の刃のついた真剣だ。先日までのやる気のない襲撃とは違い、今回の襲撃には本気の殺意を感じる。

 

「騎士隊は非戦闘員の保護を最優先だ! 外の陸戦隊にも伝令を出せ、おそらく内部の敵は陽動だぞ! 総員、合戦用意!」

 

 なにはともあれ、襲撃を退けねばならない。この際、エルフたちの眼前で我々の手並みを披露しておこう。どうも、エルフ連中は我々の武力を甘く見ている節があるしな。



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第274話 くっころ男騎士と元老院の惨劇テイクツー(2)

 ニ十分後。元老院の議場は、すっかり混乱のるつぼと化していた(襲撃が起きる前から混乱のるつぼだった説もある)。敵味方が入り乱れ、乱戦の様相を呈している。

 我々と"正統"の使節団は共闘状態だが、"新"の元老にはこちらに味方する者もいれば烈士たちに合流するものもいた。しかし、逃げ出す者が一人もいないというのはさすがである。……ちなみに、エルフ忍者の姿はない。さっきは明らかに忍者からの援護があったんだがな。どこかに隠れているか、あるいは誰かに変装しているか……そのあたりは、不明である。

 

「アル様、リースベン側の非戦闘員の保護が完了いたしました。全員無事です!」

 

「よろしい! いい手際だ」

 

 会議中の襲撃だったから、当然議場内には多くの非戦闘員たちがいた。エルフたちは国民皆兵状態だから放置してもいいが、僕らはそうはいかない。そこでぼくは最優先で非戦闘員を保護するよう命じていたのだが……どうやらうまく行ったらしい。

 まあ、事前に矢文で警告を受けていたわけだしな。しっかりと準備はしていたが……それでも、多少不安はあった。なんとか初動は上手く立ち回れたようなので、心の中でほっと安堵のため息を吐く。

 

「よーし! このまま押し返せ! ガレア騎士の意地を見せる時だぞ!」

 

「我らがアル様のご下命だ! 気張っていくぞーッ! センパーファーイ!」

 

「ウーラァ!!」

 

「グワーッ!」

 

 防御スクラムを組んだ騎士たちが、エルフの凶手を集団で叩きのめす。その姿は、騎士というより暴徒を鎮圧している機動隊員のようだ。むろん襲撃者側もやられるだけではない。騎士隊が構築した槍衾(やりぶすま)……ならぬ剣衾(当然だが、屋内戦闘のため槍を使っている騎士などいない)を巧みにかいくぐり、防御陣を突破してくる者もいる。

 

「やらせはせんよ……ッ!」

 

 だが、そこで登場するのが世界で一番頼りになる僕の副官殿だ。敵エルフ兵に弾丸のような勢いで突っ込んでいき、惚れ惚れするような太刀筋で敵エルフ兵を追い詰めていく。

 エルフ兵も尋常ではない練度の高さだが、ソニアとてガレア王国最強クラスの騎士である。十合ほどの打ち合いを見事に制し、あっという間にエルフ兵を倒して見せた。まさに王者の戦ぶりである。

 

「ソニアが居ると、僕が武勇を示す機会がなくなっちゃうな」

 

 その獅子奮迅の活躍ぶりを見て、僕は思わず笑ってしまう。もちろん、本気ではない。指揮官の仕事はあくまで指揮であり、前線での戦闘は兵士に任せるべきだ。部下を差し置いてチャンバラに参加しちゃうような指揮官は、ハッキリいって士官失格だと思う。

 ただ、なんだかんだ言っても指揮官が前線で活躍していると、部下たちの指揮も上がる。それに、後方でふんぞり返っているだけのヤツに大人しく従ってくれる兵士もあまり多くない。この辺りの塩梅は、本当に難しいんだよな。

 

「切りかかられた時はどうなるかと思いましたが……この様子であれば、なんとか大丈夫そうですね」

 

 僕の後ろで、フィオレンツァ司教が言う。己のすぐ眼前で血しぶきが舞っているような環境だというのに、その声音には怯えの色は無かった。王都の内乱で実戦は経験済みとはいえ、やはり彼女も並みの胆力ではない。

 

「しかしのぅ、あの連中……よりにもよって、会談真っ最中の元老院に討ち入りおった。これは一筋縄ではいかん状況かもしれんぞ」

 

 そんなことを言うのは、ダライヤ氏である。先ほどまで突風や氷柱(つらら)の魔法で前線を援護していた彼女だが、現在は戦闘の大勢が決しつつあるため後ろに下がってきたようだ。

 しかし、こんな狭い場所でよくもまあ攻撃魔法を使えるものだな。普通なら、誤射を恐れて控えるもんなんだが。魔力のコントロールがそうとう上手くなければ、こういう芸当はこなせない。

 

「案の定、ヴァンカ氏は姿をくらませたようだし……」

 

 僕は眉間にしわを寄せながら、周囲を見回す。決して広くはない議場内に、ヴァンカ氏の姿はなかった。まあ、そりゃあイの一番に逃げるよね。初撃を失敗した時点で、奇襲はとん挫したようなもんだし。

 しっかし、こういうシチュエーション……ほんの先日にガレア(ウチ)の王宮でも経験したばかりだな。アレからまだ半年もたってないぞ。何かに呪われてるのかってくらいの頻度だな。

 

「ワ、ワタシのせいじゃないわよぉ? 今回は……」

 

「今なんて?」

 

 フィオレンツァ司教がなにやら呟いていたが、ここは戦場だ。その微かな声は、剣戟の音や兵士たちの怒声にかき消されてしまう。

 

「いえ、何でも……」

 

 なんとも不可解な態度だが、気にしている暇はない。元老院の入り口からびゅおんとカラス鳥人が突入してきて、前線の頭を飛び越えてこちらへ向かってきたからだ。反射的に拳銃のグリップを握ったが、どうやら味方のようである。軽々とした身のこなしで着地した彼女は、ウルに何事かを耳打ちした。

 

「なんじゃと? そんた本当か!」

 

 ウルの顔色が変わる。どうやら、厄介な報告らしい。彼女は駆け足で僕に近寄り、言った。

 

「完全武装ん剣呑な集団が元老院に接近中とんこっじゃ。森ん中ゆえ正確な数はわかりもはんが、かなりん大軍とか……」

 

「ふゥン」

 

 僕はニヤリと笑って、ダライヤ氏の方を見る。

 

「新エルフェニア軍が、あの"烈士殿"たちを鎮圧しに来たのかな? なかなか準備がいいじゃないか、ええ? ダライヤ殿」

 

 もちろん、皮肉である。どう考えたって、そいつらは敵だ。暗殺が失敗したので今度は軍勢を投入する……先の王都反乱と同じだ。つまらない手だよな。現状をひっくり返そうとする連中の考える作戦など、どこも同じようなものなのかもしれない。

 

「……」

 

 嫌味を言われたダライヤ氏は、深々とため息を吐いた。

 

「大変に申し訳ない。どうやら連中、本気でこの新エルフェニアを割る気らしい」

 

「だろうね」

 

 敵勢力は既に元老院内に少なくない兵力を投入している。こうなればもう、引っ込みがつかない。中途半端に終わらせるくらいなら、行きつくところまで行ってしまえ。そう考えて行動するのが自然だろう。

 過激派たちの暴発自体は予想済みだが、計画よりもずいぶんと早く戦端を開いてしまった。ヴァンカ氏と決別したせいかね、やっぱり。もしかしたら、あそこは相手にとって都合のいいことを言ってごまかした方が良い盤面だったかもしれない。……己の手を汚す覚悟が足りなかったか。僕もまだまだだな。

 

「もともとが寄せ集めん愚連隊どもだ、そりゃあ気に入らんこっがあれば謀反くれ起こすじゃろうさ」

 

 ボソリとオルファン氏が嫌味を言う。ダライヤ氏がそれを鉄面皮で受け流すのを見て、僕は小さく笑った。

 

「しかし連中、なかなか判断が早いじゃないか。流石はエルフ、好敵手だな」

 

 これに関しては、皮肉ではない。損切りは早ければ早いほど失うものは少ないんだからな。最終的に我々と戦うと決めたのなら、早いうちから決定的に決別しておいた方が良いのだ。なにしろ、曖昧な状況が続けば続くほど日和見勢力はこちらに取り込まれていくわけだし。

 

「向こう側にも焦りがあったのでしょう。アルベールさんは釣りがお上手な様子ですし」

 

 騎士たちによって守られている非戦闘員連中を一瞥して、フィオレンツァ司教が笑う。その中には、少なくない数の侍男が混ざっている。むろん、大半はアデライド宰相が派遣してくれた男スパイたちだ。女を骨抜きにする手管に長けたこの連中は、僅か一夜で結構な成果を上げていた。……エルフ連中のガードが弱すぎるだけ、という説はあるが。

 しかし、確かに浸透を急ぎ過ぎた感はあるかもしれない。年寄りをたぶらかす毒夫、などと烈士殿は言ってたしな。まあ、彼女の言う事にも一理はある。事実として、僕はエルフ上層部の篭絡を図っていたわけだし。

 

「確かにそうかもしれませんね。……しかし、今はとにかく降りかかる火の粉を払わねば」

 

 周囲を見回して、状況確認。議場内の謀反人どもは善戦しているが、明らかに旗色が悪い。それでもなんとか戦えているのは、彼女らの練度と士気が非常に高いからだ。

 それでも、多勢に無勢である。時間をかければ、十分に殲滅は可能だろうが……今はそんな余裕はない。さっさと元老院から脱出し、外に居る陸戦隊と合流しなければ。

 

「総員傾注! これより敵陣を突破し、外への脱出を図る! 突撃用意!」

 

 僕はサーベルを掲げてそう叫んだ。我が騎士たちは、手慣れた様子で突撃陣形に移行する。

 

「おう突撃か! アルベールどんは指揮ぶりも女々しかじゃらせんか。少しばかり手伝うてやろう」

 

短命種(にせ)やら男やらん背中を指をくわえて見送っような恥さらしはおらんじゃろうな!? 我々も行っど!」

 

驚いたことに、オルファン氏の親衛隊や"新"の元老の皆さままで突撃準備を始めている。流石に予想外だが、有難い。僕は渾身の力を込めて叫んだ。

 

「突撃! 我に続け!」



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第275話 くっころ男騎士と一致団結

 ただでさえ劣勢だった烈士側は、こちら側の一斉突撃により壊滅した。しかし、そこは蛮族エルフである。退けばいいものを死ぬまで戦うものだから、厄介なことこの上なかった。屋内では数の優位が生かしにくい、という点も大きい。

 大変に難儀しつつもなんとか"烈士殿"たちを討ち取り、僕たちはなんとか元老院の外へ出ることことができた。僕は小さく息を吐きながら、周囲を見回す。まだ敵は目視圏内にはいないようだが、エルフの村はなんとも不穏な空気に包まれている。

 

「大婆様、ないやら合戦の音が聞けたが一体なにがあったとじゃ?」

 

若造(にせ)共が武装をして集まっちょっよ、戦が始まっと?」

 

 村民たちが集まってきて、ダライヤ氏を取り囲む。どうやら敵ではなく、事情を知らない一般人のようだ。もっとも、エルフの場合は一般人であってもバリバリに武装している。エルフに関していえば廃兵と既婚者以外全員戦士なんだから、おそろしく剣呑な社会体制である。

 

「ヴァンカの奴がとうとう挙兵しおってのぅ。せっかくリースベンからの食料も届き始めたというのに……」

 

 ダライヤ氏は深い深いため息をついて、額に手を当てた。しょぼくれるロリババアをしり目に、僕は野外で待機していた陸戦隊を呼ぶ。……ちなみに、元老院内での戦闘に陸戦隊を投入しなかったのは、混乱を避けるためだ。閉所にむやみに大軍をつっこませると、却って大被害を受けることになる。

 

「状況を報告してくれ」

 

 やってきた陸戦隊の隊長に、僕はそう聞いた。

 

「こちらの偵察隊が、すでに敵前衛と接触しています。しかし、相手は隊列を組まずてんでバラバラに移動しているため……規模や展開状態などは不明です」

 

「なるほどな」

 

 これが単なる農民兵や市民兵の集まりなら、烏合の衆と判断するところなんだが……相手はエルフだからな。ゲリラ・コマンドの集団だと思って対処したほうがよいだろう。極めて厄介だ。

 

「戦闘は避けらそうにないか」

 

「ええ、確実に無理です」

 

「オーケー、理解した」

 

 森の中でエルフとは戦いたくねえなあ。僕は暗澹(あんたん)たる気分になったが、表情は意識して自信ありげな笑みを張り付ける。長い事指揮官をやってると、演技ばかり上手くなってしまう。

 

「ヴァルヴルガ! 甲冑を持ってきてくれ」

 

「へい兄貴!」

 

 護衛役のソニアたちは完全武装だが、僕に関しては現在礼服姿である。こんな服装では、本格的な戦闘などとてもできない。僕は鎧櫃(よろいびつ)を背負った馴染みの熊獣人を呼び、愛用の魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込むことにした。

 従者たちが集まってきて、僕に甲冑を着せていく。騎士連中が周囲からの視線を遮ろうと人間の壁を作るが、僕は彼女らを止めた。現在は、一分一秒も惜しい状況である。ダライヤ氏らとは、顔を合わせて会話をしたい。

 ……そう思ったのだが、礼服の上着を脱ぎ始めるとエルフたちがワッと盛り上がった。「男騎士の生着替えじゃ!」と興奮している者もいる。全裸になるわけでもないのに、なぜそうも興奮できるのか僕にはよくわからない。

 

 

「ブロンダン殿、オヌシらはこれからどうするつもりじゃ」

 

 こちらをチラチラみながら、ダライヤ氏が聞いてくる。どうやらこのロリババアも、僕の着替えには興味津々のようだ。僕は努めてその視線を気にしないようにしながら、礼服の上着を脱ぐ。エルフの一人が「焦らすな! ばーっと行け!」と叫んでソニアに殴られた。焦らしてねえよ。

 

「どうするもこうするも、こうなったからにはいったんリースベンに戻るしかあるまい。話し合いが出来る環境には見えないからな」

 

「……ほう」

 

「とにかく、内乱が収まるまでは話し合いも食糧支援も中断だ。平和になったら、また連絡してくれ」

 

 百年も内乱を続けてきた連中である。平和になるのに、いったい何十年かかるだろうか? もちろん、僕のこの発言は揺さぶりだ。あの烈士どもは僕たちリースベンをも目の仇にしているようだからな。放置はできない。ウチの領民に手を出し始める前に、叩き潰しておく必要があった。

 

「ちょうどよか。アルベールどん、我々もお供させてほしか。"正統"ん本隊を、こん村ん近うで待機させちょっ。あん連中を撃退すっくれならば、十分に可能な戦力じゃ」

 

 赤面しながら視線を逸らしつつ、オルファン氏が言う。ドスケベロリババアなダライヤ氏と違って、こちらはなかなかにウブな様子である。しかしその発言は、なかなかショッキングなものだった。

 

「……エッ!?」

 

 ルンガ市の付近に、"正統"の本隊が居る? オイオイ、オイオイオイオイ、この蛮族皇女、ドサクサに紛れてなんてことしてんの!? 場合によっては奇襲の準備と取られても仕方のないヤツじゃん……。

 ……いや、マジで奇襲の準備をしてたのかもしれんな。多少体力のある"新"と違い、"正統"にはもはや後がない。この会談が決裂したら、もう彼女らは破滅一直線だ。劣った戦力で少しでも優位に立つには、奇襲を仕掛ける他ないわけだし……。

 

只人(ヒューム)などん戦えん者たちせそちらん船に乗せてもれれば、すぐに(いっき)戦闘可能なごつ準備してあっ。護衛は任せい」

 

 わあ、非戦闘員まで連れて来てやがる。つまり、この交渉の結果いかんに関わらず、"正統"はリースベンに押しかけてくるつもりだったのか……。いやまあ、彼女らは食料状況がギリギリすぎるから、仕方ないか。ボヤボヤしてたら、戦わずともそのまま餓死しちゃうもんな。僕だってオルファン氏の立場だったら同じように差配していることだろう。

 まあ、何にせよ護衛戦力は欲しい。なにしろ、カルレラ市に戻るにはエルフェン河を遡上しなくてはならないのだ。帆と(オール)だけで川の流れに逆らい続けるのはなかなか難しいものがある。そのため、人力で(馬があればそちらの方が良いのだが、残念ながら馬は一頭もルンガ市には連れて来ていない)けん引してやる必要があった。人手はいくらあっても足りないくらいだ。

 

「……わかった。よろしく頼む」

 

 そう応えながら鎧下(ギャンベゾン)(甲冑の下に着込む羊毛製のジャケット)を着ると、見物人がブーイングを上げた。公開ストリップショーやってるんじゃないよこっちは。文句を言うな。

 

「ああ、任せちょけ」

 

 オルファン氏は、そういってにっこり笑う。……生き残りのためとはいえ、この人もなかなかチャッカリしている。とはいえ、"新"と違って"正統"はずっとこちらに友好的な姿勢を示し続けているからな。見捨てるのも忍びない。それに、彼女らを抱えても損ばかり、という訳でもないし。

 問題は、この状況で取り残されるダライヤ氏である。さて、いったいどういう反応をするだろうか? そう思って彼女をうかがうと、薄く笑って肩をすくめた。

 

「……まあまあ、そう話を急くでない。今は、あの連中を撃退するのが最優先じゃ。オヌシらも、撤退中に背後を脅かされるのは面白くなかろ? 申し訳ないが、協力してもらえると有難いのじゃが」

 

「なるほどな。よかろう」

 

 何にせよ、もう一戦するのは避けられないのである。ここはリースベン軍、"新"、"正統"の三軍合同で対処することにしようか。本当ならゴネてあれこれ譲歩を押し付けたいところだが、すぐ間近まで敵が迫っている状態ではその余裕もない。僕は即座に頷いた。

 

「そげんこっなら、(オイ)はアルベールどんの指揮下で戦わせてもらっど。あん荒々しか頭領ぶり、なかなか気に入りもした!」

 

 こちら側についてくれた元老の一人がそう言って木剣を掲げる。……エッ!?

 

「おう、(オイ)もじゃ!」

 

「ダレヤどんの指揮は雄々しゅうて好かん。ワシもアルベールどんの下に付こう」

 

 "新"の元老たちが、次々にそんな主張をする。見捨てられた形のダライヤ氏はしかし、にっこりと笑って頷いた。

 

「おうおう、好きにせい」

 

 肯定すんなや! もしかしてだけどダライヤ氏、なんか仕込んでない? いくらなんでも、これはおかしい。なんでよそ者の僕が"新"の連中……それも元老なんて上層部の連中が、自主的に僕の指揮下に入るなんてありえないことだ。なにしろ、エルフの反骨っぷりは尋常なものじゃないしな。…そう思ったのだが。

 

「男を守っために戦うとが、エルフん華じゃ。万が一にも無様な戦いぶりを晒すわけにはいかん。なあ!」

 

「おう、そん通りじゃ。お前(わい)たち、安心してよかど。こん(オイ)が守ってやっでな!」

 

 こちらの男性使用人たちをチラチラ見ながらそんなことを言うものだから、彼女らの思惑は理解できてしまった。要するに、男の前でいい格好を見せたいのである。これで僕が女なら、話がこじれたのかもしれないが……彼らと同じ男である僕に、公然と否を突き付けると、口説く際に支障をきたすと判断したのだろう。下半身でモノを考えてやがる、こいつら……。

 まあ何にせよ、指揮権の統合は重要だ。僕は胴鎧を着こんみつつ、ニヤリと笑って見せた。

 

「よし、そこまで言うなら頼りにさせてもらおう。エルフの武勇を存分に見せてくれ!」

 

「任せちょけ!」

 

 剣を掲げて叫ぶエルフ元老たちを見て、ダライヤ氏がほくそ笑んでいる。……やっぱりアンタ、なんか仕込んでるよね? そう思ってフィオレンツァ司教の方を見ると、彼女は厳かに頷いた。

 

「やはり、一筋縄でいく相手ではございませんね。彼女のことは、わたくしにお任せを」

 

「……申し訳ありません、お願いします」

 

 近寄ってきてそう囁きかけるフィオレンツァ司教に、僕は頷くことしかできなかった。相手は百戦錬磨のロリババアだ。僕のような軍事バカでは、彼女のような手練れに対抗するのは難しいだろう。ここは、対人関係の専門家に任せるべきだろう。

 ……まあそっれはさておき、今はドンパチに集中すべきだ。従者の手を借りてあっという間に甲冑を着込み終わった僕は、サーベルを天に掲げて叫ぶ。

 

「よし、では戦闘準備! 賊軍を迎撃するぞ!」



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第276話 くっころ男騎士と共同戦線(1)

 「戦闘準備!」などと命じた僕であるが、実際のところ村内で戦うのは気が引けていた。なにしろこのルンガ市は都市とは名ばかりのほぼ森であり、まったく見通しが効かない。おまけに敵は、この集落にもともと住んでいた連中なのだ。

 僕の主戦力である陸戦隊は騎兵銃を装備したライフル兵部隊だ。中距離戦ではエルフ自慢の妖精弓(エルヴンボウ)相手でも撃ち負けはしないが、接近戦は不利である。できれば、広い場所におびき寄せたいところだ。

 

「まずは連中の鼻っ柱を叩き折る。一番槍をやりたい奴はいるか?」

 

 が、そんな非積極的なことを言っていたら、エルフ連中は間違いなく僕に失望する。熟練のエルフ兵は前進しか知らない猪武者では決してないが、積極的な戦術を好むことは間違いないのである。せっかく少なくない数のエルフが僕に従ってくれているのだから、彼女らの支持は失いたくない。

 

「おうワシに任せちょけ! レイん所ん氏族は、いつもワシを年寄りだ年寄りじゃとナメちょったでな。ここらで一発立場ってもんをわからせてやっ」

 

「いやいや、ここは北エルフェニアいちん弓取りち呼ばれた(オイ)ん出番じゃ」

 

「おいおいおい、ワシを忘れてもろうては困っど。五百年も生きちょらん若造どもは引っ込んでおれ」

 

 案の定、僕の提案にエルフの元老たちが次々と立候補した。内戦とは思えぬ積極性である。伊達に百年も身内同士で殺し合ってるわけじゃないな。ほんの今朝まで同じ釜の飯を食ってた連中が相手だってのに、ギラギラした戦意を見せている。

 ちなみに、僕の方についた元老は長老連中が多いようだ。逆に、烈士たちに共鳴したのは若い氏族長たちが中心のようだ。ある意味、分かりやすい構図だな。……長老たちが僕に協力しているのは、おそらく食料と色仕掛け要員の侍男たちに釣られてのことと思われる。とんだエロババア集団だ。

 

「よし、ではロッカ長老、ヤガ長老! 任せたぞ。……ウル、偵察と伝令要員として、鳥人を何人かつけてやってくれ」

 

「承知いたしもした」

 

 テキパキと支持を出していく。選ばれなかった立候補者たちはブーイングを上げたが「次の機会はいくらでもある!」と言って黙らせる。逆に、選ばれた二人は意気揚々と部下を引きつれ前進していった。もちろん、騎士連中に護衛されている男どもに一瞥をくれることも忘れない。……エロババアどもめ!

 元老たちは、各々少なくない数の部下を抱えている。戦闘時は、この集団がそのまま部隊として機能するわけだ。なんともエルフらしい、実戦的なやり方である。先ほど送り出した二名の長老は、それぞれ二十名程度の部下を持っていた。つまり、総戦力四十命。威力偵察部隊としては十分な数だろう。

 

「ソニア、ダライヤ殿、オルファン殿。今のうちに作戦を確認しておく」

 

 今送り出した連中は、時間稼ぎ兼威力偵察だ。現状、敵の戦力すらよくわかっていないわけだからな。とにかく情報収集が最優先である。

 とはいえ、大まかな作戦に関しては既に立ててある。僕は幹部級の者たちを呼んでから、ポーチから一枚の紙を取り出した。昨日のうちにコッソリ作成した、この村の簡易的な地図だ。もちろんしっかりとした測量をして作ったわけではないので、縮尺などは適当だが……こればかりは仕方が無い。とにかく時間がなかったわけだし。

 

「相手の戦力次第だが、最終的な決戦はエルフェン河の河原で行いたい。当面、我々は遅滞戦闘を行いつつ河原まで後退する」

 

 このリースベン半島を縦断する大河であるエルフェン河の岸には、かなり大きな河原が広がっている。ここでなら、陸戦隊たちも普通の平原と変わらない感覚で戦闘を行うことが可能だ。

 

「なるほど、マイケル・コリンズ号の火力支援を受けるわけですね」

 

 長年僕の副官をやっているだけあって、ソニアは話が早い。僕は従者から受け取った兜を被ってから、コクリと頷いた。先日の戦闘で使用不能になってしまったマイケル・コリンズ号の主砲だが、技官たちの活躍でなんとか復旧に成功している。火力支援はバッチリ可能だ。

 

「そうだ。大砲一門でも、あるとないとでは大違いだからな。……それに、奥の手もあるし」

 

 我々が乗ってきた船、マイケル・コリンズ号はもともと二門の五七ミリ速射砲を搭載する予定だった。しかし現在艦尾側の砲座には五七ミリ砲ではなくとある"秘密兵器"を載せている。万が一の事態に備えて用意した武器ではあるが、おそらく今がその"万が一"にあたる状況だろう。うまく活用したいところだな。

 

「とはいえ、尻尾を巻いて河原まで撤退するのは難しい。相手は隊列を組んで整然と進軍しているわけではないようだからな。浸透戦術を使ってくる可能性が高い。移動中に側面をつかれたら、目も当てられない」

 

 浸透戦術というのは、小部隊を用いて相手の構築した前線を密かにすり抜けて突破する戦法のことだ。エルフたちの戦い方を見るに、この手の戦術は十八番と言っても過言ではないだろう。

 

「とはいえ、森の中での戦闘はエルフ頼りにならざるを得ない。二人とも、問題はないか?」

 

 ダライヤ氏とオルファン氏に聞く。もちろん我々の部隊も森林戦の訓練はしているが、エルフと真正面から戦えるだけの練度は無い。森はエルフの独壇場だ。

 森林戦訓練といえば……教官役の狐狩人、レナエルがたぶん陸戦隊に参加したままになってるな。彼女は正規の軍人ではなくあくまで軍属だから、本格的に戦闘が始まるまえに引っ込めておかねば。

 

「無論じゃ。リースベンの世話になっ以上、それなりん働きは見せっとも。ごく(イモ)潰しになっ気はなか」

 

 頷くオルファン氏。もうすっかり、リースベンの傘下に収まる気でいるようだ。ほとんど押し売り状態だな……というか、イモ潰しってそれたんなるマッシュポテトじゃないか?

 

「うむ、うむ。もとよりこの件はワシらの身から出た錆びじゃ。本当ならば、ワシが主導して事を収めねばならんのじゃが……まことに申し訳ない。出来る限りは、協力するゆえな。許してほしいのじゃ」

 

 一方、ダライヤ氏はしょぼくれた様子である。男に釣られてとはいえ、なぜか部下の元老たちが自分ではなく僕に従っているような状況なのだから、それも仕方のないことかもしれない。

 いやほんとおかしな状況だよ、まったく。本来仲介役でしかない僕がなぜ総指揮を取ってるんだろうか。確かに、敵対している"新"と"正統"が協力して戦うには、中立的な人間がそれぞれに指示を出す方式の方が自然ではあるのだが……。

 というか、流れで始まった戦闘だというのに、驚くほどスムーズに指揮系統の構築が出来たな。それが一番おどろきだよ。内輪もめはエルフのお家芸だから、だいぶ難儀するんじゃないかと思ってたんだが。エルフの即断即決主義が上手い方向に作用した結果だろうか。

 

「よし、それは助かる。……みんな、もう戦闘準備は終わってるみたいだな」

 

 ちらりと広場を見渡しながら、僕は言う。エルフ軍は各々の元老が部下にあれこれ指示を出し、いつの間にかいつでも戦闘可能な状態になっている。驚異的なまでの手際の良さだ。本当に戦だけは滅茶苦茶得意な連中だ……。

 

「"新"には攻撃正面を、"正統"には川港までの退路の確保をお願いする。最優先目標は、非戦闘員のマイケル・コリンズ号への退避だ。オーケイ?」

 

「了解」

 

「うむ、オーケイじゃ」

 

「よし」

 

 僕がうなずくのとほぼ同時に、軽やかな羽音が接近してくる。上を見上げると、木々をすり抜けながら飛ぶスズメ鳥人の姿があった。彼女は素早く僕の前に着地し、報告する。

 

「アルどん。ロッカ殿が敵と遭遇してんさー。数は三十くれ? ほとんど若造衆らしいよー」

 

 ぽわぽわした口調でそんなことを言うスズメ鳥人に、僕は眉を跳ね上げる。もう敵と遭遇か、早いな。言われてみれば、遠くの方から合戦の音が聞こえるような気もする。

 

「作戦は今伝えたとおりだ。ある程度は自主判断で動いていいが、報告は欠かさないように。以上!」

 

 まあ、所詮は寄せ集め舞台である。あれこれ統制しようとしても無理がある。エルフたちのことはエルフに任せ、僕は陸戦隊と騎士隊にあれこれ指示を出し始めた。



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第277話 くっころ男騎士と共同戦線(2)

 烈士どもの行動は極めて迅速だった。前衛部隊が敵と接触して十分がたった頃には、本隊も攻撃を受け始める。エルフの戦いぶりは非常にトリッキーで、木々の幹をすり抜けるようにして妖精弓(エルヴンボウ)による狙撃を仕掛けて来たり、木の枝を伝って真上から奇襲を仕掛けてきたりするのである。びっくりするほど厄介な敵だった。

 

「チェスト妖精弓(エルヴンボウ)!!」

 

「撃て撃て撃て! 射撃はこちらのお家芸だぞ、エルフどもに後れを取るな!」

 

 それを迎撃するのが、親リースベン派の元老たちとこちらの陸戦隊の混成部隊である。妖精弓(エルヴンボウ)と騎兵銃を駆使して弾幕を張り、敵部隊の接近を阻もうとする。

 水上戦では船酔いのため醜態を晒した陸戦隊だったが、ここは陸の上だ。戦闘力は十全に発揮できる。むしろ、前回の汚名を返上しようと奮起している様子だった。見事なライフル捌きで、すでに複数の敵エルフ兵を射殺している。通常の歩兵銃よりも幾分か銃身の短い騎兵銃は取り回しが良く、森の中でもある程度戦うことはできた。

 

「よそ者どもが、パンパンと小せからしか武器を使いおって!」

 

 しかし、相手は精強で知られるエルフ兵。射撃だけで殲滅できるほど甘い相手ではない。弓で牽制しつつ、巧みに木々を盾として利用し肉薄してくる。

 

「チィィィエストォォォォッ!」

 

 猛犬めいた咆哮と共に突っ込んでくる絶世の美少女集団。陸戦隊の装備する騎兵銃は一般的な先込め式ライフルだから、近接戦には弱い。すでに銃剣は着剣させてあるが、白兵戦のレンジに入られるのはマズイだろう。僕は即座に命令を下した。

 

「ショットガン兵! 前へ!」

 

 号令に従い、ライフル兵と入れ替わりでショットガンを持った兵士が前に出る。ショットガン。そう、ショットガンである。散弾を発射するアレだ。森林ではライフルの持ち味を生かせないことは分かっていたからな。こんなこともあろうかと、事前にカルレラ市で発足したばかりの鉄砲鍛冶ギルドに急遽大量発注しておいたのだ。

 もっとも、急造品ゆえ性能のほうはお察しで、実態としては単なる大口径短銃身のマスケット銃だ。一発しか装填できないし、装填も銃口から行う方式である。しかしそんな代物でも、威力だけは本物だ。強固な甲冑を着込まないエルフ兵が相手なら、掠るだけでもかなりのダメージを与えることができる。

 

「グワーッ!」

 

 散弾をモロに喰らって、エルフ兵の一人が全身から血しぶきを上げつつ倒れ伏す。目を背けたくなるような凄惨な光景だ。しかし、この程度の惨劇では士気が下がらないのがエルフという連中である。

 

「お美事な散りざまにごわす!」

 

(オイ)らも続っど! 吶喊(とっかん)!」

 

 ……士気が下がらないどころか上がってやがる。もう嫌だこいつら。そう思いつつも、僕はちらりと陸戦隊の方をみた。彼女らは、慌てた様子で銃剣を用いた槍衾(やりぶすま)を作ろうとしている。確かに、槍衾は敵の接近を許した際に取る一般的な戦法だが……今は良くないな。

 

「ライフル兵は射撃を継続! 接近してきた連中はオーサ隊、ベル隊、ハリファ隊が対処せよ!」

 

 僕が呼んだのは、"新"の元老たちに率いられた部隊である。敵部隊は大半がエルフの若者たちで構成されているようだが、それでもその練度はリースベン軍の一般的な歩兵を遥かに上回っている。こんな連中と白兵戦などご免だ。エルフにはエルフをぶつけるべし。

 

「おう! 任せちょけ!」

 

 会議の時はまったくこ憎たらしい相手だったエルフ元老たちだが、いざ戦いとなると大変に頼りになる連中へと変貌した。彼女らは木剣を抜き、意気揚々と敵に突撃していく。

 

「エルフの勇戦、見せてもらおうか!」

 

 ニヤリと笑って、彼女らにそう言ってやる。要するに、格好いいトコ見せてね、という意味だ。エルフどもは剣を掲げて「オオーッ!」とウォークライを上げた。……なんだか、姫プでもしている気分になるな、これは。

 

「アルベールどん」

 

 そんなことを考えているとカラス鳥人の伝令が飛んできて、僕の隣に降り立った。今回の作戦では、鳥人たちが全面的に協力してくれている。森林戦ゆえ航空偵察はあまり機能していないが、伝令役としての役割だけでもかなり役に立ってくれていた。早馬よりもはるかに早く情報伝達ができるのだから、有難いことこの上ない。

 

「叛徒ども……失礼。"正統"ん連中が敵と接触し、現在応戦中とんこっじゃ」

 

「了解。危なそうなら増援を回すと伝えてくれ」

 

「承知しもした」

 

 頷いたカラス鳥人はそのまま飛び去って行く。僕はルンガ市の地図を取り出し、状況を確認した。現在、"正統"の部隊は非戦闘員たちを連れて、マイケル・コリンズ号の停泊する川港に向けて退避中だ。僕たちはその撤退を支援するため、村の広場で敵を迎撃しているわけだが……。

 

「平気で後方にも敵が出てくるか。厄介だな」

 

 周囲に聞こえないよう気を使いながら、そう呟く。これが王都あたりの平坦な地形なら、敵別動隊が退避部隊と接触する前に迎撃することができるのだが……やはり、全土が森におおわれたリースベンでは対応が後手に回ってしまう。厄介だな。

 こういう地形では、使い勝手の良い航空戦力である鳥人たちの能力も活かしにくい。というか、鳥人たちの偵察能力に対抗するため、わざわざ集落を森で覆い隠すような真似をしてるんだろう。エルフェニア内戦がここまで救いがたい状況になってしまった原因の一部は、鳥人たちにもあるかもしれない。

 

「いまだに敵正面の戦力も把握できていませんし、いっそ思い切って戦線を下げた方が良いやもしれませんね」

 

 僕の手元の地図を覗き込みつつ、ソニアが言う。彼女の言うように、いまだに敵の総数はよくわかっていなかった。少なくとも、数十人程度の数ではないのは確かなのだが……。

 

「そうだな、案外後ろの敵の方が本隊という可能性もある。いざというときにすぐ援護が出来る距離感を保っておいたほうが良いだろう」

 

 現地点から川港までの距離は大したものではないが、戦闘中はその僅かな距離ですら致命的なものになる場合がある。非戦闘員の保護を考えれば、部隊を分散するのは致し方のない話だが……離れ過ぎもまた良くないのである。

 

「しかし、ただ退くのも面白くない」

 

 ニヤリと笑って、僕は近くに居たダライヤ氏の肩を叩いた。

 

「連中に一発、イイのを喰らわせてやる。ダライヤ殿、腕自慢の精鋭連中を率いて、いったん後ろに下がって貰ってもいいかな?」

 

「ほう、何やら面白いことを考えているようじゃな。良かろう、ワシに任せるのじゃ」

 

 ダライヤ氏は、思った以上にアッサリと快諾してくれた。その表情は、何かから解放されたかのように晴れやかだった。



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第278話 くっころ男騎士と共同戦線(3)

 僕は、本隊から二つの部隊を分離した。一つはダライヤ氏とその手勢、ダライヤ支隊。そして騎士隊をそのまま流用したジョゼット支隊だ。この二つの支隊はいったん後方に下げ、"正統"軍の支援に当たらせることにした。残った主力部隊は、長老たちとその手勢、そして我々の陸戦隊という布陣だ。

 主力正面から少なくない数の戦力が引き抜かれたため、当然敵に対する圧力は露骨に低下した。もちろん、敵はこの隙を逃さない。これ幸いとばかりに、強烈な攻勢を仕掛けてくる。

 

「チェストリースベン!」

 

 烈士エルフ兵が、獣のように叫びながら突っ込んでくる。まさに猪突猛進というほかない、荒々しい突撃だ。僕は即座に腰のホルスターからリボルバーを引き抜き、即座に発砲する。乾いた銃声が二連続で響き渡り、烈士エルフ兵は倒れ伏した。

 

「ないのこれしき!」

 

 しかし、一人倒れたくらいではエルフ兵の士気は萎えない。怯んだ様子もなく、別のエルフ兵が突っ込んでくる。大上段に構えた木剣の黒曜石が、木漏れ日を浴びてギラリと輝いた。

 

「キエエエエエエエッ!!」

 

 拳銃から手を離しつつ、僕は渾身の叫びを上げた。そしてサーベルの柄を引っ掴み、抜刀。相手の白刃……ならぬ黒刃が己に届くよりも早く、エルフ兵の肉体を二枚下ろしにした。

 

「なんと早か抜刀や!」

 

「まるで稲妻にごつ!」

 

 近くに居た長老派エルフ兵が感嘆の声を上げる。兜の下で僕は破顔したが、彼女らに応えるより早く長老が木剣を振り上げながら叫んだ。

 

「お(はん)ら! 目ん前で男が襲われちょっど! 口を動かす前に体を動かさんか!」

 

「お、押忍!」

 

 上司に叱咤され、長老派兵たちは慌ててこちらへ向かってくる烈士たちへ矢を浴びせかけた。エルフたちの使う妖精弓は種別としては短弓にカテゴライズされるがかなりの強弓で、その威力は長弓に引けを取らない。一度の斉射で複数のエルフ兵が倒れ伏した。

 

「エルフどもに後れを取るな! 吶喊!」

 

「ウオオオオッ! センパーファーイ!」

 

 妖精弓の一斉射撃で出鼻をくじかれた烈士隊に向け、銃剣付きの騎兵銃を構えた陸戦隊員たちが突撃を敢行する。射撃と突撃の見事なコンビネーションだ。流石のエルフ兵もこれには対応しきれず、少なくない数の兵士が鋭い銃剣に身体を刺し貫かれて絶命した。

 だが、エルフたちはそれだけで殲滅できるほど甘い相手ではない。あっという間に態勢を立て直し、逆に陸戦隊員たちを攻めたて始めた。銃剣の刺突を巧みに回避しつつ、隙を見て木剣で切りかかる。敵ながら見事な手前だ。

 着剣したライフルはちょっとした短槍くらいのリーチがあるため、相手の得物が剣ならばそれなりに有利に立ち回れるのだが……敵は精強なエルフ兵だからな、練度の差はいかんともしがたい。正面からの白兵戦では、やはり不利なようである。

 

「おう、おう。短命種どももなかなかやるじゃないか(やっじゃらせんか)

 

「お(はん)らも立派なぼっけもんじゃ。ナメたこと許せ!」

 

 嬉しそうな声でそんなことを言いながら、木剣を構えた長老派兵が陸戦隊の援護に入る。正直、かなりありがたい。エルフ兵に対抗できるのはエルフ兵だけ。そういう感想を覚えずにはいられなかった。連中の練度は本当にヤバい。

 長老派兵は、勇壮な雄たけび(雌たけび?)を上げながら、リースベン兵を守るように剣を振るい始めた。このような光景は、先ほどから何度も目撃していた。どうもエルフどもは、男や短命種たちよりも後に死ぬのは恥だという価値観があるらしい。そのおかげで、初めての共同作戦とは思えないほどスムーズに戦えている。

 

「第三小隊! そこはエルフたちに任せていったん退け!」

 

 一度放り捨ててしまった拳銃を落下防止紐(ランヤード)を手繰り寄せて回収しつつ、僕はそう命令した。白兵では圧倒的に不利なのだから、銃剣突撃はできるだけ控えてほしいというのが正直なところだった。

 とはいえ、彼女らの無茶な突撃は僕を援護するために行われたものだ。その点に関しては、キチンと感謝せねばならない。褒める、礼を言う。これを欠かすような指揮官に、部下たちはついてきてくれないのだ。

 僕は泡を食った様子で撤退してくる陸戦隊員たちの肩を荒々しく叩き「いい働きだった! お前たちのような部下を持てて僕は幸せ者だ」などと声をかける。そしてついでのような口調で、「いったん後ろに下がって銃を再装填してくれ」と命じるのである。

 

「了解!」

 

 リースベン兵たちは誇らしげに笑いながら、後方へと下がっていった。どうやら、僕の目論見は上手く行ったようだ。問答無用で「前線はエルフたちに任せてお前らは下がれ!」などと命じては相手のメンツを潰すことになるから、言い方には気を付けなくてはならない。ちょっと面倒だが、このあたりを気にするか否かで部下からの評判が段違いに変わってくるからな。気を遣うに越したことはないだろう。

 

「おんれ毒夫が! 死ね(けしめ)ぃ!」

 

 そんなことを叫びながら、樹上からエルフ兵が奇襲を仕掛けてくる。連中はサル並みに木登りが上手く、たびたび木を利用した攻撃を仕掛けてくるのである。厄介なことこの上ない。

 

「死ぬのは貴様だッ!」

 

 僕が迎撃に移るより早く、ソニアが吠えつつ剣を振るう。彼女自慢の両手剣の一撃を受けたエルフ兵は、着地するより早く真っ二つになった。まき散らされた血や臓物が周囲の木々を汚す。うーん、スプラッタ。

 

「今じゃ、矢を放て!」

 

 だが、樹上攻撃はそれで終わりではなかった。いつの間にか近くの大木の枝に鈴生りになっていたエルフ兵たちが、一斉に矢を射かけてきたのだ。すでに回避が間に合うタイミングではない。僕は被弾面積を最小限に抑えるため半身の姿勢をとりつつ、サーベルで矢を迎え撃とうとする。

 

「やらせんっ!」

 

 そこへ長老の一人が飛び出してきて、歌うような調子で呪文を詠唱した。突風の魔法が発動し、矢の雨を吹き散してしまう。結局、一本の矢も僕に届くことはなかった。

 

「打ち返せ!」

 

 そう命じつつ、僕も樹上のエルフ弓兵たちに向けて拳銃を発砲した。一瞬遅れてライフルの発砲音が重なり、枝に乗ったエルフ兵たちがバタバタと落下していく。

 

「お(はん)も下がれ! 男が前に立っちょっと、ハラハラして戦いにくかど!」

 

 窮地を救ってくれた長老が、怒り狂った表情でそんなことを言う。本当に僕を心配してくれている様子だ。

 

「しかし……」

 

 見通しの悪い森の中では、指揮官先頭は避けられない。そう言い返そうとした僕だったが、長老は問答無用で僕の腕を掴んで後方へと引っ張って行ってしまった。視線でソニアに助けを求めるが、彼女は澄ました表情でそれを無視してしまった。どうやら、ソニアも長老と同じ考えのようだ。

 結局、僕は村のはずれに生えた巨樹の根元まで引っ張り込まれてしまった。現在戦場になっている地点からは、やや離れた場所だ。確かに、ここならば安全だろう。

 

「お(はん)、ないごて主力から兵士(へご)を引き抜いて後ろへ下げた? 叛徒どもは、男たちを守り切れんほど苦戦しちょっとか?」

 

 僕の腕を離してから、長老はそう聞いてきた。その表情はひどく厳しいもので、肯定すれば即座に"正統"軍を援護するため飛び出していきそうな雰囲気がある。

 

「心配かね? 非戦闘員が」

 

「そりゃそうじゃ。あん中には、少なからず男がおっど! あん若造(にせ)どもに捕まったや、一体どげん目にあわさるっか……」

 

 鬼気迫る様子で、長老はそう熱弁した。どうも、撤退中の男たちを本気で心配しているらしい。エルフと言えば男を略奪していく連中という印象が強いが、彼女のように本気で男を守ろうという者もいる。僕は少しうれしい気分になった。

 

「いや、大丈夫だ。後方の敵は陽動目的の小部隊らしい。今のところ苦戦している様子はない」

 

「やったら下げた連中を今すぐ呼び戻せ! ワシらだけならないとでもなっどん、リースベン勢はそうでは無か。アルベールどん、お(はん)さっきから集中攻撃を受けちょっじゃらせんか」

 

 僕の肩をバシバシと叩きつつ、長老は言う。彼女の言うように、確かに僕はあからさまな集中攻撃を受けていた。どうやら、烈士どもは僕を目の仇にしているらしい。……ちょっと、国内にスパイをばらまいて有力者を篭絡しようとしただけなのになあ。……そりゃ目の仇にされて当然だわ。

 

「僕は餌だ。食いついてもらわなきゃ困るよ」

 

 まあしかし、そんなことは僕だってよく理解している。逆に言えば、だからこそオトリとして有用だということだ。兜のバイザーを上げて笑いかけてやると、長老派「……ほう?」と口角を上げた。

 

「こっちの圧力が低下したので、向こうはガンガン攻め込んでくる。こちらとしては、戦線を維持するために後退せざるを得ない……」

 

「じゃろうな。で?」

 

「敵が「ようし、とどめの一撃だ!」と一気呵成に突撃してきたときがねらい目だ。その瞬間、左右に配置しておいた予備部隊を投入し……バン、というわけ」

 

 拍手をするように、僕は手を叩いて見せた。撤退すると見せかけて敵の突出を狙い、挟み撃ちを狙う。いわゆる釣り野伏に近い作戦だ。同時に、敵主力の包囲を担う左右の別動隊は後方の戦線で何かあった時の予備戦力としても機能する。一石二鳥の部隊配置だった。

 そもそも、今のような森林戦では部隊を固めて運用しても大戦力の優位性は生かしづらいからな。小部隊に分散し、相互に支援しつつ有機的に行動する、そういう戦い方をするべきだろう。いわゆる委任戦術だ。

 

「そげん……算段じゃったか」

 

 心配そうな表情から一転、長老は花が咲いたように破顔した。そのまま、僕の肩をバシバシと叩く。

 

「なかなか女々しか作戦じゃ。ワシが(おのこ)じゃったら、お(はん)に惚れちょっかもしれんな。ワッハハハ!」

 

 心底愉快そうに笑いつつ、長老は手をひらひら振りながら去っていく。……女でも惚れてもいいのよ!



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第279話 くっころ男騎士と共同戦線(4)

 後退しつつ戦闘を続行する、これはなかなかの難事だ。一歩間違えば、あっという間に本当の潰走へと発展してしまう。それでも、リースベン軍陸戦隊と長老派エルフ兵の合同部隊は粘り強く戦った。

 一方の部隊が制圧射撃を仕掛け、そのうちのもう一方の部隊が機動する。これを交互に繰り返すことで、被害を最低限に抑えつつ後退していくわけだ。典型的な"射撃と移動(ファイア&ムーブメント)"戦法である。撃って、動いて、撃って、動いて……ただ愚直にそれを繰り返すこと半時間、僕たちはなんとか川港近くの森の中まで後退することに成功していた。

 

「弾幕を切らすな! 敵を制圧し続けろ!」

 

 負傷兵を木陰に引きずりこみながら、僕はそう叫んだ。甲冑を着込んでいるわけではないとはいえ、フル装備の兵士一人はかなりの大荷物だ。後装式ライフルを撃ちまくるソニアの援護を受けつつ、なんとか安全な場所まで退避する。

 整然と戦えているとはいっても、被害をゼロにするのは不可能だ。敵の烈士どもは思ってもみないような場所から変幻自在の攻撃を仕掛けてくる。長老たちは彼女らを若造(にせ)だの何だのと言って馬鹿にするが、難敵であることには間違いなかった。

 乾いた銃声が連続して響き、妖精弓(エルヴンボウ)を乱射していたエルフ兵たちが倒れた。銃と違い、弓は射撃姿勢が限定される。物陰に隠れながら射撃するような芸当は、なかなか難しいのである。発射速度に随分と差がある短弓と先込め銃だが、この特性の差によりカタログスペックほど派手に銃側が撃ち負けるようなことは少なかった。

 

「おい、おい! 気をしっかり持てよ。そんなもんカスリ傷だからな、ツバ付けて寝てりゃ治る。諦めるんじゃないぞ」

 

 青ざめた負傷兵の顔をペチペチと叩きつつ、僕はそう叫ぶ。ハイエナ獣人のその兵士の肩には、妖精弓(エルヴンボウ)特有の太短い矢が突き刺さっていた。

 

「アイテテテ……あたしのツバより城伯様のツバのほうが効きそうなんで、つけてもらっていいですかね?」

 

「そんな軽口が叩けるなら治療すら必要ないな、まったく!」

 

 僕はそういって笑い飛ばすが、やはり部下の負傷ほど嫌な気分になるものはない。全身鎧が基本の騎士隊とは異なり、陸戦隊に所属する歩兵たちには鉄帽以外の防具は支給していないのである。私物の甲冑を身に着けている者もいるが、大半は吊るしの野戦服を着ているだけだ。こんな貧弱な装備では、やはりかなり心許ない。

 本当なら、胴鎧くらい支給してやりたいんだがな。カネもなければ物資も足りない。そもそもリースベンには、本職の甲冑師は僅か二名しか居ないのである。鉄砲鍛冶ですら、王都から連れてきた職人たちがこの間やっと操業を開始したくらいの有様だし……。

 

「すいません、お待たせしました」

 

 慌てた様子の衛生兵がやって来たので、ハイエナ姉さんを引き渡す。衛生兵は手慣れた様子で刺さったままの矢を半ばからへし折り、傷口に消毒液(単なる火酒だが)をぶっかけた。あとは傷口の近くを紐で固く縛り、応急処置完了。雑な治療だが、最前線でできる処置など限られている。これ以上の治療は後送してからだ。

 

「その(消毒液)はさぞ不味かろう。あとでウマイやつを差し入れてやるよ」

 

 苦悶のうめき声を上げる負傷兵の肩を叩いてそう言ってやる。負傷兵は手すきの兵士がタンカに乗せ、そのまま後方へ連れて行った。訓練通りの流れだ。僕は少し誇らしい気分になった。実戦時だからこそ、教科書通りの動きをするというのは大切なことなのだ。

 半年前までは街のチンピラでしか無かった彼女らも、今ではすっかりひとかどの兵士になっている。地道な交渉で時間を稼ぎまくった甲斐があったというものだ。もっとはやいうちに本格的な交戦が始まっていたら、こうも上手くは動けなかったはずだ。

 

「うめ酒ならワシもご相伴にあずかろごたっもんじゃ」

 

 僕の隠れている木陰に一人のエルフが寄ってきて、そんなことを言う、良く見れば、先ほどのエルフ長老だ。ちょっと呆れたような表情をしているのは、いったん後方に下がったはずの僕がまた前線に出てきているからだろう。

 

「いいね。ドンパチが終わったら宴会をしようじゃないか」

 

「そんた楽しみじゃ」

 

 長老は肩をすくめながらそう言った。そして、姿勢を低くしつつ、木陰から顔を出して敵の方をうかがう。甲高い風切り音を立てつつ複数の矢が飛来し、長老のすぐそばの木の幹に突き刺さった。彼女は顔を引っ込め、にやと笑う。

 

若造(にせ)共、弓ん腕は悪うなかど。相手にとって不足無しじゃ」

 

 危うく串刺しになりかけたのに、剛毅なものだ。彼女のみならず、エルフ兵全体がこの調子なのだから恐ろしい。彼女らの肝はオリハルコンでできているに違いない。

 

「腕もそうだが、数の方も思った以上に多いな。敵の兵力は無尽蔵に見える。どれだけのエルフがあの烈士どもに協力してるんだ?」

 

 これは僕の本音だった。本当に、敵の数が多い。倒しても倒しても、増援がやってくるので手に負えない。ため息を吐きつつ、ホルスターからリボルバーを抜いて銃弾を装填する。

 リボルバーと言っても現代的な金属薬莢式の銃ではないから、レンコン型の弾倉の前面から鉛球と火薬を押し込んでやる必要がある。しかもそれが五発分だ(一応この銃は六連発式だが、安全装置のついていないこの手の古式銃は暴発の可能性が高いため最初の一発は装填しないのが基本だ)。装填完了にはかなりの時間がかかるのである。

 

「そんた、お(はん)ん自業自得ん部分もあっ」

 

 装填の様子を興味深そうな様子で観察しながら、長老が言った。エルフたちが以外と知的好奇心が旺盛で(痴的好奇心も旺盛だ)、僕たちの使う武器にも興味津々だった。銃器類を売ってくれないかという打診をしてくるものまで居た。……ただでさえ凶悪なエルフ兵が銃まで持ち始めたら手が付けられない。もちろん、丁重にお断りした。

 

「自業自得?」

 

 それはともかく、聞き捨てならない単語が出てきたので僕は思わず聞き返した。いったい、何が自業自得だというのか? エる婦たちに対しては、極力融和的な態度を崩さぬよう立ち回ってきたつもりだが……なにか向こうの地雷でも踏んでしまったのか?

 

「そりゃそうじゃ。ワシらはここ百年、極端な女余りん状況で暮らしてきた。そげん状態で、お(はん)んようなスケベな男が村中をうろちたや……自分のもんにしよごたっち思うものが大勢出てくっとも、自然なこっじゃ」

 

 そう言って、長老はニヤリと笑った。そして、「むろん、お(はん)ん連れてきた他ん男どもにも同じこっが言ゆっ」と付け加えた。……つまり、もともと僕を除こうとしている集団に、さらにスケベ目的の脳みそピンク蛮族どもも合流しちゃったってこと? 倫理観サル並みじゃん、怖………いや今さらか。

 

「ええ……」

 

 そんなもん、回避不能な地雷じゃねえか。女装でもして性別を誤魔化しておいた方が良かったのか? ……いや、この世界の常識では僕の普段の服装もだいぶ女装よりだわ。

 

「……」

 

 後ろに控えていたソニアが、何とも言えない笑みを浮かべながら僕の肩をぽんぽんと叩いた。なんだその生暖かい視線は。……まったく! 僕は憤慨しつつ、装填の終わったリボルバーをホルスターへと収めた。

 

「まあ、それはさておき……そろそろ作戦も終盤だ。もうひと頑張りするとしようか」

 

 先ほど、鳥人伝令がダライヤ・ジョゼットの両支隊の配置が完了したとの情報を持ってきた。あとは、予定地点に敵部隊を引き込むだけだ。

 

「おうおう、面白く(おもしてう)なってきたな。リースベン城伯ん手管がどれほどんもんか、とっと見せてもらおうか」

 

 背中に背負っていた妖精弓(エルヴンボウ)を取り出しつつ、長老は頷いた。その表情は本当に楽しそうだ。まったく、エルフという種族はどいつもこいつも救いがたい戦バカばかりだな。まあ、僕だって同類だが。

 

「総員、撤退! てったーい!」

 

 いかにも敵の攻撃に耐えかねたという風を装って、僕はそう叫んだ。なんとか抗戦を続けていた味方兵たちは、弾かれたように戦線を放棄して走り始める。もちろん、僕やソニア、それに長老もそれに続く。

 ここからが、正念場である。敵に背を向けて逃げている時が、一番部隊の損耗が大きくなるのだ。本当なら、こんな危険な手は使いたくない。しかし、僕たちには全力疾走でこの場から逃げなくてはならない理由があった。チンタラ戦いながら後退していたら、味方の攻撃に巻き込まれてしまう……。

 

「おい、連中逃げ始めたど!」

 

「毒夫を逃すなっ! 生け捕りだ!」

 

「ウオオオッ! 男!」

 

 蛮声を出しつつ、烈士たちは追撃を開始する。その動きは、まったく統制の取れていないものだった。敵集団は、個人の練度が極めて高いだけの烏合の衆だ。手強い敵であるが、誘導自体は容易い。

 

「捕まったらシャレになんないな、コレッ!」

 

 森の妖精からは程遠い彼女らの態度を笑いつつ、僕は足を動かした。誘導予定地点まであと少し。捕まって慰み者にならぬよう、せいぜい頑張って走ることにしようか。



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第280話 くっころ男騎士と天の劫火

 ルンガ市の近郊には、ちょっとした空き地がある。燃料や建材を得るための、木の伐採地だ。森の中と違って、ここならば存分に火力を発揮することができる。決戦地としては、おあつらえ向きの場所だった。

 僕たちはその空き地に向け、全力で走っていた。しかし、これは潰走を装った偽撤退だ。隊列を組んで整然と移動、というわけにはいかない。落伍者を出さないよう、僕は大変に難儀する羽目になった。

 

「走れ走れ! そんなんじゃあっという間に追いつかれるぞ!」

 

 木の根に脚を取られてスッ転んだ兵士を助け起こしながら、僕はそう叫ぶ。先ほどから、同じようなことは何度も起きていた。何しろ陸戦隊の歩兵たちは大半が今回の一件が初陣の新兵たちだ。緊張や恐怖で足がもつれない方がどうかしている。

 仕方が無いので、指揮官自らが殿を務める羽目になっていた。なにしろ、僕とその護衛たちはしっかりとした魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいるからな。少々の攻撃ならば、びくともしない。部隊のケツを守るにはぴったりの戦力だ。

 

「も、申し訳ありません!」

 

「口を動かす暇があったら足を動かさんか!」

 

 なんとか立ち上がったリースベン兵の背中を押しつつ、叱咤する。気分は鬼軍曹だ。しかしこれは訓練ではなく実戦だ。部隊から落伍すれば、待っているのはきついお仕置きではなくシンプルな死である。僕としては、誰一人脱落させるわけにはいかなかった。

 ……実際のところ、部隊の先頭を走れるほど僕は足が速くない、という問題もあるしな。なにしろ只人(ヒューム)竜人(ドラゴニュート)や獣人の身体能力の差は圧倒的なものがあるし、その上僕は総重量が四〇キロ近いクソ重い甲冑を纏っている。こんな鈍重なユニットを先頭に配置したら、後続が渋滞を起こしてしまうだろう。

 最近流行ってるタイプの甲冑は、重量が半分くらいになってるんだけどね。僕が使っているものは母上のお下がりなので、旧式なのだ。いい加減新調しようとは思っているんだが、金がないので後回しになっている。

 

「ホアッ!?」

 

 背中をドンと押されたような衝撃を受け、今度は僕が転倒する。どうやら矢を喰らってしまったようだ。しかし甲冑の装甲部に当たったおかげで、怪我はない。魔装甲冑(エンチャントアーマー)さまさまだ。いくらクソ重くとも、着込む価値はある。

 

「男騎士ィ! 獲ったどー!」

 

「グワーッ!」

 

 だが、そこへ何者かが飛びかかってくる。その服装は、ポンチョに虚無僧笠……虚無僧エルフ兵だ! 地面に転がっていた僕は、その攻撃を避けることができなかった。あっという間にマウントポジションを取られ、腕を押さえつけられる。

 

「良か男じゃらせんか! よかモノを拾うた!」

 

「キエエエエエエエッ!!!!」

 

 突然のピンチだが、この世界で男騎士などやっていればこんな状況に陥ることなど日常茶飯事だ。慌てず騒がず、僕は虚無僧エルフ兵に頭突きを仕掛けた。

 木の皮で編まれた虚無僧笠と、鋼鉄製の兜。この二つがぶつかり合えば、後者が打ち勝つなど当然の摂理である。虚無僧笠は無惨にひしゃげ、エルフ兵は情けない悲鳴を上げながら悶絶する羽目になった。

 

「オルァ!」

 

 こうなれば、あとは簡単である。竜人(ドラゴニュート)や一部の獣人と違いエルフは小柄なので、簡単にひっくり返すことができる。そのまま寝技を仕掛け、首を絞めてやる。虚無僧エルフは情けない声と共に昏倒した。どんな種族であれ、頸動脈が鍛えようのない弱点であることには変わりがない。

 

「コイツ、ただん男じゃなかぞ!」

 

「囲んで犯せ! 囲んで犯せ!」

 

 だが、危機はまだ去っていなかった。虚無僧エルフ兵の集団が、山刀を手に襲い掛かってくる。脳内ピンク色の色ボケどもめ! 僕は起き上がりざま、腰から拳銃を抜いて発砲した。

 一発分の銃声しか聞こえなかったが、倒れた虚無僧エルフ兵は五名。引き金を引きっぱなしにしたまま指で撃鉄を連続で弾く、ファニングと呼ばれる早撃ちテクニックを使ったのだ。

 

「ウオオオオーッ!」

 

 だが、それでも敵は全滅していない。突っ込んでくる虚無僧エルフ兵に向け、左手で短剣を投擲した。狙い違わず、短剣は虚無僧エルフ兵の肩口に突き刺さる。

 

「アバーッ!」

 

 その瞬間、短剣から高圧電流が放たれた。バリバリと音を立てて感電した虚無僧エルフ兵は、煙をあげつつ倒れ伏す。隣国神聖帝国の元皇帝、アーちゃんからもらった魔法の短剣だ。実戦で使ったのは初めてだったが、尋常な威力じゃないな。

 手品じみた攻撃に、さしものエルフたちも若干怯んだようだ。視線が感電死した虚無僧エルフ兵に集まっている。この隙は逃すべきじゃないな。僕はサーベルを抜き放ち、大声で叫んだ。

 

「極星よ照覧あれッ! デジレ・ブロンダンが息子アルベールはここにありッ! キエエエエエエエッ!」

 

 身体強化魔法を発動。全力で地面を蹴り、敵エルフ兵に肉薄する。この状態で背を向けて逃げれば、後ろから好き勝手攻撃される羽目になるからな。正面からブチ抜いて突破、これが一番安全だ。

 

「ひとぉつ!」

 

 迎撃しようと木剣を構えたエルフ兵を、剣ごと両断する。白いサーコートが鮮血で真っ赤に染まるが、気にせず突進。

 

「キエエエエエイッ! ふたぁーつ!」

 

 間近にいたエルフ兵が氷柱の魔法を放ってきたが、籠手で受け止めつつ攻防一体の斬撃を繰り出す。二つ目の惨殺死体が出来た。

 

「まるで鬼神にごつ!」

 

「こんわろは男ち思わんほうが良かど! 距離を取って仕留め!」

 

 慌てた様子でエルフ兵たちが弓を取り出し始める。これはよろしくない。リボルバーは既に弾切れだし、一応後装式小銃も持っているが所詮は単発式だ。射撃戦は分が悪い。

 

「アル様ーッ! 今()きます!」

 

「突っ込めお(はん)ら! 若様(・・)に傷一つでもつけてみぃ、切腹じゃ済まさんぞ!」

 

 だが、そこへソニアと長老が突っ込んでくる。彼女らも尋常ではない戦士だ。僕が手を出さずとも、あっという間に敵兵を蹴散らし始める。……ところで長老、若様ってもしや僕のことですかね?

 

「アルベールどん! こいを!」

 

 スズメ鳥人がヒュンと飛んできて、僕に何かを手渡してきた。投擲した魔法の短剣だ。

 

「おお、助かる! コイツは貴重品でな、補給が効かんのだ」

 

 なにしろ神聖帝国皇帝家の家宝だったという代物だからな。無くしたら流石に泣くかもしれない。ありがたく受け取って鞘に収め、お手柄スズメ鳥人の頭をガシガシと撫でてやる。

 

「アル様! 露払いはお任せを! このまま突破いたしましょう!」

 

「応よ!」

 

 敵集団は明らかに怯んでいる。今がチャンスだ。僕はサーベルを構えなおし、吶喊(とっかん)した。敵兵をバッタバッタと切り倒しつつ、あっという間に突破に成功する。やはり、少なくない数のエルフ兵が味方についてくれたのが良かった。森林戦での安定度が段違いである。

 そんなことを考えつつ走っていると、やがて目的地の空地へとたどり着いた。日光の届かない森の中と違い、開けた空き地には背の高い草が大量に生えている。森の中よりもよほど歩きにくいそこを根性で突破しつつ、周囲を確認する。

 

「……よし!」

 

 周囲には、展開済みのジョゼット・ダライヤ両支隊の姿が視認できる。小銃や妖精弓(エルヴンボウ)を構え、いつでも発砲可能な状態だ。その射線は交差するように設定されており、いわゆる十字砲火の状態になっている。

 

「撃てーッ!」

 

 大声で叫ぶと、銃声や風切り音が連続して響いた。僕たちを追いかけて空き地に入ってきた烈士エルフたちに、大量の銃弾と矢が襲い掛かった。彼女らは悲鳴や汚い罵声を飛ばしつつ、次々と倒れていく。……もちろん、僕は彼女らに背を向けて失踪中なので、その様子を観察することはできないわけだが。

 

「こなくそー!」

 

「百倍返しじゃ!」

 

 だが、わずか一回の斉射で仕留めきれるほど、エルフ兵は甘い相手ではない。怒りを爆発させながら、次々と矢を打ち返してくる。……しかし、それも予測済み! 支隊による十字砲火は、あくまで足止めが目的だ。本命の攻撃は別にある。僕は全力で走りながら、叫んだ。

 

「赤色信号弾、撃て!」

 

 情けない発砲音と共に、中天に赤い信号弾が瞬いた。僕は萎えそうになる足に力を籠め、さらにスピードを上げる。この信号弾が打ちあがった以上、急いで逃げねばならない。……敵からではなく、味方からの攻撃から、だ。

 

「来るぞ、伏せろ!」

 

 前世でも聞きなれた、独特の甲高い風切り音が聞こえた瞬間、僕はそう大声で命じた。そしてもちろん、自分も伏せる。勢い余って地面に転がったが、気にしない。とにかく姿勢を低くする、それが第一だった。地面にべったりとうつぶせに寝転がって、口を軽く開ける。本当なら耳も塞ぎたいが、兜を被っているのでムリだった。

 

「ッ!!」

 

 その瞬間、すさまじい轟音が周囲に響き渡った。まるで火山の噴火のように火柱がいくつも上がり、地面がぐらぐらと揺れる。猛烈な砲撃が、空き地を襲っていた。十数発もの砲弾が、ほぼ同時に着弾したのである。その衝撃は尋常なものではなかった。

 凄まじい爆風と衝撃波が脳みそをシェイクし、吹っ飛んできた土くれや木片が全身を打ち据えた。伏せたままそれに耐えていると、何者かが僕に覆いかぶさってくる。一瞬慌てたが、どうやらソニアのようだ。僕を庇ってくれているらしい。

 

「流石に威力抜群だな……!」

 

 こみあげてくる笑みをこらえつつ、僕はそう呟いた。この砲撃は、マイケル・コリンズ号からの火力支援だ。それも、主砲を用いた攻撃ではない。いくら五七ミリ速射砲の発射速度が速いと言っても、僅か一門でこれほどの砲撃を一挙に放つなど不可能だ。

 九〇ミリ多連装ロケット砲。この連続砲撃を成し遂げた兵器の名前だ。十六発ものロケット弾を一気に発射する、素敵な兵器である。マイケル・コリンズ号に装備されていた秘密兵器の正体がこれだ。実戦で使用したのは初めてだが、どうやら想定通りの機能を発揮してくれたらしい。

 

「よおし、ソニア! 仕上げと行こうか!」

 

 この手のロケット砲は、威力は抜群だが精度はゴミカス未満である。広範囲に砲弾をバラまく以外の用途には使えない。極めて派手な砲撃だったが、巻き込めた敵兵はそう多くないはずだ。

 ……しかし、それはそれで構わない。この手の兵器は、実際の威力よりも見た目の派手さのほうが重要なのだ。強烈な砲爆撃は敵の士気を削ぐ。さしものエルフ兵も、さぞ肝をつぶしていることだろう。今がチャンスだ。僕はソニアの下からはい出し、サーベルを高々と掲げて見せた。

 

「これより最後の突撃を敢行する。天の劫火もも畏れぬ真の勇者のみ我に続け!」

 

 とはいえ、ビビってるのはたぶん味方も一緒だからな。指揮官が先頭に立って、鼓舞してやる必要がある。僕の叫びに呼応するように、ラッパ手が突撃ラッパを奏で始めた。

 

「往くぞッ! 突撃にィ……かかれ!」

 

 サーベルを振り上げて突進すると、リースベン兵たちはやけくそな叫びを上げながら僕に続いて走り始めた。エルフ兵たちも「短命種(にせ)どもに後れを取っな!」と突撃に参加する。我々は、一丸となってもうもうと上がり続ける土煙の中へ突っ込んでいった。



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第281話 未亡人エルフとスタンピード

 私、ヴァンカ・オリシスは困っていた。完全に想定外のタイミングで戦端が開かれてしまったからだ。むろん、交渉の結果がどうあれ"正統"との戦闘は継続するつもりだった。だが、リースベンを巻き込む気はさらさらなかったのである。

 このあまりにもくだらない内戦は、エルフの身から出た錆びだ。只人(ヒューム)や鳥人たち、その他のこの地に住む種族たち……彼女・彼らですら、出来るだけ巻き込まぬようパージを進めていたというのに、外国(とつくに)にさえ迷惑をかけるというのは我慢がならぬ。恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。

 

「おい、おい! 何を勝手に戦っている! 私はそのような命令は出していないぞ!」

 

「じゃっどん、ヴァンカどん! あん毒夫を除かんなマズイことになっど! 腰抜けん年寄り共が、男ん色気に迷いよって……!」

 

 進撃するエルフ(馬鹿)どもを制止しようとする私だが、連中は聞く耳を持たない。戦を前にしたエルフは得てしてこういう状態になるものだが、いくらなんでもこれはひどすぎる。昔のエルフは、戦バカなりにあれこれ考えていたというのに……いまのこいつらは、目の前の餌に食いつくことしか頭にない畜生のようだ。

 しかし、今回の一件……どうしてこんなことになったのだろうか?当然だが私は攻撃命令など出していないし、むしろ待機するよう強く命じていた。にもかかわらず、この暴走。解せぬ。むろん、我が配下は特級の愚か者ばかり。命令を聞くにもある程度の頭は必要なのだから、馬鹿なこやつらにはそれだけの知能すら無かった可能性もありはするのだが……。

 

「ダライヤめ……!」

 

 だが、おそらくは違う。下手人は、おそらくダライヤだ。あの腹黒、悪だくみだけなら天下一品の我が幼馴染……! あの女は、いつだって『自分は無力な苦労人ですよ』という顔をしながら裏ではコソコソ動いているのだ。今回だって、同じだろう。

 目的は、おそらく和平に不満をもつ者のパージ。ヤツの目的はあくまでエルフ賊の存続にしかないわけだから、新エルフェニア帝国などという国家がどうなろうが知ったことではない。組織を割ることに躊躇はないだろう。……まあ、私も新エルフェニアなどどうでもいいのだが。

 

「はあ、まったく」

 

 なんとも言えない心地になりつつも、私はバカの行進の後ろにひっついて森の中を進んでいく。呆れすぎてもう家に帰ってふて寝したいような心地になっていたが、そういうわけにはいかない、放置していたら、このバカどもは一体なにをやらかすか分かったものではないからな。

 一番心配なのは、ブロンダン殿だ。あの大柄な竜人(ドラゴニュート)騎士が護衛についているのだから、まあ大丈夫とは思うのだが……こちらは戦うことだけは大得意な害悪生物(エルフ)である。万が一ということもある。そしてエルフにつかまった男の末路など、ただ一つ。そんなことになる前に、なんとかこの馬鹿を抑えねばならない。

 

「ヴァンカどん、連中は川船と合流しようとしちょっとかね。あん船、ないやら厄介な武器を載せちょっちゅう話だが」

 

 配下のバカ氏族長が、そんなことを聞いてくる。意見が欲しいなら、命令を聞くかせめて検討する素振りくらいは見せてほしい。こちらの指示を完全に無視して動いておきながら、平気な顔をして意見を求めてくるとは……どういうツラの皮をしているんだ。

 ……いや、仕方ない。仕方が無いのだ。マトモな頭をしている奴は、私が片っ端から粛清してしまった。私の派閥に残っている連中は、肥大化した自尊心を誇りと取り違えている最悪な愚か者だけだ。……いや、何やら今は、リースベンを叩けば男が手に入ると思っている昆虫並みの倫理観しか持ち合わせていない馬鹿も合流しているようだが。

 ……馬鹿の博覧会か? 頭が痛くなってきたな……どうしようもないにもほどがある。こんなバカ集団など、滅んだ方がマシだ。そう、ブロンダン殿が思ってくれれば良いのだが。

 

「おそらく、そうだろう。あの船には、大砲とやら……火を使って鉄矢を放つ、大きな(いしゆみ)のような武器が搭載されている。おそらく、それを使って逆襲を目論んでいるのだろう」

 

 内心呆れつつも、私はそう応えた。……自分で言っておいてなんだが、たぶんこの予想は間違っている。あの大砲とやらを使って反撃する気ならば、我々を川港か河原あたりに誘導しようと動くはずだからだ。しかし、ブロンダン殿はエルフェン河に直行するルートを選択していない。あの男が無駄な動きをするとは思えないので、なにかしらの思惑があっての行動だろう。

 しかしもちろん、私はその予想をバカどもには話さない。思惑? 結構、それでブロンダン殿が無事にリースベンに帰還できるのなら万々歳だし、何かしらの反撃を目論んでいるのならそれはそれでよい。バカどもの間引きになる。

 

「走れ走れ! チンタラしていたら、獲物に逃げられるぞ!」

 

 私は部下共を無意味に急かした。エルフとはいえ森の中を走ればそれなりに疲労する。戦うまえに馬鹿どもを疲れ果てさせ、ブロンダン殿を援護する作戦だ。エルフ(バカ)どもは野蛮な声を上げながら、私の命令に応える。

 

「もうちょっと慎重に立ち回った方が良かとじゃらせんか、ヴァンカどん。連中がないかしらん罠を張っちょっ可能性もあっ」

 

 そう言ったのは、氏族長の一人だ。まあ、十中八九罠はあるだろうな。ブロンダン殿にしろ、あのソニアとかいう竜人(ドラゴニュート)騎士にしろ、なかなかの戦巧者のように見える。無為無策で行動するなどあり得ないことだろう。

 

「罠? 大変結構。そのようなものは正面突破するのがエルフの生きざまというものではないか」

 

「ヴァンカどんのゆ通りじゃ!」

 

「男ん罠を避くっような真似は雄々しか! 正面から叩き潰してやろう!」

 

 私のバカみたいな主張に、バカどもが同調する。……愚か者どもめ。私が若い頃のエルフは、敵の罠を逆に利用して嵌め返すくらいの真似は平気でしていたものだ。何も考えずにただ攻撃、などという真似は決してしなかった。……まあ、今となっては昔の話だ。

 そういう訳で、われわれは考えなしの猛追をつづけた。まるで暴走だ。まるでというか、まあ完全に暴走なのだが。いうなれば、狂った獣の大行進である。そしてその無謀の対価は、思ってもみない形で訪れた。

 

「……おや」

 

 ひゅるひゅると、奇妙な風切り音が上空から聞こえてくる。違和感を覚えて天を仰ぐと、木々の隙間から何かが見えた。いくつもの小さな物体が、白い尾を曳きながら飛翔している。まるで小魚の大軍だ。これがブロンダン殿の策だろうか。そう思いつつ、飛翔体を目で追うと……。

 

「ウッ!?」

 

 飛翔体が落下すると同時に、複数の火柱が上がった。そして一瞬遅れて、とんでもない地響きと爆風が我々を襲う。その威力はすさまじく、私は無様に地面に転がった。霞む視界の中、森中の小鳥が、ワッと飛び立っていくのが見える。

 

「なんだ、何が起こった!」

 

「わかりもはん! 戦略級ん攻撃魔法やも」

 

「馬鹿言え、こげん魔法を使ゆっような術者は、叛徒どもはもちろんリースベン勢にもおらんやったじゃらせんか!」

 

 部下共が、わあわあと叫んでいる。私は目をこすりながら、なんとか立ち上がる。……間違いない、ブロンダン殿が何かをやったのだ。私は、己の顔に笑みの形に歪んでいくのを感じた。

 

「……素晴らしい」

 

 いったい何が起こったのか、それはわからない。しかし、尋常ではない大爆発が起きたのは確かだ。私はポンチョについた土埃を払うのも忘れ、爆心地の方を見続ける。あの地響き、火柱。まるで噴火だ。ラナ火山が火を噴いた日の記憶が、脳裏をよぎる。

 

「ああ、ああ……なんということだ」

 

 あの噴火を機に、エルフの国は滅茶苦茶になった。きっと、この噴火(・・)も、同じ結果をもたらしてくれることだろう。魔法を使ったのか何かしらの道具を使ったのか、それはわからない。しかし、そんなことはどうでもよいことだ。

 

「……そうか、そういうことだったのか。ブロンダン殿、貴殿が我らの滅びだったか」

 

 なんとも素晴らしい。私は込み上げてくる笑いを抑えきれなかった。この力があれば、食料不足による大量餓死などというしゃらくさい手段に頼らずとも、我が夫の遺言を成し遂げることができるのではないだろうか?

 

「う、ふ……うふふふ、これが、運命というヤツか。そうか……うふふふ……」



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第282話 くっころ男騎士とエルフの軍勢

 多連装ロケット砲による攻撃は、見た目こそ派手だったが実際のところそこまで大きな効果は無かった。まあ、そりゃそうだろう。ジャイロもついていない無誘導のロケット弾を適当にぶっ放しただけなのだ。素直にまっすぐ飛んでくれるような代物ではない。むしろ、味方を巻き込まなかっただけで万々歳である。

 しかし、実際の戦果は乏しくとも敵兵に与えた心理的な打撃はなかなかのものだった。予想もしない攻撃を浴びて呆然とする烈士エルフ兵たちに対し、僕たちは全力の突撃をしかけた。烈士どもはマトモな抵抗もできずに壊乱、あっという間に指揮崩壊を起こして撤退する羽目になった。

 

「うへあ」

 

 ほとんど一方的と言っていい勝利を収めた僕たちだったが、喜んでばかりもいられなかった。川港に向かったところ、マイケル・コリンズ号が半焼していたのだ。これは別に、敵が火矢の類を撃ち込んできたからではない。ロケット砲を発射する際に出る噴射炎が船体に引火したのである。

 むろんロケット砲から派手な炎が出ることは設計時からわかっていたので、ある程度の対策は施していたのだが……やはり、木造船では防火対策にも限度がある。流石に、火災そのものを避けるのは不可能だったようだ。

 

「見た目はひどいですが、火事そのものは先ほど鎮火いたしました。致命的な損傷ではありませんので、航行には支障ありません。……一応は」

 

 状況説明のために上陸してきた副艦長が、ジト目になりつつそんなことを言う。厄介な兵器をウチの船に乗せやがって、そう言いたげな態度だ。まあ、気分はわかる。使ったらほぼ確定で船が燃え上がる兵器なんて、欠陥品以外の何者でもないだろ。

 

「なるほど、わかった。ありがとう、苦労をかけたな。僕たちもすぐ出発、というわけにはいかない。しばらく休んでいてくれ」

 

 副艦長の肩を叩いてそう言ってから、僕は小さく息を吐いた。当面の敵は退けたが、僕の前にはいまだに容易ならざる障害がそびえたっている。それは敵ではなく、味方だった。

 

「……」

 

 無言で背後を振り返る。そこに居たのは、すさまじい数のエルフの軍勢だ。試しに点呼してみたところ、なんとその人数は千人近かった。……もちろん、この中のすべてのエルフが、先ほど僕に加勢してくれた長老派エルフ兵というわけではない。むしろ、半分くらいは別勢力の連中だ。つまりは、まあ、正統エルフェニア帝国である。

 戦闘終結の直後、この集団は我々と合流した。オルファン氏いわく

 

「こげんこっもあろうかと用意しちょいた援軍」

 

 ということらしいが、その割に非戦闘員と思わしき只人(ヒューム)なども混ざっている。戦闘集団というよりは、移民団のような風情である。事前に聞かされてはいたのだが、実際にこんな大集団が目の前に現れたのだから頭がクラクラしてきた。

 "正統"の連中は、この三者会談の結果がどうなろうとリースベンに移住する気だったらしい。僕はまだその案を正式には承認していないのだが、なんとも気の早い話である。……まあ、"新"と違って"正統"には余裕がない。チンタラしていたら、組織全体が干上がってしまうという不安があったのだろう。

 

「……しかしどうするかね、これ」

 

 僕は頭痛をこらえながら、エルフ集団を見渡した。当たり前の話だが、両者の間には険悪な雰囲気が漂っている。"新"と"正統"でぱっちりと別れ、にらみ合っていた。休戦中とはいえお互い仇敵同士なのだから、この反応も致し方のないことだろう。

 

「ほんのこてお(はん)ら助太刀に来たんか? 来っとがあまりにも遅すぎるち思うが」

 

(オイ)らが手を出す前に戦闘が終わっちまったんじゃ。仕方なかじゃらせんか!」

 

 なんとも剣呑な声が、あちこちから聞こえてくる。放置していたら、そのうち喧嘩をおっぱじめそうだ。本当に勘弁してくれ。

 

「戦闘は終わったというのに、気が休まりませんね」

 

 珍しく、ソニアがボヤいた。彼女も僕も、いまだに甲冑を纏ったままの戦装束姿だ。流石にこんな状況で警戒を解くわけにもいかず、返り血を拭いてサーコートを着替えるくらいしかできていない。……心情的には、今すぐ裸になって水浴びでもしたい気分なんだが。季節は既に晩秋だというのに、激しく動き回ったせいで全身汗びっしょりだ。正直、気持ちが悪い。

 

「鉄火場はいつものことだがね、はは。僕はもう慣れたよ」

 

 肩をすくめながら、そう答える。なんなら、前世から慣れてるしな、鉄火場。前世も現世もずっとこんな感じだ。やだ……私の人生選択、下手くそすぎ? などと思わなくもないが、そういうタチなので仕方が無い。

 とにかくこのまま放置していたらスーパーエルフ大戦の第二ラウンドが始まってしまうので、僕は急いで食事の準備をするように従者たちに命じた。腹ペコだと気が立ってくるからね。さっさと満腹にしてやらねばならない。

 しかし、この場には我々を含めて千人以上の人間が居る。これだけの数の食事を用意するのは、尋常なことではない。幸いにもマイケル・コリンズ号の船倉には"正統"へ送る予定だった支援物資が残っていたから、食材に関してはまあなんとかならなくもないのだが……。

 

「アルベールどん、ほんのこて申し訳なか。もう少しはよ本隊が合流できちょりゃあ、あげん危なか橋を渡っ必要は無かったんじゃが」

 

 困惑しきりのリースベン軍兵站部の連中にあれこれ指示を出していると、オルファン氏がやってきて頭を下げた。危ない橋というのは、先ほどのロケット釣り野伏のことだろう。

 確かに、アレはわれながらなかなか無茶な作戦だった。敵の戦力を見誤っていたかもしれない。本当なら、もうちょっと安全に勝利する腹積もりだったのだが、敵の圧力が思った以上に高かった。

 というか、敵も味方も思った以上に多すぎる。日和見連中は、まったくいないんじゃないか? "新"全体が、親リースベンと反リースベンでパッチリ別れてしまったような感じだ。突然の襲撃が発端で起きた出来事にしては、話が早すぎる。人為的なモノを感じずにはいられないね。

 

「いや……予期せず始まった戦闘だ。遅参も致し方のないことだろう」

 

 というかそもそも、"正統"全軍の参戦なんて僕は望んではいなかった。いきなり全ツッパで協力してくるなんて、いくらなんでも前のめり過ぎるだろ。僕にどうしろって言うんだよ。

 ……いやまあ、彼女らの要求は理解してるがね。要するに全力で助太刀をするから、全力で支援してね、ということだろう。味方ヅラをしているぶん、さっきの烈士エルフどもより厄介かもしれない……。

 

「それに、大将のオルファン殿御自ら率先して我らの後方を守ってくれたわけだからな。有難いと思いこそすれ、文句を言うなどとてもとても……」

 

 とはいえ、"正統"の協力が有難かったというのも事実なんだよな。彼女らの援護のおかげで、リースベンの非戦闘員は誰一人欠けることなくマイケル・コリンズ号に収容することが出来た。さらに言えば負傷者などを安全に後送できたのも、"正統"の尽力あってのことだ。

 

「うむ、うむ。その通りじゃ。"新"と"正統"の共同作戦など、前代未聞のことじゃしな。この戦いは、歴史に残ることになるじゃろう。うむうむ」

 

 うしろから顔を出したダライヤ氏が得意満面で何度も頷いて見せた。思わず抱きしめたくなるような可愛らしいドヤ顔だが、どうにも納得できない。あんた絶対なんか仕込んでたよね? どこまでが作為なのかは知らないが、今の状況が全くの偶然の上で起きたことだとはとても思えないし……。

 僕はため息を吐きそうになって、なんとか堪えた。指揮官たるもの、部下の前では常に泰然自若としていなくてはならない。すべて僕の思惑通りですよ、みたいな顔をしながら、ダライヤ氏に頷き返す。

 

「その通りだ。……しかし、一応敵は退けたものの、予断を許さない状況であることには変わりないだろう。現状の整理と、今後の身の振り方について、話し合うべきではないだろうか?」

 

 なにしろ"新"は完全に分裂しちゃっからね……実際にガッツリ矛を交えてしまった以上、今さら再合流というのも難しいように思える。僕の対"新"戦略は振り出しに戻ったも同然だ。これからどうするのか、しっかり話し合うべきだろう。……いやホント、マジでこれからどうすりゃいいんだよ……。



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第283話 くっころ男騎士と腹黒ロリババア

 もともとの計画では、これほど早い段階で"新"を分裂させる予定はなかった。それが気付けばこの有様である。実際のところ、僕は内心頭を抱えていた。

 しかし、まあ、なにはともあれ腹ごしらえである。僕の経験上、空腹状態でウンウン唸っていてもいいアイデアなんてものは湧いてこないものである。食事を用意してもらい、川港の片隅に折り畳み式のテーブルと椅子を出して昼食をとる。食卓にはダライヤ氏やオルファン氏、その他の長老・氏族長級も同席しており、なんとも賑やかだ。

 

「とにかく、一番先に決めるべきなのは当面の方針だろう。こんなことになってしまった以上は、『はい、サヨナラ』とこの場で解散するわけにもいかない」

 

 レンガみたいなカチカチのパンを軍隊シチューに浸しながら、僕はそう言った。なんだかこの頃、本当に毎日軍隊シチューばかり食ってるような気がするな。エルフ側から狂される料理も、エルフェニア版軍隊シチューの芋汁ばっかりだし。

 ……いやまあ、いいけどね。食えるだけありがたいよ、実際。エルフたちなんか、普段は一日一食だけらしいし。それに比べればはるかに恵まれた環境だ。文句なんか言ってたらバチが当たるというものだ。

 

「まあ、分裂はエルフのお家芸じゃからな。もう慣れたもんじゃ。そう焦ることもあるまい」

 

 大ぶりにカットされたサツマ(エルフ)芋を頬張りつつ、ダライヤ氏がいう。大変に可愛らしい姿だが、発言内容自体は微塵も可愛らしくない。そんなんだから、絶滅寸前になっちゃんだぞエルフども。しかも今回の場合、分裂を仕込んだのはダライヤ氏の可能性が高いわけだし。……いや、証拠がない以上、確定ではないのだが。

 

「とはいえ、早急に対処せねばならんこともある。ワシらは、村に男やら何やらの戦えぬ者どもを残したまま出陣してしもうた。一応……そう、一応は皇帝であるワシとしては、彼らの安全の確保を第一に動きたいところじゃ」

 

 一応、という単語をやたら強調しつつ、ダライヤ氏は僕をチラチラ見てくる。何だよその顔は。僕は知らないからな。こっち見るんじゃないよ。勘弁してくれ。

 

「そん通りじゃ。あん馬鹿どもん手に男たちをゆやなあっわけにはいかん。早急に保護すっ必要があっ」

 

 ダライヤ氏の言葉に、別の長老が同意する。まあ、そうだよね。僕が彼女らの立場だとしても、同じような判断をしていたことだろう。もはや戦士階級しか生き残っていない"新"と違い、"正統"にはなんとかギリギリ社会と呼べるモノが残ってるわけだし。弱者を見捨てるわけにはいかんだろう。

 とはいえ、それはあくまで"新"の問題。僕が最優先にすべきことは、リースベン領民の安全と利益の確保だ。出来る限り、エルフの内輪もめには手を突っ込みたくない。

 ……突っ込みたくはないのだが、突っ込まないわけにはいかないんだよな。実際のところ。なにしろ、ルンガ市に住んでいる男たちって、半分以上がリースベンの出身者とその子孫っぽいし。見捨てるわけにはいかないだろ、領主としては。

 

「その作戦、我々も一枚噛ませてもらっていいかね? 助太刀の恩は助太刀で返すことにしよう」

 

 正直、攫われた男たちの奪還はあきらめてたんだけどな。うまくやれば、彼らをリースベンに連れ戻すことができるかもしれない。そのためには、多少の流血も必要経費と割り切るべきだろう。戦うべき時に戦わぬ騎士など、本物のごく潰しでしかないのだから。

 

「無論じゃ。若様ん助力があれば百人力、あん愚かな若造(にせ)どもなど、鎧袖一触で倒せっことじゃろう」

 

 匙を剣のように掲げつつそんなことを言う長老たちに、周囲の元老たちも「そうじゃそうじゃ」と同調した。……いやだから、さっきから何なんだよ若様って。確かにこのババアどもから比べりゃ僕は随分と若いが、だからといってまるで身内のような呼ばれ方をするような覚えはないぞ。

 

「とりあえず可及的速やかに反撃を行い、ルンガ市の非戦闘員の保護を行う。そういう方針で構わないわけだな? ……オルファン殿、君たちはどうする?」

 

 白湯で口を湿らせながら、オルファン氏に問いかける。……香草茶が飲みてぇなぁ。でも、茶葉は嗜好品だからって、輸送品のリストから外しちゃったんだよな。今回の輸送は食料品が最優先だから、仕方ないんだが……。

 まあ、それはさておき"正統"である。なにしろ彼女らは動員可能な戦力をすべて引き連れてきている。僅かな数の騎士と陸戦隊しか手元にない僕より、よほど頼りになる戦力だ。可能なことなら、保護作戦にも参戦してもらいたいところだ。

 とはいえ、"正統"と"新"は結構な確執があるようだからな。"新"の民衆を保護するための戦いに、彼女らが手を貸してくれるかというと若干厳しいような気もする。そう考えていたのだが……。

 

「当然、そんつもりじゃ。僭称軍ん連中に思うところがなかといえば嘘になっどん、じゃっどん民草には罪はなかじゃろう。男たちに手を差し伸ぶっことに、躊躇は無か。そいに……」

 

 が、オルファン氏の返答は予想に反してアッサリしたものだった。彼女はニヤリと笑って、言葉を続ける。

 

「臣下としては、主上からん参戦要請を蹴っわけにめかんじゃろう。そうじゃな、貴様ら?」

 

「応! そん通りじゃ!」

 

「殿様と僭称軍ん連中に我らが武勇を見せっ格好ん機会じゃ! 任せちょけ!」

 

 オルファン氏の発言に合わせて気炎を上げる"正統"の幹部たち。僕はほとんど無意識に懐からウィスキーの入った酒水筒(スキットル)を取り出しそうになって、あわてて手を引っ込めた。殿様ってなんだよ殿様って。まさか僕のことか? もう滅茶苦茶だよ、押しかけ臣下かよ。飲まなきゃやってらんねぇよ……。

 

「……」

 

 ニンマリ笑ったダライヤ氏が、僕の肩をぽんぽんと叩く。……まさかこれもアンタの作戦のうちか!? なんてことするんだこのロリババア! 人にエルフ族の統治をブン投げる気か!?

 いや、いや……確かに、予定外の事態ではあるものの状況は良い方向に進んでいる。期せずして"新"と"正統"の共闘が成り、穏当な和平への道が拓けつつある。それは確かだ。分離した烈士エルフどもは極めて厄介ではあるが、おそらく総戦力では我々が上回っているハズである。戦って勝てないことはないだろう。つまり、ダライヤ氏はこういう事態を見越して布石を打っていたということか?

 ああ、もうっ! このロリババア! 思ってたのより百倍は厄介なヤツだぞ! くそ、こうなった以上エルフどもと手を切ることなんかできないし(だいいちエルフの協力なしにエルフと戦うのはムリだ。連中、あまりにも強すぎる)、反対派をさぱっと斬って融和派のみを対手として扱うというやり方自体はこちらの方針にも合致したものだ。こうなったら、ダライヤ氏の引いたレールの上を走るしかない……。

 

「なるほど、承知した。ご協力を感謝する」

 

 僕はため息を一つついて、"正統"の連中に軽く頭を下げた。……まあ、こちらに損が無いのなら、別にダライヤ氏の作戦に乗ったってかまわないがね。しかし、主導権を奪われっぱなしというのは面白くないな。あんまり好き勝手させていたら、リースベンの実権まで奪われてしまいかねない。それはさすがに勘弁だろ。

 ……しかし、相手は齢四桁の化石級ロリババア。なまじのことでは、対抗不能だろう。僕は人生二周目だが、それでも生きてきた年月は前世と現世を合わせて五十年と少々といったところ。ダライヤ氏と比べれば、子供どころかバブバブの赤ちゃんみたいなもんだ。とてもじゃないが、勝てる気がしない。

 ここは、三人寄れば文殊の知恵作戦だな。僕はちらりと、同席しているソニアとフィオレンツァ司教の方を見た。幼馴染である彼女らは、アイコンタクトひとつで僕の意図を察してくれた様子で、しっかりと頷いてくれた。ソニアにしろフィオレンツァ司教にしろ、並々ならぬ智者だ。この二人の協力があれば、なんとかロリババアにも対抗可能なのではないだろうか……?

 

「……」

 

「……」

 

 などと思っていたら、副官と司教のにらみ合いが始まってしまった。相変わらず、この二人の相性はやたらと悪い。……なんだかダメっぽくない、これ? こんな状況でロリババアを理解(わか)らせることなんて、出来るんだろうか……。



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第284話 くっころ男騎士と幕僚会議(1)

 昼食が終わると、会議はいったんお開きとなった。決めねばならないことは他にいくらでもあったが、皆疲れていたからな。休憩を挟むことにしたわけだ。

 疲労困憊の状況で作戦を練っても、だいたいロクな計画は出来上がらないものである。ましてやエルフ連中はみな栄養失調で、一見元気ではあってもあきらかに脳みそがフルスペックを発揮できていない。腹いっぱいメシを食わせて、小一時間ほど昼寝をさせてやることにした。

 

「……」

 

 川港の片隅に張られた天幕の下で、僕は砂糖入りの香草茶を飲んでいた。折り畳みテーブルの上には茶菓子なども並んでおり、完全に茶会の様相を呈している。まあ、茶菓子と言ってもたんなる甘めのビスケットだがね。

 食事のち休憩。それが僕の出した命令だった。兵たちにはできるだけ横になって休むように命じていたが、流石に僕までお昼寝するわけにはいかないからな。食後のティータイムでお茶を濁しているわけだ。

 むろん、部隊レベルでは現在も警戒態勢は維持していた。兵士の三分の一を警備に当たらせ、交代で休憩させる形だ。鳥人による偵察飛行も行わせているから、敵が仕掛けてくる気ならば即座に迎撃を開始することが可能だろう。

 

「……こんな場所でゆっくり休んでいて、大丈夫なのでしょうか」

 

 僕の対面の席に座ったフィオレンツァ司教が言った。非戦闘員である彼女にはできればマイケル・コリンズ号に退避してもらいたかったのだが、『もう吐しゃ物まみれになるのは勘弁願いたいので……』と蒼い顔で断られてしまった。まあそりゃそうだよな、船酔いキツいもんな……。

 

「あんまり大丈夫ではありませんが、補給や休息もなしに戦い続けるのは不可能ですからね。休めるうちに休んでおかねばなりません」

 

 兵に適切な休憩を取らせるのは士官の義務だとリースベン軍の操典(軍隊の教科書)にも書かれている。……まあ、この操典を書いたのは僕だけどね。

 それに、敵が今すぐ再攻撃を仕掛けてくる可能性も薄いしな。なにしろ、あの激しいロケット弾の雨を浴びた直後だ。いくら勇猛なエルフ兵でも、無策に突っ込んでくるような真似には二の足を踏むだろう。実際のところロケット砲は使い捨てで、再使用はできないんだけどな。とはいえ主砲の五七ミリ速射砲は使用可能なので、まったくの無策という訳ではない。

 

「敵が仕掛けてくるとすれば、それは日が暮れた後になるだろう。余裕があるうちに、補給や休息は済ませておくべきだ」

 

 小ばかにしたような口調で、ソニアが言った。相変わらず、この二人はギスギスしている。ギスギスというか、一方的にソニアが司教を敵視しているだけのようにも見えるが。

 

「……なるほど、では安心ですね。もちろん、油断はするべきではありませんが」

 

 一方、司教は大人の対応である。僕らより年下なのに、流石だよな。若くして聖会の重鎮やってるだけのことはあるよ。

 

「ふふん」

 

 ……なんか司教がドヤってる。相変わらず不思議な人である。

 

「それはさておき、せっかく身内だけの時間が作れたわけだし……今のうちに、味方のエルフたちをどうするか、当面の方針を決めておこう」

 

 こほんと咳払いをしてから、僕はそう言った。ダライヤ氏やオルファン氏らとの会議を早々と打ち切ったのは、このためだ。何しろ急に事態が動いたからな。これまでの計画は、もう役に立たない。新しい方針を早急に立てておくべきだろう。

 

「そうですね、少々難しい問題ではありますが……後回しにするわけにもいきますまい」

 

 そう言いながら、ソニアが指でトントンとテーブルを叩いた。従者がやってきて、新しい香草茶を彼女のカップに注ぐ。ソニアは優雅な手つきでカップを手に取り、口に運んだ。

 

「……まあ、いい機会ではあります。このままいけば、エルフ連中は問題なく我々の傘下に収まるでしょう。もともとその気だった"正統"はもちろん、"新"のほうも分裂で随分と弱体化いたしました。もはや独力での組織維持は難しいでしょう。そうなれば、彼女らは我々に頼るしかありません」

 

「確かにそれはそうだ」

 

 ソニアの指摘に、僕は頷く。

 

「それはいい。それは良いんだが、問題は別の部分にある。どうもこの一件は、ダライヤ氏の陰謀のような気配がある。……いや、証拠はないが」

 

 もちろん僕の勘違いという可能性もあるが、ダライヤ氏の態度を見ているとそうとは思えないんだよな。すべての状況がダライヤ氏のコントロール下にあるとも思えないが、大まかなレールは彼女が引いたもののような気がする。

 

「そうですね、わたくしも同感です。どうにも一筋縄ではいかないお人のように思えますし、あの方は」

 

 そう言って、フィオレンツァ司教は己の片目を覆う革製の眼帯をゆっくりと撫でる。……よく見ると、以前付けていたモノとは別の眼帯だな、これ。

 

「一筋縄ではいかないのは貴様も同じことだが、まあ同感だ」

 

 ソニアさんソニアさん、貴方はどうして司教のこととなると一言余計なことを付け加えずにはいられないのですか? 僕は小さくため息を吐いて、香草茶を飲んだ。母親のことといい司教のことといい、ソニアは嫌いな相手にはとことん辛辣だ。

 

「まあ、現状はダライヤ氏の陰謀に乗ったままでも我々に損はないがね」

 

 現状の親リースベン派"新"エルフ……面倒くさいのでダライヤ派でいいか。ダライヤ派の兵数は"正統"と大差ない状況になっている。この状態で再び両者が戦端を開けば、お互いタダではすまないだろう。過激派をパージしたこともあり、ダライヤ派は"正統"との和平に否は唱えないものと思われる。

 問題の過激派連中……ヴァンカ派さえなんとかしてしまえば、僕らにとってはたいへんに都合の良い状況になるのは間違いあるまい。上手くいけば、エルフェニア全体がリースベンの傘下に入ることになるだろう。

 

「しかし、状況の主導権をダライヤ氏ばかりに握らせておくのもよろしくないだろう。下手をすれば、リースベンの実権を彼女に奪われてしまう可能性もある」

 

 ダライヤ氏の普段の言動を見ていると、そんなことはしないような気はするがね。彼女は隠居従っている様子だし……。しかし、彼女は非常に頭が切れるし割と平気で噓をつく。心の底から信用するのはやめたほうがいいだろう。まったく無警戒というわけにはいかない。

 

「わたくしとしては、ある程度はダライヤさんにかじ取りを任せても問題ないとは思いますが。なにしろあの方、とんでもなく有能なのは間違いありませんから。むろん、手綱はつけておく必要がありますが」

 

「何を言っているんだ、貴様は。リースベンはアル様の国だぞ。エルフなぞに牛耳らせるわけにはいかない」

 

 ううむ、と唸りながら僕は腕を組んだ。これは、なかなか難しい問題だ。僕個人としては、ダライヤ氏には好感を抱いているがね。しかし、リースベンの領主としてはソニアの意見に賛同せざるを得ない部分もある。ダライヤ氏は僕の部下ではないし、完全に信頼できる相手でもないからだ。

 ヴァンカ氏らも厄介だが、ダライヤ氏のほうがよほど厄介な気がする。それに、オルファン氏も正直油断できない。面倒くさい連中だよな、エルフって。さてどうしたものかと、僕は脳みそをフル回転させはじめた。……ううーん、こんなんじゃ休憩にならないじゃないか。まったく……。



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第285話 くっころ男騎士と幕僚会議(2)

「もちろん僕も、ダライヤ氏を排除しようという気はさらさらない」

 

 湯気を上げる香草茶を飲みつつ、僕はそう言った。高価な砂糖を惜しげもなくブチこんだそれは、簡易的なエナジードリンクのようなものだ。疲れた時にはこれに限る。

 

「ただ、やはり彼女のみが状況の主導権を握っている現状は、あまり良いものではないだろう」

 

 状況は良い方向に進んでるんだから下手に手を出すべきじゃないだろ、政治は戦いが終わってからやれや。……前世の僕なら、こう言っていたことだろうな。実際、作戦行動の真っ最中に主導権争いをするなんて、本当に馬鹿らしい行為のような気がする。

 とはいえ、小なりとはいえいち組織のトップとしては、組織外の人間にこうも振り回されている現状はなんとかせねばならん。まったく、面倒なものだ。とはいえ、現場に迷惑をかけるような真似はするわけにいかんからな。どうしたものか……。

 

「ダライヤ氏はどういう着地点を目指しているんだろうな? その辺りがわかれば、対抗もしやすいんだが」

 

「……あの方の場合、わりと目的については分かりやすいような気がいたしますね」

 

 フィオレンツァ司教が、天幕の外に目をやりながら聞いた。そこでは、エルフ兵の集団が焚き火を囲みつつガツガツと軍隊シチューをかき込んでいる。

 

「エルフたちをきちんと統治できる人間……つまりこの場合、アルベールさんのことですが。そういう人間を見つけ出して、己の権力や役職を丸投げしたい。現在は、その丸投げのための筋道を作っている段階ではないかと思います」

 

「本当にそうか? あまりにもこちらに都合の良い妄想のように思えるが。崩壊寸前とはいえいち帝国の皇帝だぞ、そう簡単に権力を手放すものかね」

 

 うさんくさそうな目つきで、ソニアがフィオレンツァ司教を見た。司教はニッコリと笑って、肩をすくめる。

 

「ガレア王国屈指の大貴族家の家督相続権を躊躇なく手放す方もいらっしゃるのです。皇帝位を投げ捨てたい人間がいても、おかしくはないでしょう?」

 

 むう、とソニアは小さく唸って腕組みをした。まあそりゃそうね。オレアン公爵家が没落を始めた今、彼女の実家スオラハティ辺境伯家は名実共にガレア最大の領主貴族になりつつあるしな。ソニア、実家に帰らなくて大丈夫なんだろうか……? いや、今さらソニアに抜けられると滅茶苦茶困るけどさ。

 

「まあ、何にせよダライヤさんが仕事を辞めて隠居したがっているのは確かなことだと思いますよ。ですから、彼女の行動指針もその目的に沿ったものであると推測できます」

 

「確かにそうですね……」

 

 隠居してぇ……って自分で言ってたもんな、ダライヤ氏。気分はわかるぞ気分は。僕だって正直、領主の地位を投げ捨てたくなることあるし。……めちゃくちゃな事ばかりしでかすエルフどもの相手をしてるときとかにな!!

 ……ああ、だからさっさと現役から退きたいわけね、ダライヤ氏は。確かにあんな連中のトップに立ってあれこれ差配するするのは普通に心労がヤバいわ。逃げたくなってもしょうがない。だからって僕に投げつけるんじゃねえよ!

 

「だとすると、少なくとも途中までは我々とダライヤ氏の利害は一致しているということですね」

 

「なるほど……まあ、認めたくはありませんが一理はあります。実際、エルフ全体をリースベンの勢力下に置くことそのものには、双方それなりに大きなメリットがあるのは間違いないでしょう。むろんそのメリットには様々な問題が付随してくるわけですが」

 

 僕の言葉にソニアも同意した。戦士としても有能極まりないエルフたちだが、農民としても有能だ。なにしろリースベンの気候や土壌に合致した農業ノウハウと作物を持っている。

 現在のリースベン農民は気候に合っていないガレア式農法を使っているせいで、作物の生産高が伸び悩んでしまっている。食糧自給率の向上はリースベンの喫緊の課題と言っていい。エルフどもが腰を落ち着けて農業に励むようになれば、この辺りは随分と改善するだろう。

 

「つまり、少なくともダライヤ派エルフをこちらに取り込むまでは、彼女の思惑に乗るのも悪くないと」

 

「ええ。それが良いでしょう」

 

「フゥム」

 

 司教の言葉を聞いて、僕は小さく唸った。相手の思惑に乗りつつ主導権を取り戻すとか……なかなか難しいな。さて、どうしたものか。……戦術目標を達成させつつ、戦略目標をとん挫させる、これだな。

 ダライヤ氏の戦術目標は、リースベン軍とダライヤ派の一体化を進めて両者の融和をスムーズに進めること。これに関しては、大いに協力して構わない。しかし、戦略目標……つまり隠居に関しては阻止する。こういう方針で行こうか。

 

「……どうせエルフを傘下に取り込むとは言っても、直接統治するのは難しいんだ。だったら、我々とダライヤ派の折衝を行う人物が必要になってくる。これは、エルフの文化を良く知り、なおかつ思慮深い人間にしか務まらない。……ちょうどいい人材が、タイミングよく我々の懐に入って来たな?」

 

「んふ、ダライヤさんですか」

 

 フィオレンツァ司教がくすりと笑った。ダライヤ氏はこれが最後の御奉公だと思ってるんだろうが、そうはいかん。あなたには、少なくともエルフ情勢が落ち着くまでは頑張ってもらわなきゃ困るんだよ。

 

「その通りだ。我々に協力してくれるというのなら、ぜひ頑張ってもらおうじゃないか。ガンガン責任を押し付けてやる」

 

 彼女には大変申し訳ない話だが、相談もせずにこちらをハメるような真似をするからいかんのだ。このくらいの意趣返しはしたって構わないだろう。

 そもそもからして、ダライヤ氏はかなりの有能人材だしな。リースベン政府の人材不足はひどいものがあるので、そりゃあ有効活用しなきゃもったいないってもんだろ。何なら、エルフ問題以外でもどんどん活躍してもらいたいものだ。

 

「なるほど、良い考えです」

 

 両手をパチンと重ね合わせ、ソニアが言った。彼女とて、人手不足のせいで過労死寸前のオーバーワークが続いている。頼りになる仲間(・・)は、ぜひ欲しい所だろう。

 

「そもそも、上級幹部がわたしとジルベルトしか居ない状態でエルフどもの面倒まで見るのは不可能です。厄介者を押し付けてくるからには、それなりの誠意をというものを示してもらわないと困りますね」

 

「一理ある」

 

 僕は腕組みをしてウンウンと頷いた。確かにその通りで、ジルベルトにも大変な苦労をかけている。今回の遠征も、彼女に領主名代を押し付けてから出航してきたのだ。いまごろ、カルレラ市で四苦八苦していることだろう。

 

「そういう事でしたら、ぜひわたくしにお任せを。ダライヤさんが責任ある立場から離れられぬよう、布石を打っておきましょう」

 

「おお、それはありがたい。よろしいのですか?」

 

 フィオレンツァ司教の提案に、僕は膝を打った。実際、この申し出は大変にありがたい。なにしろ現状はヴァンカ派への対処で精一杯なのだ。政治闘争に明け暮れている余裕など微塵もない。政治力・交渉力に優れた司教の協力があれば百人力だ。

 

「ええ。わたくしは、戦働きでは何のお役にもたてませんからね。せめて交渉役としてはお役に立てる所を見せておきたいので」

 

 ニッコリと笑って、フィオレンツァ司教が頷く。そんな彼女を、ソニアが大変に胡散臭そうな目つきで睨みつけていた。……そんなに心配しなくても、司教に任せておけば大丈夫だよ。……たぶんね。

 

「ではこの件は司教様にお願いするとして……」

 

 そこまで言って、僕は香草茶を一口飲む。……甘ぁい! いったいどれだけ砂糖入れたの? なんかジャリジャリするんだけど……豪勢に砂糖ぶちこみすぎだろ。甘いものは嫌いじゃないけど、砂糖はとにかく高価(たかい)んだから出来るだけ節約してくれよ。

 

「作戦面においても、我々にできることはあるだろう。今回の戦いは、単にヴァンカ派から非戦闘員たちを保護すればよい、という単純なものではない。今後の政治的な主導権を握るためにも、重要な一戦となるだろう」

 

「……その顔、なにやら腹案がおありのようですね?」

 

 さすが、幼馴染副官は話が早い。僕はニヤリと笑って頷いた。

 

「その通り。うまくやれば、エルフたちの統治も容易になるだろう」

 

 そう前置きをしてから、僕は二人に自分の案を話し始めた……。



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第286話 聖人司教と蛮族皇女

 ワタシ、フィオレンツァ・キルアージは懸念していた。他人の陰謀に、そう簡単に手を出して良いものだろうか? ワタシも陰謀を走らせている最中に他人の介入を受け、計画がメタメタになってしまった経験がある。同じようなことがまた起きるのではないかと、正直かなり不安だった。まあ、あの策は介入を受ける前からちょっと破綻しかけてた気もするけど、トドメを刺されたのは確か。

 ダライヤおばあちゃんの計画は、思考を読み取った限りではパパ(アルベール)に語った通りの内容なのよね。ワタシにとっては、とっても都合がいい。パパに関しても、損より得が多いように思う。つまり、放置しておくのが最適解ってコト。

 とはいえ、パパに頼まれたからにはワタシも動かない訳にはいかない。正直、陰謀戦であのおばあちゃんに勝てる気がしないけどねぇ……まあ、脳筋のソニアに任せるよりははるかにマシ。結局、ワタシが頑張るほかない。

 

「フェザリアさん。ちょっとよろしいですか?」

 

 そういう訳で、ワタシはエルフ軍の陣地を訪れていた。陣地と言っても、水没林の川辺にエルフ集団がたむろしているだけの空間だけどね。エルフたちはアレコレおしゃべりをしながら、食事をしたり武器の手入れをしたりしている。なんとも荒々しく剣呑な雰囲気だった。顔は良いのにとんでもなくガラが悪いよのねぇ、コイツら。あんまり近づきたくないわぁ……。

 

「……だいかち思えば、フィオレンツァどんか。どげん要件や?」

 

 ワタシを迎えたのは、ダライヤおばあちゃん……ではなく、その対抗勢力正統エルフェニアの頭領、フェザリア・オルファン。おばあちゃんの陰謀に介入するとはいっても、流石に突然本人に会いに行くような真似はしない。将を射んとする者はまず馬を射よ、なんてパパが言ってたような気がするからね。とりあえず、周囲から攻略していくことにする。

 

「いまのうちに、少し個人的なお話ができれば……と思いまして」

 

 一応、作戦では攻撃開始は夕方以降、ということになっている。現在は、休憩が終わった者から戦闘準備に開始している状況。だから、オルファンもヒマではないはずなんだけど……彼女は、「ふーむ」と小さく唸ってから頷いた。

 

「個人的な話ちゅうと、人払いをした方がよかか?」

 

「ええ、お願いいたします」

 

「ううむ、分かった。ついて(ちて)きてくれ」

 

(こん忙しかときに……間が悪かね)

 

 ため息一つついてから、彼女は部下も連れず歩き始めた。相変わらず訛りすぎて何を言ってるのかよくわかんないけど、どうもついてきてくれと言ってるみたい。ワタシはお供連中に待機を命じてから、その背中を追った。

 いやー、話が早くて助かるわ。事前に渡りをつけておいて正解ね。"正統"には、リースベンとは別に星導教からも食糧支援を行うことを内密で確約している。だから、オルファンもワタシを邪険にはできないってワケ。まあ、もちろん食糧支援は布教と交換条件だから、一方的にこちらが債権者というわけでもないけどね。

 

「で、どげん要件なんじゃ? 布教に関してんこっであれば、でくれば後にしてもらおごたっとだが」

 

(我らのこれからを占う大切な一戦じゃ。万が一にも醜態を晒すわけにはいかん)

 

 ワタシを木陰に連れ込んでから、オルファンはそう言った。若干迷惑そうな様子ね。まあ、気分はわかる。ワタシは周囲を見回して、盗み見や聞き耳を立てているものがいないことを確認してから、ニッコリ笑って首を左右に振った。

 

「いいえ、そうではありません。すこし気になる情報が入って来たので、至急そちらのお耳に入れておいた方が良いだろうと思いまして」

 

「ちゅうと?」

 

 興味を引かれた表情で、オルファンは聞き返してくる。しかし、その心中はワタシへの不信感が渦巻いている。まあ、布教の件を受けたのも、リースベンにだけに生命線を頼る愚を避けるためだしね。もちろん、ワタシのことを心の底から信頼しているわけではない。

 このオルファンという人は、即断即決を是としているだけで、頭じたいはかなり良く回る人間という印象がある。おばあちゃんほどではないにしろ、この人もあんまり油断できる人間ではないみたい。

 

「……これは、"新"の中枢に近い方々から漏れ聞こえてきた話なのですが」

 

 内緒話をするような声音で、ワタシはそう前置きする。ま、嘘だけどね。昨日の今日で情報源になるような人間の確保なんかできるわけないもの、当り前よねぇ? そもそもわざわざスパイなんか用意するより、ワタシが直接心の声を盗み聞きしたほうがよっぽど早く正確な情報が手に入るし……。

 

「ほう」

 

(リースベンの連中、こん短期でちゃんと機能すっような情報網を整えたか。やっぱいアルベールどんな只者じゃなかど)

 

 ……本当にエルフどもの思考は読みにくいなあ。コレ、一応パパへの評価が上がった感じなの? それと同時に警戒レベルも一段階上がったような気がするけど……。ううーん、難しい。"正統"とリースベンを離間させるような真似は、絶対に避けたいからね。

 

「どうやらダライヤさんは、アルベールさんに結婚を申し込む腹積もりのようです。まあ、典型的な政略結婚ですね」

 

「……なんと」

 

(あん婆! ……いや、らしいといえばらしいが、なんてことを!)

 

 オルファンの形の良い眉が跳ね上がった。うんうん、イイ感じ。予想通りの反応ねぇ。この人も、パパのことは憎からず思ってるみたいだし。それが目の前で掻っ攫われようとすれば、まあいい気はしないでしょうねぇ?

 

「リースベンの安定を第一に考えているアルベールさんとしては、この提案は蹴りにくいでしょう。エルフと姻戚関係を結べば、統治もスムーズに進むわけですし」

 

「ううむ、確かにそんたそうだが……」

 

 ワタシの作戦は、至極シンプル。要するに、オルファンをダライヤおばあちゃんの当て馬にしようってワケ。おばあちゃんが引退しても統治に影響のない"新"と違い、"正統"はその権威性をオルファンの血筋に頼っている。だから、オルファンはパパとくっ付いても後継者が育つまでは引退できない。

 こうなると、おばあちゃんは困るわよねぇ? パパの伴侶となったオルファンが権勢を振るえば、"新"が冷遇されてしまう可能性が高い。こんな状態になっても同胞が見捨てられないくらいには責任感の強いおばあちゃんとしては、認められない展開じゃないかしらぁ。そうなるともう、自分も現役にとどまり続けるしかないワケよ。

 つまり何が言いたいかと言うと、パパがダライヤおばあちゃんとオルファンを同時に娶ってしまえば、万事解決ってコト。エルフどもが結婚攻勢を仕掛けてきたら、ソニアやジルベルトも危機感を抱いて積極的になってくれるだろうし。これが一石二鳥ってヤツ。

 

「しかし、"新"のみと姻戚関係を結ぶのは、バランスを欠く行為ではないかとわたくしは考えております」

 

「そいで(オイ)に話を持ってきたわけか」

 

「ええ、その通りです」

 

 深刻そうな表情で唸るオルファンに、私は頷き返す。よしよし、イイ感じで危機感を抱かせることに成功したわね。ま、実際問題、エルフたちを上手く統治するには、政略結婚が一番手っ取り早い手だものねぇ。そりゃあ、乗ってくるでしょうよぉ。

 しかし、エルフかあ。良いわよねえ、キレイだし長生きだし。ちょっと、いや、かなり野蛮なのが難点だけど、そのあたりは新しく生まれてくる子であれば教育でなんとかなるでしょ。"姉妹"としては、とても歓迎できる相手だわぁ。パパには、ぜひこの二人を娶ってもらいたいものねぇ。ワタシの計画上、"姉妹"はできるだけ増やしておきたいからねぇ。ガンガン子作りしてもらいたいものだわぁ。

 姻戚関係でガッチリブロンダン家とエルフたちが結び付けば、リースベン軍の戦力強化にもなるしね。ウンウン、本当にワタシにとって都合がいい状況だわぁ。ダライヤおばあちゃんサマサマねぇ。

 

「……じゃっどん、アルベールどんなどう考えちょっど? 本音を言えば、我らんような野蛮な輩と結婚すっなど、身ん毛もよだつことじゃろう。もしかしてあん方は、国んために自分の身を捧ぐっ気なんか? そいではあまりにも申し訳なか」

 

 わあ、オルファンったらお優しい。この言葉、本音だわ。下手したらソニアや宰相より淑女的なんじゃない? この人。伊達に皇女なんかやってないわ。オルファン家ってば、ガレアのヴァロワ王家よりも歴史が長いみたいだしね。やっぱり、高貴な血筋は違うわねぇ……。

 

「アルベールさんは国家国民の為なら躊躇なくその身をささげるお方です。何しろ、男だてらに騎士になって、その身を民衆の盾にされているようなお方ですからね」

 

「むぅ、確かに。じゃっどんそんた……あまりにも。アルベールどんな恩人や。彼を犠牲にすっような真似はしよごたなか」

 

 ……何言ってるのか半分くらいわかんないんだけどぉ!? なんとかなんないかしらね、コレ。訛りがひどすぎて本当にキツいわ。いっそ完全に別言語だったほうがわかりやすいかも……。

 

「わたくしは聖職者ですから、様々な夫婦を祝福して参りました。もちろん、政略結婚で結ばれた方も少なからずいらっしゃいます。しかしそういう夫婦は、必ずしも不幸せな状態になるわけではありません。お互い歩み寄る気持ちがあれば、政略結婚であっても愛し合うことができるのです」

 

 実際のところ、オルファンもパパのことは憎からず思っている。背中を押すのは、そう難しいものではないわ。ここまでくれば、思い通りの方向に思考を誘導するのは簡単……なにしろ、彼女自身の欲望に正統性を与えてやればいいだけだからね。ワタシは内心笑みを浮かべながら、オルファンに対して一気にまくしたてた……。



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第287話 くっころ男騎士と出撃準備

 あれこれやっているうちに、気付けば夕方になっていた。ヴァンカ派の反撃があるとすれば、夜だ。それに合わせ、我々もルンガ市に夜襲を仕掛ける計画である。エルフは竜人(ドラゴニュート)と同等かそれ以上に夜目の効く種族らしく、夜間戦闘はお手の元という話だった。

 

「できれば、夜間の間は防備を固め、本格的な攻勢は翌朝以降に行いたかったんだがな……」

 

 夕焼けに染まる川港で、僕たちは戦闘前の最終確認を行っていた。余裕ある態度を装ってはいるが、僕は内心気が気はでない。なにしろ夜戦である。昼間戦闘よりもよほど難儀な作戦だ。

 戦力的にはリースベン軍・ダライヤ派・"正統"の合同部隊である我々の方が優位なのだが、夜間の森林戦闘となると大軍の優位はほとんど生かせない。そのうえ、せっかく我々の側についてくれた鳥人たちも、鳥目のため夜間は飛行が出来ないのである。

 自らの優位性を捨て去るがごときこの作戦に、僕はため息をつかざるを得なかった。これが士官学校の演習問題であれば、おそらく僕には落第点がつけられていることだろう。

 

「保護対象が居る以上、軍事的な都合のみで作戦を立てるわけには参りません。致し方のないことでしょう」

 

 甲冑姿のソニアが、これまた小さな声で帰してくる。ま、いかにも味方の士気が下がりそうな内容の会話だからな。部下たちに聞かせるわけにはイカン。

 部下たち……特に陸戦隊員たちは、緊張した面持ちで装具の点検を行っていた。できることなら彼女ら一人一人に声をかけ、肩を叩いて緊張をほぐしてやりたいところだが……それは、陸戦隊の直属の士官の仕事である。上級指揮官があまりでしゃばるのも、よろしくない。我慢だ。

 ちなみに作戦上は一応こちら側から攻撃をしかける予定ではあるが、場合によっては敵の方が川港に奇襲を仕掛けてくる可能性もある。作戦の発動はまだだが、油断するわけにはいかなかった。

 

「まぁね。場合によっては、非戦闘員連中を我々より先に保護(・・)されてしまう可能性もある。それじゃ困るんだよ……」

 

 もはやほとんど戦士階級の者しか生き残っていない"正統"と違い、"新"は少なくない数の戦えない者たちを抱えていた。たとえば男性だったり、老人であったり(不老のエルフも子を成せば老化が始まるし、そのほかの種族は普通に加齢する)、子供たちだったりだ。

 ルンガ市在住の男性は、結構な比率でリースベンから攫われてきた者たちだという。うまくやれば、奪還だって可能だろう。リースベン軍としては、この機を逃すわけにはいかない。ヴァンカ派のエルフどもが男たちをどこぞへ連れ去ってしまう前に、確保しておく必要がある。

 

「向こうもバカじゃあない。現状の戦力でルンガ市を維持するのが難しいことくらい、理解しているはずだ。期を逸すれば、尻に帆をかけて逃げていく可能性が高い。奪還作戦を仕掛けるタイミングは今しかない」

 

 なにしろ、おそらく敵側の大将はヴァンカ氏だろうからな。彼女はダライヤ氏と同じく年齢四桁世代だという話だ。間違いなく、一筋縄ではいかない相手だろう。相手は常に最善手を打ってくるという想定で作戦を立てねばならない。

 

「困難な作戦ですね……」

 

 ソニアはそう言って、小さく笑った。言葉とは裏腹に、その表情には自信があふれている。まったく、頼りになる副官だよ。

 

「ま、せいぜい頑張るしかあるまいさ……」

 

 笑い返してから、僕は小さく肩をすくめた。そこへ、誰かがやってくるのが見える。ダライヤ氏だ。一見いつもと変わらないポンチョ姿のように思えるが、おそらくその下には革鎧を着こんでいるはずだ。日常の装いと戦装束の区別がつきにくいのが、なんともエルフらしい。

 ダライヤ氏も、そしてそのほかのエルフたちも、平素通りの余裕のある態度だ。緊張一色の陸戦隊員たちとは大違いだ。流石はベテランだな、風格が違う。彼女らが味方で良かったと、僕は内心安堵する。

 

「ブロンダン殿、こちらは準備万端じゃ、いつでも出陣できるぞ。そちらはどんな感じじゃ?」

 

「もう少し待ってくれ。本格的な夜戦は初めてという兵も少なくない。入念な準備が必要だ」

 

「ン、わかった」

 

 ダライヤ氏は頷き、そしてポンチョの中から未着火の松明を取り出して見せた。

 

「一応聞いておくが、しっかりとした灯りは用意しておるかのぅ? 松明であれば、多少は融通できるが」

 

「もちろんだ」

 

 肯定しつつも、僕はなんとも言えない心地になっていた。現代国家で戦闘教練を受けた人間としては、照明を片手に夜戦を行うなど自殺行為に思えてしまう。

 

「しかし、アレだな。今夜は随分と月が明るいが、それでも灯りが必要かね?」

 

「むろん、必要じゃ。知っての通り、ルンガ市は森の都。たとえ満月の夜でも、その光は地上まで届かぬ。一寸先をも見通せぬ状態で戦うなど、エルフであっても至難の業じゃ」

 

「ううむ、そうか……」

 

 森林戦の達人であるエルフがこう言っているのだ。僕としては、納得するほかない。

 

「ま、安心せぃ。条件は敵も同じじゃ」

 

「無責任なことをゆな、ダライヤ。木陰に潜んだ伏兵からすりゃ、松明を持った兵など的も同然や。どしこ警戒してんしたりんていうことは無か」

 

 ケラケラと笑うダライヤ氏を、暗がりの中から出てきたオルファン氏がたしなめた。なんだか、普段よりもトゲのある声音である。

 

「ま、そりゃそうじゃがのぅ。しかし、男を安心させるのも女の務めなのじゃぞ? オヌシこそ、ブロンダン殿を心配させるようなことは言わぬほうが良い」

 

「む、むぅ」

 

 オルファン氏がぷぅと膨れたので、僕は思わず笑ってしまった。なんとも凛々しい彼女がこういう顔をするのは大変に珍しい。そう思ってみていると、視線に感付かれた。その白い頬を桜色に染めつつ、オルファン氏は顔を逸らした。……なんだか、普段とちょっと反応が違う気がする。なぜだろう? 疑問に思ったが、今はそれを追及している時間もない。

 

「安心させてくれるのは嬉しいがね、不正確な情報を上げられちゃ困るよ。少なくとも仕事中は、僕のことは男だと思わないでくれ」

 

「おう、それは済まなんだ。次から気を付けよう。……ところで、仕事中はと言ったな? つまり、私的な時間は男扱いしても良いと……」

 

「それ以上余計なことを言ったら両手両足のすべての関節を外すぞ、チビエルフ。もちろん指も含めてな……」

 

 ソニアが地獄の底から響いてくるような恐ろしげな声で威圧した。僕の傍にいたカリーナが「ぴゃっ!?」と悲鳴じみた声を上げる。なんでお前がビビってるんだよ。

 

「おお、コワイコワイ」

 

 一方、威圧された方はどこ吹く風と言った態度である。うちの義妹とは面の皮の厚さが違うね。……まあ、見習ってほしいとも思わないが。

 

「実戦を前にして、なんとも頼もしい態度だことだ」

 

「伊達にウン百年も生きてないからのぅ」

 

「千ウン百年ん間違いじゃろうが」

 

 オルファン氏の言葉に、今度はダライヤ氏がふくれっ面になった。フグの稚魚みたいな顔だ。滅茶苦茶カワイイ。

 

「そ、そんなに年寄りではない。せいぜい、千歳止まりじゃ。たぶん、おそらく」

 

 ほんとかなァ? そう思ったが、追及はしない。戦闘前にあまり無駄話をするわけにもいかないからだ。小さく息を吐いてから、僕は陸戦隊のほうへ目をやった。丁度準備が終わったようで、隊長がこちらへ走り寄ってくる。

 

「お待たせいたしました、城伯様。陸戦隊、いつでも出撃可能です」

 

「よろしい。……ではみんな、作戦開始と行こうか」



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第288話 くっころ男騎士と夜間行軍

 薄暮の森の中を、粛々と進んでいく。鬼火のようにボンヤリと光る松明はこの鬱蒼とした夜の森を照らすには明らかに力不足で、木の根に足を取られて転倒する者や隊列から落伍してしまうものが続出した。もちろんリースベン軍では定期的に森林戦の訓練を行っているが、やはり夜間行軍となると昼間とはだいぶ勝手が変わってくる。

 

「少なくない数のエルフを味方につけることができて、本当に良かった……」

 

 部下たちの様子に目を光らせながら、僕は隣を歩くソニアに向けてボソリと言った。普段の僕は行軍は基本的に騎乗して参加するのだが、今回は徒歩だ。森の中では騎馬の強みはほとんど生かせないし、飼い葉や飲み水も大量に消費するから兵站への負担も大きい。そのため、馬は一頭たりとも持ち込んでいないのである。

 もちこんでいないのは、馬だけではない。大砲もだ。本格的な交戦を想定した編成ではないのだから仕方が無いが、騎兵や砲兵の支援を受けずに歩兵部隊だけで作戦を行うのはなんとも不安だ。まあ、もちろん口には出さないが。

 

「エルフと我々に、ここまでの練度の差があるとは。長命種はやはり伊達ではありませんね」

 

 ソニアのほうも、僕と同意見のようだ。なんとも危なっかしいリースベン軍の行軍とは異なり、ダライヤ派や"正統"のエルフ兵は危なげもなく慣れた調子でズンズンと前に進んでいる。たまに行軍を停止して待ってもらわないことには、我々が置いて行かれてしまいそうだ。

 エルフたちとの交戦を徹底的に避けた己の判断は、間違っていなかった。今になってしみじみとそう思う。こんな連中と真正面からぶつかっていたら、リースベン軍はあっという間に蒸発していたことだろう。援軍のガレア王国軍もマズいことになっていたに違いない。

 

「正直、前後左右をエルフ兵たちに守ってもらっている状態でなければ、行軍すらしたくありませんね」

 

「同感だ」

 

 昼間の平地ですら、落伍者を出さないように行軍するのはなかなかの難事なのである。ましてや夜の森となれば大量の脱落者が出てしまう。目的地に到着する頃には、兵員が半分以下になっていてもおかしくはないだろう。

 しかし今回の場合、そんな落伍者は我々の周囲に展開したエルフ兵が回収して隊列に戻してくれている。なんとも有難いサポートだが、流石に情けない気分になってくる。我々は護送船団に守られた無力な輸送船か何かだろうか?

 

「あだっ!」

 

 暗い森の中で、悲鳴が上がる。敵の襲撃かと思って身構えるが、どうやら木に頭をぶつけてしまっただけのようだ。下士官の叱責の声が聞こえる。……まあ、すでに周囲は真っ暗だし、松明も全員が持ってるわけじゃないからね。そりゃ事故も起こるわ。

 その上、種族的な問題もある。竜人(ドラゴニュート)は夜目の効く種族ではあるが、リースベン軍の一般兵は結構な比率でそれ以外の種族の者が混ざっているのである。なにしろ彼女らは、大半が王都で募兵に応じた貧民たちだからな。大半が元出稼ぎ労働者だから、種族も雑多なものである。当然、夜目の効かない者も多い。

 

「……」

 

 夜襲なんか提案するんじゃなかった。そんな考えが頭に浮かんでくる。しかし、時間は我々に味方しない。民間人の保護は、可及的速やかに実行する必要があった。明日の朝まで待つというのは、ナンセンスが過ぎる……。

 

「敵は、まだ仕掛けてきませんね」

 

 油断ない目つきで周囲を見張りながら、ソニアが言う。確かに彼女の言う通り、今のところ敵に接触したという報告は一切うけていない。いくら闇の中といっても、こちらはかなりの大所帯だ。敵が我々の動向をまったく掴んでいないということはあり得ないだろう。事前の予想では、そろそろ前哨戦が始まっているはずなのだが……。

 

「こっちには"正統"の本隊も合流したからな。予想以上に戦力差が開いたので、手出しを控えているんだろうか……」

 

 なにしろ"正統"は全軍を投入してきている。これにわれわれとヴァンカ派が加われば、戦力差はほとんど二対一に近くなる。まともな指揮官であれば、交戦を躊躇するだろう。……まともな指揮官であれば、だ。

 でもたぶんヴァンカ氏はまともな指揮官じゃないし、その部下のエルフ兵たちも間違いなくまともな兵士ではないんだよな。むしろ「敵大軍の夜間行軍? ボーナスタイムじゃんヤッター!」みたいな感じで仕掛けてきそうなイメージがある。にもかかわらず現状はナシのつぶてだ。少々、イヤかなり不気味である。

 

「しかし、この期に及んで何の接触もないというのは解せないな。そろそろ、前衛はルンガ市に到着する頃だろう」

 

 そもそも、我々が一時の拠点にしていた川港とルンガ市はそれほど離れていない。歩みの遅い夜間行軍でも、大した時間もかけずに移動することができるわけだが……ううーん、こりゃ、罠の臭いがするな。

 

「これは……我々が良く使うパターンかもしれませんね」

 

 付き合いが長いだけあって、ソニアも同じ結論にたどり着いたようだ。敵をキルゾーンに誘引し、四方八方からボコボコに叩きのめす。僕の鉄板戦術である。僕らの目的地がルンガ市であることはヴァンカ氏も察しがついているだろうからな。罠を張るのもそう難しい事ではないはずだ。

 

「寡兵で大軍に挑む……そういう状況で使える戦術は、かなり限られているからな。少なくとも、地の利を生かしてくるのは間違いあるまい」

 

 だとすると、敵の主力はルンガ市の外縁部に配置されているものと予想できる。とりあえず、その辺りに偵察隊を派遣してみよう。そう思って、手近な所にいる長老を呼び止める。この手の任務は、正直な話リースベン兵には任すことができない。下手をすれば敵の攻撃がなくとも勝手に遭難してしまうかもしれない。

 

「少しいいかな、長老殿」

 

「どげんした、若様。ワシに一番槍でも任せてくれっとかね」

 

 ニヤリと笑って、長老は聞き返してくる。夜闇の中でもエルフ族の美貌は健在だ。僅かな光に照らされたその顔は、見惚れてしまいそうなほど美しい。美しいが、だから若様ってなんだよ? 問いただしたい気分はあったが、今は実戦の真っ最中。無駄話をしている余裕はないので、スルーする。

 

「ルンガ市周辺に敵に伏兵が潜んでいる可能性がある。突入前に安全を確認しておきたい、斥候を頼めるか?」

 

「ン、なっほど。昼間使うた手をそんままやり返されんよう、手を打つちゅうわけじゃな?」

 

 さすが、長老級ともなると理解が早い。僕は思わず相好を崩した。この調子であれば、エルフたちとの共同作戦は思った以上にスムーズにいきそうだ。

 

「その通りだ。向こうだって、こっちの目標がルンガ市であることは理解しているだろうからな。何もしかけていない、などということはあり得ないだろう」

 

「うむ、うむ。確かにそん通りじゃ。じゃっどん、ワシん手勢だけでは少々手が足らん。いくつか部隊を貸してもろうてえかね?」

 

「もちろんだ。頼んだぞ」

 

 夜間の偵察任務だ。昼間以上に敵の捜索は困難を極めるだろう。少人数をチビチビ派遣するより、大人数で山狩りめいたローラー作戦をやるほうが効率的である。なにしろ兵数で優越しているのはこちら側なのだ。その優位性は積極的に活用したほうが良いだろう。

 

「おう、任せちょけ!」

 

 頼もしい声でそう答えた長老は、片手をひらひらと振りつつ夜闇に消えていった。その背中を見送りつつ、僕は思案する。さて、ヴァンカ氏はどういう出方をしてくるだろうか……?



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第289話 くっころ男騎士と偵察結果

「敵の気配が……ない?」

 

 それからしばらく後。偵察から戻ってきた長老の報告に、僕は思わず眉を跳ね上げた。

 

「うんむ、ワシもたまがっちょっとどん……根掘り葉掘り探してん、若造(にせ)ん一匹もおらなんじゃ」

 

 腕組みをしつつ、長老はそういう。小さく唸りつつ、僕は思案した。敵の偽装が巧みで、見破ることができなかったのだろうか? 森の中は真っ暗で、ダライヤ氏の言う通り灯りが無ければ一寸先も見通せないような状況だ。いかにエルフたちが優れた戦士だとしても、敵の兆候を見逃してしまった可能性は十分ある。

 しかし、報告の通り本当にルンガ市外縁部にはまったく敵が居ない可能性も排除しきれないのである。自分の考えに固執し、敵が居もしない場所へむやみやたらと斥候を送ってしまうのは、新米指揮官によくある失敗だ。そんな無駄なことで貴重なリソースを浪費するわけにはいかない。さて、どうしたものか……。

 

「市内の様子はどうだった? 郊外を偵察したのなら、ある程度内側の様子もわかるだろう。なにか変わった様子はなかったか?」

 

 まあ、ルンガ市は森におおわれた村なので、下手なビル街よりもよほど見通しが効かない街なのだが。しかしまあ、それでもある程度近づけばそれなりに情報は集まるだろう。

 

「ウム、そん件なんじゃが……どうも、市内ではかがり火が盛大に焚かれちょっようやった」

 

「かがり火……?」

 

 僕は眉をひそめた。僕の記憶が確かならば、昨夜はそんなものは使われていなかった。疑問に思って、ウルの方を見る。こういうことは、現地に住んでいる人間に問うのが一番だ。

 

「家ん外で夜に火を焚ったぁ、普段なら御法度になっちょります。光がいっぺこっぺに漏れたや、たて森ん中でも容易に居場所がバレてしまうでね。我々は夜に空を飛ぶことはできもはんが、ミミズクやフクロウん鳥人たちであればなんとか夜間偵察もできっで……」

 

「なるほど、確かにルンガ市は徹底的に隠ぺいされた都市だ。容易に場所を悟られぬよう、普段から気を使っているわけか……」

 

 航空偵察を恐れて灯火管制を行うなんて、思った以上に先進的だなあ。……いやまあ、今はそんなことはどうでもよい。問題は、普段使っていないはずのかがり火がなぜ焚かれているか、だ。

 今回の一件で、"新"の主敵である"正統"にもルンガ市の場所が露見してしまった。もう擬装をする必要がない以上、灯りを解禁したほうが戦いやすいと踏んだか……?

 

「できることなら、市内の偵察もしたいな。現状の情報では、わからないことが多すぎる」

 

 思案しつつそう言うと、長老はキョロキョロと周囲を見回した。いかにも怪しげな動作である。僕も士官としてはそれなりにベテランだから、すぐに察しがついた。こいつ、命令してないことまで勝手にやりやがったな?

 

「実は、こっそり中ん様子も確かめてきたんじゃが」

 

 囁くような声で耳打ちしてくる長老に、僕は小さくため息を吐いた。独断専行、まあ良くある話だ。指揮官としては下の独自判断で勝手な真似はしてほしくないのだが、上の命令に何も考えずに従うだけのロボット人間になられても困るからな。どこまで現場の判断を容認するかというのは、なかなか悩ましい問題である。

 彼女が単なる馬鹿なら、ここで偵察行の成果を自慢げに話し始めていることだろう。しかし、わざわざ声を潜めてこっそり報告してくるあたり、独断専行の容認が致命的な統制の緩みにつながるということを認識できているわけだ。そういう意味では、長老は気が利いている。

 

「……ほう、どうだった?」

 

「男子供が縛り上げられて、村ん広場に放置されちょった。そん周囲に、警備をしちょっ兵ん姿は無かった」

 

「なんだ、それ」

 

 意味がわからない。わざわざ男や子供を縛り上げて、しかも警備もつけずに放置していた? その行為に、どんな意味があるというのだろうか。思わず隣にいるソニアの方を見たが、彼女も眉をひそめながら首を左右に振るばかりである。

 

「あまり深入りしすぎてんマズかち思うて、いっき退いたがね。おかげで詳しか事は分からずじめじゃが」

 

「良い判断だ。どう考えても、罠臭いしな」

 

 僕は腕組みをして、小さく唸った。男や子供……つまり、保護対象を捕縛して、一か所に集める。どう考えても餌だ。考えなしにカブリと食いついたら大変なことになるに違いない。

 

「しかし、どうしたものか。敵の姿が全然見えないというのが不気味だ」

 

 声を普段のトーンに戻して、僕はそう言った。ヴァンカ派の兵士たちは、どこに隠れているのだろうか?たった一人の兵士すら尻尾を出さないというのは流石にヘンな気がする。ヴァンカ派兵には少なくない数の未熟なエルフ……虚無僧エルフが混ざっているのだ。あまり統制だった行動が出来るとは思えないのだが……。

 

「もしや連中、撤退したのでは? 自分たちの勢力だけではルンガ市を維持できないことくらい、ヴァンカも理解しているでしょう。いったん姿をくらまし、態勢を整えているのでは……」

 

 ソニアの意見に、僕はふむと頷く。あり得ない話ではない。ヴァンカ氏は復讐に狂っているものの、理性を失っているわけではない。退いた方が良い状況であれば、躊躇なく撤退するだろう。

 ルンガ市から撤退したと考えると、男子供を放置している理由も推察できる。要するに、足手まといを切り捨てたのだ。ただでさえエルフの食料事情は大変によろしくないのだ。戦えぬ者を養う余裕はあるまい……。

 

「その可能性は十分にある。しかし、油断は禁物だな。相手はダライヤ殿と同じくらいの古老だ。我々のような若造には想像もできないような奇抜な策が飛んでくるかもしれん」

 

 籠手の装甲を指先でトントンと叩きつつ、僕は考え込んだ。それを見た長老が、ニヤリと笑って言った。

 

「いっそ一気呵成に攻め込んちゅう手もあっ。少々被害は出っかもしれんが、こちらん方が戦力的には優越しちょっど。少しばかりん損害であれば問題はなか」

 

 ……危ないことをいう人だな。兵も見ているというのに、堂々と犠牲を前提にした作戦を話すとは。むろん僕だって場合によっては捨て石じみた作戦を取ることはある。犠牲を過剰に恐れると、却って被害が増えることになるからだ。

 とはいえ、それを兵の前で話すような真似はしない。捨て駒にされて喜ぶヤツなんかそうそうはいないからだ。味方兵の士気は大丈夫かと、周囲をうかがうが……。

 

「おうおう、良か考えだ。そげんこっなら、(オイ)にお任せあれ。見事に死に華を咲かせて見せよう」

 

「自分だけ恰好を付けようたって、そうはいかんぞ。アルベールどん、ここは(オイ)に」

 

 いかん、なぜかむしろ士気があがっている。なんでそんなに物騒な方向に積極的なんだよお前らは、そんなんだから滅亡寸前になるんだぞ。見ろよ周りのリースベン兵の顔を。ドン引きしてるじゃねえか。

 ううむ、しかし確かにそのアイデアは悪くはない。どうせ、この夜闇では満足な偵察など行えるはずもないのだ。打って出るなら、早めの方が良い。相手の策に嵌まったら、その時はその時だ。

 

「いいだろう。しかし、攻撃を決断したからには、小部隊をペチペチぶつけるようなケチ臭い真似はしない。本隊の全力をもってルンガ市を強襲し、手早く非戦闘員を保護しよう」

 

 僕の言葉に、エルフ兵は剣を掲げて「おうっ!」と答えた。罠とわかっている場所に突っ込むというのに、この態度とは……まったく、気持ちの良い連中である。



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第290話 くっころ男騎士と夜の村(1)

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、ということわざもある。明らかに罠ではあるが、僕たちはルンガ市に突入することにした。むろん、何も対策をせずに突進、などという真似はしない。前衛を土地勘のあるダライヤ氏らに任せ、光栄にオルファン氏の"正統"軍を配置して退路を守ってもらう。

 面白みのない単純な陣形だが、にわか作りの連合部隊でいきなり複雑な戦術がとれるはずもない。ここは手堅いやり方でいくことにした。ガッチリと防備を固めつつ、我々はルンガ市に入っていく。

 

「本当に敵が居ませんね」

 

 油断のない目つきで周囲を警戒しつつ、ソニアが言う。長老の言う通り、ルンガ市からは人気が失せていた。粗末な竪穴式住居が、かがり火に照らされぼんやりと浮かび上がっている。耳に入るのは、秋の虫の鳴き声と味方兵の息遣い、そしてかがり火の爆ぜる音ばかりだ。まるで異界に迷い込んでしまったような気味の悪さを感じる。

 

「敵どころか、それ以外の気配も感じん。不気味じゃのぅ」

 

 そう答えたのはダライヤ氏だ。自然体に見える彼女だが、手は腰の木剣の柄に添えている。いつでも抜刀可能な臨戦態勢だ。

 我々リースベン軍は、ダライヤ派の兵士たちと共に先陣を切っていた。なにしろ僕の手勢は三勢力の中でもっとも数が少なく、中核として配置するには少々……いや、かなり荷が重い。ならばいっそ主力のダライヤ派部隊の補助に徹したほうが良かろうという判断だ。

 まあ、本音を言えば安全な場所で見物していたいんだがね。地元民相手に森林戦とか絶対にやりたくねぇよ。しかし、エルフどもを傘下に収める気であるならば、そう都合の良い事ばかりは言っていられない。血を流す覚悟のないものに為政者は務まらないのだ。……価値観が中世以前だなあ。文民統制国家までの道のりはまだ遠い。

 

「この盤面、ダライヤ殿はどういう風に見る? 僕としては、いわゆる空城の計を疑っているのだが」

 

 空城の計というのは、わざと敵を自陣に招き入れることで警戒心を誘い、相手を疑心暗鬼に陥れる計略のことだ。古典的な戦術だが、実際に使われると確かに厄介だ。敵がどう出てくるのかさっぱりわからん。

 

「ま、その通りじゃろうな……。流石はヴァンカ。厄介な手を使う」

 

「策士としては、かなりの出来物なのかね? ヴァンカ殿は」

 

 ダライヤ氏とヴァンカ氏は長年の友人だったという話だから、相手の手のうちもある程度読むことができるだろう。少々申し訳ない気もするが、少し詳しく聞いてみることにする。

 

「うむ……あの婆は、ああ見えてかなりの用兵家じゃよ。百年ほど前、エルフェニアが分裂の危機に陥った際はその辣腕を振るい、反逆者をバッタバッタと薙ぎ払っていったのじゃ」

 

「大婆様、そんた四百年前ん話だぞ」

 

「エッ!? もうそんなにたつのか? てっきり、ほんのこの間の話だとおもっておったが……」

 

 相変わらず時間感覚がガバガバだなこのロリババア。百年前の戦乱はエルフェニア分裂の危機どころかマジで分裂しちゃったヤツじゃないか。

 

「……なるほどな。稀代の名将を相手にする気分で戦った方が良いという事か」

 

 冷静に考えて、前世現世を合算しても三十年弱の軍歴しかない僕が、年齢四桁の古老を相手に対等に立ち回るというのがまず無理な話なのだ。総指揮は、出来ることならば同格であるダライヤ氏に執ってもらいたいものだ。まあ、立場的にそんなことは口が裂けても言えないわけだが。はあ、辛い。癒しが欲しい。

 

「若様、こん先ん広場で男子供ども縛り上げられちょっようじゃ。どうしもんそ?」

 

 そうこうしているうちに、露払いを任せていた斥候隊から伝令エルフ兵がやってくる。まーた若様呼ばわりか。エルフの中で流行ってんのかね……。

 まあ、今はそんなことはどうでもよい。やはり以前の報告のとおり、村に居た非戦闘員たちはまとめて一か所に集められているようである。どう見ても寄せ餌なんだよな。どうしたもんかね?

 

「ふむ……周囲に敵の気配はないか?」

 

「無か。広場ん周囲はもちろん周りん家ん中まで探索したが、見つかったぁゴキブリとネズミくれじゃなあ。戦士どこいか人間すらどけも見当たりもはん」

 

 エルフの家にもいるんだな、ゴキブリ……。エルフの神秘的なイメージが粉々に砕け散ってしまったぞ。いや、圧倒的に今さらだが。

 

「伏兵のみならず、仕掛け罠ん類も見当たらんなじゃ。……男どもを開放してやって大丈夫じゃしかね? どうも、おいん義弟と姪も捕まっちょっごたって……はよ助けてやろごたっどが」

 

 なに、仕掛け罠(ブービートラップ)すら無いだと? そんなおかしな話があるだろうか? 前世で兵隊をやっていた頃も、今のようなシチュエーションには何度か遭遇しているが……毎度のように悪辣極まりないブービートラップ祭りが開催されていたものだ。テロ屋どもが思いつくような手を、エルフたちが思いつかないとはとても思えないんだが……。

 

「まあ待て、ここは慎重に行こう」

 

 ヴァンカ氏は何をしたいのだろうか? 頭の中でグルグルと疑問が渦巻く。もしかして、たんに足手まとい共を僕たちにしつけたいだけなのか? それもありえる。ありえるが、頭からそうだと決めつけるのは不味い。今の僕はエルフたちの総指揮官でもある。僕の双肩には、千人近い兵士たちの運命がのっかっているんだ。軽率な判断は厳に慎まなくてはならない。

 脳裏に前世で見た光景がフラッシュバックする。街中をパトロールしている最中に、部下たちの乗った四輪駆動車(ハンヴィー)路肩爆弾(IED)で吹っ飛ばされてしまったのだ。三トン近い鉄塊が五階建てのビルほどの高さまで舞い上がったあの光景は、文字通り死んでも忘れられない。

 部下の数が多くなったぶん、僕が失敗すればあの時をはるかに超える惨劇が発生する。責任は重大だ。内心冷や汗をかきつつ思案していると、ソニアが提案を出してくる。

 

「アル様。ここは、本隊で広場の周囲を固めつつ慎重に民間人たちを解放するというのはどうでしょうか? 流石に、夜が明けるまでずっと指をくわえて待っているような真似もできませんし」

 

「うん、そうだな。結局のところ、見捨てるなどという選択肢はないわけだし」

 

 頷いてから、僕は本体に男子供が囚われているという広場への突入を命じた。各々が武器を構えつつ、ゆっくり進軍していく。村内はあちこちでかがり火が焚かれているが、夜の森の闇はその程度の灯りではこゆるぎもしないほど深くて暗い。一寸先の闇に敵が潜んでいるような気がして、とても不安だった。

 おまけに時折奇怪な鳴き声と共に飛び去る怪鳥などがいて、そのたびに心臓が派手に跳ねる。何も起こっていないうちから、ジリジリと精神力が削られていた。むろんそれはリースベン兵はもとよりエルフ兵ですら同じのようで、その美しい顔には冷や汗が浮かんでいる。

 これもヴァンカ氏の策のうちなのだろうか? ジリジリとした心地で足を進めていると、陸戦隊員の一人が大きく息を吸うのが見えた。慌てて彼女の肩へ手を乗せる。

 

「うひゃっ!」

 

「はい吐いて―。吸ってー、吐いて―。吸ってー、吐いて―……はーい、深呼吸ヨシ」

 

 ほとんど反射的に僕の指示に従って深呼吸をしてしまった若い兵士は、思わず目を白黒させた。おおかた、「仕掛ける気ならさっさと出てこい、臆病者ども!」とかなんとか叫ぼうとしたのだろう。気分はわかるが、勘弁してほしい。

 

「アレです」

 

 誰もかれもが不安な心地のまま進むこと三分。先導役のエルフ兵が、何かを指さして言った。そこに見えたのは、新エルフェニア元老院、そしてその前で縛り上げられた男性や子供たちの姿だ。数は合わせて百人足らずといったところか。

 

「無体な真似をする……」

 

 ソニアがぼそりと呟いた。その視線の先には、粗末な縄でグルグル巻きにされた男児の姿がある。やっとよちよち歩きができるようになったくらいの年齢の子供で、火がついたように泣き叫んでいた。思わず、僕も籠手に包まれた手をぐっと握り締めてしまう。

 それでも、冷静さを失う訳にはいかない。己の心を落ち着けさせながら、僕は彼らを観察した。大半が男と子供で、子供に関してはエルフもいれば鳥人もいる。少数ながら、只人(ヒューム)もだ。しかし、大人は男性のみである。少ないながらも確かにいるはずの、子を産んで加齢の始まったエルフの姿は一人も見えない。

 

「思ったより少ないな。他の民間人たちは、どこか別のところに捕らえられているのか?」

 

「この街の男子供はあれで全部じゃ。他の女どもの居場所はわからんが……」

 

 ダライヤ氏の返答に、僕は眉を跳ね上げた。総人口千人オーバーの集落で、男子供があれだけしかいないのか? いくらエルフが長命種とはいっても、流石に少なすぎる。そりゃ、絶滅寸前にもなるというものだ……。

 まあ、僕らの最終戦目標は、リースベンから攫われてきたであろう男性陣だ。そんな彼らが一か所にまとめられているのなら、話は早い。僕はこほんと咳払いをしてから、隊列から出て男たちに話しかけた。危険な行為だが、僕はリースベンの代表者だ。責任者としての責務を果たす必要がある。

 

「……諸君ら、無事か!? 僕はリースベン城伯、アルベール・ブロンダン! 諸君らを救援しに来た!」



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第291話 くっころ男騎士と夜の村(2)

「……諸君ら、無事か!? 僕はリースベン城伯、アルベール・ブロンダン! 諸君らを救援しに来た!」

 

 一歩前に進み出て、僕はそう叫んだ。できれば今すぐ彼らに駆け寄って縄を解いてやりたい気分だったが、罠の可能性を想えばそういうわけにもいかない。

 捕まっている人質(と言っていいのかはわからないが)は雑に縛り上げられ、無造作に並べられていた。まるでゴミの不法投棄現場だ。ひどい扱いではあるが、遠くから見た限り爆弾や焼夷弾のような大がかりな罠は仕掛けられていないように見える。

 

「リースベン! 本当にリースベンが助けに来てくれたのか!? 見捨てられたものかと」

 

「男の声だったぞ、どういうことだろう」

 

 男子供どもは縛り上げられてはいるものの、口までは塞がれていない。彼らがあれこれ話す声を聞いて、僕は小さく息を吐いた。男たちの話し方が、この頃すっかり聞きなれたエルフ訛りではなくガレア風のものだったからだ。どうやら、この男たちは本当にリースベンから攫われてきた連中らしい。

 いざ被害者を前にすると、やはり『なんてことしてくれやがったんだこいつらは』という感情を覚えずにはいられない。そりゃまあ、長命種であるエルフはさておき、鳥人連中は男が居なきゃ滅んでしまうから、彼女らとしては致し方のない部分もあるのかもしれないが……攫われた方には、そんな言い訳は通用しないだろ。

 

「ほ、本当にあなたが、その……リースベンの領主様なのですか? リースベンは王室の直轄領だったはずでは……」

 

 年かさの男がそんな質問を投げかけてくる。どうやら彼らは、エルフたちからリースベンの現状を聞いていないようだ。まあ、エルフどもは男たちを返還する気はなさそうだったからな。わざわざ故郷の話をして、里心を覚えさせるような真似はしないだろう。……ファックって感じだ。

 

「いろいろあったんだ、いろいろ。その辺りはあとで詳しく説明する。それより、今は諸君らのことだ。病気や大けがをしている者はいるか?」

 

 こうしているうちにも、ヴァンカ派が何かを仕掛けてくるかもしれない。男や子供たちの体力や体調の問題もあるし、可及的速やかに介抱してやりたいところだ。まあ、急ぎ過ぎて罠を踏んでもいけないからな。迅速と慎重を両立しなきゃいけないのがむずかしいところだ。

 

「大丈夫です。少々手荒に扱われましたが、まあせいぜい擦り傷くらいです」

 

 年配男性はそう説明するが、その後ろでは「それより早く助けてください」と叫ぶ青年が居たり、「ちちうえーっ!」と泣き叫ぶエルフのちびっこ(ダライヤ氏のようなパチもんではなく本物の幼児だろう)がいたりと、大変にカオスな状態である。うるさすぎて少々会話に支障があるレベルだった。

 

「申し訳ないが、今は静かにしてほしい。諸君らの安全を確保するために必要なことだ」

 

 男や子供たちを見回しながら、僕は努めて優しい声でそう言った。彼ら、彼女らは、皆顔色が真っ白になっていた。そりゃあそうだろう。いつものように生活していたら、突然同じ集落に暮らしていた者たちに牙を剥かれたのだ。肉体的なもの以上に、精神的なショックが大きいはず。

 ワイワイガヤガヤ騒いでいるのは、その不安を紛らわせるためだろう。その気分はよくわかるので、黙るよう求めるのは少々……いや、かなり心苦しかった。しかし、今は心を鬼にすべき状態だ。子供はさておき大人たちがある程度静かになったタイミングで、僕はコホンと咳払いをした。

 

「負傷者はナシか、それは良かった。ところでこれから諸君らを解放するが、その前に一つ聞いておきたいことがある。諸君らが拘束された際、連中は罠のようなモノを仕掛けたりはしていなかったかね?」

 

 人質に爆弾を仕掛けるのは、こう言った状況ではもう鉄板の戦術だからな。前世でも飽きるほど見た手だ。人間の悪意には底がない、いくら警戒してもしたりないってことは無いんだよな。

 

「いえ、そのようなことは流石に……何があったのかはよくわかりませんが、妻や母親に縛り上げられてしまった者も少なからずおります。夫や我が子を相手に、そのような無体な真似はしますまい……」

 

 本当かぁ? 人間追い詰められたら何でもやるからな、家族を生贄にするくらいはそりゃするだろ。……いやまあ、爆弾(エルフの場合、火薬を持っていないので焼夷弾になるかもしれない)のようなモノを仕掛けられたら、軍事に疎い男どもでも流石に気付くだろうからな。とりあえず、大げさな罠が仕掛けられていないというのは本当やもしれん。

 ……とはいえ男どもがヴァンカ派と結託して、自爆攻撃をしかけるためこちらに嘘を言っている可能性も無くはないがね。男たちは拉致の被害者だが、だからと言って頭から信用することはできない。被害者が誘拐犯の言いなりになってしまう例は決して珍しいものではないからだ。いわゆるストックホルム症候群ってやつだな。

 

「よぉし、それならいい。では、拘束を解こう。安全な場所まで護衛するから、暴れたり騒いだりしないように」

 

 そう言ってから、僕は視線を部下たちに向けた。

 

「解放作業は陸戦隊にやらせる。ただ、罠の類の発見や解除はエルフの方が鳴れているだろう。ダライヤ殿、何人か人を貸してくれ」

 

「ふむぅ、それは構わんが……」

 

 ダライヤ氏は眉を跳ね上げ、ちらりとエルフ兵たちの方を見る。案の定、彼女らは不満顔だ。

 

「あんわろらは(オイ)らん里ん男や子供どもだぞ。(オイ)らん手で助けてやっとが筋じゃなかんか?」

 

「そうだそうだ。あん中には(オイ)ん姪っ子も混ざっちょっど、指くわえて見てろってんか」

 

 まあ、そりゃそうだよね。子供たちはさておき男たちに関していえば僕らからすれば拉致被害者であるが、エルフたちからすればすでに自分の街の人間だ。よそ者である僕らが主導で保護をするのは抵抗があるだろう。

 実際、爆弾等の大規模かつ殺傷力の高い罠が設置されている可能性を考えれば、キケンな解放作業はエルフどもにやってもらいたい気分はある。しかし、その作業をエルフにやらせてしまった場合、男たちをリースベンに連れ戻すための交渉が面倒なことになる可能性が高いからな。彼らは、できればリースベン軍の手で介抱しておきたい。

 

「いや、駄目だ。作業中に敵が襲撃を仕掛けてきた場合のことを考えれば、優秀な戦士たちの手はできるだけ開けておきたい。いざという時に、すぐ対応できるようにな……」

 

「た、確かに若造(にせ)どもに守らるっようなげんね真似はしたくはなかが……」

 

「敵がどう出てくっかわからんもんな。あんヴァンカんクソ婆が、こんままないん手出しもしてこんなんてありえんし……」

 

 しかし、ちょっと褒めてやればこの調子である。チョロいなエルフ兵。呆れていると、ダライヤ氏が半笑いになりながらウィンクしてくる。なんだその「そうそう、その調子。だいぶ勝手がわかって来たじゃないか」と言いたげな表情は。

 まあ、とにかくそういう訳で、僕は陸戦隊を前に出して男子供を開放するように命じた。部下たちは慎重に縛り上げられている被害者たちへと近寄り、罠がないか確認をし始める。

 

「……」

 

 緊張の瞬間である。僕は努めて自然体を装いつつも、万が一の際はすぐに伏せられるように準備しておく。人質に触った瞬間大爆発、みたいなことが起こってもおかしくないからだ。

 エルフや騎士たちの間にも緊張が走る。手に小銃や妖精弓(エルヴンボウ)をもって、周囲に油断のない視線を走らせていた。爆弾がなくとも、作業中の兵士に矢を射かけてくるくらいはするかもしれない。この広場には大量のかがり火が焚かれており、周囲からは丸見えなのだ。射撃武器の脅威度は高い。

 本当ならば、かがり火は消しておきたかったんだがな。普通に考えれば、このかがり火は射撃標的を照らし出すために用意したモノだろう。そんな中でチンタラ作業をするなんて、自分から罠に引っかかりに行くようなものだ。あまりにも危険すぎる。

 しかし、火を消すとそれはそれで問題がある。視界が悪くなると、罠の発見や解除が難しくなってしまうのだ。それはそれで困る。非常に困る。僕としては、一斉射撃より爆弾の方が怖いからな。仕方なく、そのまま作業するほうを選択した。

 

「罠らしきものは確認できません!」

 

 陸戦隊の隊長が、大声でそう報告する。僕は被っている兜のバイザーを指先でトントンと叩いた。

 

「……地面に何か埋まってる様子はないか?」

 

「そのような痕跡は見受けられません」

 

「ふむ……」

 

 今のところ、敵が襲撃をかけてくる気配もない。夜のルンガ市はいたって平穏なものだ。つまりこれは……。

 

「……オルファン氏に伝令! 『敵襲に警戒されたし、敵の目標は貴殿なり』……以上だ、急げ!」

 

 どう考えても、このシチュエーションは罠だ。にもかかわらず、敵からのアクションは何もない。……つまり、これは目くらましだ。罠を警戒させることで、こちらの注意を逸らせる陽動作戦! 本命の攻撃は、まったく別の方向からくるはず。

 

「アル様、もしやヴァンカは……」

 

 ソニアも同じ結論に至ったらしい。かすれた声でそう聞いてくる彼女に、僕は頷き返した。

 

「ああ、おそらくな。どうやらあの女、私怨を晴らすための戦争以外はするつもりがないらしい。徹頭徹尾、僕らを蚊帳の外にするつもりだ……!」



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第292話 くっころ男騎士と解放

 それから、十分ほど後。案の定、オルファン氏から『我、攻撃を受けつつあり』との報告がやってきた。それに対し、相変わらず我々の方は静かなものである。矢の一本が飛んでくることもないし、妙な罠で兵員が死傷したということもない。

 一切の攻撃は受けていないといっても、あまりのほほんとはしていられない。なにしろオルファン氏の部隊が受け持っているのは僕たちの退路だ。ガッツリ後方が脅かされているわけだから、なんとも焦燥感が凄い。

 だが、いますぐ部隊をひっくり返してオルファン氏を救援、というわけにもいかないのである。なにしろ我々には百名近い民間人を保護・回収する任務がある。けっこうな数だから、解放作業だけでもそれなりの時間がかかる。おまけにケガや脱水を起こしているものもいたから、縄を解いてすぐに動き出すわけにもいかなかった。

 

「大丈夫か? この後もしばらく歩いてもらわねばならん。体力的に難しいようであれば、手近な騎士に伝えろ。背負ってでも連れて行かせるから」

 

 憔悴した男性に水筒を手渡しながらそういってやると、彼は目に涙を浮かべながらぺこぺこと頭を下げる。こういうシチュエーションでは、一人一人にしっかりと声をかけ、場合によっては肩を叩いたり手を握ったりして励ましてやるのが重要だ。人間ってやつは簡単に折れるからな。限界を超えて踏ん張らせるには、それなりの手順を踏まねばならない。

 ……そう、限界を超えて、である。なにしろ僕は、彼らをカルレラ市の近くまで避難させる計画を考えていた。このルンガ市からは徒歩で三日ほどの距離である。街道が整備された平地であればどうってことのない距離だが、このリースベンにそんな文明的な設備は存在しない。未開の森を切り開いて進むしかないのである。

 軍人ならまだしも、特別鍛えているわけでもない男性たちにとってはなかなかに難儀な旅路だろう。こちらの世界の男性は、本当に貧弱なのだ。実のところ、僕ですらこの世界の男性としてはかなり強靭な方だったりする。それでも前世の肉体と比べるとあまりにもクソザコなので、時々キレそうになるが……。

 

「あのあの、お兄様。ちょっといい?」

 

 男女逆転世界の理不尽さをかみしめていると、胴鎧の背中をチョンチョンとつつかれた。振り返ってみれば、そこに居たのは我が義妹カリーナだ。普段は一般歩兵部隊と一緒に行動させている彼女だが、今は実戦下ということもあり従騎士として僕の傍仕えをやらせている。

 

「どうした? ションベンなら一人で行くなよ。どこに敵の伏兵が潜んでいるのかわからんからな……」

 

「ちっ、違うよ!?」

 

 首をブンブン振るカリーナ。フルフェイスの兜に隠れて見えないが、たぶんその顔は真っ赤になっているだろう。……冗談で言ってるわけじゃないんだけどなあ。戦場での排泄問題は本当に重要だぞ。特にカリーナの場合、ビビるとすぐお漏らししちゃうし……。

 

「そうじゃなくて、その……敵の意図がよくわからなくて」

 

 そこまで言って、カリーナはちらりと僕の傍にいる民間人男性を見た。そしてチョイチョイと手招きをする。どうやら、彼らには聞かせづらい話らしい。僕は軽くしゃがんで、彼女に耳を貸した。なにしろカリーナは背が低いので、しゃがまないことには内緒話もできない。

 

「爆弾か何かで、救助者もろとも吹き飛ばしちゃったほうが戦術としては有効なんじゃないかと思ったんだけど……。せっかく捕まえた人質を"お土産"もなしに返しちゃうなんて、あんまり合理的な行動じゃないなって」

 

 その言葉に、僕はフムと頷いた。こういう疑問を抱いた時には、緊急時でない限りその場で質問をするように彼女には命じていた。士官教育の一環だ。

 ちなみにとんでもなくひどいことを言っているようだが、これも僕の教育の成果である。戦場では外道な相手と相対する機会などいくらでもあるからな。その思考をトレースする訓練は欠かすべきではない。……軍人教育としてはそれで正しいんだが、子供への情操教育としては問題大ありだよなあ。まったく、やんなるね。

 

「確かにその通りだ。僕としても、もちろんそういう戦術を警戒していたわけだが……」

 

 カリーナの質問に、僕は真面目に答え始めた。味方が交戦状態に入っているというのになんと悠長な、と思わなくもないが、僕が一人で焦ってもなにも状況は改善しない。解放作業が終わるまでは、本隊は動くことができないのだ。自らの平常心を維持するためにも、僕は努めて普段通りの口調で説明を続ける。

 

「相手の司令官、ヴァンカはどうやら僕たちを敵だとは思っていないようだ。ようするに、非戦闘員の避難を僕らにおしつけたんだよ。陽動も兼ねてな」

 

 ま、劣勢側であるヴァンカ派が避難民を抱えて我々リースベン・エルフ連合軍と戦うなんて無理な話だからな。選択肢としては、逃がすか殺すか人質として有効活用するかの三択である。

 ヴァンカ氏はその中でもっとも穏当な案を採用したわけだな。縛り上げて一か所に集めたのは、彼らが離散して遭難するのを防ぐためだろう。リースベンの森には大型肉食獣などは生息していないが、なにしろとんでもなく深い。素人が不用意に踏み込めば間違いなく自らの現在位置を見失って死ぬまで森の中をさまよい続けることになる。

 

「つまり、ヴァンカは我々を対手として見てはいないのだ。まったく、ナメた真似をしてくれる」

 

 ソニアが顔を突っ込んできて、そう補足した。近寄りがたく見える彼女だが、案外部下に対しては面倒見が良い。

 

「なぁに、敵になめられる分にはむしろ有難いくらいだよ。相手が油断すればするほどこっちは動きやすくなるってもんだ、どんどん舐めてほしいもんだ」

 

「ど、どんどん舐めてほしい!? な、ナニを!?」

 

 カリーナが素っ頓狂な声で叫んだ。ソニアは深いため息をついてから、彼女の頭にゲンコツを落とす。パコンと景気の良い音がして、カリーナが「ぴゃっ!?」と奇妙な声を上げる。コラコラ、ウチは鉄拳制裁は厳禁だぞ。……まあ、兜の上から殴ったわけだから、本人は痛くもかゆくもないだろうが。

 

「貴様の頭には助兵衛なことしか詰まっていないのか? 義理とはいえ貴様もブロンダン姓を名乗っているのだ、アル様に恥じぬ行動を心掛けろ!」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 カリーナはシュンとするが、説教をしているソニアの右手はぷるぷる震えていた。まあそりゃそうだよ、いくら籠手をつけているとはいっても、兜を直接ブン殴ったら手を痛めるに決まってる。

 ふたりの滑稽なやりとりを見て周囲の男どもがクスクスと笑った。僕としては正直顔から火がでるほど恥ずかしかったが、まあ彼らの緊張をほぐすための一助になったのであれば幸いだ。ため息を一つついて、気分を切り替える。

 

「城伯様。解放作業が完了いたしました」

 

 そこへ陸戦隊の隊長がやってきて、そう報告した。周囲を見回せば、確かにもう縄で縛られている者は一人もいなくなっている。

 

「ン、早いな」

 

 人質は男と子供を合わせて百人近く居る。その全員をこの短時間で解放してやったわけだから、なかなかの手際の良さだ。大人たちはさておき、小さな子供をなだめつつ縄を解いたり水を飲ませたりするのは並大抵の作業ではないはずだ。

 

「結局、エルフたちがあれこれ手伝ってくれましたので」

 

「なるほどな」

 

 僕は頷いた。できれば解放作業は我々リースベン軍の主導でやりたかったが、まあ仕方があるまい。ほとんど全戦力を投入しているエルフ勢と違い、こちらはわずかな手勢しか連れて来ていないのだ。結局のところ、デカイ顔をして状況を主導するにはマンパワーが足りない。

 ……一応、事態は鳥人伝令を使ってカルレラ市の本営にも伝えてるんだがなあ。どう考えても、今回の作戦にはリースベン軍の増援は間に合わない。少なくとも今晩のうちは、現有の戦力でやりくりするしかないということだ。

 

「よし、オルファン氏の救援に向かおう。救援の先鋒は騎士隊とダライヤ氏の手勢の混成部隊にやらせる。陸戦隊は避難民(・・・)の保護が最優先だ。オーケイ?」

 

了解(ウーラァ)!」

 

 さて、現状の僕のタスクは二つ。ヴァンカ派部隊を退けてこの場から撤退すること、そしてダライヤ派の連中をなんとか説得して、避難民(・・・)たちをカルレラ市の近くまで連れ帰ることだ。前者も容易なことではないが、作戦としての本命は後者である。せいぜい頑張らなくては。

 本気でエルフを傘下に収めるのであれば、僕としても甘い顔ばかりはしていられないからな。なにしろリースベン領民たちはエルフどもにさんざん煮え湯を飲まされている。ただたんに「エルフたちが困ってるみたいだから人道支援をしますよ」と説明しても納得はしてくれないだろう。

 リースベン領民たちとエルフたちの間には、深い溝が横たわっている。それを埋めるための第一歩として、まずは攫われていた男たちの救出という成果が必要なのだ。



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第293話 くっころ男騎士とエルフ式焼き畑農法

 男子供の収容を終え、僕は部隊を反転させた。避難民たちを護衛するための戦力を村内にの腰、残りは全力でオルファン氏の救援へと向かう。

 ルンガ市の郊外に展開した"正統"軍は、乱戦の真っ最中だった。攻撃を受けているという報告を受けた時点で一応増援を寄越していたが、それでも"正統"軍は優勢を取れていない。敵はずいぶんと大戦力を投入してきているようだった。

 

「照明弾、撃てーっ!」

 

 打ち上げ花火の発射機にしか見えない木製の簡易大砲、信号砲から照明弾が打ちあがる。パラシュートで吊られたマグネシウムのカタマリが、空中で煌々と輝き始めた。

 その光量はなかなかのもので、かなりの範囲を照らし出してくれる……はずなのだが、ここは常緑樹の茂る深い森の中だ、照明弾の光は好き勝手に伸びた枝葉に遮られ、大した効果は発揮しなかった。

 

「ううむ……」

 

 しかしそれでも、無いよりはましである。うっすらとした光に照らされた森の中を見て、僕は小さく唸った。エルフ同士が、罵声を上げつつ剣を交えている。周囲には、木剣や山刀同士で打ちあう激しい音が響きまくっていた。

 

「敵と味方の判別がつかん……!」

 

 それはいい。それはいいのだが、エルフ兵はどいつもこいつもぶかぶかのポンチョを羽織ったテルテル坊主スタイルのファッションだ。視界が悪いこともあり、誰が敵で誰が味方なのかさっぱりわからない。

 

「アレ、本人たちも誰と戦ってるのかわかってるんだろうか?」

 

 乱戦の現場をサーベルの切っ先で指し示しつつ、僕はダライヤ氏に聞いてみる。ガレア王国の騎士や兵士は、家紋入りのサーコートだの旗印だの、所属を表すアイテムを身に着けていることが多い。そのため、乱戦に陥ってもある程度は敵味方の判別が可能だ。

 ところが、エルフたちはその手のアイテムを全く持っていない。個性の見せどころである甲冑ですらポンチョで隠しているのだから、本当に徹底している。たぶんわざとやっているんだろうが、友軍の我々としては大変に困るのである。

 下手に攻撃すると味方を巻き込んでしまいかねないから、こちらとしては手出しがしづらい。せっかく救援にやってきたというのに、武器を構えつつ戦場を遠巻きに眺めることしかできなかった。ヴァンカ派の兵もそれは理解しているようで、こちらには矢の一本も飛んでこなかった。徹底的に乱戦状態を維持する腹積もりのようである。

 

「たぶんわかっておらんじゃろうなァ……すでに同士討ちも少なからず発生しているのではなかろうか」

 

 ムムムと唸りつつ、ダライヤ氏がそう答える。やっぱわかってないんかい!

 

「所属を隠して乱戦に持ち込む戦術は、本来は"正統"の十八番じゃったんじゃが……どうにもヴァンカのヤツ、それを真似しおったな」

 

 エルフ兵が無個性な格好をしているのは、やはりわざとか。なんだよそのルール無用の滅茶苦茶な戦術は。同士討ちが怖くないのか同士討ちが! ……怖くないんだろうなあ、エルフだもの。長命種の癖に命が特売のモヤシより安いのなんとかならんか、マジで。

 

「とにかく、いったん仕切り直しにしないと援護どころではありませんよ」

 

 苛立った声でソニアがそう主張する。こういう状況では、「まあでも援護しなきゃまずいっしょ!」と何も考えずに乱戦に参加してしまうのが一番マズい。状況がさらに混乱して、収拾がつかなくなってしまう。ソニアの言う通り、いったん仕切り直して敵と味方を分離するほかないだろう。

 

「オルファン殿! いったん退いてくれ! このままでは戦うどころではない!」

 

 最前線に立って木剣を振るうオルファン氏に、僕はそう呼びかける。森の中は典型的な戦場音楽に支配されていて大変にうるさいが、兵士が女ばかりなので男の声は良く通る。どうやら、僕の声はなんとか届いたようだ。オルファン氏は黒曜石の刃が並んだ木剣を高々と掲げ、叫んだ。

 

「承知しもした! 態勢を立て直すど。焼き畑兵! 前へ!」

 

 すると、木陰からなにやら不審な風体のエルフ集団が現れた。ポンチョ姿の他のエルフ兵と違い、分厚い革製の服で全身を防護している。手足はもちろん、顔まで不気味な面で覆っているのだから尋常ではない。そしてさらに、背中にはバカでかい革袋を背負っていた。

 

「げぇっ!」

 

 それを見たダライヤ氏が奇妙な声を上げた。

 

「知っているのか、ダライヤ殿」

 

 思わず、ダライヤ氏に聞き返す。……もっとも、あの謎のエルフ兵どもの正体は、僕もうすうす感付いていた。だってアレ、どう見ても……。

 

「うむ、アレはエルフ火炎放射器兵。旧エルフェニア帝国の暗部、森を焼く禁忌の兵科じゃ……」

 

 かすれた声で、ダライヤ氏はそう説明した。やはりそうかと僕が思わず額に手を当てたのと同時に、オルファン氏が高々と掲げていた木剣を振り下ろして命令を下す。

 

「やれ!」

 

「くれぃ! こいが正統派エルフん戦い方じゃ! 僭称軍ごときにはマネできめ!」

 

腐れ(ねまれ)外道どもめ! 灰にしてイモ畑ん肥料にしてやっ!」

 

 エルフ火炎放射器兵は、口々に汚い言葉を吐きながら手に持った鉄管をを戦場に向けた。パイプの後端には革製のホースが接続され、背中の革袋とつながっている。……次の瞬間、鉄管から炎が噴き出した。ガスバーナーなどの火焔とは明らかに異なる液状の炎が猛烈な勢いで飛んでいき、アーチを描いて森の木々に降り注ぐ。

 ……エルフに火炎放射器兵が居るのは知っていたが、思っていたのより三倍くらい近代的な火炎放射器を使ってるな。なんやねんアレ、木剣と弓矢がメイン装備の連中が持ってていい機材じゃないだろ。エルフどもの技術体系はワケがわからなさすぎる。

 

「グワーッ火炎放射!?」

 

「アツイ! アツイ!」

 

 猛烈な火焔を浴びた大木が一瞬で炎上し、その余波が戦闘中のエルフ兵たちを敵味方関係なく襲った。そのままポンチョ等に引火し、地面に倒れる者もすくなくない。

 エルフどもが使う液体火薬は、前世の世界の東ローマ帝国で使われていたという特殊焼夷剤、ギリシア火に近い代物だ。この火薬には水に触れると却って激しく燃え上がるという性質があり、本来ならなかなか燃えないはずの生木であろうが平気で焼き尽くす。まったく恐ろしい兵器だ。

 おかげで周囲はあっという間に火焔地獄状態になり、踊る炎が僕らの貧弱な照明弾などよりよほどハッキリと周囲を照らし出した。火焔に巻き込まれたエルフどもが悲鳴を上げながら逃げ惑い、別のエルフ兵が爆笑しながら逃げるエルフ兵に矢を射かけている。こ、この世の地獄~!

 

「今じゃ、アルベールどん! 我ら正統なっエルフェニア兵は炎など恐れん! 火を見て獣んごつ怯ゆっ軟弱者が敵兵じゃ!」

 

 オルファン氏がそんなことを叫んでいるのが聞こえた。なんやねんその雑な敵味方識別法は! ……ええい、しかし今は従うしかないか!

 

「撃ち方準備! 目標、逃げるエルフ兵!」

 

 僕の号令に従い、リースベン兵は小銃を、エルフ兵は妖精弓(エルヴンボウ)をそれぞれ構えた。先ほどまで真っ暗だった森の中は、火炎放射器兵の活躍で明々と照らし出されていた。照準を付けるのは極めて容易だ。

 

「撃ち方はじめ!」

 

 銃声と、弓矢特有の風切り音が連続して響く。鉛球と矢の嵐を浴びたエルフ兵たちは、悲鳴を上げてバタバタと倒れ始める。……ねえこれ、大丈夫なんだよね? 味方巻き込んでないよね? そう思ってダライヤ氏の方を見たが、彼女は微妙な表情で顔を逸らすばかりである。……何とか言えよロリババア!

 

「ようし、今のうちじゃ! 転進! てんしーん!」

 

 そんな僕らのことなど気にせず、オルファン氏が意気揚々と部下を引きつれ僕らの方へと走り寄ってくる。普段の彼女は蛮族とは思えぬほど淑女なのに、戦場に出るとこれか。余りのギャップに、僕は頭がクラクラしてくるのだった……。



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第294話 くっころ男騎士と夜戦

 エルフ謹製の焼夷剤の威力は凄まじいものがあった。暗闇の(とばり)を纏っていた夜の森はあっという間に火の海に飲み込まれ、鮮やかな火炎が踊り狂う。周囲には刺激性のある煙と臭いがたちこめ、ひどい有様になっていた。

 

「だ、大丈夫なのかコレは……」

 

 悲鳴を上げつつ逃げ惑うエルフ兵たちを見ながら、僕は呟いた。「"正統"の兵士は炎を怖がらない。ビビっているのは敵兵だけ」というオルファン氏の主張はある程度真実らしく、明らかに恐慌をきたしているのはヴァンカ派の兵士だけだった。"正統"の連中はむしろ愉快そうな様子であり、逃げる敵に追撃を喰らわせる余裕すらあった。

 こんなひどい状況でこの余裕っぷりなのだから、火計に巻き込まれることにすっかり慣れてしまっているとしか思えない。どれだけ火炎放射器兵を多用してきたんだ、"正統"軍。そんな調子で畑を焼いてるから飢饉から脱することができないんだぞ!

 

「この火勢だと、村まで延焼するんじゃないか?」

 

「問題無か」

 

 部下を引きつれ悠々と本隊との合流を果たしたオルファン氏は、ひどく機嫌よさげな表情でそう答えた。もう、びっくりするくらいのニコニコ顔だ。"新"に対して相当鬱憤が溜まってたんだろうなあ。三者会談じゃヴァンカ派の元老たちに随分とひどいことを言われてたしな……。

 

「男子供はお(はん)らん街まで連れて行っとじゃろう? こん街が燃え尽きたところで困ったぁ僭称軍ん連中だけじゃ」

 

「……」

 

「……」

 

 僕とダライヤ氏は同時に頭を抱えた。ううーん、すがすがしいまでのバーバリアンぶり。敵にも味方にもしたくないタイプだな、オルファン氏は。流石に味方の"新"の将兵に聞かれぬよう、声を絞る程度の配慮があったのは不幸中の幸いだった。聞かれてたらこの場で同盟が崩壊してたかもしれん。

 ……でもなあ、たしかにルンガ市はいっそのこと燃え尽きてもらったほうが良いかもしれない。この街を維持し続けようとすると、防衛の為に戦力を割かざるを得なくなる。一方放棄する場合、街に備蓄してある物資がヴァンカ派に渡ることになる。どちらにしても、僕らリースベンとしては面白くない事態だ。しかし、物資が街ごと燃え尽きてしまえばそれらの懸念も完全に解消される。幸いにも、住民の避難はすでにほぼ完了しているようなものだし……。

 

「昔は優しい子じゃったのにのぅ……すっかり染まりおって……はぁ……」

 

 なんだかひどく悲しげな様子でダライヤ氏がボヤいてらっしゃる。元オルファン氏の教育役としては、やはり思うところもあるのだろう。流石にちょっとかわいそうだ。

 

「……ま、まあ、とりあえず今は奴らを追い返そう。今はあれこれ話し合いをしている場合ではないし」

 

 こほんと咳払いをして、僕は敵兵の方を見た。今は混乱している様子のヴァンカ派兵だが、相手は戦うことにかけては天下一品のエルフどもだ。このまま放置していたらあっという間に統制を取り戻し、反撃を仕掛けてくることだろう。その前に出来るだけダメージを与えておきたいところだ。

 

「射撃で敵を圧倒する! 総員、構え!」

 

 あっけにとられた様子で火災現場を見ていたリースベン軍の将兵が、慌てた様子で小銃を構えた。エルフ兵たちも、心底嬉しそうな様子で弓を引き絞る。"正統"兵はもちろんダライヤ派の"新"の兵士たちもひどく元気な様子なのだからタチが悪い。お前たちの街の郊外で大火災が発生してるわけなんだが、危機感とか抱かないんだろうか……。

 いやまあ、相手はエルフである。いい意味でも悪い意味でも恐れ知らずの勇士しかいない頭のおかしい種族だ。深く考えていては身が持たない。具体的に言うと胃に穴が開く。気にしないのが一番だろう。

 

射撃開始(ファイア)!」

 

 銃声と弓鳴りが同時に燃える森の中で響き渡った。鉛球や矢を受け、数名の敵兵が倒れる。射撃数の割に戦果は少ないが、森の中ではこんなものだろう。あちこちがボーボーと燃えているとはいえ、身を隠せる遮蔽物はまだあちこちに存在するのだ。

 

「グワッハハハ! 無様よなぁ僭称軍! 虫けらんごつ蹴散らさるっ心地を貴様(きさん)らにも味合わせてやっ!」

 

「大将首はどっかのぅ……若様に献上しよごたっんじゃが」

 

 何やら物騒なことを言いつつ、味方のエルフたちは心底楽しそうな様子で敵に連続射撃を撃ち込んでいた。必死の形相で鉄砲の弾込めをしているリースベン兵とは大違いだ。本当に怖いよこいつら。

 

「叛徒などと結託しよって! エルフん恥さらしども!」

 

「どいつもこいつもあん毒夫にたぶらかされたんか!? 男に狂うた年寄りどもめ、許すまじ!」

 

 しかし、こちらもエルフならあちらもエルフである。混乱しつつも、反撃に魔法や弓矢を打ち返してきた。しかもその射撃の隙間を縫うようにして、突撃まで仕掛けてくる。

 魔法が魔術師の専売特許である竜人(ドラゴニュート)や獣人と違い、エルフはほぼ全員が魔法の素養を持っている。そのため、剣を構えて吶喊しつつ魔法も放つ、などという器用な真似もできるのである。射撃の応酬は大変に熾烈なものになった。

 

「ぐっ!」

 

「要救護者二名! 衛生兵! 衛生へーい!」」

 

 こうなると、我々も一方的な射撃で圧倒するというわけにはいかなくなる。倒れる味方兵も増え始め、敵の肉薄を許してしまった。バカでかい巻貝の笛を吹き鳴らしつつ、木剣を構えたエルフ兵集団が猛烈な勢いで我々の隊列へと襲い掛かる。

 ……アレどう見てもほら貝だよね? なんでほぼ内陸国みたいになってるエルフェニアの人間がほら貝なんかもってるの? マジでわけがわかんない……。

 

「あんボケどもを若様に近寄らせっな!」

 

短命種(にせ)ん兵子《へご》どもにもなっ! 短命種(にせ)より後に死ぬんはエルフん恥ぞ、命捨てがまってん守り切れぃ!」

 

 リースベン兵たちは必至の形相で銃剣付き小銃による槍衾を作ったが、その穂先が敵に届くよりも早く味方エルフ兵が敵の前へと立ちふさがった。木剣同士が打ち交わされる鈍い音が僕の鼓膜を叩く。

 

「今じゃ! 打ち崩せ!」

 

 助けてくれるのは大変に嬉しいが、迎撃に人が取られると射撃の手が緩んでしまうのである。むろん、敵はこの隙を逃さない。弓を放っていたエルフ兵も武器を木剣に持ち替え、突撃に参加してくる。

 

「ライフル兵! 弓兵! 敵を近寄らせるな! 制圧を続けろ!」

 

 あわてて迎撃を命じるが、上手くはいかない。何しろここは森の中だ。木々を有効活用して接近してきた敵兵が、あっというまにこちらの隊列へとりついてきた。こうなるともう、こちらも剣や銃剣で対抗するしかない。敵味方の入り乱れた白兵戦へと逆戻りだ。

 

「むぅ……」

 

 思わず顔が引きつりそうになるが、なんとか耐える。やはり、森の中で射撃戦に徹そうというのが無理な話なのだ。なんど戦線を引き直したところで結果は同じだろう。腹をくくって、僕はサーベルを抜いた。

 

「隊列は崩すな! 押し返せ!」

 

 この状況で同士討ちを避けるには、ガッチリとスクラムをくんで味方とはぐれないようにするほかない。竜人(ドラゴニュート)や獣人ならまだしも、エルフ兵に関しては本当に敵味方判別が難しいのだ。隊列から少しでも離れれば、味方の手によって袋叩きにされてしまいかねないだろう。

 おまけに、周囲は相変わらず景気よく燃え盛っている。煙やにおいのせいで非常に息苦しいし、異常な熱気が甲冑を炙って内部をサウナ状態にしている。僕はもう、全身汗でびしゃびしゃだった。喉はすっかりカラカラで、今すぐ浴びるほど水を飲みたい心地だ。だが、今はそんなことをしている余裕は微塵もない。なんとハードな戦場だろうか。クソッタレめ。

 

「面白くなってきたじゃないか……!」



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第295話 くっころ男騎士と戦いの後

 ひどい戦場だった。本当にひどい戦場だった。隊列を組んでヴァンカ派に対抗しようとした我々だったが、一時間もした頃にはすっかりバラバラになっていた。まあ、そりゃあ当然だろう。ガッチリと陣形を組んで敵とぶつかるような戦い方は、本来見通しの良い平地で行うものだ。燃え盛る森の中でやるもんじゃあない。

 さらに言えば、ヴァンカ氏の采配も敵ながら見事だった。彼女は、戦場の混乱が最高潮に達した辺りで段階的に自軍の撤退を始めたのだ。ところが、何しろ戦場が見通しの悪い森の中なので、こちらはそんな事情には気付けない。訳がわからないまま戦っているうちに、案の定同士討ちが多発する。

 我々が味方同士で相争っているうちに、ヴァンカ氏はどんどん部隊を撤収させていった。知らないうちに、我々は盛大な独り相撲を取っていたのである。途中で違和感に気付いていなかったら、夜明けまで我々は同士討ちを続けていたことだろう。

 

「まったく、屈辱的だな……」

 

 苔むした大木に背中を預けながら、僕はカップに入った水を一気に飲み干した。……生ぬるい。気分としてはキンッキンに冷えた水で身体を冷却したいところだったが、ここは未開の密林である。非加熱の生水なんか飲んだ日にはあっという間に腹を壊してしまいかねない。煮沸消毒は必須だった。

 時刻は既に朝と言っていい時間で、太陽が東の空で煌々と輝いている。我々は戦闘後の処理をなんとか終え、ルンガ市の郊外で身体を休めていた。誰もかれもが体力の限界で、もう一歩も動けないような有様になっている。むろん、それは僕も同じだ。小さなカップを持っていることすら億劫になるほどの疲れっぷりだった。

 

「前評判通り、ヴァンカは尋常ならざる用兵家のようですね。わたしがこれまで戦ってきた指揮官の中でも、三指に入る手強さでした」

 

 ため息を吐きつつ、隣に座るソニアが言う。僕としても、まったく同感だった。戦力的にはこちらが優越していたはずなのだが……見事にキリキリ舞いさせられてしまった形だ。こちらは兵数こそ多いが三つの勢力の連合部隊であり、連携の面でたいへんな問題があった。そこを見事に突かれてしまった形だな。

 本当に無様な戦いぶりをさらしてしまった。一体何人のエルフ兵が、同士討ちに倒れたことだろうか。幸いにも種族や装備体系の異なるリースベン軍は同士討ちの対象にならず、損害は僅かだったが……ヴァンカ派・"正統"軍の両組織はずいぶんな有様だ。彼女らのことを想うと、ため息が止まらなくなる。

 

「……」

 

 何とかならなかったのかと、心の中で自問自答を繰り返す。準備不足だとか、そもそも突発的に始まった戦闘ゆえにまともな戦闘計画も立てていなかったとか、いろいろ言い訳したいこともあったが、死んでいった兵士のことを思うととてもじゃないが自己を正当化する気分にはなれなかった。

 指揮官は、己の采配の結果発生したすべての事象について責任を取らねばならない。それが士官の義務であり矜持なのだ。その責任から逃れようとするものに、部下を死地へと送り出す権利はないのだ。

 

「これから、どうしましょう」

 

 僕が思考の袋小路に入っていることを見抜いたのだろう。心配そうな声音で、ソニアが聞いてくる。……彼女の言う通り、今は総括をしている場合ではないな。敵は撤退し、民間人を守り切ることには成功した。作戦を次のフェイズに進めなければ。

 

「そうだな……とりあえず、カルレラ市を目指すほかないだろう。もう二度とこんな場所では戦いたくない」

 

 敵は一応撤退したが、十分な損害を与えたとは言い難い。戦闘継続は可能だろう。こんな場所でチンタラしていたら、二度目三度目の襲撃を喰らいかねない。……本気で冗談じゃねえよ、森の中でエルフと戦うなんて、もう絶対に嫌だ。

 それに、物資の問題もある。我々の母艦マイケル・コリンズ号は決して大きな船ではないからな。載せてきた食料品の量は、それほど多くない。チンタラしていたら、あっという間に我々は干上がってしまうだろう。

 ……なにしろ山火事はまだ収まってないからな!! 幸いにも夜明け前に一雨来たお陰で、今は沈静化してくれているが……完全に鎮火したわけではないからな。そのうちまた息を吹き返して、ルンガ市の食料庫まで延焼してしまう可能性がある。そうなったらもうお終いだ。

 できることならば完全に消火しておきたいところなのだが、燃えた範囲が広すぎて手持ちの人員と資材ではどうしようもない。自然鎮火を待つ以外の選択肢は無かった。おお、もう……本当になんてことを……。

 

「しかし、問題は……」

 

「アルベールどん」

 

 そこまで言ったところで、誰かから声をかけられた。声の出所に目をやると、そこに居たのはオルファン氏だ。どことなく、シュンとしたような雰囲気だ。戦闘が終わった後、割と……いや、かなりキツめに僕が叱責したせいだ。

 本拠地のすぐ隣で大火事を起こされたダライヤ派将兵の怒りっぷりは大変なものがあり、あやうく連合が崩壊するところだった。必死になだめてなんとか矛を収めてもらったが、おかげで僕の胃は爆発四散寸前だ。マジで勘弁してほしい。

 まあ、ルンガ市炎上危機そのものは、我々リースベンにとってそこまで悪い事でもないがね。これを期に、彼女らはもっと管理のしやすい場所へ移住してもらおうと考えている。こいつら、目を離ししたら何をしでかすかわからんからな。こんな森の奥深くにいつまでも引きこもって貰っちゃこまる。

 

「そ、その……あ、朝食(あさげ)が出来たで来てくれと、伝言を預かったんじゃが」

 

 両手の人差し指をツンツンと突き合わせながら、オルファン氏はそう言った。そのまま、僕の方をやたらとチラチラ見てくる。……ええ、なんなのその態度……さっきの叱責をまだ引き摺ってるのか?

 そもそも、ふつうなら朝食ができたなどという伝言は従兵の仕事だからな。いち勢力のトップであり、エルフェニア皇族の末裔でもあるオルファン氏に対してそのようなことを頼む人間はどこにもいないだろう。つまり、彼女は伝言というテイで僕の様子を見に来た訳か。

 ……その繊細さを戦闘指揮でも発揮してくれ~! 報告も相談も無しにいきなり火炎放射器ブッパは豪快を通り越して世紀末モヒカンの所業なのよ!!

 ……などと心の中では思うのだが、不安そうなオルファン氏の顔を見ているとこれ以上の文句は言えなくなってしまう。蛮族そのものとしかいいようのない鬼畜ムーヴをした直後に殊勝な態度を取るのはやめてほしい。温度差で情緒がめちゃくちゃになりそうだ。DV彼氏の手管かな?

 

「ン、わかった」

 

 僕は努めて普段通りの声でそう答え、立ち上がった。疲労のせいでふらつきかけるが、根性で堪える。指揮官は、部下の前では絶対に無様な態度を取ってはならないのだ。

 

「その報告を待っていた。もうすっかり腹ペコでね、そろそろ我慢の限界だったんだ」

 

 そう言って笑いかけてやると、オルファン氏は露骨にホッとした様子で照れ笑いを浮かべ、「(オイ)もじゃ」と赤い顔で己の腹をさすった。だからなんだよそのカワイイ態度は! 火炎放射で森の少なくない面積を焼き尽くした直後の人間とはとても思えないぞ!

 

「朝食がてら、今後のことについて話し合いたい。皇女どのに伝令を頼むのは心苦しいが、ダライヤ殿たちも呼んできてもらっていいかね?」

 

「お任せあれ、アルベールどん。もう(オイ)はお(はん)ん臣下じゃ。どげん下命にも従う所存じゃ」

 

 やたら嬉しそうな顔で大きく頷いてから、オルファン氏は走り去っていった。それを見たソニアが、これ見よがしにため息を吐く。おまけになんだか恨みがましい目で僕を見てくるのだからたまったものではない。僕が何をしたって言うんだ、まったく。

 ……まあ、今はそんなことはどうでも良い。やるべきタスクが山積してるからな。とりあえずは、避難民の今後についてダライヤ氏らを説得せねば。彼ら(もっとも、女性も少なからず混ざっているが)はできればカルレラ市へと連れ帰りたい。クソみたいな苦労をしてなんとか彼らを確保することに成功したんだ。それくらいの役得がなきゃマジでやってらんないよ。

 とはいえ、ダライヤ氏ら"新"の連中からしても、彼らは大変に貴重な男どもである。そう簡単に……というか、絶対に手放そうとはしないだろう。なんとか説得して、リースベン領民もエルフたちも納得できる落としどころを見つけねばならない。

 ……はあ、ほぼ徹夜で戦い続けた直後になんでこんなハードな交渉しなきゃならないんだろうか。本当に辛い。昨晩は一睡もしてないんだぞ僕は! ……でも、徹夜でしんどいのはソニアもオルファン氏もダライヤ氏も同じなんだよなあ。僕だけ文句を言う訳にも行くまいか。あー、ヤダヤダ……やせ我慢ばっかり上手くなっていくな。



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第296話 くっころ男騎士と朝食

 朝食のために張られた大天幕に訪れた僕を待っていたのは、軍隊シチューの入った大釜だった。……この頃、毎日毎日をこれを食ってる気がする。僕は割と平気だが、兵士たちは流石にウンザリしているんじゃないだろうか? 木椀の中で湯気をあげるソレを匙でいじりながら、僕はボンヤリとそう考えた。

 別に、兵站部の連中も手抜きのために毎日軍隊シチューばかり作っているわけではないのだ。シンプルに、食材のレパートリーが少なすぎるのである。なにしろマイケル・コリンズ号はそう大きな船ではないので、運べる物資の量にも限りがある。かさばらず、なおかつ日持ちのする食材などそう多くは無い。

 

「うまか! うまか!」

 

「毎日腹がくちくなるまでメシが食ゆっなんぞ極楽んごつ!」

 

 もっとも、エルフや鳥人連中はウンザリとは無縁の様子である。満面の笑みでバクバクとシチューをかき込んでいる。なかなか豪快な食いっぷりにも関わらずなぜか上品に見えてくるのは、エルフどもが妖精的な美しさを持っている種族だからだろう。本当に外見と内面の乖離(かいり)が激しすぎる種族だ。

 

「諸君らも食事中くらいゆっくりしたいところだろうが――」

 

 大天幕の下で食事をとるお歴々の顔を見回しつつ、僕はおもむろにそう切り出した。この天幕の下に居るのは、各勢力の幹部たちだ。我々リースベンは僕やソニア、フィオレンツァ司教、騎士数名、陸戦隊の隊長など。そして"新"はダライヤ氏やウル、それに長老、氏族長たち。最後に"正統"がオルファン氏とその腹心連中である。

 せっかくこれだけのメンツが集まっているのだから、有効活用しなきゃな。時間は有限だし、いつまたヴァンカ派が攻撃を仕掛けて来るやらわかったものではない。

 相変わらず戦力的にはこちらが優位だが、昨晩の戦闘結果を見れば慢心する気にはとてもなれない。ヒット&アウェイの嫌がらせに徹されると、ずいぶんと厄介なことになるだろう。「こんなクソ蛮族が潜んでいるような森に居られるかっ! 僕は領地に帰るからな!」というのが僕の本音である。

 

「今後の身の振り方について、話し合いをしておきたい。構わないか?」

 

「うむ、うむ。賛成じゃな。いつまでもこうしているわけにもいかんじゃろうし」

 

 イの一番に賛同してくれたのはダライヤ氏だった。彼女は自身の部下たちと"正統"の連中を交互に見比べる。両者の間には、何とも言えない緊張感が漂っていた。

 まあ、そりゃそうだろう。"正統"のエルフファイヤーによってルンガ市は危うく炎上しかけるわ、同士討ちで少なくない数の兵士が死傷するわ……仲良くできる理由がまったくない。間に我々が挟まっていなければ、とうに殺し合いが始まっていることだろう。本当に嫌な両手に花だなあ、誰か代わってくれよ……。

 

(オイ)も異論は無か。アルベールどんの指示に従うまでじゃ」

 

 腕組みをしつつ、オルファン氏が頷く。そのバストは平坦だった。

 

「なに忠臣ヅラをしちょっど狂犬め! きさんらなんぞ若様ん寄生虫んようなもんじゃらせんか!」

 

「我らのみならず若様にまで迷惑をかけて! 申し訳なかちゅうきもっは無かとな!」

 

 すかさず"新"側から罵声が上がる。相変わらず僕のことは若様呼びだ。まあ、エルフどもからそりゃ僕なんて若造以外の何者でもないだろうが……。

 

「土壇場でやっと実ん振り方を決めたノロマどもが吠えおっ! 外様は黙っちょれ!」

 

「そもそも若様に迷惑をかけちょるんな貴様(きさん)らんほうじゃろうが! ほんのこん間まで毎日のごつリースベンで盗賊働きをしちょったち聞いちょっぞ!」

 

 即座に言い返す"正統"のエルフたち。隣に座ったソニアがぐっと拳を握り締めるのを見て、僕の額に冷や汗が垂れた。この副官、拳で黙らせる気だ。

 

「待て待て、今は下らん罵倒合戦で時間を浪費している場合ではない」

 

 パンパンと両手を叩きつつそう言ってやると、両エルフェニアの連中は

 

「若様がそう言う()なら」

 

「アルベールどんがそう言う()なら」

 

 と不承不承矛を収めた。……なんでそんなに素直なの? 逆に不気味なんだけど……。よそ者が口を挟むな、くらい言われるんじゃないかと思ってたよ。なんなのホント……。

 首をひねっていると、ダライヤ氏がニマニマしながら僕の方を見た。「計画通り」とでも言いたげな表情である。こんのクソロリババア……厄介ごと押し付けやがって、タダで済むと思うなよ。状況がひと段落ついたら公僕としてコキつかってやるからな……!

 ため息を吐きつつ、軍隊シチューを口に運ぶ。豆、タマネギ、申し訳程度のベーコン……うん、まあ、いつも通りの味だ。マジの修羅場になるとビスケットや乾燥豆ばかり食うことになるので、温食が出ているだけでもありがたい。

 

「とにかく、今第一に決めるべきなのは、今後どういう風に立ち回るかだよ。……我々リースベン勢は、いったんカルレラ市に戻る。長々とルンガ市に逗留し続けるのは危険だからな。態勢を立て直さねばならない」

 

 僕は咳払いをしてから、そう主張した。なにしろ今回の遠征は、あくまで交渉と物資輸送に徹するつもりだったからな。本格的な戦闘態勢なんかとっていない。食料はある程度余裕があるが、そのほかの戦闘物資は最低限の持ち合わせしかない。

 とくに弾薬の欠乏が致命的だ。ただでさえ持ち合わせが少ないうえに、今日の夜明け前には雨まで降っている。そのせいで、火薬が湿気ってしまったかもしれない。現代的な金属製カートリッジならばそこまで心配する必要は無いのだが、我々が採用しているカートリッジは紙製である。

 いちおう主素材は油紙なので、少々雨に濡れたところで完全にダメになってしまう訳ではないのだが……完全防湿とは言い難いからな。やはり、不発率はあがる。そんな不安な弾薬でエルフどもと戦うなんて勘弁願いたい。

 

「むろん、そいには我らも同行すっど」

 

 当然のように、オルファン氏がそういう。……まあ、彼女は非戦闘員を含めたすべての郎党を引き連れてルンガ市までやってきたわけだからな。今さらラナ火山の拠点には戻れないだろう。

 

「ああ、それについては了承する。……問題は、"新"の方々だ」

 

 僕の言葉に、"新"の元老たちはお互いに顔を見合わせた。"新"がダライヤ派とヴァンカ派に分裂してしまった以上、彼女らも今まで通りの立ち回りは続けられない。"正統"を圧倒できるような戦力は最早ないし、今さらヴァンカ派との再合流も難しかろう。

 彼女らの選択肢は二つ。独立を維持して三つ巴の戦いに突入するか、"正統"ととりあえずの和平をして我々の傘下につくか……リースベンの安定化を願う僕としては、後者を選んでもらいたいところである。

 

「……できることならば、君たちもリースベンに来てくれると嬉しいんだが」

 

「叛徒どもと一緒に、(オイ)らまで移住せいっちゅうんか?」

 

 元老の一人が、眉を跳ね上げながら聞き返してきた。他の元老もざわつきはじめる。……ま、そりゃそうだよな。突然こんな提案をされて、面食らわないほうがどうかしている。

 

「ありていに言えば、その通りだ」

 

 僕は頷きつつ、彼女にニヤリと笑いかけた。さてさて、ここからが腕の見せ所だ。絶滅の危機に瀕しているエルフどもが男たちを手放すはずがない。彼らを取り戻すには、エルフどももセットでリースベンに取り込む他ないということだ。厄介な交渉だが、頑張ってみることにしようか。



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第297話 くっころ男騎士と押し付け合い

 僕だって、エルフどもを己の領地に入れたくはない。なにしろこいつらは王都の無法ものどもがバブバブの赤ちゃんに見えてくるほどの暴力性を誇るクソ蛮族だ。どうかんがえてもシャレにならないレベルのトラブルを引き起こすだろうし、領民たちの心証的にもよろしくない。

 にもかかわらずなぜ"正統"のみならず"新"までリースベンに招こうとしているのかといえば、シンプルにヴァンカ派への対抗の為である。ヴァンカ氏が主敵としているのは"正統"の連中だ。彼女らをリースベンで受け入れる以上、我々もヴァンカ派と戦わざるを得ないのである。

 しかし、ヴァンカ氏はかなり手強い敵だ。我々と"正統"だけでは負けはしないにしても、苦戦を強いられるのは間違いない。ぼくはドロドロの悪戦なんか大っ嫌いなので、頭数はできるだけ揃えておきたいのである。

 

「ヴァンカ殿の勢力が完全な敵に回ってしまった以上、安定した物資輸送が難しくなる。予定では、カルレラ市とルンガ市の間で川船を使った定期便を運航する予定だったが……このような状況では、その案は凍結せざるを得ない」

 

「……」

 

 "新"の元老たちが、顔色を失って顔を見合わせた。リースベンの食料は彼女らの命綱だ。"正統"ほどではないにしろ、彼女らの食料備蓄の量はかなり少ない。

 

「ふふん」

 

 一足先にこの問題から一抜けすることができたオルファン氏がほくそ笑んでいるが、実のところ僕が"新"を積極的に吸収する方向に舵を切ったのは、彼女ら"正統"のせいでもあったりするんだよな。

 なにしろ"正統"の持っている兵力は、いまだにリースベン軍よりも多い。練度はもちろん、兵数ですら我がリースベン軍の方が少ないのである。このまま彼女らを吸収すると、逆にリースベン軍が"正統"に乗っ取られてしまう可能性がある。

 そこで利用するのが"新"の連中だ。両勢力の足の引っ張り合いを誘発することで、妙な真似をしでかすためのリソースを浪費してもらう。結果、表面上の平和は保たれるという寸法だ。汚い手だが、こうでもしないとエルフどもを御せる気がしないので仕方が無い。

 

「川船を用いてこのルンガ市に物資を輸送するためには、往路に一日復路に三日かかる。行きはまだしも帰りは人力けん引だ。逃げようがない……。僕がヴァンカ殿なら、絶対にこれを狙う」

 

「ウム、確かにワシでもそうすっ」

 

「護衛を配置すっにしてん、限度があっ。船を守りながら戦う以上、必ず先手を取らるっわけじゃっでな。面白くない(いたらん)戦になったぁ間違いなかじゃろう」

 

 元老たちは素直に頷いた。根っからの蛮族であるエルフだが、戦に関してはかなり合理的な思考ができる連中だ。理詰めの説得は案外効果的なのである。

 

「そこで、僕からの提案だ。カルレラ市郊外の平原……その南端にある土地の一部を、君たちに恩賜(・・)する用意がある。小さいながら、整備済みの耕作地だ」

 

 僕はあえて恩賜、という言葉を強調していった。つまり、僕に臣従せよと言っているわけだな。対等の同盟を結ぶ、というのは流石に無理だ。そこまで譲歩したら、領民たちに弱腰扱いされてしまう。

 リースベン領民はこれまでさんざんエルフに迷惑をかけられているのだから、並大抵のことでは受け入れてくれまい。狼藉を働いていた蛮族どもをシバいて服従させました……そういうストーリーが必要なんだよ。実態は異なっていてもな。

 ちなみに、臣従の条件については"正統"にも全く同じものを提示し、すでに了承されている。"正統"は話が早くて助かるね。……戦闘に入ったとたんバーサーカーと化すがな! "新"のエルフ兵のほうがまだかろうじて理性的である。少なくとも無差別放火なんて真似はしない。

 

「……」

 

 内心に冷や汗を浮かべつつ、元老たちをうかがう。この提案は、一種賭けでもあった。なにしろエルフどもはプライドが高い。臣従など求めた日には、反発は必至である。最悪の場合、全部決裂してしまうかもしれない。そんな懸念があったのだが……

 

「ン、良か考えじゃ。ワシに異論は無か」

 

「むしろこちらから(びんた)を下げて頼んべきじゃろう」

 

「臣従などあまりにもケチ臭かとじゃらせんか? (オイ)は若様にエルフェニア皇帝になってもろうても一向にかまわんが」

 

 ……なんだか、思った以上に反応が良い。特に最後のヤツ、なんなんだお前は。エルフェニア皇帝なんていう地位はこちらから願い下げである。貧乏くじ以外の何だって言うんだよ、エルフェニア皇帝位。

 しっかし、なんなんだろうかこの反応は。予想外すぎて頭が痛くなってきた。疲れて寝込んだあげく、都合の良い夢でも見ているのだろうか? 原住民勢力がこんなに簡単に服属するわけないだろ、普通。頭を抱えていると、フィオレンツァ司教が小さな声で「アルベールさんの人徳のたまものですよ」と囁いた。んなアホな……。

 

「おうおう、良い考えじゃのぅ! それでは、皇帝はアルベール殿に譲位ということで」

 

 案の定、これに反応したのが新エルフェニアの現皇帝ダライヤ氏だ。彼女は満面の笑みを浮かべつつ、ポンチョの中から干からびたサツマ(エルフ)芋の輪切りを取り出した。

 

「……なにそれ」

 

「新エルフェニアの玉璽(ぎょくじ)じゃが?」

 

 玉璽!? 王印じゃん! えっ、もしかして、それ イモ判!? エルフって王印に イモ判使うの!? 雑過ぎるだろ……。思わずオルファン氏の方を見ると、彼女は猛烈な勢いで首を左右に振りながら懐から何かを取り出した。豪勢な房飾りのついた、ヒスイ製の立派な印章である。どうやら、アレが正統エルフェニアの玉璽らしい。

 よ、よかった。流石にコッチはマトモだ。正統を名乗るだけのことはあるって感じだな。眉間に皺を寄せながらダライヤ氏を睨むと、彼女は卑屈な笑みを浮かべつつ肩を震わせる。なんだよ、もう……。

 

「……」

 

 ソニアが無言で僕の肩を叩いた。エルフのやることだぞ、いちいち気にするな。そう言いたいらしい。正論だな。こほんと咳払いをして、気を取り直す。

 

「ま、まあ、その……なんだ。僕は只人(ヒューム)だし、しかも男だ。エルフの民族自決を妨げるわけには行かないから……ね?」

 

 何はともあれ、エルフェニア皇帝などという立場には絶対になりたくない。僕は断固拒否したが、エルフどもは納得しなかった。

 

「いやいや、男じゃっで良かど。エルフを娶れば子はエルフ、アルベールどんが皇帝になってん我らん正統性は保たるっ」

 

「そん通りじゃ。そいにアルベールどんなダライヤ婆なんぞよりよほどエルフ魂にちて理解しちょっ。ぜひとも我らん長になってもらおごたっもんじゃ」

 

「同感じゃ同感じゃ! ワシなぞよりよほど皇帝向きの性格をしておるぞ、アルベール殿は!」

 

 現皇帝まで一緒になって僕に皇帝位を押し付けようとしてくるのだからタチが悪いにもほどがある。……ああ、なるほど。理解してしまった。"新"の元老どもの中には、もう誰一人として皇帝をやりたい者が残っていないんだ。だから、僕のようなよそ者にすべての面倒ごとを押し付けようとしているわけか……!

 ええいクソ婆ども、しゃらくさい真似をする! 僕は絶対に嫌だからな! エルフェニア皇帝なんぞ、百害あって一利なしの地位だろ! とにかく、皇帝位はダライヤ氏に押し付けたままにせねば……。

 

「……」

 

 あわててソニアとフィオレンツァ司教に視線で助けを求めると、彼女らは苦笑して頷いてくれた。流石は幼馴染、以心伝心である。僕は面倒ごとから逃れるべく、全力で寝不足の脳みそを回転させ始めた。予想とはまったくの逆方向だが、こいつはハードな交渉になりそうだ……。



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第298話 くっころ男騎士と仮眠

「まったくあのババアどもは……」

 

 森の片隅に建てられたテントに入りつつ、僕はため息を吐いた。交渉は予想外の方向に進んだが、なんとかおおむねこちらの要求は通すことが出来た。"正統"と同じく、"新"もリースベン領に移住することになった、ということだ。

 ま、移住自体は思ったよりカンタンに受け入れてくれたがね。どうもエルフどもは拠点を移すことに抵抗感を覚えない種族のようだ。農耕民族にしては珍しいタイプに見えるが、まあなにしろ相手は長命種。根本的な感覚が我々短命種とは異なっているのだろう。

 

「はー、眠……」

 

 気が抜けたせいか、思わずあくびをしてしまう。昨日はほぼ夜通しで戦い続けていたので、体力的にかなりキツい。事態はまだ予断を許さない状況だが、隙間時間を利用して仮眠を取っておくことにしたのだ。気を張りすぎて肝心な時に頭が回らない、などということになったら元も子もないしな。

 

「お疲れ様でした」

 

 背後霊のごとく僕の後ろに付き従っていたソニアが、ニコリと笑いつつそう言う。そんな彼女の顔には疲労感らしきものはまったく浮かんでいなかった。流石は竜人(ドラゴニュート)、基礎体力が違うね。羨ましい限りだ。……まあ、まったく消耗していない訳でもないだろうが。彼女も士官だ。やせ我慢は得意である。

 

「ソニアもな。……せっかくジョゼットの奴が気を利かせてくれたんだ、休める時に休んでおこうじゃないか、お互い」

 

 ソニアの叩いてから、僕は寝床に腰を下ろした。寝床と言っても、麦藁の束で作ったおそろしく簡素な代物だがね。しかし、戦地では地面の上に直接転がって寝ることも少なくないのだ。こんなものでも、あるだけ遥かにマシだ。

 ちなみに、僕もソニアも甲冑は脱いで普段着に着替えていた。なにしろ、夜明け間際の通り雨で僕ら全員ビショビショになっちゃったからな。甲冑は鉄でできているので、しっかり手入れをしておかないとあっという間にサビサビになってしまう。流石に自分で何とかするような気力は無かったので、甲冑は従者に丸投げしておいた。

 

「そうですね」

 

 軽く頷いたソニアは、両手を軽く上げてグググと伸びをした。身長一九〇センチオーバーの恵まれた体格に見合ったサイズのその胸部が強調されて、大変に目に毒である。

 

「しかし、はあ……本当に、ジョゼットもたまには気が利きますね。あの子が責任ある立場に自ら立候補するなんて……」

 

「まあねえ……」

 

 僕は軽く笑った。ジョゼットは、我々の幼馴染の騎士の一人だ。士官としての能力は申し分ないのに、意地でも下っ端に固執する面倒なヤツである。まあ気分はわかるがね。昇進したって責任が増えるばかりで大した役得もない。

 そんなジョゼットだが、今日は珍しく僕が休んでいる間の指揮官代行に立候補してきた。普段ならこういう場合はソニアと交代しつつ休憩を取るのだが、ジョゼット曰く「アル様とソニア、どちらが倒れても私が難儀をする羽目になるんで。いっそ二人まとめて休んでくださいな」……ということだ。

 

「……」

 

 それはいい。むしろ有難いくらいなのだが、なぜ我々はナチュラルに同じテントで仮眠をとるような流れになっているんだろうか? 幼馴染とはいえ、一応僕は男でソニアは女なんだが。しかし、ソニアは一切の躊躇もなしに自然な流れで僕のテントに突入してきやがった。紳士を手厚く保護すべしと定められているガレア騎士にあるまじき行いである。

 

「いやしかし……話は変わるが、なんだか懐かしいな。幼年騎士団の時分は、よくこうして同じテントで寝てたもんだが」

 

 ガレア騎士の通過儀礼である幼年騎士団(騎士見習いの子供たちを集めて集団生活と戦闘技能を叩き込む新兵教練(ブートキャンプ)の一種だ)は、当然ながら男が入団するような組織ではない。一人だけを特別扱いするわけにもいかないので、僕はしばらくの間少女たちの集団に混ざって寝起きしていた。……いやあ、あの時期はいろんな意味で地獄だったなあ。

 もちろん、流石にある程度身体が成長してきたら、別々にされたがね。間違いが起きたらシャレにならん。……でも、行き遅れになりつつある現状を想えば、むしろ間違いがあった方が良かった気もしてきたな……。

 

「懐かしい話ですね。……時折、あの当時に戻りたい気分になることもあります」

 

 そんなことを言いながら、ソニアは僕の隣に腰を下ろす。ガッツリ肩が密着するような近さだ。普段からソニアは異様に距離感の近い女だが、今日はいつにもましてくっ付いてくるな。

 でもよく考えると、幼年騎士団時代のソニアは四六時中こんな感じだったんだよな。流石に成人……つまり、十五歳になった辺りでスパッとやめたが。しかし当時は、あまりに距離感が近いものだから、ソニアは僕のことが好きなんじゃないかという恥ずかしい勘違いをしてしまっていた。

 アレのせいで貴重な成人直前の婚活期間を無駄にしたんだよ、僕は。まあ、彼女を責める気はないがね。勘違いした僕が十割悪いだろ。アデライド宰相やスオラハティ辺境伯なんかを見るに、こちらの世界の女性は親しい男性に対してはあれくらいの距離感で接することは普通のことっぽいし。

 

「確かにね。あの頃はよかったよ、ほんと」

 

 頷くと、ソニアはくすりと笑ってから僕の肩に頭を乗せた。そのまま体重を預けてくるものだから、滅茶苦茶重い。この副官は、僕より二十センチちかく背が高いのである。体重はたぶん五割くらいソニアの方が重い。

 いやまあ、我慢するけどね。役得だし。しかし、今日のソニアはなんだかヘンだ。普段はここまで甘えてくるような真似はしない。……たぶん"正統"の火炎放射のせいだな。敵兵とはいえ(味方が混ざっていた可能性もあるが)、ヒトが生きながら焼かれている姿はかなりショッキングだ。惨劇慣れしている僕ですら、胃に鉛を流し込まれたような心地になってしまった。

 

「ちょっとだけ、子供のころに戻る?」

 

「……はい」

 

 こくりと頷くソニアの頭を抱き寄せると、彼女は抵抗もなく僕の胸板に顔を押し付けてきた。そのまま、二人して麦藁のベッドに倒れ込む。その大きな体をぎゅーっと抱きしめてやると、ソニアはゆっくりと脱力していった。

 懐かしい感覚だな。子供のころのソニアは、辛いことがあると必ずこうして甘えてきたものだ。彼女は幼くして父親と死別している。その喪失感を、僕で埋めていたのかもしれない。

 

「ソニア、君は最高の副官だ。けれども、いつもいつも最高の副官で居続ける必要はない。二人っきりの時くらい、ただのソニアとアルベールに戻っていいんだよ」

 

「……うん」

 

 普段の丁寧な口調を捨て、ソニアは僕を抱きしめ返してくる。……正直めちゃ苦しい。滅茶苦茶デカくて重くて力が強いんだよ、ソニアは。大型野生動物に甘えられてる気分だ。おまけにそのヒマラヤ山脈みたいにデカい胸がものすごい圧力で僕に密着しているんだからシャレにならない。理性の耐久試験か? 勘弁してくれ。

 しかしもちろん、ここで彼女を拒否するような野暮な真似はしない。時には女の弱さを受け止めてやるのも男の役割だと、父上が言っていたからな。

 普段があまりにも有能すぎるので忘れがちだが、ソニアもまだ若い。前世の僕なんて、彼女くらいの年齢の時分には大学(海軍兵学校)で遊び狂ってた。当然、昨夜のような悲惨な光景を直接目にする機会も全くなかったわけだ。そう思うと、なんだか申し訳ない気分になってくる。彼女には辛い思いをさせてしまったな……。

 

「お前はよく頑張っているよ、ソニア。本当にすごいヤツだ。君のような友達が居て、僕は幸せ者だよ」

 

 背中をとんとんと叩きつつそう言ってやると、ソニアは甘えた様子で僕の胸板に頬擦りしてくる。すっかり子供のころに戻ってるな……。

 どんなに強い人間でも、戦場のような高ストレス環境に居続ければおかしくなってしまう。だからこうして、しっかり弛緩させてやる必要があるわけだ。大切な友人であるソニアには、いつまでも健やかでいて欲しい。そのためなら、父親役だろうが抱き枕だろうがやってやるさ。

 

「昨夜の君は、ほんとうに格好良かった。惚れ惚れしたよ。ありがとう、ソニア。君が傍にいてくれてよかった……」

 

 耳元で優しく囁きつつ、心臓の音を聞かせてやる。ソニアは小さく息を吐いて、幼い子供のように僕にひっついた。……よしよし、イイ感じだ。幼馴染だけあって、彼女の弱い所はすべて心得ている。せいぜい頑張って彼女を癒すとしようか。

 ……ケアが必要なのはソニアだけじゃないんだよなあ。カリーナをはじめとしたガキどもにも、随分とひどい戦場を見せてしまった。たぶん、心の傷になっているはずだ。やっちまったなあと思うが、今さらどうしようもない。泥縄式で申し訳ないが、後で彼女らもケアしてやらねば……。



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第299話 くっころ男騎士とじゃれ合い

 ソニアにベッタリと密着されたまま、仮眠の時間は過ぎていった。子供に戻ったように甘えてきたソニアだったが、頭を優しく撫で続けているとやがて安らかな表情で眠り始めた。これで僕も一安心し、自分も眠ることに舌。

 とはいえ所詮は仮眠、幸せな時間は長くは続かない。二時間ほどでカリーナが起こしに来たので、僕は不承不承寝床から離れた。……ちなみに、起こしに来たと言ってもテントの外から声をかけてきただけだ。内部は見られていない。まさか添い寝してる所を見られるわけにもいかないからな……。

 

「んんーっ……中途半端な仮眠って、なんだか却って疲れが増したような気分になるよな」

 

 身支度を整え、整備が完了した甲冑を着込んでから、僕はソニアにそういった。愛用の甲冑は仮眠している間にピカピカに磨き上げられ、装甲にはさび止めの油もしっかりと塗布されている。短時間で作業したわりにはパーフェクトな仕上がりだ。後で担当者に礼を言っておくことにしよう。

 

「申し訳ありません、お手間をおかけして」

 

 モジモジとしながら、ソニアが頭を下げる。ほんのこの間までほぼ毎日こんな感じだったんだから、別に今さら恥ずかしがる必要は無いと思うがなあ……いや、あの頃からもう十年近くたってるわ。これをちょっと前と感じるのはオッサン特有の時間感覚以外の何者でもないだろ。なんだか別の意味で恥ずかしくなって来たな……。

 

「気にすることは無い。いまさらそんなことを気兼ねするような仲だとでも思うのか? 僕とお前が」

 

「……ええ、ええ! 確かにその通りです!」

 

 満面の笑みを浮かべて、ソニアは頷く。珍しく、傍目で見てわかるほどの上機嫌っぷりだ。どうやらメンタルの調子はすっかり改善しているようだな。良かったよかった。

 ……が、そんな浮ついた様子のソニアを見て、カリーナが大変に妙な表情をしている。どうしたのだろうか、やはり彼女も昨夜の戦闘が心の傷になってしまったのだろうか? そう思っていると、ソニアが小さくため息をついてから我が義妹を手招きした。彼女が寄ってくると、ソニアは何かを耳打ちしてしゃがみ込む。

 

「……」

 

 すると、カリーナはおずおずとソニアの身体の匂いを嗅ぎ始めた。ウシなのになんだかイヌのような動作である。……なにやってんのこいつら?

 少し悩んで、やっと理由が分かった。カリーナは、僕たちが男女のアレをしてたんじゃないかと疑ってたわけか。なるほど、確かに狭いテントに二人っきり、状況証拠は十分だな。しかし実態は添い寝して抱きしめて心音を聞かせて寝るまで背中をトントンして頭を撫でまわしていただけである。

 ……十分に倒錯した関係なような気がしなくもないが、これは僕が前世の感覚を残しているせいだろう。たぶん、おそらく。だって幼馴染連中は口をそろえて「コレくらい普通だって、ヘーキヘーキ。みんなやってることだから、何も変じゃないから」って言ってたし。……この世界ではこれが普通なんだよ、たぶん。男友達とか一人もいないので、本当のことはわからないが。

 

「……汗くさ」

 

 ソニアをクンクンと嗅ぎまわっていたカリーナがボソリと呟くと、ソニアは憤怒の表情で彼女を地面に引き倒した。なにしろこの二人には六〇センチ以上の身長差がある。矮躯のカリーナが我が騎士団で最も背が高いソニアに勝てるはずもない。

 

「グワーッ!!」

 

「貴様、人が疑念を解消してやろうとしてやったのになんと失礼なことを!」

 

 そのままソニアはカリーナを関節技で拘束し、締め上げる。カリーナは悲鳴を上げたが、表情を見れば本気で痛がっているわけではないことはわかる。ソニアが本気で関節技を仕掛けたら、頑丈な亜人であろうが無事では済まないしな……。

 

「こらこら、うちは鉄拳制裁は禁止だぞ。何回言えばわかるんだ」

 

「拳は使っていませんし、これは軍隊式の制裁ではなく義妹への(しつけ)ですので問題ありません」

 

 カリーナは僕の義妹ではあってもソニアの義妹ではないだろ……。思わずそうツッコミそうになったが、よく考えれば我々は兄妹同然に育っている。ソニアにとっても、カリーナは妹分なのだろう。

 

「ならいいか……」

 

「良くないよお兄様!? たすけて!」

 

 血相を変えてカリーナが叫んだ。……周囲の従者や騎士たちが、ぷるぷると肩を震わせて笑いをこらえている。僕も少しだけ笑って「そろそろ許してやれ」と言ってやった。ソニアはいかにも不承不承と言った様子で拘束を緩める。……緩めただけで、解いたわけではないのがミソだ。いや、解放してやれよ。

 

「何をやっているんですか、あの馬鹿どもは……」

 

 そこへやってきたジョゼットが、何とも言えない表情で言う。ジョゼットは僕たちの幼馴染の騎士で、ジルベルトがやってくるまでは実質的に部隊のナンバー三だった。……ちなみに、騎士といいつつ腰に差した剣は取り回しの良いショートソードのみであり、その代わりに背中には特注の長銃身ライフルを吊っている。

 

「じゃれあいだろ? ……指揮官代行、ご苦労だった。これより任務に復帰する」

 

「了解」

 

 ジョゼットに向けて敬礼すると、彼女は薄く笑って返礼してきた。その顔には余裕ありげな表情が張り付いているが、付き合いの長い僕にはわかる。こりゃ、だいぶ疲れてるな。さっさと休んでもらった方がよさそうだ。

 

「僕らが仮眠していた間、なにか異変は無かったか?」

 

「クソエルフどもがクソみたいなトラブルをクソみたいな頻度で起こした以外はクソ平穏でしたよ」

 

 ヘラヘラと笑いつつジョゼットが言う。わあ、キレてらっしゃる。僕は無言で、懐からウィスキー入りの酒水筒(スキットル)を取り出して、彼女に手渡した。

 

「出立にはまだ時間がある、それまでは休んでいいぞ。……酒は全部終わった後で飲めよ、酔っぱらいながら行軍するなんて一種の拷問だからな」

 

「あいあい、そりゃあもちろん」

 

 酒水筒(スキットル)を腰のポーチに納め、ジョゼットはニッコリ笑った。そしていまだにカリーナとじゃれ合っているソニアを一瞥し、口角を上げる。

 

「お酒はありがたいですけど、それ以外の役得もたまにはあっていいと思うんですがね。ソニアばかりいい目を見るんじゃ不公平ってもんでしょう」

 

「ブルータス、お前もか」

 

 僕は頭を抱えそうになった。添い寝にはかなりの精神力を要するのである。時間もないし、勘弁してもらいたいところだ……。

 

「冗談ですよ。……ところでブルータスとは一体?」

 

「カエサル暗殺の実行者の一人とされる人物だよ」

 

「いや誰ですかカエサルって。……アル様は時々訳の分からないことを言い出しますね」

 

 妙な顔をするジョゼットを見て、僕は小さく息を吐く。この幼馴染どもは、よく耳かきだのなんだのの"ご褒美"を要求してくるのである。冗談といいつつ、彼女の目つきはわりと本気だった。……暇が出来たら、ジョゼットにも何かしらしてやった方がよかろう。

 しかし、子供のころならまだしも成人した後もそういう要求をしてくるのはどうかと思うんだがね。耳かきだの添い寝だのは、恋人や夫、あるいはプロの方に頼むべきではないかと思うのだが……。だが残念なことに、なぜか僕の幼馴染騎士どもはどいつもこいつも結婚どころか男女交際の気配すら一切ないのである。娼館に通っている者すらごく少数だ。

 ガレアでは十代中ごろで結婚するものが多いのに、どうしてウチの騎士団はこんなことになっているのだろうか? 上官としては、正直かなり心配だ。……まあ僕も絶賛行き遅れ中なので人にどうこう言えた義理ではないのだが。

 

「ま、お前にも面倒をかけてるしな。耳かきくらいなら、暇な時にでもやってあげよう」

 

「さっすがアル様! 話がわかる! ……そういう甘い所、好きですよ」

 

 拳をグッと握りしめて笑うジョゼットに、僕は思わず苦笑してしまった。まあ、喜んでくれるのであれば何よりだ。

 我ながら幼馴染連中への対応が甘すぎるような気がするが、厳しい態度を取ろうとするたびに辛い教練やホームシックで挫けてビービー泣き叫んでいる昔のこいつらの顔が脳裏にうかんでくるのである。付き合いが長いというのも考え物だな……。

 

「好きなら貰ってくれよ、いつまで僕は独り身でいればいいんだよ」

 

「冗談がキツいですね。好き好んで鉄火場に踏み込む趣味は無いので嫌です」

 

 コブラめいてカリーナを締め上げているソニアを見つつ、ジョゼットは皮肉げに笑った。親密なご褒美は所望するが結婚は拒否する、なんてひどい女だろうか。……いやまあジョゼットは竜人(ドラゴニュート)なので、残念ながらブロンダン家の嫁にはなれないのだが。非モテの癖にえり好みしなきゃいけないの、本当にどうにかなんないかね?

 

「まったくお前は……馬鹿言ってないでさっさと休んでこい。……ソニアもいつまで遊んでいるんだ! さっさと行ってエルフどものケツを叩くぞ、昼過ぎには進発しなきゃならんからな」

 

 こんなところでグダグダしていたら、またいつヴァンカ派が襲い掛かってくるか分かったものではない。しかも、森林火災もまだ鎮火してないっぽいしな。エルフどもをせかしてさっさとカルレラ市に帰還したいところだ……。



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第300話 くっころ男騎士と紋章

 休憩を終えた我々を出迎えたのは、膨大な量の仕事であった。なにしろ、いきなり千人以上の人間の面倒をみなければならなくなったのである。管理するだけでも大事だ。しかもこれからリースベンに向けて旅立たねばならないのだから、そのための準備も必要である。

 

「バラバラに動いていたのでは、昨晩の二の舞になる」

 

"新"、"正統"、そしてリースベン軍の合同幹部級会議で、僕は開口一番そう言った。昨夜の戦いは、本当にひどいものだった。前世と現世をあわせても、あれほど無様な戦いをしたのは初めてである。正直、かなり堪えていた。あんなことをなんども繰り返すわけにはいかない。

 

「森の中で夜戦……そりゃあ、みな思い通りには動けないだろうさ。だが、昨日のアレは戦術的にも戦略的にも敗北に等しい醜態だ。出立する前に、今後の作戦方針についてある程度固めておいたほうがいいだろう」

 

 昨夜の戦いでは、一応こちらの『非戦闘員を確保・保護する』という作戦目標は達成している。だが、僕はあえてショッキングな言葉を使って表現した。

 なにしろ、ヴァンカ氏は最初からこちらに非戦闘員を押し付けるつもりで作戦を立てていたようだからな。我々はあの未亡人エルフの手のひらの上で踊っていたわけだ。なんとも面白くない話だよな。

 

「同感じゃな。あげん無様な戦を繰り返しちょったら、兵子(へご)がどしこあってん足らん。……い、いや、アルベールどんの指揮を批判しちょっわけじゃなかぞ?」

 

 オルファン氏が頷く、そして慌てた様子で弁明する。一応、昨日の戦いの指揮は僕が取っていたわけだからな。それを無様な戦と表現するのは、僕の作戦指揮に対する批判になることに気付いたのだろう。

 

「いや、アレが無様な戦だったのは事実だ。……今後もヴァンカ氏との戦いは続くだろうし、なにかしら対策を打たないことには、いよいよ僕に無能の烙印が押されてしまうな」

 

 僕は小さく息を吐いて、香草茶をすすった。そりゃ、言い訳はいくらでもある。開戦が突然だったこと、全く連携の取れていない複数組織を同時に指揮しなければならなかったこと……正直に言えば、上手くいくはずもない戦いだった。

 けれども、そういう部分も含めて最終的に責任を取るのが指揮官の仕事なのである。僕にも軍人としてのプライドがあるからな。安易な言い訳に逃げるわけにはいかなかった。

 

「ふーむ……対策か」

 

 ほっそりとした己の顎を撫でつつ、ダライヤ氏が唸った。我々はこれから、マイケル・コリンズ号を人力で引っ張りつつカルレラ市へと戻らねばならない。しかも、百数十人("新"の民間人は百人程度だが、"正統"も少ないながら民間人を抱えていた)の非戦闘員を護衛しつつ、だ。

 これはなかなか難儀な作戦である。進軍ルートが固定される上に、戦闘が始まっても自由に機動することができない。ヴァンカ氏の抱える戦力は決して多くは無いが、ゲリラ戦に徹すればかなり有利に立ち回れることだろう。

 

「わたしが見るに、昨夜の戦いの大きな問題点は二つある」

 

 おもむろに、ソニアがそう発言した。彼女は"新"と"正統"の幹部たちを厳しい目つきで見回しつつ、言葉を続ける。

 

「部隊間の連携がほとんど取れていなかったこと、そして敵味方の識別ができなかったこと。……こんな状態では、マトモな作戦など成立するはずもない」

 

「まったくそん通りじゃ。目ん前ん敵にガムシャラに噛みつっだけ、そげん用兵は作戦とは呼ばん。昨日ん戦いぶりをオルファン家ん母祖が見れば、さぞお怒りになっことじゃろう」

 

 腕組みをしたオルファン氏が、ソニアに同調した。彼女も、昨日の戦いには納得がいっていないのだろう。その表情はなかなかに厳しいものだ。

 

「後者はともかく、前者に関してはなかなか解消が難しいだろうな」

 

 僕は小さくため息をついて、テーブルの上の皿に入った干し芋を一つ手に取った。一口食べてみると、素朴な甘みが口の中に広がる。茶菓子としては、なかなか悪くない。

 

「部隊間連携を上手くこなすには、組織の最適化と地道な訓練が必要不可欠だ。付け焼刃で何とかなる問題ではない」

 

「ま、もともと我らは敵同士。そいがちょかっ一緒に戦えち言われてん、なかなか難しかものがあっじゃろう」

 

 ため息交じりに、"新"の長老の一人が言う。ダライヤ派の元老たちは"正統"と和平すること自体には納得してくれているが、それはあくまで飢餓問題をなんとかするためだ。心情的には、"正統"との共同作戦など受け入れがたいことだろう。

 

「とにかく、今はカルレラ市へ無事到着することを目指すのが第一じゃ。それに寄与せぬ案件については、後回しにするべきじゃろうな」

 

「一理ある」

 

 僕は頷いた。とにかく、今は一秒でも早くカルレラ市に戻りたい。なぜかといえば、カルレラ市の周囲は完全に森が切り開かれているからだ。森の中に居る限りエルフどもに対して優勢を取るのは大変に難しいが、平原であれば話は変わってくる。

 妖精弓(エルヴンボウ)は大変に強力な武装ではあるが、それでも射程や精度に関しては我々のライフルの方がはるかに勝っているからな。これに大砲による火力支援まで加われば、ヴァンカ派単体であれば一方的に叩きのめす自信すらった。……もっとも、森に逃げ込まれると追撃が難しいので、戦略的な勝利をもぎ取るのはそう簡単な話でもないのだが……。

 

「となると、現状での対策は敵味方の判別を容易にする……この一点に絞って行うべきですね。幸い、これに関しては容易な方法で解決可能です」

 

 そう言って、ソニアは自らが羽織っているサーコートを指さした。そこには、青薔薇の紋章が刺繍されている。……青薔薇紋はブロンダン家の家紋だ。本来ならここには自分の家の家紋を入れるのがセオリーなのだが、ソニアは実家と絶縁状態であるためブロンダン家の家紋を使っているのである。

 

「紋章か。……ま、他に選択肢はないよな。一番わかりやすいし」

 

 戦争協定などいまだ存在しないこの世界ではあるが、ガレア王国をはじめとする中央大陸西方地域では己の所属を示す紋章を掲げるのが常識となっている。エルフどもにもその風習に従ってもらおう、ということだ。

 

「そん青か薔薇ん紋章を我らも身につくれば良かとな?」

 

 オルファン氏の言葉に、思わず僕の顔が引きつった。脳裏に青薔薇紋……つまり、ブロンダン家の家紋を掲げたエルフ火炎放射器兵が、そこらの集落に放火している絵図が浮かんできたからだ。悪夢のような光景だが、場合によっては実際に起こりうる可能性があるのが恐ろしい。そんな事態になったら、ブロンダン家に対する風評被害が凄まじい事になってしまう。

 

「青薔薇は我がブロンダン家専用の紋章だ。ソニアは特例で認めているが、そのほかの者にまでは認められない」

 

 慌てて否定すると、ソニアが妙に粘着質な笑みを浮かべた。いつもクールな彼女には珍しい表情である。とはいえ、今はそれを気にしている余裕はない。エルフどもがブロンダン家の家紋を使用する事態だけは、絶対に阻止しなければ……。

 

「それに、青い顔料は貴重だ。今すぐ大量に用意するのは不可能だろう」

 

「ううむ、そうじゃのぅ。今日中に出立するとなると、時間の余裕は微塵もない。紋章は、兵士一人一人に各々描かせるしかないじゃろう。しかし、皆が皆絵心があるわけではないからの。あまり複雑な絵柄はムリじゃ」

 

 ダライヤ氏の言う通り、準備期間の短さはなかなかのネックポイントだ。素人でもチャッチャと描けるようなシンプルな絵柄でなくてはならないし、カラフルなのも駄目だ。……短時間に大量に用意できる顔料となると、炭の粉を水に溶かしただけの黒墨しかないな。うーん、黒一色か……なかなか難しいぞ、これは。

 

「むぅ」

 

 唸りつつ、干し芋を一口食べる。うん、ウマい。この糖分で、なんとかいいアイデアを……ん? サツマイモ……?

 

「……ちょっと思いついたんだが、こんな絵柄はどうだろうか?」

 

 僕はそう言って、取り出した懐紙に思いついた絵柄をサラサラとかき込む。それは〇と十を組み合わせただけの、シンプルなマークだった……。



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第301話 くっころ男騎士と旅立ち

 僕が提案した紋章は、かなり好意的に受け止められた。まあ、エルフたちにはもともと紋章を掲げる文化がないようなので、所属を識別できるのであればどんなマークでも良い、くらいに考えているだけかもしれないが。

 ……ちなみにこの丸に十文字のマーク……轡十字(くつわじゅうじ)は、薩摩の島津家の家紋である。自分の家の家紋をエルフどもに使わせたくないばかりに、他所の家の家紋を身代わりにしてしまった。島津家には大変に申し訳ないが、この世界には(おそらく)薩摩藩も島津家も無いはずなので怒られることはない……ハズだ。

 とにかく、エルフたちは"新"も"正統"例外なくこの『轡十字』紋を身に着けることとなった。具体的に言えば、ポンチョの背中にデカデカとこのマークを書き込むことにしたのだ。これにより、エルフ兵の所属が一目で見分けられるようになった。……副作用としてもともとヤバかった集団がさらにヤバく見えてしまうようになった気がするが、まあ気のせいだろう、たぶん。

 

 

「やっと前へ進めますね……」

 

 ため息交じりに、ソニアがそう話しかけてくる。時刻は、朝。……つまり、紋章の決定の翌日である。予定ではその日のうちにカルレラ市に向けて進発するはずだったのだが、アレコレ準備をしているうちに夕方になってしまっていたのである。民間人を連れて森の中を夜間行軍など、あまりに無茶すぎる。結局、進発は翌日に繰り越しになってしまった。

 なんでこれほど予定から遅れてしまったかと言えば、"新"の連中が旅立ちの準備に手間取ってしまったからだ。なにしろ彼女らは昨日まではいつも通りに暮らしていたわけだからな。それがいきなり今まで住んでいた街(実態は村だが)を捨てて新天地へ旅立つことになったのだから、短時間で荷造りが終わるはずもない。

 

「まあ、致し方のない話だ。連中にも生活基盤がある。先導があるとはいえ、着の身着のままで森の中をさ迷いたくはないだろう……」

 

 無論我々リースベンからある程度の生活再建支援はする予定ではあるが、匙の一本、下着の一つまで何もかも供給してくれと言われても応えられないからな。荷物の量が増えるのも仕方がない。むしろ手ぶらで旅立たれる方が困る。

 僕はソニアに笑い返してから、視線を横へと向けた。そこには、ノロノロと進むマイケル・コリンズ号の姿があった。マイケル・コリンズ号の舳先からはロープが伸びており、河原を歩く大勢のリースベン兵がそれを引っ張っている。

 ルンガ市を発った我々は、現在エルフェン河の河原を歩いていた。往路は優雅な船旅を楽しんだ我々だが、復路はそういうわけにはいかない。何しろマイケル・コリンズ号は帆櫂船で、自力で川をさかのぼっていくことはできない(短時間は可能だが巡航はムリだ)。人力で引っ張ってやる必要があった。

 さらに言えば、マイケル・コリンズ号の船倉にはルンガ市民たちの家財道具が満載されていた。おかげで、船の運航に必要な要員以外は全員船外に追い出され、陸路での移動を強いられている。本当に難儀な話だ。

 

「そうですね。……はあ」

 

 ソニアは周囲に悟られぬよう密かにため息を吐いたが、そのままあくびが出てしまう。大口を開けている姿を僕に見られた彼女は、顔を真っ赤にしてしまった。

 

「……お恥ずかしいところをお見せしました」

 

「昨日は睡眠妨害が激しかったからな……」

 

 僕は小さく肩をすくめた。昨夜はルンガ市に泊った我々だったが、案の定ヴァンカ派が襲撃を仕掛けてきたのである。もっとも、襲撃と言っても大規模なものではない。嫌がらせ程度の小さなものだ。

 しかし小規模であろうが襲撃は襲撃、無視するわけにもいかない。結果、睡眠時間が大幅に削られてしまったというわけだ。……ヴァンカ氏はこれを狙って攻撃してきたんだろうな。ゲリラ戦のやり方をよくわかっている。厄介な敵だ。

 

「今後もあの手の嫌がらせは続くだろうが、まあ三日か四日の我慢だ。カルレラ市の本隊と合流すれば一息つける。それまで堪えてくれ」

 

「ええ、もちろん。無様な姿はお見せしませんよ、ご安心ください」

 

「良い答えだ! 頼りにしてるぜ、相棒」

 

 そう言ってソニアの肩を叩いてから、僕は視線を横に移した。そこに居たのは、ルンガ市に住んでいた男たちである。彼らは大量の荷物をや赤ん坊を背負い、子供たちの手を引きながら歩いている。

 赤ん坊や子供の種族は様々で、エルフもいれば鳥人も居るし、珍しい所ではクモ虫人(アラクネ)などもいる。そして子供自体の数もかなり多い。男一人当たり、最低でも三名ほどの子供を連れているのである。

 そしてもちろん、ガキどもが大人しくしているということもない。泣きわめいている赤ん坊も居れば、興奮して走り回っている幼児も居る。男たちは、我々以上に大変そうな様子だった。

 

「大丈夫か、君。手が足りないようなら人を呼ぶが」

 

 手近に居た男にそう声をかける。僕と同じくらいの年齢の青年だが、背中と胸にそれぞれエルフとスズメ鳥人の赤ん坊をくくりつけ、さらにもう一人エルフ幼女の手を引いていた。それに加え体中に大きなカゴをいくつもくくりつけているのだから、とんでもない大変そうに見える。

 

「だ、大丈夫です。城伯様。この程度、慣れてますから」

 

 そう答える青年の言葉遣いは、聞きなれたガレア式の発声だ。エルフ訛りではない。どうやら、彼も出身はリースベンのようである。

 

「ただ、その……お乳が出る方が居たら、呼んでいただけるとありがたいです。こればかりは、自分ではどうしようもないので……」

 

 この世界では一般的に育児は男の仕事とされているが、授乳だけは男ではどうしようもない。

 

「……残念ながら、ウチの部隊には子持ちは一人もいないんだ」

 

 大変に申し訳ない気持ちになりつつ、僕はそう答える。なにしろ我々は婚期を逃しつつある幼馴染騎士どもと王都を捨ててリースベンに移住してきたチンピラどもの混成部隊である。母親など居るはずもない。

 

「その子らの母親はどうした? 軍務についているのなら、任を解いてもいいが」

 

「それが、その……」

 

 青年は辛そうな顔をしつつ、胸に抱いたスズメ鳥人の赤ん坊の頭を撫でる。

 

「この子の母は、出産してすぐ産褥熱で……エルフの方の母は、ヴァンカ様に連れていかれてしまいました」

 

「むぅ……」

 

 僕は思わずうなった。子を成すと加齢が始まる種族であるエルフは、本来ならば結婚すると現役を退き隠居を始める。ところが、ヴァンカ氏は男たちを捕らえた際、そのエルフ妻たちを強引に徴兵してしまったのだという。

 鳥人など他の種族の母親は見逃されたそうだが、そもそもルンガ市に住む者たちは例外なく栄養失調状態だ。母乳の出が良いはずもない。結果、赤ん坊はみなひどくひもじい思いをしているようだ。

 

「子供がすきっ腹を抱えて泣いているのだけは、どうにも我慢がならん。なんとかしてみせよう」

 

 母乳の出る者に加給食を出し、代わりに乳母役をやってもらうしかあるまい。僕はウルを呼んで、赤ん坊もちの鳥人を全員呼び戻すように命じた。

 鳥人たちには空中哨戒をしてもらっている。監視の目が減る事態はできれば避けたいのだが、こればかりは仕方が無いだろう。亜人とはいえ赤ん坊、その体力は只人(ヒューム)の子供と大差ない。授乳を怠ればあっという間に死んでしまう。それだけは絶対に避けたかった。



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第302話 くっころ男騎士と赤ん坊

 なにしろ僕は前世でも現世でも一人の子供も授からなかった(子供が出来るような行為をした経験がないので当然のことだが)、生粋の独身貴族である。乳児の世話がどういうものであるかなど、さっぱりわからない。

 とにかく父親や赤ん坊の世話をした経験がある者たちの意見を聞きつつ、なんとか行軍しながら赤ん坊の世話ができるように体制を整えた。……こんなことは出発する前に決めておけよという話なのだが、何しろ僕も乳幼児を抱えての行軍など初めての経験である。とにかく要領がよくわかっていなかった。

 

「おー、よしよし。たぁんと飲め」

 

 行軍の小休止・大休止中なども大忙しである。子持ちの鳥人や虫人などが集まってきて、赤ん坊に授乳をし始める。明らかに人手が足りていない。「なんであてには乳が二つしかちちょらんのや」とボヤいている者も少なくない。……複乳の亜人も、世界のどこかには居るかもしれんなぁ。

 それはさておき、乳母役も大変だが父親も大変である。オムツを変えてやったり、離乳が始まっている子には粥などを食べさせてやったり、もう大忙しだ。授乳以外のあらゆる仕事は父親の役割なのである。

 

「子供の世話ってヤツは……本当に難儀だな。最前線並みの忙しさだ」

 

 使用済みのオムツを川でジャブジャブ洗いながら、僕は隣の青年に話しかけた。なんで僕がこのようなことをしているかといえば、明らかにオーバーワーク気味になっている父親たちを見て我慢ができなくなり、手を出してしまったからだ。

 洗濯なんて領主の仕事ではないのだが、人手が足りないのだから仕方が無い。兵士たちは休ませておかないと今後の襲撃に対処できなくなるし、従者や使用人の数も限られている。一人でも多くの労働力が必要だった。

 ま、技術と文明が発展した現代ですら、育児現場は戦場だという話だからな。使える機材の少ないこの世界では、さらに大変である。ああ、紙オムツと粉ミルクが欲しい。レトルト離乳食もだ。

 

「申し訳ありません、お貴族様にこのような汚い仕事をやらせるなど……」

 

 ひどく恐縮した様子で、青年が言う。エルフとスズメの赤ん坊を一人ずつ抱えていたあの青年だ。もう一人いたエルフの幼児は、年長の子供たちが預かってくれている。

 

「こちとら敵兵の返り血やら臓物やらを浴びるのがお仕事なんだ。この程度で汚いなどと言っていたら騎士は務まらんよ」

 

 手早く糞便を洗い流しつつ、僕は言う。一応は貴族階級とはいえ、ブロンダン家はあくまで貧乏宮廷騎士の家系である。家事も自前でこなす必要があった。洗濯も手慣れたものだ。

 

「あの、アル様、お手伝いいたしましょうか?」

 

「い、いや、ここは自分がやりましょう。城伯様はどうぞお休みになってください」

 

 上司が働いている中で休むのは気が引けるのだろう。騎士や兵士たちがそんな風に話しかけてくる。しかし、僕は彼女らをシッシと追い払った。

 

「今のお前たちの仕事は体を休めることだ。上司の前で職務放棄を図るとは良い度胸だな? ……いざという時はお前たちが頼りなんだ、体力は温存しておけ」

 

「しかし、城伯様だって騎士でしょう? 戦わねばならないのは同じことです。その城伯様が働いておられるのですから……」

 

 兵士の一人が、そう抗弁する。……まったくこいつら、本当に優しい連中だな。僕が逆の立場だったら、まったく気にせず休憩を満喫してる所だぞ。

 

「僕は後ろでふんぞり返って指示を出していればそれでいいんだ。前線で働くお前たちほど体力は使わない」

 

「アル様、後ろでふんぞり返るどころかイの一番に前に飛び出していくじゃないですか……」

 

「そ、そげなことは……」

 

 幼馴染の騎士の一人の指摘に、僕は冷や汗を浮かべた。こうなるともう、劣勢である。あっという間に洗濯物を奪われてしまった。隣で洗濯をしていた先ほどの青年も同様である。

 

「むぅん……」

 

 臨時の洗濯場と化していた川べりから追い出された僕は、石の上に腰をかけながら唸る。なんとも不本意な結果である。……せっかくの機会だから、育児についてのアレコレを学んでおきたかったのに。いやまあ、今のところ育児どころか子供が出来るような行為ですら行う見込みが立っていないのだが。

 

「領主様は、慕われているのですね」

 

 となりに腰を掛けた青年が、苦笑しながらそう言った。彼の抱えていた赤ん坊二人は子持ちのクモ虫人(アラクネ)が預かってくれており、すぐ近くで授乳されている。文字通り、肩の荷が降りた形だ。まあ、この青年は赤ん坊以外にも大量のカゴを身体に括り付けているのだが。……あのカゴ、一体何がはいってるんだろうね? なんか中からゴソゴソ音が聞こえてくるんだけど……。

 

「そうかね? まあ、いい部下に恵まれたとは思うが」

 

「ええ、もちろん。こうやって、積極的にみんなが手を貸してくれるわけですから。ウチの旦那なんて、頼んでも全然手伝ってくれないんですよ。『ガキん世話は男ん仕事じゃ』って」

 

 旦那というのは、妻……特に本妻のことである。この世界では、通常の場合男は旦那とは呼ばれないのだ。

 

「部下と旦那じゃ話が違うだろ? ……ところで、その……旦那というのは、エルフの?」

 

「ええ、そうです」

 

 なんでもない事のように、その青年は頷いた。

 

「……聞きづらいことだが、君は、その……リースベンの?」

 

「はい、だいたいご想像の通りだと思います。旦那は、ボクを攫って行ったエルフの兵隊ですよ」

 

「なるほど」

 

 僕は腕組みをして、小さく唸った。彼もまた、なかなか悲惨な経緯でエルフの集落にやってきたようだ。

 

「と、すると……やはり、故郷に帰りたいか?」

 

「そりゃ、帰れるものなら帰りたいですが。しかし、そういう訳にもいかないでしょう? エルフの子どもなんか抱えて実家に戻ったら、大事になってしまう」

 

 ため息を吐きつつ、青年は己の赤ん坊の方に目をやった。エルフとスズメの赤ん坊二名は、クモ虫人(アラクネ)娘の乳房にむしゃぶりつき、喉を鳴らしている。

 クモ虫人(アラクネ)は人型の上半身とクモの下半身を持つ亜人だ。人型の上半身に関してもクモの特徴が現れた姿をしており、美しくも恐ろしい。なかなかの異形っぷりだが、赤ん坊たちは微塵も怖がる様子を見せていない。彼女らにとって、クモ虫人(アラクネ)は見慣れた存在なのだろう。

 ガレア王国では、虫人はあまり目にする機会がない。しかし、リースベンではそれなりの数の虫人原住民が居るようである。なにしろ虫人は異形めいた外見の者が多いので、ある意味エルフ以上にガレア移民たちとの融和には難儀するかもしれないな……。

 

「エルフの子供をカルレラ市や農村で受け入れるのは、やはり難しいかな」

 

「難しいでしょうね。みんなエルフは大嫌いですし。下手をしたら、叩き殺されてしまうかも」

 

 そう言ってから、青年は悲しげにほほ笑む。

 

「ハッキリ言って、旦那はいまだに恨んでますけどね。でも、子供に罪は無い。経緯はどうあれ、あの子たちにはボクと同じ血が流れているわけですから……」

 

「……」

 

 僕は思わず黙り込んだ。実際、これはなかなかに難しい問題だ。両エルフェニアのリースベン移住は無事決定されたが、受け入れる側のリースベン領民たちはすぐには納得してくれないだろう。

 移住どころか、カルレラ市へ入ることすら許可されないに違いない。農村に関しても同様の対応が取られるだろう。領主とはいえ、それらの判断を強引に覆すような真似はできない。案外権限が弱いんだよ、ガレア王国の領主は。

 そのような状況では、彼ら拉致被害者の立場はなかなか難しいものになる。リースベン領民は彼らの返還を求めるだろうし、エルフどもは絶対に手放そうとはしないはずだ。融和どころか、更なる断絶の要因になりかねない。

 

「旦那もヴァンカ様に連れていかれてしまって、これからどうなるかはわかりませんけど……エルフと子供を作ってしまった以上は、ボクもエルフたちと共に生きるしかない。今はそう思っていますよ。……だから領主様、そんな顔をしないでください」

 

「……すまない、僕の力不足だ」

 

 できれば、彼らは故郷に帰してやりたい。だが、今後どのような政治的妥結が図られるのかわからない以上、僕は彼らに「必ず故郷へ帰してやる」とは約束できないのだ。彼が自分の意志で今のような表明をしてくれるのは、正直とても有難かった。

 ヴァンカ氏の起こした反乱を鎮圧したあとも、今回のような問題は延々後を引き続けることだろう。リースベンとエルフェニアの和解には尋常ではない労力を必要とするはずだ。

 ……まったく、オレアン公もなんと厄介な土地を寄越してくれたものだろうか。文句を言いたい心地になったが、彼女はすでに亡くなっている。なんとも残念な話だ。亡くなる寸前の彼女の顔を思い出して、僕はため息を吐いた。



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第303話 未亡人エルフの苦悩

 私、ヴァンカ・オリシスは、自らの涙で溺れそうになって目を覚ました。時刻は、深夜。私はポンチョに包まり、木の根を枕にして森の中に横たわっている。

 

『エルフなんか皆死んでしまえばいい』

 

 夢から覚めたというのに、いつまでもいつまでもその言葉が頭の中で反響している。……昼も夜も、寝ている時も起きている時も、ずっと。彼が死んだあの日から、ずっと。

 

「うっ、うっ、ごめんなさい、エルフでごめんなさい……」

 

 私は泣きながら、自らの両耳をぎゅっと握り締めた。エルフの特徴である、長くとがった耳。こんなものは、さっさと削ぎ落してしまいたい。けれども、そんなことをしたって何の意味もないことはわかっている。

 贖罪をせねばならない。罪もない男を攫い、犯し、辱め、飢えさせ、挙句の果てに下らない内紛に巻き込んで死なせてしまった。とても許されるような罪ではないが、だからといって開き直ることなどできない。私は善い妻とは正反対の女だが、だからこそ彼の最後の言葉くらいは叶えてやらねばならないのだ。

 

「ヴァンカどん、ヴァンカどん。夜半に申し訳あいもはん。よろしかと?」

 

 遠くから、そんな風に声をかけられる。私はいつも悪夢を見るので、就寝中は人を近づけないようにしていた。寝るたびに泣きはらしている姿を、他のものに見られるわけにはいかない。

 しかし、耳障りな声だ。汚らしい、エルフ訛り。罵声を飛ばしたい気分をこらえつつ、私は「少し待て」と答えた。ポンチョの中から丸薬を取り出し、奥歯で神占める。苦さと青臭さが口内に広がると、ドロドロした気分がスッと消えていった。この丸薬は、鎮静効果のある薬草を集めて私手づから調合したものだ。効果に関しては、折り紙付きである。

 

「……で、どうした?」

 

 涙でドロドロになった顔をポンチョで拭いてから、私は立ち上がった。私に声をかけてきたのは、深夜にも関わらず釣鐘型の笠を被ったままの若造(にせ)エルフだった。

 

「夜襲部隊が帰って来もした」

 

「そうか」

 

 私はぶっきらぼうに応える。我々は現在、カルレラ市を目指してエルフェン河を北上する腐れエルフどもとリースベンの連合部隊を追撃していた。

 追撃と言っても、戦力は我々のほうが劣っているからな。もちろん、正面から挑んだりはしない。チマチマとした攻撃を仕掛け続け、相手を疲弊させる戦術を取っている。

 私の目的は、エルフの殲滅だ。いまだにこの私に従い続けている救いようもないバカどもを殺し尽くすだけならば簡単なのだが、ダライヤやオルファン皇家の末娘の部下たちも殲滅せねばならない。これはなかなかの難事だった。それなりに考えて立ち回らねばならない。

 

「で、成果は?」

 

「全て予定通りじゃ。手持ちん鏑矢(かぶらや)は全部撃ち込んだとかで。……歩哨も五、六人仕留めたそうじゃ」

 

「ふん……」

 

 夜襲と言っても、私が命じたのは敵部隊の睡眠妨害だ。敵兵を殺せとは言っていないのだが……また勝手な真似をしたようだな。まあ、いつものことだが。この程度のことで目くじらを立てていたら、エルフの将などやっていられない。……本当にロクデナシだな、このクズどもめ。今すぐ全員腹を切って死ねばいいのに。

 

「こちら側の損害は?」

 

「三人やられたと。……流石は先輩方じゃなあ、数に勝っ相手に一歩も引かず、倍近か数ん敵を倒すなんぞ」

 

 心底感嘆した様子でそんなことを言う若造に、私は思わず舌打ちをしかけた。夜襲での戦果確認が六名なら、実際に倒せたのはせいぜい三名くらいだろう。もっと少ない可能性も十分にある。良くて一対一の交換、下手をすればこちら側のほうが損害が多いのではないだろうか?

 我々と連合部隊の戦力差は一対二程度。単純計算で、一人あたり二人の敵兵を倒さねば相打ちにすら持ちこめん。しかし、現実的にそれはムリだ。夜闇に隠れて奇襲して、やっと一対一の交換比なのだからな。正面からぶつかり合えばこちらが一方的にやられるだけだ。

 

「……流石はエルフの精鋭だ。しかし、戦力的に少々厳しいのも事実。アリどもの準備はまだ完了しないのか?」

 

 我々にとって有利なこの地で戦ってすらこの始末なのだから、カルレラ市に逃げ込まれたらもう手出しができない。あそこはここ数か月ですっかり要塞都市に変わってしまったようだからな。攻城戦はエルフ兵の苦手とする分野だ。野戦を仕掛けられるうちに決戦を挑まねばならない。

 だが、そのためには圧倒的に戦力がたりない。それを何とかするための作戦が、私にはあった。なにしろ私は、何年もかけてエルフそのものを滅ぼすための策を練っていたのだ。布石は既に打ってある。状況は当時の想定とだいぶ異なった様相を呈しているが、なんとかなるだろう。

 

「アリンコどもは明日には動くっちゆちょっ。……じゃっどん、あげん連中を信用して大丈夫じゃっとな?」

 

「問題ない、所詮は頭の足りぬ蛮族どもだ。こちらの思い通りに操作するなどたやすい事よ」

 

 なーにが蛮族だ。自分で言ってて恥ずかしくなってきた。野蛮なのはエルフだろうに……。

 

「それに、万が一の時の用意もある。例のアレは、しばらく餌を抜いてあるんだろう?」

 

「無論じゃ。あん外道どもが食料庫を焼き払うてしもたせいで、兵糧も対して残っちょらんでね」

 

「アレは飢えれば飢えるほど狂暴になる。そのまましばらく日干しにしておけ」

 

「承知いたしもした」

 

 一礼をして、若造エルフは去っていった。私はため息を吐き、木の根元に腰を下ろす。私が母親を取り上げてしまった赤ん坊たちは、無事だろうか? 腹を空かせて泣いているのではないか? そんな考えが、頭の中でグルグルと周り続ける。

 私はエルフを根切りにする。そう決めたはずだ。それなのに、子供たちが心配でならない。偽善だ。ひどい偽善だ。彼女らから母親を取り上げ、戦場に投げ込もうとしているのは私なのに。

 不誠実だ、不義理だ、不条理だ。夫に対しても、子供たちに対しても。復讐鬼にすらなり切れぬ、中途半端な獣。それが今の私だ。このような有様で、あの賢明で優しい男騎士の対手が務まるのだろうか?

 ああ、ああ。すまない、ブロンダン卿。君を巻き込むつもりは無かったのに、こんなことになってしまった。すまない。本当にすまない。しかし、もはや私は私自身にも止められないんだ。許してくれとは言わない、言えない。どうか私を恨んでくれ。



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第304話 くっころ男騎士とゲリラの脅威

 ルンガ市を発ってから丸一日が経過した。幸いにも、今のところ子供たちは誰一人として欠けていない。とりあえず一安心である。……何しろこの世界の子供はすぐ死ぬ。衛生環境が悪いからだ。ましてや、エルフェニアの子供たちは栄養が足りていない。いくら気を付けても気を付けすぎということはなかった。

 まあ、何にせよ子供たちは無事である。無事なのだが、問題は他にあった。ヴァンカ派のエルフゲリラ兵である。こいつらの攻撃は、異様に巧妙だった。

 鳥人やエルフ兵による哨戒網を巧みに潜り抜け短時間に妖精弓(エルヴンボウ)による集中射撃をしかけてきたり、こちらの進路に先回りして罠を仕掛けて来たり、あるいは夜半にこちらの天幕に向けて鏑矢(かぶらや)(ヤジリの代わりにカブラと呼ばれる笛の一種を取り付けた矢。放つと甲高い音を発する)を打ち込んできたりした。

 いずれも嫌がらせ目的の攻撃であり、被害は限定的だ。だが、攻撃を受ける方にしてみればなかなか厄介だった。気が休まらないことこの上ないし、連中は一撃を入れるとそのまま退散してしまうので反撃すらままならないと来ている。本当に厄介な敵だった。

 

「一名死亡、三名負傷……こうも連続してしてやられると、流石に辟易してきますね」

 

 十分ほど前に起きた襲撃の被害報告を聞きつつ、ソニアがボヤいた。忍耐強い彼女がこのような弱気な発言をするのは大変にまれなことだが、気分は僕も同じだった。

 

「いかに精強なエルフ兵でも、隠れた敵からの奇襲を防ぐのは難しい……ううーん、どうやって対処したものか」

 

 ヴァンカ氏は少人数のコマンド部隊を編成し、四方八方から攻撃を仕掛けてきていた。しかも、あえて襲撃の頻度を不定期にすることにより、こちらの疑心暗鬼を煽る徹底ぶりである。まるでベトコンのような手管だ。

 一回の襲撃で受ける被害は大したものではないが、チリも積もれば山となる。すでに、損害は無視できるレベルを逸脱しつつあった。しかし、こちらは有効な対処が出来ずにいる。マイケル・コリンズ号や民間人たちなど、護衛すべき対象を多く抱えているからだ。

 

「受け身に回らざるを得らん以上、哨戒ん網ん目を密にすっくれしか対処法が無かじゃろう」

 

 腕組みをしつつ、オルファン氏が言う。そんな彼女のポンチョには、例の轡十字(くつわじゅうじ)のマークが誇らしげに描かれていた。いや、ポンチョだけではない。ちょっとした小物にまで例のマークを描き込んでいる。どうやら、この紋章が大変に気に入った様子である。

 とはいえ、その表情に浮ついたものは一切ない。なにしろこの襲撃で被害を受けたのは彼女の部下たちだ。彼女の眉間には、深いシワが刻まれている。相当腹に据えかねている表情だ。

 

「その哨戒班が集中して狙われているんだ。ヴァンカの目的は、僕や君の首級(クビ)じゃなさそうだぞ。どちらかといえば、こちらの部隊に被害を与えることそのものを目的にしているフシがある」

 

 とにかく相手の出血を強い続け、戦意を削ぎ取る……。戦力的に劣るヴァンカ氏が実行可能な戦術の中では、最善手に近いやり方のように思える。だが、その戦略的な目標がよくわからない。彼女は最終的にどのような着地点を目指して行動しているのだろうか? それがわからないことには、相手の出方を読むのも難しい。

 

「ヴァンカどんと直接手合わせすったぁ初めて(はいめっ)じゃが、こげん戦上手とは。(オイ)は少しあん人を甘う見ちょったかもしれん」

 

 ため息を吐きつつ、オルファン氏が肩をすくめた。……オルファン氏はヴァンカ氏の指揮する敵と戦ったことがないのか? あの未亡人は、"正統"の攻撃で夫子を失ったという話だが……己の手で"正統"を殲滅しようとは思わなかったのだろうか?

 なんだか、ヘンな話だな。普通なら、復讐は己の手で遂行したいと思うのが人情というものだ。ましてやヴァンカ氏は指揮官としてかなり有能な手合いである。彼女が直接指揮を執らない理由は無いと思うのだが……。

 

「周辺監視に関しては、逃げ足の速い鳥人連中を主軸にしたほうが良いかもしれませんね」

 

 ソニアの言葉に、僕は思考を中断した。今最優先すべきなのは、民間人と己の部下たちを安全な場所まで連れ帰ることである。対手の行動原理を探るのも重要だが、今は目の前の現実に対処せねばならない。

 

「しかし敵は森の中だ。しかも、少なくない数の鳥人が子供たちの世話のために戦線を離脱している。正直、彼女らを監視の主軸に据えるのは難しいぞ」

 

「確かに……」

 

 ソニアは腕組みをして唸り声を上げた。八方ふさがり。そんな言葉が、脳裏に浮かんでくる。予想通りといえば予想通りなのだが、まるで詰め将棋でも仕掛けられているような錯覚を覚えてしまう。指揮官としてのヴァンカ氏は、今まで戦ってきた敵の中でも一番手強い相手かもしれない。

 しかし、過激派エルフ単体でもここまで苦労させられているのだから、エルフ全体と敵対していたらいったいどんなことになってしまっていたのだろうか? 怖すぎて想像もしたくない。

 

「いっそんこつ、哨戒網を縮小してそん分密度を上ぐっちゅうとも手かもしれんぞ。部隊を薄う広う展開したんじゃ、戦力差を生かせん」

 

 難しい表情で、オルファン氏がそんな提案をしてくる。それを聞いたソニアの眉が跳ね上がった。

 

「しかし、捜索範囲を狭めればそのぶん本隊に攻撃を受けるリスクは高まるぞ。わたしたちだけならばどうとでもなるが、避難民たちを危険にさらすのはいただけない」

 

「そんたそうじゃが、あえて敵を懐に飛び込ませっちゅうとも作戦の内じゃど。弓取りん数は(オイ)らン方が多かとじゃっで、河原に引きずり出せばこちらが打ち負くっことはあり得ん。危険を冒す価値は十分にあっち思うどん」

 

 オルファン氏らしい作戦だな。確かに彼女の言う通り、河原にさえ誘い出すことができればこちらの勝利は確実だ。たとえヴァンカ氏が全軍を投入してきたところで、負ける気はしない。開けた河原ならこちらも全力射撃ができるし、マイケル・コリンズ号から支援射撃を受けることもできるからな。

 ただ、問題がないわけでもない。ヴァンカ氏ほどの指揮官であれば、部隊の動きからこちらの意図を看破することなど容易いことだろう。敵が思惑通りに動いてくれるとはとても思えないし、敵を内側に引き込むことによって民間人たちに被害が及ぶリスクが発生するのも見過ごせない。

 まあ、ヴァンカ氏であれば男や子供たちを積極的に狙うような真似はしないような気がするがね。そもそも、ヴァンカ氏は明らかに我々の重荷とすべく彼らを押し付けてきたわけだし。……とはいえ、敵の良心に期待して作戦を立てるような真似はできない。民間人たちは、あくまで最重要護衛対象として扱い続けるべきだろう。

 

「いや、今は耐えるべきフェーズだ。その案は支持できないな」

 

 僕は首を左右に振って、オルファン氏に向けてそう言い切った。

 

「相手は手練れの指揮官だ。こちらが我慢できなくなって、積極的な作戦に出た場合の対処法も絶対に考えているはずだ。むしろ、我々の堪忍袋の緒が切れるのを待っている可能性も十分にある」

 

「しかし……」

 

「オルファン殿。いや、フェザリア。我々の任務は何だ? 敵を殲滅することか? 違う。戦えぬ者を守り切ることだ」

 

 僕は強い口調で、オルファン氏にそう主張した。彼女の言う事にも一理はあるが、ガキどもを危険にさらすのは絶対に容認できない。彼女らには、できれば戦場さえも見せたくはないんだ。ちらりと近くを歩いている赤ん坊を背負った男たちに視線を向けてから、僕は言葉をつづけた。

 

「赤ん坊を背に射撃戦をやるつもりか? 冗談じゃない。今の我々は盾なんだ、剣ではない。いくらこの身が傷つけられようとも、守るべきものが無事であれば我らの勝利なのだ」

 

 そこまで言ってから、僕はあえて優しげな笑みを浮かべる。

 

「しかしもちろん、君たちだけを盾にする気はない。痛みは共有すべきだ。哨戒は我々の部隊が引き継ごう」

 

「……ほう、言ってくるっじゃらせんか。おい、お(はん)ら! 男や子供んために命を捨つったぁ惜しかか!?」

 

 オルファン氏にニンマリと笑うと、部下たちの方を振り返って言った。

 

「惜く無か! むしろエルフ兵子(へご)の本懐にごつ!」

 

「馬鹿にすっんじゃねえ、そうまで言われてイモが引くっか! 盾でもなんでんなってやらぁ!」

 

 エルフ兵たちは、木剣を振り上げながらそんなことを叫び始めた。……うんうん、予想通りの反応だ。だいぶエルフたちの操縦法がわかって来たぞ。満足気に頷いていると、誰かがこちらに駆け寄ってくる姿が見えた。ひどく慌てている様子だ。

 

「大婆様より伝令ッ! 南方より接近してくっ敵部隊を確認したとんこっじゃ。数は数百名規模ッ! 以上!」

 

 ……は? 数百名規模の敵? えっ、ヴァンカ派のほぼ全軍じゃん。えっえっ、何それ? ゲリラ戦術はどうしたの!? ナンデ!? ナンデいきなり全軍出撃!? どういうこと!?

 長く困難な対ゲリラ戦を想定して檄を飛ばした矢先の事態の急変である。僕は頭を抱えたくなった。普通に考えて、このタイミングで決戦を仕掛けることには何のアドバンテージも無いように思える。ヴァンカ氏はいったい何をやらかすつもりなのだろうか? 正直さっぱりわからん……。



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第305話 くっころ男騎士と迎撃準備

 確認された敵の戦力が数百、ヴァンカ派の規模から考えれば決戦を目論んでいるとしか思えない戦力の集結のしかただ。しかし戦力的に劣るヴァンカ派が、正面から我々を打ち破るのは困難だろう。てっきり、決戦を避けてゲリラ戦に終始するのではないかと思っていたのだが……これは、予想外の行動であった。

 

「敵さん、いったいどういうつもりだと思う?」

 

 戦闘の準備を命じてから、僕はソニアにそう聞いた。敵の主力らしき部隊は南方の森からこちらに接近してきており、現在ダライヤ氏の部隊が迎撃を行っている。

 相手はそれなりの大部隊であり、これと森の中でカチ合う事態は避けたい。同士討ち対策は施したとはいえ、先日のような乱戦はやはり避けたいからな。できれば河原に誘い出し、囲んで射撃で仕留めたいところである。そのための作戦も、鳥人伝令によってダライヤ氏に伝達済みだ。

 

「自棄を起こしているように見えますね。ヴァンカ派はただでさえ戦力的に不利ですし、さらにこちらがカルレラ市に帰還すれば攻城戦まで強いられることになる。これ以上勝ち目が薄くなる前に、イチかバチかの決戦を挑むことにした……そういう風情です」

 

 腕組みをしつつ、ソニアはそう言った。そして指で籠手の装甲を軽く弾いてから、首を左右に振る。

 

「……ですが相手は千年以上を生きた古老、神算鬼謀の策士です。そう簡単に思考停止をして博打を始めるとはおもえませんね。つまり、自棄になっているように見えるのはブラフでしょう」

 

「同感だな」

 

 僕はヴァンカ氏のことを思い出しながら、頷き返した。理性を残したまま狂ってしまった人、そういう印象のある女だった。むろん必要とあらばどんな危険な作戦だろうと選択する指揮官ではあるだろうが、しかしだからこそ容易に勝負を投げるとは思えない。

 そんな彼女が方針を転換して戦力を集結したからには、なんらかの勝ち筋が見えたうえでの行動だろう。我々の目を決戦部隊に向けさせたうえで、何かしらの策を仕掛けてくるものと思われる。

 

「そうすると、敵の本命は別に居る可能性がある。たとえば、戦略級魔法の使い手を別方向からこっそり浸透させて、こちらの脇腹に全力の一撃をブチこんでくるとか……」

 

 戦略級魔法というのは、攻城戦などで城や砦の防壁・城門などを破壊するために使われる魔法だ。我々の世界で言うところの攻城砲並みの威力があり、大変危険である。

 むろん、威力が大きいだけに運用も難しい。この手の魔法は基本的に複数の魔術師が協力して術式を編む必要があるし(極めてまれに一人で発動させられるチート魔術師も存在する)、発動までにかなりの時間がかかってしまう。そのため、野戦で用いられる例はあまりないのだが……万が一、ということもあるからな。油断はできん。

 

「あり得ますね」

 

 眉間を手で抑えつつ、ソニアは同意した。おそらく、リースベン戦争のことを思い出しているのだろう。半年前のあの戦いでも、我々は戦略級魔法による一撃で苦渋を飲まされた。エルフは魔法を得意とする種族だ。似たようなことができてもおかしくはない。

 

「……そうすると、平地にそのまま兵を置いておくのはマズいな」

 

 森の中ではエルフと戦いたくない。僕はそう思っているが、この思考もヴァンカ氏に誘導されたものかもしれん。デカい魔法で一網打尽にするつもりなら、僕らには平地に居てもらった方が都合が良いからな……。

 

「選択肢は二つ。兵を分散させて配置するか、塹壕を掘るかだ。ソニア、君としてはどっちがいいと思う?」

 

「後者ですね。前者を選択すれば、各個撃破を受けるのは避けられません。これほどの数の兵を分散配置できるほど、この河原は広くありませんし……」

 

 周囲を見回しながら、ソニアが言った。確かにその通りだ。ダライヤ氏が手勢を率いて出撃してなお、本隊には七百人近い兵員が残っている。これに加えて、民間人や使用人などの非戦闘員が百数十名ほど居るのだ。こんな大所帯で部隊を細かく分けたら、統制が取れなくなる。

 

「確かにな。それに、こちらには護衛対象が居る。あまり防備を手薄にするわけにはいかないだろう。……と、すると塹壕か」

 

 僕は内心ため息を吐きたい気分になった。ここは河原だ。地面は砂地で、とても穴掘りに向いた土壌ではない。とはいえ、他に選択肢は無いのである。なんとか工夫するしかあるまい。

 

「オルファン殿、君たちの中に土木魔法を使えるものは居るかね?」

 

 土木魔法というのは、読んで字のごとく建築などに用いる魔法の総称である。戦略級魔法に備えるなら塹壕を掘らねばならないが、今から手作業で掘り始めたのではどう考えても間に合わない。魔法を用いて一気に作業する必要があった。

 

(オイ)はもうお(はん)の臣下じゃ、フェザリアち呼び捨ててもろうて良か。……土木ちゅうと、穴掘り魔法か。エルフとはあまり相性ん良うなか魔法じゃっで、使い手は少なかね。自分の部隊には、二十人くれしかおらんぞ」

 

 どうやら、オルファン氏……改めフェザリアは先ほど僕が彼女の名を呼び捨てにしたのが気に入ったようだ。まあ、"正統"が我々の傘下に入るというのなら、それくらいフランクに呼んでもかまわないかもしれない。

 ……まあそれはさておき、今は野戦築城である。二十人くらいとフェザリアは謙遜するが、十分すぎる数だ。何しろこの手の魔法の使い手は少なく、リースベン軍全体でも数名しかいない。苦手分野でこれなのだから、相変わらずチートじみた種族だな、エルフ。

 

「よし、悪いがその連中を全員貸してくれ。技官を呼ぶから、そいつの指示に従って穴を掘るんだ。オーケイ?」

 

「ン、承知しもした」

 

 フェザリアは頷き、部下数名に声をかけて土木魔法の使い手を集めるように命じた。それから、僕の方を向き直る。

 

「じゃっどん、アルベールどん。思うに、敵に秘策があっとすりゃ魔法じゃらせんかもしれんぞ」

 

「というと?」

 

「常道で考ゆっならば、別動隊を使うて二方向からん包囲を目論んじょる、とか」

 

「ふぅむ」

 

 この近隣の地図を腰のポーチから取り出しつつ、僕は小さく唸った。確かにこの辺りは河が湾曲してお椀状になっており、包囲を図るにはぴったりの地形だ。

 

「たしかに、戦略級魔法を使うよりは確実かつ手堅い戦術だ。しかし、向こうに部隊を分けるだけの戦力はないだろう? ただでさえ、ヴァンカ派の頭数は限られているんだ。すでに数百人規模の敵が確認されている以上、有力な支隊を編成できるような余力は持ち合わせていないのでは」

 

 少ない戦力で強引に包囲を図れば、それこそこちらとしては都合が良い。余裕をもって各個撃破することができるからな。僕の主張にフェザリアは頷いたが、しかしその表情は深刻だった。

 

「じゃっでこそん増援や。こん地には、エルフや鳥人以外にも住民はおる。もちろん、飢饉ん影響で連中も危機的状況にあっはずじゃが……そん中に、ヴァンカと手を組んものがおってんおかしゅうは無か」

 

 フェザリアの言葉に、ソニアが露骨に顔をしかめた。「まだほかにも蛮族が居るのか……」と心底ウンザリした様子で呟いている。僕も全くの同感だが、まあ今さらゴチャゴチャいっても仕方があるまい。まあ、すでに最悪クラスの蛮族であるエルフとの付き合いも長くなってきたからな。蛮族耐性はできているさ。少々新手がでてきたところで、面食らうことは無かろう。

 

「なるほどな。……逃げた先に伏兵が居る可能性がある以上、民間人たちは下手に動かせないか。ここはあえて防戦に徹することにしよう。マイケル・コリンズ号もあるし、少々敵が増援を得たところで撃退は十分に可能だ」

 

 現在我々は、大河の河原を北上していた状況だ。いわゆる背水の陣状態だが、大河ゆえに渡河はかなり困難である。河そのものが天然の城壁として機能するということだ。防戦には比較的適した地形と言えるだろう。

 

「そのためにも、まずは頑張って穴掘りだ。最低でも個人用塹壕(タコツボ)、できれば小さめでも良いから塹壕線を構築したい。男たちやガキどもを敵味方の矢玉から守るためにもな……」

 

 僕の言葉に、ソニアとフェザリアはしっかりと頷いてくれた。……猶予はまったくない。塹壕は手掘りではどう考えても間に合わないから、土木魔法の使い手たちには頑張ってもらわないといけないな。



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第306話 くっころ男騎士とエルフ製塹壕

 案の定、塹壕堀りは大変に難航した。砂ばかりの土壌のせいで木枠で補強しないとあっという間に崩れるし、浅く掘っただけで水がしみだしてくる場所も多い。しかも間近に敵が迫っているせいで、時間的な余裕も皆無だ。

 しかし、泣き言を言っていても始まらない。ダライヤ氏に時間稼ぎを頼み、僕らは全力で陣地構築に取り掛かった。結果、一時間半もするころには、前衛用の塹壕と指揮壕、そして非戦闘員を収容するための避難壕が完成していた。兵士全員を防護するには圧倒的に足りないが、それでも何もないよりはマシである。

 

「なかなか派手にやってるな」

 

 望遠鏡をのぞき込みつつ、僕は呟いた。その視線の先には、森と河原の境界あたりで激しく戦っているエルフ兵たちの姿がある。ダライヤ氏の部隊とヴァンカ派の兵が交戦しているのだ。木剣が打ちあわされる音や悲鳴・罵声などが、ここまで聞こえてきている。

 ダライヤ氏の部隊は足止めの命令をキチンと果たしてくれていた。むしろ、互角にやり合っているようにすら見える。これならば、わざわざ防衛陣地なんて構築しなくてよかったのでは? そんな疑念すら湧いてきた。

 だが、油断はできない。エルフどもの厄介さは、ここ数日で骨身に染みるほどよく理解したからな。過剰に警戒するくらいがちょうどいいだろう。……この懸念が杞憂だったとすれば、それはそれで良い。酒の席で語る笑い話が一つ増えるだけだ。

 

「ふーむ。流石はエルフ、仕事が手早いな」

 

 視線を戦場から外し、僕は味方陣地を見回した。ただ土を盛っただけの土塁に、そこらから切ってきた木の枝で雑に補強しただけの塹壕。まったくもって粗末極まりない防御拠点だが、これほどの短時間で出来た代物なのだから十分すぎる。

 エルフの土木魔法サマサマだな。手作業でやってたら、たぶん三日くらいはかかっていたはずだ。まあ、即席だけに気になる部分は山のようにあるが……拘り過ぎて戦闘に間に合わないような事態になれば元も子もない。ある程度で妥協すべきだ。

 とはいえ、現状では兵員すべてを防護するだけの塹壕は用意できていない。これはもう当たり前の話で、こちらは非戦闘員を合わせると千人オーバーの人間を抱えているのだ。この全員をカバーできるだけの塹壕を掘っていたら日が暮れるどころかさらに日が昇ってまた沈むくらいの時間は最低限必要になってくる。

 

「よし、そろそろ攻めに転じることにしようか。ダライヤ氏にもうちょっと後退するように伝えてくれ。敵を火点の前に引きずり出したい」

 

 とはいえ、敵はいつまでも待ってはくれない。とりあえず戦えるようになったら、作戦開始だ。残りの塹壕は手すきのものに掘らせれば良い。

 幸か不幸か、戦場は連隊規模……つまり千人クラスの部隊が全力で戦闘できるような広さではないからな。なにしろ、いくら広いとはいえ所詮は河原だ。密集隊形で戦うならまだしも、塹壕を使った散兵戦を行うには狭すぎる。

 どうせ戦闘に参加できない人間が出てくるのだから、そういう連中は後方で別の作業に当たらせれば無駄がないという寸法である。

 

「あいあいー」

 

 僕の命令を受けたスズメ鳥人の伝令が、元気の良い返事と共に飛び立っていく。……本当に鳥人はめちゃくちゃ便利な存在だな。偵察や伝令といった、軍隊に必須の戦術行動を強力にサポートしてくれる。頼もしいことこの上ない。

 

「マイケル・コリンズ号に連絡。煙幕弾でダライヤ殿の撤退を支援するんだ。……煙幕とはいえ、生身の人間に直撃したらタダじゃすまないからな。味方の頭上に落とさないよう注意してくれよ」

 

 鳥人伝令を見送ってから、僕は身近にいる竜人の工兵たちへと話しかけた。彼女らは手回し発電機やスイッチ類が一体となった奇妙な機材をいじっており、そこから伸びる絶縁加工された銅線は川の中ほどに停泊している河川警備艦マイケル・コリンズ号へと繋がっている。

 これは、先日実用化されたばかりの新兵器、有線通信機だ。通信機と言っても構造が大変に原始的なので、音声通信は使えずモールス信号のみでやり取りをする必要があるのだが……それでも、伝令や手旗信号などに比べれば、遥かに高速かつ確実に遠方と通信することができる。近代的な砲兵戦を行うには必須の機材だ。

 

「ダライヤ隊に火力支援。弾種、煙幕弾。了解」

 

 僕の命令を工兵が復唱し、打鍵盤を叩き始める。本来こういう任務は通信兵の仕事なんだが、この世界にはまだ伝令兵は居ても通信兵は居ないからな。新技術を扱うことに慣れている工兵に仕事を任せているのである。

 しばらくすると、マイケル・コリンズ号の一門しかない主砲が砲声を奏で始めた。砲声と言っても、所詮は口径五七ミリの小口径砲。あまり迫力のある音ではない。気の抜けた感じの、甲高い音だ。

 だが、マイケル・コリンズ号の主砲は後装砲……大砲の根元から砲弾を装填する方式である。従来のタイプの大砲……砲口から弾込めをする前装砲とは、装填速度が段違いだ。マシンガンのようなと、表現すると流石にかなり誇大になってしまうが、それでもかなり早いペースで連続発射が始まる。

 

「快調ですね。どうやら、不具合は解消されたようです」

 

 その砲声を聞きつつ、ソニアが胸をなでおろした。この大砲は、ルンガ市への旅路の途中で起きた襲撃事件で一度故障している。一時はどうなるかと思ったことだが、工兵たちの必死の修理により完全復旧に成功していた。

 いやあ、本当に直って良かったよ。コイツがなきゃ、我々はライフルと弓矢だけで敵と戦わなきゃいけなくなってたからな。一門の大砲も無しにドンパチするなんて、本気で勘弁願いたい。なにしろ僕は根っからの火力主義者だからな。

 

「弾ちゃーく! 今!」

 

 そうこうしているうちに、ひゅるひゅると音を立てて煙幕弾が森の中に降り注ぎ始める。森のあちこちから白煙が上がり始め、まるで山火事のような様相である。

 この砲弾はたんなる発煙弾であり、催涙弾の類ではない。しかしそれでも、吸い込めば咳くらいは出るし視界も悪くなる。慌てた様子で、敵エルフ兵が森の中から飛び出してくるのが見えた。

 

「ほーら、ボーナスタイムだぞッ! 撃て撃て撃て!」

 

 メガホンを口に当て、僕は部下たちに命じる。土塁から身を乗り出して、兵士たちが小銃や弓を打ち始めた。……リースベン軍のライフル兵はともかく、妖精弓(エルヴンボウ)を使うエルフ兵たちはめちゃくちゃ窮屈そうだ。

 まあ当然と言えば当然で、弓矢は塹壕で使うような兵器ではない。狭い半地下の穴倉では、きちんとした射撃姿勢が取れないのだ。弓矢というのは銃の何倍も射撃姿勢が大切な武器であり、ぎこちない格好で矢を放てば真っすぐ飛ばないどころか最悪自らを傷つけてしまうリスクすらあった。

 

「……やるじゃないか」

 

 そんな弓兵にとっては過酷極まりない環境ではあるが、キチンと命中弾を出すのがエルフの凄い所である。矢玉の雨を浴びせかけられた敵兵たちが、悲鳴を上げてバタバタと倒れていく。

 さらにそこへ、ウルに率いられた鳥人部隊が急降下攻撃を仕掛けた。足に装着した鉄のカギ爪が閃き、エルフ兵たちを次々と切り裂く。猛禽の狩りを思わせる手際に、僕は思わず感嘆の声を漏らした。……まあ、こいつらはタカやワシじゃなくてカラスとスズメなんだが。

 

「煙で燻し出したところを一斉攻撃で一網打尽……まるで害虫駆除ですね」

 

 ソニアが不謹慎な例えを出してくるものだから、僕は思わず笑ってしまった。確かに言われてみればそうとしか見えない。

 そんな益体もない話をしている間にも、戦場は動いていく。一斉射撃を受けて身動きがとれなくなった敵兵をしり目に、ダライヤ氏が部隊を撤退させはじめた。居残って敵を執拗に攻撃しようとする兵士もいたが、ダライヤ氏がこちらにも聞こえてくるような大声で罵声を浴びせて強引に連れ帰る。……部下の戦意が高すぎるのも考え物だな。まあ、戦意が皆無なのよりは余程マシだが。

 

「おっと……打ち返してきましたね」

 

 だが、敵もやられっぱなしではない。武器を剣から弓に持ち替えた敵兵たちが、一斉にこちらへ反撃してきた。しかしそこは防御拠点の面目躍如である。妖精弓(エルヴンボウ)特有の太い矢は土塁や矢避けの天蓋に刺さるばかりで、被害は全くなかった。

 

「塹壕は銃や砲だけではなく、弓矢に対しても有効だな」

 

 敵に対してこちらもライフルや弓を打ち返す。壮絶な射撃戦が始まった。だが、こちらには頑丈な防御拠点がある。対して、敵は矢玉をやり過ごそうと思えば木陰に隠れるほかないのである。身を隠しながら射撃ができるように構築されたこちらの拠点と比べれば、攻守ともに不利であると言わざるを得ない。

 もっとも、弓は上向きに発射することで敵兵の頭上に矢を落とすことも可能だからな。あまり油断はできない。曲射などと呼ばれるこの射法は、エルフならずとも多くの弓兵が習得している。

 ……とはいえ、曲射は極端に命中精度が低いという重大な欠点がある。十分な効果を得ようと思えば、弓兵を一か所に集結させて一斉射撃を実行する必要があった。ところが、火力に劣るヴァンカ派には敵前でそのような大胆な真似をやるような余裕はないだろう。

 さらに、塹壕には真上から飛んでくる矢を防ぐため天蓋が設けられている。これは木枠に土嚢を乗せただけの簡易な天井だが、遠矢を防ぐには十分だ。……もっとも、まだ天蓋が未装着の箇所も多いのだが。このあたりは、戦闘の合間を縫って工事を続け、カバー個所を増やしていく予定である。

 

「どわあふンごつ穴倉に籠っなぞ……ち思うちょりましたが、こんたなかなか。愉快な光景にごわすな」

 

 近くに居たエルフ兵が、ご満悦な表情を浮かべながらそんなことを言う。めちゃくちゃ楽しそうな様子だ。……この世界のエルフも、よくある幻想小説のようにドワーフを敵視してるんだろうか? 戦闘中だというのに、そんな益体のない疑問が脳裏に一瞬去来した。

 

「悪くないだろ、こういうのも。戦は一方的に殴り倒すのが一番いいんだ」

 

 バカな疑問を振り払いつつ、僕はニヤリと笑ってそう返した。エルフは平気で自らの命を投げ捨てようとするが、僕の指揮下で戦う以上は人命第一の原則は守ってもらう。人命こそ最も貴重で最も重要なリソースなのである。浪費するわけにはいかない。

 

「……このまま一方的に遠距離から殴り続けることができれば、我々は労せず勝てるわけだが。しかし、あのヴァンカ殿がそのような拙い用兵をしてくるとは思えん。さて、敵はどう出て来るかな」

 

 笑みを消してから、僕は呟いた。ヴァンカ氏らの部隊は無事に我々の構築した防衛陣地へと飛び込み始めている。緒戦の結果は上々といって良いだろう。すべては、こちらの思惑通りに動いている。動いてはいるが……状況が上手くいきすぎているような気がしてならない。なんだか猛烈に嫌な予感がしてきたな……。



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第307話 くっころ男騎士と新手

 それからしばらくの間、戦闘は膠着した。ヴァンカ派の兵士たちはずっと森と河原の境界線上でモゾモゾとしている。なんとかこちらに攻撃を仕掛けようとはするのだが、そのたびに集中射撃をうけてとん挫しているのである。

 この防衛線を突破するには、多方向から同時に大戦力を送り込むしかないわけだが、兵力に乏しいヴァンカ派はそういった戦術はとれないはずだ。全身に銃弾や矢玉を浴びて倒れる虚無僧エルフ兵たちを望遠鏡で眺めつつ、僕は「このまま諦めてくれないかな」などと益体のないことを呟いていた。

 

「まあ、無理でしょうね。こういう展開になることは、敵側も承知していたはず。それでもなお攻撃に踏み切ってきたのですから、そう簡単にはあきらめてくれないでしょう」

 

「……だろうね」

 

 正論である。マジレスである。僕はため息を吐きながら、望遠鏡を腰のベルトにひっかけた。

 

「ダライヤ殿、君はこの盤面をどう見る? 相手は強引な突撃で血路を開こうとしているようにも思えるが、そのわりにどうにも動きに統一性が見られない。攻撃するフリをしてこちらを釘付けにしようとしているのでは……」

 

 話しかけた相手は、時間稼ぎ任務を終えて本陣に帰ってきたダライヤ氏だ。いつものポンチョは戦塵と返り血で汚れ、たいへんに凄惨な有様になっている。遅滞戦闘は、なかなかの激戦だったようだ。

 

「ワシもまあ、あのヴァンカが無意味に己の戦力をすり潰すような真似はせんとは思うのじゃがのぅ……これが単なる現場の暴走なら、話は別じゃ。ヴァンカめも状況を制御できなくなっている可能性もあると思うぞ」

 

 湯気の上がる香草茶のカップを両手で持ちつつ、ダライヤ氏は言った。南国リースベンとはいえ季節は晩秋、気温は随分と下がってきた。動いて汗をかいた状態で風に吹かれると、流石に寒い。特にこの指揮壕は天蓋でカバーされているため、陽光もまともに入ってこないのである。

 おまけ今我々のいる塹壕は河原に掘られた物だから、底から若干水が湧いてるんだよな。おかげで足元がクソみたいに寒いし不衛生だ。戦闘が長期化したら、病気も出始めるかもしれない。

 怖いのは塹壕足と呼ばれる塹壕戦中によく見られる特有の疾病で、重症化すると足が壊死し始める。医療が未発展のこの世界では、そんな状態になったら足を切り落とすほかなくなってしまう。そんな状態になる前に事態を解決したいところだが……。

 

「嫌なことを言うね……」

 

 もしダライヤ氏の言う通り現場が暴走して捨て鉢な攻撃を繰り返しているだけなら、こんなご立派な塹壕に籠っている理由は無い。さっさと出撃して、叩きのめしてやればよいのだ。戦力的にはこちらが優越しているのだ。多少の被害は受けるだろうが、勝利は揺らがない。

 

「まあ、しかし……確かにそれにしては、おかしな動きをしているように見えるしのぅ。判断の難しいところじゃ……」

 

 結局どっちなんだよ。僕は肩をすくめ、従兵に香草茶を注文した。染み出してきた水のせいで、僕の足も靴下までグチャグチャである。メチャ寒い。兵士たちに定期的を乾かし、マッサージをするよう通達を出しておく必要があるな。

 ほんの数日前まで暑い暑いと言っていたのに、今度はこんなクソ寒い思いをしている。兵隊稼業にはよくある話とはいえ、本当に辛い。もちろん、口には出さないが。

 こんな状態になってまで塹壕に籠っているのに、結果が大山鳴動して鼠一匹……などということになったら、僕は兵士たちに叩き殺されてしまうかもしれん。味方にリンチされるのは流石に勘弁願いたいだろ……。

 

「ま、ヴァンカに何かしらの策があると仮定して……考えられるのは、やはり増援じゃの。現状のヴァンカの手元にある戦力は、五百未満じゃろう。対するこちらは千人近い……どのような策を弄したところで、この戦力差を埋めるのは容易ではない。で、あれば……周辺の諸蛮族と手を結んででも戦力を増強する、というのは現実的な選択肢じゃ」

 

「なるほど、ダライヤ殿もフェザリアと同意見か」

 

 オルファン氏改めフェザリアは現在、ダライヤ氏とは入れ替わりで前線指揮を担当している。ダライヤ氏ほどではないにしろ彼女も歴戦の指揮官であり、その統率力はなかなかのものだ。今のところ、逃げ散る敵を追って塹壕から飛び出していくような者も出ていない。統制はバッチリだ。頼りになるね。

 

「フェザリア、のぅ」

 

 ダライヤ氏は可愛らしく唇を尖らせつつそう呟いてから、香草茶を一口飲んだ。

 

「そう言えば話は変わるが、男子供どもは大丈夫かの? 流石にこれほど戦場(いくさば)の近くで過ごすことなどまずないことじゃろう。ましてや、オヌシらの武器はパンパンと派手な音を立てる。不安がっておるのではなかろうか?」

 

「まあね……」

 

 従兵が淹れてきた香草茶を受け取りつつ、僕は小さく唸った。民間人たちは陣地の最奥に用意した避難壕に集めているが、なにしろ陣地が狭いので戦場からの完全な隔離はできていない。さぞ恐怖を覚えていることだろう。トラウマなどにならなければ良いのだが……。

 

「まあ、大丈夫だろう」

 

 気楽な声でそう言うのは、ソニアだった。彼女はちらりと後方に目をやりつつ、言葉を続ける。

 

「避難壕にはあの羽虫……フィオレンツァも居る。あの女は腹黒のロクデナシだが、民草を慰撫するのには慣れている。上手くやっているだろうさ……」

 

「現役の司教様になんてことを言うのさ」

 

 僕は思わず苦笑した。なんともひどい言い草ではあるが、まさか司教嫌いのソニアが「フィオレンツァがいるから大丈夫」などと言い出すとは思わなかった。腐っても幼馴染である。反りが合わずとも、信用できる部分については信用しているのだろう。なんだかホッコリした心地になってしまった。

 

「フィオレンツァというと、あのうさん臭い眼帯ハト娘か……信用してよいのかのぅ?」

 

「口先三寸の手管だけは本物だ。それ以外はカスだが」

 

 なんてこと言うの二人とも。流石にあんまりだろ……。

 

「大婆様! アルベールどん!」

 

 何とも言えない微妙な心地になっていると、ひどく慌てた様子でウルが上空から急降下してきた。彼女が指揮壕のド真ん中に着地すると、溜まっていた泥水が跳ね上がって周囲に降り注いだ。ソニアとダライヤ氏が「ウワーッ!?」と叫びつつ持っていた香草茶のカップを庇う。むろん、彼女らの近くに居た僕も同様である。

 

「ど、どうしたんだそんなに慌てて」

 

 顔についた泥を払いつつ、僕は聞く。上官に泥水をブッかけるなど無礼極まりない行動ではあるが、相手はエルフェニア出身者としては特別思慮深いウルである。それがこれほど慌てているのだから、何かしら異常事態が発生していると考えるのが自然だ。

 

「も、申し訳あいもはん、皆さま。実は、そん……北方三キロん地点で敵多数を発見いたしもした。新手にごわす」

 

「新手! やはりか……」

 

 ゴシゴシと顔を手ぬぐいで拭きつつ、ダライヤ氏が唸った。

 

「種族はなんじゃ? エルフではなかろう」

 

「アリンコにごつ!」

 

「アリ! よりにもよってアリか!?」

 

 ダライヤ氏の顔色が変わった。思わず、僕とソニアが顔を見合わせる。リースベンに来て日が浅い我々には、何のことやらさっぱりわからない。

 

「アリというと、アリ虫人か? リースベンには、そんな種族も居るのか……雰囲気から察するに容易い敵ではないようだが、どんな手合いなんだ?」

 

「それがのぅ……ただのアリ虫人ではないのじゃ、あの連中は」

 

 ひどく苦々しい表情で、ダライヤ氏は呻いた。自身を落ち着かせるためか一気に香草茶を飲み干し、「熱ちゃちゃっ!」と叫んで顔を真っ赤にする。

 

「あっつ……こ、こほん。この地でアリンコと言えば、軍隊アリ種のアリ虫人のことじゃ。……何百年か前には、旧エルフェニアとこの地の覇権を争ったこともある。極めて危険な種族なのじゃ……」

 

 ……は? 旧エルフェニアと競合してた? 話を聞く限り、現在のガレア王国並みかそれ以上の軍事力があったと思われる、あの旧エルフェニア帝国と!? ええ、マジ……?

 



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第308話 くっころ男騎士とアリンコ軍団

 軍隊アリとは、素を持たない徘徊性の特殊なアリである。数十万匹、時には百万匹以上の巨大なコロニーを形成し、地上を練り歩きつつ進路上の獲物を喰らいつくす、なんとも恐ろしい昆虫だ。その圧倒的な数の暴力には大型肉食獣ですら太刀打ちできず、食物連鎖の頂点と称されることもある。……まあ、実際はアリジゴク等の天敵は存在するが。

 敵はそんなおっかない生物を起源に持つ亜人らしい。僕は思わず頭を抱えて極星を呪いたくなったが、嘆いていても状況はまったく改善しない。とりあえず予備戦力を投入し、迎撃準備を進めた。……とにかく味方の数が多いので、予備戦力だけは豊富にある。何ともありがたい話だ。戦場が狭くて数の優位を生かしづらいのが難点だが。

 

「ワッ……!」

 

 望遠鏡を覗き込んだ僕は、思わず妙な声を上げた。敵のアリンコ軍団は、すでに目視できる距離まで接近している。望遠鏡を使えば、その奇妙な風体までハッキリ視認できた。

 アリ虫人といっても、外見上はクモ虫人(アラクネ)などよりは随分と只人(ヒューム)に近い。違いとえば腕が二対四本ついていることと、アリの腹のような部位が尻尾めいて腰についていることくらいだ。

 だが、何より異様なのはその風体である。四本ある腕のうち、左の二本にはそれぞれ大ぶりな丸盾を一つずつ計二つ、そして右の二本には短槍を一本持っている。そして群青のマントに、兜、籠手、脚甲。防具類は、すべて黒光りする奇妙な素材でできていた。……そこまではいい。そこまではいいのだが……。

 

「へ、変態だ……!」

 

 僕の隣で望遠鏡を覗き込んでいたソニアが、そんな声を漏らした。僕も全くの同感である。エルフどもがアリンコと呼ぶその連中は、四肢や頭は立派に防護しているというのに、胴鎧は身に着けていなかった。いや、それどころか衣服すら身に着けていない。褐色の肌を惜しげもなく露わにし、もちろん乳房も丸出しである。

 そしてそれが数百人、見事な横隊を組み、陣太鼓を打ち鳴らしながら行軍しているのである。見まがうことなき変態軍団だった。やべぇ集団だ。断じて近寄りたくない。

 

「いやスパルタじゃん、どっからどう見てもスパルタじゃん。ええ……お前……マジか……」

 

 しかし、僕がショックを受けたのは、その変態性からではない。こんな恰好をして戦う集団を、前世の知識で知っていたからだ。ギリシャ重装歩兵、通称ファランクス。しかもここまで徹底的に衣服を省いた軍装となると、かの高名なスパルタ軍を想起せざるをえない。

 そう、スパルタだ。テルモピュライの戦いでは僅か三百の兵力で百万の(数には諸説あり)ペルシア軍に立ち向かったと言われる、ガンギマリ軍事大国である。尊敬してやまない方々だが、だからこそ敵対したいかと言えば絶対にノーである。あまりにも怖すぎる。

 

「うむ、うむ、うむむむ……」

 

 いや、もちろんここは異世界である。彼女らはスパルタ軍とは全く無関係の一般辺境蛮族に違いあるまい。とはいえ、あの奇妙な軍装を見るだけで、彼女らが一筋縄ではいかぬ敵手だと理解できる。

 胴鎧を省いた前衛的な恰好は、伊達ではあるまい。あの手の重装歩兵は、強固な密集陣形で戦うのである。己の身体は、隣の戦友の盾が守ってくれる。そして己の盾で、また別の戦友の身体を守る。それ故に、胴体の防御は必要としない。そういうことだろう。

 理屈ではわかるが、本当に一切の防具を捨て去ってしまうのは狂気の沙汰だ。実戦経験のない机上の空論で構築された軍隊ならまだしも、ここは修羅の大地リースベン。実戦を経験していないなどという話はあるまい。つまり、連中はあの痴女スタイルでも問題ないほどの練度をもっていると推測できるわけだ。……ヤンナルネ。

 

「アレか。アレが君たちの言うアリンコなのか」

 

「ウム。彼奴(きゃつ)らの名はアダン王国。かつてはエルフェニアの好敵手と称されていた、戦士たちの国……その残党じゃ」

 

 懐かしさをにじませた目つきで、ダライヤ氏は痴女軍団に目をやる。……あんなのとエルフェニアが覇を競ってたの? 昔のリースベン。世紀末ってレベルじゃねーぞ。勝った方が我々の敵になるだけですって感じだ。

 

「しかし、相変わらずのふざけた服装じゃのぅ。ワシがヒラの戦士じゃった時代から何も変わっておらん」

 

 ダライヤ氏が一般兵だった時代って、一体何百年前だよ!? 滅茶苦茶伝統的な戦闘スタイルじゃん、あの痴女様式。

 

「恰好を見て油断はせぬようにな。あの連中が組む密集陣形は、防御力と攻撃力に優れた極めて強力なモノじゃ。平地での戦闘であれば、同数のエルフよりも強いぞ。……まあもっとも、この地は森ばかりじゃから、結局最終的に勝利したのは我々(エルフ)じゃったが」

 

「あの恰好を見て油断するのは素人だけだよ……」

 

 僕は唸りながら、敵を観察した。連中は横隊の状態でガッチリとスクラムを組み、盾と槍を構えた状態で行軍している。数百人規模の集団だというのに、足音は完全に揃っている。王軍の精鋭部隊ですら、ここまで一糸乱れぬ行進をするのは困難だろう。……つまり、滅茶苦茶練度が高い。

 

「……まだだ、まだ打つなよ!」

 

 僕は塹壕の中の味方兵に向けてそう叫んだ。彼我の距離は五百メートル。ライフルであれば一応射程圏内であるが、やや遠い。弾薬の備蓄もそれなりに乏しくなっているので、できるだけ温存がしたいところだ。

 だが、何も手を出さないというのも面白くない。僕はマイケル・コリンズ号に火力支援を命じた。速射砲が火を噴き、榴弾が痴女軍団を襲う。

 最初は試射だ。当然一発で命中などは見込めない。明後日の方向に着弾するが、マイケル・コリンズ号の砲術班は冷静に対処を続けた。速射砲特有の連射性を生かして素早く試射を続け、あっという間に至近弾を出す。

 

「……」

 

 だが、連中は一切の動揺を見せなかった。所詮は五七ミリ弾、手榴弾程度の威力しかないわけだが、それが間近で爆発しても一切の足並みを乱さないというのは尋常な胆力ではない。

 僕はちらりと、南の方に目をやった。そちらの戦線では、相変わらずヴァンカ派のエルフが漫然と攻撃を繰り返している。南にエルフ、北にアリンコことアダン王国残党とやら。そして僕らの東側には大河……。

 ヴァンカ派とアダン残党軍の動きを見るに、彼女らは我々の退路を断つことを狙っているようだ。やはり、この二者は同盟関係にあるようだな。お互い、当然のことのように協調して動いている。

 

「砲撃、命中しました!」

 

 見張り員の声に、僕は北側の戦線に視線を戻した。五七ミリ榴弾の直撃により、数名のアリンコ兵が吹っ飛んでいる。自陣から歓声があがった。

 ……だが、アリンコどもはこれでもなお動揺しない。行進速度を全く緩めないまま、後方から出てきた兵が戦列の穴をふさぐ。そして倒れ伏した仲間を踏みつけつつ、こちらへ接近を続けるのである。一定間隔で打ち鳴らされる陣太鼓のリズムすら乱れないのだから、徹底しているにもほどがある。正直めっちゃ怖い。ロボット軍団みたいな無機質さだ。

 

「……ライフル兵、射撃開始だ! アウトレンジで撃破する!」

 

 あんなヤバげな敵と白兵などしたくはない。僕がメガホンを使ってそう命じると、北側陣地のライフル兵が一斉に射撃をした。猛烈な白煙が塹壕を包み込む。

 彼我の距離は三百メートル、ライフルであれば十分に有効射程内である。鉛球は狙い違わずアリンコ兵の密集した場所へと降り注いだ。……だが、倒れるものは誰一人いない。致命的な威力を持つはずの銃弾は、すべて丸盾や甲冑によって弾かれてしまったのだ。

 僕は思わず持っていた望遠鏡を地面に叩きつけそうになったが、根性で我慢した。指揮官が動揺を露わにしてはいけない。『ほう、やるじゃないか』みたいな顔を装いつつ、ちらりと隣のカリーナの方を見る。

 彼女は、真っ青な顔でプルプルと震えていた。今にもおしっこをちびりそうな表情だ。……自分より何倍も動揺している人間を見ると、却って心が落ち着いてくるんだよな。ウン、だいぶ恐怖が薄らいできたぞ。流石カリーナ、期待した通りの働きをしてくれる。戦闘が終わったら、彼女が満足するまで頭を撫でまわしてやろう。

 

「あの盾や具足は、ガレアの魔装甲冑(エンチャントアーマー)なみの防御力を持っているのか……!」

 

 憎々しげに、ソニアが呟く。……げに恐ろしきは、防具の性能ではない。胴体をまったく防護しない前衛的スタイルにも関わらず、そこへ命中した弾丸が一発もないということだ。味方同士で盾を構え合い、ガッチリ守っているからこその防御力である。

 クソ度胸と、なにより味方に対する圧倒的な信頼がなければこのような戦闘スタイルは成立しえない。まさにスパルタ・スタイル。お前マジでふざけんなよ、なんでこのレベルの兵隊が、しかも大隊規模でそこらの山野からナチュラルに湧いてくるんだよ! ゲームだったら即座に電源を切って「二度とプレイするかこんなクソゲー!」と叫んでいるレベルの理不尽さだぞ!!

 

「……」

 

 僕の額に、冷や汗が伝う。蛮族には慣れている、そう思っていた。だが、それは思い上がりだった。僕は気付くべきだったのだ。バーサーカーエルフどもが大昔から跋扈しているような土地の土着民が、マトモな連中であるはずがないことに。

 おかしいのは、エルフではなかった。リースベンそのものが狂った土地だったのである。完全に修羅の国だ。なんというクソ領地を押し付けてきやがったんだあのクソッタレのオレアン公は! 故人じゃなきゃ領地にカチコミ仕掛けてる所だったぞこの野郎……!



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第309話 くっころ男騎士と泣きっ面に蜂

 隊列を組んだアリンコ兵には、銃弾が通用しない。おっぱい丸出しの露出狂とは思えぬ防御力の高さである。流石に面食らったが、銃弾の通用しない敵を相手にするのは初めてではない。魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んだガレアや神聖帝国の騎士だって、ライフル弾ではなかなか倒せないのだ。当然、対処法は頭に入っている。

 

「マイケル・コリンズ号に連絡! ギリギリまで支援砲撃を続けろ!」

 

 電信機を抱えた工兵にむけて、僕はそう叫んだ。銃で倒せない相手は砲で倒せばよい。シンプルな理屈である。五七ミリ砲の威力では敵の隊列その物を吹っ飛ばすような真似はできないが、そこは速射砲ならではの連射力でカバーだ。

 彼我の距離は三百メートルを切っている。着弾がズレると味方陣地のほうに砲弾が飛び込んでくる可能性もあるが、心配する必要はない。こちらの陣地は、少なくとも最前線だけはしっかり塹壕で防護されているから、少々の砲撃ではびくともしないのである。

 

「いいぞ、その調子だ」

 

 僕の命令を受け、マイケル・コリンズ号の主砲が快調に吠える。猛烈な砲撃を浴びたアリンコ部隊は、一人また一人と倒れていく。一発の威力は極めて低い五七ミリ弾も、連続して浴びせかければ十分な効果がある。

 そしてファランクス陣形はきわめて強力だが、密集隊形ゆえに移動速度が遅いのが弱点だ。この調子なら、こちらの陣地に取りつく前に随分と敵兵を削れそうだ。

 密かに胸をなでおろしていると、突然ダライヤ氏が「いかん! よせ!」と叫んだ。彼女の視線の先を追うと、そこには味方の砲撃の隙間を縫うようにしてアリンコ隊列へと急降下攻撃を仕掛ける鳥人部隊の姿があった。

 

「ムッ……!」

 

 しかし突然の奇襲にも、アリンコ兵は慌ても騒ぎもしなかった。上腕に握った丸盾で鳥人たちのカギ爪を軽々と受け止め、右の上下腕で構えた槍を突き出す。カウンターを喰らい、少なくない数の鳥人兵が地面へと叩きつけられてしまった。

 そこへ、かたき討ちとばかりにライフル兵が銃弾を浴びせかける。しかし、アリンコ共の身体は左下腕に構えた丸盾で防御されている。鉛弾は黒光りする装甲に弾かれ、何も傷つけることなく砕け散ってしまう。一瞬暑くなっていた心に、氷水を浴びせかけてくるような光景だった。

 

「鳥人は、アリンコ共に手を出さぬよう厳命せよ!」

 

 ダライヤ氏の強い口調の言葉に弾かれるようにして、鳥人伝令が上空で待機している同胞たちの方へと飛んでいく。それを眺めながら、僕は小さく唸った。

 

「なぜ盾を二つも持っているのかと思ったが……上からの脅威と前からの攻撃を同時に対処するためか」

 

「ウム、弓矢と鳥人による急降下攻撃は、旧エルフェニア軍でも多用されておったからな。当然、アリンコ共も対策を用意しておるのじゃ……」

 

 ため息を吐きつつ、ダライヤ氏はひどく後悔しているような表情で呟く。

 

「この頃、アリンコ共とはマトモな戦闘が起きておらんかったからのぅ。若い鳥人の中には、あ奴らと戦う際の定石を知らぬ者も多かったようじゃ……ぐぬぅ、事前に警告しておくべきじゃった……」

 

 本当に厄介な敵だ。どうしてリースベンにはヤバイ連中しか居ないのだろうか? そんなことを考えた瞬間だった。通常の砲声とは明らかに異なる、弾けるような耳障りな音が僕の耳朶を叩いた。慌てて望遠鏡を引っ掴み、マイケル・コリンズ号の方へと目を向ける。

 

「ミ゜ッ」

 

 おもわず、死にかけのセミのような声が出た。マイケル・コリンズ号の主砲である五七ミリ速射砲は砲身が根元から裂け、出来の悪い造花のような姿になっていた。

 砲身の途中で砲弾が詰まり、ガス圧に耐えられなくなったか……あるいは、砲弾その物が砲身の中で爆発してしまったのか。とにかく、その手の不具合である。何はともあれ、どこからどう見ても致命傷であった。修理など絶対に不可能、放棄するしかないレベルの損傷だ。

 

「主砲が暴発ッ! 操砲を担当していた砲兵二名が重傷ッ!」

 

 通信兵(本業は工兵だが)が悲鳴じみた声で報告する。心臓が冷たい手でギュッと握られたような心地になったが、動揺が表に出ないよう僕は密かに深呼吸した。そして出来るだけ落ち着いた口調を心掛けつつ、口を開く。

 

「ソニア、手すきの衛生兵をマイケル・コリンズ号に送ってくれ。あの船には船医が居ない」

 

 我が副官が頷き、部下たちに命令を出し始めるのを見てから、僕はテーブルの上に置かれた冷めた香草茶を一気に飲み干した。

 

「……新兵器に事故はつきものだ、致し方あるまい。兵器は新しく作ればいいが、人員はそうはいかない。砲兵たちが心配だな」

 

 ため息を吐きたい心地だったが、部下たちの前なのでなんとか我慢した。今僕たちの手元にある大砲は、信号砲などの特殊なものを除けば五七ミリ速射砲が一門のみである。それが壊れた今、アリンコ兵への対処は歩兵のみで行う必要がある。

 なんで僕はこの遠征に山砲なり迫撃砲なりを持ち込まなかったのだろうか? まともな砲兵隊がいれば、あんな時代遅れの陣形などあっという間に粉みじんにできるというのに……。

 なにより、砲兵火力を実績のない試作砲のみに頼るなど、あり得ないことである。そしてその試作砲に無理をさせた結果がこれだ。肝心な状況で火力源を喪失し、あげく貴重な砲兵を負傷させてしまった。

 やってしまった。そんな言葉が頭の中でグルグル回る。もともと外交目的の遠征だ、それほど多くの重兵器を持ち込めるわけないだろ。僕の心の卑しい部分がそんな言い訳を吐き出したが、軍人は結果がすべてである。後からあれこれ言い訳をしたって仕方が無いのだ。

 

「……」

 

 僕は口を一文字に結んで、何事もなかったかのように行進を続けるアリンコ兵を睨みつけた。砲兵火力を失った以上、アレには歩兵のみで対処する必要がある。

 軍隊アリ虫人は、正面からの白兵戦ではエルフよりも強いかもしれない。なにしろ腕が四本も生えている。普通の兵士一人半ぶんくらいの活躍をしそうだ。しかも、アリンコ共はかなり体格が良い。竜人並みかそれ以上だ。虫なら虫らしくちっちゃい身体で居てくれ。

 あんな生物兵器みたいな戦士と正面からぶつかり合って、ウチの兵士は大丈夫だろうか。タダでは済まないとは確かだ。総戦力はこちらの方が多いが、二正面作戦を強いられている都合上こちらの戦線のみに全戦力を投入することはできない。限られた数の兵力のみで対処する必要があるということだ……。

 

「城伯様」

 

 指示を求める目つきで、陸戦隊の指揮官が僕を見た。……どうしよう、敵はすぐ近くまで迫っている。ライフル兵やエルフ弓兵がしきりに射撃を仕掛けているが、強固なファランクス陣形の前には大した効果は発揮していない。

 せめて鉄条網があれば、もっと相手の行動を抑止できたのに。しかし、残念なことに有刺鉄線は一束たりとも手元にはないのである。いや、それどころか柵や杭すら立てていない。陣地設営の時間がなかったためだ……。

 このままでは、敵が塹壕内になだれ込んでくる。相手がエルフ兵ならともかく、軍隊アリなんぞと閉所での白兵戦なんかしたくない。徘徊性の軍隊アリとはいえアリには違いない、狭い場所での戦闘は得意中の得意だろう。さあ、どうする、どうする……。

 

「……」

 

 その時、脳裏に前世の母親の顔がよぎった。まだ僕がクソガキだった頃の記憶である。詰まらない喧嘩をして泣いていた僕に、前世の母はこう語り掛けた。

 

『特別に、我が家に伝わるおまじないを教えてあげる。辛いとき、悲しい時、怖いとき……このおまじないを唱えると、勇気が出てきて前を向けるようになるの。……いい? 胸を張って、こう唱えなさい――』

 

「チェスト関ヶ原!!」

 

 突然の大声に、ソニアやダライヤ氏、他の兵士や士官などがびくりと身体を震わせた。だが、僕はそんなことは気にしない。前世の母の言葉の通り、僕の心の中で勇気と闘志が夏の入道雲の如く湧き出していたからだ。

 そうだ。関ヶ原の戦いで散った前世の御先祖様の苦闘に比べれば、この程度の状況など窮地のうちにも入らない。そして何より、僕は生まれ変わった今でも一人の海兵隊員(ジャーヘッド)であり、デジレ・ブロンダンの息子でもある。無様を晒せば偉大なる先輩方や大切な母上の顔に泥を塗ることになる。それだけは絶対に許せない。自分の頬を全力でビンタして、気合を入れなおす。

 

「そこの君」

 

 手近にいたカラス鳥人を呼びつつ、僕は懐紙を取り出して『赤号作戦(レッド・プラン)を発動』とだけ書きつた。自分の名前を署名してから懐紙を畳、カラス娘に押し付ける。

 

「これをカルレラ市のジルベルトに届けてくれ」

 

「承知いたしもした」

 

 飛び立つカラス鳥人を見送りもせず、僕は次の仕事に取り掛かる。敵は間近に迫っている。猶予はほとんどない。即断即決だ。

 

「ソニアッ!」

 

「ハッ!」

 

 威勢のいい声で、我が副官は応えた。その怯えや困惑など微塵も含まれていない声音に、自然と僕の顔に笑みが浮かぶ。

 

「北部戦線は僕が直率する。南はお前に任せよう。あのアリンコ……アダン残党軍とやらが攻勢に出た以上、ヴァンカ派も何かしらのアクションをしてくるはずだからな……」

 

「了解です」

 

 こういう時、打てば響くのがソニアという女である。その小気味の良い返答を聞きながら、僕は指揮壕の出口に向けて歩き始めた。

 

「ダライヤ殿、貴方は僕の方を手伝ってもらう。いいな?」

 

「ウムウム、承知した。……ところでちょっと聞きたいのじゃが、オヌシはもしや前世がエルフだったりせんか?」

 

「……冗談はよしてくれ」

 

 なんて失礼なことを言うんだこのロリババアは。



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第310話 くっころ男騎士と迎撃作戦

 僕はダライヤ氏やカリーナを伴い、北川陣地を訪れた。すでにアリンコ部隊は間近にまで迫っており、彼女らの叩く陣太鼓の激しいリズムが、否が応でも焦燥感を掻き立てる。

 すでに妖精弓(エルヴンボウ)の射程内であり、ライフル兵のみならずエルフ兵も射撃に参加していたが、アリンコ兵は相変わらずの防御力を発揮しており、大した効果は無いように見える。まるで移動要塞だ。進軍速度がゆっくりなのが、唯一の救いだな。

 ああ、あの密集隊形のド真ん中に大砲をブチこみたい。重砲なんて贅沢は言わない。リースベン軍で制式採用している八六ミリ山砲で十分だ。……だが、残念ながらもはや僕の手元には一門の大砲もないのである。ロケット砲も残弾はないしな。はあ、無いものねだりをしても仕方ないのはわかってるんだが……。

 

「背後に回り込んで矢を撃ち込めば、面白かごつ倒せっんどんねぇ。相変わらず無暗に面倒な手合いじゃわ」

 

 出迎えてくれた顔見知りの長老が、肩をすくめながらそう言った。確かに、弾幕と言っていい密度で降り注ぐ矢や銃弾を前にしても、アリンコ共は怯むどころか進軍スピードを緩めることすらしていない。

 そうこうしている間に彼我の距離は縮まり、アリンコ部隊の中衛や後衛が槍を投げ始めた。投槍器(スピアスロアー)(投槍の飛距離を稼ぐために使う棒状の器具)の類いを使っているようだが、それでも凄まじい飛距離とスピードである。野球選手に転向すればメジャー・リーグでも大活躍間違いなしの強肩ぶりだ。

 とはいえ、こちらの部隊は塹壕に籠っている。投げつけられる槍は地面や土塁、天蓋に突き刺さるばかりで大した被害は受けなかった。

 

「不毛な射撃戦だな……」

 

 射撃の応酬を見ながら、僕は呟いた。補給のめどが立っていない以上、矢玉は温存しておきたいんだよな。もしかしたら、第三のヤバ蛮族が出現するかもしれんし。無いとは思いたいが、二度あることは三度あるともいう。警戒するに越したことは無いだろう。

 

「エルフは射撃中止! ライフル兵も、牽制程度に打ち続ければ十分だ!」

 

 砲兵火力には頼れず、歩兵の射撃ではほとんど効果が見込めない。なんともしんどい状況だ。このまま漫然と戦い続けていたら、いずれアリンコ共は塹壕内になだれ込んでくるだろう。それはマズイ。

 

「ダライヤ殿。僕はあのアリンコ共を塹壕の外で迎撃しようと考えているが、どうだろうか?」

 

「ウム、その通りじゃ。閉所での戦闘は、あ奴らの得意中の得意とするところ。なにしろ奴らは四本の腕に加え、尻には毒針まで備えておるのじゃ。さらには強力な噛みつき攻撃までしてくるのじゃから、手に負えん。逃げ場がないような場所で戦えば、ひとたまりもないぞ」

 

「手数が実質三倍ってことか……」

 

 毒針だの噛みつきだの、まるでクリーチャーみたいな攻撃手段だな。怖すぎるにもほどがあるだろ。虫人は獣人や鳥人と比べても個性豊かなメンツが揃っているが……軍隊アリ虫人は、その中でもかなり強力な部類のように思える。

 

「とにかく動き回ってかく乱しつつ、一瞬のスキをついて倒す……これが定石じゃな」

 

「なるほど、承知した」

 

 ま、何はともあれやることは同じである。僕は頷きつつ、迫りくるアリンコ痴女軍団を睨みつけた。彼女らは、もはや目と鼻の先まで迫っていた。被っている兜の恐ろしげな意匠まで、ハッキリと視認することができる。

 

「陸戦隊は、塹壕内で待機! 連中が射程に入ったら、手榴弾を投げつけまくって敵前衛を滅茶苦茶にしろ」

 

「手榴弾を投げ終わったら?」

 

 陸戦隊の隊長が聞いてくる。リースベン歩兵は一人に付き三個の手榴弾を装備していた。この程度の数では、下手をすれば一分も立たないうちに投げ尽くしてしまうだろう。

 

「塹壕内に連中が入り込まぬよう、銃剣で突きまくれ。オルファン殿から火炎放射器兵を借りてきているから、彼女らと連携して立ち回るんだ」

 

「か、火炎放射器兵ですか……了解しました」

 

 隊長の顔色が悪くなった。ルンガ市郊外の戦いで起きた惨劇は、まだ記憶に新しい。僕だって人間相手に火炎放射器なぞ使いたくはないが、背に腹はかえられない。仕手段は全部使う。

 

「僕は塹壕から出てあのぽっと出の害虫をまとめてチェストする。エルフどもは供をせよ」

 

「おうおう、お任せあれ! もちろん地獄までお供いたす!」

 

「蟻狩りとは久々にごつ! 血が湧きたちもすなあ!」

 

「上げた首級ん数で競争をしようじゃらせんか」

 

「面白か勝負じゃな! (オイ)も一枚噛ませてくれぃ」

 

 こんな状況でもエルフどもは相変わらずである。なんとも頼もしい限りだ。……なんだかひどく物騒なことを言っている連中がいるような気がするが、気のせいだ。気のせいであってくれ。

 まあ、それはさておきやはりこういう状況ではエルフは大変に頼りになる。装備も練度も大切だが、一番重要なのは士気だ。戦意の萎えない兵隊は強い。そういう面では、エルフどもは最強である。

 頼りになると言えば騎士隊もだが、連中は南の戦線でヴァンカ派と交戦中である。向こうの戦線も油断ならぬ状況なので、さすがに引き抜くわけにはいかない。現状はエルフ兵と陸戦隊のみで対処しなくてはならないということだ。

 

「……」

 

 周囲を見回す。狭い塹壕内には兵隊がミッチリ寿司詰めになっているが、これでも我らの総兵力の中では二割から三割程度である。残りの連中は南の戦線にいるか、あるいはすぐ後方で塹壕や防御拠点の拡張にあたっている。

 せっかくの戦力の優位も、戦場が狭いせいで生かしきれないのが残念だ。まあ、いくらエルフェン河が大河だといっても、所詮ここは河原だからな。こればっかりはどうしようもない。

 護衛対象がいる以上、森の中にも逃げ込めないしな。……いや、森は河原以上に大軍の利が活かしづらい土地なので、アリンコ共の出現という条件を加味してなお森林戦は避けたいところだが。

 

「来たな……しっかり引き付けろよ」

 

 陣太鼓を打ち鳴らしつつ、アリンコ兵が接近してくる。すでに目と鼻の先といっていい距離だ。ここまで近寄ると、彼女らが装備している武具も細かく観察することができる。

 アリンコ兵が身に着けている防具は漆塗りしたように黒光りする独特な代物だ。特に特徴的なのは兜で、恐ろしげな意匠を施された顔の上半分を覆うものである。鼻から下は露出している。アメコミ・ヒーローがよく被っているタイプのマスクのように見えなくもない。

 

「手榴弾、放て!」

 

 あまり引き付けすぎると、投げ槍が塹壕内に飛び込んでくるリスクが高くなる。僕は大声で手榴弾投擲を命じた。鉄帽を被った竜人や獣人の兵士たちが、鋳物の鉄球を思いっきり投げる。

 放物線を描いて飛んだ手榴弾は、狙い違わずアリンコ軍団へと降り注いだ。頑強極まりないスパルタ式重装歩兵隊も、さすがに爆発に対しては無力である。連続爆発で幾人ものアリンコ兵が吹き飛んだ。

 歓声を上げつつ、陸戦隊は手榴弾を投げまくる。爆発、爆発、また爆発。鼓膜が破れんばかりのその大音響に、テンションが上がってくる。

 

「城伯様! 全弾投擲完了いたしました!」

 

「よぉしッ!」

 

 隊長からの報告に、僕はサーベルを抜き放った。フラストレーションをため過ぎたのか、すっかり気分が前世のころに戻っている。普段なら口にしないような言葉が自然と口から漏れ出していた。

 

「さあて貴様ら、ペイバックタイムだ! クソ虫どもをファックしてやれ!」

 

 僕の号令に、エルフたちはワッと鬨の声を上げながら塹壕から飛び出した。



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第311話 くっころ男騎士VSアリンコ兵(1)

 黒色火薬が燃焼すると、すさまじい量の白煙が発生する。そんな黒色火薬がタップリ詰まった手榴弾が大量に爆発した訳だから、当然戦場は濃霧に包まれたような有様になっていた。

 塹壕から飛び出した僕たちは、そんな壁と表現したほうがよさそうな白煙の塊へと躊躇なく突入した。目やのどに痛みが走るが、根性で我慢する。やせ我慢なら得意中の得意だ。

 エルフ兵の一部はほら貝を吹き鳴らしている。その重厚な音色を聞いていると、なぜか闘志が湧き上がってくるから不思議だ。戦闘時特有の高揚感をかみしめつつ、僕は走り続ける。最高の気分だった。これだから兵隊はやめられない。

 

「キエエエエッ!」

 

 目の前にヌッと現れた大柄な影に、僕は躊躇なく切りかかった。エルフどもは総じて小柄でスマートだ。これほど背は高くないし乳もデカくない。視界がハッキリしていなくても、敵味方判別は用意だった。

 

「グワーッ!」

 

 案の定、人影の正体は軍隊アリ虫人だった。悲鳴を上げつつ、アリンコは倒れ伏す。彼女らの強固なファランクス陣形は、手榴弾の連続爆発によってすっかり乱れていた。乱戦に持ち込むには今しかない。

 

「突撃! 突撃! とぉーつげーき!」

 

 叫ぶたびに、アドレナリンが湧いてくるのを感じる。やけに熱くなってるなと、脳内の冷静な自分が呟いた。そうとうストレスが溜まっていたのだろう。

 戦意を高揚させるのは結構だが、これ以上判断を誤るんじゃないぞと自らに念押しする。戦闘の狂乱の中でも冷静な思考を維持し続けるのが士官としての正しい在り方だ。

 

「チェストアリンコ!」

 

「首ッ! 首寄越せェ!!」

 

 野蛮極まりない叫び声を上げつつエルフたちがアリンコ兵へと襲い掛かる。こんな奴らが味方なのかと呆れそうになったが、端から見れば僕だって彼女らの同類だろう。

 

「エルフ風情が妙な術を使いよって! チャンバラならこちらの方が上じゃと教えちゃる!」

 

 だが、敵も並みの戦士ではない。爆発や蛮声にも戦意を萎えさせることなく、こちらに立ち向かってくる。槍をブンブンと振りながらこちらに駆け寄ってくるアリンコ兵を見て、僕は叫ぶ。

 

「誰がエルフだッコラー!! 僕はマリンコじゃコノヤロバカヤローッ!」

 

 全力で地面を蹴り、叫び声を上げながら敵に肉薄する。普通の兵隊が相手なら間違いなくこれで怯んでくれるのだが、アリンコには効果がなかった。上下二本の右腕で巧みに槍を操り、穂先を突き出してくる。

 

「キエエエエアアアアアアアッ!!」

 

 絶叫しつつ、僕はサーベルを振り下ろした。回避など微塵も考えない。相手にチェストされる前にこちらがチェストすれば良いのだ。相手の穂先が僕の甲冑を叩くより早く、こちらの剣がアリンコ兵の頭上から襲い掛かった。

 

「ウワーッ!?」

 

 アリンコ兵は恐るべき反応速度で左上腕の盾を構えた。強化魔法は未発動なので盾を切り裂くような真似はできなかったが、攻撃を受けた衝撃に耐えきれず盾の裏側がアリンコ兵の頭にぶつかる。重い音がして、アリンコ兵はたたらを踏んだ。

 兜を被ってなけりゃそのまま昏倒させられていた自信はあるんだが、そう上手くはいかんね。ほぼ裸みたいな恰好をしている(よく見ると流石にパンツは履いていたが)アリンコだが、防御力は本当にカチカチだ。

 

「チェースト!」

 

 しかし、それでも隙が出来たことには変わりない。露わになった腹へ向け、刺突を繰り出す。だが、その一撃は左下腕の盾で防がれてしまった。盾の二枚持ちは、思った以上に厄介である。

 

「死に晒せオラーッ!」

 

 それとほぼ同時に、アリンコ兵の股下からアリの腹そっくりの尻尾がクルリとひっくり返って襲い掛かってきた。その先端には鋭い毒針が生えている。……尻尾の可動性高すぎんか!?

 

「ムッ!」

 

 僕はこれを、籠手の装甲を盾にして受け止めた。カチカチ防御はアリどもだけの専売特許ではない。魔装甲冑(エンチャントアーマー)で全身を固めた我々ガレア騎士のほうが総合的な防御力は上なのである。

 さらに、それと同時にサーベルの切っ先を今度こそアリンコ兵の腹へと突き立てた。呻きながら一歩後退するアリンコ兵の顔面に、回し蹴りをお見舞いした。鋼の脚甲に包まれた足で頭を蹴られたのだ。さしものアリンコもただではすまない。悲鳴を上げつつばたりと倒れ伏した。

 だが、即座に新手が現れ、槍を繰り出してくる。僕は即座にそれに反応し、槍の切っ先を切り落とした。それを見たアリンコ兵がニヤリと笑った。その口元には、クワガタめいた牙が生えている。かなり怖い。

 

「やりんさんな! 金属エルフ!」

 

 アリンコ兵の言葉に、僕は眉を跳ね上げた。エルフ訛りとはまた異なる、奇妙なイントネーションの言葉使いだ。

 

「エルフじゃねえつってんだろうが!! 僕は男だ! 只人(ヒューム)だ!」

 

「なんじゃと、男戦士!? 噂に聞くブロンダン卿か!」

 

 なんで未知の蛮族が僕の名前を知ってるんだよ、エルフども経由か? まったく冗談じゃないだろ……。

 

「おおい、皆の衆! ブロンダン卿がおったでぇ! 捕まえて女王陛下(オカン)に献上じゃあ!」

 

「おおっ本当か! あのクソババアどもに確保される前に我らのモノにせにゃあ……」

 

「御下賜が待ちきれんな、皆で”子孫繁栄”するのが楽しみじゃのぉグエヘヘヘッ!!」

 

 アリンコ兵が叫ぶと、下卑た声を出しながら増援がワラワラと現れる。全員がおっぱい丸出しの高身長褐色美女だ。なんだろうね、エロ本みたいなシチュエーションなのに全然嬉しくねえぞ。

 

「若様になんと失礼なことを! 虫けらどもめ、許せんっ!」

 

「我らん若様を奪おうなど千年早かど!」

 

 アリンコ共に対抗するように、エルフ兵も罵声と魔法と矢を飛ばす。しかし、奇襲じみた攻撃にも、アリンコ共は怯まなかった。一瞬の早業でファランクス陣形を組み、攻撃を受け止める。

エ ルフどもと対抗していたという話なのでうすうす感付いていたが、こいつらも尋常な戦士ではない。なんでこんな精強な兵士がそのへんから生えてくるのだろうか? リースベン、試される大地が過ぎるぞ。

 ……というかエルフども、ナチュラルに「我らの若様」とか言ってなかった? いつ僕がお前らの若様になったってんだよ……。最近のあいつら、マジで何なの?

 

「どいつもこいつも好き勝手言いやがって!」

 

 怒りを込めてそう叫びつつ、僕は腰にひっかけておいた手榴弾を取り出した。兜のバイザーを上げ、手榴弾から伸びた紐を口を使って引っ張りぬく。

 

「チェスト手榴弾!」

 

 タイミングを計ってから、スクラムを組んだアリンコ集団に向けて手榴弾を投げつけた。狙い通り手榴弾は空中で爆発し、密集していたアリンコどもをまとめて吹き飛ばす。

 このアリンコどもの白兵戦能力は尋常なものではない。真面目にチャンバラに付き合っていたら体力がいくらあっても足りなくなる。近代兵器でごり押しするほうが合理的だ。

 

「おおっ! さすがは若様でごわす!」

 

「グワッハッハッハ! 虫どもン戦術ももはや時代遅れじゃな! いやあ愉快愉快!」

 

 エルフどもは腹を抱えながら笑っている。めちゃくちゃ楽しそうだ。頼もしいやら恐ろしいやら、まったく厄介な味方である……。

 

「馬鹿言ってないでさっさと突っ込むぞ! できれば将の首を獲りたい、手前ら気張って戦えよ!」

 

 僕らの背後では、赤い光が連続して瞬いている。塹壕内に残ったエルフ火炎放射器兵が、敵兵の侵入を防ぐべく応戦しているのだ。足が遅くしかも防御力にも劣る火炎放射器兵は攻勢では使い辛い兵科だが、防戦ではてきめんに活躍してくれる。しばらくの間は、敵の進行を防いでくれるだろう。

 しかし、ヒト一人が携帯できる燃焼剤の量などごく限られているからな。チンタラしていたら、あっという間に打ち止めになってしまう。塹壕内に残っている戦力は陸戦隊が主力の僅かなものだから、下手をすれば敵の突破を許してしまいかねない。そうなる前に、敵の戦意を削いでおきたかった。

 

「若様、敵将ん首級を献上いたすでご褒美を頂こごたっ!」

 

「残念ながら、こちとらお前らに食わせるための食料を買い付けてスカピンになってんだよ! やれる物といったら僕のキスくらいだよッ!」

 

「流石は若様! 話が分かるッ!」

 

「おいお(はん)ら、邪魔をすっなよ! 若様ん接吻を頂ったぁこんワシじゃ!」

 

 なんでむくつけき男騎士のキスなんかでそんなにテンション上がってんの、お前ら……。



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第312話 くっころ男騎士VSアリンコ兵(2)

 アリンコ部隊との戦闘は、かなり熾烈なものとなった。こいつらは四本も腕が生えているだけあって一対一の白兵戦でも滅茶苦茶強いし、統制も良く取れている。密集隊形を多用するため爆発物は有効だが、残念ながら手榴弾の備蓄はそう多くは無い。手榴弾一辺倒で立ち回るのは流石に無理があった。

 そこで僕は、初撃の手榴弾祭りによるショック効果が薄れてきたタイミングで、一度部隊を後退させることにした。とはいっても、本格的な撤退ではない。相手により多くの損害を与えるため、部隊の再配置を行ったのだ。

 

「こうしてみると……あの穴倉は一種の城砦なのじゃなあ」

 

 倒れたアリンコ兵にトドメを刺しつつ、ひどく気楽な声でダライヤ氏がいった。まるで散歩の途中のような気安い話し方だが、彼女のポンチョは返り血で真っ赤になっている。背中に描かれた血染めの轡十字(くつわじゅうじ)が大変におどろおどろしかった。魔法の名手であるダライヤ氏だが、剣技の方も達人級なのである。

 

「我々エルフは砦を築かん。アリンコもじゃ。このような戦い方は、なかなかに新鮮じゃのぅ」

 

 彼女がちらりと視線を送った先には、我々の塹壕があった。アリンコ兵の一部はスクラムを組んで塹壕の突破を図ろうとしているが、守備に当たっている陸戦隊がそれを許さない。ライフルを撃ち込み、銃剣で突いてアリンコ兵に対抗していた。

 塹壕前方の地面はスロープ状に整地されており、銃剣を持った兵士は塹壕内に身を隠しつつ敵兵を上から攻撃できるように工夫されている。これにより、練度面にやや不安のある一般兵でも精強なアリンコ兵と対等に渡り合えるのである。

 そしてそうやって攻勢側の守備側が拮抗している間に、火炎放射器兵が急行してきて敵集団を焼き払うのである。このコンボにより、今のところ塹壕には一人の敵兵の侵入も許していないようだった。

 

「エルフたちが野戦を得意としていることは分かっていたからな……敵の得意とする土俵で戦うなど、冗談ではないッ!」

 

 アリンコ兵の噛みつき攻撃を籠手で防ぎつつ、僕はダライヤ氏に返した。クワガタめいた大アゴが籠手の装甲を圧迫し、耳障りな音を立てる。凄まじい噛力だ。生身で受ければ手足くらいは簡単に噛みちぎられそうに思える。追撃しようとするアリンコ兵の腹に、僕は拳銃を撃ち込んだ。そのまま膝蹴りを喰らわせて、強引に身体を引き離す。

 ルンガ市や"正統"の隠れ里は、防衛設備の類が一切なかった。拠点に籠っての防御戦などは一切捨て、野戦にすべてをかけるのがエルフ流の戦闘教義(ドクトリン)なのだろう。なんぼなんでも攻撃偏重過ぎるだろとは思わなくもない。

 

「長命種の感覚からすると、たいていの建造物は寿命が短すぎるのじゃ。手入れも面倒じゃしのぅ……建物など、使い捨てにした方がラクで良いのじゃ」

 

 そんなことを言いながら、ダライヤ氏は舞うようなステップでアリンコ兵に襲い掛かる。迫りくる槍の穂先を最低限の動きで回避し、返す刀で強烈な逆袈裟斬りをお見舞いした。盾でそれを防ぐアリンコ兵だが、その足を風刃の魔法で斬り落とすダライヤ氏。悲鳴を上げつつ転倒する敵兵に、ロリババアは無慈悲なトドメを差した。

 

「ほんにアリンコ共は手強いのぅ。老骨にはなかなか堪えるわい……」

 

 腰を叩きながらそんなことを言うダライヤ氏に、僕は不信の目を向けた。手強いとか思ってる人間の戦い方じゃないだろ、アレ。

 

「……」

 

 一方、ダライヤ氏のようにはいかないのが、僕の従者として戦場に出てきたカリーナである。アリンコ兵の猛攻を、剣を振り回してなんとか凌いでいる。どう見ても劣勢だ。

 我が妹も毎日の鍛錬を決して怠っているわけではないのだが、単純に相手が強すぎるのである。アリンコ兵の平均的な練度は極めて高い水準にある。エルフどもと同じく、雑兵でも一般的な騎士と同じくらいの戦闘力があると判断していいだろう。見習い騎士には荷が重い。

 できれば助太刀してやりたいところなのだが、僕もなかなかに忙しい。周囲のアリンコ兵のほとんどが、なぜか僕を集中攻撃してくるのだ。「チェストアリンコ!」などと叫びながら一人のアリンコを真っ二つにするが、即座に次の敵が現れる。

 

「おうおう、男たぁ思えん暴れっぷりじゃのぉ。ええ、コラ? 手前のせいで何人の姉妹が死んだと思っとるんじゃワレ!」

 

「どう落とし前つけてくれるんじゃボケ! 最低でも殺した分は孕ましてもらうけぇ覚悟しとけやこの野郎!」

 

「頭パーになるまで輪姦(マワ)しちゃるけぇ楽しみにしとけよコラ!」

 

 アリンコ兵は荒々しい口調でこちらを威圧してくる。こいつらは軒並み体格が良いので正直かなりコワイ。カリーナなんか、もう完全におしっこをチビっている。だが、指揮官たるものこの程度で怯むわけにはいかない。僕は即座に言い返した。

 

犯す(ファック)犯す(ファック)うるせんだよこのファッキン害虫共が! そんなにファックされてぇンなら鉛玉(タマ)でも(サオ)でも好きなだけぶちこんでやらぁ!! キエエエエエエーッ!」

 

「グワーッ!」

 

「あ、姉貴ィ! この野郎男じゃけぇ甘い顔しとりゃつけあがりよって……もう許せん!」

 

「やめんかこのダボ! 隊列を崩すな!」

 

「グワーッ!」

 

「ああもう、言わんこっちゃない!」

 

 戦場はもう大混乱である。しかし、全体的にはこちら優位に傾きつつあった。アリンコ兵どもの持ち味は、ファランクス陣形による強固な防御力だ。しかしすでに大人数で密集隊形を取れるような状況ではなく、エルフたちの得意とする乱戦に持ち込めている。さらに……。

 

「突出は絶対にしんさんなや! エルフは盾を使うて囲んで叩く……ぐあっ!?」

 

 指示を出していた指揮官らしきアリンコ兵が、脇腹に銃弾を受けて倒れ伏す。塹壕からの狙撃を受けたのだ。部隊を再配置した理由がこれである。塹壕を背にしていては、支援射撃をうけられないからな。大砲がないからこそ、小銃火力を最大限発揮する陣形で戦わねばならない。

 手榴弾で敵の出鼻をくじき、その隙に近接白兵を仕掛ける。そして、敵陣が混乱しているうちに塹壕からの狙撃で敵兵を着実に削っていく。それが僕の作戦だった。即席で立てたものだが、今のところうまくいっている。

 

「よぉし、今だ! 押し込むぞ!」

 

 指揮官が倒れたのであれば大チャンスだ。僕はサーベルを振り上げながらそう叫び、目の前の敵兵に襲い掛かった。エルフどもは「オーッ!」と唱和し、猛攻を始める。

 アリンコ共は精強だが、エルフも決して負けてはいない。体格で劣る分を経験と魔法でカバーし、果敢に攻めたてていく。敵に回ると極めて厄介なエルフどもだが、味方に回ればこれほど頼もしいものもなかった。

 

お前(おんどれ)ら、雁首揃えて何をやりよるんじゃ情けない!」

 

 だが、アリンコ共もやられるばかりではない。後方から部下を引き連れた背の高い女が出てきて、大薙刀を振り上げながらそう叫んだ。アリンコ兵が「大姉貴ィ!」などと声を上げているので、おそらく高位の指揮官だろう。

 

「このままウダウダやっても無駄に兵隊が死ぬるだけじゃ。ここはわしがなんとかするけぇ、おどれらはいったん退いて体勢を立て直せ」

 

「ウス、わかりやした。大姉貴、よろしゅうおねがいします」

 

 まさに鶴の一声、大姉貴と呼ばれた女の撤退命令に、アリンコ兵は誰一人異論をはさまず整然と後退を始めた。そうはさせまいとエルフどもが追撃をはじめたが、そこに投げ槍の雨が降り注ぐ。"大姉貴"の取り巻きたちが放ったものだ。……凄いね、アリンコの投げ槍。平気で百メートル以上飛んでるんだけど……。

 

「雑兵なぞ捨て置け!」

 

 エルフたちに向かって、僕は大声でそう命じた。すぐ近くには、ヴァンカ派の連中もいるのだ。下手に深追いして陣地をがら空きにしたら、敵に付け入るスキを与えることになってしまう。戦果拡大は後回しにすべきだろう。

 それよりも、今は"大姉貴"だ。せっかく敵将がノコノコ前に出てきたんだ、それなりの歓迎をしてやらにゃ、ブロンダンの家名が泣くってもんだろ。よーし一発煽ってやるかと口を開きかけた瞬間だった。

 

「おおっ! 手柄首が自分から飛び込んでくるとは感心感心! これぞ飛んで火にいる夏の虫じゃな!」

 

「おい大婆様、今は秋……ちゅうかもうすぐ冬だぞ。アレん首が(オイ)が獲ってやっでボケ老人はすっこんどれ!」

 

「オウオウ、(オイ)を差し置いて先駆けとは良か度胸じゃな。若様ん口づけを頂ったぁこん(オイ)じゃ!」

 

「首や首だ首だ! そん首級貰い受くっッ!」

 

 命令を出しても居ないのに、エルフ兵どもが大挙して敵将に襲い掛かり始めた。その先頭に立つのは、なんとダライヤ氏である。……コイツらさぁ、ほんとさぁ……はあ……。



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第313話 くっころ男騎士と褒賞

 "大姉貴"とやらは、なかなかの武芸者だった。正面からの一騎討ちなら、僕もかなりの苦戦を強いられたであろうこと間違いなしの使い手だ。だが、どれほどのもののふであれ激ヤバクソ蛮族に囲まれて延々シバき続けられれば無事で済むはずもない。

 当初はバカでかい大薙刀を巧みに操って対抗していた"大姉貴"ではあるが、自分がエルフどもに集中攻撃を受けていることに気付くと、戦術を変更した。部下たちを逃がし、自らは殿(しんがり)としてエルフの攻撃を受け止めることに集中し始めたのだ。なんともあっぱれな女傑である。

 

「ぬふふふふ……見るのじゃ、ブロンダン殿。敵将を獲ったのはこのワシ、ダライヤ・リンドじゃ!」

 

 見るも無残な姿になった"大姉貴"を引きずりながら、ダライヤ氏が無い胸を張りながらそんなことを言った。ソニア並みかそれ以上に背が高い"大姉貴"を腕一本で引き摺れるのだから、このロリババアは何かおかしい。小さい体に驚きのハイパワー……高級路線のハンディ掃除機かな?

 まあ、そんなことは今さらなので気にしない。それより気になるのは、"大姉貴"は虫の息ではあるものの生きている、ということだ。流石に意識はないようだがね。エルフのことだからてっきり首だけ持ってくるのかと思ったのだが……

 

「生け捕りにごわすか」

 

「情報バ絞って、あとは"ひえもんとり"にでも使えば良かちゅう考えじゃろう。いやあ、久しぶりじゃっで腕が鳴っなあ」

 

 周囲のエルフどもが、ぼろ雑巾のようになった敵将をツンツンとつつきながら好き勝手言っていた。この世界にはまだ近代的な戦争条約の類は無いので、当然平気で捕虜を非人道的に扱うものも多いのだが……やはりエルフどもは別格だなあ。

 

「……お疲れ様。さすがだな、ダライヤ殿。見事な戦ぶりだった」

 

 若干ドン引きしつつ、僕は顔に笑顔を張り付けた。いやあ、まったくひどい戦場だった。ピラニアの大群に塊肉を投げ込んだような、一方的かつ悲惨な戦いである。人数でも技量面でも決してアリンコどもが劣っていたわけではないのだが、エルフどもの士気が高すぎたのである。

 当のアリンコ兵どもは、もう戦場には残っていない。全部隊が撤退していた。おそらく、エルフどもと乱戦を続けることを嫌ったのだろう。密集隊形を得意とするアリンコどもからすれば、先ほどの戦場はさぞ不本意なものだったに違いない。仕切り直しを図るのは冷静な一手と言えよう。

 ただ、僕の方としては彼女らの離脱を妨害しようという気は一切なかった。実のところ、僕はカルレラ市のリースベン軍本隊に救援要請をだしていたからだ。装備面で不安のある現状で、無理な追撃をする必要などない。本格的な攻勢に移るのは、増援が……特に砲兵隊が到着してからでよい。今は時間稼ぎが第一だ。

 

「うむ、うむ。ワシも伊達に長くは生きておらんからのぅ。この程度であれば、まあ朝飯前じゃよ」

 

 えへんと胸を張るロリババア。クッソ可愛いけど着ているポンチョは返り血で真っ赤だし、愛用の木剣は子供にはとても見せられないようなグロテスクな様相を呈している。

 ……エルフの木剣は、小さな黒曜石を大量にハメて刃としているのだ。構造としては、ノコギリに近い。そんなもので人間を斬ったら、当然大変に残虐なことになる。そこらのゴア映画なんて裸足で逃げ出すレベルだ。怖いねぇ……。

 

「血眼になって(オイ)らを押しのけたんなどこのどんわろだ色ボケババアーッ!」

 

「あと一歩早かればワシが彼奴ん首を落としちょったもんを……あな口惜しや!」

 

 一方、敵将の首取りレースに敗れた者たちは非常に悔しそうな様子である。

 

「さあブロンダン殿! 約束を果たしてもらおうか! ワシに口づけを! さあ! さあ!」

 

 ボロ雑巾(大姉貴)を投げ捨て、ダライヤ氏は目をギラギラさせながら迫ってくる。格好が格好なので絵面が完全にホラーだ。夜中に遭遇したら間違いなくぶった切ってるところだ。いくら戦場慣れしてるとはいっても、この状態でキスを求めてくるのは正直ドン引きだね。

 しっかしなんでそんなにテンション高いのかねえ? いや、確かに敵将の首を獲った者にはキスをしてやると言ったけどさあ……。

 

「……まあ待て、ダライヤ殿。それはあとにしよう。アリンコ共は撤退したが、ヴァンカ派は相変わらずのようだし。今はゆっくりしていられる状況ではない」

 

 やや離れた場所では、ソニアに率いられた部隊とヴァンカ派のエルフ兵たちが激しく争っている。状況はソニアらのほうが優勢のように見えるが、加勢してもう一押ししてやりたいところだ。

 

「駄目じゃ! ブロンダン殿から口づけを貰っているところをソニア殿に見られたら、ワシは間違いなく殺されてしまう! 今しかないんじゃ今しか!」

 

「ええ……」

 

 ソニアはそんなひどい事はしないよ。半殺しくらいでとどめてくれると思う。……いや、七割殺しくらいはされるかも。

 

「でも、お互い血塗れだし……不潔じゃない?」

 

 ダライヤ氏の格好に内心文句を言っていた僕ではあるが、実のところこちらも似たような有様である。剣を使って白兵戦なんかやったら嫌でも前進血塗れになるんだよ、もう避けようがないんだ。

 まあ僕は慣れているのでそこまで嫌悪感があるわけではないが、それでも不潔なことには変わりない。こんな状態でキスとか下日には病気不可避だろ……。

 

「んもーっ! ブロンダン殿はアレコレうるさいのぅ」

 

 んもーっ! じゃないんだよ。アンタ四桁歳だろうが、なにかわいこぶってんだよ。可愛いじゃないか……。

 

「身綺麗にすれば良いのじゃろ、身綺麗にすれば。まったく……」

 

 ブツブツ言いながら、ダライヤ氏はスポポイと服を脱ぎ捨てて生まれたままの姿になった。貴重なロリババアの全裸である。……貴重か? 眼福と言えば眼福なのだが、なにしろ彼女は血塗れなのであまりうれしくない。

 いったいどうなんだコレはと周囲を見回すも、エルフどもは突然のストリップショーなど気にもしていない様子で「あと一太刀早ければ……」などと嘆いている。ダライヤ氏はアリンコ兵のことを「ふざけた格好」などと言っていたが、お前も似たようなもんじゃないか。

 呆れるこちらをしり目に、ダライヤ氏は全力疾走でエルフェン河へと飛び込んだ。そのまま彼女は、「ア゛ア゛ーッ! 寒ゥい!!」などと叫びながらざぶざぶと身体を洗い始める。いや当たり前だろ。何月だと思ってるんだ。王都のあたりならもう霜が立ってる時期だぞ。

 

「え、ええ……」

 

「あんなのとキスしちゃうの、お兄様……?」

 

 頭を抱えていると、隣にいたカリーナが震える声でそんなことを聞いてきた。

 

「約束しちゃったし……はあ、ノリと勢いでヘンなことを口走るもんじゃないな……」

 

ため息を吐いて、僕も川辺に寄る。ここまでされたら、キスを拒否するわけにもいかんからな。兜と籠手を外し、顔をしっかりと洗った。南国リースベンとはいえ季節が季節だ。水はだいぶ冷たい。こんな温度の水で水浴びとか普通にアホだと思う。

 

「おー、寒寒」

 

 そうこうしているうちに、ダライヤ氏が川から上がってくる。寒さのあまり、彼女は小動物めいてプルプルと震えていた。手ぬぐいを貸してやると、彼女は「おー、すまんのぅ」と言いながら手早く身体を拭いた。

 

「流石にハダカは寒いのでな。悪いが借りるぞ」

 

「グワーッ!?」

 

 そしてそのまま、手近なところにいた比較的身綺麗な格好のエルフ兵のポンチョを羅生門の下人めいて奪い取り、当然のような顔をして羽織る。川辺で他人の衣服を奪うババアとかほぼ奪衣婆じゃん……。

 

「さーて、ではオタノシミじゃ! 一発熱烈なヤツを頼むぞォ!」

 

 ロリババアは僕の前に立ちふさがると、両手を広げてアピールしてくる。仕方が無いので僕は片膝をつき、彼女の唇にキスをしてやった。ほっぺたくらいで誤魔化したいところだったが、どう考えても「日和ったな!」と怒られるので空気を読んだのである。

 ダライヤ氏の唇は、冷たくも柔らかかった。しっとりと濡れたその妖精めいた愛らしい顔を間近で見てしまうと、血なまぐさい状況下であるにもかかわらず自然と心臓がドキドキし始める。別にファーストキスというわけでもないのに、己がここまで動揺するとは思わなかった。やはりエルフという種族には人を狂わせるような美しさがある。まあ狂ってる度合いで言えばエルフどもの頭の中身のほうが上だが。

 ここまできたら、もうやけくそだ。僕は彼女を抱きしめ、背中をぽんぽんと叩いてやる。残念ながら、僕は甲冑を着込んでいるのでロリババアの体の感触はさっぱり感じられなかった。

 ダライヤ氏はフンスフンスと鼻息を荒くし、僕の口に舌を突っ込んで来ようとする。おいやめんか色ボケロリババア。ソニアにマジでぶっ殺されるぞ。僕は慌てて口を離し、誤魔化すように彼女をぎゅーっと抱きしめた。

 

「本当によくやってくれた、ダライヤ殿。あなたほどの方の助力を得られた僕はガレアで一番の幸せ者だ。どうか、今後も僕を支えてくれると嬉しい」

 

「ンヒーッ!」

 

 そう言いながら体を離すと、ダライヤ氏は尻もちをついたあげく奇声を上げながら河原をゴロゴロと転がり始めた。真っ赤になった自分の頬をペチペチと叩きつつ、僕は『ローリングロリババア再び』などと現実逃避めいたことを考えた。

 

「口づけのみならず抱擁まで! ああ、ああ! あん首を獲ってせおりゃ、あそこにおったんは(オイ)やったんに! アアアアアアッ!」

 

「ウオオオオッ! ウオオオオオン!」

 

 それを見ていたエルフ兵どもが、胸が締め付けられるような叫びを上げつつ地面に崩れ落ち始める。マジでなんなのコイツら!? 僕のキスやら抱擁やらごときにどれだけの価値を見出してるの!? いろんな意味で頭は大丈夫!?

 

「うわあああっ! 私のお兄様が蛮族に汚されちゃったぁ!」

 

 よく見れば、嘆くエルフ集団の中には我が義妹も混ざっている。何やってんだあいつは……。



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第314話 くっころ男騎士とセクハラ軍議

 その後、ヴァンカ派のほうも潮が引くように部隊を撤退させていった。ヴァンカ派単独では我々に対抗するのは難しいからな、当然の判断である。

 我々もまた、これ以上の反撃はしないことにした。無理攻めをすれば勝てなくもないのだろうが、どうしても損害が大きくなる。それに部隊を前進させすぎると、後方の民間人を危険にさらすことになってしまうしな。

 自ら男たちを手放したヴァンカ派はともかく、アリンコ兵どもの発言を聞いているとなんとも不安が募ってくる。男たちが奴らの手に落ちたりしたら、さぞ悲惨なことになるだろう。僕としては、それは避けたかった。

 

「戦略魔法を警戒していたが……どうもそういう気配はなかったな」

 

 夕刻の指揮壕。拾ってきた大きな石を足置き代わりにしながら、僕はそう言った。今の僕はブーツどころか靴下すら履いていない。塹壕足の予防のため、足を乾かしているのだ。

 塹壕内はあいかわらず水でビチャビチャで、大変に不潔だ。しかも日が落ちてきたので、気温も下がっている。塹壕足は低温湿潤状態で多発する疾病なので、これは非常に危険な状態だ。しっかり予防するよう、部下にも命令を出している。

 

「あのヴァンカならば、アリンコ兵を巻き込もうが平気で戦略魔法を撃ち込んでくるでしょうからね。乱戦の真っ最中にそういった真似をしてこなかったということは……奴らの手元には、戦略級魔法が使える術者がいないと考えるのが自然だと思われます」

 

 手と足を火鉢にかざしつつ、ソニアは僕の意見に同調する。彼女は北国出身の癖にひどく寒がりなのだ。まあ、竜人(ドラゴニュート)はそもそも寒さに弱い種族なので仕方が無いのだが。

 水が溜まっていることもあり、指揮壕の中はかなり寒い。一応天井代わりの天蓋はあるのだが、隙間から北風が入り放題になっている。僕らはもちろん、兵たちもなかなか難儀をしていることだろう。温かい食事と防寒着の配給は必須だ。

 

「しかし、肝が冷えましたよアル様。まさかエルフどもの先頭に立って塹壕を飛び出していかれるとは……もし敵が戦略級魔法を使えていたら、今頃消し炭になっていましたよ。どうかご自重ください」

 

「しかしだねえ、エルフだけに危険な任務を押し付けるのは不義理というものだろう。共に血を流す覚悟がなければ、戦友とは呼べないんだから……」

 

 実際、ソニアの言う通りあの突撃は賭けのようなものだった。結果的に賭けには勝ったわけだが、軽率な行いだったのは確かだと思う。

 ただね、エルフだけに攻撃を任せるとか、正直怖いじゃん。ただでさえ制御不能なヤツらなのに、指揮を丸投げなんかしたら何しでかすかマジでわかんないよ。そんな土佐犬を放し飼いにするような所業は、ちょっとね。

 

「ウム、ウム。アルベールの言う通りじゃ」

 

 僕の隣に座るダライヤ氏が、訳知り顔で頷いた。キスをしてからこっち、なんだか距離感が近い。しかも、名前も呼び捨てになっている。なんだなんだこのロリババアは……。

 

「後ろでふんぞり返っているだけのものを、エルフは長とは認めぬのじゃ。あの難物共がアルベールの言葉には大人しく従っているのは、オヌシが常に最前線に立っておるからじゃよ」

 

「そん通りじゃ。オルファン皇家がこげん有様になったんも、内戦の緒戦で母上が陣頭指揮を厭うたせいじゃっでな……」

 

 腕組みをしつつ何度も頷くのは、オルファン氏……もといフェザリアだ。こちらもまた、僕の隣に座っている。しかも、肩同士が触れ合うような近さである。

 まさかロリババアに張り合ってるんだろうか? まあ、どちらも目の覚めるような美幼女・美少女である。悪い気はしないんだけど、戦場にでたとたん悪鬼羅刹に変貌するのがちょっとね……。

 

「……」

 

 エルフサンドイッチの具になった僕を、ソニアが何とも言えない目つきで見ている。居心地が悪くなって、僕は二人の包囲網からスルリと抜け出した。流木と端材で作った即席の木製サンダルを履き(ブーツは干している最中だ)、ソニアの隣に腰を下ろした。これが僕の普段の定位置である。

 ソニアは無言で、近くに置いてあった行李から羊毛製の大きな上着を引っ張りだす。そしてそれを羽織り、僕を子供のように抱き上げて自らの膝に座らせた。いわゆる二人羽織の格好である。僕は無言で、なされるがままになっていた。

 お互い、すでに甲冑は脱いでいる。その豊満なバストを背中にぎゅっと押し付けられる感覚はなかなかに刺激的だ。……まあ、冬場のソニアは四六時中こんな感じで密着してくるので、ある程度は慣れているのだが。それでも無心でいられないのは、男のサガというものだろう。

 ……本当にそうか? この世界の男性は、前世の男たち程性欲が強くないっぽいからなあ……。僕が淫乱なだけかもしれん。

 

「なんじゃそれ……」

 

 ヘンな顔をしながら、ダライヤ氏が聞いてくる。まあ、慣れない者が見れば面食らう光景ではあるだろう。フェザリアも凄い顔をしている。

 

「暖を取っているだけだが? 竜人(ドラゴニュート)は寒さに弱い。そこで、パートナー(・・・・・)を湯たんぽ代わりに使うわけだ。合理的だろう」

 

 ソニアはドヤ顔でそう言った。実際、彼女の故郷である北方辺境領では、この二人羽織スタイルはいたってポピュラーなものだ。冬場となれば、只人(ヒューム)竜人(ドラゴニュート)はベッタリくっつきあって生活している。当然、幼馴染である我々も例外ではない。

 最初のころは美少女(子供のころからソニアは美しかった)と密着できるご褒美イベントだぜ! と喜んでいたのだが、なにしろ毎日のことなのですぐに慣れてしまった。今では日常の一部、季節の風物詩のようなものだ。

 

「ほぉ?」

 

 ダライヤ氏は眉を跳ね上げ、フェザリアに目配せした。エルフ二人は頷きあい、こちらににじり寄ってきた。そして我々を挟み込む形で強引に寄り添ってくる。エルフサンドイッチ・イン・ソニア状態である。

 

「何だ貴様ら、馴れ馴れしい。散れ!」

 

 ソニアが怒声をあげるが、歴戦のエルフがその程度で怯むはずもない。ダライヤ氏とフェザリアはしらっとした顔で言った。

 

「いやあ、確かに今日はなかなか寒いからのぅ」

 

「ご相伴にあずかろうち思うてな」

 

 僕の頭にアゴを乗せつつ、ソニアはギリリと歯ぎしりした。このまま放置すると暴力沙汰になるなと直感した僕は、即座に話を逸らすことにした。我が幼馴染は口より先に手が出るタイプなのだ。

 

「それはさておき今後の方針について話しておきたいんだが」

 

「ハイ」

 

 ソニアも軍人である。仕事の話を出されれば、真面目に聞くほかない。彼女はひどく残念そうな様子で頷いた。

 

「手痛い反撃を喰らった以上、敵も次の攻撃は躊躇するだろう。こちらから打って出ない限り、しばらくの間はにらみ合いが続くと思う」

 

「戦力その物はこちらの方が多いワケじゃしのぅ。ましてや、この堅牢な陣地。無理やり攻め落とすのはまずムリじゃろうて……」

 

「その通り。しかし反面、こちらとしても逆攻勢は仕掛けづらい状態だ。エルフだけならまだしも、相手にはアリンコがいる」

 

 アリンコ共のファランクス陣形は、現状ではかなりの脅威だ。前回の戦いでは手榴弾で強引に隊列を乱すことで対処したが、同じ手はもう使えない。手榴弾の備蓄をほぼ使い果たしてしまったせいだ。

 

「矢玉の在庫ももうそろそろ危ない。攻勢に失敗すれば、我々は剣と銃剣のみであの連中と戦わなくてはならなくなる。いくら頭数が多いとはいっても、これはあまりに危険だ。そこで……」

 

「増援を待つ、ということですね」

 

 さすが、我が頼りになる副官は話が早い。僕は頷いた。

 

「カルレラ市には既に鳥人伝令を送っている。いざという時のために、事前に作戦計画は作っておいたんだ。今頃、ジルベルトが大急ぎで出陣の準備をしてくれているはずだ」

 

「増援じゃしか。数としては、どん程度なんやろう?」

 

 フェザリアの質問に、僕は自分で書いた作戦計画書の内容を想い返した。僕がジルベルトに発令を命じた作戦は、コードネーム・赤号作戦(レッド・プラン)。エルフ側と完全に決裂し、全面対決に至った想定の計画だ。とうぜん、リースベン軍の全戦力が投入されることになっている。

 

「三百名弱、というところだ」

 

「フゥム……」

 

 形の良い顎をゆっくりと撫でつつ、フェザリアは唸った。リースベン兵が三百人増援に来たところで、どれほど役に立つのだろうか? そう考えているに違いない。

 まあ、練度面ではリースベン軍の一般兵はエルフ兵に遥かに劣るからな。ウン百年の間鍛錬し続けた武芸者と、街のチンピラを即席で兵隊に仕立てただけの連中を比べてはいけない。

 

「頼りになる戦力さ。安心していい。この部隊には、山砲六門と迫撃砲十二門が含まれている。平地で戦うぶんには、アリンコ兵など鎧袖一触だ」

 

 二人羽織の中にこっそり手をつっこみ、僕のフトモモをスリスリ撫で始めたダライヤ氏の手をひねり上げつつ、僕はそう答える。おまえはアデライド宰相か、このエロロリババアめ。

 ダライヤ氏は口をパクパクさせつつ、無言で手を引っ込めた。ソニアにバレたら半殺し確定なので、悲鳴を上げたり文句を言ったりはできない。

 そんな彼女を無視しつつ、僕は思案した。現状、一番恐ろしいのはアリンコ共だからな。砲兵さえいれば、こいつらは一網打尽に出来る。ついでにヴァンカ派のエルフも河原にいるうちに出来るだけ削っておきたいところだ。こういう開けた地形では、兵の練度よりも火力の大小のほうがよほど重要な要素になってくる。

 

「ふーむ。ようわかりもはんが、アルベールどんがそうおっしゃらるっんであれば信頼いたしもんそ」

 

 そんな攻防が水面下で行われているとはつゆ知らぬ表情で、フェザリアは何度か頷く。真面目で大変結構。

 

「増援が到着するまでは、とにかく籠城しようと思う。ただ、問題は物資……特に食料だな。なにしろ大所帯だ。口が多いぶん、消耗も激しい」

 

「カルレラ市から持ってきた分の糧食はすでに使い果たしていますしね……。これ以降はルンガ市で徴発したぶんに頼るほかありませんが、それにしても数が……」

 

 冷たい手を僕のシャツの中に突っ込み、腹をぺたぺたと触りつつソニアが唸る。コラやめんか、いくら寒いからって直接接触はダメだろ。お互い未婚だし婚約者同士でもないんだぞ。

 

「かなりの節約が必要になりそうだ。別の意味で苦しい戦いになりそうだな……」

 

 再び侵入してきたダライヤ氏の手を迎撃しつつ、僕は言う。……なんで複数人からセクハラを受けつつ軍議してるんだろう、僕……。



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第315話 くっころ男騎士と大姉貴

 軍議が終わると、僕はダライヤ氏を伴って陣地の奥に用意された独房……というのもおこがましい粗末な檻を訪れた。ダライヤ氏が捕獲したアリンコ軍……アダン王国残党軍? とかいう連中の尋問を行うためである。

 雑兵どもは大した情報など持っていないだろうが、高級将校ともなれば話は別だろう。せっかくダライヤ氏が"大姉貴"を生け捕りにしてくれたのだ。ぜひ有効活用したいところである。

 

「……」

 

 流木を組み合わせて作ったひどく粗末な檻に閉じ込められた"大姉貴"は、何とも言えない目つきでこちらを睨みつけてくる。ダライヤ氏をはじめとした色ボケエルフどもにボコボコにされ意識を失っていた彼女だったが、一時間もしないうちに目覚めていた。

 しっかし、アレだね。即席の野戦陣地に専用独房なんか用意されてるはずもないので仕方が無いんだけど、檻があまりに粗末すぎて邪神に捧げられる生贄にされかかっている人みたいに見えるぞ。見た目が悪すぎる……。

 

「やあやあ、半日ぶりじゃな。アダン王国宰相、ゼラ殿」

 

 友人に話しかけるような気安い声で、ダライヤ氏が言う。宰相!? と一瞬面食らったが、ダライヤ氏だって一応皇帝である。火山の噴火に伴う文明崩壊が原因とはいえ、なんとも有難みのない話だなあ……。

 

「おんどれ、ワシの名前を……!」

 

「我々エルフェニアとオヌシらアダンは長年の宿敵同士。当然、幹部級の名前と顔は頭に入っておるとも」

 

 ニコニコと笑いつつ、ダライヤ氏は檻の隣に腰掛ける。少し息を吐いて、僕もそれに続いた。

 相変わらず油断のならないロリババアだな、しかし。相手がどういう役職にあるのか理解したうえで、あえて生け捕りを狙ってたわけか。

 アダン王国残党残党とやらがどんな組織なのかはよくわからんが、一応宰相なる役職に就いているのだから要人には違いあるまい。生かしておいたほうが、首だけにするより遥かに利用価値があるのは事実だろう。

 

「はあ、まったく食えんババアどもがよ。……んで、そっちが例のブロンダン卿?」

 

 ため息を吐きつつ、"大姉貴"ことゼラは肩をすくめる。その言葉遣いはやや訛ったものだが、エルフ訛りよりははるかに聞き取りやすかった。

 

「その通り。リースベン城伯にして騎士デジレ・ブロンダンの息子。アルベール・ブロンダンだ。よろしく。……よろしくってのもヘンなハナシだな。こんな場所で」

 

「ハハ、違ぇねえや。……わしはアダン組で若頭をやっとります、ゼラ・グロワ・アダンでがんす。ま、ヨロシク」

 

 手枷の嵌められた四本の腕を窮屈そうに動かしながら、ゼラ氏は頭を下げた。組だの若頭だの、なんだかヤクザの名乗りみたいだな。宰相ではなかったのか? ウウーム……。

 というか、姓と国名が一緒じゃん。王族なのかね? でも、彼女らアリ虫人だしなあ。この手の亜人とは初めて遭遇するのでよくわからんが、昆虫のアリと同じくコロニー全体が血族の種族なのかもしれんし……。

 

「で、ワシが……」

 

「ダライヤ・リンド。……わしらの一家でおどれの名を知らんモンはおらんけぇ」

 

 右の口角だけ上げながら、ゼラ氏が言う。ダライヤ氏は鼻で笑いつつ「ほお?」と小さく声を上げた。

 

「んで、これからわしはどうなるんね? 古来より、エルフの捕虜になった者は生き胆を抜かれて食われるっちゅう話じゃが」

 

「さあ、どうじゃろうな? ワシらがオヌシをどう扱うかは、これからのオヌシの態度にかかっておるよ」

 

 背筋が寒くなるような笑みを浮かべつつ、ダライヤ氏は地面の水たまりをつま先でちゃぷちゃぷと叩いた。純真な童女のようなその動作が、却って恐怖を煽る。何をしでかすかわからないヤバいやつ、そういう雰囲気だ。

 

「君にはいろいろと聞きたいことがある。こちらの必要とする情報を話してくれるのであれば、悪いようにはしない」

 

 アリンコ共は突如参戦してきた勢力だからな。いろいろと謎が多い。可能であればさっさと和睦して、戦線離脱させたいところだ。

 前回の戦いではなんとか撃退できたが、アリンコ兵の平地での戦闘力はかなりのものだ。好き好んで戦いたい相手ではない。こいつらさえいなければ、包囲を突破して強引にカルレラ市へ向かうプランもアリといえばアリなのだが……。

 

「一発ヤらしてくれたら、わしもペラペラうたい(・・・)だすかもしれんぞ。どうする、ブロンダンさんよ」

 

 ニタニタ笑いつつ僕を視姦してくるゼラ氏。むろん、挑発だろう。こんな状況でよくそんな減らず口が叩けるものだ。敵ながら関心しちゃうね、まったく。

 しかしゼラ氏、あいかわらずおっぱい丸出しなんだよな。褐色の肌が夕日とオイルランプの光に照らされて、なかなかにエロい。まっとうな感じでお誘いされたら、クラッと来ちゃいそうだ。

 でもこの気温でこんあ格好してたら普通に寒いと思うんだよな。きちんと服と毛布は支給してるんだが、虚勢をはってんのかね? 見てるこっちまで寒くなるから、服くらいちゃんと着てほしいんだけど。

 

「残念ながらアルベールはワシのじゃ。オヌシにはやらん」

 

「いつ僕が君のモノになったんだ、ダライヤ殿」

 

「なんと! ワシのぴゅあな心を弄んだのか、アルベール! この年寄りになんとひどい仕打ちを……」

 

 わざとらしく泣き崩れて見せるダライヤ氏。マジでピュアな人間は皇帝位を簒奪(さんだつ)したり元親友をハメて国を意図的に叩き割ったりしないのよ。

 

「まず第一に聞きたいのは、なぜ君たちがこの戦いに参戦してきたのか、だ。僕の記憶が確かなら、君たちと我々は初対面のはずだ。なぜ一切の通告もナシにいきなりブン殴って来たんだ?」

 

 完全にダライヤ氏を無視して、僕はゼラ氏に質問をぶつけた。まあ、真っ当な答えが帰ってくるとは思ってないがね。相手はあの戦闘マシーンじみたアリンコ共の大幹部だ。肝の座りようは尋常ではない。

 

「散歩をしとったら、祭りをやっとるのが見えたんで飛び入り参加させてもらったのよ」

 

「なるほどなあ」

 

 なんと白々しい。すくなくとも、カルレラ市の周囲でアリ虫人が確認されたという報告は一度も上がっていないのである。この連中は、かなりの奥地に潜んでいたハズだ。

 それがわざわざこんな場所までやってきたのだから、それなりの理由があるはずである。少なくとも、偶然などということはあり得ない。

 

「実はのぅ」

 

 気楽な声で、ダライヤ氏が言う。

 

「ここ数ね……いや、十年くらいじゃったか? まあ何にせよ、ここ最近誰ぞが食料庫のイモを横領しておるような気配があったのじゃ。残念ながら尻尾は掴み切れんかったのじゃが……おそらく、犯人はヴァンカじゃろうと思っとる」

 

 デカい石に腰掛けたまま、ダライヤ氏は足をプラプラ揺らした。退屈を持て余した童女のような態度だが、その顔には外見にふさわしくない黒い表情が浮かんでいる。

 

「アレなあ……てっきり、(いくさ)のための糧食をため込んでおるのではないかと考えておったのじゃが。もしやあのイモ、オヌシらに流れておったのでは?」

 

「……」

 

 ゼラ氏の目尻が、微かに震えた。その様子をネットリと観察しつつ、ダライヤ氏は言葉を続ける。

 

「半士半農の我らと違い、オヌシらアリンコは完全な戦士の民。狩猟と採集、そして農民どもからの収奪がなければ、生きては行けぬ」

 

「……収奪たぁ人聞きの悪い。ありゃ用心棒(みかじめ)料じゃけぇ。無法を繰り返すおどれら外道(エルフ)の魔の手から、力無き民(カタギの連中)を守ってやってたのよ」

 

 狩猟採集生活ね。軍隊アリそのままの生態してるんだな、こいつら。……リースベンの大型動物や魚類が絶滅しちゃったのって、もしかしてこいつらのせいだったりする?

 

「とはいえ、奪う作物も狩りの獲物もなくなってしまえば、オヌシらも生きては行けぬ。命を繋ぐためには……まあそれなりの工夫が必要じゃろうな。たとえば、かつての宿敵と密かに手を結ぶ、とか……」

 

 ゼラ氏の減らず口をまるで無視して、ダライヤ氏はそう言い切った。囚われのアリ虫人はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

 

「……流石はご先祖様が名指しで警戒せぇ言うとった伝説の外道。ワシごときのオツムで誤魔化そうっちゅう方がムリじゃったのぉ」

 

 深々とため息をついてから、ゼラ氏は尊敬と畏怖の入り混じった目でダライヤ氏を見た。

 

「降参じゃ、降参。酒を一杯もらえんか? 口の滑りを良うしとかんと、おどれらに何されるか分かったもんじゃないけぇのぉ」



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第316話 くっころ男騎士と参戦理由

 酒を所望する"大姉貴"……あらためゼラ氏に、僕はブランデーの小瓶を渡してやった。残念ながら、僕が持ち込んだ酒はこれが最後だ。予想外に遠征が長引いたせいで、嗜好品の類も底をつき始めている。

 

「ほぉ? ちぃとばかし酒精はキツいが、なかなかエエ酒じゃないの」

 

 小瓶の中身を舐めるように飲みつつ、ゼラ氏が言う。エルフどもは皆ブランデーやウィスキーといった強めの酒は薄めて飲むことを好むのだが、アリ虫人たちは()のままでも平気そうだ。

 

「ええと……それで、何じゃったか。……、ああ、ウチの女王陛下(オカン)がヴァンカのババアのケツかいとるっちゅう話じゃな」

 

 ケツ掻いとるってなんだよ、介護か? などと一瞬考え込んだが、おそらくは従っているという意味のスラングだろう。いちいち言葉遣いが下品な連中だな、アリ虫人。

 

「そこな外道のご明察通り、今のわしらはエルフどもからパクってきたイモで糊口を凌いどる。まあ、若ェもんには秘密にしとるがのぉ」

 

 そこな外道呼ばわりされたダライヤ氏は、興味も無さげな表情でゼラ氏を一瞥。そして僕の方に視線を向けると、華の開くような笑みを浮かべる。そしてポンチョの中から、小ぶりな貧乏徳利を取り出していった。

 

「こんな話はシラフで聞いても面白くもなんともないじゃろう。ワシらも一献(いっこん)やらんかね?」

 

「兵に節食を強いている立場だぞ、今の僕は。作戦が終わるまで酒なんか飲めん」

 

 ロリババアや半裸(というかほぼ全裸)の高身長褐色お姉さまとの飲み会はたいへんに魅力的だが、残念ながら僕には拒否以外の選択肢は無かった。

 なにしろ昨今の物資の欠乏は目を覆わんばかりのものがある。当然、兵に支給しているメシも質や量を落とさざるを得ない状況になっていた。こんな状況で晩酌など楽しんでいたら、兵どもから恨みを買ってしまう。食べ物の恨みは怖い。歴史上、これが原因で何度も反乱がおきているのだ。

 

「ムッハハハ! 振られたのぉダライヤさんよ? あー面白」

 

 ゲタゲタと下品に笑いつつ、ゼラ氏はブランデー瓶をグイと煽る。フグの稚魚のような顔をして、ダライヤ氏がプイとそっぽを向いた。

 

「まー、何じゃ。要するにワシらは、これまで通りイモを流して欲しけりゃ兵隊出せぇ言うてヴァンカの外道に強要(ガジ)られた訳よ」

 

「フゥン」

 

 典型的な空弁当だなあ。ルンガ市に備蓄してあった食料はほとんど我々が徴発し、持ちきれない分はエルフ火炎放射器兵がダイナミック焼き芋にしてしまった。

 もはやヴァンカ派の手持ちの糧食は我々以上に厳しいものがあるはずだ。むろん、アリンコ兵どもに渡せるイモなど持ち合わせがあるハズがない。

 

「まー、流石にその辺りは兵隊どもには誤魔化しとるがのぉ。エルフェニアの外道どもは我らが宿敵じゃっちゅーて、ガキの時分から教え込んどるからな。今回の共同作戦も、若ェもん共は不満タラタラよ」

 

 ……この大姉貴、結構頭が回るな。酒の勢いでペラペラ内情をしゃべっているように見えて、こちらに和解の目があることを露骨にアピールしている。

 さあて、どうするかね? 僕としても、アリンコ共にはさっさと戦線を離脱していただきたい。とはいえ、ゼラ氏の話にそのまま乗るというのも問題がある。こういうタイプは、悪知恵が働くからな。下手に弱みを見せると、ケツの毛までむしられそうな気がする。

 

「しかしのぅ……我らの食料庫もイモ畑も、戦いのドサクサに紛れて"新"の連中が焼き払ってしまいおった。もはやヴァンカには、オヌシらに渡せるイモなぞ一本も持ち合わせておらんと思うのじゃが……」

 

 ただ、悪知恵が回ることにかけてはダライヤ氏もなかなかのものだ。彼女は愉快そうな表情をしながら、人差し指をくるくると回した。

 我々とヴァンカ派を天秤にかけて漁夫の利を得ようとしてもムダだ。ダライヤ氏はそう言いたいらしい。ま、そりゃそうだよね。だってヴァンカ派、完全にスカピンだもの。従っても利益なんか得られるはずもない。

 

「……マジ?」

 

「マジだよ。なんなら、ルンガ市に人を送って見てみるといい。完全に焼け野原になってるから」

 

 この件は、おおむねフェザリアのせいである。ヴァンカ派に使える物資を残して街を出るのは面白くない。そう主張する彼女の手によって、ルンガ市は完全に焼き払われた。なんであんなに火計が好きなんだろうね、あの皇女様は……。

 とはいえ、合理的な行動なのは確かだ。いわゆる焦土戦ってヤツだな。フェザリアがやらなくとも、同じ作戦を僕の方が命じていた可能性は多々ある。

 

「……おお、もう……なんでおんどれらエルフはそう軽々に大事なモン焼き尽くしてしまうんじゃ。アホか。アホの集まりなんかエルフは」

 

「んふふふふ……ワシらが少しでも後先を考えて行動できる種族じゃったら、こんなひどいことにはなっとらんわ。んっふふふふふ……」

 

 陰惨な笑みを浮かべつつ、ダライヤ氏は視線を宙にさ迷わせる。本当にさぁ、エルフってヤツはさぁ……。

 

「つまりわしらはおどれらに乗り換えるしかない、っちゅうワケか。まあええがのぉ、ケツ掻く相手がヴァンカからダライヤさんに変わるだけじゃけぇ」

 

 ため息を吐きつつ、ゼラ氏はやけ酒を煽る。貴重な酒を雑に飲むのはやめていただきたい。

 

(クワ)も鋤《スキ》も握らぬ連中なぞワシャ要らん。寄生先を探しておるのであれば、ワシではなくアルベールに頼むのがスジというものじゃ」

 

「おお、確かにそれがスジってもんじゃのぉ。アルベールさんが相手なら、ケツ掻くどころか舐めたりしゃぶったりしてもエエくらいですわ」

 

 チラチラとこちらの股間に目をやるゼラ氏。一体どこをしゃぶる気なんですかねえ……。

 

「冗談はさておいて、わしとしてもアルベールさんとは事を構えたくないっちゅーのは確かですわ。あのパンパン音の出る妙な飛び道具(ハジキ)……ありゃなかなか恐ろしい代物じゃけぇのぉ」

 

「これかね?」

 

 僕は腰のホルスターから拳銃を抜き、ゼラ氏に見せた。彼女は小さく唸り、肩をすくめる。

 

「そうそう、それ。兵隊どもの持っとる細長いのも怖いが、船に乗せとったデカいの。あれがマズい」

 

「大砲か」

 

 小銃と大砲が本質的に同じモノである、というのはアリンコも理解しているらしい。やっぱり、頭が回る連中だな。

 

「あんなんモンが沢山出てきたら、わしらの戦い方では手も足も出んのじゃないですか? 致命的なことになる前に損切りしたほうがええというのが、わしの考えですわ」

 

「じゃろ? 悪いことは言わん。明日になったら解放してやるゆえ、さっさと女王を説得して停戦するのじゃ。それがオヌシらの取れる最善手だと、ワシはおもうがのぅ?」

 

「業腹じゃがその通りかもしれん。はー、けったクソ悪ィ……ヴァンカのクソ婆が、わしらカタぁハメよって。ケジメつけさしちゃらにゃ腹の虫がおさまらんわ」

 

 気炎を吐きつつ、ゼラ氏は小瓶のブランデーを飲み干した。……やめてぇ! それ高い酒なんだよ!?



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第317話 くっころ男騎士と暗殺事件

 その夜。石と流木で作ったベッドと名乗るのもおこがましいような寝床で就寝していた僕を、伝令兵が叩き起こした。

 

「大変です、城伯様!」

 

「……どうした」

 

 寝ぼけまなこをこすりつつ、僕は起き上がろうとする。が、それは果たせない。いつの間にか寝床に侵入してきていたソニアが、タコめいて僕に巻き付いていたからだ。

 寒い時期には良くある話だ。慌てず騒がず、僕は「いいポーズですよアル様ぁ……そのまま、そのまま……」などと訳の分からない寝言を繰り返しているソニアの耳に、思いっきり息を吹きかけた。

 

「ホアアアーッ!?」

 

 悲鳴を上げて飛び起きるソニアを無視しつつ、僕は今度こそベッドから降りて立ち上がった。相変わらず地面はビチャビチャに濡れており、大変に不快だ。

 顔をしかめつつ、周囲をうかがう。まだ夜明け前のようで、周囲は真っ暗だった。灯りと言えば、塹壕内に設置された僅かな松明くらいのものである。

 

「な、なにやってるんですか、ソニア様は……」

 

 ベッドでもだえているソニアを見ながら、伝令兵が奇妙な表情をしながら聞いてくる。まあ、言いたいことはわかるよ。若い男女が同じベッドで寝ていたわけだからな。あらぬ想像をしてしまうのもムリはない。……まあ、実際は何も起こってないんだけど。

 

「北国出身の竜人(ドラゴニュート)の習性みたいなものだ。気にするな」

 

 キッチリと着込んだままの防寒着を見せて『イヤらしいことをしてたわけじゃないぞ』とアピールしつつ、僕はコホンと咳払いした。単に、寒さに耐えかねたソニアが僕のぬくもりを求めてベッドに突入してきただけの話である。冬場になると時折こういうことがある。

 しかし本当、ガキの頃ならまだしも大人になってからもこの習慣が続くとは思ってもみなかったよ。いい加減ソニアには自重していただきたい。僕がお婿に行けなくなったらどうするんだ、責任を取ってくれるのか?

 

「で、どうした?」

 

 努めて柔らかい声で、僕は伝令兵に問いかけた。こういう時、部下を委縮させるような態度を取ってはいけない。上司の不興を買うことを恐れて必要な報告を怠るようになったら、組織としてはオシマイだからな。

 

「それが……」

 

 一瞬目をそらしてから、伝令兵は言葉をつづけた。

 

「捕虜に取ったアリ虫人の将……あの方が、殺されました」

 

「……わあ」

 

 ウソやん。思わずそう呟きかけて、僕は何とか堪えた。

 

「檻の隙間から、槍か何かで心臓を一突き。手練れの暗殺者のやり口ですな」

 

 それから十分後。僕はソニアを伴って、ゼラ氏が捕らえられていた檻の前に来ていた。檻の中には、血を流して倒れている大柄なアリ虫人が一人。

 検死官代わりのベテラン下士官が説明する通り、他殺と見て間違いなさそうな様子である。彼女は近いうちに解放する予定で、本人にもそれは伝えていたのだ。突然虜囚の辱めを受け続けることに我慢がならなくなり、自害したなどということはあり得ない。

 

「見張りの連中は何をしていたんだ? 歩哨は最低でも三人以上は立てておけと命じていたはずだが……」

 

 不快感を隠しもしない様子で、ソニアが見張りを担当していた分隊の隊長を問い詰めた。この任務を担当していたのは、騎士隊である。戦闘力でも信頼でも僕の配下の中ではピカイチの連中なので、安心して仕事を任せていたのだが……結果はこの通りだ。

 

「もちろん、手を抜いてなどおりません」

 

 青い顔をしながら、若い騎士が弁明する。

 

「念のため、歩哨は多めに立てていました。ただ……全員がほぼ同時に制圧されてしまったようでして。まったく抵抗した形跡がないまま、全員倒れておりました」

 

「なんだと? 彼女らは無事なのか?」

 

 騎士隊の連中は、大半が幼年騎士団時代から付き合いのある幼馴染たちだ。それが四人もやられたと聞けば、流石に冷静ではいられない。僕は慌ててズイと前に出た。

 

「意識は失っておりますが、命に別状はありません。目覚めたらすぐにでも戦線復帰できるでしょう。……つまり、一切の無駄を省いた的確な一撃で意識だけを刈り取られたワケです。敵は化け物じみた手練れですよ」

 

 医官の説明に、僕はなんとも微妙な顔をせざるを得なかった。幼馴染たちが無事だったのは喜ばしいが、我々の陣地の中に尋常ならざる凶手が侵入してきていたことが発覚したのだ。落ち着いていられるはずもない。

 もし、狙われたのが僕やソニアだった場合……暗殺を防ぐことはできたのだろうか? むろん十分な警備体制はとってあるが、ゼラ氏を殺った手管を見ると全く安心はできない。

 というか、ゼラ氏が亡くなったのもめちゃくちゃ痛手だ。せっかく、アリンコ共との停戦の懸け橋になってもらおうと思っていたのに……彼女を死なせてしまったとあっては、むしろアリンコ共は態度を硬化させてしまう可能性も高い。

 

「むぅ……」

 

 僕は自分のアゴを撫でながら唸った。下手人は、おそらくヴァンカ派だろう。アリンコどもが戦線離脱をすれば、彼女らは大変に困ったことになる。彼女らが和睦の阻止に動くのは当然のことだ。僕もそれを警戒して、警備を厚くするように命じていたのだが……。

 

「おう、おう、また面倒なことになっておるのぅ」

 

 そんなことを言いながら近寄ってきたのは、ダライヤ氏である。彼女は眼をしょぼしょぼさせつつ、散歩でもするような気安い足取りでゼラ氏が倒れたままになっている檻へと歩み寄った。周囲のリースベン兵が胡散臭げな表情を浮かべても、お構いなしだ。まるで推理小説に出てくる名探偵のような態度である。

 

「この尋常ではない手並み……下手人はおそらく透破(すっぱ)じゃろうな。ううむ、まったく厄介な手合いが敵にまわったもんじゃのぅ」

 

 ……透破というとアレか、エルフ忍者か。僕の脳裏に、以前の襲撃事件で護衛に当たってくれたエルフ忍者の顔が浮かび上がってくる。

 彼女らは、今どうしているのだろうか? 元老院での戦闘では、エルフ忍者によるものと思わしき援護を受けたが……結局、姿は見せずじまいだった。

 そんなことを考えていると、ダライヤ氏がちょいちょいと手招きしてくる。なんじゃ一体と思いつつも近寄ると、彼女は密かに人差し指を口の前で立てつつゼラ氏の遺体の顔をこっそりと指さした。

 

「……ッ!?」

 

 松明の微かな光に照らされたその遺体は、よく見ればゼラ氏と背格好が似ているだけの別人ではないか。僕が思わずダライヤ氏の方に目をやると、彼女は微かに笑って頷いた。

 

「ホンモノは?」

 

 周囲に聞かれぬよう小さな声で問いかけると、彼女もまた小声で「すでに檻の外、じゃ」と返してきた。

 

「ヴァンカの奴がこういう手を使ってくるのは分かっておったからのぅ。密かに影武者とすり替えておいたんじゃ」

 

「まーたあなたは勝手にそんなことを……」

 

 僕は頭を抱えたい心地になった。どうやら、ダライヤ氏はまた裏で何かしらの悪だくみをしていたらしい。こりゃ、あとでガッツリお灸を据えておく必要がありそうだな。このロリババアは本当にすぐ勝手な真似をしやがる。

 

「申し訳ないのぅ。しかし、敵を騙すにはまず味方からという格言もある……」

 

 声を潜めてウィンクしてくるダライヤ氏は大変にカワイイが、やっていることは全く可愛くない。指揮官に内緒で捕虜のすり替えなんてするんじゃねえよ、前線でなきゃ即座に営倉にブチこんでるところだぞ。

 いやまあ、本物のゼラ氏が無事なのは大変に喜ばしいニュースだがね。アリンコとの停戦の目は潰えていないってことだし。ただ、報告も相談もなしに策を進めやがったというのは、やはりマズい。あとでコッテリお説教してやらねば……。

 

「そうすると……この影武者とやらは」

 

「餌じゃよ、餌。獅子身中の虫を取り除くためのな。間違いなく、ヴァンカは我らの中に間諜を紛れ込ませておる。厄介なことになる前に、あぶりだして排除しておく必要があったんじゃよ」

 

 僕はウムムと唸った。彼女の言うことは決して間違ってはいない。我々は状況に流されるまま敵と味方に分かれて戦っているだけなのだ。兵士個人の身元調査など一切行っていないため、スパイを潜入させるのは極めて容易だろう。

 それにしてもひどいことをするな、このロリババアは。ヴァンカの手のものがアリンコ共の宰相(若頭?)を殺そうとしたことが明るみにでれば、連中はヴァンカ派との手を切らざるを得なくなる。停戦交渉のダメ押しの一手として、影武者をわざと殺させたに違いない。……というか、最悪自作自演かも。あー、やだやだ。

 この影武者の正体は、おそらくゼラ氏と背格好の似ているだけの一般アリンコ兵だ。我々は昨日の戦いで少なくない数の捕虜をとっていたから、人選は楽だったに違いない。しかし、捕虜をこのような非道な策に使うというのは、どうにも僕の好みではないな……。

 

「下手人の目星はついておる。ま、ワシに任せておくのじゃ」

 

「……了解。ただ、事後承諾はいただけないな。あとでオシオキをするから覚悟しておくように」

 

「……おしりペンペンくらいで許してくれると嬉しいのじゃが?」

 

「おしりペンペンだな。よし、ソニアのフルパワーを叩き込んでもらうからな、覚悟しておくように」

 

「そ、それだけは勘弁してほしいのじゃが!? ワシの尻が取り返しのつかないことになってしまう!」

 

 顔を青くするロリババアを、僕は厳しい目つきで睨みつけた。彼女が昔からこんなことばかりやっているとすれば、そりゃあアリンコ共が伝説の外道呼ばわりをするのも当然だろう。しかし、僕の下で働いてもらう以上はせめてスタンドプレー癖だけでも矯正してもらわないと困るんだよなあ……。



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第318話 くっころ男騎士とお説教

 それからは、なかなか忙しかった。遺体の埋葬や供養(アリンコ共の宗教観がよくわからないのでフィオレンツァ司教に任せるほか無かった)、警備体制の見直しなどをアレコレやっていたら、気付けば夜明けである。

 正直寝不足なのだが、状況が状況なので寝なおすこともできない。とりあえず今すぐ片づけねばならない仕事を早朝のうちに終わらせた僕は、朝食をとってからダライヤ氏を呼び出した。

 場所は、今なお拡張の続く塹壕陣地の隅……物資の集積庫として利用されている場所だ。今の時間帯は、作業をしている者などもおらずガランとしている。褒める時は人前で、注意するときは二人きりで。人心掌握の基本である。

 

「どうした、わざわざこのような人気(ひとけ)のないところに呼び出して……。もしや、これがいわゆる逢瀬というヤツかのぅ?」

 

 やってきたダライヤ氏は、開口一番そんなふざけたことを口走った。僕は厳しい表情で、ピシリと言ってやる。

 

「お説教です」

 

「ハイ」

 

 シュンとしつつ、ダライヤ氏は傍にあった木箱の上に正座する。変わり身が早すぎる。さては、なぜ呼び出されたのかちゃんと理解してるな? だったら妙な策略なんか最初から使うなよ。

 

「今回貴方を呼び出したのは他でもありません、ゼラ氏暗殺事件の件でお説教をするためです」

 

「ハイ」

 

 暗殺事件って言っていいのかね、アレ。死んだのは影武者で、本人はまだ生きてるらしいけど。とはいえ、この件の真相はまだ一般には公開していない。とりあえずしばらくは、ゼラ氏は死んだということにしておいたほうがいろいろと都合が良いからだ。

 幸いにも、関係者以外でゼラ氏が入れ替わっていることに気付いている者はいないようだった。まあ、一般兵はわざわざ捕虜の顔をまじまじと観察したりしないので、誤魔化すのはそう難しくはないのである。

 

「いろいろ言いたいことはあるけど、まず第一に……なんで独断でこんなことやったの? 事前に相談なり報告なりするべきじゃないかな常識的に考えて」

 

「い、いや、まあ、その通りなんじゃが」

 

 先ほどのふてぶてしい態度から一転、ダライヤ氏はしどろもどろになりつつ目を逸らした。

 

「ゼラ殿を殺させるわけにはいかんかったし、ついでに間諜のあぶり出しもできるなら一石二鳥じゃし……」

 

「そういう事言ってるんじゃないの、僕は。なんで報告も連絡もしなかったのって聞いてるの」

 

 別に、策自体は悪いものではないんだよな。捕虜を身代わりにするようなやり方は、大変に気に入らないが。とはいえ、どうしても必要ならば気に入らない手でも使わねばならないというくらいの分別は、僕にだってある。事前に献策を受けていれば、そのままこの作戦案を承認していた可能性は十分あった。

 今回の件の一番の問題点は、独断専行なんだよな。勝手にアレコレされちゃ困るんだよ、マジで。別に、相談できるタイミングがなかったとかそういう訳ではないからね。わざと勝手な真似をしたんだ、このロリババアは。

 

「まあその、なんというか、ホラ……あまり外聞の良くない策じゃからのぅ? ワシら(エルフ)はまったく気にせんじゃろうが、オヌシの仲間たちやアリンコ共がどう思うか……。すべてワシの独断でやったということにしておいたほうが、いろいろと都合が良いのではないかと……」

 

「じゃあ何、僕がこの件で誰かに責められたら、全部ダライヤ殿のせいってことにしていいワケ?」

 

「うむ、ありていに言えばその通りじゃ」

 

「馬鹿言ってんじゃないよ」

 

 僕は深々とため息を吐いた。このロリババア、僕にトカゲの尻尾切りをやらせようってのか? まったく冗談じゃない。そういうの、一番嫌いなんだよな。マジで冗談じゃないだろ。

 

「いい? 僕はね、責任者なの。部下の責任を取るのがお仕事なの。キミらが何かをしでかした場合、責任を取って詰め腹を切るまでが僕の職分のうちなの。ワカル?」

 

「ハイ」

 

「だからね? ダライヤ殿がやったことなので僕はまったく無関係ですぅ、なんて言った瞬間、僕は職務放棄をしたってことになっちゃうの。マジの無駄飯喰らいのごく潰……イモ潰しになっちゃうの。ワカル?」

 

「ハイ」

 

「働きもせずに国民の血税を食いつぶすだけの生活を続けて安穏としていられるほど、僕の神経は太くないの。ねえ、わかる?」

 

「ハイ」

 

 ダライヤ氏はダラダラと冷や汗を垂らしつつ、視線をさ迷わせていた。やっと、自分が僕の地雷を踏んづけていたことに気付いたようだ。

 いやもうね、本当に勘弁していただきたい。軍人はマトモな死に方が出来ないことも多い仕事ではあるんだけど(前世の僕とかね)、だからこそ誇りを抱いて死にたいのよね。自己嫌悪に苛まれながら果てるとか最悪だろ。最後の瞬間くらい、胸張って逝きたいんだよこっちは。

 

「そもそも忖度ありきの独断専行とか認めたりしたら、統制がメチャクチャになっちゃうだろうが。こういうのは、融通が利かないくらいガチガチにしといたほうがいいんだよ」

 

「いやまあ、それは……その……ワシが責任を取って職を辞せば……」

 

「責任を取るのが僕の仕事だって言ってるでしょうが! というかナチュラルに辞めようとするんじゃないよ!」

 

 強い口調でそう主張すると、ダライヤ氏は塩を振りかけられた青菜のようになった。……でもなあ、本当に反省してんのかね、コレ? どうも信用できないなぁ……。

 

「……まあ、今回は事後承諾ということで許すけどさあ……次は無いからね。どうしても相談できるような状況ではない時を除いて、きちんと報告・連絡・相談は徹底するように。イイネ?」

 

「わかりました」

 

 例外事項を設けると、なんか悪用してきそうで怖いんだよな、このロリババア。でも、かといってすべてをガチガチに縛ると思考の柔軟性が失われるし……。統制を保つ、柔軟性を維持する。どっちも両立しなきゃいけないのが組織運営の難しい所だ。

 

「なら良し。お説教はこれでおしまい。……ところで一つ聞いておきたいんだけど、今回の一件ってどこまでがダライヤ殿の仕込みなの? 全部自作自演?」

 

「いやっ! さ、さすがにそこまではやっておらんぞ! 影武者を殺したのは、確かにヴァンカの刺客じゃ」

 

「本当? 今なら怒らないから、正直にゲロッておいたほうがいいよ?」

 

「本当じゃ! 本当! そもそも、騎士複数名を無傷で同時制圧できるような手練れの透破(すっぱ)は、ワシの配下にはおらん!」

 

「えっ」

 

 僕は一瞬思考が停止した。ダライヤ氏の配下に、手練れの忍者がいない?

 

「いやいや、それは嘘だろ。僕に透破の護衛を付けてくれてたじゃないか。あの人たち、かなりの達人だろ?」

 

「えっ、なにそれ、知らん……ワシはそんな命令だしとらんぞ……?」

 

「えっ」

 

「えっ?」

 

「は!?」

 

 ダライヤ氏は目を見開いている。とてもじゃないが、嘘をついているような表情ではない。……じゃあなんなんだよあのエルフ忍者どもは! どっから生えてきたんだよ!

 

「……もしや、ヴァンカ配下の透破では?」

 

「いやいやいや、なんでヴァンカ殿が僕に護衛を付けるんだよ。おかしいだろ!」

 

 命を狙ってくるなら、まだわかる。しかしあのニンジャどもは、明らかに僕を守るために立ち回っていた。彼女らがヴァンカ氏の命を受けて動いていたなど、ありえないと思うのだが……。

 

「なんというか、あ奴は夫の死でちょっと……いや、だいぶおかしくなっておってのぅ……。エルフの内乱で、男が傷つくことが我慢ならぬのじゃろう。部下が暴走してオヌシに手を出すのを防ぐため、護衛を配置したのでは……」

 

「だったら最初から戦争なんか起こすなや!!」

 

 この戦争のせいで、僕はもちろんルンガ市の男たちも随分と危険にさらされている。男を巻き込みたくないのなら、そもそも破滅的な行動は取っちゃいかんだろうが!

 いやもちろん、"新"が割れたのはダライヤ氏の策謀のせいでもあるのだが……そもそも、ヴァンカ氏が過激派どもを煽ってなけりゃ、こんなことにはならなかったんだからな。それに加えてレイプ魔みたいなアリンコ軍団まで招集してるのだから、情状酌量の余地はない。

 

「それが本当ならあの人だいぶヘンだよ!」

 

「今さらじゃろ!? ワシだって好き好んでかつての親友を陥れたわけではないのじゃ!」

 

 ヤケクソ気味に、ダライヤ氏が叫ぶ。わあ、うすうす感付いてたけど、マジでヴァンカ氏ってヤベー人だったんだな……。そりゃ、思考がトレースしにくいわけだよ……。

 

「……こりゃ、ヴァンカ殿の思考パターンを加味したうえで作戦を練り直すべきだな。ダライヤ殿、悪いが手伝ってくれ」

 

 ダライヤ氏はヴァンカ氏とは親友関係にあったわけだし、決裂した後も政敵同士としてバチバチとやりあってきたのである。彼女のパーソナリティについてはかなり詳しいハズ。そのダライヤ氏の知見があれば、現実に即した形で作戦を修正することができるだろう。

 

「うむ、うむ。了解じゃ。早々に汚名返上の機会が巡ってきたのぅ。腕が鳴るワイ……」

 

 ニンマリ笑って、ダライヤ氏はグッと力こぶを作って見せた。まあ、元が華奢なのでカワイイだけのポーズと化していたが。

 

「頼んだぞ、ダライヤ殿。真っ当な方向で努力してくれるなら、褒賞をケチったりはしないからな。信賞必罰ってやつだ」

 

「つまり、口づけ以上のこともやってくれる……ということかのぅ?」

 

「……えっ」

 

 にやと笑って、ダライヤ氏は身を乗り出してきた。

 

「いや、その……夫婦でもないのに、あんまりガッツリ肉体的に接触するのは……」

 

「つまり、夫婦になればヨシ……ということじゃな? んふ、んふふふ……信賞必罰。オヌシは先ほど、確かにそう言ったのぅ? 忘れるでないぞ? んふふふふ……」

 

 怪しげにほほ笑むダライヤ氏を見て、僕は戦慄した。こ、こいつ、まさか褒賞として僕を貰う気では……? いや、まさか、しかし……。

 ……というか、お説教をした数分後にはこれかよ! やっぱ全然反省してないじゃないかチクショウ! あー、もう、これだからエルフってやつは……! あとでソニアに全力でダライヤ氏のケツをシバくよう頼んでおかねば……。



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第319話 義妹騎士と塹壕の日常

「むぅ……」

 

 私、カリーナ・ブロンダンは思わずうなってしまった。手に持った木椀の中身を、匙でツンツンとつついてみる。

 今日のメニューはエルフどもの郷土料理、芋汁。まあ、軍隊シチューみたいなモノね。お椀の中に入っているのは皮ごと輪切りにされたサツマ(エルフ)芋が一枚、塩漬けと思わしきバッタが二匹に、小指くらいの大きさの川魚が一匹。そして後は青菜っぽい雑草。それだけ。ちなみに副菜類はナシ。

 足りない。全然足りない。というか料理の中になんでムシがはいってるの? 嫌がらせなの? お腹は情けなくキュルキュル鳴いているけど、正直口を付けたいとは思わなかった。

 

「うひぃ……またこれッスか……」

 

「……」

 

 隣にいる子分のロッテと軍属猟師のレナエル先生も、凄い表情を浮かべていた。私たちは、塹壕の隅っこで食事をとっていた。作戦中なので、テーブルについて一斉にイタダキマス、なんてお上品なことはしていない。給食班から料理を受け取って、そのまま持ち場へ戻って食べている。

 

「平民の見習い兵でも腹いっぱい食えるってのが、リースベン軍(ウチ)の一番の長所だったハズなんスけどね。こりゃあひどいや……」

 

 お椀の中身を匙でぐるぐるとかき回しつつ、ロッテがブー垂れる。「こら、下品よ」と注意はするけど、正直私も同感。こんな量じゃ腹の足しにもなんないわよ。しかも、ムシとか入ってるし。

 ここ最近、配給される食事の量と質があからさまに低下していた。食料の備蓄が怪しくなってきたんだと思う。今の私たちは、凄い大所帯だしね。エルフだけでも千人前後居るって話だから、そこらの農村よりも人口が多い。節約しないことには、あっという間に食料を食べ尽くしちゃうんでしょうね。

 

「こんなモノを食べて大丈夫なのかしら……」

 

 顔をしかめながら、バッタを匙で掬う。大きさとしては親指くらいで、畑や草原なんかでもよく見る種類のものだった。もちろん、私はこんなモノを食材として認識したことは一度もない。その無機質な複眼を見ていると、空腹のはずなのに食欲が失せてくるから不思議ね……。

 

「……」

 

 狐獣人のレナエル先生が、無言でバッタにかぶりついた。太い尻尾がビコン! と立ち上がり、プルプルと震える。

 

「……た、食べられなくは、ないです」

 

「そっかあ……」

 

 美味しくはないのね? いや、この外見で美味しい方がおかしいんだけど……。まあとにかく、こんなモノでも貴重な栄養源。食べないよりはマシ。そう思って、意を決して私もバッタを頬張る。

 

「…………」

 

 ……やっぱり美味しくないよコレェ! 味は思ったより悪くないけど、外殻が硬くて本当にダメ。なんとかかみ砕こうとすると、殻のカケラが歯の隙間に挟まってびっくりするほど不快だった。ンンーッ! キッツイ!

 

「……」

 

 顔をしかめないように気を付けながら(士官たるものいついかなる時でも動揺を表に出すべからずって、お兄様も言ってたからね)、白湯で口の中を洗い流す。川が近いおかげで、水だけはいくらでも飲めるのよね。

 

「あー、うん。まあ、そこそこね、そこそこ」

 

 などと言いながら、口直しにサツマ(エルフ)芋の輪切りをにかじりつく。……ウン、これは悪くない。でもちょっと味が薄いかな? ポーチの中から塩の入った小袋を引っ張り出して、一つまみ振るいかける。もう一口かじって、私は頷いた。うん、うん、これで美味しくなった。

 

「ンヒ~、やっぱ全然足りないッスよこれぇ」

 

 あっという間に芋汁を食べ尽くしたロッテが、お椀を匙で叩きながら文句を言う。だから、そういう下品な真似はやめなさいって。まったくもう、何回注意しても直らないんだから……。

 まあでも、この程度の量では全然足りないというのは確かなのよねぇ。まあ、お兄様やソニア、フィオレンツァ司教様まで同じモノを同じ量しか食べてないみたいだから、文句は言いづらいんだけども。でも、私らってば成長期じゃない? やっぱり、流石にもうちょっと食べたいというか……。

 

「……はあ」

 

 何か腹の足しになるモノでもないかなとポーチを漁ってみるけど、ビスケット一枚出てこない。持ってきたぶんは、とっくに食べ尽くしちゃった。この遠征も、思っていたのよりだいぶ長引いてるからねえ……。

 本当に困る。昨夜もお腹がくぅくぅ鳴いて、寝るどころじゃなかったのよね。おかげですっかり寝不足で、頭もあんまり回らない。さらに言えば、靴がずっと冷たい水に浸かってるせいで、足の感覚がなくなりかけてる。

 お兄様の忠告に従って、時々乾かしたり温めたりしてるんだけどね、足。それでもだいぶ辛い。塹壕足とかいうビョーキになりかかってるのかも。ああ、もう……本当にイヤ。今回の戦いは、今まで私が体験した中で一番しんどいかもしれない。

 

「おい、お(はん)ら」

 

 ちょっと泣きそうになっていると、誰かが話しかけてきた。顔を上げると、そこに居たのはエルフ兵だった。外見上は、私と同じくらいかちょっと年下くらいに見える。同性の私でもドキリとしそうな美しい顔には、勝気そうな笑みが浮かんでいた。

 私とロッテは思わず身体を固くした。レナエル先生は表情を消し、腰のナイフに手を這わせている。見た目は妖精みたいなエルフたちだけど、レナエル先生の弟はこいつらにヒドい目に合わされた……らしい。

 実際エルフ兵たちの戦いぶりは傍で見ているだけで怖気が走るほど野蛮だし、このエルフ兵が着ているポンチョにもあちこちに血痕がついている。まるでホラー系の小説に出てくる殺人鬼みたいな雰囲気だ。私は完全にビビってしまっていた。

 

「レ、レナエル……」

 

 それでもなんとか、レナエル先生の肩を叩いて余計なことはやめさせる。エルフたちは、一応友軍だからね。率先して刃物を抜くなんて真似は絶対にやめさせなくちゃ。

 ……そもそも、この集団においては私たちの方が圧倒的に少数派だしね。何かがあったら、袋叩きにされるのは私たちの方なのよね。そういう面でも、トラブルを起こすのはマズい。

 

「ど、どういった用件でしょう? エルフさん」

 

 二人を庇うように(余計なことをしでかさないようにとも言う)して立ち上がりつつ、私は笑顔を浮かべて対応した。……大丈夫かな、顔引きつってないかな?

 

「そげん怯えんでんよかじゃろ? 勿体なかカマキリじゃあらんめえに、お(はん)らを(びんた)から食うちまうような真似はせん」

 

 鼻で笑いながら、エルフはそんなことを言う。……もったいなかカマキリって何?

 

「そげんこつより、お(はん)ら腹が減っちょっとか?」

 

「い、いえ、そんなことは……」

 

 お兄様から聞いた話によると、エルフたちはすごい食糧難に陥っているらしい。実際、今日みたいな粗末な食事でも、エルフ兵は喜び勇んで食べてるみたいだからね。こいつらの食料事情がそうとうひどいというのは、本当の事みたい。

 そんな連中の前で「こんな量じゃ全然足りない! お腹減った!」なんて言っていたら、そりゃあ気に障るでしょうよ。ここは絶対に誤魔化すべき。……そう思ったんだけど……。

 

「……」

 

 私のお腹が、きゅうと音を立てた。反射的にお腹を押さえてからエルフ兵の方をうかがうと、彼女はゲラゲラと大笑いをし始めた。

 

「やっぱい腹ペコじゃらせんか! ったっしょうがなかね。他ん連中には内緒やど」

 

 そんなことを言いつつ、エルフ兵はポンチョの中から何かを取り出して私に押し付けてきた。それは大きな木の葉の包みで、中には干し芋が入っている。

 

「お(はん)短命種(にせ)どもは弱かでな。腹ペコになったやすーぐ死に(けしみ)やがっ。(オイ)らみてな年寄りより先にくたばられちゃ困っど」

 

「え、あっ、ありがとうございます!」

 

 そのまま、エルフ兵は踵を返して去っていった。あとに残されたのは、ポカンとした私たちと干し芋の包みだけだった。

 

「……な、なんだったんだろう、アレ」

 

 小首をかしげつつ、包みを開いて干し芋をつまんでみる。匂いを嗅いでみるが、怪しげな感じはしなかった。ちょっと古びてはいるけど、まだ食べられそうな雰囲気。三人で分けて食べるにはかなり少ない量だけど、それでも凄く有難い。

 

「差し入れ……ッスかね?」

 

「あの飢えた蛮族どもが、他人に食料を分け与えるなんて……」

 

 ロッテとレナエル先生が、顔を見合わせて唸った。……なんなんだろうね、エルフ。とっても野蛮なのは確かなんだけど、悪い人ばかりじゃないってことなんだろうか……?

 

「敵襲!」

 

 そんなことを考えていると、見張り員がそう叫ぶ声が聞こえた。一瞬遅れて、鏑矢(かぶらや)(ヤジリが笛になっている矢)が飛ぶ独特な音があちこちから聞こえてくる。敵陣の方から、ほら貝や陣太鼓の音色も響き始めていた。

 はあ、またか。私は何とも言えない心地で立ち上がった。戦況はすっかり膠着状態だけど、敵は昼夜を問わず攻撃を仕掛けてきている。とはいっても、嫌がらせ目的の腰の据わってない攻撃ね。被害はほとんどないけど、敵もすぐに逃げるから反撃もできない。

 とはいえ、そんな攻撃でも無視するわけにはいかないのよね。ため息を吐くのをこらえつつ、私は急いでお椀の中身をかきこんだ。戦闘準備を命じる信号ラッパが流れているから、早くお兄様のところにもどらなきゃいけない。

 

「ああ、もう……」

 

 壁に立てかけておいた騎兵銃を背負ってから、貰ったばかりの干し芋を一瞥する。その中の一枚を咥えて、残りはロッテとレナエル先生に押し付けた。もっとたくさん食べたいけれど、まあ仕方が無い。こういうときに度量を示すのも、貴族のたしなみってやつよ。



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第320話 くっころ男騎士と籠城戦

 戦線は膠着状態に陥った。ヴァンカ・アダン王国残党(アリンコ)連合軍は塹壕戦を突破する手段をもたず、嫌がらせじみた攻撃をするのがせいぜい。一方、我々の側も大砲が故障し、矢玉が欠乏した状態で攻勢を始めるのは難しい。

 気付けばにらみ合いが始まって四日が経過していた。思ったより長引いたな、というのが正直なところだ。こちら側が攻勢に移るには、リースベンからの増援を受ける必要がある。しかし、物資輸送のための川船徴発に手間取っているらしく、待てど暮らせど増援はやってこない。流石に少し参ってしまった。

 

「ソニア、食料の方はまだ持ちそうか」

 

 白湯を飲みつつ、僕は聞いた。普段なら香草茶で一息入れるところなのだが、残念なことにもう茶葉が無いのである。まあ、茶葉程度なら欠乏したところで大して困りはしないが、問題はメシなんだよな。腹が減っては戦が出来ぬ、とい格言はやはり真理だ。

 僕たちは現在、指揮壕に設けた作戦卓で会議を行っている。参加者は僕とソニア、そしてダライヤ氏とフェザリアだ。フィオレンツァ司教は、兵士たちの慰問に回ってもらっている。

 思いもよらず長期化した籠城戦のせいで、兵士たちに不満が溜まりつつある。これを解消するため、司教はてんてこ舞いしていた。それに加えて男子供の世話までやってくれているのだから、それはもう大変である。寝不足で目の下にクマを作りながら働き続けるフィオレンツァ司教を見ていると、なんとも申し訳ない心地になってしまう。

 

「昨日到着した補給船のおかげで、多少は余裕が出来ました。まあ、吹けば飛ぶような余裕ですが……現状の糧食消費量であれば、あと三日は引きこもれますよ」

 

 ソニアの言葉に、僕はほっと胸をなでおろす。増援はまだ来ていないが、補給はやってきたのである。我々は河を背に布陣しているから、船さえあれば物資の受け渡しは可能なのだ。

 もっとも、このやり方に問題がないわけではない。無動力の川船は自力で川を遡上できないため、リースベンに戻れないのだ。えっちらおっちら船をけん引してたら、エルフやアリンコから集中攻撃をうけるからな。結局、一回補給に使った船は包囲が解かれるまでは安全な場所に留め置くしかない。

 さらに言えば、我らリースベン軍が保有する川船なんて、今のところマイケル・コリンズ号と作業用の小型舟艇くらいだからな。足りない分は、民間船を徴用するほかないのである。

 ところが、リースベンで運用されている民間船など、一番大きいものでもボートに毛が生えた程度のモノがせいぜいだからな。一度に運べる物資の量は、まさに雀の涙程度である。連隊規模の部隊の補給をこんな不確かな代物に頼るのは、正直かなり不安だった。

 

「現状の消費量を維持すれば、ということは……食事の質そのものは向上せぬのじゃな?」

 

 僕たちが囲んでいるテーブルの横に佇んだダライヤ氏が、顎を撫でながら言う。なぜ椅子に座っていないかと言えば、ソニアにシバかれた尻がまだ痛むから……らしい。たかがお尻ペンペンでこれほど痛みが長引くとは、さすがはソニアである。

 

「食料配給を通常の水準に戻すと、食料備蓄は一日やそこらで干上がってしまうだろうな。なにしろ、我々は総勢千人越えの大所帯だ。皆が満腹になるほどの食料を継続して配給し続けるのは、現状の補給効率では不可能だ」

 

 ソニアの言葉に、僕とダライヤ氏は同時に唸った。僕としては、兵隊どもをすきっ腹のまま放置するのは大変に不愉快だ。まったくもって好みではない。感情的な問題を抜きにしても、慢性的な空腹は士気や規律にも多大な悪影響を及ぼすしな。ただ、やはり無い袖は振れなのである……。

 

「せめて、リースベン兵だけでも配給量を増やせんかのぅ? ワシらは飢餓には慣れとるが、あの短命種(にせ)たちはそうではなかろう。腹が減った腹が減ったと嘆いておるあ奴らを見ると、なんとも哀れでのぅ……」

 

「おう、おう。良か考えじゃ。エルフは忍耐強か種族や、多少ん飢餓などどうちゅうこっもなか。なンなら、(オイ)らん配給量をちょっと減らして、そんぶんを短命種(にせ)ん兵へ回すちゅう手もあっ」

 

 ダライヤ氏の主張に、フェザリアが同調する。……エルフども、普段はやたらと我が強いくせに、こういう時に限って他種族を優先しろと言い出すんだよな。死を畏れぬ価値観が、そうさせるのかもしれない。彼女らは明らかに、短命種より後に死ぬことを恥だと考えている節がある。

 

「だめだめ、すきっ腹がキツいのは長命種だろうが短命種だろうがかわらん。それに、我々の主力はエルフ兵だ。下手に食料を削って戦力が減退することになったら、元も子もないよ」

 

 僕は首をブンブンと左右に振った。矢玉の欠乏が著しい現状では、白兵戦に比重を置かざるを得ないわけだが……チャンバラの技量で言えば、明らかにエルフ兵はリースベン兵に勝っている。しかし、腹ペコでは剣を振るう力も湧いてこないはずである。本来ならば、むしろエルフ兵の方に優先して食料配給すべきだろう。まあそんなことをしている余裕はないが。

 むろん、その程度のダライヤ氏もフェザリアも理解しているだろう。彼女らは揃って難しい顔をして、小さく唸った。しばらく考えた後、フェザリアは水溜まりをつま先でちゃぷちゃぷと叩きつつ口を開いた。

 

「そもそも、さっさと敵を打ち負かしてしめばすきっ腹を抱ゆっ必要はなかとじゃなか? 頭数はこちらん方が多かとじゃし、少しくれぇ無理攻めをしてんこちらん勝利は揺らがんとじゃね……?」

 

「確かにそうかもしれない」

 

 僕は彼女に頷いて見せた。フェザリアの言う通り、兵力的には明らかにこちらが優勢だ。彼我の戦力差は、三対二といったところだろう。塹壕を捨てて野戦を挑んでも、負ける可能性は低いだろう。

 ただ、問題はアリンコどもだ。大砲がなく、小銃の残弾も乏しくなった現状では、彼女らの密集陣はかなりの脅威だ。おそらく、平地で戦う限りは同数のエルフ兵でも勝てない。先日の戦闘は、手榴弾を使って強引に主導権を奪ったからこそ有利に戦えたのだ。同じ手はもう使えない。

 正直なところ、兵数の差ほどの優位は感じないんだよな。アリンコ兵のファランクス陣形を主力正面に押し出し、その脇をエルフ兵で固める布陣を取られたら、互角以上の戦いに持ち込まれる可能性もある。大量のエルフ兵と僅かなライフル兵で構成されたわが軍では真似できない戦術だ。

 

「ただね、はっきり言えば時間はこちらの味方なんだよ。なにしろ、こちらは効率が悪いとはいえ川船で補給を受けることができる。しかし、あいつらは根拠地を持っていないから物資は減る一方だ。先に飢えるのはヴァンカやアリンコの方だよ」

 

「フゥム、確かに一理ある。ルンガ市は、フェザリアの手で火の海にされてしまったからのぅ? 連中は、イモの一本さえも手に入れることはできんじゃろうて……」

 

「そういうこと。何なら、戦う必要もなくアイツらは空中分解する可能性もある。まあ、そう都合よくはいかんだろうが……僕が決戦を避けているのは、増援を待っているというだけではないんだ。相手の弱体化も期待してるんだよ」

 

「なるほど、流石は若様。流石に戦術眼にごわす」

 

「……」

 

 なんでフェザリアまで若様呼びしてるんだよ。僕は内心ツッコんだ。この頃、エルフどもは皆僕を若様と呼ぶようになってしまっていた。正直、背中がくすぐったくなるのでやめてほしいのだが……。

 

「しかし、それはさておき問題はアリンコ共だ。連中、ウンともスンとも言ってこないんだが……ダライヤ殿、例の計画は本当に上手くいっているのか?」

 

 例の計画というのは、ようするにゼラ氏に依頼した寝返り工作である。どうやら彼女は無事に自陣へと戻れたようなので、速やかな寝返りを期待していたのだが……どうにも動きが鈍い。アリンコ共は相変わらず嫌がらせ攻撃を仕掛けてくるし、ヴァンカ派と何かトラブルを起こしてる様子も見られない。

 

「ウウム……アリンコ共は、ああ見えて案外狡猾じゃからのぅ。現状で寝返りをすれば、安く買いたたかれてしまうと踏んでおるのやもしれん。身売りをするにしても、できるだけ高値で売りつけられるような状況を狙っておるのではなかろうか……」

 

「むぅ」

 

 僕は思わずうなった。確かに、今の状態で寝返るとアリンコ共はかなり厳しい立場におかれることになる。実質的に降伏したのと同じことだからな。

 つまり、連中はこちらから出来るだけ多くの譲歩を引き出せる状況に持ち込めるよう、裏であれこれ工作している可能性が高いわけか。なんとも小賢しいやり口だが、連中も種族の存亡がかかっている。必要ならばどんな手でも打ってくることだろう。厄介だな。

 

「なるほど、決定的なタイミングになるまでは連中は敵のままということか。で、あれば……早めにケツを蹴っ飛ばすというのも手かもしれん」

 

「ケツにか……」

 

 神妙な顔をしつつ、ダライヤ氏は己の尻を撫でた。……この食わせ物のロリババアが、半泣きになってからなあ。ソニアのお尻ペンペンは、そうとう強烈なモノであったようだ。

 

「ま、しばらくは現状維持で大丈夫でしょう。連中に、塹壕線を突破する能力はありません。ヴァンカ派はどうかわかりませんが、アリンコの方はじきに根を上げるハズ。そうなれば、いかようにも料理できます」

 

「ウム、そん通りじゃ。アリンコどもに、こしゃくな策を弄した報いを受けさせてやっ」

 

 ソニアの言葉に、腕組みをしたフェザリアがウンウンと頷いて見せる。その胸は平坦であった。ソニアもフェザリアもどちらかと言えばクール系に分類されるであろう美形だが、並んでみると全然タイプが違うよなあ。そんなくだらない考えが、脳裏に浮かんだ瞬間だった。

 

「城伯様! 白旗を上げたアリンコ兵が一人、こちらの陣地に向かってきております。いかがいたしましょう?」

 

 指揮壕に走り込んできた伝令が、そんな報告を上げてくる。僕はニヤリと笑い、立ち上がった。

 

「おや、噂をすればなんとやらだな。……そいつは軍使だ、絶対に攻撃は仕掛けるなよ? 丁重にお迎えしろ」

 

 どうやら、アリンコ共もそろそろ限界らしい。やっとこの戦いにも終わりが見えてきた。そう思って、僕は内心ほっと安堵のため息を吐く。……いやでも、相手はリースベン蛮族だぞ? そんな都合よく話が進むか……? なんか不安になってきたな……。



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第321話 くっころ男騎士と急報

「……ごめん、もう一回言ってくれる?」

 

女王陛下(オカン)が……女王陛下(オカン)が大姉貴をハメたんじゃあ!」

 

 アリンコ軍の軍使を大喜びで迎えた僕だったが、彼女の口から出た言葉は僕が望んでいたモノからはまったくかけ離れた代物だった。冷や汗をかきつつ聞き直すと、軍使殿はプルプルと怒りに身を震わせながら指揮卓を殴りつけた。乗っていた筆記用具や地図の類が、一瞬宙を舞う。

 僕の隣に座ったソニアが、軍使殿をギラリと睨みつけた。ただでさえ目つきの悪いソニアが本気で威圧すると、戦慣れした軍人でも冷や汗をかくくらいには威圧感がある。軍使殿は顔を青くして(まあ褐色肌のせいで顔色は分かりにくいのだが)、「す、すんません。熱うなり過ぎましたわ」と頭を下げた。

 

「うちの女王陛下(オカン)はなかなか食えぬお人で、大姉貴が和睦の話を出すたびにのらりくらりと逃げとったんですが……どうも裏でヴァンカの婆と妙な策を練っとったようで」

 

 軍使殿の顔は冷や汗でびっしょりだ。とても演技をしているようには見えない。白湯の入ったカップを渡してやると、一礼をしてからゴクゴクと一気に飲み干した。カップをぐいぐいと呷るたびにその丸出しになったデカイ胸が派手に揺れたが、状況がヒドすぎてまったく邪念が湧いてこない。

 

「……どうも女王陛下(オカン)は、あんた方と手を結ぶなら己らの力を見せつけた後で、と考えとるようですわ。このままじゃ、足元見られてケツの毛までむしられるやら言うて……」

 

「なるほどのぅ……」

 

 難しい顔をしたダライヤ氏が、腕組みをしながら唸った。

 

「エルフの古い格言に、『交渉を円滑に進めたいのなら、まず最初に相手を一発殴れ』というものがある。相手にナメられては交渉どころではなくなる。それ故に第一に力を示すことが肝心である……という意味の言葉なのじゃが……」

 

 言いたいことは分かるが知性も理性もまったく感じられない格言だな……。

 

「"女王陛下"もこれと同様の考え方をしておるのじゃろう。やられっぱなしのまま交渉の席に着くのは、負けを認めるのと同じ……そう思っておるのではないか?」

 

「むぅ……」

 

 確かに、その考え方は決して間違いではない。アリンコ共は先日の戦闘で、得意の密集陣を破られ退却するハメになったのだ。首脳陣がこれを敗北と捉えるのはごく自然のことである。

 負けっぱなしの状態で交渉に入ったら、一方的に不利な条件をつきつけられてしまう。ならば、せめて一撃を入れてから講和を始めるべきだ……そんな思考が働いた結果終戦が遅れてしまうというのは、前世の世界での戦争でもよくあった話である。

 

「何かの策を練っている……ということだが、具体的に何をやらかすつもりなのだ? あの連中は。そうそうのことではこの塹壕線は突破できないはずだが」

 

 ひどく不愉快そうな声音でそう問いかけつつ、ソニアは人差し指で指揮卓をトントンと叩く。頭の中で、敵の出方をシミュレートしているのだろう。

 

「どうも、地下から攻めようと狙うとるようで。わしらグンタイアリ種のアリ虫人は穴掘りは苦手なんですがね、身内におる別のアリ虫人……ハキリの連中が、動員されとるようでして」

 

「地下から? 坑道戦を狙っているのか……」

 

 強固な陣地や砦に対し、坑道を掘って地下から攻めるという戦術はごく古典的なものだ。前世の世界でも現世の世界でも、攻城戦においてはごく一般に実行されている作戦である。むろん僕も、敵がそういう手を使ってくる可能性については検討していた。しかし……

 

「だが、ここは河原だぞ? 土壌は砂ばかりで崩れやすいし、何よりちょっと掘っただけで水が湧いてくる。こんな場所で坑道なんか作ったら、土葬と水葬を組み合わせた新手の埋葬方式で永眠する羽目になるぞ」

 

 僕は足元に溜まった大量の水をつま先で突っついた。少しばかり深めに塹壕を掘っただけでこれなのだ。人間が通行できるような坑道を掘ろうとすれば、湧き出してきた大量の水に巻かれて溺れ死ぬことになるだろう。この作戦はあまりに非現実的だ。

 

「わしもそう思っとたンですが」

 

 ところが、軍使殿は視線を逸らしつつ唇を尖らせる。

 

「どうもエルフどもが排水と穴ボコの補強を魔法でゴリ押しとるようです。エルフとアリの共同作業、っちゅうやつですな」

 

「は?」

 

 は?

 

女王陛下(オカン)いわく、今日中に総攻撃に移れるやらなんとか」

 

「嘘やん……」

 

 なんでだよ! どうしてこうリースベンの蛮族どもは無茶苦茶やることだけは大得意なんだよ! ふざけんなよ! その能力とやる気をもっと建設的な方向に活かせよ農場建設とかさぁ!!

 僕はやけ酒を飲みたい気分になったが、残念なことに今は仕事中だし、そもそも酒自体がもう在庫切れである。なんとかシラフで頑張るほかない。白湯を飲み干し、なんとか気分を落ち着ける。

 

「今日中に総攻撃といったか? ……交渉を続ける意思があるのなら、もうちょっと早く連絡してほしかったものだがね」

 

女王陛下(オカン)は穴掘りしとることを大姉貴に隠しとったんです! 大姉貴とリースベンの旦那がたが繋がっとるこたぁ、女王陛下(オカン)もわかっとったようじゃけぇ……」

 

 本当か? ……いや、本当だろうが嘘だろうが大した問題ではない。攻撃が始まる前に情報を流してきた以上、一応アリンコどもにも交渉する気は残っているようだからな。とりあえず今は、連中のたくらみを砕くのが最優先だ。落とし前をつけるのは、その後で良い。

 

「……まあいい。とりあえず、お前たちは穴を掘って僕らの陣地を突破することを企んでいる……これは間違いないな?」

 

「ハイ」

 

 ガックリとうなだれつつ、軍使殿は肯定する。そして懐から何かを取り出し、こちらへ渡してきた。

 

「こりゃ連絡が遅れてしもうたことに対する、大姉貴からのお詫びの気持ちじゃけぇ。どうぞ受け取ってつかぁさい」

 

 ……彼女が押し付けてきたモノ、それは人間の指だった。形状から見て、親指に違いない。うわあ、ナチュラルにエンコ詰めてきやがったぞ。しかも親指かよ、ガチ度が違うな……。いやまあ、アリンコ共は四本腕だから、当然指も合計二十本生えている。一本当たりの価値は、我々の半分程度なのかもしれないが……。

 

「それから、後ほどウチのハキリどもが作った麻薬キノコもあるだけお贈りするんで、それでなんとか大姉貴だけでも堪忍していただきたい。この一件は女王陛下(オカン)の独走で、大姉貴は止めようとしたんじゃ。この状況は大姉貴の本気じゃないけぇ……」

 

「麻薬キノコはいらない……」

 

 ハキリって、要するにハキリアリ種のアリ虫人だよね? あの、葉っぱを使ってキノコを栽培してるっていう、特殊な種類のアリ……。

 まあグンタイアリ種のアリ虫人がいるんだから、ハキリアリ種のアリ虫人がいたっておかしくないけどさ。そいつら、麻薬キノコ作ってんの? なんなのリースベン、狂った連中しか住んでないのか?

 

「と、とにかく今は急いで迎撃の準備だ。敵は地下から出てくる、とりあえず音や振動を検知して、敵がどこから出てくるのか見当をつけなきゃ……」

 

 僕がそんなことを言った瞬間だった。ドシャリと地盤が沈み込んだような音が、周囲に響き渡る。そして一瞬遅れて、鬨の声と敵襲を知らせる信号ラッパの音色が僕の耳朶を叩いた。どうやら我々の陣地のド真ん中に、敵の作ったトンネルの出入り口が現れたようだ……手遅れやんけ!

 

「……よかったな、索敵の手間が省けたぞ! 迎撃開始だ、急げ!」

 

 ああもう滅茶苦茶だよ!!

 



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第322話 くっころ男騎士と坑道

 数日間にわたる塹壕の拡張作業により、我々の陣地は第一、第二の二本の塹壕線によって防御された状態になっていた。その第二塹壕線の後ろに、指揮壕や男子供を守るための退避壕など重要施設があるわけである。

 ところが、敵はこの第二塹壕線のすぐ後方にトンネルを開通させてしまった。何の前触れもなく本陣の奥深くに敵が現れたわけだから、もう大変である。

 陥没した穴のように見える開口部から、アリンコ兵やエルフ兵がワラワラと湧き出していた。まるでアリの巣だ。突如背後を突かれた守備兵たちが、大慌てで迎撃戦を始めている。

 

「迎撃には予備戦力を使う! 塹壕に詰めてる連中は最低限の自衛以外は手を出すな!」

 

 大急ぎで戦支度を整えながら、命令を出す。開通してしまった坑道は今のところ一本だけ。一度に送り込める兵士の数は、だいぶ限られているはずだ。出てきた場所がマズイだけで、冷静に対処すれば問題なく制圧できる程度の相手である。

 むろん、そんなことは敵側だって理解しているはずだ。で、あれば……敵の本命は別にあるはず。坑道作戦は陽動で、こちらが背後を突かれて混乱している間に、本隊による塹壕線の突破を狙ってくるのではないか? それが僕の予想だった。

 もちろん、敵が坑道を二本も三本も用意しているのであれば話がかわってくるんだけどな。ただ、アリンコはさておきヴァンカ氏はできるだけエルフやアリンコ以外の者を戦いに関わらせないように立ち回っている。男子供を危険にさらす坑道作戦を本命にする、というのは考えにくいのではないかと思うんだよな。

 

「ソニア、手榴弾の備蓄はどれだけある?」

 

「もう一発もありません。昨日の時点で使い果たしてしまいました」

 

 副官から返ってきた答えは無情なものだった。坑道に手榴弾をブチこんでやれば、さぞ愉快なことになってたんだろうがな。大変に残念である。

 とはいえ、こればっかりは仕方が無い。なにしろ密集陣形を組んだアリンコに対して、現状では唯一効果的だった武器が手榴弾だ。連日繰り返された嫌がらせ攻撃に対処するため、残弾をすべて使いつくしてしまったのである。

 

「たしか、フェザリアも火炎放射はもう打ち止めだと言っていたな……。先日からの嫌がらせじみた攻撃は、こちらの切り札を浪費させる作戦だったわけか。狡猾だな」

 

 川船による補給も食料を最優先にしていたから、弾薬類に関しては射耗したままになっている。こりゃあちょっと厄介な状況だねぇ。まあ、無いものねだりをしても仕方が無い。今ある手札だけでなんとか戦う手を考えねば。

 さあて、どうするか……坑道に水を流し込むことができれば手っ取り早いのだが、開口部の周囲を制圧されている以上はそこまで水路を引くのは難しい。出入り口さえ制圧してしまえば、いかようにも対処できるのだが……。

 

「マイケル・コリンズ号から降ろしてきた装薬があったな? あれで敵陣を爆破してやる。手すきの連中に火薬タルを持ってくるように言ってくれ」

 

「了解!」

 

 大急ぎで走り去る伝令の背中を見送りながら、僕は小さく息を吐いた。坑道作戦は正直予想外だったが、何かあった時のための準備は事前にしてあった。使用不能になったマイケル・コリンズ号の主砲弾を分解し、タルに詰めて簡易的な爆弾を作っておいたのだ。あくまで簡易的な代物だから威力の方はお察しだが、まあないよりはマシである。

 

「……おや、あれが"ハキリ"ですか。なかなか手強そうですね」

 

 望遠鏡をのぞき込みつつ、ソニアが言う。彼女の視線の先には、開通したばかりのトンネルの中からワラワラと現れる敵兵の集団があった。

 敵部隊は、エルフ兵とアリンコ兵の連合部隊だ。ただ、アリンコ兵はここ数日ですっかり見慣れたグンタイアリ虫人とはやや異なった容姿をしている。全体的にやや大柄で、肌の色も赤っぽい。そしてよく見れば、口に生えた牙もやや小さかった。ただ、おっぱい丸出しなのは相変わらずだ。

 

「あれはハキリの兵隊アリです。今でこそ身内のようなモンですが、昔はわしらのライバルやったという話ですけぇ……キノコ栽培だけが取り柄の連中だとナメてかかったら痛い目をみますよ」

 

 神妙な表情で、グンタイアリ虫人の軍使殿が説明する。僕の記憶が確かならば、ハキリアリはグンタイアリに対抗可能な数少ない生物の一つである。その兵隊アリは極めて戦闘力が高く、数を頼みに襲い掛かるグンタイアリをちぎっては投げちぎっては投げの大立ち回りをするそうだ。

 実際、ハキリアリ兵は見るからに厄介な敵だった。四本腕を駆使して二枚の盾と槍で戦うのはグンタイアリ兵と同じだが、なにしろ体格が良いので一撃が重い。しかも決してパワー一辺倒ではなく、スピードやテクニックも伴っているのである。

 

「……」

 

 この難敵に対し、エルフ兵たちはなかなかに苦戦していた。なにしろエルフたちは小柄な者も多く、正面からの白兵戦では流石に不利なのだ。得意の攻撃魔法を織り交ぜることでなんとか対抗している、という風情である。

 さらに言えば、敵はアリンコ兵だけではない。(くつわ)十字の紋章が描かれていない無地のポンチョを着たエルフ兵たちが、魔法や弓矢で攪乱攻撃をしかけてきている。アリンコ兵とエルフ兵による連携攻撃だ。

 防御力に優れたアリンコ兵と、足が速く機転も利くエルフ兵の組み合わせは凶悪の一言だ。少々の数の優位など吹き飛んでしまうような爆発力がある。こちら側のエルフ兵は明らかに押されていた。

 

「さすがはヴァンカ殿、戦争が上手いじゃないか……!」

 

 しかし、見ているだけしかできないというのは本当に歯がゆいな、今すぐ剣を抜いて助勢に行きたいところなのだが、指揮官が現場放棄するわけにもいかん。僕の双肩には千人を超える兵員と少なくない数の民間人の命が乗っているのだ。無責任な行動をとることはできなかった。

 

「あっ! 馬鹿……!」

 

 そして、歯がゆい心地になっていたのは僕だけではないようだ。第二塹壕線から少なくない数のエルフ兵が飛び出してきて、交戦中の味方に合流した。苦戦する味方を見て我慢が出来なくなってしまったようだ。

 だが、彼女らには待機命令を出しているのである。勝手に持ち場を離れられては困る。大変に困る。気分はわかるがやめてほしい。今すぐ塹壕に戻るように命じようとした瞬間だった。

 

「アルベールどん!」

 

 空から舞い降りてきたカラス鳥人が、切迫した声で言った。ウル氏だ。敵陣の偵察を命じていた彼女が、血相を変えて戻ってくる……つまり、そういうことか。思わず顔をしかめかけ、なんとか気合で堪える。そして努めて余裕のある声で、「どうした?」と聞き返した。

 

「敵本隊が動きよった、全軍出陣ん模様じゃ。敵は決戦を挑んできもした!」

 

 やっぱりか。僕は内心ため息を吐きかけた。坑道作戦は陽動を兼ねた攪乱攻撃で、本命はこちらだろう。矢玉が尽き、後方を脅かされている現状では、十全な迎撃行動をとるのはなかなかに困難だ。まったく、ヴァンカ氏もいやらしい手を使ってくるな。

 

「なるほど。敵はどういう陣形かね?」

 

「横隊でガッチリ隊列を組んだアリンコ兵ん左右を、エルフ兵が固めちょっようじゃ。これまでになかった陣形じゃなあ」

 

「オーケー、だいたい分かった」

 

 なるほど、敵は部隊単位でもアリンコ兵とエルフ兵の連携を図ってきたわけだな。強固で強靭だが小回りの利かない重装歩兵を、機動力と攻撃力にすぐれた軽歩兵で援護する……理想的な諸兵科編成といえるだろう。

 まあ、所詮は密集陣形だ。手榴弾や火砲があれば正面から叩きのめせる。実際、敵もそんなことは理解しているようで、昨日までのアリンコ兵は大集団による密集陣形を避け、小集団を分散させる陣形……いわゆる魚鱗の陣を使ってきていた。

 だが、もはやこちらに敵集団を一網打尽にする火力は無いのである。敵もそれを理解しているから、再び多人数による密集陣形を使ってきたのだろう。まったく、リースベン蛮族はどいつもこいつも戦争だけはめちゃくちゃ得意で困る……。

 

「数ではこちらが勝っているんだ。じっくり整然と迎撃すれば勝てる! とにかく、持ち場を離れている連中へ今すぐ塹壕に戻るよう伝えるんだ!」

 

 僕は自信ありげな表情でそう命令したが、内心は不安だった。エルフ兵とアリンコ兵の連携は、思った以上に攻撃だ。さらに、こちらは思いもよらぬ奇襲で後方を突かれ、浮き足立っている。これはちょっとマズイ状況かもしれない……。



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第323話 義妹騎士と接敵

 私、カリーナ・ブロンダンは焦っていた。陣地の後ろの方から、戦いの音が聞こえている。敵が坑道を掘って塹壕線を突破したらしい、ということは聞いたが、それ以上のことはわからない。どうにも不安だった。

 普段の私はお兄様と一緒に指揮壕で過ごしているのだけれど、敵の攻撃が始まった時はタイミング悪く前線の第一塹壕線に来ていた。お兄様に命じられて、騎士隊のジョゼットさんに書類を届けに行っていたのだ。

 

「お、お兄様、大丈夫かな?」

 

 思わず、上ずった声が出る。後方から聞こえてくる戦闘音はなかなかに激しく、アリ虫人兵の用いる陣太鼓の音まで混ざっていた。坑道を使って侵入してきた敵の戦力は、なかなか多そうだ。

 不安だ。とても不安だ。お兄様の居る指揮壕はかなり厳重に防御されているけど、相手はアリだし穴を掘って強引に突破してくるかもしれない。お兄様は大丈夫だろうか?

 私の脳裏に、あの恐ろしい四本腕でムリヤリ押し倒されるお兄様の姿が浮かんでくる。おぞましい。おぞましすぎる。お兄様があのエルフのおばあちゃんとキスをするのですら本当にイヤだったのに、あんな蛮族にお兄様の貞操が奪われるなんて、絶対に認められない。

 

「ジョゼットさん。わ、私、指揮壕に急いで戻らないと……」

 

 厳しい表情で望遠鏡を覗き込んでいたジョゼットさんに、そう話しかける。ジョゼットさんはお兄様の幼馴染の騎士の一人で、騎士隊の隊長をやっている。

 

「いや……こういう時に、やみくもに動き回るのは良くない。状況が落ち着くまで、アナタはここにいなさい」

 

 望遠鏡から目を離さないまま、ジョゼットさんはそう言った。

 

「そ、そんな! でも……」

 

「四の五の言わない! こんな状況で単独行動してたら危ないでしょ! もし敵に狙われたら、アナタたちだけで何とかできるの!?」

 

 強い口調でそう言われて、私は思わず子分のロッテと顔を見合わせた。私以上に小心者のこのリス獣人は、青い顔で首をブンブンと左右に振る。

 ……正直なところ、確かにジョゼットさんの言うとおりだった。先日の戦いでは私もあのアリ虫人兵と戦ったけれど、防戦一方に追い込まれてしまった。お兄様やエルフ兵の援護が無かったら、あそこで死んでいたかもしれない。

 あの連中は本当に手強い。周囲からの援護が見込めない状態で戦い始めたら、私やロッテ程度では一方的に殺されるだけだろう。認めがたい現実だけど、どうしようもない。

 

「とりあえずしばらくは、私の指揮下に入りなさい。アル様にはあとで私の方から事情を話しておくから」

 

「わかりました……」

 

 がっくりとうなだれつつそう答えると、バザリと大きな音がして大きな何かが上から降ってきた。

 

「ぴゃっ!?」

 

 おもわずおしっこを漏らしかけたけど、よく見ればよくみればソレはカラス鳥人だった。ウルさんだ。

 

「指揮本部より伝令じゃ。東部より敵本隊が接近中。後方は気にせずそちらは迎撃に専念せよ、以上じゃ」

 

「ン、了解。……やっぱり後ろのは陽動だったかぁ。ま、即席のトンネルじゃあ大人数は通行できないしねえ」

 

 飄々(ひょうひょう)とした態度で、ジョゼットさんは頷いた。流石はお兄様の同期だけあって、こんな状況でも平然としている。

 

「それじゃあ、そげんこっで」

 

 用件はそれだけだと言わんばかりの様子でウルさんが飛び立とうとしたので、私はひどく慌てた。ウルさんは、司令本部……つまり指揮壕から伝令に来たわけだ。だったら、後方の状況も知っているはず。

 

「あっ、ちょっと待ってください! お兄様は……お兄様は無事なんですか!?」

 

「ピンピンして気炎を吐いちょりましたわ。ご安心めされや!」

 

 短くそう言ってから、ウルさんはあっという間に空へと消えて行ってしまった。とはいえ、知りたい情報は知れた。どうやら、お兄様は今のところ無事らしい。ほっと胸を撫でおろすと、ジョゼットさんが苦笑する。

 

「あんなアリンコ風情にアル様がやられるわけないでしょうが。傍にソニアのヤツもついているわけだし」

 

「確かに……」

 

 アリ虫人も恐ろしいけれど、ソニアはもっと恐ろしい。私はおもわず笑ってしまった。アリ虫人の兵士をダース単位でなぎ倒すソニアの姿が、ありありと脳裏に浮かんできたからだ。

 

「ところで一つ聞きたいんだけど、君たち弾薬は何発ぶん持ってる? あ、ライフル弾ね」

 

 表情を改め、ジョゼットさんが質問を投げかけてくる。私は慌てて腰の弾薬ポーチに手を突っ込み、紙製のカートリッジを掴む。

 

「ええと、ひぃふぅみぃ……十発ですね」

 

「八発ッスね」

 

「少ないねぇ」

 

 ちょっと困った様子で、ジョゼットさんは肩をすくめる。

 

「私たち、あんまり前線には出ないので……弾薬は最低限のぶんだけ確保しておいて、あとは前線のヒトにあげちゃったんです」

 

 弾薬の欠乏については、前々から問題になっていたからね。発砲機会の少ない者が持っている弾薬を集めて、前線の兵士に配ることに決まったのよ。もちろん私の独断じゃなくて、お兄様の命令よ。

 

「ふぅむ……」

 

 ちょっと唸ってから、ジョゼットさんは私にちょいちょいと手招きをしてきた。それに従うと、周囲に聞こえないよう声を潜めて耳打ちをしてくる。

 

「実はさ、私たちも君らと同じくらいしかタマを持ってないんだよね。ちょっとマズいよ、これは」

 

「ええ……」

 

 なんともイヤな情報に、私は一瞬気が遠くなりかけた。前線の人たちですら、十発やそこらしか持ってないの? 弾薬。しかもジョゼットさんのライフルは、連発をしやすい後装式とかいう新型だし。戦闘が始まったらあっという間に撃ち尽くしちゃいそうなんだけど……。

 しかも、不足しているのは弾薬だけじゃない。エルフたちの使う矢も、もうあんまり残っていないみたい。まあ、戦闘が起きるたびに鉄砲も弓矢も派手に売ってたからね。長期戦になったら、そりゃあ足りなくもなるでしょ……。

 

「敵が本腰を入れて攻勢を仕掛けてきたら、まあ十中八九白兵戦にもつれ込むよ。早めに銃剣をつけておきな」

 

「は、ハイ……」

 

 ああ、嫌だなあ。アリ虫人、本当にシャレにならないくらい強いんだけど。あんなのとまた白兵戦をしなきゃいけないの? 勘弁してよ、もう……私、今度こそ死んじゃうかもしれない……。

 内心ちょっと泣きそうになっていると、前方から威圧的な太鼓の音が聞こえてきた。見張りの人が「敵接近! 大部隊です!」と叫ぶ。慌ててそちらの方に目をやると、森と河原の境界線を進軍する敵集団の姿があった。

 

「ぴゃ……」

 

 ヤダーッ! 敵、めちゃくちゃ多いじゃないの。百や二百なんて数じゃないよ、アレ。少なくとも五百、おそらくはそれ以上だと思う。真っ黒い甲冑に身を包んだ(まあ胸やお腹は丸出しなんだけど)アリ虫人兵たちがミッチリとした密集陣形を組み、その左右をポンチョ姿のエルフ兵が固めている。

 いままでの嫌がらせじみた攻撃で見たものとは明らかに違う、正面戦闘で打ち勝つための陣形だ。敵が決戦を企図していることは、経験の少ない私でもハッキリと理解できた。これは……さぞやハデな戦いになりそうね……。

 

「アリンコどもめ、諦めが悪いじゃないの……! 古臭い戦術を使っている蛮族どもに、最新の戦術ってのを教育してあげなきゃあね! 総員、射撃用意!」

 

 ジョゼットさんが、ライフルを指揮刀のように振り上げてそう命じる。……でも、その"最新の戦術"を実行するには、明らかに弾薬が足りてないんだよね。大丈夫なの、コレ……。

 



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第324話 義妹騎士とエルフの流儀

 敵のアリ虫人兵は肩同士がくっつくような強固な密集陣を組み、太鼓を打ち鳴らしながらこちらへ接近してくる。とうぜんそんな状態では走るどころか速足になることすら難しいので、その進軍速度はびっくりするほど遅い。

 密集してるわ足は遅いわ、もう完全に射撃標的って感じ。大砲が一門でもあれば、気持ちよく吹っ飛ばせそうに見える。でも、悲しいかな私たちの手元にある射撃武器は、残弾の乏しい小銃だけだった。

 

「ぐっ…こなくそぉ!」

 

 お兄様の前じゃとてもじゃないけど口に出せないような罵声を飛ばしつつ、私は塹壕の中からライフルだけを地上に出して発砲した。肩を叩く衝撃と、弾けるような銃声。ぱっと広がった白煙のせいで標的は確認しづらかったけど、たぶん弾は当たったと思う。でも……。

 

「あんな格好なのに防御力高すぎでしょうが! ふざけてんの!?」

 

 敵は、誰一人倒れてはいなかった。盾か甲冑辺りに、弾丸が弾かれてしまったんだと思う。胸や腹みたいな急所が丸出しのこっ恥ずかしい格好してるくせに、なんで鉄砲が効かないのよ! おかしいでしょうが!

 イライラするけど、文句を言っても状況は改善しない。私は弾薬ポーチから紙製薬莢を取り出し、包みを歯で破って火薬を銃身に流し込む。そしてドングリ型の鉛球を半ばまで銃口に差し込み、包んでいた紙をぺりっと破った。あとは棒で鉛球を銃身に突き込み、銃身の根元に生えたニップルに真鍮のキャップを装着すれば、装填完了。

 ……本っ当に手間よね、この装填手順。お兄様やジョゼットさんが使っている、後装式? とかいうライフルなら、こんな面倒なことをしなくてもパンパン連射できるのに……。でも、残念なことにアレは貴重な試作兵器だからね。私みたいな下っ端の見習い騎士には回ってこない。

 

「……っ!」

 

再び鉄砲と頭だけ塹壕から出して、敵に向かって撃つ。装填にはめちゃくちゃ時間がかかるのに、撃つ時は一瞬だから不条理よね。しかも、相変わらず効いてないし。……いや、当たってないだけ? とにかく発砲の時に出る白煙が凄すぎて、そのあたりさっぱりわかんない。

 

「ンヒーッ! もう嫌ッスぅ!」

 

 私の隣で、ロッテが半泣きになりながらライフルを撃ちまくっている。だいぶビビってるわね、コイツ。いや、私ももうだいぶ逃げたくなってるけどね。いくら弾丸を撃ち込んでも倒れないアリ虫人はまるで不死身の化け物みたいだし、ひっきりなしに鳴り響いている陣太鼓の音はとにかく威圧的でコワイ。もう、チビる一秒前って感じ。

 でも、敵前逃亡なんてもう二度とご免だからね。頭の中でお兄様の身体をめちゃくちゃに弄ぶ妄想をしつつ、なんとか恐怖に耐える。……あーもう、こんなに頑張ってるんだから、戦いが終わったら本当に一発くらいヤらせてくんないかなあ!?

 

「ぽっと出の癖に本当に厄介ねぇ、あいつらは……」

 

 ライフルに銃剣を装着しつつ、ジョゼットさんがボヤく。騎士隊で一番射撃が上手いと言われている彼女はすでに三人もの敵兵を倒していたけど、とうとう弾が切れちゃったみたい。

 私の手持ちの弾薬すべてを渡そうとしたけど、断られてしまった。ジョゼットさんのライフルは後装式だから、私たちが持っている弾は装填できないらしい。不便なものね……。

 

「迫撃砲さえあれば、あんな奴ら……」

 

 銃身に弾丸を突き込みながら、私はボヤく。あんな密集陣、大砲があれば一方的に勝てるハズなのに……本当に悔しい。

 

「……みんな、残弾は?」

 

 そんな私を見て薄く笑い、ジョゼットさんは聞いてきた。そして返ってきたのは、「あと一発だけでーす」だの「もう弾切れです」だのといった、絶望的な報告だった。とうとう完全に弾薬を使い果たしつつあるみたい。

 

「射撃中止。こんな豆鉄砲撃ってても、らちが明かないよ。白兵でなんとかするしかない」

 

「ウーラァ!」

 

 騎士たちは、やけくそ気味に叫びながら銃剣付きのライフルを掲げて見せる。あー、もう。やっぱりこうなるのねぇ。あんなデカくて強いやつらと、接近戦なんかしたくないんだけどなあ……。

 

「ロッテ、あんたは私の後ろに隠れてなさい」

 

 弾薬ポーチに手をつっこんだままアワアワしている子分の頭を叩き、私はそう言った。こいつ、射撃の腕は悪くないんだけど、白兵に関してはちょっと……いや、かなり不安があった。

 一応、王都に行った時にはデジレさん……お義母様に剣術の手ほどきは受けてたんだけどね。とはいえ、剣の世界は付け焼刃でなんとかなるほど甘い所じゃない。コイツの腕前であの化け物みたいに強いアリ虫人兵に立ち向かうのは、だいぶ無茶だと思う。

 

「いや、さ、流石にそんな情けない真似は……」

 

 ロッテが何か抗弁しようとしたが、彼女が言葉を言い切る前に上空から何かが降りてきた。スズメ鳥人だ。

 

「指揮本部からん命令書じゃ! それじゃサヨナラッ!」

 

 スズメ鳥人はジョゼットさんに一枚の紙を手渡し、そのまま飛び去って行った。無言でその書類に目を通したジョゼットさんの眉が、きゅっと跳ね上がった。

 

「……良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」

 

「……じゃあ、良いニュースから」

 

 騎士の一人が何とも言えない表情で答えると、ジョゼットさんはニヤリと笑った。

 

「カルレラ市からの増援部隊が、もうすぐそばまで来てるってさ」

 

「オオッ!」

 

「いっよっし! 砲兵隊の火力がありゃ、あんなくっ付いて守ることしか能のない蛮族なんぞ……!」

 

 周囲の騎士たちが、グッと拳を握り締めながら喜びをあらわにする。私も思わずへたり込みそうになるほど安心した。なにしろ、増援には砲兵部隊も含まれているはずだからね。大砲さえあれば、アリなんかもう怖くはない

 ……怖くは、ないんだけどね。ジョゼットさんの表情が、どうも気になる。あの何とも皮肉げな、苦り切った笑み。しかも、いいニュースの他に悪いニュースもあるって言ってたよね? もしかして、なんかマズイことでもあったんじゃ……。

 

「……それで、悪いニュースというのは?」

 

 恐る恐る聞いてみると、ジョゼットさんはニッコリ笑っていった。

 

「増援の到着まで最低でもあと一時間はかかるから、それまで戦線を維持し続けるように……だってさ」

 

「い、一時間!?」

 

 私は思わず敵の方を見た。アリ虫人兵たちは、後列からさかんに投げ槍を投擲し始めている。細長い槍が、土塁や天蓋に突き刺さって威圧的な音を立てていた。

 ここまで接近されたら、もはや白兵戦は避けようがない。ここから一時間持たせろって? いや、ムリムリムリ。弾もないのにどうしろって言うのよ!?

 

「微妙に間に合ってないじゃないか……! 増援……!」

 

 騎士の一人が、憎々しげに土壁を殴りつける。正直、私も同感だった。どんよりとした空気が、塹壕内に漂う。

 

「おう、ジョゼットどんはおるか?」

 

 そこへ、数名のエルフがやってきた。"新"の長老の一人だ。何人かのエルフ兵を引き連れ、妙に上機嫌な様子だった。

 

「どうかされましたか、長老殿」

 

 なんだこんな時に、と言わんばかりの表情で、ジョゼットさんが聞く。その声音には隠し切れないトゲがあった。ジョゼットさんも、このままならない状況に苛立っているようだ。

 

「命令書は読んだか? 一時間待てば、増援が来っらしいじゃらせんか」

 

「読みましたが。 ……その一時間をどう稼ぐかが問題なのでしょう、長老殿。大砲は魔法ほど小回りが効きません。乱戦が始まったら、援護射撃は期待できませんよ」

 

 うんざりとした様子で、ジョゼットさんは肩をすくめた。実際その通りで、ひとたび白兵戦が始まればせっかくの砲兵隊は完全な役立たずになっちゃう。味方の大砲に背中から撃たれるなんてカンベンだからね。みんなが落ち込んでいるのも、それがわかっているからなんだけど……。

 もちろん増援は砲兵隊だけじゃないけど、今さらライフル兵が増えたところでね。正直、あんまり役に立たない気がする。小銃は全くと言っていいほど聞かないもん、あいつら。

 

「一時間持たすれば良かとじゃろう? ワシらがないとかすっで安心せい」

 

「なんとかするって、またいったいどうやって……」

 

「チャンバラじゃ、チャンバラ。それしか手は無か。ワシらももう矢が無かでな、剣でないとかすっど」

 

 ノコギリのように黒曜石の刃がはめ込まれた恐ろしげな木剣を掲げつつ、長老は言った。周囲のエルフ兵たちも、ひどく楽しそうな様子で頷いている。

 

「確かにこの状況では白兵戦は避けられないでしょうが……乱戦になったら、大砲は使えないんですよ。まあ、兵力はこちらのほうが多いんですから、正面から戦っても負けはしないかもしれませんが……」

 

 ジョゼットさんは言いよどむ。確かに兵力ではこっちが勝ってるけど、平地ではエルフ兵よりアリ虫人兵のほうが強いって話だからね。そう簡単には勝てないし、戦闘自体が悲惨な消耗戦になるのは間違いない。だから、できるだけ射撃戦でカタをつけようとしてるわけだけど。

 

「安心せい、前に出ったぁエルフだけじゃ。お(はん)らは後ろを守っちょってくれ」

 

 決断的な口調で、長老はそう言った。

 

「ワシらがなんとか時間バ稼ぐで、あとは大砲でもあの天の劫火(・・・・)でもなんでん使うてあんド腐れどもを吹き飛ばすど。簡単で確実な作戦じゃろう?」

 

「そんな都合よく敵だけ狙い撃つような運用はできませんよ! 大砲は!」

 

 話の通じないやつだなあと言わんばかりの口調で、ジョゼットさんが叫んだ。しかしそれを聞いた長老は「わかっちょるわ」と肩をすくめた。

 

「気にせずワシらごと撃てば良か。簡単なこっじゃ」

 

「……え? は?」

 

 予想外の発言に、ジョゼットさんは口をあんぐり開けた。しかし、長老は気にせずグイと前に出る。彼女の顔は、ひどく晴れやかだった。とんでもない作戦を語っているのに、どうしてあんな表情ができるのだろうか? 私にはさっぱり理解できなかった。

 

「後ろには少なくなか数ん男子供がおっど。あん虫けらどもを一兵たりとも通すわけにはいかん。ここで確実に根絶やしにすっ必要があっ。……そんために少々エルフが味方ん攻撃に倒れたところで、そりゃ必要な犠牲じゃ」

 

「いや、しかし、そんな……」

 

「気にすっな、ワシらはお(はん)らから見ればクソ年寄りんババアばっかいじゃ。年上から死ぬのが自然の摂理、死んだところでお(はん)らを恨んような情けなかおなごはエルフにはおらん。のう!」

 

 長老が周囲のエルフ兵たちに問いかけると、彼女らは「おう!」と威勢よく声を上げた。その表情からは、死地に赴く悲壮さなど微塵も感じられない。

 

「男や若造(にせ)を守って死ぬ(けしん)とがエルフん誉じゃ。こんクソんごたっ時代にこげん晴れ舞台が来っとは思わんやった」

 

「ワシはもう五百年も生きたんじゃ、そろそろ死に花を咲かせてん良か頃あいじゃ」

 

 配下たちの返答を聞いて、長老は満足げに頷く。そしてジョゼットさんに満面の笑みを向けた。

 

「それでは、あとは頼みもす。ブロンダン殿には、よろしゅう伝えちょいてくれ。では、さらば!」

 

 それだけ言って、長老は塹壕を飛び出していった。それを皮切りに、塹壕線のあちこちからエルフ兵が鬨の声を上げつつ敵に向かって突撃を始める。……えっ、えっ、ナニコレ、なにこれ!?



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第325話 くっころ男騎士の憤激

「わあ……」

 

 塹壕線から次々と飛び出していくエルフ兵を指揮壕の中から見ていた僕は、思わず妙な声を上げてしまった。

 

「……あの連中、突撃命令も出していないのに勝手な真似を」

 

 ちょっとコワイ目つきで、ソニアが唸る。ううーん、彼女の言うこともわかるが、これは現場の裁量のうちかもしれない。僕が出した命令は、一時間の戦線維持。矢玉が尽きかけている現状では、射撃戦のみで防衛を行うのは難しい。白兵戦になだれ込むのは既定路線だった。

 それに、エルフのメインウェポンは剣だからな。射撃戦をしている分にはいいが、塹壕内での白兵戦にはあまり向いていない。塹壕は、剣を振り回すには狭すぎるのだ。だから、塹壕に取りつかれる前に打って出るという判断自体は間違っていないように思える。

 それにしてもこうも早く突撃に移るというのは予想外だったがね。しかも、塹壕からは次から次へとエルフ兵が飛び出し続けてるし……。まるで畑に襲い掛かるイナゴの群れのような風情だ。こりゃあアレだな、前線に配置したエルフ兵のほとんどが突っ込んでるんじゃないか……?

 

「もうちょっと具体的に命令を出すべきだったか……」

 

 僕は小さく唸った。命令内容があいまいになってしまったのは、指揮下の兵員の数が多すぎて各々に具体的命令を出す余裕がなかったせいであり、防諜を意識してのことでもあった。

 前者はもう、仕方のない話である。組織の人数が増えるほど、上意下達は難しくなる。鳥人のおかげで伝令だけは素早くできるが、それ以外の部分は破滅的だ。我々には連隊規模の部隊を柔軟に運用できるほどの幕僚組織も指揮系統も持ち合わせていないのだ。

 我々はいわば図体ばかり大きいのに全身に神経がいきわたっていない巨人のようなもので、(司令部)各器官(前線部隊)がいくら頑張ったところで繊細な動作などできるはずもない。無理に統制しようとすれば却って混乱が深まってしまうだろう。だからこそ、現場の裁量に丸投げするような命令を出すほかなかったのである。

 そして後者の方は、もっと簡単な理屈である。ゼラ氏暗殺事件(本人は死んでないが)の手際を見るに、わが軍に少なくない数のヴァンカ派のスパイが紛れ込んでいるのは間違いないからな。連中に余計な情報は与えたくない、ということだ。

 

「アルベールどん!」

 

 どうしたものかと悩んでいると、カラス鳥人の伝令が飛んできた。彼女は天蓋の隙間からスルリと指揮壕に入り込むと、僕の隣に着地して耳打ちをしてくる。

 

「……なに?」

 

 その報告は、驚くべきものだった。なんと、塹壕から飛び出して行っているエルフどもが「自分たちごと敵陣を大砲で吹き飛ばせ」などと言っているらしい。しかも、そんな発言をしているのは一人や二人ではないようだ。

 僕は一瞬思案して、近くにいたソニアとダライヤ氏を手招きした。そして、周囲に聞こえないような声で報告の内容を共有する。

 

「……本気で言っているのでしょうか? エルフどもは」

 

 顔に冷や汗を浮かべながら、ソニアが唸る。意図的なフレンドリーファイアなど正気の戦術ではないし、しかもそれが撃たれる側から出てくるのは明らかに異常だ。

 

「……本気じゃろうなぁ。エルフの悪い癖が出たぞ」

 

 その可愛らしい顔をめい一杯ショボショボさせながら、ダライヤ氏がため息を吐く。

 

「若者より後に死ぬのは恥。男子供を守り切れぬのは恥。エルフには、そのような価値観があるのは知っておるな?」

 

「まあ……」

 

 エルフどもは一切の倫理観を持ち合わせないクソ蛮族だが、戦士としての矜持は確かにある。戦闘の真っ最中に、「若造(にせ)より後に死ねるか!」などと叫びながら無茶な行動に出たエルフを見たことも一度や二度ではない。

 

「隣には短命種の戦友がおり、後方には武器を持たぬ男子供も控えている。この状況は、エルフの矜持を大変に刺激する。興奮状態に陥り、自殺攻撃めいた戦術に出るのも致し方のない事じゃ……」

 

「……」

 

 僕は思わず黙り込んでしまった。この無茶苦茶な行動が、エルフの習性だというのか? もしそうだとすれば……。

 

「もしかしてだけどさ、ヴァンカ殿は……狙ってこの状況に持ち込んだのでは?」

 

 ヴァンカ氏の復讐対象は、"正統"だけではなくエルフという種族そのものなのではないか? この頃、僕はそんな疑念を持ちつつあった。冷静にヴァンカ氏の行動を分析してみると、"正統"のみをターゲットとしているようには見えなかったからだ。

 しかし、滅亡の淵に立たされているとはいえエルフはまだ千人以上残っている。おまけに、ダライヤ氏やフェザリアのような、自力救済を諦めて我々の援助を求めている者もいる。いったいどうやって、エルフ種そのものを滅ぼす気なのだろうか? その辺りがずっと疑問だったのだが……。

 

「……もしや」

 

「ウン……あのクソ女、僕にエルフ滅亡の引き金を引かせる腹積もりかもしれない」

 

 つまり、彼我のエルフどもが入り乱れている戦場にむけ、大砲をぶち込ませまくる……それがヴァンカ氏の狙いなのではないだろうか?

 まあ正直なところ、前装式の山砲数門といくつかの迫撃砲だけで千数百人もの人間を皆殺しにするなんて不可能だけどな。しかし、ヴァンカ氏が目にしたであろう火砲は、やたら連射性の高い後装式速射砲と見た目だけは派手なロケット砲のみ。彼女の中で我々の火砲類が過大評価されている可能性は十分にある。

 そう考えると、これまでのヴァンカ氏の行動も辻褄が合う。男子供をあえてこちらに渡したのも、アリンコ兵をだまして戦線投入したのも、エルフ兵の暴発を誘発するためだ。あの女は、とにかく敵味方のエルフ兵が入り乱れる状況を作りたかったわけだな。

 ……ふざけやがって。僕はサーベルの柄をぎゅっと握り締めた。復讐だかなんだか知らないが、何様のつもりだ。テロリストめ。もはや、対話の余地はない。奴は必ず殺す。

 

「……」

 

 ダライヤ氏はかりんとうだと思って食べたモノが猫のフンだったような顔をして、完全に黙り込んでしまった。たぶん、僕も同じような表情をしていると思う。ただ一人、ソニアだけが平静だった。

 

「なるほど、なかなかに迷惑な手合いですね。……まあしかし、別に彼女の策に乗ってしまっても問題は無いのでは? 砲兵を使わずに歩兵のみで戦いを続けた場合、事態が泥沼化することは避けられません。敵は予想外に精強でしたからね……」

 

 ソニアはちらりと、指揮壕の外へ目やる。そこでは、相変わらず坑道の出入り口を巡る攻防が続いていた。坑道から侵入してきた敵の数は決して多くは無いのだが、アリンコ兵とエルフ兵の組み合わせがとにかく凶悪なのだ。防御に徹されると、なかなか押し込むのが難しい。

 同じことが、より規模を拡大して善戦でも起きているはずだ。こちらの方が兵数が多いといっても、決して油断はできない。少なくとも、損害比が一対一を割るのは間違いないだろう。

 

「この事態を解決できるのは、砲兵の火力のみです。撃たれる側がそれでも良いと言っているのですから、誤射を恐れずに火力支援を行った方が却って被害を軽減できる可能性もあります」

 

「……」

 

 僕はソニアの言葉を脳内でかみ砕いた。人の道を外れた作戦である。だが、検討の余地はあった。勝つために時には外道に堕ちねばならぬのが軍人という職業である。僕だってそれなりに長いあいだ兵隊をやっているわけだから、清濁を併せ呑む必要性とて承知している。しかし……

 

「駄目だ、却下。信頼というのは、時に命よりも優先すべきリソースなんだ。健軍間もないリースベン軍に、味方を撃つ軍隊という風評をつけるわけにはいかん」

 

 ……それに、僕は海兵隊員だ。海兵隊員は、死んでも戦友を見捨てない。意図的なフレンドリーファイアなんか論外に決まってるだろ。

 前世の士官学校で教官が言っていた言葉が、脳裏によみがえる。『良識や倫理を投げ捨てても、決して誇りだけは失ってはならない。なぜなら誇りを失った軍人は、じきに単なる野盗に堕すからだ』……前世でも現世でも、僕は野盗に堕した軍人を何人も見てきた。断じてああいう風になるわけにはいかん。

 

「それに、ハッキリ言ってあんな女の思惑に乗るのは、大変に面白くないからな。……あのロクデナシのテロ女め、心底気に入らんぞ。クソッタレが、絶対に目にもの見せてやる……」

 

 私怨で種族その物を絶滅させようとするんじゃねえよ、ボケカスめ。ガキまで巻き込みやがって、断じて許せん。あんなヤツの思惑に乗ってやるなぞ、虫唾が走る。なんとか、ヴァンカの思惑とは正反対の形でことを納められないだろうか? 一分ほど考え込み、白湯を飲んでから僕は近くの鳥人伝令を呼び寄せた。

 

「ウル殿を呼んで来てくれ。クソ忙しい所大変申し訳ないが、もうひと働きしてもらうことになった」

 

 そんな僕を見て、ソニアがニヤリと笑った。こいつ、僕がこういう反応をすると分かったうえで、あえて外道な作戦を献策したな!?

 

「まったく、お前ってやつは。……見てろよ、相棒。あのファッキン女の策なぞ滅茶苦茶にしてやる」



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第326話 未亡人エルフと決戦

 私、ヴァンカ・オリシスは歓喜していた。状況は、完全に作戦通りに動いている。次々と穴倉から飛び出してきたエルフ兵はこちらの隊列へと襲い掛かり、熾烈な戦いが始まりつつある。

 平地での戦いではエルフよりアリンコの方が強いと言われているが、相手方は兵力と老兵ならではの巧みな戦いぶりでアリンコ兵に見事対抗している。こちら側の行き足は完全に止まっていた。戦線は膠着し、いずれ不毛な消耗戦と化すだろう。

 

「貴様がアリンコどもの宰相の暗殺に失敗したときはどうなるかと思ったが、何とかなりそうだな」

 

 その様子を後列から眺めつつ、私は傍らに侍るエルフにそう話しかけた。薄汚れた野良着に手ぬぐいの覆面という、なんともみすぼらしくて不審な格好をした女だ。

 だが、この女の正体は私の配下の透破(すっぱ)衆の頭目であった。そして彼女自身、エルフ全体でも屈指の腕前を持った透破でもある。……まあ直近の任務であるアリンコ宰相ゼラの暗殺には失敗しているのだが。ダライヤの策さえなければ、上手く行っていたハズなのだが……まったく、無駄に機転の利く女だ。

 

「ハハハ……まこと、相申し訳なか。こん件が終わったや腹を切って詫ぶっで、どうかお許しを」

 

 バツが悪そうに笑いつつ、透破頭は頭を掻いた。冗談めかした言い草だが、その目は本気である。

 

「冗談だ。……どうせ、アリンコどもの首脳部は我が術中。ゼラが死のうが生きようが、大した問題ではない」

 

 実際のところ、宰相ゼラの暗殺はそれほど重要な任務ではなかった。失敗したところで、大した問題は無い。少しばかり計画に変更を咥えれば、それでおしまいである。

 私がアリンコどもと密かに取引をするようになったのは、五十年ほど前の話だ。もちろん当時の私はエルフ殲滅など目論んでいなかったので、その目的は平和的な関係の再構築にあったが……まあ、結果としてエルフとアリンコが共同作戦を張る事自体には成功したので、ある意味当時の私の目標は達成されたことになるな。まったく愉快だ。

 

「今の女王はそれなりに有能で聡明だが、その周囲は腐りきっている。幹部連中にあることないことを吹き込んでやれば、判断を誤らせるなど簡単なことよ」

 

 王国残党などと名乗ってはいても、所詮はいち犯罪組織に過ぎぬのがアリンコ共だ。少しばかり甘い言葉と汁を与えてやれば、簡単にこちらに転んでくれる。今やアリンコ共の幹部の半分以上は我が手中にあった。

 まあ、もちろん今の私はそんな連中にくれてやる()すら持ち合わせていないのだが……私もエルフもこれで終わりなのだから、いくら空手形を切っても何の問題もない。ありもしないイモや男を求めて踊り狂うアリンコ共の姿は、何とも浅ましく滑稽だった。貴様らも我々エルフの同類だ。申し訳ないが一緒に滅んでくれ。

 

「ま、流石にそろそろ騙されちょっことには気づき始めちょるでしょうがな。とはいえ、今頃気付いてんもう遅かわけじゃが」

 

 そう言って、透破頭はクツクツと陰気な笑い声をあげる。……この女は、エルフェニア崩壊以前は治安維持に関わる仕事をしていた。当然、裏社会で薬物や武器を売りさばいていたアリンコ共とは何度も剣を交えている。何かしら、思うところはあるだろう。……まあ、当のアリンコ共からすれば、何代も前の話を今さら蒸し返されても困るのだろうが。

 

「今さら寝返ろうにも、もう遅いだろう。ははは、無様だな」

 

 前線の様子を眺めつつ、私は笑う。状況は既に乱戦と言っていい状態に陥りつつある。アリンコ兵も、目の前の敵と戦うのが精いっぱいだろう。もはや本人たちではどうしようもない。

 

「あとは、ブロンダン殿にあの天の劫火を撃ち込んでもらうだけだが……流石にすぐには決断できないか?」

 

 目を細めつつ、私は小さな声で呟いた。エルフェン河に浮かぶ彼らの船は、相変わらず沈黙している。先日見たあの凄まじい攻撃を仕掛けてくるような気配は全くなかった。

 ……まあ、致し方のない話だろう。ブロンダン殿は、いかにも心根の優しそうな男だった。味方ごと敵を薙ぎ払うような戦術は、使いたがらないに違いない。

 

「あん武器は、ないらかん理由で使用不能になっちょる……ちゅう話もありもす。そん場合は、決着は北部から迫っちょっ彼女らん増援が到着すっまで待たんなならんでしょうや」

 

 これまた周囲に聞こえないような声で、透破頭が返事をしてくる。さすがに、私の本来の目的は周囲には明かしていない。知っているのは、透破頭をはじめとした少数の"同志"のみだ。

 

「ふぅむ……その増援とやらも、例の武器は持っているのだな?」

 

「ヘい。部下ん透破ん話では、大きな筒んような武器を、難儀して運んじょったちゅうこっじゃっで……まあ大丈夫でしょう」

 

「なるほど、わかった」

 

 あのような恐ろしい兵器をいくつも用意するとは、まったくブロンダン殿も恐ろしい男だ。外国(とつくに)では、あのような武器が一般化しているのだろうか?

 

「つまり、増援が到着するまでは戦線を動かすわけにはいかんということか。まあ、今の状況ならば放置しておいても大丈夫な気はするが……」

 

 戦力的には、ほとんど伯仲と言ってよい状態なのだ。短時間で勝負が決まることなど、ほぼあり得ない。……とはいえ、ブロンダン殿が何かしらの奥の手を温存している可能性もある。あまり油断するわけにもいかんだろうな。

 

「そろそろアレを使うか。おい、貴様。"もったいなかカマキリ"を」

 

 私が手近なところにいた従者エルフに、命令を出そうとした瞬間だった。ひゅるひゅると気の抜けたような音が聞こえたかと思うと、背後で軽い地響きが起こった。一瞬遅れて、爆発音が耳朶を叩く。

 

「……おや、これは……あの船に乗っていた、"天の劫火"ではない方の武器か?」

 

「"そくしゃほう"、にごわすな。じゃっどんアレは壊れちょったハズ……修理したんじゃろうか? そげん情報は、聞いちょりませんが」

 

「ふむ……まあ何でもいいか」

 

 あの大きな石弓モドキも、"天の劫火"ほどではないにしろなかなかに強力な兵器である。それが戦線復帰したというのであれば、結構なことだ。せいぜい出来るだけ多くのエルフを吹き飛ばしてもらいたいものだ。

 

「とにかく、今は場をかき乱すのが先決。おい、早く"もったいなかカマキリ"を連れてこい」

 

「しょ、承知!」

 

 伝令エルフが、後方へと走り去っていった。私は視線を前線へと戻す。整然としていたアリンコ兵の隊列が、いつの間にか乱れ始めていた。あの強固な密集陣をこれほど容易に崩すとは、敵もなかなか頑張っているじゃないか。自然と口元に笑みが浮かぶ。

 そんなことを考えているうちにも、"そくしゃほう"らしき攻撃は続いた。狙いが甘いのかこちらの隊列に命中する様子はないが、激しい連続砲撃があちこちに降り注いでいる。……もうちょっとちゃんと狙ってほしいものだが、いったい何をやっているのだろうか?

 

「お待たせしもした!」

 

 少しイライラしていると、伝令エルフが戻ってきた。振り返ると、そこには異形の怪物が居た。下半身はカマキリ、上半身は人間の女。しかし、その大きさは尋常なものではない。上半身だけでも、アリ虫人などより遥かに大柄だった。その下にこれまた巨大なカマキリの身体がくっついているものだから、もうほとんど化け物だ。

 そんな怪物が鉄の鎖でグルグルに拘束され、輿(こし)の上にのせられている。輿(こし)は八人のエルフによって担がれているが、全員顔を真っ赤にしていた。カマキリの体重が重すぎるのである。

 

「も、もったいなかカマキリ!」

 

「久しぶりに見たな……絶滅したち聞いちょったが、生き残りがおったんか」

 

 輿(こし)の担ぎ手たちとは反対に、周囲のエルフ兵は一斉に顔を青くした。腰が引けている者も少なくない。まあ、それも致し方のない話だろう。なにしろこの生物は、エルフの天敵だ。……いや、エルフだけではない。この半島に住まうすべての人類の天敵であった。

 こいつの正体は、カマキリ虫人。その異常なまでの戦闘力と食人も厭わぬ生態から、頂点捕食者とも呼ばれている生き物だ。死すらも恐れぬエルフのぼっけもんですら、カマキリ虫人には恐怖する。どんな恐れ知らずでも、流石に頭からバリバリムシャムシャと食われるのは嫌だからな……。

 

「戦場のド真ん中に連れて行って、解放しろ。……ああ、口枷は外すなよ。カマキリは、腹がいっぱいになると大人しくなってしまうからな。せっかく今日この日のために、何日も絶食させたのだ。せいぜい派手に暴れてもらわねば困る……」

 

 エルフにしろアリ虫人にしろ、カマキリ虫人からすれば獲物に過ぎん。飢餓感と殺戮衝動に身を任せ、周囲の生きとし生けるものを喰らいつくそうとするに違いない。まあ、頑丈な口枷を付けてあるから、その飢餓感が満たされることは無いのだが。……本当に私は外道だな。こんな有様だから、彼に嫌われたのだ。この結末も、自業自得と言える。

 ……ああ、嫌だ。本当に嫌だ。しかし、彼の最後の遺言くらいは、叶えてやらねばならない。それが私に残された最後の仕事なのだ。大変に申し訳ないが、このカマキリ娘には我が悲願達成に礎になって貰わねばならない。

 天性の捕食者であるカマキリ虫人には、剣も槍も弓矢も通用せん。こいつを殺すには、それこそ"天の劫火"を持ち出すしかあるまい。この一手によって、ブロンダン殿はいよいよ決心を迫られるだろう。この戦いも、私の人生も、これでやっとおしまいだ。いい加減、くたびれたよ……。



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第327話 くっころ男騎士と決戦兵器(1)

「ウーン……流石に一門だけでは、大した効果はなさそうだ……」

 

 望遠鏡で敵陣の様子を観察しながら、僕は呟いた。そして視線を、指揮壕のすぐ隣に用意された臨時の砲兵陣地へと向ける。砲兵陣地といっても、土塁で軽く防護されただけの簡易的なものだ。

 その砲兵陣地のド真ん中には、打ち上げ花火の発射機を思わせる小さな大砲が据え付けられていた。わが軍の主力火砲、六〇ミリ迫撃砲だ。口径こそ控えめなものの、構造的に連射が容易なため、その火力は決して馬鹿にならない。

 現在の戦場は、ひどく混沌としたものだった。敵味方がまじりあい、乱戦の様相を呈している。流石にこんな状態で火力支援を行えば味方にも被害が出てしまうため、敵の後方に砲弾を撃ち込んでかく乱を狙ったのだが……流石に僅か一門の砲撃では、敵の動揺を誘うのは難しいようだった。

 

「射撃中止!」

 

 無駄に砲弾を垂れ流していても仕方が無い。せめてもう少し大砲の数が揃うまでは、砲撃は温存しておくべきだろう。ショック効果が薄れる。それでは困るんだよな。

 敵を直接砲撃すれば、味方への誤射は避けられない。そこで僕は、迫撃砲を使って敵をビックリさせる作戦に出た。誰だって、背後で爆発音が連続すれば落ち着いてはいられない。そうやって強引に隙を作り、更に本命の攻撃をぶち込む……それが僕の立てた作戦だった。

 

「うおお……お届けに上がりもした……!」

 

 そこへ、数名の鳥人たちが飛んでくる。彼女らは身体にぶら下げていた迫撃砲のパーツを、地面にドサリと落とした。技官たちが走り寄ってきて、迫撃砲の組み立てをはじめる。

 この迫撃砲は本来、ジルベルトに率いられた増援部隊が保有している物である。それがなぜこんなところにあるかといえば、もちろん増援が間に合ったから……ではない。増援部隊の到着は、あと最低でも四十分はかかる見込みである。

 さすがにそれでは時間がかかりすぎるので、僕は迫撃砲だけ空輸することにした。運用人員は翼竜(ワイバーン)で、迫撃砲本隊は鳥人の手で運ぶのだ。迫撃砲は火砲としては極めて軽量なため、分解すれば非力な鳥人たちでも運搬可能なのだ。

 

「フーム、リースベンにはこのような兵器があるのか……あの戦船(いくさぶね)といい、凄まじい限りじゃ……」

 

 鳥人たちの手で次々と運ばれてくる迫撃砲の部品を見ながら、ダライヤ氏が唸る。弓矢と剣、そして魔法を武器とするエルフから見れば、確かに迫撃砲は異次元の兵器だろう。……まあ僕らから見れば、エルフたちも大概異次元の存在だが。

 

「しかしどれほど素晴らしい兵器があろうと、扱うのは人間だからな……ああ、ウル殿! ちょっと来てくれ」

 

 声に後悔が滲まぬよう気を付けながら、僕は呟いた。この案を思いつくのがせめてあと二時間早ければ、このような無様な乱戦など起きなかったのだ。なんとも情けのない話である。

 しかし、後悔しても状況は改善しない。とりあえず、今はできることを地道にやっていくべし。そんなことを考えつつ、僕はタイミングよく飛んできたウル氏を呼び止めた。彼女は真っ黒い羽根を広げて空中で急制動し、指揮壕の天蓋の上に着地する。そしてそのまま派手に転倒し、指揮壕内に転がり落ちてきた。

 

「あうふっ!? ん、んおお……な、何用にごわすか?」

 

「い、いや、ちょっと報告を聞いておきたくて……すまない、突然呼び止めるべきではなかったな」

 

 冷や汗を垂らしながら、ウル氏を助け起こす。

 

「いやあ、ハハハ……普段ならこげん無様は晒さんとじゃが、何分荷物が重うて重うて……」

 

 腰にぶら下げた麻袋をチラリと見つつ、ウル氏はバツが悪そうに笑った。麻袋に入っているのは、迫撃砲の砲弾だ。もっとも、その数は決して多くない。過積載で飛行して墜落でもされたら困るからな。鳥人が一度に運搬する荷物は、十キログラム程度を上限にしている。

 しかしそれでも、彼女らにとってはなかなかに大荷物だと感じているようだ。まあ、それも致し方のないことだろう。同じ重さの荷物を運ぶにしても、歩くのと飛ぶのでは体力の消耗具合は段違いに違うはずだ。鳥人は荷運びに向いた種族ではないのである。

 

「無理をさせて申し訳ない。とはいえ、この作戦では君たちの力が頼りだ。すまないが、もうちょっと頑張ってほしい。作戦が終わったら、埋め合わせはするから……」

 

 彼女の肩を優しく叩いてから、僕は麻袋を受け取った。そしてそれを近くにいた従者に渡してから、言葉を続ける。

 

「ところで、ジルベルトの方は何と言っていた? 直前での作戦変更だ。いろいろと不具合が出てるんじゃないかと、気をもんでるんだが」

 

 ヴァンカ氏の策を打ち破るべく、僕は即席で新しい作戦を用意した。その作戦にはジルベルトら増援部隊の協力が必須だったため、鳥人伝令を通じてあれこれ命令をだしていたのだ。

 強行軍の真っ最中に新作戦の準備を命じたわけだから、彼女ら方はきっと大変なことになっているだろう。正直、かなり申し訳ない。僕がジルベルトの立場だったら、たぶん罵声のひとつや二つは飛ばしているところだな。

 

「万事問題なし、お任せあれ……と、おっしゃっておりもした」

 

「……流石はジルベルト。彼女とソニアがいる限り、うちは安泰だな」

 

 少し笑って、僕はウル氏の肩をもう一度叩いた。

 

「それじゃ、ウル殿も頑張ってくれ。迫撃砲の輸送が終わったら、今度はオペレーション・ヴィットルズの準備だ。オーケイ?」

 

 オペレーション・ヴィットルズというのが、僕の立てた新作戦の名前だった。上手く行きさえすれば、ヴァンカ氏のたくらみは完全粉砕することができる……ハズである。そして作戦の成功のためには、鳥人たちの協力が不可欠であった。少々オーバーワークではあるが、ウル氏たちには頑張って貰わねばならない。

 

「大婆様もてげ人使いが荒かお方じゃっどん、アルベールどんなそれ以上じゃなあ……わかったど、せいぜい粉骨砕身働かせていただきますとも。じゃっどん、あとで埋め合わせはしてもらうでね」

 

 小さく肩をすくめ、ウル氏はそのまま飛び立っていった。……埋め合わせ、ねえ。ウル氏はいったい何を求めるつもりだろうか? 勲章か階級章でいいなら、戦いが終わったらすぐに用意できるんだが……

 

「ワシ、そんなに人使いは荒くないと思うんじゃが……」

 

 ガックリとうなだれつつ、ダライヤ氏が呻いていた。その何とも哀愁の漂う姿に、僕は思わず苦笑した。僕もなかなか大概だけど、あなたも似たようなモンだと思うよ。

 

「……アル様!」

 

 そんなことを考えていると、望遠鏡で敵陣を観察していたソニアが鋭い声を上げた。彼女と付き合いの長い僕にはわかる、これは尋常ではない事態が発生した時の声音だ。あわてて、ソニアの方に近寄る。

 

「どうした、新手でも出てきたか?」

 

「ハイ。敵陣の真ん中で、何か騒ぎが起こっています。しかし、アレは一体……?」

 

 困惑の声を上げるソニアを見て、僕の背中に冷たい感触が走った。いつもクールなソニアがこのような曖昧な態度を取るなど、めったにない事である。不安を感じつつ、自前の望遠鏡を取り出して彼女の指さす方向に向ける。

 

「……なにアレ」

 

 そこに居たのは、周囲の兵士に対して見境なく襲い掛かる緑色の怪物だった。応戦するエルフ兵たちと比べると、随分な巨体のようである。見た目としては、何かの虫……そう、カマキリのようなカタチだった。

 

「どうしたどうした、何があったんじゃ」

 

 ダライヤ氏が寄って来たので、望遠鏡を貸してやる。「フムン」と小さな声を上げつつそれを覗き込んだダライヤ氏は、いきなり素っ頓狂な叫び声を上げた。

 

「勿体なかカマキリじゃらせんか!?」

 

「も、もったいなかカマキリ!?」

 

 何度か聞いた名前である。え、なに、もったいないオバケ亜種かなにかだと思ってたんだけど、実在する生物なの、もったいなかカマキリって。

 

「な、なにそれ……」

 

「カマキリ虫人どもの俗称じゃ……! 戦場に現れては、『勿体ない……勿体ない……』と呟きながら瀕死の兵隊を喰らう、真正のバケモノ……!」

 

「は?」

 

 それはもう蛮族というよりホラー映画のクリーチャーなのよ……というか、なんでそんな化け物がいきなりポップしてきたんだよ! 冷や汗をかきつつダライヤ氏から望遠鏡を返してもらい、"もったいなかカマキリ"とやらを観察する。

 その緑色の化け物は、巨体に見合わぬ猛烈なスピードで暴れまわっていた。両手についた鎌で近くにいたアリンコ兵を捕獲し、あっという間に真っ二つに両断する。そしてその上半身側を、己の口元に運んだ。

 ひ、ひえ……アレ、もしかして食ってるのか? 戦慄していると、"もったいなかカマキリ"はアリンコ兵の上半身を投げ捨ててしまった。……味がお気に召さなかったのだろうか? よくわからないが、とにかくカマキリは次なる獲物を求めて今度は(くつわ)十字のポンチョを羽織ったエルフ兵に襲い掛かる。

 

「敵味方関係なしに暴れまわっている……」

 

 アレはヤバイ。マジでヤバイ。エルフ兵やアリンコ兵は弓や投げ槍、剣や槍でなんとか反撃しようとしているが、全然効果がない。生半可な攻撃はその緑色の甲殻に弾かれ、急所へ当たりそうなモノは鎌で弾き飛ばされている。……甲虫でもないのになんだその防御力は!?

 

「……」

 

 ど、どうしよう。マジでどうしよう。あんなのが出てきたら、オペレーション・ヴィットルズどころじゃないぞ。……いや、逆にアリ……か? なんとかアレを倒すことができれば、かえって作戦の成功率は上がるかもしれん。我々と敵軍双方に襲い掛かる強敵の出現は、むしろ作戦的には追い風だ。うまくアレを倒しさえすれば、万事うまく収められるかもしれん……

 しかしあのカマキリは尋常な相手ではない。倒すにはそれなりの策が必要だが、現在の我々にほとんど余力がない。出来ることと言えば砲撃だけだが、迫撃砲では弾速が遅すぎてカマキリだけ狙い撃つのはムリだし、どう考えても周囲の味方を巻き込んでしまう。カマキリの周囲の味方を撤退させ、面制圧攻撃を仕掛けるしかないか……?

 

「あっ!」

 

 脳を高速回転させていると、カマキリがピタリと動きを止めた。そして、カマキリの身体にくっついた人間の上半身が身じろぎし、周囲をきょろきょろとうかがう。……えっ、あ、目が合った。めっちゃ距離が離れてるのに、なんで目が合うの!? えっ、はぁ!?

 

「げぇっ!?」

 

 僕が凄まじい寒気を感じるのとほぼ同時に、そのカマキリは一瞬で羽をひろげた。そのまま進路上のエルフ兵やアリンコ兵をなぎ倒しつつ助走をつけ、テイクオフ。巨体が軽やかに空を舞った。ウッソだろこの野郎! ふざけんなよ! そのクソデカボディで飛ぶんじゃねえよ!

 内心悲鳴を上げるが、事態はそれで終わりではなかった。巨大カマキリは、なんとわき目もふらずこちらへまっすぐに飛んできたのである。重苦しい羽音が、猛烈な勢いで接近してくる。なに!? 本当に何!? まさか僕、ターゲットにされたの!? 嘘でしょ……。



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第328話 くっころ男騎士と決戦兵器(2)

「対空戦闘用意!」

 

 こちらにむけて一直線に飛んでくる"もったいなかカマキリ"を見て、僕はあわてて叫んだ。この巨体で飛行能力を持っているなどというのはかなり予想外だったが、よく考えれば翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)のような大型飛行モンスターだって存在するのだ。巨大カマキリが空を飛んでも不思議ではない。……いややっぱ不思議だよ! これだからファンタジーは……!

 まあしかし、その翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)が存在しているおかげで、我々には対空攻撃のノウハウがある。指揮壕やその周囲の塹壕に居た兵士たちは、突然の命令にもモタつくことなくライフルや弓矢を構えた。

 

「あいつには、鳥人兵でなんとかできるかな?」

 

 僕は近くにいたスズメ鳥人に、小さな声で聞いた。するとその娘は、真っ青な顔をしてブンブンと首を左右に振る。

 

「ムリムリムリ、スズメやカラスでは百人で掛かってん蹴散らされっとがオチやっど!」

 

「……だよね」

 

 なにしろ相手は陸戦でエルフやアリンコを圧倒する化け物だ。非力な鳥人たちではとても相手にならないだろう。大型ジェット戦闘機(ホーネット)軽飛行機(セスナ)で挑むようなものだ。

 手持ちの飛行ユニットでアレに対抗できそうなのは翼竜(ワイバーン)騎兵だが、彼女らは今迫撃砲の運用要員の輸送という重大任務の真っ最中だ。即座に迎撃に移ることができる状態の翼竜(ワイバーン)騎兵は一人もいない。今さら伝令や手旗信号で任務変更を伝えても手遅れだろう。

 そうなるともう、迎撃は陸上戦力だけで行うほかないということか。なんとかなってくれるといいんだが……。そんな風に悩んでいるうちに、最前線の兵士たちが発砲を始めた。パンパンと気の抜けた銃声が連続する。

 

「……うわあお」

 

 僕は思わず、感嘆の声を上げてしまった。カマキリが巨体に見合わぬ機敏な回避機動を取り始めたからだ。ああもジグザグに動かれては、狙いが絞れない。

 

「カマキリ虫人はエルフの天敵とさえ呼ばれる生物じゃ。射撃で撃ち落とされぬすべを、本能レベルで理解しておる……」

 

 ダライヤ氏の説明を聞いて、僕はため息をつきそうになった。なんなんだ、この土地は。エルフやアリンコですら大概なのに、その上が存在するのか。住民の戦闘力の水準が高すぎるだろ……!

 

「指揮壕の守備兵は発砲を温存せよ! 空中撃破は難しいそうだ!」

 

 愛用のライフル銃を取り出しつつ、僕は命令した。このライフルは元ごめ式(後装式)の連続発射が可能なモデルだが、これはあくまで試作品。他の兵士が持っているのは旧型の先ごめ式(前装式)ライフルである。一発の装填に二、三十秒かかるような代物だから、発砲するタイミングは慎重に選ばねばならない。

 

「……」

 

 自分のライフルに紙製薬莢を装填し、狙いを定める。カマキリはグルングルンと無茶苦茶な機動を取っており、まともな照準などつけられたものではなかった。舌打ちをこらえつつ引き金を引くが、案の定外れる。ボルトハンドルを引いて薬室を解放し、紙製薬莢を詰める。

 その時には、すでにカマキリはかなりの距離まで接近していた。重苦しい羽音を立てながら猛進してくる巨大カマキリは、怪獣か何かに見えた。滅茶苦茶怖い。スズメ伝令兵が「ぴぇっ」と呻いて腰を抜かす。

 

「撃ち方はじめ!」

 

 僕が叫ぶのと同時に、指揮壕の兵士たちが一斉に銃弾や矢を放った。カマキリはこれを、急降下で回避。よけきれない者は、鎌で弾き飛ばした。降下した拍子にその巨体が地面に接触し、物凄い音を立てる。

 

「グッ!」

 

 カマキリはそのまま、半透明の(はね)を力強く羽ばたかせて加速した。猛烈な土煙を上げつつ、緑の巨弾が指揮壕に肉薄する。

 

「ウワーッ!?」

 

 兵士たちが悲鳴を上げた。カマキリが指揮壕に取りつき、天蓋を持ち上げたからだ。木枠に乗せていた土嚢が周囲にまき散らされ、下にいた者を襲う。

 

「チェストカマキリ!」

 

 叫びながら、ライフルの引き金を引く。ほぼ同時に、ダライヤ氏が歌うようなリズムで呪文を唱えた。鉛弾と風の刃が、同時にカマキリに襲い掛かる。

 

「――――!」

 

 声にならない叫びを上げつつ、カマキリは持っていた天蓋を投げ捨てた。そして襲い来る銃弾と風刃を鎌で弾き飛ばし、背中の翅をブンと振る。

 

「なにぃ!?」

 

 猛烈な土煙が我々を襲った。凄まじい風圧である。これでは、まともに前が見えない。体重の軽いスズメ鳥人など、「ぴゅいあーっ!?」と悲鳴を上げながら吹き飛ばされてしまう始末だった。

 こいつ、こんなデカブツの癖に目潰しまで仕掛けてくるのか……! 小賢しい奴めと呻きつつ、僕は目を庇いつつ兜のバイザーを降ろした。こちらの動きが止まっている隙に、カマキリはその四本の足をワサワサと動かして指揮壕内に侵入してくる。そして、僕たちの方に向けて突進してきた。

 

「化け物め!」

 

 憎々しげに吐き捨てながら、ソニアが両手剣を抜き放った。そして、僕を庇うように前に出る。全身甲冑を纏った身長一九三センチの巨体が、城塞めいてカマキリの前へと立ちふさがった。

 とはいえ、相手は真正の怪物である。いかなソニアとはいえ、分が悪いのではないか。僕はカマキリを改めて観察した。下半身はカマキリ、上半身は人間という、クモ虫人(アラクネ)と同タイプの虫人である。上半身だけ見ればまるで彫像のように美しい女なのだが、両腕だけはトゲトゲした恐ろしい形状の鎌になっていた。

 しかしその大きさは尋常ではない。人間部分だけでも、北方に住まう巨人族なみにデカいのである。そして下半身もいれればちょっとしたトラックほどの大きさになる。

 

「ソニア、気を付けろッ! コイツは尋常の敵ではないぞ!」

 

「御身の安全が第一です、アル様!」

 

 格好いい事を言ってくれるが、あまり無茶はしてほしくない。僕は顔をしかめつつ唸った。

 

「コイツと比べりゃ、グリズリーも子猫ちゃんみたいなもんだな……」

 

 アラスカで狩猟中に遭遇した巨大熊のことを思い出しながら、僕は吐き捨てた。アイツは四四マグナム(スーパーブラックホーク)をぶち込みまくったらなんとか倒せたが、このカマキリには通用しそうにない。ましてや剣や原始的な後装式歩兵銃などで対抗するのは無茶が過ぎる。せめて携帯型無反動砲くらいは必要だろ。

 しかし、無いものねだりをしても仕方が無いのである。僕はソニアを誤射しないよう気を付けながら、ライフルをぶっ放した。流石にこの距離で外すことは無い。ライフル弾は狙い通りカマキリ娘の顔面に向かって飛んだが、彼女は鎌を一閃して鉛玉をはじき返した。

 

「こ……のッ!」

 

 だが、その隙を逃すソニアではない。彼女は両手剣を振り上げ、カマキリに襲い掛かった。甲殻に守られていない腹部めがけ白刃が迫る。

 ところがカマキリは、前脚の蹴りでこれを防いだ。両手剣と緑の甲殻がぶつかり合い、火花が飛ぶ。体重の差はいかんともしがたく、ソニアは弾き飛ばされて後退した。

 

「ムッ!」

 

 そこへ、お返しとばかりに鎌の一撃が迫った、ソニアはバック宙でこれを回避。連続攻撃を仕掛けようとするカマキリだったが、再装填を終えた僕がライフルを撃ち込んでこれを牽制する。

 

「行くぞ!」

 

 銃弾は鎌によって弾かれてしまったが、ソニアは追撃としてカマキリの胴体部分に逆袈裟斬りを仕掛けた。流石は王国最強、そう賞賛したくなるような電光石火の一撃だった

 

「グワーッ!」

 

 しかし、ソニアが王国最強騎士であるように、カマキリもリースベン最強生物である。両手剣は真剣白刃取りめいて鎌に絡めとられ、ソニアは体勢を崩してしまう。そのまま、彼女はカマキリの鎌で捕獲されてしまった。ちょうど、本物のカマキリが獲物を捕まえた時のような格好だ。

 

「ソニアッ!」

 

 僕は思わず叫んだ。周囲の兵士たちがソニアを救うべく銃剣や木剣でカマキリを攻撃したが、片腕だけで蹴散らされてしまう。捕まったままのソニアが叫び声の上げながら暴れるが、カマキリはお構いなしに彼女を口元に運んだ。

 ソニアが食われる。そう直感して僕はサーベルを抜いたが、カマキリはそうはしなかった。頭についた小さな触覚がピコピコと激しく動き、ソニアの甲冑の装甲を叩く。そしてすぐに興味を失った様子で、鎌に力を籠める。分厚い鉄板がつぶれるような、不吉な音が響く。

 

「やらせんっ!」

 

 そこへ、ダライヤ氏が矢を射かけた。カマキリは用意にそれを弾き飛ばしたが、一瞬拘束が緩んだ隙をついてソニアが鎌の中から脱出する。

 

「ウワーッ!?」

 

 悲鳴を上げつつ、ソニアは地面に転がった。そのまま慌てて立ち上がり、カマキリの足元から逃れる。カマキリ娘はそれを興味なさそうに一瞥し、そのまま視線を逸らした。どうやら、何とか窮地は脱したようだ。ほっと安どのため息をつくが、危機はまだ尾をっていなかった。

 

「う、うわっ!?」

 

 今度は僕に向かって、カマキリが襲い掛かってきたのである。反射的にサーベルで迎撃したが、居合の達人めいた速度で振るわれた鎌により、愛剣は容易く弾き飛ばされてしまった。そのまま、僕はソニアと同じ運命をたどる。鎌で捕獲され、口元に運ばれたのだ。

 

「ヤメローッ! ヤメローッ!」

 

 僕は身体強化魔法を使いつつ全力で抵抗したが、拘束は緩まない。挟み込まれた胴鎧がギチギチと不安になるような音を立てていた。潰されるんじゃないかという不安が、僕の脳裏によぎった。

 そんな僕を完全に無視して、カマキリ娘は顔を僕に近づけた。よく見れば、思ったよりあどけない可愛らしい顔をしている。そしてその口元には頑丈な口枷が嵌まっていた。アレのせいで、このカマキリは噛みつき攻撃ができないのである。少しホッとするが、危機は去っていない。その小さな触覚が再びピコピコと動き、何やら僕を探ってくる。

 

「ん」

 

 どうやら、今度はお気に召したらしい。カマキリ娘は小さく頷き、翅を広げた。こいつ、僕を捕まえたまま飛び立つつもりだ!?

 

「ぐっ……カマキリ風情が!」

 

 ダライヤ氏が呻き、呪文を唱えつつ弓を放った。その矢がカマキリの足元に刺さると、そこにあった水たまりがカマキリの脚ごとピキピキと凍り付いた。見事な拘束魔法だったが、カマキリ娘がぐっと力を籠めると氷は砕け散ってしまう。そのまま彼女はドシドシと重苦しい音を立てて助走を開始し、テイクオフ。その緑色の巨体が宙を舞う。

 

「アル様ーっ!」

 

 ソニアの叫び声が聞こえるが、もはやどうしようもない。僕はカマキリ娘に連れ去られてしまった。



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第329話 盗撮魔副官の焦り

 わたし、ソニア・スオラハティは焦っていた。アル様が、あの緑色のバケモノに連れていかれてしまったからだ。

 

「そ、捜索隊だ! 捜索隊を組織せよ!」

 

 まさか、このわたしが鎧袖一触にやられてしまうとは。むろん相手は巨大な化け物である。容易に勝てるとは思っていなかった。しかし、ここまで一方的だとは思ってもみなかった。わたしを無視してアル様へと矛先を映した時のカマキリの目つき……あの『まあ、こいつは放置してもいいか』くらいの興味なさげな目! あまりに屈辱的だった。

 しかし、事実としてわたしはあのカマキリにかなわなかった。その結果がこれだ! さらうなら、わたしを攫えばいいものを、あのカマキリめ……ああ、自分もあのカマキリも許せない!

 

「ダライヤ! 奴が人間を攫うのは、喰らうためなのか?」

 

「う、うむ……あのカマキリどもは、女はその場で貪り食うのじゃが……男は落ち着ける場所へ連れ帰ってから、じっくりと喰らう習性がある、と言われておる。一説によれば、交尾をしつつ捕食するためだとかなんとか……」

 

「……ッ!」

 

 なんとおぞましい生物だろうか! そのような手合いによりにもよってアル様を奪われてしまうなど、わたしは何をやっているんだ! 我慢できなくなり、手近にあった椅子を蹴り飛ばしてしまう。

 せっかく手元に少なくない数の鳥人がいるのだ、何名かに追跡を命じれば良かったのだが……状況があまりに混乱していたため、その期を逸してしまっていた。

 しかも鳥人自身、ふいのカマキリとの遭遇で腰を抜かしてしまったものが多かったのである。どうやら、リースベンの原住民たちにとっては、あのカマキリは本能的な恐怖を呼び起こす存在らしい。スズメにしろカラスにしろ、尋常な怖がりようではなかった。

 

「気持ちはわかるが、少し落ち着け! ソニア殿。あやつは口枷を付けておった、そう簡単に捕食されることはないじゃろう。時間的猶予はある!」

 

 ダライヤの言葉を受けて、わたしの脳裏にあの忌まわしいカマキリの顔が浮かび上がってくる。たしかに、あのバケモノは頑丈そうな口枷を付けられていた。あのような状態では、人間を喰らうなどまず無理だろう。

 しかしいったい、アレはなぜ口枷などつけられていたのだろうか? ……考えるまでもない、兵器としてコントロールするためだろうな。これがヴァンカの考えた作戦だとすれば、わたしはあの女を許すわけにはいかない。思いつく限りもっとも残虐な方法で殺してやる。

 

「……しかし、口を封じられていても、男女の交わりは可能だろう! あのような化け物にアル様の貞操が奪われるなど……!」

 

 ああいう男を攫う化け物は、えてして強引に男を"その気"にさせてしまう手段を持っているものだ。たとえば媚毒であったり、精神をかき乱す類の魔法であったり……。アル様の意志は鋼のように固いが、それでも毒牙にかける方法はあるということだ。

 むろん化け物に貞操を奪われた程度でアル様に対するわたしの愛はいささかも欠けるところはないが、問題は心の傷である。あのような化け物に犯されれば、トラウマになるのは間違いない。

 

「た、確かにその通りじゃ……ウムム……」

 

 唸るダライヤから、わたしは視線を外した。周囲の兵士や騎士どもの動きが、どうにもノロノロとしているように見える。何をダラけているんだ、早くアル様を見つけ出せるように動け! そう怒鳴りつけようとした時だった。

 

「ソニア様! ジルベルト様が到着されました! 部隊を副官に任せ、騎兵のみ先行してこられたようです!」

 

 伝令兵が飛び込んできて、そう報告した。……ジルベルトが着いたか。もう少し早く来てくれていれば……いや、今さら言っても詮無いことか。とにかく、人手が増えるのはありがたい。ヤツにもアル様の捜索を手伝ってもらおう。そう考えたわたしは、すぐにジルベルトを呼んでくるように伝令兵に命じた。

 それから十分後。指揮壕にジルベルトらがやってくる。護衛として、数名の騎士たちが彼女の周りを固めていた。

 

「ジルベルト! 遅かったじゃないか! 話は聞いていると思うが、アル様が化け物に攫われた。可及的速やかに救出せねば……」

 

「ソニア様」

 

 ひどく抑制の効いた声で、ジルベルトはわたしの言葉を遮った。

 

「指揮の引継ぎもせず、貴方は何をやっているのですか?」

 

 ジルベルトは前線を指さしながらわたしを睨みつける。そこでは、混沌とした戦いが続いている。指揮本部がマヒ状態に陥っているため、統制だった動きが出来ずにいるのだ。

 

「貴様、なんだその態度は! わかっているのか!? アル様が化け物に……」

 

「それは存じております」

 

「じゃあどうしてそんなに落ち着いていられるんだ!」

 

 カッとなったわたしは、思わずジルベルトに掴みかかった。しかし彼女は冷たい目つきでわたしを睨みつけるばかりで、表情さえも変えようとはしない。

 

「指揮官は、いついかなる時も動揺を表に出してはいけない。主様が常日頃おっしゃられていることです。忘れましたか?」

 

「……」

 

 確かにその通りであった。わたしがおもわず黙り込むと、ジルベルトはこちらの胸倉をぐいと掴んでひっぱる。そして顔を寄せ、小さな声で言った。

 

「わが軍の次席指揮官はあなたです、ソニア様。主様が戦線を離脱された以上、部隊の掌握は貴方の仕事なのです。何をさぼっているのですか?」

 

「貴様!」

 

 わたしは思わず、ジルベルトを殴りつけた。彼女の身体は軽く三メートルは吹き飛び、水しぶきを上げながら地面に転がる。殺気立ったプレヴォ家の騎士たちがズイと前に出ようとしたが、ふらふらと立ち上がったジルベルトがそれを手で制する。

 

「今のような状況は、演習で何度も繰り返し訓練していたハズ。指揮官が何度戦死しても戦い続けられる組織を目指せ、アル様は繰り返しそうおっしゃられていました。にもかかわらず、その想定が現実になった途端にこの体たらく! 貴方の行動は主様を愚弄している!」

 

 ジルベルトの言葉に、わたしは頭をハンマーで殴られたような心地になった。指揮官が戦死し、次席指揮官がそれを引き継ぐ……そういうシチュエーションは、演習で何度もやった。本当にしつこいくらいにやった。

 そのたびにわたしが次の指揮官をやらなければならないものだから、少々辟易した。むろんわたしとて指揮の心得はあるが、アル様の方が明らかに指揮官としては優れているのである。わたしは副官としての仕事に専念したほうが効率が良いだろう。そう思っていた。

 わたしが御身をお守りするのですから、アル様が戦死されるなどということはあり得ません。そんな風に、文句を言ってしまったことも一度や二度ではない。……しかし結果はこのざまだ。

 

「わたしは、わたしは……」

 

「主様は、貴方のことを最高の副官だと賞賛していたのですよ! そのあなたが無様を晒せば、主様の名誉をも汚すことになります! 部下たちがまだ戦っているというのにそれも気にせず右往左往しているような輩が、本当に主様にとっての最高の副官なのですか!?」

 

「……」

 

 ……その通りだ。確かに、アル様のことは心配である。だが、だからと言って指揮を放棄するのは論外である。アル様がいない以上、この場の総責任者はわたしだ。士官としての義務を果たさねばならない。

 

「……すまない、ジルベルト。わたしが間違っていた」

 

 わたしは兜を脱ぎ、ジルベルトに歩み寄った。そして彼女の怒りに燃える目を真っすぐに見つめ、言う。

 

「頭を冷やしたい。悪いが一発殴ってくれ。全力でな」

 

 ジルベルトは無言でわたしの顔面をぶん殴った。体重百キロを超える……というか、甲冑のぶんを合わせれば百五十キロを遥かに超えるであろうわたしがふっとんだのだから、凄まじい一撃であった。口元から垂れる血を拭いつつ、わたしは思わず笑ってしまった。

 

「……失礼いたしました」

 

「いやいい、注文通りだ。おかげで頭がすっきりしたよ」

 

 差し出されたジルベルトの手を取りつつ、わたしは立ち上がった。そして甲冑についた泥を拭いながら、彼女に言う。

 

「とりあえず、わたしはアル様の作戦計画をもとに指揮を継続する。とはいえ、少々特殊な作戦だ。最後の詰めは、おそらくアル様でなければ絶対に成功しないだろう。これは感傷ではなく、客観的な事実だ」

 

「はい」

 

 頷くジルベルトに、迷いの色は無い。変更後の作戦……オペレーション・ヴィットルズとやらについては、鳥人伝令を使って彼女にも伝達していた。これは策というよりは詐術に近い特殊な作戦で、はっきりと言えば邪道の類である。はっきり言って、わたしでは実現不可能だ。

 

「はっきり言えば、この作戦では砲兵以外のリースベン兵にはあまり仕事がない。そこで、ジルベルト。貴様にはリースベン軍の歩兵隊を率いて、アル様の捜索をしてもらいたい」

 

「よろしいのですか? 上官に対して、このような態度を取る女にそんな重要な任務を任せて……」

 

「貴様だから任せるのだ、ジルベルト。頼んだぞ、お前にしかできない仕事だ」

 

 わたしはニッコリと笑って、ジルベルトの肩を叩いた。そして表情を引き締め、続ける。

 

「……そして、万が一の時には……業腹だが、作戦を従来のモノに戻す」

 

 従来の作戦というのは、要するにごり押しで敵軍を殲滅するプランである。はっきりいって作戦ともよべないような強引な代物であり、こちら側の被害も甚大なものとなることが予想されている。できれば取りたくない作戦だが、背に腹は代えられない。

 

「……何かあったら、すぐに鳥人伝令を飛ばしてくれ」

 

「……了解」

 

 『アル様の保護に成功した』以外の伝令は、来てほしくないものだがな。しかし、指揮官たるもの最悪の事態も想定しておかねばならない。……これもまた、アル様の受け売りだな。

 

「ダライヤ、貴様も捜索隊に参加しろ。あのカマキリの生態については、貴様が一番詳しいだろう」

 

「うむ、相分かった」

 

 腕組みをしつつ、ダライヤは頷く。はっきりいってこの女は信用ならないが、古老としての知識と魔法使いとしての腕前は本物だ。有効活用させてもらおう。

 

「よし。ではジルベルトはいったん戻って……」

 

 わたしがそう言った瞬間だった。指揮壕に、ひどく慌てた様子の騎士が走り込んでくる。

 

「た、大変です!」

 

「……どうした、一体」

 

 うんざりとした心地になりつつ、聞き返す。すると騎士は、真っ青な顔で叫んだ。

 

「フィオレンツ様が……司教様が、あのカマキリを追いかけて飛んで行ってしまわれましたそうです!」

 

 

「……は?」

 

 わたしは、思わず素っ頓狂な声出してしまった。



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第330話 くっころ男騎士と話せばわかる

 僕を拉致したカマキリ娘は、しばし飛行したあとどことも知れぬ森の中へ着陸した。四本の足がガッシリと地面をとらえ、苔のじゅうたんに大きなひっかき傷を作りつつ停止する。

 カマキリ娘と行く空の旅は、翼竜(ワイバーン)などとは比べ物にならないほど過酷だった。大変に乱暴で力任せな飛行をするものだから、怖いどころの話ではない。着陸と同時に、僕は安堵のため息をついた。……まあ、危機は去っていないわけだが。

 

「うわっ!?」

 

 そんな僕をカマキリはぐいと持ち上げ、顔に近づけてた。そして、鎌の先端で僕の甲冑の表面をガリガリとこすり始める。どうやら、甲冑をはぎ取りたいようだ。ライフル弾をも防ぐ装甲が、ギリギリと不安になるような音を立てている。凄まじい怪力であった。

 こんな力が生身に対して振るわれたら、人間の体などたやすくバラバラされてしまう! そう直感した僕は、背中に凄まじい寒気を覚えた。拘束から逃れるために全力で暴れまわるが、カマキリの鎌はびくともしない。まるでプレス機に挟まれてしまったような心地である。

 

「ウワーッ! やめろーっ!」

 

 このカマキリ虫人がなんのために僕を攫ったのかなど、考えるまでもない。なにしろわざわざ男である僕を選んで捕まえたのだから、想定される用途は一つだけだ。

 

「ヤバイヤバイヤバいって、かーなーりヤバイ!」

 

 犯される! いや、それだけならばまだよい。しかし、相手はカマキリ虫人である。聞いた話によれば、交尾を終えた後のメスカマキリは、結構な確率でお相手のオスカマキリを食べてしまうらしい。

 つまり僕は、上の口でも下の口でも美味しくいただかれる(ファック&サヨナラされる)可能性が高いということだ。軍人だし人生二周目だし、死ぬ覚悟は当然できているが……生きながら食われるのは流石に勘弁してほしいだろ!

 カマキリの口には頑丈そうな口枷が取り付けられているが、牙が食い込んでギリギリと嫌な音を立てている。そのうちに壊れてしまいそうな雰囲気だった。そうなればもう、僕のデッドエンドは避けられない。

 

「話せばわかる! 話せばわかる!」

 

 そんなことを叫びながらバタバタと暴れまわるが、カマキリちゃんは全く気にせず僕の甲冑をガリガリとやっている。怖い、メチャ怖い! そりゃエルフだろうがアリンコだろうがビビり散らすわ!

 どどど、どうしよう! なんとか倒す? いやムリムリ! ソニアを鎧袖一触で蹴散らすような化け物とどうやって戦えって言うんだ! そもそも、今僕の手元にある武器は短剣や銃剣、あとは拳銃くらいだ。話にならん。

 せめてマグナム拳銃が欲しい。僕のリボルバーは黒色火薬仕様ということもあり、対人用ならともかく対猛獣用としてはかなり頼りない威力しかない。これで熊のような大型獣を相手にするのはかなり嫌だし、ましてやそれよりデカいカマキリ虫人ともなればもうどうしようもない。戦いを挑むだけ無駄だ。

 自分で何とかするのが不可能なら、もはや救援を待つしかないだろうが……現在位置を味方に伝える手段がない以上、これもだいぶ厳しい。発煙弾を一発くらい用意しておくんだったと後悔するが、もはや後の祭りである。

 

「……ッ!」

 

 その時、僕の脳裏に前世の記憶がよみがえった。軍人になってすぐ、サバイバル教練を受けた時の記憶だ。その時、教官はこう言っていた。

 

「満腹になった肉食獣というのは、案外おとなしいものだ。一方、気の荒い草食獣は腹の具合によらず向かってくることが多い。生物としての危険度は、ライオンよりカバのほうが高いのだ……」

 

 そうだ……! このカマキリは、明らかに腹を減らしている! 戦場で暴れていた時も、捕まえたアリンコ兵を捕食しようとしていたしな。この娘がヴァンカの投入した生物兵器だとすれば、凶暴性を増強するためにわざと食事を抜かれていた可能性も高い。

 そして空腹の肉食獣ってやつは、得てして残虐性も高まっているものだ。このまま放置していれば、空腹を満たせない苛立ちの矛先を僕に向ける可能性も高いように思える。食われて死ぬか、鎌でバラバラにされて死ぬかの二択! むろん、どちらも勘弁願いたいに決まっている!

 

「待て! 待つんだ! お腹減ってるんだろう! ちょっと待て! 僕なんかよりよっぽどウマいものを食わせてやるから待て!」

 

 僕は慌てて、ポーチから燻製肉を取り出した。カリーナかロッテあたりに食べさせてやろうと、こっそり自分のぶんの配給食から抜いておいたものだ。

 ぐいと燻製肉を鼻先に突き出してやると、カマキリ娘はクンクンとその匂いを嗅いだ。口枷からヨダレがあふれてくるのが見える。嫌ぁ! 怖いよぉ!!

 

「食べたいだろ! 食べたいよな! コレってば僕より百倍美味しいからな! ほら、食べさせてやる! 食べさせてやるから!」

 

「ン」

 

 カマキリ娘は、僕を捕まえていない方の鎌でちょんちょんと己の口枷を指し示した。……あれ、これ普通に言葉通じてない? …………いや、そうか。見た目が完全に異形なものだからすっかり頭から抜け落ちてたけど、コイツは虫人……つまりは人間種だものな。言葉が通じてもおかしくはないの……か?

 

「それって……口枷を外せ……ってコト!?」

 

「ンン」

 

 コックリと頷くカマキリ。……うわあ、普通に言葉通じてるじゃん。で、でも、どうしよう……いくら言葉が通じても、こいつが人間を捕食対象として見ているのは確かだからなあ……。説得が通用するのなら、口枷を外してやってもいいわけだが……正直かなり怖いぞ。外した途端ガブリ、ということもありえるし。

 

「いやその、あの……」

 

「ンッ!」

 

 御託抜かしてないでさっさと口枷外さんかい! と言わんばかりの態度で、カマキリ娘は顔を突き出してくる。荒い鼻息がふんすふんすと僕の身体に当たる。

 こ、ここはどうするべきだろうか……? 滅茶苦茶怖いんだけど……でも、口枷外さなくても結局殺されちゃいそうな雰囲気だしなあ。それに、肉を出して「食べさせてやる!」なんて言っちゃったわけだし、これで口枷を外さなかったら契約不履行である。相手の怒りを買うのは間違いない。

 

「……わ、わかった。はずすよ。外すから、いきなりガブリとやるのは簡便してね?」

 

「ン」

 

 カマキリ娘はコクコクと頷いた。わあ、完全に言葉通じてる……。ワンチャン説得できないかな? まあとりあえず、大人しくしてくれるというのなら有難い。僕は彼女の顔に手を伸ばし、口枷の金具を外してやった。彼女はすぐさま口に咥えていた鉄棒を地面に吐き出す。

 

「ぺっぺっぺ! あー、すっきり、しました。 ネェルは、貴方に、感謝します。さて、肉を、寄越すのです」

 

 うわああああ喋ったぁ! ……いや、言葉が通じるんだから喋りもするか。とはいえカマキリ虫人は見た目が完全にクリーチャーなので、流暢に喋られると違和感がスゴイ。『グオオオオオン!』みたいなのを想像してビビってたらこれなので、随分と肩透かし感があった。

 いや、流暢といっても、単語ごとに言葉を区切る奇妙な口調だけどな。エルフやアリンコの訛りとはちょっと雰囲気が違う。電子音声っぽい不思議な喋り方である。

 

「ど、どうぞ……」

 

 まあ、スムーズに意思疎通できるならなんでもいい。僕は手に持った燻製肉を彼女におしつけた。カマキリ娘はその独特な形状の口をガバッと開き、肉の束を口の中に収める。

 

「むぐむぐむぐ……ごっくん。美味、美味。いやあ、久しぶりの、ご飯です。おいしー」

 

「そ、それはよかった」

 

「でも、ぜんぜん、足りないです。あなたも、頂きますね。メインディッシュ、的な?」

 

「ウワーッ!」

 

 カマキリ娘の巨大な口が、僕に迫る。思わず悲鳴をあげると、彼女はニヤリと笑った。

 

「冗談です、冗談。マンティスジョーク、というヤツ。ネェルは、ユーモアを、好みます。文化的な、ニンゲンなので」

 

「ひぃん……」

 

 僕はほとんど泣きそうになっていた。マジでシャレになってないよ! 抵抗不能な状態で食われかけるのが、こんなに怖いとは。

 

「せっかく捕まえた、ツガイを、食べるワケ、ないでしょう。ネェルは、野生の、カマキリとは、違います。昆虫ではなく、ニンゲンなので」

 

 甲冑をガリガリと引っかきつつ、カマキリ娘はニタニタと笑った。……やっぱりそういうのが目的かよ! 畜生!

 

「まあ、母は、父を、食べちゃいました、けどね。本能には、勝てない。的な?」

 

 牙をガチガチと噛み合わせつつ、そんなことを言うカマキリ娘。ウワーッ! 捕食される危機も去ってねえじゃねえか!

 

 



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第331話 くっころ男騎士と人食いカマキリ

 カマキリ娘は思ったより話の通じるヤツだったが、それはそれとして僕の貞操を狙っていた。その上確かに会話は成立するが人食いカマキリであることには変わりなかったのである。僕のピンチは継続中だった。

 

「い、いや、その……僕ってばお仕事あるから、ね? すぐ戻らなきゃいけないっていうか、ホラ、その……帰してくれないかなーって」

 

 僕は脂汗をにじませながらそう弁明した。普段なら『くっ、殺せ!』などと言って相手の油断を誘うところなのだが、このカマキリにそんなことを言った日には『オッケー、じゃあいただきまーす!』ということになりかねない。口に出す言葉は慎重に吟味する必要があった。

 

「そうですか。では、致し方ありませんね。ネェルは、文化的なニンゲンなので、無理強いはしません」

 

「エッ」

 

 ところが、カマキリ娘の返答は予想外のものだった。彼女は僕を地面に下ろし、ニコリと笑う。

 

「あの、その……いいの?」

 

「いいですよ、どうぞお好きに」

 

 こっくりと頷くカマキリ娘。

 

「ただ、一つ、忠告が、あります。いまのネェルは、お腹がペコペコです。目の前に、獲物が歩いていたら、即座に飛び掛かります。……ところで、ツガイでもない男って、単なる獲物、ですよね? あなた、とても、美味しそうです。飛んで火にいる夏の虫、的な?」

 

「直球の脅迫じゃないか!!」

 

 僕は思わず叫んでしまった。つまり、ツガイにならないのなら殺して食っちまうぞということである。なんだこのカマキリ娘は、やりにくいったらありゃしないぞ!

 

「冗談です。マンティスジョーク」

 

「冗談かよ!」

 

「冗談です。うふ、たぶんね? でも、あなたが、美味しそうなのは、本当ですが。……なので、食べられたくなかったら、もっとご飯を、寄越すのです」

 

「……うぃっす」

 

 なんだかなあ、なんだかなあ……調子狂うなあ、一筋縄ではいかない相手だろうと思ってたが、厄介さの方向性が予想してたのと全然違うタイプなんだけど。

 まあ、何にせよ食われるのは勘弁願いたい。僕はポーチから鶏肉の缶詰を取り出した。非常食として、いつも常備しているものだ。銃剣の鍔に装備されているカンキリを使って手早く開封し、カマキリ娘に手渡してやる。

 

「見たことの無い、食べ物、ですね? ふむふむ、あむあむ……食べにく……あ、でも、おいしー。あむあむ」

 

 大ぶりかつ凶悪な形状の鎌を器用に使いつつ、カマキリ娘は缶詰の中身を食べ始めた。なんだか猛獣に餌付けしているような気分だ。

 

「ところで、あなた。さっき居たところへ、帰りたい、ですか? 本当に、帰してあげても、良いですよ。……あむあむ」

 

「えっ、マジですか」

 

 そっちは冗談じゃなかったのか。……だったら、最初から拉致なんて真似はしないでほしかったんだが?

 

「しかし、条件が、あります。あむあむ。タダというわけには、ね? ネェルも、生きていかねば、ならないので」

 

「う、うん。条件、ね。どんな内容だろう?」

 

 人を攫っておいて「帰してほしくば条件を……」などと言い出すのはどう考えても誘拐犯のやり口だが、僕はあえて指摘しなかった。交渉が成立しているだけでも驚きなのだから、あえて相手の機嫌を損ねることはあるまい。

 

「ひとつ。今後も、定期的に、ご飯をください。この地には、まともな獲物がいません。狩猟だけで、生きていこうと思えば、人間を狩って、食べるほか、ありません。ですが、ネェルは、文化的なニンゲンなので、そのような、面倒……もとい、残虐な真似は、できません。食っちゃ寝できる状況を、望みます」

 

「アッハイ」

 

 そりゃそうだね、ウン。リースベンって、マジで野生動物が少ないからね。狩猟生活のみで、この巨体を維持するのはムリだろ。だったらもう人間を食うしかないというのは、ワカル。いや人食いはやめてほしいが、生きるためならなんでもやるのが人間という生き物だからな。

 しかしリースベンの為政者としては、人間狩りなんて真似は絶対に許せん。でも、力づくでそれをふせぐのは、ちょっと難しいんだよな。カマキリ虫人って、空飛ぶ装甲車みたいなもんだし。現状の装備と兵力では、討伐に成功したとしても多大な被害を伴うのは間違いない。そんなことになるくらいなら、食料を渡して飼い殺しにしたほうがコスパはいいだろう。

 

「ふたつ。ネェルは、アナタとお友達になることを望みます」

 

「お友達」

 

「ハイ。本当なら、夫婦が良いのですが。しかし、すぐには、受け入れがたいでしょう。なので、妥協案です」

 

 わあお、やっぱり僕の貞操が狙われてるじゃないか! ……でもお友達から始めようとするあたり、力づくで婿取りをしようとしてくるエルフどもよりよっぽど文化的だな! エルフどものモラルは人食いカマキリ以下かよ。頭が痛くなってきたな……

 

「……無理やり手籠めにはしないんだな」

 

「無理やりは、本当に、良くないので。知人に、強引な結婚をして、死ぬほど後悔する羽目になった、おばさんが、いるのです。反面教師、的な?」

 

「あ、そう」

 

 それ、もしかしてヴァンカのことかね? ……死ぬほど後悔、ねえ。もしかしたら、彼女がエルフ殲滅を最終目標に置いているのも、夫婦間の軋轢が原因だったのかもしれないな……。

 

「いや、しかしなあ。なんというか……」

 

 別にこの娘と同行なる気はさらさらないが、ツガイを食べてしまうような習性のある種族と仲良くするのは正直かなり怖い。僕が何とも言えない顔で唸っていると、彼女は「……ん?」と小首をかしげた。

 

「もしかして、さっきのアレ、真に受けてます? 本能云々のアレ」

 

「え、いや、その、まあ、うん……」

 

「アレも、マンティスジョーク、ですよ? 確かに、我々は、食欲と性欲が連動している、生き物ですが。交わるたびに、お相手を食べていたら、アッと今に、種族絶滅ですよ。男の人、貴重なんですから」

 

「……よく考えたらそりゃそうか」

 

 この世界においては、男性は本当に貴重な存在だ。軽々に殺していたら、あっというまに己の種族も絶滅してしまう。だからこそ、どんな蛮族でも男だけは保護するのだ。

 

「まあ、母が、父を、食べてしまったのは、本当ですが」

 

「本当なのかよ!」

 

 僕は思わず叫んだ。この娘と話していると、血圧の乱高下でクラクラしてくるから困る。

 

「ほかに、食べるものが、無くてですね。母が、止めるのも聞かず、父が、火中に身を投げて……ウウム、お腹ペコペコなのに、食欲が、失せてきましたよ? アハ、不思議、ですね?」

 

「……」

 

 いきなり超重量級のエピソードを投げつけてくるのはやめてくれ、受け止めきれない。僕が青い顔をしていると、カマキリ娘はこほんと咳払いした。

 ……しかしこのマンティスジョーク、いったいどこまでがジョークなんだろうか? 冗談めかしてはいるが、わりと真実が混じってそうでコワイ。こうやってこちらをゆさぶり、交渉を優位に進める腹積もりなのだろうか? だとすれば、この娘はかなりの頭脳派なのは間違いない。

 

「そういうわけで、ネェルは、比較的、安全な、ニンゲンです。安心して、友達に、なってください」

 

「いや、しかしだね……」

 

 それとこれとは話が別である。僕が難色を示すと、カマキリちゃんは鎌を軽く振っていった。

 

「もちろん、タダでとは、いいません。ネェルは、文化的なニンゲンなので、取引だって、できるのです。条件を、飲んでくれるなら、エルフや、アリの、駆除……手伝いますよ?」

 

 空っぽになった缶詰を投げ捨てながら、カマキリ娘は言う。コラコラ、ポイ捨てはやめなさい。

 

「君、ヴァンカ陣営の人間だろ? 裏切るって事か?」

 

「あいつら、ロクな手合いじゃ、ないですよ。子供だった頃のネェルを、誘拐するし。攫っておきながら、ご飯も、ロクに、出さないし。裏切る、というか……復讐、的な?」

 

 わあお、少年兵みたいな経歴だな。ヴァンカもえっぐいことをしやがる。やっぱあの女許せないわ。

 

「ネェルは、リースベン軍? とやらと、正面からぶつかり合って、そのまま、あなたを、拉致できるくらいには、強いです。味方に、しておいた方が、得だと、思いますけどね?」

 

 う、うわあ、もしかして僕の誘拐って、交渉を優位に進めるためのデモンストレーションだったの? 思った以上に頭が回るな、この子。正直、そんな真似するくらいなら、最初から平和な形で接触してほしかったんだけど。

 ……いや、ムリか。口枷のせいで、会話不能だし。しかも、このカマキリ娘は見た目が怖すぎる。だからこそ、僕だって近寄ってきた瞬間迎撃を命じたわけだし。……ううーん、真っ当な方法で交渉を求めるのは、無理だったわけか。情状酌量の余地はあるな……。

 

「そうかもね。……しかし、ひとつ聞いておきたい。二つ目の条件、あれは友達になるだけでいいんだよな? それ以上はちょっと……僕にも立場があるので、即決は難しい……わけだけども」

 

 僕としては、相手の条件を丸のみしても早い所戦線復帰したいところであった。作戦の真っ最中、しかも詰めに入る直前で、指揮官が離脱する。なんとも悪夢めいた状況だ。リースベン軍はさぞや混乱しているに違いない。

 本当ならこんなところで遊んでいる暇はないんだよ。力関係が相手有利に過ぎるから、冗長な会話にも付き合わざるを得ないんだけどな。まあ思った以上にカマキリ娘が愉快な手合いだったので、会話すること自体はちょっと楽しくなってるんだが。

 

「いいですよ、今のところはね。ネェルは、話の分かる、ニンゲンなのです」

 

 ふんすと鼻息を荒くしながら、カマキリ娘は頷いた。おかしいな、エルフを相手にしてた時よりもスムーズに交渉が進んでるだけど。いやまあ、エルフは集団でカマキリちゃんは個人だから、一概には比べられないんだが。しかしそれにしても……。

 

「いいだろう、条件を飲もう。……お友達になるなら自己紹介が必要だな。僕はアルベール・ブロンダン。騎士デジレ・ブロンダンの息子にして、リースベン城伯。……まあ、よろしく」

 

「ネェルは、ネェルです。不束者ですが、末永く、よろしくお願いします」

 

「それ完全に結婚の挨拶だろ! お友達だって言ってるじゃねえか!」

 

 僕が思わず叫ぶと、ネェルはくすくすと笑った。ひどく楽しそうな笑顔だった。

 

「マンティスジョークです。いやはや、楽しいですね。ニンゲンらしい、おしゃべりは。エルフどもは、ネェルを、バケモノ扱い、してたので。こういうの、ぜんぜん、ありませんでした。とても、退屈、でしたよ?」

 

「……なあに、おしゃべり程度なら、飽きるまで付き合ってやるさ。作戦が終わったらな」

 

「ありがとうございます」

 

 そう言った瞬間である。ネェルのお腹から、大きな音がした。彼女は少しだけ頬を赤くして、鎌の先端で頬を掻く。

 

「……それにしても、お腹が、減りました。正直、クラクラしてます。一週間ちかく、水しか、飲んでないので」

 

「ええ、そんなに……」

 

 ヴァンカも無体な真似をする。僕は思わず顔をしかめてしまった。この半島の住人は、本当に誰もかれもが腹を減らしているな。リースベンを安定統治するには、やはり食料の供給量を増やすほかない。戦争が終わったら、農業政策や食料政策を見直す必要があるだろう。

 

「陣地に帰ったら、腹いっぱい食べさせてあげよう。それまで頑張ってくれ」

 

 我々だって決して食料に余裕があるわけではないのだが、そろそろジルベルトに率いられたリースベン軍本隊が到着しているころ合いである。ジルベルトには十分な量の糧食を準備してから出陣するように命じておいたから、この娘の腹を満たしてやるくらいの余裕はあるはずだ。

 

「おや、それは、楽しみですね。しかし、このままでは、アルベールくんを、元の場所に戻して、あげられるだけの、体力が、ありません。途中で、力尽きて、しまうでしょう。もうちょっと、ご飯を、ください」

 

「……え? いや、その……もう、無いんだけど」

 

「何が?」

 

「食べ物……」

 

 なにしろ僕は、本陣で指揮を執っている最中に拉致されたわけだからな。当り前だが、十分な食料など持っているはずもない。缶詰を持っていただけでも奇跡のようなものなのだ。

 

「それは、本当ですか?」

 

「本当です」

 

「……」

 

「……」

 

「じゅるり」

 

「人の方を見てよだれを垂らすのはやめてくれないか!!」

 

 背筋に寒いものが走り、僕は思わず叫んでしまった。ネェルの眼つきが、明らかに獲物を狙う捕食者のモノへと変わったからだ。

 

「腕一本、腕一本で、かまいません。食べさせて、もらえませんか? ネェルはもう、お腹が空きすぎて、ケモノに、なってしまいそうです。理性の、残っている、今のうちに……何か、食べさせておくべき、ですよ? ケモノに、なったら、全身、食べちゃうので」

 

 牙をギチギチと鳴らしながら、ネェルは顔を寄せてくる。その目には、冗談の色などまったく含まれてはいなかった。お得意のマンティスジョークではないようだ。……いくら話が通じても、人食いカマキリは人食いカマキリってコト? ヤ、ヤダー! 喰われる!!



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第332話 くっころ男騎士と間一髪

「なにも、命まで、取ろうという、訳では、ないのです。腕を、一本くれたら、我慢、できるのです。ね? 食べさせて、くれませんか?」

 

 カマキリ娘ネェルは、ずいずいと身を寄せながらそんなことを言ってくる。狂暴な肉食獣のような目つきで僕の腕を見てくる彼女には、本能的な恐怖を感じざるを得なかった。

 

「いや、ちょっとそれは、勘弁してほしいというか……」

 

 僕は冷や汗をダラダラと流しながら、後ずさりした。僕の戦闘スタイルを考えると、例え利き腕でなくとも片腕を喪失すれば剣士としては死んだも同然である。そう簡単には頷けないし、そもそも本当に腕一本で済むのかという問題もある。

 ネェルの恐ろしい形状の口からはヨダレが垂れ流されており、一歩間違えれば頭からバリバリと食べられてしまいそうな気配を感じる。めっちゃ怖い。

 

「もちろん、タダとは、言いません。ネェルは、文化的な、ニンゲンなので、取引の、意志が、あります」

 

 訳の分からないことを言い出すネェルを視線で牽制しつつ、僕はここからどうやって逃れるかを考えた。戦う? 勝てる確率はたぶん一パーセント未満だ。武器も技量も筋力も足りない。逃げる? このカマキリ娘は明らかに僕より足が速いし、空まで飛べる。徒歩で逃げだすのはまったく現実的ではない。

 というか、運よく逃げ切れたところで待っているのは遭難なんだよな。僕は今自分がどこにいるのかすらわからないし、正確な地図も方位磁針も手元にはないからな。そんな状態で原生林を突破して無事に陣地に帰りつけると考えられるほど、僕は楽天的ではない。

 

「今後、ネェルが、アナタの、片手の、代わりに、働きます。それで、どうですか?」

 

 そんなこちらのことなどお構いなしに、ネェルは自らの腕……つまりは鎌をこれ見よがしに掲げながら、そのような提案をしてくる。

 

「ネェルの、腕は、アナタの、腕の、十倍くらい、パワーが、あります。一対十の、取引です。大変お得! もってけドロボー! 的な?」

 

「腕の性能評価基準はパワーだけじゃないのよ!?」

 

 彼女の鎌のデカくて物騒な鎌は見た目よりもはるかに器用な様子なのだが、それでも鎌は鎌。あのような形状では剣を握ることもマスを掻くこともできない。申し訳ないがノーセンキューって感じだ。

 

「アルベールくんは、チョー強い腕と、強力な戦力が、手に入ります。ネェルは、美味しいご飯と、永久就職先が、手に入ります。ウィンウィンの、取引です。ぜひ、ぜひ、ご決断を」

 

「ナチュラルにウチに永久就職しようとするんじゃねえよ!」

 

 いやもう、どうするんだよこれ。実はマンティスジョークでしたー、とか、言ってくれないかな? ……そういう気配、全然ないわ。完全にガチトーンだわ。めっちゃ捕食者の眼つきで僕を見てるわ。ウオオオン……

 自己申告が事実なら、彼女は一週間ほど絶食しているらしい。そりゃまあ、死ぬほど腹ペコだろうね。しかもほんのさっきまで兵隊相手に大立ち回りしてたわけだし、そろそろ限界だろう。ギリギリ会話が成立してるのは、もしかしたら奇跡的なことなのかもしれん。

 

「これは、脅しでは、ないのですが。空腹が、限界に達した、カマキリ虫人は、危険ですよ? 手遅れに、なる前に、腹を満たして、おいた方が、安全です」

 

 マジな目つきでそんな物騒なことを言うのはやめてくれ! めっちゃ怖いから! ……いやまあ、飢餓状態になった人間が共食いを始める……というのはカマキリ虫人だけの専売特許ではないがね。

 漂流・遭難が日常茶飯事だった大航海時代などでは、人肉食事件などはまったく珍しくなかったという話である。問答無用で捕食してこないだけ、ネェルはまだ理性的かもしれない。それにしても、だがなあ……。

 

「……」

 

 僕は深く考え込んだ。マジで腕一本で済ませてくれるというのなら、もういっそくれてやってもいいかもしれない。とにかく、今の僕には時間がないのだ。可及的速やかに戦線復帰せねば、部下たちに大変な迷惑をかけてしまう。……いやまあ、迷惑は既にかけているんだろうが。

 ソニアたちは大丈夫なのだろうか? 指揮権の引継ぎはスムーズにできたのか? 乱戦の真っ最中であろうエルフ兵は……心の中に、心配事がいくらでも湧いてくる。こんな場所でくだらない問答をしている暇があったら、さっさと陣地に戻りたい。だったら……ネェルの案に乗るというのも、アリ……か? 隻腕でも、指揮官としての仕事はできるしな。

 

「…………ひとつ、聞きたいんだ」

 

「アッ!」

 

 僕が意を決して、ネェルに話しかけた瞬間だった。彼女は空を見ながら小さく声をあげ、そして翅を広げて突然走り出した。暴風と土煙を上げながら、ネェルは離陸する。突然のことにあっけに取られていると、上空から「ぎゃあ!」という悲鳴が聞こえてきた。

 

「喜んで、ください。大きなハトを、捕まえました。これでもう、アルベールくんの、腕を食べる、必要は、ありません」

 

 地響きを立てながら着陸してきたネェルが、満面の笑みを浮かべながらそんなことを言う。彼女の鎌には、青白の司教服を纏った翼人の少女が挟まれていた。

 

「みぎゃあああ! 食べないでぇ! 助けてパパァ!」

 

「フィオレンツァ様!?」

 

 泣き叫ぶ少女の顔を見て、僕は腰を抜かしかけた。僕の幼馴染にしてガレア宗教界の重鎮、フィオレンツァ司教である。彼女には、退避壕に避難した男子供の世話を頼んでいたハズなのだが……いったいなぜこんなところに?

 

「もぐもぐ、あむあむ。おいしー!」

 

 それから十分後。ネェルはホクホク顔で食事を楽しんでいた。むろん、食べているのはフィオレンツァ司教ではない。レンガにそっくりな形状の堅焼きビスケットやベーコンなどといった、ごく一般的な保存食である。

 

「いやはや、なんとか間に合いました。本当に良かったです」

 

 首から吊り下げた大きなカバンからビスケットのお代わりを取り出しつつ、フィオレンツァ司教が言う。これらの食料は、すべて司教が持ってきてくれたものだった。

 

「彼女がこちらの陣地へ突撃してきたとき、わたくしは直感したのです。ああ、これはそうとうお腹が減っていらっしゃるな、と……。アルベールさんが食べられてしまう前に、なんとか別のモノでお腹を満たしてもらおうと思いまして。手近にあった食べ物をカバンに詰め込んで、慌てて飛んできたのです」

 

「流石の判断力ですね……感服いたしました」

 

 本心から司教を賞賛しつつ、僕はなんども頭を下げた。いやあ、本当に助かった。あのまま行ってたら、間違いなく僕は片腕を失っていたからな。間一髪、食料の配達が間に合ったわけだ。いくら感謝してもしたりない。

 

「いやー、おいしー、ですね。ニンゲンより、ウマーい。こんなの食べられるなら、ニンゲン狩りなんて、馬鹿らしくて、やってなれない、デスネー」

 

 ビスケットをバリバリとかみ砕きつつ、ネェルがそんなことを言う。……あのビスケット、大型獣人ですら咀嚼に難儀するほどカチカチなんだけどな……凄まじい顎の力だ。アレが僕の肉体に向けられる可能性があったと思うと、大変に恐ろしい。本当に司教が間に合って良かった……。

 

「あは、あはは……それは善かったです。……ハァ」

 

 引きつった笑みで頷いたフィオレンツァ司教は、ひっそりとため息をついた。危うく食われかけたモノだから、すっかりネェルに苦手意識を抱いてしまっている様子である。

 

「約束通り、コレを食べ終わったら、陣地に、帰してあげます。ご飯の、お礼に、エルフの、駆除も、手伝いますよ。一宿一飯の恩義、的な?」

 

「あ、ありがとう」

 

 とにかく空腹が限界だったというネェルの言葉は本当だったようで、彼女の態度はすっかり軟化していた。話が早すぎてちょっと面食らうレベルである。エルフたちとの交渉では、あんなに難儀したのになあ……。正直複雑な気分である。

 

「ただ、僕としてはエルフどもの殲滅を目指しているわけではないんだ。もっと穏当に済む作戦を考えてある。良ければ、ネェルにはそっちの方に協力してもらいたい」

 

 まあ、せっかく協力すると言ってくれているのだ。有効活用させてもらおう。エルフからもアリンコからも畏れられるカマキリ虫人の存在は、僕にとっても都合が良い。彼女が協力してくれるだけで、僕の作戦の成功率はグンと上がるだろう。

 

「えー、エルフ狩り、したいんですけど。アリンコは、どうでも、いいですけどねー」

 

「ええ……」

 

 ところが、ネェルの返答はどうにも色よいものではなかった。明らかに不満そうな様子で、バリバリとビスケットをかじっている。

 

「ネェルは、エルフ、嫌いです。生理的にムリ、的な? あんなの、絶滅したほうが、世のため、人のため、ですよー」

 

「そうは言ってもだね、これ以上の戦乱は……」

 

 ネェルを説得しようと、僕が口を開いた時だった。突如として、我々の方に何かが飛んできた。地面に転がったそれは、泥団子のような物体であった。団子状のソレには導火線が差し込まれており、シューシューと音を立てながら火を噴いていた。

 

「グレネード!」

 

 反射的にそう叫びながら、フィオレンツァ司教を抱きしめつつ地面に伏せる。ほとんど反射的な行動だった。次の瞬間、泥団子は間抜けな音を立てて破裂した。爆発はしなかったが、その代わりに内部から大量の煙が噴射される。周囲はあっという間に濃霧めいた煙幕に包まれた。

 

「おや」

 

 冷え冷えとした声で、ネェルが何かを呟く。しかし、煙幕のせいでその表情は見えなかった。僕はフィオレンツァ司教を庇いつつ、慎重に立ち上がって周囲をうかがった。もちろん、姿勢は低くしておく。敵の出方がわからない以上、伏せ続けるのも姿勢を高くするのも危険だ。

 

「び、びっくりしました。これは……一体何が起こったのです?」

 

「不明です。ですが、おそらく味方ではありません。ご注意を」

 

 投げ込まれた発煙弾は、リースベン軍で採用されているモノとは形状も煙の出方も異なっていた。こんなものを使う手合いといえば、おそらく……。

 

「お助けにあがりました。こちらへ」

 

 その時、何者かが僕の腕をぐいと掴んだ。面食らう僕に構わず、手の主は強引に我々の腕を引っ張って走り始める。……煙が目に染みてよく見えないが、手の主は覆面を被ったエルフのようだった。



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第333話 未亡人エルフの想定外

 私、ヴァンカ・オリシスはたいへんに困っていた。あのカマキリ虫人が予想外の暴走をし、ブロンダン殿を攫って行ってしまったからだ。腹を満たしたいだけならば、エルフやアリンコを狙えばいいものを……なぜわざわざブロンダン殿を狙ったのだろうか?

 何はともあれ、急いでブロンダン殿を救出せねばならん。指揮官不在で混乱した状況では、"天の劫火"がきちんと運用されるか不安な部分がある。あの兵器には、しっかり全エルフ兵を薙ぎ払ってもらわねばならない。

 それに、我が策が原因でブロンダン殿が亡くなるようなことだけはどうしても耐えがたい。幸いにも、あのカマキリには頑丈な口枷をつけている。すぐに食い殺されることはないだろう。そこで私は、透破(すっぱ)衆を引き連れ自らブロンダン殿の捜索に乗り出した。

 一応は総大将である私が戦場から離れるのは正直かなりよろしくないが、男性の捜索をほかの雑兵エルフに任せるわけにはいかない。あの品性下劣な連中のことだ、たとえ強く命令していたところで、私の見ていないところでその卑劣な欲望を解放しようとするに違いなからな。ブロンダン殿が我が夫と同じような目にあうことだけは、絶対に避けたかった。

 

「まだか、まだ見つからんのか!」

 

「カマキリ共は飛ぶっでね。どれほど遠うへ行ってしもたんやら……」

 

 透破頭の言葉に、私は「ええい!」と叫びながら近くに生えていたキノコを蹴り飛ばした。焦燥感が、私の精神をジリジリと焦がしている。そこへ、木々を縫うようにして飛んできた一人のカラス鳥人が私の傍に着地した。鳥人衆は大半がリースベン方についてしまったが、それでもごく少数の者は我々に協力してくれているのだ。

 

「報告! アリンコ軍で反乱が発生しもした。宰相んゼラがリースベンとん停戦を求め、女王の首級(くび)を獲ったようでごわす」

 

「放置で構わん!」

 

 私は短くそう答えた。今さらアリンコ共がどうなろうが知ったことではない。あいつらの仕事は、敵味方を問わずエルフ兵を拘束し続けることだ。反乱が起きようがどうしようが、大勢に影響はない。

 飛び去って行く鳥人伝令を半目で見送りつつ、私は親指の爪を噛む。エルフ兵やアリンコ兵などどうでも良いが、ブロンダン殿だけは心配だ。一体、どこへ行ってしまったのか……

 

「そう焦りなさっな。男であっブロンダン殿を狙い撃ちにして捕めたんじゃで、あんカマキリん目的は交尾んハズ。いかに夫喰いんカマキリ虫人でん、流石にすぐに(いっき)食わるっことはなかやろう」

 

 透破頭の言葉に、私はギリリと歯を食いしばった。命が無事ならそれで良し、という問題ではないのだ。心が壊れてしまえば、もう手遅れである。あの可愛らしい男騎士が、我が夫と同じ運命をたどるなど……想像するだけで耐えがたい。

 

「……それにしてもだ! とにかく、ブロンダン殿を早く見つけてもらわねば困る。わかるな!?」

 

 とはいっても、この苛立ちを透破頭にぶつけても仕方が無い。彼女は忠義心から私に従っているのではなく、あくまで利害の一致から協力しているに過ぎないのだ。私の感傷など、透破頭は考慮してくれない。

 

「リースベン勢よりは、はよ見つけ出して見せっじゃ。こん森は我らん庭んようなもん、よそ者に後れを取っことはありません(あいもはん)

 

 そう言ってから、透破頭はクツクツと陰湿に笑った。

 

「ブロンダン殿を確保したや、例ん"天の劫火"とやらを合戦上んド真ん中に撃ち込んよう、キッチリとお頼み(・・・)せんなならんでしょうな。自由意志に任せて決断を待つより、そちらん方がよほど話が早か」

 

 肩をすくめつつ、透破頭はあっけらかんとした声で言う。

 

「そう考ゆっと、カマキリも良か仕事をしてくれた。流石に我らだけでブロンダン殿を拉致すったぁ、なかなかに難儀やったでね」

 

「……」

 

 私は思わず顔をしかめてしまった。どうやら透破頭は、乱暴な手段を使ってでもブロンダン殿に"天の劫火"の使用を強要するつもりのようだ。この女のこういうところは、正直言って私は嫌いだった。

 ……まあしかし、外道なのは私とて同じだ。所詮は同じ穴のムジナに過ぎぬということだろう。文句を言う気にもなれず、私は黙り込むことしかできなかった。

 

「ブロンダン殿を発見しもした! 幸いにも、まだ殺されてはおらんようにごわす!」

 

 そこへ、透破の一人が走り込んできた。彼女の言葉に私はほっと胸を撫でおろしつつ、詳細な報告を聞く。どうやら、ブロンダン殿は我々の現在位置からそう離れていない場所であのカマキリに捕らえられているようだ。

 

「それと、白かハト鳥人のような者がブロンダンどんと一緒におったげなとじゃが……」

 

「ハト鳥人?」

 

 私の知る限り、この半島にはハト鳥人は住んでいない。おそらくは、例の星導教とかいう宗教の坊主だろう。ブロンダン殿を助けにきたのだろうか? ……まあいい、やることはかわらん。

 

「そん白ハトはおそらくリースベン勢ん斥候じゃな。連中に奪わるっ前に、ブロンダン殿を回収せねばならん。透破衆を集合させぃ」

 

 テキパキと指示を出し始める透破頭。私は一瞬だけ考え込み、そして追加で命令を出した。

 

「制御できぬ兵器など、有害無益なだけだ。物のついでに、あのカマキリもここで始末しておくべきだろう。やれるな?」

 

「かっ乱程度ならともかっ、討伐となっと少々難しかどん」

 

 眉間にしわを寄せながら、透破頭は難色を示した。むろん、そんなことは私にもわかっている。カマキリ虫人の戦闘力ははっきり言って異常だ。いかに優秀な透破たちでも、そう簡単に倒せる相手ではない。

 

「……いや、たしかにヴァンカどんのゆ通りか。カマキリはここでチェストすっ」

 

 だが、透破頭はすぐに私の意図に気付いたようだ、すぐに表情を改め、部下たちに命令を出し始める。なまじの戦力ではあのカマキリは倒せない。すべての透破を動員し、一丸となって戦いを挑む必要があった。

 ……まあ、私が本当に始末したいのは、カマキリではなくエルフの透破どもだがね。ブロンダン殿が見つかった以上、あの透破どもももう用済みだ。せっかくなので、あのカマキリに全員処刑してもらおう。

 

「お頭、カマキリをチェストすっち聞いたとじゃが、真やろうか? 少々相手が悪かごつ思うどん……」

 

 集まってきた透破の一人が、不安げな表情でそんなことを言う。勇猛果敢を是とするエルフの戦士がこのような弱音を吐くというのは大変に珍しいことだ。しかし、カマキリ虫人はエルフのぼっけもんをして"もったいなかカマキリ"から逃げるのは恥ではない、とまで言われる相手である。不安を覚えるのは当然のことだろう。

 

「ないを怯えちょっど、こん(オイ)は、あんカマキリとそん母親をたった一人で倒しちょっど。同じことを貴様(きさん)らができんはずがなかじゃろう」

 

「そ、それもそうでごわすな! 忘れたもんせ」

 

 顔を赤くしながら、透破は納得した。実際、あのネェルとかいうカマキリ虫人を捕獲したのはこの透破頭だった。さらにその時の戦いでは、ネェルの母親も同時に倒すという大金星をあげている。

 ……もっとも、実際は毒餌やだまし討ちといった卑劣な戦術を駆使したうえでの戦果なので、決して誇れるようなものではないがね。しかも、今回は当時のような策の仕込みはしていないため、平押しで戦うほかない。

 そんな裏事情ことなどおくびにも出さずに部下を騙して死地に向かわせるのだから、この女は本当に恐ろしい。まあ私も人のことをどうこう言えた義理ではないのだが。

 

「よろしか。……そいでは、(オイ)も行たっきもんで。生きちょったらまた会いもんそ、ヴァンカどん」

 

 そう言って一礼してから、透破頭は部下たちを伴って先行していってしまった。わたしも足を急がせるが、子を成して加齢の始まったこの身体では現役のぼっけもんたちにはついて行けぬ。あっという間において行かれる羽目になった。

 

「はあ、はあ……」

 

 私が目的地にたどり着いたころには、すでに戦いは始まっていた。森の中には濃霧めいた煙幕が漂い、前方からは耳を覆いたくなるような悲鳴が響いている。呼吸を整えながら周囲をうかがっていると、やがて煙幕の中から人影が現れた。

 

「ブロンダン殿!」

 

 安堵のあまり、おもわず大声が出た。出てきたのは、透破頭に手を引かれたブロンダン殿(とハト鳥人)だった。どうやら、五体満足のように見える。甲冑も壊されていないから、貞操も無事だろう。

 よかった、本当に良かった。尊厳を凌辱された男がどうなってしまうのか、私は知っている。私のせいでブロンダン殿が我が夫と同じ運命をたどることになってしまうなど、とても容認できるものではなかった。

 とはいえ、窮地は脱していない。どうやら、透破頭が不埒なことを考えている様子だからな。ヤツが妙なことをしでかす前に、なんとかブロンダン殿を逃がしてやらねば……。

 

「無事でよかった。さあ、こっちへ……」

 

 そう言った瞬間のことである。ブロンダン殿の手が稲妻めいた速度で動き、腰のホルダーから何か鉄の塊を引き抜いた。そしてパンという乾いた音が響き、私は腹に猛烈な衝撃を受けて倒れ伏す羽目になった。

 

「何、が……」

 

 呻きつつ、腹に手を当てる。いつの間にか、私のポンチョは血で真っ赤に染まっていた……。



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第334話 くっころ男騎士と結末

 白煙の立ち上るリボルバーを構えつつ、僕は地面に崩れ落ちるヴァンカを睨みつけた。どうやら彼女が僕を助け出しに来てくれたらしいというのはわかるが、この僕の前にノコノコ現れたからにはやらねばならん。それが軍人の義務である。取れる首は取っておかねば。

 

「言葉も交わさず即座にチェスト! お(はん)はほんのこてそこらんエルフよりもエルフらしか」

 

 僕のすぐ斜め前に居る忍者リーダー氏が、賞賛の声をあげた。誰がエルフだ、誰が。僕は不満を鼻息にして吐き出しつつ、拳銃の銃口を忍者リーダーに向けた。

 我々の手を引いてネェルの元から助け出してくれた(というほど危機的状況にあったわけではないが)のが、この忍者リーダーだった。前に会った時はダライヤ氏の部下を名乗っていたが、ヴァンカの方とつるんでいるあたりやはりアレは嘘だったらしい。まあ、等のダライヤ氏が「ウチにそんな部下はおらん」と言っているのだから当たり前ではあるが。

 

「汚れ仕事はそれなりに得意でね。まあ、君ほどじゃないだろうが……」

 

 さあて、どうしたものか。僕は身を固くするフィオレンツァ司教を庇いつつ、忍者リーダーを睨みつける。僕は一度、彼女の戦いの手並みを直接目にする機会があった。流石はエルフの最精鋭と賞賛したくなるような、鮮やかな手並みだった。

 愛剣もライフルも手元にない現状で、彼女に対抗することができるだろうか? 正直、かなり怪しい所なんだよな。後先考えずにヴァンカを撃ったのは、失敗だったかもしれない。

 

「ハハハ、褒めなさっな。……じゃっどん、お(はん)はほんのこて良か男じゃな。こん件が終わったら死ぬ気じゃったが、急に命が惜しゅうなってきたわ。死ぬならお(はん)のガキを産んでからでも遅うなかかもしれんな……」

 

 そう小さく呟いて、忍者リーダーはポンチョの中から黒曜石のクナイを取り出す。僕と彼女は、僅か二歩分の距離しかない。この距離では拳銃は不利だが、今さらホルスターに収めるような猶予はない。親指で撃鉄を上げつつ、左手で短剣を抜く。神聖帝国の元皇帝、アーちゃんから貰った雷の魔法がエンチャントされた短剣だ。

 

「よ、よせ……ブロンダン殿に手を出すな」

 

 地面に転がったままのヴァンカが、苦しげな声で忍者リーダーを制止する。そして湿った咳をなんどかして、血を吐いた。僕の銃弾は彼女の腹に命中していた。吐血したということは、内臓が傷ついているということか。この世界の医療水準であれば、致命傷と考えて間違いない。

 

「ヴァンカどんなお優しかねぇ。最後じゃっでゆどん、あんたんそげんところはあまり好きじゃらせんじゃった」

 

 文句を言いつつも、忍者リーダーは武器を収めた。僕は拳銃を忍者リーダーに向けたまま、フィオレンツァ司教とともにそろりそろりとヴァンカ氏に近寄った。

 内臓に穴が開くのは致命傷で間違いないが、すぐには死ねない。しばらくもだえ苦しんで、やっとのことで絶命するのだ。実際ヴァンカの白い肌にはびっしりと冷や汗が浮かんでおり、ひどく苦しげな様子だった。一思いに介錯してやるのが慈悲というものだろう。

 

「……ヴァンカ殿、最後に一つ聞いておきたい。あなたの目的は、エルフの族滅なのか? いったい、なぜそんなことを……」

 

 自分を含め、エルフ族全員を殲滅しようだなどという考えははっきり言って異常だ。彼女はいったいなぜ、そのような危険な思想に染まるに至ったのだろうか? もちろん状況証拠から推測はできるのだから、実際の所を本人の口からきいておきたかった。

 

「……それが、我が夫の遺言だからだ。私は……ロクでもない妻、だったが……彼の最後の言葉くらいは……聞いて、やらねば……」

 

 茫洋とした目を空中にさ迷わせつつ、ヴァンカは答える。……なるほど、やはりそういう事か。彼女の夫は、そうとうエルフ族を恨んでいたのだろう。理不尽に誘拐され、汚され、最後には内乱に巻き込まれ無惨に殺された。まあ、恨まないはずはないよな。

 

「それに……エルフは、野蛮で……愚かで……血なまぐさい、身勝手な……種族だ。滅んでしまった方が……世の為ではないかね……?」

 

 血を吐きつつ、ヴァンカは途切れ途切れの声で熱弁した。どうやら、彼女はエルフという種族にすっかり絶望してしまっているらしい。

 

「ほぼすべての……エルフ族が……一か所に固まっている……今が、最後の機会なのだ……。天の劫火を使え、ブロンダン殿……あの野蛮な生き物を、一網打尽に……それが君のためにもなる……」

 

「天の劫火?」

 

「おそらく、あの……ロケット砲? とかいう兵器のことでしょう」

 

 小さな声で、フィオレンツァ司教が補足してくれた。……なるほどな。やはりヴァンカは、この僕にエルフ絶滅の引き金を引かせようと考えていたわけか。ロクでも無い真似をしてくれる……!

 

「なるほど。……申し訳ないが、ヴァンカ殿。その提案はお断りする」

 

 端的な口調で、僕は彼女の言葉をばっさりと切り捨てた。エルフの殲滅? 冗談じゃない。大砲は強力な兵器だが、総勢二千名以上の人間を一度に皆殺しにできるような威力は無い。

 いや、現代的な砲兵部隊が手元にあれば、不可能ではないがね。しかしリースベン軍の主力火砲はすべて前装式の古い(まあこの世界では最新式だが)モデルである。どう考えても殲滅するより反撃や撤退されるほうが早い。

 そもそも、族滅という手段自体、僕の好みではないしな。むろん必要ならばやらざるを得ないが、穏当に解決する手段があるのなら当然そちらを使う。文明国の軍人ならば、当たり前のことだ。安易な暴力を肯定した先に平和や安定はないのである。

 

「はっきり言うが、野蛮なのも愚かなのも血なまぐさいのも身勝手なのも、エルフだけの専売特許ではない。あなたの理論に従えば、僕は只人(ヒューム)竜人(ドラゴニュート)も獣人も絶滅せねばならなくなる。そんな魔王めいた存在になるなんて、ご免だね」

 

「……そうか。なるほど、それが……君の答えか」

 

 ヴァンカは薄く笑ってから、何度か咳き込んだ。

 

「まあ……いい。思い通りに事が進まぬなど、いつものことだ……」

 

「……」

 

 フィオレンツァ司教が、無言で顔を伏せる。一体どうしたのだろうか?

 

「すまないな、ブロンダン殿……迷惑を……かけた……。迷惑ついでに、介錯をしてくれると嬉しいのだが……良いかね? 流石にこれ以上は……無様を晒しそうだ……」

 

 僕はチラリと。、忍者リーダーの方を見た。彼女は覆面を外してニヤリと笑い、無手のまま肩をすくめる。お好きなように、ということらしい。僕は何も言わずに、ヴァンカの隣で片膝立ちになった。

 

「……ははは、不思議なものだなあ。あれほど死を望んでいたというのに……本懐を遂げようとした途端、怖くなる。私ほどの悪党は、夫や娘とは同じ所へは逝けんだろう……そんなことは、最初から……わかっていたのに……」

 

 ボロボロと涙を流しつつ、ヴァンカはそう吐き捨てた。……彼女とて、好きこのんでこうなってしまった訳ではなかろうに。まったく現実ってやつはこれだから嫌いだ。

 

「そう遠くない未来、僕も貴方と同じ場所に逝くだろう。すまないが、少しの間だけ待っていてくれ」

 

 僕はそう言って、ヴァンカに口を開けるよう促した。彼女は抵抗せず、それに従う。下手に暴れられるよりよほど憂鬱な気分になりつつ、僕は彼女の口に拳銃を挿し込んだ。

 僕の知る限り、現状でとれるやり方ではこれが一番楽に死ねる方法だった。人間というのは存外丈夫なもので、下手なことをして殺し損なうと却って苦しみを長引かせてしまう。喉奥にある脳幹を撃ち抜いてしまうのが一番確実だ。

 

「死をもって償えぬ罰などない。貴女の罪は、僕が許そう。さようなら、ヴァンカ殿」

 

 僕は小さな声でそう囁き、引き金を引いた。重苦しい銃声と共に血と脳髄が飛び散り、ヴァンカの身体から力が抜けた。

 

「……貴女の終の旅路に、極星の導きがあらんことを」

 

 祈りの言葉と共に、フィオレンツァ司教が目を閉じた。……まったく、嫌になるね。かつてのトラウマもあるのだろうが、ヴァンカ氏は最後まで僕に危害が及ばぬように気を配っていた。そういう相手を殺さねばならないというのは、ひどく気分が悪い。

 

「……さて」

 

 感傷めいた思考を弄んでいると、忍者リーダーが場の暗い空気に似合わぬ明るい声音で言った。

 

「ヴァンカどんな見事散りもしたが、(オイ)はまだピンピンしちょっでな。目的を果たさせてもらわんなならん」

 

 そう言って彼女は、残忍な笑みを顔に張り付けたまま木剣を抜いた。……まあ、忠義の人って感じではないものな。忍者リーダーも、己の思惑があってヴァンカ氏に従っていたに違いない。上司が死んだところで、止まってはくれないか……。

 

「さてアルベールどん。お(はん)にはなんとしてでん、あん"天ん劫火"を使うてもらわんなならん。(オイ)はヴァンカどんほど優しゅうはなかでな、取り返しがつかんこっになっ前に……おいん命令に従うちょいた方がよかど」

 

「あんたもエルフを滅ぼしたいクチかね?」

 

 顔をしかめながら、僕は忍者リーダーに問いかけた。

 

「おう、そん通りじゃ。今んエルフを見れ、なんたる無様か。パッと咲いてパッと散っとがエルフん誉じゃ。今んような有様は、とても(わっぜ)見ていられん。さぱっと介錯してやっとが情ちゅうもんじゃ」

 

 ……わあお。ヴァンカ氏よりよほど直球でヤベー人じゃん。どうするんだ、コレ……。僕は血塗れのリボルバーを構えなおしつつ、小さく唸った。武器は無いわ、フィオレンツァ司教を守らねばならんわ、死ぬほど厄介な状況だ。どう切り抜けたものか……。

 

「諦めた方がよかど。お(はん)は立派なぼっけもんじゃが、状況が悪か。(オイ)には勝てん」

 

 ニタニタと笑いつつ、忍者リーダーはじりじりと距離を詰めてくる。……ナメやがって、どうやってチェストしてやろうか? そんなことを考えた時だった。突如として、猛烈な羽音と共に、空から何かが落ちてくる。ひどく巨大なそれは、地響きと共に忍者リーダーの背後へ着地した。土煙がもうもうと立ち上がり、僕は慌てて顔を庇う。

 

「見ぃつけた」

 

「グワーッ!」

 

 恐ろしげな声と、悲鳴が同時に響く。目を細めながらよく見ると、落ちてきたのはネェルであった。彼女は忍者リーダーを鎌で捕獲し、喜色満面な様子で笑い声を漏らしている。

 

「ネェルが、お前を、逃がす訳、ないよねぇ? うふ、うふふふ……」

 

「お、お(はん)……ぐ、あンの三下ども、足止めすらできんとは!」

 

 憎々しげに叫ぶ忍者リーダーだが、もはやどうすることもできない。ネェルが鎌に軽く力を籠めると、彼女は悲痛な悲鳴を漏らした。

 

「アルベールくん、すみませんが、少し、待っていてください。早めに、終わらせ(・・・・)ますので」

 

「アッハイ、ごゆっくりどうぞ」

 

 異様な雰囲気を発するネェルに、僕は頷くほかなかった。修羅場慣れしている僕ですら、身体が動かなくなるような威圧感である。隣のフィオレンツァ司教は無言で失禁していた。

 

「あの時とは、立場が、逆転だねぇ? 我が母と、同じ目に、あわせてあげるから。アハ、アハハハハ……!」

 

 地獄の底から響いてくるような声を上げつつ、ネェルは忍者リーダーを手に森の奥へと消えていった。そして少しすると、木々の間からこの世のものとは思えぬ悲鳴が漏れてくる。恐怖のあまり自分が漏らした尿の水たまりにへたり込む司教を眺めながら、僕は何とも言えない心地になっていた。



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第335話 くっころ男騎士と合流

 ヴァンカ氏は死に、忍者リーダーはネェルに連れていかれた、おそらく、これでヴァンカ派の首脳陣は壊滅状態になっただろう。しかし、残念ながら戦争はまだ終わっていない。なにか劇的なことが起こっていない限りは、戦場では相変わらず彼我二千人以上の兵士が入り乱れて血みどろの戦いが続いていることだろう。

 実際のところ、ここまでくると敵の首魁の生死なんてのはついでみたいなものなんだよな。その他大勢の兵士共を、どうやって止めるかが大切になってくる。そのための策は一応用意していたのだが……ネェルの強襲が台無しにしてしまった。早いところ陣地に戻って、オペレーション・ヴィットルズを再開させねばならないのだが……。

 

「お、お恥ずかしい所をお見せしました……」

 

 顔を完熟リンゴのように真っ赤にしながら、フィオレンツァ司教が言った。彼女は、僕が貸したマントで全身を隠している。何しろ彼女はネェルへの恐怖のあまり失禁し、さらに尿だまりのうえで腰を抜かしてしまったのだ。彼女のトレードマークである司教服は、すっかり汚れてしまっていた。

 尿まみれの服というのはいかにも不潔だし、そもそも今の季節は晩秋だ。濡れた服を着続けていれば、間違いなく風邪を引く。服は脱がざるを得なかったが、全裸でそこらをうろつくわけにもいかないので、僕が防寒着として身に着けていたマントを貸した次第である。……全裸マントかぁ、言っちゃ悪いが変態みたいな格好だな……。

 

「仕方が無いよ、フィオ。状況が状況だもの……」

 

 二人きりということで言葉遣いを幼馴染としてのモノに戻しつつ、僕は言った。さっきのネェルは本当に怖かった。危うく僕もチビりかけたくらいだ。

 そのネェルはといえば、まだ戻ってきてはいなかった。森の奥から聞こえてきていた忍者リーダーの悲鳴は数分前に途絶えてそれっきりだったが、まだ何か(・・)やって(・・・)いるのだろうか?

 ……忍者リーダーを捕まえた時のネェル、明らかに様子がおかしかったものなぁ……。発言を考えるに、なにやら因縁があった様子だ。ちょっと邪魔をする気にはなれないな。下手をすればあの暴力性が僕たちの方へ向かってくるかもしれない……。

 

「しかし、参ったな。せっかく解放されたんだ。はやく本陣に帰りたい所なんだが……」

 

「あのカマキリさん……ネェルさんでしたか? 彼女は、待っていてくれと仰っていましたからね。我々だけで勝手に帰るというのは、避けた方が良いように思われますが……」

 

 引きつった顔で、フィオレンツァ司教が言う。僕としても、同感だった。だって今のネェル、滅茶苦茶怖いし。下手なことをして機嫌を損ねるのは得策じゃないだろ。

 ……だからこそさっさと逃げた方が良い、という説もあるがね。しかし相手は空を飛べるわけだから、徒歩で逃げ切れるとは思えない。フィオレンツァ司教だけなら飛んで逃げることもできるが、カマキリ虫人は翼人よりも飛行能力が高いようだったし……。

 忍者リーダーに対して尋常ではない害意を向けていた様子だったが、彼女と何かしらの因縁があったんだろうか? まあ、子供のころに誘拐されたって言ってたしなあ……そりゃあ因縁くらいあるか。忍者リーダーはいまごろ、大変に悲惨な目に遭っているに違いない。可哀想だが、下手につつくと藪蛇になりそうだからな。スルーするほかないか……。

 

「……そうだね。一休みがてら、少し待とうか」

 

 僕はそう言ってから、ふと耳を澄ませた。遠くの方から、何か聞こえてきたからだ。軍靴が土を踏みしめる音、甲冑の装甲同士がこすれ合うガチャガチャという音。「さっきの銃声、こっちから聞こえて来たよな?」などといいう声も聞こえてきた。

 

「主様ー! どこですかー! 主様ーっ!」

 

 良く聞いてみれば、その声の中にはジルベルトのらしきものも混ざっているではないか! 自然と、僕の顔に笑みが浮かんできた。どうやら、リースベン軍の一団が僕を探しに来てくれたらしい。「おおいーい! こっちだ!」と大声を上げると、ひどく慌てたような足音が近づいてきた。

 

「主様!」

 

 ヤブをかき分けるようにして、武装した集団が現れる。エルフやアリンコではない。緑の野戦服や鋼板製の甲冑といった見慣れた軍装姿だ。

 その先陣を切るようにして、一人の甲冑騎士がこちらに走り寄ってくる。ジルベルトだ。彼女は弾丸のような勢いでこちらに突撃してきたと思うと、そのまま抱き着いてきた。

 

「グワーッ!」

 

 全身甲冑を纏った竜人(ドラゴニュート)が全力でぶつかってきたのである。僕は半ば吹っ飛ばされるようにして地面に転がったが、ジルベルトはお構いなしにギュウギュウと僕を抱きしめてくる。

 

「主様、本当に主様ですね!? ああ、良かった! よくぞご無事で! もしものことがあったら、このジルベルトは、ジルベルトはぁ……!」

 

 涙を浮かべながらそんなことを言うジルベルトは、そのまま僕の唇を奪った。なかなかに熱烈なキスだった。ウワーッ!? 付き合ってるわけでもないのに積極的が過ぎるだろ!? いや悪い気はしないけどさあ!

 

「さ、流石はジルベルトさん。情熱的ですね? まあ、わたくしはこういうの、好きですけども」

 

 さすがにかなり面食らった様子のフィオレンツァ司教が、僕たちの隣にしゃがみ込みながら言う。その顔には苦笑が張り付いていた。そちらを見たジルベルトが、顔を真っ青にする。

 

「し、司教様!? いらっしゃったのですか!?」

 

「いらっしゃいましたよぉ?」

 

「う、ウワアアアアアッ!?」

 

 瞬間的に顔を真っ赤にしたジルベルトは、頭を抱えながら地面を転がりまくった。

 

「聖職者の前でそんなことをしたからには、ね? 責任をとってもらわねば……困るのですが?」

 

「ハ、ハワ、ウワワワーッ!」

 

 奇怪な叫びを上げながら七転八倒するジルベルトを、フィオレンツァ司教はニヤニヤと笑いつつ追撃している。裸マントの不審者が甲冑騎士を追い詰めるという、大変珍しい光景である。

 ……しかしよく見れば、ジルベルトはなんだかまんざらでもなさそうな様子だった。僕の脳裏に、彼女の告白未遂事件のことがちらりとよぎった。……この件が終わったら、真面目に結婚について考えた方が良いかもしれんなあ。まあ、ブロンダン家の世継は只人(ヒューム)でなくてはならない問題については、一切解決していないんだが。

 

「なにをやっておるんじゃ、オヌシらは……」

 

 ひどく呆れた声が、僕たちにかけられた。ダライヤ氏である。彼女はキョロキョロと周囲をうかがい、そして木の根元に横たわったヴァンカ氏の遺体を見つけた。その可愛らしい眉が跳ね上がり、小さくため息をつく。我々に何が起こったのか、なんとなく察したようだ。

 

「なるほど、のぅ。どれだけ狂気に飲まれても、甘さだけは捨てられなかったか……。オヌシらしいといえば、らしいが……」

 

 ダライヤ氏はヴァンカ氏の遺体に向けて合掌し、深々と頭を下げた。彼女らは、幼馴染のような関係だったらしいからな。袂を分かったとはいえ、その死はやはり悲しいのだろう。なんとも複雑そうな表情をしている。

 

「……まあよい。今はオヌシの無事を喜ぶべきじゃろうな。カマキリ虫人に捕まって、無事に逃げ帰ることに成功するなぞ……ほとんど奇跡のようなものじゃ」

 

「別に逃げたわけじゃないよ」

 

 カマキリ虫人は天性のハンター……というか、ほぼキリングマシーンだからな。本気で狙われたら、逃れるのはほぼ不可能だろう。無事だったのは、あくまでネェルが淑女的な対応をしてくれたからだ。……いや、拉致した挙句片腕を喰おうとしたのは淑女的な対応といえるのかどうかは、議論の余地があるが。

 

「なに? では、いったいどうやって……」

 

 その時、森の奥のヤブがガサガサと騒がしくなった。弛緩していた空気から一転、周囲の騎士や兵士たちが慌てて身構える。相変わらずローリング女騎士と化していたジルベルトもばね仕掛けの人形めいて跳ね起き、腰の剣を引き抜いた。

 

「何者だ!」

 

 鋭い声で、ジルベルトが誰何する。……ヤブの中から現れたのは、案の定ネェルだった。その緑色の甲殻は返り血で派手に汚れ、大変におぞましい事になっている。まるでスプラッタ・ホラーに出てくるクリーチャーのようだ。

 

「もったいなかカマキリ!」

 

 ダライヤ氏がひどく慌てたような声で叫ぶ。兵士たちが殺気立ち、ジルベルトが僕を庇って前に出た。司教は司教で、「ひぅっ」と奇妙な声を上げて腰を抜かしていた。……フィオレンツァ司教、ネェルがトラウマになってない?

 

「おや、おやおやおや。これは、これは。ご飯……もとい、お客さんが、たくさんですね? より取り見取り、的な?」

 

 口元から垂れる血を鎌で拭いつつ、ネェルはニヤリと笑った。兵士たちの間から、悲鳴をかみ殺したような声がいくつも聞こえてくる。ジルベルトの身体に力がこもるのが見えた。……あ、これ、ネェルの言葉を真に受けてるわ。

 

「……ちなみに、マンティスジョークです。本気にしないでね?」

 

 それを見たネェルは、ちょっと困ったような様子で頭を掻いた。しかし、当然だがリースベン兵は警戒を緩めない。……こりゃ、誤解を解くのにだいぶ難儀しそうだなあ。初手でそんなタチの悪い冗談をぶつけてくるんじゃねえよ!



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第336話 くっころ男騎士と説得

 くだらない誤解で時間を浪費している余裕はない。僕はあわててジルベルトらに己の身に起きた出来事を説明した。『ネェルは理性的な人間であり、十分に交渉の余地がある相手だった』という説明にはジルベルトはもちろんダライヤ氏も懐疑的な様子だったものの、それはまあ仕方のないことだろう。全身を返り血で真っ赤に染めた彼女は、どこからどう見ても危険極まりない怪物である。

 ネェルはネェルで事あるごとに物騒なマンティスジョークを投げてくるものだから、余計に話がややこしくなった。お前状況わかってんの!? と聞いてやりたいところだったが、たぶんわかってやってるんだよな。この女、人をビビらせて楽しんでいる節があるし。

 

「まあそういうわけで、ネェルとは協定を結びアレコレ協力してもらうことになりました」

 

 頭に冷や汗を浮かべながら、僕はリースベン軍の面々にそう熱弁する。これ以上面倒ごとが起きてはたまらないので、もう必死だった。さっさと本陣に戻ってこのクソみたいな戦争を今すぐ終わらせたいんだよ、僕は。

 

「しかし……しかし、本当に大丈夫なのですか? 正直その……わたしとしては、ちょっと……なんというか……」

 

 ひどく曖昧な口調で、ジルベルトが抗弁する。まあ実際、言いたいことはわかるよ。実際、ネェルってば無茶苦茶怖いしな。司教なんか、僕の腰に張り付いてガクブル震えている。彼女の頭を優しく撫でつつ、僕はため息をついた。

 

「カマキリ虫人は、この半島に住まうすべての人間種の天敵。ワシとしても、コヤツと手を結ぶのは賛成しかねるのぅ……このような手合いを陣地に迎え入れたら、夜な夜な兵士が一人、また一人と食われてしまうやもしれぬ」

 

「それは、杞憂ですよ? ネェルは、文化的な、ニンゲンなので、他の、食料が、あるのに、人間を、食べたりは、しません。小骨が、多くて、食べづらいので。……マンティスジョークです、うふふ」

 

 ジルベルトらの顔からさーっと血の気が引くのを見て、ネェルは満面の笑みを浮かべた。なんだか滅茶苦茶楽しそうな様子である。

 

「あと、エルフの、皆さんは、特に、心配しなくて、いいです。ネェルは、エルフが、生理的に、ムリなので。どうしても、しかたない時以外は、食べません。エルフは、ゴキブリと、同じくらい、ムリです。マジキモーい、的な?」

 

「は? ゴキブリくらい、腹が減ったら普通に食うじゃろ……」

 

 半目でそんなことを言うダライヤ氏。その隣に座っていたジルベルトがガタンと椅子を蹴って立ち上がり、ロリババアから距離をとった。「ゴ、ゴキブリを……食べる!?」とドン引きした声を漏らしている。

 

「ほらね? ゴキブリを、食べてるような、生き物は、ネェルも、あえては、食べたくないです」

 

「じょ、冗談じゃ! エルヴンジョークじゃ! エルフはゴキブリなぞ食わん!」

 

 ブンブンと頭を左右に振るダライヤ氏に、僕は思わず苦笑した。エルヴンジョーク、ねぇ。信用のできなさでいえば、マンティスジョーク以上かもしれないな。

 

「食文化の話題はいろいろセンシティブだから、いったん流そうか。今はそんな話をしている暇はないしな……」

 

 まあ、ゲテモノ食い云々の話で言うと、僕もぜんぜんエルフを笑えないからな。あえて突っ込むのはやめよう。変なものを喰ってるのがバレたら、ジルベルトはもうキスしてくれなくなっちゃうかもしれない。

 ……キスを全力拒否されるの、想像しただけで精神的に大ダメージだな。同じようなシチュでめちゃくちゃショックを受けていたアーちゃんの気持ちがちょっと理解できてしまった。彼女には悪いことをしてしまったかもしれん。

 

「とにかく、今最優先すべきなのは戦闘を強引にでも終わらせることだ。戦場の方が、今なかなか大変なことになってるん……だったよな?」

 

「え、ええ、ハイ」

 

 おそるおそる席に戻りつつ、ジルベルトが頷いた。本陣の現状に関しては、先ほど彼女から軽く説明を受けていた。

 

「現在の指揮はソニア様が執っていらっしゃいますが……なにしろひどい乱戦状態でして。敵味方が入り混じりすぎて、命令の伝達にすら難儀するような有様のようです」

 

「数ではこちらが勝ってるはずなんだがな……やはり一筋縄ではいかんか」

 

 エルフ兵とアリンコ兵の連携は極めて脅威だ。少々の数の優位性などひっくり返してしまうほどのポテンシャルがある。……というか、ほぼエルフ兵のみで構成されてる我々の方が悪いんだよな、こればかりは。

 様々な兵科を組み合わせることで、お互いの弱点をカバーし長所を伸ばす。これが近代用兵術の基本だ。これがうまくいっていない我々の側が戦術面で劣勢になるのは、当然のことである。

 

「はい。一応、わたしが連れてきた増援も戦列に加わっているのですが、状況が混乱しており、あまり効果はあげていないようです」

 

「典型的な悪戦だな……まあ、予想されていた話ではあるが」

 

「相手の士気が低ければ、まだやりようがあるのですが……敵のエルフ兵どもは、このような状況にも関わらず戦意を衰えさせておりません。どうにも、やりにくい相手です……」

 

「追い込まれれば追い込まれるほど燃えるのがエルフの性質じゃからのぅ。勝ち戦より負け戦のほうが強くなる、それが我らなのじゃ……」

 

 なんて厄介な種族だろうか。僕は深い溜息を吐いた。そりゃあ、一筋縄では勝てない訳だ……。

 

「一応、アリ虫人の一部が寝返ってこちらについた、などという情報も先ほど鳥人伝令が持ってきましたが。しかし、前線のことですので、確度は低めですね。本当だったとしても、どれほど信用して良いのやら」

 

「アリンコの離反か。首謀者はあの若頭かね……」

 

「おそらくのぅ。……まったく、アリンコどもめ。状況をひっかき回しおって」

 

 恨みがましい目つきで、ダライヤ氏が空を睨んだ。……君も大概だと思うがねぇ。

 

「ふーむ……話は変わるが、カマキリ虫人の脅威度はエルフはもちろんアリンコ共も認識しているんだよな?」

 

 僕はチラリとネェルの方を見ながら聞いた。

 

「ウム。まあ、カマキリ虫人はラナ火山の噴火を期に数を激減させていったから、アリンコ共の現役世代はこやつらと直接事を構えたことは無いじゃろうが……。しかし、口伝という形でその恐ろしさは語り継いでおるはずじゃ」

 

「なるほどな」

 

 で、あれば……ネェルの協力を得られたのは望外の収穫かもしれん。うまく嵌まれば、僕の作戦を成功させるための重要なピースになってくれるはずだ。

 

「ネェル、この戦いを終わらせるためには君の力が必要だ。約束通り食料は提供するから、手伝ってほしい」

 

「主様!」

 

 ジルベルトが眉を跳ね上げたが、僕はそれを手で制した。こうしている間にも、敵味方の兵がどんどん死んでいるのである。じっくり議論している余裕はない。

 

「いいですよ。今後も、お腹いっぱいになるまで、ご飯を、食べさせて、くれるのならね。ギブ&テイク、的な? ……あ、もちろん、イケニエを寄越せとは、言いません。ご飯は、家畜の肉で、大丈夫ですよ。お芋さんも、好きではありませんが、我慢して、食べましょう」

 

 ニヤリと笑って、ネェルは頷く。彼女はすさまじく図体がデカいから、その食費も尋常なものではなかろう。彼女を雇用するためのコストを考えるとちょっと頭を抱えたくなるが、仕方があるまい。敵対されるよりは何倍もマシだ。

 問題は彼女がどこまで信用できるかだが……物騒な発言こそ多いものの、出会ってからの経過を考えると、ネェルは自己申告の通りかなり理性的な人間のようだからな。取引相手としては、それなりに信用してよかろう。

 

「ありがたい! それじゃあ、まず最初の仕事だ。僕を連れて本陣まで戻ってくれるか?」

 

「いいですよ。お腹いっぱいになったので、元気もいっぱいです。それくらい、お安い御用、的な?」

 

 頷くネェル。それを見たダライヤ氏が、眉を跳ね上げた。

 

「そのカマキリを戦列に加える気か? たしかにカマキリどもは強いが、敵味方の判別ができるのか、かなり不安じゃのぅ……」

 

「失礼な。それくらい、出来ますよ。目につく、エルフを、全員、駆除すれば、良いのでしょう?」

 

「できておらんじゃないか! 敵味方判別!」

 

「冗談です。マンティスジョークです」

 

 憤慨するダライヤ氏を見て、ネェルはくすくすと笑った。たいへんにご機嫌な様子である。長年監禁されていたらしいし、人との会話に植えてるのかね?

 

「安心しろ、ネェルに戦ってもらう予定はない。……これ以上無駄に死人を増やすのは、面白くないからな」

 

 僕はそう言ってから、自信ありげな笑みを顔に張り付けた。……内心、己の作戦に少々の不安は抱いていたがね。しかし、このバカみたいに無意味な戦いをスパッと終わらせるには、この作戦しかないのだ。せいぜい頑張ってみることにしようか。



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第337話 くっころ男騎士と帰投

 話もおおむねまとまったところで、僕はネェルと共に本陣へと戻ることにした。本当なら一休みしたいところなのだが、時間がないためそういうわけにもいかない。ジルベルトらにも本陣への帰投を命じてから、僕は機上の人ならぬ虫人上の人となった。

 往路はネェルの鎌に拘束されつつの空の旅であったが、復路は彼女の背中に捕まって移動することにした。味方に妙な勘違いをされないための措置であったが、何しろネェルには鞍すらついていないのである。おかげで、飛行中はずっとそこらの絶叫マシンなど及びもつかないほどエキサイティングな気持ちを味わうことが出来た。

 ちなみに、ネェルには僕だけではなくダライヤ氏も同乗していた。僕の作戦には、ダライヤ氏の協力が必須だったからな。徒歩でチンタラ移動していたら、作戦の決行に間に合わない。そのための措置だった。しかしどうやら彼女は高所が苦手らしく、ネェルが少し揺れるたびにきゃあきゃあと大騒ぎし、短時間ながらなかなかに騒がしい空の旅となった。

 まあそれは良いのだが、問題は本陣へ戻った後である。先触れをだしていたのに迎撃されかけたり、ソニアがほとんど土下座のような勢いで謝って来たり、まあ大変だった。

 

「わたしが着いていながら、アル様の拉致を許してしまうなど……一生の不覚! どうかお許しください、アル様! 二度とこのようなことは……」

 

 などと言って何度も頭を下げるソニアに、僕は少々辟易してしまう。別に、今回の件はソニアの失敗でもなんでもないのだ。カマキリ虫人は空飛ぶ戦車のような手合いであり、現在の我々の人員や装備で撃退するのはきわめて難しかったのである。護衛の担当者がだれであっても結果は同じだろうから、ソニアを責めるのはお門違いというものだろう。

 

「ソニア、今回の件は断じて君の手落ちではない。むしろ、強力無比なカマキリ虫人に対し、よくもまああれほど果敢に立ち向かえたものだ。やはり、君は僕の誇りだよ」

 

 などと言ってなんとかソニアをなだめてから、僕は現状把握を開始した。僕が拉致されてから、すでに随分と時間が経過している。それなりに戦場のほうも動いたのではないかと考えていたのだが……。

 正直、大して変わっていなかった。相変わらず前線ではエルフ兵とアリンコ兵が組あい、いつ終わるともしれない乱戦をしている。敵も味方もやたらと士気が高く、おかげで遠巻きに眺めているだけで怖気が走るような悲惨な戦いになっていた。

 変わったことと言えばリースベン軍の本隊が到着したことと、坑道戦をしかけてきていた敵部隊が撃退され、坑道も爆破されたことくらいである。

 しかし、僕はそれに失望しなかった。戦場の様子に大きな変化はなかったが、その裏でソニアたちが新作戦の準備をきっちりと整えてくれていたからだ。

 

補給部隊(輜重段列)側の準備は既に完了、鳥人部隊もスタンバイ済みと。なるほど、いつでも作戦決行が可能だな」

 

 報告書を読みつつ、僕はほっと安堵のため息をついた。

 

「突然の指揮官喪失で、司令部はさぞや混乱していたことだろう。そんな状況で、よくもまあ作戦計画通りに事を進めてくれていたものだ。流石はソニアだな」

 

「もちろん! ……といいたいところですが、これはジルベルトのおかげなのでです。恥ずかしい話ですが、かなりうろたえてしまいまして……彼女がわたしを正気に戻してくれなかったら、どうなっていたことか」

 

 恥じ入った様子で、ソニアは言った。意外だな、いつもクールなソニアがそれほど動揺するとは……。軍人としてはたしかによろしくないことではあるが、私人としては結構嬉しいな。

 

「なるほど、ジルベルトか……」

 

 そう言って頷いてから、僕は香草茶をごくごくと飲んだ。茶葉の不足のせいでしばらく白湯しか飲めない状況が続いていたが、本隊が補給物資を持ってきてくれたからな。節約生活ともオサラバである。……ま、久しぶりの香草茶の味を楽しんでいるような暇は、どこにもないわけだが。

 僕はチラリと、視線を前線の方へと移した。敵味方が入り混じった、めちゃくちゃな乱戦だ。作戦も戦術もなく、ただ目の前の敵らしき相手に襲い掛かることしかできない。

 こういう状況では、損害率は天井知らずに高くなるものだ。敵も味方も、すでにバカみたいな数が死んでいるはず。このようなくだらない戦いは、一秒でも早く終わらせねばならない。そして敵側の総大将であるヴァンカ氏が亡くなった以上、それができるのはこの僕だけだ。

 

「よし、ではネェル。悪いが約束通り付き合ってもらうぞ」

 

 香草茶のカップを指揮卓において、僕は立ち上がった。すでに疲労は限界に近く、尻に根が張ってしまったような錯覚を覚えたが、根性で体を動かす。指揮官は、どれほど疲れていても余裕のある態度を崩してはならない。やせ我慢をしつつ、ネェルの方を見た。

 

「いいですよ。アルベールくんを、背中に乗せて、あのデスおしくら饅頭の現場に、突っ込めば、良いのですね?」

 

「そうだ」

 

 デスおしくら饅頭ってなんだよ? 内心疑問に思いつつも、僕は頷く。

 

「そして、手あたり次第に、周囲の戦士を、食べまくると。食べ放題会場、的な?」

 

「全然ちがう」

 

「わかってますよ。マンティスジョークですよ」

 

 僕らのやり取りに、ソニアとダライヤ氏が何とも言えない表情で顔を見合わせた。まあ仕方のない話だが、彼女らはネェルを一切信用していない様子である。異論こそ挟んでは来ないが、それは緊急時ゆえに不信感を棚上げしているだけだ。

 とはいえ、彼女が本気でこちらに害意を抱いているのであれば、僕が拉致られた時点で詰んでるわけだからな。ひと悶着あったとはいえ五体満足で帰ってくることが出来た以上、ある程度は信用しても大丈夫だろう。……五体満足といいつつ、危うく腕一本は食われるところだったのだが。フィオレンツァ司教の救援が無ければ、かなり危なかっただろうな……。

 ちなみにそのフィオレンツァ司教はといえば、ジルベルトに任せてきた。一緒に戻らないかと提案したのだが、断られてしまったのである。どうも、ネェルと一緒に空を飛ぶのが嫌だった様子である。

 

「君の役割は、僕を乗せて敵陣に突っ込んだ時点でおしまいだよ。あとは僕が何とかする」

 

「なんとか、なるのですか? 男の子ひとりの、細腕で」

 

「使うのは腕じゃなくて口だから、大丈夫さ。……もし何とかならなかったら、女の子(ネェル)のそのデカい腕でなんとかしてもらうしな」

 

 物騒な形状の鎌を一瞥しつつ、僕はニヤリと笑った、そして視線をソニアの方へと移す。

 

「砲兵隊の準備も終わっているな?」

 

「もちろん。皆、アル様の号令を待っております」

 

「よろしい。では、緑色信号弾を撃て」

 

 木製の簡素な発射機から、信号弾が撃ちあがる。打ち上げ花火のような音を立てて空へと昇ったそれは、パラシュートを開くのと同時に緑色の閃光を放った。

 しばらく空中で輝いていた信号弾だが、やがて燃え尽きて地上へと落下していった。それと同時に、北の方から猛烈な羽音が聞こえてくる。鳥人の大集団が、地上から飛び立ったのだ。

 

「すごい数ですね」

 

「こちら側の鳥人の、ほぼ全員を投入しているからな……。さあて、僕らも行こうか」

 

 僕がそういうと、ネェルは頷いて身を伏せた。彼女はそこらの軍馬よりもよほど大柄なので、かがんでもらわないことには騎乗できないのである。巨大なカマキリとしか言いようがないその下半身によじ登った僕は、ネェルの上半身に抱き着いた。なにしろ鞍も手綱もないものだから、こうしないことには振り落とされてしまう可能性が高いのである。

 

「ぬ、ぬぅ……やはり慣れんな……」

 

 ダライヤ氏も同じようにして、ネェルの身体によじ登る。彼女が抱き着いたのは僕の背中だ。その薄い胸板が、僕の背中にぎゅっと押し当てられている。……まあ、僕は甲冑を着ているからな。残念ながら、ロリババアの胸の感触を堪能することはできなかった。正直、滅茶苦茶残念だ。

 しかし今の僕ってば、異形巨女とロリバアアのサンドイッチ状態なわけか。異常性癖のバーゲンセールって感じだな。さすがに状況が状況なので、興奮はできないが。

 

「……」

 

 そんな僕らを、ソニアがギリギリと歯ぎしりしながら睨んでいる。正直かなりコワイ。ついでに言えば、ネェルの身体からは凄まじい濃度の血と臓物の臭いが立ち上っているので、そちらも怖い。やっぱホラー映画のクリーチャーだろ、お前……。いや、血なまぐささの度合いで言えば、僕だって人のことを言えた義理ではないのだが。

 

「では、作戦開始」

 

 ほとんどやけっぱちになりながら、僕は叫んだ。ネェルが「はいよー」と気楽な声を出し、離陸する。さあて、最後のひと頑張りと行くか……!



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第338話 くっころ男騎士と下ごしらえ

 ネェルに乗って指揮壕から離陸した僕とダライヤ氏は、合戦場の上空へと飛んだ。我々よりも先に飛び立った鳥人部隊はすでに予定空域に到着しており、緩く旋回しながら中高度で待機している。よく見れば、その群れの中にはわずかながら翼竜(ワイバーン)騎兵の姿もあった。

 

「壮観じゃのぅ」

 

 その様子を見ながら、ダライヤ氏が呟く。その声は、若干震えていた。ついでに、体の方も小刻みに震えている。彼女は高い所があまり得意ではない様子だった。

 

「実はワシ、作戦についてはロクに聞いておらんのじゃが……これほどの鳥人を一斉に飛ばして、オヌシはどうするつもりなのじゃ?」

 

「簡単だよ。僕の目的は、この無意味な戦いを一秒でも早く終わらせること。だったら、やることは一つ……」

 

「そう、エルフの皆殺しですね」

 

 視線をまっすぐ前に向けたまま、ネェルが茶々を入れてきた。

 

「違います。……相変わらず物騒だな、君は」

 

「あは、冗談ですよ、冗談。そう、これはいわゆる――」

 

「マンティスジョーク」

 

「そうそれ! うふ、あははは。なんか今の、息が合ってて、よかったですね。阿吽の呼吸、的な?」

 

 ネェルはひどく楽しげに笑い、その余波で体がグラグラ揺れた。悲鳴を上げながら、ダライヤ氏が僕の身体に抱き着いてくる。役得と言えば役得だが、実のところ流石に僕も怖かった。何しろ我々は鞍も無しに飛行生物の背中に張り付いているだけなのだ。何かの拍子にツルッと滑って落下してしまいそうな恐怖がある。

 

「……こほん。説得だよ、説得。もう戦いなんかやめましょうよ! ってみんなに言うワケ」

 

「相手はエルフのぼっけもんと野蛮なアリンコじゃぞ? その程度のことで止まるとは思えんが……」

 

「だろうね。だから、いろいろと小細工をするのさ」

 

 そう言ってから、僕は周囲を見回した。航空部隊の展開は完了している様子だ。ただ、鳥人たちは僕たちから距離を取り、決して近寄っては来なかった。普段ならば、スズメ鳥人などが無意味に話しかけにやってくるというのに……

 これは、作戦上の都合でそうなっているのではない。単純に、鳥人たちがネェルを怖がっているからだろう。本陣に居たエルフ兵たちも、ネェルに対しては明らかに恐れの色を強く含んだ目を向けていた。狂戦士ばかりのエルフですらそうなのだから、臆病な者の多い鳥人ともなれば、そりゃあ敬遠されるだろうな……。

 やはり、ダライヤ氏の言う通りカマキリ虫人は多くのリースベン人にとって恐怖の対象になっているようだ。そんな存在がこのタイミングで協力してくれるというのは、大変にありがたい。ネェルを背にして行う説得(・・)は、さぞや説得力があることだろう。

 

「……よし。そろそろ大丈夫そうだな」

 

 僕は頷きながら、ポーチから投下式信号弾を取り出した。パラシュートと発光弾を組み合わせただけの、簡単な道具だ。手投げ爆弾によく似た形状のソレから伸びたヒモを引き抜き、パラシュートがきちんと展開するように気を付けながら放り投げる。

 数秒後、時限式信管(といってもただ長さを調整しただけの導火線だが)を作動させた信号弾が、緑色の閃光を放った。準備完了の合図である。

 

「デカイ音が鳴るぞ、注意してくれ」

 

 僕がネェルにそう注意するのとほぼ同時に、本陣の方から遠雷のような音が聞こえた。そちらを見ると、河原に並んだ大砲群が一斉に白煙を上げていた。八六ミリ山砲に、六〇ミリ迫撃砲。リースベン軍の野戦部隊が保有するほぼすべての火砲が、そこには展開されていた。

 少し遅れて、盛大な爆発音が響いた。砲兵隊の放った榴弾が着弾したのだ。着弾地点は、もちろん敵陣のド真ん中……ではない。そんなことをしたら、何のためにヴァンカ氏を殺したのかわからなくなってしまう。死と破壊を望んていた彼女の思惑に乗る気など、僕にはさらさらなかった。

 敵陣の代わりに爆発したのは、戦場にほど近い場所にある奇岩だった。ちょっとした雑居ビルほどもある大きさで、怪獣を思わせる奇妙な形状をしている。そんな岩が、猛烈な砲撃を浴びてみるみるうちに削れていった。

 一斉砲撃は一度だけではおわらない。迫撃砲は連続射撃を続け、山砲隊も装填が終わり次第再度発砲する。射撃は、山砲隊が第三斉射を終えるまで続いた。そのころには奇岩はすっかり粉々になり、もはや見る影もなくなってしまっている。

 

「よしよし、効果はバッチリだな」

 

 地上を見ながら、僕はニヤリと笑った。戦場の兵士たちは突然始まった意味不明な爆破劇場に唖然とし、戦いの手を止めているものが多い。この隙に、更なる攻撃をぶち込むべし! 僕は黄色信号弾を投下した。

 ゆっくりと落ちていく黄色い光球を目にした鳥人部隊と翼竜(ワイバーン)騎兵たちが、一斉に急降下を始めた。そして、投げ槍や矢の届かないギリギリの高度で何かを投下する。シーツを改造して作った即席パラシュートが装着された、大きな麻袋だ。

 

「何を投げつけておるんじゃ、あれは」

 

 それを見たダライヤ氏が疑問の声を上げた。パラシュート付き麻袋は、地上に落ちても爆発したり燃えだしたりするようなことはなかった。武器の類でないことは明白である。

 

「食料だよ」

 

「食料!?」

 

「もったいない!」

 

 ダライヤ氏とネェルが同時に大声を上げた。

 

「どうしてまた、そんな真似を……」

 

「リースベンが滅茶苦茶なことになっている原因は、七割くらいは食料不足のせいだ」

 

 ちなみにもう三割はクソ野蛮なクソ蛮族のせいである。

 

「とにかく、相手を満腹にしてやらないことには交渉すらできない。そうだろ?」

 

 実際、エルフにしろアリ虫人にしろ(そしてカマキリ虫人もだ)、とにかく腹を空かせているせいで狂暴になっているフシがある。この状態を解決するには、外部から十分な量の食料を供給するしかない。だからこその食料投下だ。

 さらに言えば、これは敵側に対する圧力としても機能する。なにしろ、川船による補給が一応は行われていた我々ですら、配給する糧食をずいぶんと節約せざるを得ない状況に陥っていたのだ。根拠地も補給路も持たぬヴァンカ派やアリンコ共の食料事情は、もっと悲惨なことになっていたに違いない。敵兵は、ひどい飢餓状態に陥っているはずだ。

 実際、地上を見ればすでに落ちてきた食料袋の奪い合いが始まっている場所もある。まるで、極楽から垂らされてきたクモの糸に群がる地獄の亡者のようだ。

 

「これは……何とも浅ましい光景じゃな……。確かに戦うどころではないようじゃが……はあ」

 

 その心が痛くなるような光景を前にして、ダライヤ氏が深い深いため息をついた。

 

「致し方のない、話です。ニンゲンは、飢えると容易に、ケモノに堕ちます。それは、カマキリも、アリンコも、エルフも、同じこと」

 

 決断的な口調で、ネェルが言った。……このカマキリ娘、やっぱり根はいいヤツだよな。彼女はエルフにそうとうひどい目に合わせられたようだが、それでもこんな優しい言葉が出てくるのだから凄いよ。こういう相手と友達になれたのは、僕がこの一件でえた数少ない成果の一つと言えるだろう。

 

「そうだ。人が人らしく生きていくには、今日のメシと明日の希望が必要なんだ。だが、あいつらにはそのどちらもが欠けている……」

 

 僕はネェルの肩をトントンと叩き、そしてその背中にぎゅっと抱き着いた。

 

「これで、彼女らの"今日のメシ"は何とかなった。次は明日の希望だ! さあ、降下してくれ。このくだらない戦いに終止符を打ちに行くぞ!」



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第339話 くっころ男騎士の演説

 戦場のド真ん中に向けて、僕たちは降下していった。周囲では、相変わらず食料爆撃が続いている。予定では、爆撃はリースベン軍本隊が持ってきた糧食の三割を投下するまで続ける予定だった。軍の食料備蓄(びちく)量を考えればかなりの大盤振る舞いではあるが、ここはケチっていい盤面ではないのである。

 

「それじゃ、突っ込みますよー」

 

 気楽な声でそう言ってから、ネェルはその半透明の巨大な翅をブンと力強く動かした。その凄まじい加速Gに、ダライヤ氏が悲鳴をあげて僕にくっついた。

 いやあ役得役得……などとホクホクしている余裕はない。僕もネェルにしがみつくので必死になっていたからだ。なにしろネェルには鞍どころか命綱もついていない。ちょっとでも手や足が滑ったらもうアウトである。飛行機慣れしている僕でも、流石にこれは怖い。

 

「ウワーッ! またもったいなかカマキリが来たぞ!」

 

「食い物の臭いでも嗅ぎつけたのか!? こがいな時に、畜生!」」

 

 こちらの姿を見たらしい地上のエルフ兵やアリンコ兵たちが、わあわあと叫び始める。拾った食料袋を小脇に抱えながら逃げ出す者も少なからずいた。……エルフ兵がここまで動揺しているのを見るの、始めてかもしれんな。どれだけ怖がられてるんだろう、カマキリ虫人。

 

「化け物め、こなくそ!」

 

 むろん矢を放ってくるエルフ兵なども居たが、相手は天性のキリングマシーン・カマキリ虫人である。鎌の一振りで矢を弾き飛ばしてしまう。いやあ、本当に心強いね……彼女だけは敵に回さぬよう気を付けねば。

 

「さあて、ちゃーくりーく!」

 

 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う兵士たちをしり目に、ネェルは人ごみの切れ間に着地した。煙幕めいた土煙が舞う中、僕はダライヤ氏を背負ったまま地面に降り立つ。

 

「ご苦労!」

 

 ネェルの足をポンと叩いてから、僕は戦場を見回した。よく見れば、地面のあちこちに戦死者の亡骸やうめき声をあげる重傷者などが転がっている。本物の地獄のような光景だった。

 

「おい、ありゃあ若様じゃらせんか!?」

 

「本当や! ないごて若様がカマキリめなどと一緒に……まさか、攫われたんか!?」

 

 こちらを見ながら、そんな声を上げるエルフの一団が居た。どうやら、味方側のエルフ兵たちのようだ。僕は彼女らに笑いかけ、軽く手を振った。僕がネェルに囚われている、などと勘違いされると少々困ったことになるからな。出来るだけ落ち着いた態度を心掛ける。

 

「ダライヤ殿、準備はできているな?」

 

「う、ウム。任せるのじゃ?」

 

 背後のダライヤ氏にそう問いかけると、彼女はコクリと頷きボソボソと何かの呪文を唱え始めた。数秒ほど待ってから、僕は拳銃を抜いて空に向ける。そして撃鉄を上げ、引き金を引く。鋭い銃声が、周囲に響き渡った。……発砲音に慣れている僕ですら、「うるせえ!」と叫びたくなるような大音量でだ。

 これは、ダライヤ氏の使う魔法のせいだった。風の魔法の応用で、音を大きくしているのである。いわば、拡声器の代用だ。この作戦は、この魔法がなければ始まらない。なにしろ僕は、武力ではなく弁舌によってこの戦いを収めようと考えているのだからな。

 要するに僕は「こんな戦いやめましょうよ!」と説得しに来たわけである。僕は前世でも現世でも軍隊でメシを食っている人間なのだから、それがどれほど難易度の高い行為であるのかは理解している。話し合いで戦いが納められるのならば、軍人などという職業はとうに地上から無くなっているハズだからな。……だが、今回に限って言えば、僕にはそれなりの勝算があった。

 

「聞け、すべての戦士たち! 僕はリースベン城伯、アルベール・ブロンダンである!」

 

 腹の底から出たような声で、僕は叫んだ。その声は異様な大音量となって周囲に響き渡る。雰囲気としては、野外ライブに近いかもしれない。

 あまりに突然のことに、周囲の兵士たちはピタリと動きを止めていた。まあ、意味不明の砲撃に、食料の投下に、さらには演説。わけのわからない出来事がこれだけ続けば、混乱もするというものだろう。

 

「僕は諸君らに問いたい! 貴様らは、己の命が惜しくないのか!」

 

「なんじゃお(はん)は! ちょかっ出てきて訳んわからんこっを……馬鹿にしちょっとか!?」

 

「エルフのぼっけもんが死を恐るっとでも思うちょっとか! 舐むっともえーころ加減にせー!」

 

 敵側と思わしきエルフ兵から罵声が返ってくる。予想通りの反応だ。僕はにやりと笑う。

 

「そうか! だが、僕は惜しい! たいへんに惜しい! 諸君らのような戦士が、このような場所で命を落とす! 許しがたい話だ!」

 

 大仰な身振り手振りで、僕は嘆いて見せた。……味方の士気を上げるための演説には慣れているが、こういうタイプの演説は初挑戦なんだよな。うまくできるだろうかという不安がムクムクと心の中に湧いてきたが、間違ってもそれを表に出すわけにはいかない。

 

「エルフやアリ虫人の戦士が、どれだけ勇猛で誇り高い人々なのか、僕は知っている! 戦友(とも)や男子供を守るため、笑顔で死地に踏み込む! あるいは、仲間がバタバタと倒れる中であっても、なお整然と行進を続ける! このような真似は、凡百の戦士にはとても出来ぬ行いだ! そうは思わないか!」

 

「……」

 

 突然に褒められたエルフ兵やアリンコ兵は、すっかり黙り込んでしまった。野次の類は飛んでこない。よしよし、主導権はつかめたな。

 

「死を恐れぬ戦士! 大変結構! しかしそれが貴いものであるからこそ、勇士の死は価値あるものでなくてはならない!」

 

 怒り狂ったような口調で、僕は叫んだ。大学で習ったことだが、まず聴衆の怒りを煽るのが扇動(アジテーション)の基本なのだという。なにしろ、人間の感情のなかで最も煽りやすいものが怒りだからな。怒りで聴衆を熱狂させ、冷静な判断力を奪う……独裁者が良く使う手段だ。

 

「ここで貴殿らが戦死しても、惜しむものは誰もいない! その勇気と名誉を称える歌もない! それどころか、『僅かな食料を奪い合って滅んだ浅ましい蛮族ども』などと(さげす)む者すら居よう! そんな真似を、諸君らは許せるのか!」

 

 実際、そういうことを言うやつは出てくるだろう。……おもに、リースベンの領民たちとかね。

 

「許せん!」

 

「そんなんを言うやつがおったら、ぶち殺しちゃる! 飢えたこともない外の連中が、ナメ腐りよって!」

 

 エルフ兵もアリンコ兵も、武器を振り上げながら口々に叫んだ。いやあ、気が短い連中は煽りやすいね……。

 

「僕だってそうだ! 英傑の死は、名誉あるものでなくてはならない! しかし……」

 

 僕は口を閉ざし、周囲の聴衆を見回した。彼女らは、かたずをのんで僕の次の言葉を待っている。……今のところ、想定通りに状況が動いているな。ここで失敗するわけにはいかない。プレッシャーのあまり、胃がキリキリとした痛みを訴え始めていた。

 

「この戦場には、名誉などどこにもないのだ! 誰も知らぬような辺境の森の中で、大陸の四方(よも)に誇れるような稀有な勇士たちが草()(かばね)となってゆく……なんと腹立たしいことであろうか!」

 

 地団太を踏みながら、僕はそう言い捨てた。

 

「だからこそ、諸君」

 

 一転して、僕は優しげな声を出しつつ右手を掲げて見せた。すると、上空からウルが飛来して僕の隣に降り立つ。そして、背負っていた長い竿を僕に渡してきた。受け取ると、ウルは無言で飛び去って行く。

 竿に巻かれていた白いシーツを解くと、そこには見慣れた(くつわ)十字が大書されていた。即席で作った、リースベン軍の旗だ。僕はそれを高々と掲げつつ、兵士たちに語り掛ける。

 

「僕と共に戦ってはくれないだろうか?」

 

 大事なのは、緩急……そう自分に言い聞かせつつ、努めて穏やかな声を出す。いやあ、ダライヤ氏が拡声魔法を使えてよかったな。この戦場には、敵味方合わせて二千名以上の兵士が居るはずだ。地声では、その全員に声を届けることなどとてもできなかった。

 

「僕は領主だ。領民の安全と財産を守る義務がある! だが、わが領地の農場や交易路を狙うものは多い……」

 

 お前らのような蛮族とかからな? ……まあ、それはさておき警戒すべきはエルフをはじめとした領地内部の脅威だけではない。なにしろリースベンにはミスリルや石油と言った貴重な戦略資源が埋まっているのだ。我が物にしたいと望む外部勢力は多かろう。

 前世の植民地主義の時代を思い出せばわかることだが、侵略者はまず第一に現地の内紛を煽るという手を良く使ってくる。そして諸勢力が相争い、疲弊したところで一番おいしい所をもっていくわけだな。

 リースベン半島の内紛が長引けば長引くほど、そういう手口のカモになってしまう可能性が高まっていくだろう。多少の損害を被っても、今のうちに火種を潰しておかねばならん。

 

「我がリースベン軍は、諸君らのような本物の勇士の力を必要としている! 僕と共に来てくれ! 僕であれば、諸君らにふさわしい戦場を用意できる!」

 

 あれこれ取り繕ってはいるが、ようするに僕は彼女らに服従を求めているわけだ。募兵のような言い方になっているのは、相手のメンツを立てているからにすぎん。

 けれども、こうやって体裁を整えておくのはたいへんに重要だった。頭から「我に従え!」と怒鳴ったところで、エルフもアリンコも納得しないだろう。特に意地っ張りのエルフなど、「お(はん)に従うくらいなら死んだ方がマシじゃ!」と死ぬまで抵抗してくるに違いない。そういう事態は流石に避けたいだろ。少しばかりこちらが譲歩するのも致し方のない話だ。

 

「な、なんじゃあの男は……いきなり勧誘たぁ」

 

「しかし悪い話じゃないかもしれんぞ……どうやらリースベンとやら、メシは余っとるようだし」

 

 食料袋から出したビスケットをモソモソとかじりつつ、アリンコ兵がそんな話をしている。彼女らが持っている食料袋には、でかでかと(くつわ)十字のマークが描かれていた。これもまた、懐柔工作の一環である。

 

「リースベンには、守らねばならぬ民が大勢いる。諸君らが侵略者に打ち勝ち、我らの街へと凱旋した時、彼ら・彼女らは万雷の喝さいをもって諸君らを迎えるであろう! また――」

 

 負けたら石が飛んでくるけどな。僕は内心そう吐き捨てた。熱のこもった口調とは裏腹に、僕の心は冷めていた。自分がアコギな真似をやっている自覚があったからだ。だが、このまま無意味な戦いを続けて大勢の死者を出すくらいなら、僕が詐欺師のそしりを受ける方がよほど良い。

 

「諸君らが敵の凶刃に倒れた時、民草は諸君らの死に涙し黙とうをささげるであろう! そして諸君らの勇気と奮戦を称える歌を、末代まで歌い継いでいくのだ!」

 

 民衆がそんな都合の良い存在であるもんか! あいつら、滅茶苦茶チャッカリしてるぞ。ベトナム戦争後、先輩兵士たちが受けた仕打ちを思い出しながら、僕は内心そう吐き捨てた。

 

「……もう一度聞こう。ここは、諸君らが命を賭けるに値する戦場なのか? このような場所で無為に命を散らすのは、惜しくないか!?」

 

「お……惜しい! (オイ)は、(オイ)は……こがいなところで死にとうない!」

 

 エルフ兵の一人が、ひどく湿った声でそう叫んだ。その声が引き金になったように、周囲の兵士たちも次々と声を上げ始める。

 

「こがいなところで無駄死にするために、何百年も生きて来た訳じゃなか!」

 

「飢え死にするよりはマシと戦いに参じたが、これではあまりにも、あまりにも……!」

 

 エルフ兵たちは、涙を流していた。……彼女らとて、闘争本能だけで生きるクリーチャーなどではない。どうしようもない現実を前に、苦悩し惑ってきたのだ。ヴァンカ氏などは、その典型だろう……。

 今ならば、なぜ味方のエルフ兵たちが若いリースベン兵を庇って突撃したのかよくわかる。苦しいばかりの生の中で、味方を守って戦死することができるという状況がやってきたのだ。そりゃあ、飛びつかないはずがない。あれは一種の自殺だったのではないだろうか。……本当に嫌になるね。

 

「僕と共に来い、諸君! 勝利と栄光によって舗装された道を、僕と共に歩もうではないか!!」

 

 そう叫びながら手を差し出すと、手近なところにいたエルフ兵たちが(ひざまず)いた。(くつわ)十字の描かれたポンチョを羽織った連中だった。

 

「地獄までお供いたしもす、若様!」

 

 それにつられたように、周囲のエルフ兵たちが次々と跪いていった。その中には、無地のポンチョを着ているものも多かった。一方アリ虫人たちは若干唖然としているようだったが、そんな彼女らの中から長身の女性が歩み出てくる。

 

「アダン王国女王(・・)、ゼラ・グロワ・アダンは、アルベール・ブロンダン様に臣従いたします。こりゃ手土産じゃけぇ、どうか納めてつかぁさい」

 

 彼女はそう言って、中年女性の生首を足元に置いた。そして己は地面に伏し、深々と頭を下げる。……アリンコ軍の女王の首級か、アレ……。

 

女王(オカン)女王(オカン)じゃないの。ゼラの大姉貴、なんということを……」

 

「しかし、そもそもエルフどもの内紛に首をつっむハメになったなぁ女王(オカン)のせいだで。大姉貴の判断ももっともじゃ……」

 

「どうにもあのカマキリは、アルベールとやらに従うとるようじゃのぉ。ワシは嫌じゃぞ、あがいなのと戦うなぁ……。キチンと食わしてくれるってんなら、あっちに乗り換えた方が賢いんじゃないのか?」

 

 アリンコ兵はしばらくざわついていたが、やがてゼラ氏にならって跪いていった。いつの間にか、戦場は地に伏した者ばかりになっている。もはや、戦いを続けている者など一人もいない。僕はほっと安堵のため息をついた。

 

「諸君らの判断に、敬意を表そう。ようこそ、リースベン軍へ」

 

 こうして、長きにわたったリースベンの内戦は終結したのだった。

 



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第四章 結婚狂騒曲
第340話 くっころ男騎士と人里


 戦闘が終結して、まる一週間が経過した。なんとか穏当な形で戦いを終わらせることができたのは良かったのだが、そこからがまあ大変だった。なにしろ彼我の死傷者は三百人を超え、凄まじい損害率を叩きだしていた。死者は埋葬して弔い、負傷者にはキチンと手当てする。それだけでもかなりの大仕事である。

 さらに言えば、我々に降った元敵兵たちの処遇もなかなかに難儀だった。彼女らはいわば寝返り勢であり、通常の捕虜のようには扱えない。できれば武装解除したいところだったのだが、そういうわけにもいかなかった。おかげで刃傷沙汰を含む大小さまざまなトラブルが雨後のタケノコのように発生し、我々の神経を石臼のようにすり潰していった。もう滅茶苦茶だ。

 それでもなんとか最低限の戦後処理を終え、陣地を引き払い、非戦闘員を含めると二千名(あれだけ死者が出たのにまだこれほどの人数がいるのだから驚きだ)を超える数にまで膨れ上がった軍勢を行軍させ、やっとのことで人里にたどり着いたのが今日の正午ごろの話である。

 

「で、やっぱり村長は我々を村内に入れたくはないと」

 

 ところが、我々は農村直前で足止めを喰らっていた。いくら自分の領地とはいえ、いきなり集落へ軍勢を突っ込ませるわけにはいかないからだ。とりあえず小休止も兼ねて街道上で陣を張り、村内へ使者を送り出したわけだが……。

 

 

「ハイ」

 

 猟師狐のレナエルが、その大きな狐耳をペタンと伏せながら頷いた。ここはリースベン領最南端の農村、アッダ村。レナエルの故郷である。とうぜん彼女は村長とも面識があるため、使者を任せたのだが……彼女が持ってきた返事は、なんとも無情なものだった。

 入村拒否。なんとも常識的な判断だな。僕は周囲の兵士たちを見回した。血と汗でドロドロになった、敗残兵にしか見えない蛮族どもが沢山いる。そりゃあ、村長としてはこんな連中を村に入れるわけにはいかんわな。僕が村長でも同じ判断をするわ。

 

「久しぶりに屋根のある場所で寝られると思ったのになあ……」

 

 ズタボロの獣人リースベン兵が、ボソリとそんな声を漏らす。……村長の気分もわかるが、兵隊どもの気分もわかるんだよな。延々と続くクソみたいな持久戦が終わったかと思えば地獄みたいな戦後処理が始まり、それを片づけたと思えば原生林を延々と行軍……うんざりしない方がどうかしている。

 上は司令官(つまりは僕だが)から下は員数外の雑役婦まで誰もかれもが疲労困憊状態で、しっかりとした休養を必要としていた。それをなんとかするため、ありとあらゆる問題を棚上げにして強行軍で人里まで戻ってきたとたんにこの仕打ち。そりゃあグチの一つも言いたくなるだろう。

 

「もちろん、領主様や騎士さま方は歓迎すると言ってましたが。しかし、その……」

 

 蛮族連中をちらりと一瞥し、レナエルはため息をついた。そりゃあね、ウン……まあそもそも、この小さな農村に二千名オーバーの兵士を収容すること事態が、だいぶ無理があるしなあ……。結局、郊外に野営地を作るほかないわけだが。

 とはいえ、すでに軍全体の統制が限界に達しつつある。むしろ、敵味方に分かれて戦っていた連中が雑に集合しただけの軍勢が、破裂しないまま一週間も持っていること自体が驚きなんだよな。いい加減に少しくらい鬱憤を晴らしてやらないと、大変なことになるぞ。

 

「僕はまあどうでも良い。とにかく、連中をどうにか休ませてやりたいんだが……」

 

 農村ですらこの調子なのだから、カルレラ市に帰還したところで扱いは同じだろうな。やはり、どこぞに本格的な宿営地をこしらえて、そこでしばらく暮らしてもらうほかないか……。

 いや、今はそんなことを考えている余裕はない。とにかく、兵隊どもの今日の寝床をどうするか考えねばならん。季節は晩秋とういうよりもはや初冬で、温暖なリースベンとはいえ朝晩はひどく冷える。栄養失調や戦闘による衛生状態の悪化から、蛮族兵どもの体力はずいぶんと低下しているはずだ。寒さの防げない簡単な野営地で寝起きさせるのは、いい加減辞めるべきだ。

 

「……とにかく、村長と直接交渉しようか。けが人、病人だけでも、村に入れてもらえねば困る」

 

 せっかく、起爆寸前の爆弾を処理することに成功したのだ。蛮族連中は、なんとか穏当な形でリースベンに溶け込んでもらいたい。しかしこのままいけば、指揮崩壊を起こして兵隊どもは巨大な野盗集団になってしまう。それは絶対に避けなければ。

 あーくそ、本当に厄介だなあ。ヴァンカ氏の言う通り、蛮族なぞまとめて滅ぼしてしまった方が良かったのか? ……そうは思いたくないね。はぁ、大変に難儀だが、背負いこんでしまった以上僕には連中を養う義務がある。もういい加減気力体力共に限界だが、もうひと頑張りしなきゃあなあ……。

 

「そもそも、なぜ村長は我らの出迎えもしないのでしょうか? 領主を相手にこの態度、首を刎ねられても文句は言えませんよ……」

 

 暗い光を目に宿しながら、ソニアがそう吐き捨てる。雰囲気が滅茶苦茶に怖い。僕の後ろにいたカリーナが、「ぴゃっ!?」と叫んでくっ付いてくる。

 

「首を刎ねたら、身体を、くださいね。もったいないので」

 

「駄目です……」

 

 文字通り首を突っ込んできたネェルに、僕はデコピンを喰らわせた。

 

「うふふ、マンティスジョーク、マンティスジョーク……」

 

 不気味な笑い声を漏らしながら首を引っ込めるネェルに、周囲の兵士たちが「絶対本気で言ってただろお前……」と言いたそうな目を向けた。

 

「あ……その、もちろん、村長は領主様をお出迎えできないことを、謝罪していました。ただ、どうにも村民たちが不安がっておりまして」

 

 ジロリと蛮族どもの方を睨みつけながら、レナエルが言った。……前に聞いた話では、この村は数名のエルフの襲撃ですら大騒動になっていたらしい。それがいきなり、二千名もの蛮族が現れたのだから、騒ぎにならないはずがない

 そりゃあ滅茶苦茶ビビるよね、村人も。もしこの蛮族連中が本気で村を攻めたてたら、あっという間に村は陥落してぺんぺん草一本も残らないような有様になってしまうだろうし。

 

「……そっちもそっちで問題だな。領民の不安を取り除くのも、領主の仕事だ。なんとか安心してもらえるよう、僕からも話してみよう」

 

 ああもう、仕事が……仕事が多い! もうやだ、実家帰って酒飲んで丸一日寝続けてぇ! でもそんな自由は封建領主にはねぇ! ホアーッ!!

 僕は半ばキレそうになっていたが、なんとか根性でそれを心の中だけに抑え込んだ。いい加減僕の堪忍袋の緒もズタボロだが、しんどいのは皆同じだ。仕事を投げ出すわけにはいかん。

 

「あの、主様」

 

 そんなことを考えていたら、ジルベルトがおずおずといった様子で声をかけてきた。

 

「村長殿と会われるのでしたら、食料の調達もお願いできませんでしょうか? そろそろ、我々の幌馬車の荷台も寂しい事になっておりますので……」

 

「……はーい」

 

 リースベン軍はこの世界の軍隊としては極端に兵站を重視した集団だが、それでもその輸送能力には限度がある。そもそも、組織の設計として二千名もの人間を食わせなければならないような状態は想定していないのだ。荷馬車や川船によるピストン輸送は続けているが、それでも食料事情はまったく改善していなかった。

 自前の糧食が不足している以上、民間から徴発するしかないのである。僕だってそんなことはしたくないのだが、仕方が無い。むろん代金は渡すが……ま、農民たちは良い顔をしないだろうね。はあ……。

 

「レナエル、悪いが村長のところに案内してくれないか」

 

「りょ、了解です……」

 

 憐れんだような目つきで僕を見ながら、猟師狐はコックリと頷いた。……貴族が平民に憐れまれるって、どうなのよ。まったく……。



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第341話 くっころ男騎士と農村

 レナエルに先導され、僕たちは村の中へと入った。もちろん村人をこれ以上怯えさせるわけにもいかないので、動かした人員は最小限だ。副官代わりのジルベルトとフィオレンツァ司教、エルフ代表としてダライヤ氏とウル、あとは護衛の騎士が数名といったところである。

 ソニアやフェザリアは置いてきた。統制が乱れかけている状態で部隊から士官を引き抜くのはやめた方が良いし、そもそもこの二人は少々物騒な所があるので、村人たちとはあまり関わらせたくはない。……ちなみに、これは新たに幕下(ばくか)に加わったアリ虫人女王のゼラも同様である。

 

「……」

 

 村の中を見回しながら、僕は小さく息を吐いた。通りに人通りはほとんどなく、民家は固く扉を閉ざしている。窓や扉を補強しているのか、釘を打ち付けるような音があちこちから響いていた。外に出ている人間は自警団の者だけしか居ないようで、皆緊張した面持ちでピッチフォークや(すき)といった武器になりそうな農具を握っている。

 どう見たって厳戒態勢、防衛戦の前準備中だ。一応、心配する必要はないと先触れをだしておいたのだが……まったく信用されなかったわけだな。

 

 そんな閑散とした通りを歩くこと十分、僕たちは村の中央広場に到着した。村長宅や教会、共用井戸、パン屋などが立ち並ぶ、農村の中枢部である。とはいえ、所詮は辺境の農村。どこもかしこも、小ぢんまりとしている。やはり、小さい村だ。人口は、せいぜい数百人といったところだろう。そんな村にフル武装の蛮族兵二千人が押し掛けたのだから、そりゃあビビられもする。

 

「村長は、自宅ではなく教会のほうに居ます。どうやら、男子供や年寄りの避難誘導をしているようでして」

 

 ため息をつきつつ、僕たちはレナエルに案内されるまま村の教会に向かった。木造の小さな教会である。しかし建物は殊更に頑丈に作られており、さらに現在は自警団員たちが正門にバリケードを築きつつあった。さながら軍事拠点のような様相である。

 

「レナエル! それにあなたは……領主様ですか!?」

 

 荷馬車や家具などを使ってバリケードをこしらえていた農民たちがこちらを見つけ、走り寄ってくる。小さな村だけあって、レナエルとは顔見知りのようだった。

 

「やあ、久しぶりだな」

 

 僕は鷹揚な態度で彼女らに挨拶した。不機嫌そうな声や態度がでないように気を付ける。緊張状態にあるであろう農民たちに、これ以上プレッシャーを与えるのはよろしくない。

 幸いにも僕はこの村には何度か足を運んだことがあったので、農民たちにもある程度顔を覚えられていた。珍しい男の領主ということで、印象に残っているのだろう。説明や自己紹介の手間が省けるので、大変に助かる。

 

「ああ、良かった、領主様……ご無事でしたか。蛮族どもが万の軍勢で攻め寄せてきたと聞いて、心配しておりました」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 農民の放った一言に、僕たちは揃って顔を見合わせた。わあ、とんでもないデマが飛び交ってるぞ。なんやねん蛮族どもの万の軍勢って。エルフだのアリンコだのがそんなに沢山いたら、僕は一も二もなく領民を連れてガレア本国に逃げ帰ってるよ。

 

「……なにやら、あらぬ流言が流布しているようだな。安心しなさい、その話は嘘だ」

 

 農婦の肩をぽんぽんと叩き、僕は念押しするような口調で言った。この手の流言飛語は緊急時にはよくあることだが、為政者としては大変に困る。とにかく、領民たちを落ち着かせる必要があるな……。

 

「しかし、物見がとんでもない数のエルフの軍勢を見つけたとかなんとか言っておりましたが……」

 

「その連中は、敵ではないのだ。ええと、説明が難しいんだが……なんというか……」

 

 事態はなかなか複雑なのだが、さあてどう説明したものか。たとえば、そう……交渉に訪れたエルフの国か勝手に爆発四散、別の蛮族(アリンコ)まで巻き込んでしばらく敵味方に分かれてドンパチした挙句、最終的に全員が服属しました……とか?

 ……嘘は言っていないが、信じてくれないような気がするなぁ。いくらなんでも、胡散臭すぎるだろ。なんで土着民のエルフどもがよそ者でしかも男である僕に服従するんだよ。しかも、はっきりいって武力面では兵隊の数も質もエルフ側のほうが圧倒してたわけだし……。

 

「あの連中は、人里を襲い男を攫う"わるいエルフ"ではない。そのような無法者を征伐した、"いいエルフ"なのじゃよ」

 

 見かねた様子で、ダライヤ氏が口を出してきた。ちなみに今の彼女はフードで耳を隠しており、エルフのようには見えない。農民たちを怖がらせないための工夫である。

 

「い、いいエルフ? お、お嬢ちゃん……いえ、お嬢様。エルフなど、みな悪党ではないのですか……?」

 

 容姿だけは高貴な雰囲気を漂わせるダライヤ氏を高位貴族jの御令嬢かなにかと勘違いしたのだろう。途中で言葉遣いを丁寧なものに直しつつ、農民が聞き返した。しかし口調とは裏腹に、彼女の顔は「この世間知らずめ」と言わんばかりの様子である。

 ま、リースベン領民からすれば、エルフなど極端に悪辣な害獣と変わらんからな。それがいきなりいいエルフがどうのと言われても、『何を言っているんだお前は』としか思わないだろう。『善良なオオカミ』が物語の中にしか存在しないのと同じ理屈だ。

 

「種族を問わず、悪党は存在する。それはエルフも同じことじゃ。我らもあの連中には手を焼いておったのじゃよ。そこでブロンダン卿の協力を仰ぎ、盗賊どもを征伐した……そういう寸法じゃ」

 

 そう言ってダライヤ氏は、フードを軽くめくってそのとがった耳をこっそり農民に見せた。彼女は度肝を抜かれた様子で、数歩後ずさる。

 

「エ、エルフ……!」

 

「おお、そう驚くでない。見ての通り、ワシは無力な童女じゃよ。嘘だと思うのなら、この脳天にその重そうな農具を振り下ろしてみよ。抵抗すらできず、ワシは無惨な(かばね)を晒すことじゃろうよ」

 

「……」

 

 僕はジロリとダライヤ氏を睨みつけた。アンタはエルフの中でも最強クラスだろうがよ。まったく、よくもまあそんなデタラメがつらつらと出てくるものだ。

 

「う、ううむ……確かにガキだが、エルフはエルフ……」

 

 手に持ったピッチフォーク(食器のフォークをそのまま大型化したような農具)を握り締めながら、農民は僕とダライヤ氏を交互に見回した。どうしたものかと悩んでいるらしい。

 

「安心しなさい。この者は、確かに無害だ。ほら、この通り」

 

 僕はダライヤ氏の頭を手刀で何度かシバいて見せた。むろん痛いほどの力は込めていないが、かなり失礼な行為である。しかしダライヤ氏は、目尻に涙など浮かべながら「やめるのじゃ~いじめないでおくれ~」と騒ぎ立てるばかり。……猿芝居だなあ。

 当然農民は何とも言えない表情で僕らを眺めていたが、少なくともダライヤ氏が人を見れば即座に襲い掛かってくるような猛獣ではないということは理解できたのだろう。こほんと小さく咳払いをして、ピッチフォークを握る手の力を緩めた。

 

「とにかく、アレコレあったんだ。見ての通りひどい戦いだったが……」

 

 返り血まみれになった見せつつ、僕は言葉をつづけた。

 

「攫われていた男たちも、少なからず救い出すことができた。この村が出身の男子も、何名かいるようだぞ」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「ああ、もちろん」

 

 ま、嘘は言ってないよ。確かに、男たちは救い出すことができた。……皮肉な話だが、ヴァンカ氏の差配が我々にとって優位に働いていた。彼女は、既婚者のエルフを最前線に配置していたのだ。子を成し加齢が始まったエルフは、体力が落ち始める。そんな肉体で激戦区に放り込まれたのだから、その損耗率は他の部隊の比ではなかった。

 結果として、男たちの半数以上は蛮族妻の呪縛からは解き放たれていた。本人や家族が望めば、故郷に帰る事だってできるだろう。まあ、エルフの子供たちをどうするのかという問題もあるため、話はそう簡単には進まないだろうが……。

 

「とにかく、詳しい話は中で説明しよう。村長の所へ案内してくれ」

 

 固く封鎖された教会の正門を指さしながらそう言うと、農民は何度も頷いた。男たちの救出に成功した、という話が効いているのだろう。……成果は嘘ではないが、経緯はガッツリ嘘っぱちなんだよなあ。ダライヤ氏の嘘にそのまま便乗した形だが、どうにも申し訳ない気持ちが抑えられないな……。



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第342話 くっころ男騎士と辺境の教会

 門番役の農民を半ば丸め込むようにして、僕たちは教会の中へと入っていった。教会といっても、王都のパレア大聖堂ははもちろん我らがカルレラ市のモノと比べてさえ、なお粗末と言わざるを得ない建物である。

 完全な木造で、しかも建材の組み方もいかにも素人臭い。これは、専門の大工ではなく農民たちが自分たちの手でこの教会を建てたからだろう。しかし、そういう素朴な建物だからこそ、辺境の開拓民たちの苦難の歴史が真に迫って伝わってくるのだ。

 

「ミレーヌの所の(せがれ)がいないぞ! どこへ行ったんだ!?」

 

「備蓄してあった包帯、ありゃあ半分以上ダメだ! カビてやがる!」

 

「ほら、泣かないで。大丈夫だから、ね?」

 

 そんな素朴な教会は、まるで最前線の野戦病院のような有様になっていた。男や子供はひどく慌てた様子で教会最奥部に設けられた地下室へと詰め込まれ、自警団員たちは慣れない手つきで戦支度を続けている。

 ……完全に狂乱状態だな。こうならないよう、事前に伝令を送って事情説明をしていたんだが……どうやらその努力は実らなかったようだ。万単位の蛮族が迫ってきている、などというとんでもないデマが流布していたあたり、見張り役が我々の陣容を見て過大な報告を上げてしまったのだろう。そして噂が噂を呼び、なかば集団パニック状態に陥ってしまったと……。

 

「おい、おい、お前ら! 落ち着け! 落ち着かんか! こう慌てては、男子供の収容すら……」

 

 そんな農民たちを、必死の形相でなだめている女がいた。村長である。しかし、狂乱状態の村人たちはヒートアップするばかりでまったく村長の言うことを聞いていない。それでもなんとか周囲の者たちを落ち着かせようとする村長だったが、ふとした拍子にこちちらと目が合った。

 

「領主様!」

 

 村長は顔色を真っ青にして、ブルブルと震え始めた。そして大慌てでこちらに駆け寄ってくる。……おまけにパニック状態の村人までもが

 

「領主様だ!」

 

「あの恰好、戦帰りか!?」

 

「まさか敗走してきたんじゃあ……」

 

「エルフどもは二万も三万も居るって話だ。致し方あるめぇ……」

 

 などと口々に勝手なことを言いつつ、大量にやってきたのだからたまらない。隣のフィオレンツァ司教が珍しく「わあ、勘弁してよぉ……」とボヤいた。まったく僕も同感である。

 

「領主様、申し訳ありません! お出迎えに上がれず……」

 

 冷や汗をかきつつ、村長が弁明する。領主がやってきたというのに出迎えすら寄越さないというのは流石にとんでもない落ち度であり、下手をすれば無礼討ちすらありえる。村長が焦るのも致し方のない話だ。

 

「いや、この状況で持ち場を離れるのは難しいだろう。責めるのは酷というものだ……」

 

 しかし村民たちは明らかに集団パニックに陥っており、それを落ち着かせるので精一杯だったというのは理解できる話だった。連中と一緒になってバカ騒ぎをしていないだけでも上等である。

 

「しかし、なかなか大変なことになってるじゃないか、諸君。戦争でも始める気か?」

 

 僕はニヤリと笑いつつ、農民たちへと視線を移してそう言った。極力、冗談めかした口調を心掛ける。トゲのある言葉が口から出そうになるが、グッと堪えた。感情のままアレコレ言ったところでパニックを助長するだけだ。

 

「戦争でもって、そりゃあそうでしょう! 領主様! 村の外に大勢の蛮族が……」

 

「ああ、外の連中か? なぁに、心配することはない」

 

 僕は農民たちの肩を何度もフレンドリーに叩きつつ、笑いかける。

 

「見ての通り僕は戦場から帰ってきたばかりだが、エルフどもに敗れた男が無事に済むと思うか? 思わんよな? でも僕はピンピンしてるよな? これがどういうことかわかるか? エエッ!?」

 

「つまり……勝ってきたと?」

 

「オウその通りよ。僕を誰だと思ってるんだ? 王国軍の勝利の男神とあがめられた天下のアルベールさんだぞ? エルフごときに後れを取るはずがないだろうが、ワッハハハ!」

 

 いつから僕は勝利の男神になったんだ? 内心シラけつつも、僕は爆笑しながらそう説明した。こういうデマが原因のパニックは、深刻な事態ではないと態度で示してやるのが一番効果的だ。

 

「それに、何万人もエルフが居るはずがないだろうが常識的に考えて。そんなとんでもない数のエルフが本当に存在したら、リースベンなんかとうに滅ぼされてなきゃおかしいだろうが」

 

「そ、それもそうか……」

 

「メリザのやつはビビりだからな……大げさな報告を上げてきたのやも……」

 

 この村は民家と民家をピッタリとくっつけて簡易の城壁とし、防御を固めた独特な構造をしている。そのため、物見やぐらに登らないことには村内から外を見ることすらできないのである。それが却って村民たちの悪い想像を刺激し、パニックを引き起こしたに違いない。

 まったく困ったものだと内心ため息をつきながら、僕は農民たちに「大丈夫だ、大したことは無い、安心しろ」と繰り返した。

 

「確かに村の外にはエルフどもが陣を張っているが、あれは敵ではない。戦争中、僕の味方になってくれた連中だ。安心したまえ」

 

「味方!? エルフが!?」

 

 そんなアホな、と言わんばかりの口調で農民たちが口をあんぐりと開けた。

 

「まあ、その辺りはあとで説明する。僕は村長と話し合わねばならないことが……」

 

 僕はこほんと咳払いをしてから、村長の方を見た。我らの部隊は指揮崩壊寸前の敗残兵めいた集団であり、そろそろガス抜きをしないと本格的にヤバい。限界ギリギリなのは村人たちだけではなくこちら側も同じことなのだ。可及的速やかに村長に談判し、必要な便宜を図ってもらわねばならない。

 

「あのケモノのような連中と共闘!?」

 

「外にエルフどもの集団がいるという話自体は、本当なのですか!? 村は大丈夫なのでしょうか!?」

 

「騎士さま方は、我らを守ってくれるのでしょうか!?」

 

 が、村人共の狂乱はなかなか収まらない。こちらの都合などお構いなしに質問が飛んでくる。……いやあ、ソニアを連れてこなくてよかったね。あいつが居たら、絶対に剣を抜いてたことだろう。正直僕も拳銃を抜いて空中にぶっ放したくなってるよ。まあ、この状況ではどう考えても逆効果になるからそんなことはできないが。

 どうしましょう? と聞きたげな表情で、ジルベルトが僕の方を見た。歴戦の騎士である彼女も、この手の状況には慣れていないのだろう。明らかに困惑していた。

 まあ、それは僕の方も同じことである。暴力的な手段で落ち着かせようとすれば、却ってパニックは拡大するだろう。しかし、言葉で落ち着かせようにも農民共は聞く耳を持ってくれない。さあていったいどうするかと悩んだ瞬間だった。

 

「静粛に! 静粛に!」

 

 僧侶が説法の時によく使うハンドベルを鳴らしながら、フィオレンツァ司教が前に出た。朗々とした声が、木造教会の広いホールの中に響き渡る。

 

「わたくしはフィオレンツァ・キルアージ。星導教司教のフィオレンツァです」

 

「司教様!?」

 

「なんだってそんなお方がこんなド田舎に……」

 

「フィオレンツァ司教様といえば、あの有名な聖人の……!?」

 

 農民たちが、ざわざわとし始める。フィオレンツァ司教は、星導教最年少司教ということでかなりの有名人だ。ガレア王国の人間ならば、知らぬ者などそうはいない。

 まして、相手は厳しい開拓生活の中でも必死に自分たちの手で教会を築き上げるような、信心深い人々だ。司教ほどの大物が現れたとなれば、嫌でも注目が集まるものである。

 

「この度の戦役には、わたくしも従軍しておりました。皆様に真実をお話ししましょう」

 

 惑える民衆を導くのは、聖職者の専売特許である。演劇女優めいた口調で語り掛ける司教に、村人たちの視線はあっという間に釘付けになった。彼女はちらりとこちらを振り返ってウィンクすると、ホールの中央部に設けられた説教台に上がった。そして、大仰な手振りで「まず結論から申し上げますが、村の外に居るエルフは……」と語り始める。

 

「た、助かった……」

 

 僕はほっと安堵のため息をついた。流石はフィオレンツァ司教、このような状況ではてきめん頼りになる。今のうちに、村長と交渉することにしよう……。



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第343話 くっころ男騎士と村長

 混乱した農民たちはフィオレンツァ司教に任せ、僕たちは村長と直談判をすることにした。教会の管理者である司祭殿に部屋を用意してもらい、なんとか一息つく。……ちなみに、司祭殿も村長と同様にクソ忙しそうな様子だった。村全体が完全に狂乱状態だな、まったく……。

 

「……という経緯で、我々はエルフやアリ虫人たちをリースベン領に受け入れることにしたのだ」

 

 教会の片隅にある小さな応接室で、僕はこれまでの経緯を村長に説明した。もちろん、完全に正確な説明というわけではない。事実をそのまま伝えたところで、納得しがたい部分もあるだろうからな。ダライヤ氏の"良いエルフ・悪いエルフ"説をベースに、事実を我々に都合よく再解釈した代物である。

 

「そりゃ、どうにも難儀な話ですね」

 

 香草茶を一口飲んでから、村長は難しい表情で唸った。まあ、そりゃあそうだろう。今までの彼女らにとって、エルフは悪辣な害獣のような存在だった。いきなり「善良なエルフだって居るんだ」などと説明されても納得できるはずがない。しかもその連中が領内に移住するとなれば、なおさらである。

 

「何のかんの言っても、要するに我らの作った麦を連中に食わせにゃならんというわけでしょう? 押し入り強盗が居座ったあげく、メシまで要求してくるというのは何とも無体な話だと思うんですがね」

 

 ジロリとダライヤ氏を睨みつける村長。密室ということで、ロリババアはフードを取ってその尖った耳を露わにしていた。このエセ幼女は僕などよりよほどこの手の交渉事が上手なので、エルフの代表者として説得役を任せているのだ。

 

「オヌシらの言いたいことは、わかる」

 

 肩をすくめつつ、ロリババアはため息をついた。エルフ族がリースベンの入植者に対して狼藉を働いてきたのは、事実である。今さら援助を求めたところで、なかなか納得しがたいものがあるのは仕方が無いだろう。

 とはいえ、もとはと言えばリースベンはエルフェニアの土地である。彼女らから見れば、リースベン領民たちも土地をかすめ取った侵略者だと言えるだろう。イメージとしては、白人入植者とネイティブアメリカンのような関係に近い。当然、エルフからすれば言い返したい気持ちもあるだろう。

 ただ、ここでエルフたちが被害者ヅラをしたところで、リースベン領民たちの態度が軟化するはずもない。老練なダライヤ氏は、そのあたりはしっかり理解している様子だった。リースベンの連中にも悪い所があった、などという意見はおくびにもださない。

 

「しかしこれは、将来的に見ればオヌシらにとっても利のある話じゃ。我らエルフェニアがリースベンと併合されれば、エルフをオヌシらの法で縛れるようになる。その上集落をも管理下に置けるとなれば……エルフ盗賊による被害も、大幅に減少することになるじゃろうな」

 

「エルフによる盗賊被害が根絶される、とは言わないんだな」

 

竜人(ドラゴニュート)や獣人には野盗の類は存在せぬのか? そんなことはないじゃろう。種族を問わず、悪党は存在するモノじゃからのぅ……」

 

 困ったもんじゃ。そんなことを言いながら、ダライヤ氏は香草茶を飲み干した。そして給仕役の見習い助祭に空っぽのカップを差し出し、お代わりを要求する。

 

「……外に大量の兵隊を並べておいてそういうことを言うあたり、何とも悪辣だねぇ。万単位というのは冗談にしても、千人以上は居る訳だろ? こちらがそっちの話を断ったら、襲い掛かってくるんじゃないかね」

 

 不信げな表情で僕に視線を送りつつ、村長は唸った。お前実はエルフに敗北して、操り人形になってるんじゃないか? とでも言いたげな表情である。

 ……まあ当たらずとも遠からず、なんだよな。エルフどもが一丸となって僕たちと戦うことを選択すれば、絶対に勝ち目がないわけだし。そういう武力差があるからこそ、エルフどもに対してあまり苛烈な策は取れないという部分はある。僕が主導権を握れているのは、あくまでエルフたちからの好意があってこそのことだ。

 

「勘違いするでない。あの連中の大半は農民じゃよ。……ま、それも当然のことじゃろう。戦士ばかりでは、社会は成り立たんからのぅ」

 

「武装していると聞いているが」

 

「オヌシらリースベン農民とて武装くらいするじゃろう? 自警団、じゃったか。……ただ武装しているだけの農兵など、戦においては大して役には立たぬ。そのようなことは、オヌシら自身が一番よくわかっておることじゃろう?」

 

 わあ、このロリババアとんでもない詭弁を使い始めたぞ。胸は薄いくせに面の皮は主力戦車の正面装甲なみじゃねえかよ。確かに、エルフの戦士は平時はクワを握り有事には弓と剣を握る半士半農の存在だ。たしかに、分類的には農民と言えなくもないだろうが……。

 

「騎士一人を倒すのに、オヌシらの自警団ならば何人必要かのぅ? それを思えばエルフ農民の千人や二千人程度、恐れるに足らぬと思うのじゃが」

 

 残念ながらエルフェニア農兵の練度は我らがガレア騎士に匹敵するレベルなんだよなあ。平地ならガレア騎士が優勢だが、森林戦なら圧倒される可能性が高い。それが千名以上いるのだから、もう絶望的である。

 そんなことはダライヤ氏とて理解しているだろうに、この言いようである。自分たちの脅威度をあえて低めに見積もらせて、村長の疑念を解く作戦だろう。やり口が完全に詐欺師だ。

 

「いや食い詰め農民がそんなに居るのは普通に脅威だろ……」

 

 半目になりつつ、僕はそう文句を言った。とはいえ、エルフどもの脅威が過剰に喧伝されるのは僕としても困る。領民たちの間でエルフ脅威論が強くなり過ぎれば、結局エルフどもとの闘いは避けられなくなるからな。

 簡単に殲滅できるほど弱くはないが、主従の逆転を目論むほどの勢力は無い。民衆がそういう塩梅に理解してくれる程度の脅威度が一番丁度良いのだ。

 

「とはいえ、無用な戦いは僕としても仕掛けたくはない。こちらに臣従してくれるというのならば、あえて刺激する必要はないだろう」

 

「戦となれば、農地を戦場にせざるを得ないわけですしね。今頃は確かに麦踏みの時期ですが、軍靴でそれをやるのはあなた方も避けたいでしょう?」

 

 僕の言葉に、ジルベルトが援護射撃をしてくれる。麦踏みという言葉を聞いた村長は、思いっきり顔をしかめていた。たとえ彼女の本音が『エルフどもなど皆殺しにしてしまえ』というようなモノであったとしても、それを自分の村の周りで実行されるのは非常に迷惑だろう。下手をすれば種をまいたばかりの冬麦畑が全滅してしまいかねない。

 

「僕としても、いつまでも大飯ぐらいのドラ娘を養ってやろうという気はない。将来的にはいくつかのグループに分けて開拓村を作らせ、自給自足してもらうつもりで居るが……すくなくとも、当面の間は面倒を見てやらねば僕たち自身も困ったことになる」

 

 安っぽいテーブルの天板を指先で何度か叩いてから、僕は村長の方を見た。

 

「これはエルフどもを蛮族から文明人へと脱皮させる、またとないチャンスだ。上手く行けば、もう蛮族対策に頭を悩ませる必要はなくなるだろう。申し訳ないが、君たちも手を貸してほしい」

 

「しかし、そうは仰いましても……我々も、生活に余裕がある訳ではないわけで」

 

 難しい表情で、村長が唸る。実際、食料不足にあえいでいるのはリースベン領民たちも同じことだ。エルフほど飢えているわけではないにしろ、余裕は全くない。蛮族などに食料を分け与えたくは無いという村長の気持ちも理解できる。

 

悪党(・・)どもの火計のせいで、我らの村は何もかにも燃えてしもうた。己の力のみで生きていこうと思えば、もはや略奪に走るしかない。じゃが、我らエルフ族は平和を愛する種族、そのようなことはしたくない……!」

 

 悩む村長に向けて、ダライヤ氏が嘘八百を並べ立てた。そして椅子から立ち上がり、床へとひれ伏す。土下座の姿勢だ。

 

竜人(ドラゴニュート)の村長殿、どうか我らに慈悲を、再起の機会をもらえぬか……! 頼む……!」

 

 迫真の演技である。ルンガ市を焼いたのは一応味方のフェザリアだろうが! 事実を都合よく歪曲しやがって……。

 

「む、むぅ……」

 

 だが、そんなことはつゆ知らぬ村長は、難しい顔をして唸るばかり。彼女の中では、良心と疑心が相争っているのだろう。たしかに、今のダライヤ氏は戦禍に飲まれた村から焼け出された哀れな童女のようにしか見えない。良心ある者であれば、誰だって手を差し伸べてやりたい気分になることだろう。

 本当に悪辣だなこのクソロリババア。呉越同舟の組織ゆえに将来的な分裂はさけられなかったとはいえ、あのタイミングで"新"が割れたのはお前の策略のせいだろうが。

 

「しかし、私にはこの村を守る義務がある……! 貴様らエルフは、はっきり言って信用できん。村人を傷つけるやも知れぬ相手に手を差し伸べるわけにはいかんぞ」

 

 難しい表情でそんなことを言う村長。ま、そりゃそうだよね。これが無害な隣人であれば気分よく手を貸せたのだろうが、残念なことにエルフはドの付く有害な隣人である。助けてといわれたところで、そう簡単には頷けまい。

 

「村長」

 

 そこへ、後ろに控えていたレナエルが声をかけた。彼女はひどく胡散臭いものを見るような目つきでダライヤ氏を睨みつけつつも、言葉を続ける。

 

「確かに、エルフどもはろくでもない連中です。野蛮だし、乱暴だし……」

 

 いきなりの罵倒だったが、ダライヤ氏はウンウン、わかるわかると言いたげな様子で何度も頷いた。お前もそのエルフだろ!

 

「しかし……ただの無法者ではありません。私は、彼女らと戦場を共にしました。そこでの彼女らは……弱きものを守るためは己の命を投げ捨てることも厭わない、誇り高き戦士でした」

 

「……」

 

「すくなくとも、一切の良心を持たぬオオカミ……という訳ではないようです。ですから、その……少しくらいは手を貸してやっても良いのではと、私は思いした」

 

「むぅ」

 

 猟師狐の思わぬ発言に、村長は口をへの字にした。

 

「……エルフの手によって危うく弟を失いかけたお前が、そんなことを言うのか?」

 

「事実は、事実ですので。戦場で、私はエルフどもに何度も助けられました。その分の恩くらいは、帰さないと気持ちが悪い……ので」

 

「……なるほど」

 

 難しい顔をしながら、村長はしばし考えこんだ。その視線がレナエルとダライヤ氏、そして僕の間を右往左往する。たっぷり五分間も黙り込んでから、彼女はやっと口を開いた。

 

「……まあ、話くらいは聞いてやろうじゃないですか。で、どのような援助がご入用で?」



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第344話 くっころ男騎士と思わぬ提案

 その後、僕たちはなんとか村長の説得に成功した。ダライヤ氏が縦横無尽の活躍をしたが故の成果である。年齢四桁の年の功は尋常なものではなく、虚実を織り交ぜたその巧みな話術は並みの定命では太刀打ちさえもできないであろう程のものだった。

 とはいえ、村長も長年開拓者たちをまとめ上げてきた手腕は伊達ではない。決してやられるばかりではなく、承服しがたい要求にははっきりと否を突き付ける胆力もあった。激論の末交渉が妥結したのは、正午を過ぎた当たりのことだった。

 

「とりあえず、食料の供出と傷病者の収容が通って良かった……」

 

 村郊外に張った陣幕に戻ってきた僕は、そういって安堵のため息をついた。視線の先には、村中心部から立ち上る幾筋もの白煙があった。

 むろんこれは、火事の煙ではない。パン焼きの煙である。現在、兵士たちに配給するための食事を作るため、村のパン窯を総動員してのパン焼きが始まっていた。夕食には焼き立てのパンが供されることになるだろう。レンガみたいな堅焼きビスケットともこれでオサラバだ。

 

「病人、けが人、子供限定とはいえ……村にエルフを入れることを許可してくれたのは意外ですね」

 

 紫煙をくゆらせながら、ジルベルトが言う。その何とも言えない香りが鼻孔をくすぐり、僕の喫煙欲求を煽った。難儀な仕事を終えたあとの一服は、さぞ美味かろうな。まったく羨ましい。なぜ男は煙草を吸っちゃいかんのだ。この世界の倫理観はいまいちよくわからない部分がある。

 

「フィオレンツァ司教のおかげだな。彼女が、村人たちを説得して回ってくれたから……」

 

 僕が領民たちに強引な命令をすることができないように、村長も多くの村人が承服しかねるような命令をだすことはできない。理不尽な真似をすると即座に暴力が返ってくるからな。自力救済の意識が高い辺境民ならなおさらである。

 差配には十分に気を付けないと、あっという間に反乱祭りが起きるのがこの世界の常である。農民反乱の末に倒れた国も、一つや二つではないのだ。エルフの内乱を収めたはいいが今度はこちら側で内乱が発生、などということになったらもう笑うしかない。

 そこで役に立つのが、宗教的権威である。特にこの村の住民は信心深い者が多いようだったからな。宗教界の重鎮であるフィオレンツァ司教の力はてきめんに有効だった。渋る村人たちに対してエルフたちの苦境を語り、同情を引き出し、『まあ少しくらいなら手を貸してやろう』という気にさせたのである。

 村長の説得はダライヤ氏、民衆の説得はフィオレンツァ司教。この布陣は驚くほど強力だった。今回の一件のMVPは、彼女ら二人で間違いあるまい。

 

「口だけは立つ女だというのはわかっておりましたが、ここまでとは。正直、驚いています」

 

 発言とは裏腹になんとも渋い表情をしつつ、ソニアが呻いた。司教が活躍したことが気に入らないのだろう。相変わらず、この二人は犬猿の仲だった。

 

「で、その司教サマはいったいどこに? 姿が見えないようですが……」

 

 ジルベルトの言う通り、我々の陣幕の中にフィオレンツァ司教の姿は無かった。普段であれば、我々と一緒にいるか男子供たちに付き添ってやっていることが多いのだが……。

 ちなみに、その男子供たちは傷病者たちと共に既に村内へと収容されていた。今頃は、教会や村長宅などで体を休めていることだろう。男や子供は体力がない。いい加減に壁と屋根がある場所で養生させてやらねば、体を壊してしまう。

 

「教会で村人たちに説法をしてるよ。エルフとリースベン領民の融和を図るための第一歩……とかなんとか言っていたけど」

 

「なるほど……面白くありませんね」

 

 唇を尖らせながら、ソニアはそう吐き捨てた。ジルベルトが携帯式の煙草盆に灰を落としつつ、苦笑する。

 

「ソニア様は、本当に司教様がお嫌いですね」

 

「幼馴染だからな」

 

 幼馴染なら仲良くしてほしいんだがなあ。僕は小さくため息をついてから、スライスされた丸パンを一口食べた。村のパン屋で買ってきたモノである。

 少量の小麦粉を燕麦などの雑穀粉で水増ししたそのパンは硬くてもろくて酸っぱいが、軍用糧食の食べ物だか岩だかわからないような堅焼きビスケットに比べれば百倍美味しい。やっと文明のある場所へ戻ってこられた、そういう心地になる味だった。

 

「……そういえば、聞いたかね? 村長は、公衆浴場を開放してくれるらしいぞ。お前たち、一番風呂に入ってきてはどうかね? 士官の役得ってやつだ」

 

 竜人(ドラゴニュート)は風呂好きの種族だ。たいていの集落には公衆浴場がある。むろん田舎や水資源に乏しい土地では、サウナしか無い場合も多いが……このアッダ村では、村長の尽力によりなかなか立派な浴場が設えられていた。苦しい開拓生活も、風呂があれば乗り越えられる。それが村長の座右の銘らしい。

 この公衆浴場は、パン窯の余熱で湯を沸かすタイプの代物である。パン屋が全力稼働している以上、これを利用しない手は無い。村長に頼み込み、なんとか兵士たちを風呂に入れてやる許可を取ることに成功していた。

 傷病者と子供以外の蛮族は村に入れてはならないという決まりだが、入浴の場合に限り入村を認めてもらえることになったのだ。もちろん、様々な制限を課したうえでのことではあるが。とにもかくにも、これで衛生状態ははるかに改善することは間違いない。たいへんに有難い話である。

 

「おや、それは嬉しいですね。……ところで、アル様はどうされるのですか?」

 

「僕か? 僕はまあ、最後でいいよ。軍人では、僕だけが男なわけだし。一人だけ特別扱いで浴室を独占するのも悪いだろ?」

 

 王都の公衆浴場と違い、この村の浴場は男湯と女湯で別れていない。まあ、男が極端に少ない世界なのだから、仕方が無いのだが……。いや、前世の世界でも、昔は混浴が普通だったっけ? 歴史はそれなりに好きだが、流石にその辺りの記憶はあいまいだな……。

 

「いけませんよ、アル様。あの小汚い連中が使った後の風呂などに入ったら、綺麗になるどころか病気になってしまいますよ」

 

「う……」

 

 確かに、その通りである。ソニアの発言は差別的に聞こえるが、我々は戦場帰りで、しかも今は沐浴すらためらうような気温の季節だ。二週間以上水浴びすらせず働き続けていた者も多い。その汚さは尋常なものではないのだ。兵士たちが一斉に入浴した後の湯舟は、真っ黒に濁っているにちがいない……。

 

「なら、僕は身体を拭くだけにとどめよう。まあ、もう少しすればカルレラ市に戻れる。入浴は、それまでの辛抱ということで……」

 

「いけませんよ、アル様。総指揮官が一人だけ風呂に入らないようなことがあれば、下々の者どもは遠慮してしまいます。衛生状態の改善は急務、まずはアル様自身が率先して身綺麗にならねば」

 

「……一理あるが、時間は有限だろう。僕一人が、公衆浴場を独占するのか? そのぶん、兵士たちの入浴時間が圧迫されてしまう。なにしろ我々は、二千人の大所帯だ。時間を効率よく使わねば、全員が入浴することはできないぞ」

 

 なにしろアッダ村は人口数百人の小さな集落だ。とうぜん、浴場の大きさも集落の規模にあった小ぢんまりとしたものである。一度に入浴できる人間の数は限られている。

 その上、蛮族の入村許可は入浴に限った例外的な措置だ。浴場の前で蛮族どもが長蛇の列を作っては村人たちが怯えてしまうので、小さなグループに分けて順番に村に入れてやらねばならない。入浴者の入れ替えのために、かなり余計な時間を浪費せねばならないということだ。……一日や二日では、全員が入浴し終えるのはムリだろうな。

 

「なんの問題があるのか、理解できませんね。アル様も、我々と一緒に混浴すればよいのです」

 

「……は?」

 

 混浴? は? いったい何を言ってるんだ、この副官は。こちとら未婚の男やぞ!? そんなことしたらお婿に行けなくなるんだが!?

 

「……何を驚いているのですか? 子供の頃は、毎日のようにわたしと一緒に入浴していたではありませんか」

 

「いや、確かにそうだが……」

 

 幼馴染だからね、まあそういう経験はあるよ。ただ、それはあくまで子供の頃の話だろうに。お互い、図体はずいぶんとデカくなってしまった。あの頃と同じような気持ちで混浴するなど、もはや不可能である。僕はソニアのクソデカおっぱいを睨みつけながら、唇を尖らせた。

 

「むろん、御身はわたしとジルベルトがお守りいたします。あのカマキリ以外は、なんの脅威にもならぬでしょう。ご安心を」

 

「わたしも!?」

 

 ソニアの言葉に、ジルベルトはポロリと煙草を取り落とした……。



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第345話 カタブツ子爵と悪だくみ

「ちょっとちょっとちょっと! いったいどういうおつもりですか!?」

 

 わたし、ジルベルト・プレヴォは、ソニア様を強引に天幕の外に引きずりだしてからそう聞いた。混浴の件で、わたしはすっかりたまげていた。ソニア様ご自身が主様と混浴しようというのは、まだわかる。もっともらしい理由をつけて主様をまるめこみ、己の獣欲を見たそうとするのはこの方がよく使う手だからな。

 だが、それにわたしが巻き込まれるというのは流石に予想外だった。未婚の男女が同じ風呂に入るなど、ありえない話だ。ソニア様と違って、わたしにはキチンとした貞操観念があるのだ。そのようなふしだらな真似はできない。

 

「あ、あ、主様と混浴ぅ!? いったい、また、どうして……ええ?」

 

 とりあえずソニア様を街道脇の木陰に連れ込んだはいいものの、わたしの思考はまったくまとまらなかった。正直に言えば、風呂の話題が出た時点で主様の裸身を妄想することが止められなくなっていたからだ。

 これはわたしがスケベなのではなく、戦地から返ってきたばかりということで、性欲が溜まっているせいである。当たり前だが、作戦中や行軍中には性欲解消などできないからな。仕方のない事だ。仕方のない事なのだ。スケベなのは主様であってわたしではない。

 

「性欲が溜まりすぎてトチ狂ったんですか!?」

 

「言うに事を欠いてトチ狂ったはないだろ!?」

 

 わたしの剣幕に困惑していたソニア様が、思わず叫んだ。そして二人して、あわてて周囲を見回す。こんなくだらぬ話をしているところ部下に見られたら、大事である。主様に見られたのならもう致命傷だ。

 幸いにも、周囲の兵士たちは野営地の設営のために忙しく、こちらを気にしている余裕などないようだった。二人そろって胸を撫でおろす。

 

「ジルベルト、正直なところを聞きたい。貴様はアル様と混浴したくないのか? あの裸身が、見たくはないのか?」

 

「見たいですが! 見たいですが、しかし、それは……!」

 

 むろん、わたしも健全な女である。そりゃあ混浴だってしたいに決まっている。主様の裸身はソニア様の盗撮写真に写されたものを何度か目にしたことはあるが、やはりナマで拝見したいという気分はもちろんあった。

 だが、淑女としてはそのような欲望を表に出すのは流石にどうかと思うのだ。色ボケのソニア様と違って、わたしには慎みと言うものがある。

 

「だったら、良いではないか。将来の夫のハダカだぞ、見て何が悪い!」

 

「しょ、将来の夫!? ソニア様と、主様が……ということですか?」

 

「それもそうだし、アル様と貴様もそうだ」

 

「……は?」

 

 ソニア様の言っていることが理解できず、わたしは首を傾げた。色ボケを極めすぎて処女にもかかわらず性病にかかり、頭にまで毒が回ってしまったのだろうか?

 

「……ジルベルト。わたしは今まで、自分一人で何でもできると思っていた。だが、先日の一件で、それがとんでもない自惚れであることに気付いたのだ」

 

「先日の一件というと……」

 

「アル様があのカマキリに拉致された事件だ。あの時、わたしは無様にも取り乱し、アル様の部下としてふさわしくないような真似をしてしまった。貴様に喝を入れてもらわなければ、どうなっていたことか……」

 

 ソニア様はしみじみとした声音でそう言ってから、両手を私の肩に乗せた。

 

「ジルベルトは、腹の据わった真の軍人だ。わたしとは違う。だが……わたしもいつまでも未熟なままではいられない。アル様のお傍にいられるためにな。……そこで、貴様に頼みがある」

 

「……なんなりとお申し付けください」

 

 ソニア様がそこまで私を買ってくれていたとは! さすがに驚いて、わたしは少し感動してしまった。ソニア様は色ボケだが、間違いなくガレア王国きっての天才騎士だ。そんな彼女にここまで言われるというのは、なんとも面はゆい話である。

 

「わたしの義姉になってくれないか?」

 

「は?」

 

「いわゆる、そう……義姉妹というヤツだ。義妹として、わたしは貴様から軍人としての心意気を学びたい。そう……アル様とカリーナのようにな」

 

 この頃すっかり見違えるようになった牛獣人の騎士見習いの名前を出してから、ソニア様は私の目をじっと見てきた。……彼女ほどの騎士にここまで言われて、断れる騎士はいるだろうか? いいや、いまい。わたしはほとんど反射的に頷いていた。

 

「わ、わたしなどでよろしいのでしたら、是非とも」

 

「ああ、ありがとう。義姉上。あなたならば、そう言ってくれると信じていた」

 

 ソニア様はニコリと笑い、わたしを抱擁した。そして、耳元でこう囁く。

 

「で、だ……姉妹であれば、夫を共有するのは不自然ではあるまい?」

 

「え……? いや、確かにその通りではありますが……」

 

 女余りはエルフどもだけの専売特許ではない。ガレア王国でもやはり男性は貴重で、貴族であっても教会の推奨する一夫二妻以上の重婚をしている者も多かった。中でも多いのが、姉妹間で夫を共有するやり方だ。

 

「悪くはない……考えだと思うのだ。どうせ、我らはリースベンの二本柱。公私に渡って、二人でアル様をお支えするのも悪くはないだろう」

 

「ソニア様……」

 

 そっぽを向きながらそんなことを言うソニア様に、わたしは思わず目頭が熱くなった。

 

「義姉妹なのだから、様はつけなくて良い。……それに、エルフどもの問題もある。ダライヤといい、フェザリアといい、明らかにアル様を狙っている様子。我々も、うかうかはしていられない。これは単なるカンだが、いい加減に勝負を決めないとまずい気がしてきた」

 

「ウカウカしていたのはソニア様だけでは?」

 

「義姉妹になっても毒舌は変わらんなぁ!? それに貴様も愛を告げようとして途中で挫折していたではないかっ! 人のことをどうこう言えた義理か!?」

 

「……」

 

「……」

 

「やめませんか、この話は」

 

「あなたの方から振ってきた話題だろうに……まあいいが」

 

 深いため息をついてから、ソニア様……いや、ソニアは薄く笑った。

 

「まあ、何にせよだ。お互い溜まっているのは一緒だろう? これだけ難儀をしたのだから、将来の夫の裸身を肴に一杯やるくらいの役得があっても良かろう、ということだ」

 

「アッ、そういえばそんな話でしたね……」

 

 義姉妹云々のせいで誤魔化されていたが、よく考えればもともとはそういう話だった。……なんでこんな下世話な話を発端として、一生を左右するような重要な決断をしなくてはならなくなったのだろうか? 本当に意味が解らない。

 

「それに、混浴はアル様ご自身のためにもなる。覗きや変質者の乱入などの恐れがあると、アル様もゆっくり落ち着いて身を清めることもできないだろう。しかし我らがお傍に居れば、兵や蛮族どもも余計な手出しはできまい」

 

「な、なるほど……あくまで本命は、主様の護衛……というわけですか」

 

「その通りだ」

 

 ソニアはいけしゃあしゃあと頷いた。変質者はお前だろうと言いたくなったが、わたしも人のことを言えた義理ではないので口をつぐんでおくことにする。しかし、主様と混浴、混浴かぁ……。

 

「……そういうことでしたら、わたしにも否やはありません。全身全霊を尽くして、主様の心身をお守りする所存」

 

 たんなる不埒な欲望を満たすためだけの混浴であれば、むろん止めるが……そういう事情ならば致し方あるまい。わたしは仕方なく、そう、仕方なくソニアの策に乗ることにした。……仕方なくだからな!

 

「わたしも大概だがお前も大概だなあ……」

 

「何かおっしゃいましたか?」

 

「いや何も」



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第346話 くっころ男騎士と混浴

 おっぱいがいっぱいだ。半ば現実逃避気味に、僕はそんな下らない言葉を心の中で呟いた。結局のところ、僕はソニアの提案を受けてしまったのである。実際彼女のいう通り子供の頃はソニアと風呂に入ったことは何度もあったし、己のスケベ心を抑えきれなかったという部分もある。いい加減僕もストレスでちょっとおかしくなっていた。

 まあ、頷いてしまった者は仕方ない。結局、ソニアとジルベルトと共にアッダ村の公衆浴場に向かうことになったのだが……どこからともなくこの件について聞きつけてきたダライヤ氏ら蛮族どもの幹部陣が、自分たちも混ぜろと要求してきたのである。彼女ら曰く

 

「湯と時間を節約するというのならば、できるだけ大勢で入浴したほうが効率的である」

 

 ……ということらしい。むろんソニアもジルベルトも反対したのだが、彼女らのいうことももっともなのである。結局、激論の末に手の空いている幹部はとりあえず一斉入浴、ということになってしまった。

 

「いい身体しとるのぉ~。ホンット、良い身体じゃのぅ~」

 

 ふんすふんすと鼻息を荒くしながら、ダライヤ氏が僕の背中を洗っている。なぜ彼女がこんなことをしているかと言えば……僕にもよくわからない。気付いたらこういうことになっていた。僕は虚無めいた顔をしながら、こっそりと周囲を見回す。

 所詮は田舎の公衆浴場だ。その様相は王都のソレのようなタイル張りの広大かつ立派なモノとは全く違う。飾り気のない石造りの部屋に木製の大型バスタブをデンと設置しただけの、ひどく簡素な代物だった。

 そんな素朴な浴室で、様々な美女が湯につかっている。ソニアにジルベルト、フェザリアにゼラ。他にもエルフの長老やらアリ虫人の幹部やら、二十人ばかりの姿があった。

 

「……」

 

 なんだろう、すごく場違いである。何で僕はこんな場所に居るのだろうか? 竜人(ドラゴニュート)やアリ虫人は大柄な者が多く、胸部の方もそれ相応にデカい。一方、エルフの方は胸の大きさこそ慎ましやかだが、均整の取れたプロポーションと白磁めいた肌のおかげで、稀代の名工が作り上げた陶像のように美しかった。

 いや、本当にヤバい。デカいのから小さいのまでより取り見取りの鑑賞し放題。眼福を通り越して目が生活習慣病になりそうな過栄養っぷりである。

 が、ハッキリ言って僕はこの状況を楽しめるほど神経が太くなかった。こんな状態で自分一人だけが男というのだから、場違い感が尋常ではない。しかも、どいつもこいつもめちゃくちゃ僕をチラチラ見てくるんだよ! そんなにみたいならいっそガン見しろや! 落ち着かないんだよ!

 

「どうした、そんなに固くなって。ウヒヒ、固くするなら別の場所を固くしてもらいたいのじゃがのぅ」

 

 背中を洗う手を止め、ダライヤ氏がそんなことを耳元で囁いてくる。アデライド宰相に勝るともおとらないセクハラ発言だったが、その声音はひどく色っぽい。背中がゾクゾクしてきた。こ、このロリババア……!

 

「余計なことをしたら背中流しは即中止、くじ引きの時にそう念押ししたはずだが?」

 

 が、ロリババアのセクハラ攻勢は長くは続かなかった。彼女の肩を、ソニアがむんずと掴んだのである。ソニアはそのままダライヤ氏を湯船にぶん投げる。バシャンと大きな音がして、大きな水柱が上がった。

 

「グワーッ!?」

 

 悲鳴を上げるダライヤ氏。だが、この程度で終わるソニアではない。彼女は憤怒の表情で「教育が必要だな……」と呟き、自らも湯船にざぶざぶと侵入。半ば伸びた状態のダライヤ氏に追撃を仕掛けた。

 

「アッよせ! 水中で関節技はよくない! 水中で関節技はめっぽうよくない! アアッ!?」

 

 全力で抵抗するダライヤ氏だが、対格差はいかんともしがたい。そのままソニアの手により風呂に沈められてしまった。……どうでもいいけど風呂に沈められるって表現、なんか別の意味に聞こえるな。

 

「はぁ……」

 

 僕はため息をつきながら、桶に入れておいた湯で全身の泡を流した。何はともあれ、長期作戦で溜まりに溜まった汗と垢はすっかり洗い流すことが出来た。流石にそろそろ不快になっていたので、気分はスッキリである。

 ……ま、別のアレはスッキリからは程遠い状態だけどな! 溜まっているのは垢だけではないのである。下半身に集まりつつある血流を意識しながら、僕は考え込んだ。

 

「……」

 

 このままではマズい。非常にマズい。こんなハダカの女性ばかりの場所で息子が元気になっていることがバレたら、大変なことになってしまう。……いっそ大変なことになってしまいたいが、僕は腐っても貴族。そういうマネはできないのである。悲しいね。

 とにかく、気分を鎮めなければ立ち上がることすらままならない。……まあ、これでも僕は女ばかりの空間で長年飯を食ってきた人間だ。人に自慢できる特技ではないが、勃起コントロールなどお手のものだ。

 僕は無言で、前世の記憶を思い出した。路肩爆弾で吹き飛ぶ、部下が大勢乗った四輪駆動車(ハンヴィー)。親切顔で近づいてきて裏ではこちらの情報をゲリラに売っていた露天商の少女。自爆テロで黒焦げになったベビーカー……。

 

「よっし」

 

 ちょっとトラウマを掘り起こしてやれば、スケベな気分などあっというまに吹き飛んでしまう。僕はコックリと頷いてから、湯舟から水を汲んでもう一度身体を流した。そのまま、風呂桶の中に入る。

 

「ふう……」

 

 絞った手ぬぐいを頭にのせながら、僕は大きく息を吐いた。熱めのお湯が、大変に心地よい。全身に溜まった疲れが解け落ちていくような感覚だった。

 

「ううむ……これは」

 

 しかし、問題が一つ。僕は手でお湯をすくい、天窓から入ってくる光にかざしてみる。お湯は、もう若干濁っていた。全員キチンと体を洗ってから湯船に入るよう命じていたのにも関わらず、この始末。皆二週間以上マトモに入浴していないのだから仕方が無いが、この汚れ方はちょっと予想外である。

 

「この人数でちょっと入浴しただけで、こうなるか。兵隊どもが一斉に入ったら、あっという間に風呂だか汚水溜まりだかわからなくなりそうだな……」

 

「確かにそうですね……」

 

 いつの間にかスススと近寄ってきたジルベルトが、それを見てコクリと頷いた。……ソニアよりはだいぶ小柄(まあそれでも僕よりは背が高いが)な彼女だが、胸の方は決して負けてないな。い、いや、いかん。視線がついついヘンな方に行ってしまう。溜まってるなあ、僕。

 いや、まあ、ジルベルトのほうも大概なんだけど。五秒に一回くらいのペースで、滅茶苦茶チラ見されている。視線の先は僕の胸だった。男の胸なんか見て何が楽しいのか僕には理解できないんだが……。

 

「衛生状態の改善のために入浴させるわけだから、わざわざ汚い水に浸からせるわけにはいかんな。時間がもったいないが、ある程度のペースで水は交換したほうが良いかもしれない」

 

「水汲みや薪の運搬は、私の配下の歩兵にやらせましょう。エルフ兵や陸戦隊と違って、彼女らは本格的な戦闘に参加しておりません。体力には余裕があるはずです」

 

「よし、任せた。ただ、自分たちだけ余計に働かされていると不満が出るのもよろしくない。酒や香草茶を多めに配給できるよう、手配しておこう」

 

「助かります」

 

 コックリと頷くジルベルト。その目はやっぱり僕の胸をチラチラ見ている。そんなに見たいならいっそガン見しなさいよ……。

 

「兄貴はこがいな時でも真面目じゃのぉ」

 

 そこへ、湯をざぱざぱとかき分けてゼラがやってきた。どうやら酒が入っているようで、その顔は紅潮している。よく見れば、片手には陶器製の貧乏徳利などを持っていた。

 

「仕事熱心なんは大変結構じゃが、気ぃ張り詰めすぎると肝心な時に調子が出んのよ。休む時はやすまにゃ」

 

 そう言って、ゼラは貧乏徳利に直接口をつけて一口飲み、そして僕へと押し付けてくる。飲め、ということらしい。ガッツリ間接キスやがな。……まあいいか。しばらく禁酒状態なんだから、ちょっとくらい吞んだってバチは当たるまい。

 

「悪いね」

 

 そっと酒を飲んでみると、徳利の中身は芋焼酎だった。サツマイモ臭さが口と鼻いっぱいに広がる。

 

「……おや、エルフ酒か。君たちもイモで酒を造るんだな」

 

「いんや、コイツは先日ブチのめしたエルフ兵から頂いたモノじゃが」

 

「……あ、そう」

 

 僕は何とも言えない表情になって、徳利をジルベルトに手渡した。……戦利品かぁ。まあいいけどさあ。

 

「……」

 

 ジルベルトは、どうやら僕以上に間接キスが気になるらしい。しばらく飲み口を眺めて顔を真っ赤にしていた彼女だが、思い切った様子で徳利をあおる。

 

「おっ、ええ飲みっぷりじゃないの。イケるクチかい、ジルベルトの姉貴。 ……おい手前ら! 兄貴がたが酒をご所望だ! 今すぐもってこんかい!」

 

 それを見たゼラがニヤリと笑い、部下たちにそう命じた。……いや、その、今は一応仕事中なんだけどね? まったく、困ったものだと思わず苦笑する。

 ……しっかし、ゼラも凄いおっぱいだな。サイズも大きいし、ツンと上を向いている。たいへんに形が良いロケットおっぱいだ。……いや、何をまじまじと観察しているんだ僕は。まあ、ゼラをはじめとしたアリ虫人連中は、普段からほぼハダカみたいな格好をしているわけだが。それにしてもだろ。くそう、僕もどうやらジルベルトを笑える立場にはないようだな……。



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第347話 くっころ男騎士とエルフ式マッサージ

「大変申し訳ありませんでした……!」

 

「まさかこのようなことになるとは思っておらず……わたしの不明の致すところであります……!」

 

 風呂から上がって早々、僕はソニアとジルベルトの二人から謝罪を受けた。場所は、公衆浴場に併設された休憩所だ。普段ならマッサージ師等が詰めている施設ではあるが、今はガランとしている。蛮族が大挙して押し寄せたという話を聞いて逃げ出してしまったのだろう。

 

「これほど多くのバカどもが詰めかけるとは……ちょっと想像すればわかることだったのに、失念しておりました。なんとお詫びすればよいのやら」

 

「いいよいいよ、見られて減るもんじゃないし」

 

 僕は燕麦ビールを片手に、軽く笑って頷いた。実際、悪い経験ではなかった。あれほどの数の美女との混浴なんて、そうそうできる経験じゃないからな。前世の世界なら、暗黒カネモチかハイパーヤリチンチャラ男にしか許されない所業だろ。

 

「名誉も尊厳も減りますよ……!」

 

「この程度で棄損されるような名誉や尊厳なんてあっても無くても一緒だよ」

 

 冗談めかしてそう言いながら、僕はビールを飲む。井戸水でよく冷やされたビールが熱い湯で火照った身体によく染みた。あー、うまい。生きてる~って感じだ。

 いっそのことこのまま飲み会でも始めたい気分なんだが、まだ仕事が残っている以上そういう訳にもいかない。悲しいね。いい加減にそろそろ羽を伸ばしたいんだが。……まあいいか。酔っぱらわない程度とはいえ、勤務中に飲酒なんて前世じゃ許されない行為だったしな。飲めるだけでも幸せと思わにゃ。

 

「ただ、流石にちょっとくたびれたよ。少し休んでから合流するから、君たちは先に戻って貰ってかまわんかね?」

 

 もうすっかり休みたい気分になっていたが、仕事はまだこれからが本番である。食料を始めとした物資を分配したり、野営地を立てたり、兵隊どもを順番に風呂に入れたり……やることはいくらでもあった。

 特に、最後のヤツが問題だった。思った以上に湯が汚れやすいこと、浴室が狭いことが判明したからな。兵士全員が湯浴みを終えるまでに、いったいどれほどの時間がかかるのだろうか? 少なくとも、一日や二日では完了しないのは間違いない。

 まあ、村人らに余計な負担がかかるということに目をつぶれば、時間がかかること自体には問題は無いがね。部隊とそれについてきた民間人たちは、長期にわたる戦闘と行軍により疲れ果てている。いい加減、養生が必要だった。嫌が応でも、しばしの間この村の郊外に逗留せねばならないだろう。

 

「……承知いたしました。護衛の騎士を残していきますので、何かあったらそちらにお願いします」

 

 不承不承と言った様子で頷いた二人は、そのまま休憩所から去っていった。……態度には出さないようにしているようだが、二人ともそうとう落ち込んでるみたいだな。後でフォローしておいたほうが良さそうだ。

 部下に気分よく働いてもらうというのは、本当に大変なものだなあ。そんなことを思いながらビールをまた飲み、周囲を見回す。それなりに広い休憩所だが、人はあまりいない。フェザリアやゼラといった幹部連中は、すでに本陣へと戻っていた。みんな、それぞれやるべき仕事が山のようにあるのだ。ゆっくり休んでいるような暇はなかった。

 

「はぁ……」

 

 僕もこんなところで油を売ってないで、さっさと仕事に戻るべきなんだが……どうにも気力がわかない。身体も精神も休養を欲している感じがある。養生のための入浴のはずが、かえって疲れ果ててしまった。

 それに、脳内にはいまだにあの肌色空間の光景がチラチラとフラッシュバックしてるしな。半月以上自家発電すらしてないんだよこっちは。いい加減溜まってるんだ。そんな状態であんな目にあったら、悶々とした気分になるのも致し方のない事だろ。

 

「……」

 

 ちょうど手近なところに寝台があったので、僕はその上にうつ伏せに寝ころんだ。おそらく、マッサージ師が施術をするためのモノだろう。風呂文化が発達したガレア王国では、この手の商売はどこでもやっている。

 

「お疲れじゃのぅ」

 

 そんな僕の背中を、ぽんと叩くものがいた。顔を見なくてもわかる。ダライヤ氏だ。

 

「まあ、いろいろあったしな……いい加減一休みしたい気分だよ」

 

 僕は珍しく本音を吐露した。周りにいる部下は、休憩室の出入り口を守っている数名の騎士のみ。この距離であれば、小声なら届くまい。……まあ、ダライヤ氏も今となっては部下には違いないので、あまり愚痴めいたことをいうのは憚られるのだが。しかしまあ、相手は四桁の年寄り。少しくらいは甘えたっていいだろう。

 

「どれほど強靭なモノでも、張り詰めるばかりではいずれ壊れてしまう。時に弛緩する、というのも大切なことじゃよ」

 

「まあ、そうだろうね。とはいえ、仕事は待ってくれない訳だが……」

 

 ため息を吐いてから、僕は枕元においたビールをちらりと見た。この格好でアレを飲むのは、なかなか難しそうだ。起き上がればいいわけだが、その気力も湧いてこなかった。

 

「というか、ダライヤ殿。怠けている僕が言うのもなんだが、君はこんなところでゆったりしていて大丈夫なのか? 我々の勢力の中では、君が一番多くの部下を抱えているはずだが」

 

「居ても居なくても同じじゃよ、ワシなど。この頃のあ奴らは、ワシのいうことなど何も聞いてはくれん。みな、すっかりオヌシに心酔してしまった様子でのぅ? 口うるさい年寄りのいうことなど聞けるか! と言わんばかりの態度よ」

 

「あ、そう……」

 

 話の内容の割には、ダライヤ氏は嬉しそうな様子だった。背負い込んでいた責任が勝手に僕の方に移っていったんで、喜んでいるのかもしれない。……そうは行かんぞクソロリババアめ。隠居なんぞぜったいに許す気はない。僕にこれほどの苦労を背負わせたのだから、貴方もそれ相応の責任は受け持ってもらう。

 

「ま、そういう訳でワシは手すきなんじゃが……だからと言って、一人遊び惚けているわけにもいかんじゃろう。そこで、お疲れの総大将殿をねぎらいにきたわけじゃ」

 

 そう言ってダライヤ氏は、僕の背中にまたがってきた。そしてその小さな手で、僕の背中をぐいぐいともみ始める。

 

「……マッサージってこと?」

 

「そうじゃ。聞いた話では、この部屋は按摩(あんま)のための場なのじゃろう? ワシも伊達で年を食っているわけではないからのぅ。手慰み程度じゃが、その手の技術ももっておる」

 

「へぇ? ……んっ、こりゃいいな。それじゃあ悪いが、お任せしようかな」

 

 腰や背中を揉むダライヤ氏の手つきは、確かにかなりこなれたものだった。痛いともくすぐったいともつかない独特な感覚が僕を襲う。なかなか気持ちがいい。

 

「うむうむ、お任せあれじゃ。……フウン、しかしなかなかこれは……凝っておるのぅ」

 

 僕の尻あたりに座りながら、ロリババアは全身を使ってマッサージをしてくる。童女のような高い体温がこちらに伝わってきて、なにやらヤバいサービスを受けている気分だった。

 

「アーイイ、これはイイ……」

 

 ダライヤ氏の自信ありげな言葉は嘘ではなかった。戦闘や行軍で溜まった疲れが、ロリババアの老練な手つきで氷解していく。大変に気持ちがいい。たまにカリーナもマッサージしてくれるんだが、正直そちらより遥かに上手かった。

 

「んふ、んふふふ。そんな声をあげて、()いヤツじゃのぅ……」

 

 護衛の騎士の方をちらりと見つつ、ダライヤ氏はそう言った。そしてそっと僕の耳元に口を寄せ、囁いてくる。背中にロリババアの薄い胸がペタリと密着し、大変に危険な感じだ。

 

「ところで、この機会にちょっと相談しておきたいことがあるんじゃが」

 

「……というと?」

 

 こっちが緩んでる隙になんかブチこんでくる気だなコイツ。そう直感して、思考にかかっていた霧がスッと晴れていく。このロリババアは油断できる相手ではない。夢見心地で交渉すればケツの毛までむしられそうだ。

 

「そう警戒する必要はないじゃろうに……まあいい。相談したいことというのは、我らの将来についてじゃ」

 

 ちょっと心外そうな様子で、ダライヤ氏はそう囁く。……こいつ、見た目は童女なのになんでこんな色っぽい声を出せるんだろうか? 不思議でならん。

 

「将来……と言ってもな。現状では大したことはできん。とりあえず本格的な集落作りは春が来てからじゃないと難しいから、まずは冬営地の準備を……」

 

「それはエルフの将来について、じゃろう? ワシが言っているのは、もっと個人的なコトじゃよ」

 

 ニィと笑って、彼女は僕の耳たぶを蠱惑的に引っ張る。そしてその耳元へ更に口を寄せ、息を吹きかけるように囁いた。

 

「そう、個人的な……ワシとオヌシの将来について。……率直に言おう。ワシと結婚せぬか?」



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第348話 くっころ男騎士とプロポーズ

「率直に言おう。ワシと結婚せぬか?」

 

「……はっ!?」

 

 ロリババアの突然のプロポーズに、僕は思わず凍り付いた。あまりにも唐突すぎて、幻聴や夢を疑うレベルだ。おもわず自分のほっぺたを引っ張ってしまうが、やはり痛い。どうやらこれは現実のようだ。

 

「なにをそれほど驚いておるのじゃ? ごく自然な話じゃろう、これは」

 

 体重をかけて僕の腰のツボを押しながら、ダライヤ氏はさらにそう囁きかけてきた。ジリジリとした快感と、密着したロリババアの肉体の感触が僕の脳髄を刺激する。

 

「現状を考えても見るのじゃ。今のリースベンは、外国(とつくに)の入植者と地元豪族が結びついた状況。この盟を深化・盤弱化をさせるには、政略結婚こそが最も手っ取り早い手段じゃろう」

 

「う、確かにそうだが……しかし……アッ、そこは……ああっ!」

 

 腰や背中のツボを的確に刺激され、僕は思わず上ずった声が出た。

 

「というのが、建前」

 

「た、建前!?」

 

「うむ……。実際のところ、ワシとしてはそんなことはどうでも良い。なにしろ、ワシはオヌシに心底惚れこんでおるのじゃ。政略結婚の必要があろうとなかろうと関係なく、ワシはオヌシと結婚したい……」

 

 僕の背中にべったりと横ばいになり、ダライヤ氏はそう囁いてくる。アッ! これはマズイ! 大変にマズい! ロリババアの薄い胸が密着して……アアッ!

 護衛! 護衛ー! 一体なにをやってるんだ! 上司が狼藉を働かれているんだぞ! おい! そんなことを思いながら護衛役の幼馴染騎士たちのほうに目をやると、彼女らはニッと笑ってサムズアップしてきた。えっえっ、何その反応……えっ!?

 ……あ! そういやちょっと前、私的な飲み会の席であいつらに「そろそろ結婚したいが相手がいなくて困った」なんて相談をした覚えがある。その時は微妙な表情ではぐらかされてしまったが……。

 

「良かったじゃないですかアル様、お相手が現れましたよ」

 

「いい加減にじれったくなってきたんでねぇ、そろそろ当て馬が必要かなと。そのエルフなら丁度良いでしょう?」

 

「いつまでも幼馴染以上夫婦未満な関係を続けられても、いろいろと困るんでね。そろそろ身を固めてくださいな」

 

 どこからともなく取り出した干し芋をかじりつつ、幼馴染騎士どもはそんなことを言う。……き、貴様らー! 裏切りやがったな!

 

「数百年……いや千年以上をかけて、やっと見つけることが出来た。オヌシの、アルベールの隣が、永きにわたるワシの人生の、最後の居場所。終の棲家。オヌシの子を産み、育てることが、ワシの最後の仕事なんじゃ」

 

 オヌシの子、という単語を口にするのと同時に、ダライヤ氏はその白魚のような指先でツーッと僕の背中をなぞった。なんとも色っぽい手つきである。せっかく大人しくなっていたアレが、また元気になりつつあるのでそういうことをするのは本気でやめてほしい。

 

「愛しておるぞ、アルベール……なあ、答えを聞かせてくれ。オヌシは、ワシが嫌いか……?」

 

「き、嫌いじゃないけどぉ、むしろ好きだけどぉ……」

 

 このロリババアは性悪の腐れ外道だが、それはそれとしてひどくあざといのである。こういう一癖も二癖もあるタイプは、正直言ってかなり好みだ。しかも外見は童女で中身は老練な悪女という凄まじいギャップが、大変によろしくない。前世の頃から、僕はロリババアが大好きだったのだ。

 

「じゃったら、良いじゃろぉ? なぁ……? ワシは気付いておるのじゃぞ、オヌシが事あるごとにこちらを色っぽい目つきで見ておることを。ワシのような女が性癖なんじゃろ? ワシもオヌシのような男が性癖なんじゃ……相性抜群ではないか。なぁなぁ、ワシと結婚しておくれぇ?」

 

 こ、このロリババア……! 気付いてやがったのか!? ……いやそりゃ気付くか! 異性からの性欲の籠った視線って、めちゃくちゃわかりやすいもんな! 僕もアデライド宰相からよく同様の視線を投げつけられているので、よーくわかる。

 

「いや、しかし、その……僕は」

 

 正直、頷いてしまいたい気分はだいぶあった。実際このロリババアは大変に魅力的だし、政治的な意味でもこの結婚の意義は大きい。今は何とか大人しくなっているエルフどもだが、いつまた暴れだすかわかったもんじゃないからな。血縁と言う形で首輪をつけておくというのは、たいへんに有効な手だろう。

 だが、それがわかっていても、僕はすぐに頷くことが出来ずにいた。僕の脳裏にチラついているのは、ジルベルトの顔だ。告白こそ未遂に終わったが、どうやら彼女が僕に好意を抱いているらしいというのは、朴念仁の自覚のある僕ですら理解できていた。ここでロリババアの提案を飲んでしまうのは、彼女に対しての深刻な裏切り行為になってしまうのではなかろうか?

 

「なんじゃ? 問題でもあるのか?」

 

「その……なんだ。ブロンダン家は、只人(ヒューム)の貴族。跡継ぎがエルフというのは、いろいろとマズイというか……」

 

「何を言っておるのじゃオヌシは。別に、ワシはブロンダン家を乗っ取りたいわけではない。跡継ぎには只人(ヒューム)の子を当てれば良かろ?」

 

 ひどく呆れた様子でダライヤ氏はそう言い、そしてニヤッと笑う。

 

「……そういえば、オヌシの周りには只人(ヒューム)女の影が見えぬのぅ。もしや、相手がおらぬのか? じゃったら、ワシに任せておけ。気立ての良い娘を紹介してやろう。これで、世継問題も解決じゃ。なぁ? アルベール、ウンと言え。それでオヌシは幸せになれる」

 

「うっ……」

 

 アアーッ!! 一瞬で逃げ道がふさがれた!! く、くそ……四桁処女の癖に強すぎる……

 

「なんじゃその顔は。もしや、心に決めた相手でもおるのか? 構わん構わん、ワシもオヌシを独占できるとは思ってはおらん。なにやら障害があって想いを伝えられぬ相手だというのなら、口説くのを手伝ってもよいぞ? ン? どうじゃ、ワシの助力は欲しくないか?」

 

「重婚上等!?」

 

 なんやねんそれ。僕は思わず咳き込みそうになってしまった。なにしろ僕の母は世間の常識を無視して強引に一夫一妻をやっているような人だ。いくら一夫二妻やそれ以上の重婚関係が一般的だと言っても。積極的にそれを推進するというのは正直理解しがたいものがある。

 

「良い夫は共有すべし、それがエルフの教えじゃ。実際、ワシもオヌシをフェザリアと共有しようと思っておるし」

 

「はぁ!?」

 

 困惑の声を上げる僕を見て、ダライヤ氏はわざとらしい態度でため息をついた。そして身体をくっつけたままズリズリと僕の首元へ顔を寄せ、強引に唇を奪う。唇に当たる柔らかい感触と、いっそ神秘的なほど美しい童女のご尊顔のどアップに、僕の心臓は最高潮のビートを刻み始めた。

 

「うるさい口じゃのぉ! ……まあよい。とにかく、さっさと返答をくれ! オヌシはワシと結婚してくれるのか? はい? イエス? さあ、どっちじゃ!」

 

 そう言って赤面しつつキスしたばかりの己の唇をペロリと舐めるダライヤ氏は、理性が吹っ飛びそうなほど可愛かった。が、しかし、だからといって今すぐ頷けるかと言えば、かなり微妙である。結論を急がせるような輩は、だいたい詐欺師と相場が決まっているしな。

 

「ちょっと、ちょっと待ってくれ! こ、心の準備が……」

 

「んもーっ! 煮え切らんのぅ! しゃーない、一晩待ってやろう! その代わり、ここで一発ヤらせておくれ! ワシはもう限界なんじゃ! オヌシも限界じゃろう? うつ伏せになっていれば勃起に気付かれぬとでも思っておったのか愚か者め! 丸わかりなんじゃ!」

 

「う、ウワーッ!!」

 

 ダライヤ氏が僕の身体を強引にひっくり返そうとした、その瞬間である。彼女の肩を、むんずと掴む者がいた。護衛の幼馴染騎士たちである。

 

「いけませんねぇお客さん、ウチは本番はナシだと言ったでしょう?」

 

「イモ三〇キロしかもらってないんでね、忍耐もイモ三〇キロぶんのみですわ。それ以上やろうってんなら、最低でも三〇トンは頂かなきゃ」

 

「というか我々の本命はアンタじゃないんでね、そろそろ退場してもらわにゃ困ります。オシオキが必要そうなので、もう一回風呂に沈んでもらいましょうか」

 

「グワーッ! なんじゃ貴様ら、ワイロを受け取るだけ受け取っておいて、肝心なところで止めるのか!? なんたる不義理!! やめろ、はなすのじゃーっ!」

 

 全力で抵抗するダライヤ氏だが、いかなエルフでも屈強な竜人(ドラゴニュート)三名に抑え込まれてしまえばどうしようもない。彼女はそのままズルズルと部屋の外の引きずり出されていった……。

 ……なんか聞き捨てならない発言が聞こえたな。え、何? あいつら、買収されてたの? 僕ってば、十年来の幼馴染たちにイモ三○キロで売られたワケ? ええ……。



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第349話 くっころ男騎士と幼馴染たち

 結局その後、ロリババアが戻ってくることは無かった。まあ戻ってこられてもどんな顔で対応すればよいのかわからないので、別に構わないのだが。

 正直な話、僕の情緒は滅茶苦茶になっていた。現実的なプロポーズを受けたのは、人生初めてのことである。いや、プロポーズ自体は初めてではないが、相手が偉すぎるせいで実現性は大変に薄かった。アレは冗談として処理しても構わないヤツである。

 一方、ダライヤ氏の求婚は至極現実的なものである。新参の封建領主と現地の地豪が姻戚関係を結ぶなんてことは、将棋の初手で角道を開けるのと同じくらい定番の定石だからな。今後エルフたちを統治していくうえで、ダライヤ氏との結婚はとても有益だろう。

 

「むぅん……」

 

 村郊外の野営地に戻り、積みあがった雑務を処理している間も僕は頭の片隅でずっとそのことを考え続けていた。公人としてはもちろん、私人としてもあのロリババアは決して嫌いではない。

 彼女はロクでもない性悪ババアではあるが、良識や責任感をまったく持ち合わせていないかと言えばそうではないだろう。むしろ、そういう複雑さ、一筋縄ではいかないところが、却って彼女を魅力的にしていた。

 公人としても、そして私人としても、彼女と結婚するのに否やはない。むしろ大歓迎って感じ。もちろん、ブロンダン家の世継はどうするんだという問題はあるのだが、彼女はそれも何とかすると言っているわけだし……。

 

「……」

 

 とはいえ、すぐに頷けるような問題ではない。ジルベルトの問題もある。ウンウン悩みながら仕事をしていたら、気付けば夜になっていた。上の空で夕食を終えた僕は、ソニアとフィオレンツァ司教に助けを求めることにした。自分で解決するのが難しい問題ならば、幼馴染に相談するほかない。三人寄れば文殊の知恵、って感じ。

 

「……つまり、なんですか? あのエルフに、求婚されたと」

 

 小さなテントの中で、ソニアがそう言った。ここは、いわば僕の寝室である。村長からは、自分の屋敷に泊ってくださいと提案を受けていたのだが……多くの兵士が野宿をしている中、僕だけ屋根も壁もある部屋で寝るのは大変に申し訳ない気分になってしまう。結局、僕も野営地のほうで一晩を明かすことにしたのだった。

 

「そうなんだ」

 

 マッサージや襲われかけた件を隠しつつ、僕は二人の幼馴染に状況を説明した。ソニアは不快そうに眉を跳ね上げ、フィオレンツァ司教はなんだかホッとしたような顔をしている。対照的な反応だった。

 

「結婚ができない、できないと悩んでいらっしゃったアルベールさんも、とうとう年貢の納め時ですか。やっと一つ、肩の荷が下りた気分です」

 

「馬鹿言え! なぜアル様が蛮族風情に身売りせねばならんのだ!」

 

 フィオレンツァ司教の言葉に、ソニアが反発する。なかなかに激しい声音だったが、司教はどこ吹く風だ。

 

「エルフたちは、一筋縄ではいかぬ相手です。婚姻という形で首輪をはめておかねば、何をしでかすかわかったものではありません。これは、必要なことでしょう」

 

 澄ました顔でそう言って、司教は香草茶を一口飲んだ。

 

「それに、わたくしが思うにあのダライヤと言う方は、決して悪いお人では……いやどちらかと言えば邪悪な部類な人ですね。……性格は良い……いやだいぶ悪いか。う、ううーん、とにかく、アルベールさんとの相性は結構良いと思いますよ?」

 

「そんなことを言われて『なら安心だ!』とか言うヤツが居るとでも思っているのか貴様は!」

 

 頭から湯気でも吹き出しそうな様子で、ソニアは叫ぶ。わあ、めっちゃキレてらっしゃる。

 

「いやまあ、僕も貴族だ。自由に結婚できるとは思っていない。ブロンダン家の世継さえなんとかなるのであれば、エルフを嫁に迎えるのも構わん。婿に来いと言われたのなら応じかねるが、今回はそうではないわけだし……」

 

 僕はため息交じりにそう言って、視線を宙にさ迷わせる。

 

「しかしその……ダライヤ殿とは関係のない部分に問題が」

 

「というと?」

 

「ジルベルトだ。実のところ、その……彼女から、アプローチを受けていてな。恋仲になったとか、そういうわけじゃないんだが」

 

「何の問題があるのです? 二人とも嫁にすれば解決ですよ」

 

「貴様は黙っていろ」

 

 いきなりとんでもないことを言い出したフィオレンツァ司教に、ソニアはピシャリと言った。そしてこほんと咳払いをし、こちらに視線を移す。

 

「その件については、わたしも存じております。ジルベルト本人から相談を受けていたので」

 

「……君らが仲良しだというのは知っていたが。そこまでか」

 

 部下としては最古参のソニアと、郎党を引き連れて最近加入したジルベルト。普通に考えれば派閥争いになるところなのだろうが、なぜかこの二人はひどく仲が良かった。この気難しいソニアが、幼馴染に対するものとまったく変わらない態度をジルベルトに向けているのだから驚きである。

 

「ええ、彼女とは義姉妹の契りを結んでおります。彼女ほど尊敬のできる軍人は、そうはおりません。……あのような性悪色ボケの年寄りと、曇りなき忠義を向けるわたしとジルベルト。悩む余地がどこにあるのです? 実質一択でしょう、こんなことは」

 

「いや、ダライヤ殿はそこまで悪しざまに言われるほどひどい方では……いや待て、ヘンなこと言わなかったかさっき。わたしと、ジルベルト?」

 

 なぜそこに、ソニアが入ってくるのだろうか? 僕が眉を跳ね上げると、ソニアは「そりゃあそうでしょう」とため息をついた。

 

「重婚はある程度仕方ないとあきらめておりましたが、あの見た目だけは若いクソ婆とアル様を共有するのはイヤですからね、わたしも。親友であるジルベルトならば、むしろ喜ばしいのですが」

 

「……うん? え? どういうコト!? なんかソニアまで結婚する話になってない?」

 

「……は? どうして困惑されているのか、わかりかねますが。そりゃあ、結婚するに決まっているでしょう。わたしと、アル様ですよ? どこに疑問を挟む余地が……?」

 

「えっ?」

 

「は?」

 

 何とも言えない沈黙が、僕とソニアの間に流れた。フィオレンツァ司教が『仕方のないやつらだな……』みたいな顔をしながら、香草茶を飲み干す。

 

「……要するにソニアさんは、自分とアルベールさんが結婚するのは確定事項。そう思っていらっしゃるわけです」

 

「そ、それはそうだが……あえて説明するんじゃない! 恥ずかしいだろうが!」

 

 真っ赤になって、ソニアが叫ぶ。そして人差し指同士をツンツンと突き合わせながら、言葉を続ける。

 

「ま、まあ、ジルベルトにはまだ恋仲ではないと説明はしてはおりますが、しかしもはやわたしとアル様は実質的に夫婦のようなものでしょう? これほど長い時を一緒に過ごしてきた訳ですし……」

 

 幼馴染である僕ですら初めて見るような照れた顔で、ソニアはそんなことを言う。だが、言われたこちらはそれどころではない。予想外の相手からぶつけられたあまりにも予想外の言葉に、僕の脳内は混乱のるつぼと化していた。

 

「えっ?」

 

「はっ?」

 

「そんなん初めて聞いたんだけど……」

 

「え、いや、口に出したのは確かに初めてですが……我々は幼馴染でしょう!? あえて言葉にする必要もなく、我々は理解しあっていたはず!」

 

「い、いや、その……あの……」

 

 僕の態度を見て、真っ赤だったソニアの顔からみるみる血の気が引いていった。

 

「ぼ、僕は、その……ぜんぜん、そういうつもりじゃなかったというか……」

 

「……ひぎゅ」

 

 ニワトリをシメた時のような奇妙な声が、ソニアの口から漏れる。それを見たフィオレンツァ司教が微かに笑い、ティーポットから自分のカップへ香草茶を注いだ。

 

「ソニアさん、ご存じでしたか? どれほど親しい間柄であっても、言葉にしなければ通じない想いというのは、確かにあるのです。……ま、例外に属する者もおりますが」

 

「嘘でしょ……」

 

 ソニアは、呆然とそう呟いた……。



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第350話 くっころ男騎士と副官の慟哭

 僕は混乱の極致にあった。なんと、ソニアは僕との結婚を望んでいたというのである。あまりに驚きすぎて、椅子から崩れ落ちそうだった。そしてソニアのほうも、僕とほとんど同じような状態のようだ。顔は真っ青で、よく見れば手足も震えている。この場で落ち着き払っているのは、フィオレンツァ司教だけだった。

 

「い、いや、だって……どう考えても、我々は実質夫婦でしょう!? だって、だって……わたしは実家を飛び出してまで、アルさまの元へ身を寄せたわけですよ! これって、どう考えても駆け落ちじゃないですか!」

 

「いやそうだけど! そうだけどさあ!」

 

 僕は大声でそう叫び、頭を抱え、ポケットから出した酒水筒(スキットル)の中身を口に流し込んだ。酒精が喉をカーッと焼く感覚が、僕に幾分かの冷静さを取り戻させる。

 たしかに、ソニアの言う通り外から見れば彼女の行動は駆け落ち以外の何物でもない。ただ、スオラハティ辺境伯家の中では、僕らの関係は特に禁じられたものでもなかったのである。なんなら、伯爵家の家臣の中には僕をすでに将来の当主の奥方として扱っていた人まで居たくらいだしな。

 もちろん底辺騎士の息子である僕と大貴族の次期当主であるソニアでは身分的にまったくつり合いが取れないのだが、その辺りはスオラハティ辺境伯には何か策があったという話である。我々が結婚するという一点においては、どう考えても辺境伯家に居たままのほうが話が早かったハズなのだ。

 

「いやさ、僕だって子供の時分には『将来的にはソニアと結婚することになるのかな?』とか思ってたよ! お前のことは好きだったし、納得もしてた!」

 

「やっぱり相思相愛じゃないですか! だったらなぜ!」

 

「なんも言わなかったじゃないかお前! 何年も何年も放置されたら流石に不安になるわ! 僕はもうそろそろ行き遅れ呼ばわりされる時期だぞ!」

 

 この世界の結婚は早い。貴族にしろ平民にしろ、十五歳で成人したらそのまま結婚、という者も多い。まあ、僕やジルベルト、アデライド宰相のような独身貴族もそれなりの数がいるがね。要するに、すぐ結婚できるものといつまでも結婚できないものの落差が激しい、そういう社会なのである。

 とはいえ、安心はしていられない。なにしろ僕はブロンダン家の当主であり、跡継ぎを作る義務がある。待てど暮らせどソニアが何もそれらしきアクションをしてこないので、仕方なく僕は自分で婚活をすることにした。……まあ結果は散々だったが。

 まあそもそもソニアは竜人(ドラゴニュート)だしな。彼女との子供をブロンダン家の世継に据えるわけにはいかん。何はともあれ、只人(ヒューム)の嫁が必要だ。必要なのだが、正直僕一人ではどうしようもない。コネが必要だった。具体的に言うと、辺境伯のコネが。しかしソニアが実家から出て行ってしまった以上は、そういう面で辺境伯を頼るわけにもいかんのである

 

「い、いやその……実家を出ていったせいで、わたしの身分もどうにも不安定ですし……そういう話は、状況が落ち着いた後改めて……と思いまして」

 

「絶縁事件からもう五年もたってるんだけど!?」

 

「……いやその、恥ずかしくて」

 

「恥ずかしいからって五年も放置しちゃだめでしょ!!」

 

 僕は頭を抱えたい気分になった。いや、待ちの姿勢だったのは僕も同じことだったのだから、あまり強くは言えないが……。しかし、彼女が家出した直後などには、何度も今後についてどうするのか問い詰めているのである。ソニアはそのたびに話をはぐらかしてきたのだから、僕が"脈無し"と判断したのも致し方のない話ではなかろうか?

 

「いや、そうなんですが。そうなんですが……うう……」

 

 顔を赤くしたり青くしたり、ソニアはほとんど百面相の様相を呈していた。僕以上に動揺している様子である。

 

「……一つお聞きしたいんですが、私が実家との縁を切ったあの時……結婚を申し込んで居たら、頷いてくれましたか?」

 

「当たり前だろ!? というかそれすら全然遅いわ! 普通なら、成人前に婚約くらいはしておくものじゃないか! そういう気配が全然ないものだから、めちゃくちゃ不安だったんだからなこっちは!」

 

「そうですね。十三、四くらいで婚約発表。双方が成人したタイミングで成婚。それが貴族の結婚の常道というもの」

 

 呆れた様子でそう言ってから、フィオレンツァ司教は香草茶で口を湿らせた。

 

「……まあ、騎士の息子と辺境伯の嫡子の結婚です。当然、一筋縄ではいかないでしょう。ソニアさんも、裏ではなかなか苦労していたのでしょうが……」

 

「そ、そうだ! 公認愛人に据えて本夫を持たない形にするなり、養子縁組で身分ロンダリングをするなり……とにかく工夫が必要だったんだ! まだ今後の見通しもたっていない状況でいい加減なことを言って、ぬか喜びをさせるわけにはいかないじゃないか!」

 

「その通りですね。……ですが、だからといって、伝えるべきことを伝えずお相手を不安にさせる……これもまた、誠実な態度とは言い難い。違いますか?」

 

「う、う、うおおお……」

 

 司教の指摘に、ソニアは頭を抱えて(うめ)くことしかできなくなってしまった。ぼくもまた、ほぼ同様の状態である。狂ってしまったと思っていた人生設計が、実は狂っていないかった。つまり、軌道修正のつもりでいままで頑張っていたことが、すべて有害無益だったということだ。いや、もう、どうしろって言うんだよコレ!

 脳にフラッシュバックするのは、貴族の婚活会場こと夜会や舞踏会の光景である。幼いころからソニアと結婚する気満々だった僕は、その手の会でのマナーを全く覚えないまま結婚適齢期を迎えてしまった。

 そんな状態であわてて婚活を始めてしまったものだから、もう大変である。一生分の恥を掻いてしまった。正直、かなりトラウマになっている。あの苦労は全部、徒労だったって事か?

 

「……うううっ」

 

 僕は嘆きながら、酒水筒(スキットル)の中身を一気に飲み干した。記憶をなくすくらいに痛飲したい気分だったが、残念なことに携帯用の水筒にはそれほど酒は入らない。ああ、悲しい。

 

「全部あなたの言葉足らずがいけなかったんですよ、ソニアさん。わたくしは何度も忠告したはずですが」

 

「う、う、うるさい!」

 

 涙目になりながらソニアは叫んだ。そして僕の肩をガッシリと掴む。

 

「あ、アル様! 率直にお聞きしたい! わたしとあなたの関係は、一体なんですか! 恋人ですか! 将来の夫婦ですか!」

 

「親友です」

 

「き、軌道修正しましょう! アル様! 結婚を前提にわたしとお付き合いしてください!」

 

「そういうことはせめてもう何年か前に言ってくれよ! 僕がどれほど難儀してお前への気持ちを断ち切ったと思ってるんだ! 今さらそんなことを言われてもどんな返事をしたらいいのかわかんないよ!」

 

「あ、あ、あ……」

 

 ソニアの目から、涙がボロボロとこぼれた。彼女は地面に崩れ落ち、激しく嗚咽する。……僕は彼女に、どんな言葉をかければ良いのだろうか? もはやダライヤ氏の件など、頭から吹き飛んでいた。

 

「わた、わた、わたしは……」

 

 しばらくしゃがみ込んだまま泣いていたソニアだが、やがてフラフラと立ち上がる。そして、完全に自棄になった様子で叫んだ。

 

「わたしは、今まで……あなたの、アル様の隣にずっと居続けるために、生きて、きました……今さら親友止まりだなんて、いや、イヤです……耐えられません。妻に、妻になりたい。あなたの隣のお墓で永眠(ねむ)りたい……!」

 

 小刻みに震えながら、ソニアは絞り出すような声で言った。

 

「スオラハティ姓を捨てたのは、もちろん……あの女との確執もありました。でも、でも……本当はわたし、ブロンダン姓を名乗りたかったんです。アルベール・スオラハティではなく……ソニア・ブロンダンのほうが……いいって、わたしは、わたしはぁ……!」

 

 彼女は悲壮な声でそう叫び、地面を殴りつけた。そのままばね仕掛けの人形のように立ち上がると、テントから走り去ってしまう。僕は、ガクリとうなだれるしかなかった。いったい、何が原因でこんなことになってしまったのだろうか?

 ああ、しかしソニアばかりの責められない。言葉足らずだったのは、僕も同じことだ。ソニアの気持ちを確かめるタイミングなど、なんどでもあったはず。それをしなかったのは、純粋に僕が臆病で怠慢のせいだ……。

 

「……はあ。いつかはこうなると思っていましたが」

 

 ため息をついてから、フィオレンツァ司教は椅子から立ち上がった。そして僕に歩み寄り、肩をぽんぽんと叩いてくる。

 

「慰めるよりは慰められる方が好きなんだけど、まあたまにはねぇ?」

 

 そして、右目を覆い隠していた眼帯をはぎ取った。露わになった金色の瞳を目にした僕は、一気に意識が遠のき……

 

「能力で心理的防御をはぎ取らなきゃ、なかなか愚痴も言ってくれないんだからさぁ。忍耐強いのも、良し悪しだよねぇ」



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第351話 カタブツ子爵と作戦会議(1)

 わたし、ジルベルト・プレヴォは胃が痛かった。本当に大変なことになった、どうすればよいのかさっぱりわからない。

 

「う、う、うえええ……オオ……アル様ぁ……」

 

 ソニア様……もとい、ソニアが子供のように泣いている。涙も鼻水も滝のように垂れ流す恥も外聞もないような泣き方だ。当たり前だが、こんな彼女は初めて見る。本当に参った。

 なぜこんなことになったのか、という事情は、すでにソニア自身の口から聞いていた。聞いていたが、どうかんがえても彼女の自業自得である。もちろん、口には出さないが。

 告白の寸前でヘタれた私が言うのもなんだが、言葉で男性を安心させてやるのも女の甲斐性のうちだろう。幼馴染の関係に慢心して必要なことを何も伝えず、結果相手の心が離れてしまうことになった……ウン、慰め方がわからないレベルで、ソニアが悪い。

 

「……」

 

 とはいえ、相手は友人にして義姉妹。『全部お前のせいです。あーあ』なんて切り捨てるわけにも行かなかった。わたしは無言で酒杯にワインをつぎ、彼女におしつけた。

 

「うううーっ!」

 

 ソニアは空っぽになったビール瓶を投げ捨て、酒杯をひったくるように受け取るとそのまま中身を一気に飲み干した。そして、「おかわり!」と干したばかりの酒杯をこちらに向ける。

 

「ぴゃ、ぴゃあ……そ、そ、そんな飲み方したら、身体に悪いですよ……」

 

 そんなことを言ってソニアを制止するのは、主様の義妹カリーナ様だった。小柄な彼女はソニアの胸元にしまい込まれ、防寒コートに包まれている。これは竜人(ドラゴニュート)が子供や恋人をカイロ代わりにするときによく使われるスタイルだった。

 初冬の夜中とあって、気温は大変に低い。しかも我々は今、野営地の外れにある人気のないあぜ道に座り込んでいる。天幕も陣幕もない場所だから、風は吹き放題だ。寒さに弱い竜人(ドラゴニュート)には少々ツラい気温だった。

 そう言う訳で人肌に飢えたソニアは、野営地内を歩いていたカリーナ様を捕獲して暖房器具として利用しているのだった。正直、わたしも同様に誰かを捕まえてきたい気分だ。それが主様なら言うことはないのだが、まあソニアがこの状態ではそういうわけにもいかん……。

 

「飲まなきゃやってられないもん!!」

 

 ソニアは子供のような口調でそう叫んだ。酒に弱い彼女がこんなに飲んで大丈夫なのだろうか? わたしもそう思ったが、拒否すると暴れだしそうだ。しかたなく酒をついでやろうとしたが、そこへ別方向から声がかかる。

 

「泥酔してる、人を、食べると、自分も、酔えるんですかね? 人喰いの、バケモノとしては、ちょっと気になりますよ、そのへん」

 

 横からニュッと伸びてきた巨大な鎌が、ソニアをツンツンとつっつく。彼女と彼女の懐に居るカリーナ様は同時に悲鳴を上げた。

 

「ウワアアアアアーッ!?」

 

「ぴゃあああああああっ!?」

 

「冗談ですよ、冗談。マンティスジョーク。うふ」

 

 こんな物騒な発言をするのは、もちろんカマキリ虫人のネェルだ。わたしは深いため息をつき、自分の酒杯にワインをそそいで飲み干した。

 もちろん、カリーナ様と違ってこのカマキリ女は招かれざる客である。「人払い、必要でしょ? ネェルがいたら、誰も、近寄ってこないですよ」などといって、強引に乱入してきたのである。状況が状況なだけに本気で勘弁してほしかったが、カマキリ虫人は力ずくでどうこう出来る相手ではない。放置するほかなかった。

 

「でも、お腹がすいたのは、本当なので。ごはん、ください」

 

「ハイ……」

 

 わたしはため息をつき、酒瓶と酒杯をおいた。我々は車座になって焚き火を囲んでいるが、その火の中では足つきの鉄鍋が湯気を上げていた。中では鶏肉やタマネギなどがコトコトと煮込まれている。ツマミをかねて、カリーナさま

に用意してもらった夜食だった。

 その軍隊シチューもどきを木椀にうつし、ネェルに渡してやる。彼女はその巨大で物騒な形状の鎌を器用に使い、シチューを流し込んだ。我々にとっては一食分の量でも、彼女からすれば一口のようだ。あの巨大な口ならば、人間だってバリバリとかみ砕けるだろう。大変に怖い。

 

「まったく……!」

 

 そんなカマキリ虫人を睨みつけてから、ソニアはため息をついて酒杯を捨てた。ネェルのせいで、これ以上酒を飲みたい気分が失せてしまったらしい。……深酒をやめさせるために、このカマキリはあのような物騒なことを口走ったのだろうか? だとすれば、見た目に似合わず案外人を思いやれる娘なのかもしれないな……。

 

「……うう」

 

 しかし、酒をやめたとて涙が止まるわけではない。ソニアはボロボロと涙をこぼしながら、うなだれた。どうやって慰めようか。わたしは考え込んだが、冴えたアイデアなどまったく湧いてこない。仕方が無いので彼女の隣に身を寄せ、その肩をポンポンと叩いた。

 

「確かに……その……主様からそういう目で見られていなかった、というのはショッキングなことでしょう。しかし、このタイミングでそれが発覚したのは、不幸中の幸いではないでしょうか? わたしが思うに、現状はまだ手遅れではありません。なんとか巻き返しの方法を考えましょう」

 

 主様があのエルフの童女(婆)から求婚を受けたという話は、わたしもソニアを通して聞いていた。もし万が一あの腹黒エルフとの婚約が成立した後、この事実が発覚していたら……ソニアは再起不能になっていたのではないだろうか?

 しかし、あの腐れエルフめ。主様を狙っているのはうすうす感付いていたが、厄介な真似をしてくれる。たしかに、エルフと結婚するのはリースベンを統治していくうえで悪い手ではない。主様としては、拒否しがたいだろう。

 ……というか、拒否するのだろうか? なんでもわたしを理由に回答を差し控えたという話だが(ソニアの手前口が裂けても言えないが、わたしはそれを聞いた時に小躍りしたくなるほど嬉しかった)、主様は部下や領民の為ならば命を投げ捨てることも躊躇せぬお人だ。必要とあらば、好色エルフに身をささげるようなマネもしてしまうのでは……。

 

「もう手遅れだよ……」

 

 見たこともないようなションボリ顔で、ソニアは言った。

 

「わたしが何年無駄にしたと思ってるんだ……崩れた信頼を取り戻すのは、新たに信頼を築くよりもよほど難しいんだ……もう駄目だよ……。もはやわたしに出来ることと言えば、アル様がお前やあのクソエルフと寝ているところを覗きながら、一人寂しく自分を慰めることくらいだ……」

 

「覗きはやめないんですね」

 

 落ち込んでいてもソニア(変態)ソニア(変態)だ。わたしはため息をついた。

 

「とにかく、まず第一に謝ることです。はっきりいって、今回の一件に関してはわたしも擁護できません。アル様から見れば、ソニアは思わせぶりな態度をとって、さらには駆け落ちめいたことまでしておいて、実は結婚する気は無かった女。そういう風に見えていたわけです。普通なら、捨てられていてもおかしくはありませんよ」

 

「言われてみればその通りだな……というか、アル様。よくその状況でわたしを親友として扱っていたな……」

 

 指摘を受けて、ソニアは深々とため息をつく。そして目元にジワリと涙を浮かべ、鼻をすすった。懐のカリーナ様は、だいぶ迷惑そうな顔をしている。

 

「当然、謝りはする。だが、許してくれるだろうか……」

 

「許しては、くれると思いますけど」

 

 唇を尖らせながら、カリーナ様が言った。

 

「なんたって、あんな言動をしてた私を義妹として迎えてくれたような人なので。でも、恋愛対象として見てくれるかと言うと……」

 

「うう……」

 

 ソニアはまた滝のように泣き始めた。鼻水と涙がカリーナ様の頭に降り注ぎ、彼女は「ぴゃあ……」と死ぬほど嫌そうなうめき声を上げた。

 

「そんな、有様だから、負けるんですよ」

 

 そこへ、ネェルがとんでもない爆弾を投げ込んできた。あまりのことに、ソニアの目がクワッと開かれる。

 

「アルベールくんは、ネェルに、捕まった、絶望的な、時でも、諦める気配は、無かったですけどね。その、アルベールくんの、幼馴染にしては、諦めが、早いですね?」

 

「……」

 

「心が折れた、人間なんて、ただのエサです。狩られて、当然の、獲物に、過ぎません。その、心の弱さが、ソニアちゃんの、敗因ですね。勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし……的な?」

 

 ド直球の罵倒である。ソニアが怒り狂いはじめるのではないかと、わたしは身を固くした。しかし彼女は、存外に落ち着いた様子でネェルのほうを見た。

 

「……貴様、もしやわたしを励ましてくれているのか?」

 

 唇を尖らせながら、ソニアはカリーナ様を抱きしめた。人喰いカマキリがこんなことを言い出したのが、不思議でならない様子だった。正直、わたしも同感である。

 

「あ、わかります?」

 

 ネェルはニヤリと笑い、鎌の先で頬を掻く。

 

「ネェルは、アルベールくんしか、友達が、いないので。友達、もっと、増やしたいんですよ。でも、友達が、欲しいなら、それなりの態度……必要でしょ? 実践、実践」

 

 これが友達が欲しいヤツの態度なのだろうか、アレが。わたしは小首をかしげたが、どうやらソニアは納得したらしい。

 

「……面白いヤツだなあ、貴様」

 

 ソニアは少し笑って鼻をすする。そして、シチューが入った木椀をカマキリに渡してやった。気持ちが落ち着いて来たらしく、いつの間にか涙は止まっている。

 

「確かにお前たちの言う通りだ。まだわたしは負けていない。最後のその時まで、あがいてみることにしようか」

 

「ええ。それにこの戦いは単なる男性の奪い合いではなく、今後のリースベンにおける主導権争いでもあります。この政争に敗れれば、我々の影響力はジリジリと減退していくことになるでしょう。それだけは避けなくては」

 

 服属させた蛮族に内部から食い荒らされるなど、あってはならない事態だ。勝手な真似をしようというのなら、しっかり掣肘(せいちゅう)してやらねばならない。領主との結婚などという一大事ならば、なおさらだ。

 

「そうだ、その通りだ。少しばかり後れを取ったのは事実だが、ここで負けるわけにはいかん。なんとか巻き返しを、巻き返しを……ううむ」

 

 一瞬持ち直した様子でグッと拳を握ったソニアだったが、すぐにへにゃりと力が抜けてしまう。

 

「……それはいいとして、ここからどうやればわたしはアル様と結婚できるのだ? ぜんぜん、アイデアが浮かんでこないのだが……」

 

 助けを求めるように、ソニアはわたしの方を見てくる。しかし、私は黙り込む他なかった。愛の言葉を口にする勇気が無かったばかりに、『将来の婚約者』から『ただの親友』に転がり落ちてしまった女。どうすれば、そんな彼女を元の地位に返り咲かせることができるのだろうか?

 ……アラサーも目前だというのに相も変わらず右手が恋人なわたしには、答えの出しがたい問題であった。当たり前だがわたしには男心の機微などまったくわからないし、当事者たるソニアの状況は末期戦めいたひどさだ。現実問題、ここから巻き返しを図るのは容易ではない。

 

「……むぅ。戦争の勝ち方なら、わかりますが。恋愛事の勝ち方となると……正直、厳しいモノがありますね」

 

「そもそも、それができるのであれば我らはとうにゴールインしているはずだからな……」

 

「……一応、わたしには婚約者がいたんですよ?」

 

「その年齢になっても成婚できなかった時点でわたしと同類だと思うが」

 

「……」

 

「……」

 

 わたしとソニア様は顔を見合わせ、どちらからともなくため息をついた。こんな下らぬ言い合いをしたところで、何の生産性もない。たんなる万年処女の足の引っ張り合いだ。

 とはいえ、考えても考えても妙案は出てこない。しばらくウンウンと唸っていたが、十分も立たないうちにソニアはまた塩の振りかけられた青菜めいてシナシナと萎えてしまった。そのまま再び酒を口にしようとするが、ネェルが鎌で牽制して止める。……酒に逃げても事態は何も解決しないからな。まったく、見た目によらず気の回るカマキリである。

 

「……あの」

 

 重苦しい沈黙が場を支配する中、口を開くものが居た。……カリーナ様だ。

 

「これは、母様……ブロンダン家じゃなくてディーゼル家のほうの、ロスヴィータ様の受け売りなんですが。恋愛と戦争って、ほぼ同じもの……らしいです。……なら、戦争の技法が、恋愛にもそのまま流用できるんじゃないかなって」

 

「……なるほど、恋は戦争。そういう考え方もあるか」

 

 ニヤリと笑うソニアの目には、再び光が灯っていた。



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第352話 カタブツ子爵と作戦会議(2)

「戦争、ですか……兵法書などにはよく、攻撃は最大の防御などと書かれていますが。恋の戦場でも、その手は通用するのでしょうか」

 

「それってたとえば、夜這い的な?」

 

 カリーナ様の目がギラリと輝く。彼女はまだまだ若い。その手の単語には興味津々な様子だった。

 

「馬鹿を言うな。ベッドに連れ込めばなんとかなる、などというのは(エロ)本の中の話だ。キチンとした関係も醸成できていないのに、そんなことをしてみろ。却って事態は拗れるぞ」

 

 唇を尖らせながら、ソニア様はアゴでごんごんとカリーナ様の頭を叩いた。

 

「そもそも、夜這いなどして拒否などされてみろ……もうわたしは再起不能だ。首をくくるしかなくなってしまう……」

 

「腹はくくれなかったのに首はくくれるんですね」

 

「泣いていいか!?」

 

「いいですよ」

 

「うええ」

 

 情けない声を上げつつ、ソニアはカリーナ様に頬擦りをした。カリーナ様は死ぬほど面倒くさそうな顔をしている。おいたわしや……。

 

「……まあ主様の件に関しては、妙なことはしない方が良いでしょう。正攻法に勝る戦術はありません。機を逸したのは間違いないでしょうが、とにかくキチンと愛を告げ、まずは心を掴む。それが第一です。ソニアの言う通り、ヘンな下心は出さない方が良いでしょう」

 

「そうだな……はぁ。しかし、愛を成就させるにしても当面の邪魔ものを排除せねばならん。私の前には、強敵が立ちふさがっているのだ」

 

 ソニアの言葉に、わたしは頷いた。ダライヤ・リンド。齢千歳を超える古老にして、新エルフェニアの皇帝。かなりの難敵だ。

 

「敵と味方に分かれているのだから、それこそわかりやすく戦場に置き換えて考えることができるだろう。例えば、そう……わたしは最重要護衛対象の間近に陣を敷いた指揮官だ。しかし間抜けな指揮官はそれだけで安心して気を抜き、防御態勢を緩めてしまった……」

 

「そこへ、あの老エルフ……高い攻撃力と機動力を併せ持つ部隊、つまりは重装騎兵隊が突撃を仕掛けてきたわけですね」

 

「その通り。馬鹿な指揮官(わたし)は時間があったにも関わらずまともな野戦築城もしておらず、突破を許すのはほぼ確実。そういう状況だな」

 

 木の枝を使って地面に戦況図を描きつつ、ソニア様はため息をつく。わたしは頭を抱えたくなった。騎兵突撃を弾き返すには、守備兵に緊密な防御陣形をとらせる必要がある。だが今さら陣形変更をしている時間的な余裕はないのである。

 

「……これは、前衛を捨て駒にしてでも時間を稼ぎ、いったん下がって態勢を立て直すべき盤面のように思われますね」

 

「……これ以上後退できる余地はないんだ。いわゆる背水の陣」

 

「……」

 

 いっそさっさと白旗を上げた方がマシではないか? わたしはそう思ったが、口にはしなかった。女には負けられない戦いと言うものがある。今回は、間違いなくそれだ。どれほどの損害を負っても、最後まで戦い続けなくてはならない。……そんな重要な戦いで気を抜くな!

 

「とりあえず手あたり次第に戦力を集めて、騎兵隊の先頭にぶつけて衝撃力を削ぐというのは……? 戦力の逐次投入は悪手ですけど、やらないよりはマシじゃないかなって」

 

 カリーナ様が、提案した。彼女はまだ見習い騎士だが、ディーゼル家ではそれなりの教育を受けていたようだし、ブロンダン家の養子になったあともそれは続いている。その戦術眼も、決して子供の浅知恵と馬鹿にできるものではなかった。確かに戦力の逐次投入は愚策だが、戦力を集結させている余裕がない場合は致し方のない場合もある。

 

「……多少の時間稼ぎにはなるだろうが、結末は変わらんだろうな。まともな防御陣形も作っていない歩兵など、騎兵からみれば雑草同然だ。軽く薙ぎ払われてオシマイだろう」

 

「……」

 

 ひどく困った様子で、カリーナ様はわたしの方を見た。「これ、詰んでない?」とでも言わんばかりの表情だ。正直、わたしも同感である。状況が最悪すぎて、場当たり的な策でどうにかなるようなタイミングはとうに超えてしまっている。

 

「チョー強い、カマキリ虫人を、投入するのは、どうですか? 騎兵だろうが、エルフだろうが、一撃で、ボコボコの、バリバリ、ですよ? 鎧袖一触、的な?」

 

「……ボコボコはわかるが、バリバリとはなんだ」

 

「そりゃあ、こう……頭から、ネッ?」

 

 ニヤァと笑って、ネェルはその恐ろしげな牙をむき出しにした。カリーナ様が「ぴゃあ!?」と悲鳴を上げて身を固くした。そろそろ見習い騎士も卒業か、という成長ぶりのカリーナ様だが、臆病なところは相変わらずのようだ。

 ……いや、こればかりはカリーナ様だけを責めるわけにもいかない。相手は王国最強の騎士たるソニアを容易にねじ伏せる本物のバケモノだ。そんなヤツが牙をむき出しにしているのだから、わたしだってかなり怖い。

 

「うふ、冗談ですよ、冗談。マンティスジョーク」

 

「だ、だよね……」

 

 震える声で、カリーナ様が頷いた。

 

「頭は、固いので、後回し。最初は、お腹ですね。柔らかくて、骨も少ない。ごちそう、的な?」

 

「ぴゃあああああ!!!!」

 

「おいやめろ! わたしの懐のなかでプルプル震えるな! 漏らしたら流石に怒るからな!」

 

「人にさんざん鼻水つけておいてそんなこと言うんですか!?」

 

「すまない! 謝る! 謝るから尿はやめろ! 愛用の香油入り石鹸を貸してやるから!」

 

 このシリアスな時に何をやっているのだろうか、このお二人は。わたしは思わず笑いだしそうになったが、なんとか堪えた。自分で言うのもなんだが、わたしは笑いのツボが浅い。酒も入っていることだし、一度笑いだしたらしばらく止まれない自信があった。

 

「……こ、こほん。戦争と言っても、これは比喩だ。流石に直接的な暴力に訴えるのはよくない。いや本音をいえばあんなクソエルフはシバき倒してしまいたいが、そんなことをすれば間違いなく本格的にアル様に嫌われてしまう」

 

「ざぁんねん、ですね。あのババエルフ、柔らかくて、美味しそう、だったのに」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「うふ、マンティスジョーク、ですよ。相当、追い詰められないと、エルフ(ゴキブリ)なんか、あえては食べませんよ」

 

 くすくすと笑いながらそんなことを言うネェルだが、正直まったく信用できなかった。なにしろ彼女は本当に人を食べ物だと思っているフシがあるのだ。手当たり次第に人を襲ったりしない理性と、その圧倒的暴力性能がなければ、バケモノとして討伐対象になっていたことは間違いない。

 

「……なにはともあれ、現有戦力では遅滞はできても反撃は難しい、というのは確かですね。こういった状況では、時間稼ぎをしつつ増援を待つ、というのが定石だと思われますが」

 

 自前の戦力でどうにもならないなら、増援に期待するしかない。戦いはやはり数なのである。……まあ、わたしは連隊を率いておきながら主様の指揮する一個大隊にも満たぬ部隊に敗北した経験があるが。

 

「それは、そうだが。しかし、増援と言ってもな……わたしもお前も、コネなど一切持たぬ身。頼る先などないのでは?」

 

「……わたしのプレヴォ家は、寝返りで主家を変えたばかり。ソニアにいたっては、実家と絶縁しているわけですからね。これは、なんというか……その……」

 

「孤立無援、的な?」

 

「……」

 

「……」

 

 ネェルの指摘を受けて、わたしとソニアは黙り込む他なくなった。本格的に詰んでいる、そう思わざるを得ない状況だった。せめて、あのダライヤが動き出す前に対処を始めていればこんなことにならなかったはずなのだが……いまさらそんなことを言っても仕方が無い。

 

「……援軍を出してくれそうなところに、心当たりがあるんですけど」

 

 そこで、おずおずといった様子でカリーナ様が口を開いた。ソニアの眉が跳ね上がる。

 

「なに……? もしや、ディーゼル家か。これは、リースベン内部の問題だ。それに神聖帝国の領主を噛ませるというのは、さすがに」

 

「い、いえ。その、ガレアの領主様なんですけど」

 

「……お前にそんなコネがあるのか? 一体いつの間に……いったいどこだ? まさか、アデライドのカスタニエ家とか言うんじゃないだろうな」

 

「ち、違いますけどぉ……」

 

 ひどく挙動不審な様子で、カリーナ様は冷や汗をかいていた。なんだか、様子がヘンだ。問題なく力を借りられる相手であれば、こんな態度はとらないだろう。つまり、何か裏がある。わたしはコメカミを抑えてから、小さく息を吐いた。

 

「もしや、スオラハティ家では」

 

「……はい」

 

「なにっ!?」

 

 絶縁したはずの実家の名前を出されて、ソニアはほとんど反射的にカリーナ様を締め上げた。

 

「貴様、それは本当か!? あの女のスパイだったのか!!」

 

「ち、ちが、うぐぐぐ……」

 

「やめなさい、ソニアちゃん。それが、友達に対する、態度ですか? もしそうなら、ネェルが、同じことを、あなたに、やってあげても、いいですけど」

 

 ジロリとソニアを睨みつけながら、ネェルがギチギチと鎌をこすり合わせた。ソニアは顔を青くして「ウッ!」とうめき、拘束を緩める。

 

「……すまん。しかし、いったいどういうつもりなんだ、カリーナ。まさか、リースベンの内情をあの女に報告してたんじゃなかろうな?」

 

「ち、違いますっ! 誓ってそんなことはしてません!」

 

 カリーナ様は首をブンブンと左右に振った。

 

「辺境伯様は、ただ……娘と仲直りがしたいから、私に手伝ってほしいとしか仰っていませんでした。お兄様が損をするような情報は、断じて流してはいません!」

 

「む、むう……仲直りだと? いまさら、あの女は……」

 

 ギリギリと歯をかみしめつつ、ソニアは唸る。わたしも、何とも言えないような心地になっていた。脳裏に去来するのは、辺境伯に屋敷から朝帰りしてきた主様の姿だ。何もなかった、と言う話ではあるが……やはり、心はザワつく。

 

「ネェルの、知らない、名前が、出てきましたね? 説明を、ください」

 

「お前はいちいち首を突っ込んでくるな……」

 

 ソニアは深いため息をついた。もう、どうにでもなれと思っている様子だ。

 

「わたしの母親だ、スオラハティ辺境伯……カステヘルミはな。まあ、ひと悶着あって、今は絶縁しているのだが」

 

「フゥン、母親と、絶縁」

 

 なんとも不思議な表情で、ネェルは唸った。

 

「わ、私がおもうに……辺境伯様は、決して悪い方ではありません。事情を話せば、協力してくれるのではないかと……」

 

「……」

 

 その言葉に、ソニア様は考え込んでいる様子だった。眉をきゅっと寄せながら、じっと焚き火を睨みつけている。

 

「……確かに現状が詰んでいるのは事実。打破できる可能性があるのなら、時には敵と手を組む覚悟も必要だろうが。しかし

……むぅ……」

 

「嫌い、なんですか? 母親が」

 

 不思議そうな様子で、ネェルが聞いてきた。不快そうな様子で、ソニアは頷く。

 

「そうだ、わたしはあいつが嫌いだ。顔も見たくない」

 

「へぇ。じゃ、母親が、死んだら、あなたは、笑いますか? それとも、泣きますか?」

 

「……ヘンなことを聞くな、貴様。さすがに、笑う気にはなれないが」

 

「じゃ、ちょっとくらい、話し合う、機会を、設けても、良いと、思いますよ? 親って、意外とすぐ、いなくなるので。時間は、有限です。あとから、後悔しても、遅い、ですよ?」

 

「そ、そうですよ! ただでさえ、軍人なんてやってるわけですから! 一騎討ちとかで、アッサリ死んじゃうことだってあるんですよ! 手遅れになる前に、仲直りすべきです!」

 

 ソニアの胸の中でジタバタと暴れながら、カリーナ様が同調した。彼女は少し困った様子でわたしの方を見てきたが、こちらとしては肩をすくめることしかできない。

 聞いた話では、カリーナ様の実母ロスヴィータ殿は、主様との一騎討ちで命を落としかけたらしい。カリーナ様の突撃によりそれは避けられたという話だが、一騎討ちの妨害をして騎士の誇りを汚してしまった彼女は、実家から勘当されてしまった。しかしそれでも、カリーナ様には後悔した様子などない。

 そういう彼女から見れば、母親に敵意を向けるソニアの態度は納得しがたいものがあるだろう。もちろん、親子関係など千差万別。円満な親子も居れば、殺し合いをしている親子も居る。だから、外野がどうこう言えた義理ではないのだが……。

 

「……ダライヤは、どちらかと言えば政治屋タイプの人間です。戦争屋である我々が、戦場外であの女と戦えば……そりゃあ不利に決まってますからね。結局、政治を得意とする者の協力は必須かと思いますが」

 

「だったら、アデライドとか……クソ、あっちも似たり寄ったりか! なぜアル様の周りには色ボケ女しかいないのだ!」

 

「鏡見ながら言ってます? それ」

 

「……」

 

「というか、アデライド宰相とスオラハティ辺境伯は、友人同士だという話ではありませんか。宰相閣下の方を頼っても、結局辺境伯様も出てくることになるのでは……?」

 

「……むぅ」

 

 私の言葉に、ソニアは唇を尖らせた。そして、深々とため息をつく。

 

「背に腹は代えられない、か……。何もしないままやられるよりは、一か八か打って出る方がマシだ。それしかないというのなら、やってみよう。カリーナ、済まないがあの女に渡りをつけてくれ」

 

「わ、わかりました!」

 

 露骨にほっとした様子で、カリーナ様は何度も頷いた。……この態度、辺境伯様と裏で何か取引をしていたな? 彼女の普段の言動や態度をみれば、その取引の内容は何となく想像できるが……まったく、チャッカリしている。

 

「……しかし、嫌だな……あれだけ拒否しておいて、自分の手に負えない事が起きたとたんに手を貸してくれと頼むのか? どのツラ下げて、という感じだな。我ながら浅ましすぎる……はぁ」

 

 一方、ソニアはひどく気落ちしている様子だった。かける言葉が見つからず、わたしは無言で酒瓶を手渡すことしかできなかった……。



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第353話 くっころ男騎士と盗撮魔副官

 翌朝、僕は気だるい心地に包まれながら目を覚ました。毛布の中から出たくないという気持ちを根性で抑え込みながら立ち上がり、懐中時計を確認。まだ早朝と言って差し支えない時刻だ。起床ラッパが鳴り響くまでにはまだ猶予がある。

 ルーティン的に懐中時計のゼンマイを巻きながら、僕は昨夜のことを思い出した。ソニアと喧嘩をして……そのあとのことは、あまり覚えていない。ベッドの横に見覚えのない酒瓶がいくつか落ちていたので、アレを飲んで酔いつぶれてしまったのだろうか?

 ……ちょっと記憶がはっきりしてきた。そうだ、確か……フィオレンツァ司教に愚痴を聞いてもらったのだった。前世と現世を合わせれば五十年くらいは生きている僕が十代の少女を相手に愚痴を吐くというのは何とも情けない話だが、そのおかげか存外に気分はスッキリしている。

 

「カリーナ、いるか?」

 

「はぁい」

 

 朝の従者当番はカリーナだ。テントの近くにいた彼女を呼んで身支度を手伝ってもらう。……なにやら、カリーナも寝不足の様子で、目をショボショボさせていた。なんとも可愛らしい。

 身支度と言っても大したことではなく、顔を洗ったり髪を整えたり服を着たり、まあその程度である。当然この程度のことは自分でやった方が早いのだが、僕も一応は貴族なのであえて人の手でやってもらう、ということも権威付けのためには必要なのだった。面倒くさいね。

 

「その……お兄様。実は、ソニアさんがお話ししたいことがあるとか、なんとか……」

 

 支度を終えたタイミングで、カリーナがそんなことを言い出した。ソニアという名前を聞いて僕は少しドキリとしたが、表面上は平静を取り繕う。

 

「あいつは副官だぞ、その程度のことをわざわざ確認してくる必要はない。用事があるなら……いや、なくったって、いつでも好きな時に話しかけてくる権利はあるんだ」

 

 思わず文句が口から飛び出したが、とにもかくにもカリーナに頼んでソニアを呼んできてもらう。正直に言えばかなり気まずさは感じるのだが、彼女は僕にとっては半身も同然の人間だ。この程度のトラブルが原因で仲たがいをするわけにはいかないだろ。時間がたって意固地になってしまうまえに、対処しておかなくてはならない。

 

「お、おはよう、ございます」

 

 やってきたソニアは、目の下にクマができていた。どうやら、徹夜明けのようだ。その目には泣きはらした痕がある。僕は心臓がきゅっと掴まれたような心地になった。僕は、幼馴染にこんな顔をさせてしまったのか。

 

「お、おはよう。その、昨日のことは……」

 

「……大変、申し訳ございませんでした」

 

 僕が何かを言う前に、ソニアは地面に膝を付けて深々と頭を下げてしまった。それを見た僕は大慌てだ。ここはテントの中なので、他の人間の目は無いが……それにしてもだ。こんな大げさな真似は、どう考えてもやり過ぎだ。とにかく僕は彼女に駆け寄り、しゃがみ込んでその背中を叩く。

 

「やめろ、ソニア! やりすぎだ! ……僕の方こそ、すまない。君の気持を早合点して、勝手に空回って、挙句に君に当たり散らすような真似を……」

 

「アル様は何も悪くありません! わたしが、女として必要な行動を取っていなかった。それだけのことです。愛想をつかされても、それは自業自得と言うもの」

 

「愛想なんか尽かせてない! お前は今だって、僕の大切な家族で親友で、副官だ! ソニアのいない生活なんて、考えられない!」

 

「じゃ、じゃあ、結婚してくださるのですか! わたしと!」

 

 ソニアは僕の肩を両手でつかんだ。涙の滲んだ瞳が、こちらをジッと見つめてくる。

 

「そ、それは……」

 

 結婚。その単語を耳にした僕は、思いっきり怯んだ。ソニアと結婚? 五年前なら、一も二もなく頷いていただろう。しかし、今は違う。

 

「その……すまない。今すぐ返事をするのは……無理だ」

 

「……」

 

 唇をかみしめて、ソニアはうつむいた、僕は彼女の肩を抱き、ぎゅっと力を籠める。

 

「勘違いしないでほしい。君のことが嫌いとか、そういうことでは断じてないんだ。ただ、その……ひどく難儀して別の棚に移した重い荷物を、また元の棚に戻さなければならない。そういう心地になっているんだ。荷物を運ぶのには時間がかかるし、まず持ち上げるためにもたいへんな気力を要する」

 

「……」

 

「とにかく、時間が欲しい。頼む……」

 

「……はい」

 

 ソニアは子供のような態度で頷き、僕を抱き返した。そして、ゆっくりと立ち上がる。

 

「一つ、提案があるのですが」

 

「なんだ?」

 

「アル様は、いったんカルレラ市に戻ってはいかがでしょうか? この野営地は、わたしが面倒を見ますので。……時間が必要なのは、お互い様です。少しの間、離れていた方が良いやも、と思いまして」

 

「……なるほどな」

 

 僕は腕組みをして考え込んだ。エルフやアリンコ共はまだ動けない。入浴を終えた者はまだ全体の三割しかいないし、それ以前に病人やけが人の数も多いのだ。すっかり気温も下がってきたこの時期に無理やり移動をさせれば、命を落とす者もでてくるかもしれない。一週間くらいは、腰を据えて養生させたほうが良さそうだ。

 一方、リースベン領の領都カルレラ市も放置できない。かなり長期間、留守にしてしまったからな。僕が処理すべき政務が山のように溜まっている。それに、蛮族どもを領内で受け入れるため、領内外の者たちを相手に説得・調整をする必要もあった。できるだけはやく、いったん領主屋敷に戻りたいところだった。

 

「わかった、こちらのことはお前に任せよう」

 

「副官の代理は、ジルベルトに。彼女であれば、立派にわたしの代役がこなせますので」

 

「だろうな。……しかし、僕の本当の副官はソニア、お前ひとりだけだ。忘れるなよ」

 

「はい」

 

 ソニアは本当に嬉しそうに笑って、僕を抱きしめた。そして耳元で、小さく囁く。

 

「ちゅーを……して良いですか?」

 

「……うん」

 

 ほっと安堵のため息をついてから、ソニアは僕の唇に己の唇を押し付けた。彼女とキスをするのは、初めてではない。というか、ファーストキスの相手はソニアだった。初陣の時の話である。ガレア王国には、童貞にキスを貰った者はその戦場では死なない、などというジンクスがある。それに則り、僕は彼女にキスをした。……ま、その後、幼馴染の騎士ども全員とも唇を重ねる羽目になったが。

 しかし今回のキスは、そういう建前的なものは一切ない。ただの、愛情表現のキスだ。そう思うと、なんだかとてもドキドキした。青春的なトキメキを感じる。

 

「……」

 

 それはソニアの方も同じらしい。彼女は完熟リンゴのように顔を真っ赤にして、慌てて口を離した。照れているソニアはたいへんに貴重だ。びっくりするほど可愛らしい。

 

「あ、ありがとうございます。元気が湧いてきました」

 

「僕もだよ」

 

 スキンシップって、大事だよな。こういうことを前から日常的にやっていれば、こんなバカみたいなすれ違いは起きなかっただろうに。

 

「……ああ、それともう一つご報告が」

 

 こほんと咳払いをして、ソニアは話を逸らした。

 

「実は、あの女……いえ、母上に、連絡を取ろうかと思っています。現状のリースベンは、ひどい人手不足。末端から上層部まで、まったく人が足りていません。母上の力があれば、この辺りにテコ入れができるのではないかと」

 

「そりゃ、有難い話だが」

 

 僕はかなり面食らった。ソニアがスオラハティ辺境伯に向ける怒りは相当なものだ。そんな彼女が親を頼ろうと自分から言い出すのだから、いったいどういう心境の変化なのか。

 

「……いいのか?」

 

「……はい。今回の一件で、いい加減子供ではいられないことに気付きました。バカみたいな意地を張って、周囲に迷惑をかけて……同じ過ちを、二度も繰り返したくはありません。いい機会ですから、清算すべき過去は今のうちにすべて処理いたします」

 

「……そうか、わかった。すまないが、辺境伯にはよろしく伝えておいて欲しい」

 

 ソニアが実家と和解してくれるのであれば、こんなにありがたいことは無い。僕にとっては、ソニアと同じようにスオラハティ辺境伯もまた家族同然の相手だ。その二者が不仲というのは、たいへんに辛い。

 まあ、和解した結果ソニアがスオラハティ家の次期当主に復帰、僕の副官からも卒業……という可能性も十分にあるがね。それはそれで滅茶苦茶困るしそれ以上に辛いんだが、だからといってせっかく改善の兆しが見え始めた母娘仲をあえて引き裂くなぞ論外だからな。どうしたものかね?

 

「だが、一つ覚えておけ。人は、下げたくもない頭を下げねばならない時がある。しかしだからと言って、己の尊厳を売り飛ばすような真似だけは絶対にしてはいけないんだ。どうしても勘弁ならないという時は、交渉のテーブルなど蹴り飛ばしてしまえ。その時は、僕が必ず味方になるからな」

 

「……わかりました」

 

 ソニアはコクリと頷き、照れた表情で笑った。……さて、どうなるかね。上手く行けばいいんだが……。ああ、まったく。蛮族どものことといい、僕の結婚事情といい、スオラハティ家のことといい……心配ばかり増えていく。僕の胃、そのうちぶっ壊れるんじゃないのか? 胃と肝臓、どっちが先に再起不能になるのかのか見ものだな……。

 



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第354話 くっころ男騎士と大貴族たち

 ソニアの勧めに従い、僕はいったんカルレラ市に戻ることにした。久方ぶりの帰宅だったが、もちろんゆっくり休んでいる暇などは無い。僕の前には絶望的な量の仕事が山積していた。

 封建領主というのは、行政・立法・司法の三権をたった一人で握っている。つまり、領民の陳情も法律についての問い合わせも裁判の申し込みもすべて僕のところにやってくるというわけだ。それを半月も放置して外交と戦争にあけくれていたものだから、もう大変である。僕は帰宅早々馬車馬のように働かねばならなくなった。

 しかも、仕事はそれだけではない。領内に大量の蛮族が移住してくることになったのだから、関係各所との調整も大忙しだ。カルレラ市の参事会や各農村の有力者などは当然猛反発しているので、あちこちを回って説得せねばならない。

 さらにリースベンの食料生産量ではあの蛮族ども全員を養うのは難しいので、外部からの食料調達も引き続き拡大させていく必要があった。友好関係にある周辺諸侯に書状を出しまくり、穀物の買い付けを急ぐ。

 とんでもないオーバーワークに時間は光陰矢の如く過ぎ去り、気付けばアッダ村を発ってから一週間が経過していた。時間がたっても仕事量は減るどころか増えるばかり。さらにはエルフ側特使として僕と共にカルレラ氏にやってきたダライヤ氏が毎日のように求婚の返事を求めてくるのだからたまらない。ソニアに対する返事も決まっていないのに、ロリババアとの話を進められるはずもない。僕はのらりくらりと逃げ回った。

 そうやって日々の激務をこなし、すっかりグロッキーになっていた僕の元にある報告がもたらされたのは、カルレラ市に帰還してから一週間後の話であった。

 

「カステヘルミ・スオラハティ辺境伯閣下、およびアデライド・カスタニエ宰相閣下ご両名が到着されました!」

 

 そう、僕の上司二名がリースベン領にやってきたのである。ソニアが辺境伯に手紙をだしてから、まだ一週間しか立っていないのに、だ。いくらなんでも早すぎる。翼竜(ワイバーン)騎兵から手紙を受け取って、即リースベン来訪を決定したとしか思えないタイミングだった。

 

「お、お久しぶりです。辺境伯様、宰相閣下」

 

 正直に言えばかなり面食らったが、現実から目を逸らすわけにもいかない。僕は領主屋敷の応接室で、ガレア王国屈指の大貴族二名を出迎えていた。冷や汗をかきつつ、ペコペコと頭を下げる。

 

「ああ、本当に久しぶりだねぇ」

 

 ねっとりとした口調でアデライド宰相が言い、僕に歩み寄った。そして問答無用でこちらの尻を揉み始める。

 

「君がいないとどうにも手持無沙汰でねぇ……困っていたんだよ」

 

 ひどくイヤらしい笑みを浮かべながら、アデライド宰相が僕にささやきかける。その手付きはまさに熟練の尻揉み職人(チカン)のそれであった。相変わらず、言動も行動も現代日本だったら一発でしょっぴかれるレベルだな、この人は。

 

「おやぁ? 尻がだいぶ固くなったねぇ。ふぅむ、これはこれで……」

 

「こ、この頃行軍続きでしたので……」

 

 相変わらずだなあこの人は! 僕はすがるような目つきでスオラハティ辺境伯を見た。彼女は苦笑し、ため息をついてからアデライド宰相を僕から引きはがした。ソニアの母親らしく体格に恵まれた辺境伯と、甚だしく運動不足な文民系只人(ヒューム)である宰相ではF1カーと軽自動車くらい馬力が違う。セクハラ女はあっという間に僕の身体から離れざるを得なくなった。

 

「ヤメロー! 久しぶりの尻なんだぞ! これくらいいいじゃあないか!」

 

「そういうのは、二人っきりの時にだけするべきだ」

 

 二人っきりの時なら尻揉みはセーフなの!? 良識派と思っていたスオラハティ辺境伯の言葉に、僕は思わず頭を抱えた。……いやまあ、いいけどね。宰相にはさんざんお世話になってるし、特に不快でもないし。ケツくらい好きなだけ揉めばいいさ。でもやっぱり恥ずかしいんだよな……。

 

「いいじゃないか、身内しかいないんだから……」

 

 応接室の中を見回しながら、宰相が言う。彼女らの要望で、この部屋には人払いがかけられていた。室内に居るのは我々と、宰相の懐刀と称される護衛騎士のネルのみだ。……そういやカマキリ娘のほうのネェルさんと名前がそっくりだな、この人。機会があったら紹介してみるか……。

 

「……まったく」

 

 スオラハティ辺境伯のジトーッとした目を受けて、アデライド宰相は肩をすくめた。どうやら、この場でのこれ以上のセクハラはあきらめてくれたらしい。……ひさしぶりの尻揉みだったので、ちょっと残念だ。ちょっとだけだが。我ながらなんとも複雑な心境である。

 

「ははは……しかし、まさか辺境伯様が自らリースベンにいらっしゃるとは。驚きましたよ」

 

 二人の大貴族をソファーに座らせ、その対面の席に自身も腰を下ろしてから僕はそう言った。……アデライド宰相が自分と辺境伯様の間にちょうど人ひとりぶんが入るスペースを開け、手招きしている。こっちへ来い、という事らしい。

 なんというか、こう……この人はさぁ。これから真面目な話をしようって時にさぁ。まあ、上司のご要望なので断るわけにもいかんが。僕は不承不承、二人の間に挟まった。香水の香りだろう。辺境伯の方からは柑橘の香りが、宰相の方からはリンゴのような香りがした。……ううーん、ヤバい。セクハラだかご褒美だかわからんな、コレ。

 

「私の領地……ノール辺境領は、そろそろ氷雪によって閉ざされる時期だからね。今を逃せば、領地の外へ出ることすらままならなくなる。今年のうちにリースベンを訪れようと思えば、今のタイミングしかなかったんだ」

 

「……なるほど」

 

 ノール辺境領は王国の最北端である。とうぜん、その冬は極めて厳しい。寒さに弱い竜人(ドラゴニュート)はもちろん、寒冷地が大得意な巨人族ですら冬の間は住処に引きこもらねばならなくなるほどだ。あまりに誰も出歩かなくなるものだから、北の大地ではヒトも冬眠するようになる、と揶揄されることもある。

 

「冬の辺境領は手紙すら届かなくなるからね。せっかくソニアの態度が軟化したんだ、この機を逃すわけにはいかない。あわてて、避寒の名目で領地を飛び出してきたという訳だ」

 

 避寒というのは、ようするに避暑の逆で寒さから逃れるために南方へ避難することだ。北国の竜人(ドラゴニュート)貴族特有の文化だな。特にノールのような極寒の地では冬の間は戦争どころか野盗による襲撃すら起きなくなるので、長期間領地を留守にしていてもあまり問題は無いのだ。

 

「避寒名目、ですか。そうするともしや、今回の冬は……」

 

「ああ、リースベンで過ごそうと思っている。もちろん、ソニアとの話し合い次第だけどね」

 

「おお! それはそれは。子供の頃の恩返しができますね。目立つものと言えば凶悪蛮族くらいの何もない田舎ですが、誠心誠意おもてなしさせていただきますよ」

 

 子供の頃は、よくノール辺境領でお世話になっていたものだ。夏のノールは大変に過ごしやすい場所で、とても楽しかった思い出がある。せっかくホストとゲストの関係が逆転したんだ。頑張ってあの時のお返しがしたいものだな。

 

「それは楽しみだ。……しかし、休暇を楽しむためにも、目下の問題は早急に処理しなくてはならない。そうだな、アデライド」

 

「ああ。名目は休暇でも、実際は仕事のようなものだからねぇ」

 

 粘着質な笑みを浮かべて、アデライド宰相は僕の太ももをスリスリと撫でた。懲りないねぇ、この人も。どうしたものかとスオラハティ辺境伯の方を見たら、恐る恐るといった様子で僕の手を握ってきた。エッナンデ!?

 

「聞いた話では、なんでも君はいま大変なことになっているらしいじゃないか……。上司としては、見過ごせなくてねぇ。私とカステヘルミ自ら、それを解決してあげに来た訳だ。いやあ、君はいい上司を持ったねぇアルベールくん……」

 

 スリスリ、モミモミと僕の太ももをオモチャにしつつ、アデライド宰相は言った。それに呼応するように、辺境伯も僕の指や指の間を舐めるような手つきで撫で始めた。とんだセクハラサンドイッチである。宰相はまあいつも通りだが、辺境伯はどうしちゃったんだよ。普段は紳士的……もとい淑女的なのに、今日に限ってえらくボディタッチが多い。らしくないというか、なんというか……。

 

「ま、まあ、大変なことになっているのは事実ですね。あの蛮族どもが思った以上に蛮族で、もう蛮族カーニバルって感じで大変に困るというか……」

 

「蛮族の件に関しては、君の報告書を読んでだいたいのことは把握しているよ。なかなか、難儀をしているらしいじゃないか。……だが、私の言っていることはそうじゃあないんだ」

 

 ネットリとした口調で囁き、アデライド宰相はその細く長い指で僕の腹筋をツツツとなぞった。距離感が近い。近すぎて身体がベッタリと密着している。竜人(ドラゴニュート)や獣人とはハッキリと異なるその柔らかい肢体の感触もバッチリ伝わってきていた。艶やかな黒髪ロングに青い目というなんとも素敵な容姿のお姉さまにこれほど直球のセクハラを受けているのだからたまらない。僕の心拍数は天井知らずだ。

 

「と、というと……?」

 

「結婚だよ、結婚。よくないなぁ、そういう話を私たち抜きで進めるというのは……」

 

 ニチャアと容姿に似合わぬ粘着質な笑みを浮かべる宰相閣下。しかし、その目はまったく笑っていなかった。えっ、なに、ソニアってばそんなことまで手紙に書いちゃったの!? あわてて辺境伯のほうを見ると、彼女はひどく不安げな様子で僕の手をぎゅっと握り締めた。えっ、えっ、なにこれ、ナニコレ!?

 

「本当に良くないよ、アル君……。君のカラダは、君ひとりのモノじゃあないんだ。わかるね……? 私は、この尻も太もももお腹も……蛮族なぞに渡す気はさらさらないんだよ」

 

 そう語るアデライド宰相の目は、獲物に狙いを定めたヘビのように鋭かった。



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第355話 くっころ男騎士と最悪なプロポーズ

「……あの、それって」

 

 僕のカラダを蛮族に渡す気はない。アデライド宰相はそう言った。彼女の真意を確かめるべく僕は口を開いたが、宰相は僕の言葉を遮り大声を出した。

 

「ネル! アレを持って来なさい!」

 

「はいはい。まったく面倒なご主人様ですね」

 

 気だるげな声と共に部屋に入ってきたのは、もちろんカマキリ娘のネェルではない。アデライド宰相の懐刀として知られる竜人(ドラゴニュート)騎士、ネル氏だ。

 彼女は小脇に抱えていた革製の大きなカバンを開き、中身を応接テーブルの上にブチまけた。物凄い量の羊皮紙だ。何かの書類らしく、その表面には文字がビッシリと掻かれている。

 

「なあアル君。これ、何だと思うかね?」

 

 書類の束を手でポンポンと叩きつつ、アデライド宰相はニヤニヤと笑った。スオラハティ辺境伯が深いため息をついて額に手を当て、ネル氏は僕に同情のまなざしを向けた後そそくさと部屋を出て行ってしまった。……どうにも、ロクでもない代物のような気配だ。

 

「さて……尻を拭く紙ではないのは確かでしょうが」

 

「もちろん、違う。もっと大切なものだよ。……借用書さ、君の借金のねぇ」

 

「……えっ」

 

 借金!? 借用書!? 僕は衝撃を受けて、書類の山に視線を戻した。物凄い量だ。えっ、これ僕の借金!? 全部そうなの!?

 

「……うわ」

 

 あわてて書類を確かめてみると、大変に残念なことに見覚えのある文面だった。僕が宰相から借金をするたびにサインを求められていた書類である。

 

「これ全部でいくらの借金にやると思う? ちょっとした大店(おおだな)でも、問答無用で夜逃げの準備を始めるような額だ。アルくん、君にこの借金が返しきれるかね? んん?」

 

「……」

 

 僕は無言で書類を確かめ始めた。……なんということだろうか、すべて借りた覚えのある借金だった。借用書一枚一枚に書かれている額面もかなり大きいのだが、それが目算で百枚以上積み重なっているのだからヤバいどころの話ではない。

 よくよく考えてみれば、僕は貴族として軍務についてからずっとアデライド宰相から金銭的な支援を受けていた。ライフルをはじめとする新兵器群の開発予算も、それらを配備するためのカネも、すべて宰相の財布から出たモノだ。

 リースベンの領主になってからは、借りる額面も跳ね上がった。なにしろ領邦領主は己の領地を運営する予算はすべて自前で出す必要がある。その上、リースベン軍の編制にも死ぬほどカネがかかっていた。数百人ぶんの武器、軍服、住居、給料……それらを僕の財布で賄うのは、はっきり言って不可能だ。アデライド宰相のカネがなくては、僕は領邦領主としての体裁を整えることすら不可能だったのである。

 

「ぶ、分割払いじゃダメですか?」

 

「さあてね……リースベンにはミスリル鉱山がある。たしかに、返すアテがまったくない……とまでは言えないだろうねぇ。……で、その鉱山の開発費用はどうやって捻出するのかねぇ?」

 

「……」

 

 鉱山開発にはアホみたいにカネがかかる。岩山に人力で坑道を掘らねばならないのだから当然の話だ。人を集め、道具を与え、人里離れた山中に送り込み、そして彼女らが生きていけるよう食料品をはじめとした物資類を輸送する……少なくとも、新たに軍隊を一つ建軍するくらいのカネが必要なのは間違いない。

 や、やばい。詰んだかもしれん。すっかり前世のノリで、上司に申請したら予算が降りてくる、というのを当然のものとして受け止めていたが……冷静に考えれば、ガレアは封建国家。貴族と言うのは、基本的に何もかも手弁当でやらねばならぬ世界だ。勤め人である"公務員"としての考え方は通用しない……。

 

「返済不能……のようだねぇ? ならば、債権者としては抵当を差し押さえる権利がある」

 

「て、抵当」

 

 ここまでくれば、いくら察しの悪い僕でも彼女の言いたいことは理解できた。案の定、アデライド宰相は悪党そのものの笑みを浮かべながら、僕ぼ胸を指先でつついた。

 

「わかりやすく言おうか。……キミが私のモノになれば、借金をチャラにしてやろう」

 

「……」

 

 ……やっべ、本格的に詰んだかもしれん。逃れる方法が思いつかないぞ? 現状のリースベン領はたんなる金食い虫だ。これからもしばらくは赤字財政が続く。アデライド宰相からの資金提供がなければ、絶対に成り立たない。

 ハメられた。完全にハメられた。領邦領主としては、己の領地を見捨てるわけにもいかん。今まで通りリースベンを統治し続けようと思えば、アデライド宰相に体を売るしかないだろう。それを狙って、宰相はいち宮廷騎士でしかなかった僕を小なりとはいえ領邦領主に押し上げたのだ。これは、一種の人質戦術である。

 借金の件を持ち出された時点で、僕は白旗を上げるしかない。反抗しようにもすでに手遅れなのである。外堀が埋められているどころか、城門がブチ破られて攻城軍が一気呵成に城内に突入、内部の防衛設備もあらかた制圧済み……そういう状況だ。ここからひっくり返すのは孔明やハンニバルでも難しかろう。

 

「ど、どうした。何をためらっているんだね? 断る理由など思いつかないが」

 

 なにやら冷や汗をかきながら、アデライド宰相はそう聞いてきた。……何を動揺してるんだ? この人は。状況は圧倒的に彼女優位のハズ。余裕のある態度を崩す必要などないだろう。宰相の策には僕の知らないところに穴があり、それを看破されることを恐れている?

 ……いや、直感だが違う気がするな。もしそうなら、宰相は動揺を表に出したりはしない。彼女は国内屈指の政治家だ。腹芸程度お手の物のはず。僕のような政治の素人を騙す程度、朝飯前だろう。つまり、動揺の理由は実務的なモノではない。もっと心理的なモノだ。

 

「その体を私に差し出せば、万事解決するのだよ? 領地や軍隊のことは、心配しなくていい。"買った"からには、キミはもう完全に私の身内だからねぇ。これまで通り……いや、これまで以上の援助を与えてもいいだろう」

 

「……しかし、ブロンダン家の世継が……」

 

 何はともあれ、危機的状況である。僕はこれまでお題目のように唱えてきた理論を宰相にぶつけた。お偉方のお手付きになったような人間が、まともに結婚するのは難しかろう。只人(ヒューム)の嫁どころか、ソニアやダライヤ氏にも失望され見捨てられる可能性もある。

 

「君は何を言っているのかね?」

 

 ところが、当の"お偉方"はひどく呆れた様子で肩をすくめるだけだった。

 

「世継云々というのなら、それこそ君は私のものになるべきではないのかね? 私以外の誰が、君に只人(ヒューム)の子を産んでやれると言うんだ。……そ、それとも、私以外に親しい只人(ヒューム)女がいるのか? 邪魔になりそうなヤツは、ほぼ全員釘を刺しておいたはずだが……」

 

 言葉の後半は、ほとんど独り言のような声音だった。え、何、僕に只人(ヒューム)女性の知り合いが全然いないのって、アデライド宰相のせいだったの!?

 いや、今はそれは問題ではない。とんでもない爆弾発言があった。アデライド宰相が、ブロンダン家の世継を産んでくれる? いや、いや。それっておかしくないか? 彼女は僕より偉い宮中伯。相手がだれであれ、その子供は宰相のカスタニエ家の所属になるはず……。

 

「え、え? あれ? ん?」

 

 僕がすっかり混乱していると、スオラハティ辺境伯がもう何度目かになるかわからないため息を吐いた。

 

「我慢していたが……もう限界だ。そろそろ口を出していいかな?」

 

「す、好きにしろ」

 

 顔を真っ赤にして、宰相はプイとそっぽを向く。そんな彼女を見て、辺境伯は「処置無し」と言いたげな様子で首を左右に振った。

 

「アル、いいか。びっくりするほど言い方が悪いのでひどくわかりづらいが、アデライドはこう言ってるんだ。私と結婚してください……ってね」

 

「それって……プロポーズ……ってコト!」

 

「……そ、そうだともっ! 他の何だというんだ!」

 

 もう完全にやけっぱちになった様子で、アデライド宰相は叫んだ。余りのことに、僕は「ワァッ……!?」とバカみたいな声を上げることしかできない。

 

「み、身分の差は!?」

 

「現状の城伯でもギリギリ宮中伯とつり合いは取れるだろっ! それに、来年中にはキミを伯爵に昇爵させる手はずも整っている……! そうすれば、ブロンダン家は我がカスタニエ家と同格……! 当家から嫁を出すことだって十分に可能……! つまり、私がアデライド・ブロンダンになる事だってできると言うことだ……!」

 

「僕が婿に行くんじゃなくて宰相が嫁に来てくれるんですか!?」

 

「当然だ! 現役宰相と地方領主の結婚など、別居必須になるからねえ……離れ離れの生活など、これ以上耐えられんっ! 君がこの地に根を張るというのなら、私が嫁に行くほかないだろうが!」

 

 え、は? ええ……。な、なんで!? なんでそうなるの!? 嬉しいけど訳が分かんないよ! 僕は下っ端貴族で、宰相は高位貴族で……あ、だから宰相はガンガン僕の出世を後押ししてたわけか。いや、それにしても、なんぼなんでもこの話は僕に都合がよすぎるのでは?

 

「そ、そんなことできるわけないでしょ! あなたはガレアの宰相ですよ!? 地方領主に嫁に行くなんて、そんなことが許されるはず……」

 

「宰相、宮中伯、そしてカスタニエ家の当主の地位は全部妹に押し付ける!」

 

「妹!? 押し付ける!?」

 

「ああ。現在のカスタニエ家は、政治部門を私が、商業部門を妹が取り仕切っているんだがね。どうやらあの業突く張り、政治方面にも一枚噛みたがっている様子。そこで、お望みどおりにしてやったわけさ。いやはや、私は家族思いだねぇ……!」

 

「そ、そんなことが許されるんですか!?」

 

 カスタニエ家は、歴史こそ浅いがそれなりの大貴族の家系である。両親と義妹、そして従者や使用人がいくばくか居るだけのブロンダン家とは規模が違いすぎる。いくら当主とはいえ、そこまでの好き勝手が出来るとは思えないんだが……。

 

「許されるさ。なにしろ、カスタニエ家は大きいとはいえ宮廷貴族の家。貴族としてさらに勢力を拡大させるためには、やはり地盤となる領地は欲しい……! そこで、このリースベン領だ。今はたんなる田舎のリースベンだが、うまくやれば交通の要衝になれるポテンシャルがある。おまけにミスリルだ。きちんと資本を投下してやれば、いずれ大領地に育つだろう……!」

 

「……」

 

「ブロンダン家は、宮廷騎士の家。領地運営のためのノウハウも人員も持たない。つまり、姻戚である我々カスタニエ家を頼るほかないということだ……! ぐふふ、そうなれば神聖帝国との間に結ばれつつある交易路の権益も、ミスリル鉱山権益もカスタニエ家の物……! 十分に姻戚関係を結ぶメリットはあるというわけだ……!」

 

 な、なるほど……要するに、カスタニエ家は結婚という手段を使ってブロンダン家を乗っ取ろうとしているわけか。……別に乗っ取られてもなんも困らないわ。もともと上司と部下の関係だし、そもそもブロンダン家が単独でリースベン領を運営していくのは不可能だから、結局のところアデライドによる助言と援助は必須だし。つまり、名目上乗っ取られたところで実態は何も変わらんってことだ。

 だいたい、彼女が例に挙げている交易路もミスリル鉱山も最初からカスタニエ家の資本で開発が行われているわけだしな……。最初から、アレは僕の権益ではない。そんなことは宰相もわかっているだろうから、つまり権益云々は対外的な言い訳……。

 

「どうだね、アルくん。君がその魅惑的な肢体を差し出せば、領地の問題もお家の問題も残らずに片付くんだ。悪い取引じゃないと思うんだがねぇ……!」

 

 両手をワキワキとさせながら、アデライド宰相は僕に迫ってくる。僕は完全に思考がフリーズしていたが、代わりにスオラハティ辺境伯がスケベ宰相の脳天に手刀を落とした。

 

「言い方が悪い。死ぬほど悪い」

 

「あだっ!?」

 

 ゴツンといい音がして、宰相は目尻に涙を浮かべながらうずくまった。辺境伯がまたまたため息をついて、僕の方を見る。

 

「ええと、その……なんだ。大変にわかりづらいが、つまり彼女はこう言っているわけだ。『絶対に幸せにするから、結婚してください』……ってね」

 

 その言葉に、僕は思わず自分のほっぺたをひねり上げた。……クソ痛い。どうやら、これは夢ではないようだ。マジ……?



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第356話 くっころ男騎士と決着

 アデライド宰相から求婚された。だが、プロポーズの仕方が最悪だった。僕は机に山と積まれた借用書の束と、シバかれてふくれっ面をしているアデライド宰相の顔を交互に見た。

 

「なんだ、文句でもあるのか!?」

 

「文句と言うかなんというか……」

 

 僕と宰相の付き合いも長い。だから、彼女があえて露悪的な言動をしている、というのももちろん理解している。(ちまた)では血も涙もない銭ゲバ扱いされることも多い彼女だが、実のところ情に篤いところも持ち合わせている優しい女性なのである。先ほどの言葉が本意であるはずがない。

 だが、これは流石にあんまりではなかろうか? 僕が(この世界の)普通の男性だったら、ビンタの一つでも飛んできそうな言い草である。もちろん、僕はそんなことはしないが。

 

「アデライド、いいかな? この手の告白は、一生のうちにそう何度もやるものではないんだ。下手をすれば一生のうち一回、ということもありえる。そんな重要な思い出が、まるで商売男を買うような言い草で塗り潰されれば……そりゃあ、アルだっていい気はしない。もっとちゃんとした……素敵な言葉をかけてあげるべきだったと思うよ」

 

 かなり呆れた様子で、スオラハティ辺境伯がそう説明した。僕としても同感である。だが、当の宰相は大変にご不満な様子だった。応接机を叩きながら、大声で叫ぶ。

 

「仕方が無いだろう! 私が勇壮で女らしい騎士だったのなら、そういうやり方も通用したかもしれん! だが、そうではないんだ! 私は非力で臆病で雄々しいたんなる文官 しかも年増! 真っ当なやり方で男を口説いたところで、鼻で笑われるだけ……。唯一の武器であるカネを前面に押し出さねば、どうやっても勝てない勝負なんだ!」

 

 まさに慟哭としか言いようのない叫びだった。目尻には、涙が浮いている。……こういう時代だからなあ。王宮でデカい顔をしているのは、いつだって武官だ。宰相はあくまで文官だし、しかも非力な只人(ヒューム)である。いろいろと、コンプレックスを抱いてしまっても仕方のない話だろう。

 なんだか、急激にしんどい気分になって来たな。僕もそうだし、母上もそうなんだが……身体能力に優れた亜人たちの社会に混ざって、僕ら只人(ヒューム)が貴族として生きていくのは尋常ではなく大変だ。

 自力で表舞台に立つのが難しいからこそ、只人(ヒューム)裏族(りぞく)などと呼ばれて貴族社会の裏方に追いやられている。亜人が繁殖に只人(ヒューム)を必要としない生き物だったら、被差別種族一直線だったはずだ。だからこそ、ブロンダン家やカスタニエ家などの只人(ヒューム)貴族は裏であれこれ言われがちなんだが……。

 

「宰相閣下。……いえ、アデライド。そんなことをおっしゃらないでください。僕は、あなたの良い所をたくさん知っています。鷹揚で、面倒見がよく、人を思いやれる」

 

 しかも尻を触らせるだけでいくらでもお金を貸してくれる。……そんなことしてるからこんな額の借金をこさえるハメになったのでは?

 

「どうか、そうやって自分を卑下するのはやめてください。あなたにはあなたの魅力がある、そうでしょう?」

 

「お、おお、おおう……」

 

 僕が彼女の手を両手でぎゅっと握りながらそう言うと、宰相は熟れたリンゴのように真っ赤になった。

 

「だ、だったら、結婚してくれるんだな! 私とっ!」

 

「え、あの、それは……いやもちろん気分としては頷きたいのですが、自分は既にソニアやエルフの皇帝から求婚を受けておりまして……今ここで頷くのは、いろいろな部分に差しさわりが」

 

「そんなことは全部私がなんとかしてやる! 余計なことは考えるな、私と結婚したいのかしたくないのか! どっちだ!」

 

「……」

 

 僕は一瞬、考え込んだ。一体僕はどうすればよいのだろうか? 脳裏にソニアやジルベルト、ダライヤ氏の顔が浮かんでは消えていく……いやでもこの借金をなんとかしなきゃ何ともならんわ。借用書は法的に有効なヤツだし。出るとこ出られたら僕は奴隷落ち一直線だ。結婚なんかしてる場合ではなくなってしまう。

 これがまだ不当な借金だったらそれなりに抵抗してるんだけど、考えなしに借りまくったのは僕だしな……。しかも、相手は「なんとか結婚できないかなー」などと思っていたアデライド宰相である。全然悪い気はしないし、むしろ嬉しいくらい。

 わあ、断れない理由も了承したい理由も揃っちゃったぞ。どうするんだコレ。うむむと唸っていると、アデライド宰相は半泣きになりながら僕にしがみついた。

 

「はやく答えてくれないか、アルくん! 私の精神はもう限界だ! これ以上もったいぶるようなら私は泣きながらこの部屋を去ることになる! そうなったら縁談はご破算だぞ!」

 

「アッハイ、結婚します」

 

 ソニア、ジルベルト、ごめん……借金には勝てないわ。いや誰と結婚しようが結局只人(ヒューム)の嫁に来てもらわなきゃ困るというのは一緒なんだが、それにしてもなんだかなあ……。真夏の入道雲のように罪悪感がムクムクと湧いてくるんだが。

 

「頷いたな! 頷いたよな!? もう撤回はできないぞ!? わかっているのか!?」

 

「……はい」

 

「ああああああっ!! やったあ!!」

 

 宰相は立ち上がって歓喜の叫びを上げ、小躍りし、そして僕に抱き着いた。そのまま、強引に僕の唇を奪う。たいへんに熱烈なキスだった。

 

「長かった……長かったよぉ……」

 

「宰相閣下……」

 

「アデライドと呼べよぉ……」

 

 おいおいと泣きながら、宰相……もといアデライドは僕の胸板をぺしぺしと殴った。普段は傲慢不遜なセクハラ女な彼女だが、今はただただ可愛らしいだけの生き物と化してしまっている。僕は苦笑しながら、彼女の頭を優しく撫でた。

 ……いや、なんかノリで頷いちゃったけどこれマズくない? ソニアもダライヤ氏も無視していい相手じゃないぞ。特にソニアだ。彼女に失望され、見捨てられたりしたら……一生立ち直れる気がしないんだが!?

 うわあ、どうしよ。ノリで重要な決断をするもんじゃねえな。さっきは即断即決こそ肝要! みたいなことを考えていたのに、今はすっかり手のひらを返したい気分になっている。感情のアップダウンが激しすぎてどうかなりそうだ。

 

「し、しかしその……ソニアの件はどうしましょう? こういうことになった場でこんなことを言うのはたいへんに気が咎めるのですが、僕は彼女に嫌われることだけは我慢ならないと言いますか……」

 

「言っただろうが、そんなことは私がなんとかすると……!」

 

 僕に抱き着いたまま、アデライドは恨みがましい目で僕を見た。

 

「そもそも、ソニアのことは私も最初から考慮に入れている。そうでなければ、親の前で娘の想い人を口説いたりするものか」

 

 そういってアデライドは辺境伯を一瞥する。彼女は苦笑して、コクリと頷いた。

 

「アデライドが竜人(ドラゴニュート)だったら、いろいろと面倒があったんだろうけどね。だが、彼女は只人(ヒューム)だ。なんの問題もないだろう」

 

 ……まあ、確かに只人(ヒューム)と亜人の二人が一人の男を共有する、というのがこの世界の一般的な結婚の形だからな。問題ないと言えば、確かに何の問題もない。とはいえ、前世の記憶を残した僕としては、違和感を覚えずにはいられないのだが……。

 

「それに、ソニア自身の希望を叶えるためにも……あの子は、アデライドと和解したほうがいいからね」

 

「……というと?」

 

 僕の問いに、辺境伯は皮肉げに笑った。

 

「半ば絶縁状態になった今でも、スオラハティ家の家中にはソニアを次期当主に、と推すものは多い。実のところ、本音を言えば私も彼女らと同意見だ。なにしろ、あの子は私の子とは思えないほど出来がいい。智・武・勇をあれほど高い水準で兼ね備えた騎士など、王国広しとはいえソニアくらいだろう。本人にその気がないなら仕方ない、と切り捨ててしまうには……あまりにも惜しい」

 

「……」

 

 そう言われてしまえば、僕は黙り込む他ない。ソニアは血筋にも才能にも恵まれた本物の出来物で、しかも長女だ。本来なら貧乏騎士家出身の小領主の副官になるなどあり得ない人材だろう。

 

「だが、あの子の頑固っぷりは尋常ではない。ムリヤリ言うことを聞かせようとしたって、不可能だ。この頃は、私ももうソニアがスオラハティ家に復帰することは諦めつつある。だが、家臣たちはそうではない。ソニアがブロンダン家に嫁入りするためには、家臣たちを納得させる必要があるんだ」

 

「……と言うと?」

 

「簡単なことだ」

 

 ニヤリと笑って、アデライドは僕から身を離した。そしてそのまま元居た場所へ腰を下ろし、大胆な手つきで僕の太ももを揉み始める。あのさあ……。

 

「才気あふれる大貴族の長女が、遠く離れた地の新米男領主に嫁ぐ。これだけなら、たんなる駆け落ちだ。しかし、同じ男に王国の元宰相も嫁ぐとなると……どうだ?」

 

「……アッ、なんかすごく裏がありそうに見える!」

 

 僕は思わずぽんと手を叩いた。

 

「その通り。事情を知らぬ者には、我らの派閥が南部を獲りに行ったように見えるだろうな。王国の南部は、もとはと言えばオレアン公爵家の庭。しかし今のオレアン家は、謀反の件で身動きがとれなくなっている。現在の南部はほとんど権力の空白地帯だ。勢力拡大を狙うなら、今しかない。そこへ、王国最大の地方領主の長女が参戦だ」

 

「そうか……嫁養子という名目で、南部にスオラハティ家の分家を立てる。そういう風に体裁を整えるわけですね」

 

 なるほど、よく考えたものだ。南部の支配権を奪うという名目があれば、辺境伯家の家臣たちも文句がつけづらいだろう。……はたから見るとめちゃくちゃド汚い権力闘争だな、これ。王太子のフランセット殿下あたりが懸念を深めそうだが……大丈夫かね?

 

「まあそういうわけで、私とソニアはセットでアル君に嫁ぐ。これが最適解だ。あとは、ソニアを説得するのみ。君もそれで良いね?」

 

「はい」

 

 政治の話なんぞなんもわからん軍事バカの僕としては、頷くほかない。……しかし、なんかアレだな。アデライド、ソニア対策のことしか考えてないんじゃないのか? ソニアも確かに難敵だが、ダライヤ氏も大概だぞ。こっちは、どうやって説得する気かね? いくら海千山千の宰相閣下でも、あのロリババアを対策なしでねじ伏せるのはムリだと思うんだが。

 

「それは分かりましたが……問題は他にもあります。ダライヤ殿……エルフの皇帝の件は……」

 

「私を誰だと思っているのかね? 大国、ガレア王国の宰相だぞ。ド田舎のクソ蛮族の酋長など、一ひねりだ。まあ、任せてくれ給えよ」

 

 あ、ダメだこれ。めっちゃ油断してるわ。ナメて勝てるような相手じゃないぞと忠告しようとしたが、それより早くスオラハティ辺境伯が口を開いた。

 

「ところで……そろそろ私のほうの本題に入りたい。いいかな、アデライド」

 

「……ま、私は本懐を果たしたからな。バトンタッチと行こうか。頑張れよ、カステヘルミ」

 

 なにやら、話の流れが変わった様子である。スオラハティ辺境伯の"本題"とは、いったい何だろうか? ソニアとの仲直りの件か? 僕は彼女に視線を移した。辺境伯はなんだか顔を赤くしながら、コホンと咳払いをした。

 

「……なあ、アル。ソニアは私とひどい喧嘩をして、スオラハティ家を出ていったわけだが……いったい、どういう理由でそこまでの大喧嘩になったのか、知っているかな?」

 

「いえ、存じておりません。何度かそれとなくソニアに聞いたことはあるのですが、言葉を濁すばかりで……」

 

 なるほど、やはりそういう話題か。僕は辺境伯に頷いて見せた。

 

「そうか、まあ当然か。ソニアが出ていった後も、君は今まで通りに私と接し続けてくれていたものな……知っているはずがないか」

 

 深々と息を吐いた辺境伯は、ひどく言いづらそうな表情で視線をあちこちに逸らした。なにやら、不穏な雰囲気である。

 

「実は、その……あの喧嘩は、私が十割悪かったんだ」

 

「は、はあ」

 

「その、あの……私は、ね? なんというか、その……」

 

「はい」

 

「夜這い、しようとしたんだ」

 

「誰に!?」

 

「君に」

 

「僕に!?」

 

「……うん。で、ソニアに見つかって……大喧嘩。というか、一方的にボコボコにされた」

 

「は!?」

 

 僕は思わず素っ頓狂な声を出した。この優しい辺境伯様が、僕に夜這い!? 悪い冗談だろうかと思ったが、辺境伯の顔は真剣そのものだった。彼女はひどく申し訳なさそうな表情で、僕をじっと見つめる。

 

「つまりその……わかりやすく言えば……私たちは、母娘で同じ(ひと)を好きになってしまった……というわけなんだ」



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第357話 くっころ男騎士と母娘喧嘩の真実

「つまりその……わかりやすく言えば……私たちは、母娘で同じ(ひと)を好きになってしまった……というわけなんだ」

 

 そう語るスオラハティ辺境伯の表情は、なんとも複雑だった。恥じらい、怯え、不安……様々な感情がごちゃ混ぜになったような、なんとも不可思議な顔であり、彼女の本意はいまいち読めなかった。ただ、少なくとも冗談半分でこのようなことを言い出したのではないのは確かなようだ。

 

「……」

 

 僕は黙り込む他なかった。夜這いをしようとした、などと言っているあたり、この"好き"が友愛や家族愛の類ではないのは確実だ。辺境伯が、異性として僕を好いている? 正直、どう反応していいのかわからなかった。

 もちろん、僕とて辺境伯のことが嫌いな訳ではない。そもそも、僕の現世における初恋の人はこの人だ。とはいえ、それは肉体年齢に引っ張られた稚気じみたもの。もちろん、今となってはそのような感情はとうに整理を付け、思い出を入れる箱の奥底へとしまいこんである。

 

「……その、よくわからないのですが。どういうきっかけで、そのような感情を?」

 

 辺境伯は未亡人だ。しかも夫が亡くなったのは十年以上前のこと。新しい恋を見つけたくなったとしても、誰が彼女を責められようか。だが、その対象が僕となると流石に驚きだった。いつの間に、そんなことになったのだろうか?

 ソニアが実家を飛び出したのが五年前。夜這い未遂事件がその直前の出来事だとしても、辺境伯が僕に異性愛を抱いたのは、少なくとも五年以上前だということだ。だが、当時のことをいくら思い出しても、彼女が僕に好意を抱くようになるきっかけとなった出来事などまったく心当たりがなかった。

 

「一目ぼれなんだ」

 

「一目、ぼれ」

 

 僕は茫然とスオラハティ辺境伯の言葉をオウム返しにした。

 

「なんというか、その……初対面の時、僕はまだ年齢一桁の子供だった記憶があるのですが」

 

「うん……その、なんというか……その年齢一桁の子供に、私は恋をしちゃったんだよ」

 

「ワッ……!」

 

 ショタコンじゃねえか! ……あ、でも僕も見た目幼女なダライヤ氏にだいぶ心を乱されてるわ。全然人のことを言えた義理じゃないわ。

 

「勘違いしないでくれ! 私は、断じて幼い子供に欲情する人間ではない! ただ、その……当時の君が、あまりに私の理想そのままだったものだから……」

 

「辺境伯様の、理想」

 

 僕は、当時の自分を思い出してみた。剣を振り回し、用兵術を学び、新兵器の図面を書きまくる、小学校低学年くらいの年齢の男児。どこに好きになる要素があるんだよ。同年代の下級貴族の令息たちは楽器とか刺繍とかをならってる頃合いだぞ! 我ながらオテンバが過ぎるわ!

 

「私は、その……恥ずかしい話だが」

 

 僕の怪訝な顔を見た辺境伯は、言いづらそうに説明をはじめた。その顔は真っ赤に染まっている。宰相が僕の隣で「自分だってダメダメ告白じゃないか」などと小さくボヤいた。

 

「私は子供の時分から、悪い魔法使いに攫われた王子様に自己投影してしまうような、ヘンな女だったんだ。強くて優しい騎士さま、そういう男性が、理想だったんだよ。当時の……いや今もそうだが、とにかく君はその理想のままの存在だった。好きにならないはずがなかったんだよ」

 

「あ、ああー……」

 

 そういう、ね? いや確かに、そういう男性はこちらの世界では貴重やもしれん。戦士として戦場に出るような男性自体まずいないし、その中でも騎士を名乗れるような肉弾戦上等の人間となると……そんなヤツは、僕以外聞いたことがない。まあ世界は広いから、探せば他にもいるのだろうが、少なくともガレア王国には僕一人きりだろう。

 

「私のようなおばさんに突然このようなことを言われても、アルからすれば気持ちが悪いだけだろう。本当にごめんなさい……。けれど私は弱い女だから、気持ちを伝えないまますべてを終わらせることだけは、どうしても耐え難かった」

 

「気持ち悪いなんて、そんな」

 

 僕は慌てて、辺境伯のほうに向きなおった。確かに彼女の告白は衝撃的だったし、僕が人生一周目の人間だったら流石にドン引きしていたかもしれない。ただ、僕の人生は二周目だ。前世の享年はちょうど今の辺境伯くらいの年齢であり、精神的には僕の方が年上ですらあるのだ。……いや僕の精神年齢は昔からガキのままで止まっているので、精神年齢ではなく魂年齢と言い換えるべきかな?

 

「辺境伯様は、大変に素敵な女性です。言いづらいことですが、僕の初恋の相手は……辺境伯様でした。そんな貴女に想われていたなど、身に余る光栄としかいいようがありません」

 

 そう言って、僕はスオラハティ辺境伯の手を両手でぎゅっと握る。

 

「自分を傷つけるような言葉を、おっしゃらないでください。僕は昔も、そして今も、貴方を気持ち悪いと思ったことなど一度もありません」

 

 さすがに夜這いは駄目だろとは思うけどな。まあ未遂だし許せるわ。許せるわと言うか、未遂で終わらなかった場合、当時の僕なら普通に受け入れてた気がするし。この世界の基準で言えば、ハッキリ言って僕だって淫乱扱いになると思うしな。変態はお互い様だろ。

 ……ん? 夜這い未遂……? その結果大喧嘩……。え、え、つまり、スオラハティ母娘がこんな風になったのって、僕のせいってことか!? え、うわ、マジ……? あんなに良く接してくれた二人を、僕が……?

 

「ど、どうしたんだ、アル。そんなに顔を真っ青にして。や、やはり迷惑だったか……すまない……」

 

「い、いえ、違うんです辺境伯様。ただ、自分のせいでこうも事態がこじれてしまい、なんとお詫びしたらいいのかと……」

 

 謝って済むレベルじゃないだろ。スオラハティ家が無ければ、僕は昇爵などせず貧乏騎士の息子として一生を終えていただろう。封建制のわが国でスムーズに昇進するのは、前世の比ではなく難しい。しかも僕は男だしな。それがこうも順調すぎるほどに出世できたのは、大貴族の後押しあってのことだ。

 いや、受けた恩はそれだけではない。辺境伯からは息子として、ソニアからは親友として、僕は大変に優しく接してもらってきたのだ。スオラハティ家は僕のもう一つの家族だった。そんな優しい家庭が僕のせいで無茶苦茶になったなどというのは、いくらなんでもあんまりだろ!

 

「君は悪くない、アル。すべては私のせいだ。私が年甲斐もなく妙な気を起こしてしまったばかりに……。君が気に病む必要はない、そんな顔をしないでくれ」

 

 辺境伯は悲しげに笑って、僕をふわりと抱きしめた。

 

「安心しなさい。これは、私がしでかしたことだ。だから、すべてを元通りにする義務が私にはある……」

 

「カステヘルミ」

 

 かなり驚いた様子で、アデライド宰しょ……アデライドが腰を上げた。

 

「お前、どういうつもりだ。私と一緒に愛を告げる、そういう話だったじゃないか。その言い草は、まるで……」

 

 まって宰相、あなたさっき僕をソニアと共有するって言ってたよね? そこにさらに辺境伯を加える気だったの!? どんなインモラルな関係だよ!?

 

「そうだよ、愛は確かに告げた。ひどく一方的なものになってしまったが、不相応な恋や愛など一方通行で十分だ。私は満足だよ」

 

 いつの間にか、辺境伯の目からは涙がこぼれていた。ひどく悲しい、それでいて優しい声でそう言ってから、彼女は僕を抱きしめる腕に力を籠める。

 

「ごめん、ごめんね、アル。気持ち悪いおばさんで、ごめんね……。この気持ちには、今日で仕舞いを付けるから。明日から、お前とソニアのお母さんに戻るから。あるべき姿に戻して見せるから。だから、だから……最後に、一回だけ……キスをして、ください」

 

 泣き笑いの表情でそんなことを言う辺境伯に、僕は絶句するしかなかった。どうやら彼女は、自分よりも娘の恋路を優先する腹積もりのようである。……おそらくは一世一代ほどの気持ちで発されたであろうお願いを、断ることなどできない。僕は無言で、辺境伯の唇を奪った。彼女はそれを優しく受け止め、笑い、そして再び小さく呟いた。

 

「ごめんね……」



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第358話 重鎮辺境伯と旅路

 私、カステヘルミ・スオラハティは苦悩していた。その原因はもちろん、我が長女ソニアとその想い人アルである。よりにもよって母娘揃って同じ相手に惚れ、さらにその男に私が手を出そうとしてしまったばかりに、我々の母娘関係は破滅的な状態に陥ってしまった。すべては、私のこらえ性が足りなかったせいだ。

 王都の内乱が終わってからも、私はずっと悩み続けていた。どうすれば、母娘仲をもとに戻せるだろうか? 私の想いを遂げる方法はあるのだろうか? 考えても考えても、この問題を解決するための冴えた方策は思いつかなかった。

 まあ、それも致し方のない話である。惚れた男を母親と共有するなど、ソニアからすれば耐えがたいことだろう。ただでさえ、彼女の私に対する信頼は地に落ちている。この状態から母娘関係を修復し、さらには私の望む形へと発展させていくのは……どう考えても不可能だと、結論付ける他なかった。

 愛する娘と、愛する男。私は、どちらかを選ばねばならない。とても悲しいが、双方を手に入れるのはムリだ。二兎を追う者は一兎をも得ず、というヤツだろう。で、あれば……どちらを優先すべきか? ……悩むまでもない、娘だ。なぜなら私は母なのだから。

 

「……」

 

 ソニアが監督している野営地があるというアッダ村とやらへ向かう馬車の車中は、何とも言えない沈黙が支配していた。車内に居るのは、私とアル、そしてそれぞれの従者が一人ずつ。誰もかれもが、石のように押し黙っていた。

 ちなみに、なぜアデライドがいないのかと言えば、カルレラ市に残してきたからである。彼女には彼女の仕事がある。すなわち、アルに服属したというこの地の蛮族の長、ダライヤとやらの説得だ。

 アルの話によれば彼女はなかなかの切れ者という話なので、こちらに対処する隙を与えず奇襲で抑え込んでしまえ、という作戦になっていた。それと同時に、私が娘を説得するわけである。アデライドは自分がソニアも説得すると言ってきかなかったが、これは私の仕事だ。いくら親友の頼みでも、聞けないものはある。

 

「アル、何度も言うが……悪いのは私で、君はむしろ被害者なんだよ。どうか、悩まないでほしい」

 

 

 見たこともないような深刻そうな顔をしたアルの肩に手を置き、私はそう語り掛けた。彼はおそらく、我々の母娘喧嘩の原因が自分だったと思い悩んでいるのだろう。アルは普段は明るく快活な男の子だが、何もかも自分一人で背負い込んでしまうような気質があった。今回は、それが悪い方に働いているのだと思う。

 彼のひどく沈んだ顔を見ていると、胸がきゅっと締め付けられているような心地になってしまう。……こうして気安く彼に話しかけることができるのも、今日が最後かもしれないな。そう思うと、また涙がこぼれそうになる。歯をくいしばって、それに耐えた。私は加害者だ、被害者ヅラをするわけにはいかない。

 とにかく、私が最優先すべきなのはソニアとの関係修復だ。スオラハティ家とソニアの縁が切れたままというのはいろいろな意味でマズい。ソニア自身のためにもならないし、アルにも迷惑をかける。彼女の態度が軟化した今がチャンスなのだ。下手に欲をかいてこの機会をフイにするなどあってはならないことである。ソニアがもう二度とアルに近づくなというのなら、私はそれに従う所存だった。

 

「しかし……」

 

「しかし、じゃない。ああいうことをしでかしておいてこんなことを言うのは大変に恥知らずなことだが……私は君を実の子のようにも思っているんだ。親の成すべき責任を、私に果たさせてほしい」

 

 どこの世界に実の子のように思っている子に夜這いを仕掛けようとする女がいるのだろうか? 私は、自分で言っておきながら反吐を吐きそうな気分になった。だが、これは偽らざる私の本音なのである。私はアルを異性として見ているし、それと同時に子供としてもみている。救いようのない変態としか言いようがない……。

 

「……」

 

 明らかに納得していない様子で、アルは再び黙り込んでしまった。彼の隣に座っている従者役のカリーナが、こちらに気づかわしげな目を向けた。私のことを、心配してくれているのだろう。優しい子だ。

 彼女が渡りをつけてくれなければ、この機会は訪れなかった。いくら感謝してもしきれないな。カリーナには、約束通りの"報酬"を与えなければならないな。しっかりと、手配と根回しをしておかねば……。

 

「アッダ村野営地に到着いたしました」

 

 そんなことを考えていると、馬車が停止した。御者が大声でそう報告する。アルがこちら一礼して立ち上がり、ドアを開けて馬車の外に出た。そして、私の手を取って降車をエスコートしてくれる。本来ならばこういうのは従者の役割なのだが、領主と言う立場になった後も彼はこうして私を助けてくれるのである。

 その騎士らしい態度に、私の心は乙男(おとお)のようにときめいた。こんな時だというのに、現金なものだ。あとから自己嫌悪が湧き出してきて、私はため息をつきたい心地になった。

 

「……ここが、エルフたちの野営地か」

 

 周囲を見回しながら、私はそう言った。野営地は、何の変哲もない農村の郊外に築かれていた、街道を挟むようにして、大量の天幕が立ち並んでいる。ちょっとした町のような規模だ。蛮族どもの人数を考えれば、これは単なる比喩ではない。二千名超というのは、田舎の地方都市に匹敵するような人口である。

 そしてその仮設の"町"を行きかう人々は、見慣れた竜人(ドラゴニュート)や獣人ではない。雨具のようにも見える長衣を羽織った、驚くほど美しい女たちだ。あれがエルフか、と心の中で小さく呟く。年寄りも子供も、ほとんどいない。(外見上は)若い女ばかりだ。これが長命種の集落かと、一人ごちる。

 

「エルフ以外にも、アリンコ……もといアリ虫人やらも混ざっていますが。あとカマキリ虫人とか」

 

「虫人か、北方ではほとんど見ない人種だ。新鮮だな」

 

 アルの言葉に、私は努めて明るい口調で答えた。もちろん空元気だが、辛気臭い顔をして娘に会いに行くわけにもいかないからね。

 

「ソニアはおそらく、指揮本部のほうに居るでしょう。どうぞこちらに」

 

 アルの案内に従って、私は歩き始めた。美しくも剽悍(ひょうかん)なエルフたちや、この寒さのなか露出狂じみた服装(腰布一枚のみの格好を服装と表現していいのだろうか?)をしているアリ虫人たち。道行く人々を見ているだけで異国情緒を味わえるような景色ばかりだったが、観光気分でいられるほど私の心は穏やかではなかった。言葉少なに足を進め、あっという間に"指揮本部"とやらに到着する。

 仰々しい名前だが、ようするに単なる野戦用指揮天幕だ。その大きいだけのテントの前に、我が娘ソニアは居た。彼女は私の顔を見て、なんとも複雑な表情を浮かべ、そして頭を下げた。

 

「お久しぶりです……母上」

 

 母上。そう呼ぶソニアの声には、明らかな抵抗感があった。まあ、それは当然のことだろう。私も、カリーナからの手紙でだいたいの事情は知っている。ソニアが私と話し合う気になったのは、別に私を許す気になったからではない。強力なライバルの出現、思ってもみないすれ違いの発覚……それらによって手詰まりに追い込まれ、私に頼る以外の方策を見つけられなかったからだ。

 まあ、それはそれで良い。どんな理由であれ、とりあえず直接顔を合わせてくれる気になったのだ。これまでが事務的な手紙を稀に寄越してくるだけという状態だったことを考えれば、これでも格段の進歩だろう。この機を逃せば、もう仲直りをする機会は一生訪れないかもしれない。だからこそ、失敗は絶対に許されない。私は限界まで譲歩する覚悟をしていた。

 

「ああ……こうして直接会うのは、何年ぶりだろうか。元気そうでよかった」

 

「……母上こそ」

 

 私はそう言って、娘に歩み寄った。そしておずおずと手を差し出すと、ソニアはしばし硬直してからそっと手を握り返してくる。なんとか、ファーストコンタクトは成功だ。しかし、肝心なのはこれからだ。気合を入れねば……。



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第359話 重鎮辺境伯と盗撮魔副官

 これから私が娘とする話は、表沙汰にできるような内容ではない。用意してもらった"内緒話"にふさわしい小さなテントの中で、私はソニアと向き合っていた。

 テントの中に居るのは、私とソニアだけ。申し訳ないが、アルには席を外してもらった。親子の話とはいえ彼も当事者の一人には違いないのだが、彼がそばにいると決意が鈍ってしまうような気がしてしまったのだ。己の不埒な想いを振り払うためには、私は自分一人で娘と相対するしかなかった。

 

「……」

 

「……」

 

 不穏な空気が漂う中、私たちは無言で香草茶を飲んだ。お互い出方をうかがっている、そういう雰囲気だ。ソニアと顔を合わせるのは数年ぶりで、とうぜん話したいことはいくらでもある。しかしそれを実際に言葉にして口に出すのは、ひどく憚られた。

 

「は、母上。その……何も言わずに勝手に家を出て言ったあげく、まともに連絡も寄越さなかったことを、まず謝罪いたします。まことに、申し訳ございませんでした」

 

 椅子から立ち上がり、深く頭を下げながらソニアがそんなことを言う。その発言の内容に、私はとても驚いた。あのソニアが、自分から謝るとは。しかしもちろん、これは本心からの謝罪ではないだろう。むろんこれは単にソニアが意固地だから……というわけではなく、そもそもこの問題が私の不義理な行為が原因で起きたモノだからである。むろんソニアの反応も苛烈に過ぎる部分があったのは確かだが、彼女だけが謝れば済むというモノでもない。

 にもかかわらずソニアが自分から折れたのは、彼女がそうとう追い込まれているからだろう。カリーナの報告によれば、ソニアはアルとのすれ違いが発覚して泣きながらやけ酒を飲むような状態になっていたらしいからな。例え下げたくない頭を下げてでも、私の協力が欲しいのだろう。

 ソニアは昔からひどく頑固な子だった。これと決めたことは、何がどうなっても頑として譲らない。そのせいでトラブルを起こしたことも一度や二度ではないのだ。そんな子が、愛する男の為とはいえ不本意な謝罪ができるようになった。なにやら、私は寂しい心地になった。親などがいなくとも、子は知らぬ間に成長するものだというが……。

 

「その謝罪を受け取る権利は、私にはない。私がばかな真似をしなければ、このような事件は起きなかったのだから」

 

 折り畳みテーブルの上に乗った飲みかけの香草茶のカップを指先で撫でつつ、私は言葉をつづけた。

 

「だが、他の家臣たちに変わって、お前の謝罪を受け入れよう。ほとんどの家臣たちは、お前がスオラハティ家の次期当主になることを当然のこととして受け入れていたんだ。それが突然いなくなったものだから、わが領地は天と地がひっくり返ったような大騒ぎになった」

 

「……申し訳ありません」

 

 難しい顔で、ソニアはうなだれる。実際、ソニアが出奔してしばらくは、我が家中は上から下まで大騒ぎだった。この件に関しては、確かにソニアが悪い。私的なトラブルで家臣や領民に多大な迷惑をかけるというのは、貴族としては慎むべき行為だろう。

 

「……だが、その原因を作ったのは私だ。アルの件に関しては、ずっとお前に謝りたいと思っていた。その機会を作ってくれたことを感謝する」

 

 そう言ってから、私は深々と頭を下げた。

 

「私が己の欲望を我慢できなかったばかりに、アルをひどく傷つけてしまうところだった。それを防いでくれたお前には、どれほど感謝してもしたりないくらいだ。ありがとう。そして、ごめんなさい」

 

「……謝罪を受け入れます。頭を上げてください」

 

 私は一拍置いてから、娘の言葉に従った。……とにかく、これでお互い謝るべきことは謝ったことになる。むろん、一度謝ったからと言って何もかも許せるわけではないし、わだかまりが消えるわけでもない。実際、ソニアの表情も完全に納得しているとは言い難いものがある。

 しかしそれでも、まずはこうして謝罪という"儀式"をしないことには、まともに話し合うことすら出来ないんだからな。とりあえず事態は一歩進展、というところだ。所詮一歩は一歩だが、私はここ数年間ずっと同じ場所で足踏みをしていたわけだから、これだけでも十分な進展と言っても良い。

 

「それで、その、母上……」

 

 しばし黙り込んでから、ソニアはおずおずと口を開いた。本題に入るつもりだろう。私はそれを手で遮った。

 

「お前の事情は、カリーナから聞いている。要するに、アルと結婚したいのだろう?」

 

「……はい」

 

 あいつめ、と言わんばかりの表情でソニアは頷く。頭の中で、カリーナを罵倒しているのだろう。

 

「それに関しては、心配する必要はない。手は既に打ってある。お前とアルの結婚は、すでに既定路線に乗せた。あとはお前がアルの心を取り戻すだけだが……それもまあ、難しくはあるまい。お前たちは、決して嫌い合っているわけではないんだ。しっかりと話し合ってゆっくりと関係を修復していけば、いずれは誰もがうらやむ仲の良い夫婦になれるだろう」

 

 私の言葉に、ソニアは目を見開いた。それはそうだろう。これから相談しようと思っていたことが、すでに解決済みだと言われてしまったのだ。面食らわないはずがない。

 

「母上、それはいったい――」

 

 戸惑うソニアに、私は自らの計画を説明した。スオラハティ家の長女とカスタニエ家の当主(つまりはアデライド)が同じ男に嫁ぐことで、南部における辺境伯派閥の影響力強化を……というか、覇権を狙う。そういう策だ。これは実際裏の事情を抜きにしても強力な策で、スオラハティ家の家中ではいまだに根強い『ソニアを次期当主に』という主張を退ける効果もある。

 

「アデライドと共に、という点はお前は気に入らないだろうが……お前をブロンダン家に嫁入りさせようと思えば、こういう手しかないだろう」

 

「……そこまでお見通しとは。てっきり、スオラハティ家に帰ってこいと言われるものとばかり」

 

「もちろん、そうしたほうが収まりがいいのは確かだ。本音を言えば、私もお前には戻ってきてもらいたいと思っている。しかし、な……お前もアルも、それでは納得しがたいだろう。お前はブロンダン姓を名乗りたいだろうし、アルはこのリースベンからは離れたがらないはず」

 

「……はい」

 

 ソニアは難しい表情でそう言ってから、香草茶を一口飲んだ。小さく息を吐いて、視線を中空へとさ迷わせる。アデライドとアルを共有する。彼女と仲の悪いソニアとしては、認めがたい条件だろう。だが、問答無用で突っぱねるわけにもいかない。なにしろ、これ以上に良いアイデアはソニア自身の中にもないのだろうから。

 しばらく悩んでから、ソニアはこの問題を後回しにすることにしたようだ。抵抗はあきらめていないが、この場で抗弁しても建設的な話し合いにはならない。そう判断したのだろう。彼女は話を逸らした。

 

「正直、その……至れり尽くせりで、驚いています」

 

「私はね、アルも大事だが……お前だって大事なんだ。二人には、幸せになってもらいたい。公私混同とそしられようが、知ったことか」

 

 これは私の本音であった。この二人の為ならば、私はいくらでも頑張る自信がある。

 

「……スオラハティの次期当主は、どうするのですか?」

 

 テーブルを指先でトントンと叩きながら、ソニアが聞いてくる。ソニアが家に戻ってくることを期待して、私は次期当主をいまだに指名していなかった。だが彼女がスオラハティ家から完全に離脱ことになる以上、いつまでも曖昧な態度を取り続けるわけにはいかない。

 

「さあてね」

 

 私は頭を働かせた。実際のところ、この問題に関しては私もまだ結論が出ていなかった。私には三人の娘が居る。長女は当然ソニアで、その一歳下に双子の次女と三女、という組み合わせだ。

 

「順番で言えば次女のマリッタだが、あいつはソニア派の急先鋒だ。お前を差し置いて自分が次期当主に、などというのは納得しないかもしれない。そうなると三女のヴァルマが適当だが、あいつは……」

 

「ヴァルマは駄目です。絶対にダメ。能力もやる気もありますが、性格が……」

 

「ああ……やる気と能力は百点満点なんだがなあ……性格が……」

 

 私の末の娘、ヴァルマはなかなかの問題児だった。ソニアと比べてもそん色のないほどの天才肌なのは良いのだが、とにかく好戦的で傍若無人。お前は乱世の梟雌(きょうし)かと言いたくなるような性格をしている。有事ならともかく、平穏な現代にあんな人間を領主に据えるのはマズイ。

 

「マリッタとて出来が悪いわけではありません。わたしなどよりよほど生真面目ですし、名君となる素質も十分にあるでしょう。……これは、わたしが説得すべき案件ですね。機会を作って、一度ノール辺境領へ戻りましょうか……」

 

「ああ、頼む」

 

 ため息をついてから、私は頷いた。まったく、難儀なことだ。私の三人の娘たちは、誰もかれもが一筋縄ではいかぬ難物ばかり。わたしも夫も平々凡々とした小人物だというのに、いったい誰に似たのだろうか?

 

「……まあ、それは後回しでも良いでしょう。平年の通りならば、あと半月もしないうちにノールは氷で閉ざされるはず。そちらの問題を解決するには、否が応でも来春の雪解けを待つ必要があります。とりあえず、当面の問題を解決しましょう」

 

 そう言って、ソニアはカップの香草茶を飲み干し、テーブルの上に戻した。そのコトンという音が、狭いテントの中でやけに響いて聞こえた。

 

「……ここまで譲歩してくれたからには、母上にもそれなりの条件があるはず。……いえ、今さら言葉を濁す必要もありますまい。要するに、母上はアル様を……」

 

「違う」

 

 ソニアの言葉を、私は即座に遮った。彼女の言わんとしていることは、最後まで聞かずとも理解できた。つまりソニアは、私が譲歩の代わりにアルを貸すように言いつけると思っているのだろう。

 そりゃあ、そうだ。ソニアは己の恋を貫くため、スオラハティ家の次期当主の座を蹴った女だ。恋愛事に関しては、妥協はあっても諦めることは決してない。そしてそれは、他人に関しても同じだと考えているのだ。だが、わたしはソニアではない。必要であれば、自分が身を引く覚悟も持っている……。

 

「ソニア。たしかに私はアルが好きだ。男として愛している。出来ることならば、彼には私の後夫になってもらいたい」

 

「ええ、ええ。私が母上の立場でしたら、同じことを考えているでしょう。ですが……娘としては、はっきり言ってそれだけは認めがたいのです。アデライドのヤツだけならば、なんとか飲み込めるやもしれません。しかし、貴女だけは、母上だけは……」

 

「……わかっている、わかっているさ。そんなことは。だから私は……アルから手を引くことにした」

 

 絞り出すような声で、私は娘に向けてそう宣言した。

 

 

 



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第360話 盗撮魔副官と重鎮辺境伯

「アル様から……手を引く……!?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、わたし、ソニア・スオラハティの心に湧き上がってきた感情は……安心ではなく、怒りだった。手を引く? 諦めるとということか。この色ボケ母は、想い人を諦めるのか?

 自分でもこれがたいへんに理不尽な感覚であることは理解しているのだは、わたしは一瞬で沸騰した。手に持っていた香草茶のカップが、乾いた音を立てて砕ける。まだ湯気の立つような温度の香草茶が手に思いっきりかかったが、熱さなど微塵も感じなかった。

 

「あなたは、アル様を諦めるというのですか」

 

「仕方が……ないだろう。私は、お前にもアルにも幸せになってもらいたいんだ。私が諦める以外に、方法は……」

 

 そう言ってから、我が母は悄然とうなだれた。これが断腸の思いでなされた決断だというのは、理解できる。さらに言えば、母の提案した作戦が、私にとっての最適解であることも、また理解できた。

 この作戦は、決して悪いものではない。オマケとしてアデライドがくっついてくるのはとても気に入らないが、その他は満点と言っていいだろう。私は大手を振ってソニア・ブロンダンを名乗れるようになり、それでいて実家との縁も回復する。なんと都合の良い話であろうか? あとはアル様を説得するだけだが、これはわたしの仕事なので母に頼るような情けない真似はできない。

 とにかく、この作戦はわたしにとってあまりに都合が良いのである。ここまでの計画を用意し、己の想いまでもわたしのために振り切ってくれたのだ。本来ならば、わたしは泣いて喜びながら母に抱き着き、感謝の言葉を述べるべきだろう。それは理解している。理解しているのだが……わたしは、自分が抑えられなかった。

 

「……諦められる程度の想いで、アル様に手を出そうとしたのかっ!!」

 

 わたしは、思いっきりテーブルを殴りつけた。軍用とはいえ、所詮は折り畳み式の簡素な構造だ。わたしのような大柄な騎士が思いっきり殴ったりすれば、一瞬でバラバラに砕け散る。思わず椅子から飛び上がって後ずさりした我が母に、わたしは詰め寄った。

 

「あなたは……わたしの母親だろうが……! 本当に心の底から欲しいと思った相手を、諦められるはずがないだろう……! つまり、アル様は諦められる程度の軽い相手だったのか!!」

 

 自分の強欲さは、自分が一番理解している。家族も、立場も、地位も、なにもかも投げ捨ててでも欲しいと思った相手が、アル様だった。本当に欲しいと思った相手を手に入れるためならば、何でもしてしまうのがわたしという人間の本質なのだ。

 そして、目の前にいるこの女。カステヘルミ・スオラハティも、そんなわたしと同じ血が流れている。どれだけ不本意でも、その事実は変わらない。ならば……この女とて、わたしと同じくらい強欲であるハズなのだ。

 ああ、わたしはなんと勝手な女なのだろうか。己の頭の中にある、もっとも冷静な部分がそう呟いた。この女が、カステヘルミが……自分の行いを悔い改め、わたしとアル様のために苦渋の決断を下してくれたこと、それは理解しているはずなのに。身勝手なわたしは、それが認められない。それを認めてしまえば、本当にクズなのはわたしだけになってしまうからだ。

 

「ソニア! 私は……」

 

「ふざけるな! ふざけるなよ! お前! 好きなんだろう、アル様が! だったら、わたしから奪い取るくらいしてみろよ! わたしがお前の立場なら、そうする! トラブル一つで実家を飛び出して、大勢の家臣に迷惑をかけて、好きな男を連れ去ってしまった! そんなヤツは、たとえ娘でもわたしなら足蹴にする! だから……あなたもそうしてよ……じゃなきゃ、わた、わたしは……」

 

「……できない、そんなことは」

 

 そう小さな声で呟いたカステヘルミは、わたしをゆっくりと抱きしめた。気付けば、わたしの目からは涙がこぼれていた。ぐずぐずと子供のように嗚咽するわたしに、母は優しく頭を撫でてくれた。

 

「他の女が相手だったら、お前の言う通りにしたかもしれない。けれども、お前は私の娘だ。私は、私とアルが結婚する未来よりも、お前とアルが結婚する未来を見たい。実現するのがどちらか片方だけだというのなら、迷うことなどない……」

 

「そんな、親みたいなことを言って……! わたしは、子として成すべきことなど何も成していないのに……! こんな、こんな……あんまりだ……! 本物のクズは、わたしだけだったのか……?」

 

「お前はクズなんかじゃない、ソニア。わたしの自慢の娘に、そんなひどいことを言うのはやめてくれ」

 

 ひどく優しい声でそう言いながら、母はわたしの頭を撫で続けた。わたしは流れ出る涙をなんとか堪えようとしたが、その努力が実を結ぶ気配はまったくない。ああ、なんと情けない話だろうか。 二十にもなって、自分から絶縁を言い渡していた母の胸の中で幼子のように泣きじゃくるとは!

 

「これは、私のエゴだが……ソニア、お前には、幸せな結婚をしてもらいたいんだ。私と同じ(わだち)を踏ませることだけは、避けたかった……」

 

「同じ……(わだち)……?」

 

 一瞬、母の言っていることが理解できなかった。つまり、母の結婚は……幸せなものではなかったという事か? 記憶を探ってみるが、よくわからない。母と父は、特段不仲というわけではなかったような気がするのだが……。しかし、父が亡くなったのはかなり昔の話だ。細かい部分など、覚えているはずもない。

 

「その、聞きにくいことですが……父上とは、もしや?」

 

「ああ。別に、嫌い合っていたわけではないんだが……どうにも、相性が良くなかった」

 

 辛そうな声音で、母はそんなことを言う。わたしは、何とも言えない嫌な心地になった。わずかに残っている亡父の記憶は、幸せなものばかりだ。母とも、仲良くしていたような気がするのだが……それは、演技だったのだろうか?

 正直この話題はここで断ち切りたかったが、ぐっと歯を食いしばって覚悟を決めた。わたしは、アル様との結婚を目指しているのだ。"上手く行かなかった"結婚生活については、聞いておいた方が良い。

 

「それは、具体的に……どういう」

 

「……」

 

 わたしの疑問に、母は露骨に赤面した。しばらく思案し、おずおずと口を開く。

 

「……二人してハダカになって同じ寝床に入ったというのに、何をどう頑張ってもお互いに準備が整わないようなことが何度もあった。要するに、性癖の不一致というか……」

 

「せ、性癖」

 

「ああ……。私は女らしい男が好きで、彼は女らしい女が好きだった。要するに、私が雄々しい女だったのが良くなかったわけだが……なんというか、その。三人もの子宝に恵まれたのは、ハッキリいって奇跡のようなものだったように思う」

 

「……」

 

 わたしは絶句するしかなかった。ああ、想像したくもない。ベッドインしたにも関わらず、濡れも勃ちもしなかったと? 熟年夫婦ならともかく、新婚でそれは致命的だ。聞いているだけで胃が痛くなってくる。お互いに、きっとひどくみじめで情けない気分になったことだろう。たしかに、そんな思いは絶対にしたくない。

 

「ソニア。お前がもしアル以外の夫を貰わねばならなくなったら……私と同じようなことにならない自身はあるか?」

 

「無理です! わたしに釣り合うような家格の男など、蝶よ花よと育てられたたおやかな御令息しかおらぬでしょう!? そんなモヤシのような男は抱きたくありません!!」

 

 反射的にそう答えて、愕然とした。きっと、我が母も同じ気持ちだったのだ。カエルの子はカエル。そんな言葉が脳裏に去来する。

 

「だろうな。……よくわかるよ」

 

 わたしを抱きしめたまま、母は悲しそうに笑う。

 

「だから……ソニア、私に任せなさい。悪いようには、絶対にしないから……」

 

 その言葉に、わたしは歯を食いしばる。この気持ちと同じモノを母も抱いているというのなら……なおさら気に入らない。己の幸せのために、わたしと戦ってほしい。こうも自分だけ空回っているのは、あまりにも無様が過ぎる。

 ああ、結局……わたしは母の愛すらマトモに受け取れぬ人間だったのだ。実家を出ていこう、わたしは母のようにはならないように頑張ってきたつもりだった。だがしかし、現実は『母のようにはならぬ』ではなく『母のようにはなれぬ』だったのだ。

 肉親相手とはいえ、わたしにはこのような献身を示すことはできない。ひどく惨めな気分だった。図体だけは母を大きく超えているというのに、器量の大きさでは足元にも及ばない。それが認められないから、こうもわたしは怒っているのだ。ただの誤魔化しだ。虚勢だ。

 

「……もしかしたら」

 

 わたしは茫然と呟いた。認めがたい事実を、わたしは認識してしまった。だが、認めないわけにはいかない。現実から目を逸らすのは、白旗を上げるよりもなお情けのない行為なのだから。

 

「もしかしたら、アル様に本当にふさわしい女は……わたしではなく、母上なのかもしれない……」

 

 よりにもよって愛の深さで負けてしまった女に、意中の男と結ばれるような権利などあるのだろうか?



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第361話 くっころ男騎士の躊躇

 参った。大変に参った。ソニアとスオラハティ辺境伯が話し合いをしている天幕の外で、僕は頭を抱えていた。前世と現世を合算しても、ここまでどうしていいのやらわからない状況は初めてかもしれない。

 ソニアは僕のことが異性として好きで、辺境伯も僕のことが好き。親子で同じ相手を好きになってしまったら、そりゃあ大事になる。親子喧嘩もむべなるかなって感じだ。これが他人事ならば「うわあ大変だねえ」で済ませるところなのだが、残念ながら僕は完全に当事者だった。

 幼少期に家族同然に過ごした家庭が、僕のせいで崩壊しかかっている。だが、当の僕はほんの昨日までそんなこととはつゆ知らずボンヤリ過ごしていたのだ。僕は自分の腹をかっさばきたい気分になっていた。軍隊だの戦争だのに熱中するあまり足元が疎かになるのは、一度死んでも治らなかった僕の一番の悪癖である。

 

「うう~っ!」

 

 僕は頭を抱えたまま唸った。僕は、どうするべきなのだろうか? 辺境伯はすべて自分が解決すると言っているが、ここまで無責任な態度を貫いてきた僕が。最後まで傍観者を貫くというのはたいへんによろしくない。ほかならぬ僕自身が許せないのだ。

 だが、ではどうやればこの一件が解決するのかと言えば、まったくアイデアが湧いてこない。そもそも人生二周目のくせに恋愛事にはまったく関わってこなかった筋金入りの陰キャが僕だ。この手の問題に関しては、はっきりいって何の役にも立てないというのが現実だった。

 

「お兄様……大丈夫?」

 

 僕の前に座っていたカリーナが、気づかわしげな視線を僕に向ける。義妹の前で醜態をさらしていたことに今さら思い至った僕は、顔が真っ赤になった。

 

「……す、すまない、カリーナ。情けない所を見せた」

 

「そういう言葉が聞きたかったんじゃないけど……」

 

 カリーナはちょっと目をそらして、唇を尖らせる。そして視線を僕の方に戻すと、おずおずといった様子で口を開いた。

 

「その……軍隊のことならともかく、恋愛事とか家族のことなら、私でも相談に乗れるよ? あんまり、頼りにならないかもしれないけどさ……」

 

「いや、しかし……」

 

 僕は思わずうなった。これは僕とスオラハティ家の問題だ。カリーナを巻き込むのは、気が咎める。

 

「血は繋がってないとはいっても、家族なんだからさ。話せることは、なんでも話し合っておいた方がいいんじゃないかなって……」

 

 スオラハティ母娘の話し合いが続いている天幕の方をちらりと見てから、カリーナは言う。……確かに、あちらの家族は少し話し合いが足りていなかったように思う。むろん、事が事なので絶縁事件の直後に話し合いをするのは無理だっただろうが……お互い頭が冷えたタイミングで、一度面会をセッティングすべきだったかもしれないな。そうすれば、これほど拗れてしまうことはなかったかも……。

 ソニアにしろスオラハティ辺境伯にしろ、とても良い人たちだ。腹を割って話し合えば、必ずわかり合ってくれる……などというのははっきりいってお花畑思考だが、やってみる価値はあったはず。それをしなかったのは、僕が『時間は人間関係の特効薬』などとうそぶいて仲裁をサボっていたせいだ。

 

「……確かに、そうかも」

 

 よろしくない方へとどんどん進んでいく思考を断ち切り、僕はカリーナに頷いて見せた。実際問題、この問題が僕にとって荷が重いものであるのは確かであるわけだし。

 

「なあ、カリーナ……僕はどうするべきだったんだろうか? ソニアを強引に辺境伯のところへ引き摺って行って、無理やりにでも話し合いをさせるべきだったのかな……いや、しかしそれではかえって話がこじれた気もするし……」

 

「ねえお兄様。今さらそんなこと考えてるから、ドツボに嵌まるんだよ?」

 

 義妹の放った言葉は、予想以上に辛辣だった。思わず黙り込む僕に、カリーナは容赦ない追撃を仕掛けてくる。

 

「お兄様でも理解しやすい言葉で説明すると……今のお兄様は、部隊を布陣させて、敵の前衛部隊との戦闘もすでに始まっている。そういう状況で、決戦場の選択や部隊の陣形なんかを『ああすればよかった、こうすればよかった』と後悔しているようなものだよ。そりゃあ、あとから自分の行動を反省するのは大切だろうけど……今考えるべきことは、別にあるんじゃないかなって」

 

「……そりゃ、その通りだな。戦いが始まってしまった以上は、今ある手札でどう立ち回るか考えるほかない」

 

 僕は思わずうなってしまった。言われてみれば、確かにその状況でそんなことを悩んでいるようなヤツは愚将以外の何者でもない。勝利を掴むなど夢のまた夢だろう。

 

「不要不急の事がらに頭を使ってるから、思考がとっ散らかるんだよ。シンプルに考えよう」

 

「うん」

 

「要するに……お兄様の取れる選択肢は、今のところ三つ」

 

 ピンと立てた人差し指をクルクルと回しながら、カリーナは解説する。その態度は堂々としたもので、戦場でぴゃあぴゃあ鳴いている可愛い生き物と同一人物とはとても思えない。カリーナのヤツ、人間関係の問題に関しては僕よりよほど有能かも……。

 

「一つ、ソニア……お義姉様を選んでカステヘルミ様に泣いてもらう。二つ、カステヘルミ様を選んでソニアお義姉様に泣いてもらう。三つ、二人とも選んで全員ハッピーになる」

 

 うわあ、ソニアのことをお義姉様呼びしたぞコイツ!? もうソニアの嫁入りを確定事項だと思ってるのか……。いやまあ、冷静に考えてソニアの嫁入りも……それからアデライド宰しょ……アデライドの嫁入りも不可避さろうが。ここまでガチガチに退路を塞がれたら、僕の力じゃもうどうにもなんないだろ。

 

「二人とも選ぶってお前……」

 

「まあ聞いてよ、お兄様。いま、カステヘルミ様は一つ目の選択肢を選ぶべくお義姉様と交渉してる。でも、これはカステヘルミ様の本意じゃないってのは、わかるよね? 自分の幸せよりも娘の幸せを優先する、その一心で涙を飲もうとしてる」

 

「……そうだね」

 

 カリーナの言うとおりだった。いくら鈍感朴念仁の僕でも、辺境伯の態度を見れば流石に事情を理解できる。彼女の僕に対する情は、消えてなどいない。だが、辺境伯は娘のためにそれを振り切ろうとしているのである。

 

「個人的には、こういう悲恋じみた話ってキライ。私だったら、娘なんてお構いなしに略奪愛しちゃってるかも」

 

「骨肉の争い確定じゃないか!」

 

 親子間で異性を取り合い大喧嘩とか、シャレになんないだろ。そんなのに巻き込まれたら僕の胃袋は爆発四散確定だ。

 

「ま、それは冗談としても……カステヘルミ様は、とても暖かいお方だよ。異国人で異種族の私も、実の子供みたいに優しく扱ってくれてさ。……そんな方が泣かなきゃならないような結末は、絶対に嫌だよ」

 

「……うん。それは僕も同感だ」

 

「でも、お兄様はソニアお義姉様も泣かせるのはイヤでしょ? だったら、取れる選択肢は一つだけじゃない?」

 

「……僕に二股、いや三股……もしかして四股になるのか!? とにかく、そんな不義理な真似をしろって言ってるのか!?」

 

 アデライド宰相の求婚には、すでに頷いてしまっている。これに加えてスオラハティ母娘が二名。そして、ソニアの言葉が確かならば彼女と結婚するとジルベルトも一緒にやってくる。つまり、一夫四妻……! いくらなんでも流石にどうかと思うレベルのクソ野郎ムーブだろ。

 

「四股程度で済むかなあ……私も居るし」

 

 小声で何やら呟くカリーナに、「今なんて!?」と聞き返したが、彼女は無言で首を左右に振るばかりだった。

 

「本気で言ってるのか、それ。そんなことしていいわけないだろ? 母娘二人に手を出して……」

 

「手を出してるのは向こうだよ。頷くか、首を振るのかはお兄様次第だけど」

 

「いやしかしだな……二人同時ってのは、流石に。二兎を追う者は一兎をも得ず、なんてことわざもあるしさぁ……」

 

「甘ぁい、ですね。すごく、あまーい」

 

 困惑する僕の後ろで、そんな声がした。あわてて振り返ると……そこにいたのは見覚えのある巨大カマキリだった。ネェルである。

 

「ウワアアッ!?」

 

「ぴゃぁあああ!?」

 

 あまりのことに、僕らは同時に悲鳴を上げた。いつの間にか、真後ろにちょっとしたトラックくらいの大きさの生き物が忍び寄ってきていたのである。前兆らしい気配は、何もなかった。まるで忍者のような忍び足だ。

 

「二兎を追う者は一兎をも得ず? うふ、うふふ。面白い、ことわざ、ですね? 失笑、的な?」

 

 言葉通りひどく愉快そうな表情で、ネェルはくつくつとくぐもった笑い声をあげている。なにしろ全身が物騒な見た目のカマキリ虫人だから、その様子はめちゃくちゃコワイ。カリーナなど、今にも小便を漏らしそうな顔をしている。

 

「わ、笑いどころがよくわかんないんだけど」

 

「うふ、うふふ。だって、今の、ネェルは……やろうと思えば、アルベールくんも、カリーナちゃんも、狩れて、ましたよ? 一挙両得、的な。二兎とも、得ちゃえますね?」

 

 捕食者特有の眼つきで、ネェルは僕らを眺めまわす。カリーナは絶句しながらしめやかに失禁した。正直僕も漏らしそうだった。

 

「二兎を追う者は一兎をも得ず……うふふ。頑張っても、一兎しか、得られない、腕の悪い、ハンターの、言い訳……ですね。強ければ、二兎でも、三兎でも、どーんと来い、ですよ」

 

「い、いや……君ほどのハンターなら、そうかもしれないが」

 

 確かに、ネェルであれば逃げる兎の二羽や三羽くらい簡単に仕留められるだろう。いや、ウサギと言うか、人間でも同じことができるだろうが……。

 

「たまには、欲の皮を、突っ張らせた方が、上手くいくもの、ですよ。さっさと、行って、二人とも、仕留めてきなさい」

 

 ネェルはその死ぬほど物騒な形状の鎌で、スオラハティ母娘がいる天幕の方を指し示した。わあ、このカマキリ、全部事情を知ってるみたいだぞ。もしかして、最初から盗み聞きされてたのか……? 図体に比べて隠密性能が高すぎるだろ……。

 

「いや、しかし……」

 

「言い訳は、聞きません。あの、母娘を、仲直り、させるには、それが、一番です。……それに、アルベールくんには、ネェルにも、種まき、してもらう必要が、ありますしね? 一人、二人、程度で、尻込みされちゃ、困ります」

 

「グワーッ!?」

 

 そう言うなり、ネェルはその巨大な鎌で僕を捕獲した。全力で抵抗するが、相手はあのソニアを鎧袖一触で倒したという真正のバケモノである。甲冑も纏わぬ僕に勝ち目などない。あっという間に、囚われの身と化してしまった。

 

「お兄様ァ!?」

 

 悲鳴を上げるカリーナにウィンクをしてから、ネェルはノシノシと天幕へと歩み寄った。そしてその布製の壁を鎌の先っちょでチョイとひっかけ、空いた隙間に向けて僕を転がす。

 

「アバーッ!」

 

 こうして僕は、修羅場の真っ最中と思わしき天幕の中へ強制突入させられたのであった……。



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第362話 くっころ男騎士と告白

 ネェルの手により、僕は修羅場真っ最中の天幕の中へボウリングの球のように投げ込まれた。ゴロゴロと地面を転がった僕は、何かの残骸にぶつかって動きを止める。……なにこのスクラップ? え、もしかして折り畳みテーブル!? もしかして、叩き壊しちゃったの? たしかに天幕の中からは結構な破壊音が一度聞こえてきたが……。

 

「アル様!?」

 

「アル!?」

 

 しかし、スオラハティ母娘の驚愕の声が耳に入り、そんなくだらない思考は即座に停止する。僕は慌てて身を起こしながら、親子の方に目をやった。彼女らは抱き合い、ソニアのほうは号泣している。そして、スオラハティ辺境伯の目にも涙が滲んでいた。

 二人の顔を見た途端、僕は心臓がきゅっと締め付けられるような心地になった。ソニアも、辺境伯も、とても強い女性だ。このような表情を浮かべることなど、まずない人たちである。そんな彼女らを自分のせいで泣かせてしまったのかと思うと、己を殴りつけてやりたいような気分になってくる。

 

「や、やあどうも。失礼」

 

 僕はあわてて立ち上がり、こほんと咳払いをした。……ああ、クソ。やるしかないのか? やるしかないよなぁ。二人の泣き顔なんか、見たくないものなぁ……。それにカリーナやネェルの応援を受けてしまった以上、ここでケツをまくったら臆病者のそしりは免れないだろ。覚悟を決める時が来たか……。

 

「い、いったい、どうしたんだ突然!? しかも、そんな妙な……」

 

 辺境伯が冷や汗を浮かべながら、僕が入ってきた壁のほうに目をやる。……うんまあ、入口でもないところから突然転がり込んで来たらびっくりするよね。

 

「ちょっとした手違いです。気にしないでください」

 

 僕はそういって、彼女らの方に視線を戻した。ソニアと目が合う。彼女はひどく慌てた様子で母の胸の中から離れ、顔をゴシゴシと拭った。泣き顔を見られたのがショックなようだ。

 

「それより……ええと、その……すこしばかり、二人に言いたいことがあってね。申し訳ないが、お邪魔させてもらうことにした」

 

 ここまできたら、いくら朴念仁の僕でもやらなければならないことはわかる。スオラハティ母娘双方に対して、愛を告げねばならない。この親子喧嘩を円満な形で解決するには、それしかないのだから。

 ……本当か? もっと誠実で冴えたやり方があるんじゃないか? そう思わずにはいられないのだが、僕の頭は軍事以外の用途に使うとポンコツな答えしか吐き出さない欠陥品である。いくら考えても上手いアイデアは見つからないので、ここまで来たらもはやカリーナとネェルの作戦に従うしかない。

 実際のところ、いまだに僕はソニアを恋愛対象としては見れずにいた。辺境伯も同じだ。家族同然の親友と、そのお母さん。そういう認識だった。けれども、彼女らが身内のとても大切な女性だというのは確かなのである。二人の涙を止めるためならば、僕は何だってできる。そう、結婚だって。

 ……まあ、フィオレンツァ司教もよく「貴族の愛というのは結婚した後に育むものです」などと言っていたしな。何とかなるだろ、たぶん。二人とも、悪い人間ではないというのは確かな訳だし。支え合う努力さえ欠かさなければ、案外上手く行くかもしれん。...

 

「な、なんでしょう……」

 

 顔を何度もぬぐいながら、ソニアが答える。拭いても拭いても涙と鼻水があとからあとから湧いてくるらしく、ひどい顔だった。ああ、なんて可哀想な。あの強いソニアが、こんな顔をするなんて。今すぐ抱きしめて慰めの言葉をかけてやりたい。けれども、今の僕にはそんな他人事のような態度は許されない。なぜなら、僕もこの件の当事者の一人なのだから。

 ……ああ、クソ。本当にこれしかないのかなあ、チクショウ。僕には荷が重いぜ。ファックって感じだ。いや、この世界では僕はファックされる側なのだが。あー、もうっ、逃げられねぇよな、くそぅ……母上、父上! 申し訳ありません! アルベールはクソ野郎になります!

 

「二人とも、結婚してください!!」

 

 とにかく、直球。直球勝負だ。自分にそう言い聞かせながら、僕は叫んだ。脳裏に浮かぶのは、アデライドの告白である。あれはとんでもなくひどかった。一種の照れ隠し、いわゆるツンデレであるというのは理解できるのだが、それにしても大概である。アレと同じ(わだち)を踏むわけにはいかないだろ。

 

「はっ!?」

 

「えっ!?」

 

 当然のことながら、二人は素っ頓狂な声を上げて困惑している。ま、そりゃそうだよね。突然すぎるもの。……自分の中の用兵家の部分が『奇襲効果は抜群、速やかに追撃に移行すべし』などとうそぶいている。……よろしい、ここまで来たら行けるところまで行くだけだ! いわゆるヤケクソというヤツだな。

 

「僕は、その……実際のところ、恋とか男女の愛とか、そういうのは、全然よくわからない」

 

 気合とは裏腹に、僕の口から出てきたのはたどたどしい言葉だった。兵たちに向けた演説なら、いくらでも滑らかに言葉が出て来るのにな。こういう状況に陥ったとたんにこれである。ため息をつきたい気分だが、そうもいかん。増援が期待できない以上、とにかくこの場は僕だけの力で切り抜けねばならない。

 

「でも、僕にとってソニアや、その……カステヘルミが、とても大切な女性、というのは確かだ」

 

 辺境伯と言いそうになったが、ここはあえて名前の方を呼ぶ。僕だって少しくらいは空気を読めるのだ。

 

「だから、僕は……二人とも、泣かせたくない。どっちも笑顔にしたいんだ。どちらか一人でも、泣いているのは耐えられないんだ。自分の腹に大穴が空いて、内臓をブチまけるよりしんどいんだ! だから……二人とも、幸せにしたい!」

 

 いやさ、本当にそうだよ。こちとら人生二周目、しかも前世はわりと無惨にブチ殺された身の上である。自分の痛みであればいくらでも耐える方法は知っている。だが他人、それもごく親しい相手の痛みについては、我慢がならない。これはもう仕方のない話だ。

 僕はここで言葉を区切り、二人をじっと見た。ソニアはぐっと手を握り締め、こちらを見ている。そして辺境伯……カステヘルミはといえば……もともと半泣きだったのが、号泣に変わっていた。目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちている。親子そろっての大号泣。

 ……だ、大丈夫なのか? これ。言葉選び失敗した? なんもわからん! まあいい、とにかく言いたいことは全部言っちまえ! 恋愛と言う戦場において、僕が使える戦術は突撃一本だ。……これがマジの戦場なら、テンプレみたいな愚将と言われても抗弁できないな……。

 

「だから、ソニア! カステヘルミ! 僕と結婚してくれ! 頼む!」

 

 もうちょっと冴えた口説き文句は思いつかなかったのか? 自分の語彙力の貧弱さに呆れつつも、僕はそう叫んだ。ちょっとこれでは、説得力に乏しい気がする。だって、母娘を同時に口説いてるんだぜ? そんな無体を通そうというのならせめてこう、もうちょっとそれっぽい理由付けをだな……。

 

「……ソニア、ごめん」

 

 頭の中で自分に対するブーイングを繰り返していると、カステヘルミがボロボロと泣きながらそう言った。えっ、ごめん? やっぱ駄目だったか? いやでも、ソニアに対して言ったのか、これ。だとすると……

 

「お、お母さん、もう、限界なんだ。ごめん、ほんとうにごめん。諦めるって、決めたはずなのに、私は弱い人間だ……!

 

 絞り出すような声でそう言ってから、カステヘルミは声を上げて泣きながら僕に抱き着いた。そしてぐしゃぐしゃになった声で「します! 結婚してください!」と大声で叫んだ。ソニアほどではないにしろ、辺境伯もデカい。それが全力で突進してきたものだから、僕は吹っ飛ばされそうになった。だが、なんとか耐える。ここでコケたら恥ずかしいどころじゃないだろ。

 ……とにかく、カステヘルミは了承してくれた! 第一目標達成! 僕は彼女の頭を優しく撫でながら、ソニアの方を見た。彼女は泣きながら、僕と母親を交互に見ている。

 

「ソニア……!」

 

「うぐ、ひっく、そんな……そんな顔しないでくださいよ、アル様ぁ……泣かないで……」

 

 泣かないで!? えっ、僕、泣いてるの!? あわてて自分の頬を触ると、確かに液体が。ワア……部下に見せられない顔してるんじゃないのか、今の僕!? うわ、うわあ……場の空気に飲まれてるのか!? 自分でもわからん!

 

「うう、ひぐ、うううーっ! わたしがっ! わたしがぁ!」

 

 ソニアはそう叫び、全力で突進してきた。カステヘルミと抱き合っていた僕に、それを回避する術はない。そして、ソニアは母親よりもさらにデカいのである。僕たちは容赦なく拭き飛ばされ、二人そろってソニアによって地面に押し倒された。

 

「母さん、アル様ぁ! ごめんなさい、ごめんなさいぃ……! わたしが、馬鹿な意地をはったばかりに、二人とも泣かせてぇ! わたしは馬鹿だ、極めつけの馬鹿だ! うわあああああーッ!」

 

 ぎゃあぎゃあと泣きながら、ソニアは僕と母親を力いっぱい抱きしめた。……竜人(ドラゴニュート)、それも王国最強騎士の全力の抱擁である。僕は内臓が口から飛び出しそうになったが、なんとか耐えつつ泣きじゃくる母娘の頭をとにかく撫でまわした。するとカステヘルミが、泣きながら僕にキスをしてくる。ソニアはそれを止めようとはせず、母と僕の唇が離れるのを待ってから、今度は自分がキスをしてきた。

 

「うう、うふ、あは」

 

 それを見て、カステヘルミが涙を流したまま笑い出し、僕らをぎゅうと抱きしめた。

 

「ソニア、ねぇ……いいの? 本当にいいの? お母さんと一緒で」

 

「……いい。いいよ。母さんは、わたしよりずっと優しい人だから……きっと、大丈夫」

 

「ごめんね、ソニア……お母さんの我慢が足りないばかりに、こんなことになって……! 本当にごめんね……」

 

「ちがうよ、謝らなきゃいけないのはわたしでしょ! ひどい事を言って、勝手に出て行って、みんなに迷惑をかけて……わたしは駄目な娘だ……。ごめん、母さん。ごめんなさい……」

 

 わあわあと泣き叫びながら、母娘は抱き合っている。どうやら、仲直りは成功したようだ。……が、僕は安堵のため息をつくことすらできなかった。なぜなら、僕は依然としてスオラハティ母娘の間に挟まっていたからだ。

 竜人(ドラゴニュート)の剛力はすさまじいものがある。その全力の抱擁に巻き込まれるのは、実際ヤバい。デカい乳に挟まれたまま、僕は圧死しかけていた。……おっぱいに挟まれて死ぬのって、ある意味男冥利につきるかもしれないァ……。そんなくだらないことを考えながら、僕は意識を手放した。



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第363話 くっころ男騎士とスオラハティサンド

 幸いにも(残念ながら?)、僕はおっぱいで圧死せずに済んだ。スオラハティサンドに挟まれて気絶した僕だったが案外軽傷で、すぐに目覚めることができた。二人からは何度も謝られたが、まあ幸せな感じだったのでセーフである。死なない程度であればまたやってもらいたいくらいだ。

 それから、僕たち三人は日が暮れるまでおしゃべりしていた。スオラハティ母娘からすれば、五年ぶりのマトモな会話である。昔のこと、これからのこと……話題は尽きなかった。太陽が没したあと、僕たちは三人で夕食を獲り、そして……

 

「……」

 

 全身を暖かいモノに包まれた状態で、僕は目覚めた。確認するまでもない。僕は、またもスオラハティサンドイッチの具になっていた。つまり僕は、母娘と同衾して一夜を明かしたわけである。背中側にはソニアが、腹側にはスオラハティ辺境伯……もといカステヘルミが抱き着いている。大柄な二人によって挟まれた僕は、みじろぎすることすら難儀するような状態であった。

 

「んひぃ……」

 

 昨夜はたらふく酒を飲んだのだが、残念なことに記憶は飛んでいない。すべてを思い出してしまった僕は、一人で赤面した。よりにもよって、実の母娘に対して求婚してしまうとは……恥を知れ恥を! って感じだ。両親にどう説明したらいいのか、さっぱりわからん。

 ため息をつきたい心地になったが、全身を包む暖かい感触を堪能していると、『まあいっか』と諦めがついてきた。やっちゃったものはもう仕方ないね。賽は投げられた、というヤツ。今さら後悔してももう遅い。

 ……やっちゃった、といえばである。別の意味でも、やっちゃった感はある。僕も、スオラハティ母娘も、ほとんどハダカに近い格好だった。そんな状態で密着しているのだから、たいへんに刺激的だ。

 いや、言い訳をすると、誓ってユニコーンに蹴飛ばされそうなマネはしていないのだ。流石に初体験が母娘相手とか倒錯的にもほどがあるだろ。ただ、その……感情が高ぶった男女が、密室で酒なんか飲みつつおしゃべりなんかしてたら……ねぇ? ヘンな気分にならないほうがどうかしてるというか、ウン……。なんというか、保健体育の教材にされてしまった、的な。妙な性癖を植え付けられそうなシチュエーションだったのは確かである。

 

「……」

 

 僕は思わず頭を抱えそうになった。シラフになって考えてみれば、なんということをしてしまったのだ。本番はやってないとか、そんなことが言い訳になるのだろうか? 酒の勢いって怖いよ、ホント。

 はぁ……まあ、ここまで来たら引っ込みはつかないよな。腹ぁくくって、責任を取らねば。いやまあ、この世界の常識で考えると、責任を取るべきなのは女性のほうなのだが。

 

「……あぁ、アル」

 

 そんなことを考えながら一人悶々としていたら、カステヘルミが目を覚ました。彼女はしばらくボンヤリと僕を眺めてから、ぎゅうと娘ごと僕を抱きしめる。

 

「よかった、夢じゃなかった……」

 

 ひどく湿った声で、カステヘルミはそう呟く。僕は無言で、(かなり難儀しながら)自分の腕を母娘の間から引っ張りぬき、カステヘルミの頭を優しく撫でた。ベッドの中とはいえ目上かつ年上の相手の頭を撫でるなど斬首レベルの無礼な行為だが、どうも彼女は撫でられるのが好きなタチらしい。カリーナちゃんが羨ましかった、というのは本人の談である。

 

「ねぇ、アル」

 

「なに?」

 

「アナタって呼んでいい?」

 

「……いいよ」

 

 対等の者と話すのと同じ口調で、僕は答えた。これもまた、カステヘルミの要望である。新米城伯が重鎮辺境伯様にため口とか、本当に大丈夫なのかね? 公的な場所でしでかしたら、叱責程度では済まない問題になるのは間違いない。気を付けねば。

 

「……アナタ」

 

「なに、カステヘルミ」

 

「んふ、呼んでみただけ」

 

 照れと喜びが入り混じった顔で、カステヘルミは笑う。その表情は、年齢差などものともしないほど愛らしく感じるものだった。

 

「……かわいいね、カステヘルミは」

 

「かわいい? 私が?」

 

「うん。……あ、ごめん。失礼だね、これは」

 

「ううん、嬉しい。そういう風に言われたいって、ずっと思ってたのに……誰も言ってくれなかったから。やっぱりアナタは、私の運命の人だったんだなって……」

 

 そう言って、カステヘルミは僕の顔に頬擦りしてきた。……本当にかわいいなあ、この人。これで僕の両親と同年代ってマジ?

 

「あ……ごめんね。おばさんが、こんなこと。気持ち悪いよね……」

 

「気持ち悪くなんかない、かわいいよ」

 

ちょっと不安そうにそんなことを言うカステヘルミに、僕はやさしくキスをした。……ああ、こっ恥ずかしい。歯が浮くようなセリフだね、まったく。少なくとも、カステヘルミの百倍は僕の方が気持ち悪いんじゃないかな………。

 

「んふ、もう……おばさんをからかって。悪い男」

 

 照れまくった顔でカステヘルミははにかみ、僕の顔や首筋にキスの雨を降らせた。ああ、しんどい。いや、キスは嬉しい。嬉しいが、童貞には刺激が強すぎる。今すぐ叫びながら逃げ出したいくらいの気分だ。こういう甘ったるい空気は、僕のような軍事バカの唐変木には催涙ガスよりもキツいものがある。

 

「うう……」

 

 その時、背後から謎のうめき声が聞こえてきた。振り返ってみれば、ソニアがまるで口に入れた食べ物が露骨に腐っていた時のような顔をしている。かなり気持ちが悪そうだ。

 

「だ、大丈夫か? ソニア。二日酔いか?」

 

「ちがいますぅ……いやちょっと頭も痛いですけど……」

 

 青い顔でそう答えるソニアを見て、カステヘルミは冷や汗をかきながら僕から身を離した。

 

「あ、す、すまない。ソニア……」

 

「いえ、いいんです。今までのことを考えれば、これはわたしが自分の力で乗り越えねばならない試練でしょう。どうぞ心のままになさってください、母さん」

 

 試練? ああ、そういうことか。いやまあ、そりゃそうだよな。ソニアはどうも、昔から僕のことを異性として好いていたという話だし。そんな男が、朝から母親とイチャついていたら……いい気分はすまい。僕が彼女の立場だったら、脳が破壊されていたかもしれない。

 それでも彼女が耐えたのは、母親に対する負い目からだろう。ソニアはどうも、自分の家出以降の行動をずいぶんと反省したらしい。あれほど嫌悪感を向けていたカステヘルミに対しても、譲歩する一方の姿勢を示していた。母さん呼びも、その一環だろう。

 

「……わたしはお邪魔でしょう。少し、顔を洗ってきますね」

 

 そういって、ソニアは毛布からもぞもぞと這い出した。そして顔を真っ青にして、「寒い!」と叫んで布団の中にトンボ返りしてくる。……何しろ今は冬で、ソニアは上の肌着一枚というラフすぎる格好だ。そりゃあ寒いに決まってるよ……。

 僕とカステヘルミは、思わず顔を見合わせた。ソニアは、明らかに落ち込んでいる。なぐさめてやったほうが良かろう。カステヘルミがコクリと頷くのを見て、僕はソニアの方に身を寄せた。

 

「カイロになろうか?」

 

 カイロというのは、要するに竜人(ドラゴニュート)がよくやる人間湯たんぽのことである。いわゆる二人羽織に近い格好で、体温が低く低温にも弱い竜人(ドラゴニュート)を、只人(ヒューム)のような体温の高い種族が温めるわけだ。竜人(ドラゴニュート)はとにかく寒がりの者が多いので、ガレアやアヴァロニアでは人間湯たんぽは冬の風物詩となっている。

 

「……良いのですか?」

 

 ソニアは不安そうに聞いてきた。昨日はあんなに情熱的に求めて来たのに、突然しおらしくなったものである。あれは酒と性欲のダブルパンチでヘンなテンションになっていたんだろうか……?

 

「いいもなにも」

 

 少し笑って、僕は肩をすくめた。

 

「今までだって、冬になったら毎日やっていたことじゃないか。ましてや、僕たちはこれから夫婦になる身。躊躇する理由がわからないね」

 

「夫婦……」

 

 ちょっと嬉しそうに、ソニアは呟いた。それから僕の方をおずおずとうかがって、顔から喜色を消す。そして、自己嫌悪の滲んだ声で言った。

 

「で、では、お願いします」

 

 ……重傷だなあ。まあこんなことになってしまったのだから、彼女にも思うところがあって当然だ。しかし、僕はソニアやカステヘルミの笑顔を取り戻したくて、こういう選択をしたわけだからな。そのソニアがこうもションボリしていると、なんとも辛いものがある。なんとか元気づけてやりたいものだが……。



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第364話 盗撮魔副官と女騎士即堕ち二コマ

 わたし、ソニア・スオラハティは……複雑な心境だった。母親と、そしてこの世で最も愛している男を泣かせてしまった。アル様の涙など、生まれて初めて見たかもしれない。この期に及んで、やっとわたしは己の愚かさに気付いた。わたしは、母とアル様の愛に甘えていただけのガキだったのだ。図体ばかり大きくなっても、中身は自己を客観的に見ることすらままならぬ未熟な子供に過ぎないのである……。

 ああ、だが……浅ましい話であるが、アル様と結婚できることになったのは、とても嬉しい。歓喜のあまり泣きそうになってしまうほど、嬉しいのだ。愛しい人と人生を共にする、これほど素晴らしいことはない。

 ……だが、勘違いをしてはならない。アル様がわたしとの結婚を了承してくれたのは、わたしと母さんとの関係を修復させるため……つまりは、お情けである。こんな理由で結婚してもらうなど、女としてはあまりにも情けない。アル様と結婚できるという歓喜とは別に、いますぐ穴があったら入りたいという心地にもなっていた。とにかく、複雑な心境だ。

 

「……」

 

 わたしは無言で、根菜のスープを口に運んだ。起床後、身支度を整えた我々は指揮用天幕で朝食をとっていた。対面の席には母上……いや、母さんが座り、その胸の中には人間湯たんぽとしてカリーナが収まっている。同じように、わたしの胸の中にはアル様がいた。南国リースベンとはいえ、やはり冬は冬。竜人(ドラゴニュート)の身には、この寒風は堪えるのだ。

 

「なるほど……これが燕麦のパン」

 

 スライスされた丸パンをかじりながら、母上が言った。リースベンで食べられている燕麦パンは硬くてもろくて酸っぱい。北部の庶民食、ライ麦パンも大概な代物なのだが……それよりもなおひどい。

 本来ならば貴族が口にするような食べ物ではないのだが、リースベンでは小麦は極めて貴重なのだ。白パンなど、我々であっても普段から食べられるようなモノではなかった。

 

「申し訳あり……申し訳ない。リースベンでは、小麦粉を調達するのがなかなか難しくて、貴族とはいえなかなか口に出来るものではないんだ」

 

 喋り方に四苦八苦しながら、アル様が答える。母上とフランクな口調で話すことに、まだ慣れていないのだろう。……そんな想い人の様子を見て、わたしの胸は何とも言えない痛みを発した。むろんわたしも、彼を独占できるなどとは思っていなかったのだが……まさか、実の母親と共有することになるとは。

 ……今回の一件で、わたしは母さんと和解することに決めた。昨日の久方ぶりの親子の会話は、愉快痛快とはいかずともなかなか有意義なものであったのは確かだ。母には母の事情があった。夜這い事件に関しては確かにいまだに許しがたいものがあるが、その後のわたしの対応を思えば母さんを責めてばかりもいられない。わたしにも、悪い所はいくらでもあったのだ。

 でも、それはそれ、これはこれ。母さんとアル様が仲良くしているところを見るのはやはり辛いし、ふたりがむつみ合う所を起き抜け早々に目にした時など心臓と頭が爆発しそうになった。……だが、慣れねば。わたしは、母とアル様と、三人で幸せになることに決めたのだ。二人がイチャイチャしていたら、自分も飛び込んでいくくらいの図太さが必要だろう。

 

「……」

 

 とはいえ、今すぐはムリだ。心に整理をつけなければ。わたしは母さんから視線を外し、代わりにカリーナを見た。彼女は、食べこぼしで母さんの服を汚さないよう、やたらと慎重な手つきでパンを食べていた。まだ、人間湯たんぽの二人羽織りスタイルに慣れていないのだろう。その手付きはたどたどしいものだった。

 そういえば、迷うアル様の背中を押したのは、この義妹とネェルらしいな。二人には、あとでキチンと礼を言っておかねばならないだろう。彼女らの援護がなければ、わたしは世界で一番大切な存在を失っていたかもしれん。

 ……まあカリーナの場合、ある程度の下心はあってのことだろうがな。こいつの計画については、すでに母さんからこっそりと事情を聞いている。まさか、騎士の愛(ミンネ)などという古臭い制度を持ち出すとは……まあいい、わたしには彼女を責める権利などないからな。いや、むしろ義妹の恋なのだから、応援してやらねば女がすたる。

 ……はあ、しかし……アル様の妻は、公式・非公式を合わせていったいどんな数になってしまうのだろうか? 今からだいぶ不安になってきたな。まあ、良い男には女が群がるのが自然の摂理、ある程度は仕方のない事なのだろうが。

 

「……土壌と気候の問題で、リースベンでは小麦がほとんど育ちませんから。思い切って小麦はすべて輸入品に切り替えて、余った畑はサツマ(エルフ)芋と燕麦の栽培に切り替えようかと」

 

「なるほど……出来るだけ多くの領民の腹を満たしてやるには、それが一番だろうな。ただ、小麦の需要がなくなることはない。すべて輸入で賄うとなると、コスト増が……」

 

「そうですね、いくら大産地が近いとはいえ……。輸送コスト削減のためにも、街道の整備は急務ですね。ただでさえ、今ある未舗装の街道は行商人の増加でパンク寸前です。いっそ、新しい街道を増やすべきでしょう」

 

「うん、それも大切だが……せっかく海が近いのだから、港を作って海運に接続すべきだな。やはり、物流のすべてを荷馬車に頼るのでは無駄が多い。大規模輸送となると、やはり水上交通が一番だ」

 

 黙々と食事を続けるわたしとカリーナとは反対に、母さんとアルはいかにも貴族らしい"オトナ"な会話をしている。むろんわたしも帝王学を叩き込まれた人間だ。クチバシを突っ込もうと思えば、できないことはないのだが……自らの未熟を悟った今となっては、しゃしゃり出ようという気にはあまりなれない。

 今回の一件でわたしは己の未熟さを痛感した。今の今まで、わたしは自分がここまで母に愛されていることにも、これほどまで自分がアル様に甘えていたことにも気づいていなかったのだ。これで一人前を気取るなど片腹痛い。

 とにかくわたしの気の回らないことと言ったら、カリーナやネェルに教えを請わねばならぬほどの水準なのだ。このような有様では、アル様にふさわしい女とはとても言えない。そりゃあ、アル様がわたしを恋愛対象として見ていなかったのも当然のことだ。彼からすれば、私は手のかかる妹のようなものだったのだろう……。

 

「……よし」

 

 だが、いつまでもそんな状態に甘んじているわけにはいかない。わたしは小さく呟いてから、決意を込めて燕麦パンを嚙み締めた。経緯はどうあれ、わたしはアル様の婚約者になったのだ。彼にふさわしい女へと成長するのは最優先の急務である。そのための努力ならば、いかような労力も厭わぬ所存だった。

 それと、今まで親不孝をしたぶん、母さんにも恩返しをしなくてはならないな。幸いにも、母はこの冬は避寒をかねてこの地に滞在するらしい。親孝行の機会はいくらでもあるというわけだ。精神修行も兼ねて、せいぜい頑張ることにしよう。

 

「……」

 

 そこまで考えて、わたしの頭は動きを止めた。アル様にふさわしい女……冷静に考えてみれば、なかなかの難題だ。なにしろアル様はどこまでも規格外の男性で、それに釣り合う女となるともう神話の英傑クラスになってしまうのではないだろうか? ううむ、これは難しい。一体、どうしたものか……。

 ……黙考しても、なかなか答えはでなかった。ううーむ、これは難題だぞ。一人で考えていても、解決する気がしない。こういう時は……友人たちから知恵を借りるほかないか。

 幸いにも、我が親友にして義姉、ジルベルトが今日の午後にこのアッダ村野営地を訪れる予定となっている。夕食の後にでも、相談してみることにしようか。……ジルベルト以外にも、ネェルの奴も呼ぼうかな? あのカマキリ女、見た目と図体のわりに異様によく気が回る。わたしが師事する相手としては、もしかしたら一番良いかもしれん。……人付き合いの能力が人食いカマキリ以下とか、我ながらどうなってるんだ。情けない……。

 

「……ソニア? 大丈夫か」

 

 ウムムと唸っていると、わたしの胸の中に納まっていたアル様がこちらを振り向いて聞いてくる。その表情は、ひどく心配そうなものだ。……ああ、いけない! 気合を入れて早々、アル様に心労をおかけするとは!

 

「い、いえっ! たいしたことではありません! 自分を叩きなおす(すべ)について考えておりました!」

 

「……そうか。だが、あまり無理はするなよ? 張り詰め過ぎた糸というのは、かえって切れやすいものだ。人間の精神も同じこと、適度に緩めておいた方がいい」

 

「え、ええ! わかっております! ご心配なく」

 

 ああ、やはりアル様は優しいなぁ。わたしは思わず泣きそうになった。母もアル様も、とにかく優しい。そのやさしさに、わたしは甘えすぎていたのだ。今のわたしに必要なのは、ジルベルトやネェルのような辛辣な叱咤であろう。

 ……優しいと言えば、昨日のアル様の優しさは尋常ではなかったな。触るどころか、舐めることすら許してくれたし。さらに、自ら奉仕することまでやってくれた。あれはまさに、夢のような状況だった。母親同伴というのが、かなりの減点ポイントだが。

 あんなことを体験してしまったら、もう写真などでは満足できぬのではなかろうか? 少々……いや、かなり心配だ。……だがしかし、考えてみれば紆余曲折があったとはいえ一応我々は婚約者同士の身。手や口を使ったアレコレ程度なら、頼めば今後もやってくれるのではなかろうか? もちろん、子供が出来るような行為は初夜まで待つべきだろうが。しかしその程度でも、自分で自分を慰めるよりははるかに有意義……

 ……はっ! もう甘えないと決めた矢先に、またアル様に甘えようとしている!? いかん、いかんぞ、これは。流石にこらえ性がなさ過ぎる。このような有様では、夜這いをした母さんをまったく責められぬではないか!!

 

「ソニア、本当に大丈夫なのか?」

 

 悶々とするわたしに、アル様が心底心配したような目を向けている。やめてください、アル様! わたしにはあなたに心配されるような資格などないのです! ……ううっ、駄目だ駄目だ、真面目になろうと思えば思うほど、感覚が鋭敏になって……膝の上に乗ったアル様の尻の感触が! 全身から漂ってくる寝汗の香りが!

 う、うわああああっ! 駄目だ、絶対だめだ! こんな艶めかしい男性を胸に抱いて、真面目なことなんか考えていられるわけがないんだっ! 頭がスケベに支配されてしまう! 心を入れ替えると決めた矢先にコレかっ! 本当にわたしという女は……わたしと言う女はァーッ!!

 

 



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第365話 盗撮魔副官と作戦会議(1)

 朝食を終えた後、わたしとアル様は激務の波に飲まれることになった。結婚云々のアレコレだけでも大変だというのに、それ以外の仕事も山のようにあるのだから大変だ。ゆっくり物思いにふける時間など、どこにもなかった。

 今のわたしの仕事は、この野営地の管理と監督である。これがまあ、なかなかに大変だ。なにしろ今でこそひと塊になっている蛮族どもだが、元はと言えば対立関係にあった複数のグループの寄り合いである。"新"と"正統"などはほんの少し前までは戦争状態にあったわけだし、アリンコ共も歴史的な経緯からエルフどもとは相性が良くない。

 そういう有様だから、一まとめにして管理するのは困難を極めた。毎日のようにトラブルが起きるし、流血沙汰も珍しくない。その仲裁をしているだけで、一日があっという間に過ぎていくほどだ。さらにそれに加え食料の配給やら傷病者の世話やら現地の村人との軋轢の回避やら、いくらでも仕事があるのだからたまったものではない。

 まあ、それもあと数日の辛抱だ。もう少ししたら、蛮族どもはいくつかのグループに分割してカルレラ市の郊外へ引っ越しさせ、冬を乗り越えるための冬営地の設営に当たらせる予定だった。市の参事会はもちろんかなり嫌な顔をしたそうだが、アル様とあの腐れ婆の尽力によりなんとか首を縦に振らせることに成功したのである。

 蛮族どもの集落をカルレラ市の近くへ引っ越しさせれば、物資の輸送や人員のやり取りが遥かに楽になる。むろんこれで何もかも解決! というわけにはいかないだろうが、労力をかなり削減することができるのは確かだ。

 

「ふぅ……」

 

 そんな苛烈な執務をなんとか終わらせ、夕食を取ったわたしは野営地のはずれで体を休めていた。焚き火を挟んだ対面には、ジルベルトとネェルが。そしてわたしの胸の中には、人間湯たんぽと化したカリーナがいる。くしくも、先日と全く同じ布陣であった。

 

「お疲れですね」

 

 スパイス入りのホットワインをちびりちびりと飲みつつ、ジルベルトが言う。カルレラ市のほうで働いていた彼女だが、野営地の移設の件でこのアッダ村を訪れていた。お互いに忙しい中、せっかくの機会である。母さんやアル様などの件について相談に乗ってもらおうと、時間を作ってもらったのだ。

 

「まあ、な。何しろいろいろあった……」

 

 アル様がわたしとの結婚を了承してくれた件については、すでに彼女らには話してある。なにしろ、わたしが嫁入りするからにはジルベルトも一緒にくっついてくる手はずになっているからな。我々はほとんど運命共同体のようなものだから、この手の重大事に関しては即座に情報共有をするようにしている。

 

「ま、上手く行ったようで、何より、です」

 

 物騒な形状の鎌をこすり合わせてギチギチと音を立てながら、ネェルが笑った。何しろ時刻はすでに夜で、灯りは焚き火の光のみ。そのボンヤリとした光に照らされた異形の亜人がそのようなことをしているのだから、本気で怖い。知り合いでなければ即座に逃げ出しているレベルだ。

 

「ああ……お前とカリーナの援護のおかげだ。この借りは、決して忘れん。ありがとう」

 

 なにしろ、母娘に対して同時に愛を告げるなど尋常ではない。アル様も、そうとう躊躇があったことだろう。そんな彼の背中を押してくれたのが、カリーナとネェルだ。アル様との結婚、そして母さんとの和解……そのどちらも、二人の協力がなければ達成できていなかった可能性が高い。わたしとしては、いくら感謝してもしきれない……というのが正直なところだ。

 

「なぁに、大したことでは、ありませんよ。ねぇ、カリーナちゃん」

 

「も、もちろん! ソニアお義姉様にも、辺境伯様にも御恩がありますから! お手伝いさせていただくのは当然ですよ!」

 

 わたしと二人羽織状態になっているカリーナが元気な声でそんなことをのたまうものだから、わたしは思わず笑ってしまった。お前の魂胆は知っているんだからな、格好をつけたことを言っても無駄だ。……まあ、援護が有難かったのは確かだが。

 わたしは無言で義妹の頭をグリグリと乱暴に撫でまわした。カリーナは目を回しながら、「ウワーッ!!」と叫ぶ。……しかし、やっぱりいいな。カワイイ妹ってヤツは。一応わたしにも二人妹がいるのだが、どちらも全然可愛くない。片方はわたしは病的に信奉しているし、もう片方はわたしの短所を倍にして自制心を半分にしたような極端な性格をしている。どちらも正直なところ苦手だ。しかもデカくて冷たいので抱っこのし甲斐がないと来ている。まあ竜人(ドラゴニュート)なので仕方が無いが。

 それに比べて、カリーナは良い。ちっちゃいし、あったかいし、カイロにぴったりだ。髪の毛の手触りも良い。ちょっと生意気なところもあるが、初対面の頃からくらべれば、大した成長ぶりを見せてくれているしな。実の妹のほうとアル様を共有するのは勘弁したいが(まあ上の妹のほうはアル様を嫌っているのだが)、カリーナならばまあいいかという気分になってくる。

 

「そうそう。お友達の、恋路を、応援するのは、当然の、ことです」

 

「ネェル……」

 

 優しい声でそう言うカマキリ娘に、おもわず胸の奥がジンと熱くなった。見た目は怖いが、本当にこいつはいい奴だ。……ん? いや、待てよ。「友達の恋路を応援するのは当然」……?

 つまり自分の恋路も応援しろと言う事か! このカマキリ娘が誰を狙っているかなど、考えるまでもない。く、なんということだ。無視するわけにはいかない貸しを作っておいてから、しっかりと釘を刺す……! このカマキリ娘は、気だけではなく頭も本当によく回るな。これで戦闘力もわたしより高いのだから、本気でどうかしている。

 ……コイツ、軍学を収めたらわたしの上位互換になれるんじゃないか? ……じょ、冗談じゃない。友達になるのはイイが、後塵を拝すのは認められない。下位互換に堕したりせぬよう、せいぜい頑張らねば……。

 

「こ、こほん。まあ、それはさておき……本題に入ろう」

 

 とにかく、こちらはネェルらに助けてもらった身の上だ。これ以上この話題を続ければ、わたしの不利は避けられない。ここは戦略的撤退をすべき盤面だな。わたしは話を逸らすことにした。

 

「先ほども説明した通り、紆余曲折はあったがなんとかわたしはアル様との結婚にこぎつけることができた。ただ、これは己の力で成し遂げたことではない。母の慈悲と、アル様の情けによるものだ」

 

「母の情け、ね……」

 

 焚き火の中で湯気を上げる足つきの鉄鍋から徳利を引き上げつつ、ジルベルトは難しい顔で呟いた。

 

「母娘仲が修復されたのは、たいへん結構なことです。ただ、その……わたしはスオラハティ家の臣下ではなく、ブロンダン家の臣下ですから。いろいろと、気になる部分はあります。なんというか、大変に失礼なことをお聞きしますが……」

 

「わたしの母にアル様を任せて、大丈夫なのか。そう聞きたいわけだな、義姉上は」

 

 確かに、ジルベルトの立場からすれば、聞きづらくとも必ず聞いておかねばならぬことだろう。一人の男を母娘で共有するなど、正気の沙汰ではない。外部から見れば、我が母はどうしようもない色ボケババアに見えるに違いない。そんな女に、尊敬する主君の人生をゆだねられるはずもなく……。

 

「……卿の懸念ももっともだが、それに関しては心配せずとも良い。母は、その……性癖に関しては、少々風変りだが。しかし、人柄は信頼しても大丈夫だ。わたしよりも、よほど善良で思慮深い方だよ」

 

「あれほど母親を嫌っていたというのに、ずいぶんと意見が変わりましたね……」

 

 ジルベルトは、ジトーッとした目をこちらに向けながら徳利のホットワインを酒杯に注いだ。そして残りの分を、おずおずとネェルに手渡す。満面の笑みで徳利を受け取ったカマキリ娘は、わずか一口で入っているワインをすべて飲み干してしまった。……巨人族ばりの飲みっぷりだが、コイツに酒を飲まして大丈夫なのだろうか? 暴れだしたりしないだろうな……。

 

「うん、まあ……いろいろあったからな」

 

 ……ジルベルトはわたしの義姉妹で、ブロンダン家の筆頭家臣だ。おまけに、おそらくはアル様の"本命"でもあるように思える。下手な隠し事はすべきではない。ここは、恥を忍んで事の次第について説明しておくべきだろう。わたしはため息をついてから、今回の件の経過について話し始めた……。



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第366話 盗撮魔副官と作戦会議(2)

 わたしは、友らにこれまでの経緯を語った。母との衝突の経緯、アル様の涙、そして和解……。なんとも恥ずかしい話だが、隠し立てをしても良いことなど何もない。なにしろ、わたしが求めているのは助言だからな。適切な助言をもらうには、正確な情報を提供せねばならん。

 

「なるほど」

 

 ナッツ類をつまみにホットワインを一杯やりつつ、ジルベルトが頷く。アル様もたいへん酒にお強い方だが、ジルベルトもなかなかだ。すでにボトル一本分のワインが彼女の腹の中に消えているというのに、その顔色に変化はない。

 ああもガバ飲みしているところを見ると自分もご相伴にあずかりたくなるのだが、手を出そうとするたびにあのカマキリ娘が牽制してくるのである。自分はガッツリ飲酒しているくせに、ケチなカマキリだ。仕方が無いので、わたしはカリーナと共にハチミツ入りの生姜湯を飲んでいた。

 

「状況は、理解しました。親子喧嘩の経緯に関する感想は差し控えるとして……。なんというか、主様……スオラハティ家に、振り回されっぱなしですね」

 

「そうだな……」

 

 深いため息とともに、わたしは頷いた。正直、愛想をつかされても仕方が無いような挙動をしている自覚はある。特に、家出以降のわたしを厚遇していただけたのは、本当にありがたい。下手をすれば、スオラハティ家そのものから睨まれかねないような行為だからだ。母さんが甘い人で良かった……。

 

「今から考えると、お情けとはいえよくわたしと結婚してくれる気になったな、という気がする」

 

「まあ、情け深いこと海のごとし、というのがお兄様なので」

 

「しかり、しかり」

 

 カリーナの言葉に、ジルベルトが腕組みをして頷く。彼女らは、もともとは敵だったわけだからな。ブロンダン家に受け入れてもらったことを、恩に感じているのだろう。

 

「まあでも、狩人としては、情けない、状況なのは、確か、ですね」

 

「うむ……」

 

 ネェルの指摘にわたしは頷いた。

 

「自分の、力で、追い詰めて、押さえつけて、トドメを、刺す。狩猟も、恋愛も、醍醐味は、同じ。違いますか?」

 

「物騒な例えだが、言いたいことはわかる。わたしも、自分の力でアル様を仕留めたかったよ」

 

「ソニアちゃんは、狩人を、気取れる、実力では、ありません、でした。現状を見るに、狩人は、アルベール君。獲物は、ソニアちゃん、ですね」

 

「主様は、好き好んでソニアを仕留めたわけではないですけどね。身が少なくて味も悪い小鳥だが、懐に飛び込んできたから仕方なく捕まえた……そういう状況が近いかもしれません」

 

 ネェルとジルベルトの連携攻撃を受け、わたしはガックリとカリーナの頭に突っ伏した。この牛義妹の髪は柔らかく、しかも良い匂いがする。傷心を癒すには最適の抱き枕だった。今度アル様と同衾するときは、こいつも連れて行ってやろうかな……。

 しかしまあ、今のわたしが必要としているのは、アル様や母さんの優しさではなく、彼女らの辛辣さだ。現状から脱却するには、遠慮のない指摘と助言が必須である。

 

「獲物がわたしで、猟師がアル様。それはまあ良い。しかしわたしは、アル様が『仕留めてよかった』と思えるような獲物でありたいんだ。しかしわたしは根っからの粗忽者で、どうすればアル様が喜んでくれるのやらさっぱりわからん。すまないが、皆の知恵を貸してほしい」

 

 そう言って、わたしは深々と頭を下げた。アゴがカリーナの頭に当たって、彼女が「ぴゃあ……」と困ったような鳴き声を上げる。本当に無駄に可愛いなコイツ。

 

「獲物として、美味しければ、良いわけですね?」

 

「ああ、そうだ」

 

「体に、塩を、塗り込んで、ネギを、抱えて、ください」

 

「獲物云々は比喩だぞ!?」

 

「でも、確実に、美味しく、なりますよ? とぉっても……」

 

「ひぇ」

 

 焚き火に照らされたネェルの笑みは、戦場慣れしているわたしでも背筋が凍り付くほど恐ろしかった。胸の中のカリーナなど、絶句してプルプルと震えることしかできなくなっている。おいやめろよ、お漏らしだけは勘弁しろよ!?

 

「冗談、冗談。マンティスジョークです。うふふ……。おっとヨダレが……じゅるり」

 

「……お前はこれでも食ってろ」

 

 わたしは焚き火で温めなおしていた羊肉の串焼きを、すべてネェルに押し付けた。彼女は満面の笑みで「わぁい」と喜び、その恐ろしい形状の鎌を器用に使って串を受け取る。ジルベルトが「わたしのツマミが……」などと呟いたが、お前自身がネェルのツマミにされるよりはマシだから我慢してほしい。

 

「はぁ……まったく。で、なんですか? 主様にとって、美味しい獲物になる? ふぅむ、存外難題ですね。それこそお金を貢ぐくらいしか思い浮かばないのですが……」

 

「発想がアデライド並じゃないか!」

 

 強欲宰相の顔を思い浮かべながら、わたしは叫んだ。……そう言えば、あの欲深宰相ともアル様を共有せねばならんのだよなあ、わたし。確かに、竜人(ドラゴニュート)であるわたしではブロンダン家の世継を産んで差し上げることはできないので、只人(ヒューム)の嫁を迎えるのは致し方のない話なのだが……しかしそれがまさか、アデライドになるとは。ああ、気が重い。

 

「し、しかしそんなことを言われても……」

 

 唇を尖らせるジルベルトに、わたしはため息をついた。わたしにしろジルベルトにしろ、二十代になってもいまだ処女の恋愛初心者だ。いくら考えても名案が湧いてこないのも、致し方のない話かもしれない……。

 

「というか、夫婦は夫婦でしょ? 狩人とか、獲物とか、そういう例えに拘る必要は無いと思うんですけど……」

 

 湯気の上がる生姜湯を舐めるように飲みつつ、カリーナが指摘した。むぅと小さく声を上げたネェルが、食べ終わった鉄串を地面に置く。

 

「言われて、見れば、その通り。ネェルの、父と、母も、狩人だの、獲物だの、という感じでは、無かった、ですね? 連理の枝、的な?」

 

「妙に難しい単語を知っているな、お前は……」

 

 連理の枝というのは、別々の木の枝同士が混ざり合って、一体となっている現象のことである。転じて、仲睦まじい夫婦にも使われる言葉だ。妙な思慮深さといい、語彙といい、このカマキリ娘はかなり蛮族離れしている。両親の内の片方か、あるいは両方がそうとうに高い教養をもった方だったのだろう。

 

「母は……夫婦は、お互い、支え合うもの。そう言って、いました。一人では、できない、事も、相方がいれば、出来る、みたいな? ……というわけで、ネェルは、一人では、新しい、お肉を、焼けません。おかわりを、要求、します」

 

「あぁい……」

 

 ジルベルトがやる気のない声で答えて、皿に乗った羊肉の串焼きを焚き火にくべる。

 

「ふぅむ。一理あるな」

 

 夫婦はお互い支え合うもの……か。確かにその通りだ。今までのわたしは、アル様に支えられるばかりだったのかもしれん。むろん、自分ではアル様の助けになっていたつもりだが……。

 

「……」

 

 そういえば、わたしはどれほどアル様をささえていたのだろうか? もちろん、仕事の手伝いはしている。現状のリースベンは、わたし無しには回らない。そういう自負は確かにある。だが、それはあくまで公的な面での支えだ。しかし、私的な部分は……わたしが、支えて貰うばかりになっていたような気がする。これでは、駄目だ。公私にわたって支え合うのが、夫婦の正しい形だろう。

 

「……むぅ」

 

 思い返してみれば、わたしにはアル様に愚痴をこぼした経験はあっても、愚痴を聞かされた経験はない。アル様が弱音を吐いているところも見たことがないし、アル様と怒りを共有したこともない。

 記憶を探れば探るほど、わたしは血の気が失せていった。こんな関係が、対等なものであるはずがない。一方的な、与えられるだけの関係。兄と妹、あるいは父と娘のような……。ああ、アル様がわたしを恋愛対象と認識していなかったのは、当然の事なのだ。

 

「そうか、そういう……ことだったのか。わたしは、アル様に寄り掛かることは出来ても……寄り掛かられるには、足りなかったと」

 

 わたしはカップに残っていた生姜湯を一気に飲み干した。食道がカーッと熱くなったが、しかし私の心根はむしろ冷え切っている。これでは、連理の枝どころかヤドリギではないか!

 

「ソニア……」

 

 気づかわしげに、ジルベルトがわたしの方を見る。

 

「笑えるな、これは。十数年も一緒にいて、わたしは昨日初めてアル様の涙を見たんだ」

 

 無理に笑顔を浮かべようとして、わたしは失敗した。ああ、しかしこれは笑い話だ。わたしは道化だ。しかも、かなりできの悪い道化である。

 

「あの方の弱い部分を、わたしは何も知らない……弱味を見せられるほど、信頼されていなかったのか……?」

 

「……弱い部分、ですか」

 

 手酌でホットワインを注いでいたジルベルトが、動きを止めた。酒杯があふれそうになり、慌てて「オットット」と口で迎えに行く。

 

「……ぷはっ。言われてみれば、確かにその通りですね。主様ほど他人に弱みを見せない方も、珍しい。まさに、常在戦場というか」

 

「むぅ……そういえばそうかも」

 

 すこしばかりしょげた声を出して、カリーナが身を固くする。そりゃあそうだろう。十年以上の付き合いであるわたしですら、この有様なのだ。出会ってまだ一年も立っていない彼女らにアル様のまだ見ぬ一面などを引き出された日には、わたしはいよいよ再起不能になってしまう。カリーナの頭を撫で繰り回しつつ、小さくため息を吐いた。

 

「あ。ネェルは、見たこと、ありますよ。アルベールくんの、弱ってるところ」

 

「えっ!? い、いったい、どんな……」

 

「ネェルが、アルベールくんを、誘拐して、森の中に、連れ込んだ、時です。アルベールくん、本気で、怖がりながら、話せばわかる! って。うふ、可愛かったなぁ」

 

「そのシチェーションで恐怖しない人間は人形か何かだよ!?」

 

 カリーナが大声で叫んだ。わたしもまったくの同感である。このカマキリ娘は、死ぬほど物騒な風体をしている。こんなヤツに捕まったら、わたしとて恐怖で腰を抜かしてしまうかもしれない。むしろ、出てくる発言が「助けてくれ!」ではなく「話せばわかる!」の時点でかなり肝が据わっている方だと思うが……。

 

「うふふふ……冗談。マンティスジョーク、ですよ。あの時の、アルベールくんは、大変に、勇敢で、優しかったです」

 

 ニコリと笑って、ネェルは鎌で掴んでいた徳利の中身を一気に飲み干した。

 

「そういう、大層、肝の据わった、人ですから。素の、アルベールくんを、見るのは、なかなか、難儀、するでしょう。地道に、頑張って、心を、開いてもらう。それが、吉だと、思います。急いては事を仕損じる、的な?」

 

「うむぅ……」

 

 わたしは小さく唸ってから、新しい生姜湯をカップに継ぎ足した。なかなか難しい問題だ。しかし、ネェルの言う事にも一理あるだろう。後れを取り返そうと無理をして、却ってひどいことになる。そういう事例は、戦史においても枚挙にいとまがない。慌てて行動するのは厳禁だ。

 

「アル様がわたしに本心を見せないのは、わたしが頼りないからだろう。今の私は、アル様の妻としても、母さんの娘としても、ふさわしくない女だ。アル様の隣に立つには、あまりにも実力不足……」

 

「それに加え、心理的な距離を縮める努力も必要でしょうね。これは実質、攻城戦ですよ。我らが挑むのは、無敵の大要塞アルベール……という訳ですね」

 

「面白い着眼点だな。たしかに、城攻めに置き換えてみれば考えやすいかもしれない……」

 

 カリーナの言うところの、「恋は戦争」というわけか。なるほど、わかりやすい。

 

「正直言って、この仕事はわたし一人では荷が重い。ジルベルト、ネェル、それにカリーナ。すまないが、手を貸してくれ」

 

 真剣な心地で周囲を見回すと、皆躊躇なくコクリと頷いてくれた。なんとも頼もしい仲間たちである。わたしはほっと安どのため息をついた。

 

「まずは、このたるみ切った未熟者を叩きなおすところから始める。是非とも、わたしの悪い点を指摘してほしい」

 

「そうですね……第一に――」

 

 食い気味に、ジルベルトが口を開いた。そのあまりのスピードに、わたしは思わずタジタジになってしまう。……結局この夜、わたしは五回ほど本気で泣く羽目になったのだった……。



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第367話 くっころ男騎士と蚊帳の外

 三日後、僕たちはアッダ村の野営地を引き払い蛮族たちと共にカルレラ市へと帰還した。とはいえ、帰ってきたと言ってもすぐにゆっくり休むわけにはいかない。なにしろ冬は日に日に深まっており、早急に冬営地を建設せねば疫病などが発生しかねないからだ。

 まずは蛮族どもを新エルフェニア・正統エルフェニア・アダン王国(アリンコ)の三グループに分割し、それぞれを貸与予定の土地に向かわせる。そして事前に準備していた建材や土木用品を分配して、越冬のための集落作りをスタートさせた。

 これは実際なかなか難儀な作業であった。なにしろ蛮族どもの総数は二千名オーバーだ。決して蛮族たちが反抗的なわけではないのだが、貧弱な幕僚組織と指揮系統しか持たぬリースベン軍の組織では統率するだけでも一苦労である。

 

「客人気取りでひとり遊んでいるのも申し訳ない。私に手伝えることがあったら言ってほしい」

 

 そこで助け舟を出してくれたのがスオラハティ辺境伯……もといカステヘルミだった。彼女はガレア王国屈指の大領地を治める領主である。新米領主の僕やブロンダン家の家臣団とは、持っているノウハウが大違いだった。

 カステヘルミは魔法のような手管でヒト・モノ・カネを巧みに差配し、我々だけならば三日はかかるであろう処理を僅か半日足らずで終わらせてしまった。もう、カステヘルミさまさまである。

 そんな中、驚いたことにソニアはずっと母親に付き従い、秘書のような仕事をしていた。どうやら、カステヘルミの手管を間近で見て勉強する腹積もりらしい。先日までは母の顔を見ることすら嫌がっていたことを思えば、大した心境の変化だ。それを見て、僕は密かに安どのため息をついていた。

 とにもかくにも、これでやっと冬営地の設営が軌道に乗った。僕は現場を配下の騎士に任せ、やっとのことでカルレラ市の領主屋敷に戻ったのだが……そこで僕を出迎えたのは、絶望的な表情をしたアデライドだった。

 

「大変に面倒なことになった」

 

 領主屋敷にいくつかある、応接室の一つ。そこへ僕たちを案内したアデライドは、開口一番にそう言った。ほんの数日会わなかっただけだというのに、彼女はひどくやつれ目の下にクマまで作っている。これは尋常ではない様子だぞと、僕とスオラハティ母娘は顔を見合わせた。

 ちなみにアデライドは僕の対面に座り、そしてスオラハティ母娘は僕の左右を固めている。またまたスオラハティサンドイッチの格好だ。僕の左右は、この頃この母娘の定位置になりつつあった。

 

「何やら……トラブルかな?」

 

「ああ……」

 

 カステヘルミの問いに、アデライドはため息じみた声で答えてから香草茶をすすった。そして、疲れたような笑みで僕たちを流し見る。

 

「……こっちは順調とは言えない状態だが、そちらのほうはバッチリのようだねぇ。どうなることかと心配していたが、安心してもよさそうだ」

 

「そ、そうだな。なんというか、その……雨が降って地が固まった、というか」

 

 僕と娘を交互に見ながら、カステヘルミがはにかむ。そんな母をチラリと見返してから、ソニアがため息をついた。

 

「それはいいとして……どうしてまた貴様はそうも憔悴しているのだ。貴様がそんな顔をするなど、そうそうあることではあるまい」

 

「どうもこうもない」

 

 顔をしかめながら、アデライドは首を左右に振った。

 

「あの妖怪婆のせいだ。まさか、あんな化け物がこのような辺境に隠れ住んでいるとは……アルくん、どうしてちゃんと警告してくれなかったのかね?」

 

 ああ……ダライヤ氏のことか。この頃忙しすぎてすっかり頭から吹っ飛んでいたが、そういえば宰相はあのロリババアを説得するとかなんとか言ってたな。で、その交渉が難航していると……。

 ま、冷静に考えれば当たり前か。アデライドは王国の政治家としては超一流の弁士だが、相手はあのロリババアである。一筋縄ではいかぬ相手なのは間違いない。

 

「マトモな事前準備も無しに、あの御老人を打ち負かすのはいくら私でも不可能だ。戦いを挑むのは、もう少し武器を集めてからにすべきだったな……」

 

 唇を尖らせながら、アデライドは不満そうな声を上げる。戦争は事前準備が九割、などという格言があるが、それは机上の戦いも同じことだ。交渉相手の情報すらマトモに知らぬ状態で交渉を挑めば、軽くあしらわれてしまうのも当然のことだろう。

 

「相手は齢千歳の年寄りですからね……知略の面で短命種が打ち勝つのは、なかなか」

 

「千歳? あの婆は、自分のことを五百歳だか六百歳だかと言っていたがねぇ?」

 

「時間の感覚があいまいなんですよ、あの人。おばあちゃんなので。……周囲の証言から見て、年齢四桁オーバーは間違いないようです」

 

「本物の妖怪じゃないか……」

 

 本気で嫌そうな顔をしながら、アデライドは香草茶のカップを指でつついた。そして小さく笑い、僕の方を見る。

 

「とにかく、私は妖怪婆との攻防で疲労困憊だ。ここは、新夫(にいおっと)のご奉仕で癒してもらいたいところだがねぇ? 具体的に言えば、香草茶の口移しとか」

 

「私のおらぬ間にアル様にコナをかけていた不埒なお義姉さまは口移しでのご奉仕をお望みですか! ここは義妹たるわたしにお任せを!」

 

 僕が何かを言うより早く、ソニアが立ち上がってアデライドのカップを奪い取った。そして、彼女の顔へぐいぐいと自分の顔を近づける。

 

「ウワーッ! ヤメローッ!!」

 

 女性同士でキスするような趣味のない宰相は、血相を変えて飛び逃げる。ソニアはフンと息を吐いて、僕の隣へと戻ってきた。……ソニアの前でセクハラなんか仕掛けるからそんなことになるんだよ。

 

「はぁ、まったく……冗談が通じないのは相変わらずだねぇ」

 

 トボトボと戻ってきたアデライドは、返してもらったカップで香草茶を飲みつつボヤいた。そして、皮肉げに笑いながら肩をすくめる。

 

「まあ……何にせよだ。状況を要約すれば、このままではあのダライヤとか言うババアに我らのアルくんを貸し与えねばならなくなる……ということだ。それに関してはお前も気に入らないだろう? ソニアくん」

 

「それは、まあ……」

 

 指摘を受けて、ソニアは目を逸らした。……よく考えれば、僕は一番にダライヤ氏から求婚を受けたというのに、いつの間にかこんなことになってるんだよな。流石にこれは不義理が過ぎないか? 僕の方から、しっかり説明したほうがいいだろ。

 ……しかし、ロリババアとの結婚か。正直、今でもかなり魅力的に感じちゃうんだよな。ソニアらの前では、もちろん言えないが。ダライヤ氏はなかなかの曲者だが、それが却って彼女の魅力になっている。むぅん、しかし現状から考えれば彼女の求婚はお断りせざるを得ない。……いや、いや。そもそもスオラハティ母娘に関しては僕の方から求婚したわけだから、今さらダライヤ氏に未練を感じる資格なんてないだろうに。

 というか、一応母娘双方から結婚の了承はもらちゃったわけだけど、コレどうなるんかね? どうやら、アデライドとの結婚も確定のようだし。三人と重婚? たしかに教会は重婚を禁じていないが、いくらなんでも母娘一緒というのはいい顔をしないかもなあ……。あとで、フィオレンツァ司教にでもいろいろ聞いてみるか。

 

「ダライヤ殿は、こちらで説得しましょう。僕には、その義務があると思いますし」

 

「アルくんが? やめておきたまえ」

 

 ところが、アデライドは僕の提案を即座に否定した。

 

「あの古老は本物の妖怪だ。君は実際の戦場ではたいへんに強いが、机上の戦いでは素人だからねぇ。むやみに説得しようとしたところで、却って言いくるめられるのは目に見えている。この戦いは、わたしが徒手空拳でフル装備のソニアくんに一騎討ち挑むのと同じくらいムチャだ」

 

「勝ち目無し、ということですか……」

 

「……万が一くらいの確率で勝てるかもしれないだろ」

 

「万が一どころか億が一もないだろうな」

 

 ソニアの言葉に、宰相がガクリとうなだれた。いやそりゃその条件で勝てる奴はネェルくらいだよ。僕でも絶対勝てねぇよ。

 

「……とにかくだ。私一人では、はっきりいって旗色がよろしくない。ここは、数を頼みにするほかないだろう。すまないがカステヘルミ、ソニアくん。私に手を貸してくれ」

 

「ははは……もちろん」

 

「致し方あるまい。これは貴様ひとりの問題でもないからな」

 

 スオラハティ母娘がコクリと頷くのを見て、アデライド宰相は安堵のため息をつく。

 

「……僕は?」

 

「このようなことに夫の手を煩わせたのでは妻の器量が問われるというものだよ、アルくん。君は心安らかに休んでいてくれたまえ」

 

「あ、そうですか」

 

 また僕は蚊帳の外かぁ……。密かにため息をつき、僕は視線を宙にさ迷わせた。この頃、こんなことばかり起きる。むろん、僕自身おのれが結婚云々の話題で役に立てるとは思っていないのだが、それにしても流石にひどくはないだろうか? 己の人生に関わるような選択に、能動的にかかわることができないとは……。

 ……まあでも、普通に考えるとこれがこの世界のスタンダードなんだよなぁ。世の御令息は、親の命じた相手に嫁ぐのが当然……という世界で生きているわけだし。好き合って結婚できるものなど、そうはいない。そういう意味では、どちらかといえば僕は恵まれている方だ。まあ、現代人としての感覚が残っている僕としては、それがわかっていても承服しがたいものはあるが……。

 

「アル、この頃君は働き過ぎだ。せっかくの機会だから、ここはわたしたちに任せて少しばかり休んでみてはどうかな? わたしとアデライド、それにソニアがいれば……執務の方も、ある程度代行できるだろうからね」

 

 ショボくれていると、カステヘルミが僕の肩を優しく叩いてそう言った。たしかに、辺境伯の言う通り最近の僕は明らかにオーバーワークだった。エルフの一件からこっち、ずっと働き詰めなのだ。疲労のせいで、余計に気分が沈んでいる可能性は十分にある。

 

「そうですね……お言葉に甘えさせていただきます」

 

 仕方が無いので、僕はみなに一礼してから部屋を後にした。これ以上この場に居ても、建設的な話には関われないだろう。ならば、カステヘルミの言う通りその時間を休憩に充てた方がマシだ。

 

「はぁ」

 

 応接室の扉を閉めるのと同時に、僕はため息をついた。なんとも、モヤモヤした気持ちが胸の中に充満している。思えば、この結婚騒動が始まって以降、僕は状況に流されるばかりだった。自分の準備不足が原因とは言え、やはり気分はよくない。なんとかリフレッシュしたいところだが……

 

「おや、アルベールさん。お疲れのようですね」

 

 などと考えていると、突然声をかけられて僕は飛び上がりかけた。見れば、声の主は天使のごとき純白の翼を背負った司教服の少女……フィオレンツァ司教である。

 

「あ、ああ、司教様……いや、フィオか」

 

 この場に居るのは、僕たちだけだ。他所向きのかしこまった口調で話す必要はない。幼馴染に対する口調に切り替えてから、僕は胸を撫でおろした。

 

「恥ずかしい所を見られたな。このごろ、なかなか大変でね……」

 

 まあ、大変といえば司教も大変なのだが。この頃の彼女は、カルレラ市やその周辺の農村の教会を巡りながら説法をする日々を続けていた。この説法のついでに、エルフら蛮族どもとの融和を説いていくのである。

 宗教的権威であるフィオレンツァ司教自らの説得は大変に有効で、この頃のリースベン領民の蛮族らに対する圧力は日に日に弱まっていっていた。市の郊外に冬営地を作る許可がカルレラ市参事会から降りたのも、フィオレンツァ司教の尽力あってのことだろう。

 

「ま、結婚前というのは大概そんなものですよ」

 

「……お耳が早いですね」

 

「坊主の耳は大きいと相場が決まっていますので」

 

 耳に手を当てて、フィオはくすくすと笑った。

 

「とはいえ、無理は禁物ですよ。辛い時ほど、気分を解放して……羽を伸ばす時間が必要です」

 

 その純白の羽根を実際にぐぐぐと伸ばして見せる司教の姿に、僕は思わず笑みを浮かべた。どうやら、彼女は僕を心配してくれているらしい。

 

「そうだね。時間もできたし……久しぶりにぱーっと飲んで気分でも晴らすかな」

 

 なにしろこの頃は忙しすぎるので、就寝前に睡眠剤代わりの寝酒を少し飲むだけ……という生活がしばらく続いていた。流石に、そろそろバカみたいな痛飲がしたくなってきている。

 

「フィオも一緒に飲むかい?」

 

 星導教では、聖職者の飲酒は禁じられていない。そしてフィオレンツァ司教はそのあどけない顔に見合わずなかなかの酒豪だった。一緒に飲む相手としては、大変に申し分ない。

 

「いえ、わたくしは遠慮させていただきます。……時には、一人でゆっくりする……というのも、精神安定上は重要なのですよ。今アルベールさんに必要なのは、心地の良い孤独ではないかと思います」

 

「……確かに」

 

 自分の部屋で一人鬱々と飲酒をするような真似は流石に精神に良いはずがないが、飲み屋の喧騒をBGM代わりに独りでゆっくり飲む……というのも案外オツなものである。言われてみれば、確かに今はそういう気分かもしれない。自分でも自覚できないような無意識の欲求にさえ気付くとは、流石はフィオレンツァ司教である。

 

「先日、よいお店を見つけましてね。あまり大きなお店ではありませんが、落ち着いた雰囲気で隠れ家のような良さがあります。あそこならば、正体を隠してひっそりと楽しむにはぴったりかと」

 

 ニッコリと笑って、フィオレンツァ司教はそう言った。……確かに、よく考えてみれば僕はこの街の領主だ。多少変装したところで、表で流行っているような店に顔を出すのはマズい。彼女の言う通り、遊びに行くなら隠れ家のような店の方が良かろう。僕はフィオの助言に従うことにした。



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第368話 くっころ男騎士と騎士様

 現在、カルレラ市は空前の好景気に沸いている。リースベン戦争の結果、リースベン・ズューデンベルグ(カリーナの実家、ディーゼル家が治める領地)間の関税・通行税が完全に撤廃されたからだ。現在、ガレア王国と神聖帝国の間を無税で通行できる場所は少なく、交易商たちが群を成してリースベンに集まっているのである。

 税金は取らないとはいえ、通行量が多くなれば当然この地に落ちていくカネの量も増えていく。もともと数軒しかなかった表通りの酒場は夜中になっても満員御礼状態でほとんどパンク状態、あぶれた客をにわか作りの素人飯屋や屋台などが吸収している……という状態になっていた。当然、このような環境では流石に落ち着いてひとり飲みなどできるはずもない。

 

「ふぅ……」

 

 僕は酒杯のワインを飲み干してから、大きく息を吐いた。そして手酌でお代わりを注ぎつつ、周囲を見回す。狭い店内だが、客の数が少ないため圧迫感はあまりない。店の奥では、年老いた男吟遊詩人がこなれた手つきでリュート(日本で言うところの琵琶に近い楽器だ)を弾きつつ軍記物語などを吟じていた。

 フィオレンツァ司教がオススメするだけあって、なかなかに居心地の良い店だ。僕は上機嫌になりながら、ツマミのもつ煮込みを口の中に放り込む。濃いめの味付けだが、それがいい。塩味が疲れた体に染み渡る。

 料理もいいが、何より気に入っているのは客層だ。僕以外に何人かいる客はほとんどが落ち着いた雰囲気の中年女性で、酒をラッパ飲みしながら大騒ぎしているような馬鹿な若者など一人もいなかった。そういう学生街の居酒屋のような雑然とした雰囲気も嫌いではないが、今は静かに飲みたい気分なのである。

 ちなみに、当然のことではあるが僕は一般人に変装している。領主がそこらの酒場で酒飲んでるなんてバレたら大事だからな。そして、もちろん護衛も付けている。これまた一般人に変装した手練れの騎士が二名だ。……ちょっと飲みに行くだけで護衛を連れ歩かなきゃいけないなんて、なんとも大仰な話だ。はっきり言ってこういうのは趣味じゃないが、流石に本当に一人で出歩くわけにもいかん。偉くなるのも善しあしって感じだ。

 

「……」

 

 酒杯を傾けながら、吟遊詩人の声に耳を傾ける。王都の酒場でもよく聞いた、定番の演目だ。当時はアヴァロニア王国のいち諸侯でしか無かったヴァロワ王家が、大陸への出兵を期に主君に反旗を翻し一代で大王国を築く……ガレア王国の建国物語。何百年も前の話なので所詮は神話のようなものだが、物語としてはそれなりに面白い。

 ……何百年前の話とは言っても、ダライヤ氏などからすればほんのこの間のことなんだよなあ。むかしのエルフェニアはそこまで閉鎖的ではなかったようだし、詳しく聞いてみたら何か面白い話を聞けるかもしれないな。

 いやでも、そんなことを聞くタイミングって、あるんだろうか。今の僕は、彼女の求婚を断らねばならない立場であるわけだし。あのロリババアとは険悪な関係になりたくない。できれば円満に解決したいところだが……。

 

「はぁ……」

 

 思わずため息が出た。悩みは多いし、その割に僕に取れる選択肢は多くない。まったくままならないものだ。正直、現状に不満は多い。とはいえ、部下に向かって愚痴を垂れ流すようなダサい真似はできないだろ。ストレスは酒と一緒に飲み下してしまった方がマシだ。僕は酒杯のワインを一気に飲み干した。

 

「やあ、久しぶりだね」

 

 そんなことを考えていると、誰かから声をかけられた。顔を上げてみれば、そこにいたのは一人の若い竜人(ドラゴニュート)だ。顔つきは平凡だが、仕立ての良い服装や胸を張った独特の気品のある立ち方から、一目で貴人であるとわかる。……はて、久しぶりとな。僕の知り合いに、こんな女は居ただろうか――

 

「ああ、騎士様! あなた、王都の酒場で会った騎士様でしょう! これはこれは、お久しぶりです」

 

 僕は思わず立ち上がって、そう言った。そうだそうだ。王都の酒場で脱衣ゲームに興じ、パンツ一丁に剥かれかけていたときに助け舟を出してくれた騎士様である。あのあと僕は酔いつぶれ、この騎士様に家まで背負っていってもらったのだった。流石にそこまでの醜態をさらした経験はほとんどなかったので、よく覚えている。確かあの時も、僕は一般平民に変装して飲み屋に遊びに来ていたのだった……。

 

「ああ、よかった。覚えていてくれたようだね。忘れられていたらどうしようかと。――良かったら、相席しても?」

 

 ニコリと笑って、騎士様は僕の対面の席へと視線を向けた。さてどうしようかと一瞬考えてから、頷く。一人で鬱々と飲んでいるのも飽きてきたところだしな。この騎士様であれば、話し相手として申し分ない。前回の件で、この人が淑女的な人間であることは分かっているからな。

 

「ぜひぜひ」

 

「ありがたい」

 

 頷いた後、騎士様はちょっとまごつきながら自分の席の椅子を引いた。……これは、アレだな。この人、普段は他人に椅子を引いてもらう立場の人間っぽい。少なくとも、ヒラの宮廷騎士などではないだろうな。前に聞いた話では、とある貧乏貴族の三女という事だったが……。

 

「マスター、私にこの男性と同じものを」

 

「あいよぉ」

 

 やる気があるんだかないんだかわからない声で、店主が答える。一息ついてから、僕は彼女に話しかけた。

 

「しかし、奇遇ですね。あなたは、王都の騎士様でしょう? こんなドいな……王国の南端で再会するとは。偶然だとすれば、まさに極星のお導きですね」

 

 実際、一番気になるのはそこだ。このリースベンから王都までは、早馬でも半月はかかるほどの距離がある。辺境も辺境、ド辺境だ。王家に仕える普通の宮廷騎士ならば、普通こんなところまでやってくるような用事はないはずだ。

 そうなると、やはり作為を疑いたくなってしまう。ありていに言えば、こいつスパイじゃね? ということだ。まあ、スパイならスパイでいいけどね。相手がだれであれ、酒場の酔客相手に聞かれちゃマズイ話なんかしないし。むしろ、こっちを害する気がない程度のスパイならまったく罪悪感無くクダを巻ける貴重な相手だ。普段のストレス解消を兼ねて、さんざんにウザ絡みしてやる……。

 

「もちろん、その通り。我々のめぐり逢いは、極星の采配によるものさ。いわゆる、運命というヤツだな」

 

「はあ」

 

「……すまない、ちょっと大口を叩いた。残念ながら、偶然じゃあないんだ」

 

「そうでしょうね」

 

 まあ偶然だったらそっちのほうがビックリだわ。僕が鼻で笑うと、彼女は少し苦笑した。そこへ、店主が手づから酒と料理を持ってくる。代わり映えのしないワインと、これまた代わり映えしないモツ煮込み。僕は陶器製のワインボトルを手に取ると、彼女の酒杯に注いでやった。

 

「おっと、ありがとう。……じゃ、何に乾杯しようかな」

 

「では、再会に」

 

「うん、悪くない。では、再会を祝して、乾杯」

 

「かんぱーい」

 

 コツンと酒杯をぶつけ合い、お互いに一気に飲み干す。僕は満足げに、騎士様は不満げに息を吐いた。彼女の顔には、露骨な困惑が浮かんでいる。

 

「……なにやら、その……凄い酒を飲んでいるね?」

 

 騎士様は、だいぶオブラートに包んだ感想を述べた。ま、そりゃそうだろうね。このワイン、この店で提供されてる最低ランクのやつだし。味も薄けりゃ香りも薄い、そのくせ渋さだけは天下一品というひどい代物だ。少なくとも、貴族が呑むような酒ではないというのは間違いない。

 

「駄目になりたいときは駄目な酒を飲むべし。母の教えですよ」

 

「いったいどんな教育をしているんだ君のお母上は」

 

 思わず吹き出しそうにって、騎士様は思わず口元を押さえた。なかなかいい反応だ。……スパイかどうかはさておき、悪い人ではなさそうなんだよな。まあ相手が本物の諜報員だというのなら、ちょっと間抜けな善人を装うなんて簡単なことだろうが。単なる兵隊でしかない僕には、この辺の判別はつきかねる。難しい所だな……。



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第369話 くっころ男騎士と机上の戦い(酒)

 王都で出会った騎士様と思わぬ再会を果たした僕だったが、彼女曰くこの再会は偶然ではないらしい。そのあたりが多少気になっていたため、僕は乾杯を終えて早々、この疑問をぶつけてみることにした。……わりとこの人、スパイっぽさがあるからな。まあ、先制ジャブといったところか。

 

「……ところで、騎士様は一体どういうカラクリでここに? 偶然じゃないって話でしたが」

 

「ああ、簡単なことさ」

 

 手をひらひらとさせてから、騎士様はワインを一口飲んだ。なんかこの騎士様、容姿は平凡なのに口調や手振りは完全に遊び人風なんだよな。そのへん、ちょっと違和感を覚える。むろん、フツーの顔をした遊び人なんて実際は吐いて捨てるほどいるだろうが……ううーむ。

 

「南部でちょっとした仕事があってね、リースベンにやってきたのはそのついでさ。王都の酒場で、君がリースベンに行くと言っていたからね、久しぶりに顔が見たくなってしまって」

 

「フゥン」

 

 確かに、そういう話はした覚えがある。僕は頷いて、もつ煮込みを食べた。豚ホルモン特有の獣臭さと、それを抑え込むために大量投入されたニンニクやタマネギなどの香味野菜の風味が合わさって、猛烈に酒が欲しくなる味をしている。口の中に残った風味が消えないうちに、僕はそれをワインで喉奥に流し込んだ。

 

「それはなんとも光栄なことですね。しかし、よくもまあこの酒場が見つけられたものです。見ての通り、地味な店構えですし」

 

 この店は裏路地にあるため、旅客が普通にウロついているだけではそうそう発見できるものではない。看板を出していない訳ではないのだが、たいへんに小さく地味な客寄せをする気のない代物である。地元の常連客以外を相手に商売をする気がないのだろう。

 リースベンに移住して半年近くなる僕も、こんな店は今日初めて知ったくらいなのだ。たまたまカルレラ市を訪れただけの部外者が初見で見つけられるとは思えないのだが……

 

「表の酒場は、どこも満杯でとてもじゃないが落ち着いて酒が飲める環境ではないじゃないか。君は騒がしいのが嫌いなタイプではないようだが、流石にアレは度を越している。だから、入るまでもなくああいう店には君は居ないと判断した。……と、なると、候補は裏路地にある店だ。そしてこの街は、決して多くない。当然、裏酒場の数もさして多くないから、しらみつぶしにするのは簡単だ」

 

「なるほど」

 

 筋は通った説明だな。まあ、筋が通っていることと、真実であることはイコールではないのだが。しかし、よしんばこの説明が本当だとしても、この騎士様の推理能力はなかなかのものだ。私立探偵としても、やっていける能力があるのは間違いない。まあ、私立どころか公立の探偵……つまりスパイである可能性は相変わらず高いのだが。

 

「そこまでして僕を探していただけるとは、なんとも光栄の至りです」

 

「君にはなんとなく運命を感じたからね」

 

「運命ねぇ」

 

 うさんくせぇなあ……僕は思わず苦笑した。まあいいや、スパイであろうがなかろうが大した問題じゃあない。どうせ僕の身辺は有象無象に探られているのだ。注意すべきは相手の口車に乗って軍機密を喋ってしまうことだが、こちとら前世と現世を合わせれば軍歴ウン十年のベテランだ。いくら酒が入ってもそんな不用意な真似はしない。

 まあこの騎士様がスパイどころか暗殺者だった場合は、流石に安心もしていられないがね。とはいえ、それは流石に大丈夫だろう。本気で僕を殺す気があるなら、こんな胡散臭いヤツを派遣してくる可能性はかなり低い。領主屋敷勤めのコックにカネを渡して料理に毒を混ぜたり、あるいは通行人に紛れて刺客を放ったり……そういう手段の方が、圧倒的に確実かつ手っ取り早いからだ。

 

「それは、それは。極星様も粋な采配をされるものですね」

 

 僕はニコリと笑って、彼女の酒杯にワインを注いだ。騎士様はニッコリと笑って、「ありがとう」とそれを飲み干す。うんうん、いい飲みっぷりだ。この騎士様がどういうつもりで僕に近づいてきたのかはわからんが、とりあえず今日のところは偶然に再会した飲み友達という風に扱うことにしようか。そっちのほうが楽しいし。

 こういうのは、警戒と安心のバランスが大切なんだよな。スパイを警戒しすぎて誰も彼もに疑いの目を向けていると、精神がすり減ってあっという間にビョーキになってしまう。さりとて油断しすぎると、敵軍の情報源だ。肝心なのは、仕事と無関係な相手には余計なことを喋らないこと、これにつきる。喋るべきでない情報は意地でも墓まで持って行く、ということだ。

 

「ああ、私もそう思うよ。ちょうどいいタイミングだった。今日の君は、何やら思い悩んでいる様子だったからね。悩む乙男の傍にいてあげる、これもまた淑女の大切な義務の一つさ」

 

「流石、王都の騎士様は口がお上手ですね。こんなブ男を乗せて、何が楽しいのやら」

 

「ブ男? とんでもない。君は……いや、やめておこう。このまましゃべり続けたら、直球の口説き文句になってしまう。別に、今の君はそういう言葉を求めているわけではなさそうだし」

 

「口が上手い上に気まで利くとは! まったく、騎士様。貴女はいったい今までどれだけの男を泣かせてきたんですか?」

 

「さあてね、十人より先は覚えてない。……んふ、冗談だよ。男性を泣かせるような女は、淑女としても騎士としても失格さ」

 

 そういう態度がますますうさんくさいんですよ騎士様。スパイ云々はさておくにしても、この騎士様が男を口説きなれてるのは間違いない。火遊びの達人、そういう風情だ。僕もこれくらいの胆力と口のうまさがあれば、現在のような窮地には追い込まれなかったのではなかろうか……。

 

「それで……君はどうしてまた、そんなに思い悩んでいるんだい? 私で良ければ、相談に乗るが」

 

 心配そうな顔でそんなことを言う騎士様。でもねえ、いきなり「相談に乗るよ」なんて言うやつがマトモな手合いなはずがないんだよなあ。この騎士様、スパイかヤリモクでほぼ確定だわ。可能性としては前者のほうが圧倒的に高いが、後者ということもありえる。ガレア王国では僕のような筋肉男は不人気だが、アデライドのような類の変態も多少はいる。この騎士様も、屈強な男を組み伏せたいタイプの人かもしれん。

 

「いやあ、大したことではないのですが……」

 

 さて、さて。どうしたものかね。適当に話を切り上げてさっさと別れるのが模範的回答なのだが、それでは面白くない。ここは……そうだな。飲み潰してしまうか。こちとら、伊達に酒飲みはやってないからな。自分が酔わないための飲み方も、相手の飲酒ペースを早くするための飲み方も、しっかりと心得ている。

 この手のテクニックには自信があるから、脇の甘いスパイやナンパ師ならばてきめんに引っかかってくれるはずだ。そしてこれに引っかからないようであれば……要警戒対象。なにしろ騎士様は僕と同い年かちょっと年下くらいの様子だからな。この年齢でそういう罠に引っかからないようなテクニックを持っている人間は、それなりの訓練を受けていると判断してもよかろう。それなりに手練れのスパイである可能性が大変に高くなるので、尾行者をつけて身辺を洗った方が良い。

 

「実は、知らない間に婚約話が進んで居ましてね……」

 

 まずは、真実を織り交ぜた話で相手の気を引く。案の定、騎士様は「ほう、それはいけない!」と身を乗り出してきた。僕はわざとらしくため息をつき、しょぼくれた顔を作る。

 

「まあ、飲みたまえ」

 

 ほらほら、案の定酒を進めてきた。彼女の言葉に従い酒杯を口につけて……申し訳程度に飲む。すると、騎士様の方もそれに付き合ってゴクゴクとワインを飲んだ。これは、フリではないな。きちんと飲んでいる。うんうん、いいじゃあないか。そのままガンガン飲みまくってくれ。

 

「別に、嫌いな相手と強引に結婚させられるわけではないのですが、何しろ突然で……」

 

 僕の言葉に、騎士様はふむふむと頷く。その頬は、出会った当初より微かに赤くなっていた。イイ感じで酒が回り始めたに違いない。さあて、面白くなってきたぞ。ムシャクシャしていたところに、いいオモチャが飛び込んできたものである……。

 

「だいたいねぇ! 周囲の連中は余を遊び人だのナンパ師だのと言って馬鹿にするが……」

 

 それから、一時間後。騎士様はすっかり酔っぱらっていた。攻守の方も完全に逆転し、彼女が愚痴を言って僕がそれを聞く形になっていた。……しかし、いつの間にか一人称が私から余に変わってるな。ちょっとヤバくない? この人結構な高位貴族じゃないの? もしかしてさ。

 

「顔も写真でしか見たことの無い、外国の御令息を婚約者にされた身なんだよこっちは! 床を共にするどころか手すら握れない相手に何故(みさお)を立てなきゃいけないんだ! ちょっとくらい遊んだっていいだろう!?」

 

「そりゃあねえ……いつもいつも気を張ってたら、疲れちゃいますから。多少は遊ばなきゃ損ってもんでしょうよ」

 

 空になった彼女の酒杯にワインを注いでやりながら、僕はそう言った。わあ、新情報がいっぱい出てきたな。外国の婚約者? フカシじゃなきゃやっぱかなりの高位貴族だわこの人。なんでそんな人がリースベンに居るんだよ。

 あー……アデライドが言ってた、南部が政治的空白状態になってる件かね? この機に勢力の拡大を狙っているのは、宰相派閥だけではないだろうし。わざわざ僕に会いに来たのも、その情報収集の一環だと思えばそれほど不自然ではない。何しろ今の僕は、不本意ながら台風の目のような存在になっているからな……。

 

「だよねえ!! んもーっ、こちとらちょっと一緒にお酒を飲んで、ダンスして……その程度に自重してるのにさあ! なんだよ童貞百人切りって! ふざけんなよ! ベッドインなんかしたら国際問題になるだろ!!」

 

 本当になんだよ童貞百人斬りって。どっかで聞いたフレーズだな……ううーむ、思い出せない。まあいいや。僕は考えるのをやめて、ワインのお代わりを頼んだ。政治的なアレコレはさておいて、この騎士様はなかなかに面白い手合いだ。彼女を見ていると、疲れ果てていた精神に活力がみなぎってくる。元気な若者がバカみたいに酒を飲んで馬鹿みたいに飯を食っているところを見るのは、たいへんに気分が良い。

 

「ほらほら、ツマミも一緒に食べないと悪酔いしちゃいますよ」

 

「ああ、ああ。うむ、もぐもぐ……ううむ、こういう野卑な食べ物はあまり口にしないのだが、なかなかいいじゃないか。酒とよく合う……ごくごく」

 

 騎士様はすっかりベロベロだ。いやあ、めっちゃ面白い。今夜は彼女が酔いつぶれるまで愚痴に付き合ってやることにしよう……。

 

 



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第370話 ナンパ王太子と二日酔い

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワの今朝の目覚めは、決して心地よいものではなかった。

 

「うう……」

 

 ベッドから身体を起こすなり、頭に鈍痛が走る。小さく呻きながら、余は周囲を見回した。貧相な内装の狭い部屋、実用一点張りの簡素な調度品、ガラスではなく木製の鎧戸が嵌まった窓、そして麦藁の束にシーツをかぶせただけのベッド……。

 大国・ガレア王国の王太子たる余の居室としては、あまりにもふさわしくない部屋だ。一瞬頭が混乱するが、すぐに納得する。ここは王城にある我が部屋ではない。辺境リースベンの小さな民宿……という名目で活動している、王家の諜報グループのセーフハウスだ。

 

「いたたた……」

 

 それにしても、頭が痛い。昨夜酒を飲み過ぎたのだ。従者を呼び出して、水差しを持ってくるように命じる。口の中がカラカラだった。

 

「はぁ……」

 

 汲んできたばかりの新鮮な水を受け取り、喉を鳴らして飲む。頭にかかっていたモヤが、少しだけ晴れたような心地だった。カップを従者に返しながら、余は昨夜のことを思い返す。

 昨日、余はアルベール・ブロンダンと再会した。もちろん、アルベールは余が王太子フランセットだとは気づいていない様子だったがな。これは余の所有する王家の秘宝の一つ、幻術ブローチのおかげだった。この魔法の道具は使用者の姿かたちを変化させ、別人に化けさせることができるのだ。むろん所詮は幻だが、諜報活動などでは極めて有効に機能する。

 これがあるおかげで、昨夜はなかなか愉快な想いをすることが出来た。酒を飲んで乱れるなど、久しぶりのことである。アルベールの話もなかなかに愉快だった。日頃の重圧から解放されて大騒ぎするのは、それはそれは楽しい事である……。

 

「いや、いや」

 

 余は思わず首を左右に振った。別に、余はリースベンくんだりまだわざわざ遊びに来た訳ではないのだ。楽しかった、などという感想は甚だ不適格だ。これはいけない。

 

「殿……若様、ポンピリオ商会のヴィオラ様が挨拶に参っておりますが……いかがいたしましょうか?」

 

 そこへ、従者の一人がやってきたそんな報告をしてきた。ヴィオラというのは、余をこのリースベンに招いた張本人の名である。余はため息をついて、立ち上がった。二日酔いのせいで二度寝したい気分になっていたが、そうはいかない。王太子とはいえ仕事を放棄するわけにはいかないのだ……。

 

「身支度に少しばかり時間がかかる。それまで菓子でも出して待ってもらえ……」

 

 それから、三十分後。余はすっかり余所行きの格好に着替えてヴィオラのいる応接室に向かった。客人を待たせているにしてはノンビリ身支度をしたものだが、これは意図的にやったことだ。わざと相手を待たせることで、立場の違いをハッキリさせる。まあ、貴族特有のツマラン風習さ。

 

「やあ、待たせたな」

 

 ヴィオラの対面の席に腰掛けて、余はそう笑いかけた。ポンピリオ商会のヴィオラ。そうな乗る客人は、純白の羽根を背中に生やした翼人族の少女であった。むろん、商人などといってもそれは仮の姿。その正体は星導教の重鎮の一人に数えられる最年少司教、フィオレンツァ・キルアージその人である。

 

「いえいえ、とんでもない。良いお茶とお菓子をありがとうございます、殿下。楽しませていただきました」

 

 茶菓子をチラリと見ながら、フィオレンツァは笑う。王都パレアの宗教界の頂点に座るこの女と余は、もちろん面識があった。王都に住んで居れば、この女と顔を合わせる機会も少なからずある。まあ、それがまさかこのような南の果てでまで雁首を突き合わせる羽目になるとは思ってもみなかったが……。

 

「ところで、殿下。夕べの首尾のほうはいかがだったでしょうか?」

 

「ああ、貴殿の手引きのおかげでスムーズにアルベールに面会することが出来たよ。感謝する」

 

 コッソリとこの地を訪れていた余がすぐにアルベールと顔を合わせることができたのは、フィオレンツァの協力のおかげだった。なにかと対立することの多い王家と星導教だったが、この件に関しては協力関係にあるのだ。

 

「上手く行ったようで、何よりです」

 

 ニッコリと笑うフィオレンツァの胡散臭い顔を見ながら、余は王太子たる自分がなぜこのような辺境にお忍びでやってくることになったのかを思い返していた。むろん、これは慰安旅行などではない。なにやら裏で策動している様子の宰相派閥を、王太子たる余自らが密かに偵察しに来たのである。

 このリースベンの属する王国南部は現在、オレアン公派閥の没落により権力の空白状態になっていた。そしてその混乱する諸侯たちをふたたびまとめ上げようとしているのが、宰相アデライド・カスタニエとノール辺境伯カステヘルミ・スオラハティに率いられた一派であった。

 この宰相派閥の中心人物の一人と目されているのが、アルベール・ブロンダンである。男の身空でありながら余人をもって替えがたい戦果を挙げ続けている彼は先日このリースベンで蛮族を相手に大規模な戦を行い、そして勝利を収めたという話だ。

 

「……」

 

 給仕から湯気の上がるカップを受け取りつつ、余は思考を進めた。蛮族との戦争……まあ、それは良い。領主貴族……それも辺境に領地を持つ者であれば、誰しも経験することである。問題は、この戦争によりアルベールが二千名あまりの蛮族兵を服属させた、という情報が諜報部から上がってきたことだ。

 二千名。これは、王家から見ても決して少ない数ではない。伯爵級の貴族でも、千人以上……つまり連隊規模の軍を編成するのはなかなかに難儀する者が多いのだ。それ以上ともなると、もはや有力貴族に数えられるレベルの戦力になる。しかもこれに加え、最新鋭の軍制・装備を整えたアルベール子飼いの部隊が数百名。所詮は田舎領主の軍、などと笑って流せるレベルはとうに超えており、警戒心を抱くなという方が無理がある。

 さらに、それだけでも大ニュースだというのに、今や我が国屈指の重鎮となった宰相・辺境伯の両名が、自らこのリースベンを訪れているのだから大事だ。反乱の兆しではないかと、王室と王軍の内部では緊張が走っていた。

 

「……はぁ」

 

 とはいえ、と余は密かにため息をつく。そのような状態でも、王室は宰相派閥を正面から諮問したり、あるいは査察をするような真似はできないのである。なにしろ、夏に反乱を起こしたオレアン公派閥は、王家最大の後ろ盾でもあったのだ。

 公爵家の影響力がすっかり低下してしまった今、宮廷の政治を牛耳っているのは宰相派閥である。その上、宰相の後ろにいる辺境伯は王軍に次ぐガレア王国第二位の軍事力を持つ一大領邦領主……。万一彼女らが王家に反旗を翻した場合、王軍がこれを鎮圧するのは著しく困難だ。現状では、宰相派閥との全面的な対決は避けざるを得ないのが正直なところだった

 

「それで……どうでした? アルベールさんは」

 

 こちらの心境を見透かした目で、フィオレンツァ司教が聞いてくる。まったく、嫌な目つきだ。しかし、この胡散臭い坊主の助力が渡りに船だったのも事実だ。公的な手段で宰相派閥を追求するのが難しい以上、非公式な手段に頼るほかない。

 アルベール・ブロンダンは、宰相派閥における要石の一人だ。個人としての兵力や権力は大したことは無いが、派閥の両輪である宰相・辺境伯両名に強い影響力を持っている。むしろ、彼こそが宰相派閥の黒幕ではないかという声すら少なくはない。

 だが……余としては、その意見には賛成しかねる部分があった。そこで身分を偽り、余自らアルベールと接触を持つことにしたのだ。彼の私的な部分に触れ、その真意を確かめようというのである。

 

「……さあてね。宮廷雀どもが言うところの『その色香で宰相と辺境伯の両名を篭絡し、王国の実権の奪取を狙う魔性の男』……などという風に見えなかったのは、確かだが」

 

 権力を欲しているような男が、マトモな供もつけずに(まあ流石に数名の護衛は潜ませていたようだが)場末の酒場でワインだか腐ったブドウの搾りかすだかわからない代物を飲んでいるはずがない。あれは野望に燃える簒奪者の目ではなく、仕事に疲れた中間管理職の目だった。

 余はまだ若輩者ではあるが、人を見る目はあるつもりだ。その余から見て、アルベール本人はそこまで危険な人間のようには思えない。むしろ、目の前にいるこの得体のしれない怪僧のほうがよほど油断のならぬ相手のような気がするのである。

 

「まあ、とはいえ……まだ余は、アルベールとは数えるほどしか顔を合わせたことがないのだ。見落としもそれなりにあるだろう。まだこの地に滞在できる猶予はそれなりに残っている……次に会う約束も取り付けてきたことだし、じっくり慎重に彼の本質を見極めていくことにしよう」

 

 昨夜の余は大変に酔っぱらっていたような気がするが、それでも別れ際にした約束は頭の中に残っている。二日後、同じ店で。そういう約束だった。そのことを思うと、何やら余の胸の中にワクワクした感情が湧いてくるから不思議だった。

 まさか身分を隠し、気の合う男と好き勝手なことをしゃべりながら飲む酒があれほどウマいとは……。いや、実際のところ酒の味は最低だったが。それでも、夜会で凡百の貴族令息にちょっかいを出しながら飲む酒よりも、遥かに心地よいものであったのは確かである。

 

「……そうですか、それは何よりです」

 

 何やら含みのある声でそう言ってから、フィオレンツァは香草茶を一口飲んだ。そして、物憂げな顔で続ける。

 

「それは良いのですが、一つお耳に入れておきたい情報が」

 

「……なんだ?」

 

「どうやら、アデライド宰相は……この地の蛮族、エルフと共にアルベールさんを娶る腹積もりのようです。男を共有することで、蛮族どもの反抗心を削ぐ……凡庸な手ではありますが、有効ではありますね」

 

「何……? それは本当か?」

 

「ええ、確度の高い情報です。今はまだ内々の話のようですが、そう遠くない未来に公式発表されることでしょう」

 

 アルベールが、蛮族と結婚する? その言葉を聞いて、余の顔から血の気が失せた。どうやら宰相は彼を己のものにするつもりらしい、という情報は耳にしていたが……よりにもよって、その夫を蛮族に差し出す気か!?

 未来の夫に対する愛情があれば、絶対にそのような真似はすまい。つまり、アデライドの奴はアルベールの事を軍隊の指揮も出来る肉棒程度にしか思っていないのではなかろうか? それは、それは……あまりにもあんまりすぎる。私の手の中で、香草茶のカップが音を立てて砕け散った。布巾を持った従者が慌てて余の身体を拭き始めるが、余は香草茶の熱さを感じる余裕すらない。

 

「あ、あの女……! 男を何だと思っているんだ!!」



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第371話 ポンコツ宰相とロリババアエルフ

 私、アデライド・カスタニエは朦朧としていた。明々と燃えるオイルランプの光と、東の空に昇ってきたばかりの太陽の光が、混然一体となって会議室を照らしている。完全無欠の徹夜であった。

 

「ワシもなあ、別にオヌシらの事情がわからぬわけではないのじゃよ」

 

 体力不足の文官の身には徹夜はツライ。もう私の身体と頭はボロボロだった。にもかかわらず、対面に座る交渉相手は元気いっぱい。平常そのものの表情で香草茶を飲み、そんなことを言う。

 ダライヤ・リンド。蛮族・エルフの自称皇帝。ナメていた。完全にナメていたのだ、この女を。たかが辺境蛮族の酋長、そう思っていた。だが、現実は非常である。この妖精じみた容姿を持つ愛らしい童女は、私がいままで経験したどの交渉相手よりも老練で悪辣でタフだった。

 まず彼女は童女じみた容姿を巧みに使い、いかにももの知らずな田舎者を演じて私の油断を助長した。そして私が彼女を丸め込んでやろうと論を展開した時点で、恐ろしい反転攻勢が始まったのだ。

 

「金勘定に強い宰相閣下と、優秀な武人であるソニア殿が両輪となってこのリースベンを飛躍させる。結構結構、大変によろしい」

 

「そ、その通りだ」

 

 ダライヤの言葉に、私の隣に座ったカステヘルミが慌てて頷く。彼女とて王国屈指の大領邦を十年以上その手で差配してきた女だ。戦場での戦い方はもちろん、議場における戦い方も十分以上に心得ている。その彼女が、この童女一人に冷や汗をかきながら防戦一方になっているのだ。これは尋常な事態ではなかった。

 

「リースベンが富めば、とうぜんそれに吸収されているエルフたちの懐も潤うことになる。もう略奪などに手を出す必要はない。心穏やかに、己の生業に打ち込める時代が来るのだ。我らの結婚は、君たちエルフにとっても利が多いものとなるだろう」

 

 我々が目指しているのは、我ら三人でアルくんを独占することだ。いや、あの牛獣人の義妹やらプレヴォ家の当主やらがチョロチョロしているが、連中は脅威にならんので別にどうでも良い。

 いや正直私としては多少気に入らないのだが、カステヘルミやソニアはすっかり彼女らを我らの仲間に入れるつもりのようだし、アルくんも彼女らのことはそれなりに可愛がっているようだ。多少目こぼししてやるくらいの度量は、私にもある。

 まあ、それはさておき我ら三人のことである。私とソニアがそれぞれアルくんと結婚し、カステヘルミは非公式の愛人に。これが一番穏当かつ世間に対して言い訳の効く形であろう。ソニアは多少嫌そうな顔をしたが、一応既に三人の間ではこの一夫二妻+愛人方式が既定路線になっていた。

 

「それはわかる。ワシもわかるのじゃ。しかし、大半のエルフにはそれはわからん! 奴らにとって、己の財布の中身……いや今日日財布など持っているエルフはほとんどおらんが、それはさておき。……とにかく、財貨を増やすよりも己の名誉と誇りを重視するのが、エルフという生き物じゃ。利益でコントロールできる程度の相手であれば、ワシはこれほど苦労しておらん!」

 

 ところがこのエルフは、せっかくまとまったこの案の修正を要求してきた。私たちがアルくんと結婚するのは良い、だから自分たちもそれに参加させろ! そう言いたいらしい。

 実際、実益だけを考えればそういう形が一番良い、というのは事実だった。服属させた部族と領主が夫を共有する、というのはもう定番といっていいやり方だからな。恥知らずな言い方をすれば、竿姉妹となることで仲間意識を醸成する……そういう効果が見込まれる。

 だが、実益があると言っても私はそんなやり方はしたくなかった。蛮族風情に、愛する夫を褒賞品のように投げ渡してやれるものか! その上、このダライヤは己のみならずその弟子だというフェザリア・オルファンとかいうエルフまでアルくんとくっつけようとしているのだ。認められるはずがない。

 

「今の内は、まあ良い。ほとんどすべてのエルフは、アルベールに心服しておる。彼の言う事であればなんでも従うじゃろうから、統治はそう難しくは無かろう」

 

「だったら何の問題も……」

 

「問題は彼の死後じゃ。エルフにとって、短命種(にせ)の一生など花が咲いてしぼむまでの時間のように短いものなのじゃよ。彼はあっという間に年老いて、死んでいく。そうなったら最後、エルフどもはまた再び好き勝手に動き出すぞ!」

 

「むぅ……」

 

 ソニアが顔を青くして唸った。すべてが終わってからリースベンにやってきた我々と違い、彼女はアルくんと共にエルフの内戦に参加している。エルフどもの気質に対する理解度は、我らの中で一番高いはずだ。その彼女が抗弁できずにいるのだから、ダライヤの語る未来はそれなりに現実味のある話なのだろうが……

 

「エルフを従えるために必要なのは、王だの皇帝だのといった地位ではない。武と勇、そして智じゃ。完成された戦士にこそ、エルフは尊敬を向ける。永きにわたりこの地を支配していた旧エルフェニア……つまりオルファン朝が失墜したのは、内戦に際して優れた戦士としての立ち振る舞いを見せることができなかったからじゃよ」

 

「……」

 

 私は無言で香草茶を飲んだ。この会議が始まってからすでに十数杯ぶんの香草茶が私の腹に流し込まれているので、もうすっかり腹の中がタプタプだ。しかし、飲まずにはいられない気分だったので仕方が無い。眠いし。

 だったら会議を切り上げてさっさと休め! という話なのだが、連日連夜このような有様なので出来ればこのあたりで決着を付けたいのである。子を成さぬ限り不老のエルフどもと違い、こちらは定命のアラサーなのだ。これ以上夜更かしを続けたら美容にたいへんな悪影響がある。腕力に自信がない分、せめて美の面では常に胸を張っていたいのだ、私は。

 

「ブロンダン家は、おそらくオヌシとアルベールの子が継ぐことになろう。しかし、果たして……その次世代のブロンダン卿に、エルフは従うかのぅ? ましてや、その孫ともなれば……。こういうことは言いたくないが、はっきり言って只人(ヒューム)は戦士には向かぬ種族じゃ。只人(ヒューム)がエルフの長になるのは、まず不可能じゃろう」

 

「……只人(ヒューム)が戦士に向かない、というのは確かだが」

 

 痛い所を突かれて、私は思わずうなった。私だって、子供の頃は名馬にまたがり戦場を縦横無尽に駆け巡る騎士に憧れたものだ。しかし、現実は甘くなかった。貧弱な只人(ヒューム)の身で、竜人(ドラゴニュート)や獣人に立ち向かうのは至難の技である。アルくんやその母デジレ殿などは例外中の例外であり、ほとんどの只人(ヒューム)にとって亜人は乗り越えることのできない壁として認識されているのだ。

 結局私自身もその壁は乗り越えられず、剣の修業は始めて半年で投げ出してしまった。辛い鍛錬には耐えられても、いくら修行したところで年下、かつ木剣すら握ったことの無い素人の竜人(ドラゴニュート)少女にすら勝てぬ現実には耐えられなかったのだ。

 

「エルフにはエルフの皇帝を立てねばならぬ。オヌシらは、そのエルフの皇帝を従えればよいのじゃ」

 

「理屈はわかる。私も、我が領地に住まう服属済みの蛮族どもはそうして統治しているからね……」

 

 ため息交じりに、カステヘルミが頷いた。

 

「だったら、その役割は貴方や……それから、フェザリア殿だったか? 彼女に任せるべきだろう。特に、そのフェザリア殿はもともとこの地を統治していた皇統の出身なのだろう? あえて、アルの種を分けてやる必要はないだろう」

 

「ええ、その通りです。自分の尻は、自分で拭くのが道理というもの。貴方たちエルフはアル様に頼り過ぎですよ」

 

 即座にソニアが母親を援護する。……会議は憂鬱だが、この光景を見られたことだけは喜ばしいな。この母娘が、一致団結している。なんとも素晴らしい。五年にわたって広がり続けた親子の溝は、共通の敵の出現により急速に埋まりつつあった。

 

「それが出来るなら百年間も内戦は続いておらん」

 

 ダライヤはぴしゃりといった。残念ながら、彼女は親子の絆だけで打倒できるほど甘い敵ではないのだ。

 

「もはや、オルファン皇家を主君と認めるものはもはやほとんどおらぬし、ワシも見ての通りお飾り皇帝じゃ。話にならん。アルベールの血を引く新たな子を、エルフの皇帝に据える……これが最適解じゃろう。エルフの世代交代は、短命種(にせ)よりも遥かに長い。アルベールの子さえ居れば、エルフェニアは少なくとも数百年は安泰じゃよ」

 

 悲しい事に、私の理性はダライヤの発言を肯定していた。エルフが一筋縄ではいかぬ相手というのは、当のこの老エルフとの会議で身に染みて理解することができてしまっていた。こんな意固地で無駄に頭の回る生き物を直接統治するなど、勘弁願いたい。

 実際問題、ダライヤの言う通りアルくんにエルフとの子を作ってもらって、しっかりとした教育を施してエルフの長になってもらう……これが最適解なのである。ああ、なんということだ。私の頭では、このプランをひっくり返せるだけの対案は作れない。

 一番悪辣な部分は、ダライヤの計画と私の計画は、決して相反するものではないという部分だ。むしろエルフどもが長期にわたって大人しくなる分、相互補完しているとすら言える。ダライヤは巧妙に自分と我々の利害を一致させ、こちらの抵抗を削ぐ作戦に出ているわけだ。

 結局のところ、我らがダライヤの計画を受け入れられないのは、自分の男を他へ貸したくないという私心の部分に集約されてしまっているのだ。平民ならまだしも、貴族である以上は私心よりも公益を優先せねばならん。抗弁の声は、自然と小さくならざるを得なかった。まったく、なんと老練な手管であろうか。

 

「あはは……朝だなあ……」

 

 私はもうすっかり無気力な心地になって、開け放たれた窓の外へ視線を向けた。ああ、リースベンの日の出は綺麗だなぁ……。夜通しアルを寝床でいじめ続け、お互いに疲労困憊になって抱き合いながらこの朝日を見たいものだ……。

 

「あいてっ!」

 

 無言でソニアに尻をシバかれて、私は正気に返った。いかんいかん、無意識に現実逃避が始まっていた。慌てて、眠気覚ましにぬるい香草茶を一気に飲み干す。……入れた物はやがて出てくるのが自然の道理。押し出されるようにして、体の水分が下腹部に集まったような感覚を覚える。

 

「う……申し訳ない。小用だ」

 

 立ち上がった私を見て、ソニアもカステヘルミも何やら半分諦めたような表情を浮かべた。……ウン、本当に駄目かもわからんな、これ。この見た目だけ幼女のクソ婆に、勝てるビジョンがまったく湧いてこないんだが……。



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第372話 ポンコツ宰相と敗北

 一時中座から帰ってきた私を出迎えたのは、相変わらずドンヨリとした会議室の空気だった。これはだめかもしれん、そんなことを考えながら、自分の席に腰を下ろす。私には戦場の空気や雰囲気などはさっぱりわからんが、交渉の場の空気の流れは理解できる。これは、著しく不利な時の雰囲気だ。こうなったらもう、逆転するのはたいへんに難しい。

 

「たしかにお前の案に一理あるのは認めよう」

 

 そんな状態でも、ソニアは果敢にエルフの妖怪婆に攻撃を仕掛けていた。彼女の顔にも明らかな疲労が浮かんでいるというのに、よく頑張れるものだ。これが若さかと、私は密かにため息をついた。正直、彼女が羨ましい。もうそろそろ、私の体力は限界を迎えようとしていた。

 

「しかしだ、アル様の気持ちというものもある。貴様は、あの方のことを繁殖種馬か何かのように思っているのではないか? 政略だけを考えて無理やり子供を作らせるような真似は、はっきり言ってわたしは認められないぞ」

 

 ああーっ、耳が痛い! やめるんだソニア。カネとの婚約にこぎつけた私としては、その言葉はたいへんによく効く。いやだって仕方ないじゃないか……女らしさも可愛げもない私が恋した男を手に入れるためには、そういう手段に手を出すほかなかったんだよ……。

 

「うむ、うむ。オヌシの言う通りじゃ」

 

 一方、ダライヤのほうは批判などどこ吹く風というような風情である。彼女のツラの皮は、そうとうブ厚いようだ。ちょっとした矢玉程度ならはじき返せるのではなかろうか?

 というか、このソニアの攻め口……一見正論だが、あまり良い手のようには思えんのだよな。なぜかと言えば、我々もまたアルくんと好き合って婚約することになったわけではないからだ。「じゃあお前はどうなんだ」と言われてしまえば、もう黙るほかない。だからこそ、私は理詰めの説得一本で彼女と交渉していたわけだが……。

 

「ところで」

 

 そう言って、ダライヤはニヤッと笑う。ああ、駄目だこれは。攻撃しようとして、却ってカウンターを仕掛ける隙を与えてしまったパターンだ……。娘の失態に、カステヘルミは「あちゃあ」と言わんばかりの表情で肩を落とす。

 

「エルフのことわざには、女は鳥で男は止まり木、というものがある。いくら羽ばたいて高い空に昇ろうが、やがては疲れ果ててそこ(・・)へ戻ってくる。そういう意味じゃな。似たような言葉が、竜人(ドラゴニュート)の国にもあるのではないか?」

 

「確かに、その手のことわざは耳にした覚えがあるが……」

 

「女は船で男は港、というヤツだな。意味としては、だいたいその言葉と同じだろうが」

 

 ソニアとカステヘルミは二人して微妙な顔で頷いた。

 

「ま、国が違えど男女の役割は変わらぬ、ということじゃな。じゃが……アルベールは、尋常な男ではない。男だてらに剣を振り回し、兵を操り、国を動かす! 女顔負けの英傑じゃ。ワシとしては疑問なんじゃが、そのような男に止まり木や港の役割を押し付けるのが、本当に正しい事なのかのぉ?」

 

「役割を……おしつける?」

 

「ウム」

 

 皮肉げな笑みを浮かべてから、ダライヤは香草茶をすすった。

 

「寄らば大樹の陰。……これもまた、エルフのことわざじゃ。見上げるほどの偉大な大樹の陰に抱かれるのは、さぞ安心できることじゃろう。じゃがのぅ……オヌシらが背を預けているモノは、数千年の時を経た巨樹などではない。二十そこそこの若木なのじゃ。あまり無理をかけすぎると、折れてしまうのではないかと心配になるのじゃがのぅ……」

 

 我々は、思わず顔を見合わせた。……なんとも、痛いところを突かれてしまった。そういう感覚があった。特に大きな反応をしたのがソニアで、さっと顔色を失って「ヤドリギ……」などと小さく呟いている。

 これは不味いな。ソニアの矛先がつぶれてしまった。この状態で矢面に立つのは無理だし、強引に攻めれば本格的に折れる。ここは、ナメた態度をとる親友の娘にオトナの威厳を見せつける時だ。わたしはコホンと咳払いをしてから、妖怪婆を睨みつけた。

 

「アルくんに頼り切っているつもりはないがねぇ? むしろ、彼を支えているのはこの私、アデライド・カスタニエだよ。君たちエルフが普段食べている麦やら豆やらも、もとはといえば私のサイフから出たカネで調達した代物なのだがね」

 

 恩着せがましい言い方だが、この際そんなことを気にしている余裕はない。彼女らエルフの命綱を握っているのはこの私なんだ。すこしくらい強気に出ても許されるだろう。むしろ、今のうちにガツンと殴って立場を理解(わか)らせてやった方が良いかもしれない。

 

「はあ……」

 

 ところが、この見た目だけはたいへんに愛らしい幼女は私の期待した反応などカケラも示しはしなかった。彼女は深い深いため息をついて肩をすくめ、ゆっくりと首を左右に振る。

 

「のぅ、気付いておるか? このごろのアルベールから、元気が失われておることに。まあ、そりゃあそうじゃろうな。下らぬ内戦に、蛮族どもの世話に、領内の取りまとめに、さらにはこの結婚騒動じゃ。辟易せんほうがどうかしておる……」

 

「……確かにアルは疲れた様子だった。だが、もちろん私としてもそのままにしておくつもりはないよ。数日くらいは我々でアルの仕事を肩代わりし、休んでもらうつもりだった」

 

 カステヘルミの言葉に、私は内心ゲンナリした心地になった。そうだ、徹夜明けだというのに私には仕事がまだまだ残っている。この会議が終わっても、休めはしないということだ。少し仮眠を取ったら、すぐに朝の執務に取り掛からねば……。

 

「休み! 休みか。たいへん結構!」

 

 反論を受けたダライヤは、なんとも皮肉げに笑う。いや本当に、なぜこの童女はこんなに元気なんだ。大柄な竜人(ドラゴニュート)が私よりも体力があるのは当然のことだが、このエルフは小柄な私よりも遥かに小さい。にもかかわらず、徹夜の疲れなど微塵も表に出していないのだ。むろんやせ我慢もあるだろうが、それにしても尋常ではない。エルフの体力、侮りがたし。

 

「で、一つ聞きたいんじゃがのぅ? 未来の夫が疲労困憊しておるときに、オヌシらは何をやっておるんじゃ? 哀れで無力な婆を三人で囲んでワイワイ騒いでおるだけじゃろう。これは少しばかり情が足りぬのではないかのぉ……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 "哀れで無力な婆"とやらの口から放たれた致命的な言葉に、我ら三人は黙り込むことしか出来なくなった。どこが無力だよふざけやがって!

 

「ゆっくり休めば、そりゃあ体の疲れは取れるじゃろう。じゃが、心の疲れを孤独の中で癒すのはそう簡単なことではない。例えば静かに話を聞いてやったり、あるいはただ隣で寄り添ってやるだけでも……だいぶ違うと思うんじゃがのぉ?」

 

「い、いや……しかし……アルは……」

 

 ひどく焦った様子でカステヘルミが抗弁しようとしたが、ダライヤはそれをピシャリと遮った。

 

「そういう発想が出てこないのは、オヌシらがアルベールを大樹、あるいは止まり木……もしくは港。そういう風にしか見ておらぬ証じゃよ」

 

 ヤレヤレと首を振ってから、ダライヤは香草茶で口を湿らせる。

 

「ま、それも致し方のない話じゃろうが。アルベールはホンモノの英傑じゃよ。女として生まれていたら、この大陸を統一していたかもしれん。そんな偉大な人間が傍にいれば、感覚が狂うのも当然のこと。……しかし、じゃ。ヒトは所詮ヒト。杖のように扱っておったら、いずれは折れてしまう。実際、いまのアルベールはひどくくたびれておる訳じゃしのぅ……」

 

「……確かに、お前の言う通りかもしれん」

 

 私とカステヘルミが黙り込む中、ソニアが小さな声でそう言った。我々は思わず彼女の方を見るが、ソニアはただじっとダライヤの方を見つめ続けている。

 

「認めよう。確かに、今のわたしはアル様の港にはふさわしくない。で、だ……ここまで言ったからには、貴様にはアル様の止まり木になる自信があるということだろうな?」

 

「無論じゃ」

 

 ニヤと笑って、ダライヤは立ち上がった。そしてそのひどく薄い胸をドンと叩く。

 

「伊達や酔狂で年を食っているわけではない。過去、英傑と呼んで良い人間とともに時を過ごした経験も幾度となくある。さらに言えば、オヌシらと違いワシは過去の人間じゃ。あとは余生をどう消化すればよいか考えるだけの立場……! つまり、余計なことを考える必要もなく、アルベールの未来を慮ってやることができる」

 

「ほう? アル様の奥方にでもなる気か」

 

「その通りじゃよ。ただでさえ、あの男は既に多くのモノを抱えておる。これに加えてさらに奥方役……つまり止まり木としての役割まで求めるのは、無体が過ぎる。女の側が奥方になるべきなのじゃよ、あ奴の場合は」

 

「一理ある……」

 

 ソニアはボソリと呟いて、何かを考えこみ始めた。思ってもみない言動に、私は思わず彼女の肩を叩いた。一番強硬に反対しそうなヤツが、イの一番に態度を軟化させてしまったのだ。これは異常事態である。

 

「ソニア、お前……」

 

「テストをしてみよう」

 

 私と母親を交互に見ながら、ソニアは言った。その声には決意が満ちていた。

 

「アデライド、それに母上。私としては、コイツの言う事にも確かに理があるように思える。問題は、この婆に奥方役が務まるのかというその一点。ならば、今日一日ダライヤにアル様を任せてみるのはどうだろうか? その結果いかんで、今後の道筋を考え直してみるというのも……悪くないかもしれない」

 

 私とカステヘルミは顔を見合わせた。なんとも辛そうな顔で悩んでから、カステヘルミはため息をつく。そして、静かに頷いてしまった。……ああもう、こうなってしまったら仕方ないか。私が反対票を投じても、一対二では分が悪い。私は不承不承、ソニアの案を認めることにした……。

 



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第373話 くっころ男騎士と誘惑

 宰相と辺境伯の配慮により、数日間の休みをもらうことが出来た。それ自体は、たいへんに有難いことである。なにしろ僕はエルフェニア遠征からこっちまともな休みほとんど取っていない。いくら若いとは言ってもそろそろ心身ともに限界が近づいてきていた。いい加減しっかりと休養を取るべきであろう。

 ただ、正直なところいきなり休みをもらっても困ってしまうのが、社畜という生き物である。いや、会社勤めではないので公僕という方が正しいのだろうが、まあそれはさておき。問題は、休暇を貰ってもそれを使って何をするのか、というアイデアが出てこない点であった。

 

「はぁ……」

 

 領主屋敷の中庭で、僕はため息をついた。例の騎士様との飲み会はそれなりの夜中まで続いてしまったため、今朝は少し寝坊してしまった。まあ、休みだから別にいいんだけど。

 深酒をしたと言っても流石に二日酔いなどにはなっていないので、とりあえず日課の立木打ち(丸太を木刀でシバきまくる鍛錬だ)をこなし、かいた汗を水浴びで流して、朝食を食べた。で、今は食後の日向ぼっこ中というワケ。うーん、暇。

 

「どうしたもんかねぇ……」

 

 完全に暇を持て余している。王都に住んでいた時は、こういう余暇には猟銃を担いで森に出ていたものだが……残念ながら、このリースベンに住んでいた大型動物は、エルフやアリンコどもによってほとんど喰いつくされているのである。手ごろな獲物と言えば、せいぜい小鳥くらいか。

 鳥打ちは鳥打ちで奥深いんだが、正直僕の趣味じゃないんだよな。やっぱり狩猟の醍醐味は、自分よりもデカい獲物を狙うビッグゲームだ。だが、リースベンに居る限り、その手の獲物を狙う機会は存在しない。せっかく領主といういちいち狩猟権を買わなくてもいい立場になったというのに、大変に残念な話である。

 

「……」

 

 狩猟を封じられたとなると、取れる手段はだいぶ少なくなってくる。剣や銃の鍛錬に充てるか、あるいは本……兵法書の類でも読んで過ごすか、だ。まあ、一日中寝て過ごす、という手もあるがね。せっかくの休みにそれは勿体ないだろ。前世の経験上、身体がおっさんになっていくとどんどん休日に動き回るのがつらくなっていく。若いうちに休みをエンジョイしておかなきゃ損ってものだ。

 ……とは思っていたんだけどな。こちとら人生二周目で、身体は若くとも精神がスデにおっさんだ。いざ休みとなった瞬間、なにやら気力が萎えて何かをする気が失せてしまった。結局ベンチに腰を下ろし、ただただボンヤリして時間を浪費する羽目になっている。良くないよなあ、こういうの。

 

「アル様」

 

 何とも言えない心地で冬場特有の柔らかな陽光を浴びていると、後ろから声をかけられた。振り返ってみると、そこにはソニアとダライヤ氏がいた。ソニアの方は疲労困憊な様子だが、ダライヤ氏は満面の笑みを浮かべている。

 ……ダライヤ氏と直接顔を合わせるの、だいぶ久しぶりだなあ。彼女から求婚を受けてからこっち、意識的に避けてたんだよ。結局、彼女を無視する形でソニアらと結婚することになっちゃったしさ。

 ただ……ソニアとダライヤ氏の態度の違いを見ていると、何やら嫌な予感がムクムクと湧いてくる。このロリババアはアデライドらが説得してくれる手はずになっていたはずなのだが……これは、まさか……。

 

「あ、ああ。やあ、おはよう」

 

「……おはようございます」

 

「おはようじゃ!」

 

 ソニアは明らかに元気がないし、ダライヤ氏は露骨に上機嫌である。うわあ、やばいよ。

 

「ええとその……一体、どうしたんだ? ただ挨拶をしに来ただけではない様子だが」

 

「実は……」

 

 なんとも言いにくそうな様子で、ソニアは昨夜の会議の経過を説明してくれた。要するに、宰相・辺境伯連合軍はロリババアを相手に実質的な白旗を上げたらしい。

 まあ、案の定といえば案の定である。このロリババアは尋常ではない知恵者であり、いかな宰相とはいえ容易に勝てるような相手ではないのだ。相手をナメた状態で論戦を挑めば、こうなることは目に見えていた。

 

「それで……その、何と言いますか。この女の言うことには、自分であればアル様の伴侶としてふさわしい振る舞いができると」

 

「うむ、その通りじゃ。ワシの永きに渡る生においても、オヌシほどの傑物は見たことがない。当然、その伴侶も尋常な女では務まらん……」

 

 ダライヤ氏はそんなことを言いながら、僕の隣に腰を下ろした。そして手をぎゅっと握って、にこりとほほ笑む。

 

「エルフにしろ竜人(ドラゴニュート)にしろ、たくさんの人間がオヌシを支えにしておる。じゃが……支えにされるばかりでは、どのような英傑でもやがては折れてしまう。肝心なのは、支え合いじゃよ。ワシならば、オヌシの助けになれると思うてな」

 

「……」

 

 なんとも悔しそうな表情を浮かべたソニアが、ダライヤ氏とは逆側に腰を下ろした。スオラハティサンドイッチ・ハーフの格好である。

 

「事実……今の私では、アル様の支えになるには器量が足りません。むろん、修業を怠る気はありませんが……。しかし、一人前になるまでにはやはり時間が必要です。その間を埋めるためにも……即戦力がいるのならば、その力を借りるのも手の一つではないかと思ったのです」

 

「ソニア……」

 

 この頃のソニアは、明らかに己の無力さを嘆いている様子だった。そうして悩んだ結果が、僕がダライヤ氏とも婚姻関係を結ぶ……という選択なのだろうか?

 

「この女は、自分がアル様にふさわしい女であることをアピールしたいと申しております。 申し訳ありませんが、ダライヤを今日一日一緒に過ごしていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「いや…しかしそれは……」

 

 別にロリババアのことは嫌いじゃないし、むしろ好きな方だからな。そりゃあもちろんイヤな気はしないが、それはあくまでこちらの都合。ソニアからすれば、まったくもって面白くない事態ではなかろうか?

 

「僕は君に自分から結婚を申し出た立場だぞ。それが舌の根も乾かぬうちに別の女と休日を過ごすなど……」

 

「いいえ、アル様。私のことはお気になさらず」

 

 ソニアは首を左右に振って、僕の膝に手を乗せた。

 

「わたしが一番欲しいものは、あなたの笑顔なのです。それを手に入れるためには、蛮族の力を借りることにも躊躇はいたしません。肝心なのは、あなたがどう思うか……なのです」

 

「……」

 

「ダライヤが嫌いだというのなら、そう言ってください。問答無用でこのわたしが蹴りだします。きっと面倒なことが起こるでしょうが、責任をもってわたしがすべて対処いたします。アル様のお手は煩わせません。そして、アル様自身がこの女が必要だと思ったのであれば……」

 

 強い目つきで、ソニアはダライヤを睨みつける。ロリババアはそれをどこ吹く風と受け流し、僕に艶っぽい視線を向けた。うわあ、バチバチだ。やべえよ……。

 

「遠慮なく、そうおっしゃってください。わたしは否とは絶対に申しません。どうぞ、アル様。自分自身の心にお従いください」

 

 ンヒィ……なんかすごいことになって来たな。どういうシチェーションなんだ、これは。幼馴染とその母親と上司の三人と婚約した挙句、さらに彼女ら公認でロリババアに手を出しても構わないと。いくら何でも状況が異様すぎるだろ。僕は無言で、己のほっぺたをつねった。普通に痛いわ。幸いにも……いや、残念ながら、これは夢ではないようだ。ワァ……。

 

「……わかった。お言葉に甘えさせてもらおう」

 

 僕の理性は「いや駄目に決まってるだろ! さっさとロリババアにお断りを入れなさい」などと言っていたが、己の口から飛び出したのはクズとか言いようのない発言であった。いやだってしょうがないだろ! だってよ、腹黒スケベロリババアだぞ、好きになるなって方が無理だろ!! うおん、すでに婚約者が三人だか四人だかいるというのに、なんということだ。母上、申し訳ありません。やはりアルベールはカス野郎だったようです……。

 

「では、今日一日よろしくな?」

 

 それを聞いたダライヤ氏はニッコリと笑って、僕の腕に抱き着いてきた。その薄いが柔らかい胸の感触が、僕の理性を侵食する。ええい、このロリババア……! わかってやってやがるな……!



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第374話 くっころ男騎士のお昼寝

 ソニアと別れた僕たちは、馬に乗ってカルレラ市の郊外を散策していた。なにしろ田舎であるカルレラ市には、常設の芝居小屋等の定番デートスポットは存在しないのである。空前の好景気に湧いているとはいえ所詮は辺境の小都市、市内をブラついていてもあまり楽しいものではない。

 さらに言えば、リースベン領民たちのエルフに対する偏見もいまだに消え去っているとは言い難い状況だ。ダライヤ氏を連れて遊びに行くのであれば、町の外に出た方が良いだろう。そういう話になったのだった。

 

「……」

 

「……」

 

 小春日和という言葉そのままの柔らかな陽気に包まれながら、僕たちは馬に乗ってゆったりと進んでいく。ダライヤ氏は馬術を修めていないため、僕の馬に同乗する形となっていた。当然彼女はベッタリと僕に抱き着く形になっているので、まあなんというか……たいへんに幸せな状態である。

 まあこの腹黒ロリババアのことだから、わざとやってるんだろうけどな。この人、明らかに僕の性癖を見抜いてるし。そもそも、僕の馬に同乗すると言い出したのもダライヤ氏だしな。油断も好きも無いというか、狡猾というか……このロリババアは、まったく……。

 

「平和だなぁ……」

 

「平和じゃのぉ」

 

 僕がぼそりと漏らした言葉に、ダライヤ氏が同調してきた。そしてひとり、クスクスと笑う。実際、周囲の光景は平和そのものだった。周囲は典型的な田園地帯であり、農民たちが目を出したばかりの冬麦を踏みつけている。いわゆる麦踏みと呼ばれる作業だ。遠くから聞こえてくる農民たちの楽しげな話声と小鳥の鳴き声が混然一体となって、なんとも牧歌的な雰囲気を醸し出していた。

 

「んふふ。これじゃよ、これ。ワシが求めておった光景は……。血塗られた日々とも、もうお別れじゃ。まったく、来る日も来る日も戦! 内乱! 切腹! 斬首! 耐えがたき日常じゃったが、我慢した甲斐があったというものじゃ」

 

「ダライヤ殿……」

 

 百年余りを内乱に費やした彼女の人生を思えば、その言葉は尋常ではなく重い。僕は何とも言えない心地になって、ため息をついた。

 

「やっと、やっとエルフに平和が訪れたんじゃ。こんなに嬉しいことは無い。これもすべて……アルベール、オヌシのおかげじゃ。感謝してもしきれん」

 

「皆が頑張った結果だ。僕一人が功を誇ってよいものではないだろう」

 

「んふ。謙遜しおって、莫迦ものめ」

 

 小さく笑って、ダライヤ氏は僕をぎゅーっと抱きしめた。

 

「のぅ、アルベール」

 

「なに?」

 

「愛しておるぞ」

 

「……」

 

 小さな小さな声でそんなことを言うロリババアに、僕の心臓は大暴れしはじめた。クソッ、この腹黒性悪ロリババアがよぉ……! 人の純情を弄びやがって許せねえよ……! 十割計算でやってることはわかってるんだからなこの野郎。

 

「……目的地が見えてきたぞ」

 

 僕は話を逸らすべく、前方を指さしながらそういった。そこには、冬の穏やかな陽光を浴びてキラキラと輝く大河・エルフェン河の川面があった。この河原でゆったりしようというのが、今回の散策の趣旨だった。

 

「んふ、話を逸らしおったな。リースベンの英雄殿が、そのような逃げの手を打つか」

 

「……」

 

「じゃが、だーめ。逃がさんからな……」

 

 首元に腕を回しながらそんなことを言うダライヤ氏に、僕は戦慄した。このロリババア怖いよぉ……!

 

「えーと、その……河原に来たのはいいけど、結局何をするつもりなんだ?」

 

 それから、十分後。僕たちは馬を従者に預け、エルフェン河の河畔にある木陰にやってきていた。僕の問いにダライヤ氏はニコリと笑い、背中に背負った小さな敷物を河原の上で広げた。ピクニックでもするつもりなのだろうか?

 

「昼寝じゃよ、昼寝」

 

「昼寝!?」

 

 困惑してオウム返しにする僕にニヤリと笑みを向けてから、ダライヤ氏は敷物の上に腰を下ろし背中を木に預けた。そして己の膝をぽんぽんと叩いて見せる。

 

「膝枕をしてくれる……ということか?」

 

「うむ。嫌いではなかろ? こういうのは」

 

「確かに嫌いじゃないがね……」

 

 この世界においては、基本的に膝枕は男が女にしてやるのが一般的である。実際、僕も膝枕をした経験はあってもされた経験はほとんどなかった。正直かなり恥ずかしい心地であったが、笑顔を浮かべて手招きをするダライヤ氏を見ていると抵抗する気も失せてくる。僕は小さくため息をついてから、ダライヤ氏の膝に頭を預けて寝転がることにした。

 横になってみると、意外と快適だった。ダライヤ氏の膝は適度な弾力があって心地よいし、背中の敷物からは陽光で温められた砂利の熱気がほんのりと伝わってくる。身体から力を抜いてみると、確かにそのまま寝入ってしまいそうな気分になってきた。

 

「オヌシはこの頃働きづめじゃったからのぉ……こうやってゆっくり心身を休ませるというのも、悪く無かろう?」

 

「……そうだな」

 

 実際、僕は身も心も疲れ果てていた。このところ、ずっとトラブル続きだからな。いい加減に心身を休ませなければ、どうにかなってしまいそうだった。そういう意味では、確かに今のような状況はちょうどよいかもしれない。馬に乗って少しばかり遠出して、人目のない場所でゆっくりと昼寝をする……。うん、悪くないな。全然いい。しかもロリババアの膝枕のオマケ付きだ。

 

「……ちょっと品のないこと言っていい?」

 

「猥談か? もちろん歓迎じゃよ」

 

 違うわこのセクハラババア! 僕は心の中でツッコミを入れた。もちろん、口には出さない。

 

「……実のところ、人気のないところに行こうと提案された時点で……茂みにでも連れ込まれて手籠めにされるんじゃないかと疑ってたよ。ごめんね」

 

「ムリヤリはワシの趣味ではないからのぉ、そんなことはせん。……あ、双方合意をしたうえでそう言うプレイをするというのなら、大歓迎じゃぞ? 今からアオカンに切り替えるか?」

 

「嫌です……」

 

 やはりセクハラババアはセクハラババアであった。僕がげんなりしながらそう言うと、ダライヤ氏はクスクスと笑って僕の頭を撫でた。

 

「冗談じゃよ」

 

 ロリババアの手付きはひどく優しく、撫でられていると胸の奥がほんのりと暖かくなってきた。僕は大きく息を吸って、そしてゆっくりと吐く。耳を澄ませてみると、聞こえてくるのは小鳥のさえずりと川のせせらぎ。なんとも心休まる音である。

 

「オヌシの幼馴染どもに聞いたんじゃがのぅ。アルベール、オヌシは子供の頃から、よくあの騎士連中に膝枕をしてやったり、添い寝をしてやったりしていたらしいな?」

 

「ああ……昔はよくやってたな。ガキの時分は、あいつらも泣き虫だったから……」

 

 いつの間にそんな情報を仕入れてたんだ。ちょっと困惑しつつも、僕は頷いた。まったく、油断も隙もないロリババアである。

 

「子供の頃から、オヌシは"お兄ちゃん"役をやっておった訳じゃな。じゃが……人に甘えられるのは慣れておっても、甘える側になる機会はあまりなかった。そうじゃろう?」

 

「それは……」

 

 僕は少しばかり逡巡した。たしかに、それはその通りだ。僕は、両親にすら甘えた記憶がほとんどない。まあ、当たり前といえば当たり前の話だ。何しろ僕は転生者で、前世の享年は三十五歳。見た目はガキでも中身はいい年こいたオッサンなわけだからな。両親が相手とはいえ子供らしく甘えるのは流石に気恥ずかしいだろ。

 

「しかし……ワシが相手ならば、オヌシも甘える立場になれるのではないか? なにしろ、ワシはオヌシの今までで会ってきた人間の中でも、一番の年寄りじゃろうしのぅ」

 

「……」

 

 言われてみれば、そうかもしれない。僕に本当の意味で年上の知り合いは、ほとんどいないのだ。両親やカステヘルミといった親世代の人間ですら、前世と現世を合算すれば僕の方が年上になるわけだからな。

 

「ワシにならば、いくらでも甘えて良いのじゃぞ? アルベール。この婆が、すべて受け止めてしんぜよう。年寄りの面目躍如じゃ」

 

 頭を撫でる手を止め、ダライヤ氏は覆いかぶさるようにして僕に顔を近づけてそんなことを言う。衣服に焚き染めたものらしき香木の香りが、ふわりと僕を包んだ。ああ……これは、いいな。心が穏やかになる香りだ。

 

「……それじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 

 これもすべて、ロリババアの作戦通りなんだろうなぁ。僕の精神の一番冷静な部分が、そう呟いた。しかしこの膝の柔らかさと穏やかな香木の香りが、魔法のように僕の精神を縛り付けて抵抗する気力を失わせているのだ。自然と心と体から力が抜け、だんだんとまどろみの中へと誘われていく。それをみたダライヤ氏は優しげに微笑み、軽く僕の唇に口づけをしてからまた優しく頭を撫で始めるのだった……。



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第375話 くっころ男騎士の陥落

 それからしばらくの間、僕の意識は睡眠と覚醒の間をさ迷っていた。その間ずっとダライヤ氏は僕の頭を撫で続け、時には子守唄代わりにエルフの民謡なども歌ってくれたりした。仮眠を兼ねて午睡をすることはこれまでにもたまにあったが、これほど心地の良いものは生まれて初めてかもしれない。なるほど、幼馴染連中が競うようにして"寝かしつけ"を求めてくるはずである。今になってやっと、僕は本当の意味で彼女らの気持ちを理解することができていた。

 

「……」

 

 僕は小さく息を吐いてから、薄く目を開けた。それに気づいたダライヤ氏が、こちらに微笑みかけてくる。ああ、いいなあ。すごくいい。こういうの好きだなあ……定期的にやってくれるのなら、無限にいくらでも頑張り続けられる気すらする。萎えていた気力も、いつの間にかすっかり充実していた。

 ……でも、気力が回復したのならば、やらなきゃならないことがあるんだよなあ。気が重いが、仕方あるまい。なにしろダライヤ氏は僕に初めて求婚してくれた人で、僕は今の今まで返事を保留してもらっている立場なのである。いい加減決着を付けねば、腑抜けのヘタレ呼ばわりをされても文句は言えないだろ。

 

「ダライヤ殿」

 

「殿、はいらぬぞ、アルベール。で、どうした?」

 

 優しく微笑みながら、ダライヤ氏……もといダライヤは、顔を近づけてそう囁きかけてくる。完全に、恋人や夫婦の距離感だ。だが、しかし……不快ではない。むしろ、心地よい。もうとっくに、僕はこのロリババアに敗北しているのかもしれない。

 

「千年以上もの長い人生の終幕を共にする男が……僕でいいのか?」

 

 伴侶を誰にするのかという命題はすべての人間種にとって重大な決断になるが、その中でもエルフは格別である。なにしろエルフは子を孕むとその不死性を失ってしまう。取り返しがつかないのだ。生半可な相手で妥協するくらいなら、少し待ってより良い条件の相手を探した方が良いのではないか、などと思ってしまう。

 

「僕は……上辺を取り繕うことだけは得意な人間だ。だから、部下たちからはなんとか失望されずに済んでいるが……実際は、わりとろくでもない人間なんだよ」

 

「そうかのぉ? ワシは、そうは思えんが……」

 

 僕の髪を優しい手つきで弄りながら、ダライヤは小首をかしげる。優しい木漏れ日に包まれた彼女は、妖精や天使だと錯覚してしまいそうなほど可憐だった。

 

「……嫌なことは、ついつい後回しにしたり目を逸らしたりしてしまう。結婚の件だってそうだ。早く結婚して両親を安心させてやらなきゃならないのに、一度嫌な思いをしただけで仕事を言い訳にして逃げ回るようになって……。君やソニアが僕を貰ってくれると言ってくれた後も、アワアワするばかりで何もできなかった。駄目な男なんだよ、僕はさ」

 

「……」

 

 ダライヤ氏は無言でほほ笑みながら、僕の頭を撫でるばかりだった。

 

「それだけじゃあない。ゴミ出しが面倒くさくて部屋をゴミであふれさせてしまったり、読んだ本を書棚へ戻すのが面倒で放置しちゃったり、遊ぶのに夢中でご飯を食べるのを忘れたり、二日酔いで寝込んでいる時にさらに酒を飲んじゃったり……」

 

「んふ、んふふふ……それだけかのぉ?」

 

「……いや、こんなことは序の口だ。一番僕がカスな所は……夫も娘もいる人間を戦地に連れだして、死んで来いと命じてしまえることだ。嫌な気分はするけども、それだけだ。割り切ってしまえるんだよ、そういう感覚を」

 

「ふむ……それで?」

 

「自分に対してだってそうだ。きっと、僕は結婚して子供ができても……必要とあらば、妻子がどれだけやめてくれといっても、死地へ飛び込んで行ってしまうだろう。未亡人製造機なんだよ、僕はさ……」

 

「結構なことではないか。必要な時に命を捨てるのは、戦士の義務じゃぞ? ワシは死にたがりのエルフどもには辟易しておるが、それでも肝心な時に命を惜しんでしまう臆病者よりは死にたがりのほうがまだマシだと思っておるよ」

 

 ダライヤは穏やかな声音でそう言ってくれたが、僕は首を左右に振った。

 

「そういう上等なモノじゃない。たんに、大衆に殉じるというヒロイズムに酔ってしまっているだけだ。人のため、みんなの為というのはお題目で……実際は自己満足なんだよ」

 

「ふっ……」

 

 僕の言葉を、ダライヤは刃撫で笑い飛ばした。ま、そういう反応になるだろうな。相手は千年も生きた古老だ。前世と現世を合わせてもまだ半世紀少ししか生きていないような若造の心の動きなど、わざわざ口に出さずともすでに看破しているはずだ。

 

「ハッキリ言えば、僕は君のことが結構好きだ。ただ、それは……お世辞にも綺麗な感情とは言い難いものだよ。なんというか、ダライヤは……その……」

 

「この婆の前では、何も取り繕わずとも良いぞ。思ったことを、そのまま口に出すのじゃ」

 

「……わかった。ダライヤって、クズだろう? はっきり言って。僕もクズだが、君はもっとひどいよ。必要あってのことばかりとは言え、クーデター起こして皇位を簒奪するわ、そこまでして手に入れた国をわざと叩き割って内乱を誘発するわ……僕が君の立場なら、そこまで割り切れないと思う」

 

 ああ、言っちゃった。僕はブン殴られることも覚悟したが、彼女は笑みを深くするばかりで拳どころか罵声すら飛んでくることは無かった。ああ、やはりこのロリババアには勝てない。

 

「自分よりクズな奴が傍にいると……安心できるんだよ。自分はまだ、最低じゃないんだってさ……そんなことを思っちゃう時点で、どうしようもないカスなのに。ねぇ、ダライヤ。やめときなよ、こういう外道にすら振り切れない中途半端なロクデナシと結婚するのは……」

 

「んふ、んふふふ、いひひ」

 

 ダライヤから返ってきたのは、言葉ではなく笑い声だった。いつの間にか、彼女の顔に張り付いている笑顔は天使のようなものから悪魔じみた代物へと変貌していた。

 

「愛い奴。本当に愛い奴じゃのぉ、オヌシは。最高じゃよ。んふ、んふふふ……はははは! ああ、たまらん!」

 

 彼女はひとしきり笑ってから、僕の頭を抑え込んで強引に唇を奪ってきた。昼寝前の優しいキスとは違う、オトナの口づけである。それに対し僕は……抵抗しなかった。ああ、駄目だ。駄目だなあ。これはいけない。完全にロリババアの術中に嵌まっている。

 

「そうじゃ、その通り。ワシはホンモノの外道じゃよ。それに比べればオヌシなど、生まれたてのひな鳥や子猫のようなものじゃ。おお、良い良い。いくらでも婆と己を比べて安心せい。オヌシがいくら堕ちたところで、ワシ以上の悪党になり果てるなどあり得んからのぉ……ひひひ……」

 

「……」

 

 邪悪な笑みを浮かべてそんなことを言い放つダライヤを見て、僕は少し固まってしまった。おう、おう。本性を現しやがったなクソババアめ。

 

「のうアルベールよ。オヌシ、そういう本音をソニアやアデライド、あるいはカステヘルミにぶつけたことはあるかのぉ?」

 

「……ない。見せられないよ、こういう汚い部分は」

 

「そうじゃろう、そうじゃろう。いひ、いひひ……ああ、ああ。最高じゃよオヌシ」

 

 恍惚とした表情で、ロリババアはブルリと背中を震わせた。

 

「ワシの可愛いアルベール。ひひひ、オヌシの浅ましい所も、怠惰なところも、臆病なところも……まとめてワシが愛してやる。骨の髄までぐずぐずに溶かしてやるからのぉ……」

 

 わあ、ヤベエ。うすうす勘付いていたが、このロリババアやっぱりとんでもない悪党だ。ああ、しかし……やはり嫌いにはなれない。むしろ好きだ。どうも僕は、女の趣味が死ぬほど悪いらしい。

 

「……じゃ、本当にいいんだな? 僕で」

 

「やかましい、いまさら四の五の抜かすでない。もうオヌシはワシのじゃ。喚こうが騒ごうがもう手離さん。オヌシが悪いのじゃぞ? この枯れ果てた婆に火をつけおって」

 

「このクソババアが……」

 

 なにが枯れ果てた婆だこの野郎。流石に呆れて、僕は少し笑ってしまった。そして体を起こし、ロリババアに向き直る。

 

「わかった。じゃあ、ダライヤ。君の人生の残りを僕にくれ」

 

「良かろう。んふ、いひひひ……ああ、我が人生で一番良い取引じゃ。この腹黒婆の余生で、これほど可愛い男が手に入るとはのぉ。ひひひ、詐欺じゃよ、詐欺。こんな取引は……ひひっ、あとからやっぱりナシと言っても、聞かんからの?」

 

 まったく、こいつは……。僕はため息をついてから、彼女を抱きしめた。そして今度は、自分からキスをする。駄目だな、もう駄目だ。このロリババアからは逃げられないし、逃げる気も失ってしまっている。本当に、とんでもないヤツと縁を持ってしまったものだ。

 

「……のぅ、アルベール。最後に一つだけ、良いか?」

 

 力強く僕を抱き返しながら、ダライヤは艶やかな声でそう囁いた。

 

「なに?」

 

「流石にのぉ? この取引は不平等がすぎるからの……オマケを付けてやろう。ワシは優しい外道じゃからのぅ」

 

「おまけ?」

 

「フェザリアとウルじゃよ。いひひ、三人まとめてお世話になるからの? ま、オヌシに損はさせん。楽しみにしておくがよいのじゃ……」

 

「……えっ!?」

 

 えっ!?!?



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第376話 くっころ男騎士と現実

 白旗を上げた先に待っているものは、一方的に不利な講和会議と相場が決まっている。そんなことはもちろん前世から理解しているのだが、僕が白旗を上げた相手……つまりダライヤが持ち出してきた"条件"は完全に理解の範疇を越えた物であった。

 

「フェザリアと……ウル!?」

 

 なんとこのロリババアは、僕の嫁をさらに増やそうというのである。根っからの非モテクソミリオタの僕としては、まったくもって理解しがたい現実であった。しかもこの二人はタダの女性ではない。方や部下数百名を抱える亡国の皇女、かたやエルフェニアにおける鳥人連中の実質トップである。どちらにしろ、現在のリースベンにおいてはかなりの重要人物であるのは間違いない。

 

「うむ、その通りじゃ。んふ、そのような恨みがましい顔でワシを見るな。半分くらいはオヌシが悪いのじゃぞ?」

 

 ダライヤから身体を離して睨みつけると、彼女は皮肉げに笑いながら肩をすくめた。なんともあくどい表情である。……今まで彼女は、こういう顔を僕に見せることはあまりなかった。たぶん、コレがダライヤの素なのだろう。ま、多少は意識的に悪ぶっている部分もあるんだろうがね。

 

「ワシとオヌシが結婚して子が出来た場合、その子は有能無能のいかんに関わらずかなりの重要人物になる。それはわかるな?」

 

「まあ……ね。現実的に考えると、新エルフェニアの次代頭領になるんじゃないだろうか」

 

 古代民主制は遥か過去に滅び去り、近代民主制はいまだ萌芽が見えて来たばかり……というのが、この世界の現状である。やはり、一番モノを言うのは血筋なのだ。お飾り状態であるとはいえ一応新エルフェニアの皇帝であるダライヤとリースベン領主である僕の子は、そのまま新エルフェニア皇帝になると考えるのが自然である。

 まあ、皇帝云々の称号名は変わる可能性が高いがね。階位システムは早めにガレア式に切り替えておかないと、少々ややこしいことになってしまう。新エルフェニアくらいの規模の勢力ならば、子爵位くらいが適当だろうか? まあ、動員できる兵数だけ見ると伯爵級なんだが……。

 

「その通り。それはまあ、良い。エルフのぼっけもんどもも、オヌシの子であれば納得して命令に従うじゃろう。新エルフェニアの統制は、以前より遥かに向上するハズ」

 

「そうだね。で? それがフェザリアやウルとどうかかわってくるんだ?」

 

「新エルフェニアだけにオヌシの子がいるのはマズいじゃろう、序列的に」

 

「……あっ」

 

 ウンまあ、言われてみればその通りだわ。フェザリア率いる正統エルフェニアは、別に戦争で"新"に敗北したわけではない。にもかかわらずダライヤとだけ(といっても、すでに僕にはほかに三名も婚約者がいるわけだが)結婚するというのは、これからは"新"を優遇しますよと言っているのに等しい。当然、"正統"のエルフどもはいい顔をしないだろう。即座に内戦が再燃、という事態にはならないだろうが……遺恨になるのは間違いあるまい。

 

「まあ、フェザリアの奴は結婚するにはまだやや若いようにも思えるが……」

 

 指をくるくると回しながら、ダライヤは説明する。エルフにとって、結婚というのは己の人生に終止符を打つ行為だ。そう簡単には、結婚の決断はできない。……その割に、避妊具も使わずに僕を犯そうとしたエルフ兵は結構な数居たがね。戦場で死ぬことを厭わぬ戦士は、結婚して寿命で死ぬこともいとわないということだろうか? 頭蛮族にも限度があるだろ……。

 

「オルファン皇家は歴史の長い家じゃ。オヌシらの仕えるヴァロワ王家とやらよりもな。……にもかかわらず末裔が一人だけ、というのはなんとも不安じゃ。情勢が安定しておるうちに、子を四、五人くらいこさえておいた方が良いじゃろう。お相手候補の素性も良好となればなおさらじゃ」

 

 なんともイヤらしい視線を僕の下半身に向けながら、ダライヤは言った。どこにむけて話しかけてるんだよお前は。

 

ブロンダン家(ウチ)は三代前は平民の素性の良くない家だが」

 

「どんな名家も最初はそんなものじゃよ」

 

 鼻で笑うような声音でそう言ってから、ダライヤは肩をすくめた。そして、おもむろに僕の膝の上に乗ってくる。ソニアら竜人(ドラゴニュート)たちがよくやる、人間湯たんぽの姿勢だ。僕は苦笑して、彼女を上着の中に入れた。

 

「まあ、オルファンもオヌシのことは好いておるからの。実のところ、ヤツから『仲を取り持ってくれ』とも頼まれておる。可愛い教え子の希望じゃ。できればかなえてやりたい」

 

「ええ……マジ?」

 

「マジじゃよ? ヤツから熱っぽい視線を感じたことがあるじゃろう。フェザリアは真面目にオヌシとの結婚を考えておるよ」

 

「ワァッ……」

 

 こんな野蛮系男子のどこに好く要素があるのだろうか? ……いや、エルフ的には蛮族っぽい部分が加点ポイントになるのかもしれん。ううーん、それにしてもなんなんだろうね? これ。僕は非モテを自認していたのに、ここ一か月ほど異様なモテっぷりである。いや、スオラハティ母娘やアデライドに関しては、彼女らの好意に僕が気付いていなかっただけなのだが……。

 

「そ、それはわかったが……ウルの方は?」

 

「アイツを押さえれば、鳥人族全体をエルフから切り離してリースベンに着かせることができるのじゃぞ? 鳥人族はたいへんに強力な種族じゃ。エルフ(部下)の部下として運用するより、ブロンダン家の直属にしておいたほうが将来的に何かと得じゃ」

 

「動機が真っ黒やん」

 

 お家の将来的に何かと得だから結婚しなさい。なんとも悪党じみた発言である。いや、政略結婚なんてものは極論そういうモンだけどさ。一応取り繕うくらいはするよ? みんな。

 

「ウルの奴はこの頃、"正統"についておった鳥人どもの取り込みも始めておるからのぅ……たいへんにお買い得じゃぞ?」

 

「セール品かよ。ウルの気持ちはどうなるんだよソレは」

 

「あ奴は最初からオヌシを狙っておったから問題ない。ウルのヤツに手づから飯を食べさせてやったことがあったじゃろう?」

 

「え? ああ、ウン……」

 

 鳥人のウルは、翼人とちがって腕がそのまま翼になっている。仕方なく食事などの際は足を使って器用に食器類を扱うのだが……僕と一緒に食事をとるとき、ウルは高確率でぼくに『あーん』を求めてくるのである。

 まあ、当のウルとはこの頃あまり顔を合わせていないのだが。僕自身結婚騒動で大変なことになっていたし、ウルも何やら忙しそうにしていたため、業務連絡以上の会話をするようなタイミングが無かったのだ。

 

「アレなぁ、鳥人族の求婚じゃぞ?」

 

「は?」

 

「カラスにしろスズメにしろ、ああ見えて気位の高い種族じゃ。他人の手を借りて食事をするような真似は、恥だとされておる。その例外が、夫婦や親子なのじゃよ」

 

「うえぇ……」

 

 思わず、僕の口から妙な声が漏れた。ウルのやつは、出会った当初からそういう割と頻繁に『あーん』を求めていたのである。そんな時点から、僕を狙っていたというわけか……? うわ、うわあ……。

 

「ま、せっかくアプローチを受けておるんじゃ。頷いておいた方が良いじゃろう。むろんオヌシが難儀に思うのも致し方のない話じゃが……リースベンの安定化のためじゃからのぉ?」

 

「ンヒィ……」

 

 そんなことを言われても困るのである。わーいハーレムだー、などと喜べるような神経は、僕には無かった。実際のところ、女性ひとりでもだいぶ荷が重いのである。にも拘わらず、知らぬうちにお相手がやたらめったらと増えていくのだからたまらない。僕は繁殖種馬か何かか?

 

「……まて、よく考えたら……リースベンの安定化云々のことを言うのなら、同様の対応をアリンコにも取らなきゃならんのでは?」

 

 今回の件で服属した蛮族は、エルフや鳥人だけではないのである。そう、アリンコもだ。彼女らは頭数だけで言えば"正統"すら上回る規模であり、決して無視できる勢力ではない。

 

「うむ、やっと気づいたか。おそらく、近いうちに連中からその手の打診がくるじゃろう。流石に、アリンコどもだけ仲間外れにするのはマズかろ? こちらもまた、頷く他ないのではなかろうかのぉ……」

 

「ウゲーッ!!」

 

 僕は頭を抱えて悶絶した。マジの繁殖種馬じゃん。どうしてこうなった!

 

「言っておくが、この件に関してはオヌシの自業自得の面もかなり大きいのじゃぞ? なにしろオヌシは、武力ではなく話し合いでこのリースベンを平定してしまったわけじゃからのぅ。今さら強権は振るえぬ。皆が納得する形で政治を進めねばならぬということじゃ」

 

「それは分かっていたつもりだが……まさか、こういう結果につながるとは」

 

 僕はガクリとうなだれ、ダライヤの頭にグリグリと頬擦りをした。この件に関しては彼女の陰謀というより僕のウカツが原因なのだが、やはり多少は恨めしく思ってしまう。いわゆる八つ当たりというヤツだ。

 

「ひひひ……なぁに、心配することはない。この婆が支えてしんぜよう。オヌシが疲れ果ててしまったときは、ワシがたぁーっぷり甘やかしてやるから、安心するのじゃ」

 

 なんとも邪悪な笑い声を漏らしつつ、ダライヤがそんなことを言う。ああ、クソ。このババア、わざと僕を追い詰めて自分に依存させようとしてやがるな? そういう性癖なのか何かの陰謀なのかはわからんが、とにかく厄介だ。畜生。

 ああ、でも……こんな陰険ババアが、寿命という時間制限もない状態でこのリースベンにのさばり続ける状態も、それはそれで滅茶苦茶マズいんだよな。むろん現状はダライヤに現役を退かれるとそれはそれで大変に困るが、領内が安定したら即座に子を成して引退していただきたい。そういう意味では、結婚という選択は間違いではなかった……ような気もする。

 

「ああ、もう……! 埋め合わせはしっかりしてもらうからな、覚悟しとけよクソババアめ……!!」

 

 僕はそう言って、胸の中の腹黒ロリババアをぎゅーっと抱きしめた。

 

「おう、おう。婆にすべて任せるのじゃ。まずはどうする? また膝枕か? 添い寝も良いのぉ。それとも酒か、あるいは……ひひっ、寝床で慰めてやろうか?」

 

「そうだな。まず手始めに、"新"内部の意見統一をお願いしようかな? 君たち、仮想敵を失ったせいで組織がガタガタ言い始めてるじゃないか。また分裂でもされたら溜まったもんじゃない。緩んだタガは皇帝たる君にしっかりと締めなおしてもらう」

 

 実際、新エルフェニアの内情はあまり良いとは言い難い状態だった。もともと、オルファン家に対抗するためだけに結成された部族同盟のような組織が新エルフェニアだ。"正統"との戦争が終結した今となっては、組織の存在意義自体が怪しくなってしまっている。

 とはいえ、統治者としてはそんな有様じゃこまるんだよな。"分割して統治せよ"は金言だが、やはり限度というものはある。"新"には、戦争のための同盟から平時の統治のための行政組織に変わってもらう必要があった。

 むろん、頑固なエルフどものことである。組織改革を行えば、当然反発してくるだろうが……ダライヤには、その矢面に立ってもらうことにしよう。死ぬほど厄介な仕事だろうが、僕を支えると言ったからにはその手伝いはしてもらわないとな?

 

「えっ、いや、そういうのは……結婚したら、第一線からは引退するのがエルフの習わしじゃし……」

 

「僕を支えてくれるんだろ? 頼むよ……君だけが頼りなんだ」

 

 そういってダライヤにしなだれかかると、彼女は「ンヒィ……」と先ほどの僕そっくりな悲鳴を上げた……



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第377話 くっころ男騎士とロリババア対策会議

 その後、僕は結局日中ずっとロリババアに甘やかされ続けた。あいつ、やっぱヤバいよ。人間をダメにするロリババアだ。膝枕をされながら耳元で愛を囁かれていると、己を待ち受ける繁殖種馬めいた運命などどうでも良いように思えてきてしまう。

 いやぜんぜんどうでも良くないんだけどな。僕はいったい何人の相手とくっつかねばならないんだよ、おかしいだろ! むろん僕は現世の感覚を引きずっているから、子供の頃などにはハーレムに対して多少のあこがれを抱いたりもした。ただ、やっぱりああいうのはお話として見るからいいのであって、いざ当事者になってみると人間関係のアレコレが気になりすぎて楽しむどころじゃなくなっちゃうんだよな……。

 夫婦関係なんてものは、一対一でも何かとトラブルを抱えがちなんだよな。それが一対多数になった日には、どうなってしまうのか……僕にはさっぱり予想ができない。不安を感じずにはいられなかった。……まあ、今さらジタバタしてもどうしようもないわけだけど。

 

「……という事になったんだけど」

 

 その夜、僕はカルレラ市郊外にあるリースベン軍駐屯地の隅っこで酒瓶を片手にクダを巻いていた。焚き火を挟んだ対面には、緑色の巨体を持つ異形の亜人種……ネェルがいる。僕は彼女に、愚痴を兼ねて今後のことについての相談をしていた。

 ネェルの隣には、ソニア。僕の隣には、アデライド。そして僕自身は、カステヘルミの膝の上に乗っていた。相変わらずの人間湯たんぽスタイルである。だが、宰相と辺境伯の二人は、微妙な表情でネェルのほうをチラチラ見ていた。彼女らはネェルとは初対面なので、あのカマキリ虫人特有の物騒な外見に困惑しているのだろう。

 

「それは、それは。なかなか、面倒なことに、なりましたね?」

 

 ネェルはしたり顔で頷き、その巨大な鎌を器用に使ってワインボトルをラッパ飲みした。字面だけ見れば豪快なのだが、なにしろ彼女はたいへんに大柄なのでボトルで飲むくらいがちょうど良いのである。

 

「ふぅむ。あのおばあさんは、なかなか、油断のならぬ、エルフ(ゴキブリ)だというのは、わかっていましたが。うーん、悩ましい」

 

「なあ、アルくん」

 

 ウムウムと唸るカマキリ虫人をチラリと見つつ、アデライドが僕の耳元に口を近づけた。内緒話の姿勢である。

 

「我々に相談するのなら、まあわかる。だが、なんであんな物騒なヤツを呼んだんだ……?」

 

「あ、ああ……わたしもそう思う。なんというか、その……彼女の前で落ち着いて話し合いをするのは、なかなか厳しいものがあるよ。カマキリ虫人は、すごいな……巨人族が可愛く見えるレベルだ……」

 

 宰相の言葉にカステヘルミが同調する。彼女の領地である北方辺境領は巨人族の治める北の大国とも国境を接しており、図体の大きな亜人種には慣れていると思っていたのだが……どうやら巨人とカマキリ虫人を同様に扱うのは難しいようだ。

 まあ、巨人族といってもそこまでデカいわけじゃないしな、この世界の場合。大柄な者でも、せいぜい三メートルに足りない程度である。体重も身長も、ネェルのほうが大きいだろう。

 

「あのダライヤに対抗できそうな人間は、たぶん彼女をおいて他にいないので……」

 

 僕は端的にそう説明した。あのロリババアは実際ヤバい。このまま普通に結婚生活を送っていたら、僕は高確率で骨抜きにされてしまうだろう。さすがにそれはマズいだろ。ダライヤのことは正直かなり好きだが、それはそれこれはこれ。彼女は独断専行しがちという悪癖があるし、いざという時にブレーキ役になれる人間がいない、というのも大変にまずいだろう。

 

「相手はこの私をやり込めてしまうような妖怪なんだぞ? 彼女になんとか出来るのかね。確かに腕っぷしは強そうだが……それだけではねぇ」

 

 ネェルに疑いの目を向ける宰相。まあ、彼女の気分も理解はできる。だが、実際のネェルは腕っぷしも強いが頭も大変によく回るチートじみた人材なのだ。活用しないのはもったいないだろ。

 

「わかりました。じゃ、あの人の、首を、取ってくれば、良いのですね?」

 

「ちがぁう!」

 

「せっかく領地が安定し始めたところなのに、波風をたてるのはやめてくれないかね!」

 

 僕とアデライドが同時に叫んだ。ソニアがため息をついてからネェルの脚をトントンと叩き、彼女はニヤッと笑って肩をすくめた。

 

「冗談です。マンティスジョークです」

 

「だ、だよね」

 

「首なんて、取ったら、証拠が、残っちゃいますからね。全身、美味しく、いただいて、証拠隠滅! 一石二鳥、的な?」

 

「もっとちがぁう!」

 

 反射的に叫ぶと、カステヘルミが僕をぎゅーっと抱きしめた。若干身体が震えている。少々……いや、かなりの恐怖を感じている様子である。カステヘルミも、幾度となく実戦に出た経験のある歴戦の武人なのだが……こればっかりは致し方あるまい。カマキリ虫人には相対する者すべてに本能的な恐怖を呼び起こす独特の迫力があるのだ。僕も慣れるまでは大変だった。

 

「うふ。これも、マンティスジョークですよ」

 

「じゃなかったら困るよ!」

 

 別に僕としても、ダライヤを排除したいわけじゃないしな。あの人が好きなのはマジだし。ただ、野放しにしておくと滅茶苦茶マズいってだけで……。我ながら、本当に女の趣味が悪い。

 ……そういう自覚があるから、ロリババアとも結婚することにした、ということをソニアらに報告するときは結構な覚悟が必要だったんだがな。しかし、彼女たちは僕の言葉を聞いても、ため息をつくばかりで文句の一つも漏らしはしなかった。アデライド曰く「私とカステヘルミが揃って膝をつく羽目になるような相手だぞ? アルくんが一人で立ち向かって、勝てるはずがないだろう。あの婆は本物の怪物だよ」……とのことだ。正論である。

 

「ええとその、母さん。それからついでにカステヘルミ。そんな顔をしないでください。彼女は確かに少しばかり冗談の趣味は悪いですが……たいへんに賢明で善良なわたしの友人です。あの妖怪婆と違って、信頼できますよ」

 

「冗談の、趣味が、悪い!?」

 

 ネェルは明らかにショックを受けたような声で叫んだが、ソニアは表情も変えずにスルーした。まあ、彼女が趣味の悪いジョークばかり飛ばしているのは事実なので致し方あるまい。

 

「そ、そうか……ソニアの友達か……」

 

 少し驚いた様子でカステヘルミが呟いた。そしてコホンと咳払いをしてから、ネェルの方を見る。

 

「では、ネェルくん。この盤面、君はどう見る? 正直、旗色はかなり悪いが」

 

「ん、そうですね」

 

 ネェルは片手(片鎌?)に挟んでいたワインボトルを地面に置き、少し視線を宙にさ迷わせた。

 

「あの婆に、論戦で、勝てる、ヒトは、そう多くないでしょう。相手の、得意とする、領域で、戦う。それが、そもそも、誤りでしょう」

 

「一理あるが」

 

 何とも言えない表情で、アデライドが酒杯のワインを豪快に飲んだ。その態度はたいへんに堂々としたもので、ネェルに対する恐怖など微塵も感じさせない。宰相は戦場に出た経験などほとんどないハズだが、意外と度胸が座っている。

 

「では、どうするというのかね? 論戦がダメなら、暴力で排除すると? それはマズイ。粛清などという手段が使えるほど、現在のリースベンの権力基盤は強くないからねぇ……」

 

「まさか、まさか」

 

 ネェルはニヤッと笑ってから、首を軽く左右に振った。

 

「ネェルは、文化的な、人間なので。そんな、物騒な、やり方は、賛成、できません」

 

「ほかに策があるとでも言いたげな顔だな……」

 

「武力の、使い道は、直接、振るうだけに、あらず」

 

 ブン、とネェルは己の鎌を軽く振った。

 

「ネェルが、あの人を、牽制、しましょう。ヘンな、ことを、言ったら、後ろに、忍び寄って、肩を、トントン、します。直接、暴力を、振るわずとも、なかなか、怖いでしょ? 妙な、ことは、できなく、なります」

 

「ち、力業……!」

 

 確かに有効な手ではあるだろう。ネェルにそんなことをされたら、僕でもションベンをチビる自信がある。想像力を掻き立てられるぶん、そのままブン殴られるより怖いかもしれない。

 

「大丈夫なのかねぇ? そんなやり方で。確かに恐怖は与えられるだろうが……君もあの古老に丸め込まれてしまうかもしれんぞ?」

 

「大丈夫。ネェルは、あの人、嫌い、なので。そもそも、口を、聞きません。エルフ(ゴキブリ)とは、交渉の、余地なし!」

 

「なるほどなぁ……」

 

 そもそも会話をしなければ丸め込まれる心配はない。確かにその通りである。

 

「大切な、お友達(・・・)の、アルベールくんの、ためですから。ネェルは、いくらでも、力を、貸しますよ?」

 

 ネェルは、ニィと捕食者めいた笑みを浮かべながら僕を見てくる。あー、うん。やっぱり、そういうことだよねぇ。狙われてるよねぇ……。鈍さには定評のある僕も、流石にこれは気付く。このカマキリ、こちらに恩を売って自分も結婚に参加する腹積もりである。

 というか、この策が実現した場合、ネェルは公認で僕をストーキングできるようになるわけだよな……。頭の回る彼女のことだから、そのあたりも計算した上での発言である可能性は高い。ダライヤもダライヤだが、ネェルもネェルで全然油断ならないな……。

 しっかし なんだろうね、この頃の僕に対する重包囲網は。すでに逃げようがない状況なのに、つぎからつぎへと新手が飛び出してくるんだが? どうするんだよ、コレ。そういう気持ちを込めてソニアを見たが、彼女はため息をついて首を左右に振るばかりだった。諦めてるんじゃねーよ! 一応僕たち婚約者でしょ!?

 

「……」

 

 カステヘルミが無言で僕の頭を優しく撫でた。はぁ、まったく……。



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第378話 軟派王太子と飲み会

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワは辟易していた。この街、カルレラ市での生活は退屈で不快だ。街はこれが文明人の暮らす場所かと呆れそうなほど汚く粗末で、おまけに欲しいものが何も売っていない。

 とにかく、ヒトもモノも足りない。そういう雰囲気だ。花の都パレア市で生まれ育った余には、正直耐えがたい部分もかなりある。王家の将来を左右する重大事のための情報収集、という理由がなければ、絶対にこんな場所で滞在などしなかった。

 だが、そんな不満も今夜のことを想うだけで霧散してしまう。今日はアルベールとの二度目の酒宴の日なのだ。彼は思慮深く、ユーモアもある。箱入りで育てられた世間知らずの令息をからかって遊ぶよりも、何倍も楽しい。あの男との逢瀬について考えているだけで、気分が華やいでくるのだから不思議だった。

 

「なんともかんとも……人生ってやつは、まったくままならないものだ」

 

 そして、夜。余は先日と同じ酒場で、アルベールと同席していた。彼は憂いを帯びた瞳を宙にさ迷わせながら、愚痴をこぼしている。愚痴、といっても具体的なことは何も言わない。まあ、当たり前の話だ。酒の席とは言え、貴族が仕事の不満を外部のものに簡単に漏らしてしまうなどあり得ないことだ。

 それに、アルベールは聡明な男だ。余が名乗った通りの身分ではないことにも、すでに気付いているだろう。そうなると当然、余の正体は間諜ではないか……という発想に至ると思うのだが、今のところ彼は余を疑うような態度を見せてはいなかった。お互いに正体を隠しているとはいえ、それなりの信頼関係が醸成されつつあるのではないか……余はそんな風に考えていた。

 

「何もかも思い通りになる人生は、それはそれで詰まらないだろうがね。人が賭博やゲームに熱中するのは、ままならない部分が大きいからさ。人生も同じことだろう」

 

「確かにそれはそうだな。戦棋(チェス)だって、対手が強い方が燃えるものだし」

 

「だろう?」

 

 ニコリと笑いかけつつ、余はワインを一口飲んだ。先日飲んでいたのはワインを名乗るのもおこがましい腐ったブドウ汁のような代物だったが、今日はこの店に置いてある一番上等なものを用意してもらった。

 むろん、所詮は辺境の小さな店だ。普段余が王宮で飲んでいるような最上級のモノと比べればはるかにランクは低いが……彼と共に飲む酒は、どんな美酒よりも甘美だった。やはり、酒というものは何を飲むか、よりも誰と飲むか、という部分のほうが重要なものである。

 店の奥で吟遊詩人が吟じている演目もまた良い。大陸東方の異教の大国が西方世界に攻め寄せた際、アヴァロニア、神聖帝国、そしてわがガレアが盟を結んで一致団結して撃退した、そういう戦記ものだ。そこに、叛乱だの裏切りだのと言った言葉が挟まる余地などは無い。一致団結……ああ、素晴らしい。

 

「とはいえ、まあ限度はあるが。あまりにも強すぎる指し手に挑んでしまい、訳の分からないうちに負ける……などというのは、さすがに愉快とは言い難いからね」

 

「確かに」

 

 苦笑しながら、アルベールは肩をすくめる。その口調は、先日と違いとてもラフなものだ。これは前回の別れ際に、余のほうから『気楽な口調で喋ってくれ』と頼んだせいである。せっかく身分を偽ってお忍びで遊びに……もとい、調査に来ているわけだからね。かしこまった態度を取られるのは面白くない。

 

「で……君の場合、悩みの原因はどちらなのかな? 対手が弱すぎるのか、あるいは強すぎるのか……」

 

「そりゃあもちろん、後者だ。『人生楽勝すぎて詰まらなーい』なんてこと、一回くらいは言ってみたいものだけど。まあ、そう都合よくはいかないでしょ」

 

「ははは……その通りだな」

 

 中央大陸西方屈指の大国であるガレアの王太子などという立場にある余ですら、ままならぬことなどいくらでもあるわけだからな。本当に、人生というものは楽ではない。

 ……しかし、アルベールにとっての"強すぎる対手"か。相手は誰だろうな? いや、考えるまでもない。我が王宮の宰相、アデライド。あの金儲けだけは得意な陰謀家が、彼の前に立ちふさがっているのだ。状況から考えて、そうとしか思えない。

 彼は、智・武・勇に優れた女顔負けの優れた騎士だ。だが、こうして話していると明らかに政略・謀略方面の素質には欠けているように見える。根が優しく、そして甘すぎるのだ。優れた軍人にはなれても、それ以上にはなれない。そして自分自身、己のそういう部分を心得ている。そういう風情があった。

 

「人生とは大河のようなもので、ヒト一人の力で抗うなどおこがましいことだ……なんて言葉を聞いたことがあるが、真理かもしれないな。本当にこの頃、流されるままになっている……」

 

 疲れた顔でそんなことを言いながら、アルベールはゆっくりとワインを飲んだ。余は胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えながら、ツマミの炒ったナッツを口に投げ込む。

 

「……君は、乗り越えがたい壁にぶつかっているんだね。私で良ければ、力を貸すが」

 

「そういうわけにはいかない」

 

 アルベールは躊躇なく即座に首を左右に振った。

 

「これは、僕が僕自身の力で解決せねばならない問題だ。他の人の力を借りても、根本的な解決にはならないよ」

 

「そうか……」

 

 やはり、アルベールは普通の男とは違う。余は小さくため息をついた。こういう矜持が、彼を彼たらしめている根幹の部分なのだろう。

 

「力を貸せないというのならば、せめて助けになりそうな言葉を贈ろう。これは我が祖母の受け売りなのだが……」

 

 オレアン公の反乱以降、めっきり老け込んで体調を崩しがちになった祖母……国王陛下の顔を思い出しながら、余は酒杯をくるくると回した。

 

「迷った時、前に進めなくなった時は、いちど立ち止まって後ろを振り返りなさい。そして、最初の志を思い出すのです。最初の一歩を踏み出した時、あなたの心に浮かんでいた景色が、あなた自身の(しるべ)となるでしょう……」

 

 そう言ってから、余は一瞬考え込んだ。余の最初の志とは、なんだったのだろうか? 母を流行り病で失い、若くして王太子という過分な立場に置かれてしまった時、余はどんな将来を思い描いた?

 

「……初志、か」

 

 余の思考は、アルベールのつぶやきによって遮られた。彼はひどく楽しそうにクスクスと笑って、酒杯のワインを飲みほした。

 

「初志、初志ね。ははは」

 

「どうしたんだ、一体」

 

「いや、昔の自分が馬鹿すぎて、笑えて来たというか」

 

「……興味深いな。いったい、君の"最初の志"というのは、いったいどのようなものだったんだい?」

 

 アルベールの笑いは、皮肉や自嘲などではなく純粋に愉快そうなものだった。いったいどんな将来像を思い浮かべていたら、このような反応になるのだろうか?

 

「合衆国大と……世界最強の軍隊の総司令官、かな?」

 

 余は、思わず酒を吹き出しそうになった。アルベールの立場でそんなことを言われると、本当にシャレにならない。彼の考案した新式軍制の威力を想えば、その夢は決して非現実的なものではない。ガレア王国を簒奪し、男王として君臨すれば……それはおそらく、世界最強の軍隊の総司令官と同義だ。

 

「……へ、へえ。なかなか、面白い夢じゃないか」

 

「馬鹿くさいよね。責任なんてものを負ったことのない人間か、あるいは本物の無責任なヤツじゃなきゃ、こういう発想はでてこない」

 

 楽しげに笑いつつ、アルベールは手酌でワインのお代わりを注いだ。……この反応、彼は既にその大それた夢をあきらめてしまっているのだろうか?

 

「愉快な夢だな。そのまま実現する、というのは難しいかもしれないが……それを目指すこと事態は可能なのではないかな? 確かに、君は男性だ。立身出世を目指すのは、なかなか難しいかもしれない。しかし世の中には、男の身の上であり得ないような出世を続けている騎士もいる……」

 

 勇気を出して、余はそう言った。あり得ない出世を続けている騎士というのは、つまりアルベールのことである。たんなる宮廷騎士から城伯に。これだけでも、多くの騎士から羨望の目を向けられることは間違いないレベルの出世だろう。しかも彼は、蛮族を平定して実質的な領土拡張と戦力増強に成功している。近いうちに、伯爵へと昇爵するのは間違いあるまい。

 

「確かに、そうかもしれないが……」

 

 彼は思わせぶりな視線を余の方に向けた。……うん、この眼つき。やはりアルベールは、余が自分と接触を持ったのは情報収集のためであることに気付いているな。

 

「僕が思うに、権力の階段というのは一種の罠だ。正直、あえて上りたいのは思わないな」

 

「罠? どういう意味かな」

 

「昇れば昇るほど、荷物……つまり、責任が重くなるだろう?」

 

「……そうだな」

 

 偉くなればなるほど責任は重くなる。当然と言えば当然だ。余も、国王になった暁にはこの国のすべてを背負わねばならなくなる。君臨するとはそういうことだろう。

 

「責任というのは、要するに自分の下にいる者たちの人生や命だ。一人ぶん、二人ぶんでも尋常ではなく重い。十人ぶん、百人ぶんともなれば、背負える人間自体が限られてくるだろう……」

 

 彼は遠くを見つめながら、酒杯をあおる。

 

「ましてや、千人分、万人ぶんとなったら? あるいは、それ以上となったら? 本物の救世主にしか、そんなものは背負えない。けれども、救世主なんてものはそうそう現れるものではないし、にも拘わらず千とか万とかそれ以上の人間の人生を背負わねばならない役職は世の中に存在している……」

 

「……ああ」

 

 言われてみれば、その通りだ。余も、王太子という身分だ。その責任について思い悩むことも少なくない。だが、こういう形で"責任"という概念を捉えるというのはなかなか新鮮だった。そうか、余は臣下や民衆の人生を背負わねばならないのか。王都パレア市だけでも、千や万では済まない数の人間がいるというのに、この国一つ分ともなれば……いったいどれだけの数になるやら。

 

「責任を持ってしまった凡人に、取れる選択肢は三つだけ。責任を投げ捨ててしまうか、その場で潰れるか、あるいは凡人なりに踏ん張ってなんとか耐えるか……。前の二つは論外だろ? 投げ捨てるのも、潰れるのも、本質的には同じだ。背負っていた荷物(せきにん)は地面に落ちて砕け散る。それじゃだめだ」

 

「そうだな。ならば……凡人なりに踏ん張る、これしかないわけか」

 

「その通り」

 

 アルベールは神妙な顔で頷いてから、店主に酒の追加を注文した。いつの間にか、ボトルの中身は空になっていた。

 

「権力の階段を上がれば上がるほど、その責任の重さに耐えきれなくなるリスクは増えていく。無限大の自信があるか、そもそも最初から責任を背負うつもりがない人間ではない限り、無理に駆け上がっていくことはできないんだ。それを知ってるからこそ、僕はもう初志に戻ることはできない。今背負っているモノをどう守っていくか、それだけさ」

 

「なるほどね……」

 

 余は……感心していた。アルベールは、余などよりよほど真剣に、貴種の責任について考えている。こういう人間だからこそ、男性という不利を抱えているにも関わらず部下たちは猛烈に彼を慕うのだろう。

 ……むろん、この発言が余を誤魔化すためにでっち上げられたいい加減なものである、という可能性も十分にある。なにしろ彼は、余を王家側の諜報員だと疑っているフシがあるからな。疑いの目から逃れるべく、耳触りのいい言葉を並べ立てているだけかもしれない。

 だが、個人的にはそうではないと思うのだ。本物の恥知らずでない限り、口からでまかせでこのような発言はできない。そしてアルベールは、決して恥知らずではない。むしろ、誇り高い本物の騎士だ。王都の内乱で共に(くつわ)を並べた経験があるからこそ、余はそれをよく心得ている。

 つまり、これは彼の本音だ。少なくとも、彼自身には王位を簒奪しようだなどという不埒な考えは微塵もない。余はそう確信していた。……やはり、自分の目で確認するというのは大切だな。アルベールの調査を部下に丸投げしていたら、きっと余は彼の本質に気付けぬまま、この男を潜在的な叛乱予備軍として扱っていただろう。

 

「面白い……考え方だな。興味深い。もっと詳しく聞かせてもらっていいかな?」

 

 余は、店主が持ってきたボトルを受け取り、いつの間にか空になっていた彼の酒杯に注いでやった。アルベールの話はとても含蓄がある。夜会で飛び交う実のない会話とは大違いだ。こういう会話は……とても心地が良いな。ああ、やはり彼が欲しい。この男が隣にいれば、余はきっと良い王になれるだろうに……。



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第379話 ナンパ王太子と宰相の陰謀

「うう……」

 

 翌朝、余は呻きながら目を覚ました。二日酔い……というほどひどいものではないが、深酒をした翌日特有の気だるさが全身を包み込んでいる。目を開けるのと同時に、ほとんど無意識に自分の腕の中を確認した。そこに、武骨だが美しいあの男が収まっているような気がしたからだ。

 

「夢、か……」

 

 そう呟いて、一人で赤面する。もちろん、そこにアルベールはいなかった。昨夜はかなりの量の酒を飲んだが、それでも記憶を失うほどではなかった。もちろん、彼を口説き落としてベッドへ連れ込むような真似をした覚えはない。つまり……この腹の奥でくすぶっている熱い感覚は……ああ、恥ずかしい。性を覚えたばかりのガキではあるまいに。

 

「はぁ……」

 

 ため息をついて、余は毛布をマントのように羽織った。南国とはいえ、朝は流石に寒い。それ以上に、心も寒かった。ああ、彼が欲しい。この懐の中に、あの大柄な男を納めて温まりたい。竜人(ドラゴニュート)の本能がそう叫んでいる。認める他なかった……余は、すっかりアルベールに夢中になっている。相手を惚れさせるのは得意だが、自分の方から惚れるのは……初めてかもしれないな。

 

「……」

 

 従者を呼んで、冷水を持ってくるように命じた。それを待っている間にも、余の頭の中ではやくたいのない思考がグルグルと渦巻いている。昨夜は……よかった。とても良かった。彼を抱けたわけではないし、それどころか口づけすらできなかった。それでも、余の胸の中には確かな満足感がある。

 あの男はせいぜい余より一歳か二歳年上な程度だったように思うが、年齢に見合わず老成している。その言葉は聡明で、含蓄があった。貴種としてまだまだ未熟な余などよりも余程ヒトの上に立つ者としての風格がある。母が生きていれば、あのように振舞って余を導いてくれていたのだろうか? そう思うと、なにやら胸の奥底に暖かい感情が灯るようだった。

 叶う事ならば、彼を私的な家庭教師として招きたいところだ。アルベールに師事すれば、余はきっと良い王になれるだろう。そう確信していた。……しかし、家庭教師。家庭教師か。甘美な響きのある言葉だ。嫌いではないな。ふふふ……・

 

「お待たせいたしました」

 

 下らぬ妄想は、冷水入りのカップを手に戻ってきた従者の声で遮られた。余はコホンと咳払いをしてからカップを受け取り、中身を飲み干した。汲んできたばかりの水はたいへんに冷たく、空虚に火照ったカラダを冷やすにはちょうどよかった。

 

「……おっと、思ったより寝坊してしまったな。情報収集班の連中が、やきもきしているだろう。朝食の前に、彼女らの報告を聞いておくことにしようか」

 

 懐中時計をチラリと確認して、余はそう言った。当然だが、リースベンには少なくない数の本職の諜報員を伴ってやってきていた。彼女らは彼女らで、このリースベンの情勢を調査してもらっている。

 本来ならば毎晩夕食前に一日分の報告を受けることになっていたが、昨夜は余が外出していたためそれが叶わなかったのである。早めに昨日の調査についての報告を聞いてやらねば、今日の調査に障りが出てしまう……。

 

「……」

 

 それから、ニ十分後。身支度を整えた余の前には、数人の諜報員たちが並んでいた。いずれもどこにでもいるような一般人に扮しており、間諜の類にはとても見えない。なにしろ、王家に仕える腕利きの諜報員たちだ。その正体を看破するのは、プロであっても容易ではなかろう。

 

「重点調査を命じられていた、ブロンダン卿と結婚予定と思われる蛮族の有力者の件ですが……ある程度のことが判明いたしました」

 

 そう語るのは、遍歴騎士の格好をした竜人(ドラゴニュート)の若者だった。ブロンダン卿と結婚予定。その言葉を耳に舌と単、余の心臓が跳ねる。

 

「……流石、仕事が早いじゃないか。それで一体、どういう手合いなのかな? その蛮族は」

 

「ダライヤ・リンドという女です。今回の一件でブロンダン家に服属した蛮族の中でも最大の勢力、新エルフェニア帝国とやらの皇帝を名乗っておりますが……実態としては、ただのエルフの酋長のようです」

 

「エルフ、ね。長命種か……」

 

 余は思わず顔をしかめた。長命種というヤツはどいつもこいつも一筋縄ではいかぬ連中ばかりだ。ガレアの領主貴族の中には悠久の時を生きる特殊な種族、吸血鬼(ヴァンパイア)もいるが、まあ……とんでもないロクでなしである。エルフもまた、それと似たようなものだろう。数百年という時の流れは、人間の精神など容易に捻じ曲げてしまうのだ。

 

「で、どういう手合いなんだい? そのダライヤというのは」

 

 余の言葉に、遍歴騎士は少し困った様子で目を逸らした。そして一瞬考え込んだ後、口を開く。

 

「新エルフェニアのエルフたちに話を聞いたのですが……評判は最悪でした。曰く、誉れよりも策謀を好む悪辣非道なクズ。戦士の風上にもおけぬ外道。死にぞこない。千年も生きていながら男の一人も捕まえることができなかった性格破綻者……」

 

「じ、自分たちの酋長をそこまで悪しざまにののしるのかい!?」

 

 余はギョッとして叫んだ。

 

「はい。……そもそもこの女、どうやら新エルフェニアの先代皇帝を謀殺して不当に皇位を手に入れたような輩らしく。下の者からは、たいへんに嫌われているようです」

 

「さ、簒奪者だと……!?」

 

 余の背筋に、嫌な寒気が走る。……そういえば、『誉れよりも策謀を好む悪逆非道なクズ』……どこかで聞いたことがある文言だ。わが王宮の宰相も、そのように呼ばれることがままある。なにしろあの女は、一度も戦場に出ることなく宰相にまで成り上がったような人間だ。尚武の気風の強い我が国の貴族たちから見れば、貴種の義務(ノブリス・オブリージュ)を果たしていないようにしか見えないのである。

 むろん、余としてもその意見には全面的に賛成だった。男を戦場に立たせ、自分はその影に隠れて下らぬ小銭稼ぎと陰湿な政治工作に励むなど……女の風上にもおけないクズだ。可能であれば、宰相の役職はもちろん宮中伯位もはく奪してやりたいくらいだ。むろん、現状の王家にそのような強権を振るうだけの権威は無いのだが。

 

「いけない、これはマズいな……」

 

 そんなガレア王国の恥さらしと新エルフェニア帝国とやらの恥さらしが、男を共有しようとしている? なんとも、きな臭い話だ。両者の間では、きっとすでにロクでもない盟約が交わされているに違いない。同じ穴のムジナ同士が、悪だくみをしているのだ。

 たしか余の記憶が確かならば、新エルフェニアとやらは烏合の衆で、統制が緩みつつあるという話である。そしてそういう組織をまとめなおす際、もっとも手っ取り早いのは……外部に敵を作る事だろう。

 その上、宰相は宰相で南部での足場造りを始めている。この両者が共謀しているというのであれば……彼女らの描こうとしている絵図は、明白だ。つまりは、南部の……独立!

 

「レジーヌ、一つ聞きたい」

 

 余は、商人の格好をしている狼獣人に視線を向けた。彼女は、このリースベンの領主屋敷に潜り込ませてある間諜どもを統括する立場にある、いわゆるスパイマスターだった。

 

「確か……アデライドの奴は、アルベールを婿入りさせるのではなく、自分が降嫁するほうを選択するのでは、と言っていたな」

 

「はい、殿下」

 

 外見だけは平凡なスパイマスターは、恭しく頷いた。

 

「カステヘルミ様と共にそのような話をしているところを、部下が確かに耳にしております」

 

 カステヘルミ。こちらもこちらで、嫌な名前だ。現ノール辺境伯……今のガレア王国で、最大の戦力を持つ領邦領主。彼女自身は、王家に対する翻意をうかがわせる挙動はしていない。だが、この女は妙に雄々しく、意志薄弱なところがある。悪友であるアデライドに、いつそそのかされるか分かったものではない。しかも彼女は彼女で、幼いころのアルベールを"味見"していた疑惑がある……。とてもではないが、信用できるものではなかった。

 これはつまり、最悪の場合王家が南北から挟まれることとなることを意味している。二正面作戦だ。内線作戦の優位があるとはいえ、かなりキツい戦いを強いられるのは間違いない。

 ましてや、辺境伯軍は王軍よりかなり早く新式軍制を採用している。新型銃……ライフルの量産命令が出たばかりの王軍と違い、辺境伯軍ではすでに雑兵すらライフルを装備しているという話なのだ。真正面から当たれば、同数同士の戦いにおいてすら勝てるか怪しい。

 

「……つまり、アデライドはブロンダン家を乗っ取り、この南部に己の王国を建てるつもりというわけか」

 

 王家としては、断じて見過ごせぬ事態である。しかもその腹黒どもに利用されているのは……アルベールなのだ。あの気高い男騎士が、下衆どもの策に踊らされて王家に対する反逆の尖兵にされる……? 許せない。絶対に許せないな……。

 しかしあの宰相、どこまで恥知らずなのか。あの賢明で美しい男を我が物にしたい、そういう感覚は理解できる。しかし、彼を利用して蛮族を仲間に入れるなど、正気を失っているとしか思えない。男を単なる道具だと思っていなければ、こんな策は思いつかないだろう。なんとおぞましい女か。生かしておけぬ。

 

「あるいは、これもすべてブロンダン卿の策のうち……という可能性もありますが」

 

 そう言ったのは、遍歴騎士だった。

 

「蛮族どもをあっという間に服属させてみせた彼の手腕は、尋常ではありませぬ。男だからといって、油断するのはいかがなものかと……」

 

「違う! 彼は利用されているだけだ!」

 

 余は思わず叫んだ。彼が悪しざまに言われるのは、我慢がならなかった。

 

「たしかに、世間では彼のことを女を惑わす毒夫だと呼ぶものは多い。しかし、それは誤解だ。彼は、誇り高く清廉な騎士なのだ。余は、余だけは、それを知っている……」

 

 余の言葉に、遍歴騎士は気おされた様子で「さ、左様でしたか。差し出がましい真似をしてしまい、申し訳ありません」と頭を下げる。余はいらだたしさを各紙もせず、頷き返した。

 

「しかしこれは……早急に対策を立てる必要がありそうだな」

 

 自分が理不尽な真似をしていることは理解している。遍歴騎士は悪くない。この怒りは、彼女に対してのものではないのだ。敵はただ一人、宰相アデライド。男を食い物にする本物の外道……。

 だが……今、あの女を討つわけにはいかない。そんなことをすれば間違いなく内戦が起きるし、その内戦に勝てる自身もない。王軍に新式軍制がなじむまでには、まだまだ時間がかかるのだ。従来式の軍と新式の軍がぶつかり合えばどうなるのか……それは、王都内乱で証明されている。

 その上、よしんば勝てたとしても……内乱で弱った我が国に、神聖帝国が無干渉を決め込むはずはない。どう考えても、侵略戦争をしかけてくるだろう。現在の両国関係は比較的に穏やかだが、それは両者の軍事力が均衡しているおかげだ。こちらが一方的に弱れば、当然話は変わってくる……。

 とにかく、時間を稼がねば。ライフルや大砲を量産し、それを扱うための教練を行い、さらには士官の再教育も必要である。できれば二、三年……最低でも、一年は欲しい。

 

「王軍の戦力化を急がねば。大至急で王都に戻った方がよさそうだな……」

 

 余はボソリと呟いた。だが、このリースベンでやるべき仕事はまだ残っている。アルベール・ブロンダン。あの気高くも哀れな男を、なんとか宰相の魔の手から救ってやる方法はないものか? 彼と余が戦う運命など、耐えられぬ。あの男はたんなる被害者なのだ……。

 そうだ、国王陛下も言っていたではないか。初志を思い出せと。余は、おとぎ話に出てくるような清廉な騎士に憧れていた。そして、悪党の食い物にされている男を見捨てるような輩は、間違いなく騎士ではない。

 

「……腹を決める時が来たようだ」



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第380話 くっころ男騎士と日ごろのお仕事

 "騎士様"と楽しい夜を過ごした翌日、僕は仕事に復帰した。気分としてはもう少し休んで居たかったが、残念ながらそういうわけにもいかない。休めば休むほど、僕にしか処理できない案件がどんどんと積みあがっていく羽目になるからだ。

 やるべき仕事はいくらでもあった。未処理の書類は執務机の上で小高い山を作っていたし、おひざ元たるカルレラ市では毎日のように様々なトラブルが起きていた。空前の好景気なのはたいへんに結構なことなのだが、外部から大量の人間が流入したせいで治安が悪化の一途をたどっているのである。

 衛兵隊の代用として軍を投入し、犯罪の捜査やトラブルの仲裁を行い、民事から刑事までさまざまな訴訟を処理していく。領主というのは三権の長を兼ねた存在だから、こんなことまで自分でやらねばならぬのである。やはり、権力者も楽ではない。

 

「なるほどねぇ……どこもかしこもきな臭くて困るなぁ」

 

 それやこれやにてんてこ舞いしているうちに、いつの間にか時刻は昼過ぎになっていた。僕はカルレラ市郊外のリースベン軍駐屯地で、昼食を食べている。……とはいっても、食事中も仕事の手を止めるわけにはいかなかったが。

 テーブルの上には、料理の入った皿や碗のほかにいくつもの写真が並んでいた。ただの写真ではなく、街道や街を上空から撮影した代物である。僕はそれらを観察しつつ、木椀に入った軍隊シチューをスプーンですくって目の前の相手に差し出した。

 

「むぐむぐ……確かにあちこち(いっぺこっぺ)で兵隊どもがうろちちょりましたね。上から見ちょっだけでん、緊張感が伝わってきたじゃ。あや、いついくさが始まってんおかしゅうなかような空気やった」

 

 うれしそうにスプーンにかぶりついてから、彼女はそう説明した。鳥人たちの実質トップ、カラス鳥人のウルである。僕は彼女に、少々特殊な任務を任せていた。周辺諸国の航空偵察である。

 リースベンはリースベンでひどい内情だが、周辺の領邦もなかなかにひどい状況だった。状況の主導権を握るためにも、情報収集は必須。そこで鳥人の機動力が役に立つわけだ。僕は彼女らを冬営地の建設から外し、この手の任務に当てていた。……まあそもそも腕が翼になっている都合上、鳥人に土木作業はできないからな。適材適所、というわけだ。

 今回、ウルらが偵察してきたのはズューデンベルグ領……神聖帝国側のお隣さんだった。カリーナの元実家、ディーゼル家が治める領地である。ウルの説明する通り、その航空写真には訓練や行軍を行う兵士たちの姿が写っている。

 

「ふーむ……傭兵の派遣を急いだほうがよさそうだ」

 

 ディーゼル伯爵軍は明らかに動きを活発化させている。……とはいっても、我らがリースベンへの再侵攻をたくらんでいるわけではない。現在のディーゼル家は、我らリースベンと急速に結びつきを強くしていた。なにしろ関税・通行税の撤廃による好景気を享受しているのは、僕たちだけではないからな。神聖帝国側の窓口たるズューデンベルグ領にも、やはり商人たちは集まっていた。

 前回の戦争で、ディーゼル伯爵軍は致命的な損失を被った。これを回復するためには、商業に力を入れてとにかく金を稼ぐほかない。この状況下で再侵攻を決断するようなヤツは、極めつけのアホだけだ。

 ではどうしてきな臭い雰囲気になっているのかといえば、ズューデンベルグ領の周囲の領主たちがちょっかいを出してきているからである。どうやら、ズューデンベルグ領の田畑や通商利権を狙っているらしい。神聖帝国はガレア王国などより遥かに地方領主の権威が強い国なので、かなりの狼藉を働いても皇帝は文句を付けられない。内戦など日常茶飯事なのだった。

 

「エルフ連中は冬営地ん建設で大忙しじゃっでね、グンタイアリ連中を派遣すっとが良かやろう。いくさ以外では役に立たん奴らじゃっで」

 

 僕の差し出す軍隊シチューを満足気に食べながら、ウルはそんなことをいう。真面目極まりない会話の内容とは裏腹に、その顔には少々だらしのない笑みが浮かんでいた。

 ……僕のやる"あーん"が、そうとうに嬉しいらしい。なんでも、鳥人にとって"あーん"は親子か夫婦でなければしないような行為らしいからな。僕たちが食事をとっているのは駐屯地の士官用食堂で、つまり公共の場。そんなところで公然とこういう真似をしているのは……つまり僕たちは結婚しますよ、というアピールそのものだ。そう、僕は彼女とも結婚せねばならんのである。

 なんでこんなことになったんだろうね? いや、別にウルが嫌いなわけではないが。文字通りカラスの濡れ羽色の髪はたいへんに美しいし、褐色肌も健康的だ。頭もよく回るし、気も利く。たいへんに器量の良い娘さんだと思うが……僕には既に何人もの婚約者がいる。いくらなんでも、相手が多すぎるだろ。これでは夫というより繁殖種馬だ。

 

「そうだな、あとでゼラに相談してみよう」

 

 アリ虫人グループの頭領、ゼラの顔を思い出しながら僕は頷いた。ウルのいう通り、グンタイアリ虫人は戦うことだけに特化した連中だった。アリなのに穴掘りは苦手だし(まあグンタイアリ自体が巣を持たない徘徊性の生き物なので仕方が無いが)、手先もひどく不器用である。荷運び等の単純な力仕事以外では、どうにも真価を発揮できずにいる。

 そんなんで冬営地の建設は大丈夫なのかという感じだが、そこで大活躍しているのがハキリアリ虫人であった。彼女らはやたらと高度な建設能力を持っているし、おまけに農耕もお手の物だ。戦場では坑道戦くらいでしか活躍できなかったハキリアリ虫人ではあるが、平時においては明らかにグンタイアリ虫人と立場が逆転している。

 

「ディーゼル家は大切な取引相手だ、戦禍に晒すのは美味しくない。抑止力の強化は急務だな……」

 

 隣の席で面白くなさそうにウルをジロジロ見ているカリーナを一瞥してから、小さく笑った。それに気付いた彼女は軽く赤面し、照れた表情で顔を逸らした。うん、今日も我が義妹は可愛いな。

 

「……とはいえ、あの連中をいきなり文明国家にブチこんだら大事になりかねん。研修が必要だな。カリーナ、ロスヴィータ氏とそのあたりの相談がしたい。調整を頼めるか?」

 

「もちろん! 任せて、お兄様!」

 

 鯱張った様子で立ち上がるカリーナ。僕は肩をすくめてから、懐紙にアレコレ書きつけて彼女に手渡した。カリーナはそれを恭しく受け取り、慌てた様子で食堂から走り去っていく。

 

「……」

 

 義妹を見送ってから、僕は内心ため息をついた。むろん、カリーナに不満があるわけではない。単純に、ゆっくり食事もとれないほど忙しいことに辟易しているだけだ。まったく領主ってやつも楽じゃないなと心の中でボヤきつつ、口の中に軍隊シチューを運ぶ。

 

「……にひ」

 

 ウルが奇妙な声を上げて、にへらと笑った。彼女の視線を追うと、その先には僕の持っているスプーンがある。……ああ、なるほど。間接キスか。彼女の満面の笑みを見て、僕はなんだか気恥ずかしい気持ちになった。それをかき消すべくバクバクと軍隊シチューを食べまくり、そして「んっ」とウルに差し出す。彼女はひどく嬉しそうな様子で、ひな鳥めいた動きでそれをパクリと食べるのだった。

 

「モテ期ってやつかねぇ……」

 

 周囲に聞こえないようひっそりと、僕はそう呟いた。前世も現世も僕は徹底した非モテであったはずだ。それがまたどうしていきなりこんなことになっているのか……正直かなり理解しがたい。むろん僕も人の子だから、現状が嫌だという訳ではないのだが……そのうちしっぺ返しがありそうで怖いんだよな。

 

「アルベールどん」

 

 そんなことを考えていると、突然背後から声をかけられた。振り返ってみれば、そこに居たのは目の覚めるような美貌の小柄な(竜人(ドラゴニュート)比)麗人であった。こんな美人さんがどこから出てきたんだと一瞬困惑したが、よく見れば見覚えのある顔である。正統エルフェニアの皇帝陛下、フェザリア・オルファンだ。

 彼女は前々からとんでもない美人だったが、いつの間にかそれに磨きがかかっている。どうやら、随分と気合を入れて身だしなみを整えたらしい。肌や髪が明らかに綺麗に整えられているし、その尖った耳にはヒスイの嵌まったピアスなどがついていた。

 

「あれま、フェザリアか。すまない、待たせたか?」

 

 彼女とは、午後に合流する予定だった。もちろん、艶っぽい話ではない。"正統"が建設中の冬営地の視察に行くのだ。約束では、午後の最初の鐘がなった後に落ち合う手はずになっていたのだが……。

 

「い、いや。お(はん)に会うとが楽しみ過ぎっせぇ、ちょっと気が急いてしもただけじゃ。気にすっな」

 

 そんなことを言いつつ、フェザリアは僕の隣の席に腰掛ける。エルフの従者がやってきて、彼女の前に料理を置いた。どうやら、彼女もここで食事をとる腹積もりらしい。わあい、両手に花だ! ……なんて喜べたらいいんだけどね。残念ながら、そういうわけにはいかない。なにしろ、フェザリアとウルの間にはなんとも微妙な空気が漂っていたからだ。

 二人はチラチラと僕を見ては、お互いに牽制じみた視線を交わし合っている。……いくら朴念仁ぶりに定評がある僕でも、この落ち着かない雰囲気の原因が自分にあることは理解できる。ううーん、なんだか胃が痛くなってきたぞ! ファックって感じだ。いや、僕はファックされる側なのだが。



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第381話 くっころ男騎士とお散歩

 昼食を終えた僕は、ウルと別れて"正統"の冬営地へと向かった。カルレラ市参事会の要望により、蛮族どもの冬営地はすべて街からやや離れた場所で建設されている。徒歩ならばそれなりに時間がかかってしまう距離だが……馬に乗れば、まあちょっとした散歩くらいの感覚だ。

 短時間の移動でも、馬に乗るのは結構な気晴らしになる。僕は心地よい程度に冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでから、ゆっくりと吐き出した。アラスカ州やノール辺境領の過酷に過ぎる冬を知っている身としては、リースベンの冬はまるで天国のように快適だった。

 

「そちらの進捗のほうはどうだろうか?」

 

 僕は、隣にいるフェザリアへと話しかけた。エルフは乗馬の文化を持たないが、彼女に関して言えば多少のぎこちなさを感じるものの立派に軍馬を乗りこなしている。それについて聞いてみたところ、リースベンへの移住後、手すきの時間を使って乗馬術を学んでいるのだという。流石はフェザリア、勤勉である。

 

(オイ)らは引っ越しには慣れちょっでな、問題はないもなかど。貸してもろうた土地も、なかなか良か。近所に灰をまき散らす迷惑な山もなかしな。永住してんよかくれだ」

 

 フェザリアはあっけらかんとした表情でそう言う。……ま、活火山のふもとに比べればどこだって天国か。灰だけならまだしも、結構な大きさの石まで時々噴いてたからなあ、ラナ火山。火山には桜島で慣れている僕ですら、あの山は少々怖い。

 

「ただ……メシは十分にあっどん、そいを煮炊きすっためん燃料が足らん。生木はいくらでも(どしこでも)あっどん、乾燥済みん薪が少なか。これ以上お(はん)らに頼ったぁ心苦しかが、なんとかならんかね?」

 

「燃料かぁ……」

 

 僕は小さく唸った。薪不足は、"正統"だけの問題ではなかった。リースベン全体で、燃料が足りず価格が高騰している。蛮族どもや商人たちなど、外部から大量の人口が短期間で流入したせいだ。

 むろん、リースベンには大量の森林資源があるが、伐採したばかりの木は燃料としては使い物にならない。最低でも数か月は乾燥させておきたいところだ。しかし、燃料需要はひっ迫しており、乾燥を待っている時間はほとんどない……。

 

「ま、一か月以内には何とかなると思う。それまでは、なんとか倹約して持たせてほしい」

 

 とはいえ、この問題に関してはすでに手は打っていた。なにしろ、リースベンには豊かな地下資源がある。もちろん、石炭も産出するのである。それも、結構良質な石炭が。北部の山岳地帯では、ミスリルの試掘と並行して石炭の採掘も始まっていた。薪の代わりに、これを供給する手はずになっている。

 まあ、もちろん石炭をそのまま使う訳ではないがね。なにしろ石炭にはタールをはじめとした有害物質が大量に含まれている。これを取り除かない限り、一般家庭で煮炊き用の燃料として運用するのは厳しい。石炭がまだ民間に供給されていないのは、これらの作業を行っているためだった。

 ちなみに、この有害物質は石炭から取り出してしまえばいろいろと使い道がある。フェノールやベンゼンなどの近代化学製品を作るにあたって必須の成分だし、石炭ガスは将来的には肥料や火薬の原料に加工できるようになるだろう。産業革命前夜って感じだな。……ま、肝心かなめの蒸気機関は相変わらず完成していないんだが。

 

「やはり、すでに対策を進めちょったか。流石はアルベールじゃな」

 

 ほほ笑みながらそんなことを言うフェザリアに、僕は頬を掻いた。彼女のようなとんでもない美人から正面切って褒められるのは、嬉しいを通り越してなんだか面はゆいんだよな。

 それからしばらく、僕たちは無言で馬を進めた。護衛の騎士をはじめとしたお供の者たちも、何も言わない。しかし、居心地の悪い沈黙ではなかった。初冬の農道の長閑な風景は、見るものすべての心を穏やかにさせる。気持ちのいい昼下がりだった。

 

「そういえば……」

 

 やがて、フェザリアが口を開いた。彼女は少し頬を赤くして、こちらをチラチラとみてくる。

 

「その……ダライヤん奴が、いたらんこっを言うたげなな」

 

「ああ……」

 

 やっぱり、そういう話題になるよな。僕は思わず小さく息を吐いた。

 

「結婚の件?」

 

「そうじゃ。……確かに仲介は頼んだが、余計な(いたらん)こっは言わじくれと頼んじょったんじゃが。ああ、恥ずかしい(げんね)。こげんこっは、自分自身ん口で伝ゆっべきじゃろうに」

 

 フェザリアはそう言って、唇を尖らせる。その顔は熟れたリンゴのように真っ赤だった。

 

「まあ、ダライヤはああいう人だから」

 

「……そうじゃな。ヤツに仲介を頼んだ(オイ)が悪か」

 

 僕たちは、顔を見合わせて笑った。なにしろ、ダライヤである。余計なマネをすることにかけては右に出るものはいない女だった。

 

「で……」

 

 笑い声の余韻が消えた頃、フェザリアはおずおずといった様子で再び口を開いた。僕は密かに、馬の手綱をきゅっと握り締める。

 

「その……こげんところで言とも、風情んなか話ではあっどん。アルベール、(オイ)とと結婚してはっれんか」

 

「いいよ、こんな尻軽男で良いのなら。不束者ですが、よろしくお願いします」

 

「……えろうあっさりじゃなぁ」

 

 フェザリアは、またまた唇を尖らせた。まあ気分はわかるがね。でも、仕方ないだろ。リースベンの安定を考えたら、実際この縁談を受けないわけにはいかんのだし。フェザリアも、決して悪い女性ではない……というか、僕にはもったいないくらいの人だしな。

 勇敢で、思慮深く、配下の為なら自ら詰め腹を斬ることを厭わぬほどに高潔。なんとも素晴らしい人格だ。まあ、火炎放射器の扱い方に関しては、少々思うところがないわけではないが。

 

「ほんの先日まで、婿の貰い手がさっぱり見つからなかったような武骨な男なものでね。あなたのような素晴らしい女性からのお誘いを断れるほど、贅沢な身分ではないんだよ」

 

「ガレアんおなごは見っ目が無かね」

 

 くすりと笑って、フェザリアは肩をすくめた。

 

「まあよか、こいで(オイ)とお(はん)は本当ん身内じゃ。(オイ)のこん余生はお(はん)とリースベンのために使わせてもらうで、せいぜい期待しちょってくれ」

 

「あなたの助力があれば百人力だ。有難い話だよ」

 

 実際問題、この縁談はメリットがデカい。乱暴者ぞろいの"正統"も、これで少しは大人しくなるだろう。頼むから大人しくなってくれ。……ま、それにしても、やっぱり貴族同士の結婚ってやつは、無味乾燥だねぇ。家同士のつながりが、とか。メリットが、とか。まるで商売の取引をしているみたいだ。立場を考えれば、それも仕方のない話だがね。

 

「おぅ、まかしちょけ」

 

「……」

 

「……」

 

「……やはり、こう……風情が足らんのぉ。もうちょっとこう、夫婦(めおと)らしい話をしよごたっもんじゃが」

 

 何やら不満げな様子で、フェザリアが言う。意外と、シチュエーションとかを重視するタイプなのかもしれない。

 

「夫婦らしい話といってもねぇ」

 

 こちとら艶っぽい話とは一切無縁に生きてきた生まれながらの非モテである。男女らしい会話のレパートリーなど、持ち合わせてはいない。

 

「……ええと、じゃあ、ご趣味とかは?」

 

 これじゃお見合いだよ、などと思いながら、僕はそう言った。色気もクソもあったもんじゃないが、僕の頭ではこれが限界である。

 

「趣味、趣味ねぇ……詩集を読んだりすったぁ、好いちょっが」

 

「詩集」

 

 僕は思わず面食らった。エルフの口から出るには明らかに不釣り合いな単語である。こちらの反応を見て、エルフの皇女様は何とも言えない目つきで苦笑した。自分たちが周囲からどういう風に見られているのか、というのは理解しているのだろう。

 

「少し前までは、エルフにも詩歌を愛ずっ文化はあったんじゃ。まあ、あん噴火のせいでだいもかれもがそれどころじゃなくなってしもたが……」

 

「なるほど」

 

 確かに、僕が知っているのはラナ火山の噴火以降のエルフだけだ。これはいわばポストアポカリプスであり、人心が乱れるのも致し方のない話である。それ以前のエルフには、確かに高度な文化と文明があったはずなのだ。

 

「いくさん役に立たん物は、ほとんど焼かれてしもたが。そいじゃっどん、わずかに残ったもんなあっ。今となっては、貴重な本たちじゃ。子供が出来たや、受け継がせてやらんにゃならん……」

 

 しみじみとした口調で、フェザリアは言う。エルフ文化の継承か……確かに重要だよな。リースベン領民との同化も重要だが、民族アイデンティティが消滅してしまうのはよろしくない。文化の保護・復興も、領主たる僕の仕事のうちか……。

 

「まあ、そんたさておき。趣味といえば……アルベール、お(はん)んほうはどうなんじゃ? そう言えばわい、何日か休みを取っちょったらしかじゃらせんか。そん間、どげん風に過ごしちょったんじゃ?」

 

「そう聞かれると困るんだけども」

 

 僕は思わず目を逸らした。僕の休日は、フェザリアよりもよほど非文化的なものだった。昼間で寝床でごろごろして、酒場に繰り出して、名も知らぬ騎士様とくだらない話をして……。いやいや、この辺りの話はしない方がいいな。ウン。

 

「コレクションの手入れとか、かな?」

 

「コレクション?」

 

「ああ、武具類のね。主君から下賜されたヤツとか、君に貰ったあのエルフ剣とか……」

 

 嘘は言っていない。確かに、コレクションの手入れはやった。実際、武具の収集は僕の数少ない趣味の一つである。もっとも、貧乏なので数も質も大したことは無いがね。フランセット王太子殿下から下賜された王家伝来のサーベルなどは例外の部類で、大半は数打ちの量産品である。

 

「ほーう? 良か趣味じゃ」

 

 ニコリと笑って、フェザリアは馬を寄せてきた。

 

「武具の募集は、(オイ)もやっちょっぞ。流石はアルベール、おなごんロマンを理解しちょっな」

 

「へぇ?」

 

 その言葉に、僕は興味を引かれた。数百年を生きる長命種、しかもその皇族のコレクションだ。レアものが眠ってそうだよな。

 

「それは興味深い。今度、拝見させてもらってもいいかな」

 

「おう、もちろんじゃ。……そういえば、お(はん)ん国……ガレア王国に由来ん剣も、持っちょっぞ。ダレヤからんもらい物じゃが」

 

「ガレアに縁のある剣? なんでダライヤがそんなものを……」

 

 やはり謎の多いロリババアである。僕は思わずうなった。

 

「あん婆は、なんどか諸国漫遊ん旅をしちょっでな。外国(とつくに)ん変わったモノも、たくさん持っちょっど」

 

「へぇ……ちなみに、その剣とやら。どういった由来なのかわかる?」

 

「確か……路銀を稼ぐために傭兵をしちょった時に、ヴィルジニー・ヴァロワちゅう貴族に下賜されたもんとかなんとか」

 

「……それ、いつ頃の話?」

 

「三百年くれ前じゃったかな。まだ、(オイ)も生まれちょらん時分じゃ」

 

「……け、建国王だそれ!?」

 

 僕は衝撃のあまり落馬しそうになった。マジでなんなんだあのロリババア。

 

 



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第382話 くっころ男騎士と冬営地視察

 まさか、ほぼ伝説と化しているガレア王国の建国史の生き証人が身近に居たとは。戦史好きの僕としてはひっくり返りそうな衝撃であったが、残念ながら今は仕事中である。カルレラ市に取って返して、ロリババアに根掘り葉掘り話を聞くわけにもいかなかった。くだらない雑談で気を紛らわしつつも、僕は"正統"の冬営地へと向かった。

 

「ほうほう……流石はエルフ、仕事が早いな」

 

 現場に到着した僕は、開口一番にそう言った。"正統"の冬営地はリースベンの文化圏の境界……田園と森のはざまに建設されている。すぐそばにはリースベン随一の大河、エルフェン河も流れており、小さな川港も併設されていた。

 そんな蛮族冬営地では森が切り開かれ、文字通り雨後のタケノコのように竪穴式住居がいくつも生えていた。まだ骨組みしかできていない物も多いが、完成品もある。彼女らが入植した時期を考えれば、素晴らしい建設スピードといっていい。

 

「引っ越しは慣れちょっでな。こん程度ん粗末な家であれば、あっちゅう間じゃ」

 

 薄い胸を張りながら、フェザリアはそんなことを言う。粗末な家、というのは残念ながら謙遜ではない。まあ、所詮は竪穴式住居だ。文明的な暮らしからは程遠い。腐りやすいわ虫は湧くわで、長持ちもしないしな。恒久的な住居とするには正直かなり厳しいものがあるが……まあ仕方ない。マトモな壁と屋根があるぶん、テント暮らしよりはだいぶマシだ。

 

「まあ、春になれば本格的な街づくりができるようになる。それまでの辛抱だ」

 

 むろん、僕としても現状には満足していない。市民に健康で文化的な最低限の生活を提供するのは、為政者の義務だからな。竪穴式住居暮らしは、正直文化的な生活とは言い難いだろ。レンガ造りの立派な建物……とまではいわないが、せめて普通の農家くらいの家は建ててやりたいところだ。

 

「有難てぇこっじゃ。(オイ)らも、別に好き好んでこげん家に住んじょるわけじゃなかでな……」

 

 フェザリアは苦笑をしながら、馬を前に進ませる。僕たちが歩いているのは、急ごしらえの大通りだった。未舗装の粗末な道ではあるが、そこではひっきりなしに荷馬車や荷物を載せた駄獣が行きかっている。なかなかに活気のある光景だ。

 印象的なのは、エルフに交じって獣人や竜人などの姿も見かける点だ。彼女らはほとんどが商売人で、路肩で露店を開いている者も少なくない。つまり、エルフ連中が我々の経済圏に接続されはじめている、ということだ。エルフとリースベン領民の融和という点で、これは喜ぶべき出来事であった。

 

「物売りが多いね」

 

「ああ、(オイ)らも面食ろうちょっじゃ。まあ、カルレラ市に入れんやった連中が仕方(しょん)なしこっちで商いをしちょっだけ、ちゅうとが実態んごたるが」

 

 苦笑しながら、フェザリアが言う。僕は笑い返してから、肩をすくめた。

 

「何はともあれ、活気があるのはいいことさ」

 

 貨幣など持ち合わせていないハズのエルフの村に、なぜわざわざ外部の商人がやってきているのかといえば……アデライドがエルフどもにカネをばらまいたからである。名目としては、軍務に対する給料や一時支援金という名の借金などだ。

 モノは無い、カネもない。こういう状況では、いつまでたっても貧困からは脱出できないからな。一時的にでもあぶく銭を持たせ、貨幣経済に組み込んでしまう。これによって、強引に文明化を成し遂げてやろうという訳である。

 なんとも大胆な策ではあるが、経済は文明発展の原動力だ。現状のエルフどもはいわば食い詰め浪人の集団であり、その牙を抜いて真っ当な"民衆"に変えるための策としては、なかなか有効なのではないだろうか。

 

「まあ、消費するばかりじゃあっという間にカネなんて使い果たしちゃうだろうけどな……」

 

 ため息交じりに、僕はそう呟いた。いくら宰相がバックについているとはいえ、いつまでもおんぶに抱っこし続けてやるわけにはいかない。エルフどもには、自前でカネを稼ぐ術を見つけてもらわねば。つまりは、産業振興である。

 とはいえ、仮設の冬営地では新たな産業を興すどころではないからなぁ。早い所、定住地を用意してやらねば。今のこの冬営地にそのまま定住してしまえれば話は早いのだが、周辺住民との兼ね合いもある。その辺りのことは、まだ話し合いをしている真っ最中だった。

 

「おお、アルベールどん!」

 

 そんなことを考えながら大通りを進んでいると、突然に声をかけられた。みれば、そこにいたのは数名のエルフだ。一瞬だけ考え込んで、思い出す。以前の戦いで共闘したエルフ兵連中だ。

 

「おや、久しぶりじゃないか!」

 

 僕は彼女らに笑いかけ、馬から降りた。相手は平民でこちらは領主。馬上から話しかけても失礼には当たらないが、無駄に偉そうな態度を取るのはまったくもって趣味じゃないからな。会話をするときは、やはり目線を合わせたい。

 

「元気にしてたかい?」

 

「おう、おかげさまでのぉ! いやはや、アルベールどんにはどしこ感謝してんし足らんど」

 

 ニコニコと笑いながらそんなことを言う彼女らと、僕は順番に握手をした。護衛の騎士たちが少々迷惑そうな顔をしていたが、仕方ないだろ。政治屋なんてのは市民と握手するのが仕事みたいなもんなんだしさ。

 

「殿下とご一緒とは。視察にごわすか?」

 

「ああ」

 

 僕は頷いてから、彼女らの耳元に口を近づけてボソリといった。

 

「親睦会も兼ねてね。実は僕たち、結婚することになったんだ」

 

「まことにごわすか!?」

 

「お、おう。そげんこっに相成った」

 

 少し顔を赤らめ、人差し指をツンツンと突き合わせつつフェザリアは頷いた。

 

「ほう、ほうほうほう!」

 

「そりゃめでたい!」

 

 エルフ兵たちの反応は、予想通りだった。彼女らは手を叩いて喜び、自らの主君を祝福する。

 

「流石は我らん殿下や。狩りん名手は男を狩っとも上手かようじゃなあ」

 

「こりゃ、盛大な宴を開かんにゃなりもはんな。いやぁめでたか、こげん慶事は百年以上ぶりじゃ」

 

「いやあ……ハハ」

 

 珍しく、フェザリアが照れている。カワイイ。

 

「戦友である君たちだから話したんだ。正式発表があるまで、みんなにはナイショだぞ?」

 

 口の前で人差し指を立ててそう言ってから、僕はウィンクした。まあ、本気で秘密が守られるとは思っていないがね。これはあくまで、そういうポーズだ。

 ブロンダン家とオルファン家が姻戚関係になるというのは、一般のエルフたちにとっても良い話だ。ブロンダン家は本気で"正統"を支援するつもりである、という意味だからな。この縁談を噂話という形で流布させれば、無茶な真似をするエルフも減るだろう。治安の向上にも、ある程度の効果があるはずだ。

 

「ところで」

 

 よろこぶエルフたちを見回してから、僕はこほんと咳払いをした。

 

「君たちの方は、どんな調子だね? 足りていないモノ、困っている事なんかはないかな?」

 

「いやあ、アルベールどんが手厚うやってくれちょっでね。不満なぞ、さらさらあいもはんとも」

 

「メシも一日必ず二回は食ゆっしなぁ。こいで文句なんけうやつがおったや、バチが当たってもんだ」

 

 フーム、メシは一日二食か。できれば三食食わせてやりたいが、致し方ないか。無い袖は振れんしな。麦の名産地、ズューデンベルグ領を治めるディーゼル家が全面的な支援を約束してくれたおかげで、食料事情は随分と改善したが……輸送手段が荷馬車や駄馬しか無い以上、やはり物理的な限界が発生している。可及的速やかに食料自給率を上げねば……。

 産業は興さにゃならんし、新しい畑は作らにゃならんし、本当に大変だ。僕だけでは正直どうしようもないので、ここはアデライドやカステヘルミ、それに前ズューデンベルグ伯ロスヴィータ氏などに頼る必要があった。やはり持つべきものはコネだ。

 

「とはいえ、麦や豆で腹を膨らませても、やはり満足感が薄いだろう。喰いたいんじゃないのか? イモが」

 

「まぁ、のぉ?」

 

「ふかし芋は食おごたっし、芋焼酎(エルフ酒)も飲もごたっ。そんた確かじゃが」

 

 苦笑いするエルフ兵たち。ま、そりゃそうだろうね。たいていの人間は、やはり食べ慣れたモノが一番だと感じるものだ。日本人にとってコメがソウルフードであるように、エルフにとってはサツマイモがソウルフードなのである。

 

「この辺りの農民の了承が取れれば、森の方を開墾してイモ畑に出来る。来年の秋は腹いっぱいイモが食える、ということだ」

 

 僕はそう言って、村のはずれを指さした。そこには、リースベン特有の冬でも青々とした森が広がっている。サツマイモの育成スケジュールを考えれば、新たなイモ畑を作りたければ春に開墾していたのでは間に合わない。冬営地の建設が終わったら、すぐさま開墾に取り掛かる必要があるだろう。

 とはいえ、この冬営地はあくまで一時的なもの。春になって引っ越し、ということになったら、せっかく畑を作っても無駄になってしまう。そしてこの集落を恒久的なものにするためには、現住のリースベン領民たちからの承諾を取らねばならないのだ。

 なんとも厄介なハナシだよな。僕は領主だから、強権を振るえないわけではないのだが……あまり無茶をし過ぎると、反乱がおきるからな。エルフばかりを優先するわけにはいかん。

 

「だから、この辺りの住人とはできるだけ仲良くやってほしい。向こうは君たちを白い目で見ることも多いだろうが……辛抱してくれると助かる」

 

「おう、おう。任しちょけ。アルベールどんの顔に泥を塗っようなことはせん」

 

短命種(にせ)連中に無体を働っようなヤツがおったや、(オイ)らでシメとっんで。アルベールどんのお手は煩わせもはん」

 

 頼もしい事を言ってくれるエルフ兵たち。こいつらのこういうところ、結構好きだな。僕はにっこりと笑って、彼女らの肩を順番に叩いた。

 

「うん、頼りにしているぞ。エルフは忍耐強く、誇り高い種族だ。きっと上手く行くさ。僕も全力で手伝わせてもらうから、君たちも頑張ってくれ」

 

 エルフ兵たちと二度目の握手を交わしつつ、僕は心の中で息を吐いた。この後もしばらくは、こうやって冬営地を練り歩いてエルフやアリンコどもにリースベン領民との融和を説かねばならん。気が遠くなるような作業だが、残念なことに他の者に任せるわけにはいかなかった。なにしろ、蛮族どもが真面目に言うことを聞いてくれるガレア貴族は、たぶん今のところ僕だけだろうからな。はあ、頑張らねば……。

 

 



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第383話 くっころ男騎士と密使

 冬営地の視察が終わって領主屋敷に帰ってくる頃には、すでに日が暮れていた。急いで夕食を取り、ついでにソニアやアデライドらと情報交換や明日以降のタスクの確認などをしておく。忙しいからといって報告・連絡・相談を怠っていると、たいていとんでもない大事故につながるからな。このあたりは、丁寧かつ念入りにやっていく。

 そうこうしているうちに、時刻は夜中になっていた。休み明けから、なんともハードな話である。僕はすっかり疲れ切っていた。まあ、健康を害さない程度であれば、ハードワーク自体は嫌いではないがね。充実感があってよろしい。とはいえ、流石に現状は少しばかりオーバーワークな気もするが……エルフやアリンコどもがリースベンに馴染むまでの辛抱だ。

 

「はぁ……」

 

 自室に戻ってきた僕は、大きく息を吐いた。今すぐベッドに飛び込んでそのまま寝たい気分だったが、そういうわけにもいかん。まだ予定が残っているのだ。……といっても、仕事ではない。ソニアが添い寝に来るのだ。この頃、僕は毎日のように彼女やカステヘルミと同衾していた。

 もちろん、イヤらしいことはしない。そういうことは、正式に結婚した後で……ということになっている。いわゆる初夜というヤツだな。ただ、竜人(ドラゴニュート)のツガイになった男にとって冬季における同衾は義務である、というのがスオラハティ母娘の主張だった。独りで寝るのは大変に寂しくて寒いらしい。

 この辺は只人(ヒューム)である僕にはよくわからん習慣ではあるが、美女らと寝床を共にするのは悪い気分ではないからな。断る理由もない。……ま、そこまでするならいっそ食べて(・・・)くれと思わなくもないがね。

 

「……おや」

 

 ソニアを待つべくベッドに腰掛けたところで、気付いた。枕の上に、封筒が置かれている。はて、どうしてこんなものがこんなところに。そう思いつつ手に取る。未開封の封筒だ。真ん中に押された真紅の封蝋には、見覚えのある紋章が……

 

「げぇ!?」

 

 見覚えのある、どころの話ではない。王家の紋章だ。つまりこれはヴァロワ王家からの正式な書状、ということになる。とてつもなく重要な代物だった。よく見れば、差出人の名前はフランセット・ドゥ・ヴァロワ。我らが王太子殿下である。王太子殿下からの手紙が、無造作に僕の寝台に置かれているなどというのは尋常ではない。

 むろん、部屋の掃除やベッドメイクなどを担当している使用人が適当に置き捨てていった、などという話はありえない。領主に送られた手紙……しかも、王家から来たような代物をそんなぞんざいな扱い方をしたら、下手をすれば物理的に首が飛ぶからな。そんなウカツな真似をするようなヤツはそうそういない。

 

「……」

 

 僕は無言で顔をしかめた。つまり、この手紙は意図的に非正規なルートで僕の元にやってきたということになる。たぶん、使用人に混ざっているであろうスパイが持ってきたんだろうな。だが、わざわざこんなやり方で王家が僕に接触してきたというのは……キナ臭いよなあ。勘弁してくれ。

 正直こんな手紙は投げ捨てたいくらいだったが、そういうわけにもいかん。僕は机に移って、手紙を開封した。一応毒針や刃物などが仕込まれていないか注意していたが、幸いにも(当然にも?)トラップの類は仕掛けられてはいなかった。

 

「午前零時、領主屋敷の裏庭で待つ……?」

 

 王侯からの手紙だけあってその文面はひどく形式ばった装飾過多な代物だったが、内容を要約するとそういう意味だった。宰相や辺境伯に知られぬよう、コッソリと出てきてくれ……とも書かれている。

 ふーむ……つまりこれは、王家のスパイが密かに接触を求めてきた、ということか。しかも、こちらの上長であるアデライドやカステヘルミに内緒で。うわあ、キナ臭いどころの話じゃないな。ヤバイだろ、これ……。

 とはいえ、従わないワケにはいかない。なにしろ王家の紋章付きの手紙だ。意図的に無視すれば大変なことになる。まあ、王家以外の勢力が出してきた擬装の手紙……という可能性もあるが。だが、ホンモノである可能性がある以上、やはりスルーはできないんだよな。あー、ヤダヤダ。

 

「勘弁しろよな……」

 

 僕はため息をつきつつ、立ち上がった。時刻は既に零時近く。チンタラしているわけには行かなかった……。

 三十分後。僕は寝巻の上からコートを羽織っただけの簡単な格好で、領主屋敷の裏にいた。供の者はひとりもいない。手紙には一応、宰相らに知られぬように出てこい……と指定があったからな。秘密を共有する者は少なければ少ないほど良いだろう。護衛を大名行列めいて引き連れるわけにはいかなかった。

 

「おや、ひとりで出てきたのかい? さすがは勇猛で鳴らすブロンダン卿だ」

 

 闇の中から誰かがヌッと出てきて、そんなことを言った。暗くてわかりづらいが、見覚えのある姿だ。

 

「やっぱり貴女でしたか、騎士様」

 

 そう、"騎士様"。昨夜も酒場で一緒に痛飲した、あの女性である。やっぱりこの人、スパイだったんだな、そうだろうと思ってたよ。怪しすぎるもの。

 

「驚いてはくれないか。残念だな」

 

「王都で一度会っただけの女性と、こんな辺境の地で再会するなんて……偶然だと思う方がどうかしてますよ、普通」

 

「そりゃあそうか。ハハハ……」

 

 騎士様は空虚な笑い声をあげて、僕の方に歩み寄ってきた。僕は、いつでも口笛が吹けるように密かに身構える。この呼び出しが、僕を亡き者にするための罠である可能性に備えているのだ。一応、僕にだって自分が要人である自覚はある。

 口笛を一つ吹けば、死ぬほど頼りになる護衛が文字通り飛んでくる手はずになっている。ガレア最強の騎士(ソニア)リースベン最強種(ネェル)のコンビだ。ライフル兵一個小隊程度なら鼻歌交じりに殲滅できるレベルの戦力だろう。怖いのは、狙撃くらいだが……それも、この暗闇ではうまくいくまい。今夜は新月なのだ。

 

「それで、その……」

 

 僕は、少しどもりながら言った。幸いにも、騎士様は今のところ怪しい素振りは見せていない。まっとうな話し合いが通じそうな雰囲気だ。

 

「封筒には、随分と見覚えのある紋章がついておりましたが。申し訳ありませんが、一応証拠などがあれば見せて頂いてもよろしいでしょうか? あれが偽書だったりすれば、シャレになりませんのでね……」

 

「ああ、もちろん。紋章一つで信用してもらえるとは、()も思っていないさ……」

 

 僕のすぐ前にまでやってきた彼女は、そういってニコリと笑った。いくら暗くとも、これだけ近づけば顔もしっかり確認できる。やはり、あの騎士様だ。怪しいとは思っていたが、まさか王家からの使者だったとは……。

 そう思った瞬間である。騎士様はゆっくりと胸につけたブローチを握った。すると、異常な現象が起きる。騎士様の顔が、瞬時に切り替わったのだ。まるで、CG合成された映像のような早変わりだった。

 

「うぇっ!?」

 

 そして、変貌後の顔の方にも、僕には見覚えがあった。優美で不敵な、伊達女。我が国の王太子、フランセット・ドゥ・ヴァロワその人である。

 

「そう驚くことは無い。手紙だって、フランセットの名前で出していただろう?」

 

 悪戯が成功したような表情で、仮称・フランセット殿下はそんなことを言う。僕は、ほとんど腰が抜けそうになっていた。

 

「……げ、幻術の類ですか? もしかして」

 

「ああ。このブローチのおかげさ。王家の秘宝でね……」

 

 ニコリと笑ったフランセット殿下は、胸元のブローチをいじる。すると、また例の没個性な竜人(ドラゴニュート)騎士の顔に戻ってしまった。もう一度弄ると、またフランセット殿下の顔に戻る。頭がどうにかなってしまいそうな、極めて非常識な光景だった。なにこれ、チートアイテムじゃん! 剣と魔法の世界はこれだから……。

 

「じゃ、じゃあ、つまり、僕は昨夜、王太子殿下とご一緒していた……ということですか」

 

「ああ、その通り。昨夜は楽しかったよ、ありがとう」

 

「さ、左様ですか……それは重畳にございますな……」

 

 うわ、うわ、うわあ……やべえよ……なんか偉そうなこと一杯言っちゃったよ……うわあ……。マジか……? このフランセット殿下の顔も幻術で、実は偽物だったりしないかな? ……可能性は無くはないけど、流石に薄いなぁ。そんな真似ができるなら、王家の名誉なんか毀損し放題になってしまう。

 しかし、そういう話はトンと聞かないからな。つまりこの謎のブローチは王家かその直下の組織の持ち物で、目の前の彼女も王太子殿下本人か、あるいはその信を受けた影武者。どちらにせよ、王太子殿下本人として扱うべき相手だろう。

 

「し、しかし……王太子殿下が、このような最果ての地にどのような御用で? いえ、もちろん、王家の御懸念は理解しているつもりですが……」

 

 アデライド宰相は、王国南部での影響力を伸ばそうとしている。そりゃあ、王家だって憂慮するだろうさ。ほんの半年前に大貴族が王都で反乱を起こしたばかりだしな。宰相がオレアン公爵家と同じような真似をするのではないかと不安になるのも致し方あるまい。

 とはいえ、普通そんな調査は子飼いの情報機関にやらせるものだろ。王太子殿下ご本人が現場に出るとか、聞いたこともない。いったいこれはどういう事態なのか、僕には理解しがたかった。

 

「君という人間を、余自身の目で確かめる。そのために、余はリースベンまでやって来たのさ」

 

「僕、ですか……」

 

「ああ。今や、アルベール・ブロンダンは宰相派閥の要石だからね。捨て置けるような人間ではない」

 

「さ、左様で……」

 

 僕は額に浮かぶ冷や汗を拭いながら、頷いた。ヤバイなあ……王家はそこまで疑念を強めてたのか。まあ、当然と言えば当然だろうが。うむむむ……勘弁してほしいなあ。内乱なんて、冗談じゃない。ガレアをエルフェニアみたいにするわけにはいかんだろ。

 

「それで、その……御査定の方の結果は、いかがだったでしょうか? 自分といた

しましてはもちろん、王家に翻意など抱いてはおらぬのですが……」

 

「ああ、わかっているさ」

 

 そう言ってフランセット殿下は笑い、僕の肩を優しく叩いた。

 

「君は誇り高い騎士だ。王家に牙をむこうなどという気は、さらさらない。そうだろ?」

 

「ええ、ええ。もちろんです」

 

 僕はコクコクと頷いた。裏切り者予備軍扱いされるなんて、冗談じゃない。

 

「そんな君だからこそ……提案したいことがある。こんな時間に君を呼び出したのは、そのためなんだ」

 

「提案、ですか」

 

 宰相派閥から王家派閥に乗り換えろ、みたいな感じかな? だとすれば、王家は随分と僕を買ってくれているみたいだな。まあ、有難迷惑だが。政治とか、正直まったく関わりたくないんだよなぁ。そういう方面の適性、全然ないし。軍人は軍人、政治家は政治家だろ。まあ地方行政の真似事くらいは、頑張ってやってるけどさぁ……。

 

「そう、提案」

 

 王太子殿下はコホンと頷き、しばし躊躇してから口を開いた。

 

「頼む、アルベール・ブロンダン。余と結婚してくれ……!」

 

 は? いや、マジかよ。僕は試しに自分の頬にビンタをしてみた。痛い。どうやら、これは夢ではないようだ。

 

「公認愛人の件でしたら、以前にお断りしているはずですが……」

 

「違う、違うんだ」

 

 頭をブンブンと左右に振って、フランセット殿下は僕の言葉を否定する。

 

「公認愛人などではない。正式な夫婦に……王配になってほしいんだ、君には」

 

「は?」

 

 ……僕は反射的にもう一度自分の頬をシバいた。やっぱ痛ぇわ。夢じゃないわ。え、は? どういうこと!?



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第384話 くっころ男騎士と爆弾発言

 僕はほとんど腰を抜かしそうになっていた。フランセット殿下が僕を王配……すなわち、夫にしたいなどと言い出したからだ。タチの悪い夢だとしか思えないような出来事だが、残念ながらこれは現実だった。

 

「い、いや……いやいやいや、殿下! あなたには既に立派な婚約者がおられるではありませんか!」

 

 絶句していた僕だが、いつまでも混乱しているわけにもいかない、頭をブンブンと左右に振ってから、そう言い返す。実際、彼女には既に王太子という身分にふさわしい、高貴な婚約者がいた。ガレアの西に浮かぶ島国、アヴァロニアの王子様だ。

 このアヴァロニアは海運を軸とした国家運営を行っている海洋国家であり、ガレア王国に勝るとも劣らない大国だった。この国の王子と我が国の王太子の婚姻は、外交的にも非常に重要な意味を持つ。そんな国際政治の場に、僕のような騎士上がりの辺境領主がしゃしゃり出ていっていいはずがない。

 

「彼との婚約は破棄する」

 

「婚約破棄ィ!?」

 

 フランセット殿下の言葉に、僕は思わず不敬極まりない叫び声を上げた。泥酔してわけのわからんことを口走ってるんじゃないか、この人。そう思って彼女をうかがうが、その顔は真剣そのものだしもちろん酒の匂いもしない。

 オ、オイオイオイ。婚約破棄ってなんだよ? それって僕が"ざまぁ"される奴じゃん。勘弁してくれよ。しかも相手は大国の王子様だぞ? 一方的に婚約を破棄したりしたら、どう考えてもアヴァロニアとの仲が拗れるのは間違いない。やめなさいよ無駄に味方を減らすような真似をするのは。

 

「そんなことをしたら、アヴァロニアが黙ってはいませんよ!」

 

「だろうね」

 

 フランセット殿下は大きく息を吸い、そして吐いた。自らをなんとか落ち着かせようとしているような動作だった。

 

「しかし……外交と内政、どちらを優先すべきかといえば、間違いなく後者だ。アヴァロニアのほうは、丁寧に断りを入れ、謝罪金を送ればまあ戦争にまでは発展しないだろうし」

 

「いや、しかし……それ以前に、なぜ僕を……」

 

 たしかに、現在のガレア王国の内政はあまり良い状態とは言い難い。なにしろ四大貴族のうちの二つが一度に反乱を起こしてしまったのだ。迅速に鎮圧されたとはいえ、やはり国内には何とも言えないきな臭い空気が漂っている。

 そういう空気を一掃するために、王家が国内貴族との婚姻に舵を切る……というのはまあわからなくもないんだよ。たとえば、スオラハティ辺境伯の息子(辺境伯はソニアの異母弟を養子に取っているのだ)とかとね。しかし、そのお相手が僕というのは予想外だ。

 

「どうやら、君は自分を過小評価しているようだな」

 

 そう言って、王太子殿下は僕に歩み寄った。そして、僕の肩に手を乗せる。彼女は竜人(ドラゴニュート)貴族の例にもれず長身で、僕よりも頭半分ほど背が高かった。

 

「オレアン家らの反乱を迅速に鎮圧できたのも、その後に宰相陣営が躍進を遂げたのも、君がいたからだ。これほどの逸材が、宰相の手元に居るというのは大変に危険だ。王家の手の届くところで、管理せねばならない」

 

「……」

 

 当たり前の話だが、王家としては王軍と宰相・辺境伯派閥と軍事力が逆転するのは避けたいだろう。均衡を保ち続けるために、王軍の強化は急務だ。僕もその辺りは理解しているから、新式軍を編成するためのマニュアルを王都内乱の際に殿下に渡していたのだが……あれだけでは足りぬということか。

 もちろん僕としても、新たな内乱の火種を作りたいわけではないからな。王家から要請があれば、いくらでも協力する腹積もりだった。しかし、こういう事態は流石に予想外だ……。どうにも、王太子殿下は宰相が本気で反乱を起こすつもりでいると勘違いしているフシがあるな。いや、状況証拠だけ見れば、そう判断するのも致し方のない話かもしれないが……

 

「……というのが、表向きの理由」

 

「表向き」

 

「そう、表向き。建前ともいう。……女らしく、直球で行こうか。余は、貴殿を……ブロンダン卿を、男として好いている。君が欲しくなったんだ」

 

 僕の肩に置かれた手に、ぐっと力がこもった。僕が絶句していると、殿下は無言で僕を抱きしめてくる。

 

「好きだ。好きなんだよ、君のことが。宰相などに渡したくはない……!」

 

 しっとりとした甘い声で、殿下は僕の耳元で囁く。……わあ、ヤッベ。ちょっとクラッと来たわ。思わず抱きしめ返しそうになっちゃったわ。ヤバいヤバい、これが童貞百人斬りの凄腕ナンパ師の腕前か。童貞が単独で相手をして勝てる相手じゃないな……。

 冷静になれ、冷静に。今まで僕は、彼女と何回顔を合わせた? 十回にも満たない数だろう。しかもその半分以上が、酒場での飲み会である。そんな薄い付き合いしかない相手と、重要な婚約を反故にしてまで結婚する? いや、いやいやいや、そんなのあり得ないだろ。

 つまり、殿下の本音は例の自称"建前"のほうだろう。僕をヘッドハンティングして宰相派閥から鞍替えさせたいわけだな。その対価として王配の地位を用意したというのなら、何とも豪勢な話だよな。どれだけ過大評価されてんのって話だ。ま、王配云々の話がたんなるブラフである可能性も結構高いが……。

 

「いけません、いけませんよ、殿下。僕は身分卑しき身でありますし、ごらんのように男らしさなどかけらもない無骨な人間です。このような者をお傍に置けば、殿下ご自身の評判を落とすことにもつながります」

 

「知ったことか! そんなことは! 余の前で君を侮辱してみろ、誰であれ余が手づから切り捨ててやる!」

 

 感極まった様子で、殿下はそう叫んだ。わぁ、迫真の演技。王族ってやつは凄いな。僕ごときにここまでやるか。もし僕が転生者じゃなかったら……普通にコロっといってただろうなぁ。つまり、王家は泣き落としじみた手段を使ってでも僕を獲得したいほど、宰相派閥に危機感を覚えていると。そういうことか。

 ううーん、あまりいい傾向ではないな。下手をすれば、先制攻撃を仕掛けられる奴だ。僕が思うに、宰相にはそんなつもりはさらさらないように思えるのだが……こればっかりは、アデライドの日ごろの行いが悪いな。あの人、殊更に悪ぶってみせるような悪癖があるし。親しくない人間が彼女を悪党だと勘違いするのも、致し方のない話だ。

 何はともあれ、王家と宰相派閥が直接矛を交えるなどあってはならない話だ。なんとしても、衝突を回避せねば。もちろん、そのためには僕が王家に婿入りなどしてはならない。そんなことになったら、両者の亀裂はますます広がるばかりだろう……。

 

「……申し訳ありません、殿下。自分はあなたの気持ちにお応えするわけには参りません」

 

 僕はそう言って、フランセット殿下の抱擁から強引に逃れた。彼女は悲しげな様子で「ああ……」と小さく声を漏らす。

 

「アルベール、なぜだ……? 君……あの宰相と結婚せねばならないんだろう? 余と一緒になれば、その運命からは逃れられるんだぞ!」

 

 いや別にいいんですけどそれは。確かにアデライドには少々アレな部分はあるけども、そういうところも含めて愛す自信はあるし。というか、僕にはもったいないくらいの嫁さんだし。しかも結婚したら借金もチャラにしてくれるって話だし。僕にとってはむしろ都合がよすぎるくらいの結婚なんだけど。

 

「それに……聞いた話では、あの宰相のみならず、蛮族にまで身を捧げねばならないらしいじゃないか! そんなことが許せるのか? 余は、許せん!」

 

 わあ、そんなことまで露見してるのね。うーん、思った以上に領内に諜報員が浸透してるみたいだなぁ。防諜組織とか、作っておいた方がよさそうだ。僕は正規軍畑の出身だから、こういう分野は専門外なんだよなぁ。参ったね、こりゃ……。

 

「だからこそ、です」

 

 とはいえ、今はそれどころではない。何とかして、カドの立たない形でこの話を断らねば。王太子殿下がマジで僕を王配に迎える気なのかは、正直わからん。適当に騙してうまく利用する気なのかもしれん。というか、現状その可能性が一番高い。とはいえ、相手は王国の次期最高権力者。機嫌を損ねるのは大変によろしくないだろ。

 

「殿下。僕は昨夜、権力についてのお話をしましたね?」

 

「……ああ。階段に例える、アレだね?」

 

 コクリと頷くフランセット殿下。

 

「ええ、そうです。あの時お話したように、リースベンの領主たる僕の肩には、決して小さくはない責任が乗っています。むろん、殿下ほど大きくも重くもありませんが……アルベールという人間の器量では、これが精一杯なのです」

 

 僕の脳裏に、今日の視察の時に見た光景がよみがえる。建設途中の冬営地、僕とフェザリアの結婚を喜ぶエルフ兵たち……。やはり、どう考えても王太子殿下の提案を飲むわけにはいかない。

 せめてエルフやアリンコ共がきちんとした新天地を作り上げ、領民たちとのある程度の融和が実現してからでなければ、リースベンを離れるわけにはいかん。そうでなければ、蛮族どもはもちろん領民たちにもひどく迷惑をかけることになる。気に入らないね、そういうマネは。

「……」

 

「僕には、この地に住むすべての人間の安全と財産、そして尊厳を守る義務があります。これは、僕にしか果たせぬ責任です。ゆえに、僕はこの地から離れるわけにはいかないのです」

 

 実際、現状のリースベンはかなり不安定な状況だからな。僕が領主の地位を投げ出して王都に出戻りしたら、また内乱が起こるかもしれん。今の蛮族どもは、僕がいるからまとまっている……んだと思う。思い上がりかもしれんがね。まあ、とにかく王配なんてやっている暇はないということだ。

 

「果たすべき責任を投げ出すような男に、殿下の伴侶は務まりません。そうでしょう?」

 

「しかし……それは女の論理だ。君は……男なんだ。過大な責任を背負う事、それそのものが間違いなのではないか」

 

「いいえ、殿下。そのようなことはありません。僕が宰相閣下や蛮族にこの身を捧げれば、リースベンが安定する。大変結構なことではありませんか。政略結婚とはそういうものです。僕ならずとも、貴族の家に生まれた男たちは皆やっていることでしょう。それこそ、殿下の婚約者であらせられる、アヴァロニアの王子殿下もね」

 

「……君は、騙されているんだ。宰相に」

 

 唇を尖らせ、殿下はそっぽを向いた。露骨に話を逸らしてきたな……。

 

「あの女は、君のことを道具としか見ていない。そうでもなければ、夫を蛮族と共有するような真似はしない」

 

 いや確かに外部から見たらそうかもしれませんけど、宰相はその事態を回避しようと頑張ってたんですよ。まあ、アデライドも僕も結局あの腹黒ロリババアに膝を屈することになったけどさ。……アデライドの名誉のためにも、それは言わない方がいいな。天下の宰相閣下が蛮族の長老に論戦で負けたとか、表沙汰に出来ないだろ。

 

「騙されていようと、利用されていようと、僕は構いません。肝心なのは、リースベンに住むすべての人間に変わらぬ日常を送ってもらうことです」

 

 実際問題、その辺りはどうでもいいしな。こっちの仕事に支障が出ないなら、利用されようが騙されようがどうでもいいわ。利用されることを恐れてたら社会人なんてやってらんないだろ。逆に利用し返してやる、くらいの気概は必要だ。

 

「……」

 

 黙り込む殿下を見て、僕はゆっくりと息を吸い込んで気合を入れた。さあ、正念場だ。

 

「僕は僕の責任を果たします、殿下。ですから、貴方のモノになることだけは……できないのです。リースベンの領主と、ガレアの王配。この二つの仕事は、決して両立できないでしょうから」

 

 そもそも王配って、アルベール・ブロンダンというユニットを当てるにはあんまり向いてない役職だよな。絶対軍事とか関われないしさぁ。だって、この世界における王配って要するにファーストレディだろ? 外交的なアレコレとか、奥方めいた助言とか、そういうのがメインの仕事だろ。絶対僕には向いてないって。適材適所じゃないよ。こういう非効率的な人事は、あんまり趣味じゃないね。

 

「むろん、ブロンダン家は王家の臣下です。当然、臣下としての責任は果たします。あなたの剣となり、盾となって働きましょう。僕が殿下を裏切ることは、決してありません。ご安心ください」

 

 僕の立場で言えるのは、ここまでだな。あとは上長……宰相や辺境伯の仕事だ。二人にはキチンと王家と話し合って、疑念を解いてもらわねば。

 

「……そうか、そうだな。アルベール・ブロンダンとは……そういう男だったな。すまない、余は君を見くびっていた」

 

 口元をきゅっと結んで、フランセット殿下は頷いた。どうやら、納得してくれたみたいだ。僕は内心、ほっと安堵のため息をついた。

 

「残念ながら、今の余は君を説得できる言葉を持ち合わせていないようだ。だが……覚えておいてくれ。余は、本気で君のことが……」

 

 そこまで言って、フランセット殿下は僕を再び抱き寄せた。そして、優雅な動作で唇を奪う。

 

「……好きなのだ」

 

 唖然とする僕をぎゅっと抱きしめてから、フランセット殿下は踵を返した。そして、こちらに背を向けながら右手を軽く上げる。

 

「さらば、アルベール・ブロンダン。また会おう」

 

 湿った声でそう言ってから、フランセット殿下は闇の中に消えていった……。



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第385話 くっころ男騎士と緊急会議

 王太子殿下を見送った僕は、直ちに対策会議を開いた。時刻は既に真夜中といっていい時間帯だったが、なにしろ事が事である。明日の朝まで待って報告するというのは、あまりよろしくないだろう。

 そういうわけで、領主屋敷の会議室にはリースベンの幹部が勢ぞろいしていた。アデライドにカステヘルミ、そしてソニアとジルベルト。残念ながら、蛮族勢は各冬営地にいるので未参加だった。こういう時こそロリババアの知恵を借りたいのだが、まあ仕方あるまい。

 

「なにぃ!? フランセット殿下と密会!?」

 

 眠そうに目をこすっていたアデライドだったが、僕が経緯を説明したとたんにそう叫んだ。眠気など完全に吹っ飛んでしまった様子である。

 

「確かなのか?」

 

 濃いめに入れた豆茶を飲みつつ、カステヘルミが聞く。普段の彼女は香草茶を愛飲しているが、眠気覚ましには深炒りの豆茶が良い……ということらしい。

 

「おそらくは……姿を偽る魔道具などという尋常ではない代物を持っていたわけですからね」

 

「ふむ……噂くらいは聞いたことがあるが、そんな代物が実在していたとは。まるでおとぎ話だな……」

 

 ため息交じりにそう言ってから、カステヘルミは豆茶を一気に飲み干した。

 

「なにはともあれ、これは我々に対する明確な敵対行為です。あまり気分の良いものではありませんね」

 

 僕の頭に顔をうずめつつ、ソニアが指摘した。今の僕は、彼女の湯たんぽと化している。真剣な会議をするような姿勢ではないが、どうも夜中に外出したせいで身体が冷え切ってしまったらしい。……たぶんそれは単なる言い訳で、本音は僕にくっつきたいだけなのだろうが。暖炉を全力稼働させているおかげで、会議室はあんまり寒くないし。

 

「領主屋敷への工作員の浸透、秘密の呼び出し、我々を裏切って自分の元に嫁ぐよう要請……一昔前ならば、王家が相手とはいえ自力救済(フェーデ)を仕掛けられても文句は言えない行為ですね。これで叛乱されないと思っているのならば、何とも平和ボケしているというほかない」

 

「怖いこと言わないでよ……」

 

 ソニアはだいぶ怒り心頭な様子であった。王家が相手でも、中指をおったてるのに躊躇は無い様子である。怖いねぇ、王家に対する敬意とか、無いのだろうか?

 ……無いだろうなぁ。この世界、絶対王政とか王権神授説みたいな概念はまだ生まれてないし。王や皇帝なんてのは、その地域で一番大きな軍事力を持っている領主、くらいの扱いだもの。王がナメた真似をすれば、臣下といえど平気で反逆をする。中央集権? ナニソレ? みたいな感じ。まぁ、これでもお隣の神聖帝国よりはマシだが。

 

「僕としては、王家とは敵対したくない。今回の件は、無かったことにするのが一番穏当だと思うんだけど。今のところ、実害はないわけだし……」

 

 ガレアは故国だしリースベンは大切な僕の領地だ。くだらない理由で内戦はおこしたくない。僕のせいでガレアがエルフェニアみたいになったら、シャレになんないだろ。

 

「ウム、同感だな。おそらく今回の件は、殿下が先走った結果だろうしねぇ。この一件をもって王家と全面対決、というのは美味しくない」

 

 腕組みをしながら、宰相が僕に同調した。まあ、「王とはいえナメられたら殺す!」なんてのは領邦領主の考え方だ。アデライドのカスタニエ家は王都を本拠とする宮廷貴族の家であり、軽率に王家と事を構えることはできない。

 

「やはり、独断専行ですか」

 

 僕の問いに、アデライドは頷いた。そして、僕をオモチャにしているソニアへ若干羨ましそうな目を向けてから、小さく息を吐いた。

 

「普通に考えて、宮廷騎士上がりの城伯と王太子の結婚などあり得ない話だからねぇ。しかも、アヴァロニアとの政略結婚まで破棄して……。国王陛下は慎重なお方だ。そのようなムチャな策は採用しないだろう」

 

 まったく、あのバカ王子は何を考えてこんなことをしでかしたのか。アデライドは小さな声でそう呟いた。状況が状況なので今回の件はうやむやにするほかないが、やはり彼女もそれなりの腹立たしさは感じているらしい。

 

「確かに……」

 

 婚約破棄なんて、普通じゃない。下手をすれば……いや、しなくとも、相手の家と戦争が発生しかねない行為だ。そんなリスクを負ってまで僕をヘッドハンティングしようとするなんてのは、マトモじゃないだろ。

 

「しかし、何はともあれ王家がこちらに疑念の目を向けているのは確かでしょう」

 

 そう指摘するのは、ジルベルトだ。彼女は薄く笑いながら、言葉を続ける。

 

「叛徒になるのはこれで二度目ですね。ふふっ、面白くなってきましたよ」

 

「いや、その……僕としても王家と敵対する気は無いって言うか……。うん、その、ごめん」

 

 ジルベルトは、王都内乱においては叛乱側のオレアン公側で参戦している。いろいろあって大したお咎めはなかったが、それでも一度は叛徒の烙印を押された人間なのだ。そういうヒトを、また内乱に巻き込むのは気が引ける。

 

「いえ、いいえ、主様。オレアン公のために王家に弓を引くのは気が咎めましたが、貴方のためであれば迷うことはありません。一言命じていただければ、陛下の首級であっても躊躇なく討ち取りましょう」

 

「……」

 

 重い、重いよぉ! そんなの命じないよぉ! 僕は無言で頭を抱えた。ジルベルトの目は爛々と輝いている。ヤバい目つきだ。

 

「しかし、叛乱か。私としては、地方でヌクヌクしっぽりやりたいだけなんだがねぇ。田舎でスローライフ、みたいな」

 

 宰相の発言に、僕は思わず顔をしかめた。リースベンでスローライフができるはずないだろ! エルフの管理を丸投げしてやろうか!?

 

「しかし、王家はそうとは受け取らなかったと。ううむ、どうやら性急に事を進めすぎたようだ。なんとか、誤解を解かねばならないねぇ……はあ、面倒だ」

 

「王家は夏の一件で少しばかりナーバスになっている。露骨に権力拡大を狙っているような動きをすれば、疑念を抱くのは当然か。ウカツだったね……」

 

 アデライドとカステヘルミが、そろってため息をつく。フランセット殿下はどうやらこの二人が黒幕だと思っている様子だが、実態はコレだ。この会議の様子を見せてやれば、疑念など一発で晴れそうなものだが……。

 

「まあ、いくら嘆いたところで過去は変えられない。問題は、これからどう立ち回るかだが……」

 

「誤解をされているというのなら、それを解くほかないだろうな。アデライド、一度王都に戻ってはどうだ? フランセット殿下は話を聞いてくれないだろうが、国王陛下やその周辺であればそこまで頭に血が上っていないだろう。事情をキチンと説明し、疑わしい行動をしたことを詫びるべきだと思うが」

 

 カステヘルミの提案に、アデライドはため息をついてから「致し方あるまい」と頷いた。

 

「リースベンが南国で良かったよ。北の方だと、もう翼竜(ワイバーン)を飛ばすのはムリだからねぇ」

 

 翼竜(ワイバーン)は見た目は完全に爬虫類だが、一応恒温動物だ。暖かい地域であれば、冬場でも運用可能である。王都ならギリギリ、リースベンであれば余裕だろう。ちなみに、北国のノール辺境領では普通にムリだ。あの寒さは、翼竜(ワイバーン)はもちろん人間ですら動けなくなる。

 

「で、あれば……わたしも同行してもかまわないか?」

 

 そんな提案をしたのは、ソニアだった。母親であるカステヘルミが、おやと彼女の顔を見る。ソニアとアデライドは、反りが合わない。というか、ソニアの方が一方的に宰相を嫌っている。だから、この二人が協力して同じ仕事に当たるというのはまずない事なのだが……。

 

「そりゃあ、構わんがね。しかし、意外だな」

 

「いい加減、わたしも政治向きの仕事を覚えた方がいいだろう。手間をかけて申し訳ないが、ご指導ご鞭撻を頼みたい。……よろしいでしょうか? アル様」

 

「ああ、いいよ。しっかり勉強してきてくれ」

 

 なるほど、ソニアも成長したものだ。しみじみとした心地になりつつ、僕は頷いた。副官が不在になるのは普通に痛いが、まあ仕方あるまい。宰相の傍で働くのは、なかなかの勉強になるだろう。将来に向けての投資だと考えれば、悪くはない。彼女の抜けた穴は……。

 

「……」

 

 ちらりとカステヘルミの方を見ると、彼女は嬉しそうに笑って頷いた。うん、うん。本当に頼りになる母娘だ。この人らがいなけりゃ、僕はやっていけないな。

 

「しかし、寂しくなるね……」

 

 翼竜(ワイバーン)を使えば王都までの旅程は大変に圧縮できるが、それでも最低一週間はソニアが不在ということになる。小さく息を吐きながらそう呟くと、ソニアは無言で僕をぎゅうぎゅうと抱きしめた。……コラ! 抱きしめるのは良いけど服の中に手を突っ込んでくるのはやめなさい!



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第386話 くっころ男騎士と女の勘

 すでに夜半ということもあり、会議は短時間で終わった。僕は眠気をこらえながら自室に戻り、ベッドで横になる。……ソニアと共に。もともと、今夜は彼女との同衾の日だったのだ。この頃の僕は、一人で寝る機会がほとんどなかった。本当に竜人(ドラゴニュート)は添い寝が好きな種族である。

 

「しかし……参ったね」

 

 胸元に抱き寄せた幼馴染の頭をゆっくりと撫でながら、僕はそう言った。夜のソニアは甘えん坊だ。よく懐いた大型犬のように、ベタベタとくっ付いてくる。その感覚は、けっして不快ではなかった。まあ、相変わらず夫婦云々の部分には違和感を覚えているが……それもいずれは慣れるだろう。

 

「あのチャラ女のことですか」

 

 僕の胸に頬擦りをしながら、ソニアは言う。男の胸なんぞにくっついて何が楽しいのだろうか。僕にはさっぱりわからないが、ソニアはよくこういう真似をする。

 

「チャラ女……」

 

 おそらくは、フランセット殿下のことだろう。僕は思わず苦笑してしまった。確かに殿下はいかにも遊び慣れた風情の洒落者だ。チャラいといえば、チャラいのだろうが。とはいえひどい言い草である。

 

「婚約者がいるというのにあちこちの男に声をかけて回っているようなナンパな(やから)は、チャラ女で十分でしょう」

 

「まぁ……そうかも」

 

 童貞百人斬りだものなぁ……あれ、百人斬りはデマだっけ? あんまり興味がないので忘れてしまった。

 

「僕にコナをかけてきたのも、その一環かね。みんなにああいうことをしているのなら、そりゃあ男泣かせとも呼ばれるか……」

 

 仕事の一環とはいえこんな辺境まで追いかけて、婚約破棄をするとまで言って口説いてくる……ううーん、強い。僕もこういう立場じゃなかったらコロッと行っちゃってるかもな。

 

「……それは、どうでしょうね?」

 

 ソニアは頬擦りを止め、僕のほうをチラリと見た。……といっても、部屋は真っ暗いのでそういう気配しかわからないが。

 

「というと?」

 

「これは女のカンですが……あのチャラ女、本気だったんじゃないでしょうか?」

 

「本気? どういうことだ」

 

 アレは、僕を自陣営に取り込むための工作だろう。僕は諜報戦に関して言えば前世から専門外だが、防諜対策の研修は受けている。男女の情に訴えかけてくるやり口は、この手の状況ではもはや鉄板だ。殿下のアレも、そういう流れの一環ではないのだろうか?

 

「これはまあ、ヒトからの受け売りなのですが。ああいう軽いタイプの女が、本気で人を好きになったら……却って、激しく燃え上がります。既にいる婚約者を捨てて新しい男に走ろうとしたりね」

 

「なんだ、ソニア。つまり君は、殿下が本気で僕に好意を抱いているとでもいいたいのか?」

 

 僕は幼馴染に顔を近づけ、そう聞いた。天窓から差し込む微かな星光に照らされた彼女は、コクリと頷く。

 

「遠くから盗み聞きしていただけの身ですが、確かにそういう風に感じました」

 

「まさかぁ……」

 

 フランセット殿下とは、何度か一緒に酒を飲んだだけの仲である。しかも、僕は相手が殿下だとは知らなかったものだから、結構失礼な態度を取っていた。女に飢えた童貞……もとい、男に飢えた処女じゃあるまいに、そんな薄い付き合いで相手が好きになるものかね? まあ、もともと彼女はあちこちの男に声をかけているので、単純に惚れっぽいタチである可能性もあるが……。

 

「よしんばそれが事実でも、惚れやすは飽きやすと相場が決まってる。放置してたらすぐ醒めるだろ」

 

「さて、どうだか……」

 

 小さく肩をすくめてから、ソニアはまた僕にぎゅーっと抱き着いた。

 

「こんないい男、飽きるとは思えませんが」

 

「あんまりおだてるんじゃない、調子に乗り始めたらどうするんだ」

 

 大型犬を撫でまわすような手つきで彼女の髪を滅茶苦茶にしながら、僕は笑った。しかし、ソニアは笑わなかった。

 

「いいですか、アル様」

 

「はい」

 

「恋というものは、困難であればあるほど却って燃え上がるモノです」

 

「はい」

 

「そして、恋に狂った竜人(ドラゴニュート)はわりととんでもないことをしでかします」

 

「とんでもないことって……」

 

 いったい何だよ? そう思いながら幼馴染の方を見ると、彼女は皮肉げに笑った。

 

「例えば……国内屈指の大貴族の次期当主だったのに、一方的に実家と絶縁してヒラの宮廷騎士の家に転がり込んだり」

 

「……」

 

 いやお前やんけ! 僕は彼女のほっぺたを両手で包んでもみもみした。ソニアは「んへへ」と笑って顔をぐいぐいと押し付けてくる。

 

「……こほん。とにかく、油断するべきではありませんよ。あの女、きっと思いもよらぬマネをしてきます」

 

「さあてねぇ……まあ、警戒するに越したことは無いだろうが」

 

 恋の達人みたいな人が、僕のような男らしさのカケラもない野卑な人間に惹かれるものかね? やっぱり、アレはあくまで演技だと思うんだが。……まあ、僕という人間は軍事面以外では何の頼りにもならないポンコツだ。ソニアの分析の方が、正確かもしれんな……。

 ……だとしたら、あの断り方は不味かったかもしれん。アデライドに対して、一方的に敵愾心を抱いちゃうかも……。ううーん、マズったな。僕は宰相が大好きなので問題ないデース、とでも言っておいた方が良かったのか? いや、いやいやいや。恥ずかしすぎるだろ……勘弁してくれ。

 

「……アル様は、少し自己評価が低すぎると思います」

 

 唇を尖らせたソニアは、今度は僕の方を抱き寄せてきた。そのあまりにも豊満な胸に包まれていると、大変に心地が良い。

 

「あなたのことを好いている女は、たくさんいるんですよ。そのあたり、わかっているんですか?」

 

 だが、そんな天国のような状況にもかかわらず、ソニアの声には非難の色がある。

 

「……」

 

 確かに……現状を考えれば、自分は愛されていない、などという言葉は口が裂けても言えない。ただ、なぁ。僕ってば、両親や弟を残してわざわざ死にやすい任務に突っ込んで言って、案の定命を失ったような馬鹿だからなぁ……。また現世も、空っぽの棺で葬式をせねばならんような終わり方になるかもしれん。そういう人間は……本当に愛されるに足る価値があるのだろうか?

 

「たとえば、ジルベルト。……彼女も、いい加減に添い寝がしたそうにしていましたよ。よろしければ、わたしが王都に発つ前に三人で寝てあげてもよろしいでしょうか? いきなり二人っきりというのも、アル様にしろジルベルトにしろキビシイでしょうから……」

 

「あぁい」

 

 ジルベルトは慎み深い性格なので、ソニアやダライヤのようにベタベタとくっ付いてくるようなことはない。しかし、やはり彼女も竜人(ドラゴニュート)。相方の体温を求める本能はあるらしい。……本当にお相手が多くて困惑するね、異常事態だ。

 

「それから、ネェルも。先ほどなんて『小柄な、方々は、添い寝とか、デートとか、しやすくて、羨ましいですね?』なんてイヤミを言われたんですよ? まさか自分が、巨人ども以外から小柄扱いされる日が来るとは……」

 

「ハハ……まあ種族差はね、仕方ないから」

 

 ネェルは今のところ、郊外のリースベン軍駐屯地にある馬小屋を改造した家で暮らしている。なにしろ規格外の巨体だから、普通の家には入ることすらできないのだ。……ただ、一応領主屋敷の方に居を移すという計画もある。彼女を僕専属の護衛に任じよう、という動きがあるのだ。

 そうなると、あまり離れた場所で寝起きされるといろいろ不都合がある。今回の一件でも、寝ぼけ眼の鳥人伝令を駐屯地まで飛ばしてたたき起こしてもらったのだ。彼女の戦力は大変に頼もしいので、やはり必要とあらば即招集できるようにしておきたい。領主屋敷に工作員が浸透していることが明らかになったのだから、なおさらだ。

 

「彼女にも随分と世話になっているからな。近いうちに、何かしら埋め合わせをしてやらねば」

 

「『独り寝が、寂しいのは、竜人(ドラゴニュート)の、専売特許では、ありません』などと言っていましたよ。あの子も添い寝がご所望のようです」

 

「いよいよ僕を狙っていることを隠さなくなってきたな……」

 

 いや、最初からか。

 

「まあ、いいではありませんか。彼女は、良い女ですよ。単純な武力はもちろん、頭は回るし気も回ります。アル様とも十分につり合いが取れると思いますが……アル様は、彼女がお嫌いですか?」

 

「嫌いか好きかでいえば、だいぶ好きの部類だが」

 

 いろんな意味でいい性格してるもんな、ネェル。ああいう一筋縄ではいかないタイプは、けっこう好みだ。……ダライヤといい、僕の女の趣味ってだいぶねじ曲がってないか?

 

「しかし……いいのか? ソニア。僕が彼女と関係を持つのは……」

 

「心許せる友人と夫を共有するというのは、素晴らしい事ですよ。アル様が嫌がられないのであれば、首を横に振る理由は一切ありません。ジルベルト義姉上や、ネェル……それから、ついでにカリーナあたりであればね」

 

「……」

 

 そこでカリーナの名前が出るのか……。むぅーん。そういえば以前、カステヘルミからも似たような話題を出されたな。もしかしてあの義妹、密かに僕の外堀の攻略に取り掛かってるんじゃなかろうな? いや、まさか……な。カリーナはロスヴィータ氏から預かった大事な妹分だ。出来れば、立派な令息を見つけてきて、婿にしてやろうと考えていたのだが……。一度、本人の要望を聞いておいた方が良いかもしれん。

 

「……なんだかなぁ」

 

 しかし、アレだね。こっちの世界の女性、わりとハーレム容認派ばかりだね。むしろ、僕の方が違和感を抱いている始末。転生者ゆえ仕方ないとはいえ、なんだろうねぇ。一人の女に生涯をささげる! みたいなの、割と憧れてたんだけど。どうやら、そのおぼろげな憧れは叶うことなく終わりそうだ。……ま、実際に僕が生涯をささげてるのは、女ではなく軍隊なのだが。



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第387話 ナンパ王太子と聖人司祭(1)

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワは酒におぼれていた。セーフハウスの自室で、ただ一人黙々とワインを飲んでいる。足元には空っぽになったボトルがすでに二本転がっていたが、さっぱり酔った気分がしない。

 

「アルベール……」

 

 酒杯のワインを飲み干してから、余は茫然とそう呟いた。オトコに振られたのは、生まれて初めての経験だ。むろん、ショックは受けている。けれども、正直に言えば最初から断られるような確信はあったのだ。あの高潔な男が、そう簡単に己の責任を放棄することなどあり得ない。

 ああ、アルベール。やはり彼は只者ではない。たとえ自らが汚れても、臣下や領民を守ろうとする姿勢。これを騎士の理想と言わずになんというだろうか?彼と話していると、懐かしい記憶がよみがえっている。我が母がまだ生きていた、あの頃の記憶が。

 ……結婚を断られたというのに、余は彼のことがますます好きになっていた。あの男を我が物にしたい。あの男に未熟な己を導いてほしい。けれども、アルベールは既に別の女のモノだ。あの汚らわしい欲深で腹黒く雄々しい女、アデライド・カスタニエ。よりにもよって、あのクズのモノに。

 

「……」

 

 酒杯に新たな酒を注ぐのすら面倒になって、余は酒瓶に直接口をつけた。我が執事(ばあや)にこんなところを見られたら大目玉だろうが、今は一人だけだ。構うものか。

 ……しかし、アデライド。アデライド・カスタニエ。ああ、許せない。アルベールの結婚相手が、彼にふさわしい誇り高い騎士であれば、余も諦めて祝福できたものを。だが、あの宰相は高潔とは程遠い俗物で、アルベールを蛮族のクズ酋長に差し出すような輩だった。絶対に許せない。

 

「……しかし」

 

 本音を言えば、いっそ彼を攫ってしまいたい。王家の強権を振るい、彼をアデライドから引き離す。その上で改めてアルベールにリースベンの統治を任せ、まつろわぬ蛮族は王軍の武威をもって対処すればよい。それが理想だ。

 けれども、残念ながらそれをやるわけにはいかなかった。オレアン公爵家の失脚以降、宰相一派は完全にその立場を盤石にしつつあった。宮廷における政治闘争でも宰相派は王室派と伯仲しているし、武力面でもその背後についているのは王国諸侯の中でも最強のノール辺境伯カステヘルミだ。切り捨てるにはあまりに強大過ぎる。

 アルベールは宰相派閥の要石で、これを強引に奪い取れば王室と宰相の全面衝突は避けられない。現状、王室はこの闘争に勝利できるかかなり怪しかった。よしんば勝利できても、大幅な弱体化は避けられないだろう。そうなれば、新たな反乱がおきる可能性はかなり高いし、周辺の列強も野心をむき出しにして襲い掛かってくるだろう。大陸西方は戦乱の時代に逆戻りだ。

 王太子として……流石にそれは認められない。少なくとも表面上は、宰相派と仲良くしていくほかないのだ。なんと屈辱的なことだろうか。余は、あの清廉な男が宰相によって汚されていく様を、特等席で眺める羽目になるのだ。無力、あまりにも無力。歯を食いしばり、涙をこらえる。

 

「若様」

 

 そこで、ドアが控えめにノックされた。かけられた声は、聴きなれた部下のものだ。

 

「……どうした?」

 

「ポンピリオ商会のヴィオラ様がお越しです。至急面会して、相談したいことがあると申しておりますが……お引き取り願いましょうか?」

 

 こんな時間に、なんと非常識な。そう憤慨していることがありありとわかる声音だった。確かに、すでに時刻は深夜から早朝へと移り変わりつつある。こんな時間に会いに来るなど、門前で蹴り飛ばされても文句は言えないだろう。

 ……しかし、相手はポンピリオ商会のヴィオラ、もといフィオレンツァ司教だ。あの若さで教区長までのし上がった化け物。そんなヤツが、この深夜に突然訪問してきたのだ、たんなる気まぐれであるはずがない。つまり、余がアルベールに振られたことを知って、何かしら言いに来たに違いない。

 余とフィオレンツァは、協力関係にはあるが仲間というわけではない。だからもちろん、今夜のことも彼女には伝えていないのだが……まったく、不気味な女だ。少なくとも、宰相と同じくらいには警戒したほうが良いだろう。……とはいえ、毒を以て毒を制す、などという格言もある。余だけでは宰相に対抗する術を持たぬ以上、彼女の力を借りるのも一考か……。

 

「いいだろう。通せ」

 

 一瞬でそこまで考えて、余はぶっきらぼうな声でそう答えた。それから、十分後。余は、応接室であの不気味な坊主と向かい合っていた。

 

「まさに駆け付け一杯、という感じですね」

 

 眠気を感じさせぬ声でそんなことを言いながら、司教は酒杯のワインを一気に飲み干した。可憐な見た目に似合わぬ豪快な飲みっぷりである。

 

「遠慮会釈のない女だ……。で、何の用なのだ? 今宵の余は不機嫌だぞ。下手なことを言えば、口より先に剣がでるかもしれん」

 

 見た目だけは天使めいたうさんくさい女を睨みつけつつ、余はそう吐き捨てる。

 

「なぁに、大したことはありませんよ。恋愛相談も聖職者の仕事のうち。失恋したばかりの哀れな殿下に、御助言を……と思いまして」

 

「ふん……」

 

 やはり、嗅ぎつけられていたか。こいつはこいつで、独自の情報網を持っている。厄介な手合いだ。

 

「助言と来たか。導きの魔術師気取りか?」

 

「魔術師ではなく、坊主ですが。まあ、そのようなものです」

 

 しゃらくさい。訳知り顔でこんなことを言ってくる者など、詐欺師と相場が決まっているのだ。助言など、聞く価値は無かろう。……余の理性はそう言っていたが、彼女を追い出そうという気は湧いてこなかった。溺れる者は藁をもつかむ。そういうことわざが、余の脳裏にちらついた。今の余は、間違いなく溺者だ。こんな信用ならぬ女であっても、頼りたい心地になっている……。

 

「……まあ、聞くだけは聞こうか」

 

「……」

 

 ニコリと笑って、司教は小さく頷いた。そして従者が注いだ酒を、一口だけ飲む。

 

「王太子殿下、わたくしはこう思うのです。踏みにじられ、汚される運命にある花は……いっそ手折ってやったほうが幸せなのではないかと」

 

「……」

 

 余は、無言でワインを喉奥に流し込んだ。嫌な気分だった。彼女の指摘が、余が内心思っていることそのままだったからだ。

 

「その花は、摘んだとたんに周囲でおびただしい血が流れる呪いの花だ。たとえどれほど美しくとも、手折るわけにはいかぬ」

 

「皇太子殿下は、勘違いされているようですね」

 

 ニコリと笑って、司教は肩をすくめる。

 

「王家と宰相派閥は、いずれ衝突いたします。今すぐに、という訳ではないでしょうが」

 

「……アルベールは、そのつもりは無いと言っているが。それに、宰相はともかく辺境伯は慎重派だ。こちらに新式軍制の教本を渡すバランス感覚もある。王位の簒奪を目論んでいるなら、こちらに教本を渡すような真似はすまい」

 

 宰相は厄介だが、独自の武力は大したことがない。宰相派の武力は、スオラハティ家とブロンダン家が担っている。その双方が王軍に対抗する姿勢を見せていないのだから、オレアン公爵家のようなクーデターを起こす可能性は低いと余は踏んでいた。

 

「辺境伯様はそうでしょうね。穏やかな方ですから。しかし……」

 

 ため息をついてから、司教はワインで喉を潤した。

 

「王軍と宰相派閥軍の戦力比が逆転すれば、いずれ悪心を抱くものも出て来るでしょう。たとえば、あの悪名高い辺境伯家の三女殿とか」

 

「……」

 

 余は思わず黙り込んでしまった。ヴァルマ・スオラハティ。カステヘルミの三女。通常ならば長女のスペアのスペア、そういう風にしか扱われないのが三女という立場だ。にもかかわらず、このヴァルマという女はたいへんに有名だった。それも、姉のソニアのような良い方向の有名さではない。

 三女にもかかわらず、辺境伯家の当主になると公言してはばからない問題児。傍若無人にして冷酷無比。そのくせ、天性の戦上手と来ている。人間の形をした火薬庫、そういう風情のある女だった。間違いなく、危険人物である。そんな女が、王家を上回る戦力を手に入れたらどうなるか……考えるだけで恐ろしい。

 

「戦が避けられないというのならば、勝てるタイミングでこちらから仕掛けるべきです。そして、アルベールさんは宰相派閥の要石。最初に狙う相手としては、この上ない獲物。……ならば、ついでに殿下の想いも遂げてしまえば良いのです。戦利品は、勝者の物となるのが古来よりの定め。彼を我が物としても、文句をいう者はいないでしょう……」

 

 危険極まりない発言をしながら、司教は艶然(えんぜん)とほほ笑んだ……。

 



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第388話 ナンパ王太子と聖人司祭(2)

 余は絶句した。この女は民衆からは聖人などと呼ばれているが、もちろん単なる善良な聖職者などではない。そうでなければ、この年齢で司教……それもパレアという大都市圏の教区長などに任命されるはずがないからだ。

 しかし、それにしても今回のフィオレンツァ司教の発言は過激に過ぎる。王太子たる余に、その臣下である宰相・辺境伯一派を攻撃せよと言っているのだ。これは、直球の内乱示唆である。この女は、あまりにも危険だ。ここで切り捨てた方が良い。余の理性はそう叫んでいた。

 

「……余に宰相を討てと。貴様はそう言いたいのか?」

 

 だが、そんなことはできなかった。なぜなら、司教の提示したプランは余自身も検討していたことだったからだ。我が国を蝕む悪党どもを除き、愛しの男をこの手に抱く……なんと甘美な想像だろうか? 公人としての義務と、私人としての願望を同時に叶えることができる。しかし、冷静に考えればそのプランは現実的ではない……ハズだった。

 

「ええ、その通りです」

 

 ニッコリと笑って頷いてから、司教はワインを飲む。

 

「今すぐにはムリでも、いずれは。兵の数自体は、辺境伯軍よりも王軍のほうが多いのです。質の問題が解決すれば、勝利は揺るぎません。そうでしょう?」

 

「……一理はあるが」

 

 現在、王都をはじめとする王家直轄領の大都市ではライフル銃や大砲の量産が始まっている。なにしろ、王都内乱によって新式軍制の威力はハッキリと示されてしまったのだ。特等席でその様子を見ていた王軍幹部たちの危機感は、尋常なものではなかった。

 たしかに、現状では辺境伯軍の方がはるかに装備が良い、それは事実だ。しかしその差は、永遠に縮まらぬものではない。平和な時代が長く続いたことにより、国庫にはそれなりの余裕がある。それを投入すれば……装備の迅速な更新は十分に可能だろう。

 

「では、何か。余が剣を佩いて、領主屋敷でノンビリしているあの只人(ヒューム)女を切り殺せばよいのか? うん?」

 

 挑発的な口調で、余はそう言い捨てた。むろん、皮肉である。宰相の直接排除などを狙った日には、宰相陣営との全面戦争に発展するのは間違いあるまい。現状の王軍で、あの辺境伯軍と戦うのは避けたかった。

 

「その手には乗りませんよ、王太子殿下」

 

 薄く笑って、司教は酒杯を軽く揺らした。不気味な表情だ。

 

「明らかに、今は戦争の季節ではありません。王都で見たあの新式軍が、旧態依然とした王軍に牙をむけば……結果は火を見るより明らかでしょう」

 

「きみねぇ……王太子に向かって、よくもまぁ王軍は旧態依然としているなどと言い放てるな」

 

 余は少し呆れて、そう言ってやった。

 

「事実を事実として受け止められぬ人間に、王は務まりません。そして、フランセット殿下には王たる器がある。そうでしょう?」

 

「ふん、見え透いた世辞は嫌いだな」

 

「なんとも手厳しい」

 

 心外そうな表情の司教だが、当然である。この手の人間の言うことをいちいち真に受けていたら、みが持たないだろう。

 

「……まあ、事実として現状の王軍で宰相派閥に挑むのは分が悪い。今は、全力で軍の再編成に当たるべき時期だ。問題は、この機に宰相派閥が仕掛けてくる可能性があることだが……」

 

「思うに、宰相派閥もしばらくは大人しくしているものと思われます。リースベン軍は内乱で疲弊しておりますし、なにより蛮族の取り込みで大忙し。新たな戦争の準備をしている余裕はありません。そして、辺境伯軍も頭領はあの穏健派のカステヘルミ殿です。クーデターなどという大それた真似ができる女ではありませんよ。辺境伯軍が危険になるのは、おそらく代替わりした後……」

 

「大した軍師ぶりだな、司教殿。教会では星読みだけではなく軍学まで教えているのか?」

 

「まさか! ……所詮は素人の浅知恵です。わたくしは、どちらかといえば頭の回らぬ女ですし」

 

 余の皮肉に、フィオレンツァは小さく肩をすくめる。

 

「とはいえ、現状での全面対決を避けたいのはこちらも同じことだ。負けるとは言わないが、勝ったところでそれなりの手傷は負うだろう」

 

 そこまで言って、余はすっかり自分が宰相と決別する気になっていることに気付いた。……まあよい、確かにあの女は有害だ。切除できるならば、するべきである。ただ、今はそのタイミングではないというだけの話だ。

 できれば、二年。最低でも一年は欲しい。それまでは、アルベールの身柄は宰相に預けたままにせねばならぬだろう。悔しいが、だからといって負けかねない状態で戦いを始めるわけにはいかない。可能な限り、必勝を狙えるタイミングで仕掛けるべきだろう。

 

「その場合……一番の問題は、神聖帝国。現状の両国関係はそこまで危機的なものではないが、こちらが弱味を見せれば即座につけこんでくるだろう。少なくとも、余があの女(・・・)ならそうする」

 

 憎たらしい長身の獅子獣人女の顔を思い出しながら、余はそう吐き捨てた。今は皇位を引いているという話だが……ヤツの牙は相変わらず鋭いだろう。油断はできない。

 

「そのあたりは、このわたくしが星導教のネットワークを使って全面的に支援いたします。これでも、教団本部……サマルカ星導国では、相応の信任を頂いている身ですので。他国の情報は、それなりに手に入ります」

 

 サマルカ星導国……名前の通り、星導教の本拠地だ。国としては小国の部類だが、中央大陸西方の列強諸国はほぼすべてが星導教を国教として頂いている。そういう状況下だから、星導国の権威は比類のないものがあった。

 

「せ、聖界が世俗に干渉しようというのか! 一体何のために……」

 

 宗教界が世俗の紛争に介入するのは、タブーとされていた。世俗は世俗、聖界は聖界。そういう住みわけが出来ているのだ。むろん星導教も利権組織だから、世俗に対して影響力を行使してくることも多々ある。しかしそれでも、ここまで露骨な協力の提案はそうそうない事であった。

 

「……」

 

 余の問いに、司教はすぐには答えなかった。小さくため息をついて、少しだけ考え込む。

 

「……実のところ、これは教皇猊下の御意思ではございません。わたくしの独断です」

 

「独断……!?」

 

「ええ」

 

 小さく頷いた司教は、ワインを一口飲んだ。

 

「アルベールさんは、わたくしの幼馴染でもあります。彼の現状を憂いているのは、殿下だけではない……ということです」

 

「……なんだ貴様、まさか余がアルベールを救った暁には、自分とも共有しろとでもいう気ではないだろうね? それでは、やり口が宰相と変わらないじゃないか」

 

 政治目的のために、アルベールを蛮族などと共有しようとしている宰相。そのやり方は、なんとも嫌悪感を催すものだ。余は、あの外道と同じ穴のムジナになる気は無かった。

 

「いえ、いいえ」

 

 だが、司教は余の指摘にも顔色一つ変えず、首を左右に振る。

 

「たしかに、わたくしはアルベールさんを愛しております。しかしそれは、男女の愛ではございません。親子の愛なのです。わたくしは、アルベールさんを実の父親のように慕っているのです」

 

「ち、父親!?」

 

 予想外過ぎる発言に、余は思わず酒杯を取り落としかけた。なんとかそれを堪え、杯の中身を一気に飲み干す。気付け薬が欲しい心地になっていた。

 

「いったいどういうことなんだ、それは。君たちの年齢差は、せいぜい数年。親子というには、あまりにも」

 

「……すこしばかり、身の上話をいたしましょう」

 

 一瞬躊躇してから、司教は余の酒杯にワインを注いだ。

 

「わたくしには、父親がおりません」

 

「たしか、貴殿の母君も僧侶だったね。いわゆる、星の落とし子というやつか」

 

 星導教の聖職者は、姦淫を禁じられている。にも拘わらず、僧侶が子を孕むことがよくあった。これは極星より贈られた特別な御子だと言われるが……まあ、実態は裏で子供ができるような事をしているだけの話だ。星導教の高位聖職者はよく男性の使用人を専属の小姓としているが、これが事実上の結婚、あるいは愛人契約であることは公然の秘密だった。

 

「ええ。まあもちろん、名目上は……ですが」

 

 そう言って、司教はため息をついた。

 

「ですが、わたくしの場合……少しばかり事情が特殊でして。父である可能性のある男性が、十人ほどいるのですよ。我が母は、何人もの男性に同時に奉仕をされることを史上の喜びとする、どうしようもない女でして」

 

 嫌悪感を丸出しにした表情で、司教は吐き捨てる。余は絶句してしまった。星導教内の風紀が乱れているのは、噂として知っていたが。まさか、そこまでとは……。

 

「そういう家庭環境ですから、わたくしは父かもしれない男性たちからは娘として扱われたことはありません。誰と血がつながっているのかわからないということは、誰とも血がつながっていないのと同じことですから」

 

「……」

 

「そんな汚れた血筋の娘を愛してくれたのが、アルベール・ブロンダンという男性です。たしかに、親子と呼ぶには年齢が近すぎるでしょう。それでも、確かにあれは親子愛でした。ゆえに、わたくしの父はアルベールさん。彼只一人なのです」

 

 司教の声には、微かな狂気が滲んでいた。余はまだまだ未熟だが、人を見る目だけは自信がある。これは……ホンモノだ。フィオレンツァ司教は、アルベールのことを本当に父親のように思っている……!」

 

「ゆえに、わたくしはアルベールさんの現状に不満を覚えております。あれほど強く優しいお方が、その責任感ゆえに宰相ごときに絡めとられている。認められません、そのようなことは」

 

「……それは、余もまったくの同感だが」

 

「なんともあくどい策ではありませんか。アルベールさんのような方が、領邦領主などになったら……もう、彼は自分の意志ではその職務からは離れられません。首輪と鎖をつけられたようなものです」

 

 熱に浮かされたような様子で、司教はまくしたてる。その熱を浴びて、余の怒りも再燃し始めた。そうだ、その通りだ。アルベールは、何と言って余の誘いを断った? 領民のことを想えば、この地から離れられぬと。そう言ったのだ。これもまた、宰相の策略だったのか……!

 まあ、その領地がこのような辺境になったのは、宰相としても誤算だろうが。しかしあの悪辣な只人(ヒューム)女は、災い転じて福となすということわざそのままに、手に入れたリースベンという領地を最大限に活用して南部での支配権確立へと邁進している。まるでゴキブリのような往生際の悪さだ。

 

「王太子殿下。どうか、アルベールさんをお救いください。たとえアルベールさんの意志に反することであっても……あの宰相の元にいるよりは、貴方様の元にいた方が彼も幸せでしょう。男としての役割と、(貴族)としての責任。この二つにがんじがらめにされているアルベールさんに、男の喜びを教えて差し上げてほしいのです!」

 

 グイと身を乗り出して、司教はそんなことを言う。ああ、これは……危険だ。非常に危険だ。彼女の提案は、余の願望そのもの。それを理解したうえで、司教はこのような言動をしている。そういう確信があった。

 これは、詐欺師の手口だ。口では宰相をののしっているが、司教もあの女の同類である。口先三寸で、余を転がそうとしている。余の理性は、そう訴えかけていた。だが……この女の目に浮かぶ狂気だけは、本物だ。そして、狂気は嘘をつかない。この女は、確かにアルベールを大切に思っている。だったら……考えていることは、余と同じだ。

 

「……いいだろう、任せてくれ」

 

 そう言って、余は司教の手を握ってしまった……。

 



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第389話 聖人司教の野心

「はぁ……」

 

 ワタシ、フィオレンツァ・キアルージはため息をついた。場所は、カルレラ市教会の一角にある仮の自室。天窓からは、微かな朝日が差し込んでいる。冬らしい、美しい夜明け。……つまり、昨夜は徹夜だったってコト。フランセットとの会談が長引いてしまったせいだ。流石に、疲労困憊だった。竜人(ドラゴニュート)や大型種の獣人と違い、翼人の体力は只人(ヒューム)に毛が生えた程度の物でしかない。

 

「冷た」

 

 やっとの思いでベッドに横になるけど、当然ながらシーツはたいへんに冷たい。はぁ、やんなるね。いまごろ、ソニアのヤツはパパと一緒に同衾中だろうに、ワタシは冷たい寝床で独り寝とは。添い寝は竜人(ドラゴニュート)の専売特許じゃないのにね。

 

「はあ」

 

 また、ため息が出た。パパと同じお布団に入る機会がもうないかもしれないことに気付いたからだ。まあ、あの王女様が動き始めたら、ワタシもネタバラシせざるを得なくなるからね。そうしたら、パパとは敵同士だ。もう、以前のような関係には戻れない。

 

「……」

 

 王女様、か。とうとう始めちゃったなぁ。いや、正確に言えば、まだ準備段階だけど。まあでも、終幕の準備が整い始めたのは確か。今のところ仕込みは上々なのが、唯一の光明。殿下は明らかにパパにお熱だし、その配下は怪しげな男にドハマリしつつある王太子殿下にドン引き気味。イイ感じで、主従の間に溝ができ始めてる。

 一方、パパの陣営はといえば、戦力はかなり充実しつつある。思った以上にたくさんの蛮族たちが、パパの下についたからね。彼女らがリースベン軍に馴染んだら、十分に王軍とも戦える戦力になるハズ。

 ……最悪王太子殿下が勝っちゃっても、あの人を傀儡にしちゃえばガレア一国はパパのものになるからね。一応、保険にはなってる。とはいえ、所詮は次善の策だけど。ガレア王国単独では、"世界最強の国"には足りない。それに、ソニアらが壊滅すると地力も大幅に低下しちゃう。本当に最低限って感じ。やはり可能な限り無傷に近い状態でガレアを獲り、ついでに近隣の大国も一つばかり併合する。これが至上の結果。

 

「候補は実質一つか……」

 

 巻き込む相手は、神聖帝国。あそこの先代皇帝は、パパと面識があるからね。リースベン戦争の時はあのアレクシアとかいう女に引っ掻き回されたけど、こんどはこっちが引っ掻き回す側。いい気味……とはちょっといいがたい。またたくさん人が死ぬからね。ごめんねぇ? でも、必要なことだから……。

 頭の中で、計画を反芻する。目標はただ一つ。この中央大陸西方に覇権国家を打ち立て、パパをその王にすること。宗教権威にも世俗権威にも足を引っ張られない、まったく新しい巨大国家。いわゆる、超大国というヤツ。

 そのためには、最低二つ以上の大国……つまり、ガレアと神聖帝国を併合して、ついでに教会のお偉方も蹴り飛ばす必要がある。なかなか大それた計画だけど、パパならばたぶん前者はイケル。後者は難しいので、ワタシがやらなきゃいけないけど。

 

「一番の問題は……」

 

 ワタシ、なんだよねぇ……。なにしろ、パパは征服事業なんて目指してないわけだから。やる気のない人間に覇者の道を強いるというのは、なかなかに難しい。アヴァロニアの伝説に出てくる、導きの魔導士でもなきゃムリだと思う。でも、残念ながらワタシは伝説の大魔導士などではなく、たんに人の心が読めるだけの小娘に過ぎない。

 ワタシがもっと頭が良ければ、経験があれば、まだ楽なんだろうけど。というか、転生者だったらもっと話は早い。パパには好きなことをやってもらって、ワタシだけが矢面に立てばいい。パパには迷惑をかけないし、これが理想。

 けれど、残念ながら能力を使って自分の頭をイジッてみても、ワタシの中に前世の記憶なんてものは湧いてこなかった。極星め、少し配慮しろっての。……まあ、実際のところワタシが転生者だったとしても、パパのようには上手く生かせない気がするけどね。結局、知識って単なる道具だし。肝心なのは、その知識をどう扱うか。そのあたり、ワタシは致命的だしね……。

 

「パパがやる気になってくれるんなら、楽なんだけどねぇ」

 

 ベッドの中で転げまわりながら、何度目になるのかわからないボヤきを漏らす。読心ひとつしか武器のないワタシと、本物の英傑であるパパ。まあ、差は歴然よね。パパが自ら覇王になる決意をしてくれるのなら、こんなに楽なことは無いんだけど。

 でも悲しいかな、パパは人に使われる立場であり続けることを容認してしまっている。ワタシと違って、オトナだからだ。責任やら倫理観やらに縛られて、過大な夢は見られなくなってしまっている。

 それ自体は、良い事なんだろうけどね。すくなくとも、ワタシがやっていることに比べれば何倍も正しい。……まあいいよ。正しい人(パパ)間違った人(ワタシ)を分離できるのは、いろいろと優位なことも多いし。手を汚すような真似は、すべてワタシがやればいい。パパには清いままで覇王になってもらおう。

 

「あー、ヤダヤダ……」

 

 首を左右に振って、ため息をつく。そんなことを考えていても気が重くなるばかりなので、思考を実務的な方向に切り替える。王太子殿下が実際に動き始めるまでが、最後の準備期間だ。いまのうちに、しっかり仕込みをしておかねば。

 とりあえずガレアで王太子殿下の悪評を流して、神聖帝国の革新派に渡りをつけて、星導国の色ボケ坊主どもをひとところに集めて……ああ、やることが、やることが多い! パパはよく人手不足を嘆いているけど、こっちはその何倍も人手が足りないわ。五人くらいに分裂したい気分。……でも、無能が五人に増えたところで何の役に立つのかなぁ? ウェッ、ちょっと泣きそう……。

 

「まったく」

 

 考えても仕方のないことだ。まあ、完全に一人だけという訳でもない。星導国の方では、少なくない数の枢機卿が操り人形になっている。星導教の力うちの何割かが、すでにワタシの手中にあるってコト。唯一ではあるけども、強力な武器であることには変わりない。せいぜい、活用させてもらおう。使い潰しても問題ない勢力だしね、星導教。

 でも、使い潰すにしても、パパの迷惑になる形で崩壊されちゃ困るしねぇ。再びまとまるための入れ物くらいは用意しておかなくちゃ。ああ、面倒くさい。世界征服なんて、狙うもんじゃないわね。本当にバカみたい。

 いや世界征服は言い過ぎか。実際問題、世界どころか中央大陸統一ですらたぶん無理だし。超大国ひとつが生まれれば、それで御の字か。それくらいハードルを下げても、ワタシの器量ではかなり難しいんだけど……。

 

「ンミィ……」

 

 辛すぎて、口から死にかけのセミめいた声が漏れだした。あー、パパに癒してもらいたい。けど、さすがにこれから死ぬほど迷惑をかけるわけだからね、のうのうと甘えに行けるほど、ワタシの面の皮は厚くない。

 はぁ、ほんっとうに……パパ、今からでも方針転換して、世界征服とか目指してくれないかなぁ。無理だよねぇ……。"世界最強の軍隊の総司令官"……素晴らしい夢じゃないの。普通にそれを目指してくれたら、ワタシがわざわざ一人で滑稽に踊り狂う必要はない。身の程を知るというのは大切だけど、自分を過小評価しちゃダメよ。

 あの夢を諦めちゃったのが、パパ最大の誤りだ。難儀はするだろうけど実現可能だし、パパの器量であればその責任にも耐えられるだろうに。にもかかわらず、パパは小さくまとまる事を選んでしまった。ああ、なんと残念なことだろうか。一殺多生こそが成すべき道だとワタシに教えてくれたのは、ほかならぬアルベール・ブロンダン、あなただというのに。

 

「ワタシやソニアだけに手を差し伸べて満足してちゃだめなんだよ、パパ。あなたの手は、もっと遠くまで届くんだからさぁ……」

 

 軍制改革? 大変結構。でも、それで満足されちゃあ困るんだよね。せっかく、パパの頭には未来の素晴らしい技術が詰まっているのに、それが活用されないまま朽ちていくのはあまりにも勿体ない。ヒト、モノ、カネ、あらゆるリソースを集結して、一つでも多くの技術や思想を残してもらわなくては。

 

「蒸気機関の実用化手前で足踏みしているようじゃあ、いつまでたっても"空気からパンを作る技術(空中窒素固定法)"にはたどり着けないからね……」

 

 パパが王様になれば、パパは夢がかなってハッピー。飢えたる衆生たちも、腹を満たせてハッピー。一挙両得の、すばらしい結末だと思うのだけれど。残念ながらこんな絵図を描いているのはワタシだけだった。ああ、まったく。アバズレが産んだ愚かな小娘にはあまりにも荷が重い大事業だ。



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第390話 くっころ男騎士と帰還報告

 王太子殿下の一件から、半月が経過した。幸いにも、その間に事件などは起きなかった。久しぶりの、平穏な日々である。……まあ、領内では相変わらず大小のトラブルが起こりまくり、僕はその火消しに四苦八苦する羽目になっていたが、こればっかりは領主の仕事なので仕方が無い。

 そして、この期間の間に変わったことが一つ。我が副官ソニアがアデライドと共に王都に飛び立ったのだ。有能な副官の不在は、執務にたいへんな支障をきたす。

 もちろん我が領には"避寒"という名目でカステヘルミが滞在しているので、ソニアが抜けた穴は彼女は埋めてくれはしたのだが……やはり、長年共に仕事をしてきた相棒のようにはいかない。カステヘルミの手際が悪いという訳ではなく(むしろ現役辺境伯なのだから、平時の政務に関しては僕より遥かに有能だ)、単純に呼吸が合わないというのが大きかった。

 それでもなんとか仕事をこなし、阿吽の呼吸とは言わずともそれなりの連携が確立されはじめた頃……やっとのことで、ソニア・アデライド組が帰って来た。予定よりもだいぶ遅れての帰還であり、ずいぶんとヤキモキさせられたが、幸いにも二人とも無事であった。

 

「お帰り、二人とも。お疲れ様だ」

 

 カルレラ市郊外のリースベン軍駐屯地。その竜舎の前で二人を出迎えた僕は、用意してあった暖かい飲み物を手渡した。ソニアにはショウガ湯、アデライドにはホットワインだ。南国とはいえ、冬の空の旅は過酷そのもの。二人ともガタガタと震え顔色が真っ白になっていた。風防すらない吹きさらしの座席で、電熱服も着ずに長距離飛行をしたのだ。そりゃあ冷えるに決まっている。

 受け取ったショウガ湯を一息で飲み干したソニアは、無言で僕に抱き着いてくる。滅茶苦茶冷たい。ヒエッヒエだ。彼女の手やほっぺたをさすり、僕の体温で温めてやる。

 

「むぅ、ベタベタくっつくのは竜人(ドラゴニュート)の特権ではないんだぞキミィ……」

 

 すると今度は、アデライド宰相までくっついてくるのだからたまらない。僕はまるでサンドイッチの具のような有様になりながら、体温を奪われまくった。なにしろ二人とも氷のように冷えている。冬着の上からでもその冷たさは伝わってくるので、僕はあっという間に極寒地獄に叩き落された。

 

「温まりたいなら人間より火に当たろう! なっ!」

 

 このままでは、風邪を引く。そう直感した僕は、彼女らを竜舎横の竜騎士用休憩所に引っ張っていった。休憩所には囲炉裏が設置されており、屋外よりもはるかに暖かい。とりあえずここで暖を取りつつ、旅の土産話を聞くことにしよう……。

 それから、二時間後。二人と共に食事と休憩をとった僕は、駐屯地の会議室を訪れていた。アデライドらは、王都に遊びに行っていたわけではない。我々が王家に翻意を抱いていないことを、国王陛下に説明しに言っていたのだ。その報告を聞かねばならなかった。

 会議室にはジルベルトとカステヘルミ、そしてエルフ代表のダライヤとフェザリア、アリンコ代表のゼラがいた。現在のリースベンの最高幹部たちだ。王家との関係の維持はたいへんな重大事であり、その報告会議は密室で行うわけにはいかない。そう判断して、蛮族たちも招集したのである。彼女らも、すでにリースベンの一員なのだ。外様として扱うわけにはいかない。

 

「えー、こほん」

 

 お立ち台の上に立ったアデライドが、咳払いをする。……床から一段高い場所に上がっても、やはり彼女は小さい。となりにやたらとクソデカいソニアがいるのだから、なおさら小柄に見えた。

 

「今回の王都行だが、それなりの収穫はあった。少々手間取ったが、国王陛下からの信認はある程度得られた……と思う」

 

 アデライドの言葉に、僕はホッと胸を撫でおろした。そこが一番肝心な部分だ。王家と事を構えるなんて、冗談じゃない。

 

「まあ、かなりのお小言は貰ったがねぇ? 妙な動きをして、これまでに積み上げていた信用を毀損するようなマネはよせ、とかなんとかねぇ」

 

「今回、我々は内側の理屈で動きすぎたな。このデリケートな時期に、己の権益拡大を第一に行動していると思われるような真似をするのは避けるべきだったかもしれない……」

 

 腕組みをしながら、カステヘルミがそう呟いた。

 

「そうは言っても、我々も貴族だからねぇ。単に好いた男と結婚したいという理由だけで、新興の城伯家に我々自ら輿入れというのは、いろいろとカドが立つ。やはり、派閥のものたち向けの言い訳は必要だった。実際、内部からは今回の婚約に関しての異論はほとんど出ていないわけだし……」

 

 言い訳じみた口調でそんなことを言いながら、アデライドは唇を尖らせる。好いた男、などと正面から言われてしまった僕は、少しばかり赤面して顔を逸らした。こういうストレートな物言いは、やはり恥ずかしい。

 

「事情がよう呑み込めとらんのですが、要するにアレですか。外様の幹部が直属のシマにコナをかけて、組長がそれに苦言を呈したと。そがいな感じですかのぉ」

 

 ワケのわからんたとえ話を持ち出してきたのは、グンタイアリ虫人のゼラだ。普段は上半身裸の彼女だが、流石に冬本番ともなると見栄を張り続けるのも厳しいらしく上着を羽織っている。まあ、それでもモコモコに着込んでいる竜人(ドラゴニュート)勢などと比べればはるかに軽装だが。

 

「う、うん、まあ……たぶんそんな感じ……かねぇ?」

 

 よくわかんないよー! とでも言いたげな様子で、アデライドが頷いた。そんな適当な返答でもゼラは満足したらしく、四本の腕を器用に組んでウンウンと頷く。

 

「そりゃあ怒られても仕方ないですのぉ。お小言だけで済んだのが幸いじゃわ」

 

「ウムムム……」

 

 まあ、正論である。アデライドは難しい表情で唸った。

 

「まあ、国王陛下には釘を刺されるだけで済んだわけですが……懸念点が一つ。そうだな? アデライド」

 

「ああ」

 

 ソニアの指摘にアデライドは頷き、彼女の差し出した資料を受け取った。そこに目を通し、ため息をつく。

 

「このところ、王都周辺で鉄、銅、鉛、硝石、硫黄などが暴騰しつつある。大規模な買占めが発生しているようだ」

 

「わあ」

 

 僕は思わず声を漏らした。金属だけならまだしも、硝石だの硫黄だのが高騰しているとなると……火薬の需要が突然高まったとしか思えない。これは、なかなかにキナ臭い動きだった。火薬には使用期限があり、長期間の保存にはいろいろとリスクもある。だから、平時には最低限のぶんだけ備蓄しておいて、有事の際に増産する……というのがベターだ。そして、実際に火薬の大増産が始まっているというのなら……。

 

「そして買い占められたこれらの物資が流れ込んでいるのは、王軍御用達の工房だ。つまり、王軍は大規模な軍備増強を始めている、ということになる」

 

「まさか、我々を仮想敵にしていると?」

 

 ジルベルトが、その形の良い眉を跳ね上げながら聞いた。しかしアデライドは、首を左右に振るばかりだ。

 

「わからん、そこまでは掴めなかった。もしかしたら、ライフルなどの新兵器をガレアが独占しているうちに、どこぞの国に攻め込んで一方的に打ち破ってやろう……などと考えている可能性もあるが」

 

「ロクでもないなぁ……」

 

 僕は思わずそう呟いた。そんな雑な理由で戦争を始められちゃ、たまったもんじゃない。動員される兵と巻き込まれる市民があまりにも哀れだ。……まあ、なにはともあれ火薬を集めている以上、実戦を意識しているのは間違いない。その矛先が我々に向いているのなら最悪だし、他所を向いているにしても火の粉が飛んでくる可能性は十分にある。

 

「国王陛下は、国内の安定に腐心されてきたお方だ。自ら戦乱を起こすとは考えづらいが……」

 

 アゴを撫でつつ、アデライドが唸る。これに関しては、僕も同感だった。賢明な穏健派、それが国王陛下に対する印象である。

 

「王太子あたりが暴走しているのやも」

 

 そう指摘するのは、ソニアだった。

 

「穏健派の後継者が極端な過激派になる、というのはよくある話ですから。これから、また荒れた時代になるやもしれませんよ」

 

「ふーむ。勘弁してほしいのぉ……。ワシは穏やかな老後を過ごしたいんじゃが」

 

 ダライヤがため息をついた。そして、隣のフェザリアに視線を移す。

 

「穏健派の後継者は得てして過激派、のぅ。オヌシの母はそれなりの穏健派じゃったが、オヌシはどうなのかのぉ? 過激派か? 穏健派か?」

 

「ないをたわけたことをゆちょっど。(オイ)はどっからどう見てん穏健派じゃろうが」

 

 どこの世界に嬉々として火炎放射器をぶっ放す穏健派が居るんだ。僕はそうツッコミかけたが、なんとか耐えた。……王太子殿下は、賢明な方だ。少なくとも、フェザリアよりは穏健だと思うのだが。

 

「わたしとしては、どうにもあの王太子は信用なりません。アル様目当てに、こちらに攻撃を仕掛けて来るやも……」

 

「まさかぁ」

 

 男目当てに戦争を仕掛けるバカが、どこの世界にいるというのか。……あれ、でもよく考えたら、サッカーの試合が原因で起きた戦争とか実在するんだよなあ。戦争ってやつは、終わらせるのは死ぬほど難儀だが起こすのはわりあいカンタンだ。そういう理由で戦争をおっぱじめる極めつけのバカも、実在するやもしれん。とはいえ、あのフランセット殿下がそこまでたわけているとは思えんが……。

 とはいえ、僕も王太子殿下との接見でチョンボをやらかしているからな。アレのせいで、アデライドに対する心証が非常に悪くなっている可能性はある。そういう意味では、ちょっとマズいかもしれんね。機会を作って誤解を解きに行ければ良いのだが……。

 

「何はともあれ、王都に戦争の臭いが漂い始めているのは事実なのでしょう? こちらもしっかりと備えをしておくに越したことは無いと思われますが……」

 

「ジルベルトどんの言ういう通りじゃ。後悔はあと先に立たん。冬ん間にいくさ支度は整えちょくべきじゃ」

 

 ジルベルトとフェザリアの主張に、僕は思わず顔をしかめた。今年は、戦争ばかりの年だった。だから、来年こそは平和に過ごしたかったのだが……。

 

「いくさと言やあ、南のズューデンベルグとやらでも何やら動きがあるらしいじゃないの。そっちの備えもしとかにゃあならんのじゃないですか」

 

 ゼラのほうからも指摘が飛んだ。そうだ、カリーナの元実家の方もなにやらきな臭い様子になっているんだ。一応アリンコ傭兵団を送り込んで、本格的な武力衝突は抑止する予定だが……上手くいくかどうかは不透明なんだよな。ああ、まったく。どこもかしこも火種ばかりだ。僕はため息をつき、手元に資料を引き寄せた。

 まあ、おそらく冬の間は平穏が続くだろう。冬場の戦争は、さまざまな困難が伴う。自動車も鉄道も近代的な暖房器具もないこの世界ではなおさらだ。そのため、戦争中も冬季は自然休戦になるのが普通だった。つまり、この期間を利用して次なる戦争準備を整えておかねばならぬということだ。まったく……いつになったらリースベンには平和が訪れるのだろうか?



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第391話 くっころ男騎士と激務のご褒美

 それからしばらく、平穏無事な日々が続いた。冬は自然休戦期間だ。戦いを始めようなどという輩は、せいぜい食い詰め盗賊団くらいのもの。つまり、安心して内政に励むことができるということだ。

 まあ、内政などといっても国造りゲームのようにスイスイは進まんがね。蛮族どもの冬営地を恒久的な集落にすべく根回しに走り回ったり、蛮族たちや外部から新規流入してきた商人や旅人、出稼ぎなどと元々の領民たちの間でトラブルが発生せぬようルール作りを進めたり、領内で発生する様々な刑事・民事(もっとも、裁判制度が未熟ゆえにその辺りの区別はあまりつけられていないが)訴訟を裁いたり……。

 まあ、そんな感じの地味だが重要、そして厄介な仕事ばかりがいくらでも積まれていくのだから辟易した。腐っても転生者で一国一城の主(ただし城は木造だ)なのだから、内政チートみたいなのにも多少憧れはあったんだがね。実際のところ、そんなことにリソースを割いている余裕はほとんどなかった。

 とはいえ、素人の浅知恵で市民の生活に直結する部分をアレコレ弄るのも不味いしな。現役の領主でもあるカステヘルミに教えを請いつつ、まずは現状維持を目指す……という方針で内政を進めていた。……今のリースベン、外部から人が集まりまくってるからな。改善どころか現状維持ですらかなり難儀してる始末なんだよ。

 

「あー、うー」

 

 僕は領主屋敷の執務室で、ゾンビめいた声を上げた。僕の机は各種の資料や未決済の書類などの山で埋め尽くされ、さながらヒマラヤ山脈のような様相を呈している。インク壺ひとつ倒すだけで大惨事になりそうな状態だ。

 いやもう、本当に大変だわ。やることが多すぎる。三権の長をたった一人が兼ねている、などという状況の恐ろしさをナメていた。行政も立法も裁判もすべて僕に向けて飛び込んでくるのだ。前世では中隊一つの運営にもヒィヒィ言っていた現場指揮官上がりには大変に辛い状態である。

 

「ソニアー、アデライド―、早く帰ってきてくれー。間に合わなくなっても知らんぞー……」

 

 半泣きになりながら、僕はそんなことを言った。ソニアとアデライドは、またも王都に行っていた。自陣営の引き締め、各派閥との調整、そして王家との関係改善……そして何より、宰相としての執務。アデライドはアデライドで、やるべき仕事が沢山あった。

 そういうわけだから、ブロンダン家への嫁入りが内定した後もリースベンに定住するわけにはいかない。彼女はこの頃、王都とリースベンを翼竜(ワイバーン)で行き来する生活を送っていた。前世世界の政治家や敏腕ビジネスマン並みの忙しい生活である。

 ソニアはソニアで、そのアデライドの秘書めいた仕事をしている。どうも、宰相のやるような奥向きの仕事を覚えたいらしい。領主の嫁になるからには、武官としてだけではなく文官としての見識を磨かねばならない……ということらしい。なんとも有難い話だ。それはそれとして有能な副官が出張しっぱなしというのはたいへんに辛いが。

 

「本当にいつ帰ってくるんじゃ、あ奴らは!」

 

 隣の机で半泣きになっていたダライヤが、非難めいた声を上げた。ソニア不在の今、カステヘルミとダライヤが僕の副官代わりをしてくれていた。もっとも、領主休業中のカステヘルミと違い、ダライヤは新エルフェニア皇帝との兼業だ。そりゃあまあ、とんでもなく大変だろうね……。

 

「星降祭の前には戻ってくるって話だけど……」

 

 星降祭は星導教の重要な祝祭で、まあ前世で言うところのクリスマスに相当するようなイベントである。これを終えると、あとは年越しまで一直線だ。年末年始の期間は、みんな揃って過ごそう。そういう話になっていた。……まあ、残念ながら領主に冬休みは無いわけだが。クソッタレめ、前世ですらクリスマス休暇はあったのに、なんてブラック職場なんだ。

 

「ぬぁんまだ一週間近くあるぅ!」

 

 机に突っ伏しながら、ダライヤは叫んだ。

 

「こんなことなら、現代ガレア語など学ぶのではなかった! 隠居どころか超過勤務ではないか!」

 

「文官足りないんだからしょうがないだろー……」

 

 ブロンダン家は宮廷騎士の家系だし、その臣下であるプレヴォ家(ジルベルトの実家)もやはり宮廷騎士の家系だ。いるのは武官ばかりで、書類仕事を得意とするような人間は僅かだった。そのせいで、トップ層に著しい負担がかかっているのである。下流で解決すべき案件まで上流にやってきているのだから、まあ当然だろ。

 むろんこういう状況は事前に予想していたので、アデライドやカステヘルミが応援の人員を寄越してくれているのだが……有能な文官なんてのはどこも引っ張りだこだからな。やはり、人手不足を解決するほどの数は集まっていない。ヤンナルネ。

 

「はぁ……」

 

「はぁ……」

 

 二人そろって、ため息をつく。まあ、どうしようもない話だ。とにかく、目の前の仕事をこなしつつなんとか効率化を図っていくほかない。サボるわけにもいかんからな……。

 

「まあ、甘いものでも食べながらボチボチやろうや」

 

 僕はそういって、小さな鉢をダライヤに差し出した。その中には、小さな芋菓子が入っていた。サツマ(エルフ)芋を棒状にカットし、油で揚げて砂糖をまぶしたものだ。いわゆる、芋カリントウとか芋ケンピとか呼ばれるアレである。

 これは、サツマ(エルフ)芋の普及のためにカルレラ市参事会やら農民たちやらに配った物の残りだった。サツマ(エルフ)芋は大変に有用、かつリースベンの気候や土壌にマッチした作物だ。エルフ農民にのみ生産させるのはもったいない。既存の農家にも栽培してもらおうと、僕が音頭を取って芋普及キャンペーンをしている最中だった。

 

「おう、おう。これか。酒も良いが、甘味も良いのぉ。これだけが、この頃の癒しじゃ……」

 

 ダライヤは遠慮なく僕から小鉢を奪い取った。……砂糖が高価なせいであんまり作れないんだから、全部独り占めするのはやめてほしい。

 

「うめ、うめ」

 

 そんな僕の願いもむなしく、ロリババアは何本も一気に口に投げ込み、バリボリと豪快に芋菓子を喰らう。ああ、かなしい。

 

「甘いと言えば……」

 

 ロリババアに恨みがましい目を向けていると、彼女はこちらをチラリと一瞥してから口を開いた。

 

「オヌシ、最近嫁どもを随分と甘やかしておるのぉ」

 

「甘やかしてる……?」

 

「昨日の昼休みに、カステヘルミ殿にコッソリ耳かきをしてやっておったじゃろう。しかも膝枕で。……で、夜は夜でジルベルト殿と添い寝。そして今朝はウルに『あーん』しておったな?」

 

「う、うん。……それに何の問題が?」

 

 カステヘルミは耳かきが大好きだし、ジルベルトとの添い寝は竜人(ドラゴニュート)の本能ゆえである。ウルのほうも、まあ鳥人の夫婦ならだれもがやっているという話だ。別に、変なことをしているつもりはないのだが。

 

「いや、別に個人間でやるぶんにはほほえましいくらいなんじゃが。しかし、オヌシの身体は一つしかないのじゃぞ? 甘えられるばかりでは、つかれてしまうのではないかと思うてのぉ……」

 

「疲れるというほどのことでは……」

 

「良いか? アルベール。愛とはすなわち、相互に与え合う互助関係のことじゃ。しかし、オヌシの場合は与えるばかりで与えられておらん。これは、あまり良い事ではないのじゃ」

 

「うむぅ……もっと自分の方から甘えろと、そう言いたいわけ?」

 

「ありていに言えば、そうじゃ。……甘えろと言っても、別に赤ん坊になれとかそういうことを言っておるのではないぞ? 例えば、今日は疲れてるから我慢してくれと言ったり、愚痴を聞いてもらったり……とにかく、均衡を取るのが大切じゃ。一方的な関係は、長続きせぬからのぉ」

 

「なかなか難しい事を言うね……」

 

「オヌシには、相手の求めている人間を演じるという悪癖がある。……いや、悪いとは断言できぬが。しかし、良くもないぞ。そういうやり方で構築した人間関係は、不自然で一方的なものじゃからのぅ。上司部下という関係ならまだしも、夫婦は家族じゃ。少しくらい、地を出すようにしたほうが良いと思うがのぉ」

 

「……」

 

 なんとまあ、痛いところをついてくるロリババアだ。僕は身を乗り出し、彼女の抱えている小鉢から数本の芋菓子を強奪した。そして、一本を煙草のように口にくわえて考え込む。

 

「……嫌われたり失望されるのって、嫌いなんだよねぇ」

 

「その程度で嫌われる関係ならさっさと断ってしまった方がマシじゃ。特に、夫婦などという関係であればのぉ」

 

「むぅーん」

 

 正論ばかり吐くロリババアである。僕は思わず唇を尖らせた。

 

「オヌシはどうやら、不満は表に出さず後で酒と一緒に飲み込めばそれで万事解決、と考えているフシがある。しかし、それは単なる逃避じゃ。時には、自分のしたいこと、あるいはされたくないことをハッキリと口に出すべきじゃぞ」

 

「……年寄りは説教臭くていかんね」

 

「ハハハ! そうそう、その調子じゃ。婆の説教はさぞうるさいじゃろう。それでいい、それで。甘えるとは、そういう事じゃ。覚えておけ」

 

「……うぃっす」

 

 このババアはクソババアなので好き勝手言えるが、他の人らにはそうはいかん。コイツと違って真人間ばかりだからな……。

 

「……ま、本音を言えば、ワシだけに甘えてほしいじゃが。優越感がムクムクと、のぉ? 正直タマらん。興奮する」

 

 演技ではなく明らかに発情している声音で、ダライヤはそんなことをのたまう。ほーら、やっぱりクソババアだ。

 

「しかし、他の連中が調子に乗り始めると、それはそれで良くないからのぉ。まずはこの婆で練習をして、それから他の者にも同じような態度を取ってみるのじゃ」

 

「あいよ」

 

 まあ、このババアが正論を言っているのは分かる。ため息をついてから、僕は頷いた。

 

「で、ばぁさんや」

 

「なんじゃ、兄さんや」

 

 お前に兄呼ばわりされる筋合いはないぞ年齢四桁オーバー。

 

「ばあちゃんで甘える練習していいんだよな?」

 

「おお、任せるのじゃ」

 

「じゃ、ちょっとゲームしようぜ」

 

 そう言って僕はダライヤに近寄り、咥えたままの芋菓子を彼女の眼前に差し出した。

 

「両端をお互い同時に咥えて、コイツを食べる。で、先に口を離したほうが負け。オーケー?」

 

「……ヒヒッ、面白い事を思いつくのぉ。あむっ」

 

 ニチャッと笑って、ダライヤは僕の咥えた芋菓子の先端を咥え返した。ロリババアの妖精じみて整った幼い顔がすぐ眼前に。ああ、眼福眼福。目で合図をして、お互いに芋菓子を食べ始める。……これ、本来なら棒状のクッキーでやるゲームなんだよな。この芋菓子の場合、砂糖でコーティングされているので結構硬い。折れないように食べ進めるのはなかなか難儀だ。

 それでも、四苦八苦しつつガリガリとかじる。ロリババアの顔がどんどんと近づいていく。彼女は、口を離さない。僕もだ。薄く紅を差したロリババの唇が、僕の唇に接触し……。

 

「ひひひ……」

 

 妖しい笑みを浮かべたロリババアが、捕食対象を芋菓子から僕の口内へ変更した。あっというまに、僕の唇はロリババアの餌食になる。ああ、さすがクソババア。こちらの望みなどはお見通しだ。僕たちは、芋菓子の甘さを共有した……。

 

 



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第392話 くっころ男騎士とアリンコ視察

 書類仕事は山のようにあるが、書類仕事以外も山のようにあるのだからたまったものではない。ロリババアとともに半泣きになりながら執務室での仕事を終わらせた僕は、副官代理のカステヘルミを伴って外出した。……現役辺境伯が副官ってちょっとおかしいよな、冷静に考えて。相手はリースベンの十倍以上の国力を持った大領邦の領主だぞ……。まあ、本人が「一人だけ手持無沙汰をしているのは嫌だ」というので、秘書めいた仕事をお願いしているだけなのだが。

 目的地は、アリンコどもの冬営地だ。彼女らの集落は蛮族野営地の中でももっともカルレラ市に近い場所に築かれている。これは長年リースベン領民と対立してきたエルフたちと違い、新参者のアリンコたちはそれほど嫌われていなかったせいだ。アリンコたちは、元の領民からは『少し変わった種族の新しい入植者』くらいの感覚で扱われているのである。

 

「兄貴、それに姉貴がた。お疲れ様でがんす」

 

 野営地に入ったとたん、アリンコたちの代表者であるゼラが、満面の笑みを浮かべながら出迎えてくれた。その後ろには彼女の部下がズラリと並び、一糸乱れぬ動作で頭を下げている。グンタイアリ虫人はみな竜人(ドラゴニュート)に負けないほど体格が良いので、その威圧感は大変なものだ。

 

「やあ、出迎えご苦労」

 

 まあ、圧倒されてばかりもいられない。僕は努めて平静に彼女へ微笑み返し、握手をした。そして肩を叩き、両手を広げて抱擁を求める。ゼラはその褐色の肌を赤く染め、ちょっと照れた様子でそれに応じてくれた。

 ……実のところ、僕は彼女との婚約も先日内定していた。なにしろエルフの長であるダライヤやフェザリア、それに鳥人の長であるウルとも結婚するのである。アリンコだけ何もしないというのは、あまり宜しくない。バランスを取る必要があった。

 仕方ないとはいえ、すっかり繁殖種馬だなあ、僕。これほどお相手が多いと、一人当たりに割ける時間はどうしても少なくなるからな。結婚などと言っても、夫婦らしいことはあまりできないだろう。恋愛結婚でもなし、このあたりは仕方ないと言えば仕方ないのだが、なんだか申し訳ない気分になってくるんだよな。

 

「しかし君たち、相変わらず……その、なんだ。涼しげな恰好をしているな。寒くはないのか?」

 

 一通りのあいさつが終わった後、カステヘルミがおずおずといった様子でそう聞いた。彼女の指摘通り、アリンコ共はなんとも寒そうな服装だった。真冬が近いということもあり、流石に上半身裸ではないのだが……この季節に薄い上着一枚を羽織っただけというその格好は、見ているこちらまで寒々しい心地になってくる。

 

「そうおっしゃるカステヘルミの姐さんは、なかなか暖かそうな格好で」

 

 ゼラは苦笑しながら、カステヘルミのつま先から頭まで眺めまわした。彼女は毛皮で裏打ちされた厚手のコートをしっかりと着込み、耳当て付きの毛皮帽まで被っている。正直、南国リースベンの冬着としては明らかにオーバースペックな防寒装備だろう。寒いとは言っても、王都などよりは遥かに暖かいのだ。

 

「正直、ワシもそちらに着替えたいくらいなんじゃがね。まぁ、見栄いうヤツよ。下っ端共の前で殊更にさむがるなぁ、恥ずかしいんでね」

 

「なるほどなぁ」

 

 周囲をはばかりながら小さな声でそう言うゼラに、ガレア最北端の領邦を治める領主は、神妙な顔で頷いた。南国暮らしも楽じゃないな、という表情だ。なにしろ彼女の治める辺境領はとんでもない極寒の地だから、そんな見栄を張っていたら半時間で凍死する。だから、暖かい格好をするのに躊躇をするものなど一人もいなかった。

 

「我慢は、身体に、悪いですよ」

 

 そう指摘するのは、先日僕の専属護衛に任命されたネェルだ。彼女は人型の上半身にはしっかりとした外套を羽織り、カマキリ型の下半身にも馬用の防寒着を参考に特注した羊毛製の上着を着ていた。お針子の腕が良かったのか、なかなか洒落た服装だ。

 

「な、なぁに。やせ我慢も上に立つ者の仕事の一つですわ」

 

 などと言うゼラだが、その額には冷や汗が浮かんでいる。彼女もリースベンの原住民だ。カマキリ虫人に対する本能的な恐怖はぬぐいがたいものがあるようだ。

 

「フゥン。ネェルは、ガマンとか、したくない、ですけどね。……ところで、お腹が、すきました。今、言ったように、ネェルは、ガマンが……じゅるり」

 

「ヒィッ!?」

 

 捕食者めいた目つきで、ネェルがアリンコ御一行を一瞥する。その威圧的な視線に、ゼラのみならずアリンコどもが一斉に一歩下がった。ネェルは彼女らを見回して、満足そうな様子で頷いた。

 

「冗談ですよ、ジョーダン。うふ、マンティスジョーク」

 

「心臓に悪いんでやめてつかぁさい……」

 

 胸を押さえながら、ゼラが言う。ネェルはニマニマと笑うばかりで、それには答えなかった。思わずカステヘルミと顔を見合わせ、お互いに肩をすくめる。ネェルは相変わらず冗談の趣味が悪い。

 

「それはさておき、視察だ視察。あんまり遊んでたら、市民たちから後ろ指を指されるぞ」

 

 虫人たちの心温まる交流は愉快だが、時間は有限だ。あまりゆっくりしている余裕はない。なにしろ冬場だ、グズグズしていたらあっという間に日が暮れてしまう。

 

「す、すいやせん兄貴。今ご案内いたしますんで」

 

 笑顔を取り繕い、ゼラは集落の方を指さした。さて、さて。村づくりのほうの進捗はどんなもんかね。資材や物資軟化が不足していたら、すぐに手配してやらねばならんが……。

 

「ふーむ。立派なものだな」

 

 それから半時間後。僕たちはアリンコ冬営地の正面通りを歩いていた。僕の言葉は、決してお世辞ではない。周囲には土と木でできたしっかりとした家が立ち並び、商店まで軒を連ねていた。竪穴式住居ばかりのエルフの集落に比べれば、圧倒的に発展している。冬営地どころか、そのまま恒常的な村として使えそうな状態だ。

 その発展を支えているのが、アリンコ労働者たちである。グンタイアリ虫人よりやや小柄で赤銅色の肌を持ったアリ虫人たちが、素晴らしいチームワークで家をくみ上げている。王都の熟練大工に負けず劣らずの手際だ。そしてその周囲では、褐色肌のグンタイアリ虫人たちが荷運びなどの力仕事をしている。どうやら、しっかりとした分業体制を敷いているようだ。

 

「こがいな作業となりゃあ、ハキリ共の右に出るもなぁおらんけぇのぉ。ぶち助かっとりますわ」

 

 赤銅色のアリ虫人たちを見ながら、ゼラが笑う。彼女らは、グンタイアリ虫人と協力関係にある別種、ハキリアリ虫人たちだ。時折見かける異様に大柄な者を除けばおおむねグンタイアリ虫人よりも小柄で非力な彼女らだが、土木作業にかけては本当に天下一品のようだ。村づくりがひと段落したら、リースベン軍の工兵として雇用するのも悪くないかもしれない。

 

「この様子ならば、冬越えは余裕だな。安心したよ」

 

「ハコモノは今月中に工事が終わりそうじゃな。連中が手すきになったら、お街のほうで出稼ぎさしちゃりたいんじゃが、よろしいかね? なんでもカルレラ市では大工が足りとらんいう話じゃけぇ、ハキリどもは役に立つよ。グンタイアリも、荷物運びや用心棒ならこなせるし」

 

「ああ、問題ない。カルレラ市参事会も、君たちであれば無制限に街へ出入りして構わないと言っているからな。気兼ねせずにやってくれ」

 

 存外、アリ虫人たちはリースベン領民と良好な関係を築いていた。参事会など、エルフに対して否定的な勢力も彼女らには友好的だ。働きぶりが真面目で、きっぷが良いのがウケているらしい。……実際のところ、根っこの暴力性はそこまでエルフに劣るモノじゃないんだけどな。

 

「助かりますわ」

 

 ニコニコと笑うゼラを見ながら、僕は気合を入れなおした。アリンコ共は陽気で気さくだが、それはそれとして初対面でいきなり麻薬(ヤク)を送り付けてこようとしたような連中だ。過信しすぎず、それでいて疑いすぎず。そういうバランス感覚を持って付き合うべきだろう。僕はまだ、領主になって一年もたっていないのだ。ウカウカしていたら、足元をすくわれかねない……。



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第393話 くっころ男騎士の晩餐

 アリンコたちが短期間のうちに築き上げた集落を見て回っていた僕たちだったが、冬の昼は短いもの。築けば、夜が迫っていた。アリンコ村はカルレラ市の近所にあるから、領主屋敷に戻ろうと思えばすぐ戻れるのだが……僕は、ここで一夜を明かすことにした。アリンコたちに対する信頼を示すためである。

 そう言う訳で、今日はゼラの屋敷でお泊りだ。まあ、屋敷と言っても周囲の民家よりはやや立派かな、という程度のものだが。こればっかりは、仕方が無い。需要の爆増により建材は慢性的に不足状態だし、冬本番に間に合わせるため工期自体もずいぶんと短かった。ご立派な豪邸などを作っている余裕はどこにもなかったのである。

 

「ほう、これがアリ虫人の郷土料理……」

 

 その、ゼラ邸の裏庭で、僕は湯気の上がる木椀を受け取りながらそう言った。木椀の中身は、キノコやタマネギ、豆類などをクタクタになるまで煮込んだモノだ。申し訳程度のクズ肉もはいっている。

 僕たちの前には、キャンプファイアーめいた大きな焚き火と、これまた大きな素焼きのつぼ型土鍋がある。即席の台所だ。むろん、屋敷の中にも炊事場は設けられているのだが……残念なことに、我らの中には大柄で大喰らいなネェルさんがいる。

 彼女の巨体では一般的な家屋の中に入ることはできないし、食べる量が多いため作った料理を外まで運んでくるのも一苦労だ。そこで、夕食は野外で作ってその場で食べよう、そういう話になったのである。そもそも、一人だけ野外に捨て置いて自分たちはヌクヌクと屋内で食事、なんてのはまったくもって僕の趣味ではないしな。

 

「それほど上等なもんじゃありませんがね。まあ、ありモノをそのまま鍋にブチこんだだけの代物ですわ」

 

 ちょっと恥ずかしそうな様子で、ゼラがそう説明する。確かに、野趣あふれる料理なのは間違いなかろう。

 

「なるほど……ガレアにも、エルフェニアにもこの手の料理はある。種族や文化は違えど、共通点はあるものだなぁ」

 

 ガレア名物軍隊シチューを思い出しながら、僕は頷いた。これもまた、その場で手に入る食材を適当に大鍋にブチこんで煮込むだけというお手軽料理である。エルフにもまた、同じような料理がある。メイン食材は芋だが。

 

「私の領地にも似たようなものがあるな。ただ、見た目は随分と違うが」

 

「真っ赤だものね、あっちは」

 

 カステヘルミの言葉に、僕は頷いた。ノール辺境領の名物料理には、赤カブを大量に使った真っ赤なシチューがある。正式な騎士になるまでは頻繁に辺境領へ行っていた僕からすれば、馴染みの料理だった。久しぶりに食べたいものだ。

 ……しかし、カステヘルミにため口を使うのは、まだ慣れないな。下っ端の尉官が将官にナメた口を聞くようなものだから、どうにも背筋がゾワゾワする。普通ならば、深刻な怒られが発生する事案だ。むろん、お偉方であるカステヘルミ本人がそれを求めているのだから、別に気にする必要はないのだろうが。

 

「カマキリ虫人には、ないです」

 

 ちょっと笑って、ネェルがそう主張した。

 

「鍋とか、包丁とか、持てないので。だから、父や、夫の、作る、料理が、カマキリ虫人の、ソフルフードです」

 

 麗しいカマキリ虫人殿は、僕をチラチラと身ながらそんなことを言うのである。……僕に料理の腕とか求めないでくれー、こちとら前世も現世も自炊からは程遠い生活を送っていた天性の生活破綻者やぞ。真面目に作った料理とか、せいぜいバーベキューくらいだわ。

 

「……肉を炭火で焼いただけの代物でいいなら、今度作ってあげるよ」

 

「わぁい」

 

 ネェルはその禍々しい形状の鎌を振って、子供のように喜んだ。こういうところ、妙に純真だからカワイイよねこの娘。……もうすっかり僕を恋人なり夫なりとして扱っていることはさておき。ソニアももう完全に諦めている風情だし、もはや彼女との結婚も不可避なようだ。まぁ、悪い娘ではないので、イヤではないのだが。しかしとんでもない力技には違いあるまい……。

 

「それはいいな。良ければ私もご相伴にあずかっていいかな?」

 

「兄貴の手料理! なんとも楽しみじゃないの。ワシも手土産もって参加させていただきますわ」

 

 そして、当然ネェルから逃れられないということは彼女らからも逃れられないということだ。目を輝かせてそんなことを言い出すカステヘルミとゼラに、僕は苦笑しながら頷くほかなかった。まあ、親睦会をかねてバーベキュー大会というのも悪くはないだろう。

 ……雑談は楽しいが、いつまでもダラダラと続けていたらせっかくのメシが冷めてしまう。さっさと食前のお祈りを済ませ、食事に取り掛かる。アリンコ式軍隊シチューは、山椒めいた味の刺激的な香辛料がタップリ効いた、スパイシーな味付けだった。なかなかウマイ。そのまま食うのもいいが、トルティーヤを思わせる薄い平焼きパンでつつんで食べるとまた格別だ。

 

「これは……なかなかいいね。調理器具も共有できることだし、軍の方でも出してみてもいいかも」

 

「このキノコがいい味を出しているな。初めて食べるキノコだが……」

 

 僕とカステヘルミは、感心しきりだった。……ん? キノコ? そういえばこいつら、初対面の時に麻薬キノコがどうとか言ってたが、まさか……。

 

「……」

 

 無言でゼラを見つめると、彼女ははにかみながら頬を掻いた。なんか勘違いしてない!? 僕はあわてて、なんだか照れているゼラに耳打ちした。

 

「ところで聞きたいんだけど、これってどういうキノコなのかな」

 

「え? ああ。ハキリどもが育てとる普通のキノコよ。危ない物じゃないけぇ、安心してつかぁさい」

 

 だ、だよねえ。ヘンなキノコとか、客人に出さんよね。こんなところでラリったりしたら、間違いなく大事になる。とくにネェルが正気を失ったら大惨事だ。

 

「やはり杞憂か。いや、申し訳ない。妙な疑いをかけた」

 

「ご所望でしたら、例のキノコも用意しますけぇ」

 

「は?」

 

「聞いた話では、ヤる前に吸うと普通にヤるより何倍も気持ちようなれるやらなんとか。アニキィ、ワシとためしてみやすか?」

 

「は?」

 

 ゼラはなんとも淫靡な笑みを浮かべながら、僕のふとももをそっと撫でてくる。今にも「ぐへへ」とか宰相めいた下衆い笑い声を上げそうな雰囲気だ。……そりゃあ夫婦で、子供も作らなきゃならないんだから、いずれはそういうこともせねばならんのだが。しかしよりにもよって初夜がキメセクとか乱れてるってレベルじゃないだろ。思わず半目になっていると、そこへネェルがスッと鎌を伸ばし、ゼラの肩を優しく叩いてきた。

 

「……」

 

「……」

 

 ネェルは、ただ穏やかにほほ笑んでいるだけだ。しかし、ゼラは血の気が失せる音が聞こえてきそうなほどの勢いで顔色を失っていく。

 

「こ、こほん。アントジョークですけぇ……」

 

「ジョークには、ジョークを。マンティスジョークを、お返し、しましょうか?」

 

「許してつかぁさい……」

 

 ヤクザの大幹部めいたゼラもこれには形無しである。なんと頼りになるカマキリちゃんだろうか。僕とカステヘルミは顔を見合わせて苦笑した。

 

「ま、まあ、冗談なんはマジですけぇ。大事な婿殿にヘンなモノは使えませんわ」

 

「婿殿……ねぇ」

 

 僕は薄く笑って、肩をすくめた。

 

「僕はまぁ、ごらんのとおりあまり良い男ではないが。しかしまあ、せいぜい大切にしてくれると嬉しいね」

 

「そりゃあもちろん、宝物のように扱うわ。ウチらも男不足じゃけぇ、ワシもこがいなええ男を貰えるたぁ思うてもみんかったですわ。ワシは幸せ者じゃけぇ」

 

 そう言ってから、ゼラはひどく照れた様子で酒杯の酒を一気に飲み干した。

 

「まあ、それだけに独占できんかったなぁ残念だが。あの戦争に勝っとりゃ、あんたをワシだけのオトコにできたかもしれんものを。勝てんこたぁ分かっとりていくさたぁいえ、我が人生最大の痛恨事じゃ」

 

 僕の耳元で、彼女はそう囁いた。周囲には聞こえないような小さな声だったが、その声音は明らかに本気とわかる真剣さがあった。

 

「……そこまで買いかぶってもらえるのは嬉しいね」

 

「へへ」

 

 少年のように笑って、ゼラは鼻の下をこすった。そんな彼女に、ネェルが笑みを向ける。

 

「ということは、あなたと、ネェルは、義姉妹、ですね? よろしく、お願い、します」

 

「お、おお、よろしゅうお願いいたします、ネェルの姉貴」

 

 握手しようぜ、と言わんばかりの様子で差し出された鎌を、ゼラは恐る恐る握り返す。……彼女の顔は、冷や汗でベタベタだった。なにしろ、ネェルは笑顔を浮かべてはいるものの、その目は全く笑っていないのである。自分(ネェル)(アルベール)の身内なのだから、ヘタな真似をすれば私が出張ってくるぞ。そう言外に釘を刺してくれているのだ。まったく、本当に恐ろしくも頼りになるカマキリちゃんだなぁ……。



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第394話 くっころ男騎士の悩み

 ゼラ邸での一夜は無事に過ぎた。実のところ夜這いくらいされるのではないかと不安に思っていたのだが、幸いにも(残念ながら?)そういうイベントは発生しなかった。ネェルの刺してくれた釘が効果を発揮したのだろうか? ……まあ、あれは釘というよりほとんど杭なのだが。

 朝食は早朝の内にゼラ邸で取り、そのままカルレラ市への帰路につく。なにしろ今日も仕事はたくさん詰まっているのだ。ゆっくりしている余裕などほとんどなかった。年末年始くらいノンビリしたいからな。今のうちにやれる仕事はおおむね終わらせておかねばならない。

 

「なかなか一筋縄ではいかなさそうな人たちだったね……まあ、蛮族というのは得てしてそういう者ではあるけども」

 

 カルレラ市へと向かう道すがら、僕の隣を進むカステヘルミがため息交じりにそう言った。僕も彼女も、馬に乗っている。僕らを先導しているのはネェルで、さらにその周囲を護衛の騎士たちが固めている。大名行列……とまではいかないが、なかなか物々しい移動風景には違いない。

 正直、腹ごなしの散歩にもならない短距離の移動でこれほどの護衛を投入するというのは、僕の趣味ではないんだけどな。だが、大貴族であるカステヘルミはもちろん、この頃は僕ですら要人にカウントされる地位になりつつあるわけだし……万一のことを考えれば、護衛に手を抜くわけにはいかないだろ。もし何かあって僕らが死んだり大怪我をしたりすれば、部下たちに大迷惑をかけてしまうからな。

 

「表面上は従順だけど、ウラで何をやっててもおかしくない雰囲気があったね。薬物の製造ノウハウを持っているのもいろいろとマズイし……警察や諜報の機能を強化して、監視に努めたほうが良さそうだ」

 

 反社会勢力みたいな連中が体制側にいるんだから、いろいろヤバいよな。麻薬カルテルが政府の一機関に収まっちゃったようなものだ。権力を使って後ろ暗い商売を始める可能性もあるから、とにかく監視は怠れない。

 領主屋敷に王室のスパイが潜り込んでいた一件もあるしな。正規軍の整備と並行して、防諜組織も作った方がいいかもしれない。……そうなると、エルフ忍者が壊滅しちゃったのが本当に痛いなぁ。彼女らが生き残り、こちらに着いてくれていたのなら……いろいろと便利だっただろうに。

 

「一応、ネェルが、にらみを、効かせ、ますけどね。でも、一人じゃ、限界が、ありますから。要注意、的な?」

 

 こちらを振り返りながら、ネェルが言う。ネェルはエルフにもアリンコにも強く出られる稀有な人材だが、エルフとアリンコは合計で三千名ちかくいるのだ。強いとはいえたった一人の人間が統制するのは無理があるだろう。ネェル本人の負担も大きくなるしな。彼女にあまり頼りすぎるのも申し訳ない。

 

「そうだね……しかし、あの連中はなかなかに一筋縄ではいかない雰囲気だな。我が領地にも蛮族と呼ばれる者たちはいるが、あそこまで厄介ではないぞ。むろん、北の蛮族どもも決して御しやすい連中ではないんだが……」

 

 ため息をつきつつ、カステヘルミは視線を宙にさ迷わせた。

 

「……正直、あのゼラとかいう酋長は苦手だな。根っからの荒くれものだ。正直……怖い」

 

 僕にしか聞こえないよう声を潜めながら、カステヘルミはそう言った。

 

「まあ、蛮族全般そういう感じではあるが。要するに、私が臆病なだけだ……」

 

 そういえば、カステヘルミはゼラの前では言葉数が少なくなっていたが……なるほど、そういう理由だったか。経験豊かな大貴族とは思えぬ怯懦(きょうだ)ぶり! と、批判する気にはなれない。そりゃあ人間、怖いものは怖いし苦手なものは苦手なのだ。肝心なのは恐怖を忘れることではなく、それに立ち向かう勇気を持つことだろう。

 そしてカステヘルミは、勇気を持たぬ真の臆病者ではない。なにしろ、僕が生まれる前から軍役のために幾度となく戦場にでている方だからな。必要であれば、陣頭指揮も厭わない。そういう勇気ある人間だ。そうでなければ、敵国や蛮族と常に相対し続ける最前線国家、辺境領の領主は務まらない。

 

「勇者とは恐怖を知らぬ者にあらず、恐怖に立ち向かうすべを知るものなり……だよ、カステヘルミ。あなたは勇者で、僕のあこがれの人の一人だ。どうか、胸を張っていてほしい」

 

「相変わらずだなぁ、君は」

 

 カステヘルミはクスクスと笑った。

 

「しかし、勇者か。その称号は、ネェルにふさわしい物だろうな。まったく、このような辺境に素晴らしい人材がいたものだ。アルの部下でなければ、仕官の誘いをしていたところだよ」

 

「おや、ネェルが、ご所望、ですか?」

 

 突然話題に出されたネェルが、こちらを一瞥してニヤッと笑った。

 

「ああ。なんでも、前回の戦いでは大軍を相手に孤軍奮闘したらしいじゃないか。大軍をたった一人で相手にできるほど勇猛で、腕っぷしも強く、おまけに頭も良い。騎士としては、理想的だな。我が領地に来ても、大活躍間違いなしだ」

 

「残念、ネェルは、もう、アルベール君、専属、なのです。あと、寒いの、苦手なので、北には、いけません」

 

「アハハ、寒いのが苦手か。それは駄目だな……」

 

 自分も寒いのが苦手なのにガレア王国の最北端を治めている大領主様は、苦笑しながら頷いた。実際、ノール辺境領はいわゆる"試される大地"としか言いようのない場所なので、南国出身のネェルがあそこで暮らすのはさぞやつらかろう。

 

「それに、ネェルは、あくまで、種族的に、滅茶苦茶、とても、びっくりするくらい、強い、だけの、普通の、ニンゲン、なので。あまり、買いかぶられても、困ります」

 

 ネェルはそういって、肩をすくめる。……謙遜するにしても、強いという部分はまったくもって妥協しないのが彼女らしいな。まあ、実際めちゃくちゃ強いのだから過大評価ではない。あの強靭なエルフやアリンコの軍団を蹴散らし、ガレア最強の騎士であるソニアを一方的に叩きのめした腕前は尋常ではないのだ。……まあ、この娘たぶん体重は千キロオーバーだからね。一般的な体格の人類が生身で挑もうというのがまず無理な話だろ。

 

「そうかな? 私から見れば、尊敬に値する戦士のように思えるが。少なくとも、ただ強いだけの兵器のような存在ではない」

 

「兵器じゃなくて、ニンゲン、ですからね。そりゃあ、怖いところ、弱いところ、ありますよ。皆さんと、同じ」

 

 とてもまじめな口調で、ネェルはそう言う。どうやら、謙遜ではなく本気の発言のようだ。

 

「一人は、怖いし、腹ペコも、怖いです。人質とか、取られたら、たぶん、戦えません。欠点、いろいろ、ありますよ」

 

「君だって、僕と同じ一人の人間だからね。そりゃあ、完璧な存在にはなれないだろうさ」

 

 実際、ネェルはたいへんに有能だが過大な期待を背負わせては彼女の負担になってしまう。僕は手綱を握りなおしつつ、ネェルにそう語り掛けた。

 

「おや、私の知る限り、もっとも完璧に近い人間が何か言っているね。ふふ、アナタにも怖いものがあるのかな」

 

「そりゃあもちろん」

 

 カステヘルミの冗談めかした問いに、僕は思わず苦笑した。

 

「怖いことだって、欠点だって、いっぱいあるさ。それが人間ってものだろ?」

 

 ええ!? と言わんばかりの様子で、護衛の騎士たちが僕の方を見た。顔なじみの騎士の中には、「アル様がそれを言う?」などと呟いている者もいた。おい、なんだその態度は。僕だって、怖いものくらいたくさんあるぞ。

 ……と、想ったが、これはどう考えても僕が悪いな。戦場では、『怖いものなど何もない!』という風な態度を装ってるし。指揮官の恐怖はかならず部下に伝染する。それ故に、将はいつでも泰然自若としていなければならない。そして"恐れを知らぬ豪傑"を演じている以上、こういう誤解を受けるのは当然のことだ。僕にはそれを責める権利などない。

 ううーん。部下と上官という関係なら、今のままで全然問題がないわけだけど。しかし、家族となるといろいろと問題が出るかもしれない。過大に評価されたままでは、いずれ僕の方がダメになってしまうやも……。むぅん、この辺りは、ロリババアの指摘が正しいんだろうな。参ったね……。

 

「アル?」

 

 心配そうな目をして、カステヘルミが聞いてくる。僕は反射的に、「いや、何でもない」と返そうとした。だが、ふと思い直して口をつぐむ。彼女はリースベンにやってきて以降、明らかに今までとは違う態度を僕に向けている。具体的に言えば、弱味を良く見せるようになった。かつての彼女ならば、自分のことを臆病だなどと評することはあり得なかったからな。

 つまり彼女は、僕に対して弱味を見せても良いと思っているということだ。それは決して、不快な感覚ではない。いわば、信頼の証だからな。これがロリババアの言うところの、甘えなのだろう。

 で、あるなら……歩み寄られた分、こちらも歩み寄るべきだ。虚勢を張って相手を近づけないというのは、家族に向ける態度ではないよな。こちらから甘え返してみるというのも、ひとつの選択肢だ。それに、彼女はそれなりの年上だ(まあ魂年齢で言えば人生二周目の僕の方がオッサンだが)。同世代のソニアやジルベルトらよりは、甘えるための心理的なハードルも低いし。

 

「……カステヘルミ。良かったら今晩、一献付き合ってもらってもいいかな?」

 

 僕の言葉に、カステヘルミはニコリと笑って返してきた。

 

「一献と言わず、何献でも」

 

 ……カステヘルミはソニアと同じく下戸だから、そんなに飲んだら酔いつぶれちゃうんじゃないかな……。



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第395話 くっころ男騎士の相談(1)

 カルレラ市へ戻った僕は、四苦八苦しながら今日の仕事を終わらせた。別に書類仕事が苦手な訳ではないが、やはり身体を動かす仕事のほうが好きだ。だが好きだろうが嫌いだろうがやらねばならぬ仕事には変わりない。「嫌じゃーワシは隠居するんじゃ―」などとむずがるロリババアのケツを叩きつつ、なんとかヒマラヤ山脈めいた書類の山の一角を崩すことに成功する。

 そしてそうこうしていたら、あっという間に夜だ。この頃、一日が過ぎるのが異様に早くて困るね。せっかくの平和な日々だ。もっとゆったり過ごしたいものだが……

 

「それじゃあ、お疲れ様」

 

 そんなことを想いつつも、僕はカステヘルミと乾杯をした。夕食後、約束通りに彼女と一杯やることになったのだ。場所は食堂ではなく、僕の寝室だった。流石に、部下の目のあるところでナイショ話はできないからな。

 ……しかし、アレだね。自分の部屋に幼馴染の母親、かつ一応は男女関係にある女性を招くというのは、少しばかりドキドキするイベントだな。カステヘルミは僕の母と同年代だが、大変に美しく熟れた魅力のある女性だった。正直、ストライクゾーンである。……我ながら広いストライクゾーンだなあ。なんなら暴投や死球でもストライクがとられるのではなかろうか。

 

「……」

 

 内心苦笑しながら、酒杯の中身を飲む。秘蔵の高級ワインだ。味はなかなかのものだった。ちなみに、カステヘルミのほうはこのワインをショウガ湯で割った特製のホットワインをちびちびとやっていた。

 何しろ彼女は娘であるソニアと同じく酒には弱いタチなので、ワインをそのまま飲んでいるとあっという間に泥酔してしまう。たんなる寝酒ならばそれでもかまわないが、今回は相談したいことがあって誘ったわけだからな。酒は、口の潤滑剤程度にとどめておかねばならない。

 

「そういえば……アナタと二人っきりでお酒の飲むのは初めてかもしれないね」

 

 普段よりも幾分柔らかい口調で、カステヘルミはそう言った。周囲の目のある時の彼女は王国屈指の大領主らしい凛々しいものだが、二人っきりの時は地が出てくる。

 

「確かにね。そういう機会も、あまりなかったから……」

 

「お酒はそれほど得意ではないけれど、アナタと一緒に飲むのであれば楽しいよ。これからも、気が向いたら誘ってくれると嬉しいかな」

 

 湯気の上がるホットワインを飲みつつ、カステヘルミは微かに笑った。この時代の夜は、暗い。光源と言えば燭台のロウソクと暖炉で燃えている薪の炎くらいだ。しかし、その暖かな光に照らされた彼女は、見惚れるほど美しかった。

 

「それは、もちろん。辺境領ほどではないにしろ、やっぱり冬は長いから。こういう機会は、何度だって取れるさ」

 

 彼女の治める北方辺境領は、冬季の間は完全に凍り付いてしまう。冬になってしまえば、辺境領から出ることも入ることもままならないということだ。交通が再開するまでは、彼女もこのリースベンに留まり続けるはずである。

 

「ん、たのしみだな。……それで、今夜はどういう要件かな? とくに理由がなくとも、アナタとは一緒に居たいけど……そういう訳でもないんでしょ」

 

 酒杯を緩やかな回しつつ、カステヘルミは聞いてくる。彼女とも長い付き合いだ。どうやら、こちらの思惑はすべて把握しているらしい。僕は苦笑してから、薄くスライスされたチーズを口に運んだ。塩気も臭気も強いタイプのチーズである。酒にはバツグンに合った。

 

「実は、相談したいことが」

 

「おや、珍しい」

 

 カステヘルミの眉が跳ね上がった。声音こそ穏やかだが、かなり驚いている様子だ。

 

「正直に言うとね。待っていたんだ、こういうの。たまには年長者らしいところも見せたいからね」

 

 笑みを見せるカステヘルミに、僕も笑い返した。言われてみれば、彼女にこういう風に助言を求めたのは初めての経験かもしれない。

 

「して、その内容は? 私で力になれるような事だったらいいんだけど」

 

「大したことではないんだけど」

 

 僕はそう言ってから、ワインで喉を潤した。……一杯目が、もう空になってしまった。テーブルにおかれたワインボトルを取ろうとすると、それより早くカステヘルミがお酌をしてくれた。目上の人にこういうことされるの、慣れないなぁ。そんなことを想いつつ、軽く一礼する。

 

「……いや、僕個人の問題としては、大事か。その、なんというか……ソニアたちと、今後どういう風に付き合っていくか、悩んでいるんだ。こういうことになった以上、今まで通りという訳にはいかないだろうし」

 

「なるほどね。……そうか、君も年齢相応の悩みを抱くんだね」

 

 コクコクと頷くカステヘルミ。その表情に侮蔑の色は無かったが、僕は内心恥ずかしかった。前世と現世を合わせれば五十年も生きているというのに、若造のような悩みを抱いているわけだ、なんとも未熟な男だこと……。

 

「そんな顔をしなくてもいいよ、アル。君は本当に可愛いね」

 

 そう言ってカステヘルミは、その大きな手で僕の頭を撫でた。ひどく優しい手つきだった。

 

「しかし、ソニアらとの付き合い方か。具体的に言うと、どういうところに悩んでいるのかな」

 

「なんというか、その……」

 

 僕は自分の頬をペチペチと叩いた。この場に鏡はないが、そんなものがなくとも自分の顔が真っ赤になっていることは自覚できていた。

 

「僕って、八方美人なんですよ。ついつい、格好つけちゃうというか。弱い自分を見せたくないというか」

 

「……うん」

 

「演技だけはそれなりに自信があるので、ソニアからも過分に評価されている自覚はあるんだけど。でも、結局それはメッキなので……夫婦というこれまで以上に親密な関係になってしまった以上は、いずれ剥がれて地が出てくると思うんだ」

 

 友人であり上官・部下であるという今までの関係であれば、まだなんとかなる。僕は将校としてふるまうのは得意だ。だから、良い上官として振舞っている限りは、そうそう失望されることなどないと思う。僕だって、伊達で年を食っているわけではないからな。その辺りには、それなりに自信があった。

 だが、関係が近くなりすぎるとそういうわけにもいかなくなってくる。演技を続けるという手もあるが、そんなのは健全な関係ではないとロリババアに指摘をうけてしまった。確かに、彼女の言う通りではあるんだよな。メッキはしょせんメッキ。近くで見続けていれば、いずれそれがニセモノであることに気付いてしまうだろう。

 

「実際のところ、僕はそう大した人間ではないから。ソニアやアデライドは、立派な貴族だ。そんな彼女らとつり合いが取れるんだろうかって」

 

 そこまで言って、僕は首を左右に振った。こういういい方は、正確ではないな。

 

「……違うな。つり合いとか、嘘だ。要するに……失望されるのが怖いんだ。ああ、アルベールはこの程度の人間だったんだなって、見捨てられるのがたまらなく嫌なんだ。僕に微笑みかけてくれたあの顔で、ゴミを見るような目を向けてほしくないんだ」

 

 核心は、これなんだよな。僕はそれなりに虚栄心のある人間で、失望されたり見捨てられたりするのはとても嫌だ。それが、親しい相手であればなおさらで。だから、ついつい自分が良く見えるように立ち回ってしまう。これは前世からの悪癖だったが、転生してからはより悪化したような気もする。

 

「なるほどね」

 

 僕の告白に、カステヘルミは笑いも怒りもせずに頷いた。そして、ホットワインを一口だけ飲む。

 

「あえて言わせてもらうとだね。親しい相手に失望されたくない、などというのはみな思っている程度のことだ。ソニアも、アデライドも、私もね。君だけの専売特許じゃあない」

 

「……」

 

 それはまあ、そうだろうけども。僕は思わず唇を尖らせた。とはいえ、僕は人生二周目という露骨なズル行為をやってるわけだからな。なんだか申し訳ない気分になってくるというか……。

 

「……そうだな、告白ついでに、私も告白しようか。君に失望されたくないあまりに、今まで黙っていたことだ」

 

「拝聴しましょう」

 

 はて、告白ね。以前にも、そういうイベントはあったが。それとはまた別の話なのだろうが、いったいどういう内容なのやら……。

 

「実は、私は……君に女装してもらって、自分は男装して。そういう状態で、アナタに押し倒してもらいたい。そういう願望があるんだ」

 

 僕は思わず酒杯を取り落としかけた。



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第396話 くっころ男騎士の相談(2)

「実は、私は……君に女装してもらって、自分は男装して。そういう状態で、アナタに押し倒してもらいたい。そういう願望があるんだ」

 

 カステヘルミのその言葉に、僕は思わず酒杯を取り落としかけた。なんというか……かなり予想外の奇襲だ。慎ましやかな彼女が、いきなりこんなことを言い出すとは。

 

「私は……」

 

 そう言ってから、カステヘルミは酒杯のホットワインを一気に飲み干した。僕は無言で彼女に酒のお代わりを注いでやりつつ、言葉の続きを促す。

 

「以前にも言ったが、私はなかなかに雄々しい女でね……。どちらかと言えば男の着るような華々しいドレスを着るのが好きだし、お相手には凛々しい騎士のような恰好をしてもらいたいんだ。人には、とても言えない趣味だけど」

 

「……なるほど」

 

 突然告白されたものだから少しばかり動揺したが、良く聞いてみれば別にとんでもないことを言っているわけではない。自分の肉体上の性別がしっくりこない、というような人は少なからずいるものだしな。この辺りは普通に個性のうちだろ。前世で指揮していた中隊にも、何人かそういう部下はいた。今さら驚くほどのことは無い。

 というかこれ、カステヘルミはわざとショッキングな言い方をしたような気がするな。たんに事実を伝えようというのならば、別に押し倒してもらいたいだのと言う必要はないわけで……。

 

「雄々しいのは性癖だけではなく、性根もだ。戦場に出るのはとても怖いし、乱暴な荒くれものには近寄りたくもない。軍役も、部下の手前なんとか頑張っているだけだ。たぶん、現役を退いたら二度と甲冑を纏うことはないと思う……」

 

「それは……むしろ、好き好んで危ない目に遭いに行くやつのほうが異常者だと思うんですけど」

 

 たとえば、僕とかな。口ではイヤだイヤだといいつつも、軍人はやめられない。前世はそれでひどい死に方をしたってのにな。完全に異常者だよ。

 

「まあ、そうではあるが。しかし、騎士というのはそれくらいじゃないと務まらないものだ。そういう意味では、私はまったく騎士向きの人間ではないんだよ。……まあ、それはそうだろう。昔から、私が憧れていたのはのは騎士ではなく、その騎士に救われる王子様なんだから……」

 

 そう言って、カステヘルミは立ち上がった。そして、対面から僕の隣へと移動し、腰を下ろす。そのまま、僕の身体にそっとしなだれかかってきた。

 

「ねぇ、私の騎士様。こんな話は、当たり前だけど一番信頼している部下にも、そして娘たちにもしたことは無い、けれど、アナタには抵抗なく伝えることができるの。いったい、何故だと思う……?」

 

 僕の耳元で、彼女はそう囁いた。一杯しか飲んでないのに、随分と酔ってるな。正直、だいぶドキドキする。ロリババアにも弱いけど熟れた美女にも弱いんだよなぁ、僕……。

 

「し、信頼しているから……?」

 

「ご名答。……人にはとても聞かせられないこんな話でも、アナタにならば言える。気持ち悪がったりせずに、きちんと受け止めてくれることがわかってるから、ね?」

 

 楽しげな様子で、カステヘルミはそっと僕の腕を取って抱きしめる。ああ、豊満な胸が! 腕に、腕に!

 

「人に良く思われたいというのは、ほとんどの人間に共通する感情だと思う。けれど、それと同じように、本来の自分を出してのびのびとしたい……そういう感情もあるんだ。この二つを両立することができる相手というのが、本当の運命の人だと私は思う」

 

「……」

 

「アナタは私が本当の自分を見せても失望なんてしないし、私を大事にもしてくれると思う。だから、アナタは私の運命の人。まあ、今のところ、一方通行な関係だけどね……」

 

「一方通行、か」

 

 それはもちろん、僕が彼女の前で本来の自分を出していないせいだろう。僕は口を開きかけたが、それより早く彼女の人差し指がこちらの唇を抑えた。

 

「だめだめ。何か、カミングアウトしようとしたでしょ。私が何かを告白したからって、アナタも秘密を喋る必要はないの。そういう相互的な取引は、愛とは呼ばない。対価を求めるような愛は愛じゃない。愛は一方通行であるべきだよ」

 

「カステヘルミには勝てないな」

 

 僕は思わず苦笑した。前世の僕の享年が、ちょうど今の彼女と同じくらいだった。しかしあの頃の僕は、カステヘルミに比べればはるかに子供だった。いや、それは今も同じことなのだが。要するに、愛がどうとか信頼がどうとか、そういうことを真面目に考えたことが無かったのである。

 

「それに、私はしょせんオマケだからね。できれば、そういう関係を結ぶのは、ソニアかアデライドを先にするのが自然かなって」

 

「そんなことは……」

 

「あるいは、すでにあのエルフのおばあちゃんに先を越されてるかもしれないけど、ね? まあ、それもアナタの判断だから」

 

 僕は思わず凍り付いた。まさか、ここでダライヤの話が出るとは……。

 

「図星? ふふ、やっぱりねぇ……」

 

「いや、その……」

 

 浮気のバレた亭主のような気分になって、僕は弁明した。だが、カステヘルミは優しく微笑み、首を左右に振る。

 

「こればっかりは私たちの落ち度だよ。これだけ長い時間を一緒に過ごしてきたのに、アナタの愛を手に入れることができなかったんだから。他人を泥棒猫呼ばわりするには、出遅れが過ぎているんじゃないかな」

 

 そう言って、カステヘルミは小さく息を吐いた。そして、酒杯のホットワインをごくごくと飲む。

 

「まあでも、人を愛するというのは、精神衛生上とてもいいことだからね。アルに愛する人ができて、私は嬉しいよ」

 

「……」

 

 実際、僕が一番地に近い態度を取ることができる相手が、ダライヤだ。なにしろ彼女の前では多少の演技など容易に看破されてしまうし、そもそもが根がクズ寄りの女なのであえて取り繕う必要もない。とにかく、傍にいて気が楽なんだよな。……つまり、好きってことだが。我ながら、いろいろとネジくれてるなぁ……。

 

「ただ、ね。愛するのもいいけど、やっぱり愛されたいという気分もある。だから、アナタがこうして私に相談をしてくれたのは、とても嬉しいんだ……」

 

 カステヘルミの声はしっとりとしていた。僕は思わず、彼女の手に自分の手を添えてしまう。なんというか、本当に可愛いんだよな、この人。

 

「愛し、愛され、か……」

 

「そう。私も、それからソニアやアデライドも、君のことを愛しているよ。だから、同じように愛し返してあげてほしいな。その方が、アナタも楽になれると思う。あのエルフと同じように、きっと私たちも本当のアナタを受け止めることが出来ると思うから」

 

「どうだろう? 大丈夫かな。本当の僕は、クズで臆病者だよ。カステヘルミの理想からは程遠い人間だ」

 

 僕はそう言って、ふいと目を逸らした。

 

「部下を判断ミスで死なせたことがある。それどころか、死地とわかって投入したことも。清廉潔白な人間ではないよ。どちらかと言えば、真っ黒だ」

 

「向いていないとはいえ……私も、ソニアも軍人だよ。戦いというものが、どれだけ薄汚い物かは知っているつもりだ」

 

「……勇気があるわけでもない。一度婚活で失敗して恥を掻いたからって、怖くなってずっと逃げ続けた。まだ時間はあるとか言い訳して、目をそらして……」

 

「早く迎えに行かなかった私たちが悪いんだよ。本当にごめんね……」

 

「……」

 

 黙り込む僕に、カステヘルミはそっとキスをした。そして慈愛の籠った目で、僕をじぃっと見る。

 

「大丈夫だよ、アナタ。私は、アナタを受け止められる。信頼して、前に一歩踏み出して。……実のところ、ね。出遅れたことは認めるけれど、あのエルフに負ける気はさらさら……無いよ。略奪愛、上等だと思う」

 

 僕は思わず苦笑した。いつのまにか、カステヘルミの顔には捕食者めいた笑みが浮かんでいる。

 

「女は皆オオカミだ、気を付けろって父上が言ってたけど……どうやら、本当みたいだな」

 

「オオカミ? 違うよ。ドラゴンだ。私のような雄々しい女でも、心には一匹の竜を飼っているのさ」

 

 そういって、彼女は僕の唇をもう一度奪った。さっきとは全く異なる、荒々しいキスだった。先ほどは押し倒されたいなどと言っていたくせに、今や自分から押し倒してきそうな雰囲気である。

 ……まあ受け身なプレイが好きなのと、性的なことに積極的なのは、両立できるからね。つまり、そういうことだろう。相方の趣味に合わせてやるのも、婚約者の務めか。僕はコホンと咳払いをして、わざと少し乱暴な手つきで彼女の肩を掴んだ。カステヘルミの顔が、うっとりと蕩ける。……うんうん、彼女のツボはこういう感じか。嫌いじゃないね、こういうのも。

 

「……ちょっと告白したいことがあるんだけど」

 

「なぁに?」

 

「実は、さ。僕ってば結構淫乱なんだ。いま、すごく期待してる……そんな僕でも、カステヘルミは受け止めてくれる?」

 

「本当?」

 

 カステヘルミは目を丸くして、少しだけ視線を下げる。そして、僕と答えを待たずして満面の笑みを浮かべた。

 

「……ふふ、嬉しい。本当にうれしいよ。私はこんな、どうしようもなく雄々しい変態のおばさんなのに……」

 

 なんとも艶めかしい湿った声音でそんなことを言うカステヘルミに、僕はくらくらし始めていた。酒はまだ大して飲んでいないのに、すっかり泥酔したような気分だ。これは、酒精ではなく雰囲気に酔っているのだろう。

 

「……ところで、私の方にも一つ告白があるんだ」

 

「なに?」

 

「期待してたのは、私の方も同じことでね。実は、その……着てもらいたい服があって、用意してるんだ……。せっかく、ソニアもいないわけだし……どうかな?」

 

「……ちなみに、どういう服?」

 

「君も見慣れたやつだよ。辺境伯軍の近侍隊用礼服」

 

「アレかぁ……」

 

 近侍隊は、辺境伯の身辺を固める精鋭部隊だ。彼女らの纏う制服は落ち着いた色合いの質実剛健かつスタイリッシュな代物で、なかなかに恰好が良い。女装と言っても、正直抵抗のある感じの服装ではないんだよな。……というかそもそも、この世界の基準では僕は普段から女装しまくってるしな。なにしろ全身甲冑ですら女装判定だ。

 

「アレならいいよ、着替えましょ。でも、興奮しすぎちゃだめだよ。ユニコーンに蹴られちゃ困るからさ……」

 

「やった! じゃあ、ちょっと待っててね」

 

 そう言って、カステヘルミは小躍りしながら部屋を出て行ってしまった。一人残された僕は、ため息をつく。なにしろ、ここまで来て"本番"はナシなのである。正直、生殺しだよな。童貞を判定できるユニコーンなどという生物が実在するせいで、"本番"は結婚後の初夜までお預けだ。我慢が出来ない場合、僕には淫乱の烙印が押されることになる。……はぁ、ユニコーンめ。今すぐ絶滅しないかな……。



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第397話 くっころ男騎士と星降祭(1)

 それから、またしばらく忙しい日々が続いた。仕事は相変わらずヒマラヤ山脈めいて積みあがっているし、さらには大小のトラブルが山のように発生しては本筋の仕事の妨害をしてくる。こう言った領主としての仕事に加え、リースベン軍の再編成やらアリンコ傭兵団の組織・訓練などといった指揮官としての仕事もあるのだがなんとも大変である。

 だが、僕はこの日常に充実感を覚え始めていた。確かに休む暇もないほど忙しいし、エルフやアリンコ、それに外部から流入してきたゴロツキどもが引き起こす様々な問題には腹を立てることも少なくはない。しかしだからこそ、ひと段落ついたときの達成感は尋常なものではなかった。

 おまけに、仕事を終えれば寝床ではカステヘルミやらジルベルトなどの竜人(ドラゴニュート)美女が(時にはウシ獣人の義妹やらエルフのロリババアなども)待っているのである。やる気がでないはずもない。別にイヤらしいことをしなくても、人肌の体温というものは気力を充実させるものだからな。

 昼間はバリバリと働いて、メシと酒をたらふく食って、夜は美女と同衾してぐっすり。なんとも充実した生活であった。カステヘルミのおかげで、少し肩の荷も降りたしな。あの日以降、僕は時折ロリババアやカステヘルミに愚痴を漏らすようになっていた。男として少しばかり情けない心地にはなるが、やはりフラストレーションの解消にはなる。

 そうこうしているうちにアデライドやソニアが王都から帰ってきて、とうとう星降祭当日となった。これは星導教の中でも最大級の祭典で、各自ご馳走を持ち寄って大騒ぎをしつつ新年に備えるというお祭りだ。まあ、クリスマスのようなものだな。せっかくのハレの日である。僕は領民との交流を図るために、領主主導の大きなイベントを企画した。バーベキュー会である。

 

「……よし、よし。イイ感じだ」

 

 カルレラ市郊外にあるリースベン軍の野戦演習場で、僕はそう呟いた。そこは、臨時のバーベキュー会場になっていた。ミニチュアの蒸気機関車(といっても、ドラム缶なみのサイズはある)を思わせる形状の移動式オーブンがいくつも並び、その煙突から大変に良い匂いのする煙を吐き出している。

 そのオーブンのうちのひとつの蓋を開けながら、僕は頷く。オーブンの庫内には、貴重な舶来品の香辛料がタップリ塗りつけられた巨大な肉塊が収まっていた。焼き加減は上々であり、なんとも食欲をそそる香りを放っていた。調理台に運ぶべく肉塊を木製の板に乗せていると、周囲にいた男性使用人たちが慌てた様子で集まってくる。

 

「城伯様! いけませんよ。こう言ったことは、僕たちにお任せください」

 

「しかしだなぁ、ピットマスターは率先して働くものと相場が……」

 

「ピットマスターが何かは存じませんが、お偉方を一番に働かせていたら僕たちのコケンに関わりますので!」

 

「むぅ……」

 

 男性使用人たちは、強い口調でそんなことを言う。彼らは、部下の夫たちを"お手伝いさん"として臨時雇いした連中だった。普段から自分の家庭の台所を差配している者たちも多いので、男性と言っても意外と押しが強い。こういった場でしか料理をしない僕としてはタジタジになるほかなかった。

 

「それに城伯様、何時間も働き詰めでしょう。城伯様が休まないと、我々も休めないのですよ! 疲れていなくても、休憩時間はキチンと取ってください」

 

 強い口調でそんなことを言うのは、馴染みの騎士の夫だった。平民出身のせいか、貴族令息にはない迫力がある、肝っ玉母さん……ならぬ父さんという雰囲気で、どうにも口答えがしにくい。まるでブートキャンプの鬼軍曹だ。

 

「いや、別にそんなことは気にしなくても……」

 

「貴族様を差し置いて平民が休めますか! ホラ、これを差し上げますので一休みしてきてください」

 

 彼はそう言って、僕にまな板めいたものを押し付けてくる。そこには、一キロはあろうかという巨大なローストポークが乗っていた。これでも食ってろ、ということらしい。一休みで食う量じゃねえだろ。

 

「しかしだねぇ」

 

 先任下士官に叱責された新品少尉のような心地になりつつもなおも抗弁しようとした僕だったが、そこへ聞き覚えのある「アルくん!」という声が聞こえてきた。そちらに目を向けてみれば、呆れた顔をしたアデライドとソニアのコンビが早足でこっちへ近寄ってきている。

 

「そちらの方はもういいかね!? そろそろこちらの方も手伝ってもらわねば少々困るんだがねぇ」

 

 ため息をつきつつ、アデライドは開口一番にそう言った。まあ、文句を言われても仕方ない事をしている自覚はある。コックにはコックの、領主には領主の仕事があるのだ。こういう場では、趣味より仕事の方を優先するべきだろう。

 とはいえ、僕としてもそれなりに言い分はある。ホストが手料理で来客をもてなすのは、バーベキュー・パーティの鉄則なのだ。ここを疎かにしては、おもてなしの心を疑われかねない。……それに、この手の現代的な料理のレシピは、僕の頭にしか入ってない訳だしな。炊事場に居た男たちはみな料理慣れしているものばかりだが、やはり初めての料理を作る際には監督が必要だろう。

 

「アル様、来賓もだいぶ集まってきていますよ。そろそろ挨拶をしてもらわねば」

 

 ……とはいえ、それもこれまでらしい。ソニアが少しばかり困った様子でそんなことをいうものだから、僕は苦笑して頷いた。つまり、来客のお偉方にあいさつ回りをして来いということか。肉の面倒を見ているほうが遥かにラクで面白い仕事なのだが、いたしかないか……。やっぱり、下手に出世するもんじゃないね。

 

「あいあい、ごめんよ。……みんな、すまない。そういうことだから、僕はそろそろ抜けさせてもらうぞ」

 

 男たちに向けてそう言ってから、僕はソニアらに向き直った。

 

「さあて、行こうか」

 

 数分後。僕らはアデライドらを伴って野戦演習場を歩いていた。普段はリースベン兵たちが汗と涙を流しているこの場所も、今はなんとも楽しげな空気が流れていた。軍楽隊が景気の良い音楽を奏で、旅の劇団がちょっとした演劇などをしていたりする。

 それを見物している者たちも様々で、只人(ヒューム)竜人(ドラゴニュート)、獣人などの他にも、エルフをはじめとした蛮族勢も少なからず混ざっていた。領民たちと蛮族勢の融和も、今回の催しの目的の一つなのである。

 

「しかし、君も変わったイベントを思いつくものだねぇ。星降祭は確かに皆にごちそうを振舞うのが習わしだが……郎党や周囲の領主貴族家だけでなく、一般市民まで招くとは」

 

 周囲を見回しながら、アデライドがそんなことを言った。彼女の言う通り、会場にはあきらかに身分卑しき者とわかる身なりの者もいる。普段ならこの手の催しには近寄ることすら許されない者たちだ。

 

「どんな人間であれ、一年のうち一回くらいは肉を腹いっぱい食える日があってもいいじゃないか。流石に皆に配るほど肉は用意できないが……抽選に当たった幸運な者くらいは、さ?」

 

 今回、僕が開いたバーベキュー・パーティは日本でよく見られる炭火のコンロを多人数で囲む野外焼肉スタイルではない。手間暇かけて調理したバカでかい塊肉を切り分ける、典型的なアメリカ式バーベキューだ。前世の僕は高校卒業と共にアメリカの大学に進学したので、日本式よりもアメリカ式の方が馴染みがあるのである。

 この手のアメリカ式バーベキューは、富豪や地元の名士などがこぞって開催し、貧民なども呼んで肉を振舞っていた歴史がある。まあ、一種の慈善事業だったわけだな。僕はその古式ゆかしいやり方を、このリースベンの地で再現したわけだ。

 

「相変わらずだねぇ、君は。貴族の義務(ノブリス・オブリージュ)と言っても限度があろうに」

 

 アデライドは苦笑して、視線を近くにいたカリーナに向ける。彼女の手の中には、先ほどのクソデカローストポークの乗った皿があった。

 

「で、あの焼いた豚肉は君の手料理と」

 

「まあ、たまには男子力を発揮したくてね、よく馬鹿にされるが、僕にだってこの程度の料理は作れるんだ」

 

 胸を張ってそう答えるが、実際のところこの手の野外料理は前世の世界ではどちらかというと男が作る代物だった。男女の感覚が逆転したこの世界では、どちらかといえば女料理にカウントされるだろう。

 

「アル様の作る肉料理は絶品だぞ、アデライド。冷えてしまっては少々もったいない、挨拶前に少しばかり味見をしていかないか」

 

 ちらちらとカリーナのほうをうかがいつつ、ソニアが言う。この義妹はどうやら腹ペコが極まっているらしく、今にもヨダレをたらしそうな表情で巨大な肉塊を見つめているのである。この状態でさらに"待て"をさせるのは流石に可哀想だ。

 

「ふぅむ。確かに、まだ賓客は全員は揃っていない。少しばかり軽食を取るくらいの余裕はあるが……ところでソニアくん。君はこのよくわからない料理を食べたことがあるのかね」

 

「むろんだ。わたしの好物の一つだぞ」

 

「むぅ。私は今まで一度もアルくんの手料理なぞ食べたことがないんだがねぇ……」

 

 恨めしげな表情で、アデライドはソニアの方を見た。ソニアはそれを、幼馴染の特権だ、と言わんばかりの態度で受け止める。……しばらく一緒に仕事をしていただけあって、ずいぶんと関係が修復されているな。前だったら、ちょっとした嫌味の応酬くらいはあったものだが。

 

「いいだろう。私も小腹が空いていたところだ。アル君自慢の料理とやらを食べさせてもらおうじゃないか」

 

 結局、そういうことになった。せっかく手間暇かけて作った料理だ。できれば冷える前に食べてほしい。僕は密かに、ほっと安どのため息をついた。それに、貴族のパーティなんて食事はオマケで話し合いの方がメインだからな。パーティが終わった後なのに満腹どころかむしろ腹ペコになっているなんて、ざらなんだよ。今のうちに、気合を入れて腹ごしらえをしておくべきだろう。



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第398話 くっころ男騎士と星降祭(2)

 領主としてのお仕事をする前に腹を満たすことにした僕たちは、会場の片隅にあるテーブルに陣取った。なにしろ動員人数の多いイベントだ。どこでも食事ができるよう、野戦演習場を転用した野外会場にはあちこちにテーブルやイスが設置されている。

 

「しかし……変わった料理だな、これは。部位まるごとの塊肉をそのまま焼くとは……斬新というか、大胆というか」

 

 テーブルの上の大皿を見ながら、アデライドが言った。そこには、骨がついたままの大きな豚肉がデンと乗っている。まだ焼き立てのホカホカであり、湯気と共になんともいえない食欲を刺激する香りを放っていた。

 

「西大陸の方では一般的な調理法らしいよ。スパイスにまぶした塊肉を、燻製にしながら焼くんだ」

 

「なるほど、このこれでもかと塗りつけられているソースはスパイスか……道理で予算の要求額が大きいはずだ。アルくんも豪勢な真似をするねぇ……」

 

 なんとも微妙な表情で、アデライドは肉の表面についた分厚いソースの層をフォークでつついた。見た目だけは辛そうな、真っ赤なソースである。まあこの赤色の正体は赤ピーマンとトマトであり、トウガラシはそれほど入っていない。辛みがまったくないわけではないが、お子様でも楽しめる程度だ。

 ちなみに、ピーマンにしろトマトにしろこの世界では西の方にある別の大陸が原産地であり、僕らの住む中央大陸では手に入りにくい。おかげで、調達にずいぶんとカネがかかってしまった。一緒にタネも仕入れているので、そのうちリースベンでも栽培できないか試してみようと思っている。

 

「値段に見合った味はあると、わたしが太鼓判を押そう」

 

 ソニアは大変に上機嫌な様子でそう言ってから、肉をナイフで切り分けていった。慣れた手つきだ。王都で騎士をやっていたころは、打ち上げのたびにこの手の料理を作ってやっていたものだ。ソニアは見た目の通りなかなかの健啖家であり、毎度凄まじい量の肉を平らげていた。

 

「ふぅむ。ま、使ってしまったカネはもう返ってこないからねぇ。予算の使い道が正統だったのか、この私自ら確かめてやろうじゃないか」

 

 取り分けられた肉を一瞥して、アデライドは皮肉げに笑う。……どうも宰相閣下は、今回の催しにかかった費用がお気に召さない様子だな。まあ、いくらカネモチとはいえ彼女の財布も無限ではないからな。イヤミの一つでも言いたくなる気分はわかるさ。

 とはいえ、言い訳させてもらうなら一応僕だって予算削減の努力はしている。スパイス類には確かにカネをかけたが、肉の方はそれほど上等ではない庶民でも手の届くくらいのランクのものを使っている。しかもこの時期は冬に備えて家畜の一斉と殺が始まるため、精肉の価格は一年でもっとも安くなるのだ。たらふく肉を食べるのに、これほど適したタイミングは無い。

 それに、出来るだけ早めに大きなイベントを開き、蛮族どもと領民の融和を図りたかったからな。星降祭を利用しない手は無い。実際、会場を見渡せばエルフやアリンコどもと何かを話している市民たちの姿も多少あった。むろん数は多くないが、以前の断絶した関係を想えば確かな前進といっていいだろう。

 

「それでは、頂きますということで」

 

 まあ、そんなことはどうだっていい。今肝心なのは目の前の肉だ。食前のお祈りをささげ終わるのと同時に、カリーナが短距離走の選手のスタートめいて肉にかぶりついた。どれだけ腹が減ってたんだよお前は。ウシといえば草食獣の典型だろうに、今の彼女は明らかに肉食獣だった。

 

「うまっ! うーまっ!」

 

 ウマじゃなくてウシだろう君は。苦笑しながら、自分も一口食べてみる。何時間もかけてじっくり低温で焼かれた豚肉のカタマリは、歯を使う必要もなく舌の上で溶けるように崩れた。そして同時に、トマトソースの酸味とトウガラシの控えめな辛さ、そして何よりクルミ材を焚き染めた濃密な燻製臭が口のなかに広がった。

 この複雑だがパンチのある風味! これぞバーベキューの真髄って感じだな。トングを握るのは久しぶりだったが、なかなかに満足の行く出来だ。ウンウンと頷いていると、ソニアがグッと親指を立ててくる。同じように、僕も親指を立てた。

 

「ほう? ふーん……これは……」

 

 そして、アデライドの反応も悪くない。一口たべては小さく声を漏らし、首をかしげてはもう一つ口に運んでいる。当然と言えば当然だが、この手の味付けはガレアの伝統料理にはないものだ。

 

「この酸味……何を使っているのかね? ワインビネガー……でもなさそうだが」

 

「トマトだよ」

 

「トマト? ……トマト!? あの黄色い花を咲かせるヤツかね」

 

「そう、そのトマト……の、実だね」

 

「は、花を楽しむ植物を料理に使うとは……さすがアルくんはワイルドだねぇ……」

 

 なぜだかわからんが、ガレア王国ではトマトは観賞用の植物扱いされている。実のほうが本体だろうに勿体ない事をするものだなぁ……。いや、前世の世界でも移入当初はそういう扱いを受けてたんだっけ? ううーん、興味が薄かったのであんまり覚えてないな……。

 

「ち、ちなみに毒などは大丈夫なのかねぇ? 王立植物園に植えられているモノは、なんだか妙な臭気をはなっていたが……」

 

 食べる手を止めて、アデライドはそんなことを聞いてくる。トマトを食べ慣れた僕からすれば笑ってしまいそうになる反応だが、彼女らからすればトマトはほとんど未知の植物なのだから疑い深くなるのも当然だろう。実際、ソニアらも初めて食べた時はそういう反応だった。

 

「少なくともトマトを食べた後にお腹を下したり、身体がシビれたりしたような経験はないが……なあ、ソニア」

 

「ええ。見た目は風変りですが、安全な植物のようです。味も悪くないですしね」

 

「むぅ……二人がそういうのならば、まあ信用しようかねぇ……しかし本当にワイルドだな君たちは。恐れ知らずというかなんというか」

 

 ため息をつきつつ、アデライドはもう肉を口に運んだ。そしてじっくりと味わってから、飲み込む。

 

「しかし、材料はともかく味の方は絶品だ。集まっているお歴々も、これならば満足してくれるだろう。トマト云々は秘密にておいたほうが良いだろうがねぇ」

 

 そんなにトマトってショッキングな植物か? 困惑しつつも、僕は頷いた。

 

「お歴々ねぇ……たしかに招待状はアチコチに出したが、そんなにたくさん来てくれたのか? この時期は、どこの貴族も忙しいはずだが……」

 

 貴族同士の付き合いというのは結構重要だ。僕も周辺の領主からパーティや式典などにお呼ばれする機会はそれなりにある。そして、お呼ばれするからにはお返しに招待せねばならぬのが人付き合いというもの。この星降祭でも、僕は付き合いのある貴族家に招待状をだしていた。とはいっても、年末が忙しいのはどこの家も同じことだ。参加者はあまり集まらないのではないかとタカをくくっていたのだが……。

 

「ああ。ダロンド伯爵家にベルトー城伯、そのほか女爵家やら騎士家やらもボチボチ……大半は名代を送るにとどめているが、リマ伯爵家などは伯爵本人が来ているな」

 

「ディーゼル伯爵家も現当主本人を寄越したって、母様……じゃなかった、ロスヴィータ様が言ってたよ」

 

 アデライドとカリーナの言葉に、僕は「わあお」と小さく声を漏らすことしかできなかった。思った以上に集まってるなぁ。一人一人に挨拶やら世間話やらをして回っていたら、どれだけの時間が必要なのかわかったもんじゃないな。せっかく領民たちを集めたのだから、彼ら・彼女らとも交流をしたいのだが……。

 

「まあ、仕方のない話さ。なにしろ、このリースベンには私やカステヘルミが居るんだ。縁を結んでおきたいと思う貴族は多いだろうさ。こういうつながりは、アルくん自身の力にもなるんだ。面倒がらずに、しっかり頑張ってくれたまえよ」

 

「はぁい」

 

 アデライドの言葉に、僕はうなだれながらそう答えた。こういう政治向きの仕事は、僕のもっとも苦手とする分野だ。出来ることならば逃げてしまいたいが、そういうわけにもいかないだろ。ヘタをこいたら部下に迷惑をかけちゃうからな。しんどいが、まあせいぜい頑張って領主のお仕事を果たすとしようか……。



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第399話 くっころ男騎士とお偉方たち

 腹ごしらえを終えた僕は、身支度を整えて貴賓席へと向かった。貴賓席といっても、軍用の大天幕を張ってテーブルと椅子を並べ、暖房用の火鉢を配置しただけの簡易的なものではあるが……要人が集まっているだけあって、フル武装の護衛たちが周囲をガッチリと守っている。なかなかに物々しい雰囲気だ。

 とりあえず、僕はご来賓一向に自己紹介と挨拶、そしてちょっとしたスピーチをした。こういうお偉方の集まりでの"儀式"は、現世も前世も大差ない。とはいえ、僕はもともとが大尉風情の下っ端なので、こういった格式ばったイベントの進行などやったことがないのである。スピーチは短めで切り上げたというのに、もう疲労困憊になっていた。兵たち相手の演説なら慣れてるんだがなぁ……。

 もうすでに逃げ出したい気分になっている僕だが、まだ僕にはやるべき仕事がいくらでも残っていた。。なにしろこのイベントのホストは僕なので、来賓ひとりひとりに声をかけ、握手などもせねばならんのだ。大変に面倒だが、やらないわけにはいかない。人脈を作るのも貴族のお仕事のうちだからな。

 

「やっとお目にかかる機会が作れましたな、ブロンダン城伯殿。レマ伯ロマーヌ・ジェルマンでございます」

 

「おお、ジェルマン伯爵! お会いできて光栄です」

 

 そういって僕が握手を交わしている相手は、壮年の竜人(ドラゴニュート)貴族だった。ソニアほどではないにしろ長身で、ガッシリした体格をしている。握った手は剣ダコが目立ち、いかにも騎士の手といった風情だった。まさに熟練の職業軍人といった雰囲気をまとった女性である。

 レマ伯ジェルマン殿といえば、カルレラ市に最も近いガレア王国側の都市、レマ市を統治する領主だった。以前から宰相派閥に属する彼女は、ディーゼル伯爵家との戦争のときから僕の支援をしてくれていた。今後もぜひ関係を維持・発展させていきたい相手だ。絶対に軽く扱うわけにはいかない。

 

「こちらはソニア・スオラハティ。まだ内々のことですが、僕の婚約者です」

 

 そう言って僕は、隣に控えたソニアをジェルマン伯爵に紹介する。我が副官は優雅に一礼し、伯爵に笑みを向けた。

 

「ノール辺境伯カステヘルミが長女、ソニア・スオラハティです。夫ともども、よろしくお願いいたします」

 

 今回の催しは、南部の宰相派閥領主たちに僕とソニア、そしてアデライドが婚約したことをお披露目する会でもある。正直かなり照れるのだが、我慢するほかない。

 

「噂はかねがね聞いておレマすぞ、ガレア最強の騎士殿。本当にブロンダン家の嫁入りされるのですな、驚きました」

 

 大貴族の長女が家を継ぐでもなく遥か格下の家に嫁入りするなど、尋常なことではない。ジェルマン伯爵は本気で驚いている様子で、ソニアをまじまじと見つめた。

 

「それだけ我々がアルくんに期待しているということだよ。何しろ彼は、王都の内乱をあっという間に鎮めてみせた手腕の持ち主だ。神聖帝国に対する南部の防波堤としては、これほど適任な人間もいない」

 

 馴れ馴れしい口調でそんなことを言うのは、アデライドだった。彼女はジェルマン伯爵とは顔なじみのようで、友人に対するような気安い態度をとっている。もちろん、伯爵もそれを咎める様子は無かった。

 

「なるほど、なるほど。アデライド殿とソニア殿が揃って同じ方に嫁入りすると聞いたときは我が耳を疑いましたが、ブロンダン城伯殿と直接お会いして納得いたしました。たしかに、南部の新たなる柱になられる器量がおありのようで」

 

 めっちゃヨイショしてくるやん……背中がムズムズするからやめてほしい。やめてほしいが、口に出すわけにはいかないんだよなあ。僕は曖昧に笑って、彼女に頷き返した。

 

「ご期待に沿えるよう、粉骨砕身努力したしましょう」

 

 その後、ジェルマン伯爵とはいくつかの世間話を交わし、分かれた。なにしろ来賓はまだまだいるのだ。話し込んでいる余裕はない。上は伯爵級から、下は小さな農村ひとつを治める領主騎士(爵位は持たないが領地は持っている騎士のこと。領地を持たぬ宮廷騎士と対を成す存在)まで、様々な相手と握手や挨拶を交わす。正直、全員の顔を覚えるのは難しい数だった。まあ、大半は当主本人ではなく代理人を寄越してきているので、そういう面では気が楽なのだが。

 

「やあ、ブロンダン卿。初めまして。ズューデンベルグ伯アガーテ・フォン・ディーゼルだ」

 

 などと考えていたら、また伯爵本人がやってきた。ズューデンベルグ伯ディーゼル殿……つまりは、カリーナの実家の現当主である。ディーゼル伯爵家はリースベン戦争を機に代替わりし、現在はロスヴィータ氏の長女……つまり、カリーナのお姉さんが当主になっていた。

 カリーナは父親に似たのかひどく背が低いが、その姉のアガーテ氏は母親似である。身長二メートル超の偉丈婦で、もともとガタイが良いものが多いウシ獣人ということもありかなりの威圧感があった。血気盛んな若武者という印象が強いが、その顔にはなんとも人好きのする笑顔が浮かんでいる。

 貴賓席に居るのは大半はガレア側の貴族だったが、アデーレ殿をはじめとして神聖帝国側の貴族も何名かやってきている。リースベンとの貿易で儲けている連中だった。どうやら、こちら側との関係強化を狙っている様子である。

 

「直接会える日を楽しみにしていたぞ。母が世話になっているな。……それと、末妹も」

 

 最後のひと事は、周囲に聞こえないような小さな声だった。アガーテ氏はちらりと僕の後ろにいるカリーナを見て、口角を上げる。

 

「久しぶりだな、カリーナ・ブロンダン殿。元気でやってるか?」

 

「え、ええ、もちろんです! 姉さ……ディーゼル伯爵閣下!」

 

 カリーナは直立不動になり、鯱張った調子で返した。アガーテ氏は上機嫌に「そいつは重畳!」と胸を張る。その目には純粋に妹の成長を喜ぶ姉らしい色が浮かんでいた。実家からは勘当状態にあるカリーナだが、嫌われたり馬鹿にされたりしている様子はないな。少しばかり安心した。

 

「まったく、妹といい母といい。世話になりっぱなしだな。母はあの調子だし」

 

 アガーテ氏が目を向けた先には、数名の貴族と談笑しつつガツガツと肉を平らげるロスヴィータ氏の姿があった。体格が良いためわかりづらいが、よく見れば少しだけお腹が膨れている。彼女は人質生活中にも関わらず同居している夫と夜の生活を楽しみ、カリーナの妹をこさえてしまったのだ。

 

「人質とはいっても、相手は親愛なるディーゼル家の元当主殿ですからね。実質的には、お客人のようなもの。できるだけ不自由はせぬように気は配っているつもりです」

 

「お客人? 隔意のある言い方だな。もはや我らは親戚も同然、母の方も、そういう風に扱ってもらっても一向にかまわんさ」

 

 小柄な妹の肩をバシバシと叩きながら、アガーテ氏はそんなことをのたまう。カリーナは赤面しながらモジモジとしはじめた。なんかこれ……アレじゃない? カリーナと僕がくっつくのが確定した言い方じゃない? 顔を引きつらせながらソニアの方を見ると、彼女は何とも言えない表情で「義妹を幸せにしてやるのも義兄と義姉の務めですので」などとのたまった。いや確かにそれはその通りだが……。

 

「それはさておき、ブロンダン卿。例の件はどうなっているのだろうか? 正直、こちらも少々厳しい状況でな。是非とも頼りになる親類の力を借りたいところなのだが」

 

 コホンと咳払いをしながら、アガーテ殿はそんなことをいう。例の件というのは、傭兵団の派遣のことだろう。リースベン戦争で戦力をすり潰されたディーゼル伯爵家は、現在窮地に立たされている。周囲の領主たちがズューデンベルグ領を狙っているのだ。神聖帝国は地方領主の力がたいへんに強い国で、内部の領邦同士が争っても皇帝はなかなか介入できない。そのため、神聖帝国に加盟する領邦同士が戦争を始めることもよくある事だった。

 

「アリ虫人を主力とする重装歩兵中隊をひとつ用意してあレマす。明日にでも閲兵いたしますか」

 

 僕は周囲の者たちに聞かれぬよう、小さな声でそう答えた。アリンコ傭兵団はすでに編成が完了してあり、派遣に備えて現在訓練中だった。

 

「ありがたい!」

 

 アガーテ氏は何度も頷き、ほっと安堵のため息をついた。この反応を見るに、ズューデンベルグ領の危機はかなり切迫しているようだ。

 

「しかし、半年前には一個中隊を率いて我々と戦った貴殿が、今では中隊規模の部隊を容易に他領へ派遣できる立場だ。物語のような立身出世ぶりだな。私もあやかりたいものだが」

 

「上司と部下が頑張ってくれたおかげですよ」

 

 そう言って僕は肩をすくめた。……しかし、どこもかしこもきな臭いなぁ。ズューデンベルグ領との貿易は、我がリースベンのドル箱だ。あそこが燃えちゃ困るんだが……さて、どうなるやら。



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第400話 くっころ男騎士と宴の後

 お偉方との歓談(という名の会談)は、夕方になるまで続いた。その中で交わされた話題は些事から重大事まで様々だが、その玉石混交の会話の中から自分の必要とする情報をより分けねばらない作業もあるのだから大変だ。政治関連のお仕事が苦手な僕としてはなかなかに辛いひと時ではあったが、逃げるわけにもいかない。ネットも電話もないこの世界では、こうした雑談こそが重要な情報源になるのだ。

 しかし、やはりメシもマトモに食わないままやくたいのない話を延々と続けるのは苦痛だった。軍事向きの話題ならばまだ楽しく話せるのだが、なぜか僕に振られる話題は流行のファッションやら甘味やらのものばかり。そして僕が望んでいるような実務的な話題は、ソニアやアデライドのほうへ流れてしまうのだ。

 これはおそらく男である僕に配慮してくれた結果なのだろうが、なんだかなぁって感じだ。しかも旦那(つまり女性)のほうが興味深い話題を話し始めても、奥方(つまり男性)のほうが「男性にそのような無骨な話題を振るのは無作法ですよ」などと"助け舟"を出してしまうのだからたまらない。いらぬ配慮は差別と変わらないなぁ……。

 

「はぁ……」

 

 やっと政治談議が終わったころ、僕は深々とため息をついた。お偉方たちはすでに会場を辞し、宿へ向かっている。……宿といってもまぁ田舎のことだ。上流階級の泊まるような高級な宿はないので、高位の方々には我が領主屋敷の一室をお貸ししている。とはいえ城伯の屋敷としてもやたら手狭な我が家の事、お偉方全員を収容することはできない。仕方が無いので、領主騎士や地豪などの微妙なご身分の方はカルレラ市内の宿にご案内するほかなかった。

 ……いやほんと、屋敷が手狭でマジで困ってるんだよな。ブロンダン家の家臣団も大所帯になりつつあるし、こういったイベントが無くても屋敷は慢性的に容量不足になっている。まぁ、もとはと言えばド田舎の代官屋敷だ。最低限の面積と機能しかないのは仕方が無いが、いい加減増築なり建て替えなりをしたいところである。

 そもそも木造二階建ての狭い屋敷をもって"城"伯を名乗るのもだいぶ恥ずかしいしな! 鉄筋コンクリートの近代要塞……とはいわないので、せめて石造りかレンガ造りの頑丈な城砦を本拠としたいものである。まあそんなものを新築する余裕はいまのところないが。

 

「お疲れの様子だねぇ、アルくん」

 

 などと考えていると、僕の尻がむんずと掴まれた。アデライド宰相である。久しぶりの尻揉みだなぁなどとくだらないことを思いつつ、僕は「慣れてないもので」と返した。……尻を揉まれるのはいつものことなので、もうツッコミはいれない。

 

「いろいろと予習はしていたつもりだけど、所詮は付け焼刃だね。奥様がたに阻まれて、あまり有意義な話はできなかったよ」

 

「まぁ、君は宮廷騎士の家の出身だろうしねぇ。この手の仕事に関しては初めてだろうから、致し方のない話さ」

 

 そういってアデライドは僕の尻を揉む手を止め、肉やらボイル野菜やらの乗った皿を渡してきた。"歓談"中は案の定ほとんど料理をつまむことはできなかったので、すでに僕のお腹はペコペコだった。なんとも有難い差し入れである。

 

「ああ、助かるよ。ありがとう」

 

 僕はアデライドと共に、手近にあった椅子へ座った。一仕事終えた後だ。流石に立ち食いをするような気力は残っていなかった。すこしばかりゆっくりしたい気分になっていた。

 

「先ほどの話の続きだがね」

 

 冷え切ってしまったローストポークを口に運びつつ、アデライドが言う。せっかく作ったのに残念だなぁ、などと思いながら、僕も残り物を食べた。うまい。うまいが、やはり味は落ちている。ううーむ。こう言った場では所詮料理は添え物だから、仕方のない話なのだろうが……。

 

「奥方には奥方の情報網があるものだ。一見役に立たないような話でも、存外に貴重な情報が隠れていたりする。そしてこの情報網に、我々女が立ち入るのはなかなか難しいものだ。ハッキリ言って君には苦痛なだけだろうが、これも仕事のうち。彼らと話を合わせる練習もしておいたほうがいいだろうねぇ……」

 

「耳が痛くなるようなことを言うね……」

 

 奥方むきの話など、政治むきの話以上にわけがわからんのだけど。なにしろこちとらガキの時分から木剣を振り回していた手の付けられないオテンバ息子である。いまさら普通の令息のようなことをしろと言われても、なかなか難しいものがある。

 とはいえ、アデライドの言っていることも理解はできるんだよな。このあたりのネットワークを疎かにすると、密かに村八分にされてしまったりするからな。世界が時代が変わっても、人の陰湿さに変化はない。多少苦痛であっても、周囲と協調する努力を疎かにするわけにはいかないのだ。

 

「すまないね、君にばかり負担をかけて。埋め合わせと言ってはなんだが、愚痴くらいならいくらでも聞くさ」

 

 そう言ってから、アデライドは水代わりのワインをぐいっと飲んだ。そしてこちらをチラリと見て悪戯っぽく笑う。

 

「なんなら、たまには立場を逆転して、私の尻でも揉んでみるかね? いいうっぷん晴らしになるかもしれないぞぉ」

 

「……」

 

 僕は即座にツッコミを入れようとして、ふと動きを止めた。僕は彼女に今までさんざんセクハラの限りをつくされているのだ。少しくらいやり返したってバチは当たらないだろう。なにしろ我々は婚約者だ。……こういうのも、一つの甘えの形かもしれんな、うん。

 

「じゃ、お言葉に甘えて」

 

 僕の言葉を聞いたアデライドは、思いっきりワインを噴き出した。イケナイところに入ってしまったらしく、なんども咳き込む。慌ててハンカチをダシ、まき散らされたワインを拭いてやる。飲んでたのが白ワインで良かったね、赤だったら大惨事になってたよコレ。

 

「うっ、ゴホッ、ゲホッ」

 

「す、すいません。冗談が過ぎました」

 

 思わず上司・部下時代の口調に戻って謝罪すると、彼女は咳き込みつつ何度も僕の肩を叩いた。

 

「い、いや、謝る必要はない。少しばかり面食らっただけだ。ゴホゴホ……しかし珍しいねぇ、君がそういう冗談を言うとは」

 

 半分くらいは冗談じゃないんだけどな。アデライドは長い黒髪とサファイアのような碧眼の持ち主で、華奢かつ小柄な美女だ。しかも、出るところはわりと出ている。正直、黙っていればかなり魅力的である。……口を開けばあっという間にセクハラ悪徳残念美女に早変わりだが。まあ、とはいえ正直に言えば揉ませてくれるってんなら揉みたいだろ、宰相の尻は。

 

「たまには反撃を、と思って……」

 

「言うようになったな、こいつめ」

 

 アデライドは楽しげにわらいながら、僕のほっぺたをつつく。ところが、そこへ真上からヌッと何かが現れた。ニンゲンの顔だ。

 

「面白い、話を、してますね」

 

「ウワーッ!?」

 

「ウワーッ!?」

 

 僕とアデライドは揃って椅子から転げ落ちた。よく見れば、ネェルである。どうやら知らぬうちに背後に立っていたらしい。あいかわらず尋常ではない隠密能力だ。このデカくて強いヤツが音もなく背後に現れるのだから、心臓に悪いどころの話ではない。

 

「アデライドちゃんの、お尻を、揉ませて、くれるん、ですね? この、ネェルに、お任せを」

 

 そんなことを言って、ネェルはその物騒な形状の鎌をギャリギャリと鳴らした。言われた方のアデライドは小便をチビリそうな顔色で「ひぇぇ」と声を漏らす。あんな恐ろしい"腕"で揉まれたら、人間の尻などあっというまにミンチよりひどい有様になってしまうだろう。

 

「あ、あんまり驚かさないでくれよ、ネェル。心臓が口から飛び出すかと思った」

 

 僕は立ち上がりながら、カマキリ娘の鎌をぽんぽんと叩いた。ネェルは肩をすくめ「失礼、しました」と謝る。

 

「護衛の、お仕事に、戻ろうかと、思いましてね? ネェルは、働き者の、ニンゲン、なので」

 

 僕の専属護衛に任命されている彼女だが、今回に関しては連れて行かなかった。なんといっても彼女は見た目がひどく恐ろしいので、お偉方の前に出すと威圧していると勘違いされそうだったからだ。

 

「あ、そう……そりゃ結構」

 

 コホンと咳払いをしつつ、アデライドは服についたホコリを払った。彼女がこうしてネェルに驚かされるのは、初めての経験ではない。もうだいぶ慣れている様子だった。なにしろネェルは本人の言う通りなかなか仕事熱心で、アデライドが妙なことをしようとするたびにこうやって威圧していくのである。宰相にとっては天敵のような手合いであった。

 

「しかしだねぇ。我々はもはや夫婦なのだから、ある程度融通を効かせてくれてもいいんじゃないかね?」

 

「親しき、仲にも、礼儀あり。文明人の、常識、ですよ?」

 

「ぐぬぅ……」

 

 正論である。アデライドは黙り込むしかなかった。……まあ、今回に関してはセクハラをカマしたのはむしろ僕の方なのだが。

 

「それはさておきだ。ネェル、今回のイベントはどうだった? 腹いっぱい食えたか?」

 

 話を逸らすべく、僕はちいさく咳払いをしてそう聞いた。今日一日、彼女には休暇を与えていたのである。せっかくの機会だから、ネェルにもバーベキューを楽しんでもらおうと思ったのだ。見た目の通り彼女はたいへんな大喰らいで、普段は粗末なパン(と言っても、僕らが普段食べている燕麦パンと同じものだ)や粥の類をメインに配給している。流石に、彼女が満腹になるだけの肉はなかなか用意できるものではないからだ。

 しかし、カマキリの姿をしているだけあって、カマキリ虫人は本来肉食傾向が強い種族である。ネェル本人も文句こそ言わないが、やはりパンより肉の方を好んでいる様子だ。だからこそ、こういう催しの時くらいは肉だけで腹を満たしてもらいたかったのだ。

 

「ええ、おかげさまで。一生分の、お肉を、食べた、気がします」

 

「じゃあ明日の食事は肉抜きにするかい?」

 

「……嘘です。マンティスジョークです。明日も、お肉は、食べます」

 

「ははは、だろうね」

 

 僕は笑いながら、彼女の足を叩いた。しかし、残念だな。人がウマそうにメシを食っている姿ほど、ストレス解消になることはない。ネェルのことだから、さぞや豪快に肉を食べてくれたことだろうに、その姿を直接見ることができなかった。せっかく苦労して肉を焼いたのになぁ……。

 

「……これほど大きいイベントは、一年に一回が限度だろうな。しかし、私的な小さなものであれば私のポケットマネーでなんとかなる。新年にでも牛なり豚なりを丸ごと買い付けてくるというのはどうかね? 身内同士で楽しむなら、それくらいで十分だと思うが」

 

 そこへ、ニヤッと笑いながらアデライドがそんなことを言ってくる。付き合いが長いだけあって、こちらの考えていることなどお見通しのようだ。僕は思わず、彼女に抱き着いた。

 

「アデライドのそういうとこ、好き」

 

「んっぐ、ぐへへへ……まあ、それほどのこともないがねぇ? グヘヘ、まあカネのことなら私に任せておきなさい」

 

 照れたように笑うアデライド。……しかし、その邪悪な笑い方はなんとかならないのだろうか? そんなんだから、いろいろと勘違いされるのではなかろうか……。

 

「あ、ネェルは、子牛や、子豚なら、一人で、ペロリ、ですので。そのへん、よろしく、お願い、しますね? お肉が、足りないと、みんな、悲しむ、でしょうし」

 

「君は一人で何人前食べる気かね!?」

 

 アデライドは思わずといった調子でそう叫んだが、何しろネェルはデカいのだ。食べる量が多くなるのは、まあ致し方のない話だろう。僕は思わず、くすくすと笑った。



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第401話 くっころ男騎士と深層心理(1)

「やぁっと寝られる……流石に少しばかりくたびれたな」

 

 自室のベッドに横になりながら、僕は大あくびをした。時刻は既に真夜中といっていい時間になっている。すでに燭台はすべて消しており、明かりといえば採光窓から差しこむわずかな月の光と、暖炉に残った熾火程度。寝る準備はすっかり整っていた。

 宴が終わった後も、僕はひどく忙しかった。なにしろ、領主屋敷には少なくない数のお偉方が滞在する予定だったのだ。ホストとしては、しっかりとおもてなしをせねばならない。ちょっとした夜会を開いて酒を酌み交わし、表ではしにくい話などもする。領主屋敷に滞在している者たちは全員が宰相派閥なので(余談だがディーゼル伯爵はロスヴィータ氏の屋敷に泊った)、かなりディープな話まですることが出来た。

 それは良い。良いのだが、やはり気疲れする。僕がこの手の仕事に慣れていないせいだ。丸一日ぶっ続けで野戦演習をしたくらいの疲労感が、僕の心と体にまとわりついていた。本音で言えば明日は丸一日休みたいくらいだったが、残念ながら明日は明日の仕事がある。休むわけにはいかなかった。

 

「ハハハ、流石のアル君も不慣れな仕事では消耗するか」

 

 などとのたまうのは、寝間着に着替えたアデライドであった。彼女はなぜか、僕の胸の中で身体を預けている。彼女は只人(ヒューム)女性としてもそれなりに小柄な方なので、僕の腕の中にスッポリと収まるような状態になっていた。

 

「これからは、この手の仕事が増えていくでしょう。わたしもそうですが、早く慣れていきたいところですね」

 

 僕が宰相の言葉に答えるよりはやく、ソニアが耳元でそんなことを囁いていた。僕が宰相を抱きしめているのと同じような姿勢で、ソニアは僕を抱きしめていた。僕ら三人は、ベッドの中でマトリョーシカめいた状態になっているのだ。

 なぜこんなことになっているかと言えば、就寝直前にソニアがいつものように(・・・・・・・)同衾を申し出た際、アデライドが「たまには私も参加させたまえ」などと言い出したせいだった。どうやら、同じ婚約者の立場だというのに、スキンシップの頻度に差があることを気にしていたらしい。まあ、断る理由もないので了承した次第だった。

 お客人がたくさん来ているのに、こんなことをして大丈夫なのか? と思わなくもないがね。まあ、防犯上の理由から、僕の居室と客間は離れた場所に設置されている。夜中にいきなり鉢合わせするようなことは起こらないだろうが……。

 

「まあ、こればっかりはな。領主の責務だからな……。チャンバラやってるよりは、余程建設的な仕事だろうし……」

 

 僕はそう言ってから、薄く苦笑した。僕という人間は、その建設的な仕事とやらより余程チャンバラの方に適性があるのである。なんとも皮肉な話だった。

 

「その通り。剣を振り回すばかりが貴族の仕事ではないのだよ。んふふ」

 

 楽しげにそんなことを言いながら、アデライドは僕の太ももをスリスリとさすった。流石はセクハラ宰相、ソニアがこれほど傍にいるというのにセクハラの手を緩めないとは流石である。

 とはいえ、彼女が上機嫌な理由も理解はできるんだよな。アデライドはどうにも、武芸がからっきしであることにコンプレックスを抱いている様子だし。だからこそ、僕が自分の領分に入り込んで四苦八苦しているところを見ると、ほほえましくなるのだろう。

 

「ま、安心したまえ。今回の君の立ち回りは、十分に及第点を出せるものだったからねぇ。……婚約発表も上手く行ったしね」

 

 そんなことを言ってグヘヘと笑いつつ、宰相は僕に抱き着いてくる。

 

「……そうだね、ガッツリ発表しちゃったね。もう後戻りはできないわけだ」

 

 昼間のことを思い出しながら、僕は彼女を抱きしめ返した。内々の集まりとはいえ、ソニア・アデライド両名との婚約をガッツリ発表してしまったわけだ。いまさら、「やっぱナシ!」と言い出すことはできない。……いや、別に婚約破棄がしたいわけではないが。もはや逃げ場はないと思うと、なにやら不安を感じてしまうのだった。

 

「な、なんだ? 不満でもあるのか、私たちの婚約に。今さら言いだしたって遅いんだからな、お前はもう私のモノだからな!」

 

「違う、違う。そういうのじゃなくって……僕の方が、二人につり合いが取れるのか不安で」

 

 僕の胸倉をつかみながら迫ってくるアデライドに、あわててそう弁明する。実際、断じて彼女に不満があるわけではないのだ。アデライドは賢く、そして優しい女性だ。おまけに僕より上位の貴族であるにもかかわらず。ブロンダン家に嫁入りまでしてくれるという。さらに言えば、これまでさんざんケツモチをしてくれた恩まであるのだ。これで文句をいったら、マジでバチが当たってしまう。

 

「つり合い、ですか」

 

 静かな声でそう言って、ソニアは僕をぎゅっと抱きしめた。アデライドは僕の腹側に、ソニアは背中側に居る。二人の女性に前後から抱きしめられた僕は、ほとんどサンドイッチの具のような状態になっていた。

 

「そうだよ。僕ってば、見ての通り男っぽくないし、粗忽だし、野蛮だし……。おまけに、君たち以外の女性とも関係を持たねばならない立場だ。僕以上にふさわしい男が、他にいるんじゃないかって」

 

「今さら君は何を言っているのかね」

 

 アデライドは半目になって、僕を睨みつけた。微かな光に照らされてボンヤリと浮かび上がった彼女の顔は、明らかに拗ねている色のある表情を浮かべていた。

 

「アルくん、君は私に買われた立場なのだぞ。バカみたいに無駄遣いをする君と違って、私はなかなかの買い物上手な自信がある」

 

「バカみたいに無駄遣いをする!?」

 

 いきなりとんでもないことを言われた僕は目を白黒させた。"買われた立場"なる爆弾発言ですら霞むとんでもない言い草だ。

 

「なんだ、自覚がなかったのかね? これは重症だ。リースベンの収支帳簿を見せられた時、私がどれだけのショックを受けたと思うんだ。並みの領主が見たら失神しそうな額が動いているぞ? しかも、収入があれば即座に使ってしまう悪癖まであるし……貯蓄という概念を知らないのかね?」

 

「いや、その……」

 

 それを言われると弱い。いや、言い訳はあるのだ。蛮族どもを飢えさせないためにはガンガン食料を輸入するほかないし、蛮族どもに対する抑止力を維持するためには、リースベン軍の装備拡充は急務だし、領地は発展途上だからいろいろと施設を建てねばならないし……。当たり前だが、余剰金など発生するはずもない。……というか、余剰金なんか出したら来期から予算を減らされそうで怖いし。いや、正確に言うと僕が貰っているのは予算ではなく借金だったのだが。

 

「まあ、今はそのことについては追及しない。とにかく、私が言いたいのは……君はどれだけの大金を出しても惜しくないオトコだった、ということだ。私がいったいいくらのカネを君につぎ込んだと思っているんだ。王都の最高級娼館で最上位の男娼を何人も身請けできる額だぞ? つまり私は、君にそれだけの価値を見出しているということだ」

 

「そ、そうですか」

 

 そこまで言われると、ちょっと照れる。僕は自分のほっぺたを掻いた。……しかし、だからこそ何とも言えない気分になってくるんだよな。そんな大金を出す価値が、本当に僕にあるのだろうか? 正直、怪しいと言わざるを得ないだろ。

 

「しかし、アデライド……」

 

「アル様」

 

 僕の言葉を遮って、ソニアが耳元でささやきかけてきた。

 

「少し、聞きたいことがあるのですが。よろしいでしょうか?」

 

「……なに?」

 

 我が副官の声は、少しだけだが震えていた。その尋常ならざる気配に僕は思わず眉毛を跳ね上げつつ、聞き返す。

 

「その、何と言いますか……わたしの目は、曇り切っていました」

 

「……」

 

 いきなり何を言い出すのか。そう思いつつ、僕は彼女に先を促した。さっきまでベラベラと喋りまくっていたアデライドも、無言でソニアの言葉に耳を傾けている。それほど、彼女の声音には深刻な色があった。

 

「先日の一件で、わたしはそれを痛感しました。ですから……もう一度、最初からアル様を見つめなおすことにしたのです。愛する人の見ている景色を共有できぬ女に、伴侶となる資格は無い。そう思いましたので」

 

「……それで?」

 

 単刀直入な言い方を好むソニアにしては、妙に前置きが長い。いったい、"聞きたいこと"とは何なのだろうか?

 

「そういう訳で、この頃……アル様の行動を見つめなおしていたのですが、少し疑問に思うことが出てきまして……」

 

「う、うん。それで?」

 

「その、何と言いますか……アル様はもしや、本音では結婚などしたくないのではと。そう思ってしまったのです」

 

 ソニアの言葉に、僕は頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。腕の中で、アデライドも身を固くしている。

 

「相手が気に入らないとか、そういう理由ではなく……そもそも、アル様は結婚そのものを忌避しているように見えてならないのです。意識的なのか、無意識なのかまではわかりませんが……」

 

 そんな僕たちをまとめてぎゅーっと抱きしめながら、ソニアはそう言った……



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第402話 くっころ男騎士と深層心理(2)

「相手が気に入らないとか、そういう理由ではなく……そもそも、アル様は結婚そのものを忌避しているように見えてならないのです。意識的なのか、無意識なのかまではわかりませんが……」

 

 ソニアの放ったその言葉に、僕は一瞬頭の中が真っ白になった。僕が……結婚を忌避している? いや、そんなはずはない。僕はブロンダン家の当主だ。跡継ぎを作らないわけにはいかない。そう思って今まで生きてきたわけで……。

 

「この婚約が成立する以前、アル様は頻繁に『早く結婚せねばならない』と繰り返し仰っていました」

 

「……だよね? 別に結婚を嫌がったりはしてなかっただろ」

 

「にもかかわらず、アル様は特に具体的な行動には出ていません。一度夜会に出たくらいで、あとは同年代の女性が参加するような催し物には一切参加せず、軍務に専念されておりました。たまに幼馴染たちに『貰ってくれ』などと言うことはあれど、それもあくまで冗談めかしたもの。ハッキリ言って、本気で結婚を求めているようには見えませんでした」

 

「……」

 

 そう指摘されてしまうと、僕は黙り込むしかなかった。いや、言い訳させてもらえるなら、とにかく忙しすぎてそれどころではなかったのだ。その"一回でた夜会"で大恥を書いたことも、僕を婚活現場から遠ざけた大きな要因の一つになっている。……うん、客観的に見たらアカンやつだなコレ。そりゃあやる気がないと判断されてもしゃーないかもしれない。言い訳の内容が親や親戚に結婚を急かされる独身男性そのものだわ。

 

「まあ、アル様がそういう態度だったからこそ、わたしも妙な勘違いをしてノンビリしていたわけですが……」

 

「確かにそれはあるな。私も、完全にアルくんは私に貰われるつもりでいると思っていた。まさか、そういうつもりが全くなかったとは……今さらながら、なかなかにショックだよ」

 

 拗ねたような口調でそんなことを言いつつ、アデライドは僕のほっぺたを人差し指で突っついた。なんでそうなるんや、と思わなくもなかったが、状況は一対二、極めて不利である。反論は諦め、唇を尖らせるだけにとどめた。

 

「……しかしそうなるとだ。ソニアくんの言葉も現実味を帯びてきたな。アルくん、君は本当に結婚はしたくないのかね? わたしとの婚約は、嫌々……なのかね?」

 

「ち、違うよ。決して、そういう訳では……」

 

 実際、アデライドにしろソニアにしろ僕にはもったいないくらいのよくできた嫁さんだ。もちろん、文句など微塵もない。……無いのだが、妙に不安になってくるんだよな。なんだろう、この感覚は。正直、自分でもよくわからない。

 

「なんだその曖昧な言い方は、もっとハッキリ言ってもらわないと困る!」

 

 どうやら、アデライドは僕の言い方が気に入らなかったようだ。グググと顔を近づけながら、強い口調で詰問してくる。セクハラはいいけどパワハラはヤメテ!

 

「私に気に入らないところがあるのならば、直す努力はしよう。だから、伝えるべきことはキチンと伝えてもらえないかね!」

 

「いや、いや。決してアデライドが悪いのでは……」

 

「じゃあ、どうしてそんなに及び腰なのかね!?」

 

 よく見れば、アデライドは涙目になっていた。うわあ、マズイ。どうしよう。そう思った瞬間、ソニアのデコピンがアデライドに炸裂した。

 

「痛ァ!」

 

「落ち着きなさい」

 

 ソニアは額を押さえて悶絶するアデライドを一瞥してから、ため息をついた。そして一人身体を起こし、僕の方へ向き直る。なんともシリアスな雰囲気だ。僕も彼女にしたがってベッドの上で正座をすると、アデライドのほうもそれに続いた。

 

「これは……わたしの勝手な妄想なのですが」

 

「ハイ」

 

「もしやアル様は……所帯に入ることで、軍人としての覚悟が鈍ってしまうと思っておられるのではないですか?」

 

 その言葉に、僕は再びひどいショックを受けた。絶句していると、ソニアはさらに言葉を続ける。

 

「結婚をすれば、当然子供もできます。そしてアル様は、大変に子供が好きなお方です。……己の血を分けた子を置いて、戦場に出られるのか? ……父親としての義務と、軍人の義務、どちらを優先するのか? そう、アル様は無意識に恐れているのではないかと……私は考えました。いかがでしょうか、アル様」

 

「……」

 

 僕は無言で唇を噛んだ。自然と、脳裏にある景色がフラッシュバックする。それは、前世の僕が戦死する直前の記憶だった。自然と腕に力がこもり、大きく息を吐いてから意識して脱力をした。……ああ、そうか。僕は、アレに縛られていたのか。

 

「……残念ながら、その推論は誤りだ」

 

 僕は深呼吸をしてから、首を左右に振る。軍務と家族、どちらを優先するのか? そんな疑問には、とうに決着がついている。前世の僕は、妻子こそ居なかったが家族との仲は良好だった。長期の休みには必ず里帰りしていたし、弟とは毎日のようにSNSでやり取りをしていた。現世と同じく、前世の家族も僕にとってはかけがえのない人たちだったのだ。

 にもかかわらず、僕はわざわざ危険な任務に自分から志願した。挙句、最後は部下や避難民を逃がすために"捨てがまり"に及んでしまったのだ。結果、僕は異郷の地で無惨に死んだ。敵勢力は遺体の返還交渉に応じるような連中ではなかったので、きっと家族は何も入っていない棺で葬式をしたことだろう。とんでもない親不孝をしてしまった自覚はある。

 だが……しかし。あの戦場は、楽しかった。とても楽しかったのだ。味方や無辜の民を逃がすため、孤軍奮闘する! なんとヒロイックなシチュエーションだろうか。軍人の本懐とも言える任務だ。洗脳された哀れな少年兵を撃ち殺すクソみたいな任務に辟易していた僕としては、ほとんど花道のような戦場だった。死の恐怖も家族への不義理もぶっちぎって、僕はわざわざ死地に飛び込んでしまった。

 

「妻が出来ようが、子供ができようが、僕は絶対にしり込みはしない。むしろ、喜び勇んで戦場に行くだろう。そういうところでマトモな抑えが聞く人間ではないんだ。異常者なんだよ、僕は……」

 

 気付けば、口の中がカラカラになっていた。ありもしないツバを飲み込み、息を吐く。マトモな人間ならば、何よりも自分の家族を優先すべきなのだ。だが、僕はくだらないヒロイズムに酔って家族を捨ててしまった。オマケに、今になってもそれを後悔しているわけではないのだ。だからたぶん、現世であの時と同じようなシチュエーションに遭遇したら、きっとまた嬉々として"捨てがまって"しまうだろう。そういう確信があった。

 

「僕は、僕は……あのエルフどもの同類だ。名誉の戦死を……本当に名誉あるものだと勘違いしているんだ。そんなことよりも、家族のために生き残る方がよほど大切だろうに……!」

 

 家族のために生き残らねば、となるような状況であっても、僕はブレーキを踏むどころかアクセルを踏んでしまう。相打ち上等、ぶっ殺してやる! 反射的にそんなことを考えて、おまけに実行してしまうのだから救いようがない。実際、王都の内乱でも僕は手榴弾で自爆攻撃を仕掛けようとした。オレアン公の助太刀が無ければ、僕はあそこで爆死していたに違いない。にもかかわらず、何の後悔も覚えていないのだ。馬鹿は死んでも治らないというのは、どうやら真実らしい。

 

「な、なにを言っているんだっ、君は! 縁起でもないことを言うなっ!」

 

 ひどく慌てた様子で、アデライドが僕に詰め寄る。

 

「どんな時でも生きて帰ってくると言え! 絶対に死なないと……いってくれよ」

 

「それは……できない」

 

 僕は首を左右に振った。ここで頷いてしまえば、嘘になってしまうだろう。僕は腐っても二つの人生を生きてきた人間だ。自分がどういうタチなのかは理解している。

 

「生き残る努力はする。僕も死にたいわけではない。けれど……他にどうしても優先しなくてはならない時は、僕は自分から死にに行く」

 

「……バカヤロウ!」

 

 アデライドは震える声でそう呟き、僕の胸を叩いた。彼女は、ほとんど泣き顔になっていた。

 

 

「君が死ぬ打と? 冗談じゃない! そんなことになったら、私は、私はぁ……っ!」

 

 縋り付きながら涙を流すアデライドに、僕はぐっと歯を食いしばった。ああ、そうだ。こうなるのが嫌で、僕は結婚を避けていたのかもしれない。きっと、母上や父上だけならば、「見事に戦い見事に散る、それが騎士の本懐だ」と納得してくれるだろう。だが、妻や子にまでそれを求めるのは酷というもの。

 

「……」

 

 僕は無言で、アデライドの肩を叩いた。死んでも治らなかったような筋金入りの性根だ。いまさら修正など効くはずもない。だが、だからといって納得してくれとも言い難いだろ……。

 ……今さらだが、たぶんアレだな。こういう反応をされるが怖くて、僕は自分を騙し続けていたのかもしれんな。何とも言えない、嫌な気分だ。これだからお前はクズなんだと、自分を殴りたくなってくる。結局のところ僕はシャバでは生きていけない類の人間で、やはり軍隊の外に出るべきではないのだろう。

 

「なるほど」

 

 取り乱すアデライドとは反対に、ソニアは落ち着いていた。彼女は小さく息を吐いて、微かに笑う。

 

「もうしわけありません、アル様。貴方を見くびっておりました。やはり、わたしの目は曇っていたようです」

 

 そう言って彼女は、アデライドを強引に僕から引き離した。そして宰相の肩をぐっと掴み、念押しをするような口調で言う。

 

「アデライド、納得するんだ。騎士とはそういう生き物なのだから。己の誉のために命を投げ出せぬ人間など、真の騎士ではない。そうだろう?」

 

「……っぐ」

 

 涙と鼻水を垂れ流しているアデライドは、強い目つきでソニアを睨みつける。だが、その程度でひるむソニアではなかった。

 

「世の騎士の夫たちは、みな妻が誉れのために死ぬ覚悟を決めている。それが、男の強さというもの。たしかに、自分より先に夫が死ぬなど、女にとっては受け入れがたいことだが……アル様の奥方になると決めたのなら、受け入れろ。それが、アル様と夫婦になるということだ」

 

「……君は、それでいいのかね? ソニアくん」

 

「良くはない。わたしとて、アル様より後には死にたくない。アル様が死ぬくらいならば、庇ってわたしが死ぬほうが余程マシだ。だが……それが叶うとは限らないのが戦場だ。わたしだけ残されることもあり得るだろう」

 

 ソニアは遠くを見るような目つきで、天井のあたりに視線をさ迷わせた。なにしろ、僕と彼女は幼馴染だ。だから、ソニアの考えていることは想像がついた。きっと、僕がネェルに攫われたときのことを思い出しているのだろう。あの時、ソニアは指揮を引き継ぎ、見事に戦線を支え続けてくれた……。

 

「わたしは、自分こそがアル様の妻だと胸を張れるような人間になりたい。だから、もう醜態を晒すような真似はしない」

 

「……私にも、そういう風になれと?」

 

「そうだ」

 

 ひどく端的に、ソニアはそう答えた。アデライドは泣きはらしたまま僕とソニアを交互に見つめ、唇をかみしめた。

 

「……わかった。私とて女だ。世の男どもがみなこの痛みに耐えているというのならば、私もそれに耐えて見せよう。アルくんに、情けない女だと思われるのは嫌だからねぇ……」

 

 アデライドの言葉に、ソニアは頷いた。そして僕の方を見て、ニッコリと笑う。

 

「ごらんのとおりです、アル様。我らをあまり見くびらないでいただきたい。我々はこれでも、一人前の女ですから。戦友が騎士の義務を果たすことを止めるような情けのない真似は致しません。どうぞ、ご安心を」

 

「すまない」

 

 僕は、寝間着の袖で目元を拭った。気づけば、僕の方まで涙が滲んでいたのだ。なんとも、情けない心地になっていた。自分の性分を曲げられないあまりに、二人にこれほどの覚悟を強いるとは! だが、二人のその言葉に、僕の心は確かに軽くなっていた。

 

「……本当にすまない。君たちは……本当にいい女だ。僕みたいな人間には、勿体ないにもほどがある……」

 

「馬鹿を言ってはいけませんよ。そういうアル様だから、わたしは好きになったのです」

 

 そういってソニアは僕を抱きしめた。思わず言葉に詰まっていると、アデライドまで僕に抱き着いてくる。

 

「私だってそうだ。……だが、出来るだけ死ぬなよ。馬鹿な真似をしてみろ、後追いしてやるからな……!」

 

「そ、それは勘弁してほしいかな……」

 

 僕は思わず顔を引きつらせた。こんなカスの後を追ってアデライドが死ぬなど、容認しがたい。マジで勘弁してほしいだろ。まったく……僕も大概女の趣味が悪い方だが、彼女らもかなり男の趣味が悪いのかもしれない……。

 



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第403話 くっころ男騎士と告白

 しばしの時間が流れ、アデライドの涙も止まった頃。僕はコホンと咳払いをした。二人がこれほどの信頼を示してくれているのだ。ならば……僕も彼女らへ信頼を返すべきだ。今ならば、彼女らに僕の一番の秘密を話しても信じてくれる。そういう気分になっていた。

 

「実は……二人に話しておきたいことがある」

 

「……なんだね?」

 

 ひっつき虫のように僕に張り付いたアデライドが、かすれた声で聴き返す。先ほどからずっと、彼女はこの姿勢を維持していた。まるで、僕を手放すまいとしているようだった。

 

「僕ってばさ、新しい技術とか戦術とか……いろいろ作ってるじゃない。アレのネタバラシをしておこうと思って」

 

「フゥン」

 

 アデライドは興味深げに唸って、僕に頬ずりをした。そして僕の首筋に鼻を当て、大きく息を吸い込んでからゆっくりと吐く。……これからシリアスな話をするつもりだというのに、何をやってるんだこの人は。

 

「聞かせてもらおうか」

 

 などと言うアデライドだが、その手は僕の寝間着の中に突っ込まれ、腹筋を直接撫でまくっている。とてもじゃないが、人の話を聞く姿勢ではない。それを見たソニアが無言で彼女を引きはがした。ガレア王国の宰相は「ヒャー」と奇妙な声を上げて羽交い絞めにされてしまう。……竜人(ドラゴニュート)は夜目が効くのだ。夜闇に紛れて不埒な行為をしようとしても無駄である。僕は思わず苦笑しつつ、話を続けることにした。

 

「その……ちょっと説明しにくいんだが。転生って、二人は信じるかな。あの、一度死んでまったく新しい人間に生まれ変わるという……」

 

「ええ、もちろん」

 

 そう答えたのはソニアだった。星導教の経典には生まれ変わりについても記述がある。もっとも、日本人の考えるような輪廻転生とはかなり異なる概念なのだが……。

 

「実は……僕はその転生者ってヤツでね。前世の記憶がある」

 

 僕はそう言ってから、枕元のキャビネットに置いてある酒水筒(スキットル)を手に取り、中身のジンを喉奥に流し込んだ。シラフではしにくい話だ。アルコールの力を借りて、勢いを付けたかった。

 

「しかも、その前世というのが特殊でね。異世界転生……と言えばいいのかな。前の生で生きていた場所は、こことは全く異なる世界だったんだ」

 

「異世界……」

 

 よくわかっていない様子で、ソニアは呟いた。まあ、この世界では異世界云々という概念はあまり普及していないからな。なかなか理解しがたいものがあるのだろう。さて、どうやって説明しようかと悩んでいると、手の中の酒水筒(スキットル)が強奪された。下手人はアデライドだった。彼女は酒水筒(スキットル)の中身をチビチビと飲んでから、口を開く。

 

「それは……アレかね。童話に出てくる鏡の国やら、異国の神話に出てくる仙郷のような……尋常の手段では行き来できない、こことはまったく異なる理屈で動いている土地のことかね?」

 

「ああ、そうそう。そういう感じ。ただ、僕が生きていたのは、箱庭のような小さな世界ではなく……この世界と同じ、大陸や大洋のある広い世界だった」

 

 アデライドから酒水筒(スキットル)を奪い返し、一口飲んで息を吐きだした。そして、僕の前世の世界の説明に移る。亜人がおらず、只人(ヒューム)に相当する種族しかいないこと。男女の感覚が反対になっていること。魔法がない代わりに科学技術が発展し、馬で曳かずとも自ら走る車や、遥か遠い景色を鮮明に映し出す魔法の鏡のような道具などが普及していること……。

 

「前世の僕が死んだのは、三十五歳の時でね。はっきり言えば、生きてきた年月だけで言えばアデライドよりもよほど年上というか……まあ、おっさんというか。下手をしたら、おじいさん……なんだよね」

 

 僕は目をそらしながら、そう言った。その割に、今の僕は十代二十代くらいのガキのような挙動をしているのだが。……できれば、精神年齢が肉体年齢に引っ張られているだけだと信じたいところだな。自分が成長の余地のない幼稚なおじさんだとは、流石に思いたくないだろ。

 

「ふむ、なるほど。……アル様と出会ってからずっと、同い年にも関わらずなぜか年上を相手にしているような感覚があったのですが。どうやらそれは、錯覚ではなかったようですね」

 

 ソニアの言葉に、僕は少しばかり驚いた。思った以上に、彼女がアッサリ僕の言葉を信じてくれていたからだ。やはり、僕は彼女らを見くびりすぎていたのかもしれない……そう後悔しつつ、笑顔を作ってソニアに向ける。

 

「実質四十歳くらいのおっさんが、年齢一桁のガキの身体に入ってたんだ。そりゃあ、違和感がない方がおかしいよ」

 

 酒水筒(スキットル)に口を付けて、酒精を補給する。所詮は手のひらサイズの小さな水筒だ。これで、中身は空になってしまった。

 

「……まあ、それはさておきだ。本題はそっちじゃない。要するに僕は……僕の出してくる技術や知識は、前世で学んだことだと言いたかったわけだ。決して、自分で一から作り上げたものではないんだ」

 

 所詮は借り物の知識であり、それで偉ぶるなどとんでもない話だ。だからこそ、僕は褒められるたびに後ろめたさを感じていた。ようやく罪悪感の吐露が出来て、僕はほっとしていた。……だが、本当にこれは吐露してよい情報だったのだろうか? 二人からの好意が、これによって霧散してしまうのではないか? そんな不安が、僕の心に湧き上がってくる。ごくりと生唾を飲み込んでから二人をうかがうと……彼女らは、あっけらかんとしていた。

 

「ええ、ええ。知っていましたよ」

 

「本当に今さらだな」

 

「は、えっ?」

 

 いやなんやねんその反応は。

 

「何を小首をかしげているんだね、アルくん。いいかね? 言うまでもない事だが、技術などというものは試行錯誤の末に完成するものだ。そうだろう?」

 

「そ、そうですね」

 

「にもかかわらず、アル様の作らせた武器や戦術は既に完成品といっても過言ではない洗練された代物です。普通に考えて、不自然でしょう」

 

「ハイ」

 

 そりゃあまあ、そうだよね。鉄砲一つをとっても、この世界にもともとあった鉄砲は戦国時代末期の火縄銃と同レベルのものだ。それがいきなり、幕末から明治初期のレベルの雷管式前装ライフル銃が出てきたら、不自然極まりない。いくら僕たちの世界のたどった歴史を知らぬこの世界の住人とは言え、突破したブレイクスルーの多さに違和感を覚えるのは当然のことか……。

 

「え、じゃあどうして僕の出してくる武器や戦術群を普通に受け入れてたの、アナタたち……」

 

「極星が直接アル様をお導きになられているものだと思っておりました」

 

「私もだよ。普通に考えれば、それが自然というものだろう? 極星が、変革を望んで地上に遣わした使徒だとばかり……」

 

「いや、いやいやいや、違うよ? 僕はたんなる転生者よ? 使徒とかじゃないよ!」

 

 こんなチャランポランの戦争狂を使徒として地上に遣わしたのだったら、僕なら極星の正気を疑うね。あり得ないだろ、そんなの。……いやしかし、事情を知らぬソニアらがそういう勘違いをするのも致し方のない話か。そもそも、転生自体がオカルティックな代物であるわけだし。

 

「その……なんだ。勘違いさせていたのなら、大変に申し訳ない話だけど。僕は単に前世の記憶を残してるだけの軍隊にしか居場所のないおっさんで、使徒とか使命とかそういう御大層なシロモノとはまったく無縁のしょうもない人間だよ」

 

 僕が慌ててそういうと、アデライドが「ムッ!」と鋭い声を上げた。彼女は僕の胸倉をつかみ、ぐいと顔を寄せてくる。

 

「さっきから何だね、君は。口を開けば自分を卑下するようなことばかり言って! 私の愛する男を愚弄するのはやめてもらえないか!」

 

「え、いや、その……」

 

「それ以上余計な口を聞いてみろ。私が君をどれほど愛しているか、君自身のカラダに教え込んでやるぞ。ユニコーンなんかまるで気にせずにな……」

 

「やめて! 流石にズボンの中に手を突っ込むのは勘弁して!」

 

 ぐいぐいと迫ってくるアデライド。何やらずいぶんとキレていらっしゃる様子である。僕はあわててソニアに目を向けて助け舟を求めた。彼女は軽くため息をつき、アデライドを引き剝がす。だが、その手付きは普段よりも幾分優しかった。

 

「ヤメロー! ハナセー! 私はこの男を理解(わか)らせてやらねばならん!」

 

 ソニアはため息をつき、肩をすくめた。そして何とも言えない目つきで僕を一瞥する。

 

「今回ばかりは、わたしもアデライドと同感ですよ。今さらここまで来たら、転生者だろうが使徒だろうが大して違いはありません。アル様はアル様ですよ」

 

「むぅ……」

 

 僕は唸った。確かに、僕の今の態度は正直褒められたものではないという自覚はある。

 

「……怖いんだよ、君たちに失望されるのが。予防線を張ってるんだ……」

 

 唇を尖らせながらそうボヤくと、我が副官は深々とため息をついて我が国の宰相をベッドの上に転がした。そして立ち上がり、壁際に置いてある本棚へと歩み寄った。

 

「ソニア? いったい何を……」

 

「少々お待ちを、アル様。よいしょっと……」

 

 分厚い本がぎゅうぎゅう詰めになっている本棚を、ソニアはまるでちょっと重い荷物を運ぶような感覚で持ち上げ、脇にどけてしまった。相変わらず、とんでもない怪力である。

 

「……ちょっとこちらへ来て、見てください」

 

「う、ううん?」

 

 ソニアが手招きするものだから、僕は仕方なく彼女に近寄ってみた。暗闇の中、よく目を凝らすと……壁には決して小さくはない穴が開いていた。どうやら、本棚でカモフラージュされていたようだ。

 

「こ、この穴……なんだと思いますか」

 

「わ、わからん。手抜き工事?」

 

「いえ。……覗き穴です。わたし専用の」

 

「は?」

 

「わたしはここから……アル様の私生活をのぞき見し、あまつさえ着替えの盗撮などをしておりました」

 

「は??」

 

「すべては……わたしの薄汚い性欲を満たすためです。わたしはアル様の盗撮写真で、自分を慰めるような真似をしていたのです……!」

 

「は???」

 

 まったく予想もしていなかったカミングアウトに、僕は頭の中が真っ白になった。あの真面目なソニアが……盗撮!?

 

「マジで?」

 

「大マジです」

 

 言葉の通り大マジな顔で、僕の幼馴染であり頼りになる副官であり婚約者でもある女は深く頷いた。

 

「アル様は自分のことをしょうもない男だとおっしゃっていましたが……ごらんのとおり、わたしのほうが余程クズなしょうもない女なのです。失望されたくない? それはこちらのセリフなんですよ……!」

 

「え、ええー……」

 

 幼馴染の騎士どもやカリーナをはじめとした若年兵どもが僕の水浴びなどをのぞき見ているのは知っていたが、まさかソニアまでそのような事に手を染めていたとは。しかも、私室の壁に穴をあけるような真似をしているのだから、罪が重いにもほどがある。流石の僕もドン引きだよ!

 

「き、君ねェ! 守護騎士のようなツラをしてさんざん私をボコボコにしておいて、自分は密かにオタノシミをしていたわけかね! それは流石にズルいんじゃあないか!」

 

 ばね仕掛けの人形のようにベッドから飛び出してきたアデライドが叫んだ。ソニアはピシリと直立不動になり、叫び返す。

 

「ええその通り! わたしはズルくてクズな色ボケ女です! なのでアル様がわたしに対して後ろめたさを抱く必要などいっさいございません! お判りいただけましたか!?!?」

 

「う、あ、ハイ……」

 

 女らしくキリリと叫ぶソニアに、僕は思わず頷いた。あまりのショックに、どうにも自分がくだらない事で悩んで居たような気分がしてきていた。しかしまさか、自分の犯行を自供してまで、僕を慰めてくれるとは。一周まわってなんだか格好良く見えてきたぞ……。いやでもやっぱ盗撮は良くないよ。まあ、公衆の面前でも平気で僕の尻を揉む宰相に、ソニアを責められる義理は無いと思うが。

 ……そう思うと、なんだか心が楽になって来たな。盗撮副官に、セクハラ宰相。なんともヒドいメンツだ。ロクでなしは僕だけではないということか。割れ鍋に綴じ蓋、そんなことわざが僕の脳裏に去来する。自然と、僕の口元には笑みが浮かんできた……。



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第404話 くっころ男騎士と閲兵式(1)

 その夜は、まぁ大変だった。アデライドが、「いつ死ぬかわからんなどというなら一日でも早く世継を作るべき」という貴族としては至極もっともな正論を振りかざして迫ってきたのだ。確かにもっともな主張ではあるのだが、僕はもうすでに気力を使い果たしていたのだ。流石に、この疲労困憊の状態で"初めて"をするのは辛かった。

 僕は「近いうちに結婚するんだから初夜まで待ってくれ」と言って逃げ、アデライドは「先っちょだけ! 先っちょだけでいいから!」などと言って迫る。おまけに、こういった場ではめっぽう頼りになるはずのソニアまで消極的ながらアデライド側についてしまったのだからたまらない。結局、最後の一線こそ死守できたものの、僕はほとんど夜通し二人のオモチャにされてしまったのだった。

 ……ここまで来たらあえて童貞を死守する必要はあるのだろうか? ぶっちゃけ、無い気がする。ユニコーン云々はあるにしろ、相手は正規の婚約者だ。淫乱判定されたところで、まあ……と思う部分はわりとある。……ま、でも、ここまで来たら僕にも意地ってモノがあるしなぁ。

 

「……」

 

 翌朝。当然ながら、僕は睡眠不足かつ疲労困憊だった。正直、仕事を休んで丸一日寝込みたい気分だったが……そういうわけにもいかない。ため息をつきながら立木打ち、筋力トレーニングなどの毎朝のルーティンを消化し、水浴びをしてから朝食を食べる。昨夜にどれほどのイベントが起きようと、明けてしまえばいつも通りの朝だった。

 そして、朝食が終われば仕事が始まる。カルレラ市に宿泊していた諸侯やその名代たちを見送り、急ぎの案件や書類などの処理を終えたあと、僕は市郊外の野外演習場へと向かった。昨日はバーベキュー会場としてテーブルや野外オーブンが並んでいた演習場だが、もちろんそれらの物品は昨日のうちに片づけられており、いつもの姿を取り戻している。

 

「おはよう、ブロンダン卿。ご機嫌はいかがかな」

 

 演習場で僕を出迎えたのは、現ズューデンベルグ伯アガーテ・フォン・ディーゼル氏だった。その隣にはディーゼル家の前当主にして今はリースベンで人質をやっているロスヴィータ氏、そして我が義妹カリーナの姿もある。

 

「おはようございます、ディーゼル伯爵閣下。ええ、上々ですよ」

 

 とはいえ、それを表に出すほど僕も子供ではない。アガーテ氏に微笑みかけつつ、握手に応じる。

 

「おはよう、アルベール殿。昨日は久しぶりに親子の団らんができたよ。ご配慮、感謝する」

 

 続いて、ロスヴィータ氏とも握手を交わした。彼女はひどく上機嫌な様子だった。昨夜、アガーテ氏とカリーナの両名が、彼女の滞在している下屋敷に宿泊したからだろう。彼女がリースベンの人質になってから、もう半年以上が経過している。カリーナはともかく、他の娘とじっくり話をするのは久しぶりのことだろう。

 

「いえいえ、当然のことをしたまでです」

 

 貴族の中には家族間がギスついている家も多いのだが、ディーゼル家はなかなかに円満な様子である。親子関係はもちろん、姉妹関係もかなり良さそうに見える。カリーナがなんとも嬉しそうな表情をしているのが、その証だろう。昨日はなかなか有意義な一夜が過ごせたようだ。

 まあ、カリーナは年の離れた末っ子だからな。権力闘争の相手になる可能性は、随分と低いだろう。アガーテ氏にとっては、気兼ねなく可愛がれる相手だったという事か。……いや、よく考えると一年もしないうちにカリーナは末っ子ではなくなるわけだが。僕はチラリと、少しだけ膨らんだロスヴィータ氏のお腹を一瞥した。

 

「……さて、そろそろ本題に入ることにしましょうか」

 

 しばし雑談をしたあと、僕はディーゼル伯爵家ご一行にそう切り出した。当然だが、彼女らを野戦演習場まで呼び出したのはバーベキュー・パーティ第二ラウンドをするためなどではない。ディーゼル家が求める兵力派遣、その第一陣となるアリンコ傭兵団の閲兵のためであった。僕はコホンと咳払いしてから、後ろを振り返る。

 

「ゼラ、ディーゼル伯爵閣下にご挨拶を」

 

「承知」

 

 短くそう答えて前に出てきたゼラは、グンタイアリ虫人の正装である例の胸丸出しの漆黒甲冑姿だった。そのいかにも寒そうな風体に、ディーゼル家の面子はみな面食らった様子を見せた。唯一、カリーナだけは平静だ。……いや、平静というか、ちょっとドヤッてる。まあ、コイツは蛮族内戦にも参加しているから、アリンコの服装にも慣れているのだろうが。

 

「遅ればせながら仁義を切らしていただきます。手前、生国《しょうごく》と発するはアダン王国と申します。リースベンの森の奥でチンケな家業をやっとっとりましたが、アルベール殿との縁をもちましてブロンダン家の軒先を借っとります。名をゼラ、姓をアダンと発します。稼業、ただいまアリ虫人の一家アダン王国を率いとります。姐さまがた、どうぞお見知りおきを」

 

  落ち着き払った様子で、ゼラは仁義を切った。生来のやくざ者だけあって、深々と頭を下げつつベラベラと並びたてるその文句は堂々とした立派なものだった。

 

「これはこれは。ご丁寧なごあいさつ痛みいる。ズューデンベルグ伯アガーテ・フォン・ディーゼルだ。ゼラ殿、よろしく頼む」

 

 アガーテ氏はコホンと咳払いをしてからゼラと握手をした。作法は違えど心は通じたのだろう、その目には感心したような色がある。

 

「アリ虫人の者とは初めて会うが、噂にたがわぬ立派な戦士ぶりだな。こういう場でなければ、力比べを挑んでいたかもしれん」

 

 そういってアガーテ氏はゼラの肩を親しげに叩いた。母親譲りの巨体を持つ彼女は身長二メートル超の偉丈婦だが、ゼラのほうもそれに負けず劣らずの立派な体格を持っている。正面からがっぷりよつに組み合っても、勝敗は用意にはつかないだろう。まったく、戦闘を得意とする種族の亜人の体格は尋常ではない。

 

「ははは、ご冗談を。部下の前で尻に土を付けるなぁ勘弁していただきたい」

 

「さあてどうかね。恥を掻くのは私の方かもしれんが」

 

 などといって、二人の偉丈婦は笑い合う。こういう時に謙遜して相手に会わせられるのが、アリ虫人の油断ならない部分だよな。一見脳筋揃いの戦闘種族である彼女らだが、その実交渉事も得意とする智と武を兼ね備えた連中なのだ。

 

「今回ズューデンベルグに派遣されるという傭兵団は、君の部下なのか? だとすれば、嬉しい話だが」

 

「ええ、用心棒家業は我らの得意とするところ。伯爵閣下にもアルベールの兄貴にも恥はかかせませんで、ご安心を」

 

 そう言ってゼラはチラリと視線を遠くに送った。そこには、アリンコ兵の一団が整列している。甲冑に手槍、二つの丸盾、そして大量の投げ槍を背負った、フル装備のアリンコ重装兵。その数、百二十名……つまり、完全充足された一個中隊だ。僕やアガーテに恥はかかさないというゼラの言葉は嘘ではなく、その装備や立ち姿は王国や神聖帝国の有力諸侯が有する正規兵にも負けない立派なものだった。

 

「ほう、ほう。これは素晴らしい」

 

 目を見開きながらアリンコ兵を見回すアガーテ氏。そして少しだけ目を細め、ゼラに聞こえぬよう声を潜めてこちらに耳打ちしてくる。

 

「ところで、鉄砲兵は……」

 

 ああ、やっぱりディーゼル家はライフル歩兵を求めているのか。リースベン戦争で伯爵軍をめちゃくちゃにしたのは、こちらのライフル兵だからなぁ……。とはいえ、流石にこちらとしても虎の子の戦力をもと敵国に提供するのは避けたかった。そもそもライフル自体、まだそれほど数が揃っていないのだ。

 

「表立ってこちらの正規兵をズューデンベルグに置くのは避けたいので、こればかりはご容赦を」

 

 僕はそう言ってディーゼル家ご一行に頭を下げた。アガーテ氏は小さく息を吐き、ロスヴィータ氏は『まあ、ぜいたくを言える立場でもあるまい』と言いたげな様子で娘の肩を叩く。

 

「ですが、彼女らも尋常ならざる戦士。間違いなく期待通りの働きはできることでしょう」

 

 この言葉は、気休めなどではなかった。アリンコ兵は、あのエルフ兵とも渡り合える優秀な戦士たちだ。正直、兵士個人の練度では一般的なリースベン兵をはるかに上回っている。決して、出し惜しみをして二線級の戦力を提供するわけではないのである。

 

「ゼラ、伯爵閣下が君たちの力量をお確かめになりたいそうだ」

 

「ハッ、お任せあれ!」

 

 僕の頼りになる部下は、ニヤリと笑って頷いた……。

 

 

◇◇◇あとがき◇◇◇

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第405話 くっころ男騎士と閲兵式(2)

 もともと、グンタイアリ虫人は戦いに特化した種族である。平時においては無駄飯ぐらい……とまではいわないが、土木工事に農業にと縦横無尽に活躍するハキリアリ虫人とくらべれば、どうしても活躍の場が限られてしまう。

 そして現在、リースベンの食料事情は切迫していた。蛮族勢の傘下入りや、新規交易路の開設による外部からの流入者の増加……食料の需要は急増しているにもかかわらず、相変わらずこの地の農業基盤は貧弱なままだ。僕たちにも、麦(や芋)も金も産まない集団を多数抱えていく余裕はほとんどない。ただでさえ、リースベンは人口に対する軍人の比率がやたらと高い土地なのだ。

 そういうわけで、アリンコ兵の維持をズューデンベルグに丸投げできるディーゼル伯爵家の申し出は、まさに渡りに船というヤツだった。今回ズューデンベルグ領に送り込む中隊はグンタイアリ虫人の中でも特に練度が高く行儀も良い連中だから、伯爵にも胸を張って紹介できるだけの自信がある。

 

「演習はじめ!」

 

 ゼラの命令に従い、アリ虫人の従兵が銅鑼を叩く。演習場にその重苦しい音色が響き渡ると、中隊の軍鼓隊が太鼓を叩き始めた。その子気味の良いドラムのリズムに合わせ、百二十名のグンタイアリ虫人たちが行動を始める。

 まずは展覧用に横並びになっていた隊列を二列の縦隊に変更。一糸乱れぬリズムで行進を開始した。聞こえてくる足音は、完全に一揃いになった見事なものだ。それを見たズューデンベルグ伯アガーテ氏は、ほうと関心の声を上げた。

 

「これが蛮族の行進か。目を見張るものがあるな」

 

「こと平地の戦いでは並みの王国兵や神聖帝国兵よりも強力ですよ、彼女らは」

 

 胸を張って、僕はそう答える。行進の上手い部隊は戦闘も上手い。これは、この時代の軍人の常識だった。なにしろヘリコプターどころか自動車もない世界である。行進速度の早さは機動力に直結する。つまり、敵部隊に先んじて有利な位置取りをすることができる、ということだ。

 そう言う面では、アリンコどもの行進は素晴らしいものがあった。アリンコ中隊はドラムに合わせて右旋回、左旋回、停止などを一通りこなしていくが、足並みを乱す者などひとりもいなかった。それを小走り程度の速度で行うのだから、尋常の練度ではない。

 

「少なくとも、リースベン戦争で壊滅したウチの精鋭部隊とも互角にやれそうなのは確かだ」

 

 腕組みをしながらそんなことを言うのは、ロスヴィータ氏だった。いつも陽気な彼女だが、その顔には珍しく苦み走った表情が浮かんでいる。ディーゼル家自慢の精鋭部隊が壊滅したのは、彼女の指揮の結果だった。自分でもそのことを悔いているのだろう。

 

「……とはいえ、行進だけ見ても面白くはないでしょう。とうぜん、戦闘演習の準備もしております。ご覧になられますか?」

 

 話を変えるべく、僕は二人のウシ獣人貴族へそう話しかけた。過去はどうあれ、今のディーゼル家は我々リースベンの重要な取引相手だ。潰れてしまっては困る。

 

「無論だ」

 

 アガーテ氏が頷くのを見て、僕はゼラに合図を出した。銅鑼が再び慣らされると、演習場の向こうから怪しげな連中が現れる。アリンコ兵よりも遥かに小柄な、ポンチョ姿の兵士たち……エルフ兵の集団だ。

 

「ふぅむ、彼女らが対抗部隊か。軽装歩兵が一個中隊……彼女らは何者なんだ? リースベン軍の一般部隊とは違うようだが」

 

「エルフ兵です。伯爵閣下の仮想敵は、一般的な槍兵や弩兵でしょうから……白兵戦を得意とするエルフたちとぶつけた方が、いろいろと参考になるかとおもいまして」

 

 そう解説しているうちにも、両軍は展開を進める。隣の兵士と肩同士が触れ合うような近さの密集陣形を取るアリンコ兵に対し、エルフ兵はそれを取り囲むような鶴翼陣形を取った。両軍ともに人数は同じだが、散兵戦術をとるエルフ兵のほうが遥かに広範囲に展開している。

 

「先の戦いではエルフどもにぶち好き勝手されたけぇな、ええ機会じゃ! ぶちのめしちゃれ!」

 

「アルベールどんの前で恥晒すんじゃなかぞ! 平地ではアリンコん方が強かちゅうたぁ幻想じゃち思い知らせてやれ!」

 

 各指揮官が檄を飛ばしている声が聞こえてくる。アリンコはもちろん、エルフたちも随分と気合が入っているようだ。その目はバーサーカーめいてギラギラと輝いている。演習というより、本物の殺し合いのような雰囲気だ。

 

「チェストアリンコ!」

 

 先手を打ったのはエルフたちだった。彼女らは得意の妖精弓(エルヴンボウ)を構え、アリンコ密集陣に対して大量の矢を撃ち込み始める。……もちろん矢といっても、実戦用のものではない。先端に布を巻いた演習用のものだ。

 

「弓兵の割合が多いな、エルフは」

 

 アガーテ氏が関心の声を上げた。弓兵はたいへんに強力な兵科だが、育成にはかなりの時間とコストが必要だった。そのためガレアや神聖帝国ではあまり好まれず、遠距離攻撃兵科の主力は弩兵が務めていることが多い。

 

「エルフの戦士はみな弓が大得意でしてね。基本的に、すべての兵士が短弓を装備しています」

 

「ええ……」

 

 僕の言葉に、アガーテ氏はもちろんロスヴィータ氏も顔を引きつらせた。敵として相対すれば、これほど恐ろしい相手もそうそういない。たぶん、人数当たりの火力はリースベン軍のライフル兵部隊すら上回っているだろう。

 とはいえ、そんな連中が相手でもアリンコ兵は怯まない。濃密な矢の弾幕に対し、盾を高々と掲げる亀甲陣形で対抗した。そのまま、相変わらずの一糸乱れぬ行進でゆっくりとエルフ部隊との距離を縮めていく。

 

「演習とはいえ、すさまじい胆力だな。普通、あれほど矢を撃ち込まれれば少しくらい足並みが乱れるものだが……」

 

 ロスヴィータ氏の言う通り、アリンコ兵の亀甲陣形は驚くほど整然としたものだった。この陣形は自分の盾で隣の兵士をカバーすることを前提に構築されており、足並みが乱れれば装甲に隙間ができ、付け入る隙となってしまう。ところがアリンコ兵にはその手の揺らぎが一切ないため、まるで移動城塞のような堅牢さを発揮しているのだった。

 

「これはエルフ側にはつらい展開だな。ひとたび接敵すれば、散兵である彼女らに勝ち目はない。だが、遠距離で仕留めようにも、あの防御陣形はそうそう崩れるものではないだろう。相手に合わせて後退しつつ、敵陣形が崩れるまで射撃を続行するのが常道だが……そこまで矢が持つのか」

 

 難しい顔をして分析をするアガーテ氏だが、もちろんエルフはエルフなのでそのような常識的な戦術はとならない。彼女らは「チェストー!」などと叫びながら一斉突撃を開始した。

 

「この段階で突撃!? 破れかぶれになったのか……?」

 

 通常、突撃は相手の陣形が崩れてから行うものだ。強固な密集陣に対して突撃を仕掛けたところで、容易に打ち破られてしまうからだ。案の定、アリンコ部隊は冷静に対処を開始した。走ってくるエルフ兵に後列部隊が投げ槍を投擲し始める。それが直撃し、悲鳴を上げて地面に倒れ伏すエルフ兵の数は決して少なくは無かった。

 だがそれでもエルフ兵は突撃の手を緩めない。なんとか投げ槍弾幕を突破し、アリンコ兵の眼前に躍り出るものが現れ始めた。だが、迎撃の本番はこれからだ。剣を振り上げるエルフ兵の前に立ちふさがるのは、槍衾と城壁めいた盾の列だ。小柄で武器のリーチも短いエルフ兵に、この亀甲陣を攻略する方法は無いように思えるが……。

 

「ほら、言わんこっちゃない」

 

 そういってアガーテ氏が肩をすくめた瞬間だった。爆発めいた暴風が巻き上がり、アリンコ兵が宙に舞い上がる。エルフ兵が暴風の魔法を敵陣に撃ち込み始めたのだ。

 

「エルフ兵はみな魔法が大得意でしてね。基本的に、すべての兵士がこの程度の魔法なら扱えます」

 

「当家の最精鋭魔術師でもあれほどの魔法はそうそう発動できないんだが!?」

 

 アガーテ氏は叫び、僕は半笑いになりながら首を左右に振った。その間にも暴風の魔法は連発され、強固だったはずの亀甲陣形が崩れはじめる。

 

「乱捕りじゃ! アリンコ共をぶち殺すど!」

 

 野蛮な叫び声をあげながら、エルフ兵が敵陣に突っ込んでいく。だが、アリンコたちはなおも冷静だった。後列の兵士が前に出て、あっという間に陣形を整える。そしてその四本の腕を見事に突かい、盾の防御を維持しながら槍を突き出してくるのだ。

 

「アリ虫人は槍兵ばかりだが、エルフ兵は槍を持っているものがいない。魔法で陣形を崩して無理やり白兵を挑んでも、リーチ差の不利はいかんともしがたいが……」

 

 冷や汗をかきながらアガーテ氏が呟くが、齢三桁の暴力的ババア集団(エルフ兵ども)にはそんな常識は通用しなかった。木剣(エルフ兵が普段使っている黒曜石の刃を備えた物騒な代物ではない、普通の訓練用木剣だ)を見事に使って槍による刺突を防ぎ、あっという間にアリンコ兵の懐へと入り込む。渾身の横スイングが直撃し、幾人かのアリンコ兵が吹き飛ばされた。

 

「エルフ兵はみな剣術が大得意でしてね。基本的に、すべての兵士が一般的な槍兵を完封できる程度の技量を備えています」

 

「いろいろと……! いろいろとおかしすぎるだろエルフ兵! なんなんだあいつらは!」

 

「もうエルフ兵だけいれば他の兵科いらないんじゃないかな……」

 

 アガーテ氏が叫び、ロスヴィータ氏はすべてをあきらめた笑顔で目を逸らした。だが、エルフ兵もヤバいがアリンコ兵も大概である。盾を巧みに扱ってエルフ兵の猛攻を防ぎ、別の兵士が槍で叩き伏せる。連携攻撃だ。冷静極まりないその戦術はエルフ兵が相手でも有効であり、戦況は拮抗状態を維持している。

 

「あんな化け物じみた連中を相手に、よくもまああれほど冷静に対処できるものだ……。アリ虫人に恐れの感情はないのか」

 

 そう言って、アガーテ氏はアリンコ兵たちに尊敬の目を向けていた。どうやら、アリンコ傭兵団のプレゼンはうまくいっているようだ。

 

「ごらんのとおり、彼女らは素晴らしい戦士たちです。並みの事態では動じませんし、密集陣主体の戦術ということで従来の舞台に組み込みやすい」

 

 アリンコたちに視線を向けつつ、僕はそう説明した。リースベン軍はできるだけ兵を密集させぬように教育しているが、これはかなり特異なやり方だ。他の軍隊では、出来るだけ兵士は密集させるべし、という風に教育される方が多い。白兵戦においてはそちらの方が圧倒的に優位だからだ。

 

「それに、一人で何でもできるエルフ兵と違い、アリ虫人兵は集団戦が前提の戦い方をしますから。万が一の時にも、対処はしやすいでしょう」

 

「ン、それは確かだな。エルフ兵の連中は……正直、統率するのがかなり怖いかもしれん」

 

 野蛮な叫び声を上げつつアリンコ密集陣に挑みかかるエルフ連中を見ながら、アガーテ氏は苦笑した。強力なのは大変結構なのだが、やはりエルフ兵は反乱が怖い。ワンマンアーミーみたいな連中が揃っているうえ、性格的にも一筋縄ではいかぬ者が多すぎるのだ。そういう面では、やはりアリンコ共のほうがはるかに付き合いやすい。

 

「ところでアルベール殿、一つ聞きたいんだが……」

 

 そんなことを考えていると、ロスヴィータ氏が僕の肩をチョンチョンと叩いた。僕が「なんでしょう?」と答えると、彼女はおずおずといった調子で言葉を続ける。

 

「あの蛮族兵どもは、合計で何人くらいいるんだ?」

 

「エルフが二千、アリ虫人が五百といったところですね」

 

「……つまり、アレか。我々の侵略が成功していた場合、伯爵軍はあんな連中二千五百名と正面衝突していた可能性があるのか……」

 

 ドン引きした様子で、ロスヴィータ氏が呟く。……うん、まあ、その通りだね。食料を盾に交渉すれば、衝突を回避できる可能性も無くはないが……エルフどもの言う事の聞かなさは、尋常ではないからな。上手くいくかどうかはかなり不透明だ。僕たちが彼女らを傘下に収めることができたのも、奇跡のようなものだし……。

 

「戦争に負けてよかった、などと思ったのは生まれて初めてだよ」

 

 ロスヴィータ氏は、すべてをあきらめた様子で首を左右に振った……。

 



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第406話 くっころ男騎士と隣国領主の焦り

 アリンコとエルフの戦闘演習は、しばらくの間続いた。強固な防御陣を敷くアリンコ側に対し、エルフ側は変幻自在の波状攻撃をしかけ消耗を誘う。エルフの突撃は一見無謀だが決して考えなしの行動ではなく、突破というよりはアリンコ側の陣形を崩すことを目的に行われたものだった。多方面から同時に攻撃を仕掛け、アリンコの足並みを乱そうというのである。

 その作戦は、ある程度はうまくいった。なにしろ無線もない世界だから、陣形の変更などは太鼓などの極めて古典的な手段を用いて伝達するほかない。そして当然だが、太鼓やらラッパやらでは各部隊に個別に命令を出すような有機的な部隊運用はできないのである。しばらくするとアリンコの隊列は千々に乱れ、戦いは小集団同士の殴り合いへと変貌していった。

 それでも、やはりアリンコどもの地力は尋常ではない。少数なら少数なりの戦い方に作戦を変更し、エルフの苛烈な攻めに耐え続けた。そして結局、エルフの方が先に体力切れになってしまった、というわけである。決して容易な勝利ではなく、一歩間違えれば勝敗は入れ替わっていたような辛勝ではあったが……それでも勝利は勝利。平地ならエルフよりもアリンコの方が強い、という前評判は嘘偽りではなかったわけだな。

 

「まったく、エルフにしろアリ虫人たちにしろ、素晴らしい戦士たちだな。エルフの攻撃精神、アリ虫人の冷静沈着な防御戦術……我々の目から見ても、超一流だ。いやはや、所詮は蛮族とナメていた己の不明を恥じるな」

 

 演習の終了後、演習場の片隅に建てられた簡易指揮所で、アガーテ氏は豆茶のカップを片手にそう熱弁した。先ほどまでは戦況図やら部隊を示すコマやらが乗っていた指揮卓の上はすっかり片づけられ、代わりにパン籠や食器などが乗っている。ちょうど昼食どきということもあり、感想戦ついでに腹も満たしておくことにしたのだ。

 

「そうでしょうそうでしょう、彼女らは大した連中ですよ」

 

 などと話を合わせながら、僕はリンゴ入りのラードをタップリ塗ったパンを思いっきり頬張った。パンはパンでも、僕らが普段食べている燕麦メインのレンガみたいな代物ではない。小麦粉だけで作られた、純粋な白パンだ。久方ぶりにこういうパンを食べるが、やはり美味い。

 これはアガーテ氏が手土産として持ってきてくれた小麦粉でつくったものだ。なにしろリースベンでは小麦はあまり育たないし、輸入される穀物も質より量を重視してライ麦などの雑穀を優先している。白パンを食べる機会は、領主ですらほとんどないのである。何ともありがたいお土産だった。

 

「特に、グンタイアリ虫人は体格にも優れますから。警備要員としてもなかなかに優秀ですよ。たいていの人間は、彼女らが武器を持って立っているのを見るだけで不埒な真似をしようだなどという気は失せますから」

 

「確かにな。我々ウシ獣人も大概威圧感の強い者が多い種族だが……グンタイアリ虫人はそれ以上だ」

 

 うまそうに白パンを食べるゼラを一瞥しながら、ロスヴィータ氏が苦笑する。彼女の言う通り、ウシ獣人にしろグンタイアリ虫人にしろ威圧感がスゴイ。席についている者のうち三名が身長二メートル超、僕の後ろに控えているソニアも一九〇センチ台。僕だって一応男性としては長身の部類なのだが、それでもまるで自分が子供に戻ってしまったかのような錯覚を覚えてしまう。……まあでも、そもそもこの世界の男性って前世の世界よりも随分と平均身長が低いからな。その中で比較的長身だ、などといっても大したことは無いのだが。

 

「なんだかんだといって、白兵では体格が正義だからな。大柄なのに越したことは無い……」

 

 ロスヴィータ氏はそう言って、末の娘をチラリと見る。自身の体格に不満があるわが義妹は、露骨にふくれっ面になっていた。なんとも可愛いものだ。

 

「しかし、これほど優秀な戦士団となると、もっと数が欲しくなってくるな。ブロンダン卿、率直に聞くが……彼女らをもう一個中隊追加で派遣してもらうことは可能か?

 

「合計二個中隊ですか」

 

 にこやかにそんな提案をしてくるアガーテ氏に、僕は思わず腕組みをしてしまった。グンタイアリ部隊の追加派遣……可能か不可能かで言えば、まあ可能だ。開墾だ建設だと大忙しのエルフやハキリアリ虫人に比べれば、遥かに暇を持て余している連中だしな。

 ただ、いくら彼女らが優秀な戦士とはいえ、二個中隊などという数を求めてくるというのがなんともきな臭い。なにしろ軍隊なんてのは"万が一"の時以外は完全に無駄飯喰らいの集団で、なんの利益も生みはしないからだ。だから、平時には最低限の数の兵士のみを確保しておき、有事の直前に改めて兵を集めるというのが基本なのだが……。

 ディーゼル家は、どうにもこの有事直前の出来るだけ多くの兵士を確保する、というフェーズに入っているような気がするんだよな。本当に勘弁してほしい。やっとのことで、リースベン領内の情勢が落ち着きつつあるのだ。ここで食料の最大供給地であり、交易上も最大の取引相手であるディーゼル伯爵家が揺らぐなんてのはマジでヤバい。

 

「閣下、ありていにお聞きします。仮想敵の戦力はいかほどなのですか?」

 

 僕は声を潜め、他の連中に聞こえぬようにコッソリとアガーテ氏にそう聞いた。ズューデンベルグを燃やすわけにはいかん。場合によっては、本腰を入れて支援をする必要があるだろう。

 

「……常備軍が六百。これに加え、いざいくさとなれば傭兵や民兵などで最低でも千ほどが上積みされるだろう」

 

「合計千六百ですか……」

 

 わあ、思った以上に多いぞ。まあ、上積みぶんの千は雑兵だろうが……それでも数が集まれば厄介だ。防衛側の優位はあるとはいえ、ディーゼル伯爵軍はリースベン戦争で精鋭のほとんどを失っている。相当厳しい戦いになるのは間違いないだろう。

 まあ、それがわかっているからこそ、伯爵家も戦力を求めているのだろうが……なかなか難しいところだな。リースベン軍の常備兵と蛮族兵をすべて動員すれば、一応数でも質でも圧倒できるが、もちろんそういうわけにはいかない。ディーゼル家は神聖帝国側の領主で、僕たちはガレア王国側の領主だからだ。ディーゼル家側として僕らが本格的に参戦すれば、いろいろと厄介なことになるだろう。

 そうなると、傭兵団という形で密かに支援するのがせいぜいになるのだが……アリンコを二個中隊ばかり派遣したところで、敵がこれだけ多いとちょっと厳しいかもしれんね。なにしろズューデンベルグ伯領は平地ばかりの開けた土地で、大軍側が優位性を発揮しやすい地形だ。アリンコどもがいかに優秀であろうが、足止めに徹されればかなり厳しい事になる。

 

「……」

 

 背後のソニアに視線を送ると、彼女はコクリと頷いた。なにはともあれ、今のズューデンベルグはリースベンの生命線。見捨てるだなどという選択肢はない。

 

「そういえば、ブロンダン卿」

 

 重くなりかけた空気を振り払うように、アガーレ氏が明るい声で言った。なんとも難しい情勢だというのに、彼女は一切の陰りを表に出していなかった。本人としては「やってらんねぇ!」と叫びたくなるような状況だろうに、よく頑張っているものだ。

 

「アデライド殿やソニア殿との正式なご結婚はいつ頃になりそうだろうか? 披露宴にはぜひとも参加したいものだが」

 

 これまた、いきなり話が変わったものだ。僕は少し考えこみ、答える。

 

「来年の夏ごろには……という話になっております」

 

 どうしてその時期かと言えば、そのくらいに僕が伯爵に昇爵する予定だからだ。なにしろ僕は今年のうちにすでに二度昇爵しており、流石に三度目ともなるとある程度時間を置かねばいろいろと障りがある。そしてアデライドもソニアも貴族としてはかなり格の高い位階にいるので、つり合いを考えれば正式な結婚は僕が伯爵になってから……というのが望ましいそうだ。やはり、貴族の結婚はなかなかに面倒だ。

 

「なるほど、なるほど。いやぁ、楽しみだな。……ああ、そうだ。今回は連れて来てはいないが、実は私にも娘と息子がそれぞれいてな。まあ、まだ乳離れもしていない赤子だが……」

 

 息子といっても、もちろん亜人は女性しかいない種族なので実子ではない。亜人貴族は夫を共有する只人(ヒューム)女性の生んだ男児を養子として迎える習慣があるのだ。

 

「君たち夫妻に子供が出来たら、良い遊び相手になることだろう。私の新しい末妹ともども、仲良くさせていきたいところだな」

 

 腹の少しだけ膨らんだ自分の母親をチラリと見てから、アガーテ氏は口角を上げる。彼女も、まさかこの期に及んで妹が増えるとは思っていなかったのだろう。その表情はやや皮肉げだ。照れたように、ロスヴィータ氏が頬を掻く。

 

「そ、そうですね」

 

 僕は冷や汗をかきながら、頷いた。やっと結婚できたかと思えば、今度は子供の話だ。こちとらいまだに童貞だというのに、なんと気の早い連中だろうか。内心ため息をつきつつ、ソニアに視線を送ると、彼女は何とも言えない表情で肩をすくめた。

 

「狙いは政略結婚でしょうね。しかも娘の話まで出してきているあたり、アデライドの息子を次期領主の夫として迎えても良いと考えているのやも……」

 

 僕だけに聞こえるような声音で、ソニアはそう囁いた。……次期領主の夫にブロンダン家の男を据えても良い、などと本当に考えているのならば、かなりの譲歩だ。下手をすれば、家を乗っ取られてしまうわけだからな。そういうリスクを冒してなおこちらとの友好関係を構築したいと考えているのならば、ディーゼル家は相当焦っていると見て間違いなかろう。

 

「またこちらに来る機会があったら、あいつらも連れて来てもいいか? 将来の領主同士が、幼いころから友誼を結んでおくというのも大切なことだろうし」

 

 友誼もクソもその"将来の領主"とやらの片割れはまだデキてすらないんだが!? そうツッコミたかったが、まあ貴族社会にはよくある話である。僕はなんとか顔が引きつらぬように苦心しながらにこやかに頷いた。

 

「え、ええ。もちろん」

 

 政略結婚まで目論んでいるということになると、ディーゼル家はブロンダン家と長期にわたる友好関係を模索しているということになる。たぶん、本音で言えば防衛義務のある実効的な同盟を結びたいのだろう。……仮にも敵国の領主と? うーん、ヤッベェなぁ。きな臭さマックスって感じだ。

 もしかしてアガーテ氏、神聖帝国から離脱して王国に付こうとか考えてるんじゃないの? 確かに現在のディーゼル家の敵は僕たち王国領主ではなく、友邦のはずの帝国領主たちなわけだが。……そう考えると、まあそりゃ離脱を狙って当然か。封建制における主従って、双務的契約関係だし。必要な時に守ってくれない君主に、忠誠をささげるものなどいない。それが原因で臣下側が別の陣営に移ったところで、不義理を働いているのは臣下ではなく君主のほうだ。

 とはいえしかし……。まったく、参ったね。正直、いち領主でしかない僕の領分をはるかに超えてる話だろ、これ。気が重いが、王室の方にそれとなく相談しておくか。コッソリ裏で話を進めてたら、それこそ謀反を疑われる奴だし。……ああ、しかし嫌だなぁ。こちとら、フランセット殿下の提案を蹴った直後なんだけど。正直、気が重いよ。何様やねんお前! ってフランセット殿下に怒られないかな……。はぁ……勘弁してくれ。



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第407話 くっころ男騎士の提案

 その夜、僕はアガーテ氏やロスヴィータ氏を夕食に誘った。もちろん、ズューデンベルグ領の実情を聞きだすためだ。明らかにディーゼル家は大変に焦っており、ズューデンベルグの周辺事情はそうとうに悪化しているものと思われる。ズューデンベルグはリースベンの食料庫だ。失うわけにはいかない。とりあえず、懸念点の共有くらいはしておくべきだと考えたのである。

 

「母上に似て迂遠な言い方は苦手でね。ハッキリ言わせてもらうが……敵はミュリン伯だ。ズューデンベルグのお隣さんだな。他にもいくつか怪しい動きをしている領邦もあるが……まあ、そいつらはミュリン伯爵の腰ぎんちゃくや火事場泥棒狙いの小物どもでしかない」

 

 ワインの満たされた酒杯を片手に、アガーテ氏はそう説明した。今我々が居るのは、領主屋敷の片隅にある応接室だった。むろん夕食は食堂で取ったのだが、あそこには使用人やら何やらの目がある。内緒話もしにくいということで、防音のしっかりした"密室"も移ったというわけだった。

 

「ミュリン伯領ですか。わたしの記憶が確かならば、ズューデンベルグとよく似た領邦ですね。広大な平原を生かして、大規模な農地経営をやっている……」

 

 ソニアの言葉に、アガーテ氏は頷いた。ズューデンベルグ領はリースベンの北方にある山脈を挟んだ位置にある領邦だ。この山向こうには肥沃で広大な平原が広がっており、大河を挟んで王国側の領邦と神聖帝国側の領邦が対峙している。なにやらきな臭い事になっているのは、この神聖帝国側の岸辺だった。

 

「ああ。連中の麦畑は、なんならウチのより広いくらいだ。なにしろウチは平原の国だっといっても、おひざ元は山裾だからな……」

 

 豆茶を飲みながら、ロスヴィータ氏が肩をすくめる。大酒のみの彼女だが、妊娠したということもありこの頃は断酒をしていた。

 

「つまり、敵の目的は新領土の獲得と」

 

 僕の問いに、アガーテ氏はコクリと頷いた。そしてツマミ代わりのクルミを鷲掴みにし、口の中に放り込む。豪快にバリバリと咀嚼し、飲み込んだ。母親のロスヴィータ氏もそうだが、彼女らディーゼル家の連中の所作は貴族というより山賊に近い。

 

「基本的には。……まあ、根本的なことを言えば、ウチらが弱ってるんでシバきたいんだろうな。なにしろディーゼル家とミュリン伯爵家は、何代も前から犬猿の仲だ。そりゃあ、川やらなんやらの目印もなしに平原の真っただ中に国境があるんだ。仲良くできるはずもない」

 

 そう語るアガーテ氏の眼つきは座っていた。彼女としても、ミュリン伯爵とやらにはうらみがあるようだ。

 

「一ミリでも領地を広げてやろうと、幾度となく小競り合いが起きている。あのあたりの麦畑は、ウチとミュリン兵の血を吸って育ってるって言われてるくらいさ……」

 

 遠くを見るような目つきでそう言ってから、アガーテ氏は肩をすくめた。まあ、珍しくもない話だ。ご近所トラブルでもよくあるやつだよな。ここは私の土地だ、いいやウチの土地だ、みたいなやつ。土地の境界線に山や川といった一目見てわかるような自然物がない場合、高確率で揉めるんだよ。そういう面では、海と山で他の領邦と物理的に断絶しているリースベンは恵まれているかもしれん。

 

「今だから正直に言うがな、リースベンに侵攻したのもこのミュリンに対抗するためさ。鉄が自前で生産できるようになれば、かなり有利に立ち回ることができるようになるからな……」

 

 そんなことを言ってため息をつくのは、リースベンへの侵攻を決断した張本人……ロスヴィータ氏だ。

 

「まったく、欲をかくとロクなことにならないな。アガーテにはどれだけ頭を下げても下げたりん。あたしが下手を打ったばっかりに、これほど追い込まれるとは……有利どころか、大劣勢だ」

 

「今さらそんなこと言ったってしょうがないだろ、母上。私だって反対したわけじゃないんだから、同罪みたいなもんだしよ……それに本当に迷惑被ってんのは、私じゃなくてブロンダン卿だろ」

 

 恨みがましい目つきで母親を睨んでから、アガーテ氏は僕に向けて深々と頭を下げた。

 

「改めて謝罪しておこう、ブロンダン卿。夏の一件ではたいへんなご迷惑をおかけした。申し訳ない」

 

「講和会議の時点で正式な謝罪は受けております。この期に及んで更なる謝罪を受けては、今後の関係にも障りがでましょう。頭を上げてください」

 

 あの戦争では確かにたいへんな迷惑を被った、それは事実だ。兵のみならず、幼馴染騎士の一人まで失ってるしな。ただ、延々と謝罪を求め続けるのは趣味じゃない。許すと決めたら、その時点でこれまでのことは水に流す。それが僕のモットーだった。

 

「いまするべきなのは、過去の話ではなく未来の話でしょう。なんとか、そのミュリン伯爵とやらに対抗する方法を考えねば……」

 

「……ありがとう、ブロンダン卿。そう言ってもらえると助かる」

 

 そう言ってまた頭を下げるアガーテ氏の酒杯に、僕は新しいワインを注いでやった。彼女は一礼をして、それを一口飲む。

 

「とはいえ、戦うばかりが選択肢ではないでしょう。たとえば、どこかに仲介を頼むとか……」

 

 そんな主張をしたのは、ジルベルトだった。たしかに実際その通りで、同じ国に属する領主同士がもめた際、まずするべきなのは敵国の領主から兵を借りることではなく、主君に仲裁をたのむことだろう。僕は頷きながら、ロスヴィータ氏とアガーテ氏を交互に見た。

 

「こういう時こそ、皇帝の出番でしょう。たまには役に立ってもらわねば、何のために普段ふんぞり返ってるのかわからなくなりますよ」

 

「所詮神聖皇帝は神聖皇帝だからなぁ……」

 

 遠い目をしながら、アガーテ氏はそう吐き捨てた。

 

「むろん、私も皇帝家に報告を上げてるんだが。しかし、ガレア王国と違って神聖帝国(ウチ)は国というよりは同盟に近い集まりだ。皇帝の権威など期待できん。『喧嘩はやめなさい』だとか、子供をなだめる司祭さまみたいなことを言って、それで終わりだったよ……」

 

「むぅん……」

 

 僕は知り合いの元神聖皇帝の顔を思い出しながら唸った。確かに、彼女もかつて似たようなことを言っていたような記憶がある。皇帝などと言っても名前だけの名誉職で、実際の権限はほとんどないとかなんとか……。こうしてみると、江戸幕府がどれほど中央集権体制だったかわかるな。神聖皇帝が江戸幕府の将軍めいて転封だの家の取り潰しだのを命じたら、諸侯は公然と反旗を翻し始めるだろう。

 

「今我々が必要としているのは、口だけ皇帝ではなく実力を持って脅威を打ち払える存在だ。つまりはまあ、ブロンダン家だが……」

 

 僕が無言で酒杯をいじっていると、アガーテ氏がそんなことを言いながらワインを注いできた。僕は難しい表情をしながら、彼女に礼を言う。

 

「どうも。……とはいえ、内戦には手を出せない神聖皇帝も、外敵には強く出られますのでね。難しい所ですよ、これは」

 

 ミュリン伯とやら単体ならば、リースベン軍だけでも対処は可能だ。ただ、皇帝軍が出てくると流石に厳しい。やはり、田舎の小領主には手に余る案件だ。むろんズューデンベルグが燃やされるのを指をくわえて眺めるわけにもいかないので、とりあえずやるだけはやってみるが……。

 

「とりあえず、ミュリン伯とやらが実際に行動を起こさねば面倒なことにはなりません。抑止力を増強することですね」

 

「昼間お見せしたアリ虫人中隊でしたら、今週中にもズューデンベルグへ派遣可能です。冬のうちに、もう一個中隊も追加派遣できるよう準備しておきましょう」

 

 僕の言葉をソニアが補足する。二個中隊といえば、二百四十名。田舎領主の小競り合い程度であれば、十分に戦局を変えられる数だ。それなりに効果はあるだろう。……ただ、たぶんアガーテ氏はそれだけじゃ不足と考えてるっぽいんだよな。じゃなきゃ、政略結婚云々をにおわせてくる必要はないし……。

 ……さあて、どうしようか。僕は少しだけ考え込んだ。実のところ、傭兵団の派遣以外にも抑止力を強化するアイデアはある。要するに、ディーゼル家と我がブロンダン家の関係強化を周囲にアピールするのだ。最近は僕もそれなりに有名になってきているから、それなりの効果はあると思うのだが……。

 

「それから、よろしければブロンダン家(ウチ)とディーゼル家の家臣団の独身者を何人かあつめて、お見合いパーティをするというのはどうでしょうか? 両家の親密ぶりをアピールする場としては、なかなか良いと思いますが」

 

 これは、ディーゼル家内部に我々の息のかかった人物を送り込むための策だった。いくらディーゼル家が重要な取引相手と言っても、譲歩するばかりというわけにもいかない。この機に乗じ、影響力の増大を狙った策を打つことにしたのだ。

 ちなみに僕の言っている"家臣団"とは幼馴染の騎士連中である。あいつらも、いつまでも独身というわけにはいくまい。いい加減身を固めてもらわねば困る。つまり、ディーゼル家との関係強化と、家臣団内部でくすぶっている独身貴族どもの一掃を同時に狙った一挙両得の策というわけだ。

 

「それは良い考えだ! ちょうど、分家筋の若い連中に『良縁はないか』とせっつかれていたんだ。ブロンダン卿の部下ともなれば、相手にとって不足無し!」

 

 なんだ相手にとって不足なしって。馬上槍試合でもやるのか? ……まあいいや。とにかく、見合いだ。できれば婿だけほしいが、そういうわけにもいかんだろうな。こちらも年頃の未婚男児を探さねば。幼馴染連中の弟たちがねらい目だが……ううむ。

 

「こほん」

 

 考えることは多かったが、咳払いをして思考を切り替える。実のところ、このお見合いは単なるジャブにすぎなかった。本命の提案は、別にある。……少しばかり、言いにくい提案が。僕はソニアのほうをチラリと見た。彼女は少し笑って、微かに頷く。この案は、僕とソニアが二人で話し合って決めたものだった。

 

「それから、もう一つご提案が」

 

「なんだろう?」

 

 僕の声音の変化を感じ取ったのだろう。表情をわずかに変えて、アガーテ氏が聞き返してくる。

 

「……カリーナのことなのですが。そろそろ、彼女の立場を考え直しても良い時期が来ているのではないかと思いましてね」



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第408話 義妹騎士とお風呂

「ぴゃああああっ!」

 

 私、カリーナ・ブロンダンは、渾身の力を込めて木剣を丸太に打ち付けた。時刻は、早朝。私は毎日朝晩にこの立木打ちという訓練をやっている。これは素振りなどよりもはるかに厳しい鍛錬法で、始めた当初はあっという間に剣を握れないほど手首が痛んだものだった。けれど、そんな習慣も半年以上続けば慣れるもの。私はすでに、一日一万回丸太を打っても平気なカラダになっていた。まあ、一万回も木剣を振ってたらそれだけで一日が終わっちゃうから、めったにそんなことはしないんだけど。

 

「ぴゃああああっ!」

 

 叩きすぎて砂時計みたいな形に削れた丸太に、また木剣を打ち付ける。そして残心をして、木剣を腰に戻した。これでキッチリ二千回、朝のノルマは終了。もう年末の寒い時期だというのに、全身すっかり汗まみれになっていた。全身を包むなんとも心地よい疲労感に、私は息を整えながら身をゆだねる。やっぱり朝から大声を出して体を動かすのは気持ちがいいわね。

 

「お疲れさん」

 

 そう言って声をかけてくるのは、私よりも少し早めに立木打ちを終わらせたお兄様。私と同じく全身汗まみれで、なんともいい香りを放っている。朝からスケベねぇ……。

 

「お疲れ様でした! ……あ、お兄様。実は手ぬぐいを持ってくるの忘れちゃってさ。貸してもらっていい?」

 

「またか? まったく、お前ってやつは……」

 

 お兄様はため息をつきながら、首にかけていた手ぬぐいを差し出してくる。私はお兄様の汗と匂いをタップリ吸い込んだそれを受け取り、自分の顔を拭いた。そしてこっそり深呼吸する。ああ、たまらない。最っ高!……うひひ、もちろん自前の手ぬぐいを忘れたなんてのはウソ。わざと持ってきてないだけ。

 

「ありがとう!」

 

 できればこの手ぬぐいは持って帰ってオカズにしたいところだけど、流石にそんなことはできない。内心残念がりつつ、わたしは手ぬぐいをお兄様に返した。お兄様は小さくため息をついてから、私の方をちらりと見る。

 

「……カリーナ。少しばかり大事な話がある。風呂が終わったら、執務室に来なさい」

 

「大事な話? ……うん、わかった」

 

 何やら真剣な様子でそんなことを言うお兄様に、私は頷いて見せた。なにか、マズいことでもやっちゃったかな? 覗きがバレた? いや、そんなはずは……。内心の動揺を誤魔化すため、私は顔に笑みを張り付けた。

 

「……もしかして、内緒話?」

 

「んー。まあ、そうだな」

 

 お兄様は、珍しく歯切れの悪い様子だった。少しだけ目をそらして、曖昧な答えを寄越してくる。……なんだろう、この態度。怒られたりする感じじゃなさそうだけど……。

 

「じゃ、じゃあ、お風呂の中で話す? あそこなら内緒話し放題だいだよ」

 

 なんとも変な空気なので、それを払拭すべく私は冗談を口にした。何を馬鹿なことを言ってるんだ、そうツッコまれるのを期待してのことだけど……お兄様の反応は、完全に予想外のものだった。ツッコむどころか、少しだけ考え込んでから頷いてしまったのだ。

 

「……ン、そうだな。たまには裸の付き合いというのも悪くないだろう」

 

「え、マジ……?」

 

 それから、ニ十分後。私たちは二人して湯船に漬かっていた。ここは私が普段使っている大浴場ではなくお兄様専用の小さな浴場だから、本当に近い。手を伸ばせば触れ合えるほどの距離に全裸のお兄様がいる。ヤバい。すごくヤバイ。流石に肝心なところは見えないけど、よく鍛えられた腕も胸も見放題。ヤッバ、鼻血出そう……。

 

「それで話というのはだ」

 

 真面目腐った声で、お兄様はそう言った。

 

「ハイ」

 

「実は昨夜、ロスヴィータ殿やアガーテ殿といろいろ話し合いをしたんだが」

 

「ハイ」

 

「お前が正式な騎士に任官したら……おいコラ、カリーナ。どこを見てるんだお前は。僕の目鼻口は胸にくっ付いてるのか? ええっ!?」

 

 お兄様は、怒った様子で私の顔を睨みつけた。……くそぅ、真面目に話を聞くふりしつつチラ見してたのに、やっぱりバレちゃった! こういうところ、やたら鋭いのよねぇ……。

 

「ごめんなさぁい!」

 

 いや仕方ないのよ。お兄様がスケベすぎるのがいけないのよ! ハダカのエロ男が目の前に居たら、普通の女なら真面目に話を聞くとかムリでしょ! むしろ、襲い掛かったりしない自分の理性を褒めてやりたいくらいだわ! 押し倒そうとしてもたぶんムリだけど!

 

「まったく、お前ってやつは……」

 

 お兄様は深々とため息をついた。でも、こんなことをしても本気で失望したり軽蔑したりしないってのが、本当に優しいよね。

 

「それでだ。お前はおそらく来年の春くらいには正式な騎士になれる手はずになっているんだが」

 

「ハイ」

 

 今の私の身分はあくまで騎士見習いで、正式な騎士じゃない。とはいえ私も何度か実戦に出ているし、そろそろ見習いを卒業させてもいいんじゃないか、という話になりつつあった。正式な騎士になれば専属の従者も雇えるし、お給金もかなり上がる。正直、かなり楽しみなのよね。

 

「それと同時に、ディーゼル家からの勘当が解かれることになった」

 

「……えっ!?」

 

 予想もしなかった言葉に、私は唖然とする。勘当が解かれる? え、どういうこと……?

 

「もともと、お前が勘当されたのは敵前逃亡の一件が大きい。まあ、一騎討ちの妨害も大概だが……。まあ、とにかく、敵に背中を見せるような女は、騎士にふさわしくない。そう判断されたわけだ」

 

「ハイ」

 

「だが、今のお前はもう昔の臆病なお前ではない。実戦の空気を吸い、実際に敵兵と切り結びもした。もうあんな醜態をさらすことは無いだろう」

 

「ハ、ハイ」

 

 そう言われると、ちょっと不安になる。確かに私は敵から逃げ出すようなことはしなくなったけど、それはあくまで近くにお兄様がいたから。オトコを捨てて逃げるような真似は、流石にできないからね。でも、相変わらず私はビビりのままだ。正直、変わった気はあんまりしない。

 

「というようなことをアガーテ殿に説明したところ、納得してくれてな。正式な騎士に任官されるということは、一人前の女と認められるのと同じだ。そして一人前になることができたのならば、再びディーゼル姓を名乗ることを許しても良い、とのことだ」

 

「ハ、ハイ」

 

「……なんだ、思ったより反応が悪いな。嬉しくはないのか?」

 

 小首をかしげながら、お兄様が聞いてくる。う、うん……いや、別に嬉しくない訳じゃないんだけど、うううーん。なんとも微妙な心境。ディーゼル家にまた認めてもらえるってのは、すごく喜ばしいんだけどね。でもなぁ……。

 

「いや、その……私はもう、カリーナ・ブロンダンだから……またカリーナ・フォン・ディーゼルに戻りたいかと言われると、ちょっと。……ねえ、お兄様。勘当が解かれたら、私はお兄様の妹じゃなくなっちゃうの?」

 

「……まったく可愛い奴だよ、お前は」

 

 少し笑って、お兄様は私の頭を乱暴に撫でた。

 

「なあ、カリーナ。知ってるだろ? いくら養子になっても、いちど勘当娘の烙印を押された人間は、いろいろと面倒が付きまとう。結婚相手を探すのも大変だ」

 

「う、うん……」

 

 いや、私は結婚する気はないっていうか。お兄様の愛人になる気満々って言うか……。

 

「だから、な? その……勘当が解かれたら、キチンとした結婚ができるようになるってことだ。……お前が望むのならば、僕とだって」

 

「……えっ?」

 

「なぁ、カリーナ。僕はお前が裏でアレコレ妙な策を回していたことを知っている。だから、これはこっ恥ずかしい勘違いなんかじゃないと思うんだが……養子は養子でも、嫁養子としてウチにこないか? と言ってるわけだな、ウン」

 

 顔を真っ赤にしながら、お兄様はそっぽを向く。一瞬、私はお兄様が何を言っているのかわからなかった。嫁養子? 私が!? え、え、えっ!?

 

「……申し訳ないが、お前だけの僕になることはできない。すまないが、これが僕に出来る精一杯の誠意なんだ。……それでもいいというのなら、僕を貰ってくれないか」

 

「う、うん! もちろんだよ! お兄様!」

 

 私は思わず、お兄様に抱き着いた。バシャリとお湯が跳ね上がって、周囲を濡らす。

 

「いいの? 本当にいいの?」

 

「いいよ……」

 

 顔を逸らしつつ頷くお兄様。その顔を強引に抑え込んで、私はその唇を奪った。お兄様はそれを嫌がらず、受け入れる。 ウソぉ、夢じゃないよね? いいいやったぁ!!

 

「しょ、正直にゲロるとな。これはその、いわゆる政略結婚というやつで……ディーゼル家の抱き込みを……」

 

「知らないよそんなのは!」

 

 私は大声で叫んだ。

 

「政略結婚? 何でもいいんだよそんなことは! 好きな男とくっつけるなら理由なんてどうでも良し!」

 

「みょ、妙なところで女らしいね、君は」

 

「えっへへへ。そうでも……ないよ? うへへへ……ね、ねえねえ、お兄様。正式な夫婦になれるってことはさ、いろいろやっちゃっていいワケ? ソニアとか宰相とかに気兼ねなく、ヤッちゃっていいんだよね?」

 

 お兄様の身体を抱きしめながら、私は言った。お兄様の身体は大きくて筋肉質だけど、それでも男は男。良く触ってみると、女のカラダよりも遥かに華奢だった。このどエロい身体を抱いていいと思うと、思わずヨダレが……。

 

「なんで結婚の話から一気にシモの方へ話が飛ぶんだこのエロガキがぁ!」

 

 そんなことを叫ぶお兄様だけど、私はお構いなしにお兄様の胸板に頬擦りをした。そして、肝心な部分に手を伸ばそうとし……。

 

「おっと、狼藉はそこまでだ」

 

 風呂場の戸が開け放たれる大きな音に、思わず動きを止める。そこにいたのは……仁王立ちをしたソニア!

 

「げえ、ソニア!」

 

「覗きや撮影までは許すが、お触りは流石にやりすぎだな。性根を叩きなおしてやるから来い!」

 

 鬼の形相をしたソニアによって、私は強引にお兄様から引きはがされた。ひ、ひどい……こんなのってないよ……普通に美人局(つつもたせ)じゃないの、コレ……?



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第409話 義妹騎士の決意

「うへ、うへへへへ」

 

 その夜、私は焚き火に当たりながら情けのない笑い声を漏らしていた。事情を知らないヤツに見られたら即座に衛兵を呼ばれそうなほど怪しいことをしている自覚はあったけど、抑えようったってムリ。だって、まさかお兄様とキチンと結ばれることが出来るなんて! やっぱり、愛人と正式な妻では大違いだからね。そりゃあ嬉しいに決まっている。

 

「嬉しいのは分かるがな……あまり気を緩めるのは感心しないぞ」

 

 私を抱きしめながら、ソニアが言った。……なんでお兄様じゃなくてコイツが私に抱き着いてるんだろう? 寒いのはわかるけど、いますぐチェンジしてもらいたい。いや、まあ、そもそも当のお兄様自体、この場にいないんだけどね。どこにいるかといえば、もちろん自室。今日はジルベルトさんと添い寝の日らしく、二人して寝室に入ってそれっきり。

 ……なんでよ! せっかくの機会なんだから私に代わってよ! 竜人(ドラゴニュート)ばっかりズルいよ! って、正直思うけどね。まあでも、ジルベルトさんにはお世話になってるし、なんとか自分を納得させる。これがソニアだったりしたら、たぶんキレてたけど。

 

「まあ、いいじゃないかソニア。我々だって似たようなものだったじゃないか。ハレの日くらい、浮かれたってかまわないだろう」

 

 ショウガ湯で割ったホットワインを飲みつつ、カステヘルミ様がソニアをたしなめる。私たちは今、領主屋敷の中庭の片隅に集まっていた。なんでこのクソ寒い中わざわざ外に出ているかと言えば、もちろんメンツの中にネェルが混ざっているせい。彼女はとんでもない巨体だから、屋内に入ることができないのよね。

 普段の彼女は、厩舎を改造した専用の自室で待機してる。けど、この人ってば結構寂しがりだから、一人で放置しておくのも気が咎める。そこで、ちょくちょくこうして中庭に集まってるってワケ。……初めて会った時は物凄く面食らったけど、今ではこの人もすっかり普通のお友達になってるわね。

 

「そうですよ。 念願が、叶ったのですから、羨ましくも、めでたい、話ですよ。飲んで、騒いで、祝うのが、友達という、ものです」

 

 ニコニコ顔でそんなことを言うネェルの()には、ひと家族が半月は食いつなげるような巨大な塊パン(ローフブレッド)が掴まれている。それをそのままバリムシャ食べてるんだから、とんでもない迫力だった。

 

「ネェルなんて、まだ、専属護衛止まり、ですからね。負けて、られませんよ。うふふ」

 

「そ、そうだな……ウン」

 

 ちょっと引きながら、ソニアが頷いた。自分の婚約者が多数の女から狙われていて、しかもそれを阻止する方法がないというのは……なかなか複雑でしょうねぇ。いやまあ、私も正直納得しがたい部分はあるけどさ。騒いでもどうしようもないことだから、黙ってるけど。

 とはいえ……一番大変なのはお兄様か。いったい、何人の女を相手にしなきゃいけないのやら。可哀想というか、なんというか。まあ、考えなしに誰かれ構わず誘惑しちゃったお兄様にも、多少の責任はあると思うけどさ。

 

「いやはや……しかし。ありがとうございました、カステヘルミ様。今回の件で私を推薦してくれたのは、カステヘルミ様でしょう? まったく、なんとお礼を言っていい物やら」

 

 そう言って私はカステヘルミ様に深々と頭を下げた。お兄様は、私との結婚を政略によるものだと言っていた。とはいえ、私はなかなか微妙な立場だからね。ディーゼル家のほうから勘当の解除を言い出したとはちょっと思えないし、そうなるとリースベン陣営の誰かが私を推薦してくれたとしか思えないんだけど……そういうことをしてくれそうな乗って、カステヘルミ様くらいだろうし。

 

「なに、大したことはしていないよ。実際、ディーゼル家はぜひともこちらに取り込みたい勢力だからね。そのついでに君が本懐を遂げられるというのなら、まさに一挙両得だ。狙わない手は無いだろう」

 

 ニコリと笑って、カステヘルミ様は肩をすくめる。ううーん、なんて仕え甲斐のある上司なんだろう! これがガレア王国最大の領主貴族の人心掌握術か……。

 

「おい、カリーナ。たしかにこの案を思いついたのは母上だが、アル様とアデライドを説得したのはこのわたしなんだぞ? 少しばかり、こちらにも感謝を向けるべきじゃないのか」

 

 ムッスリとした口調でそう言ったソニアが、私の頭をアゴでぐりぐりとする。

 

「え、本当ですか!?」

 

「ああ、そうだ。ただでさえ、アル様は我々や蛮族連中の相手もせねばならんのだ。これ以上、ご負担を増やすのは避けたい……。これがアデライドの考えだ。説得するのは容易ではなかったぞ」

 

「そ、それはそうでしょうが……なら、どうしてソニア様は私を認めてくださったのですか?」

 

「可愛い義妹の幸せを願わぬ姉がどこに居る……」

 

 ふいと目をそらしながら、ソニアはそう言った。私はジーンとなって、思わず身震いした。お、お姉さま……!

 

「その優しさを、実の妹たちにも向けてやればよいものを」

 

 ちょっと呆れた様子で、カステヘルミ様がボソリと呟いた。ソニアのほうは若干身を固くしながら、唇を尖らせて「あいつら全然かわいくないもん……」と呟く。

 

「それはさておきだ。カリーナ、本当に油断だけはするなよ。我々の状況は、決して楽観できるものではない。ガレア王室からの疑念もいまだ鎮火したとは言い難いし、貴様の実家のほうも今にも火の手が上がりそうな気配だ。来年も、平和な年にはならない可能性が高い……」

 

「王室はよくわかんないですけど、ディーゼル家のほうは……たぶん一戦あるんじゃないかなって、私も思いますよ。なにしろ相手がミュリンじゃあ……」

 

 あのいけ好かないお隣さんの憎たらしいツラを思い出しながら、私はそう吐き捨てた。もちろん私も元はディーゼル家の本家筋の人間だから、あの連中とは一度ならず顔を合わせたことがある。あの貴族というよりは山賊と言った方が正しそうな連中のことだ、ディーゼル伯爵軍の戦力がかなり落ちている現状を座視するとはとても思えない。

 

「また、戦争ですか。勘弁、してほしい、ですね。いくさは嫌でございます、的な?」

 

 深々としたため息をつき、ネェルが肩をすくめる。

 

「たいていの人間はそうだ。戦争なんかしたら、人も金も物も減る。ロクなことはない」

 

「ええ。新鮮な、お肉が、いっぱい、無駄に、なりますしね。もったいない」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 私もソニアもカステヘルミ様も、しらーっとした視線をネェルに向けた。彼女はちょっと慌てた様子で、首をぶんぶんと振る。

 

「もちろん、冗談です。マンティスジョークは、お嫌い、ですか?」

 

「……ノーコメントで」

 

 ソニアは目をそらしながらそう言った。私も同感だった。ネェルはいいヤツだけど、それはそれとして冗談のセンスは最悪だと思う……。いやそもそも本当に冗談なのだろうか? 本気だったとしても、全然おどろかないんだけど。

 

「まあ、何にせよ……嫌でも、なんでも、時には、避けられぬ、モノですからね、戦いって。準備は、しておかねば。アルベールくんも、言ってましたよ。汝平和を欲さば、戦への備えをせよ、とかなんとか」

 

「ああ、当然だ。冬のうちに、リースベン軍を強化しておかねばならん。とりあえず、従来のリースベン兵と蛮族兵の合同訓練からだな……」

 

「いいですね。弱い、人たちは、集まって、連携してこそ、真価を、発揮します。訓練の、相手が、ご所望なら、ネェルに、お任せを」

 

 バカでかいパンを片手に、ネェルは鎌を掲げて見せる。……あのエルフやアリンコを弱者扱いできるのはネェルだけだよ!!

 

「たしかにお前は王軍の精鋭より恐ろしいがな……」

 

 ちょっと呆れた様子で、ソニアは肩をすくめる。ネェルが訓練の相手じゃ、どんな古強者も自信を喪失しちゃいそうね……。

 

「とりあえずは、基礎訓練からだね。彼女らと我々とでは、戦闘教義(ドクトリン)からして大きく異なっている。すり合わせが必要だ」

 

 ホットワインを飲みつつ、カステヘルミ様は軽く笑った。戦闘教義(ドクトリン)というのは、軍隊の編制や作戦の組み方に関する基礎的な考え方のことだ。これの大幅な転換が、新式軍制の大きな強みになっている……と、お兄様は言っていた。

 

「まあ、ノール辺境領と違って、こちらは温暖だ。冬の間も、訓練がしやすいのはありがたいね」

 

「そうですね。流石に外征は難しいですが、領内で演習をするぶんにはそれほど問題はありませんから。いくらでもしごけますよ」

 

 ニヤリと笑って、ソニアが私の頭に手を置いた。思わず、背中がブルリと震える。訓練中のソニアは、まるで本物の悪魔か悪鬼みたいに恐ろしいのよね……。

 

「とくにお前は重点して鍛えてやる。覚悟しておくことだ」

 

「ひぇ……お手柔らかにお願いします」

 

 私はそう言ったが、ソニアはため息をついて首を左右に振る。

 

「駄目に決まっているだろうが。来春になれば、お前も騎士だ。多くは無いとはいえ、部下を持つようになる。その前に、将校らしい振る舞いを教えておかねばならん」

 

「……」

 

 その言葉に、私は思わず黙り込む。騎士は、一人につき必ず数名の従者がついている。騎士と従者は一蓮托生だ。騎士が失敗すれば、従者も死ぬ。たしかに、これは責任重大よね……。

 

「いいか、カリーナ。部下を持つというのは、たいへんな責任が伴うものだ。ましてや、お前はアル様の義妹。軽い立場ではない。そして、責任や立場にはそれ相応の振る舞いが求められる。そうだろう?」

 

「……はい、お姉さま。ブロンダン家の者として、お兄様の義妹として、妻として……ふさわしい女としてふるまうことを誓います」

 

 私はそういってぐっと拳を握り締めた。……私は、一度は敵前逃亡をしてしまった身だ。下手をすれば、死罪になっていてもおかしくない。こんな私に再起の機会が与えられたのは、ブロンダン家やスオラハティ家、そして実家の母様や姉様のおかげだ。この期待と信頼を裏切るわけにはいかない。

 

「よし、よく言った。それでこそ私とアル様の妹だ」

 

 そう言って、ソニアは私の頭をぐりぐりと撫でた。……この人をお姉さまって呼ぶのも、悪くはないな。うん、全然悪くない。へへ……。



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第五章 第三次ガレア・オルト大戦
第410話 くっころ男騎士と春


 南国リースベンの冬は短い。山積した仕事を処理することに熱中していたら、あっというまに春になっていた。草木は芽吹き(まあリースベンの森に生えている樹木は常緑樹が大半だが)、虫や小動物が冬眠から目覚め始める。なんとも気持ちの良い季節がやってきた。

 

「まぁーたエルフが勝手に盗賊を討伐して街道でさらし首にしてるって?」

 

 絶好の散歩日和が続く中、僕は領主屋敷の執務室でカンヅメになっていた。リースベン各地から送られてくる報告書や陳情書を読んでは一喜一憂し、ヒトやらモノやらカネやらを差配する。まあ、正直……仕事の内容としては、冬頃と大差ないことをやっていた。

 とはいえ、やはり変化もある。蛮族どもの集落は一時的な冬営地から恒常的な村落へと変わり、リースベンの首都カルレラ市も街の拡張工事が進みつつある。暖かくなったことで商人の通行量も増え、景気はますます上向きになりつつあった。……景気が良すぎて、そろそろ規制が必要なんじゃないかというレベルになりつつあるがな。行き過ぎたバブル経済は却って有害なのである。

 

「またかね!? これでいったい何度目だね……」

 

 そう言って頭を抱えるのは、なんとも疲れた表情のアデライドだった。彼女はここしばらく王都とリースベンを定期的に往復し、王国宰相とリースベンの事務方トップという二足の草鞋を履いていた。正直、僕より忙しそうである。

 ちなみに、彼女と共にリースベンで避寒をしていたカステヘルミは、自分の領地であるノール辺境領に帰ってしまった。なにしろ彼女は領主で、春先は特に急がしい時期だ。自領から遠く離れたこの地でノンビリしている余裕は、もうなかったのである。冬の間幾度となく寝所を共にした彼女と離れ離れになるのは寂しかったし、仕事の上でも随分と彼女に頼ってしまっていたので、一時的なこととはいえ別れは大変に辛かった。

 おそらく、次に顔を合わせるのは領主業が落ち着き始める夏頃になるだろう。領主を娘(つまりはソニアの妹)に譲ったあとは、リースベンに移住しようかという話になっているのだが……。

 

「ダライヤくん、なんとかしたまえよ。エルフは君の管轄だろう? 街道の治安維持をしてくれるのは有難いが、報告も無しに勝手に暴れまわったあげく、人目のつく場所に大量の生首を並べられては流石に迷惑だ!」

 

「ええーっ、ワシにそんなことを言われても困るんじゃが」

 

 唇を尖らせて、アデライドの対面の席で事務仕事をしていたダライヤが文句を言う。もともと頭が良く、さらには豊富な経験のある彼女は軍事に交渉事に事務仕事にと大活躍をしており、すっかりリースベンの柱の一人となりつつあった。もちろん、本人の望んでいる穏やかな隠居生活とは程遠い激務の日々である。ちょっと可哀想だが致し方あるまい。リースベンは人手不足なのだ。

 

「君はエルフの長だろう。監督責任の義務は君にある」

 

「下手人はフェザリアの部下じゃよ。ワシは関係ないもーん」

 

「まだ詳しい捜査も始まってない事件の下手人を何故君が知っているのかね!?」

 

「……」

 

 ダライヤが無言でニヤッと笑い、アデライドは深々とため息をついた。

 

「ダライヤくんの管轄外だというのなら、アルくんの方で言ってやってくれ。エルフ連中はまったく私の言うことなど聞いてくれないからねぇ……! 腹立たしい話だ」

 

 エルフの価値観で言えば、戦場に出たことも無ければ剣術の腕もからっきしなアデライドはたいへんに雄々しい女だった。そういうわけだから、アデライドに対するエルフの評価はたいへんに厳しいものがある。当然いうことなど聞いてくれるはずもなかった。

 

「わかった、一応言っておく。一応……」

 

 本当に一応、なんだよな。エルフどもは僕の言うことは聞いてくれるが、逆に真剣に受け止めすぎるきらいがある。あまり強い言い方をすると切腹する者が出るので、たしなめる程度しかできないというのが実情だった。ほんとうに極端すぎてこまるんだよな、あいつら。そりゃあダライヤも匙を投げたがるはずだよ。喉元まで上がってきたため息を冷めた香草茶で飲み下しつつ、僕は次の報告書に目をやった。

 

「ええと……アリンコ連中が違法賭博を仕切ってるって? またか……」

 

「そちらもそちらでいったい何回目だね! あの連中には順法意識というものがないのか!」

 

「あるわけないじゃんそんなの……」

 

 蛮族連中がそんなお行儀のよい奴らだったら、僕はこんなに苦労していないのである。ため息をつき、詳しく捜査するように衛兵隊へと命令書を出す。その衛兵隊からは『完全に業務がパンク状態なので人員と予算を追加で都合してくれ』という悲鳴のような報告書が上がってきていた。まったく、難儀なものである。

 

「はあ、まったくあの連中は……ゲッ」

 

 頭を抱えつつゴソゴソと何かをやっていたアデライドだが、突然奇妙な声を上げる。そちらに目を向けてみれば、彼女は一通の手紙を手に嫌悪の表情を浮かべていた。

 

「クロウン傭兵団のクロウン氏からお手紙が来ているよ、アルくん。はぁ、あいつも懲りないねぇ……人の夫に妙な手紙を送りつけてくるんじゃあないよ。読まずに焼き捨ててやろうか」

 

「ハハハ、また彼奴(きゃつ)の手紙か。今回は一体どんな美辞麗句が並んでおるやら楽しみじゃのぅ」

 

 苦々しい様子のアデライドとは反対に、ダライヤは愉快そうな表情だ。……クロウン氏といえば、もちろんあの神聖帝国先代皇帝、アーちゃんことアレクシアだった。彼女は定期的に、僕にラブレターめいた手紙を送りつけてくるのである。

 

「読もうか?」

 

 まあ、一応は貴人からの手紙だ。無視するわけにもいかん。僕がアデライドのほうに手を伸ばすと、彼女は首を左右に振った。

 

「だめだめ、こんな汚らわしいものをアルくんの目に触れさせるわけにはいかん。私が読もう」

 

 そう言って彼女は、ナイフで封筒を開けた。すると、中からいくつかの金貨がこぼれ落ちてくる。

 

「飽きもせずにまた金貨を同封か。ヤツは男の心をカネで買えるなどと勘違いしているのではないかね?」

 

「オヌシにだけはそんなことは言われたくないじゃろうなぁ、クロウン何某も」

 

「キミはいちいち一言多いねぇ……アルくん、一応聞いておくがこのカネはどうする?」

 

「前と一緒の処理で」

 

「じゃあ、またニコラウス・ヴァルツァーくんに送り返すんだな。はぁ、なんて不毛なカネのやり取りなんだ……」

 

 アーちゃんは毎度のように手紙に金貨を仕込んでくるが、よその国の偉い人からカネを貰うのは大変にマズいからな。もちろん、僕は一度としてその金に手を付けたことは無かった。代わりに、そのアーちゃんの部下であり、男権拡大運動の活動家でもあるニコラウス君にその金を送り付けているのだ。

 正直僕としては男権拡大運動などには大して興味は無いのだが、敵国の潜在的な不穏分子をコッソリと援助するのはこちらの国益にもかなうからな。扱いに困る微妙な金の使い道としては、まあ悪くは無かろう。

 

「まあ、いいじゃないか。所詮はあぶく銭だし」

 

「まあ、確かにそうだが……。ええと、なになに。うわあ、気持ちの悪い前口上だな。よく見たらこれコレ、流行りのロマンス小説の主人公のセリフ、ほぼ丸写しじゃないか。口説き文句としても及第点未満だぞ、こんなの。口説き文句くらい自分で考えるべきだろうに」

 

「アーちゃんロマンス小説とか読むの……」

 

 あの背も高ければ胸もデカい獅子獣人美女の顔を思い出しながら、僕は苦笑した。

 

「まあ、前口上は読み飛ばしていいよ。問題はズューデンベルグの方だけど……仲裁の件について、何か書いてある?」

 

 冬から引き続き、ディーゼル家の治めるズューデンベルグ領ではきな臭い空気が漂っている。国外の領主である僕たちが直接ズューデンベルグに介入するのは避けたいため、皇帝家による仲裁ができないかアーちゃんに問い合わせをしていたのだが……。

 

「駄目だな。『内戦を避けたいのはこちらとしても山々なのですが、貴国と違い我が国の皇帝と諸侯の関係は主君と臣下ではなく盟主と同盟者に過ぎません。地方領主同士の紛争に対し、皇帝がこれを強引に調停することはできないのです』だ、そうだ」

 

「役に立たぬ皇帝じゃのぅ。お飾り程度の権能しか持っておらんではないか」

 

 新エルフェニア皇帝ダライヤ・リンド陛下は半笑いになりながら手厳しい意見をお述べになられた。お前も大概お飾り皇帝だろうがこの野郎。

 

「うーん、困ったね。皇帝家の仲裁が期待できないとなると、選択肢が……」

 

「まあ、まだ実際に戦端が開かれたわけではないからな。歯がゆいけど、今は様子をうかがうしかないだろう。……おや」

 

 そんなことを言いながら報告書を流し読みしていた僕だったが、北の山脈に建設中の鉱山都市(といっても、まだ山村程度の規模だ)から送られてきた書類に目を止める。そこに書かれていたのは、待望の報告だった。

 

「こっちは朗報だ。試作型転炉の安定稼働に成功だってさ」

 

「転炉というと、あれか。銑鉄(せんてつ)を鋼に変えるという……」

 

 アデライドの言葉に、僕は頷く。転炉というのは溶鉱炉から供給されるドロドロに溶けた銑鉄(炭素含有量の極めて高い脆くて硬い鉄)から炭素を抜き、強靭で扱いやすい鋼へと変えるための施設だ。これがあれば、従来の方式よりも遥かに安価で大量の鋼を製造することができる。将来のリースベンの基幹産業になること間違いなしの大事業であった。

 

「そうそう、コイツがあれば鋼材が滅茶苦茶安く手に入るよ。よし、さっそく鋼鉄製野砲の試作を」

 

「何を言っているんだ君は! 大砲ならこの間やっと定数が揃ったばかりじゃないか! この上さらに新しい大砲を増やすなんて、認められるわけないだろう」

 

「あれは従来型の青銅砲だよ。鋼鉄砲なら重量と耐久性をはるかに改善することが……」

 

「大砲は大砲だろう。一緒だ、一緒」

 

 腕組みをしながらそんなことを言うアデライドは、新型砲の製造を頑として認めない構えだ。領主は僕なんだからこれくらい強行したっていいだろうと思わなくもないのだが、リースベンの財政は冬の間に完全にアデライドによって掌握されてしまった。そのため、彼女の許可なしにはビタ一文たりとも予算は降りないのである。

 

「だいたい君はねぇ、少しばかり金遣いが荒すぎるのだよ。私のことを、無限にカネが湧き出す貯金箱かか何かのように思っているのではないかね?」

 

「そ、そげなことは……」

 

 そう言って僕がふいと目を逸らした先には、ダライヤがいた。彼女はニヤリと笑い、一枚の書類を掲げて見せる。

 

「のう領主殿、蒸留所から新式蒸留器の試作がしたいから予算を寄越せと要望がはいっておるぞ」

 

「えっ、本当? もう設計が終わったのか、早いね。もちろん許可を……」

 

「君ねぇ! 蒸留器ならもう大きいのがあるじゃないか! 注意している端から無駄遣いしようとはいい度胸だな!」

 

「いや、いやいやいや。アレは単式蒸留器だから。今回のは連続式蒸留器で、前のヤツとは全然効率が違うんだよ。ただ単に酒が安く作れるというだけではなく、消毒液やら雷酸水銀の製造コストも下げる効果が……」

 

「蒸留器には違いがないだろう!? 今回ばかりは堪忍袋の緒が切れたぞ、そろそろ折檻のひとつやふたつ……」

 

 激怒したアデライドが、両手をワキワキとさせながら立ち上がった瞬間だった。タイミングよく執務室の扉がノックされ、アデライドは出鼻をくじかれた顔で席に腰を下ろし、深々とため息をつく。僕はほっと安堵しつつ、視線を出入り口へ向けた。

 

「カリーナです。ズューデンベルグから手紙が来たので、持ってまいりましたー」

 

 聞こえてきたのは、我が義妹カリーナの声だ。兄の窮地を救うとは、なんとも出来た義妹である。後で甘やかしまくってやろうと決意しつつ、僕はコホンと咳払いをした。

 

「入りなさい」

 



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第411話 くっころ男騎士と書状

 すっかりリースベンの金庫番が板についてきたアデライドに無駄遣い(ではないと個人的には思っているのだが……)を責められていた僕だったが、タイミングよくカリーナがズューデンベルグからの手紙を持ってきてくれたことで窮地を脱するチャンスを得た。口をへの字にしているアデライドをちらりとうかがってから、僕は咳払いをする。

 

「入りなさい」

 

「失礼しまーす」

 

 元気の良い声と共に、カリーナが執務室に入ってくる。その相変わらず小さな体を包んだリースベン軍制式の野戦服の襟首には、准尉を表す階級章が縫い付けられている。これは少尉の一つ下の階級で、士官に準じる役職だった。彼女は先日正式に騎士に任官されたため、軍人としても"見習い"期間を終えたのである。……まあ、少尉だの准尉だのといった階級システムは今のところリースベン軍でしか採用されていないので、対外的にはあまり意味のある地位ではないがね。

 

「ズューデンベルグからの手紙か。差出人はアリンコ傭兵団と……アガーテ殿からもか」

 

 カリーナから受け取った二通の手紙を眺めながら、僕は小さく唸る。騎士任官に伴い実家からの勘当を解かれた彼女は、ディーゼル家とのやり取りにおける窓口としての仕事もこなしていた。

 

「ほう、アリンコどもからの手紙か。あ奴らも、ズューデンベルグに馴染んできたころじゃろうが……無作法をしておらねば良いがのぅ」

 

 これ幸いと仕事の手を止めたダライヤが席から立ち上がり、僕の手元を覗き込んでくる。このロリババアは事務屋としてもかなり優秀なのだが、サボリ癖があるのが玉に瑕だった。

 

「さあてね。今のところ、それほど大きな問題は起こしていないようだが……」

 

 僕はアガーテ氏からの手紙に『至急開封のこと』などという文字が書かれていないことを確認してから、アリンコの方の手紙を開封した。中身はもちろん、私信などではない。アリンコ部隊からの報告書だ。

 

「ふーむ……」

 

「なかなか難しい顔をしているな。トラブルでもあったのか?」

 

 こちらをチラリと見て、アデライドが聞いてくる。僕は首を左右に振って、「いや……」と答えた。アリンコどもはリースベンの中ではそれなりのトラブルを起こしているが、ズューデンベルグに派遣したものたちは特別に行儀のよいものばかりだ。さらに監督官もかねてコッソリ憲兵も同行させたため、今のところ大きな問題などは起きていない。

 

「トラブルというほどのこともないけど……なんでも、ズューデンベルグ領内で野盗が大量発生したとか。アリンコ部隊もその討伐に投入されてるみたいだ」

 

「野盗か……景気の良い交易路にはかならず湧いてくるものだからね。まあ、害虫のようなものだ。……で、君がそういう顔をするとなると、普通の野盗ではないようだね?」

 

「どうにも、妙に装備や練度の良い連中が混ざっているようだ。クロスボウや板金甲冑(プレートメイル)まで持っているとなると……たんなる食い詰めた流民の集まりではないのは確実だな。盗賊行為なんかしなくとも、装備を売り払えばひと財産だ」

 

 さすがに魔装甲冑(エンチャントアーマー)や魔剣の類は今のところ確認されていないようだがね。この手の魔法の武具はたいへんに高価で、実のところ騎士であってもひと揃い持っていない者はそれなりにいる。実際、僕が使っている甲冑も母上からのお下がりだったりするしな。

 

「盗賊騎士や傭兵団の小遣い稼ぎだな」

 

 アデライドはインクで汚れた指をクルクルと回しながら言った。彼女の言う通り、野盗にも出自はいろいろとある。マトモな仕事では食っていけないような下層民たちもいれば、騎士や領主と言った本来ならば秩序側であるはずの者たちが裏稼業として盗賊をやっている場合もある。傭兵団なども、戦時以外は給料が入らないのでその間は強盗や恐喝で糊口を凌いでいる連中も多かった。

 

「……で、アルくんは、その中にミュリン伯爵の手の者が混ざっているとでも言いたいわけかね?」

 

 さすがは我が国の宰相閣下、理解が早い。僕は我が意を得たりとばかりに頷いた。

 

「僕が敵方の指揮官……ミュリン伯爵なら、そういう手を使うだろうね。盗賊に擬装した不正規部隊で、交易路を狙うんだ。治安が悪化すればとうぜん街道を通る商人の数が少なくなるからディーゼル家の儲けが減る。おまけに強奪した金品で自分の懐まで潤うってんだから、狙わない手は無い」

 

「通商破壊ってヤツだね、お兄様」

 

 ぐいと身を乗り出してそんなことを言う我が義妹に、僕は「その通り、よく覚えていたな」と頷きかえしてその頭をガシガシと撫でてやった。

 

「だとすると……我が領内にも、ミュリン伯爵の手の者が入り込んで、盗賊として活動している可能性も高いな」

 

 アデライドはそう言ってから、ダライヤのほうを恨みがましい目で睨みつける。

 

「まあ、我が領内の盗賊どもは出現し次第エルフどもが勝手に討伐してさらし首にしてしまうので、証拠の集めようがないが」

 

 通常、野党の類の討伐は困難を極めるのが普通だ。なにしろ連中の逃げ足は速く、討伐軍を差し向けてもあっという間に隠れ家に逃げ込んでしまう。そして、軍を引けばまた現れて乱暴狼藉を再開するわけだ。だいたいゴキブリのような生態である。そりゃあ根絶も難しいはずだよな。

 ところが、このリースベンに限って言えばその法則は当てはまらなかった。リースベン領は森におおわれているため、本来であれば野盗めいた連中にとっては過ごしやすい土地のはずなのだが……それが逆に罠になっているのである。そう、エルフだ。いかに経験豊かで用心深い熟練の野盗でも、森の中でエルフとかくれんぼなど自殺行為に等しいのだった。

 

「エルフには『玄関先の掃除をするときは、両隣の家のぶんまでやってやれ』というコトワザがある。人に任せず、自分から率先して周囲を綺麗にすればおのずと住みよい環境になるという意味じゃ。野盗対峙もその一環じゃよ。全く感心な連中じゃのぅ」

 

 華やかな笑顔でそんなことを言うダライヤ。そんなご近所付き合いの極意みたいな感覚で街道に生首を並べるのはやめていただきたい。

 

「はぁ……。まあ、それはさておきだ。ズューデンベルグ領内の野盗の活動が活発化しているのは、ミュリン伯爵の作戦の内だと。アルくんはそう考えているわけかね」

 

「うん、まあ……推理というよりは、邪推に近い代物だけどね。うちの領内のことならともかく、他所の領地のことだから……」

 

 とはいえ、やはり警戒レベルは揚げるべきだろう。治安の悪化の原因がミュリン伯爵でなかったとしても、やはり情勢が不安定になりつつあることにはかわりない。冬という自然休戦期間が終わったせいで、状況はいやがうえにも切迫しつつあった。

 

「ま、とりあえずそっちはさておくとして……次はアガーテ殿の手紙だな」

 

 アリンコ傭兵団の報告書は、あくまで前菜。メインディッシュはこっちだ。僕は封蝋に押された牛の頭蓋骨を象った紋章を一瞥してから、二通目の手紙を開封した。便箋を広げ、文面に目を通す。時候の挨拶に、ちょっとした近況報告。そしてズューデンベルグ領に婿入りしたブロンダン家の家臣団の縁者たちについて……。

 

「ほう」

 

 真新しい情報は無いなぁ、などと思っていると、文末に気になる一文があった。

 

「定例狩猟会のお誘い、か……」

 

 なんでも、ディーゼル家ではこの時期に縁者や友好関係にある貴族を招き、狩猟会をする慣習があるらしい。……とはいっても、これは別にディーゼル家特有の者ではない。大陸西方の貴族にとって、狩猟は当然のたしなみである。知り合い同士で集まりスコアの量や重さを競う狩猟会は、私的なものから公的なものまで頻繁に開かれていた。

 そしてこれは単にハンティングを楽しむというだけでなく、狩猟会という名目で貴族同士が集まり、情報交換をする場としての一面もある。まあ、扱いとしては前世の世界で言うところのゴルフに近いだろうか。

 

「ほう? ふむ……参加する気かね、アルくん」

 

「ん、そうだね。ハンティングも久しぶりだし……それに、上手くすればミュリン伯爵の顔も拝めるかもしれない。いかない道理はなさそうだ」

 

 そう言って、僕はニヤリと笑った。



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第412話 くっころ男騎士と作戦会議

 その日の夕方。リースベンの幹部が集まる定例会議で、僕はアガーテ氏から狩猟会に誘われたことを話した。僕としては、狩猟会にぜひとも参加したいところだったが……部下たちの意見も聞かずに独走するわけにはいかないからな。しっかりと意見のすり合わせをしなくては。

 

「なるほど、実質的な敵情視察ですね」

 

 説明をし終えた僕に開口一番そう言ったのは、ソニアだった。長年副官として働いてくれているだけあって、僕の意図などお見通しといった雰囲気である。

 

「ああ。この火種が燃え上がって、こちらが介入せざるを得ない状況になった場合……主戦場になるのはズューデンベルグ領だからな。平和なうちに一度訪れて、ある程度地理や地形を把握しておいたほうがいいだろう」

 

 ズューデンベルグ領やそのお隣のミュリン領には頻繁に鳥人による航空偵察をかけており、写真や地図も揃いつつあるが……その手の情報は、あくまで参考程度のものだからな。やはり、自分の目でしっかりと戦場(では今のところないが)を見ておくのは重要なのだ。

 

「場合によっては、地形のみならず敵方の陣容も観察できるかもしれん。ミュリン伯側としても、リースベンには興味があるだろうからな。こちらがアクションを起こせば、それなりの反応を示すはず……」

 

 できれば、敵の総大将……ミュリン伯爵とやらの顔も拝んでおきたいところなんだよな。可能かどうかはさておき。敵を知り己を知れば百戦危うからず、という言葉もある。入念な情報収集は平時においても怠るべきではない。

 

「なるほどのぅ。アルベールは、自分を餌に敵の釣りだしを狙っておるのか。相変わらず大胆じゃの」

 

 香草茶のカップを片手に、ダライヤが薄く笑う。

 

「有効ですが、危険な手ですね。場合によっては暗殺も警戒すべきでしょう。"狩猟中の事故"など珍しくはありませんし」

 

 反論めいたことを口にするのはジルベルトだった。すでに戦争状態に陥っているならまだしも、まだ一度も交戦していないような段階でいきなり僕の直接排除を狙ってくる可能性は流石に低いように思えるが……まあ、警戒するに越したことは無い。実際問題、ミュリン伯爵以外にも僕を疎ましく思っているようなヤツはそれなりにいるだろうし……。

 

「というかそもそも、アルくん本人が出席する必要はないんじゃないか? たとえば名代としてソニアを派遣するとか、そういうプランもあるわけだがね」

 

隣に座ったアデライドが、僕の脇腹をツンツンとつつきながら言う。どうやら彼女は、僕がリスクを負うのが嫌なようだ。……ううーん、ソニアに代打を任せる、か。決して悪くない案だが……今のうちに、一度くらい僕みずからズューデンベルグに行ってみたい、という気分もあるんだよな。

 

「……そういうわけにもいかない。前回の星降祭の時は、伯爵閣下本人がこのリースベンに来てくれたわけだからな。ゲスト側に回ったとたんに名代に丸投げしたりすれば、こちらがディーゼル家を軽んじているように見えるかもしれない」

 

「他の者ならともかく、ソニアであれば軽んじているとは思われないんじゃないかねぇ。なにしろあのノール辺境領のもと継承者なわけだし……」

 

 アデライドの口調は、お前の思惑などお見通しだぞと言わんばかりのものだった。むぅん、手強い……。

 

「アデライドの言う事にも一理はあるが……わたしが前に出過ぎると、アル様がまるで傀儡のように見えてしまうという弊害があるぞ。わたし個人の意見を言えば、アル様がナメられるのは我慢がならないのだが」

 

 そこへ助け舟を出してくれたのはソニアだ。彼女の言葉に、アデライドは小さく「むぅ」という声を漏らす。

 

「確かに、我々が出しゃばりすぎるのも良くないがねぇ」

 

「そうでなくとも、僕自身がズューデンベルグを訪れるのはそれなりのメリットがあるよ。それだけこちらがディーゼル家を重視していますよ、というアピールにもなるし」

 

「はぁ……。二人がそういうのならば、私一人が反対しても仕方が無いな。しかし、くれぐれも身辺には気を付けてくれよ。結婚前に夫を失うなど勘弁願いたいからねぇ」

 

「もちろん」

 

 僕は笑顔で頷いた。むろん、僕とて安全を軽視するつもりはない。ないが……専属護衛であるネェルが傍にいてくれたら、たいていの脅威は打ち払ってくれるような気はする。もちろん、毒殺等の搦め手などには注意すべきだろうが。

 

「では、主様が狩猟会にご出席なさるのは既定路線として……供のものはいかがしますか?」

 

 ジルベルトの言葉に、会議の出席者は顔を見合わせた。

 

「……我々が出しゃばりすぎるのは良くないとは言ったが、アルくんだけを前に出すのもよろしくないからねぇ。私かソニアかのどちらかが同行するのがスジだろうが……狩りをするのならば、ソニアを連れていくのが適当ではないかな」

 

「私か……」

 

 考え込んでいる様子で、ソニアは自身のアゴをゆっくりと撫でた。どうにも、アデライドの提案には乗り気ではないようだ。

 

「確かに狩猟や護衛の面を考えれば、私がアル様の傍仕えを務めるのが適当だろうが……狩りはあくまで名目だし、護衛に関してもネェルがいる。ここはむしろ、政治的な嗅覚が強いアデライドのほうが適任なのではなかろうか」

 

「わ、私かぁ!?」

 

 思いがけない返答に、アデライドは顔を引きつらせた。なんか嫌そうな反応だな……。少し考えて、その理由に思い至った。僕は宰相閣の耳元に口を近づけ、他の者に聞こえないよう声を潜めて聞いた。

 

「もしかして、狩猟自体に行きたくない感じだったりする?」

 

「う……まあ、な。弓もクロスボウも苦手だ。練習をしてみたことはあるが、まともにマトに当たったためしがない。ましてや、動き回る標的に当てるなど奇跡が起こらないかぎりムリだろう。私が狩猟会なぞに出ても、恥を掻くばかりだ……」

 

 これまた小さい声で、アデライドはそう答える。ああ、それは仕方が無いな……。公衆の面前で不得意なことをやるのは嫌だよな。僕も婚活パーティで似た経験をしたことがあるからわかるよ。ソニアの言う事にも一理あるが、ここはアデライドの意見を採用するか。

 ……それに、アデライドは貴重な事務要員。僕と彼女が揃って領地を明けたら。帰ってきたときにどれほどの仕事が積みあがっているのかわかったもんじゃない。アデライドであれば安心して領主名代を任せられるし、ここは留守番を頼むことにしようか。

 

「ソニア、そう謙遜することは無い。君だって、このところ政治向きの仕事を着実にこなしているじゃないか。それに、さっきも言ったが今回の旅行の主目的は、戦場になりそうな土地の自然視察だ。筆頭幕僚である君を留守番にまわすことはできないよ」

 

「ああ、確かにそうですね。私も、ズューデンベルグの実際の地形や街並みを見ておいた方がいいか……。では、アデライド。そちらに留守番をお願いしても大丈夫か?」

 

「ああ、任せてくれ給えよ」

 

 露骨にほっとした様子で、アデライドは頷いた。僕は内心苦笑しつつ、視線をジルベルトのほうに向ける。

 

「想定される戦場を事前に見ておいた方が良いのは、現場指揮官も同じだ。ジルベルト、君にも同行を頼みたいんだが大丈夫か?」

 

「ハッ、お任せを」

 

 厳かな表情で、ジルベルトは敬礼をした。相変わらず真面目なヤツだなぁ……。

 

「それじゃ、ワシも同行しようかのぉ。狩りなぞ百年ぶりじゃ。腕が鳴るワイ……」

 

「君も来るのか……」

 

 腕まくりをしながらそんなことを言うダライヤに、僕は思わず頬を引きつらせた。できれば、このロリババアにもリースベンに残ってもらって、山のように積みあがった執務を片付けてもらいたいところなのだが……。

 

「忘れておるようじゃがワシはオヌシの秘書ではなく新エルフェニアの頭領じゃ。つまり、オヌシの言うところの現場指揮官! 連れて行かぬ理由は無いと思うがのぉ?」

 

「都合のいい時だけ皇帝に戻りやがって」

 

 ダライヤの言う事にも一理あるが、ちょっと不安だな。だってこいつ、勝手に独走する悪癖があるし。ズューデンベルグなんかに連れて言ったら、余計な策略を廻らせかねない。……だけど、ダライヤの知恵袋が有用なのも事実なんだよなぁ……。致し方ないか

 

「ならいっそのこと、フェザリアやゼラにも同行をお願いしようか」

 

 ダライヤの抑えにまわることができる人間は少ない。フェザリアは、その数少ない例外の一人だ。ダライヤが同行するというのなら、彼女の助力も欲しい所だろ。そしてダライヤもフェザリアも誘っておいて、ゼラだけ仲間外れというのも不味いからな。蛮族三人衆は全員招集することにする。……しかし各蛮族の頭領が全員不在となると、領内の統制がすこしばかり不安だがな。その辺りの対策も、早めに考えておかねば。

 

「ン、(オイ)か。任せちょけ」

 

「現場の連中の様子も確認したいですけぇのぉ。それがええじゃろうね」

 

 それまで黙って会議の成り行きを見ていたフェザリアとゼラが、そろってニヤリと笑う。そういう訳で、ズューデンベルグへの旅行は結構な大所帯になることが確定してしまった……。



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第413話 くっころ男騎士とズューデンベルグ市

 手早く準備を整えた僕たちは、狩猟会に出席するためにお隣の領邦ズューデンベルグへと旅立った。お隣と言っても、そこは陸の孤島とも称されるクソ立地のリースベン。ズューデンベルグへたどり着くためには、深い森を越え、さらには極めて峻険な山脈を突破せねばならない。結局、僕たちがズューデンベルグ伯領の首都ズューデンベルグ市へと到着したのは、出立から四日後のことだった。

 

「ここがズューデンベルグか……」

 

 周囲を見回しながら、僕はそう呟く。小麦の産地ということもあり、ズューデンベルグには平原の国というイメージがあったのだが……その予想に反し、この街は典型的な山岳城塞都市だった。僕たちが"北の山脈"とよぶ険しい山岳地帯に寄り添うように建設され、高低差や城壁を利用して守りやすく攻めがたいように設計されている。

 立ち並ぶ家々も豊富に産出される石材を生かした石造りのものばかりで、そこらの民家ですら我が領主屋敷よりも頑丈そうに見える。なんとも武張った印象の強い街だったが、大通りを行きかう人々の数はリースベンの首都カルレラ市などよりも遥かに多い。よく発展した、立派な街だ。

 

「いい街だろう? 私の自慢だ」

 

 そう言って馬上から胸を張るのは、街の正門で僕たちを待ち構えていた領主アガーテ氏だった。僕は城伯で、彼女は伯爵。貴族の位階としては彼女の方が一段高く、迎えの者だけを寄越して自分は屋敷で待っていても許される立場なのだが……わざわざ、自ら出迎えをしてくれたのである。それだけ、こちらを重視しているということだろう。

 

「素晴らしいですね。カルレラ市も、この街をお手本に発展させたいものです」

 

 これは決してお世辞などではなかった。このところ発展いちじるしいカルレラ市だが、ズューデンベルグ市と比べれば所詮は月とスッポン。クソ田舎のひなびた集落に過ぎない。領主としては、ぜひともこの街に負けない大都市へと育て上げたいところだった。

 ……まずは通りの舗装からだな。僕はそんなことを考えながら、馬上から足元を見降ろした。僕たちの歩いている大通りは、丸石によってしっかりと鋪装されている。一方、我らがカルレラ市は街一番の大通りですら土丸出しの未舗装路だ。雨が降るたびにドロドロぐちゃぐちゃになってしまうので、不便なことこの上ない。

 

「しかし、少々意外でした。カリーナからは、ズューデンベルグは広大な麦畑の広がる土地だと聞いておりましたが……この街は、典型的な山城ですね」

 

「確かにウチは麦の大産地だがね、畑があるのは北のシュワルツァードブルクという街の周辺さ。そっちのほうは、ご想像の通り見渡す限りの大平原なんだが……なにしろこの辺りは大昔から戦乱の絶えない土地だ。そんな開けた場所に本拠地を構えていたら、あっという間に攻め落とされちまうよ」

 

 アガーテ氏の説明に、僕は納得した。……いや一応、事前にそのあたりは調べていたんだけどね。ただ、やはり所詮は部下からの報告。実物を自分の耳目で確認するのとでは、納得感が違う。たしかに、この街を攻め落とすのは尋常は無くむずかしいだろう。

 

「政治の中心はズューデンベルグ市、経済の中心がシュワルツァードブルク市。そういう風に聞いておりますね」

 

 僕の隣を固めるようにして進むソニアが、周囲を見回しながら言った。

 

「さすが、良く調べてあるな。……お望みであれば、後日シュワルツァードブルク市にも案内しよう」

 

「おお、それは是非ともお願いしたい」

 

 領主という身分だと、気軽に旅行にも行けないからな。いろいろ見聞させてくれるというのならば、こんなに嬉しいことは無い。……それに、いざ戦争となった場合、主戦場となるのはこの街ではなくシュワルツァードブルク市のほうだろうしな。

 確かに、この街は守りやすく攻めがたい。大軍に包囲されても、そう簡単に落城はしないだろう。しかし、ミュリン伯()の目的は麦畑だという話だ。こちらを無視してシュワルツァード市のほうを落としてしまえば、戦争目的は達成されてしまう。アガーテ氏もそれを理解しているから、シュワルツァード市のほうも案内すると言ってくれているのだろう。

 

「とはいえ、それはまた後で……だな。この街は、たんなる軍事都市などではないのだ。名物もたくさんある、ぜひとも楽しんでいってくれ」

 

「ほう、名物ですか」

 

「ああ。例えば、そう……アレとか」

 

 ニヤリと笑い、アガーテ氏は視線を大通りの脇へと向けた。そこにはいくつもの商店や露店が軒を連ねており、なんともにぎわっている様子だった。その中でも目立つのが、食べ物を扱う店である。つながった状態のソーセージがカーテンのように垂れ下がった店もあれば、チーズの塊を山のように積んでいる店もある。

 それらから放たれる香りは食欲を刺激することこの上なく、気を抜くと腹の虫が鳴いてしまいそうだった。正直、こういう状況でなければ即座に茹でソーセージの露天にでも立ち寄り、買い食いを楽しんでいるところだ。

 

「この街は畜産が盛んでね。とくに、その肉で作ったソーセージは絶品としかいいようがない」

 

「ほう……それは楽しみですな」

 

 農地も狭ければ牧草地にも乏しいリースベンでは肉類も貴重だ。領主である僕ですら、腹いっぱいになるまで肉を食べたのは去年の星降祭でやったバーベキュー会が最後だったりする。安くてうまい肉が食えるのなら、こんなに嬉しいことは無い。

 

「それは、それは。お味の方が、気になりますね?」

 

 そして、肉の話になれば僕よりもよほど食いつきの良い人間が、一行には混ざっていた。僕の専属護衛、ネェルである。規格外の巨体をブロンダン家の家紋入りの上着に収めた彼女は、ディーゼル家の護衛や通行人からむけられるぶしつけな視線を跳ね返しつつ肉食獣めいた目つきで周囲の店を眺めまわしている。

 僕の専属護衛としてこの旅に同行したネェルではあったが、当然ながらたいへんに目立っていた。なにしろ図体が図体なので仕方が無いが、好奇や恐怖の目で見られるのはあまり精神衛生上よろしくなかろう。……などと心配していたのだが、本人はまったくどこ吹く風。物見遊山を楽しんでいる様子だった。

 

「は、はは……興味を持ってもらえたようで何より」

 

 いかにも勇猛果敢な若武者という風情のアガーテ氏だが、そんな彼女でも流石にネェルは恐ろしく感じるらしい。思いっきり顔を引きつらせながら、震える声で答える。

 

「美味しそうな、お肉が、たくさん、あるので……じゅるり」

 

 ネェルは背筋が凍り付きそうな笑みを浮かべつつ、アガーテ氏の周囲を固めるディーゼル家の騎士たちを眺めまわした。彼女らはみな体格の良いウシ獣人ばかりで……たしかに、彼女からすれば"美味しそう"に見えるかもしれない。自分たちが捕食対象として見られていることに気付いたのだろう、騎士らはみな一瞬にして顔色を失った。

 

「そろそろ、我慢が、限界です。お行儀が、悪い、ですが、この場で、食べても、よろしい、ですか?」

 

「昼食前のオヤツか。まあ、控えめにね」

 

 とはいえ、そんな恐ろしいカマキリ虫人も、僕たちにとってはすっかり日常の一部だ。従者を呼んで銀貨を手渡し、ネェルの望みの物を買ってくるように命じる。……アガーテ氏の屋敷では饗応の準備が整っているらしいが、このカマキリ娘の食欲は無尽蔵だからな。少しくらい間食をしたって問題は無かろう。

 そうして従者が買ってきた山のようなソーセージやチーズを、ネェルはニコニコ顔で食べ始める。なかなかにお気に召す味だったらしく「うま、うま」などと声を漏らしていた。その派手で恐ろしい喰らいぶりに、遠巻きにこちらを眺めていた民衆からは恐怖の声が上がる。

 

「う、噂以上の豪胆ぶりだな、ブロンダン卿。あのような者を傍に置くとは……。」

 

 恐怖を感じているのはアガーテ氏も同じらしい。彼女はチラチラとネェルの方を見ながら、小さく息を吐いた。

 

「食われそうになった時にはチビりかけましたがね、友人になってしまえばこんなに頼りになる戦士はそうそういませんよ」

 

「く、喰われそうになった!?」

 

「ええ、まあ。……あ、別に頭からバリバリと喰われかけたわけではないですよ。腹減ったから腕一本くれって頼まれただけで……しかも御覧の通り無事に五体満足で生還できているので、それほど怖がる必要はありません」

 

「……」

 

 露骨に顔を青くしながら、アガーテ氏は僕とネェルを交互に見た。そして首を小さく左右に振り、ため息をつく。

 

「そんな相手を、自らの護衛に据えてしまうとは。私も人から恐れを知らぬ戦士だと称されたことはあるが、ブロンダン卿に比べれば所詮は匹婦にすぎんな。本物の勇士とは、貴殿のような人間のことを言うのかもしれん……」



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第414話 くっころ男騎士の昼食

 ズューデンベルグ市の中心地には、ディーゼル伯爵の居城があった。もちろんカルレラ市にある僕の屋敷のような"自称城"ではなく、城壁や尖塔を備えた石造りの立派な城である。城の正門で僕たちを出迎えたのは、ディーゼル家の家人たちだ。それも、ロスヴィータ氏やアガーテ氏の姉妹をはじめとする、本家筋の者たちである。そんな大物たちが一列になって僕たちを待っていたものだから、僕は相当に面食らった。

 どう考えても、主君をはじめとして格上の王侯をもてなす時の出迎えの仕方だ。城伯だの女爵だのといった格下貴族にこれほど丁寧な対応を取ることは、普通はあり得ない。別の貴族と勘違いしているのか、あるいはいっそ何かの罠ではないかと疑うほどの状況だった。

 

「お久しぶりです、ブロンダン卿」

 

 そういってにこやかに握手を求めてくるのは、体格の良い中年のウシ獣人だ。僕は彼女の顔に見覚えがあった。ロスヴィータ氏の妹、ルネ氏だ。彼女はリースベン戦争にも従軍しており、ロスヴィータ氏が我々の捕虜になった後は伯爵名代としてディーゼル伯爵軍の総指揮も取った。講和会議でもしばらくの間顔を突き合わせ続けたため、とうぜん僕とも顔なじみである。

 

「ほとんど一年ぶりですね、ルネ殿。ご壮健そうで何よりです」

 

「おかげさまでね」

 

 自嘲するような口調でそう言ったルネ氏は、城のほうをちらりと振り返ってから言葉を続ける。

 

「積もる話もございましょうが、それはまた後で。当家自慢の料理人が、腕によりをかけて饗応の準備をしておりますのでね」

 

「おお、それは楽しみですな」

 

 実際、僕のお腹はペコペコだった。なんともウマそうな香りの充満した大通りを通って来たので、期待もひとしおだった。いろいろと厄介な話もせねばなるまいが、まずは腹ごしらえをすることにしよう。

 

「ふーむ、ズューデンベルグは大変に豊かな土地だと聞いておりましたが……これほどとは。いやはや、感服いたしました」

 

 ルネ氏らに案内された先は、城の大ホールだった。たいへんに広く天井の高い部屋で、巨体のネェルでも体を伸ばしてくつろぐことができる。このカマキリ娘が同行してくることは事前に通知していたので、気を使ってくれたらしい。

 饗応という説明通りホール内には大テーブルが並んでおり、僕たちはそこで見事なソーセージ料理の数々と、軽くてふわふわな白パンを提供された。肉、そして白パン。どちらもリースベンではなかなかありつけないご馳走である。

 僕は香り高いソーセージと塩漬け発酵キャベツ(ザワークラウト)、そして白パンという無限にビールが飲めるコンボを楽しみつつ、アガーテ氏とルネ氏に礼を言った。もちろんこれはお世辞ではなく本音である。小麦も家畜類も、豊かな土地でなければ育たないものだ。これだけの農業・畜産基盤があれば、飢える者も少なかろう。食料事情の改善に四苦八苦している土地の領主としては、羨ましいことこの上なかった。

 

「ご満足いただけたようで何より」

 

 すこしばかりほっとした様子で、アガーテ氏が笑う。いやまあ、満足しないはずがないんだが。なにしろこちらの普段の主食は、燕麦メインのパンだかレンガだかわからないような代物だからな。食い物に頓着しない僕ですら、燕麦パンには少々辟易している。やはり、燕麦は風味付け程度に使うかオートミールとして食うのが一番だ。

 

「山一つ越えただけでこれほど豊かな土地が広がっていたとは……世界は広いものですのぉ。長命種だなんだとふんぞりかえっておりましたが、己の世間の狭さを実感いたしましたわい」

 

 アホみたいにデカいソーセージをナイフで小さく切り分けながらそんなことを言うのは、ダライヤだ。……まるで生まれてこの方ずっとリースベンに引きこもっていたような言い草だなぁ。実際の彼女は若い頃はリースベンを出て諸国漫遊をしていたという話なので、時代の差にさえ目をつぶれば僕たちなどよりよほど世間は広いはずである。そこを隠してさも田舎者のようにふるまうあたり、やはり油断のならないロリババアだ。

 

「ありがとう、エルフ殿。実のところ、庶民であっても小麦のパンが食べられるというのが我々の一番の誇りでね」

 

 そんな事情など知らぬアガーテ氏は、ニヤリと笑ってその豊満な胸を張る。おそらくだが、内心ではエルフやアリンコ連中をどうやれば抱き込めるか思案しているのではなかろうか。現在の我々とディーゼル家は蜜月といっていい親密ぶりだが、国家間に真の友人は存在しないという言葉もある。友好的だからと言って、油断するべきではないだろう。

 

「ほーお? それは素晴らしいですのぉ。飢える者がいないというのは良い国の証ですじゃ。歴代のディーゼル家の君主は、よほど名君ばかりだったと見える」

 

「ワハハ、あまり若輩者を褒めなさるな。長子に乗って道を誤ったらどうする」

 

 先祖を褒められて喜ばない貴族などいない。明らかに照れた様子で、アガーテ氏は頭を掻いた。……そして遠回しにイヤミを言われたフェザリアは、無言でダライヤの太ももをつねる。ロリババアは表情を変えずにプルプルと震えた。どうも、なかなか痛かった様子だ。

 

「しかし、良い国というのならばリースベンもなかなかのものだ。家臣団にこれほど様々な種族が入っている貴族家を、私は見たことがない。血縁や種族主義なしに国をまとめ上げるというのは、尋常な手管ではないだろう」

 

 そう言ってアガーテ氏は僕たちを見回した。実際、ウシ獣人ばかりのディーゼル家の面々と違い、こちらの面子はなかなか個性的だった。まあ、リースベンにもともと住んでいた種族の地豪たちがそのまま幹部級になっているのだから、当然と言えば当然なのだが。

 

「世間知らずと言えば私も大概でね。エルフはもちろん、虫人の方々と会うのもリースベンから来たアリ虫人の傭兵団が初めてだったよ。なかなか……その、個性的な面々でね。日々驚かされてばかりだ」

 

 奥歯にものが挟まったような言い方だな。どうにもアガーテ氏は、アリンコ傭兵団の扱いに少々苦労している様子である。……まあ、そりゃそうだろうなあ。あいつら、毎日のようにトラブルを引き起こすし。

 

「傭兵団ですか。連中、大人しゅうしとりますかね? 何ぶんワシらは田舎の乱暴者じゃけぇ、ご迷惑をかけてなけりゃあええんじゃが」

 

 僕と同じことを考えたらしく、アリンコ衆の責任者であるゼラが眉を跳ね上げながら聞いた。一応、アリンコ傭兵団はグンタイアリ虫人の中でも特に行儀のよいものを選別して編制してあるのだが……文化の差などもあるからなぁ。

 

「ああ、彼女らは良く働いてくれているよ。……働きぶりは素晴らしいのだが。ただ、その……露店で怪しげなものを売ったり、賭博の胴元をはじめたりというのは……ちょっと……うん……」

 

「おお、そりゃよかった。あいつら、一応真面目に働いとるようじゃのぉ。安心しましたわ」

 

 ほっと胸を撫でおろすゼラだが、怪しい商売をしたり博打の胴元をやったりするのは真面目に働いているカウントでよいのだろうか? 僕と同じことを思ったらしいルネ氏は、頬を引きつらせながらゼラを見た。……いや、すいませんね。後でよく言い聞かせておきますんで……。まあ、言い聞かせても大した効果は無い気がするけど。

 

「まあそれはさておき、ズューデンベルグは本当に豊かな国ですね。食べ物もそうですし……人も多くてにぎやかだ。僕はガレアの王都の出身ですが、ここは我が故郷に勝るとも劣らない素晴らしい街です」

 

 ……というのは流石に謙遜だが、ズューデンベルグ市が田舎町にしては発展しているというのは事実だ。人口も多いし、街並みも美しい。初対面のカリーナがだいぶ調子に乗っていたのも、自分はこの大領邦の領主の娘だぞという自負があったからだろう。

 

「ああ、おかげさまでね。そちらとの交易で、うちはボロ儲けができてる。リースベン戦争で被った損失も、おおむね穴埋めが終わったしな。それもこれも、そちらが寛大な条件で講和してくれたからだ。感謝してもしきれないね」

 

「なぁに、儲けているのはお互い様ですから。ハハハ」

 

 僕はそう笑って、ビールを一気飲みした。普段飲んでいる燕麦ビールではなく、きちんとした大麦のビールだ。氷室にでも入れていたのかキンキンに冷えており、大変に美味しい。

 

「確かになぁ、ハッハッハ! 我らの栄光ある未来に乾杯!

 

 アガーテ氏は赤ら顔に笑みを浮かべながらジョッキを高々と掲げて見せた。当然、僕もそれに応じる。……しかしディーゼル家は親子そろって呑兵衛だな。まあ、僕としてはそういう手合いの方が付き合いやすくていいが。

 

「……しかし、だ。我々の繁栄にケチを付けたい奴もいるようでな。困ったもんだよ」

 

 しかし、腐っても相手は大領邦の領主。酒を浴びるように飲んでいても、本題は忘れない。陽気な顔から一転、深刻な調子でアガーテ氏はため息をつく。

 

「ミュリン伯……ですね?」

 

「ああ。あの血に飢えた狼。卑劣で執念深いババアさ……」

 

 僕はチラリと、我が家のロリババアを一瞥した。ちょうどソーセージを頬張っていた彼女は真っ赤な顔で首をブンブンと左右に振るのだった。



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第415話 くっころ男騎士と撒き餌

「ああ。あの血に飢えた狼。卑劣で執念深いババアさ……」

 

 アガーテ氏はひどく憎々しげな声でそう呟いた。彼女が罵倒した相手はミュリン伯。一連の騒動で幾度となく耳にした名前の貴族である。僕はジョッキのビールをチビチビと飲みながら、思案する。ミュリン伯についての調査は進めているが、分かっていることはそう多くない。この機会を利用して、彼女の情報を出来るだけ集めておくべきだろう。

 

「今さらですが、ミュリン伯とその周辺について詳しく教えてもらってよろしいでしょうか? なにしろ我々はよそ者、付け焼刃ていどの知識しかありませんので……」

 

「もちろんだ」

 

 頷いてから、アガーテ氏は塩漬け発酵キャベツ(ザワークラウト)を巻きつけた太いソーセージに豪快にかぶりついた。相変わらず、貴種とは思えぬ豪快な所作である。まあ、田舎の地方領主なんてのはだいたいこんな感じだが。

 

「今のミュリン伯は、イルメンガルド・フォン・ミュリンというオオカミ獣人の女さ。もう七十歳を超えたババアでな、本来ならとうに隠居してるような年齢だが……敵ながらなかなかの傑物で、当主の座に居座ってる」

 

「なにやら親近感を覚える経歴ですのぉ」

 

 ニヤッと笑うダライヤの脇腹を、僕は人差し指で突いた。アンタが出てくると話がややこしくなるから今は黙ってなさい。

 

「娘の方は?」

 

 などと聞くのはソニアだ。確かに、七十歳ともなるといかに強靭な亜人とはいえ前線に立つのは難しかろう。万一戦争になった場合、前線で実際に相対するのはその娘や孫である可能性が高い。

 

「良く言って凡骨、という感じだ。さっさとこいつに当主の座を譲ってしまっていたら、話は楽だったんだが」

 

「ふぅむ……」

 

 後継者に恵まれなかった、という訳か。それこそ、ロリババアと同じような状況にあるわけだな。

 

「娘や孫の方は、まあそこまで恐れる必要もない。私も何度か顔を合わせたことがあるがね、馬鹿とは言わんがせいぜい山賊団の頭領程度の器量だ。……つまり、私らと大差ないってことだが」

 

 皮肉げに笑い、アガーテ氏は僕たちにしか聞こえないような声で小さく付け足した。なかなか厳しい自己評価だな。これまでの立ち振る舞いを見るに、彼女にズューデンベルグの領主としての器がないとは思えないのだが。

 

「しかし、ババアのほうはなかなかに厄介だ。もともとの地頭がいい上に、そこに長年の経験まで加わっている。陰謀めいた寝技から正面決戦まで、柔軟に動ける女さ」

 

「なるほど、確かにババアは厄介ですね」

 

 僕は我が家のロリババアをチラリと見ながら言った。彼女は小さく頬を膨らませ、子フグのような顔になる。

 

「七十ならまだまだ若造(にせ)じゃ。恐るっに足らん」

 

 腕組みをしながらそんなことを言うのはフェザリアだ。……ロリババアの陰に隠れがちだが、彼女もすでに数百歳だからなあ。まあ、七十歳は小童としか思えないだろうね。でもそれを口に出すのはどうかと思う。

 ……などと考えていたら、夢中でソーセージを食べていたハズのネェルがフェザリアの肩をチョンチョンと叩き、口の前で鎌を立てて「シーッ」と小さく言った。エルフ皇女様はこれまたプクッと頬を膨らませつつも、小さく頷く。エルフには不満を覚えるとフグみたいになる習性でもあるのだろうか?

 

「それに加え、ミュリン領自体の国力も油断ならん。こちらの領地は山際だが、向こうは完全な平野部だ。畑が広い分麦の収穫量も多く、資金力も兵力も我が国をやや上回っている。こちらはそのぶん、精鋭の比率を多くすることで対抗してたんだが……その精鋭は、もういないからな」

 

 そう語るアガーテ氏の表情は、やや恨みがましい様子だった。ま、こればっかりは仕方ないね。ディーゼル家の精鋭部隊を壊滅させたのは僕だし。でも、あれはあくまで防衛戦争だったので最終的な責任はそっちにあると思う。……本人もそれがわかっているから、それ以上言わないんだろうけど。

 まー、何にせよだ。この発言は、要するにもしミュリン伯が戦争をおっぱじめた場合、ディーゼル家独力で対処するのは難しいと暗に認めているということだ。当然と言えば当然だろうな。独力で何とかできるなら、これほどリースベン側にベッタリとくっつく必要はないし。

 うーむ、しかしこっちとしても気軽に「オウ任せとけ!」と言ってやるわけにもいかないんだよな。ディーゼル家がガレア王国の貴族ならば話が早いんだが、実際は歴史的な宿敵とも呼べるような国家(と呼んでいいのかも怪しい諸領邦同盟)、神聖帝国の領主なわけだし。下手に介入すると、むしろリースベン側からの侵攻と受け取られて皇帝家が出てくる可能性がある。

 

「とはいえ、ミュリン伯側も我々がディーゼル家のバックについていることは理解しているハズ。交易路に嫌がらせ攻撃を仕掛ける程度ならまだしも、全軍を出撃させて正面決戦を狙ってくるような真似をしてくるでしょうか?」

 

 ソニアの指摘に、僕は頷いた。アガーテ氏の話では、ミュリン伯本人はなかなかの人物である様子だ。酸いも甘いもかみ分けた熟練の武人が、あえて博打めいた戦争をしかけてくるだろうか? ミュリン伯とて、リースベン戦争の顛末は知っているはず。あえて同じわだちを踏みに来るとは思えないんだが……。

 

「さあてね、それはわからん。ただ、ミュリン伯家とウチは因縁の相手だ。あの連中とのいくさでウチの親類は何人も戦死している。私の婆様だってその一人だ。連中を滅ぼすチャンスが目の前に転がってきたら、少々危なくとも飛びつくだろうな。……そしてそれは、向こうも全く同じことだろうさ」

 

「因縁の宿敵、というわけですな。厄介な」

 

 地豪同士の因縁というのは、かなりシャレにならないんだよな。百年とか二百年とかいう単位で殺し合いを続けていたら、そりゃあ恨みを忘れるなんてムリだろう。むーん、厄介な……。正直、関わりたくないなぁ。領地に籠って内政してるほうがよっぽど楽しいよ。でも、そういうわけにはいかんのだよな。ズューデンベルグはリースベンの弁当箱だ。因縁の相手だろうが何だろうが、奪われるわけにはいかん。

 ……とはいえ、話が確かならミュリン伯はそれなりに頭の回る人物のようだ。実際に話し合ってみれば、意外となんとかなる可能性も無くはない。七十になるまで前線に立ち続けた武人であれば、無意味な殺し合いの馬鹿らしさも知っていることだろうし。

 

「とはいえこういう場合は、僕のような無関係なよそ者が間に入った方が、却って落ち着いて話ができるかもしれません。やはり、ミュリン伯とは一度直接顔を合わせておきたいところですね。……まあ、そのためにわざわざこれだけのメンツを引き連れてズューデンベルグにやってきたわけですが」

 

 僕はそういって、自分の配下たちを見回した。この場には、リースベンの幹部陣がほぼ勢ぞろいしている。そしてその情報は、意図的に周囲へ漏らしていた。いわば、撒き餌だ。

 

「これだけの餌を並べたわけですから、ミュリン伯も無視はできんでしょう。なんなら、狩猟会をご一緒できるやもしれませんな」

 

「アイツがウチの狩猟会に、か」

 

 露骨に嫌そうな顔をして、アガーテ氏は目を逸らした。ミュリン家そのものを憎んでいる、という彼女の言葉はどうやら嘘ではない様子だった。

 

「……こんな見え透いた罠に引っかかるかね? ミュリン伯は」

 

 懸念というよりは願望に近いその口調に、僕は意識して自分の顔に獰猛な笑みを張り付けた。……気分はわかるがね、まあ我慢してほしい。こっちだって慈善事業でディーゼル家に協力しているのではない訳だし。

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず。罠とわかってもいてなお踏み込む程度の勇気もない手合いであれば、それこそ恐れるに足りませんよ」

 

 実際、ここでビビッてイモを引くような相手ならば、却って話は簡単になる。ディーゼル家への干渉を強め、露骨に守りを固める姿勢を見せれば良いのだ。それだけで、向こうは直接的に手を出せなくなってしまうだろう。

 つまりは、ここが一つの分水嶺。ミュリン伯は、一体どういう手を使ってくるだろうか。選択肢は三つ。無視をするか、狩猟会に出席して僕のツラを見に来るか、あるいはいきなり武力を行使してこちらの一網打尽を狙うか……。

 

「……」

 

 最悪なのは三つ目の選択肢だが、こちらにはソニアとネェルがいる。まあ、何とかなるだろう。そう思いながら、僕はビールでソーセージを喉奥に流し込んだ。



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第416話 義妹嫁騎士と隣国領主

 私、カリーナ・ブロンダンは少しばかり緊張していた。夕食の後、長姉であるアガーテ姉さまに呼び出されたからだ。久しぶりの里帰りで浮ついていた私だけど、これには冷水をぶっかけられた気分になった。知らないうちに何かをやらかしていて叱られるんじゃないか、とか。あるいはリースベン軍の機密を探ってこいと命じられる、とか。嫌な想像が頭の中を駆け巡る。

 

「よく来たな」

 

 アガーテ姉さまは、穏やかな声で私を出迎えた。私がやってきたのは、ズューデンベルグ城の最奥部にある姉さまの居室、かつては母様の部屋だった場所だ。領主の寝室だけあって、置かれている調度品は一流のものばかり。でも、それらの品々は、母様がこの部屋の主だった頃から一切変わっていない。アガーテ姉さまはどうやら、模様替えの類は全くやっていないようだった。

 

「う、うん。こんばんは、姉さま」

 

 私はそう挨拶してから、姉さまに勧められるまま椅子に腰を下ろした。……はあ、やだなぁ。気が重いなぁ。今頃、お兄様はソニアお姉様と添い寝してるんだろうなぁ。うらやましいなぁ。そっちに混ざりたいなぁ……。

 

「お前ももう十五歳(成人)か、早いものだな。……お前も大人になったんだ、一杯飲むか?」

 

 そんなこちらの心情を知ってか知らずか、アガーテ姉さまは穏やかにほほ笑みながらワインのボトルを私に見せてきた。けれどわたしは、首を左右に振る。大人になったんだから、ちょっとくらい良いでしょ、とも思うんだけど……。こういう時、私みたいな若輩者が勧められるがままお酒を飲んだら、だいたいマズイことになるのよね。私も今やブロンダン家の娘、実の姉相手とはいえ油断をするわけにはいかない。

 ……これはほんの先日の話だけど、私はアデライドお姉様とダライヤおばあちゃんから、"悪い大人のやり口"を実演で説明されたのよね。二人によって言葉巧みにお酒を飲まされまくった私は、酔い潰された挙句ゴミを高値で売りつけられそうになった。アレはあくまで"実演"だったから、お金も失わず単に二日酔いになるだけで済んだけど……まあ、お酒の怖さはしっかり理解できたからね。お兄様みたいにカパカパ飲むような真似はとてもできない。

 

「お堅いことを言うんだな。まあいいや」

 

 肩をすくめつつ、アガーテ姉さまは自分の酒杯にお酒を注ぐ。そして、召使いを呼んで豆茶を持ってくるように命じた。すでに準備されていたようで、数分後には黒々とした豆茶が私の前に差し出されてくる。召使いが部屋から出ていったあと、私はカップにミルクを注ぎながら姉さまの方をちらりとうかがった。

 

「そんなに警戒するなよ、姉妹だろ? ……少し見ないうちに、お前も成長したもんだな。少し前だったら、平気で気を緩めてただろうに。少しばかり寂しいが、まあ貴族としてはその態度は間違っちゃいない。ブロンダン卿からは、なかなか良い教育を受けているようだな」

 

「……うん、そうだね。お兄様もみんなも、私を大切にしてくれてるよ」

 

 なんとかお兄様の愛人になれないものかとあがいていたら、気付けば婚約者の一人になっていた自分の身の上を思い出しつつ、私は小さく頷いた。苦手だったソニアお姉様やアデライドお姉様とも、この頃はすっかり打ち解けつつある。いつもの"添い寝"にお邪魔することも、珍しくはなくなっていた。

 

「フゥン、そうか。……不自由をしてるなら相談してくれと言うつもりだったが、その様子じゃ無用の心配だったようだな」

 

「う、うん。全然大丈夫だよ。最近、充実してるし。いちおう、騎士にもなれたし……」

 

 ほんの少し前にあったばかりの誕生日を思い出しつつ、私は頷いた。あの日、私は晴れて騎士見習いから正規の騎士へと昇格することができた。まあ、ガレアでは本来、"幼年騎士団"なる組織を卒業しないと騎士位は与えられないので、いささかズルをしてるような気分にはなったけどね。でも、今さら十歳くらいの子供たちに混ざって訓練するわけにもいかないから、仕方が無い。

 

「めでたいことだ。お前が勘当になった時には、どうなる事かと心配してたもんだが……取り越し苦労だったな」

 

 そう言ってから、アガーテ姉さまは酒杯のワインをごくごくと飲み、ふぅと息を吐いた。私は所在なく小さなテーブルの上に視線をさ迷わせつつ、黒茶のカップを指でなぞる。

 

「……だからそんなに警戒すんなって。別に、厄介な用件があってお前を呼び出したんじゃないんだから」

 

 アガーテ姉さまは苦笑しつつ、ため息を吐いた。そして私の方をチラリと見る。

 

「お説教をしようとか、スパイをさせようとか、そんなことは思っちゃいねえよ。安心しな」

 

「そ、そうなの?」

 

「当たり前だろうが」

 

 ため息をついてから、姉さまはワインを飲みほした。空になった酒杯に、姉様は手酌でワインを注ぎ入れる。

 

「お前、スパイとか絶対向いてないじゃないか。不向きなことをムリヤリやらせて、挙句ブロンダン家との関係が壊れちゃあ目も当てられねぇ。そうだろ?」

 

「……そりゃそうか」

 

 私は深々と息を吐きだした。少しばかり、肩の荷が下りたような気分になった。

 

「今回お前を呼び出したのはな、礼を言うためだよ」

 

「……礼?」

 

 はて、私はアガーテ姉さまにお礼を言われるようなことをしただろうか? 思わず首をかしげる私を見て、姉様は小さく笑う。

 

「お前は気付いてないようだが、私はお前に大恩がある。……お袋の一騎討ちの一件だよ。冷静に考えてもみろ、お前があそこでお袋を庇ってなけりゃ、私は親の仇と笑顔で仲良しゴッコをしなけりゃいけなくなってたんだ。本当に危ない所だった……」

 

「あ、ああー」

 

 そう言われて、やっと得心がいく。私がディーゼル家を勘当されるキッカケとなった出来事だった。リースベン戦争の終盤、ロスヴィータ母様はお兄様と一騎討ちをした。そして母様は破れ、お兄様がとどめを刺そうとした瞬間……私はお兄様に突撃を仕掛けた。当たり前だけど、騎士にとって一騎討ちとは神聖なものだ。それの邪魔をするなんてとんでもない不名誉で、騎士失格と言われても仕方のない行為だった。

 

「もはや、ディーゼル家はブロンダン家の庇護なしではやっていけない立場だ。お袋がどうなろうが、私はブロンダン卿と笑顔で握手をするほかない。けど、私だって人間だ。憎しみを捨て去るなんてできない……」

 

「……うん」

 

 それは、私だって同じだ。もしあそこでロスヴィータ母様が殺されていたら、私はお兄様と今のような関係になることはできなかっただろう。その結果実家から勘当されることにはなったけど、それでも私は一騎討ちに乱入したことは後悔していなかった。……まあ結局、その勘当も先日解除されたんだけどね。

 

「今のように、ブロンダン卿と隔意なく付き合えるのはお前のおかげだ。いくら感謝してもしきれねぇ。ありがとう、カリーナ」

 

 アガーテ姉さまは深々と頭を下げた。私は思わず止めようとしたけれど、ぐっと堪える。今や、アガーテ姉さまはズューデンベルグの頭領だ。そんな女が、非公式の場とはいえ頭を下げている。並みの覚悟じゃないわよね。それを止めるのは、むしろ失礼にあたる。

 

「……ふ、本当に成長したなぁ、カリーナ」

 

 頭を上げた姉様は、ニヤリと笑ってそう言った。私は気恥ずかしくなって、ふいと目を逸らす。

 

「実のところな……隔意なくっていうのは、半分嘘だ。別に、ブロンダン卿のことを恨んでいるとか、憎んでるとかいうわけじゃないけどな。ただ……私は、あの人がちょっと怖い。割とマジでな」

 

「え、怖い? どこが……?」

 

 いや、確かに戦場に居るときのお兄様はちょっと怖いけどね。けど、普段のお兄様は優しくて甘い男らしい人だし。怖い所なんて全然ない。

 

「いや、普通に怖いだろ。だってよぉ、あいつの傍にいる人間を見てみろ。大国・ガレアで一番の騎士と称される女に、化け物みてぇなカマキリ女。他にも一筋縄ではいかなそうな連中が揃ってやがる」

 

 眉間にしわを寄せながら、アガーテ姉さまは深刻そうな声で語る。

 

「……それなのに、あいつらを見れば一目で理解できる。ああ、あの集団の長はブロンダン卿だ……とな。そういう貫禄があの男にはある。覇王の資質だよ、あれは」

 

「言われてみれば、確かにそうかも」

 

 お兄様には、独特の存在感がある。冷静に考えれば、ソニア・スオラハティなんて人間は雲の上の存在だ。血筋に恵まれ、武人として類まれなる才覚を持っている。本来ならば、大領邦ノール辺境領を継ぐはずだった女。そんなソニアが、従者のように一人の男に侍っている。にもかかわらず、見ているこちらは一切の違和感を覚えない。そういうものだと納得してしまう。……確かに、よく考えてみればこれは凄まじい事だ。

 

「今さらだから言えることだが、リースベンとの戦争をおっぱじめる前にあの男と会っておきたかったよ。そうすりゃ、どんな手を使ってでもお袋を止めたものを」

 

 憎々しげな様子で、アガーテ姉さまはため息をついた。私は何も言えなくなって、豆茶をチビチビと飲む。

 

「アレと喧嘩したのが運の尽きさ。……戦争ではなく、同盟を選べていたらなぁ。私の代で、ミュリンの一族を滅ぼすことだってできてたはずだ。ところが現実はどうだ? ディーゼル家自慢の重装騎兵隊は、私が継承する前にほぼ壊滅。ミュリンの奴らが調子に乗ってるてぇのに、私はブロンダン卿に頭を下げて何とかしてもらうよう頼むことしかできないんだ。クソッタレめ……」

 

 アガーテ姉さまは酒杯のワインを一気に飲み干し、そして今度は手酌すらせずにワインボトルを直接ラッパ飲みした。

 

「おい、カリーナ。一つだけ気に留めておけ。私はディーゼルで、お前はブロンダンだ。きっと、私の娘よりお前の娘の方が立場が上になる。本家の奴らは死ぬほどやっかむぜ。私がディーゼル家のうるさい連中を押さえておくから、その間にお前はブロンダン家の方で立場を固めるんだ」

 

 予想もしていなかったその言葉に、私は絶句するしかない。そんな私を見ながら、アガーテ姉さまはまたワインをラッパ飲みした。そして、酒精で濁った眼で私を見据えるのだ……。

 

「そうすりゃ、きっとお前は歴代のズューデンベルグ伯よりも余程偉大な女になれるはずだぜ? なにしろ、あのブロンダン卿の嫁だからな。チャンスを逃すな、カリーナ。私を踏み台にしたって構わない、成功を掴むんだ。お前にはその権利がある……!」

 



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第417話 くっころ男騎士と老狼騎士

 二日後。ズューデンベルグ市郊外に広がる森で、いよいよ狩猟会が始まった。主催者のディーゼル家は神聖帝国南部の顔役の一つにも数えられる名家であり、狩猟会自体も三代前から定期的に開催されているという伝統あるものだ。周辺諸邦からは、少なくない数の参加者が集まっていた。

 

「こちらは、ヴァレンシュタイン伯爵の姪に当たられます、ポラーク子爵殿です。ポラーク子爵、こちらはリースベン城伯のアルベール・ブロンダン殿」

 

「お初にお目にかかります、城伯閣下。ヴァレンシュタイン伯家で禄を食んでおります、ポラーク・フォン・ヴァレンシュタインと申します。以後お見知りおきを」

 

「ご丁寧にありがとうございます、ポラーク子爵殿。こちらこそよろしくお願いします」

 

 ルネ氏に紹介され、にこやかな表情で一礼するキツネ獣人貴族と僕は握手を交わした。狩猟会に先立ち、森の手前に設営された待機所では集まってきた貴族たちの挨拶会が開かれていた。もちろんディーゼル家は神聖帝国に属する領主なので、当然招待された貴族たちも神聖帝国側の者ばかり。ガレア貴族である僕としては完全にアウェイの環境ではあるのだが、針の筵に晒されているかといえばそうでもなかった。

 露骨に嫌味を言って来たり、あるいは侮ったような態度を取ってくるような者は、ほとんどいない。どうやら、僕がリースベン戦争でディーゼル家に打ち勝ったという部分が大きいようだ。なにしろここに集まった貴族の大半が、このズューデンベルグの近所に領地を持つ貴族やその縁者だ。いざ戦争ともなれば、僕と矛を交える機会もあるかもしれない。ヘタに舐めた態度を取って恨みを買うような真似は避けたいのだろう。

 

「これはこれは、ブロンダン卿! 一目お会いしたいと思っておりました。噂通り……いや、噂以上にお美しい。……ああ、申し遅れました。それがしはヒンデミット騎士領を治めております、騎士ヴィクトーリア・フォン・ヒンデミットであります」

 

 ポラーク子爵との挨拶が終わったと思えば、即座に新手が現れる。今度はクマ獣人の騎士だ。挨拶者は彼女で十五人目。会は始まったばかりだというのにこの数字だ、忙しいことこの上ない。いちいち対応せねばならない僕も、そして仲介者として僕たちに同行してくれているルネ氏も大忙しだった。

 いやほんと、ここまで僕に会いに来る人が多いとは思わなかったよ。露骨に排斥されるような真似は流石に無いにしても、村八分状態くらいにはなるんじゃないかと思ってたんだけどな。蓋を開けてみれば大盛況だ。なんなら、わざわざ手土産まで持ってきてくれる人も少なくないのだから驚きだった。

 

「そちらは、ソニア・スオラハティ殿ですな。貴女の噂も耳にしております。なんでも、王国で一番の剣士だとか。お会いできて光栄であります」

 

「まだまだ修行中の身だ。あまりおだてないでいただきたい、ヒンデミット卿。わたしのような若造が調子に乗ったら、あっという間に身を持ち崩してしまうからな」

 

 大人気なのは、ソニアも同じだった。というか、何ならまとわりついてくる人数で言えば彼女のほうが上ですらあった。ノール辺境伯の長女という立場は、辺境領から遠く離れたこの南の地でもたいへんに有効らしい。自己紹介をする必要もなく、彼女の名前は周囲に知れ渡っていた。

 

「なんのなんの、ご謙遜することもありますまい。それがしも剣士の端くれ、目の前の相手の技量はそれなりにわかり申す……」

 

 ソニアがヒンデミット卿の相手をしているうちに、周囲をうかがう。僕たちの周りには、完全に人垣ができていた。このクマ獣人騎士の相手が終わっても、即座に新手が現れるだろう。この挨拶祭りがいつになったら終わるのか、全く予想が出来ない。大盛況にもほどがあるだろ。これでは敵情視察どころではないので、たいへんに困ってしまった。

 僕たちの"標的"であるミュリン伯は、どうやらこの狩猟会に参加するらしい。もちろんディーゼル家と犬猿の仲(まあディーゼル家は猿ではなく牛だが)であるミュリン伯が、そのディーゼル家主催の狩猟会に参加するのは異例中の異例である。完全に、こちらの誘いに乗ってきた形だろう。予想通り、ミュリン伯はなかなかにガッツのある手合いのようだ。

 そういう油断ならぬ相手だから、できればこちらから先制攻撃(もちろん比喩的な意味だ。平和的な催し物の最中に奇襲を仕掛けたらエラいことになる)を加えたかったのだが、どうやらそれどころではない様子である。ヤンナルネ。

 

「初めまして、だ。ブロンダン卿」

 

 などと考えていたら、案の定新手が出てくる。反射的にそちらを見ると、そこに居たのはいかにもやり手そうな雰囲気を漂わせたオオカミ獣人の老女だった。老女といっても、弱々しい雰囲気はいっさいない。白髪頭で顔は皺くちゃだが、背筋はピンと伸びており表情にも覇気が満ちている。一目で只者ではないとわかる婆さんだった。……おや、コイツは……。

 

「ミュリン伯です、ブロンダン殿」

 

 仲介役のルネ氏が耳打ちしてくる。なるほど、彼女がミュリン伯か。僕は一礼しつつ、相手方を観察する。年のころは七十と聞いているが、その割に体格は良い。一目で武人とわかるしなやかな体つきで、革製の実用的な狩猟服が良く似合っていた。腰には使い込まれた片手半剣(バスタードソード)を差している。これはなかなか手ごわそうだ。

 

「ミュリン伯領の頭領、イルメンガルド・フォン・ミュリンだ。まあ、よろしく頼むよ」

 

「どうもよろしくおねがいします、ミュリン伯爵閣下。アルベール・ブロンダンです。……こちらからご挨拶に出向こうと思っておりましたが、先を越されてしまいましたね。申し訳ありません」

 

 そう言って、ミュリン伯爵は皮肉げな笑みと共に握手を求めてきた。僕は彼女の手を握り返しつつ、内心息を吐く。先制攻撃を仕掛けるどころか、逆に仕掛けられてしまったな。大物ぶってこちらが挨拶に向かうまで待っているのではないかと思ったのだが……なかなかフットワークの軽い御仁だ。厄介な相手だぞ、これは。

 

「そう気を使う必要はないさ。噂が確かなら、近々伯爵に昇爵するって話だろ? そうなりゃあたしらは同格だ。ため口で構わないさね」

 

 そんなことを言いながら、ミュリン伯爵は親しげに僕の肩を叩いてくる。言いようによってはたいへんにイヤミになるような発言だが、彼女の口調には一切の屈託がなかった。

 

「そういう訳にはいきませんよ。人生の先達には敬意を払えと母から教えられておりますので」

 

「なるほど、すばらしい教育だ。良い御母堂に恵まれたと見える」

 

 ミュリン伯爵の口調には、敵意がない。古なじみの友人と話すときのような気安さだ。なんの前情報も持っていなかったら、付き合いやすそうな相手だなと判断していたかもしれん。うーむ、彼女の思惑が読めんな。ヤクザめいてさや当てを仕掛けてくるのかと思えば、そういう様子もない。純粋に挨拶をしに来た、という風情である。

 とはいえ、油断はできん。まだ確定的な証拠は挙がっていないとはいえ、彼女の手の者らしき連中がズューデンベルグで暴れまわっているのはほぼ確実なんだ。腹の底ではいったいどんな思惑がうずまいているのやら分かったものではない。

 

「……できれば長々話し込みたいところなんだが、後ろがつっかえていてね。チンタラしていたら、背中を刺されそうだ」

 

 後ろをチラリと振り返って、ミュリン伯爵は肩をすくめる。

 

「よければ、狩猟会が終わった後に時間を作ってもらってもいいかい? お互い積もる話もあるだろうからさ。茶でもしばきながら、ゆっくりやろうや」

 

「おや、お茶会ですか。貴女のような立派な騎士殿に誘われてしまうと、ドキドキしてしまいますね」

 

 うわ、なかなか突っ込んでくるじゃないの、このババア。何かの罠か? 一瞬考え込んでいると、誰かが僕の背中を優しく叩いた。ダライヤだ。彼女は無言で小さく頷いている。……ふーむ、ここはこちらもおばあちゃんの知恵袋で対抗するとするか。ババアにはババアをぶつけるんだよ。

 

「……見ての通り、婚約者がいる身の上でして。浮気を疑われてはいけませんから、妻同伴でもよろしいでしょうか?」

 

「こんなババア相手に何を言ってんだい、お前さんは。まあ、私があと五十若けりゃ一も二もなく本気で口説いてただろうがね。……ソニア・スオラハティ殿もご一緒か、そいつは願ったりかなったりさ。もちろん、歓迎させてもらうよ」

 

 カラカラと笑いながら、ミュリン伯爵は僕の提案を飲んだ。ふーむ、さて。彼女はどう出てくるつもりかね? ノコノコ茶会に出向いたら、怖いお姉様がたに囲まれて誘拐されちゃいました、などという事態になったりしたら最悪だが。……ま、なるようにしかならんか。幸いにも、ここは敵地ではなく味方の勢力圏。地の利はこちらにある。大規模な伏兵を仕掛けるなどというのは不可能だ。少々荒っぽい事態になっても、ソニアとネェルがいれば大概の事態はなんとかなるだろうし。



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第418話 くっころ男騎士と狩猟会

 面倒な挨拶祭りもやっと終わり、とうとう狩猟会本番となった。この催しは、一応大会形式となっている。参加者はいくつかのグループに別れて森に入り、仕留めた獲物の種類や重さで優越を付けるのだ。優勝者にはトロフィーと賞品も与えられるので、参加者の中でも狩猟ガチ勢と呼ばれるような連中はずいぶんと気合が入っていた。

 僕もまあ狩猟は好きな部類で、王都で宮廷騎士をしていたころはよく猟銃を担いで山野に入り、イノシシや鹿を追い回していたものだ。ところが、リースベンに赴任してからは一度も狩猟に出ていない。なにしろこの半島は激烈な飢饉を経験した土地であり、食べられそうな獣や魚類はほとんど食いつくされて絶滅してしまっているからだ。出来る狩りっぽい遊びと言えば、せいぜいザリガニ釣りくらいだった。

 そういうわけだから、この催しは僕の狩猟欲を解消する絶好の機会ではあったのだが……たいへんに残念なことに、僕には狩りに熱中している暇など微塵もなかった。なにしろ、あのミュリン伯爵と接触を持つことが出来たのだ。軍人である僕には、仮想敵の分析をする義務があった。

 

「なかなか一筋縄ではいかなさそうな手合いだったな、ミュリン伯爵は」

 

 森の中を歩きながら、僕はそう言った。愛用の猟銃は肩に担いだままで、構えることすらしていない。まったく、領主ってヤツはままならないものだよな。久しぶりの狩りだ。本音を言えば、今はミュリン伯爵のことなど考えたくは無かった。今の僕たちは、ソニアやダライヤなどの大勢の部下を連れ、大名行列めいて森の中を練り歩いているだけだ。こんなやり方では、小鳥すら仕留められないだろう。

 狩猟は片手間で成功するような容易なゲームではない。獲物の行動パターンを考察し、痕跡を調べ上げ、罠や勢子、猟犬などを駆使して追い詰める……そういう過程を経て、やっと獲物を仕留めることができるのだ。そこが難しくもあり、面白い部分でもある。

 

「武人としても、かなり有能そうな方でしたね。彼女の立ち振る舞いには、一分の隙もありませんでした。あの歳であれだけの鋭さを維持しているというのは、尋常ではありません。敵には回したくない御仁です」

 

 そう答えるのはジルベルトだ。彼女は獲物にとどめを刺すための槍を持っているが、その穂先はピカピカと輝いている。まだ、一頭の獣の血脂も吸っていないということだ。

 

「とはいえ、このズューデンベルグを狙っている以上、彼女は紛れもなく敵です。……その割に、ミュリン伯からは敵意らしいものを感じませんでしたが」

 

 腕組みをしながら、ソニアが唸る。……こんなペチャクチャ喋ってたら、どんな獲物だって逃げちまうよ。はぁ、詰まらんなあ。話すなとも言えんものなぁ。狩猟会はあくまで名目に過ぎず、本命は敵情視察だ。そして敵の大将が姿を現したのだから、とうぜんそれに対処するための話し合いが最優先事項なのである。

 

「挙句、茶会などに誘われる始末。……まあ、この茶会が罠である可能性も無きにしも非ずですが」

 

「これはワシの個人的な想像じゃが、その可能性は低いのではないかと思うのぉ」

 

 アゴを撫でつつ、ダライヤはソニアの見解を否定した。智謀に関してはあのアデライドすら敵わない、リースベンでもっとも腹黒い女がこのロリババアである。こういう状況下では、僕の家臣の中でも一番頼りになることは間違いない。

 

「ふむ、してその根拠は?」

 

「卑劣な手段でいきなりこちらを排除しては、伯爵側の名目が立たぬからじゃよ」

 

 ダライヤ派端的な言葉でそう応え、ヤブの中に落ちていた小枝を疲労。そしてそれを楽団の指揮者のように振るいながら、つづけた。

 

「神聖帝国というのは、国を名乗ってはいても実態は外敵に対する相互防衛同盟なのじゃろう? で、あれば……毒殺やら、伏兵による奇襲やら、そういう手段をつかっていきなりこちらに攻撃を仕掛けても、神聖帝国は巻き込めぬ。これでは美味しくない」

 

「ミュリン伯爵は、単独でわたしたちと戦う気は無いと?」

 

 ソニアが眉を跳ね上げると、ダライヤはコクリと頷いた。

 

「かの狼女にその気があるのならば、もっと早い段階で仕掛けて来ておるはずじゃ。ミュリン伯爵にとって、時間は敵じゃからのぅ。ディーゼル家は我らの支援を受けておるから、時間を与えれば与えるほど防備は固くなってしまう。まっとうな指揮官なら、速攻を狙うのが常道。そうじゃろ?」

 

 腐っても皇帝閣下、この辺りの戦略眼はたいへんに性格だ。僕はダライヤに頷いて見せた。

 

「いくら冬が自然休戦期間といっても、この辺りの地域の豊かさは尋常ではない。戦場をズューデンベルグに絞れば、冬季であっても戦争は可能なハズじゃ。……逆に言えば、それをしていないという時点で伯爵の腹のうちはある程度読める。あの狼女は、自国単独でズューデンベルグ・リースベン連合軍を撃破するのは難しいと考えておるようじゃな」

 

「なるほどな」

 

 僕は小さく唸りながら、チラリとソニア・ジルベルトの両名を見た。彼女らは、揃って頷きダライヤの言葉を肯定する。

 

「その……発言、いいですか?」

 

 そこへ、カリーナが小さく手を上げながらそう言った。我が義妹はこの頃、軍議の最中も積極的に発言するようになっていた。たいへんに良い傾向である。もちろん拒否する理由は無いので、僕は頷く。

 

「ミュリン伯家は、ディーゼル家とは長年のライバル……なんだよね。昔から、幾度となく矛を交えてる間柄っていうか……。つまり、ミュリン伯爵家は、ディーゼル家の戦力や戦いぶりにはかなり詳しいハズ。そのブロンダン家を一戦で倒して見せたブロンダン家を特別警戒するのは、当然じゃないかなって」

 

「うん、道理だな。そうか、格付けはすでに終わっているのか……。そうすると、さっきの伯爵の態度も自然なものに思えてきたな」

 

 ライバル関係といえば聞こえは良いが、つまりそれはミュリン家ではディーゼル家を倒しきれなかったということだ。それに対し、我々は外征部隊とはいえディーゼル軍を一度完全に撃破している。我々とミュリン伯爵軍の戦力差は明白だった。あの老騎士は、そのあたりの戦力差をキチンと認識しているのだろう。

 

「つまり、ミュリン伯爵はわれわれとは戦いたくない。どうしても戦わねばならないなら、神聖帝国の助力が欲しい。そう考えているわけですね」

 

 ジルベルトの言葉に、ダライヤは手の中で小枝を弄びつつ頷いた。

 

「現状、そう判断するのが適当じゃろう」

 

「ふむ……」

 

 僕は少し考えこみ、視線を周囲にさ迷わせた。ズューデンベルグの森は、リースベンに負けないほど鬱蒼としている。だが、あちこちから動物の声が聞こえてくる点が、リースベンとの最大の違いだった。つまり、狩りの獲物が沢山いるということだ。

 はぁ、なんでこんな楽しげな森の中で、いつも通りの軍議をせにゃならんのだろうね。帰ってからでよくない? ……そういう訳にもいかんだろうなぁ。向こうの出方がわからない以上、こちらの方針は早めに決めておいたほうが良い。いざという時の計画をしっかり立てておかねばならないのだ。

 

「カリーナ、この状況下でミュリン伯が取れる選択肢を予想してみろ」

 

「えっ!?」

 

 カリーナは少し面食らった様子で声を上げた。しかし、僕がこの手の質問を投げつけるのはよくあることだ。彼女は困惑もせずに、思案顔で自分の頬を撫でた。

 

「ええと……リースベンの参戦を防ぎつつディーゼル家とだけ戦うか、あるいは……リースベンが侵略してきたという名目で、神聖帝国からの援軍を受けるか……?」

 

「上出来だ。……あとはズューデンベルグから手を引く、というのも一つの手だろうが」

 

「それはないよ。簡単にあきらめがつく程度の野心なら、ウチとミュリンはとうに和解してるはずだよ」

 

「そりゃそうか」

 

 僕は笑ったが、内心は全く面白くなかった。結局、戦争は不可避ってことじゃねえか。あー、ヤダヤダ。

 

「では、ミュリン伯爵は一体どういう手段でそんな自分に優位な状況に持ち込もうと考えているのか、という部分が肝心なんだが……」

 

 おそらく、茶会の誘いはその布石を打つためだな。だとすれば、こちらの取るべき手は……

 

「アルベール」

 

 僕の思案は、涼やかな声で邪魔された。振り向けば、そこに居たのはフェザリアだった。この頃僕を呼び捨てるようになった彼女は、何やら重そうな袋を背負っている。

 

「とりあえずウサギを二十羽ほど狩ってきたど、今日ん夕飯はウサギ鍋じゃ」

 

「おお、ありがとう。助かるよ。あっという間に二十羽か、流石はエルフだな」

 

 当然じゃ! と言わんばかりの様子で、フェザリアはフンスと鼻息荒く頷いた。そして、獲物がタップリ入った袋をこちらの従者に手渡す。……この狩猟会への参加はあくまで名目上のものだが、獲物が一匹も取れませんでしたでは流石に格好がつかない。そこで狩りを得手とするエルフ衆に"言い訳"用の獲物を狩ってくるように頼んでいたのだ。

 しかし一度にウサギを二十も狩ってくるとは、尋常な猟果ではないな。こんな化け物じみた猟師が山のようにいたのだから、そりゃあリースベンの獣も絶滅して当然だ。……おかげで後世の僕たちが難儀しているわけだが。

 

「それと、こんた猟んほうとは別件なんじゃが……ここから少し進んだ先で、二十名ほどのオオカミ獣人の一団がたむろししちょる。ご下命ただくれば直ちに殲滅すっどん、どうする?」

 

「オオカミ獣人の一団? ……たんに別グループが近くにいるだけじゃないのか」

 

 僕は希望的観測を口にした。狩猟会の参加者は多いが、この森は広大だ。その上それぞれのグループには案内人がついているから、なかなか他のグループと出くわすことはないのだが、まあそれでも偶然というものはあるからな。……相手がオオカミ獣人の集団という時点で、偶然にしてはできすぎな気もするのだが。

 

「なにやら、アルベールん噂話をしちょったようやったぞ。偶然ちゅうこっは無かとじゃなかか? おそらく敵じゃち思うど」

 

「待ち伏せですか」

 

 ジルベルトが眉を跳ね上げ、腰の剣に手を添えた。護衛の騎士たちの間にも、剣呑な雰囲気が流れ始める。

 

「待ち伏せちょっちゅうより、待ち構えちょっちゅうほうが正しかじゃろ。隠るっつもりはなさそうやったぞ。数は多かが、弱そうやった。ご下命いただくれば一分以内に皆殺しにすっどん、どうすっ?」

 

 いやなんでそんなに殺意が高いんだよ、フェザリア。僕は困惑しつつ、少しばかり質問をすることにした。

 

「噂話がどうとか言ってたね? そいつらはいったい、どんな愉快な話をしてたんだ」

 

「リースベンの調子に乗ったバカ(オス)に身の程を教えてやる、などとふざけた(あまった)ことを抜かしちょったぞ」

 

「バカ(オス)

 

 僕は思わず吹き出しそうになり、口を押えた。面白い事を言う手合いだな。興味がわいてきた。

 

「バカ(オス)、バカ(オス)ねぇ……ふっ、くくく……言いたくなる気持ちはわるよ、ウン」

 

 男だてらに横紙破りの出世をして、あげく大勢の女を嫁にしようとしている人間だ。世間から見れば、僕は相当なロクデナシだろう。罵倒されても仕方のないような真似をしている自覚は僕にもあった。とはいえ、流石にバカ(オス)呼ばわりは流石にひど過ぎるだろ。逆に面白いわ。

 

「ナメねまったクソ犬め。生きたままモツ抜いて代わりに生ゴミ詰めて丸焼きにして豚に食わせてやっど……」

 

 僕は大変に愉快な気分になっていたが、フェザリアは完全にブチギレモードだ。額に青筋を浮かべ、腰の木剣の柄をぎゅっと握っている。いかんいかん、これはヤバイ。笑ってる場合じゃないな。

 

「ありがとう、フェザリア。僕のために怒ってくれて。だが、いきなりブチ殺すのは流石にマズイ。少しばかり堪えてほしい」

 

 エルフの気の短さを考えれば、身内がけなされているのを聞いた時点でブチ殺しにかかっていてもおかしくないからな。そこを堪えて、キチンと報告しに来てくれたのは大変にありがたい。

 

「盗賊ん一件ではでぶ絞られたでな……」

 

 頬をフグのように膨らませながら、フェザリアはそっぽを向いた。僕はくすりと笑いつつ、部下たちを見回す。

 

「さて、さて。相手方は何かを仕掛けてくるようだが、こちらはどうするね? 安牌ねらいなら、このまま知らぬ顔をして来た道を戻るのが一番だが。しかしそれでは面白く無かろう」

 

「相手が何であれ、こちらをナメているのであればブチ殺すのが貴族の流儀と母に習いました。クズどもに身の程を教えてやりましょう」

 

 怒りに燃える目でそんなことを言うのはソニアだ。同調するように、フェザリアがウンウンと頷く。

 

「……カステヘルミがそんなこと言ってるの、見たことないんだけど」

 

「デジレお義母様にならいました」

 

「……ああ、僕の方の母上か。確かにそんなこと言ってたね……」

 

 僕はため息をついた。だから、こっちから仕掛けるのは論外だっての。

 

「おそらく戦力ではこちらの方が上でしょうから、いざ戦いとなってもそれほど恐れる必要はありません。とりあえず手を出してくるのを待って、反撃で叩き潰してからその思惑を聞きだすというのが鉄板でしょう」

 

 腕組みをしたジルベルトがそう提案する。こちらはなかなかに現実的な案だ。そもそもの話、待ち構えている連中とやらの目的自体今のところ不明なわけだからな。姿も隠していないというのであれば、攻撃を仕掛けてくる可能性はかなり低いように思える。せいぜい、因縁をつけて来るとか嫌味をいってくるとか、その程度の可愛らしい嫌がらせをしようとしているだけかもしれない。もしそうなら、いきなり先制攻撃というのは選択肢として剣呑すぎる。

 そして万一戦闘になった場合も、この案であれば十分に対処可能だ。我々の仲間には森林戦でおおいに力を発揮するエルフ連中が居るし、ソニアやジルベルト、ゼラも一流の戦士だ。さらに、この場にはいないがネェルも密かにバックアップに入っている。口笛を吹けば即座に最強カマキリ娘がデリバリーされる仕組みだった。たとえ敵集団が全員

一人前の騎士でも、勝利する自信は十分にある。

 

「たぁいえ所詮は使い捨ての小物じゃろうけぇのぉ。どれほど情報を持っとるやら……」

 

 ゼラが肩をすくめながらそんなことを言う。まあ、こちらも一理ある意見だ。とはいえ、まあ小物なら小物で使い道もある。僕は、ジルベルトの案を採用することにした。

 

「どうだろう、案外大物がかかるかもしれんぞ? ま、とりあえず敵がどう出てくるかを見極めようじゃないか」

 

 僕はそう言って、獣道の先を見据えた。 相手はオオカミ獣人ということなので、十中八九ミュリン伯の手の者だろうが……別の陣営がかく乱を図ろうとしている可能性もある。当のミュリン伯は、先ほど僕を穏やかな物腰で茶会に誘ったばかりなのだ。その直後に何かしらネガティブなアクションを投げてくるというのは、行動として一貫性がないように思える。……ううーむ、完全に情報不足だな。こういう時は、腹をくくって前進するしかあるまい。

 

 

◇◇◇アトガキ◇◇◇

作者体調不良のため明日(R4/11/24)の投稿はお休みします



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第419話 くっころ男騎士と警告

 フェザリアの警告通り、獣道を進んだ先にはなんとも剣呑な様子の連中が待ち構えていた。ほとんど全員が若いオオカミ獣人で、数は二十人ほど。猟場なのだから当然と言えば当然なのだが、みなしっかりと武装しており何やら愚連隊を思わせるような雰囲気が漂っている。

 この森は領主御用達の猟場だから、それなりに整備されている。とはいえやはり大所帯が団子になって進めるほど広々とはしていないので、道の真ん中で立ちふさがれては迷惑だ。襲撃の可能性を想えば部隊を分けるという選択肢もなく、オオカミ獣人連中がどかないことには僕たちは立往生するしかなかった。たいへんに迷惑な話である。

 

「おう、手前がアルベール・ブロンダンとかいう田舎城伯か」

 

 一団の中から一人の若い娘が出てきて、尊大な口調でそう言った。銀髪赤目の、いかにも跳ねっかえりといった風情の女だ。驚くべきことに、猟場だというのに全身甲冑をつけている。板金鎧は基本的にうるさいものなので(まあ、可動部に革を挟む等の方法である程度の防音は可能だが)、狩猟には不向きな格好だ。

 アデライドのようなごく一部の例外を除けば、貴族にとって狩猟はほとんどたしなみのような行事だ。まったく心得がない、というのは考えづらい。つまり、この甲冑姿もわざとやっているということだ。なんとも面倒くさそうなヤツが出て来たぞと、僕はおもわずソニアと顔を見合わせる。

 

「……ああ、たしかに僕はリースベン城伯のアルベール・ブロンダンだが。そういう君は、どこの誰かな? どこぞ名のある家の若武者どのと見受けられるが」

 

 彼女が装着している甲冑は、一揃いの真新しいものだ。しかも、雰囲気からして普通の甲冑ではなく魔力の込められた魔装甲冑(エンチャントアーマー)だと思われる。魔装甲冑(エンチャントアーマー)はたいへんに高価な代物で、そこらの賊や傭兵風情ではなかなか手に入るような代物ではない。おそらく、この女は貴族かその従卒である可能性が極めて高いということだ。

 

「誰かと聞かれれば答えんわけにはいかんな。アタシはエーレントラウト・フォン・ミュリンが長女アンネリーエ・フォン・ミュリン。ミュリン領を継ぐ女だ」

 

 胸を張りつつ、アンネリーエとやらは朗々とした口調で自己紹介をした。エーレントラウトという名前には、覚えがある。ちらりとソニアの方を見ると、彼女は小さく頷いた。

 

「エーレントラウト殿といえば、ミュリン家の現当主イルメンガルド殿の長女……つまりはミュリン伯領の次期継承者にあたる人物ですね」

 

 なるほど、あの老狼騎士の孫か。まあ、彼女が本当のことを言っていれば、の話だが。とはいえ、貴族の名を騙るのは重罪だ。ましてや今は近隣の領主貴族が集まる狩猟会の真っ最中で、さらには当のミュリン伯イルメンガルド氏も出席している。そんな場で無関係な他人が伯爵の孫を騙るような大胆不敵なマネはしないだろう。

 ……とは思うのだが、まあ万が一ということもある。僕は視線をカリーナの方に向けた。ディーゼル家とミュリン家は因縁深い間柄だ。そのミュリン家の当主直系の孫ということであれば、カリーナと面識があってもおかしくはないだろう。

 

「直接見るのは三年ぶりだけど、たぶん本物で間違いないよ」

 

 案の定カリーナは頷き、僕にそう耳打ちしてきた。僕は無言で義妹の頭を軽く撫で、視線をアンネリーエ氏に戻す。

 

「なるほど、あのイルメンガルド殿の御内孫か。よく似ていらっしゃる」

 

 そう言いながら、アンネリーエ氏を密かに観察する。確かに、彼女はイルメンガルド氏をだいぶ若くしたような容姿をしている。ツンツンした硬そうな髪質や、笑みを作った時の口元などがソックリだ。

 

「はん、ヨイショだけはうまいじゃねえか。へへへ」

 

 ちょっと照れた様子で、アンネリーエ氏は鼻の下をこすった。かなり嬉しそうだ。僕は今にも彼女に飛び掛かりそうな雰囲気を出しているフェザリアを目で制してから、小さく息を吐く。

 

「それで、そのアンネリーエ・フォン・ミュリン殿は一体どういうご用件なのかな? 鹿の群れを見つけたから一緒に狩りに行こう、などという雰囲気ではなさそうだが」

 

 彼女にしろ、その後ろに居る連中にしろ、仲良くしに来たという風情ではない。むしろ一触触発の空気を放っている。流石に武器を構えているような者はいないが、威嚇めいた態度でこちらを睨みつけている奴も少なくは無かった。半グレ集団が因縁を付けに来ました、というような風情だ。

 

「新米城伯どのに、先達として忠告をしにきてやったのさ。ま、親切心の発露ってやつさ」

 

 先達とは言うが、アンネリーエ氏は僕よりもだいぶ若い。おそらく、カリーナと同年代だろう。つまりは、成人……十五歳前後といったところか。貴族としては、まだまだ青二才とされる年齢だ。まあ、それを言うなら僕も大概青二才だが。

 

「ほう、忠告。領地を任されてまだ一年もたたぬ新参者としては、たいへんに興味深いお話ですね。ぜひ聞かせていただきたく」

 

 ヤンキーのテンプレイチャモン台詞みたいなのが来たな……と思いつつも、僕はできるだけ丁寧な口調でそう答えた。実際、新米城伯のブロンダン家よりも大昔からこの平原で大領主をやっているミュリン家のほうが遥かに格式高い家だ。少しばかり上から目線でモノを言われても、文句は言いづらい。まあ、限度はあるがね。

 

「思ったよりも殊勝じゃねえか。素直な男は嫌いじゃないぜ」

 

 アンネリーエ氏がニヤッと笑ってそんなことをいうものだから、ソニアの足にグッと力が籠るような気配がした。僕は慌ててそれを制止しつつ、笑い返す。まったく、ウチの連中はどうしてこう血の気が多い奴らばかりなんだ。

 

「ディーゼル軍に勝って調子に乗ってるらしいが、勝利に驕って勝因を見失っているようじゃあ話にならねぇ。ド田舎のクソみてぇな山の中とこの遥かなる大平原じゃ、だいぶ勝手が違うんだぜ? お前さんの健闘は認めてやってもいいが、アタシらの前では謙虚な態度を取ることだ」

 

 あーはん、なるほど。だいたい理解した。つまりこのオオカミ娘は、平原での戦いならば僕たちよりもミュリン家軍のほうが強いと言いたいわけだ。まぐれ勝ちした、とは言わないあたりただの調子に乗ったバカではないらしい。実際あの戦いは戦場が狭い山道だったからこそ勝てた戦いなので、彼女の言うことは間違っていない。少なくとも、キチンと情報を集め、それを分析するだけの頭はあるということだ。

 まあ、そうは言っても今のわが軍は当時よりもはるかに増強されてるわけだがね。しかし、だからと言って今ここで「オウ、ならこの場で本当にお前らの方が強いのか試してやろうじゃねえか」などと言って実際に戦争を吹っ掛けるわけにもいかんからな。僕は少し考えて、ダライヤの方を見た。彼女はだいぶ呆れた様子で眉を跳ね上げ、肩をすくめて薄く笑った。お前の好きなようにやれ、という表情だ。

 

「なるほど、なるほど。承知いたしました、ご忠告痛み入ります」

 

 僕は慇懃な態度でそう答え、頭を下げた。ソニアやフェザリアは撃発寸前の気配を漂わせているが、僕としてはそれほど気に障りはしなかった。それよりも、アンネリーエ氏のおかげでイルメンガルド氏の思惑がある程度見えてきたということほうが重要だ。

 つまり彼女は、自分は柔和な態度を取りつつ裏では孫を僕たちにけしかけてみせたわけだ。おそらく、茶会の際には一言謝罪が入るに違いない。そういう一連の儀式を見せることで、こちらに「交渉の席には着くが、我々はお前たちの言いなりにはならないぞ」ということをアピールしているわけだ。なるほど、老練なベテラン貴族らしいやり口だな。

 

「わかったなら結構! しっかりと心得ておけよ、成り上がり者。出しゃばり男は蛮族相手にゃモテるかもしれないが、文明国じゃ嫌われるんだぜ? ……ああ、.変態貴族に売約済みだから、モテる必要はもうないのか。こりゃ失礼」

 

 さすがにこの言い草には僕もカチンときた。確かにソニアもアデライドも少しばかりヘンな性癖をしているが、部外者にあれこれ言われる筋合いなどない。……が、息を吸い込み、そしてゆっくりと吐くことでそれを堪える。怒りをあらわにしたところで、百害あって一利なしだ。軍人はどんな時でも冷静であらねばならない。

 

「アンネリーエ殿、その発言は流石に看過できない。ミュリン家に正式に抗議させてもらうぞ」

 

「オット! 少しばかり口が滑ったな。アタシの悪い癖だ……これ以上ここに居たら、ますます口が滑っちまいそうだぜ。男騎士どのの逆鱗にふれないうちに、さっさと退散することにしようか。おい、お前ら! ずらがるぞ!」

 

「ウッス!」

 

 アンネリーエ氏の号令と共に、オオカミ獣人の一団は風のように去っていった。言いたいだけ言いまくったあげくこちらの反論すら許さず即撤退とは、なかなかやるじゃないか。僕は思わず口笛を吹きそうになって、慌てて堪える。ネェルが勘違いしたら大事だ。流石にこの程度の侮辱で一人残らず皆殺しはマズい。

 

「……随分なご挨拶でしたね。調子に乗っているのはどっちやら」

 

 はらわたが煮えくり返っているような声音で、ソニアが唸る。それに同調し、フェザリアが何度も頷いた。

 

「躾んなっちょらん野良犬じゃ。あげん態度を許してよかか、アルベール。言われたままでおっとは恥ぞ? えのころ飯にしてしまうが良かど」

 

「かまわん、捨て置け」

 

 確かに腹立たしい態度ではあったが、僕はあえて抑制的な口調で彼女らをなだめた。あの程度でぶちギレていたら、貴族なんかやってられないよ。なんなら、宮廷騎士時代にはもっと失礼な態度を取ってくる貴族だっていたしな……。

 

「直系とはいっても、所詮は孫だ。あの子はまだまだ子供だし、当主の座に就くのも遥か未来の話だろ? つまり、今は単なる小物ってことさ。あいつの首には大した価値がない。大げさに騒がず、冷静に対処したほうがこちらの益は多かろうよ」

 

 度を超えた侮辱には、毅然と対処するべきだろうが、それに過剰反応してしまうのも考え物だ。この件の落とし前は、彼女ではなくイルメンガルド氏につけてもらおう。貴族の紛争調停とはそういうものだ。



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第420話 くっころ男騎士の思案

 アンネリーエ氏が去った後、僕たちは微妙な空気のまま森の中をウロついていた。相変わらず、獲物は現れない。まあ当たり前の話だが。普通におしゃべりしながら歩き回っている大所帯の前に、無防備に出てくる野生動物なんかいるわけないだろって感じだ。唯一の例外はたくさんのウサギを仕留めてきたフェザリアだが、彼女はアンネリーエ氏の一件のせいで機嫌が最悪になっていたので喜びもあまりない。

 徒労感の最大の要因であるアンネリーエ氏については、カリーナがある程度知っていた。ディーゼル家とミュリン家は宿敵同士と言っても差し支えない間柄だが、それでもお隣さん同士というのは大きい。どうやら、最低限の交流はあるらしい。時間つぶしも兼ね、僕は義妹からアンネリーエ氏の人となりを教えてもらうことにした。

 我が義妹曰く、アンネリーエ氏はカリーナと同い年。おまけに、誕生日まで近いらしい。つまり彼女は十五歳、成人したばかりということだ。なるほど、あの調子の乗りっぷりは一人前と認められる歳になった高揚感のせいもあるのかもしれない。

 

「私と違って、昔からあいつは優秀でね。武芸も軍学はなかなかのものだったらしいよ。子供の頃は、神童なんて呼ばれてた。……ま、性格がアレなものだから、この頃そういう声はまったく聞かなくなったけどさ」

 

 苦々しい様子で、カリーナはそう吐き捨てた。ディーゼル家の現当主、アガーテ氏はミュリン家の連中のことを「当主のイルメンガルド氏以外は大したことがない」と評していたが……まあ、神童だった子供が慢心や環境が原因で挫折してしまうなどというのはよくある話だ。アンネリーエ氏についても、そのたぐいの人間なのだろう。

 

「少しばかり剣技や軍学が得意でも、性格がアレではね。論外ですよ」

 

 とはソニアの弁である。お前がそれを言うのか、と言わんばかりの目つきでジルベルトに睨まれていたが、本人はどこ吹く風だった。……まあ、うちの副官兼嫁はさておき、問題はアンネリーエ氏である。

 

「みんなが神童神童と誉めそやしたものだから、アイツってば無限に調子に乗っちゃってね。すっかり慢心して、親の言う事すら聞かなくなっちゃったみたい。唯一、尊敬するおばあちゃんの命令だけは聞くって話だけど」

 

 呆れた様子でそんなことを言うカリーナだが、まあそれは反抗期のせいというのもあるかもしれんね。子供には、多かれ少なかれそういう時期がある。ウチの副官も大概だったよ。……いや、あれに関しては母親のカステヘルミにもそれなりの原因があるので、ソニアばかりも責められないが。

 

「へえ、祖母の言うことは聞くのですか。ウチの妹と違って扱いやすいですね」

 

 またまた自分のことを棚に上げたソニアが、ため息交じりに感想を述べる。彼女が言っているのは、スオラハティ家の末っ子のことだ。こいつはアンネリーエ氏に負けず劣らず……というか、むしろ上回るレベルの問題児で、能力と性格が完全に反比例している。当然ながら、ソニアはもちろんカステヘルミの言う事すら聞かないし、そのくせアホみたいに優秀なのだから手に負えない。

 おまけに常日頃から「わたくし様はノール辺境領だけに収まる女ではなくってよ~!」などと公言して憚らないのだからとんでもない女だった。ノールは王国で最大級の領邦だぞ。これ以上を求めるなら王位の簒奪を狙うか他国の征服を目指すしかなくなるのだが、そのへん理解してるんだろうかね、あいつは……。

 そんな姉妹と一緒に幼少期を過ごしたものだから、僕も問題児への対応は慣れている。暴言をぶつけられた怒りもすっかり冷めており、今は落とし前云々よりもアンネリーエ氏の本意が気になっていた。こちらのことが気に入らない、というのは確かなのだろうが、それだけでああいう真似をするものだろうか?

 

「しかし……イルメンガルド氏はどういう腹積もりかね。あんな奴を意図的に僕らにぶつけてきたというのなら、もう完全に戦争のフェイズへ入っていると判断したほうがよさそうだが」

 

「それはどうでしょうかね」

 

 四本の腕を器用に組みながら、ゼラが異論をはさむ。

 

「そがいな作戦かもしれんよ。若ェやつにアヤを付けさせといて、あとで白々しゅう謝って見せる。筋者がよう使う交渉術でがんす。仲良うする素振りをみせつつも、お前(ワレ)の下に付くつもりはないぞと。そがいなアピールじゃな」

 

「なるほどな。粗相をするわけにはいかない相手なら、そもそも下っ端の暴走なんか許すはずもないしな……」

 

 僕は肩に担いだ猟銃の木製銃床を指先で撫でつつ、考え込む。ああ、まったく。せっかくの狩猟なのに、コイツを一発も撃つ機会がないというのが残念過ぎる。何が悲しくて猟場でこんな話をしなきゃならんのやら。

 

「それにしてもアレはひど過ぎると思いますがね。場合によってはあれだけで刃傷沙汰が起きていますよ」

 

 不満げな様子で、ジルベルトが大きく息を吐く。彼女も、アンネリーエ氏の態度は腹に据えかねている様子だった。

 

「イルメンガルド殿に交渉をする気があるとすれば、孫のあの態度はこちらに釘を刺すどころか逆効果です。アンネリーエ殿が暴走してやり過ぎたのか、あるいはそもそも指示など受けていないか。そのどちらかでしょうね」

 

「なんにせよアレは論外じゃ。もはや(オイ)はミュリン家ち言ん葉を交わそうとは思わん。交渉んつもりでアレをやっちょるんじゃとすりゃ、そんた間違いじゃと明白に教えてやらんにゃならんぞ。わかっちょっな、アルベール」

 

 ジルベルトとは比にならないほど憤懣やるかたない様子で、フェザリアがピシャリと言った。極端な言い草だが、貴族というのはメンツ商売だ。ナメられたマネをされたら、キチンと報復しないとマズいというのは確かである。僕はコクリと頷いた。

 

「しかし、拙速な判断は避けるべきじゃぞ。今回の一件、例えばこうとも考えられる。ブロンダン家とミュリン家の間で交渉が成立されては困る者がおり、馬鹿を煽って両者の離間を狙っているとか……」

 

 口を挟んできたのは我が家の厄介ババアだ。彼女は本人に悟られぬよう、一瞬だけカリーナを見る。……ああ、なるほど。ディーゼル家の差し金ね。確かに僕らとミュリン家が仲良くするような事態は、ディーゼル家としては避けたいだろうよ。ま、宿敵関係のミュリン家の御曹司をどういう手段で煽ったんだ、という問題はあるが。

 むろんそんなことはロリババアも承知しているだろうから、あくまで可能性の一つを提示しただけなのだろう。つまり、相手の意図を決めつけて柔軟な思考を失うな、と言いたいらしい。

 

「確かにな。……ああ、もう。頭痛くなってきたな。戦略、戦術について思考を巡らせるのは好きだが……こういうのは本当に苦手だ。こんなことになるとわかっていたら、アデライドに同行を頼んだものを……」

 

「そんな事態になっていたら、リースベンの行政機能は崩壊しますよ。ただでさえ、人手不足なのですから」

 

「…………たしかに」

 

 ソニアの指摘に、僕はガクリとうなだれた。ただでさえ、今回の一件ではブロンダン家臣団の幹部級がほとんど同行してきているのだ。これに加え事務方トップのアデライドまで出張してしまったら、リースベンの日常政務を回す者がいなくなってしまう。困ったものだ……。

 ……というか、いくらアデライドがとんでもなく優秀な文官だといっても、本当に一人でリースベンを切り盛りできているのだろうか? 忙しすぎて瀕死になっているのでは? いきなり心配になって来たな……彼女のためにも、ズューデンベルグでの仕事はさっさと終わらせてリースベンに戻らねばならない。

 

「はぁ……。なんだかもう、森の中を無意味にさ迷うのも辛くなってきたな。ちょっと早いが、待機所に戻るか。イルメンガルド殿も戻ってきていたら、さっさと茶会とやらを開くように頼むことにしようじゃないか。アンネリーエ殿の一件をどう落とし前を付けるのかも話し合わにゃならないことだし……」

 

「……ですね」

 

 ソニアらも頷き、結局僕は猟場を後にすることとなった。



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第421話 老狼騎士の苦悩

「こ……の馬鹿犬がァ!」

 

 あたし、イルメンガルド・フォン・ミュリンは、半ば本気で孫をブン殴った。老いたりとはいえ、あたしも武人。鍛錬は続けている。顔面に拳をブチこまれたアンネリーエは、子供に投げ捨てられた人形のように吹っ飛んだ。

 

「……う、あ……な、なにすんだよ、ばあちゃん」

 

 地面に倒れ伏したアンネリーエは、鼻血を垂らしながらそう言った。その哀れな姿を見て、心の奥がチクリと痛む。部下や娘どもには数えきれないほどの鉄拳制裁を課してきたあたしだが、孫に手を上げたのは初めてのことだった。

 

「何を!? なにをと聞いたか、今!」

 

 だが、それも一瞬のこと。あっという間に、あたしの心は怒り一色に飲み込まれた。

 

「アンネ、お前自分が今さっきなんて言ったのか覚えてないのか!? エエッ!! 記憶が飛ぶほど荒っぽく殴っちゃいないよ!」

 

「い、いや、その……」

 

 鼻血を拭いつつ、アンネリーエはもごもごと口ごもった。そしてフラフラと立ち上がり、地面に血の混ざったツバを吐き出す。周囲を固めるあたしの家臣たちが、小声でざわつきながらあたしとアンネリーエを交互に見ている。

 ここは、猟場の森のはずれに設営した我々用の天幕の下だ。狩猟会の休憩所として指定されている場所であり、周囲には他家の天幕もたくさんある。視線が入らぬよう布で仕切られているとはいえ、他家の目のあるところで怒鳴るような真似は避けるべきだ。ようやくそんなことに思い至り、あたしは意識して己の怒りを抑え込んだ。

 

「アンネ。お前はこう言ったな? 『ブロンダン卿が調子に乗っているようだったから、忠告してきてやった』ってさ。あたしの耳が歳のせいでバカになっちまったんじゃないね?」

 

「あ、ああ……そうだよ。確かにそう言った。なんだよ、気に入らねぇのかよ」

 

 気に入ってたらブン殴るような真似はしちゃいないよクソ孫が! あたしは思わずぐっと拳を握り締め、大きく息を吐いた。ここはズューデンベルグ、半ば……いや、ほとんど敵地といっていい場所だ。冷静さを失うわけにはいかない。少しのミスが、致命傷になってしまう。……そんな土地でなんでこうバカな真似をしやがったんだいこの馬鹿犬は!!

 この可愛らしい子犬女は、あのブロンダン卿に対し「調子に乗るなよ」などという意味の言葉を吐いてきたらしい。もちろん、あたしはそんなことは命じちゃいない。むしろ、先走るんじゃないよと厳命してあったハズだ。厳命してたよな? まだ頭はボケちゃいないハズだ。なんだか疑わしくなって、副官のほうをチラリと見る。彼女はなんとも言えない表情で我が孫を一瞥し、深々とため息をついてから首を左右に振った。ホレ見ろ、ボケてんのはあたしじゃなくてこの馬鹿じゃないかい。

 

「なぁにを当たり前のことを言ってるんだいお前は。あたしは言ったはずだよ、ブロンダン家とは喧嘩したくないと!」

 

 あたしは人差し指をアンネリーエの鼻先に付きつけつつ、そう言ってやった。ブロンダン卿。あたしのような田舎貴族でも名前を知っている、王国の高名な男騎士。あの蛮族と密林しかないクソみたいな半島の領主殿。……そして何より、我がミュリン家最大の宿敵である、ディーゼル家を打ち破った男。そんなヤツを相手に、どうやらこのバカ孫はご立派な啖呵を切って来たらしい。ふざけんじゃないよ。

 

「わーってるよ、そんなこたぁ。だから"警告"してやったんだろ? ディーゼルに勝てたからって、ミュリンにも勝てるだなんて勘違いされちゃたまったもんじゃねえ。ガツンと言って、身の程ってヤツを教えてやらねぇとな」

 

 コイツ自分がなんで殴られたのか理解してないのかい? あたしは頭を抱えたい心地になって、半ば無意識に副官のほうに手を伸ばした。この副官との付き合いもなかなかに長い。彼女は即座にこちらの意図を察し、カバンから葉巻を出した。慣れた手つきで先端をカットし、こちらに手渡してくる。無言でそれを咥えると、副官は懐紙を丸めて卓上ランプの火を葉巻の先端へと移した。

 

「……」

 

 煙をゆっくりと口の中に吸い込み、飴玉を転がすようにして味わう。……少しだけ、気分が落ち着いてきた。

 

「いいかい若造、教えてやるよ。確かに、そのやり方も相手を選べば有効さ。だけどね、勝てるかどうか怪しい相手には逆効果なのさ。弱い犬がビビってギャンギャン吠えている、なんて思われたら最悪だ。却ってナメられちまうよ」

 

「勝てるかどうか怪しい? ばあちゃんの言葉とはおもえねぇよ。なんでそんなに及び腰なんだ!」

 

 逆にあたしはなんでお前がそんなに強気なのかわからんがね。ため息と一緒に、あたしは煙を吐き出した。

 

「ブロンダン卿は、あたしらミュリン家が百年かかっても滅ぼせなかったディーゼル家を、わずか一戦で破り去った将さね。とうに格付けは終わっている。あっちが上で、こっちが下。そりゃあ腹立たしいが、そこを認めないことにはミュリンもディーゼルの二の舞だよ」

 

 我がミュリン家にとって、ディーゼル家は最大の宿敵だった。僅か一枚の畑、一本の用水路を巡って幾度となくぶつかり合い、おびただしい量の血が流されてきた。あたしの母親も、次女も、ディーゼルによって殺されたのだ。あの牛女どもがどれだけ手強い相手なのか、あたしは世界で一番くわしいつもりだった。

 そのディーゼル軍を、ブロンダン卿は僅か一個中隊の防衛軍で破り去っている。報告を聞いた時は耳を疑ったが、ズューデンベルグに帰還したディーゼル軍の惨状を知れば信じる他なかった。あの恐ろしかったディーゼル軍はもういない。残っているのは、ボロボロになった敗残兵の集団だけだった。

 

「ディーゼルと同じわだちを踏めば、確かにそうなるかもしれねぇ。けどよぉ、だったら対策を打てばいいだけじゃねえか。簡単なことだ!」

 

 あたしはすっかり倦んだような心地になっていたが、我が孫はむしろヒートアップしている様子だった。地団太を踏むような調子で、そう叫ぶ。

 

「アタシはあの戦争について調べた! ディーゼル軍の敗因は狭い山道での突破戦を強いられたことだ。あのウシどもの主戦力は重装騎兵隊だが、山岳地帯ではその真価は発揮できない。戦略レベルで負けてたんだよ、あいつらは。わかってそういう風に采配したってんなら、確かに見事なものだよ。褒めてやってもいい」

 

 いくさに一度も出たことがない戦争処女が、随分と偉そうじゃないか。あたしは悲惨な気分になりながら、内心そう吐き捨てた。脳裏の浮かび上がるのは、狩猟が始まるまえに握手を交わしたあの男騎士の姿だ。黒髪と鳶色の目が特徴的な、女装の麗人。劇役者か何かかとからかいたくなるような存在だが、あたしは彼をあざ笑う気にはなれなかった。

 臭いでわかるのだ。あれは尋常な人間ではない。爪の先、毛穴の奥底にまで、血脂の臭いがしみついている。何十人もの人間の返り血を浴びた人間特有の臭いだった。本物の人切りなのだ。直接ブチ殺した人間の数は、あたしすら上回っているかもしれない。

 その上、あの物腰。あれは明らかに兵からの信頼と尊敬を勝ち取る方法を完全に心得た人間の立ち振る舞いだ。あたしが何十年もかけてやっと覚えた手管を、あの男はあの若さで身に着けている。役者が違うとしか言いようがない。間違っても、好き好んで喧嘩をしたい手合いではなかった。これっぽっちも勝てる気がしない。

 

「でもな、平地に引きずり出せばそうはいかねぇ。当時よりも随分と戦力は増強されたって話だが、それでも兵隊の頭数じゃこっちの方が上だ。包囲してボコボコにしてやればこちらに負けの目はありえねぇ」

 

 ところが、この馬鹿孫はそんなことはさっぱり理解していないらしい。どうやらあたしは、娘の教育だけではなく孫の教育まで失敗してしまったようだった。娘の時は厳しくし過ぎたが、こちらは甘くしすぎたのかもしれない。教育ってやつは本当にままならないものだね。

 

「……アンネ、知ってるかい? ブロンダン卿の軍隊は、散兵がキホンらしいよ。散兵と密集陣では、頭数が同じでもカバーできる範囲がまったく違う。少々の兵力差があっても、包囲は難しいんじゃないのかい」

 

「平原での野戦で兵力を分散させるアホがどこに居るんだよ、ばあちゃん。いくら男だって、そこまでナメちゃ可哀想だぜ? ……まあ、マジで散兵で来るってんならそれこそ願ったりかなったりさ。その薄っぺらい戦列を正面からブチ破ってやればいい」

 

 ナメてんのはお前だよクソッタレ。ディーゼルの重装騎兵隊がブチ破れなかった戦列をどうやってウチの兵隊どもでブチ破るっていうんだい。突破の手管で言えば、ディーゼルの方がはるかに上手だったんだよ?

 

「……はぁ。議論している時間がもったいないね、馬鹿くさい。とにかく、お前は無作法をやらかしたんだ。それの始末は付けにゃあならん。茶会の時に、ブロンダン卿に謝罪をしろ。あたしも一緒に頭を下げてやるから……」

 

 とにかく、あたしはブロンダン家とは戦いたくなかった。しかし、ディーゼル家をこのまま放置することはできない。あのウシ共は今でこそ弱体化しているが、ブロンダン卿の支援を受けて家の立て直しを図っている。今のこのズューデンベルグの好景気ぶりを見るに、十年後二十年後はむしろ往時よりも強大化している可能性すら高かった。

 そうなれば、困るのは我々だ。軍を立て直したディーゼル家は、ミュリン家に対してかなり強く出てくることだろう。噂の"新式軍制"とやらの威力次第では、一撃でコロリとやられてしまうやもしれん。そしてそれを阻止する方法はただ一つ、ディーゼルの連中が弱っているうちに、再起不能なまでに叩き潰すことだ。

 むろん、その際にはブロンダン家が一番の障害になるわけだが……そこはあたしの腕の見せ所だ。両家の離間を図り、できればブロンダン家にはこちらに寝返ってもらう。それが無理でも、好意的中立を保ってもらえば勝ったも同然だ。作戦としては、これしかない。

 ブロンダン卿がディーゼル家に肩入れしているのは、食料供給と通商路の確保のためだ。同じものを我々が提供できるのならば、彼はあえてディーゼルに付き合う必要はなくなってくる。そこがねらい目なのだ。だから、あたしとしてはあの男騎士とは仲良くやっていきたいと考えているのだが……まったく、このクソ孫は。

 

「え~、ヤだよ……」

 

「やだよがあるかこの小童がぁ!」

 

 あたしはいよいよ我慢が出来なくなって、アンネリーエをもう一度ブン殴った。

 

「尻を拭いてやるっつってんだから、おしめも取れないクソをひったらひり出しっぱなしの赤ん坊は黙って拭かれてりゃいいんだよ!」

 

 あたしはそう叫んでから、葉巻を吸った。ああ、まったく。舶来の高級品だってのに、まったく美味くない。全く勿体ないったらありゃしないね。それもこれも、すべてはこのバカ孫のせいだ……。

 



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第422話 くっころ男騎士とお茶会(1)

 猟場から戻れば、いよいよミュリン伯イルメンガルド氏との茶会である。僕たちはミュリン家の試射に案内され、猟場近くの草原に設営された会場へと招かれた。会場と言っても凝ったものではなく、草地に毛織物の敷物をかぶせ、その上から野戦中の軍議などでよく使われるタイプの大天幕を張っただけの簡素なものだ。

 これまた軍用として良く用いられる折り畳み式の大型テーブルの上には茶器や茶菓子などが並べられ、会場の隅におかれた携帯コンロ(ブリキ板で作られた四角い七輪のような道具だ)の上では、大ぶりな鉄瓶が湯気を上げていた。

 茶会は茶会でも、どちらかというと行軍中の休憩時間にやるような質実剛健なものだな、と僕は思った。すくなくとも、ガレア王宮で定期的に開かれている典雅なお茶会とは程遠い。武骨で野趣あふれた雰囲気だ。とはいえ、僕は前世も現世もずっと軍隊の飯を食い続けている人間だ。下手にお上品ぶった集まりよりも、こういった質実剛健な会場の方が落ち着くくらいだった。

 

「……」

 

「……」

 

 ところが、大テーブルを挟んで向かい合うブロンダン家一行とミュリン家のお歴々の間に漂う雰囲気は、落ち着くどころかひどく腰の据わりの悪いものだった。なにしろ、我々はさきほどミュリン伯爵のお孫さんから盛大な煽りを喰らったばかりである。顔には社交用の笑顔を張り付けてはいても、態度は硬くならざるを得ないだろう。お互いに社交辞令を交わした後は、何とも居心地の悪い沈黙が漂っていた。

 

「……いろいろと積もる話はあるのだが、まずは謝罪させていただこう。愚孫から話は聞いている。どうやら、この若造が随分と失礼な真似をしたようだな」

 

 そんな居心地の悪い雰囲気の中、会話の口火を切ったのはイルメンガルド氏だった。彼女は隣に座ったアンネリーエ氏を一瞥し、大きなため息をつく。そして、こちらに向けて深々と頭を下げた。

 

「当然のことながら、こちらには貴卿らと争う意図はない。政治というものを理解せぬ若造が暴走しただけなのだ。大変に申し訳ない」

 

 頭を下げたまま謝罪の言葉を口にするイルメンガルド氏だが、当のアンネリーエ氏はふてくされた表情でそっぽを向いている。その顔には明らかにブン殴られたような痕があり、しかもどうやら鼻血まで流したらしく鼻には巻いた布切れが突っ込まれていた。なかなか強烈な折檻を喰らったようだ。

 

「なんでばぁちゃんが頭下げなきゃいけないんだよ。堂々としてろよ」

 

「だぁれのせいで頭下げる羽目になってると思ってんだいこのダボがぁ!」

 

 そんなアンネリーエ氏に怒声を飛ばしたイルメンガルド氏は、彼女の頭に鉄拳を落とした。「いでぇ!」と叫ぶ狼少女の髪をむんずと掴み、おでこがテーブルの天板へブチあたる勢いで強引に頭を下げさせる。ば、バイオレンスババア……!

 反射的に「ま、まあ、そのくらいで……」と口走りそうになったが、隣に座ったうちのババアが袖をチョンチョンと引っ張ってそれを阻止する。

 

「こういう場では、考えなしに言葉を発するべきではないぞ。真に迫った演技かもしれん訳じゃし」

 

「う……」

 

 確かに言われてみればその通りである。相手は半世紀以上にもわたって大領地を治めてきた老練な領主貴族だ。一見弱り切っているように見えても、なんらかの策略の布石である可能性は十分にある。

 とはいえ、ここでイルメンガルド氏の謝罪を突っぱねても益は無い。そもそも、僕たちが受けた被害もあくまで暴言だけだしな。過剰にゴネて利益を引き出そうとすれば、却って損をしてしまいかねない。後々のことを考えれば、あくまで鷹揚に謝罪を受け入れて見せるのがベストだろう。

 

「……謝罪を受け入れましょう、ミュリン伯爵閣下。しかし、以後このような事は無いようにお願いします。こちらにもメンツというものがありますから」

 

 僕は仏頂面で香草茶をすするフェザリアのほうをチラリと見ながらそう言った。下手なことをすれば、このニトログリセリンより敏感で危険な女が大爆発してしまいかねない。そうなったら大惨事である。……とはいえ、フェザリアでなくても今回の一件は反発して当然のモノだった。封建貴族にとって、メンツというのは命より大切なものである。たとえ伯爵という格上の貴族が相手でも、こちらのメンツを潰すような真似を許すわけにはいかないのだ。

 

「むろんだ。この愚孫はしばらく謹慎させる」

 

 ため息をつきながら、イルメンガルド氏は孫の頭から手を離した。アンネリーエ氏は涙目になりつつ、「うー……」と小さく呻いておでこを押さえる。なかなか痛かった様子だ。

 

「なんでだよー。ばあちゃんは伯爵でそいつは城伯だろうに、なんでばあちゃんの方が頭下げてるんだよぉ……」

 

 この期に及んでそんなことをいうものだから、イルメンガルド氏はまたも鉄拳を孫の頭に堕とした。ガツンとかなりいい音がして、アンネリーエ氏は涙目でうずくまる。本当にバイオレンスだなこの人……いやまあ、この世界の場合、体罰に忌避感を覚えている人間の方が少ないのだが。こればかりは、人が悪いというより時代が悪い。

 

「一種の策略じゃないか思うとったが、こりゃあ本気で若いのが暴走しただけの様子じゃのぉ……」

 

 同情した目つきでイルメンガルド氏を見ながら、ゼラがそう呟いた。ダライヤがため息をついて、彼女に同調する。

 

「若いのはすぐ暴走するからのぉ……困ったもんじゃ」

 

 年齢四桁のあんたから見たら全人類の九割九分くらいは"若いの"だろ! というかお前も大概暴走癖あるだろ! 相談もせずにエルフェニアの統治を投げつけてきた件についてはいまだに恨んでるんだからな!

 

「……ま、このような話を長々続けても、益はありません。今回の一件は、これで終わりということで」

 

 香草茶を一口飲んでから、僕はそう言った。伯爵閣下直々の謝罪を貰ったわけだからな。これ以上アレコレ言う必要はない。……ま、当のアンネリーエ氏はまったく納得も反省もしていない様子だが。とはいえ、まあ所詮は子供の言う事である。気にする必要はない。

 

「そう言ってもらえると助かるよ。すまないね……」

 

 深々とため息をついて、イルメンガルド氏は頷いた。そして一瞬思案顔になって、涙目になっている孫の方を見る。

 

「……今すぐ宿に帰して反省文でも書かせたいところなんだが、悲しいかなこの馬鹿孫は長子なんだ。領主としての仕事を教えてやらねばならん。ブロンダン卿、この場にコイツが居座るのを許してやってくれまいか」

 

 なるほどな。イルメンガルド氏は、自分の仕事を見せるためにこの跳ねっ帰りを連れ歩いているわけか。難儀な話だなぁ。後継者に恵まれないというのも、なかなかに不幸な話である。……いや、僕も他人事ではいられないな。いずれはブロンダン家とリースベン領を、己の娘なり息子なりに継承させなきゃいけないわけだし。

 

「ええ。承知いたしました」

 

「すまないね……アンネ! つぎ余計なことを言ってみな、ブロンダン卿の前で裸にヒン剥いて、泣くまでナマ尻をブッ叩いてやるからね」

 

「うぇっ!?」

 

 アンネリーエ氏は面食らった様子で奇妙な叫び声を上げた。ぜ、全裸お尻ペンペンかー……。

 

「閣下、それは流石に……。ブロンダン卿も、そのようなものは見たくないでしょうし」

 

 そこへ、イルメンガルド氏の副官らしき騎士が苦言を呈する。老狼騎士はあちゃあと言わんばかりの様子で自分の額をペチンと叩いた。

 

「そりゃあそうだね。汚いガキのハダカなんか見せたら、男騎士殿の目が汚れちまうよ。ハッハッハ……」

 

 いや普通に見たいですけど……などということは、流石に言えない。僕はあいまいに笑いながら肩をすくめた。

 

「……ところで、ミュリン伯」

 

 赤面するアンネリーエ氏を一瞥しながら、ソニアが口を開いた。場の雰囲気は少しだけ和らいだが、彼女の目つきは相変わらず冷え切っている。

 

「そろそろ、なぜ我々をお茶会に誘ったのか教えて頂いてもよろしいでしょうか? まさか、御高名なミュリン伯爵閣下に突然名指しで呼び出されるとは思っておらず、少しばかり戦々恐々としているのですが。もしや、『お前たち、最近調子に乗っているんじゃないか?』などと言ってヤキを入れられてしまうのではないかと……」

 

 とんでもなく強烈な皮肉だ。イルメンガルド氏は顔をしかめ、首を左右に振った。

 

「もちろん、そんな馬鹿な真似はしない。貴卿らを呼び出したのは、あくまで新しいご近所さんと親睦を深めるためさ。リースベン領とミュリン領は、ズューデンベルグを挟んですぐ近くだ。これから長い付き合いになるだろうと思ってね、あたし自ら挨拶に来たってワケだ」

 

 そう言ってから、イルメンガルド氏は茶菓子のハチミツ入りビスケットを一枚、口の中に放り込んだ。バリバリと咀嚼してから、それを香草茶で飲み下す。

 

「あとは、そう……少しばかり、商売の話も持ってきたよ」

 

「ほう、ご商談ですか。お伺いしましょう」

 

 なるほどな。……やっぱり、今回の旅はアデライドについてきてもらうべきだったなあ。今さら言っても仕方が無いが。

 

「売りたいのは、麦さ。ご存じの通り、ミュリン領はズューデンベルグを超える大穀倉地帯でね。しかも今年は、大豊作だ。どうも今年は食料余りになりそうで、困ってるんだよ。たぶんディーゼルの奴らよりも安く麦を提供できると思うんだが、どうだい? 一枚噛んでいかないかね?」

 

 ……おや、おやおやおや。はぁん、なるほど。そういうハラか……。僕は、イルメンガルド氏の描いている絵図を理解した。これは少しばかり厄介なことになるかもしれんな…。



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第423話 くっころ男騎士とお茶会(2)

 現在、我がリースベンの食料需要を支えているのはズューデンベルグから供給されるライ麦や燕麦などの雑穀類だった。本来であれば元敵国であるズューデンベルグに食料供給を依存するというのは避けるべきなのだろうが、これは一部致し方のない面があった。ディーゼル家は、これら雑穀類を格安の固定相場で売ってくれるのだ。

 リースベンの人口は今なお急増を続けている。彼ら・彼女ら全員が腹いっぱいになるほどの穀物類を通常の市場で購入すると、食料価格の暴騰が起きてしまう可能性が高い。そうなると食料を輸入に頼らざるを得ないリースベンは大損をするし、周辺諸国の領主や一般民衆も我々を恨むだろう。それはよろしくない。

 だが、この問題はズューデンベルグが間に挟まることで解決する。かの国は単独でリースベンを支えられるほど耕作面積が広い。おまけに主食が小麦だから、輸入品を燕麦やライ麦に絞れば市民生活への影響も限定的だ(いくら固定相場で取引しても市場に流通する現物が減れば結局同じなのである)。おまけに一度戦争で勝利しているから、足元を見られることもない! なんとも理想的な食料供給地だった。

 

「売りたいのは、麦さ。ご存じの通り、ミュリン領はズューデンベルグを超える大穀倉地帯でね。しかも今年は、大豊作だ。どうも今年は食料余りになりそうで、困ってるんだよ。たぶんディーゼルの奴らよりも安く麦を提供できると思うんだが、どうだい? 一枚噛んでいかないかね?」

 

 ところが、イルメンガルド氏はどうやらこの関係に首を突っ込みたいらしい。営業用の笑みを浮かべてそんなことをのたまう彼女に、僕は内心眉を潜めた。なるほど、流石は齢七十にしていまだに第一線で領主をしているだけのことはある。相手の弱点を突き止める嗅覚は尋常なものではない。

 

「ディーゼル家より安く、ですか。それはまた、ずいぶんと大きく出ましたね……」

 

 僕は小さく息を吐きながら、カップに入った香草茶を飲みほした。注文もしていないのに給仕がやってきて、湯気の立つアツアツの香草茶を補充してくれる。孫の教育はアレだが、部下の教育はなかなかに行き届いているようだった。

 

「ご存じの通り、我々とディーゼル家は水魚の交わりといっても差し支えのない関係でしてね。彼女らの好意のおかげで、我々は"友達価格"で麦を仕入れることができています。……はっきり言いますが、商売になるような取引ではありませんよ。ギリギリ損はしない、それだけです」

 

 なんなら転売したら大儲けできるくらいの底値で仕入れてるからね、ズューデンベルグ産の穀物。まあもちろんそんなことをしたら大迷惑になるから、必要量ギリギリしか買わないけどさ。山を挟んでいるとはいえ隣接している領地同士でこのレベルの価格なのだから、輸送費が余計にかかるミュリン産の麦が価格競争を挑んでくるのはかなり無茶だ。この世界にはトラックも鉄道もコンテナ船も無いのだから、物流コストは尋常ではなく高い。

 

「別にね、我々としては少しばかり原価割れをしたところでかまわんのさ」

 

 むろん、それがわからぬイルメンガルド氏ではない。彼女は落ち着き払った様子で茶菓子の焼きリンゴを一口食べた。

 

「取引というのは、カネとモノをやり取りするだけがすべてじゃあない。信用、あるいは好意。そういった目に見えぬモノも行き来してるんだ」

 

 なるほど、一理ある。僕は話を真面目に聞くフリをしながら、ダライヤをチラリと見た。

 

「これは……我らとディーゼル家の離間工作じゃな? 食料の供給先を、ズューデンベルグからウチに切り替えろと、そう言いたいわけかの」

 

「だねぇ。確かにこちらがディーゼル家に肩入れしている一番の理由はソレなんだが、その梯子外しを狙ってきたか……」

 

 相手方に聞こえぬよう、僕たちは小声でささやき合う。何が好意、信用だよ。要するに、激安価格で食料を売ってやるからズューデンベルグを見捨てろと言いたいわけだろうが。信用もクソもないじゃないか。

 実際問題、我々がズューデンベルグから手を引いた場合、主戦力を失った今のディーゼル家ではミュリン家の侵略には対処しきれない。守りの固い山城であるズューデンベルグ市はなんとか堅持できるだろうが、農業の中心地であるシュワルツァードブルク市の喪失はさけられないだろう。よその国の街一つと、原価割れの格安穀物。なるほど、モノだけみればなかなか美味しい取引ではある。

 とはいえなぁ。これだけハッキリと肩入れをアピールしているディーゼル家を見捨てると、我々の信用や体面に傷がついてしまう。割に合うか合わないかで言えば、全然合わないだろ。そもそも、こういう無情なやり口自体僕の趣味ではないしな。

 

「あなたの提案を飲んだ場合、むしろ我々は信用を失うのではないかと思うのですがね。なにしろ僕たちとディーゼル家はお友達だ。友の苦境は見逃せませんよ」

 

「そりゃ確かだね。気の置けない友人ほど大切なものはない。……だが、相手はディーゼルだぞ?」

 

 こちらの反応は予想済みだったのだろう。イルメンガルド氏の反応は落ち着いたものだった。

 

「そもそも、ディーゼル家は何の非もないアンタらを侵略しようとしていたロクデナシ共だよ? 友達にするにはちぃと難があると思わんかね。あたしらのほうが、よほどオトモダチにはふさわしいと思うが」

 

「さぁてね。戦いの中で育まれる友情というのもあると思いますが」

 

 育まれたのは友情ではなく上下関係だがな。すくなくともしばらくの間、ディーゼル家は僕たちの影響下からは逃れられない。とうぜん、交渉の類も有利に進められる。これはミュリン家にはないメリットだ。

 

「ディーゼル家云々はさておき、確かにミュリン伯爵閣下とはお友達にはなりたいと思っておりますよ。そちらさえ良ければね」

 

 僕はふてくされてそっぽをむくアンネリーエ氏を見ながら、薄く笑った。ズューデンベルグへの野心さえ捨ててくれるのなら、ミュリンと仲良くすること自体は頷いても良い。だが、ミュリン伯爵は高齢だ。じき、代替わりが起きるだろう。

 次の伯爵になるのは彼女の娘だろうが……調べによれば、当の長女はもう五十歳だ。こちらの治世も決して長くはないだろう。この世界では貴族は戦場に立ってナンボという考え方があり、体力が衰えてくれば引退せざるを得なくなってしまう。三十代後半には、もう代替わりの話が出始めてくるのだ。ましてや五十歳ともなると……。

 

「……まだ時間的な余裕はあるさ。教育次第でなんとでもなる」

 

 次世代の不安を突かれると、流石のイルメンガルド氏も言いよどまざるを得ないようだった。露骨に顔をしかめ、ため息をつく。話題に出されたアンネリーエ氏は、口をへの字に曲げる。

 

「教育なら十分足りてるよ。ばぁちゃんはいろいろ教えてくれたからな。……でも、その教えの中にはこういうものもある。自分の損になるような取引はするな……ってね」

 

「アンネ。あたしゃお前に黙ってろと命じたハズだがね。年寄りのあたしより先に耳が遠くなっちまったのかい?」

 

 ヤブをつついたら案の定ヘビが出てきたような顔で、イルメンガルド氏は言い捨てた。だがそれでも、アンネリーエ氏は止まらない。

 

「いーや、黙ってらんねぇ。麦の取引はうちの生命線だ。北の連中に売りつければ、金色の麦穂が本物の黄金に代わるんだぞ? 何が悲しくてクソ値で売らなきゃならねぇんだよ。大損じゃねえか」

 

 それで街一つ手に入るならむしろ大儲けだろ。……まあ、アンネリーエ氏の頭の中では、こちらに譲歩などせずともシュワルツァードブルク市など手に入ると考えているのだろうが。

 

「馬鹿ぁ言え、そりゃ小麦の話だ。雑穀類なら、少しばかり安売りしたところでこちらの懐は痛まん。……ああいや、むろんリースベン側が望むのであれば、小麦も安く売る用意はあるがね」

 

 イルメンガルド氏がこちらを見ながら、聞いてくる。だが、僕にとって小麦はそれほど魅力的な穀物ではなかった。小麦と燕麦を比べれば、後者は同じ価格で倍以上の量を買うことができるである。蛮族の服属により激増したリースベンの人口を支えるには、質より量を重視するほかなかった。すくなくとも、エルフの芋畑が軌道に乗るまでは小麦などを買っている余裕などない。

 

「仮にあなた方と取引を始めたとしても、おそらくは燕麦やライ麦しか注文しないでしょうね。領主ともども、粗食には慣れておりますので」

 

 燕麦パンはたしかにろくでもない食い物だが、スープやお湯でふやかせばまあ食える。引き割りにしてそのまま粥にするのも良い。とにかく、食えないことは無いのだ。それよりも、飢える者を出さないという事の方が大切だった。

 

「燕麦ぅ? ライ麦ぃ?」

 

 ところが、アンネリーエ氏はそうとは思わないようだった。彼女は明らかに馬鹿にしたような目つきでこちらを眺めまわし、肩をすくめる。

 

「ばぁちゃん。やっぱりこいつら、取引に値する連中じゃないようだぜ。燕麦やらライ麦やらなんぞ、家畜の餌じゃねえか。そんなモノを食ってるような奴らは、ニンゲンじゃなくて畜生さ。恐れる必要なんざ……」

 

 あ、ヤバイ。メシ関連の罵倒はヤバイ。そう思った瞬間の出来事だった。無言でブチ切れたフェザリアが、神速で抜刀しつつ地面を蹴る。大砲を発砲したような大音響を響かせて急加速したエルフの皇女様は、砲弾のような勢いで愚かなオオカミ娘に襲い掛かり……



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第424話 くっころ男騎士と謝罪

「ばぁちゃん。やっぱりこいつら、取引に値する連中じゃないようだぜ。燕麦やらライ麦やらなんぞ、家畜の餌じゃねえか。そんなモノを食ってるような奴らは、ニンゲンじゃなくて畜生さ。恐れる必要なんざ……」

 

 アンネリーエ氏の発した言葉は、たいへんにマズイものだった。他人の日常的な食べ物を罵倒するのは、親や子供を罵倒するのとほぼ同じような効果がある。ましてや家畜の餌呼ばわりともなれば、キレない方がおかしい。

 そして僕たちの誰よりも早く、フェザリアはブチギレた。おそらく、これまでの経緯でずいぶんとフラストレーションが溜まっていたのだろう。彼女の行動は迅速だった。目にもとまらぬ速度で木剣を抜刀し、椅子を蹴倒して突撃する。ほとんど砲弾のような勢いの攻撃であり、気付いた時にはもう遅かった。

 

「……ッ!」

 

 フェザリアは進路上のテーブルを薙ぎ払い、一直線にアンネリーエ氏へと襲い掛かる。当の愚かなオオカミ娘は、この突撃にロクな反応が出来なかった。己の剣の柄を握ることすらできず、目を見開いてフェザリアを見るばかり。それもまあ、致し方のないだろう。彼女は成人したばかりの若武者だ。経験が圧倒的に足りない。ウン百年を戦いに費やしてきたエルフの戦士からすれば、カカシと大差ない存在だった。

 

「お嬢様!」

 

 ふがいない小娘の代わりに反応したのは、彼女の傍に侍っていた壮年のオオカミ獣人騎士だった。騎士は長剣を抜き、アンネリーエ氏を庇って前に出る。見事な反応速度ではあったが、遅きに失していた。彼女が剣を構えるより早く、フェザリアの木剣が騎士の身体を一刀両断にしていた。血しぶきが舞い、悲鳴が上がる。フェザリアは路傍の石でも蹴り飛ばすような様子で騎士の死体を跳ね飛ばし、本命への攻撃を継続しようとする……!

 

「とまれ、フェザリア!」

 

 そこで、僕は大慌てでそう叫んだ。その時にはもうフェザリアは剣を振っていたが、なんとか間に合った。木剣はアンネリーエ氏の首を斬り飛ばすギリギリのところで停止する。側面に打ち込まれた黒曜石の刃はオオカミ娘の首筋へとわずかに食い込み、微かに血を流させていた。

 

「ひいっ、あっ……」

 

 こんな目に遭ったのは生まれて初めてなのだろう。アンネリーエ氏は自分の首に食い込みかかった木剣をチラリと見て顔色を失い、腰を抜かした。その時になってやっとミュリン家の他の護衛騎士たちも動き始め、剣を抜く。それを見たソニアやジルベルトなども、対抗するように剣を構えた。一触即発の気配だ。

 

「フェザリア、戻れ。この件の責任を取るべき人間はそんな小娘ではない」

 

 僕は意識して殺気立った表情を作り、イルメンガルド氏を睨みつけつつ言った。先に剣を抜いたのはこちら側だが、謝るつもりは毛頭なかった。なにしろ、当主の孫から直接「リースベン人は家畜の餌を食べている畜生だ」と言われてしまったのだ。甘い対応はとれない。

 この世界の貴族社会では己の名誉は己の力で守るべし、とされている。公衆の面前で罵倒されたような場合、たとえ武力を用いてでも名誉を回復せよ、というのが普通の考え方だ。それができねば貴族たる資格は無いのである。フェザリアの反応はいささか過敏だったが、それでも決して誤ったものではない。僕は彼女を叱責するつもりはさらさら無かった。

 ただ、このまま彼女がアンネリーエ氏をぶっ殺しちゃった場合、ミュリン家との間で戦争が起きる可能性がかなり高いからな。流石にそれは勘弁してもらいたいんだよ。今回の場合はほぼ完全にミュリン家側に責があるので、いざ開戦となっても皇帝家は介入してこないだろうが……だからと言ってそのまま開戦に突っ走るのは僕の趣味ではなかった。

 

「……承知」

 

 フェザリアは僕の指示に従い、ゆっくりとこちらへ戻ってきた。その表情には不満らしき色はない。彼女はいささか直情的なところはあるが、頭の回転自体は大変に早いのだ。どうやら、僕の方の意図に気づいてくれたようだった。

 

「ぶ、ブロンダン卿。どうか落ち着いてくれ。あたしは……」

 

 顔に脂汗を浮かべながら、イルメンガルド氏は弁明らしき言葉を絞り出そうとしていた。だが僕は彼女の言葉を無視し、口笛を吹いた。場違い甚だしい間抜けな音色が周囲に響き渡り……森の方から、重苦しい羽音が聞こえてくる。ミュリン家側の騎士が慌てて天幕の外へと飛び出し、悲鳴じみた声を上げた。

 

「ご、ご当主様! 化け物が!」

 

「はぁ!? バカヤロウ、こんな時に面白くもない冗談を言うんじゃないよ!」

 

 イルメンガルド氏は青い顔でそう叫んだが、それとほぼ同時に重苦しい地響きと共に巨大な何かが天幕の隣に落ちてきた。……そう、ネェルである。彼女は剣を構えるミュリン騎士を視線だけで威圧しつつ、器用に巨体をかがめて天幕の下に入ってくる。

 よく見れば、彼女の鎌には血塗れの牝鹿が挟まれていた。口元にも血が付着している。どうやら、お食事の途中だったようだ。……鹿って生で食べて大丈夫なのか? 寄生虫とか病原菌的に。誰かに頼んで焼いてもらえば良かったのに……。

 

「ネェルを、および、ですか?」

 

 小首をかしげながらそんなことを聞いてくるネェルた大変に可愛らしいが、全身血塗れな上に悲惨な状態の鹿まで持っているのだから恐ろしいことこの上ない。ミュリン家の連中は明らかに浮き足立った様子で、我が家のカマキリちゃんに恐怖の目を向けている。

 

「……ああ、なるほど。デザートを、食べさせてくれる、わけですね。うれしー」

 

 僕が何かを答える前に、ネェルはミュリン家の皆様がたを一瞥しながら恐ろしい笑みを浮かべた。どうやら、状況を見て自分がなぜ呼ばれたのか気付いたのだろう。彼女は殊更に見せつけるようにして、牝鹿の前脚にかぶりつく。鹿の骨はとても頑丈だが、カマキリ虫人のアゴの力には抗しきれない。バリボリとひどく猟奇的な音を立てながら、大ぶりな前脚はネェルの口の中に消えていく……。

 

「さあてね。君がデザートを食べられるかどうかは、ミュリン家の皆様方の判断次第だ」

 

 僕はそういって、視線をイルメンガルド氏に向けた。彼女は脂汗まみれの真っ青な顔をしているが、それでも気丈に僕の視線を受け止める。他の若い騎士たちは軒並み浮き足立っているというのに、流石は当主殿。肝が据わっている。

 

「ミュリン伯爵閣下。自分といたしましては、先ほどのお孫様の発言は看過できません。家畜の餌だの畜生だのと言われて引き下がっては、領民たちに申し訳が立ちませんので」

 

 などと口では言ってるが、僕は内心少しだけほっとしていた。このイルメンガルド氏の策は、なかなかに狡猾だ。友好ヅラをしてこちらに接近しつつ、ディーゼル家との間にくさびを打って離間を図る、というのが彼女の作戦だろう。直接こちらと敵対するわけではないので、なかなかに対策しづらく難しい立ち回りを要求されてしまう。

 だが、こうして正面から中指をおったててくれるなら話は簡単だ。これ見よがしに態度を硬化させつつ、こちら側の戦力を見せびらかして相手の軍事行動を掣肘(せいちゅう)することができる。まったく、孫がアホで助かったよ。

 そもそも、彼女の策に乗ること自体が論外だしな。仮に万事がイルメンガルド氏の思惑通りに進んだとしても、ミュリン家が代替わりをしたら何もかもが滅茶苦茶になってしまう可能性が極めて高い。なにしろ跡取りがこの有様だ……僕は腰を抜かしたまま固まっているアンネリーエ氏を見ながら、そう考えた。いずれ敵対するのが確定しているのなら、こちらの優位な方向で態勢を固めてしまった方が良い。アンネリーエ氏のチョンボはむしろ渡りに船ですらあった。

 

「僕には、先ほどの発言の撤回と謝罪を求める義務があります。それが受け入れられない場合、残念ながら宣戦を布告されたと判断せざるを得ません」

 

 前世の感覚を残した僕としてはいまだに馴染めないのだが、この世界では"名誉の回復"は正統な開戦自由として認められる。そしてこの場合はどう考えてもミュリン伯側に責があると考えられる状況なので、彼女らは主君である皇帝家の力を借りることができず、独力で我々と戦うほかないのだ。

 僕の発言はあくまで脅しだが、万一向こうが「おう受けて立とうじゃねえか!」となっても勝つ自信は十分にあった。というか、勝つ自信もないのにこの手の脅しを使うのは論外だ。実行できない内容の脅迫ほど無意味で空虚なものはない。

 

「違う、ブロンダン卿! こちらには貴殿らと敵対する意思は毛頭ない! 落ち着いてくれ!」

 

 哀れなイルメンガルド氏は悲壮な声でそう叫び、呆然としたままの孫のほうへ視線を移す。

 

「……アンネ! アンネ! 何を腑抜けているんだい、アンタは! ヒルトラウトがその身を犠牲にして、アンタの命を救ったんだよ! 命を拾ったのなら、やるべきことがあるんじゃないのかい!」

 

「あ……そ、そうだ。ヒルトが、ああ……」

 

 アンネリーエ氏は自分の前で真っ二つになった騎士の死体に目を向け、悲惨な顔色になった。そして、ぷるぷると震えながら、腰の剣に手をやろうとする。祖母の叱責を、部下の復仇をせよ、という風に受け取ったのだろう。

 

「馬鹿、違う!」

 

 もちろんイルメンガルド氏の意図はそうではない。彼女は顔色を土気色にしながらそう叫んだ。アンネリーエ氏はびくりとして動きを止める。

 

「柔らかくて、美味しそうですね、アレ。デザートに、ぴったり、的な?」

 

 適切なタイミングで、ネェルがそう言いながらアンネリーエ氏を見て笑う。そして、これ見よがしに牝鹿の頭に噛みついた。草食獣の頭蓋骨はとてつもなく頑強にできているから、そうそうのことでは潰れない。しかしネェルはそんな牝鹿の頭を、くるみ割り人形めいてかみ砕いてしまった。飛び散る血と脳漿を目にして、アンネリーエ氏は腰を抜かしたまま本物の子犬のような悲鳴を漏らしつつ失禁した。彼女の腰の下から、敷物の上に黒いシミが広がっていく。

 ……当たり前だが、普段のネェルはこのような品のない真似はしない。自分の役割がミュリン家への威圧だと心得ているから、あえて残虐にふるまっているのだ。なんとも素晴らしい役者ぶりである。賞賛をこめて彼女に微笑みかけると、ネェルは口角を上げてそれに応えた。強いうえに賢い、まったく素晴らしいカマキリちゃんである。あとでご褒美をあげなきゃならないな。

 

「アンネェ! これ以上醜態をさらすようなら、ソイツに食われちまう前にあたしがお前の首を叩き落すぞ! お前は言ってはならないことを口にしたんだ! こういう時にどういう風にすべきか、母親からは習わなかったのかい!」

 

 ほとんど悲鳴のような声音で、イルメンガルド氏はそう叫ぶ。物騒な発言とは裏腹に、その表情は孫をひどく案じているような色が強かった。アンネリーエ氏が本気でネェルに食われてしまうのではないかと心配しているのだ。……どう見ても、ネェルはヤバイ相手だからな。彼女が本気で暴れだしたら、ミュリン家の騎士だけでは抑えられないのは明白だ。即座に白旗を上げるというのは正しい判断だろう。

 

「ば、ばぁちゃん。アタシは、アタシは……」

 

 ぷるぷると震えつつ、すがるような目つきでアンネリーエ氏は祖母を見た。彼女の目には大粒の涙が浮かんでいる。イルメンガルド氏はとうとうブチ切れてしまった様子で、早足で孫に近寄った。そしてその頭をむんずと掴むと、力づくで敷物の敷かれた地面へと強引に押し付ける。そして自分自身も、ほとんど土下座のような勢いで僕たちに頭を下げた。……敷物はアンネリーエ氏の漏らした尿でぐちゃぐちゃになっている。そんなものへ頭を付けるのは大変に不快だろうが、お構いなしだ。

 

「申し訳ない、ブロンダン卿。孫がたいへんな粗相をしでかした……! この通りだ、どうか許してくれ……! 十分な償いはする、だからこいつの命ばかりは……!」

 

 僕はそっと息を吐き、ソニアとダライヤを交互に見る。前者は仕方が無さそうに、後者は苦笑しながら頷いてくれた。……ソニア以外にも不満げな部下は多いが、僕としてはこれ以上ことを荒立てたくないんだよな。なにしろすでに一人死んでるわけだし……。

 部下たちの気分はわかる。よくわかる。特にフェザリアらエルフ勢は、つらい飢饉で人口の大半を失った部族だ。食い物関連の侮蔑に対しては、たいへんに腹立たしいものがあるだろう。彼女らの上司として、僕は甘い態度はとれない。だが、僕たちは軍人なのだ。軍人の仕事は市民の安全と財産を守る事であって、身の程知らずの哀れな子供をボコボコにシバくことではない。

 

「……かの忠勇なる騎士殿の見事な献身に免じて、謝罪を受け入れましょう」

 

 真っ二つになったミュリン家の騎士をチラリと見ながら、僕はそう言った。誰もかれもが唖然とする中、唯一フェザリアに立ち向かった騎士だ。一撃でやられてしまったとはいえ、一流の技量を持った剣士だったことは間違いない。

 

「みな、剣を納めろ。これ以上の流血はディーゼル伯爵の迷惑にもなる。主人(ホスト)客分(ゲスト)をもてなす義務があるように、客分(ゲスト)には主人(ホスト)の顔を立てる義務がある。それが貴族の常識というものだ。……そうですね? ミュリン伯爵閣下」

 

 露骨な皮肉に、イルメンガルド氏は真っ青な顔で頷いた。彼女はまだ、尿まみれの敷物に孫の頭を押し付けたままだった。馬鹿な真似をしでかした小娘は、その情けない格好のままくぐもった泣き声を漏らしている。

 この場にカリーナを連れてこなくてよかった。僕は内心、そんなことを考えた。同年代の少女がこんな目にあっている姿は、あの可愛い義妹には見せたくない。反面教師にはなるかもしれないが、すこしばかり刺激が強すぎるだろう。



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第425話 くっころ男騎士と信賞必罰

「はぁ……」

 

 僕はため息をつきつつ、香草茶を一口飲んだ。せっかくの狩猟会なのに猟果はゼロだし、アホな小娘に絡まれて厄介なことになるし、まったく今日は厄日だ。無言でビスケットを口の中に放り込み、かみ砕く。ビスケットといっても、行軍中などによく食べるレンガみたいに硬い保存食ではない。柔らかくて甘い、お菓子としてのビスケットだ。この手の代物はぜいたく品なので、リースベンではなかなか食べる機会がない。

 ミュリン家の連中との和解交渉を終えた僕たちはズューデンベルグ城に戻り、談話室でくつろいでいた。室内に居るのは、リースベンの関係者ばかりだ。使用人らは室外で待機しており、呼び鈴を鳴らすとやってくるシステムになっている。内輪の話をしやすいように、という心遣いらしい。何ともありがたい配慮だ。

 

「いやー、なかなか実りある取引じゃったのー」

 

 憂鬱な僕とは反対に、ホクホク顔をしているのがダライヤだった。彼女は和解交渉において我々の側の交渉人を務めたのだが、そこは御年千歳のロリババア。田舎貴族の交渉人などではとても相手にならない。結局、ミュリン家はシャレにならない額の謝罪金を支払うこととなってしまった。

 さらに、和解条件はそれだけではない。アンネリーエ氏の一か月間の蟄居(ちっきょ)(謹慎の一種。家どころか部屋からも出られない厳しい刑罰)と、イルメンガルド氏本人がリースベンへ直接出向いての改めての謝罪。この二点もだ。とはいっても、これはミュリン家側が持ち出した条件だった。……おそらく、後者に関しては謝罪にかこつけた会談の要請だな。まあ案の定"乗り換え"云々の話は流れてしまったので、ミュリン家側としては埋め合わせをしたいのだろう。厄介な話だ。とはいえ、まあ全体的に見ればこちら側の完全勝訴といっても差し支えのない内容ではあった。

 しかし、アレだね。侮辱されてのこととはいえ、先に剣を抜いたのはこちらなんだけどね。十割向こう側が悪い感じに交渉がまとまったの、凄いよね。現代社会ならあり得ない話だろ。なんでそうなったかといえば、ヒトの命よりもメンツや名誉が重い貴族社会特有の事情と、ミュリン家より我々の側が優越した武力を持っている、という点が大きいんだが。なんとも野蛮な話だよな。

 

「どうせあぶく銭じゃ。ぱーっと使ってしまおうではないか。例えば芋焼酎(エルフ酒)の工場とか、のぉ? ぬふふふふ」

 

 酒好き幼女は邪悪な笑みを浮かべつつ、ソロバン(に似たアナログ計算機)を弾いている。なるほど、いい考えだ。僕としても大賛成である。……まあ、我が家の金庫番(アデライド)が頷いてくれるかどうかと言えば、結構怪しいのだが。

 

「別に構わないけど、アデライドを丸め込む手は考えておいてくれよ? 最近やたらと散財に厳しいんだから、あの人……」

 

 少し前まではねだればねだるだけカネを貸してくれたものだが、婚約が決まってからはそうはいかなくなった。釣れた魚には餌をやらないタイプなのか? と遠回しに聞いてみたら、「君の資金運用計画が予想の十倍くらいずさんだったせいなのだがねぇ!?」とキレられてしまった。かなしい。

 

「まったく、あ奴はカネモチのくせにケチンボでいかんのぉ」

 

 腐っても大国の宰相閣下、アデライドはダライヤからしても容易い相手ではないらしい。彼女はフグのようにほっぺたを膨らませ、何やら思案を始めた。……本気で芋焼酎の工場を作りたいようだな。まあ、気分はわかるが。今のエルフ式芋焼酎はドラム缶よりも一回り小さいサイズの組み立て式蒸留器で作っているので、効率は悪いし風味にも問題がある。呑兵衛としては是非とも改善したいのだろう。

 

「うんうん、その通りだ……」

 

 無責任な調子でロリババアに同調していると、ふとフェザリアが視界に入る。彼女は難しい表情で何かを思案しているようだった。おそらくは、自分がアンネリーエ氏に切りかかった件について考えているのだろう。さて、何か声をかけておいた方が良いだろうか。そう思ったのだが、僕が何かを言う前にフェザリアの方が口を開いた。

 

「アルベール。先ほどは申し訳なか。先走ったことをした」

 

 やはり、先ほどの一件か。僕は小さく頷いた。彼女が勝手に剣を抜き、あげく一名を殺害してしまったのは事実だ。例の騎士の献身により最悪の事態は避けられたものの、もしあのままフェザリアがアンネリーエ氏を斬り殺していたら、ミュリン家の間で戦争が起こっていたかもしれない。直系の長子を殺害されたとあれば、ミュリン家もこちらに譲歩はできなくなるからな。

 

「うん、まあ……その話は、あとで二人っきりでしようと思ってたんだけど……」

 

 僕は周囲を見回しながら、そう言った。褒める時は公衆の面前で、注意をするときは二人っきりで。それが僕の部下に対する向き合い方だ。公の場で相手のメンツを傷つければ、かなりシャレにならない事態が発生することがある。ちょうど、今回のようにな。

 

「いや、そいには及ばん。身体が勝手に動いてしもたど。すまん、アルベール。許してくれとは言わん。必要ならば腹も切ろう」

 

 神妙な調子で、フェザリアはそう言った。せ、切腹かー。流石にそれはなー、貴重な友人兼幕僚兼蛮族どもの抑え役を、アホなガキの若さゆえの過ち程度で失うのはなー。勘弁願いたいよなー……。

 

「オルファンさん、流石にソイツは剣呑が過ぎますぜ。ここは穏当にエンコ詰めで……」

 

 慌てた様子で、ゼラがどこからともなくまな板を取り出す。……え、なんで? なんでそんなモノ持ってるの? どこでも(エンコ)を詰められるように? ええ……。

 

「命も指もいらないよ、冗談じゃない……」

 

 なぜか普通な顔をしてまな板を受け取ろうとしたフェザリアを押しとどめ、僕はそう言った。

 

「確かに勝手に人を殺されちゃこまるよ。軍隊の本質は制御された暴力だ。独断、暴走を許すわけにはいかん」

 

 軍隊という組織にあっては、統制こそがもっとも重要な要素と言っても良い。現場の暴走を容認してしまった結果、亡国に繋がるような大事件が発生してしまった例は枚挙にいとまがない。信賞必罰は徹底する必要があった。

 ただ、流石に腹を切るのは……ねぇ? ちょっと厳しすぎるっていうか……。いやそういう面では確かにエンコ詰めはいいアイデアかもしれんが、なんとなく嫌。ヤクザみたいで嫌。軍隊はたしかにヤクザな組織だが、ヤクザに染まり切るのはアウトだ。現代軍人としての感覚がそう言っている。

 まあ、そんなことを言ったのなら、交渉中にキレて相手側を殺害なんて真似は現代軍隊でやったら最悪銃殺モノだけどな。現代軍と封建軍、それぞれの都合のいい部分をつまみ食いしている自覚はあるよ。むぅぅん……。

 

「わたしが思うに、刑罰としては謹慎半月程度が適当ではないでしょうか? たしかに許可も得ず攻撃を仕掛けるのは戒められてしかるべき行為ですが、今回の場合は相手の非が大きいわけですし。貴族としては、あのような暴言を放置するわけにはいきません。流血沙汰に至ったのは必然でしょう」

 

 僕とフェザリアを交互に見つつ、ソニアがそう提案する。どうやら、僕の心情を読んでくれたらしい。少し心が軽くなったような気分で、僕は頷いた。

 

「よし、それで行こう。リースベンに戻り次第、フェザリアは半月の謹慎。オーケイ?」

 

「……承知いたしもした。寛大な処分、感謝いたしもす」

 

 フェザリアはピシリと姿勢を正し、深々と頭を下げた。まったく、こういう面では本当に真面目な人だよな。どこぞのいい加減なロリババアとは違うよ……。

 

「ひひ」

 

 などと考えていると、当のロリババアがこちらをチラリと見てあくどい笑みを浮かべた。失礼なことを考えていたのはお見通しだぞ、と言わんばかりの態度である。かわいくねーロリだなあ。そういうとこ好き。

 

「さて、さて。それはさておきだ。問題は、イルメンガルド氏がこれからどういう手を打ってくるか、だ。孫が盛大に自爆をしてくれたおかげで、彼女の策はほぼ敗れたと見て間違いないだろうが……さりとて、すべて何もかも諦めてくれるとは思えん。何かしら新しい手を打ってくるはずだ。今のうちに、対策を考えておこうじゃないか」

 

 僕は咳払いをしながら、部下たちを見回した。イルメンガルド氏は狩猟会が終わり次第、謝罪という名目でリースベンを訪れることになっている。おそらく、彼女はその場で改めて新しいアクションを仕掛けてくるはずだ。孫はアホだが、あの老狼騎士自身はなかなか手強い部類の相手である。孫というハンデが無い分、次のラウンドではさらに厄介にな策を仕掛けてくるかもしれない。優勢な今のうちに、対処法を考えておかねば……。



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第426話 くっころ男騎士と隣国領主の懸念

 その夜、夕食を終えた僕は談話室で晩酌としゃれこんでいた。とはいっても、お相手はいつものロリババアらではない。このズューデンベルグ城の主、アガーテ氏だった。それぞれ、従者を一人付けただけの小さな集まりである。それもそのはず、この集まりは今後の方針について話し合う、非常に機密性の高いモノだった。

 

「なるほど、あのクソババアもとんだ失敗をやらかしたものだな。笑えばいいのか憐れめばいいのか、判断がしづらいところだな」

 

 小さく美しいガラス製の酒杯でウィスキーをちびちびとやりながら、アガーテ氏はそう言った。話題の内容は、もちろんあのおバカなオオカミ娘の大失敗についてである。

 

「ミュリン家は宿敵といって差し支えのない相手だ。指さして笑ってやりたいところだがね、なかなかそういう気分になれん。後継者問題は、どこの家も頭を悩ませている……」

 

「明日は我が身、ですものね。ウチだって他人事じゃあありませんよ」

 

 僕はそう言いながら、ため息をついた。ブロンダン家の次期当主になるのは、僕とアデライドの子供ということになっている。なにしろブロンダン家は只人(ヒューム)貴族の家系だ。他の種族の子に継がせるわけにはいかん。

 ……しかし問題は、その子の器量だ。アデライドの娘ならば安心だろうという気分はあるんだが、名馬の仔が必ず名馬になるわけではないからな。難しいところだ。リースベンはたいへんにかじ取りの難易度の高い領地だ。子供世代、孫世代になってもキチンと統治していけるのだろうか……。

 

「後継者の教育は、貴族のお役目の中でももっとも重要でもっとも難しい課題かもしれんな。……ま、今のところ私も貴殿も若い。イルメンガルドの婆ほどには尻に火がついているわけではないが」

 

 ため息をつきながら、アガーテ氏はウィスキーを飲み干す。身長二メートル超の偉丈婦だけあって、彼女はなかなかいける口だった。……いや、まあ、同じく長身のソニアはビール一杯でイイ感じになるほど酒に弱いので、体格はあまり関係ないのかもしれないが。

 

「次の一杯は、少し変わり種にしませんか? エルフの地酒を持ってきているのですが」

 

 僕はそう言いながら、ちらりと隣に座ったジルベルトを見た。今日のお供は、ソニアではなく彼女なのだ。ジルベルトは小さく頷いて、持参していた陶器製の酒瓶をテーブルに置く。

 

「ほう、エルフの酒か。材料は何だ?」

 

「先日お贈りした例の芋ですよ」

 

「ああ、あの妙に甘い……あれほど甘ければ、イモでも酒が作れるのか。面白い」

 

 ニヤリと笑って、アガーテ氏は自らの酒杯を差し出してきた。僕はよそ行きの笑顔を浮かべつつ、彼女の杯へ酒を注いでやる。ちなみに彼女は勘違いしているようだが、流石のサツマイモもそのままではアルコールにはできない。エルフ特製の麹っぽい謎のカビで糖化させてから、あらためて発酵させるのである。

 

「ふぅん。飲み口は少しばかり軽いが、ウマいじゃないか。香りが濃厚だな……」

 

「最近のお気に入りでしてね」

 

 アガーテ氏にお酌を返してもらいながら、小さく笑う。反応は悪くない。どうやら、芋焼酎(エルフ酒)はアガーテ氏のお眼鏡にかなったようだ。……うまくやれば、芋焼酎向上にも出資してくれるかもしれんぞ。まあ、今日はそんな話をしている場合ではないのだが。僕はコホンと咳払いをして、話題を本筋に戻すことにした。

 

「まあ、それはさておき……問題は、イルメンガルド殿の次の手です。彼女はどうやら我々の取り込みを図りたかったようですが、今の状況ではそれどころではないでしょう」

 

「流石はミュリンのクソ婆、しゃらくさい手を使う。いい気味だ」

 

 薄く笑って、アガーテ氏は酒杯の芋焼酎を一気に飲み干した。なかなかいいペースである。先ほどまで、ウィスキーをストレートで飲んでいたのだ。焼酎などジュースのように感じてしまうのだろう。僕は流れるような動作で彼女の酒杯にお代わりを注いでやる。

 

「ブロンダン家は名誉を傷つけられ、ミュリン家は優秀な騎士を一人失った。……ご存じか? ブロンダン卿。あのエルフの姫君が倒したという騎士は、帝都の馬上槍試合(トーナメント)でも好成績を残している高名な人物だ。そんな人物が、一撃でやられてしまったのだ。今頃、ミュリンの家臣団連中はさぞや顔を青くしていることだろうよ」

 

「……それほどの騎士でしたか、あの方は」

 

 僕はジルベルトと顔を見合わせ、ため息をついた。ひとかどの騎士ではなかろうかとは思っていたが、そこまでとは。馬上槍試合(トーナメント)は、騎士の腕前を競う競技会だ。それも皇帝のおひざ元で開かれる大会ともなれば、神聖帝国中から名うての騎士が集まってくることだろう。そのなかで結果を残したというのは、尋常ではない。

 

「あの領主殿も哀れですね。それほどの騎士を、このようなくだらぬ事件で失ってしまうとは」

 

 ジルベルトの言葉に、アガーテ氏は神妙な顔で頷いた。

 

「ああ、同情するよ。とはいえ、こちらとしては好都合だ。敵は弱ければ弱いほどいい。いくらでも弱体化してもらいたいところだ」

 

「それはその通りですね」

 

 実際、この地域の緊張度が増しているのは、ディーゼル軍が弱体化して組織間のパワーバランスが崩れたからだ。ミュリン軍がディーゼル軍なみに弱体化すれば、情勢は落ち着きを取り戻すだろう。……ま、そう都合よくはいかんだろうがな。ミュリン伯爵の損切りはなかなか判断が早かった。これ以上あの失態から利益を得るのは難しいだろう。

 

「とはいえ、ここまでされたのならミュリン家も守りに入るのではないでしょうかね? 今回の件は、威圧として十分な効果を発揮したはずです。あの血気盛んな孫娘殿も、もう我々と正面から事を構えようだなどという気にはならないでしょうし」

 

 アンネリーエ氏は明らかにフェザリアやネェルに怯えの色を見せていた。少なくともしばらくは、喧嘩を売ろうという気にはならないのではなかろうか。……そういう効果を狙って、僕はわざわざ手持ちの中でも最強の手札を並べて見せたわけだが。

 

「さあてね、私はそうは思わんが」

 

 ところが、アガーテ氏の表情はシブかった。彼女はつまみのソーセージを口に放り込み、乱暴にかみ砕く。ウシというより肉食獣めいた動作だ。

 

「窮鼠猫を噛むというコトワザもある。ましてやあいつらはオオカミだ。番犬にビビって弱った獲物を見逃すほどヤワな連中じゃあないさ」

 

 弱った獲物というのは、つまりディーゼル家のことだろう。ジルベルトが眉を跳ね上げた。

 

「……ここまでやられて、なお彼女らは野心を捨て去らないと?」

 

「ああ、そうさ。……貴殿らは、宮廷騎士の出身だったな? で、あれば……この感覚は分かりづらいだろうな。土地と血縁にしみついた怨念というものは、そう簡単に忘れられるものではないのだ。緩慢な死を待つくらいならば、相打ち狙いで仕掛けてくる程度には、彼女らは我々のことが嫌いだろう」

 

「……」

 

 確信めいた口調でそんなことを言うアガーテ氏に、僕は思わず黙り込んでしまった。僕は戦争を抑止するつもりで彼女らを威圧したが、どうやらアガーテ氏としてはこの方向でのアプローチは無意味だと言いたい様子だった。

 

「理解できませんね。いざ戦争となれば、あれほどの暴威を誇るエルフ兵やカマキリ虫人と対峙せねばならないのです。どれほど勇猛な騎士でも、二の足を踏むのが普通だと思いますが」

 

 困惑した様子で、ジルベルトが問いかける。彼女は、勝てぬと判断した戦で投降をした経験のある指揮官だ。ミュリン家がわざわざ分の悪い賭けを仕掛けてくるというのが信じがたいらしい。

 

「ブロンダン家の力を理解したからこそ、ミュリン家は速攻を仕掛けてくる。その手強いブロンダン家と、憎らしいディーゼル家が一体化しちゃたまらないからな。分離できるうちに仕掛けよう、そう考えるのは自然なことだ」

 

 アガーテ氏はひどく皮肉げな口ぶりでそう言った。

 

「このいくさの焦点は、ブロンダン家がズューデンベルグに軍を派遣するか否かだ。どれほどリースベン軍が強力でも、戦わないのであれば何の関係もない。あいつらの尻にはもう火がついちまってる。一か八かの賭けに出るというのは自然な流れだぜ」

 

「……」

 

 そう言われてしまうと、僕は黙り込むしかなかった。実際、ズューデンベルグに軍を派遣するというのは容易なことではないからだ。この領邦は神聖帝国に属しており、その領域内にガレア貴族である僕が軍を送り込むというのは政治的にたいへんに危険なことである。正直言って、こちらとしては援軍の約束はしかねるのだ。だからこそ、僕たちはミュリン家を脅しまくって実際の軍事行動を抑止する作戦を取ったのだが……もしかしたら、それは無意味なことだったのかもしれない。

 

「なあ、ブロンダン卿。もしあいつらが私らに殴り掛かってきた場合、あんたはどういう選択をするんだ? 援軍は出してくれるのか? そろそろ、そのあたりをハッキリ明言してもらえると嬉しいんだがね」

 

 そう語るアガーテ氏の眼つきは冷徹だった。彼女としても、生き残りがかかっている。真剣にならざるをえないのだろう

 

「……こちらも、なかなか難しい立場でしてね。迂闊なことは申せません」

 

 とはいえ、こちらにも都合がある。ただでさえ、この頃僕たちは王室ににらまれ気味なのだ。下手な真似をすれば反乱分子扱いされかねない。独断で対外戦争を始めるなんてのは論外だ。神聖帝国と違い、ガレアの王室は地方領主にもガッツリ干渉してくるからな……。

 

「親分としてドンと構えてくれるってんなら、ディーゼル家は皇帝(リヒトホーフェン)家を捨ててブロンダン家に臣従したって構わない。よろしく頼むぞ、頼りになるのはアンタらだけなんだ……!」

 

 そう言って、アガーテ氏は強い目つきで僕を見つめた。冗談でしょう? と返しそうになったが、どうやら本気の言葉らしかった。むぅぅぅぅん、そんなこと言われてもなぁ、辛いなぁ……うううううううん……。

 

「まあ何にせよ……私が思うに、もう猶予はあまりない。ウチのほうは、近日中に民兵の招集に入ろうと思う」

 

「そこまで切羽詰まっているのですか」

 

 民兵というのは、農民兵や市民兵の通称だ。普段は普通の生活を送っている一般人を兵士として招集するわけだな。戦力としての価値ははっきり言って低いし、おまけに働き盛りの連中が民間から消えてしまうので市民生活にも悪影響がある。できれば頼りたくない兵力ではあるが……有事となれば、活用せざるを得ない。いわば、最後の手段である。

 

「ああ、カンだけどな。取り越し苦労なら、指さして笑ってくれていいさ。けど、後悔はあと先に立たずっていうからね……やるだけはやっておかないと。ブロンダン卿の方も、それなりに準備しておいてくれると嬉しいがね……」

 

「……やれるだけの事はやらせてもらいますよ」

 

 意味深な目つきでこちらを見てくるアガーテ氏に、僕は頷くほかなかった。まあ、なんにせよディーゼル家に潰れてもらっちゃ困るのは確かなんだ。とりあえず、出来るだけのことをするしかない。まずはあの狼ばあさんともう一度しっかり話し合い、並行して王室の方にも相談して助言を求めよう。ブロンダン家が暴走して勝手に戦争を始めようとしている、なんて王室に勘違いされちゃ困るしな……。はあ、やることが多い。胃が痛くなってきたんだけど……。



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第427話 くっころ男騎士と老狼騎士の来訪(1)

 予定通りの日程を終え、僕たちはリースベンに帰還した。アンネリーエ氏の一件以降はトラブルらしいトラブルもなかったのは大変に結構なのだが、まるで嵐の前の静けさのようで却って不気味に感じてしまう。アガーテ氏の確信めいた口ぶりが、耳の奥にこびりついていた。

 しかし、それはそれとして日常の仕事から手を抜くわけにはいかない。一人だけお留守番をさせられたせいで不機嫌になったアデライドに脇腹を突っつかれまくりつつ、僕は溜まりにたまった執務をなんとか消化していった。

 ……むろん、その裏ではアガーテ氏の助言に従い、裏で軍を実戦態勢に移すことも忘れない。冬頃には一通りの戦争計画は立てていたので、そのあたりは大変にスムーズに進んだ。できれば取り越し苦労で終わってほしかった準備ではあるが、どうにもそう都合よくはいかない雰囲気である。マジで勘弁してほしい。

 とはいえ、軍の準備は順調でも政治のほうはそう簡単にはいかない。ディーゼル家とミュリン家がいざ開戦となっても、それは神聖帝国内の話だ。ガレア貴族である僕たちが介入しても大丈夫なのかと言えば、正直だいぶ怪しい。こればかりは、王家の判断待ちである。一応報告も兼ねて王太子殿下に書状を送りはしていたのだが、今のところマトモな返信はない。なしのつぶてという奴だ。こちらもこちらで、何やらきな臭い雰囲気だった。

 

「お待たせした、ブロンダン卿」

 

 そして、僕がリースベンに戻ってきた五日後。カルレラ市にミュリン伯イルメンガルド氏がやってきた。最低限の護衛だけを引き連れた、ひっそりとした来訪だった。もちろん、歓迎の式典などもない。なにしろ来訪の理由が孫の不始末の謝罪だ。派手な出迎えなどしては、却って失礼というものだろう。

 ちなみになぜ伯爵の来訪が僕から五日も遅れたからといえば、謝罪金の用意をしていたからだ。今回の謝罪金は結構な額で、いかに大貴族とはいえポケットマネーでポンと出せるようなものではなかったのだ。……よくもまあ、単なる侮辱でそんな額を引っ張れたものだ。ロリババアさまさまである。

 

「ようこそいらっしゃいました、伯爵閣下。手狭な場所で申し訳ありませんが、精一杯歓迎させていただきます」

 

 僕はそう言って、イルメンガルド氏を領主屋敷の応接室に案内した。手狭というと謙遜に聞こえるが、マジで手狭なので仕方が無い。なにしろこの自称城な木造建築は、かつての代官屋敷をそのまま流用しているのだ。城伯を名乗る貴族の本拠地としては、あまりにも狭くて素朴すぎる。なんなら、田舎の領主騎士が根城にしている粗末な砦のほうが余程城らしい見た目をしているくらいだ。

 イルメンガルド氏はかなり困惑している様子だったが、流石に口には出さなかった。まあ、孫が舌禍でひどい目に遭ったばかりなのだ。余計なことは言わないだろう。言いたいことは手に取るようにわかるがね。……はあ、いい加減この屋敷も建て替えなりなんなりしなきゃいけないな。

 

「それでは、改めてご挨拶をしよう。リースベン城伯アルベールの婚約者にして、ガレア王国宮中伯・宰相のアデライド・カスタニエだ」

 

 僕の隣に座ったアデライドが、尊大な口調で名乗りつつイルメンガルド氏と握手をした。その顔には、社交用の笑顔が張り付いている。しかし笑っているのは顔だけで目には冷徹な光が宿っているものだから、大変に威圧感のある表情だ。意識的にこれやっているのだから、やはり交渉事におけるアデライドは強い。

 

「王国の重鎮にお目通りできるとは、なんとも光栄な話だね。できればもっとめでたい機会にお会いしたかったよ」

 

 一方、イルメンガルド氏のほうは苦み走った様子だった。まあ、それも致し方のないことだろう。手ごわい相手の前で、致命的な隙を晒しているのだ。真剣を用いた勝負でなくとも、致命的であることには変わりがない。流石の老練な領主殿も、この状況で形勢の逆転を狙うのは難しかろう。

 型通りの挨拶が終わった後、イルメンガルド氏は謝罪と弁明を始める。これはまあ、予定通り。和解交渉は既に妥結しているのだから、特筆すべきことはない。「うちの孫が申し訳ありませんでした」「子供のやったことですから」……そんなやり取りをして、謝罪金を貰う。それでお終いだった。

 それはいい。問題は、その後だ。当主自らが老骨に鞭打ち、山を越えてまでリースベンにやってきたのにはそれなりの理由があるはずだ。アガーテ氏の警告の件もある。自然と、応接室には濃密な緊張感が漂い始めていた。

 

「……そういえば」

 

 僕は、従者がカネを持って部屋を出ていったのを確認してから口を開いた。僕としては、ミュリン家と直接矛を交えるような事態は避けたいのだ。確かにミュリン軍が相手ならば負けるつもりはないが、ガレア王家やら神聖帝国の皇帝家やら、厄介な不確定要素はいくらでもある。そしてそれらを抜きにしても、戦いが始まれば兵は死傷するし戦費もかかる。無駄な戦は厳に慎むべきだ。

 

「アンネリーエ殿の様子はいかがでしょうか? ずいぶんと憔悴されている様子だったので、心配していたのですが」

 

 例のオオカミ娘とは、あの一件以降一度も顔を合わせていない。今頃はおそらく、領地に送還され自室に監禁されていることだろう。彼女に課せられた蟄居(ちっきょ)という罰はたいへんに厳しいもので、実質的な監禁刑だ。風呂や排泄のためですら部屋から出ることを許されないのだから、下手な刑務所よりもツライ。自業自得とはいえ、あの娘も可哀想なものだ……。

 

「……さあてね、よくわからん」

 

 難しい表情で、イルメンガルド氏は首を左右に振った。香草茶で口を湿らせ、ため息をつく。

 

「しょげかえってるのは確かだがね。あれほど泣いているあの子を見たのは、赤ん坊の時以来だ。家人に聞いた話では、寝ションベンまでするようになってしまったとか。あのエルフとカマキリ虫人が、よほど怖かったらしい。まあ、あの子は明らかに増長していたからね。いい薬さ……」

 

 あの小生意気なガキが、そこまで弱ってるのか。流石に可哀想になって来たな。厳しくやり過ぎたか? とはいえ、こちらもナメられるわけにもいかんからな。あまり甘い態度も取れないし……。

 

「とはいえ、ああいう子だからね。それが反省に繋がってくれるのかは、正直わからん。とにかく、ブロンダン卿を逆恨みしたりはするなと言い聞かせてあるが。……これ以上そちらにご迷惑をかけるようなことは無いよう徹底するから、安心してほしいね」

 

 老騎士はそう言ってまたため息をつく。この時ばかりは、やり手の老領主ではなく跳ねっかえりの孫に心を痛める祖母という風情の表情だった。流石に少し哀れになって、僕はアデライドと顔を見合わせた。僕らも領主貴族だ。他人事ではない。まかり間違えば、十数年後には僕らが彼女と同じ立場になっている可能性もある。

 

「まあ、成人したとはいえ十五ではまだ子供と変わらないからねぇ。今後の成長に期待しようじゃないか」

 

 手をひらひらと振りながら、アデライドは鷹揚な口調で言う。たしかにそれはその通りで、十五歳といえば反抗期の真っ最中だろう。このくらいの年齢の子供が暴走して馬鹿な真似をするなどというのは、前世でもよくある話だった。甘すぎる対応を取るのは本人のためにもならないだろうが、さりとて目くじらを立てすぎるのも大人げない。

 ……まあ実際はめくじらを立てるどころか一人ぶっ殺しちゃってるんだけど、こっちは。とはいえ、それについて謝る気はない。貴族の名誉は命より重いのだ。公衆の面前であんなことを言い放ったら、エルフならずとも流血沙汰になる。フェザリアの問題点は、下命を待たず実力行使をしたというその一点だけだ。

 

「謝罪を受けた以上、こちらとしてもこれ以上彼女を責める気はありません。僕はミュリン家からの謝罪を受け入れ、アンネリーエ殿を許しました。これでこの話はお終いです。そのことについては、アンネリーエ殿にきちんとお伝えしておいていただきたい」

 

「もちろんだ。ブロンダン家の寛大な処置に感謝する」

 

 そう言って、イルメンガルド氏は深々と頭を下げた。本音か皮肉かは、いまいちわからん。こっちはミュリン家の有力な騎士を一人殺害しちゃってるわけだからな。むこうとしても、思うところはそりゃああるだろ。

 

「ま、済んだ話さ。頭を上げてくれたまえ」

 

 僕は微妙な気分になっていたが、アデライドのほうはどこ吹く風だ。あくまで自分は被害者ですよ、という態度を崩さないまま偉そうな口調でそう言ってのける。現場にいたわけでもないのにこの態度はだいぶ凄い。これくらい面の皮が厚くないと、宮廷で政治家などやってられないのかもしれない。

 

「所詮は終わった話だ。それよりも、あの有名なミュリン伯どのと縁を持てた幸運のほうが喜ばしい。あなたの御高名は、とおくガレア王宮にまで届いているからね。一度お会いしたいと思っていたんだ」

 

 アデライドはニコニコ顔でそんなことを言うが、これはリップサービスだ。実際のところ、彼女がイルメンガルド氏の名前を知ったのは、リースベン周辺の諸侯について調べていた時だった。僕も隣に居たのでよく覚えている。

 

「そうかいそうかい。あの(・・)カスタニエ宰相閣下に名前を憶えられていたとは、なんとも光栄な話だ」

 

 若いものであれば天狗になりそうなヨイショぶりだったが、そこは老練な領主どの。皮肉げな表情で受け流し、肩をすくめる。その手には乗らないぞ、という雰囲気だ。いやあ、怖いね。政治屋同士のさや当てってやつは……。僕は暴力一辺倒の人間なので、この辺りは全くついていけない。

 

「雨降って地固まる、というコトワザもある。あたしとしても、そちらとは建設的な関係を築きたいと思ってるのさ。……そういうわけで、一つ手土産代わりの儲け話を持ってきた。お気に召してもらえると嬉しいがね」

 

「儲け話」

 

 アデライドが弾んだ声を上げた。……が、声音とは裏腹に、その目つきは冷徹だ。自然な動きでこちらに目配せし、無言で「本題が来たぞ、気合を入れろ」と促してくる。

 

「そいつは素敵だ、ぜひお聞きしたいところだね」

 

 アデライドの実家、カスタニエ家は戦働きではなくカネの力で貴族に成り上がった家だ。……自然と、その当主であるアデライドには金の亡者だの守銭奴だのといった悪評が湧いて出てくる。イルメンガルド氏も、その辺りを勘案して作戦を立ててきたのだろう。

 

「我々は近々、大きな獲物を狙いに行く。一人では食いきれないような大物さ。……そこで、ご近所さんにも分け前を、と思ってね」

 

 ……大きな獲物、ね。考えるまでもない、ズューデンベルグ領のことだ。えらく直球で来たな、この婆さんは。それだけ焦っているということだろうか……。僕は目を細めながら、老狼騎士を一瞥する。彼女は、大一番に臨む博徒の表情で、僕の視線を傲然と受け止めた。



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第428話 くっころ男騎士と老狼騎士の来訪(2)

「我々は近々、大きな獲物を狙いに行く。一人では食いきれないような大物さ。……そこで、ご近所さんにも分け前を、と思ってね」

 

 イルメンガルド氏のその言葉に、僕は暗澹たる気分にならざるを得なかった。アガーテ氏の警告通り、やはりミュリンは戦意を失っていないらしい。

 

「迂遠な言い方をしますね」

 

 僕はあえて、思っていることとは正反対の言葉を口にした。

 

「己の力量にあった獲物を狙うというのも、ハンターにとっては重要な資質ですよ。身の程を知らない狩人はあっという間に狩られる側へと転落しますからね」

 

「身の程は知ってるつもりさ。獲物は既に牙を折られている、もはや羊と同じさ。厄介な羊飼いさえいなければ、一方的に食い物にされて終わるだけだ」

 

 深々とため息をついてから、僕は香草茶を飲んだ。緊張からか、口の中が乾いていた。さあて、どうしたものか。戦争はしたくない。ミュリン家に負ける気はまったくないが、その後ろに居る皇帝家の出方次第ではとんでもない大戦争が始まってしまう。大戦の引き金を引くような真似は御免被るんだが……。

 

「君たちは、その羊飼いに向かって『獲物を共有しよう』だなどと言っているわけだがね。随分と滑稽な真似をするじゃないか」

 

 皮肉げな笑みを浮かべつつ、アデライドが肩をすくめる。

 

「で……その分け前とやらは一体どのようなシロモノなのかね? 生半可な対価では、むしろ損失の方が多そうな取引だが」

 

「シュワルツァードブルク市周辺の公有耕作地の地権、そしてそこで働いている農民の賦役権……この二つだ。悪かない取引だと思うよ」

 

 そう言いながら、イルメンガルド氏は従者に視線を送った。従者は無言で頷き、カバンから一枚の羊皮紙を取り出してテーブルの上に置いた。……そこに書かれていた内容は、驚くべきものだった。ミュリン家がシュワルツァードブルク市を制圧した暁には先ほどイルメンガルド氏が言った通りの諸権利を僕に譲渡する、という内容の契約書だ。

 公有耕作地とは名前の通り領主が所有する畑だ。農業都市であるシュワルツァードブルク市の周辺には、凄まじい面積の公有耕作地がある。ここで得られる麦こそが、現在のディーゼル家を支える柱なのだ。賦役権……つまり農民を働かせる権利もセットでこれを譲渡するというのは、そのままあの大穀倉地帯の農業利権そのものを手放すに等しい。

 

「……ずいぶんと太っ腹じゃないか」

 

 さすがのアデライドも、これには額に冷や汗を浮かべた。これだけの権利を放棄してしまったら、ミュリン家が得られるはずだった侵略のうまみなどほとんど消失してしまうだろう。

 

「これだけの肥沃な麦畑があれば、リースベンの領民たちも小麦のパンが食べられるようになるぞ。どうだね、ブロンダン卿。領民思いのアンタには嬉しいプレゼントだと思うが」

 

「手元にない商品を売っぱらう気かね? 信用取引といえば聞こえはいいが、一歩間違えば詐欺師だぞ。あまり感心しないやり口だ……なあ、アル」

 

「その通り」

 

 僕は頷いてから、香草茶を飲みほした。頭の中では、すでにいざ開戦となった場合について考えている。皇帝が介入しなければ……話は簡単だ。ズューデンベルグ領やミュリン領のような平原ではライフル兵や砲兵の火力をいかんなく発揮することができる。

 一応、冬のうちから戦争の準備自体は進めていたのだ。大急ぎで火器類を増産したおかげで、蛮族兵以外の歩兵のほとんどにライフルを配備することができた。それに加え、野戦砲や迫撃砲なども定数が揃っている。

 対するミュリン軍は槍とクロスボウを主力とする旧態依然とした編制で、怖いのは騎兵くらい。しかもその騎兵隊も、壊滅前のディーゼル軍に劣る水準なのだから、大したことは無い。肝心の兵数も、こちらの二倍とか三倍とかいう無体な数ではないのだ。順当に戦えば順当に勝てる、そういう相手である。

 やはり問題は、皇帝家の介入とガレア王家の誤解だ。皇帝が「これは外敵による侵略である」と一声かければ、普段はいがみ合っている帝国諸侯も団結する。万単位の軍が差し向けられれば、さすがのリースベン軍もかなり厳しい。少なくとも、ズューデンベルグ領は間違いなく失陥する。

 そして後者に関してはもっとマズイ。リースベンが周辺の諸侯を巻き込んで独立国家を作ろうとしている、などと勘違いされたら大事どころでは済まない。我々は反乱軍の烙印を押され、討伐軍を差し向けられることとなるだろう。

 

「むろん領民にはいいモノを食べてもらいたいですがね。薄汚い手段で得た麦を偉そうに配るのは僕の趣味ではありませんよ」

 

 正直、戦いたくない。めっちゃ戦いたくない。いざ開戦となった時の不確定要素とリスクがあまりにも大きすぎる。ディーゼル軍が独力でミュリン軍を撃退できれば何の問題もないのだが、おそらくそれは難しい。ディーゼル軍はリースベン戦争で基幹戦力を失っている。往時の戦闘力を取り戻すには何年もの時間が必要だろう。

 そこを穴埋めするためにアリンコ傭兵団を派遣しているわけだが、あまり多くの兵士を派遣すると実質的に参戦しているようなものになってしまう。それならば最初から堂々と正式参戦したほうがマシなのだが……ううむ。

 

「それに、あそこは既に我々の庭だからね。我が物顔で荒らしたあげく、恩着せがましく"分け前"だなんだと称するのはやめてもらおう。君たちの行為そのものが私たちには迷惑なんだ」

 

「ブロンダン家に損害を与えるつもりはない」

 

 その辺りの塩梅がわかっているから、イルメンガルド氏はいまだ希望を捨てていないのだろう。彼女は強い意志の籠った目つきで、僕たちをじっと見つめてくる。

 

「ディーゼル家の負債は、すべてウチが受け継ごう。関税、通行税の撤廃。安価な固定相場による麦の取引。賠償金の支払い……大変結構だ。ディーゼルの変わりはミュリンが務める。なんなら、もっと良い条件の取引に改定してもいいさ」

 

「ずいぶんと太っ腹だねぇ。ディーゼル家には、だいぶふっかけた自覚があるんだが。下手をすれば、侵略で得られる利益を食いつぶしてしまうかもしれないぞ」

 

 冗談めかした口調で、アデライドはそう言った。実際、侵略というのはそれほど割りの良い商売ではないのだ。得たばかりの領地はだいたい戦闘によって荒廃しており、おまけに現地民はたいてい非協力的だ。こういう状態の土地はほとんど不良債権のようなもので、持っているだけでは利益どころか損失になるばかりなのである。

 

「別に構わないよ」

 

 その辺りの事情を、老練なイルメンガルド氏が知らぬはずもない。この程度の反論など想定済みだろう。案の定、彼女はにやりと笑って言い返してくる。

 

「勘違いされると困るからね、先に言っておく。あたしたちが求めているのは、ズューデンベルグという領地じゃあない。安心さ」

 

「安心……」

 

 僕は思わず顔をしかめそうになった。やはり、アガーテ氏の想定が当たっていたようだ。厄介な話だ。自存自衛のため、という大義名分ほど崩しにくいものはない。

 

「いまでこそ哀れな獲物にすぎないディーゼルだが、十年後二十年後となれば話は変わってくるだろう」

 

 そう言って、イルメンガルド氏は目を逸らした。

 

「ズューデンベルグ市に来るのは十年ぶりだったが……あの頃より、よほど景気がよさそうじゃないか。とても致命的な敗戦を喫した国の街とは思えなかった……。あの調子で領邦が発展してみろ、ディーゼル兵が噂の鉄砲やら大砲やらを装備しはじめる日も遠くないはずだ。そうなれば、今度は我々が奴らの獲物になる……」

 

「……」

 

「そうなる前に、ディーゼルを滅ぼす……ミュリンの生き残る道はそれしかない」

 

 堅い口調で、イルメンガルド氏はそう断言する。そんなことはあり得ない、とは断言できなかった。ディーゼル家とて、ミュリン家にはかなりの恨みを持っている様子だった。力関係が露骨に逆転してしまった場合、逆襲に出ないという保証はない。

 

「頼む、ブロンダン卿。別に、我々の側で参戦してくれと言っているわけじゃあないんだ。ただ、黙認してくれるだけでいい。ディーゼルが助けてくれと言っても耳をふさいで、そっぽを向いていればそれで万事解決さ。取引の相手が、いけ好かない牛女どもからあたしたちにかわるだけ。ただそれだけだ」

 

 得手勝手なことを言ってくれる。僕は強い酒を飲みたい気分になった。しかし、重要な交渉中に酔っぱらうわけにもいかない。仕方なく、口に茶菓子の干し芋をねじ込んだ。

 

「ディーゼルはおそらく、ブロンダン家への臣従を求めているだろう? ディーゼル滅亡の暁には、代わりにミュリンがそちらに臣従したってかまわない。これはあくまで、生き残るための戦争だ。勢力を拡大したいわけじゃあない。身の程はわきまえるさ。ディーゼルの代わりに靴や尻を舐めろってんなら、従うまでさ……」

 

「ほう、そこまで言いますか」

 

 胃と頭が痛くなってきたが、我慢して顔に不敵な笑みを張り付ける。戦争も交渉も、気圧されたら負けだ。

 

「たいへんな覚悟だ。感服いたしました。……しかし、あなたの娘や孫はどう思うでしょうか? 戦って負けたのならまだしも、ただ傍観していただけの我々に頭を垂れて尻尾を振る? いくらなんでも弱気が過ぎる。そう思うのが自然です。ましてや、あのアンネリーエ殿はずいぶんと反骨心の強いお方のようですからね。不平等な関係を是正すべく、戦争を挑んでくる可能性は実に高いでしょう」

 

「……」

 

 イルメンガルド氏は無表情に僕の言葉を受け止めた。やはりそこを突いてくるか、とでも考えているのだろう。

 

「こちらはディーゼル家前当主の娘まで貰ってるんです、今頃ミュリンに乗り換えなどできませんよ。……ディーゼル家には、ミュリン領を攻めぬよう念押ししておきます。それでなんとか、矛を収めていただきたい」

 

「……信用できないね。そちらがウチの孫を信用できないのと同じくらいには」

 

「だろうね。しかし、信用できない相手との握手も時には必要だ。違うかね? ミュリン殿」

 

 アデライドが眉間にしわを寄せながらそう言った。頭の固いババアめ、と内心ののしっている表情だ。

 

「相手がディーゼルのことでなければ、頷けたがね」

 

 お互いの主張は平行線だ。これはもう駄目そうだな。戦争は避けられない。いや、そもそもズューデンベルグ領を経済圏に組み込んでしまった時点で、回避不能な戦争だったのかもしれない。まったく、勘弁してほしいだろ……。

 

「いいかい、ブロンダン卿、カスタニエ殿。アンタたちが何と言おうと、我々はディーゼルを滅ぼす。邪魔だてするのなら、どんな手段を用いてでも皇帝家を戦争に巻き込んでやる。いかにリースベン軍でも、万単位の軍勢と戦うのは荷が重いだろう? 皇帝軍が到着する頃にはミュリン家は滅んでいるだろうが、構うことは無い。死なば諸共、という奴さ」

 

 やはり、そこを突いてくるか。今度はこちらがそう思う番だった。僕とアデライドは顔を見合わせ、揃ってため息をつく。

 

「とにかく、リースベン軍は動かさないでくれ。この一点さえ守ってくれるなら、こちらも約束は果たす。ディーゼルから得られるはずだった利益は、すべてミュリンが肩代わりする。広い麦畑だってくれてやる。番犬にだってなってやる。そうとう良い条件だと思うがね、コイツは」

 

 不味そうに香草茶を飲み干して、イルメンガルド氏は乱暴な手つきでカップをテーブルに置いた。

 

「だいたいからして、ディーゼルの連中はアンタたちに対しても理不尽な戦争を仕掛けてきた相手なんだよ。義理立てする必要はない。あたしからいわせりゃ、ミュリンのほうがよほど信用できる家だと思うがね」

 

 いや、それはどうかな……どっちもどっちじゃないかな……。僕は出会った当初のカリーナとアンネリーエ氏を思い出し、比べてみた。たぶん、後者の方がひどかったように思う。

 

「伯爵閣下、我々は……」

 

 とにかく何か言い返そうと口を開いたが、イルメンガルド氏は首を左右に振ってそれを押しとどめた。

 

「もはや、言葉は不要だ。あんたらがどういう選択をしても、我々がやることは何も変わらないからね。あたしゃもう帰るよ。出陣の準備をしなきゃいけない。あたしの最後のいくさだ。せいぜい、華々しい戦いぶりをみせてやるさ」

 

 それだけ言い捨てて、イルメンガルド氏は応接室から去って行ってしまった。残された僕たちは、揃ってため息をつくことしかできなかった。……ああ、戦争だ。また戦争が始まる。

 



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第429話 くっころ男騎士の決断

 イルメンガルド氏は、僕たちの返答も聞かずに帰路についた。リースベン・ミュリン間の旅路は山越えを含む過酷なルートだ。カルレラ市で一泊もせずにとんぼ返りというのは、かなりの急行軍といっていい。七十の老人がとるような旅程ではなかった。

 それでもあえてイルメンガルド氏が強引にカルレラ市から離れたのは、これ以上我々と交渉をする気はないという決意表明だろう。リースベン軍が参戦しようがするまいが、ミュリン家はズューデンベルグに侵攻する。僕たちが皇帝軍の介入を恐れてこの戦争に参戦しなければ彼女の勝ち、すれば負け。そういう博打なのだ。覚悟ガンギマリにもほどがあるだろ。

 まあ、何にせよ際は投げられてしまった。状況の主導権はイルメンガルド氏が握っており、我々はそれに対応することしかできない。僕は急いでリースベンの幹部たちを招集し、緊急会議を開くことにした。

 

「ミュリン軍のズューデンベルグ侵攻が確定的になった」

 

 並み居る部下たちを見回しながら、僕は努めて落ち着いた口調でそう言った。内心は頭を抱えたいような気分だったが、指揮官が本音を露わにするわけにはいかない。既定路線ですよ、みたいな顔をして胸を張る。

 

「去年は敵国だったズューデンベルグだが、今や我々の友邦だ。見捨てることはできない」

 

 そんなことを言いつつ、ちらりと会議室の端に座るカリーナを盗み見る。故郷が戦場になるのだ。落ち着いてはいられまい。そう思ったのだが……カリーナは口を一文字に結び、真剣な表情でこちらを見ている。少なくとも外見上、うろたえている様子は一切なかった。……まったく、この子も強くなったものだ。心が少しだけ軽くなった気分で、僕は視線を彼女から外した。

 

「状況は急を要す。とはいえ、あまり派手に動いてガレア王家や神聖帝国の皇帝家を刺激することは避けたい。そこで予定通り、作戦は青色計画(ブルー・プラン)を採用しようと思うが……皆の意見を聞きたい」

 

青色計画(ブルー・プラン)……防衛主体の限定戦争プランですね」

 

 ソニアが僕の言葉を補足した。僕たちはミュリン家との戦争のためにいくつかの戦争計画書を作成していたが、青色計画(ブルー・プラン)はその中でも最も穏当な作戦計画だ。

 

「そうだ。戦場をズューデンベルグ領内に限定し、防衛のみを行う。ミュリン領内には一歩も踏み込まない。追撃もナシだ。下手な動きをすれば侵略行動と取られ、皇帝軍の出陣を誘発しかねないからな」

 

 神聖帝国は国を名乗っているが、実態は対外防衛同盟である。普段は諸侯がバラバラに動いて皇帝すら統制を取れないような状況だが、一たび外敵からの侵略があれば皇帝の号令一下諸侯が集結し、強大な皇帝軍が編制される。この皇帝軍は我々王国軍と真正面からぶつかり合えるだけの戦力を持っており、いかなリースベン軍でもマトモに戦えば勝ち目はないのだ。僕としては、絶対に戦いたくない相手である。

 

「つまり一度ん戦いで相手を殲滅せねばならんちゅうことじゃな。面白か」

 

 グッと手を握り締めながらそんなことを言うのはフェザリアである。どうにもアンネリーエ氏の件がいまだに尾を引いているらしく、彼女の戦意は旺盛どころの話ではなかった。僕の隣に座ったロリババアが、半目になりながら「そこまでしろとは言っとらんじゃろうが……」などと呟いている。

 

「しかしそれで皇帝家は納得してくれるのかね? 外部勢力が神聖帝国領域内で戦闘をしていることには変わりないわけだが……それに、ミュリン家はそれなりに歴史のある家だ。皇帝家や選定侯家にもそれなりのツテがあるはず。そんな家が全力で皇帝軍の出陣を要請するんだ。まったく無視される、ということは考えづらいやもしれん」

 

 引きつった表情で、アデライドが指摘する。本気で勘弁してくれと思っている様子だ。とはいえ、ここでディーゼルを見捨てるわけにもいかんのよな。イルメンガルド氏の取引に乗るのは論外だ。たしかにそれによって得られる利益は少なくないが、裏切りの代償は高くつくと相場が決まっている。リスクを冒しても、ここは救援を出すべきだと僕は判断していた。

 いや、本音で言えばかなりイヤだけどな。マジでリスクが大きすぎる。下手すりゃリースベンが滅ぶかもしれん。ただ、事態は急激に進行している。「どうしよう、どうしよう」とワアワア騒いでいては肝心な機を逃してしまう。とりあえず方針を定め、あとは腹を据えてそれを実行していくのが最適解だ。

 

「それにガレア王室の件もある……。この頃、どうにも王宮ではきな臭い空気が漂っているんだ。なにやら、戦の準備としか思えない動きも観測されている。もしかしたら、こちらの一連の出来事を我々が南部で独立国家を作ろうとしている、と判断しているのかもしれん」

 

「我々に対する討伐軍を組織している、と? ……考えたくありませんね」

 

 ソニアが吐き捨てるような口調で言った。僕も同感だったが、軍人が思考停止するわけにもいかん。一応、本当に最悪な状況に陥った場合の計画も準備しているが……王国軍と皇帝軍が同時に敵にまわるような事態になれば、まず勝ち目はない。本当に参ったな。

 

「こういうことは言いたくないが、事態を静観するのが一番リスクの少ない選択かもしれない。ミュリン家が一切約束を守らなかった場合でも、少なくともリースベンが滅ぶような事態は起こらないからね」

 

 カリーナの方を見ながら、アデライドは消極策を口にする。こういうことは言いたくない、というのは本音だろう。彼女の顔には悲痛な色があった。

 

「それに、ディーゼル軍にはアリ虫人たちの傭兵団が参加している。彼女らは優秀な兵士たちだよ。ミュリン軍の騎士にも見劣りしないだろう。まだ負けると決まったわけでは……」

 

 アデライドの言葉には言い訳じみた色があった。確かにアリンコ兵は優秀だが、劣勢をひっくり返せるほどの数は派遣していない。あまり多くの兵士を派遣しすぎると、リースベン軍本隊が出兵していると判断されかねないからだった。

 ……僕としては、敗色濃厚な戦いに自軍の兵士を突っ込みたくはない。もしディーゼル家に手を貸さないということになれば、アリンコ傭兵団には撤収を命じるほかないということだ。中途半端な増援などは送らない方がはるかにマシだからな。

 

「わ……私のことは、気にしないでください。私は、カリーナ・ブロンダンですから……一番大切なのは、ディーゼルではなく、ブロンダンです。どちらか一方を選ばねばならないというなら、後者を選びます」

 

 カリーナは、心が締め付けられるような声音でそう言った。僕は思わず奥歯をかみしめ、彼女から視線を外してしまう。嫌だねぇ。本当に嫌だ。己の前途を投げ捨ててまで母を守った少女に、家族を見捨てるような言葉を吐かせてしまうとは。こういうことにならないよう、戦争を回避すべく動いていたのに……あの婆さんのせいで滅茶苦茶だ。

 

「良う言うた。カリーナ、お(はん)はもう一人前のぼっけもんじゃ」

 

 そんな彼女の肩を、フェザリアが叩いた。

 

「アデライドどん、今さらごちゃごちゃ抜かすたぁ雄々しか。ミュリンは生意気にもこちらを試そうとしちょる。ここで引いたや永遠に舐めらるっ羽目になっど!」

 

「……」

 

 滅ぼされるくらいならナメられたほうがマシだろこの野蛮人が! などと言いたそうな様子で、アデライドはそっぽを向いた。まあ、アデライド的にはそうだろうね。僕としては、どっちの意見も理解できる。自分が討ち死にするのは構わないが、意固地になって領民を危険にさらすのは軍人の本分にももとるしな。難しい問題だ……。

 

「アデライド、アナタの懸念も理解できる。だが、そのための青色計画(ブループラン)だ。それに、幸いにもこちらにも皇帝家へのツテがある。一方的にミュリン家の思惑通りに事が進むことはないだろう」

 

 そんなアデライドを、ソニアが窘めた。僕は彼女に便乗して頷く。神聖帝国の先代皇帝、アレクシアことアーちゃんとは定期的に文通を交わす仲だ。彼女とて浮世の義理は無視できまいが、交渉の窓口としてはかなり役に立つ。しかも彼女は、リースベン軍の実力をその身をもって知っているのだ。好き好んで僕たちと戦おうとは思わないだろう。

 

「それに、ミュリン家がこちらとの約束を守らなかった場合、穀物の輸入が途絶える事態も考えられるしな。そうなればこの半島は飢餓の時代に逆戻りだ。それだけは容認できないね。食料はこちらの命綱、そんな生命線を不信感を抱いている相手に握らせたくはない」

 

「……確かにその通りだな。致し方あるまい、ズューデンベルグ出兵を認めよう。政治面ではできるだけのことはするから、軍事のことは任せたぞ」

 

 アデライドの言葉に、僕は深く頷いた。

 

「よし、決まりだな。予定通り、リースベン軍は最低限の守備部隊を残して全軍を出撃させる! 今頃ミュリン軍はすでに行動を開始しているはずだ。一秒たりとも無駄にはできないぞ、急げ!」

 

 



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第430話 くっころ男騎士の行軍

 戦争は前準備で八割がた決まる、というのは真理である。僕は戦争などしたくは無かったが、それ故に準備だけは怠っていなかった。リースベン軍はすでに平時態勢から実戦態勢に移っており、進軍・補給ルートの検討や物資の集積などの時間のかかる作業も完了している。あとは出撃を命令するだけ、という状態だった。

 そういうわけで、リースベン軍は参戦決定の翌日にはカルレラ市を発つことができた。ライフル兵一個大隊、砲兵、騎兵が各一個中隊、そしてエルフ兵が二個中隊。ここにへらに指揮本部と工兵・偵察隊と補給段列、そしてすでにズューデンベルグ猟に展開済みのアリンコ兵二個中隊を加え、総兵力約千二百名。これがズューデンベルグ派遣軍の陣容だった。

 これはリースベン軍のほぼ総力といっていい数だ。蛮族兵の数が少ないように見えるが、彼女らはリースベンへの服属後はシャバに戻り、畑を耕したり建築業を営んだりしている。この連中を軍に呼び戻せば兵力は倍増するが、それはできなかった。ズューデンベルグでの戦争も大事だが、リースベンの食料自給率の向上も急務だ。エルフどもには戦士としてではなく農民として働いてもらう必要があった。彼女らを軍隊に動員するのは、本当に最後の手段である。

 

「この間ズューデンベルグから戻って来たのに、またトンボ返りだ」

 

 行軍中、僕は密かにソニアにそう漏らした。ズューデンベルグはお隣の領邦だが、両者は深い森と険しい山脈に隔たれている。一応街道が整備されているとはいえ、やはり道のりは険しい。

 

「あの時は最低限の人数でしたが、今回は大所帯です。落伍者を出さぬように気を付けねばなりませんね」

 

 僕はソニアの言葉に深く頷いた。戦略ゲームなどでは部隊に移動指示を出せば無傷でその場所まで機動してくれるが、現実はそう簡単ではない。どうしても落伍する者、脱走する者などが出てしまう。

 リースベン軍には志願兵しかいないのでまだマシだが、徴兵者主体の軍などはまだ一度も戦っていないのに戦場に到着したら兵数が半減していました、などという事態が現実に起きているのだからたまらない。戦力を維持したまま部隊を機動させるのはなかなかたいへんな作業なのだ。

 それでもなんとか頑張って森を越え、リースベン軍は北の山脈へとたどり着いた。当たり前だが、山道の行軍は平地よりもはるかに難易度が高い。現場指揮官や下士官たちはピリピリして、隊列のあちこちから叱咤激励の声が聞こえてくる。まだ戦場にすら到着していないというのに、まるで戦闘中のような雰囲気だ。

 

「……うちの連中はよくやってるな」

 

 馬上から味方の隊列を見回しつつ、僕はそう言った。これまで、僕は行軍の際は馬から降りて自分の足で歩くことが多かった。兵と苦労を分かち合うためだ。しかし、今回ばかりはそれが許されず、騎馬での行軍となってしまった。もう貴方は現場指揮官ではないのだから、大将らしく振舞ってくれ……と言われてしまったからだ。僕も偉くなったもんだよな。感慨深くはあるが、それよりもなんだか寂しい心地だった。

 

「冬の間にシゴきまくってやりましたからね。今や彼女らも精兵です」

 

 その豊満な胸を張りつつ、ソニアは言う。彼女の視線の先には、リースベン軍の根幹を成す兵科……ライフル兵の部隊がいた。この連中は王都で募兵に応じた貧民たちやリースベン戦争で活躍した傭兵団で構成されており、当初は軍隊だか愚連隊わからないような有様だった。

 だが、今や彼女らは立派な軍人だ。険しい山道に文句を言いつつも、隊列を崩すことなく整然と行軍している。それを見ていると、なんとも誇らしい気持ちになった。……だが彼女らのうち幾人かは、ふたたびリースベンの地を踏むことは無いだろう。たとえ勝ち戦でも、戦死者が誰も出ないということはまれなのだ。僕は手綱を握る手にぐっと力を込めた。どれだけ多くの兵士をウチに返してやれるかも、指揮官の力量のうちだ。

 

「久方ぶりの平野での野戦だ。気合を入れていこう」

 

 このごろ、山岳戦だの市街地戦だの森林戦だのと閉所での戦いが続いていたからな。エルフらとの決戦となった河原も、あまり広いとは言えなかった。ズューデンベルグのような見渡す限りの大平原で戦うのは、本当に久しぶりなのだ。妙なミスをしないよう、気を付けねばならない。

 

「なぁに、広い場所ではライフル兵や砲兵の火力がいかんなく発揮されますから。こちらの優位は揺るぎませんよ」

 

 ニヤッと笑って、ソニアは自信ありげな声で言う。……これは、周囲に聞かせるための発言だろう。リースベン軍には初陣未経験の者はあまりいないが、それでも実戦を前にして恐怖を覚えぬ者はあまりいない。なんだかんだ言って、勝利の確信ほど士気を上げるモノは無いからな。少しくらい露骨でも、"勝てる"アピールをするのは大切だった。

 

「確かにな。……とはいえ、騎兵隊には注意だが」

 

 後半の言葉は、ソニアしか聞こえないような小さな声で言った。むろん、相手は気心の知れた幼馴染にして副官、そして婚約者だ。こちらの意図はすぐに通じた。彼女は小さく頷き、我々を先導するリースベン軍騎兵隊のほうをちらりと見た。

 

「彼女らには頑張ってもらわねばなりませんね。嗜好品類は多めに配給しておきましょう」

 

 いかなライフル兵とはいえ、側面や背面から騎兵突撃を喰らえばひとたまりもない。ライフルや大砲があろうと、騎兵隊はやはり脅威なのだ。そしてその騎兵に対抗するには、こちらも騎兵を使うのが一番なのだが……騎兵戦力の乏しさはリースベン軍の泣き所だった。なにしろ軍馬は凄まじくコストのかかる"兵器"だし、騎手本人もまた歩兵などよりも遥かに長い訓練期間を必要としている。数を増やすのは用意ではなかった。

 結局のところ、僕の手元に居る騎兵戦力は一個中隊のみ。しかも、僕がリースベンに赴任する前から指揮している騎士たちと、ジルベルトのプレヴォ家に属している騎士たちの寄り合い所帯だ。練度や装備は十分な水準だが、部隊内連携には少しばかり不安がある。

 対するミュリン軍騎兵隊は、重装騎兵を主軸としたディーゼル軍とバチバチにやり合ってきた連中だ。対騎兵戦闘は得意中の得意であるはず。ライフルは装備していないだろうが、練度や数を考えれば鎧袖一触とはいかないだろう。むしろ、頭数の少ないこちらが不利だ。

 

「頼んだ」

 

 僕はそう言ってから、密かにため息をついた。この戦争は、むしろミュリン軍を倒した後が本番だ。皇帝軍の介入を防げるか、王家から妙な疑いをかけられないか……不安要素はいくらでもある。だが、その前段階である対ミュリン軍戦も完璧に万全とは言い難い部分があるのだ。不安の種は尽きない。……どうやら、実戦を前にしてナーバスになっているのは兵士たちだけではないようだな。せめて、態度だけでも堂々としていなければ。

 

「アル様!」

 

 などと考えていたら、名前を呼ばれた。声のした方に目をやると、前方から軍馬に乗った騎士がひどく慌てた様子でこちらに駆け寄ってきている。なにしろここは山道で、道幅も狭い。そんな中行軍の流れに逆行して馬を走らせているのだからなかなか大変だ。兵士たちはひどく迷惑そうな顔で道を明けている。普通なら、こんな危ない真似はしない。なにやら尋常ではない様子だった。

 

「どうした? 何かあったのか」

 

 実戦前に兵たちを動揺させるようなことをするなといいたいところだったが、あえて鷹揚な声で聞く。やってきたのは幼馴染の騎士の一人だ。ちょっとしたことで針小棒大に大騒ぎをするような人間ではないことは知っている。それがこれほど慌てているのだから、実際なにかしらの大きなトラブルが発生したことは間違いない。

 

「前方から騎兵の大部隊が接近中! カラス鳥人の偵察員は、百騎以上の数がいそうだと言っています」

 

 僕の前にやってきた騎士は、大声でそう報告した。……百騎以上? え、なに、聞き間違いか? 僕は慌てて我が副官のほうを見たが、彼女の方も困惑しきった顔をしている。どうやら僕の耳が狂っているわけではなさそうだ。

 

「何? ディーゼル軍の出迎えにしては数が多いな……」

 

 ディーゼル軍は先の戦争でずいぶんと騎士の数を減らしている。実戦を間近に控えたこの時期に、百名以上の騎兵を出迎えごときで動かすはずがない。いったいどういうことだろうか? 僕は眉を跳ね上げた。

 

「まさかミュリン軍の遊撃部隊じゃなかろうな? 旗印は確認しているのか」

 

「はい、確認済みです。どうやらミュリン軍ではないのは確かなようですが……」

 

 騎士の言い方は、妙に歯切れが悪い。僕は小さく唸った。

 

「旗を確認しているのなら、何者かはすぐわかるはずだろう? どこのどいつなんだ、その騎兵集団は」

 

「それが、その……」

 

 騎士はちらりとソニアの方を見て、ひどく言いにくそうな口ぶりで言葉を続ける。

 

「どうにも……報告を聞く限り、掲げているのはスオラハティ家の家紋のようでして」

 

「……は?」

 

 僕は思わず奇妙な声を上げた。ここはガレア王国の南の果て、リースベンだぞ。なんでガレア最北端を治めるスオラハティ家の家紋を掲げた連中がこんなところに居るんだよ。困惑のあまり僕もソニアを見るが、彼女も何がなにやらわからない様子で小首をかしげている。えっ、マジでなんなの……?

 

「なにやら猛烈に嫌な予感がしてきました」

 

 たいへんに苦慮に満ちた声で、ソニアがそう呟く。残念なことに、僕も全くの同感だった。



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第431話 くっころ男騎士と愚妹襲来

 突如現れたスオラハティ家の家紋を掲げた騎兵集団。しかも、現れた方向はズューデンベルグ方面ときている。嫌な予感しかしない遭遇だったが、まさか攻撃を仕掛けるわけにもいかない。ちょうどすぐ前方に開けた場所があったこともあり(くしくもリースベン戦争の決戦場となった場所だ)、僕はそこでその騎兵隊と合流することにした。

 現れた騎兵たちは、確かに見覚えのある旗を掲げていた。落ち着いた青色の甲冑を身にまとい、騎兵銃や馬上槍を携えている。軍装はさておき、装備に関してはリースベン軍騎兵隊とそっくりだ。このような編成を取る部隊を、僕は自軍以外では一つしか知らなかった。……なるほど、確かに掲げた旗は偽りではないらしい。間違いなく、スオラハティ軍の騎兵隊だ。だが、問題はそこではなかった。

 

「おっひさっしぶりですわ~、アル~! 元気してましたこと~!」

 

 そんな言葉を吐きながら騎兵隊から飛び出してきた女を見て、ソニアは「ゲッ!」と淑女にあるまじき声を上げた。ゴツい甲冑を軽々と着こんだそいつは、ソニアと同じ空色の長い髪をサイドポニーでまとめている。長身の者が多い竜人(ドラゴニュート)の中でも特に体格のよいその女は、どこからどう見てもスオラハティ家の血縁者であった。

 

「二年ぶりですわね~! 寂しかったですわよ~めっちゃ寂しかったですわよ~なんでノールに全然帰ってこないんですのふざけんなですわ~。しっかし、まぁ~たエロさが増してるんじゃありませんこと~? 全身ドスケベのドエロ人間ですわぁ~! ムラムラが収まりませんわ~我慢できませんわ~そこの草むらで一発ヤりますわよ~初夜ですわ~略奪婚ですわ~!」

 

 マシンガントークという言葉が陳腐に思えるようなまくしたて方をしたその女は、こちらが口を開くよりも先に僕の肩をグワシと掴んだ。そして荷物を持つような気軽さで抱え上げ、宣言通り草むらに連れ込もうとする。なにしろ相手はソニアとそん色のないクソデカ女、プラス竜人(ドラゴニュート)特有の超パワー。貧弱軟弱な只人(ヒューム)男である僕が抵抗してなんとかなるレベルではない。

 

「やめんかこの愚妹がぁ!!」

 

 だが、怪獣みたいなクソデカ女はこちらにもいるのである。ソニアは一瞬で激高し、不審者女の顔面を全力で殴りつけた。さしものクソデカ女もこれは溜まらない。僕を取り落としながら吹っ飛んでいく。

 

「いってぇ~ですわ~何するんですの駄姉がぁ~! 人からアルを奪っておきながらなんてデカい態度ですの~ふざけんなですわ~! 少しばかりわたくし様より早く母親の腹から這い出してきた程度で偉そうにしやがってムカつきますわ~!」

 

 ところが、不審者女も尋常な相手ではない。空中で猫のように態勢を整えた彼女は見事に着地し、即座に地面を蹴ってソニアに突撃をかました。そのまま二人は罵声を上げながら取っ組み合いを始める。白兵戦ではガレア王国でも一、二を争う実力者のソニアではあるが、不審者女の方もかなりの達人だ。両者の実力は伯仲しているように見えた。

 

「あれ、誰ですか? オトモダチ?」

 

 バタバタと音を立てながら猛烈な取っ組み合いを演じる二人を指(鎌?)差しながら、ネェルが小首をかしげる。……あんな友達は嫌だなあ。僕は立ち上がり、ホコリを払いながらため息をついた。

 

「……ソニアの妹だよ。スオラハティ三姉妹の一番下にしてノール辺境領切っての問題児。ヴァルマ・スオラハティ……」

 

 辺境領に置いてきたはずの暴走特急が、なんでリースベンに居るんだよ。頭を抱える僕を見て、ネェルは愉快そうな表情で「フゥン。楽しげな、人ですね」などとのたまった。アレを見て出た感想がそれか。うちのカマキリちゃんも大概大物だな……。

 それから、十分後。やっと姉妹喧嘩が収まった。両者は落ち武者もかくやというほどズタボロになり、なんとも情けない有様になっている。僕は二人が殴り合っている間に、部隊に大休止を命じていた。何が何だかわからんが、とにかく我々の前にスオラハティ家の騎兵隊が現れたのは確かなのだ。行軍を一時中止し、情報のすり合わせを行わねばならない。

 

「ごめんなさいね~アルぅ~。再会の喜びで少しばかり興奮しすぎましたわ~恥ずかしい所を見せましたわ~。でもまあ構わないですわよね~わたくし様とアルの仲ですもんね~もっと恥ずかしい所を見せ合う関係ですものね~」

 

 ぐいぐいと身を乗り出しながら、ヴァルマ・スオラハティはそんなことを言う。彼女とあったのは数年ぶりだが、背が高くなった程度で何も変わっていない。こいつはガキの時分からこんな調子なのである。僕はゲンナリした心地になりながら彼女を押しとどめようとした……が、敵わずに強引に抱きしめられ、唇を貪られた。ソニアが無言でヴァルマの頭に鉄拳を落とす。

 

「いってぇですわいってぇですわ~! 駄姉~! 乱暴さが増してるんじゃありませんこと~? 乱暴者は男から嫌われましてよ~! お情けでアルに婚約してもらったくせに調子乗りまくりですわね~! そんなんじゃ一年と立たずに見捨てられますわよ~! 可哀想だからすこしばかりアルを分けてあげてもいいとは思ってましたけども、彼があなたを捨てるならわたくし様も駄姉をポイですわよ~! 駄姉から廃品姉にジョブチェンジですわ~」

 

「相変わらずペラペラペラペラよく回る口だな愚妹……! 元気が有り余っているようならもう少し"運動"に付き合ってやろうか……!」

 

 本気でキレる三秒前の声音でそんなことを言いながら、ソニアが立ち上がろうとする。僕は慌てて彼女を押しとどめつつ、ヴァルマの副官に視線を送る。なんだかんだ言って、この暴走特級女とも付き合いが長い。その腹心たちとも当然顔見知りだ。

 副官は申し訳なさそうな顔をして深々と頭を下げ、「売られた喧嘩は買いますわよ~高値を付けますわよ~! ボッコボコのメッタメタにしてあげますわ~」などと言いながら拳を振り上げようとするヴァルマをはがいじめにした。

 

「遊んでないでそろそろ真面目な話をするぞ。知っているかどうかは知らないが、こちらは見ての通りいくさに出なきゃならんのだ。戦いにおいて、時間は黄金よりも貴重だぞ。無駄遣いはできん」

 

「確かにその通りですわね~失礼しましたわ~」

 

 ヴァルマはだいぶ様子のオカシイ女だが、これでも指揮官としては有能な部類なのである。軍事的合理性よりも私情を優先することは無い。……たぶん、あんまりない。こちらの指摘を受け、彼女は大人しく拳を下ろした。

 

「ズューデンベルグ領側から越境してきたということは……事情はだいたい知ってるわけだな?」

 

 コイツだって一応はガレア貴族だ。いくらエキセントリックな性格をしているとはいえ、普通の状況ならガレア側からやってくるはず。それをしていないということは、僕らがズューデンベルグに向かっていることを知っていたからだろう。

 

「もちろんですわ~。レマ市であの電信? とか言うのを読みましたわ~。身の程知らずのワンちゃんを懲罰しに行くんですわよね~」

 

 カルレラ市の最寄りの都市は王国側のレマ市と神聖帝国側のズューデンベルグ市だが、この両者との間には冬のうちに電信網を設置しておいた。スイッチを押してブザーを鳴らすだけの原始的な装置だが、モールス信号を使えば早馬どころか鳥人郵便よりも早く情報のやり取りをすることができる。宰相派の貴族を領主に頂くレマ市に対してはは、現状についての詳しい情報を送っていた。

 

「で……お前は何をしに来たんだ、南の果てまで郎党を率いてピクニックか?」

 

 だいぶ毒のある口調で、ソニアは嫌味を言う。だが、ヴァルマはどこ吹く風だった。

 

「むろん、援軍ですわ~! 南部情勢が燻っていると聞いて、いてもたってもいられなくなりましたの~」

 

 そうは言っても、ノール辺境領とこのリースベン領は大変に離れている。大国ガレアの北端と南端なのだから当然だ。翼竜(ワイバーン)などを使うならまだしも、これだけの軍勢を率いての移動ともなればここまでたどり着くまでに二か月以上はかかったに違いない。

 いったいいつから動き出してたんだ、こいつは。カステヘルミからはそういう連絡は来てないんだが……ヴァルマは無駄に頭がよく回るし、カステヘルミは人が良すぎて娘を信用しすぎるきらいがある。おそらく、タチの悪い詐術で母をだまくらかして出陣してきたのだろう。

 

「そ、そりゃあまあね。有難いけどね。ウン……」

 

 僕は何とも言えない心地でヴァルマの連れてきた騎士たちを眺めまわした。凄い数だ。聞いてみれば、なんとその数一個大隊。中隊三つで大隊を作るのがガレア式軍制だから、なんとリースベン軍の遠征部隊にくっ付いてきた騎兵部隊の三倍の数だった。

 たしかに我々には明らかに騎兵部隊が不足している。ヴァルマの援軍があれば、対ミュリン戦に関しては一切の不安材料が払拭されたと言っても過言ではない。……補給計画に含まれていない部隊が突然生えてきたわけだから、兵站的にはだいぶしんどいが。まあ、その辺りは最悪ディーゼル家に押し付けるので問題はない。一番問題なのはコイツ、ヴァルマ・スオラハティの人格だ。

 

「愛しのアルの好感度を稼ぎつつ、戦果を挙げて我が野望の第一歩を踏み出す! 一石二鳥ですわ~」

 

 ヴァルマという女は、大変に危険な人物であった。ガレアで最も巨大な領邦の領主の三女でありながら、その次期当主以上の立場を求めていると公言して憚らない。ヴァルマの目標は、己の王国を築くことなのだ。正直言ってだいぶヤベーやつだった。

 これで無能ならばただのアホで済むのだが、残念ながら彼女は有能だった。戦いを好まないカステヘルミに代わって何度も軍役に参加し、そのたびに目覚ましい活躍を見せている。しかも下手にカリスマがあるものだから、彼女をしたって部下が続々と集まる始末。ヴァルマの一党は、今やスオラハティ軍の中でもかなり重要な立ち位置をしめるようになってしまった。

 

「あとこれはついでなのですけれど、王家から伝言を預かってますわよ~」

 

「伝言……伝言? 王家から? 嘘を吐くな。王家がお前に使者などを任せるはずがないだろう」

 

 冷や汗をかきつつ、ソニアが指摘する。王国の王侯の間では、ヴァルマのアレっぷりは有名な話である。王家からの直接の伝言となれば、それを扱うのは当然正式な使者だ。そのような重要な任務をヴァルマに任せるというのは、実際考えづらかった。

 

「使者は別にいたんですけれども、シバき倒して任務を奪ってやりましたわ~! 弱肉強食は世の常、クソザコ騎士に使者を任せた王家の落ち度ですわ~!」

 

「何やってんだお前ェ!!」

 

 ソニアが思わず立ち上がった。僕も同じ気持ちだった。人が王家から余計な疑いをかけられぬよう四苦八苦しているときに、コイツはなんてことをしてくれたんだよ!!

 

「ビビる必要はありませんわぁ~。ちゃんと合法的な手段で引っ剝いでやりましたわ~文句は言わせませんわ~」

 

 嘘つけぇ! と言いたいところだったが、コイツが合法というのなら本当に合法だという確信があった。おそらく、昔の法律……自己救済(フェーデ)法かなにかを使って

使者殿を自分の土俵に誘い込み、正々堂々と奪って見せたのだろう。

 この女は常日頃から危険極まりない言動と行動をとっているが、それでも幽閉や勘当といった取り返しのつかない状態には陥っていない。これは辺境伯家の権力で握りつぶしているのではなく、本人が致命的なラインを見極める眼力を持っているおかげだった。おそらく、地雷原でタップダンスを踊ることにかけてはヴァルマの右に出る者はいないだろう。

 とはいえ、いくら合法だろうが王家の心証が悪くなることは避けられない。しかもたぶんヴァルマはその辺を理解したうえであえて王家に中指をおったてているのだからタチが悪すぎる。こいつはそういうやつだ。

 

「んおお……」

 

 僕は思わず頭を抱えた。アレな味方に悩まされるのは、どうやらイルメンガルド氏の特権ではないようだ。アンネリーエ氏とヴァルマ、どっちがマシだろうか? ワンチャン前者かもしれない。

 

「……で、なんだ。伝言ってやつは」

 

 ソニアと一緒になってヴァルマをシバき倒してやりたい欲求に耐えつつ、僕はそう言った。本当に今は時間がないのだ。このクソボケへの折檻はすべてが終わった後にやればよい。

 

「これですわ~」

 

 ニコニコと異様なまでの笑みを浮かべつつ、ヴァルマは懐から出した封筒をこちらに手渡してくる。封蝋に押されたマークは、確かに王家の紋章だった。差出人の名前は、フランセット殿下だ。

 僕はコホンと咳払いをし、腰からナイフを抜いて手紙を開封する。中からはふわりと花の香りが立ち上ってきた。手紙にお香や香水の香りをつけておくのは、最近王都で流行っているやり方だ。当たり前だが、ド腐れ世紀末覇王かぶれのヴァルマがこんな洒落たやり方を知っているはずもない。差出人はフランセット殿下で間違いなさそうだ。

 

「……ッ!?」

 

 何とも言えない心地で手紙を読み始めるが、すぐに僕は凍り付く羽目になった。そこに書かれていた文字列は、僕の脳が理解を拒むほど衝撃的な内容だった……。



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第432話 くっころ男騎士と軍役

 スオラハティ三姉妹の末妹、ヴァルマが持ってきた王家の書状には、とんでもないことが書かれていた。紙面から視線を外し、目をこすり、もう一度書状を読んでみた。……相変わらず、そこには認めがたい文字列が丁寧な筆致で描かれている。

僕はもう一度紙面から視線を外し、ポーチから酒水筒(スキットル)を取り出して中身のウィスキーを一気に飲み干した。そして文面に視線を戻すと、やっぱりそこにはクソみたいな文章が踊っている。大変に残念ながら僕の目はマトモらしい。

 

「あ、アル様? いかがなされました? まさか、その……王家が?」

 

 僕の尋常ではない様子に、ソニアが冷や汗を垂らしながら聞いてくる。いよいよ反乱の疑いが表面化して、査問にも呼びつけられたのか。そう聞きたいらしい。僕は無言で首を左右に振り、息を吐いた。

 

「……ソニア、紫色計画(ヴァイオレット・プラン)の計画書って持ってきてたっけ?」

 

「い、いえ……領主屋敷に置いてきましたが……。使わない作戦の計画書を無意味に持ち出して、万一紛失したり盗まれたりすれば大事ですから……」

 

「そっか。うん、そうだったな。ウル、ちょっと来てくれ!」

 

「へいへい、ご用命じゃしか?」

 

 鳥人の頭領であるウルは、今回の遠征でも偵察・伝令の責任者として従軍している。僕の呼びかけに答え、カラス娘はトテトテと駆け寄ってきた。

 

「悪いが今すぐカルレラ市に戻って紫色計画(ヴァイオレット・プラン)の計画書を持ってきてくれ。可能な限り迅速に頼む」

 

 僕は従者に命じて便箋と封筒を持ってこさせ、手早く命令書を作った。慌てているせいで字がかなり汚くなったが、お構いなしだ。封筒を封蝋で閉じ、ウルに手渡す。彼女は「承知」と短く答えて飛び立っていった。

 

「アル様、一体どうされたのです? 今さら、作戦の変更をするのですか? しかし、紫色計画(ヴァイオレット・プラン)はいくつかある対ミュリン作戦でも最も過激なプラン。一応念のために用意しておいた、程度の代物では……」

 

 ソニアの言葉に、僕は小さく頷く。この作戦は、ミュリンの本拠地まで攻め込んで城下の盟を結ばせることを目的としている。つまり、全面戦争プランだ。我々が派手に動けば動くほど皇帝軍の介入リスクは高まっていくので、これが採用されることはまずありえない、という話になっていたのだが……。

 

「残念ながら、ことはその程度(・・・・)では終わらなくなった。作戦の大幅な見直しが必要だ」

 

 そう言って、僕は例の書状をソニアに手渡した。ひどく困惑した様子でそれを受け取った彼女は、文面に目を通すなりさっと顔色を変える。それもそのはず、書状の内容はこの戦争の前提条件を何もかも変えてしまうようなシロモノだったのだ。王侯特有の長ったらしい装飾にまみれたソレを分かりやすく要約すると、こうなる。

 

ガレア王国王太子、フランセット・ドゥ・ヴァロワよりリースベン城伯アルベール・ブロンダンに通達する。

貴卿も知っての通り、神聖オルト帝国は我が王家の神聖なる領土の一部であるレーヌ市、及びその周辺地域を不法にも占拠している。

余はこの度、レーヌ市を正統なる所有者であるガレア王家の手に取り戻すべく、神聖オルト帝国に宣戦を布告することにした。

したがって、貴卿に臣下としての奉仕を命ずる。

王家は貴卿を正式に南部方面軍の将軍に任じることにした。

貴卿の任務は帝国南部の諸侯を誘引し、王国軍本隊の負担を軽減することである。

下記の諸侯を率い、帝国南部に進撃せよ。

以上

 

 レーヌ市というのは、王国と神聖帝国のはざまに位置する有名な大都市だ。大陸西方における羊毛の最大産地の一つであり、その大変に恵まれた立地から物流の要ともなっている。そういう重要な場所だけに、ことあるごとに争奪戦が行われている血塗られた街だ。

 僕の記憶が確かなら、この街の所有者は五回変わっている。何十年か前はガレア王家の直轄領だったし、今は神聖帝国の皇帝家が支配している。どうやら、フランセット殿下はこの街を王家の手に取り戻そうとしているらしい。

 ガレア王家が、皇帝の直轄地に攻め込むのである。つまりは、王国と神聖帝国の全面戦争。我々とミュリン家の戦いが子供の喧嘩に思えてくるような、とんでもない大戦争だ。

 

「どうやら、このところの我々の努力は徒労に終わったらしい」

 

 なんとか皇帝軍の介入を防ごうと四苦八苦して作戦を立てていたというのに、コレである。僕はすさまじい徒労感に襲われていた。主敵に据えていたミュリン軍も、今や単なる前菜だ。我々は神聖帝国の皇帝軍その物と戦わねばならなくなった。浅い川だと思って踏み込んだら、とんでもない急流だったような気分だ。

 この頃やたらと王家からの反応が鈍かったのは、作戦を秘匿するための情報統制のせいだったのかもしれないな。王軍が戦争準備をしているという報告は何度も耳にしていたが、まさかこんなことを目論んでいたとは……。

 チラリとヴァルマのほうを見ると、彼女は顔にニヤニヤ笑いを張り付けてこちらをうかがっている。どうやら、彼女はこの命令書の内容を知っているらしい。なるほど、フゥン。だからわざわざ郎党を引き連れて遠路はるばるリースベンまでやってきたわけか。クソッタレの戦争フリークめ。

 

「いやぁ、王太子殿下もやりますわねぇ~。大急ぎで大砲や小銃を揃えて、新兵器をコピーされる前に宿敵をブッ叩く! なんとも大胆な作戦ですわ~」

 

 僕とソニアが揃って頭を抱える中、唯一ヴァルマだけが楽しげだ。こ、この野郎……と思わなくもないが、問題は王太子殿下である。穏健派の現国王陛下が神聖帝国相手に全面戦争を決断するとは思えない。命令書が王太子殿下の名前で発行されていることからも、この作戦の責任者は王太子殿下である可能性が高い。

 ……レーヌ市の奪還は確かに王家の悲願だろうが、あそこはもう何十年も神聖帝国のリヒトホーフェン家が支配しているのだ。今すぐ取り返さねば王国が爆発四散してしまうとか、そういう切羽詰まった事情は一切ない。

 にもかかわらずの、突然の開戦。これはどう考えても、僕が新式軍制の技術を彼女に教えたからだ。彼女はライフルや大砲の威力を知り、これならば皇帝軍が相手でも勝てると判断してしまった。おそらくは、自分が国王に即位する際の権威付けを狙っているのだろうが……あの人がこんな機会主義的な挙動をする人間だとは思ってもみなかった。人を見る目には自信があったのだが、どうにも僕の目は節穴だったらしい。

 ああ、最悪だ。僕は膝から崩れ落ちそうな心地になったが、なんとか耐えた。僕の肩には領民と部下のすべての責任が乗っている。命が尽きるか領主の職を辞すまでは、何があろうと常に最善の行動をとり続ける義務がある。

 

「これは……しかし……」

 

 苦悩がにじみ出る表情をしながら、ソニアが呻く。本当に厄介なことになってしまった。僕たちとしてはミュリン家をシバいて大人しくさせたいだけなのに、王家は我々に帝国の南部諸侯を引き付けろと命じている。おそらく、その隙に王軍本隊が進撃して帝国の横っ腹に風穴を開ける腹積もりなのだろう。典型的な陽動作戦だ。僕たちはいざという時に備えて様々な戦争計画を立てているが、流石にこのようなシチュエーションは想定していなかった。

 

「とにかく、作戦の見直しだ。軍役を命じられた以上、命令を拒否する権利は我々にはない」

 

 命令書には、真価としての奉仕を命じると書かれていた。これはつまり、軍役……出陣の要請に他ならない。君主は臣下に封土や領地の安堵などを与え、臣下はその代わりに君主に対して軍事奉仕を行う。この双務的契約こそが封建制の根幹なのだ。

 

紫色計画(ヴァイオレット・プラン)をベースに作戦を組み立てなおす。基本は同じだが、戦域の広さも敵の数も大違いだ。少しばかり工夫が必要だな」

 

 まあ、一応その分味方も増えるわけだが。僕はソニアから命令書を返してもらい、『下記の諸侯を率い、帝国南部に進撃せよ』という一文を読み返した。……しかしそう言われてもね。書かれている諸侯の軍を改めて招集していたら、作戦開始がどれほど遅れるか分かったもんじゃないぞ。いったいどうしたもんかね。

 

「ヴァルマ、お前も協力してくれるんだな?」

 

 とにかく、今は信用できる味方が必要だ。共同訓練すらしたことがない諸侯軍など、どれほど役に立つのかわかったもんじゃない。というか下手をしたら戦いに間に合わない可能性もある。

 そこでこのヴァルマだ。こいつはホンモノのクソ野郎だが、用兵に関しては頼りになる。部下の騎士たちも手練れぞろいで、しかもリースベンと同じ教本で教育されているため連携もしやすいと来ている。装備・練度に優れ、指揮官にも恵まれた騎兵が一個大隊。雑兵千名よりも頼りになる戦力だ。有効活用しない手は無い。

 

「もっちろんですわ~南部諸侯が入れ食いの食べ放題ですわ~楽しみですわねぇ~」

 

 満面の笑みそんなことを言うものだから、本当にこの女はろくでもない。僕とソニアは顔を見合わせ、揃ってため息をついた。コイツを頼りにする日が来るとは、まったく世も末だ。



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第433話 ナンパ王太子の野心

「さて、今頃はアルベールに例の書状が届いている頃かな」

 

 指揮卓の上で頬杖を突きながら、余、フランセット・ドゥ・ヴァロワはそう呟いた。ここは神聖帝国との国境にほど近い街、ルクス市。その領主屋敷にある、一番上等な客間だ。

 余は王軍を率い、この街に滞在していた。諸侯の軍勢も続々と集結しており、郊外に設営した野営地には様々な旗がたなびいている。なんとも胸躍る光景だった。余の号令一つで、この大軍団が憎き神聖帝国になだれ込むのだ……。

 

「彼が南部諸侯を押さえてくれるなら、こちらは随分と楽になる。北の方はスオラハティに丸投げすればいいしな……」

 

 地図を指先でなぞりながら、つぶやく。あえて気だるげに聞こえるように言ったが、内心は少しばかり緊張していた。我がガレア王国と神聖オルト帝国は宿敵同士といって差し支えない関係だったが、少なくともここ数十年は小競り合い程度の小さな紛争しか起きていなかった。

 最後に両国が正面からぶつかり合ったのは、我が祖母……国王陛下がまだ王位を継承する前の話だ。当時の話は、何度も聞かされている。なかなかひどいいくさだったそうだ。結局その戦いでは我々は敗北し、くだんのレーヌ市をはじめとしていくつもの街や権益を失ってしまった。祖母が戦乱を嫌うのは、きっとその敗戦のトラウマのせいなのだろう。

 

「北部と南部の諸侯がそれぞれ釘付けになっているのであれば、動けるのは皇帝とその周りの諸侯だけ。容易いいくさになりそうですね」

 

 そう言って笑うのは、フィオレンツァ司教だった。余はこの頃、この胡散臭い女とよく行動を共にするようになっていた。フィオレンツァが信用ならぬ女であることは、余も理解している。だがその洞察力や、星導教のネットワークを生かした情報収集力はたいへんに有用だった。余の目指す目標を達成するためには、このような輩でもうまく活用せねばならない。そう思って、傍に置いている。

 

「南部の抑えができるようになったのが大きい。あそこはいままで、こちらの方が劣勢な地域だったからね」

 

 南部地域のパワーバランスに関しては、長年我が国の頭痛のタネになっていた。帝国側は例のミュリン家をはじめとしていくつもの有力諸侯を抱えているというのに、我が国側の南部諸侯は小粒なものばかりしかいない。帝国側が、『肥料もいらぬ肥沃な大地』とも称される黒土地帯を占有しているせいだ。麦の収量の違いが、国力にも露骨に影響を与えている。

 

「あのミュリン家とやらが極めつけの間抜けでよかったよ。命令を出すまでもなく、リースベン軍は既に臨戦態勢という話じゃないか。南部はあっという間に片がつくかもしれない」

 

 まさに天祐だ。そんなことを想いながら、余はクスクスと笑った。ブロンダン家とミュリン家の間で起きたいざこざについては、アルベール本人から来た報告書を読んで知っている。敵ながら、ミュリン伯爵とやらには同情するよ。皇帝軍の介入を恐れる必要がなくなった今、アルベールはなんの遠慮もなくかの領邦を蹂躙するだろう。

 そしてその戦果は、見せしめとしても機能する。ミュリン伯爵は南部ではそれなりの大物として扱われているそうだ。それがたちどころにやられてしまったとあれば、帝国の南部諸侯は何かにつけて皇帝からの参戦要求を嫌がるようになることだろう。そうなれば、皇帝軍の戦力は大幅に低下する。

 

「これもすべては極星のお導きでしょう。殿下の行かれる道は祝福されている、ということです」

 

 いかにも聖職者らしい言葉を胡散臭い笑みと共に吐き出すフィオレンツァ。余は大きく息を吐いて、視線を彼女から外した。……余もまだまだ未熟だ。この程度の見え透いたお世辞で、浮ついた気分になってしまうとは。

 

「ふん……このくらいでなければ、むしろ困るというものさ。国王陛下の不興を買ってまで、大急ぎで軍備を整えたんだ。"敵"の態勢が整う前に叩き潰さねば」

 

 余は持てる限りの政治力をもってして、冬のうちに王軍の改革を進めていた。国庫が目減りするのも厭わず火器類や火薬を増産し、王軍の各部隊に配備した。そしてアルベールのもたらした教本を用いて、必要な教育も施している。戦いの準備は万全と言っていい。

 戦争全般を嫌っている国王陛下からはなんども苦言を呈されてしまったが、構うものか。去年の王都内乱のせいで、陛下の権威はたいへんに低下してしまっている。嘆かわしい話ではあるが、余からすれば好都合であった。祖母は平時の名君ではあったが、時代は既に乱世と化し始めている。そろそろ世代交代が必要だろう。

 

「それに、レーヌ市奪還など所詮は言い訳。皇帝軍がしばらく行動不能になればそれで良い。調子に乗って深入りして、大やけどなんてした日には大事だ。あまりおだてないで欲しいものだね」

 

「ふふ、確かにその通りですね。殿下が目指しているのは、あくまで国家と民草の安寧。覇道などはお望みではないでしょう」

 

「当たり前だ。あのスオラハティのバカ娘などと一緒にされは困るよ」

 

 王家の使者が襲撃された先日の忌まわしい事件を思い出し、余は思わず顔をしかめた。ヴァルマ・スオラハティがろくでもない輩だというのは知っていたが、あそこまでひどいとは。やはり、宰相一派は王家の風下に立つ気などさらさらないと見える。

 

「我が国最大の敵は内側に巣食う寄生虫どもなのだ、優先すべきは領土拡大などではない。しかし、内憂を先に除こうとすれば外患がちょっかいを出してくる。だから、仕方なく外患を先に斬る……それだけさ」

 

「各個撃破、というわけですね」

 

「そうだ。万が一宰相派と神聖帝国が手を結べば、王家単独で対抗するのはまず不可能だからね。手始めに神聖帝国を懲罰し、ついでに宰相派諸侯の戦力も削る。一石二鳥の策だ」

 

 フィオレンツァの言葉に、余は頷く。脳裏に浮かぶのは、あの忌まわしい守銭奴宰相の顔だ。カネの力で貴族に成り上がり、高貴なる者の義務(ノブリス・オブリージュ)も果たさぬ我が国の面汚し。かの女は今やリースベンに居座り、主人のようにふるまっていると聞く。

 自分の力で平定したわけでもない国を婚姻で奪い取るとは、なんたる悪党だろうか。アルベールという男を骨の髄までしゃぶる気がなければ、このような恥知らずな真似はすまい。とても許せるようなものではなかった。

 そして、我が王家の現状はよろしくない。北部はスオラハティの庭だし、南部では宰相一派が地盤を固めつつある。さらに言えば、宮廷政治もオレアン公が失脚したせいで宰相派が主流になりつつあるのだから目も当てられない。

 何もかもが宰相の思い通りに動いている。こうなるともう、オレアン公爵家の暴走すら宰相の差し金だったのではないかと思えてくるから恐ろしい。ヴァロワ王家は余の代で滅ぶのではないか。そう思わずにはいられない状況だった。

 

「とにかく、宰相一派の排除が一番の急務だ。少なくともこの点で、我々の利害は一致している。そうだね?」

 

「ええ。わたくしとしても、あのような輩に大切なアルベールさんが汚されるのは許せぬことですから。王太子殿下には、なんとしても宰相閣下を止めて頂きたい。そのためならば、どのような苦労も厭うつもりはございません」

 

 胸に手を当てながら、司教は一礼する。胡散臭い女だが、アルベールを想う気持ちだけはホンモノのように思える。だからこそ、余は彼女を重用するようになったのだ。……余とて、あの男は少ないのだから。我が求婚を断るアルベールの声を思い出し、余は心がきゅっと締め付けられるような気分になった。彼を宰相の呪縛から解き放ってやらねばならぬ。

 

「よろしい。利害が一致している限りは、そちらの思惑にも乗ってやろう。だが、仕事だけはきちんと果してもらうぞ」

 

 司教には、いくつかの仕事を任せていた。たとえば、帝国領内の情報収集だ。星導教は国境を越えた情報ネットワークをもっており、この手の仕事はお手のものだった。

 

「お任せあれ、殿下。……ああ、そうそう。仕事と言えば、スオラハティ家内部の調略のほうも順調ですよ。ご安心ください」

 

「へぇ? それは朗報だね。駄目で元々の作戦だが、上手くいきそうなのかな」

 

 その言葉に、余は目を丸くした。宰相のカスタニエ家は文民であり、独自の戦力を保有していない。彼女の武力の源泉はスオラハティ家とブロンダン家だ。その一角を崩せるのならば、作戦は遥かにスムーズになる。

 

「カステヘルミ様の次女、マリッタ様はアルベールさんを嫌っておりますからね。とうぜん、彼を重用する宰相閣下のことも良くは思っておりません。味方に引き入れるのは容易い事でした」

 

「マリッタ・スオラハティか……」

 

 ソニアがブロンダン家に嫁ぐことが決まった今、次期ノール辺境伯と目されるようになった人物のことを思い出し、余は視線をさ迷わせる。

 

「アルベールに姉を取られた、と思っているという話だったな」

 

「はい。彼女はソニアをたいへんに慕っておりますからね。母と姉をたぶらかし、スオラハティ家を滅茶苦茶にした悪男。アルベールさんのことをそうののしっておりましたよ」

 

「……まあ、そう言いたくなる気持ちはわかるが」

 

 余はあの素朴な男のことを思い出しながら、ため息をつく。勘違いされやすい男だ。マリッタが判断を誤るのも致し方のない話だろう。だが、黒幕は彼ではなく宰相なのだ。

 

「アルベールを救うために、アルベールを嫌うものの力を借りる……か。なんとも皮肉なものだ……」



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第434話 くっころ男騎士と降伏

 神聖帝国その物に対する宣戦布告に、南部方面軍の司令官への任命。屋敷に戻って寝込みたくなるようなショッキングなニュースだったが、職務を放棄するわけにもいかない。僕たちは作戦計画の修正を急ぎつつ、ズューデンベルグに向かった。

 一応、ズューデンベルグはいまだに神聖帝国に属しているわけだから、少なくとも名目上は我々は交戦国同士だ。念のため迎撃準備を整えてから領邦内に入ったわけだが、特に敵対的な真似はされなかった。関所も顔パスで通してくれたし、それどころか貴重な騎兵を割いて先導役につけてくれる始末である。どうやら、ディーゼル家は今のところ我々と敵対するつもりはないらしい。

 

「いやはや、面倒なことになったな」

 

 ズューデンベルグ城で我々を出迎えたアガーテ氏は、開口一番そういった。大テーブルの上にドンと乗せられた大陸西方の地図を眺めながら、深々とため息をつく。

 

「中央地方の国境地帯で王国軍が集結を確認。侵攻の兆候である可能性が極めて高いため、皇帝軍の組織を命じる……そんな通達が、鷲獅子(グリフォン)便で送られてきたよ。ディーゼル家は神聖帝国の一員として、王国軍と女々しく戦わねばならぬようだ」

 

「それは大変ですね」

 

 僕は他人事のような口調で言った。

 

「ディーゼル軍は、中央軍の助攻として侵攻してきたリースベン軍と交戦を開始。奮戦むなしく敗退し、屈辱のうちに城下の盟を結ばされた。そういう感じで結構ですか?」

 

「結構だ。いやあ、たいへんな激戦だったな。ディーゼル軍は良く戦ってくれたが、相手が悪かった。正面決戦で敗れたのならば仕方があるまい。……あ、一応そちらの旗もすでに用意してあるんだ、尖塔に掲揚しておこう。我が城は今、リースベン軍の制圧下にあるからな」

 

「お願いします」

 

 今さらディーゼル家はリースベン軍などとは戦いたくないだろうし、我々としてもそれは同感である。しかも、ディーゼル家は以前から神聖帝国を離脱して、こちらに付きたいと打診をしてきたわけだからな。まあ、こういうことになる。

 

「降伏ついでにそちらに臣従しておきたいんだが、構わないかね? もちろん、防衛義務アリの契約で」

 

「いや、それは……」

 

 ディーゼル家としては、神聖帝国を離脱する以上新たな集団安全保障体制の構築を目指すのは自然な流れだろう。ただ、その主軸としてウチを頼るのはどうなんだろうね? なにしろこっちは王家から睨まれている身の上だ。情勢が荒れ始めた以上、王家の矛先がこちらに向き始める可能性は十分にあるように思える。泥船になるかもしれない船に知り合いを乗せるのはどうにも躊躇が……。

 

「結構ですわ~大歓迎ですわ~」

 

 などということを言おうとしたら、ヴァルマがしゃしゃり出てきて大声でそう言ってしまった。睨みつけてやると、彼女はペロッと舌を出して笑ってから、僕の耳元に口を近づける。

 

「貰えるものは貰っておくのが吉ですわ~、ノーコストでこれだけの大領主が臣従するならチョーお買い得ですわ~要らないようならわたくし様が貰っちゃいますわよ~」

 

「しかしだな……」

 

「うっせぇ~ですわ~レロレロレロ」

 

「ホァーッ!?」

 

 突然耳を舐めまわされ、僕は椅子の上から落ちかけた。ソニアが無言でヴァルマをブン殴る。大木槌で殴打したような凄まじい音が響き、さしものアホ娘も「い、いってぇですわ~舌嚙みましたわ~」などと呻きつつ撃沈した。

 

「臣従を認めてくれるなら、そりゃ有難いがね。……ところで、その方は? スオラハティ家にゆかりのある方のようにお見受けするが」

 

「わたしの妹の、ヴァルマ・スオラハティだ」

 

「ああ、先日我が領土を通過した、あの騎兵隊の主殿か。報告は受けている」

 

 得心がいったようで、アガーテ氏はポンと手を叩いた。

 

「どうせこの女のことだから、関所を強行突破して無断侵入したのだろう。大変に申し訳ない事をした」

 

 そう言って、ソニアは深々と頭を下げた。しかしアガーテ氏は慌てたように首を左右に振る。

 

「いやいや、いやいやいや。そんなことはされていないぞ。騎兵隊は、キチンとした手続きをしたうえで関所を通過している。部隊を率いている方の名前は教えてもらえなかったが……スオラハティの旗を掲げていたし、王家からの命を受けて行動していると聞いたからな。私直々に通過許可を出した」

 

「エッ」

 

 僕とソニアは、そろって素っ頓狂な声を出してヴァルマを見た。

 

「ヴァルマが、正式な手続きを踏んで関所を通過した……?」

 

「馬鹿な……コイツは関所と見れば強行突破せずにはいられない異常者のはず……」

 

「い、いくらなんでもその評価はヒドすぎるんじゃなくて!?」

 

 ヴァルマは憤慨して、テーブルをドンと叩く。……いや、憤慨されてもな。困るんだよな。信用するには普段の行いが悪すぎるんだよ……。

 

「わたくし様だって、急いでなければ(・・・・・・・)手続きが終わるまでキチンと待ちますわよ!」

 

「……急いでなければ?」

 

 こいつの持ってきた命令書は、どう考えても可及的速やかに配達すべき内容のものである。にもかかわらず、急いでいなかった? 僕がヴァルマの目をじっと見つめると、彼女はニヤッと笑った。

 

「ええ。今回は急ぐ方がかえってマズイ案件だと思いましたの。実際、よいタイミングで合流できたでしょう? いやあ、流石は天下のヴァルマ様ですわ~」

 

 ……なるほどね。おそらく、我々とミュリン家が決裂するタイミングを待っていたのだ。もし決裂前に命令書が届いていたら、我々はミュリン家に先制攻撃をかけねばならない事態になっていた。

 しかし、現実はそうはなっていない。賽を投げたのはイルメンガルド氏の方だ。つまり、こちらはあくまで反撃という形で攻撃を仕掛けることができる。些細なようだが、これは後々の交渉で大変に有利になる要素だった。なんとまあ、配慮の行き届いた話だ。やはりこの女は、たんなる暴走特急ではない。

 

「……一応、感謝しておこう。ありがとう」

 

「お礼は貞操で結構でしてよ~」

 

 冗談めかした口調だが、ヴァルマの目つきは"マジ"である。ギラギラとした視線が、僕の身体に突き刺さっていた。意外と配慮ができるのは結構なのだが、このクソみたいな人格はどうにかならんのだろうか。その色ボケた頭に、ソニアが再び鉄拳を落とした。

 

「何するんですの駄姉~! わたくし様の優秀な頭脳に嫉妬してますの~? 先に生まれたこと以外に自慢できることがないからって、妹をひがむのは見苦しくってよ~!」

 

「アル様、こいつぶっ殺していいですか?」

 

「駄目です」

 

「じゃあ仕方ないので半殺しで我慢します」

 

「今は忙しいからやるなら後でね」

 

 久しぶりに再会したばかりだというのに相変わらずアホみたいに仲の悪いスオラハティ姉妹を見ながら、僕はため息をついた。そして視線をアガーテ氏に移す。彼女はひどく困惑した表情をしながら姉妹喧嘩を眺めていたが、僕の視線に気付いてコホンと咳払いをした。

 

「とにかく、いろいろと状況は変わりましたが、やるべきことに関してはそれほど変化していません。とりあえず、目の前の脅威を取り除くのが先決です」

 

「ミュリン家を叩き潰すんだな」

 

「ええ。情勢は厄介極まりない方向に進んでいますが、一つだけメリットもあります。政治的な制約が取り除かれたおかげで、ミュリン家をフリーハンドで殴れるようになったことです」

 

 従来の計画では、戦場はズューデンベルグ領に限定されていた。ミュリン領に侵攻するような真似は、皇帝軍の介入を招く可能性が高かったからだ。しかし神聖帝国との全面対決が確定的になった今、そんなことを気にする必要は全くない。

 

「収穫はすでに終わっているとはいえ、我が方の麦畑を戦場にするのは避けたい。こちら側からミュリン領に攻め込みましょう」

 

 僕の言葉に、アガーテ氏は待っていましたとばかりに笑みを浮かべる。どうやら、相手を攻め滅ぼしたいほど恨んでいるのはミュリン家側だけではないようだった。僕としては、ため息をつきたいような事態だがね。まったく、どうしてこんなことに……。戦争が終わったら、王太子殿下に事の次第を問いたださねば。



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第435話 くっころ男騎士と軍議

 言うまでもない話だが、戦争が起きると土地が荒れる。田畑は軍靴でめちゃくちゃに踏み荒らされ、戦死者の遺体は汚染源となって疫病の類をまき散らす。さらに何の生産活動にも寄与しない大集団が滞在することにより、地域の食料品が食いつくされてしまうという問題も無視はできない。鉄道もトラックも無いような状況では、食料品の多くは現地調達に頼らざるを得ないからだ。産業革命以前の軍隊というものは、ほとんどイナゴの集団のようなものだった。

 そういうわけで、土地に根付いた存在である領邦領主からすれば自分の領地を戦場にするなどとんでもないことである。戦争の惨禍はできることならば敵国へ押し付けたい、そう思うのが普通だ。残酷な話だが、僕としてもそれは同感だった。リースベンの食料庫であるズューデンベルグ領が荒廃してしまっては困るのだ。

 

「ミュリン軍はどう出てきますかね。どうやら動きが鈍いようですが」

 

 夕刻。張られたばかりの天幕の下で、僕はそう聞いた。ズューデンベルグ市を発って二日、我々はシュワルツァードブルク市郊外に陣を張っていた。

ディーゼル家自慢の農業都市の近郊だけあって、周囲には地平線の彼方まで続く広大な麦畑が広がっている。まあ麦畑といっても、今は冬麦の収穫が終わったばかりの時期なのであまりそれらしい光景ではないが。

 本来の作戦計画、|青色計画(ブルー・プラン)では、この都市の間近で防衛線を張ってミュリン軍を迎撃だった。結局青色計画(ブルー・プラン)は廃案になってしまったわけだが。政治上の不都合がないのならば、わざわざ味方の領地を戦火に晒す意味はない。まあ、ミュリン軍の進撃が早かった場合は、そうはいかないのだが。

 ところが、イルメンガルドの婆さんが慌てて帰還したにも関わらず、当のミュリン軍の動きは鈍かった。今のところズューデンベルグ領内に敵軍が侵入したという報告は入っていない。これは少しばかり意外だった。自国領を戦場にしたくないのは、向こうも同じだと思うのだが……。

 

「我々と同様に、ミュリン家にも皇帝軍への参加命令が来ていることだろう。おそらく、状況を利用して自軍の戦力を増やしているものと思われる」

 

 そう答えるのは軍装姿のアガーテ氏だった。なにやら面倒なことになってしまったとはいえ、この戦いの本質はディーゼル家の防衛戦争だ。我々はディーゼル家と連合軍を形成し、戦いの準備を進めていた。

 少しばかり視線を逸らせば、天幕の外ではブロンダン家の旗とディーゼル家の旗が並んではためいている。一年前のちょうど今頃、両家は全力でぶつかり合っていた。それがこうして連合を組んでいるのだから、なんとも感慨深い話だ。

 ……ちなみに、その隣には〇に十字の紋章、いわゆる轡十字(くつわじゅうじ)紋の旗も掲揚されている。僕としては、リースベン軍はブロンダン家の私兵ではないという意識がある(ブロンダン軍と名乗っていないのはそのためだ)。そのため、ブロンダン家の家紋である青薔薇をそのままリースベン軍の軍旗として使うのにも抵抗があった。そこで、エルフ内戦への介入時に使ったこのマークをそのままリースベン軍の紋章として採用したのだ。

 まあ実際のところ、リースベン軍はエルフ、アリ虫人、鳥人などの服属した蛮族連中も多数参加しており、私兵というよりは諸侯連合といったほうが正確だ。この轡十字(くつわじゅうじ)旗も、連合旗のようなものだと思えばそれほど奇異なモノではなかった。

 

「前も話したが、ミュリン家が独力で動かせる戦力は民兵や傭兵などを加えても千六百がせいぜい。リースベン軍が全軍出撃をした以上、これでは兵力上圧倒的に劣勢だ」

 

「リースベン軍だけで千二百名ですからね。それにディーゼル軍とヴァルマの騎兵隊を加えれば三千名近くなる」

 

「……なんだかやたらと頭数が多いなと思っていたが、そんなに居るのかリースベン軍」

 

「ええ、なんか……気付いたらめちゃくちゃ増えてて。まあ、半分くらいはエルフ兵、アリンコ兵、鳥人兵です」

 

 なんで常備軍だけでそんなに抱えてるんだろうね、ウチは。城伯が保有していい兵力じゃねえぞ。そんなんだから王家から怪しまれるし、食料自給率も上がらないんだ。反省したいところだったが、状況を考えればこれ以上の軍縮もできない。難しい所だ。

 

「……ネズミじゃあるまいに、兵隊がそんな勢いで増えるのはなんかおかしいだろ」

 

 アガーテ氏は小さく呟いて、首を左右に振った。僕もそう思う。

 

「出来ることならば、頭数の多さを生かして圧殺したいところじゃがの。そうはいかんのじゃろ?」

 

 そんな指摘をするのはダライヤだ。彼女は片手にハチミツのタップリかかった白パンを持っており、口の周りはべたべただった。行軍中とはいえ、ここは大穀倉地帯ズューデンベルグ。食料事情はリースベン本土よりも遥かに改善していた。それをいいことに、このロリババアは飽食の限りを尽くしているのである。

 

「ああ。千六百という数は、あくまでミュリン家独自の戦力だ。実際の兵数は、リースベンに対して危機感を持つ領主なんかを抱き込んでさらに膨れ上がっている。それに加え、王国の侵攻と皇帝軍の結成だ。王国軍の南部からの進行を防ぐため、という名目で更なる戦力増強を行っているようだな。ミュリン領の首都、ミューリア市の近くには四千だか五千だかの兵士が集まっている、という話を聞いている」

 

 名目とはいうが、実際ガレア貴族である我々が南部から侵攻しようとしているのだから何も間違ってはいない。僕は苦い笑みを浮かべ、香草茶を一口飲んだ。

 

「兵力的に見ればこちらは劣勢なまま、というわけですね」

 

 面倒だな、と言わんばかりの様子でソニアが肩をすくめた。相手よりも多くの兵力を集める、これが戦いの基本だ。いくらこちらの方が兵士や兵器の質で優越しているとはいえ、やはり出来ることならば兵力的にも互角以上の状態で戦いたいものだが。

 

「一応、名目という点ならばこちらにも使える手はあります。主様は、王太子殿下直々に南部方面軍司令に任命されているわけですからね。指揮権を預けられた南部諸侯らの力を借り、ミュリン伯の軍勢を正面から打ち砕く……そういうプランはいかがでしょうか」

 

 ジルベルトの指摘に、僕は頷いた。実際、フランセット殿下の命令を考えれば、そちらのプランのほうが正攻法と言える。ミュリン伯を倒す云々は我々とディーゼル家の事情であって、王家から下された命令はあくまで帝国側南部諸侯に対する陽動なのだ。

 

「確かに、そういう手もある。……ただ、時間がかかりすぎるのが難点だな。ガレア側の諸侯軍の集結を待っていたら、おそらくは半月近くはこちらも行動を起こせなくなってしまう。こちらの体勢が整うのはいいが、相手側も万全の状態になってしまうだろう」

 

 ジルベルトのプランの場合、おそらく戦いは万単位の軍勢同士がぶつかり合うような大規模会戦になる。個人的には、ちょっと美味しくない展開だ。彼我の兵力が増えれば増えるほど、我々の戦力の中核であるライフル兵や砲兵と言った火力部隊の仕事が増えていくからな。最悪の場合、一度の戦いで弾薬を使い果たしてしまう可能性すらある。

 事態は既に、ミュリン家を屈服させればそれでお終い……などという単純な話ではなくなっている。対ミュリン戦が終わった後も、戦いは続くだろう。弾薬はできるだけ温存する必要があった。

 

「僕としては、現有戦力で今のミュリン家を全力で叩くプランのほうが有効だと思う。確かに兵力的に見れば敵の方が上だが、まだミュリン軍は戦力の集結が終わっていないんだ。足並みをそろえるための最低限の訓練すらまだ実施できていないはず。現有戦力だけで進撃し、いまだ態勢の整わぬ敵野戦軍に決戦を強いるのが上策ではないかと僕は考える」

 

 連携の取れない大集団などというものは、実際のところ大した脅威ではない。無数の諸侯の寄り合い所帯となればなおさらだ。一方こちらは僅か三軍の連合だ。意思決定にかかる時間は向こうの比ではなく早い。これは結構なアドバンテージだろう

 

「ま、たかだか四千だか五千だかの烏合の衆だ。諸君らにかかれば、前菜にもならん程度の敵だろう?」

 

 あえて挑発的な口調で言ってやると、リースベン軍の面々はニヤッと笑って頷いてくれた。それを見たアガーテ氏が、苦笑しながら肩をすくめる。

 

「ま、リースベン戦争の時よりはいくぶんマシな兵力差だな、アンタならなんとかしちまうだろうさ。安心して勝ち馬に乗らせてもらおうじゃないか」

 

 ま、実際あの時よりは兵力差は少ないがね。とはいえ、状況は予断を許さない。ミュリン軍など、本当にたんなる前菜に過ぎないのだ。この後には更なる大物も控えている。この程度の戦いなど、危なげなく勝てるようでなければ先が思いやられるだろう。まったく、困ったものだ……。



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第436話 くっころ男騎士と覇王系妹

 その後、僕たちはミュリン領へ侵攻するための最終準備を行った。もともと味方領内での迎撃戦を想定して準備をしていたというのに、いきなり敵領内に侵攻することになったわけだからな。どうしても、多少の混乱は発生する。特に食料や弾薬などの補給関連は破綻するとマジでシャレにならないからな。急いでいるとはいえ、疎かにはできなかった。

 

「はぁ……」

 

 それでもなんとか昼のうちに仕事を終わらせ、僕は野営地の片隅でため息をついていた。すでに日は沈み、あたりは真っ暗になっている。もう一度ため息をついてから、木製のジョッキに満杯入ったビールを一気に飲み干した。ビールといっても、リースベンで作られている燕麦ビールとはまったく味が違う。大麦麦芽とホップで作られた、馴染みのある風味のものだ。疲れた体によく染みる、うまいビールだった。

 

「お疲れですわね~、いたわって差し上げましょうか? ベッドで」

 

 などとのたまうのは、対面の席に座ったヴァルマだった。普段であればこのような発言には即座にソニアによる鉄拳制裁が返ってくるのだが、残念なことにこの場には彼女はいなかった。ディーゼル軍の幹部たちとの打ち合わせがまだ終わっていないのだ。

 だが、ソニアがいなくても僕には大変に頼りになる専属護衛がいる。背後を振り返って、控えていたネェルに目配せをした。ひと家族が一週間以上をかけて食べるようなバカでかいパン塊(ローフブレットというヤツだ)を小脇に抱えてムシャムシャしていた彼女は、ぐいと体を乗り出してヴァルマを威圧する。

 

「お触り、セクハラ、厳禁です。おーけい?」

 

「けちんぼ~」

 

 常人であればネェルにひと睨みされただけで腰を抜かすほどビビるのが普通なのだが、残念ながらヴァルマは常人ではなかった。顔色も変えず唇を尖らせ、子供のような文句を吐く始末。ヴァルマの辞書に恐怖や怯えなどという文字はないのである。

 

「駄姉の姿が見えないので大喜びしてたのに、まさかもっと厄介な手合いがついてくるとは思いませんでしたわ~」

 

「お前とサシ飲みなんて勘弁願いたいからね……」

 

 昔から事あるごとに僕を手籠めにしようとしてきたのがこのヴァルマという女だった。ソニアによる庇護が無ければ、僕の貞操はとっくにこのアホに奪われていたことだろう。警戒するなというほうが無理があった。

 ……まあ実際のところ、僕個人としてはコイツのことを嫌っているわけではないんだがな。手籠めにされかけたとは言っても、怖い思いをしたことはないし。責任を取る気もあったみたいだし。やりたい放題の傍若無人女に見えて、意外と筋は通す女なのだ、こいつは。

 

「ひどいコト言いますわねぇ~、未来の旦那様に向かって」

 

「僕はソニアとアデライドの二人と結婚する予定なんだけど……」

 

 まあその二人だけでは済まなくなってるけどね、実際。どうしてこうなった。

 

「姉の物はわたくし様のモノ。わたくし様のモノはわたくし様のモノですわ~。駄姉の夫はわたくし様の夫でもありましてよ~」

 

 どこのガキ大将だよお前は。呆れながら、二杯目のビールをゴクゴクと飲む。そして、つまみの茹でたソーセージを一口食べた。

 

「おいしそう、ですね。ネェルにも、一口、ください」

 

「あいよ」

 

 我が家のカマキリちゃんがニュッと首を伸ばしてきたので、フォークに刺さったままの残りのソーセージを食わせてやる。一口と言っても、なにしろネェルの口はデカいので一本まるまる消失してしまった。しかし、当人は悪びれもせず「おいしー」とご満悦である。

 

「仲良しでうらやましいですわね~、わたくし様にもソーセージくださいまし~……あ、下についてる方のソーセージでもよろしくってよ~」

 

 イヤらしい視線を僕の下半身に向けつつ、ヴァルマはそんなことをのたまう。アデライドも大概だがこいつも相当なセクハラ気質である。ネェルが無言でアホの頭をシバいた。パコンといい音がして、ヴァルマはテーブル上で撃沈する。

 

「い、いってぇ~ですわ~、駄姉の三割増しでいってぇ~ですわ~。パワーがダンチですわ~……」

 

 そりゃあね、体格が違うからね。いくら怪力自慢の竜人(ドラゴニュート)でも、体重が十倍以上あるような相手では抗しようがない。僕は苦笑しながら、うつ伏せに倒れ込んだヴァルマの前にヒョイとソーセージを差し出してやった。彼女は顔をあげてそれにかぶりつき、ビールで喉奥に流し込む。

 

「はぁ~、うんめぇ~ですわ~、やっぱり愛する男と飲む酒が一番うんめぇ~ですわ~」

 

 ……こういうセリフをナチュラルに吐いてくるのが、ヴァルマという女である。僕は少しばかり赤面して、顔を逸らした。いかんいかん、僕はもうすぐ人夫になる立場なのだ。こんなことで動揺していては、ソニアらに申し訳が立たない。

 

「しっかし、アレですわね~」

 

 そんなこちらのことなどお構いなしの様子で、ヴァルマはビールをがぶがぶと飲んだ。スオラハティ家の人間は酒が弱い者が多いのだが、こいつだけは例外的に大酒のみなのである。

 

「二年ばかり見ないうちにまあ、アルのところも人材豊富になっちゃって。そんな強そうな護衛まで引き連れてるし」

 

 そういって、アホはネェルのほうをチラリと見た。

 

「正直めっちゃ羨ましいですわ~。アルの部下じゃなきゃ引き抜きをかけてるところですわ~」

 

「おや。お誘い、してくれないのですか? 案外、コロッと、鞍替え、するかも、しれませんよ?」

 

 ニヤッと笑って、ネェルが鎌を掲げて見せる。やめてください、君が引き抜かれたら僕は泣いちゃいます。

 

「だめだめ。わたくし様はたしかにチョー優良上官ですけれども、こんなドスケベ男騎士と並んだら流石に分が悪いですわ~。わたくし様がアナタの立場だったら、一も二もなくこのドエロ男の方を選びますわ~」

 

「真理、ですね」

 

 ウンウンと頷くのはやめなさい、ネェルさん。誰がドスケベ男騎士ですか。

 

「ま、わたくし様はわたくし様の方で頑張らなきゃダメですわね~。国ひとつ作ろうと思えば、優秀な人材はナンボ居てもたりませんわ~」

 

「まーたお前はそんなことを言う……」

 

 昔からこいつはこうなのだ。自分は王になるのだと言ってはばからない。乱世ならまだしも、今は太平の世。はっきり言ってコイツの考え方は危険思想だ。……まあ、この頃はどうにもコイツに時代が追い付きつつあるような気がして怖いがね。嫌な感じだよ、まったく。

 

「他人事みたいな顔してますけど、現状アルのほうがよほどわたくし様より国獲りっぽいムーブしてますわよ~? 人にアレコレ言う資格はないんじゃなくって~?」

 

「……」

 

 痛い所ついてくるね、君は。僕には全くそういう気はないのだが、どうにも王家はそういう感じで僕たちを見ているような風情がある。困るよね、マジで。

 

「だからこそ、わたくしも負けてられませんわ~。アルよりでっかい国を作るなり獲るなりして、二人で連合王国を築きますの。素敵ですわよね~、国がわたくし様たちの結婚指輪ですわ~」

 

「おっそろしいこと言うんじゃないよ」

 

 僕は思わず顔をしかめた。ひどい冗談だと笑い飛ばしたいところなのだが、コイツの場合は明らかに本気なんだよな。

 

「……わざわざ南部までやってきたのも、国獲りの一環か?」

 

 ノール辺境領は、厳しい土地だ。冬になれば何もかもが凍り付いてしまうし、夏になってもそれほど気温は上がらないので作物の育ちも悪い。自分の国を作ろうと思っているのならば、その矛先を豊かな南部に向けるというのも自然な流れだろう。

 

「んー、まあそういう下心がないとは言いませんけど」

 

 ところが、ヴァルマの反応は鈍かった。フォークの先端でソーセージをいじりつつ、こちらを見てニヤリと笑う。

 

「今回の場合は、我が夫たるアルの援護……という部分が一番大きいですわ~。なにしろ、これから始まるのはとんでもない大戦(おおいくさ)ですもの。旦那様としては、愛する夫の安全を優先するというのは当然のことですわ~」

 

「…………旦那様云々はさておき、まあ確かにお前の助勢は有難いよ。助かる」

 

 騎兵戦力の不足は、リースベン軍最大の泣き所だったのだ。ヴァルマの騎兵隊がいれば、そのあたりの諸問題は完全に解決できる。対ミュリン戦に限って言えば、もはやほとんど不安はないといっても差支えがないほどだ。

 

「実際、神聖帝国は大国だからな。王太子殿下が何を考えているのかは知らないが、戦いは彼女の思うほど容易には進まないだろうね」

 

「ですわ~。あの王太子、明らかに戦争をナメてますもの」

 

 不敬極まりない発言をしてから、ヴァルマはジョッキのビールを一気に飲み干した。

 

「ぷはっ、あーおいし……。それに、苦労して神聖帝国を倒したら、すぐに対ガレア戦が始まりますわ。今のうちにしっかり準備しておかないと、いくらアルでも足元をすくわれますわよ~?」

 

「……ッ!?」

 

 ヴァルマの発言に、僕は思わずジョッキを取り落としそうになった。

 

「なぁにを驚いてますの。戦略と戦術は満点なのに、政略がだめだめなのは相変わらずですわねぇ」

 

 眉を跳ね上げながら、ヴァルマは呆れたような口調でそう言う。……実際僕は政治面はダメダメなので、反論はしづらいな。

 

「いいですの? アル。あのフランセットという女は、腹心の反乱で国がひっくり返りかける光景を間近で見た人間ですわ~。そしてそれを、力で強引に鎮圧するところも見ている……。あの女もわたくし様には言われたくはないでしょうけれども、真っ当な経験を積む前にこんな成功体験をしてしまった人間はキケンでしてよ~」

 

「むぅ……」

 

 僕は思わず腕組みをした。ヴァルマの言わんとしていることは理解できるが……。

 

「世の中には、暴力で、解決できない、ことは、たくさん、あります。でも、王太子殿下とやらは、それを理解できていない。そういうこと、ですか?」

 

 いつの間にかパン塊を食べ終わり、タルから直接ビールを飲んでいたネェルが質問した。感心した様子で、ヴァルマが頷く。

 

「その通りですわ~。この無駄な戦争も、おそらくはその一環。これが終わったら、次の矛先はアルやわたくし様の方向に向きますわよ~。なにしろあの女は、"腹心の裏切り"には大変に敏感になっていると思いますし~。スオラハティ家やらカスタニエ家やらを信頼できるはずがありませんわ~」

 

「一理ある……」

 

 僕は暗澹たる気分になってため息をついた。もし本当に殿下がそんな危険な思想に染まっているとすれば、王国の未来は決して明るくはないだろう。

 

「ま、杞憂で終わったらその時はその時ですわ~。とりあえず危機には備える、これが肝心でしてよ~」

 

 ニッコリ笑って、ヴァルマはそう言った。僕としては、頷くしかない。最悪の事態に備えるのが軍人の責務だからだ。

 

「そういう状況だからこそ得られるものもありますしね? わたくし様としては、結構楽しみですわ~。ワンチャン、ガレアの王冠が転がって来たりしないかしら~」

 

 ……やっぱこいつ危険人物だわ。僕は呆れながら、ビールのお代わりを自分のジョッキに注いだ。

 



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第437話 くっころ男騎士と市街地戦

 ヴァルマの警告を受け僕の不安は増すばかりだったが、だからといって「やっぱ作戦中止!」などといって領地に戻るわけにはいかない。進軍準備を急ピッチで終わらせ、我々はミュリン領へと進撃を開始した。

 この辺りの地域には広大な平原が広がっており、越境攻撃とはいっても視覚的には何の変化もない。目に入るものと言えば海のように広がる麦の刈田(刈畑?)とちょっとした丘や川くらいだった。これほど部隊を動かしやすい地形もあまりない。

 ただ、僕としても数千人規模の部隊を指揮するのは初めてのことだ。ただ進撃を命じているだけなのに、大小のトラブルが頻発した。たとえば"停止"と"出発"の合図がごちゃ混ぜになって部隊同士が物理的に衝突したり、野営地の設営場所が被って喧嘩が発生したり……とにかく大変だった。

 これらの問題の解決に僕は死ぬほど神経をすり減らすことになったが、それでも進軍自体はスムーズに進んだ。無論、ミュリン軍も我々の進撃を指をくわえて見ていたわけではない。軽騎兵や猟兵などを用いて強行偵察や補給路への攻撃などを仕掛けてきたが、大した規模ではなかったため容易に撃退することができた。

 

「敵の動きが鈍いな……」

 

 街道の端に設営した天幕の下で、僕はそう呟いた。現在、部隊には大休止を命じている。視線を天幕の外へ移せば、豆茶や香草茶などを片手に体を休めている兵士たちが何人もいた。敵地でなんと悠長な、と思われるかもしれないが、兵士だって人間だからな。定期的に心身を休ませてやらねば、あっという間に消耗して戦闘力が低下してしまう。兵にキチンと休息を取らせるのも、指揮官の仕事だった。

 とはいえ、それはあくまで兵士の話。頭脳労働者たる指揮官には、ゆっくりピクニックを楽しんでいる余裕などなかった。指揮卓の上にはこの辺りの地図がデンとおかれ、参謀たちが斥候隊や偵察隊の報告をもとにアレコレ情報を書き加えている。

 

「敵の主力はいまだにミュリン領首都ミューリア市にいるようですね。相変わらず、諸侯軍の受け入れを続けているようです。ギリギリまで戦力の増強を続ける構えですね」

 

「農村部は見殺しか……」

 

 ソニアの考察に、僕は腕組みをしながら唸った。なにしろこの辺りは麦畑ばかりだから、農村の数も多い。すでに我々は複数の村を制圧下においていた。正直なところ農村など捨て置いて敵の重要拠点を叩きたいのだが、補給路の維持を考えればそういうわけにもいかない。農民の中に敵のゲリラ部隊が混ざっていたら大事になるからな。

 そういうこちらの事情が分かっているから、あえてミュリン家は農村の守りを放棄しているのだろう。こちらが農村部をチマチマ制圧しているうちに、軍の体勢を整える算段なのだ。その証拠に、農村部の穀物庫は軒並み焼き払われてしまっていた。おかげで食料の現地調達もままならない有様だ。焦土戦術というほど苛烈ではないにしろ、やはり厄介である。

 収穫したばかりの麦を燃やされてしまった農民たちの怒りはたいへんなもので、その慰撫にも時間が奪われた。敵国の農民なんか放置でいいだろ、と言われそうだが、そういうわけにもいかん。ミュリン領の農民が野盗化してズューデンベルグ領になだれ込んだら大事だ。なにしろ今は軍の主力が出征中だからな。どうしても、ズューデンベルグ本土の守りは薄くなっている。食い詰め農民程度でも結構な脅威だった。

 

「能動的に迎撃するつもりはないと見える。これじゃ、オオカミどころかカメだな」

 

 アガーテ氏が露骨に揶揄する口調で言った。確かにその通りだが、馬鹿にしてばかりもいられない。ミュリン家にとってはこの戦いは存亡をかけた決戦だろうが、我々にとっては皇帝軍と本格的にぶつかる前の前哨戦だ。この一戦だけに全リソースをぶち込むわけにはいかなかった。

 おそらく、イルメンガルド氏は我々のその弱点を理解している。作戦をズューデンベルグ領への侵攻から自国での防衛に切り替えたのがその証拠だ。以前の作戦のままノコノコと国境付近まで主力を進出させてくれば、話はもっと簡単だったんだがな。どうやらそういうわけにはいかないらしい。やはり一筋縄ではいかない婆さんだ。

 

「おそらく、ミュリン軍が最初の防衛線を張るのはここだ」

 

 そういってアガーテ氏は地図上の一点を指さした。敵首都ミューリア市の手前にある街、レンブルク市だ。平原ばかりのこの地域には珍しく、レンブルク市の周辺は丘陵が多い。攻めがたく守りがたい地形、というわけだ。典型的な防御拠点だな。

 

「レンブルク市はなかなかの堅城だ。守備兵が少なくても、十分な防御力を発揮できる。過去のディーゼル軍による侵攻でも、このレンブルク市は一度たりとも陥落していないくらいだからな」

 

「そうして稼いだ時間で大軍を組織し、改めて決戦を挑む……そういう策じゃな?」

 

 ロリババアの問いに、アガーテ氏は頷いた。

 

「明らかに、あのババアは現有戦力ではリースベン軍には勝てないと判断している。なら、こういう作戦に出るしか無かろうよ」

 

「迂回は?」

 

 わざわざ敵の作戦に乗る必要はない。通過しにくいポイントは回避すればよいだけだ。しかし、アガーテ氏は渋い顔で首を左右に振った。

 

「それができるなら、ミューリア市には今頃ディーゼルの旗が翻ってるよ。ズューデンベルグ側からミューリア市へ向かおうとすれば、かならずこのレンブルクを通らなくてはならない。街道がそういう風に整備されてるんだ。迂回路が無いわけではないが……道が狭くて、とてもじゃないが大軍勢は通行できない。まさか、畑の中を突っ切っていくわけにはいかないからな」

 

 兵士だけならば畑だろうが森だろうが踏破できるが、輸送を担う荷馬車隊の方はそれに追従することができない。軍隊の進軍ルートは、物流の枷によってどうしても限定されてしまうのだ。

 

「ふぅむ……長年ディーゼル軍と戦い続けてきただけはありますね。レンブルクでの一戦は避けられないということですか」

 

 ソニアが小さく唸った。こちらとしてはさっさとミュリン家をシバき倒して屈服させたいのだが、なかなかそういうわけにはいかないようだ。

 

「街で一戦、か……都市戦なんぞには付き合いたくないな。兵士も物資も時間も食いつぶされてしまう」

 

 僕の脳裏に、中東やアフリカの街中で武装組織とドンパチやらかした時の記憶がよみがえる。どれほど装備や練度で優越していても、都市部での戦闘ではおびただしい損害を被るのだ。好き好んでやるものではない。

 

「実際、こいつは厄介な問題だぞ。レンブルク市の市壁は抗魔付呪(エンチャント・アンチマジック)が施された立派な代物だ。うちのご先祖様が攻城魔法をブチこんでも、ビクともしなかったという逸話が残っている。まともに攻略しようと思えば、一か月や二か月の攻囲は覚悟しなきゃならん」

 

 皮肉気な様子で、アガーテ氏がそう言った。抗魔付呪(エンチャント・アンチマジック)というのは、魔力を拡散させて魔法の効き目を減衰させる技術のことだ。魔装甲冑(エンチャントアーマー)のように物理的な強度が上がる訳ではないが、代わりに壁や城などの大型建造物にも施術可能というメリットがある。石壁などはもともと頑丈なので、攻城魔法にのみ絞った対策でも十分に効果を発揮する。

 まあ、我々には関係のない話だがね。物理的な強度が上がっていない以上、大砲に対しては普通の石壁と同じ程度の防御力しか発揮できない訳だからな。こういう事態に備えて、僕は攻城砲としても使える大型の野砲を持ってきている。壁そのものは、大した脅威にはならない……。

 

「あっ」

 

 そこで、ふと気づいた。僕とアガーテ氏の間には、随分と認識の差がある。僕が言っている都市戦とは、街中で実施されるゲリラ戦のことだ。そしてアガーテ氏の想像しているのは、城や街を大軍で取り囲む典型的な攻囲戦の方だろう。戦闘の形態としては、両者はまったく異なる代物だ。

 考えてみれば当然のことだ。強力な火砲が生まれる前の攻城戦というのは、数か月以上もの期間包囲を続けるのが一般的という凄まじく辛い持久戦である。とうぜん壁を突破される頃には守備兵側も消耗しきっており、ここからさらに組織的な反撃を続けるのは困難を極める。市内に敵がなだれ込んできた時点ですでに実質的な決着がついている場合がほとんどだということだ。

 思い返してみれば、去年の王都内乱も彼我共にずいぶんとぎこちない戦い方になってしまっていた。大軍同士が都市内で戦い合うという状況そのものが珍しいため、戦術のノウハウが蓄積されていなかったせいだ。

 

「ふむ……」

 

 今回の戦いでは、時間は我々の敵だ。出来るだけ早く進撃し、敵の本丸を叩かねばならない。そして敵もそれを理解しているから、籠城での持久戦を選ぼうとしている。その選択自体は、なんの間違いもない。だが、僕と一般的なこの世界の指揮官では、市街地戦の捉え方に大きな差がある。もしかしたら、ここに事態を打開する鍵があるかもしれない……。

 

「ソニア、砲兵隊の隊長を呼んでくれ。少しばかり、試してみたい作戦があるんだ」

 

 



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第438話 くっころ男騎士と城塞都市(1)

 その後、我々はレンブルク市へむけてえっちらおっちら進軍した。距離的にはそう遠くはないのに、とにかく時間がかかる。やたらと農村にひっかかるせいだ。エルフ内戦の時にも行軍には難儀したものだが、こちらはこちらで大変だ。

 正直面倒くさいが、安全確認を怠るわけにはいかないので仕方が無い。放置した農村から敵の遊撃隊が飛び出して来たら、大事になってしまう。どんな軍隊でも、行軍中に横っ腹を付かれれば脆弱なものだ。

 

「あれがかの城塞都市……」

 

 望遠鏡を覗き込みながら、僕は言った。視線の先にあるのは、噂通りの立派な石壁を備えた大きな街だ。何メートルもあるような大きな大理石製の壁が街をぐるっと取り囲み、外敵の侵入を拒んでいる。街道に直接つながった正門は何と鉄製で、今は固く閉ざされていた。さらに、市壁の上には物見やぐらがわりの尖塔やらバリスタ……設置型の大型クロスボウなどの姿が見える。なるほど、確かにこれは堅城だ。早々のことでは突破できないだろう。

 僕たちはこの城塞都市からやや離れた場所に、部隊を布陣させていた。レンブルク市周辺は丘陵地帯なので、三千名近い大所帯だと結構狭苦しい。まあ、リースベン戦争のときに戦場になった山道よりは遥かに広いがね。

 もちろん、レンブルク市側も我々の接近には気付いているだろう。石壁の上では、忙しそうに兵士たちが行きかっている。ただ、十分に距離を取っているのでバリスタや魔法などはまだ飛んでこない。まあ、こちらの攻撃も届かないんだが。にらみ合い状態、というわけだ。

 

「南部は争いの絶えぬ土地だが、この街は建設以来一度も敵の手に落ちたことがないそうだ。レンブルクはミュリンの誇り、消して敗れぬ奇跡の盾……そう歌う吟遊詩人もいる」

 

 僕と同じように望遠鏡を目に当てながら、アガーテ氏が説明した。

 

「ディーゼル家の御先祖様も、三度ほどここに攻め入っているが一度たりともあの市壁の突破には成功していない。……ご先祖も同じように、こうやってレンブルク市を遠くから眺めていたんだろうか? なんとも感慨深い話だ」

 

 投石器や破城槌程度では、たしかにあの石壁を破壊するのは困難を極めるだろう。抗魔付呪(エンチャント・アンチマジック)が施されているのなら、攻城魔法も効果が薄いだろうし。

 リースベン戦争で遭遇した、あのチートじみた男魔術師……ニコラウスくんの魔法なら、どうだろうか? 単独で発現させたとは思えぬ、あの重砲じみた戦術魔法。あれは強力だった。あれだけのごり押しパワーがあれば、この石壁も破壊可能かもしれないな。

 ま、残念なことに、今回の戦争でも彼は敵側なんだが。ニコラウスくんはリースベン戦争で足を失っているが、彼は剣士ではなく魔術師だ。義足などを用いて戦線復帰してくる可能性は十分にある。要警戒だな。

 

「ディーゼル軍の力量は僕も心得ています。それを撃退するとは、なかなかの難敵ですね。ですが、残念なことにあの街は単なる前菜に過ぎません。メインディッシュが後ろに控えておりますから、コレだけで満腹になるわけにはいきませんよ」

 

 レンブルク市内にミュリン軍の主力がいないのは確認済みだ。イルメンガルドの婆さんが、この街の防御力をアテにして我々の足止めを図っていることは明白だろう。アガーテ氏の読み通り、時間稼ぎをしつつ主力部隊の増強を狙っているのだろう。我々はさっさとこの街を突破し、敵主力を撃滅してイルメンガルド氏の心を折らねばならない。

 ……なにしろこの街のみならず、ミュリン軍そのものが前菜なのだ。こんなところで物資や兵力を浪費していたら、後々の戦いに障りが出てしまう。典型的な消耗戦である攻城戦に付き合うなど論外だ。

 

「手順通り、軍使を派遣して降伏勧告を行いましょう」

 

 ソニアがそう提案した。攻城戦の際のみならず、戦いの前には一応軍使を派遣して相手の交戦意思を確かめるのがこの時代の戦争の通例だ。なんなら、大将同士が前に出て罵倒合戦を始める場合もある。

 

「ぜってぇ~頷きませんわ~。時間の浪費ですわ~」

 

 皮肉げな様子でヴァルマが肩をすくめた。正直僕も同感だったが、頷くわけにはいかない。

 

「余裕のない時こそ、慣例はきちんと守るべきだろう。それが淑女というものだ。まあ僕は男だが」

 

 慣例、慣習を無視した行動をとり続けた人間が村八分にされるのは、江戸時代の農村もこの時代の領主貴族も同じだ。敵が多い自覚はあるが、だからこそ隙と捕らえられるような行動は慎まねばならない。

 

「降伏勧告の書状はもう用意してある。肝の据わったヤツに持たせて、レンブルク市に送ってくれ。まあ、流石に使者を手をかけるような真似はすまいが、一応警戒は緩めないよう言い含めておけよ」

 

 それから、一時間半後。レンブルク市に派遣した軍使が帰ってきた。ミュリン軍や市民から危害を加えられないか心配だったのだが、幸いにも死者はもちろんケガをしたものも居ないようだ。……生卵や生ごみを投げつけられたような形跡はあったが。流石に軍人がこのような真似をするとは思えないので、おそらくは一般市民がやったことだろう。敵性都市に部下を派遣するのはこれだから嫌なんだ。

 

「返答は?」

 

 憮然とした表情の軍使に、僕は無意味な質問をぶつけた。当然のごとく、彼女は首を左右に振る。

 

「トカゲやら乳牛やら芋くさ蛮族やらに下げる頭は持ち合わせていない、だそうです」

 

「キマッてるなぁ。え、なに? 守備部隊を預かってるのって、もしかしてアンネリーエ殿?」

 

「いえ。イルメンガルド殿の三女殿です」

 

「あの、家みんなあんな感じなのかな……」

 

 僕は少しばかりゲンナリして、ため息をついた。もしかしたら、ミュリン家の中ではイルメンガルド氏が一番マトモな手合いなのかもしれない。敵とはいえ殺さないよう注意したほうがいいかもしれないな。あの人が死んだら、事態の収拾がつかなくなる可能性がめちゃくちゃ高いぞ。

 

「まあ、それはさておきだ。君たち、よく頑張ってくれたな」

 

 僕はそう言って、軍使役に抜擢されていた騎士三名とそれぞれ握手をした。生ごみをぶつけられたせいか三名の身体からはすえたような臭いが漂っていたが、構うものか。

 

「危険と屈辱をものともせず、よく任務を果たしてくれた。ありがとう、感謝する。君たちは僕の誇りだ。……湯沸かしの許可を出そう、後方で身を清めてくるといい」

 

 騎士らの肩を叩き、笑いかける。はにかみながら下がっていく彼女らを見送ってから、僕は部下たちを見回した。

 

「さて、さて。差し伸べた手は振り払われた。ならば、やるべきことはただ一つ。城攻めだ」

 

 レンブルク市の連中が高圧的な態度を取るのは、自分たちの街の防御力に絶対の自信があるからだろう。実際、小競り合いの絶えぬこの土地で不落を維持しているのは、誇っても良い事実だ。彼女らが増長するのも致し方あるまい。

 だが、天狗の鼻は高ければ高いほどへし折り甲斐があるというものだ。彼女らのプライドの源泉たるあの白亜の城壁が崩れ去れば、同じような態度は二度と取れまい。僕は視線を指揮用天幕の外へと向けた。

 そこにいるのは、我がリースベン軍の誇る砲兵隊だ。山道の中ほどには多くの大砲が砲列をなしており、磨き上げられた青銅製の砲身が南国特有の苛烈な陽光を浴びてギラリと輝いている。その周りには、無数の砲兵たちが忙しげに働いていた。

 展開した大砲の数は、全部で十五門。内訳は完成したばかりの新型、一二〇ミリ重野戦砲が三門。リースベン軍の主力砲である八六ミリ山砲が九門、そしてヴァルマが持ってきた八六ミリ騎兵砲が三門。いずれもライフリングを備えた新型砲で、レンブルク側が持っているバリスタ(クソデカクロスボウ)よりも射程が長い。アウトレンジから一方的に攻撃が可能、ということだ。

 ちなみに、リースベン軍ではこのほかにもライフル兵中隊一つにつき三門の六〇ミリ迫撃砲が装備されている。いわゆる歩兵砲というやつだ。こちらはこちらで連射性の高い極めて強力な兵器なのだが、何しろ射程が一キロ未満だ。これでは敵バリスタの射程に入ってしまうので、今回は展開していない。

 

「あんなの、つかうより、ネェルが、突っ込んだ。ほうが、早く、ないですか? 弾薬、節約しなきゃ、駄目なんでしょ?」

 

 後ろに控えていたネェルが、そう聞いてくる。実際、その案も一応検討した。なにしろ彼女はすさまじい単体戦闘力を持っているうえ、空も飛べる。石壁などひとっ飛びだ。

 

「なぁに、切り札は最後まで温存しておくものさ。出番が来るまで、鎌を研いでいてほしい」

 

「ううむ。アルベール君が、そういうなら、結構ですが」

 

 残念そうに、ネェルは顔を引っ込めた。まあ、砲兵隊の攻撃だけでは敵が屈服しなかった場合、ネェルの出番もあるかもしれないがね。しかし、できれば彼女は温存しておきたい手札だ。どんな強力な手札も、連発していたら効果が薄くなるからな。"最初の一回目"をいつにするのかは、慎重に検討する必要がある。

 そもそも、この盤面でネェルを突っ込ませると、高確率で彼女は孤立する。翼竜(ワイバーン)だの鳥人だのといった他の航空戦力は、陸戦能力に難があるからだ。ネェルが空を飛んでいるうちはいいが、石壁を乗り越えて守備兵どもと交戦し始めたら援護できなくなってしまう。

 どんな強力なユニットも、単独で行動は厳禁。これは軍事の常識だ。戦艦だって空母だって戦車だって、護衛を引き連れているのが普通だ。ネェルの力を借りる時も、同じように運用する必要があるだろう。

 

「それに、今回は重野戦砲隊の初陣なんだ。晴れ舞台は彼女らに譲ってあげようじゃないか」

 

 僕はそういって、砲列の真ん中に布陣する大型砲に目をやった。コイツに比べれば、八六ミリ砲などおもちゃのようなものだ。

 

「さあて、砲兵諸君。お仕事の時間だ。僕の可愛い部下にゴミなんぞを投げつけやがった連中に、砲弾を投げ返してやれ! 対城塞射撃、準備開始!」

 

「撃ち方用意! 弾種、徹甲弾!」

 

 僕の号令に従い、砲兵たちが大砲に砲弾を装填し始める。さて、さて。レンブルク市の市壁と僕の大砲、どちらが強いか比べてみようじゃないか。

 

 



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第439話 くっころ男騎士と城塞都市(2)

 城塞都市レンブルクの正面に展開したリースベン軍砲兵隊(一部にスオラハティ軍も含む)が射撃準備を進める。砲口から布袋に包まれた火薬を詰め込み、さらにそこへ蓋をするように砲弾も装填していく。新型砲とはいえ、所詮は砲口から弾薬を装填する前装式だ。装填作業には結構な時間を必要とする。

 だが、悠長に作業をしていてもミュリン軍側は手出しができない。なにしろ、オモチャのように可愛らしい八六ミリ砲ですら射程は一キロ半を超えているのだ。敵軍がこちらを攻撃できる兵器を保有している可能性はほぼなかった。怖いのは、正門が突然開いて騎兵隊が突撃してくることくらいだ。

 

「射撃準備完了」

 

「よろしい。射撃開始」

 

「全砲、撃ち方はじめ!」

 

 端的なやり取りをへて、発砲が始まる。砲手が大砲の尻から伸びた紐を引っ張ると、鼓膜が殴られるような轟音が周囲に響き渡った。あちこちからバサバサと鳥が飛び立っていく。射撃と同時に吐き出された白煙の量も尋常ではなく、濃霧のように立ち込めて僕たちの視界を遮っていた。おかげで、射撃の結果を確認することもままならない。

 

「あ~、硝煙の香りですわ~。生きてる~ってかんじですわ~たまりませんわ~」

 

 頭のオカシイ女が頭のオカシイ発言をしていたが、僕は努めて無視をした。こいつに付き合っていたらこっちまでおかしくなってしまう。

 

「風術!」

 

 僕がそう短く命令すると、エルフたちが突風の魔法を使って強引に白煙を除去した。ミルクのように濃密な煙が立ち退くと、そこから現れたのは見るも無残な姿になったレンブルク市の石壁と正門だ。

 自慢の市壁は自動車に突っ込まれたブロック塀のように崩れ、鉄製の大扉もベコベコに歪んで吹っ飛んでいる。わずか第一射でこれだ。ミュリン軍も、さぞや大慌てをしていることだろう。街の方からは、悲鳴じみた声が沢山聞こえてきていた。

 

「あ、あのレンブルクの壁がこうもアッサリ……」

 

 アガーテ氏が絶句している。けれども、前世の歴史を知っている僕からすれば当然の結果だった。石材を積み上げただけの壁など、大砲の前には何の役にも立たない。火砲の発達によってこの手の城壁の命脈は断たれ、要塞の防壁は人工的な丘ともいえる土塁や鉄筋コンクリート製のものに取って代わられた。

 まあ、ここは剣と魔法の世界だ。石壁を魔装甲冑(エンチャントアーマー)のように強化すれば、大砲に対抗するのも不可能ではないかもしれないがね。しかし、魔装甲冑(エンチャントアーマー)ほどの強度を得るためには、壁全体をミスリルでメッキしてやる必要がある。そのコストを考えれば、あまり現実的とは言えないような気がする。どう考えても、土塁を作った方が手っ取り早い。

 

「時代は変わりました。これからの戦争は、火砲が主役です」

 

 僕がそう言うのと同時に、二射目の射撃が始まった。僕は一斉射撃を命じていたが、だからと言って一度にすべての砲が発砲するわけではない。砲をグループ分けして、照準を修正しながら順番に射撃するのが近代的な砲術なのだ。とはいえ、バカでかい壁を狙っている以上あまり精密な照準は求められないだろうが。

 

「もう少し、徹甲弾での攻撃を続行したほうがよさそうですね」

 

 ボロボロになったレンブルク市の正門付近を見ながら、ソニアがいった。ボロボロとはいっても、まだ完全崩壊には程遠い。僕の作戦では、あの壁はガレキの山になるまで破壊せねならないのだ。むろん砲撃はしばらく続行するが、その際に使用するのは鉄製の徹甲弾だ。爆発する砲弾である榴弾は対人用なので、この手の任務には使いづらい。

 

「壁が相手ならそれで十分だ。人間の方は……ライフルと迫撃砲の仕事だな」

 

 ……いやしかし、本当に重野戦砲を持ってきてよかったな。山砲や騎兵砲ではこれほどの効果は発揮できなかっただろう(余談だが、わが軍の山砲とヴァルマの騎兵砲は砲身は同じでそれを支える砲車が異なる姉妹兵器だ)。砲全体の重量が一トンを超えるようなかなりの重量級兵器だから、運搬にはかなり難儀をしたのだが……やはり大口径砲は正義だ。破壊力が違うよ、破壊力が。

 それからしばしの間、砲兵隊は全力射撃をつづけた。レンブルク市の方もバリスタなどを打ち返してきたが、その矢玉は砲兵隊にはとどかない。両者の射程には絶望的なまでの差があった。五十発以上の砲弾をぶつけられた正門付近石壁は完全に崩落し、無惨極まりない姿をさらしている。

 やはり、どれほど立派な外見でも所詮は石壁だな。砲撃を喰らえばひとたまりもない。そして向こうは反撃すらできないのだから、完全にワンサイドゲームだ。戦っているというよりは、やたらと規模の大きいボーリングをしているような感覚だった。

 

「そろそろ、砲身が過熱してきたころ合いです」

 

 砲兵士官の言葉に、僕は頷いた。我々の大砲は青銅製なので熱に弱く、強引な連続射撃は砲身の変形や破損を招いてしまう。そうでなくとも、アツアツの状態の砲身に火薬を詰めるとそのまま爆発してしまう危険性もあった。

 

「そろそろ敵側も次のアクションを仕掛けてくるはずだ。冷却も兼ねて、いったん射撃を中止しよう。弾種も次からは榴弾でいい」

 

 すでに敵の正門は防壁としての用をなさないような有様になっている。騎兵はともかく、歩兵ならば容易に登って突破可能だ。作戦の第一段階は完了したと判断していいだろう。そう思っていると、空からパラシュート付きの通信筒が落ちてきた。鳥人偵察兵が投下したものだ。すぐに騎士の一人がそれを回収し、僕の元に持ってくる。

 

「第三航空偵察班より報告! レンブルク市側面の別の門より敵騎兵隊の出現を確認したようです」

 

「了解。……もう騎兵を出して来たか、素早いじゃないか」

 

 レンブルク市の守備兵だって、いつまでも射撃訓練のマトになり続けるのは嫌だろう。そして攻撃が届かないならば、届く距離まで近づけばよいだけの話。反撃のための部隊を出撃させて来るのは当然の話だった。

 

「……迎撃はライフル兵隊に任せよう。ジルベルトに出迎えの準備をするよう伝えろ!」

 

 わが軍の中核を成す戦力であるライフル兵大隊は、ジルベルトが指揮している。彼女は、元はと言えば王軍の精鋭であるパレア第三連隊の隊長だった人物だ。とうぜん、その用兵の手腕について疑問を挟む余地はない。苦し紛れの騎兵攻撃など、軽くあしらってくれるだろう。

 案の定、命令を出した後のライフル兵大隊の動きは迅速だった。狭い山道の中、砲兵の射線を避けて巧みに兵を展開させる。それとほぼ同時に、敵の騎兵隊がこちらの視界に飛び込んできた。どうやら、敵の狙いは砲兵隊のようだ。突撃隊形を作り、こちらの砲列を目指して突っ込んでくる。

 

「山道で騎兵は……」

 

 アガーテ氏が苦い表情で呟く。そう、これはリースベン戦争の時と同じ構図だ。ここは丘陵地帯であり、騎兵では側面に回り込めない。道に沿って真っすぐ突撃することしかできないのだ。そしてそこに待ち構えているのはライフル兵と砲兵……。

 瞬間、突撃する敵騎兵隊の鼻先で連続爆発が起きた。ライフル兵隊に配備されている迫撃砲が射撃を始めたのだ。砲弾が極端な山なりの軌道を描く迫撃砲は、射撃精度に難点がある。残念ながら、初撃では一発の砲弾も命中はしなかった。

 だが、眼前に砲撃を浴びた敵騎兵隊は、突撃の速度を緩めざるを得ない。中には、驚き暴れる馬を御しきれず落馬してしまう騎兵もいた。さらにそこへ、ライフル兵の射撃が襲い掛かる。姿勢が乱れたところへの一斉射撃だ。大量の騎兵と軍馬が面白いようにバタバタと倒れた。

 

「射撃目標を敵騎兵隊に変更。撃ち方はじめ!」

 

 そこへさらに砲兵隊の援護射撃が殺到する。今、各砲に装填されていた砲弾は榴弾だった。爆発する砲弾の雨を叩きつけられた敵騎兵隊は、総崩れになる。そこへさらに、迫撃砲隊の第二射が襲い掛かった。前線はもう滅茶苦茶だ。ミュリン騎兵たちは、命令も待たずに敗走しはじめた。

 そんな騎兵隊の背中に、上空から鳥人部隊が襲撃をかけた。彼女らは非力なので爆撃などの任務には不向きだが(なにしろ彼女らは一般的な歩兵用装備ていどの重量でも離陸が難しくなる。爆弾の運搬など論外だ)、足につけた鉄のカギ爪を使えば急降下攻撃は可能だ。猛禽の狩りのような調子で、少なくない数の騎兵が討ち取られてしまった。泣きっ面に蜂とはこのことだ。

 

「パーフェクトゲームだ」

 

 僕はにやりと笑って、片手を上げた。

 

「さて、もう一度降伏を促す軍使を派遣してみよう。さっきと同じ態度がとれるのか見ものだな」



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第340話 くっころ男騎士と降伏交渉

 二度目の軍使は、一度目ほど邪険には扱われなかった。流石にいきなり降伏を受諾したりはしなかったが、守備兵の総指揮をとっているイルメンガルド氏の三女殿みずからこちらと話し合いの場を持ちたいと提案があったのだ。短期間でずいぶんな手のひらの返しようだが、それだけ市壁の崩落と騎兵隊の壊滅がショッキングだったのだろう。こちらの思惑通り、というわけだ。

 

「こちらの要求は、ただ一つ。レンブルク市の明け渡しです」

 

 軍使が連れ帰ってきたミュリン側の使節に向かって、僕はそう言い切った。使節は何名かいるが、大物は二人だ。片やレンブルク市防衛の責任者、エーファ・フォン・ミュリン氏。そしてもう片方は、レンブルク市の市長だというオオカミ獣人の中年女性だった。

 

「むろん、ミュリン軍が"名誉ある退却"を選択してくれるのであれば、こちらとしてもこれ以上の攻撃は致しません」

 

 名誉ある退却というのは、武装解除をしないまま城や街を明け渡すことだ。当然、退去する守備兵を攻撃側が追撃することもない。余計な被害を受けない分再起の目が大きいので、防御側も飲みやすい条件だと言える。

 

「淑女的な条件ですな。いや、貴殿は男性ですが」

 

 エーファ氏は、青い顔に不敵な笑みを張り付けてそう言った。あきらかに虚勢を張っているとわかる態度だった。

 

「ええ、当然のことです。なにしろ、こちらは今のところ一滴の血も流しておりませんのでね?」

 

 僕はちらりと、レンブルク市へと向かう道に目をやった。そこには、我々の猛射撃を浴びて絶命したミュリン騎兵の(むくろ)が折り重なるようにして倒れている。なんともひどい有様だ。血なまぐさい臭いが、こちらまで漂ってきている。しかも今は晩春……気温が高い。血や臓物の臭いに腐臭が混じり始めるのも時間の問題だった。遺体が傷み始める前に弔ってやりたいところだが、戦いが終わらないことには手が出せない。

 

「……」

 

「……」

 

 僕と同じものを見たエーファ氏と市長は、ますます顔色を悪くした。騎兵隊の遺骸の向こうには、完全に崩落してガレキの山と化したレンブルク市の正門がある。

 

「悪い夢を見ているようだ」

 

 市長がボソリと呟いた。一度も落城したことのない無敵の城塞都市の市壁が、一時間も立たないうちに完膚なきまでに破壊されてしまったのだ。確かに、彼女らからすれば悪夢以外の何者でもないだろう。しかもミュリン側の反撃はまったく効果を発揮せず、こちらの兵士は一人たりとも倒れていないのだ。

 このままさっさと折れちまえ、僕は内心そう思った。彼女らが意固地になり、街中に籠って徹底抗戦を始めるのが一番困るのである。無駄な時間も浪費するし、少なからず損害も出るだろう。しかも、敵国とはいえ市民の犠牲も出る。まったくもって僕の趣味ではない。

 

「戦争なんてものはえてしてそういうものです。名誉と興奮に満ちた美しいだけの戦場など、物語の中にしか存在しない」

 

「男性とは思えない発言ですね。……いえ、貴殿をバカにしているわけではないのですが」

 

 エーファ氏がコホンと咳払いをし、香草茶を一口飲んだ。カップを持つその手は、かすかに震えている。相当に動揺が激しいようだった。こちらの狙い通りだ。冷静に考えれば、彼女はここで退くわけにはいかない。とにかく徹底抗戦をして、本隊が戦力を増強するための時間を稼ぐのがエーファ氏の仕事なのだ。"名誉ある退去"などしてはその任務は果たせない。

 だから、僕たちはわざとショッキングな真似をして、彼女らから冷静さを奪う作戦に出たわけだ。もはや頼みの綱の市壁は崩れ去っている。リースベン・ディーゼル連合軍は市内への突入を待つばかりだ。一方的に蹂躙されるくらいなら、被害の少ないうちに撤退しておいたほうがマシ……そう思ってくれれば、こちらの勝ちである。

 

「良く言われますよ、お気になさらず」

 

 僕は余裕たっぷりにウィンクをして、自分も香草茶を飲んだ。馬鹿くさい演技だなぁと自分も思うが、こういう時は大物ぶってるくらいがちょうどいいんだよ。

 

「余力のあるうちに矛を収めた方が、お互いのためにもなるだろう。戦いが長引くようであれば、こちらとしても戦費の回収に躍起にならざるを得ないからな」

 

 冷たい目つきをしたソニアが、そう言い放った。市長が露骨に顔を引きつらせる。戦費の回収、というのは要するに略奪のことだ。この世界では、まだ軍隊による狼藉を禁じる法はない。むしろ、敵地を荒廃させる目的であえて略奪を許可することすら珍しくはなかった。さらに、都市籠城戦ともなれば市民も戦闘の参加者とみなされる。その街を攻め落とすためにかかった費用を、市民らから回収するのは当然の権利だとみなされていた。

 

「今ならば、かかった費用は糧秣(りょうまつ)と弾薬のみ。略奪などせずとも、ちょっとした賠償金があれば補填できる額です。現状を落としどころにするのであれば、こちらとしても譲歩しやすいのですが」

 

 肩をすくめながら、ソニアの言葉を補足する。つまり、これ以上抵抗するようならケツの毛までむしってやるぞという脅しだ。ヤクザの強請りみたいなやり口だよな。まあ、封建貴族なんて実態はヤクザと大差ないんだが。

 

「……うう」

 

 露骨な脅しに、市長は顔色がさらに悪化した。青というよりはほとんど土気色だ。こちらの隙を伺っては、いまだ砲列を成したままの砲兵隊をチラチラ見ている。自慢の壁をあっという間に破壊したあの兵器が、今度は市街に向かって放たれる……そういう想像をしているのかもしれない。

 

「エーファ殿、ここはブロンダン殿の案に乗られた方が良いかと思います。これ以上の戦いは無意味でしょう。余計な流血は厳に慎むべきですぞ」

 

「市長殿! それは……私は母上からレンブルク市の維持を命じられた身。戦端を開いてから僅か一日で撤退など……」

 

 エーファ氏は即座に市長の提案を否定したが、その態度は及び腰だ。うちのカルレラ市もそうだが、都市の有力者の権威ってのは結構デカいんだよな。領主やその一族でも、アゴで使うことはできない。むしろ、一定の配慮は必要なのだ。彼女としても、あまり市長に対しては強く出られないようだった。まあ、市民の協力なしに籠城戦なんかできないしな。当然と言えば当然だ。

 

「確かにそれはその通りでありましょうが、状況が変わりました。自分も市民兵を率いて幾度となく従軍した身、いくさのイロハはそれなりに心得ております。その経験から言わせてもらえば……城壁を破られれば、どのような堅城も保持は難しい! 軍事的な常識で考えても、レンブルクに固執するのは被害ばかり増える悪手ですぞ」

 

 市長は恐ろしい形相でそう言った。自分の街が廃墟と化すかどうかの瀬戸際なのだ。彼女も必死だった。

 

「一理ある……だが」

 

 エーファ氏は難しい表情で首を左右に振る。こちらに対してはロクでもない態度を見せた彼女だが、軍人として最低限の義務感はあるらしい。まあ、わずか一日で都市を落とされたとあれば、自分の立場が怪しくなってしまう、という部分も多々あるのだろうが。

 

「はっきり言いますが、この戦いはミュリン家側から仕掛けてきたものです。当然ですが、リースベ……ブロンダン家としては、領土的野心など全くありません」

 

 とはいえ、こっちは時間稼ぎなんかされちゃ困る立場なんだよな。だから僕は、エーファ氏の背中を押すことにした。

 

「もちろん、この街を我がものにしようという気持ちもありません。飛び地の統治には難儀しますからね。しかし、この街を手に入れたいと思っている人間も、こちらにはいます」

 

 僕はちらりと、後ろを振り返った。我々が交渉をしている指揮本部の後方では、フル武装をしたディーゼル軍の兵士たちがズラリと整列していた。……ま、ディーゼル軍からしたら、この街は是非とも欲しいだろうね。ここを手に入れれば、ミュリンの喉元に常にナイフを突きつけ続けることができるようになる。

 

「現状で停戦となれば、レンブルク市の戦いにおける戦果はリースベン軍の総取り。ディーゼル家が口を挟む権利はありません。しかし、都市内部に進撃するとなると……そうはいきません。彼女らの力も借りざるを得ないでしょう」

 

「……つまり逆に言えば、現状で幕引きすれば後々レンブルクは帰ってくる可能性があると?」

 

 光明を得た表情で、エーファ氏が聞いてきた。彼女も、本音を言えばわれわれとはこれ以上戦いたくはないのだろう。

 

「ええ。むろん、和平交渉の内容次第ですが」

 

 僕は頷いた。実際、僕としてはレンブルクを延々と占領し続けるつもりはなかった。レンブルク市はあくまでミュリン家の本拠地ミューリア市の盾となるべく建設された都市だ。それ以外の価値などない。ミュリン家が相応の対価を出してくるのならば、返還したって別に構わないのだ。

 ま、ディーゼル家としちゃ面白くない決着だろうがね。しかしさきほども言ったことだが、ディーゼル軍は今のところこの戦いにはまったく関与していないのだ。レンブルク市の占領はあくまでリースベン軍の戦果であり、ディーゼル家が口を挟む権利は一切ない。

 

「……承知いたしました。レンブルクの今後について交渉に応じるつもりがある、ということを書面で確約してくれるのであれば、撤退に応じましょう」

 

 レンブルク市がディーゼル家のモノになる事態だけは避けたいのだろう。結局、しばらく逡巡した後エーファ氏は頷いた。よーし、よし。その程度の条件で決着なら上々だ。守備兵を無傷のまま逃がすのは少々痛いが、ここで時間を浪費する方がもっとマズイ。僕はにっこりと笑って、エーファ氏と握手をした。

 結局のところ、所詮はレンブルク市の戦いなど前哨戦に過ぎないのだ。さっさと終わらせるのが第一で、その他のことは気にする必要はない。謝罪や賠償などを求めるのは全部が終わってからでも遅くはないだろう。

 



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第441話 老狼騎士と踊る会議

「レンブルクが陥落したァ!?」

 

 あたし、イルメンガルド・フォン・ミュリンがその報告を聞いたのは、わが軍に加勢に来た諸侯たちとの軍議の真っ最中だった。

 

「い、いくらなんでも……誤報じゃないのかい? 敵軍接近の報があったのが、昨日の話だろう? あのレンブルクがたったの一日で落ちるなんて話は、流石に信じがたいんだがね」

 

 自分の頬をぺちぺちと叩きながら、あたしは伝令に聞き返した。レンブルク市は、ディーゼル軍の侵攻を何度も跳ね返してきた鉄壁の城塞都市だ。その難攻不落伝説は、ミュリン家はもちろん近隣諸国でも有名だった。報告を聞いた諸侯たちの間には、明らかに動揺が広がっていた。

 そんなレンブルク市だ。いかなブロンダン卿とはいえ、突破にはかなり手間取るはず。その隙に諸侯軍の集結と訓練を終わらせ、攻城戦の真っ最中であろう敵軍の脇腹を突く……それがあたしの作戦だった。突破される可能性も考えてはいたのだが、いくらなんでもこれほど早く落城するのは予想外だ。これでは、むしろ我々の方が脇腹を突かれてしまう。

 

「それが……どうやら事実のようです。リースベン軍の大砲によって、レンブルク市の正門はわずか一時間足らずで崩落。交渉の上、エーファ様は"名誉ある退去"をご決断されたとのことです」

 

「なんだと……!?」

 

 戦術魔法を何発喰らっても泰然自若としていたあの市壁が、一時間で破壊された……? 耳を疑う報告だ。何かの冗談としか思えない。しかし、この報告がエーファ本人から発されたものであるのなら、事実なのだろう。あの子は調子に乗りやすいきらいはあるが、いい加減な報告をするような真似は絶対しない。

 ……思考を切り替えよう。あの頑丈な城壁をそんな短時間で破壊する手段があったというのなら、籠城戦は悪手だ。残念なことに、レンブルク市にはその防御力を期待して最低限の守備兵しか配置していなかった。市壁が壊されてしまった以上、守備兵が殲滅されてしまうのは時間の問題だ。その前に無傷で撤退できたのは不幸中の幸いだろう。

 いや、やっぱり無理だ。最低でも一週間は持たせてほしかった。なんだ一日で落城って。我が娘のことながら信じがたい。ふざけるなよ。あたしは自分の顔が引きつるのを押さえられなかった。こちらの軍勢は、まだ六千しか集まっていないのだ。しかも、連携のための訓練もできていない。レンブルク市が落ちた以上、敵軍がこちらへ攻め寄せるのは時間の問題だ。この陣容で勝てるのだろうか……?

 

「これは……内通者がおりましたな」

 

 そんなことを言うのは、諸侯の一人、ジークルーン伯爵だった。もともとは我々ミュリン家とは縁の薄い人物なのだが、王国軍が南部からも侵入してきては迷惑を被るということで、我々の加勢にやって来た訳だ。とはいえあたしの命令に従うのは気に入らないらしく、事あるごとにこうして嫌味をぶつけてくるのだ。

 おそらくは、南部における皇帝軍の実質的な指揮官があたしになっていることが気に入らないのだろう。隙を見せれば即座に噛みつき、指揮官の立場を奪ってやろう。そう考えているのは明らかだった。こんな時まで権力争いだ。まったく、嫌になるね。……とはいえ、このスピード落城を見れば内通者を疑われるのも致し方のない話だろうが。

 

「どのような堅城も、内部に害虫が巣食っていれば容易に崩れ去ってしまいます。守備兵もアッサリと城を明け渡しているようですしね? そうとう、根の深いところまで敵の手が侵食していたのでしょう。ああ、恐ろしい恐ろしい」

 

 舞台役者のような態度で大げさに語って見せる彼女の目は、不信感に満ちていた。根の深いところ……つまり、あたしのことだろう。こいつは、あたしがガレア王国から調略を受けているのではないかと疑っているのだ。

 

「落城の直接的な原因は大砲による攻撃という話ですが……」

 

 伝令が冷や汗をかきながらジークルーン伯爵の指摘を訂正するが、彼女は首を左右に振った。

 

「大砲、ね……実はワタシも前々からこの手の兵器には興味がありましてな。我が領の職工にいくつか作らせ、軍に配備しております。とうぜん、その破壊力も熟知しているわけですが……さすがに、僅か一日で城塞都市を陥落させるのは不可能だと断言させていただく。大砲は確かに将来性のある兵器ですが、まだまだ発展途上なのです。つまり、レンブルク市が落ちたのはそのほかの要因の方が大きいという訳ですな」

 

「むぅ……」

 

 ブロンダン卿が扱う謎の新兵器群に関して、あたしが知っている情報はあまりにも少ない。大砲や鉄砲といった兵器が存在するのは知っているが、あまり役に立たぬ代物であるという印象が強かった。とうぜん、我がミュリン軍には一丁の鉄砲も一門の大砲もない。これらの兵器の威力に関しては、伝聞から想像するほかないのだ。だから、ジークルーン伯爵の指摘は否定することも肯定することも難しかった。

 

「一族や軍の内部に敵の間諜が潜んでいないか、一度洗ってみたほうがよろしいでしょう。……領地の防衛は我々に任せ、ぞんぶんに膿を出しきりなさい」

 

 にやにやと笑いながらそんなことを言うジークルーン伯爵に、あたしははらわたが煮えくり返った。しかし、言い返すのは難しい。なにしろ、わが軍はレンブルク市の陥落という失態をおかしたばかりなのだ。

 

「ジークルーン伯爵、今はそのようなことをしている場合ではありません」

 

 だが、助け舟は別の方向から来た。チロル司教領という領邦を治める領主、リュッタース司教だ。司教領というのは要するに星導教の領地なのだが、このチロルは半分世俗化しており、普通の領邦と同じようにふるまっている。彼女がここに居るのも、教会のオブザーバーなどではなく神聖帝国に属する領主としての立場からだった。

 ミュリン伯領とチロル司教領とは長年の友好国だ。リュッタース司教は極星よりもカネを崇めていると陰口をたたかれるような人物ではあるが、あたしとの付き合いも長いからな。一応、味方としてふるまってくれている。

 

「レンブルクが抜かれた以上、敵軍がこのミューリア市に到達するのも時間の問題です。まずは迎撃の準備を整えねば。今後のことを話し合うのは、それからでも遅くはないでしょう」

 

「……まあ、一理ありますな」

 

 不承不承、ジークルーン伯爵は頷いた。実際、時間的な余裕はほとんどない。レンブルク市からこのミューリア市までは、徒歩でも三日でたどり着けるような距離しかないのだ。

 

「とはいえ、相手は三千程度。こちらは現状で六千。まあ、負ける要素はありません。どこかの誰かが醜態をさらさなければね」

 

「……相手は連戦連勝の化け物ですぞ。油断するのは感心できませんな」

 

 憤怒を心の奥底へ鎮めつつ、あたしは努めて冷静な声でそう反論した。とにかく、これまであたしの目論見はことごとく失敗している。結局リースベンとの戦争は避けられなかったし、次善の策であった時間稼ぎ作戦もレンブルク市のあまりにも早い失陥で崩れ去ってしまった。もはや、あたしに出来ることは勝利を祈りながら敵と真正面からぶつかり合う事だけだ。

 

「小手先の策はうまいようですな、確かに」

 

 しかし、ジークルーン伯爵はあたしの危機感を理解する気はないらしい。相変わらず人を小ばかにしたような態度で肩をすくめる。さらに腹立たしいのは、彼女に同調して頷く諸侯も少なからずいることだ。彼女らはミュリン家の郎党などではなく、あくまで各々の事情で加勢にやって来ただけの連中だ。一応戦場がミュリン領なので、総大将はあたしということになっているが……命令を出したところで、素直には従ってくれない。

 

「とはいえ、所詮は男の浅知恵です。わずか三千の兵で進撃を選んだのがその何よりのあかし。せっかく、ガレア諸侯の援軍を得られる立場になったのです。大人しく軍の増強に務めればよかったものを……。まあ、おそらくは手柄を独占しようというハラなのでしょうがね」

 

 いや、違う。ブロンダン卿には、三千の兵でもこちらに勝てる策があるのだ。あたしはそう言いたかったが、ジークルーンの若造は強い視線でこちらを牽制してきた。

 

「ま、しょせんこの敵は前菜ですよ。片づけるのは、ミュリン殿に任せてもよろしかろう。しかし、次に来るであろうメインディッシュ……ガレアの南部諸侯連合に関しては、ご老体には厳しいやもしれませんね」

 

 ああ、駄目だ。この女、もうブロンダン卿に勝った後のことを考えていやがる。こんな調子で、あの本物の化け物に勝つことができるのだろうか? あたしはとても不安だった。いっそのこと、ブロンダン卿に滅ぼされてしまう前に、一族郎党を連れてどこかに逃げ延びた方がマシやもしれん。しかし、ミュリン領は先祖が開拓した大切な土地。捨て去る決心などできるわけがない。ああ、くそったれの極星め。老い先短いババアになんという試練を……。



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第442話 くっころ男騎士と決戦地選定

 レンブルク市の早期制圧に成功した僕たちではあったが、勝利の余韻に浸っている暇はなかった。この作戦のキモは、相手の体制が整う前に決戦を強いることにあるからだ。射耗した弾薬類を補給し、それと同時にレンブルク市を後方拠点として利用できるように急ピッチで準備を進める。

 とはいえ、防衛隊長のエーファ氏に説明した通り我々はこの都市を戦後も占領し続けるつもりはない。そういう面では気が楽だった。参事会をはじめとした自治組織にもその旨を説明し、自治への干渉も最低限のみにとどめる。それだけで、レンブルク市内部からの反発はかなり沈静化した。

 ちなみに、一応王国軍の一部ということになっている我々が勝手に戦後を見据えた差配をして良いのか、という話だが、意外と大丈夫だったりする。軍役は従軍するだけでは一銭の報酬も支払われない美味しくないイベントなのだが、それだけに自前で倒した敵から引っ剝ぐぶんにはかなり融通が利く。それすら禁じられると動員された諸侯側のやる気が下がりまくってしまうからだ。

 特に、レンブルク市陥落に関しては我々の単独戦果だからな。いくら王家とはいえ、王国軍の旗を貸し与えているというだけで強く権利の主張をするのは難しい。したがって、レンブルク市の差配に関してはこちらの要望はほぼ通るだろうというのが、リースベンお抱えの外交官(紋章官という)の見立てだった。

 

「まあ、何にせよ戦後統治のことを考えなくていいのは気楽だ……」

 

 僕はそうボソリと呟いて、香草茶を飲んだ。レンブルク市を発ってまる一日。景色は丘陵地帯から再び広大な平原へと移り変わり、周囲には大海原を思わせるような麦畑が広がっている。戦時中とは思えぬほど長閑な光景だった。

 我々はそんな麦畑の片隅に天幕を張り、軍議をしていた。敵首都ミューリア市までは、あと三日もすれば到着する。つまり、近いうちにミュリン軍(とそれに付随する諸侯軍)との決戦が発生する可能性が高いということだ。その前に、作戦の最終確認をしておかねばならない。

 

「何かおっしゃられましたか?」

 

 鳥人偵察隊の持ち帰ってきた航空写真を眺めていたソニアが、そう聞いてきた。僕は首を左右に振り、「いや、何も」と答える。戦後統治云々は、前世のトラウマめいた経験から漏れ出したたんなるボヤきだからな。大した意味のある言葉ではない。

 

「それより、そっちの方はどんな感じだ? 敵の現在位置や陣容はわかったのか」

 

 このところ、我々は敵軍に対して積極的に航空偵察をかけていた。情報を制す者は戦も制す、これは古来から変わらぬ戦争の原則の一つだ。そしてこちらには、かなりの数の鳥人が居る。活用しない手は無かった。

 

「いえ……残念ながら、あまり多くの情報は得られておりません」

 

 ところが、ソニアからの返ってきたのはなんとも寂しい答えだった。彼女は写真を卓上に並べ、僕に見せてくる。その枚数はハッキリいって少なく、しかも大半の写真がブレブレだ。正直、あまり役に立つような代物ではなかった。

 

「どうやら、敵軍は少なくない数の鷲獅子(グリフォン)騎兵を配備しているようですね。偵察をかけようとした鳥人兵が鷲獅子(グリフォン)に蹴散らされ、逃げ帰ってくる事案が多発しています。粘って強引に撮影しても、この始末……」

 

「ふーむ、空中哨戒をかけているわけか。こちらが航空偵察を多用していることが、敵にもバレているということだな……」

 

 神聖帝国側の諸侯がよく航空戦力として活用している鷲獅子(グリフォン)は、鷲の翼と頭、そして獅子の肉体を持つたいへんに強力なモンスターだ。低空における格闘戦では、我が方の翼竜(ワイバーン)すら蹴散らす戦闘力を持っている。正面戦闘力に何のあるカラスやスズメの鳥人では、はっきりいって束になっても敵わないというのが現実だった。

 

「敵軍はミューリア市のすぐ前に布陣しており、数は五千から六千程度……これが今わかっている情報のすべてです。それ以上を調べようと思えば、空中からのアプローチはかなり厳しそうですね」

 

「なるほど。まあ、それだけ分かれば上出来だ。鳥人による偵察は、すこしばかり控えることにしよう」

 

 たしかに情報収集はたいへんに重要だが、鳥人兵隊が大きな被害を被るのも困るからな。航空戦力は貴重だし、偵察以外にも様々な仕事がある。ここは温存を優先した方がよさそうだ。情報収集は空以外からもできるしな。

 しっかし、即応体制の迎撃部隊を常に待機させているとなると、敵側の航空戦力もなかなか油断できない規模のようだな。決戦中に航空優勢を握り続けるのはすこしばかり難しいかもしれない。鷲獅子(グリフォン)に正面から対抗しようと思えば、こちらは翼竜(ワイバーン)を投入するしかない。

 ところが、この翼竜(ワイバーン)というやつは維持費がアホみたいにかかるんだよ。なにしろこいつら、完全肉食だし。しかも大ぐらいだし。結局、わが軍が保有している翼竜(ワイバーン)は六騎のみ。去年よりは増えているが、それでも十分な数とは言い難い。

 とはいえ、敵に航空優勢を取られるのは流石に避けたいんだよな。爆撃なんかは流石に警戒する必要はないだろうが(振ってくるとしてもせいぜい石ころや手投げ弾程度だ)、空からこちらの陣容が丸見えなんてのは勘弁願いたいからな。こちらが優勢を奪い取る、まではいかずとも、拮抗状態くらいは維持しておきたい。ある程度手を打っておく必要がありそうだな。

 

「ま、敵の位置と数がわかっておるんじゃ。十分といえば十分じゃろ」

 

 焼きたての白パンを片手に、ダライヤが言う。この頃の彼女はいつ見ても何かを食べていた。おかげで痩せぎすだった身体はすっかりふっくらしている。この辺りの食い物がうますぎるのが悪い、というのが本人の弁だ。

 この辺りの地域では肉類や小麦パンが容易に手に入るので、たしかに食料事情はリースベンに居た頃よりもはるかに良い。なんで本拠地よりも行軍中の方がいいものが食えるんだよ、と思わなくもないがね。まったく、不公平な話だ。

 

「敵軍が布陣しておるというミューリア市はミュリンどもの本拠地じゃ。投げ捨ててどこかへ逃散してしまう、という可能性はまずない。決戦場は、この街の周辺になるじゃろうな」

 

「あるいは、市内へ逃げ込んで籠城する、という可能性もありますね」

 

 ダライヤの言葉を、ジルベルトが補足した。僕は軽く頷いて、卓上に置かれた地図に目をやる。ミュ-リア市周辺は敵地ド真ん中だ。当然ながら、手元にある地図は不正確なものばかり。敵が決戦を避けて退避を始めた場合は、追撃に難儀しそうだが……その可能性が低いというのは大変にありがたいな。決戦なんてのは、双方がやる気になっていないとそうそう起こせるものではないし。

 

「レンブルク市が一日で陥落したんだぞ。二回連続で籠城を選ぶとは思えんね」

 

 腕組みをしながら、アガーテ氏が指摘する。ま、確かにその通りではあるんだがね。ただ、あの時と違ってミュリン側には後がない。ミューリア市がレンブルク市ほど容易に落ちるとは思えんな。レンブルクの守備兵は無傷でミュリン軍本隊に合流しているはずだから、あの時の戦訓も周知されるだろうし。

 とはいえ、あの時と違ってこちらにも余裕がある。王国軍としての我々の任務は、あくまで帝国南部諸侯の誘引だ。ミュリン軍とそのオトモダチどもがミューリア市で足止めを喰らえば、それだけで僕たちは仕事を果たしていることになる。

 

「やっぱり野戦になりそうだな、これは……」

 

 とはいえ、向こうもその辺は理解しているだろうからな。籠城を選ぶ可能性は低そうだ。ううーん、六千相手に野戦かぁ。丁度こちらの倍の戦力だな……。リースベン戦争の時よりは随分とマシな戦力差だが、あの時はこちらに地の利があった。しかし今回は地の利は向こうにある。ううーむ。

 鉄砲や大砲でシバきまくれば、そりゃ少々の兵力差なんかひっくり返せるがね。しかし、火力は前にしか発揮できないからな。側面や後方に回り込まれれば、かなり厳しい事になる。そしてこの辺りはアホみたいに広大な平原だ。迂回自体は、そう難しいものではない……。

 

「あのアホの力を借りるしかなさそうだな……」

 

 この手の作戦では、機動部隊の運用がカギになる。そしてこの世界における機動戦力とは、すなわち騎兵のことだ。つまり……ヴァルマの騎兵隊に頼らざるを得ないということになる。僕は思わず、ため息をついた。あいつは、できれば借りを作りたくない類の人間なのだが……。



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第443話 くっころ男騎士と交戦準備

 我々の斥候隊が敵本隊らしき部隊と接触したのは、翌々日のことであった。ミュリン伯イルメンガルド氏を盟主とする諸侯軍はミューリア市から南下すること十キロほどの街道沿いに陣を張り、我々を迎撃する構えを見せている。予想通り、彼女らは野戦で我々と雌雄を決するつもりのようだった。

 いよいよミュリン軍との決戦が間近に迫っている。僕は部下たちに戦闘準備を命じた後、小さな林の中に指揮本部を開設した。本当ならば指揮本部は戦場を一望できるような小高い丘の上などに作りたいのだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。

 敵は少なくない数の鷲獅子(グリフォン)を運用しており、航空偵察なども行っている気配がある。目立つ場所に指揮本部などを作った日には、浸透してきた敵部隊に奇襲を受け本部全滅、などという事態が起こりかねない。地形を生かし、きっちりと擬装を施す必要があった。戦場を目視できない不利は、冬の間に量産しておいた有線式電信機でカバーする腹積もりである。

 

「ミューリア市からずいぶんと離れた位置に布陣したな」

 

 僕は指揮卓の上に広げた地図を見ながら、僕は小さく唸った。地図の上には敵味方の部隊を表す小さなコマがいくつか乗っている。もっとも、こんな時代のことだ。敵地の地図などは、たとえいい加減なものでもあるだけマシというレベルであった。当然、この地図に関しても精度や細かい部分に関してはかなり怪しかった。

 こんな代物を元に三千名、つまり三個連隊弱の兵員を指揮せねばならないと思うとたいへんにゲンナリする。その辺りは航空偵察で補うのが定石なのだろうが、残念ながら航空優勢が取れない状態ではそれすらおぼつかない。偵察衛星が欲しいなぁ、と思う今日この頃だった。まあ無いものねだりをしても仕方が無いのだが。

 薄暗い林の中に張られた天幕の下には、アガーテ氏やジルベルト、ヴァルマなどの前線指揮官が集結していた。作戦前の最後のブリーフィングの真っ最中なのだ。

 

「レンブルク市の二の舞を避けるためでしょうね。ミューリア市はミュリン家の権力の基盤ともいえる街ですから、戦火に巻き込むことはできるだけ避けたいでしょうし」

 

 ソニアの指摘に、僕は頷いた。敵軍が布陣しているのは街道沿いの広大な麦畑だ。大軍の優位性を生かすにはピッタリの地形だろう。敵は今のところ、ベターな手を打ってきている。

 

「空の状況はどうか?」

 

「敵陣ん上空には常に五、六頭ん鷲獅子(グリフォン)が張り付いちょっね。わっぜじゃなかじゃっどん、ノンビリ飛ぶっような空じゃあいもはん」

 

 鳥人部隊の長、ウルの返答はなかなか厳しいものがあった。僕はため息をつきたくなる心地をこらえつつ、香草茶で口を湿らせる。

 

「空に上がってるヤツだけで五、六頭ね。だとすれば、敵側の鷲獅子(グリフォン)の総数はおそらく最低でも十頭以上……。頭上は常時抑えられていると考えた方がよさそうだ」

 

 こっちの翼竜(ワイバーン)はわずか六騎。空の戦力差も、地上と同じく一対二か。厳しいね。カラスやスズメの鳥人では、鷲獅子(グリフォン)を相手に正面から立ち回るのは無理があるし。困ったものだ。

 鳥人部隊は大変に使い勝手の良いユニットだ。偵察に伝令、さらには砲兵の支援などもこなせる。その活動が封じられるのは大変な痛手だ。しかも鷲獅子(グリフォン)翼竜(ワイバーン)と違って地上でもそれなりに戦えるから、上空からの奇襲も警戒せねばならない。

 

「結構な数だな……あたしの記憶が確かなら、ミュリン家が保有してた鷲獅子(グリフォン)はせいぜい三頭かそこらのはず。残りはおそらく別の諸侯が連れてきたヤツだろう。数は多くとも、連携には難があるはずだぜ」

 

「なるほどね。付け入るスキはあるってことか」

 

 アガーテ氏の言葉に、僕は小さく頷いた。それはいいことを聞いた。うまくやれば、航空優勢を奪い返せるかもしれない

 

「とはいえ、まだ賭けに出るにはタイミングが早い。小手先の技には頼らず、正攻法で対抗するべきだな」

 

 地の利は敵にあり、兵数も相手の方が多い。なんとかこれをひっくり返そうと奇策に出れば、間違いなく足元を掬われるだろう。なんだかんだ言って、正攻法に勝る戦い方はないのだ。

 

「作戦通りの陣形で、街道を北進しよう。まずは正面から組み合って……話はそれからだ」

 

「あたしらとアリンコ部隊を中心に、その脇をライフル兵やエルフ兵を固める……兵器は進化しても、陣形は教科書通りだな」

 

 そう言ってアガーテ氏は苦笑した。攻防に優れる重装歩兵を核として、その両脇を機動力の高い軽歩兵や騎兵で固めるやり方は、古代からずっと使われ続けている古典的な陣形だ。確かに、意外性は皆無だろうな。とはいえ、手垢のついた戦術というのは有効だからこそ多用されているのだ。一概に馬鹿にできるものではない。

 

「こちらが教科書通りに動くのならば、おそらく敵の対応も教科書通りでしょう。ほぼ間違いなく、敵軍は大軍の優位を生かして翼包囲を狙ってくるはず」

 

 地図を指先でなぞりつつ、ジルベルトが聞いてくる。彼女の言う通り、敵軍は我々を包み込むように動いてくるはずだ。いわゆる鶴翼の陣だな。大軍が寡軍を打ち破るために使う、典型的な戦術だった。

 

「とはいえ、こちら主力は散兵のライフル兵とエルフ兵だ。見た目上の兵力差ほど正面幅に差は出ない。あっさり包囲されることは無いはずだ」

 

 同じ人数の部隊でも、密集陣と散兵では部隊の展開する幅は大きく違う。つまり、こちらは少人数でも広域に布陣できるということだ。まあ部隊の密度が低くなる分、攻撃力や防御力は下がる訳なんだが……ライフルや妖精弓(エルヴンボウ)の火力が、その問題を解決してくれる。

 

「敵の包囲運動の抑えとして、右翼にはエルフ兵を多めに配置する。そのぶん左翼が手薄になるが……ヴァルマ、お前がいれば大丈夫だろう?」

 

 僕がニヤリと笑ってそう聞くと、スオラハティ家一番の問題児はその姉に勝るとも劣らない豊満な胸を大きく張った。

 

「誰にモノを言ってらっしゃるの? 包囲を防ぐなんて楽勝過ぎて笑っちゃいますわ~逆に包囲し返してあげましてよ~」

 

「無勢側が包囲を狙うんじゃない」

 

 ソニアが半目になりながら反論した。実際、いくら装備に差があるとはいえ二倍の戦力差でこちら側が包囲を狙いに行くのはアホの所業である。いやまあ、この戦争の申し子のような女であればそれくらい難なくこなしそうな雰囲気はあるけどさ。

 

「……えー、この作戦の目的は火力差を生かして敵の前衛を壊乱させ、中央突破を狙うことです。逆包囲を仕掛けることではありません。わかってるね? ヴァルマ」

 

 とはいえ、冒険的な作戦は僕の趣味じゃあない。僕が用意した作戦は順当に勝つことを目的としたものだ。つまり、火力の優越を全面的に利用するわけだな。こちらには隊量の野・山砲、迫撃砲、ライフル銃がある。そして短弓の速射性と長弓の射程を併せ持つ妖精弓(エルヴンボウ)も大概なチート射撃兵器だ。

 対する敵の火力源は弩兵や弓兵などで、しかも数的な主力は射撃武器を持たぬ槍兵だ。白兵戦の距離に入らない限りは、そこまで恐れる必要はない。数が多いから射撃だけですべて仕留めるのは難しいだろうが、別に敵兵すべてを撃ち殺す必要はない。戦闘を継続する意志さえ挫いてやれば良いのだ。

 

「はぁい、先生」

 

 唇を尖らせながらも、ヴァルマは頷く。コイツは姉の言うことも母の言うこともマトモに聞かないのだが、なぜか僕の言うことだけはある程度(あくまである程度だ)聞いてくれるのである。……ちなみに、彼女が僕を先生と呼んだのにはそれなりの理由がある。こいつが小さかった頃、僕は一年ほど彼女の家庭教師を務めていたことがあるのだ。

 

「まったく……」

 

 僕は小さくため息をついてから、周囲を見回した。ヴァルマほど自信満々にしている者は流石に居ないが、動揺した様子の者は一人としていない。兵力差一対二の戦闘を直前に控えているとは思えない落ち着きぶりだ。何とも頼もしい連中だなと思いつつ、僕は口角を上げた。

 

「さて、そろそろ兵たちの戦支度も終わった頃だろう。最後に聞いておくが、異論・質問などはあるかね?」

 

 部下たちは一様に首を左右に振った。作戦の方は事前に計画書を作って皆に配布しておいたので、このあたりは大変にスムーズに事が進む。

 

「大変結構。では、作戦開始と行こうか。頭数ばかりは多い帝国諸侯の皆様方に、新しい戦争のやり方というものを教育して差し上げろ」

 

 

 



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第444話 くっころ男騎士と後方指揮

 今回、戦場となった場所は広大な田園地帯である。ミューリア市へ向かう街道と、その両脇に大海原のように広がる麦畑。障害物と言えば小さな丘や用水路、農民たちの作った粗末な小屋程度だ。彼我合わせて一万人ちかい軍勢が交戦する地形としては、これほど理想的なものもなかなかない。

 そういう見通しの良い土地だから、交戦状態への移行は極めてスムーズだった。行軍を命じて半時間、まずは前衛に配置していたエルフ兵が敵前衛の軽騎兵と接触し、前哨戦が始まった。

 軽歩兵と軽騎兵と戦いである。普通ならば歩兵側が蹂躙されるのが常なのだが、我が方の歩兵はエルフだった。数百年間の鍛錬と百年もの内戦のせいで、こいつらの練度はそこらの騎士など裸足で逃げ出すレベルの水準だ。結果として敵軽騎兵は妖精弓(エルヴンボウ)と攻撃魔法の乱打を浴び、あっという間に潰走する羽目になった。

 

「なんというか、本当にあいつらはどうかしているな……」

 

 その報告を指揮本部で聞いた僕は、笑えばいいのか敵に同情すればよいのか分からなくなった。今回の遠征で従軍しているエルフ兵は、彼女らの中でも比較的高齢な者が多い。エルフのような長命種は高齢になればなるほど"リタイヤ"を強く求める傾向があるので、自然と従軍を志願するのは高齢者ばかりになっていくのだ。

 この"リタイヤ"とやらが曲者で、エルフにとってのリタイヤは二つの選択肢がある。一つは名誉の戦死で、もう一つは夫を得て隠居することだった。エルフにとっての遠征は、この両者のどちらかが手に入る可能性の高いボーナスイベントなのだ。そういう訳でエルフどもは

 

「はよミュリン軍んカカシどもをチェストしてミューリア市で婿取りすっど!」

 

 などと叫んでまさに意気衝天の状態。危険なレベルで士気が高かった。とんだバイオレンスババア集団である。そんな連中に襲われたのだから、敵の騎兵たちも哀れなものである。……しかしエルフども、ガッツリ占領後の乱捕を狙ってやがる。とうぜんウチではその手の行為は軍旗違反なので、憲兵に綱紀粛正を厳命しておく必要がありそうだ。

 それはさておき、今肝心なのは戦況だ。敵の前衛を蹴散らし、我が方は街道に沿って進撃していく。それに対し、敵軍の動きは鈍かった。騎兵や軽歩兵などが時折妨害をしかけてくるが散発的で、本隊のほうはその場を動かずこちらを待ち受ける姿勢を見せた。

 

「相手は静的な防御に徹するようだな……」

 

 地図の上のコマをいじりつつ、僕は呟く。なにやら、背中がムズムズする。前線ではがっつりと交戦が始まりつつあるのに、指揮本部は相変わらず平和なものだ。矢の一本も飛んでこない。ううーん、辛い。今すぐ前線に突っ込んでいって、陣頭指揮を執りたい。自分だけ安全な後方でヌクヌクしているというのは、まったくもって落ち着かないことこの上ない。

 けれども、今の僕の下には三千名もの部下がいる。編成単位で言えば、旅団と呼ばれる規模の部隊だ。これは現代軍制でいえば大佐や准将が指揮する規模の部隊であり、とてもじゃないが陣頭指揮などして良い立場ではない。

 もし僕が現場指揮官ならば、旅団長が「指揮官先頭!」なんて言い出して前に出てきたらブチ切れるだろう。ぶっちゃけ普通に迷惑だろ、常識的に考えて。なので仕方なく、尻で椅子を磨く仕事に集中する。

 

「敵は大小の諸侯軍の連合です。機動防御のような複雑な作戦が行えるような命令系統は有していないのでしょう」

 

 ソニアの言葉に、僕は頷く。本来のミュリン軍は頑張っても二千名に足りない程度の兵員しか捻出できない組織だ。それが今は、六千名もの数へと膨れ上がっている。その大半は外部からやってきた君臣関係にない諸侯たちだ。高度な指揮系統など、確立できるはずもない。レンブルク市の予想外の早期陥落によってマトモに共同訓練をする暇もなかったであろうから、なおさらだ。

 

「確かにな。……ただ、自軍の欠点はあのバァさんも理解しているだろう。機動的な作戦が取れないなら、そのぶん十分な防御を固めているハズ。油断はできんな」

 

 相手は守備側で、しかも本拠地のおひざ元だ。塹壕、馬防策、土塁、あるいは建造物の防御拠点化……さまざまな手段で防備を固めているに違いない。こちらは寡勢でそれを打ち破らねばならないのだ。

 

「アルベール様、第一ライフル兵大隊のジルベルト様より入電です。ポイント・ロ-七にて交戦開始。敵は水車小屋に籠ってクロスボウで攻撃を仕掛けてきているとのこと。攻撃は仕掛けてはいますが、制圧には時間がかかりそうそうだとのことです」

 

 などと考えていると、さっそく予想通りの報告があった。発言者は、電信機の受信機を耳に当てた通信兵だ。この装置は今のところ世界唯一の電気式通信機で、手回し発電機や湿電池などの電源とブザー、そしてスイッチを銅線でつないだだけの原始的な代物だ。当然音声通信などには対応しておらず、スイッチのオンオフを用いたモールス信号で情報をやり取りするのだが……それでも、伝令等を使わずリアルタイムで通信が出来るのは大変に革命的だ。

 

「なるほど、初手で立てこもりか。やはり敵は十分に防御を固めているようだな」

 

 おそらく戦線中央では防御に徹し、それで稼いだ時間で両翼から包囲にかかる作戦だ。スタンダードだが、有効だな。そう思いつつ地図上に目をやると、僕の思考は一瞬停止した。

 

「待て、水車小屋と言ったか? ポイント・ロ-七で?」

 

「ハイ、確かに水車小屋と言いました。規定通り通信は二回繰り返されましたから、聞き間違いではないと思いますが」

 

「そうか、わかった」

 

 地図上のポイント・ロ-七には、川など流れていない。当然、水車小屋などあるはずもないのだが……現場の人間があると言っている以上、確かにそこには水車小屋があるのだろう。間違っているのは現実ではなく地図のほうだ。クソ、敵地とはいえ本当にいい加減だな、この地図は。

 

「……何はともあれ、立てこもり犯の排除だ。歩兵用火器でチクチク攻撃していたら排除にいつまでかかるか分かったもんじゃない。山砲A小隊に連絡。ポイント・ハ-六に前進し、水車小屋に支援砲撃せよ」

 

「了解」

 

「それから、ジルベルトの方にも連絡を。川の位置や幅、水量、橋の有無なんかを確認してレポートを提出せよと伝えてくれ」

 

「はっ!」

 

 頷いた通信兵が、命令を打鍵する。彼女と同じような通信兵が指揮本部には十人以上詰めており、ひっきりなしに通信内容を読み上げている。僕は彼女らの報告を聞きながら、逐一命令を出していった。それに合わせ、参謀や従兵などが地図上に駒を配置していく。まるでボードゲームをやっているような感覚だった。

 現状上がってくる報告の大半が交戦開始を告げるものだ。どうやら、前哨戦が終わって本格的な交戦が始まりつつあるらしい。交戦報告があがったポイントの位置で、敵がだいたいどのあたりに防御線を張っているのかわかる。今のところ、敵の動きは予想の範囲内だ。

 

「第一山砲小隊より連絡。ポイント・ハ-六に到着。しかし前方には小さな丘があり、目標の水車小屋が目視できないとのことです」

 

「川の次は丘かぁ……」

 

 僕は地図に目をやった。当然ながら、地図上には丘などない。クソ地図め……。敵より地図の不備の方が厄介だわ、今のところ。

 

「ジルベルトに連絡。伝令を出して現場で第一山砲小隊を誘導するように言え」

 

「了解」

 

 まあ、よくあることだ。盤上と現場の齟齬は、現場の方で解決してもらうしかない。後方指揮の役割など、極論すれば現場同士がスムーズに連携できるよう差配することだけだ。事態は常に現場で進行している。いや政治的なアレコレは別として、だが。

 

「ディーゼル軍のアガーテ様より入電。交戦しようとした敵部隊がエルフ連中に横取りされた。戦いにくいからやめてほしい、とのことです」

 

「エルフ連中はなにやってんの……」

 

 僕は額に汗を浮かべながらつぶやいた。そして地図を一瞥して、また絶句する。地図上では、アガーテ氏の部隊の付近にはエルフ隊は展開していない。

 

「待って、ちょっと待って。そのエルフ隊ってどこの部隊? ……あー、エルフ隊には通信兵が同行してないか。すぐに確認は難しそうだな……通信拠点Bに連絡。伝令を出して、ポイント・ホ-5に居るエルフ隊の正体を確かめて来てくれ」

 

 いい加減なのは地図だけではなく、地図上に乗っているコマの位置もだ。実戦では往々にしてこうした齟齬が発生する。ゲームだったらクソゲー扱いされること請け合いの要素だが、これは現実なので文句を言っても仕方あるまい。僕はため息をつく代わりに、香草茶を一口飲んだ。

 しかし……アレだね。本格的に後方指揮をやるのは初めてだが、上がってくる情報がここまでいい加減で不確かだとは流石に思ってなかったわ。なんぼなんでもひどいわ。そりゃあ、前線と後方で意識差も生まれるわ。くそぉ、現場行きてぇ……。

 

「ソニア、前線視察してきていい?」

 

「駄目です」

 

「だよねぇ……」

 

 前線に出たら出たで、戦場全体を俯瞰することができなくなる。数百人規模の合戦ならば現場だけ見ていればそれでいいのだが、この規模の戦いとなるとそうもいかない。まったく、ままならないものだ……。



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第445話 義妹騎士の奮戦(1)

 私、カリーナ・ブロンダンは、一度は落伍した軍人としてのキャリアを再び詰みつつあった。冬の間まで見習い騎士として過ごしていた私は、新春早々に正式な騎士へと任官された。いよいよここまで来たかと、私の胸は一杯だった。……けれど私が貰った役職は、騎士位だけではなかった。リースベン軍第一ライフル兵大隊、C中隊所属の小隊長。それが私が軍人として初めて就いたポストだった。

 この人事を聞いた時、私は胃が痛くなった、お兄様の従者から、いきなり三十人ばかりの部下を率いる立場になったわけだからね。責任の重さが違いすぎる。騎士隊の末席にでも座らせてもらえばそれで満足だとも伝えたのだけれども、お兄様は頷かなかった。

 というのも、リースベン軍では士官の数が不足しており、猫の手も借りたいような状況なのだという。従来の軍制では中隊一つに付き二、三名の士官が居れば上等とされていたのに、お兄様の方式では中隊一つに十名以上の士官を配置することになっているのだ。そりゃあ、人手不足も当然のこと。そこで白羽の矢が立ったのが、ディーゼル家で一応士官としての教育を受けていた私だったのだという。

 エルフ内戦が終わった直後から、私はやたらと座学を受けさせられていたのだが……まさかこんなことになるとは。正直私には荷が重い感が凄いので、今すぐ小隊長なんて辞任したい気分だった。けれども、そういうわけにはいかない。お兄様の期待を裏切るような女に、お兄様の妻は務まらないだろうからだ。気は重いが、とにかく私は頑張ってみることにした。

 

「カリーナ少尉、あの丘を奪取して来い」

 

 そうしてイチ軍人としてこの戦争に従軍した私に、直属の上官であるヴァレリー隊長は無茶な命令を寄越してきた。私は顔を引きつらせながら、彼女の指さす方向を見る。

 

「あ、あの……丘って、アレですか」

 

 そこにある丘は登っても腹ごなしにならない程度の小さなものであったが、何しろこの辺りの地形はびっくりするほど平坦なのでたいへんに目立つ。とうぜん、そんな目立つ場所を制圧しようとすれば敵からの集中攻撃を浴びることになる。子供でも分かることだ。

 

「ああ、アレだ」

 

 ところが、ヴァレリー隊長は平気な顔で頷きやがるのである。彼女はリースベン戦争の頃からお兄様の下で働いている元傭兵隊長で、今は第一ライフル兵大隊C中隊の隊長サマだった。正直、私からすれば悪魔よりコワイ相手だ。お兄様から「カリーナへの特別扱いはしないように」と厳命されているせいか、むしろわざわざ過酷な任務ばかりを投げてくるのだ。

 

「見ての通り、あんな丘でもこの辺りでは一番高い。あそこに監視哨を置けば、この辺り一帯が見渡せるようになる。戦術的に考えればあそこを放置する手は無い」

 

 ヴァレリー中隊長はそう言ってから、視線を丘から前線の方へと逸らした。そこでは、私の同僚たちが盛んにライフルを発砲していた。銃声が響くたびに悲鳴が上がり、敵がバタバタと倒れている。しかし、戦況は良好とは言い難かった。

 単純に、敵の数が凄まじく多いのだ。戦力差は一対二という話だが、この場所に限って言えば一対四はある気がする。いくら敵を撃ち殺しても焼け石に水の感が強かった。敵軍は粗末な装備の民兵を盾にして、強引な攻撃を続けている。

 

「敵の主攻は、明らかに我々の持ち場……左翼側にある。中央も右翼も防備が硬いんで、一番手薄な左翼を狙ってるんだ。とはいえ、我々も退くわけにはいかん。左翼側からの敵の包囲運動を阻止するのが、我々に課せられた任務だからな。……で、限られた戦力で十全に防御を行うためには、十分な情報収集は必須だ。だから、あの丘は何としても取っておきたい。ここまではオーケイ? じゃ、わかったらさっさと取ってこい」

 

「ぴゃあ……了解しました」

 

 懇切丁寧に現状を説明されてしまったが、そんなことは言われずともわかっている。もちろん言い返したりはせずに、大人しく頷いたけど。軍隊において上官の命令は絶対だし、おまけに私はお兄様の義妹だ。言い訳なんかして情けない所を見せたら、お兄様の顔に泥を塗ることになっちゃう。

 とはいえ、正直この命令は拒否したかった。たしかに奪取を命じられた丘は戦術上とても重要な場所だけど、それは敵軍にとっても同じこと。望遠鏡で確かめてみれば、案の定守備兵らしき姿がチラホラと。ここに攻撃を仕掛ければ、当然熾烈な反撃が返ってくるだろう。

 

「ところで、その……あの丘を狙うのであれば、中隊砲の火力支援をいただきたいのですが……」

 

 中隊砲というのは、中隊ごとに配備されている大砲のことだ。中隊長の一存で使用できる使い勝手の良い火力として、わがC中隊には三門の六〇ミリ迫撃砲が配備されている。その火力を我々の支援に振り向けてくれるのならば、任務の難易度は遥かに低下するはずだ。

 

「そんな余裕がこちらにあると思うか?」

 

 ところが、ヴァレリー中隊長はニヤッと笑って、後方の迫撃砲陣地を指さした。そこでは三門の迫撃砲がひっきりなしに発砲しており、その独特な発射音がうるさいくらいに響きまくっている。もちろん、その砲口が向けられた先は例の丘ではなく、前方にうごめく無数の敵兵集団だった。

 ……うん、まあ、無理よね。いくら迫撃砲が強力だからって、たった三門しかないわけだし。敵の無茶苦茶な突撃を押しとどめるだけで精いっぱいって感じ。うえぇ、吐きそう。たった三十人で火力支援も無しにあの緊要地形を制圧しなきゃいけないの? ムチャでしょ……

 

「わかりました……」

 

 とはいえ、一たび下令されたからには抗弁が許されないというのが軍隊という組織だ。私はヴァレリー中隊長に敬礼して、その場を後にした。向かう先は、当然部下たちの元。私の指揮する第三小隊は中隊の予備戦力であり、やや後方に配置されていた。

 

「ええーっ! ムチャですよ!」

 

 それから五分後。中隊長からの命令を部下たちに伝えた私にかけられたのは、そんな言葉だった。言われなくてもわかってるわよそんなことぉ! と思いつつ、私は部下たちを睨みつける。

 私の下についている兵士たちは、ガレアの王都で募兵に応じた新米が半分と、昔からヴァレリー中隊長の下で働いていたベテランが半分ずつだ。文句を言ってきたのは、新米の方。ベテランたちの方は、「仕方ねぇなぁ」と言わんばかりの表情で準備を始めている。

 

「ムチャでもなんでもこなすのが軍人の仕事だろうがボケ!」

 

 そんな新米どもに、辛辣な怒鳴り声がぶつけられる。もちろん、声の主は私じゃない。新品少尉の私がそんな偉そうなことを言ったら、裏でなんていわれるか分かったもんじゃない。士官などと言っても所詮は若造で、とうぜん部下たちはナメてくる。肩書が偉ければそれだけで従ってくれるほど、人間は単純じゃないからね。

 そんな情けない私の代わりに部下たちを叱責してくれたのは、小隊の最先任軍曹……つまり、私の副官のような人だ。とても恰幅の良い中年の竜人(ドラゴニュート)で、ヴァレリー中隊長が傭兵団を旗揚げした当時から下士官として勤めていた古株だった。

 彼女は兵隊たちからすれば神様のような存在で、我が小隊の人間で彼女の逆らえるものは誰一人いなかった。……もちろん、私を含めてね。ぶっちゃけ新品少尉より最先任下士官の方が偉いのよ、実際の立場では。悲しいね。

 

「とにかく、中隊長殿はあの丘がご所望なんだ。全員おっ()んでもあそこに軍旗を立ててくるのがあたしらの役割ってもんだ! わかったかボケカスが!!」

 

「う、ういっす!」

 

 文句を垂れた新兵はピシリと姿勢を正し、敬礼をした。先任軍曹は腕組みをして鷹揚に頷く。その態度は総指揮官であるお兄様より偉そうだ。

 

「……小隊長殿、これでよろしいですな?」

 

 冷静な顔になって、先任軍曹は私の方を見る。彼女の罵声で自分の方まで背筋が伸びていた私は、慌て頷いた。

 

「は、はい。大丈夫です」

 

「ああ、大丈夫だ。……ですよ、小隊長殿。士官がオドオドしていたら、部下はナメてかかります。ご注意を。……まあ、偉そうにしすぎるのも問題ですがね」

 

「うっす……」

 

 小声でそんなことを囁いてくる軍曹に、私はさっきの新兵と同じような返事をした。本当に、彼女には頭が上がらない。

 

「それはさておき、進撃の準備です。必要なものはございますか? 小隊長殿」

 

「ええと……中隊行李(中隊の補給を担う部署の俗称)の所へ行って、擬装用の迷彩布とドーランを人数分持ってきて。正攻法で近寄ったらひどい目に遭いそうだし、こっそり忍び寄る感じで行くから」

 

「よし、聞いたな? 三班、小隊長殿の仰せのままにしろ! あとついでに弾薬も多めにかっぱらってこい! 他の連中は草刈りだ! 擬装用の枝葉はいくらあっても足りんからな、たっぷり刈ってくるんだ!」

 

「うぃーす」

 

 兵士たちは私ではなく先任軍曹のほうに一礼し、各々の仕事を始めるのだった。軍曹は肩をすくめ、私はため息をつく。あー、もー。仕方が無いけどイライラするなぁ……。

 

「ロッテ、アンタは通信班の所に行って、携帯電信機とその運用要員を借りてきなさい。監視哨を作るなら通信設備は絶対に必要よ」」

 

 そんな私にも、一応キチンと従ってくれる部下がいる。従者として私個人が雇用することになったリス獣人の少女、ロッテだ。こいつとは一年くらいの付き合いになるから、一応きちんとこちらの言うことを聞いてくれるのだ。小隊の中で私をまともに信用してくれているのは、コイツを含む少しばかりの友人たちだけだった。地味に辛い。

 

「了解っすー」

 

 元気よく返事をしたロッテは、トテトテと通信班の方へ走っていった。その背中を目で追いつつ、私は内心ため息をつく。一応指揮官という立場にはなったものの、お兄様の居る場所まで追いつくのはまだまだ時間がかかりそうだ。……一生かかっても追いつけない気がするなぁ。はぁ……。



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第446話 義妹騎士の奮戦(2)

 私は子供の頃から騎士になりたいと願っていた。きらびやかな甲冑を纏い、立派な軍馬を駆って山野を駆け巡る騎士たちは、いつだって子供たちのあこがれの的だった。そして成人を迎えた今、私は騎士位を得て軍務に服している。しかし……。

 

「……」

 

 私は密かにため息をついた。私は今、部下たちを伴って例の丘に向けて進んでいる。とはいえ、相手は大軍でこちらは無勢、まともに攻撃しても無意味だ。そこで私は一計を案じた。身を隠して密かに丘に接近し、奇襲をもって守備兵を追い散らそうという作戦だ。手持ちの戦力を考えれば、これ以外の価値筋はないからね。

 ところが、この"身を隠して密かに丘に接近し"……という部分が大変だった。なにしろこの辺りは麦畑ばかりの開けた地形で、身を隠せるような林や背丈の高い草むらなどは存在しない。この状態で奇襲を仕掛けようと思えば、かなりの工夫が必要だった。

 今の私は甲冑の上から迷彩布を巻きつけ、そこへ更に擬装用の草までくっつけている。まるでミノムシのオバケのような格好だった。それに加えて顔には黒や緑の練り粉(ドーラン)を塗りたくっているのだから、なおオバケじみている。無論、部下たちの同様の格好だ。私たちはそんな状態で、匍匐前進をしてジリジリと丘へ向かっていた。

 

「……」

 

 こんなミノムシだかイモムシだかわからないような有様で地面をはい回るのが、騎士の姿なのだろうか? 今の私を一年前の私が目撃したら、指をさして大笑いするに違いない。理想と現実のあまりの落差に泣きそうだが、どうしようもない。敵は装備や練度こそこちらに劣っているが、数はとても多いのだ。こちらの存在が露見すれば、あっという間に袋叩きにあってしまう。

 私はまだ魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいるから多少攻撃を受けても大丈夫だが、部下たちの大半はまともな防具をつけていない。ペラペラの野戦服一枚きりでは、流れ矢の一本で致命傷だ。いくら見苦しかろうが、安全性には代えられなかった。

 

「小隊長殿、あれをご覧ください」

 

 そんな私の思考を遮ったのは、おっかないが頼りになる最先任軍曹だった。彼女の指さす先には、我々の目指す丘を登っていく敵の一団があった。増援か、そう思いつつ望遠鏡を出そうとすると、軍曹に止められた。

 

「望遠鏡はいけません。レンズの反射でこちらの位置が露見します」

 

「あっはい、すいません」

 

 肩書上は彼女よりも私の方が偉いのだけれど、相手は私が母様のお腹の中に居た頃から軍隊で禄を()んでいる古参兵。まったくもって頭が上がらない。お兄様はこういう古参兵も見事に従えているというのに、私は冷や汗をかきながらペコペコするしかないのだ。なんとも情けない話よねぇ……。

 

「謝罪は不要です。それより、あいつらが運んでいるのはもしや……」

 

 先任軍曹の言葉に、私は目を凝らしてみた。敵の一団は、何やら荷車のようなものを馬でけん引している。補給物資の類かと思ったけど、よくよく見れば……違う。

 

「あれは……大砲?」

 

「……の、ようです。この距離からでは、どういうタイプの物かまではわかりませんが」

 

 うわあ。うわあ、うわあ。歩兵だけでも厄介なのに、そこに大砲まで追加? 冗談じゃないよ本当……勘弁してよ。本陣に帰っていい? 駄目だよね……うう……。

 

「レナエル、レナエル。ちょっとこっち来て」

 

 私は部下であり友人でもある狐獣人の娘を手招きした。彼女は無言でもぞもぞと近寄ってくる。このレナエルは猟師の娘で、射撃の腕も小隊では一番だ。とうぜん、視力の方も大変に良い。

 

「なんです?」

 

 レナエルの口調はいつもぶっきらぼうだ。それは彼女が正式に私の部下になった後も変わっていない。

 

「あれ、あそこ。なんか大砲っぽいモノ運んでるでしょ? どういうシロモノかわかる?」

 

 大砲たって、いろんなタイプがあるからね。それによって、脅威度や攻略法が変わってくる。

 

「……うーん。なんか、一つの砲車にいっぱい砲身がついてる……ぽい?」

 

「あー、オルガン砲」

 

 レナエルの報告に、私はため息をつきたくなった。オルガン砲は彼女の報告の通り小口径の大砲をいくつも束ねた多連装砲で、一発の威力は低いものの連続で発射することができる。つまりバリバリに対歩兵用の大砲ってこと。

 ライフル砲か否かまではわかんないけど、何にせよ厄介。たとえ命中精度の低い滑腔砲だったとしても、ラッキーヒットの一発でも喰らったら魔装甲冑(エンチャントアーマー)着込んでても即死だからね。普通に怖いよ。

 

「そんな代物が高所に陣取ったら相当に厄介ですよ。ここで破壊せにゃあ……」

 

 先任軍曹の言葉に、私は頷いた。当たり前だけど、大砲は高い所に据え付けたほうが遠くまで砲弾が届く。あのオルガン砲の射程がどの程度の物かはわかんないけど、丘の上からこちらの迫撃砲陣地に向けて発砲でもされたらメチャクチャ厄介よねぇ。

 

「……そうだ。対砲兵戦なら、迫撃砲を貸してくれるかも。通信兵、中隊本部にお伺いを立ててみて」

 

 ふと思い立って、私は通信兵にそう聞いてみた。デカイ銅線のリールを背負った彼女はコクリと頷き、本部に向かって通信を打電し始める。しばらくして。彼女は申し訳なさそうに首を左右に振った。

 

「駄目です。中隊砲は現在、別の大砲を相手に対砲兵射撃中だそうです」

 

「ええ……」

 

 ここ以外にも大砲が? ええ……困ったなぁ。大砲なんて、ウチの軍隊意外じゃまず使ってないマイナー兵器だと思うんだけど、敵にもお兄様みたいな大砲好きが居るのかな? ライフル砲じゃなきゃいいけど。

 ……いや、いや。今の私に、他人を心配している余裕なんかない。肝心なのは、やっぱり支援射撃は得られないという部分だ。つまり、あのオルガン砲は私たちが独力で撃破しなきゃならないってコト。

 

「……仕方ない。相手が射撃陣地を構築する前に叩き潰すよ。キケンだけど、ちょっと急ぎで進もうか」

 

 それから十五分後。私たちはなんとか敵に見つからないまま丘のふもとまでたどり着いていた。けっこう急いだけど、それでも思った以上に時間がかかってしまった。地面を這いずりながら進んでいるのだから仕方ないけどね、匍匐前進は、少しの移動でもかなりの時間を食ってしまう。しかも私は匍匐前進がかなり苦手だった。なにしろ胸がつっかえてしまう。

 そうして時間を食っている間に、敵のオルガン砲は射撃準備を整えつつあった。丘の頂上に近い場所で砲列を敷き、その周囲では砲兵たちが忙しそうに装填作業を進めている。いくつも砲身があるオルガン砲だから、装填にはなかなかの時間がかかるみたい。

 

「……」

 

 私は無言で敵情を観察した。相手が布陣している丘は、樹木もほとんど生えていない小さなもの。それでも、相手が高所に居るぶんとても攻めづらい。坂道は突撃の衝撃力を減退させ、稜線は天然の土塁として機能する。丘がどれほど戦術的に重要な地形なのか、身を持って理解できるわね。

 そして肝心なのが、敵の陣容。オルガン砲は二台くらいで、、砲兵の数は一台につき十名くらい。その周りを、丘の守備兵たちが固めている。守備兵は合計五十名ほどで、そのうちの七割が槍兵。で、残りの三割が弩兵。弩兵も怖いけど、槍兵も油断はできない。近接戦じゃ銃剣付きライフルより彼女らの持っている長槍のほうが強いからね。

 対するこちらはライフル兵が三十名。頭数では完全に負けてるね。全員がライフルを装備してるから、火力ではこっちが上だけど。でも、やっぱり戦闘では数がモノを言うからね。こちらの不利は免れないカンジ。エルフたちなら、余裕でひっくり返せる人数差だろうけど、残念ながら我が部隊にはエルフは一人しかいない。しかも彼女は百歳未満の"若造"で、一般的なエルフ兵ほどは強くない。参っちゃうね。

 

「レナエル、指揮官狙える?」

 

 私の言葉に、猟兵狐は「ちょっと遠い」と端的に答えた。彼女の銃は長銃身の特別製で、射程も精度も私たちの使う歩兵銃よりも上。だから、特定の人間だけを狙い撃つような芸当だって出来る。こういった特技兵のことを、お兄様は選抜射手(マークスマン)と読んでいた。

 とはいえ、彼我の距離は歩兵銃の有効射程ギリギリという感じで、流石にひとりを狙い撃ちにするには遠すぎるみたい。私は思案しながら、敵陣を観察した。ほとんどの雑兵は民兵か貧乏傭兵という感じのパッとしない感じの連中だけど、唯一指揮官らしきヤツだけは立派な甲冑を着込んでいる。とはいえ今は兜をかぶっておらず、頭は丸出しだった。コイツを最初に排除すれば、戦いは随分と楽になるはず……。

 

「よし、じゃあレナエルたちだけ先行して、指揮官を狙撃して。アンタが撃つのを合図にして、こっちも擾乱(じょうらん)射撃をかけるから」

 

 小隊が雁首揃えてこれ以上の接近を目論めば、たぶんあっという間に敵に発見されてしまうと思う。けれど、レナエルとその助手の観測手の二人なら、何とかなるはず。私の言葉に、彼女は少し躊躇してから頷いた。

 

「狙撃の成否にかかわらず、一発撃ったらすぐに退避してこっちに合流してね」

 

「わかった」

 

 レナエルはそう答え、観測手を伴いながら匍匐前進のままゆっくりと敵陣に近づいていった。その間に、私たちは射撃準備を整える。歩兵銃の撃鉄を半分だけ上げ、ニップルに雷管をくっつける。それから改めて最後まで撃鉄を上げ切って、射撃準備は完了。

 そうしている間にも、私の額には冷や汗が滲んでいる。今のところ敵には見つかっていないけど、いつ見張りに気付かれるか気が気じゃない。心の中では、極星への祈りが渦巻いていた。

 どうやら、その祈りはキチンと星まで届いたらしい。敵が私たちを発見するより早く、丘の周囲に鋭い銃声が響き渡った。頭を撃ち抜かれた敵指揮官が、バタリと倒れたのが見える。狙撃成功! 私は心の中で快哉を叫びつつ大声を出した。

 

「総員、立ち上がれ! 一斉射撃用意! 目標、敵砲兵!」

 

 そして自らも立ち上がり、歩兵銃を構えた。敵は突然のことに混乱している。数名の見張りがやっと私たちの接近に気付いてこちらを指さしているけど、もう遅い。私は右往左往する敵砲兵の集団に、照準を定めた。

 

「撃て!」

 

 号令と共に、引き金を引いた。

 

 



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第447話 義妹騎士の奮戦(3)

 レナエルによる敵指揮官の狙撃は成功した。敵は混乱しているが、このままでは単独で先行しているレナエルが袋叩きにあってしまう。彼女の後退を援護するため、私は敵部隊への追撃を賭けることにした。

 

「撃て!」

 

 耳が痛くなるような轟音と、刺激臭のする白煙。そして肩を襲う痛いくらいの反動(リコイル)。発砲煙に視界を遮られつつも、射撃目標として指定した敵砲兵が何人もバタバタと倒れたのが見えた。

 

「偽装解除! 再装填急げ!」

 

 初撃は大成功。だけど、敵にこちらの存在が露見した以上はすぐに反撃が来る。彼我の距離は三百メートルほど。ライフルで一方的にアウトレンジ攻撃を仕掛けられる期間はそう長くはない。私は内心焦りながら、擬装用の迷彩布を脱ぎ捨てた。腰のポーチから弾薬を取り出そうとするが、手を滑らせ落としてしまう。

 

「小隊長殿!」

 

 慌てて拾おうとしたところで、先任軍曹が叱責めいた声を上げた。私はハッとなって手を止める。彼女が気を利かせてくれたおかげで、弾薬は定数より多く持ってきている。一発くらい捨てたところで痛くはない。今は弾薬よりも時間を惜しむべきだ。

 私は小さく息を吸いながら、ポーチから新しい弾薬を取り出した。薬包紙に包まれたそれを犬歯で噛みちぎり、中の火薬を銃口へと流し込む。手が震えて火薬をこぼしそうだが、なんとか耐えた。そのまま残りのカートリッジをひっくり返して銃口に半分だけ突っ込み、紙をちぎる。すると、ドングリ型の鉛玉の頭だけが露わになった。それを、銃身下に収納されている棒で押し込む。

 あとは撃鉄を上げて、雷管を新品に交換すれば再装填完了。訓練ならば二十秒程度で終わる手順だけど、焦りのせいかたっぷり三十秒以上はかかってしまった。けれど、再装填に手間取ったのは私だけではなかったよう。部下たちもみな、再装填には訓練の時よりもはるかに時間がかかっていた。本当はいけないことだけど、自分だけ遅れたのではないことに私は内心ほっとしていた。

 

「三班、再装填完了!」

 

「二班、同じく!」

 

「少しお待ちを、小隊長殿。……おい、早くしろ!」

 

 小隊に三つある班からそれぞれ報告が上がってくる。ちなみに一班の班長は小隊長が兼ねることになってくれているけど、実際に統率しているのは先任軍曹だ。

 

「やっと終わったか、遅いぞ! 一班、装填完了です」

 

「よし、構え! 今回より交互撃ち方!」

 

 私はそう叫びながら、白煙でシバシバする目を見開いた。突然指揮官を失い、さらに集中射撃を浴びた敵は混乱している。慌てて逃げ出そうとしている者までいる始末だ。幸いなことに、敵の練度や士気はそれほど高くはないらしい。

 だがそんな中にも闘争心にあふれる者もいるようで、隊列を整え、反撃の準備をしようとしている槍兵の一団がいる。狙うならあの連中ね。私は彼女らを指さし、「目標、敵槍兵の先頭集団!」と叫んだ。

 

「風術はどうすっど?」

 

 そんなことを聞くのは我が部隊唯一のエルフであり、魔術師でもあるリケだった。彼女は風の魔法で視界を遮る白煙を取り除こうか? と聞いているのだった。確かに火薬から生じる白煙は濃密なミルクのようで、照準の邪魔になること甚だしい。射撃の際は風術を用いて可能な限り煙を排除すべし、と歩兵用の教本にも書かれている。しかし、私は首を左右に振った。

 

「煙は相手への目くらましにもなる。風術はまだ不要よ」

 

「承知」

 

 こっちの頭数は三十人で、相手よりもかなり少ない。数を頼みに総員突撃、なんて真似をされればかなり危ない盤面になってしまう。相手にこちらの数を悟らせないためにも、煙幕の維持は有効な手だと思う。……たぶん。とりあえず完全に視界がなくなるレベルの煙が立ち込めるまでは、風術は使わないでおこう。

 

「一班より射撃開始、撃てッ!」

 

 号令と共に、再び発砲。ただし、今回は小隊全員ではなく、十人ずつ順番に撃つやり方だった。私たち一班が射撃を終えて再装填を始めるのと同時に、二班が射撃を始める。そしてそれが終われば、三班の番。三班が射撃を終える頃には、私たち一班の再装填が完了しているという寸法ね。

 そんな連続射撃を浴びた敵槍兵の先鋒はひどいことになった。射撃音が鳴るたびにバタバタと兵が倒れ、地面を地に染めていく。魔装甲冑(エンチャントアーマー)も塹壕も持ち合わせていない彼女らは、銃弾に対してはあまりにも無防備だった。

 そして一方的に同僚が撃ち殺されていく状況で、戦意を保てる人間などいない。あっという間に敵は恐慌状態に陥った。槍兵も弩兵も砲兵も、武器を捨てて逃げ出し始める。本来ならそれを咎めるべき指揮官も、すでにこの世のものではないからね。どうしようもない。恐慌は恐慌を呼び、反撃を継続しようという敵兵は誰も残らなかった。

 

 

「射撃中止! 射撃中止!」

 

 蜘蛛の子を散らすように逃げ去る敵兵たちを見ながら、私は号令を出した。内心、ほっと安堵している。思ったより簡単に敵を撃退することができた。遠距離から一方的に攻撃を仕掛けたわけだから、当然こちらの損害はゼロ。圧倒的勝利ってヤツ。ライフルさまさまだわ。

 

「相手が烏合の衆で助かりましたな」

 

 部下たちがわあわあと歓喜の声を上げる中、隣の先任軍曹がボソッと言う。勝利の喜びに水を差すような口調だった。しかし、私は気分を害することもなくコクリと頷いた。

 

「相手が気合の入った連中だったら、こうはいかなかったでしょうね。民兵だか傭兵だか知らないけど、やる気のない奴らで良かったわ……」

 

 今回の勝利は、初手の指揮官排除と敵自体の戦意の低さがかみ合ったゆえのことだ。装備や士気次第では、もっと強烈な反撃が来てもおかしくはなかった。相手が損害を度外視した突撃を仕掛けてくるような連中だったら、こちらも損害は免れなかったと思う。銃剣があるとはいえ、槍兵が相手では流石に白兵戦は分が悪いしね。

 

「ま、何はともあれ勝利は勝利。うまく言って良かったわ。レナエルは大手柄ね、あとで感状を申請しておきましょ」

 

 私はちらりと遠くを見ながらそう言った。そこには、助手を伴ってこちらに寄ってくるレナエルの姿があった。

 

「落ち着いておられますな。流石は騎士殿」

 

 感心したように言う先任軍曹に、私は苦笑しながら自分の手を見た。手袋に包まれた私の手は、小刻みに震えている。鎧袖一触の勝利を得た後も、私の頭の中には"作戦が上手くいかなかったとき"の想像が渦巻いていた。いくら楽勝でも、やっぱり実戦は怖い。私は新米だけど、負け戦だって経験している、一度の勝利で浮つけるほど楽観的にはなれなかった。

 

「そういう風に見えるんなら、良かったけどね」

 

「ハハハ……流石はあの城伯様の妹殿ですな」

 

 先任軍曹はいかつい顔に笑顔を浮かべ、私の背中を叩いた。結構な威力の一撃だった。私はつんのめりかかり、それを見た部下たちが大笑いする。思わずヘヘヘと笑い、頬を掻いた。戦場とは思えない和やかな空気。しかしそれを、部下の一人の声が切り裂いた。

 

「後方より敵接近! 騎兵です!」

 

 慌てて後ろを振り返ると、そこには敵側の軍旗を掲げてこちらに接近してくる騎兵集団の姿があった。皆が皆、立派な甲冑で全身を固めている。重装騎兵だ。それがなんと、五十騎。彼女らは一直線に我々に向けて進撃してきている。

 

「ぴゃッ……!?」

 

 私は思わず、顔を引きつらせた。重装騎兵といえば、あらゆる兵科の中でも最強の一角に数えられる本物の精鋭だ。先ほどの雑兵どもとは練度も装備も比べ物にならない。もちろん、士気もね。

 こいつらはもともとが危険極まりない騎兵突撃を生業とする連中だから、少しばかり鉄砲を撃ち込んだところで決して怯んではくれない。塹壕も馬防柵もなしに重装騎兵五十騎を撃退しようと思えば、最低でもライフル兵一個中隊は必要だ。ところが、こちらは僅か一個小隊。そして支援がもらえる位置に味方部隊はいない。

 ヤバい。マジでヤバい。これでは、私たちがさっきの敵の雑兵どもと同じ目にあうことになる。案の定、部下たちは迫りくる騎兵を見て明らかに動揺している。勝利の余韻など既に完全に吹き飛んでしまっていた。当然と言えば当然だ。歩兵にとって、奇襲を仕掛けてくる騎兵なんてのは天敵のようなものだ。その蹄の音を聞いただけで、ヘビに睨まれたカエルのようになってしまう。

 私は無意識に自分のライフルをぎゅっと抱きしめていた。一難去って一難とは、まさにこのことだ。ああ、まったく。やっぱりこんなことになるんじゃないの。だから敵中に突出して丘の確保なんてやりたくなかったのに……!



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第448話 義妹騎士の奮戦(4)

 私は冷や汗をかきながら、内心うめいた。せっかく丘に布陣していた守備兵をアッサリ退けることができたというのに、まさかそこへ間髪入れずに騎兵が襲い掛かってくるとは。まったく、なんたる不運だろうか。

 ……いや、単なる不運ではないかもしれない。この丘は単なる寄せ餌で、我々がここを奪取すべく攻撃を仕掛けてきたら、すぐさまカウンターとして騎兵隊を出撃させる手はずになっていた可能性もある。守備兵がアッサリこの丘を明け渡したのは、騎兵の攻撃の邪魔にならないようにするためだったということ……?

 

「小隊長殿! ご命令を!」

 

 先任軍曹の声が、私の意識を現実に引き戻した。いけない、今はそんなことを考えている場合じゃない。どうにしかして、敵騎兵の魔の手から逃れなくては。私は頭をブンブンと振って、敵騎兵の方を見た。幸いにも、敵はまだ突撃陣形を形成している最中で、本格的な突撃に移るまでにはまだ猶予がある。

 

「逃げましょうよ、隊長!」

 

「あんな数の騎兵とぶつかって勝てるわけがない! もうおしまいだ!」

 

 部下たちは明らかに浮き足立っている。騎兵は歩兵の天敵だ。準備万端に待ち構えていれば逆襲することも不可能ではないが、今のような状況で騎兵突撃を喰らえばひとたまりもない。まして、相手の数はこちらの頭数よりも多い五十騎だ。私たちは僅か一撃でズタボロにされてしまうだろう。

 

「馬鹿言え! 相手は騎兵だぞ。尻尾巻いて逃げたところで、ケツに槍をぶっ刺されて死ぬだけだぞ!」

 

 ベテラン下士官たちが、動揺する兵たちを叱咤している。けれど効果は薄く、動揺は収まらない。突撃を受ける前に士気崩壊を起こしてしまいそうな、なんとも危険な雰囲気だ。このままでは、今度は私たちがさっきの守備兵どものように諸手を上げて逃げ出す羽目になってしまう……。

 

「……」

 

 ああ、怖い。手の震えが止まらない。私はぐっと手を握り締め、脳裏にお兄様の姿を思い浮かべた。お兄様は、どんな危機的状況でも悠然としている。この人には恐怖という感情がないのか、そう思ったこともあるくらいだ。

 けれども、お兄様は言っていた。本当は自分だって怖いのだと。やせ我慢をしているだけだと。だったら、私にだってその真似事くらいはできるはずだ。歯を食いしばり、思考を巡らせる。私の肩には三十人の部下たちの命が乗っている。

 うう、どうしようか。馬防柵や塹壕のない状態で騎兵と相対する場合、方陣を組むのが最適解だと教本には書いていた。方陣は四角い密集陣形で、極めて防御力が高い。けれども、こちらの兵力は僅か一個小隊に過ぎず、五十騎の騎兵の突撃を受け止めるには圧倒的に頭数と火力が足りない……。

 

「……アレを使おう!」

 

 私は、敵が放棄した二基のオルガン砲を指さして言った。この兵器は、小さな砲弾を大量に同時発射する代物だ。普通の一粒弾よりは、対集団戦に向いた性能をしている。騎兵とはいえ、突撃陣形のド真ん中に撃ち込まれればタダでは済まないはず。

 

「いけません、小隊長殿!」

 

 だが、先任軍曹はこのアイデアには反対のようだった。彼女は血相を変え、首をブンブンと振る。

 

「この土壇場で敵が遺棄していった兵器を使うなど、危険すぎます。我々は砲兵ではありません、暴発させてしまうやも……。それに罠が仕掛けられている可能性もあります!」

 

 ……確かに、それはその通り。あの神様みたいな先任軍曹がこう言ってるんだ、このアイデアは駄目だ……。そんな考えが、頭の中を駆け巡る。でも、他に冴えたアイデアなんか湧いてこない。そしてそれは、先任軍曹も同じだろう。いい作戦があるのなら、さっさと献策してくるはずだし。

 

「そりゃあ危険はキケンだろうけど、このまま無策に敵騎兵とぶつかるのとどっちが危ないの!?」

 

 私はそう叫んだ。先任軍曹はウッと呻いて、逡巡する。実際、このまま敵の突撃を受ければ全滅は避けられないからね。オルガン砲を使おうが使うまいが、実際のところのリスクは大差ないような気がする。

 

「逃げても死ぬ! 立ち向かっても死ぬ! ならば私はせいぜいあがいてから死にたい!」

 

 私はそう叫んで、もう一度オルガン砲を指さした。

 

「私はカリーナ・ブロンダン! リースベン城伯アルベールの義妹! お兄様仕込みの砲術を見せてあげる! ついてきなさい」

 

 言い切ってから、私は部下たちの返事も聞かずにズンズンとオルガン砲に向かって走り出した。部下たちはざわついたが、やがて私の背中を追いかけ始める。内心、私はほっとした。

 オルガン砲は、丘の中腹でそのまま放置されている。気合を入れて丘を駆け上がり、にわか作りの砲兵陣地へとたどり着いた。慎重にオルガン砲へと近寄り、ブービートラップの類が仕掛けられていないか確認する。……よかった、大丈夫そう!

 

「大砲なんぞ触ったこともないんですが、大丈夫ですか」

 

 追いついてきた先任軍曹が渋い表情で聞く。偉そうな啖呵を切っておいてなんだけど、私だって大砲のことなんか座学でしか知らない。けれど、そんな事情はおくびにも出さず自信ありげに頷いた。

 

「たぶんね。大砲なんて、小銃をそのままでっかくしただけのシロモノよ。何とでもなる」

 

 そう言って私は接近する騎兵のほうをちらりと確認した。彼我の距離はすでに五百メートルを切っている。騎兵の足なら、接敵まではもう猶予がない。はやく迎撃準備を整えなくては。

 

「小銃の再装填が終わってないものは装填を急いで! 終わってるヤツは操砲を手伝って!」

 

 兵士たちに指示を出し、私はオルガン砲の砲口を坂の下へと向けさせた。そしてポーチからカートリッジを二つ出して噛み切り、その中身を大砲の根本にある火門という穴に流し込む。オルガン砲は大量の砲身を束ねた構造になっているけど、火門は一つのみであり、これに着火すればすべての砲を同時に斉射することができる構造になっていた。もう一つの砲も、ロッテに命じて発射準備を整えさせる。

 

「こ、これ、装填終わってるんですかね」

 

 兵士の一人が、そのたくさんある砲身を指さしながら言った。このオルガン砲は一基につき十門もの砲身がついている。一つ一つに弾を装填していたら、迎撃が間に合わない。

 

「大丈夫よ。あの砲兵どもは私たちの方に向けてこれを撃とうとしていたもの。とっくに装填は終わってるはずよ」

 

 などと私は胸を張って言うが、本当のところは自信はない。なにしろ、砲兵どもが実際に装填作業をしている姿は確認していないのだ。内心ドキドキしつつ、私は兵士に命じて地面に落ちていた棒を持ってこさせた。その棒の先端には、着火済みの火縄がくっついている。私の知識が確かなら、従来型の大砲はこういう棒を使って撃発させる仕組みだった。

 

「総員着剣!」

 

 全員が小銃の再装填を終えたようなので、銃剣を付けるように命じる。私の作戦が万事うまくいったところで射撃だけで敵を撃退できる可能性は毛ほどもない。最後は白兵戦になるだろう。

 

「敵騎兵、距離三百!」

 

 見張り兵が叫ぶ。私はねばついたツバを飲み込んだ。三百メートルと言えば、歩兵銃の有効射程内。そして軍馬の全力疾走が可能な距離でもある。敵の騎兵たちは愛馬に鞭を入れ、猛烈な加速を始めていた。

 それを見た私はもう一度ツバを飲み下して、「大砲の発射は私とロッテがやる! みんなは射撃隊形に!」と叫ぶ。本当ならば最後まで照準の微調整なんかをやらなきゃならないんだろうけど、そもそもこの大砲にはマトモな照準器がついていないように見える。それっぽい方向に適当に発砲するしかない。

 私の命令に従い、部下たちは大砲の両脇に扇形に展開して小銃を構えた。彼我の距離は残り二百。騎兵たちは丘のふもとにまで接近してきていた。軍馬は既に最高速度だ。敵はほとんどが重装の槍騎兵で立派な甲冑と長大な槍が太陽の光を受けてギラギラと輝いている。

 密集隊形を取った彼女らは、ほとんど高速で前進する要塞のようなものだった。そんなものがこっちに向かってぐいぐいと加速してきているのだから、本当に恐ろしい。蹄が地面を蹴る振動が足元から伝わってくる。いや、恐怖のあまり前後不覚になってふらついているだけかもしれない。とにかく、おしっこを漏らしてしまいそうなほど怖かった。

 

「じっくり引き付けろ! まだ撃つなよ!」

 

 さすがに焦りの見える声で先任軍曹が命じた。私は火縄つきの棒をぎゅっと握り締める。冷や汗が背中を伝う感触が気持ちが悪かった。

 

「あと百二十メートル!」

 

 見張りの声に、私は手に持つ棒を震わせた。鉄砲隊には百メートルで発砲を命じる腹積もりだった。そろそろ大砲を打った方がいいかもしれない。

 

「ロッテ! 大砲発射!」

 

 そう命じた瞬間だった。敵騎兵と一団がぱっと散開し、二方向に分かれた。敵は最初からオルガン砲の発砲を予測していたのだ! あっと思って火縄を火門に押し込むがもう遅い。派手な発砲音とともに発射された砲弾は、すべて空を切った。私の大砲もロッテの大砲も、一発たりとも命中しなかったのだ。その発砲音で敵の軍馬が驚き、隊列を乱れさせたが、二基の大砲の戦果はそれだけだった。

 「ひっ」と、引きつったような声が喉奥から出る。ああ、駄目だった。けれど、最後まであきらめてはならない。「小銃、撃て!」と大声で命じる。部下たちが一斉に歩兵銃を撃った。それと同時に五騎ばかりの騎兵が落馬したり馬ごと倒れたりして隊列から落伍するが、突撃の勢いは減じるどころか増すばかりだった。鋭い馬上槍の穂先が我々に迫る。

 

「……ッ!」

 

 万事休すか。そう思った瞬間、私はふとあることに気付いた。遠くから、音楽が聞こえてくる。聞き馴染みのない音色だ。少なくとも、軍隊でよく使われている軍鼓や信号ラッパの類ではない。もっと柔らかくも勇壮な、木管の音……。こんな危機的状況だというのに、私はそれが妙に気になった。

 

「バグ……パイプ?」

 

 竜人《ドラゴニュート》たちの生まれ故郷と言われる西の島国、アヴァロニアに伝わる伝統楽器バグパイプ。ガレア王国ではすでに廃れているはずのその楽器が、なぜこんな戦場のド真ん中で? そう思った瞬間、今度は鋭い発砲音が私の耳朶を叩いた。それと同時に、最終加速に入っていた敵騎兵がバタバタと倒れ始める……。



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第449話 義妹騎士と覇王系妹

 頼みの綱であるオルガン砲は回避され、小銃射撃も大した効果は無かった。万事休すかとあきらめかけたその瞬間、間近まで迫っていた敵騎兵隊は突然に猛射撃を浴びた。突撃のために密集隊形を組んでいた敵騎兵隊はこれを回避できず、バタバタと倒れていく……。

 

「ッ!?」

 

 私は息をのんで周囲を見回した。我が小隊はとうに射撃を終えている。つまり、今の攻撃は別の部隊から放たれたものだ。しかし、援護の届く範囲に味方部隊がいるという話は聞いていなかったのだが……。

 

「あれは」

 

 そして私は、援護の主を発見した。騎兵部隊だ。鋼色に輝く甲冑を身にまとった騎士たちが、騎兵銃や馬上槍を手に敵部隊を斜め後ろから猛追している。彼女らの掲げている旗に、私は見覚えがあった。スオラハティ家の家紋だ。

 この戦場に、スオラハティ家の家紋を帯びている部隊は一つしかない。ソニアお姉様の妹、ヴァルマ様率いる騎兵隊だ。それに思い至って、私はハッとなった。ヴァルマ様の部隊は、私たちが担当している左翼側の戦線の最外縁を守備している。おそらく、敵騎兵隊の出陣を見て救援に来てくれたのだろう。

 ヴァルマ騎兵隊による救援は私たちにとっては福音だったが、敵にとってはとんでもない凶報だった。騎兵はひとたび突撃を始めればまともに回避運動が出来なくなる。そんな状態で騎兵銃による猛射撃を浴びたのだから、たまったものではない。陣形を千々に乱す敵騎兵隊に、ヴァルマ隊はさらに騎兵銃による第二射を加えた。

 

「騎兵隊の参上ですわよ~!」

 

 見ればわかることを叫びながら、ヴァルマ騎兵隊は愛馬に鞭を入れぐいぐいと加速した。上り坂だとは思えない猛烈なスピードで、敵騎兵隊よりも明らかに早い。相当に質の良い軍馬を使っているのだ。

 彼女らの先鋒を務める槍騎兵が、いよいよ敵騎兵隊へと接触した。槍騎兵は敵兵の背中を馬上槍で突いたが、相対速度が低いので甲冑は貫けず落馬させる程度の威力しかない。それでも、やられた方はたまったものではない。彼女らは悲鳴を上げながら、次々と鞍から突き落とされていった。

 

「うわ……」

 

 私は思わずうめき声を漏らした。槍騎兵による一撃を終えたヴァルマ騎兵隊は、追撃としてマスケット騎兵によるピストル射撃を行い始めたからだ。槍騎兵の攻撃から逃れた者たちも、次々と愛馬に弾丸を撃ち込まれて落馬していく。なんともエグいやり方の攻撃だった。お兄様をして「ヴァルマはヤバい」と言わしめるだけはあるわね……。

 こうなるともう、敵も我々に対する攻撃どころではなくなってしまう。生き残った敵騎兵は慌てて逃げ始めるが、もちろんスオラハティ騎兵隊は逃亡者の熾烈な追撃を加えた。誰一人生きては返さない、と言わんばかり様子だだ。

 

「なんです、アレ……」

 

 突然の逆転劇に小銃を構えたまま困惑していた先任軍曹が、ヴァルマ騎兵隊の一団を指さして言った。彼女の視線の先を見て、私も絶句する。その一団の中に、武器も手綱も持たずバグパイプ(数本の木管が生えた奇妙な形状の楽器だ)やら太鼓やらを抱えて演奏している騎士たちの姿あったからだ。

 バグパイプの音色の出所はアレか! パレードじゃあるまいに(というかパレードでも騎馬楽隊なんて見たことない)、なんで実戦中にあんなことをしてるんだろうか……。ヴァルマ様の"スオラハティ三姉妹の頭がおかしい方"という評判は、どうやら誤りではないらしいわね……。

 

「なんだろう、わかんない……」

 

 そう答える他なかったが、まあ何はともあれ窮地を脱したのは確かなようだった。もはや敵は逃げに入っており、こちらへ攻撃するどころではなくなっている。私は安心のあまりへたり込みかけたが、持っていた火縄付きの棒を杖にすることでなんとか耐えた。

 

「あなた達~! 見てましたわよ~素晴らしい勇戦でしたわ~!」

 

 そこへ、ヴァルマ騎兵隊のほうから一人の騎士が出てきて私たちに声をかける。フルフェイスの兜をかぶっているせいで顔は見えないけれど、話し方から見てこの人がヴァルマ様で間違いなさそう。

 

「気に入りましたわ~! わたくし様直々に全員分の感状と勲章を出してあげますから、あとで部隊名簿を寄越しなさいな~!」

 

「エッ!」

 

 私は思わず先任軍曹を見た。彼女は無言で私の背中を叩く。どうやら、助け舟は出してくれないらしい。ヤだなぁ、この人を一人で相手にするのはかなりヤだなぁ……。

 

「アッハイ、アリガトウゴザイマス」

 

「でも今は共に勝利の美酒を味わう時間ですわ~! 手柄上げ放題の兜首収穫祭! あなた達も参加しなさいな~!!」

 

 そんな物騒極まりない発言をしたヴァルマ様は、持っていたデカくてゴツくて禍々しい馬上槍の穂先を落馬した敵騎兵の集団へと向けた。馬から落ちた騎兵など、もはや脅威ではない。落下の衝撃でまともに動けなくなった彼女らを、ヴァルマ騎兵隊の者たちは馬上から槍や剣で"処理"しはじめていた。

 え、エッグいことを朗らかに言ってくれるわねぇ、この人……怖……。ま、まあでも、手柄を上げさせてくれるのは有難い。甲冑を着込める身分の者の首級、すなわち兜首は雑兵の首などとは比べ物にならないほどの価値がある。戦果だけじゃなくて、報奨金も貰えるしね。

 兜首を分けてくれるというヴァルマ様の言葉に、部下たちは現金にも目を輝かせ始めた。こうなると、隊長としては首を横に振るわけにはいかない。私は密かにため息をついてから、もう一度「アリガトウゴザイマス」と言った。

 

「えっーと、その……救援ありがとうございました」

 

 それから、三十分後。私は例の丘の頂上で、私はヴァルマ様に頭を下げていた。騎兵隊の脅威は過ぎ去り、状況は落ち着きを取り戻しつつあった。あれほど恐ろしかった敵騎兵隊は死者二十六名、捕虜十四名もの損失を出しており、逃げ延びることができたのは僅か十人程度だった。ほぼ壊滅といっていい数字ね。

 対するこちらの損害はゼロで、終わってみれば圧勝としか言いようのない結果だった。一時は全滅も覚悟したというのに、びっくりだわ。まあ、これは自分たちの頑張りというよりヴァルマ様の救援のおかげなんだけど。

 

「気にする必要はありませんわ~! むしろお礼を言いたいくらいですのよ。あなたたちが踏ん張ってくれたおかげで、あれだけの数の騎兵を一方的に殲滅できたんですもの~!」

 

 そう言ってヴァルマ様は、バシバシと私の肩を叩く。甲冑のおかげで痛くはないけど、結構な衝撃が来る。

 

「いや、まあ、その……大したことはできませんでしたし……」

 

 私はそう言って、目を逸らした。確かに私たちは踏ん張ったけど、実際のところ大したことはできなかった。オルガン砲は命中せず、小銃射撃も大した効果は無かった。あのままヴァルマ様による救援が無ければ、一方的にやられていたのは私たちの方だっただろう。

 

「逃げずに踏みとどまった、それだけでも十分ですわ~! あなた達が逃散していたら、敵は追撃のために部隊を分けていたハズですもの。各個撃破を狙うほどの敵でもなし、一か所に固まってくれてたほうがまとめて片づけられるから楽ですわよ~!」

 

 破顔しながら、ヴァルマ様は私の頭をぐりぐりと撫でた。相変わらずなんかおかしいテンションだ。クスリでもキメてるのかな……

 

「ところでアナタ、お名前は?」

 

「カリーナ・ブロンダンです」

 

 コホンと咳払いをしから、私は正直に名乗った。総大将の義妹だぞ、私のことを知らないのか!? とは言わない。何しろ今の私は例のミノムシのような恰好のままで、おまけに顔には茶色や緑のドーランを塗りたくってるからね。親しい人でも、一目見ただけでは私が誰だかわかんないと思う。

 

「ああ! アルベールの義妹の! 話は聞いてますわ~! 駄姉の言う通り可愛いですわね~! アルベールの妹ならわたくし様の妹と同じ! 姉妹同士仲良くしましょ~!」

 

 そう言うなり、ヴァルマ様は私を抱きしめる。なにしろ相手はソニアお姉様に負けず劣らずの偉丈婦、少しばかり背の低い私では抵抗のしようがなかった。

 

「せっかく姉妹が合流できたんですもの、二人して戦果を稼ぎまくりますわよ~! カリーナ、もう一回敵騎兵をつり出してきなさいな!」

 

「えっ、なんで……」

 

「敵は低練度の雑兵をオトリにして、そこを騎兵隊で叩く作戦に出ていますわ。それに引っかかったフリをして敵の主力を引っ張り出し、わたくし様がそれを横合いからぶん殴る! 後に残るのは砲兵の餌みたいなクソザコナメクジだけって寸法ですわ~! 我ながらカンペキな作戦でしてよ~!」

 

 つまり……さっきと同じような真似をまたやれってコト!? というか、妙にいいタイミングで救援に入ってきたと思ったら、まさかわざと私たちに敵を吸引させてたの、この人!?

 

「まってください! 私たちの任務は、あくまで左翼の保持と敵の包囲運動の阻止ですよ。そんな派手な作戦をする必要は……」

 

「任務はキチンと果たしますわ~! つまり左翼の敵を全員ぶっ殺せば左翼が崩壊したり包囲されたりする心配はなくなりますのよ~! おーっほほほほ!!」

 

 哄笑をあげるヴァルマ様の眼つきは獲物を狙う肉食獣のように鋭かった。う、うわ、うわわ……こ、この人、本気で言ってる……うわあ、ヤバイ人に目を付けられちゃったかも……。

 

 



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第450話 老狼騎士の黄昏

「中央軍司令、リュッタース司教より伝令です。『我苦戦しつつあり。後退許可を求む』……以上です」

 

 伝令兵の言葉に、あたし、イルメンガルド・フォン・ミュリンは吐きそうな気分になった。開戦からしばらくの時間が経過したが、上がってくる報告はことごとくロクなものではなかった。六千対三千、実に二対一の戦いで、あたしの軍は一方的に駆逐されつつある。

 あたしたちが今いる指揮本部は、中央戦線やや後方の小高い丘の上にあった。戦場を一望できる、なかなかの好立地だ。……まあ、今はわが軍が滅茶苦茶にやられている様をつぶさに観察できる特等席と化してるがね。

 

「……後退は許可できない」

 

 盟友ともいえるリュッタース司教の提案を、あたしは事わざるを得なかった。現在、中央戦線は戦場を東西に延びる小川を挟んで敵軍と対峙している。我が方の陣地が北岸で、敵方に制圧されてしまったのが南岸だ。一応当初の防衛線は川むこうに引いていたのだが、そこまで押し込まれてしまったのだった。

 当然のことだが、射撃戦では敵軍の方に分がある。間に川が横たわっている以上白兵戦を挑むことはできず、わが軍は不利な戦いを強いられていた。だがそれでも、川ほど有効な防壁はない。これで北岸まで敵の手に落ちてしまえば、敵の突破を阻む方法はなくなってしまう。

 

「あの川は我が方の最終防衛線だよ。敵の渡河を許せばあたしらは一発でお終いだろうね」

 

 どのみち、どれほどあがいたところで手遅れかもしれない。そんなことを思いつつ、あたしは指揮卓の上に乗った地図を指で叩いた。敵軍の攻撃は明らかに戦線中央に集中している。どう考えても、敵の狙いは中央突破だ。

 もっとも、兵力に差がある以上敵側は包囲戦術を使えない。中央突破を図ってくることは、戦端を開く前からわかっていた。だから中央は防御を固め、兵力の優勢を生かして左右から包囲を図る作戦を立てていたのだが……。

 

「左翼(リースベン側から見た右翼)より報告! エルフ兵と思わしき一団が、畑で日干しされていた麦束に次々と放火を始めたそうです! エルフどもは風術を使って火災を煽り、戦場はさながら火焔地獄のような有様になっています。火炎に巻かれぬよう逃げるのが精いっぱいであり、攻勢の継続は不可能だということです」

 

「エルフは森の種族だという話だろうが……! なんで火計なんか使うんだよ……!」

 

 あたしは思わず指揮卓を殴りつけた。ライフルや火砲がたいへんに強力な兵器だということは心得ていたが、エルフがここまでトチ狂った連中だとは思わなかった。雑兵ですらそこらの騎士よりも強い上に、ありとあらゆる手段を使ってこちらを攻め立ててくる。

 なんとかエルフを抑え込もうと虎の子の鷲獅子(グリフォン)まで投入したが、結果はひどいものだった。なんと三騎もの鷲獅子(グリフォン)が弓矢で撃墜されてしまったのだ。もはや打つ手は残っておらず、エルフ兵は好き勝手暴れまくるままとなっている。これほど長い間軍隊でメシを食っているあたしですら、こんなに悪辣な敵と戦った経験はなかった。

 

「弱気に付け込まれましたな」

 

 侮蔑交じりの口調でそんなことを言うのは、あの嫌味なジークルーン伯爵だった。彼女は優雅に豆茶を飲みつつ、味方に向けるものとは思えない酷薄な目つきでこちらを見てくる。

 

「僅か三千の敵に対し、貴殿の作戦はあまりに積極性に欠けております。間違いなく、劣勢の原因はこれでしょう。どれほどの偉丈婦も、腰が引けていれば小兵に足をすくわれることもありますからな」

 

「……」

 

 あたしは無言で、隣に居た女の肩を掴んだ。彼女が、剣を抜こうとしたからだ。

 

「バカ娘。すぐそうやって頭に血が上るから、今の今まであたしは当主の席に座り続ける羽目になっているんだぞ。わかってんのかい」

 

 ジークルーン伯爵に聞こえないよう声を潜めながら、あたしはそう囁いた。剣を抜こうとしたのは、あたしの長女マルガだった。こいつはとにかく直情的で、すぐに手が出る悪癖がある。……いや、マルガのみならず、うちの娘や孫はみなこんな感じだ。あたしの教育が悪いのか? 血筋のせいなのか? それはわからんが、とにかく困っている。

 むろん、あたしとてこんな若造にこんな口のききかたを許すのは業腹だがね。できることなら、率先して剣を抜いて首を落としてやりたいさ。ま、この老いさらばえた身では、斬りかかったところで反撃で殺されるのがオチだろうが。

 

「マルガ、アンタは予備隊を率いて中央の救援に行きな。リュッタース司教を見殺しにはできないからね」

 

「ちっ……あいよ」

 

 不承不承という様子で、マルガは席を立って指揮本部から出ていった。ったく、それがいい歳こいた中年女の態度かね。まったく。……だが、口で抑えたところで、このバカ娘は大人しくはしてくれない。じきにジークルーン伯爵ともめ事を起こすだろう。その前に、戦場に送りこんじまうに限る。

 とにかく、何はともあれここでジークルーン伯爵に喧嘩を売るのは得策じゃない。仲間割れをしつつ戦えるほど敵は弱くないからね。殺意も怒りも胸の奥底にしまっておくことしかできない。……むしろ、いっそ全部の責任をこの若造にぶん投げてやりたい気分だね。そのまま悠々と隠居できれば、どれほど肩の荷が下りることやら。

 ああ、だがそういうわけにはいかない。この戦場の背後にある都は、ジークルーンの街ではなくこのあたしの街だからね。退くわけにも、責任を捨てるわけにもいかない。ああ、まったく。とんだ貧乏くじだ。

 

「フフフ……母娘仲がよろしいようで。大変結構ですな」

 

 それを見たジークルーン伯爵は得意満面だ。……クソめ。マルガほど短期じゃなくとも、あたしの忍耐力だって有限なんだよ。ぶっ殺してやろうか。

 

「ま、年寄りの尻ぬぐいをするのも若者の仕事。あとは私に任せなさい。じきにわが軍が敵右翼(リースベン側から見た左翼)の突破するでしょう。そうなれば、戦局はあっという間に逆転できるでしょうからな」

 

「……ふん、大口を叩くじゃないか。結構結構、朗報を待ってるよ」

 

 実際、この腹立たしい若造が率いるジークルーン軍が支える右翼側は、この戦場で唯一戦況が比較的良い場所だった。勝ちの目があるとすれば、もはや右翼側からの大突破からの包囲しかありえない。認めたくはないが、これが現実だった。

 まあそんな状況で勝利したところで、戦果はすべてこのジークルーン伯爵が総取りすることになるんだろうけどね。ミュリン家の発言力の低下は避けられないだろう。けれども、それでも負けるよりは遥かにマシだ。だからこそ、こんなクソ女がデカイ顔をすることにも我慢せねばならない。

 クソッタレ、ああクソッタレ。どうしてこんなことになっちまったんやら。例え将来の破滅が確定しようと、それを分かったうえでブロンダン家との融和策を取った方がマシだったかもしれない。今日破滅するのと十数年後に破滅するのなら、まだ後者の方がマシだしね。とはいえ、すでに歳は投げられてしまっている。今さらあれこれ言ったところで仕方があるまい。

 

「しかし、ならばこそこんなところで油を売っていて良いのですかな、ジークルーン殿」

 

 少しばかりの恨みを込めて、あたしはそう言ってやった。イヤミを言っている暇があったら、いくさ働きをして来いと言っているのだ。こいつは自軍の指揮を一時部下に預け、この中央指揮本部に顔を出していた。

 中央や左翼の戦況を確認するためという名目だが、まああたしに対して圧力をかけるのが主目的だろうね。どうやらこいつは大真面目に南部諸侯の盟主になるつもりらしい。そのためには、古い歴史を持ち軍事力にも優れたミュリン家は是非とも蹴落としておきたいのだろう。

 

「ふーむ、確かにその通りですな。いい加減、機も熟した頃でしょう。そろそろ、勝利の美酒を味わいに行くとしますかな」

 

 死ぬほど腹の立つ笑顔で、クソ伯爵はそんなことを言い放つ。肥溜めに蹴り倒してやりたいが、ぐっと我慢だ。とにかく、今は勝利を掴むことが第一。小娘に腹を立てているような余裕は……。

 

「敵軍が中央戦線にて渡河を開始しました!」

 

 兵士が本営に飛び込んできて、そんなことを叫んだ。丘の頂上に配置していた見張り員だ。

 

「敵前渡河だと? 大胆不敵な……」

 

 ジークルーン伯爵が苦々しい口調で吐き捨てた。いけ好かない小娘だけど、今回ばかりは同感だね。まあ、無防備に渡河してくれるなら有難い。

 

「残念ながら、ジークルーン軍は火消しに投入せざるを得ませんな。右翼が包囲を完成させるより、中央が突破されてしまうほうが早そうだ」

 

「チッ、情けのない女どもめ。なぜこの私がしりぬぐいなど……」

 

 慇懃無礼な態度すら打ち捨てて、ジークルーン伯爵はそう吐き捨てた。だが、彼女はこの提案を飲まざるを得ないだろう。戦線が完全に分断されてしまったら、今度は彼女の軍が包囲される側に回ってしまうからだ。不承不承という態度で、ジークルーン伯爵が頷こうとした瞬間だった。またも、指揮本部に兵士が駆け込んでくる。今度は、本部付きの見張り員ではなく伝令だった。

 

「報告! 右翼でリースベン軍が逆襲に出ました! ジークルーン軍は敵騎兵隊による突撃を受けて被害甚大、指揮官代理のグレータ・フォン・ジークルーン様は敵将ヴァルマ・スオラハティに討ち取られたとのことです!」

 

 ……やられた! 敵前渡河を始めたのは、右翼側の戦況が逆転したことに連動した動きだったんだ! あたしは舌打ちをしたい気分になった。伝令の移動時間を考えれば、おそらく敵は右翼の優勢を確保してから渡河を決断したハズ。なんと巧みな連携攻撃だろうか、わが軍ではとても真似できない。

 おそらくは相当に呼吸の合う指揮官が複数人いるか、あるいは通常の伝令よりも早い情報伝達手段があるかのどちらかだろう。そういえば敵軍には大量の鳥人がいるという話だったな。鷲獅子(グリフォン)の目をかいくぐり、彼女らを伝令として飛ばす手段でも持っているのだろうか……?

 

「ハ、ハァ!? 冗談はよせ!」

 

 事態は最悪の方向に転がりつつあったが、あたしは顔面蒼白になってそんな叫び声を上げるジークルーン伯爵を見て思わず吹き出した。ああ、いよいよ万策が尽きた。こうなってしまえばもうどうしようもない、すべての希望が砕け散ってしまった……。くく、ははは。一周まわって愉快になって来たな……。いい気味だ、クソ小娘。あんたはあたしと一緒に地獄に落ちるんだよ。



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第451話 くっころ男騎士と独断専行

「右翼の敵戦線は崩壊しつつありますね」

 

 指揮卓の地図を見ながら、ソニアが言った。僕は小さく頷き、思案する。右翼の戦線は、フェザリアの指揮するエルフ猟兵隊が主力となっている。案の定というべきか、士気も練度も高いこの部隊はたいへんな猛威を振るい、右翼側の敵は駆逐されつつあった。

 与えた任務は、あくまで敵の足止めと包囲運動の阻止だったんだけどね……逆襲して攻勢をかけろとか一言も言ってないのになんでガッツリ攻撃仕掛けちゃうかなぁ。しかもなんか放火とか始めるしさぁ……。なんだか頭が痛くなってきたな。

 

「ひひひ……この程度で堪えておったら身が持たんぞぉ?」

 

 僕の背中をポンポンと叩きつつそんなことを言うのは、ダライヤだ。フェザリアと同じくエルフたちのリーダー役をしている彼女だったが、今回の戦争では前線には出ていなかった。彼女はどちらかといえば後方勤務で力を発揮するタイプの人材だ。そこで、参謀として指揮本部に引っ張ってきたのである。

 

「本当にその通りだから困る」

 

 僕は小さく唸って、ため息をついた。まあ、エルフどもはどうやら火災に乗じて進軍してるっぽいからな。おそらく、攻勢は戦場を横切る川のラインで止まるだろう。……しかし、炎なんで誰かれ構わず牙をむくものなのに、よくもまあ火に巻かれながら作戦行動ができるもんだ。エルフどものクソ度胸は他の誰にも真似できないだろうな。

 

「問題はやはりこの仮称・A川だな」

 

 地図に上書きされたばかりの川を見ながら、僕は言った。作戦開始当初に"発見"された、あの川だ。調査の結果、この川のある程度の情報は集まっていた。どうやらこの川は戦場を横切る形になっており、ミューリア市側に侵攻するには必ずこの川を渡る必要があるようだ。川幅はあまり広くはないが、それでも流石に飛び越えて渡れるほどではない。つまり、場合によっては渡河作戦が必要だということだ。

 渡河作戦というのは、あらゆる戦術行動のなかでももっとも困難なものの一つだ。モタモタしていたら対岸の敵から集中攻撃を受けて大被害を被ってしまう。さらに言えば、水を被れば兵たちが携行している火薬類が湿気ってしまうリスクもあった。

 もちろんそれは敵側も理解していて、こちらの主攻である中央戦線では明らかに川を盾にするような動きを見せている。一応ちゃんとした橋もかかっていたのだが、すでにミュリン軍の手によって破壊済みだった。ほかにも小さな橋はいくつか確認できているが、主力部隊が通行できるような代物ではなかった。

 

「川を挟んでの射撃戦ではこちらに分があるが、それでもやはり敵前渡河はキケンだ」

 

 まあこの川は徒歩でもなんとか渡れる程度の深さしかないようなので、損害を無視して強引に突っ込めばなんとか渡河自体はできるだろうがね。ただ、やはり無用な被害は受けたくない。敵も渡河阻止には全力を挙げるだろうしな。窮鼠猫を噛むということわざもある。無意味な力攻めは避けたいところだった。

 

「優勢な右翼と左翼で同時に渡河を始め、敵の迎撃を分散させるという手もあるが」

 

 ダライヤの指摘に、僕は少し考えこんだ。実際、悪いアイデアではない。特に右翼の敵は、火災から逃れるべく慌てて川を渡っているはずだからな。それに乗じて攻撃を仕掛ければアッサリ渡河に成功する可能性もある。

 

「……良い作戦だが、単体で採用するには少しばかり危険性が高いな。相手はこちらの倍もの兵員を抱えている。二か所で渡河を始めても、敵から受ける圧力自体はそれほど減らないかもしれない」

 

「確かにの。……ま、そうは言っても打開策は考えてあるのじゃろ?」

 

「まあね」

 

 想定外の渡河作戦を強いられる羽目になったが、この川は我が領地のエルフェン河などとは比べ物にならない小さな川だ。従来の作戦に少しばかりアレンジを加えれば、十分攻略可能だろう。

 

「では、例の作戦を?」

 

「ああ。まあ、別に渡河のために用意していた作戦ではないんだが……ようするに、敵を麻痺させるのが目的の作戦なんだ。渡河にだって応用はできるだろうさ」

 

 この戦いは、兵力差一対二という過酷なものだ。装備や兵の質ではこちらが勝っているとはいえ、普通に正面から戦っていたのではやはり不利は免れない。そこで僕は、この兵力差を覆すための作戦を用意していた。

 

「飛行部隊の準備はどうか?」

 

 僕がそう聞いた相手は、鳥人代表のウルだ。翼竜(ワイバーン)や鳥人などの飛行部隊はこの作戦の要なのだ。頼もしい事に、彼女はニヤリと笑って頷いてくれた。

 

「問題あいもはん。皆出陣ん時を今か今かと待ちわびちょりますど」

 

「流石だな。だが、知っての通りこの戦場の空の主導権は敵が握っている。容易な戦いにはならないだろうから、心して掛かってほしい」

 

 敵はこの戦場に大量の鷲獅子(グリフォン)を投入している。対するこちらの"制空戦闘機"である翼竜(ワイバーン)は僅か六騎のみ。これでは制空権の確保どころか拮抗すら難しい。

 まあその代わり向こうには鳥人はいないのだが、残念ながら非力な鳥人では束になっても鷲獅子(グリフォン)には勝てない。翼竜(ワイバーン)にしろ鳥人にしろ不用意に戦場に投入すればシャレにならない被害を受けかねないので、現在は全員が地上で待機していた。

 一方、敵は恒常的な制空権を得るためにずっと鷲獅子(グリフォン)を上空で待機させている。むろん時間が立てばたつほど鷲獅子(グリフォン)も騎手も消耗するので、ローテーションを組んで定期的に交代させているようだった。

 つまり、こちらがローテーションを無視した全力出撃をかければ、その瞬間だけは航空優勢を奪い返すことが出来るというわけだ。その間に電撃的な攻撃を仕掛けるというのが、この作戦の本旨だった。

 むろん、敵は即座に地上で休憩している鷲獅子(グリフォン)をスクランブル出撃させてくるだろうが……そこはもう、こちらの航空部隊に踏ん張ってもらうしかない。まあ、うまくやれば敵鷲獅子(グリフォン)部隊の各個撃破も狙えるだろうから、決して分の悪い賭けではないだろう。

 

「むろんじゃ。全身全霊をかけてアルベールどんに勝利を進呈すっ所存。ご期待くれん」

 

 自信ありげな態度で、ウルは悠々と一礼した。僕は破顔して彼女の肩を叩いた。まったく、僕の部下はどいつもこいつも頼りになる連中ばかりだ。指揮官冥利に尽きるね。

 

「しかしそうなると、やはり両翼の敵のロックが作戦第一段階の焦点ですね。中央突破を図った瞬間、両翼から攻撃を受けて突出部を切断されるのが一番怖いわけですし」

 

 ソニアの言葉に、僕は視線を地図に戻した。実際、彼女の懸念は杞憂ではない。中央突破は敵のどてっ腹を槍で貫くような派手な作戦だが、槍の穂先(つまりこちらの主力部隊)をへし折られて各個撃破を図られてしまうリスクも大きかった。それを防ぐためには、突破部隊を包囲しようとする敵の動きを阻止せねばならない。僕が両翼の部隊に敵の拘束を命じているのはこのためだ。

 

「右翼の敵はフェザリアの火計を受けて壊乱状態だ、しばらくは無力化できたとみて間違いない。……と、なるとやはり問題は左翼か。こちらには明らかに敵の主力がいる。この連中の拘束はなかなか骨が折れそうだぞ」

 

 左翼が受けている圧力は尋常ではない。現状維持が精いっぱいで、敵の完全拘束は難しいのではないかという懸念は強かった。……それに、この戦線にはカリーナもいる。部下の手前表立って口にはしていないが、正直かなり心配だった。

 

「……いっそ、予備部隊を左翼の救援に回そうか」

 

 予備部隊は中央突破の際の補助に使うつもりではあったが、突破自体が阻止されてしまえば元も子もない。実際、左翼からは増援の要請も来てるしな。戦略予備の投入は悪い選択肢ではないだろう。……うん、別に義妹が心配で援軍を寄越すわけじゃない。あくまで作戦成功を確実にするための保険だ。えこひいきじゃないぞ。

 

「左翼にはヴァルマがいます。心配すべきは彼女が暴れ過ぎることであって、作戦目標の未達成ではありませんよ」

 

 ところが、我が副官は僕とは違う意見を持っているらしい。その言葉に、僕は指先で自分の額を撫でた。

 

「……それもそうか」

 

 相手はヴァルマだもんなあ……常識は通じないか。あの女はと一見自信過剰に見えるが、負ける勝負にはそもそも最初から乗らないという判断ができる冷静も持ち合わせている。その彼女が普通に作戦を継続しているのだから、負ける心配は皆無とみて間違いない。

 

「ヴァルマ様より連絡!」

 

 噂をすればなんとやら。ソニアと顔を見合わせて苦笑していると、通信兵がそんな報告を上げてきた。

 

「左翼にて敵の主力と思わしき一個連隊の半包囲に成功。これより殲滅に入る」

 

「……」

 

 半包囲って言ったか今。……なんで兵力劣勢の我が方が包囲してんの? えっなんで? 包囲しようとしてたのは向こうだよね? ええ……。

 

「なお、敵指揮官は既に一騎討で斬首済み。中央軍は安心して攻勢を開始されたし。……以上です」

 

「……」

 

 思わず黙り込むと、ソニアがひどく苦い笑みを顔に張り付けながら肩をすくめた。

 

「ね? 言った通りでしょう。暴れ過ぎることの方が心配だって」

 

「ホントだよ」

 

 lくそ、フェザリアにしろヴァルマにしろやりすぎだ。誰がそこまでやれと言ったよ腐れ独断専行女(ワンマンカントウアーミー)どもめ。両翼の作戦テンポが早すぎて、砲兵なんかの足の遅い部隊がついていけてない。軽便な山砲はまだいいが、重野戦砲にいたってはまだ射撃予定地点にすらたどりついていないんだぞ……。

 

「両翼に配置してた部隊が揃って敵の駆逐を始めてるの、一体何なの? 僕が命じたのはあくまで拘束だったはずだぞ……」

 

「ひひっ、狂犬二頭を飼い主の目の届かぬ場所に放すからこうなるんじゃ。オヌシの采配ミスじゃの」

 

「確かにその通りだな。暴れ馬には老練なトレーナーを付けねば……ダライヤ、君にヴァルマのお目付け役をお願いしてもいいかな?」

 

「それだけは堪忍してもらえんか!?」

 

 性悪メスガキババアは首をブンブンと左右に振った。無茶ぶりされたくなければ余計なこと言わなきゃいいのに……。いやまあ、今はうちのババアとじゃれ合っている余裕はない。むこうのババアの逃げ道を塞がなくては。

 

「まあいい。ヴァルマやフェザリアにお説教するのは後回しだ。ジルベルトとアガーテ殿に渡河開始を命じろ! 作戦を第二段階に移行する」

 

 重砲隊からはいまだに射撃予定地点に到着したという報告は来ないが、まあ仕方が無いだろう。彼女らの配置完了を待っていたら作戦のテンポを損なってしまう。幸いにも主力である山砲隊のほうの準備にはそれほど時間がかからないので、いっそこのまま作戦を次へと進めてしまおう。……それに、このまま二人の狂犬を放置していたら、あいつらだけで敵の本陣に突撃していきかねないしな。

 

「はっ!」

 

 通信兵が元気の良い声で返事をし、打鍵をし始める。いやはや、やっぱ電信機は便利だね。命令の伝達のためにいちいち伝令を出していたら、作戦のテンポがめちゃくちゃに遅くなってしまうからな。

 

「それから、ウル。君も麾下の鳥人隊を率いて翼竜(ワイバーン)騎兵たちと共に出撃してくれ。任務は事前に説明した通りだ。困難な戦いになるだろうが、この仕事を任せられるのは君たちを置いて他に居ない。よろしく頼んだぞ」

 

「承知いたした。我らにお任せあれ」

 

「良い返事だ。流石は我らの切り札だな」

 

 実際、彼女らは本当の切り札だった。空陸直協攻撃こそ、わが軍の戦闘教義の真髄だからな。いよいよそれが実戦でお披露目されると思うと、不謹慎ながらワクワクしてくるね。頭上を我が物顔で飛びまわる鷲獅子(グリフォン)どもにうんざりするのもこれで最後になるだろう。アレの地上襲撃はなかなか強烈で、前線部隊も少なくない被害を受けていた。彼女らの犠牲を無駄にしないためにも、ウルらには頑張ってもらわねば。

 ……さて、さて。それはさておき、そろそろ詰めの準備を始めることにしようか。我々の切り札は、鳥人・翼竜(ワイバーン)部隊のほかにももう一枚ある。強烈な最後の一撃をぶち込んで、敵の継戦意欲を折ってやろうじゃないか。



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第452話 カタブツ子爵と渡河作戦

 わたし、ジルベルト・プレヴォは奮起していた。エルフ内戦に介入した時以来の実戦である。やる気が出ないはずがない。前回のいくさでは、わたしはほとんど活躍できなかった。エルフたちが相争っている現場を遠巻きに眺めて、すこしばかり援護射撃をしただけだ。状況的に仕方ないとはいえ、なんとも情けのない話である。

 もともとわたしは、宰相派閥とはライバル関係にあったオレアン公爵家の縁者だ。王都内乱では、主様の指揮する部隊と直接矛を交え、卑劣なやり口の斬首作戦を仕掛けさえした。それでも主様はわたしを許し、幕下に加え、今でははリースベン軍の中核戦力であるライフル兵大隊をも与えて頂いている。この信頼に応えることこそが、わたしの生涯の使命であろう。この戦いは、我が忠誠を示す良い機会になるに違いない。

 ……まあ、当の主様は前線に出ていないのだが。我が奉公を直接主様に見て頂けないというのは、いささか残念ではある。とはいえ、どれほど女々しくとも主様は男性だ。いつまでも前線勤務を続けていては、こちらの神経が持たない。今回のように後方での指揮に専念していただけるのであれば、こちらも安心できるというものだ。

 

「急げ急げ! こんな小川を渡るのに四苦八苦していたら、末代までの恥だぞ!」

 

 真鍮製のメガホンを口に当てながら、部下たちに檄を飛ばす。主様のいる指揮本部から渡河命令が下ってニ十分。我々は戦場を南北に分断する小川を渡ろうとしていた。兵士たちは小銃に水がかからぬようバンザイのような姿勢で愛銃を空に掲げ、慎重に川の中を進んでいる。

 歩いて渡れる程度の水深しかないとはいえ、油断はできない。川の流れは意外と激しく、油断をしていれば足を取られてしまう。さらに川底に沈んだ石にはコケがびっしり生えており、滑りやすい事この上ない。

 

「ウワーッ!!」

 

 案の定、兵士の一人が転倒して大きな水柱があがる。周囲の仲間たちが慌てて助け起こそうとするが、その瞬間対岸の草むらから敵兵の一群が飛び出してくる。その手にはクロスボウが握られていた。

 

「制圧!」

 

 私が叫ぶと同時に、渡河中の味方を援護すべく配置していたライフル兵たちが射撃を始めた。弩兵たちは大半が武器を構える暇もなく撃ち殺されたり逃げ出したりしたが、運がよく気合も入った数名が射撃姿勢を取り矢を放った。

 

「グワーッ!」

 

 川の中に居たライフル兵が一人、肩を撃ち抜かれてうずくまる。わたしが「負傷者の収容と反撃急げ!」と叫ぶと、再び銃声が上がり逃げ出そうとした弩兵が背中を撃たれて倒れ込んだ。こちら側の負傷者は、味方部隊が二人がかりで抱え上げて後送の準備を始める。

 

「敵に川を渡らせるな! とーつげーき、我に続け!」

 

 だが、敵方の攻撃はこれで終わりではない。川を渡り終えたばかりの連中に、今度は槍兵の集団が襲い掛かってきた。援護射撃担当の部隊は既に発砲済みで、再装填の途中だ。すぐには反応できない。

 残念ながら、渡河中や直後のライフル兵が火器類で迎撃するのは不可能だ。装填状態で火薬が湿気ってしまった場合、不発弾の除去にはたいへんな時間がかかってしまう。そのため水に入る際は弾薬を装填しないように命じていたのである。槍兵どもに対抗する手段は、銃剣などの白兵戦用兵器だけだ。しかし当然ながらライフル兵は射撃兵科であり、槍兵を相手に白兵をやらせるのは分が悪かった。

 

「山砲隊! 敵をこちらに近寄らせるな!」

 

 そこでわたしは虎の子の兵器を使うことにした。先ほど渡河現場に到着したばかりの三門の山砲だ。オモチャのような見た目のその小さな大砲は、図体に見合わぬ派手な咆哮を上げて砲弾を吐き出した。砲弾は敵槍兵の直前で空中炸裂し、散弾をまき散らす。まるで巨大な鞭で薙ぎ払われたかのように、敵の隊列は千々に乱れた。

 砲兵隊の切り札、榴散弾の威力はやはりすさまじい。しかし、流石に僅か三門の大砲のいち斉射で敵が殲滅できるはずもない。生き残った兵士はそれなりに多かった。……もっとも、鉄の暴風に打たれて平静でいられるものなどいない。彼女らは明らかに浮き足立っていた。

 

「リースベン軍ばかりに良い所を持って行かせるな! ディーゼル軍いまだ健在と、ミュリンの連中に知らしめてやれ!」

 

 そこへ、我々に先立って渡河を終えていたアガーテ・フォン・ディーゼル殿の部隊が敵残存兵に襲い掛かった。彼女の部隊は槍兵や両手剣(ツヴァイヘンダー)兵などの白兵兵科が主力だ。まともにぶつかっても勝負は五分、ましてや山砲による斉射を浴びた直後ともなれば、一方的な戦いになる。

 ……ああ、うらやましい。わたしも早くあちらへ行って、ああいう風に戦いたいものだ。本音を言えば、一番槍をアガーテ殿に譲ったことを少しばかり後悔している。いや、部下の兵科を考えれば、これが正解だというのはわかっているのだが。……まあ、好いた男に良い所を見せたいという、女のワガママだな。抑えねば。

 

「流石に、敵も気合が入っていますね」

 

 交戦を続ける敵軍とディーゼル軍を見ながら、大隊の首席幕僚が言った。彼女は私が王都のパレア第三連隊で隊長をしていた頃からの腹心で、気心も知れている。だから、その顔には少しばかり苦笑めいた色が浮かんでいた。こちらが浮ついた気分になっているのがバレているな、これは……。

 

「まあ、当然だな。相手も軍人だ、我々との違いは装備と組織のみ。油断していい相手ではない……」

 

 この渡河の成否に、会戦そのものの勝敗がかかっている。それがわかっているからこそ、敵も損害を度外視した阻止作戦に出てきているのだ。優勢だからと言って、気を緩められるものではなかった。

 

「とはいえ、右翼ではエルフも渡河を始めていると聞く。慎重さを失うわけにはいかないが、彼女らの後塵は拝したくないな」

 

「確かに」

 

 首席幕僚はくすりと笑って肩をすくめた。

 

「今次作戦における主攻はあくまで我らです。にもかかわらずエルフに先を越されでもしたら、名門プレヴォ家の看板に泥を塗ることになってしまいますな。兵どもを急がせましょう」

 

「ああ、頼む。……とはいえ、せかし過ぎるのも考え物だ 味方への対抗心で采配を誤っては、主様に顔向けできなくなってしまう。競争は健全な範囲で……だ」

 

 いちおうプレヴォ家もあのオレアン公爵家の係累だ。派閥闘争で足を引っ張り合う門閥貴族どもの姿は飽きるほど見ている。味方同士で足を引っ張り合う愚を、リースベン軍で起こすわけにはいかない。

 

「ええ、もちろん」

 

 とはいえ、相手は経験豊かな実戦派の参謀だ。この程度のことはわざわざ念押しする必要もなく理解しているだろう。わたし軽く笑って、前線に視線を戻そうとした。

 

「北の空に鷲獅子(グリフォン)を確認!」

 

 そこへ、見張り兵の緊迫した声が響き渡る。あわててそちらに目をやると、たしかに鷲獅子(グリフォン)らしき影がいくつか上空に見える。

 

「対空戦闘用意!」

 

 わたしは慌てて命令を下した。鷲獅子(グリフォン)騎兵はたいへんに厄介な敵だ。鷲の頭と翼、そして獅子の肉体を持つ異形のこの生物は、陸戦においても強力無比な威力を発揮する。上空から急襲を受ければ、わが精鋭とはいえタダではすまない。なるほど、敵は渡河の阻止にこの虎の子を投入するつもりらしい。

 

「あれは……」

 

 慌てて望遠鏡を覗き込んだ参謀が、小さく呟いた。

 

「どうやら、味方翼竜(ワイバーン)騎兵が鷲獅子(グリフォン)と交戦に入った模様。上空援護を投入するという指揮本部の話は本当だったようです」

 

翼竜(ワイバーン)か」

 

 わたしも望遠鏡を目に当ててみれば、確かに鷲獅子(グリフォン)集団に襲い掛かる翼竜(ワイバーン)が見えた。だが、明らかに鷲獅子(グリフォン)のほうが数が多かった。我が方の翼竜(ワイバーン)は、全部で僅か六騎しかいないのだ。数の面での不利は免れない。優勢な陸戦とはことなり、上空での戦いは厳しいものになりそうだ……

 

「むぅ……」

 

 案の定、攻守はあっという間に入れ替わった。逃げ回る翼竜(ワイバーン)を、鷲獅子(グリフォン)が追い回す形になっている。これは……不味いぞ。そう思った瞬間だった。

 

「あっ」

 

 雲の切れ間から何か小さいものが飛び出してきて、鷲獅子(グリフォン)の騎手を蹴り落とした。突然騎手を失った鷲獅子(グリフォン)は混乱し、翼竜(ワイバーン)を追うどころではなくなっている。そうこうしているうちに翼竜(ワイバーン)兵が再び攻撃に転じ、竜騎士の細長い槍が鷲獅子(グリフォン)の巨体を貫いた。しかもそんな光景が、あちこちで繰り広げられていた。

 

「あれは一体……」

 

 次々と叩き落されていく鷲獅子(グリフォン)の騎手たちを見てうめき声を上げる参謀。たしかに、なかなかに異様な光景だった。鷲獅子(グリフォン)は、大空の王者とも呼ばれる強力な生物だ。だが、その騎手を次々と叩き落していく影は、人間大の小さなものだ。いったい何が起こっているのか……

 

「鳥人か」

 

 そこまで考えて、わたしはふと思い至った。そうか、これは翼竜(ワイバーン)と鳥人の共同作戦なのだ。翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)の気を引き、その隙に鳥人が奇襲を仕掛けてピンポイントで敵の騎手を叩き落す、そういう戦法なのだろう。

 作戦の事前説明で主様がおっしゃっていた、航空優勢を一時的に奪い返す秘策。なるほど、これがそうか。鳥人は正面戦闘では鷲獅子(グリフォン)にかなわぬが、隙をついた奇襲では戦いようはあるということだろう。なるほど、諸兵科の連携を重視する主様らしい策だ。わたしはすっかり誇らしい気分になった。

 

「おっと」

 

 そこへ、一人のカラス鳥人が飛来して通信筒をパラシュート投下していった。従兵に拾ってきてもらい開封してみると、そこには対岸側の配置されている敵部隊の布陣や数などが詳しく書き記された偵察報告書が入っていた。どうやら、本格的な航空偵察も始まったらしい。これがあれば、敵から不意の奇襲を受ける可能性も大幅に減る。大胆な行動が出来るようになるということだ。

 

「流石は主様、素晴らしい援護だ。……皆、聞け! 空は再び我らのモノとなった! 安心して前へ進め!」

 

 そう言って、私は部下たちに檄を飛ばした。ここまでくれば、勝利の時は近い……。



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第453話 くっころ男騎士と詰めの一手

 渡河成功、損害極めて軽微。その報告を聞いた時、僕はホッと胸を撫でおろした。まあ、中央軍を指揮しているのはあのジルベルトだ。問題はあるまいとは思っていたのだが、やはり渡河は大きな危険を伴う行動だからな。敵軍も川のラインは放棄する気がないようだったので、やはり心配だった。

 とはいえ、報告を聞く限り戦況の推移は極めて順調だった。ジルベルトの指揮するライフル兵大隊のうちA中隊とB中隊、そしてアガーテ氏のディーゼル軍はほぼ完全に渡河を完了させ、現在は橋頭保(きょうとうほ)の確保・拡大に務めている。じき、本格的な攻勢に移るだろう。右翼のエルフ猟兵二個中隊も順調に渡河中だという話だ。

 一方左翼はジルベルト麾下の三つのライフル兵中隊の最後のひとつ、C中隊とヴァルマの騎兵隊が縦横無尽に集まっている。こちらだけは敵の主力が南岸に残っていたので、現在殲滅・掃討の段階に入っているとかなんとか。左翼側に配置した戦力は騎兵大隊一つに歩兵中隊ひとつで、兵力的には六百弱くらいだ。この戦力で千五百名くらいの敵を圧倒しているらしいので、何かおかしいというしかない。

 

「空陸直協攻撃はうまくいきましたね」

 

 鳥人兵が投下していった報告書を読みながら、ソニアが言った。我々は現在、新たな指揮本部を開設している真っ最中だった。前線がだいぶ前進してしまったので、当初の本部では距離が空きすぎてしまったのだ。我々が使っている通信機はあくまで有線式なので、前衛部隊との距離が離れすぎると通信線の長さが足りなくなってしまう。部隊の全身に合わせ、こちらも前に出ていく必要があった。

 ……まあ、前に出たといってもやはり所詮は後方だけどな。時折銃声や砲声が遠雷のように聞こえてくるが、それだけだ。現場主義の僕としてはたいへんに不満なのだが、これ以上戦場に近づくのはソニアが許してくれないのである。どうやらこの副官、有線通信の実用化を機に僕を最前線から引き離す腹積もりらしい。正直勘弁してほしいんだが……。

 

「敵の指揮系統は明らかに麻痺している。いい傾向だな」

 

 僕は各現場指揮官から送られてきた情報を整理しつつ、小さく唸った。航空部隊はうまくやってくれている。彼女らは翼竜(ワイバーン)騎兵と鳥人兵による連携で敵鷲獅子(グリフォン)隊を制圧したあと、航空偵察と並行して対地攻撃を開始していた。その効果が出始めているのである。

 まあ、対地攻撃とはいっても別に爆撃を仕掛けているわけではない。なにしろ無誘導爆弾による爆撃などというものは文字通り二階から目薬を差すようなものなので、とんでもなく命中精度が低い。それを解決するには"下手な鉄砲数撃ちゃあたる"を実行するしかないので、結果頭がクラクラするような量の爆弾が必要になってしまうのである。

 現在の我々の工業力ではそんな量の爆弾は用意できないし、なにより我々の航空戦力は鳥人や翼竜(ワイバーン)と言った飛行生物だからな。爆撃機や攻撃機のように大量の爆弾を装備して飛行、というわけにはいかない。彼女らの装備できる量の爆弾では、かく乱目的のちょっとした嫌がらせ攻撃がせいぜいだ。

 

「ぬふふ、ワシの作戦が上手くいったな。褒めても良いのじゃぞ?」

 

 この問題を解決したのが、ダライヤの献策だった。彼女は、鳥人兵が個人用の武器として使っている足に装着する鉄製のカギ爪を活用することを提案した。これを用いた急降下攻撃は甲冑を纏った騎士にすら有効なことは、前回のレンブルク市の戦いで証明されていたからな。それと同じことを今回もやろうというのである。

 もちろん、この戦法にも弱点はある。鳥人の数はそれほど多くないため、近代戦で爆撃機や攻撃機が担っているような"空の砲兵"のような仕事はとてもこなせない。どちらかといえば、個人をピンポイントで狙い撃つような戦法にならざるを得ないのだ。

 そこでダライヤは、鳥人兵による攻撃を指揮官や伝令兵に絞ることを提案した。つまり、鳥人を空中砲兵ではなく空中狙撃兵として運用することにしたのである。なんともダライヤらしい悪辣な策である。どんな大軍団も、頭脳役の指揮官や神経役の伝令が居なくなれば図体ばかりデカい烏合の衆になり果ててしまう。

 

「こればっかりは褒めざるを得ないな。流石はダライヤだ」

 

 現代戦に慣れた僕の頭では、空中からの攻撃と言えば爆弾を落としたりロケット弾を発射したりということばかり想像してしまう。しかし元来、急降下からのカギ爪の一撃こそが鳥人の攻撃手段の本命なのである。エルフは昔から鳥人と協力して戦ってきた種族なので、やはり鳥人の運用法に関しては一日どころではない長があるようだ。

 

「鳥人兵による指揮官の襲撃は、たしか二、三百年前? いや……四百年前じゃったかな……とにかく少し前に大流行した戦法でのぅ。我らの指揮官が兵と同じ格好をしておるのは、これが原因なのじゃよ」

 

「あ、ああ~……」

 

 フェザリアの戦装束を思い出しつつ、僕は思わずうなった。そういえば、彼女は皇女という立場にも関わらず一般の兵士と同じ地味なポンチョ姿がデフォルトだ。なるほど、あの格好はエルフの長い内戦の歴史が生み出した戦場の知恵なんだな……。

 

「しかし、敵どもの軍隊の指揮官はこぞって派手な格好をしておる。これでは、自分の方から狙ってくれと言っているようなものじゃ」

 

「なるほど。指揮官が派手な格好をして見栄を張るのは、大陸西方における古い伝統ですが……今後は廃れていく気がしますね。今回の作戦は、鳥人兵のみならず射撃の技量に優れた者を選抜した精鋭ライフル兵でも同じことができるわけですし」

 

 腕組みをしながら、ソニアが難しい表情で呟く。ガレア王国にしろ神聖帝国にしろ、指揮官や士官は一目でそれとわかる恰好をしている。これはくだらない虚栄心によるものではなく、徴兵したばかりの民兵やら無頼ぞろいの傭兵やらに言うことを聞かせるためにはそれなりの格好をする必要がある生だった。必要な見栄、というやつだな。

 とはいえ、精度の良いライフルが普及して狙撃兵が戦場に現れ始めれば、そのような伝統は淘汰されざるを得ない。前世の世界でも、戦列歩兵時代は派手派手だった軍服がライフルの普及に伴ってどんどん地味になっていったからな。この世界も同じ歴史をたどることになるだろう。

 ……というか、他の地域に比べてだいぶ早くそういう時代に突入してたエルフが異様すぎるんだよな。マジでなんなんだろう、こいつら。戦いの申し子かな? ちょっと怖すぎるだろ……味方で良かったよ、本当に。まあ、味方の時は味方の時で頭痛の種になっちゃうわけだが。

 

「ま、それはさておきじゃ。今は未来のことよりも目の前の戦場をなんとかするのが肝要。さて、アルベール。オヌシはここからどう駒を進めていくつもりじゃ?」

 

 ニヤッと笑って、ダライヤは地図に目をやる。味方を表すコマは敵の戦線の中央に食い込みつつあり、中央突破という作戦目標はじきに達成できるものと思われる。懸念点であった両翼からの包囲や中央突出部の切断に関しても、ヴァルマやフェザリアの頑張りでほぼリスクはなくなっている。つまり、敵はほとんどまな板の上の鯉になりつつあるということだ。

 

「私見では、そろそろ降伏を求める軍使を送る準備を始めてもよいころ合いでしょう。ミュリン家を滅ぼしたり領地を切り取ったりするような意図がないのであれば、あえて敵にとどめを刺す必要はありません。それに、ミュリン軍が再起不能なほどのダメージを受ければ地域の軍事バランスが崩れますからね。そうなればむしろ我々の不利益になる可能性もあります」

 

「確かにな」

 

 僕はもう一度戦況図を見た。中央、突破寸前。右翼、優勢。左翼、敵主力の殲滅中。これ以上戦いを続ければ敵軍は玉砕を強いられる羽目になる。だが、無暗に敵を追い詰め、背水の陣状態にしてしまうとこちら側の被害も増えるからな。あえてこの状態で手打ちにする、というのも一つの策だろう。

 別に、我々はミュリン領に対して領土的野心があるわけではない。いや、ディーゼル家はミュリンを滅ぼしてこの土地も我が物にしたいのだろうが、それに我々が付き合う義理はないからな。むしろ、ディーゼル家が強大化しすぎてもそれはそれで困る。今は良くてもそのうち技術が流出して力関係が逆転し、いずれはリースベンの方が従属的な立場に置かれてしまうやもしれん。

 将来的なことを考えるなら、ミュリン家はリースベン戦争時のディーゼル家と同じように我々の影響下に収め、陣営内部でイイ感じに足の引っ張り合いをしてくれたほうが良いまであるんだよな。まあ、足の引っ張り合いといっても実際に戦争を起こさない範囲での話だが。プチ冷戦くらいの感じがちょうどいいだろう。その間に我々リースベンは内政に励んで富国強兵に努めるという寸法だ。

 

「この戦争が我々とミュリン家だけのものであれば、それでもかまわない。だが、皇帝殿下の御命令は、あくまで「帝国南部諸侯を誘引し、皇帝軍の集結を妨害せよ」というものだからな。ミュリン家やジークルーン家を倒しただけでは、任務は達成できない。なにしろ帝国南部は豊かな土地だ。彼女ら以外にも有力な諸侯はいくらでもいる……」

 

 まあ、だからこそ殿下は僕に南部方面軍司令などという御大層な肩書を用意したわけだろうがね。命令を素直に解釈するなら、僕たちはガレアの南部諸侯を率い帝国側の南部諸侯を牽制、可能であれば決戦を挑んでこれを撃退する……という形が自然になるはずだ。現実には僕らは手勢のみを率いて帝国領内に侵攻し、ミュリン軍を含む帝国諸侯と交戦しているわけだが。

 

「それは確かにその通りですね。今回の戦いですら、敵の兵力は六千もの大軍。敵が総力を結集したら、万単位の兵士が動員されるのは間違いないでしょう。そんな大軍と直接矛を交える事態は避けたい」

 

「ああ。ガレア諸侯の援軍を受ければこちらも兵力を積み上げることはできるだろうが、実用的な火砲を保有しているのはウチくらいだろうからな……弾薬がいくらあっても足りなくなってしまうぞ」

 

 これに関しては、戦端を開く前にも同じような話をした記憶があるな。我々の戦力の源泉はライフルと火砲による火力投射能力だ。弾薬が欠乏してしまえば、何もできなくなってしまう。勝てるからとむやみやたらに戦いを繰り返し、肝心なところで弾切れになってしまうようなリスクは避けたい。

 それに、補給の問題もある。現在われわれが十全に戦えているのは、戦前からしっかり戦争計画を立て、事前にディーゼル領内へ物資を集積しておくなどの前準備をしていたからだ。ところが帝国南部諸侯との大決戦なんていう状況になると、話は違ってくる。

 そんなシナリオの戦争計画は立てていないし、ミュリン領よりさらに帝国領内奥深くへと進行していくのならば、それに応じて補給線も伸ばしていく必要がある。当然だが策源地(我々の場合ならカルレラ市だ)から離れれば離れるほど輸送効率は下がっていくので、やはり補給事情はどんどん悪くなっていくだろう。

 

「精も根も尽き果てるような大戦争には付き合いたくはない、ということじゃな」

 

「その通り」

 

 ダライヤの言葉に、僕は頷いて見せた。火力戦という戦い方は大変に強力なのだが、補給線に多大な負担をかけるのが弱点だ。蒸気機関も鉄道もない環境では、専守防衛以外の目的にはあまりにも使いづらい。もちろん、外征などは論外だ。

 

「僕としては、大陸南部の戦いはこれで終わりにしたい。申し訳ないが、ミュリン伯には見せしめになってもらおう。彼女らの末路を見た帝国の南部諸侯たちが、戦意を喪失するくらいにはひどい目に遭ってもらう」

 

 多くの領主貴族は、主君に対する強い忠義心などは持ち合わせていない。参戦要求に応えるのは、あくまでそういう契約で主従を結んでいるからだ。主君からの参戦要求を断るリスクと我々と戦ってボロ負けするリスクを天秤にかけ、後者の方へと傾けることができればこちらのもの。我々はこれ以上の戦闘をすることなく王太子殿下の命令を達成することができるだろう。

 

「根きりか。いよいよエルフじみてきたのぅ……」

 

「い、いや、流石にそこまでする気はないけどさ……」

 

 エルフはすぐ物騒なことを言う。穏健派ヅラをしているダライヤだってそれは同じだった。僕は流石に苦笑しながら、首を左右に振る。別に、ミュリン家の人間を皆殺しにしてやろうなどという気はさらさらない。そこまでやったら過剰防衛だ。彼女らが自主的に白旗を上げれば、それで良しとするつもりではある。

 

「決着は戦場でつける、それだけさ。従来の軍隊で我々の軍と戦うことがどれほど無謀なのか……それを周辺諸侯に見せつけることができればそれでヨシだ」

 

「つまり、作戦通り敵軍を追い詰めていけばよい……ということですね」

 

「ああ。すべて作戦通りに、ね」

 

 僕はそう言ってから、ちらりと軍幕の外を見た。指揮本部は相変わらず林の中に設営しているが、そのすぐ向こうには麦畑が広がっている。冬麦が収穫されたばかりのそこには、ギラギラと輝く巨大な金属の塊が三つデンと据え付けられていた。到着の遅れていた重野戦砲隊がいよいよ目標地点に到着し、射撃準備を進めているのだ。

 

「……そろそろ、重野戦砲陣地の準備が出来た頃だな。よし、ダライヤ。ネェルの背中に乗せてもらって、ヴァルマの所へ行ってくれ」

 

「エッ!?」

 

 ロリババアは苦虫をダース単位でかみつぶしたような顔をした。気分はわかるよ、気分は。

 

「別にソニアでもいいけどね。なんにせよ、詰めの作業はヴァルマにやってもらうことになる。上級将校を連絡員として派遣するのは既定事項だ」

 

 彼女の部隊は装備荷も練度にも優れた重装騎兵隊だ。これほど使い勝手の良い部隊もなかなかない。もちろん、僕としてもガンガン活用するつもりだった。

 

「私が行ったら絶対に喧嘩になりますよ。ダライヤに行ってもらった方がいい」

 

「……だってさ」

 

 これまた渋い顔のソニアを一瞥してから、僕は肩をすくめた。ロリババアは「ウムムムム」と唸って、小さく頷く。まあ本気で悪いとは思ってるんだけど、ヴァルマを野放しにするとぜったいロクでもないことをやらかすからな。お目付け役は絶対に必要なんだよ。

 

「何か伝言はあるのかの?」

 

「命令書三号を速やかに開封し、以後それに従って行動せよ。雑魚の踊り食いにも飽きてきたところだろう、喰いごたえのあるメインディッシュを用意してやる……と、言っておいてくれ」

 

「あいよ。はぁ、まったく年寄り使いの荒い……」

 

 ブツクサ言いながら天幕を出ていくダライヤ。それを見て、僕とソニアは苦笑いをする。

 

「さて、さて。こっちのほうでも最後の詰めといこう。第一飛行分隊に帰還命令を出せ」

 

「了解」

 

 ソニアは頷き、通信兵に命令を出した。もう少ししたら、前線の通信拠点から青色信号が打ちあがることだろう。全騎出撃中の翼竜(ワイバーン)騎兵のうち、半数の三騎を指揮本部に呼び戻す合図だ。

 

翼竜(ワイバーン)を手元に戻すということは……アレをやるのですか?」

 

「ああ、空中弾着観測だ。実戦で使われるのは、史上初だろう。楽しみだな」

 

 僕はそう言って、目をつぶった。脳裏に浮かぶのは、あの老狼騎士の顔だ。彼女には、できれば生き残ってもらいたいところだが……だからといって、手加減はできない。もしものことがあれば、文句は地獄で聞くことにしよう。



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454話

 弾着観測というのは、大砲を命中させるために用いる基本的な技術である。当たり前だが、大砲というのはしっかり照準を定めて発砲してもなかなか命中するものではない。だから一発撃つごとに着弾した場所を確認して照準を修正していき、それが完了してから本格的な射撃(効力射という)を開始する。これが大砲を射撃する際の一般的な手順だ。

 逆に言えば、大砲本体の精度をどれほどよくしても、この弾着観測の精度が低ければなかなか射撃は命中しない。従来の手順ではこの弾着観測は大砲の砲手自身が行う場合も多かったのだが、このやり方では観測手と着弾地点の距離があまりに離れすぎているためその観測結果はかなりいい加減だった。

 これを解決する方法はただひとつ。砲手と観測手を分離し、観測手側をできるだけ標的の近くへ配置するのだ。ところが、両者が離れすぎると今度は意思疎通の問題が出てくる。いくら正確な観測データが得られても、それを砲側に送信できないのであればなんの意味もない。だから、今までは手旗信号などが確認できる範囲で弾着観測をやっていたのだが……有線式電信機があれば、観測手をより遠距離に配置することができるのだ。

 

「通信線は大丈夫か?」

 

 糸車のように回る通信線のドラムを見ながら、僕は言った。ここは、新しい指揮本部のすぐ近くに設営中の砲兵陣地の一角だ。僕はソニアに指揮を任せ、砲兵たちを激励しに来ていた。むろんソニアは渋い表情だったが、こればかりは譲れない。この重野戦砲隊では大量の新装備が運用されている。それらの運用状況は、僕自身の目でしっかりと確認しておきたいところだった。

 僕の目の前にある有線式電信機も、そんな不安な新装備のひとつだ。一般仕様の電信機よりもはるかに大きくて丈夫なドラム式コードリールから伸びた銅線は、なんと空中に向かって伸びていた。まるで凧揚げのような状態である。

 この銅線は、空を飛ぶ翼竜(ワイバーン)の後部座席に繋がっていた。翼竜(ワイバーン)は一般的に二人乗りで、しかもペイロードにも比較的余裕がある(鳥人よりはマシというレベルだが)。それを生かし、後部座席に通信兵を兼ねた観測手を乗せ空中から弾着観測をしてもらおう……それが僕の考えた作戦だった。

 航空偵察の有用性は今さら語るまでもないだろう。上空から地上を見下ろせば、敵の位置の把握など容易なことである。これを弾着観測にも応用しようというのは、自然な発想だった。前世の世界でも、ライト兄弟が動力飛行機を開発する以前から気球による弾着観測が試みられていた歴史がある。

 

「今のところは問題ありません」

 

 通信兵の言葉に、僕は内心胸をなでおろした。現状の機材で空中弾着観測をやるのは、なかなかに冒険的だ。なにしろ我々が使っている通信機は有線式であり、それを直接飛行中の翼竜(ワイバーン)へ繋いでいるのだ。途中で通信線が切れたり、あるいは最悪の場合などは翼竜(ワイバーン)自身に絡まってしまうなどのリスクがある。

 有線式で誘導するミサイルだってあるんだから、たぶんなんとかなるだろ。そんな発想で実験を命じたわけだが、竜騎士たちからの評判はすこぶる悪かった。一時は実験中止すらチラつくほど前途が危ぶまれていたのだが、なんとか実用化できてよかったよ。

 

「すばらしい! 暗中模索の中、よくここまでこぎ着けてくれた。胸を張れ、諸君。君たちは今、世界の軍事技術の最先端を走っているのだ。君たちの名前は軍事史に永遠に刻み込まれることになるだろう」

 

 そう言って肩を叩いてやると、通信兵や技官たちは顔を紅潮させてお互いをたたえあった。社運を賭けたプロジェクトが成功した開発チームのような雰囲気である。まあまだ肝心の砲撃は始まってないわけだが……。とはいえ、そもそも翼竜(ワイバーン)に通信装備一式を持たせて飛ばすこと自体がかなり困難な仕事だったわけだから、彼女らの喜びようも理解できるというものだ。

 無線機があれば、こんな苦労をする必要はなかったんだけどねぇ……。やっぱり、無線機は有線式にくらべると超えるべき技術的ハードルが大きいからな。今のところ、設置式の大型のものですら実用化のめどはたっていない。ましてや翼竜(ワイバーン)に搭載可能なサイズと重量のモノとなると……まあ、僕が生きてる間に完成すれば超上出来って感じだな。

 

「砲兵、君たちのほうはどうだ? 上手くやる自信はあるか」

 

 視線を砲兵たちのほうへと向けた僕は、そう聞いた。砲兵らの顔には、技官たちに負けないほどの緊張の色がある。当然のことだろう。今回彼女らが狙い標的は、今までの常識からは考えられないほどの遠距離にある。空中弾着観測という新しい技術を用いるとはいえ、命中弾を出せるかどうかと言えばかなり怪しいものがあった。

 

「正直、自信はありませんね」

 

 そう答えるのは、中年の竜人(ドラゴニュート)だ。彼女はもともと王軍の砲兵隊に務めていた砲兵士官で、僕が赤ん坊だった時分から大砲を扱っているベテラン中のベテランだ。現在は、わが軍に新設されたばかりの重野戦砲小隊の隊長をやっている。

 とはいえ彼女が王軍時代に扱っていた大砲は丸く成型した石を発射するような、だいぶ古いタイプの代物だ。現在この部隊に配備されている大砲は最新式の一二〇ミリ重野戦砲であり、同じ大砲というカテゴリーの兵器ではあっても実態は別物だった。いくらベテランとはいえ、やはりなかなか難儀している様子である。

 

「八六ミリ砲の時点ですら、有効射程は一キロ半と言われてたまげたものですがね。今回の標的はそれよりも倍以上長い四キロ先です。正直、命中を期待されても困りますな」

 

 その率直な言い方に、僕は思わず苦笑した。しかし、不快ではない。難しいものは難しい。そう正直に言ってくれる相手の方が、指揮官としてはやりやすいのだ。保身のために嘘八百を並べるような手合いの方が余ほど厄介だ。

 

「確かに、その通り」

 

 僕はチラリと、北の方にある小高い丘を見た。そこには、敵軍の指揮本部が置かれている。こんな目立つ場所に総大将が詰めているのは何とも不用心なように思えるが、これまでの常識では指揮本部はこういった見通しの良い場所に設営するのが普通なのだ。通信手段を伝令に頼る環境では、総指揮官は実際の戦場を見ながら指揮を執れたほうがいろいろと都合が良いのである。

 これまでは長射程の武器がなかったから、こういったやり方も通用していた。だがこれからの指揮本部は、森の中や穴倉などに隠れざるを得なくなるだろう。こんな兵器が生まれてしまったからには……。僕はチラリと、麦畑の真ん中に鎮座した三門の重野戦砲に視線を向けた。

 

「……」

 

 この重野戦砲は見た目こそ現在の主力火砲である八六ミリ山砲をそのまま大型にしただけのシロモノのように想えるが、実際には大きく異なっている部分がある。それは、最大仰角……つまり、砲口をどれだけ上に向けられるというところだ。つまり重野戦砲は山砲に比べ、遥かに高く砲弾を打ち出すことができるのである。

 砲弾が山なりの軌道を描けば、それだけ射程距離も伸張される。結果、この重野戦砲は今までにない長距離砲撃が可能になった。おまけに、現在前衛部隊は順調に進撃中だからな。前線が押し上がり、とうとう敵の指揮本部を重野戦砲の射程に収めることが出来るようになったわけである。

 もっとも、実際問題標的が遠くなればなるほど命中率は下がる。ましてや、砲弾が真っすぐではなく山なりの軌道を描くならなおさらだ。スペック上は可能だとしても、やはり四キロ先というのはあまりにも距離が離れすぎている。ベテラン砲兵士官であっても、しり込みするのは致し方のない話であろう。とはいえ、それを補うための空中弾着観測だ。僕としては、やってみる価値はあると思う。

 

「まあ、あまり緊張することはない」

 

 そう言って僕は砲兵士官に近寄り、小さな声で言葉を続ける。

 

「正直に言えばね、僕としても別にあえて直撃させようとは思っていないのさ。敵の指揮本部に詰めている連中の心胆を寒からしむことができれば十分だ。それだけでも、指揮系統は随分と混乱するだろうからな」

 

「なるほど、主目的はあくまで擾乱(じょうらん)ということですか」

 

 腕組みをしながら、砲兵士官はニヤリとわらう。

 

「そういうこと。手を抜けとは言わないが、肩の力は抜いてくれ」

 

「了解。……そう言われると、かえって"大当たり"を狙いたくなるのが人情という奴ですがね

 

 なるほど、確かにそれはそうだ。僕は肩をすくめ、「当たりが出たら小隊全員に金一封だ。頑張ってくれよ」と言い返してやった。まあ、現実的に考えれば難しいがね。ミュリン軍にとってこのような長距離攻撃は予想外だろうが、時間をかければそれだけ対応する余裕を与えることになる。おそらく、命中弾が出るよりも早く指揮本部を放棄して別の場所に移動するだろう。

 とはいえ、だからこそ狙う価値はあるだろう。前線がグチャグチャな現状で指揮本部が後退すれば、それだけで現場の兵士たちの士気が崩壊する可能性は十分にある。そして万一敵指揮本部を吹っ飛ばすことができれば大金星だ。成功しようがするまいがアドバンテージが得られる作戦だ、使わない手はない。……まあ、あのオオカミ婆さんには本気で申し訳ないとは思うが、やれるだけのことを徹底的にやらねば見せしめにならない訳だし。

 

「観測騎、所定の空域に到着いたしました。いつでも観測開始とのこと」

 

 そんなことを考えていると、通信兵が報告を上げた。その言葉に、僕は片手を上げて頷く。

 

「敵の迎撃騎には注意せよと伝えてくれ」

 

「了解」

 

 敵の鷲獅子(グリフォン)隊はおおむね制圧済みだが、地上にはまだ未出撃の鷲獅子(グリフォン)騎兵が残っている可能性がある。観測中に空からの奇襲を喰らってはたまったものではないからな。十分な警戒が必要だった。

 

「さて、砲兵諸君。仕事を始めてくれ」

 

「了解。全砲、撃ち方はじめ!」

 

 すでに、最初の照準はつけてある。砲手が大砲の尻から伸びたりゅう縄という紐を引っ張ると、巨大な三つの銅管は猛烈な大音響と火煙を吹き上げた。その砲声はもはや音というよりも衝撃波だ。全身を殴りつけられるようなその感覚に、僕は耳を押さえつつ笑みを浮かべる。やはり大砲はイイ。こいつこそが戦場の神だ。

 

「弾ちゃーく、今!」

 

 観測員がそう叫ぶのとほぼ同時に、標的の丘の周りで土煙が三つ上がった。少しの間を置いて、地響きのような着弾音が聞こえてくる。よく見ると、着弾地点で立ち上がった煙にはそれぞれ赤、青、白の色がついていた。

 先ほど発射した砲弾には発煙機能がついており、着弾と同時に着色された煙が噴出する仕組みになっていいるのだ。この煙は砲ごとに別々の着色がされており、発射元の砲が判別できるようになっている。他の砲が発射した砲弾の着弾地点をもとに照準を修正しても何の意味もないからな。発射元を判別する機能は必須と言っても過言ではなかった。

 

「初弾命中ならず。それにしてもこれ外れ過ぎだな……」

 

 ぼそりと砲兵士官が呟く。彼女の言葉通り、砲弾は敵指揮本部のかなり手前に落ちていた。砲兵士官は「命中を期待されても困る」とは言っていたが、やはり彼女にも砲兵としてのプライドがあるらしい。その声には無念そうな色があった。

 

「観測騎より入電。着弾地点はそれぞれ赤が南の十二、西の七。青が南の十五、東の三……」

 

 通信兵が弾着観測の結果を読み上げる。砲兵の一人が舌を出して「明後日の方向じゃねえか」と呟いた。目標からのそれ方も、それから各砲の着弾地点のばらけ方も尋常なものではなかった。やはり、これほどの長距離射撃はまだ技術的には難しいようである。

 なにはともあれ、観測データが送られてきたのだから次は修正射撃だ。砲兵たちは反動で後退した砲車を、ロープで引っ張って元の位置に戻し始める。重野戦砲は名前の通り全部で一トンを超える(この世界のものとしては)重量級の兵器だが、砲車の足元は地面を掘ってスロープ状にしており、軽い力で前進させられるようになっている。再装填作業は意外とスムーズに進んでいった。

 

「ふーむ……次に開発する大砲は、首振り機能も付けた方がいいな……」

 

 砲車についたハンドルを回す砲兵を見ながら、僕は言った。この砲車は仰俯角の操作はできるのだが、砲を左右に向けるときは本体ごと動かしてやる必要がある。そのため、前後はともかく左右の照準調整にはなかなか難儀している様子があった。

 そんな僕をしり目に、砲兵たちは額に汗を浮かべながら再装填作業を続ける。耳かきの時に使う梵天をそのまま巨大化させたような道具で砲身の内側を清掃し、布製の発射薬袋をいくつも詰め込んでいく。ドングリ状の砲弾をライフリングにかみ合わせながら砲身にねじ込み、最後に火門に火管と呼ばれるヒモの生えた棒をねじ込んで再発射準備完了。

 かかった時間は三分ほど。砲兵たちはずいぶんと頑張ってくれていたが、砲口から弾薬を装填する前装式ではやはり余計な時間がかかってしまう。この調子では、やはり命中弾が出るより敵指揮官が退避する方が早いな……。

 

「第二射、撃て!」

 

 砲兵士官の号令に従い、再発砲。……やはり、着弾は大きくそれた。長距離射撃は難しい。ふたたび弾着観測騎から報告が入り、照準の修正作業にはいる。これを繰り返すことで、弾着地点の精度を上げていくのだ。

 

「……さて、僕はそろそろ指揮本部に戻ろう。よろしく頼んだぞ」

 

 できればこのまま砲撃風景を見続けていたいところだったが、僕には総指揮官としての仕事がある。現在、戦況は詰めの作業の真っ最中だ。指揮本部の連中も大忙しで、あまり長い間留守にしておくのも申し訳ない。僕が軽く頭を下げてそう言うと、砲兵士官は頷いて敬礼をした。ピシリとカカトをあわせて返礼し、僕は指揮本部に戻っていくのだった……。



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第455話 老狼騎士の葛藤

 ひどい夢を見ているようだ。あたし、イルメンガルド・フォン・ミュリンはため息をついた。何もかも捨て去ってふて寝をしたい気分だった。そうすれば、目覚めた時にはこの悪夢が幻のように消え去っているかもしれない。……現実逃避だな。頭領がこんなことを考えるようになったら、何もかも終わりだ。せめて、死ぬ時まではシャッキリしておかないといけない。

 

「中央軍はもう駄目だな……」

 

 戦場を横切る小川の、北岸。そこに広がる麦畑では、わが軍による最後の抵抗が行われていた。ミュリン軍を主力とした諸侯軍は総力を結成して戦列を作り、渡河してきた敵部隊に攻撃を仕掛けている。

 いや、攻撃を仕掛けていた、という方が正しいだろう。なにしろ攻守はとっくに入れ替わっている。敵は痴女みたいな格好のアリ虫人部隊とディーゼル軍を中核に、その左右を銃兵で固めるという陣形で我々に対抗した。……相手に陣形を構築させる余裕を与えている時点で、水際防御としちゃ失格だろうがね。

 とにかく、敵軍はとんでもなく強力だった。まず、我々の部隊は敵の大砲と小銃による猛烈な射撃を浴びた。ただ前に進むだけで、百名単位の死傷者が出るのだからたまったものではない。反撃したいところだったが、それもできない。なにしろ相手の"ライフル"とやらは、長弓よりも射程が長いのだ。わが軍の弩や短弓では対抗すら不可能だった。

 そんな状況でも、わが軍は奮戦した。損害を度外視して全身を続け、なんとか敵の主力と接触。交戦を開始する。あたしはそれを見て泣きそうになっていた。彼女らが、ミューリア市を敵の手に渡すまいと奮起しているのが明らかだったからだ。中央軍の主力はミュリン軍だ。故郷を守らんとする彼女らの士気は、他のどの諸侯の軍よりも高かった。

 

「……ぐっ」

 

 しかし、それほどの覚悟を持った決死の攻撃も、戦局には大した影響を与えなかった。銃火の暴威を乗り越えた先で彼女らを待ち構えていたのは、アリ虫人どもだ。彼女らの組む密集陣形はもはや隊列というより人間でできた城壁で、射撃によって千々に乱れた我々の部隊では突破どころか拮抗状態に持ち込むことすらできない。

 黒光りする盾で攻撃を受け止めたアリ虫人どもは、その四本腕を巧みに操り盾と槍を駆使した攻防一体の戦術でミュリン軍を追い詰める。その様子は、さながらレンガの壁に生卵をぶつけたような有様だった。

 そうしてズタボロになったミュリン軍へ、さらにディーゼル軍がとどめの一撃を加える。アリ虫人が金床、ディーゼル軍がハンマー。そういう役割分担らしかった。アリやエルフどもと違いこちらは良く見慣れた一般的な装備・練度の軍隊だが、もはや虫の息のミュリン軍には彼女らに抗する力はもはや残されていない。あたしが手塩にかけて育てた軍隊は、ゴミクズのように粉砕されていった。

 

「ああ……」

 

 あたしは、もう呆けたような声を出すことしかできなかった。せめて、あの連中に混ざって玉砕することができていれば、これほど惨めな心地になることは無かったろうに。実際、あたしはこの攻撃の直前、中央軍の元へ出向いてあたし自ら陣頭指揮を執ろうとしたのだ。だがそれは、先んじて中央軍と合流していた我が長女マルガによって阻止された。

 

「お袋は引っ込んでな。アタシは政治はできねぇが戦争なら出来る。適材適所という奴だ」

 

 というのが、マルガの主張だった。……もはや、戦局は悪化するばかり。挽回の目がほとんどないことは、マルガとて理解しているのだろう。戦後を見据えれば、己よりもあたしが生き残った方がいいと、そう判断したらしい。

 ……結局、あたしは娘の言葉に従いすごすごと指揮本部へ戻ってきてしまった。なんと情けのない母親だろうか。あたしの胸の中は後悔でいっぱいだった。やるべきことをすべて終わらせたら、マルガの後を追おう。そう考えていた。

 

「……左翼や右翼の状況はどうなってるんだ」

 

 胸の奥からこみあげてくる苦い感触をぐいと飲みこんでから、あたしは参謀にそう聞いた。しかし彼女は首を左右に振るばかりだ。

 

「わかりません。派遣した伝令が軒並み行方不明になっておりまして……何も情報が入ってこないのです」

 

「くそ、鳥人か……」

 

 敵の鳥人兵が指揮官や伝令を集中攻撃しているという話はすでに耳に入っていた。悪辣で効果的な戦術だ。力押しだけではなく、こうした搦め手も使ってくるのがブロンダン卿の恐ろしい所だった。

 むろん、あたしとしてもこの状況を座視はしなかった。地上で休憩していた鷲獅子(グリフォン)騎兵どもを全員空に上げ、鳥人どもを駆逐しようとする。こちらに鳥人はいないが、鷲獅子(グリフォン)の数では敵の翼竜(ワイバーン)の数をはるかに上回っている。この数の優位を生かして翼竜(ワイバーン)を集中攻撃し、しかる後に鳥人を叩き落す。そういう作戦だった。

 だが、結局それはうまくいかなかった。相手より兵力で勝っていても、それを逐次投入すれば各個撃破されるだけ。どんな軍学の教本にも書かれている基本的な原則だ。あたしはその愚を犯してしまった。結局、空の優位を奪い返すことはかなわず、今も我らの頭上では翼竜(ワイバーン)が我が物顔で旋回している。上空からこちらの様子を偵察しているのだろうが、何とも腹立たしい話だ。

 

「この状況で優勢を奪い返すのはほぼ不可能です。一度撤退し、態勢を立て直すべきかと」

 

「こんな混沌とした状態で撤退を命じてみろ、総崩れになるだけだ!」

 

「そもそも、伝令が集中攻撃を受けている状態で、どうやって撤退命令を通達するかという問題が……」

 

 参謀陣もすっかり混乱気味で、さきほどからずっとこんな調子だった。あたしは頭を抱えたい気分になったが、我慢した。指揮官としての最後の見栄だった。

 

「御屋形様! ジークルーン伯爵閣下がお戻りです!」

 

 そんな中、伝令がやってきてそう報告した。右翼で自軍が窮地に陥っていると聞いた彼女は、少し前に手勢を率いて救援に出陣していた。そんな彼女が大した時間も置かずに指揮本部に戻ってきたということは……。

 

「……連れてこい」

 

 それから、数分後。従兵に連れられてやってきたジークルーン伯爵は、なんともひどい有様だった。いささか華美に過ぎた甲冑は土埃にまみれ、ところどころ塗装が剥げている。もちろん無事ではないのは甲冑の中身も同じで、骨でも折れたのか三角巾で右腕が吊られていた。その様子を見るに、おそらく彼女は落馬したのだろう。事故で落ちたのか敵兵の手で叩き落されたのかは知らないが、よくもまあ捕虜にもならず生還できたものだ。

 

「……わが軍はもう駄目だ」

 

 ジークルーン伯爵は憮然とした表情であたしを睨み、そして目をそらしてから吐き捨てるようにそう言った。

 

「右翼には、悪魔がいた……」

 

「そんなものは中央にも左翼にも居る」

 

 あたしは端的にそう言って、懐から酒水筒(スキットル)を取り出し、彼女に投げ渡した。中身は北の王国から取り寄せた上等の蒸留酒だ。気付け薬にはちょうどいいし、現地では命の水(アクアビット)なんて呼ばれているらしいから傷を塞ぐ効果もあるかもしれない。いわゆるポーションというやつ。

 

「……んぐんぐ」

 

 彼女は銀色の小さな水筒を睨み、中身を一気に煽った。

 

「くそっ……精鋭の一個連隊がパァだ。うまい事捕虜になれても身代金だけでうちの身代が食いつぶされてしまいそうだ。どうしろというんだ、この私に……!」

 

 あの慇懃無礼な態度も投げ捨て、彼女は湿った声でそう言った。ため息を吐き、もう一度アクアビットをあおる。

 

「……おい、婆さん。戦場ってヤツはこうも過酷なものなのか? 二倍の戦力を用意して、局所的には四対一までもちこんだ。それがこうもアッサリ……どうなってるんだ。私が世間知らずなだけで、戦場ではこんなことは日常茶飯事なのか?」

 

「安心しな。こんなクソ戦場はあたしだって生まれて初めてだよ」

 

 こんな事態が日常茶飯事に発生する戦場など、近寄りたくもない。あたしはふところから葉巻を取り出し、先端を丁寧にカットしてから口にくわえた。すかさず副官がランプから木片に火を移し、葉巻に着火してくれる。煙をふうと吐き出して、あたしは肩をすくめた。

 

「なんにせよ、コイツが負け戦だってのはもう覆しようがない。さて、どうするね? 伯爵殿」

 

「……撤退して体勢を立て直す」

 

「撤退? この状態でか。そいつは潰走とどう違うんだい?」

 

 撤退なんてのは余裕があるときにしかできないもものだ。ギリギリの状態で撤退を始めればあっという間に兵たちからは統制が失われ、無秩序で破滅的な改装が始まる。そうなれば、敵は戦果を拡大し放題だ。

 

「白旗を上げろと言うのか? お前は」

 

 座った目つきで吐き捨て、ジークルーン伯爵は酒水筒(スキットル)を最後まで飲み干した。

 

「敵の前衛に居るのは、お前たちミュリンを死ぬほど憎んでいるディーゼル家の連中と、お前の孫に家畜呼ばわりされて怒髪衝天の蛮族どもだぞ。白旗なんかあげてノコノコ前に出てみろ、ブロンダン卿の前にたどり着く前に首だけにされてしまうじゃないのか?」

 

「……」

 

 言われてみれば、その通り。あたしは地面にタンを吐いた。

 

「じゃあどうしろってんだよ」

 

「そんなことは私が聞きたい」

 

「……」

 

「……」

 

 あたしとジークルーン伯爵がにらみ合い、剣呑な空気が流れ始めたしゅんかんである。突然近くで爆発音が響き、指揮本部に置かれたあらゆるものが震えた。思わず足元がふらつき、転びかける。すかさず副官が私の肩を掴んだ。

 

「な、なんだ一体! 状況知らせ!」

 

 そう叫ぶが、周囲のものは混乱するばかり。もう一度大喝しようとしたところへ、見張り兵が駆け込んでくる。

 

「大変です! 敵砲兵が、本営に向かって発砲を始めました!」

 

「何ィ!?」

 

 あたしとジークルーン伯爵の顔色が土気色になった。最悪だと思っていた状況が、さらに悪くなった。指揮本部が敵の大砲から直接攻撃を受けている? 冗談じゃない!

 

「馬鹿な……いったいどこから?」

 

「川向うからです!」

 

「川向う!?」

 

 ジークルーン伯爵が叫んだ。

 

「ふざけるな! そんな長距離から砲撃できる大砲があるものか!」

 

 この女は、自身の軍にも積極的に火砲を導入している。だから、あたしよりもよほど火器をもちいた戦闘には詳しい……はずだった。だが、今回の戦いの経過を見るに、この女の知っている火器とリースベン軍の装備している火器ではまるで性能が違うようだ。その辺りの計算違いが、この惨状を招いた一因なのかもしれない。……まあ計算違いがなかったところで、勝てたかどうかと言えば怪しいが。

 

「ジークルーン伯爵。リースベン軍の銃とやらは、あんたの軍が装備している銃よりも射程が長かったじゃないか。大砲のほうも同じやも知れんぞ」

 

「……確かに、あの火縄銃(アーキバス)は異様な性能だったが。……くそ、私は詐欺師にポンコツを掴まされたのか? いや、そんなはずは……」

 

「今はそんなことはどうだっていい! 肝心なのは、指揮本部が砲撃を受けてるって部分さ。このままじゃ不味いよ」

 

 あたしは不安そうな面持ちの参謀たちを見回しながら言った。敵の砲撃はどうやら遠くに逸れたらしいが、次も同じように外れるとは限らない。いつ砲弾が突っ込んでくるかわからないような状況では、指揮など執れたものではない。本来であれば、指揮本部を後方へ移すのが常道だろう。だが……

 

「……」

 

 あたしは無言で、眼下に広がる無惨な合戦場に目をやった。あそこでは、我が長女が命を燃やして戦っている。母親であるこのあたしが、これ以上後退することは認められなかった。……それに、この状態で指揮本部を移したら、将だけ逃げていると味方の兵士が勘違いする可能性もある。そうなったらもうお終いだ。指揮統制は完全に失われ、わが軍はただ貪り食われるだけのいけにえの羊と貸すだろう。

 

「……白旗を用意しな」

 

「貴様、私の忠告を聞いていなかったのか!? 白旗など無意味だ。降伏を申し出る前に貴様は殺される!」

 

「ディーゼルや蛮族どもに捕まったら、そうなるだろうね」

 

 あたしは憤然とそう言った。

 

「だったら、捕まらなきゃいいだけだ。少人数でコッソリ戦場を抜ければ、生きてブロンダン卿の前に出ていくこともできるだろうさ。あたしゃこれでも狩りは得意でね、隠れ潜むことには一家言あるんだ。年寄りだからって馬鹿にするんじゃないよ」



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第456話 老狼騎士と蛮族皇女

 遅ればせながら幸福の決断をしたあたしだったが、今の我々にとっては白旗を上げることそのものが大きすぎるハードルだった。なにしろ敵の前衛はあたしたちミュリン家に恨み骨髄のディーゼル家と、開戦前に我がバカ孫が死ぬほど煽ってしまったエルフだ。あたしが白旗をあげてノコノコ前に出たりしたら、降伏が受け入れられるまえにブチ殺されてしまうだろう。

 いや、別に死ぬのは怖くない。どうせ老い先短い身の上だ。必要であればブロンダン卿にこの皺首を進呈することも惜しくはない。ただ、無駄死にだけは避けたかった。実の長女の献身によって永らえた命だ、出来るだけ有意義に使いたい。せめて、ミュリン家の一族郎党皆殺しだけは避けなくては……。

 しかし、つくづく嫌になるね。ディーゼル家はともかく、エルフを完全に敵に回したのが痛い。一応謝罪は済ませているが、エルフの皇女だというフェザリアとかいう女の怒りようは尋常ではなかった。おそらく、仕返しの機会を虎視眈々と狙っていることだろう。まったく、バカ孫め。ガキの時分から、むやみに敵を増やすような真似はよせと教えこんでやったはずなのだが……。

 

「仮にエルフやらディーゼル軍やらに見つからずにブロンダン卿へ面会が叶ったとして、大人しく降伏を受け入れてくれるのだろうか」

 

 そんなことを言うのは、あたしの隣を歩いているジークルーン伯爵だった。右翼に展開していた彼女の軍は、ヴァルマ・スオラハティによって壊滅していた。残された手勢は僅かであり、進むにしても退くにしても心もとない。結局彼女は、あたしとともにブロンダン卿の所へ行くことを選択した。ブロンダン卿に自軍への攻撃中止や捕虜の解放を直訴する腹積もりなのだろう。

 そう言う訳で、わたしとジークルーン伯爵は最低限の護衛だけを連れて森の中を歩いていた。戦場の大半は見通しの良い麦畑だからね。そんなところを歩いていたら、あっという間に敵に見つかってしまう。少々遠回りになるが、森の中に身を潜めながら進むのが安全で確実だと判断したのだった。

 

「……ブロンダン卿は話の通じる相手だという話だ。会って話をすれば、最悪の事態だけは避けられるんじゃないかと思ってるんだがね」

 

「本当か? あんな連中を飼ってるような男が、マトモな手合いだとは思えんのだが……」

 

 身震いをしながら、ジークルーン伯爵はそう言った。右翼での戦いが、そうとうに恐ろしかったのだろう。取り繕う余裕もないのかあの慇懃無礼な態度もすっかり鳴りを潜め、砕けた口調になっている。

 

「女でも大概なのに、よりにもよって男だぞ!? 悪魔も怯むような大淫夫なのでは」

 

「い、いや、そんなことは……」

 

 あたしは以前の狩猟会で見たブロンダン卿の顔を思い出した。いかにも実直で生真面目、という風情の男だった。女を惑わし手のひらの上で転がす淫夫という印象は……ない。

 

「なにはともあれ、彼が敗者であるディーゼル家に寛大な処分を下したのは事実なんだ。連中と同じように遇してくれることを祈ってるけどね」

 

 ディーゼル家の連中は理不尽な動機でリースベンに戦争を挑み、そして敗北した。それから僅か一年で、奴らはまるでブロンダン家の尖兵のように振舞っている。ならば、我々も彼女らと同じ場所に収まることが出来るのではないだろうか?

 ……思えば、最初からそうしていればよかったのだ。皇帝家など、毛ほども役には立たなかった。神聖帝国などからはさっさと離脱し、頭を垂れる相手をブロンダン家に切り替えておけばよかったのだ。同じ臣下という立場になれば、ディーゼル家が我が領に侵攻してくるリスクは大幅に減る。あたしも安心して後進に席を譲ることができていたはずだ。

 

「今さらか」

 

 あたしは小さく呟いた。本当に、今さらだ。それに、我が孫アンネリーエはリースベン軍を舐め腐っていた。あたしがブロンダン家への鞍替えを選択していても、あの馬鹿は納得してくれなかっただろう。まったく、ままならないったらありゃしない。

 

「なにをブツブツ言ってるんだ、耄碌したか」

 

「シバくぞ」

 

 あたしはジークルーンを蹴飛ばしてから言った。彼女は涙目になりながら「シバいてから言うな」と言い返してくる。そう強くは蹴っていないが、衝撃が腕の骨折に響いたらしい。

 

「……まあいい。それより、このまま進んで大丈夫なのか? 迷ったりしないよな?」

 

「馬鹿言うな、ここは我がミュリン家代々の御用猟場だ。あたしゃガキの時分からこの森を駆けずり回ってたんだ、自分の家の庭で迷う奴がどこに居る?」

 

「ならいいが……」

 

 まったく納得していない声で、ジークルーン伯爵はそう言った。あたしが信用できないというより、不安のあまり何もかもが信用できなくなっているという風情だ。この戦いで増長を打ち砕かれたが故の態度だろう。

 

「そんなことより、いい加減に静かにしな! あたしらは隠密で敵中を突破しなきゃならないんだよ、それがわかってんのかいさっきからペチャクチャペチャクチャ!」

 

「な、なんだとぉ……!?」

 

 ジークルーンが憤慨し、言い返そうとした瞬間だった。森の奥から、悲壮な叫び声が聞こえてきた。あたしとジークルーン伯爵は顔を見合わせる。

 

「……味方が敵に襲われているのかも。様子を見に行くよ、ついてきな」

 

「おまっ、さっきの自分の発言を忘れたのか? 隠密行動だぞ!」

 

「馬鹿言え、敵の位置を把握しとかにゃ隠密どころじゃないだろ」

 

 そう言ってあたしは、森の奥へと進んでいった。森の中での戦いでは、情報収集が特に重要だ。この森にも敵が侵入してきているというのなら、早めにその正体や規模を調べておきたいところだった。

 

「誤チェストにごわす。こや目当ての騎士じゃなか」

 

「またにごわすか!」

 

 幸いにも、"敵"はすぐに見つかった。茂みに潜む我々のすぐ向こうでは、エルフの一団がたむろしている。エルフどもは生首を片手にあれこれ検分しており、その横には首無しの死体が山積みになっていた。

 

「ひぇ……」

 

 その地獄めいた光景に、ジークルーン伯爵が小さく悲鳴を上げる。彼女とて腐っても武人、死体など見慣れているだろうが……まるでゴミのように首無し死体が積み上げられている様は、なかなかにショッキングだ。

 

「獲物は皺くちゃんオオカミ獣人じゃちゅう話だぞ。こんわろはまだ若か」

 

(オイ)らから見れば短命種(にせ)など皆若かがな」

 

「違いなか。グワッハハハ!」

 

 エルフどもは生首を放り捨てながら爆笑する。皺くちゃのオオカミ獣人……あたしだ! あいつら、探してるんだ……あたしの首を……!

 

「じゃっどん敵ん首級が大量じゃなあ。持って帰っとも少々骨じゃっどん……どうしましょう(どげんしもんそ)?」

 

「うむ、そうじゃな……耳だけ削っせぇ、あとはみなエルフ式焼き畑農法(火葬)してやってん良かが……」

 

 部下のエルフの問いに、リーダーらしきエルフが腕組みをしながら思案する。その顔に、あたしは見覚えがあった。

 

「フェザリア・オルファン……!」

 

 エルフどもの皇女、茶会の席で我が孫の首を叩き落そうとしたあの女である。まずい、あの女が居るってことは……エルフの本隊が森に侵入している! これはマズイ、大変にマズイ。

 

「ズューデンベルグ市に持ち帰って広場でさらし首にすっど! ズューデンベルグ領民は昔からミュリン騎士に無体を働かれちょったちゅう話じゃ、きっと喜んでくるっことじゃろ」

 

「おおっ、流石は殿下! 良か考えじゃ」

 

「ズューデンベルグには飯ん恩義があっ。こん辺で一つ、恩返しをしちょくちゅうとも悪うなかな」

 

「おお、そうじゃ! ズューデンベルグからミュリンまでん道すがらに、ミュリン騎士ん首で一里塚を作っちゅうたぁどうやろうか?」

 

「おう、おう、名案にごつ! そいで行こう!」

 

 冷や汗をかく我々をしり目に、エルフどもは野蛮極まりない話題で大盛り上がりしている。涙目になっているジークルーンを一瞥してから、あたしは背後を指さした。

 

「逃げるぞ、相手がエルフじゃ分が悪い。別のルートを探した方が……」

 

 そこまで言った瞬間だった。ボゥという凄まじい音と共に、燃え盛る液体が我々の潜んだ茂みにむけて放たれた。我々は慌てて茂みから飛び出す。逃げ遅れた護衛の一人が火だるまになり、耳障りな悲鳴を上げつつ地面の上をのたうち回った。それでも彼女の身体にまとわりついた炎は消えず、むしろ周囲に延焼していく始末だ。

 

「くそ、気付かれたか……!」

 

「エルフは森ん種族じゃ。我々が森ん中で獲物ん臭かに気付かんとでも思うたか」

 

 フェザリアは挑発的な笑みと共にそう言って、我々を睨みつけた。

 

「そん声、イルメンガルド・フォン・ミュリンじゃな。自分からノコノコ狩人の前に出てくっとは、感心な獲物じゃらせんか。……火炎放射器兵! 逃げ道を塞げぃ!」

 

 そう言って彼女が手を上げると、森の中から分厚い革製のマスクと外套を纏った不気味なエルフ兵たちが現れた。彼女らは手に持った筒から炎を噴射し、我々の背後の木々を燃やし始める。森はあっという間に火の海と化していった。こ、この炎上スピード、どうなってるんだ!? 生木なんて、火炎魔法をぶちこんでもすぐには燃えださないはずだぞ!

 

「まて! 待ってくれ! 我々は降伏しに来たんだ! 戦う気は……」

 

「開戦前はもはや問答無用ちゆて交渉を打ち切った分際で、旗色が悪うなったや話を聞いてくれち申すか! なんたっ雄々しか女じゃろうか、やはり許しちょけん! せめて女らしゅうさぱっと殺してくるっ、往生せい!」

 

 そう叫ぶなり、フェザリアは短弓を構えて射かけてきた。その精度はすさまじく、吸い込まれるようにあたしの胸甲へと命中した。あたしは半ば吹っ飛ばされるようにして地面に倒れ込む。くっ……短弓とは思えない威力だね。魔装甲冑(エンチャントアーマー)ではない普通の鎧だったら、貫通されてたかもしれない。

 

「く、くそ……このエクストリーム蛮族が……! 逃げるぞ!」

 

 あたしは護衛の騎士に助け起こされ、慌てて逃げ始める。はっきりって、闘争以外の選択肢はなかった。なにしろフェザリアはミュリン家一番の騎士を一刀のもとに切り捨てたほどの達人だ。生半可な手段では倒せない。ましてや、エルフ兵は彼女の他にも大勢いる……。こうして、我々の絶望的な逃避行が始まったのだった。



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第457話 老狼騎士と退路

 森でクソ蛮族(エルフ)に襲われた我々だったが、なんとか逃げ延びることに成功した。むろん、無傷というわけにはいかなかったが。護衛はもちろんほぼ全滅、あたし自身も軽い火傷と打撲を負った。

 だが、命があっただけ上等というものだろう。エルフどもは練度も倫理観も狂っていた。彼女らは森を焼け野原にする勢いで放火をしつつ、我々をさんざんに我々を追い回しまくった。猟犬に追われるノウサギになった気分だった。

 それでもなんとかあたしたちが生き延びることが出来たのは護衛たちの献身と、こんなこともあろうかと近隣に待機させてあった味方部隊の救援が間に合った結果だった。はっきり言って、運が物凄く良かっただけだ。一歩間違えれば、あたしはあの森の中に転がる首無し死体のひとつになっていただろう。

 

「はぁ、はぁ……くそ、あのクソボケ蛮族どもが……めちゃくちゃやりやがって……」

 

 指揮本部のあった丘まで戻ってきて、やっとあたしは一息ついた。……その肝心の指揮本部は、敵の砲撃を浴びて爆発四散し、跡形もなくなっていたが。もっとも、被害はそれほど大したことはない。砲撃が始まった段階で、人員の避難を始めていたおかげだ。こればかりは不幸中の幸いといっていいね。

 

「ヴァルマ・スオラハティといい、フェザリア・オルファンといい、ブロンダン卿の部下には悪魔みたいな女しかいないのか! 悪魔使いか何かかあいつは!」

 

 顔を煤まみれにしたジークルーン伯爵が叫んだ。ただでさえズタボロな姿だったのに、これではもはや落ち武者を通り越してゾンビ一歩手前だ。

 

「まったくだ。とんでもない相手に喧嘩を売っちまったもんだね、あたしらは」

 

「喧嘩を売ったのはあんただけだろうが!」

 

「参戦してる時点であんたも同じようなもんさ。ま、一緒に地獄に落ちようや、若いの」

 

「クソババアが……」

 

 青筋を立てながらそう吐き捨てるジークルーン伯爵は当初のお高く留まった姿よりもはるかに親しみやすい。最初からこうならもうちょっと仲良くやれたかもしれんね。

 

「で、どうするんだ、ババア。もう一回白旗もってノコノコ前線に出るのか」

 

「……どうしたもんかね」

 

 あたしは額を押さえながら唸った。今こうして五体満足で生きていられるのは、本当に奇跡のような幸運あってのことだ。それに、腕の良い騎士はもうあらかた戦死してしまった。こんな状態でもう一度あのエルフどもに捕まったら、今度こそ殺されてしまうだろう。

 

「いっそ騎士らしく最後まで抗ってみるかい? 勝つのはまあ無理だろうが、せめて気分よく死ねるかもしれん」

 

「冗談じゃない」

 

 死ぬほど渋い表情で、ジークルーン伯爵はあたしの提案を一刀両断した。

 

「男を一人も抱かないまま死ねるものか。泥を啜ってでも生き延びてやる」

 

「なんだいあんた、生娘かい。初陣の前に淫売でも抱いておけばよかったものを」

 

「馬鹿言え、許嫁が居る身でそんなことができるか」

 

「許嫁がいるのに処女なのか……」

 

 見た目に寄らず奥手だねぇ、この子は。あたしがこの小娘くらいの時分は、もう何人もガキをこさえてたもんだが。

 

「クソ田舎の山賊あがりは知らんだろうが……婚前交渉なんて破廉恥な真似はせんのだよ、今日日の貴族はな!」

 

「ハハハ……そりゃすまないね。見てのとおり育ちが悪いもんで」

 

 笑い飛ばしてから、あたしはため息をついた。さあて、本当にどうしようか。あたしたちがワチャワチャやっているうちに、前線はすっかり壊乱状態になっていた。指揮統制は完全に失われ、兵たちは三々五々に逃げ惑っている。こうなったらもう軍組織としてはお終いで、一方的に掃討されるだけの存在だ。

 せめて秩序を回復できれば良いのだが、それもできない。あいかわらず空では鳥人兵が跋扈していて、伝令を出してもあっという間に捕捉されて集中攻撃を浴びてしまう。どれほど優れた軍隊であっても、連絡手段を失ってしまえばもうどうしようもない。

 実際、この鳥人兵は非常に厄介な存在で、あたし自身エルフから逃げ回っている最中に一度攻撃を受けている。勘付くのが少しでも遅かったら、あの鋭いカギ爪によってあたしの首は宙を舞っていただろう。鷲獅子(グリフォン)が居れば容易に駆逐できる程度の存在だと油断した少し前の自分を呪いたいきぶんだった。

 

「……こいつはもう、どうしようもない。手近な敗残兵をまとめて、撤退するほか……」

 

 そこまで言ったところで、血相を変えた兵士がこちらに走ってくるのが見えた。……ああ、こりゃ、またロクでもない報告が来たみたいだね。この一度の会戦だけで、何回クソ報告を聞かなきゃならないんだろうね、あたしは。

 

「大変です!」

 

「ああ、大変だろうね。もう戦場全体大変さ。で、どうした? そんなに慌てて。化け物でも出たのか」

 

「はい、その通りです!」

 

 その言葉を聞いたジークルーン伯爵がむせた。あたしも思わずひっくり返りそうになる。

 

「わが軍の背後にヴァルマ・スオラハティの軍勢とカマキリの化け物が現れ、ミューリア市へ向かう街道を脅かしているようです。現場の部隊がなんとか迎撃を試みておりますが、なにぶん後方ですので戦闘任務がこなせる連中はほとんど不在で……」

 

「退路まで断ちに来たのかい! ご丁寧なことだねぇ、マメすぎる男は嫌われるよ!」

 

 あたしは思わず叫んだ。最悪だ最悪だと思っていたが、なおも戦況が悪化するとは。ここまで来たら一周まわって喜劇だよ。なんだい、門前のエルフ門後のヴァルマって。死ぬほどタチの悪い悪夢か何かかい?

 

「なんだカマキリの化け物とは。私がヴァルマと交戦した時は、そのようなモノは影も形もなかったぞ。恐怖のあまり厳格でも見たのではないか?」

 

 冷や汗をかきながら、ジークルーン伯爵が言う。しかしあたしには、そのカマキリの化け物とやらに覚えがあった。

 

「……いや、そいつは厳格じゃあない。ブロンダン卿の部下のカマキリ虫人さ。鹿を頭からバリバリ食ってるところを目の前で見せられたからね。よーく覚えてるさ」

 

 それを聞いたジークルーン伯爵は、深い深いため息をついた。

 

「どうやら、ブロンダン卿は本物の悪魔使いらしい。聖者ならざる我々が勝てぬのは当然のことだったようだな」

 

「……かもね」

 

 あたしは気付け薬を飲みたい気分になっていたが、とっておきのポーションはもうジークルーンの小娘にくれてやっていた。仕方がないので、懐から取り出した葉巻を口にくわえる。しかし、いつもあたしの煙草に火をつけてくれる副官はもういない。エルフの引き起こした大規模森林火災に巻き込まれ、焼け死んだ。……もう、しばらく火は見たくもない気分だね。嬉々として森に火を放つ連中が森の民を名乗るんじゃないよ、まったく!

 

「なんにせよ、いよいよ詰みってことだね。くそ、マルガの望みは果たせそうにないな」

 

 吸う気の失せた葉巻を地面に投げ捨て、それを踏み潰す。ここまでくれば、もう腹は決まっていた。あたしは軍人だ。最後まで出来るだけのことをしよう。

 

「ジークルーン、あんたにうちの兵士共を預ける。秘密の迂回路を教えてやるから、それを使って逃げ延びろ」

 

「……ほぉ? 私だけ逃げろと。貴様はどうする気だ」

 

 ジークルーンは眉を跳ね上げた。

 

「ヴァルマに陽動を仕掛ける。秘密の迂回路たって、空が抑えられている状態じゃあどれほど安全かわかったもんじゃない。目くらましは必要だろうさ」

 

「いけません、御屋形様!」

 

 手元に残った数少ない騎士の一人が、血相を変えて叫んだ。

 

「そのような役割は我らにお任せを! 御屋形様こそ、お逃げください」

 

「悪いが、駄目だ。……実はね、足がもうだいぶダメなんだ。エルフどもに追い掛け回されて、少しばかり酷使しすぎた。まだまだ若いつもりだったけど、寄る年波には勝てないみたいでねぇ……こんな足腰で逃避行に参加したら、文字通りの足手まといになっちまう」

 

 実際、あたしはもう体力的には限界だった。ここからミューリア市までは十キロとないが……踏破するのは、難しい。馬になんか乗ってたら、鳥人兵から集中攻撃を浴びるだろうしね。

 

「若造、あんたは生きて領地に戻りな。そして、出迎えた婚約者をベッドに押し倒すんだ。処女のまま死ぬなんて冗談じゃない、そうだろ?」

 

 あたしの言葉を、ジークルーン伯爵は黙然と受け止めた。しばしの沈黙の後、彼女は顔を赤くしてギリリと歯を鳴らす。

 

「舐めるな、クソババア。私は誇り高きジークルーン家の当主だ! 足腰の立たぬババアを囮に逃げ延びたりすれば、末代の恥になるわ!」

 

 そう言うなり、彼女は力いっぱいあたしの顔面をブン殴った。突然のことにあたしは対応できず、その一撃をモロに喰らう。もんどりうって倒れるあたしを指さし、叫んだ。

 

「いい気味だ、クソババア! 年寄りだからって偉そうにしやがって、むかついてたんだよ! ……おい、ミュリン伯爵がご負傷だ! さっさと後送して差し上げろ!」

 

「な、なにをするんだい、アンタ……」

 

 呻きながら立ち上がろうとするが、どうにもならない。この一撃でとうとうあたしの体力は限界を迎えてしまったようで。出来損ないのイモムシのように地面を転がるのが精一杯だった。

 

「うるさい! 足手まといはさっさと失せろ!」

 

「申し訳ありません、ジークルーン伯爵……!」

 

 護衛騎士はジークルーンに一礼し、強引にあたしの身体を抱え上げた。あたしは抵抗しようとしたが、無意味だった。それを見たジークルーンは、ニヤリと笑って踵を返す。

 

「ヴァルマ・スオラハティ! カマキリ虫人! 何するものぞ! まとめて叩き殺してミューリア市に凱旋してやるから、期待して待っているんだな! 老いぼれ!」

 

 

 



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第458話 くっころ男騎士と頭痛の種

 作戦は成功裏に終わった。重野戦砲隊の砲撃を受けた敵司令本部は設備だけを残して逃散、それを見た前線部隊もとうとう完全に士気崩壊して全面潰走に転じる。かろうじて組織的抵抗を続ける連中もいたが、それも精々部隊単位の話に過ぎない。結局長くはもたず、あっという間に降伏か逃走か、あるいは玉砕かの三択を迫られることとなった。

 とはいえ、敵の大半は軍役や政治的な理由で参戦した諸侯たちだ。故郷が戦場となったミュリン兵を除けば、徹底抗戦を選ぶほど士気の高い者はほとんどいなかった。余裕のあるものは白旗を上げ、そのほかの大半の兵はわき目もふらずに逃げ出すことを選んだ。その結果兵士たちの退路は大変に混雑し、圧死者はもちろん同士討ちまで多発する事態となる。負け戦とは概してそういうものだが、なんとも悲惨な話だな。

 会戦が終わってから丸一日が経過した現在、我々は戦場に留まり様々な後始末に追われていた。戦闘の結果は大勝利だったが、もちろんゆっくりと勝利の余韻に浸っている余裕はない。戦死者の埋葬、負傷者を手当て、消費した物資を再配分、損耗した部隊を再編成、残敵の掃討、捕虜や戦利品の差配……やるべきことはいくらでもあった。正直、忙しさで言えば戦闘中と大差ないくらいだ。

 

「当初の戦術目標はおおむね達成できたな。まあ、その過程に関しては改善の余地がずいぶんとあったが」

 

 各部隊指揮官から送られてきた報告書を読みながら、僕はそう呟いた。敵の損害は甚大、そしてこちらの被害はごくわずか。お手本のようなパーフェクトゲームだ。兵力差二対一でこれほどの対象を納められたのだから、何とも素晴らしい話である。ランチェスターの法則に従うならば、本来壊滅しているのはこちらの方だったはずだしな。

 とはいえ、不満がまったくないというわけではない。僕は報告書を指揮卓の上に置き、深いため息をついてから天幕の外を見た。そこでは、フェザリアやヴァルマとその腹心たちが顔を真っ赤にしながら腕立て伏せをしている。これは、彼女らの独断専行に対するペナルティの一環であった。わが軍では直接の暴力を用いた体罰は固く禁止されているが、その代わり軽微な軍旗違反の罰則として腕立て伏せや持久走などをする慣例があった。

 まあ、彼女らの暴走を想えばこの程度の罰では軽すぎるようにも思えるが……単なる腕立て伏せと侮ることなかれ、季節は既に初夏に足を踏み入れている。こんな陽気の中で直射日光を浴びながらの腕立て伏せは、半分拷問みたいなものだろう。それに、これはあくまで当面の罰則だ。予定では、のちのちきちんと軍法会議を定め適切な処罰を下すつもりであった。

 

「訓令戦術と独断専行は表裏一体。多少の逸脱には目をつぶるほかないが……限度はある」

 

 リースベン軍では現場指揮官に強い権限と裁量を与えている。いちいち上位者にお伺いを立ててから行動を起こすようなやり方では、作戦のテンポが遅くなってしまうからだ。そして、権限を与えるからには上はしっかりと尻ぬぐいをしてやらねばならない。責任を取らぬ責任者に給料をもらう資格はないからだ。

 ……とはいえ、一方的に野放しにするわけにもいかんからな。看過できない逸脱をした輩には、キチンとペナルティを与えなければならない。信賞必罰は組織運営における基本のキだ。

 

「先生これあと何回やればいいんですの~! そろそろぶっ倒れそうですわ~!」

 

「ぶっ倒れるまでだよ! オラッ! キリキリ動け! それが終わったらお説教だからな!」

 

「ンヒィ! 大戦果をあげたわたくし様のこの所業! 許されませんわよ~!」

 

 などと言いつつもキチンと腕立て伏せは続けるのがヴァルマという女である。そもそも本来なら彼女はスオラハティ軍の所属で、僕の部下という訳ではない。だから腕立て伏せなんか命じても従う義務はないはずなのだが……変なところで生真面目なんだよな、コイツ。

 とはいえ、手加減はできん。敵の包囲を阻止しろと命じたら逆に敵を包囲し始める奴がどこに居る。おかげで作戦後半のプランがめちゃくちゃ狂っちまったじゃないか。今回の作戦は順調に進み過ぎてかえってやりすぎてしまった感が否めないが、それはおおむねコイツが暴れ過ぎたのが原因である。過不足なく自らの仕事を果たしてくれたジルベルトの詰めの垢を煎じて飲んでほしいくらいだ。

 

「はぁ、まったく……」

 

 僕はもう一度ため息をついた。とはいえ、まだヴァルマの方はマシなんだよな。フェザリアなんか、勝手に火計を使いまくって戦場は大炎上、火災はいまだに鎮火の見込みが立たず延焼を続けているのだからたまらない。このままではあたり一面焼け野原だ。……エルフ内戦でも同じようなことが起きてたな。行く場所すべてを火の海にしなきゃ気が済まないのか? このエルフ派。

 本人曰く「草木などみな燃やし尽くしてん百年後には元通りになっちょります。ご心配なく」だそうだが、そんなスパンで物事を考えられるのは長命種だけだ。少しは森の民としての自覚を持っていただきたい。

 おまけにフェザリアには更なる余罪がある。よりにもよってこの女、白旗を上げてやってきたイルメンガルド氏を殺害しようとしているのである。幸いにも婆様は逃げのびることができたようだが、殺害未遂でも大概重罪である。このチョンボのおかげで、我々はいまだにミュリン軍と正式な停戦が結べていないのだ。

 

「ひひひ、苦労しておるのぉ。ま、この程度はエルフにとっては日常茶飯事じゃ。オヌシ自身が慣れていくしかあるまいよ」

 

 隣に座ったダライヤがそんなことを言うものだから、僕は思わず唇を尖らせて「何他人事ヅラしてんだオメーはよー」と漏らしてしまった。一応お前もエルフの皇帝だろうがよ。まあ、正統エルフェニアのフェザリアとは組織が違うが。

 

「はぁ……しっかしどうしたもんかね。ヴァルマと違って、フェザリアのほうは腕立てとお説教だけじゃ済まされないぞ」

 

 過剰な戦果拡大行動だけならまだしも、白旗上げてる相手を殺そうとしたのは流石にまずいだろ。最低限、そのあたりのルールは守ってもらわないことには統制上大変に困る。しかも彼女の場合、初犯じゃないし。

 とはいえ、大きなペナルティも与えづらいんだよな。なにしろフェザリアがこれほどキレ散らかしたのは、ミュリン家の不義理と僕に対する侮辱が原因なわけだし。つまり、忠誠心からの暴走だ。これに対してあまりにも過剰な反発をすると、彼女らからの忠誠心その物が薄らいでしまう。

 正直、それが一番怖いまであるんだよ。なにしろ現在エルフどもが僕の下についてくれているのは彼女らの好意あってのことだ。この信頼関係が崩壊したら、リースベンは内戦状態に逆戻りしてしまう。そうなったらもう最悪だ。もう二度とエルフどもを敵に回した戦争とかしたくないし、めっちゃ困る。本当に、強すぎる臣下ってやつは実に扱いづらいなぁ……。

 

「ま、その辺りはおいおい……じゃな。ここはいまだに戦地じゃ、最終的な沙汰を下すのは戦争が終わったあとでも遅くはなかろ? 考える暇は十分にあるはずじゃよ」

 

「そうだね……」

 

 僕は頷いてから、もう一度ため息をついた。この戦争が始まってからこっち、敵よりも味方のほうに悩まされているような気がするなぁ。

 

「まあ、確かに今はフェザリアへの処分より戦争の行く末のほうが大切だ。結局、まだミュリン家との決着すらついていないわけだし」

 

 僕は目の前に置かれたカップを手に取り、すっかり冷え切ってしまった香草茶を飲みほした。イルメンガルドの婆さんは降伏を望んだようだが、結局それは果たされなかった。こちらがハッスルしすぎたのが原因だ。大変に申し訳ないと思う。

 

「とりあえず、ミュリン家と交渉の場を持たねばなりませんね。相手方もこれ以上の継戦の意志はないでしょうし、我々としても無意味な戦いは出来るだけ早く終わらせたいところです」

 

 ソニアはそう言ってから、皮肉気な顔で肩をすくめた。

 

「とはいえ、当のイルメンガルド氏は行方知れず。困りましたね」

 

「交渉相手が居ないことには話にならんからな……。後先考えるなら、やっぱり斬首作戦は考え物だな。こうなってくると、指揮本部を砲撃したのも考え物だったかも」

 

 僕は腕組みをして小さく唸った。この戦いは周辺の帝国諸侯に対する見せしめという部分も多かったので、徹底的な攻撃を仕掛けたのだが……少々やり過ぎた感はあるよな。僕もフェザリアやヴァルマを責められる立場じゃないかもしれん。

 

「ま、敵はミュリン家だけにあらず……じゃ。敵は諸侯連合軍。ミュリン家とはすぐに交渉を持てぬというのなら、他の家から始めればよい。手始めに、ワシが捕まえてきた……そう、ワシがこの手で捕まえてきた! ジークルーンとかいう伯爵と話し合ってはどうかの?」

 

 得意満面のドヤ顔でそんなことを言うダライヤ。作戦終盤、ヴァルマやネェルと共に敵の後方に回り込んだ彼女は、大物を一人捕虜に取っていた。敵軍の実質的ナンバーツーだったジークルーン伯爵である。

 ……お手柄はお手柄なんだけど、正直なんだかなぁって感じだ。何しろ僕が敵の退路を断ったのは、イルメンガルド氏を確実に捕縛するためだったのだ。にもかかわらず、彼女らが捕まえてきたのは同じ伯爵でもイルメンガルド氏とは似ても似つかぬ狐獣人の若武者である。肩透かし感は否めなかった。

 

「……そうだな。一度、ジークルーン伯爵にも会っておくことにしようか」

 

 とはいえ、ジークルーン伯爵とて有力諸侯の一人には違いないのだ。せっかく捕虜に出来たのだから、有効に活用したいところだな……。



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第459話 くっころ男騎士とくっころ女騎士

 ジークルーン伯爵は、ズューデンベルグ領やミュリン領のやや北方に領地を持つ有力諸侯だ。今回の戦いでは神聖皇帝による皇帝軍の組織の発布前からミュリン方につき、諸侯連合軍の副将として活躍したという。

 彼女の属するジークルーン家はあまり歴史の長い家ではないが、近年では武門の名家として名をはせ始めているそうだ。なんでも優れた新兵器や新戦術をいち早く採用することで軍を急成長させ、周辺諸国との小競り合いや軍役などでは連戦連勝らしい。僕としては、なんだか親近感を覚える経歴である。

 まあ我がブロンダン家はそのジークルーン家よりも遥かに歴史の短い家だがね。ここだけの話、祖母はもともと苗字すら持たぬ流民だったらしいし。さすがにウチと一緒にされたら、ジークルーン伯爵も怒るかもしれない。

 それはさておき、ジークルーン伯爵である。いささか予定外気味ではあるが、せっかく捕縛したのだから有効活用しない手はない。交渉と事情聴取のため、僕は彼女の収容されている天幕を訪れたのだが……。

 

「くっ、生きて虜囚の辱めを受けるとはなんたる不覚! いっそ殺せ!」

 

 顔を合わせるなり、いきなり吐かれたのがこの言葉だった。僕は思わず額を押さえ、少し思案してしまう。

 

「……それはこちらのセリフでは?」

 

 だってさ、くっころだよくっころ。僕の第二の人生において、何度その台詞を吐いたかまったく覚えてないよ。どいつもこいつも僕を生け捕りにしようとするのだから、言う機会がやたら多いんだよね。なんなら、無理やりコレを言わせようとするヤツまで居る始末だ。

 

「は? 何を言っているんだ、貴様は。虜囚は私であって貴様ではなかろうが!」

 

「アッハイ、その通りですね」

 

 うん、まあ、ジークルーン伯爵の言っていることは全面的に正しい。我ながら何言ってるんだろうね、まったく……。僕は思わず頭を掻き、ため息をついた。

 

「その……何と言いますか、捕虜の虐待や処刑は軍紀上厳に慎むべきと考えておりますので……ご要望にはお応えできかねます。ご容赦ください」

 

 そもそもの話、虜囚の辱めと言っても貴族としてふさわしい処遇はしてるつもりなんだけどね。拘束もしてないし、武装解除も求めていない(貴族から剣を奪うのは名誉ある扱いではないとされている)。これで虜囚の辱めとか言ってたら、エロ本に出てくる男騎士に怒られると思う。

 

「御身の処遇に関してご不満な点がありましたら、大変に申し訳ありません。なにぶん戦地ゆえにアレコレ不足しておりまして……」

 

 そこまで言って、僕は自分がまだ自己紹介すらしていないことに気付いた。まあ、向こうはすでに僕の名前など知っているだろうが、礼を失するわけにはいかんからな。コホンと咳払いをし、頭を下げる。

 

「ああ、申し遅れました。お初にお目にかかります、ジークルーン伯爵閣下。リースベン城伯、アルベール・ブロンダンと申します」

 

「……ジークルーン伯エルネスタ・フォン・ジークルーンだ」

 

 しばらく躊躇したあと、ジークルーン伯は挨拶に応じた。しかしその口調は固い。どうにも、なかなか頑ななお方のようである。

 

「私に何の用だ、ブロンダン卿。尋問や拷問をしようと思っているのなら無駄だぞ。私は貴様などには屈しない!」

 

 狐耳の麗人は、そんなことを言いつつキッと僕を睨みつけてきた。さっきからエロ本に出てきそうなセリフのオンパレードだな。ちょっと興奮してきたぞ。

 

「むろん、拷問などという野蛮な真似はいたしません。ご安心を」

 

「嘘をつけ、嘘を! 貴様はあの野蛮極まりないヴァルマ・スオラハティやらフェザリア・オルファンなどを従えているではないかっ! い、今頃我が部下も……生きながら火刑に処したりしているんだろうっ! 騙されんからな!」

 

「しませんよ、そんなこと……」

 

 うん、なるほど。ジークルーン伯爵がなんでこんなに頑ななのか分かったな。どうやらおおむねフェザリアとヴァルマが悪いらしい。本当にあの二人は……。いやまあ、フェザリアはさておきヴァルマに関しては僕としても責任を負いかねるのだが。なにしろあいつは己の厚意と野心のために我が方に参陣しているだけで、正確に言えば僕の部下ですらないのだ。

 

「ジークルーン軍の捕虜も、一兵卒にいたるまで無事です。お望みでしたら、面会の手配も致しましょう。ご安心を」

 

「……まことか?」

 

「ええ、もちろん」

 

 ヴァルマの騎兵大隊とわが軍のライフル兵中隊の奮戦により片翼包囲の憂き目にあったジークルーン軍ではあるが、完全に秩序が崩壊する前に戦闘が終結したため死者は意外と少なかった。むろん捕虜には危害を加えていないので、多くの将兵は生きて故郷の土を踏めるだろう。

 

「……ふん、一応は感謝しておこう。あのような連中を率いているわりには淑女的だな、ブロンダン卿」

 

 あのような連中呼ばわりか。十中八九、エルフのことだな。ヴァルマの騎兵隊に関しては、頭目がアレなだけで末端はまあマトモな組織だし。ジークルーン伯爵はイルメンガルド氏と共に森の中でフェザリアらに追い回されたらしいので、そうとう恐ろしい思いをしたのだろう。

 ……ん? 森の中でエルフに追い回された? よく考えると、なんかヘンだな。エルフ連中の戦闘力は折り紙付きだ。ましてや、戦場は彼女らが本領を発揮する森林である。にもかかわらず、フェザリアは若いジークルーン伯爵のみならず老齢のイルメンガルド氏すら取り逃がしている。あのフェザリアがそんな片手落ちな真似をするだろうか……?

 

「なるほどな」

 

 伯爵に聞かれないよう気を付けながら、僕は小さく呟いた。フェザリアはバーサーカーめいた戦士だが、決して頭の回らぬ女ではない。このような合戦で敵の主将と副将を揃って仕留めれば却って厄介なことになるなどということは理解していたはずだ。

 ましてや今回の彼女は殺傷力の高い妖精弓(エルヴンボウ)ではなく見た目は派手だが確実性の低い火炎放射器を主軸に攻撃をしかけている。つまり、フェザリアの狙いはイルメンガルド氏らを殺害することではなく、脅しつけることだったわけだ。

 つまるところ、フェザリアはこの作戦の目的があくまで示威行為であることを理解していたのだ。エルフ(を擁するリースベン軍)に喧嘩を売るべからず、そういう教訓を敵将に与えるため、彼女はあえて派手で野蛮な真似をやった。そういうことだろう。

 

「あのような連中を率いているからこそ、ですよ」

 

 僕はそう言ってから、彼女に椅子へ座るよう促した。僕自身も腰を下ろすと、ジークルーン伯爵はおずおずといった調子でそれに続く。従兵を呼び、香草茶を注文してから僕は彼女に向き直った。

 

「我々とエルフたちは、まだ共存の道を歩み始めたばかりなのです。彼女らにはまず、こちらの道徳を知ってもらう必要がある。そうしないことには、共存共栄など夢のまた夢ですから。そのためにはまず、統治者たる僕自身が率先して文明的にふるまわねばなりません」

 

「貴様もあの連中の扱いには苦慮していると?」

 

「ええ、もちろん。……逆に考えてください。ああいう連中を野放しにした状態で、まともな領地運営が成り立つと思いますか?」

 

「……思わんな」

 

 ジークルーン伯爵は青い顔で首を左右に振った。自分の領地にエルフどもが居たら……という想像でもしたのかもしれない。

 

「僕の領地には、エルフが何千名もいます。おまけにそのエルフの大半は流民であり、己の畑を持っていません。……そして僕は、この戦いに手勢のほとんどを率いて参戦しています。この意味がわかりますか?」

 

「……いや、いや。えっ、本当か? 大丈夫なのかそれは!?」

 

「全然大丈夫ではありません。正直、僕としては今すぐこんな戦争は終わらせて領地に帰りたいんですよ」

 

 客観的にみるとだいぶ詰んでるんだよな、リースベン。ヤバイ蛮族がウン千人いるのに、軍の主力は外地に出払っている。常識的に考えると、反乱祭りになって国がひっくり返らない方がおかしい状況だ。

 まあ、実際のところリースベンの内乱に関してはそこまで心配してないんだけどね。僕はエルフたちを武力を用いて強引に服従したわけではない。僕の下に付けば飢えずに済むぞと約束をしただけだ。だから、キチンと食料が供給されている限りはエルフたちはあえて現状の秩序を破壊しようとは思わないだろう。すくなくとも、エルフたち自身が自給自足できるようになるまではね。

 とはいえ、そんな事情は外部からはわからない。この認識の差を利用させてもらう。ましてや、ジークルーン伯爵は自身がエルフの手でひどい目にあわされている。脅しの手段としてはてきめんに効果的だろう。

 

「ああ、しかし時間稼ぎをして我々がつぶれるのを待とう、などと言うことは考えない方がよろしいですよ。なにしろリースベンは小麦どころかライ麦すら育たぬ不毛の地。エルフどもが暴発したら、間違いなく彼女らは食料を求めて新天地に向かいます。つまりは、神聖帝国の穀倉庫足るこの地方にね」

 

「……そんな土地でよく暮らしていけるな」

 

 ジークルーン伯爵の顔色はさらに悪くなった。実際、この未来予想図はそれほど非現実的なものではない。エルフらとの和議が成らなかった場合、高確率で彼女らは北進を始めていたことだろう。

 

「エルフはね、恐ろしい種族ですよ。なにしろ長命種で、百歳でもまだ若造扱いされるような連中です。その長い人生を武芸の鍛錬に当てるせいで、どいつもこいつもそこらの騎士よりよほど強い! しかも農民階級と戦士階級が区別されていないので、実質的に国民皆兵と来ている!」

 

「まて、まて、待て! 貴様、さきほど領内に数千名のエルフが居るとかいってなかったか? その連中すべてが……我々と交戦したあのエルフ共と同じような戦士たちなのか!?」

 

「はい。その通りです」

 

「そんな連中をよく服属させられたな!?」

 

 自分でもそう思うよ、マジで。今の状況は奇跡みたいなものだ。

 

「ええ、はっきりいって極星の恩寵があったとしか思えません。ですが、まだそれも道半ば。我々の統治体制もまだまだ不安定です。なにしろ、安定の源たる食料供給が不確かですからね。ディーゼル家との協力関係を築けたのは、ほんとうに幸運でした。我々にとって、今やズューデンベルグは無くてはならない食料庫です。……にもかかわらず、ミュリン伯は!」

 

 僕はテーブルを思いっきり叩いた。ま、八割くらい演技だけどね。

 

「あ、し、失礼しました。思わず気持ちが高ぶってしまい……」

 

「い、いや、結構だ。気持ちはわかる」

 

 ジークルーン伯爵も領邦領主だ。しかも歴史の浅い家の出身であるから、それなりに苦労もしているはず。こちらの苦悩に共感を示す素地はあるだろう。実際、彼女が僕を見る目にはいつの間にか同情の色が浮かんでいた。

 

「とにかく、僕にとってこの戦争はたいへんに不本意なものです。……そしてそれは、ジークルーン伯爵も同じことでしょう? なにしろ、ジークルーン軍は無益な戦いに巻き込まれた立場ですから」

 

 僕はそう言って、ジークルーン伯爵の手を取った。ちなみに、僕は最初からこうことをする目的で手袋を付けていない。セコいけど意外と効くんだよね、こういう小技。

 

「あ、ああ。その通りだ。北の方では大きな戦が始まりつつある様子だからな。南部まで飛び火されては、たまったものではない。致し方なく火消しに来たら、この始末だ。やってられん」

 

 ちょっと頬を赤くしながら、伯爵はそっぽを向いた。よっしゃ、効いてる効いてる。

 

「それはまったくもって僕も同感です。……ですから、伯爵閣下。よろしければ、我々とミュリン伯の仲介の労を取っていただけませんでしょうか?」

 

 そんなことを言いつつ、彼女の手をぎゅっと握る。……なんかあくどい事やってるような気分になってるけど、実際は何の他意もない。戦闘の趨勢は既に決まったからね、あとは事態をどういう風に着地させるかを考えるフェイズだ。そういう面では、ジークルーン伯爵に仲介を頼むのは何も間違っていない。戦いにおいては大勝した我々だが、イルメンガルド氏は取り逃がしてしまったからな。彼女を交渉の席に引きずり出す必要があるのだ。

 

「……なるほど、そういうことであれば手を貸すのもやぶさかではない。だが、流石にタダ働きというのは面白くないな? 具体的に言えば、捕虜解放の際の身代金の免除などの見返りがあれば、やる気が出るのだが」

 

「ええ、結構ですよ。ジークルーン軍の皆様は、無条件で解放いたしましょう」

 

 僕はニッコリと笑って頷いた。こちらとしては、ジークルーン家から利益を引き出そうとは思っていないからな。多少の譲歩は問題ない。ま、身代金に関しては少しばなり惜しいがね。それに、金銭に関してはミュリン家に請求する損害賠償の額を上積みすれば済む話だしな。

 

「大変結構。ただ、もう一つだけ条件がある。ミュリン家の処遇に関してなのだが……一族の者を処刑するようなことは、しないでいただきたい。私は、イルメンガルドを逃がすために負傷をおして出陣したわけだからな。彼女の首に縄をくくる手伝いをするわけにはいかん」

 

「……ほう、なるほど。流石は武門の誉れ高いジークルーン家のご当主様。騎士の鑑のようなことをおっしゃる。あい分かりました、そのような無体な要求はしないとお約束しましょう」

 

 そもそも、戦犯の処刑なんかを求める気は最初からないしな。この戦いはあくまで予防戦争なのだから、戦費を回収できる程度の賠償金が得られればそれで納得するつもりでいる。むろん、そのようなことを口にすれば交渉上不利になるので言わないが。

 

「よろしい。そういうことであれば、この話はお受けしよう。……イルメンガルドの奴は、ミューリア市の居城に戻っているはず。ここはひとつ、私が使者となって彼女と話をしてこよう。すまないが、そのように手配してもらってよいかな?」

 

「むろんです、閣下」

 

 僕はそう言って満面の笑顔で頷いた。よし、よし。おおむねこちらの思惑通りに事が進んだな。実はこの作戦を立案したのはダライヤなのだが……流石はロリババア。パーフェクトな仕上がりだ。今回の戦いのMVPであるジルベルトともども、後で何かご褒美を用意せねばならないな……。



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第460話 不肖の孫と老狼騎士

 アタシ、アンネリーエ・フォン・ミュリンは退屈なる日々を過ごしていた。なにしろ、アタシはブロンダン卿に対する粗相(・・)が原因で一か月もの蟄居(ちっきょ)を命じられているのだ。この蟄居という刑罰はなかなかに厳しいもので、期間中は延々と自室に閉じ込められることになる。風呂や便所へ行くことすら許されないのだから大概だ。実質的な監禁と言っても過言ではない。

 そういう訳で、ミューリア市に帰ってきて以降アタシの生活は灰色一色になっていた。部屋の中では日課だったランニングも剣の鍛錬もできず、軍学書を読んだり屋内でもできるちょっとしたトレーニングくらいしかやることがない。それもじきに飽きて、侍従を呼んでテーブルゲームに興じるような始末だった。本当に無意味極まりない日々だ。こんなんじゃ身体がなまっちまう。

 そうして腐っていたアタシのもとに、朗報(・・)が飛び込んできた。どうやら、リースベンとの戦争がほぼ確定的になったらしい。どうやら連中はディーゼル軍の残党と連合を組んでいるようだが、所詮は辺境の小領主と主力を欠いた敗残兵どもの野合。恐ろしいことなど何もない。うちのばぁちゃんなら、英傑・イルメンガルド・フォン・ミュリンならば、赤子の手をひねるように蹴散らしてくれるだろう。あのお高く留まった男騎士が泣きながら土下座をする姿を想像して、アタシは無聊を慰めた。

 

「ミュリン軍が……負けた?」

 

 だが、事態は予想だにしない方向に転がっていく。ミュリン家を盟主とした諸侯連合軍はリースベン・ディーゼル連合軍に大敗を喫し、壊滅状態に陥ったのだという。それを聞いた時、アタシはタチの悪い冗談だと思った。でも……それは現実だった。ばぁちゃんが僅かな手勢と共に落ち伸びてきたと聞いて、アタシはとうとういてもたってもいられなくなった。使用人たちの制止を振り払い、部屋を飛び出してばぁちゃんの元へと急ぐ。

 ばぁちゃんたちは、ミューリア城の大ホールに居た。祝いの席ではパーティー会場としても使われるその部屋の真ん中では、十数名ほどの騎士や兵士たち倒れ込むようにして体を休めている。その周囲を家臣や召使いなどが取り囲み、あれこれ話し合っていた。

 戦場から帰還したばかりだという彼女らの姿はひどい有様だった。磨き上げられていた武具は埃と煤で真っ黒になり、体のあちこちに生傷やら火傷やらを作っている。どこからどう見ても、落ち武者だった。勝利の栄光からは程遠い姿だ。それを見たアタシは心が締め上げられるような心地になって、「おかえり」の一言すらいえなくなってしまう。

 

「おおっと、アンタまで来たのかい。蟄居が明けるにゃちぃと早い気がするが、まあいいや」

 

 椅子にどっかりと腰掛けたばぁちゃんは、そういって力なく笑う。尊大な、というよりは精も根も尽き果てて姿勢を正す余裕もない、という風に見えるような座り方だった。

 

「……ちょっとこっちに来な。ちょっとばかり足元が怪しくてね」

 

 アタシはぐっと歯を食いしばりながら、ばぁちゃんに歩み寄った。ばぁちゃんは何も言わずに、アタシの体をぎゅっと抱きしめる。

 

「……また、アンタをこうして抱きしめられるとは思わなかった。すまないね、アンネ。ばぁちゃん、負けちまったよ」

 

「ど、どうして……」

 

 アタシの喉から飛び出した声は、ひどく震えていた。そして、周囲を見回す。城に戻ってきた者たちの中に母の姿がないことを、アタシは気付いていた。

 

「か、かぁさんは……?」

 

「……」

 

 ばぁちゃんは、無言で首を左右に振った。何もかもをあきらめてしまったような、虚無的な表情をしている。こんな顔をしたばぁちゃんを見たのは、生れて初めてだった。

 

「わからん……戦死報告は聞いていないから、運が良ければ生きているかもしれん。だが……今は、死んだものとして扱うほかない。だからアンネ、今のアンタは次期ミュリン伯だ。そんな顔をしていないで、シャッキリしな」

 

「え、あ……」

 

 アタシが、次のミュリン伯? どうして……いや、母さんが死んだのなら、確かにそうなるが。でも……そんな。

 

「……ごめん。ごめんなぁ、アンネ。ばあちゃんが情けないばっかりにこんなことになっちまって」

 

 湿った声でそう言って、ばぁちゃんはアタシを抱く手に力を込めた。堪えているのにボロボロと零れていく涙を隠すように、アタシはばぁちゃんの胸に顔を押し付けた。

 

「ふ、復仇を。かたき討ちを……しないと……」

 

「駄目だ、アンネ」

 

 首を左右に振ってから、ばぁちゃんはアタシの身体を放す。

 

「ミュリンにそんな力はこれっぽっちも残っちゃいない。今は、すでに失ってしまったモノを惜しんでいる余裕なんかないんだ。これから失われていくものを、出来るだけ少なくしなきゃならない。負けるってのは、そういうことだ」

 

「ば、ばぁちゃん! 何言ってんだ! アタシらにはまだこのミューリア市があるじゃねぇか! 一回野戦で負けたからなんだってんだ! 次は籠城戦で対抗すりゃいいだけだろっ! ちょうど、麦刈りも終わったばかりだ。糧食には困らねぇ。このミューリア市なら、何か月だって持ちこたえられるはずだっ!」

 

「レンブルクだって一日で落ちたんたッ! ミューリアだって大して持ちやしねぇよッ!」

 

 ばぁちゃんの声は、ほとんど絶叫と言っていい代物だった。それまで好き勝手喋っていた家臣たちがピタリと黙り込み、周囲の注目がアタシたちに集まる。ばぁちゃんは自分の行いにショックを受けた様子で、思わず口を押えた。

 

「ああっ、くそっ! メッキが剝がれちまってまぁ……耄碌婆がっ!」

 

 頭をガシガシと掻きむしるばぁちゃん。深いため息をついて、視線をアタシの方に戻す。

 

「もはや戦いは終わったんだ、アンネ。受け入れろ。レンブルクは濡れ紙みてぇに破られたし、六千の野戦軍はタンポポの綿帽子みてぇに吹き散らされた。いまアタシの手元にある戦力は、心の折れた敗残兵が少しばかりとこの城の守衛兵だけだ。こんなんじゃ戦にはならねぇ、下手すりゃちょいと大規模な盗賊団にすら負けちまう」

 

「どうして、そんな……」

 

 あんまりだ、あんまりすぎる。どうしてそんなことになってしまったのだろうか? 敵の戦力はそこまで多かったのか? 戦前の資産では、兵力差はせいぜい二対一という話だったじゃないか……。

 

「とにかく、これ以上いくさを続ければミュリン領そのものが滅びることになる。いや、もう手遅れかもしれんがね……」

 

 そう言って皮肉げに笑ったばぁちゃんは、アタシの肩をポンと叩いた。

 

「とにかく、一回ブロンダン卿と交渉してみようと思っている。ここまでくればいっそ幸いといっていいくらいだが、わが軍は敵方にまったく損害を与えられなかったからな。却ってそれがいい方に働くかもしれん」

 

「ば、馬鹿なこと言うなよ、ばぁちゃん! ここまでされて、今さら降参なんて出来るかよ! いっそ、死ぬまで徹底抗戦を……」

 

「守るべきものが名誉だけになったら、あたしだってそうするけどね。まだばぁちゃんには守りたいものがあるのさ。すまないが、堪えておくれよ」

 

 薄く笑ったばぁちゃんは、アタシの頭を優しく撫でた。

 

「ウチから出せるものなんか、家財とこのあたしの首くらいしかないがね。なんとか、それで手打ちにしてもらってくるさ。……あたしの身がどうなろうと、あんたはかたき討ちなんて考えるんじゃないよ? あたしは、ミュリン家当主としての仕事を果たすだけだ。あんたが私情でそれをぶち壊そうってんなら、あたしは地獄からよみがえってあんたをたたり殺してやる。分かったな?」

 

 そう語るばぁちゃんの顔は真剣そのもので……あたしは、反論することができなかった。

 

「……うん」

 

「良い子だ」

 

 力なく笑って、またばぁちゃんはまたアタシの頭を撫でた。いくら歯を食いしばっても、目からこぼれる涙の量は減りやしない。アタシはとうとうこらえきれず、声を上げて泣き出した。……ああ、どうして。どうしてこんなことになったんだ? なんで、どうして……ブロンダン卿と戦争になったばっかりに? じゃあ、じゃあ、じゃあ……アタシが、ブロンダン卿に喧嘩を売ったのが悪かったの……か?

 



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第461話 不肖の孫と降伏勧告

 それから数日間、辛く重苦しい期間が続いた。ばぁちゃんはすっかり衰弱してベッドから起き上がることすら難儀するような有様で、おまけにミューリア市には戦場から逃れてきた敗残兵たちが五月雨式に集まってくる。捨て置くこともできないので保護をするのだが、最低限しか配置していなかった城の守備兵だけでは手が足りない。アタシまで手当や炊き出しに駆けずりまわる羽目になった。これでは、降伏の軍使を送ることすらままならない。

 降伏……そう、降伏せねばならない。もともと、ばぁちゃんはこの戦いに全力を出していた。常備兵はもちろん、傭兵も可能な限り雇った。軍役義務をもつ平民たちもすべて招集した。その上で大敗を喫してしまったのだから、挽回をする余裕などない。アタシのような若造にだってわかることだ。結局のところ、こうなってしまった以上は降伏するほかないんだ。

 ……どうしてこうなってしまったんだろう。聞いた話では、戦力差は六千対三千だったそうだ。どう考えても前者が勝たねばおかしい。けれども、現実はそうはならなかった。それどころか、単なる敗北どころか大敗といっていい有様だった。

 戦場から逃げ帰ってきた者たちは、将や兵の区別なくすっかり心が折れてしまっていた。反撃しよう、などという意気のある者など一人もいない。誰もかれもが「もうお終いだ」と呟いている。どうにも戦場は尋常なものではなかった様子だ。身も心もズタボロになった彼女らを見るたびに、アタシの心は膿んだような痛みを発するのだった。戦前の己の言動が、頭の中でグルグルする。

 そんな中、事態に動きがあった。ミューリア市に、ジークルーン家の家紋を掲げた一団がやってきたのだ。ジークルーンはこのいくさでも共に(くつわ)を並べて戦った仲だ。これにはほとんど寝たきりになっていたばぁちゃんも喜び、ベッドから起き上がってきた。

 

「ジークルーン伯爵! 生きていたのか!」

 

「恥ずかしながらな」

 

 ミュリンとジークルーンの両伯爵は、再会するなり抱き合って喜んだ。戦前はギスギスした関係だったというのに、まるで生き別れていた旧友と再会したような態度だった。

 

「ヴァルマ・スオラハティに追い回された時は、いよいよ私もこれまでかと覚悟したがね。小さなエルフとカマキリ虫人に庇われて、なんとか事なきを得た」

 

「エルフ!? カマキリ!? ヒトを庇うような良心があるのか、あいつらに……。いや、今はそんなことはどうだっていい。つまり、今のアンタは……」

 

「ああ、お察しの通りだ」

 

 そう言ってため息をつくジークルーン伯爵の表情は、なんとも痛ましいものだった。

 

「今の私は、虜囚の身だ。ブロンダン卿から降伏の特使を頼まれて、ここへやってきた」

 

 ……それから、三十分後。アタシたちは、ミューリア城の一角にある小さな談話室に移動していた。部屋の中に居るのはばぁちゃんとジークルーン伯爵、そしてアタシの三人だけだ。その他には、御用聞きの召使いの姿すらない。家臣や使用人にすら聞かせられない話をするためだった。

 正直に言えば、アタシも退室したいくらいの気分だ。しかし、それはばぁちゃんが止めた。こういうことになったからには、お前も責任者としてミュリン家を差配する義務がある……とのことだった。

 

「最初に一つ、良いニュースを教えておこう」

 

 黒々とした豆茶を啜ってから、ジークルーン伯爵は口を開いた。

 

「貴殿の長子、マルガ・フォン・ミュリン殿は生きている。私と同じく、捕虜の身だがな」

 

「本当かい!?」

 

「か、かあさん……! よかった……」

 

 あたしとばぁちゃんは、そろって椅子から身を乗り出した。今の今まで、かあさんの安否情報はまったく入ってきていなかったのだ。おかげで、アタシたちはもちろん家臣らもひどくピリピリしていた。ミュリン家はもう終わりだとかほざいて、街から逃げ出してしまう者まで出る始末だったのだ。

 

「とはいえ、あまり良い状態ではない。収容された直後は生死の境をさまよっていたそうで、意識を取り戻したのも私がリースベン軍の野営地から発つ直前の話だ」

 

「……そうかい」

 

 神妙な表情で、ばぁちゃんは頷いた。……意識を取り戻したということは、峠は越してるんだろうが。それでも、やはりこういう話を聞くと心配になってしまう。アタシはぎゅっと拳を握り締めた。

 

「マルガ殿は最後まで降伏を拒否して立派に戦い抜いたそうだ。直接マルガ殿の部隊と矛を交えたプレヴォ卿は、騎士の鑑と褒めたたえていたぞ。自分の名においてマルガ殿の治療には手を尽くすので、安心してほしいそうだ」

 

「良かった」

 

 ばぁちゃんはほっと安堵のため息をついた。アタシも全くの同感だった。

 

「プレヴォ卿というと……」

 

 聞き覚えのある名前だ。私が小さな声で呟くと、ジークルーン伯爵は小さく頷いて見せた。

 

「ブロンダン卿の腹心だな。ジルベルト・プレヴォ子爵。領地を持たぬ法衣貴族だが、かつてはかの高名なパレア第三連隊を指揮していたほどの人物だ」

 

「スオラハティ姉妹といい、プレヴォ卿といい、いち城伯の幕下とは思えぬ家臣団だな。今さらながら、なんという手合いと戦っていたんだ、我々は」

 

 ばぁちゃんの言葉に、アタシの心はズキリと痛む。アタシがさんざんに馬鹿にした相手に、ばぁちゃんはこれほどひどい目にあわされてしまったのだ。アタシが、アタシが余計なことをしたばかりに……。

 

「今さらそんなことを言っても仕方がない。覆水は盆に返らぬのだからな。とにかく、肝心なのはこれからどうするかということだ」

 

 そう言って、ジークルーン伯爵は腹立たしげに茶菓子のビスケットをかみ砕いた。

 

「これはブロンダン卿から聞いた話だが、リースベンには数千人のエルフがいるらしいな?」

 

「ああ、そういう話は聞いてるね。蛮族どもの内戦を終結させ、今は小さな街を作っている最中だとか」

 

 ばぁちゃんは頷いてから、それが? と聞き返した。

 

「そのエルフの大半が、我々が交戦したあの連中と変わらぬ練度をもった戦士だそうだ。……考えてみれば、当然のことだな。なにしろ連中は長命種だ。老人も子供も少ないのだから、人口の大半が兵役適齢期だ」

 

「あっ……!」

 

 その言葉に、ばぁちゃんの顔がさっと青くなる。劇的な反応だった。

 

「そうか、よく考えりゃあ当たり前だ! 畜生、あたしはなんでこんな簡単なことに気付かなかったんだ……!」

 

「つまり、彼が敗北してリースベンが崩壊した場合、食料を求めて数千のエルフが南部に流れ込んでくる可能性があるということだ。リースベンは開けてはならぬ禁断の箱だったんだ」

 

 そう語るジークルーン伯爵の表情は、まるで苦虫をかみつぶしたようなものだ。アタシの脳裏に、あの恐ろしいエルフの戦士の姿がフラッシュバックする。あんな連中が……数千人? 領邦がいくつも滅んでしまう!

 

「……あたしがガキの時分は、南の山脈は絶対に越えてはならない禁足地とされていたんだ。それが、ディーゼルのクソボケが街道なんか整備しちまって……クソッ、先人の教えってやつは存外正しいもんだねぇ!」

 

 ばぁちゃんは苛立たしげに応接机を殴りつけ、めまいを起こしてソファに身を預けた。慌てて、あたしはばぁちゃんの肩を撫でる。ジークルーン伯爵は、そんなアタシたちを気遣わしい目つきで見ていた。

 

「ブロンダン卿が、なぜズューデンベルグに領土割譲要求をしなかったか理解した。そんなことをしている余裕がなかったんだ。ブロンダン家は、エルフどもの蓋だ。刺激してはならん。食料でもカネでもくれてやって、大人しくしてもらった方がいい」

 

「……ああ、ああ。今さらながらに理解した。ああ、ったく冗談じゃねえ。くそエルフどもめ……」

 

 そう語るばぁちゃんの手は小さく震えていた。武者震い……などではない。恐怖からくるものであるのは明らかだった。その姿に、アタシはショックを受ける。ばぁちゃんは、いつだって強くて格好いいアタシの目標とする人だった。それが、これほど憔悴してしまうなんて。あの戦場は、いったいどれほどひどいものだったのだろうか?

 

「ハッキリ言うが、我がジークルーン家はこの一件からは手を引く。皇帝は文句を言うだろうが、構う事か。役にも立たぬリヒトホーフェン家の猫どもに義理立てして、家や領地を滅ぼすような愚は犯せん」

 

 強い口調で言い切ってから、ジークルーン伯爵はアタシたちを眺めまわした。先ほどから一転、品定めをするかのような目つきだ。

 

「……願わくば、ミュリン伯。あなたにもそれに続いてもらいたい。幸いにも、ブロンダン卿は講和の際には貴殿の首は求めぬと確約してくれたからな。安心してほしい」

 

「あたしの首の行方なんか、どうだっていい話さ。今まで降伏できなかったのは、白旗を上げる余裕すらなかったってだけだ」

 

「流石はミュリン伯だ」

 

 目を伏せながら、ジークルーン伯爵は頷く。こんなことになってしまったのは、彼女にとっても不本意なものだったのだろう。

 

「ジークルーン伯爵が仲介してくれるってんなら、話は早い。ブロンダン卿に直談判させてもらおうじゃないか。この老骨最後の仕事だ、腕が鳴るね……」

 

 そう言ってばぁちゃんは立ち上がろうとしたが、足が立たずにソファへと倒れ込む。ばぁちゃんは盛大に舌打ちをしてもう一度立ち上がろうとしたけど、うまくいかない。慌てたジークルーン伯爵が手を差し伸べようとしたが、アタシがそれを遮った。

 

「ば、ばぁちゃん。一つ……頼みがあるんだ」

 

「……なんだい、藪から棒に」

 

 こんな状態でも強い意志の籠ったままの目で、ばぁちゃんはアタシを睨みつけた。

 

「アタシが、ブロンダン卿に直接詫びを入れてくる。だから、ばぁちゃんは城で待っていてくれないか」

 

「アンタぁ……自分がブロンダン卿に何をやったか忘れたのかい? ウンと頷くわけにはいかないね……」

 

「いや、だからこそだ。この件は、アタシがけじめを付けなきゃなんねぇ。必要なら、ブロンダン卿の靴でもケツでも舐めてくる。だから……ばぁちゃんは少し休んでいてくれ」

 

 そういって、アタシはばぁちゃんを押しとどめた。そうだ……こんなことになっちまったのは、アタシのせいなんだ。その責任をばぁちゃんにおっかぶせるわけにはいかねぇ。どんな屈辱に耐えてでも、ブロンダンに許しを請う必要がある……。



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第462話 くっころ男騎士と特任外交官

 ジークルーン伯爵が降伏勧告のためにミューリア市へと向かった日、我々の陣地に来客があった。六頭もの翼竜(ワイバーン)だ。それを駆る竜騎士たちは、なんと王家の紋章を帯びていた。王立竜騎士団。その名の通り、ガレア王家によって設立された空中の精鋭である。

 残念ながら、彼女らは王軍が寄越してくれた増援などではなかった。王家からの使者を護送してきたのだ。我々が見守る中、ふらつきながら翼竜(ワイバーン)の鞍から降りてきたのは、丸眼鏡をかけた細身の竜人(ドラゴニュート)だった。

 

「ようこそお越しくださいました、使者殿。リースベン城伯、アルベール・ブロンダンです」

 

 そう言って僕が握手を求めると、丸眼鏡の竜人(ドラゴニュート)は疲れ顔に強引に作り笑いを張り付けてそれに応じる。剣ダコの代わりにペンダコをつけた、明らかに年中書類仕事をやっているとわかる手だった。

 

「初めまして、リースベン城伯殿。王室より派遣されました、特任外交官のジュリエット・ドゥ・モラクス女爵です」

 

 名乗った通り、彼女は王家で外交関連の仕事をしている法衣貴族だ。そんな人物がなぜこんな辺境の戦地へとやって来たかと言えば、南部戦線における和平交渉のためだった。なにしろ、この戦いは我々の私的な戦争ではない。あくまで、王家に命じられた軍役の一環で戦っている……ということになっている。だから、我々が勝手に和平の条件を取りまとめるのはいろいろと問題があった。

 まあ、とはいっても対ミュリン戦に参加したのは僕とその配下、ディーゼル軍、そして自主的に参陣してきたヴァルマ一味だけだからな。戦争遂行に当たってはほとんど王家の力は借りていないので、交渉の実質的な主導権は我々が握っている。上げた戦果を無視して勝手に交渉を差配できるほど、王家の権威は強くないのだ。

 現代軍人からするとなんだかなぁと思わざるを得ない弱腰っぷりだが、領邦ってのは実質的に半独立国家だからな。諸侯軍というのは自国の軍隊ではなく、どちらかと言えば同盟国の連合に近いのである。いくら王族とはいえ、あまり強権を振るいすぎると諸侯が離反して"裸の王様"になってしまうのだ。そりゃあ、殿下やアーちゃんも中央集権を志向するよなって感じだ。

 

「参上が遅れてしまい、申し訳ありません。本来であれば、戦端が開かれる前に合流する予定だったのですが……」

 

 まあ、そうは言っても僕たちは王家から要注意扱いされてるわけだからね。あまり勝手な真似をし過ぎて、不信感をさらに増すのは悪手だ。だから、開戦以前から王家の意向を汲むアドバイザーの派遣を要請していた。それがやっと送られてきたわけだな。

 

「いえいえ、お気になさらず。我々が勇み足に過ぎたのです」

 

 まあ、そうは言っても「対応が遅い!」と王家を責めることはできん。何しろ僕らが王家からの命令を受領したのが、ミュリン領に向けて進軍している最中のことだったからな。王家としても僕たちがここまで早く戦いに取り掛かり、しかも決着までつけてしまうとは思ってもみなかったのだろう。

 

「それはさておき、モラクス女爵殿も長旅でお疲れでしょう。ささやかながら饗応の準備もしておりますので、どうぞごゆるりとおくつろぎください」

 

 そう言って、僕はモラクス女爵に笑いかけた……。

 

「しかし、驚きました。ミュリン家やジークルーン家をこれほど素早く攻略してしまうとは、まさに電光石火ですな。リースベン城伯のいくさの手腕は、噂通り……いや、噂以上のものがあるようです」

 

 それから、一時間後。僕たちは、天幕の下でモラクス氏と歓談していた。テーブルの上に並んでいる料理や酒は、敵地のド真ん中とは思えぬほど豪華なものだ。まあ、なにしろ相手は王家からの使者殿だからな。手を抜いたもてなしをするわけにはいかないだろ。

 

「兵力に大差を付けられておりましたので……素早い奇襲を仕掛け、相手の準備が整わぬうちに始末をつける必要がありました」

 

 戦利品のお高いワインを飲みつつ、僕は答えた。昼間っから飲む酒はサイコーってのが僕のモットーだが、なにしろお仕事の一環で飲んでいるのだからあまり楽しくはない。酒がもったいないなぁ……。

 

「その甲斐あって、ミュリン軍もジークルーン軍もほぼ壊滅状態です。この有様を見れば、帝国の南部諸侯も及び腰にならざるを得ないでしょう」

 

 僕の言葉をソニアが補足する。実際、僕たちはわざと敵兵が四方八方に逃げ散るように攻撃を仕掛けてきていた。彼女らは、逃げ延びた先でさぞやその悲惨な体験を語ってくれることだろう。それを聞いた敵諸侯の間で厭戦気分がはびこってくれれば占めたものだ。

 

「なるほど……味方諸侯軍の集結を待たずに攻撃を開始したと聞いた時は、大変に驚いたものですが。なるほど、そのような深謀遠慮があったとは」

 

 感心したような表情で、モラクス氏は何度も頷く。ただ、この人ってば外交屋だからな。少々の腹芸程度ならお手の者だろうし、あんまり表面上の反応を真に受けない方が良いだろう。

 

「して、この後はどのように差配されるおつもりでしょうか? ミュリン家やジークルーン家の戦後処理に関しては、ある程度お力添えはできますが」

 

 お力添えと言いつつ、その目は油断のならない光を放っていた。この機会に勢力拡大を図ろうとするんじゃないぞ、と言いたげな様子である。ブロンダン家(というか、そのケツモチである宰相)には警戒せよと言い含められているのだろう。たとえば、僕たちがミュリン領の全土併合なんかを図ろうとすれば、モラクス氏はその阻止に動くつもりだと思われる。

 

「王太子殿下の御命令は、あくまで帝国南部諸侯の動きを掣肘せよとのことでしたからね。この状態に持ち込めた時点で、戦略目標は達成したも同然です。和平条件などはおまけも同然ですから……賠償金での手打ちでどうか、と考えております」

 

「なるほど、よいご判断です」

 

 モラクス氏はそう言ってにっこり笑った。どうやら、僕の返答をお気に召してくれたようだ。

 

「そういうことであれば、このモラクスにお任せあれ。必ずや、リースベン城伯にもご満足いただける内容で妥結させて見せましょう」

 

 ふむ、つまり和平交渉自体にもしゃしゃり出てくる気というわけか。まあ、いいけどね。僕たちの戦争目的は、あくまでミュリンによるズューデンベルグ侵攻の阻止だ。現状それはほぼ達成できているので、和平条件などは本当にオマケ程度のものである。最低限戦費さえ回収できればそれでヨシだ。まあ実際にはこちらにもメンツがあるので、あんまり舐めた条件で妥結するわけにもいかんが。

 

「ミュリン軍やジークルーン軍はそれでよいとして、そのほかのまだ参戦していない敵諸侯はどうされますか? 神聖帝国南部は豊かな地、まだまだ力ある諸侯は残っていますが」

 

「際限なく戦火を拡大するような真似は避けるべきだと考えております。皇帝からの参戦要請に応じない、という条件で停戦を模索してはどうかと」

 

 わが軍はまだまだ戦闘を継続する余力を残しているが、ぶっちゃけこれ以上戦争を継続しても僕たちに利はないからな。さっさと戦争から足抜けしたい、というのが正直なところだ。まあ流石にそんな真似は王家が許さないだろうが。

 とはいえ、だからこそ敵の厭戦気分をあおるような作戦に出ているわけだけどな。要するに南部の敵軍を釘付けにして、皇帝軍に参加できないようにしてやればよいのだ。戦略的に見れば、それだけで十分に王太子殿下への援護になる。

 

「なるほど、なるほど。ですが、帝国の諸侯らが実際にリースベン城伯の策に乗ってくれるかというと、少々怪しいやもしれません。矛を収めるのは少しばかり早いでしょう」

 

 ところが、モラクス氏は少しばかり不満げな様子だ。王家的には、我々にはもっと戦闘を継続してほしいのかもしれない。……戦争を使って僕らを消耗させようとか企んでないよな? 王家。マジで勘弁してほしいんだが……。

 

「それに、諸侯と言えば我が方の問題もあります。王国側の南部諸侯にも、すでに軍役を命じておりますのでね。もう少しすれば、南部方面軍司令たるリースベン城伯の元にも少なくない数の諸侯たちが集まってくるでしょう……」

 

 そう言ってから、モラクス氏はワインを一口飲んだ。そしれ丸眼鏡を光らせつつ、言葉を続ける。

 

「そうして集まってきた彼女らを、そのままとんぼ返りさせるのですか? 説明するまでもないでしょうが、軍は招集して目的地へ移動させるだけで少なくない費用が掛かります。軍役は手弁当が基本とはいえ、流石にまったくの手ぶらで返すのは不義理というものです。それなりの益を与えてやらねばなりません」

 

「……ええ、もちろんそれは承知しております」

 

 モラクス氏は、なかなかに痛い部分を突いてきた。僕はいちおう方面軍司令ということになっており、諸侯らの指揮権も与えられている。ところが、この部下たちは定額使いたい放題の都合の良い存在などではなく、各々に事情と思惑を持った領邦領主たちなのだ。しかも彼女らの大半がリースベンの近隣に領地を持っている貴族なのだからなおさら厄介だった。ご近所関係を疎かにすると、下手をすれば村八分にされてしまう。

 それを防ぐためには、彼女らにもそれなりの利益を与えねばならん。具体的に言うと……略奪だ。軍役は基本的に無報酬なのだが、流石にそれでは臣下の側もやってられないからな。かかった戦費は現地からの略奪で賄うのが普通だったし、君主の方もそれを認めて当然なのだ。まあ個人的に言わせてもらえば、クソ喰らえって感じの風習だけどな。

 まあ、僕の趣味を抜きにしても、ミュリン領からの収奪のみで各諸侯の懐を潤してやるのは非現実的だ。当然ながら、略奪で得られる利益には物理的な限度があるからな。一か所だけを荒らしまわったところで利益は限定的なのだ。つまり、戦線を拡大して行く先々を荒らしまわるしかないということである。いわば、イナゴの大群みたいなものだな。

 

「敵領内のさらに奥深くへと切り込み、もう一戦二戦されるのがよろしいでしょう。王太子殿下の御命令、そして諸侯らの利益……この二つを両立するためには、それが一番かと思われます」

 

 寄越してくれと頼んだわけでもない部下のために、なぜ我々がそこまで手取り足取り世話をしてやらねばならないのか。僕はため息はため息をつきたい心地になったが、もちろんそれは心の中にとどめていた。

 とはいえ、事実として我々の作戦がこれほどうまくいったのは、王国軍が皇帝の目を引き付けてくれたおかげなのは確かだ。この段階で僕らだけ戦争から離脱した場合、王室からすれば火事場泥棒にしか思えないだろう。もっと働けと尻を叩いてくるのは、まあ致し方のない話なのかもしれないが……。

 

「王太子殿下は、城伯殿に期待をされていらっしゃいます。その信頼を裏切るような真似だけはされぬよう、お気を付けください……」

 

 しかし、そう語るモラクス氏の眼つきは外交官というより政治将校のそれに近かった。何とも嫌な感じだなと、僕は目を細める。……早めにソニアやロリババアと今後の身の振り方について話し合っておいた方がいいかもしれないな。



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第463話 くっころ男騎士とミュリン家使節団

 特任外交官モラクス氏の提案はなんともきな臭いものだったが、なにしろ相手は王宮から出向してきた特使だ。「うるせえ! 帰れ!」と追い返すわけにもいかん。僕はモヤモヤとしたものを抱えつつも、次の仕事に取り掛かることになった。つまりは、ミュリン家との講和会議だ。

 結局のところ、進むにしても退くにしてもミュリン家との戦争を終わらせないことには話にならない。この一点については、我々もモラクス氏も見解が一致していた。ミュリン軍はもはや壊滅状態だが、しばらくすればまた戦力を再編成してくるかもしれない。正面決戦では負ける気はしないが、ゲリラ化して補給線を狙い始めたら厄介だ。ミュリン側が敗戦のショックから立ち直るまえに講和を押し込み、都合の良い条件を押し付けねばならない。

 幸いにも、ミュリン側もこれ以上戦争を継続しようという意思は無いようだった。ジークルーン伯爵は、派遣の翌日にミュリン家の使節を連れてミューリア市から帰還した。なかなか迅速な対応だ。これならば、交渉もスムーズに進むだろう。

 

「あ、あの、その……お久しぶりです……先日は、す、すみませんでした……」

 

 ところが、ミュリン家からやってきたのはイルメンガルドの婆さんではなかった。よりにもよって、あの(・・)アンネリーエ氏である。ミュリン家は交渉をまとめる気がないのかとソニアは憤慨したが、ジークルーン伯爵がそれをとりなした。どうやらイルメンガルド氏は心身ともに衰弱しており、城から出られるような状態ではないらしい。まあ、相手は七十代の老人だからな。実際のところ、あまり無理は言えない。彼女が衰弱した原因の半分以上は、エルフどもに追い回されたことだろうし。

 それはさておき、アンネリーエ氏だ。彼女は前回の時とは一転、借りてきた猫のように縮こまっている。特徴的なオオカミ耳はペタリと伏せられ、尻尾は股の内側に巻かれていた。もともとがかなりの跳ねっ返り少女だっただけに、その落差は尋常ではない。前回も大概だったが、今回も逆方向に不安を覚えてしまう状態だ。

 もっとも、流石にミュリン家側も年若いアンネリーエ氏一人にすべてを任せる気はないようだった。使節にはミュリン家の家宰も同行しており、実務的な交渉は彼女の方が行うらしい。アンネリーエ氏はあくまでお飾りの責任者だということだ。

 

「一か月ぶりですね、アンネリーエ殿。先日の一件はすでに謝罪をいただいておりますから、お気になさらず。もう済んだ話です」

 

 僕は努めて穏やかな笑顔でそう答えた。先日の一件というのは、ズューデンベルグ領で開かれた狩猟会で彼女が我々を侮辱した時のことだろう。あの件に関しては、すでに手打ちが済んでいる。僕としても、今さら掘り返す気はなかった。

 ……まあ、エルフ連中はいまだに恨みを忘れていない様子だが。飢饉が原因で悲惨極まりない内戦をやっていたエルフに対し、食べ物のことで煽るのはそりゃあ不味いよね、ウン。

 

「い、いえ、その……あた……自分はちゃんと謝っていなかったので……本当に申し訳ございません……」

 

「……そういうことであれば、承知いたしました。謝罪を受け入れましょう」

 

 なんともすさまじい転身ぶりだな。そんなことを考えつつ、僕は頷いた。勝てそうな相手には強く出て、負けた相手には殊勝な態度を見せる。情けないチンピラかよ、と思わなくもないが、まあ相手は十五、六の子供だものな。あまり目くじらを立てるのも、大人としてどうかと思う。年齢を考えれば、まだ教育で修正のきく範囲だと思うし。

 ……教育、か。こういう状況になったとはいえ、依然としてミュリンは重要なご近所さんだ。いずれミュリン家の当主となるアンネリーエ氏には、二度とこんな戦争を起こさないためにも成長してもらわねば困る。彼女との付き合い方はある程度しっかり考えていった方がいいかもしれんな。

 

「ミュリン殿。リースベン城伯もこうおっしゃっておりますし、この件はこれで終わりに致しましょう。それよりも今は、この戦争をどう始末をつけるかの方が両家の未来にとっては肝心です」

 

 モラクス氏が丸眼鏡を光らせながらくちばしを突っ込んでくる。前置きはイイからさっさと本題に入ろうや……と言わんばかりの態度だ。彼女にとっては、対ミュリン戦そのものが前置きにすぎないのかもしれない。確かに、王室の視点で見れば"本題"は対皇帝軍の戦いだ。こんなことはさっさと終わらせて、次の戦いに移ってもらいたいのだろうが……。

 

「アル様」

 

 隣のソニアが、僕にしか聞こえないような小さな声で耳打ちをしてきた。彼女はチラリとモラクス氏の方を見てから、言葉を続ける。

 

「"敵"の思惑には極力乗らぬ方が良いかと思われます。ここはあえて交渉を長引かせ、時間を稼ぐというのはいかがでしょうか?」

 

「ふむ……」

 

 なるほど、一理ある。たしかに、モラクス氏はこの交渉をさっさと終わらせたがっているように見える。一方、僕らの側はそれほど急いで事を進める必要はない。怖いのはゲリラ化した敵軍が我らの補給路を脅かすことだけだが……よく考えれば、停戦にさえ持ち込めばその手の心配はあまりしなくていいからな。交渉自体が少しばかり長引いても、痛くもかゆくもないわけだ。割といいアイデアかもしれんぞ、これは。

 ちなみに、既にモラクス氏や王室に対する懸念はソニアやロリババアらにも伝えてあった。彼女らとしても、モラクス氏の挙動には不安を覚えているようだ。まあ、流石に敵呼ばわりするのはどうかと思うが。

 

「そもそも、今の状況に持ち込めた時点で我らの戦争目標は既に達成されています。今後の戦いは、あくまでオマケのようなもの。本腰を入れる必要性は一切ないわけですから、何かに理由を付けて逃げ回るのがよいかと」

 

「……」

 

 僕は無言で頷いた。危険極まりない発言だが、一理はある。王室の狙いがリースベン軍の消耗にあるのであれば、確かにモラクス氏の引くレールの上を走るのはやめておいた方が良いだろう。

 それに、たとえそれが杞憂であっても、王太子殿下が起こしたこの戦争にはどうにも嫌な気配を感じずにはいられないんだよな。旧領の奪還は確かに大義名分としては申し分ないが……それにしたって開戦が唐突過ぎる。正直、勝てるから起こした戦いという印象はぬぐえない。そんなクソ戦争で部下に死んで来いと命じる羽目になるのは勘弁願いたいからな。文句を言われない程度にサボタージュするというのも悪くない選択肢かもしれない。

 

「とりあえず、挨拶はこのくらいにしておきましょう。こうしている間にも、戦場では兵たちの命が失われておりますからね。講和交渉のため、いったん停戦するというのはいかがでしょうか?」

 

 まあ、そうは言っても露骨に時間稼ぎなんかした日には王室側の疑念を煽るだけだ。とりあえず真面目に仕事をしているフリくらいはしなくては。僕はコホンと咳払いをして、そう提案した。ミュリン家の家宰が「良い考えです」と頷く。

 まあ、停戦といってもすでにほぼ戦闘は終わってるけどな。エルフとヴァルマが残敵の掃討に出ているが、もう敵軍は残党すら残っていない様子だった。ほとんどの敵兵は、どこぞへ逃散するかミューリア市に逃げ込んでいるのだろう。

 

「停戦の期間は、講和会議が終わるまで。この条件でよろしいでしょうか?」

 

「大変結構です」

 

 アンネリーエ氏が口を開きかけたが、それを抑えて家宰殿が返事をした。余計なことを言わせないためだろうが、少し可哀想だな。まあ、これまでの経緯を考えれば、仕方のない事だろうが。

 まあ、何にせよ両軍の指揮官が同意したので停戦は成立だ。僕は通信士官を呼び、各部隊にすべての戦闘行動を停止するよう命じる。アンネリーエ氏も同様の命令を配下に下す。まあ、実際には既にほとんどの戦闘は集結しているが、儀式のようなものだ。

 

「さて、停戦も発布されたことですし、和平の条件を詰めていきましょう。僭越ながら、このジュリエット・ドゥ・モラクス、和平案の用意をしてまいりました。双方ご納得いただける内容と自負しておりますので、どうぞご確認ください」

 

 にっこりと笑って、モラクス氏がそう提案する。ちなみに、当然ながらこの"和平案"とやらの中身は我々も既に確認済みだ。実際の内容としては、賠償金を主軸とした比較的控えめな代物である。大勝したわりにはしょっぱいなあ、という感じだが、まあそれは別に構わない。過大な要求はしない、というのは最初から決めていたことだからな。この内容で妥結することになっても、僕は納得するつもりでいる。

 ただ、問題は和平の内容じゃないんだよな。要求が軽いだけに、スパッと話がまとまってしまう可能性は割と高い。それじゃあ困るんだよな。モラクス氏のことだから、交渉が妥結したとたん「ミュリン戦は終わりましたね? じゃ、次はこの辺りに進軍しましょう」などと言い出してもおかしくない。とにかく時間を稼がねば。僕は隙を見てロリババアに目配せした。

 

「……」

 

 目が合ったのは一瞬だけ。僕はそのまま視線をモラクス氏の方へと移した。相手は海千山千の古老だ。この程度でも十分こちらの意図は伝わる。僕がアンネリーエ氏とモラクス氏に順番に視線を送ると、彼女は微かに頷き返してくれた。こういう状況では、ダライヤほど頼りになる人間もそうはいない。

 

「あいや待たれよ!」

 

「……なにか?」

 

 突然に芝居がかった口調でそんなことを叫んだダライヤを、モラクス氏は眉根にしわを寄せながら一瞥する。邪魔するんじゃないよ、野蛮人め。そう言いたげな目つきだ。ミュリン家の連中もそうだが、こいつら基本的に蛮族を舐めてるよね。ロリババアからしたら軒並みカモに見えてるんじゃなかろうか?

 

「たしかに和平の交渉も重要でありましょうが、その前にひとつ肝心なことを忘れておりますぞ」

 

「はて、なにも忘れているつもりはありませんが」

 

 鬱陶しさを隠しもしない口調で、モラクス氏は反論した。ところが、ダライヤは半笑いでため息をつき、やれやれという調子で肩をすくめる。

 

「そこにおられるアンネリーエ殿は、我らの軍で保護しているマルガ殿の実の娘という話ではありませぬか。御母堂の容体が気になっては、和平交渉どころではありますまい。まずは母子の再開を手配してやるのが人情というものでは?」

 

「えっ」

 

 突然話題に出されたアンネリーエ氏の耳がピョコンと立ち上がった。

 

「い、良いんですか!?」

 

「お嬢様……!」

 

 すかさず、家宰が止めに入る。……ふむふむ、なるほど。そういう手で来たか。流石はロリババア、頭が回る。

 

「なるほど、言われてみればその通りだ。アンネリーエ殿、申し訳ない。気が回りませんでした。今すぐ、お母君の所に案内いたしましょう」

 

「リースベン城伯殿!」

 

 案の定、モラクス氏はお冠だ。僕は殊更にバツの悪そうな顔をして、彼女に軽く頭を下げる。

 

「お許しを、モラクス殿。このままでは、僕は人質を盾に交渉を有利に進めようとしている卑怯者というそしりを受けてしまいます。僕自身の名誉などはどうでも良い話ですが、王太子殿下からお借りした代紋を傷つけるわけにはいかぬでしょう」

 

「……くっ、致し方ありませんね。認めましょう」

 

 王太子殿下の信認を裏切るな、などと言い出したのはモラクス氏のほうだからな。王太子殿下の顔に泥を塗らないようにするためという理屈で攻めれば、認めるほかないだろう。よしよし、この調子で牛歩戦術を展開していくことにしようか。



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第464話 くっころ男騎士と子犬騎士(1)

 ミュリン家の使節団をマルガ氏が収容されている野戦病院に案内した後、僕や陣地の一角で一人思案に暮れていた。考えているのはもちろん、王家の思惑と今後の方針についてだ。

 王家の特使たるモラクス氏は、僕に諸侯らを率いて更なる進撃をせよと言っている。僕としては、勘弁願いたいというのが正直なところである。僕が指揮権を預かっている諸侯らの数を考えると、最終的に僕の指揮下の兵力は一万を超えるかもしれない。こんな大兵力をポンと投げ渡されても、マジで困るんだよな。

 一番不安なのは、補給の問題だ。兵隊だけで一万人。それに加えて酒保商人やら日用品・武具類の職人やら、物資輸送のため作業員やらの補助人員などを勘案すると、部隊の総人数はちょっとした大都市並みになる。これだけの数になると、存在するだけでとんでもない量の物資が消費されるからな。食料を調達するだけでも大仕事だ。

 鉄道もない時代だから、食料などはできるだけ現地調達で賄う必要があるのだが、あまり長い事同じ場所に滞在していると、その地域の食料を食いつくしてしまうことになる。こうなると軍民問わずに飢える羽目になるので、大軍団は一か所に滞在し続けることができず延々とさ迷い続けるのが普通だった。やっていることはほとんどイナゴの大群と同じだよな。

 

「参っちゃうよなぁ……」

 

 自分にしか聞こえない声で、僕はそう呟いた。食料問題だけでも厄介なのに、わが軍に関しては弾薬の補給問題もある。食料は現地調達できるが、弾薬に関しては根拠地(つまりはリースベン)から直接運び込むしかない。一応ご近所であるミュリン領ならまだしも、それよりも遠方で戦うとなると補給線の維持がだいぶ怪しくなってくる。

 さらに、弾薬の量自体も問題だった。リースベンでは去年の冬から急ピッチで弾薬の増産に励んでいるが、やはり限度はある。先の会戦のような調子で鉄砲(じゅうほう)を撃ちまくっていたら、あっという間に弾薬備蓄など使い果たしてしまうだろう。そして弾薬のないライフル兵なぞそこらの槍兵未満の存在だ。

 

「……」

 

 つまりモラクス氏の要望に愚直に従っていたら、わが軍は大幅に弱体化してしまうということだ。これが意図的なものなら、もうリースベン(というか僕)は叛徒予備軍としてロックオンされている可能性がある。まあ、単純に出る杭を打ってるだけな可能性はあるけどな。配下の諸侯が力を付け過ぎないよう、わざと無益に消耗させる策は古今東西で使用されている。例えば、徳川幕府の参勤交代とか。

 ううーん。やっぱり、王家側がどこまでやるつもりなのかわからんことには判断がつけづらいな。僕としては、王家とは絶対に事を構えたくはないのだが。僕が逆臣などになった日には、両親がどれほど心を痛めるか分かったものではない。いや、そもそも父母は王都に住んでいるのだ。僕が王家と戦うことになれば、どう考えても人質として利用されてしまう。

 最悪の状況になる前に両親を王都から逃がさねばならんが、それをやった時点でたぶん僕は叛徒認定されるだろう。状況だけ見ると割と詰み気味だな。つまり、王家からいくら無茶ぶりされようが、黙って従うほかないという事か? いや、しかしリースベンの領主としては、領民の安全と財産を守ることを第一に行動すべきで、それを損なう可能性のある命令には従えない……ううーん、うううううーん……。

 

「むぅうううん……」

 

 自軍や諸侯軍の補給問題、王家との関係性、今後の身の振り方……容易には解決できない問題が、いくつも僕の前に立ちふさがっている。ミュリン戦は快勝したというのに、どうしてここまで頭を悩ませなければならないのか。僕は強い酒でも一気飲みして布団に籠りたい衝動にかられたが、責任ある立場としてはそのような逃避は許されない。ああ、まったく。偉い立場になんかなるもんじゃないな、マジで。

 なにはともあれ、この諸問題を一人で解決するのはムリそうだ。できるだけミュリンやジークルーンとの和平交渉を長引かせ、稼いだ時間で部下たちとよく相談することにしよう。三人寄れば文殊の知恵なんていうしな。……まあ、このやり方でも諸侯軍の食料問題は棚上げできないのだが。ヤンナルネ……。

 

「あ、あの……」

 

 僕が一人でウンウン唸っていると、突然背後から声をかけられた。振り返ってみると、そこに居たのは憔悴した様子のオオカミ少女だった。実母と久方ぶりの再会をしていたはずの、アンネリーエ氏である。

 ……はて、もう面会が終わったのだろうか? 僕は一瞬混乱した。彼女が野戦病院に入ってから、まだ三十分と立っていないのだ。時間稼ぎが目的なので当たり前だが、面会時間には制限を儲けていない。いくらでも、満足するまで親子の会話を楽しんでくれと伝えたはずなのだが……。

 

「おや、アンネリーエ殿。お母君のほうはもうよろしいのですか?」

 

「はい。その……あまり長々と話していては、身体に障るとおもいましたので。ご配慮、感謝いたします。ありがとうございました」

 

 そういって、アンネリーエ氏はペコリと頭を下げる。……しっかし、初対面の時とはまるで別人のような態度だな。実は影武者だったりしない?

 

「当然のことをしたまでです、お気になさらず」

 

 僕はそう言って薄く笑った。まあ、実際こちらとしても思惑あっての配慮だしな。

 

「そう言えば、家宰殿はどうされたのですか? お姿が見えませんが」

 

 アンネリーエ氏は護衛の騎士数名を連れただけの身軽な状態だ。一緒に野戦病院に入っていたハズの家宰殿はついてきていない。

 

「ノーラ……家宰は、まだかあさ、じゃない。母上のところに居ます。話があるとかなんとかで」

 

 ああ、追いだされちゃったのね。マジで影武者なのかも。……いや、どうだろう? 単純にこの子が信用されていないという可能性も十分にあるな。アンネリーエ氏が戦前に起こしたあの事件は、いずれ家のすべてを背負って立つ人間としてはわりと致命的な代物だったし。

 

「なるほど」

 

 曖昧な態度で頷いてから、僕は一瞬思案した。なんだかんだいっても、彼女の持つミュリン家の継承席次は高いままだ。年齢を考えればマルガ氏が当主で居続ける期間はそう長くはないだろうから、そう遠くない未来にはアンネリーエ氏がミュリン家の当主になることになる。

 つまり、僕がリースベンの領主で居続ける限りは、長々とご近所付き合いをしなくてはならない相手というわけだな。今回のような戦争がまた怒らないようにするためにも、ある程度相互理解の機会は作っておいた方がいいかもしれん。

 

「実は僕の方も副官らが不在にしておりましてね。手持無沙汰にしているところなのですよ。よろしければ、お茶の一杯でも飲んでいかれませんか?」

 

 ソニアとダライヤは今頃、モラクス氏とちょっとした茶会をしているはずだ。要するに、王室側の腹を探っているわけだな。政治関連に関しては僕はまったく役に立たないので、この手の仕事は二人にブン投げている。

 

「あ、う……」

 

 お茶という言葉に、アンネリーエ氏は少し顔色を悪くした。どうやら、先日の茶会の出来事を思い出してしまったようだ。こりゃ、どうも本物っぽいな。僕は申し訳ない気分になった。トラウマの原因は自業自得とはいえ、他人の傷口をあえてほじくり返すような趣味は持ち合わせていない。

 

「ああ、申し訳ない。もちろん、他意はありません。暇つぶしに付き合っていただければな、と思っただけですので……」

 

 暇つぶしというか、気分転換だが。いい加減、僕の頭もだいぶ煮えてきている。喫緊の課題は早めに何とかすべきだが、根を詰めすぎるのもよくないからな。とりあえずちょっとくらいリフレッシュしとくか、みたいな感覚だった。

 

「あっ、い、いえ……すいません。喜んでご一緒させていただきます」

 

 オオカミ耳をペタリと伏せながら、アンネリーエ氏は頷いた。目尻には涙まで浮いている。まるで怯える子犬のような態度だ。なんだか無理やり強要したみたいで申し訳ない気分になるな、これは……。



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第465話 くっころ男騎士と子犬騎士(2)

 この娘ともう一度茶会を共にすることがあるとは思わなかった。対面の席で小さくなっているアンネリーエ氏を見ながら、僕はそんなことを考えた。まあ、茶会と言っても所詮は即席だ。いすやテーブルは軍用の折り畳み式だし、茶器も頑丈なこと以外に取り柄のない部コツ極まりない代物だ。

 まあ、よく考えればミュリン家主催の茶会も似たような代物だったので、別にことさら恥じ入る必要はないだろう。属する国は違えど、質実剛健を愛するのは武人の本能は同じなのかもしれない。

 

「それでは、アンネリーエ殿。改めまして、ご用件をお聞きいたしましょうか」

 

 従兵に淹れてきてもらったばかりの香草茶を一口飲んでから、僕はそう言った。僕とアンネリーエ氏の関係は、はっきり言って良好とは言い難いものだ。そんな彼女がわざわざ声をかけてきたのだから、用件は単なる雑談などではないだろう。

 

「いえ、その……あの。もう一度、しっかり謝罪しておきたいと思いまして」

 

「謝罪」

 

 冷や汗をダラダラと流しながら絞り出すような調子で声を出すアンネリーエ氏に、僕は眉を跳ね上げました。

 

「はて、何を謝罪されているのかわかりませんね。先日の件のことであれば解決済みですし、この戦争そのものの件であれば僕はあなた個人が僕に謝る必要はなにもありません」

 

 我々の村落が焼き討ちされた、みたいな状況なら流石に謝罪を求めるかもしれないけどな。とはいえ今回はそのような戦争犯罪めいた状況は発生していないし、むしろ焼き討ちを仕掛けたのは僕らの側だ。民間人には被害は出ていないが、森一つ焼き尽くしちゃったのは流石に申し訳ないとは思っている。

 まあ、何にせよ今の段階でアンネリーエ氏が僕に対して謝罪する必要は何にもないと思うのよ。確かに彼女は将来のミュリン家当主ではあるが、祖母イルメンガルド氏や母マルガ氏が健在である以上アンネリーエ氏の存在感はそれほど強くない。開戦に際する意思決定に関与できたかといえば、まあ無理だろう。つまり、戦争責任を求めることはできないということだ。

 

「いや、でも……アタシは……」

 

 しかし、アンネリーエ氏の側はそうとは思っていないようだった。歯切れの悪い態度でそんなことを言い、目をそらし、考え込み始める。僕はそんな彼女を見ながら、香草茶を飲んだ。アンネリーエ氏の態度はだいぶ妙だ。ずいぶんと打ちひしがれているように見える。

 僕の記憶が確かであれば、アンネリーエ氏は戦争には出ていないはずだ。むしろ、先日の会戦でミュリン軍が敗北する直後までは、ミューリア市の居城で缶詰(蟄居)状態だったはず。つまり、戦場の記憶が原因で憔悴している訳ではないハズ。ふーむ。

 

「もしやアンネリーエ殿」

 

 僕は香草茶のカップを置き、彼女の目を見た。そのダークグレイの瞳には、明らかな怯えと後悔の色がある。

 

「今回の戦争の原因は、自分にあるのだと思っていませんか?」

 

「……」

 

 アンネリーエ氏はハンマーで頭をブン殴られたような顔になって目を逸らした。図星って感じか、これは。

 

「……アタシが、ブロンダン卿にシツレイな、すごくシツレイな態度をとったから。だから……アタシは」

 

 僕は無言でため息をついた。分別のない子供に少しばかり罵倒されたからといって、軍を動かして応報するような人間がどこに居るよ。……あー、べつに珍しくはないのか、自己救済上等の時代だと。嫌だねぇ、野蛮でさ。

 

「アンネリーエ殿」

 

 僕は、努めて柔らかい声で彼女の名を呼んだ。

 

「いい機会です。今回の戦争がなぜ起きたのか、それぞれの当事者同士の立場で話し合ってみましょうか。戦争の原因が分かれば、次の戦争を防ぐことだってできるでしょうから」

 

「戦争の……原因?」

 

「ええ」

 

 頷いてから、香草茶に口を付ける。そして空になったカップを従兵に見せ、お代わりを要求してから視線をアンネリーエ氏に戻した。

 

「まずは、僕の立場で見た景色を語りましょう。僕がなぜあなた達との戦争を決心したかといえば、我が国……リースベンの食料安全保障が脅かされたからです」

 

「食料安全保障……というと」

 

「要するに、我々の食料庫が燃えかけたから、消火しに来たわけですよ。リースベンは土地が瘦せており。人口に対して食料の生産量が著しく小さい。足りない分は外部から輸入するほかありません」

 

 正確に言うと、単純に土壌の栄養価が低い事だけが問題じゃないんだけどな。少しばかり草木灰をまいた程度では中和しきれないほど土が酸性なんだよ。百年前のラナ火山大噴火でとんでもない量の火山灰が降り注いだせいだろうな。おかげでサツマ(エルフ)芋のような酸性土壌に強い作物以外はマトモに育たないような状態になっているわけだ。

 

「さらに言えば、わが領邦(くに)特有の事情もあります。リースベンにはかつてエルフェニアというエルフの国がありましたが、この国は大飢饉に端を発する内戦により滅んでいます。この内戦はなんと百年もの間続きました」

 

「百年!? えっ、あ、そういえば、何かの書物で読んだことがある。百年前、空が灰に覆われて、しばらく太陽すら見えない日々が続いたって……」

 

「やはり、こちらの歴史書にも記録がありましたか。ええ、エルフェニア滅亡の引き金を引いたのはその降灰事件です」

 

 ああ、なるほど。アンネリーエ氏はこの手の記録が乗った本を読み、しかもちゃんと記憶しているタイプの子なんだな。少なくとも、単なるアホ娘ではないようだ。まあ、お勉強が得意なだけのアホってのも世の中には少なからず存在するけどな。

 

「そういう歴史をたどってきた人々ですから、当然"飢える"ことに関しては激烈に反応します」

 

「そうか、だからあのエルフはあんなに……」

 

 小さく呟いて、アンネリーエ氏の顔色はさらに悪くなった。おっと、いかんいかん。別に、彼女に自省してもらいたくてこんな話をしているわけではないのだ。反省するのは大切だが、その内容は建設的なものでなくてはならない。誤った認識のままアレコレ後悔したところで、得られるものは何もないだろう。

 

「肝心なのは、そのような小さな事件ではありませんよ。要するに、僕はリースベン領民の食料庫へと手を伸ばす者に対し、甘い顔はできなかったということです。領主とはいえ、世論をまったく無視した行動はできませんからね」

 

 そもそも、エルフやアリンコたちが僕に従ってくれているのは、彼女らを飢えさせることはしないという約束を果たしているからだしな。食料の切れ目が縁の切れ目、リースベンで再び飢餓が発生するような事態になれば、蛮族たちは僕の言うことなど聞かなくなるだろう。

 

「でも、ばぁちゃ……ご当主様は、リースベンへの食料供給を滞らせることはしないって」

 

 きゅっと眉間にしわを寄せ、アンネリーエ氏は反論してきた。僕はニコリと笑いかえしてから、従者が持ってきた香草茶のお代わりを受け取る。

 

「それはもう、完全に信用の問題ですね。ズューデンベルグの麦はリースベンの命綱。それをミュリンに手渡すことは認めがたかった」

 

「信用って……。うちが、ミュリンが、嘘をつくとでも?」

 

 疑われた怒りからか、アンネリーエ氏の目には少し力が戻った。いい傾向だ。ガキはこうでなくては。

 

「嘘、というのは少し違いますね」

 

 そう言って、僕は茶菓子の乗った皿から一つの干し芋を引っ張り出した。そしてそれを、憮然としたアンネリーエ氏に手渡す。

 

「たとえばの話……ある日あなた方の屋敷に見知らぬ商人がやってきて、この芋の素晴らしさを熱弁したとします。麦よりもはるかに少ない肥料で育ち、収量も見込めて味も良い! そう言って、商人は領主所有の畑で育てる作物を、麦からこの芋に切り替えることを勧めました。さて、アンネリーエ殿。あなたならこの提案を飲みますか?」

 

「……飲まない。得体の知れない商人が持ってきた得体の知れない芋でしょ? 畑の片隅でちょっとだけ育てるくらいならまだしも、麦から完全に切り替えるなんて絶対無理」

 

 珍妙なものを見るような目つきで干し芋を眺めまわしつつ、アンネリーエ氏は言う。妥当な判断だね。

 

「その通り。それが信用というものです。相手が誰であれ、一度二度しか顔を合わせたことのない相手に、命綱を手渡せる人間はそういません」

 

 この時代、地方領主の多くは自らが所有する畑から得られる麦に収入を頼っていた。なにしろ、農民たちはほとんど現金を持っていない。だから金銭の代わりに労働力を徴収し、領主所有の畑で働かせるわけだ。貨幣経済が普及する前の税制度だな。

 

「むぅ……」

 

 小さく唸ってから、アンネリーエ氏はもう一度干し芋を見た。そして意を決した様子でそれを口に突っ込み、そして眉を跳ね上げる。

 

「……意外と美味しい」

 

「でしょ?」

 

 僕は少し笑って、自分も干し芋を一口食べた。そのまま香草茶で喉奥に流し込むと、これがなかなか美味なのである。

 

「さて、ここまでは僕たちの事情。次は、あなた方。つまりはミュリンの事情に入りましょうか」

 

「アタシたちの、事情」

 

 オウム返しにしてから、アンネリーエ氏は香草茶を一口飲んだ。

 

「つまり、ばぁちゃんが何を考えてズューデンベルグに攻め込もうとしたか、ということ……ですか」

 

「はい、その通りです。僕が思うに、イルメンガルド氏は軽率に開戦を決めたわけではないハズ。状況をよく吟味し、いろいろな選択肢を検討したうえで今回の判断に至ったものと思われます。その過程について考えてみましょう」

 

 これは僕の想像だが、アンネリーエ氏は地頭そのものはそれなりに良いタイプのように思える。にもかかわらずあのような失敗をしたのは、短絡的で視野が狭かったから……つまりは、自分で考える能力に欠けていたから、だ。改めて自分の頭で考える訓練をすれば、意外と化けるかもしれんぞ。



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第466話 くっころ男騎士と子犬騎士(3)

「ばぁちゃんが、どういう経緯でこの戦争に至ったか……」

 

 そう呟きながら、アンネリーエ氏は視線を空中にさ迷わせた。ずいぶんとしっかり思案しているようだ。うんうん、いい傾向だな。考えなしにアレコレやると、大概ろくなことにならない。先日アンネリーエ氏が起こした事件などは、その最たるものだ。

 

「……」

 

 などと考えていると、アンネリーエ氏が僕をチラチラ見ていることに気付いた。ちょっと焦ったような表情だ。どうやら、なかなか結論が出ないので慌てているらしい。僕は、彼女に穏やかなほほえみを向けた。

 

「制限時間はありませんから、ゆっくりじっくり考えてみましょう。焦って出した結論は、多くの場合誤りを含んでいます」

 

「……けど、ばぁちゃんは戦地では即断即決を求められるって。だから、普段から即座に結論を出す訓練をしておくべきだって」

 

「なるほど」

 

 僕は自分の顎を撫でた。どうやら彼女の短慮癖はイルメンガルド氏の教育のたまものらしい。やっぱあの人、領主や当主としてはともかく教育者としては全然適性のないタイプなんじゃないかなぁ。

 いや、なんじゃないかなぁというか、客観的な事実としてそうだわ。教育が下手じゃなかったら、後進が全然育たず七十代まで現役続行なんて事態にはなってないわ。この世界の貴族は結構な頻度で指揮官先頭を求められるから、従軍が辛い年齢になると当主の座からは降りるのが普通だ。

 身近なところで言えば、スオラハティ家なんかもそうだな。当主のカステヘルミ(いまだに呼び捨てするのは慣れない)はまだ三十代だが、近いうちに娘に当主の座を譲る予定だった。この年齢での代替わりは流石に一般的な例よりもやや早いが、それでも驚かれたりするほどではない。翻って、ミュリン家の状況は異常そのものだ。当主がこの年齢になってもまだ代替わりできないというのは、相当に後継者の出来が悪いと判断せざるを得ない。

 

「流石はミュリン伯閣下、実戦的な考えをしていらっしゃる。しかしそれは、あの方自身の豊富な経験に裏打ちされてこその能力です。僕やあなたのような若輩者が真似をしても、同じようにはいきません」

 

 たぶん、本人はその"即断即決"をしても大丈夫なタイプなんだろうなぁ。考えを手早く正確にまとめるのが得意な人ってのも確かにいるし。でも他人にそれを求めちゃいかんよ。ソイツははっきり言って特殊技能だ。

 

「確かに、戦場ではゆっくり考えている暇はありません。ですから、平時にしっかりと準備をしておくのです。計画書を用意しておいたり、実践的な訓練をしっかり積んでおいたりね。そういう前準備があってこそ、短時間で正確な判断が下せるようになるのです」

 

 戦争なんて、前準備が八割みたいなところあるしな。……僕の側も、しっかり前準備しておかなきゃなぁ。王室のこととか、諸侯軍のこととか。正直考えたくはないが、最悪を想定した布石は打っておかねばならん。

 とはいえ戦地で出来ることは限られているし、とりあえず提案書や計画書を作ってリースベンで留守番しているアデライドに送っておこう。彼女は軍人としての技能は持ち合わせていないが、内政に関してはガレアでもトップクラスの政治家だ。きっとうまく差配してくれることだろう。

 

「……確かに」

 

 そう言う考え方もあるのか、と言わんばかりの様子でアンネリーエ氏は頷いた。そしてまたしばらく考え込み、香草茶を飲みほした。従兵にお代わりを注文し、茶菓子を食べる。当初よりもだいぶ気がほぐれてきたようだ。そして従兵が湯気の上がる香草茶を持ってきた後、彼女はあらためて口を開いた。

 

「ばぁちゃんは、ディーゼル家の強大化を恐れていました。これは確信を持って言えます。アタシらにとって、ディーゼル家は宿敵そのもの。今までは戦力が拮抗していたから、お互い致命傷を負わずに対立関係がずるずる続いていたんですが……」

 

「リースベン戦争の結果、その軍事バランスが崩れた」

 

「ハイ」

 

 コックリと頷いて、アンネリーエ氏は湯気の上がる香草茶をごくごくと飲んだ。

 

「こういう結果になったから、バカなアタシも理解できたんですが……リースベン軍は、滅茶苦茶強い。そのリースベンの影響を受けて、ディーゼルまで強大化するんじゃないかって。ディーゼルがその強化された軍事力を使って、アタシらを蹂躙するんじゃないかって……ばぁちゃんは、そう考えたんだと思います」

 

「ええ、それはほぼ間違いないでしょう」

 

 イルメンガルド氏がリースベンにやってきたときも、そのような発言をしていた。結局のところ、彼女が一番恐れていたことはディーゼル家の逆襲なのだ。

 

「ですが、その懸念に関しては僕の側としても反論があります。こちらとしては、ディーゼル家によるミュリン領侵攻を容認する気はさらさらないからです」

 

 そこまで言って、僕はコッソリ周囲を見回した。ディーゼル家の関係者が周りにいないことを確認してから、声を潜めて言葉を続ける。

 

「今やディーゼル家は我々の最も重要な取引相手ですが、それはそれとして現状の領地以上の拡大は認められません。ディーゼル軍が再び強大化し、わが軍の実力を上回る状況になれば……第二次リースベン戦争のリスクが跳ね上がります。つまり、ミュリン家と同様の立場に置かれるというわけです」

 

 現状のリースベン領の地力では、ズューデンベルグ領に太刀打ちするのは極めて難しい。農業では勝ち目がないし、現在好調な交易に関しても無関税措置ありきの発展だ。関税の回避ができないようになれば、物流面で不利なリースベン領はふたたび僻地扱いに戻ってしまう。

 この状況をひっくり返すには、豊富な地下資源を生かして工業を発展させるしかない。そしてその工業製品を輸出するためには、効率の悪い荷馬車や駄馬による輸送体制から脱却する必要がある。まずは川下の地域を開拓して河口に港町を築き海運に接続し、並行して蒸気機関と鉄道を実用化して陸運による大規模輸送も実現せねばならないだろう。

 こんな大事業が一朝一夕に実現するはずもない。とにかく時間が(そしてカネも)必要だった。そしてこの産業振興・国土改造策が実現する前に、ディーゼル軍の戦力がリースベン軍に優越する事態は避けねばならない。僕は、彼女らが雑な理由でリースベン領に侵攻してきたことを忘れてはいなかった。一度やったからには、二度目がないとは断言できないだろう。

 

「確かに、それはそうかもしれないんですけど……」

 

 アンネリーエ氏は、視線を逸らせながら唇を尖らせた。

 

「でも、そうなるとは限らない訳で……。ディーゼルの連中が、ブロンダン家に相談なく戦争を始める可能性は十分にあるし。あいつらは、そういうことをやらかす連中だし……」

 

「そう、結局はそこなのです。我々がミュリン家を信用できなかったように、ミュリン家もブロンダン家とディーゼル家を信用できなかった。その相互の不信と、ディーゼル軍の弱体化による戦力バランスの変化。この二つが、今回の戦争の主要な要因だと判断して良いでしょう」

 

 教師みたいな口調で、僕はそう説明した。なんだか、懐かしい気分だ。ヴァルマのヤツの家庭教師をしていたころは、こうしてよく講義をしていたものだった。アンネリーエ氏は僕の言葉に神妙な表情で頷き、懐紙を取り出して何かをメモした。……こりゃ真面目だ。当時のヴァルマよりよほどマトモに生徒をやってくれているな。やはり、意外と見込みがあるかもしれないな、この子は。

 

「戦力バランス云々はさておき、相互不信に関しては改善の余地はあると思います。そもそも、リースベン領とミュリン領の間にはそれほどの利害の不一致はありません。領土問題もないし、産業基盤も異なっているので交易上の競争相手にもならない。つまり、仲良くやっていく素地はあるということです」

 

「あー、ある程度離れた国とは却って仲良くしやすい、みたいなことを聞いたことがります。遠交近攻……だったかな?」

 

「そうそう、よくご存じですね」

 

 勉強自体はそれなりにやってるんだな、この子。うーん、面白い。将来的に、ミュリン家もこちら側に引き込むメリットが出てきたかもしれん。ちょっと、策を考えてみるか。……けど今考えるべきことは、もっと直近の危機をどうするかってことなんだよなぁ! あー、畜生。ヤだなぁ。厄介だなぁ。逃げたいなぁ。

 でもそういうわけにもいかんからなぁ……はぁ。ソニアやロリババアが戻ってきたら、もう一度作戦会議を開くことにしよう。場合によっては、ディーゼル家を巻き込むのもアリかもしれん。彼女らのために、我々はこの戦争を始めたんだ。なら、少しばかりお返しをしてもらってもバチはあたらんだろうさ。

 ……あー! ディーゼル家といえば、彼女らもこの戦いに参戦して実際に血を流したわけだから、戦後の分け前についても考えなくちゃならないんだ。そのあたりも、改めてアガーテ氏と話し合っておかなきゃ……。あー、くそ。考えることも話し合うことも多くてマジで困るよ……。



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第467話 くっころ男騎士と諸侯軍(1)

 ミュリン家使節団の来訪から、一週間後。僕たちは戦場跡の野営地を発ち、ミューリア市に滞在していた。とはいっても、市や城にはためく旗は相変わらずミュリン家の家紋のままだ。我々がミューリア市を訪れた理由はもちろん制圧などではなく交渉が目的で、しかもその和平交渉もいまだにまとまってはいなかった。……まあ、そもそもすぐには結論がでないよう会議をかく乱しているのは我々の側なのだが。

 とはいっても、一切何の進展もない、という訳ではない。まず、イルメンガルド氏の体調が改善し、講和会議に出席するようになった。捕虜になっていたミュリン家次期当主マルガ氏も、ミュリン側に戻っている(ちなみに、彼女の身代金を払ったのはミュリン家ではなくジークルーン伯爵だった)。停戦が発効したことで戦闘も終結し、事態は落ち着きを取り戻しつつあった。

 まあ、落ち着きつつあるのは政情だけで、治安自体はメチャクチャ悪化してるけどな。なにしろ、ミュリン領の守護を担っていたミュリン軍は壊滅状態だ。その上、領主が敗北したという事実に恐れをなした民衆の一部が、家や畑を捨てて逃げ出す例も少なからず確認されている。

 こういう環境では、当たり前ながらならず者共が暴れ始める。街道では野盗の被害が頻発し、街の内側でも強盗や誘拐といった凶悪事件が毎日のように発生した。道理の上では、敵国の治安悪化なんてどうでもいい話なんだがな。ミュリン領から伸びる街道は、我がリースベンにもつながっている。せっかくの交易路が脅かされては困るので、街道上に出現する賊に関してはわが軍が対処することになった。

 まあ、ここまでは想定の範囲内。講和会議が全く進まないのでモラクス氏は不満げだが、怒りを爆発させるには至っていない。ロリババアの策のおかげだった。彼女はミュリン家臣団の一部を焚きつけ、戦場での失点は交渉で取り返すべしと考えるように思考を誘導したのだ。おかげで会議を妨害してくるのはもっぱらミュリン側の仕業になっており、モラクス氏の怒りはそちら側に向けられるのが常だった。

 

「星降祭以来ですな、ブロンダン城伯殿。レマ伯ロマーヌ・ジェルマン、王家の命により参上いたしました」

 

 とはいえ、万事が順調という訳ではなかった。とうとう、ガレア側の諸侯が到着し始めたのだった。彼女らは味方ではあるが、補給体制の逼迫やら褒賞やらの諸問題を引き連れてやってくる厄介者でもある。辺境のド田舎の領主でしかない僕がこれらの問題を解決するのは、なかなか難しいものがある。援軍が来たというのに困り果てる経験は、前世と現世を通してみても初めての経験だった。

 ミューリア市の正門前で、僕たちは到着した諸侯の一人、ジェルマン伯爵を出迎えていた。彼女の後ろには、しっかりと武装した兵士たちが控えている。その数は、騎兵と歩兵を合わせて八百名。われわれリースベン軍の動員数よりは少ないが、これは自分の領地に守備兵を残しているせいだ。

 そもそも軍役というのは基本的に無料奉仕なので、契約に定められた最低限の兵員しか連れてこないのが普通だった。当たり前の話だが、兵隊は動員数が増えれば増えるほど維持費も管理の手間も増すからな。そういう面で見れば、八百という数は十分以上の数字と言って良いだろう。

 

「ようこそお越しくださいました、ジェルマン伯爵」

 

 僕は笑みを浮かべながら、壮年の竜人(ドラゴニュート)騎士と握手をした。幸いにも、今回の"来客"はそこまで厄介な相手ではなかった。レマ伯ロマーヌ氏はリースベンに最も近いガレア側の都市、レマ市を治める領主であり、しかも宰相派閥の一員でもあった。僕としても馴染みの相手なので、そこまで気負うことなく接することができる。

 ちなみに、挨拶している僕の隣では、ソニアとジェルマン伯爵側の副官と握手を交わしつつも早速実務的な打ち合わせを始めている。なにしろ八百人もの兵士が戦列に加わるのだ。寝床や糧秣の手配だけでも大仕事である。僕が忙しいのは当然のことだが、ソニアの方もなかなかたいへんな思いをしているようだった。

 

「自分のような位階の低い若輩者の元で戦うのは御不安もおありでしょうが、お力添えいただければ幸いです」

 

 謙遜めいた言葉だが、実際その通りなのだから参ってしまう。僕の爵位は城伯という下から数えたほうが早いような位階であり、しかも年齢も和解と来ている。目の前のジェルマン伯爵のほうが、よほど軍歴も貴族としての位階も高いのだ。諸侯軍の長としてどちらの方がふさわしいかと聞かれれば、僕本人ですらジェルマン伯爵のほうを推すだろう。しかも、僕の指揮下に入っている伯爵級の貴族は彼女の他にも数名いる。

 まったく、いったいどうしてこんな横紙破り以外の何者でもない人事がまかり通ったのか、理解しかねる。城伯が伯爵を部下として指揮せよなんてのは、どう考えてもマトモな命令じゃないだろ。年下の格下にアゴで使われる伯爵たちとしては当然いい気はしないだろうし、僕自身やりにくくてしょうがない。王太子殿下的には、王都内乱時の働きを評価してくれたのかもしれないが……正直、有難迷惑だ。

 

「ハハハ、何をおっしゃる。私が不安に思っていることはただ一つ、獲物をすべてブロンダン殿に喰われてしまう事だけですよ」

 

 幸いにも、ジェルマン伯爵は朗らかに笑ってそう言ってくれた。むろん内心は煮えくり返っている可能性もあるが、少なくとも外見上はそのような気配はない。

 

「実際、その畏れは現実になってしまいましたがね。この街へくるまでに、真新しい墓標群をいくつも目にいたしました。そうとう大暴れされたようですな?」

 

 ジェルマン伯爵が言っているのは、戦場跡に建てられた無名戦士たちの墓のことだろう。前回の戦いではかなりの数の帝国兵が戦死しているが、その大半は民兵や傭兵といった者たちなので遺体の引き取り手がいない。仕方がないので、僕たちの手で弔うしかなかったというわけだ。

 

「先走ってしまい、申し訳ありません。もともと、フランセット殿下のご遠征とはまったく無関係に、ミュリン家との戦争が始まりつつあったのです。拳を振り上げたまま固まっているのも不格好なものですから、そのまま振り下ろしてしまいました」

 

「その結果が三千対六千という兵力差をものともしない大勝利なのですから、まったく城伯殿は常識外れでいらっしゃる」

 

 そう言って、ジェルマン伯爵は苦笑する。肯定も否定もせず、僕はあいまいに笑った。殊更に戦功をアピールしてもイヤミだし、さりとて謙遜をすれば部下の頑張りを否定することになる。なかなか難しい立ち回りが必要だった。王家との関係がギクシャクする中、周辺諸侯との関係まで悪化させたくはないからな。

 

「とはいえ、あながち悪い手ではありませんな。ここだけの話、城伯殿の幕下に加わるよう命じられた諸侯の中には、この人事を快く思わぬ者もおりますから。先手を打って実績を叩きつけれやれば、その者たちの目も覚めるというものでしょう」

 

 ああ、やっぱそういう連中もいるのね。まあ、当然と言えば当然なんだけど。格下からアゴで使われる立場を良しとする人間なんか、そうそういないよ。しかも僕はエコヒイキされている成り上がり者だと思われるし(まあ事実だが)、王家は王家で僕を含めた南部諸侯全体からの怒りを買う。三方悪しの愚策じゃないか。誰がこんなクソ人事を考えたんだろうね、ぶん殴ってやりたい気分だよ。

 

「しかし、男城伯風情に従いたくはないという諸侯らの気分も理解できます。殿下からお借りした立場をかさに着て、傲慢な振る舞いをすることがないよう気を付けねばなりませんね」

 

 僕はそう言ってため息をついた。士官をやるうえでは、必ず"年上の部下"というやつに遭遇する。これは新米のみならずそれなりにベテランになっても頭を悩ませ続けられる悩みの種だが、今回の件はそれの上位互換と言っていい代物だ。相当にデリケートな対処を求められるのは間違いない。特に僕の場合、性別の問題でナメられがちだからなぁ……。

 

「確かにそれはその通り。しかし、だからと言って卑屈にふるまうのも考え物ですぞ。配下の増長を招いてしまう」

 

 正論をぶつけられ、僕は強い酒を一気飲みしたい気分になった。傲慢にふるまってはいけない、しかし卑屈にふるまってもいけない。確かにその通りだが、その塩梅が難しいのである。

 

「ハハハ、ご安心なされよ。城伯殿の後ろには、このジェルマンがついております。力の限り補佐いたしますゆえ、存分にご活用くださいませ」

 

 そう言って、ジェルマン伯爵はドンと胸を叩いた。実際、伯爵級の高位貴族を従わせようと思えば、彼女の手を借りる以外の選択肢はない。ジェルマン家はそれなりに歴史ある家だから、権威性も十分だ。……というか、順当にいけば僕ではなくこの人の方が南部方面軍司令に任命されるべきなんだよな。マジでどうしてこうなった。

 

「ジェルマン伯爵閣下の御助力があれば、百人力であります。この御恩は忘れません」

 

 僕の言葉は、お世辞などではなくまったくの本気であった。僕が指揮権を預けられている諸侯のうち、宰相派の有力な貴族はジェルマン伯爵くらいだった。出来る限り協力し合わなければ、この難局は乗り切れない。

 もっとも、ジェルマン伯爵としてもまったくの善意から僕に協力を求めているわけではないだろう。とうぜん、それなりの見返りは望んでいるはず。つまり、彼女がやって切ることはいわば投資のようなものだ。可能な限りwin-winの関係を維持できるよう、努力するべきだ。

……はぁ、政治って面倒くさいし苦手だなぁ。あるていど気心の知れたジェルマン伯爵ですらこれなのだから、気が重い。この上、さらに訳の分からん有象無象まで集まってくるんだから、やってらんないよ。今のうちに胃薬を用意しておいた方がいいかもしれないぞ。



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第468話 くっころ男騎士と諸侯軍(2)

 その後も、僕の元には次々と諸侯たちが集まってきた。メンツもなかなかバリエーションが豊かで、上は伯爵から下は貧農なみの生活をしている貧乏騎士まで、さまざまな立場の人間がいる。さらにその諸侯が連れてきた臣下や傭兵団もいるのだから、もう戦闘職の見本市のような有様だ。

 そしてこの諸侯の臣下という奴が、なかなかに厄介な存在なのだ。こいつらはいわば臣下の臣下で、陪臣と呼ばれている。ところが面倒くさいことに、この世界の封建制度では陪臣は直接の臣下としては扱われない。つまり、命令権がない。陪臣に命令を出すときは、かならずその主君にお伺いを立ててお願いせねばならないのだった。これは戦闘時のみならず、行軍や野営の際にもトラブルのもとになる。本当に厄介だった。

 

「……」

 

 僕は、ため息をつきたい心地になりながら周囲を見回した。ここは、ミューリア市で最も高級な宿屋、その大部屋を貸し切った仮設の会議室だった。この宿屋が、ガレア王国軍南部方面軍の実質的な前線司令部となっている。ミュリン家は書類上はまだ降伏していないが、実質的にはまな板の上のコイだ。ちょっと圧力をかけてやれば、街中の宿屋を接収するくらいは容易だった。

 会議室に居並ぶ面々は、南部方面軍に属する有力諸侯たちだ。筆頭はもちろん、レマ伯ジェルマン氏。彼女の他にも伯爵位を持つ領邦領主は二名動員されていたが、その連中はなにかに理由を付けて当主は出陣せず、代わりに名代を立てていた。おそらくは、格下貴族である僕の下で戦うのが嫌なのだろう。

 この伯爵名代の他にも城伯や子爵、変わったところでは南方鎮護を使命とする騎士団の団長などもいた。この鎮護騎士団は我が国の建国戦争における南方戦で一番槍を果たしたという歴史ある集団で、いまではすっかり領邦領主化して南部で根を張っていた。

 

「どうにも、方針がなかなか定まりませんな」

 

 倦んだような目つきをしながら、ジェルマン伯爵が言った。快活な武人である彼女がこんな表情をしているのは、これまでの会議の内容がなんともやくたいのないシロモノだったからだ。諸侯軍などといっても、所詮は烏合の衆。それぞれがそれぞれの事情を抱えており、好き勝手な主張をしている。意見の統一には程遠い有様だった。

 

「方針? そんなものは最初から決まっておるではないかっ! 北方のレーヌ市では、すでに王太子殿下の軍があの忌まわしき神聖皇帝軍と対峙しつつあるというではないか! ならば、我らの役割はただ一つ! 帝国南部に侵入し、陽動攻撃をしかける! 皇帝軍の背後を脅かすのだ!」」

 

 唾を飛ばしながらそんな主張をするのは、リュミエール鎮護騎士団のエマニュエル・ドゥ・リュパン団長だった。この三十代半ばの竜人(ドラゴニュート)は典型的な過激派で、開戦の報を聞いた時は小躍りして喜んだという筋金入りのヤバい人だった。

 単なる過激派ならばまだ良いのだが、このリュパン氏は数々の戦場で武勲を立ててきた猛将で、その武名にふさわしいだけの人望も持ち合わせていた。いわば、主戦派の代表者のようなものだろう。

 当然ながらその主張も過激そのものだった。彼女は戦線の拡大を唱え、全力を持って敵軍を叩きのめせと主張している。神聖帝国の駆逐こそが、鎮護騎士団の宿命だと考えているのだ。正直、僕からすればかなり迷惑な感じの手合いである。

 

「北は北、南は南でしょう。レーヌ市とこのミューリア市が、どれだけ離れているとお思いか? 我々が少々暴れたところで、陽動としては機能せぬでしょう」

 

 そう反論するのは、年若い洒落者の竜人(ドラゴニュート)貴族だ。名前は、アンドレ・ドゥ・ヴァール子爵。南部の有力諸侯であるヴァール伯の長女である彼女は、伯爵名代という立場でこの会議に参加していた。

 このヴァール子爵は、この戦争に対してはずいぶんと消極的な態度をとっている。立場としてはリュパン団長の真逆と言ってよい。いわば、厭戦派の代表者だ。自分たちは王家が勝手に起こした戦争に巻き込まれただけ、そんな風に思っているのだろう。

 確かに、この戦争の焦点になっているレーヌ市は北部の要衝だ。はっきり言って、南部の人間からすればこんな街の所有権が誰にあるかなどという話はまったくもってどうでも良い事だった。

 

「軍役を命じられたからには、むろん契約分は働きましょう。しかし、すでに我々が出る幕はなさそうに思えるのですがね。なにしろ、勇猛なるブロンダン卿の見事な手腕により、敵の主力であるミュリンやジークルーンはすでに再起不能になっておりますから。これ以上、南部で戦火が燃え広がるのは我々の利益にはなりません。適当にこの辺りの集落を略奪してお茶を濁すのが賢いやり方かと」

 

 などと言いつつ、ヴァール子爵は自分のツメをヤスリで削っている。徹頭徹尾、戦争云々には興味がなさそうだ。でも略奪はやるらしい。まあ、誰だってタダ働きはしたくないからね、ある程度の役得は欲しいよね。……はぁ。

 

「なぁにがブロンダン卿だ! 男に一番槍を奪われただけでは飽き足らず、その落ち穂拾いをしようなど……恥を知れ! 貴様それでもガレア騎士か!」

 

「イマドキ男だ女だ竜人(ドラゴニュート)だ獣人だなどと言っているのは、頭が軍隊ビスケットみたいに硬い年寄りだけですよ。一緒にするのはやめて頂きたい」

 

「なんだと貴様! ふざけおって……表へ出ろ! その腐り切った根性を叩きなおしてくれるっ!」

 

「出ていくなら一人で出て行ってくださいよ。さっきからぎゃあぎゃあと騒がしい……やはり年寄りは野蛮でいけませんな、ブロンダン卿」

 

 僕に振らないでください。というか三十代はまだ年寄りじゃないと思います。

 

「い、いえ、決してそんなことは」

 

 とにかく、リュパン団長の不興もヴァール子爵の不興も買いたくない。どちらも南部では名の通った名家の人間なのだ。家の歴史も浅ければ領地もしょっぱい僕のような木っ端貴族からすれば、できるだけ関わり合いになりたくない手合いである。本当に、なんでこんな連中が僕の部下として配属されてるんだろうか? マジで冗談きついんだけど。実はジェルマン氏のほうが大将で、僕は補佐だったりしない?

 

「僕としては個人的には、リュパン卿の意見に賛成したいところなのですが……お伝えしている通り、ミュリン家との和平交渉が難航しておりましてね。ミュリン領から軍を動かすのは避けたい状態なのですが」

 

「男の軍隊など最初からアテにしておらん! 貴様らは百年でも二百年でも好きなだけ話し合っていればよい!」

 

「リュパン殿、その発言はいかがなものかと。ブロンダン卿は、フランセット殿下が直接指名された司令官なのですよ」

 

 ウィスキーをボトル一本飲み干してしまった日の翌朝みたいな顔をしながら、ジェルマン伯爵が窘めた。

 

「主君の過ちを指摘できぬ臣下など、たんなる佞臣に過ぎぬ!」

 

 しかし、そんなジェルマン伯爵の言葉もリュパン団長の手にかかればバッサリだ。彼女は腕組みをしながら、僕を睨みつける。

 

「男は守るものであって、矢面に立たせるものではない。いかな王太子殿下であれ、この原則を曲げることはまかりならん。誉れあるガレア騎士が男の後ろに隠れるようなことがあってはならんのだ!」

 

 そう言われてもねえ、こっちは軍人以外はてんで向いてない社会不適合者でしてねぇ……。などと考えていたら、ジェルマン伯爵が「なんか言い返せよ」と言いたげな目つきで僕を見てきた。無茶ぶりしてくるなぁ。いや、まあ、僕はこれでも一応総司令なので、言われっぱなしなのは良くないのだろうが。

 しかしなんというか、アレだね。これってば一応軍愚なのに、やってることは完全に政治だよね。僕、政治はてんで駄目なタイプなんだけど……アデライドがいたら、一も二もなく代わってもらうんだけどな。しかし残念ながら、彼女はリースベンで留守番だ。

 政治と言えばロリババアも得意なのだが、あちらはあちらでミュリン家やジークルーン家に対する政治工作のために走り回っている。これ以上新しい仕事を押し付けたら、真っ白になって燃え尽きてしまいそうだ。結局、僕が踏ん張るほかない。

 

「今回の人事の是非について、あれこれ口を出す権利は僕にはありません。殿下のご期待に沿えるよう、粉骨砕身努力するまでであります」

 

 そう言って、僕は一呼吸入れた。

 

「……ですが、リュパン殿のご指摘の通りこの身は若輩者で、しかも男であります。至らぬところはいくらでもありましょうが、味方同士であい争えばそれこそ敵の思うつぼであります。これも主君や兵のためと思い、今回の所はお力添えを頂ければ幸いです」

 

 言葉を終えると、僕はリュパン氏に頭を下げた。こういうタイプは下手に搦め手を使うより実直にぶつかった方が良い、そう判断したのだ。幸いにもそれは誤りではなかったらしく、彼女は不承不承と言った様子で頷いた。

 

「なるほど、確かにその通りだ。せっかく神聖帝国の獣どもを叩く良い機会なのだ、くだらん内紛で好機を逃すほど馬鹿らしいこともないからな……」

 

 まあ、口ではそう言っても納得している様子ではないがね。しかも、ヴァール子爵は子爵で顔をしかめている。あちらを立てればこちらが立たず。ああ、厄介。とにかく、最低限諸侯らの機嫌を取りつつ王家のお眼鏡にもかなう仕事はしなきゃらないわけだが、なんとも前途多難は雰囲気だ。まったく、どうしたもんかねぇ……。



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第469話 くっころ男騎士と愚痴

 その後も、諸侯軍の軍議は踊りに踊った。インド映画ともタメを張れるレベルだ。相も変わらずリュパン団長が大声で積極策を叫び、ヴァール子爵がそれに茶々を入れる。それの繰り返しだ。この二人は最終的につかみ合いの喧嘩にまで至ったので、相当に相性が悪いものだと思われる。

 しかも問題は両氏だけではない。二人の喧嘩に便乗し、その他の貴族共もあれこれ好き勝手な主張を繰り出してくるのだから厄介だ。この機に手柄を上げて成り上がりを図りたいものもいれば、さっさと領地に戻って内政に励みたい者もいる。無気力な者、貴族というより盗賊みたいな価値観で動いている者、義務感にかられ"正義の怒り"を燃やしている者……諸侯たちの思惑は完全にバラバラであり、このような集団の意思統一を図るなど不可能なのではと思ってしまうほどだった。

 

「はぁ……」

 

 その夜。僕は臨時司令部たる宿屋の一室でため息をついていた。三日間ぶっ通しで野戦演習をした時のような疲労感が、僕の全身を苛んでいる。むろん肉体的にはピンピンしているのだが、精神的疲労という奴だ。

 

「お疲れ様です」

 

 苦笑交じりの声音でそう言いながら、ソニアがワイン入りの酒杯を手渡してくる。夕食を終えた後、気晴らしも兼ねて晩酌をしようということになったのだ。

 

「ソニアこそ、お疲れさまだ。そっちのほうもなかなか大変だったろう」

 

 軍議にソニアは参加していなかったが、彼女は彼女で別の仕事をしていた。諸侯らが連れてきた兵士たちの受け入れにかかるさまざまな手続きや手配などだ。こちらはこちらで、尋常ではなく大変な仕事だったろう。なにしろ、集まってきた兵士の数は一万名近く。これだけの人数の衣食住を差配するのは、ほとんど都市運営のようなものだ。

 

「いえ、そんなことは。……と言ってしまうと、嘘になりますね。流石にくたびれました」

 

「そりゃあね」

 

 僕は小さく苦笑した。ソニアとしてもこんな仕事は初めてのことだろう。いかに彼女が優秀だと言っても、やはり朝飯前とはいかないはずだ。

 

「あら、わたくし様の方にはねぎらいの言葉をかけてくださらないの? 姉妹の間で扱いに格差をつけるのは感心しませんわね~!」

 

 そこへ、ヴァルマがくちばしを突っ込んでくる。本来、晩酌はソニアと二人っきりでやるつもりだったのに、このスカポンタンは当然のような顔をして僕の部屋にやってきやがったのだった。まあ、コイツがそういうヤツだということは昔から心得ているので、今さら気にしないが。

 

「はいはい、ヴァルマもお疲れ様」

 

 苦笑を深めながら、そう言ってやる。まあ、こいつはこいつでしっかり働いてくれているからな。邪険にはできない。ヴァルマ・スオラハティの武名と悪名はノール辺境領から遠く離れたこの南部でも鳴り響いているからな。跳ねっかえりの下級貴族を抑え込むには、これほどうってつけの人材もなかなかいない。

 

「言葉だけじゃ不足ですわ~! 適切な報酬を要求しますわよ具体的に言えばキスとか貞操とかご奉仕とかとかとか~!」

 

 そんなことを言うなり、ヴァルマは唇を尖らせて僕の方に突撃しようとした。が、この場にはソニアがいる。いかなヴァルマとはいえこの鉄壁の防御をかいくぐるのは至難の業だった。即座に迎撃に入ったソニアは妹の胸倉をつかんで足払いをかけ、彼女をあっという間に床に転がしてしまった。

 

「グワーッ!」

 

「まだ一滴の酒も飲んでいないというのにこうも酔っぱらえるとは、なかなか愉快な特技を持っているな愚妹。酔い覚ましをくれてやろうか?」

 

「結構ですわ~恋の酩酊はそう簡単に冷めるものではなくってよ~!」

 

 妹に容赦なく足払いをかけるソニアもソニアだが、平気な顔をして立ち上がり埃を払うヴァルマもヴァルマだった。この姉妹の間では、この程度の"じゃれあい"など日常茶飯事なのだ。暴力的な連中だなぁ……。

 

「はぁ……この年中発情期が……」

 

 ため息をつきながら椅子に腰を下ろすソニアだが、君には人にそんなことを言う権利はないと思う。今ではなんかうやむやになってるけど、冷静に考えると盗撮はヤバいよ盗撮は。

 

「んっ」

 

 そんな姉の様子などまったく気にしていない様子で、ヴァルマは空っぽの酒杯を差し出してくる。僕は少し笑って、お酌をしてやった。もちろん、ソニアのほうにも同じように酒を注ぐ。妹ばかり相手をしていると姉の方が拗ねるからね。まぁ、そうは言ってもソニアは酒に弱いので、酒杯の半分程度までしか入れないが。代わりに、柑橘系の果実水を注いで、酒精を薄めてやる。彼女がワインを飲むときは、冬なら生姜湯、夏ならジュースの類で割るのが常だった。

 

「それじゃ、皆様お疲れ様ということで」

 

 準備が整ったところで、酒杯を掲げて音頭を取る。乾杯、という声とともに酒杯がぶつかり合い、最初の一口を飲んだ。戦利品のワインは僕が普段飲んでいるものよりよほど高級な味と香りだった。

 

「ふはぁ……」

 

 酒杯から口を離し、ため息ともつかない息を吐く。いくら高価な酒でも、憂鬱な気分は洗い流してはくれない。お疲れ様、などと言っても、僕の仕事はまだ始まったばかりなのだ。それを見たヴァルマが「エッロ」などと呟いて、ソニアにシバかれる。

 

「なかなか、難儀をされておられるようですね。軍議の方は、まとまりそうにありませんか」

 

「まぁ、なかなかね」

 

 僕は視線を宙にさ迷わせた。

 

「南部諸侯なんてひとくくりにされてても、みんな仲良しこよしってわけじゃあないからね。平時から、水面下ではいろいろやり合ってる連中なんだろう。外様で新参の僕がアレコレ言ったところで、響いてる感じはしないな」

 

 まあ、この辺りは敵方も同じだろうが。今回戦ったミュリン軍やジークルーン軍も、お世辞にも連携が取れているとは言い難い有様だった。とはいえ、和平交渉での挙動を見ているとイルメンガルド氏とジークルーン伯爵の関係はそこまで悪くはなさそうなんだがな。それであの調子なのだから、マジで諸侯間の関係がメチャクチャ悪いわが軍が実戦に突入したらどうなってしまうのか、不安を覚えずにはいられないね。

 

「アデライドも言っておりましたね。諸侯どもは煮ても焼いても食えない連中だから気を付けろ、と」

 

「言ってたねぇ」

 

 思わず苦笑しつつ、ワインを一口飲む。彼女の忠告は確かに正しかったが、やはり口で言われるのと実際に体験するのでは大違いだ。

 

「しかし、ここまでひどいとは思ってなかった。正直、この手の仕事はもう二度とやりたくないなぁ……」

 

 今後こんなふうに大規模な諸侯軍を組む機会があったとしても、その時は指揮官ではなくいち貴族としての立場で参加したいものである。指揮官だの、調整役だの、そんな役割ははっきり言ってもう御免だ。

 

「情けないことをおっしゃりますわね~」

 

 ところが、ヴァルマはそんな僕に辛辣な言葉をかけてくる。

 

「アルはそう遠くない未来に南部の盟主になりますのよ? はっきり言って、今後はこんな感じの仕事ばかりやることになりますわ~!」

 

「……いやなこと言うね」

 

 僕は思わず顔をしかめた。盟主、盟主ってなんだよ。いや、そういえばアデライドやカステヘルミなどもそんなことを言ってたような気はするが……。

 

「まぁ、アデライドは最初からそのつもりでしょうからね。避けられぬ話やもしれません。彼女がわざわざ自分からブロンダン家に降嫁したのは、南部での地盤を固めるという意味も大きいですし」

 

「確かにね」

 

 アデライドの実家、カスタニエ家は資金力と政治力には優れるものの、領地を持たぬ法衣貴族だけに土地に根付いた地盤を持ち合わせてはいない。そこでリースベン領と僕を利用し、領地持ちへの貴族へと脱皮する……それがカスタニエ家の計画だった。つまり、アデライドとくっつく限りは、今後も影響力の拡大運動に付き合う必要があるということだ。

 

「それに、王家の件もありますわ~。今の南部には、決定的な権勢を持つ"盟主"は存在しませんわ。ヴァロワ王家が崩壊した場合、高確率で南部は戦乱の時代に突入することになりますわ。それはアルの望む未来ではないと思いますけどね~? この南部の王にふさわしいのはただ一人、アルベール・ブロンダンですわ~!」

 

「物騒なこと言うんじゃないよ」

 

 思わず、周囲を確認してしまった。こんな発言を誰かに聞かれたら、大変なことになる。さいわいにも、ここは高級宿のスイートルーム。防音に関しては、しっかりしているはずだが……。

 

「今さらですわ、今さら。ここまで来て、王家が穏当に事を終わらせるはずがありませんわよ~? 先日も申しましたが、神聖帝国との戦争が終われば次は"わたくし様たち"ですのよ~? 喰われる前に喰っちまえ、ですわ~」

 

「……」

 

 そう言われると、僕は黙り込むしかなかった。たしかに、この頃の王室の挙動を見ていると随分きな臭い雰囲気はある。ガッツリ圧力をかけてくる王室特任外交官、立場に見合わぬ大役の押し付け……挙句の果てに、こちらの消耗を狙っているとしか思えない戦果拡大要求だ。状況証拠的には、正直かなり黒に近い感じはする。

 

「王家が自爆する分には、大変結構なことじゃありませんの。わたくし様から見れば好機ですわ~! 次にガレアの王冠を被るのはあの気取った優女ではなく、このわたくし様でしてよ~!」

 

 その危険極まりない発言に、僕とソニアは思わず顔を見合わせた。コイツ、本気で下克上を狙う気か……?

 



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第470話 くっころ男騎士と恋慕

「王家が自爆する分には、大変結構なことじゃありませんの。わたくし様から見れば好機ですわ~! 次にガレアの王冠を被るのはあの気取った優女ではなく、このわたくし様でしてよ~!」

 

 ヴァルマの放ったその言葉に、僕とソニアは思わず顔を見合わせた。直球の王位簒奪宣言だ。こんな発言を誰かに聞かれたら、一発で反逆者認定されてしまう。

 

「……本気で言っているのか? それは」

 

 さしものソニアも動揺は隠せないらしく、額に冷や汗を浮かべつつ聞き返す。しかし、対するヴァルマはいつもの通りの調子だ。

 

「冗談だと思います? わたくし様は前々から王になると宣言しておりましてよ~? あえてガレアの王冠である必要はありませんけど、転がってくるならもちろん拾いますわ~!」

 

 いや確かにこいつは前々から辺境伯程度で収まる気はないだとかなんだとか言ってたが……ガッツリ本気で言ってたみたいだな。僕は思考を巡らせながら、周囲を見回した。この部屋、防音はちゃんとしてるんだろうな? 不安にならずにはいられなかった。

 いや、もちろん事前にキチンとプライベートが確保できているかは確認してるけどね。この宿は仮設とはいえ司令本部だ。機密保持の観点から、盗聴のリスクは可能な限り潰してある。それがわかっているから、ヴァルマもこのような大胆な発言ができるのだろう。

 

「なんでまた、そんな……」

 

 僕は顔をしかめながら言った。こちとら、現状の立場ですら七転八倒しながらやっとこなしているのだ。最近などは、これ以上の出世など冗談ではないとすら思っている。辺境の小領主ですらこれなのだから、王様なんてのはほとんど罰ゲームか貧乏くじみたいなモンだろ。自分からなりたいとか正気じゃないぞ。

 

「なんで? なんでと言いました、今」

 

 ところが、ヴァルマはこの問いがたいへんに気に入らなかったようだ。眉を跳ね上げ、椅子から立ち上がる。そして、僕の前に歩み寄って、ズズイと顔を近づけてきた。当然ソニアがそれを阻止しようとするが、彼女は強い目つきで姉を睨みつけてそれを牽制する。

 

「それはもちろん、アナタにふさわしい女になるためですわ~! アルベール・ブロンダンの妻が、辺境伯程度の器で務まると思いますの~? 最低でも、王様くらいにはならなくちゃ」

 

「……」

 

 ええ……。いや、ええ……。ナニソレ。ひでぇ冗談だ。いや、残念ながら冗談を言っている雰囲気ではない。マジでやるつもりっぽいぞ。うわぁ、勘弁してくれよ、マジで。僕を理由にクーデターを起こすんじゃねえ。まあ、こいつもこれで結構あれこれ考えている人間だから、流石にこれだけが理由という訳ではないと思うが。

 しかし何はともあれ、、ヴァルマの奴が妙なことを企んでいるのは確かなのだ。ため息をつきたい心地になりつつ、僕はソニアの方を見た。何とか言ってくれよ、そう思ってのことだったが、我が副官にして婚約者は「ああ、なるほど!」と納得した様子で手をポンと叩いている。いやいや、なんなんだその態度は。

 

「……あの、その……君から憎からず思われてるってことは、僕も知ってるんだけど」

 

 僕は吹き出る脂汗を拭いつつ、声を絞り出した。この女は顔を合わせるたびに毎回求愛してくるので、"そういう対象"として見られていることはなんとなく気付いていた。こいつがこんな態度をとる男は僕だけだったしね。

 とはいえ性格がこの調子なので、「喜んでお婿に行きます!」とは言い難い(お婿に来れないならお嫁に行きますわ~、なんて言われても困るし)。僕にだって相手を選ぶ権利くらいはあるのだ……たぶん。だから、今までは気付かないフリをして逃げ回っていたわけだが……。

 

「でもその……僕ってば、ほら、もう婚約者のいる身だからね。実質的に人夫(ひとおっと)みたいなものというか。ね、ねぇ、ソニア!」

 

「え、ええ、その通り。アル様はもうわたしのモノなのだ、ヴァルマ。すまんな」

 

 智・武・勇を兼ね備え、その代わり良識や常識を備えないヴァルマに対抗できるのは姉のソニアしかいない。僕が彼女に助けを求めると、ソニアは僕とヴァルマの間に惜し入ってきた。

 

人夫(ひとおっと)? それが何の問題ですの?」

 

 ところが、ヴァルマは姉に対してもひるむことなく反論をぶつけてきた。

 

「アルが誰を愛し誰と子供を作ろうがどうでもいい話ですわ。アルが愛する者たちを丸ごと愛せるくらいの度量はありますもの、わたくし様。許せないのはただ一つ、アルがわたくし様の夫にならないことだけですわ~!」

 

「ええ……」

 

 コイツ無敵か? 困惑していると、ヴァルマは姉を押しのけ再びグイと顔を近づけた。その顔には、肉食獣めいた笑みが張り付いている。

 

「いいですの、先生(・・)。わたくし様が生まれて初めて尊敬した人間も、初めて恋した男も、初めてキスをした相手も、初めてした自慰のオカズも! あなた、アルベール・ブロンダンなのですからね! これだけわたくし様のハジメテを奪っておきながら、逃げられるとは思わない方がよろしくってよ~!」

 

 そんなこと言われても……そんなこと言われても困る……! 僕はただ普通に友人の妹と遊んだり家庭教師したりしてただけなのに、なぜこうも執着されるんだ……?

 

「……こればかりは、アル様が悪いと思います」

 

「ソニア?」

 

 冷や汗をダラダラと垂れ流していると、いきなり味方が裏切った。ソニアはなんとも微妙な顔をしながら、僕とヴァルマを交互に見る。

 

「ハッキリ言いますと……わたしもヴァルマと同じ立場ですから。アル様にいろいろと奪われた結果、今はこうなっているわけです。ですから……ヴァルマの気持ちを否定することだけは、たとえアル様のご命令でも致しかねます」

 

「んなぁ……」

 

 まって、待ってほしい。そんなこと言われてもメチャクチャ困るんだけど。僕にはすでに少なくない数の婚約者がいて、シャレにならない立場に置かれている。真剣に分身の術の習得を検討するレベルだ。まあ、いかに剣と魔法の世界とはいえそんなファンタジックな忍術が実在すかというとだいぶ怪しいが。

 

「そうですわ~! もとは言えば先生がわたくし様たちを誘惑したのが悪いんですのよ~! こちらは被害者ですわ~!」

 

「誘惑とかした覚えは一切ないんだけど……」

 

 なんもやってないよ僕は。というか前世の時点で童貞のまま三十代で死んだ男に誘惑なんて高等スキルが使えるわけないだろ!

 

「現実的にわたしたち二人は魅了されてしまっているわけで、その主張は通用しないと思います」

 

 とうとう完全に敵側に寝返ってしまったソニアが、きっぱりとした口調で言い切った。

 

「駄姉の言う通りですわ~。それに、実際問題先生はスオラハティ家から大変な便宜を受けてますのよ! 今さら逃げ出すのは責任感が足りないのではなくって~?」

 

「ぐっ……」

 

 それを言われると流石にキツイ。僕だって、戦働きのみの評価で現在の地位にまで上り詰めたなどという勘違いはしていない。なにしろブロンダン家はもともと最下級に近い位の宮廷騎士家で、しかも僕自身性別というハンデを抱えているのだ。辺境伯や宰相のケツモチがなければ、今でもどこぞの騎士隊の下っ端をやっていたに違いない。

 

「わかった、わかったよ。責任があるってんなら取るよ! でもさぁ、それと王位簒奪は別問題だろ!」

 

「確かにそれはその通りです」

 

 はっとした調子で、ソニアがポンと手を叩く。そして、ヴァルマをギラリと睨みつけ「愚妹、貴様いったいどういうつもりなのだ?」と問い詰めた。どうやら我が副官は知らぬ間に手首にモーターを仕込んでいたらしい。

 

「そんなもん決まってますわ~! 先生が何人もの妻を持つのは致し方ありませんわ。しかし! その中で一番偉いのはわたくし様でなくてはならない! 正妻の座はわたくし様のモノでしてよ~!」

 

「は?」

 

 そんなくだらない理由でクーデター起こすのはやめてもらいたいんですが……。僕がヴァルマを睨みつけると、彼女はニヤッと笑って肩をすくめた。

 

「ご安心なさってくださいまし~! 王室に瑕疵(かし)のない状態で王冠を強奪したりすれば、先生は良い顔をしないなどということは理解してましてよ~。キチンと相手の方から手を出してくるのを待ってから殴り返しますわ~」

 

 は?

 

「なるほど、愚妹も一応は考えて動いているようだな。ならば良し! わたしも可能な限り協力してやろう」

 

 いや、いやいやいや。ソニアさん、なにを言っているのですか? クーデターですよクーデター。協力しちゃダメでしょ。

 

「ソニア、それは流石に不味くはないか?」

 

「別に不味くはありませんよ。そもそも王室がこちらに手を出してこないのであれば、事は起きないのですから。これは正当な自己防衛です」

 

「いや、まあ、確かにそうだが……」

 

 実際問題、王家がこちらに牙をむいた場合、むざむざやられるつもりは僕にもなかった。モラクス氏らの態度を見ればわかるが、中央の人間は蛮族を甘く見ている。リースベンの統治者が僕から王家の手の者に変われば、エルフやアリンコどもは容赦なく反乱を起こすだろう。そうなれば、無辜のリースベン領民が大勢戦乱に巻き込まれることになる。それだけは容認できない。

 

「四の五の言ってないで覚悟を決めなさいな! 誰よりも女々しいのが先生の魅力なのですから、シャキッとしなさいシャキッと!」

 

 ヴァルマはそう言って僕の背中を叩いた。結構痛い。……ああ、もう、仕方ないか。コイツは暴走特級みたいな女だ。ブレーキをかけようとしたって無駄だろう。それに、王家を相手に紛争が発生するリスクは現実としてあるのだ。最悪の状況に備え、味方は出来るだけ増やしておいた方がいい。有能な相手ならばなおさらだ。

 

「……わかった。だが、能動的に王家をハメて王位を簒奪するような真似には絶対に賛同できない。あくまで行くところまで行ってしまった場合の事前の策としてなら、その案に乗ってもいい」

 

「結構ですわ~! 安心してくださいまし~、流石にこっちからガレア王家に手を出したらアルに嫌われるってことくらいは理解してますわよ~。夫の本気で嫌がることはやらない、当然のことですわ~」

 

 ニッコリと笑って、ヴァルマはサムズアップした。……本当にわかってんのかね、心配だなぁ。

 

「結局のところ、わたくし様の一番の目的は先生を我が物にすることでしてよ~。他の野望もたくさんありますけれど、まあ一番はアルですわ~。ですから、その他の部分に関してはそれなりに妥協できましてよ~」

 

 チラチラと僕を見ながら、ヴァルマは淫靡な笑みを浮かべた。うげぇ、ガッツリ圧力かけて来るなあ……。つまり、協力が欲しいなら自分と結婚しろってことだろ? 僕はソニアのほうに目を向けた。僕は既に彼女の婚約者だ。結婚云々の話については、僕よりもむしろ彼女の方に選択権がある。

 

「まあ、わたしとしてはアル様が納得できるのであればそれも良しだとは思います。一応、このアホはわたしの妹ですし。姉妹で夫を共有する例は、決して少なくはありません」

 

 星導教は只人(ヒューム)と亜人の妻をそれぞれ一人ずつ持つ一夫二妻制を推奨しているが、皆が皆それを順守しているわけではない。姉妹で、友人同士で、あるいは君主と臣下で夫を共有するのは、星導教が普及する遥か昔から行われてきた慣例だった。

 

「とはいえ、ことが事ですからね。わたしの一存では決められません。一度、アデライドのほうに相談してみましょう」

 

「そうだな。明日にでも、一筆書いて送るか……」

 

 憂鬱な気分になりながら、僕は呟いた。せっかく結婚できることになったというのに、このような提案を婚約者にせねばならないとは。なんとも気分が悪い話だ。いやまあ、ヴァルマが嫌いなわけではないのだが。問題は、自分がクズ以外の何者でもないムーブをしている点だった。ただでさえ多い婚約者が、また増えそうになっている。まったく、どうしてこうなったって感じだ。

 

「じゃっ、報酬の前払いをもらい受けますわ~! 貰える時にもらっとかないと次がいつになるか分かったもんじゃありませんし~」

 

 しかし、当のヴァルマはウキウキ顔だ。そんなことを言うなり、アホ女は僕を捕まえベッドに投げ飛ばした。そのまま僕の上にのしかかり、唇を奪う。舌をこちらの口の中にねじ込んでくるような、強引で熱烈なディープキスだ。

 

「オイコラ! アデライドに相談してからっつってるだろ! 話を聞け話を!」

 

 唇が離れるなり、僕はそう叫んだ。

 

「正直に言えばもうムラムラが限界ですのよ~! 観念してくださいまし~!」

 

「クソッ、この……淫獣め! ソニア! ソニア! ヘルプ!」

 

 ソニアはため息をつき、ヴァルマの頭をぶん殴った。アホは「ぴぎゃっ!」と悲鳴を上げ、涙目になる。その隙に、僕は彼女の拘束から逃れベッドから抜け出した。もう一度ため息をついたソニアが、僕に手を貸してくれる。そしてそのまま、妹のものを上書きするように僕に口づけをした。思いもよらぬ方向からの攻撃に、僕は目を白黒させた。

 

「アル様、愚妹はああ申しておりますが惑わされぬよう。あなたを一番愛しているのは、いつもあなたのお傍に居続けたこのわたしソニア・スオラハティです。愚妹は二番目……いえ、アデライドより下の三番目くらいかと」

 

「……ほう? このわたくし様の愛を疑うとは良い度胸ですわねぇ~? カモの雛みたいに後ろからヨチヨチついてくるだけの駄姉が愛を語るなど片腹痛いですわ~。愛する男の手を引いてエスコートすることもできない女に、本妻の資格はなくってよ~」

 

 ベッドから起き上がったヴァルマが、姉に挑発的な視線を向けた。よく見れば、眉が微かに痙攣している。ヴァルマがだいぶキレてるときのサインだ。

 

「愚か者め、貴様の目は節穴か? アル様ほど偉大なお方の手を引いて先導する? あまりに不遜で身の程知らずな考え方だな」

 

「笑止! 男が偉大なら女の方はもっと偉大になればよい話ですわ! 駄姉のやり方はまさに敗北主義者そのものでしてよ~!」

 

「ほう……良い度胸じゃないか。良かろう、久方ぶりにこのわたし手づから教育してやる」

 

 ソニアの目がスッと細くなり、ゆっくりとファイティングポーズを取った。もちろんヴァルマはこれにひるむことなく、自らも拳を構える。

 

「面白い! その喧嘩買いますわ~、妹より優れた姉が存在しないことを教えてあげましてよ~!」

 

 そのまま、スオラハティ姉妹は猛烈な喧嘩を始めた。こいつら、昔からぜんぜん変わってないなぁ……。僕はほほえましい心地になりつつ、酒瓶を回収した。せっかくの高級ワインだ、巻き込まれて割れでもしたら勿体ない。

 もちろん、心配しているのは酒瓶だけだ。姉妹については一切心配していない。この二人はガキの時分からこの調子なので、この程度の殴り合いであればせいぜいじゃれ合い程度にすぎないのだ。双方ともに滅茶苦茶頑丈だしそれなりに限度も知っているので、放置しておいても大した問題はない。

 ……とはいえ、このままでは晩酌どころではない。まだ飲み足りない気分だし、ロリババアの所にでも行こうかな。僕は酒杯のワインを飲み干してから、取っ組み合いを続けるソニアとヴァルマを一瞥した。

 

「まあ、たぶん大丈夫だろうけどやり過ぎないように気を付けてね。諸侯たちの手前、君たちが揃ってズタボロになってたら宰相派閥全体が大恥かくからさ……」

 

 スオラハティ姉妹の長姉と末妹は、そろってコクコクと頷いた。そのまま、喧嘩を続行する。仲がいいのか悪いのかわからんな、これじゃ。僕は苦笑してから、部屋から出ていくのだった。

 



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第471話 ポンコツ宰相の葛藤

 私、アデライド・カスタニエは憂鬱な日々を過ごしていた。アルが帝国領への遠征に出て以来、私はずっとリースベンでの留守番をしている。夫(まだ正式な結婚はしていないが)を戦場に送り出し、自分は後方でヌクヌクしているとは何事か。それでも貴様は女かと、ひどい自己嫌悪が毎日のように私の心を苛んでいた。

 いっそのこと自分もアルのところへ向かいたい気分だったが、そういうわけにもいかない。このリースベンは蛮族と文明人の寄り合い所帯だ。誰にでも領主代理が務まるような、安定した領邦ではない。アルもソニアも不在な以上は、アルの婚約者である私が頑張るほかない。

 

「はぁ……」

 

 ……そう思って頑張ってきたわけだが、ため息を抑えることはできなかった。リースベンの領主代理の仕事は、とにかく大変だった。戦時下だけに領民や領地を通る行商人たちはピリピリしているし、領主不在の隙を狙って盗賊どもは跋扈するし、エルフたちはその盗賊どもを勝手にブチ殺しては生首タワーを目立つ所に設置するし……本当に大変だった。

 リースベンに来るまでは、大国・ガレアの宰相たるこの私ならば辺境の小領邦の政務などチョチョイのチョイだ。などと思っていたのだが、現実は予想以上に厳しかった。アルの代わりに領主屋敷の執務室でアレコレ仕事をしている私のもとには、暗澹たる気分になるような報告書ばかりが届く。

 リースベンは人口は少ないのに人種に関してはやたら多種多様で、文化のギャップによるトラブルは毎日のように起こっていた。それに加え、この頃は外部からの流入者からも多いのでその連中もまたトラブルを起こす。毎日毎日、トラブル祭り。執務室だけで仕事が完結することはまれで、頻繁に現場に出なくてはならない。

 しかもリースベンの蛮族の大多数を占めるエルフとアリンコは勝負の気風が極めて強く、したがって文民たる私の言うことはまったく聞いてくれない。というか、あいつらにまともに言うことを聞かせられるのはアルだけだ。彼女らの統治に関して、私は大変に苦労していた。

 

「癒しが欲しい……」

 

 一人寝が辛いのは竜人(ドラゴニュート)だけの専売特許ではないと思うんだがな。別にスケベなことはしなくていいから、アルと一緒にベッドに入って丸一日イチャイチャしていたい気分だった。当のアルが不在な以上、叶うことはない望みではあるのだが。

 冷めきった香草茶を飲み干し、もう一度ため息をつく。アルがいれば、まだましなのだが。というか、この不安定極まりないリースベン領がまとまっているのは、アルのカリスマあってのことだ。私の個人的な欲求のみならず、公的な理屈でもアルには早く帰ってきてもらわねば困る。このくだらない戦争は、いったいいつになったら終わるのだろうか……。

 

「ご主人様~」

 

 などと考えていると、いきなり執務室のドアが開いて誰かが入ってきた。顔を上げずとも、侵入者の正体は察しがついていた。エルフやアリンコは基本的に私のことをナメくさっているが、流石にノックもせずに部屋に入ってくるような真似はしない。こんなことをやらかすのは、私の知る限りただ一人だけだ。

 

「どうした、ネル」

 

 私の腹心にして護衛でもある騎士、ネルだ。あのカマキリ娘によく似た名前を持つこいつは、いわばアルにとってのソニアと同じような存在だった。公私にわたって私に仕え、執務の補佐から身辺の警護までなんでもやる副官。もっとも、このネルは主君を主君とも思わぬ女で、私のことを上司ではなく友人だと思っている節がある。正直、ときどきソニアと交換してやりたい気分になるのが玉にキズだ。

 

「愛しのアル様からお手紙が届きましたよ。翼竜(ワイバーン)便の速達です」

 

「ああ……」

 

 げんなりした心地で、ネルから手紙を受け取った。ブロンダン家の家紋である青薔薇の封蝋が押されたその封筒には、確かにアルの名前が書かれている。

 

「婚約者から来た手紙を受け取った割には、テンションが低いですね」

 

 そんなことを言いつつ、ネルは許可も取らずに勝手に椅子を持ち出して、私の対面に座った。その顔には嫌味な笑みが張り付いている。

 

「恋文なら大喜びするところだがね、アルくんからの手紙に色気を期待するのは愚の骨頂なのだよ。彼は手紙をたんなる情報伝達手段としか見ていないフシがあるからねぇ……」

 

 惚れた男からの手紙だというのに一切のトキメキすら覚えないあの無味乾燥の文体は、いっそ一種の才能なのではないかと思わざるを得ない。私は肩をすくめてから、ペーパーナイフで封筒を開封した。

 刃物や毒物などのトラップは、警戒する必要はない。その辺りはすべてネルがチェック済みだからだ。この手の仕事には絶対に手を抜かないのが、この護衛騎士の唯一にして最大の長所だった。まあ、アルからの手紙に罠などが仕掛けられている可能性は皆無だが、敵対派閥などからの偽書の可能性もあるからな。この手のチェックは不可欠なのだ。

 

「……うげぇ」

 

 相変わらず何の感動も浮かばない乾いた文体の書面を目で追った私は、思わずそんな声を漏らしてしまった。手紙の内容は、主に現状報告だ。ミュリン軍撃破後、戦況には大した動きがない事。諸侯どもがまったく言うことを聞いてくれないこと。王室方面が相変わらずきな臭いこと。……そんなことがつづられている。

 まあ、これは良い。だいたい予想通りだ。問題はその後。あのヴァルマ・スオラハティが、アルとの結婚を条件に我々へ協力することを打診しているという部分だった。ああ、あの忌まわしい破壊の申し子! 私は頭を抱えたい気分になった。

 

「どうされました? 愛しの細君が敵国の貴公子にでも寝取られましたか?」

 

「縁起でもないことを言うんじゃない!」

 

 私は思わず叫んだ。アルは身持ちが硬い男だが、それはそれとして妙に押しに弱い部分がある。どこぞの馬の骨に寝取られてしまうような不安は、いつだって私の精神を苛んでいた。ただでさえ、私は女としての魅力や自信からは無縁のロクデナシなのだ。

 

「……いや、しかしよく考えればネルの言う通りかもしれん」

 

 とはいえ、要するにアルが他の女とも結婚するかもしれない、という話なのだから、ネルの冗談は冗談になっていない。私は額を流れる冷や汗を拭った。

 

「というと?」

 

「ヴァルマ・スオラハティからの提案でな。アルとの共有婚に、自分も加えてほしいと」

 

 まあ、実際はそんな殊勝な提案の仕方ではなかったのだろうが。なにしろ、相手はあのヴァルマだ。わたしも、彼女とは何度も顔を合わせた経験がある。あの穏やかなカステヘルミの娘とはとても思えない、苛烈極まりない炎のような女だ。正直"アルを寄越せ"ではなく共有程度で妥協してくれたことすら、奇跡のように思える。

 

「対価は……対王家の際の助力ですか」

 

 こういう部分では、ネルはとても察しの良い女だ。打てば響くように、そう返してくる。

 

「ああ、その通り。どうやらあの女は、王家が隙を見せた瞬間に王冠をかっさらう腹積もりらしいな」

 

「なるほど」

 

 ネルは頷き、許可も得ず勝手に執務机の上に置いていたビスケットを一口食べた。せめてなんか言ってから食えよ。

 

「結構なことではありませんか。北をカステヘルミ様が、中央をヴァルマ様が、そしてこの南方をアデライド様がそれぞれ治める。現状よりもよほど強固な体制です」

 

「……お前ならそういうと思ったよ」

 

 大きく息を吐いてから、私もビスケットを食べた。燕麦で作った、素朴な焼き菓子の味。中央に居た頃はこんな粗末なものを口にしたことは一度もなかったが、この頃はすっかり慣れつつある。リースベンでは小麦は黄金並みの貴重品だ。

 

「好き好んで王家に楯突くつもりはさらさらないが、向こうがこちらを排除しようというならそれなりの対処はせねばならん。ヴァルマは有能な女だ、確かにこの提案は魅力的ではある……」

 

 ヴァルマ・スオラハティという女は本物の異常者ではあるが、頭は回るし武力に関しても非の付け所がない。おまけにその特異な性格が武人を惹きつけ、スオラハティ軍内部では確たる地位を築いているという話だ。ヴァロワ王家が滅ぶならば、世相は必ず荒れる。そのような乱世では、あの女はてきめんに輝くことだろう。

 

「しかしその協力の対価がアルとなると……流石に」

 

「じゃ、突っぱねますか」

 

 ネルの端的な言葉に、私は一瞬顔を伏せた。そして執務机に積まれた山のような資料の中から数枚の羊皮紙を引っ張り出す。そこに書かれているのは、万一王家と事を構えることになった際の作戦計画だ。

 リースベンの防衛だけならば、なんとでもなる。なにしろこの土地には民族皆兵の蛮族が数千人も住んでいるからだ。今は一般人として暮らしているエルフやアリンコどもも、敵兵が押し寄せれば武器を取って戦うだろう。万単位の討伐軍が差し向けられても、撃退は可能だとアルもエルフの指揮官たちも太鼓判を押していた。

 しかし、その後が問題なのだ。リースベンの戦力は確かに高いが、遠征能力には難がある。独力で王都まで攻め寄せるなどというのは現実的なプランではない。その際に一番頼りになるのはもちろんスオラハティ辺境伯家だが、あそこは近いうちに代替わりする。それが問題だった。

 次代のマリッタは、姉や妹と比べるとどうにも地味で真面目なことだけが身の上のような女だ。平時であればむしろそのような領主のほうが良いのだろうが、有事となるといかにも不安だ。最悪の場合、王家方につく可能性も十分にある。

 そんな腰の定まらないスオラハティ家にくさびを打ち込むという意味では、ヴァルマの抱き込みは大変に有効な策だ。王位簒奪うんぬんはなんとも物騒だが、もし彼女がガレア王になれば次世代の王家にはアルの血が流れることになる。そうなれば、私の娘や孫は今ほどに王家に振り回されることも亡くなるはずだ。ぜんぜん、まったく悪くない。

 

「……受けるしかあるまいよ」

 

 すべての感情を飲み込んで、私はそう言った。まあ、そもそもアルを独占するのは現時点ですでに不可能なのだ。共有相手がいまさら一人増えたところで、大した変化はあるまい。……たぶん。

 

「とはいえ、あのロクデナシに状況の主導権を奪われるのは面白くない。こちらの方も、政治工作とリースベン軍の強化を急ごう」

 

 流されるばかりでは望む未来は手に入らない。私は決意を込めて拳を握り締めた。むろん私とて、成すがまま日々の雑務に忙殺されていたわけではないのだ。手紙でアルとやり取りしつつ、最悪の状況に備えた準備は進めている。

 

「手始めに……北で錬成している新型砲装備の砲兵隊。あの連中の戦力化を急がせろ。それから……ボルトアクション式小銃? とやらの実用化もな。せっかく、高いカネを払ってわざわざ新しい兵器を作ったんだ。間に合いませんでしたでは泣くに泣けん」

 

 大砲も小銃も、すでに十分な数が揃っているのだ。にもかかわらずアルは子供のようにダダをこね、新兵器の開発予算を私からもぎ取った。鋼鉄製後装式野戦砲だのボルトアクション式小銃だのと言われても、私にはいまいちよくわからないのだが……安くないカネを払ったのだ。きっと役に立ってくれることだろう。



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第472話 くっころ男騎士の進軍

 ヴァルマの一件から一週間が経過した。相変わらず和平交渉も諸侯たちの軍議も空転しまくりまったくといっていいほど進展がなかったが、わざとやっている前者と違って後者の方は早急になんとかする必要があった。なぜかと言えば簡単で、いかにミュリン領周辺が穀倉地帯と言っても、一万人もの兵士が一つの街にずっと滞在していたらあっという間に食料価格の高騰が始まってしまうからだ。

 物流に難のあるこの世界の内陸部では、大軍は常に食料を求めてあちこちをさまよい続ける必要がある。一か所にとどまり続けるのは論外に近い(攻城戦が過酷なものになるのもこの辺りが原因だ)。当然そのようなことは軍学を修めた人間であれば皆心得ており、このままチンタラ軍議を続けるわけにはいかないということは、あの厭戦派のヴァール子爵すら認める事実であった。

 方針が定まらないのに、タイムリミットは刻一刻と迫ってくる。こういう場合、どのようなことが起こるか? ……最後の最後で、皆が納得できるような妙案が浮かんでくるような奇跡は、まず起きない。結局、結論はひどくあいまいで玉虫色なものになった。

 まず、部隊を前衛と後衛の二つに分ける。前衛は敵領域の奥深くに侵入し、防衛線の突破や後方のかく乱を担う。そして後衛は前衛が開けた穴に食らいつき、戦果拡大に務めるわけだ。一見マトモな作戦に見えなくもないが、要するにリュパン団長ら主戦派とヴァール子爵ら厭戦派を分離して、それぞれ好き勝手やらせるだけというなんともひどすぎる代物だった。

 

「船頭多くして船山に上る、とはこのことですね。まとまりがないにもほどがある」

 

 会議が終わった直後、ソニアはそう呟いていたが僕としてもまったくの同感である。とはいえ、そもそもからしてこの戦いは戦争目標があいまいなのだ。その下に位置する戦略や作戦のレイヤーまでふわふわしてくるのも自然なことだ。まあ北の戦線はレーヌ市の奪取に集中すれば良いにしても、そのレーヌ市から遠く離れたこの南部で派手に動いたところでどれほどの効果があるのかはだいぶ怪しい。国境に軍を集め、圧力を加えるだけでも牽制としては十分ではなかろうか?

 そんな疑問は尽きなかったが、とにもかくにも方針が決定した以上は動かねばならない。幸いにも、状況自体はそれほど悪いものではなかった。ミュリンやジークルーンの軍が事前に粉砕されたおかげで、帝国南部諸侯は明らかに腰が引けている。カネは払うからウチは見逃してくれ。そんな打診も、水面下では少なからず来ていた。

 そんな状況で継戦意欲を残しているのは、こちらで言うところのリュパン団長のような筋金入りの武人のみ。つまりは、王国と神聖帝国それぞれの主戦派をぶつけあってしまおう、というのが作戦の裏の目的だった。内心、僕はこれを『勝手に戦え!』作戦と呼んでいる。

 

「やっと戦場(いくさば)の空気が吸える」

 

 愛馬の背中の上でアレコレ思案していた僕の耳に、そんな声が聞こえてくる。横を見れば、そこに居るのはこれまた軍馬にまたがったリュパン団長だった。南部方面軍再始動後、僕はリュパン団長の遠征軍に同行していた。

 もちろん、好き好んでこの過激派騎士と一緒にいるわけではない。気分としては、ジルベルトと共にミューリア市に居残りたいとは思っていたのだ。しかし僕は一応肩書の上では方面軍の総司令官である。安全な後方でのんびりしているわけにはいかなかった。そんなことをすれば王家からも諸侯からも白い目で見られるからだ。

 ヴァルマとの密約で王家への対抗策を整えつつある僕ではあったが、当然ながら自らクーデターを起こすつもりなど微塵もなかった。なにしろ僕のモットーは"常に忠誠を!"なのだ。自分から反逆するなどとんでもない話である。まあ、そうは言っても実際に忠誠を誓っているのは国民であって主君ではなかったりするのだが。とはいえそれでも王家が実際にこちらに牙を剥かない限りは、忠実な臣下のままで居るつもりだった。

 そういう訳で、軍役は真面目にこなさねばならない。何もかも配下に丸投げして後ろでヌクヌクしていたら、王家の心証は凄まじく悪くなるだろうからな。場合によっては、この怠慢を理由に反逆者認定される可能性もある。僕としては、好き好んで新しい戦乱を呼び込むつもりなどさらさらないのだ。冷や飯を食わされる程度であれば、我慢するつもりでいた。

 

「とはいっても、作戦そのものはあまり良いとは言い難いですがね」

 

 僕はリュパン団長にしか聞こえないように声を潜めてそう答えた。気弱な発言を兵に聞かれるわけにはいかないからだ。じゃあ最初から黙っていろよ、と自分でも思わなくもないが、ボヤきたくなるのも仕方がないほど今回の作戦はひどい。

 

「分進合撃とは名ばかりの戦力分散。僕が軍学の教か……教師だったら、落第点を与えているところですよ」

 

 わが軍の主力は完全に二つに分けられている。好戦派と厭戦派の間で妥協が図られなかった結果がこれだ。しかも、この両者の部隊の戦略目標は完全に別物なのだからたまらない。前者の部隊は王太子殿下の命令を順守して陽動作戦を遂行しようとしている一方、後者の部隊はミューリア市周辺の小都市や農村などを適当に荒らして戦費を回収し、お茶を濁してからそのまま所領に帰ろうと目論んでいた。

 

「やる気のない将兵が戦力として計上できるとでも?」

 

 返ってきた答えは、なんとこリュパン団長らしい過激な発言だった。

 

「あのような腰の据わらぬ将に率いられた兵は、みな例外なく弱卒だ。敵にひと当たりされるだけで逃げ出すことであろう。はっきり言って、そのような連中は有害無益! 糧秣を無駄に浪費した挙句戦線崩壊の発端になるゆえ、捨て置くべし!」

 

 まあ、言い方は荒っぽいが一理ある意見ではある。戦闘の趨勢を決めるのはいつだって兵たちの士気だ。前世の世界における現代戦ですら、その原則に変化はない。いわんや白兵戦がたびたび発生するこの世界の戦争ともなればなおさらである。

 

「貴様とて例外ではない。指揮は拙者がとる故貴様はミューリア市なりなんなりに戻るが良い!」

 

「そういう訳には参りません。僕の任務はまだ果たされておりませんので」

 

 この騎士は、ことあるごとに僕を後送しようとするのである。男である僕の指揮下で働くのが嫌なのだろう。リュパン氏は伝統的な価値観の信奉者のようで、男軍人という存在は認めがたいものがあるようだった。

 

「王家に対する言い訳がしたいのなら、あのヴァール子爵について行けばよかったであろうが! なぜ拙者の方に来たのだ!」

 

「略奪なんかにはできれば参加したくないので……」

 

 ヴァール子爵の目的は略奪による戦費の回収だ。僕としては信じがたい所業なのだが、この世界ではまともな国際法すらないのだ。友軍の略奪を阻止する方法はない。ならば、曲りなりとも戦争のほうが主目的のリュパン氏のほうへ合流したほうがマシ……というのが僕の結論だった。まあ、もちろん戦略・戦術的な理由もあるのだが。

 

「騎士の本分は民を虐げることにあらず、という部分には同意しよう」

 

 不承不承と言った様子で、リュパン団長は頷いた。この人も、伊達や酔狂で伝統ある騎士団を率いているわけではない。自分は高潔なる騎士である、という強い自負は持ち合わせているようだった。

 

「ご安心ください。やる気はありますよ、僕たちは」

 

「主力をミューリア市に置いて来たのに?」

 

 疑うような目つきで、リュパン団長が僕を睨みつける。彼女の言うように、リースベン軍の主力であるライフル兵大隊はミューリア市でお留守番だ。少なくとも書類上は、ミュリン家との戦争はいまだ継続中だからな。いくら敵の主力が壊滅状態とはいっても、流石に完全放置というわけにはいかない。ミューリア市をわが軍の拠点として活用するためにも、守備戦力の駐留は必要不可欠だった。

 そのライフル兵大隊の代わりに僕が率いてきたのが、蛮族兵たちだ。大半がエルフとアリンコの部隊で、当然ながら鳥人航空兵も同行している。唯一の例外は、王都出身者が大半を占める山砲隊のみだ。

 これでも兵数は六百名を超えており、数的にはむしろライフル兵よりこちらのほうが主力っぽいんだけどな。とはいえ、ガレア王国や神聖帝国では服属させた蛮族の兵士などは補助戦力としか見られないのが普通だった。特にエルフなどはマトモな甲冑も着込まず武器は一見原始的な木剣なので、舐められるのも仕方のない部分はあるだろう。

 

「進軍路がこの調子ですから、射撃兵科に偏重した編成は避けるべきだと判断しました」

 

 軍馬の足元をちらりと見て、僕は笑う。僕たちは現在街道にそって進軍していたが、その街道はなんともひどいものだった。鋪装などはもちろんされていないし、それどころか路面のデコボコすらまともに修繕されていない。今は乾いているからまだマシだが、雨など降った日には大変なことになってしまうだろう。人や馬などはまだなんとかなるが、馬車の通行は難しいかもしれない。

 これは、別にこの街道だけが特別荒れているわけではなかった。帝国の南部の街道は、おおむねこの調子なのだ。なにしろ帝国南部は肥沃な大地が広がっているので、リースベンのように食料を外部に求める必要はない。そうなると物流の優先順位が下がるので、高いコストを払ってまで立派な街道を作ったり維持したりする必要はないのだ。

 そしてこの荒れた街道は、侵略者に対する備えとしても機能する。使い勝手の良い街道は、進軍ルートとしても使いやすいものだ。これを侵略者に利用されれば、かえって自分の首を絞めることになってしまう。街道整備に熱心な領主がいないのも、当然のことだった。

 実際、この荒れた街道は侵略者たる僕たちガレア諸侯に牙を剥いていた。このような道路では当然ながら進軍速度は遅くなるし、武器弾薬や食料などを運ぶ輜重段列(補給部隊)の通行にも支障をきたす。戦いにくいことこの上ない土地だった。まあ、エルフ内戦への介入時は道自体がなかったのでそれよりはよほどましだが。

 

「ガレア建国戦争の際の戦訓か」

 

 リュパン団長は、片方の眉だけを上げていった。ガレア建国戦争は、西の島国アヴァロニアのいち諸侯であったヴァロワ家が大陸に領地を得たことをきっかけに発生した戦争だ。何百年も前の話ではあるが、歌となって現代でも語り継がれている。日本で言うところの、太平記や平家物語のようなものだな。

 

「ええ。かの戦争の前半では、アヴァロニアの長弓兵が猛威を振るいました。しかしガレア側が補給路の攻撃に徹したことで矢の補充が間に合わなくなり、最終的には壊滅しています」

 

「ほお? 鉄砲兵は貴様が自慢とする最新鋭兵科だろう。それが数百年前の長弓兵と同じ戦術の前に屈するというのか」

 

 挑発的な口調で、リュパン団長はそう言った。僕はニコリと笑って頷く。

 

「数百年程度で戦いの原則が変わるとお思いですか?」

 

「思わんね。撃つものが無くなれば無力化されてしまうのは太古の投石兵も現代の弩兵も同じだ。……ふふん。貴様、男の割にはよくわかっているではないか。不相応な精兵を与えられて調子に乗っているだけのお飾りかと思ったが、一応しっかりとした軍学は修めていると見える」

 

 ニヤッと笑うリュパン団長。どうやら、僕の返答がお気に召したようだ。

 

「だが、調子に乗ってはならんぞ。所詮男は男だ。股間に鍛えようのない弱点をぶら下げているような者が、戦いに向いているはずもない。戦が始まったら、後方で待機しておれ。拙者より前に出ることはまかりならん」

 

 真顔でなんてこと言うんだこの人は!? いや、確かに金的は鍛えようがないが、防具でカバー可能だろ……。まあいいや、この手の人にいちいちツッコミを入れてたら身が持たない。僕は神妙な表情で頷いた。

 

「心しておきましょう。ご心配頂き、ありがとうございます」

 

「ふん。この肥沃なる大地を一ミリでも多く切り取って、竜の民(ドラゴニュート)のものとするのが我らリュミエール騎士団結成以来の使命。その好機を男の騎士気取などに邪魔されてはたまったものではないからな……」

 

 そう言って、彼女はそっぽを向いた。照れ隠しなのかもしれないが、発言が物騒過ぎる。これがなきゃ意外と仲良くできそうな雰囲気はあるんだけどなぁ……。



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第473話 くっころ男騎士とガンコ騎士団長

 それからさらに一週間。僕たちは相変わらず進撃を続けていた。この間、一つの小都市といくつかの村を制圧したが、大規模な戦闘は一度も起きていない。都市攻略の際ですら、ほぼ無抵抗だった。おそらく、レンブルク市が一日で陥落してしまったことが伝わっているのだろう。市参事会の怯えようは尋常ではなく、代官などは夜逃げしている有様だった。

 破竹の勢いで、我々は北上していく。目指す先は、南部屈指の大都市エムズ=ロゥ市だ。この街は大河モルダー川と南部では貴重なしっかりと整備された大街道、聖アデナウアー祈念街道が交差する交通の要衝であり、ここが墜ちると神聖帝国の南部はもとより中部にすら影響が出る。狙えるならぜひ狙いたい都市だった。

 とはいえ、この街は神聖帝国領のかなり奥深くにある。ここを落とすのははっきり言ってかなり難易度が高かった。本来であれば周辺の諸都市や街道などを制圧し、きちんと足場を固めてからじっくり攻略を狙うのが常道だろう。

 しかし、我々はあえて一直線にエムズ=ロゥ市を狙うことにした。なにしろ、敵は緒戦の敗北のショックでは完全に委縮している。この隙を突いて速攻をかければ、勝利の目はあるだろう。いわば、原始的な電撃戦モドキだ。

 

「存外に順調ですね」

 

 夜。野営地の一角に立てられた大天幕の下で、僕は香草茶を飲みながらそう言った。確かに、作戦は順調に進んでいる。ハッキリ言って拍子抜けだ。我々は一応エムズ=ロゥ市の攻略を掲げて進撃しているが、正直に白状するとほとんどの者はこんな目標が達成できるとは考えていなかった。もちろん、僕もその一人だ。

 速攻だのなんだのと言っても、所詮は歩兵が主力の軍だ。進軍速度は一日二〇キロ程度がせいぜいで、電撃戦からは程遠い。現実的にこの作戦を成功させようと思ったら、モンゴルばりの巨大騎馬軍団が必要になるだろう。

 じゃあなんで達成不能とわかっている作戦を実行しているのかと言えば、まあお題目のようなものだ。エムズ=ロゥ市にたどり着く前に敵は迎撃に出てくるだろうから、その連中と一戦してお茶を濁す。実際の作戦は、そういう消極的なシロモノだった。

 

「順調すぎて逆に困っている」

 

 しかめっ面でそう答えるのは、リュパン団長だ。彼女は半袖シャツの胸元をパタパタと仰ぎながら、ため息を吐く。『常在戦場!』などと言いながら年中全身甲冑で過ごしていそうな風情のあるリュパン団長だが、兵の前に出ない時は意外とラフな格好をしている。「要らぬところで肩肘を張っていたら、肝心なところで力が出なくなる」というのが本人の談だった。

 実際、季節は既に真夏に近くなっている。湿度が低いので日本の夏よりはかなり過ごしやすいが、それでも暑い事には変わりない。僕の方も、服装はリュパン団長と大差ないラフなものだ。真夏の全身甲冑はほぼ着るサウナだからな。好き好んで身につけたいものではない。

 

「このままでは補給線が伸びすぎる。あまり宜しくない事態だ」

 

 指揮卓に頬杖を突きながら、リュパン団長は地図を眺めまわした。すでに、我々はミューリア市から百キロも離れた場所に居た。現代戦ならば目と鼻の先の距離だが、この世界の常識で言えばそれなりに遠方だ。これ以上離れると、補給拠点などを構築しないと兵站が厳しくなってくる。

 

「しかし、足を止めるのもマズイですよ。四方八方からタコ殴りにされたら勝ち目がありません」

 

 一万の兵が塊になって動いているのならばそうそう負けはしないが、残念ながら我々の部隊は二つに分かれている。おまけに、リースベン軍は主力のライフル兵大隊を欠いているのだからたまらない。敵からみれば、各個撃破の絶好のチャンスだろう。間違っても、足を止めてはいけない。そんなことをすれば四方八方から敵が集まってくる。

 

「ウム……ヴァールの小娘が役に立つのなら、まだやりようはあるのだが。まったく、無能な味方は有能な敵よりも手に負えん」

 

 ため息を吐くリュパン団長。彼女と僕は、こうして毎夜頭をひねっていた。今回の戦いが容易ならざるものであることは、この過激派騎士ですら認識している。気合だけで解決する問題でも無し、とにかく現場が頭を絞って何とかするほかなかった。

 というか、『この過激派騎士ですら』とは言うが意外とリュパン団長の用兵術は堅実なんだよな。軍議中の発言から猪突猛進を旨とする猛将タイプだと勝手に思っていたのだが、実際は合理的で効率の良い采配をするタイプだということがわかってきた。

 例えば、行軍。リュパン団長は、行軍の際には露払いを軽騎兵に任せる。これ自体は常識的なやり方なのだが、彼女が優れているのはその運用だった。尖兵役の軽騎兵たちは本隊の先鋒として前方の安全を確かめた後、周辺の農村などを回って食料の徴発を準備を始めるのが常だった。

 食料はある程度現地調達に頼らざるを得ない物資だ。だが、食料の徴発に時間がとられると行軍に回せる時間が少なくなり、進軍スピードが落ちる。それを避けるために編み出したシステムが、このやり方らしい。もちろん索敵にあてる時間が少なくなるので、敵を見逃す可能性は増すが……それは、翼竜(ワイバーン)による空中偵察で補っているのだそうだ。なんとも効率的なやり方だな。

 

「ヴァール子爵ですか……」

 

 僕は、あのやる気のない伯爵名代の顔を思い出した。正直に言えば、僕としてはリュパン団長よりもこの子爵のほうに近い意見の持ち主なんだけどな。こんな戦争からはさっさと足抜けしたいよ、実際。とはいえ、だからって手抜きをするのも僕の趣味ではないからな。できるだけのことはやるつもりだった。

 

「正直、かなり心配ですね。一応ヴァルマが監視に当たっているとはいえ、あの愚妹とヴァール子爵はかなり相性が悪そうですし……」

 

 腕組みをしながら、ソニアが言った。僕はヴァール子爵のもとに、お目付け役としてヴァルマを派遣している。監視無しで野放しにしたら、雑に暴れた挙句そのまま所領に帰っていきそうな雰囲気があるからな、あの人。

 

「ヴァルマ殿は立派な武人だ。あの小娘のような輩と一緒に働くのは我慢ならんだろう」

 

 ニヤッと笑いながら、リュパン団長がソニアを見た。僕には何かと辛辣な団長ではあるが、スオラハティ姉妹との関係はそれほど悪くない。どちらも武人気質だからな、ある程度のシンパシーはあるのだろう。

 

「とはいえ、子爵の尻叩き役をこなせるのは彼女かソニア殿しかおらんだろう。ヴァルマ殿には申し訳ないが、頑張ってもらわねば」

 

「そうですね。ヴァール子爵にも、最低限の仕事はこなしてもらいたいですし」

 

 僕は指揮卓の地図に視線を戻しながら言った。ヴァール子爵の別動隊は、我々のやや後方にいる。我々が通った後の集落で、"落ち穂拾い"をしているのだ。すがすがしいほどのカスムーブだが、一応言い訳はしている。なんでも、我々の後方と補給路を守っている……のだそうだ。

 確かに、後方の安全確保は必須だがね。あんまり腰の据わっていない連中にそんな重大任務を任せるのは正直怖い。とはいえ、だからこそヴァルマを派遣しているわけだが。まあ何にせよ、ヴァール子爵には後々働いてもらうつもりではあった。美味しい所だけ持って行こうなんて、都合がよすぎるだろ?

 

「同感だな。……何はともあれ、問題は補給線だ。我々の背後を守っているのが頼りにならぬ弱卒どもであることを忘れてはならん。矢玉が切れると困るのは鉄砲兵だけの専売特許ではない」

 

「そうですね。時間稼ぎをしつつ、補給体制の強化も目指したいところ。そこで提案なのですが、いったん回り道をしてこの街を攻めるというのはどうでしょうか」

 

 そう言って、僕は地図の一点を指さした。大河モルダー川のほとりにある、小さな川港だ。

 

「街道をそのまま北進したほうが、エムズ=ロゥ市には早くたどり着けます。モルダー川は曲がりくねっていますからね。しかし、川港が使えるようになれば補給面はかなり改善できます。作戦が上手くいきすぎて(・・・・・・・・)エムズ=ロゥ市で攻城戦、などという事態になっても、この街を抑えていればかなり戦いやすくなるはずですよ」

 

「なるほど、一理ある」

 

 小さく頷いて、リュパン団長は自らの顎を撫でた。

 

「……認めたくはないが、貴様には参謀の才能はあるようだ。まったく、残念だな。女として生まれていれば、喜んで(くつわ)を並べられていたものを」

 

「男ではだめですか? 頭を使う分には、男女など関係のない話だと思いますが」

 

 僕は唇を尖らせて反論した。たしかに、現実問題この世界だと女性の方が武人向きだ。亜人と只人(ヒューム)の身体スペック差は明白で、殴り合いの際の不利は免れない。身体強化魔法である程度のカバーは可能だが、それだって所詮は付け焼刃だ。僕がなんとか白兵戦でも戦えていたのは、前世の経験によるものが大きい。転生者というゲタ込みですらこの調子だから、人生一周目で男騎士を目指すのはだいぶムリゲーなのではなかろうか。

 ……とはいえ、それはあくまで肉体面の話。当然ながら、知略の面で負ける気はさらさらなかった。むろんリースベン軍の連戦連勝は前世の技術と戦略・戦術ありきなので、あまり慢心はできないが。しかしそれでも、僕は自分の指揮官としての能力にはある程度の自負があった。

 

「駄目だな」

 

 しかし、リュパン団長の返答は端的だった。彼女は僕をギラリと睨みつけ、僕の胸元をぴしりと指さす。

 

「例えばそう、これだ! 先ほどから気になっていたが、なんだその破廉恥な格好は!」

 

「ええ……」

 

 僕は自分の胸元を見た。たしかに、第三ボタンまで外しているのでそれなりに露出度は多い。ただ、このような格好をしているのは僕だけではないのだ。リュパン団長にしろソニアにしろ同様で、体格の良い竜人(ドラゴニュート)特有の豊満な胸がまろび出そうになっている。熱さのあまりダラけた格好になるのは皆同じことだ。

 

「女ばかりの空間に、そんな恰好をした男が一人混ざってみろ! 風紀の紊乱(びんらん)甚だしいだろうだろうが!」

 

「暑いんだから仕方がないでしょうが。なあ、ソニア」

 

 僕は助けを求めて副官の方を見た。ソニアは「え、ええ」などと言いつつも僕の胸元をチラチラ見ている。なんやねんお前は。初めて女体を前にした童貞か。いい加減付き合いも長いんだから慣れろ。ユニコーンに蹴られるような真似はまだとはいえ、裸になってベッドで抱き合った仲だろうが。

 

「ほら言わんこっちゃない。この歩く風紀紊乱罪め、さっさとその卑猥な胸を片付けろ!」

 

「リュパン殿も僕と似たり寄ったりの格好じゃないですか」

 

「拙者は女だから良いのだ! 貴様は男だろう!」

 

 憤怒した容姿で、リュパン団長は自分の胸元をガッと開いた。とうとうその豊かなバストが完全に露出してしまうが、彼女はまったく気にしない。ほぼ常時上半身を露出しているアリンコほどは少々極端にしても、この世界の女性はだいたい胸の露出ていどはそれほど恥ずかしいものではないと思っているのである。

 

「ああ、もう! やめてください! 破廉恥なのはどちらですか!」

 

 僕は赤面して、自分の胸元のボタンをとめた。これ以上露出を続けられると困ってしまう。女ざかりの屈強な武人のナマ胸は、童貞にはかなり目の毒だ。

 

「まったく……これだから、男を軍隊に入れるべきではないのだ!」

 

 こちらを睨みながらプンスカ怒るリュパン団長。この程度で文句言われちゃ困るよ、まったく。武人としては有能なようだが、やはりこの人の頭は固い。幼年騎士団や騎士隊の隊長をしていたころは、この程度のことで文句を言われることはなかったんだがなぁ……。



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第474話 くっころ男騎士と作戦会議

「リッペ市より使者が戻ってきました。降伏勧告は拒否されたとのことです」

 

「了解」

 

 伝令の言葉に、僕はコクリと頷く。現在、我々は大河・モルダー川の岸辺にある小都市リッペ市の直前に軍を布陣させていた。このリッペ市自体は、どうということはない小さな街だ。小規模ながら川港を有しており、漁業やモルダー川を行きかう川船を相手に商売をすることで生計を立てている。いわば、川の宿場町といえるような都市だった。

 モルダー川は帝国南部の大動脈とも呼ばれる物流の要だ。この川の近辺には、リッペ市のような街など吐いて捨てるほどもある。しかしそのような凡庸な街であっても、我々から見れば十分に魅力的な獲物であった。この街はミューリア市から伸びる街道がそのまま接続されているし、その下流側には我々の当面の目標であるエムズ=ロゥ市がある。これは大変に都合のより立地だった。おまけに街自体がそれほど大きくないので、制圧の際の抵抗も小さなものであると予想されていた。

 

「この間の街と違って、リッペ市の連中は根性が据わっているな」

 

 腕組みをしながら、リュパン団長がフンと息を吐く。この間の街というのは、先日我々が制圧した小都市のことだ。街の規模はリッペ氏と大差はなかったが、この街の首脳陣は最初の降伏勧告をした時点ですでに心が折れていた。無血開城ができたのは有難いが、少しばかり肩透かしな気分を味わったのは確かである。

 もっとも、前回の礼はミュリン領があっという間に陥落したショックもあってのことだろう。こうした心理的衝撃は、当然ながら時間と共に薄らいでいく。ミュリン軍の敗北から一か月近くたった現在、そろそろ敵軍も体勢を立て直してくる頃だろう。油断はできない。

 

「攻城戦は避けられんようだな。レンブルク市のように、この街も一日で落とす自信はあるかね? 男騎士殿」

 

 挑戦的な視線を僕に送ってくるリュパン団長。少しばかり嫌味な調子だが、出会った当初から比べれば遥かに態度が丸くなっている。行軍や作戦会議などを通して、僕がたんなるお飾り指揮官ではないと理解してくれたのだろう。有難い話だ。

 

「そう簡単にはいかないようです。どうやら、敵は単なるカカシではないようなので」

 

 僕はソニアの方をチラリと見た。彼女は頷き、指揮卓の上にいくつもの写真を並べる。

 

「わが軍の鳥人偵察兵が持ち帰ってきた、リッペ市の航空写真だ。どうやら、敵は準備万端こちらを待ち構えているようだな」

 

 写真に収められているのは、防衛の準備に精を出す軍人や市民たちの姿だった。この街の最大の特色である川港は、船同士を縄で連結した水上バリケードで完全に封鎖されている。市内を写した写真には、家のドアや窓に板を打ち付ける民衆の姿もある。長期の籠城戦を意識した行動なのは明らかだ。

 

「この程度の防備であれば、突破はそう難しいものではない。問題はこっちだ」

 

 そう言って、ソニアは一枚の写真をリュパン団長に渡した。街の正面を写したショットだ。そこには、二重に張り巡らされた立派な塹壕の姿がある。よく見れば有刺鉄線を巻き付けて作った鉄条網まで設置されているのだからなんとも丁寧な仕事ぶりである。

 

「連中はどうやら、レンブルク市攻略戦の戦訓を加味して防御戦術を組みなおしたらしい。しかも、敵の策は塹壕だけではない。どうやら、街の周囲にある平地を軒並み重量有輪犂(じゅうりょうゆうりんすき)で掘り返しているらしい。野砲の移動や設置を妨害するためだろう。地味だが有効な作戦だ」

 

 重量有輪犂は、現代の耕運機の御先祖様といえる大型農具だ。馬や牛にけん引させて使い、その鉄の刃は固い地面もパワフルに掘り起こす。

 

「ほう? この短時間で大砲への対抗策を立ててくるとは、敵の指揮官はよほど気の利いた手合いのようだな」

 

 リースベン軍の装備や戦術が他の軍とはずいぶんと異なった代物であることは、もちろんリュパン団長も承知している。彼女はこの新式軍制について感想を述べることは差し控えていたが、すくなくとも攻城戦において大砲が極めて有効な兵器であることは認めていた。

 

「この街を治めている領主は誰だ ?」

 

「エムズハーフェン選帝侯閣下です、団長」

 

 流暢な口調で、リュパン団長の副官がそう答えた。エムズハーフェン選帝侯は、エムズ=ロゥ市の領主でもある有力貴族だ。この家は遥か昔からモルダー川の河川交通を牛耳っており、この辺りの川辺の都市はおおむねエムズハーフェン家の支配下のあった。。

 

「やはりあの女か。ふーむ、何度か顔を合わせたことはあるが、新奇な戦術にいち早く対応できるような頭の柔らかい女ではなかったように思うが……」

 

 リュパン団長は思案顔で呟いた。たぶんエムズハーフェン選帝侯もこの人には頭が柔らかくないとか言われたくないと思うな……。

 

「おそらく、入れ知恵をしたものが居るのでしょう。そのような真似をする者に、心当たりがあります」

 

「ほう? 参考までにそれがどこのどいつなのか聞いておこうか。拙者も知っている相手かね?」

 

「神聖オルト帝国の先代皇帝、アレクシア・フォン・リヒトホーフェン陛下です」

 

「……随分と心臓に悪い名前が出てきたな」

 

 馬糞でも踏んづけてしまったような顔でそう言ってから、リュパン団長は手元のカップを口に運んだ。ちなみに、その中身はミルクと砂糖を入れ過ぎてカフェオレみたいになってしまった豆茶だ。こう見えて彼女は苦いものが苦手なのである。……だったら香草茶を飲めばいいと思うんだけどね。

 しっかし、アーちゃん絡みになるとみんな嫌そうな顔をするんだな。リースベン戦争の講和会議の際にも、アデライドがこんな表情をしているのを見たことがある。たんに厄介な敵の名前を聞いた、という以上の反応だ。やっぱり、あの人柄が原因なのかね。別に悪い人ってわけじゃないんだけど、まあちょっとアレだもんね……。

 

「なんだ、貴様ら。まさかあの厄介者と顔見知りなのか?」

 

「ええ。……去年に起きた我々とディーゼル家の紛争に、介入してきましてね。直接干戈を交える機会があったのです」

 

「それは、それは。難儀なことだ」

 

 心底同情した口調でそう言ってから、リュパン団長はため息をついた。どうやら、彼女もアーちゃんとは面識があるらしい。まあ、あのライオン女は有能な人材と見れば誰かれ構わずコナをかけて回る悪癖があるからな。おそらく、リュパン団長もその被害者の一人なのだろう。

 

「塹壕戦にしろ、この針金を使った構築物……鉄条網も、その際に僕が使った戦術です。これらの有効性に関しては、アーちゃ……アレクシア本人が一番よく知っているでしょう。使わない手はありません」

 

 実際、僕はこの鉄条網を見て背後にアーちゃんがいることを察していた。この世界には針金はあるがまだ有刺鉄線はできていないからな。コイツの有用性を知っているのは我々リースベン勢とその対戦相手だったディーゼル家、そして現場で戦っていたアーちゃんの一党だけだろう。……まあ、リースベン戦争とは無関係に自然発生した可能性も無きにしも非ずだが。こうしたコロンブスの卵的なアイデアはいつどこからpopしてくるかわからんからな。

 

「しかし作戦の出所がそんな大物だとすると、敵側の戦略スケールが随分と拡大するな。少しばかり警戒を強めた方がよさそうだ」

 

 豆茶のカップを人差し指で何度か叩き、リュパン団長は低い声で唸った。

 

「同感ですね。もしアレクシア陛下御本人が親征などされたりしたら、だいぶ厄介ですよ。彼女本人の能力もさることながら、部下にも手練れが揃っています。たとえ周囲を固める兵力が少なかったとしても、油断するべきではありません」

 

「それはそれで話が早くていいがな。わが剣であの無駄に太い首を刎ねてやる絶好の機会だ」

 

 ギラリと目を光らせるリュパン団長。堅実な用兵家としての側面はあるが、それはそれとしてこういう過激派な部分も強いのがこの人らしいところだなぁ……。

 

「まあ、僕としてももう一回くらいシバいておきたい相手ではありますがね。それはそれとして、彼女の配下には単独で戦略級魔法をぶっ放してくる厄介な魔術師がいます。先の戦争で片足を吹っ飛ばしてやりましたが……場合によっては、義足などを使って戦線復帰してくるやも。警戒しておいた方が良いですよ」

 

「ああ、噂では聞いていたが本当にそのような魔術師がいるのだな。承知した、その忠言は心に刻んでおく」

 

 まあ実際のところ、本当にアーちゃんだのその部下の男魔術師ニコラウスくんだのが出て来るかどうかは不透明だけどな。鷲獅子(グリフォン)による航空速達便を使えば、遠方からでも大まかな戦略の指示くらいはできるしな。

 とはいえ、彼女らの所在がわからぬ以上は彼女らへの対策を怠るわけにはいかないだろう。アーちゃんもニコラウスくんも顔見知りだが、だからと言って手を抜く気はない。敵味方に分かれてしまった以上は、全力で戦う義務があるのだから。

 

「……とはいえ、戦略ばかり考えて戦術がおろそかになっては元も子もないな。今はともかく、作戦を進めねば。とりあえず当面の目標は、このリッペ市の攻略だな」

 

 大きく息を吐いてから、団長は視線を卓上の偵察写真に向けた。たしかに敵首脳部の動きは気になるが、だからといって目の前の戦場を放置するわけにもいかない。こういう切り替えができるあたり、やはりこの人は信頼できる軍人だ。

 

「飛行部隊の偵察結果を見るに、リッペ市の連中は明らかに長期戦を志向した準備を整えている。その割に、市内にはこちらを撃破できる規模の野戦軍がいる様子はない。……さて、ブロンダン卿。これらの要素から導き出される敵の思惑は何か?」

 

 士官学校の教官のような口調で、リュパン団長はそんな質問をしてきた。まあ、この程度の問いであれば考えるまでもなく堪えられる。前世と現世を合わせれば、僕の軍歴は目の前の彼女よりも幾分長いのだ。考え込んでしまうようでは、格好がつかない。

 

「時間稼ぎですね。この規模の街の守備隊では、いかに防御を固めたところでこれだけの数の軍勢を退けるなど不可能ですから」

 

「同感だ。……本当に、参謀としては優秀だな。貴様が女であればな……本当に残念だ」

 

 本気の口調でそう言って、リュパン団長はため息をついた。別にいいじゃん、男でも。頭脳労働には男女とか関係ないだろ。

 

「問題は、この時間稼ぎの目的だな。策があってわざとそうしているのか、それとも打つ手がないので仕方なく遅滞を狙っているのか……」

 

「実際のところ敵の思惑はわからないが、だからこそ最悪を想定して作戦を立てるべきだろう。足元をすくわれるのは御免だ」

 

 腕組みをしつつ、ソニアが主張する。言っていることは一理あるが、それはそれとして上官が敬語を使っているのになぜ君はタメ口なんだろうね? いやまあ、リュパン団長は気にしていない様子なので別にいいが。

 

「その通りだ。何はともあれ、敵の思惑に乗るのはよろしくない。ここは、兵力差を生かして速攻をかけるべきだな。街を重包囲して、全方面から一気に強攻する。これが一番だ。塹壕だの路面荒らしだの、いろいろと小細工をしているようだが……だからこそ、こちらは正攻法を使うべきだろう。小細工に小細工で対抗するべきではない」

 

 リュパン団長の作戦はいかにも脳筋じみた代物だったが、確かにこの状況では悪くない選択肢のように思える。そもそもからして、今回の作戦自体が速攻を目指したものなのだ。スピードを重視する団長の主張は、何も間違っていなかった。

 

「申し訳ありませんが、その作戦は不採用です」

 

 が、僕はリュパン団長の意見を却下した。イヤミな態度にならないよう気を付けながら、申し訳なさそうな顔を作って軽く頭を下げる。

 

「リュパン団長麾下のリュミエール騎士団は、後方待機です。そのほかの諸侯の部隊もね。リッペ市の攻略は、僕の部隊にお任せを」

 

「……は?」

 

 心底不機嫌そうな顔で、リュパン団長は片眉を跳ね上げた。



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第475話 くっころ男騎士の陽動

 こうして、リッペ市攻略戦が始まった。とはいっても、リュパン団長に言ったように実際の攻撃に参加する部隊はごく少なかった。主力は僕の配下の蛮族兵たちで、それを補助する形で編成上扱いづらい零細貴族たち(配下の兵士が数名とか多くても二十名程度の連中だ)などを投入している。

 作戦参加人数は、合計で千名足らず。我々の部隊の合計が六千名程度(南部方面軍全体では一万名だが、残りの四千名はヴァール子爵の支隊やミューリア市の防衛などに当てている)なので、実に六分の五の兵士たちは手持無沙汰にしていることになる。

 とうぜん、この采配にはリュパン団長のみならず他の諸侯たちからも非難囂々であった。やれブロンダン卿は手柄を独占しようとしているとか、新兵器の営業なら他所でやれとか、王家に良い格好をしようとしているとか、さんざんな言われようである。

 

「もちろん、皆さんに待機を命じているのは理由あってのことです。つまりは、予備戦力ですね。そもそも。この規模の街の攻略に六千もの兵を投入するのはいささか過剰ですし。戦力温存のためにも、ここはあえて少人数での攻撃に踏み切ったわけです」

 

 などと僕は弁明したのだが、もちろん納得してくれるものなど誰もいなかった。僕に対する非難の声がより大きくなっただけだ。

 

「ブロンダン卿はあえてとおっしゃったが、そもそもそのリッペ市攻略自体が上手くいっていないではありませんか! レンブルクの一日落城は、まぐれだったと見える!」

 

 返ってきた反論はもっともなモノだった。確かに、リッペ市への攻撃はうまくいっていない。アリンコ兵を主力とした正面部隊は果敢にリッペ市の防衛線に攻撃を仕掛けるのだが、やはり塹壕と鉄条網の組み合わせは厄介だ。工兵が有刺鉄線に取りついてなんとかこれを破壊しようとするのだが、もちろん敵は思いっきり妨害をかけてくる。結局、毎度のように撃退されて撤退してくるのがオチだった。

 そもそも、いかに小都市とはいえ一個連隊にも満たぬ千人ぽっちの兵数で攻めようというのが、やや無理があった。もちろん奇襲であれば話は別なのだが、リッペ市の連中は十分に防御準備を整えている。彼女らは市民まで動員して塹壕を掘り、そして河川都市の強みを生かして有刺鉄線やらクロスボウやらの防御向きの兵器を市外から大量に運び入れていた。容易に攻略が成らないのも当然のことである。

 

「野戦砲とやらは確かに強力な兵器かもしれないが、この程度で使用不能になるようではやはり実戦的とは言い難いな。戦術級魔法を習得した魔術師部隊の下位互換だ」

 

 虎の子の山砲隊に対しても、諸侯たちの評価は辛辣だった。なにしろ、リッペ市の連中は大砲の通過できそうな場所は軒並み重量有輪犂(じゅうりょうゆうりんすき)で掘り返してしまっている。いかに軽量な山砲とはいえ、やはり青銅の塊であることには変わりない。掘り起こされたばかりの軟弱な地面の上を走らせようとすると、スタックして動けなくなってしまう。

 ……まあ、実際のところわが軍の山砲はこのような地形でも運用できるよう、分解して人力や駄馬で運搬できる構造になっているんだけどな。しかし僕はあえて、分解しないまま砲車に乗せて使用していた。むしろわざと路上でスタックさせ、難儀する姿を敵に見せつけるような小芝居も打っている。もちろん、敵方は大喜びだ。味方の諸侯ですら、指をさして嘲笑する者もいた。

 

「ブロンダン卿。貴様、どういうつもりだ」

 

 指揮本部の大天幕の下で、リュパン団長は不信感に満ちた目を僕に向けた。先ほどまで、我々は諸侯らと軍議をしていたのだが……当然ながら、このような無様な戦いぶりを見せている僕は思いっきり突き上げを喰らっていた。リッペ市への攻撃が始まってすでに一週間、諸侯たちはすっかれ焦れていた。さっさと軍司令を辞任しろ。そのような発言まで飛び出す始末だ。

 

「どういうつもりと聞かれましても……やれるだけのことをしているまでですが」

 

 香草茶を啜ってから、何でもないような口調でそう答える。実際、僕は打てるだけの手は打っていた。後は上手く策が嵌まるかどうかが問題なのだ。

 

「フン……」

 

 何とも言えない目つきでため息をついてから、リュパン団長は(相も変わらず大量の砂糖とミルクがぶちこまれた)豆茶を一口飲む。

 

「貴様がまっとうな戦略眼を持っていることは理解している……にも拘わらず、この醜態。わざとだな?」

 

「さて……」

 

 僕は唇を尖らせながらそっぽをむいた。確かに、彼女の言う通り僕には腹案があった。とはいえ、それをはっきり口に出すことは憚られる。なにしろ我々諸侯軍は烏合の衆だ。間違いなく、敵のスパイが紛れ込んでいるはずだ。作戦の意図など、そうそう口に出せるものではない。

 

「下手な猿芝居などしおって。拙者にはお見通しだぞ」

 

「お見通しですか。そりゃあ不味いな、策がないことがバレてしまう」

 

 軽く口笛を吹いてすっとぼける。気づけば、リュパン団長の口元には笑みが浮かんでいた。

 

「おい、自分だけ面白い事をやろうというのではなかろうな。さっさと吐け、拙者にも一枚噛ませろ」

 

「いえ、いえ。まさかまさか。所詮は男の頭で思いつく作戦ですので」

 

「頭を使う分には女も男も関係ないだろうが」

 

 どの口がそれを言うんだよそれはこっちのセリフだよ。ちょっと呆れていると、天幕に誰かが入ってくるのが見えた。フェザリアだ。彼女は団長に断りを入れてから、僕に耳打ちをしてきた。

 

「小舟ん調達が終わった。エルフ隊ん準備は完了じゃ」

 

「了解。作戦の開始命令を待っていてくれ。先走る者が出ないよう、きちんと監視してくれると嬉しい」

 

「承知」

 

 コクリと頷いてから、フェザリアは退室していく。その背中を見送ってから、リュパン団長はぐいと身を乗り出した。

 

「おい、やっぱり裏で何かやっているだろう。ネタは割れているんだ、キリキリ白状しろ」

 

「いや、そげなことは……」

 

 なおもすっとぼけていると、今度はソニアがやってきた。彼女もまた、フェザリアと同じく僕に耳打ちしてくる。

 

「山砲の梱包が終わりました。いつでも配達可能です」

 

「よしよし。そろそろ魚も餌に食いつくころあいだ。翼竜(ワイバーン)隊には緊急出撃準備をさせておけ」

 

「了解」

 

 コクリと頷いてから、ソニアも退室していく。その背中を見送ってから、リュパン団長は僕の肩に手を置いた。

 

「おい、貴様、おい! 自分だけ美味しい所を持って行く気ではなかろうな! ずるいぞ! 拙者も混ぜろ!」

 

「なんのことやら」

 

 そっぽを向いてそういうと、リュパン団長は僕の肩をガクガクとゆさぶった。その目は獲物を捉えた肉食獣のようにギラついている。あー。ヤバい。喰われそう。しゃーない、ちょっとだけゲロるか。

 

「……ところで団長殿。いま、ヴァール子爵の部隊はどのあたりに居るのでしょうか?」

 

「うん? あのカスならば、我々の後ろで相も変わらず落ち穂拾いをやっているぞ。主力部隊の後方を援護する、という名目でな」

 

「なるほど」

 

 僕は頷いてから、薄く笑う。

 

「で、そのヴァール子爵の支隊の頭数は?」

 

「三千。将兵がマトモだったら、助攻を任せられる程度の兵力はある。しかし将があれではな……」

 

「でしょうね。……ところで団長殿。これはあくまで仮定の話ですが……敵の主力部隊からやや離れた位置に、戦意が低くて兵力も少ない補助部隊がたむろしていた場合、団長殿であればどう対処されますか?」

 

 ここまで言えば、もう僕はすべてを白状したようなものだった。リュパン団長はアッと小さく声を上げ、満面の笑みを浮かべる。

 

「……そいつから狙う。各個撃破は戦術の基本だ」

 

「ですよね」

 

 半笑いでそう言ってから、僕は軽く頷いた。要するに僕は、わざと隙を晒すことでヴァール子爵の部隊に敵の攻撃を誘導しているのだった。

 

「……こうしてはいられない! 我が騎士団に出陣の準備をさせてくる!」

 

 リュパン団長は、大慌てで指揮本部から出て行ってしまった。なんとも、楽しそうな声音だった。いかに指揮官としてはマトモでも、やはりリュパン団長は過激派中の過激派。敵の殲滅が好きで好きでたまらないタイプなのだ。

 

「さて、さて。こっちも準備を整えておかねば」

 

 僕は小さく呟いて、視線を指揮卓の上の地図に移した。ヴァール子爵の部隊が敵野戦軍七千に奇襲を受けたという急報が入ってきたのは、翌日の早朝のことであった。

 

「」



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第476話 くっころ男騎士の作戦

 ヴァール子爵の支隊が奇襲された! この急報は、あっという間に諸侯軍の間を駆け巡った。なにしろこの部隊は(いちおう形の上では)我々の後方を守る重要な存在だ。これが崩壊してしまえば補給線は途絶してしまうし、我々自身も有力な敵部隊に背後をとられてしまう。緊急事態と言ってよい状況だった。

 そう言う訳で、味方諸侯のほとんどはひどく慌てていた。これまでほとんど敵の抵抗を受けないまま進撃してきたわけだからな。すっかり油断してしまっていたのだろう。いわゆる"空城の計"に引っかかってしまったのではないかと怯える者も少なからずいた。

 門前のリッペ市、門後の敵野戦軍。進むか退くか悩ましい盤面である。とりあえず話し合いで方針を決めようということもあり、指揮本部で軍議が開かれた。しかし、突然の奇襲で皆動揺している。大天幕の下に集まってきた諸侯たちはひどく落ち着かない様子で口々に何かを話したり身体を揺すったりしている。例外と言えば、ひどく楽しそうなリュパン団長や僕の部下たちくらいだ。

 

「皆さま、朗報です。ヴァール子爵の部隊と接触した敵は、エムズハーフェン選帝侯の紋章を掲げていたそうです」

 

 そんな中、僕はニコニコ笑いを浮かべながらそう言った。それから余裕ぶった態度で香草茶を飲み、一息入れる。奇襲を受けたからと言って、指揮官は動揺を見せてはいけない。落ち着き払い、『すべては予定通りに進んでいる』という風な様子を装う必要がある。……まあ、今回の場合は本当に予定通りなんだけど。

 エムズハーフェン選帝侯といえば、この辺り一帯を治める有力貴族である。僕たちが現在攻め込んでいるリッペ市も、この家によって支配されている。選帝侯というのは神聖皇帝を選ぶための選挙権を持つ(正確には違うのだがキチンと説明するとたいへんに長くなるので割愛する)大貴族のことだ。ガレアで言えば、公爵くらいの地位があると思っていい。

 そのような大物の名前を出されたせいで、諸侯の間にはさらに動揺が広がっていった。いや、そもそも我々の方からエムズハーフェン選帝侯領に攻め込んでいるのだから、どうせいずれは戦う相手ではあったのだが……やはり、そのような有力な軍に後ろを取られてしまった、という部分が大きいのだろう。

 

「大きな魚が針に食いつきました。これだから釣りはやめられませんね」

 

「状況がわかっているのか! 貴様!」

 

 諸侯の方から罵声が飛んでくる。まあ、気分はわかるよ。僕が女で歴戦の勇士だったら、同じ態度をとっていても安心感があるんだろうけどね。残念ながら僕は男で若輩者だ。いくら余裕ぶっても、状況の認識が甘いだけだと思われてしまう。

 

「わかっていますよ。この状況なら勝てる、などと勘違いをしたエムズハーフェン選帝侯閣下が、ノコノコ狩場までやってきてくれたのです。ならばやることは一つ、収穫ですね?」

 

 怒声に怒声で答えてはならない。僕は穏やかな笑みを浮かべてそう言い返した。

 

「ノコノコ狩場まで出てきたのは貴様らの方だろうが! 三千の部隊が七千の兵に奇襲を受けたのだぞ! どんな名将であれ勝てる戦ではない! ヴァール支隊はあっという間に壊滅、次は我々がリッペ市とエムズハーフェン軍に挟まれて圧殺される番だ!」

 

「まあ、本当に奇襲を受けていたら、そうなっていたかもしれませんね」

 

 ナンボなんでも慌てすぎじゃない? 士官がそんなに動揺を露わにしちゃダメだよ。などと思いながら、僕は香草茶を飲んだ。発言しているのは、有力貴族の名代として派遣された若い娘……つまりはヴァール子爵と同じような立場の者だった。若いだけあって、実戦の空気を吸いなれていないのだろう。責めるのは少しばかり酷だ。

 

「しかし、三千の側が準備万端待ち構えていたのなら?」

 

「なにっ!」

 

 若い貴族は驚いた様子で叫んだ。いい反応だなぁ。ニヤニヤしていたら、ジェルマン伯爵に肩を叩かれた。彼女はひどく疲れ切った顔で、さっさと話を前に進めろと無言で促してくる。ここ一週間、僕は毎日のように諸侯から突き上げを喰らっていたからな。宰相派閥の仲間であるジェルマン伯爵は、僕を庇うべく東走西奔していた。おかげで彼女はスッカリ胃薬が手放せない体になってしまっている。ちょっと申し訳ない気分になって、僕はコホンと咳払いをした。

 

「実際のところ、これは奇襲などではありません。僕は事前に、ヴァルマ殿とこのような状況になった際の防御計画について詰めておりました。彼女は、たとえ一万の軍が相手でも五日は耐え抜いて見せると豪語していましたよ。いわんや、たかが七千。一週間以上は平気で持たせるでしょう。これだけの時間があれば、十分に救援は間に合います」

 

 前々から言われているように、ヴァール子爵の部隊そのものはまったくもってやる気がないので役に立たない。が、それに同行しているヴァルマの騎兵隊に関しては切り札と言っても差し支えない精鋭だ。彼女らは独自の騎兵砲部隊を擁しており、さらには下馬戦闘の訓練も十分に積んでいる。つまり、諸兵科編成の独立部隊ということになる。防御に徹すればそうそう敗れはしない。

 それに、この辺りは平原地帯だが防御向きの地形が全くないわけではない。敵がヴァール支隊を狙うことは分かり切っていたので、事前に部隊をそのような場所に誘導しておくようヴァルマには指示を出していた。とはいえあいつはたいへんに気の利いた士官だから、あえて言う必要もなかったかもしれないが。まあ、何はともあれヴァルマがいるなら問題ない。僕は彼女をソニアの次に信用していた。

 

「これに加え、現在山砲の空輸が進んでいます。昨日の時点ですでに一個小隊三門がヴァール支隊の元に到着しており、今日中にもう三門が到着するでしょう」

 

 空輸予定の山砲は六門。残りの三門は、念のため僕の手元に置いておく。ちなみに、レンブルク市攻略戦で活躍した新型の一二〇ミリ重野戦砲はミューリア市でお留守番をしている。アレは八六ミリ山砲の比ではないほど重いので、このような路面の悪い地域に持ち込むことは憚られた。山砲と違って分解しての運搬もできないしな、アレ。

 

「ちょっと待ってください。何ですか、空輸って」

 

 ジェルマン伯爵が「そんなことは初耳だぞ」と言わんばかりの様子で聞いてくる。まあ、言ってないからね。そりゃあ初耳だろうね。

 

「要するに、翼竜(ワイバーン)と鳥人兵に山砲隊の輸送を頼んだわけです」

 

「できるんですか、そんなことが」

 

「できますよ。いままで黙っていましたが、あの大砲は細かく分解できます。一番重い砲身パーツですら、その重量は百キロ程度。なんとか翼竜(ワイバーン)にも乗せられる重さなのです。そのほかの車輪やら仰俯角調整用のネジなんかもっと小さくて軽いので、鳥人でも運べますし」

 

「……なるほど」

 

 そんなことは先に言ってくれ! そう言いたそうな表情で、ジェルマン伯爵は胃のあたりをさすった。いやホント、申し訳ない。でも仕方ないんだよ。どこに敵のスパイが紛れてるのかわからないんだもの。情報封鎖は必須だろ。

 ついでに言えば、空輸しておいたのは山砲だけではなかったりする。わが軍の最高戦力、ネェルちゃんもだ。万一ヴァール支隊への救援が間に合わなかった場合、我々は各個撃破の憂き目にあうことになるからな。とうぜん、念には念を入れておく。

 ……しっかし、自力で飛行できる戦車並みの戦力ってナンボ何でもチートすぎんか? こんな種族がそれなりの数住んでいたというかつてのエルフェニアは、尋常ではない修羅の国だ。恐ろしいことこの上ない。

 

「そういう訳ですから、後方の守りは意外と盤石です。そして皆様方は、戦闘に参加しているわけではないので今すぐ行軍が可能ですね? リッペ市には千名も残せば十分でしょう。残り五千名は、救援軍として派遣します。ヴァール支隊の三千と、皆様の軍勢五千が加われば総兵力は八千。敵兵力の七千を上回ります。十分に勝てる戦ですよ、これは」

 

「なんと……ここまで見越して、わざわざ我らを戦闘に参加させていなかったのか」

 

 さっきまでざわついていた諸侯たちは、一様に黙り込みながらお互い顔を見合わせていた。ピンチだと思っていたのが、実は好機だったのだ。そういう反応にもなるだろう。……でもヴァール支隊の損耗次第では数的不利になっちゃうからね。兵士らが大きな被害を受ける前に、さっさと救援に行ってほしい。いくら寄せ餌にしたからって、そのまま敵に食わせてやる必要はない。ヴァール子爵ははっきり言って気に入らないが、その部下の兵士たちに罪はないわけだし。

 

「この攻撃が敵の陽動である可能性は? 我々主力部隊が反転したとたん、側面を狙って新たな一撃が飛んでくる可能性もあるが……」

 

 そう指摘するのはリュパン団長だ。流石は団長、冷静に戦局を読んでいる。罠にはめたつもりで逆に罠にはまる……良くある話だ。しかし、僕はその可能性は低いと考えていた。

 

「エムズハーフェン軍の動員能力は、臣下の諸侯に民兵や傭兵を加えて一万程度が上限と言われています。ここに同盟等で更なる兵力が上澄みされていた場合、敵の総兵力は我々南部方面軍を上回るはず。つまり、我々を野戦で撃破することが現実的になります。領主としては、この選択肢が選べるならば選ばぬ理由はないでしょう。自分の所領で、敵の侵略軍が暴れまわっているわけですよ? 一秒でも早く叩きだしてやりたいと思うのが領主の心理です」

 

 エムズハーフェン選帝侯は、我々の目標がエムズ=ロゥ市であることに気付いているはずだ。なにしろこちらは一直線にくだんの都市を目指している。そして領主としては、敵軍が自分の所領に侵入する前に迎撃したいと考えるのが自然だった。自分のおひざ元をわざわざ戦場にしたがる領邦領主など一人もいない。

 

「ですが、現実にはエムズハーフェン軍の活動は低調でした。領外での迎撃どころか、領内にはいってすら我々は大した抵抗を受けてはいません。つまり、エムズハーフェン選帝侯は両軍が総力を結集するような決戦では勝ち目が薄いと判断しているのでしょう」

 

 こういう場合、取れる手段は二つ。イルメンガルド氏のように政治力を駆使して兵力を集めるか、策を弄して敵が隙を見せるのを待つか、だ。前者の手を使われると、少し困る。一万人超の軍勢同士がぶつかり合う戦いでは、わずか九門の山砲などではどう考えても火力不足だからな。数の不利をひっくり返すのは難しい。

 そう言う訳で考案したのが、今回の陽動作戦だ。僕はわざと唐突に目標を変更してリッペ市を攻め、戦果の独占を狙っているように見せかけて攻撃作戦をグダグダにさせ、味方の諸侯すら欺いてそのヘイトを自分へと集めた。反撃の機会を虎視眈々と狙っていたエムズハーフェン選帝侯からすれば、動かずにはいられないシチュエーションだろう。

 むろん相手は海千山千の大貴族だ。これが罠である可能性にももちろん気付いているのだろうが……僕が軍団の司令官としては経験が浅かったこと、そして諸侯らの信任を得られていなかったことが、選帝侯の判断を誤らせたのだ。

 

「ヴァール支隊への攻撃に七千も兵を出している以上、選帝侯閣下の手元に残っている戦力はそう多くないはずです。この部隊を打ち破れば、エムズ=ロゥ市の攻略も現実的になると思われます。楽しみですね」

 

 そう言ってニッコリ笑ってやると、リュパン団長は満面の笑みを浮かべてグッとこぶしを握り締めた。

 

「おう、おう。血が滾って来たぞ。素晴らしいおぜん立てだ」

 

「喜んでいただけたようで何よりです。ところで、男は戦場に立つべきではない……というのがリュパン団長のどの信条でありましたね?」

 

「ウム」

 

 先ほどとは打って変わって、重々しい表情で頷く団長。まあ、価値観というのはそう簡単に変わるものではないからな。こればかりは仕方がないだろう。

 

「ならば、救援軍の指揮官はリュパン団長。貴方にお任せします。よろしいですね?」

 

「無論だ、腕が鳴るな。ヴァルマ殿……貴様の婚約者の妹御も必ずや拙者が助け出して見せよう。ご安心召されよ」

 

 リュパン団長はそう断言して胸を叩いた。彼女の指揮官としての手腕は本物だ。救援軍は、団長にまかしておけば問題なかろう。僕はお世辞ではなく本気で「よろしくおねがいします」と頭を下げた。リュパン団長はニヤッと笑ってサムズアップし、諸侯らを引き連れて出陣の準備を始めた。そんな彼女らの背中を見送りつつ、僕は小さく「さて」と呟いた。

 

「じゃ、こっちはこっちで始めようか。あの街は明日の朝までには落としておきたい。忙しい夜になるぞ、今のうちに準備しておかねば」

 

 僕の言葉に、ソニアは厳かな表情で頷いた……。



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第477話 くっころ男騎士とリッペ市攻略戦(1)

 リュパン団長らに率いられた救援軍は、迅速に動き始めた。もともとからして彼女らは戦闘に参加していなかったわけだから、野営地を畳み行軍に移るまでにかかる時間は極めて短かった。そもそもからして、彼女らに待機を命じていたのはヴァール支隊への救援に送るためだったわけだからな。計画通りの状況な訳だから、スムーズに事が進むのは当然のことだ。

 しかし、諸侯らの忍耐力が持ってよかったよ。この陽動作戦では、大規模な予備戦力をずっと保持しておく必要があった。だが諸侯らが僕に対して完全に失望し、勝手にリッペ市を攻め始めるような事態になったりすればこの目論見は完全に崩壊していた。

 一応、そうなる前に作戦の意図を説明しておくつもりではあったんだけどね。とはいえ、防諜のことを考えればそれは次善の策だ。今回はなんとかギリギリまで意図を隠すことができたので助かった。それもこれも、不満タラタラな諸侯たちを抑えてくれたジェルマン伯爵とリュパン団長のおかげだな。この二人には足を向けて寝れない。

 

「さぁて」

 

 諸侯らが去りガランとしてしまったわが軍の陣地で、僕は自分の頬をパンと叩いた。なんだかんだ言ってもヴァール支隊の方は心配なんだが(なにしろ三千対七千の戦いだ。防戦に徹するとはいえ圧倒的に不利であるのは間違いない)、打てる手はすべて打っている以上いまさらアレコレ思い悩んでも仕方がない。あとはすべてを天運と現場の頑張りに任せ、こちらはこちらの仕事に取り掛かる必要がある。

 つまりは、リッペ市の攻略だな。諸侯らには、僕たちリースベン軍の役割はリッペ市の敵を拘束し続け、リュパン軍(支隊というよりはほぼ本隊なのでこう呼称することにした)が挟撃されることを防ぐこと……と説明してある。が、僕としてはそのようなチンタラした作戦運びをするつもりはさらさらなかった。

 罠に引っかかったとはいえ、敵はこちらの隙を見て即座に動き始める程度には機敏な連中だからな。ゆったり構えていたら、主導権を奪われてしまう。作戦のテンポを維持するためには、ここで僕がとるべき選択肢は"遅滞"ではなく"攻撃"だ。

 

「工兵隊、準備はどうか」

 

 もともとの場所よりもかなり前線よりに移設した指揮本部で、僕は工兵隊の隊長を呼び出していた。わが軍の工兵隊はハキリアリ虫人を中心に編成されている。ハキリアリ虫人はグンタイアリ虫人よりもかなり小柄な種族で、隊長もその例にもれず僕と同じくらいの体格だ。まあ、五人に一人くらいの割合で、たいへんに体格に優れる者も生まれて来るそうだがね。そういう連中は、グンタイアリ虫人の部隊の方へ配属している。

 

「とっくに準備万端です。ゼラの姉貴もいつでもいける言いよるんで、あたぁ兄貴が号令を出すだけですわ」

 

「大変結構」

 

 背筋をピシリと伸ばしながら、工兵隊長は頼もしいことを言ってくれる。僕はニコリと笑って頷いた。

 

「では、総員戦闘用意。各員の奮戦を期待する」

 

 命令を下すと、前線に部隊が展開され始める。三つの独立部隊がそれぞれ戦線の左翼、中央、右翼に布陣する形だ。この独立部隊はアリンコ重装歩兵中隊ひとつを中核に編成されており、それに加えてハキリアリ工兵隊と、リッペ市に居残りになった小領主などの部隊も参加している。

 この居残り連中は、爵位を持たぬ領主騎士や領地の相続権を持たない部屋済みの次女・三女といった貴族としてはあまり身分の高くない者たちだ。連れてきている兵士の数も数名とか多くて二、三十名といった有様で、編成上ちょっと扱いにくい連中ではある(だからこそ居残りを言い渡されているわけだが)。

 とはいえ、戦力的にまったく役に立たないというわけでは断じてなかい。むしろ、微妙な立場にあるからこそ、手柄を上げて成り上がってやろうという気概は人一倍強かった。そのため士気は旺盛だ。しかも騎士身分ではあるのは確かなので、騎兵としても運用できる。意外と馬鹿にならない戦力だ。まあ、リッペ市の周辺は土が堀り返されまくっているので、騎兵は活躍しづらい状態なのだが。とはいえそもそも攻城戦では騎兵の出番はあまり多くない。今回の作戦も、彼女らには最初から下馬させていた。

 

「そろそろいいころ合いですね」

 

 部隊の展開が終わるのとほぼ同時に、ソニアが懐中時計を見ながら言った。すでに空は茜と藍のグラデーションを描いている。じきに夜のとばりが降り、周囲は真っ暗になるだろう。つまり、夜戦が始まる。

 聞いた話によれば、リッペ市の住民はカワウソ獣人の比率が高いという話だった。そもそも、エムズハーフェン選帝侯自信がカワウソ獣人だという話なので、自然と領民もカワウソ獣人が中心になってくる。獣人たちには、同じ種族同士で固まって共同体を作る性質があるのだ(別にこれ自体は獣人に限ったことではないが)。

 それはさておき、カワウソ獣人はそれなりに夜目の利く種族だ。対して、グンタイアリ虫人は完全に昼行性の種族。夜戦はやや不利ではあるのだが……今回の作戦では夜戦は不可避だからな。アリンコたちには、頑張ってもらうほかない。まぁ、騎士隊にの方はカワウソ獣人に負けず劣らず夜目の利く竜人(ドラゴニュート)を中心に編成されているので、何とかなるだろう。

 

「ン、そうだな。赤色信号弾を撃て、作戦決行だ」

 

 打ち上げ花火の発射機のような見た目の信号砲から、信号弾が発射される。それは空中で炸裂し、真っ赤な光を放ちながらパラシュートでゆっくりと降下していった。それを見たアリンコ鼓笛兵が軍鼓を叩き始める。その勇ましいリズムに誘われるように、前線部隊が前進を始めた。前衛をアリンコ兵が務め、側面を下馬騎士たちが守る。そしてその後ろにピッタリくっつくようにして、工兵たちが控えているという陣形だ。

 目指すはもちろん、リッペ市周辺に張り巡らされた塹壕陣地だ。塹壕に潜んだ敵兵たちは、固唾をのんでわが軍の前進を眺めている。彼女らの主力武器はクロスボウだ。野戦砲はもちろん、ライフルすら持ち合わせていない。ある程度接近するまでは、指をくわえて眺めているほかないのだ。

 

「やはり、野戦における塹壕戦は火器ありきの戦術だな」

 

 その様子を眺めながら、僕はボソリと呟いた。クロスボウの最大射程(あくまで矢の届く範囲の距離のことだ。有効射程はもっともっと短い)は長くても三百メートル程度。これでは、敵兵が塹壕に取りつく前に殲滅するような真似はとてもできない。最低でも前装式ライフル、できれば後装式ライフルに加えて機関銃や近代的な野戦砲が欲しい。これらの兵器が揃えば、攻め込む方がアホらしくなるようなとんでもなく硬い防御陣地ができあがる。

 

「確かにそうですね。……アレクシアの頭であれば、その程度のことはもちろん理解しているはず。もしかしたら、すでに彼女もライフルの調達を始めているかもしれませんね」

 

「あり得るなぁ」

 

 僕は小さく唸った。実際のところ、前装式ライフルの製造はそれほど難しいものではない。この世界ではすでに、それなりに洗練された形状のマスケット銃が生産されていたからな。あとはその銃身にらせん状の溝を刻めばライフルの完成だ。問題は銃本体ではなく弾丸のほうなのだが、こちらも構造さえ理解していれば簡単にコピーすることができる。実際、王都での内乱では敵方もライフルを運用していた。ライフル銃は既に我々だけの専売特許ではない。

 聞いた話では、王都では王軍に納入するためライフル銃の大増産が続いているらしい。それはまあ良いのだが、急速な生産ラインの拡大は設計図の流出のリスクが高まるんだよな。アレクシアはかなり頭の回るヤツだから、スパイなどを通してすでにこの情報を掴んでいる可能性は高い。敵が違法コピーされたライフルを戦場に持ち出してくる日もそう遠くないだろう。

 

「……ま、その辺りは今考えても仕方のない部分だ。とりあえず今は、目の前の敵を倒すことに集中しよう。この作戦は、時間制限がかなりシビアだしな」

 

 腕組みをしながら、僕は前線を観察した。ちょうど今、我が方の部隊に向け敵がクロスボウを放ち始めた。有効射程にはまだだいぶ遠いが、それでもあえて打っているのは牽制を狙っているからだろう。実際、有効射程外とはいっても矢そのものには十分な殺傷力がある。敵方には矢の雨を降らせられるだけのクロスボウがあるようなので、数うちゃ当たる戦法は十分に有効だった。

 

「なんじゃこのチンケな攻撃は! 妖精弓(エルヴンボウ)の掃射に比べりゃあ小雨のようなもんじゃ!」

 

 しかしアリンコ兵たちは余裕をもってそれを受け止める。二枚の盾を巧みに操る彼女らは見事に矢の雨を防ぎ切り、前進の速度を緩めることすらしなかった。伊達にエルフと延々戦い続けてきた種族ではない。アリンコ兵からすれば、クロスボウによる有効射程街からの射撃など大した脅威ではないのだ。

 だが、そんなアリンコ兵ですら足を止めざるを得ない時が来た。鉄条網が彼女らの前に立ちふさがったのだ。鋭利な有刺鉄線を編んで作られたこの構造物は、肌を露わにすることを誉れとするアリ虫人たちにとっては天敵同然の存在だ。強引に突破しようとすれば、あっという間に全身血塗れになってしまうことだろう。

 

「工兵隊、かかれっ!」

 

 アリンコ隊の指揮官がそう叫ぶと、大型の金切ハサミを手にした工兵が鉄条網の除去作業を開始した。もちろん、敵の方もこの動きを放置することなどない。クロスボウを打ったり、塹壕の中から槍を突き出したりして工兵の動きを妨害する。

 

「工兵をやらせるな!」

 

「蛮族どもばかりに良い格好をさせるんじゃない! ガレア騎士の力を見せてやれ!」

 

 これに対し、アリンコ兵はスクラムを組んで工兵を守りに入った。槍には槍で返し、遠い敵には投げ槍や手榴弾の投擲で対抗する。一進一退の攻防だ。ここまでの流れは、機能までの流れと全く同じだった。僕たちは何度もこの手を使って敵塹壕線の突破を目論み、そして失敗してきた。

 

「今頃、敵は僕らのことを、代わり映えしない戦術を繰り返して無暗に被害を増やす愚か者だとあざ笑っていることだろうな」

 

 僕は少し笑って、リッペ市の方を見た。よく見れば、市壁の向こう側の空は微かに赤く染まっていた。もちろん、太陽の残り火などではない。リッペ市のある方向は、僕たちから見れば北だ。夕日が北の空を照らすような時刻はとうに過ぎている。

 

「エルフ隊は作戦の第一段階をクリアしたようだ。流石はフェザリア、仕事が早い」



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第479話 くっころ男騎士と囮作戦

 塹壕線をどう突破するか? それは、前世の世界において二十世紀以降のすべての陸軍人の頭を悩ませ続けている問題だ。現代戦ですら、十分に構築された塹壕線を強引に突破しようとすれば、おびただしい被害が出るのである。

 リッペ市を取り囲む塹壕線を前にした僕も、例によってこの問題をどう解決するのか悩んでいた。正攻法は戦車と航空機の連携攻撃なのだが、この世界ではまだ自動車も動力飛行機も存在しない。無いものねだりをしても仕方がないので、このやり方は論外だ。……まあ、戦車と航空機を一人で兼ねているトンデモ戦力ならば、一名ほど存在しているが。とはいえ、ネェルを一人敵陣に突っ込ませるような作戦は論外だ。危険すぎる。

 そういう訳で、まず僕が考えたのは砲撃による解決だ。これは日露戦争や第一次世界大戦でも実行された方法で、戦車も航空機もないならばこのやり方こそが正攻法と言って差し支えない。ただし……。

 

「手持ちの火砲が前装式山砲九門ぽっちではなぁ……」

 

 一分に一発とか二発くらいしか発砲できない小口径砲が九門あったところで、塹壕を制圧するには全く足りない。同じ前装式でも迫撃砲があれば話は別なのだが、残念なことにリースベン軍において迫撃砲はライフル中隊の管轄する兵器だ。そのライフル兵部隊をミューリア市に置いてきてしまった以上、迫撃砲もそちらにある。……そもそも、あんなに弾薬消費の激しい兵器を遠征に持ってくること自体、だいぶ無茶だしな。この判断自体は間違ってなかったと思う。

 まあ、何はともあれ火力で突破口を明けるのは難しい。ならばリースベン戦争でディーゼル軍がやったように、馬車を使って鉄条網を踏み潰すやり方も考えてみた。塹壕線の防御力は結構な割合を鉄条網に頼っているので、有刺鉄線を無力化するだけでもかなり楽になるのは事実だった。だが……

 

「路面があの調子ではなぁ……」

 

 リッペ市の周辺の平地は、念入りに掘り返されている。これは大砲対策のためにやったことだろうが、大砲が通行できないところは当然馬車も通行できないのだ。木製タイヤの踏破性の低さを甘く見てはいけない。鉄条網を踏み潰せるサイズの馬車となると、どう考えても塹壕線にたどり着く前にスタックしてしまう。

 

「やっぱり、塹壕線の正面突破を狙うのがそもそも間違いなんだよな。じゃ、もう迂回するほかないなぁ」

 

 結局、僕の出した結論はコレであった。まあ、そもそも敵が十分に防御準備を整えた陣地は迂回したほうが良いなどというのは、塹壕戦が生まれる遥か前から戦術の基本中の基本である。実際のところ、ヘンな奇策に頼るよりは基本に立ち返って正攻法で戦うほうが効果的な場合が多いのである。

 

「あの……リッペ市、なんか燃えてません?」

 

 作戦が決まった経緯を思い出していた僕の意識を現在に呼び戻したのは、傍仕えの騎士の言葉であった。彼女の言葉通り、遠目でもハッキリわかるほどの炎と煙がリッペ市の方から上がっている。すでに太陽はすっかり沈んでいるから、周囲は真っ暗だ。漆黒の空を焦がす火柱は、大変に良く目立つ。

 

「燃えてるね」

 

 僕は端的に答えた。

 

「何が燃えてるんですかね」

 

「たぶん船だね」

 

「なんで船が燃えてるんですか」

 

「知っての通り、あの街には川港がある。でも、現在その港は船同士を連結して作った簡易防壁で封鎖されてるんだよね」

 

 リッペ市は普通の街ではない。川に寄り添うように建設された、港湾都市だ。そして、当たり前のことだが川には塹壕を作れない。塹壕線を迂回して攻撃を仕掛けようと思えば、川からのルートを使うのは当然のことであった。

 

「そんなモノがあったら揚陸作戦の邪魔だからね。船主や船員には申し訳ないけど、燃やすことにしたんだよ。……知ってる? エルフ伝統の焼夷剤って、水をかけても鎮火するどころか余計に激しく燃え上がるらしいよ。水上戦で使う兵器にはピッタリだよね」

 

「ああ……」

 

 すべてを察した様子で、騎士は遠い場所を見るような目つきで視線をさ迷わせた。前線では相変わらず鉄条網を挟んで敵味方が押し合いへし合いをしているが、その中にエルフは一人たりとも混ざってはいない。

 フェザリアに率いられた二個中隊のエルフ兵は、周辺から徴発してきた小舟を使ってリッペ市の川港を襲撃していた。まずは火炎放射器で水上封鎖を焼き払い、そののちに港湾設備を制圧。余力があればそのまま市長や守備隊の司令官などを狙い、降伏を促す。そういう作戦だった。

 むろん、危険も大きい作戦だ。我が方の中核戦力であるエルフ隊をあえて孤立させるわけだから、失敗した際のリスクは計り知れない。だが、僕には勝算があった。なぜかといえば、リッペ市が明らかに長期戦の準備を整えていたからだ。

 籠城戦においては、拠点内に置く戦力は最低限の数にするのが基本だ。なにしろ兵糧は有限なのだ。無暗に頭数を増やすとそれだけ食料の消費もおおくなり、籠城を続けられる期間も短くなる。ましてやリッペ市は都市であり、兵士だけではなく市民らも養わなければならない。配備できる兵力は嫌でも少なくなるだろう。正面から陽動攻撃を仕掛ければ、背後の防備は薄くなると判断した。

 むろん、リッペ市は港湾都市だ。兵糧は川を使って外部から運び込むことができる(水城の一番の強みだ)。そのため、余裕を持った兵力配置をしている可能性もあったのだが……フェザリアに意見を聞いたところ

 

「上ぐっ首級ん数が増ゆっだけど。むしろ有難かくれじゃ」

 

 などという頼もしすぎる答えが返ってきたので、安心して送り出すことができたのだった。

 

「しかし、懸念がないわけではありません」

 

 僕の顔をチラリと見てから、ソニアは小さな声でそう言った。

 

「相手はカワウソ獣人。水中、水上戦はお手の物でしょう。確かにエルフたちは強力な戦士ですが、流石に船を使った戦闘では後れを取る可能性があります」

 

 ソニアの懸念はもっともなことだった。川を使った作戦は以前からアレコレ考えていたのだが、作戦会議に同席していたリュパン団長やジェルマン伯爵は難色を示していた。曰く、カワウソ獣人は陸戦ではそれほど脅威ではないが、戦場が川になったとたんにトラ獣人やオオカミ獣人をも圧倒する戦闘力を発揮しはじめるそうだ。流石カワウソ、伊達に水棲肉食獣はやっていない。

 

「たしかにそうなんだけどね」

 

 僕はそう言って、視線を逸らした。

 

「フェザリア曰く、『カワウソ? ようわからんが人魚と大して変わらんやろう。(オイ)は人魚ん首級なら十や二十は獲っておっど』……だそうだ」

 

「ああ、人魚。そう言えばそんな連中もいましたねぇ」

 

 ヤレヤレと首を振りながら、ソニアはそう吐き捨てた。リースベンに住む蛮族は、エルフやアリンコだけではない。沿岸部には結構な数の人魚がいるそうだ。この人魚どもは時折エルフェン川を遡上してきて、川辺の村落を略奪していたらしい。この狼藉人魚と戦うため、エルフは小舟を用いた戦技も習得しているのだそうだ。

 そういえば、エルフ内戦に介入したときも、小舟にのったエルフ兵に襲撃を受けた記憶がある。あの時は相手が百歳未満も若造ばかりだったから、なんとか撃退できたが……フェザリアに率いられているような手練れのエルフ兵だったら、我が船マイケル・コリンズ号は沈められていたかもしれないな。

 

「エルフどもは何でもできますね……もうあいつらだけでいいんじゃないかな……」

 

 騎士の口調はやや憂鬱なものだった。まあ、気分はわかる。どれだけ頑張って鍛錬しても、何百年もの寿命を生かして延々戦い続けているような連中には届かない。騎士のような立場から見ると、なんともズルく感じてしまうのだろう。

 

「でもあいつらだけにしといたら内紛始めるからなぁ」

 

 僕はため息をついた。戦場に居ると忘れがちになるが、相変わらずエルフどもは派閥争いをしている。リースベンに加わった後も新エルフェニアと正統エルフェニアは別の国だという意識が強く、両陣営の出身者はたびたび仲たがいをしてトラブルを起こしていた。まあ、いざ戦闘が始まると一致団結して戦い始めるのだが。どうにも、彼女らが協力し合うには共通の敵が必要らしい。

 

「ま、それはさておきそろそろ頃合いだな」

 

 いつの間にか、街の方からは危機を知らせる半鐘の音がひっきりなしに聞こえるようになっていた。良く見えないが、港の方の火勢も強くなっているように思える。そんな有様だから、塹壕に籠って戦うエムズハーフェン兵もこの異常事態に気付き始めている。我々の前衛と戦う彼女らの動きは、あきらかに気もそぞろなものになっていた。ま、そりゃそうだよね。こういう都市守備隊って、大半が軍役義務を持つ市民兵とかで構成されてるし。

 つまり、戦っている者のほとんどがリッペ市の居住者ということだ。自分の街が背後で燃えていたら、そりゃあ戦うどころじゃ無くなっちゃうだろう。早く戻って、家族やご近所さんの無事を確かめたい心地になるはずだ。……その分僕らに対する敵愾心も増すだろうがね。

 一応、エルフどもには民間施設には攻撃しないように命じてあるんだがな。それに、野蛮なエルフどもにも戦士ならざる無辜の民衆を殺してまわるような真似は悪だという感覚は確かに存在する。市民への被害は、それほど大きなものにならない……ハズだ。おそらく。

 

「エルフばかりに手柄を上げさせるのも、アリ虫人や騎士たちにとっては面白くないだろう。この隙を逃す手はない! 的防衛線に攻撃を集中し、突破口を明けろ!」

 

 塹壕を使った防御陣地は大変に強力だが、それはそこを守る兵士たちの士気あってのモノ。気持ちを折ってやれば、突破はそれほど難しいものではない。実際、港湾の封鎖線を破壊するために火計を使ったのは、敵の士気を減退させるための作戦でもあった。

 水上の船を燃やせば、延焼の危険を抑えたうえで大火事を演出できるからな。物理・心理の両面から敵を攻めたてる一挙両得の作戦だ。幸いにも、現場を見る限りその効果は抜群のようだからな。おそらく、リッペ市は今夜中に白旗を上げることだろう。



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第479話 くっころ男騎士と囮作戦

 その後、エルフ隊は見事な働きを見せてくれた。川船による港の封鎖は火計により見事排除に成功し、そのまま上陸戦に移行する。とはいえ、むろんリッペ市守備隊もやられるばかりではなかった。音に聞くカワウソ獣人の水中戦能力は偽りではなかったらしく、エルフ兵の乗る小舟に潜水で接近、水中から奇襲を仕掛ける作戦でエルフ隊に襲い掛かった。

 夜戦ということもありさしものエルフ隊もこれにはやや苦戦したそうだが、そこは古兵の経験と新しい技術が解決した。エルフ兵は風や火、雷などの魔法を川面に打ち込んで水中のカワウソ獣人兵を追い込み、そこへ爆雷代わりの手榴弾ブチこむことで勝利をつかみ取る。前世の知識から水中の敵には爆発物が有効であることはわかっていたので、エルフ隊には事前にかなりの量の手榴弾を追加支給していたのだ。

 水上戦で勝利を掴んだエルフ隊は、満を持してリッペ港に上陸する。こうなればもう、守備隊側に勝ち目はない。彼女らが優位を取れるのは水場だけだ。ひとたび陸に上がってしまえば、そこらの騎士よりよほど強いエルフ兵の敵ではなかった。

 港側に配置されていた戦力は僕の予想よりもそれなりに多かったようだが(やはり、水城ということで糧食の備蓄や補給計画に余裕があったのだろう)、フェザリアに率いられたエルフ隊はその防衛線を濡れた障子紙のごとく容易に打ち破った。あっというまにエルフ隊は市街地になだれ込み、代官屋敷や市参事会などの中枢施設への攻撃を開始する。

 

「おいワレら急がんか! 早うせにゃあリッペ市の男どもが皆エルフのお手付きになっちまうでぇ!」

 

 時を同じくして、ゼラに率いられたアリンコ隊(とその補助戦力である騎士隊)も攻撃を激化させる。リッペ市の火事が気になって戦闘に身が入らない守備兵を蹴散らし、いよいよ塹壕線に突破口を開けた。

 こうなればもうあとは一方的だ。守備兵側のほとんどは動員された市民兵だが、こちら側の兵士はアリンコ兵にしろ騎士にしろ生粋の戦士である。両者には、一対一どころか一対三でも蹴散らせるほどに地力の差がある。守備隊はあっというまに駆逐されてしまった。

 とはいえ、リッペ市を守る設備は塹壕だけではない。次に我々の前に立ちふさがったのは、この街を昔から守っている石積みの防壁だった。壁と言っても流石にあのレンブルク市ほど立派な代物ではないが、なにはともあれこれを突破しないことには市の攻略はできない。

 そこで我々は手元にある三門の山砲を分解し、人力での運搬を開始した。これならば、掘り返された地面によって足を取られることもない。三方の面目躍如だ。そのままリッペ市の防壁の正門前に砲兵陣地を構築し、砲撃を開始する。口径八六ミリで口径長(砲身の長さのことだ)も短い山砲では攻城砲としてははなはだ威力不足だが、流石に木製の大扉を破壊する程度のことならばカンタンだった。三十分もしないうちに防壁を挟んだ攻防は終結し、我々はリッペし市街地に突入した。

 

「アルベール、市長と代官を捕めてきたじゃ。二人とも降伏すっちゆちょっが、どうすっ? とりあえずさらし首にすっか」

 

 が、突入したはいいものの、そのまま市街地戦……とはならなかった。すでにリッペ市の中枢を制圧し終えていたフェザリアが、縄でグルグル巻きになった要人二名を手土産に帰投したからだ。

 晒し首などという物騒な単語を耳にした中年のカワウソ獣人二人は、涙を流しながら首をブンブンと振っていた。猿ぐつわをしていなければ命乞いもしていたに違いない。二人の怖がりようは尋常ではなかった。おそらく、制圧戦の最中に見たエルフ兵の戦いぶりが相当に恐ろしかったのだろう。

 

「もちろん、そんなことはしない」

 

 出鼻をくじかれた心地の僕は、苦笑しながらそう言った。市長と代官といえば、この街のツートップである。とくに、代官の身柄を抑えることが出来たのが大きい。領主直属の部下であるこの役職は、有事の際には守備隊の指揮も担当するのである。

 その彼女が降伏を明言したというのならば、話は早い。僕は代官殿の猿ぐつわを解き、停戦交渉を始める。代官殿の心は既に折れており、話は大変に早かった。結局、両軍の間に停戦協定が発布したのは、日付が変わる直前のことであった……。

 

「諸君、昨夜はよく頑張ってくれた。まさに獅子奮迅の働きぶりだったな。諸君らのような勇士たちと轡を並べる機会を得られたことを、僕は誇りに思う」

 

 翌朝。リッペ市の代官屋敷の一室で、僕はわが軍の幹部陣を前にそう言った。代官屋敷とはいっても、ハッキリ言ってカルレラ市にある僕の屋敷よりもよほど立派な建物だ。石造りの丈夫なたたずまいで、しっかりとした防衛設備も備えている。木造の"自称城"である僕の屋敷と違い、こちらはちゃんとした城砦だった。

 カルレラ市とリッペ市は、人口を比較すれば大差ない。しかし、それ以外はまったく大違いだ。キチンと城としての体裁が整った領主屋敷、きちんと石畳で鋪装された道路、そしてレンガ造りの街並み……。やはり、ド辺境の開拓都市と河川流通の恩恵にあずかった交易都市とでは、発展の具合が違いすぎる。正直、けっこう羨ましい。

 もっとも、今やそのご立派な領主屋敷の尖塔にはためいている旗はエムズハーフェン選帝侯家の紋章ではない。ガレア王家の紋章と僕の将旗代わりの青バラ紋(ブロンダン家の家紋だ)であった。これまでの苦戦からは一転、我々は攻勢開始から僅か一夜でこのリッペ市を制圧したのである。

 

「むろん、諸君らの赫赫たる戦果は王家にも報告させてもらおう。それから、僕の方からも感状を書くつもりでいるので、自分自身や部下に推薦したい者が居るのであれば後ほど教えてほしい」

 

 そんなことを言いながら、僕は部下たちを見回した。当然ながら、みな昨日は一睡もしていない。とはいえ、ここにいる者のほとんどが二十代から三十代の武人としては最も油の乗った時期の連中だ(エルフを除く)。少なくとも、疲れを顔に出している者など一人もいない。まあ、よく鍛えられた亜人の戦士の体力は只人(ヒューム)などとは比べ物にならないからな。一回徹夜したくらいではそれほど応えないのかもしれない。

 そのまま、僕は部下たちとやくたいのない雑談をした。体力的にはまだ余裕があっても、精神的には昨夜の戦いの熱がまだ残っている。いったんくだらない話などをして、気分を弛緩させるのは絶対に必要な儀式だった。これを怠れば、魂が戦場から帰ってこなくなった半死人のような人間になり果ててしまう。

 

「リッペ市の守備隊のほうはどうだろう? なにかトラブルは起きていないか?」

 

 やがて、僕は何の気なしにという風を装って実務的な話題を出しだ。場の空気は十分にユルくなっている。そろそろ本題に入っても良かろう。

 

「問題ありません。武装解除に応じればそのまま解放すると伝えたところ、ほとんどの者が従ってくれました。兵士の大半は本業が別にある市民兵ですからね。死ぬまで戦おう、などという者はなかなか居ないようです」

 

「大変結構」

 

 ソニアから返ってきたその答えに、僕は頷いて見せた。野蛮な連中であれば身分の低い捕虜などは殺すか奴隷として売っぱらってしまうものだが、僕としては当然そのような真似をするつもりはなかった。武器さえ奪ってしまえば十分だ。

 

「戦利品はどうだろう? ……ああ、金品はどうだっていい。武器、それもクロスボウがどれだけ得られたかの方が重要だ」

 

「弩なら百張りは手に入った。頭数の割にゃあぶち多いいのぉ」

 

 敵兵の武装解除を担当しているゼラが、手元の資料を見ながらそう言った。グンタイアリ虫人は、意外とこの手の仕事が向いている。彼女らはいかにも脳筋な外見とは裏腹に算術を得意とするモノが多かったし、兵士同士の連携もよく取れている。体格に優れていることもあり、捕虜が怪しい動きをしても即座に抑え込むことが可能だった。

 ちなみに、敵軍の武装解除にもっとも向いていない連中はエルフ兵だ。あの連中は、武器を奪うついでに首まで奪ってしまう。彼女らの価値観の上では、負けた戦士は腹を切らねばならぬのである。ましてや武器を差し出すのは論外だった。そのため、ついつい手が出てしまうのだそうだ。戦場では滅茶苦茶頼りになるんだが、それ以外は本当に厄介な連中だよな。

 

「この規模の街の防衛にクロスボウ百張り? 何とも豪勢な話だ」

 

 肩をすくめて皮肉気な言葉を吐くのは、いささかくたびれた容姿の竜人(ドラゴニュート)騎士だった。居残り組の小領主や騎士たちで編成された騎士隊の代表者、イアサント・ペルグラン氏である。彼女自身は人口数百名ほどの農村を治める領主騎士であり、所領から連れてきた二十名ほどの自警団員を民兵として指揮していた。

 

「流石は金満で有名なエムズハーフェン選帝侯閣下、といったところでしょうかね」

 

 クロスボウというのは複雑な機構を内蔵した兵器なので、かなり高価だ。具体的に言えば、クロスボウひと張りを買う金があれば従来型の火縄式小銃ならば二挺から三挺は買えるほどである。まあ、わが軍で採用されている雷管式小銃は撃発機構やライフル銃身のぶん高コスト化しているので、クロスボウとのコスト差はそれほど大きくないが。

 

「たしかに。これだけのクロスボウを揃えたら、それだけでわが領の税収が何十年分も吹っ飛びそうだ」

 

 同調したのは、ペルグラン氏の友人だという領主騎士だ。彼女らのような小領主にとって、クロスボウは憧れの兵器だった。なにしろ扱いやすいし、意外と筋力を要求される弓と違って誰が撃っても威力は全く同じときている。人口も税収も少ないような小さな領地では兵の育成にも手間をかけられないから、こういう誰でも扱えるような兵器が好まれているのだった。

 

「そういえば、ペルグラン卿の軍にもたしかクロスボウが配備されていたな」

 

 配下は二十名だけでも、僕はあえてペルグラン市の部隊を軍と呼んだ。領主というのは独自の軍権を持っている存在だ。規模が小さくとも、れっきとした一つの軍として扱う必要があった。……まあ、さすがにこの規模の小領主となると軽く扱われることも多いのだが、ささいなことで部下から反感は買いたくないからね。可能な限りは相手を尊重するのが僕のやり方だ。

 

「ええ、まあ……お袋の代で敵から鹵獲したヤツがひと張りあるだけですがね」

 

「結構、結構。つまり、きちんとした訓練を受けた弩兵が一人はいるということだな」

 

 僕はそう言って、ペルグラン卿に笑いかけた。

 

「では、戦利品の配分としてペルグラン卿にクロスボウ五張りを進呈しよう」

 

「おや、よろしいんですかい?」

 

 片方の眉を上げ、ペルグラン氏は口笛を吹いた。ぶっちゃけ今回の戦いではそれほど騎士隊は活躍していないので、だいぶ破格の報酬ではある。

 

「残りのクロスボウも、すべて騎士隊の中で配分しよう。いや、それ以外の武具類も全部騎士隊行きだな」

 

「そいつは太っ腹で。みな、喜びますでしょうな」

 

 詰まらなそうに肩をすくめてから、ペルグラン氏は煙草を一本取り出した。燭台を使ってその先端に火をともし、口にくわえる。

 

「で、あたしらに何をやらせようって言うんです? もらった報酬分くらいは働きますがね」

 

 曲者ぞろいの騎士隊の代表者を任されるだけあって、ペルグラン氏は話が早い。世の中にはタダより高いものがない事をキチンと心得ている。

 

「即席でいい。今日中に弩兵を配備したクロスボウの数だけ仕立て上げておいてくれ」

 

「……は?」

 

 ペルグラン氏の手から、たばこが落ちた。まあ、そういう反応も当然のことだろう。クロスボウは弓に比べればはるかに習熟が容易な兵器だが、それでも一日二日で使いこなせるようになるはずもないからだ。とはいえ、こちらにも事情がある。自分や味方を傷つけない程度の練度でも良いので、とにかく射撃兵科を早急に水増ししておく必要があった。

 

「良ければ、理由を聞かせてもらってもよろしいですかね」

 

「早くて明日、遅くとも三日か四日後までに新手の敵が来る。数はおそらく三千前後だ。可及的速やかに出迎えの用意を整えておく必要がある」

 

「……っ」

 

 さすがのペルグラン氏も、これには絶句した。もちろん、困惑しているのは彼女だけではない。話を聞いていた他の幹部陣も、顔を見合わせてざわざわしている。澄ました顔をしているのは、唯一すでに僕の腹のうちを知っているソニアだけだ。

 

「なぁ、諸君。どうして僕は、一個連隊に満たぬこんな微妙な戦力をリッペ市に張り付けていたと思う? しかも、そこに僕が居残りしているとハッキリとわかる形で」

 

「アッ!」

 

 ペルグラン氏の顔色が土気色になった。僕の作戦に察しがついたのだろう。

 

「……まさか、囮はヴァール子爵だけではなかったと?」

 

「その通り。千名ぽっちの戦力で、敵の数千を誘引できるんだからやらない手はないだろ?」

 

 いくらヴァール子爵を囮にして敵を引っ張り出すとはいっても、敵の総兵力は一万だと見積もられているのだ。これが団子になって襲い掛かってきたら、かなり厄介なことになる。なにしろこちらの兵力も一万、頭数的には五分五分だ。砲兵や蛮族兵の力があっても、容易に勝利は得られない。なんとかして、敵主力部隊の頭数を減らしておく必要があったのだ。

 その点、僕の存在は大変に都合が良い。こちらが隙を見せれば、敵は確実に僕を仕留められる戦力を送り出してくるだろう。総兵力が同程度である以上、敵が僕の斬首にリソースを割けば割くほどリュパン団長の戦線は優位に戦いを進めることができる。

 むろん、僕としてもやすやすと首を献上するわけにはいかんのでそれなりの対策を打っているが。この街をひどく慌てて攻略したのは、名誉の為でも略奪の為でもない。返す刀で敵別動隊をブッ叩くためなのだ。

 

「楽しい攻城戦の次は、これまた楽しい籠城戦だ。いやあ、嬉しいね」

 

 僕がそううそぶくと、ペルグラン氏はゾンビのような声音で「噂でも大概だったのに、現実はその三倍以上クレイジーじゃねえか……」と呟いた。



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第480話 くっころ男騎士と籠城準備

 早くて明日には敵の増援が現れる。そう予告した僕だったが、幸いにも二日たってもまだ敵はやってこなかった。流石に夜戦の翌日にまた戦闘というのは兵たちの疲労度敵に流石に無茶だし、補給や防衛体制の構築も不十分だからな。多少なりとも猶予が得られてよかった、というのが正直なところだ。

 まあ、そうは言っても実際のところ我々にはゆっくりと休息をとったり迎撃準備を整えている余裕などなかったが。なにしろ我々は敵国の街一つを制圧したわけだからな。旗を立ててはい、おしまいというわけにはいかない。しっかりと街の中枢を掌握し、民衆やレジスタンスなどが暴れだしたりしないよう采配する必要があった。

 まずは市長に街の中でわが軍が略奪などをしないことを約束し、その代わり治安の維持や反乱の抑止などを申しつけた。なにしろ今の僕の手勢は千名ぽっちしかいない。彼女らだけで市内の不穏分子の取り締まりをしていたら、それだけでマンパワーのすべてを消耗してしまう。少し前まで敵だった相手に"反乱の抑止"なんて仕事を頼むのはどう考えてもおかしいが、人手が全く足りない以上このあたりは妥協するほかあるまい。

 

「軍政も楽じゃないなぁ……」

 

 リッペ市代官屋敷に設けた指揮本部で、僕はそう呟いた。街一つを制圧化に置き続ける、というだけでも本当にたいへんな作業だった。なにしろ市民ひとりひとりがこちらに敵意を抱いている。むろん甘い汁を吸おうと自主的に協力を申し出てくる者などもいるが、そんなヤツはもちろん信用できない。そして当然ながら、我々の兵士よりもリッペ市民のほうが数が多いのだ。まるで針のムシロに座りながら仕事をしているような気分だった。

 一時的な占領ですらこの調子なのだから、恒久的な占領や統治なんてのは本当にたいへんだろうな。まあ、僕も前世ではアフガンやらイラクやらでゲロ吐きながら仕事した経験があるので、戦後統治というのがどれほど困難なものかは理解していたつもりなんだが。とはいえ、あの時の僕はたんなるいち下級士官だったが、今の僕は総指揮官だ。立場が変われば見える景色も変わってくるものである。

 こういう立場になるのは、本当に嫌だね。侵略者の尖兵、みたいな? まあ、前世の僕が忠誠を誓っていた国もガレア王国も、これは侵略ではないというポーズは獲っていたがね。でも結局、相手の国に攻め入って街を戦場に変えてるんだから似たようなものだ。マジでゲンナリする。こんなことのために軍人やってるんじゃないよなぁ。

 

「……」

 

 内心でため息をついて、思考を切り替える。とにかく、なにはともあれせっかく制圧した都市を反乱で失うなどという事態はカンベンだ。この街はレンブルク市やミューリア市と同じく戦後は返還するつもりでいるが(そもそもここは敵の内地なので割譲されてもだいぶ扱いに困る)、最低でも作戦の間中は維持し続ける必要がある。頑張らねば。

 

「こんな調子で、本当に防御拠点として使えるんですかね、この街」

 

 半目になりながらそんなことを言うのは、ペルグラン氏であった。彼女は火のついた煙草を口にくわえながら、僕に報告書を押し付けてくる。この報告書は、ペルグラン氏が管轄している騎士隊から上がってきたものだ。騎士隊には、我々との戦いで損傷した塹壕陣地の補修や配布した鹵獲(ろかく)クロスボウの戦力化などを命じている。

 

「頼りにしてるのは塹壕線だけさ。市民たちの協力なんか、最初から求めていない。大人しくしてくれればそれでヨシだ」

 

「それが一番難しいんですがね」

 

 煙をぷかりと吐き出してから、ペルグラン氏は肩をすくめた。まあ、確かにその通り。征服者にとって、反乱の抑止ほど頭を悩ませる問題はない。とにかく、アメとムチでうまいことコントロールしてやる必要があるわけだが、それがやれそうな人材は残念ながら手元に一人もいない。僕自身を含め、戦闘以外はからっきしの武張った人間しかいないのがこの部隊の特徴だった。

 せめて、ロリババアがいればなぁと思わなくもない。しかし彼女は、ジルベルトの補佐としてミューリア市に残してきてしまっていた。実際のところ我々の拠点としての価値はリッペ市などよりもよほどミューリア市のほうが重要なので、リソース分配の優先順位はそちらの方が高くなる。今さら、こちらにロリババアを呼び寄せるわけにもいかなかった。

 

「ま、城伯殿にはそれなりの考えがおありでしょうから、あたしがあれこれ言ってもしょうがないでしょうが」

 

「……」

 

 イヤミだねぇ。ま、気分はわかるから甘んじて受け入れるけどさ。僕は無言で肩をすくめた。

 

「それはさておき、敵は本当にこっちに来るんですかね。チャンバラが仕事の人間としては、そっちが気になるんですが。ちゅーか正直こないで欲しい」

 

「来ない方が困るだろ常識的に考えて。推定三千の兵力がフリーハンドとか冗談じゃない」

 

 三千も兵隊がいたら、いろいろなことができる。ミューリア市に対して擾乱攻撃とか、それよりもっと後方奥深くに侵攻してガレア南部を荒らしまわるとか……そんな状況になったら僕の胃に穴が開いてしまう。そうならないように、わざわざリスクを冒して敵を誘引したのだ。

 

「三倍の敵を敵の都市に籠って迎撃、なんてのも大概冗談じゃネェっすわ。攻撃三倍の法則なんていうけど、あれは守勢側がしっかり守りを固めてる想定の場合だし」

 

「たしかに準備不足は否めないが」

 

 僕は小さく息を吐いて、香草茶を一口飲んだ。そして一枚の書類を取り出し、文面を目で追う。

 

「ま、駄目そうならリュパン団長閣下なりヴァール子爵殿なりに泣きつくさ」

 

 それは、今朝届いたばかりのリュパン団長からの手紙だった。それによれば、救援軍はヴァール支隊との合流に成功したようだ。絶望的な戦いを強いられていた支隊ではあるが、ヴァルマの活躍により損耗は僅か。なんとも嬉しい報告である。

 ただ、気になるのは敵方の動きだ。支隊を奇襲した七千のエムズハーフェン軍は、救援軍の接近にともない一時撤退をした。しかし戦場から離脱することはなく、ヴァール支隊を吸収したリュパン軍とにらみ合いを続けているらしい。

 数的に不利でも退かないとすると、やはり敵には何かしらの勝ち筋があるらしい。普通に考えれば、奇襲の目論見が崩れた時点でエムズ=ロゥ市まで撤退したほうが合理的だからだ。そして、敵方に残った予備戦力の数を考えると……やはり、エムズハーフェン選帝侯は僕の首を狙っているのではなかろうか。

 

「とはいえ、僕としてもむざむざとやられる気はない。ペルグラン卿、正面の防備は任せたぞ」

 

「あいあい。ま、前回の戦いじゃあそれほど活躍できませんでしたのでね。契約分と報酬分程度の頑張りはさせてもらいますよ」

 

 ぷかぷかと煙をふかしながら、ペルグラン氏は頷いた。あんまりやる気はなさそうに見えるが、まあポーズだろう。戦場における彼女の戦いぶりは、なかなかのものだと聞いている。

 

「しかし、玄関をいくら固めても裏口を破られればどうしようもありませんよ。我々が使ったのと同じ手を、敵も使って来たらどうするんです?」

 

 さすが、歴戦の騎士だけあって鋭い指摘をしてくる。港側から攻撃を受ければ、正面の塹壕線がいくら強固でも関係ない。この街が港側からの攻撃に対して脆弱なのは、先日我々が実証したばかりだ。たぶん、そもそも制海(川)権を喪失するような事態を想定せずに設計した街なんだろうな。エムズハーフェン家はたいへんに川での戦闘に自信がおありと見える。

 

「実際その通り。まず確実に、敵は港側から攻撃を仕掛けてくるだろう。そもそも、敵は戦力の輸送にこのモルダー川を使っているわけだからな。軍用の川船もいっぱい持ってるんだろう。たぶん、初撃はその川船を使って港に強襲揚陸してくるんじゃないかな」

 

 地図を見ながら、僕はそう説明した。七千もの大軍がいきなりヴァール支隊を奇襲できたのも、モルダー川を使った迅速な兵力輸送あってのものだと考えられている。相手は河川交通を牛耳って成長してきた貴族だ、川を使う戦術に関しては一家言あるだろう。

 

「それ、正面の防御陣地を強化する必要あります?」

 

 半目になったペルグラン氏に、僕は苦笑した。言いたいことはわかるが、もちろん僕も対策は打っていた。現在、港の方ではソニアに率いられた砲兵隊と工兵隊の一部があれこれ工作をしている。塹壕線側は塹壕線側で、港側は港側で大忙しだ。そりゃあ、人手も足りなくなるというものだろう。

 

「こっちに関しては心配する必要はないよ。港側からの強襲は必ず阻止する。君たちは安心して正面を守ってほしい」

 

「まあ、城伯殿がそうおっしゃるのなら……」

 

 そう言ってため息を吐くペルグラン氏。僕は少し笑ってから、もう一度頭の中で作戦のシミュレーションをやり始めた。彼女の言うように、港側からの攻撃は何が何でも防がねばならない。そのためには……少しばかり派手なことをする必要がある。この街の住人には申し訳ないが、我々も負けるわけにはいかんのでな。致し方あるまい。



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第481話 くっころ男騎士と敵の罠

 その翌朝。モルダー川の上流から大規模な船団が接近してきている、との報告が鳥人偵察兵よりもたらされた。それとほぼ同時に、リッペ市上空に六頭の鷲獅子(グリフォン)が飛来。我が方の翼竜(ワイバーン)隊がこれを迎撃し、追い返した。敵鷲獅子(グリフォン)の目的が攻撃開始前の航空偵察であることは明らかだった。

 間違いなく、敵の攻撃が迫っている。対して、こちらの準備は……はっきりいって万端とは言い難い状態だ。リッペ市は反乱こそ起きていないものの、救援部隊の接近に伴って何ともきな臭い雰囲気が漂い始めている。塹壕線の補修と港の警備強化はギリギリなんとかなったが、鹵獲クロスボウを配布した即席弩兵のほうはどうしようもない。いかに扱いが容易なクロスボウとはいえ、一日二日程度の訓練では流石に戦力化は厳しかった。

 だが、そんなことはすべて織り込み済みだ。敵が来た方向も規模もおおむね想定通りだし、即席弩兵が役に立たないなどということは最初からわかっていた。そもそも即席弩兵の役割は弾幕を張って敵を抑止することだ。命中弾が期待できずとも、敵のいる方向に矢を放つことができればそれでヨシ、である。

 

「敵船団は明らかにリッペ市に強行上陸をする動きを見せていますね」

 

 先ほど届けられたばかりの報告書を見ながら、ソニアが言った。報告によれば、敵船団の半分は弩砲(バリスタ)を備えた軍船で、残り半分が非武装の貨物船だという。後者にはおそらく、完全武装の兵士が乗船しているものと思われる。船団の規模からみて、敵の総戦力は二千から三千だと試算されていた。これもまた、想定通りの数字だ。

 当の船団は、揚陸向きの河原やら周辺の河川都市やらに立ち寄る気配も見せず、一直線にこのリッペ市に向かってきているようだった。やはり、この街の港湾施設を利用して一気に上陸を図るつもりなのだろう。

 

「敵は船団ん上空に九頭もん鷲獅子(グリフォン)を待機させちょっとん報告があっと。鳥人では、これ以上ん偵察は困難やろう。敵に発見されればたちまち蹴散らされてしまう」

 

鷲獅子(グリフォン)が九頭? ずいぶんと多いな」

 

 ウルの報告に、僕は眉を跳ね上げた。飛んでいる者だけで九頭。地上待機している分も含めれば、さらに増えるだろう。掲げている旗から見て、敵はエムズハーフェン軍で間違いない。いかに裕福な選帝侯家でも、飼育にとんでもないコストのかかる鷲獅子(グリフォン)の保有数は限られているはずだ。敵は航空戦力の大半をこちらの戦線に振り分けているようだな。こちらも航空戦力を集中しておいたほうがよさそうだ。

 

「敵軍の規模で言えば、リュパン団長側の戦線の方が大きいが……敵の本命はむしろこちら側かもしれんな」

 

「ええ、同感です。あの船団で運ばれている部隊は、エムズハーフェン選帝侯子飼いの精鋭部隊でしょう。……しかしこうなると、相手の描いている絵図も見えてきましたね」

 

 地図上のモルダー川を指でなぞりながら、ソニアが言う。

 

「リュパン殿から送られてきた今朝の定時報告では、あちらの敵軍は遅滞と回避に徹している模様です。リュパン殿のほうは積極的に攻撃を仕掛けようとしているようですが、うまく敵の主力を捕捉できずにいます。我が方が数的に有利なのは確かなようですが、撃滅ないし撃退にはまだまだ時間がかかるでしょう。……つまり、あちらの敵軍は時間稼ぎを狙っているわけですね」

 

「そうして稼いだ時間を利用して、僕の首をバッサリ……というわけだな。こちらの罠を利用して、罠にかけ返す。エムズハーフェン選帝侯閣下はなかなかの知将のようだ」

 

 実際、選帝侯の作戦はなかなかに有効だ。もし僕がリッペ市の攻略に手間取っていたら、本当にマズいことになっていたかもしれない。リッペ市守備隊と選帝侯軍主力の挟撃などという事態になっていたら、僅か一個連隊の部隊などあっという間にすり潰されていただろう。

 まあ、それを避けるために超特急で街を制圧したわけだがね。一夜のうちに落城させられなかった場合は、諦めてリュパン団長の方に合流するつもりだったし。とはいえ、敵が油断ならぬ相手であるのは確かだ。欲をかきすぎれば、駆られるのは我々の側になる。損切りのラインについては、常にしっかり意識しておく必要があるだろう。

 

「とはいえ、作戦に余裕がないのは向こうも同じこと。精鋭をこっちに振り向けているなら、リュパン団長の戦っている七千は雑兵中心の張り子の虎だ。まともにカチあえば、問題なく勝利は掴めるだろう」

 

 リースベン軍(プラス騎士隊)とリュパン軍の位置関係を見ながら、僕は思考を巡らせた。リュパン軍の現在位置からリッペ市までは、徒歩で丸一日程度の距離だ。あちらの戦線さえ片づけてしまえば、援軍はすぐに到着する。

 

「我々の勝利条件は、リュパン団長閣下が勝利を掴み、援軍としてやってくるまでこのリッペ市で耐え抜くことだ。籠城戦とはいえ、一か月も二か月もかかるような長期戦にはならないだろう。みな、安心してほしい」

 

 僕はそういって、ペルグラン氏をはじめとした騎士隊のメンツに笑みを向けた。リュパン団長側の戦線は優位だが、こちらの戦線の戦力比は一対三。なかなか厳しい差だ。いかに歴戦の騎士たちとは言え、緊張を覚えずにはいられない様子だった。

 

「おっしゃることは分かりますがね。敵軍はリッペ市を港から攻める腹積もりなのでしょう? 昨日も言いましたが、この街は港側からの攻撃に弱い。先日の攻城戦の再演を、彼我を入れ替えて繰り返すわけにはいかんでしょう。そのあたりはどうなっておるんですかね? 策はあるとおっしゃっておりましたが」

 

「ああ、問題ない」

 

 胸を張ってそう答えたのはソニアである。彼女は昨日まで、自ら港に出向いていろいろな作業や確認の監督をしていた。それだけに、作戦にはそれなりの自信があるようだった。

 

「防諜上、はっきりしたことを言うわけにはいかないが……港の入り口はしっかりと封鎖してある。船団の侵入は困難だ」

 

「へぇ、そいつは楽しみだ」

 

 詰まらなそうな口調でペルグラン氏は言った。本当に大丈夫なのか? と思っている様子である。まあ、作戦の詳細も説明していない状態で安心しろと言われても無理があるだろう。この反応は致し方のないものだ。

 

「なにはともあれ、敵はもうすぐそこまで迫ってるんだ。こっちとしちゃ、大将を信頼して踏ん張るまでですわ」

 

 圧力かけてくるねぇ。でも、こういう部下は嫌いじゃない。僕はニコリと笑いかけた。

 

「期待を裏切るつもりはないさ。……ペルグラン卿の言う通り、じきに敵の来襲が始まる。そろそろ、戦闘態勢に移ろう。部隊の配置は終わっているな?」

 

「はい」

 

 頷いたソニアが、手元の資料をめくった。

 

「予定通り、港には砲兵隊とエルフ隊を配置しています。そして市街地にアリ虫人隊、塹壕陣地に騎士隊ですね」

 

「たいへん結構」

 

 僕はポンと手を叩いた。このフォーメーションは、万一港を突破される自体に備えての配置だった。その場合は敵を市街地に引き込み、エルフ隊を主軸に据えたゲリラ戦で敵を撃滅する予定である。そうなったらそうなったで、勝ち目はそれなりにある。

 市街地戦は、森林戦のノウハウがある程度流用可能なのだ。このような環境においては、エルフの変幻自在の戦法が猛威を振るうだろう。騎士隊やアリンコ隊が敵を足止めし、その側面や背面をエルフが攻め立てる。そういう風な役割分担をすれば、兵力の差はある程度カバー可能だ。

 ただし、この作戦は市民を巻き込まざるを得ないという欠点がある。これは人道の上でも作戦の上でも大問題で、僕としてはできれば避けたかった。兵士だかレジスタンスだか本当の一般人だかわからない連中が大勢いるような場所でドンパチするのがどれほど厄介なことなのかは、僕は誰よりもよく知っている自信がある。

 僕の一番の懸念は、三千の敵軍などではなくこの街の市民たちだった。彼女・彼らにはとにかく大人しくしてもらわねばならない。大規模反乱が起きたりすれば目も当てられない事態になる。反乱を防ぐためにも、船団の撃退は最優先事項だ。救援にやってきた味方があえなく撤退していく姿を市民たちに見せ、反抗心を折るべし。……あー、やだやだ。悪党以外の何者でもないような事を考えてるじゃん、僕。まあ、本当に今さらなんだけど。

 

「さあて、それでは作戦開始だ。諸君らの奮戦を期待する」

 

 内心のそんな不満を抑え込み、僕はにこやかにそう宣言した。



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第482話 くっころ男騎士と港封鎖作戦

 モルダー川は、この辺りの地域の大動脈を担っているだけあってかなりの大河だ。川幅は極めて広く、流れも緩やかだった。一見すると、細長い湖のようにすら思える。そんな大河の川上側から、数えるのも馬鹿らしいほどの数の船が現れた。そのどれもが、エムズハーフェン選帝侯家の紋章である交差した銛を描いた旗を掲げている。いよいよ、敵船団がリッペ市に来襲したのである。

 

「ほう、ほう、へぇ」

 

 その様子を港から見ていた僕は、感嘆の声を漏らした。望遠鏡を使って詳しく敵情を観察する。船団の主力は二枚帆を備えた大型船だが、帆装をもたない小型ボートも少なからず混ざっている。使える船はすべて出撃させたという風情のごちゃ混ぜ編成だ。

 それを迎え撃つ我が方の兵士は、迫りくる大船団を緊張した面持ちで眺め……てはいなかった。みな、淡々と自分の持ち場で仕事をこなしている。それもそのはず、港に展開している我が方の部隊は砲兵隊とエルフ隊だ。どちらもわが軍では最精鋭といっていい連中だ。大軍が相手とはいえ、気後れするような肝の小さい連中ではなかった。まったく、頼りになる部下を持てた僕は幸せ者である。……まあ、エルフに関しては頼りになりすぎて逆に困る場合も多いがな。何事も限度ってもんがあるだろ。

 

「さすがモルダー川のヌシとまで呼ばれる大貴族。なかなかご立派な艦隊じゃあないか」

 

 あの船団にミッシリ兵隊がすし詰めになっていると思うと、なかなか怖いものがある。我々リースベン軍がエルフ内戦に介入する際も川船を利用したが、あの時は兵士の大半が船酔いでダウンしてしまっていた。だが、相手はカワウソ獣人の軍隊だ。おそらくそのような醜態とは無縁だろう。

 あー、しかし残念だなぁ。手元に我が軍の最新鋭軍艦、マイケル・コリンズ号があれば派手な水上戦が見られたものを。……いや、普通に考えて川船を他所の川に回送なんて現実的じゃないし、そもそもいくら新式でも一隻だけじゃあんな船団に対抗するのは不可能だけどな。まあ、気分の問題だ。

 

「対舟艇戦闘は実戦では初めてだな。自信はあるかね、小隊長殿」

 

 僕がそう聞いた相手は、山砲隊の小隊長だ。我々の手元にある三門の山砲はすべて港に展開し、敵船団の方へ砲口を向け砲列を敷いている。正直、この規模の船団を相手に手元にある砲兵戦力が山砲小隊ひとつだけというのは少々心もとない。もう一個小隊くらい残しておいたほうがよかったかなぁ、などとも思ってしまった。送り先のヴァール支隊のほうは、意外と苦戦していないようだしな。

 とはいえ、いまさらそんなことを悔やんでもしょうがないけどな。意外と苦戦していない、なんていうのは所詮結果論だし。まあ、とにかく今は手元にあるカードを使ってやりくりするしかないさ。勝てるだけの策は用意しているつもりだし。

 

「むろんです、城伯様」

 

 そんなこちらの思惑を知ってか知らずか、山砲隊を指揮している若い小隊長はなんとも自信ありげに胸を叩いてくれた。その顔には挑戦的な笑みが浮かんでいる。

 

「確かに実戦は初めてですが、船に砲弾を命中させる訓練はエルフェン川でイヤになるほどやっておりますからね。我らにお任せください」

 

 我らがリースベン軍では、対艦攻撃は砲兵の基本的な任務の一つとされている。そのため、砲兵隊では頻繁に標的船を相手に射撃訓練を実施していた。移動目標が相手ということもあり当初はさんざんな成績だったが、砲兵たちの練度の上昇や射法・計算尺などの改良により今ではかなりの命中率を叩きだすようになっている。

 

「大変結構」

 

 僕はニッコリと笑って頷いた。そして視線を港のアチコチに展開したエルフ隊の方へと向けた。当然のことながら、僅か三門の前装砲では大船団の上陸阻止などは不可能だ。撃ち漏らしはかなりの数が出るだろうし、そもそも大砲では狙えないような小型ボートにも対処する必要がある。

 そこを補うのが、フェザリアに率いられたエルフ隊だ。彼女らは水上戦に慣れているし、メインウェポンが弓や魔法ということもあって船が相手でも戦いやすい。こういう局面ではピッタリの連中だった。

 ……というかまあ、そもそもエルフはだいたいなんでもできちゃうんだけど。便利過ぎて困るんだよな、仕事を振りすぎて過重労働になってないかちょっと心配だよ。彼女らの強さの源泉は長寿命からくる豊富な戦闘経験なので、損耗したら取り返しがつかない。野蛮性云々はさておいても、エルフ隊の運用にはそれなりに気を使った方がいいんだよな。

 

「敵船の先頭が射程内に入りました!」

 

 そんな僕の思考は、見張り員の出した大声によって妨げられた。船団の船たちは結構なスピードでこちらに向けて突進してきている。明らかに強行上陸を狙っているように見える。さあ、踏ん張りどころだぞ。僕は気合を入れるために自分の頬をペチンと叩いた。

 

「撃ち方はじめ!」

 

 号令に従い、三門の山砲が順番に火を噴く。オモチャじみた見た目には似つかわしくない猛烈な砲声が港中に響き渡った。周囲にいた小鳥たちが一斉に飛び立つ。……が、命中弾は一発も出ない。砲弾は水柱を上げるばかりで、何の効果もなかった。しかし砲兵たちは残念がる様子もなく、冷静に再装填作業を始めた。相手は一キロ以上も離れた移動目標だ。初弾命中など、奇跡でも起こらない限り成功しない。

 最初の命中弾が出たのは、第三斉射の時だった。八六ミリの榴弾が船団の先陣を切っていた軍船に命中し爆発を起こす。小口径榴弾の威力などはっきり言って大したものではないのだが、相手は大型とはいえ所詮は排水量十トンあるかないか程度の川船だ。船首に大穴を明けたその船は、一瞬のうちに轟沈してしまう。

 

「いい腕だ! 射撃を継続しろ!」

 

 内心ガッツポーズをしながらそう命じるが、敵船団は一隻沈んだ程度では怯んではくれなかった。むしろ船足を上げ、一気にこちらへ突っ込んでくる。ふ頭にそのまま衝突してしまうのではないかと不安になってくるような勢いだ。

 

「やはりそう来るか」

 

 大砲は威力抜群だが、再装填に時間がかかる。数とスピードを頼みに突撃されれば対処不能になってしまうのだ。敵の判断は的確だった。しかしもちろん、僕の方も大砲だけで敵を抑止しようなどとは思っていない。

 

「来たな……!」

 

 敵船が港の入り口に差し掛かった瞬間、船首で大爆発が起きた。さきほどの八六ミリ榴弾が直撃した時よりも大きな爆発だ。しかも、それだけでは終わらない。港内に侵入しようとした船は、軒並み爆発を受けて轟沈しはじめた。

 さすがのエムズハーフェン水軍もこれには面食らったようで、あわてて舵を切ったり(オール)を使って急制動をかけたりして、港への突入ルートから逃れようともがいた。だが、戦列を組んだ状態でそんなことをすれば、当然ながら大変なことになる。あちこちで衝突事故が発生し始めた。何隻もの船が巻き込まれ、次々と沈没したり漂流したりしていく。

 だが、衝突事故程度で済んだ者たちは幸運だ。港への突入ルートから逃れることのできなかった船の方は、強烈な爆発を喰らって次々と轟沈していく。船団はすっかり大混乱に陥り、阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 

「素晴らしい。工兵隊は見事な仕事をしてくれたな」

 

 僕は思わずそう呟いた。敵船を襲った爆発の正体は、我が方の工兵隊が仕掛けた機雷だった。いわば対船舶用の地雷だな。もっとも、今回使用したものは工兵隊が現地で製造した急造品だが。飲料水用の樽に防水加工を施したうえで火薬を詰め込めこみ、砲弾の信管を起爆装置として組み込んだだけの簡単な構造だが、効果の方はご覧の通りだ。

 まあ、急造兵器といっても研究や試験自体は前々からやってたモノだからな。それなりの信頼性はある。なにしろこの世界の物流は結構な割合を水運に依存している。もちろんそれは軍隊の物資や兵員の輸送でも同じことが言えた。機雷系の兵器は、前世の世界以上の有用だった。使わない手はないだろう。

 もっとも、補給面に不安があるのはこちらも同じこと。重くてかさばりおまけに用途も限られている機雷をいちいち遠征に持って行くのは困難だ。そこで、現地で手に入る資材を使って即席機雷をでっちあげる研究を以前から進めていたというわけだ。

 もっとも、所詮は即席なので弱点がないわけではない。一番の問題は防水加工が不十分な点だ。なにしろ素体が木製の樽だから、いくら防水加工を施しても漏水をゼロにはできない。作動が期待できるのはせいぜい一週間程度で、それ以降は火薬が湿気って使い物にならなくなってしまう。まあ、掃海の手間や危険性を考えればメリットともなりうる特性ではあるが。

 

「敵船、港内に突入してきました!」

 

 しかし、機体の新兵器も完璧ではない。機雷を敷設した区域を運よく無傷で突破した数艘の小型船が、帆を全開にして突撃してくる。敵船は弩砲(バリスタ)を搭載しているようで、鉄の槍のような巨大な矢玉を砲兵陣地に向けて打ち込んできた。命中こそしなかったが、なかなかヒヤリとさせられる。

 

「獲物が自分から出てきおったぞ! 丸焼きにして若様に進呈してくれるっ!」

 

 それを阻止しようと現れたのが、エルフの操る小舟だ。彼女らは巧みな(オール)捌きで敵船に接近、火炎放射器でその舷側をあぶった。敵船はあっという間に炎上し、火だるまになった水兵や陸戦隊員たちが慌てて川に飛び込んでいく。船員があわてて水をかけたが、炎は消えるところか余計に激しく燃え上がる始末だ。

 

「……」

 

 なんともエグいその戦法に、僕は小さく息を吐きだした。むろん敵船も無抵抗という訳ではない。エルフの小舟を近づけまいとクロスボウを射かけてくるが、エルフ兵はそれを風の魔法で吹き飛ばしてしまった。そのまま見事な手際で敵船に接近、一瞬の早業で放火してそのまま離脱していく。居合切りのように鋭い攻撃だった。

 もちろん、エルフ兵の攻撃手段は火炎放射器だけではない。機雷腹を迂回し船団の本隊を奇襲したエルフの一団は、船体や帆装に火矢や炎の魔法を射かけたり、甲板に手榴弾を投げ込んだりしている。

 鈍重な大型船では、このような変幻自在の攻撃には対処しきれない。。エムズハーフェン水軍は短艇を展開してエルフ隊の迎撃に当たったが、この手の乱戦はエルフの最も得意とするところだ。エルフの焼夷剤から発生する濃密な煙が視界を悪化させたこともあり、カワウソ兵らは受け身に回らざるを得ない状況になっていた。

 

「水場での戦いでカワウソ獣人が後れを取るなどあり得ん! いけ!」

 

 これを見て、エムズハーフェン軍側は戦法を変更した。指揮官が大声で命令すると、銛を手にした水兵たちが次々と川面に飛び込んでいく。彼女らは魚雷のような勢いでエルフの小舟に接近、水中から奇襲をかけた。

 

「踏み込みが足らん!」

 

「グワーッ!」

 

 だが、そこは人魚とも互角にやり合ったというエルフ兵である。水中からの攻撃が来ることなどお見通しだったようで、銛を構えて水中から飛び出してきたカワウソ兵の横っ面を(オール)でぶん殴って吹っ飛ばしてしまった。

 

「魚ん餌になっがよか」

 

 そこへさらに魔法で追撃するのがエルフ流だ。風の刃が川面にブチこまれると、みるみるうちに川の水が赤く染まっていく。それと同じような光景が、そこかしこで発生していた。やはりエルフの戦闘力は異常である。

 

「エルフどもに負けるな! 撃ちまくれ!」

 

 その様子を見て奮起したらしい砲兵隊長がそう叫んだ。山砲はまさにつるべ打ちの様相で連射され、港の入り口付近でまごついている敵船団に追撃を加える。数隻の川船が直撃を喰らい、轟沈した。

 なんとも一方的な戦いだ。敵は少しの間右往左往しながら砲撃やエルフの小舟から逃げ回っていたが、やがて舳先を揃えて川下側へと撤退を始めた。我々の与えた損害はまだまだ軽微なものなのだが、機雷原の突破は困難と判断したのだろう。僕は密かに安堵のため息をついた。用意できた機雷の数を思えば、数を頼みに損害を度外視した突撃を仕掛けられていたら不味い事になっていたかもしれない。敵の指揮官が諦めの良いタチで良かったよ。

 

「さて、第一ラウンドは我々の勝利だ」

 

 とはいえ、状況を考えればこれだけで敵が完全にあきらめるとは思えない。じきに二回目の攻撃が始まるだろう。それが港側から来るのか陸上から来るのかまでは分からなんがね……。



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第483話 くっころ男騎士と陣地転換

 エムズハーフェン軍の大船団は、機雷原とエルフ舟艇部隊に阻まれリッペ港への突入を断念し一時撤退した。だが、あくまでそれは一時的なことだ。彼女らのリッペ市奪還の意志が折れたとも思えず、僕は翼竜(ワイバーン)隊に船団の追跡を命じた。あくまでこの撤退は体勢を立て直すための一時的なものなのか、あるいは敵前上陸そのものをあきらめたのかでこちらの対処も変わってくるからだ。

 ところが、翼竜(ワイバーン)による追跡はうまくいかなかった。船団の上空を援護していた九頭もの鷲獅子(グリフォン)が迎撃に出てきたからだ。敵の反撃は苛烈であり、追跡を断念せざるを得ない状況に追い込まれた。船団襲来時には大人しくしていた敵鷲獅子(グリフォン)騎兵隊だが、こちらが翼竜(ワイバーン)を空に上げたとたんにコレだ。どうやらエムズハーフェン軍は航空戦力をあくまで防空用に運用する腹積もりらしい。敵の指揮官は相手の航空偵察を潰すことの重要性を知っている人物のようだ。厄介だな

 

「機雷の再敷設を急げ!」

 

 まあ、何はともあれ船団の追跡に失敗した以上、敵の次のアクションを予想するのは難しくなってしまった。僕としては、港からの再攻撃と陸路からの攻撃の双方を想定した準備をせねばならない。とりあえず消耗したぶんの機雷を再敷設し、エルフ舟艇部隊に矢玉や焼夷剤の補給を行った。

 とはいえ、虎の子の機雷の数は限られている。なにしろここは敵地で、しかも我々の補給線はハッキリいって脆弱なシロモノだからだ。いくら機雷が即席兵器とはいえ、火薬の数が限られている以上あまり多くは製造できない。仕方がないので、二度目の機雷敷設では空き樽を利用したニセ機雷で敷設数を水増しすることにした。

 これは、リッペ市内や周辺の田畑などに潜んでいるであろう敵の偵察員に対する偽装工作だ。ニセ機雷は中身こそ空っぽだが見た目は本物とほぼ同じであり、敵からは本物なのか偽物なのかを判別する方法はない。この水増し工作により、敵が機雷原は健在だと誤認してくれれば万々歳である。

 なにしろ、今回の防衛戦の要である機雷とエルフ式火炎放射器兵は両方とも兵站への負担が大きい兵器だからな。はっきり言って、二度三度と同じような迎撃戦を展開する余力はない。敵が港からの攻撃に拘泥すれば、いずれ突破を許してしまうかもしれない。セコい手でもなんでも使って、港への攻撃を断念させる必要があった。

 

「南方の街道上に敵部隊を発見。規模は二個連隊程度……二千五百名程度とのこと!」

 

 だから、その日のうちにそんな報告が入ってきたときはほっとした。どうやら敵はどこぞの河原で兵力を揚陸し、陸上からリッペ市を攻めることに決めたらしい。おそらく、揚陸用の船が沈没して少なくない数の兵士が溺死したことを重く見たのだろう。いかに精強な兵士でも、乗った船を沈められてしまえばどうしようもない。

 むろん、部隊人員の少なくない数がカワウソ獣人で構成されているエムズハーフェン軍である。水泳は得意中の得意であり、船が沈没したところで泳いで逃げ出せばよいというのは確かだ。ただし、それはあくまで軽装の者に限った話だった。

 さすがのカワウソ獣人も、金属甲冑を着込んだ状態で泳ぐのは困難なのである。実際、敵船団に肉薄戦闘を挑んだエルフ兵の少なくない数が『甲冑姿の兵士が水に沈んでいくのを見た』と証言していた。

 板金鎧は高価だが強力な装備だ。こんなものを着込んでいるのは、騎士のような戦士階級か裕福な市民兵、傭兵のみ。つまり、溺死者は士官や精兵などに集中していたということになる。流石にこの損失は痛かったのではないか、というのが分析に当たったソニアの見立てだった。

 

「第二ラウンドは陸戦か。よろしい、川でも陸でも我々の方が強いということを見せてやろう」

 

 報告を聞いた僕は自信満々な口調でそう言い放ったが、もちろん部下向けのポーズである。実際のところ、数の差もあるし揚陸戦では明らかにエムズハーフェン軍側のほうが強い。第一ラウンドで彼女らを撃退できたのは、機雷とエルフという二枚の切り札を切ったからだ。どちらも使えば使うほど目減りしていくばかりのリソースなので、頼りっぱなしになるのは危険だろう。

 

「部隊配置を陸戦仕様に切り替える」

 

 とにもかくにも、戦闘の焦点は陸上に切り替わったのだ。僕は部隊の配置もそれに適したものに転換せねばならない。街外縁の塹壕線にアリンコ重装歩兵と騎士隊を置き、山砲隊も塹壕を援護できる位置へと移動させる。エルフ隊も、配置を港から街中へと切り替えた。

 エルフ隊を街に置いたのは、市民による反乱の抑止のためだ。敵軍の襲来に呼応して市民たちが蹶起(けっき)したら少しばかり面倒なことになる。いわゆる内憂外患というヤツだな。この街は結局のところ敵地なので、このような対応が必要となる。通常の籠城戦のセオリーは通用しない。

 ちなみに、このエルフ隊の役割は治安の維持ばかりではない。敵が潜水兵(フロッグマン)や船などを用いて港側からの再揚陸などを目論んだ際にこれを阻止するのも彼女らの仕事のうちだ。敵の主力はすでに陸上にいるが、かく乱目的で小規模な部隊を背後から送り込んでくる可能性は十分にある。

 

「さて、敵軍の様子はどんな感じだ?」

 

 港から街の防壁の外へと移設した指揮本部で、僕はそう聞いた。どうしてわざわざ壁の外に指揮本部を設営したかといえば、これもまた市民反乱を危惧してのことだったりする。今回の作戦では、街の防壁は外敵を退けるための盾として運用するつもりはなかった。どちらかといえば、内部の不穏分子を封じ込めるための檻だと認識している。

 こうして戦力の中核を外縁の塹壕線に移した今も、やっぱり背後……つまり街や港の方はへの警戒は怠れなかった。市民たちの反乱の懸念はもちろんあるし、陸側の敵戦力はあくまで陽動であり、本命の少数精鋭部隊が川側から突入してくる可能性も排除できない。エムズハーフェン軍の指揮官はなかなかの知将だ。油断はできない。

 そういう懸念を考慮した結果が、この布陣であるわけなのだが。外側からの攻撃は塹壕線で防ぎ、内側からの攻撃は防壁で防ぐ。そういう作戦だった。この街の外壁は平凡な石壁だが、攻城砲や戦術級魔法などがブチこまれない限りはそれなりに頼りになる。……こうなると、チート魔術師ことニコラウス君が怖くなってくるんだよな。エルフどもには、魔術師は見つけ次第ぶっ殺せと命令してあるが。

 

「先ほど戻ってきた斥候部隊によれば、敵は野営地の設営などはせずリッペ市に向かって行軍を続けているようです。三十分もすれば、敵の前衛がこちらの防衛線に接触するのではないかと思われます」

 

「フゥン」

 

 僕は懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認した。そして、西の空に目を向ける。すでに太陽は地平線へと迫りつつある。この時間に部隊を動かすというのは、あまり一般的ではない。いくら夏場とはいえ、今から野営地を作っていたのでは日暮れに間に合わない。このままだと、兵士たちは安全な寝床を確保できず温食も口にしないまま一夜を過ごすことになる。

 

「夜襲を仕掛けてくるつもりでしょうか?」

 

 腕組みをしながら、ソニアが聞いてきた。僕はコクリと頷く。

 

「だろうな。……しかし、揚陸失敗の当日に夜戦となると、兵士たちは大変だな。まあ敵船団の離脱から再捕捉までの時間差を考えるに、多少の休憩はとっているんだろうが、ハードスケジュールなのは確かだ」

 

「どうやら、敵の司令部はなかなか焦っているようですね。やはり、リッペ市が予想外に早く陥落したことが響いているのでしょう」

 

「ああ。向こうの本来の思惑では、この攻撃はリッペ市の守備隊と連携して実施するハズだったろうからな。それを自分たちだけで行わねばならなくなった以上、ゆっくりはしていられないだろう」

 

 リュパン団長が今日送ってきた報告書のことを思い出しつつ、僕はそう返した。団長は相変わらず敵軍と追いかけっこをしているようだ。敵のこの消極的に過ぎる動きを見るに、どうにもあちらの敵軍には独力でリュパン軍を撃破できるだけの戦力はないようだ。エムズハーフェン軍としては可及的速やかに我々を撃滅し、リュパン団長のほうの戦線へ援軍を出したいところだろう。我々もしんどいが、敵にとってもなかなかにしんどい局面である。

 

「ま、そうは問屋が卸さんさ。照明弾の在庫は十分だな?」

 

「もちろんです」

 

「よろしい。エムズハーフェン軍の皆様に、ガレア式の夜会の作法を教育して差し上げよう」

 

 ニヤリと笑って、僕はそう宣言した。……まあ、実際のところ当の僕には夜会に参加した経験などほとんどなかったりするがな!



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第484話 くっころ男騎士と望まぬ再会

 敵軍が我々の眼前に現れたのは、薄暮の頃のことだった。すっかり地平線の下へと隠れた太陽の残光で微かに浮かび上がった敵の陣容は、報告で受けた以上の大軍に見える。士官たちが命令を下す声、兵士たちのざわめき、馬のいななきなどが、夜風に乗ってこちらの陣地にまで届いてきていた。戦いが始まる直前の張り詰めた弓のような雰囲気が、否が応でも緊張感を高めていく。

 ところが、敵はリッペ市から二~三キロほど離れた街道上に布陣したまま、なかなか攻撃を仕掛けてこなかった。両軍にらみ合いの構図のまま、時間ばかりが過ぎていく。正直言ってかなり焦れた気分になるが、こちらは守勢側である以上どうしようもない。攻撃をいつ開始するかというのは、攻勢側が決めることなのだ。

 いやまあ、騎兵などを使えば、こちらから先制攻撃というのも不可能ではないがね。とはいえ、そんなことをしても大した意味はない。なにしろ敵はこちらの三倍近い戦力を有しているのだ。これに対し防御陣地を捨てて夜戦を挑むほど僕は蛮勇ではない。

 

「城伯殿、敵軍より軍使が参りました」

 

 とにもかくにも、"待つ"というのは兵隊の最も基本的な仕事の一つである。ヒリつく精神をなだめながら戦闘計画の再確認をしていた僕の元に、通信兵がそんな報告を上げてきた。この世界の戦争において、戦端を開く直前に相手へ軍使を送るというのはよくあることだ。特に驚きもせず、僕は頷いた。

 

「ン、わかった。会いに行こう。軍使殿はどちらに?」

 

「塹壕の前線指揮所で待機してもらっています」

 

 軍使とはいえ、敵には違いあるまい。指揮本部にまで連れてくるのは避けた方がいいだろうな。塹壕線の内側では、いろいろ仕込み作業もやってるし。余計な情報までお持ち帰りされたら困る。そこまで考えて、僕は椅子から立ち上がって言った。

 

「ここまで御足労願うのも申し訳ない、僕の方から会いに行こう」

 

 そういうことで、僕は後方(とはいっても街の防壁の外側ではあるが)の指揮本部から、塹壕線の中に築かれた前線指揮所へと移動した。我々が指揮本部を構えているのは防壁の壁際だが、ここから塹壕戦までは五百メートルほどの距離がある。直線距離としては大して離れていないのだが、前線と指揮本部の間の連絡道は爆風対策のためにジグザグに掘られていた。なんとも煩わしいが、これを怠ると塹壕の防御力は劇的に低下してしまう。致し方のないことだった。

 

「軍使殿、お待たせし……げぇ!」

 

 そうして前線指揮所にやってきた僕は、軍使の姿を見たとたんに紳士らしからぬ声を上げてしまった。なにしろ軍使殿は、ひどく特徴的な風体をしていた。闇夜に溶け込むような漆黒の甲冑に、同色の兜。フルフェイスの面頬のせいでその顔はうかがえないが、周囲の兵士や騎士たちと比べても明らかに頭一つ以上背が高い。……このような怪しい風体の人物に、僕は見覚えがあった。

 

「やあ、久しぶりだなアルベール! 壮健そうでなによりだ!」

 

 僕の発言はかなり失礼だったが、黒騎士殿は気にした様子もなく椅子から立ち上がり両手を広げてフレンドリーな言葉をかけてきた。その声にもまた、聞き覚えがある。ちょうど一年前のリースベン戦争の時に、我々と矛を交えた傭兵団の団長クロウンだ。そしてそのクロウンというのは、世を憚る仮の姿。その正体は、神聖オルト帝国の先代皇帝アレクシア・フォン・リヒトホーフェン陛下である。

 よくよく見れば、彼女の傍に侍っている甲冑姿の騎士たちの中にも、なんだか見覚えのある者たちが混ざっている。こいつらもまた、クロウン傭兵団の一員だった連中だ。もちろん先代皇帝に仕えているだけあって、単なる傭兵などではない。我が国の近衛に勝るとも劣らない手練れの護衛騎士たちだ。

 これは予想外だ。だいぶ予想外だ。なんで先帝陛下がこんなところに居るんだよ。ツッコミを入れたい心地になったが、よく考えればこの人と出会ったのは今回の戦争よりもはるかにショボい辺境領主同士の地域紛争の時である。その尋常ならざる軽さのフットワークを思えば、どこに現れたところで不思議なことは何もない。

 とはいえ、よもやよもやの邂逅である。僕がゲンナリしていると、事情を察したソニアが無言で僕を守るように前に出た。アレクシア……もとい、アーちゃんには僕を手籠めにしようとした前科がある。僕の守護者を自認するソニアにとっては宿敵のような手合いだ。でもこの守護者僕を盗撮してたんだよなぁ……。

 

「ど、どうも……その恰好をしているってことは、クロウン殿とお呼びしたほうがよろしいので?」

 

 クロウン傭兵団がこの戦いに参戦したとなると、だいぶ厄介なことになってきたぞ。この傭兵団は大国の先代皇帝肝入りの組織だけあって全体的な練度は極めて高いし、その上たった一人で戦術級魔法をぶっ放すチートな男魔術師ニコラウスくんも在籍している。彼の魔法は重砲なみの威力があり、ちょっとした塹壕などは一瞬で消し飛ばしてしまう。この盤面で一番遭遇したくない相手の一人があの男魔術師なのだが……。

 

「アーちゃんでいいぞ。エムズハーフェン選帝侯にはもう正体はバレているしな」

 

 バレてんのかよ。……いや、バレて当然か。相手は選帝侯だし、当然先代皇帝とも面識はあるだろう。甲冑を着込んだくらいで正体を隠せるはずがない。じゃあなんでそんな怪しげな格好のままなんだよ。今日日黒騎士なんか流行らないぞ。最近の流行は精緻な彫金を施した豪奢な甲冑だ。

 

「お知り合いで?」

 

 指揮所の端っこで煙草を吸っていたペルグラン氏が、片方の眉を上げながら聞いてきた。彼女はこの指揮所のトップなのだ。煮ても焼いても食えない騎士隊の代表者などを任されているだけあって、彼女の指揮能力はそれなりに高い。有能な士官を遊ばせている余裕はないので、半ば強引に前線指揮官のポストを与えていた。

 

「ああ、お"尻"あいだね」

 

 くすくすと笑いながら、アーちゃんはそう答える。尻、という風に聞こえたのは勘違いではないだろう。僕は以前彼女の尻を公衆の面前でブッ叩いた前科がある。そのせいで獅子獣人の発情スイッチを押してしまい、大変なことになってしまった。思い出したくない過去である。

 

「あ、そう。お顔の広い事で……」

 

 ペルグラン氏も、この怪しい黒騎士が只者ではないことに気付いているのだろう。肩をすくめながら、皮肉げな声音でそう言った。

 

「で……アーちゃん。今回は、一体どういうご要件で?」

 

 ソニアを抑え、アーちゃんの前に歩み寄りながら僕は聞いた。そして、周囲に聞こえないような小さな声で彼女に囁きかける。

 

「手打ちとか八百長のお誘いなら、一考の余地ありですが」

 

 別に、僕だって好き好んでエムズハーフェン軍と殴り合っているわけではない。王家に尻を叩かれて仕方なく進軍し、その先にいたエムズハーフェン選帝侯とこれまた仕方なく干戈を交えているだけだ。適当なところで手打ちにできるのならば、こんな有難いことはない。

 

「残念ながらそれはムリだ」

 

 ところが、アーちゃんから返ってきた答えはなんとも厳しいものだった。

 

「エムズハーフェン選帝侯にも立場というものがある。街一つを奪われ、自慢の艦隊をも傷つけられたのだ。何もせず矛を収めることはできない」

 

「ああ……」

 

 僕は深いため息をついた。ま、そりゃそうだよね。貴族にとってメンツは何よりも大切なものの一つだ。一発殴られた以上、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。今さらなぁなぁにしようとしてもそうはいかないなどというのは、考えるまでもなく当然のことだ……やっぱり、攻め込む前に八百長の申し込みとかしておいた方が良かったのかな? でも、そんな工作があの政治将校モドキ(モラクス氏)に露見したら大事になるしなぁ……。

 

「まあ、そういう訳で、こちらは退く気などさらさらない。今回我がやってきたのも、降伏勧告のためだ。一応聞いておくが、降伏に応じる気はあるかね? その場合、寛大な措置を約束すると選帝侯は言っていたが」

 

 こちらの答えなどわかり切っているのだろう。大変にやる気のなさそうな声でアーちゃんは言った。

 

クソくらえ(Nuts)! とお応えしておこう」

 

 僕の返答は端的だった。なにしろこちらは負ける気などさらさらない。降伏などあり得ないことだ。アーちゃんのほうもこれは予想済みだったようで、ニヤッと笑って頷いてくれた。戦闘前の降伏勧告はいわば儀式のようなものだ。本当に受諾する者など、そうはいない。

 まあ、ここまでは予定調和のようなもの。本題はこれからだ。こんなわかり切ったやり取りをするために、先帝陛下がわざわざ前線にやってくるはずもない。たぶん、それなりの用事があるのだろう。アーちゃんはかなりアレな女だが、だからこそ厄介な手合いなのである。正直、彼女の酔狂には付き合いたくないのだが……さあて、困ったぞ。



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第485話 くっころ男騎士と手紙

 父上が聞いたら顔面蒼白になるであろうほどの汚い言葉遣いでアーちゃんからの降伏勧告を蹴った僕だったが、彼女は顔色も変えずに僕の発言を受け止めた。ニヤリと笑ったアーちゃんは、肩をすくめながら頷いて見せる。

 

「相変わらずだな、貴様は。流石は我が惚れた男だ。……承知した、選帝侯にはそのままの言葉で伝えておこう」

 

「お願いします。……ん? 選帝侯に? え、こっちに来てるんですか、選帝侯閣下が」

 

 聞き捨てならない言葉だな。前線に出ている要人はアーちゃんだけではないということだろうか? いやまあ、確かに先帝陛下を参戦させておきながら、一応はその臣下である(厳密にいうとちょっと違うのだが)選帝侯がのうのうと後方で待機しているわけにもいかないだろうが。

 

「ああ。リッペ市救援軍の指揮官は選帝侯本人だ。彼女は自分の知略に自信を持っている。あの(・・)ブロンダン卿を倒せるのは私だけだと息巻いて、直接対決に出たわけだな」

 

「ふぅん」

 

 ふーん。へぇ。ふぅぅぅぅーん? つまり、この戦場にはエムズハーフェン選帝侯と先代皇帝の両名が参加してるってことか。ふーん? いい事聞いちゃった。

 

「言葉による解決が不可能になった以上、決着は剣でつけるほかありません。次は戦場でお会いしましょう」

 

 とにかく、この女の参戦が明らかになった以上は、作戦に修正が必要だ。ここはさっさとお引き取りを願い、迎撃の準備を整えよう。僕はそう考え、アーちゃんらを追い出そうとした。ところが、当の本人は慌てた様子でぐいと身を乗り出してくる。

 

「わあっ、待て待て。そう慌てるな。一年ぶりの再会なんだぞ? もっとこう……何かあるだろう!」

 

「ねぇよそんなもん」

 

 別にアーちゃんのことが嫌いなわけではないが、ここは戦場で彼女らは敵である。敵を相手に近況報告などで和気あいあいとする習慣を僕は持ち合わせていない。僕はきっぱりと彼女を拒否した。それに、今の僕は既に婚約者のいる身。こんなアピールの激しい女と一緒に居たら浮気を疑われてしまうかもしれない。

 ……あー、いや、ワンチャンありかもしれないぞ? エムズハーフェン選帝侯も、こっちにアーちゃんがいるうちは攻撃を仕掛けられないだろうしな。もてなしと称して時間を稼ぐのは悪くない作戦かも。結局のところ、こっちはリュパン軍が敵軍を打ち破って救援に来るまで持ちこたえればそれで勝ちだし。盤外戦術による時間稼ぎは割と悪くない選択肢かもしれんぞ。

 

「いけません、クロウン様。エムズハーフェン閣下に降伏勧告が終わったらすぐに戻ってくるようあれほど念押しされていたではありませんか。ノンビリしていたらまた叱られてしまいますよ」

 

 などと思っていたら、当のアーちゃんが部下にいさめられてしまった。"また"叱られるってなんだよ、他にも叱られるようなことをしたのか? ……やってそうだなぁ。たとえば、腹心の勧誘とか。アーちゃんは性格が悪いわけでも頭が悪いわけでもないのだが、とにかくマイペースだし空気が読めない。こういう上司を持つと、部下は大変だろうね。

 

「むぅ……」

 

 アーちゃんはひどく不満そうな声を上げた。フルフェイスの兜のせいでその顔は見えないが、ほっぺたを膨らませているような気配がある。

 

「部下を困らせるんじゃない。さっさと帰れ、発情猫!」

 

 そこへ口を出したのが我が副官ソニアだ。彼女はアーちゃんが僕を押し倒したり夜這い未遂をしたり(実は夜這いではなく謝罪を受けていただけだが)した一件のことをまだ根に持っているのである。

 

「貴様はいちいちあたりが強いなぁ! 我が何をやったというんだ」

 

「アル様を押し倒しておいてよく言う! 聞いているとは思うが、アル様はすでにわたしの婚約者だ! 今やわたしは大手を振って未来の夫にコナをかける悪党を排除することができる。我が剣の錆になりたくなければさっさと失せることだ」

 

 噛みつかんばかりの剣幕でソニアが叫んだ。しかし、もちろん相手はあのアーちゃん。全く怯んだ様子もなく胸を張って彼女の言葉を受け止めた。まさに竜虎相搏つという言葉そのままの様子である。まあ、アーちゃんは獅子獣人であって虎獣人ではないが。

 

「ああ、それは聞いてるよ。……なので、ネトラレ系の(エロ)本をたくさん読んで勉強してきたぞ! 寝取られる方の役も寝取るほうの役もバッチリこなせる自信がある! あ、輪姦系のも読んだぞ! 複数プレイも可だ! 我はなんでもイケる! 任せておけ!」

 

「喧嘩売ってるのか貴様ぁ!! シバくぞ!!」

 

 一応は公式の場でとんでもない発言すんなや。そんな気持ちを込めてアーちゃんをジト目でながめていると、それに気づいたお供の騎士が主君の肩を叩く。

 

「クロウン様、意中の男性の前で(エロ)本がどうとかおっしゃるのは流石にマズイですよ……!」

 

「あっ……アッ!」

 

 アーちゃんははっとした様子で、僕の方を見た。

 

「あっ、ああーっ……うわわーっ!」

 

 あげく、頭を抱えて奇妙なうめき声を上げ始める。なんだこいつは。

 

「い、いや。違う! 違うんだ! これは……そう、冗談! 冗談なのだ! 久しぶりに友人に会ったものだから、つい調子に乗ってしまった! 我は(エロ)本とか読んでないからな! そんなの全然興味ないからな!」

 

「アッハイ、わかりました」

 

 アーちゃんがエロ本を読んでいようがいまいがどうでも良い話である。僕はしらーっとした顔で頷いた。まあ、実際のところエロ本くらい好きなだけ読めばいいと思うしな。生理的なものだし、仕方ないだろ。むしろ、エロ本くらいで我慢してるだけ偉いよ。僕の幼馴染の騎士なんか、僕から借りた金で娼館通いとかしてたし。あいつよりはだいぶマシだ。

 ……まあ、そいつは借りた金も返さずに戦死してしまったが。思えば、そろそろ彼女の命日が近づいている。当日に墓参りをするのは難しそうだが、せめて黙祷くらいはしてやろう。ちゃんとしたお参りは、このくだらない戦争が終わってからだ。

 

「クロウン様、仕事は終わったのですから早く戻りましょうよ。このままでは墓穴を掘るばかりですよ」

 

 呆れた様子で、お供の騎士が忠告する。アーちゃんはぐぬぬと唸り、ため息をついた。

 

「致し方あるまい。今日のところはこれで退散しよう。……ああ、そうだ。副官、例のものを」

 

 彼女はそう言って、副官から何かを受け取った。おしゃれなデザインの封筒だ。彼女はそれを僕に押し付けてくる。

 

「ニコラウスくんからだ」

 

「ああ、どうも……」

 

 これから戦う敵の手紙など受け取りたくないが、まあ致し方あるまい。不承不承、貰っておく。しかし、ニコラウス君からの手紙ね。内容が気になるな。正直、僕としてはアーちゃんよりも彼のほうが厄介なように思えてしまう。何しろ彼は魔術師としては破格の能力を持っているし、男性の権利拡大運動などという活動にも手を出している。いろんな意味でお近づきになりたくない手合いだった。

 

「そういえば、彼の姿が見えませんが。本陣のほうにおられるのですか?」

 

 ちょうどいい機会だ、彼の所在を聞いておこう。あのチート魔術師の動き一つで、こちらの取る戦術はだいぶ変わってくる。夜闇に紛れてこっそりと塹壕線に接近し、こちらのウィークポイントに戦略級魔法で一撃……などということになったら大事だ。

 

「いいや。どうも、彼は君とは戦いたくないようでね。妹のほうに預けてきた。今頃は、レーヌ市を巡る戦いの方に参加しているだろう」

 

「あー、なるほど。ありがとうございます」

 

 うわあ、いやな所に居るなぁニコラウス君。レーヌ市のほうの戦線って、うちの殿下がいるんだけど。ニコラウス君への警戒をしなくて良いというのは朗報だが、それはそれとしてヤな感じ。大丈夫かね、向こうの戦線は。

 しっかしニコラウス君、やっぱりまだ従軍してんのね。リースベン戦争で足を吹き飛ばされたというのに、まったく根性が入っていることだ。手紙による近況報告では、義足を使ってなんとか一人で歩けるようになったという話だが、そんな状態でよくも戦場に出ようと思ったものだ。敵ながら感心しちゃうね。

 

「じゃ、確かに手紙は頂きましたので……そろそろ指揮本部の方に戻りますね」

 

 そうこうしている間にも、お付きの騎士がチラチラこちらを見て早く話を終わらせろとアピールしてくる。別にそれに従う義理も無いのだが、アーちゃんと話をしているとなんだか疲れるのも事実だからな。さっさとお引き取り願おうと、僕はそう提案した。

 

「あっちょっと待ってくれ!」

 

 ところが、アーちゃんの方はまだ話を続けたい様子だった。慌てた様子で手をブンブンと振った。またかよ、めっちゃ引き留めてくるじゃん。

 

「その前に、あの小舟を操っていた部隊について話が聞きたい。船の操りようも、戦いぶりも、素晴らしいものだった。彼女らは何者だ? うわさのエルフ部隊か? あの妙な火炎兵器はいったい……」

 

 うわっ、アーちゃんの悪い癖が出たぞ。コイツ、エルフどもを勧誘するつもりだ。僕は思わず顔をしかめそうになった。ウチの中核戦力に引き抜きをかけられてはたまらない、さっさと話を切り上げよう。

 

「申し訳ありませんが、ノーコメントで。戦いの前に手の内を晒す愚を犯すわけには参りません」

 

 僕はピシャリとそう言った。エルフどもは飯で釣れちゃうからなぁ。引き抜きの際には結構な好条件を出すアーちゃんとは相性が悪いかもしれん。もちろんエルフらを信用していない訳ではないが、万が一ということもあるからな。エルフどもともう一度戦うなんて御免なので、彼女らの心を揺らすような真似は極力避けたいんだよな……。



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第486話 くっころ男騎士と敵の思惑

 その後もアーちゃんは何かにつけて話を長引かせようとしたが、最後には部下たちに引きずられるようにして敵陣に戻っていった。まだ戦いも始まっていないというのにどっと疲れた心地になりつつ、僕も指揮本部へと帰る。

 アーちゃん、何かにつけて人を勧誘しようとするけど、こういうところを見てると『コイツの部下にはなりたくねぇなぁ……』という感想しか湧いてこないんだよな。まあ、僕だって人の上に立つ立場なのは同じなのでぜんぜん他人事ではないのだが。ああいう風にはならないよう、気を付けておこう。他山の石という奴だ。

 

「なるほどなぁ……」

 

 指揮本部へ戻って早々、僕はニコラウス君からの手紙を開封した。軍使であるアーちゃんが帰還した以上、敵軍はすぐにでも作戦を開始するだろう。本当ならば悠長に手紙を読んでいるヒマなど無いのだが、差出人がニコラウス君となれば話は別だ。なにしろ彼は切り札(ジョーカー)級の凄腕魔術師であり、その動向ひとつでこちらの作戦も左右されてしまうからな。

 

「いかがでしたか? 内容の方は」

 

 指揮卓に乗った地図を見てあれこれ思案していたソニアが、僕の方を見て聞いてくる。やはり、彼女としてもニコラウス君の所在は気になるのだろう。リースベン戦争で彼が放った戦術級魔法の威力は、一年たった今でも我々の脳裏に焼き付いている。くしくも、今回の戦いはあの時と同じ塹壕線を用いた防衛戦だ。否が応でも、あの重砲めいた魔法への警戒感は高まってくる。

 

「ニコラウス君いわく、この戦争は所属組織の都合であって、お互いの本意ではないことは理解している。できるだけリースベンに不利益を与えぬよう立ち回るので、水面下での協力は継続してもらいたい……だ、そうだ」

 

「水面下での協力?」

 

「要するにカネだよ。僕はちょくちょく彼に資金援助をしてたからな、今後もそれを続けてほしいってコト」

 

 ま、送金してたといっても、その原資の大半がアーちゃんが一方的に貢いできたカネだけどな。あの獅子女は、要らんと言っているのに一方的に金を送り付け続けているのである。敵国の大幹部から金を受け取っていることが表沙汰になったら僕の立場がヤバイので、もらった分はそのままニコラウス君に送り返している。

 

「ああ、なるほど……つまり、少なくともこの戦いでは彼が参戦してくる可能性は少ないと」

 

 ホッとした様子で、ソニアはため息をついた。正直、僕としても同感である。人間一人分の身軽さで動き回る重砲相当のユニットなど、相対する指揮官からすれば悪夢以外の何者でもない。戦わずに済むというのであればこんな有難いことはないだろ。

 

「まあ、アーちゃんにしろニコラウス君にしろ敵には違いないからな。その発言を真に受けすぎるのは危険だが……少なくとも、警戒レベルを一つ下げるくらいはしていいだろう」

 

 もちろん、この手紙が我々に対する偽装工作であるという可能性は排除できないけどな。敵の言うことを一から十まで信じられるほど、僕はお人よしではない。なんなら味方すら信用しきれない段に、いわんや敵の言うことにどれほどの真が含まれているのやら。そういう訳で、ニコラウス君への対策を怠る訳にはいかん。

 とはいえ、実際のところニコラウス君がどういう人間なのかはある程度理解しているつもりだ。彼は理念を優先して動くタイプで、必要ならば上司であるアーちゃんに対して魔法をぶっ放すことも躊躇しない。そして、彼の本願は男性の権利拡大だ。そういう面で言えば、彼にとって僕の存在はそれなりに都合が良い。直接対決を避けようとする彼の動きにはそれなりの合理性がある。

 

「そうなると、やはりアレクシアの言った通り彼はレーヌ市の方の戦線にいるわけですか」

 

「その可能性は高いだろうな」

 

 それはそれで、不安を覚える状況ではあるが。我が国の王太子殿下相手にあの威力の魔法がぶっ放されたらシャレにならん。まあもちろん戦術級魔法は彼だけの専売特許ではなく、王侯お抱えの宮廷魔術師が複数人いれば行使できる程度の技術ではある。だから、大軍同士がカチ合う際はそれなりの対策は施しておくものだが……。

 

「ま、ヤキモキしたところで状況が改善するわけでも無し。一応殿下の方に警告の手紙は出しておいて、あとはこちらの仕事に集中しよう」

 

 ニコラウス君抜きでも、こちらの状況はそれなりに厳しい。エムズハーフェン選帝侯単独でもそれなりに厄介なのに、それに加えてアーちゃんまでもが敵に回ってしまったのだ。彼女の率いるクロウン傭兵団は数こそ少ないが戦力としての質は極めて高いし、何よりアーちゃん本人がリースベン戦争を通してある程度こちらの手のうちを理解してしまっている。この点が大変に厄介だ。

 こちらの優位性は、前世の知識由来の先進的な用兵術や兵器に担保されている。この一方的な知識の差が我々の連戦連勝の手品の種であって、そこが割れてしまうと効果は半減してしまう。下手をすれば、逆手に取られてこちらが罠にはめられてしまう可能性があった。正直、かなり困っている。

 

「そうですね。……ところでアル様、手紙に書かれていたのはそれだけですか? 資金援助の継続を打診してきたのなら、その手土産代わりに他に何かしら有用な情報などがあっても良いのでは。たとえば、あの発情猫の思惑とか」

 

「……鋭いねぇ」

 

 僕はため息をついた。確かに、手紙にはアーちゃんの狙いについての情報もあった。ただ、少しばかり刺激的な内容なので、ソニアには黙っているつもりだったのだが。しかし、この様子であればむしろ下手な隠し立ては悪手だろう。正直に白状するほかないか。

 

「どうやら、アーちゃんはこの戦いで僕を"お持ち帰り"する腹積もりらしい。前回と言い、本当にくだらない理由で戦場を引っ掻き回すのが好きだね、あの人は

 

 再会した時はあのような態度だったアーちゃんだが、ニコラウス君いわく僕が婚約したと聞いた時は少しばかり動揺していたらしい。で、出した結論が略奪婚だ。まったく、相変わらず野蛮極まりない女である。まあでも、よくよく考えれば彼女は抵抗する相手を無理やりに組み伏せるのが大好きな生来のサディストだ。略奪婚などというシチュエーションは大変に燃えることだろう。だからといって、国家の一大事にそんな私情でウロチョロするのはどうかと思うが。

 でもたぶん、アーちゃんが狙ってるのは僕だけじゃないと思うんだよな。彼女は婿だけではなく有能な部下も欲しがっている。僕を回収していくついでに、ソニアをはじめとした僕の部下たちまでまとめて寝返らせるつもりではなかろうか? あのよくわからんエロ本発言は、そのあたりの狙いから来た発言なのではないかと疑っているのだが……。

 

「やはりですか」

 

 ひどく冷たい声で、ソニアは答えた。しかし声音とは裏腹に、彼女の目には熱い炎が宿っている。

 

「しかし、このわたしがいる限りはそうはさせません。二度とそのような不埒な行いができぬよう、このわたしが懲罰いたしましょう。アル様はご安心を」

 

「……ありがとね」

 

 やっぱり、そういう反応になるか。だから、この情報は隠しておきたかったんだけどね。相手が戦略・戦術的に合理性のない目的に沿って動いているのなら、そこに付け入るスキが生まれるものだ。わざわざ真っ向勝負でそれに付き合ってやる理由はない。まぁ、ソニアの気持ちも理解できなくはないし、まったく嬉しくないといえば嘘になるけどね。でも、それはそれこれはこれ。戦争は合理的にやるもんだ、余計なことをやったり考えたりするべきじゃないと思う。

 

「ま、アーちゃんが厄介といっても手勢はそれほど多くない。やはり、問題はエムズハーフェン選帝侯だよ。まずはあの人を何とかしなくちゃ」

 

 そう言って、僕は視線をソニアから逸らした。そろそろ、敵が行動を開始する頃あいだ。近いうちに前線の監視哨から接敵の報告が入ってくるだろう。とりあえずはその対処と対策に集中せねば……。



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第487話 くっころ男騎士と夜戦開始

 そうこうしているうちに、いよいよ敵の攻撃が始まった。エムズハーフェン軍は塹壕線を包囲するように部隊を展開し、全方位から圧力をかけて来る。対する我々は照明弾を打ち上げ、即席弩兵隊に弾幕を張らせることでそれに対抗した。

 即席弩兵隊は、鹵獲品のクロスボウを配布された騎士隊の雑兵たちが主力だ。マトモな訓練などしていない者ばかりだから、射撃の精度などひどいものだし再装填の手際も悪い。だが、それで十分だ。塹壕の中に射撃兵科がいるというだけで、けん制効果は十分にある。

 実際、クロスボウの猛射撃を浴びた敵部隊は前進する足を止めた。なにしろクロスボウは弓と違って射手に威力が左右されないのだ。たとえまぐれでも、命中すればタダでは済まない。例外は魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいる場合だが、もちろん普通の雑兵はそのような高価な装備は持ち合わせていない。結局、矢玉から逃れるには十分に距離を取るか置き盾などの遮蔽物に隠れるしかない。

 

「打ち返せ! クロスボウの扱いでは我らの方がはるかに上手であることを教育してやるんだ!」

 

 とはいえ、もちろん敵軍も一方的に射撃を浴びるばかりではなかった。彼女らも我々と同じように弩兵隊を展開し、矢玉を打ち返してくる。しかも、この数が尋常ではない。一発撃ったら二、三発は返ってくるような次第で、前線に出ている弩兵だけでもこちらの倍以上いるのは確実だった。これにくわえておそらく後方には予備隊も控えているのだからたまらない。エムズハーフェン軍はいったいどれほどの弩兵を有しているのかと、呆れた心地になってしまった。

 

「高価なクロスボウをこれほどの揃えるとは。金貨の入った袋で直接ブン殴られている気分だ」

 

 とは前線指揮官のペルグラン氏の談である。まったくもって同感だが、リースベン軍(ウチ)だって一般歩兵全員にライフルを配備するような真似をしているのであまり人のことは言えない。僕は曖昧な笑みを浮かべて言葉を濁した。金満具合で言えばエムズハーフェン選帝侯よりも僕の嫁さんであるアデライドのほうが上かもしれん。

 

「この街の守備隊だけでも百張りあまりのクロスボウを持っていた。それに加えてこれだけの弩兵だ。選帝侯閣下のクロスボウ保有数は尋常ではないな」

 

 選帝侯が保有しているすべてのクロスボウを集めたら、弩兵だけで一個大隊くらい編成できるのではないだろうか。たしかに、豪勢なカネの使い方ではある。僕は苦笑した。

 

「選帝侯領には、クロスボウを特産品としている街があるそうです。おそらく、そこから安く買い付けているのでしょう」

 

「なるほどな」

 

 ソニアの解説に、僕は頷いた。彼女は絶えず敵味方の貴族についての情報を収集している。この手の説明ならばカンニングペーパーも見ずにスラスラと応えることができた。参謀の鑑だな。

 

「……しかし、まあ所詮はクロスボウ。いくら数があっても、塹壕に隠れている限りはそれほど怖くはない」

 

 弩兵の兵力差は圧倒的だが、優位なのはむしろこちらの方だった。我が方の弩兵が塹壕の中で安全に再装填できる一方、敵の弩兵は全身を暴露した状態でえっちらおっちら再装填せねばならない。この差は歴然で、こちらの陣地からは被害報告はほとんど上がらない一方、敵弩兵隊のほうからはちょくちょく悲鳴のような声が響いてくる。

 ついでに言えば、夜戦という環境もこの優位に一役買っていた。我々は敵の頭上に照明弾を打ち上げ、しっかりと敵兵を目視して射撃することができる。一方、敵は照明弾の残光と僅かな月の光を頼りに、薄暗い塹壕に隠れた我が方の敵を狙わなくてはならない。これでは圧倒的に不利だ。

 しかし、いやはや。にわか作りの即席弩兵隊が、エムズハーフェン選帝侯じまんの弩兵隊を相手に回して優位に立っているぞ。状況ありきとはいえ、この光景はなかなかに痛快だ。ま、我々は指揮壕という名の穴倉に籠っているのでその様子を目視することはできんのだが。

 

「敵前衛、塹壕線に接触しました」

 

 とはいえ、あまりふんぞり返ってばかりもいられない。こちらの弩兵の射撃が敵弩兵隊に集中したことにより、歩兵の前進が再開してしまった。通信兵の報告に、僕は無言で頷いた。塹壕線各所には有線式電信機が設置されており、そこからもたらされる情報は指揮本部で一括管理するようになっている。

 しかし、もう敵の白兵部隊との交戦が始まったのか。やはり、鹵獲クロスボウで水増ししたとはいえこの程度の射撃戦力では敵の完全な足止めなど不可能だということだな。敵の前進を完全に阻止したいなら、機関銃は必須だ。機関銃どころか連発銃(まあリボルバーはあるが所詮は拳銃だ)すら手元にない状況では、戦闘の主軸は鉄条網を挟んだ攻防にならざるを得ない。

 

「アリ虫人隊と騎士隊が迎撃中です。両部隊の隊長によれば、現状突破される心配はなし、とのことです」

 

「了解」

 

 まあ、鉄条網の隙間から槍でツンツンしているだけでも、十分な防御力はあるんだけどな。特に、この手の戦闘ではアリンコ隊が強い。通常の野戦でも十分に強力な彼女らの防御力は、塹壕に籠ることでさらに磨きがかかる。アリンコ隊がブロックしている限り、普通の歩兵部隊では手も足も出ないだろう。

 

「そろそろ山砲隊に支援射撃を要請してもより頃合いだと思いますが、いかがしましょう」

 

 ソニアの問いに、僕は少し思案した。本来ならば敵の前進を粉砕すべく真っ先に射撃を開始するであろう我らが砲兵隊は、いまだに沈黙を保っている。僕がそれを禁じているからだった。

 なぜかと言えば簡単で、手持ちの弾薬が乏しいからだ。正確に言えば弾はあるのだが、それを発射するための装薬が足りない。例の即席機雷作戦のせいだ。ただでさえ乏しい火薬の在庫をそちらに回してしまったため、現状の我々の弾薬備蓄は少々不安を覚えるほどまでに減少してしまっている。

 そういうわけで、むやみやたらな射撃は厳に慎まねばならない状況なのだった。僕としては弾薬をケチるような戦い方はまったくもって趣味ではないのだが、無い袖は振れない以上致し方がない。むろん弾薬がまったく払底してしまった、というわけではないのだが、コイツはいざという時のために取っておく必要があるからな。今は我慢だ。

 

「雑兵を蹴散らす程度ならば弩兵隊で十分だろう。山砲隊にはもうしばらく待てと伝えておけ」

 

 苦いものを噛み締めながら、僕はそう言った。はっきり言って、気分はよろしくない。火力戦の本質は、人命の代わりに鉄と火薬を使うという部分にある。つまり、弾薬をケチるということは人命の浪費を容認するということだ。正直かなりイヤーな感じ。でもなぁ、市街地戦を避けるためにはあそこで機雷を大量投入するほかなかったんだよなぁ。むぅーん。

 そんなことを考えながら、ニ十分ほど指揮をつづけた。状況はまったくもって代わり映えがない。彼我の弩兵隊は相変わらず熾烈な射撃戦を続けているし、敵歩兵はその間隙をぬって塹壕線への攻撃を続けている。変わったことと言えば、適度兵隊が置き盾を用意してそこに隠れながら射撃をし始めたくらいだ。東部戦線異状なし、そういう感じ。まあまだ戦闘が始まってから一時間も立ってないけど。

 

「ふぅむ」

 

 戦況に変化がなくとも、これだけの時間があれば敵の思惑が見えてくる。僕は地図上に配置された駒を見ながら、小さく唸った。

 

「思った以上に敵の圧力が低い。我が方と接触している部隊の規模から考えても、前線に展開している敵の兵力はごく一部だな」

 

 僕の言葉にソニアは頷いた。敵は我々の二、三倍の兵力を持っている。やろうと思えば、もっと分厚い戦力展開をして我々の防衛線に強力な圧力をかけることだって出来るはずだ。しかし、相手はそれをせず薄く展開した部隊で漫然とした攻撃を繰り返すばかり。違和感を覚えるなという方が無理がある。

 

「時間稼ぎ、あるいは陽動を意識した動きに見えますね。……もしや、前線に展開している部隊は囮。本命は船団の方に戻り、再び港側からの揚陸作戦を目論んでいるのでは?」

 

「ならいいんだけどね」

 

 たしかに背後からの攻撃は怖いが、相手の本命が揚陸部隊ならばむしろ逆襲のチャンスだ。この作戦を取った場合、敵は戦力を分散せざるを得ないからな。まずは弱体な囮部隊を叩き、その後で揚陸部隊を叩けばよい。各個撃破はそれほど難しいものではないだろう。

 

「でも、あのアーちゃんとエムズハーフェン選帝侯閣下が揃ってるのに、そんな隙の大きな作戦に出るかな?」

 

「……可能性は低そうですね」

 

 僕とソニアは揃ってため息をついた。アーちゃんの指揮官としての手管は知っている。果敢ではあっても無意味な綱渡りはしない。猛将というよりは、勇将。そういうタイプだ。一方、選帝侯のほうはさらに手堅い雰囲気がある。こちらはどちらかと言えば知将タイプだろう。この二人がトップに立っている以上、敵軍が露骨な失策をするとは考えづらい。

 

「だとすれば、敵軍の目的は……」

 

「こちらの消耗、かな」

 

 敵は潤沢な兵力を持っている。おそらく前線に展開している部隊以外は後方で休息をとっているのだろう。この前線部隊は、ある程度の時間が立ったらいったん後退して後詰の部隊と交代するものと思われる。こうすれば、兵士たちを温存しつつこちらに嫌がらせを続けられるという寸法だ。

 一方、我々の方は兵力に余裕がないので交代で休むにしても限度がある。夜通しこのような嫌がらせ攻撃を受け続ければ、ほとんどのものが睡眠不足に陥ってしまうだろう。そうしてこちらが消耗したところで、本命の部隊を投入して一気に制圧。それが選帝侯の描いている絵図ではなかろうか。

 

「一見堅実に見えてなかなか難しい作戦だ。選帝侯閣下としては出来るだけ我々に嫌がらせをしてこちらの力を削ぎたいだろうが、あまりモタモタしているとリュパン軍の救援が間に合ってしまう。攻撃のタイミングはかなりシビアだぞ」

 

「そこまでしてでも、絶対にアル様を仕留めたいのでしょう。警戒されていますね」

 

 その言葉に、僕は何とも言えない表情で肩をすくめた。焦って力攻めを仕掛けてくるような相手ならば、話は簡単なのだろうが。だが、選帝侯はわざわざ難易度の高い作戦を選択してまでこちらの首を狙ってくるようなお方だ。油断も判断ミスも期待できないような気がする。まったく、困ったもんだね。

 

「とにかく、しばらくは我慢比べだ。出来るだけ消耗しないよう、力をセーブして戦おう。弾薬や照明弾も節約しなきゃな」

 

 こんなケチくさい戦い方は、僕の趣味ではないのだが。しかも、省エネモードで戦うということはそれだけ戦闘力も下がるということだ。今のような漫然とした戦闘ならばそれでも対処できるが、いざ本格的な戦闘となった時に対処が遅れればそのままズルズルと負けてしまう。反撃に移るタイミングを見極める必要があるな。

 こうしてみると、彼我ともにシビアなタイミングに縛られた作戦だな、コイツは。敵方の攻勢が遅れてリュパン団長が間に合うというのが一番ラクなルートだが、たぶんそう上手くはいかないだろうな。ここはひとつ、保険をかけておこう。幸いにも、布石は既に打ってある。後で工兵隊に進捗を確認しておこうかな。

 

 

◇◇◇アトガキ◇◇◇

参考までに戦況図を乗せておきます。

描きなれていないので大変見にくいのですがご容赦ください

 

 

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第488話 くっころ男騎士と戦場の昼食

 予想通り、戦いは夜を徹して続いた。敵軍はリッペ市の包囲を継続したまま、漫然とした攻撃を繰り返し続ける。むろん、その程度のナメた攻撃でどうにかなるわが軍ではない。即席弩兵隊の援護のもと、アリンコ隊と騎士隊は果敢に敵をブロックし続けた。

 だが、敵の指揮官エムズハーフェン選帝侯はなかなかの戦巧者だった。彼女は一時間、二時間と単調な攻撃を繰り返してから、不意に強烈な一撃を叩き込んでくる。これが本当に厄介だった。夜戦で疲労しているということもあり、油断しないように気を付けていてもなかなか対応できるものではない。

 とくに、夜明け間際の攻勢はヒヤリとした。東の空が明るくなるかならないかの時間帯に、敵軍はこちらの左翼に重装歩兵(おそらくは下馬した騎兵だろう)を先頭に据えた大隊規模の部隊を突っ込ませたのだ。この重装歩兵らはなかなかの練度で、アリンコたちとも互角やれるほどの連中だった。

 まあ、それはいい。互角の戦いならば守勢側のこちらが優位だからな。問題はその後で、左翼での激戦が続く中、選帝侯は手薄な右翼にむけてコッソリと魔術師部隊を派遣してきたのだ。その魔術師らは夜闇に紛れたまま、戦術級魔法をこちらの陣地にブチ込もうとしてきた。

 この手の魔法はニコラウス君だけの専売特許ではない。高位貴族の宮廷に仕えているような腕利きの魔術師が三、四人で同時詠唱をすれば、魔法で強化されていない城壁程度ならば一撃で破壊できるだけの大魔法を行使することも可能なのだ。

 あやうくリースベン戦争で塹壕線を突破された時の二の舞になるところだったが、これはギリギリのところで阻止された。こういう時のために編成しておいた狙撃部隊による迎撃が間に合ったのだ。この部隊は僕の幼馴染の騎士たちで編成されており、練度は極めて高い。現在の手勢の中では唯一ライフルを装備した部隊でもあり、大変に頼りになる。狙撃による魔術師の排除はリースベン戦争における戦訓から考案された戦術だ。それがうまく刺さった形になり、僕は大変にほっとした。

 

「肉もいいが魚も悪くないな。こんな状況でもなければ、秘蔵の白ワインを出してくるところなのだが」

 

 昼過ぎ。僕は前線指揮所で昼食をとりながらそう言った。戦場での食事といえば味気ないものになりがちだが、このリッペ市にはもともと大量の食料が備蓄されていた。それを徴発することで、我々は普段と変わりない食事をとることができている。

 状況はあまり明るくないが、だからこそ食事くらいは楽しまねばならない。リースベンでは食べる機会の全くない川魚のソテーに舌鼓を打ち、英気を養う。冷たい食事が続くと士気も萎えるからな。兵士たちにも同様の料理を配給するよう、兵站部には厳命してある。しんどい籠城戦だからこそ、食事には気を使わなくては。

 

「流石はブロンダン卿、戦のさなかとは思えぬ健啖ぶりですな。自分が貴殿ほどの時分は、戦いの最中にはなかなか食事が喉を通らなかったものですが」

 

 ほめているのかけなしているのかわからない口調で、ペルグラン氏が言った。日が昇ったあとも、敵軍の攻撃は続いている。危機感を覚えるような"大波"の頻度は下がったが、嫌がらせを目的とした"小波"は途切れる気配がなかった。食事をしている今ですら、遠くの方からは戦闘音が聞こえてくる。確かに、食欲がモリモリわいてくるシチュエーションとは言い難い。

 ちなみに、なぜ後方の安全な指揮本部ではなく危険な前線指揮所に出向いて飯を食っているのかといえば、これもまた部下たちの士気を上げるための工夫だった。兵士たちと同じ場所に来て、同じものを食う。これだけでも、兵士たちの心証はだいぶ良くなる。不満が溜まりがちな籠城戦では、こう言った工夫は欠かせなかった。まあ、飯時に上官と雁首突き合わせる羽目になったペルグラン氏は迷惑そうな顔をしていたが。

 

「そうはいっても、長丁場の戦いだからな。しっかり食わないと肝心なところで力が出ないじゃないか」

 

「そりゃそうですがね。頭ではわかっていても、身体がついてこないのが普通の人間なんですよ」

 

 そうは言っても、当のペルグラン氏ですらもう一匹目の魚を平らげ、二匹目をお代わりしているのである。戦闘音ごときで食欲が失せるような繊細さを持ち合わせていないのはお互い様だ。この程度で参るような神経の細いものに、兵隊は務まらない。

 しっかし、この魚は本当にウマいね。コイツはマスの一種で、この街の特産品らしい。沢山とれてサイズもデカイ庶民の味方のような魚なのだという。正直、大変にうらやましい。ウチの領地を流れるエルフェン川では、魚肥に使うのもはばかられるような小魚しか取れないのだ。

 まあ、何はともあれ腹いっぱい飯を食えるのはいいことだ。食料備蓄は十分だから、この調子で消費して言っても半月は持久することができる。いくらなんでも、そのころには勝負は決まっているだろう。長丁場云々といっても、この戦いは一般的な籠城戦よりは遥かに早くカタがつくだろうしな。

 

「おっとっと」

 

 などと考えていたら、突然爆発音とともに結構な地響きが前線指揮所を襲った。僕は慌てて自分のジョッキを抑える。こぼれたら大変だ。

 

「被害報告知らせ!」

 

 ペルグラン氏が叫ぶのと同時に、今度は銃声が響いた。聞こえたのは一発きりで、次の発砲はない。これだけで、だいたいの状況に察しはついた。敵魔術師が肉薄攻撃を仕掛け、狙撃隊がそれに対抗射撃を加えたのだ。二発目の銃声が聞こえなかったということは、一発で仕留められたということだろう。僕は落ち着いて食事を再開した。この程度はよくあることだ。

 

「敵魔術師の爆発魔法です! 負傷者が数名出ましたが、被害は限定的な模様」

 

 電信機の受信機を耳に当てた通信兵が叫び返した。電信のおかげで、この手のやり取りもたいへんにスムーズになっている。以前は、被害報告を求めるたびに伝令を派遣せねばならなかったので本当に大変だった。

 

「その魔術師は」

 

「ブロンダン騎士団の方が射殺したそうです」

 

 ほら、だいたい予想通り。軽く肩をすくめると、ペルグラン氏になんともいえない目つきで見られた。なんだよその顔は。ビビるほどのことではないだろ。爆発つったって、ニコラウスくんのアレよりは遥かにショボい規模だったし。たんに、着弾箇所が近かっただけの話だ。しっかりと構築された塹壕はこの程度の爆発ではこゆるぎもしない。

 

「……メシの邪魔をするにはいささか不足だが、睡眠妨害には十分だな。こんなものを四六時中撃ち込まれたら、兵たちも休みづらいだろう」

 

 僕はコホンと咳払いをしてからそう言った。エムズハーフェン軍の魔術師隊は好んで爆発魔法を使用している。おそらく、この爆発音で我々の士気を削ぐ作戦なのだろう。実際、前世の世界でも大砲の発砲音や着弾の際の爆発音で精神を病む軍人は少なくなかったので、かなり有効な作戦なのではないかと思う。

 こういう魔法の選択ひとつとってみても、やはりエムズハーフェン選帝侯は巧みだ。波状攻撃の手際から見るに、機を見る能力にも長けている。相手に回したくないタイプの指揮官というのが、選帝侯に対する僕の評価だった。やんなるね。

 

「ペルグラン卿、率直な意見を聞きたい。君から見て、前線の兵士たちの消耗はどんな具合だ」

 

「そうですねェ……」

 

 いきなり話を振られたペルグラン氏は、思案しながら椅子に座りなおした。どうやら、彼女も食事を再開する腹積もりらしい。僕のことをあれこれ言う割に、この人の神経もたいがい太い。

 

「ま、一日二日の徹夜でどうにかなっちまうようなヤワなヤツは、ウチの同輩やら部下にはおりませんでね。大丈夫でしょう」

 

「そいつは頼もしい、流石はガレアの誇る騎士たちだ」

 

 僕はそう言って笑い、それから表情を改めた。ペルグラン氏は「同輩やら部下」と言ったが、彼女にはウチのアリンコ隊も預けている。この連中の様子はどうなのだろうか? グンタイアリ虫人は昼行性だ。もしかしたら、夜に強い竜人(ドラゴニュート)と違って消耗しているのかもしれない。

 

「ところで、アリ虫人たちの様子はどうだ? 元気にしているとよいのだが」

 

「……ああ、あっちはうちの連中よりも元気ですよ。戦いの合間に、博打を始める程度にはね。おかげで財布の中身がスッカラカンだ。ありゃぜったいイカサマをやってると思うんですがね、尻尾がつかめねぇ」

 

 ペルグラン氏はひどく恨みがましい様子だった。戦闘中に何やってんのさ、アリンコ隊もペルグラン氏も。すっかり呆れた心地になって、僕はため息をついた。

 

「ま、みんな調子は上々ってことですよ。ヒマを見て休ませてもおりますし、しばらくは何とかなるでしょう」

 

「なるほど、安心した。ありがとう」

 

「ま、仕事ですんで。……とはいえ、敵は我々以上に元気いっぱいですな。奴らは、一定時間ごとに前線と後方の部隊を入れ替えておるようです。見る限り、敵に寝不足じみたツラをしている者はおりません。後ろにいる間はしっかりと休憩を取っているんでしょうな」

 

「ふぅむ。大軍の優位をフル活用しているな。大部隊を団子にしてぶつけるばかりの押し相撲なら、ひっくり返すのはそう難しくはないのだが……」

 

 我慢比べでは、やはり向こうの方が優位と見える。まあこればかりは仕方があるまい。兵力で優勢なのも、状況の主導権を握っているのもエムズハーフェン軍側なのだ。これをひっくり返すためには主導権を奪ってやる必要があるが、相手の後ろに莫大な予備隊が控えている以上は中途半端な反撃などむしろ自殺行為だ。現状は迎撃に徹するほかない。

 

「ま、自分らがここへ引きこもってんのは、ブロンダン卿の発案ですからな。それなりに策もおありでしょう。大船に乗ったつもりでいろと、部下たちには言い聞かせております」

 

 圧力ゥ! 僕は胃が引きつりそうな心地になった。実際、自分をオトリにして敵の精鋭を引っ張ったのも、そのお供としてペルグラン氏らをまき込んだのも僕なのである。言い訳はできない。

 いや、確かに策はある。それも、予備のものを含めれば五つほどある。ただ、相手はなかなかの知将だからな。焦って仕掛けるとロクなことにならない気がするんだよな。作戦を成功させるためには、状況を見極める勘所とそれまで耐え続ける忍耐力が必要だ。今のところは、ペルグラン氏に頑張ってもらうほかない。

 

「しかし、心配事がないわけじゃあありません」

 

 ペルグラン氏は周囲に聞こえないよう声を潜めながら言った。僕は無言で彼女に顔を寄せる。

 

「市民の方は大丈夫なんですかね。外からの圧力にはしばらく耐えられそうですが、踏ん張っているところを後ろから突かれちゃどうしようもありません。対策は打ってあるので?」

 

 どうやら、彼女は市民反乱を危惧しているようだった。実際、ペルグラン氏の危惧は杞憂ではない。自国の都市における籠城戦ですら、市民の扱いには気を使うのだ。ましてやここは敵国。市民全員が潜在的な敵と言っても過言ではない。"とりあえず殺す"という選択肢を取れない分、そこらの敵兵よりもよほど厄介な相手ですらある。やはり、制圧したばかりの敵都市で籠城などという戦術は常道ではないのである。

 

「ああ、大丈夫」

 

 しかし僕は、あえてそう断言した。

 

「なんの問題もない。君たちは安心して目の前の敵と戦っていてほしい」

 

 都市内の治安維持を担当しているエルフ隊からは、きな臭い報告が上がっていた。どうやらリッペ市には敵の工作員が浸透し、反乱の扇動を始めているらしい。三日四日もすれば間違いなく蹶起を始めるだろうというのが、フェザリアの見立てだった。

 結構結構、たいへん結構。選帝侯はしっかりと仕事をしてくれている。街へ潜入する少数の潜水兵(フロッグマン)を見逃した甲斐があったというものだ。さすがは知将・エムズハーフェン選帝侯だ。キッチリと市民反乱も制御してくれている。こんなにありがたいことはない。

 

「まあ、後ろの方は僕に任せろ。なんとかする」

 

 頭が回り機が読める指揮官だからこその弱点というものもある。僕はそれを反撃の糸口にしようと考えていた。



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第489話 カワウソ選帝侯の苦悩(1)

 私、ツェツィーリエ・フォン・エムズハーフェンは心の中で頭を抱えていた。しんどい。あまりにもしんどい。何がしんどいかと言えば、もちろん戦争がしんどい。あー、うー、辛い。私はリッペ市近隣に設けた指揮本部で、椅子に座りながら密かに胃のあたりを押さえていた。胃薬は飲んでいるが、まったく効果がない。胃の腑に穴でも開いたのではないかという痛みが延々と私を苛み続けている。

 同席している参謀たちも、暗澹たる表情で地図上に並べられた駒を弄っていた。わが軍はリッペ市を占拠した不遜なるリースベン軍(と木っ端のような騎士集団)を包囲し、圧力を加えている。両者の戦力差は圧倒的だ。盤面だけ見れば、勝利は確実のように思える。

 が、今の状況でそんな判断を下せるのは、新米将校かあるいは将才に欠ける愚物だけだろう。敵軍への救援が間に合ってしまえば、数的に不利なわが方の壊滅は避けられない。むろん、罠と承知で踏み込んだ作戦だ。素早くブロンダン卿率いるリースベン軍を殲滅し、その身柄を手土産に敵へ講和を迫ればこちらの勝利だ。

 だがそんな勝利への道筋も、今や幻と化しつつある。リースベン軍の抵抗が頑強すぎるからだった。彼女ら(彼らというべきか?)は予想外の速度でリッペ市を攻略し、その防御陣地を流用する形で防戦を始めてしまった。これがケチのつきはじめだ。以降、私の作戦は狂いっぱなしになっている。

 

「第二特務魔術小隊が全滅しました」

 

「第一に続き第二もか!」

 

 部下からもたらされた報告が、私の気分をさらに暗くさせる。私は敵軍を疲弊させるべく、夜を徹した妨害攻撃を継続していた。我が宮廷に仕える腕利きの魔術師たちで編成された特務魔術小隊も、その一環として戦場に投入していたわけだが……結果は悲惨だ。

 明け方の攻勢に投入した最精鋭の第一小隊は敵銃兵の猛射撃を浴びて全滅。すこしばかり冒険しすぎたかと思い手堅い布陣で仕掛けた嫌がらせ(擾乱)攻撃でもこの始末。私の胃は更なる痛みを訴え始めた。たぶん近々血反吐を吐き始めると思う。というかすでに吐きそう。オェッ。

 

「第二小隊は歩兵に防護させて運用しろと厳命したはずだ! 何をやっている!」

 

「もちろん、ご命令通りの布陣で運用いたしました。しかしながら、敵軍は数百メートルの間合いでも魔術師を狙い撃てる鉄砲を有しているようでして……」

 

「ふざけるなよ!」

 

 私は指揮卓をブッ叩いた。いや、正直に言えばそのような乱暴な態度を取れるような元気は既に私の中から消え失せているのだが。しかし、部下の手前強気な態度は崩せない。ウチの家臣どもはやたらと果敢なタチの者ばかりで、弱気な態度は見せられないのだった。本音を言えば、全部投げ出して屋敷(おうち)に帰りたい。布団をかぶって何もかもを投げ出したい。でも、それはできない。なぜなら私はエムズハーフェン選帝侯だから。あああ!!

 というかなんなの有効射程数百メートルの鉄砲って! "ライフル"は強力な兵器だが弾込めに時間がかかりすぎて実用的ではない、というのが常識じゃなかったの!? なんで普通の火縄銃(アーキバス)くらいの速度で装填できる鉄砲を量産してるのよ! なんかおかしいでしょ! ズルい! エムズハーフェン家(ウチ)はクロスボウ職人ギルドとの付き合いのせいで従来型の鉄砲の導入すら難儀してるのに! んもおおおお!!

 

「ええい、男の分際で小癪な!」

 

「我が侯、選帝侯閣下! やはり、このような消極的な攻撃では被害が増すばかりですぞ! 一気呵成な大攻勢を! 勝利をもぎ取るにはそれしかありませぬ!」

 

 こちらの気分なぞまったく気にしていない様子の家臣どもが、そのような言葉を放つ。私は頭がクラクラしてきた。このウスラトンカチども、何が大攻勢だ! 貴様らの案を採用して港に強行上陸しようとしたら、訳の分からん水中爆弾で虎の子の軍船がいくつも沈んだじゃないか! あれ一隻作るのに銀貨が何枚いると思ってるんだよ!

 水中に爆弾を仕掛けられるんだから、地中にも爆弾を仕掛けられるに違いない。実際、アレクシア先帝陛下によれば、ブロンダン卿はリースベン戦争において地中爆弾を使った作戦を展開したという話だ。しかも鷲獅子(グリフォン)隊の偵察によれば、ブロンダン卿は陣地の内側の地面を掘り返しているようだ。間違いなく、地中爆弾の設置を進めているのだろう。強引にあの塹壕線を突破し、内側に部隊を突入させたら……間違いなくドカン! だ。

 だからこそ、丁寧に攻めていく必要がある。相手の対処能力を飽和させ、安全そうな場所からゆっくりと崩していくのだ。敵軍の救援が間に合ったら何もかもお終いだが、だからと言って焦ってはいけない。無理な力攻めはブロンダン卿の思うつぼだ。

 

「待て待て、焦るな。確かにブロンダン卿は男だが、百戦百勝の名将でもある。無思慮な攻撃は却って敵軍を利するだけだ」

 

 我が家臣どもはどいつもこいつも脳筋で、口を開けばとにかく攻撃! としか言わない。私は顔が引きつらぬように気を付けながら、彼女らをいさめた。戦いが始まってから、この手のやり取りは両手の指を使っても数え切れぬほど繰り返されている。コイツらには学習能力というものがないのか?

 

「選帝侯の言う通りだ。アルベールの用兵は鋭いぞ、隙を見せれば逆襲を喰らう」

 

 私の隣に座っていた女が、偉そうな口調でそんなことをのたまった。全身黒甲冑の、怪しいクソデカ女。アレクシア・フォン・リヒトホーフェン先帝陛下だ。うるせぇお前は黙ってろ! 私はそう叫びそうになって、ギリギリのところで堪えた。こんなんでも一応主君……のようなナニカだ。流石に怒鳴りつけるのはマズい。

 しかし、堪えた分の不満は確実に私の心と胃の腑を苛んだ。なにしろ、家臣共がやたらと果敢になっているのは、コイツが原因でもあるのだ。もっとも、それは歴史的な経緯も関係しているので、アレクシアばかりが悪いわけでもないのだが……。

 我がエムズハーフェン家は家臣も含めて多くがカワウソ獣人で構成されている。だが、当家以外の選帝侯家はすべて虎や狼といったいくさ向きの種族なのだ。おかげで当家は昔からカネで成り上がったとか軍は弱兵ばかりだとか、いわれのない陰口ばかりを叩かれている。

 むろんそのような風評など無視すればよいのだが、やはり気になるものは仕方ない。そのコンプレックスの裏返しで、当家の者はどいつもこいつも過剰に果敢な発言をする傾向があった。内心その傾向を馬鹿らしいと思っている私ですら弱気な発言は口にできない立場に置かれているのだからたまらない。ほとんど自縄自縛といっていい有様だ。

 本音を言えば、ブロンダン卿にカネでも払って退去してもらうのが一番損失が少ない気がする。確かにそれをやると当家のメンツはズタボロになるが、実際に痛い目を見るよりはよほど良い。別に、あの男はエムズハーフェン領の占領など目指してはいないようだし。だが、臣下共がこの調子ではそのような選択肢は選べない。ああ、嫌だ嫌だ。ウチは交易で食っている家なのに、なぜ家臣共は皆揃ってソロバンも弾けない阿呆どもばかりなのか。

 

「……陛下もこうおっしゃっている。とにかく、今は耐えろ」

 

 アレクシアをぶん殴ってやりたい気持ちを抑え込みつつ、私は絞り出すような声でそう言った。そういうコンプレックスを持ったエムズハーフェン家臣団だから、当然獅子獣人一家のリヒトホーフェン家にも対抗意識を抱いている。コイツがこの場に居るからこそ、我が家臣たちは無駄に好戦的になっているのだった。正直どっか他所に行ってほしい。

 そもそも、コイツが連れてきた戦力は僅か騎兵一個中隊。無意味とは言わないが、総勢一万名を動員可能なわが軍から見ればなんとも心もとない戦力だ。これっぽっちの部隊しか派遣していない分際で偉そうにするのは本当にやめてほしい。主君の名目を保つための最低限の援軍だとでも思っているのかもしれないが、一個中隊ではその最低限にすら達していないと思う。

 リースベン軍に参加しているスオラハティ家を見ろ! 北の果てのノール辺境領から、一個大隊もの戦力を派遣しているぞ! しかも、超がつくほど有能でしっかりと命令にも従う指揮官付きでだ! 私が直接指図できない者を指揮官に据えた微妙極まりない戦力を派遣してきたリヒトホーフェン家とは大違いだ。

 

「耐えろ耐えろと我が侯はおっしゃいますが、いつまで耐えれば良いのです!」

 

「市民軍の準備が整うまで待てっつってんだろ!! 何回言わせるんだこのクソボケ!」

 

 と私は叫びそうになったがこれまたギリギリのところでこらえた。代わりに、「三日か四日で市民軍が動き出す。それまでだ……!」となんとか余裕を装った声で返す。リッペ市内にはわが軍の工作員が潜入しており、市民らに蹶起を呼び掛けている。あと三日もすれば十分な兵力が集まり、武器の配布なども終わる予定だった。わが軍が本格的な攻勢を仕掛けるのはそれからだ。

 とにかく、リースベン軍を打ち破るには二個連隊ちょっとの兵力では厳しい。市民らを蹶起させ、リッペ市の内側と外側から当時攻撃を仕掛けるのだ。これにより敵軍の対処能力はパンクし、最低限の犠牲で勝利を得られる。そのはずだ。

 最低限の犠牲。そう、最低限の犠牲だ。こんな戦争は当家にはなんの益ももたらさない。だからさっさと足抜けするのが正しいのだ。にもかかわらず現状の我らは魔術師部隊を失い、軍船も失った。そのどちらも作り上げるのに大変なコストのかかる重要な財産だ。このようにバカスカ失って良いものではない。すでに損切りのタイミングは過ぎてしまっている。しかしそれでも、これ以上の損失は避けねばならない。

 

「そのような悠長なことをしていたら、敵の救援が到着してしまいますぞ! 多少の犠牲は致し方なし! 一心不乱の大攻勢こそが状況を改善する唯一の方策に違いありませぬ!」

 

 唾を飛ばしながら家臣の一人が熱弁した。他の家臣共もそれに同調する。どいつもこいつも頭が熱病に犯されている。冷やすために川に沈めてやりたい。んぐぐぐぐ。貴様らの主張に抗しきれず実施した夜明け前の大攻勢は、とんでもない被害を出して頓挫してしまったじゃないか! 同じようなことをもう一度繰り返したら、今度こそ致命傷を負ってしまうぞ!

 そもそも、市民軍の行動を待たずに攻勢を始めてしまうと街中に居るらしき敵のエルフ隊がフリーハンドになってしまう。それはマズイ。大変にマズイ。あいつらは頭おかしいくらい強いからな。我が自慢の艦隊がああもズタボロにやられてしまうとは思わなかった。なんで森の民が水上戦闘でカワウソ獣人に勝ってるんだよ、なんかおかしいでしょあいつら。

 ああ、もう。本当に嫌になる。狂ったように強い蛮族。訳の分からない新兵器群。おまけにこちらの策を見透かして逆に罠を仕掛けてくる有能極まりない指揮官。最悪の組み合わせだ。なんでこんなのと戦わなくちゃいけないの? 私。本当にふざけないでほしいんだけど。割と真面目に泣きそう。あと血反吐吐きそう。おなかいたい。うぇぇ……。



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第490話 カワウソ選帝侯の苦悩(2)

 それから丸一日が経過した。相変わらずリースベン軍の防御陣地は盤石で、いささかの揺るぎもない。これが敵軍が構築したものならばまだ素直に賞賛できるのだが、わが軍が構築したものをそのまま奪われて利用されているのだからたまったものではなかった。正直に言えば、余計なことを言って"塹壕"なる概念をわが軍に持ち込んでしまったアレクシアをシバき倒したい気分だ。

 まあ、もちろんそれは心の中にとどめておく。立場的にも、そして身体能力的にもあのクソデカ女を叩きのめすのは不可能だ。家臣どもは認めようとはしないが、所詮カワウソ獣人はカワウソ獣人。陸上の戦いでは、獅子獣人に勝つのは難しい。水中に戦場を移せば、まあなんとかなるだろうけど。

 

「ヴァイツゼッカー隊の被害報告がまとまりました。ご覧ください」

 

 やくたいのない事を考えながら胃痛を誤魔化していた私の元に、参謀が書類を持ってやってくる。おかげで、私の意識は現実に戻ってきてしまった。思わず、恨みがましい目で参謀を睨みそうになる。もちろん、気合で堪えたけど。参謀は悪くないし、むしろボンヤリしていた私の方が悪い。指揮官が戦の最中に現実逃避なんて、まるで負け戦だ。

 

「これはまた……」

 

 しかし、現実があまりにも苦すぎるのだから仕方ない。私はその報告書に並んだ数字を見て頭がクラクラしてきた。シャレにならない損害を受けている。こちらはこれだけズタボロにされているのに、敵の方はピンピンしているのだからたまらない。交換比率はナンボよ? まあ間違いなく三対一を割ってるのは確かだけど。

 ヴァイツゼッカーというのは、エムズハーフェン家の家臣の一人だった。コイツは脳筋まみれのウチの家臣団の中でも極めつけの武断派の一人で、敵陣地への大攻勢を声高に叫んでいた。どうやら私の方針には微塵も賛同する気がないようだ。

 賛同しないならしないで良いのだけれども、暴発されてはたまらない。仕方がないので、彼女には敵陣地への牽制攻撃を命じた。戦術的にはあまり意味のない命令だったが、本人が今にも爆発しそうになっていたのだから仕方ない。私の手元ではじけ飛ぶくらいなら相手の方に押し付けてしまった方がまだマシだ。

 

「ヴァイツゼッカー殿の部隊は、少なくともこの戦いの間は二度と戦列に復帰できないでしょう。正直に言えば、手痛い損失です」

 

 しかしこれほどの被害を受けるとは流石に予想外だった。どうすんの、コレ。あぁ~、胃が、胃が痛い。指揮官がアホでも兵力は兵力。上手く使えば十分に役立ってくれただろうに、無駄に大損害を受けてしまった。これが商売の世界ならば、「お前はもう二度と商取引には関わらない方がいい」と真顔で忠言されてしまいそうな大損失。人材ほど替えの利かない財産はないというのに、ヴァイツゼッカーのアホアホアホアホ! いや、あの女の暴発を止められなかった私も同罪なのだろうが、これはしかし……。

 

「やはりこの程度の戦力での攻勢は無茶でしたな。戦力の逐次投入は下策ですぞ、わが侯!」

 

 家臣の一人がそんな発言をする。つまりコイツは、ヴァイツゼッカーだけを突っ込ませた私を責めたいらしい。シバくぞこの野郎。戦力の逐次投入は下策? それがわかってるから市民軍の準備が完了するのを待っているんでしょうが! 現状の戦力を団子にして突っ込ませたところで、結果はヴァイツゼッカー隊の悲劇がそのまま拡大生産されるだけじゃないのさ!

 

「命じたのは牽制攻撃だったのに、欲をかいて深入りしたヴァイツゼッカーが悪い。とりあえず、ヤツは謹慎だ。詳しい沙汰は追って下す」

 

 とにかく、こんなアホを手元に置いていたら私まで大損失を被ってしまう。排除だ、排除。兵を無為に殺したアイツにはできれば自裁を申しつけたいところだけど、それでは家臣団からの反発を招くでしょう。当主の交代を命じるのがせいぜいかな。はぁ……。

 

「……」

 

 不満そうな家臣共を視線で黙らせ、私は思案した。正直言って、マズい。リッペ市の包囲戦(攻城戦、とは呼んでいない。ここは私の街だからだ)が始まってから二日半、我々が受けた損失は想定外のレベルに達しつつある。

 もちろんこれは攻勢の失敗という点も大きいのだが、そもそも敵軍の疲弊を狙った嫌がらせ攻撃ですら、反撃でなかなかの被害を被っている。あの塹壕線とやらの防御力は尋常ではない。まるで、穀物の代わりに兵士の命を飲み込む石臼のようだった。

 おまけに、そうまでして敵を貼り付けにしているというのに、今だリースベン軍には疲弊した様子が見られない。彼女らは防衛戦を始めた当初と何ら変わりのない整然とした迎撃戦闘を継続している。昼夜を問わずに攻撃を仕掛けているというのに、よくもまあ体力が持つものだ。おそらく、効率的な戦力の配置をすることで余剰兵力を減らし、手すきになった兵を順番に休ませているのだろう。素晴らしい用兵術だ。

 

「戦力の逐次投入は厳禁。事実としてのその通りだ。ゆえに、今後は余計な攻撃は仕掛けずに戦力を温存する。いいな?」

 

 などと言ってみるが、家臣共はぜんぜん良くはなさそう。とはいえヴァイツゼッカーのヤツが盛大な失敗をしたばかりだから、表立って文句をいう奴はいない。裏ではいろいろ言われるに違いないが。……コイツら全員ブロンダン卿にシバき倒されないかな? そうしたら大手を振ってみな更迭できるのに。まあ実際にそんなことになったら私の立場ももちろん危ういわけだけど。

 

「見ての通り、ブロンダン卿の手管は見事なものだ。男だからと油断をしている者は、この場でその愚かな考えを捨て去るべきだろう」

 

 念押しする口調で、そう言い含めておく。本当にブロンダン卿は厄介な相手だ。できれば戦いたくないくらい。しかも彼は、切り札の一つであろうライフル兵大隊とやらをミュリン領に置いてきている。この部隊が彼の手元にあったら危なかった。現状何とかなっているのが、リースベン軍の射撃兵科の中核がにわか作りの弩兵どもだからだ。これがそのままライフル兵に代替された日には、我々に勝ち目はなくなってしまう。

 いや、もう、本当にライフルはヤバい。できればブロンダン卿とは穏当な形で矛を収め、ライフルを売ってもらう取引をしたいくらいだ。今まではクロスボウ職人ギルドとの付き合いで鉄砲には手を出してこなかったが、彼のライフルはクロスボウよりも射程と精度に優れ、その上連射速度でも同等と来ている。つまり、上位互換兵器。これを導入できるのならクロスボウ職人ギルドと手を切っても痛くはない。

 

「彼には必勝の策を持って当たらねばならん。私の作戦を信じろ」

 

 しかし、今はそんな先のことを考えている余裕はない。とにかく、勝たねば。相手は手強いが、勝ち筋がないわけではない。私も自分の頭の出来にはそれなりの自信があるからね。この状況に持ち込んでおきながら負けるなんて情けない真似は御免だ。最低でも、こちらのメンツが立つ形での講和に持ち込む必要がある。

 んああああ! しっかし、なんでこんなくだらない戦争でエムズハーフェン選帝侯たるこの私がこんなに頭悩ませなきゃいけないの!? この戦争の焦点ってレーヌ市だよね? あそこ、同じ交易都市の我々から見たら競争相手なんだけど!?

 いや、取引相手でもあるから、失陥したらしたで損失はそれなりにあるわけだけど……あの街がガレア領になれば、神聖帝国内での羊毛の流通量が減る。すると、うちが商っている麻や亜麻の消費量が増えて、儲けも大きくなるという寸法。つまり、皇帝軍が負けてもそれほど損はない。今必至こいて戦っているのは、あくまで自衛のためだ。皇帝の為ではない。

 

「我が侯、ご報告があります!」

 

 とにかくどうやれば一番損が少なくなるか。それを考えながら部下を説得しようとしていたら、指揮本部に伝令が飛び込んできた。ひどく慌てた様子だった。私の胃がジクジクと痛みを増し始める。伝令の声音からして、報告の内容が良いものであるはずがない。これ以上なんだというのか。私は半分泣きそうな気分になりながら、「どうした?」と聞き返した。

 

「ネルカ村の近郊で、スオラハティ軍の旗印を掲げた騎兵隊が確認されました! どうやら、リースベン軍の救援に向かっているようです!」

 

「は?」

 

 も、もう救援が来たの? 早くない……?



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第491話 カワウソ選帝侯の苦悩(3)

 敵救援軍接近す。その報告はたいへんにショッキングなものであったが、とにかく詳細を確認する必要があった。わが軍の別動隊(とはいっても、数的にはあちらの方が多いが)はアリオン峠と呼ばれる場所で敵軍の主力と対峙していた。このアリオン峠戦線ではわが軍は劣勢に立たされているのだが、それでもいまだに敗戦の報は入ってきていない。

 つまり、敵軍主力はいまだに拘束状態にあると見て間違いないだろう。救援軍と言っても、出せる戦力には限りがあるはず。私のその考えは、幸いにも的中していた。救援に現れた敵部隊は、スオラハティ軍の騎兵が一個大隊のみだったのだ。噂に聞くヴァルマ・スオラハティの手勢だろう。私はひとまず安堵のため息をついた。

 

「スオラハティ軍が単独で救援に現れたわけか。噂の通り、ブロンダン卿はスオラハティ辺境伯からの寵愛を受けているらしい」

 

 ホッとした様子で、家臣の一人がそう言った。敵軍の本隊は九千ちかい大兵力だ。これがそのまま出てきたら、三千にも満たぬ我々の兵力では勝ち目がない。いかに果敢に過ぎる傾向のある我が部下たちでも、どうやらその程度の算術はできるらしい。

 

「しかし、一個大隊程度の油断するのはお勧めしかねるぞ。スオラハティ軍はリースベンに先立って火器を大量に装備した先進的な軍隊だ。一般的な歩兵部隊に換算すれば、一個連隊レベルの戦闘力があると見て間違いなかろう」

 

 偉そうな口調でそんなことを言うのは、敵救援軍接近の報を受けて指揮本部へやってきたアレクシアだった。言っていることは私も同感だったけど、それはそれとしてコイツが話していると無性に腹が立ってくるので黙っていてほしい。

 

「片手間で潰せる相手ではないと。悩ましいな」

 

 致命的な痛みを発する胃を抑えながら、私はそう言った。ここまで頑張ってくれた私の内臓も、そろそろ限界が近づいているようだ。胃に穴があいても名誉の負傷扱いにはならないよね、たぶん。ああもうヤだぁ……。

 

「ヴァルマ殿はどんな手を打ってくる腹積もりでしょうか? 彼女は素晴らしい猛将という話ですから、わが侯の首級を狙って一直線に突撃を仕掛けてくる可能性も無きにしも非ずですが」

 

 家臣のその言葉に、私は思いっきり顔をしかめそうになった。こちらには一個連隊を超える規模の予備兵力がある。それを使えば、流石のヴァルマ・スオラハティも撃退できるハズだ。少なくとも、計算の上ではね。とはいえ、これまでさんざん予想外の挙動を見せてきた敵軍のことだ。万が一ということもありうる。……そう考えると、ますます胃が! 胃が! ああっ!

 

「……そんな無謀なことをせずとも、こちらの包囲を突破してリースベン軍と合流されるだけでも随分と厄介なことになる。たしか、ヴァルマ殿の騎兵隊には鉄砲や大砲が配備されているという話だったな?」

 

「ハイ。例の騎兵隊は、兵員の約七割がマスケット騎兵と称する小銃装備の兵科で構成されているようです。それに加え、ばん馬四頭でけん引できる小型の大砲を三門保有しているとみられます」

 

 よどみのない口調で参謀が答えた。あー、うー。騎兵大隊の七割というと、二百人弱と言ったところかな? ライフルを装備しているのは。うわあ、すごい厄介。これだけの鉄砲兵が、あの堅牢極まりない塹壕陣地へと合流してしまったら……手が付けられなくなる。そうなったら、もう終わりだ。攻めあぐねてモジモジしているうちに、いよいよ敵本命が救援にやってきてしまう。

 んもーっ! 本当に……本当に厄介! なんなのブロンダン卿は!? 嫌がらせの達人? 勘弁してよぉ……。とうに損益分岐点は割っちゃってるのに、ますます悪材料ばかりが積みあがっていく。いい加減損切りするべきだけど、この状態ではまだ白旗があげられない。なぜなら家臣どもが納得しないから。んぎぎぎ……

 商売の世界では、見込みのない取引から逃げるのは恥ではない。けれど、軍事の世界ではそうではないのだ。不経済。圧倒的不経済。バカらしい。こんなやくざな稼業はやめて統治と商売に専念したいんだけど。でもそういうわけにはいかないんだよなぁ。なぜなら私は大店の若旦那ではなく、選帝侯家のご当主様だから。あひぃ。

 

「ふん、流石は北方最強と名高いスオラハティ軍の精鋭だ。相手にとって不足無し」

 

 威勢のいいことを口にしつつも、私の頭の中では冷静な計算が進んでいた。ヴァルマ隊は本当に厄介だ。積極的に潰そうと思えば、アレクシアの言う通り一個連隊規模の部隊を動員する必要があるだろう。ライフルの威力はすでに身をもって体験している。とてもではないけど、甘く見てよい相手ではない。

 で、ヴァルマ隊への対処に一個連隊を投入したとする。すると、リースベン軍側に張り付けることのできる戦力はまあ千数百というところで、これまた一個連隊にプラスアルファしたくらい。リッペ市に詰めてるリースベン軍は千名弱くらいだから兵力的にはこちらが優勢だけど、相手の方が士気練度に優れているので実際の戦いでは数字上の差ほど優位ではなさそう。

 んぎぎぎぎ、つらい。かーなーりつらい。下手な手を打つと互角か劣勢くらいに持ち込まれちゃうよ、コレ。かなりまずいなぁ。あー、三千ならブロンダン卿を倒せると踏んだ自分の判断を悔やむね。確実に倒したいなら、五千は投入すべきだった。……まあ、そんなに戦力を抽出したら、今度はオトリ部隊が弱体化し過ぎちゃうんだけども。

 結局のところ、この作戦自体が間違っていたとしか言いようがないかもしれない。大人しく本拠地のエムズ=ロゥ市に引きこもっておけばよかった。ああ、でも、それだと家臣どもがキレそう。うわ、詰んでる。白旗上げて良い? ダメ? あーうー。

 

「エムズハーフェン殿。私に貴殿の騎兵隊を貸してくれないか? ヴァルマ・スオラハティとは一度手合わせしてみたいと思っていたのだ」

 

 こんなクソ状況でも、アレクシアのボケカスは楽しそうだ。行きたいなら勝手に行け。でも部下は貸してやんない。なぜ私の大切な財産をこのような女に貸してやらねばならないのか、これがわからない。どうしてもというなら担保を寄越せ担保を。

 

「いけません、殿下。危険です。ここはわたくしめにお任せを」

 

 うっせえ黙れボケカス死ね。そんな気持ちを込めつつ、私は優しい声でそう言った。こちらからヴァルマ隊に仕掛けるのは下策だ。おそらく、彼女らとリースベン軍は連携を取りながら行動している。こちらがヴァルマ隊に仕掛けたら、その隙を突いてリースベン軍が動き出すだろう。

 むろんリッペ市は包囲されているのため、彼らが外部と連絡を取り合うのは難しい。しかし、ブロンダン卿の手勢には鳥人がいる。空は鷲獅子(グリフォン)で封鎖しているが、やはり地上ほど綿密な警戒網は敷けていない。その隙間を縫うようにして鳥人がどこかへ飛び去って行く姿は何回も確認されていた。リースベン軍とヴァルマ隊の間には連絡ルートが構築されていると見て間違いない。

 

「ふむ、どうやらエムズハーフェン殿には策がおありのようだ。聞かせてもらってもいいか?」

 

 ニヤニヤ笑いながら、アレクシアはそう言い返してきた。ムッカツク! 本当にムカツク! ぐぎぎぎぎ、なんでこいつはこんなに楽しそうなの? 状況わかってんの? 頭おかしいの?

 

「……無論だ!」

 

 でも、こんなトンチキ女に負けているようでは、神聖帝国屈指の大貴族の当主などやっていられない。私は腹に力を込めながらそう言い返した。……イタタタタッ! 力入れたらますますお腹が辛くなってきたんだけど!?

 

「結論から言えば、作戦の決行を早める。次の朝日が昇る前に、ブロンダン卿を倒す……!」

 

「ほう……!」

 

 アレクシアの笑みが、獰猛なものに変わった。ざわついた家臣どもも「おおっ」などと言いながら私に視線を向ける。おおじゃないわよクソッタレども。全員モルダー川に叩き込んでやろうか……。

 

「ヴァルマ隊への対処のために戦力を分散するのは危険だが、だからといって状況を座視すれば両軍が合流して手が付けられなくなってしまう。……ここは、優先順位の高い敵から倒す」

 

 ヴァルマ隊は厄介だけど、足止めに徹すれば最低限の戦力でも持ちこたえられるハズ。あとはそれ以外のすべての力を持って、リースベン軍を叩きのめす。これしかない。市民軍の編成は間に合わないけど、これはあきらめる他ないでしょうね。まあ、戦術的にはエルフ隊の拘束だけできればそれでいいから、とりあえず現有の戦力で暴れてもらいましょ。

 ……エルフどもは本当に強い。武器や頭数の足りない中途半端な状態でそのような強敵に立ち向かわなくてはならない市民兵たちには、著しい被害が出るでしょうね。それが嫌で、万全の状態を目指していたけど……こうなれば、四の五の言ってられない。リッペ市の民には大変申し訳ないけれど、負けるよりは遥かにマシだから腹をくくるわ。もし、これで失敗することがあれば……せいぜい、あの世で市民たちに詫びることにしましょ。……あー、お腹痛い。戦傷じゃなくて胃痛で死にそうなんだけど、大丈夫かな。



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第492話 くっころ男騎士の罠

「ヴァルマ殿は今夜ん零時間際には作戦を始めらるっとおっしゃっちょっそうじゃ」

 

「流石、仕事が早いな」

 

 指揮本部でウルの報告を聞いた僕は、薄く笑いながらそう賞賛した。ヴァルマに援軍の要請を出したのがほんのこの間のことだ。リュパン軍が陣を張っている地点はそう遠方ではないが、頼んだ援軍が即デリバリーされるというのは素晴らしい。機動部隊たる騎兵隊の面目躍如だな。

 リュパン軍側の戦況はわりと落ち着いている。あちらの戦線ではわが軍の方が戦力的に優勢であり、敵軍は回避と防戦に徹して時間稼ぎを図っていた。そういう状況だから、一個騎兵大隊を引き抜いた程度では大きな問題にはならない。ならば、切り札の一つであるヴァルマ騎兵隊はこちらに投入しよう。そう判断した次第であった。

 現有戦力でも防戦自体は可能だが、反撃に転じるとなれば少しばかり厳しいのは事実。ましてや敵軍の指揮官はなかなかのやり手、既存の作戦ではいささか決定打に欠けるのではないかという懸念があった。だが、作戦を変更するにしてもリュパン軍の到着まで粘り続けるなどという受動的なやり方は僕の趣味ではない。何しろこちらの戦線に先帝と選帝侯という高価値目標が二人もいるのである。やはりここは、少し無理をしてでも勝負を決めに行きたいところだった。

 

「エムズハーフェン軍もこん動きは既に掴んじょるごたっせぇ、敵陣ん動きが慌ただしゅうなっちょっようじゃ。鷲獅子(グリフォン)が邪魔ゆえあまり詳しか情報は収集できもはんじゃしたが、一応部下らん報告をまとめちょいた」

 

 そう言ってウルは書類の束を渡してきた。現状、我々はリッペ市上空の航空優勢を確保できていない。彼我の航空戦力は伯仲しており、しかもお互いにそれを温存する方針に出ているため、なかなか決定的な状況に持ち込めなかった。しかしだからといって空の戦いが不活発というわけではなく、むしろ相手を出し抜くための熾烈な駆け引きが起きていた。

 そんな困難な状況において、ウルら鳥人隊はたいへんな頑張りを見せてくれていた。カラス鳥人にしろスズメ鳥人にしろ、エムズハーフェン軍の有する鷲獅子(グリフォン)に正面から挑むほどの戦闘力はない。だが、そのぶん身軽さでは敵の航空隊を遥かに優越している。鷲獅子(グリフォン)隊の隙を狙い、航空偵察や空中伝令など重要だが危険な任務を粛々とこなしてくれていた。

 

「ありがとう。ウルも、皆も、よくこの困難な任務を果たしてくれた。やはり君たち鳥人は我が軍の要だな」

 

 偵察、そして伝令。軍隊の行動には無くてはならない要素だ。それらを迅速に実行できる鳥人の存在は本当にありがたい。こちらに鳥人がいて敵軍にはいない、それだけでこちらはたいへんに有利な状況に立っているといっても過言ではないだろう。

 本心から賞賛しつつ、僕は彼女に砂糖菓子を差し出した。この手の菓子はかなり高価だが、ウル自身先ほどまで危険な飛行伝令をこなしてくれていたのだ。少しくらい役得があっても良いだろう。ウルは嬉しそうに菓子にかぶりつき、「うまか!」と叫んだ。相変わらず、彼女は僕の手から食べ物を食べることを好んでいる、

 

「さて、敵軍はどう出てくるでしょうか? 奴らが防御を固めるようであれば、急いでヴァルマに合流を指示しなくてはなりませんが」

 

 その様子を少し羨ましそうに眺めながら、ソニアが言った。ヴァルマの援軍に対し、敵軍が防御的な行動をとるか攻撃的な行動をとるかでこちらの作戦も変わってくる。前者であれば、ヴァルマと合流してライフル兵と騎兵砲の火力を生かした正面決戦を挑む予定だった。そして後者であれば……カウンターを狙う。

 僕としては、敵には前者を選んでもらいたかった。ヴァルマとの合流に成功すれば、我々の兵力は千三百名以上になる。これでもまだ敵との兵力差は千名以上あるが、彼女の騎兵隊は火力重視で編成された部隊だ。そして、野戦においてモノを言うのは兵力ではなく火力である。勝利を得るのはそれほど困難ではないだろう。

 

「うーん、この調子なら……選帝侯は賭けにでる公算が大きそうだ」

 

 しかし、残念ながらウルから受け取ったばかりの報告書を読む限り、そのような都合の良い話は無いようだった。敵軍は前線から戦力を後退させ、それと同時に全軍に物資の再配給を進めている。実際、先日から絶え間なく続いていた嫌がらせ攻撃ですら、今では完全に停止していた。これはどう見ても大攻勢の前準備だ。

 さらに言えば、エルフたちから「港から街中へと潜入する潜水兵(フロッグマン)の数が激増している」との報告も上がってきていた。市民らの反乱を支援するための動きだろう。リッペ市民らは想定よりも早く蹶起を開始するかもしれない、とはフェザリアの弁である。これもまた、敵本隊の攻勢開始に連動した動きだと思われる。

 

「状況を座視して我々とヴァルマの合流を許すより、予定を早めてでも勝負を決めに行く。なるほど、優秀な指揮官らしい判断です」

 

 腕組みをしながら、ソニアは小さく唸った。彼女から見ても、エムズハーフェン選帝侯はなかなか厄介な対手のようだった。それに加えて状況を引っ掻き回すことに定評のあるアーちゃんまでいるのだからたまらない。まったく、参っちゃうね。

 

「とはいえ、有能な指揮官だからこそ戦いやすい部分もある」

 

 僕は笑いながら、ウルに二個目の砂糖菓子を差し出した。彼女は満面の笑みを浮かべながらそれをぱくついた。いやはや、本当に楽しいね。小動物に餌付けしてるみたいだ。

 

「工兵隊はよく働いてくれたよ」

 

 唐突に過ぎる発言だったが、作戦の全貌を知っているソニアにはそれだけで十分だった。彼女はすべてを承知した顔で、コクリと頷く。

 

「では」

 

「ああ。わかっているとは思うが、ハードな作戦になるぞ。久しぶりに君にも剣を振るってもらうことになるかもしれない」

 

「ご安心ください、アル様。わたしがいる限り、御身には傷一つつけさせません」

 

 ニヤッと笑うソニアに、僕は拳を差し出した。彼女はそれに自分の拳をコツンとぶつける。我々は幼馴染だ。これだけで万事通じ合うことができる。……そのわりに、結婚が決まる際は大騒動になっちゃったけどな。

 

「おそらく、選帝侯閣下は今日の夕方にも仕掛けてくるはずだ。今晩がこの戦い自体の峠になるだろう」

 

「また夜戦にごわすか」

 

 口元に砂糖菓子のカケラをつけたまま、ウルが少しばかり嫌そうな調子で言った。彼女らカラス鳥人は夜間飛行はそれほど得意ではない。夜目がまったく利かないわけではないらしいのだが、それでも地面や木々に衝突したり現在位置を見失ったりしてしまうリスクは昼間の比ではなく高いのである。当然ながら、わが軍ではカラス鳥人やスズメ鳥人に夜間の任務を与えるのは原則禁止となっていた。貴重な飛行戦力を事故で無為に失う事態は避けねばならない。

 

「なぁに、前線に出て干戈を交えるばかりが戦争ではないさ。偵察や伝令によって、すでに君たちの"戦果"は赫赫たるものとなっている。次は他の者たちに手柄を立てさせてやる番だ」

 

 そう言ってやると、ウルはその褐色の肌を朱に染めて「んふ」と小さく声を上げた。どうやら、僕の返答を気に入ってくれた様子である。

 

「まあ良か。いっばん欲しかもんなもう手に入れちょっでね、今さら目を皿にして手柄を狙う必要もなかやろう」

 

 彼女は僕に顔を近づけ、鼻と鼻をチョンと触れ合わせた。そうしてパッと身を離すと、ニカッと笑いかけて来る。

 

「じゃっどん、日暮れ前までは我らん領分。ギリギリまで情報収集を続くっよう、部下らに檄を入れてくっ」

 

「ん、任せた。しかし無理はしないようにな。敵の鷲獅子(グリフォン)隊はなかなか強力だ」

 

 赤くなったほっぺたをこすりながら、僕はそう言い返した。このカラス少女は、時折このようなスキンシップを図ってくる。なかなか手強いんだよな、これが……。

 

「承知」

 

 ウルはスキップを踏むような足取りで指揮本部を去っていった。残された僕が小さく肩をすくめると、ソニアがぷくっとほっぺたを膨らませる。

 

「……わたしも頑張りますので、どうぞこちらの方も見ていてくださいね」

 

 わあ、やきもちを焼いていらっしゃる。僕は少し慌てて、コホンと咳払いをした。そう言えばこの頃、あれこれ忙しくてあまり彼女とスキンシップをしてこなかった。ソニアは優秀な同僚であると同時に、僕の婚約者でもある。仕事にばかり熱中して彼女を放置するのは良くないだろう。僕は「もちろん」と短く答え、彼女に体を寄せた。ソニアは少しほっとした様子で、僕のついばむように僕の唇に口づけをした。

 ……ソニアは副官だからまだいいが、アデライドなどはリースベン城伯代理の仕事を任せたっきりしばらく顔を合わせもしてない。これはよくない、かなり良くないよなぁ。嫁たちとの絆を深めるためにも、戦争などという不健全な状況はさっさと終わらせないといけない。せいぜい、頑張ることにしようか。



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第493話 くっころ男騎士と決戦の夜(1)

 昼の間ずっと、敵軍は潮が引くように攻撃を停止していた。しかし、大きな引き波の後にはこれまた大きな寄せ波がやってくるというのが道理というもの。予想通り、太陽が沈むのとほぼ同時に再び攻勢が始まった。

 西の空に微かに残った残光に照らされたエムズハーフェン軍の部隊は影の軍団のように不気味だった。彼女らは暗闇の中でも整然と行進し、突撃隊形を組み始める。決戦の夜が始まりつつあった。

 

「流石にこれだけ暗くなると敵情が分かりにくいな」

 

 指揮卓の上の地図を見ながら、僕は小さく唸った。地図には相変わらず彼我の部隊を表した駒が乗っているが、日暮れに伴い索敵が難しくなってきたため、敵部隊の位置は実際のところほとんど不明になっていた。まあ、場合によっては味方部隊の位置ですらしばしばロストしてしまうのが実戦というものだが。現実の戦場はいつだってクソゲーだ。

 

「最後の航空偵察によれば、敵軍はこれまで予備隊として後方に置いていた歩兵連隊も前進させるような動きを見せていました。それからすでにしばらくたっておりますから……我々は現在、今まで以上の重包囲下に置かれているものと推察されます」

 

 資料を片手に、ソニアが地図上の駒をいじった。

 

「とはいえ、そのさらに後方にはヴァルマ隊が控えておりますから。我が妹の攻撃に備えるため、エムズハーフェン選帝侯もある程度の戦力は本陣に置かざるを得ないでしょう」

 

「後方を有力な騎兵部隊に脅かされたまま、前方の敵を叩かねばならない。選帝侯閣下としてもなかなか厳しい盤面だな」

 

 まあ、だからといって我々の方が有利という訳でもないのだが。しかしこのヴァルマの援軍により、エムズハーフェン選帝侯は辛い二択を迫られることになった。ヴァルマを先に潰すか、我々を先に潰すかという選択だ。

 前者を選んだ場合、選帝侯は予備である歩兵連隊をヴァルマの撃破のために投入せざるを得ないだろう。こうなれば、ヴァルマはなかなか大変だろうがこちら側はずいぶんと戦いやすくなる。予備隊がいなくなれば、こちらに振り向けられる兵力は二千名未満。見た目上の兵力は向こうの方が優位だが、敵軍はこちらを包囲している都合上部隊を扇状に布陣させている。部隊を集中させて一斉攻撃を仕掛ければ、局所的な兵力優位は十分に確保できるだろう。そうなれば攻守交代だ。

 しかし選帝侯はその選択肢を選ばず、先に我々を討つ方を選んだ。おそらく、ヴァルマの方には最低限の足止め用兵力だけを置き、残る全軍を持ってこちらに総攻撃をかける算段だと思われる。まあこちらはこちらで賭けの要素はあるのだが、それでも前者よりは危険性の少ない作戦だろう。敵から見てベターな選択肢はこちらだ。

 

「チンタラしていたらヴァルマに尻を蹴られてしまう。ここからの展開は早いぞ」

 

 僕の予想通り、敵軍来襲の報告が来たのはそれからすぐであった。エムズハーフェン軍は甲冑を纏った重装歩兵(おそらくは下馬騎士だろう)を先頭に、その両脇を弩兵で固めた楔形陣形で我々の陣地正面へと攻撃を仕掛けてきた。

 迎え撃つわが軍は上空へ照明弾を打ち上げ、即席弩兵隊の弾幕射撃にてそれを迎え撃つ。これまでの戦闘では照明弾も矢玉も節約気味に使っていたが、ここからは出し惜しみ無しの全力投入だ。敵軍が明らかに決戦を志向している以上、こちらも腹を決めねば撃ち負ける。

 

「敵はひとまず中央に狙いを定めたか」

 

 通信兵が逐一上げてくる報告を聞いて、僕はそう判断した。敵軍はこちらの中央に例の重装歩兵部隊による攻撃を仕掛ける一方、左右の翼にもある程度の部隊を突っ込ませている。しかしそちらで確認されている敵兵はほとんどが甲冑を纏っていない一般歩兵や猟兵(もちろんエルフではない)などであり、二線級の部隊であるのは間違いない様子だった。

 敵の攻撃正面は中央であり、両翼への攻撃は牽制。そう判断できる状況だ。中央への圧力は刻一刻と高まっている。両軍は鉄条網を挟んで対峙しつつ、熾烈な戦闘が繰り広げていた。武具同士がぶつかる音や兵士の悲鳴などが、この指揮本部にまで届くほどの激戦だ。

 

「耐えるだけならばまだまだ持久はできますが、敵にもまだ余力があります。万が一中央突破を許してしまった場合、敵は一直線にこの指揮本部を突くことができます。念のため、中央の守りをさらに固めておいた方が良いやもしれませんね」

 

 参謀の一人がそんな献策をしてきた。たしかに、万が一にも中央突破は許すわけにはいかない。そんな事態になれば逆襲どころか一方的な敗北を喫する羽目になる。しかし……

 

「いや、おそらく中央の部隊は陽動だ。本命は迂回攻撃だろう。中央ばかりに注力するのはマズい」

 

 当然だが、中央はもっとも守りが堅い場所だ。容易に突破できないことは、選帝侯とて承知しているはず。背後をヴァルマ隊に脅かされている以上選帝侯にもそれなりの焦りはあるはずだが、だからこそ雑な力攻めによる突破などを狙うとは思い難い。敵は凡庸な将などではなく、かなり頭の回るタイプだと思われる。この手の将は少々追い詰めたところで判断を誤ったりはせず、むしろ鋭い手を打ち返してくる傾向が強いからな。

 

「敵の手元には水上戦力がある。あの選帝侯閣下がそれを遊ばせておくはずがない。左翼や右翼ならば、川辺に船を並べれば弩砲(バリスタ)による支援射撃が可能だ……」

 

 大砲に比べれば格落ち感が否めない弩砲(バリスタ)だが、それでも総鉄製の槍を五百メートル以上飛ばせるのだから十二分に脅威だ。もちろん直撃を受ければ防御力に優れたアリンコ重装兵ですら即死は免れないだろう。無論その分連射性には難があるが、それは弩砲(バリスタ)そのものの数を増やすことで解決できる。

 

「……まあ、こちらとしてはそれも織り込み済みで作戦を立てているわけだが。問題は、将兵の疲労の具合だな」

 

 敵軍の昼夜を問わぬ嫌がらせ攻撃により、こちらはずいぶん疲弊してしまっている。ローテーションを組むことである程度の休憩時間は確保していたが、それでも万全とは言い難いだろう。僕自身ですら、いささか寝不足気味だった。砂糖をタップリいれた豆茶をガブ飲みして誤魔化してはいるが、それだって限界はある。頭がボンヤリしてポカをしでかすのではないか、という不安はぬぐえない。

 

「睡眠妨害に悩むのは今日でお終いだ。そう思えば、兵らもやる気が出るでしょう。きっと大丈夫です」

 

 しっかりとした声音でそう答えたのはソニアだった。精神論じみた発言だが、彼女は暇を見つけては前線の視察に出ていたからな。現場の将兵の様子については僕以上に詳しい。そのソニアが大丈夫だというのなら、十分に安心できる。

 

「なら、問題はないな。ひとまずは現状維持でいく。しかし、中央が苦しくなってきているのも事実。そろそろ山砲隊に活躍してもらうことにしようか」

 

 僕は待機させてあった山砲隊に中央の部隊を支援するように命令を出した。すると、前線で大量の照明弾が打ちあがる。標的を確認するため、視界を確保しようとしているのだ。山砲隊の射撃が始まったのはその数分後のことだった。耳をつんざくような砲声が響き、少し遅れて雷鳴のような着弾音が聞こえてくる。前線でワッと歓声が上がった。

 

「夜戦ともなれば、敵は昼戦以上の密集陣を組んでいるはず。小口径榴弾でも、効果は甚大でしょうね」

 

 他人事のような口調でソニアが言った。実際、この世界では夜戦では兵同士を密集させるべし、というのが一般的なセオリーだった。兵士がはぐれたり逃げ出したりするのを防ぐためだ。自ら望んで死地に飛び込みたい者はそうそういない。兵士たちは夜闇に紛れ、出来るだけ危険から逃れようとする。それを防ぐための密集陣だ。

 もっとも、山砲隊から見ればそれはカモネギ以外の何者でもない。照明弾によって照らし出された敵の横隊戦列に向け、山砲隊は榴弾や榴散弾などを撃ちまくる。指揮本部(穴倉)の中からは前線の様子は直接目視はできないが、聞こえてくる悲鳴などから考えるに敵部隊はそうとう悲惨な目にあっているようだった。敵ながら可哀想だが、これも戦争。手加減はできない。

 

「前線指揮所より報告。砲撃の効果は甚大なり。支援射撃の継続を望む。以上です」

 

「たいへん結構。山砲隊には好きなだけ撃ちまくれと伝えておけ」

 

 これまでさんざん節約志向で戦ってきたのだ。そろそろ大盤振る舞いをしても許されるだろう。連続する砲声に、僕はご満悦だった。やっぱり戦争はこうでなくては。砲弾をケチらねばならないことほどストレスになるものはない。

 

「エルフ隊より緊急連絡!」

 

 そんな僕の耳に、通信兵の緊迫した声が飛び込んできた。

 

「リッペ市中心部に、市民の大群が集まりつつあるようです。蹶起が始まったと、フェザリア様はおっしゃっております」

 

「来たか」

 

 いやな報告だったが、僕は表情を変えずに頷いた。敵軍の攻撃と市民反乱は必ず連動する、そんなことは最初からわかっていたことだ。今さら焦ったりはしない。

 

「よろしい、エルフ隊に退却命令を出せ。リッペ市は放棄する!」

 

 もちろん、対策も打ってある。市民反乱などには、まともに付き合っていられない。エルフ隊であれば完全に抑えられるような気はするが、鎮圧にはそれなりに時間がかかるだろう。切り札であるエルフ隊の時間をそんなことで浪費していては勝てる戦も勝てなくなる。ならばいっそ、リッペ市などは捨ててしまった方がマシだ。僕は別に、この街を恒久的に支配する気はないわけだしな。

 ……エムズハーフェン選帝侯は、市民に大きな被害が出ることを承知したうえで反乱を起こさせた。つまり、そうまでしてでもエルフ隊を足止めしたかったということだ。しかし、そんな策に付き合う必要はない。切り札を防御のために切るのは僕の趣味ではなかった。

 それに、リッペ市放棄にはもう一つの大きなメリットがある。リッペ市内からエルフ隊が撤退しても、そのことを選帝侯が把握するのはしばらく後だという部分だ。何しろ市内と市外は防壁と川によって物理的に遮断されている。モルダー川を制圧されている以上いずれ市内の状況は外部に露見するが、ある程度の妨害工作をすれば情報伝達にはかなりのタイムラグが出るだろう。このギャップを生かし、選帝侯の肝をつぶすのが僕の目標だった。



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第494話 くっころ男騎士と決戦の夜(2)

 エルフ部隊の撤収は粛々と進んだ。市民反乱は既に始まりつつあったが、そこは精兵揃いのエルフらのこと。まともな軍事教育すら受けていない市民らでは捕捉することすら難しい。彼女らは市民らの追撃をするりするりと潜り抜け、幻のように街の中から消え失せた。

 僕は街の正門で、彼女らを出迎えた。部隊の指揮はソニアに任せている。実戦中に総指揮官が指揮本部から離れるのは大変によろしくないのだが、こればかりは仕方がない。フェザリアらはこれまで困難な任務を良くこなしてくれたし、この後も少しばかりの無茶ぶりをする予定なのだ。しっかり激励して、士気を維持してもらわねばならない。

 

「お帰り、フェザリア。それにみんなも」

 

 街の中から戻ってきたエルフ部隊に向け、僕はそう言った。現在、僕たちがいる正門前にはなんとも剣呑な雰囲気が漂っていた。かつてこの場所にあった大扉は、以前の戦闘で完膚なきまでに破壊されてしまっている。その扉の代わりに、アリンコ重装兵らが密集隊形(ファランクス)を組んで門を守っているのだった。

 この門の維持は、戦略・戦術上きわめて重要な意味がある。僕は市民反乱を無視することにしたが、それは反乱を街の中に封じ込める自信があったからだ。この街にある大きな門は、正面にあるここだけだった。まあ、小さな門や港を使ったルートなども利用できなくはないが、正門以外の門は小さすぎて大勢が出入りするのは難しいし、港に関しては使えそうな船はすでに大方沈めたり川に流したりしている。つまり、ここを抑えている限りは暴徒の大群が街の外にまであふれだしてくるような事態は防げるということだ。

 ありていに言えば、これは市民を守るために建造された重厚な防壁を逆手に取り、民衆を封じ込めるための檻として活用しようという作戦だった。むろん市民らは正門に殺到するだろうが、いくら数が多かろうとも所詮は装備も練度も兵士とは呼べぬような連中だ。アリンコ重装歩兵の"壁"を突破することは困難だろう。

 作戦的にはこの一晩だけ持てばよいので、この程度の雑な封じ込めでも十分に機能すると踏んでいた。軍学上、戦況に触れることができない遊兵はいないのと同じだ。街の封鎖を徹底している限り、暴徒らはそれほど恐ろしい相手ではない。

 

「ん、お出迎えあいがとごわす」

 

 ちょっとした外出から戻って来たかのような声音で、フェザリアは答える。彼女を含め、エルフらの顔に疲労や苦悩の色などはない。……いやはや、流石だな。僕も経験があるからわかるのだが、本気でこちらに牙を剥くつもりで行動を起こした市民集団というのはたいへんに恐ろしいものだ。練度だけ見ればそこらの雑兵未満なのだが、数の暴力の前には多少の練度などは誤差同然だ。暴徒化した市民の大群はほとんど災害に近い存在なのだ。

 にもかかわらず、この泰然自若とした態度。まったく、百年とか二百年とかいう単位で戦い続けている本物の戦闘民族は格が違うな。一人の戦士としては、尊敬の念を抱かずにはいられないだろ。

 

「街の方はどうだった」

 

「石やレンガん家が多かで少しばかり面倒じゃっどん、まあ二日貰ゆれば鎮圧は可能やろう。こん地ん民に戦士は少なか、カカシんような輩ばっかいじゃ」

 

 腰に差した木剣の柄をポンポンと叩きつつ、フェザリアは言う。……二日で鎮圧可能って、それもしかして市民全滅させるつもりじゃないよね? 石やレンガの家ばかりで面倒って、まーた放火する気かお前。まったく、もう。これだから蛮族はさぁ、敵国とはいえ市民に手を出しちゃいかんという意識の全くない連中はさぁ……。いやまぁ、この世界の軍組織は多かれ少なかれそういう部分はあるのだが。人権概念のまだ存在しない世界の野蛮性をナメてはいけない。

 とはいえ、現代国家で軍人やってた経験のある僕としては、その辺りは気になっちゃうわけですよ。実際のところ現代の軍人ですらちょくちょく虐殺めいたことをしてしまうのは現実ではあるのだが、だからこそ人権意識は単なる建前などにしてはいかん。最低限の道徳を失った時、人は容易に獣に落ちてしまうからだ。

 この"市民反乱を無視する"という作戦も、実はその一環だったりする。市民相手には戦いたくないからな。街を戦場にする以上まったく戦いに巻き込まない、というのは不可能だろうが。しかしそれでも、民衆に武器を向けるような状況は出来るだけ回避したかった。まともに市民反乱に対処してたら確実に人手が足りなくなるという事情もあり、このような作戦を立てるに至ったという次第だ。

 

「あっ、そう……流石はエルフ。とはいえ、君たち精鋭にそんなくだらない仕事を任せるわけにはいかんからな」

 

 お世辞ではなく本音で僕はそう言った。ファルージャで目にした光景と同じものを部下たちに見せたくはない。ましてやモガディシュの戦いの再演などは論外だ。僕はちらりと正門の方を見た。そこでは、槍と盾を構えたアリンコ兵が集結中の暴徒と対峙している。

 両者の緊張感は高まるばかりだ。すでに暴徒らは投石などを始めており、アリンコ・ファランクスには石やらゴミやらが降り注いでいる。アリンコ兵は掲げた盾でそれを防ぐことに徹しているが、そのうち反撃を始めるだろう。市民と僕の兵士たちが戦う姿などは見たくもないが、自己防衛をするなとは言えない。僕はため息を吐くことしかできなかった。

 

「エルフ隊にはもっと面白い仕事を用意している。楽しみにしておいてくれ」

 

「面白か仕事ちゅうと、やっぱい例の?」

 

「ああ、アレだ。工兵隊はよく頑張ってくれたよ。あとは敵が罠にかかるのを待つばかり、だ」

 

 リッペ市を放棄してまで用意した切り札だ。塹壕線の維持だとか足りない火力の穴埋めだとか、そんな陳腐な任務に投入するのは圧倒的に勿体ない。僕は彼女らがもっとも輝くであろう任務を用意していた。適材適所、というやつだな。

 

「穴掘りはハキリどもんお家芸じゃっでね。こればっかいはエルフも敵いもはん。……じゃっどん、先ん戦いでやられた手を今度はこちらが使う訳じゃしか。確かにこんた愉快や」

 

 黙っていれば名工の手掛けた女神像のように美しいその顔を獰猛にゆがめ、フェザリアはくつくつとくぐもった笑い声を上げた。もとがとんでもない美人だけに、こういう表情になると迫力がスゴい。正直、怖いくらいなんだよな。

 

「……ま、何はともあれ君たちの仕事はもう少し後になってからだ。長期間の警備任務で、流石の君たちも少しばかりくたびれている所だろう。温食を用意してあるから、しばらくくつろいでいてくれると嬉しい」

 

 ただし、出来るだけ目立たないようにね。僕はそう付け加えた。一応、対外的にはまだ彼女らは街中に居ることになっているのだ。その存在がエムズハーフェン軍にバレてしまっては奇襲効果が半減してしまう。事を起こすまでは目立たぬよう大人しくしてもらう必要があった。

 まあ、今は夜だしそこまで警戒する必要はないだろうがね。一応偽装のために街中には少数の精鋭エルフ兵を残しているし(実際、街の方からはほら貝やら鏑矢やらの音が聞こえてきていた。残置部隊による対暴徒かく乱戦術だ)、そうそうバレるものではないだろう。怖いのはスパイだが、これに関してもそれなりの対策は打っている。

 

「別にそげん疲れちょらんが」

 

 少し唇を尖らせ、フェザリアは前線の方を一瞥した。そちらからは、相変わらず悲鳴やら剣戟の音やらが響いてきている。もちろん山砲隊も全力射撃を継続中だ。遠くから見ているだけでも、相当の激戦であることが伝わってきた。

 

「あちらが難儀しちょっごたってあればしばし手を貸してん良かど」

 

「いや、大丈夫だ」

 

 フェザリアの提案を、僕は即座に拒否した。確かに前線の戦況は予断を許さないが、だからといってエルフを投入しては作戦の根底自体が崩れてしまう。

 

「休むのも軍人の仕事のうちさ。君たちは君たちの仕事を果たしてくれ」

 

「ん、承知した」

 

 素直に頷くフェザリアに、僕は内心安堵した。納得しなければ平気で命令不服従をやらかすのがエルフという連中だ。あれこれ指示を出すだけでも、なかなか神経を使う。まあそれでも、僕の言うことは聞いてくれる方なのだが。アデライドやロリババアなどは、何かを命令しても聞き入れてくれる場合のほうが稀だという話だしな。……そんな状態でよくもまあ新生エルフェニアを維持できてたな、ロリババア。

 

「みながキチンと自分の仕事をこなせば、この戦いは必ず勝てる。今晩一夜の辛抱だ、気張ってくれ」

 

 僕は言い聞かせるような調子でそう言ってから、僕は最後に常に忠誠を(センパーファイ)! と付け加えた。前世からの癖で自分や部下に気合を入れる際にはつい口にしてしまう言葉だが、エルフたちほどこの標語を言い聞かせたい連中もいない。幸いにも、彼女らは揃って腕を掲げてそれに応えてくれた(当然だが一応隠密作戦中に大声で鬨の声を上げるようなアホはエルフ兵には一人もいない)。本当に頼むぞ、お前ら。別に僕個人に忠誠をささげる必要はないが、リースベンという共同体と任務、そして戦友に対しては無窮の忠誠を向けてほしいものだ……。



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第495話 カワウソ選帝侯と決戦の夜(3)

 私、ツェツィーリエ・フォン・エムズハーフェンは固唾をのんで戦況を見守っていた。現在、我々は小さな丘の上に設けた指揮本部で指揮を執っている。リッペ市の直前では苛烈という表現ですら不足に感じるような激戦が繰り広げられていた。

 リッペ市の周辺に築かれた塹壕線に攻撃を仕掛けるわが軍の兵士が、月光とリースベン軍の打ち上げる謎の光球によってボンヤリと照らし出されていた。目をそむけたくなるような悲惨な光景だった。遠来のような砲声が聞こえるたびに、わが軍の隊列が吹き飛び大勢の兵士が命を落とす。赤黒く染まった大地はまさにこの世の地獄だった。

 

「あの砲撃の被害を減らすには、可能な限り縦隊のまま敵陣に肉薄するしかなさそうですな。横隊でゆっくり前進していたら、白兵距離にたどり着く前に全滅してしまう」

 

「しかし、結局のところ最後には横隊にせねば戦えぬわけですが……さきほどから、陣形変更の隙を突かれて大きな被害を受けています。あの大砲とやらを指向された状態で陣形を変えるのは自殺行為では」

 

「縦隊にしろ横隊にしろ、兵士が密集している限りは大きな被害が出てしまいますな。理想を言えば散兵のみで当たるのがただしいのでしょうが、現実的ではありませんし」

 

 参謀どもが雁首を突き合わせ、そんな話をしている。どいつもこいつも、ひどい顔色をしていた。決戦を始めてまだそれほどの時間はたっていないというのに、我々が受けた損害はすでに許容しかねるレベルに達しつつあった。前線からは、撤退許可を求める伝令がひっきりなしに送られてきている。

 敵の防御陣地は恐ろしく堅牢だった。前衛があの有刺鉄線とやらに阻まれてモタモタしているうちに、大砲や弩兵の射撃が後列を襲う。そうして後ろの味方が壊滅してしまったことに気を取られた前衛は、敵の槍兵に貫かれて死ぬ。どうしようもない。

 本来ならばこのようなことにならないための夜襲なわけだけど、上手くいっていなかった。リースベン軍が使う謎の光球兵器のせいだ。あれが滞空しているうちは、周囲一帯が照らし出されてしまう。流石に昼間ほど明るくなるわけではないけれど、少なくとも夜闇に紛れて奇襲などという真似はまず不可能だった。大砲やライフルもおかしいんだけど、あの光球もなんかおかしいよ! なんなのアレ! ズルくない!?

 ズルいといえば、リースベン軍の使っている砲弾もズルい。私の知る限り大砲というのは鉄や石でできた球を飛ばす兵器だと思うのだけれど、リースベン軍は爆弾を砲弾として使っているみたい。おかげで、砲弾を直撃させなくても兵士を殺傷することができる。いくらなんでもズルすぎる。本当になんなのアレは? どういう仕組み?

 

「……」

 

 ため息を吐く気力すら萎え、私は無言で前線を睨みつけた。辛い。キツイ。胃が痛い。唯一の好材料は、家臣どものうるさい主張を聞かずに済むという点だけだった。徹底攻撃を唱えるような連中は軒並み前線に飛ばしている。大きな口を叩くならそれなりの勇気を見せてみろ。そう命令してやったのだった。

 いい気味だと思う一方、私の頭の中の最も冷静な部分は、「あんな奴らでも家臣は家臣だ。大勢死んだりすると戦後が厄介だ」などと訴えている。じゃあどうしろって言うのよあんなアホ共を傍においていたら私の胃が死んじゃうわよ! 私は自分に対してキレそうになっていた。

 

「……そろそろ、か」

 

 耐えきれなくなって、私は懐中時計を確認した。そして、安堵したような気分になる。

 

「水軍が動き出す頃合いだ。やっと反撃に移ることができるな」

 

 私はこの作戦に水軍も投入することにしていた。あの水中爆弾は怖いが、もはや四の五の言っていられる状態じゃない。とはいえ流石に港への強行上陸は危険なので、川の方から援護射撃をさせる予定だった。軍船に乗せている弩砲(バリスタ)はリースベン軍の大砲ほどの破壊力はないけれど、それでもないよりははるかにマシだ。

 

「では、騎兵隊に攻撃命令……いえ、依頼を出しますか」

 

「ああ。予定通り敵の左翼に突撃を仕掛ける。先帝陛下にご連絡しろ」

 

 もちろん、この船団からの攻撃に連動して地上でも新たな攻勢に出る手はずになっている。むしろ、作戦的にはこちらが本命だ。現在行われている攻勢は、あくまで敵主力を拘束するための陽動攻撃に過ぎない。まあ、あのブロンダン卿のことだからこっちの二段攻撃作戦なんか見切ってるでしょうけどね。それでも、やらないよりは遥かにマシ。

 問題は、この本命攻撃を指揮する将があのアレクシア先帝陛下だということ……なのよね。もちろん、これは本人たっての希望によるものだった。あー。胃が痛い。なんでアンタみたいなお偉方が前に出ようとしてんのよ、頭おかしいの? いや、疑問符を付ける必要もなくおかしいわ。

 いや、まあ、作戦的にはそれなりに合理的だったから、採用するほかなかったけどね。アレクシア本人はまあアレにしても、部下は優秀だし。槍の穂先は出来るだけ鋭い方がいい。あの優秀な騎士たちが先鋒を務めてくれるというのなら、確かにありがたかった。家臣らの前では言えないけど、そりゃあもちろんカワウソ獣人騎士よりも獅子獣人騎士のほうが陸戦では強いわけだし。

 

「はぁ、まったく」

 

 アレクシアのアホに伝令を向かわせたあと、私はため息をついた。あのウスラトンカチは前線に出るけど、私はこのまま指揮本部に残るつもりだった。いや、本当は私も前に出るべきなんだろうけど、戦場の最上位者二名が前線入りしちゃったら、一体だれが全体の指揮を取るの? って感じだし。これは仕方ない。私の気分的にもあんなのとは(くつわ)を並べたくないし。

 それに、相変わらず我々の背後にいるヴァルマ隊への対処もある。あの連中は今のところ大人しくしているけど、たぶんこちららが本腰を入れて攻勢に入ったら、その隙を狙って攻撃を仕掛けてくるハズ。放置はできない。

 もちろん、我々としてもヴァルマ隊への対策は打っている。馬防柵やらなにやらで防備を固め、攻撃を跳ね返す準備を整えていた。まず前方の攻勢を成功させねばならない都合上こちらへ置いた兵力は最低限だけど、防御に徹すればなんとかなるはず。装備や練度は最強クラスと言っても、所詮は大隊規模の部隊だもの。やりようはある。

 

「筆頭参謀。あなた、この盤面を見てどう思う?」

 

 それでも心配になって、私は一人の参謀にそう聞いた。この中年のカワウソ獣人は私の母にも仕えていた古参で、優れた戦術眼を持っている。わが軍に蔓延する攻撃主義にも染まっておらず、冷静で堅実な献策を持ち味としていた。

 

「十分、勝ちに行ける布陣かと。確かにリースベン軍の戦闘力は尋常ではありませんが、それでも多勢に無勢です。相手の切り札を捨て札で相殺していけば、リソースの差でわが軍が勝利いたします」

 

「……うむ、同感だ」

 

 市民らを蹶起させ、エルフ隊にぶつけるというのもこの筆頭参謀と相談して考案した策だった。正直かなり嫌な作戦だったけど、負けるよりは遥かにマシと思って飲み込んだ。いまごろ、リッペ市内はこちらの前線以上に悲惨なことになっているだろう。まともな訓練も受けていない市民が、あの悪辣で凶悪なエルフどもに戦いを挑んだらどうなるか……考えるまでもない、虐殺だ。ああ、うう、オエッ。吐きそう。血反吐吐きそう。お腹痛い。ごめんね。本当にごめんね。うぐぐぐ……。

 

「あのような強敵を相手に、勝ち方などは選んではいられますまい。戦後の悪評はすべてこの老骨が引き受けますゆえ、ご安心召されよ」

 

「責任者は責任を取るのが仕事なのよ」

 

 怨嗟を吐き出すような声で、私はそう答えた。まぁ、最低限の仕事はこなさなくちゃね。なぜなら私は選帝侯だから。はぁ……。でも、それはそれとしてこのクソ理不尽には文句の一つや二つは付けたいところだった。あの腐れ先帝め、私が地獄へ落ちる時にはあいつも道連れにしてやる。

 ああ、しかし、何はともあれここまでやったのだから勝ちたい。作戦をたて、命令は下した。すでに歳は投げられているのだ。私は祈るような気持ちで懐中時計の文字盤を睨みつけた。極星よ、どうか我が民、我が将兵にご加護を賜りますようお願いいたします。



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第496話 カワウソ選帝侯と決戦の夜(4)

 先代神聖皇帝、アレクシア・フォン・リヒトホーフェン陛下は速やかに御出陣なされた。その様子を見ていた私は、なんとも落ち着かない心地にになってしまう。まったく、なんという戦場だろうか。敵を率いているのは神算鬼謀で成り上がってきた宮廷騎士出身の男。そして対するこちらは、本来一番後ろでふんぞり返っていなければならない立場の女が喜び勇んで一番槍を務めている。何もかもがあべこべだ。胃だけではなく頭まで痛くなってくる。

 

「ふー……」

 

 ため息ともつかない息を吐きながら、私は望遠鏡を目に当てた。我らが父なるモルダー川の川面にはすでにいくつもの軍船が浮かんでおり、弩砲(バリスタ)による支援射撃を始めている。クロスボウをそのまま大型化したこの兵器は大砲や鉄砲ほどの大音響は立てないが、それでもその独特な弓鳴りの音がこの指揮本部にも聞こえてきていた。

 軍船が放つ鋼の矢弾(ボルト)が、まるで嵐のように敵の左翼に降り注いでいる。一方、リースベン軍はそれに満足な反撃ができていなかった。頼みの綱の大砲はいまだに正面のわが軍に向けて猛射撃を続けており、その砲口を船団に向ける余裕などはない。

 仕方がなくクロスボウを打ち返すわけだが、歩兵用のクロスボウと設置型の弩砲(バリスタ)では射程も威力も違いすぎる。戦いは一方的だった。結局、リースベン兵は姿勢を低くして塹壕に籠る以外のことはできなくなってしまっていた。

 

「流石にこれは胸がスッとするわね……」

 

 思わずそんな言葉が口から漏れた。素の言葉遣いが出てしまい、思わずちょっと赤面してしまう。筆頭参謀はそんな私を見て薄く笑い、「同感です」と頷いた。

 

「リースベン軍にはこれまでさんざん苦労させられました。しかし、それも今夜でお終いです」

 

 本当にそうだよ。私の胃腸の健康のためにも、こんなクソ案件はさっさと終わらせたい。筆頭参謀に頷き返し、私は気合を入れなおした。

 

「下ごしらえはこれで十分。さぁて、先帝陛下のお手並み拝見と行こうか」

 

 射撃の後には白兵を仕掛けるべし、これは戦術の常識だ。実際、協力無比な軍船による射撃も、塹壕にこもった敵にはせいぜい釘付けにする程度の効果しかない。トドメを刺すためには歩兵や騎兵による攻撃が不可欠だった。

 そのトドメ役を担うのが、アレクシアの部隊だ。いや、まあ、兵士の大半はわが軍の所属だけどね。なにしろあのボケ女は百人ばかりの手勢しか連れてきていない。いくら精鋭とはいってもこれでは明らかに不足だ。仕方がないので、私の部下の指揮権を貸してやっている。

 本音を言えばあのような女に私の大切な部下を貸したくはなかったのだが、一番槍をアレクシアの手勢にやらせるという条件で認めることにした。敵陣突破に伴う損害は尋常なものじゃないからね。こんな戦争でこれ以上部下を失いたくはない。矢面にはあの女に立ってもらう。

 

「始まりましたな」

 

 騎馬部隊の一団が敵左翼に接近する。アレクシア支隊だ。これを見た敵陣地は、しきりに例の光球兵器を打ち上げ始めた。その白々しい明かりに照らされ、全身甲冑を纏った勇壮な騎兵たちの姿が夜闇にボンヤリと浮かび上がる。

 アレクシア支隊は騎馬のままある程度塹壕線へと接近した。とはいえ、そのまま突撃を仕掛けるような真似はしない。塹壕線まで五百メートルというところまで近寄ってから、アレクシアは部下全員を下馬させた。さすがのアレクシアも、塹壕や鉄条網を相手に騎馬突撃を仕掛けるような蛮勇は持ち合わせていないようだった。

 騎士らは愛馬を従者に預け、陣形を組み始める。中隊ごとにひと固まりになった、いわゆる魚鱗の陣だ。約束通り先頭はアレクシア率いるクロウン傭兵団とやらで、その後方にはわが軍の下馬重装騎兵一個大隊(わが軍の場合一個大隊は三個中隊だ)が続く。総勢五百名、これがアレクシア支隊の全戦力だ。

 

「……」

 

 私は無言で望遠鏡を握り締めた。アレクシアは気に入らないが、この攻撃の成否に我が領の運命がかかっているのも事実だった。心の中で、極星に彼女らの武運を祈る。アレクシア支隊のラッパ手が前進の音色を奏で始めた。騎士らは一糸乱れぬ動きでリースベン軍の塹壕線へと迫る。

 もちろん、即座に敵の迎撃が始まった。塹壕から放たれた矢の雨がアレクシア支隊に襲い掛かる。だが、騎士らは歩みを止めない。なにしろ精鋭の騎士たちだ、全身に魔装甲冑(エンチャントアーマー)を纏っている。いかに強力なクロスボウでも、この装甲を貫通するのは困難だ。矢の直撃を受けた騎士は少なくなかったが、彼女らは平気な様子で前に進み続ける。

 

「大砲さえなければ……魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んだ騎士は無敵だ」

 

 アレクシアによれば、魔装甲冑(エンチャントアーマー)はライフルの直撃にも耐えるらしい。ブロンダン卿の新兵器は厄介極まりないが、やはり騎士はいまだに戦場において最強の存在なのだ。彼女らの力があれば……リースベン軍にも勝てる!

 問題は大砲だ。流石の魔装甲冑(エンチャントアーマー)もこれは防げない。アレクシアの方へ敵砲兵隊の矛先が向かう事態は絶対に避けねばならなかった。私は正面の部隊に命令を出し、予備戦力をも投入して敵中央への圧力を強めた。砲兵隊を釘付けにするためだ。ひどい損害はでるだろうが、必要な出費をケチると負けるというのは商売も戦争も同じだ。我慢する。

 

「せめて投資したぶんは回収してちょうだいよ……!」

 

 祈るような心地で、私は左翼の戦況を中止した。騎士らは矢玉の雨にも負けずに前進を続け、鉄条網の壁の前へとたどり着く。だが、ここからが本番だ。有刺鉄線を守るべく、塹壕の中から敵の重装歩兵が槍を突き出してくる。当然、騎士隊も同じように槍で対抗した。

 

「ここまでは、今まで通りだが……」

 

 この鉄条網を挟んだ槍合戦は、今回の戦いにおいては飽きるほどに見た光景だ。ブロンダン卿の手勢だというあのアリ虫人の重装歩兵は士気も練度も驚くほど高く、騎士が相手でも一歩も引かない戦いぶりを見せる。この防御陣を打ち破り、鉄条網を突破するのは至難の技だった。だが、こちらもやられるばかりではない。アリ虫人どもの強力な密集陣を突破するための方策はすでに用意してあった。

 

「来たな」

 

 後方から、丸太を抱えた騎士の一団が現れる。騎士十名ほどが集まってなんとか抱えられるような、大ぶりな丸太だ。騎士らはそれを肩に担いだまま、鉄条網に向かって突撃していく。慌てて敵の弩兵が迎撃を始めたが、騎士らは怯みはしなかった。甲冑で矢玉を弾きながら進撃を続ける。

 いくら魔装甲冑(エンチャントアーマー)の防御力が高いとはいえ、決して前進が防護されているわけではない。装甲の隙間に矢が突き刺さり、倒れる騎士もいた。だが、近くに居た騎士が即座に丸太を肩代わりする。意地でも前進を止めない構えだ。流石は皇帝家お抱えの騎士、尋常ではない胆力ね。

 やがて丸太はすさまじい勢いで鉄条網にぶつかり、地面に深々と突き刺さった杭をなぎ倒した。我が方の部隊から歓声が上がる。やっと鉄壁の防御陣地に穴が開いたのだ。私も無意識に拳を握り込んでいた。

 そう、これは破城槌だ。本来ならば台車に乗せて運用するものだけど、なにしろこの辺りの地面はリッペ市守備隊によって掘り返されている。一般的な破城槌を投入しても、車輪が土に埋もれて擱座してしまうだろう。だが、相手は強固な城壁などではなく単に杭に針金を巻き付けただけの簡素な構造物だ。抱えた丸太をそのままぶつけるだけでも十分に効果はある。

 

「やった……!」

 

 鉄条網の一角が崩れた。騎士らはそのまま丸太を手放し、倒れた有刺鉄線の上に"橋"を作る。アリンコ重装歩兵らがその穴をふさぐように槍衾を作ったが、そこへ両手剣や斧槍(ハルバード)などを持った騎士たちが突撃を仕掛けた。凄惨な白兵戦が始まる。

 アリ虫人共の密集陣は相変わらず堅牢だったが、鉄条網がないぶんこちらも戦いやすい。アレクシアはどんどんと後詰めの部隊も投入し、敵に対する圧力を強めていった。よく見れば、その先頭に立っているのはアレクシア本人だ。見事な剣捌きでアリ虫人兵に襲い掛かり、その槍衾を崩す一助になっている。

 

「うわあ」

 

 自分の立場を分かっているんだろうか、あの女。陣頭指揮だけでも頭がおかしいのに、さらに前に出て戦い始めちゃったよ。なんなのアイツ……。呆れた心地になるが、アレクシアは自ら敵兵と剣を交えつつもキチンと部下を統率しているようだった。見事に敵の前列を打ち破り、塹壕の中への侵入に成功する。それとほぼ同時に、二本目の簡易破城槌がまた鉄条網に穴をあけた。新たな攻撃ルートにわが軍の騎士たちが殺到する。

 ……うううーん。あの女、認めたくないけど前線指揮官としてはすこぶる有能なのかもしれない。真似はしたくないけど。絶対に真似はしたくないけど。なんなんだろうなぁ、本当。はぁ。まあ、状況が状況だ。応援しないという選択肢はない。

 私は伝令に命じて、正面の攻撃に当たっていた部隊の一部にもアレクシア支隊を援護させることにした。騎馬弩兵(騎乗しながらクロスボウで射撃するわけではない。あくまで移動に馬を使うだけの兵科だ)を中心にした部隊を左翼に急行させ、支援射撃を加える。もちろん、我が船団も弩砲(バリスタ)の射撃を継続していた。さしものリースベン軍もこれには怯んだらしく、徐々に後退を始める。ここに至り、わが軍はやっとリースベン軍に対して火力優勢を取ることができたのだ。

 ああ、しかしあの光球兵器も悪くはないな。アレのおかげで、夜戦でも戦場全体を見渡しながら指揮をすることができる。月明りだけでは、こうはいかなかった。五里霧中の中、手探りで戦わなくてはならなくなっていただろう。

 

「よし、このまま……」

 

 私が新たな命令を下そうとしたその瞬間だった。ひどく慌てた様子の伝令が指揮本部に走り込んでくる。

 

「報告! 後方のヴァルマ隊が前進を開始しました! こちらの背後に攻撃を仕掛けてくるものと思われます!」

 

「ん、やっと仕掛けて来たか」

 

 落ち着き払った口調で、私はそう答えた。このタイミングでヴァルマ隊が仕掛けてくるのは当然予想していたからね。当然ながら、迎撃の準備は整えている。彼女の反撃をしのぎ切り、アレクシアによる突撃が成功すれば……こちらの勝ちだ!

 

「さて、いよいよ正念場ね」

 

 私は自分の頬をパチンと叩いて気合を入れた。この厄介な胃痛ともこれでオサラバよ。さぁて、気合を入れて戦いましょ!



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第497話 くっころ男騎士と決戦の夜(5)

「右翼の第一防衛線が突破されました!」

 

 その報告が指揮本部に飛び込んできたとき、僕はちょうどアツアツの香草茶を口につけたところだった。のどが焼けそうなそれをゆっくりと嚥下し、カップをソーサーに戻す。もちろん、丁寧な所作でだ。将校は兵に一挙手一投足を見られている。焦っていると取られるような動きはもちろん禁物であり、いついかなる時でも泰然自若とした態度を崩してはならないのだった。

 

「そうか」

 

 穏やかな口調でそう答え、戦況図に目を移す。敵は全方位から強烈な圧力をかけてきているが、戦力の分配を見れば敵の主攻が右翼に向いているのは明らかだ。案の定の動きだなと、心の中でひとりごちる。

 

「被害状況はどうか? 孤立している部隊がいなければ良いのだが」

 

「問題ありません。現在、右翼の部隊は迎撃を行いつつ第二防衛線に向け後退中だということです」

 

「流石はゼラ、見事な指揮ぶりだな」

 

 僕はあの姉御肌のグンタイアリ虫人の顔を思い出しながら、ニヤリと笑った。実際のところ、この後退はまったく予定通りの動きなのだ。まったく焦る必要などない。だが、擬装撤退が本当に潰走につながる事例は枚挙にいとまがないからな。それだけが心配だった。

 とはいえ、困難な任務をこなしてもらう必要があるからこそ、右翼には精鋭部隊を配置していた。具体的に言えば、アリンコ重装歩兵隊の頭領であるゼラ直属の部隊だ。彼女も一応一国の女王を名乗る身、その近侍には極めて有能な者を置いている。この手の任務もお手の物だった。

 しかし、敵が仕掛けてきたのが右翼で良かったよ。むろん左翼の突破を狙ってきた場合のプランも用意していたが、ゼラほどの将は二人も三人もは容易できない。右と左、どちらの方が堅いかと言えば間違いなく右翼だ。つまり、僕は二つにひとつの賭けに勝利したわけだな。

 

「城伯様、前線指揮所から入電。『右翼の状況を知りたい。当方に援軍の用意あり』……以上です」

 

「心配ご無用、と返しておけ」

 

 僕は通信兵にそう言い返した。前線指揮所のペルグラン氏は、どうやら右翼の状況が心配らしい。まあ、気分はわかるよ。実際、右翼の最外縁の塹壕線は制圧されつつあるわけだし。とはいえ、中央の兵員を割いてまで右翼に援軍を送る、というのは本当に最後の手段だ。できればやりたくない。なにしろ右翼や左翼は失陥前提で作戦を組んでいるが、中央に関しては堅持しつづける必要があったからだ。

 現状、作戦はまったくもって順調に推移している。流石はエムズハーフェン選帝侯だな、最善手ばかり打ってくる。兵力差もあることだし、やはり真正面から戦うのは厳しい相手だ。しかし、知将だからこそ手の内を読みやすいメリットもある。作戦の主導権を握っているのがあの人で良かったよ。アーちゃんが直接作戦に介入してきたらどうしようとか、わりと戦々恐々としてたんだが。

 正直、対戦相手としてはエムズハーフェン選帝侯よりもアーちゃんのほうが厄介だ。合理性よりも直感を重視するタイプだし、しかもその勘はなかなか鋭いと来ている。だからこそ出方が読みづらく、対応が後手後手になってしまいがちだ。それよりはまだ、予想の範囲内で最善手を打ち続けてくるタイプの方がやりやすい。

 

「……」

 

 心の中でため息を吐く。思った以上に賭けの要素が強い戦いになってしまった。本来、この作戦はあくまでリュパン軍を支援するための陽動だったのだ。だが、現状はどうだ。敵も味方も死力を振り絞って戦っている。予想以上に、僕に対するエムズハーフェン軍の殺意が強かった。それに尽きる。

 まさか、選帝侯本人(&アーちゃん)が精鋭を率いて直接僕を叩きに来るとは。サバやアジを狙うつもりで釣り糸を垂らしたらマグロがかかったくらいの衝撃だ。どうしてこんなことになっちゃったんだろうね? 南部方面軍司令などという立場を押し付けられはしたが、僕なぞ所詮は成り上がり者の城伯に過ぎないんだぞ。どうなってるんだ、まったく。

 

「アル様、南方の空で青色信号弾が確認されました」

 

 やくたいのない考えを弄んでいた僕の元に、ソニアがやってくる。信号弾を使って連絡してくる味方など、ヴァルマ以外にはいない。他の部隊の司令部には電信の通信線を通してある。

 

「ヴァルマの方も準備完了というわけか。流石、仕事が早いじゃないか」

 

 僕はニヤリと笑ってそういった。確かに、今の状況は少しばかり想定外だ。しかし、僕の心の中にはほとんど不安がない、なぜならば、ヴァルマがいるからだ。なにしろアイツは天性の戦上手だ。このような状況ではこれほど頼りになる女もなかなかいない。彼女とソニアが味方に居る以上、敗北の心配などはする必要がないのだった。

 

「エルフ隊は?」

 

「わたしの方で出撃命令を出しておきました」

 

「大変結構!」

 

 作戦は順調に推移している。僕は大きく息を吸い、そして吐き出した。この作戦の主役は、ヴァルマ隊とエルフ隊だった。強大な選帝侯軍に対し、決定打を与えられるのはこの二者のみ。僕の役割は彼女らの支援だ。オトリになって敵を誘引し、防御を固めて時間を稼ぐ。その隙に、エルフ隊とヴァルマ隊の連携攻撃で敵の中枢をバッサリ。そういう作戦である。

 主力を攻撃に専念させるぶん、こちらの戦いはたいへんに厳しいものになるだろう。戦線を整理し、防御を固める必要がある。場合によっては、僕自身ひさしぶりに実戦で剣を振るう機会があるかもしれないな。そう思うと、なんともいえないほの暗い昂揚が脳髄を駆け巡った。やはり、後方にふんぞり返って指揮に専念、などというのは僕の趣味ではない。

 

「城伯様、ゼラ様より連絡です。どうやら、右翼の敵部隊を率いているのはアレクシア先帝陛下のようです。前線で剣を振るっているのを見た、という報告がいくつも上がっているそうで……」

 

「なに?」

 

 通信兵の言葉に、僕は眉を跳ね上げた。何やってんだあの人。自分の立場わかってるのか? ……わかってたら覆面被って傭兵団作って地域紛争に介入とかしないわな。クソッタレめ、どこの世界に自ら一番槍を務める皇族がいるんだ。なんやねんアイツホンマ……。

 思わずゲンナリするが、よく考えればリースベン戦争でもこうして彼女に悩まされたものだった。敵に回すと本当に厄介な手合いだな。まあ、たぶん味方になったらなったで頭を悩まされる羽目になりそうだが。そんなんだから微妙に人望がないんだよアンタ。

 

「流石はアレクシア、行動力だけは尊敬できますね。まあ、真似をしようとは微塵も思いませんが」

 

 呆れと感嘆が半々、といった表情でソニアが肩をすくめる。僕もため息をつきたい心地になっていた。ヴァルマとは別の意味であの人も問題児だな。いや、根っこは似たようなものかもしれないが。

 まあ、何はともあれ嫌な報告には違いあるまい。ヴァルマと同じく、アーちゃんは破天荒かつ厄介なタイプの指揮官だ。それが突破部隊の陣頭指揮をやっているのだから、敵の衝力はこちらの想定以上かもしれない。ゼラだけにこの厄介極まりない仕事を任せるのは申し訳ないな。

 

「ジョゼット! すまないが、ゼラの手助けを頼む。護衛はソニアがいれば十分だ」

 

「はいよ」

 

 僕は自身の護衛部隊をゼラへの援護に投入することにした。最近は近侍隊などと呼ばれるようになったこの部隊は幼馴染の騎士たちで構成されており、僕にとっては最後の切り札のようなものだった。彼女たちであれば、アーちゃん率いるクロウン傭兵団にも対抗できるだろう。

 

「じゃっ、ソニア。こっちは任せた。アル様になんかあったら承知しないからね」

 

「無論だ。そちらも頑張ってこい。あのような発情猫にアル様を奪われるわけにはいかん、しっかり首級を取ってくるんだぞ」

 

「ムチャ言うねぇ」

 

 物騒な軽口を交わす幼馴染二人を見ながら、僕は苦笑した。ソニアとジョゼットは拳を軽くぶつけ合い、背中を叩き合う。そのまま、ジョゼットは部下たちを率いて指揮本部から出ていった。その姿を見送ってから、小さく深呼吸をする。さあて、これからが正念場だ。アーちゃんが僕を倒すのが早いか、ヴァルマがエムズハーフェン選帝侯を倒すのが早いかの競争だな。せいぜいヴァルマの足を引っ張らぬよう頑張るとするか……。



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第498話 くっころ男騎士と決戦の夜(6)

 右翼の突破を受けた三十分後。状況は悪戦といってよいような状態になりつつあった。エムズハーフェン選帝侯の指揮は巧みであり、アーちゃんの攻撃は熾烈だ。総指揮官の特性と現場指揮官の特性が見事にかみ合っている。正直、かなりキツい。

 右翼からの圧力は尋常なものではなく、近侍隊を投入したというのにいまだに苦戦を強いられている。ゼラ率いるアリンコ隊が密集陣形で攻撃をブロックし、後ろから近侍隊が射撃を加える。この戦法でなんとか戦線を支えているのだが、それでも敵の進撃を完全に阻止することはできずにいた。

 視点を右翼以外に向けてみても、状況は良いとは言い難かった。中央正面には相変わらずバカみたいに敵が突撃してくるし、先ほどまで静かだった左翼も今ではずいぶんと騒がしくなった。船団が左翼側に移動し、弩砲(バリスタ)による射撃を加え始めたのだ。そして艦砲射撃の後には陸上部隊の強襲がやってくるのが定石だ。左翼にもエムズハーフェン軍の第二陣が突入し、こちらも第一防衛線が破られてしまった。

 四面楚歌、まあそんな感じだ。エムズハーフェン軍がいるのは前と左右だけだが、我々の背後には反乱を起こした暴徒たちがいる。彼女らは今のところ防壁とアリンコ・ファランクスで町の外には出られない状況が続いているが、時折防壁の上に登ってきた者が石などを投げてくることもあり油断はできなかった。街中から防壁に上るためのはしごや階段などはすべて破壊してあるのだが、フリークライミングでもしてきたのだろうか? まったく、ご苦労なことだ。

 

「まあ、ここまでは予定調和とはいえ」

 

 地図を片手に、僕は小さく呟いた。現在、両翼の塹壕線はもはや完全に破られたも同然だった。地上で防衛線を構築しなおし、唯一無事な正面の塹壕線に敵がなだれ込んでくるのを防いでいる、そういう状況だ。

 とはいえ、それは作戦通りの流れであった。敵が本気で攻勢を仕掛けてきた場合、現状の戦力では街の全周を覆ったこの塹壕線を堅持するのは難しい。あえて戦線を縮小することで守備部隊の密度を上げ、防御力を高める。その際、敵の主力をこちらの陣地奥深くに引き込めばヴァルマ隊への支援にもなるので一石二鳥だ。

 こうしてみると、手元に居る部隊が精鋭ばかりでよかったと本気で思うよ。なにしろ撤退ほど難易度の高い戦術行動はほかにないからな。戦術的撤退が本物の潰走に転じたらもうどうしようもない。スムーズに戦線の整理が進んだのは、前線の将兵の頑張りあってのことだろう。どれだけ感謝してもしたりないね。戦いが終わったら、しっかり報いてやらねばならん。

 

「やはり、問題はアレクシアですね。あの女が一番のイレギュラーなのは間違いないかと」

 

 難しい顔をしながら、ソニアが唸る。僕もまったくの同感だった。アレクシアとその配下のクロウン傭兵団の力量は尋常ではない。練度が高く、装備に優れ、士気も高い。ジョゼットとゼラの二枚看板が揃っているにもかかわらず劣勢に立たされているのだから、冷や汗ものだ。

 アーちゃん、普段はアホの子にしか見えない挙動をしているくせに、こういう時に限ってクソ有能だから困るんだよな。部隊間で緊密な連携を取ることで兵の疲労と損失を最低限に抑えつつ、継続的な攻撃を仕掛けてきている。おかげでこちらは息をつく暇もない。

 その点、左翼の敵などはとにかく突撃を繰り返すだけなのでいなすのは簡単だった。アーちゃんもこういうタイプの将だったらやりやすかったのにな。まあ、腐っても大国の元元首だ。彼女が本物のアホだったら、その地位に就く前に"不慮の死"を迎えていたことだろう。

 

「選帝侯閣下の指揮も適確だしなぁ。尊敬するに足る敵手だよ、あの二人は」

 

 まあ、本音を言えば敵にはド無能であってほしいと思うがね。……いや、まあ、それにも限度はあるが。何はともあれ、この二人の大貴族が厄介極まりない相手であるのは確かだった。右翼側の圧力は正直想定外のレベルなので、できればこちらに注力したいのだがそうはいかない。選帝侯の指揮には隙を見せれば即座にひっくり返されそうなすごみがある。

 エルフ隊が手元に居ればまだ楽なのだが、残念ながらそういう訳にはいかない。彼女らには極めて重要な任務を任せていた。いまさら戻ってこいなどと言ったら、作戦が根本から崩れてしまう。

 

「城伯様、右翼の部隊が最終防衛ラインまで到達したそうです。これより方針を遅滞から死守に切り替えるとのこと」

 

「了解」

 

 早い、早いなぁ。予定では、最終防衛ラインまで下がるのにあと一時間はかけるつもりだったんだが。リースベン戦争の時といい、ダークホースにならなきゃ気が済まないのかアーちゃんは。はぁ……。

 しっかし、ヴァルマのほうはどうなってるんだろうか? むこうの戦況や進捗が滅茶苦茶気になってるんだが、戦闘が激化したせいでヴァルマ支隊との連絡は完全に途絶してしまっている。今はあの女を信じて戦い続けるしかないのだ。流石にちょっとしんどい。

 まあヴァルマのことだからしっかりやってるんだろうが、今のところエムズハーフェン選帝侯の指揮にヴァルマ支隊の攻撃が影響を与えている気配はないからなぁ。早い所選帝侯のケツに噛みついて指揮どころじゃない状態にしてもらいたいのだが。

 

「……」

 

 せめて山砲隊をもう一個小隊くらい手元に残しておくんだった、とか。守備兵力が千というのはいささか少なすぎた、とか。そんな後悔が脳裏をよぎる。しかし、僕は即座にそれをかき消した。戦っている最中の後悔などは、たんなる現実逃避に過ぎない。反省をするのは戦いが終わってからでも遅くはなかろう。今、僕がやるべきことは勝利をつかむ方法を考えることだ。

 とにかく、一番優先度が高い敵はアーちゃんだ。計画が狂いつつある主な要因は、あのライオン女が予想の三倍くらい派手に暴れまくっているせいだからな。……思えば、作戦が不味かったな。あのアーちゃんを相手に受動的な戦術を選んだら、そりゃあテンポを取られっぱなしになるよ。あの女と戦うなら、積極的にシバき返すくらいやらないと駄目だ。リースベン戦争でもそうだった。

 うん、うん。その通りだ。もう時間稼ぎなんてナメた真似はやめて、アーちゃんを積極的に叩くことにしよう。そもそも、あの女は今回の戦いの最優先目標なんだ。それがノコノコ前線に出てきたわけだから、チェストしない理由はないだろ。なぁにを弱気になってたんだ、僕は。

 

「ソニア、一つ聞きたい。お前なら、アーちゃんを一騎討で倒せるか?」

 

「いけます」

 

 世界で一番頼りになる僕の副官は、その豊満な胸をドンと叩いて断言した。僕の考えをすべて見抜いている顔つきだった。幼馴染だけあって、この辺りは完全に以心伝心だ。

 

「あの女は強敵です。しかし、この私がアル様を背にして負けることなどあり得ません」

 

「よおし、良く言った!」

 

 僕は自分の頬を両手で力いっぱい叩いた。気合を入れろ、アルベール・ブロンダン。前線勤務の機会が無くなったせいで、すっかり牙が抜けてしまっていた。前世の剣の師匠も「細け事はチェストしてから考えれば良か!」と言ってたじゃないか。こんな有様では、エルフどもに失望されてしまう。

 

「参謀長!」

 

「はっ!」

 

 僕の言葉に、壮年の竜人(ドラゴニュート)騎士が直立不動の姿勢になって返答した。この士官はもともとプレヴォ家に仕えていた武人で、ジルベルトからの推薦を受けて僕の参謀団に入った。もちろん、あのジルベルトが推すだけあってなかなかに優秀な人物だ。

 

「僕とソニアはアレクシア先帝陛下を叩いてくる。すまないが、しばらく指揮の方を頼む」

 

「は……はっ! 承知いたしました! ご武運をお祈りいたします!」

 

 参謀長は一瞬、「マジかコイツ」と言いたげな表情になった。しかしすぐに何もかも諦めた顔になり、敬礼をしてくる。僕は鷹揚にそれに応えた。いや、本当にスマンね。けど、しゃーないんだよ。釣りをやるなら、きっちりエサも用意しておかなきゃダメだからな。ニコラウス君いわく、アーちゃんは僕を"奪い取る"ためにこの戦場にやってきたらしい。ならば、僕が目の前に出てくればそれなりのアクションがあるはず。そこがねらい目だ。

 

「よし、行くぞ!」

 

 僕は傍に置いていた兜をひっつかみ、ソニアを伴って指揮本部から出ていった。

 



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第499話 カワウソ選帝侯と決戦の夜(7)

「行け、行け、やれェー!!」

 

 私は威厳も何もないような調子で叫んだ。例の光球兵器に照らされた敵陣では、アレクシア支隊が見事な快進撃を見せている。これまでの不満もすべて忘れ、私は一心に彼女を応援していた。ままならぬことばかりのこの戦争で、やっと思い通りに作戦が進んでいる。こんなに嬉しい事はない。

 とはいえ、相手はあのアルベール・ブロンダン。彼がどれほどの難敵なのか、私はこの戦争で嫌というほどわからされている。だからこそ、油断して手を抜くということはしない。アレクシア支隊が突出しないよう支援を出し、さらに他の方向からも同時攻撃を仕掛ける。

 その甲斐あって、戦場はすっかりこちら有利に傾いていた。連日にわたって実施した嫌がらせ攻撃の効果が、やっと出てきたみたい。もちろん両翼の後退に関しては、守りを固めるために意識的にやってるんでしょうけど。でも、つまりそれは現有の戦力では陣地を守り切れないと判断したということだからね。朗報には違いない。

 

「クラルヴァイン大隊より連絡。防衛線の維持は困難、これより後退を開始する。以上です」

 

 拳を握り締める私の元に伝令がやってきて、そんな報告をした。アツくなった心に冷や水をかけられた心地になりつつ、私は後ろを振り返った。前方では優勢に戦いが進む一方、後方のわが軍は厳しい戦いを強いられていた。

 アレクシア支隊の攻勢開始に連動するように動き始めたヴァルマ隊は、予想通り我々の本陣めがけて攻撃を仕掛けてきていた。これ自体は予想通りだったため、私はわが軍最精鋭の重装騎兵大隊を中心として編成した守備隊を配置していたわけだけど……流石は北方最強と名高いスオラハティ家の精鋭。兵力ではこちらが上回っているというのに、劣勢は避けられずにいた。

 

「あれだけ馬防柵やら土塁やらを用意していたのに、この有様か。いや、クラルヴァインを笑う訳にはいかんな。彼女が弱かったのではなく、ヴァルマ・スオラハティが強すぎたのか」

 

 私は本来わが軍の指揮下に居ない酒保商人まで(ほぼ強制的に)動員して、ヴァルマ隊の進撃を阻止するための防御陣地を構築した。けれども、それで稼げた時間は予想の半分以下だったみたい。ため息をつきたい気分を、豆茶と一緒に飲み下す。

 

「ヴァルマ隊は大砲を装備しています。柵も土塁も、これによって軒並み破壊されてしまったようです」

 

 伝令の報告を裏付けるように、後方から遠来のような音が響いた。ヴァルマ隊の野戦砲の砲声だ。とはいえ、戦場は完全に夜のヴェールに包まれている。いかに夜目の利くカワウソ獣人でも、その大砲がどこにあるのかを見つけることはできなかった。

 いや、大砲だけではない。彼我の部隊がどこに居るのかすらよくわからないのが実情だ。光球兵器をさかんに打ち上げているリースベン軍本隊と違って、ヴァルマ隊は松明すら使っていない。本当に敵は大隊規模なのだろうか、そのような不安すら覚える。

 ……でも、大丈夫だ。昼のうちに、鷲獅子(グリフォン)を使ってしっかり偵察している。わが軍の後方にいる敵は、ヴァルマ隊のみ! 確かに苦戦を強いられているのは確かだが、それでも部下たちはよく頑張ってくれている。アレクシア支隊が任務を果たすまでは、きっと持ってくれるだろう。

 

「騎兵砲とかいう新兵器か。まったく、知らぬうちにガレア軍は随分と変わってしまったな」

 

 ほんとうに嫌になる。どうして敵軍はこれほど強力な兵器を持っているのだろうか? いくらなんでもズルすぎる。戦争が終わったら、なんとかこれらの兵器をウチでも使えるようにしないと。このままでは、時代に取り残されてしまいそう。ああ、でも、我が家我が領地がここで滅んでしまえば、そんな懸念は取り越し苦労になってしまうわけだけど。とにかく今は勝利を拾わないと。

 

「野戦で使える大砲の出現は、戦場の姿をすっかり変えてしまいそうですな。従来の馬防柵やら土塁やらは、すっかり時代遅れになるでしょう。……ああ、そのための塹壕と鉄条網ですか。なるほど、ブロンダン卿は大砲の方向が自分の方に向けられることも想定しているわけですか。先見の明があるとか、そういうレベルではありませんな」

 

 過ぎ去るものを惜しむような声音で、筆頭参謀が言った。

 

「貴様、この戦いが終わったら辞表を出そうとか思ってないだろうな。そうはいかんぞ、貴様は私の右腕だ。利き手が勝手にどこかへ行ってしまったら、私は書類にサインをするにも難儀するような体になってしまう」

 

「無茶をおっしゃる」

 

 まだ隠居には早いでしょうに。そんな気持ちを込めてそう言ってやると、筆頭参謀は嬉しそうに笑いながら肩をすくめた。あの年寄りのイルメンガルド・フォン・ミュリンだって頑張ってるんだから、まだ五十にもなってないアンタがへこたれちゃダメでしょ。

 ……いやまあ、そのイルメンガルドの婆さんもブロンダン卿にやられちゃったわけだけど。命はなんとか拾ったという話だけれど、大丈夫かしら? 戦いが終わったら、何か理由をつけて顔を見に行ってみようか。別に友達という訳でもないけど、まあブロンダン卿被害者の会って感じで。

 

「報告です!」

 

 そこへ、血相を変えた兵士が飛び込んできた。どこかの部隊から来た伝令……ではない。指揮本部付きの見張り兵だ。

 

「北西で、何かが燃えているのが見えました! 距離はおおよそ五キロといったところと思われます」

 

「……何?」

 

 北西……北西? 私は慌てて卓上ランプをひっつかみ、指揮卓の戦況図を照らして見せた。五キロ北西というと……ヴァルマ隊が迂回してきたときに備え、予備の防衛線を弾いておいたあたりだ。馬車を鎖で連結して作った簡易防壁を作り、傭兵に守らせている。……つまり、その馬車防壁が燃えてる……ってコト!?

 

「ワ……アッ!」

 

 無意識に喉から妙な声が出た。エルフ、エルフだ。火計といえばエルフしかいない。なんの確証もないが、私はそう直感していた。あの野蛮極まりない悪逆非道の蛮族どもが、なぜそんなところに! あの連中は、リッペ市内で市民反乱に忙殺されているはずでは……。

 ……いや、いや! 焦るな、落ち着きなさいツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン! これは、火=エルフというイメージを悪用したブロンダン卿の詐術かもしれない。少数の部隊をこちらの陣地に浸透させ、火を放つ。こちらがエルフ隊の位置を誤認し、部隊を下げれば儲けもの……そんな苦し紛れの作戦である可能性も十分にある。私は自分を律するため、深呼吸を繰り返した。

 

「急いで斥候隊を出せ! 可及的速やかに敵の規模と兵科を……」

 

「報告! 報告です!」

 

 命令を出そうとする私のもとに、馬の蹄の音と共にそんな声が聞こえてきた。声の調子が尋常ではない。胃が死神の手で握りつぶされたような心地になりながら。私は唾を何度も飲み下した。震える手で豆茶のカップを掴み、中身をすべて飲む。ああ、駄目。吐きそう。

 そうこうしているうちに、やっと伝令が指揮本部へと入ってくる。先ほど報告を受けたクラルヴァイン大隊からの伝令がアッと小さく声を上げた。どうやら、顔見知りのようだった。落ち着いた様子だった最初の伝令と違い、こちらは顔中汗びっしょりのひどい顔をしている。

 

「クラルヴァイン大隊、大隊長以下幕僚全員が戦死なされました! 大隊は現在潰走中!」

 

「……は?」

 

 さっき後退戦闘を始めたばかりの大隊が、もう壊乱? 耳を疑うような報告だ。

 

「……いったい何があった?」

 

「ひ、飛来した巨大なカマキリが、何もかも薙ぎ払っていきました。……本当です! 本当なんです! この目で確かに見ました!」

 

 参謀らの胡乱な目つきを見て、伝令が弁明する。錯乱でもしてるのか、コイツ。そう思ってしまったけれど、ふと気づいた。巨大カマキリ。そういえば、事情を聴取したミュリン軍の逃亡兵がそんなことを言っていたような気がする。よくある戦場の伝説かと思っていたけれど、まさか実在の存在だったとでもいう訳……?

 

「んぎ」

 

 私は気付いてしまった。もし、その巨大カマキリとやらが、リースベン軍の戦力だったのなら? ブロンダン卿の意図は明白だ。こちらの戦力を前線に貼り付けにしつつ、後方に配置した強力な部隊で私の斬首を狙う。そういう作戦に違いあるまい。

 いや、いや。そもそもその作戦自体は最初から承知していたのだ。ヴァルマ隊は明らかにこちらの本陣を一直線に強襲するつもりでいる。計算外なのは、敵の戦力。巨大カマキリが幻でないのなら、おそらくエルフも欺瞞などではない。どういう手品を使ったのかは知らないけど、とにかくブロンダン卿はエルフ隊をこっそりこちらの包囲網から脱出させておいたのだ。この私の首を確実に獲る、ただそれだけのために。

 

「……」

 

 どうする、どうする! 後方の敵が予想外に多すぎる。現状手元にある戦力で撃退するのはまず不可能だ。前線の部隊をいったん退かせる? ……もう遅い! アレクシア支隊はすっかり敵陣の奥深くに食い込んでしまっている。今さら撤退命令なんか出したら、逆襲を受けてあのクソ先帝陛下がボコボコにされてしまう!

 

「……本陣の防衛戦力を除く全軍に通達を出せ!」

 

 私は決断をした。生半可な戦い方では、あのブロンダン卿は絶対に倒せない。"負けないための戦い"などを展開した日には、あっというまに状況の主導権を奪われボコボコにされてしまうだろう。ならば、私は勝つための戦いを貫くのみ!

 

「リースベン軍の本陣に向け、全力で攻撃をかけろ! 後ろは振り返るな! ただただ前進、ただただ攻撃あるのみ!」

 

 これは、私の首が落ちるのが早いかブロンダン卿の首が落ちるのが早いかのレースだ。いいでしょう、やってやろうじゃないの! 私はエムズハーフェン選帝侯、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンなのよ! 田舎の男城伯なぞに負けてやるわけにはいかないわ!!



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第500話 くっころ男騎士と決戦の夜(8)

 快進撃を続けるアーちゃんを迎え撃つべく、僕たちは右翼の前線を訪れた。もっとも奥深く敵の侵入を許しているこの戦線はすでに二重の塹壕線も突破されており。戦いの様相は一般的な"地上戦"へと回帰していた。月光と照明弾の心もとない光に照らされつつ、両軍は熾烈な殴り合いを続けていた。

 

「来ちゃった」

 

「そういうセリフは、もうちょっとこう……病欠した日とか酒宴の後とかに聞きたかったなァ」

 

 僕を出迎えたジョゼットは、呆れ切った表情でそんなことを言った。ぶっちゃけ、迷惑そうな様子だった。すまん、本当にスマン。現場にとっては迷惑以外の何者でもないことは理解しているが、アーちゃんを誘い出して叩くためには致し方ないのである。僕としても不承不承なのである。「久しぶりに現場の空気が吸える」なんてことは一ミリたりとも思っていないのである。ホントだよ?

 ジョゼットの率いる近侍隊は、小隊規模の小さな部隊だ。本来であれば半個中隊ていどの兵力はあるのだが、少なくない人数が抽出されて別戦線に出張っていた。魔術師対策の狙撃要員だ。なにしろ今の僕の手元にある鉄砲隊は彼女らしかいないので、ジョゼットにはいろいろと面倒をかける羽目になっている。

 

人夫(ひとおっと)に妙なことを言うんじゃない」

 

 ソニアが苦笑しながらツッコんだ。この手の冗談には厳しい彼女だったが、相手が幼馴染ということもあり言い方は優しい。

 

「それがいいんじゃないですか。背徳感は最高のスパイスですよ」

 

「度し難い」

 

 じゃれ合う幼馴染二名をしり目に、僕は最前線のほうに目をやった。そこでは、密集陣形(アリンコ・ファランクス)を組んだアリンコ兵が敵の攻撃を迎え撃っている。彼女らが争っている相手は、長さが四メートルから五メートルほどもある長大な槍を装備した長槍(パイク)兵の集団だった。こちらもアリンコ兵に負けず劣らずの密集陣形を組み、槍による打ち合いを演じている。この時代の戦いではよく目にする、典型的な槍合戦だ。

 とはいえ、アリンコ兵と長槍兵では使っている得物のリーチが大幅に違う。なにしろアリンコ兵の槍はせいぜい二メートルほどであり、長槍兵のパイクの半分以下の長さだ。流石のアリンコ兵もこれだけの差がある中で戦うのは厳しい……かと思ったのだが、そうでもなかった。

 パイクは極端なまでに長い槍だ。それだけに、取り回しに関しては最悪に近い。獣人の膂力をもってしても、肩に担ぐように構えて小刻みに突き出すとか、真上から振り下ろすとか、そういった単調な動きしかできないのだった。白兵兵科としてはエルフと伯仲する実力をもつアリンコ兵どもならば、隙を突くのはそれほど難しい事ではない。

 アリンコ兵らは二枚の盾で長槍の攻撃を防ぎつつ、統率の取れた動きで敵兵に肉薄する。長すぎる槍は懐に入られると弱い。アリンコ兵の猛攻に耐えられなくなった長槍兵はやがて槍を手放し、護身用のショートソードで応戦せざるを得ない状態にまで押し込まれた。こうなればもう、アリンコ兵どもの独壇場だ。流石の手管だな。

 

「最初に右翼を突破したのは下馬した騎士どもだったはずだが、もう歩兵隊の増援が来たのか」

 

 そんなアリンコ兵らの勇戦に感心しつつ、僕は小さな声でそう言った。当たり前だが、四メートル以上もあるような長槍を持って馬に騎乗するのは困難極まりない。下馬した騎士は短槍やら剣やら戦棍《メイス》やらで戦うのが一般的だった。つまり、今アリンコ隊が戦っているのは生粋の歩兵部隊ということになる。

 

「ええ。少し前に敵の大増援がありました。どうやら、予備隊が投入されたようですね」

 

「ふぅむ」

 

 ヴァルマ隊に後方を脅かされた状態で、予備部隊を前線にツッパしたわけか。いや、ヴァルマ隊だけではない。そろそろ、エルフ隊が街中にいないことが露見してもおかしくない頃合いだ。むしろ、エムズハーフェン選帝侯はエルフ隊の矛先が自分に向いていることに気付き、あえて勝てそうな方に兵力を突っ込んだ可能性もあるな。

 リッペ市を放棄したエルフ隊は今、工兵隊が作った地下道を通ってリッペ市包囲網の外にいる。この地下道はもともといざという時の脱出ルートとして準備していたものだが、今回はそれを攻撃作戦に流用した。我々の工兵隊には穴掘りを得意とするハキリアリ虫人が所属しているからな。この手の坑道作戦はお手の物だった。

 

「流石の選帝侯閣下も尻に火がついたか。ここを乗り越えれば我々の勝利だぞ、もうひと踏ん張りだ」

 

「アル様にそう言われると本当に大丈夫そうな気がしてくるから不思議ですね」

 

 硝煙に汚れた顔でニヤリと笑ったジョゼットだが、すぐに笑みを消し「総員、構え! 目標、敵猟兵隊!」と叫んだ。長槍兵との戦いを続けるアリンコ隊の背後を突こうとしている敵部隊を発見したのだ。幼馴染の騎士たちが電光石火の早業でライフルを構え、狙いを付ける。

 

「撃て!」

 

 号令とともに、猛烈な銃声が響き渡った。黒色火薬特有の白煙が周囲に立ち込め、ただでさえ悪い視界をさらに遮った。部隊付きの魔術師が即座に風術を使い、煙幕を晴らしていく。射撃の効果は……さほどよろしくない。倒れた敵兵は思った以上に少なかった。まあ、こればかりは仕方ない。いかに照明弾が絶え間なく打ち上げられているとはいえ、やはり夜戦は夜戦だ。昼間ほどの命中精度は期待できない。

 

「各個射撃続け!」

 

 しかし、足りない精度は手数で補えば良い。ジョゼット率いる近侍隊は、わが軍で唯一の後装式ライフルを装備した部隊だった。彼女らはボルトを引いて撃ち殻を排出し、新しい紙製薬莢を装填する。この連射力が後装銃の持ち味だ。弾幕射撃を浴びせられた敵部隊は、たまらず撤退を開始した。

 

「素晴らしい。やはり連射性能は正義だな」

 

「弾薬の消耗が尋常ではないのが難点ですが」

 

 難しい表情でそう言うソニアに、ジョゼットも同調して頷いた。

 

「実際その通りですよ。そろそろ手持ちのぶんもだいぶ怪しくなってきました」

 

「むぅん」

 

 いくら強力な兵器でも、肝心なところで弾切れになったら役立たずだからなぁ。僕は小さく唸った。後装式ライフルを全軍に配備するのが僕の目標ではあるのだが、実際のところそれは難しいかもしれない。前装式のライフル兵部隊ですら、補給の問題でエムズハーフェン領への遠征には参加できなかったのだ。ましてや後装式ともなると……補給線がパンクして死ぬな。

 

「……」

 

 僕は無言で自分の頬を叩いた。今はそんなことを考えている場合ではない。可及的速やかにアーちゃんを倒さねば、"次"どころではなくなってしまう。

 

「弾が残り少ないなら、なおさらさっさと戦いを終わらせたいところだな。手早くクイーンを取ってしまおう」

 

 幸いにも、敵の"王将"は自ら最前線に出てくるような輩であるわけだし。いやまあそれは僕も人のことは言えないわけだけれども。……ちなみに、この世界のチェスはキングとクイーンの役割が前世のものとは真逆になっている。そもそも男性が王位につくことが稀な世界だから、この配役も当然のことだ。

 

「で、そのクイーンはどこに居るんだ。前線で暴れているという話だったが」

 

「クイーンというか、カイザーですけどね」

 

 ちょっとため息をついてから、ジョゼットは視線を遠くに向けた。

 

「増援が到着したんで、部下に引きずられるようにして後退していきましたよ。ほんのさっきまでは、我々とバチバチやってたんですがね」

 

「アーちゃんの部下も大変だなぁ」

 

「アル様の部下も同じくらい大変ですよ」

 

「……マジすんません」

 

 そう言われてしまうとどうしようもない。僕は深々と頭を下げた。

 

「そうすると、もう一回アーちゃんを前線に引きずり出さなきゃならないな。よし、例のものを使おう」

 

 後ろを振り返り、僕は一人の部下を呼び出した。指揮本部付きの旗手だ。彼女は担いでいた旗をうやうやしい手つきで掲げる。そこに描かれている紋章は、青バラ紋。ブロンダン家の家紋であった。

 

「げぇ、大将旗!」

 

 露骨に嫌そうな口調でジョゼットが叫んだ。まあ、当然の反応である。ただでさえ軍旗は集中攻撃を受けるものなのだ。ましてや、この旗は僕個人の所在を表すものだからな。当然、これを見た敵は最優先でこちらの部隊を狙うようになるだろう。誰だって大将首は欲しいものだからな。

 

「どこの世界に軍旗でオンナを誘うオトコがいるんですか。露出の多い服装とか艶っぽい所作とか、そういうのでやってくださいよ」

 

「僕に戦場のど真ん中でストリップショーでもやれと?」

 

 面白い冗談だ。僕はクスクスと笑った。

 

「紳士としては、そんなふしだらなことをするわけにはいかないからな。竿は竿でも、旗竿を振って誘惑しようってわけだ」

 

「そんな作戦なら、いっそのこと本当にアル様自身の竿を使えばいいんじゃないですか? アレクシアは目の色を変えて食らいついてくるでしょうし、私達の士気も爆上がり間違いなしですよ」

 

 下品なジョークに更に下品なジョークで対抗しながら、ジョゼットは下卑た笑み浮かべた。その頭を、ソニアが思いっきりシバく。兜と篭手がぶつかり合ってなかなか良い音がした。

 

「馬鹿言え、そんなことしたら本命以外の小魚も――それどころか、味方まで食い付いてくるではないか」

 

「違いない。私自身、餌をツンツンつついて味見くらいするかもじれませんね」

 

 それを聞いた幼馴染の騎士どもはそろって大爆笑した。……なんだか股間がムズムズしてきたんだが、人のちんこを釣り竿に例えるのはやめてもらえないだろうか。

 

 



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第501話 くっころ男騎士の奮戦

「とぉつげぇき! 我にぃ、続け!」

 

 号令と共に、僕はサーベルを振り上げながら走り始めた。突撃ラッパが鳴り響き、幼馴染がワッと鬨の声を上げながら僕に続く。敵は、性懲りもなくアリンコ隊の側面を突こうとした歩兵隊だった。いや、装備から見て下馬騎士かもしれない。全身甲冑を着込んでいるので、なかなか手ごわい相手だ。

 僕たちは、アリンコ隊の援護を続けていた。強固極まりないアリンコ・ファランクスだが、極端な密集陣形だけに機動性はそれほど高くない。散兵による側面援護は必須だった。しかし、長期戦によりこちらの手持ちの弾薬数はだいぶ乏しくなってしまっている。不承不承、攻撃手段を白兵に切り替えた次第であった。僕が前線に合流して三十分。戦況はゆっくりと悪化していきつつある。

 

「キェエエエエエエエ!!」

 

 絶叫しながらサーベルを振り下ろす。敵騎士は剣で受けようとしたが、それが運の尽き。刀身は一瞬にして切断され、それどころか体そのものが真っ二つになった。母上譲りの身体強化魔法とサーベル、そして前世から持ち越した剣技があれば、魔装甲冑(エンチャントアーマー)とて熱したバターのように切り裂けるのである。

 

「アル様に遅れをとるな!」

 

「殺せ! 殺せ!」

 

 部下たちも蛮声を上げながら騎士らに襲い掛かる。ソニアなどは、愛用の両手剣をブンブンと振り回してたちどころに二、三名の騎士を叩きのめしていた。彼女はガレア王国でも三指に入る実力を持った極めて優秀な剣士だ。並みの騎士では束になっても対抗できない。

 それ以外の者も、ずいぶんと奮戦している。隊長のジョゼットは愛銃の銃身を握り、銃床で思いっきり敵に殴り掛かっていた。強烈な一撃で姿勢を崩した相手に、今度は銃剣による一刺しを加える。甲冑の隙間を刺された騎士は悲鳴を上げながら倒れ伏した。最新鋭のライフルも、こうなってしまえば原始的な武器と同じだな。僕は思わず苦笑した。

 

「こンの……トカゲ野郎どもめ!」

 

 おっと、仲間の活躍に目を奪われている場合ではなかった。敵騎士が竜人(ドラゴニュート)に対する蔑称を叫びながら僕に襲い掛かってくる。いや、僕は竜人(ドラゴニュート)ではないんだがね。まあ、全身甲冑にフルフェイスの兜という恰好だから、見分けがつかないのは当然のことだけどさ。かくいうこちらも相手が獅子獣人なのかカワウソ獣人なのか判別がつかない。獅子獣人にしては体格がよろしくないので、たぶんカワウソ獣人だとは思うのだが。敵は皆、僕と大差のない身長だった。

 

「ッ!」

 

 内心でツッコミつつも、僕はほとんど無意識に体が動いていた。腰から拳銃を抜き、サーベルを握ったままの右手で撃鉄を弾く。発砲音とともに、敵騎士の手の中から剣が吹き飛んだ。

 

「キエエエエエイッ!!」

 

 拳銃から手を離し、サーベルを握りなおした。そのまま絶叫しつつ敵騎士に斬りかかる。あっという間に騎士の二枚下ろしができた。剣を失った剣士など、何も恐ろしくない。僕は獰猛な笑みを浮かべた。しかし、そこで身体強化魔法の硬化時間が切れる。全身を襲う虚脱感。徹夜二日目って感じだ。まあ、実際徹夜二日目なんだけど。

 

「よくもフリーデを!」

 

 が、敵はそんなこちらの事情などお構いなしだ。メイスを振りかぶりながらまた別の騎士が襲い掛かってくる。あー、クソ。勘弁してくれよなぁ。こちとら只人(ヒューム)やぞ。強化魔法抜きで亜人に対抗するのはだいぶしんどいのよ。

 

「じゃかあしい!!」

 

 メイスの一撃を紙一重で躱しつつ、敵兵に肉薄し胸元を掴む。そのまま足を引っかけ、地面に転がしてやった。「グワー!」と悲鳴を上げる騎士の首筋にサーベルをぶっ刺し、トドメを差す。あーしんど。

 

「アル様!」

 

 敵はまだまだいたが、そこへソニアが乱入してきて何もかも薙ぎ払っていく。なまじの騎士などソニアからすれば雑草と同じだ。まして、相手はどうやらカワウソ獣人らしい。戦場が(おか)であるのならば、最強の竜人(ドラゴニュート)である彼女がカワウソ獣人などに遅れをとるはずがなかった。最近前線に出る機会がなかったから忘れかけてたけど、やはり我が副官の個人武力は尋常なものではない。もうこいつだけでいいんじゃないかな、などとすら思ってしまう始末だ。

 

「ウオオ! 兄貴にお手数をおかけしんさんな!! いてこましたれ!!」

 

「ザッケンナコラー! 死に晒せコラー!」

 

 そこへさらに増援がやってくる。アリンコ隊が正面に居た敵主力をはじき返し終えたのだった。彼女らは軍鼓を打ち鳴らしながら一糸乱れぬ動きで陣形を転換、今度は敵騎士隊を襲い始めた。我が隊とアリンコ隊に挟まれる形になった敵の騎士隊は、組織的な反撃も出来ずあっという間に壊滅した。主力部隊に見捨てられた助攻の末路など、こんなものだ。

 

「……」

 

 その様子を見つつ、僕は密かにため息をついた。正直、だいぶくたびれた。まぁ、充実感はあるんだけどね。少なくとも、穴倉みたいな指揮壕に籠りながら淡々と指揮を取っているよりはよほど"戦っている"という気分がある。

 

「敵さんを撃退するの、これで何度目だろうね」

 

「これで五回目ですね。アリンコ隊が最終防衛ラインまで下がって以降の計算になりますが」

 

 ダース単位の敵兵を薙ぎ払った直後とは思えぬほど落ち着いた口調でソニアが応えた。息すら乱していない。どういうフィジカルしてるんだろうね、マジで羨ましいんだけど。

 

「もうそんなになるのか……」

 

 敵は波状攻撃を仕掛けてきている。頑張って敵を退却させても、息つく暇もなく新手が現れるのだ。疲労困憊なのは、何も只人(ヒューム)である僕だけではない。幼馴染たちも、アリンコ兵らも、明らかに疲れ果てていた。例外はソニアのような体力オバケだけだ。

 戦力差は一対三のはずだが、敵は明らかにそれより多かった。つまり選帝侯はこの右翼戦線に戦力を集中している。おそらくは、予備隊もすべて投入しているはずだ。……つまり選帝侯は後方の守りを放棄している。この采配から考えられる可能性は二つ。ヴァルマやフェザリアが予想外に早く敗退したのか、あるいは逆に防御を固めても無駄だと諦めるほどに大暴れしてるか、だ。

 後者ならいいんだけどね、前者の可能性も捨てきれないから怖いんだよな。ヴァルマやフェザリアのことは信頼しているが、戦場に絶対はないからな。……あー、いかんいかん。万一のことを考えておくのは重要だが、不安に囚われてはいけない。とにかく今は彼女らの勝利を信じて耐えるフェイズだ。

 

「男がこれだけ誘いをかけているのに、顔すら見せないとは。アル様に恥をかかせる気ですかね、あの図体ばかりはデカいクソ女は」

 

 死ぬほどダルそうな声でそんなことを言いながら、ジョゼットは愛銃の銃身を撫でた。彼女が使っているのは特注品の狙撃銃だが、残念なことにその銃身はすっかり曲がってしまっている。銃をこん棒代わりにして敵兵を殴ったせいだ。

 

「これで本当にアレクシアが出てこなかったら、マジで恥ずかしいんだけど。自信満々で逆ナン仕掛けたら、完全にスルーされちゃいました……みたいな感じだ。僕の自意識過剰じゃん」

 

「ハハハ、それはそれで面白いですね。慰め役は私でヨロシクお願いしますよ」

 

 愛銃を撫でるジョゼットの手付きがいささかイヤらしいものに変わった。ソニアが深い深いため息をついて、彼女の兜をシバく。カーンといい音がして、幼馴染どもが大笑いした。

 

「敵のお代わりが来ましたよー! 中隊規模です!」

 

 しかし、そんな緩んだ空気も長くは続かなかった。見張り役の騎士の報告に、皆が揃ってため息を吐く。ワンコ蕎麦じゃないんだから、そんなに次々お代わりを出してこなくていいのにな。

 

「敵の旗印は、獅子に月桂冠! リヒトホーフェン家の家紋です」

 

 しかしそんな「またかよ」という雰囲気も、すぐに吹き飛んだ。おう、おうおうおう。やっと本命が釣れたようだぞ。もったいぶりやがって、あのライオン女め。僕は兜のバイザーを上げ、大きく息を吐いた。

 

「噂をすればなんとやら、だ。よおし、あと一息だ。あのいけ好かないファッキンライオンにもういっぺん痛い目を見せてやる! 根性入れていくぞッ、クソ野郎ども! センパーファーイ!」

 

「ウーラァ!」



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第502話 くっころ男騎士とマイク合戦

 リヒトホーフェン家の家紋を掲げた部隊が接近中との報告を受け、僕はほっとした。これだけ自信満々に前線に出ておきながら、アーちゃんにスルーされた日などには恥ずかしすぎて顔から火が出てしまう。

 敵は中隊規模、おそらくはクロウン傭兵団だろう。傭兵団と言っても、その実態は名家・リヒトホーフェン家の近衛騎士の選り抜きとアーちゃんが各地でヘッドハンティングしてきた優秀な人材で構成された精鋭中の精鋭である。リースベン戦争で一度戦った経験のある相手とはいえ、油断できるものではない。そうとうの難敵だ。

 

「迎撃よーい!」

 

 部下の兵たちは連戦により疲れ果てていたが、だからこそ乱れた隊列で精兵を迎え撃つ事態は避けねばならない。僕は陣頭指揮を取り、早急に戦闘準備を整えさせた。ゼラ率いるアリンコ隊には六列横隊の密集陣形を取らせ、そのサイドを我々近侍隊が守る姿勢だ。……代わり映えしないフォーメーションだが、これが一番合理的なのだから仕方ない。

 そうして態勢を整えるころには、敵部隊はかなりの距離まで接近していた。だいたいライフルの有効射程ギリギリくらいの距離感だ。敵軍はみな揃いの黒甲冑で全身を固め、アリンコ隊に負けず劣らずの密集陣形を組んでいる。巨大な壁が迫ってきているようで、なかなかの威圧感だ。

 しかし、ああいう陣形で来るか。アーちゃんであれば、ライフルや火砲の暴威は身をもって知っているはずだが。たぶん、こちらの火力不足を承知しているんだろうな。実際、山砲隊は中央の戦線で釘付けになっているし、鉄砲を持っているのは近侍隊の数十名のみ。しかも手持ちの弾薬もかなり乏しくなっていると来ている。こういう状況ならば、確かに散兵より密集陣の方が優位だ。

 

「……」

 

 さあて、どうするかね。アーちゃんを獲るためならば、いっそすべての弾薬を射耗してしまっても別に構わないが。しかし、そうはいっても流石に無駄玉を撃つ余裕はないしな。むぅん……夜戦とはいえ、照明弾もあるしそろそろ発砲してもいい頃合いか? どうせ敵は密集してるんだ、適当に撃ってもある程度は命中するだろうし……。

 攻撃命令を出すタイミングを推し量っていると、敵軍は前進を止めた。そして、一人の甲冑騎士が隊列の中から出てくる。周囲の騎士たちより明らかにデカい。アーちゃんだな。そう直感して、僕は望遠鏡を目に当てた。わあ、リヒトホーフェン家の家紋(月桂冠を被ったライオンの横顔だ)が刺繍されたサーコートを羽織ってらっしゃる。軍旗といい、もはやまったく正体を隠すつもりが無いようだな。

 

「アルベール!」

 

 アーちゃんはメガホンを口に当て、大声で叫んだ。わあ、名指しされちゃったよ。まあ、そりゃそうか。僕は小さくため息をついて、ソニアの方を見た。彼女は不承不承といった調子で首を振ってから、頷く。護衛の許可が出た。僕はアーちゃんと同じように隊列の前に出た。敵将がこちらの目前に身を晒しているのだ。これで僕の方が後ろに隠れていたら大恥になる。

 

「何か御用でしょうか! 降伏したいというのならもちろん受け入れますが!」

 

 こちらもメガホンを口に当て(この世界の指揮官は基本的にみなメガホンを持っている)、とびっきり憎たらしい口調でそう返してやると、アリンコ隊の方から笑い声が上がった。こういうのは一種のマイクパフォーマンスだから、徹底的にマウントを取ってやるくらいの調子でちょうどいい。

 

「違う!」

 

 もちろん、アーちゃんはこちらの降伏勧告を一蹴した。当たり前である。

 

「到着が遅れたことを詫びようと思ってな! 我はイの一番に貴様に会いに行きたかったのに、野暮天どもに邪魔されてしまったのだ! 貴様のことを軽んじた結果の遅参ではないことはハッキリ伝えておきたい!」

 

「デートに遅刻した女の言い訳みたいですね」

 

 後ろに控えていたソニアがボソリとそんなことを言うものだから、思わず吹き出しそうになった。戦場で、お互い百人以上の兵隊を引き連れてのデートか。いくらなんでも物騒過ぎるだろ。

 

「ううん、ヘーキ! 僕も今来たとこ!」

 

 しなを作った声でそう言い返すと、自陣どころか相手の隊列からもドッと笑い声が上がった。これから殺し合いをする者同士だというのに、なんとも長閑なことだ。……つまり、敵は合戦の前に大笑いできる程度には心の余裕があるってわけだな。厄介だねぇ。

 

「そ、そうか。ウン、なら良かった」

 

 そう言うアーちゃんの声音は、初デートに臨む学生のようにはにかんだものだった。シチュエーションがマトモなら僕も照れてるかもしれないが、ここはガッツリ戦場なんだよなァ。湧いてくるのは甘酸っぱい感情ではなくマグマのような戦意のみ。悲しいね。

 

「なにはともあれ、我は貴様をもらい受けに来た! 返答は聞かんぞ、貴様は必ずわが花婿になってもらう! 嫌ならばせいぜい抵抗することだ!」

 

 あー、よかった。やっぱ僕の自意識過剰ではなかったようだ。これで大恥は回避だ。まあタチの悪いライオン女に貞操を狙われるのはちょっと怖いがね。僕は苦笑しながら味方の隊列へ振り返り、声を張り上げた。

 

「アレクシア・フォン・リヒトホーフェン陛下から大変に光栄な申し出があったわけだが、貴様らはどう思う? 僕はこのまま帝国の男になるべきかな?」

 

「馬鹿いっちゃいけんよ兄貴!」

 

 そう答えたのはアリンコ隊のゼラだ。彼女は大変に立腹した様子で槍を掲げて見せる。……たぶん、半分以上は演技だろう。集団戦を身の上とするアリンコたちの長だけあって、彼女は部下たちの士気を上げるための"パフォーマンス"のやり方をキチンと心得ている。

 

「先帝だか童貞だか知らんがワシらの男に横恋慕した挙句攫うて行こうたぁええ度胸じゃ! リースベンの流儀ってものを教育しちゃる!」

 

 童貞は僕の方なんだが? ……これはあれかね、エルフの言うところの「雄々しか女じゃ!」的な罵倒なのだろうか。何はともあれ、ゼラの檄によってアリンコ兵らが吹きあがったのは事実だった。彼女らは槍を天に突き出し、口々に叫び声を上げる。

 

「生きて故郷の土を踏める思いんさんなや、メス猫がァ!」

 

「生まれてきたことを後悔させちゃる!」

 

 ウチの部下ども、ガラ悪すぎない? ……ま、まあいいや。兵隊なんて商売はこれくらいじゃなきゃ務まらないわ。うん、うん。そういうことにしておこう。

 

「……だ、そうです。この身が欲しければ、まずは我が精鋭たちの洗礼を受けていただきましょう」

 

「ふっ、フハハハハ! それでこそアルベール・ブロンダン! 我が花婿はこういう男でなければ務まらん!」

 

 心底楽しそうな様子でアーちゃんは哄笑を上げた。この女は、相手が抵抗すればするほど燃え上がる天性のドSなのである。ほんと厄介極まりない相手だなぁ、どうにかならんか? 前世の頃はよくモテたいとか思ってたもんだが、こういうタイプは流石にノーサンキューだろ。

 

「お望み通り、力づくで組み伏せてくれる! 楽しみにしておけ!」

 

 それだけ叫んで、アーちゃんは自陣に戻っていた。もはや言葉は不要ということだろう。パイクパフォーマンス合戦はこれにて終了だ。

 

「悪党に狙われた王子様をお守りするのは騎士の本懐だッ! 貴様ら、気合を入れろよッ!」

 

 僕からメガホンを奪い取ったソニアがそんなことを叫んだ。思ってもみないところから奇襲を喰らった僕は、思わずズッコケそうになった。誰が王子さまやねん、こちとら下っ端騎士の息子やぞ。さっと頬に血が巡り、反射的に頬を抑える。しかしそんなこちらをしり目に部下どもは大盛り上がりだ。武器を手に殺せ殺せコールを叫んでいる。アリンコ兵はもちろん、近侍隊もだ。ホンッッッとうにガラが悪いなぁ、うちの兵隊どもは!



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第503話 くっころ男騎士の吶喊

 "前哨戦"はいくさの最中とは思えないような代物だったが、それでも双方の兵士は意気軒高。干戈を交えずして矛を収めるなどあり得ないような状況だ。アーちゃんが自陣に戻ると、クロウン傭兵団の鼓笛隊が軍鼓やら信号ラッパやらを演奏しながら前進を再開する。それに対抗するように、アリンコ隊も太鼓を打ち鳴らし始めた。これが本当の戦場音楽というやつだ。

 

「撃ち方はじめ! この合戦で弾薬をみな射耗してしまっても構わん! 遠慮なく撃ちまくれ!」

 

 まず戦端を開いたのは、僕の指揮する近侍隊であった。夜戦ということもあり普段よりも距離を詰めてから射撃を始めたが、それでもクロスボウなどに比べればはるかに遠い間合いである。幼馴染たちは銃を構え、猛然と発砲し始める。

 ちなみに、僕は射撃には参加せずサーベルを指揮杖代わりに振り回していた。僕も一応小銃は持ってはいたのだが、それは愛銃を壊してしまったジョゼットに貸し与えている。僕も射撃の腕にはそれなりの自信があるのだが、この頃は彼女の方が訓練の際の成績が良いのである。もろもろのクソ仕事に忙殺されて、あまり訓練に参加できずにいるせいだろう。正直ちょっと悔しい。

 

 とはいえ、いくらライフルを撃ちまくったところで効果は薄い。敵は下馬騎士……つまり実質的には重装歩兵だ。誰もかれもが魔装甲冑(エンチャントアーマー)をしっかり着込んでいて、弾丸が直撃したところで姿勢を崩す程度の効果しかない。甲冑の隙間に命中すれば話は別だろうが、僕の部下で一番射撃の上手いジョゼットですら夜戦でそのような芸当をするのは無理だ。

 アリンコどもと戦った時にも思ったが、この世界の重装歩兵と戦う時はライフル兵だけでは力不足だな。やはり、火砲の支援が必要だ。しかし、手元に一門の砲もない状況で今さらそんなことを言ってもしょうがない。とにかく、牽制程度の効果しかないということを承知したうえで撃ち続けることしかできなかった。

 

「撃ち負けるな!」

 

 ある程度彼我の距離が近づくと、クロウン傭兵団の側も射撃を開始した。敵の射撃兵科はほとんどが弩兵だが、よく見れば弓兵も混ざっているようだ。こちらの陣地に文字通りの矢の雨が降り注ぐ。アリンコ兵は二枚の盾を天に掲げ、敵の攻撃に耐え続ける。かつてはエルフと宿敵関係にあった彼女らだ。この程度の射撃ではこゆるぎもしない。

 

「お返しじゃ! タマぁ取っちゃれ!」

 

 そして、耐えるばかりがアリンコ兵ではない。前列のアリンコ兵が矢を防いでいるうちに、後列の兵が槍を投げ始めたのだ。投げ槍といっても、あまり馬鹿にしたものではない。彼女らは投槍器(アトラトル)という特殊な器具を用いることで、槍を百メートル以上も飛ばすことが出来るのだった。有効射程ではクロスボウにも負けていないし、むしろ威力面では遥かに優れている。

 

「グワーッ!」

 

 矢玉には耐えられる魔装甲冑(エンチャントアーマー)も、流石に槍の直撃を受ければタダでは済まない。悲鳴を上げながら倒れる者も少なからずいた。敵軍から聞こえてくる鼓笛のリズムがより激しいものになり、前進の速度が一段と増した。

 

「一直線に白兵戦へと移行する腹積もりのようですね。射撃戦に付き合うつもりはないということですか」

 

「アーちゃんらしい采配だな。上等だ、付き合ってやろう」

 

 備蓄が怪しくなっているのは弾薬だけではない。数日間続いた夜戦の影響で、照明弾の在庫も残りわずかだ。コイツが払拭してしまったら、射撃戦どころではない。漫然と弾薬を浪費するくらいならいっそそのままチャンバラに入った方がマシというものだろう。

 

「白兵が始まったら、こちらから打って出るぞ。アリンコ隊が敵の頭を押さえているうちに、アーちゃんの身柄を直接狙いに行くんだ。わかったな?」

 

「ウーラァ!」

 

 射撃を続けながら、我が幼馴染たちは頼もしい返事をしてくれた。アリンコ隊は精兵だが、ここ数日の消耗戦でだいぶ疲労が溜まっているはず。これ以上の長期戦に付き合わせると、兵の無駄死が生じかねない。少々危険だが、僕は外科的手段で本命を狙うことにした。そもそもアーちゃん本人が極めて優れた兵士なのだ。雑兵で囲んでも大損害を被るだけなので、精鋭で一気に制圧したほうが良いという判断である。

 そうしている間にも彼我の距離はどんどんと縮まり、いよいよ両軍の前列同士が接触した。未収陣形を組んだまま、熾烈な白兵戦が始まる。武器と盾が打ち交わされ、壮絶な打撃音が戦場に鳴り響いた。

 相手は下馬騎士たちだから、手持ちの武器はほとんどがサーベルや短めの槍などの取り回しの良い得物だ(まれに長大な馬上槍を振り回している者などもいるが)。根っからの歩兵であるアリンコよりも武器のリーチは総じて短めだった。しかし、だからと言って劣勢を強いられているかと言えばそうではなかった。むしろ果敢にアリンコ兵へと肉薄し、猛烈に攻め続けている。少し前の長槍兵との戦闘とは逆の流れだな。流石はアーちゃん自慢の精鋭部隊だ。一筋縄ではいかない。

 とはいえ、アリンコ兵たちも容易にはやられない。四本の腕を最大限に活用し、城壁めいた陣形を組んでクロウン傭兵団の攻撃をはじき返す。典型的な密集陣形同士の戦いになった。この手の戦闘形態は見た目は派手だが意外とあまり死者は出ない。傷ついた兵士はさっさと後列に下がって後詰と後退するからだった。悲惨なことになるのは、隊列が崩れた後だ。

 

「赤色信号弾発射!」

 

 号令に従い、赤色の信号弾が発射される。すると、さかんに打ち上げられていた照明弾の発射がピタリと留まった。すでに空中を漂っていた照明弾も燃え尽き、チリチリと音を立てながら地面へ墜落していく。あっという間に、夜は本来の暗さを取り戻した。光源となるのは空に浮かぶ月と星だけだ。こうなると、間近にいる敵軍の姿すらおぼろげにしか見えなくなってしまう。

 突然のことに、敵陣は騒然となった。その隙に、僕たちは夜の帳に紛れて敵軍の側面に回り込む。獅子獣人は竜人(ドラゴニュート)ほど夜目が利かないのだ。今度は緑色の信号弾を打ち上げると、照明弾の発射が再開される。マグネシウムの放つ白々しい光が、敵陣をボンヤリと照らし出した。

 

「よし、行くぞ! 総員着剣!」

 

 僕は大きく息を吸い込み、吐き出した。サーベルを指揮者のタクトのように掲げ上げる。騎士たちは目をギラ突かせながら、小銃に銃剣を取り付けた。決戦を前にしても、焦ってまごつくものなど一人もいない。僕は誇らしくなった。なんと頼もしい仲間たちだろうか。

 

「余は常に諸子の先頭にありッ! 我に続けェ!!」

 

 突撃ラッパが鳴り響く。僕はサーベルを構えながら弾丸のように駆け出す。幼馴染らは鬨の声を上げつつそれに続いた。目指すは敵左翼、その翼端だ。我々の突撃に気付いた敵弩兵が迎撃を始める。矢弾の雨が我々に降り注いだが、怯む者など誰もいなかった。ライフルで応戦を始めると、敵弩兵がバタバタと倒れる。

 

「ぬわっ!?」

 

 だが敵も負けてはいない。射撃の応酬が続く中、一本の矢弾が僕の胴鎧に当たった。母上からのお下がりとはいえ一応は魔装甲冑(エンチャントアーマー)、クロスボウ程度では貫通されない。しかし着弾の衝撃波かなりのもので、僕はもんどりうって転倒した。受け身を取って即座に跳ね起きる。

 

「あっはは!」

 

 先頭を走る指揮官がズッコケてしまった。何とも恥ずかしい。僕は思わず笑ってしまった。やりやがったなこの野郎。

 

「キエエエエエッ!」

 

 全力疾走し、再装填中の弩兵へと斬りかかる。彼女は鎖帷子を着込んでいたが、その程度であれば強化魔法を使わずとも切断可能だ。母上から譲り受けた魔剣の切れ味は尋常ではない。弩兵は悲鳴を上げる暇もなく真っ二つになった。

 

「突っ込めクソッタレども! 立ちふさがる者はチェストあるのみ!」

 

「オオーッ!!」

 

 血塗れのサーベルを振り回しつつ、僕は幼馴染らに号令をかけた。目指すはアーちゃんただ一人。雑兵なぞにかかずらっている暇はないのだ。



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第504話 くっころ男騎士の夜襲

 我々近侍隊は敵側面に猛烈な攻撃を仕掛けた。これに対し、敵軍は常識的な反応を示す。すなわち、散兵による足止めである。身軽な部隊を両翼の翼端に配置し、敵の迂回を抑止するのはこの時代の合戦では基本中の基本だった。

 ところが、この種の任務に就くのは身軽さを身の上とした猟兵(軽歩兵)たちである。ほとんどの者は防具と言えば鎖帷子程度しか着込んでおらず、将校ですら胸甲をつけている程度の軽装ぶりだ。こういう相手にはてきめんライフルが効果的だった。後装式の利点を生かして猛射撃を加えると、あっという間に壊乱する。

 そういう面では、むしろ弩兵や弓兵のほうが厄介だった。近侍隊はみな魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいるから、そうとう当たり所が悪くない限り矢玉で死傷することはない。しかしそれでも、矢の雨を浴びながら進撃するのは生半可なことではなかった。

 

「木っ端風情がアル様の前に立ちふさがるとは良い度胸だ!」

 

 そんな中でも平気な顔をして大暴れしているのはソニアだった。猟兵にせよ弩兵にせよ、そして敵の主力たる下馬騎士たちにせよ、彼女からすれば雑草と大差ない。草刈りでもしているような気軽さで何もかもを薙ぎ払っていく。ほとんど戦神のような活躍ぶりだった。

 

「止めろ止めろ! 不味いぞ!」

 

 そうこうしているうちに、敵の隊列にほころびができ始める。後方で化け物じみて強い騎士が味方をバッタバッタとなぎ倒しているのだ。敵兵らも、前方の相手ばかりに集中していられなくなる。

 もちろん、この隙を逃すゼラではない。アリンコ隊が高らかに鬨の声を上げ、猛攻撃を開始した。腰の据わらない兵ではこの猛攻をしのぎ切れない。我々が攻撃を仕掛けている左翼を中心に、敵の隊列が崩れ始めた。

 ……手元に騎兵がいればなぁ! 騎兵突撃をかける絶好のタイミングなのに、僕の手元には一騎の騎兵もいないのである。我々の予備兵力は完全に払しょくしていた。ああ、残念にもほどがある。まあ予備兵力を使い果たしているのは敵方も同じことだが。お互い死力を振り絞って戦ってんな。

 

「ブッこめ! 敵戦列のケツをガン掘りしてやるんだッ!」

 

 僕はアリンコ隊ともみ合いを続ける敵主力部隊の隊列をサーベルで指し示した。敵の迎撃を突破し、あそこへ攻撃を仕掛けることができればもう勝ったも同然だ。敵軍左翼は戦列を維持できず、大規模な突破も可能になるだろう。

 

「それが出来るのはアル様だけですよッ! あたしらチンチン付いてネェですもん!」

 

 幼馴染の一人が銃剣で敵兵をめった刺しにしながら叫んだ。……そりゃそうだな! いかんいかん、ついつい前世の感覚で喋ってしまった。こちらの世界ではこの手の下ネタは厳禁である。

 

「そんなにガン掘りしたいなら今すぐハダカに向いて泣くまでガン掘りさせてやらァ!」

 

 そこへ、でかいメイスを担いだ騎士が襲い掛かってくる。騎士は騎士でも、先ほど戦った連中よりは随分と図体がデカい。たぶん、獅子獣人だな。アーちゃんほどではないにしろ、この種族のモノは総じて体格に優れている。もちろん膂力のほうも尋常ではないので、マトモにぶつかり合えば只人(ヒューム)の僕などひとたまりもないだろう。

 

「やれるもんならやってみやがれクソボケがぁ!」

 

 しかし、この程度で怯んでいては騎士などやっていられない。僕は獰猛な笑みを浮かべ、サーベルを構えなおした。身体強化魔法を連続使用は危険だが、あと一回や二回くらいならば大丈夫だろう。このデカブツをぶった切ってやると気合を入れ、そして――

 

「わたしのオトコを横取りしようとはッ! 万死に値するッ!」

 

 暴風のような勢いで現れたソニアが、愛用の両手剣をぶおんと振った。壮絶な切断音と火花が瞬き、哀れな獅子獣人騎士の頭が宙を舞う。彼女の怪力とスオラハティ家秘蔵の大業物の前には、魔装甲冑(エンチャントアーマー)とはいえ試し切り用のワラ束と大差ない。甲冑騎士を真っ二つにするのは僕だけの専売特許ではないのだ。

 

「アル様を娶らんとする者はまずわたしに挑戦せよッ! わたしを倒せぬものにアル様を婿にする資格なしッ!」

 

 ドサリと倒れる敵騎士を一瞥もせず、ソニアは剣を掲げてそう咆哮した。……同じことをアデライドの前でいうんじゃないぞ? 宰相様拗ねちゃうぞ? ああ見えて戦場に出られないことをめちゃくちゃ気にしてるんだからなあの人。

 

「それは良い事を聞いた。さっそく挑戦させてもらおうか」

 

 ひどく不遜な声音で、誰かがそんなことを言った。聞き覚えのある声だ。そちらに目をやると、そこには立派な軍馬にまたがった漆黒の甲冑の騎士がいた。その傍には、一目で精鋭とわかる騎士たちが侍っている。……顔を確認するまでもない。¥、アーちゃんだ。

 

「ほう? やっと出て来たか。待ちくたびれたぞ」

 

 ソニアの声に剣呑な響きが混ざった。それを受けた漆黒の騎士は兜のバイザーを揚げ、ニヤリと笑う。恐ろしく獰猛な表情だ。

 

「いや、すまないな。獲物が自分からこちらの懐に飛び込んでくるとは思わなかった。困惑のあまり、少しばかり歓迎が遅れてしまったのだ。申し訳ない」

 

 それはこっちのセリフだよ。軍の一番偉い人がなんで最前線に出て剣を振るってるんだよ! ……いや、これに関しては僕も他人をどうこう言えた義理はないのだが。

 

「いや、自ら妻の胸の中へと飛び込んでくる花婿だと思えは、可愛さもひとしおか。くくく、物事は考えようだな」

 

「まあこっちは胸の中に飛び込んだついでに喉笛を噛みちぎる腹積もりな訳ですがね」

 

 アーちゃんとその近衛が出てきた以上、現有の戦力で敵戦列の背後を脅かすのは難しくなってしまった。だが、問題はない。我々の本命はあくまでアーちゃんの捕縛、あるいは殺害だからな。近代戦と違い、この世界のいくさはキング……いや、クイーンを取ってしまえば終結する。

 

「花婿はそれくらい元気な方がいい。でなければ種を貰う価値がない」

 

 アーちゃんはペロリと舌なめずりをした。近衛騎士の持つ松明の光に照らされた彼女の顔には、獲物をいたぶる肉食獣のような表情が浮かんでいる。女慣れしていない純朴な男子中学生みたいな態度をとることもあれば、このような肉食系女子の顔をのぞかせることもある。アーちゃんはなかなか過激な二面性を持った女だった。

 

「ソニア・スオラハティ。我としては、出来れば貴様もいただきたい。これからの神聖帝国は激震の時代になる。揺らぎかけた国家の土台を盤石なものにするためには、有能な人材はいくらでも欲しい。……だが、たとえアルベールを共有するという条件であっても、貴様は我に恭順せぬであろうな」

 

「当然だ。わたしが忠義をささげる相手はアル様のみ! 貴様などに垂れる頭は持ち合わせておらん!」

 

「ふっ、くくく……」

 

 くつくつと笑いながら、アーちゃんはまたがっていた軍馬から降りた。近衛の一人が、心配したようすで「陛下……」と声をかけるが、彼女は気にする様子もない。

 

「止めてくれるな。これはいくさである以前に、一人の男を巡った女と女の戦いなのだ。応じぬわけにはいくまいよ」

 

 そう言って、アーちゃんは腰の剣をスラリと抜いた。月光を受け、刀身が怪しくきらめく。妙な雰囲気を纏った剣だ。おそらく、特殊な魔剣の一種だろう。リースベン戦争でも、彼女はその手の得物を使っていた。

 

「ソニア・スオラハティ。先帝ではなく、一人の女として貴様に果し合いを所望する。我が勝てば、アルベール・ブロンダンは頂いていくぞ」

 

「一騎討ちというわけか。話が早いじゃないか……」

 

 ソニアは喉を鳴らして応えた。そして、僕の方を一瞥する。僕は彼女に頷き返した。当初から、アーちゃんには一騎討ちを挑む予定だったのだ。なにしろ彼女はとんでもなく腕の良い剣士だ。なまじの騎士をぶつけても、被害が増すばかりだろう。ならばいっそ、最初から最強のカードをぶつけた方が良い。

……そういう意味では、ネェルを突っ込ませるのが一番だったんだがな。まあ、アーちゃんは後方に居るものとばかり思っていたので、仕方がない、今頃は選帝侯閣下を追い詰めてくれていることだろう。

 

「よろしい。その勝負、受けて立とう」

 

 恐ろしく気合の籠った声でそう答え、ソニアは愛剣を構えた……。



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第505話 くっころ男騎士と川辺の決闘

 戦いは数だよ、とはよく言われることだが、実際のところ質の面で圧倒的に優越していれば多少の数の差などひっくり返してしまえるのもまた事実であった。そういう意味では、アーちゃんが自ら一騎討ちを仕掛けてきてくれたのは大変にありがたい。彼女は僕より遥かに優れた剣士だ。まともにぶつかり合えば、少々の雑兵などでは簡単に蹴散らされてしまう。

 もっとも、それは向こうから見ても同じことだったのかもしれない。アーちゃんが優れた剣士であるように、我が方のソニアも尋常な騎士ではなかった。最強戦力には最強戦力をぶつけるんだよ! みたいな。何はともあれ、こうしてガレア王国最強の騎士と、神聖オルト帝国最強の騎士の一騎討ちが始まったわけである。

 

「……」

 

「……」

 

 ソニアとアーちゃんは、剣を構えたまま無言でにらみ合っていた。一騎討ちには必須のはずの名乗り合いすらしていない。お互い、もはや言葉は不要だと考えているのかもしれなかった。いつの間にか周囲の敵味方も戦いの手を止め、固唾を飲んで二人の立ち合いを眺めている

 ソニアの得物は両手剣、アーちゃんは片手剣と盾という組み合わせだ。体格はアーちゃんの方が優れているが、技量に関してはソニアのほうが優れているようにも思える。なかなか伯仲した対戦カードだが、勝つのはソニアだ。僕は堅くそう信じていた。

 

「ふっ!」

 

 先に仕掛けたのはアーちゃんだった。彼女は地面を蹴り、弾丸のような勢いでソニアに肉薄する。冷たい光を放つ魔剣を真っすぐに構え、目にもとまらぬ速さで刺突を放った。

 

「この程度で!」

 

 並みの騎士であれば何もできずに串刺しにされるであろう一撃ではあったが、相手はあのソニアだ。この程度でやられるようなヤワな奴じゃない。紙一重で刺突を回避し、お返しとばかりに両手剣を振り下ろす。

 

「ふん!」

 

 アーちゃんはそれを盾で防いだ。装甲の表面に描かれたリヒトホーフェン家の家紋の紋章がガリガリと削れ、火花を散らす。さらに、攻撃を受け流しつつもアーちゃんは膝蹴りを繰り出した。攻防一体の見事な体捌きである。

 ソニアはこれを肘でブロック。燕のような勢いで剣を翻し、二の太刀を放った。逆袈裟に切り裂く鋭い一閃だった。今度はそれを剣で弾くアーちゃん。そのままグッと足を踏ん張り、盾でソニアをぶん殴った。獅子らしい豪快な戦いぶりだ。

 

「グッ!」

 

 ソニアは盾を小手で受け止め、数歩後退する。体格では明らかにアーちゃんのほうが秀でている。純粋なパワー勝負ではソニアが不利だ。

 

「セイッ!」

 

 むろん、その隙を逃すアーちゃんではない。彼女は剣を真上に振り上げ、唐竹割りの要領で振り下ろした。ソニアは即座にそれを両手剣の腹でガードする。剣と剣がぶつかり合い、青白い火花が散る。

 

「う……るァ!!」

 

 今度はソニアが仕掛けた。袈裟懸けに振り下ろされた両手剣を、アーちゃんは自分も剣で受け止める。ソニアはぐいと踏ん張ると、つばぜり合いが始まった。

 

「冷気……」

 

 刃をギリギリと鳴らしながら、ソニアが呟いた。

 

「氷の魔剣というわけか。相変わらず妙な得物を使う」

 

「前の愛剣はアルベールに折られてしまったからな……竜人(ドラゴニュート)は寒さに弱いと聞いたぞ。さて、少しは効果があるとよいのだが」

 

 アーちゃんの声には喜悦の色があった。とっておきのオモチャを紹介する子供のような声音だ。……しかし、氷の魔剣ね。前使ってたのは雷の魔剣だったが。いろいろな武具を持ってて羨ましいことだ。

 というか、めっちゃ便利な代物持ってるじゃん。冷気を出せる剣? そんなものがあったら、移動式の冷蔵庫が作れるじゃないか。最前線でも新鮮な肉や野菜が食べられるようになるぞ。なんでその機能を剣なんかに組み込んじゃったんだよ、勿体ない。戦利品としてブン獲って冷蔵庫に改造できないだろうか?

 

「残念だがわたしはガレア北端の生まれでな……! その程度の冷気など物の数ではない!」

 

 ソニアは咆哮を上げながらアーちゃんを弾き飛ばした。嘘つけお前めっちゃ寒がりじゃん。温暖極まりないリースベンの冬ですら寒い寒いと言って僕に四六時中くっ付いてただろ。

 

「そいつは残念!」

 

 笑いを含んだ声でそう応えつつ、アーちゃんは猛攻を仕掛けた。片手用にしては大ぶりの氷の魔剣とやらを軽々と振り回し、ソニアを巧みに追い立てていく。彼女はそれを愛剣で防ぎ続けていたが、気づけば吐く息が白くなっていた。どうやら、魔剣とやらの冷却性能はなかなかのモノらしい。竜人(ドラゴニュート)が寒さに弱いのは事実だから、相当戦いにくいはずだ。

 

「貴様の思い通りにはさせん……!」

 

 長期戦は不利だと直感したのだろう。ソニアは大きく息を吸い、そして吐き出した。そのままアーちゃんの剣舞のような斬撃の隙間を縫い、反撃を開始した。身の丈を超える長さの両手剣を軽々と振り回し、アーちゃんに斬りかかる。

 

「おおっと!」

 

 氷の魔剣でその一撃を受け止め、愉快そうな声を出した。

 

「流石は北方の竜、一撃の重さが尋常ではない。片手で受け止めるのはなかなか骨だ」

 

「だったら身体で受けるがいいッ!」

 

 気迫のこもった叫びと共に、ソニアは猛烈な連続攻撃を仕掛けた。余裕ぶった言葉を吐いていたアーちゃんだが、ほとんど暴風か竜巻のようなソニアの攻め手には流石に防戦一方になってしまう。死神の大鎌めいて振るわれる刃を氷の魔剣で弾きつつも、一歩また一歩と後退していく。

 

「行け―! ソニア! そのままぶっ潰せ―!」

 

「陛下! いけません、いったん態勢を立て直すのです!」

 

 戦いを続けつつも、双方の陣営から応援の声が飛んだ。よくよく考えれば、この一騎討ちは神聖皇帝家の先代当主とガレア王国最大の領邦領主の長女の戦いだ。実質的には南部戦線における頂上決戦と言っても差し支えない。戦局全体に重大な影響を与えるような決戦なのだから、周囲の者たちとしても気にならないはずがない。

 

「オオオオオオッ!」

 

 幼馴染らの声に背中を押されるようにして、ソニアは猛攻を続ける。剣と剣がぶつかり合い、そのたびに火花が散って二人の騎士の姿を照らし出した。なんとも神秘的な光景である。

 ……剣と剣がぶつかり合って? ちょっと待て、何か変だぞ。アーちゃんは片手剣に盾という戦闘スタイルだ。盾を持ってるのに、なぜ剣で攻撃を受ける? よくよく観察してみると、アーちゃんは剣で防御をしつつ時折盾を使って反撃を狙っていた。

 やっぱりおかしい。確かに盾による打撃は案外強力だし、それを積極的に活用する流派もある。とはいえ、攻防の役割をまったく逆にしてしまうというのはやりすぎだ。明らかに彼女は何かを狙っている……!

 

「セイヤッ!」

 

 ソニアが剣を振り下ろしたすきに、アーちゃんがハイキックを仕掛けた。我が副官はそれを微かに身をかがめて回避する。ソニアのブーツがグッと地面を踏み込んだ。

 

「ハァァァッ!」

 

 電光石火の勢いで、剣を翻す。横薙ぎの一閃がアーちゃんを襲った。彼女はまたしてもそれを氷の魔剣で防ぎ――

 

「ッ!!」

 

 パキンとあっけない音がして、ソニアの剣が折れた。それを見て、僕の脳裏に前世で読んだ曽祖父の手記の記憶がよみがえる。曽祖父は冬の満州の戦いに参加した際、軍刀を折ってしまったそうだ。鋼はある一定以下の低温にさらされると、突然脆くなってしまう特性がある。アーちゃんは特殊な魔剣でその環境を人工的に再現した。つまり、彼女は最初から武器破壊を狙っていたのだ!

 

「ぐっ……!」

 

 攻撃の最中にいきなり愛剣が折れたのだ。さしものソニアも姿勢が崩れる。そしてその隙を逃すアーちゃんではなかった。彼女は喜悦に歪んだ声で「獲った!」と叫び、氷の魔剣をソニアに向けて振り下ろす――!



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第506話 カワウソ選帝侯の悪戦

「ハワーッ!?」

 

 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは悲鳴を上げながら吹っ飛ばされた。身体が地面で何度もバウンドし、やっと止まる。自慢の甲冑が土まみれだが、そんなことを気にしている余裕はない。なにしろ全身がバカみたいに痛かった。痛さのあまりマジ泣きしそう。初めての乗馬で落馬したときだってここまでひどくはなかった。

 

「ぐぇぇ」

 

 潰れたカエルのような声を上げつつ、私は何とか起き上がった。耳がキーンとなって、何も聞こえない。何人もの部下が駆け寄ってきて何か言ったようだったが、口はパクパクしているのに何も聞こえない。

 

「私は平気だッ! とにかく態勢を立て直せ!」

 

 それでも、私は空元気を振り絞ってそう叫び返した。とにかく、今は呆けている暇などはない。なにしろ戦況は最悪だ。どれくらい最悪かというと、本陣に大砲を撃ち込まれるレベル。私が吹っ飛ばされたのも、砲撃の余波だ。少し前までは天幕が張られ指揮卓が並んでいたこの場所も、今ではグチャグチャのメチャメチャになってしまっている。

 

「猟兵……猟兵はいないか? とにかく、砲撃を止めなくては。こんな状態では戦闘どころではない」

 

 頭を振りつつ、私は敵の方を見た。暗闇の中、時折何かがチカチカと光っている。どうやら、鉄砲の発砲炎らしい。我が本陣は鉄砲と大砲で滅多打ちにされていた。地面には指揮本部の残骸だけではなく、無数の遺体も転がっていた。もちろん、すべて私の部下だ。

 

「おのれ、ヴァルマ・スオラハティ……!」

 

 思わずそんな声が漏れる。現在、われわれに攻撃を仕掛けてきているのはヴァルマ隊だ。これがまた、死ぬほど手強い。彼女の部隊は鉄砲を大量に配備し、大砲まで持っている。槍とクロスボウで武装したわが軍の兵士ではまったく太刀打ちできなかった。

 正直に言えば、ここまで無惨なことになるとは思っていなかった。火薬兵器の暴威は知っている。しかし、今は夜中だ。そのうえ、満月でもない。これだけ視界が限定的ならば、彼我の射程の差はそれほど大きな影響を与えないのではないかと、そんな甘い事を考えていたのだ。

 しかし、現実はそう甘いものではなかった。ヴァルマ・スオラハティは部下を数十名単位の小さな部隊に分け、多面的な作戦を展開した。いくら平地とはいえ、夜闇の中でそんな小さな部隊を補足するのは容易なことではない。そして結局、迎撃のために展開した長槍兵の密集陣は左右からの猛射撃を浴びて敗退した。こちらは敵の実体を掴むことすらままならなかった。

 

「わが侯! わが侯! この陣地では、これ以上持ちこたえるのは不可能です。いったん後退しましょう!」

 

 やっと耳が聞こえるようになってきた。筆頭参謀が必至の形相で私の肩をゆすっている。この女がこんな表情をしているのを、私は初めて見た。ああ、これが負け戦か。そんな考えが一瞬脳裏をよぎり、私は慌てて頭を振った。いいえ、私はまだ負けていない! なんとかこの局面を耐えきり、アレクシア陛下がアルベールを倒してくれれば……まだ希望はある!

 

「……わかった、少しだけ後退しよう。だが、後ろ(・・)はすぐ敵陣だ。あまり下がりすぎると、今度は背中側から攻められるぞ」

 

 ほんの一時間前は正面と呼んでいた方向を後ろと呼ばねばならないことに、私は忸怩たる気分を覚えた。後ろから差されるなんて言うのは、用兵家にとっては最悪の恥よ。私の将としての自信は、もう滅茶苦茶になっていた。

 

「致し方ありません、この場を固持するよりはよほどマシです。とにかく、今は少しでも多くの時間を稼がねば」

 

 筆頭参謀の顔はひどく悲壮なものだったけれど、それでも逃げようとは言わなかった。私と同じく、彼女もまだ勝利をあきらめていないらしい。少しだけ誇らしくなって、私はふっと息を吐いた。

 

「長槍兵には槍を捨てるよう命じろ。この戦場では、密集陣など何の役にも立たない。散兵には散兵で対抗する以外なさそうだ」

 

 兵士を団子にして運用していると、大砲のマトになってしまう。鉄砲ならば魔装甲冑(エンチャントアーマー)で防げるが、大砲はそうもいかない。アレが一度火を噴くと、それだけで何人もの兵士が一度に吹き飛んでしまう。戦場の形を変えてしまうような、恐ろしい兵器だった。

 ……なんとか運よくこの戦場を生き延びることができたら、何が何でもわが軍でもああいう大砲を導入しなきゃマズいわね。勝っても負けても、ブロンダン家と交渉してなんとかアレを売ってもらわなきゃ。こんなひどい戦争は、もう二度と御免だからね。勝つためにはなんだってしなきゃいけない。

 

「承知いたしました」

 

 筆頭参謀は部下たちにテキパキと指示を出し始める。こんな緊急時でも、彼女は相変わらず頼りになった。やっぱり、真に必要な部下はこういうタイプよね。口を開けば攻撃攻撃と叫ぶだけのアホは論外だと思う。

 

「ッ!!」

 

 なんてことを考えていたら、また大砲が着弾した。でも、砲弾が落ちたのは運よく誰もいない場所だった。流石のヴァルマも、この闇の中ではしっかり狙いを定めることができないみたい。とはいえ、いつまでもチンタラしていたらいずれ壊滅してしまう。使える戦力をすべて前線に突っ込んじゃったせいで、私の手元に残っている戦力はごくわずかだ。これだけの手勢でヴァルマ・スオラハティに対抗するのは流石に難しい。

 

「後退準備完了しました!」

 

 近衛騎士の団長が、ハキハキした声でそう報告した。私は自信たっぷりな表情を顔に張り付け、鷹揚に頷く。……全身土まみれだから、たぶん全然格好ついてないでしょうけどね。

 

「よろしい。では、これより順次部隊を後退させつつ遅滞戦闘を継続する」

 

 ヴァルマ隊との戦いの中で、私はいくつか気付いたことがある。その一つが、火器を装備した敵と相対する際は、足を止めるべきではないということだ。同じ場所に居続けると、大砲の猛射撃を喰らって死ぬ。これを避けるには、リースベン軍のように穴倉に籠るか、あるいは相手に照準を定める時間を与えぬよう常に動き続けるしかない。

 あるいは乱戦に持ち込むという方法もあるけど、相手が散兵を主体に戦っている以上それも難しい。なにしろこの夜闇の中では敵を補足するだけでも随分と難儀するからね。えんえんと索敵をしているうちに肝心なタイミングを逃してしまいかねないだろう。……ううーん。夜戦ならば、敵軍の利点をずいぶんと削げると思ってたんだけど。ぜんぜん上手くいかないわ。アルベールの用兵は、新戦術とは思えないほど洗練されている。全く隙がなくて困っちゃうなぁ……。

 

「慌てるな! こういういくさでは、敵に背中を見せた者から死んでいくぞ」

 

「とにかく撃って撃って撃ちまくれ、盲撃ちは敵だって似たようなものなんだ、気にすることはない!」

 

 下士官らが大声を上げつつ部下に檄を飛ばしている。後退戦闘は、容易に潰走に転じてしまう危険な戦術行動だ。いくさ慣れした古兵たちも、流石に緊張しているように見える。

 それでも、兵たちはなんとか戦ってくれていた。弩兵は敵の発砲炎が見える方向に向けてクロスボウを放ち、槍兵らは槍を捨てて剣を構え敵の白兵に備えている。遠間の射撃戦を続けつつ、我々はゆっくりと後退をし始めた。敵の大砲は相変わらず定期的に砲弾を放っているけど、その着弾地点は次第にバラけるようになってくる。

 どうやら、敵はこちらの正確な位置を見失いつつあるっぽいわね。鉄砲と違って、クロスボウは発射時に炎を出さないし音も小さい。こういう局面においては、やや優位性があるのかもしれないわね。私は少しだけほっとした。

 

「ッ!?」

 

 その時である、我々の右手からぷおおおんという奇妙な笛の音が聞こえてきたのは。角笛に近い音色だけど、それよりもやや重苦しい。いったいなんの音だ? 首を傾げた瞬間、我々の頭上から矢の雨が降り注いだ。



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第507話 くっころ男騎士と女の戦い

 ヴァルマ隊からの圧力に抗しきれず、私は後退を決意した。しかしそこへ、重苦しい笛の音色と共に矢の雨が降り注いだ。

 

「ウワーッ!?」

 

「盾だ! 盾を掲げろ!」

 

 たちまちの間に、我が方の陣地は阿鼻叫喚の状態に陥った。前方、つまりはヴァルマ隊への対処に集中していたところにいきなり横合いから殴りこまれたのだ。混乱しないはずがない。ぷおおおん、ぶおおおんという聞いたこともない笛の音も、恐怖感に拍車をかけている。

 

「落ち着いて防御陣形を取れ! バラバラに逃げ出したらそれこそ敵の思うつぼだぞ!」

 

 とにもかくにも、この混乱を治めなければならない。私は急いで部下らにそう命じた。鉄砲や大砲の暴威を思えば密集陣形を取らせるのは避けるべきだろうけど、今回に関しては致し方ない。訓練をしていない行動をいきなり実戦で命じたところで上手くいくはずがないからだ。

 幸いにも、私の元に居る手勢はみな精兵だった。彼女らは私を守るようにして迅速に亀甲陣形を組み、盾で敵の矢玉を弾き返し始めた。それを見た私はほっと安どのため息を吐く。奇襲は最初の一撃を喰らった瞬間が一番危ないのだ。これさえ乗り越えてしまえばまだやりようはある。

 

「ぐぬっ……! このタイミングで仕掛けて来たか、蛮族どもめ!」

 

 しかし、状況が多少落ち着いてもボヤきは止められない。これは紛れもない奇襲だったけど、私はこの攻撃が誰の手によるものかを即座に理解していた。鉄砲ではなく弓矢による射撃……間違いない、エルフだ。彼女らの代名詞とも呼べる武器は、火炎放射器だけではない。妖精弓(エルヴンボウ)などと呼ばれる優れた弓の情報は、私の耳にも入ってきていた。

 

「敵の現場指揮官にはよほどの戦上手が揃っておりますな。夜戦でこれほどにも時宜を得た奇襲を仕掛けてくるとは」

 

 苦み走った声でそうボヤきつつ、筆頭参謀が私を庇うように盾を掲げた。最初の放火報告以降、エルフどもがこちらの哨戒網に引っかかることはなくなっていた。ヴァルマ隊との同士討ちを恐れ、遠巻きに戦場を眺めていたのだと思っていたけれど……まさか、弓の間合いまで接近されていたとは。いくら夜とはいえ、見張りは何をしていたのかしら!

 

「マズイことになったわね」

 

 私は周囲に聞こえぬよう小さな声でそう言った。我々はもともと、正面のヴァルマ隊と射撃戦をしていた。それに加え、今は右手からエルフが仕掛けてきている。二方向から同時に射撃を受けるのは大変に危険だというのは、どんな兵術書にも書かれている基本的な知識だった。

 

「昼間だったら全力で退避させるところなんだけど、こんな夜に――」

 

 そこまで言ったところで、筆頭参謀の盾に矢が突き刺さった。その鋭い音に、思わず身がすくみそうになる。しかし筆頭参謀は、落ち着き払った声で「まぐれ当たりです。恐れる必要はありません」と言った。私はほっとして、小さく深呼吸する。流石は老兵、戦場での正しい立ち振る舞いをしっかり理解している。私もこういう風になりたいものね。……いややっぱり嫌だわ。もう二度と戦場には出たくないわ。

 

「こほん。……こんな夜に兵たちに全力疾走をさせたら、隊列が千々に乱れて部隊が霧散してしまう。そうなったらもう再集結はムリよ。どうするべきか、だいぶ悩ましいわね……」

 

 昼間ですら、一度バラバラになった部隊を再び集めるのは尋常なことではない。指揮官の統制から外れた兵士は、好き勝手に逃散してしまうものだからね。ましてや今は夜、一度バラバラになった部隊は二度と元に戻らないだろう。下手に退避を命じたら、干戈を交えるまでもなく我が手勢は壊滅することになってしまう。

 

「心配なされることはありません、我が侯」

 

 しかし筆頭参謀は何ともないような声音でそう答えた。

 

「この夜の帳を身を守る盾として活用するのです。我が方の兵士たちをごらんなさい、混乱はしていても、倒れる者は少ない。エルフであれ、竜人(ドラゴニュート)であれ、このような闇の中では狙いを定めた精密な射撃など不可能です」

 

 言われてみれば、奇襲を受けた割に我が方の被害は少ない。私はハッとなった。そうか、敵はこちらの居るであろう位置に適当に見当を付けて矢や鉄砲を放っているだけだ。これでは、まともに命中するはずもない。

 

「そして、敵方は片方の部隊が射撃を続けている限りは突撃に移れません。同士討ちになってしまいますからね」

 

「なるほど……! そうか、その射撃中止の要請も、この夜闇の中ではなかなか出せまい。夜の野戦では伝令を届けるのも一苦労だ……」

 

 私は得心した。我々に降り注いでいるのは矢だけではない。ヴァルマの鉄砲隊も相変わらず射撃を続けている。厄介なことこの上ない弾幕だけど、これが止まるまで突撃が来ないというのならまだそこに付け入る隙が……。

 

「チェストカワウソ!」

 

「せっかくヴァルマどんが一番槍を譲ってくれたんど。こいで大将首を取れんにゃエルフん恥ぞ!」

 

「グワーッ!」

 

 ……いや普通にエルフどもが突撃してきてない、これ? 夜闇のせいであんまり良く見えないけど、なんか明らかに白兵戦してるような声や音が聞こえてきてるような。

 

「首! 首! 大将首はどこじゃ!」

 

「いちいち首を獲っ前に名を聞っともしゃらくせ! 目につっもん皆チェストして後で首実検すりゃ良か!」

 

「名案にごつ!」

 

 耳をすませば死ぬほど物騒な会話が聞こえてきた。それを聞いた筆頭参謀はふっと笑い、首を左右に振った。

 

「エルフに常識を求めた私が間違いでしたね」

 

「そうね」

 

 駄目だわこれ、普通にエルフども突撃してきてるわ。ヴァルマ隊の方からは相変わらず銃弾が飛んできてるし、それどころかエルフからの弓射も止まってない。この状態で突撃してくる? 普通。ああああああ! そろそろ胃が爆発しそう!!

 

「とにかく、今はあの命知らず共を跳ね返しましょう。連中は甲冑も纏わぬ軽歩兵ですから、重装歩兵の密集陣を相手にするのは流石に分が悪いはず。組織的反抗こそが、現状を打破する唯一の……」

 

「化け物だ! 化け物が来たぞ!」

 

 筆頭参謀がそこまで言ったところで、これまで静かだった左手の方からもそんな声が上がった。そちらに目をやれば、なんだかひどく巨大なモノがこちらの陣地に向け猛烈なスピードで突っ込んできている。よくよく目を凝らしてみると、それはヒトの上半身がくっ付いたバカでかいカマキリだった。

 暴走馬車のような勢いで突撃してきた巨大カマキリは、そのまま我が方の亀甲陣へ衝突した。盾を構えていた兵士たちが、オモチャのように吹き飛ばされていく、ひどく非現実的な光景だった。

 

「おお、勿体ない、勿体ない。新鮮な、お肉が、こんなにも、無駄になる。やはり、戦争は、きらい、ですね?」

 

 巨大カマキリは何やら物騒なことを言いながら、体格に見合った巨大な鎌を振り回した。無造作な攻撃だが、スピードとパワーが尋常ではない。たったの一撃で複数の兵士らが吹っ飛ばされていった。むろん何とか迎撃しようと槍を突き出す者もいたが、まったく相手にならない。一方的な戦い……いや、虐殺だ。

 

「に、逃げろ! こんな化け物に勝てるわけがない!」

 

「助けてくれ! し、死にたくない! ウワーッ!」

 

一瞬のうちに左側の部隊は士気崩壊を起こし、兵士どもが武器を放りだして逃げ出し始めた。恐慌はあっという間に周囲に伝播する。エルフと交戦していた右手の部隊もそれは例外ではなく、緊密だった陣形に露骨に隙間ができ始めた。

 

「……ああ、もう、これは駄目ですね」

 

 とうとう、筆頭参謀までもが匙を投げた。正直に言えば、私も同感だった。ヴァルマ隊だけでも荷が重いのに、エルフ隊と化け物カマキリまで相手をするのは絶対に無理でしょ。ああ、もう、滅茶苦茶だわ。どうしようもないわ。私はほとんどへたり込みそうになっていた。ああ、けれど、私には男のようにクズクズと泣き崩れる権利もない。なぜなら私はエムズハーフェン選帝侯だからだ。大貴族の長として、命尽きるその瞬間まで威厳ある態度を崩してはならない。

 

「致し方ありません。自分が血路を開きますので、せめて我が侯だけでも生き延びていただきたい」

 

「ば、馬鹿言いなさい!」

 

 私は思わず叫んだ。もちろん、死にたくはないけれど。でも、この忠臣を見捨てて自分だけ生き延びるのは駄目だ。私はまだ彼女の忠誠に報いることができるような上等な君主ではない。

 

「まだ私はあきらめないわ! エムズハーフェン家の当主として、最後まで義務を果たすッ!」

 

 大きくため息をついて、私は剣を抜き放った。口ではこう言っているけど、実際のところこうなったらもう敗北は避けられない。ならばせめて、貴族として誉れある死に方をしなければエムズハーフェン家が後ろ指を指されることになる。ならばせめてここで見事に散るのがエムズハーフェン選帝侯たる私の最後の仕事だ。……ああー、悪くない人生だったはずなのに、バカみたいなところで躓いちゃったなぁ。死にたくないなぁ……うえええ。

 

「まずは手始めにあの腐れカマキリを倒すッ! 戦意無き者は不要だ、ブロンダン卿に一矢報いる気概のある者だけ我が供をせよッ!」

 

 どうせ死ぬなら、強い方に突っ込んで死んだ方が名誉になる。私は腹を決め、剣を抜き放って我が陣地の蹂躙を続けるカマキリを指し示した。

 

「あれを倒せば、伝説のドラゴンスレイヤーに匹敵するほどの栄誉になるぞッ! ハハハッ、これでもう誰もカワウソ獣人を弱卒などと呼べなくなる、なんと喜ばしいことかッ!!」

 

 やけくそになりながら叫ぶと、周囲の兵士たちの目に生気が戻った。剣を掲げながら、私はノドが張り裂けそうな声で叫んだ。

 

「行くぞッ! 我に続けッ!!」

 



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第508話 くっころ男騎士と女の戦い

 アーちゃんとの一騎討ちを優位に進めていたソニア。しかしアーちゃんは氷の魔剣の力を生かした卑劣な策を用いてソニアの剣をへし折ってしまった。攻撃のさなかに武器を失ってしまったソニアは特大の隙を晒してしまい……

 

「獲った!」

 

 喜悦の滲んだ声と共に、白刃がソニアへと迫る。僕は思わず、腰の拳銃に手が伸びた。本来、一騎討ちのさなかに他の者が手を出すのはご法度だ。我が義妹カリーナなどは、それが原因でディーゼル家を勘当されてしまったほどだ。しかし、どれほどの不名誉を被ったところでソニアが死んでしまうよりはよほどマシというものだろう。

 

「そう来ると思ったぞッ!」

 

 しかし、僕が銃を構えるよりも早くソニアは反撃に転じた。刀身の半ばで折れた愛剣を躊躇なく放棄し、唐竹割りの要領で振り下ろされた氷の魔剣を腕をクロスさせて防ぐ。変則的な真剣白刃取りのような状態だ。氷の魔剣と籠手の装甲がぶつかり合い、ギャリギャリと音を立てる。結局、その刃はソニアに届くことなく停止した。魔剣の放つ冷気が籠手を凍り付かせ、装甲を真っ白に染める。

 

「ノール辺境領に生まれたこのわたしがッ!」

 

 しかし、ソニアの反撃はこれで終わりではなかった。彼女は交差させた腕で巻き取った氷の魔剣を強引に引っ張りつつ、アーちゃんに足払いをかけた。渾身の攻撃に見事なカウンターを喰らう形になり、さしものアーちゃんもひっくり返されてしまう。

 

「グワーッ!」

 

「鋼が寒さに弱いことを知らぬとでも思ったかァーッ!!」

 

 ソニアはそのまま、アーちゃんが握ったままの氷の魔剣を蹴り飛ばした。そしてさらに起き上がろうとした彼女の顔面に強烈な膝蹴りをお見舞いする。脚甲と兜のバイザーがぶつかり合い、交通事故を思わせる大音響が周囲に響き渡った。

 

「グワーッ!」

 

 全力の膝蹴りを喰らったアーちゃんは軽く三メートルは吹っ飛び、地面をバウンドした。その拍子に胴鎧と兜を接続しているロックが緩み、兜がどこかへ飛んで行ってしまう。

 

「そのまま死ねッ!」

 

 露わになったアーちゃんの顔面に向かって、ソニアはキックを繰り出した。まるでサッカーボールを蹴るかのような、無造作で強烈な蹴りである。騎士の一騎討ちというよりはヤクザの制裁のような戦いぶりだ。

 

「流石だな! ソニア・スオラハティ……!」

 

 だが、この程度で一方的にボコボコにされるアーちゃんではない。彼女はキックをひょいと回避し、もう片方の足へとタックルをかけた。今度はソニアが「グワーッ!」と叫び、地面に倒れる羽目になる。

 

「ますます欲しくなったッ! お前もッ! アルベールもッ!」

 

 したたかに背中を打ち付けたソニアにアーちゃんが馬乗りになる。そのままソニアの兜を掴み、放り投げた。そしてそこへパンチをお見舞いする。当然ながらアーちゃんも籠手をつけているので文字通りの鉄拳だ。ガツンといい音がして、ソニアが苦しげなうめき声を上げる。

 

「我のモノになれ、ソニア・スオラハティ! 主従ともども愛してやるぞ!」

 

「誰かれ構わず発情しおってこのドラ猫がァ!!」

 

 二発目のパンチをソニアは手で受け止めた。そしてアーちゃんの顔面に頭突きを喰らわせる。思わず怯むアーちゃん。もちろん、ソニアはその隙を逃さない。彼女の腰を掴み、横倒しにする。今度はソニアの方が馬乗りになった。攻守交代だ。

 

「やっちまえソニアーっ!」

 

「オオオオオオオッ!!」

 

 プロレスでも観戦しているような心地で叫ぶ僕に、ソニアはホンモノの竜を思わせる方向で応えた。渾身の力を籠め、アーちゃんの顔面をブン殴る。なかなかに良い音がした。体格ではアーちゃんに劣るソニアだが、膂力に関しては決して劣っていないように見える。

 

「去年の借りは今回ですべて返してやる! リースベン戦争ではよくも好き勝手してくれたな、メス猫がッ!!」

 

「アババーッ!!」

 

 容赦のない顔面パンチの嵐がアーちゃんを襲う。全身甲冑を着込んでいる以上有効打を入れられる場所がそこしかないのはわかるが、見目麗しい長身美女が顔面をボコボコに差れている姿はなかなかに凄惨だ。おもわず「うわぁ」なんて声が出てしまう。

 

「言わせておけばッ!」

 

 が、少々ボコられた程度で白旗をあげるほど、アーちゃんは殊勝ではなかった。ソニアの腕を掴んでパンチのラッシュを止め、そのままグググと押し込み始める。地面を背に舌アーちゃんに対し、彼女に馬乗りになった体勢のソニアは力比べになるとかなり不利だ。歯を食いしばってお返そうとするも、最終的に無理やりマウント態勢を解除されてしまった。

 

「ぐぎぎぎ……」

 

「どうしたどうしたァ!」

 

 両者はがっぷりよつになって力比べの姿勢だ。こうなると、流石に体格に劣るソニアは不利だ。ぐいぐいと押し込まれる彼女を、ライオン女は獰猛な笑みを浮かべて挑発した。

 

「貴様がどう思おうがッ! アルベールは我が頂いていくッ!」

 

「させんと言っているだろうがァ!!」

 

「グワーッ!」

 

 ソニアは巴投げを仕掛けた。アーちゃんの大柄な体が宙を舞う。我が副官には幼いころから柔術を仕込んである。この程度の芸当ならばお手の物だ。

 

「それでこそッ! 我がライバルだッ!」

 

 が、アーちゃんは見事に空中で態勢を立て直し、上手く着地した。そのまま地面を蹴りソニアに突進を仕掛ける。

 

「誰がライバルだこの横恋慕三十七号!! 貴様などわたしの眼中に入っておらんわ!!」

 

 ソニアは強烈なストレートパンチで彼女を迎撃した。アーちゃんは顔面でそれを受け止めたが、怯みもせずにフックを繰り出す。頬を思いっきり殴られて、ソニアがたたらを踏んだ。……というか何なの? 横恋慕三十七号って。

 

「つれないことを言ってくれるじゃないか。エエッ!?」

 

「減らず口ばかりペラペラ、ペラペラ! 本当に貴様は発情した猫以外の何者でもないな!!」

 

 口ぎたなくお互いをののしりながら、彼女らは熾烈な殴り合いをつづけた。パンチが命中するたびに、ショットガンの銃声を思わせる重苦しい音が響いた。おそらく、僕があのパンチを一発でも喰らった日にはそのまま昏倒してしまうことだろう。大柄な亜人同士の拳はほとんど鈍器のようなものだ。

 

「オオオオン!!」

 

「ガアアアアッ!!」

 

 そのうち、とうとう二人は言葉すら失って獣じみた咆哮を上げるようになった。本物の竜と虎が戦っているようだ。いや、アーちゃんは獅子獣人だが。

 

「なんか思った以上にひどいことになって来たぞ」

 

 両者の殴り合いは苛烈さの度合いを増しているが、二人とも倒れる気配はまったくない。なにしろどちらも化け物じみたタフネスの持ち主で、しかも甲冑を纏っている。タイマンの殴り合いならばそうそうノックダウンするものではなかった。

 

「益荒女どうしがアル様を取り合ってあれほど激しく戦ってるんですよ。ハハハ、男冥利に尽きますね」

 

 愉快そうに笑いながらジョゼットが言った。笑ってる場合かよ!

 

「ちょっと困った。どうすりゃいいんだ、コレ」

 

「勝者にキスをしてあげる準備でもしてればいいんじゃないですかね」

 

 僕は思わずため息をついた。万一アーちゃんが勝っちゃったらどうするんだよ、それ。いや、ソニアが負けるとは思ってないけどさ……。

 

「ま、コイツは女と女の真剣勝負ですからね。きっちり最後まで見守ってやるのが、男の甲斐性ってもんですよ」

 

「左様で」

 

 戦争の真っ最中なのに、そんなに長閑なことでいいんかね? 僕は肩をすくめた。まあ、今頃はヴァルマやフェザリアの方でも作戦が最終局面に入っているはずだ。ソニアの決戦を見守りつつ、彼女らからの朗報を待つことにするか……。



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第509話 くっころ男騎士とゲームセット

 気付けば、東の空から太陽が顔を出していた。初夏のさわやかな朝日が、血みどろの戦場を照らし出す。死屍累々という言葉そのままの悲惨極まりない景色だった。とはいえ夜通し戦い続けたせいで敵も味方もすっかりくたびれ果てている。もはや干戈を交える元気もなく、おざなりに剣や槍を構え牽制合戦を続けるのがせいぜいだった。

 

「いい加減……倒れろ! 雌猫ォ!」

 

「貴様こそ粘るではないか、雌ドラゴンめ……!」

 

 いい加減に両軍ともいったん引いて態勢を立て直すべき状況だったが、そういうわけにもいかない。なにしろ両軍のトップとナンバーツーの一騎討ちがいまだに続いていたからだ。ソニアもアーちゃんもいまだに健在で、ファイティングポーズを崩していない。とはいっても、籠手を着けた手で殴り合いをしたものだからお互いボコボコのメタメタなひどい有様だ。体力自慢の竜人(ドラゴニュート)と獅子獣人とはいえいい加減限界が近いらしく、両者フラフラしている。

 

「体力馬鹿もここに極まれり、だなァ……。普段ならば賞賛するところだが、流石に飽いてきたぞ……」

 

「だったらさっさと降伏すれば良いだろうが……」

 

「もう引き分けということにしてアルベールは我らの共有物ということにしないか?」

 

「何回目だその提案は……断ると言っているだろうが……!」

 

 憤慨しつつも、ソニアは拳を構えたまま動かない。ダメージが足に来ているのだ。下手に動けばいよいよ限界が来て腰が立たなくなってしまいそうな様子だった。

 

「頭の固い女だ……ふん、これが終わったら貴様の目の前でアルベールを抱いてやる……後悔するなよ……」

 

 対するアーちゃんもソニアと大差ない有様だった。流石に今の彼女であれば僕でも正面から勝てそうに見える。たぶん手籠めにしようと襲い掛かってきてもなんとかなるだろう。……いや、"勝利の景品"としては、大人しく抱かれねばならないのだろうか? いや、いやいや。わざわざそんなことに付き合ってやる義務はあるまい。

 ……はぁ、大概僕も疲れ果てているな。頭がマトモにまわっていないように思える。なにしろ徹夜二日目……いや、三日目か? とにもかくにもヘトヘトだ。そろそろ限界が近い。酒の一杯でも飲んで布団に籠りたい気分になっていた。

 

「……まあ、それは敵さんも同じことか」

 

 敵陣のほうをチラリと見ながら僕は呟いた。精強なクロウン傭兵団の面々も、流石にこれほどの長期戦ともなると槍を構えることさえ億劫そうな様子になっている。まあ、そのおかげでソニアらの一騎討ちをノンビリ観戦していられるわけだが。

 

「舌では敵を打ち倒せんぞー! 拳を出さんか拳を!」

 

 そんな中でも元気なヤツが一人いた。ジョゼットである。銃身の曲がった小銃を掲げ、罵声だか声援だかわからないような言葉をソニアに投げかけている。おい、ジョゼット。そのライフルは僕のものだぞ。まさかまた棍棒にしやがったのか? 最新兵器を一夜のうちに二挺も用廃にしやがったぞこのボケナス。

 

「敵ながら良いことを言うじゃないか……!」

 

 が、ジョゼットの声援で奮起したのはソニアではなくアーちゃんだった。彼女は地面を蹴り、ソニアに殴り掛かった。最後の力を振り絞ったのだろう、ズタボロの外見からは信じられないほどの鋭い一撃だった。

 

「……ふんぬ!」

 

 が、どうやらそれはソニアの狙い通りだったようだ。彼女は紙一重でアーちゃんの拳をかわし、彼女の顔面に強烈なパンチを叩き込んだ。

 

「アバーッ!」

 

 文字通り鼻っ柱を叩き折られたアーちゃんは、鼻血を噴きながらブッ倒れた。そのまま、白目を剥いて動かなくなる。ソニアは拳を構えたまま荒い息を吐きつつしばらくそんな彼女を眺めていたが、起き上がってくる気配がないのを見て拳を天に掲げた。

 

「敵将! 討ち取ったりィ! 愛の勝ちだ!!」

 

 自陣の方から大きな歓声が上がる。対する敵陣からは、呻くような落胆の声が聞こえてきた。一騎討ちが終わらなかったからこそ惰性で続いていた合戦だ。これでいよいよこの戦いも終わりだろう。僕はホッと安堵のため息をついた。

 

「ホラホラ、王子様。勝者にはキチンとご褒美をあげないと」

 

 兜のバイザーを上げたジョゼットが、ニヤニヤ笑いを浮かべながらそんなことを言って来る。誰が王子さまやねん。

 

「はぁ……」

 

 とはいえ、ソニアが大変に頑張ってくれたのは事実であった。僕は大きく息を吐いて、ソニアに歩み寄った。すると彼女はやっと気の抜けた表情になり、そのまま崩れ落ちる。あわてて助け起こすと、ソニアはふにゃりと笑う。その顔は壮絶な殴り合いのせいでひどくボコボコになっていたが、ソニアの笑みはむしろひどく誇らしそうな様子だった。男を守ってついた傷は女の名誉なのである。

 

「御覧になられましたか、アル様。ソニアは見事に勝利いたしましたよ……」

 

「ああ、ああ。よく頑張ってくれた。格好良かったぞ」

 

「へへ、へへへ」

 

 少女のような声音で、ソニアは笑い声を漏らした。少しだけ考え込んでから、僕は彼女の唇にキスをする。鉄臭い香りが口いっぱいに広がった。

 

「んー」

 

 ソニアは嬉しそうにキスを返してくる。自陣からは冷やかしの声が、敵陣からブーイングが上がった。ハハハ、戦場で何やってんだろうな、僕たちは。

 

「さぁて、クロウン傭兵団諸君! 君たちの主君は倒れたわけだが、諸君らはどうする? まだ戦う気があるというのならば付き合うが」

 

 ソニアの頭を膝に似せつつ、僕は挑発的な笑みを浮かべた。むろん、虚勢である。いい加減に僕も限界だった。とはいえ、敵に弱気の顔を見せるわけにはいかないだろ。ここは強気で行く。

 事実上の降伏勧告を喰らったクロウン傭兵団はザワついた。それを見たアリンコ隊が無言で隊列を密にし、槍を構える。その穂先はクロウン傭兵団の方に向けられていた。流石はゼラだ。圧力のかけ方を心得ている。

 

「……アレクシア陛下、もといクロウン様が敗れた以上は是非もない。同じ相手に二度も膝をつくのは業腹だが、白旗を上げさせてもらおう」

 

 クロウン傭兵団から一人の女が歩み出てきて、兜を外してからそう言った。目を凝らしてみると、リースベン戦争の講和会議でも見た顔だ。たしか、クロウン傭兵団の副官だったか。アーちゃんが倒れている今、彼女こそがクロウン傭兵団の実質的なトップだろう。

 

「たいへん結構! それでは、こちらも矛を収めよう。皆の者、勝鬨を上げよ!」

 

「オオーッ!」

 

 疲労困憊でへろへろになりつつも、我が兵士たちは歓喜のこもった勝鬨の声を上げる。それを聞いた僕は、肩の荷が一つ降りたような心地になった。さあて、アーちゃんを倒しクロウン傭兵団を下した以上、後の敵は知将・エムズハーフェン選帝侯だけだが……。

 そこでふと、僕は遠くから何かの羽音が聞こえていることに気付いた。敵が鷲獅子(グリフォン)でも飛ばし始めたのかと思い、天を仰ぐ。赤と青が入り混じった払暁の空の中を、異形の物体が飛翔している。巨大な節操動物にしかみえないアレはもしや……

 

「ネェルか!」

 

 僕はソニアの頭を膝に乗せたまま、空のネェルに向けて手を振った。旗手が気を聞かせて、ブロンダン家の家紋の入った旗を高々と掲げてくれた。それに気付いてくれたのだろう。ネェルはヘリコプターめいた独特の羽音を立てながらグングンと接近し、土煙を上げて着地した。

 

「ウワッ、化け物か!?」

 

「そ、総員合戦用意!」

 

 クロウン傭兵団のほうがにわかに騒がしくなる。なにしろネェルは全身が返り血に染まった大層スプラッターな格好だった。正直、いくさ慣れした古兵ですら恐怖を感じるような恐ろしげな風体である。そんなヤツが空から降り立ったら、そりゃあビビりもするというものだろう。

 

「彼女は僕の部下にして友人だ! 貴殿らが停戦を順守するかぎり決して危害は加えない!」

 

 僕は苦笑しながら、クロウン傭兵団の面々にそう言い放った。そして、ネェルの方を見て片手を上げる。

 

「やあ、おはようネェル」

 

「おはよう、ございます。良い朝ですね。……おや、ソニアちゃん。ずいぶんと、手ひどく、やられて、いますね? 大丈夫、でしょうか」

 

 開口一番にソニアの心配とは、相変わらず気の回るカマキリちゃんである。ソニアは薄く笑い、なんとか起き上がって頷いた。

 

「ああ、大丈夫だ。むしろ、嫌いな奴をボコボコにできたおかげで気分は上々だとも」

 

「なるほど、それは良かった」

 

 いまだに地面で伸びたままのアーちゃんをチラリと見て、ネェルはほほ笑む。可愛らしい笑みだが、凄惨な返り血のせいでなかなかにコワイ。

 

「それはさておきだ。君がわざわざこっちへ来たということは、向こうの要件も始末がついたってことかな?」

 

 ネェルはわが軍の最高戦力だ。だからこそ、最重要任務である敵総司令の捕縛に投入したわけだが……この様子だと、そちらの仕事も終わったみたいだな。案の定、彼女はにっこり笑って頷いた。そして、背中に括り付けていたナニカを鎌の先にひっかけ、こちらに見せびらかす。

 

「このとおり、獲物は、しっかり、捕まえましたよ? あとで、しっかり、褒めたたえて、くださいね」

 

「きゅう……」

 

 ネェルが出してきたのは、縄でグルグル巻きにされて目を回す小柄な美女だった。その頭には、小さなケモミミがついている。あれは……カワウソ獣人だな。着込んでいる甲冑の特徴から見て、なかなかの貴人のようだ。もしやアレは……。

 

「敵指揮官、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン選帝侯閣下は、ネェルが、生け捕りに、しました。いぇーい」

 

 そう言って、ネェルは誇らしげに笑った。



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第510話 くっころ男騎士と戦後処理

 トップ二名の陥落により、エムズハーフェン軍は実質的に機能を停止した。なおも戦闘を継続した部隊も少なくはなかったが、総司令部が陥落した状況では統制の取れた反撃など出来るはずもない。結局のところ朝の八時前には制圧が完了し、リッペ市近郊は平和を取り戻した。……まあ、肝心の市内では相変わらず市民反乱が続いていたが。

 戦いが終わっても、まだまだやることは山積みだ。敗軍の兵士たちの身の振り方を決めたり、負傷者の治療や介錯をしたり、戦死者を葬ったり、仕事はいくらでもあった。それに加えて今回はこの市民反乱の件もあるのだから大事だ。とはいえ僕もいい加減に体力の限界が来ていて、一時間だけ仮眠を取らせてもらうことにした。できれば丸一日休みたいところだったが、まあそういうわけにはいかん。現場は現場で大変だろうが、上層部もラクじゃないね。

 

「……戦いは終わってからが本番だなぁ」

 

 昼過ぎ。僕は指揮本部の大天幕の下でウンウンと唸っていた。いや、唸っているのは僕だけではない。野戦病院に入院中のソニアを覗き、わが軍の高級幹部のほぼすべてがこの大天幕の下で書類に埋もれていた。それだけのメンツをもってしても、働いても働いても積まれた仕事の量が減らない。わが軍は書類の物量攻撃に晒されていた。

 

「ボヤいてないで早くコイツを決裁しちまってくださいよ。戦利品の分配は急いで終わらせないとストライキが怒りますよ」

 

 なんとも辛辣な口調でそんなことを言うのは騎士隊代表のペルグラン氏だ。戦闘中は正面戦線の指揮官として見事な活躍ぶりをみせてくれた彼女だが、戦いが終わってからというもの妙に辺りが強い。どうにも僕が前線に出て剣をブンブン振り回していたのが気に入らないらしい。……そりゃそうだわ。僕がペルグラン氏の立場でも、総司令官が前線で遊んでたら文句の一つも言うわ。

 

「あぁい」

 

 気のない返事をしながら、書類仕事を進める。普段ならばもうちょっとシャキッとしながら働くのだが、こうも疲れているとなかなかそれも難しい。こちらとほぼ三日徹夜してるからな。たった一時間の仮眠では焼け石に水だ。

 チャッチャとやるべきことを終わらせてさっさと休みたいなぁ。そんなことを考えながら仕事をしていると、一人の従兵が指揮本部にやってきた。彼女は敬礼をしてから、「お客様がお越しです」と報告をする。

 

「お客様? 一体誰だ」

 

「ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン選帝侯閣下です」

 

「……なるほど。わかった、お入り願いなさい」

 

 少しばかり驚きながらも、僕は従兵に頷き返した。ネェルの手によって空輸された選帝侯閣下は、命に別状こそなかったが意識の方は完全に失っていた。そのため、ソニアやアーちゃんらとともに野戦病院送りとなっていたのだが……。

 

「直接顔を合わせるのは初めてだな、ブロンダン卿。私はエムズハーフェン領の君主にして神聖帝国の七選帝侯のひとり、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンだ」

 

 従兵に案内されてやってきたエムズハーフェン選帝侯閣下は、病み上がりとは思えないほどしっかりとした声音でそう自己紹介した。選帝侯、などという仰々しい地位にはついている彼女だが、外見上はそれほどいかつくはない。身長は僕より少し低い程度で、体格も竜人(ドラゴニュート)と比べればはるかに華奢だ。栗色の柔らかそうな髪と頭に付いたカワウソ耳のおかげで、可愛らしいお姉さんという雰囲気がある。軍人、貴族というよりは大店の柔和な若旦那さんという風情だ。

 彼女の後ろには、壮年のカワウソ獣人の将校が尽き従っていた。聞いたところによれば、エムズハーフェン軍の筆頭参謀殿だという。彼女はもともとヴァルマが捕虜にしていたらしいのだが、選帝侯閣下のことをたいそう心配していたという話だったので面会を許可した。おそらく、野戦病院からそのまま尽き従ってきたのだろう。

 

「お初にお目にかかります、選帝侯閣下。お会いできて光栄です、リースベン城伯アルベール・ブロンダンと申します」

 

 一礼をしてから、僕は選帝侯閣下と握手をした。本来であればこのような目上の貴族と面会するときは、間に仲介者を立てるのが普通なんだけどな。ただ、今回の場合は仲介者をやれそうな人物がいないものだから無作法も仕方のないことだろう。唯一仲介者をやれそうなアーちゃんはいまだに気絶したままだ。

 

「わざわざ御足労頂き、申し訳ありません。ご連絡を頂ければ、こちらからお会いしに参りましたのに」

 

「重傷者じゃあるまいに、そのような配慮は不要だ。……君のところのカマキリ殿は、手加減が上手だな。まあ、足を掴まれてブンブンと振り回された時は死を覚悟したものだが……」

 

 遠い目になりながら、選帝侯閣下はそうおっしゃられた。……ネェルさん、いったい何をやってるんですか。いや、たぶん体に傷を付けずに気絶させるためにやったことだろうけどさ。

 

「ははは……自慢の仲間、友人ですので」

 

「友人ね」

 

「ええ。大切な、ね」

 

 愛想笑いを浮かべながら、僕は選帝侯閣下と筆頭参謀殿に椅子をすすめた。彼女らが席に着くと、気を利かせた従兵が湯気の上がる豆茶を二人の前に並べる。ガレア人は香草茶を好む者が多いが、神聖帝国では豆茶の方がポピュラーだ。

 

「それで、今回はいったいどういったご用件でしょうか? 講和会議の件でしたら、なにしろまだ状況が混乱しておりますので、もう少しお待ちいただきたいのですが」

 

 社交辞令の雑談もせずに、僕はいきなり本題を切り出した。寝不足のせいで、脳みそが随分と鈍っている。今の僕には貴族特有の迂遠な話術に付き合う余裕などなかった。

 

「単刀直入だな。まあ、話が早くて良い」

 

 小動物めいた可愛らしい外見には似合わぬ威圧的な声でそう答えてから、選帝侯閣下は豆茶を一口飲んだ。

 

「用件はただ一つ、リッペ市のことだ。聞けば、かの町ではいまだに市民反乱が続いているらしいな?」

 

 ほう、リッペ市ね。なるほど、そう来たか。僕は後ろを振り向こうとして、途中でやめた。そこにソニアがいないことに気付いたからだ。困ったね、こういう時には彼女の援護射撃がないと立ち回りづらいのだが。

 

「ええ。なにしろ、千の寡兵で三千の大軍を迎え撃ったばかりですから。暴徒鎮圧などに手を回す余裕がなかったのです」

 

「……理屈の上では確かにそうなるが、まさか街の支配権をすべて手放してしまうとは思わなかった。私の失策だな」

 

 ため息をつきながら、閣下は参謀に目配せした。壮年のカワウソ獣人はしかめっ面で頷く。あーあ、羨ましいなあ。やっぱり、懐刀はいつもの所に収まっていないとなんだか違和感がある。

 

「一つ、提案がある。リッペ市の治安の回復は、我らエムズハーフェン軍に任せてもらえないだろうか? 君たち自身がやるよりは、よほど手早く平和的に秩序を取り戻すことができると思うのだが」

 

「……ふむ」

 

 僕は小さく唸った。治安出動にエムズハーフェン軍を使う、か。確かに悪い提案ではない。捕虜となったエムズハーフェン軍の兵士はかなりの数に上る。なにしろ作戦の真っ最中に指揮本部が壊滅したわけだから、彼女らは戦場の真っただ中で烏合の衆と化してしまった。降伏に追い込むのは、赤子の手をひねるより容易なことだった。

 個人的には、ぜひとお願いしたいところだ。暴徒と化した市民の相手なんか、僕は絶対にやりたくない。やりたくなさ過ぎて、今の今までリッペ市を放置し続けているくらいだ。正門さえ封鎖していれば、リッペ市内部の混乱は外部にそれほどの悪影響はもたらさない。まあ、封鎖を担当しているアリンコ隊はたいへんに難儀をしているので、出来るだけ早く解決せねばならないのだが。

 僕は無言で、近くの席で書類仕事をしていたヴァルマに目配せをした。ソニアがいないならば、その妹で補う作戦だ。彼女は小さく頷き、眼鏡の位置を直した。彼女は本や書類を読むときにだけ眼鏡をかけるのである。別に視力が悪いわけではないので、たぶん単なるオシャレだ。

 

「わたくし様としては、ぜひとお願いしたいところですわね~。もともと、リッペ市は選帝侯閣下の持ち物ですもの。もとの持ち主に帰して差し上げるのが自然なことですわ~」

 

 眼鏡を光らせながら、ヴァルマはそう主張した。そんな姿を見ると、なんだかこの愚妹が賢そうに見えるから不思議だな。眼鏡マジックってやつかな? ……いや、別に普段のヴァルマが知的ではないというわけではないのだが、コイツの場合は知性を野蛮性が覆い隠してるからなぁ。

 

「そうだな、僕も同意見だ。……たいへんにありがたい申し出であります、閣下。こちらとしても、できれば市民とは戦いたくはありませんから。ご提案の通り、リッペ市のほうはエムズハーフェン軍のほうへお任せいたします」

 

 ヴァルマが同意してくれるのならば、是非もない。僕は選帝侯閣下の申し出を受けることにした。

 

「話が早くて助かる」

 

 それを聞いたカワウソ美人は、ほっとした様子で頷いた……。



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第511話 くっころ男騎士の過労

「そうだな、僕も同意見だ。……たいへんにありがたい申し出であります、閣下。こちらとしても、できれば市民とは戦いたくはありませんから。ご提案の通り、リッペ市のほうはエムズハーフェン軍のほうへお任せいたします」

 

 リッペ市の暴徒鎮圧を、捕虜のエムズハーフェン軍に任せる。選帝侯閣下のそんな提案を、僕はありがたく受諾することにした。いや、だって、キレた市民の相手なんて絶対にやりたくないだろ。エムズハーフェン軍だけでも難敵だったのに、これにくわえて第二ラウンドとか普通に冗談じゃない。

 

「話が早くて助かる」

 

 露骨にホッとした様子で、選帝侯閣下は頷いた。その安堵は領民の被害を抑えることができるからだろうか、それともこの鎮圧作戦を用いて何かしらの反撃を考えているからだろうか? 前者ならいいが、後者だとマズいよな。万一に備えて一応保険はかけておこう。たとえば、アーちゃんの身柄をキッチリ確保し続けておくとか。……あの人望のない雌ライオンを人質にしたところでどの程度の効果があるのかは、ちょっと怪しい所があるが。

 

「しかし、市民とは戦いたくない、か。だから、市内に駐屯していた部隊をぜんぶ退いてしまったわけか?」

 

 そんなこちらの懸念を知ってか知らずか、エムズハーフェン選帝侯閣下は何とも言えない微妙な表情で豆茶を飲み下した。あまり美味いとは思っていなさそうな顔である。

 

「ええ、その通りであります。まあ、もちろん戦術的な意図が全くなかったかと言えば嘘になりますが」

 

「何はともあれ、私は貴殿の奇策にすっかり嵌ってしまったのは確かだ。街中に居るとばかり思っていたエルフどもが、まさかこちらの本陣に牙を剥くとは」

 

 選帝侯閣下は深い深いため息をつきながら、視線をフェザリアのほうへと向けた。いったんは別行動を取っていたエルフ隊だが、今は本陣に戻ってきている。正直フェザリアに書類仕事は向いていないが、こいつらは放置しているとロクなことをしないからな。目につく所に置いておいた方がいいだろ。

 

「戦うすべも持たん短命種どもを虐げて喜ぶ趣味はなか。ぼっけもんは兵子(へご)と戦うてこそじゃ。そげん意味では、お(はん)とお(はん)ん軍は良か兵子(へご)じゃった」

 

「……すまない、何を言っているのかわからない」

 

 フェザリアの言葉に、選帝侯閣下は冷や汗をかきながら首を左右に振った。流石に、慣れない者ではエルフ訛りは聞き取りづらいらしい。僕もエルフらと交流を持ち始めた当初は困惑したものだ。

 

「戦士の役割は、民草を虐げることではなく相手の戦士と戦うことです。その点では、閣下と閣下の騎士たちは尊敬に足る好敵手でありました。……と、申しております」

 

「そ、そうか。あの(・・)勇猛果敢なエルフにそこまで言ってもらえたのであれば、部下たちも喜ぶだろう。あとで伝えておく」

 

 ノドに魚の小骨でも引っかかったような表情で選帝侯閣下はそう言った。どうにも、エルフどもに苦手意識を抱いている様子である。難しい顔で豆茶のカップを口元に運び、そしてますます顔をしかめる。そして自分の腹を軽くさすり、ため息をついた。

 

「……申し訳ないが、豆茶を白湯に替えてくれ。せっかく淹れてもらったのに、申し訳ないが」

 

「ええ、もちろんです」

 

 理由も聞かずに、僕は従兵に申し付けて選帝侯閣下の豆茶を取り返させた。どうも、彼女は胃腸を痛めてしまっているように見える。その原因は……考えるまでもなくこの戦争による心労だろう。正直、だいぶ心苦しい。我々は別に、彼女やエムズハーフェン領に恨みがあって侵攻してきたわけではないのだし。

 

「……まあ、何はともあれ、我が領民に気を使ってくれたことは感謝しよう。正直に言えば、この街が血に染まる事態も想定していたのだ、私は。そうならずに済んで、正直ホッとしている」

 

 そうは言うが、リッペ市ではいまだに大規模な暴動が続いている。市民の血がまったく流れていない、ということは流石にないはずだ。街の出入り口をふさぐアリンコ隊と暴徒の交戦はいまだに続いているし、内部では略奪やら何やらも起きているだろう。こういう経験は初めてではないとはいえ、やはり気分は悪い。

 

「これ以上の流血を避けるためにも、すみやかに街の混乱を治める必要がありますね。こちらも出来る限りの手助けはいたしますので、何かあればなんなりとお申し付けください」

 

「ありがとう、助かる」

 

 そういって、選帝侯閣下は小さくため息をついた。なんとも、こういう苦労人じみた所作の似合うお方である。その小動物めいた容姿も相まって、そこはかとなく罪悪感を刺激される。

 

「ああ、そうだ。せっかくですから、正式な停戦協定も結んでおきましょう。現在の協定は、そちらの筆頭参謀殿が代理で調印したものですし」

 

 僕は今思いついたかのような口調でそんな提案をした。現在、我々とエムズハーフェン軍の間では暫定停戦協定が結ばれている。しかしそれはあくまでこのリッペ市戦域の部隊に限ったものだ。リュパン団長のほうの戦線はいまだに戦闘が続いているはず。先代皇帝と選帝侯の両名が捕縛された以上、あちらの戦闘も延々と続ける意味はなかろう。

 

「……承知した。我がエムズハーフェン軍の全軍に停戦を発令しよう。これ以上あがいても無駄な流血が増えるだけだ。負けを負けと認められぬ者に、将たる資格はない……」

 

 さすがは知将、こちらの意図をすぐに察してくれるな。話が早くて助かる。僕はこちらの幕僚に目配せをして、事前に用意してあった正式な停戦の協定書を選帝侯閣下に渡した。彼女はそれをしっかり読み込み。筆頭参謀と二言三言相談した後、協定書にサラサラと署名した。それに続いて、僕もサインをする。これで、ここしばらく続いた戦いもお終いだ。

 

「ありがとうございます、閣下。……改めまして。お見事な戦いぶりでありました、閣下。貴方様のような名将と戦えたことは、我が一生の誇りであります」

 

 そう言って、僕は選帝侯閣下と握手を交わす。

 

「……名将、ね。これほどコテンパンにやられておいて、そのように言われるのは面はゆいな。名将という称号は、私ではなく貴殿にこそふさわしい」

 

「部下に恵まれました。ただ、それだけです」

 

 前世知識もあるしな。あんまり慢心だ出来ないだろ、正直なところ。そんなことを考えていると、ふと選帝侯がこちらに気づかわしげな目つきを向けていることに気付いた。

 

「優秀な部下、ね。だったら、その部下に仕事を任せて、君は一休みするべきではないだろうか。正直に言えば、あまり顔色がよろしくないぞ」

 

 む。まさかまさか、敵方の将軍にそのようなことを言われてしまうとは。そんなに調子が悪そうに見えるかね、僕は。……いや、そりゃそうだろ。流石に三徹はしんどいわ。限界だわ。とはいえ、仕事はまだまだあるからなぁ。

 

「いえ、いえ。部下たちが頑張っている中、僕ばかり休むわけには参りません。男だからと甘えた態度が許されるほど、軍隊は甘い組織ではありませんから」

 

「どうかな? むしろ、男性である貴殿がそうも頑張っていたら、部下たちのほうも却って休みづらくなると思うのだが」

 

「む……」

 

 言われてみればその通りである。普段ならばその辺りもある程度気を使っているのだが、寝不足のせいかどうにも頭が回っていない。いや、まあ、ソニアがダウンしている分、そちらの仕事も僕がこなさねばならないという事情もあるのだが。

 

「我が方の上官を見よ。部下など顧みずグースカ寝ていらっしゃるぞ」

 

 逡巡する僕に、選帝侯閣下は更なる追撃を繰り出してきた。ちなみに、上官というのはもちろんアーちゃんのことだ。完全にノックアウトされてしまった彼女は、今はソニアと同じく野戦病院に収容されている。ぶっちゃけ、だいぶ羨ましい。

 とはいえ、選帝侯閣下の声音は冗談めかしてはいても少々恨みがましいものだった。自分が後方でひどい目に遭っている間、前線で遊び惚けていたアーちゃんにはそれなりに思うところがあるのだろう。よくよく考えれば閣下は自分一人とその手勢だけでヴァルマ隊、フェザリア隊、そしてネェルというこちらの切り札三枚と対戦する羽目になったのだから、そりゃあ恨み言の一つも言いたくなるよな。

 

「こればっかりは選帝侯閣下に完全同意ですわ~! 過ぎたる真面目は美点ではなくってよ~!」

 

 そこへ口を挟んできたのがヴァルマだった。彼女は上がって来たばかりの書類に目を通しつつ、かけていた眼鏡の位置を直した。この愚妹は、本や書類を読む時だけは特注の洒落た伊達眼鏡をつけるのである。

 

「ここはわたくし様に任せて先に行け! ですわ~。寝不足の半病人みたいな上司が職場をチョロチョロしてたら普通に迷惑でしてよ~。病み上がりの閣下ともども、お休みなさいまし~!」

 

「むぅ、私もか」

 

 選帝侯閣下は唇を尖らせた。たぶん、僕も同じ表情をしていると思う。顔を上げ、僕らを一瞥したヴァルマは深々とため息をついた。

 

「リッペ市の件があるとはいえ、流石にすぐに出陣! という訳には参りませんわ~。準備はそちらの参謀殿にお任せして、あなたは休んだ方がよくってよ~」

 

 ヴァルマの言葉に、筆頭参謀殿がウンウンと何度も頷いた。どうやら彼女も同感らしい。

 

「しかしだな……」

 

「あんまりしつこいとカマキリちゃんに頼んで強制的に眠らせて差し上げますわよ~」

 

「それは勘弁願いたい……」

 

 青い顔で選帝侯閣下が首をブンブンと振る。どうやら、ネェルがトラウマになってしまったようだ。まあ気分はわかるよ。

 

「わかった、わかった。そこまで言うなら休ませてもらおう」

 

 結局、そういうことになった。



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第512話 カワウソ選帝侯と敗戦

「ふぅ……」

 

私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは深いため息をついた。今、私はリースベン軍の指揮本部を辞し、野営地の近くにある民家で体を休めていた。ここはリッペ市郊外に畑を持つ自作農の家で、リースベン軍が一時的に徴発したものだった。それを、私用の仮の宿として提供されている形になっている。

 正直に言えば、選帝侯たる私が滞在するにはあまりにも粗末な家だった。しかし、決して軽んじられているわけではないというのは理解している。都市の防壁の外にある家など、だいたいこんなものだ。立派な屋敷を建てられるような財力のあるものは、みな都市の内側で暮らしているからね。リッペ市の暴動が収まるまでは、住環境には妥協する必要があった。

 

「お疲れですね、我が侯」

 

「そりゃあね、昨日の今日だし……」

 

 こちらを案じる目つきの筆頭参謀に、私は私的な口調でそう答えた。私たちがいるのは、この家に一室だけある客間だ。部屋には私と筆頭参謀の二人しかいないので、言葉遣いに気を使う必要はない。……提供されたのが客間があるような家で良かったわ。そこらの貧農なんて、居間も台所も寝室も一まとめになったあばら家で暮らしてるし。

 

「負け戦だから、疲れもひとしおねぇ。はぁぁ……」

 

 ボヤきながら、私はベッドにごろんと横になった。あー、まったく。ひどいいくさだった。私が生き延びることができたのは、運が良かったからだ。一つ選択を間違えていたら、命はなかったと思う。それを思うと、今さらながら体が震えてきた。

 あの巨大カマキリに捕まった時は、本気で死を覚悟したけどね。あぁ、怖かった。強すぎるにもほどがあるでしょ、アイツ。我が精鋭がなすすべもなく一瞬で蹴散らされたんだけど。うう、思い出すだけで怖気が走る。

 

「申し訳ありません、我が侯。自分が至らぬばかりに……」

 

 うなだれる筆頭参謀。私は胸が締め付けられるような心地になって、ベッドから身を起こした。

 

「こればっかりは、相手が悪かったとしか言いようがないでしょ。貴女は悪くないわ」

 

 たかだか千名の兵力と侮ったのが間違いだった。一騎当千の精兵と、見事なまでの用兵。負けるべくして負けた、そういう感じ。強いて言うなら、明らかな囮に引っかかってブロンダン卿の首級を取りに行った私が悪い。もちろん罠だということは理解していたけれど、そのくらいならば打ち破れるという慢心があった。まさか、ここまでボコボコにやられちゃうなんてね。

 

「こうなっちゃったからには、とにかく出来るだけ損をしないように立ち回る必要がある。どうやらブロンダン卿は我々を滅ぼすつもりはないみたいだけど、わが軍が致命的なダメージを受けたのは事実だからね。選択を誤ったら、こんどこそエムズハーフェン家はお終いよ」

 

 わが軍の正式な被害報告はまだ上がってきてないけど、まあロクでもないことになっているのは想像に難くないからね。リースベン軍が無事に撤退してくれても、その後で日和見して戦力を温存してたゴミカス共に攻め滅ぼされちゃ意味がない。立ち回りには細心の注意を払う必要がある。

 

「リッペ市の動乱への介入もその一環、というわけですか」

 

「ええ、もちろん。暴徒鎮圧とかなんとか言って、街中にエルフやらカマキリやらを解き放たれたらいよいよリッペ市はお終いだからね……ただでさえ大損をしてるのに、これ以上ダメージを喰らうなんて冗談じゃない」

 

 私は渋い顔をして区部を左右に振った。幸か不幸か、エルフの暴威は私に向かって解き放たれた。あの連中が、こんどこそ私の領民たちに牙を剥いたら? ……考えたくもない。今まで一度も武器を持ったことの無いような市民が、あの暴力という概念そのものが擬人化したような蛮族に勝てるはずがない。今度こそ間違いなくリッペ市は滅んでしまう。

 

「陸の軍隊は致命傷を負ったけど、水軍はまだ健在だからね。これからのエムズハーフェン家は、これまで以上に水運に頼らざるを得なくなる。港町は重要よ、とっても」

 

「なるほど……」

 

 腕組みをしながら、筆頭参謀は考え込んだ。……しっかし、私のみならずこの人も生き残ったのは本当に不幸中の幸いねぇ。この難局を一人で乗り切るなんて、まず不可能だし。

 

「とにかく、今後の最優先課題は体勢の立て直しよ。……そのためには、ブロンダン卿に媚を売ることも考えなくては。死んでいった者たちには申し訳ないけれど、意地だけじゃあお腹は膨れないからね」

 

「鞍替えをお考えですか」

 

「ええ、思っていたのより三倍くらいリヒトホーフェン家が頼りにならないんだもの。この調子じゃあ、レーヌ市を巡る戦いも怪しいものだわ」

 

 もし、ガレア王国軍本隊もリースベン軍と同様の新式軍制を採用していたら、皇帝軍の命運は尽きたも同然だ。そうでなくとも、我々の敗北は皇帝軍の士気にかなりの悪影響をもたらすだろう。正直、勝ち目はあまりないように見える。

 私は、鉄砲や大砲と、それらを軸とした新戦術の暴威を身をもって知っている。槍や弩を主力とした軍隊では、この新式のやり方には対抗できない。つまり、勝ち組になりたければ、我々も鉄砲や大砲を導入せざるを得ない。そうでなければ時代の流れに淘汰されてしまう。

 

「これ、他の奴らにはナイショなんだけどね。私、ブロンダン卿の靴を舐めて鉄砲やら何やらを売ってもらう気でいるのよ。エムズハーフェン家(ウチ)の武器は交易だけど、その交易を支える物流網を守るためには武力がいる。今のままじゃマズいわ」

 

「ただでさえ、これからの神聖帝国は荒れるでしょうからな。致し方ありませんか……」

 

 リヒトホーフェン家があの体たらくではね、と筆頭参謀は付け加えた。私も全くの同感だった。最悪の場合、神聖帝国は爆発四散する。寄らば大樹の陰ということわざがあるけど、その大樹が倒れかけてるんだから逃げ出すほかない。今は"次の大樹"を探すフェイズに入っているように思える。

 

「しかし、我らは敗軍ですよ。ブロンダン卿は取り合ってくれるでしょうか? 彼はかなりの切れ者です。最悪、利用されるだけされて後はポイ、ということも考えられますが……」

 

「たぶん大丈夫よ。彼がガレア王国の主流派だったのなら、そういう風になった可能性も高いだろうけどね」

 

 そう言って、私は薄く笑った。脳裏に浮かぶのは、徹夜で戦い続けた翌日にも関わらず膨大な執務に忙殺されかかっているブロンダン卿の顔だった。余裕のある風を装ってはいても、なかなかに辛そうだった。普通ならば部下に丸投げするような仕事すら、彼は自分でこなしていた。とにかく人手が足りないのだ。

 彼がガレア王家の完全な代理人であれば、こんなことにはなっていない。あの男はあくまで成り上がり者であって、実力はあっても歴史の裏打ちがない。職務や責任に比例しない小さな規模の家臣団が、それをなにより物語っている。

 

「これは軍学というより商売の話なんだけどね。商品が一番高く売れるのは、需要はたくさんあるのに供給が少ない時なのよ。商売人としての私の見立てでは、今のエムズハーフェン家は売り時よ」

 

「選帝侯家が城伯家に身売りですか」

 

 世も末だなぁ、と言わんばかりの筆頭参謀の表情に、私は苦笑するほかなかった。気分はわかるけどね。でも結局、爵位を裏打ちするのは武力だもの。戦いに敗れた以上、格付けは確定してしまった。ならば、選帝侯という地位に拘泥して道を誤るよりは、むしろ我々の商品価値を上げるための一要素として活用すれば良い。

 

「身売りと言っても、もちろん安売りはしないわ。ゆくゆくは、そう、スオラハティ家と同じポジションに付きたいわね。ブロンダン家の後ろ盾で軍を再建し、それを生かして今度は我々がブロンダン家の後ろ盾になる」

 

「ふむ」

 

 筆頭参謀は頷いたが、そううまく行くだろうかという疑問が顔にありありと現れていた。

 

「スオラハティ家とはまったく別口の後援者がつくことは、ブロンダン卿本人にとっても利益になるわよ。大丈夫」

 

 彼自身、おもったよりも話の通じるタイプに見えたしね。正直、結構びっくりしたわ。女勝りのとんでもない男傑が出てくると思っていたのに、まさかあんなに理性的な人物だったとは。いや、まあ、その一方でサーベル担いで自ら前線に出たりしてる当たり、普通の男ではないわけだけども。とはいえ、男であるという一点を無視すれば、フェザリアとかいうエルフの酋長などよりはよほど穏当なタイプな武人なのは確かなようだった。

 

「ま、とにかくそういう方針で行くから。……たぶん、ウチの家臣団からは不満が噴出するでしょうけどね。申し訳ないけど、そっちの対処はヨロシクね」

 

 幸か不幸か、ウチの脳筋家臣どもは少なからず生き残ってしまっている。私がブロンダン卿の尻を舐めたりしたら、あいつらは絶対にキレるからね。その辺りが、目下の一番の懸案事項だった。今やブロンダン卿よりもクーデターの方が怖い。

 

「老骨に無茶をさせますな、我が侯は……」

 

 げんなりした表情で、筆頭参謀はため息を吐く。気持ちはわかるけど仕方ないじゃないの、ほかに頼りになる部下がいないんだし。あぁ、私もブロンダン卿を笑えないわねぇ。家臣団の規模は大きくとも、それ属している者はアホばかり。少数精鋭のブロンダン家臣団とどっちがマシかは、議論の余地があるわね。

 

「そういうセリフはあのミュリン伯爵くらいの年齢になってから言いなさいな」

 

 そう言ってから、ふと思いついた。そうだ、この件はあの老騎士と協力して事を進めた方がいい。なにしろ我々とミュリン伯領は同じ敗戦国仲間だ。上手くやれば、我々の売値をさらに吊り上げられるかもしれない。

 

「ああ、そうだ。悪いけど、ミュリンに使いを出してもらえないかしら? あっちの講和会議も、まだまとまってないんでしょ? だったら、こっちの講和会議とまとめてやった方が面倒がなくていいわ」

 

「承知いたしました」

 

 うやうやしく頷く筆頭参謀を見て、私は浅く息を吐きだした。さあて、これからが正念場ね。せっかく生き残ったんだもの、せいぜいあがいて見せようじゃない。……はぁ、いつになったら私は胃痛から逃れられるのかしら。



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第513話 くっころ男騎士の休養

 夢も見ないような深い眠りから覚めると、辺りは真っ暗だった。寝ぼけ眼で周囲をうかがう。暗すぎて良く見えないが、屋内のようだ。しかし部屋の中はどうにも雑然としており、おまけに空気はたいへんに埃臭い。そんな部屋で、僕は麦わらの束にシーツを敷いただけの粗末なベッドで横になっていた。

 そこまで考えて、やっと頭が動き出す。ここは、リッペ市近隣の農地に作られた納屋だ。本来であれば農具の物置として利用されていた建物だが、今はわが軍が徴発して寝床として使っている。むろん所詮は納屋なので居心地はあまり良くないが、それでもテント暮らしよりはよほど快適だった。

 

「……」

 

 僕は無言で起き上がり、採光窓の鎧戸に手をかけた。夏場に閉め切られた納屋の中で熟睡していたのだから、もう身体中汗まみれだ。風に当たって涼みたい心地だった。建付けの悪い鎧戸を苦心して解放すると、風とおぼろな月光が室内に入ってくる。涼むには少々ぬるすぎる風だが、まあ無いよりはマシだ。リースベンより遥かに湿度も低いしな。

 

「おはよう、ございます」

 

 窓の外からそんな声がかけられた。見れば、そこに居たのはネェルだ。彼女はワラ束の山を座布団代わりに地面に座り込んでいる。カマキリボディのせいでわかりづらいが、くつろいでいる時の姿勢だ。

 

「ああ、おはよう。いい夜だな。……ネェル、もしかして守衛をやってくれていたのか?」

 

 彼女には専用の大天幕をあてがっている。にもかかわらずわざわざこの納屋の前で休んでいるということは……つまり、僕の護衛についていてくれているということだろう。

 

「ええ。一応、ここはまだ、戦地、ですからね。万が一が、あっては、いけませんので」

 

「そうか……ありがとう。君も疲れているだろうに」

 

「お気になさらず。ツガイを、守るのは、女の、役割、ですので」

 

「……ははは、そっか」

 

 どうにもこうにも、このカマキリ娘の中では僕を娶るのはもはや既定路線になっているように見える。まぁ、いいんだけどね。ネェルはいい子だし。食われてしまわないか若干不安ではあるが……とはいえ、僕は彼女の理性の強さを知っている。たぶん大丈夫だろう。……たぶんね?

 僕は窓から首を引っ込め、枕元に置いた水差しとカップを手に取った。そして、微かな月光を頼りに納屋のドアを探し当て、外に出る。正直まだ眠たいが、納屋の中は少しばかり暑すぎる。ネェルをねぎらいがてら、少しばかり夕涼みをすることにしようか。いや、夕涼みというか、もうすっかり夜中なわけだけど。

 

「おつかれさま、ネェル」

 

 出迎えたネェルにそう言ってウィンクし、ちょいちょいと手招きをする。顔を寄せてきた彼女の唇に、僕は優しくキスをした。アーちゃんを倒したソニアにもキスをしたのだから、選帝侯閣下を捕獲したネェルにも同じようにしてやらないとアンフェアだろう。まぁ、自分のキスがご褒美になるだなんて考えは、流石に気持ち悪い気もするが。とはいえ、少しでもこれで喜んでくれるというのなら、もちろんやらない手はない。

 

「へへへ」

 

 幸いにも、ネェルの反応は好意的なものだった。彼女は照れたような笑い声を漏らし、その物騒な形状の鎌で僕を抱き寄せた。そのまま、自分の胸元の前に僕を座らせる。胸元とはいっても、なにしろ彼女は大変に大柄だ。僕の頭が、丁度彼女の腹のあたりに来るような位置関係になる。

 

「納屋の中より、君の懐のほうが快適だな。おまけに安全でもある」

 

 僕は彼女の身体に身を預けながらそう言った。ネェルは僕よりも体温が低い。彼女の肌はひんやりとして障り心地が良かった。……ちなみに昨夜は血まみれのベタベタだったネェルではあるが、今ではすっかり身綺麗になっている。モルダー川で水浴びをしてきたのだろう。

 

「二度寝はこっちでやろうかな。構わない?」

 

「ええ、もちろん。添い寝、ですか。素敵ですね」

 

 くすくすと笑いながら、ネェルは僕を鎌で優しく抱きしめた。

 

「はぁ。しかし、くたびれたね」

 

「はい。……まあ、ネェルは、大したことは、してないので、ヘーキ、ですが。でも、アルベールくんは、大変そう、ですね? ネェルは、少し、心配です」

 

 敵本陣に突っ込んで総大将を生け捕りにしておいて「大したことはしてない」とか言い出しましたよこの子。まあ謙遜もあるんだろうけど、流石としか言いようがないな……。

 

「ネェルのほうがよほど難儀な仕事をしてると思うけどね」

 

 苦笑しながらカップに水を注ぎ、一気に飲み干す。寝汗をたくさんかいたせいか、喉がカラカラだった。二杯目を注ぐと、ネェルが顔を寄せてくる。どうやら、彼女も水を飲みたいようだった。鳥人たち程ではないにしろ、カマキリ虫人の腕も食器を持つことには向いていない。僕はカップを彼女の口元に持って行き、水を飲ませてやった。……カップ一杯で足りるのかな、この体の大きさで。

 

「んふ。直接も、いいですけど、間接は、間接で、趣が、あります」

 

 なんの話ィ!? ま、まあ、満足そうだからいいか……。

 

「しかし、何はともあれ、この戦争が、早く終わってほしいのは、確か、ですね。ネェルは、戦争は、嫌いです」

 

「そうだね、それは僕も同感だ」

 

 僕は深いため息をついた。戦後処理で戦死者名簿なんかをみていると、とくにそう思う。今回の戦いは幸いにも勝利できたが、それでも戦死者はゼロではない。いや、むしろ少なからずいる。そう思うと、苦いものが喉の奥からこみあげてきた。彼女らが二度と故郷の大地を踏むことができなくなったのは、僕の采配のせいなのだから。

 はぁ、嫌なもんだねぇ。剣を振り回している間は、コンバット・ハイでテンションが上がってるんだけど。しかし、いざ戦闘が終われば残るのは虚しさだけだ。……汚い例えだが、なんだか自慰みたいだな。でも、自慰ではおびただしい数の死傷者が出たりはしないので、そっちのほうが遥かにマシか。

 

「ま、たぶん大丈夫だろう。今回の戦いでエムズハーフェン領が陥落したから、敵の南部諸侯はますます動きづらくなる。こちらが大人しくしている限りは、手を出してこないだろう。これにて僕たちの仕事は終了、あとは王太子殿下が大一番を決めるだけというわけだ」

 

 エムズハーフェン家はこの辺りでは一番の大貴族だ。もはや、帝国南部には有力な敵勢力は残っていない。むろん各諸侯が連帯して大連合軍を作ったりすれば、たいへんに厄介なことになるだろうがね。だが、そんな連合軍が作れるのであれば、そもそもエムズハーフェン軍が単独で我々と戦うような事態にはならなかったはずだろう。

 特に今回の場合は、この辺り一帯を占領・併合しようなんて作戦でもないしな。放置していてもそのうち撤退するとわかっているのならば、わざわざこちらに手を出してくるような輩もあまりいないものと思われる。

 ここまで来たら、やはり懸念は王太子殿下のレーヌ市攻略戦だけだ。上手くいっているのやらいないのやら、今のところまったく連絡が入ってこない。まあ、ヤバイことになっているのなら、救援要請なりなんなりを出してくるハズだからな。便りの無いのは良い便りと思って、必要以上に心配することはしていないが。

 

「なら、いいんですけどね。王太子? とやらが、どうなろうが、ネェルには、どうでもいい、話ですし」

 

 小さくため息をついて、肩をすくめた。

 

「問題は、あの、小うるさい、王家からの使者、とやら、ですよ。エムズハーフェン軍を、倒しても、まだ、戦えと、無茶ぶり、してくるかも、しれないです」

 

「モラクス氏か……」

 

 王室特任外交官、モラクス女爵。我々がエムズハーフェン軍と戦う羽目になったのは、彼女が更なる進撃を求めたからだった。現在、彼女は後方の安全な地域で待機している。なにしろここは戦地だ。文官であるモラクス氏がウロチョロしていたらたいへんに邪魔くさ……危険だからな。待機をお願いするのは当然のことだった。

 とはいえ、戦いが終わった以上はそろそろモラクス氏とも合流する必要がでてくる。あぁ、気が重いなぁ。あの人苦手なんだよな。ああいう官僚を相手にするのは、むしろアデライドの得意とするところだろうが。うぅーむ。

 

「流石にこれ以上を求められたら突っぱねるよ。いい加減こっちも攻勢限界だ」

 

 食料はある程度現地徴発できるにしても、矢玉や特殊な機材(エルフの焼夷剤とか)は後方から輸送してくる必要がある。これ以上補給線が長くなったら、僕たちは戦わずして枯死してしまうだろう。ただでさえ、今回の戦いでは様々な物資を大量投入してしまっているのだ。もはや手持ちの物資はほとんど使い果たしてしまっている。

 

「ま、無茶を、言うようなら、ネェルが、なんとか、しますので。邪魔者は、消える。ネェルは、満腹になる。一石二鳥、です」

 

「……」

 

「ふふ、冗談ですよ。マンティスジョーク、マンティスジョーク」

 

 絶句する僕の耳元でそう囁き、ネェルは艶然とほほ笑んだ。……やっぱこの子怖いわ。



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第514話 くっころ男騎士とお悩み相談(1)

 翌朝。エムズハーフェン選帝侯閣下によるリッペ市の暴徒鎮圧作戦が決行された。鎮圧といっても、それほど乱暴な作戦ではない。リッペ市の暴徒らは、あくまで侵略者……つまりは、我々への抵抗を示しているに過ぎないわけだからな。彼女らにとってエムズハーフェン軍はむしろ味方であるから、穏当に説得で解散させられる可能性は十分にある。

 とはいえ、それはあくまで理想論だ。相手は将校によって統率される"きちんとした"暴力集団ではない。こういった集団が目的を見失って無軌道に破壊と混乱をまき散らすだけに終始するのは決して珍しい事ではない。

 そこで選帝侯閣下は、自身の近衛隊を主力として臨時編成の大隊を結成した。古参の装甲兵(甲冑を着込んだ兵士のこと)のみで構成された精鋭部隊だ。この兵士たちは、通常の武装の代わりに盾と棍棒を装備させている。暴力に酔いしれて暴走する者たちを、ぶん殴って正気に戻してやるための装備だ。……要するに、現代の機動隊のようなものだな。

 選帝侯閣下はこの特務部隊を自ら率い、朝のうちにリッペ市内へと突入した。約束通り、わが軍は鎮圧任務には参加せず市外で待機している。とはいえ、陣地に流れている空気はいささか剣呑なものだった。なにしろ、停戦中とはいえエムズハーフェン軍が敵であることには変わりがないのだ。最悪の場合、暴徒らと共謀して我々に再び牙を剥く可能性もある。そうなった場合に備え、各部隊は即座に反撃に移ることができる即応体制を取らせていた。

 

「今のところ、エムズハーフェン軍には市内、市外ともに怪しい素振りはありません」

 

 そんな報告をするのは、今朝軍務に復帰したばかりのソニアだった。その麗しい顔はいまだに傷まみれ包帯まみれでなんとも痛々しいのだが、意外と元気そうな声を出している。流石は竜人(ドラゴニュート)、尋常なタフネスではない。

 

「このまま大人しくしていてもらいたいところだな……」

 

 香草茶を啜ってから、僕は指揮卓に視線を下ろした。市内で鎮圧作戦が進む一方、我々は指揮本部に詰めて"万が一"に備えていた。もしエムズハーフェン軍が再戦を仕掛けてきた場合には、即座に殴り返せる姿勢を構築している。指揮本部には実戦の時の変わらぬ緊張感が流れてきていた。

 とはいえ、ソニアの言う通り今のところは停戦破りの兆候はない。リッペ市の上空には鳥人偵察兵や翼竜(ワイバーン)騎兵を密に飛ばして情報収集に務めている。何かあれば、即座に警報が発せられる手はずになっていた。

 もちろん、監視の目は市外に残ったエムズハーフェン軍にも向けられていた。むしろ、数的にはこちらの方が多いので警戒を緩める理由など微塵もない。彼女らは武装を没収された上で分断され、ヴァルマ隊やエルフ隊などの精鋭部隊によって監視されていた。この状態で第二ラウンドを仕掛けてこられるのは、相当の向こう見ずか覚悟ガンギマリのやべー奴だけだろう。

 

「ま、人質もおりますのでね。それほど大それたことにはならないとは思いますが」

 

 そんなことを言いながらソニアがチラリと見た先には、所在なさげに小さくなっているアーちゃんの姿があった。ソニアと変わらないほどの傷まみれになった彼女は、普段の無暗に偉そうな態度とは程遠い殊勝さで折り畳み椅子にチョコンと座っていた。借りてきた猫のような態度だ。

 

「人質として機能すればいいがな……」

 

 殊勝なのは態度だけではなく発言もだった。いや、殊勝というよりは卑屈といったほうが正しいかもしれない。傲慢不遜という言葉が擬人化したような女であるところのアーちゃんがこの有様なのだから、凄まじい違和感だ。ソニアも不気味なモノを見るような目つきで彼女を見ていた。

 とはいえ、アーちゃんがショボくれているのにもそれなりの理由がある。作戦の失敗、決闘での敗北。それに加え、先ほど取った朝食のさなかにもひと悶着があった。いや、悶着というほどのトラブルではない。単に、選帝侯閣下がアーちゃんに冷淡な態度を取った、ただそれだけの話である。

 現場には僕も同席していた。冷淡な態度といっても、目上の人間に対する礼を失したようなひどいものではなかった。しかしそれでも。アーちゃんにとってはそれなりにショックな出来事だったようだ。

 

「エムズハーフェン殿はどうやら随分と我に失望しているようだったからな。見捨てられても不思議ではなかろうよ」

 

 などと言いつつ、アーちゃんは深々とため息を吐く。いじけモードというよりは、心底落ち込んでいるような風情だった。

 

「……まあ、流石に見捨てるまでは行かないんじゃないですか。知らないですけど」

 

 この人、唯我独尊的なキャラの割にはメンタルが弱いよなぁ。前も妙なことで落ち込んでたしさ。若干面倒くさくなりつつ、僕は投げやりな慰めを口にした。

 

「兵は、いや、部下は危地であるほど上官の一挙手一投足に注目していますよ。もっとシャッキリしてくださいな」

 

「ううむ……」

 

 その通りだ、と思う程度の理性は働くらしい。彼女は姿勢を正したが、しかし相変わらず顔はへにゃへにゃしている。すっかり心が折れてしまっている風情だった。相変わらず面倒くせぇなあこの人はなぁ。

 

「なにをそんなに落ち込んでいるんだ貴様は、気持ち悪い。リースベン戦争の時など、負けた直後にも関わらずヘラヘラしていたではないか。あの時の気概はどうした?」

 

 しょうがないなぁ、と言わんばかりの態度でソニアがそんなことを言った。どうやら、アーちゃんを励ましてやる気になったらしい。苛烈な部分が目立つ彼女だが、平時においてはなかなか面倒見の良い所がある。僕はちょっとした面白みを感じつつ、香草茶をすすりながらずたぼろ偉丈婦二人のやり取りを見守ることにした。

 

「まけたとはいっても、あの時はそこまでひどい事にはならなかった。今回は駄目だ、エムズハーフェン殿どころか、そこらの一兵卒ですら我を見る目が冷たい。ずいぶんとひどい大ポカをやらかしてしまった」

 

 前回も大概だっただろ。そう思ったが、言わぬが華である。

 

「前回も大概だっただろ」

 

 あ、ソニアが言っちゃった。せっかく姿勢だけはシャッキリしていたアーちゃんが、またへにゃりとなった。そして、僕とソニアをチラチラとみて、ちょいちょいと手招きする。耳を貸せ、のジェスチャーだ。どうやら、兵には聞かせたくない話をするつもりらしい。

 ええ、僕もぉ? そう思ったが、まあ今は状況も安定している。エムズハーフェン軍が余計なことをしない限りは、僕らは監視さえしていればそれでことは済むからな。むしろ戦後処理などの雑務をやるわけにはいかないぶん(雑務で机の上がいっぱいになっていたら緊急時に即応できないからだ)、暇ですらある。アーちゃんの愚痴を聞くくらいはまあいいかと、僕は彼女に椅子を寄せた。

 

「うう。そうは言うが、我もそれなりに頑張ってたんだぞ? 少なくとも、戦力の一角として求められる以上の仕事をした自信はある。リースベンでも、このエムズハーフェンでも」

 

 周囲に聞こえないような小声で、アーちゃんはそう言った。場末の居酒屋でクダをまくサラリーマンのような口調だった。まあ、彼女の言いたいことはわかるよ。実際、今回もリースベン戦争でも、立ちふさがった敵の中で一番厄介だったのは間違いなくアーちゃん麾下の部隊だったしな。

 

「なのにどうしてこうなった? 貴様らにこのようなことを聞くのは筋違いだと承知はしているが……何が悪かったのか教えてくれないか。このままでは本当にマズい……」

 

 懇願するような調子のアーちゃんに、僕とソニアは顔を見合わせた。ううーむ、確かに僕らにそんなことを聞かれても困る。しかし、アーちゃんがポカしまくってリヒトホーフェン家が爆発四散しても、それはそれで困るんだよな。

 まあ、皇帝家が変わる程度なら別にいいんだけど(平和的に皇帝家を変えるために選帝侯なんてシステムがあるわけだし)、万が一大規模な内戦なんかが起きた日にはリースベン領自体が大迷惑を被る。ましてや今はガレア王国と神聖帝国の真っただ中だ。この戦争の結果いかんでは、内戦リスクはさらに上昇する。今後のことを考えれば、アーちゃんには出来るだけしっかりしてもらいたい所だった。

 

「……仕方、ありませんかね?」

 

 どうやら、ソニアも同様の結論に至ったようだ。僕は小さくため息をつき、頷いた。

 

「ま、相談に乗るくらいならいいかな……」

 



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第515話 くっころ男騎士とお悩み相談(2)

 エムズハーフェン軍の将兵から冷たい目を向けられ、ショボくれてしまったアーちゃん。手持無沙汰な我々は、彼女の相談に乗ってやることにしたのだが……。

 

「何か明らかにマズい事をやってしまったことはわかるのだ。しかし、具体的に何が悪かったのかがよくわからん……もしかして、一騎討ちが不味かったのか……?」

 

 唇を尖らせ、両手の人差し指をツンツンと突き合わせながらアーちゃんは言った。そうとう堪えているのか、普段はつり目がちな彼女が垂れ目になってしまっている。こうなると、ライオンというよりやたらデカい子猫のように見えてなんだかカワイイ。いや、やってることは微塵も可愛くないが。

 

「なんだ、わかってるじゃないですか」

 

 ぞんざいな口調で、僕はぶっちゃけた。近隣諸国の王侯の中でも五指に入るほど偉いお方に対する態度ではないが、まあアーちゃんはそんなことはあまり気にしないので良いだろう。今はお付きの人もいない訳だし。

 

「今回の戦いにおけるアーちゃんの役割って、何だと思います?」

 

「貴様の身柄を確保することだろう……」

 

 イジケ口調のアーちゃんに苦笑しつつ、頷く僕。アホっぽく見えるアーちゃんだが、やはりこういう戦術面の判断力は正確だな。まあ、そこが厄介な点でもあるのだが。

 

「そう、その通りです。選帝侯閣下の作戦は、僕の斬首に特化したものでした。そしてその作戦における槍の役割を果たすはずだったのが、クロウン傭兵団とアーちゃんでした。そのほかのエムズハーフェン軍の役割は、あなたたちを支援すること」

 

 指揮卓に乗せっぱなしになっている地図の上を指先でなぞりつつ、僕は説明した。作戦の最終局面において選帝侯閣下は飽和攻撃を仕掛けてきた。しかし、その主攻がクロウン傭兵団であったことは間違いない。こちらの防御線を突破してきた部隊のうち、もっとも奥深くに切り込むことが出来たのがアーちゃんたちなのだ。

 

「……にもかかわらず、アーちゃんは一騎討ちで余計な時間を浪費してしまった。選帝侯家の将兵からすれば、ハシゴを外された気分でしょうね」

 

「しかし、それは」

 

 アーちゃんは僕を見てから、何かを考えこむ。そして豆茶を一口飲んでから、ソニアの方に目を向けた。

 

「結局のところ、この雌ドラゴンを排除せねばアルベールには手が届かぬのだ」

 

「誰が雌ドラゴンだ雌ライオンめ」

 

 ソニアは半目になってアーちゃんを睨んだ。しかし、雌ネコ呼ばわりが雌ライオンに改善している。タイマンで殴りあった結果通じ合うものでもあったのだろうか?

 

「そして、この女を倒そうと思えば、一ダースの騎士をぶつけるよりも我一人で当たったほうが効率が良い。私情で一騎討ちを仕掛けたのかと聞かれれば頷かざるをえないが、全体的に見れば合理的な判断だったと思うのだが」

 

 あー、なるほどね。意外と考えていらっしゃる。いや、意外というのは失礼か。まあ、何にせよアーちゃんの考えは誤りではない。実際問題、そこらの騎士が十人二十人居たところで暴れるソニアを抑え込むのは不可能だ。ならば、ソニアに匹敵する剣士をぶつけてしまえというような作戦になるのは自然な流れだろう。

 

「ならば、貴様がわたしを抑え込んでいる間に、別動隊によってアル様の身柄を確保するべきだったのだ。……まあ、むろんそのための備えはしてあったがな」

 

 ピシリとソニアが指摘する。ちなみに、備えというのはジョゼットら幼馴染の騎士たちのことだ。ソニアが釘付けにされた場合は、彼女らが壁となって僕を守る手はずになっていた。実際一騎討ちの最中にも戦闘は続いてたため、ジョゼットらはかなりの活躍ぶりを見せてくれた。

 まあ、そうは言っても懸念していたほどの集中攻撃は受けなかったがね。どうやら、クロウン傭兵団の面々はアーちゃん直々に「あえてアルベールを狙う必要はない。彼は我の獲物だ」などと事前に説明されていたようだ。そういうとこだぞアーちゃん。

 

「男を賭けて一騎討ちをしているのだぞ? そんな情けない真似ができるか! ……たとえエムズハーフェン殿が我と同じ立場だったとしても、彼女だって我と同じ手に出るはずだぞ。後ろ指を指される謂われはない」

 

 唇を尖らせつつ抗弁するアーちゃん。選帝侯閣下は戦争の真っ最中に男を賭けて一騎討ちなんかしねぇよ、というツッコミはさておき、確かにアーちゃんの言う事にも一理があった。貴族ほど体面を重視する生き物はそうそういない。一見非合理的でも名誉を重視した選択をするのは当然のことだった。

 

「まあ、そうでしょうけどね。でもエムズハーフェン家の人たちにとっては、そんなことはどうでもいい事ですからね。……そもそも大一番で男を賭けた一騎討ちなんかするのが駄目、というほかないですね。そんなことは平和な時代にやってください」

 

「みぎゅっ……」

 

 奇妙な鳴き声を上げるアーちゃんを半目で睨みつつ、僕はため息をついた。そして香草茶を飲み、茶菓子をつまむ。

 

「まあ、いったんそれは横に置きましょ。それよりなにより、たぶん彼女らが一番怒っているのはアーちゃんが連れてきた戦力が少なすぎたことだと思うんですよ。神聖皇帝は帝国諸邦の防衛義務を負ってじゃないですか。なのに、いざ侵攻された時にやってきた援軍は僅か一個中隊。これはマズイですよ」

 

 そもそも、本来であればこの戦いはアーちゃんの軍が主力となるべきだったのだ。にもかかわらず、実際のアーちゃんは精鋭部隊の前線指揮官程度の活躍しかしていない。下っ端貴族ならそれでよいのだが、上の人間がこの調子ではそりゃあ落胆もされるだろう。立場は高くなればなるほどより多くのことを求められるのだ。

 

「仕方ないだろうが! ガレア軍の主攻の矛先はレーヌ市に向いていた! 明らかに陽動でしかない南部戦線に、それほど多くの戦力は振り分けられん。正規軍が手一杯になっている以上、動かせる戦力は我が手勢以外にはいなかった」

 

 半目になりながらアーちゃんが抗弁する。こればかりは、彼女にも言い分があるようだ。

 

「……それに、一個中隊では足りぬことなどわかっていた。だから、手すきの南部諸侯に軍役を要請して援軍を出させようとはしていたのだ。しかし、どいつもこいつもあれこれ理由をつけて兵を動かさなかった。我自ら彼女らの所領を訪れ、直談判までしたにも関わらずだ!」

 

 もはや明らかに内緒話では済まないトーンの声で、アーちゃんは嘆いた。……あなた、そんなどぶ板営業みたいな真似も出来たんですね。

 

「あの軟弱者どもは、破竹の勢いでミュリン家を打ち破ったリースベン軍に恐れをなしているのだ。わが身可愛さに友邦の危機を見過ごす帝国貴族の面汚しどもめ……!」

 

 深々とため息を吐くアーちゃん。能天気に見える彼女にも、それなりの悩みはあるようだった。ガレアもガレアで問題が山積しているが、神聖帝国はそれ以上だなぁ……。

 

「それでいいのか、帝国諸侯」

 

 僕と同じ感想を持ったらしいソニアは首を左右に振り、ツッコミを入れた。

 

「良いわけないだろうが! そもそも、当のエムズハーフェン軍ですら、火の粉が飛んで来る前は日和見の姿勢だったのだ。やはり、このままでは駄目いかん。今のままでは、神聖帝国は国とは呼べぬ。もっと権威のある政府を作らねば、じきに外国(とつくに)に食い荒らされてしまうぞ……!」

 

 実際、神聖帝国はこうしてガレアによる侵攻を受けてるわけだしなぁ。防衛システムが機能不全を起こしているというのは、確かに早急に何とかするべき課題やもしれん。まあ、僕からすれば他人事なわけだが。

 

「ちなみに、援軍を得ようと各地を行脚したことは選帝侯閣下に伝えましたか?」

 

「いや……前当主が直接出向いてまで軍役を招集したというのに、拒否されたともなると大恥だからな。援軍はないとだけ伝えて、あとは隠していた」

 

「……そこはむしろ腹を割って話し合ってた方が、危機感を共有できて良かったかもしれませんねぇ」

 

「いわれてみればそうやもしれんな……」

 

 ガックリとうなだれるアーちゃん。まあ、後の祭りってやつだな。

 

「まあ、何はともあれアーちゃん……いや、リヒトホーフェン家は主君としての責務を果たせなかった。少なくとも、エムズハーフェン家にとっては。やはり、これはデカいですよ」

 

「……うう」

 

 とうとうアーちゃんは指揮卓にへたりこみ、情けのない声を上げ始めてしまった。

 

「これは道理の話をしているんじゃないんですよ。あくまで、感情の話です。エムズハーフェン軍にとって、アーちゃんは頼りになる上長ではなかった。おまけに、そんな火急の事態に男の尻を追いかけて遊んでいるように見えた。そりゃあ怒りますって、みんな」

 

「むぅ。しかし、しかし……」

 

 ぐぎぎぎと苦悶するアーちゃん。気分はわかるよ、気分は。彼女にも言いたいことの一つや二つはあるだろうさ。けどまあ、これは相手がどう受け取るかという話だからな。言い訳なんかしたってしょうがないだろ。そんなことをしたって、むしろ火に油を注ぐだけだ。

 

「思うに、貴様の一番の落ち度は臣下を納得させられなかったことではないのか?」

 

 思案顔で、ソニアが指摘した。失敗をほじくり返しているというよりは、相手を通して自分の行動を顧みているような口調だった。

 

「……人の心を本当に動かすのは、利益や道理ではない。納得だ。納得さえすれば、人は大損をしようとも気にならぬし、時には自らの命すら投げ出すこともできる。貴様は、臣下を納得させることができなかった。だから失望されたのだ……」

 

「う、うむ……うむ……」

 

 この指摘には、アーちゃんも黙らざるを得なかった。僕とソニアを交互に見て、しばらく考え込む。そして、カップの豆茶を飲み干してから、またうむうむと思案し続けた。

 

「……うむむ。確かに、その説明は"納得"できるやもしれん」

 

「ああ。正直、わたしも偉そうに人に指図できるほどの人間ではないのだが。……しかし、アル様を見ていると、何となく理解できるのだ」

 

「そうか、アルベール。そういうことか。確かに、この男は我などよりよほど人望がある……」

 

 何かを得心した様子でソニアとアーちゃんは頷き合い、そして僕の方を見た。えっ、えっ、なんなの? えっ?

 

「だいたい分かった。ありがとう、アルベール。我も、一度(わらべ)に戻ったつもりで、学びなおしてみることにしよう」

 

 決意を秘めた目つきで、アーちゃんはそんな宣言をする。ううん? いまいちよくわかんないけど、まあ本人が納得してるんなら別にいいか……



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第516話 くっころ男騎士と諸侯軍の帰還

 我が方の指揮本部でアーちゃんとのやくたいもない雑談が交わされる一方、選帝侯閣下の治安維持部隊はリッペ市の秩序を取り戻すべく奮戦していた。聞いた話によれば、閣下は自ら陣頭に立ち混乱する市民らを説得していったそうだ。まったく、貴族の鑑のようなお方である。

 その甲斐あって、リッペ市の暴動は速やかに収束していった。ほとんどの市民らは、自らの街を守るために立ち上がったのである。破壊や略奪の心配がないと分かれば、武器を置いてくれる。一部には火事場泥棒目当てで暴力を煽るような真似をしているような悪党もいたようだが、そのような手合いはエムズハーフェン軍の精鋭部隊によって叩きのめされた。

 彼女らの活躍により、鎮圧作戦が始まって二日が立つ頃にはほとんどの暴徒は解散し、三日目には日常を取り戻し始めた。幸いにも、懸念されていたような事態……つまり停戦破りからの第二ラウンド、みたいな事態も発生していない。わが軍の警戒態勢は肩透かしに終わったわけだ。よかったよかった。

 

「リッペ市は秩序を取り戻した。そろそろ、将旗を市庁舎のほうへ移してはどうだろうか?」

 

 四日目。リッペ市から戻ってきたエムズハーフェン選帝侯閣下から、そんな提案があった。つまり、指揮本部を正門前から街中へ移設してはどうか、というお誘いである。まあ、リッペ市は交易都市だからな。我々がいつまでも正門前にたむろしていたら、商人や物資の出入りに支障をきたして迷惑だろう。断る理由もないので、お言葉に甘えることにした。

 

「立派な建物だこと……」

 

 リースベン軍の軍旗が掲揚されるリッペ市の市庁舎を前にして、僕はそう呟いた。この街は、エムズハーフェン領の中心地たるエムズ=ロゥ市の衛星都市に過ぎない。にもかかわらず、なんと立派な市庁舎であろうか。この建物はレンガ造りの三階建てで、門前には銅像まで設置されている。

 思わず自分の屋敷と比べてしまい、僕はゲンナリとした心地になった。なにしろカルレラ市の領主屋敷は木造二階建ての簡素な……いや、粗末な建物だ。いい加減、建て替えをした方が良いような気がする。見栄と言ってはそれまでだが、見た目の権威性というのは意外と大切なのである。

 

「ま、場所が変わったところでやることはそう変わりないわけだけど……」

 

 我々は庁舎の会議室を間借りし、そこを臨時の指揮本部とした。とはいえ、仕事の内容には変化がない。まず第一に取り組んだのは兵士らの食う・寝る・遊ぶの手配だ。これらを怠ると、軍隊は容易に瓦解してしまう。ちなみに、最後の遊ぶの部分も意外と重要だったりする。なにしろストレスをためた兵隊は何をやらかすか分かったもんじゃないからな。管理できるやり方で適切に発散させてやらねばならない。

 他にも軍の綱紀粛正やら、戦後処理の残りやら、やるべき仕事はいくらでもいあった。書類の山……いや、海に埋まってウンウンと唸る羽目になってしまった僕だったが、数日もしないうちに頼もしい援軍がやってきた。リュパン軍が帰還したのである。

 

「良くお戻りになられました! いやぁ、皆さまご無事でなりより!」

 

 戦塵にまみれて戻ってきた諸侯らを、僕は諸手を上げて歓迎した。なにしろ、わが軍はとんでもない人手不足だ。選帝侯閣下があれこれ手助けしてくれているが、それにも限界がある。仕事の量に比べ、事務作業が出来るような人材の数が少なすぎるのだった。とにかく、この持て余した大量の仕事を諸侯どもに投げつけねばならない。

 ところが、諸侯どもの反応はどうにも鈍かった。ガレアやリースベンの軍旗がはためくリッペ市庁舎を見て困惑し、さらに挨拶に訪れたアーちゃんやらエムズハーフェン選帝侯閣下らを見て目を白黒させている。なんだこの反応。そう思っていると、誰かに肩を叩かれた。リュパン団長である。

 

「おい。おいこら。おいおいおい。ブロンダン卿、どうなっているんだこれは。おい!」

 

 団長はいかにも猛将といった風情の顔に冷や汗を浮かべながら、僕をガクガクとゆすぶった。

 

「敵軍はいきなり停戦だとか言い出すし、リッペ市は知らないうちに陥落しているし、敵の大将格二名は捕虜になってるし、なんなんだこれは! 状況を説明しろ!」

 

「説明しろとおっしゃられましても……ご覧の通りですが」

 

 僕は困惑しながらそう答えた。いや、だって、そう答えるしかないだろ。他に言いようがない。敵軍の大将をとっつ構えて停戦を結んだ、それだけである。

 

「有力な敵部隊の攻撃を受け、劣勢……などという連絡を受けた記憶があるが!?」

 

「いや、あの時はそれなりに劣勢でしたけど……リュパン団長が送ってくれたヴァルマの助勢でなんとかなりましたよ」

 

「一千対三千のいくさで、なぜ騎兵一個大隊程度の増援を受けただけで完全勝利した挙句街まで落としてるんだ貴様はァ!!」

 

「あばばばば」

 

 肩を掴まれガクガクとシェイクされ、僕は情けない悲鳴を上げた。リュパン団長はソニアほどではないにしろなかなかの体躯を誇る竜人(ドラゴニュート)の武人だ。只人(ヒューム)の僕ではマトモに抵抗できない。

 

「リュパン殿、やめてくだされ! ブロンダン殿が泡を吹いておられますぞ!」

 

 慌ててリュパン団長を止めてくれたのは、ジェルマン伯爵だった。宰相派閥の一員であり、おまけにリースベンのすぐ隣の領地を治める領主でもあるジェルマン伯爵は、僕にとっては大変に心強い後見人であった。団長の魔の手から逃れた僕は、ホッとしながら彼女に頭を下げる。

 

「ありがとうございます、伯爵。助かりました……」

 

「いいえ、お気になさらず」

 

 ジェルマン伯爵は、その人の良さそうな顔に苦悩の表情を浮かべつつ頷いた。そして、周囲を見回してから深い深いため息を吐く。

 

「しかし、ハッキリ申しますが私もリュパン殿の同感なのですよ。いったい、これはどういうことなのですか? 説明をお願いしたい」

 

「はぁ」

 

 はぁ、じゃないが。リュパン団長とジェルマン伯爵は同時にそう言いたげな表情になった。

 

「……状況を整理いたしましょう。リッペ市攻囲戦のさ中、我々はヴァール支隊からの救援要請を受けて戦場を離れました。この街の周辺に残された部隊は、ブロンダン殿の麾下の約千名のみ」

 

 ヴァール支隊。諸侯軍の厭戦派の代表、ヴァール子爵に率いられたやる気のない部隊だ。略奪目的であちこちの農村を行脚していたら、敵軍の主力に捕まって泣きを見る羽目になった哀れなお方である。……哀れか? いや、普通に自業自得だろ。

 

「はい。まあ、その千名の中には、勇敢な独立騎士諸君も少なからず混じっておりましたが」

 

 騎士隊の代表者、ペルグラン氏の奮戦は記憶に新しい。彼女が最後まで戦線正面を支え続けてくれたからこそ、我々は勝利を掴むことができたのだ。いくら礼を言ってもいい足りないくらいだよな。

 

「で、我々とヴァール支隊は合流に成功し、敵軍と対峙した」

 

 難しい顔をしながら、リュパン団長がジェルマン伯爵の言葉を引き継いだ。

 

「彼我の兵力差は九千対七千。数的には我が方が有利ではあったが、敵軍は回避に専念しなかなか捕捉できなかった。そうしてモタモタしているうちに、今度は貴様から救援要請が来た。いわく、三千の敵部隊から攻撃を受けているという。拙者はとても慌てた。当初の懸念通りの事態が発生したわけだからな」

 

「で、救援としてヴァルマ隊を送ってくださったわけですね」

 

「ああ。本人からの希望もあったし、なにより急ぎの救援に間に合わせるには騎兵隊の機動力を活用するほかはない。適切な判断だったと思う」

 

 そう言ってから、団長と伯爵は顔を見合わせた。どちらも、妙にくたびれた顔をしている。

 

「……我々が知っているのはここまでです。やきもきしながら敵軍とやくたいのない追いかけっこをしばらく続けていたら、今度は突然向こうから停戦の申し出がありました」

 

「ああ。あの時は、いよいよ貴様がやられてしまったのかとひどく焦ったものだ。なにしろ、我々は時間をかけすぎた。あの逃げ足だけは早い軟弱なカワウソどもめ、武器も構えずただただ逃げ回り続けるとは卑怯なり」

 

 悔しげな様子でリュパン団長は拳を握る。まぁ、しゃあないね。歩兵主体の野戦では、双方が決戦を指向しないかぎりなかなか会戦には発展しない。敵軍のほうに地の利があればなおさらだ。リュパン軍は、逃げ回る敵軍を捕捉しきれずキリキリ舞いさせられてしまったのだろう。

 

「ところが、実際はこの有様ですよ。困惑するのも当然のことでしょう?」

 

 ウンウンと頷き合うジェルマン伯爵とリュパン団長。ううーむ。どうにも、情報のやり取りが上手くいってないな。まあ、戦っている間は定時連絡等する暇もなかったのだから、仕方のないことなのだろうが。

 

「そうはいっても……それほど妙なことはしていませんよ。目の前に手柄首が転がって来たので順当に回収しただけというか」

 

「それが"妙なこと"以外の何物だというのだ!!」

 

 言い訳する僕だが、とうとうブチ切れだリュパン団長に一喝されてしまうのだった……。



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第517話 くっころ男騎士の弁明

 リッペ市の占領もひと段落したころ、やっとのことでリュパン団長に率いられた諸侯軍が帰還した。再会を喜ぶ僕だったが、情報伝達の不備からリュパン団長・ジェルマン伯爵の両名から現状を説明せよと詰められてしまう。

 そんなことを言われても見ての通りですよと言い返したいところだったが、もちろんそんなことを口にすれば更なる檄詰めが待っているのは間違いない。仕方がないので、僕は改めて認識のすり合わせの機会を作ることにした。

 

「えーと、皆さんお集まりですね」

 

 リッペ市市庁舎の会議室で、僕は周囲を見回しながら言った。僕の目の前にいるのは、ジェルマン伯爵、リュパン団長、そしてヴァール子爵の三名……つまり、諸侯軍の幹部たちである。

 戦場から帰還したばかりで薄汚れていた彼女たちだったが、今では随分と身綺麗になっていた。報告会を開く前に、風呂へ入って戦陣を落としてきてはどうかと提案したのだった。……まあ、その、なんだ。夏場に一週間以上風呂にも入らず動き回ってたわけだから、そりゃあみんなひどい有様だったのよ。

 

「前置きはいい。さっさとこちらの戦場で何があったのかを教えろ」

 

 腕組みをしながら、リュパン団長がアゴをしゃくる。

 

「我々が離れた後、このリッペ市で何があったのだ」

 

「ええと、はい」

 

 威圧的だなぁ。そんなことを想いながら、僕は香草茶を一口飲んだ。

 

「リュパン軍がヴァール支隊への救援に向かった後、僕はリッペ市の攻略を目指しました。出立前にリュパン団長がおっしゃっていたように、ヴァール支隊への攻撃は陽動の可能性が高かったわけですからね。敵野戦軍とリッペ市の守備隊に挟まれでもしたら、僅か千名の兵力しかないわが軍はあっという間に壊滅してしまいます」

 

 そう言って、ちらりとヴァール子爵の方を見る。彼女は見るからに不機嫌な様子で僕を睨み返してきた。どうやら、自分が囮にされてしまったことに気付いているようだ。……いや、まあ、それは事実だけどさぁ。軍役に招集されておきながら、農村やら隊商やらの略奪だけでお茶を濁そうというほうが無理筋でしょうが。少しくらい仕事をしてくださいな。

 

「しかし、拙者が出陣した時点では、リッペ市の防衛線にはいささかのほころびもなかったはずだ。豊富な兵力が手元にあった時ですら攻略に難儀していた相手を、どうやって倒したのだ」

 

 唇を尖らせながら、リュパン団長が指摘する。

 

「豊富な兵力があった、とはいっても……あの時も、攻囲戦に参加していたのは僕の手勢ばかりでしたし」

 

 ちょっとした言い訳を口にしてから、僕は視線を脇に逸らした。リッペ市への攻撃に彼女ら諸侯軍を参加させていなかったのには、いくつかの理由があった。一番大きいものはヴァール支隊への救援を速やかに行うためであったが……もう一つ、大きな理由がある。

 理屈としては簡単だ。リッペ市攻略に他の諸侯を参加させておきながら、あとから単独で攻略を成功させてしまったら、手柄の横取りだと後ろ指を指されてしまう可能性が大きいからだ。前哨戦の段階では、諸侯軍の将兵の血は一滴たりとも流すわけにはいかなかったのである。

 

「それに、確かにリッペ市の正面防備は素晴らしいものがありましたがね。しかし、玄関の警備が厳重だからと言って、裏口まで鉄壁とは限りませんので。やりようはありました」

 

「裏口……どういうことです?」

 

 ジェルマン伯爵が眉を跳ね上げる。しかし、僕が口を開く前に、リュパン団長が「やはりな」と声を上げた。

 

「守備隊の目をいったん中央に釘付けにしてから、港側から攻めた……そうだろう?」

 

「ご明察です」

 

 さすがはリュパン団長、すでに僕の手品の種には気付いていたようだ。まあ、いかにも脳筋めいたリュパン団長だが、実際には名将と呼ばれる類の人物だからな。そりゃあわからないはずがない。

 

「で、結局リッペ市は、諸侯軍が離れた日の翌朝にはいったん制圧できたのですが……」

 

「いや、早いな!」

 

「翌朝って、実質半日じゃないですか!」

 

 リュパン団長とジェルマン伯爵が同時に声を上げる。ヴァール子爵は面白くなさそうな顔で軽く舌打ちをした。

 

「エルフらが頑張ってくれたので」

 

 これに関しては僕の采配云々よりもフェザリアの頑張りだからな。賞賛は彼女らに向けられるべきだろう。

 

「まあ、それはイイとして。問題は敵の別動隊です。リッペ市陥落からさして間を置かないうちに、エムズハーフェン軍三千が襲来しました」

 

「千対三千。個人的には、絶望的な戦力差に思えますが」

 

 腕組みをしたジェルマン伯爵が、難しい顔で言った。しかし僕は首を左右に振る。

 

「そうでもありません。こちらはリッペ市守備隊が構築した防衛陣地をそのまま流用できましたからね。攻撃三倍の法則を鑑みれば、むしろ戦力的には互角と言っても差し支えない」

 

 攻撃三倍の法則というのは、防御を固めた敵を打ち倒すには相手の三倍の戦力が必要ですよ、という戦場のことわざである。

 

「それは単なる経験則だろうが……実際問題、防御側が攻撃側の三倍有利だとか、そういうわけではないぞ」

 

「まあ、そりゃそうなんですけど」

 

 バッサリと切り捨てるリュパン団長に、僕は思わず苦笑した。

 

「まあ、何にせよそれほど不利ではなかったのは確かです。僕はそちらの軍に救援要請を出しつつ、防御を固めることにしました。相手はしょせん三千、リュパン軍の救援が間に合えばものの数ではありません」

 

「防御を固めた…………?」

 

 何言ってるんだテメェ? そんな顔をしながら、ヴァールが窓の外へと目を向けた。開け放たれた窓の向こうには、石造りの家が立ち並ぶリッペ市の街並みがある。

 

「言っていることと実際に起きたことに随分と差があるように見えますが」

 

「いや、まあ……」

 

 実際、カウンター狙いで反転攻勢を仕掛けたのは事実である。そう指摘されると弱い。しかし、自分から攻撃を仕掛けたと言われるとまたリュパン団長からアレコレ言われてしまうので黙っていてほしい。

 

「その、なんといいますか……敵の陣営にリヒトホーフェン先帝陛下、エムズハーフェン選帝侯閣下のご両名がいらっしゃると聞いて、思ったんです」

 

「何を!?」

 

「暴徒をまる無視してエムズハーフェン軍に専念すれば、三千くらいの兵力なら自前の戦力で食えちゃうんじゃないかって」

 

「なんで!? なんでそんなこと思ったの!?」

 

 冷や汗をかきながらリュパン団長が叫ぶ。

 

「いや、だって……こっちは内線側だし、十分に準備された防御陣地もあるし、何とでもなるかなって」

 

 それに、兵の質でもこっちが勝ってたしな。エルフ隊、ヴァルマ隊、そしてネェル。このエースカードが三枚揃ってれば大概の敵はそりゃあ駆逐できるよ。

 

「市民らの暴動を完全に無視しても、防壁があればある程度は耐えられるということはわかっていましたので。あとは、浮いた戦力をどこに投入するか、という風に考えたんですが」

 

「理屈ではわかるが、指揮本部から壁一枚隔てた向こう側で市民共が暴れまわることを容認したのか貴様は!?」

 

「壁一枚あれば上等でしょ」

 

「……」

 

 処置無し。そう言いたげな様子でリュパン団長は首を左右に振った。

 

「とはいえ、それで動けるようになったユニットはエルフ隊のみ。彼女らは精強な舞台ですが、単独で用いると流石に決定打に欠けます。エムズハーフェン選帝侯は強敵でしたので」

 

「まぁ、一個大隊に満たない数の軽歩兵ではね。で、それでどのような采配をされたのです?」

 

 凄まじい顔色のジェルマン伯爵が質問をしてくる。いや、何だよその顔は。僕に奇人を見るような目つきを向けるのはやめ給えよ。

 

「単独で運用するからパワーに欠けるのであれば、別の味方に合流させればいいかなと。で、いざという時の脱出用に構築していた坑道を転用して、エルフ隊を包囲網の外に出しました」

 

「坑道!?」

 

「あとは簡単ですね。エルフ隊とヴァルマ隊による斬首作戦ですよ」

 

「斬首!?」

 

 ジェルマン伯爵、そんなにツッコまないでください。別に変なことはしてないです。

 

「……頭が痛くなってきたな。何、坑道作戦をしたのか? よくもまあそんな策を思いついたな」

 

「いや、別に……坑道戦術は攻城戦における鉄板の作戦でしょう」

 

「攻囲側の戦術としては、まあベターだが。防御側は使わんだろう、普通」

 

 半目になりながら、リュパン団長は僕を睨みつけた。……そうかな? 対抗措置で穴掘り返したりしない? うーむ。僕の脳内は前世の軍学と現世の軍学がごっちゃになっているので、このへんちょっとあいまいだ。

 

「その坑道から逆侵攻を仕掛けられる可能性もあります。危険な戦術ですよ、それは」

 

「その時は坑道を爆破して敵を生き埋めにするつもりでした」

 

「味方の退路を自ら断つと!?」

 

 ジェルマン伯爵は嘆くような口調で叫んだ。いやまあ、確かに坑道を爆破しちゃったら、エルフ隊の退路が無くなっちゃうけど。でも、坑道の出口を抑えられた時点で退路もクソもないだろ、実際のところ。

 

「で、結果として、我らの救援を待たずして敵軍を倒してしまったと。滅茶苦茶にもほどがあるな……」

 

 深い深いため息をつきながら、リュパン団長が言った。まぁ、そうだね。ウン。

 

「……はぁ。女だ男だ以前の問題だな、貴様は。思考が果敢過ぎる。攻撃三倍の法則などと口にしておいて、それを自ら捨て去って敵将の首を狙いに行くとは。拙者などよりよほど猛将じみているぞ、この猪武者が!」

 

 せ、せやろか? 自分では、慎重派のつもりなのだが。少なくとも、エルフどもよりはよほど危険を避けた作戦を立てているつもりだぞ。

 

「結局のところ、私を囮にして手柄を独占しただけじゃないか。業突く張りめ」

 

 ヴァール子爵の眼つきはひどく恨みがましいものだった。……確かに経過だけ見るとそうなるよなぁ。いや、まあ、申し訳ない事をしたとは思わんが。やる気も無いのに戦場をぷらぷらして盗賊ゴッコに明け暮れてる方が悪いだろ、どう考えても。せめてこちらの部隊と共同して行動していれば、敵に食いつかれることもなかったものを。

 

「いえ、そういうわけでは。この作戦は、皆様の協力がなければ実現いたしませんでした。今回の手柄はどう考えても共同戦果ですよ。僕一人が独占していいものではない」

 

「口では何とでも言えるさ……」

 

 唇を尖らせ、ヴァール子爵はそっぽを向いた。

 

「おい、軟弱者。さっきから聞いていればペラペラと。何が囮だ、ばかばかしい。自分から単独行動をしておいて、いざ不利になったら人のせいか。まったく、男の腐ったような輩だな」

 

 そんな子爵に、リュパン団長が厳しい目を向けた。この二人の仲の悪さは相変わらずだな。まあ、どう考えても馬の合うタイプではないので仕方ないのだろうが。

 

「……なんだと、貴様ッ!」

 

「なんだとはなんだ! そもそも、我らが敵軍を手早く殲滅できなかったのも、貴様が逃げ回っていたせいだろうが! 貴様の軍がエムズハーフェン軍を拘束しつづけていれば、会戦は三日も立たずに終わったはずだぞ! そうすれば、リッペ市の救援にも間に合っていただろうに! ああ、口惜しや!」

 

 どうやらリュパン団長は自らがまともに戦う機会を得られなかったせいで不完全燃焼ぎみになっているようだ。いきなりその矛先を向けられたヴァール子爵は、たいそう憤慨する。

 

「倍以上も戦力差があったのだぞ! 逃げる以外に選択肢があるか!」

 

「遅滞くらいはできるであろうが! クソッ、まったく……貴様とブロンダン卿を足して二で割れば、丁度良い将になるものを……!」

 

 こんなのと足して二で割るのはやめてください、団長。僕はため息をつきたい心地になって、ジェルマン伯爵に視線を向けた。彼女はやれやれといった風情で首を左右に振る。……たぶん、作戦中もこの調子でずっと喧嘩してたんだろうなぁ。仲裁役をやっていたであろうジェルマン伯爵があまりにも哀れだ。あとでとっておきの酒でも送っておこうかな……。



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第518話 カワウソ選帝侯の論戦

 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは安堵していた。ブロンダン卿の戦後処理がたいへんに穏当なものだったからだ。敗戦というものはえてして悲惨なものになりがちだ。自らの所領における戦いで敗れたのであればなおさらだ。しかし、彼は私の領地を"狩りの成果物"として扱う気はさらさらないようで、過酷な収奪などとは無縁の虜囚・占領生活が続いている。

 何より有難いのは、ブロンダン卿が兵に対して略奪行為を全面的に禁止している点だ。そのおかげで、リッペ市も往時のにぎやかさを取り戻しつつあった。もちろん、軍規を無視して無体を働く兵も少なからずいる。けれども、そのような輩にはキチンとした法の裁きを下すのが、ブロンダン卿の占領方針だった。そのおかげでリッペ市の治安は、なんとか普段通りの商売ができるレベルまで回復していた。

 

「エムズ=ロゥ市からレーヌ市へと向かう物資の流れを止める……やはりこれが第一ですね。レーヌ市防衛のために出陣した皇帝軍は、なかなかの大所帯です。これほどの大軍の糧秣を、現地調達だけで賄うのは難しい。補給線の一部でも使用不能になれば、かなり戦いにくくなるのではと」

 

「ふむ、言いたいことはわかるが。しかし、矢玉や武具ならまだしも、糧秣に関しては軍需品と民需品の区別などできない。つまり貴殿らは、エムズ=ロゥ市・レーヌ市間の物流を全面的に停止せよとおっしゃるのか」

 

 そんなリッペ市で悪くない虜囚生活を送っているこの私が何をやっているのかといえば、もちろん講和会議だった。毎日のように市庁舎の会議室に通い、雁首を揃えたガレア軍南部方面軍のお歴々と激論を交わしている。

 負けたとはいえ、勝者の言うことをなんでもハイハイと頷くわけにもいかないからね。なかなかハードな交渉になっている。ガレア側はどうやらレーヌ市への交易路すべてを封鎖したいみたいだけど、そんなことをしたら普通に賠償金を払うよりもよほど大損しちゃうからね。実際のところ、かなりの踏ん張りどころだった。

 

「……」

 

 そんな重要な交渉のさ中、ガレア側の最高責任者であるブロンダン卿がどうしているのかと言えば……なんだかどうでも良さそうな様子だった。いやまあ、流石にあからさまに詰まらなそうな顔をしているわけじゃあないけれど。とはいえ発言は露骨に少ないし、たまに口を開いたと思えば出てくる言葉は戦略面の提言のみ。驚いたことに、政治的な発言は一切なかった。

 戦いにおいてはあれほど苛烈な采配をしていたというのに、講和会議における彼はまるで別人のようにおとなしかった。自分の仕事は戦うことであって、その後のことは専門外ですよ……と言わんばかりの態度ね。流石にちょっと面食らっちゃった。成り上がり者という話だから、もっとガツガツ噛みついてくるものだと思ってたんだけど。

 

「もちろん、レーヌ市に向かう物資はすべて止める。これが理想であるのは確かですな」

 

 そんなブロンダン卿の代わりに弁舌を振るっているのが、モラクスとかいう外交官だった。王室特任外交官なる訳の分からぬ役職のこの女は、木で鼻をくくったような態度であれこれ無茶ぶりをしてくる。正直、かなり鬱陶しい。

 リヒトホーフェン家ですら一個中隊くらいの増援は寄越してきたというのに、ガレア王家は一兵も出さないまま口ばかりを挟んでくるだなんて。いくらなんでも無体が過ぎるような気がするけどなぁ……。相対的にあの腐れライオン女の株が上がっちゃって、自分でもびっくりよ。

 

「そうなると、賠償金の類はびた一文たりとも出せんな。物流を止めろ、カネも出せ……これは明らかに過大な要求だろう。承服しかねる」

 

「それでは困る!」

 

 ガレア軍に参加する諸侯の一人が声を上げた。名前は……ヴァール子爵だったかな? まあ、覚える必要も無いような小物だけど。なんにせよ、私が賠償金を出さないとなると、ガレア側の諸侯らはかなり困るでしょうね。なにしろ、軍役は手弁当が基本。出兵によって生じた莫大な戦費を埋め合わせるには、略奪はもちろん賠償金の"分け前"も必須だからね。

 

「過大な要求? それはどうでしょうか。当面、少しばかり損をするだけで、この戦いの結果を帳消しにできるのです。むしろ破格の条件と言っても良いのではないかと」

 

 モラクスも、諸侯らの声をまるで無視した交渉はできない。とうぜん、両方の条件をこちらに飲ませるべく攻勢を仕掛けてくる。まあ、雑なやり口だけどね。「負けたんだから言うことを聞け」という言葉を少しばかり迂遠にしただけの文句に、私は思わず苦笑した。まるで押し込み強盗ね。

 

「戦いの結果が気に入らないのは事実だがな。ならば、もう一度"やり直し"をするという手もある。エムズハーフェン家の戦力はまだまだ健在だ。もう一戦する程度ならさして難しい物でもない」

 

 実際、エムズハーフェン軍が手痛い損失を被ったのは事実だけどね。とはいえ、この発言はブラフでもなんでもない。リースベン軍とぶつかった別動隊はしばらく戦闘不能だろうけど、リュパン軍とやらを足止めしていた本隊のほうは健在だからね。

 

「……それに、諸君らが相対しているのはエムズハーフェン軍だけではない。ここは神聖帝国領なのだ。周辺には味方の諸侯が大勢いる。敵中に孤立した状態で、欲をかくのはやめておいた方が良いと思うが?」

 

 などと考えていると、思ってもみなかった方向から援護が来た。アホのアレクシアだ。指摘を受けたモラクスは、一瞬黙り込んでしまう。実際、この辺りの帝国諸侯が一致団結して戦い始めたら、総兵力一万程度(戦闘を経ているため、実際の兵力は皿に損耗しているだろう)の王国軍では流石に旗色が悪い。

 ……まあ、自身も帝国諸侯である私には、その"一致団結"がとっても困難であることを知っているわけなんだけども。とはいえ、相手は神聖帝国より中央集権の進んだ王国人。しかも、領地を持たない宮廷貴族だ。領主貴族の考え方を理解できていない以上、それなりにブラフの効果はある。

 しかし、まさかアレクシアが私に助け舟を出してくるとはね。戦闘で役に立たなかったお詫びかしらね? そういうのはいいから、もっとたくさんの援軍を連れて来るか、さっさとブロンダン卿を倒すかしてほしかったんだけどなぁ……。何よ一騎討ちって。まったく。

 

「……」

 

 それはさておき、肝心のブロンダン卿。彼は再戦を匂わされたことによって、少しだけ目を見開いた。そして、隣に居たリュパンとかいう騎士団長に目配せする。「もう一戦できる?」「望むところだ」……と言っている風情のアイコンタクト。本当に戦いに関わる話題にしか反応しないわね、アナタ。

 なんというか、この人……思考パターンが雇われの将軍みたいな感じなのよね。君主から見れば、政治に興味を示さず軍事だけに専念するその姿勢は理想の軍人って感じだけど。でも、この人一応領主貴族……つまり、君主側の人間なのよねぇ。

 出身が宮廷騎士の家らしいので、そこの教育によるものかしらね? 成り上がり者とは思えないくらい野心を感じないのがちょっと妙な感じ。すくなくとも、自分から望んで領主になったわけではないのかも。

 

「……なるほど。では、選帝侯閣下はもう一度戦いのやり直しをお求めになると。もちろん、こちらとしてはそれに応じるのもやぶさかではございませんが。とはいえ、御身の身柄はすでにこちらが抑えているのです。その辺りの事情は、しっかり考えておいた方が良いかと」

 

「私の身柄がなんだ。確かに私はまだ未婚だし、子もいない。しかし、優秀な妹なら居る。私が死んだところで、エムズハーフェン家は困りはしない」

 

 口ではモラクスと言い合いをしながらも、頭は別のことを考えている。そういえば、ブロンダン卿と婚約しているという話の王国の重鎮……アデライド・カスタニエ。彼女は、軍を持たぬ法衣貴族だという話だった。戦争のことにしか興味のない典型的な武人と、武力を持たぬ文官貴族の結婚。なるほど、読めて来たわね。

 ブロンダン家に取り入るのであれば、そのアデライドとやらに面通ししておくのは必須かな。できれば、出来るだけ早く会っておきたい。調べた限りでは、彼女は今リースベン領で領主名代をやっているらしい。ふーむ、ちょっと遠いなぁ。向こうから会いに来るというのは期待できないかなぁ。

 ならば、こちらから会いに行くしかないわけだけど。とはいえ、講和会議が終わらない限り私の身柄は自由にならないだろうし。……ああ、いや。よく考えれば、そうでもない。講和会議の真っ最中なのは、私たちエムズハーフェン家だけじゃないもの。幸い、先日便りを出したところ、"先方"からは色よい返事が返ってきている。結ばれたばかりの協力関係、せっかくだし活用してみようかな。

 

 



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第519話 くっころ男騎士と難問

 土俵が戦場から議場へと移っても、やはりエムズハーフェン選帝侯は強敵だった。会議室から去るカワウソ獣人貴族の背中を見送ってから、僕は大きくため息をつく。いやはや、まったく。ミュリン家との講和会議は意図的に空転させたが、今回に関しては純粋に相手が手強いがために話が進まない。参ったものだ。

 もっとも、実際のところ僕はこの会議においてはほとんど役割をはたしていなかった。もっぱら矢面に立っているのは、あの王室特任外交官のモラクス女爵だ。先日合流したばかりの彼女は意気揚々と選帝侯閣下に論戦を挑んだが、今のところ成果らしきものは一切上がっていない。

 むろんモラクス氏も大層な肩書を背負っているだけあって、全くの無能というわけでは断じてない。しかし、対戦相手である選帝侯閣下のほうが、一枚も二枚も上手であるのは確かなようだった。

 

「再戦をしてもかまわない、か。言ってくれるではないか」

 

 頬杖を突きながら、リュパン団長がボヤく。選帝侯閣下は、こちらがあまり無体な要求をしてくるようであれば再度の実力行使も辞さない、という姿勢を示している。いったん白旗を上げたとはいえ、無条件降伏をしたわけではないということだろう。

 

「流石は南部の覇者のひとり。一筋縄では参りませんね……」

 

 難しい顔をしながら、モラクス氏がペンをいじっている。手元のメモ帳には、細かい文字で大量の文章が書き殴られていた。

 

「王室としては、レーヌ市へ向かう補給路を遮断できればそれでよいのですが」

 

「王家はそれで満足だろうがね、こちらはそういう訳にはいかんよ。貰えるものは貰っておかねば」

 

 強い口調でそんな主張をするのはヴァール子爵だ。他にも、彼女に同調する諸侯は何人もいる。この連中は、エムズハーフェン選帝侯家から賠償金をせしめたい様子だった。こっちから攻め寄せておいて賠償金を請求するなんて、いったいどういう猟犬なんだろうな。強盗かよ。

 あー、しっかし本当に面倒くさいねぇ、政治ってやつは。僕の器量では軍事だけで精一杯って感じなんだが。立場が立場なので、まったく知らん顔もできないんだよなぁ。いい加減、政治面の勉強をするべき時期がきているのかもしれん。

 ……政治の勉強って、どうやるんだろうな? 政治家志望の人は、まず先輩政治家の秘書や下働きなんかをやって経験を積むのが一般的なルート、などと聞いたことはあるが。でも、それはたぶん前世のやり方だよなぁ。現世だと……家庭教師を雇うとか?

 

「エムズ=ロゥ市・レーヌ市間のルートの遮断。および、十分な額の賠償金の支払い。……この条件で、選帝侯閣下が頷く可能性は低いように思える。さて、特任外交官殿。貴殿はこの難局をどう乗り越えるおつもりか?」

 

意地悪な口調でリュパン団長が指摘する。彼女はどうにもこの文官が気に喰わないようで、事あるごとにこうして嫌味を言っているのだった。

 

「……」

 

 しばし黙り込んだ後、モラクス氏は僕とリュパン団長を交互に見た。そして、気が重い様子で口を開く。

 

「もしエムズハーフェン選帝侯と再び干戈を交えることになったとして。……勝利は掴めますか?」

 

「相手が選帝侯閣下の軍だけであれば」

 

 僕が何かを言うより早く、リュパン団長が即答した。これに関しては僕も同感だったが、これ以上戦いたくねぇなぁというのが正直なところだ。こちとら、ミュリン戦から連戦続きなのだ。いい加減、この無益な戦争からは足抜けしたい。

 いい加減兵らも休ませてやりたいし、何より弾薬類がとうとう底をついてしまった。根拠地から遠く離れたこのエムズハーフェン領では、弾薬の再補給も一苦労だ。これはもう、攻勢限界と判断するほかない。僕はリュパン団長の方をチラリと見て、「同感です」と同調した。

 

「問題は、近隣諸邦の領主らの動向です。アーちゃ……アレクシア陛下のご指摘どおり、この周囲には少なくない数の敵領邦が無傷のまま残っておりますからね。連中は日和見を続けていますが、こちらが弱れば間違いなく仕掛けてきます。あまり損耗を増やすのは得策ではないかと」

 

「自分のぶんの手柄は立て終えたから、もう店じまいをしたいと。そういうわけだな? 城伯。まったく得手勝手なことだ」

 

 今度は僕の方が嫌味をぶつけられてしまった。相手はもちろん、ヴァール子爵だ。完全に嫌われてしまった様子である。まあ、しゃあないが。

 

「ですから、エムズハーフェン軍撃破の戦功は皆で分け合うと申しているではありませんか。独占するつもりなどありませんよ」

 

 そもそも、今回の作戦はリュパン団長らがいなければ成立しえなかった代物だしな。そういう前提を無視して僕たちだけが手柄を独占するなんておかしいだろ常識的に考えて。

 

「むやみに新たな戦端を開くのは拙者も反対だ。勝てる戦を順当に取っていくのが兵法の基本。勝利に酔って己の実力を見失うようなものは将としては三流だ」

 

「リュパン団長の言う通りです。博打めいた作戦は好きませんね、僕としても」

 

 博打を打ちに行くような局面でもないしな。そんなことを考えながら発言すると、援護したはずの当人であるリュパン団長から「は?」と辛辣な声が飛んできた。辛辣なのは声だけではなく眼つきもだ。なんですかその顔は。

 

「……加えて申し上げておきますと、エムズハーフェン軍を下したからと言って、これ以上敵勢力圏の奥地に進撃せよと命じられても応じかねます。我々の補給能力は既に限界に達しつつある。これ以上の進撃は補給線の破綻に繋がりますよ」

 

 これ以上の無茶ぶりをされてはたまらない。僕は念のため釘を刺しておくことに舌。

 

「むろん、そのようなことを申すつもりはございません。……そもそも、現状ですら想定よりだいぶ奥地にまで進撃してしまっている。まさか、本当にエムズ=ロゥ市を脅かせる位置まで進出できるとは思ってもみませんでした」

 

 ところが、モラクス氏は実に心外そうな様子でそう反論してきた。は? 現状でも想定外のレベルで奥地に進出してる? いや、いや。進撃を命じたのはアンタでしょうに。

 ……あー、いや、今回の遠征は、思った以上に敵諸侯の動きが悪かったからなあ。敵の抵抗が薄すぎて進撃しすぎちゃいました、みたいな部分は確かにある。まあ、モラクス氏にそれを指摘されたくはないが。お前のせいでこんな遠方で戦う羽目になってるんだぞ僕は。

 

「……はぁ。まあ、とにもかくにも、選帝侯閣下との交渉を続けましょう。相手は難敵ですが、だからこそ短慮は避けるべきだというのは確かです」

 

「うむ、それが良かろう」

 

 はぁ、つまんねーな。そう言いたげな表情でリュパン団長は頷いた。感情的には戦い足りないが、この状況で新たな戦いを始めるのは有害無益であると理解しているのだろう。

 

「そうすると、我らは暇になるな。まったく……せっかく大戦(おおいくさ)に呼ばれたと思ったら、まさかたんなる勢子役しかできぬとは。口惜しや口惜しや」

 

「ははは……いくさの虫が収まらぬようでしたら、ウチの連中と合同演習でもいたしますか」

 

「……冗談はよせ」

 

 冗談半分に提案されたら、ガチトーンで拒否されてしまった。団長の顔にはマジで嫌そうな表情が浮かんでいる。……え、そんなにイヤ?

 

「残念ですね。エルフ連中が戦い足りないなどとふざけ腐ったことを抜かしていたので、良い機会かと思ったのですが」

 

「部下のストレス発散に拙者を使うのはよせ! というか、エルフと戦わせる気だったのか!? ……いやいやいやいや! エルフ連中は、一個大隊に満たぬ戦力で敵本陣に突っ込まされたばかりだろう! それで戦い足りぬとか言ってるとか嘘だろう!? ……がああああっ! ツッコミどころが! ツッコミどころが渋滞している!! んぎぎぎぎ!」

 

 物凄い顔をしながら絶叫したリュパン団長は、そのまま頭を抱えてうずくまってしまった。な、なんなのさその反応は……

 

「……じょ、冗談ですよぉ」

 

 はぁ、なんだろうねまったく。……まあ、それはさておきだ。実際問題、いくら停戦したからって遊び惚けてる場合じゃないよな。いろいろ、手を打っておく必要がある。選帝侯閣下はいまだに強敵だし、モラクス氏も信用しきれないし、ヴァール子爵は僕を目の敵にしてるし。針のムシロって感じだ。

 こういう状況では、敵よりも味方の方が怖いかもしれん。しかし、まさか先制攻撃を仕掛けるわけにもいかないし。うーむ、難しいシチュエーションだな。取れる選択肢が武力一本の僕やソニアでは、うまく対応しきれない可能性もあるな。いや、ソニアに関しては僕と違ってこのごろ政治の勉強にも精を出しているようだが。それにしたって、やはり限界はあるわけだし。

 

「……」

 

 そろそろ、ロリババアと合流したほうがいいかもしれないな。搦め手ならば、あのクソババアほど頼りになる人間はそうそういない。できれば、そこへさらにアデライドも加えることができれば最強なのだが。うーむ。なんとか、二人をこっちに呼べないもんかねぇ……。



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第520話 くっころ男騎士と褒賞要求

 なんとも心休まらぬ会議を終え、僕は川港近くに設営されたリースベン軍の仮設宿舎に赴いた。仮設、といっても行軍中にやるような野営地を作っているわけではない。リッペ市は交易の中継都市だ。とうぜん、港の傍には交易品を一時保管しておくための倉庫が軒を連ねている。その一部を、兵隊用の宿舎として貸し切っているのである。

 いや、まあ、本当ならば、倉庫などではなくちゃんとした宿に泊めてやりたいんだがな。しかし残念ながら、我々はリースベン軍だけでも七百名近い大所帯だ。こんな大人数が泊まれる宿屋などない。

 さらにややこしいことに、この街には僕らの他にも一万名以上(とうぜんながらその中にはエムズハーフェン軍も含まれている)の兵隊が滞在しているのだった。兵隊の寝床になりそうな場所はほとんど奪い合いに近いような状態になっており、たんなる倉庫とはいえ確保するのは一苦労だった。ちなみに、この場所争いに敗れた者は街の外で野営生活を送っていた。……まあ、テント生活よりは倉庫暮らしの方がはるかにマシだろうということで、兵士らには我慢してもらっている。

 

「いやはや、なにやら面倒な(たいぎぃ)ことになっとりますのぉ」

 

「ああ。どうにも、な? きな臭いというかさ」

 

 同情したような目でこちらを見てくるゼラに対し、僕は肩をすくめてみせた。現在、僕らは昼食の真っ最中。宿舎と化した倉庫の前へ折り畳み椅子を並べ、串焼きにした魚やら野菜やらを食べていた。

 串焼きといっても、ただたんに焼いただけの簡単なものではない。特製の香辛料ミックスをふりかけ、燻製焼きにしたバーベキュー串だ。我々の前にはドラム缶サイズまで縮小された蒸気機関車のような形の奇妙な野外調理器具(フィールドキッチン)が置かれており、煙突からモクモクと煙をあげていた。この移動式オーブンで追加の串焼きが焼かれているのである。

 実のところ、わが軍では密かにバーベキューブームが巻き起こっていた。今日年末に開催したバーベキュー・パーティのせいだ。今年導入されたばかりの新兵器、フィールドキッチン。コイツを使えば、出先でも容易に燻製焼きを作ることができる。しかもリッペ市は川辺の交易都市だから、新鮮な魚や香辛料も安く手に入った。そういうわけで、にわかに海鮮(川鮮?)バーベキュー大会が始まった次第である。

 

「たぶん大丈夫だとは思うんだけど、もしかしたらまた君たちにもうひと頑張りしてもらわなきゃならない事態になるかもしれない。申し訳ないが、その時は頼んだ」

 

 エムズハーフェン選帝侯は再戦すらも示唆していた。むろんブラフであろうとは思うのだが、万が一ということもある。ゼラたち実戦部隊にも一応警告を発しておいた方が良いだろう。そんなことを考えながら、僕は串に刺さった魚にかぶりついた。

 川魚特有の淡白な味と、香草や舶来のスパイスを組み合わせて作った秘伝のソースの濃厚な香りがよくマッチしている。ウマイ。うまいが……話題のせいで、どうにも楽しみ切れないのが残念だな。僕は内心ため息を吐きながら、楽しげに舌鼓を打つ兵士たちを見回した。今回の作戦で、彼女らはたいへんによく戦ってくれた。にもかかわらず更なる戦いを強いるのはとても心苦しい。

 

「ま、それがワシらの仕事じゃけぇの。任せてつかぁさいや」

 

 ニヤッと笑って、ゼラが魚にかじりつく。そして笑みの質を変えつつ、こちらにジロリと視線を送って来た。

 

「とはいえ、そのぶん論功行賞は期待しとりますがね」

 

「……君たちアリ虫人隊は随分と活躍してくれたからね。ひとまず、勲章と金一封くらいは用意しておこう」

 

 実際、リッペ市防衛戦で勝利を掴めたのは、アリンコ隊が粘り強い防衛戦を続けてくれたおかげだ。あらゆる戦術行動の中でも、戦闘中の後退ほど困難なことはあまりない。夜戦という悪条件下でも立派に戦ってくれたアリンコ兵らは兵士の鑑だ。当然ながら、それなりのご褒美を与えるべきだろう。

 

「流石は兄貴、太っ腹じゃ。じゃがね、まあ世の中にゃあカネで買えんものもそれなりにあるんでね。時にゃあ、そういったモンを与えちゃってもええかもしれんぜ」

 

「……」

 

 ゼラの目は露骨に僕の下半身に向けられていた。……大柄な褐色美女からガッツリ性欲の籠った流し目をむけられるの、だいぶヤバイな。ちょっとゾクゾクする。セクハラと見れば即座に制裁に動くソニアも、今はいない。人手不足のあおりを受け、彼女もあちこちを飛び回っているからだ。

 

女王陛下!(オカン)、自分だけ春を迎えようっちゅうなぁ……少しばかりズルいんじゃあないの」

 

 ところが、そこへ思ってもみない方向から文句が飛び出した。めいめいの格好で魚介バーベキューを楽しんでいたアリンコ兵どもである。彼女らはアリンコ特有の統率で、自らの上官の周りにワラワラと集まり始める。

 

「独り身なんはこっちも同じじゃけぇの。ちったぁ分け前が欲しいんじゃが」

 

アル様(オジキ)ぃ、ワシらもそろそろ男が欲しいんじゃがね。どなたか紹介してつかぁさいよ」

 

「約束通り、街の男どもは拐かしとりませんけぇのぉ。人肌が恋しいんじゃわ。一夜の愛でええけぇ欲しいんじゃわ」

 

 口々に愚痴やら要望やらを口にし始めるアリンコ兵ども。戦場では一個の生物のように統率されている彼女らだが、私的な部分ではかなりちゃっかりしている。僕とゼラは顔を見合わせ、思わず苦笑した。

 

「まぁまぁ、永遠の愛とやらは今は我慢しろ。一夜のほうは……こんなんを男の兄貴に頼むなぁ筋違いじゃろうがね。申し訳ないが、頭領としてなんとかしてつかぁさいや」

 

「あー、はいはい。わかったわかった」

 

 要するにゼラは娼館を手配してくれと言っているわけである。図々しいようにも思える要望だが、実際のところ致し方のない部分もある。なにしろ性欲は三大欲求の一つだ。強引に抑え込めば暴発しかねない。コントロールできる形で兵らの性欲を発散させてやるのも将校の仕事の一つなのだった。

 

「ただねぇ。知っての通り、この街にはもともとの住人よりも多い数の兵隊が詰めかけているんだ。争奪戦になっているのは寝床だけじゃあない。申し訳ないが、君たちの要望を叶えるにはそれなりの時間がかかるということは承知しておいてほしい」

 

 なにしろこの世界は常時男が足りていない。当然ながら、男娼の数も限られている。そういう訳で、手配にはひどく手間がかかるのだった。

 

「ええー……」

 

「ご無体をおっしゃる」

 

……とはいえ、それは調達側の都合。当然ながら、兵士どもは露骨に不満顔だった。今にもブーイングが飛んできそうな雰囲気である。戦闘後といういうこともあり、いろいろ溜まってるんだろうな……。

 

「そがいなこたぁ、もっとこう……顔を赤らめながら言うてもらいたかったのぉ。高貴な男騎士様が、男娼云々の話をしよるんじゃ! 堂々とされちゃあ……なんというか、風情がない!」

 

 一瞬雰囲気が悪くなりかけるも、そこへゼラから絶妙な援護が入った。心底残念そうな声でそんなことを言うものだから、兵士どもは「確かに!」と大爆笑だ。……セクハラで一致団結するんじゃないよ。いや、しゃあないじゃないか。この程度の猥談で恥ずかしがっているようでは兵隊なんてやれんよ。

 

「……」

 

 思わず無言で肩をすくめると、ゼラは楽しげに笑いながら僕の肩を叩いた。僕もそれに笑みを返す。内心では、流石はゼラだと感心している。やはり、彼女は部下の統率が上手い。

 

「城伯様、城伯様」

 

 そこへ、誰かから声がかかった。そちらに目をやると、そこには姿勢をピシリとただした従兵が立っていた。どうやら、何かの報告があるようだ。

 

「ソニア様がお戻りになられました」

 

「おお、昼飯には間に合わないかもと言っていたが……ギリギリ何とかなったようだな」

 

 僕は薄く笑いながら、燻煙を上げる移動式オーブンに目をやった。アレの中では、まだまだ新しい串焼きが作られている。

 

「それと、もう一つご報告が。ソニア様が、お客様をお連れになられたようです」

 

「お客様? そいつは珍しいな」

 

 眉を跳ね上げてから、僕は従兵の顔をまじまじと見た。彼女の顔には、いささか困惑したような表情が浮かんでいる。"お客様"とやらは、どうやら一筋縄ではいかないお相手のようだ。

 

「……いったい、どこのどなたを連れてきたんだ、ソニアは」

 

「それが……」

 

 従兵の口調はなんとも歯切れの悪いものだった。僕はますます困惑を深め、報告の続きを促す。

 

「……エムズハーフェン選帝侯閣下がいらっしゃっているようでして」

 

「は?」

 

 思わず、妙な声が出た。ソニアと選帝侯閣下? いったいどういう組み合わせなんだそれは。



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第521話 くっころ男騎士とカワウソ選帝侯

「このような料理は初めていただくのだが……ふむ、なかなか美味だな」

 

 エムズハーフェン選帝侯、あの可愛らしい小柄な美女が、一般兵向けに作った焼き魚をお上品に食べながら言った。僕は愛想笑いを浮かべつつ、ソニアのほうをチラリと見た。身内だけのささやかな昼食のはずが、なんとこの副官は選帝侯閣下を連れてやってきてしまったのである。いったい何がどうしてこうなってしまったんだと、目で問いかける。

 現在、選帝侯閣下は虜囚の身となっている。とはいえ相手はガレア王国で言うところの公爵に匹敵するレベルの大貴族だ。幽閉じみた真似をするのは大変に失礼なので、それなりの自由は保障されている。帯剣はもちろん許可されているし、監視付きならば散歩をすることすら許される。敵方とはいえ、貴人にはそれなりの扱いをせねばならないのが封建社会だ。

 

「どうしたもこうしたも」

 

 いつものように僕の後ろで待機していたソニアは、なんら悪びれる様子もなく僕の耳元にささやきかけてきた。

 

「会議で喧々諤々やり合うだけが外交ではありません。時には、こうして食事会などに招くなどして親睦を深めるというのもとても大切なのです。……まあ、アデライドからの受け売りですが」

 

「そ、そっかぁ……」

 

 言われてみれば、確かにそうである。というか、むしろ外交と言えばこういった接待行事こそが本分かもしれない。……しかし、一応この戦争の主体はガレア王国であり王家なんだよなぁ。あんまり僕らが出しゃばるのも良くないような気がするんだけど。

 というか、そもそもだよ。接待するにしても、突然すぎるんだよなぁ。相手はブロンダン家(ウチ)よりもだいぶ格上の大貴族様だぞ? 出迎えるには、それなりの準備ってものがあるだろ。料理だって大衆向けの串焼きだしさ。選帝侯閣下が今食べている魚なんて、市場で一山いくらで売ってる激安大衆魚なんだぞ。偉い人にそんな安物食わせるのは……マズくないか?

 

「まあ、準備不足なのは確かなのですが。しかし今回は、向こうからぜひともと……」

 

「このソースの味付けは、明らかにガレア風ともオルト風とも異なっているな。いったい、どこの国の料理なのだ? これは」

 

 ソニアとの内緒話を断ち割るように、選帝侯閣下が質問を飛ばしてくる。難しい事を聞いてくるねぇ。まさか、我が前世第二の故国のソウフルードです、とは堪えられないしさ。

 

「西大陸近傍の島国に伝わる料理だそうです。王都に住んでいたころ、とある船乗りに教えてもらいましてね。いらい、すっかり僕の好物になっているのですよ」

 

「ほう、新世界の料理とは。物珍しいのも当然のことだったか」

 

 納得したように頷く選帝侯閣下。西大陸というのは近頃交易が始まったばかりの遠い海の向こうの大陸のことだ。まだまだ謎に包まれている場所だから、いい加減なことを言ってもそうそうはバレない。

 とはいえ、まったくの嘘八百を並べ立てているわけではない。新世界とも呼ばれるこの大陸からはトウガラシだのカボチャだの、前世ではアメリカ大陸原産だった作物が流入してきているからな。この中央大陸西方がヨーロッパなら、西大陸はアメリカに相当する場所であるのは間違いないのだ。

 そういうわけで、バーベキューを西大陸料理扱いするのもあながち誤りではないかもしれない。……ちなみにサツマイモも南米原産なのだが、なぜほぼ鎖国状態にあったエルフェニアでこの作物が育てられるようになったのかは結構な謎である。

 

「酸味と辛味の組み合わせが癖になりそうだな。美味しい薬膳のような風情だ。きっと体にも良いだろう」

 

「少なくとも、食欲増進効果があるのは確かですね。だからこそ、食べ過ぎには気を付けねばなりませんが。過ぎたれば薬も毒になりますし」

 

 無作法ではないかとドギマギするこちらをしり目に、選帝侯閣下はごく上機嫌な様子でチリトマトソースまみれの串焼き魚に舌鼓を打っている。いやぁどうでしょうね? トウガラシなんで、それほど体には……特にお腹にはよくないと思いますけど。いや、適量だったら薬にもなるのかな? 香辛料だし。うーん、その辺素人なんでわかんないわ。

 まあ、それよりなにより気になるのは選帝侯閣下本人の思惑なんだよな。まさか、彼女ほどの方がメシをタカりにきただけ……などということはあり得ないだろうし。何かの狙いがあってこちらに接触してきたに違いない。僕はもう一度後ろを振り返り、小声でソニアに返した。

 

「何らかの取引でも狙っているのだろうか、閣下は」

 

「おそらくは。その内容についてまでは、分かりかねますが」

 

「講和条件の緩和……かなぁ」

 

 お偉方の御前でこそこそ話に興じるのは大変に不敬だろうが、相手の狙いがさっぱりわからないものだから仕方ない。せめて、来る前に連絡してくれればマシだったのだろうが。

 

「あるいは、戦後を見据えて兄貴と縁を持ちたいと考えとる可能性もあるんじゃないかね」

 

 そんなことを言ってきたのは、それまで控えていたゼラだった。彼女を含むアリンコ兵連中は、突然のお偉いさんの参戦に怯んで大人しくしている。キジも鳴かずば撃たれまい、とでも思っているのかもしれない。実際、彼女らのような一般兵卒にとっては選帝侯だの何だのというような地位の人間はほとんど天災のようなものだからな。過ぎ去るまでは、首を引っ込めてただただ耐えることしかできない。……いや、本当にすまんね、君ら。楽しい昼食中にこんなことになっちゃってさ。

 

「それもあり得る話ですね。どう考えても、喧嘩を売りに来た風情ではありませんし」

 

「ううむ……」

 

 部下らの提言を聞き、僕は小さく唸った。まあ、罠でない限りは選帝侯閣下を邪険に扱う必要はない。腹をくくって、彼女を歓迎することにしようか。もっとも、あまり仲良くしすぎるのも問題だろうが。なにしろ僕らは王家から疑いの目を向けられている身の上。敵方の貴族とあまりに接近しすぎると、王家の疑念をさらにあおることになってしまう。

 

「ところで城伯殿。さきほどから気になっていたのだが、この串焼きを作っているあの機械。あれは何だ?」

 

 そんなこちらの思惑を知ってか知らずか(切れ者の閣下のことだから九割がたお見通しなのだろうが)、エムズハーフェン選帝侯はにこやかな笑みを浮かべつつ視線を移動式オーブンの方へと向けて聞いてきた。オーブンからは相変わらずモクモクと燻煙が上がっている。見た目は完全に小さくなった蒸気機関車のそれだ。

 

「フィールドキッチンと呼ばれるシステムの一部です。行軍中でも兵らに美味しい食事を届けるための道具ですね」

 

「ほう、なるほど。車輪がついているのはそのためか」

 

 感心したような表情で、選帝侯閣下は頷く。

 

「ええ。食事は士気に直結しますからね。このタイプはオーブン・グリル専用機で、普段はパン焼きに使っておりますが……これとは別に、鍋料理や湯沸かしができるタイプも開発しています。現場では大好評ですよ」

 

「ふぅむ。ガレアの兵士は大鍋を背負って戦場にやってくる、とは昔からよく言われてきたことだが……とうとう馬車までキッチンにしてしまうとは。なるほど、君の兵があれほどまでに精強だったのは、こうした後方支援による部分も大きかったのだな。感心したよ」

 

 いや、まあ……それはどうだろうね? 今回の戦いで主力になったのは蛮族兵だしさ。エルフやアリンコどもはフィールドキッチンなどがなくても十分に強い。もちろん、こうした設備が士気の維持に重要な役割を果たすのは確かなのだが。

 ちなみに、閣下の言うところのガレア兵は大鍋を背負って……云々の格言は、ガレア軍が昔から兵隊用の食事として軍隊シチューを多用していた歴史からくる言葉だ。神聖帝国側にはこういった文化はなく、兵士用の食事は穀物粉や調味料などを現物支給し、兵士個人が調理する方式をとっている。

 

「正面装備だけではなく、こうした設備にもキチンと気を払う。ブロンダン卿は強い軍隊を作るための方法を心得ているようだ。我々も見習わねばならんだろうな」

 

 えらく褒めるじゃん。少しばかり気恥ずかしいが、たぶんなんか意図があってのことだろうな。相手はいくさであれほどの切れ者ぶりを見せてきたエムズハーフェン侯だ。気を引き締めねば足をすくわれてしまうだろう。

 

「お褒めにあずかり光栄です、閣下」

 

「いやはや、興味深い。良ければ、何台か買わせてもらえないか? もちろん、講和会議が成った暁の話なのだが」

 

 ほら来たほら来た。フィールドキッチンを売ってくれだぁ? ……いや、人を殺傷するような機材でも無し、それは別にいいんだけどね。とはいえ、ほかになんか狙いがありそうだなーって思うワケよ。

 

「兄貴……おそらくじゃが、この方が本当に(げに)買いたいもなぁフィールドキッチンじゃないぜ。無害な軍用品を買うた実績を踏み台に、大砲やら鉄砲やらの輸入に踏み切りたいってのが、この方の狙いなんじゃないかい?」

 

 僕の耳元に口を寄せたゼラがそう囁きかけてくる。……たぶん彼女の言う通りだな。選帝侯閣下はヴァルマとも対戦している。新型の火器類の威力は身に染みて理解していることだろう。そして、現状ライフル火器の製造法を知っているのはガレア王室とスオラハティ家、そして僕だけだ。この中でもっともガードが緩そうに見えるのは、間違いなく僕だろう。なるほど、選帝侯閣下の思惑が見えてきたぞ。



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第522話 くっころ男騎士と政治

 リースベン軍でも今年から調達が始まったばかりの野戦用調理器具、フィールドキッチン。キッチン馬車とでもいうべきこの機材は、行軍や野戦のさ中であっても街に居る時と変わらぬ料理を兵士らに提供することができる。ソニアに連れられて昼食会にフラリとやってきたエムズハーフェン選帝侯は、このフィールドキッチンを売ってほしいと要望してきたのだが……。

 

「……ええ、お望みであれば何台でも。もっとも、その前にこの戦争を終わらせる必要がありますが。敵味方に分かれた状態では、商売どころでもありませんし」

 

 どうやら選帝侯閣下はこのフィールドキッチンの取引を踏み台にして、鉄砲や大砲などの新型火器の輸入につなげたいと考えている様子だった。むろん、この提案は受け入れがたい。

 現状、我々は友邦たるディーゼル家にすらライフルの輸出は行っていないのだ。戦場の形態すら変えてしまうような危険な兵器を平気で売り歩けるほど、僕は軽率な人間ではない。売った銃がこちらに向けられる可能性だって十分あるわけだしな。

 ただ……平和的な装備に関しては、積極的に売り込んでいきたいという気分があるのも確かだ。なにしろリースベン領の税収は帳簿を見たアデライドがしばし沈黙して頭を抱えるほどひどい状態で、収入のほとんどをアデライドからの借り入れとディーゼル家からの賠償金に頼っている。そういう有様だから、トップセールスで輸出を増やすのは急務だった。

 

「そうだな、それはもちろんそうだ」

 

 柔らかな笑みを浮かべつつ頷くエムズハーフェン選帝侯。今回の戦いでは直接干戈を交えることとなった彼女ではあるが、逆に言えばガレアと神聖帝国が直接激突するような異常事態でなければ、我々が敵対することはまずあり得ない。なにしろリースベン領とエムズハーフェン領はそれなり以上に離れている。利害の不一致が発生するような関係ではないのだ。

 むしろ、今後は出来るだけ仲良くしたい相手なのは確かなんだよな。彼女の持つ交易ルートは大変に魅力的だ。上手く付き合えば、リースベンの輸出業を伸ばす良い機会になるかもしれない。ソニアが閣下を連れてきたのも、そういう部分を考えた上のことであろう。

 

「ところで、ブロンダン卿。何台でも……ということは、このフィールドキッチンとやらはリースベン領で製造されているのかな?」

 

 そんなことを言いながら、閣下はフィールドキッチンをしげしげと眺めた。じっくりと品定めをする商人の眼つきだ。

 

「え、ええ、そうですが……」

 

「ふぅん? リースベンには、これだけ大きな鉄製品をコンスタントに製造できる能力があるのか。水運に接続されていないあの領地では、鉄インゴットの大量輸入などできまい。……もしや、リースベンには高炉があるのでは?」

 

 うげ、うげげげっ! 口にしてもない情報がいきなり抜かれたぞ!? 確かに、リースベンには高炉……すなわち、溶鉱炉がある。伝統的なタイプの製鉄炉(塊鉄炉などと呼ばれるものだ)ではリースベン軍の鉄需要に堪えられない為、アデライドから借り入れたカネで思い切って最新鋭の高炉を建設してみたのだ。

 高炉はここ半世紀ほど前に東方から伝わってきた新しい製鉄炉で、従来の炉よりもはるかに大量の鉄を生産することができる。反面、大規模な施設だけに資源や燃料を大量消費してしまうため、どこの地方にもあるというものではない。高炉の存在自体は機密という訳ではないのだが、この短いやり取りの間にそこまで推理されてしまったというのは流石に怖い。下手な発言をすれば、軍機まで抜かれてしまいそうな気がする。

 うへぇ、このカワウソ美女クソ厄介だぞ。僕のような頭に軍隊のことしか詰まっていないようなアホを誘導することなど、彼女からすれば赤子の手をひねるより簡単だろう。やばいなぁ、この人と交渉するときは、アデライドかロリババアを矢面に立てた方がいい。僕ではちょっと……いや、かなり実力不足だ。

 

「そ、そうですね。せっかく鉄鉱山があるのだから、製造まで自前でやってしまえと。少しばかり無理はしましたが、作って良かったなぁとは思っております」

 

 地獄のような環境のリースベンだが、地下資源だけはやたらと豊富だ。リースベン戦争の原因となった戦略資源ミスリルはもちろん、鉄鉱石や石炭などもとれる。資源を自弁できるのだから、重工業に投資しない理由はないだろ。そういう考えで、僕はアデライドから借りたカネの結構な額をこれらの投資にブチこんだ。

 その甲斐あって、カルレラ市の北にある山脈では、鉱山・工業都市が形成されつつある。まあ、まだ都市というよりは村と言った方がいい規模だがね。とはいえ、鉄鋼業の基礎となる施設である高炉、そしてそこから生産される銑鉄を鋼鉄へと作り変える転炉はすでに操業を始めていた。いずれ、製鋼はリースベンの主要な産業となってくれることだろう。

 

「なるほど、流石はブロンダン卿。先見の明がおありだな」

 

 ニコニコ笑いでそんなことを言う選帝侯閣下。前世知識でズルをしているだけなので、そんなお世辞を言われてもなぁって感じはあるな。それより、この人の方が怖いよ。彼女の狙いがどうにもわからん。新式火器が欲しいのは確かだろうが、それを使って何をやるかが問題だ。

 

「いえ、いえ。僕はただ、部下に恵まれただけですので」

 

 空虚な笑いを浮かべつつ、僕は思考を巡らせた。さて、僕はここからどう立ち回るべきだろうか?利用されるのは別に構わないが、リースベンの損になるようなことは極力避ける必要がある。

 ううーん……閣下から距離を取るのは簡単だが、逃げるだけでは勝利は掴めない。どこかで反転攻勢に転じねば。やはりここは、態勢を立て直すべきだな。早急にロリババアと合流する必要がありそうだ。不完全な手札で勝負ができるほど、エムズハーフェン侯は甘い相手じゃないだろ。

 

「……ああ、失礼。それほど警戒しないでほしい、これはあくまで、無害な商売の話だからな。勝負をするフェイズはすでに終わっている、そうだろう?」

 

 困ったように右手を振る選帝侯閣下。ううむ、ポーカーフェイスは得意なつもりだが、それでもこちらの内心は向こうに筒抜けっぽいな。こりゃ手強い。僕はソニアに目配せをした。彼女は僕の耳元に口を寄せ、囁きかけてくる。

 

「アル様、エムズハーフェン侯は切れ者ですが、我々の直接的な敵ではありません。win-winの関係を構築すれば、こちらにもかなりの益があるのではないかと」

 

 正論だなぁ。まあ、直接的な敵ではないと言っても、結局のところ一度は殺し合いをしてしまっているわけだけど。向こう側が何の恨みも抱いていないかって言うと、絶対に否だろ。とくに、今回の場合は我々の側が一方的に侵略してるわけだし。うーむ、コイツは難しい案件だぞ。

 

「そうですね。戦場でも、そしてその後の議場の戦いにおいても、閣下のお手並みは尋常なものではありませんでした。はっきり申しますと、もう二度と戦いたくはないというのが正直なところです」

 

「それは私のセリフだよ」

 

 なんとも苦々しい笑みを浮かべつつ、エムズハーフェン選帝侯は肩をすくめた。

 

「不幸にも、我々は一度は敵対することとなった。しかし、この戦いはガレア王国のヴァロワ家が神聖帝国のリヒトホーフェン家に仕掛けたもの。我らはその臣下に過ぎぬわけだから、責を負う立場にはない。不幸なファーストコンタクトは忘れて、改めて一から関係を構築するべきではないだろうか」

 

 ふーむ。つまり、恨んでいるのはガレア王家の方だから、僕らには責任は求めませんよ……と言いたいわけか。これが彼女の本意だとすれば、大変にありがたいのは確かだ。まあ、あくまで口でそう言っているだけなので、完全に真に受けるのは危険だろうが。

 

「まったくの同感です、閣下」

 

 まあ、ソニアの言うことももっともだからな。警戒は緩めるべきではないが、出来る限りwin-winの関係を構築したいのは確かだ。僕は努めて愛想のよい笑みを顔に張り付けつつ、閣下に頷き返した。

 

「なるほど、我らの見解は一致しているようだな。喜ばしい事だ」

 

 パチンと両手を叩き、選帝侯閣下は新しい焼き魚串を手に取った。それを一口食べてから、さらに笑みを深める。

 

「そのためには、まず講和会議を終わらせなければな。諸君らといち早く信頼関係を築くためならば、こちらとしても多少は講和条件を譲歩する用意がある。……せっかく、昼食を共にしているんだ。いい機会だから、その辺りを詰めておこうではないか」

 

 おう、おう、おう。政治だ。政治の臭いがプンプンする発言だ。参ったなぁ、どうすりゃいいんだこれ。戦場ならまだしも、交渉の場ではどう考えてもこの人に勝てる気がしないんだけど……。



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第523話 カワウソ選帝侯の交渉術

 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは満足していた。想定外ばかりの戦いから一転、講和会議ではほとんどこちらの想定通りに事が進んでいたからだ。あの昼食会で、私はブロンダン卿に取引を持ち掛けた。レーヌ市への物流を停止する代わりに、ガレア軍をエムズハーフェン軍から撤兵させるという取引だ。

 ブロンダン卿は政治の素人だけど、軍事に関しては間違いなく天才だ。彼の目から見て、現在のガレア軍の状況はあまり良いものではないだろう。根拠地から離れすぎているせいで補給線は細いし、周辺地域のほとんどは敵対的な諸侯の支配地だ。これ以上進撃する余力がない場合、ガレア軍は一転して袋のネズミと化す。

 まともな指揮官であれば、そうなる前に撤退したいと思うのは当然の当然のことだろう。皇帝軍への補給を遮断するという当初の目的さえ果たせば、ブロンダン卿は撤退してくれる。そう考えての交換条件なわけだけど、案の定彼ははこの提案を好意的に受け取ってくれた。

 

「結局のところ、我々の役割は王太子殿下率いるガレア軍本隊への援護なのですから。まずはその目的を果たすことを第一に行動するべきではないでしょうか? とにかく、大切なのは一日でも早くレーヌ市への補給を断つことだと思います」

 

 昼食会の翌日の会議で、ブロンダン卿はそう発言した。もちろん、私の入れ知恵でね。モラクスとやらは王家の利益を第一に動いているようだから、彼の言葉に頷かざるを得なかった。私はレーヌ市へと向かう物資をすべて止め、その代わりにガレア軍は我が領地から撤退する。そういう条件で、ひとまず会議はまとまった。

 

「待て待て! 賠償金の件はどうなったんだ。せっかく占領したリッペ市すら放棄してしまうのだ。一銭ももらえませんでは取引として不均衡だぞ!」

 

 ところが、ここで声を上げる者がいた。あの無能な俗物、ヴァール子爵だ。せっかくの和平案をひっくり返すかのような主張だけど、ガレア側の諸侯には彼女に同調する者も少なくなかった。なにしろ、遠征にかかる費用は膨大だ。手弁当で従軍している諸侯らにとっては、賠償金の有無は死活問題と言っても良い。

 モラクスはかかった戦費ぶんくらいは王家が補填する、などという妥協案を出していたけど、諸侯らは納得しなかった。せっかく勝ったのだから、妥協せずもっと絞り取れ。そう主張して譲らない。……なぜかって? 私がそう仕向けたからね!

 実際のところ、ヴァール子爵をはじめとした数名のガレア諸侯に、私は工作を仕掛けていた。ガレア軍の結束を乱し、講和会議を長引かせるためだ。しかも、彼女らは自分たちがこの私にコントロールされていることを知らない。あくまで自分たちの利益のために行動していると思い込んでいる。

 これらの工作は、彼女らのブレーン……すなわち、幕僚陣に対する買収という形で行われた。トップがアホな挙動を見せている組織は、得てして幕僚も腐っているものだ。少しばかり小銭を握らせてやれば、簡単に思い通りに誘導することができた。

 

「このままではまとまるものもまとまりません。とりあえず暫定的に例の交換条件を先行して実施し、賠償金についてはその後改めて協議する、というのはいかがでしょうか」

 

 再び停滞の兆しを見せつつあった講和会議に、ブロンダン卿の鶴の一声が響く。困り切っていたモラクスは、大喜びで彼の案に飛びついた。……それが私の差し金とも知らずにね。あの昼食会の時に、私は会議がまとまらなかったときの妥協案も彼に伝えていた。エムズハーフェン領からさっさと兵を引きたいというのはブロンダン卿の本意でもあったから、この提案は快く受け入れられていた。

 つまり、何が言いたいかというと、この会議はすべて私のコントロール下にあったという事。いやあ、本当に笑いが止まらないわ。田舎諸侯の寄り合い所帯が、この私に謀略戦で勝てるわけないじゃないの。んっふふふふ。

 そう言う訳で、私はひとまずの目的を遂げた。目的というのはまず第一にガレア軍を私の領地から撤退させることであり、もう一つはブロンダン卿に私と協力関係を築くメリットを提示することだ。第一の目的も大切だけど、第二のほうも重要だった。リヒトホーフェン家を見限ることに決めた以上、できるだけ早くブロンダン陣営に入りたいところだからね。売り込み攻勢をかける必要があった。

 

「いや、流石はブロンダン卿ですな。戦場の戦いだけではなく、議場における戦い方も心得ていらっしゃる」

 

 ガレア軍の中でもマトモな連中は、そろってブロンダン卿を賞賛していた。アホがバカ騒ぎをする中、彼の提案だけが会議を前向きな方向に勧めて来た訳だからね。そりゃあ評価も高くなるわよ。

 ま、これもまた私の仕込みだけどね。実のところ、私はわざわざブロンダン卿に花を持たせる方向に会議を誘導していた。これはいわば、私のプレゼン。ブロンダン卿は聡明で戦争の天才だけど、政治面においては明らかに素人だった。私を退き込めば、その弱点が補えますよ。そういう風に、私は言外に彼へとアピールしたのだった。

 

「いや、その……はは」

 

 一方、当のブロンダン卿は周囲の者たちから褒められても反応はいまいちだった。どうやら、この政治的な成功を自身の躍進に利用する気はさらさらないみたい。どうもこの男は、己の興味も才覚もすべて軍事へと振り向けている節がある。

 その姿をみて、私は確信した。やはり、彼は自ら成り上がったのではなかった。背後にいる別の黒幕が、彼の後押しをしているのだ。いくら有能だといっても、ここまで政治的野心のない人間がホイホイ出世するわけないからね。

 まあ、黒幕なんて言っても、その正体は考えるまでもない。アデライド・カスタニエ、そしてカステヘルミ・スオラハティの両名だ。ブロンダン陣営に参加するのであれば、この二人とも付き合っていく必要がある。講和会議を片手間にこなしつつ、私は思案した。

 

「軍を撤退させる以上、我々だけがリッペ市に滞在するのはなんとも不用心だ。退くなら退くで、講和会議の会場もミューリア市に戻すというのはどうだろうか? どうせ、ミュリン家との講和もまだ終わっていないのだ。この際、どちらも同時に片づければ無駄がなくて良い」

 

 そこで私は、自ら相手の懐に飛び込むことにした。ヴァール子爵の幕僚に働きかけ、そのような提案を子爵の口から出させたのだ。ミューリア市はミュリン領の首都、そしてそのミュリン領はリースベン領の隣国の隣国だ。この距離であれば、リースベンに滞在しているというアデライドを呼び寄せることも不可能ではないだろう。

 しかも、ミュリン領に行けばあのイルメンガルドの婆さんもいるしね。数度にわたる密書の往復の結果、ミュリン家との共同戦線はもはや既定路線になりつつあった。味方を増やすためにも、出来るだけ早くあの婆さんとは合流したいところだった。

 

「異議なし!」

 

 結局、すべては私の敷いた道の通りにことは進んだ。講和会議の会場はミュリン領へと移動になり、それに伴って私も久しぶりにあの婆さんの領地へ足を踏み入れることになったのだった。

 ……んふ、んふ。いいわね、すごくいい。順調というほかない状況だわ。ブロンダン卿とヴァール子爵、ガレア軍の理性代表と困ったちゃん代表を同時に影響下に収められたのは本当に幸いだった。この二人に両極端な提案をさせ、会議を左右に振り回せばモラクスは対処不能に陥る。その隙に付け込めば、敗者のはずの私が状況を主導することだって可能って寸法よ。あー、楽しい。

 しっかし、本当にブロンダン卿は良い軍人だ。自身はあくまで戦争屋に徹し、政治的野心は微塵も見せない。さりとて愚鈍な訳ではなく、合理的な提案を心がければ打てば響くような反応が返ってくる。聡明だが余計な真似は全くしない、軍人の鑑とはこういう人間のことを言うのだろう。

 あー、アデライド宰相が本気で羨ましいわ。ウチのアホ臣下全員と交換したって、彼一人でおつりがくるんじゃないかしら。まあ、こんなのが配下に居たら全力で推すに決まってるわよね。おまけに性別が男と来ているから、その優秀な血筋を己の子孫に引き継がせることだってできる!

 そりゃ、ガレア屈指の大貴族が自ら結婚しようとするわけだわ。なんなら、私にも一枚噛ませて欲しいくらいなんだけど。これだけ有能な男の血筋をエムズハーフェン家に取り込むことができたなら、今回の戦争の損失なんてあっという間に埋め合わせることが出来るんじゃないかしら? 割と見た目も好みだしさぁ……。

 



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第524話 カワウソ選帝侯と老狼騎士

 戦闘においては敗北を喫した我がエムズハーフェン家ではあったが、ガレア諸侯への政治工作には成功し敵軍を撤兵させることには成功した。まあ、そもそもガレア軍には会戦に勝利できるだけの戦力はあっても、根拠地から遠く離れた都市を長期にわたって占領・維持する能力はなかったからね。リッペ市からの退去自体は、実際のところ既定路線ではあった。

 とはいえ、エムズハーフェン領の領主としては、できるだけ早期に占領状態は解除したかった。なにしろ兵隊は下手なヤクザなどよりよほどタチの悪い無頼の輩どもだ。そんな連中が大勢我が所領に詰め掛けていたわけだから、とても……とっても困る。治安は悪化するわ、商売はやりにくいわ、負けちゃったせいで糧秣等の軍需品を安く買いたたかれるわ、良い事なんかまったくない。

 しかし、そんな苦難の日々は早々に終わった。ガレア諸侯軍は私の領地から立ち去り、平穏が戻ってくる。とはいえ、私には平和の喜びをかみしめる余裕などなかった。ガレアとの間に発効した和平条約は暫定的なものであり、私には残った懸案事項を解決する義務があったからだ。そういうわけで、私はブロンダン卿らに同行しエムズハーフェン領を後にした。

 

「久しぶりだな、ミュリン伯。それに、ジークルーン伯も。……壮健そうで何よりだ」

 

 燭台の淡い光が降り注ぐ豪奢な大広間で、私はそう挨拶した。ここは、ミュリン領の首都ミューリア市にある領主の居城だ。私も、そして周囲に居るものたちも軍装ではなく礼服に身を包んでいる。並べられたテーブルには湯気の上がるご馳走が並べられていた。エムズハーフェン領から"凱旋"したガレア軍のために、歓迎の晩餐会が開かれているのだ。

 晩餐会、といってもそれほど堅苦しいものではない。立食パーティー形式のラフなもので、ホールに集った貴族たちは料理もそっちのけで雑談に興じていた。楽団の奏でる楽しげな曲が、敗戦時特有の景気の悪い話題に空虚な花を添えている。

 

「壮健そうに見えるかね、あたしが」

 

 そう言って皮肉気に笑うオオカミ獣人の老騎士、イルメンガルド・フォン・ミュリン。年齢を感じさせないかくしゃくとした老人だった彼女は、すっかり老け込んでしまっていた。その理由は、考えるまでもなくこのまったくくだらない戦争のせいだろう。もっとも、彼女に関してはむしろ自分からリースベンに喧嘩を売ったという話らしいのだが。

 

「いいや、まったく。皮肉だよ、皮肉」

 

「相変わらず性格が悪いねぇ……」

 

 むっすりしながら肩をすくめるイルメンガルド。立場的には伯爵である彼女よりも私の方が偉いわけだけど、老騎士の口ぶりはそれほど丁寧なものではない。なにしろこの女は先々代……つまり私の祖母がエムズハーフェン選帝侯だった時分からミュリン伯をやっている古兵中の古兵だ。そういう相手だから、私としても多少の不敬などは気にならない。

 

「しかし、まさか選帝侯閣下までもが"こちら側"に来てしまうとは。まったく、世も末としか言いようがありませんな」

 

 そんな我々を交互に見比べながら、ジークルーン伯が深々とため息を吐く。ガレア軍……いや、リースベン軍は、このミュリン領でミュリン伯やジークルーン伯を打ち倒したあと、今度は我々エムズハーフェンにも勝利してみせた。見事なまでの二タテだ。しかも相手はド田舎の城伯風情だ。もはや笑うしかない。

 

「まったく同感だな。まあ、時代は移り変わるものだ。駄目だったことはさっさと諦めて、次に備えるしかあるまいよ」

 

 まあ、ウチはリースベン軍単独に敗れたわけではないけどねね。内心でそう付け加えつつも、私は頷いた。エムズハーフェン軍が相対したのはガレア軍一万だ。そういう意味では、ミュリン戦よりもだいぶ厳しいいくさだったと思う。もっとも、それを口に出したところでイルメンガルドらの心証を悪くするだけだものね。

 

「次、ね……」

 

 ワインで舌を湿らせつつ、ジークルーン伯が唸った。

 

「例の手紙の件も、そういうことなのでしょうか」

 

 例の手紙というのは、リッペ市での交渉の裏でミュリン伯らに送り付けた密書のことだ。内容はなかなかに刺激的で、ともに神聖帝国を離脱しブロンダン陣営に付かないかというお誘いだったりする。もちろん、中身が中身だけにわざと迂遠な書き方をしているけどね。

 

「ああ、そうだ。……まあ、このような場で話す内容でもあるまい。のちほど、我々だけで集まることにしようか」

 

 自然な所作で周囲をうかがいつつ、私は薄い笑みを浮かべた。いくらなんでも、敵味方の入り混じるパーティの会場で寝返りの相談をするような真似はできないからね。

 

「何はともあれ、今の私の一番の仕事は正式な講和条約をまとめることだ。ミュリン伯、申し訳ないがしばらく世話になるぞ」

 

 会議が終わるまで、私はこのミューリア城に滞在する予定だった。この時点で巻き込まれたミュリン伯は迷惑極まりないだろうけど、戦地から返ってきたミュリン軍一万もこの領地で引き受けなければならないのだからさらに大事だ。イルメンガルドの婆さんとは今後とも仲良くしていきたいし、ガレア軍の滞在にかかる資金や糧秣の一部はウチで負担してあげようかな。

 

「ああ、もちろんさ。歓迎させてもらうよ」

 

 そう言って頷いてから、老狼騎士は肩をすくめた。にこやかな表情を装いつつも。なんとも苦々しい感情が笑顔の仮面から漏れ出している。いい加減隠居させてくれ、そう思っているのだろう。まあ、気分は普通にわかるわ。でも、この難局のさ中にアナタが引退したりすれば、ミュリン家は大変なことになっちゃうだろうからね。せいぜい頑張ってほしいものだわ。……私としても、あの脳筋娘やら頭でっかちの孫やらよりは、この婆さんの方と(くつわ)を並べたいしね。

 

「ただ……ウチで交渉をやるってんなら、一つ忠告がある」

 

「ほう。古老の忠言は黄金より重いと心得ている。どうか聞かせてくれ」

 

「ダライヤ・リンド、あのクソエルフには気を付けな。見た目は童女だが、中身はあたしが赤ん坊に見えるくらいの大年寄りだ。ご聡明なエムズハーフェン侯とはいえ、油断できる相手じゃないよ」

 

「エルフ、か……」

 

 喉元に苦いものがこみあげてくる感覚を覚えつつ、私は唸った。エルフ、あの修羅の種族。あの可憐な外見がたんなる擬態だということは、私ももちろん承知している。なにしろあいつらのせいで危うく本気で死にかけたわけだからね。

 

「彼女らを侮る愚など、犯すはずがない」

 

「その表情……もしや、閣下もエルフらに?」

 

 ジークルーン伯が同情した様子で聞いてくる。表情から見て、彼女らもエルフにはひどい目にあわされたっぽいわね。

 

「ああ、本陣にエルフどもがなだれ込んできたのだ。あれが、此度の敗戦の決定打だった。……どうやら、諸君らも私と同じような経験をしたようだな」

 

「ええ。追い回されたあげく矢をいかれられたり炎をまき散らされたりしましたよ」

 

「おかげで、大切な猟場の森が完全に焼失しちまった。エルフどもの放火癖にも困ったもんだ」

 

 揃ってため息を吐くジークルーン伯とミュリン伯。……森一つを燃やし尽くすとかどれだけ火が好きなのよあいつら。森の民が聞いてあきれるわ。苦笑する私を見て、二人の伯爵も破顔した。どうやら、私も同様の経験をしたことを察したらしい。妙な連帯感が、我々の間に形成されつつあった。

 

「……おや、噂をすれば影だね。ダライヤのお出ましだ」

 

 ふと広間の入り口に目を向けたミュリン伯が、眉を跳ね上げた。そこでは、ちょうどブロンダン卿がやってきたところだった。女物の礼服を一部の隙も無く着込んだ彼の隣には、小柄なエルフの姿がある。思わず抱きしめてあげたくなるような、とびっきり可愛らしい童女だ。

 

「あれがダライヤ・リンド? ……やりにくそうな相手ねぇ」

 

「ああ、実際やりにくいよ。年寄りと童女と外道の顔を変幻自在に使い分けるんだ。あたしの人生の中でも、あれほどタチの悪い輩は初めて会うくらいだ」

 

 イルメンガルドの苦々しい言葉とほぼ同時に、ブロンダン卿がこちらに気付いた。愛想のよい笑みを浮かべながら一礼した彼は、一直線にこちらへと近寄ってくる。どうやら、挨拶をしに来たようだ。もちろん、その隣にはダライヤがついている。……この古老がここまで言う難物、そのお手並みを拝見させてもらうとしましょうか。



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第525話 カワウソ選帝侯とロリババアエルフ(1)

「お初にお目にかかります、選帝侯閣下。ワシはダライヤ・リンド、リースベンでエルフのお飾り酋長などをやっておる者ですじゃ」

 

 ウワサの曲者エルフ、ダライヤ・リンドはブロンダン卿に紹介を受けて挨拶した。一見すると、名工の手によってつくられた人形のようにも見える愛らしい童女だ。軍服風の(つまり女物の)礼服を見事に着こなしたブロンダン卿の隣にいるせいか、余計に幼さが強調されて見える。

 しかし、この女が単なるお稚児さんなどではないことを私は承知していた。なにしろ、あの老練なイルメンガルドの婆さんをして、あれほどタチの悪い相手と会うのは生まれて初めてだと言わしめるような人物だからね。油断をしたあげく足元をすくわれるような醜態を見せるわけにはいかない。

 

「噂はかねがね聞いている。お手やわらかに頼むぞ、リンド殿」

 

 そう応じて、私は彼女と握手をした。こちらは王侯に属する大貴族で、相手は辺境の蛮族酋長。身分差を考えればむしろ握手などするべきではないのだけれど、ここはあえて自分から手を出した。ダライヤはソニア・スオラハティと並ぶブロンダン卿の腹心だという話だからね。仲良くやるつもりはありますよ、というアピールくらいはしておかなければならない。

 

「どんな噂を聞いたのやらわかりませぬが、ワシなどはただの歳ばかり食った老婆にすぎませぬ故な。皆様方のお邪魔にならぬよう端の席で小さくなっておりますので、どうぞおらぬ者として扱ってくだされ」

 

 不安げな声でそんなことを言うダライヤ。その姿を見ていると、本当に年端の行かない童女か、あるいは半ばボケた年寄りのような……つまり、"戦力外"の人間であるように思えてくるから不思議だ。これが意識的な擬態だというのならば、たしかにコイツはとんでもない食わせ物でしょうね。

 

「ははは、その手には乗らんぞ。知識と経験を蓄えた古老ほど恐ろしくも頼りになる存在を私は知らぬ」

 

 私はイルメンガルドの婆さんの方をチラリと見ながら言った。彼女は、とんでもない詐欺の現場を目にしてしまったような顔で首を振っている。またこの手管か、と言わんばかりの様子だ。

 

「ちなみに、参考までに聞きたいのだが……貴殿の御歳はいかほどなのだろうか? いや、無礼な質問を申し訳ない。なにぶん、身近に長命種の者がおらんのでね。ふと興味がわいた」

 

「さあて……過ぎる年月を数えるのに飽いてだいぶになりますからのぉ。細かいことは覚えておりませぬが、五百か六百くらいでしたかのぉ……」

 

 ぼけ老人そのものの口調でそんなことを言いつつ、ダライヤは視線をさ迷わせた。口調は年寄りでも声音は愛らしい童女のそれなので違和感がすごい。……しっかし、六百歳? すっごいわねぇ。想像もつかないわ。それだけの経験があれば、そりゃあ手ごわい相手にもなるか……。

 

「ばあちゃん、五百もサバを読むのは流石にやりすぎだよ。サバが多すぎてもはや魚群だよそれは」

 

 ところが、そこへブロンダン卿が口を挟んできた。指摘された本人は、明らかに素とわかる声で「エッ!?」と叫んだ。

 

「あ、あ、確かにそうじゃったかもしれん。そうか、何日か指摘を受けたばかりじゃったのぉ……」

 

「何日か前じゃないよ、年齢を指摘したのは去年ぶりだよ」

 

「そうじゃったっけ……? まあ、昨日も去年も大差ないからの。気にするほどではないじゃろう」

 

「大違いだよっ!」

 

 思わずと言った様子でツッコミを入れるブロンダン卿。ダライヤは曖昧な笑みを浮かべながら頭を掻いた。……これ、本当にボケてたりしない? イルメンガルド、大丈夫? 策士に一杯食わされたと思ってるのはイルメンガルドだけで、実はぼけ老人に振り回されてるだけだったりしない?

 

「無駄に長生きしてしまうと、時間の感覚があいまいになっていかんのぅ……おお、そうじゃそうじゃ。これ以上恥をかかんうちに、先に聞いておこう」

 

 わざとらしく手をポンと叩いてから、ダライヤは私の方を見た。いつのまにか、彼女の纏うぽけぽけした雰囲気が消えている。代わりに現れたのが、名刀のように鋭い気配。これは……仕掛けてくる気ね。私は腹に力を入れた。やはり、これまでの態度は擬態だったか……!

 

「選帝侯閣下、もしや貴殿はゲアリンデ・アウラー殿の御子孫ではありませぬか?」

 

「……ッ!?」

 

 身構えていたにも関わらず、私は思わず息をのんだ。予想もしない方向から攻撃が来たからだ。ゲアリンデ・アウラー……またの名を、ゲアリンデ・フォン・エムズハーフェン! ああ、まさかここでその名前を聞くとは。確かに、私はそのゲアリンデの子孫……それも直系だ。いや、それどころか……家系図をたどれば、エムズハーフェン家の者は皆彼女にたどり着く。つまり、いわゆる開祖という奴だ。

 

「…………いかにも。ゲアリンデ・フォン・エムズハーフェンは当家の開祖である」

 

 心臓は全力疾走をしたかのように激しく鼓動し、冷たい汗がダラダラと出る。生まれて初めて味わう類の恐怖だった。長命種の口から、己の家の開祖の名前が出る? ああ、勘弁してほしい。本当に勘弁してほしい。

 そもそも、貴族家の開祖などというものはだいたいデリケートな話題なのよ。私たち貴族には青い血が流れているとされている。けれど、実際のところ天地開闢の時から貴顕だった家系など存在しないだろう。つまり、いずれかのタイミングで血が赤から青へと変わったわけだ。

 けれども、それを正面から認めてしまえば貴族の権威が傷ついてしまう。だから、私たちは『私の家系は最初から青い血でしたよ』、という顔をせざるを得ないのだ。……まあ、ブロンダン家のようにやたらと歴史の浅い家は、流石にそういう誤魔化し方はできないが。まあ、彼ほど急速に出世するような人間はそうそういないのだから、これは仕方ない。

 

「おおっ! やはりですか。いや、エムズハーフェンの名を聞いた時から、そうでないかと思っておったのですよ。そして、実際にお会いして、そのカンは確信に変わりました。流石は直系の御子孫、選帝侯閣下は顔かたちがアウラー殿によく似ておりますじゃ」

 

 アーッ! アアアアーッ! 最悪だ!! こいつまさか、初代様と顔見知りなのか!? ウワーッ! アアアアアアアアアーッ!! 私は内心絶叫しながら、テーブルに頭をぶつけたくなる衝動をこらえた。最悪だ。本当に最悪だ。なにしろ、初代様ことゲアトリンデ卿は……

 

「ほ、ほう。それは興味深い。もしやダライヤ殿は、当家の初代様をお会いになったことがおありかな」

 

「無論ですじゃ」

 

 旧友に再会したような晴れやかな顔で、ダライヤは頷いた。……ああ、これは。これは駄目だ。こいつ、全部わかってる。初代様が、ウチの……エムズハーフェン家にとっての黒歴史であることを!

 

「忘れもしませぬ、あれはワシが故郷を出て武者修行の旅をしていたころ。ある時、ワシは傭兵としてとある大戦(おおいくさ)に参加しましたのじゃ。それが、かの竜戦争!」

 

「……ちょうど、初代様が活躍されていた時分の話だな」

 

 竜戦争というのは、数百年前に怒った大戦争のことだ。西方の島国アヴァロニアから竜人(ドラゴニュート)の大軍がこの大陸西方に攻め入り、当時の大陸西方の覇者であった神聖オルト帝国の領域を大きく削り取った。その削り取られた領域は、竜戦争から十年もたたないうちに独立戦争を起こし、今のガレア王国になったという。

 

「その通り! あの戦争でも、モルダー川流域……すなわち、選帝侯閣下の所領のあたりは激戦地になっておりましてのぉ。そこで我らに立ちふさがったのが、かのアウラー船長(・・)というわけですじゃ」

 

「そ、そうか……」

 

 ああ、こりゃ、駄目だ。言い訳のしようがない。船長呼びするあたり、絶対にわざとだ。……なんの船長かって? 河賊……つまり、河の海賊の船の船長よ! 今ではモルダー川の守護者を自認している私たちだけど、当時はそうではなかった。むしろ、治安をバッチリ乱しまくる側だったってわけよ!

 もちろん、そんな不都合な歴史は今では完全に隠蔽されている。開祖ゲアリンデは公正で勇猛な騎士であって、乱暴狼藉の限りを尽くしたあげく街一つを占拠して領主を僭称しはじめた極悪人などではない。……ということになっている。

 その、ある意味エムズハーフェン家一番の恥部を……このクソエルフはよりにもよって初対面で突っついてしまった。なんという、なんという最悪ぶり。長命種にしか切れない特別なカードを、いきなり切ってきた。私のこころは、まるで決闘に出向いたら相手が大砲を出してきたような気分になっていた。



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第526話 カワウソ選帝侯とロリババアエルフ(2)

 ダライヤ・リンドはたいへんな強敵である。イルメンガルドの婆さんのその忠告を、私は決して軽く見ていたわけではなかった。しかし、現実は心構えをしていた程度で何とかなるほど甘くない。ダライヤ・リンドは……このクソババアは、いきなり初手でエムズハーフェン家の恥ずべき過去を突いて来た。

 そもそも、歴史ある貴族家にとっては開祖の話はなかなかにセンシティブな話題だった。我々貴族には青い血が流れているなどと言われるが、天地開闢の時から貴顕だった人間などまずいない。いずれかのタイミングで、赤い血から青い血へと変わっただけなのよね」。

 しかも、貴族に序されるような活躍というと、だいたい武功なわけよね。そしてまあ……平民なのに武功を上げられるような力を持ってる人間が、ただの平民のはずがないわけよ。大昔は山賊やヤクザでした、という貴族家は意外と多い。もっともそれをハッキリ表に出すのはいろいろと憚られるから、みんなイイ感じに擬装してるわけだけど。

 

「まさか、初代様と面識のある方とこのような場で会えるとは。縁とは不思議なものだな」

 

 邪心など微塵も感じさせないあどけない笑顔のクソババアに、私は余裕ぶってそう返した。でも、内心はとてもじゃないけど平静ではない。ウチの初代様は河賊だった。しかも、極悪非道という枕詞がつくレベルの。

 そもそも私たちがエムズハーフェン姓を名乗ることになったのは、エムズ=ロゥ市(当時はロゥはつかず単なるエムズ市だったけど)の領主になったことがキッカケだ。でも実はこの逸話には裏話があって、エムズハーフェン家初代のゲアリンデは、この街を一から建設したわけでもなければ戦功をあげてどこぞの主君から街を下賜されたわけでもなかった。

 ……じゃあどうやって領主になったかというと、当時の領主をぶっ殺して成り替わったわけ。もちろんとんでもない悪事なのだけれど、幸いにも(?)当時は戦乱の時代だった。戦争に積極的に協力することで、周囲の諸侯からの追認を得ることに成功してしまった。

 

「まったく、その通りですのぅ。いやはや、かつてのアウラー殿もすばらしい武人にして指揮官でありましたが、当代のツェツィーリア殿も負けず劣らずの素晴らしいお方ですじゃ」

 

 あんな極悪人と一緒にすんなやァ!! そう叫びかけて、なんとか堪えた。コイツ、わかってて言ってるんだろうか? 実は、確かめるすべがないのをいい事にいい加減なこと言いまくってるだけじゃない?

 ……いや、絶対ないわ。実際に初代様との面識があるかどうかはさておき、エムズハーフェン家の実際の成り立ち自体は絶対に知ってる。じゃなきゃ、初代様を旧姓のアウラー姓で呼んだりしない。そもそも、その名前は今となってはエムズハーフェン家の人間ですら知らない者のほうが多いくらいなのだから。

 

「よしてくれ、ダライヤ殿。私など、初代様の足元にも及ばぬよ」

 

 謙遜するフリをしつつ、私は考え込む。このクソババアは、一体どういう意図でこんな話題を出してきたのだろうか? 最初に考え付くのは……脅迫。エムズハーフェン家の真実をバラされたくなければ、要求を呑めと。そういうパターンが一番わかりやすいわよね。

 でも、おそらくは違う。脅迫ならば要求とセットで提示するのがセオリーだし、そもそもよく考えてみれば彼女が初代様の真実について触れ回っても、私たちにはそれほど大きなダメージはない。なにしろ、あの時代からすでに数百年がたってるんですもの。今さら掘り返されたところで、これまでの長きにわたる統治実績のほうがよほど重い。

 もちろん、このダライヤだってそんなことは理解しているはず。この女が只者ではないというのは確かだからね。安易なわりに効果が薄く、おまけに余計な敵を作ってしまうような下策を打ってくるとは思い難い。だとすれば……

 

「それより、ダライヤ殿。よければ、後ほど当時のお話を聞かせてもらってもよろしいかな? 当家にもある程度の歴史書は残っているが、なにぶん遥か昔の話だから失われている話も多い。せっかく当時を知る者と出会えたのだ。いい機会だから、エムズハーフェン家の歴史を再編纂しておきたい」

 

「むろんですじゃ。アウラー殿の武勇伝であれば、いくらでも語れますのでな。この婆にお任せくだされ」

 

 ダライヤは胸に手を当て、恭しく頭を下げた。こちらの提案を予想していたような反応だ。やはり、そういうことね。これは脅迫ではない、挨拶だ。初手で強力なカードを切ることで、こちらがどう反応するのかを観察している。それによって、あちらも対応を変えてくる腹積もりなのだろう。

 いや、それだけではない。これは一種のマウンティングでもあるはずだ。ウチもそれなりに歴史の長い家だ。それに対する誇りもある。しかし、この女は自分の人生だけで、当家を超える長さの歴史を経ている。つまり、少なくとも歴史分野に限って言えば、当家はダライヤの風下に立つほかない。長命種にしかできないタイプのマウンティングだ

 この女、あまりに最悪過ぎるでしょ。脅迫でも取引でもなく、たんに今後のポジションを定めるという目的でこのカードを出してきた場合、私に対抗可能なカードはない。この勝負は自動的にダライヤの勝利ということになる。

 つまり、私は今後こいつとの交渉のたびに初手で一方的に敗北を喫した経験を引き摺り続けることになったということだ。この不利を覆すのはとても難しいでしょうね。ふんぎぎぎぎ……。ああ、せっかく収まってきた胃痛が、また……・

 

「よろしく頼むぞ、ダライヤ殿。……しかし、流石はブロンダン卿だな。幕下の人材が驚くほど粒ぞろいだ。正直、羨ましいくらいだな」

 

 ミュリン、ジークルーンの両伯爵と雑談をかわすブロンダン卿を見ながら、私は冗談めかしてそう言った。しかし、これは完全に本音だった。ソニアにしろダライヤにしろ、辺境のいち城伯の部下に収まるような器にはとても見えない。どちらも大国の宮廷でもトップを狙えるレベルの人間のように思える。

 はたして、この二人が本当に従っているのはブロンダン卿なのだろうか? もしかしたら、アデライド宰相という可能性もあるけれど。……合理的に考えると、後者と判断するのが普通でしょうね。でも、私の直感がそれに待ったをかけている。

 

「ハハ……こればかりは、謙遜はできませんね。本当にその通りだと思います」

 

 照れたように笑うブロンダン卿に、ダライヤが「そうじゃろぉ?」と言わんばかりの表情を向けた。胡散臭い女だけど、この表情ばかりは本音のように思える。この二人は、かなりの信頼関係で結ばれているみたいね。

 こんな厄介ババア相手に、一方的に搾取されるだけではない関係を築く……ただのシンボルでしかない人間には、そんな真似はできないだろう。やはり、ブロンダン卿は只者ではない。私は彼に対する評価をまた一段階上げた。優秀な部下を見事に使いこなすのも、貴族にとって大切な技能の一つだ。

 

「つまり、貴殿にはその優れた人材を使いこなす度量があるということだ。誰あろう、エムズハーフェン選帝侯たるこの私がそれを認めよう。貴殿は胸を張るべきだ」

 

 笑みを浮かべながら、私は彼に向かって頷いた。ダライヤとかいう予想外の難敵は現れちゃったわけだけれども、やはりブロンダン陣営への加入は魅力的だ。順当にお家の利益だけ考えても彼の傘下に入る益は大きいし。強大なライバルの存在は張り合いにもつながる。……いや、ダライヤは少しばかり強大過ぎるけれども。

 ……それに、それよりなにより。ブロンダン卿本人にも興味がわいてきた。ソニア・スオラハティはノール辺境領という大国を捨ててまで彼の下についた。自称蛮族酋長なダライヤも、おそらく尋常ではない経歴をたどっているはずだ。

 つまり、彼には本来であれば自らが王侯になれるような人間すら従わせるだけのカリスマがあるということだ。こういう人間の存在は、間違いなく時代に波風を起こす。そして状況が荒れれば荒れるほど、大きな利益を得るだけのチャンスは増えていくものだ。まったく、面白い事になって来たじゃないの……!



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第527話 くっころ男騎士とロリババアエルフ

「ぬふふふふ……第一局の成果は、ひとまず上々といったところかの?」

 

 僕の膝の上に収まったロリババアは、ひどく上機嫌な様子でそう言った。時刻は既に夜中になっている。ミューリア城での晩餐会を終えた我々は、寝床へと戻ってきていた。ミューリア市にある一番高い宿の、一番いい部屋だ。

 カルレラ市の自宅の寝室よりもはるかに広く豪奢なその部屋には、僕とロリババア、そしてソニアの三人が詰めている。全員、寝間着姿だった。今晩はこのまま就寝する予定だ。もちろん、この三人でだ。この頃、僕はすっかり一人で寝る習慣が無くなっていた。

 

「だいぶ困ってたようだな、選帝侯閣下は」

 

 膝にちょこんと座ったロリババアの頭に顔をうずめつつ、僕はそう言った。彼女は風呂から上がったばかりで、良い香りがする。ロリババアと会うのは僕がミューリア市から出陣して以来になる。久しぶりの再会ということもあって、少しばかり彼女に甘えたい気分になっていた。

 

「そりゃあそうじゃろう。今やエムズハーフェン家は河賊を厳しく取り締まる側じゃが、かつては逆の立場じゃった。いきなりその過去をほじくられれば、誰であっても動揺する。むしろ、外向きの仮面を崩さずに対応できたツェツィーリア殿は流石というほかないの」

 

「試金石代わりにそんな大暴投をぶつけるとは、流石はダライヤだな。……一応言っておくが、褒めてはいないぞ」

 

 僕に頬擦りされるロリババアを羨ましそうにみながら、ソニアが言った。その目には微かに嫉妬の色がある。……この様子だと、寝床に入った後あれこれといたずらされてしまいそうだな。婚約して以降のソニアは、プライベート空間であればアデライド顔負けのセクハラを仕掛けてくるようになっていた。

 

「おう、おう。別に褒める必要はない。事実、あまり宜しくない手管なのは事実じゃしのぉ。汚れ役は、この婆に任せておけば良いのじゃ」

 

 外見にそぐわぬ冷たい声でそう言ったあと、ロリババアは僕に向かってチョイチョイと指を振った。そして、顔をこちらに向けて目を閉じる。キスしてくれ、ということらしい。離れ離れになっていた間、寂しい思いをしていたのは僕だけではないようだ。もちろんその要望に応えない理由はない。僕は彼女の唇に優しく口づけした。

 

「……なんかアル様、ダライヤだけにはやたら甘えますね。なんなんです?」

 

「いや、その、ウン……」

 

 とうとう嫉妬を隠さなくなった声音でソニアが指摘する。なにしろ事実なので、言い訳しにくかった。だって、しゃーないじゃん。このロリババア、人の心の隙間に入り込むのがうますぎるんだよな。やはり、この人の前ではダメ人間になってもいい、という安心感はデカいよ。

 

「ひひひ、出し抜いてしまってすまんのぉ? 伊達に歳を食っているわけではないのじゃよ、ワシも」

 

「しばくぞ」

 

「おお、怖い怖い。まあ、安心せぃ。ヒトの心をとろかす手管であれば、教えてやってもよいからのぉ。有難く学ぶのじゃ」

 

 ひひひと笑いながら、ダライヤは偉そうなことを言う。ソニアはフグのようにぷくっと頬を膨らませ、無言で僕の背中にのしかかった。そのまま、首筋をかぶがぶとあまがみしてくる。痛くはないが、むず痒い。思わず苦笑して、彼女の頭をぐりぐりと撫でた。

 

「……おい、ダライヤ。例の手管とやらについて教えろ。お前だけが状況を把握しているのは気に入らない」

 

「誘惑の手管のことかの?」

 

「それはアル様の居ないところで聞く。あのカワウソ女に使ったヤツの方だ」

 

 ソニアの口調は端的だった。……いないところで聞くって何よ、ナイショ話?

 

「いきなりああいう手段に出て、選帝侯が怒り狂ったらどうするつもりだったのだ。厄介なことになっていたのではないか?」

 

「そうなったらそうなったで、やり方はいくらでもあった。相手がどう反応しようが、最終的には我らの益につながればそれでよいのじゃ。そのための手は打っておるのでな。ま、安心せぃ」

 

「どうだか……」

 

 ため息を吐くソニア。吐息が耳に当たってたいへんにムズムズする。しかし、アレだね。最近のソニアは交渉やら謀略やらにも興味を示すようになってきたな。頼もしいことこの上ないが、彼女におんぶにだっこというわけにもいかん。僕は僕で、しっかり勉強し始めた方がいいだろうな。

 

「それに、今回あのツェツィーリア殿が示した反応は最上に近いモノじゃったよ。思った以上に良い結果になるかもしれん」

 

「ふうん。確か、選帝侯閣下は初代様とやらの武勇伝が聞きたいと言っていたな。あれが、良い反応なのか」

 

「うむ、そうじゃ。ゲアリンデの名を聞いた時の反応からして、ツェツィーリア殿も初代の悪行は知っておるはず。その上で武勇伝だの歴史の再編纂などという言葉が出るということは、つまり……」

 

「エムズハーフェン家にとって都合の良い、嘘の武勇伝を語ってくれると。そういう期待をしているわけだな?」

 

 納得した様子でソニアが頷いた。

 

「うむ。少なくとも、そういう取引ができる相手としてワシを見ているのは確かじゃな。過小評価されすぎて交渉の席にすら付けないような有様とか、あるいは畏れられすぎてワシの一挙手一投足すらも深読みされてしまうとか、そういう状況が一番よろしくない。手強い交渉相手としてみられるのが一番良い塩梅じゃろうな」

 

「なるほどな」

 

 納得した風に答えてみても、実際のところ僕の頭ではすべてを理解することはできないというのが正直なところだった。口を動かしながら、よくもまあそんなところまで気を回せるものだ。

 

「やっぱり、政治ってやつは難しいな。僕もそろそろ本格的に勉強しなきゃ不味いよなぁ……」

 

「おっと、勘違いするでないぞ。此度のツェツィーリエ殿との会話は、政治でもなんでもない。たんなる交渉前のさや当てじゃ。そして、交渉と政治を一緒くたにしてはいかん。むろん、優れた政治屋は優れた交渉術を持つものではあるがのぅ」

 

 尻をもぞもぞさせながら、ダライヤはふふんとどや顔でいった。やめなさい、膝の上でもぞもぞさせるのはやめなさい。わかっててやってるだろ君。

 

「そうなの?」

 

「うむ。政治というのは、基本的に二つの要素からなる。一つは人脈の構築と維持、そして二つ目がその人脈を活用して必要な便宜を引き出すことじゃ」

 

 教師のような口調でロリババアは解説した。こういうシチュなら、伊達眼鏡でもかけてくれるとアガるんだけどな。ヴァルマみたいにさ。

 

「逆に言うなら、面倒な交渉抜きでこの二者を達成できるというのなら政治に交渉はいらん。まあ、そんな都合の良い状況はまず起こらぬがのぅ……」

 

「……それって、アル様では? 交渉抜きでスオラハティ家やアデライドなどの後援者を得て、そのままいくさの技量で出世したわけですし」

 

 ソニアの指摘に、僕は思わず苦笑した。言われてみれば、確かにその通りだ。事情を知らない人が見たら、僕はとんでもなく政治、あるいは交渉の美味い人間に見えるかもしれない。……いや、たんに色仕掛けが上手いだけの悪男扱いされる可能性の方が高いかもしないけどな。

 

「ま、そういうことじゃ。……ま、確かにこの手の技術は磨いておくに越したことはないがのぉ。じゃが、あのカワウソ殿はオヌシらのようなヒヨッコが相手をするにはいささか手強すぎるからの。此度はワシに任せておくのじゃ」

 

「ういっす」

 

 餅は餅屋に任せるべし。まあ、当たり前と言えば当たり前だな。実際、リッペ市での会議では僕はエムズハーフェン選帝侯閣下に完敗している。だからこそ、ここまで戦線を下げてダライヤと合流したのだ。いまさらしゃしゃり出てロリババアの邪魔をする気はない。

 

「とはいえ、今後の方針くらいは聞いておきたいな。さすがに、丸投げという訳にもいかないからさ」

 

 ただし、このロリババアは放置しておくと本当にロクなことをしない。しっかりとした監視は必須だった。とはいえ、これは有能な人間あるあるだからなぁ。こればっかりは仕方がない気もする。

 

「方針と言っても、のう? 残す仕事は、せいぜい賠償金の支払いの有無とその金額くらいじゃろう。この程度の仕事などは朝飯前に済ませる程度のシロモノじゃから、オヌシが気にする必要はない」

 

 つまらさそうにそういうダライヤだが、こんな発言を真に受けるのはロリババアの性格を理解していない人間だけだ。コイツ、明らかに何か悪だくみをしてやがる。

 

「おい、あまり派手なことをして、敵を増やすような真似はするなよ。ただでさえ、ウチは方々から睨まれてるんだ。これ以上妙なことをやらかしたら、いよいよ尻に火がつくかもしれんぞ」

 

「わかっとるわかっとる。敵など作ったりせぬから、安心せい」

 

 ダライヤはそう言いながら手をひらひらと振った。……大丈夫かなぁ? これ。正直、かなり心配なんだが……



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第528話 くっころ男騎士と覚悟

 我々がミューリア市に帰還して、四日が経過した。予定通り、ミューリア城では連日講和会議の続きが行われている。やはりロリババアと合流した効果は大きく、彼女は巧みな弁舌を持って帝国諸侯らの交渉担当者を着実に追い込んでいった。

 ただ、敵方もやられるばかりではない。ミュリン家とエムズハーフェン家は連合を組んで抗戦をはじめ、なかなかの健闘ぶりを見せていた。まあ、本来別個にやるはずだった会議を同時進行でやっているわけだから、仕方のない事ではあるが。

 それに、こちらの陣営も一枚岩からは程遠い状況だしな。リースベン代表のダライヤと王室代表のモラクス氏では明らかに描いている絵図が別物だし、諸侯代表のリュパン団長やらヴァール子爵やらも己の利益を求めてあれこれ好き勝手を言ってくれる(うるさいのは断然ヴァール子爵だが)。まさに船頭多くして船山に上る、という風情。

 とはいえ、状況を主導しているのは明らかにリースベン、そしてロリババアだった。リースベン軍は戦場で決定的な戦果を挙げているし、すぐれた交渉人であるロリババアも居る。存在感を示すことができるのも当然のことだった。……まあ、だからと言って好き勝手やりすぎると諸侯らから『、やはり手柄を独占するために我々を当て馬にしたのだ』と批判されてしまうので、彼女らへの配慮は欠かせなかったが。

 そういう訳で、今日は朝からやくたいもない会議が延々と続いていた。なにしろ僕はこの手の仕事が大の苦手なので、たいへんに辟易する。昼になってやっと会議が終わった時には、大した発言もしていないのにヘトヘトになってしまった。

 

「ブロンダン卿。この後、一緒にお茶会でもしないか? 先日のお礼がしたいのだが」

 

 そんな僕に茶会の誘いをかけてきたのが、エムズハーフェン選帝侯だった。先日の、というのはどうやら例の昼食会のことのようだ。お返しを貰うほどのもてなしはしていないのだが(なにしろ準備不足だった)、実際のところお礼云々が方便でしかないことは政治音痴の僕ですら察しが付く。

 モラクス氏やヴァール子爵の顔を思い浮かべて一瞬躊躇した僕だったが、一緒に居たロリババアが脇腹をツンツンつついてくるものだから結局誘いにのることにした。あんまり周囲から疑念を買うような真似はしたくないんだが、まあ少しくらいなら大丈夫だろう。……大丈夫であってくれ。

 

「いやはや、まったく。ブロンダン家は文武ともに凄まじいレベルの人材がそろっているな。議場においても、戦場と変わらぬ手強さだ」

 

 豆茶のカップを片手に、エムズハーフェン選帝侯閣下が肩をすくめる。ここは、ミューリア城に併設された庭園だ。我々はそこへ折り畳みの椅子やテーブル、茶道具などを持ち込み、優雅なお茶会としゃれこんでいた。

 ちなみに、庭園と言ってもどこぞの宮殿のような風光明媚な場所ではない。ミューリア城は実戦を意識した城塞だから、籠城に備えて内部にも野菜畑が備えられていた。そういう訳で、ここも庭園と聞いてイメージするような洒落た雰囲気は全くなく、どちらかと言えば農村のような空気のある場所だった。まあ、僕としてはむしろこういう落ち着いた場所の方が趣味に合っているが。

 

「ありがとうございます、閣下。実際、部下に恵まれている自覚はあります」

 

 ハハハと笑いながら、僕は頷いた。部下のことなので、謙遜はしない。それは彼女らの頑張りを否定することになるからだ。

 

「とはいえ、ワシとしてはちぃと武に寄りすぎておるのではないかと思っとりますがのぉ」

 

 皮肉げな顔をしながらそんなことを言うのはダライヤだ。茶会に招かれたのは僕だが、このロリババアも当然のような顔をして同行してきた。これには、流石の選帝侯閣下も苦笑いだった。

 しかし、一応は敵方の諸侯である閣下の前で、わざわざ弱味を見せるようなことを言うんだな。むろん、腹黒いことにかけてはリースベンいちのロリババアだ。何も考えずにこんな発言をしたわけではあるまい。しかし、いったいどういう意図なのだろうか……。

 

「こればかりは致し方あるまいよ。代々の家臣団も持たぬ身の上から今の地位にまで登ってきたのがブロンダン卿だ。多少の不均衡はあれど、きちんと政治と軍事の両輪を揃えられるだけ上等だ。ましてや、ブロンダン家には貴殿のような賢者もおられるわけだし」

 

「お褒め頂き恐悦至極……ではありますがのぉ。所詮は老骨ゆえ、なかなか。アデライド殿の助力を受け、なんとかやって行けているという状況ですじゃ」

 

 ちょっとダライヤさん、ウチの内実をペラペラしゃべるのはやめてくださいよ。まあ、ウチで政務が出来る人材が現状ダライヤとアデライドの二人だけというのは確かだけどさ……。

 

「今は難儀だろうが、いずれはそれも解消されるだろうさ。ブロンダン卿には人を集める才能があるからな」

 

 一方の選帝侯閣下は、こちらに意味深な視線を向けてから豆茶を一口飲んだ。……先日は白湯を飲んでいた彼女だが、今日はちゃんと豆茶を飲んでいる。胃腸の具合が改善したのだろうか?

 

「ありがとうございます、閣下」

 

「事実を指摘したまでだ。調べた限り、君はいくさに参加するたびに心強い部下を得ている。きっと、此度のいくさでも同じようになるだろう」

 

「ははは……まさか、まさか。毎度毎度、それほど上手くいくとは思えませんが」

 

 事実を指摘され、僕は苦笑いするほかなかった。たしかに、僕の陣営は戦争のたびに傘下を増やしている。まあ、意識的にやっているわけではないのだが……。

 

「そうだろうか? ミュリン伯の孫などは、毎日君のところに通っていると聞いているぞ。そして、当のミュリン伯もそれを止めていない。将来的には、ミュリン家はディーゼル家と同じような立場に収まるのではないかと思っているのだが」

 

「……」

 

 いや、本当に耳が早いなこの人。たしかに、イルメンガルド氏の孫……アンネリーエ氏はこの頃連日僕の元を訪れている。本人いわく、勉強のため……らしい。まあ、僕としてもミュリン家とは仲良くしていきたいと考えているので、追い返したりはしていないが。

 

「いや、貴殿やミュリン伯を責める気はないとも、むしろ、私も一枚噛ませてほしいくらいだ。属する国は違えど、我々は同じ南部諸侯。相争って無益にヒトやカネを浪費するほど馬鹿らしいことはあるまいさ」

 

「……ええ、そうですね」

 

 なかなか難しい事を言ってくれるね。確かに、僕もこれ以上の戦争などはしたくもないが。しかし、だからと言って無条件に諸手を上げて友好関係を結ぶわけにもいかないんだよな。

 脳裏に浮かぶのは、先日の昼食会の一件。あの時、ゼラは『選帝侯閣下は銃や大砲を求めてこちらに接近してきたのでは?』という予測を立てていた。きっと、それは真実だろう。だとすれば、あまり無防備に接近していくのも考え物だ。

 

「とはいえ、僕はたんなる辺境の城伯にすぎませんから。あまり、大それたことは……いてっ」

 

 ここはひとまず撤退だ。そう思って弁明しようとしたところ、ロリババアに太ももをつねられた。何すんねん! などと思いながらそちらを見ると、彼女は『仕方のない奴だなぁ』と言わんばかりの様子で僕の耳元に口を寄せてきた。

 

「良いかアルベール。オヌシは確かにいち城伯にすぎぬ身の上じゃが、すでに敵からも味方からもひとかどの大貴族として扱われておる。つまり、オヌシはすでに誰かから一方的に操作されるコマではないということじゃ。そろそろ、プレイヤーとしての自覚を持たねばならぬ時期じゃぞ」

 

「……むう」

 

 小声で告げられたその言葉に、僕は唸ることしかできなかった。事実として、僕はド辺境の小領主に過ぎないわけだけが。しかし、よくよく考えれば今の僕は臨時とはいえ兵力一万クラスの軍を指揮している。これは、戦術単位では師団に相当する。これだけの規模になると、当然ながら指揮者は将官だ。

 果たして、僕はその職責に見合った働きができているだろうか? いつまでも、尉官気分を引きずってはいないだろうか? ましてや僕はたんなる軍人ではなく、領邦領主でもある。兵隊たちだけではなく、領民らにも責任を持たねばならない……。

 ……うん、確かにこのままではいかんな。僕は大きく深呼吸して、選帝侯閣下の方を見た。彼女は、明らかに仕事用とわかる笑みを浮かべてこちらを見返してくる。やはり彼女は、何かしらの思惑があってこちらへとアクションを仕掛けてきているようだ。……そうだな、逃げるばかりでは勝利は掴めない。いっちょ、やってみることにするか。



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第529話 くっころ男騎士の交渉術

 エムズハーフェン選帝侯に誘われ、庭園で始まった小さなお茶会。明らかに腹に一物を抱えている彼女にすっかり気後れしていた僕だったが、同行するロリババアに『お前は既にコマではなくプレイヤーなのだから、その自覚を持て』とハッパをかけられる。

 確かに、彼女の言うとおりだ。すでに僕には少なくない数の部下や領民がいる。いつまでも下っ端気分のままでいては、彼女・彼らに大きな迷惑をかけてしまうだろう。いい加減、意識を変えるべき時が来たのだ。僕は深呼吸をし、選帝侯閣下と正面から向き合う決心をした。

 

「選帝侯閣下。一つ、質問をしてもよろしいでしょうか?」

 

「なんなりと、城伯殿」

 

 僕の言葉を、エムズハーフェン選帝侯は悠然と受け止めた。彼女は片手に豆茶のカップを持ち、柔らかくも油断ならぬ微笑を浮かべている。いかにも強者然とした態度だ。

 

「閣下は、どういう意図をもって僕をこのような場に招待したのでしょうか?」

 

「これまた、直球だな」

 

 クスリと笑って、選帝侯閣下は優雅な所作で豆茶を一口飲んだ。

 

「そのようなことは、会話を通じてじっくりと探っていくのが一般的ではないだろうか」

 

「僕はそのような技能は持ち合わせておりません」

 

 正直に答えると、閣下は思わず吹き出しそうになって口元を抑えた。まさか、こう来るとは思ってもみなかったのだろう。

 

「いや、面白いな、貴殿は……。別に答えても良いが、それが嘘八百だったらどうするつもりなのだ」

 

「嘘か真かはダライヤが判別できますので。嘘を吐くのであれば、それはそれで良いのです。そちらがこのような状況で嘘を吐くような相手とわかった時点で、目的の半分は回収できますから」

 

 ダライヤの肩をポンポンと叩きつつ、僕は薄く笑った。こちらの意図を察したロリババアが、死ぬほど底意地の悪そうな笑みを浮かべてサムズアップする。実際問題、この年齢四桁のババアであれば熟練の詐欺師が相手でも容易に嘘を見破ってくれるだろう。下手なウソ発見器などよりよほど頼りになる。

 

「……その言い方と手段は流石に卑怯じゃないかなぁ」

 

 一瞬そっぽを向いて、選帝侯閣下はボソリと呟いた。威厳ある普段の口調とは明らかに異なる、年相応の喋り方だ。この人、意外と素顔は親しみやすいタイプなのかもしれんな。

 

「結構、結構。ならば、正直に答えよう。私はたんに、君と親睦を深めたいだけなのだ。ただそれだけの目的のために、君を茶会に招待した。……これで良いかね? 賢者殿」

 

 僕がチラリとダライヤの方を確認すると、彼女はコクリと頷いた。どうやら、嘘ではないようだ。ふーむ、なるほど。親睦を深めたい、か……。まあ、口説いているわけじゃなし、つまりこれはリースベンと友好関係を築いていきたいということだろうか? ……いや、まあ、『(こちらを罠に嵌める前準備として)君と親睦を深めたい』と言っている可能性も無きにしも非ずだが。

 とはいえ、そういう邪心あっての発言であれば、ロリババアが反応するはずだ。それがないということは、ある程度そのままの意味で受け取ってもいいだろう、たぶん、おそらく。

 

「正直なことを言えばな、貴殿とは二度と戦いたくないのだ。鉄砲だの大砲だのを一方的に撃ち込まれるのはもう御免だし、エルフやカマキリをけしかけられるのはもっと嫌だ。ならば、もう、選べる選択肢はただ一つ。そうだろう?」

 

「友好関係の構築、ですか……」

 

「その通り」

 

 イカサマの種をすべて潰された博徒のような顔で、選帝侯閣下は肩をすくめた。そしてダライヤに流し目をくれ、深いため息を吐く。そりゃあ、ダライヤみたいなヤツがいたら死ぬほどやりにくいだろうね。実際卑怯な手だが、こうでもしないと僕の弁舌力では閣下に太刀打ちできないのだから仕方ない。

 とはいえ、積極的に政治にかかわる決心したというのに、結局ロリババア頼りというのは自分でもいささか情けないとは思うがね。しかしまあ、これはあくまで心構えの問題だ。要するに、上の腰が座ってないと現場が大迷惑をするから気を付けよう。ただそれだけの話である。現実問題、僕の政治能力がゴミカスなのは事実だからな。やはり現状、実務は専門家に任せるほかない。適材適所ってやつだ。

 

「この際だから本音を言っておこう。此度のいくさによって、我がエムズハーフェンを取り巻く環境は極めて厳しい物になりつつある。合戦に敗れた結果わが軍は著しく弱体化し、その割に日和見に徹した周辺諸侯はまったくの無傷。つまり、我々の一人負け状態だ」

 

 閣下の口調はたいへんに深刻なものだった。実際、この状況が大変にまずいものであることは、僕にも理解できる。我々の出兵の発端となったディーゼル家とミュリン家のいざこざも、もとはと言えばディーゼル軍が大幅に弱体化した結果起きたことなのだ。

 神聖帝国では同じ国の友邦と言えどまったく信用できない。それはディーゼル家とミュリン家の関係を見れば明白だった。おそらく、選帝侯閣下も同様の懸念を抱いているのだろう。ましてや、彼女の本拠地は交通の要衝。周辺諸侯から見れば、喉から手が出るほど欲しい物件のはず……。

 

「それに加えて、リヒトホーフェン家の権威の凋落だ。アレクシア陛下の醜態もあるし、聞いた話によればレーヌ市のほうもかなり状況が悪いという話だろう?」

 

「あちらの戦線の情報は、まだ噂話程度のものしか伝わってきていませんが……我が方が優位を取っている、という話は聞きますね」

 

 現在、王太子殿下に率いられたガレア軍はレーヌ市を包囲して攻城戦の真っ最中だという話だ。対する皇帝軍は解囲を目指して反撃中とのことだが、上手く入っていない様子である。どうやら王太子殿下は戦場に大砲(我々の遣っている山砲や騎兵砲と同じものだろう)を持ち込んでいるという話なので、攻城戦自体それほど長引きはすまい。

 

「このまま順当にいけば、リヒトホーフェン家は敗北する。そうなれば、おそらく皇帝の改選運動に発展するだろう。次の皇帝はリヒトホーフェン家以外の家になるやもしれん。……これらの動きが平和裏に進むとは、はっきり言って考えづらい。神聖帝国は荒れに荒れるだろう。場合によっては、帝国という枠組み自体が吹き飛んでしまう可能性もある」

 

 確かにその通りだ。僕はアーちゃんの顔を思い浮かべた。彼女はこの会議にも同行しているが、明らかに存在感を発揮できずにいる。帝国諸侯であるエムズハーフェン家やミュリン家ですら、露骨に彼女を無視して話を進めているのだ。アーちゃん自身もこの状況には危機感を抱いているようだが、打開策を打てずにいる様子だった。

 

「統治者が権威を失えば国が荒れる。これは世の理ですじゃ」

 

 香草茶のお代わりを自分で淹れていたダライヤが、落ち着いた声で言った。湯気の上がるカップに息を吹きかけつつ、彼女は言葉を続ける。

 

「似たような事件は、我が故国……エルフェニア帝国でも起き申した。天災をきっかけとして当時の皇帝家は人望を失い、帝国には内乱の嵐が吹き荒れましてのぉ。結局内戦は百年も続き、全人口の九割以上が死に絶える事態になりましたのじゃ」

 

「……なんと悲惨な。そうか、彼女らがあれほどまでに苛烈なのは、長すぎた内戦の影響なのだな」

 

「いや、エルフが苛烈なのはもともとそういう気質なだけですじゃ」

 

「あんな連中ばかりでよくもまあ国が成立してたわね!? ……こ、こほん。失礼した」

 

 思わずと言った様子で選帝侯閣下はそう叫び、はっとなって赤面する。選帝侯閣下、やっぱり素は結構親しみやすい感じの人かもしれんね。

 

「何はともあれ、内乱は悲惨ですからのぉ。己の郎党と民草くらいは、なんとしてでも守ってやらねばならぬ。ワシはそう思っておりますじゃ」

 

 そんなこと言ってオメー、一応皇帝位についておきながらわざと国を真っ二つに割ったあげく皇帝の権限すべてを僕に投げつけようとしたよな? 僕がそう思いながらロリババアを睨みつけると、彼女はニヤァと笑ってこちらを見返してきた。このクソババア……。

 

「……うむ、うむ。私としても、まったくの同感だ」

 

 そんな裏事情はつゆ知らない選帝侯閣下は、腕組みをしながら何度も頷いた。停戦直後に自らリッペ市の混乱収束に動いたあたり、この方の民を思う気持ちはホンモノだろう。ううむ、可能であれば手を貸したいところではあるな。なにしろ、この状況を招いた責任の一端は僕にもあるわけだし……。

 とはいえ、実際のところ無条件というわけにもいかん。彼女が領主としての責任を負っているように、僕には僕の責任がある。最優先にするべきなのは、リースベン領民の生命と財産を守ることだ。それをないがしろにする人間は、軍人や貴族としての資格はないだろう。

 

「だが、単独でそれを成すのは不可能に近い。パートナーが必要なのだ。」

 

「……もしや、それが我々と?」

 

「その通り。……どうだ、ブロンダン卿。私と手を結ばないか? むろん、一方的に諸君らを利用する気はない。お互い満足できる取引を提供するつもりだ……」

 

 そう言って、選帝侯閣下はニヤリと笑った。小動物めいた外見に似合わぬ、狂暴な笑みだ。これは……攻勢を仕掛けてくるつもりだな。僕はそう直感した。ちらりとダライヤの方を見る。彼女は、ワシに任せておけとばかりに小さく頷いた。まったく、頼りになるロリババアである。さあて、ここからが踏ん張りどころだぞ……!



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第530話 カワウソ選帝侯の確信

 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは、大きく息を吐きながら椅子に座り込んだ。くたびれた、本当にくたびれた。茶会は夕刻まで続き、私の腹はもうたぽたぽだ。しばらく、豆茶は見たくもない。大きくため息を吐きながら、腹をさする。

 

「その様子だと、交渉はうまくいったようだね」

 

 そんなことを言うのは、私の対面の席に座ったイルメンガルドの婆さんだった。彼女はインクに汚れた手のまま酒杯を握り、ちびちびとウィスキーを飲んでいる。その隣には、しゃちほこ張った姿勢で貧乏ゆすりをするジークルーン伯爵の姿もあった。

 ここは、ミューリア城の執務室……つまり、イルメンガルドの婆さんの牙城だ。当然ながら、部屋の中に居るのは私たちだけ。天井から釣り下がった魔力灯が、三人の敗戦領主を煌々と照らしてしていた。

 

「ああ、ひとまずはな。最低限の成果は得られた」

 

 交渉というのは、もちろんブロンダン陣営への鞍替えの件だ。この案件は、私一人で進めている者じゃない。この二人の伯爵も、もちろん共犯関係にある。そもそも、私が交渉の場をこのミューリア市に移したのも、彼女らを寝返りに巻き込むためだった。

 理由は簡単で、自らの商品価値を高めるためだ。私は商売人だからね、身売りをすると言っても安売りはしない。出来るだけ商品価値を高め、高値で売りつけるくらいのことはしたかった。寝返った後のことを考えても、事前に派閥を作っておくのは有効なやり方だしね。

 

「閣下、武器売買の件はどうなっているのでしょうか? こちらとしては、可及的速やかにあの新式火器を手に入れたいのですが」

 

 ジークルーン伯爵が身を乗り出しながら聞いてくる。彼女は、リースベン軍が装備している鉄砲や大砲にたいへんな興味があるようだった。まあ、アレに関しては私も興味津々だけどね。リッペ市の戦いのせいで、わが軍の戦力はいちじるしく低下している。手っ取り早くこの状態から回復するには、やはり新式火器を導入をするのが一番良い選択肢だと思う。

 

「慌てるんじゃない。どこの世界に、ほんの先日まで干戈を交えていた相手に虎の子の武器を売り渡す奴がいるんだ。今の段階でそのような話をしても、向こうの態度が硬化するだけだろう」

 

 とはいえ、もちろん今回の交渉ではそんな話はおくびにも出していない。あんまりガツガツ行っても警戒を招くだけだし、よしんば上手く行っても足元を見られてしまうでしょうから。本命の話を持ち出すには、それなりにタイミングというものがある。

 

「それは理解しておりますがね……いつ次の戦乱が起きるかわからない状況ですから」

 

 不安げな様子で、ジークルーン伯爵が目を逸らす。その懸念は、私にも理解できた。急いては事を仕損じるが、のんびりしすぎては機を逸する。難しいところよね。

 

「とにかく、アデライド宰相閣下との会談は取り付けられたのだ。彼女と会わないことには、話は進まん。それまで待て」

 

 今回の交渉における一番の成果を持ち出して、私はジークルーン伯爵をなだめた。……そう、ブロンダン卿はアデライド宰相との会談をセッティングすることに同意してくれたのだ。おそらくブロンダン卿の手綱を実際に握っているのは宰相だろうからね。ブロンダン陣営に入るというのなら、出来るだけはないうちに彼女に話を通しておく必要がある。

 

「アデライド宰相ね……」

 

 酒杯を机に置き、腕組みをしながらイルメンガルドの婆さんが唸った。

 

「一度会ったことのある相手だが、こちらはこちらでなかなかに油断のならぬお人だったよ。それに加えて、あのクソエルフだろう? むろん、選帝侯閣下の手腕に疑問はないんだがね。流石にこの二人が揃っちまうのは流石に不味くはないかね」

 

「たしかに、あの古老は手強いを通り越していっそ危険ですらあるが……」

 

 私の脳裏に、茶会の際の記憶がよぎった。話が本題に入った後も、あのクソエルフはあの手この手で私を翻弄してきたからね。とはいっても、別に交渉の妨害をしてきたわけではなかったけれど。むしろ厄介なのは、交渉が進み過ぎることだった。

 ダライヤは相手にそれと気付かせないまま、思考や発言を自分の望む方向へと誘導することができる。これが一番恐ろしい。知らないうちに、彼女にとって有利な方へ有利な方へと時分から進んでいってしまうのよね。厄介どころの話じゃないわ、まったく。

 

「……」

 

 でも……私が一番驚いたのは、そこじゃない。あれだけ厄介なダライヤを、ブロンダン卿は見事に使いこなしていた。もちろん、交渉の技量に関してはブロンダン卿はダライヤの足元にも及ばない。けれど、彼はそれを理解したうえであの厄介なエルフの能力を生かし、己の仕事を果たそうとしていた。これは大変な評価点だ。

 実際のところ、優秀過ぎる部下というのも使いにくいものだからね。あれほどの妖怪婆が部下に居たら、普通なら下克上されたり、いつの間にか操り人形にされたり、あるいは嫉妬から不仲になったり……そういう不健全な関係になりがちだと思うのだけど。しかし、あの二人にはそんな気配は微塵もなかった。まっとうな上司と部下、そして相棒。そういう風情を感じる。

 あの二人のやり取りを見て、私の中には一つの確信がうまれつつあった。やっぱり、アルベールは王の器だ。もしかしたら、私が黒幕ではないかと疑っているアデライドすら、実は彼の輝きに魅了されたひとりなのかもしれない。

 

「閣下、どうされたのです? なにか面白いことでも?」

 

 困惑したようなジークルーン伯爵の声に、私は思わず自分の頬を抑えた。どうやら、私は自分でも気づかないうちに笑みを浮かべていたようだった。思わず、「ふっ」と声が出る。

 

「……ああ、そうだな。面白いよ、とても」

 

 具体的に言えば、あのあまりに直球過ぎる交渉の進め方とかね。あの様子じゃ、周囲もだいぶ苦労していることでしょうよ。……まあ実際のところ、そんなやり方でもダライヤと連携すれば十分に有効に機能するんだけどね。その辺りをキチンと考えたうえで手を打ってくるあたり、やはりブロンダン卿は聡明ね。もっとも、ああいうやり方は交渉ではなく尋問というんだけども。

 まあ、政治や交渉云々に関してはそれほど気にする必要もない。なにしろ地頭が良いのだから、教育次第でなんとでもなるものね。実際、あのクソエルフは私を使って実地勉強をやらせる腹積もりっぽい気配がある。せっかくだから、みっちり付き合ってあげることにしましょうか。

 

「難敵二人を相手にして、その態度。流石はエムズハーフェン伯爵ですな……! 感服いたしました」

 

 驚きと憧憬が入り混じった表情で、ジークルーン伯爵がそんなことを言った。どうやら、私が難しい勝負を挑むことその物に面白みを感じていると勘違いしてるっぽいわね。でも残念ながら、それは勘違いよ。私はそんな、戦闘狂じみた性格の持ち主じゃないしね。

 

「いや、なに、大したことではない。単に、この戦争で被った大損を意外と早く取り返せそうだと思ってな」

 

 私はそう言って手を振った。私はこの戦争に敗れた。けれど……もしかしたら、これはチャンスかもしれない。あれほどの王才の持ち主が、目の前に居るのだもの。ここで守りに入っては、エムズハーフェンの名前がすたるってもんよ。

 

「良い顔をするじゃないか。どうやら、アンタには勝ち筋が見えてきているようだね」

 

 そんな私を見ていたイルメンガルドの婆さんは、薄く笑ってからウィスキーを口に運んだ。

 

「結構なことだ。あたしも、負けたまま引き下がるのはちぃと業腹でね。悪いが、あたしが笑顔で引退できるよう手伝ってもらえるかい?」

 

「任せておけ」

 

 私はバシンと胸を叩いた。現在のミュリン家は、我々エムズハーフェン家以上にズタボロだ。この戦争で婆さんは明らかに老け込んでしまったし、次期当主である長女は重傷を受けしばらくベッドから離れられない。おまけに家臣団は戦争でズタボロと来ている。はっきり言って、自力で立て直すのは難しいだろう。

 けれど、だからと言ってミュリン家が……そしてミュリン領がまったくの無価値な存在になったわけではない。上手くやれば、まだ高く売れる。そしてその対価を受け取るのは、もちろん私ではなくミュリン家自身らだ。それを元手にすれば、きっとお家の再興は成るだろう。

 

「商売であれば、私はこの神聖帝国の誰よりも上手い自信がある。だから、貴様らの全財産を……貴族としての名を、所領を、家臣を、いったん私に預けるんだ。最高額で、ブロンダン卿に売りつけてやる――」

 

 私は自信満々で、両伯爵にそう言い放った。敗者が勝者に成り替わるには、この手しかない。私は一世一代の勝負に出ることにした。



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第531話 くっころ男騎士と選手交代

「戦争はもう佳境だというのに、なにやら厄介なことになりつつあるな……」

 

 宿屋に戻ってきた僕は、ため息交じりにそう呟いた。やはり、あのカワウソ選帝侯閣下はなかなかの難敵だ。茶会という名の会談で、僕は冷や汗をかきっぱなしだった。やはり、今の僕ではあの手の仕事はまだ荷が重い。だからと言って、逃げるわけにもいかないが。

 

「向こうが秋波を送ってきていることには気づいていましたが。しかし、これほど早いタイミングで協力関係の構築を打診してくるとは。少しばかり予想外ですね」

 

 僕の対面の席に座ったソニアが、自らの顎を撫でながら言った。彼女はあの茶会には参加していなかったが、もちろんあそこでどのような会話が交わされたのかは洗いざらい伝えてある。この案件は、とてもじゃないが僕一人では判断がつけられるようなものではない。優秀な参謀の助力が必要だった。

 

「それだけ余裕がないということだろうな。内政も、外交も……」

 

 あれだけ安全保障体制の再構築を急いでいるというのは、選帝侯閣下の危機感の表れだろう。とはいえ、同様の懸念はディーゼル家やミュリン家も持っていた。帝国諸侯の周辺に対する不信感は尋常ではない。よくもまあこんな状態で国としてまとまっていられるもんだねぇ。

 

「ま、向こうが段階を踏めなかったのは、アルベールのせいでもあるがのぉ。オヌシが迂遠な手管を好まぬのは知っておったが、あそこまで直接的に切り込むとは。選帝侯殿も苦笑しておったぞ?」

 

 そんな苦言を呈するのはロリババアだ。彼女は焼酎を手酌でやりつつ、呆れたような目を僕に向けている。

 

「しゃあないでしょ、僕なんぞが策を弄したところでいいようにあしらわれるだけだもの」

 

「ま、それは否定せぬがのぉ……」

 

 何とも言えない表情で肩をすくめ、ロリババアは焼酎を口に運んだ。

 

「しかし、逆にダライヤは妙に大人しかったな。もうちょっと、こう……大規模な工作とか仕掛けるんじゃないかと思ってたんだけど」

 

 実際、今回の案件ではダライヤの動きはかなり消極的だった。懸念していたような暴走・独走の気配もない。適度に牽制しつつ、相手の出方を見ている……そういう動き方だ。

 

「なぁに……そばに暗い伴星がおってこそ、明星はより輝いて見えるものじゃからのぉ? あのカワウソ殿が相手であれば、ワシは引き立て役に徹したほうが良いと判断したまでよ」

 

「フゥン……」

 

 くつくつと陰険に笑いつつ、ダライヤはちびちびと酒を飲んでいる。どうも、大人しいのは表面上だけで腹の中では何やら大それた作戦を練っている様子だ。こりゃ、気を緩めない方がよさそうだな。絶対ロクでもないこと考えてるやつだぞ。

 

「何はともあれ、閣下からの打診が爆弾みたいな案件なのは確かだ。扱いには細心の注意を要する。……そういうわけで、ソニア。モラクス氏のほうの反応はどうだった?」

 

 我々がエムズハーフェン選帝侯と会談している間、ソニアのほうはモラクス氏と接触していた。目くらましと偵察を兼ねた手だ。僕が個人的に敵の主将たる選帝侯閣下と接触していることが王家に露見すれば、あまりいい顔をされないのは確実だからな。ある程度の手は打っておいた。

 もっとも、モラクス氏個人を足止めしたところでどの程度の効果があるのかは謎だがね。むろん茶会の際は"ねずみ"を近づけさせないための手は打っていたが、実際のところそれにどの程度の効果があるのかはわからん。ウチの防諜担当は、以前にも王家に後れを取っていたしな……。

 

「あまり良くはありませんね。少しばかり釘を刺されました」

 

 難しい表情で、ソニアがそう答える。釘、ね……。つまりはまだ警告の段階。ボーダーラインは踏み越えていないようだが。しかし、肝心のボーダーがどこにあるやらさっぱりわからない状態でアレコレせねばならないのはとても神経によろしくない。正直『僕もう知ーらない』つって領地に帰りたいくらいだ。なんでいち城伯に過ぎない僕がこんな薄氷の上でタップダンスするような真似しなきゃいけないんだ、マジでわけわかんないだろ。

 

「ううむ……難しいところだな」

 

 僕はダライヤから徳利を奪い、自分のカップに焼酎を注いだ。そのまま、ぐいっと一息に飲み干す。芋焼酎(エルフ酒)特有の芋の香りが鼻孔を支配する。

 

「……閣下からの提案、二人はどう思ってる? どうにも、僕一人では判断がつかん。みんなの意見を聞きたい」

 

 選帝侯閣下からは、それなりに魅力的な見返りを提示されている。具体的に言えば、リースベン領からエムズハーフェン領までの街道の再整備だ。今回の作戦における進軍路ともなったこのルートは現在荒れ放題になっており、輸送効率が大変に悪い。

 そこで選帝侯は自分が音頭を取って出資者を募り、この街道を石畳の立派なものへと整備しなおそうと提案したのだ。エムズハーフェン領は交易の中心地であり、ここへつながる街道が重点強化されればリースベン領にも多大な恩恵があるだろう。税金に頼らない収益手段の確保はリースベンの喫緊の課題だ。正直、飛びつきたい気分はかなりある。

 

「エムズハーフェンの交易圏に参入できるのは、確かに大きいですよ。実際のところ、現状のリースベンでは独力で軍の維持はできませんから。今はアデライドのカスタニエ家がその埋め合わせをしていますが。柱が一本だけではいかにも不安定です。別ルートでも戦費を調達する方法を構築しておいた方が良いでしょう」

 

「ワシも同感じゃな。今のワシらが飢えずに済んでおるのは、ディーゼル家による食糧援助のおかげじゃ。しかし、経済的な理由でリースベン軍が弱体化し、ディーゼル軍との力関係が逆転するようなことがあれば……とても厄介なことになる。将来にわたって、リースベン軍は周辺諸国の中で最強の存在であり続けねばならぬのじゃ」

 

 どうやら、ソニアとロリババアは同意見のようであった。彼女らのいうことは、よくわかる。結局のところ、リースベンそのものは貧しい小国に過ぎないのだ。今、我々が大きな顔を出来ているのは、たんに立場不相応な武力を持っているからに過ぎない。

 だったら、その武力で国力を底上げし、軍隊規模に見合った経済力を付ければ良いだけ。ソニアらはそう言いたいのだろう。正論だな。とはいえ、こういうやり方を用いた結果、止まるに止まれなくなり滅んでしまった国などいくらでもあるからなぁ。安易な拡大政策には、少しばかり抵抗がある。

 しかも、この方向性だと結局王家との衝突は避けられないというおまけつきだ。逆賊の汚名とか被りたくないだろ、普通に。ああ、やだなぁ。マジでやだ。半ば身から出た錆びというのは理解しているが、どうしてこうも厄介な立場に立たねばならんのか。

 

「……なるほど、君たちの意見にも一理ある。とはいえ、今結論を出すのはあまりにも早計だ。せっかくの機会だから、アデライドにも相談してみることにしよう」

 

 すでに、リースベンのアデライドには救援要請を出してある。翼竜(ワイバーン)を使えば、リースベンからミュリンまでなら日帰りで往復できるからな。出張もそう難しいものではない。

 

「そうですね。このような問題が相手であれば、私よりもアデライドのほうが適任でしょう。ここは、彼女に任せることにします」

 

 ソニアはそう言ったが、彼女の目にはたいへんに残念そうな色があった。実は、アデライドと入れ替わりでソニアがリースベンへと戻る予定になっているのだ。なにしろリースベンは不安定な土地だから、領主名代を務められる人間はそう多くはない。僕かソニアかアデライド、この三人のうちの誰かが留守番を引き受ける必要があった。

 

「面倒ばかりを賭けて、申し訳ない。悪いが、リースベンの方は任せたぞ」

 

「ええ、もちろんです」

 

 不満の色をさっと隠し、ソニアは胸に手を当てて一礼した。いや、まったく、本当に申し訳ないわ。人手不足すぎて本気で困るよなぁ……。王家との緊張は日に日に高まっている。正直、こんな有様で大丈夫なのかと心配になっちゃうね。もしも本当に反逆者の汚名を着せられるような事態になったら、そうとうに厳しい戦いが待っているに違いない。はぁ、やんなるね。



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第532話 くっころ男騎士と来訪

 アデライドがミューリア市にやってきたのは、それから数日後のことだった。移動手段は、予定通り翼竜(ワイバーン)。とはいえ今は戦時下で、要人の移動にはそれなりのリスクがある。それが空の旅ならなおさらだ。山本五十六長官の二の舞など絶対にご免である。。

 そう言う訳で、アデライドの移動は極秘かつ迅速に行われた。護衛も含め十数騎の翼竜(ワイバーン)がいきなり現れたミューリア市では少しばかり騒ぎが起きたが、背に腹は代えられない。気を使った甲斐があり、アデライドは無事つつがなくカルレラ市・ミューリア市間のフライトを終えることができた。

 

「しばらくぶりだな、アル君。無事で何よりだよ」

 

 ミューリア市正門の路上に降り立ったアデライドは、そう言い放つなり僕に抱き着いてきた。さらに、問答無用でキスまでしてくる。当然ながら周囲には出迎えのためリュパン団長やらモラクス氏やら、さらにはイルメンガルド氏やらエムズハーフェン選帝侯までいて、たいへんに恥ずかしいことこの上ない。

 ちなみに、我が副官たるソニアはこの場にはいない。一足先にリースベンへと戻り、領主名代の引継ぎをしていた。アデライドは、彼女と入れ替わりでこちらへやってきたことになる。領主不在のままリースベンを放置するわけにもいかないので、仕方のない処置ではあるのだが……このきな臭い情勢下でソニアと別れるのは、いささか不安を覚えずにはいられない。

 

「ありがとう、アデライド。貴女が無事を祈ってくれたおかげだ」

 

 公衆の面前で嫁とイチャイチャするのはほとんど羞恥プレイなのだが、恥ずかしいからと婚約者を突き放すほど僕は野暮ではない。顔を真っ赤にしつつも、そう答えて彼女の背中を抱き返す。定期的に届く手紙によれば、アデライドは毎日のように教会に通って僕の無事と武運を祈っていてくれたらしい。まったく、本当に良い女性と縁を結べたものだと思う。

 

「まだ結婚式も上げていないのに、このアツアツぶりか。いや、あやかりたいものだな」

 

 苦笑しながら、エムズハーフェン選帝侯が肩をすくめる。それを見たアデライドは、慌てて僕から身体を放した。外国の大貴族を前にスキンシップを続けるほど、アデライドも厚顔ではない。

 

「し、失礼いたしました。少しばかり、感極まってしまいましてね……」

 

「ははは、別に構わんさ。家人を戦地へと送り出したのだ、心配するなというほうが無理だろう」

 

「本来であれば、その役割は男女逆なのだがな」

 

 せっかく選帝侯閣下がとりなしてくれたというのに、リュパン団長がボソリと余計な発言をしやがった。この手の指摘はアデライドの地雷だ。『なんだァ? テメェ……』と言わんばかりの様子で団長にメンチを切り始めるアデライドを、僕は慌てて止める。

 

「まあまあ、まあまあまあ」

 

「ぐぬ、ぐぬぬぬ」

 

 歯噛みをするアデライド。僕はリュパン団長に『そこに触れちゃあ戦争ですよ!』と言う意志を込めて睨みつけた。彼女はため息を吐きつつ、首を左右に振ってそっぽを向いた。どうやら、一応矛を収めてくれたようだ。まったく、余計なことを言ってくれるもんだね。

 アデライドは典型的な文官肌の人間で、性格的にも能力的にも直接的な暴力にはサッパリ向いていない。個人的にはむしろそれこそが真人間というものではないか、と思うんだけどね。とはいえこの国は武官がもてはやされる封建制の社会だ。やはり、気にするなという方が無理があるのかもしれない。リュパン団長みたいな考え方の人も少なくないしな。

 いやまあ、別にリュパン団長自身は決して悪い人ではないのだが。用兵の手管は手堅く確実、部下の扱いも丁寧だ。僕からしても、信頼できる武人という印象が強い。ただ、やはり頭が固いのが難点だな。アデライドとは水と油の関係になる事間違いなしだから、できるだけ隔離しておいた方がいいだろう。

 とにかく、今はこれ以上まごまごして選帝侯閣下らをお待たせするわけにもいかん。アデライドに目配せをすると、彼女は赤くなった自らの頬を両手で叩いてから頷いた。そして、ピシリと姿勢を正す。

 

「えー、こほん。改めまして、ご紹介しましょう。選帝侯閣下、こちらはガレア王国宰相にして宮中伯、そして僕の婚約者でもあるアデライド・カスタニエです」

 

 この世界の貴族社会では、基本的に貴人同士は顔を合わせてもいきなり自己紹介を始めたりはしない。両者を引き合わせた者がしっかりと仲介をして、初めて挨拶をかわすのだ。まあ、戦場ではそうも言っていられないことが多いので、省略されがちな手順ではあるがね。

 もちろん、今回に関してはしっかりと手順を踏む。常識知らずの田舎者だと思われたら、交渉どころじゃなくなっちゃうからな。まずはアデライドを紹介し、同じ手順で選帝侯閣下もアデライドへと紹介する。政治音痴の僕だが、流石にこの程度のことならばよどみなくこなすことができる。

 

「初めましてだな、宰相閣下。しかし、カスタニエ商会の名は仕事でよく耳にしていた。そのせいか、正直あまり初対面という感じではないが」

 

 親しげな様子で、アデライドの肩を叩く選帝侯閣下。小柄小柄と言われる彼女だが、それはあくまで竜人(ドラゴニュート)や獅子獣人などと比べての話だ。只人(ヒューム)としてもやや小柄なアデライドと並ぶと、やはり彼女の方が背は高い。……亜人ってやっぱり体格イイよなぁ。母上が事あるごとにボヤくはずだよ。

 ちなみに、カスタニエ商会というのはアデライドの実家がやっている商社だ。彼女の家はむしろ商売の方が本業で、宮廷貴族としての歴史はかなり短い方だという。それで宰相まで上り詰めたんだから凄いよな。

 

「同感ですな。閣下がお持ちの商船は、我が商会でも幾度となく利用させていただいた記憶があります。機会があれば一度ぜひお会いしたいと思っておりましたが、それがこのような機会に叶うことになろうとは。まったく、不幸な星野めぐりあわせもあったものですな」

 

「こればかりは致し方ありますまい。お互い、高貴なる義務を背負った身の上ですのでね」

 

 流れるようなやり取りに、僕は流石アデライドだと感心する。貴族というよりは商人同士の会話っぽい感じだな。どちらも商業分野に強いタイプの貴族なので、当然のことかもしれないが。

 

「積もる話はいくらでもありますが、私がいつまでも貴殿を独占していてはガレアの皆様方に申し訳がたちませんね。後日茶会を開かせていただきたいと思っておりますので、良ければぜひお越しください」

 

「もちろん、その時はぜひ参加させていただきたく存じます」

 

 何度も握手を交わしてから、選帝侯閣下はいったん後ろへと下がった。こう言った場で延々と長話をするのはマナーに欠ける行いなので、早々に切り上げたのだろう。アデライドが挨拶せねばならない相手は選帝侯閣下ばかりではないのだ。

 アデライドはひとまずイルメンガルド氏やジークルーン伯爵などの帝国諸侯らと連続で握手を交わした。……そしてそれが終われば、いよいよガレア側のターンだ。最初に出てきたのは、王室代表の特任外交官モラクス氏である。

 

「やあ、モラクスくん。突然押しかけてしまってすまない」

 

「いいえ閣下、とんでもありません。むしろ、私の力が及ばぬばかりに閣下に御足労いただく事態になってしまい、汗顔の至りであります」

 

 どうやら、アデライドとモラクス氏には面識があるらしい。まあ、どちらも職場はガレア宮廷だからな。そりゃあ、顔を合わせたこともあるか……。

 

「いや、なに。私はただ婚約者の顔を見に来ただけさ。君の顔を潰す気はさらさらない。とはいえ、難儀な仕事をしている同僚をしり目に遊び惚けているわけにもいかないからねぇ。無論、手伝えることがあればなんでも言ってほしい」

 

「ありがとうございます。閣下の御助力があればまさに百人力、なんと心強い事でありましょうか」

 

 近年溝ができつつある王室と宰相派閥ではあるが、少なくとも表面上はアデライドもモラクス氏も穏当な態度を取っている。一見、親しい上司部下に見えるほどだった。とはいえ、よく見れば二人とも目には隠微な光が宿っている。

 選帝侯閣下の要望に応じてアデライドに応援を頼んだわけだが、この様子を見ているとどうにも心配になってくるなぁ。これ以上、王室との溝が広がる事態にならなきゃいいんだけど……。いやまあ、敵の要人とコッソリ手を結ぶような交渉をやってる時点で、裏切り者扱いされても仕方のない真似をやってる自覚はあるんだけどさ。



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第533話 くっころ男騎士と打ち合わせ

 アデライドを出迎えたあと、我々は歓迎のための昼食会に参加した。イルメンガルド氏の主催で開かれたこの催しははなかなに豪勢なものだったが、なにしろ主賓のアデライドは空の旅を終えたばかりだからな。残念ながら、楽しく美食に舌つづみを打つような余裕はなかったようだ。なにしろ翼竜(ワイバーン)の乗り心地は現代の旅客機などとは比べ物にならないほど悪いので、致し方のない話である。

 そうしてなんとか昼食会を終えた僕たちは、いったん休憩所代わりの談話室へと逃げ込んだ。情報交換と打ち合わせをするためだ。アデライドとは定期的に手紙や電信のやり取りをしていたが、やはり直接顔を合わせての話し合いはしておきたい。

 

「しかし、君は相変わらずだねぇ」

 

 革張りのソファにどっかりと座りながら、アデライドはそう言った。少し、呆れたような言い方だった。

 

「ミュリン家と戦いに行くと言って出陣して、なんでエムズハーフェン家まで倒しているんだ? 手紙一枚で……しかも、事後報告でそんなことを知らされた方の身にもなってくれたまえよ」

 

 機密保持の観点から、エムズハーフェン領に攻め込んだことをアデライドへ伝えたのはリッペ市が完全陥落し、停戦が成った後の話だった。進行中の作戦についての情報を外に漏らすわけにはいかないので仕方がないのだが、やはりアデライドとしては不満のようだな。まあ、気分はわかるがこればかりは許してほしいだろ。

 

「ごめん。とはいえ、手紙に機密度の高い情報を乗せるのはちょっと……ね?」

 

 これは別にアデライドを信用していないとかそういう話ではなく、手紙その物が敵対者に奪われてしまうことを危惧してのことだ。情報というものは、動かしただけでリスクが発生してしまうのである。

 

「ま、そのあたりは分かっているがねぇ……はぁ」

 

 ため息を吐くアデライド。僕は苦笑しながら、もう一度「ごめん」と言った。

 

「まあいいさ、王家に要請されての進軍だというのは承知しているからね。……しかし、王家も無茶を言う。エムズハーフェン家といえば、我が国のオレアン公爵家に負けず劣らずの大貴族だ。烏合の衆の諸侯軍でちょっかいをかけるというのは、いささか危険すぎるような気がするのだが」

 

 オレアン公爵家か……。僕は去年の夏ごろ起きた大事件、王都の内乱を思い出した。ガレア王国の四大貴族と呼ばれる重鎮の一角、オレアン公爵家。その次期当主イザベルが王家に対して突如牙を剥いたのである。

 あれもまた、なかなか骨の折れる戦いだった。スオラハティ軍の精鋭がちょうど王都に滞在していたこと、そして当のオレアン公本人がこちらに協力してくれたこと。さまざまな幸運に恵まれてこそ、僕は勝利を得られたのである。

 

「モラクス氏いわく、リッペ市まで進軍するというのは流石に想定外だったという話ですが」

 

「ミュリン領から軍を北上させれば、嫌でもエムズハーフェンを刺激することになる。君は果敢過ぎる性格だから気にならないだろうが、普通に考えればこれはたいへんに危険な判断だと言わざるを得ないね」

 

「確かに……」

 

 腕組みをしながら、僕は唸った。……いや、誰が果敢過ぎる性格だよ。それなりに慎重なつもりはしてるんだが。

 

「その後の対応といい、モラクスのやり口は気に入らんね。確かに現状の王家最大の懸案事項は我々の存在だろうが、アルベールのような功臣にこのような扱いをするとは。むしろ、我々を煽っているのではないかと邪推してしまいそうだ」

 

 顎を撫でながら、アデライドは唸るような声で言った。その声音には明らかな不信感が含まれている。

 

「それはさすがに……考え過ぎだと思いたいけども」

 

 王室やモラクス氏がなにやらきな臭いのは事実だがね。しかしまあ、頑張って戦った兵隊が銃後でひどい扱いをうけるのは前世でもよくあったことだからな。ベトナム帰りの先輩から聞いたほどアレな扱いはまだ受けていないので、そこまでピリピリする必要はないような気がする。

 

「なら、いいのだがね。しかし、最悪の状況には備えておかねば。とりあえず、例の"お茶会"とやらで選帝侯殿の真意を確かめてみよう」

 

 昼食の際、アデライドは選帝侯閣下にお茶会へと誘われていた。まあ、そもそもアデライドがミュリン領までやってきたのは彼女に要請されてのことだからな。いろいろ話し合いたいことがあるのだろう。

 

「選帝侯閣下か……こっちと協力関係を結びたいという話だったけど、実際どうしたものかな。正直、かなり悩ましいんだけど」

 

 彼女にどのような返答をするのか、僕はまだ決めかねていた。敵国の大貴族と手を組むというのは、やはり尋常な取引ではない。メリットもデメリットも極めて大きいので、慎重に判断する必要があった。

 

「そうだねぇ……もし王家との亀裂が決定的なものとなった場合、選帝侯殿が味方に付いていれば状況は遥かに楽になる。これは事実だ。しかし半面、彼女との関係が表沙汰になったり、あるいは裏切られたりすれば、かなり不味い事になる」

 

 難しい顔をしながら、アデライドはテーブルの天板を人差し指でトントンと叩いた。

 

「私としても、容易には判断をしかねる問題だねぇ。とにかく、一度選帝侯とは腹を割って話し合ってみることにするよ」

 

「……僕は、この手の仕事ではまったく頼りにならない。申し訳ないけど、よろしくお願いするね」

 

 僕は、アデライドの手を両手できゅっと握ってそう言った。自分から政治に関わろうと決心したばかりで何なんだけども、マジで僕はこの手の仕事に向いてないからな。ひとまず、自分で何とかならない部分は人に頼るほかない。正直情けないけれど、みんなに迷惑をかけるよりはマシだ。僕は僕で、自分に出来ることを着実にやっていくしかないだろうな。

 

「ふっ。なあに、足りない部分を補い合うのが……ふ、夫婦……ってものだろう? 私はいくさに出れない分、こういう部分で頑張らなくてはな。まあ、大船に乗ったつもりで安心してくれたまえよ」

 

 はにかみ交じりのアデライドの言葉に、僕は思わず真っ赤になった。「う、うん。そうだね。夫婦だものね」と返すと、彼女も照れ顔で何度も頷く。……あー、顔が熱い。こういう不意打ち、卑怯だろ。

 

「……ああ、そうだ。足りない部分云々といえば、少しばかり私では判断がつかない案件があってね。君の意見が聞きたいんだ」

 

 猫のように頭をプルプルと振ってから、アデライドは言った。そして、チラリと後ろを振り返る。そこに居たのは、アデライドの専属護衛ネル氏だ。うちのカマキリちゃんによく似た名前だが、こちらは小柄な竜人(ドラゴニュート)の騎士である。

 そのネル氏は、待ってましたとばかり持っていた大きなカバンを机の上に置いた。錠前のついた、デカくて立派なハードケースだ。アデライドがその錠前を開錠し、パカリと開く。中から出てきたのは……二挺の小銃だった。

 

「おおっ、これは……!」

 

 思わず、声が出た。大喜びで一挺を取り出し、よく確認してみる。木製の銃床、長い銃身。そして何より、銃身の根元にくっついた鉄製のレバー。外見上は、近侍隊で使われている後装式ライフル・シャスポー銃によく似ている。だが、よく見ればその機関部には固定式の弾倉がついていた。この小銃には、一度に複数の装填することができるのだ。つまりは……連発銃!

 

「ボルトアクション式小銃、完成していたのか……!」



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第534話 くっころ男騎士と新式小銃

 アデライドは、素晴らしいお土産を持ってきてくれた。"連発式"ボルトアクション小銃だ。僕はそれを大事な宝物でも持つかのように抱え上げ、歓喜の声を漏らす。

 

「おお、おお……最高だ!ウオオたまらん……」

 

「ご主人さまと再会した時より喜んでません? アレ」

 

「……気のせいだろ」

 

 銃床に頬擦りをしながら喜ぶ僕を見ながら、アデライドとネルの主従が何か言っている。だが、そんなことはどうでもいい。いやはや、本当に素晴らしい。ボルトを引いて、機関部を解放してみる。やはり、弾倉は飾りではない。しっかりと、複数の弾薬を一度に装填できる機構になっている。これで、一発撃つたびに弾薬ポーチから新しい弾を出す手間が省けるというわけだ。

 近侍隊で使われている後装式ライフル、あれもボルトアクション・ライフルではあるのだ。しかし、コイツと比べればまさに月とスッポン。断然こちらの方が洗練されている。この手の連発式ボルトアクション式小銃は、手動式火器の決定版だ。第二次世界大戦までは、どこの国でも主力小銃として利用されていたほどの信頼性があった。

 

「本体は完成したが……金属薬莢を量産するめどがついたのかな?」

 

 ふと冷静になって、僕はそう聞いた。銃本体が完成しても、弾薬が調達できなければまったくの無意味だ。実のところ、この小銃の持ち味は弾薬の優秀性からくる部分が大きい。だが、高機能な弾薬なだけに調達コストもまた高いのがネックだった。

 そもそも、金属薬莢を製造するのにもかなりの技術と費用が必要だ。さらに、連発式の場合は薬莢内部に詰め込む装薬も従来の黒色火薬ではなく新式の無煙火薬であることが望ましかった(村田銃をはじめとした単発式ボルトアクション銃には黒色火薬を使うモデルも少なくないが)。これもまた技術・費用双方のコストを押し上げる要因となる。

 

「ああ。大枚をはたいていろいろな機材を導入してね。君が欲しがっていた大型水圧プレス機も買ってやったぞ、うれしいだろう?」

 

「わあい!」

 

 水圧プレス!! 金属薬莢を量産するためには必須の設備だ。以前はさんざん駄々をこねても買ってくれなかったというのに、いったいどういう心境の変化だろうか。

 

「細かい事はあとで説明しよう。……実のところ、そのボルトアクション? とやらは単なるお土産だ。本命はもう一挺の方なのだよ」

 

「んん……?」

 

 この最高の鉄砲が、本命ではない? はて、どういうことだろうか。小首をかしげる僕を見て、アデライドはクスリと笑った。そして、僕が持っている方とは別の小銃を手に取る。

 

「ムッ……お、重……ぬぬぬ……コホン。実はな、これはラ・ファイエット工房の親方から上納されたものでね。そら、見て見なさい」

 

 難儀しながら小銃を押し付けてくるアデライド。小柄な彼女には鉄と木のカタマリである小銃はいささか重すぎるようだった。ボルトアクション小銃をいったん横に置いて、苦笑しながらそれを受け取る。

 

「ラ・ファイエット工房というと、僕が王都に居た自分にずっとお世話になっていた、あの鉄砲鍛冶のラ・ファイエット工房だよね。王都から送られてきたの? これ」

 

 質問をしつつも、僕の目は小銃に釘付けだ。一見、ウチの歩兵隊で採用している前装式ライフル銃と同じモノに見える。だが、よくよく観察してみると違和感があった。銃身の根元にフタのようなものが追加されているのだ。これは、もしや……。

 

「いいや。実はねぇ……あの工房は先日、リースベンに引っ越してきたのだよ。もう、王都では商売したくないなどと言ってねぇ」

 

「エッ……」

 

 予想外の発言に、一瞬頭が真っ白になった。聞いた話では、王都の鉄砲鍛冶は空前の好景気に沸いていたはずだ。なにしろ、王軍が全面的にライフル兵の導入を決めたわけだからな。以前は甲冑や刀剣を作っていた鍛冶師すら鉄砲を作り始めている、などという話も聞いている。

 そんな濡れ手に粟の状況で、王都を離れるというのはどうにもおかしな話だ。ラ・ファイエット工房は王都の鉄砲鍛冶でも老舗だから、何もせずとも注文が舞い込んでくる立場だろうに……なぜわざわざ辺境のリースベンに?

 

「なんでも、王軍の担当者とモメたそうだよ。部品の規格化なんて手間なことはやらずとにかく数を納品せよと命令されて、ブチ切れたとかなんとか」

 

「うわあ」

 

 この世界の武器は全部ハンドメイドだからな。同じ職人が作っていても、ネジやバネの一本にいたるまで互換性がないのが普通だ。しかしそれではあまりに不便なので、僕は同じ型の鉄砲であれば部品を流用できるように頼んで設計してもらっていた。いわゆる規格化という奴だ。

 ラ・ファイエット工房の親方はこの考え方をたいそう気に入り、専用の治具や測定具なども作って規格化の普及に努めていた。それがお上の意向でいきなりオジャンになったのだから、確かに腹立たしいことこの上ないだろう。

 

「……しかもだ。なにやら、王都ではきな臭い噂が出回っているようでな。それもあって、王軍の仕事はもう受けたくないと……馴染みのブロンダン家を頼って来た訳だな」

 

「きな臭い噂……正直聞きたくないんだけど」

 

「まあ、聞いておけ。なんでも、王太子殿下が宰相……つまり私の婚約者に横恋慕し、略奪を目論んでいるそうだ。どこかで聞いた話だなぁ、ハハハ」

 

「なにそれ……」

 

 すっかりゲンナリした気分になって、僕て手の中の小銃をイジった。王太子殿下の"告白"を実際に受けた身としては、まったくもって笑い事ではない。

 

「自然発生する類の噂ではないからな、誰かが意図的に流しているはずだ。しかもそいつは、王室側を悪者にしたいと見える」

 

「ウチの人間じゃあなかろうねぇ……」

 

 そうとう事情に詳しい人間じゃなきゃ、こんなクリティカルな情報は知らないはずだ。下手人はだいぶ絞られるな。

 

「言っちゃなんだけど、ヴァルマとかダライヤとかあのあたりがだいぶ怪しいんじゃないの」

 

「そう思って洗ってみたがね。幸いというべきか残念というべきか、それらしい証拠は出てこなかったよ」

 

「じゃあ誰なんだよ犯人は……」

 

 僕は頭を抱えたい気分になったが、肝心のアデライドは肩をすくめるばかりだ。

 

「まあ、それはいったん横に置いてだね。そういう噂を耳にした親方は、これまた大層憤慨したそうだ。彼女とは、私もそれなりに付き合いがあるからねぇ。やっと宰相様とブロンダン様がくっついたというのに、その邪魔をするとは何事か! ってね」

 

 やっとくっついたってなんやねん、すでにそういう目で見られてたのか? 僕ら。

 

「で……万一我々と王軍が衝突した時には、その銃を使ってほしいと。まあ、そういう話なのだよ」

 

「なるほど、確かにその案はアリだな……」

 

 ラ・ファイエット工房の親方が上納してくれた鉄砲、それはスナイドル銃と呼ばれるシロモノだった(改造元がミニエー銃なのでダバティエール銃と呼ぶべきかもしれない)。これは一見従来の前装式ライフルにそっくりな見た目をしているが、銃身の根元に右開きのフタがついている(刻みタバコの入れ物によく似た構造だ)。これもまた、後装式小銃の一種なのだ。ちなみに、使用する薬莢はボルトアクション式と同じく真鍮製である。

 この形式の銃は、歩兵用小銃が前装式から後装式へと変わっていく中で余ってしまった旧式前装銃を、後装式へと改造しようというコンセプトで生み出されたものだった。しかし改造母体が旧式だけに発展性や信頼性には欠ける部分がある。それゆえ、僕はこの銃の開発は凍結してボルトアクション銃にリソースを集中していたわけなのだが……。

 

「王軍は、すでに大規模なライフル兵部隊を編成していると聞く。万一これとぶつかり合う事態になれば、厳しい戦いを強いられるだろう。後装式ライフルの緊急配備が最優先だと、そう踏んだわけだな」

 

 ボルトアクション銃は強力だが、製造には手間も暇もかかる。状況が急変した場合、大量配備は絶対に間に合わないだろう。しかし、このスナイドル銃であれば既存のライフルを改造して作ることができる。この差は大きい。

 結局のところ、どれだけ強力な兵器も手元になければ意味はない。それを理解しているからこそ、親方は一度は書類棚の奥深くへとしまい込まれていたこの銃の図面を再び持ち出したのだろう。流石の先見の明だ。

 

「親方は、ウチの在庫のライフルを皆これに改造してしてはどうかと提案しているよ。これは、私ではなくアルベールが判断すべき案件だろう。さて、どうする? 必要だというのなら、予算は手当てするがね」

 

「……」

 

 アデライドの提案に、僕はしばし考えこんだ。スナイドル銃を導入すれば、短期間のうちにわが軍の戦闘力を底上げすることができる。とはいえ、いくらこの銃が量産性に優れていても、流石に従来の形式の銃をすべて駆逐するほどではないだろう。つまり、場合によっては雑多な銃が混在した状態で実戦に挑まなくてはならない可能性がある。

 弾薬はもちろん訓練法まで異なるまったくの別種の銃をいくつも同時に運用せねばならない状況など、はっきり言って悪夢以外の何物でもない。だからこそ、僕はいったん制式銃を前装式に統一した後、ゆっくりとボルトアクション式で置換していく方式を選んだのだ。

 しかし……万が一を考えれば、そんな悠長なことは言っていられないかもしれないな。平時の失策と有事の失策では重要度がまるで違う。現在の情勢では、有事を見越した選択をするべきだろう。

 

「……エルフ隊やアリンコ隊向けに生産中の前装(ミニエー)銃、あれを全部スナイドル銃に転換しよう。配備待ちで倉庫にしまってあった物もすべて改造だ」

 

 スナイドル銃は、もともとが改造前提の設計だ。既製品もそれほど難なく作り変えることができる。緊急時のピンチヒッターにはまったくの適確な鉄砲だった。活用しない手はない。

 

「わかった、リースベンに伝えておく」

 

 感情の読めない表情で、アデライドは頷く。はぁ、嫌なもんだね。無駄にバタバタしちゃってさ。これが全部取り越し苦労で終わってくれれば、こんなに嬉しい事も無いんだが……。



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第535話 ポンコツ宰相の商談(1)

 私、アデライド・カスタニエは気合が入っていた。リースベンの領主名代というストレスのたまる仕事からやっと解放され、自分の本来の仕事に戻ることができたからだ。……いや、大国の宰相ともあろうものが、辺境の小領邦の統治ごときで難儀しているというのはいささか情けなく感じないでもないんだがねぇ、こればかりは仕方がないのだよ。

 なにしろ、今やリースベンの人口の結構な割合が原住民の蛮族どもだ。エルフどもは全く私の言うことを聞かない上に、野蛮な事件を毎日のように起こす。アリンコどもはエルフほど扱いにくくはないが、こちらにハイハイと従っているフリをして後ろでは犯罪スレスレのアコギな商売をやっていることが多かった。平気で面従腹背をしてくる当たり、ある意味エルフよりも厄介だ。

 本当に……本当によくもまあアルベールはこんな連中を率いていけるものだと尊敬するよ。正直言って、私の手には負えん。彼から応援要請が来たときは、やっと解放されると安堵したくらいだった。

 

「改めまして、選帝侯殿。よろしくお願いいたします」

 

「ええ、こちらこそ宰相殿」

 

 私はにこやかな笑みを浮かべつつ、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン殿と握手を交わした。アルベールとの打ち合わせを終え、私は選帝侯殿主催の小さな茶会に参加していた。

 今、私が居るのはミューリア城の一角にある小さな応接室だ。あまり広い部屋ではないが、趣味の良い調度品の設えられた居心地の良い場所だった。アンティーク調の応接机には湯気の上がる香草茶のカップが置かれ、その対面ではにこやかに笑うカワウソ貴族がチョコンと座っている。

 部屋の中に居るのは、私と選帝侯殿の二人だけだ。給仕や従者ですら、部屋の外で控えている。誰にも聞かせたくないような機密度の高い話をするつもりであるのは、火を見るよりも明らかだった。

 

「お忙しい中お呼び立てしてしまって申し訳ない。どうしても、貴殿とは一度直接顔を合わせておきたいと思いましてね」

 

「なんのなんの。選帝侯殿ほどのお方にそこまで言っていただけるとは、なんとも光栄なことですな」

 

 営業用の笑みを顔に張り付けつつ、そう応える。もちろん、彼女の"要件"については私も承知していた。選帝侯殿は寝返りじみたことまで示唆しているのだ。このような用件を政治に疎いアルベールに丸投げするのは流石に酷だろう。私が出張るのは当然のことだ。

 

「話の仔細はアルベールから聞いております。なんでも、自国の安全保障体制を見直したいとか」

 

 ほんの先日シバき倒した相手に向かって、安全保障体制がどうのなどという話をするのはいささか失礼だとは思うのだがね。しかし、これは向こうが言い出した案件だ。私は余計な遠慮をせず、ストレートな言い方で本題を切りだすことにした。

 

「この戦争で、大陸西方の情勢は大きく動くでしょう。リッペ市を巡る戦いでわが軍は大変に傷つきましたし、領地も荒れました。新たな手を打たねば、時代の波に飲み込まれてしまうでしょう」

 

 そう言ってから、選帝侯殿は豆茶を一口飲んだ。そして悪戯っぽい笑みを浮かべ「もちろん、嫌味でこのような言っているのではありませんよ」と付け加えた。……なにしろ、彼女の所領に攻め込んだのはほかならぬアルベールだからねぇ……。王家に命じられてのこととはいえ、やはり申し訳ない気分はある。

 

「むしろ、今となっては対手がブロンダン卿であったことを極星に感謝しているくらいなのです。彼は占領者としては例外なくらいに穏当で淑女的な方でしたし……なにより取引相手としてこれ以上ないくらいに魅力的だった」

 

 隔意の全くない口調で、選帝侯殿は言葉を続ける。まあ、彼女ほどのやり手貴族ならば、恨み骨髄の相手でも同様の態度は取れるだろうがね。さて、彼女は本気で我々と手を結ぶつもりなのだろうか? それとも、復讐のためにこちらをハメようとしているのか……なかなか難しい判断だな。

 

「転んだ挙句タダで起き上がるような者に、商売人の資格はありません。私はこの機をバネにして、新たなる飛躍を狙う腹積もりです。宰相殿、私と手を結びましょう。そのほうがきっと儲けは大きくなります」

 

「まるで共同出資の申し出ですな」

 

 貴族というより商人らしいその言い草に、私は思わず苦笑した。もしこれが本音からの発言であれば、どうやら彼女は私と同じような性格の持ち主だと思われる。たしかに、ビジネスパートナーとしてはかなりよさげだ。

 

「事実、その通りです。これは共同出資以外の何物でもありませんよ。なにしろ、投資は入れた額が増えれば増えるほど期待できるリターンも大きくなりますから」

 

「そのぶん、失敗した時の損失も膨らみますがね」

 

「そうですね。……ですが、この場合はそれが良い方に傾くのではないかと。エムズハーフェン家の身代が傾くほどブロンダン卿に投資をすれば、それはそのまま私が裏切らないという保証につながるでしょう? 空虚な血判書などよりよほど信用できる保証書になるのではないかと」

 

「……確かに」

 

 ああ、なるほど。これはまるっきり商談だ。やりやすいと言えば、間違いなくやりやすい。本来、私は政治家というよりは商売畑の人間だしな。

 

「しかし、失敗すれば身代が傾くほどの投資となりますと……相当大きなリターンがなければ割に合いますまい。具体的には、どのような"成果"を求めておられるのですか?」

 

「むろん、相応の利益は期待していますとも。……アデライド殿は、商売の極意というものをご存じでしょうか」

 

 突然の質問に、私は少しばかり面食らった。だが、彼女の愉快そうな顔を見て、すぐに何が言いたいのか察しはついた。

 

「商品を右から左に流すだけで儲かる体制を構築することですな。さすれば、個々の取引の大小などはさしたる問題になりません」

 

「その通り。物流を抑えれば、あとは自然にカネとモノが循環していく様を見守っているだけで懐は温まりますからね。私は、この状態を維持、発展させていきたい。そのためには、何としてでも平和が必要なのです」

 

 そう言って、選帝侯は豆茶を一気に飲み干した。カップを静かにテーブルに置き、私の方をじっと見る。

 

「戦争は商機、などとのたまう者も多いですがね。それは個々の取引で一喜一憂する小物の話です。私からすれば、とんでもない。戦争が起これば自然と治安が悪化し、交通量が……つまり、私の取り分が減ります。おまけに市場も乱高下を繰り返しますから、普通の取引ですらリスクが増えてしまうというおまけつき。やはり、平和こそが、値千金の財産なのです」

 

 弁舌を振るう選帝侯殿の声音には、実感がこもっていた。たしかに、彼女の言うことは理解できる。エムズハーフェン家は、物流を牛耳ることで成長してきた家なのだ。今回のように自らのナワバリが戦場になってしまえば、商売どころではなくなってしまう。

 

「では、選帝侯殿が我々に望むことは……」

 

「平和です。安定、と言い換えても良いかもしれません。要するに、不埒な者どもが我々のナワバリを荒せぬようにしていただきたい。それだけでも、そちらに与するだけのメリットは十二分にある」

 

「ふむ……」

 

 筋の通った話だ。私は視線を香草茶の入ったカップに向け、しばし黙考した。私のカンでは、選帝侯殿が少なくとも我らと手を結びたいと考えているのは確かだと思われる。しかし、まさかカンだけでこの重大な決断をするわけにはいかない。敵国の大領主と協力関係になったことが王家に露見したら、いよいよ反逆者コース待ったなしだからな。

 確かに、エムズハーフェン選帝侯が味方になるのは大きい。ガレアと神聖帝国、双方のトップ層に位置するカネモチ同士が手を組むのだ。こと経済にかんしては、この大陸西方に敵はいなくなるだろう。それこそ、王家(ヴァロワ家)にすら対抗可能な勢力になるやもしれない。

 近頃の王家の振る舞いは、どうかしているくらいにきな臭いからな。これはもう衝突は不可避やもしれん。それを見越した手は打っておくべきか。……ふむ、根拠がカンでは薄弱、か。ならば、強固な根拠を用意すれば良いだけの話だ。選帝侯殿が裏切らないという確証があるのならば、この取引は十分に受ける価値がある。

 

「……選帝侯殿、こちらをご覧ください」

 

 私は、書類鞄の中から一枚の紙を取り出して机の上に広げた。さあて、ここからが勝負だ。彼女が私の思った通りの人間ならば、この手には絶対に乗ってくるはず……!

 



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第356話 ポンコツ宰相の商談(2)

 エムズハーフェン選帝侯は、アルベールから伝え聞いていた通りかなり手強そうな相手だった。その彼女が、我々と協力関係を築きたいと申し出ている。事実であれば大変に結構なことではあるが、さりとて諸手をあげて即座に受け入れるというわけにはいかなかった。

 なにしろ彼女は敵国の要人で、しかもリースベン軍と直接衝突したばかり。復讐を目論んでいないという保証はどこにもないのだ。そうでなくとも、我々はただでさえ王家から危険視されている。選帝侯殿との接近が表沙汰になれば、中央との決裂は決定的なものになってしまうだろう。

 おまけに、選帝侯殿は協力の見返りは平和だ、などとのたまっているのだから困る。もちろん今の彼女の状況を考えればまずは現状維持を目指す、という方針におかしな部分はない。とはいえ、相手が妙に無欲な時は却って疑わしくなるというのが政治屋の習性だ。このままの状態で彼女と手を結ぶというのは、いささか抵抗があった。

 

「……選帝侯殿、こちらをご覧ください」

 

 そう言って私が応接机の上に広げたのは、大陸西方の地図だった。ガレア王国と神聖帝国、ついでに西の島国アヴァロニアの全領土が描かれた、かなり広大な範囲をカバーしているものだ。

 

「ふむ、これが?」

 

 どこか楽しげな様子で、選帝侯殿が聞き返してくる。私は彼女に笑い返し、神聖帝国の中ほどの場所を指し示す。

 

「ここが、エムズハーフェン領。モルダー川を中心として大小の街道が網の目状に張られた、広大な交易圏を形成しています」

 

 エムズハーフェン領を中心に、円を描くように指を動かす。エムズハーフェン領だけに収まらない広大な交易圏だ。

 

「で……ここが我がリースベン領」

 

 次に私が指さしたのが、リースベン領だ。言わずと知れたガレア王国の南端で、神聖帝国領にもこれほど南に伸びた陸地はない

 

「アルベールから聞きましたが、選帝侯殿は我が領地とエムズハーフェン領の間に、しっかりとした街道を整備されるおつもりとか」

 

「ええ。ご存じのこととは思いますが、南部の街道はどこも荒れ放題ですから。大動脈を一本通せば、状況は遥かに改善します。南部で安く小麦を仕入れ、北方で高く売る。悪い商売ではないでしょう」

 

 ニコニコ顔で、選帝侯殿はそう説明する。……なるほど、読めてきたな。確かに帝国南部は小麦の一大産地だが、はっきり言ってこれはあまり魅力的な商材ではない。重くてかさばる上に、単価もあまり高くないからだ。小麦の販売の為だけに大規模な街道を整備したところで、その費用をペイできるのは遥か未来の話だろう。

 つまり、この話には裏がある。実のところ、小麦の販売うんぬんは言い訳で、交易ルートを確立した後はむしろ南部諸侯らにモノを売りつけることのほうが主目的なのではなかろうか? この城を見ればわかるが、帝国の南部諸侯はなかなかカネをため込んでいる。きっと良い客になってくれることだろう。

 しかし、さっきも言ったように南部の特産品である小麦は利益率がよろしくない。おそらく、赤字貿易になるだろうな。だからこそこの女は、あくまで南部諸侯らが売り手ですよ、という顔で話を進めているのだ。なかなかあくどい事をやる。

 

「なるほど、なかなか良い商売ですね。いや、私も参入したいくらいだ。小麦は高く売れますからね」

 

 高く、という部分に力を入れてそう言い返してやると、選帝侯殿はなんともいい表情をした。うん、やはりこの女は私の同類だな。ならば話は早い。

 

「選帝侯殿がそのような計画を立てているのでしたら、丁度良い。私から一つ、ご提案があります」

 

 リースベンに乗せていた指を、いきなり北上させる。次に指し示したのは、ガレアの北端……ノール辺境領だ。

 

「ご存じでしょうが、このノール辺境領は私の友人が治めております。そしてノール領には、北方でも有数の港湾都市ポート・マーシャンド市があります」

 

「もちろん、知っておりますよ。もっとも、遠方ですのでウチとはあまり取引はありませんが」

 

 そう来るか、という表情で選帝侯殿は頷いた。私はノール領に乗せていた指を、再びゆっくりと南下させていった。

 

「もし、このノール辺境領とエムズハーフェン領を繋ぐ新街道ができたとすると……おや、タイミングよく別の新街道も建設予定でしたね」

 

 ノール辺境領からエムズハーフェン領までたどり着いた指は、さらに南へと進んでいく。

 

「大陸北端のノールからエムズハーフェンを経由し、そして最後は南端のリースベンへ。大陸の上から下までがつながりました。これはまさに……」

 

「……大陸縦断ルート!」

 

 その言葉と共に、選帝侯殿がグッと拳を握り締めたのを私は見逃さなかった。いい反応だ、このまま押し込む!

 

「現状、リースベンには港はありません。しかし、知っての通りこの半島はサマルカ星導国に並ぶほど南に突き出している。南大陸への玄関口として、立派な港湾都市を整備する価値はあると判断しております」

 

「南部の底に穴をあけるということですか」

 

「ええ。選帝侯殿ほどのお方にあえて言う必要もないでしょうが、物流は血管と同じようなもの。循環せねば意味を成しませんし、末端はどうしても細くなってしまう。大動脈を作りたいのであれば、どこか大きな部位とつなげてしまうのが一番です」

 

「なるほど……そう来ましたか」

 

 選帝侯殿は口元を抑えた。よく見れば、頬が緩んでいる。釣れたな、これは。そう思ってから、ハッとなった。釣られたのは、むしろ私かもしれない。平和がどうとか無欲なことを言って見せたのは、誘い受けだったのだ。わざと私を不安にさせ、気を引くための儲け話を提示させるための罠……!

 面白い、これは面白い。この女、予想以上に出来る。是非とも味方に引き込みたい。なんなら、王室との関係を蹴ってでも、選帝侯殿と組む価値はあるかもしれないねぇ。王室のこれまでの対応を見れば、我らは既に見限られているという可能性も十分にあるわけだし。

 

「しかし、それほどの大事業となると……水運はともかく、陸運が不安ですね。中央大陸を貫く交易ルートともなれば、輸送量は尋常ではない規模になるでしょう。それに耐える道路となると、石畳の広くて立派な道路が必要になります。そういう規模の道路を大陸の北から南まで引くとなると、私と貴殿が組んでも賄いきれないほどの費用がかかりますよ」

 

 話が現実的な方向になってきた。つまり、それだけ乗り気になってきたということだ。よしよし、この調子だ。選帝侯殿と組むプランの場合、彼女に裏切られればこちらは破滅だ。それなりの予防策を打っておく必要がある。

 そしてその予防策が、この大事業だった。魅力的なもうけ話を鼻先にぶら下げ、裏切れば事業自体がポシャるように仕向けるのだ。商売人が相手なら、脅迫などよりもよほどこの手のほうが有効だろう。

 

「それを解決するためのプランも用意してあります。これをご覧ください」

 

 そう言って、私は書類鞄からまた別の紙を取り出した。今度は地図ではなく写真だ。いやあ、こんなこともあろうかとプレゼンの用意をしておいて良かったよ。要領よく口説き文句を突き付けることができる。

 

「これは、リースベン領の鉱山で利用されている軌条貨車……トロッコです」

 

 写真を指さしながら、私はそう説明した。写真に写っているのは、線路の上に乗った平凡な箱型貨車だ。トロッコ自体は、それほど珍しいものではない。しかし……

 

「……ッ!? これはもしや、レールが鉄でできているのですか?」

 

「その通りです」

 

 従来の線路は、木製のレールを用いていた。だが、木製レールは耐摩耗性が低く頻繁に交換する必要があった。これでは、主要な輸送手段としては使いづらい。そこで鉄製レールの出番というわけだ。これもまた、アルベールの転生知識とやらのたまものだった。

 

「鉄のレールと車輪の組み合わせは、摩擦が少ないために大変に効率が良いのです。実験してみたところ、ばん馬一頭で一トンもの荷物を運べることが分かりましてねぇ。これは、従来の荷馬車などとは比べ物にならないほどの高い輸送効率ですよ。おまけに、揺れも少ないために荷物の破損率も少ない。……ならば、これを都市間輸送に用いない理由はない。そう思いませんか?」

 

「なるほど……線路で都市と都市を繋いでしまう訳ですか。しかも、一から舗装路を構築することを想えば、線路の方がまだコストは低いのではありませんか?」

 

 自然石を一つ一つ手作業で整形し、隙間なく敷き詰めていく石畳の道路は極めてコストが高い。対して、この鉄道方式ならば鋪装の手間はあまり大きくない。もちろん重量級の貨車が通行するわけだから基礎工事は必要だが、それは通常の道路でも同じことだ。

 

「通常の舗装路と、この鉄製線路……鉄道の敷設費用を比較した資料がこちらになります。ご確認ください」

 

 私が取り出した新たな資料を、選帝侯殿は食い入るように確認し始めた。いいぞ……! このまま抜き差しならないところまで引き込んで、無理やり運命共同体に仕立て上げてやる……!



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第357話 くっころ男騎士と同盟

「ワーハッハッハッハ! カンパーイ!」

 

 ビールが満たされたジョッキ同士が、激しくぶつかり合う。二人とも上機嫌だなぁ、などと思いながら、僕は一気にジョッキの中身を飲み干した。

 アデライドとエムズハーフェン選帝侯の密談が行われていた小さな応接室は今、飲み会の会場へと変貌を遂げていた。夕刻ごろにこの部屋へと呼ばれた僕は、否応なしに宴会へと巻き込まれている。どうやら、今回の交渉は上首尾に終わったらしい。二人とも、たいそう気分がよさそうな様子だった。……僕は蚊帳の外からいきなり召喚された身なので、いまいち状況を把握しかねている部分もあるのだが。

 

「アッ、お代わりどうぞ」

 

 僕とほぼ同じタイミングで一杯飲み終わったエムズハーフェン選帝侯に、ビールを注いでやる。前世は宴会文化圏に生まれた身なので、この辺はもはや条件反射だ。空っぽの杯を見れば、身体が勝手に動いてしまう。

 

「おお、申し訳ない。いや、すまないな。ブロンダン卿に酌夫のような真似をやらせるわけにもいかん。どれ、こちらも」

 

 上機嫌にそれに応じた選帝侯閣下は、僕のジョッキにもビールを注ぎ返してくれた。最上位に近い大貴族が下位の者に手づから酒を注いでやるなどまず無い事だ。僕は少しばかりたまげた。

 

「アルぅ、こちらの酒杯も空なのだがねぇ? 早く注いでくれたまえよぉ」

 

「あー、ハイハイ」

 

 隣の席に座ったアデライドが、ジョッキをぐいぐいと押し付けてくる。これじゃあマジの酌夫だな、などと思いながら、注文に応じてやる。しかし、アデライドも選帝侯閣下も良い飲みっぷりじゃないの。つまり、シラフでしなきゃいけないような話はもう終わってるってことか。

 

「ひとまず駆け付け一杯を頂いたところで……よろしければ、会談の首尾のほうを教えて頂いても?」

 

「おお、おお、すまないね。すっかり気分が良くなってしまって、君を置き去りにしてしまっていた」

 

 ニコニコ顔のアデライドは、しまったとばかりに膝を打った。演技ではなく、本気でそう思っている様子だ。その様子に、僕は思わず苦笑してしまう。僕がこの部屋に来た時から、アデライドはもちろんエムズハーフェン閣下すらも何だか酔っているような様子だったんだよな。まだ、酒の一杯も飲んでいなかったにも関わらずだ。つまり、酒を飲まずとも酔えるような気分の良い内容で交渉がまとまった、ということかな。

 

「カスタニエ家とエムズハーフェン家は同盟を結ぶことにした。もちろん、秘密裏に……だがね」

 

「なるほど、それはめでたい」

 

 予想通りの言葉に、僕は破顔した。僕のあずかり知らぬところで勝手に結ばれていた同盟ではあるが、もちろん否とは言わない。僕は事前に彼女へ『アデライドが良いと判断するのであれば、僕は選帝侯閣下の申し出を受けて良い』と事前に伝えてあったし、そもそも立場的にはいまだに僕が従でアデライドが主だからだ。出過ぎた真似をするつもりはない。

 結局のところ、選帝侯殿との接近を躊躇していたのは、対王家の兼ね合いを考えてのことだからな。政治担当のアデライドが大丈夫だと判断したのなら、僕にそれを拒否する理由はないんだよ。

 

「私としても、そちらの王家との主従関係にあえて波風を立てようとは思っていない。とりあえずガレア王家にはバレないよう、裏から協力関係の構築を進めようと思っている」

 

「少しばかり手間は多いがね、致し方あるまい。どうせ、例の計画は一朝一夕には成らないのだ。腰を据えて、じっくりと準備を進めねば」

 

「その通り。焦って強引なことをすれば、いらぬ軋轢を生むのは当然の成り行き。確実に"成果"を収穫するためにも、迂闊な真似は慎むべきだろう」

 

 訳知り顔で、智者二人はウンウンと頷く。妙に通じ合っている様子だ。成果の収穫、ねぇ……。まあ、共通利益の構築ができた時点で半ば勝ち確みたいな所はあるからな。しかし、この短時間でよくもまあこれほど打ち解けたものだよ。流石はアデライドだ。

 

「ああ、そう言えば喜びが先行してまだ君には事情を説明していなかったな。我々は、協力して新たな交易路を建設することにしたんだ。もちろん、その中にはリースベンも含まれている。このルートが完成すれば、リースベンは今よりも何倍も人や物の往来が激しくなるはずだよ」

 

 そんなこちらを見て、僕があまり事情を理解していないことに気付いたのだろう。アデライドはハッとなった様子でそう説明してきた。

 

「おお……!」

 

 新しい交易路! なんとも胸躍るキーワードだな。思わず目を見開き、アデライドと選帝侯閣下を交互に見る。

 

「小麦やソーセージなんかが、庶民でも買える値段で輸入できるようになったりするのかな? それって」

 

「ああ、むろんだ。あのレンガみたいな燕麦パンともおさらばだよ」

 

 アデライドの言葉に、僕は自然とガッツポーズをしていた。ああ、そいつは確かに最高だ。リースベンの民を延々と悩ませてきた食料問題が、やっと解決するのだ。こんなに嬉しい事はない。

 

「この話を聞いてまず第一に庶民の台所事情についての意見が出てくるあたり、ブロンダン卿は本当に良い領主なのだな。いやはや、感服した」

 

 二杯目のビールをうまそうに飲んでから、選帝侯閣下はそう言った。泡がついて白ひげが生えたようになっている口元には、微かな笑みが浮かんでいる。

 

「だろう? いや、本当に良い男なのだよ、彼は。むふふふ」

 

 ニヤニヤ笑いのアデライドが、イヤらしい所作で僕にしなだれかかり、肩を組んできた。もちろん、そのついでに体をまさぐるのも忘れない。相変わらずのセクハラオヤジムーヴだった。

 

「おっと、婿自慢と来たか」

 

「ハハハ……申し訳ない。自分にはもったいないくらいの良い男を貰えることになったものだから、ついついねぇ」

 

「まったく、羨ましい話だな」

 

 唇をとがらせながら、選帝侯閣下はそっぽを向いた。

 

「私もあやかりたいものだが、なかなか難しい。財産や立場が目当ての男であれば、ウジャウジャ群がってくるのだが。私と共にエムズハーフェンを背負っていけるような男となると、探せども探せどもなかなか出てこない。困ったものだな」

 

「ああ、それは全く同感だね。私も選帝侯殿くらいの年齢の時分には、同じことを思っていたものだよ。……ま、そのころには既にアルベールに狙いを定めていたわけだが!」

 

 当時の僕って何歳よ! 僕は思わずそう叫びそうになった。カステヘルミといい、アデライドといい、彼女らにはショタコン性癖でもあるのだろうか? いや、その二人に引き立ててもらった身で文句を言うのは憚られるけどさ……。

 

「……」

 

 上機嫌に僕の胸元を揉むアデライドを見て、選帝侯閣下はしばし黙り込んだ。流石に気分を悪くしたか……? おい、せっかくイイ感じで取引がまとまったんだろ。なんでわざわざ喧嘩売るようなこと言ったんだよこのセクハラ宰相が。そう思って彼女の二の腕をつねろうとしたが、それより早く選帝侯閣下が口を開いた。

 

「……本当にあやからせてもらっていいか?」

 

「エッ、何を……」

 

 虚を突かれた様子で、アデライドが僕の身体をまさぐる手を止めた。

 

「ブロンダン卿だよ。この事業は、我々一代で終わるほど容易なものではないからな。子々孫々までにわたる協力関係を築くためには、血縁を利用するのが一番だ。ならば……宰相殿の子と私の子を、異母姉妹にしてしまえば良いのでは?」

 

「エッ、エッ……アッ!」

 

 ビールの一気飲みで紅潮していたアデライドの頬が、さっと青くなった。えっ、何、どういうこと!? 僕は混乱して、アデライドと選帝侯閣下の顔を交互に見た。頼りになるはずの嫁さんは、アワアワとするばかりだ。そして爆弾発言の主である選帝侯閣下は、顔を真っ赤にしながら僕をチラチラ見ている。

 

「むろん、無理に……とは言わないがね。しかし、今後のことを考えれば、私と宰相殿が"姉妹"になるというのはなかなか有効な一手だ。一考の余地はあると思うんだがな……」

 

 ひどく恥ずかしそうな表情で、選帝侯閣下は更なる爆弾発言を投げつけてきたのであった……。



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第538話 くっころ男騎士の苦悩

「ぬわああああ……そう来るとはなぁ……」

 

 僕に抱き着きながら、アデライドが呻いている。エムズハーフェン選帝侯閣下の元を辞した我々は、宿に戻ってきていた。すでにランプの火も落とされており、部屋の中は真っ暗だ。

 そんな暗い部屋の中で二人して何をやっているかといえば、もちろん同衾だった。我々は婚約者同士ではあるが、まだ結婚はしていない。本来であれば寝室を共にするのは避けるべきなのだろうが、アデライドは(そしてソニアも)その辺りはまったく気にする様子がない。……まあ、流石に"初夜"は結婚してからにしよう、という話にはなっているが。

 

「どいつもこいつも二言目にはアルベールだ! くそぉ、私のだぞ……ふざけるなよ……」

 

 アデライドはぶつくさぶつくさ言いながら僕に頬擦りをしている。いや、頬擦りというか、もはや頭をドリルにして僕の胸を掘削するような勢いだ。別に痛くはないので放置しているが、何なんだろうかこの動作は。

 

「まさかの一手、ってやつだね……。選帝侯閣下もとんでもないことを言い出したものだ……」

 

 ブロンダン家とエムズハーフェン家の次期当主同士を、異母姉妹にしよう。選帝侯閣下が出したその提案は、つまりアデライドと閣下とで僕を共有しようというものに他ならなかった。巻き込まれた僕としては、寝耳に水としか言いようがない。

 

「それだけ、この同盟に本気になっているということだ……これ自体は、悪い事ではないのだがねぇ。はぁ……」

 

 ため息を吐きつつ、アデライドは頭でぐりぐりしてくるのを止めた。暗いせいでその表情はよくわからないが、だいぶ困り果てている雰囲気がある。

 

「一昔前は、こうして同盟者がひとりの男を共有するやり口はよくあったのだ。もっとも、星導教の推奨する一夫二妻制度が普及した現在ではすでに廃れてしまっているがね」

 

「直接的過ぎる……」

 

 亜人種族は女性しか生まれない性質を持つ。それだけに、姻戚関係を結ぶにもいろいろな工夫が必要だった。現在は広く行われている、男児を赤子の内から引き取って義理の兄弟として育てるやり方もその一環だ。

 

「しかし、古臭くとも有効な手であることには変わりない。実際、アル自身も蛮族どもその手を使って蛮族どもの統治しているじゃないか」

 

「……そりゃそうだね。いまさらか」

 

 リースベンの蛮族のリーダーたち……つまりフェザリアやゼラ、ウルなどとはすでに結婚の約束をしてしまっているわけだからな。本当に今さらというほかない。正直、このあたりは自分でもどうかと思うがね。マジの種馬以外の何物でもないだろ、これ。相手が多すぎてすでに結婚という感覚じゃないよ。

 

「とはいえ、選帝侯閣下も『この提案は断ってくれても構わない。じっくり考えてから結論を出してくれ』って言ってたじゃないか。あんまり悩む必要もないのでは?」

 

 断っていいのならばそりゃ断ればいいんだよ。いや、別に選帝侯閣下のことが嫌いなわけではないがね。とはいえ、結婚云々に関してはもう流石に打ち止めにしてほしいという感覚はあった。一般的な一夫二妻ですら嫁さん二人は多すぎるだろ、みたいな感覚になんだよこっちは。

 

「……あのだねぇ、アル。彼女がああいったのは、じっくりと考えれば考えるほどこの話を受けざるを得ないからなのだよ。ハッキリいって、我々に選択肢はない」

 

「エッ……」

 

 ナニソレ!? 困惑する僕に、アデライドは深々とため息をついた。

 

「いいかね、この同盟はリスクの大きいものだ。どちらかが裏切れば、もう片方は大損害を被る。だから、私はひとまず強い共通利益を作ることでそれを担保にしようとした。しかし、このやり方はあくまで当面機能するものにすぎない。だから選帝侯殿は、もっと長期的に機能する担保を要求してきたのだよ。血縁という担保をね……」

 

「……」

 

 血縁なんぞが担保になるかい! 僕はそう叫びたい気分になったが、グッと堪えた。世襲前提の社会制度で血縁を否定しては、後には何も残らない。それに気づいたからだ。

 

「逆に言えば、むこうはそれだけこの同盟に前向きということになる。これ自体は、朗報の類なのだがねぇ……はぁ」

 

 何度目になるかわからないため息をついて、アデライドは僕をぎゅっと抱きしめた。

 

「……すまない、アル。皆と、そして君自身のために、ちょっとばかりエムズハーフェン家の寝室へ出張してきてくれないか」

 

「…………」

 

 婚約者の頼みで他の家の寝室へ出張って、どういうプレイだよ!! そう突っ込みたい気分をなんとか押さえて、僕は無言で頷いた。なんだろうねぇ、いよいよ本格的に種馬だぞ、これは。それも比喩じゃなくてマジのやつ。そろそろ、種牡馬に同胞意識を覚えるレベルだな。

 

「すまない、本当にすまないね。私がもっと頼りになる人間であれば、このような真似をせずに済んだというのに」

 

 湿った声でそう言ってから、僕の背中を撫でるアデライド。いや、むしろ悪いのは僕の方だろ。こんないい嫁さんを貰ったってのにさ、男娼まがいの真似に手を出して……。

 

「アデライドは悪くないよ。すべては、僕の優柔不断が招いたことだ」

 

「君が私事となるといきなり優柔不断になるのは事実だが、これに関しては"本妻"たる私が全責任を負うべきことだ。私から責任を奪うのはやめ給えよ」

 

「むぅ……」

 

 やはり、アデライドは言い嫁さんだ。僕は拗ねつつも彼女にキスをした。アデライドは嬉しさと申し訳なさが混ざった様子で、それを受け入れる。

 

「……せっかくあちらとも婚姻するのだ。一方的に絞られるばかりでは不平等だぞ? アル。自分を夫にしたいのであれば、それなりの甲斐性を見せろと言ってやりなさい」

 

「甲斐性、ねぇ」

 

 確かに、同盟を結ぶのであればそれなりの働きは期待したいところだ。とはいえ、現在のエムズハーフェン軍は我々との交戦で大ダメージを受けている。戦闘不能とまでは言わないが、所領の防衛や治安維持を考えれば遠征能力は皆無に等しい。戦力的にはあまりアテにできないだろう。

 つまり、直接的な戦力供給以外の部分で仕事をしてもらう必要があるってことだな。僕はエムズハーフェン家とその所領についての情報を頭の中に思い浮かべた。あの家はアデライドのカスタニエ家に負けず劣らずの金持ちだし、領地もずいぶんと発展している。おまけに手広く商売もやっているから、物資の収集もお手の物だ。

 

「……彼女には、後方支援をやってもらおう」

 

 リースベン軍は正面戦闘力ばかりを強化したアンバランスな組織だ。リースベン領から得られるリソースでは、平時においてすらこの巨大な軍隊を支え続けるのは難しい。ましてや、王軍のような大勢力と本気で殴り合うような事態になれば、間違いなく息切れを起こす。

 それが今まで何とかなってきたのはアデライドという外部心肺があったからだ。とはいえ、彼女だけに頼り切りというのはいかにもマズい。なにしろ今の仮想敵は王家であり、彼女には監視の目が向いている。アデライドはあまり派手には動けない。ならば……。

 

「ミニエー弾の……前装式ライフル用弾薬の製造法を、エムズハーフェン家に教えよう。その代わり、作った弾薬は優先的にリースベンに卸してもらう」

 

 しばらくの間、わが軍では新式後装銃と旧式前装銃が混在した状態になるだろう。しかし、これらに対応したいろいろな弾薬をすべてリースベンで生産していたのでは、あまりにも効率が悪い。そこでエムズハーフェン家の出番だ。

 前装式ライフルの弾薬であれば、製造法さえ伝えれば容易にコピーすることが可能だ。しかし、金属薬莢を用いた新式弾薬ではそうはいかない。エムズハーフェン家に従来型弾薬の生産を丸投げし、リースベンは新式弾薬の生産に集中する。こうすれば、短期間のうちに弾薬の大増産が可能になるはずだ。

 

「連発式火器が普及すれば、弾薬消費量は今とは比べ物にならないレベルに増大する。とにかく、今は弾薬の生産拠点を増やす必要があるんだ。その点、エムズハーフェンは弾薬の新供給源としてはかなり条件がいい。火薬や鉛、油紙なんかをアデライドとはまったく別ルートで仕入れられるからね」

 

 まあ、弾薬の作り方を教えれば、すぐにエムズハーフェン領でも前装式ライフルのコピーが始まるだろうがな。ガッツリ技術流出になるが、仕方あるまい。後装式のスナイドル銃の配備が進めば、前装式のミニエー銃は陳腐化からな。ま、たぶん大丈夫だろう。いっそのこと、ライフルの方の製造法も懇切丁寧に教えてやって、かわりに対価を受け取る方向の方がいいかもしれんね。

 

「アルは選帝侯殿にタマを撃ち込み、そのかわりリースベンはタマを受け取ると。そういう取引な訳だね? なるほど、等価交換だ」

 

 真剣な話をしてる時になんでクソ下品なオヤジギャグをぶっ放しちゃうのかなぁこのセクハラ宰相は! 僕は無言で、彼女にデコピンをした。



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第539話 覇王系妹の密謀

「ハァ~……」

 

わたくし様、ヴァルマ・スオラハティはクソデカため息を吐いた。その原因はひとえに、目の前にいるライオン女、アレクシア・フォン・リヒトホーフェンにある。

 時刻はすでに夜半、普段であればお布団でスヤァなお時間にもかかわらず、わたくし様は宿を飛び出して小さな居酒屋に潜り込む羽目になっておりました。居酒屋といっても、門にはすでに閉店中の札がかけられているのですけどね。ついでに言えば、店内の明かりも最低限でなイカニモ怪しげな雰囲気と来てますわ。

 それに加えて、わたくし様にしろアレクシアにしろお供は最低限の護衛のみ。どうみてもマトモな会合では無いですわね。ヤバげな臭いがプンプンでしてよ~!

 

「人の顔を見ながらその態度は流石に失礼ではないか?」

 

 アレクシアは唇を尖らせてそんなことをおっしゃいますけども、むろんわたくし様には態度を改める気などさらさら無くってよ。あ~アホくさいですわぁ~……。

 今ごろアル(先生)は、あのいけ好かない宰相とねんごろやってるんでしょうねぇ。なにが悲しくって、こんなむくつけきデカ女と密会しなきゃいけないのかしら? まあデカさではわたくし様も負けておりませんけども。

 

「でぇ~? どうしてまたこんな時間にわたくし様を呼び立てやがったのかしら~?」

 

 わたくし様を呼び出したのも、この怪しげな店を手配したものアレクシアなんですのよね~。どう考えても何か悪いことを企んでますわね~。わたくし様は公明正大清廉潔白がモットーですから、こんな胡散臭い催しには参加したくないのですけれど。

 

「貴殿とまともに話すのは初めてだが、噂以上にせっかちだな。もう少し、こう……段階を踏んだ話し合いがしたいのだが」

 

 アレクシアはため息をついて、手元の酒杯のワインをちびりと飲んだ。知ったこっちゃねぇ~ですわ~、段階とかクソ食らえですわ~。こちとら男女関係すら段階なんて無視してゴン詰めする派閥でしてよ~。

 

「まあ、貴殿が冗長な会話を好まぬというのであれば、こちらもそれにあわせよう。北の話は聞いているな?」

 

「どうやら皇帝軍が不利らしい、ということくらいは承知していましてよ~」

 

 北、つまりレーヌ市を巡る王軍と皇帝軍の戦いに関しては、遠方ということもありあまり情報が入ってきていないというのが正直なところですけどね~。まあ、王軍には我がスオラハティ軍も参戦しているので、最低限の情報は入ってくるようにしております。まっ、淑女のたしなみってやつですわね。

 

「ああ……ガレア軍は曲がりなりにもライフル銃をそれなりの数投入してきている。おまけに、火砲もしっかりと装備しているようだからな。南部の戦訓を思えば籠城などは論外、さりとて野戦でも撃ち負けてしまう可能性が高いとなれば、取れる手段は限られてくる」

 

「なにやら案の定話が怪しげな方向に行きつつありますわね~」

 

 わたくし様は顔をしかめつつそう言ってやった。まあ、半分はポーズですけども。こんなところに密かに呼び出された時点で、マトモな用件でないのは確実ですものね~。

 

「防諜の方は大丈夫なのかしら? モラクスは確かにあまり有能な女ではないですけれど、ナメてると痛い目を見ますわよ~?」

 

「問題ない。我が何のために、会議の間ずっと小さくなっていたと思う? 王国関係者の目をアルベールらに釘付けにするためだ。奴らから見れば、我の役割なぞ終わったも同然。注目も警戒も受けていないのは確認済みだ」

 

「フゥン、意外とそういう面にも頭が回りますのね~」

 

 たしかに、この頃のアレクシアの影の薄さは尋常なものではなかったですけど、意図的だったんですのね~。ちょっぴり評価を上げてあげてよいかもしれませんわね~。ま、ちょっぴりだけですけど。その前のポカがひどすぎて大幅上方修正はムリですわ。

 

「いちいち失礼だな貴殿は……まあいい。単刀直入に言うが、北で間者を手配してもらいたい」

 

「そう来ると思ってすでに準備万端、王軍を売る用意はできてましてよ~」

 

 予想通りの言葉に、わたくし様はニヤリと笑った。ま、実際のところ、向こうからアクションがなければこっちから押し売りに行こうと思ってたくらいですもの。そりゃあもう、何もかも用意済みですわ。

 

「……流石に驚いた。どういうつもりだ?」

 

「仮想敵が消耗する分にはむしろアドですもの。王軍にはできるだけ悪戦してもらいたいところですわね~? 皇帝軍と共倒れしてくれれば言うことなしですわ~」

 

 アル(先生)は積極的に王家に喧嘩を売るつもりはない、とおっしゃってましたけどね。向こうは明らかにそういうつもりではないんですもの。将来的に敵対することが確定している相手なら、少しばかり足を引っ張ったところで微塵も良心は痛みませんわ。

 しかも、今はできるだけ時間を稼ぎたい盤面ですものね。新しい後装式ライフル……スナイドル銃だったかしら? 可及的速やかに、あれを揃えたいところですわ。王軍がさっさと皇帝軍を片付けてしまって、そのままこちらに殴り掛かってくるというのが最悪のシナリオですから、それだけは避けたいところですわね。

 

「さてね、おそらくは貴方の期待する通りの状況だとは思いますけども~」

 

 王室とわたくし様たちが不仲であることは、このライオン女も承知しているはず。そのくらいの察しがつかなきゃ、わざわざわたくし様にこんなお願いをしに来るはずないですものね~。今回はそれを隠し立てするよりも、ある程度事情を匂わせて向こうからの譲歩を引き出すべきですわ。

 

「なるほどな。こちらも大概な状況だが、そちらも盤石とはいかぬか……」

 

 唇を尖らせつつ、アレクシアはワインを一口飲む。……地味に腹立ちますわね~。こちとら下戸で、お酒は全然飲めないのですけども。おかげでアル(先生)の晩酌に付き合う事すらなかなかできませんわ。叶うことならば、彼を飲み潰してそのまま美味しくいただいちゃいたいのですけれど。現実はわたくし様の方が先に潰れちゃうんですわよね~……。

 

「ちなみに、間者を手配しろとおっしゃいましたが、具体的にはどのような作戦で行くつもりですの~? 大軍を多少の情報漏洩や破壊工作で足止めするのはかなり厳しくってよ~?」

 

 泥縄式の作戦では、多少優秀な間者がいても上手くいきっこないですものね。アホに手を貸して、こちらにまで火の粉が飛んでくるような事態になっては元も子もありませんわ。この女がどの程度の器かくらいは、確かめておかねば。

 

「弾薬を狙う。我々にとっての一番の脅威は火器類だ。これを封じることができれば、五分の勝負に持ち込むことができる」

 

「なるほどね、大変結構ですわ~。じゃ、お望み通り王軍の弾薬集積地を吹っ飛ばせるよう、手はずを整えておきますわね~」

 

「かたじけない」

 

 ほっと息を吐いて、アレクシアは頭を下げる。ま、流石にこの辺りは外しませんわね。火力戦ドクトリンの最大の弱点は、弾切れに弱い事。弾薬の切れた小銃はたんなる短槍だし、大砲にいたっては無暗に重いだけの文鎮になりさがりますものね。そこを狙うのはもはや常識ですわ。

 

「しかし、くだんの戦いには我がスオラハティ軍も従軍しておりますのでね。むろん、あなた方が吹き飛ばしたぶんの火薬は、補填していただきますわよ? それも物納でね」

 

「チャッカリしているな。まあ、いいだろう。」

 

 今後の戦いを思えば、火薬はいくらあっても足りませんものね。あれこれイチャモンをつけて、破壊工作で失われた分よりも多くの火薬を引っ剝いでやりますわ。アレクシアはリースベン戦争の敗北以降、自軍でも火器の戦力化を戦力化すべく試行錯誤しているという話だから、火薬類はタップリ在庫があるでしょうね。できれば全部横取りしたいですわね~。

 それに、スオラハティのほうでは姉二号ことマリッタが怪しげな動きをしてますからね。あんまり信用ならないというのが正直なところですわ。あの性悪シスコン女、馬鹿王太子のほうに走るつもりじゃないかしら? マリッタが使える分の火薬を減らして、私の使う火薬を増やす。この策はなかなかによさげですわね。

 

「アッサリ火薬を渡してくるということは、やはりライフルの実用化はうまくいってないようですわね~?」

 

「……ああ、なかなかうまくいっていない。ライフル自体はできたのだが、弾の装填に一分も二分もかかるような代物でな。どうにも扱いづらいことこの上ない」

 

「でしょうね? うふふ~」

 

 予想通りの答えに、わたくし様はニッコリとほほ笑んだ。わたくし様たちの使うライフルは、最短で二十秒もあれば再装填が完了しますものね。連射速度が三倍も違うのでは、勝負になりませんわ。

 

「まあ、この問題の解決はそれほど難しい事ではない。レーヌ市の戦いで得た鹵獲ライフルを調べればある程度のことはわかるだろうからな」

 

 おっと、牽制が飛んできましたわね。ライフルの製法を材料にした取引に応じるつもりはないと。コイツは残念ですわね~、上手くやればいろいろと強請れそうな気がしてたのですけれど。

 

「それより、貴殿。さっきから実務の話ばかりで、対価を求める様子がないな? まさか、損害賠償の火薬だけでこの話を受けるつもりなのか?」

 

「ふっ」

 

 アレクシアの疑問を、わたくし様は鼻で笑った。そりゃあ、ただ働きなんてもちろん御免ですわ。わたくし様がそれを許す相手は世界でただ一人、アルベール・ブロンダンだけですわ~。

 

「むろん、報酬はいただきますとも。しかし、それは今ではありません。今回の取引の清算は、次回の取引の際に行いますわ~」

 

「次回、か。なるほど……」

 

 つまりわたくし様は今後事あるごとにこのライオン女へと強請りタカりをするつもりですよと、そういう宣言な訳ですわ。それを察したアレクシアは、なんとも微妙な表情で酒杯を揺らすばかり。んっふふふ、嫌そうですわね~、楽しいですわ~。

 

「まっ、安心しなさいな。わたくし様も、取引相手に対するサービス精神くらいは持ち合わせておりますわ~。リヒトホーフェン家もこれからなかなか大変なことになるでしょうけど、その時は是非ともわたくし様を頼りなさいな~。最低限のメンツを保つ手助けくらいはしてあげましてよ~」

 

 具体的に言えば、南部諸侯とか。たぶん近いうちにゴッソリ帝国南部は削られるでしょうね~。まっ、そのあたりはアレクシアもうすうす察しはついているみたいですけれど。

 

「痛い所を突いてくる。まるで悪魔と会話しているような気分だ」

 

 案の定、アレクシアは心底苦々しそうな様子でワインを呷る。うふふ、良い反応ですわ。今回の勝負はわたくし様の完封勝利ですわね~。



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第540話 くっころ男騎士と戦況急変

 北部戦線異状あり、そんな連絡が僕らの元に届けられたのは、エムズハーフェン家との秘密同盟が締結された十日後のことだった。

 

「王軍はレーヌ市にて攻城戦を開始せり……?」

 

 北方から届けられた書状を読んで、僕は自分の目を疑った。攻城戦、攻城戦と来たか。こりゃ、北はずいぶんと厄介なことになっているようだぞ。

 緊急連絡が来たということで、現在我々はミューリア城の会議室で緊急会合を開いていた。季節は既に真夏と言っていい時期であり、室内には何とも言えない嫌な熱気が漂っている。南部特有の過酷な暑さと、上から降りてきた妙な連絡。この二つが重なり、居並ぶガレア諸侯らの目には明らかな不快の色が浮かんでいた。

 

「おや、それはおかしいですわね~? 王軍は攻城砲を装備しているという話でしょう。重砲ならば従来型の城壁など容易に打ち崩すことができる。マトモな攻城戦なんて生起しないはずですわよ~?」

 

 僕の右隣に座ったヴァルマが、小首をかしげながらそんなことを言う。僕も全くの同感だった。ミュリン領での戦いにおいて、堅城と謳われたレンブルク市は大砲の威力を前に一日と立たずに降伏する羽目になった。今までの工法で建造された防壁が大砲の弾をはじき返すのは不可能なのだ。

 むろん、中北部の要衝レーヌ市はレンブルク市よりもさらに厚い防御がしかれていることは間違いない。とはいえ、それでも重砲を並べて猛射撃を加えればどうとでもなるはずだ。しかし、連絡によれば敵はマトモな籠城戦を実行できているらしい。コイツは妙だ。

 

「つまり、王軍は火器の使用を制限せざるを得ない状況になっている、と。集めた弾薬を吹き飛ばされでもしたか?」

 

「まぁ、不用心ですわねぇ」

 

 呆れた様子で肩をすくめるヴァルマ。いや、本当だよマジで。火力戦を施行した軍隊にとって、弾薬集積地は一番のウィークポイントなんだ。それを軽々しく狙われるようじゃ、まったくもって話にならない。

 

「つまりなんだ。王軍は、我々の慣れ親しんだ典型的な攻城戦をやっている……ということなのか?」

 

 話についていけない、というような顔でそんなことを聞いてくるのはリュパン団長だ。僕は彼女に頷き返す。大砲が使えないというのなら、そりゃあ戦闘は古典的なやり方に回帰するしかないだろ。攻城塔とか攻城槌とか投石機だとか、そういった千年前からあるような兵器をつかってえっちらおっちら戦っているに違いない。

 

「なるほど。ふん、新奇な兵器もこうなってしまえばただの文鎮だな。ブロンダン卿もこれを他山の石とすることだ。戦場で最後に頼りになるのは昔ながらのやり方であることを肝に銘じるがいい」

 

「ういっす」

 

 言い方はイヤミだが、リュパン団長の言う事にも一理ある。僕は抗弁することなく頷いた。

 

「しかし、これはなかなかの長丁場になりそうだな。レーヌ市ほどの大きな街が相手となると、どれほどの大軍で囲んでも一週間や二週間では落ちぬはずだ。一か月や二か月は戦いが続くことを覚悟する必要がある」

 

 僕から視線を外し、リュパン団長は肩をすくめた。攻城戦ってのは、基本的に我慢比べだからな。攻囲の期間が半年以上にもおよぶ場合だって、決して珍しくはない。

 

「モラクス殿。あえて申しますが、我々に今から王軍の救援に向かえ……などとおっしゃられても困りますぞ。このミュリン領からレーヌ市までは、急行軍でも一か月半はかかってしまう。戦場にたどり着くころには、我らの軍役期間はとうに終わっておりますからな」

 

 念押しするような口調で、宰相派の重鎮ジェルマン伯爵がモラクス氏に釘を刺した。前から言っているように、臣従関係における軍役は手弁当が基本だ。しかし、だからこそいつまで軍に参加していればよいのかという明確に期限が定められている。そりゃあ、無期限に延々とただ働きさせられちゃあたまったものではないからな。当然といえば当然のことだろう。

 そういう訳で、臣下は契約で定められた軍役の期間が終われば、たとえ戦争の真っ最中であってもさっさと帰ってしまう。この辺りの関係は存外ドライなのだった。もちろん、君主の側がなんらかの条件を提示して臣下の慰留を図る場合も決して珍しくはないのだが。さっさと所領へ帰りたい臣下と戦場へとどめておきたい君主の綱引きは、戦場の風物詩だ。

 

「む、むろんそんなことは承知しております!」

 

 言い返すモラクス氏の額にはタラリと汗が流れていた。確かに室内の温度はなかなかのものだが、大汗をかくほどではないんだがな。やはり、これは王室サイドからしてもこの展開は想定外ということか。

 おそらく、本来であれば大砲を使ってさっさとレーヌ市を落とす腹積もりだったんだろう。直前に我々がレンブルク市を速攻しているので、なおさら大砲への期待は強かったものと思われる。

 

「……」

 

 額をハンカチで拭うモラクス氏を、会議場に詰める諸侯らは白けた目つきで見ていた。この場に居る諸侯はみな南部に所領を持つものばかりだ。北がどうなろうがどうでも良い、などと思っている者も少なくないだろう。南部における戦いはもう終わったのだから、さっさと解散してくれ。これが皆の総意に違いなかった。

 

「結局、我らはどうすればいいんだ? そのあたり、はっきりしてもらいたいんだがね」

 

 トゲのある声でそう指摘するのは、近頃僕に対する敵愾心を隠しもしなくなったヴァール子爵だ。囮に使われたことがどうにも我慢ならないらしい。逆恨み……というわけでもないからな。甘んじて受け入れるまでだ。

 

「今回のコレは、あくまで連絡ですからね」

 

 持っていた書状を机の上に置き、紙面をぽんぽんと叩く。ラフな言い草はわざとだ。こういう時に、深刻過ぎる態度を取るのは得策ではない。

 

「追加の命令はないわけですし、我々は今まで通り南部を押さえ続けていれば良いかと」

 

「レーヌ市が陥落するまでか? 気が長い話だ」

 

 いやそうな顔で首を振るヴァール子爵。奇遇だねえ、まったくの同感だよ。僕としても、こんな無益な仕事はさっさと終わらせてリースベンに戻りたい。とはいえ、勝手に軍を解散するわけにもいかんからな。嫌々でも、責任は果たさねば。

 

「僕には軍役を終えた方を押しとどめる権限などはございませんので。仕事が終わった方から順に、領地に戻っていただく方向になるのではないかと」

 

 金さえ出せば、戦場にとどまってくれる諸侯も少なくないだろうがね。僕にはそのための予算などは与えられていないし、自腹を切ってそれをやるだけの義理もない。最低限の責任さえ果たせばそれで良いだろ。それ以上を求めるのならばもっとやる気の出るような仕事を用意してほしい。

 

「い、いや、流石にそれは困るのですが。南部ががら空きになったら、皇帝軍に増援が合流してしまいますよ」

 

「おっしゃりたいことは分かりますがね。それを何とかするのは上層部の仕事でしょう? "延長料金"を用意するなり、別の諸侯に軍役を命じるなり、王家の方で何とかしていただきたい」

 

 こればっかりは僕に言われてもどうしようもない。戦場での指揮は請け負ったが、兵隊の調達までは僕の業務外だ。

 

「え、ええ、もちろんその通りです。とはいえ、今は上も大忙しですから……少しばかりお時間を頂きたい。一、二週間もすれば、ある程度の方針は示せるはずですので」

 

 いや二週間も待ちたくないんだけど。諸侯の誰かがそう漏らした。僕もまったくの同感だ。こっちだって、いい加減結構な期間従軍してるんだからな。契約の上ではもうすぐ"年季明け"なのに、延長戦なんでマジで御免だろ。僕はいったい、いつになったらリースベンに替えることができるのだろうか……?




4月1日から、新作の執筆のため本作は隔日更新になります。申し訳ありません


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第541話 くっころ男騎士とカタブツ子爵(1)

 気が重くなるばかりの緊急会合は、それから二時間も続いた。時間を浪費するばかりのくだらない会議だった。確かに北の戦線では厄介な事態が発生しているが、逆に言えばただそれだけ。南の我々の知ったことではない……というのが、一般的な南部諸侯の認識なのだ。こんな様子では、実のある会議など出来るはずもない。

 もっとも、はっきり言って僕自身も当事者意識を覚えられずにいるのだから、彼女らを責める資格はないだろう。どうにもこの戦争は、王家の私戦という印象がぬぐえない。こんなんで士気が上がるはずないだろ、などと思ってしまう。

 まあ、とにもかくにもこちらは自分の仕事をこなすだけだ。ひとまず当面の方針を定め、ひとまず会合は解散ということになった。現場ではどうしようもない部分は、モラクス氏に全部投げたがね。主君ってのはケツモチが仕事なのだから、しっかりとその仕事を果たしていただきたいものだ。

 

「なるほど、少しばかり厄介なことになっているようですね」

 

 対面の席に座るジルベルトが、ため息交じりにそう言った。会合を終えた僕は、リースベン軍が借り切っている宿屋の一室に彼女を招いた。あれこれと事情を説明するためだ。彼女はわが軍唯一のライフル兵大隊の隊長で、現場組の実質的なトップと言える。ジルベルト自身経験豊かな将校であり、現場のことならば彼女に投げておけば万事うまく差配してくれるという信頼感があった。

 ……ああ、エルフやアリンコたちはまた別だ。あいつらはあいつらで、個別の対応が必要なんだよ。正直面倒だが、リースベン軍の成り立ちを考えれば仕方ない事だ。なにしろジルベルトに率いられた生え抜きのリースベン軍と、新エルフェニア軍と、正統エルフェニア軍と、アダン王国(アリンコたちの故国だ)残党軍は、もともと全くの別組織だからな。完全な統合にはかなりの時間が必要なのだ。

 それはそれとして、上がワチャワチャしていると現場にも不安や不信などが広がってしまうものだからな。こういう事態になってしまった以上、現場を安心させるためにいろいろと手を打っておく必要がある。ジルベルトを招集したのは、その一環だった。

 

「王軍は大慌てで火力部隊を整備してたからな。それが使い物にならなくなったというのであれば、そりゃあ混乱もするだろうが」

 

 香草茶を片手に、僕は肩をすくめる。もちろん、大砲やライフルが使い物にならなくなったというのは僕の想像だ。レーヌ市からの書状にはその辺りの事情はまったく書かれていなかった。しかし、伝え聞こえてくる戦況を総合的に判断すれば、そういう事態が発生しているとしか思えないんだよな。

 

「しかし、戦場では"想定外"などは日常茶飯事ですよ。緒戦は優勢だったというのに結局消耗戦へと引きずり込まれてしまったのですから、これは王軍の手落ちとしかいいようがありません」

 

 かつての職場を、ジルベルトは手厳しく非難した。彼女はもともと、王軍の精鋭部隊であるパレア第三連隊で指揮官をしていたほどの人物だ。王都の内乱により職を辞す羽目になったとはいえ、旧職場に対する思い入れはいまだにあるのだろう。

 

「確かにね。……とはいえ、王軍と同様の弱点はわが軍も抱えている。戦争が終わったら、じっくりと戦訓を検証した方が良いだろうな。他山の石ってやつだ」

 

 リュパン団長の発言を思い出しながら、僕はそう主張した。ミスをしない軍隊など存在しない。肝心なのはミスをしてもリカバリーできる態勢を整えておくこと、そしてその失敗を検証して次につなげていく努力だ。

 

「まあ、よそ様の話はさておいてだ。現場の方は、どういう空気になってるんだ? 妙な流言飛語やらが飛び交ってたりしないか?」

 

「ええ、問題ありませんよ。みな、比較的落ち着いております」

 

 ニッコリ笑って、ジルベルトは頷いてくれた。僕はほっと胸をなでおろす。軍隊は閉鎖的な組織だ。根も葉もないうわさが予想外の広がりを見せ、シャレにならない大事件を引き起こしてしまう場合もある。

 

「良かった。出陣からもう結構な時間が立つからな。みな、戦いに倦んできたころ合いだろうと少しばかり不安に思っていたんだ」

 

 僕がそういうと、ジルベルトはクスクスと笑って香草茶を一口飲む。

 

「たしかに、リースベンを発ってからもう随分と立ちますが。しかし、戦地の方が良い食事が出ますのでね。それほど不満は溜まっていないのです」

 

「ああ……」

 

 思わずため息めいた声が漏れる。そりゃそうだよな。リースベンでの食事と言えば、燕麦かサツマ(エルフ)芋かの二択になる。しかし、このミュリンに駐屯していれば毎日のように小麦のパンとソーセージやベーコンなどの肉類を口にすることができるのだ。むしろ、リースベンには戻りたくないなどとのたまっている者がいてもおかしくない。

 

「それに、我々の部隊はエムズハーフェン遠征に参加しませんでしたからね。戦いに倦むどころか、なぜ置いていったんだと文句を言うものまでいる始末。士気はたいへんに高い状態を維持しておりますから、ご安心を」

 

 そう言うジルベルトの目には、少しばかりこちらを非難する色があった。彼女自身、エムズハーフェン戦に参加できなかったことを残念に思っているのかもしれない。

 

「流石わが軍の兵士たちだ」

 

 若干の申し訳なさを覚えつつも、僕はそういうほかなかった。いや、だってさ、仕方ないだろ。わずか九門の山砲の補給ですら難儀するような戦場だったんだから。弾薬消費の甚だしいライフル兵隊なんぞ、とても連れていけたものではない。

 

「まあ、とはいえこの状況では事態はそうそう容易には進展しないだろう。一部部隊は、いったんリースベンに戻そうかと思っている。いつまでも領地をがら空きにしておいては、いかにも不用心だ」

 

「武器の更新の件もありますしね。……ひとまず、一個中隊を帰投させる準備をしておきましょうか」

 

「頼んだ」

 

 ライフル兵大隊の武装は、順次後装式ライフル(スナイドル銃)へと更新していくことが決まっている。とはいえ、いま我々の手元にある後装式ライフル(スナイドル銃)の数はそれほど多くはない。ラ・ファイエット工房が引っ越しの手土産として二十挺ほど持ってきてくれてはいるが、その程度では焼け石に水だった。

 今の時点で一個中隊をまるまる後送して武器更新の準備をするというのはいささか気が早すぎる気もするんだが……ま、今ある銃だけでも訓練はできるからな。まったくの無駄という訳ではないだろう。それに、いつ何時事態が急変するとも限らないからな。布石は早めに打っておく必要がある。

 

「しかしやっと前装式ライフル(ミニエー銃)が定数揃ったというのに、もう更新とはなぁ。現場に負担をかけてしまって申し訳ない」

 

 幕末並み……いや、それ以上のせわしなさかもしれんね。まったくもって難儀なことだ。王室の件さえなければ、これほど慌てる必要もないんだけどなぁ……。

 

「いえいえ、お気になさらず。……ふふ。それに、わたしも武人ですからね。新しい武器と聞けば、心も踊ります。正直に言えば、新式銃をこの手で触るのが楽しみでなりませんよ」

 

「ハハハ、なるほどね? その気持ちはよくわかるよ」

 

 僕は思わず破顔した。これに関してはまったくもって同意見だ。新兵器配備となると、まるで新しいオモチャを買ってもらえることになった子供のような気分になってしまう。不思議なもんだね。

 

「なにはともあれ……新式銃に関してはこちらにお任せください。迅速な戦力化をお約束します」

 

「ありがとうジルベルト。君がいる限り、リースベン軍は盤石だ。頼りにしているぞ」

 

 僕の言葉に、ジルベルトはたいへんに嬉しそうな顔で頷いた。しかし突然表情を真面目なものへと変え、「そういえば」と続ける。

 

「話は変わりますが……少しお聞きしたいことがあるのです。よろしいでしょうか?」

 

「ああ、もちろん」

 

 頷くと、ジルベルトは少しばかり躊躇した様子で視線を宙にさ迷わせた。しばし黙り込み、それから意を決したように口を開く。

 

「実はその……主様の新たなご縁……つまり、何と言いますか……エムズハーフェン選帝侯閣下について、お聞きしたいことが」

 

「……」

 

 僕は思わず黙り込んだ。そこを突かれると弱い。本当に弱い。なにしろ僕は、ジルベルトとも結婚をする約束をしているのである。一体何股なんだよコレは。そんな声が頭の中に響く。浮気を指摘された夫のような(ような、というかまさにその通りなのだが)気分になって、僕は椅子の上に正座した。



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第542話 くっころ男騎士とカタブツ子爵(2)

 エムズハーフェン家への"出張"。それをジルベルトから指摘された僕は、思わず椅子の上に正座をした。僕は彼女とも婚約している身だというのに、他の女の元へ抱かれに行かねばならない。これが浮気以外の何だというのだ。そう思うと、自然と冷や汗が垂れてくる。

 

「い、いえ。それほどかしこまらないでください、主様。決して私は、御身を責めるつもりなどないのです」

 

 その様子を見たジルベルトが、あわてて身を乗り出してくる。だが、僕はそれに対してうわごとのような声で「すまない……」と返すほかなかった。あぁ、胃が痛い。せっかく良縁を得たというのに、なぜこうも不義理をせねばならないのか。正直、『わーいハーレムだー!』みたいな役得よりも、理不尽感を強く覚える。

 

「違います、違います。これは詰問などではないのです。ですから、そのような顔をなされないでください」

 

 ひどくあわてたジルベルトが、半ば強引に僕に正座を止めさせた。そして深いため息を吐き、首を左右に振る。

 

「わたしがお聞きしたいのはただ一つ。此度の婚姻が、主様の本意に叶ったものであるかという点です。……ありていに言えば、つまり、これはアデライド様に強制されたものではないのかと。わたしはそう疑っているわけですね」

 

「きょ、強制」

 

「はい。もしそうであるのなら……誰が何と言おうと、わたしが止めます。アデライド様であれ、エムズハーフェン様であれ、敵に回す所存であります。わたしに一言、助けろと。そう命じて頂きたい」

 

「……」

 

 な、なるほど! ジルベルトは、僕がアデライドによって無理やり身売りをさせられているのではないかと心配している訳か! まあ、確かによくよく考えればそういう図式に見えなくもない。実際、エムズハーフェン閣下からの提案を飲むべきだと判断したのはアデライドな訳だしな。

 

「……それは違う、ジルベルト。安心してほしい。これは、僕自身の判断だ」

 

 とはいえ、最終的にそれを飲んだのは僕なのだ。アデライドに責任を押し付けるような無様な真似はできない。

 

「リースベンの将来を思えば、味方はできるだけ増やしておかねばならない。そう思ったんだ。確かにアデライドと相談はしたが、けっして無理やり条件を飲まされたわけではない」

 

「そうですか……」

 

 やや残念そうな面持ちで、ジルベルトは大きく息を吐いた。

 

「で、あれば……わたしから申すことは何もございません。どうぞ、主様の御心のままに」

 

「う、うん……」

 

 そうは言っても、やはりジルベルトには承服しかねると言いたげな雰囲気がある。そりゃそうだろうね。当たり前だわ。事実上のネトラレじゃんよ、これ。僕だったらキレてるかもしれない。

 

「……ごめん、ジルベルト。勝手にこんなことを決めて。本当なら、しっかりと相談すべきことだったのに」

 

「正直に言えば、確かに先に一言おっしゃって欲しかった、という気分はあります」

 

 薄く笑ってから、ジルベルトは冷めきった香草茶を口に運んだ。

 

「とはいえ、実際のところ……相談を受けたところで、わたしが状況に関与できたかは怪しいわけですから。現実問題、ブロンダン家はその家格に見合った家臣団を持っていない。血縁外交で味方を増やしていく以外に、取れる手はないでしょう?」

 

「そうだね……そこが一番の問題だよね……」

 

 ブロンダン家は既に大貴族の枠に入っている。少なくとも、周囲からはそう見られているし、扱われている。だが実際のところ僕はたんなる辺境の城伯に過ぎないし、ブロンダン家自体も零細宮廷騎士家としての規模しか持ち合わせていないわけだが。

 現状の我々の一番の泣き所だよな、これ。求められる役割と、実際の能力の間に大きな齟齬がある。そのねじれが表出した結果が僕のとんでもない婚姻関係だろう。ブロンダン家がもうちょっと規模の大きい家だったのならば、婚姻外交をするにしてももうちょっと負担を分散できたんだろうが……。

 

「ですから、この件に関して主様がわたしに負い目を感じる必要はまったくありません。こういった事情を承服したうえで、わたしはあなたに求婚したわけですから」

 

「……ごめん。いや、ありがとう」

 

 随分と複雑な気分になりつつ、僕はそう返した。なんと出来た助勢だろうか。僕は彼女の詰めの垢を煎じて飲んだ方が良いかもしれない。

 

「ですが、無理はいけませんよ。わたしはこれでも、あなたの一番の家臣であり一番の妻であることを目指しております。ですから、主様はひとりで重荷を背負い込んだりはしないでください。ソレは、私が支えるべき荷物でもあるのですから」

 

 そういって、ジルベルトは僕の手を優しく握った。いや、もう、本当にいい女だなあ彼女は! 僕にはあまりにも勿体なさ過ぎるだろ……。

 

「ありがとう、ジルベルト。君のような人と共に人生を歩むことができるのは、なんと幸福なことだろうか。僕は世界で一番の果報者かもしれない」

 

 僕の言葉を聞いたジルベルトの頬に、さっと朱が差した。彼女は奥ゆかしく笑い、こちらの手を握る力を強くする。

 

「主様が人生を終えられるときに、同じ言葉を頂くことができるよう粉骨砕身の努力をしていく所存であります」

 

 そこまでしなくていいよ僕なんかに! そう叫びそうになったが、なんとか堪えた。いくら僕でもここでそんな返しをするのがどれだけ野暮なことなのかくらいは理解している。

 

「……君と話していると、星導教が重婚を戒めている理由がわかるね。お互いの人生にしっかりと向き合っていくのが、正しい結婚の姿というものだ。しかし相手が何人も居たのでは、目先の対応に忙殺されて向き合うどころではなくなってしまう」

 

「ええ、それは……まったくもって同感です」

 

 ジルベルトは頷き、僕から手を離した。それから悪戯っぽく笑い、ウィンクをする。

 

「ですが、こうも思うのです。今の状況は、私にとってむしろ有利な環境なのではないかと」

 

「んん? どういうことだろうか、それは」

 

 今のハーレム状態がジルベルトにとって有利な環境? はて、どうしてそうなるのだろうか。僕は小首をかしげた。

 

「主様は、相手が多いあまりに対応に迷っていらっしゃるわけでしょう? しかし、逆に言えば主様はまだ特定の誰かのモノにはなっていないということになります。政略上、主様がいろいろな女に抱かれてしまうのは致し方ありません。しかし、だからこそその心だけはわたしのモノにしたい。卑しい事に、わたしはそのような事を考えているのです」

 

 ひどく恥ずかしそうな笑みを浮かべつつも、ジルベルトははっきりとした口調でそう断言した。僕は思わず赤面し、口ごもる。

 

「そ、それは……また」

 

「他の女どもが牽制合戦でモタモタしているというのであれば、わたしにとっては好機です。まず、手始めに……デートでも、いかがでしょうか? 時間があるときで結構ですので、一緒に遠乗りへ行きませんか。今回は流石に、野暮なエルフに邪魔されることもないでしょうから」

 

「ああ、そんなこともあったねぇ」

 

 僕は思わず苦笑した。ジルベルトとの初めてのデートは、乱入してきたエルフどもによって中断する羽目になってしまったのだった。

 

「わかった、近いうちに時間を作ることにしようか。エスコートはよろしく頼むよ」

 

「ええ、お任せを」

 

 ジルベルトはにっこりと笑い、胸に手を当てて恭しく頷いた。……ああ、本当にいい女だなぁ、ジルベルトは。僕の方も、彼女に釣り合う男になれるよう頑張らねば。



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第543話 くっころ男騎士と義妹嫁騎士

 大方の予想通り、北部戦線は膠着化した。王軍はレーヌ市の攻囲にこそ成功したらしいのだが、堅牢な城壁に阻まれそこから一歩も前進できずにいるという話だ。王軍の火砲が使用不能になっているという予想は、やはり的中していたということだな。

 一方皇帝軍は皇帝軍で難儀をしているらしい。なにしろ、アテにしていたエムズハーフェン領からの補給が途絶えたのだ。これは痛い。食料などは現地調達でもある程度なんとかなるだろうが、問題は矢玉や武具の補修部品などといった軍需消耗品だった。手持ちで何とかなる短期戦ならともかく、長期戦に付き合うのであれば軍需物資の欠乏は致命的だろう。

 結局、王軍は最低限の守備兵が立てこもった(籠城において過剰な戦力は却って有害だ)レーヌ市を囲んで地道な攻城戦を続け、それに対する皇帝軍は遠巻きに状況を眺めながら隙を窺う……そういう状況になっているらしい。完全に古典的な攻城戦の様相を呈しているわけだな。こういう戦いは、容易には終わらない。嫌でも長期戦になる。

 

「北の戦いに参加した諸侯らは大変ですな……」

 

 その報告を聞いた南部諸侯の一人が、こんな言葉を漏らしていた。完全に他人事としか思えない発言だが、致し方あるまい。緊迫の度合いを増す北部とは裏腹に、南部ではどんどんといくさの気配が遠ざかりつつあったからだ。

 相変わらず我々はミュリン領に陣を張っているが、周辺の敵諸侯が反抗を企てる様子はまったくない。嵐が過ぎ去るのを待つように、ただただじっとしている者が大半だった。それどころか、商売を持ちかけてくる者すらいる始末。

 対するガレア側の諸侯も戦意が高いとは言い難い。リュパン団長などはそれでも積極策を口にしたりはするのだが、大半の諸侯はやる気など皆無なのだから後に続くものなど現れるはずもない。リュパン団長はすごすごと振り上げた拳を降ろすことしかできなかった。

 

「まあ、だからと言って暇という訳でもないのだけども」

 

 そんな風にボヤきつつ、僕は粛々と普段の仕事をこなしていった。戦況は落ち着いている……というか、平和そのものではあるが、総司令官の僕はけっこう忙しかった。諸侯軍などというものは典型的な烏合の衆だから、内部では毎日のようにトラブルが起きる。

 やれ乱闘だ、決闘だ、裁判だ……よくもまあトラブルの種が尽きないものだと感心するね。こういった諸問題に対処しているだけで、一日があっという間に過ぎ去っていく。……まあ、実のところこの手の仕事はエルフやアリンコどもの世話をしていたおかげですっかり慣れてしまっているがね。

 ほかにも、ミュリン領近辺の治安維持も僕の仕事の一つだった。イナゴの大群のようにどこからともなく現れる盗賊団を、騎兵で追い回す毎日だ。地味で気が遠くなるような作業だが、これをやらないとミューリア市が物資欠乏を起こし兵どもが飢える羽目になる。義侠心のみならず、実利の面から見ても盗賊団撲滅は必須の作業だった。

 

「本当に忙しそうだねぇ、お兄様は」

 

 それでもなんとか夕方までには最低限の仕事を終わらせ、僕は宿屋の一室に構えた仮設執務室で休憩をしていた。そこへやってきたのが、我が義妹にして婚約者、カリーナである。ギャルゲのような関係性になってしまった我々ではあるが、この頃はあまり顔を合わせる機会がなかった。なにしろこちらは軍司令であり、カリーナは末端部隊の下級指揮官だからな。あまりにも職場が違いすぎるため、最近は食事すら別々にとっている始末だった。

 

「まあねぇ。一応ここはまだ戦地だし、しかも部下もやたらと多くなっちゃったし……」

 

 ソファでうつ伏せに寝ころびながら、僕はそう答えた。その背中には、カリーナが馬乗りになっている。……別に、卑猥なことをしているわけではない。やってきて早々、カリーナがマッサージを提案してきたのだ。どうやら、疲れた義兄をいたわってくれる腹積もりらしい。もちろん僕はそれを諸手を上げて歓迎した。

 

「まあ、人死にが出ているわけで無し。充実感があると言えばその通りなんだけど……アーイイ、そこイイよ」

 

 しゃべっている間にも、カリーナは甲斐甲斐しく僕の背中をぐいぐいと押してくる。丁度良い力加減で、なかなかに気持ちが良かった。この戦争が始まるまでは、よくこうしてカリーナのマッサージを受けていたものだ。ああ、こんな戦争さっさと終わらせて元の日常に戻りたいものだなぁ。

 

「んふ。やっぱりお兄様はちょっと乱暴にするくらいが好きなんだね。カワイイ……」

 

 嬉しそうな声でそんなことを言いつつ、カリーナは僕の肩やら背中やらを揉んだりほぐしたりしてくる。なにしろ彼女は小柄だから、体全体を使ってマッサージなどをした日には……柔らかい部分がいろいろと接触してくるんだよな。これがまた、気持ちがいいわけで。

 ……いや、いやいや。相手は義妹だぞ。いかがわしい気分になってはいかん。ん? いや、義妹とはいえ婚約者でもあるのだから別にいかがわしい気分になってもいいのか? いやでもカリーナはまだ若いしそういうのは……。むむむむ……。

 

「詳しくは聞かないけど、いろいろと大変なこともあるんでしょ? 義妹として、妻として、しっかりいたわってあげなきゃあ……ね?」

 

 べたりと体を密着させつつ、カリーナが耳元で囁いてくる。吐息を吹きかけてくるような、独特の艶っぽい話し方だ。背筋が大変にゾクゾクする。やめなさい、やめなさい。一体そんな手管をどこで覚えてきたんだ。お義兄ちゃん許しませんよ。

 

「う、あ、ああ。ありがとうね。と、とはいえお前だってそこは一緒だろう。いきなり小隊長になったんだ。十代で背負うにしちゃ重すぎる責任だろ、正直言って」

 

「確かに大変だけどね。お兄様のほうがよっぽど苦労してるってことくらい、私にだってわかるよ」

 

 腰のあたりをぐいぐいと押しつつ、カリーナは言う。……気持ちいいけど、なんか手付きがエロいような気がする。アデライドが尻を揉んでくるときの手付きに近い感覚っていうかさ。いや、イカンイカン。僕の方に邪な気分があるから、相手にも邪念があると勘違いしてしまうのだ。そんな疑いを持っては、純粋に義兄をいたわってくれているであろうカリーナに申し訳が立たない。

 

「どっちが苦労してるかなんて、詮無い問いだよ。……うん、これが終わったら、何かご褒美をあげよう。何がいいかな?」

 

 ふと、脳裏にジルベルトとの一件が思い浮かんだ。たいへんに不埒なことに、僕は多くの女性と縁を結ぶことになってしまった。しかし、ジルベルトは"その他大勢"に紛れる気などさらさらないようだった。彼女は、僕ときちんとした家族関係を結びたがっている。

 そしてそれは……おそらくカリーナも同じだろう。ジルベルトにも、カリーナにも、そしてもちろんアデライドやソニアにも……夫として真摯に応えていく義務が僕にはある。仕事が忙しい、なんてことは言い訳にならないよな。これからは、彼女らとの時間をしっかりと作っていかなきゃならないだろう。

 

「いいの? じゃあ、耳かきをしてもらいたいな。耳ふー多めでさ」

 

 ひどく嬉しそうな声でそう答えるカリーナに、僕は思わず笑ってしまった。マッサージをしてもらった後に、耳かきをしてやる。リースベンにおける日常でも幾度となくこなしたルーティーンだ。まったく、うちの義妹は欲がない。

 

「オッケー、了解だ。でも、今日は気分がいいからもう一つお願いを聞いてあげよう」

 

「いいの? やった、お兄様ったら太っ腹!」

 

 子供のような声で(まあ僕から見れば十代中ごろは本当に子供なのだが)カリーナは僕の背中に抱き着いてきた。あー! いけません義妹様! そんなことをされては義兄の威厳が吹き飛んでしまいます!

 余計な邪念を抱かぬよう、僕は心の中で素数を数えた。

 

 



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第544話 くっころ男騎士と義妹嫁騎士の転機(1)

 カリーナとの楽しいひと時は、日暮れと共に終わりを告げた。とはいっても、別に敵襲などがあったわけではない。単純に、夜の仕事にとりかかっただけだ。各所から上がってくる報告をとりまとめたり、晩餐会に参加したり、明日の予定を確認したり……そんなことをしていたら、あっという間に深夜になっていた。

 疲労困憊で風呂を浴び、僕は自室へと戻った。普段であれば、それにアデライドもついてくる。婚約者ということもあり、僕たちは同じ部屋で寝起きしているのだ。だが、今日に限ってはアデライドは別室で寝ることになった。なぜかと言えば……僕に"別の婚約者"からの指名が入ったからだ。

 

「えへへ~、今夜はのお兄様は私の独り占めってわけよ」

 

 僕を指名した当の本人、カリーナはなんとも嬉しそうな様子でこちらに抱き着いてきた。僕も彼女も寝間着に着替え、すでに布団に入っている。彼女の二つ目のお願いというのはつまり、夜伽のことだったのだ。ご褒美などと言ってしまった手前、断ることはできなかった。

 むろん、この件については"本妻"ことアデライドにもちゃんと話を通している。家庭内に不和を持ち込む気はさらさらないので、慎重かつ丁寧に説明させてもらった。正直、アデライドは不服そうだったがね。とはいえ彼女も僕を独占する気はないようで、詰られることもなくアッサリ寝室から退去してくれた。

 とはいえ、正直……浮気でもしているようで、僕としても何だか居心地が悪いんだよな。一応、みな納得づくでやっていることだから、不義の行いではないという話ではあるのだが。

 まあ、この国は一夫二妻が推奨されているような世界だ。貞操観念に関しても、前世の世界とは大きく違う、転生してもう二十年以上も立つのだから、いい加減なれるべきだろう。……まず、うちは両親が一夫一妻だからなぁ。そこも、感覚を矯正できずにいる要員の一つかもしれん。

 

「はいはい。今夜の僕は旦那様のものですよ」

 

 悪戯っぽくそう返しながら、カリーナの頭を撫でる。すると彼女は「ンヒッ」と奇妙な声を上げた。……流石に気持ち悪いことを言いすぎたかね? 父上曰く『旦那様呼びをすればたいていの女性はイチコロ』らしいが、僕と父上では体格がだいぶ違うからなぁ。ちょっとスベッたかもしれんぞ。

 

「うひ、うひひひ……そんなこと言っちゃって、もう! あんまり挑発すると、私が肉食獣になっちゃうよ」

 

 ……いや、意外と効いてたっぽいな。カリーナのヤツめ、アデライドみたいな笑い方をしやがって。その齢であのセクハラオヤジが伝染(うつ)ったら大事だぞ。というかお前はウシ獣人だから草食獣だろ!

 

「駄目だぞ、カリーナ。事前にアデライドから注意は受けてるだろ? 同衾は許しても、それ以上は駄目。それがアデライドの判断だ」

 

「わかってるって。ダイジョブダイジョブ」

 

 "本番"は初夜まで取っておく。それが嫁たちの総意であった。ついでに言えば、すでに初夜の順番まで決まっているらしい。まったく、準備がよろしいことだ。ちなみに僕はその手の話し合いには参加させてもらっていない。こういうことは、嫁同士で決めるのが普通だと言われてしまった。

 こうしてみると、やはり男の立場は弱いんだなぁ。あのチートな男魔術師、ニコラウスくんが必死になって男権拡大を訴えるはずだよ。こういう時ばかりは、彼に少しばかりのシンパシーを感じちゃったね。はぁ……。

 

「んふー」

 

 こちらの悩みなどまったく気にしない様子で、カリーナは僕をぎゅっと抱きしめる。彼女は僕よりもずいぶんと小柄だが、それでも"抱かれる"ではなく"抱く"動作をしてくるあたり、やはりカリーナも女の子だよなぁ。正直、かなり可愛らしく感じてしまう。背伸びするショタをよしよしするお姉さんになった気分だ。

 

「自分で言うのもなんだけど、私ってばこの頃結構がんばってるからね。やっぱり、時々はこういう役得がないとねー」

 

 むふふと笑いながらカリーナがその豊満な胸を張る。本当に自分で言うのもなんだな!? いやまあ、確かに最近のカリーナは成長著しいのだが。ミュリン領における戦いでは、丘一つを制圧し敵の火砲を鹵獲する大戦果も挙げてるしな。初めて会った頃の彼女と比べれば、完全に脱皮を果たしたと言っても過言ではないと思う。

 

「まったく、お前ってやつは……」

 

 呆れつつも、僕は義妹の頭をぐりぐりと撫でてやった。彼女はこうして頭を撫でられるのが好きなのだ。その白黒ツートンの特徴的な髪の毛はとても柔らかく、さわり心地がいい。いつまでも撫でたくなるような頭だった。

 

「調子に乗っちゃだめだぞ? 慢心したっていい事は何もないんだからな。……ま、お前が並々ならぬ努力をしている、というのは認めるけどね。戦度胸もつきつつあるし、戦技戦術もこの一年でずいぶんとモノにした。流石だな、カリーナ」

 

「へへへ、なにしろ私はお兄様の義妹で妻だものね。お兄様に釣り合う人間にならなきゃ、胸を張って結婚できないよ」

 

「……」

 

 な、なんだろうね、この義妹は。まったく。こういうことを面と向かって言われると、気恥ずかしくて仕方がないんだが。僕は思わず赤面し、そっぽを向いた。まあ、ランプの火はすでに落としてあるから、顔色がバレることはまずないと思うのだが。

 

「照れてる照れてる。意外と責められるのには弱いよね、お兄様」

 

 バレてるじゃねーか。僕は思わず枕に顔を押し付けた。

 

「……口までうまくなりやがって、まったく。口説きの練習ばかりして、軍人としての鍛錬を怠るんじゃないぞ?」

 

「わかってるって、父様みたいなこと言わないでよ。……大丈夫、鍛錬に手を抜いたりしないよ。私は将来、お兄様の右腕になるつもりなんだもの。怠けてなんていられないって」

 

 妹の言葉に、僕は思わず破顔した。右腕、ねぇ。嬉しい事を言ってくれるが……。

 

「今、そのポジションに座ってるのはソニアだぞ。あいつを押しのけて僕の右腕になるというのなら、並大抵のことじゃあないぞ?」

 

「そりゃそうでしょ。でも、ソニアお姉さまが相手でも負けるつもりはないわ! 少なくとも、並びたてるところまでは行かなくちゃ。……そうでないと、お兄様の負担がいつまでたっても減らないでしょ」

 

「負担……」

 

 そんなことを言われるとは思わなかった。少し驚いて、カリーナの方をじっと見る。もっとも、部屋が真っ暗なので彼女の表情はうかがえない。しかし、その声音には確かな決意の色があった。

 

「お兄様ってば、リースベンでも戦地でも忙しそうに駆けずりまわってるでしょ。ずっとこんな調子じゃあ、イチャイチャしてる暇もないじゃない。夫婦の時間を作るためにも、できるだけ仕事は分担しなきゃ」

 

「……そ、そうだな」

 

 いやまあ、仕事は楽しくてやってるフシもあったりするのだが。むろんつまらない仕事も多いが、こと軍関係の仕事であればとても楽しいし充実感も覚えている。……しかし、家族のことを考えれば、今までのように仕事一辺倒の生活を続けるのはよろしくないというのは確かかもしれん。嫁たちとの時間をできるだけ作る、なんて決心をしたばかりだしな。

 

「イチャイチャとかはまあ半分冗談にしても、子供ができた時のことを考えれば、父親が忙しすぎるってのは問題でしょ」

 

「た、確かに!」

 

 言われてみて、初めて気づいた。結婚するということは、子供ができるということ。しかも嫁が沢山いるのだから、子供もたくさん生まれるのが自然だ。そんな子供たちを無視して、仕事に没頭する? いかん、いかんぞ。ダメおやじ一直線だ。

 

「むむむむ……」

 

 これはカリーナに一本取られたかもしれん。この義妹は、僕などよりよほど真面目に将来のことを考えている。そうだ、確かに子育てほどの重大事は人生において他にはない。

 

「……ま、貴族の子育てだからね。何もかも乳母と保父に丸投げ、なんて家庭も少なくないけどさ。お兄様って、そういうタイプじゃないでしょ」

 

「ないなぁ」

 

 そりゃ、まったく他者の手を借りないなんてのは不可能だろうけどさ。でも、丸投げするのは流石にだめだろ。そんなことしたら、僕はこの子の父親ですと胸を張ることができなくなってしまう。

 

「……確かに、カリーナの言う通りだ。今後に備えて、今から布石を打っておくべきだろうな。おい、カリーナ。本当に頼りにしてるぞ? このままじゃ、僕は種だけ蒔いてあとは知らん顔の種馬ルート一直線だ。最低限オヤジ面ができるくらいの育児時間は捻出しなきゃならん。そのためには、組織改革と人材確保が必須だ」

 

 現状、僕は死ぬほど忙しい。休みなしで朝から晩まで働いている。半分好きでやっていることだが、子供ができた後もこんな生活をしていたらどう考えたって子供には後ろ指を指されるだろう。そんなのは嫌だ。

 

「任せて!」

 

 カリーナは僕から身を離し、ドンと胸を叩いた。

 

「今のうちから、どんどん仕事を任せてね。今の私は確かに未熟だけど、立場にふさわしい人間になれるよう全力で頑張るから」

 

「お前は本当に……」

 

 一年前のコイツは、初対面の僕にいきなり押し倒してやるだとか言い出すようなロクデナシだった。それが、この短期間でよくもまあここまで成長したものだ。思わずホロリときて、僕は目尻を拭う。女子、三日会わざれば刮目して見よ。いわんや一年もたてば……。

 自分で言うように、確かにカリーナにはリースベンの中核人材になれるだけの将来性がありそうだな。うーむ……よし、決めた。彼女には、これからさらにビシバシと仕事を任せることにしよう。経験を積まねばキャリアアップはできんからな。

 

「……よし、カリーナ。じゃあ、お前に新しい仕事を一つ任せよう。リースベンの将来にかかわる、重大な仕事だ。いけるな?」

 

「も、もちろん」

 

 いささか緊張している様子だが、良い返答である。僕は満足して頷いた。

 

「よし。お前の下にアンネリーエをつける。彼女と友達になって、ディーゼル家とミュリン家の関係改善に努めろ」

 

「ぴゃッ!?」

 

 こんなことを言われるとは予想もしていなかったのだろう。カリーナの素っ頓狂な声に、僕は思わず苦笑した。



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第545話 くっころ男騎士と義妹嫁騎士の転機(2)

 アンネリーエ氏の身柄をお前に任せる。そんな無茶ぶりを受けたカリーナは、先ほどまでの自信ありげな様子からは一転、完全にフリーズしてしまっていた。彼女の背中を優しく撫でつつ、僕は苦笑する。同衾の最中にこんな話をするだなんて、僕はなんと野暮な男なのだろうか。

 

「アンネリーエをリースベンで預かる、という話は既に決まっているんだ。ただ、その世話役については少々迷っていてね。いろいろ考えていたんだが……お前が適任じゃないかと思ってさ」

 

 先日、僕はイルメンガルドの婆さんから面倒な仕事をひとつ頼まれた。彼女の孫……あのアンネリーエ氏の身柄を押し付けられたのだ。名目は人質だが、イルメンガルド氏は『どうにかこの馬鹿孫を叩きなおしてやってほしい』などとも言っていた。あの婆さんは、どうやら僕に孫の再教育を押し付ける腹積もりらしい。ウチは学校じゃねーぞ、というのが正直なところだ。

 とはいえ、この依頼自体はむしろ渡りに船であった。現状のままアンネローエ氏がミュリン伯になったら、リースベンの将来にかなりの暗雲が立ち込める。なにしろ、彼女は重要な交渉の真っ最中に独断で交渉相手に喧嘩を売るような女なのだ。

 このままではまずいので、アンネリーエ氏にはなんとか更生してもらいたい。しかし、すでに一度ならず二度までも後継者教育に失敗しているイルメンガルド氏にそれを任せるのは不安だ。ならば、再教育はこちらの手で行うのが一番だろう。リースベンやディーゼル家に好意的になるよう誘導すれば、将来の火種も消せて一石二鳥だ。

 

「……な、なんでさ」

 

 あんなヤツを押し付けられちゃ困る。カリーナはそう言いたげな様子だった。気持ちはまあわからんでもない。

 

「お前が次期ズューデンベルグ伯の叔母で、アンネリーエが将来のミュリン伯だからさ。両家の橋渡し役として、これほど適任な人材は他にない」

 

 彼女を撫でる手を止め、僕は彼女にぐっと顔を近づける。吐息のかかる距離だ。暗闇の中でも、彼女の口角がふにゃっと下がるのが見えた。よし、もう一押し。僕はそっとカリーナにキスをした。もちろん、我が義妹はそれを拒むどころか自分からぐっと唇をおしつけてくる。よしよし、この頃だんだんこの手の状況での定石がわかってきたぞ。

 

「……いいか、カリーナ。ミュリンとディーゼルが不仲なままでは、いろいろと困るんだ。こんな戦争が二度も三度も起っちゃリースベンにはいつまでたっても平和は訪れない」

 

 リースベンとエムズハーフェンが結ばれた以上、その間に領地を持つミュリン家やジークルーン家はいやおうなしにこちらの勢力圏に取り込まれる。戦争で完全敗北した彼女らには、他に生き残る道がないのだ。そのことは、すでに裏の講和会議(内容が内容なので、この会議が王家に漏れないようだいぶ気を使っている)では確認済みだった。

 とはいえ、ミュリンにしろジークルーンにしろ国力だけ見ればリースベンよりもはるかに大きな有力諸侯だ。一度勝ったからといって放置していれば、痛い目を見るのは確実。むしろ、戦争のショックが癒えないうちにこそ取り込み工作を本格化させておく必要がある。

 

「た、確かにそうだけどさぁ……」

 

「だろ?」

 

「い、いや、でも……相手はあのアンネリーエだよ? 正直、自信ないんだけど……」

 

 先ほどまでの威勢はどこへやら。カリーナはすっかり自信を失った様子だった。まあ、アンネリーエ氏の所業は彼女も知っているからな。そんな相手と友達になれなどと言われても、なかなか難しいのは確かだろう。それに、ディーゼル家とミュリン家の因縁は歴史的なものだ。そう簡単に関係を修復できるものではない、というのもあるだろう。

 

「大丈夫だ。もちろん、僕だって援護はする。お前に丸投げにはしないさ」

 

 軽い口調でそう言いながら、僕はカリーナの肩を叩いた。実際、この任務は極めて重要なのだ。僕が……というか、アデライドが危惧しているのは、ミュリン・ズューデンベルグ戦争の再燃だけではない。ミュリン家が反ディーゼルに凝り固まったままの状態だと、今後エムズハーフェン家に取り込まれてしまうのではないかという懸念もあった。

 秘密同盟を結んだエムズハーフェンではあるが、あのカワウソ殿の手腕もあり決して油断できる相手ではない。最悪の場合、庇を貸して母屋を取られる事態も考えられた。彼女らの勢力拡大は出来るだけ阻止するべし、というのがアデライドの方針なのだ。

 そのためにはまず、ミュリン家やジークルーンといった帝国諸侯の切り崩しを狙う。ミュリン家とディーゼル家の和解もその一環だった。伯爵級の中規模勢力を糾合し、エムズハーフェン家とは別派閥に仕立て上げる。そうすれば、両者は適度にいがみ合いリースベン本国への圧力は減る……。まるで天下三分の計だな。

 

「確かに、歴史的な不和を修正するのは容易ではないだろう。だかこそ、アンネリーエにはお前と同じ釜の飯を食わせる。現状、これが一番可能性の高い"仲直り"プランだ。オーケイ?」

 

 まあ、同じ釜の飯を食ったところで仲良くなれるとは限らんがね。とはいえ、今のアンネリーエ氏は尊敬していた祖母のまさかの敗戦で随分とショックをうけている。そのせいか、この頃は毎日僕のもとへやってきてあれころおしゃべりをしていく始末だ。彼女の中で何かしらの心境の変化があったのは間違いない。

 経験上、こういう時につけ込めば人はコロッと転んでしまう。いわばボーナスタイムだ。ここを攻めない理由はない。……自分で言っておいてなんだが、完全にカスのやり口だな。まあ、仕方がないが。背に腹は代えられないだろ。

 

「……了解」

 

 幼く見えても、カリーナは実戦経験のある立派な士官だ。命令という形で任務を提示すれば、頷くほかないということは理解してくれる。彼女の答えに満足した僕は、再びその頭をぐりぐりと撫でてやった。

 

「敵だった相手を、味方に変える。自慢じゃないが、僕の得意技だ。そしてお前は、義理とはいえ僕の妹。きっと上手くいくさ、安心しろ」

 

「わかった、頑張る」

 

 頷くカリーナを、僕はぎゅっと抱き寄せた。うん、うん。本当にいい子だ。お前ならば、この難儀な仕事だってきっと成功させられるさ。もちろん、全部こいつ任せにする気はないがな。当然ながら、適切なバックアップはするつもりだ。今は大人しくなっているとはいえ、アンネリーエ氏はなかなかの難物だ。カリーナ一人の手には、流石に余るだろう。

 僕は、カリーナには自分のような軍事一辺倒の人間にはなってもらいたくないと考えていた。目指すは、エムズハーフェン選帝侯のような政戦両略の人材だ、まあ、あそこまでの傑物になるのはなかなか難しいだろうが、そこはそれ。なんにせよ、リースベンの中核を成す人間を目指すのであれば若いうちにいろいろな経験を積んでおくに越したことはない。

 

「……はぁ。やると言ったからにはやるけどさ。お兄様ったら、本当に女を乗せるのが上手いよね。悪男と言われても言い訳できないようなムーブしてるよ? 今」

 

「んっ!?」

 

 あきらめきった口調でそんなことを言いながら、カリーナは僕の鎖骨を甘噛みした。痛くすぐったいその感触に、思わず妙な声が出る。

 

「今夜は義妹として大人しくしているつもりだったけど、やーめた。お兄様がこの調子なんだもの、ちょっとくらいやり返したってバチはあたらないでしょ?」

 

 暗闇の中でも、カリーナの顔に嫣然とした笑みが浮かんでいることがわかった。……オ、オイオイオイ。ちょっとヤバくない? いや、駄目だって。お前まだ成人したばっかりだろ。あんまり妙なことはするんじゃない。

 

「か、カリーナ、やめなさい」

 

「ま、アデライド様への義理もあるからね。ユニコーンに蹴られるようなことはできないけど、さ?」

 

 などと言いつつも、カリーナはベッタリと僕にくっつきながら深呼吸をする。彼女の体温がどんどんと上がっていくのが、肌で分かった。う、ウオオ……子牛が肉食獣になりつつある。こいつはヤベェぞ。



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第546話 ナンパ王太子の暴走

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワは苛立っていた。レーヌ市を巡る戦いが、予想に反して長期化しつつあったからだ。我が王軍は川辺の大都市レーヌ市をすっかり包囲していたが、敵の抵抗は頑強でありいまだにその城壁に取りつけずにいる。腹立たしいことこの上ない。

 本来の計画であれば、レーヌ市はとうに落ちているはずだった。にもかかわらずこんなことになっているのは、砲兵隊が対城射撃を始める前にわが軍の弾薬集積地に戦術魔法が撃ち込まれてしまったからだ。堅牢な城壁をも崩す威力の大魔法は貴重な弾薬類を軒並み吹き飛ばし、砲兵隊はその本領を発揮する前にただの文鎮と化した。こうなればもう、軍制改革前の従来のやり方で攻城戦を仕掛けるほかない。

 

「いつになったら落ちるんだい? レーヌ市は」

 

 にわか作りの指揮本部には、不快な空気が満ちていた。真夏とはいえ、ここレーヌ市はそれなりに北にあるため気温は高くない。だが、河が近いだけあって湿度は高かった。そんな場所に、ここしばらくマトモに風呂にも入っていないむくつけき武人たちが十人以上も雁首をつき合わせているのだ。居心地の悪さと言ったらない。

 おまけにその武人どもが軒並み不景気な顔をしているのだからたまったものではない。さっさといくさから足抜けしたいと思っている者、ロクな戦果も上がらず兵糧ばかりが減っていく現状に焦っている者、遅々として進まぬ攻撃計画に苛立っている者……誰もかれもが、この戦争に不満を持っていた。空気が良くなるはずがない。

 

「相手は何十年もかけて防御設備を増築した大都市……それも水城でありますから。初手の速攻作戦がとん挫した以上は、もはや腰を据えてじっくりと攻略するほかありませぬ。焦りは禁物ですぞ、殿下」

 

 何回説明させる気だ、という表情を隠しもせずにそう答えるのは、今回の遠征の実質的な総指揮官であるガムラン将軍だった。宰相アデライドと同じく宮中伯の位階を持つこの中年竜人(ドラゴニュート)は、王軍の重鎮の一角を成す大物貴族だ。

 ガムラン将軍は初陣からずっと王軍に籍を置き続けているという生え抜きの将校で、過去に起きた幾度かの貴族反乱を見事な手管で無事鎮圧した経験もある。それゆえ余も彼女には信頼を置き、レーヌ市遠征の指揮を任せたわけだが……どうにも、今の彼女の指揮には不満を覚えざるを得ない。とる策があまりにも消極的過ぎるからだった。

 彼女の作戦はこうだ。まずは技師を呼び寄せ、攻城塔や攻城槌、投石器などの古典的な攻城兵器を組み立てる(むろんその建材は現地調達だ)。そして十分な兵器が揃ったら、それらを用いて正攻法で城壁を乗り越える……。数百年前から進歩のない、たいへんにカビくさいやり方だ。南でアルベールが見せたという電光石火の対城戦術とは比べるものおこがましい。

 

「むろん、その程度のことはわかっているよ。しかし、市街を包囲するばかりで大きな圧力も加えないというのは、流石に手ぬるいのではないかな? 君の言うように、レーヌ市は水城だ。早々のことでは物資切れは起こさない」

 

 指揮卓の上の地図を指で叩きつつ、余はそう言った。大きないくさに参戦するのはこれが初めてだが、用兵術については余もそれなりの勉強をしている。確かに、水城は厄介な存在だ。なにしろ、水路を使って密かに物資を運び込むことができる。兵糧攻めを貫徹するのは困難を極めるだろう。

 

「しかし、だからこそ消耗戦に付き合うのは得策ではないと思うんだがね?」

 

「確かにそういう側面もありますがね……」

 

 指摘を受けたガムラン将軍は、片手に持っていたパイプを口に運んだ。そして煙幕を張るように、もうもうたる白煙を吐き出す。

 

「この遠征軍はライフル兵が主力なのです。貴重な火薬の浪費は避けたいと思いましてね……」

 

 何を言ってるんだ、この女は。火薬を温存したいのなら、なおさら短期決戦を志向するべきじゃあないか。漫然と長時間の射撃を続けるよりも、短時間のうちに猛烈な射撃を加えて敵を制圧したほうが、かえって弾薬の消費量は少ない。あのアルベールの書いた教本にもそう書かれていたじゃないか。

 消耗を嫌っておきながら、長期戦を志向する……矛盾した行動だな。大丈夫なのだろうか? この女。戦歴を評価して将軍に抜擢したはいいが、往年の鋭気はすっかり鈍ってしまっているらしい。娼館通いが趣味だという話だし、妙な病気でももらって頭がボケてしまったのだろうか?

 

「火薬が足りないからこそ、迅速に敵を倒す必要があるんだろう!? 経験の足りぬ余ですら、その程度のことは理解しているぞ。ガムラン将軍、君は……!」

 

「まあまあ、落ち着いてください殿下」

 

 撃発しそうになるも、諸侯の一人が余を止めた。オレアン公だ。とはいっても、もちろんあの陰険な老婆ではない。なにしろ彼女は去年の王都内乱で戦死している。オレアン公の座は、あの老婆の次女であるピエレット・ドゥ・オレアンという女が継いでいた。

 王都反乱の首謀者は、前オレアン公の長女……つまり、現当主ピエレットの姉だ。母と姉を一度に失い繰り上げで当主になったピエレットはどうにも凡庸な女で、宮廷での評価は芳しくない。まあ、派手な反乱を起こした女の妹なのだから、好意的にみられるはずもないわけだが。

 

「我らの敵は、レーヌ市の守備隊ばかりではありません。むしろ、本命は皇帝軍のほうでしょう。彼女らは、我らが好きを晒すのを虎視眈々と待ち構えております。拙速な行動は避けるべし、というガムラン将軍の作戦も一理あるのではないかと」

 

「……ふんっ、どうだか」

 

 たしかに、皇帝軍は脅威だ。リヒトホーフェン家の現当主……アレクシアの妹、マクシーネに率いられたこの軍勢は、総兵力が三万を超えている。数の上ではわが軍とほぼ同じだ。もっとも、こちらにはライフルがある。アルベールは同様の条件で三倍の敵を倒したのだ。同数であれば、それほど怖いとも思わない。

 しかし、なるほど。ガムラン将軍もオレアン公も、皇帝軍に恐れをなしているのか。火器があれば、数ばかり膨らんだ雑兵の群れなど大した脅威ではないというのに。やはり、旧守派は駄目だな。宰相らの一派を倒したら、こういった頭の中が古いままになっている連中も掃除したほうが良いかもしれない。

 気に入らないな。まったく気に入らない。砲兵隊さえ活躍していれば、この愚か者どもの鼻を明かすことができたというのに。だが、それを成すための弾薬は噂に聞く男魔術師の手で消し飛ばされてしまった。少人数でこちらの勢力圏に侵入し、戦術魔法で大破壊を巻き起こす……恐ろしい手管だった。脅威以外の何物でもない。

 

「とにかく、正道にはこだわらない方がいいだろう。レーヌ市は堅城だ。古臭いやり方では攻略に時間がかかりすぎる」

 

 この戦争が終われば、宰相派の一斉清掃が待っている。前哨戦ごときで躓くわけにはいかないのだ。余は強い意志を込めて臣下らを睥睨したが、彼女らは嫌そうな様子で目を逸らすばかり。ああ、なんと情けない。我が部下には無能しかいないのか。

 いや、単なる無能ばかりではないかもしれない。作戦が躓いたのは、間違いなく弾薬庫の爆破が原因だ。だが、当然ながら弾薬をどこに集めているかという情報は、最高機密に指定していた。それが敵に露見し、実際に爆破されてしまったわけだからね。わが軍の中枢にスパイか裏切り者がいるのは間違いないだろう。

 

「……余は作戦の再検討に入る。君たちはここでやくたいのない話でもしていればいいさ」

 

 そう言って、余は椅子から立ち上がった。裏切り者がいるかもしれない場所で、作戦会議などできるはずもない。信用できるものだけを密室に集め、内々で方針を決する必要がある。

 

「お待ちください、殿下。もしやまた、あの怪しげな商人を呼ぶおつもりですか? あのような者に機密を教えてはなりません」

 

 オレアン公が慌てて立ち上がる。怪しげな商人というのは……ポンピリオ商会のヴィオラのことだろう。私はこの頃、この女と頻繁に会合をしていた。

 

「彼女は信用できる。謀反人の妹などよりずっとな」

 

 オレアン公の諫言を、余は容赦なく切り捨てた。ポンピリオ商会のヴィオラというのは、世を忍ぶ仮の姿。その正体は星導教の司教、フィオレンツァ・キルアージだった。最初は彼女を胡散臭いと思っていた余ではあるが、最近はすっかり信を預けるようになっていた。フィオレンツァが本気でこの国とアルベールの将来を心配しているということが理解できたからだ。余と彼女は、いわば同志。信頼できないはずがない。

 しかも、聖職者などをこなしているだけあって、フィオレンツァと話しているとありとあらゆる悩みが氷解していくような感覚があった。なぜかその時の記憶はあいまいなのだが、とにかく気分がスッキリして意志が強くなったような感覚を覚えるのは確かだ。それゆえ、最近はすっかり彼女と二人きりで話し合いをするのが日常化していた。

 

「お待ちください! 殿下、殿下! まだ確証が取れてはおりませんが、あのヴィオラという女は――」

 

 呼び止めるオレアン公を無視し、余は指揮本部を出ていった。こんな無能どもに合わせていたら、いつまでたってもこの国は良くならないしアルベールも救えない。余にはそれを成す義務があるのだ。フィオレンツァだって、そう言っている。こんなくだらない連中に、それを邪魔されるわけにはいかないのだ。

 ああ、アルベール。我が愛しき男。彼は今、どうしているのだろうか? 彼がいまだに宰相の魔の手から逃れられずにいると思うと、虫唾が走る。牽制のためにモラクスを送ったが、どうにも心配だ。なにしろあの女は、特筆するような成果を上げたことなど一度もない地味な法衣貴族なのだ。アルベールを助けるためにも、もっと有能な者を出したかったのだが……。

 ……いや、大丈夫。モラクスを推薦したのはあのフィオレンツァだ。智謀に優れた彼女のことだから、きっと何かしらの勝算はあるはず。余にとって、フィオレンツァはほぼ唯一の同士なのだ。それを疑うことなどあってはならない……。

 




予告しておりました通り、本日より更新頻度を下げさせていただきます。

火・木・土・日の週四日更新の予定ですので、これからも本作にお付き合いいただければ幸いです。


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第547話 くっころ男騎士と南部戦線異状なし

 レーヌ市の攻囲が始まって、気付けば一か月半が立っていた。攻城戦というのは、たいていの場合は長引く。レーヌ市をめぐる戦いもそれは同様で、待てど暮らせど落城の報告はやってこない。

 その間も、相変わらず南部は平穏だった。いや、平和というには少し語弊があるかもしれない。戦闘自体は頻発していたからだ。もっとも、それは領邦同士の大規模な衝突などではない。敵は盗賊、火事場泥棒、ごろつき……そういった無法者どもだった。

 戦争が起きれば流民が増える。流民が増えれば治安が悪化する。治安が悪化すれば、それに付け入る悪党も増える。当然のことだ。ミュリンやジークルーン、それにエムズハーフェンといった帝国の南部諸侯の軍は我々の手でボコボコにしてしまったから、この手の無法者への対処はどうしても後手に回ってしまう。我々占領軍が出動するしかないのだ。

 

「アルベール、ベルカ村西ん廃砦を根城にしちょった盗賊団を|チェスト(なおして)きたぞ」

 

 ミューリア城の一室に設けられた占領司令部に入ってきたフェザリアが、そんな報告をする。最高の猟兵であるエルフは、対盗賊戦でもたいへんな活躍を見せていた。この一か月半で、彼女は七つもの盗賊団を壊滅させている。討ち取った盗賊の中には、高額の賞金を懸けられた札付きの凶悪犯も含まれていた。

 

「うん、よくやってくれた。相変わらず、君たちは頼りになるな」

 

 執務机に積みあがった大量の書類を処理する手を止め、僕はフェザリアにニッコリと笑いかける。

 

「報告書はあとで読むとして……戦果や被害についての次第を教えてくれ」

 

「食い詰めてからはいめっ武器を握ったような短命種(にせ)に後れを取っエルフ(ぼっけもん)なぞおらんど。残らず根切りにして、討ち取った首は見せしめとしてベルカ村ん郊外に積み上げてきた」

 

「あっ、そう……」

 

 また生首タワーを作って来たのか、こいつら。何度目だよ……。いやまあ、盗賊は問答無用で死罪というのがこの世界の常識だ。根切りにすること事態に異論はないのだが、見せしめのやり方があまりにも猟奇的なのは勘弁してほしい。

 

「それと、囚われちょった男が何人けおったで、ミュリン軍の連中に預けてきたど」

 

「またか」

 

 僕は額を押さえてため息をついた。この手の悪党は、若い男と見れば問答無用で攫って行く傾向がある。奴隷や男娼として売り払うためだ。これがなかなか、良いシノギになるらしい。やはり、戦乱においては男子供などの弱者から食い物にされていくものだ。

 

「ありがとう、よくやってくれた。部隊に酒を回すように手配しておくから、しばしゆっくりと休んでほしい」

 

「ン」

 

 コクリと頷き、フェザリアは部屋から去ろうとした。しかし彼女がドアノブに手をかけようとしたところで、僕が呼び止めた。

 

「ああ、そうだ。たまには一緒に飲まないか?」

 

「よかか?」

 

 こちらに振り返ったフェザリアは一見仏頂面だったが、よく見れば口元が緩んでいる。ちょっと嬉しそうだ。

 

「ああ。今夜なら、たぶん大丈夫」

 

 僕も大概忙しい身ではあるが、仕事にかまけて"家族"をないがしろにするわけにもいかない。この頃の僕は、暇を見つけてはこうして家族との交流を図るようにしていた。

 

「承知した。時間を空けちょこう」

 

 短くそう答えてから、フェザリアは今度こそ指令室を後にする。あっさりした会話だったが、ドアが閉まる瞬間彼女がグッとガッツポーズをしているのが見えた。良かった、どうやら喜んでくれたようだ。

 

「……」

 

 僕は密かに大きく息を吐く。昼はガンガン仕事をして、夜は美人な嫁とゆっくりとした時間を過ごす。ああ、なんという充実した毎日だろうか。こんな日がいつまでも続けば良いのに、などという気分すら湧いてくる。まあ、占領地の司令官という立場はさっさと辞したいが。

 しっかし、僕はいつになったらリースベンに戻れるんだろうね。軍役の期間は、とっくに超過しているんだけども。しかし、王家は相変わらず僕に戦場へと留まるよう"依頼"(軍役は終わっているので"命令"はできない)し続けている。レーヌ市で一進一退の攻防を続ける王軍の元に、帝国南部諸侯が攻め寄せたらたいへんに面倒なことになる。戦線が離れているとはいえ、だからこそ牽制は必要なのだ。

 むろん、こちらとしてもタダ働きをしてやるつもりはない。軍役終了後、わが軍には王家から改めて褒賞金が下賜された。さらに、これとは別に軍資金も投入されている。おかげで我々はミューリア市に滞在しているだけで少なくない額のカネが転がり込んでくる状況になっていた。これはこれで……正直美味しくはある。

 それに、王家の指示に従い続けていれば、ある程度周囲に対しても恰好がつくからな。この状態で王家が我々を切れば、悪いのは向こうの方という話になる。正統性の確保ってやつだ。そういう訳で、僕は相変わらず"南部方面軍司令"などという無暗にデカい肩書を掲げ続ける羽目になっている。

 

「いやはや、やはりリースベン軍は凄いな。まさに獅子奮迅の活躍だ」

 

 ボンヤリと思案していた僕に声をかけて来るものがいた。エムズハーフェン選帝侯閣下だ。彼女はニコニコ笑いながら、こちらを見ている。秘密同盟と共に僕の新たなる婚約者にもなってしまったこのカワウソ殿は、近頃すっかりこの司令部に入り浸るようになっていた。

 

「先日も、我が領地で暴れていた盗賊どもを討滅したばかりだろうに。自分の領地でもないというのに、これほどまで精力的に活動してくれるとは、まったく驚きだ。南部諸侯を代表して礼を言わせてほしい」

 

「と、盗賊相手に実地演習をやってるだけなので……」

 

 すっかり味方ヅラをしてそんなことを言うエムズハーフェン殿に、僕はすっかりタジタジだ。やめてください過度にヨイショするのは。僕たちの関係は一応秘密なんですよ。

 

「これまで、盗賊どもの対処は後手後手にならざるを得なかった。他の領邦に逃げこまれば、手を出せなくなってしまうからな。しかし、リースベン軍は国境を越えて活動できる。これは強い。まさに、盗賊対策の特効薬だ」

 

 ニコニコ笑いのまま、エムズハーフェン殿は香草茶を口に運んだ。

 

「いくさが終わった後も、リースベン軍には駐留しつづけてもらいたいくらいだな。ふふふ……」

 

 隠微な笑みと共にヤバイ発言をするエムズハーフェン殿。つまりアレか、僕に南部の盟主にでもなれと? やめろやめろ! ガレア王国に属している僕がそんなことできるわけないだろ! 僕に王家を裏切れとでもいうつもりか!?

 ……たぶんそうだよなぁ。彼女とアデライドが立てた計画において、ガレア王家はかなりの邪魔ものだ。できれば排除したいと考えていてもおかしくない。でも、ガレア諸侯もいるこの部屋でそんな危ない発言をするのはマジでやめてください。

 

「ははは……」

 

 愛想笑いで彼女からの圧力をかわしつつ、僕は内心ため息をついた。まったくもって、困ったものだ。気付けば、すっかり謀反人としての足場が固まりつつある。この有様じゃ、王家から疑念を抱かれるのも当然のことだ。いやまあ、僕がこういう立場に置かれたのはそもそも王家がいらぬ疑いをかけてきたことが原因なのだが。

 

「いやはや、本当にブロンダン卿はお優しい。敵国を荒らすどころか、手助けしてしまうとはね」

 

 案の定、イヤミが飛んできた。発言者は、軍役を終えて領地へ戻っていったヴァール子爵の後任としてやってきた小貴族だ。こいつもヴァール子爵と同じくヴァール伯爵家の縁者で、僕を敵視している。交代の際、ヴァール子爵からあることない事を聞かされたのだろう。

 ヴァール子爵が去ったように、ガレア諸侯軍の陣容もずいぶんと変化していた。戦役当初から参陣していた者たちが、軍役期間を終えたからだ。僕のように王家から直々に慰留された者もいるが、多くの諸侯は所領に帰ってしまった。自分と関わりのない戦争に長々と参加し続けたい領主貴族などそうはいないから、当然のことだ。

 むろんそんな有様では軍を維持できないので、王家は新た軍役を招集して戦力の維持を図った。それでも全体的な兵力は低下の一途をたどり、当初は一万名を数えた南部方面軍も現在の兵力は七千名を割っている。まあ、現状を考えれば七千でも多いくらいだが。

 

「盗賊はイナゴの群れのようなものですから、餌場が枯渇すれば他の所へ飛んでいきます。我々の領地に類が及ぶ可能性も十分にありますから、早めに手を打っておいた方が良いと思いましてね」

 

「はあ、左様で」

 

 良かれと思ってやっている治安維持活動だが、どうにもガレア諸侯からの評判は悪い。そりゃあまあ、この世界の戦争では"敵の領地はガッツリ略奪してナンボ"みたいな常識があるからな。これはもう仕方がない事だ。

 そう言う訳で、盗賊討伐に参加するのはもっぱら僕直属の部隊、つまりリースベン軍ばかりだった。信頼できない他の諸侯共の軍を差し向けたら、そいつらのほうが盗賊化してしまうリスクがあるのだからしょうがない。どいつもこいつもマジ野蛮で困るんだが。

 

「まあ、所詮はついでの仕事ですから。ムリヤリ参加を要求したりはしないので、ご安心を。我々の本来の任務は、帝国南部に圧力を与え続けることですからね」

 

 ようするに、そこにいるだけでいいってことだ。楽な仕事だよ、まったく。張り合いがないのでさっさと終わってほしい。いや、もちろん兵隊をズラッと並べて敵を牽制するのも立派な戦術のうちだがね。

 

「ええ、もちろん。我々の主君は王家であって、ブロンダン卿ではございませんから」

 

 おお、おお、言ってくれるね。まあ、事実なので文句は言わんが。しっかし、空気が悪いねぇ。エムズハーフェン戦で轡を並べた連中も、ほとんど所領に帰っちゃったし。新しく入ってきた連中はこちらの戦いぶりを見ていないのでガッツリ舐めてくる。勘弁してほしいなぁ。

 ま、なにはともあれ王家はさっさと戦争を終わらせていただきたいものだな。楽しく仕事をしたいなら、ミュリンよりもリースベンの方が環境がいいからな。さっさと辺境引きこもり生活に戻りたいぜ……。



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第548話 くっころ男騎士と貢物合戦

 諸侯らの嫌味を右に左に受け流しつつ仕事を続けていたら、気付けば昼食の時間になっていた。軍人にとって、食事と言えば唯一の癒しと言っても過言ではないイベントだ。しかし、この頃の僕はいやおうなしに政治に関わらなくてはならない立場になっていた。こうなると、単なるメシですら無心で楽しむことはできなくなる。

 

「木っ端諸侯の扱いが面倒なのは、神聖帝国でも王国でも変わらないわねぇ」

 

 ミューリア城の一角にある小さな応接室で、僕は昼食をとっていた。テーブルの上にはなかなかに豪華な料理が並んでいる。メインディッシュはザワークラウト(塩漬け発酵キャベツ)とソーセージやベーコンを一緒に蒸し焼きにしたシュークルートという料理。くしくも、今回の戦争の焦点となっているレーヌ市近辺でよく食べられている郷土料理だった。

 でかいソーセージがゴロゴロしたシュークルートは大変にうまそうだが、残念ながら今の僕は夢中になって料理に舌鼓を打つ暇などない。なにしろ、対面の席に座っているのはあのエムズハーフェン選帝侯なのだ。一応協力関係を結んでいるとはいえ、油断できる相手ではない。ぽやぽやしていたらケツの毛までむしられてしまう恐れがある。

 しっかし、こうして敵国の諸侯と食卓を囲むというのはだいぶ妙な気分だな。こういうことしてるから、余計な疑念を買うんだろうが。……いや、もちろん僕と選帝侯殿の関係は秘密だ。この会食も、王国側の連中には露見しないように手配してある。城主のミュリン伯イルメンガルド氏がバックについているので、この手の工作はそうむずかしいものではない。とはいえ、情報なんてものは漏れる時には簡単に漏れるからなぁ……

 

「ヴァール伯爵一派ですか。確かに、少しばかり仕事がやりにくいですね」

 

 僕を敵視していたヴァール子爵は所領へ戻ったが、その母親であるヴァール伯爵は手勢を何人も南部方面軍へと送り込んできた。こいつらはいつの間にか一派を成し、諸侯軍の中に居る僕を嫌う者たちと結合して妙な派閥を作り上げている。

 成り上がり者、しかも男ということもあり、僕は結構な嫌われ者だ。エムズハーフェン戦で轡を並べた諸侯らからは戦友扱いを受けていたが、今やそういった者たちの多くが軍役を終えて帰途についてしまったしな。そういう訳で、今の南部方面軍における僕の立場はいささか浮いたものになっている。

 

「とはいえ、まあ今のところは嫌味をぶつけられる程度の被害で済んでおりますから。それほど大した障害ではありませんよ」

 

 ザワークラウトを丁寧な所作で口に運ぶエムズハーフェン選帝侯を見ながらそう言うと、彼女は口の中のものをしっかり飲み込んでから「ふぅん」と短く答えた。

 

「今はそうでも、そのうちエスカレートするかもだから油断しちゃ駄目よ? アル。……それから、敬語も駄目。周囲の目がない場所なんだから、夫婦らしい言葉遣いをしましょうよ」

 

 ウィンクしつつそんなことを言うエムズハーフェン選帝侯に、僕は曖昧な笑みを浮かべることしかできない。同盟締結後、彼女はプライベートな席ではこうしてラフな言葉遣いをするようになっていた。普段の威厳ある口調とはまったく異なる、親しみやすい話し方だ。そして、これを僕の方にも求めてくる。

 

「いやいや、それはどうかと思うぞ? 選帝侯殿。政略によって結ばれた縁なのだから、必要以上に親しくする必要もあるまい。余計な情が生まれれば、選帝侯殿も動きづらくなってしまうだろうからな」

 

 僕の隣の席に収まったアデライドが、とげのある口調で選帝侯殿を牽制した。今は戦争というよりも政治の季節だから、相変わらず僕の補佐はアデライドが担当してくれていた。立場的には、むしろ僕の方が秘書のようなものだけどね。

 

「それは困ったな。私は敬虔な星導教信者でね、不倫などは唾棄すべき真似だと思っている。ならば、愛とぬくもりが欲しければ夫に求めるほかないだろう?」

 

 僕に向ける優し気な口調からは一転、選帝侯殿はいつもの厳格で冷たい口調に戻って言った。

 

「敬虔な星導教信者が、すでに妻が何人も居るような男に手を出すというのはどうかと思うがねぇ?」

 

「星導教は確かに一夫二妻を推奨しているが、これはあくまで"推奨"だ。それ以上の関係が禁止されているわけではない」

 

 笑顔を浮かべたまま、宰相と選帝侯はつばぜり合いを続ける。なんだろう、胃が痛くなってきたな。これ、一応両手に花的なシチュエーションなのになぁ。全然うれしくねぇや。

 

「そういえば選帝侯殿。今朝リースベンのソニアから連絡があったのですが、エムズハーフェン製の弾薬の第一陣が到着いたそうです」

 

 僕がそういうと、二人の小柄な美女は揃って『こいつ、露骨に話を逸らしやがった』みたいな顔になる。ああ、そうだよ。話題逸らしだよ! 残念ながら、僕はこんな環境で飯を楽しめるほど図太くはないし、さりとて二人の仲裁が出来るほど口が上手くもない。戦略的撤退以外の選択肢はないだろ。

 

「……せめて、ツェツィーリアと呼んでもらいたいのだけど?」

 

 流し目をくれつつ、選帝侯殿は唇を尖らせた。小動物めいた可愛らしいお姉さんがそういうことをすると、破壊力がスゴイ。とはいえ、ここでデレデレして頷くと後々怖い事になる。僕はチラリと隣の"本妻"をうかがった。

 

「……」

 

 しゃあねえな、それくらいなら許してやる。そんな顔で、アデライドは小さく頷いた。かなり不承不承な感じだが、容認には違いあるまい。

 

「え、ええと。では、ツェツィーリア……」

 

「よろしい。貴女の顔に免じて、今回は矛を収めてあげましょう。……で、弾薬だっけ? 遅くなっちゃってごめんね。原料はそれなりの量が揃ってるんだけど、製造と配達に手間取ってね」

 

 エムズハーフェン家には、秘密裏に前装式ライフル(ミニエー銃)の製造法を教えている。その代金が、弾薬の提供だった。王家との衝突の可能性が高まっている今、我々には一発でも多くの弾薬が必要だった。

 

「我々がエムズハーフェンから弾薬を受け取っていることが露見したら、いよいよマズいことになるからな。他の荷物に偽装し、発送元すらも隠して迂回ルートでリースベンに弾薬を届ける……我がカスタニエ家とエムズハーフェンの共同作業とはいえ、なかなか難儀をしたよ」

 

 フォークでソーセージを突きさしつつ、アデライドが肩をすくめた。

 

「ありがとう、二人とも」

 

「うむ、どんどん感謝したまえ」

 

 胸を張るアデライドに、選帝侯殿……もといツェツィーリアは『なんでお前が自慢げにしてるんだよ』みたいな顔をを向ける。それから小さく苦笑して、こちらを見た。

 

「まったく、ガレア王国と神聖帝国屈指の大貴族二人にあれこれ貢がせるとはねぇ。こんな悪男、千年に一人も出てこないわよ」

 

「はは、違いない。……貢ぐならば、宝石や貴金属を渡したいところなのだがねぇ。なんでこう、うちの夫は弾薬だの兵器だのまったくもって可愛げのない物品を求めるんだか……」

 

「い、いや、ははは……」

 

 宝石やら貴金属やらを貰っても困るだろ、正直。僕としては苦笑するほかない。

 

「ほう、兵器。私には弾薬をねだって、そちらには兵器と来たか。いったい、どのような代物を贈ったのか気になるね」

 

 油断ならない目つきのツェツィーリアが、アデライドをちらりと見る。しかし、彼女は隠微な笑みを浮かべつつ曖昧に頷くのみ。同盟関係とはいえ、なんでもつまびらかに明らかにするわけではないぞ、という態度だった。

 まあ、アデライドの方の"プレゼント"もなかなかに危険なブツだからな。そう簡単にバラすわけにもいかないのだ。……具体的にどういう物品かというと、後装式ライフル(スナイドル銃)。他にも対王家用の新兵器がいくつか、だ。

 特に後装式ライフル《スナイドル銃》の配備は極めて速いピッチで進んでいる。従来の前装式ライフル(ミニエー銃)を改造する形で、すでに一個中隊が武装の更新を済ませていた。これにより、わが軍の戦闘力は飛躍的に上昇した……はずだ。まあ、その分弾薬消費量も飛躍的に上昇しているだろうが。

 

「……はぁ」

 

 視線で牽制合戦を続けるアデライドとツェツィーリアを見つつ、僕は密かにため息を吐く。敵国の領主と密かに手を結び、武器の密貿易を行い、軍備を整える……。いよいよ本格的に謀反人としての地盤が固まってきた風情だ。僕はあえて王家に歯向かう気などさらさらないのに、準備と状況証拠ばかりがどんどん詰みあがっていく。正直、参っちゃうよなぁ……。どうすんだ? コレ。



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第549話 くっころ男騎士と戦勝

 翌日。今日も今日とて代わり映えしない占領軍生活である。もはやカルレラ市の執務室と変わらぬほど馴染んだ司令部へ出勤し、すっかり慣れた手際で仕事を消化する。途中でわが軍の下級貴族同士が決闘騒ぎを起こしている、などという報告が入ってきたがそれもいつものこと。またか、などと思いながら仲裁へと向かう。貴族などという生き物はみな血気盛んなので、この程度のトラブルは日常茶飯事だった。

 一時間ほどかけてなんとかアホ貴族二名をなだめ、司令部に戻ってきたころには昼前になっていた。今日はガレア諸侯どもと昼食会か、またヴァール派閥の連中にイヤミを言われそうだな。そんなことを考えていた時、司令部へ突然モラクス氏が走り込んできた。

 

「皆さま! 重大発表、重大発表です! 外へ出ている方がおられましたら、今すぐ呼び戻してください!」

 

 そう叫ぶモラクス氏の顔には明らかな喜びの色があった。こりゃ、朗報が来たな。僕はそう直感し、大きく息を吐いた。

 

「えー、皆さま。突然の招集、申し訳ありません。先ほど、王軍から速報が入ってきましたので皆様に連絡させていただきます」

 

 それからニ十分後。南部方面軍の重鎮が全員集合した司令部で、モラクス氏が改めてそう言った。彼女は誇らしげな様子で我々を見回す。

 

「九月十五日、王太子殿下率いる王軍はレーヌ市の完全掌握に成功。そして四日後の十九日、つまり三日前に神聖皇帝マクシーネ三世陛下との間で停戦が成立。今次戦争において、ヴァロワ王家の勝利が確定いたしました!」

 

 その言葉に、諸侯らは空虚な拍手を返した。おおむね予想通りの内容だから、驚きの声はない。まあ、勝てて良かったよ。そういう感じ。まあ、南部の人間からすればレーヌ市を巡る戦いなど所詮は他人事だ。万歳三唱が自然発生するほどの喜びはない。

 ま、当然といえば当然だな。今この司令部に詰めている諸侯の過半数が、エムズハーフェン戦の後に合流してきた連中だ。彼女からすれば、この戦争は召集こそされたが実戦らしい実戦は一度もやらないまま終わってしまったあっけない物だ。戦勝の喜びなど沸くはずもない。

 しっかし、やっとレーヌ市が落ちたか。包囲が始まって一か月半……もうすぐ二か月か? 攻城戦としては、長くもなく短くもなくって感じだ。いや、堅牢な水城であるレーヌ市を二か月で落としたのだから、かなり頑張った方かもしれない。

 

「……これに伴い、南部方面軍にも殿下より辞令が降りてきております。ご確認ください」

 

 シラけ気味の我々に『もっと喜べよ』みたいな顔をしつつ、モラクス氏は僕に命令書を渡してきた。いやまあ、気分はわかるけどしゃあないだろ。こっちの戦場はとうの昔に形勢が決定的になってるんだから。ミュリン領制圧からもう二か月以上たってるんだぞ、そりゃあシラけもするだろ。

 

「ありがとうございます、モラクス殿」

 

 むろんそんな内心はおくびにも出さず、僕は受け取った命令書を確認した。曰く、一応戦争は終結したがまだ講和会議は終わっていないので、戦争結果が確定するまでは軍は解散させずミュリン領の占領も維持するように……とのことだ。

 戦勝直後の事例としてはごく一般的な代物だな。戦争が終わったからと言って、ハイ解散とはいかない。最後まできちんと後始末をする必要がある。こちらとしても貰うものは貰ってるから、責任をもって付き合うほかない。

 

「なるほど、承知いたしました。竜頭蛇尾にならぬよう、最後まで奮励して任務にあたる所存であります」

 

 そう言いつつも、僕は自分の肩から力が抜けていくのを感じていた。はぁ、やっと戦争が終わったよ。長かったなぁ。いやまあ、開戦から三か月ちょいか四か月くらいで終結したのだから、特別長期戦だったというわけでもないが。むしろ、戦争の規模から考えればかなり短かったほうだ。前世の英仏百年戦争みたいなことにならなくてよかった、マジで。

 

「なんだ、もう終わってしまったのか……」

 

 しかし、僕とはまったく反対の感想を抱いた者もいたようだ。過激派担当、リュパン団長である。この人も僕と同じく軍役期間は既に過ぎているはずなのだが、なぜだか当然のような顔をしてこのミュリン領に滞在し続けている。

 おそらくは僕と同様に王家からの慰留を受けたのであろう。とはいえ、彼女は筋金入りの過激派だ。その目的はカネなどではなく、神聖帝国に対する新たなる攻勢に参加することに違いあるまい。

 

「ミュリン戦は間に合わず、エムズハーフェン戦は追いかけっこに終始。これほど大規模ないくさなどそうそう起こらぬというのに、なんと情けのない戦果だろうか。……くっ、汚名返上の機会を逸してしまったな」

 

「まあ、致し方ありませんよ。大戦とはいえ、所詮南部は補助戦線に過ぎなかったわけですし……」

 

 気分は分からなくもないが、泥沼の消耗戦に付き合わされてはかなわない。僕は苦笑しながらリュパン団長を慰めた。戦争なんてさっさと終わるに越したことはないよ、マジで。ベトナムやらイラクやらアフガンやらの二の舞はマジで御免だろ。

 

「手柄を上げられた貴様には言われたくないわっ!」

 

「ハハ、申し訳ない」

 

 いやそうな顔で叫ぶリュパン団長に、僕は笑うほかなかった。実際その通りだからな……ちょっと言い返せないわ。ミュリン戦でもエムズハーフェン戦でも戦ったのはリースベン軍ばかり。動員された他の諸侯らからすれば、自分たちは添え物かと文句を言いたくなるのも仕方のない事だろう。

 とはいえ、リュパン団長はカラッとした人柄だから、あれこれ言われてもまったく気にならない。不満を後に引きずるタイプでもないしな。この人は良くも悪くも武人気質なので、僕としては付き合いやすい。

 

「確かに、リースベン城伯殿が手柄を上げたのは事実。むろん、王太子殿下もそのことは重々承知していらっしゃる」

 

 腕組みをしながら、モラクス氏が僕をジロリと睨んだ。

 

「此度の戦功を鑑み、殿下は貴卿を伯爵に昇爵するよう陛下に進言するおつもりのようだ。喜ぶように」

 

「アッハイ、ありがとうございます」

 

 昇爵かぁ……まあ、そうなるだろうな。王都の内乱を鎮圧した時点で、近いうちに伯爵にしてやるという話は出ていたのだ。それほど驚くことでもない。新たな領地を下賜されるわけでもないだろうから、称号がリースベン城伯からリースベン伯爵へと変化するだけだろう。正直、あんまり嬉しいとも思わない。

 いや、だからと言って新しい領地が欲しいわけではないけどね。むしろ、これ以上土地を押し付けられても困るよ。僕のキャパ的には、リースベン領だけで手いっぱいだ。これ以上仕事が増えたらマジで過労死しかねない。

 

「いやはや、流石はブロンダン卿。殿下の覚えもめでたいようで……」

 

 ほらほら、案の定イヤミが飛んでくる。発言者は例のヴァール子爵の後任者だ。これも嫌なんだよなぁ。たぶん、僕が露骨にエコヒイキされていると感じているのだろう。実際、エコヒイキされてるしな。やっかみは身に余る出世の代償だ。甘んじて受け入れるほかないだろう。僕は小さく息を吐いて、彼女に頭を下げた。

 

「それから、リースベン城伯。貴殿には別口の辞令も来ているぞ。論功行賞の件だ」

 

 そんなことを言って、モラクス氏は一枚の書類を押し付けてきた。おいおい、また仕事を増やす気かよ。そんなことを思いながら、書面を確認してみる。すると……

 

「うぇっ」

 

 思わず妙な声がでた。そこに書かれていた辞令というのが、たいへんに厄介な代物だったからだ。内容をかいつまんで説明すると……戦勝パーティを開くから、お前も参加しろ。そういう意味の命令が、美辞麗句で装飾された長ったらしい文章で書かれていたのだった。

 

「殿下はリースベン城伯を直接ねぎらいたいと仰せだ。まったく、貴殿は幸せ者だな」

 

 うわあ、マジかよ。この期に及んで、遠方へ出張? 冗談じゃねえ。このミューリア市からレーヌ市まで、いったい何キロ離れてると思ってるんだ。ふざけるのも大概にしてくれ……。



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第550話 くっころ男騎士と作戦会議

「レーヌ市に出張要請、か。少しばかり難儀なことになったねぇ」

 

 難しい表情で、アデライドが唸る。モラクス氏による戦勝報告が終わった後、僕は作戦会議のために宿へ一時撤退をしていた。いくさに無事勝利できたのはたいへん結構なことなのだが、戦勝パーティ出席のためにレーヌ市まで出張してこいなどという要請を受けたのだからたまらない。このミューリア市からレーヌ市まで、いったいどれほど離れていると思っているのだろうか?

 

「正直、断りたいくらいなんだけど」

 

 これが前世の世界なら、飛行機を使ってパッと行ってパッと帰ってくることができるんだけどね。この世界ではそうもいかない。むろん、翼竜(ワイバーン)を使えば空の旅自体は可能だ。とはいえ、一騎につき一人の乗客しか載せられない翼竜(ワイバーン)では輸送効率がわ悪すぎる。一人二人で行けるような要件なら良いのだが、護衛や補助人員が必要となるような仕事では使いにくい。

 

「しかし、先方はレーヌ市で昇爵関連の式典もやると言っているんだろう? これを断るのはあまり外聞が良くないぞ」

 

 香草茶のカップに物憂げな視線を向けつつ、アデライドはため息をついた。面倒なことに、王太子殿下は僕をこの戦争における功労者の一人として名指ししているらしい。伯爵への昇爵もその一環だ。

 これはつまり、式典においてもそれなりに重要な賓客として扱われることを意味している。そんな名誉な扱いを受けているのに、大した理由もなく欠席するというのは後ろ指を指されても仕方のない行為だった。

 

「まあ、そうなんだけどさ……最近の王室周りはどうにもきな臭いからなぁ。あんまり近づきたくない感じがする。少しばかり体面は傷つくかもしれないけども、断っちゃったほうがいいんじゃないかな」

 

 行きたくない条件が重なりすぎてるんだよな、レーヌ市での戦勝パーティ。単純に長旅が嫌だし(これ以上リースベン領を留守にしたくないしな)、王室との関係に暗雲が立ち込めているというのもデカい。招集に応じてノコノコ出向いたら、何かしらの罠に掛けられるんじゃないかという懸念を抱かざるを得ない。

 

「いいかね? アル。体面、体裁、あるいは礼節。こういったものは、政治の世界では盾や甲冑として機能するのだよ。政情が不安定だからこそ、手を抜くわけにもいかない」

 

「なるほど……それもそうか」

 

 確かにそうだよな。王家からの要請を平気で無視するような真似をしてたら、そりゃあ周囲の評判も悪くなる。もしも何かがあった時には、あくまで被害者ですよと言えるようなポジションを確保しておかないといけないって訳か……。

 

「そうなると、出席は不可避か。仕方ないな……」

 

 ため息を一つついてから、香草茶を口に運ぶ。レーヌ市、レーヌ市かぁ。遠いなぁ……。徒歩なら間違いなく一か月以上かかるだろうから、全員騎馬で行く必要がある。替え馬の手配も必要だな。

 幸いにも旅費は全額王家持ち(まあ向こうの要請で出向くのだから当然だが)だから、かなりぜいたくな旅行計画を組むことができる。行く先々で馬を乗り換える前提であれば、旅程はかなり圧縮できるだろう。

 

「そうなると、警備面が心配ですね。最悪の場合、この招集が王家の罠である可能性もあります。主様の護衛は数も質も揃えたいところですが」

 

 そんな指摘をするのはジルベルトだ。なにやら、妙に僕をチラチラ見ている。どうやら自分が護衛に付きたいようだ。

 

「流石にそれはないと思うがね……。万一この一件が罠だった場合、王家は功績ある臣下をだまし討ちにする卑怯者ということになってしまう。去年の反乱で、王家の体面はおおいに傷ついたからねぇ。マトモな頭があれば、これ以上自分たちの立場が悪くなるような真似はしないはずだ」

 

 指をクルクルと回しながら、アデライドが反論する。しかしジルベルトは納得しない様子で首を左右に振った。

 

「それは分かりますが、最悪の事態に備えるのが軍人の役割ですから。こと、主様の身の安全ともなれば手抜きはできませんよ」

 

「まあ、それはその通りだねぇ。備えるに越したことはない。暗殺めいたことは流石にやらないと思うが、なんらかの濡れ衣を着せるような罠を仕掛けてくる可能性は捨てきれないしねぇ……」

 

 ジルベルトとアデライドは、二人して腕を組み頭をひねり始めた。ああ、もう。なんで上司からの招集命令に応じるだけで、こんなにあれこれ考えなきゃいけないんだよ。勘弁してほしいだろ……。

 

「とはいえ……流石にジルベルトに護衛をやってもらうのは流石にオーバーすぎる。フル武装のライフル兵大隊をまるまる連れて行ったりすれば、戦争でもしに来たんじゃないかと勘違いされてしまうよ」

 

「それはそうですが」

 

 僕の指摘に、ジルベルトはひどく悔しそうな様子で首を左右に振った。

 

「……やはり、今回も近侍隊とネェル殿にお任せするしかありませんか」

 

 深々とため息をついてから、ジルベルトはジョゼットの方を見る。僕の幼馴染たちによって編成された近侍隊は、僕の護衛が本業なのだ。全員が騎士上がりということもあり、馬の扱いにも長けている。この手の任務に関しては、僕の部下の中でももっとも適性が高いだろう。

 

「はいはい、お任せあれってね。新兵器の配備も終わったことだし、ライフル兵一個中隊分の活躍くらいならしてみせますとも」

 

 半ばヤケクソになった様子でジョゼットは胸を叩いた。こいつは射撃の腕は天下一品だが、責任を負うのは嫌いなタチだからな。本音で言えば、こんな仕事だってやりたくないに違いない。でも僕だってこんなきな臭い出張には行きたくないんだよ、お前も地獄に付き合ってもらうぞ。

 

「新兵器……例のボルトアクション銃ですね。我が部隊に配備されつつある後装式ライフル(スナイドル銃)よりも、さらに高性能な銃とか。いやはや、羨ましい話です……」

 

 本音でそう思っている様子で、ジルベルトは肩をすくめた。近侍隊はほんの先週に装備更新を終えたばかりで、今や全員がボルトアクション・ライフルを装備しているのだ。連発式小銃の火力は尋常なものではなく、ライフル兵一個中隊ぶんの働きが出来ると言ったジョゼットの言葉は決してフカシではない。

 とはいえ、連射性能が高いぶん弾薬消費量も多いのが連発式の欠点だ。一般兵にボルトアクション銃が配備される日はまだ遠いだろう。現状ですら、リースベン軍の兵站機能の不足は明らかなのだ。これ以上、兵站には負担をかけたくない。

 

「ボルトアクション銃を装備した近侍隊、そしてネェル。この陣容ならば、それこそ王軍全体が敵に周りでもしない限りそうそう遅れは取らないだろう。正面戦闘力では班の不安もないな」

 

 周囲を安心させるため、僕はことさらに気楽な声でそう言った。正直、個人の護衛としてはいささか過剰戦力に過ぎるような気がしなくもない。近侍隊はまだしも、ネェルなどはほとんど戦闘ヘリコプターや戦車なみの戦闘力を持っているのだ。

 

「そうなると、やはり問題はアデライドの指摘するような政治的な罠だな。うちは武張った人間ばかりだから、この方面は弱い。ダライヤなりアデライドなりにも同行してもらった方が良さそうだな」

 

 この頃はなんとか政治的なセンスも身につけようと頑張っている僕だったが、正直うまくいっているとは言い難い。政略に通じている人間であれば、僕をハメるなど赤子の手をひねるよりも容易いことだろう。そこを補おうと思えば、アデライドなりロリババアなりに頼るほかないだろう。

 

「……」

 

「……」

 

 僕の言葉に、アデライドは動きを止めた。そして、テーブルの端でお菓子をモシャモシャ食べていたロリババアに視線を送る。リスのような姿勢でビスケットを頬張りつつ、ダライヤはその視線を悠然と受け止めた。なんとも剣呑な雰囲気だ。

 

「アデライド殿は、アルと並んで我らの陣営の大将のようなものじゃからのぅ。二人して"敵地"に出向くというのは、いかにも不用心じゃ。鉄砲玉めいた仕事は、老い先短いこの婆にお任せあれ」

 

「なぁにが老い先短いだ。順当に子供ができて加齢が始まったとしても、どう考えても君より先に私の方がお迎えがくるんじゃないかと思うんだがねぇ? それに、今回行われるのは重要な公的行事だ。それに本妻である私が同行しないというのは、流石に不義理が過ぎる。ブロンダン家そのものが後ろ指をさされるような事態にならぬためにも、私の同行は必須だろう」

 

「おやおや、宰相殿はひどいことをおっしゃりますのぅ? ワシはもう、百年以上リースベンの外にはでておらなんだ。年寄りに少しばかり外の世界を見せてやろうという配慮はないのですかのぉ?」

 

「おどろいた、知らぬうちにミューリア市はリースベン領になっていたようだねぇ? そんな報告は受けていないのだが」

 

 ワァ……僕の一言が原因で一気に空気が険悪になっちゃったぞ。どうしようコレ……。思わずジルベルトに視線で助けを求めたが、彼女はため息を吐きながら首を左右に振るばかりだった。おお、もう……参ったなぁ。

 

 



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第551話 くっころ男騎士と別れの挨拶

 宮仕えはツライよ、などという発言は前世でもさんざん吐いていた記憶がある。それでも懲りずに二度目の人生でも宮仕えを選んだ僕は、相当のアホなのかもしれない。とはいえ、今回の辞令は大概だ。まとまりのない諸侯軍と制圧したばかりの占領地を丸投げされ、それに四苦八苦していたと思ったら今度は超遠方への出張だ。本当に無茶を言ってくれるなあ、というのが正直なところだった。

 とはいえ、一度命令が下れば嫌でもなんでも果たさねばならないのが宮仕えである。とにもかくにも、戦勝パーティとやらに間に合うようレーヌ市へ向かう必要があった。そのために僕が最初に取り掛かったのが、仕事の引継ぎ作業だ。

 僕は一応南部方面軍司令という役職についているが、レーヌ市への出頭命令が来た時点でこの役職は猶予付きで解任ということになった。そりゃあ、遠方への道すがらに諸侯らの指揮がとれるはずもないから当然である。そういう訳で、南部方面軍の解散までの諸侯の取りまとめ役は僕とは別の人間が勤めねばならない。

 王室が僕の後任として指定した人物は、リュパン団長だった。彼女は僕よりもよほど人望があり、しかも十分な実績と実力もある。まったくもって適切な人選だ。いっそ、軍司令は最初から全部リュパン団長に任せておけばよかったんじゃないのか? などと思わずにはいられないくらいだ。

 

「貴様ともこれでお別れか。まったく、いくさの一番面倒な部分だけを拙者に押し付けていくとは……良いご身分だな」

 

 出立の前日。ミューリア城では僕の送別会が開かれていた。大ホールにテーブルを並べただけの、立食形式のラフなパーティだ。とはいえ出てくる料理はミュリン伯家お抱え料理人が腕によりをかけたものばかりで、大変に美味しい。酒も高価で珍しい物ばかりだ。

 もっとも、主賓たる僕には料理や酒に舌つづみを打っている余裕などなかった。なにしろ、ひっきりなしに客がやってくる。開口一番いきなりこんな発言をぶつけてきたリュパン団長もその一人だった。直球過ぎるその発言に、僕としては苦笑するほかなかった。

 まあ、彼女の気分はよくわかる。なにしろ団長は貧乏くじを引かされた身の上だ。だいたいからして、世の中のほとんどのことは後片付けが一番たいへんで面倒なんだよな。大勢の人間がかかわる戦争ともなればなおさらである。

 それだけ面倒な仕事なのに、たいていの場合は戦功や功績としてカウントされないんだからマジでやってらんない感じはある。そりゃ、リュパン団長としては『最後まで始末をつけていけ』と言いたくなるに決まっているだろう。

 

「申し訳ありません、団長。この借りは必ず返しますので、ここはよろしくお願いします」

 

「ふん、そんなことを気にする必要はない。男を相手に貸し借りだのなんだのとみみっちぃことを言うような趣味なぞ持ち合わせておらんわ!」

 

 最後の最後まで、リュパン団長は相変わらずだった。でも、間違いなく悪い人ではないんだよな。もし次の機会があるとすれば、僕は喜んで再び彼女と轡を並べるだろう。なんなら、団長の下で戦うというのもアリだろう。むしろ、そっちのほうが気楽に戦えていいかもしれないくらいだ。……まあ、軍人の身で"またの機会"などというのは憚られるがね。戦争なんて起きないに越したことはないからな。

 ちなみに、リュパン団長以外の諸侯らとは、さらにアッサリとしたやり取りのみで別れることとなった。大した付き合いもないのだから当然のことかもしれない。政治の上手い人間なら、短期間の薄い付き合いでもサッと人脈を築くこともできるんだろうがね。僕では、なかなかそういう真似はできない。歯がゆいものだ。

 

「婚約したとたんに遠方へ逃げてしまうなんて、悪い男ねぇ」

 

 僕との別れを惜しんでくれたのは、味方よりもむしろ敵方だった。エムズハーフェン閣下……もといツェツィーリアなどは、わざとらしく悲しみながらそんなことを囁きかけてきて困ってしまった。送別会ということで、周囲にはガレア側の諸侯も大勢いる。危険発言はやめてもらいたい。

 婚約などといっても十割政略だし、さらに言えば表沙汰にできない秘密契約だろうに。まあ、向こうもそんなことは承知したうえでゆさぶりをかけてきているんだろうがな。

 

「用件自体は大して時間のかかるものではありませんから、サッと行ってサッと南部に戻ってきますよ」

 

 戦勝パーティに出て、昇爵して……会場が近所ならば、一週間やそこら程度で終わる要件だ。それほど面倒なこともない。とにかく旅程が長い事が一番の問題だった。

 

「まったく、仕方のない男ねぇ。手助けはしてあげるから、さっさと私の元に戻って来なさいな」

 

 古なじみの友人を相手にしているような口調でそう言いながら、ツェツィーリアは悪戯っぽくウィンクした。オフの土岐の彼女は、やたらとフレンドリーでノリが軽い。厳格で思慮深い選帝侯としての一面は、彼女にとっては仮面に過ぎないのかもしれない。

 もっとも、この"ツェツィーリア"としての顔も、こちらの警戒心を解かせるための仮面である可能性は十分にあるが。なにしろ相手はアデライドが相手でも互角に持ち込むほど頭の回転が速い女性だ。いろんな意味で油断はできない。

 

「それに関しては、本当になんとお礼をいっていいのやら」

 

 今回の旅では、エムズハーフェン家がいろいろと便宜を図ってくれることになっていた。それは例えば帝国諸侯の領地を通行する許可の取り付けであったり、替え馬の手配であったり、ショートカットのための川船の容易であったり……それこそ、全面的なバックアップといっていいレベルの出助けを貰えることになっていた。これにより、旅程は随分と短縮することができたのだ。

 戦勝パーティ自体、どうやら僕の到着待ちのようだからな。向こうの連中をあんまり待たせると心証が悪くなる。移動時間は出来るだけ短縮したいと考えていたので、彼女の申し出は文字通りの渡りに船だった。

 しかし、まったく王太子殿下にも困ったもんだよな。パーティの開催を遅らせてまで僕を待つ意味がどこにあるんだ。もし十割厚意からの行動であったとしても、正直に言えば結構困る。露骨なエコヒイキは軋轢しか産まないんだよな。

 

「まっ、この貸しはおいおい返してもらうから、気にする必要はないわ」

 

 ワルっぽく笑いつつ、ツェツィーリアは僕の肩を叩いた。そのなんとも愉快そうな表情は、とても演技とは思えないものだった。おお、怖い怖い。相手は優秀な軍人であると同時にやり手の商人でもある大人物だからなぁ。油断してホイホイ借りを作っていたら、ケツの毛までむしられる事態に発展しかねない。

 

「冗談よ、冗談。……もし向こうで何かトラブルに遭遇したら、躊躇なく私を頼りなさいな。レーヌ市の周辺には、エムズハーフェン家ゆかりの商会がいくつも支店を出しているわ。そこに要件を伝えてもらえれば、私の方に直通で繋がるようにしておくから」

 

「ありがとう、助かります」

 

 そんな事態にならなきゃいいがなぁ。僕は何とも言えない気分になりながらツェツィーリアと改めて握手を交わした。自らの正式な上官を警戒し、敵国の重鎮を頼るためのツテを整えておく……本末転倒にもほどがあるだろ。なんだかなぁ。マジでなんだかなぁ。

 ため息をこらえつつ、僕はツェツィーリアとさらに二言三言と言葉を交わした。そして、それに続いてイルメンガルド氏やらジークルーン伯爵らとの会話に移る。誰もかれもが、僕との別れを惜しんでくれた。むろん、社交辞令だろうがね。とはいえ、挨拶を一度交わしただけでサッと引いてしまうガレア諸侯ら(とくにヴァール派閥の連中)とは大違いの対応には違いあるまい。

 公衆の面前で敵国の諸侯と親しく交わっている姿を見せるような真似をするから、ますます孤立するんじゃないか? などと思わざるを得ない状況だな。はぁ、しんど。せめて、戦場を共にした連中……ジェルマン伯爵やら騎士ペルグラン氏やらが居てくれたら、これほど露骨な対比にはならなかっただろうに。みんな軍役を終えて所領に帰っちゃったんだよなぁ……はぁ……。



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第552話 くっころ男騎士の旅立ち

 なんとも居心地の悪い送別会を終えた翌日、我々は予定通りレーヌ市へ向けて出立していた。正直に言えば気の重い仕事だが、だからこそ先延ばしにはできない。後ろ髪を引かれるような気分を断ち切り、我々は一路北を目指した。

 ちなみに、同日にヴァルマもミュリン領を発っている。とはいっても、別に僕たちの旅に同行するわけではない。彼女の仕事はアーちゃんの護送だった。先日、やっとのことでリヒトホーフェン家が身代金を払い、あのライオン女は自由の身となった。その身柄の引き渡し役に立候補してくれたのが、ヴァルマだったのだ。

 アーちゃんの身柄引き渡し予定地は、ミュリン領のやや北にある都市国家だ。残念なことに、僕たちとは使うルートが異なっている。出立早々、ぼくたちはアーちゃんやヴァルマと別れることになってしまった。旅の道連れが減り、僕としては少しばかり残念だった。ヴァルマはもちろん、アーちゃんも普通の友人として付き合うのならわりと面白い相手なのだが。

 

「尻が痛い。めちゃくちゃ痛い」

 

 分かれ道でヴァルマらを見送った数時間後。軍馬にまたがったアデライドが泣き言を漏らした。今回は急ぎの旅であるから、当然ほぼ全員が馬に乗っている。我らが宰相閣下もそれは同様だった。

 とはいえ、彼女はあくまで文官だ。貴族のたしなみで乗馬術こそ習得していても、普段の移動にはもっぱら馬車を活用している。つまり騎馬で遠距離移動をする経験などほとんどしたことがないのだ。おまけに、今回の旅では馬を早足で歩かせていた。こうなると、当たり前だが尻にはとんでもない負担がかかる。そりゃあ、慣れない者にはさぞ辛いことだろう。

 

「うう……振動が響く……翼竜(ワイバーン)よりは馬のほうがはるかに乗り心地がいいだろうとタカをくくっていた昨日までの自分を殴り倒したい……」

 

 そう語るアデライドの目には涙が浮いている。本当に辛そうだ。こうなることはわかっていたから、彼女には事前に特注の乗り心地の良い鞍を用意しておいたのだが……どうやら、あまり役には立っていない様子だな。

 

「ぬっふっふ、情けないのぉ」

 

 僕の背中に抱き着いた幼女が、アデライドを煽る。ダライヤだ。どちらが僕に同行するかで争っていた彼女らだったが、結局二人ともついてくることになったのだ。こうなると逆に留守のリースベンが心配になるが、この招集が罠である可能性がある以上、夫人は万全にしておきたかった。政治面においては、間違いなくこの二人が我々の陣営の切り札だからな。

 

「うるさいぞ、ひっつき虫! 男の背中に張り付いて、情けなくはないのかね!」

 

「仕方ないじゃろぉ? ワシ、一人じゃ馬の乗り降りすらできん訳じゃしぃ」

 

 ニヤニヤ笑いでロリババアが煽る。僕は小さくため息をついた。相変わらずアデライドとダライヤは相性が悪い。

 

「一休み入れようか? 初日からあんまり無理をするのは良くないだろうし」

 

 見習い時代を思い出しながら、僕はそう言った。馬ってやつは、自動車やバイクなどよりよほど尻への負担の大きな"乗り物"だからな。僕も乗馬初心者の頃はさんざん尻の痛みに悩まされたものだった。それなりに鍛えている人間ですらその調子だったのだから、普段あまり運動をしないアデライドからすればほとんど地獄のような者だろう。

 おまけにこの早足だ。僕はちらりと自分の馬に目をやる。僕がまたがっているのは体格の良い精悍な軍馬だが、それでもやや辛そうな様子を見せている。歩行ペースが速すぎるのだ。駆け足というほどではないが、こんな調子で歩かせていたらあっという間につぶれてしまうだろう。

 もちろん、そうならないよう僕は行く先々で替え馬を得られるように手配していた。しかし馬は替えられても、乗っている人間の方はそうはいかない。乗馬は意外と体力を食うのだ。まして久しぶりに馬に乗るとなると、その消耗は尋常なものではないだろう。

 

「嫁さんには優しいですねぇ、アル様。私なんて、幼年騎士団の時分にはケツの肉がもげるんじゃないかってくらいキツイ乗馬訓練をやらされた記憶があるんですがね」

 

 先導役の騎士がこちらを振り返っていった。近侍隊の隊長、ジョゼットだ。彼女に率いられた幼馴染の騎士たちは、総勢二十余名。宰相ほどの大貴族の護衛にしてはやや数が少ないが、全員がボルトアクション・ライフルを装備していることを思えば戦力的には十分だろう。

 

「そりゃあお前、兵隊と文民では話が別だろう。訓練兵とゴマの油は絞れば絞るほど出るものなり、なんて格言もあるくらいだからな」

 

「聞いたことありませんよそんな格言。……それに、今やアル様の方が絞られる立場じゃないですか」

 

 ジョゼットはちらりとアデライドの方を見ながら言う。……絞られる立場って、つまりそういう? 品がない冗談だなぁ。

 

「だが、この調子では搾り取るどころか私の方がアルに喰われてしまいかねんな。馬に跨るのも男に跨るのも大差ないだろう。いい機会だから、アルをも乗りこなせるよう今のうちに訓練して置こうじゃないか……」

 

 しかし、うちの嫁さんはさらに下品だった。ニヤッと笑いつつ卑猥に腰をグラインドさせるものだから、ジョゼットをはじめとした幼馴染どもは大爆笑だ。僕は思わず頭を抱え、大きくため息をついた。

 

「おお、怖い怖い。愛しの夫が枯れ果ててしまう前に、先んじて絞っておかねば」

 

 背中のダライヤがそんなことを囁きかけてくる。うるせえぞエロババア。僕は無言で彼女の肘鉄をかまし、もう一人のセクハラ女に視線を向けた。

 

「意外と余裕があるじゃないか。よーし、次の宿場町まで休憩は必要ないな!」

 

「あっ、エッ!?」

 

 しまった、と言わんばかりの様子でアデライドが顔を引きつらせた。

 

「つ、次の宿場町か……ちなみに、どれくらいでつくのかね?」

 

「たぶん三時間くらいッスね」

 

 口角を上げつつ、ジョゼットが答えた。ひどく楽しそうな表情だ。こいつはこういう底意地の悪い部分がある。それを聞いて、アデライドは「うげぇ……」と淑女らしからぬ声を上げた。それを聞いた幼馴染どもはさらに大笑いだ。こらこら、人の嫁さんで遊ぶんじゃねえよ。

 

「お馬さんに、乗るのが、つらいの、ですか? なら、ネェルが、運んであげても、いいですけど」

 

 そこへニュッと顔を突っ込んでくるものがいた。我らがネェルちゃんである。彼女はそのカマキリボディについた四本脚をシャカシャカと動かし、早足で進む騎馬集団にも見事に追従してきている。相変わらず恐ろしいフィジカルだった。

 ……ちなみに、馬たちは明らかにネェルにビビっている様子だった。恐慌こそ起こしていないが、彼女が後ろにいるだけで明らかに進む足が速くなっている。おかげで、急かすどころかバテないように手綱を引く必要すらあった。

 

「い、いや、その……」

 

 顔色をさらに青くするアデライドを見て、ネェルはにやにやと笑いながらその恐ろしげな鎌をこすり合わせてギャリギャリと音を出した。おかげで、アデライドはほとんどチビりそうな表情になっている。ジョゼットもジョゼットだが、ネェルも大概だよな。心優しい娘なのは確かなのだが、時々明らかに人をビビらせて遊んでいるフシがある。

 

「ふふふ。冗談です、冗談。マンティスジョーク。……ああ、運ぶのは、冗談では、ありませんよ? 必要ならば、言って、ください。アデライドちゃん、ならば、背中でも、鎌でも、貸して、あげます」

 

「け、結構だ」

 

 首をブンブンと振るアデライド。実際、ネェルの背中は馬などよりもよほど乗り心地が悪いので賢明な判断だ。まあ、鞍がついているわけでもないので当然のことだが。

 

「はぁ……まあ、なんにせよしばらくは頑張るさ。レーヌ市には、一分一秒でもはやくたどり着きたいところだからねぇ。初日に躓いてはいられないだろう」

 

 口をへの字に曲げながら、アデライドは首を左右に振った。一分一秒でも早くたどり着きたい、か。妙にやる気に満ち溢れてるなぁ、正直、僕の方はかなり気が重いんだけど。何かの罠ではないかという疑念はぬぐい切れないし、そもそもこれ以上自分の地位が上がるのも勘弁してほしかった。

 

「レーヌ市でなにか楽しみなことでもあるの?」

 

「あるとも。君の昇爵だよ」

 

 ええ……マジ? 城伯としての地盤すらまだ固まってないのに、もう伯爵に昇爵なんてマジで勘弁とか思ってるんだけど、僕。いやもちろん僕だって出世欲が無いわけではないが、自分の身の程というのは知っているからな。あまりに過剰な責任を背負いすぎて、部下や領民に迷惑をかける形で自爆する羽目になったりしたらシャレにならないだろ。

 

「妙な顔をするねぇ。忘れたのかい? アルが伯爵になったら、お楽しみのイベントが控えているのだよ」

 

「おたのしみ?」

 

「はぁ……その顔、すっかり忘れているようだねぇ。軍人としての君はこれほど有能なのに、なぜ私事となるとこれほど抜けてしまうのか……」

 

 やれやれ、という風情でアデライドが首を左右に振った・

 

「いいかい、アル。君が伯爵になれば、宮中伯である私とも身分が釣り合うようになる。つまり、正式に結婚できるようになるということだ」

 

「……アッ!」

 

 い、いかん、すっかり忘れていた……! 僕が固まるのとほぼ同時に、背中のダライヤと後ろを走るネェルがため息をついた。アデライドに至っては、明らかにガックリ来たような顔になっている。

 

「ご、ごめん……いや、違うんだ。なんというか、もうすでに結婚済み、みたいな気分になっててさ……」

 

 なにしろ、この頃は僕も努めて"嫁"とはスキンシップを取るようにしていた。さらに言えば、彼女らとは寝所をともにし一緒に働いてもいる。これはもうほぼ家族みたいなもんだろ。

 

「馬鹿言うな……!」

 

 ところが、アデライドはそうではなかったようだ。大層立腹した様子で、グッと拳を握り締める。

 

「正式に結婚しない限り、私は延々とベッドでお預けを喰らい続ける羽目になるからねぇ……! 異性と同衾して押し倒すのを耐え続けるのがどれほど辛いか、教えてあげようか!」

 

 確かに言われてみればその通りである。僕は思わず吹き出しかけた。言いたいことはわかるが、こうもハッキリいう奴があるか!

 



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第553話 くっころ男騎士の婚前旅行(1)

 レーヌ市を目指し、旅は進んでいく。山を越え、谷を越え、川を越え、一直線に北へ。途中で何度も馬を乗り換え、川船なども多用するとにかく急ぎの旅だった。それでも所詮は騎馬や船の旅だから、景色を楽しむ余裕だって十分にある。幼馴染たちや嫁と物珍しい景色や名所などを巡るのは、たいへんに楽しい経験だった。まるで新婚旅行のようだ。まあ、まだ、婚前なのだが。

 そうして北上すること十二日間、僕たちはすでに旅程の半分を消化していた。なかなか快調な進み具合だ。貴族特権さまさまだな。一般人ならば行く先々で替え馬を用意するような真似はとてもできないし、自分たちのためだけに川船を出させるような真似もできない(これはツェツィーリアのコネのおかげでもある)。なんだかズルをしているような気分になるが、有難いのは確かだった。

 

「……んーっ!」

 

 背中を伸ばしながら、ベッドに転がる。僕は今、宿の一室でくつろいでいた。高級な旅籠の一番お高い個室だから、のびのびと身を休めることができる。これもまた、貴族としての特権の一つかもしれない。普通の旅人は、大部屋で雑魚寝ができれば上々。普段は野宿……などという者も多いからな。セキュリティのしっかりした個室や清潔な寝具が手に入るのはお大尽様だけだ。

 

「はぁ」

 

 小さく息を吐きながら、天井を見上げる。身体には心地の良い疲労感が満ちていた。朝から夕方まで馬に乗り続け、たどり着いた宿場で地元の名産品と地酒に舌鼓を打つ。そしてそのまま寝心地の良いベッドにイン。なんと贅沢な生活であろうか。こんな生活を続けていたら、そのうちダメ人間になってしまいそうだ。

 いやはや、しかし。戦勝パーティへの出席には少しばかり拒否感のある僕だったが、旅そのものはそれなりに楽しいなぁ。行軍とは違って、かなり自由度が高いし。なにより仕事から解放されるというのがデカい。いや、仕事が嫌いなわけではないけどね。とはいえ、やはりたまの休みくらいは必要だなぁ……。

 

「こんなに急ぎの旅なのに、君は楽しそうでいいなぁ」

 

 僕の隣で寝っ転がったアデライドが、ちょっと呆れた様子でそう言った。そのまま、僕を抱き寄せ優しくキスをする。……こういう動作を自然にやってくるようになったから、婚約中と結婚済みの境界があいまいになっちゃってたんだよなぁ。僕は旅の初日に起きた小騒動を思い出しながら、心の中でひとりごちた。

 

「もしや、酒が飲めればそれで満足なのかね、君は」

 

「いや、そんなことは……旅そのものも楽しんでるよ、ウン」

 

 人のことを酒だけあればそれで良しのアル中みたいに言うのはやめてほしい。まあ、確かに今日飲んだ酒はなかなか良かったが。香ばしい香りの黒ビールで、チーズにたいへんよく合った。おかげでジョッキに何杯も飲んでしまい、僕の腹はもうタプタプだ。

 

「最近は、あんまり旅をする機会がなかったからね。しかも今回は、ツェツィーリアの手引きもあって神聖帝国領内を通ることも多いだろ? 見慣れないものもたくさんあって、面白いよ」

 

 少し前までは、春が来るたびにスオラハティ家の治めるノール辺境領へと旅行していたんだけどね。この頃はそういうことも無くなってしまった。もちろんあちこちに行く機会自体はあるのだが、翼竜(ワイバーン)でビューンとひとっ飛びとか、兵隊をズラズラ連ねて行軍とか、そういう楽しむどころではないシチュエーションばかりだった。最後に旅らしい旅をしたのは、去年春のリースベン赴任の時だったかもしれない。

 

「エムズハーフェンの家名は効果てきめんじゃったのぉ。いやはや、持つべきものは権力者の友人じゃな」

 

 アデライドとは逆側に寝転がったダライヤが、にやにや笑いで生臭い発言をする。この部屋のベッドは夫婦向けのダブル・サイズのものだが、ロリババアは小さいので三人でも余裕でくつろぐことができるのだった。もっとも、巻き込まれたアデライドは不満げだったが。

 実際、神聖帝国領内の川辺の都市ではエムズハーフェン家の名前が葵の御紋の入った印籠なみの効果を発揮した。おかげで、川船を使って旅路をショートカットするのも簡単だった。この世界ではまだ橋のかかっている川はそれほど多くないので、川船に優先的に乗れるという特権はなかなかデカい。

 まあ、そのおかげでガレアと神聖帝国の国境地帯を縫うようにして進む羽目になっているがね。当然ながら、国境付近は物騒な情勢下にある場合が多い。今までトラブルに巻き込まれずに旅ができている理由は、アデライドとツェツィーリアという両国の大貴族がバックについている(アデライドに関してはバックというより矢面だが)という要素が大きかった。

 

「まあ、とはいえガレアの王太子殿下からの下命を果たすために、神聖帝国の大貴族の名前を使うのはいささか危険な気もするけどね……」

 

 僕はそう言って肩をすくめた。宰相派閥はただでさえ敵の多い身だ。露骨に敵と通じていることをアピールすれば、足をすくわれてしまうのではないかという不安があった。

 

「なぁに、大丈夫だ。世の中は結構理不尽にできていてね。一本気な忠義の士よりも、少しくらいフラフラしているヤツのほうがいい目を見られるのだよ。寝返りを防ぐためにいろいろと便宜を与える必要があるからねぇ……」

 

 ワルい表情になりながら、アデライドがわさわさと僕の尻をまさぐる。こうしてみるとマジで悪の宰相って感じだから凄いよな、この人。まあわざと悪ぶっている節はあるんだが。

 

「そういうもんかぁ……」

 

 まあ、言わんとしていることはわかるけどね。僕は肩をすくめつつ、アデライドの手をブロックした。ケツ揉みはいつものことだが、だからと言って油断しているとシャレにならない場所に手を持って行こうとするのがこの頃のアデライドだ。おそらく、結婚が間近ということでタガが緩みつつあるのだろう。

 

「ま、駆け引きというヤツじゃな。やられっぱなしではナメられるからのぉ。ある程度、こちらからもやり返さねばならん」

 

 アデライドとの攻防の隙をついて僕にベッタリとくっつく、首筋に頬擦りをしながらロリババアが言った。セクハラといえばアデライドの代名詞だが、彼女の方も負けてはいない。とんだエロババアである。

 

「そうこうことだ。軍事でも同じだろう? こちらの力を誇示することで、相手の手出しを防ぐ……それが抑止力だ。軍事の場合は兵隊や兵器がこの役目を担うが、政治の場合は人脈がモノを言うのだ」

 

「なるほど」

 

 そういう説明の仕方ならば、僕にも理解しやすい。……しやすいのだが、いい加減セクハラの手を止めてくれないだろうか。前から後ろから攻められて大変に困るのだが。あっコラ、ロリババア! 耳を舐めるな耳を。

 

「ま、安心したまえよ。この戦勝パーティとやらこそが、ここしばらくの政治情勢における最大の峠なのだ。これを乗り越えてしまえば、もはや王家は我々に手出しできなくなる」

 

「そうなの?」

 

「ああ、なにしろアルはこの戦争でも大きな戦果を挙げ、そして我々はエムズハーフェンとの結びつきを得て更なる躍進の素地を得たからねぇ。王家派閥に対し、勢力的にこちらの方が優勢になれば戦争のリスクは一気に下がるだろう」

 

 確かに、理屈の上ではそうだ。……だからこそ、なんだか不安なんだよな。この峠を越えれば、王家は我々に手出しができなくなる。ならば、手出しできるうちに仕掛けておこう。王家の側がそう判断しない保証はないのだ。

 

「ますます、戦勝パーティに出たくなくなってきたな。飛んで火にいる夏の虫にならなければいいんだけど」

 

「なぁに。我々は既に勢力的には王家に拮抗するレベルまできているのだ。マトモな頭をしているのならば、衝突は回避するのが常道。まして手出しをすれば自分の側が泥をかぶる状況ならなおさらだ」

 

「そっかぁ……」

 

 どうやら、アデライドはこの難局を乗り切る自信があるようだ。なら、仕方ない。嫁さんがこう言っているのだから、僕はそれを信じるまでだ。

 

「そういうわけだから、早い所レーヌ市へたどり着いてチャッチャと仕事を終わらせてしまおうじゃないか。君と私がゴールインしてしまえば、あとは敵なしだ。こんな急ぎの旅じゃなくて、ゆっくりとした新婚旅行だっていけるだろう」

 

「ん、それはいいね」

 

 僕はクスリと笑った。なるほど、それは楽しそうだ。問題は、嫁が多すぎて旅行の隊列が大名行列みたいになりそうなことだが。まあ、旅の恥はかき捨てとも言う。せいぜい楽しい旅にしたいところだな。

 

「それはつまり、子育てをする時間も出来るという事じゃな?」

 

「うむ、そういうことだ」

 

「ぬふふ」

 

「ぐふふ」

 

 僕の前後を挟み込むように布陣したアデライドとダライヤが、同時に怪しげな笑い声をあげる。あ、やべえ。そう思うがもう手遅れだった。

 

「ならば、"本番"で失敗せぬよう予行演習をしておいた方が良いやもな」

 

「うむ、うむ。確かにそれはその通りだねぇ。世継を作るのは貴人の義務、失敗は絶対に避けねばならないからねぇ」

 

「……ヤるか」

 

「ヤろう」

 

 そういうことになった。いや、なってんじゃねーよ。そうツッコむ暇もなく、僕はエロ宰相とエロババアから同時に襲い掛かられた。

 



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第554話 くっころ男騎士の婚前旅行(2)

 旅の後半は、船に乗ることが多くなった。レーヌ市はもともと、エムズハーフェン市と同じく河川交通を軸に発展してきた都市だ。そこへ向かうわけだから、陸上の道路を使うよりも川船を使った方がよほど手っ取り早い。

 しかも、神聖帝国の河川交通といえばエムズハーフェン家だ。ツェツィーリアの伝手を頼れば、それなりに良い船を優先的に借りることだってできてしまう。移り変わる景色を楽しみながら、川の幸を肴に一杯……などということもできてしまうわけだ。快適過ぎてダメ人間になってしまいそうだった。

 まあ、体力を消費しないぶん夜には大変なことになってしまうので逆に困ってしまうが。この頃のアデライドとダライヤは、貞操さえ無事なら何をやっても良いと思っているフシがある。付き合わされるこちらとしては、もう大変どころの話ではなかった。そこまでやるならいっそ最後までやっちまえよ、などと思わなくもないのだが……。

 

「いやー、いいね……船旅サイコー」

 

 白ワインの入った酒杯を傾けつつ、僕は周囲を見回した。西の地平に沈みかけた太陽が、広く穏やかな川面を照らしている。赤く染まった空には川鳥が優雅に羽ばたき、川岸付近では漁民のものと思わしき小舟が忙しそうに働いている。これだけで酒が何杯でも飲めてしまいそうな、美しい景色だった。

 

「うむ、まさにこれこそお大尽様の楽しみ方よのぉ。はぁ、無駄に長生きした甲斐もあったもんじゃのぅ……」

 

 酒臭い息を吐きながら、ダライヤが僕にしなだれかかってくる。カワイイ奴め、などと思いながら僕は彼女に頬擦りをした。この船は我々の貸し切りだから、周囲の目を気にせずいくらでもイチャつくことができる。彼女の言う通り、これはお大尽様の遊び方だな。こんなのに慣れちゃったら、マジで元の生活に戻れなくなってしまうのではないかという不安があった。

 

「気候もちょうどいいしなぁ」

 

 ダライヤの逆側から、アデライドが僕の肩に腕を回した。もちろん胸元に腕を突っ込んでくることも忘れない。セクハラ宰相の面目躍如だ。黙っていれば陰のある知的な美女なのに、どうしてこの人はいちいちセクハラオヤジみたいなムーヴをせねば気が済まないのか。男の胸なんぞ揉んで何が楽しいのかという疑問ともども、いまだにこの宰相閣下のやることはよくわからない。

 しっかし、すさまじい状況だな。右手にダライヤ、左手にアデライドだぞ。完全に両手に花の状態だ。死ぬまで非モテ街道を突っ走った前世の僕が今の状態を見たら、いったいどんな顔をすることやら。まあ、両手に花とはいっても実際は食人花みたいな女性なんだけどな、二人とも。

 ちなみに、こちらの船に乗っているのは、この二人と幼馴染の騎士のうちの半分だけだった。残りの半分と、そしてネェルは別の船に乗って我々の船のすぐ後ろを航行している。なにしろネェルは図体が大きいから、みんなが同じ船に乗るのは流石に無理があったのだ。むろん、ネェルばかりに寂しい思いをさせるのは申し訳ないので、明日は彼女のほうの船に乗る予定になっている。

 

「確かに、偶然とはいえ避暑にはちょうどいい機会だったねー」

 

 それはそれとして、アデライドの言うことももっともだった。今は晩夏の季節で、リースベンであればまだまだ汗ばむ日々が続いているところだ。しかし、我々はすでにだいぶ北上してきている。当然ながら夏の暑さも緩み、吹く風はちょうど心地よくなる程度の涼しさだった。

 

「完全に私用だったら、もっと羽根を伸ばせたのにねぇ……本当に残念だよ」

 

 などと言いながら、アデライドは僕の胸を揉む。いや、すでに大概羽根を伸ばしてるだろ、アンタ。そう思いながら、無言で彼女の手をブロックする。いくら婚約者とはいえ野外でこんなことをされるのは恥ずかしい。

 

「あー、我らのアル様が汚されてるぅ……」

 

 案の定、文句の声が出た。我々から少し離れた場所で釣り糸を垂らしていたジョゼットだ。

 

「いくらオフだからって、我々の目の前でイチャコラするのはやめてもらえませんかねぇ!」

 

「そうだそうだ! 独り身のこっちのことも考えろ!」

 

「これ以上新たな性癖に目覚めたらどうする! 責任を取ってくれるのか!? アル様が!!」

 

 ジョゼットに続き、他の幼馴染騎士どもも声を上げ始めた。ほとんどデモか決起集会のような声の挙げ方だった。まあ、彼女らは全員未婚だからな。そりゃあ、目の前でこんなことやられたら普通に嫌だろ。文句が出るのも当然のことだ。

 しかし、アレだな。僕自身が身を固めることになった以上、彼女らの結婚についてもそろそろ考えねばならない時期が来てるなぁ。この時代の結婚なんてのは、親や上司、主君なんかが世話をしてやるのが普通なのだ。僕も彼女らの上官なのだから、このまま放置というわけにもいかん。……まあ、とはいえ今回ばかりはそんな煩わしいことは後回しで良かろう。せっかくの休暇だしな。

 

「おい、ジョゼット。竿、引いてるぞ」

 

「あっ、わっ、おっとっと!」

 

 僕がそう指摘すると、ジョゼットは慌てて釣り竿と格闘し始めた。どうやら大物がかかったようで、なかなか難儀している。ほかの幼馴染どももすっかり興味の対象をそちらに移し、ジョゼットに声援を送り始めた。みな、とても楽しげだ。結局のところ、さきほどのシュプレヒコールめいた文句も一種のからかいにすぎなかったのだろう。

 どうやら、みな旅行気分を楽しんでいるらしい。まあ、ここ一年はあまりにも忙しすぎたからなぁ。こうしてみなでノンビリする機会など、まったくといっていいほど無かった。出立前は気が重かったこの旅ではあるが、いざ始まってみれば本当に良い気晴らしの機会になってくれた。しかも旅費は王家持ちだしな。うーん、最高。

 

「珍しく緩んでおるのぉ、アル」

 

 僕の頭を優しく撫でつつ、ロリババアが言う。緩んでるのは確かだが、そう珍しい事ではないと思うが。僕は割と年中緩んでるタイプの人間だし。

 

「まあ、気分は分かるがの。しかし、油断のし過ぎは禁物じゃぞ? まだ、相手方の真意は分かっておらぬわけじゃし」

 

「確かに……」

 

 僕はワインを口に運んでから、ゆっくりとため息をついた。実際、王家の誘いがいかにも罠っぽいのは確かなのだ。旅行気分でユルユルになった挙句、奇襲を喰らって全滅しましたでは話にならない。はぁ、たまには浴びるほど酒を飲んでぐでぐでになりたいものだが、そういう訳にもいかんのだろうな。

 下っ端だった頃は、そんなことなんかまったく気にせず酒場で徹夜もできたのにな。下手に偉くなってしまったばっかりに、制約ばかりが増えてしまう。今ならば、前世の頃に時折遭遇した、佐官や将官への昇進を蹴って今の職場に居座り続けるような人物の考えていることが理解できるような気がする。正直、結婚云々がなければ伯爵への昇爵も断りたいくらいなんだが……。

 

「ダライヤ、君はなかなか疑い深いねぇ」

 

 一方、アデライドはそんなダライヤの懸念には懐疑的だ。ワインのたっぷり入った酒杯を一気に飲み干し、ぷはあと息を吐く。

 

「確かに先方はこちらを目障りに思っているだろうさ。しかし、我らとてそれなりの勢力は有しているのだ。直接的な排除を目指せば国が割れる。そして、今の段階で先方がこちらを切れば、泥をかぶるのは向こう側なのだ。万一内戦に突入した場合、泥をかぶった側が不利になるのは間違いあるまいよ……」

 

 そう言いつつ、アデライドは空になった酒杯を押し付けてくる。お酌をしてくれ、ということらしい。僕は薄く笑って、彼女の酒杯にワインを注いでやった。

 

「確かにのぅ。しかし、覚悟を決めた人間というのは厄介じゃぞ? 国を割るくらいは平気でやる。ワシ自身もそうじゃった」

 

 僕の首筋を人差し指でやさしくなぞりつつ、ダライヤが反論した。新エルフェニア帝国を叩き割った"前科"がある彼女の発言だから、なかなかに真実味がある。僕は腕組みをし、小さく唸った。万が一には備えているつもりだが……やはり、内戦は怖いな。

 

「一応、両親に事情は伝えておくか……後で、鳥人伝令を呼んでおいてくれ」

 

 僕の両親は王都に住んでいる。万が一のことがあれば、人質にされてしまうかもしれない。むろん、僕とて軍人で領主だ。両親と領民を天秤にかける事態になれば、問答無用で後者を選択する。しかし、だからこそ最初からそんな選択をせずに済むように手を打っておくべきだろう。

 

「うむ、良い心掛けじゃ」

 

 ウンウンと頷くダライヤ。そんな彼女を見て、アデライドは小さく肩をすくめた。

 

「ま、備えあれば憂いなしともいうからな。念には念を入れておくのもいいだろうさ」

 

 おそらく、杞憂に終わるとは思うけどねぇ。そうつづけるアデライドに、僕は思わず苦笑した。僕は軍人だから、どうしてもリスクを重く見すぎるきらいがある。杞憂で済んだならそれで幸い、そういう価値観がしみついているのだ。しかし、文官肌のアデライドにはこのあたりの感覚はあまり理解できないのかもしれないな……。

 



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第555話 くっころ男騎士とレーヌ市

 ミューリア市を発って二十日と少し、とうとう我々の旅にも終わりが見えてきた。当初は一か月はかかるであろうと予測されていた旅程ではあるが、旅の後半はほとんど川の流れに従って下っていくだけで済んだため、予想よりもはるかに旅程を圧縮することができたのだ。

 レーヌ市のひとつ手前の街に到着した我々は馬に乗り換え、いよいよレーヌ市へと乗り込むことにした。もちろん川はレーヌ市まで繋がっているのだが、一応僕たちはは騎士だからな。王軍に合流する際は、騎馬を用いたほうが恰好がつくと判断したのだ。まあ、要するに演出だな。くだらない見栄だが、アデライド曰くこうした一見無意味にみえるような真似も、生き馬の目を抜くような貴族社会を生きていくには必要なことなのだそうだ。面倒くさいね。

 まあ、それに実務的にも手元に馬があったほうがいろいろと便利だしな。万一王軍と事を構えることになれば、港は容易に封鎖されてしまう可能性がある。敵中突破をするのであれば、川船よりも馬の方が向いているだろう。

 

「うおっ……これは……」

 

 ひそかに警戒を続けつつも、いよいよ我々はレーヌ市へとたどり着いた。白亜の壁に三重に守られた、川辺の要塞都市。そういう風情の街だ。しかし、威容を誇っていたであろうその町並みは、いまやひどい荒れようになっている。正門があったであろう場所など、完全に崩落して原型すらとどめていない有様だ。この街で熾烈な攻城戦が行われたのは、間違いないようだった。

 もっとも、僕が声をあげたのは街の惨状をみてのことではなかった。自分たちの出迎えが、予想の三倍くらい派手だったのだ。レーヌ市の門前には一万人は軽く超えているであろう数の兵士たちが整然と並び、それぞれの属する諸侯の軍旗を掲げている。もっとも目立つ軍旗は、もちろんヴァロワ王家の青地に龍が描かれた紋章だ。

 万単位の兵隊がズラリと整列しているその光景は、遠目から見ても圧倒されるような迫力があった。これが王軍の総力かと、僕は内心ひとりごちる。万一王家と敵対することになれば、彼女らの持つ槍や銃が一斉にこちらに向けられることになるのだ。正直、あまり愉快な想像ではなかった。

 

「な、言ったろう? 貴族は見栄とハッタリの生き物だと。これ見よがしに兵隊を見せびらかして、こちらを威圧しているんだ」

 

 馬を寄せてきたアデライドが、そんなことを囁いてくる。なるほど、なんでたかだか辺境の城伯風情の出迎えにこれほどの人数を動員したのかと首をひねっていたが、そういう意図があるわけか。まったく、ヤンナルネ。旅行ですっかり緩んでいた頭が、あっという間に仕事モードに戻っていく。

 まあ、確かにこれほどの規模の軍隊を相手に、手持ちの戦力で仕掛けようなどという気はまったく起こらないがね。しかし、こっちは別に喧嘩を売りに来た訳じゃないんだぞ。もうちょっと穏当な出迎え方をしてもらいたかったんだが。そんなことを思いつつ、僕は先導役の騎士の背中に目をやった。

 我々がレーヌ市に到着間近であることは、先触れをだして知らせていたからな。ほんの先ほど、きらびやかな甲冑を纏った近衛騎士たちが迎えに来てくれたのだ。よく見れば、その中には去年の王都内乱で共闘した騎士たちも混ざっているようだった。まあ、彼女らであればある程度信頼してもよかろう。少なくとも、こちらに咎があるわけでもないのにいきなり仕掛けてくるような無作法な連中ではなかったからな。

 

「ガレア王国軍、南部方面軍前司令官、アルベール・ブロンダン城伯閣下のご到着です!」

 

 王軍の前衛にある程度近づくと、先導する近衛騎士が大声でそう報告した。すると、隊列の前に立っていた軍楽隊がそれぞれの楽器をサッと構え、壮麗な音楽を奏ではじめる。それと同時に、居並ぶ将兵らが一斉に敬礼をした。かかとを揃えるときのザッという音が、地響きのように鳴り響く。

 

「おお、おお、こりゃ凄い」

 

 閣下呼ばわりから始まって、この演出か。やべーな、こりゃ。ほんの先日にも『偉くなるもんじゃないな』なんて思っていた僕ですら、ちょっとグラッと来た。まるで国賓を迎える際の式典だ。まさか僕らを迎えるためだけにこんな真似をするとは、流石に驚きだな。

 僕は王軍のほうを見た。揃いの制服を着た儀仗兵が、捧げ剣の姿勢で道の両脇に整列している。まるで剣のアーチだ。その向こうには万単位と見える兵士らが並んでおり、こちらに敬礼を向けていた。その軍の規模にふさわしい数の軍楽隊が奏でる音色は、大地を揺るがすような大音響。下手なオーケストラなど目じゃない迫力だ。

 手が震えないように気を付けながら、返礼を返す。はっきりいって、僕はこういう演出には弱い。恥ずかしい話だが、僕が前世で軍人を……それも士官を目指したのは、こういう光景を間近で見るため、という不純な動機も多大にあってのことだったのだ。

 まあ、今から考えればなんとも馬鹿らしい話だと思うがね。とはいえ、現実ってヤツをある程度理解した今になってなお、やっぱりこういう派手な軍隊パフォーマンスは嫌いじゃあないんだよな。王太子殿下がそれをわかってこういうことをやってるってんなら、なかなかの策士だぞ。

 

「オヌシは本当に感覚がオンナノコじゃのぉ~」

 

 僕の背中にくっついたダライヤが、そんなことを囁きかけてくる。その通りなので、言い返すことはできなかった。だってしゃーないじゃん、好きなんだから。パレードとか、こういう歓迎式典とかさ。

 とはいえ、こんなイベントの主役をたびたびこなしていたら、間違いなく人間が駄目になっちゃいそうだな。自分が特別な人間だと誤解して、無制限に傲慢になってしまいそうだ。そういう悪しき誘惑に耐えて人の上に立つ責任を背負い続けられる人間など、そう多くはないだろう。僕自身、これほど浮ついているのだから世の権力者を指弾する資格などないかもしれない。

 そんなことを考えつつも、僕は馬を前に進ませていく。儀仗兵が作った剣の道へと入る前には、意識して背筋を伸ばした。左右に儀仗兵、前に兵の大軍。冷静になれと頭の中で繰り返してみても、シラフに戻るのはなかなか困難だった。せめてそれを態度に出すまいと気を付けつつ、僕は密かに息を吐いた。

 

「一応、歓迎ムードはだしてくれているな。とはいえ、いつこの剣の群れが襲い掛かってくるのかわからないというのは、なかなかの威圧感だ……」

 

 隣を歩むアデライドがボソリと呟く。流石宰相閣下、冷静だな。僕はコホンと咳払いをして、「そうだね」と彼女に同意した。たしかに、その通りではある。この場でいきなり彼女らが敵にまわったら、我々に生き残る術などないだろう。

 

「歓迎に見せかけた牽制だよ、これは。飲まれるんじゃないぞ……」

 

「うん」

 

 小声でそんなことを話しているうちに、とうとう剣の道の終着点へとたどり着いた。そこには、道の真ん中で騎士の一団が陣取っていた。そしてその先頭に居るのが……ヴァロワ王家の王太子、フランセット・ドゥ・ヴァルワ閣下だ。彼女は旗手の掲げる王家の紋章を背に、満面の笑みを浮かべている。

 僕は大きく息を吐き、馬の足を止めた。主君を前にして、馬上に居続けるなど不敬の極みだからだ。もちろん、アデライドやダライヤ、そして幼馴染の騎士たちもそれに続く。少しだけ深呼吸をしてから、ピシリとカカトを合わせ敬礼をした。

 

「リースベン城伯アルベール・ブロンダン、殿下の命により参上いたしました。お出迎えありがとうございます、殿下」

 

「レーヌ市へようこそ、アルベール。長旅ご苦労様だ」

 

 敵意など微塵も感じさせない優しい笑みを浮かべつつ、王太子殿下は晴れ晴れとした口調でそう言った……。

 

 



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第556話 くっころ男騎士と前哨戦

 盛大な歓迎式典を受けた後、僕たちはレーヌ市内へと案内された。崩れた正門を回避し、小さな門から街の中へと入る。停戦からすでに一か月以上が経過しているというのに、レーヌ市はいまだに戦争の影を強く纏っていた。歴史を感じさせる街並みは手ひどく破壊され、通りに立ち並ぶ家々は軒並み窓やドアに板を打ち付けてガチガチに防御されている。それどころか、全焼して消し炭のようになった家もあちこちにあった。なんなら、区画ごと燃え尽きている場所すらある。

 手ひどく略奪を受けた街、そうとしか表現できない光景だった。当然ながら、通りには我々以外の人影はまったくない。通行人や物売りの姿など、どこにもなかった。まるで無人都市だ。むろん、本当に町全体から人がいなくなってきたわけではないだろう。みな、我々を警戒して家や安全な場所に籠っているのだ。ちょうど、嵐が過ぎ去るのを待つように……。

 それを見て、僕の浮ついていた心は一気にしぼんでいった。この地ではほんのこの間まで戦争をしていたわけだから、こんな状態になっているのは当然のことだ。外壁を破り町中へ侵入した王国軍は、その燃え盛る戦意を容赦なく市民に向けたに違いない。ごくごく普通の善良な一般人ですら、ひとたび兵士として戦争に加われば略奪、放火、虐殺、なんでもござれの極悪人へと変貌してしまう。戦争という異常な環境は、人間の善性など容易に破壊してしまうのだ。

 僕はすっかり暗澹たる気分になっていたが、もちろんショボくれている暇などありはしない。我々はヴァロワ王家の旗がはためく城へと案内され、そこで歓待をうけることとなった。城の大ホールにはすでにテーブルやら料理やらが並べられ、一目で一流とわかる楽団がBGMなどを流している。荒れ果てた街の光景と、いかにも王侯らしい優雅なパーティ会場。その余りの落差に、僕はすっかりクラクラしていた。

 

「それでは、南部方面軍前司令官ブロンダン卿の到着を祝いまして……乾杯!」

 

 司会進行役のナントカとかいう女爵が音頭を取って、会場に詰める貴族どもが一斉に酒杯を天に掲げた。むろん、僕もアデライドもそれに従う。この催しの主賓は、一応僕ということになっているのだ。気は重かったが、責任ある立場にいる以上キチンと付き合わねばならない。

 

「改めて挨拶しよう。よく来てくれたね、アルベール」

 

 乾杯の後には挨拶祭りが待っている。こうした催しの手順は前世も現世も大差なかった。主賓たる我々は、もちろん料理を楽しむ暇など微塵もない。酒杯の最初の一口目を飲み終わるのとほぼ同時に、僕はいきなり話しかけられる羽目になった。相手はもちろん、ホスト(一種の男性接客業者ではない)役のフランセット殿下だ。

 

「ありがとうございます、殿下。まさかこれほどの歓迎をしていただけるとは……このアルベール、感動しております」

 

 感動したのは本当だ、一瞬だけだけどな。とはいえまあ、もちろんそれを口に出したりはしない。略奪の痕を見て僕の気分はすっかり暗くなっていたが、この世界では『略奪は勝者の権利』などという考え方が一般的なのだ。外野の僕がアレコレ言ったところで何が改善するわけでもない。

 

「当然のことをしたまでさ。君が上げてきた報告書は、隅々まで目を通させてもらったよ。なんでも、この戦争でも素晴らしい戦果を挙げてくれたそうじゃないか。いやはや、君を南部方面軍司令を抜擢した甲斐があったというものだ」

 

 にこやかな表情でそう言ってから、殿下が僕の肩をぽんぽんと叩く。友人を相手にしているような、気安い態度だ。とはいえ、僕の方はなんともやりづらい気分だった。何しろ、僕は以前彼女の求婚を蹴った……つまり、フッた経験があるのだ。正直、かなり気まずい。

 

「お褒めにあずかり光栄です、殿下。しかし、この成果はあくまで部下らの頑張りあってのもの。真に称えられるべきは彼女らのほうでしょう」

 

「君はすぐにそうやって謙遜する。悪い癖だぞ?」

 

 クスクスと笑いながら、殿下はそんなことを言う。たいへんに楽しそうだ。な、なんだろうな、コレ。モラクス氏と随分と対応が違うぞ? あの王室特任外交官とやらは、あきらかにこちらの陣営そのものを敵視しているようだったが、殿下にはそういう気配は見られない。むしろ、純粋にこちらの働きを評価してくれている節すらあるように見えた。

 いや、違和感はそれだけではない。殿下はペラペラペラペラと口が回りまくっているが、半面周囲はあまり見ていないようだった。僕の隣にいるアデライドなど、完全に蚊帳の外に置かれて話に入るタイミングを逸している。彼女とて王国の重鎮だ。王太子のやることとはいえ、いささか失礼な扱いに見える。しかもおそらく、殿下はわざとそれをやっているのだ。

 

「殿下、殿下。ブロンダン卿は今日の催しの主役ですぞ? あまり独占していては、皆に恨まれてしまいます」

 

 などと思っていたら、殿下の後ろにいた中年の竜人(ドラゴニュート)が助け舟を出してくれた。王軍の実質的な指揮官、ガムラン将軍だ。どうにも風采の上がらない容姿の方だが、レーヌ市ほどの堅城をわずか一か月半で落とすような手腕の持ち主だからな。おそらく、かなりの切れ者だろう。軍人としてはまだあまり経験を積んでいない殿下が、いきなり名采配を見せたとも思えないしな……。

 

「野暮なことを言うね、将軍。久しぶりの再開なんだ、少しくらいいいだろう?」

 

 片方の眉を上げたフランセット殿下が、肩をすくめながらそう返す。ガムラン将軍は殿下と僕を順番に見て、それからアデライドに視線を移したあと軽く頭を下げた。その様子に、殿下が不快げな表情になる。しかしそれも一瞬のこと、彼女はすぐに元のニコニコ顔に戻った。……うーん、やっぱり意識的にアデライドを無視してるっぽいぞ、この人。あんまりいい傾向じゃないなぁ。

 

「ふん、まあいいさ。確かに、主役を差し置いて我が我がとしゃしゃり出るのも野暮には違いないだろう。すまないね、アルベール。いろいろと積もる話もあるのだけれど、まあそれは後々のお楽しみと行こうか」

 

「は、はあ……」

 

 なんとも艶っぽい流し目をくれるフランセット殿下に、ぼくはあいまいな返答しか返せなかった。積もる話と言われても、正直こまるよな。むろん、南部戦線の戦況推移を説明してくれといわれれば、喜んでやるが。だが、殿下の話しぶりはそういった実務的な話し合いを望んでいるような雰囲気ではない。

 

「殿下。アルベールはまもなく結婚する身です、あまりからかわないでいただきたい」

 

 顔だけはニッコリと笑いつつ、アデライドが釘を刺した。殿下は殿下で、「からかっているつもりはないけどね」と応じる。その表情は、僕に向けていたものよりも遥かに戦闘的な笑みだった。

 

「余がアルベールを呼んだのは、論功行賞をするためだ。それに君もついて来たということは、宰相も手柄を上げたという認識で構わないね? さて、どんな報告が聞けるのか今から楽しみだ。まさか、男を矢面に立てた挙句、自分は後ろに引っ込んで居たような女がアルベールの主人ヅラをしているはずもないだろうし」

 

「……ッ!」

 

 挑発的という表現すら物足りなくなるような好戦的な口調で、フランセット殿下はそう言い放つ。戦場云々がアデライドの地雷と知っていて、わざと踏みに行ったようだった。度を過ぎた挑発に、さしものアデライドも一瞬笑みが崩れかける。それでもグッと拳を握り締め、なんとか怒りをこらえたのは流石だった。

 場合によっては刃傷沙汰に発展するレベルの罵倒だぞ、さっきのは。一瞬なにか言い返してやろうと思ったが、当のアデライドが我慢しているのだから僕があれこれ口を出す権利はないだろう。眉根の少しだけ皺をよせ、不快感を表明するだけにとどめておく。

 

「殿下、私はあくまで後方支援役……いわば奥方です。この役割は、ガレアの宮廷でもブロンダン家でも同じこと。優秀な者たちが、おもうまま力を振るえる環境を作る事こそが、私の喜びであります」

 

「ふん、なるほどね。まあ、君は只人(ヒューム)だからな。そのような仕事に甘んじるのも、致し方のない話だろうが」

 

 恐ろしく非友好的な口調でそう吐き捨てるフランセット殿下。彼女はそのままアデライドから視線を外し、もとの人好きのする笑みに戻ってから僕の方を見た。そして、こちらの手をとりその甲に口づけをする。正直、勘弁してほしい。嫁さんを侮辱された以上、僕だってそれなりにむかっ腹が立っているんだけど。

 ふぅむ、しっかし"そのような仕事に甘んじる"、か……こりゃあ、ガムラン将軍もそうとう苦労したに違いない。後方支援が仕事を放棄すれば、外征軍なんか一瞬で瓦解しちゃうんだけどなぁ。

 

「すまない、少しばかり熱くなった。余は頭を冷やしてこよう。君はパーティを楽しんできてくれ」

 

 そう言って、フランセット殿下はガムラン将軍を伴い去っていった。去り際に、将軍は僕とアデライドを見て申し訳なさそうに頭を下げる。く、苦労人だね、この人も……。

 

「……」

 

「……」

 

 二人を見送った後、僕らはどちらからともなく視線をかわした。首をそっと左右に振り、アデライドは小さなため息をついた。

 

「まあ、いいさ。あいさつ回りを続けよう。殿下に何と言われようと、私は私の仕事をするまでだ」

 

 少しだけ剥がれかけた笑顔の仮面をかぶりなおし、周辺の貴族らに話しかけに行くアデライド。こんな出来た人のどこが気に入らんのかね、殿下は。まったく困ったものだ。そんなことを思いつつ、僕は視線を横に移した。アデライドとロリババア曰く、人脈作りこそ政治活動の基礎の基礎……らしい。

 僕は政治は苦手だが、それに胡坐をかいて良い時期はとうに過ぎている。せっかくイベントの主賓扱いを受けているのだから、この機会にいろいろな貴族や軍人と顔を繋いでおいた方が良いだろう。

 

「……うっ」

 

 ところが、そこでふと嫌なことに気付いた。こちらを遠巻きに眺めている貴族の一団の中に、見知った顔がまざっていたのだ。ソイツはひどく長身で、ソニアやヴァルマによく似た顔立ちをしている。年のころも、あの姉妹と同じくらいだ。違いと言えば、知的な印象のメガネをかけているくらいだろう。

 

「マリッタじゃないか……」

 

 マリッタ・スオラハティ。カステヘルミの次女、つまりはソニアの妹にしてヴァルマの姉。見知った顔どころの関係ではなく、ほとんど兄妹同然に育った相手であった。しかし、彼女の顔には親しみの色など微塵もない。むしろ、親の仇でも見るような目でこちらを睨みつけていた……。



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第557話 くっころ男騎士とシスコン系妹(1)

 ノール辺境伯、カステヘルミ・スオラハティには三人の娘がいる。一人は言わずと知れたソニア。王国一の騎士と称えられる、本物の天才。そして末の娘が、これまた天才でしかも危うげな野望に燃えるあのヴァルマだ。

 そんなキャラの濃い姉と妹に挟まれたマリッタ・スオラハティという人物は、はっきり言ってそれほど目立つ人物ではなかった。いや、決してマリッタの出来が悪いわけではない。武技も知略もそつなくこなし、隙がない。おまけに性格も真面目だ。ただ、比較対象であるソニアやヴァルマが際立った天才過ぎたのが彼女の不幸だった。

 

「……」

 

 そんなマリッタが、貴族の一団に紛れて僕を睨みつけている。それを見ただけで、鉛の塊を飲み込んでしまったような気分になってしまった。正直に言えば、僕は彼女のことがかなり苦手なのだ。いや、苦手というよりは、申し訳なさを感じているというか……。

 実のところ、僕はマリッタから随分と恨まれている。彼女はなかなかのお姉ちゃんっ子で、昔からソニアの副官を気取っていたのだ。将来は、スオラハティ家の当主となったソニアを支えていく! などということも言っていた。にもかかわらず、ソニアはスオラハティ家から出奔し、僕の副官になってしまった。マリッタからすれば、僕は姉を奪った憎い相手なのだ。そりゃあ、目の仇にもするだろって感じだな。

 ああ、しかしまさかレーヌ市にマリッタが居たとは。おそらく、スオラハティ家に命じられた軍役に応じて出陣したんだろうな。こう言った場合、本来であれば当主であるカステヘルミが出張るのが普通なのだが……マリッタはソニアから繰り上げでスオラハティ家の当主になることが決まっているから、箔付けのために彼女が出陣することになったのだろう。武家の頭領を勤めるためには、それなり以上の実戦経験が必要なのだ。

 

「お初にお目にかかります、ブロンダン卿。私は王都西のバージルという地に所領を持つ、バージル城伯と申す者……」

 

 なんとも気まずい気分だったが、僕は一応このパーティの主賓だ。何も言わなくても、あちこちから勝手に人が集まってきてアレコレ話しかけられてしまう。正直に言えばこういった貴族的な付き合いをするような気分はすっかり吹き飛んでしまったのだが、だからといってまさか彼女らを邪険に扱うわけにもいかない。なんとか笑顔を取り繕いつつ、僕はマリッタに軽く会釈をしてから挨拶へと専念した。

 

「ほう、そちらのご領地は銀細工が特産品なのですか。これは興味深い。よろしければ、ネックレスなどを発注させていただきたいですね」

 

 貴族たちと空虚な会話を交わしつつ、僕は内心ため息をついた。もちろん銀細工などには興味はないし、それよりもマリッタのほうがよほど気になる。しかし僕は新参の成り上がり者だから、社交の場での立ち回りには細心の注意が必要だ。むろん、邪険に扱うなど論外である。ゲンナリしたものを感じつつも、表面上はにこやかに応じる他なかった。

 

「ええ、ええ。ジェルマン伯爵殿には、この戦いでもたいへんにお世話になりました。軍議でも、そして戦闘でも、あの方には助けられっぱなしで、はい」

 

 相手の商売に付き合ったり、共通の知人の話をしたり、もう大忙しだ。僕はベルトコンベア作業でもしているような気分になりながら、貴族らの話に付き合い続けた。一人と会話を終えても、即座にまた新手が現れるのだから大変だ。厄介だなぁ、などと思いながら貴族らを右から左に流していたら、大柄な影が僕の前にヌッと現れた。

 

「失礼。少しばかり、この者をお借りいたします」

 

 マリッタである。彼女は僕の肩を掴み、そのままぐいぐいと引っ張ってきた。あわててジョゼットが止めに入ろうとするが、目でそれを制止する。あまり関係が良いとは言い難いとはいえ、一応彼女は身内なのだ。どうしてこんなマネをしているのかくらいは、予想がつく。

 案の定、マリッタは僕をホールから直通になっているバルコニーへと連れ出した。先客も居たが、マリッタはそれをひと睨みで退散させる。やはり、彼女は僕と二人っきりで話がしたいようだな。

 

「や、やあ、どうも。久しぶり」

 

 努めて友好的な声音で挨拶するも、その空虚な言葉はマリッタの鉄面皮に跳ね返されて霧散してしまった。彼女のそのヴァルマによく似た顔(双子なのだから当然だ)には、氷のように冷たい表情が浮かんでいる。

 

「姉上はどこにいらっしゃるのですか?」

 

 ひどく端的な口調で、マリッタは僕を詰問した。挨拶も前振りもない、単刀直入すぎる言い草だ。数年ぶりの再会にも関わらず、この態度。ぜんぜん変わってないなぁ、マリッタ。思わず顔に笑みが漏れだしそうになって、なんとか我慢する。ここで笑ったりすれば、間違いなく彼女は気分を害するからな。

 

「ソニアはリースベンだよ。誰でも彼でもに領主名代を任せられるような土地じゃないからさ、あそこ……」

 

 政治屋、内政屋としては超一流のアデライドですら統治に難儀をするのがリースベンという土地だ。留守番を置かない、という選択肢は流石に無かった。仕方がないので、ソニアには引き続き領主名代の仕事を頼んでいる。

 

「ノール辺境領の支配者となるべき立場の姉上が、今や辺境の小領で領主代理をしているなんて。悪夢以外の何物でもありませんね……」

 

 眼鏡の位置を直しつつ、マリッタは深い深いため息をついた。彼女は姉であるソニアをたいへんに尊敬しており、自分が二番手に甘んじることを良しとしているのだ。天上天下唯我独尊を地でいくヴァルマとは、真逆の性格と言っても差し支えない。

 

「お姉様を返しなさい、アルベール。おかしいとは思いませんか? お姉さまはスオラハティ家の跡取りなのですよ。百歩譲ってあなたが婿入りするならまだしも、なぜ姉上のほうが嫁養子にならねばならないのです、道理が通らないでしょう」

 

「そ、そげなことをいわれましても……」

 

 怒り顔で睨みつけてくるマリッタに、僕は黙り込むことしかできなかった。彼女の言葉は正論だ。むしろ、譲歩してくれているとすら言える。スオラハティ家は王国屈指の大貴族で、ぼくはいち宮廷騎士の息子なのだ。本来であれば、本人らがどれほど望んだところで結婚できるものではない。ましてや、跡取り娘を嫁に出すなど驚天動地の出来事だ。

 

「婿入りしたくないというのなら、ヴァルマとだけくっ付けば良かったのです。あの愚妹でしたら、ワタシだって喜んで送りだしますよ」

 

 マリッタはピシリと僕の眼前に人差し指を突き出した。

 

「あるいは、母上の後夫でもよろしい。正直複雑な気分ですが、母親の幸せを願う情くらいワタシにだってあります。母上がリースベンとやらで隠居をしたいというのなら、もちろん応援だっていたしましょう」

 

「ハイ」

 

「しかし、しかしです。名前も聞いたこともないような南のド辺境に姉上の骨をうずめるのは流石に容認できません。さらにそれに加えて、母上までもあなたの元へ行きたいだなどと。ああ、もう、ワタシは頭がどうにかなってしまいそうです」

 

「ハイ……」

 

 いや、もう、おっしゃる通りです。うん、そうだよな。マリッタとしちゃ、そう言うほかないよな。姉を取られて、さらには妹と母親まで取られて、そりゃあ僕を恨まないハズないよな……。ううううむ……どうしよう、全然言い返せない。だって十割正論だもの。でも、今さらそんなこと言われてもメッチャ困るだろ……。

 

「ハイハイ言うくらいなら、可及的速やかに姉上をワタシに返してください。ノールを継ぐにふさわしい人間は、姉上を置いて他にいないのです。あなたが独占するなんて、とても認められません!」

 

 凄まじい剣幕で、マリッタは僕に詰め寄った。う、うおお…なんだか胃が痛くなってきたぞ……。



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第558話 くっころ男騎士とシスコン系妹(2)

「ハイハイ言うくらいなら、可及的速やかに姉上をワタシに返してください。ノールを継ぐにふさわしい人間は、姉上を置いて他にいないのです。あなたが独占するなんて、とても認められません!」

 

 久しぶりに再会したソニアの妹、マリッタはそう言って僕に詰め寄ってきた。彼女は、僕に姉を取られたと思っているのだ。実際、本来であればソニアはスオラハティ家を継ぐはずの人間だったのだ。これは決して、マリッタの逆恨みなどではないだろう。

 

「……」

 

 僕は鬼の形相でこちらを睨みつけるマリッタから視線を外し、バルコニーの外に目を向けた。そこにはレーヌ市の街並みが広がっているはずなのだが、今は漆黒の闇に塗りつぶされて何も見えない。電灯がまだ発明されていない世界だから、夜景などは最初から期待できないとはいえ……いくらなんでも暗すぎる。これだけの大都市で、ランプの明かりひとつ見えないというのは異様だった。

 レーヌ市の市民は、みな戸や窓を閉ざし息を潜めているのだろう。占領下の都市はこれだから、と嫌な感覚を覚える一方、理性の方は現実逃避をするのはやめろと訴えていた。今はそんなことを考えるよりも、マリッタの相手をせねばならない。

 

「姉上を返しさえすれば、あなたを許すと言っているのです」

 

 目に強い光を宿しながら、マリッタが言葉を重ねる。スオラハティ姉妹の例にもれず彼女もなかなかの長身(百九十は軽く超えているだろう)だから、なかなかの迫力だった。

 

「う、うん……」

 

「うん、ではありませんよ。いいですか? 姉上さえノールに戻ってくるのであれば、ワタシはあなたを義兄と読んでもいい。あるいは、どうしてもリースベンとやらに引きこもりたいたいというのなら、母上でもヴァルマでもその両者でも、好きに連れて行ってもいい。そう言ってるんですよ、ワタシは。これほど譲歩しているのですから、あなたには真面目に応える義務があります」

 

 僕の胸倉をつかみつつ、マリッタはそうまくしたてる。そうとうお怒りの様子だな。

 

「あなたのせいで、ワタシの家族はメチャクチャですよ。みんな、あなたに狂わされてしまった。本来ならば、(はりつけ)にしてやりたいくらいの気分なんです」

 

 そうだね!! 僕は思わず盛大に頷きそうになった。そりゃ、そうだよな。スオラハティ家は確かに僕のせいで大変なことになっている。現当主と元次期当主とついでに末の妹が、同じ男の元へ行こうとしているのだ。異常事態以外の何物でもないだろ。

 一般庶民でもこんな状態になったら家庭崩壊待ったなしだわ。まして、スオラハティ家はガレア随一の大貴族家。関係者からすればたまったものではないだろうし、その中でもマリッタは一番の被害者だ。ウ、ウオオ……正論すぎて何も反論できないぞ。

 

「ワタシがまだ淑女的な態度でいられるうちに、妥協をしておいた方が良いと思いますけどね」

 

 ギリギリと歯ぎしりしてから、マリッタはそう付け加える。……そっちの言い分はわかる。めっちゃわかる。この件に関しては、僕が一方的に悪い。もちろん反論したい部分はあるが、ソニアやカステヘルミに泥をかけるような真似はしたくないしな。結局、彼女らの好意をいいことに自分勝手な立ち回りをした僕に、すべての責任があると見た方が良いだろう。

 

「……ごめん。いや、申し訳ありません」

 

 とはいってもね、今さら土台をひっくり返すわけにもいかんのよな。ソニアはもはや僕にとっては不可分の相方で、離れ離れになるなどとても考えられない。しかし、だからと言って彼女に同行してノール辺境領に引っ越しというのも論外だ。今のリースベンは、おそらく僕無しでは結束を保てない。もともとのリースベン領民と蛮族勢の間にはまだまだ大きな溝があるし、蛮族勢は蛮族勢でお互いにいがみ合っている。間に僕が挟まることで、なんとか拮抗を保っている状態なのだ。

 そう考えるとなかなか不健全で不穏な状況なのだが、そうでもしないとリースベンは治まらないのだから仕方ない。もちろんずっとこんな有様では僕の死後にリースベンが爆発四散することは間違いないので、なんとか改善を図っていくつもりではあるが……一朝一夕にどうにかなるものでもなし、腰を据えて融和を図っていくしかないというのが正直なところだった。

 というか、そういう難儀な領地だけに実務面でもソニアは必須の存在なんだよな。いまだって、僕がこうして遠方に旅行できているのはソニアが領地の面倒を見てくれているからだしな。ここでソニアが離脱という事態になったら、リースベン領もブロンダン家も潰れてしまいかねない。とにかく人材不足なんだよ、ウチは。

 

「マリッタ()に理があるのは事実なのですが、今すぐそちらの要望にお応えするのは現実的には困難です」

 

 言葉遣いを目上を相手にするときのものに改め、僕はそう説明した。マリッタの要求をのめない以上、身内に対するような喋り方は失礼だ。私的な面での折り合いがつかない以上、公的な立場に戻って話をする必要がある。

 

「とはいえ、もちろん一方的に身勝手を申すつもりはございません。レーヌ市における仕事が終わったら、ソニアも呼んで話し合いの機会を設けるのはどうでしょうか? このような問題は、僕個人の一存で差配できるものでもありませんし……」

 

 僕がマリッタを説得するのは、まず無理だろう。彼女は僕を恨んでいるし、そもそも悪いのもこちらだ。ソニアやカステヘルミも読んで、家族間の話し合いで折り合いをつけてもらうほかない。まあその結果、逆にソニアが説得されてノールへ帰ってしまう可能性も無きにしも非ずだが……まあ、その時はその時だ。交渉なんてのは妥協点を探るためにやるものなのだから、何かしらの痛手を負うことは最初から覚悟しておかなければならない。

 

「駄目です」

 

 だが、マリッタは僕の提案を一蹴した。彼女は眉間にしわを寄せつつ、大きなため息を吐く。

 

「姉上が自分からあなたの元を離れるなどあり得ません。なにしろ、あそこまで骨抜きにされてしまっているわけですからね。もはや、手遅れですよ。何とかするには、あなたが命じて荒療治をするほかない」

 

「え、ええ……」

 

「すべてあなたが悪いんですよ。男などまったく興味のなかった姉上を誘惑し、性癖を捻じ曲げ、心を捕らえ……ええい、許しがたい」

 

 それは知らんわッ! 僕は誘惑なんかしてねーぞ。というか、童貞のままアラフォーでおっ死んだ人間に威勢の誘惑なんかできるわけないだろ常識的に考えて。流石にそれは濡れ衣だわ。

 

「ワタシは最大限まであなたに譲歩しました。いわば、最後通牒です。これ以上は、びた一文たりとも払う気はないのです。ですから、もしあなたがこの条件をのめない場合は……」

 

 僕の襟をつかんでいた手を離し、マリッタは少しだけ距離を取った。しかし、だからと言って彼女の怒りが収まったわけではないようだった。むしろ、その目の光は菜緒を強くなっている。

 

「交渉、決裂。もはや、あなたのことは身内とみなしません。あなたは、我が家族を破壊する怨敵です」

 

 怨敵、怨敵と来たか。僕は思わず顔を引きつらせた。むろん、彼女から恨まれていることは理解していたが……まさか、ここまでとは。参ったな、流石にこれは計算外だぞ。どうしたもんかね、ううむ……。

 

「言葉で解決できない問題は、実力で解決するほかない。いまやあなたに残された選択肢は、今ここでワタシの案を飲むか、あるいは敵対者としてワタシに攻め滅ぼされるか、です。まあ、幼馴染の義理もありますから、白旗を上げれば受け入れてやりますけどね」

 

「……」

 

「で、どうなんです? 姉上を返してくれますか。はいかいいえで答えなさい」

 

 相談もせずにそんなこと決められるかよ! 僕はそう言い返したい気分だったが、マリッタの意志は固いようだった。昔は、ここまで頑ななヤツではなかったはずなのだが……。

 

「いや、頷けない。少なくとも、いまここでは。だから、僕の答えはいいえだ」

 

「なるほど、結構。では、貴様はワタシの敵だ」

 

 敬語すら捨て、マリッタは踵を返した。そして荒々しい足音を立てながら、バルコニーを去っていく。残された僕は、深いため息を吐くことしかできなかった……。



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第559話 くっころ男騎士と作戦会議

 その後、歓迎パーティはつつがなく終了した。つつがなく、というにはいささか波乱が多すぎたようにも思うが。とくにマリッタの一件ですっかり参ってしまった僕は、すっかり意気消沈してしまった。妹同然に育った相手から、怨敵宣言されるというのは存外にキツいものだ。

 

「はぁ……思ったのより三倍くらい厄介な状況になってるな」

 

 レーヌ市のアッパータウンに建てられた高級宿の一室で、僕はため息をついていた。今日の寝床として、アデライドが調達してきた部屋だ。フランセット殿下はレーヌ城の客間を貸してくれると言っていたのだが、アデライドはそれを「宿は既に取ってあるから」という理由で断ったのである。

 

「本当にな。まったく、ここまでひどい事になっているとは思わなかったよ」

 

 僕の対面の席に座ったアデライドは、ひどく深刻な表情で頷きつつ川魚のソテーをナイフで切り分けた。手ごろな大きさになったそれを、フォークで刺して丁寧な所作で口に運ぶ。既に深夜と言ってよい時間帯なのだが、彼女は夜食の真っ最中だった。

 

「おかげで、せっかくの催しなのに一滴の水すら飲めなかった。社交パーティでは満足に飲み食いできない、というのはいつものことだがねぇ。ここまで何も口にできなかったのは初めてだよ」

 

「まったくのぉ。あれほど豪華な料理が目の前に盛られているというのに、まったく手がつけられないとは。まるで地獄じゃ」

 

 同じく夜食中のダライヤが同調する。どうやら、ロリババアもパーティでは飲食できなかったようだ。

 

「あの王太子の主催するパーティで何かを口にするのは自殺行為だな。なにが盛られているやら分かったもんじゃない」

 

 頬を膨らませてから、アデライドが吐き捨てた。旅の途中での余裕ぶりから一転、彼女はすっかり警戒を露わにしている。わざわざ嘘をついてまでレーヌ場を辞したのも、フランセット殿下に対する警戒の現れだろう。アデライドとしては、殿下のおひざ元で寝泊まりするのなんてご免だ、ということらしい。

 

「パーティ会場でのアレを言ってるの? たしかに、あの件は僕もどうかと思ったけど……流石に、毒を盛るような真似はしないんじゃないかな」

 

 フランセット殿下は、会場でアデライドをずいぶんと挑発していた。もしアデライドが武官だったら、主君と言えど構わず決闘を挑んでいたかもしれない。貴族……とくに領邦領主にとっては、メンツは忠義よりも優先すべきものだからだ。あの時のフランセット殿下の態度は、お世辞にも褒められるものではなかった。

 

「それもそうだが……それ以前から、妙な気配はしていたからねぇ。どうやら殿下の中では、私はアルを食い物にして私腹を肥やすとんでもない悪党ということになっているらしい」

 

「一面では事実ではないかのぉ? それ」

 

「やかましいぞクソババア」

 

 漫才めいたやりとりをする二人をしり目に、僕はしばし考えこんだ。そういえば、フランセット殿下がお忍びでロースベンにやってきたときも、そんなことを言っていたような気がする。

 

「何はともあれ、どうやら私は状況を甘く見ていたのは確からしい。もしかしたら、アルを"救出"しに来る可能性すらある」

 

「救出って、何から」

 

「悪の宰相から、さ。殿下はずいぶんとタチの悪い妄想に浸っていらっしゃる」

 

 んなアホな。そう言って僕はアデライドの考えを笑い飛ばそうとしたが、できなかった。どうにも、今のフランセット殿下は不気味だ。冷静さを欠いているのは間違いあるまい。もしかしたら、本当にマトモな判断力を失っている可能性がある。

 

「愛に狂った女は怖いぞ、アルベール。ワシの盟友も、それが原因で身を滅ぼしてしもうた」

 

 香草茶のカップを両手で持ちながら、ダライヤが意味深な目でこちらを見てくる。ロリババアの盟友と言えば、エルフの長老の一人だったヴァンカ・オリシス氏で間違いあるまい。彼女は愛する男を失った悲しみにより、エルフという種族全体に憎しみを向けるようになった。その結果が、エルフ内戦最終盤における大暴走だ。

 

「フランセット殿下が、ヴァンカ氏と同じような状態にあると?」

 

「うむ」

 

 ……やっべーな、それ。僕は思わず頭を抱えたい気分になった。どうしたもんかね、こりゃ。

 

「こっちはマリッタからも敵対宣言をされたばっかりなんだぞ。タイミングが悪すぎじゃないか?」

 

 マリッタの一件については、もちろん二人には伝えてあった。正直、僕一人の手には余る問題だからな。智者の力を借りねばどうしようもない。

 

「というか、おそらくこの両者は連動しているのではないかね」

 

 砂を嚙むような表情で、アデライドが言う。まあ、実際に噛んでいるのは白身魚だが。

 

「もともと、マリッタはそこまで積極性のある人間ではなかった。姉を慕っているのは確かだろうが、ある程度の折り合いを付けられるだけの度量はあったはずだぞ。そうでなければ、カステヘルミも次期当主になど推薦しない。フランセットにしろ、マリッタにしろ、本来よりも極端に視野が狭くなっているように思えるのだがね」

 

「確かに……」

 

 唸りながら、僕は香草茶で口を湿らせた。本当ならば浴びるほど酒が飲みたい気分だったが、いつ緊急事態が起こってもおかしくない情勢のようだから堪えている。まったく、どうしてこんなことになってしまったのやら。

 

「なにやら、臭いのぉ。この一連の流れ、もしやどこぞに黒幕がおるのではなかろうな」

 

「ありうる。実際、王の側近の中にもそれを疑っている者がいるようだ」

 

 ダライヤをチラリと見てから、アデライドは思案顔で視線をさ迷わせた。

 

「実は先刻、オレアン公閣下と少しばかり話をした。殿下の現状についてだ」

 

「オレアン公……」

 

 まさかの名前が出て、僕は一瞬あっけにとられた。僕がリースベンに赴任することになったもの、オレアン公爵の策謀が原因だった。もっとも、公爵当人は去年の王都内乱で戦死している。その最期を看取ったのは、ほかならぬ僕だ。腹黒い婆さんだったが、騎士としての誇りも確かに持ち合わせた不思議な人物だった。

 記憶が確かなら、現オレアン公はあの婆さんの次女が就任しているはずだ。直接顔を合わせたことはないが、風の噂で人となりくらいは知っている。控えめだが、聡明で真面目な人物だという話だ。とはいえ、彼女の姉(つまり前オレアン公の長女)は内乱の首謀者の一人だったから、当主になった後にはさぞや苦労していることだろう。

 

「彼女としても、近頃の王太子殿下のご様子には違和感があるようだ。そして、その理由にも多少の心当たりがあるとか」

 

「それは、また」

 

 身体にかかる重力が五割増しになったような気分になって、僕は思わず目を逸らした。ヤだなぁ、本当にヤだなぁ。こんな話に首突っ込みたくないんだけど。ああ、しかし、もはやどうあがいても僕にはこの重力から逃れるすべはないんだよな……。

 

「大丈夫かのぉ? オレアン家とやらは、オヌシらと因縁があるのじゃろう? 復讐のため、何かの罠を張っている可能性もあるのではないかのぉ」

 

 小さな酒杯を片手に、ダライヤが眉を跳ね上げる。こんな状況でも、彼女は平気で飲酒をしていた。マジで羨ましいんだけど。

 

「その可能性はある。しかし、今の我々はいわば袋の鼠だ。これほど露骨な罠を仕掛けなくても、やろうと思えばすぐにでも仕留めることができるだろうさ」

 

 一方、アデライドの表情は渋いままだ。どうやら、状況を甘く見過ぎていたと自己嫌悪しているらしい。

 

「とりあえず、手繰れそうな糸は全部引っ張ってみるさ。オレアン公とは、明日の昼にこっそり面会をすることになっている。アル、君もついてきてくれ」

 

「わかったよ」

 

 あの老公爵の娘と面会するのはいささか気まずいが、状況が状況だけにアデライドと離れ離れになるのは避けておいた方が良いだろう。僕はしっかりと頷いて見せた。

 

「はぁ、しかし油断をした。まさか、王太子殿下の頭があそこまで煮えていたとは。とにかく、ここしばらくは最大限の警戒をしつつ慎重に行動しよう。そして向こうが仕掛けてきたら、王家側が泥をかぶるように立ち回るんだ。そうすれば、最悪ガレアが割れても勝ち目はでてくる」

 

「……了解。ジョゼットやネェルたちにも、最悪の場合に備えた準備をしておくよう伝えておくよ」

 

 場合によっては、王軍の追撃を受けながらこのレーヌ市を脱出するような状況に陥るかもしれない。ひとまず、脱出経路の確認や物資の確保はしておいたほうがいいだろう。はあ、まったく。参っちゃうなァ……。

 

 



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第560話 くっころ男騎士と新オレアン公(1)

 レーヌ市へとたどり着いた翌日。予定通り、僕たちはオレアン公と会談すべく宿を発った。とはいっても、もちろんそのまま普通に出発したわけではない。なにしろ、これだけ物騒な情勢だ。どう考えても、我々には監視がついている。そのまま何も対策を打たないままオレアン公と接触したら、王太子殿下に更なる疑惑を(そして介入の口実を)与えることは間違いなかった。

 そう言う訳で、たかだか人ひとりに会いに行くだけの要件にも関わらず、我々はたいへんな手間を取らされた。影武者を立てたり、変装したりといった面倒くさい手順をいくつも踏んで、やっとのことで僕は目的地へとたどり着いた。

 街のアッパータウンとダウンタウンの境目にあるその家は、一見したところたんなる民家にしか見えなかった。特別裕福でもなければ、特別貧しくもない。そういうごく普通の家族が住んでいそうな家である。普通の来客者のフリをして家に上がらせてもらった後も、その印象は拭えなかった。なにしろ、出迎えをしてくれた青年が赤ん坊まで背負っている始末だったからな。

 

「ん、来たか」

 

 しかし、その客間で僕たちを出迎えたのは、たしかに現オレアン公ピエレット・ドゥ・オレアン氏だった。僕は彼女とは直接の面識はないのだが、腐っても元王宮勤務の騎士だったので顔くらいは知っている。重鎮貴族の子息なんてのは、いやでも目立つ立場だからな。

 とはいえ、もちろんピエレット氏も我々と同じように変装をしている。失礼を承知で表現すれば、人は良さそうだがどうにも儲かってなさそうな行商人、という風情の格好だった。もともとのピエレット氏が持つ茫洋とした雰囲気が、その印象に拍車をかけている。

 ちなみに、そういうこちらはと言えばアデライドとお揃いで巡礼者の格好をしている。レーヌ市は巡礼ルートの途中にある街だから、こういう恰好が一番目立たない。巡礼者用のローブにはフードが備え付けになっているのも都合が良かった。

 

「いきなり呼びつけて申し訳なかったな、アデライド殿」

 

 立ち上がったピエレット氏は、愛想笑いを浮かべながらアデライドと握手をした。そして、僕の方をちらりと見る。少しばかり怯んだ心地になってしまったが、その目には敵意も反感も浮かんでいなかった。

 

「オレアン公閣下は、アルとは初対面でしたな。必要はないでしょうが、一応礼儀として紹介しきましょう。彼は、我が婚約者にしてリースベン城伯、アルベール・ブロンダンです」

 

 貴族同士が初めて顔を合わせたら、仲介者が間に立ってから挨拶をかわす。それが大陸西方の宮廷儀礼だ。アデライドはやや面倒くさそうな様子で僕を紹介し、そして同じような手順で今度はピエレット氏を紹介してくれた。

 

「初めまして、ブロンダン卿。挨拶が遅れて申し訳ない。……できれば、あの忌まわしい内乱が終わってすぐにそちらへうかがいたかったのだが」

 

「……いえ、こちらこそ。先代のオレアン公閣下には、たいへんにお世話になっております。本来ならば、自分の方から参上するのが道理でしたのに」

 

 先代のオレアン公は、何かと因縁のある相手だった。どうにも彼女は僕が宮廷騎士だった頃からこちらを疎ましく思っていたようだし、こちらはこちらでオレアン公の陰謀が原因で幼馴染の騎士を一人失っている。はっきり言って、敵といっても差し支えないような相手だった。

 しかし、オレアン公は最後の最後でその残り少ない命を燃やし、僕を救ってくれた。彼女が居なければ、僕は敵将との相打ちを狙って自爆していたことだろう。当たり前だが僕だって好き好んで自爆などを企んだわけではない。それを止めてくれた前オレアン公には、どれだけ感謝してもしたりないというのも確かなのだ。

 

「はは、足が向かなかった気持ちはわかるとも。自分の母がどういう人物だったかくらい、私も承知している」

 

 すこし苦笑してから、ピエレット氏は応接椅子に腰を下ろした。公爵が座るには流石に粗末に過ぎる椅子だったが、服装のせいか不思議とミスマッチには感じない。彼女は首をかすかに振って、我々にも座るように促した。

 

「しかし、だからこそ私は君にどれだけ感謝をしてもしたりないのだ。ブロンダン卿のおかげで、母は面目を保つことができた。そして、名誉ある最期も」

 

 少しだけ目を伏せ、いったん言葉を切るピエレット氏。そして小さくため息を吐き、再び口を開く。

 

「母は、ああいう人だったからね。ブロンダン卿が看取ってくれたからこそ、あれほど安らかな表情で逝けたのだと思う。私では、こうはいかなかっただろう」

 

「いえ、そんな……」

 

 僕の脳裏に、前オレアン公の最期のがよみがえる。娘を殺され、その復仇を果たした騎士の顔にしては……確かに安らかな表情だった。

 

「ありがとう、ブロンダン卿。オレアン公爵として、この恩は必ず返す」

 

 ピエレット氏がそう言ったすぐ後に、客間のドアがノックされる。少しバツの悪そうな顔をしたピエレット氏がどうぞと答えると、入ってきたのは例の青年だった。相変わらず、背中には赤ん坊を背負っている。どうやら、ネコ科系の獣人の子供らしかった。

 青年は我々に一礼した後、応接テーブルの上に湯気の上がる香草茶のカップを人数分ならべた。そして、オレアン公の前にある冷めきった香草茶を回収する。その作業の最中に、赤ん坊がぐずり始めた。青年は慌てた様子で、我々と赤ん坊を交互に見た。

 

「見知らぬ人間が大勢いて怖いのだろうさ。我々のことは気にしなくていいから、奥であやしてあげなさい」

 

 そう言いながら赤ん坊を一瞥するピエレット氏の目は、ひどく優しげなものだった。もしかしたら、子供が好きなのかもしれない。青年は深々と一礼し、早足で客間から出ていった。

 

「……いや、もうしわけない。急場、かつ極秘で用意した拠点なものでね。いろいろと、その……」

 

 気まずそうに眼を逸らしてから、ピエレット氏はコホンと咳払いをした。

 

「気にする必要はございません。なにしろ、密会ですからね」

 

 苦笑しつつ、アデライドが肩をすくめた。僕のような人間からすると、密会なんてのはいかにも高級そうな料亭でやるイメージがあるが。まあ、本当に内緒話をしたいのなら、こういう目立たない地味な場所を使うこともあるか……。

 

「挨拶はこのくらいにして、そろそろ本題に入ることにしましょうか」

 

 表情を改め、そう続けるアデライド。どうやら彼女は、少しばかり焦っているようだな。まあ、戦勝パーティの本番は明日だからな。そりゃあ、焦りもするか。いつフランセット殿下が仕掛けてきてもおかしくない情勢だしな……。

 

「ああ、近頃の殿下の身の回りについて……だったね」

 

 深く息を吐き、ピエレット氏は湯気の上がる香草茶を口に運んだ。

 

「君たちも、さぞ違和感を覚えていることだろう。この頃の殿下は、どうにも妙だ」

 

「ええ。少なくとも去年までのフランセット殿下は、聡明で思慮深いお方でした。それが、今や……」

 

 どうしてこうなった、と言わんばかりの様子でため息を吐くアデライド。これに関しては、僕も全くの同感だった。殿下と知り合ったのは、王都内乱のさ中だ。その時の彼女は、流石は大国の王太子だと感心するような度量を持ち合わせていた記憶がある。今の近視眼的な彼女とは別人のようだ。

 

「実のところ、王太子殿下がああなってしまわれたのは……ある女の影響ではないかと思っているのだ」

 

「……」

 

 僕とアデライドは揃って顔を見合わせた。まったく、嫌な話題だな。うーん、聞きたくねぇ。僕だけ部屋から出て、あの赤ん坊の世話をやらせてくれないだろうか? クソみたいな政治話をしてるくらいなら、赤ん坊のおしめの始末でもしてたほうがよほど気分が楽なんだけど。……そういうわけにもいかんのよなぁ。はぁ……。

 

「その女の名は、ヴィオラ。ポンピリオ商会のヴィオラだ」

 

 顔を引きつらせる僕に強い視線を向けながら、ピエレット氏は決定的な名前を口に出した。



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第561話 くっころ男騎士と新オレアン公(2)

「ポンピリオ商会のヴィオラ……」

 

 レーヌ市街の民家で行われた、現オレアン公ピエレット氏との密会。その現場で、彼女は王太子殿下を惑わした張本人ではないかと疑われる人物の名を口に出した。聞き馴染みのないその名を反芻しつつ、僕は眉をひそめた。

 

「聞かない名前ですな。響きからして、サマルカ星導国の商人でしょうか?」

 

 難しい表情のアデライドが、そう聞き返した。サマルカ星導国は大陸南部にある半島国家で、ガレア王国の国教でもある星導教の総本山だった。この国は宗教国家であると同時に貿易にも力を入れており、有力な大商人を何人も抱えている。

 

「ああ。お察しの通りだ。ポンピリオはサマルカの中堅商会で、本業は海運……らしいが。やはり、アデライド殿も知らない商会だったか」

 

 香草茶のカップに視線を落としつつ、ピエレット氏が答える。実家がガレア屈指の大商会であるアデライドが知らないような会社なのだから、本当に地味な連中なのだろう。僕は心の中で「なんだかなぁ」と呟いた。やっぱり、胡散臭い話になって来たぞ。諜報機関や犯罪組織がペーパーカンパニーを隠れ蓑に活動する、なんてのは前世の世界でもよくあったこと……なんだよな。

 

「この頃、王太子殿下はこのヴィオラという女とたびたび面会している。しかしその割に、軍や王室の取引相手としてポンピリオ商会の名があげられているのは見たことがないのだ。どうにも、臭うと思わないか」

 

「それは、また……特大の厄物件ですな」

 

 アデライドが苦虫をダース単位でかみつぶした表情になった。

 

「私のカスタニエ家も、もとはと言えば商人の家系です。ですから、商人の考え方はよく理解できる……」

 

「……」

 

 顎を微かに動かし、ピエレット氏は無言で先を促した。

 

「王太子殿下の身辺、つまり権力の中枢に食い込んでおきながら、大口の取引に絡んでこない? そんな輩は、間違いなく商人ではありませんよ」

 

「だろうね。私も同感だ」

 

 ヤバくない? これ。高確率で、他国の諜報機関が噛んでるやつじゃん。前世の世界なら、即座に公安を投入すべき案件だ。まあ、ガレア王国に公安警察なんか無いけど。……公安はなくても、諜報機関はあったな。本来なら、こういった事態はその連中が防ぐべきなんじゃないのか?

 ……あ、いや、駄目だわ。ヴァロワ王家の諜報機関を統括してたの、フランセット殿下だわ。手遅れだわ我が国。ああー、頭がめちゃくちゃ痛くなってきた。香草茶にブランデーぶちこんじゃ駄目? こんな話、シラフじゃ聞きたくないんだけど。

 

「つまり、ポンピリオ商会云々は世間を偽る仮の姿と?」

 

 僕の問いに、ピエレットはゆっくりと頷いた。そして顔を伏せ、しばし考え込む。

 

「その上……このヴィオラと言う女は、どうやら我が姉イザベルとも接触を持っていたようなんだ」

 

「……ッ!?」

 

 思ってもみない言葉に、僕とアデライドは揃って目を剥いた。ピエレット氏はそんな僕らの顔を順番に見てから、苦しげな表情で言葉を続ける。

 

「姉と私は、はっきり言って仲が悪かった。だから、詳しいことはわからない。だが、どうやらヴィオラが姉の周りをウロチョロしていたのは確かなようだ。何なら、夜中に王都の下屋敷で怪しげな密談をしていた、などという話も出ている」

 

「……その情報は、王太子殿下には?」

 

 彼女の言葉が本当なら、事態はヤバいどころの話ではない。ピエレット氏の姉イザベル氏は、去年の王都内乱の首謀者なのだ。そんな彼女の関係者が、今度は王家に工作を仕掛けている? どう考えても国家転覆の準備をしてるだろ……。

 

「むろん、話したとも。しかし、殿下は信じてはくれなかった。逆臣の妹よりも、彼女の方がよほど信用できる……などといってね」

 

 そう言ってから、香草茶を一口飲むピエレット氏。どうなってんだ、そりゃ。普通の事態じゃないぞ。そんな忠言を受けたら、普通なら調べるくらいするだろ。いや、そもそも怪しげな事象商人が接近して来たら、誰に言われずとも身元調査くらいするよな? ううむ、いったいどうなってるんだ……。

 

「姉は、あの事件を起こす少し前からどうにも様子がおかしかった。疑心暗鬼に駆られ、過ぎた話を掘り返し、周囲がすっかり見えなくなって……ちょうど、今の王太子殿下のような状態だよ」

 

「……そのヴィオラ某が、人を悪心に駆り立てていると?」

 

「ああ、私はそういう風に考えている。……なんだか、昔話の魔王のようだな。馬鹿らしい、とは思うのだが。どうにもそんな想像が頭から離れないのだ」

 

 苦笑するピエレット氏だが、その顔は少しだけ引きつっていた。少なくとも彼女の中では、この想像は笑い飛ばせる段階をとうに超えているということだろう。

 

「別に、絵本に出てくる魔王の摩訶不思議な術がなくとも、人の心は乱せますからな。例えば薬物であったり、話法であったり……決してあり得ない話ではないでしょう」

 

 苦渋に満ちた表情で、アデライドはそう言った。実際、その通りだよな。言葉巧みに相手に近づき、麻薬漬けにする……そういった手段でも、ピエレット氏が語っているような事態を引き起こすことは十分に可能だ。

 

「オレアン公閣下の御懸念が真実であった場合、事態はたいへんに深刻ですな。どこかの勢力が、意図的にガレア王国を叩き割ろうとしているわけですから」

 

「これが杞憂ならば、これほどうれしい事もないが。しかし、我らがガレアでなにかしら悪い事態が起きつつあるのは確かなのだ。手は打たねば」

 

 苦い表情のピエレット氏に、僕とアデライドは揃って頷いた。むろん彼女の言葉を頭からすべて信じてしまったわけではないが、筋の通った仮説なのは間違いない。皇太子殿下の様子がおかしいのは確かだしな。

 

「とはいえ、そうなると時間がありませんな。このままでは、私は近いうちに逆臣認定を受けそうな気配があります。調査にしろ、打開策にしろ、間に合わない公算が高い」

 

「ああ。まさか、いきなりヴィオラの身柄を押さえるような真似はできないだろうしね。彼女は巧みに姿を隠しているし、何より王太子殿下の信を得ている。逆臣の妹として冷遇される私では、彼女には手が届かない」

 

「それは私も同様ですな。むしろ、信用されていない度合いでは遥かに上でしょう」

 

 アデライドとピエレット氏は、顔を見合わせ力なく笑った。お手上げだぜ、ハハ……。そういう雰囲気だ。先代オレアン公と違い、ピエレット氏はずいぶんと付き合いやすい性格をしていらっしゃるな。

 

「ブロンダン卿に恩はあるが……領地、領民、そして家族……それらを見捨てて、君たちを支援することはできない。申し訳ないが、私は龍ではなくトカゲでね。危険が迫ればすぐに尻尾を切ってしまうよ。だから、君たちもそれを前提に作戦を立ててほしい」

 

「トカゲなど」

 

 僕は少し驚き、声を上げた。トカゲというのは、竜人(ドラゴニュート)に対する詐称だ。彼女らは、龍の亜人であるという誇りをもって生きている。それをトカゲ呼ばわりするのは、一発で刃傷沙汰になってもおかしくないレベルの罵倒だった。そんな言葉をまさか、自分に対して使うとは。

 

「むしろ、こうして貴重な情報を教えて頂いている時点で、随分と助けられておりますからな。無理は申しますまい」

 

 薄く笑って、アデライドがそう答える。もちろん、僕も頷いた。流石にそこまでは迷惑はかけられないだろ。

 

「ひとまず、私たちのほうでもポンピリオ商会やヴィオラについて洗ってみましょう。別のルートで調査をすれば、何か新しいことが判明するやも」

 

「うん。私の方でも、出来る限りの手は打っておこう。裏切り予告をしておいてなんだが、出来る限り恩は返しておきたい。何かあったら、連絡してくれ。……殿下に気付かれないようにな? もし気付かれたら、私はシラを切るぞ」

 

 ハッキリ言う人だなぁ。僕は思わず苦笑してしまった。こうして何もかも口に出してしまうところは、先代にまったく似ていないな。とはいえ、僕としてはむしろこういうタイプの方が付き合いやすいかもしれない。

 

「ありがとうございます、オレアン公閣下。うまく事態を切り抜けられましたら、このお礼は必ず致します」

 

 そう言って、僕は深々と頭を下げた。うまく事態を切り抜けられなかったら……ま、お礼はムリだろうな。たぶん僕やアデライドは斬首ルートだ。そうならないよう、せいぜい足掻くとしよう。

 



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第562話 くっころ男騎士と作戦会議

 オレアン公ピエレット氏との会談を終えた僕たちは、いったん宿へと戻ることにした。情報の整理のためだ。それに、変装しているとはいえ我々は王室にマークされている身の上。無意味にあちこちをウロウロするような真似は避けねばならない。

 

「なるほど、黒幕らしき者がおるやも……という予想は当たっておったわけじゃな」

 

 報告を聞いたダライヤが、腕組みをしながら小さく唸る。宿の厩に集まった我々は、臨時の会議を開いていた。なぜ厩かといえば簡単で、ここがネェルの仮の居室だからだ。なにしろ彼女は図体が大きく、一般的な亜人種向けの部屋には宿泊できない。そこで仕方なく、厩を借り受けそこで寝起きをしているという次第だった。

 フィジカルの強さが注目されがちなネェルだが、頭の方もなかなか優秀だ。彼女を会議に参加させることは、ダライヤはもちろんアデライドも反対しなかった。みな、ネェルを信頼しているのだ。……にもかかわらず、馬糞の臭い漂う厩に押し込めるというのは大変に申し訳ない扱いなのだが。物理的に宿には入れないのだから仕方ないとはいえ、後で何か埋め合わせをしておくべきだろう。

 

「まあ、このヴィオラとかいう女が黒幕とは限らない訳だがね。しかし、現状一番怪しいのがこの女だというのは確かだ」

 

 難しい顔のアデライドが、ため息交じりにそう言った。

 

「王都内乱の首謀者と、今のフランセット殿下。この両者の足元で、同じ女がうろうろしているんだ。まあ、無関係という方が無理があるだろうねぇ」

 

「その女を、捕まえれば、万事、解決。……とは、行きませんか」

 

 ワラ束の上に腰? を下ろしたネェルが、カマをこれ見よがしに掲げた。やれと言うならやるが? という意思表示だろう。

 

「少なくとも、今の状態でそんな手を使うのは避けた方が良かろう。ヴィオラ本人は、単なる連絡役に過ぎぬやもしれん」

 

「僕もダライヤの意見に賛成だな。病巣の全貌がわかっていないのに、外科的治療を行うのは拙速が過ぎる。今はとりあえず、オレアン公からもたらされた情報を足がかりに更なる調査を進めた方が良いと思う」

 

 そもそもの話、今の段階でそんなことをしたらこっちが一方的に悪いことになってしまうからな。王室と決別することになるとしても、最初の一発は相手に撃たせなければならない。ただでさえ、我々は不利な状況に置かれているんだ。せめて大義名分の上でくらいは優位を取っておかなきゃマズイだろ。

 もし王室側が最初の一発を撃ってこなかったら、それはそれで構わないしな。もちろんそれでも王室との緊張関係は続くだろうが、冷戦と熱戦なら前者の方がはるかにマシだ。膠着状態はむしろこちらの望むところである。

 

「とはいえ、調査といってもな……」

 

 僕らをちらりと見ながら、アデライドが顎をさする。

 

「現状では、それもままならないのが難しいところだ。なにしろ、ここはリースベンからも王都からも遥か離れた外地。調べごとをしようにも、人手も伝手も足りないというのが正直なところだ。せめて、王太子殿下の近辺にウチの派閥の人間がいれば、かなりマシだったんだろうがねぇ。残念ながら、レーヌ市遠征軍には宰相派閥の貴族はほとんど参加していないのだよ」

 

「むぅ……」

 

 僕は思わずうなってしまった。もちろん、遠征軍に宰相派閥の人間が居ないのは偶然ではないだろう。おそらく、フランセット殿下が意図的に軍役のリストから宰相派閥を外したのだ。今の我々はまさに敵中孤立状態。取れる手はかなり限られている。

 

「ま、それは仕方あるまいて。ヴィオラ某の調査は、リースベンや王都の者どもに任せる他ないじゃろう。ひとまず我らは、無事にこのレーヌ市から出ていくことに注力すべきじゃな」

 

「無事に、ね……」

 

 僕は思わず顔をしかめた。そこが一番難しい部分なのだ。

 

「マリッタが敵に回ったと仮定すると、見通しはかなり悪い。我々は孤立無援になってしまった」

 

 これは完全に僕の失策だ。忙しさにかまけて、マリッタを放置してしまった。彼女が僕とソニアの関係に不満を持っていたことは最初からわかっていたんだ。前々からきちんと話し合っていれば、ここまで決定的に拗れることはなかっただろう。

 ……いや、そこまで遡る必要はないかもしれない。昨夜が最後のチャンスだったんだ。話の持って行き方次第では、敵対を思いとどまらせることだってできたかも……。

 

「逆に言えば、王太子にとっては今こそが好機というわけじゃな」

 

 ダライヤの言葉で、僕の意識は再び浮上した。いかん、いかん。今そんなことを考えていても、事態は全く改善しないんだ。過ぎてしまったことは後回しにして、とにかく現状の打開策を考えるべきだろ。反省は、リースベンに戻った後ソニアとよく話し合いながらやればいい。話し合いの不足が、こういう事態を招いたんだ。一人で抱え込んでも、改善するはずもないだろう。

 

「そうだ。純軍事的に考えれば、こんな大チャンスを逃すなんて論外だろう。王太子殿下は近いうちに仕掛けてくるはずだ」

 

「……信じがたい。いや、信じたくない予想だな。いや、確かに殿下は私を除きたいと考えているだろうさ。しかしねぇ、去年の内乱のせいで、ただでさえヴァロワ王朝は揺れているんだ。ここへきて、自らが泥をかぶるようなやり方でまた内乱を起こすというのは、正気のやり方ではないな」

 

 恐ろしいほど渋い顔で、アデライドはそう言い捨てた。

 

「つまり、ここで仕掛けてきた場合、いよいよ殿下の正気を疑わねばならないということだ。はぁ、まさかこんなことになるとは。浮かれた気分でレーヌ市出張を受けた少し前の自分を殴りつけてやりたい気分だよ」

 

 どうやら、自己嫌悪に陥っているのは僕だけではないようだ。思わず苦笑し、僕は彼女の肩を優しくたたいた。

 

「奇遇だね、アデライド。ちょうど、僕も似たようなことを考えていたばかりだ。……しかしなんにせよ、既に賽は投げられている。反省会は、無事にこの危機を脱してからやることにしよう」

 

「……確かにな。それで、脱出の用意はできているのかね? いろいろと準備をしていたようだが」

 

 こほんと咳払いをして、アデライドは僕に質問してきた。王太子殿下には、レーヌ市で再開した時点で既に危ういものを感じていたからな。もちろん、最悪の事態に備えて既に布石は打っている。

 

「もちろんだ。ジョゼットに命じて、脱出ルートの構築や馬、物資などの準備はすでに進めてある。幸いにも、こちらのバックにはあのエムズハーフェン家がついているからな。レーヌ市からさえ脱出してしまえば、あとはそれほど難しいことはない。神聖帝国側のルートに乗って、安全にリースベンまで戻ることができるだろう」

 

 逆に言えば、レーヌ市からの脱出……というか、そこに駐屯する王軍からの追撃を躱すのが一番のネックなんだよな。この街にはまだ数万の兵が詰めている。もちろんその連中がすべて僕らに襲い掛かってくる、などということはあるまいが。しかし、数に置いて圧倒的な不利を被るのは避けられないだろう。

 

「まあ、アルベールくんには、ネェルが、ついて、いますからね。万が一にも、後れを取る、つもりは、ありませんが」

 

 カマをこすり合わせてギャリギャリと音を立てつつ、ネェルが笑った。

 

「うん……ネェルのことは、頼りにしてる。でも、王軍は大量のライフルを装備してるからな。君とはいえ、油断はできないぞ」

 

 調べてみたところ、レーヌ市にはふたつのライフル兵連隊が駐屯している。わずか一年で編成した急ごしらえの部隊だが、それでもライフル兵には違いあるまい。数を頼みに強攻してきたら、ネェルとはいえ無事には済まないだろう。

 なにしろ彼女はカマキリ虫人だ。攻撃には向いているが、防御面ではそれほど強くはない。少々の銃撃ならばカマではじき返せるようだが、四方八方から猛射撃を浴びれば迎撃は間に合わなくなるだろう。堅牢な装甲を持つ戦車ですら、マトモな支援が無ければあっという間に撃破されるんだ。まして、ネェルはいくら強いとはいっても生身の人間だからな。過信は禁物だろ。

 

「この会議が終わったら、ジョゼットをここへ呼んでおく。連携の再確認をしておいてくれ」

 

 戦車を守るためには歩兵が必要だ。ネェルだってそれは同じことだろう。どれほど強力な兵科でも、単一で運用すれば脆いものだ。肝心なのは諸兵科編成、つまり異なる兵科同士の連携なのである。その点、連発式ライフルで弾幕を張れるジョゼットの近侍隊はネェルの相方としてピッタリだと思われる。

 

「りょーかい、です」

 

 ちょっとムスリとしつつも、ネェルは頷いてくれた。僕は苦笑をしつつ、アデライドに視線を戻す。

 

「殿下が我々を粛清するとすれば、そのタイミングは明日の戦勝パーティである可能性が高い。レーヌ城での大立ち回りは、覚悟しておいてくれ」

 

 敵主力を自軍陣地に誘引し、大兵力で囲んで一気に殲滅。まあ、戦術の基本だよな。僕が王太子殿下なら、間違いなくこの作戦を採用するだろう。

 

「……ああ、わかった」

 

 ゆっくりと息を吐き出し、そして手をぐっと握り締めながらアデライドは頷いた。やはり、彼女も少なからず王家と決定的な決別をすることに恐怖や拒否感を覚えているのだろう。正直に言えば、僕だって全く同じ気持ちだった。理不尽やら、ふがいなさやら、いろいろな物が澱のようになって胸の奥へ沈殿していくような気分に、僕はため息を吐くことしかできなかった……。



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第563話 くっころ男騎士と敵情視察

昨日は体調不良のため更新できませんでした。申し訳ありません。


 いよいよ、戦勝パーティの日がやってきた。僕たちは正装に身を包み、レーヌ城へと向かう。もちろんジョゼットたち近侍隊は全員登城する予定だったが、ネェルだけは例外的に留守番を命じていた。彼女の場合、体格が大きすぎて城へ入るのにも一苦労なのだ。パーティに同行させるのは、流石に少々無理がある。

 ……それに、彼女は彼女で仕事を命じている。なにしろ、王太子殿下が仕掛けてくるとすれば間違いなく今日だからな。有事を想定した布陣を考えるならば、戦闘要員のすべてをレーヌ城を集中させるのは避けたい。ネェルには、むしろ城外に居てもらった方が助かるのだ。

 正門で僕らを出迎えた衛兵たちは、少なくとも表面上は友好的だった。ただし、ボディチェックだけは念入りにやられた。もっとも、こればかりは仕方ない事だろう。我々が反逆者予備軍ではなかったとしても、警備の面を考えれば城内に重武装の者を入れるわけにはいかないからだ。

 

「失礼いたします、城伯様」

 

 男性使用人が頭を下げ、ボディチェックを始める。どうやら、男性の検査は男性が担当しているらしい。配慮が行き届いているな、と僕は思わず苦笑する。今までの経験では、こういう場では女性に体をベタベタと触られることが多かったのだ。

 

「お手数をおかけいたしました。問題はございません」

 

 身体や持ち物などを丹念にチェックした後、男性使用人はもう一度頭を下げた。武装のチェックが行われるのはわかっていたから、怪しげなものは最初から持ってきていない。検査はたいへんにスムーズだった。

 逆に言えば、今日の僕は拳銃すら携帯していない。許された武器は、剣のみだった。騎士から剣を取り上げるのはたいへんな無礼なので、よほどのことがない限り(例えば重罪を犯したり、玉座の間で国王陛下と謁見したりなどだ)没収はされないのだ。とはいえ正直、武器が剣だけというのは流石に不安だ。まあ、何もないよりはマシではあるのだが……。

 

「さあさあ皆さま、こちらへどうぞ」

 

 愛想のよい騎士に案内され、僕たちは会場の大ホールへと向かう。先日歓迎パーティが開かれた、あの部屋だ。とはいえ、よくよく見れば部屋の様相は随分と異なっている。飾られている調度品は明らかに先日よりもランクのものに交換されていたし、縁奏担当の楽隊の数も倍以上に増えていた。

 ただ、料理や酒の類はまだ並べていない。これは、パーティの前に戦争の論功行賞が行われる予定になっているせいだ。流石に、食事をとりながら他人の戦功を褒めるというのは失礼な行いだろう。

 テーブルと椅子だけが並んだ会場にはすでに少なくない数の貴族らが詰めかけ、開宴を待っている。しかし、腰を下ろしている者はあまりいなかった。みな、団子になってあれこれ雑談をしている。この世界にはまだ電話もメールもないから、情報交換をするにはこうして直接顔を合わせて会話するのが一番手っ取り早い。貴族がたびたびパーティを開くのも、半分以上は顔合わせの機会を作るためだった。

 

「なかなか、警備が厳重ですね」

 

 まあ、我々にとってはパーティ会場の調度品や式典の手順などは全くどうでもいい話である。肝心なのは、”敵”戦力の配置だった。ジョゼットはいかにもリラックスしている風を装いつつも、油断なく周囲を探っている。

 

「主力は近衛か。間違っても事を構えたくない代表格だな……」

 

 会場の要所要所には、全身甲冑でフルフェイスの兜まで被った騎士の姿がある。彼女らは王族の警護を担当する近衛で、ガレアの最精鋭とも呼ばれるほどの武人たちだ。去年の王都内覧では彼女らとも共闘したが、噂通り……いや、それ以上の化け物揃いだった記憶がある。

 むろん、こちらの近侍隊とて精鋭だ。近衛が相手でも遅れはとらないだろう。しかし、それはあくまで同じ条件で戦った場合だ。今回に限っていえば、流石に厳しい。なにしろこちらは礼服であちらは全身甲冑だ。装備が違いすぎる。

 

「よくよく見れば、普通の衛兵もライフル兵ばかりですね……いくら何でも殺意が高過ぎでは」

 

 ジョゼットの言葉を受け、視線に勘付かれないよう気を払いながら衛兵をちらりと確認してみる。真っ赤な軍服を纏った彼女らは、確かにカービン仕様のライフルを背中に担いでいた。

 

「……敵味方、さらには無関係の賓客までいるこの会場で鉄砲はぶっ放せまい。ありゃ、見せ札だろう。僕らを威圧してるんだ、抵抗は無駄だぞってな」

 

 とはいえ、屋内戦ではライフルとてそこまでの驚異ではない。たとえ流れ弾上等で発砲したところで、初弾を防げば再装填に二十秒から三十秒はかかるからな。その間に突撃をしかけ、斬り伏せてやればいいだけだ。

 

「ま、とはいえ油断は禁物ですよ。並べられてる連中は、単なるカカシじゃなさそうですし」

 

「うん……鉄砲の担ぎ方が堂に入ってるな。ライフル導入以前から、鉄砲隊をやってた連中かもしれん」

 

 それはさておき、ジョゼットの言うことももっともだった。鉄砲は我々の専売特許ではない。ライフルが普及する以前から、滑腔銃を使って戦っていた者は少なからずいる。そういった連中は肝も座っているし、装填等の動作もスムーズに行えるためかなりの脅威だった。

 警備体制についての話をしつつ、僕はちらりとジョゼットの手元をみた。そこには、シンプルのデザインのステッキが握られていた。彼女に限らず、うちの近侍隊にはステッキを持ってきているものが多い。ステッキは近頃王都で流行っているというファッション・アイテムで近侍隊以外にもこれを持ち歩いている淑女は多かった。……つまり、杖ならば武器チェックを潜り抜けられるということだ。これを利用しない手はない。

 

「君たち、やめないか」

 

 それまで僕の隣で黙っていたアデライドが、ちょっと怒った様子で僕の耳元で囁いた。あわてて、僕は彼女の方をうかがう。

 

「ただでさえ、君たちは目立っているんだ。ながなが内緒話をしていると、余計に怪しく見えてしまうぞ」

 

「……目立ってるかな、僕ら」

 

 どっちかというと、あまり目立たない部類だと思うけど。そう思いながら、僕は自分の服を確認してみた。今、僕が着込んでいるのは紺色の詰襟だ。装飾もあまり派手ではなく、色合いと相まってかなりシックなデザインだった。この頃の軍礼服の流行りは派手な青や赤の原色カラーだから、周囲の貴族らはかなり派手な格好をしている。それに比べれば、僕の服装などまったくもって地味な部類だろう。

 この服はリースベン軍の制式士官用礼服で、もちろんジョゼットらも同様のものに身を包んでいる。例外はアデライドで、真紅の派手なドレスを着ていた。深い色味の紅と美しい黒髪がコントラストをなし、実際妖艶である。ただ、この手のドレスは文官用だ。この場にいる者はほとんど武官だから、皆軍用礼服を着ている。おかげで、目立つこと甚だしかった。我々が悪目立ちをしているとすれば、それはアデライドのせいではないかと思うのだが……。

 

「アル、君ねぇ……昔、自分でも言ってただろう。偽装というのは、ただ地味にすればよいというものではない。周囲の景色の色味が派手ならば、地味な擬装布は却って目立つと」

 

「な、なるほど……」

 

 軍事で例えられると一瞬で理解できてしまうのが、僕の頭の残念な点だった。言われてみれば、紺色の詰襟など着ているものは誰一人としていない。言われてみれば、かなり目立っているような気がしてきたな……。

 

「とにかく、目立つような行動はよせ。嵐が過ぎ去るのを待つかのように、頭を低くしていなければならない。そうしないと、もしもの時に被害者ヅラができなくなってしまう」

 

「う、ウッス」

 

 僕は大人しく頷いた。この手の感覚では、僕はアデライドの足元にも及ばないというのが実際のところだ。彼女の助言には全面的に従った方が良いだろう。

 

「じきに、開宴の挨拶が始まる。そうしたら、殿下はいつ仕掛けて来るやらわからないんだ。事が始まったら即座に反撃に移ることができるよう、君たちはしっかり準備していたまえ」

 

 アデライドの目はすっかり据わっていた。どうやら完全に覚悟を決めているらしい。文官とはいえ、この辺りの割り切りようは尋常ではないな。いや、まったくもって素晴らしい女性を嫁さんにできたもんだよ。感心しつつ、僕はアデライドに頷いて見せた。



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第564話 くっころ男騎士の論功行賞(1)

 レーヌ城の大ホールは、気付けば満員になっていた。客のほとんどは、レーヌ市遠征軍に従軍した武官や軍役に応じた諸侯、そしてその娘たちだった。みな、色とりどりの軍服を身にまとい、大変に華やかだ。

 しかしよくよく見れば、男性の姿はほとんどない。遠征ということもあり、ほとんどのものは夫を所領や家に残してきているのだろう。その僅かな男性らも、全員全員がひらひらとしたデザインの動きづらそうな男性用ドレスで着飾っている。軍服姿の男など、僕以外には誰一人も居なかった。

 

「淑女紳士の皆さま、たいへんお待たせいたしました」

 

 お上りさんめいてキョロキョロしているうちに、いつの間にか正面のお立ち台に司会役の竜人(ドラゴニュート)が立っていた。僕の歓迎会でも司会をやっていた、ナントカとかいう女爵だ。

 彼女が前に出てきたことにより、立ち話に興じていた貴族らもピタリと話を止め、席に戻っていった。身分の高い者ばかりの席だから、この辺りはたいへんに行儀がいい。傭兵などの集まりだとこうはいかない。

 

「これより第三次ガレア大戦の論功行賞、並びに戦勝記念パーティを開催させていただきます」

 

 広い大ホールの隅々まで届く良い声で、ナントカ女爵はそう宣言した。席に詰めた貴族らはパチパチと拍手を返す。一応これは軍の式典なのだが、雰囲気としては民間の結婚式や何かの発表会などと大差ない。予定調和めいた、なごやかな空気。しかし、油断はできない。僕たちは、この式典の主催者から狙われている可能性があるのだ。いつ何があっても対応できる状況を整えておかねばならない。

 そんなこちらの殺伐とした気分とは裏腹に、司会は慣れた様子で式典を進行させていった。ちょっとしたジョークで賓客たちを和ませ、一礼をしてからお立ち台を降りる。代わりに出てきたのは、いかにも伊達者らしいパリパリの軍服で着飾ったフランセット殿下だった。

 

「我が忠勇なる騎士諸君! よくぞ集まってくれた。余は諸君らとこの日を迎えられたことを、人生の誇りとする。神聖帝国により不当に占拠されていたこの街を、正統なる所有者たるヴァロワ家の手に取り戻すことができたのは、諸君らの勇戦あってのことである」

 

 高らかな声音で、フランセット殿下が開宴の挨拶を始めた。パーティ慣れしているだけあって、その口調には一切のよどみがない。これだけ見れば、いつも通りの殿下という感じだ。決して、部下の粛清をたくらんでいるようには見えないが……。

 

「……」

 

 殿下の長弁舌を聞き流しながら、僕はアデライドの様子をうかがった。彼女は、普段通りの様子で殿下の方を向いていた。しかしよくよく見れば、両手を力いっぱい握っている。僕は何とも言えない心地になって、彼女の肩を優しくたたいた。

 

「大丈夫、何があっても僕があなたを守るから」

 

「そういう言葉は、私の方が吐きたいのだがねぇ。女心というものを、少しは察してほしい」

 

「……こいつは失礼」

 

 まあ、そりゃそうね。この世界の価値観では、男に守られるなんて屈辱だよなぁ。いや、まあ、アデライドも僕の性格には慣れているから、怒っている様子はないが。どちらかというと、ちょっと呆れているような感じ。

 

「まあ、現実問題として、腕っぷしではアルに敵わないんだけどねぇ。はぁ……」

 

「男の癖に腕っぷしばっかり鍛えているのもどうかと思うけど」

 

 そのせいで、世の中の奥方(もちろん、婿さんのことだ)が修めているべき技能を何一つ習得していないのがアルベール・ブロンダンという男なんだよな。好き好んでそういう風に生きてきたとはいえ、流石にどうかと思う時もある。肩をすくめると、アデライドはやれやれという風情で苦笑をした。

 僕たちがこそこそ話に興じている間にも、フランセット殿下の演説はどんどんと進んでいった。まずはレーヌ市進駐の正統性を説き、敵である神聖帝国の悪逆非道ぶりを非難し、そしてそれを打ち破った諸侯らの働きを称える。教科書通りの演説という感じだ。流石は幼いころから王太子としての教育を受けているだけあって、堂に入った話しぶりである。

 こうしてみると、フランセット殿下は僕よりも年下とはとても思えない。本当にしっかりした方だ。妙な所など微塵も感じない。それがどうしてこのような事態になってしまったのか、正直まったく理解できないんだよな。

 やはり、ピエレット氏のいうようにヴィオラとやらが裏で糸を引いているのだろうか? もしそうなら、とても許せるものではない。何もない場所に火種を作り、煽り立て……これがまだ貴族同士の政治闘争で終わるレベルならまだ良いのだが、王都の内乱は民衆にも大迷惑をかけたからな。まったくもって許せるものではない。もし黒幕が存在するというのなら、絶対に責任を取らせる必要がある。

 

「以上を持って、余からの挨拶は終了とする。重ね重ねになるが、このいくさに勝てたのは諸君らの忠義と献身あってのことだ。ヴァロワ家はこの恩義を決して忘れはしないと約束しよう」

 

 大げさな身振りを交えつつ、フランセット殿下は歌い上げるような調子でそう言った。ふと、彼女と目が合う。殿下は明らかに僕を見ながら最後のセリフを吐いていた。

 

「……」

 

 背筋に寒いものが走る。この恩義は忘れない、か。もし本当にそう思っているのなら、あまりにも恐ろしい。むしろ、口から出まかせであってほしいくらいだ。恩義があるというのなら粛清なんてするんじゃないよ。頼むから、極端に走るのはやめてくれ。

 

「殿下、ありがとうございました。それでは、いよいよ論功行賞のほうに移らせていただきます」

 

 諸侯からの割れんばかりの拍手を受けながら、殿下はお立ち台から降りる。代わりに出てきたのは、司会進行役の女爵だ。論功行賞という言葉に、会場の空気が一気に熱くなった。戦功をあげ、その分の褒賞を貰う……名誉と実利の双方を手に入れることが出来る、武官に対するご褒美タイムだ。そりゃあ、ヒートアップもするというものだ。

 

「えー、それではまず、戦功一番から発表させてもらいます」

 

 何かの競技会の順位発表のような調子で、女爵はそう言った。軍の論功行賞がこんな調子で良いのか、とも思わなくもないが、聞いた話ではランキング形式で殊勲者を発表することにより武官同士の競争を促す目的があるらしい。

 

「戦功一番は、レーヌ市遠征軍筆頭参謀。ザビーナ・ドゥ・ガムラン軍務卿閣下であります」

 

 名を呼ばれて立ち上がったのは、あのガムラン将軍だった。周囲からやる気のない拍手が上がる。遠征軍の実質的な指揮を取っていたのはガムラン将軍だから、彼女が戦功一番になるのは当然の流れだった。意外性も何もない発表だから、貴族共もしらーっとしている。ガムラン将軍本人ですら、それほど喜んではいないようだ。殿下の前へと進み出るその足取りは、それほど軽やかなものではない。

 とはいえ、実際問題このガムラン将軍はなかなかやり手の用兵家だからな。なにしろ、堅牢な水城であるレーヌ市を僅か二か月で落としているのだ。水城というのは本当に堅い。指揮を取っていたのが平凡な将だったら、この城にはいまだリヒトホーフェン家の旗が翻っていたに違いない。

 いかにもさえない中年といった風情のガムラン将軍だが、この成果を見れば油断のならない相手だということは歴然だ。もしも王家との決裂が決定的なものになれば、このガムラン将軍はそうとうの強敵として僕たちの前に立ちふさがることになるだろう。

 

「えー、ガムラン将軍は参謀としてフランセット殿下を支え、その智謀を持ってレーヌ市攻略に著しい貢献を……」

 

 手元の紙をチラチラと見つつ、女爵はガムラン将軍の武勲を称えた。そしてそれが終わった後は、いよいよ論功行賞の行賞部分に移る。

 

「素晴らしい活躍ぶりだ、ガムラン将軍。この功績に報いるため、王家は君に月桂冠勲章、王室特別年金、そしてシュリオ伯領、ならびにシュリオ市とそれに連なる農村群を君に下賜したいと思う」

 

 朗々とした声で、殿下はそう発表した。シュリオ市というのは、レーヌ市の近隣にある小都市の名前だ。王家はここに伯爵領を新設し、それをガムラン将軍に与えようというのである。典型的な御恩と奉公のやり方だな。

 

「はっ、有難き幸せ」

 

 殿下の前で跪き、ガムラン将軍は恭しくそう返した。予定調和めいたやり取りだ。殿下が頷き返すと、将軍はそのまま自分の席に戻っていく。これでガムラン将軍のターンは終了だった。

 

「では、続いて戦功二番を発表したします。戦功二番は、前南部方面軍司令、リースベン城伯アルベール・ブロンダン閣下であります」

 

 ……わあお、僕ってばガムラン将軍の次かよ。むうん、気が重いなぁ。棒を飲むような心地になりつつ、僕は「はっ」と応えながら立ち上がった。




ご連絡
4月より週4回の更新をしておりました本作ですが、執筆時間の都合上この頻度での更新が厳しくなって参りました。
大変申し訳ございませんが、しばらくの間火曜、木曜、土曜の週3回更新とさせていただきます。
別件のほうが片付きましたらまた更新日を戻して行きたい思っておりますので、どうかご容赦ください。


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第565話 くっころ男騎士と論功行賞(2)

「では、続いて戦功二番を発表したします。戦功二番は、前南部方面軍司令、リースベン城伯アルベール・ブロンダン閣下であります」

 

 司会進行役の女爵の言葉に、僕は棒を飲んだような心地になりながら「はっ」と答えた。まさか、この僕が戦功二番とは。いや、これ自体はそれほどおかしな話でもない。南部を巡る戦いではそれなりの戦果を挙げた自身もあるし、わざわざ戦勝パーティを僕がレーヌ市にやってくるまで延期していたフランセット殿下の配慮を思えば、戦功序列が低いはずもなかったからだ。

 とはいえ……これから”朝敵”になるかもしれないこの僕が、このような場で栄誉を賜るというのはなんとも居心地が悪い。殿下が宰相派閥の一掃に僕を巻き込むつもりなら、こういった真似をする必要はないだろう。つまり、彼女は僕のことをアデライドに良い様に利用される哀れな被害者だと思っているのだろう。本当に困る。

 

「……」

 

 ガムラン将軍に向けられたものと同じような、やる気のない喝さいが僕の背を押す。いやーな心地になりつつ、僕はフランセット殿下の元へと歩み寄った。彼女はふわりと柔らかく微笑み、軽く会釈をした。一見平静に見える彼女だが、その目にはまるでタチの悪い酔っぱらいのような陶酔の色がある……ような気がする。まあ、僕の勘違いかもしれないけれど。

 何はともあれ、いくら情勢が緊迫しているとはいえ王家との関係はまだ断絶しない。僕は臣下としての例を損なわぬよう、しっかりとした姿勢で敬礼をした。

 

「ブロンダン閣下はこの戦争の開戦時より南部方面軍の司令に任じられましたが、諸侯軍の集結を待たず自軍のみで帝国諸侯ミュリン領に侵入。南部屈指の堅城レンブルク市をわずか一日で落城させ、ミュリン領首都ミューリア市の直前でミュリン伯イルメンガルド率いる諸侯軍との戦端をひらきました」

 

 歌劇役者のような朗々とした声でそう語りつつ、女爵は聴衆を見回した。まるで、英雄歌を唄う吟遊詩人のようだ。

 

「両軍の兵力比は一対二、戦力には圧倒的な差がありました。しかしブロンダン卿は臆さず攻勢を仕掛け、見事帝国の烏合の衆を一方的に敗走させるに至ったのです」

 

 二倍の敵を敗走させたと聞いて、聴衆らが少しばかりざわついた。

 

「軍の集結を待たずに進発したことといい、大軍に積極的な攻勢を仕掛けたことといい……なんと勇猛な」

 

「彼は男ですよ。いくさを知らぬ身の上ゆえ、却って無謀な真似ができたのでは」

 

「いや、彼は去年のイザベルの乱でも鎮圧部隊を指揮しています。むしろ、今のガレア諸侯の中ではもっとも実戦慣れした武人のひとりでしょう」

 

「女でも身震いしそうな戦歴ですな。もしや彼は、股間の逸物を母親の腹に忘れて来たのでは……」

 

 おうおう、好き勝手言ってくれるじゃないの。何やら気に入らない言葉も聞こえてくるが、もちろん耳に入っていないフリをする。アデライドも、あくまで目立たないように立ち回れと言っていたんだ。トラブルは避けなければ。……いや、別に普段でもいちいちこの程度で喧嘩を売りに行ったりはしないけどね。別に、腹立たしいわけでもないし。

 

「ミュリン領で足場固めを終えたブロンダン卿は、諸侯軍と合流しエムズハーフェン領へ稲妻のように攻め込みました。ブロンダン卿がまず手始めに狙ったのが、エムズハーフェン領首都エムズ市の下流にある川辺の小都市リッペ市でした。しかし、この攻撃はあくまで陽動。敵の主力の釣りだしに成功したブロンダン卿は、さらにわざと部隊を分け自らを囮とすることで敵将エムズハーフェン選帝侯を誘い出しました」

 

「エムズハーフェン選帝侯といえば、音に聞く知将ではないか。それを知略戦で制したとなると、尋常なことではないな」

 

「報告がすべて本当ならば、ただ事ではない。ガムラン将軍を差し置いて、戦功一番に認定されてもおかしくない戦果では……」

 

「やはり、ブロンダン卿が本当に男なのか怪しくなってきましたな。いっそ、股間の方を確認させてもらいたいくらいなのですが」

 

「今の発言はやや邪悪ですね。性欲を満たしたいだけなのでは?」

 

「オット失礼、知的好奇心が少しばかりあふれてしまいました」

 

 ……諸侯どもがめちゃくちゃうるさいんだけど。どうやらセクハラはアデライドだけの専売特許ではないようだな。あー、頭痛い。

 

「誘引したエムズハーフェン選帝侯を、ブロンダン卿は逃しませんでした。見事な伏兵戦術で敵の本隊を急襲、選帝侯閣下本人を捕虜にせしめました。これによりエムズハーフェン家は皇帝軍に対する支援を断念せざるをえなくなり、レーヌ市方面への補給線の一つが断絶いたしました」

 

「なるほどな。皇帝軍が思った以上に弱体だったのは、そういう理由があったか」

 

「連中、日に一食しか食えぬ日も多かったという話だからな。腹が減ってはいくさもできぬだろうよ……」

 

 皇帝軍への補給線を遮断したという話に、諸侯らの目に関心の色が浮かんだ。この場にいる武官らは、みなレーヌ市を巡る戦いに参戦している。どうやら、僕の援護射撃はしっかり効果を発揮してくれたようだな。よかったよかった。

 

「ブロンダン卿の戦果報告は以上になります。また、ブロンダン卿の功績大なり、褒賞も相応のものを贈るべきである……という内容の書状が、リュミエール騎士団のリュパン卿から届いております」

 

 リュパン団長、そんなものを送ってくれてたのか。まったく知らなかった……なんというか、普通にうれしいな。無事に一連の事件が収まったら、しっかりお返しをしなきゃならないな。まあ、状況次第では朝敵認定されてリュパン団長と敵対する可能性もわりとあるんだけども。

 

「ブロンダン卿の武勲、しかと聞きとどけた」

 

 重々しい口調で、フランセット殿下は頷いた。

 

「期待を遥かに超える大戦果、すばらしい限りだ。リュパン卿の口添え無くとも、これに応えねば王家の恥である」

 

 応えてくれるというのなら平穏をくださいよ、いやマジで。僕が戦塵にまみれるのは別にいいんですけど、民衆に迷惑かけるのは為政者として論外ですよ。

 

「ブロンダン卿には、伯爵位を授ける。もっとも、現状のリースベン領は伯爵領とするにはいささか小さい。そこで、爵位に相応しい規模に発展するまで王家よる投資を行いたいと思う」

 

 フランセット殿下は、ニコリと笑いながらそういった。伯爵への昇爵は、予定通りだな。まあ、これだけは有り難い。昇爵しないことには、アデライドと結婚できないわけだし。とはいえ、投資云々は少しばかり困る。カネを貰っちゃったら、相手からの口出しを防げなくなるからな。よくわからん飛び地を押し付けられる、とかよりはマシだが……ううーん。

 

「また、君が単独で撃破したミュリン家に対する処遇も、ブロンダン卿に一任することにする。領地の割譲や賠償金の支払いに関して、王家は一切の権利を放棄しよう」

 

「は、有り難き幸せ」

 

 逆に言うと、エムズハーフェン家との交渉には口を出してくるつもりだと。まあ、いいけどね。あっちはツェツィーリアがモラクス氏を転がしまくったおかげで既にいい感じの講話がまとまりつつあるし。

 

「また、勲章や年金に関しても追って授与することにする。褒章は以上だ。諸侯諸君、異論はあるかな?」

 

 余裕ぶった表情で、殿下が会場を見渡した。もちろん、異論を挟むものなどいない。僕は現状のガレア最大派閥である宰相派に属しているし、褒賞を決めたのは他ならぬ王室だ。現状のガレア王国における二大権力者がバックについている人間に、文句をつけられるような者はそういない。そう思うと、なんだか自分がド汚い人間になってしまったようで気分が悪いが。

 ……いや、いるわ。僕に真っ向から反発できる立場の人間が。マリッタだ。僕はあわてて、会場内を見渡す。……いた。マリッタは貴賓席で、こちらを睨みつけている。やはり、フランセット殿下の裁定にはご不満の様子だ。

 しかしながら、声を上げて反論する様子はみられない。彼女とてあのソニアやヴァルマの姉妹だ。気にくわないことがあったら、王太子相手でも喰ってかかる程度の胆力がある。しかしそれをやらないということは……やはり彼女は、フランセット殿下と繋がっているのだろうか?

 

「よろしい。では、アルベール。そういうことで……な?」

 

 フランセット殿下は、親しげな口調でそう言ってからウィンクをした。僕は、釈然としない心地で返礼し、自分の席に戻っていく。結局、殿下は論功行賞の席では仕掛けてこなかった。

 だが、緊張感は緩むどころかますます高まるばかり。フランセット殿下のこの態度、妙に気になるんだよな。まるで、肉食獣が獲物を前にして身構えているような……。なんだか、嫌な予感がする。決壊の時は近いかもしれない。



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第566話 くっころ男騎士と冤罪(1)

「解囲を狙い強襲を仕掛けてきた皇帝軍に対し、騎士バレテレミーは反撃のための一番槍を務め……」

 

 司会進行役の女爵の声が、会場に響き渡っている。僕が席に戻った後も、論功行賞は中断することなく粛々と続いていた。この手の式典としては、まったくの平常運転といった様子である。だが、会場の空気は明らかに緊迫の度合いを増していた。その原因は、周囲に配置された近衛騎士らだ。武器こそまだ抜いていないものの、彼女らは露骨にこちらへ警戒の目を向けている。一触即発、そういう雰囲気だ。

 

「これはもう駄目だな」

 

 ごく小さな声で、僕はそう呟いた。近衛騎士らは明らかに剣呑な空気を纏っている。それはただ要注意人物を警戒しているというだけではなく、鉄火場に臨む直前の兵士のそれに近い。いわば、号令待ちの猟犬のようなものだ。"飼い主"が一言「GO!」と叫べば、彼女らは情け容赦なく一斉に襲い掛かってくるに違いない。

 

「もはや回避が望める状況じゃなさそうだ。実力行使は避けられないな」

 

「ま、こちらとしては最初からそのつもりですんでね。別に構いやしませんよ」

 

 近衛騎士団はガレア最強の戦闘集団だ。それに囲まれているわけだから、状況は最悪に近い。条件が同じならまだ戦いようはあるが、こちらは数でも装備でも劣っているのだ。まともにぶつかり合えば敗北は必至だろう。

 にもかかわらず、僕の隣に座ったジョゼットの口元には笑みさえ浮かんでいた。まったく、頼もしいことこの上ない。流石はリースベンの最精鋭だな。彼女を含め、うちの近侍隊はみな臨戦態勢を崩していない。もちろん周囲に怪しまれないようくつろいだ風を装っているが、いざという時にはすぐに剣を抜けるようにしている。これならば、近衛がいきなり襲い掛かってきても慌てず応戦することができるだろう。

 

「アル様。このいくさの勝利条件は、無事に撤退することですからね。間違っても、奇声を上げながら近衛に突っ込んでいったりしないでくださいよ」

 

「しないよ、そんなこと。僕を何だと思ってるんだ」

 

 人をバーサーカーか何かだと勘違いしてないか、この幼馴染みは。よほど追いつめられてない限り後退戦闘で抜剣突撃とかやるわけないだろ常識的に考えて。

 ジョゼットは「どうだか?」と言わんばかりの顔で肩をすくめたが、それ以上は何も言わなかった。まあ、状況が状況だ。敵前で余計なお喋りするのは、流石に控えておいた方がいいだろう。

 

「以上を持ちまして、今次戦役における論功行賞を終了させていただきたいと思います。皆様、ご静聴ありがとうございました」

 

 ジリジリした心地で待つこと三十分。目立った戦功のある者をすべて呼び終わったらしい司会が、締めの言葉を口にして一礼した。それを受け、賓客たちが一斉に拍手をする。

 ……なんというか、最後の最後まで民間企業が主催する普通の式典みたいなテンションで進んでいくな。王都に居たころに参加した式典は、もっと仰々しい雰囲気だったんだが。開催場所が遠征地なのであまり手間をかけられなかったのだろうか? あるいは急速な軍拡と予想外の長期戦で王家の財布もそろそろ限界という可能性もあるが……。

 

「カタい話も終わりましたので、そろそろ宴のほうを始めさせていただこうと思います。皆様の労をねぎらうべく、最高の料理と美酒を用意しておりますので、お楽しみいただければ……」

 

 司会がそう言った途端のことである。それまで黙っていたフランセット殿下が、唐突に立ち上がった。そして、両手をパンと叩き周囲の注目を集める。突然のことに諸侯らがざわつくが、よく見れば発言を妨げられたはずの司会の顔には一切の驚きがない。どうやら、この乱入は当初から予定されていた物のようだ。

 

「失礼、皆さん。申し訳ないが、宴の前に少しばかり時間を貸してもらおう」

 

 有無を言わせない口調でそう言い切る殿下の目は、ハッキリとアデライドの方を見ていた。明らかに敵を見る目つきだ。

 

「始まったか……」

 

 僕は小さく呟いた。近衛たちが、ゆっくりと我々を包囲し始めている。どう考えても、何かを仕掛けてくる前兆だ。異変を察した諸侯の一部が、油断のない目つきで周囲を見回している。しかし、騎士らはそんな連中には目もくれない。彼女らの標的は明らかに僕たちだった。

 

「祝いの席でこのようなことを発表せねばならないことを、まずは謝罪させてもらおう。大変に申し訳ない。……先ほど、王都より連絡があった。驚くべきことに、王都で再び謀反の兆候があったらしい。もっとも、幸いなことに今回は叛乱軍が蹶起する前に首謀者らを逮捕することができたようだが……」

 

 謀反、叛乱軍。その刺激的過ぎる単語に、諸侯らのざわめきはますます強くなった。なにしろ、王都では去年もクーデターが起きているのだ。二年連続でそのような事態が発生するなど、前代未聞の話だった。

 当然ながら、混乱しているのはこちらも同じことだ。しかし、殿下がなぜこんなことを言い出したのかは察しが付く。僕はちらりとアデライドの方を見た。彼女は顔を引きつらせつつも、小さな声で「そう来るとはな」と呟いた。

 

「奴め、どうやらでっちあげの謀反で私をしょっぴくつもりらしいぞ」

 

 アデライドの予想は外れていなかった。大げさな身振りで嘆いてから、フランセット殿下は言葉を続ける。

 

「逮捕者の筆頭は、ラングレー子爵。我が宮廷の宰相、アデライド・カスタニエ宮中伯の腹心として働いている人物だ」

 

 アデライドがギリリと歯を鳴らした。ラングレー子爵といえば、僕も幾度となく顔を合わせた記憶のある人物だ。フランセット殿下の説明の通りアデライドの部下として働いている文官であり、なかなか有能な人物であったと記憶している。

 その彼女が……逮捕された? 僕の知る限りでは、ラングレー子爵はクーデターなんて大それたことを企むような人物ではなかったはずだ。そもそも子爵はアデライドの子飼いであり、アデライドに秘密で謀反の準備を整えるなどまず不可能だろう。つまり、彼女は濡れ衣を着せられたのだ。

 

「そのほかの逮捕者も、すべて宰相の派閥の者ばかりだ。アデライド、大変に申し訳ないが君も逮捕させてもらうぞ。ここまで状況証拠が揃ってしまった以上、君を見逃すことはできないからね」

 

「……」

 

 顔を青ざめさせたアデライドは、ちらりと僕の方を見る。そして周囲に聞こえないような声で「……アル、君は何もしゃべるな。すべて私に任せろ」と囁きかけてきた。僕が余計なことを言って、向こうに上げ足を取られるのを避けたいのだろうか? 確かに、僕はこの手の戦いではウカツな真似をしてしまいがちだ。正直少しばかりの不満は覚えたが、大人しく頷いておく。

 

「お待ちください、殿下。極星に誓って申し上げますが、私は謀反など企んではおりませぬ。そのそも、本当にそのようなはかりごとを進めているのであれば、このような場にノコノコ現れるはずがありません。私自らがこのレーヌ市に赴いたこと、それ自体が私の潔白の証明となりましょう」

 

 決然とした表情で立ち上がったアデライドが、胸に手を当てながらそうまくし立てる。実際、本当に彼女がクーデターを計画していたのならば、こんな遠方まで自ら出張ってくるなどあり得ない話だろう。ましてや、彼女は本当に最低限の護衛しか連れていないのだ。謀反人にしては、あまりに無防備すぎる。

 実際、諸侯らがアデライドを見る目つきは犯罪者に向けるものではない。むしろ困惑や哀れみの色が強いものだった。みな、この謀反騒ぎが茶番であることに気付いているのだ。

 

「さあて、それはどうだろうか。君の部下が逮捕されてしまったのは、確かな事実であるわけだしね。連帯責任という言葉もある。君だけお咎めなし、というわけにはいかないな」

 

 しかし、フランセット殿下は悪びれもせずにそう返す。問答無用、そう言いたげな口調だ。こりゃ、今さら何を言い返そうが無駄だろうな。殿下は何が何でもアデライドを捕まえる気らしい。こいつは参ったな……。



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第567話 くっころ男騎士と冤罪(2)

 論功行賞が無事に終わった矢先に、フランセット殿下はとんでもないことを言い出した。なんと、王都にいるアデライドの部下たちが謀反の準備をしていた咎で逮捕されてしまったらしい。むろん、僕やアデライドはそのような命令は出していない。まったくの事実無根、とんでもない言いがかりであった。

 

「お待ちください、殿下。極星に誓って申し上げますが、私は謀反など企んではおりませぬ。そのそも、本当にそのようなはかりごとを進めているのであれば、このような場にノコノコ現れるはずがありません。私自らがこのレーヌ市に赴いたこと、それ自体が私の潔白の証明となりましょう」

 

 クーデターを計画している人間が、謀反を仕掛ける当の本人の求めに応じて遠方までやってくるはずがない。アデライドの反論は確かに的を射ていた。まして、彼女は最低限の護衛しか連れていないのである。この状態でクーデターを始めるような阿呆は、そうそう存在しないだろう。

 

「さあて、それはどうだろうか。君の部下が逮捕されてしまったのは、確かな事実であるわけだしね。連帯責任という言葉もある。君だけお咎めなし、というわけにはいかないな」

 

 だが、フランセット殿下はそんなことなどまったくどうでも良さそうな態度だった。理屈など通っていなくても、アデライドさえ逮捕できればそれでよいとでも考えているのだろうか。だとすれば、何ともお粗末な話だが……

 

「それに、君がこの催しに参加したことは、君の潔白を証明することにはならないよ。いま君が口にしたような言い訳を使うことで、部下だけに罪を押し付ける作戦かもしれない。いわゆるトカゲの尻尾切り、というやつだ。竜人(ドラゴニュート)であれば恥ずかしくて使えないような策だが、君はあくまで只人(ヒューム)だからね……」

 

「お言葉ですが、殿下。私としてはそもそも、部下らが謀反の準備をしていたなどというは話そのものが信じがたいのですが。文官ばかりの我が部下では、クーデターなど成功するはずもありません。そしてよしんば成功したところで、首謀者たる私が王都にいないのでは政権の維持などうまくいくはずもない……むしろこの事件、私を嵌めるために何者かが仕組んだでっち上げではないでしょうか?」

 

 名言こそしなかったが、アデライドの目は明らかにフランセット殿下を指弾している。これはむしろ、殿下に向けてというより周囲の諸侯らに聞かせるために発した言葉なのだろう。

 

「どうかな」

 

 舞台役者めいた声音でそう返しつつ、フランセット殿下は肩をすくめた。

 

「アルベール……男騎士の上げた武勲を横取りし、リースベンの実質的な領主に収まろうとしているのがアデライドという人間だ。さらには婚約者の操を切り売りし、現地の蛮族と同盟を結ぶような真似すらしようとしていると聞く」

 

「……」

 

 そんなことを言われたアデライドは、ぐっと詰まってしまった。たしかに、リースベンの現状を外から眺めればそういう風に見えてもおかしくないかもしれない。ただ、もちろんこれは事情があってのことだ。その責任を負うべきなのは僕であって、アデライドではない。我慢がならなくなった僕は口を開きかけたが、それより早くアデライドが僕の手首をつかむ。

 

「泥はすべて私が被る……! 君はあくまで被害者のままでいろ」

 

 決然とした声だった。そこで、僕も彼女の意図に察しがついた。アデライドは、万が一この場からの脱出に失敗した時のことを考えているのだ。すべての責任をアデライドが負えば、僕は彼女に良い様に使われた哀れな被害者ということになる。そうすれば、少なくとも斬首は避けられるだろう。

 馬鹿を言うな。僕は思わず叫びそうになった。嫁を犠牲にしてまで生き残るような真似ができるか。しかし、アデライドは僕の手首を握る力を強くしてそれを制止する。彼女は首を微かに左右に振り、視線をフランセット殿下に戻した。そして、大きく息を吐いて手首を離す。

 ……ああ、クソ。最悪な気分だ。しかし、アデライドのおかげで少しばかり冷静さを取り戻せた。たしかに、ここで短慮を起こすわけにはいかない。リースベン領のことを思えば、二人そろって処刑されるような真似は何が何でも避けなくてはならない。すくなくとも、どちらか片方は生き残らなくては……。

 

「ふん。なんだ、この期に及んでアルベールに助けを求めようというのか?」

 

 しかしそんなやり取りも、フランセット殿下の目には歪んで見えてしまうらしい。彼女の目には、そうとうに度と色のキツイ色眼鏡がかかっているようだ。本当に、どうしてこうなってしまったんだろうか。少なくとも去年の彼女は、経験は足りずとも聡明な人物だったはずなのに……。

 

「……それで、殿下。殿下は私めどうせよとおっしゃるのです。毒杯でも呷れと?」

 

 フランセット殿下の煽りをまるで無視して、アデライドはピシャリとそう言った。その顔には憎たらしい笑みが浮かんでいる。

 

「君が自らの罪を認めるのであれば、そこまでは求めないよ。なにしろ一応、君はアルベールの婚約者であるわけだからね。彼は、我が王家における最高の功臣の一人だ。これ以上彼の経歴を傷つけるような真似はしたくない」

 

 傲然とした笑みをアデライドに還してから、フランセット殿下はちらりとこちらを見る。彼女の目は、熱に浮かされたように無気味にとろけていた。

 

「これはまさか……殿下と宰相閣下が男を取り合っている、という状況なのか?」

 

「馬鹿な。高級男娼くずれの毒夫ならまだしも、奴は女勝りな無骨男だぞ……」

 

 突然に始まった王太子殿下と宰相閣下の争いに、諸侯らは困惑することしかできない。そんな彼女らから漏れた発言は、僕にとってはなかなかに刺激的なものだった。この争いの原因が、僕? 勘弁してくれ、冗談じゃない。しかし、どうにも殿下が僕をヤバい目つきで見ているというのは確かなのだ。死ぬほど認めがたいことだが、彼女らの言葉にも一理ある……のかもしれない。

 とはいえ、だからと言っても今さら僕にどうしろというのだ。アデライドは自分が矢面に立つ気でいるし、殿下の方は僕を見ているようでまったく見ていない気配がある。私人としても公人としても、この状況で出来ることなどほとんどないというのが現実だった。

 

「アルベールとの婚約を解消し、カスタニエ宮中伯の地位から自ら降りるんだ。そうすれば、命までは取らない。むろん、監視付きの生活くらいは覚悟してもらわねばならないが」

 

「おやおや、流石は王太子殿下。何ともお優しい事ですな」

 

 たっぷりと毒を含んだ声で、アデライドは殿下を皮肉った。しかし、その額には冷や汗が流れている。なにしろ、こうしている間にも二十名を超える数の近衛騎士たちがじわりじわりと包囲網を狭めてきているのだ。殿下が合図を飛ばせば、彼女らは問答無用で切りかかってくるだろう。相対するこちらの近侍隊も、すでに椅子から立ち上がりいつでも応戦できるよう構えている。

 

「だろう? せっかく戦争がひとつ終わったばかりなんだ。これ以上、余計な血を流すべきではないと思うんだけどね。……どうだい、アデライド。投降してくれるかな?」

 

「御免被る」

 

 当然のように、アデライドは殿下の提案を斬って捨てた。それを聞いた近衛がスラリと剣を抜く。もちろん、近侍隊もそれに続いて抜剣した。いまや、大ホールに満ちる空気は戦場そのものの緊迫感を帯びている。会場にいる数少ない男の一人がか細い悲鳴を上げ、ばたりと倒れた。

 ああ、くそ。予想通りとはいえ、ロクでもない事態だ。僕もいい加減に剣を抜くべきだろうが、それをやればアデライドの気遣いを無駄にすることになる。僕はただ、歯を食いしばることしかできなかった。ここまで己の無力を痛感したのは、二度の人生でも初めてのことかもしれない。

 

「無実の罪で囚われ、夫を奪われるなど冗談ではない。私を文官だと思って甘く見るなよ、トカゲ王女! その喧嘩、言い値で買ってやる!」

 

「口ばかりは達者だな、腐れ詐欺師め! 近衛騎士団、そこな無礼者をひっとらえろ!」

 

「はっ!」

 

 剣を構えた近衛騎士の一団が、こちらへとびかかろうとしたその瞬間である。ジョゼットを含めた幾人かの近侍隊員が、小脇に抱えていたステッキの持ち手をぐっとひねった。彼女らはそのままステッキを小銃のように構える。その先端が向けられた方向は、窓際。

 

「仕込み銃か、対射撃防御!」

 

 窓際側を守っていた近衛たちは、あわてず騒がず盾を構えた。こちらが何らかの隠し武器を持っていることは既に予想していたのだろう。その動作は至極スムーズな者だった。

 

「やれ、ジョゼット!」

 

 だが、彼女らの予想は外れていた。アデライドが叫ぶと、ジョゼットらは一斉にステッキのグリップを引っ張りぬいた。すると、そのポンという間抜けな音とともに先端から小さな火球が飛び出していく。それらは身構えた騎士たちの間をすり抜け、窓の外へ飛び出していく。そして数秒後、派手な破裂音と共に爆発し、空中で真っ赤な煙を発生させた。このステッキの正体は、信号弾の発射機だったのだ。

 

「ネェルとクソババアが来るまでの辛抱だ! それまで、なんとしてもアル様とアデライド様をお守りしろ!」

 

「ウーラァ!」

 

 撃ち殻となったステッキを投げ捨て、サーベルを構えなおしながらジョゼットが叫んだ。近侍隊は、ひるむことなくそれに応じる。とうとう、近衛騎士団と近侍隊との間で戦端が開かれたのである……。



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第568話 くっころ男騎士とレーヌ城脱出(1)

 ジョゼットらの打ち出した信号弾は見事に窓外へと飛び出し、空中で赤い煙の花を咲かせた。これは、救援要請の合図だ。我々とて、無策でこの危険なパーティに参加したわけではない。有事を想定し、きちんと準備は整えていた。

 

「円陣を組め! とにかく時間を稼ぐんだ!」

 

 とはいえ、増援が到着するまではなんとか自力で耐え続けるしかない。僕は即座に防御陣形を取るよう近侍隊に命令した。なにしろ相手は全身甲冑の精鋭騎士で、こちらは礼服に剣を佩いただけの軽装姿。まともにぶつかり合えばどうなるかなど、火を見るよりも明らかだった。戦い方にはそれなりの工夫が必要だ。

 もちろん、この辺りの作戦は事前にしっかりと詰めてある。ジョゼットらは冷静に行動を開始した。まずは邪魔なテーブルや椅子を蹴り飛ばして空間を作り、ぴったりと肩を寄せ合って円形の陣を作る。そしてアデライドの手を引っ張り、その円陣の内部へと入れてもらう。こうすれば非戦闘員の守りは万全だ。

 

「さっきの信号弾は、城外の仲間への合図じゃないのか」

 

「だろうな。しかし、慌てて仕掛けるような真似はよせ。相手はあのブロンダン卿だぞ」

 

「彼が王都で見せた手管は尋常なものではありませんでしたわ。拙速は即、死を意味しましてよ……」

 

 これに対し、近衛はいたずらに速攻を仕掛けてくることはなかった。どうやら、ずいぶんとこちらを警戒しているようだ。しっかりとした戦列を組み、じりじりと包囲網を狭めていく。増援との合流のため時間を稼がなくてはならないこちらとしては、上々の流れである。。あの精鋭・近衛騎士団がわざわざこちらの思惑通りに動いてくれるとは。少々予想外だが、有難い。

 ……いや、彼女らはむざむざ敵の思惑に乗るほど愚かな連中じゃあない。もしかしたら、こちらの狙いを分かったうえであえて見逃してくれている可能性もあるな。今の王太子殿下は明らかに異常な状態だ。その殿下のそばを守る近衛隊としても、思うところがあるのかもしれない。

 

「厄介なことになりましたな、これは」

 

「ブロンダン卿に伯爵位を下賜した矢先にこれだ。支離滅裂すぎて、頭がついて行きませんよ」

 

「殿下はあえてブロンダン卿とカスタニエ宮中伯を別個に扱っているようですがね。実際のところの関係はどうなのでしょうか。気になりますな……」

 

 僕たちと近衛騎士団がにらみ合う一方、壁際では賓客らがその様子を見物していた。衛兵らが避難誘導をしているが、それにまったく応じず野次馬をしている者も多い。王家と宰相派閥というガレアの二大勢力が決定的に決別したのだ。貴族として、状況を見定めているのかもしれない。

 

「誰一人『助太刀いたす』とは言わないな。これはいい傾向だ」

 

 それを見ていたアデライドがニヤリと笑う。たしかに、諸侯らは戦闘を遠巻きに眺めているだけで一切の手出しをしてくる様子はなかった。これがただの巻き込まれた一般人であれば当然の反応だろうが、彼女らはそうではない。なにしろ、ここに集まっている連中はみな先の戦いでフランセット殿下と轡を並べて戦った者ばかりなのだ。

 そういった連中が形ばかりの助勢すら申し出ないというのは、はっきり言ってかなりの異常事態だ。おそらく、我々と殿下のどちらに義や利があるのかを測りかねているのだろう。日和見といえば聞こえは悪いが、直接的な敵対を躊躇してくれている時点でだいぶありがたい。今後発生するであろう王軍とのいくさでも、ぜひとも中立でいてもらいたいものだ。

 

「無駄な抵抗はやめろ、アデライド! アルベールに悪いとは思わないのか!」

 

 そんなことを考えていると、フランセット殿下が近衛の前に出てきてそう叫んだ。悪いとは思わないのか、ねぇ……彼女からすれば、あくまで僕は被害者だという認識らしい。正直、気分としてはかなり腹立たしかった。この人は、僕のことを見ているようでまったく見ていない。これならば、いっそ二人まとめて謀反人と呼ばれた方がよほどましだった。

 

「お言葉ですが、殿下。自分といたしましても、此度の仕儀は納得しかねるものが……」

 

 大声で反論しようとした僕だったが、そこでいきなりアデライドに袖を思いっきり引っ張られた。彼女はひどく慌てた様子で、僕をガクガクと揺さぶる。

 

「落ち着け、アル。そういうのは私がやる。君があまり矢面に立ちすぎると、私に向かうべき不満が分散してしまう」

 

「不満って……」

 

 どうやら、アデライドはあくまで自分が矢面に立つ気でいるようだ。やはり彼女は万一この脱出が失敗した場合のことを考え、処刑されるのが自分だけで済むように誘導しようとしているのだ。しかし正直、この配慮は有難迷惑だった。嫁を犠牲にして自分だけ生き残るなど、死ぬよりつらいに決まっている。気分としては、今すぐそんな考えは捨てろと言ってやりたかった。

 だが、現実問題としてそれは難しい。僕とアデライドが揃って処刑となれば、リースベンはいよいよお終いだからだ。領民たちのことを思えば、少なくともどちらかは何が何でも生き延びなければならない。それが領主としての責任というものだ。

 ああ、しかし、やはり気分は最悪だ。言い返すことすら許されず、その結果得られるのが嫁さんを犠牲に生き残る権利とは。こんな汚濁を飲むくらいなら死んだ方がマシだが、今の僕には自分の好きな時に死ぬ権利すらない。『くっ殺せ』という言葉の何と無責任なことよ。はぁ、クソクソクソ。

 

「まったくもってファックって感じだ」

 

 そう吐き捨てる僕の肩を、アデライドが苦笑しながら叩いた。

 

「まあ、今回のところは私の顔を立ててくれ。たまには、身をもって男を庇う騎士役がやりたいのだよ。君に守られてばかりじゃ、私の立つ瀬がないじゃないか」

 

「ウヌゥ……」

 

 アデライドにはアデライドのプライドがある。普段は僕の奥方役をやってくれている彼女だが、本心では自分の方が前に立ちたいと思っていることは僕も承知していた。しかし、種族の差という絶望的なハードルが彼女にそれを許さない。このハードルを越えられるような只人(ヒューム)は、うちの母上のような頭のネジがどこかへ吹き飛んでしまったような手合いだけなのだ。

 ……ああ、母上か。母上は今頃、どうしているのだろうか? 一応、王室周りが大変にきな臭くなっていることは伝えているが、心配だな。殿下とこうも決裂した以上、うちの両親も否応なしに事態に巻き込まれてしまうだろう。本当に申し訳ない。

 

「またアルベールに何かを吹き込んでいるのか!」

 

 こちらの会話を断ち切るように、フランセット殿下がもう一度叫ぶ。いや、まあ、彼女の言葉を無視しておしゃべりを始めたのはこっちのほうなので、あまり文句は言えないが。とはいえ、今さら彼女の言葉に耳を傾ける価値があるとは思えない。既に賽は投げられたのだ。残念ながら、言葉で解決できるフェイズは終わってしまった。

 

「口先三寸でアルベールを惑わす詐欺師に、道を誤った主君に忠言もしない佞臣ども……! ああ、まったく嘆かわしい! アルベール程の男の周りにいるのは、ロクデナシばかりだ! もはや許せん。近衛騎士団! 悪党どもを蹴散らしアルベールを救い出せ!」

 

 フランセット殿下が勇ましい号令をかけると、近衛騎士らは剣と盾を構えた。彼女ら自身も強固な密集陣形を組んでいることもあり、その姿はスクラムを組んで暴徒を阻止せんとする機動隊によく似ている。

 しかし、彼女らの武器は警棒などではなくきちんと刃のついた真剣だ。その上、こちらは一切の防具を持ち合わせていない。まともにぶつかり合えば一方的な被害を被ることは目に見えていた。血みどろの戦いの予感に、僕の手のひらに汗がにじむ。

 

「プランB、行きますか」

 

 そこで、ジョゼットが顔を敵の方へ向けたままボソリと聞いてきた。プランBというのは、救援が遅れそうな場合に備えて用意しておいた次善の策だ。この装備の差では、長時間の持久戦などとてもできないからな。たんなる遅滞戦闘とは別のアプローチも考えておかないと、救援が到着した時には壊滅していました、などということになりかねない。

 そのプランBが具体的にどういう作戦かと言えば、迎撃に徹すると見せかけて直前に円陣を解除、一気呵成に攻撃を仕掛け殿下の身柄を狙うという超攻撃的なプランだった。当然ながらこの作戦は交戦状態に入ってからでは発動できないし、何より今は標的である殿下自身が前に出ている。プランBを実行するためのタイミングは、今しかなさそうだった。

 

「いや、大丈夫だ。わざわざ危ない橋を渡る必要はなさそうだぞ」

 

 しかし僕は、ほっとした心地でそう答えることができた。窓の外から、聞きなれた音が流れていることに気付いたからだ。ヘリコプターの回転翼から出るものとよく似た、連続した重低音だった。僕の口角が自然と吊り上がる。

 

「仕事が早い。流石だな……!」

 

 僕は、視線を敵から外し壁際にある大扉へと向けた。ドアと言っても、廊下に繋がった出入り口ではない。その向こうにあるのは、広いバルコニー。先日マリッタとの決別があった、あの場所である。

 次の瞬間、破滅的な爆音とともにバルコニーのドアが粉砕された。まるで大砲でもブチ込まれたような破砕ぶりだったが、飛び込んできたものは砲弾などではない。今となってはすっかり見慣れた、緑色の巨体。そう、ネェルである。

 

「うわあ、出た!」

 

「城外班は何をやってるんだ! カマキリ虫人は最優先でマークしておけと命じていたハズだぞ……!」

 

 いままさに突撃を仕掛けようとしていた近衛騎士団は、予期せぬ闖入者の出現により明らかに出鼻をくじかれていた。さしもの精鋭も、ネェルの威容に動揺を隠せない様子だった。ネェルも、何ともいいタイミングで仕掛けてきてくれたものだな。

 

「おまたせ、しました。空中騎兵隊の、登場です」

 

 我らが愛しのカマキリちゃんは、その禍々しい鎌を掲げつつそう宣言した。頼もしすぎる増援を受け、僕は会心の笑みを浮かべつつ彼女にサムズアップしてみせる。何がお待たせしましただ、ぜんぜん待ってないぞ。これだから空中機動作戦は最高なんだ。作戦のテンポが違う。

 

「ワシもおるぞ!」

 

 そして、助っ人はネェルだけではなかった。ネェルの背中から、妙に小柄なポンチョ姿の童女が降り立つ。ロリババアだ。魔術に関しては敵なしのロリババアと、フィジカル最強のネェル。この二人がいれば、精鋭の近衛とてもはや恐ろしくはない。さあ、反撃開始だ!



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第569話 くっころ男騎士とレーヌ城脱出(2)

 一時は精鋭・近衛騎士団を相手に不利な戦闘を強いられることを覚悟した僕だったが、騎士らと近侍隊の激突の直前に救いの主が現れた。我らが最強のカマキリちゃんこと、ネェル。そしてロリババアのリースベン最強コンビである。

 

「ネェル! ナイスタイミングだ!」

 

 大声を上げて手をブンブン振ると、ネェルはにっこりと笑って鎌を振り返してくれた。この子のこういうところ、本当に可愛いんだよな。

 

「流石に、ちょっと、狭い、ですね? ま、壊していいなら、なんとでも、なりますが」

 

 彼女の突撃により、バルコニーの扉がった場所は完全なる破孔と化していた。しかし、ちょっとしたゾウほどの体格を持つネェルにとっては、それでもまだ狭いようだった。がれきを砕きつつ、強引に大ホール内へと侵入しようとする。下半身カマキリの巨大美女がそんなことをしているのだから、ほとんどトラウマものの光景だ。まあ、味方である我々にとってはこれ以上ないくらいに心強い景色だがね。

 

「不味いぞ、カマキリ虫人はあのソニア・スオラハティ殿すら鎧袖一触で倒されたという本物の怪物! まともに打ち合えば勝ち目がない!」

 

「だから死んでも足止めしろって言ってたのに城外班の奴らァ!!」

 

 一方、それ以外の者は大事である。とくに、バルコニー近くに布陣していた近衛騎士らは門前の近侍隊門後のネェルで大事である。彼女らは僕らをちらりと見た後、さっと体を翻してネェルに剣を向けた。こちらより、彼女の方が脅威度が高いと判断したのだろう。この状況で逃げもせずに適確な判断ができるあたり、流石は精鋭といったところだろうか。

 もっとも、そのような冷静な行動が出来た者はそれほど多くなかった。野次馬気分で観戦していた諸侯らは流石に顔色を失い剣を抜き始めたし、その野次馬どもを避難させようとしていた衛兵隊は真っ青な顔になりながら小銃をネェルへと向けている。恐慌寸前雰囲気だった。

 

「ば、化け物だ……!」

 

「あれがブロンダン卿の子飼いだという、カマキリ虫人! なんと恐ろしい……」

 

「あの怪物、なんでも翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)を頭からバリバリ食べてしまうらしいぞ」

 

 そちらから聞こえてくる心無い言葉に、僕は思わず顔をしかめた。人の友人になんてひどい事を言うのだ、あいつらは。まあ確かにネェルは鷲獅子(グリフォン)をとっ捕まえてバリバリ食ってたこともあるが……。

 

「今なら奴は身動きが取れない! 今のうちに仕留めるぞ!」

 

「応ッ!」

 

 とはいえ、今は罵声より剣の方がよほど危険な盤面だった。現に、ネェルと相対している騎士たちは先手必勝とばかりに攻撃を仕掛けようとしている。実際、彼女は巨体があだとなってまだ満足に動ける状態ではなかったから、勝ち目があるとすれば今しかないという近衛の判断は正しかった。

 

「おおっと! ワシが居ることを忘れてもらっては困るのぉ!」

 

 しかし、ネェルは一人ではない。頼りになる助っ人はもう一人いるのだ。満面の笑みと共に近衛騎士団の前に飛び出してきたダライヤが、唄うような調子で呪文を唱える。近衛たちはよどみのない動作で盾を構えたが、もちろん熟練した魔法使いであるロリババアがその程度の防御で防ぐことのできる魔法を選択するはずがない。

 

「グワーッ寒風!?」

 

 真夏の大ホールに突如猛吹雪が吹き荒れる。銀色の甲冑を真っ白に染められた騎士らは、そのまま暴風に足をすくわれコロコロと転がされてしまった。吹き飛ばされたのはネェルの前に立ちふさがった者だけだが、その強烈な冷気の魔法はあっという間に室内の温度をいきなり二十度は下げていた。寒さに弱い竜人(ドラゴニュート)に、この攻撃はツライ。

 

「なんだあれは!? この規模の氷雪系魔法など初めて見るぞ!?」

 

「ウワーッ! 寒い! 寒い! 冬眠しそう!」

 

 パーティ会場は先ほどとはまた別の意味で阿鼻叫喚である。さらに、そうこうしているうちにとうとうネェルがホールへの侵入を果たした。彼女はその大きな鎌を軽々と振るい、ダライヤの魔法に耐えた数少ない精鋭たちを草でも刈るかのように薙ぎ払っていく。

 

「今だ! 総員、突撃!」

 

 この機を逃す手はない。僕はサーベルを指揮杖のように振り上げ、突撃を命じた。とはいっても、流石に敵の本隊は狙わない。できれば殿下に目に物を見せてやりたいという気分はあるが、こちらの勝利条件はあくまでも我々の生還だ。目指すはもちろん、ネェル・アデライドコンビが開けた包囲網の穴。我々は円陣を解除し、一気にバルコニー方面へとなだれ込む。僕ももちろん、アデライドの手を引いてそれに続いた。

 

「いかん、逃すなっ!」

 

 もちろん、敵もタダでは逃がしてくれない。あわてた殿下が追撃を命じ、四方八方から敵が襲い掛かってきた。近侍隊は即座に応戦を開始したが、なにしろ統制だった隊列を組んでいるわけではないので不利は免れない。流石に一太刀で切り捨てられるようなものはいなかったが、攻撃を防ぎきれずあっというまに体のあちこちに手傷を負ってしまう。一方甲冑姿の近衛は少々の反撃などまったく気にせず攻撃を続行できるのだから、やはり防具の有無は大きい。

 

「堅い、殻が、ついて……うふふ、ネェルは、エビ、カニ、好きですよ。あなた達も、そういう、味?」

 

 そこへカバーに入ったのがネェルだ。体格が体格なのでやや窮屈そうな様子だが、それでも大ホール内であればある程度自在に動き回ることができる。四本の脚をシャカシャカと動かして近衛騎士団に肉薄した彼女は、鎌をぶんぶんと振って騎士らを吹き飛ばしていった。物騒なマンティスジョークを飛ばしているが、流石に敵兵を捕縛してそのまま噛みつくような真似はしない。単なるタチの悪い冗談だろう。

 もっとも、相対している側はジョークか否かなど判断できるはずもない。悲鳴こそ漏らさないものの、近衛らはあきらかに腰が引け始めた。なにしろ相手はあのエルフどもから畏怖を集めるリースベン最強生物だ。さしもの精鋭も、恐怖を覚えるなという方が無理があるだろう。

 

「これこれ、ネェル。狩りばかりに熱中しておらんで早う荷物を下ろさんか」

 

 そんなキケンなカマキリちゃんの背中に、ダライヤが飛び乗る。そこには、大きな行李がロープで括り付けられていた。ダライヤはエルフ伝統の山刀で縄を切断し、行李を地面に落とす。

 

「ありがたい!」

 

 この行李の中身は我々が撤退するために必要な物資一式であった。近侍隊が行李に群がり、小銃(もちろんボルトアクション式ライフルだ)や弾薬ポーチ、それにフック付きのロープなどだ。

 

「マズイ、鉄砲が……」

 

 それを見た殿下が悔しげな声を上げる。屋内ならともかく、屋外戦闘ではライフルはてきめんに強力な兵器だ。このままではこちらの撤退を阻止できないと判断したのだろう。殿下は口元をきゅっと結んでから、レイピアをこちらに向ける。

 

「小銃の配布を止めろ! このままでは手遅れになるぞ!」

 

「しかし、この状態では……接近もままなりません!」

 

 対する近衛隊長の反応は悲壮だった。なにしろ、こちらでは殿に立ったネェルがまさに一騎当千の暴れっぷりを見せているのである。下手に攻撃を仕掛ければ、手痛い反撃を喰らうのは間違いなかった。

 

「このままでは……ええい!」

 

 ギリギリと歯噛みするフランセット殿下。精鋭がこうも容易に蹴散らされているのだ、彼女の焦りも当然のことだった。近衛が敗れれば、もはやこちらの撤退を阻むのは不可能になってしまう。

 

「こ、ここは自分にお任せください!」

 

 そこに出てきたのが、真っ赤な軍礼服を纏った衛兵隊長だった。胸元にはジャラジャラと徽章をぶらさげているが、それに反して年齢はひどく若い。コネで隊長職を得た有力貴族の子弟(妹?)かなにかだろうか? 何はともあれ、ベテラン兵揃いと見える衛兵隊を統率するにはやや経験が足りない士官のように見える。なにしろ、その顔は明らかに恐怖で真っ青になっているのだ。

 

「接近戦を挑むから不利を被るのです。こういった敵は、射撃で仕留めるべしと教本にもありました……! ライフル兵、前へ!」

 

 恐慌寸前の眼つきでネェルを睨みながら、衛兵隊長はそう叫ぶ。上官からの突然の命令に困惑しつつも、衛兵はその命令に従った。兵は上官に対し一切の疑念を抱かぬよう教育せよ。王軍の従来の士官用教本に書かれた一文だ。僕の提供した新教本では削除されている文言だが、どうやら今の王軍ではまだその辺りは不徹底のままのようだ。

 

「あれは……いけませんね。皆さん、ネェルの、後ろへ」

 

 多数の銃口がこちらを向くのを見て、ネェルは自らを盾にするように我々の一団を庇った。なにしろこちらは甲冑を着ていないのだから、流れ弾でも致命傷を負いかねない。有難い配慮ではあったが、僕は流石に心配になって「ネェル、無茶をし過ぎるなよ!」と叫んでしまった。彼女は凄まじく強いが、それでも無敵ではない。歩兵用の小銃でも、当たり所が悪ければ重傷を負う可能性もある。

 

「あっ、馬鹿! 屋内で発砲は……」

 

 顔を青くして殿下が叫ぶが、ネェルへの恐怖で正常な判断力を失った若き衛兵隊長の耳には届かない。彼女は「撃てっ!」と鋭い命令を発し、衛兵隊が一斉射撃を始める。耳をつんざく銃声と、刺激的な硝煙のにおいが大ホールに満ちる……。



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第570話 くっころ男騎士とレーヌ城脱出(3)

 近衛騎士団すらも容易く蹴散らすネェルの活躍に恐慌をきたした衛兵隊長は、屋内での小銃一斉射撃という暴挙に出た。ライフル装備の衛兵の数は、二十名以上。そんな数のライフルが一度に火を噴いたわけだから、大ホールは一気に地獄めいた状況と化した。鼓膜が破れそうなほどの銃声に、濃霧のような白煙。黒色火薬から発生した刺激性のガスが鼻孔や喉を犯し、咳や鼻水が止まらなくなる。

 

「グワーッ流れ弾!?」

 

「私たちもいるってぇのに何しやがるボケカスオタンコナスがーッ!!」

 

 賓客たちの居た方向から凄まじい罵声が聞こえてきたが、白煙のせいでどうにも様子がつかめない。ヤバげな悲鳴も出ていたから、跳弾が賓客らの方へ飛び込んでいったのかもしれない。この部屋は石造りだから、銃弾が当たれば縦横無尽の跳弾が発生することになる。まったく、なんてことをしてくれたんだあのボケ衛兵隊長は。

 

「ネェル、無事か!」

 

 しかし、今一番気になるのは射撃目標になってしまったネェルのことだ。むろん彼女は下手な射撃などすべて鎌ではじき返してしまうのだが、さすがにあれだけの一斉射撃を喰らえばタダではすまないかもしれない。カブトムシなどと違い、カマキリの体は柔らかいのである。戦車のような防御力は期待できなかった。

 

「問題、ないです。かすり傷、程度、ですね」

 

 ところが、こちらの心配をよそにネェルから返ってきた言葉はなんとも頼もしいものだった。声音からして、やせ我慢をしているという風もない。僕はほっと胸をなでおろした。ネェルはとにかく強いが、図体が大きいぶん被弾面積も多い。こと対射撃防御に関しては過信は禁物だった。

 

「よおし、流石だッ! 他にけが人はおらんな!?」

 

「大丈夫でーす」

 

「ちょっぴり出血しちゃいました。アル様の唾プリーズ!」

 

「塩でも塗っとけ! じゃ、重傷者はおらんのだな。よーし、今のうちに撤退だ!」

 

 ホールにはいまだに白煙が満ち、丁度良い煙幕になってくれている。黒色火薬は本当にすさまじい量の煙が出るから、屋内で発砲するとしばらく視界が遮られてしまうのだ。この機を逃す手はない。僕は号令を下し、アデライドの手を引っ張った。向かう先は、ネェルが拡張してくれた壁の大穴だ。

 

「あっ、おい、アルベール!」

 

 煙の向こうからフランセット殿下の声が聞こえた。それを聞いて、僕に手を引かれるアデライドが大笑いをした。

 

「ハハハッ……! どうやらアルは貴様ではなく私を選んでくれたようだぞ! いい気味だ……!」

 

 どうにも不満にまみれた声音である。どうやら、アデライドもこれまでのあれこれで随分とフラストレーションがたまっていたようだ。実際、我々がレーヌ市にやってきてからこちらのフランセット殿下の言動にはかなり目に余るものがあった。正直に言えば、僕もアデライドと同様すこしばかり胸のすく思いは覚えていたりする。まあ、もちろん口に出すことはないがね。

 

「勝ち誇るのはまだ早いぞ。勝負はこれからじゃ」

 

 いつの間にか近くに来ていたロリババアが、そんなことを言いながら僕の方に棒状のなにかを投げてくる。小銃だ。有難くそれを受け取り、スリングをタスキ掛けにして背中に背負う。それに続いて、ロリババアは弾薬ポーチも投げ渡してくれた。たいへんに役立つ差し入れだ。むろんあのアホの衛兵隊のようにここで銃を発砲する気はないが、城外に出た後は剣よりこちらのほうがよほど頼りになる。

 

「ありがとう、助かる」

 

「礼は後で良い。それより今は、とにかくこの剣呑な場所から逃れるのが先決じゃ」

 

 ロリババアの先導を受け、僕たちはバルコニーへと飛び出した。新鮮な空気を肺一杯に吸い込み、ゆっくりと吐き出す。慣れているとはいっても、黒色火薬の白煙に長時間漬かっているのはなかなかに辛かった。

 なぜこんなところに出て来たかと言えば、もちろん脱出のためだ。とはいっても、ここはあくまで古典的なお城のバルコニー。現代式のビルのような非常階段や脱出シューターなどが付属しているわけではない。さらに言えば地上まではビルでいえば四階に相当するだけの距離があり、そのまま飛び降りるのは流石に危険だった。

 

懸垂下降(ラペリング)の用意、完了しました!」

 

 しかし、もちろんこちらも無策ではない。先んじてバルコニーを確保していた近侍隊の騎士が、既に脱出の準備を整えてくれていた。彼女の後ろにある落下防止のための大理石製の手すりには、フックのついたロープが括り付けられている。これを使い、地上に降下するのだ。

 これは懸垂下降という技術で、ロープ一本といくつかの道具があればこの高さからでも安全に降下することができる。前世の世界においては救助や登山、そして軍事などの現場で普遍的に用いられていたテクニックであり、リースベン軍の兵士は雑兵の一人に至るまでこれの猛練習をやらせていた。いわんや、精鋭たる近侍隊であれば実戦下においてもスムーズに降下することができる。

 

「ウワッ!? なんだなんだ!?」

 

「あれ、宰相一派じゃないのか!? まさか、強行脱出を図ろうと……」

 

 しかし、地上には騒ぎを聞きつけた衛兵隊が集まりつつあった。彼女らは小銃を装備しており、そのまま無防備に降下するのは危険だった。僕は地上の連中をサーベルの切っ先で指し示し、「蹴散らせ!」と短く命じる。

 近侍隊がさっとライフルを構え、一斉に発砲した。彼女らが装備している小銃は無煙火薬を用いたモデルだから、さきほどの衛兵たちのような猛烈な白煙は生じない(もちろんまったくの無煙というわけではないが)。鋭い銃声だけが断続的に響き渡る。

 

「ウワッ!? 打ってきたぞ!」

 

「打ち返せ!」

 

 もちろん、敵も小銃を持っている。当然ながら反撃が飛んできたが、ここは連発式小銃の面目躍如だ。こちらの騎士は、一発撃ったらそのまま銃身後方に取り付けられたレバーを回し、空薬莢を輩出してからまたボルトを元の位置へと戻す。これだけで再装填は終了だ。そのまま引き金を引き絞り、また発砲する。

 

「いかん! 退避、退避!」

 

 対する向こうは一回の再装填に最短二十秒はかかる前装銃だ。数に倍ほどの開きがあっても、火力ではこちらが優越している。猛射撃を受けた衛兵はあっというまに蜘蛛の子を散らすように退いていった。

 

「いまだ、一班から降下開始!」

 

 この隙を逃す手はない。僕はまずジョゼットを含む最精鋭を先に地上に卸し、橋頭保の確保を命じた。彼女らは射撃の合間に身に着けておいたハーネスの具合を確かめてから、ロープを伝って地上に降りていく。訓練通りのスムーズな動作だ。地上に居残った衛兵どもが彼女らを狙い撃とうとしたが、もちろんバルコニーから更なる射撃を加えて黙らせる。

 地上に降り立ったジョゼットらは、ライフルを構えなおし地上の敵を掃討し始めた。こうして後続の安全を確保するのだ。その手際の良さに感心しつつ、第二班の降下を命じる。こうして順番に兵員を地上に降ろしていくのだ。迅速に行う必要のある作業だが、慌てすぎれば事故につながる。なんとも緊張感の漂う作業だった。

 

「殿は、ネェルに、お任せを」

 

 三分も立たないうちに大半の降下作業を終え、残すは僕たちだけとなった段なって大穴からネェルが出てきた。彼女はそのまま自分の身体で穴をふさぎ、突破を狙う近衛騎士たちをブロックしているようだ。その足元ではロリババアがしゃがみこみ、室内に例の吹雪の魔法や風の刃などを打ち込みまくっている。広範囲を制圧できて小回りも利くダライヤと、パワーとスピードに優れたネェルのコンビはまさにリースベン最強だ。さしもの近衛も、この布陣を突破するのは容易ではないようだった。

 

「大丈夫か? 無理はするなよ。手傷も負っているようだし……」

 

 ネェルの身体には、あちこち出血の痕がある。さきほどの衛兵隊による一斉射撃で受けた傷だろう。さすがに直撃こそ防いでいるようだったが、ライフル弾はかすっただけでもなかなかに悲惨な怪我になってしまう。彼女は体格が大きいから少々の負傷で命を落とすことはなかろうが、それでも心配なものは心配だった。

 

「なあに。今は、無理の、しどころ、ですよ」

 

 返ってきたのは頼もしい返事だが、むしろそう言われると余計に心配になってしまうのが人の心というものだ。僕は深いため息を吐き、覚悟を決めた。今はぐだぐだと言葉を重ねるよりも、素早く作戦を終えた方がネェルの負担が小さくなる。乾いた唇をなめてから、アデライドの前でしゃがみこんだ。

 

「う、うう。これは恥ずかしいな。男に背負われる日が来るとは……」

 

 顔を真っ赤にしつつも、アデライドは大人しく僕の背中に抱き着いてきた。柔らかい感触が背中一杯に広がるが、それを楽しんでいる暇はない。近くにいた幼馴染騎士の一人が作業を引き継ぎ、ロープで僕とアデライドをしっかりと固定していく。当然ながら、文官である彼女は懸垂下降(ラペリング)技術など習得していない。誰かがこうして背負ってやらないことには、一人だけバルコニーに取り残される羽目になる。

 

「ははは。なら、戦いが終わったら何時間でもおんぶに付き合ってあげるよ。リースベン軍名物、おんぶマラソンだ」

 

「それは勘弁してもらいたいなぁ!」

 

 思わず吹き出しつつ、僕はハーネスとロープを八の字型の金具で接続した。そのまま手すりの上から飛び降り、壁を蹴りつつロープだけを頼りに降下していく。。実戦では久しぶりの懸垂下降(ラペリング)だが、訓練は欠かしていないので動作は体が覚えている。その身一つで忍者のように壁を下っていくのは楽しいが、どうやらアデライドはそれどころではないらしい。体が宙を舞うたびに悲鳴をあげて、なんだか可哀想になってきた。たしかに、こういう高所作業は慣れないものにはつらいだろう。

 とはいえ、こちらも慣れているのでビル四階ぶんの高さであればあっというまに降下完了だ。無事に地面に降り立ち、ぼくはほっとため息をついた。作業そのものには不安がないが、空中に居るうちに敵に狙い撃ちされてはたまらない。幸いにも、今回は先発組が先んじて地上の敵を制圧してくれたから、なんの不安もなく降りられたがね。やはり、持つべきものは頼りになる仲間たちだ。

 

「よし、待たせたな! ネェルらと合流ののち、レーヌ城より脱出する!」

 

 すっかり全身カチコチになったデライドを地面に降ろしつつ、僕はそう号令した。



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第571話 くっころ男騎士とレーヌ城脱出(4)

 懸垂下降(ラペリング)を駆使することで無事地上に降り立つことが出来た我々だったが、乗り越えるべき障害はまだまだ残っていた。なにしろレーヌ城は長年の係争地に建設された実戦用の城塞だからな。城外に出るためにはたった一つしかない正門を突破しなくてはならないし、おまけにその手前には重厚な防御施設が幾重にも立ちふさがっている。

 おまけに、追手側である衛兵隊の動きも極めて迅速なものだったからたまらない。彼女らは素晴らしい手際で防御陣を組み、我々の逃亡を阻止せんと襲い掛かってきた。動きの早さから見て、おそらく王軍側は最初からこういう事態を想定して準備を整えていたのだろう。

 

「撃て、撃て、撃ちまくれ! 火力で敵の頭を抑え込むんだッ!」

 

 しかし、敵方にも計算違いがあった。こちらがボルトアクション小銃を装備しているという点だ。レーヌ城の三の丸に連続した銃声が響き渡り、散兵線を組んだ衛兵たちに鉛玉の嵐が降り注ぐ。そのたびに、真紅の軍服を纏った女たちは血煙を上げながらバタバタと倒れていった。悲惨極まりない光景だ。

 

「た、隊長! 敵は小銃を連発しております!」

 

「くそ、何なんだあの銃は! 連射性能が違いすぎる……!」

 

 一発撃ってもボルトを弾けば即座に再装填できるのがボルトアクション銃の強みだ。おまけに、弾倉の中身を使い果たしてもクリップで五発一まとめになった銃弾を押し込めば即座に射撃を再開することができる。敵のライフル兵は一発撃つごとにいちいち銃口から弾薬を押し込む必要があるのだから、連射性能はまさに天と地ほどの差がある。

 しかも、敵方はライフル兵ばかりで構成されているわけではない。従来型の槍兵や両手剣兵などもまだまだ現役だ。こうした白兵戦兵科は、魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいない限り開けた場所では何の脅威にもなりえない。連発銃の猛射撃を喰らった彼女らは、たちまちのうちに壊乱状態に陥った。

 我々はこの圧倒的な火力差を生かし、本丸も二の丸も突破してきたのだった。ごり押し極まりない戦術だが、こうでもしないと勝てないのだから仕方ない。王軍の本隊が態勢を整え打って出てきたらもうお終いだ。奇襲の優位を生かせるうちにせめてレーヌ城からの脱出を図る必要があった。

 

「突破口を、開きます」

 

 さらにそこへ鎌を振りかぶったネェルが突っ込んでいくものだから、敵からすれば文字通りの泣きっ面に蜂というものだろう。万全の状態で戦列を組んでいても、ネェルの突撃阻止は困難なのだ。ましてや、今の彼女らは槍衾を組むことすら難儀するような有様だ。それでも幾人かの衛兵は翅を広げて突っ込んでくる彼女にライフルを撃ち込んだが、すべて鎌で弾かれてしまった。

 

「う、う、ウワワーッ!?」

 

「こんなのやってられるかクソッタレー! こちらと夫子もおるんじゃこんなところで死ねるかーッ!」

 

 一瞬のうちにダース単位の同僚が血祭に上げられるのを見て、いよいよ衛兵隊の士気が折れた。指揮官はまだ撤退命令を出していないというのに、何人もの兵士が銃を投げ捨て逃亡を図る。こうした恐慌は伝染するもので、まだ小銃や槍を構えていた者たちまでもが持ち場を放棄し始めた。

 

「ムッハハハハハ! 圧倒的だな新式小銃は! 高いカネを出した甲斐があったというものだ!! ムッハハハハハハハハ!」

 

 その様子を後方から見ていたアデライドが哄笑を上げる。慣れない戦場でハイになっているのはわかるが、その下衆めいた笑い声は何とかならないのだろうか? 本気で謀反を仕掛けようとした悪徳宰相としか思えないようなムーヴである。

 

「ネェルに続け! 総員突撃!」

 

 まあ、今はそんなことを気にしている状況ではない。僕はサーベルを振り上げ、近侍隊にそう命令した。我々が優勢を保つことができる時間はそう長くはない。時間がたてばたつほど敵は集まってくるだろうし、こちらの弾薬も乏しくなってくる。ボルトアクション銃は素晴らしい連射性能を持っているが、それだけに弾薬消費量は旧式の前装銃の比ではないのだ。

 とにもかくにも迅速に敵の包囲網を食い破り、レーヌ城から……そしてレーヌ市自体から脱出する必要がある。なにしろもはやこの街は敵地そのものなのだ。チンタラしている暇などどこにもなかった。

 

「ウオオオ! センパーファーイ!」

 

 銃剣付きの小銃を槍のように構え、近侍隊が一斉に突撃する。その喊声を耳にして、とうとう士官や下士官までもが逃げ出し始めた。これで我々の行く手を阻む者は誰も居ない。ジョゼットが逃げ去る敵兵の背中に中指を立て(余談だが、この世界において中指を立てる動作は"情けない男みたいなヤロー"を揶揄するサインとされている)「二度と私たちの前に現れるんじゃないぞバーカ!」と叫んだ。その声音は、侮蔑というより哀願に近い色があった。

 僕や近侍隊は、もとはと言えば王軍のいち部隊に属していた人間だ。つまり、彼女ら衛兵隊は我々の元同僚ということになる。ジョゼットとしては、そんな連中に銃口を向けるような真似はしたくなかったのだろう。正直、僕もまったくの同感だった。何が悲しくて、古巣の人間を殺めなくてはならないのか。いくらなんでも理不尽にも程がある。

 

「……行くぞッ!」

 

 もやもやした気分を振り切り、僕はアデライドの手を引いて走る。その先にあるのは、城外に出るための正門だ。もちろん王軍のほうはこちらを逃がす気などさらさらなわけだから、その大扉は既に閉鎖されてしまっている。しかし城門というのはあくまで外敵の侵入を阻むものであって、内部から出ていく者を阻むようにはできていないのだ。即座に数名の近侍が大扉に組み付き、かけられていたカンヌキを投げ捨ててしまった。

 もっとも、城門を開放しても即退散というわけにはいかない。レーヌ城の周りには深くて広い堀が設けられており、そこを渡るための跳ね橋は今はあげられてしまっている。これを降ろすためには、城門の横に設置された巨大なウィンチを回す必要がある。ジョゼットらは急いでその作業に取り掛かろうとしたが、それより早くダライヤがズイと前に出た。

 

「ワシに任せよ!」

 

 彼女は腰から抜いた木剣を掲げ、歌うような調子で何かの呪文を唱えた。すると剣の切っ先から二条の稲妻が放出され、ウィンチに繋がった二本の太い鎖を直撃する。鋼のリングを連結して作られたそれは、一瞬のうちに白熱してはじけ飛んでしまった。ひどく乱暴な音を立てながら、跳ね橋が地面に叩きつけられる。

 

「……お見事!」

 

 リングの一つ一つが数キロくらいありそうな巨大な鎖を、二本同時に切断してしまうとは。このロリババア、智謀の実力は当然として魔法の腕前も規格外に過ぎる。ガレア王室お抱えの宮廷魔術師と言えど、ここまでの芸当ができる者はそうそう居ないのではないだろうか?

 

「ぬふふ……礼と賞賛はタップリと頼むぞ? もちろん、夜の褥でのぉ」

 

「ああ、はいはい。面倒ごとが全部終わったら、好きなだけ付き合ってやらぁ」

 

 今までであればこの手の冗談にはツッコミを返していた。どうせ、この戦争が終われば彼女と結婚する手はずになっているのだ。今さら恥ずかしがることはない。……でも、結婚云々に関しては間違っても口に出さない方がいいな。よくないフラグが立ちそうだ。

 

「う、うおお……我らのアル様が性格最悪のクソババアに汚される……うおおん……」

 

 近侍隊のほうから妙な声が聞こえてきたが、無視だ無視。今さらフランセット殿下みたいなこと言ってるんじゃないよ。

 

「馬鹿なことを言ってないで、さっさと脱出するぞ。衛兵だけならなんとでもなるが、騎士連中が出てきたらシャレに……」

 

 そこまで言ったところで、僕はふと後ろから聞きなれた音が鳴っていることに気付いた。馬の蹄が石畳を叩く音だ。口をへの字に結びつつ振り返ってみれば、案の定二の丸と三の丸を繋ぐ通路を疾走する騎兵の一団の姿が見えた。

 

「……こいつは面白い事になってきたな」

 

 口元に笑みを浮かべつつ、僕はそう呟く。しかしもちろん、本心は言葉の正反対だ。非常にまずい事になってしまった。こちらに向かって迫る騎兵隊は、剣と盾の紋章の描かれた旗を掲げている。これは、僕にとってはブロンダン家の家紋の次に見慣れた紋章だった。……そう、スオラハティ家の家紋である。

 

「マリッタの奴がもう出てきやがった。奴は地獄の猟犬より執念深いぞ、脱出を急げッ!」

 

 相手は王国最強・最新鋭の騎兵集団だ。まともにぶつかりたくはない。むろんネェルとダライヤがいれば負けはしないと思うが、時間稼ぎに徹されると厄介だ。それに、ネェルは大ホールでの一斉射撃事件で手傷を負っている。あまり無理はさせたくない。……そうなるともう、僕に残された選択肢は尻尾を巻いて逃げる以外に残されていない。僕たちは大慌てで、跳ね橋を渡りレーヌ市街へと逃げ込んだ。

 



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第572話 くっころ男騎士と裏路地

 レーヌ城からの脱出には成功した我々だったが、一難去ってまた一難。追手として現れたのは、スオラハティ軍の騎馬部隊だった。僕もかつては一年のうち一度や二度はノール辺境領にお邪魔していた身の上だから、彼女らの実力はよく理解している。彼女らは、ライフルやリボルバー拳銃などの新式装備と王室近衛騎士団に並ぶ練度を兼ね備えた世界最強クラスの騎兵集団なのだ。

 しかも、あの連中の指揮官はおそらくマリッタだ。姉や妹ほど目立つ立場ではなかった彼女だが、その実力は十二分に一流を名乗れる水準にある。おまけにマリッタは僕を随分と恨んでいる様子だから、その追撃が熾烈なものになるのは間違いあるまい。正直に言えば、絶体絶命のピンチだ。

 土煙を上げつつ猛追してくるスオラハティ軍騎兵隊から逃れるべく、僕たちはレーヌ市の市街地へと飛び込んだ。とはいえ、それだけでは状況は改善しない。なにしろこの街は王軍の占領下にあり、街中は常時厳戒態勢のようなものだからな。平日の昼間だというのに、大通りですら通行人はまばらだ。これでは、人ごみを隠れ蓑にすることすらできない。

 

「はあはあ……参ったねぇこれは……」

 

 胸元を押さえつつ、アデライドが荒い息を吐く。今、僕たちはすえた臭いの立ち込める裏路地に身を隠していた。お世辞にも、居心地のいい場所ではない。辺りには生ごみと汚物が散乱し、路面は未舗装だというのになぜかネチャネチャしてる。できれば長居したくないような空間だが、そういう場所だけに騎馬のままで侵入することは不可能だ。マリッタの追跡を逃れるには、こうした路地を活用するほかない。

 しかし、残念ながら我々には土地勘が皆無だ。妙な道を通って迷いでもしたら目も当てられない。しかしだからと言って表通りに出るわけにもいかず……まあ、いわゆるにっちもさっちもいかない、というヤツだ。ヤンナルネ。

 

「マリッタが敵に回ることはわかっていたが、ここまで早く仕掛けてくるとは。はぁ……」

 

 僕もアデライドもスオラハティ家とは家族ぐるみの付き合いだったから、当然マリッタとも古なじみだ。そんな相手と敵対してしまったわけだから、やはりアデライドも落ち込んでいるらしい。正直、それは僕も同じことだった。そもそも、マリッタとの関係がこうも拗れたのは明らかに僕の怠慢のせいだからな。今さらどうしようもないということがわかっているというのに、『あの時ああしていればよかった』などという無意味な考えが頭の中で浮かんでは消えていく。

 

「……後悔は勝つか死んだ後にでもやればいい。今はとにかく、生き延びなくては」

 

「そうだな。……はあ、しかし、くたびれた。これほど走ったのは子供の時分以来かもしれん」

 

 そう言って、アデライドはドレスの胸元をがばっと開いて風を入れた。目に毒なモノがまろびでたが、本人は全く気にしていない。ガレア王国の女性は、トップレス程度恥ずかしくもなんともないという感覚を持っている人も少なくないからな。前世の日本とは常識が違う。……まあ、その常識がまだ精神の奥底にこびりついている僕としては、いささか気恥ずかしいものを感じてしまうのだが。

 

「ああ、熱い。まだ夏だなぁ……おい、アル。ネェルはいつ頃帰ってくるんだね? 我々だけでマリッタと追いかけっこに興じるなんて、冗談じゃあない。早い所、彼女と合流したいんだがね」

 

 アデライドの言う通り、この場にはネェルの姿が無かった。いや、そもそそもここは狭い路地だから、ネェルほどの巨体ともなるとそもそも身体が収まらないだろう。もちろん、だからと言って彼女をどこかに置き去りにしているわけではない。彼女には、近衛や衛兵との交戦で重傷を負った近侍隊の騎士の後送を頼んであった。残念なことに、レーヌ城脱出戦では一名の重傷者を出してしまった。やはり、満足な防具もつけずに近衛騎士団と戦うのはいささか無謀だったな。

 まあ、重傷と言ってもきちんと手当すれば命に別状ない程度だがね。竜人(ドラゴニュート)の生命力は尋常ではない。撤退先はもちろん野戦病院などではなくレーヌ市郊外の森の中だが、医術の心得のあるものを同行させているからまあ最低限の治療はできるだろう。……それに治療が必要なのは騎士だけではない、ネェルもだ。彼女は衛兵隊の一斉射撃を受け、手傷を負っていた。本人はかすり傷だと言っているが、自己申告は信用ならん。衛生兵の手できちんと傷の具合を確認する必要がある。

 

「いや、ネェルはそのまま例の森で待機するように命じてある。街からの脱出は僕たちの独力でやるんだよ」

 

「……なんだって?」

 

 アデライドは思わずといった調子で目を剥いた。どうやら、ネェルの戦力をずいぶんとアテにしていたらしい。まあ、気分は分かるよ。パーティ会場における彼女の戦いぶりは凄まじいものがあったからな。

 

「大丈夫なのかね、それは。いや、むろんキミや近侍隊の実力を疑っているわけではないが、相手は王軍やスオラハティ軍なのだよ? 出し惜しみをしている場合ではないと思うのだが……」

 

 眉間にしわを寄せつつ、アデライドは首を左右に振る。実際、敵の戦力はあまりにも強大だ。ネェルの戦力を最大限に活用せねば脱出すらままならないのでは、という彼女の懸念は理解できる。

 

「たしかに街中から脱出するだけならば、ネェルに頑張ってもらうのが一番合理的さ。でもね、それをやるとたぶん彼女は生きて帰れない。それじゃダメなんだ」

 

 僕の脳裏に、前世の記憶がよみがえる。現代戦において、市街地という地形は人命と兵器を延々とすり潰し続ける悪魔の石臼だ。戦車や戦闘ヘリといった強力な兵器でも、一瞬の隙を突かれれば容易に撃破されてしまう。いわんやネェルは痛みを感じぬ鋼鉄の兵器などではなく、温かい血の流れる人間なのだ。

 ネェルは、パーティ会場の戦いでも負傷していた。ライフル銃の一斉射撃を浴びるのは、さしもの彼女も辛いようだ。カマキリはカブトムシなどと違って全身が強靭な甲殻に守られているわけではない。当たり所によっては、対人用ライフルであってもダメージを与えることが可能だ。だからこそ、僕はネェルを絶対無敵の存在として過信するわけにはいかなかった。

 

「彼女が街中で延々頑張っていたら、すぐに翼竜(ワイバーン)が何騎も飛んでくるはずだ。一騎二騎程度ならなんということはないが、十を超えると流石にマズイ。奇襲効果の残っているうちに撤退させておいた方がいいと考えてね」

 

「むう……」

 

 言っていることはわかるが、という顔でアデライドは黙り込んだ。やはり、不安なのだろう。

 

「切り札ってのは、気軽に使いまくっていると魔力を失っちまいますからね。切りどころはしっかりと考えなきゃあ」

 

 ジョゼットがにやりと笑ってそう言った。その声には、危機の渦中にあるとは思えない活力が満ちている。

 

「それに、ネェルの奴は仲間なんでね。あいつにばかり負担をかけるのは、どうも居心地がよくない」

 

「なるほど、そうか。いや、すまない。少しばかり気弱になってしまっていたな」

 

 コホンと咳払いをしてから、アデライドは僕の方を見た。

 

「いくさの事であれば、アルに丸投げしておけば大丈夫。そうだったな?」

 

「もちろん」

 

 当然ながら、ネェルの抜けた穴を埋める策は既に打ってある。というか、これは彼女がいると使えない策だった。なにしろ彼女は図体が大きいので、隠密作戦には全く向いていない。ネェルの存在を前提に作戦を立てると、どうしても荒っぽい方向へ行かざるを得なくなってしまう。しかし敵戦力が圧倒的に優勢な状況では、むやみに戦火を拡大させるのは上手いやり方とは言い難いだろう。

 

「正面からのドツキ合いばかりがいくさじゃあない。特殊作戦は畑違いだけど、まあその真似事くらいはできるさ……」

 

 そう言って、僕はちらりと路地の奥の方を見た。そちらからは、微かに足音が聞こえてくる。もっとも、もちろん敵が接近しているわけではない。見張りは立てているから、敵や無関係な民間人などが近づいてくれば即座に知らせが入ってくるだろう。それが無いということは……。

 

「待たせたのぅ」

 

 暗がりから出てきたのは、やはり見覚えのある小柄な影。そう、ロリババアである。コイツは小柄で目立たない割に戦闘力が高く、おまけに頭も回るからな。こういったシチュエーションでは誰よりも頼りになる。そういうわけで、僕は彼女にいくつかの用事を頼み、単独行動をさせていたのだった。

 

「協力者と合流するのに難儀してしもうたわい。流石あのソニアの妹、布陣に隙が無い」

 

 いかにも苦労しましたという顔でタラタラと言葉を垂れる彼女の隣には、フードを被った女の姿がある。そう、ダライヤに頼んでいた任務……それは現地協力者の案内だった。なにしろ、我々には土地勘がない。せめて案内者がいないことにはにっちもさっちもいかないということで、パーティの前日に協力者の準備をしておいたのである。



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第573話 くっころ男騎士と生臭坊主

 単独行動から戻ってきたダライヤが連れてきた女は、フード付きのローブを被った絵にかいたような不審者だった。いくらなんでも怪しすぎるだろうという感じだが、彼女こそが僕が事前に渡りをつけていた協力者だった。なにしろ、敵地における非正規戦ではこうした協力者の存在が生死を分けるからな。用意しないという選択肢はないだろう。

 

「やあ、どうも。何やら大事になっておりますな」

 

 不審者殿はそう言ってフードを外す。そこから現れたのは、いかにも冴えない竜人(ドラゴニュート)の中年女の顔だった。愛想笑いの浮かんだその顔は平凡そのもので、欠片ほどの覇気も感じられない。人ごみに紛れてしまえば、一瞬で見失ってしまいそうなほどに個性がなかった。

 

「お初にお目にかかります、アデライド様、ブロンダン様。ポワンスレ大司教猊下の遣いで参りました、ラ・ルベール司祭と申します」

 

「……」

 

 ポワンスレ大司教。その名前を聞いたアデライドは、一瞬顔をひくつかせた。ポワンスレ大司教は王都近くに領地を持つ司教領主で、ガレア王宮では知らぬものの居ない有名人だ。……何が有名かといえば、その生臭ぶりである。極星の代わりに金貨を崇めているだとか、美少年を囲い込んでいるとかの悪い噂が絶えず、ガレア王宮の悪の双璧とも呼ばれている。ちなみに双璧のもう片方はアデライドだ。

 そんな彼女だが、レーヌ市を巡る戦いでは従軍司祭の統括役として遠征軍に参加していた。しかしこの役割はあくまでガレア宮廷とつき合いのある高位聖職者に持ち回りで依頼されるものであって、フランセット殿下自身が自らポワンスレ大司教を任命したわけではない。むしろ、この二人にはそれなり以上の溝があるという話だ。

 政治音痴の僕がなぜそんなことを知っているかといえば、もちろん幼なじみであるフィオレンツァ司教のルートだった。彼女との付き合いでポワンスレ大司教本人とも面識があったから、協力依頼は比較的スムーズに進んだ。まったく、持つべきものはコネだな。……まあ、本音を言えば司教とは別にこの街の地理や事情に詳しい現地人の案内人も調達したかったんだがな。準備期間が短すぎて、流石に無理だった。

 

「ポワンスレを頼ったのか……大丈夫なのかねぇ?」

 

 アデライドはすました表情をしつつも、いささか不安そうな声音でそう囁いてきた。彼女の懸念も当然のことだろう。はっきりいって、大司教は信用に値する人物ではない。

 

「フランセット殿下が元気なうちは、それなりに手を貸してくれるんじゃないかな」

 

 アデライドへの対応から見てわかる通り、フランセット殿下にはいささか潔癖に過ぎる部分がある。そんな殿下と有名な生臭坊主の相性が良いはずもなく、二人の仲は非常に険悪だった。レーヌ市攻略戦の陣中でも幾度か言い争いがあったという話だから、よほどウマが合わないのだろう。

 

「敵の敵は味方理論家。はぁ、キミもすっかりヨゴレてしまって」

 

 小さくため息をついてから、アデライドは視線をラ・ルベール司祭へと移した。一応利害は一致しているとはいえ、ポワンスレ大司教は油断できる相手ではない。いつまでも内緒話を続けている暇などなかった。

 

「初めまして、ラ・ルベール司祭どの。お手数をお掛けして申し訳ない」

 

 そういうアデライドの声音は、長年の友人に対する者のように柔らかい。彼女も生き馬の目を抜くような政治の世界で生きてきた人間だから、この程度の演技などはお手の物だ。

 

「いえいえ、お気になさらず。惑える人々を救うは極星を奉じる者の責務、ましてやいわれなき迫害までも受けているとあらば、これに手を差し伸べぬ者には天罰が下りましょう」

 

 しかし、ラ・ルベール司祭の方もアデライドに負けてはいない。口に油でも差しているのではないかと疑いたくなるような滑らかな弁舌である。

 

「できれば丁寧なご挨拶をしたいところですが、残念ながらそのような暇はなさそうです。街の方では、剣呑な方々もうろついておりますしね」

 

 表通りの方へちらりと視線を送ってから、司祭は微笑を浮かべた。街中ではすでに僕たちの捜索が始まっている。主力は雑兵どもだが、どうやらマリッタ率いるスオラハティ騎兵隊のほうも引き続き捜索に参加しているようだ。我々が姿を現せば、即座にあのおっかない義妹が襲い掛かってくるに違いない。

 

「流石は王軍、動きが早い。この調子では、既に街の出入り口の方も押さえられているでしょうね」

 

 水を向けると、ラ・ルベール司祭は神妙な表情で「ええ」と頷いた。

 

偶然(・・)通りかかった者から聞きましたが、正門や東西の門はもちろん、川港のほうもネズミ一匹通さぬ警備が敷かれているようです」

 

 ずいぶんと偶然あちこちに通りかかる人だな。思わず苦笑しつつ、軽く頷いて見せた。この街、レーヌ市は典型的な城塞都市だ。外壁や物見やぐらなどの設備を活用すれば、本来の用途とは逆に内部の者を外へ逃がさないようにするのも難しいことではない。

 我々単独でこれを何とかしようと思えば、殿下の砲塔であるネェル・ダライヤコンビを再び投入するほかないだろう。しかし、敵にも既に彼女らの情報は出回っているだろうから、一度目のように何もかも上手くいく可能性は低いように思われた。ネェルの武力は、我々にとって最高の切り札なのだ。名刀をやみくもに振るって刃こぼれさせるような真似はしたくない。……そこで浮上したのが、ポワンスレ大司教を頼る案だ。

 

「しかし、ご安心ください。迷える方々を導くのは我々の最も得意とするところ。無事、市外まで出られる安全なルートにご案内いたします」

 

「ありがとうございます、司祭様」

 

 頭を下げる僕をチラリと見て、アデライドが目を細める。やはり、ポワンスレ大司教を信用しきれないのだろう。もちろん、僕だって無条件にこの生臭坊主を信じているわけではない。それなりの成算があって、彼女に話を持って行ったのだ。それに、もちろん保険はきちんと掛けてある。

 

「それはさておき、ブロンダン様」

 

 その"保険"についてどう説明しようかと思考を巡らせていると、ラ・ルベール司祭に名前を呼ばれた。「なんでしょう」と応えると、彼女は表情を真剣なものに改め、言葉を続ける。

 

「案内の対価……というわけではありませんが、猊下の方からご質問を賜っております。今、ここで聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「はあ、構いませんが」

 

 質問? はて、何のことだろうか。例の情報の流出ルートかな。そんなことを考えつつ、頷く。

 

「ブロンダン様は、フィオレンツァ司教猊下が今どこで何をしていらっしゃるのかご存じですか?」

 

「……」

 

 え、なに、その質問。まったくもって予想外なんだけど。正直、どういう意図の質問なのかさっぱり理解できなかった。思わずアデライドとロリババアも方に視線を送るが、彼女らも不可解な表情で首を左右に振るばかり。

 

「……いえ、存じませんが。しかし、フィオレンツァ様のことですから、王都の方で普段のお仕事をなさっているのでは?」

 

「それが、どうもそうではないようなのです」

 

 いささか失望した様子で、ラ・ルベール司祭は首を左右に振る。

 

「公的には、フィオレンツァ司教猊下は病で臥せっているという話です。もちろん、王都の外へ出ているという話はありません。しかし……」

 

 は? 病気? ぜんぜん、そんな話は聞いてないんだけど。いや、でもしばらく手紙のやり取りをするような状況ではなかったからな。その手の情報が入ってこないのは仕方がない事だが……。

 

「……従軍司祭の一人が、彼女をこのレーヌ市で目撃したというのです。むろん見間違いかもしれませんが、目撃者はいい加減な情報を断言するような者ではございません。フィオレンツァ様とご友人であらせられるブロンダン様ならば、なにか事情をご存じなのではないかと思ったのですが」

 

 …………フィオレンツァ司教を、レーヌ市で目撃した。その言葉を聞いた瞬間に、僕の頭にオレアン公から聞いた一件がフラッシュバック下。フランセット殿下の近辺に星導国出身のうさんくさい商人がうろついているというアレだ。

 いや、いやいやいや。確かにフィオレンツァ司教も星導国の出身だが、これは偶然だろう。いかんいかん、幼馴染相手になんて酷い疑念を抱いてるんだ、僕は。あの聖人の鑑のような人が、訳の分からない陰謀を巡らせて国の行く末を誤らせるはずがないじゃないか――。

 

「申し訳ありません、そのことについては、正直さっぱり。とはいえフィオレンツァ様がこの街を訪れる理由はないでしょうし、もし来ているとしても僕に連絡の一つも寄越さないというのはあり得ないことだと思います」

 

「なるほど、確かにその通りです。失礼いたしました」

 

 むこうとしても、深く追求するつもりはなかったのだろう。この話はここで終わり、話題は撤退作戦の方へと戻っていく。しかし僕の心のなかでは、いまだに拭いきれないほの暗い疑念がとぐろを巻き続けていた……。



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第574話 くっころ男騎士の決断

 ポワンスレ大司教の手引きでレーヌ市を脱出することになった我々だったが、流石に今すぐとはいかなかった。むろん気分としては一分一秒でも早く"敵"から距離を取りたいのだが、時刻は既に夕刻になっている。普通の隠密作戦ならば夜闇は有利に働くが、この街には既に厳戒態勢が敷かれている。昼間ですら出歩く者が少ないような有様だから、当然夜ともなればまったく人気が無くなってしまう。そんな中で出歩けば、却って目立ってしまうだろう。

 そういうわけで、我々はレーヌ市で一夜を過ごすことを強いられた。当たり前だが、元の宿には戻れない。そこで、僕たちはラ・ルベール司祭にセーフハウスを用意してもらうことにした。正直、彼女らはあまり積極的に頼りたい相手ではないのだが……背に腹は代えられない。

 

「くたびれているのは間違いないが、どうにもゆっくりできるような気分になれないねぇ……」

 

 古びたボロ椅子に腰を下ろしながら、アデライドが深々とため息をついた。ラ・ルベール司祭に案内されたセーフハウスは、ダウンタウンの一角にある一般の民家だった。その内部はひどく荒されており、まるで嵐が過ぎ去った後のような有様だ。その上、最近まで人が住んでいた気配があるわりに住人の姿はない。

 どうにも嫌な感じのする家屋ではあったが、僕は頭を振ってこの場所で何が起こったのかについて考えることをやめた。戦時下、とくに籠城戦の後にはよくあることだ。今ここで直近に起きた悲劇に思いをはせたところで、得られるのは憂鬱な気分だけだろう。

 

「気分は分かるけど、休める時に休んでおかないと肝心なところで力が発揮できなくなるからさ」

 

 そうは言ってみたものの、当の僕自身もゆっくりと体を休める気分にはなれなかった。そもそも、ここを提供してくれたポワンスレ大司教その人があまり信用ならない類の人間なのだ。僕らを庇うフリをして、裏でフランセット殿下に尻尾を振る……そういう事態も考えられなくはない。万一この家に王軍が攻め寄せてきた時に備え、僕も近侍隊も警戒態勢は解いていなかった。

 ……まあ、そうは言っても大司教の助力が無いとだいぶ厳しい戦いを強いられるのも確かなんだが。むろん彼女が裏切った場合に備えたプランも用意しているが、それを実行するとひどく荒っぽく成算の低い戦いを強いられる羽目になる。上手くいったところで、生きてリースベンの土を踏める者はそう多くないだろう。そうはなりたくないので、心の中ではとにかくポワンスレ大司教が寝返りませんようにと祈っている。

 

「なぁに、エムズハーフェン家の手の届くところまで逃げ延びることができれば、あとは何とでもなる。逆に言えば、明日こそが一番の難所じゃ。今日のところは、それに備えてしっかりと心身を休めておくことじゃな」

 

 ワラ束にツギハギだらけのシーツをかぶせただけの粗末な寝台に寝転がりつつ、ダライヤが言った。その言葉に僕とアデライドは小さく頷き、揃ってため息をついた。

 この街を脱出した後も、王軍による追撃は続くだろう。こんな事態になった以上、王家と宰相派の衝突は避けられない。フランセット殿下としても、僕やアデライドの身柄は何としてでも確保しておかねばマズイ。追撃は想像を絶するほど苛烈なものになるだろう。

 それを逃れるためには、あのカワウソ選帝侯……エムズハーフェン家の力を借りるほかない。彼女らは河の物流を握っているから、荷物に紛れて僕らを逃がす程度のことは容易にやってのけるだろう。ただ、エムズハーフェンは帝国諸侯だ。その助けを得るためには、ガレアの勢力圏から脱する必要がある。そこまでは、僕たち自身の力で逃げ延びる必要があるというわけだ。

 

「今はひとまず無事にリースベンに戻ることが最優先だな。とはいえ、今のうちに王家を相手にどう戦うかについては考えておいた方がいいだろうけどさ……」

 

 少し笑って、僕はため息をついた。僕としては王家に弓引くつもりなどさらさらなかったのに、もはや事態はそれを許さない。無実の罪で領地領民も嫁も自らも王家に差し出してやるような真似は、流石にできなかった。

 

「対王家戦争、か……」

 

 アデライドが複雑な声音でそうボヤく。彼女も、僕と同じような気分を抱えているのだろう。

 

「ここまでの事態になったんだ、僕も腹を決めたよ」

 

 二人の嫁を交互に見てから、僕は苦い声でそう言った。正直、かなり気分が重い。こんなこと言いたくないし、やりたくもない。しかし、ここで責任を投げ出すような真似だけは絶対に出来なかった。

 

「この事件を招いた一因は、僕の優柔不断にある。これ以上どっちつかずの態度を取り続けたら、被害は大きくなるばかりだ。だから……僕は、やるよ。反逆者と呼ばれようが、毒夫と呼ばれようが、もう知ったことか」

 

「アル……自分が矢面に立つつもりか?」

 

 慮るような目で僕を見ながら聞くアデライドに、小さく頷き返す。嫌な話だが、僕はこの戦争の台風の目だからな。能動的に動かないという選択肢はない。

 

「うん……ひとまず、フランセット殿下は倒す。もはや、彼女にガレアの政権を担う資格はない。ヴァロワ王家そのものを倒したいとは思わないが……必要ならば、やる。市民の自由と安全、そして財産を守るのが軍人の使命だ。いたずらに戦乱を長引かせ、王都を……ガレアを焼かせるわけにはいかない」

 

 僕の脳裏には、応仁の乱という単語がちらついていた。京都で起きたこの大乱は、群雄割拠の戦国時代を招く直接的な要因となった。これを、ガレアで再演させるわけにはいかない。迅速に火種を取り除き、秩序を取り戻す必要がある。

 それに……応仁の乱によって、京都は致命的なダメージを被った。王都は僕の故郷だ。見慣れた街並みを、そこに住む人々を、戦火で焼くことは絶対に避けたい。たとえ、その人々から反逆者とののしられ、石を投げられるような真似をしてでもだ。

 

「なんじゃ、エルフェニアの帝冠だけではなく、ガレアの王冠も欲するとな。我が婿は強欲じゃのぅ」

 

 寝ころんだままのダライヤのからかいに、僕は思わず破顔した。まったく、どの口でそんなことを言いやがる、このクソババアが。

 

「王冠なんてのは、その能力がありさえすれば誰が被ったって構わないさ。肝心なのは民だからな」

 

 それこそ、ガレアの王冠なんてものはヴァルマにくれてやればいい。あいつは強欲な奸雄……いや、奸雌だが、むやみに民を虐げるような人間ではないのは確かだ。今のフランセット殿下よりは、政権担当能力は高そうに見える。マリッタへの対応にも、ヴァルマの協力は必須だ。ここはもう、四の五の言っている場合ではないだろう。その対価が簒奪の手助けと承認だというのなら、やってやろうじゃないか。

 

「今日から僕たちは賊軍だ。けれども、錦の御旗にひれ伏す気はない。暗君の手から、故郷を取り戻してやる。アデライドも、ダライヤも、どうか僕を手伝ってほしい」

 

「むろんだ」

 

「言われずともそのつもりじゃが?」

 

 一切の躊躇もなく、アデライドとダライヤは首を縦に振った。当たり前だ、と言わんばかりの表情だ。なんというか、流石だな。僕なんか、ここまで覚悟を固めるのに随分と時間がかかってしまった訳だけれども。まったく、ウチの嫁さんらは僕よりもよっぽどしっかりしているな。僕なんて、ずっと責任から逃げ回っていたというのになぁ。はあ、自分が情けない。

 

「ありがとう、二人とも」

 

 僕は努めて笑顔を浮かべ、彼女らの元に歩み寄った。そして一人一人を抱きしめ、キスをする。

 

「戦うからには絶対に勝つ。どんな犠牲を払ってでもだ。……悪いが、地獄の果てまで僕に付き合ってもらうぞ」

 

 その言葉に、二人は揃って笑みを浮かべ確かに頷いた。ああ、まったく。ウチの嫁さんたちはみんないい女ばかりだ。



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第575話 くっころ男騎士と秘密の地下道

 セーフハウスに籠もってから、一夜が過ぎた。朝日が上る寸前に目を覚ました僕だったが、正直あまり疲れは取れなかった。夜更かしのせいだ。昨夜は遅くまで、今後についての話し合いをしていたのである。むろん有事に備えた計画は用意していたが、状況がここまで動いたからにはそれなりに計画の修正も必要だ。リースベンに戻るまでのこと、戻った後の身の振り方、話し合うべき議題はいくらでもある。結局、身体はともかく精神と頭の方は全く休まらなかった。まあ、こればかりは仕方がない。

 朝日が街を照らすころ、セーフハウスのドアが叩かれた。すわ、御用改めかと緊張が走るも、幸いなことに来訪者の正体はポワンスレ大司教の代理人ラ・ルベール司祭であった。

 

「脱出の準備が整いましたよ」

 

 胡散臭い笑みと共にもたらされたその言葉は、我々が待ちわびていたものだ。どうやら、彼女らは裏切ることなく約束を果たしてくれたようだ。正直にいって教会、とくに生臭坊主ポワンスレは信用できないのだが、今我々が頼れるのは彼女らだけだからな。まさに溺れる者は藁をもつかむって感じだ。もちろん、万一に備えて保険は掛けてあるがね。

 ラ・ルベール司祭の案内のもと、僕たちは爽やかな朝日を浴びながらセーフハウスを出立た。街中では、相変わらず王軍の連中が目を皿のようにして僕たちを探し回っている。もちろん、その中には見慣れたスオラハティ家の家紋を掲げた騎兵隊の姿もあった。彼女ら自身も、そしてそれを指揮するマリッタも油断のならない相手だ。当然ながら、その警備体制には隙がほとんどない。

 街の要所にはあちこちに臨時検問所が設けられており、現状の戦力での突破はまず不可能だろう。もちろん障害はそれだけではなく、小隊単位の遊撃隊が裏路地やら各家屋などを巡りながら怪しいものが居ないか目を光らせている。どうやら手配写真なども出回っているようだから、少々の変装ではとても誤魔化せそうにない。

 

「まったく、ご苦労なことです」

 

 しかし、そんな水を漏らさぬ警備を前にしても、ラ・ルベール司祭は自信ありげな笑みを崩さなかった。なにしろ、こちらにはレーヌ市遠征軍の聖職者代表がバックについている。正面から突破できないような障害も、裏道を使って容易に迂回することができるのだ。

 金と権威、そして信仰が彼女らの武器だ。それをフル活用して巡回や検問を突破していく様は、アデライドやダライヤすら唸らせるほど鮮やかな手管だった。欲深な者は鼻薬で黙らせ、真面目な者は聖界権力を笠に着て押し通り、信心深い者は詐欺師めいた説法で誤魔化す。それはまさに丁寧なごり押しとしか表現できないやり方であった。

 すったもんだの末、我々が目的地にたどり着いたのは昼過ぎのことだった。目的地といっても、残念ながらまだ街の外には出ていない。街の中と外を繋ぐ門にはことさら厳重な関所が設けられており、教会の権威をもってしても突破は容易なことではないのである。

 

「やあ、どうも。またお世話になりますよ」

 

 ラ・ルベール司祭がそんなことを言いながらズカズカと入り込んだのは、アッパータウンの一角にある小さな宝飾店だった。店構えこそ小さいが、並んでいる商品はいかにも高価そうなものばかりだ。ただし、商材の割には内装が簡素だから、どうやら店頭販売はやっていないように見える。貴族専門に商売をしている者は、こう言った業態を取っていることが多い。

 

「お久しぶりです、司祭様。お話は伺っております。さあさあ、こちらへ」

 

 司祭の挨拶を受けた店主は、訳知り顔で我々を歓迎してくれた。話しぶりからみて、どうやら司祭と店主は以前からの顔見知りのようだ。

 

「おう、おう、これはこれは」

 

 店の中を見回しながら、ダライヤが感嘆する。彼女の顔には、皮肉げな笑みが浮かんでいる。

 

「一般人の家ですらどこも略奪を受けておるというのに、なぜこの店は無事なんじゃろうな? 文字通りの金銀財宝を商っておる店じゃ。ワシが食い詰め兵士なら、いの一番にここを狙うと思うがのぉ」

 

「これぞ、極星のご加護のたまものですよ。ここの御主人はたいそう信心深いお方ですからね」

 

 ラ・ルベール司祭から返ってきた答えは、教科書通りの聖職者らしいものだった。しかし、その顔には相変わらず胡散臭い笑みが浮かんでいる。

 

「なるほど、なるほど。有難いことですじゃ。ワシも毎日のお祈りは欠かさぬようにせねば」

 

 そもそも、なぜ王国の聖職者であるはずのラ・ルベール司祭が、敵国のいち商人の信心ぶりを知っているのか。どう考えてもおかしいのだが、ダライヤはもちろんアデライドもそこには突っ込まなかった。今は彼女らだけが命綱なのだ。この状況で、藪をつついて蛇を出すのはよほどの阿呆だけだろう。

 

「さあさあこちらです。お早く」

 

 ロリババアの皮肉をすまし顔で受け流しつつ、司祭は勝手知ったる他人の家という調子で店の奥へと進んでいった。その先にあったのは、小ぢんまりとした裏庭だった。目立つものと言えばちょっとした庭木と石造りの井戸くらいの、つつましやかな空間だ。ただ、母屋以外の三方は背の高い塀で完全にブロックされており、外の景色を見ることはできなくなっていた。おかげで、どうにも閉鎖的な雰囲気が漂っている。

 

「こちらの井戸の中に、脱出用の地下道がございます。出口は郊外の森の中ですから、ここを使えば安全に市外に出ることができるでしょう」

 

 井戸に歩み寄ったラ・ルベール司祭が、にっこりと笑ってそう説明した、アデライドの頬が一瞬引きつった。脱出用の地下道……なんとも剣呑な単語である。なにしろ、このレーヌ市は城塞都市だ。一般市民が市外に繋がる地下道などを掘った日には、一族郎党まとめて死罪に処されるのは間違いない。しかも、当然ながら地面を掘れば土が出る。一般人が当局に秘密でこの廃土を処理するのは困難だろう。つまり、これは……。

 

「去年の夏を思い出すな……」

 

 アデライドの言葉に、僕は無言で頷いた。去年の夏、僕たちは王都での内乱に際し制圧された王城から脱出するため地下道を利用した。これは、万が一城が落ちそうになった時、王族が極秘裏に城から離れるために設けられた緊急用の施設だった。ほぼ間違いなく、ここの地下道も同様の目的で掘られたものだろう。

 なぜ、最高機密であるはずの地下道の存在を、ガレアの聖職者であるラ・ルベール司祭が知っているのか。そしてなぜ、司祭は攻城戦の最中にその情報を王軍に伝えなかったのか……。アデライドはそんな疑問を、視線だけで訴えかけてきた。

 知らないよ、そんなの。そう言いたいところだったが、残念なことに僕はそれを承知している。なにしろ、この情報を取引材料にして、僕はポワンスレ大司教から便宜を引き出したのである。

 

「まあ、その辺はおいおいね」

 

 さすがに、当事者の一人であるラ・ルベール司祭の前で何もかもを説明するわけにはいかない。これは、いわゆる醜聞に近い情報なのである。僕は内心、ため息をついていた。まさか、この僕が脅迫めいたことをせねばならない日が来るとは。正直に言えば、まったく趣味じゃない。ヨゴレちまったもんだね、僕も……。

 いや、いや。今はそんなことを考えている場合ではない。やっとのことで、市外に逃れる術が見つかったのだ。ポワンスレ大司教が裏切らない限り、この地下道の存在がフランセット殿下やマリッタに露見することはまずあり得ない。逆に言えば、大司教が裏切れば僕たちは一転して袋の鼠になってしまうということだ。僕はゆっくりと息を吐き、そして拳を握り締めた。今回の作戦では、ここが一番の博打だ。さあ、虎穴に入って虎児を得ることにしようか……。



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第576話 くっころ男騎士のネタバラシ

 ラ・ルベール司祭に案内された一般宝飾品店の裏庭。そこには、井戸に擬装された秘密の地下道があった。司祭曰く、地下道は市外へとつながっているそうだ。どう考えても、このような施設を一般人が建造・管理するのはまず不可能。つまりこの地下道は、レーヌ市に住まう貴人がいざという時のために用意した秘密の脱出経路なのだ。

 最大級の軍機密であるはずの脱出経路の存在を、なぜガレア王国側の人間であるポワンスレ大司教が知っているのか。あまりの異常事態にさしものアデライドも困惑しきりだったが、その疑問を当のラ・ルベール司祭にぶつけても仕方がない。ひとまず我々は、司祭の勧めに従い井戸の底に降りることにした。

 

「はぁ。去年の引き続き、今年もまたこの手の施設を利用することになるとは。たいがい、私の人生も波瀾万丈だねぇ」

 

 アデライドの漏らした愚痴が、闇で満たされた空間に響いて消える。井戸の底から横穴を掘るという形で建造されたこの地下道は、狭い、暗い、湿っぽいの不快な三拍子が揃っている。幅は大人が両手を広げれば左右の指先が壁に触れる程度であり、なかなか圧迫感があった。それに加えて、光源は各々が手に持った小さなランタンのみ。その光が届かない範囲には、壁と錯覚しそうなほど黒々とした闇が横たわっている。

 そんなダンジョンのような場所を、僕たちは一列になって前に進んでいた。前列と後列にはそれぞれ近侍隊員が立ち、敵の襲撃に備えている。僕たちのポジションは、その間にある安全な中列だ。ちなみに、ラ・ルベール司祭とは地上で別れている。地下道は一本道なので、案内がなくとも迷うことはないでしょう……とのことだった。

 そんなこと言って、有毒な煙幕弾でも投げ込んでくるんじゃないでしょうね? そんな疑問は拭い難かったが、まあ今さら大司教サイドを疑っても仕方がない。僕たちとしては、向こうを信用するほかなかった。

 

「ぬふふ、ワシはこういう経験は両の手の指で数えても足らぬほどあるぞ? 後学の為、あれこれ語って進ぜよう」

 

 こんな時でもダライヤの軽口は止まらない。相変わらずの様子に、僕とアデライドは揃って苦笑した。

 

「隙あらば経験マウント。これだから長命種は嫌われるんだねぇ」

 

「まってくださいよ、アデライド様。長命種とか無関係にこのババアは性格最悪ですよ」

 

「あっひどい! アデライドとジョゼットが寄ってたかって年寄りをいじめるんじゃ。慰めておくれ~」

 

 わざとらしく哀れっぽい声を出しながら抱き着いてくるクソババアに、いよいよ僕は笑いが抑えられなくなった。深刻な状況でも、ダライヤはどこ吹く風といった調子を崩さない。この程度の危機など、彼女の長い人生においてはそれほど珍しいものではないのだろう。正直、こういう人がそばにいてくれるのは本当に助かる。過剰に深刻ぶっても、精神が疲弊するばかりだからな。

 ダライヤの触り心地の良い頭をぽんぽんと撫でつつ、僕は小さく息を吐いた。そして、ランタンの微かな明かりに照らされたアデライドの顔をチラリと見る。付き合いが長いだけあって、これだけで彼女はこちらの意図を察してくれた。

 

「……色ぼけ老人はさておき、そろそろネタばらしをしてもらっても良いかね? どうやら、ポワンスレ大司教には人には言えない秘密がいろいろとあるようだが」

 

「まあ、だいたい予想はつくがのぅ」

 

 アデライドの疑問に答えたのは、僕ではなくロリババアの方だった。彼女は僕の脇腹に頬擦りをしつつ、隠微な目つきでこちらの目をじっと見据える。シリアス顔がしたいならセクハラは止めてもらえませんか。

 

「要するに……裏切り者なんじゃろ? 大司教とやらは」

 

「流石はダライヤ。亀の甲より年の功って感じだ」

 

 その指摘は実に的を射たものだった。僕は頷き、視線を巡らせる。

 

「ガレア王国と神聖オルト帝国は歴史的な敵国同士で、貿易も最低限度しか行われていない。逆に言えば、競争者がいないぶん両国間の交易を仲介すれば濡れ手に粟でぼろ儲けできるというわけだ。ちょうど、今のリースベンのようにね。……ポワンスレは、密輸ネットワークの元締めの一人なんだ」

 

「……確かに、そういう噂は聞いたことがある」

 

 神妙な顔で唸りつつ、アデライドはダライヤを強引に僕から引き離した。

 

「つまりポワンスレは、この街の代官とグルだったんだな?」

 

「そう。王室直轄領の近傍を治める大司教と、神聖帝国でも三指に入る交易都市の代官。この二人が手を組めば、生まれる利益は莫大なものとなる。彼女らはそれぞれの主君に隠れて手を結び、私腹を肥やしていた」

 

「そうするともしや、この地下道も……」

 

「密輸ルートの一つだったんじゃないかな? 詳しい事は知らないけどさ。でも、代官が主君に内緒で密貿易をするなら、正門を通さずに物品をやり取りするルートは欲しいだろうし……」

 

 ポワンスレ氏がレーヌ市遠征軍に参加したのも、おそらく偶然ではあるまい。実際、この街の守将であったレーヌ市代官は、王軍に捕まることなく逃げおおせている。重包囲下におかれた都市から無事に脱出するというのは、今我々が居るような地下道を利用したとしても容易なものではない。その逃亡の裏に、大司教の手助けがあったことは想像に難くなかった。

 

「なるほど、ポワンスレらしい」

 

 そう言って口角を上げたアデライドだったが、すぐに表情を真面目なものに戻して僕をジロリと睨んだ。

 

「しかし、解せないねぇ。なぜアルがそのような情報を知っているんだね? 他人の秘密を探るような趣味も組織も、君は持ち合わせていないはずだが……」

 

「フィオに、フィオレンツァ司教に教えてもらったんだ。いざという時は、この情報を盾にして大司教に手助けしてもらいなさい……ってさ」

 

 我が幼馴染の一人、フィオレンツァ司教はなぜかやたらと他人の醜聞に詳しい。そしてその一部を、僕にも教えてくれていたのだ。『アルベールさんは敵も多いのですから、万一の時に味方になってくれそうな方を教えておきます』……これが、彼女の主張だった。当時は、いやいや、そんな汚い手段使いたくねえよ、という感じだったのだが……まさか、本当に役に立ってしまうとは。有難くもあり、残念でもある。

 

「やはりあの司教殿かぁ……」

 

 驚くほど渋い声でそう言ってから、ダライヤが深々とため息をついた。

 

「……ぶっちゃけ、怪しくないか? あの坊主」

 

「…………」

 

 その指摘に、僕は黙り込むしかなかった。フィオレンツァ司教は幼馴染だ、疑いたくはない。彼女が聖人と称えられるにふさわしい人間であることは、その活動を間近で見てきた僕自身が一番よく承知している……はずだ。にもかかわらず、僕はダライヤの疑念を即座に否定することができなかった。ラ・ルベール司祭が言っていた、フィオレンツァ司教の怪しい噂。あれが僕の心にトゲのように突き刺さっているのだった。

 いやしかし、ロクデナシとわかっている相手がもたらした怪しい噂を真に受けるのもなぁ。それに、今回ポワンスレ大司教の助力が得られたのも、フィオレンツァ司教の心配りのおかげなのだ。その彼女を疑うなど、とんでもない話ではなかろうか……?

 

「ま、ワシは勘で疑っているだけじゃからの。確証があるわけではない」

 

 こちらの思考などすべてお見通し、という表情でダライヤは僕の目を真っすぐに見据えた。

 

「しかしオヌシは既に、"幼馴染だから"で相手の何もかもを過信して良い身の上ではない。そのことは、ゆめゆめ忘れぬことじゃ……」

 

 その言葉に、僕は無言で頷くほかなかった。

 



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第577話 くっころ男騎士と合流

 長い地下道を進むことしばし。懸念していた敵の待ち伏せなどにも遭うことなく、我々は無事地上に出ることに成功した。出口が設けられていたのはレーヌ市郊外に広がる小さな森で、姿を隠すにはもってこいの場所だった。まあ、もともとが緊急時に貴人が脱出するために用意されている脱出路なのだから、目立つ場所に出口を作るはずも無いのだが。

 

「やっと、合流、出来ましたね。安心、しました」

 

 苔むした岩を模したハッチからゾロゾロと現れた僕たちを出迎えたのが、一足先に市外に脱出していたネェルだった。その周りには、荷物を背負った従者たちや馬などの姿もある。彼女らは、事件が起きる前に街の外に待機させておいた者たちだった。非戦闘員やら馬匹やら荷物やらを大量に抱えて強行脱出、というのは困難だからな。先んじてこっそり街の外に逃がしておいたんだよ。

 

「悪い、待たせたな」

 

 そう答えてから、僕はネェルを無遠慮に眺めまわした。彼女は身体のあちこちに包帯を巻いており、なんだか痛々しい様子だ。ネェルはレーヌ城の戦いで敵のライフル兵の斉射を受け、負傷してしまっている。昨日のうちに市外へ出したのは、その傷を治療するためでもあったのだ。本人はかすり傷だと言っていたが、やっぱり心配だからな。無理はさせたくないだろ。

 

「君とアンジェの方は、傷の具合はどうなんだ?」

 

 アンジェというのは、僕の近侍隊の一人だ。彼女は王家の近衛との白兵戦で重傷を負い、戦線離脱を余儀なくされた。そこで、ネェルに頼んで後送してもらっていたのである。

 

「あー、駄目ですね。もう死にそうですわ。処女のまま死ぬのは嫌なんで一発ヤらせてもらっていいッスか」

 

 全身包帯まみれのミイラ女が、わざとらしく弱った声でそう言った。アンジェである。その包帯には血が滲んでおり、何とも痛々しい。……が、声音の張りを見るに普通に元気そうだな。まあ、竜人(ドラゴニュート)は頑丈だからな。手当さえ間に合えば、よほどの大けがでない限り致命傷にはならない。

 

「とどめを刺してやろうかこの野郎」

 

 拳を振り上げながら、ジョゼットが言い返す。自分もたいがいセクハラを仕掛けて来るってのに、よく言うよ。

 

「ネェルも、この程度は、かすり傷、です」

 

 一方、我らがカマキリちゃんはけなげである。鎌を振り上げ、気合十分。かわいいね。とはいえ兵隊の自己申告ほどアテにならないものはないんだよな。あいつらは軽傷を重傷と言い張って前線から逃げようとしたり、あるいは放置すれば命に係わる大怪我なのに全然平気だと言い張って前線にかじりつこうとしたりする。こうした見立ては専門家の客観的な目が必要だ。僕は従者の一団に混ざった軍医に目をやった。ネェルやアンジェの手当をした張本人だ。

 

「まあ、二人とも平気ですよ。なにしろ、体力がありますからね。ネェルさんのほうも、どうやら弾は掠っただけで直撃は受けておりません。傷の見た目はひどいですが、身体が大きい分相対的には軽傷かと」

 

「なるほど、良かった」

 

 やっとのことで安心し、僕はホッとため息をついた。とはいえ、無理はさせられないな。特に、ネェルへの過信は禁物だ。彼女は尋常ではなく強いが、その反面防御力はあまり高くない。戦車のように扱うのはやめておいた方がいいかもしれないな。彼女用の魔装甲冑(エンチャントアーマー)でも用意すれば話は別なんだろうが、甲冑を着ると重くて飛べなくなってしまうかも、と本人が言っていたからなあ……。ううーむ、難しいところだ。

 

「ふう、しかしやっとのことでひと段落だな。まあ、まだ気を抜くには早いだろうがねぇ」

 

 従者や馬を見ながら、アデライドが言う。やっとのことで市外に出られたため、安堵しているようだ。まあ、気分は分かるよ。敵対勢力に制圧された都市の中で、孤立無援の脱出作戦を遂行する……文字通りの四面楚歌の状態だ。まったくもって、神経の磨り減ること甚だしい。とはいえ、彼女自身も言っているようにまだまだ気は抜くには早すぎる。

 

「うん……相手はあのマリッタだからな。あいつはなかなか手強いぞ。むしろ、隠れる場所が少なくなった分、街の外の方が危険かもしれない」

 

 レーヌ市は遥か昔から大都市だった街で、当然ながらその周囲も開発が進んでいる。この森もさして広いものではなく、隣町へ行くためには広大な田園地帯を突破する必要があった。この田園地帯というのが曲者で、人はそこそこ居るわ身を隠す場所は無いわでなかなか隠密行動が難しい。潜伏だけならば、おそらく街中に居た方が容易だっただろう。

 

「実際、なかなか状況は厳しいようですよ。朝のうちに敵情視察に行ってきましたが、どうやらあちらさんは捜索の手を市外にも伸ばしつつあるようです。じき、この森も安全地帯では無くなりそうですな」

 

 アンジェの言葉に、僕は腕組みをしてしばし考えこんだ。マリッタは聡明な指揮官だ、ヌルい手は打たない。市内を探しても僕らが出てこないようであれば、すぐにそちらに見切りをつけて街の外を創作しはじめるだろう。いや、最初から市外に罠を張っておくくらいのことはしてくるかもしれない。

 

「ああ、いやだいやだ。まーた王室派騎士に追い回されねばならないのか。いい加減にしてほしいものだねぇ」

 

 ため息を吐きつつ、アデライドが肩を落とす。

 

「そうすると、今すぐここを発った方が良いのかね? たしか、この森は貴族の狩猟の為だけに残されている小さなものだろう。山狩りなどされた日には、あっという間に敵に居場所がバレてしまいそうだが」

 

「それはそうなんだけども」

 

 アデライドの言葉には一理あるが、今すぐ森を飛び出すというのは賛成できない。僕は首を左右に振り、言葉をつづけた。

 

「昼間は畑で農民たちが働いている。下手に姿をさらしたら、すぐにそれがマリッタらに伝わってしまうと思うんだ。森を出るのは夜まで待ってからの方がいいと思う」

 

 隊商などに擬装できるのなら、昼間に動いても良いんだがな。残念なことに、そこまでの準備はしていない。というかそもそも、ネェルがいる限り隊商やら巡礼者に化けるのはまず無理なんだよな。身体がデカすぎて誤魔化しきれない。

 彼女だけ空路で先行させる、という手も考えたが……それは諸事情から断念せざるを得なかった。彼女はこの辺りの土地勘がないから、下手に飛ばすと迷子になってしまう可能性がある。それに、そもそもカマキリは飛行が得意な生物ではないからな。どうやら、流石に長時間の飛行は苦手らしい。短時間ならともかく、長時間の移動は陸路を使うほかないようだ。

 

「ま、行く先々で目撃者を殺して回るわけにもいかんからのぉ。夜闇に紛れるのが一番安全じゃろうて」

 

 物騒な発言でチャチャを入れてくるダライヤに、アデライドの表情が引きつった。

 

「殺して回るだなんて、またそんなネェルみたいな冗談を……」

 

「ネェル、みたいな、冗談を!?」

 

 ネェルの額についた小さな触覚がビコーンと立った。どうやら、少しばかりショックだったらしい。僕は思わず苦笑してから、表情を改める。

 

「まあ、そういう訳で行動開始は農民らが家に戻り始める時間を待ってからにしよう。それまでは待機するほかない。もちろん、山狩りに備えてある程度の擬装工作は必要だけども」

 

 まったく、昨日もそうだが逃避行が始まってからこっち待機してばかりだな。本当ならば、一分一秒でも早く安全な場所まで戻りたいんだけども。とはいえ、危機的状況だからこそ拙速は避けねばならない。神経の磨り減ること著しいが、まあ仕方ないだろう。

 

「まあ、ひとまずみんな着替えと行こうか。こんな服じゃ、森の中では目立ってしまう」

 

 自分の服の襟を引っ張りながら、僕はそう言った。今、僕たちが着ているのはラ・ルベール司祭から提供された巡礼者向けのローブだ。こいつは白っぽい色合いな上に袖も裾もゆったりしているので、森の中をうろつく服装としてはまったく不適格だ。山狩りに備えるという面でも、もう少し目立たない恰好に衣替えしておいた方が良いだろう。

 

「着替え……」

 

 アデライドがボソリとそう言って、僕の身体をジロジロと見てくる。いや、彼女だけではない。ダライヤやジョゼットまでもがこちらをまじまじと見てくるものだから、さしもの僕もいささか怯んだ。おい、こんな時にへんなスケベ心を出すんじゃないよ。



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第578話 くっころ男騎士とかくれんぼ(1)

 太陽が中天に届くころ、我々の潜伏する森に兵隊の一団がやってきた。人数は百人超で、みな短槍や剣を携えている。まさか遠足やピクニックにやって来た訳でもないだろうから、彼女らの目的が我々の捜索にあることは間違いないだろう。予想されていたこととはいえ、行動が早い。おそらくはマリッタの差し金だろう。

 

「迎撃、しますか?」

 

 敵部隊接近中との報告を聞いたネェルが、開口一番にそんなことを言う。実際、雑兵一個中隊ていどの相手であれば、彼女が居ればまったく恐ろしくない。遮蔽物の多い森林環境ということもあり、殲滅は容易いものと思われた。

 

「まあ、待ちなさい。おそらく、敵の後ろには更なる予備隊が控えている。勝てそうだからと戦いを挑めば、あとからあとから新手が出てきて収拾がつかなくなるかもしれない」

 

 マリッタのやり口は良く知っている。彼女は指揮官としてはごく手堅いタイプの人間だ。そんな彼女が、山狩り部隊を一つ寄越してハイお終い、などという粗末な作戦を立てるはずがない。むしろ今接近中の兵隊どもはあくまで陽動であり、本命は後方でこちらの出方を探っているものと思われた。

 

「ここはなんとかバレずにやり過ごすのが最適解だな。幸い、敵の数はそれほど多くない。人海戦術でしらみつぶしに探索、というわけにはいかないだろう。……ダライヤ、どうだ? 連中の目は誤魔化せると思うか」

 

「誰にモノを言っておるのじゃ。ワシはエルフ、すなわち森の種族じゃぞ? 生まれてから百年も生きておらん若造(にせ)どもを欺くなど、赤子の手をひねる様な物じゃよ」

 

 腹の立つ笑みを浮かべながら、ロリババアは手をひらひらと振った。

 

「クソババアはそれでよいだろうが、近侍隊はエルフではないのだがね? なんとかなるだろうか」

 

 少しばかり不安そうな様子で、アデライドがジョゼットの方を見た。彼女らはわざと土で汚した甲冑の上から濃緑色の擬装布を羽織り、すっかり臨戦態勢を整えていた。もちろん、僕も同様の格好をしている。

 

「なぁに、森林戦のやり方はフェザリア様にしっかり習ってますんでね。エルフの真似事くらいならできますよ」

 

 胸をドンと叩き、自信ありげな表情を見せるジョゼット。実際、それは過信でもなんでもない。エルフ内戦において森林戦訓練の徹底を痛感した僕は、エルフらに教官役を頼み部下らをイチから叩きなおしてもらっていた。まあ、リースベンのような南方の森とこのレーヌ市周辺の森では植生も勝手もずいぶんと違うが、ノウハウに関しては流用できる。それに、土地勘が無いのは向こうも同じことなのだ。

 

「要するに、敵を森の中心に誘い込んで四方八方から火を放てば良いんでしょう?」

 

「コラコラコラ、おい、隠密だって言ってるだろうが。エルフらからいろいろ学んで来いとはいったが、放火癖まで真似することはないだろうが」

 

「……勘違いしてほしくないのじゃが、なんでもかんでも火計で解決しようとするのは正統エルフェニアとフェザリアの方針じゃからな? 種族が同じだからといって、ワシら新エルフェニアまで一緒にするでないぞ?」

 

 珍しくまじめなトーンでロリババアが注意したが、それを聞いたみなは微妙な顔で笑うばかりであった。確かに彼女の言うように新エルフェニア出身の兵は放火をしないのだが、正直に言って外部からみれば新も正統も区別がつかないし、その上結局のところ極端に野蛮であるという点では大差ない……。

 

「まあ、それはさておきだ。敵はすぐそこまで迫っているんだから、チンタラ遊んでいる暇はないぞ。さっさと身を隠そう」

 

 一瞬緩んだ空気をかき消すように、僕は真面目くさった声でそう言った。適度なユーモアは気分をほぐしてくれるが、いつまでもその雰囲気を引きずるわけにはいかない。近侍隊の連中は揃って表情を改め、目立たない程度の声で「ウーラァ!」と唱和した。

 こうして僕たちの命を賭けたかくれんぼが始まったわけだが、それは案の定なかなか過酷なものになった。なにしろ、こちらにはネェルがいる。彼女の巨体は正面戦闘では大変に頼りになるが、半面こうした隠密任務ではいささか厳しいものがある。結局、僕は戦車に擬装を施すのと同じやり方で彼女の存在を隠すことにした。穴を掘り、上から落ち葉や土などをかぶせておくのだ。

 

「なんか、こう、埋葬されてるみたいで、気分、悪いの、ですが。ですがですが」

 

 そんな扱いを受けたネェルは当然ながら唇を尖らせ大ブーイングだったが、他にやり方が無いのだから仕方ない。僕も同じ壕に入ることを条件に、なんとか納得してもらった。

 

「ほいじゃあ、土をかけますんでね。いきますよ~」

 

 突貫工事で掘った大穴に、ネェルの胸に抱かれた状態で収まる。もちろん彼女の全身が収まるような深さの穴を掘るには時間が足りなかったが、まあ半身が入る程度で十分だ。イメージとしては、それこそ戦車を隠すための壕に近い。

 地中に収まらない部分に関しては、擬装布や盛り土、そのあたりで調達してきた枝葉で擬装を施すことで強引に解決する。見通しの良い野原などでは流石に通用しないやり方だが、視界の利かない藪の中ならば十分に効果的な偽装だった。

 とはいえ、ネェルの言うように生きたまま地中に埋められるのは確かに気分が良くなかった。なるほど、土葬される気分とはこういうものか。いや、もちろん生き埋めではない(全身を土で埋めたりすれば流石のネェルも呼吸ができなくなるし)のだが……そんなことを考えている僕に、ネェルはぎゅっと抱きしめながら、耳元でボソリと囁いた。

 

「同じ、お墓に、入っていると、思うと、案外、悪くは、ないですね」

 

 その言い草に、思わず僕は苦笑する。なるほど、そういう視点はなかった。

 

「ネェルと同じ墓に入るのは確かに素敵だが、死ぬのならきちんと仕事を果たした後で倒れたいところなんだがなぁ」

 

 この状況で死ぬのは、流石に無責任が過ぎる。せめて、王室とのイザコザをなんとかしてからでないと、とてもじゃないが死にきれない。こんな拗れた状況で僕が抜けたら、残された人たちがどれほど迷惑をするのやら……

 ……いや、案外なんとかなるか? 戦略、戦術はソニアが居れば何とでもなる。政略に関しては、僕よりもアデライドやロリババアの方が優秀だろう。問題は象徴面だが、生者よりも死者のほうが象徴としては扱いやすかろう。少なくとも、対王室戦が終わるまでは、僕の弔い合戦ということで宰相陣営は結束できるのではなかろうか?

 

「……何か、物騒なことを、考えて、いませんか?」

 

「いや、別に」

 

 さすが、ネェルは察しが良い。僕は苦笑しながら首を左右に振った。そうしている間にも、擬装はどんどんと進んでいく。枝や葉っぱ、石などで盛り土を飾り立て、周囲の景色から浮かないように色合いを調整。さらに、掘削作業で踏み荒らされた周囲の藪を整え、人の手が入っていないかのように見せかける。

 ジョゼットらの手際はなんとも素晴らしいものだった。エルフからの研修を受けているだけあって、彼女らはもうすっかり超一流の斥候としての技能を身に着けているようだ。

 

「さて、大人のかくれんぼと行こうか」

 

 作業を終え、三々五々に散っていく近侍隊を枝葉の隙間から見送りつつ僕はそう呟いた。当たり前だが、大勢が一か所に固まっていると敵に居場所が露見する可能性が高くなる。真面目に姿を隠したいのならば、人員はまばらに配置するほかない。しかしそれは、戦力が分散するのと同義でもあった。偽装が見破られ、戦闘が発生すれば不利な状況になるのは免れない。軽口とは裏腹に、僕の額には冷や汗が浮かんでいた……。



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第579話 くっころ男騎士とかくれんぼ(2)

 夜の森を、微かな月光が照らしている。王軍の山狩り部隊と我々の間で発生したかくれんぼは、我々の勝利に終わったのである。王軍は必死に我々を探し回ったが、結局擬装を見破ることができなかった。彼女らに土地勘がなく、おまけにこの森の植生にも詳しくなかったからだ。これが現地人で編成されていたスカウト部隊であれば、こうも上手くいくことはなかっただろう。僕は内心、安堵のため息をついた。

 

「敵兵が節穴のごとき目の持ち主ばかりで助かったのぉ」

 

 ネェルの身体に巻き付いた擬装布を外してやりつつ、ロリババアがニヤニヤと笑う。すっかり日が暮れた今もまだ山狩りは続いているが、僕としては明日の朝までこの不毛なかくれんぼを続けるつもりはない。むしろ、これ以上の敵増援が現れる前に、夜闇に紛れて包囲網から脱出するべきだ。僕は事前に、真夜中一歩手前の時刻を見計らって擬装を解除しいったん集結するように部下たちに伝えていた。

 

「ま、甲冑も小銃も持たされていないような雑兵どもですからね。ましてやここは彼女らにとっても異郷の地、本気で隠れた我々を見つけ出すのは困難でしょう」

 

 小声でそんなことを言うのはジョゼットだ。よくよく見れば、その顔には黒や茶色の絵具が塗りたくられひどい怪物めいた外見になっている。自然空間では人間の肌の色は良く目立つものだ。本気で隠れようと思えば、こうした偽装は不可欠だった。

 

「……まあ、オヌシの言うことにも一理あるがのぅ。しかし、少しばかりはワシの頑張りにも目を向けてほしいものじゃ」

 

 そう語るロリババアはちょっと拗ねた様子だった。確かに、今回の作戦におけるダライヤの貢献は目を見張るものがあった。僕やジョゼットらが地形を生かして身を潜めていた一方、彼女一人が遊撃班として森の中を歩き回っていたのである。

 その目的は、山狩り隊を誘導することにあった。ダライヤは敵兵をストーキングし、その連中が味方が隠れている場所に近づこうとするとわざと足音を立てたり動物の鳴きまねをしたりして、その目を逸らしてくれていたのだ。にわか仕込みの我々と違い、ダライヤは千年もの期間を森で過ごした化け物級の斥候だ。雑兵集団を思うがまま誘導するなど、赤子の手をひねるよりも容易なことだった。

 

「君には本当に感謝している、ありがとうね」

 

 僕はロリババアの尖り耳に口を近づけ、そう囁いた。実際、彼女が居なければ危なかったのは確かだ。敵の一団が僕とネェルが潜む藪に近づいてきた時なんか、かなり危なかったしな。一時は先制攻撃すら検討し、サーベルの柄に手をかけもした。剣を抜かずに済んだのは、ダライヤが敵兵の後ろでわざと足音を立ててくれたおかげだ。あの援護がなければ、本当に駄目だったかもしれない。

 

「むっふふふ、言葉だけでは足りんのぅ。そういうことは、きちんと態度で示してもらわねば……」

 

 しかし、相手はあのエロババアである。当然ながら、一筋縄ではあいかない。彼女はイヤらしい笑い声を上げつつ、僕の尻を揉み始めた。それを見ていたアデライドが、半目になりながらダライヤの頭をシバく。

 

「それは私の尻だ、勝手に触るんじゃない」

 

 それだけならいいのだが、今度はアデライドの方が尻を揉みだしたのだからたまらない。アホ言ってんじゃないよ、僕の尻は僕のものだぞ。

 

「阿呆なことやってないで、さっさと動こう。チンタラしてたら夜明けがきちゃうよ」

 

 そう言って、僕はアデライドの手から強引に逃れた。そもそも、敵だってまだ撤収してくれたわけではないのだ。いまだに森の中では、松明を掲げた王国兵がウロチョロしている。昼よりは安全とは言え、声や物音を聞かれれば少しばかり厄介なことになるだろう。

 

「……森のはずれに馬を集めておりますんでね。そいつでさっさとズラがりましょう」

 

 ジョゼットもため息交じりに僕に追従してきた。敵の包囲網から逃れるためには、夜のうちに出来るだけ長い距離を踏破する必要がある。敵に見つかるリスクを冒してまで馬を連れてきたのもそのためだ。

 

「すいません、少し、良いですか」

 

 そこで、ネェルが僕の肩を優しくちょんちょんと叩いた。そちらに目をやると、彼女は目を細めながらこちらに顔を寄せてくる。

 

「どうしたの?」

 

「ネェルは、あまり、夜目が、利きません。先導を、お願いします」

 

「ああ、そりゃもちろん」

 

 カマキリ虫人はあまり夜目が効かないのである。そもそもカマキリは昼行性の生き物なのだから、こればかりは仕方がない。僕は頷き、彼女の鎌の先端をそっと握った。ネェルは身体が大きいから、誘導の際にもかなり気を使わなくてはならない。木の枝にでもひっかかりでもすれば、間違いなく大きな音がして敵の気を引くことになるだろう。

 それで戦闘に発展したら最悪だ。視界が効かない以上、いかなネェルといえどレーヌ城の戦いで見せたような芸当……ライフル兵による一斉射撃を正面からはじき返すような真似はとてもできない。死角から狙撃を受ければ、対応はまず不可能だろう。できれば終始隠密で行動できれば一番なのだが……。

 

「ごめんなさい。夜戦では、ネェルは、ちょっと、足手まとい、かもです」

 

「これで夜にまで強かったら、ワシらの出る幕がないじゃろう」

 

 ダライヤの言葉に、近侍隊の連中が一斉に頷いた。僕は思わず苦笑してから、ネェルの鎌を引っ張った。

 

「様々な兵科を組み合わせることで、各々の有利不利を補い合うのが諸兵科編成(コンバインド・アームズ)というものだ。得手不得手について気に病む必要はないさ」

 

「……」

 

 自分では気の利いた言葉のつもりだったが、笑ってくれたのはネェルだけだった。アデライドとロリババアは、『こいつはまた……』みたいな顔をしてため息をついている。なんだよ、おい。言いたいことがあるなら言えよ。

 

「……こほん。さて、それはさておきだ。そろそろ出発しようじゃないか」

 

 少しばかり頬が熱くなるのを感じつつも、僕は気を取り直してそう指示する。こうして、夜の森の行軍が始まった。夏の森は夜になっても騒がしい。虫や夜行性の鳥の声を隠れ蓑にしつつ、我々は慎重にと前に進んでいく。光源と言えば空から降り注ぐ月と星の光くらいで、動きづらい事この上なかった。

 慣れた場所であっても、夜間行軍は危険だ。ましてやここは初見の森。迷子にならない方がどうかしている環境だろう。頼りになるのは昼間のうちに作っておいた詰み石の目印だけだが、なにしろ地味な代物なのであっというまに見失ってしまいそうになる。

 

「……」

 

 目を皿のようにしながら進んでいると、木々の間で鬼火めいた光が揺れているのが見えた。即座にハンドサインで停止を命じ、様子を窺う

 

「隊長め、夜回りしろしろってうるせぇんだよ……あー、眠い」

 

「あれだけ厳重な警備が敷かれた街の中からこっそり脱出できるわけねぇよな。はぁ、なにが悲しくてこんな遠方まで来て朝から晩まで森の中をウロウロしなきゃいけないんだ」

 

 光の正体は、鬼火よりも恐ろしい物だった。王国兵の掲げる松明だ。数は二十名ほど、つまりこちらと同じである。相手は雑兵だから戦えば勝てるだろうが、増援を呼ばれると大変に厄介なことになる。ここは潜伏一択だ。いっそ幽霊のほうがマシだ、などと思いながら、息を潜めてやりすごす。

 

「異常ねえや。さっさと戻って寝ようぜ」

 

 光が森の奥に消えると、僕は肩から力を抜いた。やる気のない連中で助かったよ。

 

「どうやら連中、昼間からずっと私らを探し回っているようですね。後詰の部隊はいないのでしょうか?」

 

 こそこそ声でジョゼットが言う。実際、王国兵の声は疲れ果てたものだった。あれでは、捜索がおざなりになっても仕方がない。本来なら、そうならないようローテーションを組み適宜交代しつつ作戦を進めるはずなのだが……。

 

「むこうも人手不足なんじゃろうな。兵士ども自体は大勢いるにしろ、レーヌ市の周辺はまだ王軍にとっては敵地のようなもの。全兵力を一度にワシらの捜索に当てることは出来んじゃろうて」

 

「過信はできないが、その可能性は高そうだ」

 

 ロリババアの推論に、僕も同意する。この様子ならば、敵の予備戦力はそれほど多くないのかもしれないな。上手くやれば、一戦もせずに包囲網を脱することだって可能ではないだろうか?

 …………いかん、良くない方向に思考が流れているな。兵隊は楽観的な方が良いが、将校は悲観的なくらいがちょうどいい。根拠のない希望的観測に縋り始めたらお終いだ。僕は無言で、自らの頬をつねった。相手はソニアの妹だぞ。まったくもって油断できん。常に最悪の状況を考えておかねば……。

 

 



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第580話 くっころ男騎士の賭け

 この森は、それほど広くはない。昼間であれば、一時間足らずで端から端まで横断することができるだろう。しかしいまは夜半であり、さらには一個中隊に相当するであろう数の敵兵が我々を探して森の中をさ迷っている。そんな状況で迅速に行動するのは不可能に近く、目的地である森のはずれに到着するまでには二時間以上の時間を擁してしまった。

 

「アル様! ああ、よかった……ご無事でしたか」

 

 胸をなでおろしながら僕たちを出迎えたのは、先行させていた近侍隊の騎士だった。どうやら、予定時間をすぎても到着しない我々を、随分と心配してくれていたらしい。予定では三十分前には着いていたハズなのだ。そりゃあ、彼女もなかなかヤキモキしたことだろう。

 そんな騎士の周囲には、馬の世話をする従者たちの姿がある。昼間のうちに森のあちこちへ分散して隠していたものを、この騎士が再集結させたのだ。これほどの規模の山狩りから二十頭余りの馬を隠しおおすのは尋常なことではなかったが、追手は間違いなく騎馬で来るからな。こちらも馬を使わないことには絶対に振り切ることなどできないだろう。最初から、徒歩という選択肢はない。

 

「すまない、心配をかけた。敵の哨戒がなかなかまめ(・・)でな、隠れるのに随分と苦労したよ」

 

 あの後、僕たちは敵の小集団に五回も遭遇した。末端の兵隊はやる気も練度も無いようだったが、上層部のほうはそれなりに真剣に山狩りをやっているらしい。おかげで、予定が随分とずれこんでしまった。

 

「すいません、ネェルの、図体が、大きい、ばかりに」

 

 鎌の先端で頭を搔きながらネェルが恐縮する。実際、我々だけならば包囲網からの脱出はもう少し容易だっただろうというのは確かだ。今日の天気は快晴で、月や星の光はなかなかに強い。そんな中でサイやゾウなみの体格を持つネェルをこっそりと移動させるのは……正直、なかなかに大変だった。

 とはいえもちろん、それをネェルが謝る必要など全くないわけだが。都合のいい時だけ彼女の戦闘力をアテにして、ネェルが不得手とする状況になったとたんに邪魔者扱いというのは得手勝手が過ぎるだろ。そもそも、ネェルを作戦に参加させたこと事態が僕の采配であるわけだしな。

 

「謝るな謝るな、ここで君が頭を下げたら僕の器量が疑われる」

 

 苦笑しながら彼女の脚をペシペシと叩き、僕は視線を馬の方へと向けた。

 

「それよりも、馬の方の準備はできているんだろうな? 夜が明けないうちにできるだけ距離を稼いでおきたい」

 

「はい、もちろん」

 

 従者隊のリーダーが、緊張した面持ちで答える。

 

「ですが、所詮は間に合わせの馬です。皆様がいつも乗っていらっしゃるような、立派な軍馬とは違います。同じ調子で走らせると、あっという間に潰れてしまうやも」

 

 彼女の言う通り、この場に居る馬たちは皆ずいぶんと貧相な体格をしている。騎士が騎乗するような立派な軍馬と比べれば、体力も走力も雲泥の差だろう。従者の心配も当然のことだった。

 むろん、好き好んであえて貧相な馬を用意したわけではない。なにしろレーヌ市はほんのこの間まで戦争をやっていた地域だから、立派な体格の馬はほとんど徴用されたり買い占められたりしている。金に糸目を付けずに探し回っても、満足の行く軍馬を入手することはかなわなかったのだ。

 

「ああ、もちろん注意する」

 

 僕は従者頭に頷き返してから、後ろを振り返った。普段と違う馬に乗るデメリットは他にもある。一応、その辺りについても注意しておいた方がいいだろう。

 

「みんな。わかっているだろうが、今回用いる馬は銃声に慣らす訓練をしていない。敵に追いかけられても、発砲は出来るだけ避けるんだ。最悪の場合、自分や周囲の乗騎がパニックを起こして振り落とされてしまう可能性すらある」

 

「ああ、そういやそうッスね……」

 

 言われてみれば、という調子でジョゼットが顔を引きつらせた。本来、馬は臆病な動物だ。耳元で銃なんて撃った日には、パニックを起こして暴れまわってしまう。リースベンで使っているような軍馬は普段から銃声に慣らしておくことでそのような事態を防いでいるが、こいつらは急場で用意した普通の乗用馬だ。銃声への耐性など無きに等しいだろう。

 

「発砲禁止だなんて……大丈夫なのか?」

 

 難しい表情でアデライドが聞く。その顔色が青白く見えるのは、なにも月の冷たい光ばかりが理由ではないだろう。鉄砲と言えば我々の強さの源泉と言って差し支えのない兵器だ。それを縛られた状態で敵とやり合うのは、確かにかなりの困難を伴うだろう。

 

「……なに、大丈夫だ。そもそも、この作戦は隠密前提だからな。上手くいけば、そもそも敵に遭遇することなく王軍の勢力圏から抜け出すことができるはずだ」

 

 笑顔でそう返す僕だったが、もちろん内心はそれほど楽観的ではない。いや、山狩り部隊どものダラけぶりをみて、一瞬気が緩んじゃったのは確かだけどね。でも、現場と上層部の間に意識の差があるなんて珍しい事ではないからな。安易な希望的観測に縋るのはよろしくない。実はこの山狩り自体が罠で、マリッタの騎兵隊が我々の脱出ルートに先回りして今か今かと待ち構えている……そんな事態すらありうるのだ。気を抜くことなんてできないだろ。

 もちろん、そういう事態に備えての策も考えてあるがね。まあ、はっきり言って窮余の策といっていいような代物だがね。できれば使いたくないが、全滅するよりは遥かにマシだからなあ。いざという時には四の五の言ってられないし、言わせる気もないし……。

 

「なぁに、鉄砲は使えずとも魔法は使える故な。リースベンのエルフでも一、二を争うほどの魔法使いが着いておるんじゃ。安心せい」

 

 ロリババアが無い胸を張りながらそんなことを言う。それでやっとアデライドの表情が緩み、肩から力が抜けた。実際、ロリババアの魔法使いとしての腕前は、王軍の精鋭魔法使いと比べてすら隔絶したものがあるからな。よほどのことがない限りは、彼女に任せておけば大丈夫だろう。

 

「確かにそうだな。いや、すまない。少しばかり心配性が過ぎたかもしれないねぇ」

 

 不安を振り払うようにして頭を左右にブンブンと振ってからm口元にいつもの笑みを張り付けるアデライド。そして殊更に明るい声で、「さて、問答はこれくらいにして、いい加減この陰気な森からはオサラバと行こうじゃないか。私の馬はどれだね?」と言葉をつづけた。

 

「ああ、それは……」

 

 すぐに従者が答えようとしたが、それよりも早く僕はネェルの鎌をきゅっと引く。

 

「ああ、アデライドはネェルに乗せてもらってくれ。騎馬よりも、こちらの方がよほど安全だろうから」

 

 なにしろ、アデライドの乗馬の腕ははっきり言って三流の部類だ(文官なんだから当たり前だが)。本職の騎馬隊に追い立てられたら絶対に助からないだろう。それを避けるためには、ネェルの背中に乗せてもらうのが一番手っ取り早い。彼女なら徒歩で騎馬に追従できるし、最悪の場合は飛んで逃げることすら可能だ。まあ、夜目の利かない彼女に夜間飛行を強いるのはよほどのことがないかぎりやめておいた方がいいだろうがね。

 

「むぅ、そこまで過保護にしてもらわなくとも良いのだがねぇ。私だって、自分の身くらいは自分で……」

 

「はいはい、失礼しますよ~。お話なら、ネェルが、道すがら、いくらでも、聞いて、上げますので」

 

「ぎゃあ」

 

 ブツブツ言っていたアデライドだったが、ネェルは問答無用で彼女を捕獲し強引に自らの背中に乗せてしまった。そして、こちらに向けてウィンクをしてくる。本当に可愛い奴だなあ、君は。僕は彼女に笑顔を返し、そして手近な馬へと跨った。さて、さて。ここからが最後の難関だ。マリッタは我々の動きをどこまで読んでいるのだろうか? 我々がまだ市内にとどまっていると踏んで街の中を探し回っているのか、あるいは僕の策を読み切って先回りしているのか……それが問題だ。



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第581話 くっころ男騎士の敗北(1)

 夜の農道を、馬に乗って駆けていく。北国だけに、真夏と言えど夜の風は涼しく爽やかだ。左右に広がる麦畑は既に刈り取りが終わっており、麦の代わりに青々とした雑草が茂りつつある。そんな農地が地平線の向こうまで続いてくその景色は、緑の大洋と呼ぶにふさわしい壮大さだ。

 

「これが単なる夜の遠乗りなら、これほど気持ちのいいシチュエーションもないんだがな。残念だよ」

 

 馬の手綱を握りつつ、僕は小さくボヤいた。森を発って、すでに三十分ほどの時間が経過している。今のところ、敵が現れるそぶりはなかった。むろん警戒は緩めていないが、ここまでくると流石に景色を楽しむ余裕も出てくるというものだ。

 ちなみに、急ぎ旅とはいっても馬の歩行速度はそれほど早くはない。せいぜい、小走りといったところだ。本当であればもっと急ぎたいところなのだが、馬だって生物だからな。急かせば急かすほどあっという間にバテてしまう。全力疾走なんかさせた日には一キロも持たずに潰れちゃうんだよ。まして、我々が乗っているのは本式の軍馬ではなく普通の乗用馬だ。体力配分には細心の注意が必要だった。

 流石に、こういう時ばかりは前世に戻りたくなるよな。自動車であれば、何時間アクセルを踏み続けても燃料が続く限りは走り続けられるというのに。機械化バンザイって感じだ。こっちの世界じゃ、まだ蒸気機関車すら実用化できてないからなあ……。

 

「実際は追手から逃れるための逃避行じゃからのぅ。風情がないこと甚だしいワイ」

 

 そう答えるのは僕の背中に抱き着いたロリババアだった。彼女は馬術を修めていないため、僕の馬に同乗しているのである。……もっとも、馬に乗れない云々は自己申告だ。四桁年も生きているババアが、乗馬技能を持っていないなどということがあり得るのだろうか? 正直、怪しいよな。まあ、ババアとの二人乗りは僕としても大歓迎なので、あえて追及はしないけどさ。

 

「いや、ある意味絵にはなるかもしれんのぅ? 美しい男騎士が、色に狂った愚かな王太子の手から逃れるべく手勢を率いて夜に駆ける……うむ、まるで一枚の絵画のようじゃのぅ」

 

 そう言ってロリババアがケラケラと笑う。美しい男騎士って、僕のことか? 流石にそいつは美化しすぎじゃないかねぇ。絵ならそれでいいんだろうが、現実の僕はこの世界の男性としてはデカい、ゴツい、野蛮の三重苦状態だぜ?

 

「相変わらず肝が太いねえ、君たちは」

 

 アデライドが呆れた目つきでこちらを見てくる。そんな彼女は、四本脚をシャカシャカと動かして騎馬隊に追従しているネェルの背中にしがみついていた。こちらは……なんというか、絵画にはしにくい絵面だな。正直、あんまり格好良くない。というか、いっそ滑稽にすら見える。もちろん、本人には言わないが。

 

「いつ敵の追手が現れるともわからない状況だ。私としては、どうにも落ち着かない」

 

「気分はわかるよ」

 

 苦笑しつつ、僕はそう返した。周囲は地平線の向こう側まで農地が続いているから、敵が接近すればすぐに気付くことができるだろう。だが、相手が騎兵隊ならばそんなことは気休めにもならないというのが正直なところだ。乗騎の差のせいでチェイスになれば勝ち目はないし、鉄砲で弾幕を張るような戦い方もできない。下手に発砲すれば乗っている馬がパニックを起こして暴れだしかねないからだ。

 要するに、敵騎兵に遭遇すればその時点で何もかもお終い、ということになる。心配するな、という方が無理だよな。実際、僕自身も内心ではだいぶ焦れている。とはいえ、指揮官が動揺を表に出すわけにはいかんからな。表向きだけでも、泰然自若とした態度を取り続けねばならない。

 

「まあ、大丈夫。最悪の事態に備えた手は用意してあるから、安心してほしい」

 

「……こういう状況でも平気な顔でそんなことが言えるのが、アルのアルたるゆえんだなあ。まったく、女の私の立つ瀬がないじゃないか」

 

 自嘲交じりの苦笑をしてから、アデライドは首を左右に振った。

 

「しかし、最悪の事態か……それはたとえば、マリッタ本人が自前の騎兵隊を率いて猛追してくるとか、そういう状況も想定しているということかね?」

 

「もちろん」

 

「流石、というほかないな。良ければ、今のうちに作戦の概要を話しておいてもらって良いかね? 君の作戦は突飛なものばかりだからねぇ……心の準備が必要なのだよ」

 

「んー」

 

 僕は少し思案してから、視線をネェルのほうに移した。彼女は四本の脚をシャカシャカと動かしながらこちらの動きに追従してきているが、その目は疑いの色を浮かべてこちらに向けられている。ああー、どうしようかな、コレ。ネェルは頭も察しも良いからなあ、こっちの考えが全部バレてるのなら、誤魔化しても無駄だろうが。ううーむ。

 

「アル様! 後方より騎兵集団が接近中!」

 

 などと思案していた時だった。警戒役の騎士が、鋭い声でそう警告を発した。それを聞いた僕の背中に寒気が走り、次いでため息が漏れた。この状況で、後ろからやってきた騎兵どもが味方であるはずがない。つまり、敵の追手。僕は賭けに負けたという事か。口をへの字に曲げつつ、僕は後ろを振り返る。

 

「わあ」

 

 子供のような声が漏れた。そこに居たのは、土煙を上げながら爆走する大勢の騎兵集団。数えてみると……いや、数えるのもアホらしい数だからやーめた。とにかく沢山だ。少なくともこっちの三倍はいる。ワンチャンすら狙えない戦力差だな。耳をすませば、地響きのごとき蹄の音も聞こえてくる。正直、滅茶苦茶コワイ。

 相手方は地平線の間近にいるから、彼我の距離は五キロ弱といったところか。遠距離かつ夜間ということで、流石にどこの誰が追いかけて来たのかまでは判別できないが……どうにも嫌な予感がする。もしかしたら、本当にマリッタが追いかけてきたのかもしれない。たとえそれが勘違いで、敵の兵科が軽騎兵の類でも結局のところ結果は変わらないだろう。どうせ、こちらは最大の武器であるライフルが使用不能になっているわけだし。

 

「総員、駈歩(かけあし)! 急げ急げ、連中に捕まったら終わりだぞ!」

 

 指示をしつつ、僕も自身の馬に拍車をかける。相手がマリッタの重装騎兵隊であれ、普通の軽騎兵隊であれ、あの数の敵と乱戦になればこちらに勝ち目はない。取れる手段は逃げの一手だけだ。いやあ、参った。マリッタめ、僕の作戦を読んでやがったな。そうでもなきゃ、夜間にこうも素早く追撃部隊を差し向けられる道理がない。やるじゃないか、流石はソニアの妹だ……!

 こりゃもう、完敗を認めるほか無さそうだな。まあ、一個小隊の戦力で遠征軍一つを敵に回していたわけだから、最初から無茶な戦いだったのは確かだが。とはいえ希望が見えていただけに、いささか悔しいのは事実だろ。はあ、ヤンナルネ。

 ま、今さら四の五の言ってても仕方ない。僕は自らの頬を全力でビンタし、気合を入れた。まだ作戦が失敗したわけではないのだ。やるべきことを果たせば、敗北は避けられる。次善の策ってやつだ。

 

「アル様、どうします? 戦闘は論外ですが、追いかけっこでもこちらは不利ですよ」

 

 ジョゼットが馬を寄せてきて、そんなことを聞いてくる。実際、スピードを上げたというのに敵との距離はまったく開いていない。いや、それどころかジリジリと縮まりつつあった。相手の方がスピードが速いのだ。

 これはもちろん乗騎の差もあるが、一番の問題は重量だ。二人乗りをしているのは僕だけではない。近侍隊員のほとんどが、乗騎に従者を同乗させているのだ。一人ひとりに馬を配分するほどの余裕がなかったのだから仕方がないが、一人乗りと二人乗りではスピードに露骨な差が出るのは当然のことだろう。このままでは、じきに敵の肉薄を許すことになるだろう。

 

「大丈夫だ。ここからしばらく道なりに進めば、右手に小さな森が見えてくる。いったんそこに逃げ込んで、敵を撒けばいい」

 

「森、ですか……ちなみに、具体的な距離はいかほどで?」

 

「十キロくらいかな。いや、もうちょっと遠いかも」

 

「……」

 

 どう考えてもそんなに逃げ延びるのは無理だろ! そう言いたげな様子で、ジョゼットは僕を睨んだ。うん、その通りだね。まちがいなく、十キロも進む前に敵に捕まっちゃうだろうね。うん、わかってるわかってる。

 

「総員、傾注!」

 

 そんな近侍隊長を無視して、僕はそう叫んだ。アデライドに語ったように、こういう事態に備えた策は用意してあるんだ。最悪の想定が現実になった以上、もはや躊躇はしていられない。内心で決意を固めるのとほぼ同時に、背中側のダライヤが聞えよがしにため息をついた。

 

「これより、近侍隊およびネェルの第一目標をアデライドを無事にリースベンへと送り届けることに定める。それ以外のことに命を賭けるのはまかりならん、いいな!」

 

「う、ウーラァ!」

 

 応える近侍隊の声には、隠しきれない困惑が混じっていた。薄く笑い、ネェルの方を見る。彼女の顔には苦々しいものがあった。

 

「アルベールくん、まさか」

 

 おっと、言わんよ。僕はフイと彼女から視線を逸らした。ネェルは優しい子だからな。下手をすると、自分が"捨てがまり"をして時間を稼ぐとか言い出しかねない。それじゃ困るんだよな。彼女はリースベン軍の重要な戦力だし、僕の大切な友達でもある。そしてついでに言えばおそらくカマキリ虫人はネェルが最後の一人で、彼女が死ねば名実ともに絶滅ということになりかねない。つまり、何が何でも彼女を死なせるわけにはいかない。

 敵がマリッタならば間違いなくライフルで武装している。夜目の利かないネェルを突っ込ませるのはハッキリいって無謀だろう。こういう事態を予測していたからこそ、僕は彼女の背中にアデライドという重石を乗せたんだ。彼女の命を背負っていれば、あの勇敢なカマキリちゃんも無茶な真似はできまい。

 

「これより僕とダライヤは敵騎兵隊の遅滞作戦を開始する。諸君らは後ろを振り返らず、ひたすらに生還を目指すように。これは命令であり、抗命は死罪である。以上!」

 

「おい、アル! きみ、何を馬鹿なことを言ってるんだ! 自分を犠牲にして時間を稼ぐつもりか? ふざけるなよ!」

 

 激怒した様子のアデライドが叫んだ。近くに居たら、ブン殴られてもおかしくないような迫力だ。それが面白くて、僕は思わずクスクス笑った。

 

「犠牲? いや、そうはならない。殿下は僕を救うという大義名分で事を起こしたからね。捕虜になっても、僕はきっと処刑されない。……ババアはちょっと怪しいかな。どうする? ダライヤ。最悪、この作戦は僕一人でも完遂できる。君はアデライドの方についてもいいが」

 

「嫌じゃ」

 

 ロリババアの返答は端的だった。実際のところ、僕はいざという時には自分一人で敵陣に突っ込んで時間を稼ぎますよ、という話をババアにだけはしていたのだ。彼女はそれを否定せず、ただ「ならばワシも連れて行け」とだけ言った。確かに、魔法の名手であるダライヤの助力を得られるのは有難いんだがな。僕と違って、こいつは王太子殿下に嫌われているだろうからな。助命がかなうかどうか、ちょっと自信が持てないんだが……。

 

「あっそ。じゃ、付き合ってもらおうか」

 

 まあ、僕だってもしかしたら死ぬ可能性もあるんだ。前世は一人で死んだからな、二度目の死は看取る人が居てほしいという気分もある。相棒を連れて行くのもまあ悪くは無かろう。

 

「アル! おい! 聞いてるのか!」

 

 問題は怒りに燃える宰相様だ。ネェルの背中の上で拳を振り上げる彼女に、僕はウィンクをしてみせた。

 

「アデライド、リースベンに帰ったらみんなに伝えてくれ。『君たちの助けが来るのを待ってる』ってさ」

 

 僕の自意識過剰でなければ、この文言一つでわが軍の士気はかなり上がるだろう。あとは、ソニアとアデライドに任せておけばいい。この戦争だけを見るなら、僕が脱落するよりもアデライドが脱落したほうが何倍も困ったことになるからな。なにしろ、彼女はガレア国内の有力貴族の取りまとめ役で、わが軍の兵站の大元締めでもある。アデライドがいない状況では、対王家戦争は戦えない。

 ニッコリと笑いながら、僕は皆を見回した。アデライドは怒り狂っている。ネェルは、そんな宰相閣下と僕を交互に見ながらオロオロしていた。おそらく、本心では僕の代わりに出陣したいのだろうが、アデライドをどうしようか迷っているのだろう。ははは、作戦通りだ。

 そしてジョゼットらは、口々に僕に再考を促す言葉を叩きつけている。そう言ってくれるのは有難いが、この状況を捨て駒抜きで切り抜けるのは無理だからね。なら、出来るだけ少ない犠牲で済む手を取るのが指揮官の役割だろ。餌としての価値は、ジョゼットら一般騎士よりも僕の方が圧倒的に高いわけだし。僕にしかこなせない仕事なんだから、僕がやるほかないだろ?

 

「では、さらば諸君! また逢う日まで!」

 

 彼女らを一切無視して恰好を付けた台詞を吐いた後、僕は手綱を引っ張り乗騎を強引にUターンさせた。ネェルが鎌を伸ばして止めようとするが、ヒョイと避ける。さあ、さあ、愉快なことになって来たぞ。わずか一騎、二名の兵力で一個中隊以上の騎兵を足止めしなくてはならないんだ。コイツはよほどの難問だぞ。やりがいがありすぎて、もう笑うほかないんだよな。

 

「ハハハハッ! いくぞババア、吶喊だ!」

 

 



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第582話 くっころ男騎士の敗北(2)

 夜闇に紛れて敵警戒線の外側へ脱出するという僕の目論見は脆くも崩れ去った。マリッタは僕がこっそり街の外へ脱出していることを想定し、しっかりとした監視体制を敷いていたのだ。それに加えて強力な騎兵隊を追撃に繰り出してきたのだから、もう笑ってしまいそうなほどに準備万端である。つまるところ、僕はマリッタとの読み合いに完全敗北したのだ。

 だが、だからと言って即座に「参りました」と白旗を上げるほど僕の往生際はよろしくない。ここで我々が全滅すれば、リースベンにいるソニアは著しく不利な状況で対王家戦争に突入することになってしまう。上官として、夫として、それだけは避ける必要があった。……そこで僕は、自身の単騎駆けによる敵騎兵の足止めに出ることにした。

 

「ハハハハッ! いくぞババア、吶喊だ!」

 

 そんなことを叫びながら、味方の隊列から離脱する。ジョゼットら近侍隊は「アル様! やめてください!」と悲鳴じみた声を上げているが、追いかけてくる者はいなかった。アデライドの離脱を最優先せよ、と事前に命令してあるからだ。彼女らは幼いころから上官の命令には絶対服従、という精神を叩き込んである。念押しされた命令を無視するようなことはとてもできないだろう。……これはあくまで命令の問題で、僕の人望が足りない訳ではないハズだ。うん、そうであってほしい。

 まあ、何はともあれ本隊の連中は素直に撤退をしてくれている。ひとまずこれで一安心だ。あとはこのまま道なりに進み、この先にある森で態勢を立て直せば十分に逃げ延びることができるだろう。あとは僕の方がどれだけ時間を稼ぐことができるかにかかっている。ああ、ワクワクするね。こういうシチュエーションが一番楽しいかもしれない。

 

「はぁ、もう、勘弁して欲しいんじゃがのぉ。何が悲しくて、処女のまま死なねばならんのじゃ。ワシ、こんなことのための生き恥を晒し続けたわけではないんじゃけども」

 

 僕の唯一の同行者、ダライヤは不満タラタラだ。気分は分かるがだったら同行しなきゃ良かったじゃん、僕は強制してないぞ……とは、流石に言わない。僕だって死にたくはないが、敵側の殺意が予想以上に高ければ普通に落命することもあるかもしれない。

 一人で死ぬよりは、看取る相手が居てくれた方が実際嬉しいんだよな。だからこそ、ロリババアがこの無茶な突撃に付き合ってくれたことは少々どころではなく有難かった。まあ、幼馴染どもやネェルなんかが同じ申し出をしてきたとしても、断ってたと思うがね。なんだかんだ言ってこのババアは最後まで生還を諦めないだろうが、他の連中は死ぬまで頑張ってしまいそうだからな。あの修羅の国で千年間も生き延びた女の生き汚さに、僕はかなりの信頼を置いているんだよ。

 

「首尾よく二人とも死なずに済んだら、好きなプレイに好きなだけ付き合ってやるさ」

 

「ほお? 言ったのぅ。では、拘束したソニアの前で全身を調教してやるから覚悟しておくのじゃ」

 

「流石にそれはいかんだろ!!」

 

「前言撤回が早すぎやせんか!? この嘘つき男騎士ィ!!」

 

 バカ話に興じている間にも、彼我の距離はぐんぐん縮まっている。ここまで近づくと、敵の隊旗もおぼろげながら見えてきた。案の定、そこに描かれているのは剣と盾を象ったスオラハティ家の家紋だ。

 

「やはり敵はマリッタ本人だな。まあ、あいつが詰めをそこらの凡将に譲るはずもないか。……しかし、まさかあの紋章を敵に回すとは。流石に少しばかり複雑だな」

 

 僕の脳裏に、ソニアとその母カステヘルミの顔がよぎる。今頃、カステヘルミはどうしているだろう。こんな騒ぎが起きていることを知っているんだろうか? もし知っているのなら、彼女のことだから解決に動いてくれるだろうが……今の王太子殿下は明らかに平静ではないからな。不興を買って処罰されるようなことになってなければよいのだが。

 

「戦いにくいかの?」

 

「まあ、多少は」

 

 スオラハティ家は、実質的に僕の第二の実家のようなものだ。そこと敵対するようなことになれば、まあ、流石に思うところはある。もちろん、やるからには手は抜かないが。

 

「向こうもそう思ってくれておるのなら、やりやすいんじゃなのぉ」

 

 ため息を吐くロリババア。これに関しては僕も全くの同感だ。しかし……

 

「どうだろうね? スオラハティ家には、僕を嫌う家臣もそれなりに居たからさ」

 

 伝統ある高位貴族の家に、僕のような貴族の最底辺出身の男が入り込み、当主や次期当主の寵愛を得て好き勝手してたんだ。そりゃあ嫌う奴だって出てくるだろうさ。出る杭は打たれるってヤツだな。実際、裏ではそれなりに陰口もたたかれていた。むろん針の筵だったかと言えばそうではなく、良くしてくれた人も大勢いたがね。

 

「まあ、とはいえこちらが僕と分かれば流石に積極的に殺しにかかってくるようなことは無いと思うよ」

 

「王家側の手のものがオヌシを殺めたら、フランセットの大義名分が揺らいでしまうからのぉ」

 

 イヤらしい声でヒヒヒと笑うロリババア。彼女が指摘した通り、王軍には僕を殺し辛い理由がある。だからこそ、僕はこういう作戦に出たわけだ。問答無用でぶっ殺されるような状況なら、流石にこんな無茶はやらない。僕だって積極的に死にたい訳ではないし。

 

「ほどほどに嫌がらせをして、あとは穏当に捕虜になる。こういう流れで行こうかの。死ぬまで戦うようなエルフじみた真似は、ワシの趣味ではないのじゃ」

 

「ああ、無茶は厳禁だぞ」

 

「それはこちらの台詞じゃ」

 

 ……死ぬまで戦ってはいけない。残念ながら、これは徹底せねばならん。死力を尽くして戦うのはこの上なく昂揚するが、今や僕はそう簡単に死んでいい立場ではない。所詮はいち大尉に過ぎなかった前世とは違うんだよな。

 それに、捕虜になった後にも仕事は残っている。王家の中枢に入り込み、本当の敵を見極めるという仕事だ。オレアン公の話が本当ならば、どうやらフランセット殿下の裏には黒幕らしき者がいるようだ。おまけにこの黒幕は去年の内乱にも関わっているようだから、放置していると今後も同様の事件を引き起こしかねない。すべてを終わらせ平和を取り戻すためには、対王家戦争の勝利だけでは足りない。裏で糸を引く黒幕を根切りにする必要があるだろう。

 この陰謀の連鎖を止めるには、外部から軍事力を持って対応に当たるだけでは不足だ。敵の内部に入り込み、情報を収集しなくてはならない。そういう意味では、僕の単騎駆けにもそれなりの意味が出てくる。要するに僕は、ロリババアを生かしたまま敵の懐にブチこむための保護カプセルのようなモノなのだ。

 

「よおし、やるぞ!」

 

 僕は気合を入れ、兜のバイザーを下ろした。そして腰からサーベルを抜き、それを天高く掲げながら叫ぶ。

 

「遠からん者は音に聞け、近くば寄っても目にも見よ! 我こそはデジレ・ブロンダンが息子、リースベン伯アルベール・ブロンダンである!!」

 

「はぁ!? アルベール様!? ナンデ!?」

 

「嘘だろ、おい。一人で出てきやがったぞ」

 

「まさか、殿下の言った通り本当に宰相に無理強いされてたのか? 隙を見て逃げ出してきた……ということなんだろうか」

 

「嘘つけあのアル様が只人(ヒューム)宰相風情の言いなりになるわけないだろ! むしろ尻に敷きかねんわ!」

 

 当然ながら、この名乗りを受けてスオラハティ騎兵隊には動揺が広がる。こういう時だけは、自分が男騎士であることを有難く思えるな。甲冑着込んでる男なんて僕くらいしか居ないから、声の時点で本人確認ができる。女騎士だとこうはいかない、まず間違いなく影武者や偽物を疑われてしまうだろう。

 

「貴様らが欲しているのは我が首一つであろう! 百騎でも二百騎でも相手になってやる! かかってこい!」

 

 僕はそれだけ言い捨てて、馬を強引に九十度回頭させた。前面から迫る百以上の騎士の群れに、馬はすっかり怯えている様子だった。そりゃあ、戦場慣れしてない普通の馬はそうなるよな。仕方がないとはいえ、やりづらい。

 まあ、文句を言っても仕方があるまい。今ある手札で、僕はスオラハティ騎兵隊の目をアデライドらから逸らし続けなくてはならないのだ。馬に拍車をかけて走らせつつ、僕は騎兵隊に向けて中指を立てた。

 

「私をファックしてくださいってか? あ、あのオスガキ……!!」

 

 さすがにこれは聞いたようで、騎士共は憤激しながら僕を追いかけ始めた。よーし、狙い通りだ!



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第583話 シスコン系妹とくっころ男騎士

 ワタシ、マリッタ・スオラハティは複雑な気分を抱え軍馬を駆っていた。ワタシは、アルベールは既に市外へと逃れているのではないか、という仮説を立て街の外に監視網を敷いていた。その予想は的中し、今や彼と彼女らは袋の鼠となりつつある。捕縛も時間の問題だろう。

 

「……」

 

 ここまでは予定調和だ。さしものアルベールも、ここまで不利な状況では取れる選択肢は限られている。それでもキッチリ最前の手を打ってくるのが彼という男だが、こちらは向こうの何十倍ものマンパワーがあるのだ。その上相手は腐っても幼馴染なのだから、その手の内もある程度は予想できる。詰めにかかるのはそう難しいものではなかった。

 とはいえ、問題はこれからだ。アルベールは極めて優れた騎士だし、その配下の騎士たちも王室近衛隊なみの練度を誇っている。下手な追い詰め方をすれば、窮鼠猫を嚙むような事態になることは想像に難くない。出来ることならば、一人の部下も傷つけずに事態を収束させたいのだが……。

 この部下を傷つけたくない、という願いは心情的な部分はもちろんあるが、それ以上に実益的な要素も多大にあった。今のワタシの配下はスオラハティ家における反アルベール派閥の選抜者たちだ。ここで大きな被害を被れば、相対的に親アルベール派閥の勢力が大きくなってしまう。今回の件で、間違いなくスオラハティ家は分裂することになるだろう。その"内紛"に勝利するためには、こんなところでむやみな損害を出すわけにはいかなかった。

 

「マリッタ様、殿下はアルベールを無傷で保護せよと仰せでしたが……いかがしましょう? このタイミングであれば、事故という形でヤツを葬ることも不可能ではないとは思いますが」

 

 ワタシの隣を並走する副官が、そんなことを言ってきた。事故という名目でアルベールを殺害する……そういう選択肢は、もちろんワタシの頭の中にもあった。なにしろ彼は姉上をたぶらかし道を誤らせた張本人であるわけだし、そもそあれほどの軍事的天才を相手に手加減をすること自体が正気の沙汰ではない。殺す気でかからねば勝てるいくさも勝てなくなってしまう。しかし……

 

「傷を負わせるのはいい。しかし、殺すことはまかりならん」

 

 苦い声で、ワタシはそう応える。アルベールを殺すという選択肢は取れなかった。それをやってしまえば、あの色ボケ王太子が激怒することは間違いない。宰相派との大内戦、そしてスオラハティ家内の小内紛に対処せねばならないワタシにとって、彼女との協力関係は命綱のようなものだ。関係の断絶は避けねばならない。

 さらに言えば、姉上の件もある。ワタシはあくまで姉上を目覚めさせたいだけであり、戦いたいわけではないのだ。しかし、もし彼が死ぬようなことになれば、姉上は復仇に燃え話し合いの余地などまったく無くなってしまうことだろう。これではまずい。

 ……それに、個人的にもアルベールにはできれば死んでほしくない。あの男のせいでスオラハティ家が滅茶苦茶になったのは事実だが、本人に悪気がないことはわかっている。それが却って悪質なのだと断じる者もいるが、ワタシとしては彼を憎み切ることができなかった。

 

「相手は僅か二十騎と少し、おまけに非戦闘員まで抱えている。これほどの戦力差があってなお、殺さねば無力化できませんでしたなどという言い訳をすれば、我々の実力が疑われてしまうだろう。ガレアいちの武家の頭領として、貴卿らのそのような汚名を着せることはできん」

 

「なるほど、承知いたしました」

 

 アルベールの処遇は、辺境送り。そう決めている。どうせ、この一件でワタシは母上と決定的に断絶することになるのだ。二人そろって、自力では戻ってこられないような僻地へ流してやる。そこで二人して畑でも弄っているのが、本人らにとっても幸せだろう。ワタシは手綱をぎゅっと握り、前方を行くアルベールの騎兵隊を睨みつけた。

 

「マリッタ様! 敵集団から一騎離脱し、反転しました!」

 

 そこで、予想だにしていなかった事態が起きた。一団から離れた一騎の騎士が、こちらに向かってきたのである。単騎駆けするその姿を見て、ワタシは思わず嘆息した。

 

「アルベールだ! 奴め、単騎で我らの足止めをするつもりと見える……!」

 

 思わず、嘆息が漏れた。あの男は平気でそういう真似をする男だ。ああ、嫌だ嫌だ。こういうところが嫌いなんだ。彼がもっと下卑な人間であれば、ワタシも楽だったのに。これでは、憎み切ることもできない。

 その騎士は、一本の矢のように一直線に我々の方へと突っ込んでくる。恐怖など感じていないかのような、躊躇のない突撃だった。そして、ある程度近づくのと同時に、奴は大きな声でこちらに語り掛けてくる。

 

「遠からん者は音に聞け、近くば寄っても目にも見よ! 我こそはデジレ・ブロンダンが息子、リースベン伯アルベール・ブロンダンである!!」

 

 聞き覚えのある男の声に、私はもう一度ため息をついた。しかし、これを聞いて案の定だと思ったのはワタシだけらしい。部下共は、意外そうな様子でザワついていた。本当に宰相に無理強いされていたのではないか、などと言い出す者すらいる。馬鹿らしい。あの男と比べれば、宰相などは伴星のようなものだ。我が部下ながら、見る目がないにもほどがある。あとでしっかり再教育してやる必要がありそうだ。

 

「貴様らが欲しているのは我が首一つであろう! 百騎でも二百騎でも相手になってやる! かかってこい!」

 

 そう言い捨てて、アルベールは馬を真横に方向転換させた。さすがに、そのまま突撃するような真似はやらないようだ。ワタシは少しばかりほっとした。

 

「アルベールの目的は陽動だ。自分が囮になって、本隊を逃がすつもりなのだろう」

 

 遁走をつづける敵本隊をチラリと見て、ワタシは小さく肩をすくめる。

 

「……たしか、アルベールの傍仕えは彼の幼年騎士団時代の同期たちで構成されていたな?」

 

「ハイ、その通りです」

 

「哀れな連中だな。アルベールも無体なことをする」

 

 彼を見捨てざるを得なくなった彼女らの心中を察して、心の中に暗澹たる気分がわいてくる。あの連中が、自らアルベールを捨て駒にしたとはとても思えない。おそらく、すべては彼の独断だろう。残された彼女らが一体どういう気分になっているのか、アルベールは理解しているのだろうか? まったく、アイツはこれだから……。

 いや、そんなことは今はどうだっていい。アルベールの思惑がどうあれ、ワタシにはそれに乗ってやる義理はない訳だし。……まあ確かにワタシの本命はアルベールで、宰相などはオマケに過ぎない訳だが。だからこそ、彼は自分一人の犠牲で他の者を逃がしきれると踏んでいるのだろう。

 だが、甘い。こちらの兵力は増強騎兵中隊がひとつ分で、敵方の五倍以上もあるのだ。二兎を追ったところで、問題なく両方を狩ることができるだろう。

 

「方針を伝達する! アルベールの対処は……」

 

 ワタシが部下に下令しようとした、その瞬間である。びゅうとすさまじい音がして、我々に向かって突風が吹き荒れた。思わず落馬しそうになり、鞍にしがみつく。

 

「なんだ、いきなり! こんな晴れの夜にこんな暴風が吹くなんて……いや、アイツか!」

 

 よく見れば、アルベールの背中には小柄な何者かが張り付いている。遠いためそれが誰なのかまではわからないが、想像はつく。おそらく、レーヌ城での戦いでも活躍していたあのエルフの童女だろう。この風の出所は、あのエルフの魔法に違いない。

 

「しゃらくさい真似を……こんな風で、我らを止められる思うたか!」

 

 風は相変わらずビュウビュウと轟音を立てて吹き荒れ続けているが、しょせんは少し強めの突風程度のものだ。当然ながら、騎士を落馬させるほどの威力はない。その割に音は嵐のようにやたらうるさいのだから、かえって滑稽ですらある。まるで張り子の虎のような魔法だ。鼻で笑いつつ、ワタシは命令の続きを口にした。

 

「第一小隊は我と共にアルベールの対処に当たれ! 残りの物は、引き続き敵本隊の追撃を続行!」

 

 しかし、私の声は風の音に遮られて部下たちには届かない。彼女らは焦ったような様子でこちらに何かを叫び返してくるが、その声もすべて風音に塗り潰されなんと言っているのか判別がつかなかった。本当にうるさい風だな。呆れつつもう一度命令を発そうとしたところで、ワタシは気付いた。この魔法の本体は、風ではない。音だ。轟音を立て、命令伝達を阻害する。それがアルベールの狙いなのだ……!

 

「あ、あの男……! こういう悪知恵ばかりはよく働く……!」

 

 月が出ているとはいえ今は夜、ハンドサインによる情報伝達もやりにくい。おまけに声まで封じられたら、騎士らは独自の判断で動かざるを得ないだろう。こうなるともう、統制だった動きなど出来るはずもない。まして彼女らの大半はアルベール憎しでワタシに従っているものたちだ。目の前に彼が居る以上、宰相などよりこちらの捕縛を重視するのは当然のこと。

 

「ああ、もう……! そこまで宰相を逃がしたいというのなら、仕方がない。そっちの思惑に従ってやろうじゃないか!」

 

 アルベールの部下たちは新式小銃を装備しているという話だ。情報伝達に難のある状態でぶつかれば、ロクなことにならないだろう。ならば、確実に捕まえなくてはならないアルベールのほうに注力したほうが余程マシかもしれない。ワタシは腹を決め、愛馬に拍車をかけた。

 

「我に続け! 敵はアルベールただ一人!」

 

 そう叫びつつサーベルの先端でアルベールを指し示してやれば、言葉が通じずともその意図は部下たちも理解してくれる。ワタシの騎兵隊は、一塊になって男騎士の尻を追い始めた。



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第584話 くっころ男騎士の決戦(1)

「ワッハッハッハ、僕ってばモテモテだなぁ!」

 

 二正面作戦を諦め、僕の追撃に専念することにしたらしいマリッタ騎兵隊の動きを見て、僕は思わず大笑いした。いかに高練度な彼女らも、夜戦のさ中に耳を封じられれば綿密な連携攻撃など不可能だろう。その状態で二兎を追う愚は冒すまい。最後の最後で、僕の作戦は見事に嵌まったのだった。

 

「本隊が地平線の彼方に消えるまでは、音魔法は継続で頼む」

 

 僕の背中にしがみついたロリババアの肩を叩き、そう命令する。彼女はいまだに、歌うような調子で呪文を口ずさみ続けていた。現在、戦場には嵐の日のビル街を思わせる轟音が鳴り響き続けている。これはババアが風魔法をアレンジして作り上げたオリジナルの魔法で、殺傷力こそ皆無だがとにかくうるさい。敵の統制や連携を崩すにはピッタリの性格の悪い魔法だった。

 

「さあて、こうなれば話は簡単だ……!」

 

 音魔法によって連携を崩されたマリッタ騎兵隊は、団子になって僕の追跡を始めている。この時点で、アデライドらの撤退支援という僕の目的は半分成功したようなものだ。あとはどれだけの時間を稼げるかだけが問題だな。

 ひとまず、僕は逃げの一手を打つことにした。ずっと逃げ回るのは不可能だが、今は一分でも一秒でも長くマリッタらを拘束しなくてはならない。すべてはアデライドたちが無事にリースベンにたどり着けるようにするためだ。恐怖に駆られた捨て身の突撃などは、敵に向かって潰走しているに等しい行動だ。最後まで冷静に戦い続ける者こそが真の軍人なのである。

 

「おおっと……!」

 

 そこで、敵が射撃を開始した。闇夜に発砲炎(マズル・フラッシュ)が瞬き、銃声が連続して鳴り響く。僕からすれば慣れた音だが、軍馬ならざる我が乗騎にとってはよほど恐ろしく感じるのだろう。明らかに怯えた素振りを見せ、暴れだしそうになる。僕は急いで馬の背を叩き、なんとか落ち着かせた。

 この様子だと、やはりこちらから撃ち返すのは無理そうだな。耳元で銃声を聞かせたりすれば、完全にパニックに陥って騎手を振り落としてしまうだろう。……まあ、それは別に構わない。

 なにしろ、銃声からして相手が撃っているのは拳銃だからな。彼我の距離はまだ二百メートル以上離れており、ピストルの有効射程を考えればどれほど優秀な射手であっても命中弾を出すのは不可能だ。つまり、今の射撃は完全に牽制だけが目的の賑やかし。こちらがそれに付き合う必要など微塵もない。

 

「がんばれ、頑張ってくれよ……」

 

 祈るように呟きながら、馬の背を何度も撫でる。その毛並みは汗でじっとりと濡れていた。もちろん、息遣いもたいへんに荒い。こいつはしっかりとした教練を受けた軍馬ではない。普通の馬問屋から購入した平凡な乗用馬だ。もちろん血統も足したことがないから、走力でも体力でも軍馬に劣る。そんな一般馬に、僕はずいぶんと無理をさせていた。

 対して、マリッタ騎兵隊が駆っている北方産の良血馬たちだ。余裕の走りでどんどんと距離を詰めてくる。二百メートルが百五十メートルに。そしてあっという間に百メートル未満へ! どれほど拍車をかけても、敵を引き離すことはできなかった。いや、それどころか気付けば随分と速度が落ちている。体力が限界に達し始めたのだ。

 

「ババア! 音魔法はもういい!」

 

 幸いにも、すでに味方の姿は見えなくなっている。これならば、追撃の抑止という作戦目標は果たしたと見て問題なかろう。ロリババアが呪文の詠唱をやめると、あれほど吹き荒れていた風が幻のようにぴたりと止まり、月夜に静寂が戻ってくる。

 

「オラァ観念しろオスガキィ!」

 

「昔っから手前は気に入らなかったんだ! 御屋形様やソニア様を色香で狂わせよって! 成敗してくれる!」

 

 いや、音魔法が無くなっても戦場は相変わらずうるさいままだった。後ろから聞こえてくる物騒な声に、僕は思わず腹を抱えて笑いそうになった。いやはや、嫌われたもんだね。まあ、僕もスオラハティ家ではずいぶんと好き勝手させて貰ってたからな。それに反感を覚えていた者も少なからず居たにちがいあるまい。

 

「どうしよう。僕、普通に殺されちゃうかも」

 

「無遠慮に色香を振りまいとったオヌシが悪い!」

 

 ババアの返答はいつになく辛らつだ。それがおかしくて、僕はいよいよ大笑いした。いい、いいね。死神に背中を撫でられていると、些細でくだらない馬鹿話でも楽しくて仕方なくなってしまう。コンバット・ハイってやつだ。

 

「あは、あっはっは! 僕なんぞに色香を感じるほうが悪いんだよそれは! よほどの変態性癖だぞ、ソイツは!」

 

「強引に他人の性癖を捻じ曲げておいてよく言うわ! バカモン!」

 

「ひっでぇ!!」

 

 僕が爆笑すると、ロリババアもヤケクソめいた態度でそれに続いた。

 

「おい、この状況で笑ってやがるぞ」

 

「なんなんだよ、もう! コイツはァ! 怖いんだよお前ェ!」

 

 困惑するマリッタ騎兵隊。現在、彼我の距離は五十メートルといったところ。よし、反転攻勢するなら今が好機だな。

 

「ババア、行くぞ!」

 

「あー、もう、仕方ないのぉ!」

 

 恨みがましい声でボヤいた後、ダライヤは暴風の呪文を唱えた。前方から凄まじい突風が吹いてくる。足元にはびこった雑草がバタバタと倒れていく様が、その風の強さを物語っていた。先ほどの音魔法などとは比べ物にならない威力だ。

 突風はちょうど僕たちの直前で二手に分かれ、そしてすぐ後方でふたたび合流する。自然ではありえない挙動だ。ババアの魔法の手管は尋常ではない。流石は年齢四桁の古老である。

 

「グワーッ!」

 

 突風の直撃をうけた騎兵隊の先頭集団が一斉に吹き飛んだ。馬も人間もまぜこぜになって宙を舞い、凄まじい勢いで地面に叩きつけられる。そのなんとも痛そうな落馬音を背に、僕は(あぶみ)(鞍に付属する足置き)を蹴り乗騎から飛び降りた。もう、この馬は限界だ。これ以上無理をさせたところで時間は稼げない。ならば、戦術を下馬戦闘に切り替えるまでだ。

 地面にぶつかるのと同時に、僕の全身を息が詰まるような衝撃と痛みが襲った。農地とはいえ、しばらく耕されていない大地は結構堅い。一瞬気が遠くなりかけたが、根性で堪えて受け身の姿勢を維持する。

 

「シャオラァ!」

 

 気合いの叫びを上げつつ、僕はバネ仕掛けの人形のように立ち上がった。先鋒は砕いたが、敵はまだまだ残っているのだ。痛みにのた打ち回っている暇などありはしない。

 

「ア゛ア゛ーッもうっ! 年寄りになんて真似をさせるんじゃ! 老人虐待反対!」

 

 ダライヤが心底嫌そうな声でボヤきつつ、フラフラと立ち上がる。羽織ったポンチョは土と草の汁でグチャグチャになっていた。もちろん、僕の甲冑も同様の状態だろう。サーコートを着てこなかったのは正解だな。あれ家紋入りだし返り血以外では汚したくないんだよ……。

 

「へっへっへ、楽しいだろ?」

 

「楽しいわけないじゃろたわけェ! エルフのワシよりエルフらしいのだけは何とかならんかオヌシ!」

 

「わはははは」

 

 うるさい婆さんだこと。しゃあないじゃないかよ、こちとら死ぬときは笑顔でと決めてるんだ。無理矢理でもテンションかち上げなきゃやってらんないよ、単騎駆けなんて。

 ……いや、まあ、もちろん好き好んで死ににいく気はないがね。ここでリタイヤは流石に無責任がすぎる。こんなムチャをやらかしたのも、一応は死にはすまいという予想あってのことだ。今の僕は、自分の命を好きに捨てられるような立場では無いわけだし。

 

「とはいえだ」

 

 サーベルを抜きながら、僕は敵集団を睨みつけた。ダライヤの突風魔法を受けて出鼻を挫かれた彼女らだが、相手は精強なスオラハティ軍だ。すぐに態勢を立て直し、乱れた隊列を整えている。

 様子見のためかいったん乗騎は常歩まで減速させているが、一発鞭を入れればそのまま騎馬突撃に移ることができる距離感だ。彼女らの殺意次第では、僕らは一瞬にして蹂躙され草むす屍と化すだろう。いやはや、己の命を敵の判断に預けねばならない事態になるとは。指揮官として恥ずかしい限りだな。

 

「第二ラウンドの始まりだ。頼むぜ、マリッタ。せいぜいプロレスに付き合ってくれよ……」

 

 僕はそうつぶやきつつ、おもむろに剣を構えるのだった。

 



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第585話 くっころ男騎士の決戦(2)

 敵戦力、騎兵一個中隊。我が戦力、装甲歩兵一、猟兵一。なんとも素敵な戦力差だが、こちらは味方が逃げ延びるための時間を一分一秒でも長く稼ぎ続けるという仕事が残っている。つまり、まだ白旗を上げるわけにはいかないということだ。

 なんだか、前世の僕が戦死した作戦とよく似たシチュエーションだな。違いと言えば、前世の僕はたんなるいち中隊長で、今の僕は一国一城の主だという点だ。前世ならば気軽に捨てられた命でも、現世ではそういうわけにはいかないのである。死ぬ気でやれば大概なんとかなる、というのがモットーである僕としては、なんともやりにくい環境だった。まあ、偉くなればなるほど責任が増していくのは世の常だから、こればっかりは仕方がないのかもしれないがね。

 

「オヌシ、この状況でどう戦うつもりじゃ? まともにやれば、鎧袖一触でやられるのは目に見えておるぞ」

 

 木製の刀身に黒曜石の刃がズラリと固定された物騒なエルフ式木剣を構えつつ、ダライヤがそんなことを聞いてくる。彼女の視線の先には、隊列を立て直しゆっくりとこちらに向かってくるマリッタ騎兵隊の姿があった。

 敵は騎兵だが、その全身速度はそれほど早くない。馬の速度を常歩(なみあし)まで落としているのだ。もはや彼我の距離は至近であり、襲歩に移行すれば一瞬で剣の届く距離まで肉薄することができるだろう。しかし、マリッタは突撃号令を出そうとはしなかった。

 それでいて、距離を取って射撃で方をつけようとする様子もない。彼女らは騎馬同士のチェイス時には盛んに牽制射撃を仕掛けてきたものの、僕らが下馬した後は一発の銃声も聞こえてこなくなっている。カービン騎兵の優位性をまったく生かそうとしないそのやり方は、はっきり言って舐めプそのものだ。

 

「なぁに……案の定、奴らは僕を生け捕りにするよう命令されているらしいからな。手加減を強いられているなら、まだやりようはあるだろうさ」

 

 まあ、そうでなくともたった一人の男を完全武装の騎士百名近くが寄ってたかって袋叩き、などという行為はこの世界の騎士道では完全にアウトだ。貴族としてのメンツもあるだろうし、そうそう物騒な手は使えないだろう。そもそも、フランセット殿下自身が僕の殺害を禁じている可能性も高いし。

 こういう敵の甘さに期待した作戦には正直言ってかなりの抵抗感を覚えるんだが、そもそも敵方が甘さを見せなきゃ絶対に成功しないのがこの逃避行だからな。もはや、僕としては腹をくくって敵地に飛び込む以外の選択肢はなかった。マリッタが本気で僕を殺しに来たら……その時はその時だろ。

 

「ワシにも手加減してほしいもんじゃがのぅ」

 

「そいつは無理な相談だろ」

 

「なんとまあむごいことを……ガレア騎士はワシのような童女に手を上げる鬼畜どもなのかの?」

 

「ハハハ、面白い冗談だ」

 

 笑い飛ばしてやると、ババアは頬を膨らませつつ僕に半歩近寄った。僕を盾にする腹積もりなのだろう。実際、彼女が生き残るには徹頭徹尾僕を壁として活用する以外の選択肢はない。もし護衛役がソニアやネェル、ジョゼットならばそんなやり方は絶対に拒否するだろう。なにしろ彼女らは誇り高き戦士たちだ。

 ……だが、このロリババアはそうではない。必要ならば男を盾にするくらい平気でやる。そういう彼女らからこそ、こんな無茶な作戦にも遠慮なく投入できるのである。外道とハサミは使いよう、ってヤツだ。

 

「……ほう。マリッタのヤツめ、予想以上に紳士……いや、淑女的だな」

 

 そんな話をしている間に、敵騎兵隊はとうとう完全に歩みを止めていた。そして、次々と下馬しはじめる。どうやら、馬上から一方的に攻撃されるような事態は避けられたようだ。正直に言えば、かなり有難い。騎馬状態の敵と戦うの、結構しんどいんだよ。特に、今回の僕は長物の武器を持ってきていないしな。

 

「模範的エルフならば『敵から手心を受くっなど屈辱ん極み!』といって憤激するべき状況じゃの」

 

 ババアが何か言っているが、もちろん無視だ。なにしろ僕はエルフの戦士ではなく只人(ヒューム)の騎士だからな。

 一方、マリッタ側は下馬した騎士らが横隊を組み、剣や銃剣付きの騎兵銃などを手にジリジリと接近をし始めた。着込んだ甲冑に月光が反射し、ギラリと輝く。いやはや、凄まじい威圧感だな。今すぐ尻尾を巻いて逃げたい気分だ。まあ、そういうわけにもいかないんだけど。

 

「天下に武名のとどろくスオラハティ軍が、男と童女の無害な二人組に対してずいぶんと警戒してるじゃないか。そんな剣呑なものをつきつけられたら、怖くて腰が抜けてしまうよ。勘弁してくれ」

 

 努めて気楽な声で、騎士らにそう語りかける。僕の仕事はあくまで時間稼ぎだ。無暗に襲い掛かって一瞬で蹴散らされるような馬鹿な真似をするわけにはいかん。

 

「ガレアで、いや大陸西方で一番物騒な男がよくもそんなことを言えたものだな! 貴様が無害なら剣牙虎(サーベルタイガー)だって可愛らしい子猫に等しいだろうさ!」

 

 返ってきた答えは、まったくもって心外なものだった。こちらとら、魔法でブーストしてやっと一瞬だけそちらの筋力に肉薄できる程度のクソザコ剣士なんだぞ。いくらなんでも警戒しすぎじゃないのか?

 さらに言えば、今の僕は武装ですらマリッタ騎兵隊に劣っている。機密の塊であるボルトアクション小銃を、捨て石前提の作戦に投入するわけにはいかないからな。鹵獲の憂き目を見ないよう、最初から置いてきているのである。頼りになる武器はいつものサーベルとリボルバー拳銃、そしてお守り代わりの雷の短剣だけだ。

 

「ひどいことを言ってくれるじゃないか。君たちの腕力ならば、一対一であっても容易に僕をねじ伏せられるだろうに。おお、怖い怖い」

 

「『やだ、お姉さんこわーい』だと!? こ、このオスガキ……! どれほど我々を煽れば気が済むんだ!」

 

 誰もそんなことは言ってねえよ! シバくぞ!

 

「まったく、竜人(ドラゴニュート)はどいつもこいつも色ボケばかりじゃのぉ」

 

 ボソリと呟くダライヤ。……い、いや、流石にそういう訳では……ジルベルトなんかは真面目だしさ。

 

「敵と馬鹿話に興じるんじゃない……」

 

 呆れたような声でそう言い、横隊から一歩前に出る騎士が居た。全身甲冑とフルフェイスの兜のせいで分かりづらいが、声からしてマリッタだろう。羽織っているサーコートにも、剣と盾を象ったスオラハティ家の紋章が描かれている。……やっぱり、見慣れた紋章をむこうに回すのは嫌な気分だな。あの家は、僕の第二の実家みたいなものだったのに……。

 

「アルベール、四の五の言ってないでさっさと降伏しろ。いかに貴様とはいえ、この状態からの逆転は不可能だ。無駄に抵抗して手間を取らせるな」

 

 冷たい声で、マリッタはそんな言葉を突き付けてくる。……いやはや、マリッタめ。予想の三倍くらい淑女的じゃないか。決別した時のあの語気を思えば、最悪フランセット殿下に背いてまでこちらを殺しにかかってくるのではないか、という懸念すらあったんだが。

 しかし、実際に相対してみればこうしてちゃんと降伏勧告までしてくれるのだから驚きだな。やはり、コイツはソニアの妹だ。一度身内と認めた相手には優しく甘い。根っこの部分がよく似ている。

 

「まあ、いいじゃないかマリッタ。お前だって、僕に思うところがあるんだろう。いい機会だ、一度剣で語り合ってみることにしないか」

 

 僕は剣を構えたまま、肘でヘルメットのバイザーを上げた。そして努めて好戦的な笑みを顔に張り付け、そう言い返してやる。上手いことやれば、一騎打ちに持ち込めないだろうか?

 流石に、この数の騎士を相手に大立ち回りをするのはしんどいんだよな。まあ、ババアの援護を受ければ瞬殺は避けられるだろうが、僕の剣術は完全な短期決戦型だからな。騎士ひとりふたりくらいなら倒せるかもしれないが、それ以上は続かない。いや、スオラハティ家の騎士の実力を思えば、一人倒すのもしんどいかも。相手は一人一人が精鋭で、雑兵などとは比べることすらおこがましい。

 

「…………いいだろう」

 

 しばらく逡巡したあと、マリッタはさらに一歩前に出た。彼女が無言で手を横に伸ばすと、気の利いた従者が駆け寄ってきて短槍を恭しい態度で差し出した。受け取ったそれを、マリッタは軽く振るった後で肩に担ぐ。この短槍こそが、彼女の得意とする獲物だった。

 

「いけません、マリッタ様!」

 

 慌てた様子で、副官がマリッタを止めた。どうやら、向こうにも冷静な奴がいるらしいな。そりゃそうだよな、普通に考えてマリッタが戦う必要なんかない。彼女は剣を振るうまでもなく、ただ一言部下に攻撃を命じればいい。それだけで、我々はあっという間に殲滅されてしまうだろう。

 

「アルベールの言葉に耳を傾けてはなりません! 彼を毒夫と断じたのは、マリッタ様ご自身でしょう!?」

 

 幾人かの騎士が、副官の言葉に同調して頷いた。僕はちらりとロリババアに目配せする。彼女は頷き、何かの呪文をボソボソと唱えた。虚空から突然稲妻が生じ、騎士隊の眼前の地面に突きささる。暴力的な雷鳴が鼓膜を叩き、下草が一気に燃え上がった。

 

「うわっ!?」

 

 さしもの騎士らもこれには面食らい、一歩さがった。それを見て、ダライヤがニンマリといやらしい笑みを浮かべた。そして雷鳴による耳鳴りが収まるころを見計らって口を開く。

 

「集団戦がやりたいならば、それは結構。しかし、知っとるかのぉ? 雷は金気を好むのじゃ。かような金属鎧に身を包んだオヌシらに、稲妻の雨が降り注げばどうなるか……ぬふふ、一網打尽という言葉の意味を身をもって知ることになるじゃろうな」

 

「こ、コイツ……雷系の魔法が使えるのか!? スオラハティ家お抱えの魔術師ですら習得している者がほとんどいない、あの最難関クラスの魔法を……」

 

「そういえば、レーヌ城の戦いでも晴天に雷が落ちていた! あの術者はコイツだったのか……」

 

 ざわざわとし始める騎士たち。魔装甲冑(エンチャントアーマー)は魔法に対しても高い防御力を発揮するが、鉄製である以上電撃はそのまま素通ししてしまう。雷魔法は、いわば甲冑騎士キラーなのである。

 おまけに、現在マリッタの騎兵隊は密集陣形を取っている。まあ、こちらは火砲など持っているはずもないので、白兵戦だけを考えるならこの陣形が最適解ではあるのだが……僚友と肩が触れ合うほどに密集している中に雷を撃ち込まれたら当然ながら大事になる。おそらく、一発で複数名の騎士が倒れるのは間違いあるまい。遅ればせながら、彼女らは自身の戦術が誤っていたことに気付いたようだった。

 

「むろん、ワシは一騎討ちを邪魔するほど野暮ではない。じゃが、オヌシらがくんずほぐれつの乱戦を望むのであれば、付き合う用意はできておるぞ?」

 

「……」

 

 この発言には、あの小うるさい副官も黙らざるを得なかった。雷魔法を乱発されれば、下手をすれば二桁以上の騎士が死傷する可能性もある。たった二人の人間を制圧するためにそれほどの犠牲を出すのは、はっきり言って割に合わないだろう。優秀な騎士を育成するためには、最低でも五年以上の年月が必要なのだ。大きな戦乱を控えた今、そんな損失を許容するだけの余裕がマリッタ一派にあるのだろうか?

 いやはや、しかし流石はロリババアだな。牽制攻撃一発で、場の空気を完全に掌握しやがった。このまま膠着状態に持ち込めば、彼女は敵と刃を交えることなく作戦目標を達成できるわけだな。この要領の良さは本気で見習いたいところだ。

 

「……ふん、流石はアルベール。羨ましくなるほど部下に恵まれている」

 

 マリッタは複雑な感情の含まれた声でそう言い、ゆっくりと愛槍を構えた。そして、その穂先を真っすぐに僕へと向けてくる。

 

「まあ、構わんさ。確かに、男一人を大の女が何十人もよってたかって袋叩きにするのは見苦しすぎる。敵がアルベールだけならば、ワタシ一人がいれば十分だ……」

 

 おお、おお、本気で一騎討ちにのってくれたぞ、この女。やっぱり、根の真面目さは昔から変わってないんだなぁ。心の奥底でジーンとしたものを感じつつ、僕はニヤッと笑って兜のバイザーを下ろした。

 

「よろしい。ならば、いざ尋常に勝負といこうか」

 

 



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第586話 くっころ男騎士の決闘(1)

 僕はサーベルを、マリッタは短槍をそれぞれ構え、月夜の草原にて相対する。ギャラリーは一個中隊ぶんの騎士たちとロリババア。なんとも豪華な舞台だ。僕は兜の下で小さく安堵の息を吐いた。マリッタは躊躇なく一騎討ちを受けてくれた。追跡用の斥候すら放たず部隊を停止させた当たり、彼女にはもはやアデライドを追撃する意志はないと見える。ひとまず、僕は最低限の目標を達成できたということだ。

 ……つまり、マリッタにとってはアデライドなどは早々に見切りを付けられる程度のオマケの目標だったということか。あくまで本命は僕だけだったということであれば、なんとも買い被られたものだ。まあ、こちらとしては有難いがね。

 僕が脱落したところで、ソニアとアデライドが揃っていればリースベン軍は問題なく戦争を遂行できる。そのために、わざわざアデライドに「助けを待っている」などという情けない伝言を頼んだのだ。これで各将兵が奮起してくれる程度の人望は、僕にだってあるだろう。少なくとも対王家戦のうちは、リースベンはまとまっていられるはずだ。

 

「ワタシと貴様の仲だ。一騎討ちの口上など、もはや必要あるまい」

 

 穂先を地面すれすれの高さまで下げた独特な構えを維持しつつ、マリッタは静かな声でそんなことを言う。まあ、確かに今さら名乗りが必要な相手でもあるまい。マリッタ本人はもちろん、そのほかの騎士たちすら僕にとってはまったく見知らぬ相手という訳ではないのだ。僕は無言で頷き、マリッタを静かに見つける。

 頭の中では、彼女をどう攻略するべきか、という思考が渦巻いていた。なにしろ相手はソニアの妹だ。当然ながら、容易に勝てる相手ではない。もちろん、流石にガレアでも三指に入るほどの天才剣士であるソニアと比べれば、マリッタの実力は一枚落ちるのは確かだ。しかしそれは比較対象が悪いだけで、単体でみれば彼女も十分天才の部類に属している。

 おまけに、得物の差も大きい。こちらの武器は、本来片手剣であるサーベルを両手持ち用に改造しただけの代物だ。対して、マリッタの得物は短槍だった。短いといってもこれは長槍と比べてのことであり、その柄の長さは二メートルを軽く超えている。リーチの差は圧倒的だ。つまり、僕は戦闘力でも得物でも不利な状態にある。いやはや、参ったね。

 

「御託はいい。さっさとやろうじゃないか」

 

 自らの迷いを断ち切るように、僕は端的にそう言った。考えれば考えるほど僕が不利な勝負だが、まあ別に構いはしない。『迷うた時はまずチェスト』、前世の剣の師匠の口癖だ。あれこれ考えるよりは、いっそ死中に活を求めたほうが話が早い。

 

「ふん……なるほど、貴様らしい」

 

 短槍を握るマリッタの手に力が籠った。僕は口を一文字に結び、すり足でゆっくりとマリッタに接近する。子供の頃は彼女とも幾度となく試合をやったものだから、その手管に関してはよく理解している。マリッタの槍捌きはまさに電光石火だ。先手を取られればリカバリーはまず不可能、やはり最初の一撃で打ち倒すのが最適解に違いない。

 もっとも、手の内が読まれているのはこちらも同じこと。こちらが一撃必殺にすべてを賭けていることは彼女も承知しているだろう。そもそも剣技自体が初見ではないのだから、初見殺しが通用しないのは当然のことだ。

 

「……」

 

「……」

 

 両者無言のまま、ゆっくりと距離を縮めていく。風の音、観衆のざわめき、ありとあらゆる音が意識の外へと追いやられていった。真剣の立ち合い特有の、感覚が研ぎ澄まされていく感覚だ。意識の中にあるのは相手と自分と、そして足に絡みつく草の感触のみ。……ああ、草が鬱陶しい。速度勝負をするには、この土地は足元が悪すぎる。

 

「キィエエエエエエエエエエイ!!」

 

 間合いが槍の届く範囲に入る直前、僕は猿のごとき絶叫を上げながら地面を蹴った。強化魔法を使った上の、全力の踏み込み。そのまま、大上段に構えていたサーベルをマリッタに向けてまっすぐ振り下ろす! それを迎撃すべく彼女の槍がさっと動いたが、その穂先が僕を捉えるよりも、こちらの刃が彼女を両断する方が早い――

 

「なんて速さだ! 槍使い、それもあのマリッタ様が剣士に先手を取られるとは……!」

 

「あれがソニア様を魅了した神速の斬撃、噂以上だな」

 

 観衆が何かを言っているが、僕はお構いなしに剣を振りぬいた。むろん、相手を殺す気の一撃だった。脳裏に一瞬ソニアやカステヘルミの顔がよぎったが、僕はあえてそれを無視した。マリッタは殺す気でかからねば勝ち目のない相手だし、そもそもここで手加減をするのはマリッタに対しても失礼だ。真剣勝負である以上、こちらも全力をもって応えねばならない。それが騎士としての礼儀だ。

 

「ふっ!」

 

 とはいえそもそもの話、マリッタは初撃で一刀両断できるほど甘い相手ではないのである。彼女は短く息を吐き出しながら、バックステップで僕の一撃を回避する。サーベルの切っ先が兜のバイザーに当たり、熱したバターのように容易く切り裂いた、留め具が外れ、マリッタの顔が露わになる。その顔には、獰猛な笑みが張り付いていた。

 

「ちぃッ!」

 

 僕の剣技は一撃必殺を前提に組み立てられている。初撃を躱された以上、こちらの不利は決定的だった。思わず舌打ちが漏れるが、半面僕の心中には義妹を殺めずに済んだ安堵が広がった。心が二つあるような気分だ。

 

「甘く見るなよ、アルベール!」

 

 ドスの効いた声で叫びつつ、マリッタは後退と反撃を同時に実行した。素晴らしい速度で短槍が跳ね上がり、鋭い穂先が僕に向かって飛んでくる。

 

「くっ!」

 

 身をよじり、肩当の装甲で槍を受け止めた。自動車と正面衝突したような衝撃が全身に走り、僕は吹き飛ばされてしまった。空中で足を跳ね上げて姿勢を制御し、ギリギリのところで着地を成功させた。無様に地面に転がるようなことがあれば、立ち上がる前にとどめを刺されてしまう。着地をしくじるわけにはいかなかった。

 

「クソ痛ェ」

 

 遠慮会釈のないその一撃は、甲冑で防いでなおなかなかのダメージをもたらした。肩が外れてないのが奇跡だ、などと思いながら、僕は何とかサーベルを構えなおす。

 

「おい、聞いたか……笑ってるぜ」

 

「怖すぎる、なんなんだあいつは」

 

 観衆共は相変わらずうるさいが、僕にはそちらに気を払っている余裕などなかった。マリッタの攻撃はまだ終わってなかったからだ。一瞬にして後退から攻撃に転じた彼女は、鋭いステップで僕に肉薄してくる。ひゅおんと風を切る音がして、槍の穂先が電撃のような勢いでこちらに向かってきた。

 

「ヌゥ……!」

 

 なんとかサーベルでそれを弾くが、マリッタの槍捌きは尋常ではなく早い。反撃に転じる間もなく、第二撃が飛んでくる。これもまたなんとかサーベルで防ぐが、マリッタの猛攻は止まらない。

 

「初見の立ち合いならばワタシが負けていた……だが、貴様はワタシの幼馴染だッ!」

 

 マリッタが吠え、更なる追撃を繰り出してくる。こうなるともう、僕としては防戦一方だ。しかも、こうしている間にも身体強化魔法のタイムリミットは迫っているのである。只人(ヒューム)の筋力では、竜人(ドラゴニュート)に白兵戦で対抗するのは至難の業だ。強化が切れればもはや僕に勝機はないだろう。

 

「この剣技に、初太刀を躱せば楽勝なんて風評を付けるわけにはいかんのでな……! ひっくり返させてもらうさ」

 

 そう言い返しつつも、僕の額には冷や汗が滲んでいた。

 



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第587話 くっころ男騎士の決闘(2)

 マリッタを相手に回して始まった一騎討ちは、僕が初撃を外したことによりあっという間に劣勢へと傾き始めた。まあ、当然と言えば当然のことかもしれない。初見殺しは初見ではない相手には通用しない、当然のことだ。むろん僕もそんなことは最初から理解していたから、一瞬の速度で上回り先手を取る策に出たのだが……やはり、地力の面ではマリッタの方が一枚……いや、二枚以上上手だったのである。

 

「流石というほかないな、この槍術は……!」

 

 目にもとまらぬ連撃をサーベルでなんとか防ぎつつ、僕は賞賛の言葉を口にした。実際、マリッタの槍の腕前は尋常なものではない。王都の武術大会に出場しても、十分に優勝が狙えるレベルにある。白兵戦で彼女に優勢を取れるのは、ソニアやアーちゃんといった化け物級の天才だけだ。そして僕の剣の腕前は、残念ながらその水準に達していないのである。

 

「伊達でッ! 姉上の妹をやっているわけではないのだッ!」

 

 吠えるような声でそう返しつつ、マリッタは更なる猛攻を加えてくる。なんとか防戦を続けるが、ジリジリと後退していくことは避けられなかった。おまけに、身体強化魔法のタイムリミットも迫っている。強化が切れれば反撃に転じることはもはや不可能になるだろう。強烈な焦燥が僕の脳を焼くが……。

 ……危ない盤面ほど、焦りは禁物。そんなことは基本のキだ。僕は呼吸を整えつつ、マリッタの連撃を防ぎ続けた。刃と刃がぶつかり合うこと十二合、マリッタの右足に力が籠るのが視界の端に映った。

 

「これで終いだ……ッ!」

 

 鋭い風切り音と共に、鋭い穂先が僕に迫った。鋼色の刀身に月光が反射してギラリと煌めく。すぐにサーベルの動きを合わせ、穂先を絡めとって軌道を逸らそうとするが……マリッタの目的はむしろ僕の防御を誘うことにあった。槍の切っ先がわずかに動き、僕のサーベルの刀身の真ん中を打ち抜く。鋭い金属音がして、サーベルが吹き飛ばされた。

 

「かかったな、アルベール!」

 

 歓喜の笑みを浮かべるマリッタ。なるほど、先ほどまでの単調な打ち合いは僕から武器を奪うための布石だったらしい。マリッタは考えなしの猛攻を仕掛けてくるような猪武者ではないのだ。この程度の罠を仕掛ける程度は平気でやってくる。

 

「……!」

 

 とはいえ、こちらもマリッタとは長い付き合いだ。彼女の狙いは既に読めていた。僕は宙を舞う愛剣をまるで無視し、痺れるような痛みをこらえつつ腰のリボルバーに手を当てた。マリッタが一歩踏み込み、最後の一撃を放とうとしている。乗馬ブーツが地面を踏みしめる音が、やけに大きく聞こえた。

 

「幼馴染はお前だけの専売特許ではない……!」

 

 握りなれたグリップをぐっと掴み、そのまま引き金を引く。この拳銃はシングルアクションだから、引き金を引いただけでは撃発しない。引き金を引いたままホルスターから抜き、腰だめに構える。こちらに迫る槍の穂先が、妙にスローモーションになって見えた。僕は息を止めたまま、左手のひらで拳銃の撃鉄を弾く。乾いた発砲音とほぼ同時に、マリッタの愛槍の穂先が砕け散った。

 

「ぐっ……!」

 

 たんなる木の棒と化した槍が、僕の胸に突き刺さった。凄まじい衝撃に、肺にためていた呼気が喉からあふれそうになる。後ろに向かってたたらを踏みつつも、僕は左手をパーにして人差し指から小指までを順番に使って瞬時に四回撃鉄を弾く。ファニングというガン・テクニックだ。

 

「グワッ!?」

 

 四連続で発射された拳銃弾は、狙いたがわずマリッタの胴鎧へ命中した。小銃弾も弾く魔装甲冑(エンチャントアーマー)だから、もちろんその弾丸が貫通することはない。しかし、衝撃までは無効化できないのだ。槍を振りぬいた直後のマリッタでは、この衝撃を受け流すことは不可能だった。彼女は転倒こそしかなかったものの、明らかにバランスを崩してしまう。

 しかし、これを好機とみて反撃にかかるのは悪手だ。甲冑を着込んだ竜人(ドラゴニュート)は人間サイズの城塞のようなものであり、肉弾戦で勝利するのは容易なことではない。しかも、相手はあのソニアの妹なのだ。僕は、この隙をさらなる追撃に用いることにした。腰のベルトに差していた短剣をマリッタに投げつけたのである。

 

「アバババーッ!!」

 

 ビリビリと耳が痛くなるような音と共にマリッタが感電した。投げつけた短剣の正体は、僕が以前アーちゃんから貰った雷の魔法が込められたものだったのだ。甲冑と言えどしょせん金属、熱気や冷気は防げても電気は素通ししてしまうのだ。

 

「……キエエエエエエエッ!!」

 

 今度こそ勝負を決める時! 僕はぐっと姿勢を低くし、のまま全力で地面を蹴りけってマリッタの下半身に向けタックルを繰り出した。拳銃から生じた白煙が良い目くらましになり、彼女はこの攻撃に対処しきれない。

 

「ウワッ!?」

 

 マリッタは下半身に全力突撃を喰らい、流石に転倒した。。ガシャンと音を立てて地面に叩きつけられる彼女に、間髪入れずに関節技を仕掛けに行く。相手を殺さずに倒すには、寝技で締め上げるのが一番なのだ!

 

「また寝技ですか!! 貴方はいつもいつもそれだ! 鍛錬の時だって!」

 

 叫び声を上げながら抵抗するマリッタ。一九〇センチオーバーの肉体が暴れまわるものだから、拘束するのも一苦労だった。とはいえ、強烈な電撃を喰らった直後ということもあり、その抵抗は全力とは言い難い。僕は難儀しつつも彼女の兜を投げ捨てることに成功した。兜をかぶったままだと、首を狙いに行けないのだ

 

「ハワーッ!?」

 

「しゃあないだろうが! こっちは体格でも膂力でも負けてるんだ、勝ち筋はサブミッションしかない!」

 

「んぐぐぐ……ふざけないでもらいたいですね! 貴方のその寝技ばかり使う戦闘スタイルのせいで、思春期自体のワタシがどれほど試みだされたか……というか痛い痛い痛い!」

 

 暴れつつ叫ぶマリッタの口調は、気付けば以前の物に戻っていた。追い詰められて、素に戻ったのかもしれない。少しばかりほっとしつつ、僕は彼女の首鎧の隙間に腕をねじ込んだ。

 

「知らんわ! オラァ!」

 

「きゅっ」

 

 頸動脈を締め上げれば、竜人(ドラゴニュート)といえど十秒ほどで失神する。バタバタと暴れていたマリッタだったが、あっというまに抵抗が弱まり全身を弛緩させた。それとほぼ同時に身体強化魔法の効果時間が切れ、僕の肉体に強烈な疲労感が襲い掛かる。……はあ、ダレた。しかし、この頃の一騎討ちは決まり手が関節技ばかりだな……。

 

「ぬふふ、流石じゃのぅアルベール」

 

 いつの間にか寄ってきたダライヤが、手を差し出してくる。それを掴み、僕はフラフラと立ち上がった。そして兜の下で難儀して笑顔を顔に張り付け、バイザーを開ける。笑顔のまま、僕はあっけにとられるスオラハティの騎士たちに挑戦的な視線を向けた。

 

「見ての通り、君たちの大将殿はこうして討ち取られたわけだが」

 

 目を回してぶっ倒れたままのマリッタを一瞥し、僕は笑みを深める。正直に言えばたいがい僕も限界なのだが、このまま退くわけにもいかない。というか、退かせてくれないだろう。ならば、最後までせいぜい暴れてみせるまでだ。まぁ、半分くらい自己満足みたいなもんだがね。……ただし袋叩きは簡便な!

 

「復仇戦がお望みならば、誰の挑戦でも受けようじゃないか。どうだ、諸君。このアルベール・ブロンダンを倒し、武名を挙げたい者はいるか!」

 

「マリッタ様の汚名は私がそそぐ!」

 

「手前じゃ力不足だ、ひっこんでろ! ここはアタシが……」

 

「どけ! アル様の相手は私だ! 御屋形様や色ボケ王太子に汚されるくらいなら、この私が……!」

 

 なにしろ相手はプライドの高い精鋭騎士たちだ。挑発してやれば簡単に引っかかってくれる。おそらく、むこうとしてももはやアデライドの追撃は既に眼中にないのだろう。僕は内心ホッとしつつ、地面に転がった愛剣を拾い上げた。

 

「誰が相手でも構わんさ。さあ、この僕に『くっ、殺せ!』と言わせられる者はどこだ!」

 

 こうなったら、もうヤケだ。ニヤリと笑うと、脇腹をダライヤに小突かれた。その顔には何とも言えない複雑な感情が渦巻いている。どうやら、僕がダライヤを庇うために挑発めいたことを言っているのだと気づかれてしまったようだ。

 

「なに、僕はそうそうなことでは殺されないさ。安心しろ……」

 

 どうせ、騎兵隊全員を相手に勝利するなど不可能なのだ。出来るだけ被害が少なくなるように足掻き続けるというのが、僕に残された最後の任務だった。

 



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第588話 盗撮魔副官と急報

「なにっ! アル様が王太子に捕らえられただと……!」

 

 わたし、ソニア・スオラハティは愕然とした。

 

「はあ、はあ……はい、そう聞いちょります。王軍の追撃を受けた若様は、アデライド様ほかを逃がすべく殿に立たれ、現在行方知れずちゅうこっでして……」

 

 顔中を汗でびっしょりと濡らしたカラス鳥人の伝令が、そう説明する。要件が要件だけに、ずいぶん急いで飛んできたのだろう。その顔色は今すぐ倒れてもおかしくないほど悪かった。

 わたしたちが今いる場所は、リースベンの首都カルレラ市……その領主屋敷の一室だった。アル様に領主名代を任されたわたしは、その職務を果たすべくリースベンで忙しい日々を過ごしていたのだが……。

 

「……」

 

 沸騰しそうになる頭と崩れ落ちそうな足をなんとか精神力で押さえつつ、わたしは隣に視線を向けた。そこには、鬼神のごとき表情を浮かべた正統エルフェニアの長フェザリアの姿があった。現在、カルレラ市に残留しているブロンダン家の幹部はわたしとフェザリア、そして鳥人のリーダーであるウルだけだった。頼りになる部下であり友人でもあるジルベルトは、いまだに一軍を率いてミュリン領に駐屯したままだ。アリンコのリーダー、ゼラもそれに同行している。

 

「詳しかことはこちらん書状に書かれちょっようど……はあはあ」

 

 息も絶え絶えにそう言って、伝令は封蝋で厳重に封印された羊皮紙を手渡してくる。よく見れば、封蝋の隣にはアデライドの名が署名されていた。わたしは無言でそれを受け取り、一瞬の逡巡の後「ご苦労、貴殿は下がって休め」と命じた。

 本当ならば伝令に根掘り葉掘りいろいろなことを聞きたいところなのだが、残念なことに彼女はあくまで情報と書状をリレーしてきたに過ぎないのだ。これ以上問い詰めたところで、伝聞以上の情報は出てこない。ならば、現場に居たアデライド本人の手紙を読むのが一番手っ取り早いだろう。

 

「アデライドめ、一体何をやっているんだ……!」

 

 下がっていく伝令の背を見送りもせず、私は乱暴な手つきで羊皮紙の封印を解いた。紙面をばさりと広げると、左右からフェザリアとウルが首を突っ込んでくる。正直鬱陶しいが、気分は分かるので止めはしない。

 

「……なんということだ」

 

 そこには、怒りと悔恨の滲んだ筆致で事態の経過が説明されていた。戦勝パーティで王太子に胡乱な言いがかりをつけられたこと、逮捕に抵抗するため王軍と戦端を開いたこと、なんとかレーヌ市に逃れたが我が妹マリッタの追撃で壊滅の危機に陥ったこと、そしてそれを阻止すべくアル様とダライヤが反転して足止め作戦を開始したこと……。

 どうやら、アル様のこの勇気ある行動によって、アデライドらはなんとか王軍の勢力圏から逃れることに成功したようだった。現在は、あのいけ好かないカワウソ選帝侯の伝手を利用してリースベンに戻る旅路の途中らしい。急いではいるが、我々との合流にはまだしばらくの時間が必要だということだ。

 

「敵将んマリッタちゅう名前には聞き覚えがあっと。もしや、ソニアどんの……」

 

 気遣わしげな表情をしたウルの問いに、わたしは憮然としながら頷いた。マリッタ・スオラハティ、我が妹……まさか、あいつがアル様に牙を剥くとは。まったくもって予想外だ。むろん、彼女がアル様に複雑な感情を抱いていることは知っていた。しかし、筋金入りの真面目な武人である彼女が、まさかこんな大それたことをしでかすとは……。

 ……アル様に剣を向けるということは、それすなわちわたしとヴァルマ、そして母上に剣を向けることと同義であることを理解しているのだろうか? もちろん、マリッタは可愛い妹だ。戦いたくはない。しかしこんな事態になったからには、私人としても公人としても奴を捨て置くわけにはいかない。

 

「ああ、貴様の想像している通りだ。どうやら、スオラハティ家は知らぬ間に割れていたらしい……」

 

 なんとか落ち着いている風を装っているが、わたしの心中は混乱と動揺、そして焦りでいっぱいになっていた。敬愛と恋慕の対象であるアル様が敵の手に落ち、妹マリッタが我々に牙を剥いてきた。最悪の事態だ。わたしはギリギリと歯ぎしりし、会議机を殴りつけた。

 

「敵がどこんだいであれ関係なか。我が身内に手を出したでにはタダでは置かん、確実に殺す」

 

 フェザリアの昏い声が、赤熱する私の精神に冷や水を浴びせかけた。……そうだ、今は下らぬ私情で頭脳を空転させている場合ではない。可及的速やかにアル様を取り戻し、不埒な愚か者どもに応報せねば。アル様がこのようなことになられた以上、それを成せるのはわたしだけなのだ。

 

「そうだ、その通りだフェザリア。王太子だろうが何だろうが関係ない。アル様に手を出した以上、奴は絶対に許さん。必ずや討ち取って、王都の中央広場にその首を晒してやる」

 

 王太子に対する殺意が燃え上がる一方、わたしの脳裏の隅にはマリッタな顔が浮かんでいた。彼女が裏切ったのは、わたしのせいかもしれぬ。できれば、事情を聴いて説得したいという気分もある。

 しかし、しかし……奴はよりにもよってアル様に手を出してしまった。アル様は、単にわたしの思慕の対象であるだけの存在ではないのだ。あの方が居なければ、我々の陣営はあっという間に分裂してしまうことだろう。組織としての我々の急所そのものに攻撃を加えてしまったマリッタを、わたしが庇いだてする訳には。そもそもそれ以前に、わたし自身も相談の一つもなくこのようなことをしでかしたマリッタを許せない気持ちはあった。ああ、畜生。心が破裂してしまいそうだ。

 

「しかし、だからこそ軽挙妄動は避けねばならん。王軍は油断ならぬ相手だ、確実に仕留めるにはそれなりの準備が居る。……フェザリア、部下の手綱はしっかり握っておけよ」

 

 この緊急時にエルフどもが暴発したら、もはや事態の収拾は不可能になってしまうだろう。ウチで一番血の気が多いものには、しっかりと釘を刺しておく。

 

「むぅ」

 

 案の定、フェザリアは不満顔だった。

 

「いま、味方同士で足を引っ張り合うのは悪手だ。我らの目標はただ一つ、王軍を打ち砕きアル様を取り戻すこと。そのためならば、わたしは手段を選ぶ気はない。協力してくれ、フェザリア」

 

「…………あい分かった。ほかならんソニアどんの頼みだ、堪ゆっど」

 

 頭を下げて頼むと、フェザリアはしばしの逡巡の後に頷き返してくれた。彼女はたいへんに血の気が多い女だが、頭が悪いわけではない。説得が通じてよかったと、わたしは密かに胸をなでおろした。

 

「ダレヤも囚われたとなれば、"新"ん連中を統率すっものがおらんくなってしもたな。ヤツん生死はわからんが、ひとまずアルベールが戻ってくっまでは内紛などせんよう"新"ん戦士衆には話を通しちょくど」

 

 しかし、続く彼女の言葉はわたしを著しくげんなりさせるものだった。そう、エルフ連中はいまだに一枚岩からは程遠い状態なのだ。今まではアル様の人望でまとまっていたが、当人が居なくなった以上彼女らはわたしが統率せねばならない。

 

「……ああ、頼んだ。しかし、丸投げにするつもりはない。可能な限り協力はするので、何かあったらすぐ連絡してほしい」

 

 相も変わらず新エルフェニアと正統エルフェニアの仲は険悪だ。正統側の長であるフェザリアだけでは、新の者たちはまとまらないだろう。極力わたしも介入する必要がある。……ああ、さっそく胃が痛くなってきた。やはり、この地の統治はわたしには荷が重い。可及的速やかにアル様にお戻り願わねば。ええい、王太子め。本当になんということをしてくれたのだ。貴様だけは絶対に許さん!

 

「……ヴァロワ王家は龍の尾を踏んだ。こうなったからには、王軍は必ず打ち倒さねばならん。早急に作戦計画を立てる必要がある。ウル、ひとまずジルベルトとゼラを呼び戻すよう手配してくれ」

 

 おそらく、敵は既に行動を開始している。もしかしたら、すでにこのリースベンに向けて討伐軍が差し向けられている可能性もあるのだ。チンタラしている暇はどこにもなかった。

 

「あい、承知いたした。……ところで、呼ぶたぁジルベルトどんとゼラどんだけで良かとやろうか? 敵が強大じゃちゅうとなら、エムズハーフェン様やディーゼル様なども話し合いなされた方が良かち思わるっどん」

 

「ディーゼルにエムズハーフェンか……」

 

 ウルの献策に、わたしはしばし顎を撫でながら考え込む。彼女らは元はと言えば帝国諸侯、つまり敵だった連中だ。余計な借りは作りたくないのだが……いや、今はそのようなことを言っている場合ではないな。使えるものはなんでも使わねば。

 

「いいだろう。こうなれば、もはや王国も神聖帝国も関係ない。協力を取り付けられそうな相手にはすべて連絡を出すように」

 

 これから始まるのはよほどの大戦(おおいくさ)だ。わたしは躊躇を投げ捨て、全力でヴァロワ家と……そして妹と敵対することを選択した。



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第589話 盗撮魔副官と会議

 わたしが招集を出した者たちがカルレラ市に揃ったのは、その日の昼過ぎの事だった。各人の所在地から考えれば、これは驚くべきは早さである。なにしろ、もっとも遠方在住のエムズハーフェン選帝侯ツェツィーリアの所領エムズハーフェン領などは、このリースベン領から騎馬も十日はかかる距離があるのだ。

 もっとも、状況が状況だけに皆が慌てるのも当然のことかもしれない。なにしろ、我々全員の要石に等しい重要人物であるアル様が、あの不埒な王太子風情に囚われてしまったのだ。

 

「貴殿らの主君どのは、なかなかに良い性格をしていると見受けられる。私も権謀術数を生業としている人間の一人として、彼女のことを見習った方が良いかもしれんな」

 

 夕日の差し込む領主屋敷の会議室で、開口一番に厭味ったらしい言葉をぶつけてきたのはくだんのカワウソ選帝侯、ツェツィーリアだった。その顔には笑顔が浮かんでいるが、むろん内心が穏やかであろうはずもない。仮面の下ではよほどの不満と怒りが煮えたぎっているに違いなかった。……当然ながら、わたしとてそれは同じことではあるが。

 

「まったく油断した。まさか、ガレア王国の時代を担うハズのお方がこれほどまでの盆暗だとは思いもよらなかった」

 

 唸りに近い声でそう返しつつ、わたしは会議室の中を見回す。対面の席に座るツェツィーリアをはじめとして、室内には数多くの有力者が揃っていた。レマ伯ジェルマンを筆頭とした宰相派のガレア貴族の他にも、ズューデンベルグ伯アガーテ(つまり、我が義妹カリーナの長姉だ)やミュリン伯イルメンガルドなどの神聖帝国系の貴族の姿もある。むろん、ミュリン領に駐屯していたジルベルト・ゼラなどリースベン軍の幹部たちも陣を部下に任せて一時帰参していた。

 もちろん、これだけの人数がこれほどまでの速度で集結できたのにはそれなりの理由がある。ほとんどの者が、翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)などを用いて空路でカルレラ市にやってきたのだ。空の旅はその危険性から要人の移動手段としてはあまり好まれないのが一般的だが、状況が状況だけに手段を選んでいる余裕などなかったのである。

 

「とにもかくにも、ヴァロワ王家は龍の尾を踏んだのだ。代償はキッチリ払わせる」

 

 居並ぶ諸侯を睨みつけながら、わたしはそう宣言した。腹の底では、あの好色な王太子への怒りが渦巻いている。よりにもよって、アル様本人に手を出すとは。決して許せるものではない。

 

「お怒りはごもっともですが、ソニア殿」

 

 レマ伯ジェルマンが困惑したような目つきでわたしを見る。エムズハーフェン戦でもアル様と共に戦った、実力と人望を兼ね備えた宰相派の重鎮だ。

 

「ブロンダン城伯殿……いえ、今はブロンダン伯爵ですか。あのお方の安否は大丈夫なのでしょうか? ブロンダン伯殿は宰相閣下を逃がすべく単騎で追手に立ち向かったという話ですし、万が一の事態もあり得るのでは……」

 

 その言葉に、この場に居るほぼ全員の顔に苦いものが浮かんだ。気持ちは皆おなじだった。アル様こそ、我々の陣営の実質的な盟主に他ならないのだ。その喪失は、下手をすれば陣営そのものの崩壊に繋がりかねない。

 

「……大丈夫だ。王太子はあくまで、アデライドを主敵と定めている。アル様ご本人は、あくまで被害者という立ち位置なのだ。内心どう思っているのかまではわからんが、アル様を害せば大義名分そのものが成り立たなくなってしまうのは確かだろう。少なくとも、お命の心配だけはしなくとも良いと思われる」

 

 むろん、命以外は保証されない可能性が高いが……。わたしは心の中でそう付け加えた。あの男と見ればいついかなる時でも発情を止められないクソ王太子のことだ。アル様の尊厳を傷つけるような真似とて、躊躇なく行うに違いない。畜生、ああ、最悪だ。その凶行を止められぬふがいない自分が許しがたい。この恨みは百万回死んでも決して忘れはしないぞ、腐れ王太子……!

 

「それに……アル様らを追撃に当たったのは、我が妹マリッタという話だ。愚妹が何を思って王太子に加担したのかは知らんが、奴は腐ってもスオラハティの人間だ。マリッタ自身にとってもアル様は幼馴染であるわけだから、殺すような真似は流石にすまい。むしろ、心配なのは王太子の矛先を一身に受けているであろうアデライドの方だ」

 

 この言葉は、半分嘘だった。マリッタがなぜアル様に牙を剥いたのかという点については、おぼろげながら想像がついている。奴はおそらく、立場と家族愛の両ばさみにあって身動きが取れなくなってしまっているのだろう。彼女はひどく真面目な女だが、それゆえに暴走しがちな部分があった。

 この件に関しては、はっきり言ってわたしが全面的に悪い。わたしがもっとしっかりマリッタと対話していれば、きっとこんなことにはならなかったハズだ。出来ることなら、過去に戻ってすべてをやりなおしたい。しかし、そんなことは不可能だ。わたしは歯を食いしばった。すでに賽は投げられた。アル様が居ない以上、この場の責任者はわたしだ。これ以上かじ取りを誤るわけにはいかん。冷静になれ、ソニア・ブロンダン!

 

アデライド(カスタニエ宮中伯)に関しては心配する必要はない。彼女は手勢ともどもエムズハーフェン家ゆかりの商会の手で保護しているからな。そう心配せずとも、近いうちに貴殿の元に無事戻ってくるだろう」

 

「……ありがとう、エムズハーフェン殿。この借りは必ず返す」

 

 憎たらしいセクハラ宰相の顔を脳裏に浮かべつつ、わたしはカワウソ女に頭を下げた。アデライドを責めたい気持ちは……正直ある。しかし、彼女が自らアル様を捨て駒にしたとは思わない。アル様は、自らアデライドや近侍隊を守る盾となったのだ。で、あるのならば……アデライドに怒りをぶつけるのは筋違いというものだろう。まあ、ヤツが戦勝パーティへの出席に肯定的だった事実を忘れてやる気はないが……。

 

「ブロンダン卿とカスタニエ殿が無事であったことは、不幸中の幸いだね。しかし、問題はこれからだよ」

 

 老狼騎士が渋い顔でそう言った。ミュリン伯イルメンガルドだ。先の戦争では我々と真正面からぶつかった彼女とその一族であったが、いまやミュリン家そのものが我々の参加に収まっているのである。イルメンガルド本人は戦争の終結と同時に隠居しようとしたのだが、家中と我々の慰留を受けていまだに当主の座にくくり付けられていた。正直言ってかなり哀れだが、悪いのは後継者教育に失敗した彼女自身である。

 

「初手で大将を狙ってきた以上、ガレアの王家の意図に誤解の余地はないだろうさ。じきにまた戦争が始まるってわけだ。ソニア殿は、この難局をいったいどういう風に乗り切るつもりなのかね?」

 

 イルメンガルドの顔には辟易した表情が浮かんでいる。家の存亡をかけた大戦(おおいくさ)が終わった直後に、さらなる大戦争の火種が燃え上がったのだ。彼女の気分はわからなくもない。もっとも、先の戦いはそもそもこの老狼騎士が仕掛けてきたモノではあるが。

 

「どういう風に? そんなことは決まっている。アル様は囚われてしまったが、わが軍はまったく健在だ。そうだろう、ジルベルト」

 

「むろんです」

 

 水を向けてやると、我が親友は噛みつくような調子でそう応えた。彼女の目には明らかな憤怒の炎が燃えている。ちょっとした刺激で爆発してしまいそうなレベルの怒気だった。当然ながら、その矛先はヴァロワ王家に向けられている。

 

「リースベン軍は既に臨戦態勢に入っています。ソニア様の下令を頂ければ、すぐにでも王都に向けて進発いたします」

 

 まて、まてまて。流石にそれは気が早い。現在のリースベン軍は、約七割の戦力がミュリン領に駐屯し、残りの三割がリースベン領に戻ってきている。この戦力分散状態で戦端を開くのは流石にやめておいた方がいいだろう。絶対に敗れるわけにはいかない戦いだからこそ、準備は丹念に行わなければならん。

 

「我が主は、最後に『君たちの助けが来るのを待ってる』と仰せだったそうです。我々リースベン軍には、一秒でも早くこの命令を遂行する義務があるのです。わかりますね? ソニア様……!」

 

「もちろんだ。我が心は諸君らとともにある」

 

 頷き返してから、わたしはジロリと議場を睨みまわした。もちろんわたしも今すぐ出陣を命じたいところだが、敵は強大な王軍だ。我々の手勢だけでは、流石にかなり厳しい戦いになるだろう。しかし、我々にはアル様の残してくださった様々な縁がある。これをフル活用すれば、王家が相手でも十二分に戦うことができるだろう。

 

「諸君、我々はこれより対王家戦争を開始する。たいへん申し訳ないが、諸君らにも付き合ってもらうぞ……!」

 

 怒りと決意を込め、わたしはそう宣言した。



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第590話 盗撮魔副官とカワウソ選帝侯

 長々と続いた会議がひとまず終わったのは、草木も眠っているような真夜中になってからのことであった。一致団結してヴァロワ王家と戦う、という点ではなんとか合意できたものの(腰が引けている者がまったくいなかったわけではないが、強引に押し切った)、まだまだ話し合うべき議題は残っている。とはいえ、流石にすべてを一度に決めてしまうのはいささか無理があった。残った問題はいったん棚上げし、明日以降に話し合うということになったのだが……。

 

「いやはや、なかなかに面倒なことになったわね」

 

 カワウソ耳を生やした小さな選帝侯が、ウィスキーの入ったグラスを片手にそうボヤく。わたしは会議が解散した後も、私的な打ち合わせを続けていた。会場はわたしの私室だった。本当ならばそろそろいい加減に休むべき時間帯なのだが、今この精神状態でベッドに入っても眠れる気がまったくしない。こういう時は仕事に打ち込むのが一番だと心得ていたわたしは、客室に戻ろうとしていたツェツィーリアをとっ捕まえることにしたのだった。

 

「まったくだ。フランセットめ、奴だけは絶対に許さん……」

 

 やけ酒代わりに水をあおりつつ、わたしは恨みがましい声を出した。気分的には当然酒を飲みたいところだが、残念なことにわたしは下戸だ。しかも卓を囲む相手があの油断のならぬ政治屋ともあれば、酒精で頭をボヤけさせるわけにはいかないのである。

 

「ツェツィーリア。貴様としては、このような戦争などには関わり合いになりたくない所だろう。しかし、わたしの方も手段を選んでいられるような場合ではないのでな。すまないが、腰を据えてわたしに付き合ってもらうぞ」

 

 彼女の方をちらりと伺いつつ、牽制めいたことを口にする。先の戦争では我々に敗れた彼女ではあるが、その実力はいまだに健在だ。強大な王家に立ち向かうためには、エムズハーフェン家の協力は必要不可欠だった。今さら、「一抜けた」などという腑抜けたことを言わせるわけにはいかない。

 とにもかくにも、これから始まる戦争ではエムズハーフェン家が要石になる。彼女らの経済力は頼りになるし、なによりミュリン家をはじめとしたもと帝国諸侯のまとめ役として機能するのが大きい。なにしろ我々の敵はガレアの王家なのだ。王国諸侯は、たとえ宰相派であっても信用ならない。裏切るまでは行かずとも、肝心なところで日和見を始める可能性も十分にあるだろう。

 

「まあ、契約は既に結んじゃってるわけだからね。それを勝手に反故にするのは、貴族としても商人としても、褒められた行いではないのは確かね」

 

 グラスを軽く揺らしつつ、ツェツィーリアはニヤニヤ笑いを浮かべる。その口調はいつもの威厳に満ちたものではなく、身内や友人に向けるようなラフなものだった。

 彼女の言う契約というのは、前回の戦いの講和会議で結んだ極秘の協力関係のことだろう。アデライドと彼女はなかなかに馬が合うらしく、大陸を縦断する交易ルートを確立する、などという壮大な計画まで立てている始末だった。

 この計画が本当に実行されるかどうかはわからなかったが、カスタニエ家とエムズハーフェン家の同盟が経済力において強力無比なものであるのは確かだ。このような事態にさえならなければ、王国も神聖帝国も押しのけるような一大交易国家が誕生していた可能性は十分にある。

 ……つまり、ツェツィーリアは王家との戦争が現実化した現在でも、その計画をあきらめていないということか。いや、むしろ目障りな王国上層部の邪魔者を一掃する好機とすらとらえているかもしれない。そういう打算があるのならば、かえってこの女は信用できるかもしれないな。

 

「とはいえ、純粋な戦力としては我々はあまり頼りにならない。エムズハーフェン家のみならず、ミュリン家なんかのもと帝国諸侯連中もね。なにしろ我々は、あなた達リースベン軍に完膚なきまでにボコボコにされた直後ですもの。外征なんかに付き合ってたら所領が荒れ果ててしまうわ」

 

「わかっている。しかし、槍や小銃を振り回すばかりが戦争ではないのだ。直接的な戦闘では役に立てぬというのならば、それ以外の部分で努力してもらうことになる」

 

 薄笑いを浮かべるツェツィーリアに、わたしはピシャリとそう言い返した。莫大な利益が見込まれる以上、よほど旗色が悪くならない限りエムズハーフェン家が裏切る心配はないだろう。とはいえ、ヤドリギよろしく働きもしないで利益ばかりむさぼられてはたまったものではない。最低でも儲ける予定の金額分くらいは働いてもらわねば。

 

「商船、隊商。エムズハーフェンの持つ最大の武器はいまだに健在だ。貴殿はこれを総動員し、我々の兵站を支えてもらう。アル様式の軍制は強力無比だが、そのぶん物資の消耗は尋常ではないからな。王都まで進撃するためには、エムズハーフェン家の輸送力は必要不可欠なのだ」

 

 もともと、リースベン軍は外征に耐えられる軍隊ではない。エムズハーフェン領への侵攻ですら、ライフル兵・砲兵などの主力兵科の派遣は最低限しか行えなかったのだ。まして、今回の最終目標である王都はエムズハーフェン領よりなお遠方にある。王太子の首に銃剣を突き付けるためには、輸送力の抜本的な強化は必須だった。

 

「エムズハーフェンにとって、その手の仕事は本職みたいなものよ。期待された分の仕事くらいは、まあ果たせるでしょうね」

 

 ウィスキーを舐めるように飲みつつ、ツェツィーリアはうかがうような目つきでわたしを見た。

 

「それから、弾薬の供給も。小銃や大砲本体はともかく、弾薬の方は原料さえ揃えば素人でも作れる程度の代物だからね。エムズハーフェン領じゅうの職工を動員すれば、かなりの量が確保できるでしょう。弾切れについては心配しなくても結構よ」

 

「ああ、そう言ってもらえると助かる。……契約は忘れていないな? 兵器類の製造法を教える代わりに、今後五年はタダで弾薬を供給し続ける約束だ。今次戦争の弾薬費は貴様持ちということになる」

 

「あ、覚えてた? ざーんねん。忘れていたら、高値で売りつけられたところなのに」

 

 冗談めかした声でそう笑い、ツェツィーリアはグラスをコトンとテーブルに置いた。

 

「まあ、契約がある以上は仕方がない。今後は一切、こんな大サービスはしないわよ? せいぜい、元がどれるようどんどん撃ちまくることね」

 

「むろんだ」

 

 その言葉に、わたしは今日初めて本心からの笑顔を浮かべた。本格的な戦闘が始まった後、補給物資の目録を見たこの女がどんな表情を浮かべるか想像がついたからだ。本格的な大会戦、それも後装式火器を多用するような戦いで、どれほどの量の弾薬が射耗されるか……古い戦争観を残した彼女には、まだ想像もついていないに違いない。

 

「とはいえ、サービスをするからにはそちらもしっかり便宜を図ってちょうだいな。少しくらいの役得がなきゃ、こっちもやってられないからね」

 

「便宜」

 

 わたしは小さく呟いて、水の入ったグラスを傾け口内を湿らせた。

 

「商売人らしいやり口だな。……条件次第だ、言ってみろ」

 

「それほど面倒なことじゃないわ、安心して」

 

 笑みを深くするツェツィーリア。たいへんに胡散臭い表情だ。もう一口水を飲み、ため息をつく。この女と話しているととてもくたびれる。

 

「ちょっとばかり順番をいじってほしいの」

 

「何のだ」

 

「初夜の」

 

「ゴホッゲホッ!」

 

 予想外の要求に、わたしは思わずむせた。なんだ、初夜の順番って。いや、聞かずともわかっている。こいつは早くアル様を抱かせろと言っているのだ。王太子もたいがいに助平だが、どうにもこいつもその同類らしい。そんな気配など、いままでまったく見せて来なかったというのに……。

 

「…………考えてこう」

 

 しばしの黙考のあと、わたしはそんな答えを返した。こんな時にそんな馬鹿なことを言うな、そう言い返してやりたいところだったが、なんとか堪える。

 業腹ではあるが、初夜云々が交換条件になる時点でこいつは信頼できる相手だと理解できてしまったからだった。アル様を抱きたい気持ちがあるのであれば、そその相手が血筋以外に誇るべきもののないカスの手中にある現状には耐えがたいものがあるだろう。公的な利益と私的な感情、この二点で一致を見られるのであれば、我々の同盟もより堅牢な物になるに違いない。

 

「忘れないでほしいのだけど、アルは私にとっても花婿なの。苦難苦闘の末に得た良縁を、訳の分からないよそ者の手で潰されるわけにはいかない。少なくとも、彼を取り戻すまでは私とあなたの利害は完全に一致していると思ってもらって間違いないわ」

 

「なるほど、わかった」

 

 咳払いをしてから、わたしはしっかりと頷き返した。確かに、ツェツィーリアの言うことも一理ある。

 

「いいだろう、これより我らは義姉妹だ」

 

 わたしがそう言うと、カワウソ女はニッと笑って親指を立ててきた。……はあ、なんだかなぁ。頼りになるのは確かだが、コイツはどうにも油断ならん。いくさには協力してもらわねば困るが、それはそれとしてヤツが影響力を持ち過ぎないよう気を付ける必要もありそうだ。まったく、政治という奴は本当に面倒くさい。

 

「失礼します、ソニア様! 夜分に申し訳ありません!」

 

 などと内心ボヤいていると、突然部屋のドアが激しくノックされた。その声には聞き覚えがあった、わたし専属の従者の一人だ。普段ならば決してこのような時間に訪ねてくるような無作法者ではないのだが……声音からして、おそらくはよほどの緊急事態だ。いやな予感を感じつつ、ツェツィーリアに目配せする。

 

「……」

 

「……」

 

 彼女が頷くのを確認してから、わたしはドアに歩み寄って鍵を開けた。開いたドアの向こうに控えていた従者は、案の定焦燥の滲んだ顔をしている。

 

「どうした、こんな時間に」

 

「申し訳ありません」

 

 重ねて謝罪してから、従者は顔に浮かんだ汗をハンカチで拭う。わたしは無言で言葉の続きを促した。

 

「実は先ほど、リュミエール鎮護騎士団から密使が送られてきたのです。なんでも、火急に伝えておきたい儀があるとのことで……」

 

「リュミエール鎮護騎士団……リュパン団長からか。なんともきな臭いな」

 

 先の戦いで(くつわ)を並べた脳筋騎士の顔を思い浮かべながら、わたしは顔をしかめた。

 

「いったい、どのような要件なのだ」

 

「はい、それが……」

 

 そこで言葉を切り、従者は視線をさ迷わせた。そして、意を決した様子で口を開く。

 

「ヴァロワ王家は、宰相陣営に与する貴族はすべて朝敵である、との声明を発表したようです。その結果、リースベン軍をよく思わぬ一部の貴族グループが勝手に討伐軍を組織し、既にこのリースベンに向かっている模様だと」

 

「討伐軍……なるほど、ヴァールの小娘だな」

 

 先の戦争の後半、ずっとわれわれに食って掛かってきた羽虫のような貴族が居た。地方有力領主の長女、ヴァール子爵とその門閥たちだ。朝敵討伐という大義名分を得て、とうとう実力行使に出たわけか。小癪な……。

 

「王都遠征の前に足場固めが必要なことはわかっていたが……思っていたよりも動きが早い。どうやら、火事場泥棒の才能はあるようだな」

 

 いい度胸だ、ブチ殺してやる。そう言ってやりたいところだったが、そうもいかない。なにしろリースベン軍は、主力部隊をミュリン領に残したままなのだ。撤兵には少しばかり時間がかかる。主力が戻ってくる前に、討伐軍がリースベン領に侵入したら……すこしばかり、厄介なことになる可能性がある。さて、どうしたものか……。



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第591話 くっころ男騎士と新たなる不和

 僕がマリッタ騎兵隊を相手に始めた連続一騎討ち大会は、僅か五戦目で僕が敗北し幕が下りた。フランセット殿下は童貞百人を斬ったらしいが、僕の方は美女百人斬りとはいかなかったわけだ。なんとも残念な話である。……いやまあ、もちろん最初から勝てるとは思っていなかったが。

 ちなみに、敗因は体力切れだった。剣士としての僕は短期決戦型なので、持久戦に持ち込まれると辛い。結局は身体強化魔法の連続使用に肉体がついていかなくなり、マトモに動けなくなったところを首筋に剣を突き付けられた。一応「くっ、殺せ!」とは言ってみたものの、幸いにもトドメは刺されずに済んだ。大笑いはされたが。

 もっとも、命は無事だったものの貞操の方は少しばかりヤバかった。戦いの前に煽りすぎたのがいけなかったね。目をギラつかせた騎士に甲冑を剥かれ、危うく草原で初体験を迎えかけてしまった。これが未遂で済んだのは、ロリババアのおかげだ。僕が一騎討ちを続けていた間は観戦に徹していたダライヤだが、雲行きが怪しくなると再び騎兵隊に攻撃をしかけ始めたのだ。

 とはいえ流石の年齢四桁クソババアも、単独で精鋭騎兵の一個中隊を相手にするのはツライ。二十数名の騎士を電撃で気絶させるまでは良かったが、魔力効率の悪い雷魔法の多用は早期のガス欠を招いてしまった。身体能力的にはエルフより竜人(ドラゴニュート)のほうが遥かに優れているわけだから、魔力が切れればもう勝ち目はない。あとはもう袋叩きだった。

 

「あっ、おいコラ! 貴様ら、何をしている!」

 

 もはやこれまでか、と腹をくくったところで気絶していたマリッタが目を覚ました。彼女は僕をもみくちゃにしようとしていた騎士どもを見て憤激し、叱責を始める。おかげで、僕の二度目の貞操の危機はなんとか去ったのである。まあ、もちろん虜囚の運命からは逃れられなかったが……。

 そういう訳で、僕(と、ボコボコにされたロリババア)は身柄を拘束されレーヌ市へと移送されることとなった。現世はもちろん前世を合わせも捕虜になったのは初めての経験で、正直に言えばかなりの不安は覚えていたが……どうやら、幸いにもマリッタには捕虜を虐待する趣味はないらしい。移送に関しても、一目で王侯貴族用とわかる豪華な馬車で行われる始末だった。

 

「ああ、アルベール! 良かった、心配していたんだぞ」

 

 問題は、レーヌ市にたどり着いた後だった。街の正門の前で、なんとフランセット殿下が僕を出迎えたのである。朝日に照らされた彼女は満面の笑みを浮かべ、僕を抱擁する。まるで、離れ離れになっていた婚約者と再会したような態度だった。少なくとも、敵将扱いされていないのは確かである。それが却って僕の不安を再燃させた。

 独特過ぎる判断基準を持った敵手は苦手だ。なにしろ打ってくる手が読みづらい。エルフ内戦の時に戦ったヴァンカ氏などが典型例だな。彼女は、自分たちの……エルフの絶滅を目的として行動していた。それを読み切れなかった僕は、終盤まで敵の後手に回り続けてしまった。今回のいくさでも、同様の事態が発生するかもしれない。

 

「殿下、勘違いされては困ります。僕は、アデライドの元から逃げ出してきたわけではありません。あくまで敵としてマリッタの前に立ちふさがったのです……みんなを逃がすためにね」

 

 ムッとしてそう言い返すと、隣のロリババアが脇腹をつねってきた。余計なことを言うな、と言いたいらしい。確かに、情報を引き出すだけならば相手に話を合わせて歓心を買った方が合理的かもしれない。

 とはいえ……出まかせとはいえアデライドを悪く言うような真似はしたくないし、何より今のフランセット殿下はなんだか気持ちが悪い。彼女の現状認識に合わせた偽りの自分を演じるのは、正直かなり嫌なんだよな。なら、いっそ真正面から中指を立ててやった方がマシってもんだろ。

 

「僕は哀れな被害者ではなく、戦いの末に捕縛された捕虜にすぎません。軍人として、捕虜らしい扱いを要求いたします」

 

「ああ、やはり君は……いまだにアデライドに騙されたままなのか。なんという……」

 

 心底悲しそうな顔で、フランセット殿下は目を伏せる。

 

「彼の言う通りです、殿下。この男とその隣のクソボケ性悪ゴミカスエルフのせいで、我が騎兵隊は甚大な被害を被りました。強制的に剣を振るわされている者が、ここまで戦えるハズもありません。アルベールはあくまで敵として扱うべきでしょう」

 

 マリッタが口元をヒクつかせつつ言った。なかなかに複雑な表情だ。どうやら、彼女としてもフランセット殿下には思うところがあるらしい。僕はチラリとロリババアに目配せした。全身包帯まみれのミイラ女と化したクソババアは、「へっ」と生意気な声を出して肩をすくめる。殿下とマリッタの間にある微妙な断絶に気付いたのだ。

 

「むろん、君の騎兵隊の献身は賞賛されてしかるべきものだ。しかし、マリッタ。勘違いしてはいけないよ? 本物の邪悪は、他人を力づくで意に沿わせたりはしない。それは三流のやり口だ。巧言令色をもって他人を操り、自らは決して矢面に立たない。そういう輩こそが一流の邪悪なのだ。そう、例えば我が宮廷のもと宰相のようにね」

 

 そう語るフランセット殿下の口調は、まるで出来の悪い生徒を窘める教師のようだった。たしかに言っていることは一理あるが……操られているのは、僕ではなく殿下の方ではないのか? 少なくとも、去年までのフランセット殿下は思い込みだけでここまで暴走するような人間ではなかったはずだが。

 

「アルベールはそのような輩に操られるような人間ではありません!! 彼を舐めないでいただきたい!!」

 

 目をくわっと見開いたマリッタがいきなり叫んだ。突然の剣幕に、フランセット殿下が怯んで一歩後退した。……彼を舐めないでいただきたい、か。嬉しい事を言ってくれるねぇ。僕は苦笑しつつ、自らの首をそっとさすった。でもさ、マリッタ。それはさておき君の部下は別の意味で僕を舐めてるんだけど。一騎討ちで敗れて制圧された時、ドサクサに紛れて首やら頬やらをペロペロしてくるヤツがいたんだけど……君のところ、部下の教育どうなってんの?

 

「いや、確かにアルベールは聡明だが……」

 

 顔を引きつらせつつ言い返そうとしたフランセット殿下だが、すぐに視線を周囲に巡らせてコホンと咳払いをした。この場には、我々の他にもマリッタの騎兵隊や近衛騎士らが大勢集まっている。そんな中でマリッタと口論になるのは、統制面で悪影響があると考えたらしい。

 

「……いや、失礼。今はそんなことを話している場合ではなかったね。それより、マリッタ。そろそろアルベールの身柄を引き渡してもらって良いだろうか? 彼には十分な休息と過去を顧みる時間が必要だ。いつまでも、籠の中に閉じ込めておくのは本意ではない」

 

 誰が籠の鳥だよ、捕まえておいてよくいうよ。僕は思わず顔を引きつらせ首を左右に振った。いや、自由にしてやると言われて斬首でもされては困るので、あえては言い返さないが。まあ、何にせよ今の僕が囚われの身であるのは事実だ。唯々諾々とむこうの処分に従う以外の選択肢はない。

 

「お断りします」

 

 ところが、そこで思っても見ない事態が発生した。マリッタが、殿下の要請をバッサリと断ったのである。フランセット殿下の眉が跳ね上がる一方、マリッタは挑戦的な目つきで自らの主君を睨み返す。

 

「捕虜の身柄に関する権利は、当人を捕縛した郎党が得るというのが大昔からの慣例です。たとえ主君と言えど、この権利を横取りすることはできません。今のアルベールはわたしのモノなのです」

 

「……」

 

 マリッタの主張は正当なものだった。捕虜から得られる身代金は、騎士にとっては重要な収入源なのだ。そのため、捕虜を得た際の諸権利は手厚く保護されている。たとえ王太子殿下であっても、この慣例を覆すのは容易なことではない。

 フランセット殿下も元々は聡明な人物だ。あえて指摘されずとも、そんなことは承知している。彼女は口をへの字にして、僕とマリッタを交互に見た。どうやら、マリッタの反抗は彼女にとっても想定外のものであったようだ。

 

「……アルベールは捕虜ではない、あくまで保護すべき夫男子だ。捕虜の身柄に関する権利は彼には及ばない。マリッタ、君の要求は不当なものだ」

 

「わたし自身とはもちろん、あの姉上とも対等に渡り合うほどの剣士に対し、その言葉を向けるのは侮辱以外の何物でもありません。訂正していただきたい!」

 

 マリッタとの対決を先送りにしようとしたフランセット殿下の思惑は、あっという間に崩れ去ってしまった。いまや、マリッタは狂犬のような調子で殿下に噛みついている。……いや、それだけではない。彼女の部下であるスオラハティの騎士たちも、いつの間にか非友好的な目つきを王太子一派に向けていた。一触即発の雰囲気だ。

 

「なにやら、面白い状況になってきたのぉ」

 

 僕の隣で、ロリババアがボソリと呟く。……面白いかどうかはさておき、王室派の中に亀裂が生まれつつあるのは確かなようだった。どうやら、マリッタはあくまで僕をとっ捕まえるためだけに王太子殿下に協力していたようだ。なるほど、この状況なら……付け入る隙はあるかもしれないぞ。



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第592話 盗撮魔副官と火事場泥棒

 わたし、ソニア・スオラハティ……いや、ソニア・ブロンダンはいささか困っていた。今のわたしの使命は、一刻も早くあの好色な王太子を叩きのめしアル様をお救いすることだ。しかし、それを成すためにはまず手始めに目の前に転がる諸問題を一つ一つ片づけていく必要があった。失敗の許されぬ使命であるからこそ、足元を疎かにしてはならいのだ。

 ひとまず、わたしが至急こなさねばならない大きな仕事は二つ。王軍と戦うための戦力の集結、およびその後方支援体制の構築。そしてもう一つが……リースベンに迫る"自称討伐軍"への対処だった。

 

「予想どおり、討伐軍とやらはヴァール伯爵の門閥どもの寄せ集めのようです」

 

 そう説明するのは、宰相派閥の重鎮の一人レマ伯ジェルマンだった。討伐軍の初報を受てから、既に三日が経過している。その間に、我々は情報収集と臨戦態勢の構築にあたっていた。

 リースベンは、その辺境極まりない立地から情報収集にはまったく向かない場所だった。隣の町へ行くのに、早馬ですら何日もかかってしまうのだ。情報伝達が遅れるのも当然のことである。……しかし、今となってはそれも過去の話になっていた。最寄りの二都市、レマ市とズューデンベルグ市との間に電信線が敷設されたからだ。今や、我々はこの二都市とリアルタイムで通信することが可能になっている。

 今回、情報収集の主役となったのはそのレマ市の領主、ジェルマン伯爵だった。彼女はもともと王国南部屈指の大貴族だから、当然それなりの情報網も持っている。敵情をこっそりと探る程度ならばお手の物だ。

 

「兵力は約千二百、一個連隊程度ですね。わき目もふらずかなりの強行軍で南進を続けているという話ですから、目標はまず間違いなくこのカルレラ市でしょう」

 

 倦んだような目つきで周囲の連中を見回しながら、ジェルマン伯爵は言葉を続ける。臨時対策本部と化した領主屋敷の会議室に詰める顔ぶれは、三日前からほとんど変化していない。ジェルマン伯爵をはじめとした王国諸侯はもちろん、カワウソ女などの帝国諸侯もほとんどがカルレラ市に居残っていた。

 なにしろ、彼女らのほとんどは空路でカルレラ市にやってきているのである。同じ方法で所領に帰そうとすれば、王室派貴族の翼竜(ワイバーン)騎兵が妨害に出てくる可能性がある。ある程度の安全を確保するまでは、この街で待機してもらった方が良いと判断したのだ。

 

「たかが一個連隊か、我々もナメられたものだな」

 

 腕組みをしながら、小さく唸る。討伐軍とやらの主将はあのヴァール子爵だという話だ。先の戦争でのヴァール子爵はまったくもって戦意に欠けており、例外的にやる気を見せたのは無防備な集落を略奪するときだけだった。

 そんな女が大急ぎでこちらに向かっているということは、つまり……奴はこのリースベンを単なる餌場として見ているということになる。要するに火事場泥棒だ。小物なら小物らしく日和見でもしていれば良かったものを、あの傲岸不遜な恥知らずめ。よほど死にたいと見える。

 

「しかし、貴殿らの主力部隊はいまだにミュリン領に駐留しているのでしょう? 彼女らが戻ってくるより早く、敵が来襲したら……いささか厄介なことになるのではないでしょうか?」

 

 王国諸侯の一人がそう発言した。ジェルマン伯爵に臣従する小領主の一人だ。確かに彼女の言う通り、我々の兵力は敵に対して圧倒的に劣勢だった。ミュリン領の駐留部隊は大急ぎで撤兵準備にあたっているが、大部隊だけにその動きは鈍い。彼女らがカルレラ市に戻ってくるまでには、最低でも十日以上の時間が必要だろう。

 敵の来襲が早いか、わが軍の帰還が早いか……それは、はっきりいって予想がつかない。こういうときは、最悪の状況を想定して動くのが軍人というものだ。わたしの中では、既にヴァール軍が先行してリースベン領へ侵入するという想定で作戦が組み立てられつつあった。

 とはいえもちろん、本隊を放置しているわけではない。撤兵の指揮をさせるため、駐留部隊の将であるジルベルトとゼラは、戻るよう命じてある。もちろん、空路でだ。当然これにはかなりの危険が伴うから、十分な数の翼竜(ワイバーン)騎兵を護衛につけてある。

 ちなみに、諸侯らがカルレラ市で足止めを喰らっているのは、この作戦に我々の空中戦力のほとんどが抽出されてしまったせいだったりする。翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)といった空中戦力は貴重だ。複数の作戦を並走させるのは流石に困難だった。例外は、目的地が同じだったミュリン伯イルメンガルドだけだ。

 

「たしかに、こちらの即応戦力はそれほど大きいものではない。兵力面ではヴァール軍の方が優勢なのは事実だ。しかし……」

 

 わたしは意識して顔に笑顔を張り付けた。脳裏に浮かぶのは、いくさを前にしたアル様の顔だ。あの自信ありげな笑みは、いつだってわたしたちに勇気をくれたのだ。アル様のいない今、皆に勇気を与える役目はわたしが演じるほかない。

 ……今回の場合、自信があるのは事実だ。しかし、それでもなお先頭に立って皆を鼓舞するという役割(ロール)には緊張を覚えずにはいられなかった。なるほど、これがアル様が背負っていた重圧か。副官という立場では、この景色を見ることはできなかった。これぞ、怪我の功名という奴か。

 

「しかし、戦力と兵力はイコールではない。リースベンに残っている軍勢は、わが軍の中でも最精鋭に位置づけられる部隊だ。たとえ敵と正面からぶつかったとしても、勝利をもぎ取ることは十分可能だろう」

 

 自信満々にそう言い切るわたしだったが、その言葉にはいささか誇張が含まれていた。精鋭部隊云々の話だ。いま、リースベンに居残っている部隊は実用化されたばかりの後装式小銃・大砲へと装備を転換している最中の者たちだ。

 新装備と言えば聞こえは良いが、手に馴染んでいない武器では本領は発揮できないのである。彼女らの訓練は、正直まだ十分とは言い難いものがあった。流石に火事場泥棒風情に後れを取るとは思わないが、過信は禁物だろう。しょせん、ヴァール軍などは前座に過ぎないのだ。たとえ連中を殲滅できたとしても、受けた被害が多ければそれだけで敗北したのと同じことになってしまう。

 

「まあ、寡兵をもって大軍を破るのはリースベン軍のお家芸だからな。この程度の敵なぞ、恐れるに足らんだろう」

 

 豆茶のカップを片手にそんなことを言うのは、ズューデンベルグ伯アガーテ・フォン・ディーゼル。わが義妹カリーナの姉でもある彼女の顔には、何とも言えない皮肉げな笑みが浮かんでいた。なにしろ、ディーゼル軍は去年の初夏に大軍をもってリースベンに攻め寄せ、そのまま粉砕されている。当時のディーゼル家を率いていたのは彼女ではないとはいえ、その言葉には何とも言えない真実味があった。

 そのおかげか、不安げにしていた諸侯らの雰囲気もいくぶん和らいだ。なるほど、いい助け舟だ。感謝を込めて視線を送ると、アガーテは薄く笑ってから豆茶を一気に飲み干した。

 

「何にせよ、しょせんヴァール軍などは前菜に過ぎんのだ。この程度の相手に苦戦するリースベン軍ではあるまい?」

 

 しかし、そこでわざわざプレッシャーをかけてくる阿呆がいた。あのカワウソ女、ツェツィーリアだ。彼女はいかにも性格の悪そうな笑みを浮かべつつ、会議室に居並ぶ面々を順番に見回した。

 

「むしろ、これは良い機会だ。我ら自身が観戦武官となって、新たなる戦争のカタチをまじまじと観察できるのだからな。我らは生徒になったつもりで、ソニア殿のいくさ働きを眺めていれば良いのだ」

 

 こ、こいつぅ……他人ごとだと思って好き勝手言いやがって。義姉妹になることは認めたが、やはりこの女は好きになれない。アル様と一緒に、クソババアの救出も急ぐ必要がありそうだ。陰険には陰険をぶつけるのが一番だからな……。

 

「ふん、言ってくれる。良いだろう、貴様があっと驚くような戦いぶりを見せてやるさ」

 

 口ではそう言っても、錬成不足の部隊に無茶をやらせるわけにはいかない。それこそ、ディーゼル戦の時のように山道に防御陣地を築いて敵軍の遅滞をおこうなうのが精々だろうか。

 幸いにも、あのときと違って今回は援軍が確実にやってくる。ジルベルトたちだ。ヴァール子爵に落とし前を付けさせるのは、彼女らが戻ってきた後でも遅くはないだろう(アル様の事を思えば一分一秒でも無駄にしたくはないが、急いては事を仕損じる)。

 まったく、自分の小物ぶりがイヤになるな。これがアル様ならば、現有の戦力でも華麗にヴァール軍を殲滅し、こしゃくなカワウソ女にも目にものを見せていただろうに。正直かなり悔しいが、どうしようもない。兎にも角にも、わたしの出来ることから順番にこなしていくしかないな。

 

 



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第593話 義妹騎士と塹壕堀り

 私、カリーナ・ブロンダンはままならない日々を過ごしていた。お兄様が誘拐されたという話は、もちろん私も聞いている。ソニアお姉様から直接経緯を説明されたときは、危うく卒倒しそうになったほどだった。

 早く助け出してあげないと。そう焦る一方、現実は甘くはなかった。私という人間は、お兄様やソニアお姉様と違って単なる新米騎士に過ぎないわけで……できることなんて、それほど多くはない。

 結局のところ、お兄様がさらわれようと私はいつもの日常を続けるほかなかった。リースベン軍の軍人としての日常をね。私の中隊は新型の後装式小銃が優先配備されていたから、これの転換訓練で大忙しだった。

 この強力な小銃を使いこなせれば、お兄様だって簡単に助け出すことができる。その一念で、小隊のみんなと一緒に来る日も来る日も射撃練習。鉄砲の耐久試験かと勘違いするくらい、とにかく撃ちまくった(何挺かの小銃は実際に破損した)。

 

「王国方面より、自らを討伐軍と称する集団がわが領に向け進軍中との情報が入った。迎撃準備のため、我々はこれより北部山脈地帯へ向かう!」

 

 状況が変わったのは、それから数日後のことだった。カルレラ市郊外の駐屯地で臨時集会が開かれ、ソニアお姉様が皆の前でそう宣言したのだ。この間戦争が終わったばかりなのに、また戦争。

 普段ならビビるところなんだけど、この時ばかりは少しだけホッとした。お兄様が無事かどうかすらわからない状況で訓練に明け暮れるのは、正直つらかったからね。たとえ命の危険があったとしても、実際に倒すべき敵が目の前に現れてくれた方が気が楽だった。

 そういうわけで私たちは急遽荷物をまとめ、街道を通って北部へと向かった。ここには、大陸南部の平原地帯とこのリースベン半島を隔てる峻険な山脈がある。どうやら、ソニアお姉様はここで敵軍を迎え撃つ腹積もりらしい。要するに、去年のリースベン戦争で私たちディーゼル軍に対して使われた作戦の再演ってわけね。

 

「なぁんで騎士が穴掘りなんかやらなきゃならないんだよ~!」

 

 山脈の一角に陣を構えた私たちは、いきなり穴掘りをさせられた。防御陣地を構築するためだ。なにしろ、リースベン戦争におけるディーゼル軍の敗因は、多重防御陣地によって騎兵の衝力をそがれたことにあるからね。ソニアお姉様が前回に範をとった戦術を選択するのは自然な流れだった。

 そういうわけで、私たちは武器を小銃や剣からエンピ(穴掘り用の道具。ショベル、あるいはスコップともいう)に持ち替え、山道の固い路面を掘り返すこととなった。リースベン軍は日常的に穴掘りの訓練をやっているから、私たちにとっては慣れた仕事ではあるけれど……部隊の中に一人だけ、やたらと文句の多い女がいた。

 

「アンネリーエ、騎士たるものが兵の前で情けないことを言うんじゃありません」

 

 腰に手を当てながら、そう言ってやる。私の視線の先にいるのは、いかにも高慢そうな顔のオオカミ獣人だった。この女の名は、アンネリーエ・フォン・ミュリン。そう、ディーゼル家の宿敵であるミュリン家の一人娘だ。

 先の戦争で我々と衝突したミュリン家だったけど、今では彼女らもリースベンの傘下に入っている。それはまあいいんだけども、私がアンネリーエを……未来のミュリン家当主を預からなきゃならなくなったものだから大変だ。お兄様はディーゼル家とミュリン家の和解のためだと言っていたけれど、仕事を振られた方としてはまったくもって迷惑極まりない。

 

「騎士が兵の前で穴掘りするのはいいのかよ、それこそ威厳を損なうんじゃないのか?」

 

 なにしろこのアンネリーエはなかなかの難物だ。いちいち突っかかってくるし、頭でっかちだし、私のことをナメてくる。正直に言えば私では手に余る相手なんだけど、ほかならぬお兄様に任された以上は放り出すわけにもいかない。私はため息をつき、ムカツクオオカミ女の目をにらみ返した。

 

「なに、文句でもあるわけ?」

 

「あるにきまってるだろ。穴掘りするなとは言わんが、そんなことは兵に任せておけば……」

 

「自分の墓穴くらい自分で掘りなさい。それがリースベンの流儀よ」

 

 ピシャリとそう言い返し、私はゆっくりと深呼吸した。短い付き合いだけど、この女の操縦方法はお兄様から教えてもらっている。コイツは、頭から押さえつけるよりも理詰めで説得したほうが効果的だ。とにかくものすごい勢いで塹壕戦の効果を説き、反論を封じる。

 もちろんアンネリーエもやられるがままではなく、隙を見て言い返してくることもあった。でも、私は一度塹壕戦をやられて大敗北している身だからね。実体験に勝る説得力はなく、最終的にこのオオカミ女も納得せざるを得なくなった。

 そんなトラブルはありつつも、作業は思った以上に順調に進んだ。皆が普段以上に頑張ってくれたおかげだった。何しろお兄様は末端の兵士からも慕われている。そんな人が敵軍にとらわれてしまったわけだから、みなの気合の入り方は尋常ではない。

 

「この短期間でよくこれだけの防御陣地を作り上げた。カリーナ、お前ももう一人前だな……」

 

 その甲斐あって、この場所に到着してから三日もたつ頃には立派な塹壕ができていた。それを見たソニアお姉様は目を丸くし、優しく微笑みながら直接誉めてくれたほどだ。正直かなりうれしかったが、お姉様はすぐに笑みを引っ込め真剣な表情になる。

 

「本来であれば、これに加えてさらにもう一段防御線を用意したいところなのだが」

 

 そういってから、お姉様は私に思わせぶりな視線を向けた。兵に聞かせられない話だと直感した私は、無言でうなづきスッとお姉様のそばに寄る。案の定、お姉様はその長身をかがめて私に耳打ちをしてきた。

 

「レマ伯ジェルマン殿から聞いた話だが、敵軍はレマ市のすぐそばまで迫っているようだ。ただ、城攻めの準備は確認されていないという話だから、おそらく連中はレマ市を迂回して直接リースベンに突っ込んでくる腹積もりらしい」

 

「迂回……ですか」

 

 どうにも性急にすぎる動きだなぁ。レマ市といえば、リースベンに最も近い街の一つだ。そこを確保せずに進撃するということは、つまり補給ルートを確立するつもりがないということになる。そこまでして進軍を急いでいるとなると、敵軍はやっぱりジルベルト様率いる主力部隊がいない隙を見計らって、空き巣をやらかすつもりっぽいわね。敵将はよほどのロクデナシっぽい。

 まあ、聞いた話では敵軍はせいぜい一個連隊程度の兵力しか持ってないという話だしね。レマ市はそこそこ防備の固い都市だから、そこを攻めるとなると長期戦は必至になる。そんなに時間を浪費している余裕はない、という考え自体はわからなくもないけれど……。

 

「山越えが始まったら、もう猶予はほとんどない。ジルベルトとの合流はおろか、第二防衛線の構築も間に合わんかもしれん。お前もそのつもりで準備をしておいてくれ」

 

「了解です」

 

 こりゃあ、兵に聞かせられないのも当然ね。私は自然と渋い表情になってしまいそうになり、根性で何とかそれをこらえた。敵軍の進軍スピードはこちらの予想を超えている。ロクデナシではあっても、油断のできる相手ではないってことかな? とにかく、警戒が必要だ。

 

「予備陣地がないくらい、大したことじゃないです。お兄様のためにも、全身全霊で頑張ります」

 

「よく言った、それでこそわたしの義妹だ」

 

 お姉様はニヤリと笑い、私の頭をガシガシとなでてくる。や、やめてよぉ……兵が見てるのに。恥ずかしいなあ……いや、褒められてうれしくないわけではないんだけど。うううーん……

 



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第594話 義妹騎士と現れぬ敵(1)

 敵軍接近の報をうけて、一週間が経過した。予定では、今頃は熾烈な防衛戦が始まっているはずだった。けれど、なぜか今の私は塹壕の中に座り込んでボンヤリと空を眺めている。きょうの空は深い青色で、大きな入道雲がいくつも浮かんでいた。

 耳を澄ましてみても、戦場音楽の類はまったく聞こえない。兵たちの雑談、鳥の声、エルフが立木打ちをする際に発する叫び(丸太を木刀で殴りまくる立木打ちはお兄様が始めた鍛錬法だけど、最近はエルフ内でも大流行している)、そんな日常的なおとばかりが耳に入ってくる。まったくもって平和な野営地の日常だった。

 

「暇ぁ……」

 

 私の隣に座り込んだアンネリーエが、新式小銃特有の蝶番付きの装填口(煙草入れに似た構造だ)をパチパチと開いたり閉じたりしながら言った。私は無言で彼女の足を蹴っ飛ばす。暇なのはわかるけど仮にも士官(アンネの階級は一応准尉ということになっている)が兵の前でそんな態度を見せちゃダメでしょ。

 

「痛ってぇ! おいコラ、カリーナ。リースベン軍は鉄拳制裁は禁止じゃなかったのか?」

 

「この程度で鉄拳とか言ってたら下士官に指さされて笑われちゃうわよ」

 

 視線すら向けずに、投げやりに言い返す。もちろん、頭の中では別のことを考えていた。敵はいつ現れるんだろうか? いくらなんでも、遅すぎる。この山脈地帯は、峻険ではあっても幅はそれほど広くない。山道に沿って進軍すれば、三日で突破できるはずなのに……敵軍は何をやってるんだろうか?

 おかしい、いくら何でもおかしい。私は塹壕からヒョイと頭を出し、戦場を見回した。溝と土塁だらけの混沌とした合戦予定地の一角には、牛の頭蓋骨をかたどった見慣れた旗が立っている。昨日到着したばかりの援軍第一弾、ディーゼル軍騎兵隊だった。あと数日もすれば、第二弾であるジルベルトお姉様の部隊も到着する手はずになっていた。

 ソニアお姉様の作戦では、援軍は間に合わない前提で話が進んでいたはずだった。けれど、現実はそうなっていない。ありがたいといえばありがたいけれど、素直に喜ぶ気にはなれなかった。ヴァール軍とやらは、今どうしているんだろうか? まさかとは思うけど、私たちの知らないルートを使って迂回でもしてるんじゃないでしょうね……。

 

「カリーナ! カリーナはいるか?」

 

 私の思案はそんな声によって中断された。慌てて立ち上がり周囲を見回すと、地面に掘られた通路の向こう側から見慣れた竜人(ドラゴニュート)が歩いてきているのが見えた。私の直属の上官、ヴァレリー隊長だった。

 

「はい、カリーナ少尉はここにおります」

 

 大声でそう答え、急いで隊長のもとへと駆け寄った。一応私はリースベン軍の棟梁であるお兄様の義妹なんだけど、だからといって上官に舐めた態度をとることはできない。当のお兄様本人から、そういった行為は厳に慎むべしと命じられているからだ。コネで優遇されるような軍隊は健全ではない、というのがお兄様のモットーらしい。

 

「何か御用でしょうか、中隊長殿」

 

 型通りの敬礼をしてから、要件を聞く。私は小隊長で、ヴァレリー隊長は中隊長だ。普通ならば、何かの用事があるのならば私のほうが呼びつけられる立場にある。にもかかわらず中隊長本人が出張ってくるということは……何か、普通ではない命令を言いつけられるじゃないだろうか?

 

「うん、まあ、大したことじゃないんだが」

 

 兵どもを見回しながら、ヴァレリー隊長は言った。恥ずかしい話だけど、今の私の部下たちは皆腑抜けている。もちろん上官の前だから姿勢は正しているけれど、内心のゆるみが明らかに態度に出ていた。有事というよりは、平時の雰囲気だ。

 正直かなり情けないけれど、ある意味これも仕方のないことかもしれない。お兄様の誘拐という大事件と、突然の実戦任務の実施。そして何より敵軍接近の報告で、兵どもの緊張は否が応でも高まっていた。にもかかわらず、実際にはまだ一度の戦闘も発生していない。肩透かし感を覚えるなというほうが無理がある。

 

「ウチの中隊の連中はどこも手持無沙汰でね、なんとも締まりのない状態だ。暇を持て余していてもいいことなんてないから、指揮本部へ行って何か仕事がないか聞いてきてもらえないか?」

 

 ああ、なるほど、そう来たか。もちろん、これを言葉通りに捉えるほど私は世間知らずじゃない。これは、要するに情報収集を任されたということだ。

 どうやら、ヴァレリー隊長も私と同じく現状にヤキモキしていたらしい。いくら戦闘がなくとも、敵の動向がわからないことには腰が落ち着かない。総大将であるソニアお姉様ならば何か知っているのではないかと中隊長は踏んでいるのである。

 なにしろ私とお姉様は義姉妹だから、この手の仕事を任せるにはぴったりの人材だろう。お兄様がコネを否定しても、現場の人間にとってはそんなこと知ったこっちゃないということだ。少しばかり辟易した気分になったけど、まあ現状に不満を覚えてるのは私も一緒だしね。ヴァレリー隊長の命令という大義名分がもらえるのであれば、御用聞きくらいやりましょうとも。

 

「了解しました。……先任下士官、私は指揮本部へ行ってくる。小隊のほうは任せた」

 

「はっ!」

 

 振り返ってそう命じると、先任下士官はまじめ腐った顔でそう応じた。もともとはジルベルトお姉様の部下だったというこの中年竜人(ドラゴニュート)は、私が生まれる前から軍人をしているという古強者だ。万一私の外出中に敵が奇襲を仕掛けてきたとしても、彼女に任せていれば問題なく対処できるだろう。

 

「アンネ、あなたは私と一緒に来なさい」

 

 一方、階級は一応士官でもあんまり頼りにならないのがアンネリーエだ。コイツは小隊に残しておいても仕方がないので、副官代わりに連れていくことにした。まあ、コイツに副官が務まるかといえばどうにも怪しい部分があるけれど。……いや、能力的には十分秀才なんだけどね、コイツ。ただ、性格面がね……。

 

「いいのかよ?」

 

 ちょっと驚いた様子で眉を跳ね上げるアンネ。元敵である彼女を指揮本部に連れていく、という判断が意外だったらしい。たしかにコイツが復讐心からスパイ行為に手を染める可能性もなくはないけれど……。

 ……ディーゼル家はもちろん、エムズハーフェン家すらリースベンについた現状では、コイツが今さら私たちに弓を引くのはあまりにもリスクが大きすぎる。何かあったら、今度こそミュリン家は滅亡待ったなしだからね。お家の存亡がかかった状況なら、さすがにそんな阿呆な真似はしないでしょ。

 

「お兄様から、あんたのことは身内同然に扱えって言われてるからね。まあ、いいでしょ」

 

「身内、身内かぁ……へへへ」

 

 ちょっとうれしそうに両手で頬を抑えるアンネリーエ。……なに、その反応。キモ……。

 

「それでは、カリーナ・ブロンダン、行ってまいります」

 

 まあ、アンネのことなんかどうだっていい。問題は敵の出方だ。待てど暮らせど敵がやってこないこの状況は、いくらなんでも異常だからね。増援でこっちの戦力が増強されるのはいいことだけど、向こうが何らかの奇策を仕掛けてきている可能性もある。場合によっては、作戦を改める必要があるかも……。

 いや、まあ、ソニアお姉様がいるんだから、それほど心配をする必要はないかもしれないけどね。敵の進軍が遅れているのも、お姉様が講じた何らかの策のおかげかもしれないし。とにもかくにも、今は情報収集が第一ね。



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第595話 義妹騎士と現れぬ敵(2)

 待てど暮らせど現れない敵軍の動静を掴むため、わたしはアンネリーエを連れて指揮本部を訪れた。

 普通なら、末端の最下級指揮官に過ぎない少尉風情がいきなり指揮本部に出向いたところで門前払いされるだけだけど……これでも私は一応お兄様の婚約者にしてソニアお姉様の義理の姉妹だからね。よほどのことがない限りは邪険には扱われない。今回も、特に止められることもなく本部へと入ることができた。

 塹壕と土塁によって築かれた防衛線の後方に設営された大型の壕、それが今の指揮本部だ。穴倉の中という点では私たちの詰めている塹壕と同じだけど、当然ながら設備は段違いによかった。大きな木製天井が壕のほとんどを覆っており、その下には広いテーブルや軍用の折りたたみ椅子、そして今や作戦指揮には必要不可欠の道具となった電信機などが所狭しとならんでいた。

 いざ合戦ともなれば前線と変わらぬほどの修羅場となる指揮本部も、現在は平常通りの穏やかな空気が流れている。弛緩している、とまでは言わないが、忙しげに働いている者の姿はほとんどない。やはり、指揮本部のほうでも敵軍が接近する兆候は掴んでないみたいね。それを見た私はそう直感した。

 

「ああ、カリーナか。どうした?」

 

 そんな指揮本部の最奥に置かれた司令官席で、ソニアお姉様は難しい顔をして地図をにらみつけていた。しかし、私の姿を認めるとすぐにその表情を消し、笑みを浮かべて出迎えてくれる。戦闘を前にしているとは思えないほど柔らかい態度だ。

 いや、むしろ態度が柔らかすぎる。私がリースベンに身を寄せた直後よりははるかにマシになったとはいえ、ソニアお姉様の私に対する態度は相変わらずぶっきらぼうなものが基本だった。普段のお姉様であれば、こういう時に笑みを見せることはまずありえない。

 ……やっぱり、お兄様が攫われたことで動揺してるんだろうな。それに、初めて総大将として一軍を指揮する緊張もあるんだと思う。意識して平静を装っているから、こういう違和感のある態度になるんだ。

 

「いえ、その、実はですね……」

 

 こういう状態のお姉様に、余計な負担はかけたくない。私は社交辞令をすっとばし、単刀直入に本題に入った。敵軍がいつまでたっても姿を見せないせいで、前線では緩みが出始めている。そう伝えると、ソニアお姉様はさすがに渋い表情をうかべた。

 

「なるほど……話には聞いていたが、そこまでとは」

 

 腕組みをしながら、お姉様は小さくうなった。

 

「勘違いしないでほしいのですが、みなのやる気や士気が欠けているというわけでは断じてないのです。なにしろ、文字通りのおっとり刀でカルレラ市を飛び出した挙句、いくら待っても肝心の敵が出てこないわけですから……肩透かし感を覚えないほうが無理があるというものでして」

 

 念押しするような口調でわたしはそう答える。私のせいで余計な綱紀粛正が図られたりしたら、とっても困るからね(そんなことになったら兵たちの不満の矛先が私に向けられる)。言い訳はキッチリやっておかなくちゃ。

 

「お兄様を取り戻したいという気持ちは、みな同じです。ただ、やる気があってもその矛先を向ける相手がいないことには、空回りするのも仕方のない部分があります」

 

「それはわかっている。……しかし、そのような状況を手をこまねいてみているわけにもいかん」

 

 そういってから、冷めきった香草茶を一気に飲み干すお姉様。普段よりも幾分乱暴な所作だった。

 

「気を引き締めるよう訓示を出す程度ならばいくらでもできるが、そんなお仕着せじみたやり方で士気が上がるとも思えない。何か、効果的な策があればよいのだが」

 

「今回の気の緩みの原因は、敵の動きが思ったよりもずいぶんと遅いことにあります。ですから、ヴァール軍がいつ頃やってくるのかという目安さえわかれば、兵たちも気合を入れなおすことができるでしょう」

 

 やっとのことで、私は本題に入った。肝心なのはそこなのだ。期限もわからないままボンヤリと待ち続けるよりは、だいたいの目安を知ったうえで待機しているほうがよほど気分が楽だからね。

 

「……それがわかれば苦労はない」

 

 ところが、お姉様から返ってきた答えは無情なものだった。その顔には、明らかな苦渋の色がある。下っ端にそんなことは教えられないからすっとぼけておこう……みたいな雰囲気じゃないわね。もしかして、上層部のほうでも敵軍の現在位置がつかめてないの? マズくない、ソレ。

 

「そんな顔をするんじゃない」

 

 お姉様が私の頭をペシリと叩いた。もちろん、痛みを感じるほどの力はこもっていない。そして溜息を吐いてから、近くの席に座っていたある女性へと視線を移す。レマ伯のジェルマン様だ。

 

「ヴァール軍はレマ市を迂回し、その近郊の森へと侵入しました。こちらの追跡を逃れつつ、任意のタイミングでリースベンへとつながる山道へとなだれ込むためでしょう」

 

 当のジェルマン様が苦々しい口調で説明を引き継ぐ。口ぶりからは、何とも言えない倦んだ気配が滲み出していた。おそらく、同じような内容の説明をすでに何度も繰り返した後なのだろう。

 

「むろん、山道の入り口には関所がありますから、ヴァール軍が強行突破を図ればすぐに報告が飛んできます。しかし、今のところそのような情報は入ってきておりません」

 

「敵軍の足取りは、森の中へ入ったきり完全に途切れてしまっているんだ」

 

 その言葉に、私の顔は自然とひきつった。なんだか、すっごく陽動っぽい動きだ。そうなると、別ルートから本命の別動隊がカルレラ市を目指していると考えるのが自然なわけだけど……。

 

「貴様の懸念ももっともだが、むろんわたしとて陽動の可能性は考慮している」

 

 何も言っていないのに、お姉様は言い訳をはじめた。たぶん、内心が表情に漏れていたんだと思う。

 

「しかし、南部大平原からリースベン半島に侵入できるルートはそれほど多くない。軍隊が通過できる規模となると、今我々が布陣しているレマ=カルレラ街道と、それから帝国領に接続したズューデンベルグ=カルレラ街道の二本きりだ」

 

 その説明に、私は大きくうなづいた。そうなのよねぇ……これだけ進軍ルートが限られている状況で、敵別動隊の接近を見逃すなんてありえない。

 

「後者の街道を使おうと思えば、当然ながら敵軍はズューデンベルグ領に侵入しなくてはならなくなる。さすがに、それを見逃すほどディーゼル軍の目はザルではないぞ」

 

 そんな補足をするのは、アガーテ(元)お姉様だった。まあ、普通に考えてそりゃそうよね。

 

「ううむ……別動隊がいないとなると、敵軍はなぜ森へ入ったっきり出てこないんでしょう?」

 

「わからん。わからんから困っている」

 

「まさか、森の獣に襲われでもして遭難したとか?」

 

「一個連隊まるまる遭難か、それは傑作だ」

 

 私の冗談に、ソニアお姉様はクツクツと小さく笑った。疲れたような笑い声だった。

 

「……いや、マジでそうかもしれませんよ」

 

 そこで、それまで黙っていたアンネリーエが口をはさんできた。思わずそちらに目をやると、彼女は何とも言えない微妙な表情で顔を振る。そして口を一文字に結んでから、ちらりと指揮本部の端っこへと目を向けた。

 

「……」

 

 そこでは、エルフの代表のひとりであるフェザリアさんが王侯らしい優雅な所作で焼き芋を食べていた。

 

「森に棲むのは獣ばかりではありませんから、ホラ……。うちのばあちゃ、もとい、祖母もそういう連中に襲われてずいぶんとひどい目にあいましたよ」

 

「…………ま、まさか」

 

 アンネの言わんとしていることを理解し、ソニアお姉様の顔色が青くなった。……えっ、なに、つまりエルフどもが勝手に打って出て、ヴァール軍をせん滅しちゃったって言いたいワケ? うわ、普通にやりそう……。

 

「……ん? ないごて、みんなしてこっちを見て。(オイ)になんぞ用け?」

 

 視線に気づいたフェザリアさんが、芋を食べる手を止めてこちらを見てくる。誰かがゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。私やアンネ、そしてジェルマン様やアガーテ姉様の視線がソニアお姉様に集中した。真相を問い詰めるよう、圧力をかけているのだ。

 

「…………」

 

 ソニアお姉様はしばらく逡巡した。そして口をへの字に結んでから、大きなため息をつく。

 

「…………なあ、フェザリア。一つ聞いていいか?」

 

「なんじゃ?」

 

「その……まさかとは思うが、勝手に部下を前進させて、敵軍に攻撃を仕掛けさせたり……してないだろうな?」

 

 勇気を振り絞ったような声で質問するお姉様に対し、フェザリアさんの反応はかなり緩慢だった。しばし考え込み、焼き芋の端っこを口に放り込み、咀嚼して飲み込んでから再び口を開く。

 

「さすがん(オイ)もそげんこっはしちょらんぞ。そもそも、敵軍は森ん籠っちょっちゅう話じゃろ。そげん状況なら、(オイ)なら間違いなっ四方八方から火を放って敵を蒸し焼きにしちょい。お(はん)らに内緒でそげんこっをすったぁ無理じゃらせんか?」

 

「た、確かに」

 

 かなりほっとした様子で、ソニアお姉様は何度もうなづいた。そして、視線をジェルマン様のほうへと移す。彼女は苦笑いを浮かべつつ、首を左右に振った。

 

「むろん、私のもとに森林火災の情報は入ってきておりません。確かに、フェザリア殿の手出しはないようですね」

 

 その言葉で、場の空気も緩んだ。エルフといえば火計、そういうイメージがすっかりとしみ込んでいる私たちにとって、火事の有無は言葉による弁明よりもよほど信用のできる判断材料だった。でも……

 

「……よくよく考えてみると、エルフ火炎放射器兵はフェザリアお姉様直属の部隊にしかいませんよね? 余計なことをしたのが新エルフェニア出身のエルフなら、火計を使わない可能性が高いんじゃないですか」

 

 私の指摘に、ソニアお姉様の顔色が悪くなった。油をさし忘れた古カラクリのようなぎこちない動きで、再びフェザリア様のほうを見る。

 

「確かにそん通り。僭称軍の連中は(オイ)ん管轄外じゃっでな、ないかしでかしてん(オイ)んもとに報告は上がってこん」

 

 そういってから、フェザリア様はおもむろに立ち上がった。そして、コート掛けに吊ってあったポンチョを手に取る。

 

「僭称軍の連中んこっなど知ったことじゃなかが、余計な(いたらん)手出しをしちょっようなら止めんにゃならん。少しばかり調べて来っど」

 

 そのまま、フェザリア様はこちらの返答も聞かずに指揮本部を出て行ってしまった。残された私たちは、無言でお互いを見やるばかり。皆の心の中には、嫌な予感が暗雲のように立ち込め始めていた。……そして今から三時間後、その予感は現実のものとなった。



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第596話 盗撮魔副官と蛮族エルフ(1)

 わたし、ソニア・ブロンダンの心中はなんとも微妙な心地に満ち溢れていた。敵軍がいつまでたっても現れないせいだ。戦争は計画通りに進めるもの、というのがアル様式用兵術の基本であり、どんな原因であっても基本的に予想外の要素は忌むべき存在なのだ。

 状況が動いたのは、太陽が西の地平線へと沈み始める直前の時刻になった頃だった。カリーナらの指摘を受けてエルフ族が余計なことをしていないか調べに出ていたフェザリアが、本陣に戻ってきたのだ。

 

「お(はん)の言うたとおりじゃった」

 

 憮然とした表情でそう言ってから、フェザリアは背後をふりかえった。その強い目つきの先には、血まみれのポンチョ姿に木剣という一般的エルフ・スタイルの兵士三人が得意満面の様子で控えている。そのうちの一人の背中には、大き目の桶が背負われていた。

 

「い、言った通り、というと……?」

 

 わたしは無意味なことを聞き返した。本当を言えば、フェザリアが何を言っているのかはすでに理解できていたのだ。しかし、それはあまりにも認めがたい現実であった。無意味な問いを返すのも仕方のないことだった。

 

「おい」

 

 腕組みをしてため息をついてから、フェザリアはエルフ兵三名をにらみつけた。言われたほうは、一瞬不満げな気配を出してエルフの皇女の眼光を正面から受け止める。

 その態度だけで、コイツが正統エルフェニアの所属ではないことが理解できた。"正統"の連中は、フェザリアを君主として扱っているからだ。対して、"新"の連中は彼女に対して不敬な態度を隠さない。エルフェニア皇族を過去の遺物として扱っているのだ。

 

「……ちょかっの訪問、相すんもはん。(オイ)はネズ氏族んカナンちゅう者でごわす。こっちは我が郎党んソネとリェン」

 

 しかし、そんな微妙な空気も長くは続かない。エルフ兵の一人が、丁寧な口調でそう挨拶したからだった。わたしは鷹揚にうなづきつつも、頭の中では彼女の言葉を反芻していた。

 作戦に参加しているエルフ兵の名簿には一通り目を通しているが、カナン・ネズなどという名前には覚えがない。たんに、忘れているだけだろうか?そうであればよいのだが、まさか……。

 

「こん度はソニアどんにぜひお願いしよごたっ儀がごぜましっせぇ、こうして参上した次第」

 

「お願い」

 

 おうむ返しにする私に「へい」と応えるとと、ネズとやらは隣のエルフ兵に目配せをした。桶を背負っているヤツだ。彼女はしっかりとうなづき、桶を地面に卸す。そして、おもむろにその蓋を開けた。すると、周囲に濃密な血の香りがふわりと広がる。……とても嫌な予感がしてきたな。

 

「ひとまず、こちらが手土産でごわす。どうぞ納めたもんせ」

 

 そういってネズが桶から引っ張り出したのは、人間の生首だった。種族はどうやら竜人(ドラゴニュート)のようで、その顔には死してなおこびりついた恐怖の表情が張り付いている。いきなりのことに、戦場慣れした諸侯らからも同様の声が上がった。

 

「ヴァール子爵……!」

 

 ジェルマン伯爵が、震える声でそうつぶやいた。その言葉に、わたしもハッとなる。あまりに変わり果てた姿なのでわかりづらいが、言われてみればその顔には見覚えがあった。先の戦いでさんざんアル様に絡んできたあの憎たらしい小悪党、ヴァール子爵だ。事象討伐軍の総大将に任じられていたはずの彼女が、なぜ生首に……!?

 

「暗殺してきたのか?」

 

 苦々しい口調でそう聞く。いくらエルフが強いとはいっても、ヴァール軍の兵力は連帯規模の千二百名。これだけの戦力を相手に、わずか三名で正面から戦い挑むのは蛮勇を通り越してただの阿呆だ。森林という環境を生かし、一気に本陣を強襲して大将の首だけ取ってきたと考えるのが自然だ。……いや、まあ、この想定でもヴァール軍がよほどの無能なことには変わりないのだが。

 

「あん程度ん相手に暗殺なんて真似をすったぁあまりにも情けなかやろう。もちろん正面から打ち破ったど」

 

「……三人で?」

 

「若様をお救いしようとちゅう志を持ったものが、わずか三名しかおらんはずがなかやろう? 近所んエルフ衆と話し合うた結果、二百名弱ほどん烈士が集まったで、当然みなで仕掛け申した」

 

「……で、どうなった」

 

「敵はみな森の糧になりもした」

 

 兵力二百対千二百でなんで普通に勝ってるんだ……いや、いや、今はそんなことは重要ではない。敵よりは少ないとはいえ、百数十名の兵力というのはかなり大きい。そもそも一個中隊規模のエルフ兵が動いたとなると、やはりこれは単なる現場部隊の暴走などではない。それだけの規模の兵が動けば、わたしに報告が入らないハズがないからだ。しかも、近所のエルフ衆なる気になる単語も出ていたことだし、つまりこいつらは……

 

「……フェザリア。もしやこいつらは……リースベン軍の所属ではない、ただの農民たちなのではないか?」

 

「ご明察」

 

 端的にすぎるフェザリアの答えに、私はため息をつくことしかできなかった。リースベン軍には多くのエルフ兵が従軍しているが、それはあくまでごく一部の者たちだけだ。大半のエルフは剣をクワやスキに持ち替えて畑の開拓に精を出している。

 リースベンの風土を知り尽くした彼女らの農法は、わが領の食糧生産高を押し上げるための切り札だと目されている。緊急時とはいえ、そんな彼女らに再び剣を取らせるような真似はわたしにもできなかった。

 ……そもそも、いくら強くともエルフは統制に従わない連中だ。あまり多く抱え込みすぎると、間違いなく暴走を起こす。だからこそ、わたしは彼女らに「領地でおとなしく畑をいじっているように」と念押ししてあったのだが……どうやら、その命令は最悪の形で裏切られてしまったようだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。それって、つまり」

 

 エルフ慣れしているわたしですら、こんな調子なのだ。慣れない諸侯たちの困惑ぶりは尋常ではなかった。彼女らを代表するように、ズューデンベルグ伯アガーテが顔中脂汗まみれになりながら口を開く。

 

「軍役を課したわけでもない農民どもが勝手に百人以上集まって、越境して、敵軍に攻撃を仕掛けて、しかも勝った。コイツはそう言っているのか?」

 

「……その通りだ」

 

「なんで……」

 

 アガーテは普段の快活ぶりをすっかり失い、細い声でそうつぶやいた。気分はわかる。とてもわかる。

 

「いや、おかしいですよ、それは!」

 

 ジェルマン伯爵が珍しく声を声を荒立てた。気分はわかるがエルフがおかしいのはいつものことだと思う。

 

「リースベン軍は最短でこの場にやってきて防御陣を敷きましたし、それ以前に山道の出入り口には関所が設けられています。我々以外の軍勢が勝手に山脈を超えてわが領に入るなんて、絶対に不可能ですよ!」

 

 ……ヴァール軍がいたのは、レマ領……つまりジェルマン伯爵の領地の端にある森だった。エルフ軍が勝手に攻撃を仕掛けたとなると、当然ながらその舞台となったのはくだんの森の中だろう。知らぬうちに自らの所領が戦場になっていたとなれば、さしものジェルマン伯爵も冷静ではいられまい。

 

「こん山脈には、エルフしか知らん隠し道がいくつかごわす。リースベン軍のごつ大軍勢ん通過は難しかどん、百人二百人であれば小分けにすりゃ通るっで……」

 

 ところが、ネズから返ってきた言葉は予想よりも数段悪いものだった。なんだ、隠し道って。そんなのがあるなんて、わたしは聞いてないぞ。……よく考えたら、いぜん知らぬ間にエルフどもがズューデンベルグ領に入り込んで盗賊働きをしていたこともあったな。アレも、今回と同じように隠し道とやらを使ってコッソリ越境していたのだろうか。

 

「ミ゜ッ」

 

 ジェルマン伯爵はセミの断末魔のような声を上げてへたりこんだ。知らないうちに自らの所領へ中隊レベルのエルフが勝手に侵入していたのだ。そのショックは尋常なものではあるまい。わたしはもちろん、諸侯らも明らかな同情の目を伯爵へと向けていた。

 というか、そもそもこれはわたしはジェルマン伯爵に謝罪せねばならない状況だな……。領民が勝手に越境してよそ様の領地を戦場にするなんて、領主名代としてはかなりまずい状況だ。

 急いでジェルマン伯爵に手を貸して起こしつつ、わたしはネズに苦々しい表情を向けた。まったく、エルフどもめ……なんということをしてくれたのだ。

 

「……言いたいことはいろいろとあるが、ひとまずは貴様の言い分を聞こう。願いがあると言ったな?」

 

「ハイ」

 

 恭しい態度で頷くネズ。しかし、その敬意が向かう先がわたしではないことは明らかだった。彼女に限らず、エルフどもすべてが忠誠を誓っているのはアル様個人なのだ。

 

「どうぞ、我らを軍勢に加えて頂きとう。若様をお救いすっまでは、わっぜ畑仕事など手につきもはん。どうぞ、我らに弓を引っ機会を与えて頂こごたっ」

 

 予想通りの返答に、わたしは深い深いため息をついた。やはり、わたし程度の器量ではエルフを御し切れなかった。彼女らの助勢はたしかに有り難いが、とてもではないが大勢のエルフを制御する自信はない。さあて、どうしたものか……



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第597話 盗撮魔副官と蛮族エルフ(2)

 どうやら、わたしはエルフの行動力を過小評価していたようだった。彼女らは直情的で、しかも反骨精神にあふれた種族だ。立場と信念が対立すれば、一切の躊躇も見せずに後者を選ぶ精神性の持ち主なのである。

 そういう連中が、アル様の危機を耳にすればどうするか? ……開拓中の畑を放り出してでも、助太刀にやってくる。当然の帰結であった。わたしが念押しした程度で止まるはずがない。

 来てしまったものは仕方がないとはいえ、かなり困った。これはもちろん、エルフの数が増えれば増えるほど統制が緩むという用兵上のジレンマの要素も大きいが、それに加えて畑の問題もあった。

 なにしろ、リースベン軍で兵士をやっている者以外のエルフは、ほぼ全員が農民なのである。現在の季節は晩夏。彼女らが育てているサツマ(エルフ)芋にとっては、収穫直前の大事な時期だった。

 当然ながら、そんな大切なタイミングで世話をする者が畑から離れれば、今年の収穫自体がフイになってしまう可能性が高い。食糧生産に難を抱えるリースベンにとってこの問題は、アル様の安否に並ぶほどの重大事なのである。

 

「どうぞ、我らを軍勢に加えて頂きとう。若様をお救いすっまでは、わっぜ畑仕事など手につきもはん。どうぞ、我らに弓を引っ機会を与えて頂こごたっ」

 

 深々と頭をさげてそんなことを言う農民エルフ・ネズに、わたしは深々とため息をつかざるを得なかった。正直に言えば、うるさい帰れと言いたいところではある。もちろん、彼女らが足手まといということは断じてない(むしろ戦力的には心強いくらいだ)のだが……。

 統制問題に、食料問題。この二つがあるから、エルフ農民からの追加徴兵は避けたというのに。ああ、まったく……どうして世の中はこうままならぬことばかりなのか。いや、単にわたしの見込みが甘すぎただけかもしれないが。

 

「……」

 

 慎重に思案しつつ、こっそりと周囲をうかがう。レマ伯ジェルマンやズューデンベルグ伯アガーテなどの諸侯は、困惑しつつわたしとネズを交互に見ていた。エムズハーフェン侯ツェツィーリアやミュリン伯イルメンガルドは顔を青くしてエルフ兵らから距離をとっている。

 ……当然ながら、助け舟などは期待できない状況だな。いや、そもそもこんな状況で助けをもとめるような女に、諸侯をまとめる総大将は務まらない。ここでは、わたしは独力で道を切り拓かねばならないのだった。

 アル様ならば、このような場合はどういう判断を下すのだろうか。いまさらになって、わたしは己の過ちに気づく。わたしは、あの方の背中しか見ていなかったのだ。隣に立ち、ともに同じ景色を見ていれば、このような時にも迷わずに済んだだろうに……。

 

「……まずひとつ、言っておきたいことがある」

 

 長い逡巡のあと、わたしはゆっくりと口を開いた。この判断が正しいのか否か、それはわからない。けれども、指揮官は決断を躊躇してはならないのだ。アル様の言葉を思い出しながら、わたしは話を続ける。

 

「寡兵をもって大軍を破り、大将まで討った。なるほど、たいへんな大手柄だ。しかし、こちらになんの連絡もよこさずそれをやった、というのはよろしくない。見ろ、この陣地を」

 

 わたしはそう言って、指揮壕を一瞥した。

 

「この塹壕線は、敵軍を迎え撃つべくリースベン軍が総力を挙げて構築したモノだ。その労力が、貴様らが連絡一つよこさなかったせいで無駄になった。感情論を無視しても、これはリソースの浪費以外の何物でもない」

 

「……」

 

「いいか? 今回のいくさの主敵は、ヴァール軍などではないのだ。ガレア軍は、みなが一致団結し効率よく戦わねば勝てぬ相手。余計なところで労力を空費している余裕などない」

 

 内心の不安を隠しつつ、わたしは言葉を続ける。はたして、このアプローチは有効なのだろうか? 頭から押さえつけるばかりでは、エルフは従わない。それは、ダライヤのクソババアを見ていればよくわかる。さりとて手綱を緩めればよいというわけでもないのが難しいところだ。

 

「良いか、ネズ。このいくさにはアル様のお命がかかっておるのだ。失敗は万が一にも許されん。負けても己が命を失うだけ、などという考えは今すぐ捨てよ。勝率を一厘でも上げるためならば、泥でもなんでも啜る覚悟が必要なのだ」

 

「議バ抜かすなッ!!」

 

 そう叫んだのは、ネズではなかった。首桶を背負っていた一般エルフ兵だ。

 

「若様んお命がかかっちょい? そげんこっは承知ん上じゃ! やったやお前(おはん)、ないごて穴掘りなんぞやった! チンタラ守りを固めちょっ暇があったや……」

 

お前(はん)こそ議バ言うなッ!!」

 

「アバーッ!?」

 

 突然、ネズが木剣を抜刀した。黒曜石の刃がきらめき、エルフ兵が真っ二つになる。まき散らされる先決と臓物に、ツェツィーリアが「ひぃ……」と小さな声を漏らす。声を出したのは彼女だけだったが、それ以外の諸侯らの顔色も真っ青になっている。例外は、フェザリアなどのリースベン蛮族だけだった。

 

「従者が失礼つかまつった」

 

 返り血を浴び、なんとも凄惨な有様になったネズは、顔色も変えずに頭を下げる。

 

「ソニアどんの言ことももっともじゃ。味方同士で相争うちょっては、勝てるいくさも勝てんくなっ。我らエルフん歴史が、そいを証明しちょる」

 

 ネズの声音はひどく穏やかだった。人ひとりを切り捨てた直後とは思えぬ平静ぶりが、かえってエルフ族の恐ろしさを際立たせている。

 

「やり方は誤ったが、我らん若様をお救いしよごたっちゅうきもっは決して貴殿らに劣っもんじゃなかちゅう自信はあっ。今回ん仕儀ん責任はすべて(オイ)にあっ故、部下や同志らには責めを負わせんでいただこごたっ」

 

 そういうなり、彼女はゆっくりと腰を下ろして地面の上で胡坐を組んだ。……おっとぉ? なにやら、また空気がきな臭い方向に流れ始めたような……。

 

「責任を取っ用意はできちょい。(オイ)が腹をカッ捌っで、そいでどうぞ許したもんせ」

 

 その言葉の余韻が消えるよりも早く、ネズは腰からもう一本の刃物を抜いた。エルフが藪を切り開くのに使う、先のとがった山刀だ。彼女はそれを逆手に持ち、躊躇なく自らの腹に突き刺した。

 

「介錯しもすッ!!」

 

 残る一人のエルフ兵が、一切の躊躇もなく木剣を抜いた。……頭で考えるよりも早く、身体が動く。背中に負った愛剣を抜き放ち、風切り音を上げてネズの首に迫る木剣を弾き飛ばした。

 

「落ち着け、貴様らッ!!」

 

 鋼と石の衝突音の余韻も消えぬうちに、私はそう一喝した。ああ、まったく……こいつらは命をなんだと思っているんだ。ふざけるんじゃあない。

 

「わたしがいつ死んで詫びろと言った? エエッ!? わたしを舐めているのか? 沙汰も出ぬうちに勝手な真似をするなッ!!」

 

 そう叫びながら剣から手を放し、山刀を握るネズの腕をつかんだ。さしものエルフもこれには驚いたようで、肩をびくりと震わせる。

 

「わが軍に加わりたいというのなら、結構! 認めようではないか。だがな……」

 

 吠えるような声音で言いつつ、わたしは左手で土塁の壁を指し示す。そこには、〇に十字をかたどったリースベン軍の軍旗が飾られている。

 

「あの旗のもとに集うからには、命の無駄遣いはゆるさん! 敵兵十人を殺すまでは、死ぬことはまかりならんぞッ!!」

 

(オイ)はもうさっきのいくさで十人以上殺しちょるんじゃが……」

 

 脂汗にまみれた顔でネズが弁明した。……ええい、こざかしい言い訳をッ!

 

「うるさい! 十人殺したら次は百人を目指さんか、馬鹿者! 向上心が足らんぞッ!!」

 

「……ふ、ふふっ、ははははっ、そりゃ最もじゃな。(オイ)が間違うちょりました……ごふっ」

 

 軽く笑ってから、ネズは湿っぽい咳とともに血を吐いた。腹に深々と山刀が刺さっているのだから当然のことである。

 

「衛生兵! 衛生兵はおらんか! さっさとこの馬鹿者を手当てせよッ!!」

 

 戦闘ならまだしも、こんなくだらないことで兵士の命を散らしては指揮官としての器量が疑われてしまう。まったく、エルフどもの短慮にもこまったものだ。内心ボヤきつつも、わたしはネズの傷口を抑えてやった。

 

「……さすがはソニア。アルベールの代理を任されるのは伊達じゃないってことか」

 

「なんだって?」

 

 ツェツィーリアが青い顔に苦笑を浮かべつつ、何かをつぶやいた。よく聞き取れなかったのでそう返したら、彼女は笑みの苦みを深めながら、首を左右に振る。

 

「いや、手慣れてるなぁって」

 

 ……いやなことを言ってくれるなあ、このカワウソ女。エルフへの対応なんかには慣れたくはないのだが……。



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第598話 盗撮魔副官と義勇兵たち

 ヴァール軍は知らぬ間に壊滅していた。あまりにショッキングすぎてしばらく布団にこもりたくなるような事実であったが、何はともあれ目の前の障害は消え去ったのである。代理とはいえ総司令官であるわたしには、次の戦いに備えた準備をする義務があった。

 ひとまず、わたしは防衛配置についていた部隊に警戒解除を命じ、そして勝手にレマ領へと越境していたエルフ集団との合流を命じる。エルフ連中は放置していると何をしでかすかわかったものではない。早急に首輪をつけてやる必要があった。

 

「人の獲物を勝手に横取りするとはいい度胸だ! ふざけた真似をしやがって……」

 

短命種(にせ)風情が雄々しかことをいうじゃらせんか。獲物は早か者勝ちが森ん掟ぞ」

 

 合流自体はスムーズに進んだが、そのあとはトラブルが頻発した。リースベン軍の兵士たちと新参エルフどもの間でトラブルが頻発したのだ。

 まあ、これはある意味当然のことかもしれない。兵士などというものはもともと荒くれの集まりだし、ましてや今は皆に慕われていたアル様がさらわれ気が立っている者も多い。勝手な真似をしたエルフどもに突っかかっていく命知らずも少なからずいた。

 むろん、対するエルフも言われるばかりではない。わが軍の野営地には、刃傷沙汰が起こりかねないような不穏な空気が流れ始める。

 

「リースベンに住まう民は、種族の区別なく皆リースベン人なのだ。同胞同士で剣を向けあうくらいならば、もっと建設的な方向で競うがいい。たとえば、挙げた敵の首級の数とかな」

 

 それらを収めるべく、わたしはまさに東奔西走した。リースベン人うんぬんはアル様が時折口にされていた『国民意識』なる考え方をもとにした口から付け焼刃の理論だったが、それでもなんとか兵士どもは矛を収めてくれた。私自らが一兵卒のもとに出向き、説得を行ったのが功を奏したのかもしれない。

 まあ、わたしとしてもここは必死だ。なにしろ、我らの本陣には宰相派の主要な諸侯がそろっている。この肝心な時に、結束が乱れている姿を見せるわけにはいかなかった。

 

「お待たせいたしました、ソニア様。たいへんな遅参、もうしわけございません」

 

 そうこうしているうちに、ジルベルトの部隊も到着する。ライフル兵一個大隊、アリンコ重装兵一戸中隊、山砲一個中隊からなるわが軍の中核部隊だ。彼女らとの合流により、わが軍は完全編成状態となる。戦力的な不安はこれで完全に解消されたわけだ。

 

「なあに、気にするな。結局、我らはまだ一発の銃弾も消費していないしな」

 

 笑顔でジルベルトを迎えつつ、わたしは内心安堵のため息をついていた。わたしの手元にあった戦力は、新兵器を装備した信頼性の怪しい部隊ばかり。このような海のモノとも山のモノとも知れぬ武器は、実践証明済みのキチンとした兵器と併用せねば安心できないのである。

 

「もっとも、楽しみにしていた新兵器の実戦試験ができなかったのは残念だがな。ヴァール軍ならば、後装式鉄砲《じゅうほう》の試し撃ちの相手としてはちょうどよかったろうに」

 

 森で野良エルフ集団に襲われたヴァール軍は悲惨な末路を迎えた。現地の領主であるレマ伯ジェルマンによれば、逃亡兵のたぐいすらほとんど確認されていないという。森の奥で知らぬ間に起きていた惨劇に、ジェルマン伯爵の顔色はたいへん悪かった。

 ……どう考えてもこの件は我々リースベン勢が悪い。ジェルマン伯爵には、しっかりとした謝罪と賠償をしておいた。今や我々は事実上の陣営盟主だが、だからといって傲慢な組織運営をしていてはあっという間に結束が乱れてしまう。新興ゆえの地盤の弱さは、我々の明白な弱点だった。もっとも、敵対する王室派のほうも結束に関しては怪しい部分があるのだが……。

 

「頼もーう! 我らルンダ氏族郎党衆、若様救出んためん援軍として参った!」

 

 それはさておき、増援としてやってきたのはジルベルトの部隊ばかりではなかった。王国の宰相派貴族の率いる諸侯軍と……そして、リースベンの蛮族連中なども三々五々に集まってきたのである。

 前者は予定通りだったが、後者に関しては完全に想定外である。どうやら、わたしがネズ他の野良エルフどもを義勇兵として認めた一件がどこかから漏れたらしい。連中が良いのならば自分たちも、とばかりにエルフやらアリンコやらが生業を放りだして参陣してきたのだ。これにはわたしもだいぶ参ってしまった。

 

「ちょっとちょっとちょっと、これはだいぶ不味いですよ」

 

 この世の終わりのような顔をした兵站将校から泣き言が飛んでくる。正直、わたしも泣きたい気分だった。なにしろ、我々のもとに集まってきた"義勇兵"の数は、エルフだけでも千人を超えていたのである。アリンコ、鳥人などを含めれば、増強連隊を編成できそうな兵力が無から湧いてきていた。

 とくにエルフがこれほど集まってきたのはさすがに予想外だった。リースベンに住むエルフの人口は三千人余りと言われているから、その割合は三人に一人……いや、もともとリースベン軍に属しているエルフ兵を含めれば、二人に一人ものエルフがこの戦いへの参戦を望んだことになる。動員率としては空前絶後の数字だった。

 

「この状態では、軍をひとところにとどめておくのは困難だな。動き続けねば、その地域の食料を食い尽くしてしまう……」

 

 しかし、軍事的に見れば兵力の増大はメリットばかりを生むわけではない。軍の規模が拡大するにしたがって、様々な問題も出てくるものだ。その中でも特にわかりやすくて顕著なのが、物資の消費量の増大だった。

 ようするに、糧食が足りなくなったのである。わたしは慌てて進軍計画を立て始めた。備蓄食糧が足りなくなれば、徴発や市場からの購入に頼るほかない。しかし今のように山道の途中に布陣していては、それすらままならないのである。早急に人里に出る必要があった。

 まあ、そうでなくともこんな場所でチンタラしている場合ではない。なにしろ、事態は一刻を争うのである。急ぎで進発の準備を整える。

 

 

「おい、貴様ら。助太刀は助かるが、さすがに集まりすぎだ。お前たちはリースベンにいったん戻れ」

 

 そんな準備の最中にも、わたしはエルフ義勇兵に向けてたびたびそう語りかけた。千名ものエルフ兵など、統制できる自信がない。さらに言えば兵站への負荷もとんでもないことになってしまうし、そもそもリースベン本土からこれだけの数のエルフを引き抜くのも反対だった。

 なにしろ、彼女らの大半は本来ならば剣ではなく農具を握るべき者たちなのだ。リースベンの食料事情を考えれば、こんな数の農民を徴兵するなど冗談ではない。さもないと今年の芋の収穫高が悲惨なことになってしまう。

 

「アルベールどんをお助けすっまではそげんわけにはいかん! ここで立たんほど我らエルフは恩知らずじゃなか!」

 

 ところが、エルフどもはなかなか首を縦に振らない。彼女らはとんでもなく野蛮だが、それでいて存外に情に篤い種族なのだった。正直に言えば嬉しさ、頼もしさを感じないわけではないが、それはそれとして有難迷惑には違いなかった。

 

「気持ちはありがたいが、畑を放り出してしまうのはいかがなものか。あと二か月もすれば、芋の収穫時期ではないか。それまでの世話、そして収穫そのものを……どうする気なのだ?」

 

 エルフの大好物、芋を持ち出して説得を試みるが、彼女らは頑として首を縦に振らなかった。

 

「芋畑は、短命種(にせ)ん農民らが面倒を見てくるっことになっちょい。安心せい!」

 

「アルベールどんの危機じゃと説明したや、みな快う引き受けてくれたぞ!」

 

 ……くそ、農村の開拓民らもグルなのか! 竜人(ドラゴニュート)の開拓民と原住民エルフの間には相変わらず深い溝があるが、アル様はそのどちらからもたいへんに慕われている。

 なにしろ、あのお方は暇さえあれば農村を回り、農民たちとひざを突き合わせて話をし、時にはそこらの民家で一夜を明かすこともあるような人なのだ。その人徳が、この緊急時にいたって開拓民と蛮族らの間で一時の架け橋となったらしい。

 感動的な出来事だが、それによって発生する諸問題はすべてわたしの肩にのしかかってくる。こういうことは、いったん我々に相談してから実行してもらいたいところだった。

 

「お(はん)らの志はようわかった。お(はん)らのような義侠心ん持ち主こそ、まさにエルフん理想ん在り方じゃ」

 

 困り切ったわたしに助け舟を出してくれたのは、フェザリアだった。彼女は皇女らしい威厳ある態度で、"新"も"正統"も問わずすべてのエルフ兵らに語りかける。

 

「だが、外征ばっかいが兵子(へご)ん役割じゃなか。むしろ、そん本分は男子どんが安心して暮らすっ場所を守っことにあっとじゃ。アルベールは誰よりも女々しかが、そいでも男は男。そん帰る場所を守っとも、おなごであっお(はん)らの仕事じゃなかとか?」

 

「フェザリアの言うとおりだ。先のヴァール軍の件を思い出せ。奴らのような卑しい火事場泥棒は、決して少なくないのだ。そのような者どもの備えとして、リースベンにはそれなりの守備戦力を残しておかねばならぬ」

 

「むぅ、確かにそれももっともじゃが……」



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第599話 くっころ男騎士の虜囚生活(1)

 僕が虜囚の身となってから、一か月が経過した。むやみやたらと時間ばかりが過ぎたが、正直に言えば状況はそれほど変化していない。何しろ、フランセット殿下とマリッタはいまだに「アルベールの"所有権"は自分のモノである」と主張してお互い譲らず、話し合いは千日手の様相を呈しているのである。

 両者の対立が深まる一方、争点であるはずの僕は半ば放置されたような状態になっていた。結論が出るまでは、お互いに手出しできない状態にあるからだ。おかげで穏やかな捕虜生活を送れたのだから、まあ有難いといえば有難い。できればそのまま延々と内輪もめしていてほしいものである。

 そんな中で唯一変化したものは、僕の収監場所だった。当初はレーヌ城に軟禁されていた僕だったが、すぐに馬車(無駄に豪華な車両だった)に放りこまれ、しばしの旅に出ることになったのである。それに同行したのは、フランセット殿下とマリッタ。そして大量のガレア諸侯たち。……要するに、ガレア軍そのものがレーヌ市を引き払ったのだ。

 

「神聖帝国との間で相互不可侵協定が結ばれた今、我々がレーヌ市に滞在し続ける理由はない。アデライド・カスタニエとのいくさに備え、王都に帰還するべし!」

 

 フランセット殿下の号令一下、万を超える大軍勢が一斉に移動を開始した。もちろんレーヌ市にはある程度の守備戦力が残留しているが、王軍の主力部隊はすべていったん王都へと引き返す腹積もりのようだ。まあ、今となっては王軍の主敵は神聖帝国ではなく宰相派閥であるわけだから、拠点を移すのも当然の話だろう。

 馬車に揺られること数週間。我々はやっと王都へと到着した。はっきり言ってかなり不本意な里帰りではあったが、見慣れた街並みを目にした僕はほっと安堵のため息をつく。旅の間も延々とフランセット殿下とマリッタの綱引きは続いていたから、間に挟まれた僕としては心が休まらないこと甚だしい。故郷の景色に安心を覚えるのも致し方のない話だった。

 

「捕虜の収監室にしちゃあずいぶんと豪勢だね」

 

 とはいえ、王都に帰ってきても僕の立場に変化はない。相変わらずの虜囚生活だ。僕は王城の一室にブチこまれ、そこで再びの軟禁をうけることになった。

 とはいえ、別に不自由は感じない。拘束具の類は使われていないし、収監場所も牢屋などではなく普通の……というにはいささか豪華すぎる寝室だった。少なくとも、住環境に関してはリースベンに居たころよりも向上しているくらいだろう。

 そのうえ、見張りに申告すれば短時間の外出まで許されるのだから、至れり尽くせりというほかない。捕虜とは思えぬ好待遇である。

 ……とはいえ、やはり囚われの身であることには変わりない。情報からは遮断されているし、好き勝手にあちこち出歩くような真似もできないわけだ。おまけに労役の類も課せられないとなれば、当然あっという間に暇を持て余すことになる。

 

「……」

 

 大きく息を吐きながらベッドの上でごろごろする。寝心地の良いふかふかのマットレスに、実用性を疑いたくなるむやみに豪華なデザインの天蓋。いやはや、寝具一つによくもまあここまで金をかけられるものである。

 むろん、豪勢なのはベッドばかりではない。テーブル、椅子、ランプ。それに壁に掛けられた絵画、天井のシャンデリア。この部屋にある調度品のすべてが、贅の限りを尽くした最高級品なのだった。

 なんだか、ドールハウスの住人になったような気分だ。普段使い用とはいえドレスまで着せられているお陰で、余計にその印象が強くなる。正直に言えば居心地はかなり悪かった。

 

「殿下は僕をなんだと思ってるんだろうね」

 

 ボヤキの言葉は虚飾にまみれた部屋の空気に溶けて消える。なんとも空虚な気分だった。せめて話し相手がいれば良いのだが、ロリババアは別室に収監されている。見張りに頼めば面会も許してくれるという話だったが、さすがに暇つぶしのためだけに会いに行くのもはばかられた。

 

「……はぁ」

 

 何度目になるのかわからないため息をついたところで、ノックの音が聞こえてきた。僕は即座にベッドから立ち上がり、服装を整えた。敵の前で隙を晒すような真似はしたくない。ここはまだ戦場なのだ。

 

「どなたでしょうか」

 

 数秒で身支度を終わらせ、努めて冷静な声でそう聞く。昼食は一時間ほど前に終えたばかりだ。アフタヌーンティーにはまだ早いよう思われる。

 

「余だ。失礼しても良いだろうか?」

 

 返ってきた声には聞き覚えがあった。フランセット殿下だ。彼女は近頃、毎日のように僕の部屋を訪れて雑談をしていくのである。飽きないね、などと思いながら「どうぞ」と返事をする。

 

「やあ、ご機嫌は如何かな?」

 

 王太子は入室するなり開口一番にそう聞いてきた。愉快痛快ベリーハッピーですよ、などと返してやろうかと思ったが、もちろん思うだけに止めておく。無駄な挑発なんてのは負け犬の遠吠えのようなものだ。僕はまだ負けを認めていないのだから、堂々とした態度を崩すべきではない。

 

「ぼちぼちですね」

 

「ぼちぼちか。……ふふっ、君はどんな時でもブレないなぁ」

 

 楽しげに笑うフランセット殿下。こうしてみると、気のいい若者にしか見えないのになあ……どうしてこんなことになっちゃったのやら。やはり、捕まったからといってノンビリしているわけにはいかないな。彼女が変貌してしまった理由を探らなくては。

 とはいえ、単刀直入に事情を聴いたところで素直に白状するとも思えないんだよな。さりとて寝技みたいなやり方で相手を誘導できるような技能は僕にはないし……なかなか難しいところだ。

 どうにも方針が定まらないため、ひとまずは穏当に対応する。当たり障りのない挨拶と社交辞令を交わし、近況報告なども聞く。もちろん軟禁状態の僕には語るべき近況などないので、あくまで殿下の話を聞くだけだが。

 

「なるほど、とうとう裁判沙汰ですか……」

 

「ああ、不本意ながらね。マリッタもなかなか執念深い」

 

 なんとも不愉快そうな表情でフランセット殿下が吐き捨てた。話題の中心は、もちろん僕を巡る殿下とマリッタの争いである。この問題が表面化してからすでに一か月が経過しているが、事態は沈静化するどころかむしろヒートアップしつつあった。もはや話し合いで解決するのは不可能、ここは裁判で公正な判断を下すべし。それが殿下の主張だった。

 なんとまあ、ひどい話である。いくらなんでもグダグダすぎないだろうか? 王党派と宰相派の衝突は確実であり、近いうちに大戦争が発生するのは間違いあるまい。そんな中で内輪もめをするなんて、正直にいえば正気とは思えないね。

 ……宰相派といえば、アデライドは無事だろうか。彼女やネェルなどが捕まったという話は聞かないから、まあ追手から逃れることには成功したんだろうが……万が一ということもある。心配だな。

 さらに言えば、心配の種はアデライドばかりではない。ソニアのことや、リースベンの領民のことや、この王都に住んでいる両親のことなど、心配事はいくらでもあった。しかし、それを表に出すわけにはいかない。弱みを見せれば付け込まれるだけだ。リースベンの責任者としては、あくまでも泰然自若とした態度を崩すわけにはいかなかった。

 

「まあ、マリッタの言い分に理がないのは明らかだ。極星の御前で公正なる裁判を行えば、おのずと正しい判決が下るだろう。だから、アルベールは安心して結果を待っていてほしい」

 

 優しい声でそんなことを言う殿下だが、正直どちらが勝とうが大した違いはないような気がする。マリッタはどうやら僕を流刑にするつもりだという話だが、殿下は殿下で僕を籠の鳥かドールハウスに収まった人形のようにしようとしている気配がある。己の望む未来からはほど遠い結末になるという点では、どちらの未来も似たようなものだ。

 

「ハハハ……まあ、心配はしていませんよ」

 

 そんなことになる前に、ソニアやアデライドが助けに来てくれるだろうしな。僕はそう心の中で付け加えた。そのあたりに関しては、全面的に彼女らを信用している。そうでなければ、自分の身を相手に差し出すような作戦などできるはずがない。それこそ、あそこで討ち死にしていたほうがマシというものだろう。

 

「それはよかった」

 

 こちらのそんな思惑などまったく気づかない様子で朗らかに笑う殿下。いや、案外うすうす勘づいている可能性はあるな。いまでこそ人の話を聞かなくなってしまった彼女だが、かつては確かに聡明な人物だったのだ。変化の急激さからして、目が濁ってしまったというよりは都合の悪い事実から目をそらすようになってしまった、というのが正しい気がする。

 

「まあ、何はともあれこの問題もじきに解決する。君を縛る鎖の一つが解けるというわけだ。めでたいね」

 

 現状一番太い鎖はアンタだよ。内心そう突っ込んだが、もちろん僕は奥ゆかしいのでそんな言葉は口にしない。ただ、控えめに微笑んでいるだけだ。あー、しんど。戦うための無茶ならばドンとこいって感じだが、こういう忍耐は正直あんまり好きではないね。

 

「……さて、楽しくない話題はこれで終わりだ。そろそろ本題に入るが、王家の宝物庫で君に似合いそうな首飾りを見つけてね。こんな部屋で不自由をさせているお詫びだ。どうか受け取ってほしい」

 

 などといいながら僕にビロード張りの小箱を押し付けてくるフランセット殿下。彼女は僕の部屋を訪れるたびに、こうして手土産を持ってくるのである。実のところ、いま着込んでいる男性用ドレスもその一つだった。ドレスも首飾りもはっきりいって不要なんだが、今の僕には拒否権などない。

 仕方なく受け取り、許可を得てその箱を開ける。中に入っていたのは、大粒のルビーをあしらった豪華なシルバーのネックレスだった。デザインは悪くないが、僕が着けるにはいささか派手すぎるんじゃなかろうか。いや、そもそもどんなデザインだろうとネックレスなんぞかけたくないが……着けないわけにもいかないんだろうなぁ。

 はぁ、ヤンナルネ。この人、僕を着せ替え人形か何かだと勘違いしていないだろうか? プレイガールを自認しているのなら、もうちょっと気の利いたアプローチをしてもらいたいところなんだけど。下手な拷問より心が削れるぞ、コレ。ソニア、頼むー……早く助けに来てくれー……。



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第600話 くっころ男騎士の虜囚生活(2)

 フランセット殿下が僕の部屋から退出したのは、それから三十分ほどたったころだった。その間に交わされた会話は益体のない世間話程度で、はっきりいって得られるものは何もなかった。こうも時間を浪費していると、なんだか申し訳ない気分になってくる。今頃、ソニアたちは反攻作戦の準備を整えている最中だろうに……まったく、僕は何をしているんだろうな?

 殿下を見送った後、僕は今の自分がやるべき仕事について再考した。虜囚の身ではできることなど限られているが、反面敵の懐に入れたのはかなりのアドバンテージだ。これをうまく生かせば、それなりの情報収集ができるのではないか。

 特に重点して調べるべきなのは、殿下とその周辺が宰相派に対して異様なまでの不信感を募らせていった過程についてだろう。以前オレアン公から聞いた話が真実ならば、この件には裏で暗躍している者が存在する可能性がある。そいつの尻尾を掴んでやらないことには、この内戦に勝利できてもすぐに同様の戦乱が再燃する恐れがあった。

 

「とはいっても、そのあたりを直接殿下に聞くわけにもいかないからな……」

 

 直球で黒幕の有無を聞いたところで、「そんな者はいない」と答えられるだけだろう。ここはむしろ、殿下の下にいる連中に照準を定めるべきかもしれない。将を射んとする者はまず馬を射よ、というヤツだ。

 実際、現オレアン公などはあきらかに殿下への不信感を募らせている様子だった。うまくやれば、王国上層部にある程度の情報網を構築できるかもしれない。やってみる価値はあるだろう。

 

「はい、チェックメイト。私の勝ちですね」

 

「んなぁ……」

 

 そういうわけで、僕は……自身の華美な軍服をまとった若い竜人(ドラゴニュート)と、チェス(によく似たこの世界独自のボードゲーム)に興じていた。白黒で彩られたその盤面では、僕の陣営が完全敗北を喫している。

 いや、もちろん遊んでいるわけではない。情報網の構築にはまず人脈を築くところから始めなくてはならないわけだが、今の僕の立場では会える相手など限られている。そこで矛先を向けられたのが、僕の対面でいかにも嬉しそうに笑っているこの騎士だった。

 彼女は僕の側仕えとして配置されている騎士で、普段はこの部屋のドアの向こうで待機している。一応名目では僕の御用聞き兼護衛という役職になっているが、その実態はもちろん監視役だった。まあ、役職はどうあれ僕から見れば一番声をかけやすい相手が彼女だということだ。

 そこで僕は、彼女を呼び出し暇つぶしに付き合ってほしいと頼んだ。暇を持て余しているのは向こうも同じだったらしく、彼女は二つ返事でそれにうなづいた。監視役とはいっても、その態度はごくフレンドリーなものだ。おそらく、殿下あたりから何かを言い含められているのだろう。

 

「あと一手、あと一手早ければ勝ってたのになぁ」

 

「いや、危なかったですね。しかし、これで三戦三勝。王都内乱でご活躍されたブロンダン卿を相手にここまでやれるとは、我ながら驚きですよ。フフフ……」

 

 ことさらに悔しがってみせると、騎士殿はご満悦な様子でフンスフンスと鼻息を荒くする。まあ、ギリギリの戦いを制して三連勝したら、誰だって気分もよくなるというものだろう。うん、いいぞいいぞ。頑張って接待プレイをした甲斐があったというものだ。

 実際のところ、暇つぶしという名目でもこれはあくまで人脈構築の一環だった。だからもちろん、全力で相手を打ち負かすような真似はしない。ひそかに手を抜き、気分良く相手を勝たせる。これが肝心だ。はっきり言ってこの手の仕事はあまり慣れていないのだが、幸いにも今のところ騎士殿に僕の狙いが露見している様子はない。

 まあ、彼女はまだ十代の若者だからな。転生による社会経験アドバンテージもあれば、さすがに後れを取ることはあるまい。まあ、あんまり油断は出来ないがね。もしかしたら、騎士殿も僕と同様の転生者であるという可能性もなくはないわけだし……。

 

「もう一戦! といいたいところだけど、さすがに三連戦は疲れるね。リベンジは明日にでも回して、別の遊びでもしようか」

 

 この騎士殿の所属は近衛騎士団だ。近衛の主任務は王家の守護だから、当然フランセット殿下の身辺にも目を光らせているはずだ。殿下の周囲に怪しげな輩がうろついているのなら、絶対に近衛もそれを把握しているだろう。探りを入れる相手としてはピッタリというわけだ。

 

「いいですよー。何をやります? 札並べとか?」

 

「頭使うゲームはちょっとねぇ……そろそろ、体を動かしたいなぁ」

 

 手をひらひらと振りながら、僕は少しだけ思案した。ひとまず、当面の目標はこの騎士殿の心理的障壁を取り除くことだ。そのためには、彼女との距離感をガンガン詰めて行かねばならない。ゆっくり仲良くなっていくつもりなら普通のボードゲームなどで十分だが、急ぎでやるとなるともっと適切なやり方があるだろう。

 

「レスリングの試合なんてどうかな?」

 

 冗談めかしてそう言ってやると、騎士殿の顔が一瞬で真っ赤になった。

 

「だ、男女でレスリングなんて破廉恥な! ダメに決まってるでしょうが!」

 

「ハハハ、冗談冗談」

 

 やっぱダメかぁ。竜人(ドラゴニュート)が相手だと、素肌同士の接触はてきめん効果的なんだけどなぁ。子供の時分のソニアなんて、このやり方でどんどん対応が柔らかくなっていったし。とはいえ、子供同士ならともかくこの年齢になるとさすがにレスリングは勇み足が過ぎるか。

 

「じゃ、腕相撲なんてどうかな」

 

「腕相撲ですかぁ……いや、レスリングよりはマシですがね。しかし、なんでわざわざそんなことを……?」

 

「いやなに、近頃まともに外に出てないものでね……ちょっと体が鈍ってるんじゃないかって。ちょっとばかり腕試しがしたいんだよ」

 

 右手を開いたり閉じたりしながら、僕は笑顔でそう言った。実際、嘘は言っていない。この頃の僕はマトモな運動をしていないのである。屋内でできる鍛錬なんて、せいぜいちょっとした筋トレくらいだからな。物足りないこと甚だしいんだよ。

 せめて立木打ちができれば楽しいのだが、残念ながらそういうわけにもいかない。フランセット殿下に「丸太と木刀を用意してくれません?」と頼んだら普通に拒否されてしまったのだ。悲しいね。……いっそ城の柱を相手に打ちかかってみようかな? などと思わなくもなかったが、いくら僕でもさすがにそこまで社会性は捨ててない。我慢我慢だ。

 

「ブロンダン卿は相変わらずですねえ……まあ、貴殿のご要望は出来る限り叶えろと命じられておりますのでね。お望みとあらば、お付き合いいたしますが」

 

 首をひねりながらもうなづく守衛に、僕は笑顔でサムズアップした。彼女の口ぶりはいかにも「仕方ないなぁ」という感じだが、その顔には微かな喜びの色がある。僕だって一応、若い男だからな。多少強引でも、ボディタッチを許すような提案は受け入れられやすい傾向があるんだよ。そこにつけ入るスキがあるってワケだ。

 ひとまずテーブルの上のチェス盤を片付け、臨時の試合会場とする。分厚い天板に肘を乗せ、僕は騎士殿をまっすぐに見やった。彼女は小さくため息をつき、僕と同様のポーズをとった。

 

「ああ、手袋は外してもらっていいよ。万一破れても困るしさ」

 

 見栄え重視の軍服の常で、騎士殿はシミ一つない白手袋をつけていた。舶来物の絹でできたそれは、腕相撲の際に用いるにはいささか繊細過ぎる。

 

「素手で、ですか? 少しばかり恥ずかしいんですが」

 

「汗ばんでるのはみんな一緒さ、気にしない気にしない」

 

 照れた様子の守衛に、僕はニッと笑ってそう返した。季節はまだ晩夏だ。僕はもちろん、彼女の額にもうっすらと汗がにじんでいる。まあ、異性相手だとそういうのも気にしちゃうよね。

 守衛は少し逡巡した後、無言で手袋を外し僕の手を握った。剣ダコのついた、固くて大きな剣士の手だ。彼女はいささか恥ずかしそうな表情で頬を掻く。

 

「男性相手にこんなことをするの、初めてなんですが。ちょっと照れますね」

 

「ハハハ……すまんね、男らしい手じゃなくて」

 

 この世界における魅力的な男性の手というのは、小さくて柔らかいものだ。しかし、残念ながら僕の手のひらは守衛と同様に固く締まっている。子供の時分から剣術に励んでいたわけだから、こればっかりは仕方がないだろ。

 

「いや、そんなことは」

 

 慌てて否定する守衛の手を、ニギニギとしてみる。彼女の顔がさらに赤くなった。うんうん、いいねえ。予想通り、彼女はあまり男性慣れしていないようだ。……これなら、僕みたいな男でもうまくやれば色仕掛けが通用するかもしれん。

 

「それじゃあ、やろうか。強化魔法は使ってもいい?」

 

「もちろん」

 

 何でもないような顔で守衛はうなづいた。魔法の使える虜囚には魔封じの腕輪などをつけさせるのが一般的なのだが、僕の腕にはそのような拘束具ははまっていない。なにしろ僕の使える魔法は強化だけなので、警戒すべき脅威とは認識されていないのかもしれない。

 実際、強化魔法を使ったところで只人(ヒューム)男の身の上では大した筋力は出せない。しっかりと鍛えこんだ竜人(ドラゴニュート)ならば、普通に抑え込むことができるだろう。種族の差はそう簡単に埋めることはできないのだ。

 

「よーし、いくぞ。レディ……ゴー!」

 

 つまり、この腕相撲の結果もわかりきっているということだ。宣告と同時に強化魔法を使い騎士殿の腕を押し倒そうとするが、最初に少しだけ押した後はまったく微動だにしなくなってしまった。それからは、もういくら力を込めてもそれ以上は動かない。基礎筋力が違いすぎるのだった。チェスと違い、これに関しては本気でやっても敵いはしない。

 もっとも、騎士殿のほうも余裕しゃくしゃくというわけではなかった。泰然自若とした表情は装っていても、額には確かな汗が浮かんでいる。見栄を張って表情を崩すまいとしているその様は、逆にかわいらしさすら感じさせた。

 とはいえ、結局基礎体力で劣っているのは動かしようのない事実だった。しばらくウンウンとうなっていた僕だったが、とうとう身体強化魔法の効果時間が過ぎてしまった。露骨にパワーダウンした僕に、騎士殿は苦笑しながら腕に優しく力を込めていく。僕の右手がどんどん押し込まれ、そしてあっという間にテーブルの天板と接触した。完敗である。

 

「いや、さすがだねぇ! 強化アリなら、そこらの竜人(ドラゴニュート)が相手なら負けない鍛え方をしてるハズなんだけど」

 

 賞賛とともに彼女の肩をたたいてやる。竜人(ドラゴニュート)を相手に距離を詰めたいときは、隙あらばボディタッチをねじ込んでいくのが一番だ。彼女らは文字通りのスキンシップを好む文化と習性をもっているのである。

 

「ハッハッハ、伊達で近衛をやっているわけではありませんからねぇ。これくらい力がないと、王族がたやご令息がたはお守りできませんよ」

 

「さすがだなぁ……ねぇねぇ、ちょっと二の腕触らせてもらっていいかな。鍛えこんでる人、好きなんだよね」

 

「えぇ? ま、まあいいですけど」

 

 口ではそういいつつも、騎士殿の顔は明らかにデレデレしていた。よしよし、この調子だ。どうやら、頑張れば僕だって悪男の真似事くらいはできるらしい。あくどいことをやっている自覚はあるが、今は手段を選んでいられる状況ではない。彼女には申し訳ないが、情報源として利用させてもらうことにしよう。



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第601話 くっころ男騎士の虜囚生活(3)

 このドールハウスめいた軟禁部屋での生活は、僕に著しい苦痛を強いた。いや、もちろん拷問のような真似をされているわけではない。それどころか、見張りに頼めば知り合いとの面会やちょっとした散歩までさせてくれるのだから、一般的な虜囚に比べればはるかに不自由のない生活を送っている。こんな恵まれた環境で苦痛などと言っていたら、バチが当たってしまうかもしれない。

 しかしそれでも、やはりこの豪華絢爛な部屋は僕の居場所ではなかった。神に捧げられる供物のように飾り立てられ、見張りの近衛騎士を相手に無聊を慰めるか時折やってくるフランセット殿下の話し相手を務めるばかりの日々……ハッキリ言って、かなり憂鬱だった。

 殿下は僕の使い方を誤っている。僕は軍事に使ってこそ真価を発揮する道具なのだ。人斬り包丁にしか使えない蛮刀を装身具に使うがごとき愚に、僕の不満は高まり続けるばかりだった。

 とはいえ、だからといって不貞腐れるわけにはいかない。なぜなら、僕の戦いはまだ終わっていないからだ。軍人として、勝利するか命を失うまでは戦い続けなくてはならない。そして、今の僕にとっての戦いとは、王室に潜む病巣を暴くことだ。とにもかくにも、情報収集を続けなければならない。

 

「南部諸侯の一部が先走って、リースベンに進攻しようとしたようですね。まあ、案の定領内への突入も果たせず壊滅したようですが」

 

「そりゃまた難儀な。付き合わされた兵隊どももかわいそうにねぇ」

 

 現状、僕の情報源となりえるのはフランセット殿下と見張り役の若い近衛騎士だけだった。手始めに行った近衛騎士への懐柔策はうまくいき、一週間もたったころには彼女の口はずいぶんと軽くなっていた。相手は経験の少ない若者だから、丸め込むのもそれほど難しくはない。

 しかし、若く経験が少ないということは、持っている情報も大したことはないということだ。当然ながら、深掘りしたところで王家の暗部やら政治の裏舞台やらの情報が出てくるはずもない。聞くことができたのは、世間話の延長線上にある程度の浅い話ばかりだった。

 もちろん、そんなことは最初から承知の上だ。この騎士殿はあくまで足がかり、いわば橋頭保に過ぎないのである。狙いはあくまで彼女の上司、すなわち近衛騎士団の幹部だった。王室と深くかかわる近衛騎士団の幹部級ともなれば、ある程度の裏事情も承知しているに違いないからな。狙わない手はないだろ。

 とはいえ、問題はここからだった。そのまま直球で「上司を呼んでくれ」と騎士殿に頼み込むというのは、いくらなんでも不自然が過ぎる。自然なやり方で騎士殿を誘導していくのは、情報戦の経験が足りない僕にはあまりにも困難なミッションだったのだ。

 しかし、僕の元にはまだ頼りになる味方が一人だけ残されていた。ロリババアである。ともに虜囚の身となった彼女は僕とは別の部屋に収監されていたが、頼み込めば面会も許してくれるのである。どうやらフランセット殿下のご配慮のようだったが、これを利用しない手はない。壁にぶち当たった僕は、即座に彼女に相談することにした。

 

「ガレア王国は懐が広いのぉ。ワシのような立場の者にまでこれほどの饗応をしてくださるとは」

 

 喫茶の名目で僕の部屋にやってきたダライヤは、茶菓子として供されているアップルパイを切り分けながらそう言った。そして大ぶりな塊を一口で頬張り、満面の笑みを浮かべる。小動物めいたかわいらしくも豪快な食べっぷりだった。

 苦笑しつつ、僕も一切れのパイを口に運んだ。素晴らしい味だった。さすがは王城の専属シェフ、と心の中で賞賛を飛ばす。こんなものを好きな時に好きなだけ食べられるのだから、今の僕はなかなかいいご身分である。

 

「ガレアは淑女の国アヴァロニアから分かたれた国だからね。捕虜だからと言って粗末な扱いはしないさ」

 

「……むぐむぐ、ごくん。何とも素晴らしい話じゃ。リースベンのクソ蛮族どもに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいのぉ」

 

 僕たちの会話は、当たり障りのないものだった。当然ながら、彼女を呼んだのはこんな益体のない話をするためではない。しかし、ここは敵地のど真ん中だ。盗み聞きされている危険性を考えれば、危険な話題を口に出すのは憚られた。

 しかし、情報交換の方法は声だけではないのである。僕は白々しい会話をしつつ、視線をダライヤの手元に向けた。よく見れば、彼女の指は小刻みに揺れている。むろん、酒が切れて震えが止まらなくなっているわけではない。その震えには明らかな規則性があった。長短の信号を組み合わせた、シンプルかつわかりやすい通信手段……そう、モールス信号だ。

 

『状況は理解した。近衛の上役と接触したいわけだな』

 

 信号を読み取ると、そういう文面になった。僕はすでに、彼女と同様の手段で現状を伝えているのだ。

 

肯定(イエス)

 

 短く返す。一瞬うごきを見逃すだけで文意がわからなくなるのがモールス信号のデメリットだ。当然ながら、僕もダライヤも極力シンプルな文面を出力するようにしている。

 

(エン)を頼れ』

 

『エン、エンとは?』

 

 聞き返すと、ダライヤは当たり障りのないおしゃべりを続けつつ苦笑を浮かべた。出来の悪い弟をかわいがるような表情だ。いやいや、そんな顔するんじゃないよ。こんなやり方で誤解なく会話できるわけないだろ。

 

『人脈』

 

 ダライヤの返答はシンプルだった。人脈……なるほど、エンは縁か。しかし、人脈と言われてもなぁ。僕は仕官した当初から宰相派閥にいたから、王党派の知り合いなんてせいぜい現オレアン公くらいしかいないような……。

 

『……なるほど、王都内乱で共闘した近衛騎士たちか』

 

『然り』

 

 思い返してみれば、近衛の中にも何人かの顔見知りがいる。王都内乱の際、僕は近衛騎士団と共同して反乱の鎮圧に当たっているのだ。当時のことで例を言いたいとかなんとか理由をつければ、あの新米騎士殿よりは上の役職の人も呼び出せるかもしれない。

 ……そういう口実なら、別に騎士殿を懐柔する必要なかったんじゃないか? うわあ、申し訳ないことしちゃったなぁ。すまんね、騎士殿。

 

『了解、その手で行く』

 

 脳内で話をつけられそうな近衛の顔を数名ピックアップしながら、僕はババアにうなづいて見せた。正直に言えば、顔は思い出せても名前が出てこなかったけどね。名乗る暇もないような緊急時だったから、こればかりが仕方ないだろうが。

 まあ、そこはそれこそ騎士殿の出番というものだろう。彼女に特徴を伝えれば、だいたいの目星は付けてくれるはずだ。近衛といっても人数的にはそれほど大きい組織ではないから、交流がなくとも顔や名前くらいは知っているはずである。

 

『方針が決まったのなら、この話題は終わりでいいか? 指が疲れてきた』

 

『同感』

 

 苦笑しつつ、指の動きを止める。筆談などができれば楽なのだが、文字で会話の証拠を残すわけにもいかないからな。まったく、難儀なもんだよ。これからも情報交換や相談のたびにこんな迂遠な真似をしなきゃならないと思うといささか憂鬱だね。どれだけ快適でもしょせん敵地は敵地だ。

 

「はぁ、旨かった。これほど旨いものをたらふく食えるのじゃから、この城はある意味リースベンよりも過ごしやすいのぅ。いっそ移住でも検討してみるか」

 

 などと考えは、ロリババアにはお見通しのようだった。毒をたっぷりと含んだ彼女の皮肉に、僕は苦笑を浮かべることしかできない。居心地が悪いのはダライヤも同じこと……むしろ、庇護者のいない彼女のほうが窮屈な思いをしているくらいだろう。ババアのためにも、さっさと仕事を果たしてリースベンに戻りたいところだが……。

 

 



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第602話 くっころ男騎士と近衛騎士団(1)

 ロリババアの助言は的確だった。見張りの騎士殿に『王都内乱で世話になった近衛騎士に礼を言う機会が欲しい』と頼むと、彼女は快く応じてくれたのだ。

 まったく、あの手詰まり感はなんだったんだろうね? やはり、餅は餅屋ということか。ことこの手のやり口に関しては、僕は一生あのババアに勝てる気がしない。まあ、生きている年月が違いすぎるので勝とうと思うこと自体が誤りなのだろうが。

 それはさておき、話のほうはトントン拍子に進んだ。打診を送ったその日のうちに、茶会への招待状が届いたのだ。主催者はどうやら近衛騎士団の幹部のようである。茶会は二日後の昼、王都郊外の騎士団駐屯地で開かれるとのことだった。

 

「お待たせいたしました。さあ、こちらに」

 

 そして二日後。僕は近衛の手配した馬車に乗せられ、久方ぶりに王城の外へ出た。正直、茶会ごときの用件で外出を認めてくれるというのはかなり驚いたね。まあ、周囲を近衛が固めている状況だから、逃亡の心配はまったくないのだろうが。それにしても虜囚とは思えぬ好待遇である。

 馬車に揺られることしばし。道中の王都の景色を見て、僕はひそかにため息を吐く。白昼の王都は、僕の記憶にある景色と変わらぬ喧騒に包まれていた。戦時下めいた気配などは、まだ微塵も感じられない。賑やかで平和で騒がしい、美しい街。ああ、両親は無事だろうか。一人息子が朝敵になってしまったのだ。たいへんな心配と苦労を掛けていることだろう。これほど心苦しいことはない。

 ……いや、問題はこの後か。場合によっては、リースベン軍を含む宰相派の軍勢がこの王都を包囲するような事態すら起こりえる可能性があるのだ。故郷を自らの手で燃やさねばならないかもしれないと思うと、己をひっぱたきたい気分になってくる。

 どこで道を誤ってしまったのだろうか? 後悔は尽きないが、今はそんなことを考えている場合ではない。現在の僕の最優先事項は、王都ではなくリースベンなのである。領主として、軍人としての義務を果たすことを第一に行動すべきだ。

 

「お待たせいたしました」

 

 そんな暗い思考をつらつらと弄んでいたら、いつの間にか目的地に到着していた。馬車が止まったのは、王都の外縁を囲む外壁の向こう。田園地帯の中におかれた小さな駐屯地の前だった。門の前には、『王立近衛騎士団・第三練兵場』と書かれた大看板が置かれている。

 小さくも立派な鉄製の門をくぐって駐屯地の中へ入る。敷地内に設けられた運動場では、十名ほどの騎士が馬術の訓練をしていた。彼女らの威勢のいい掛け声をBGM代わりに聞きながら、木造二階建ての本棟へと向かう。本棟とはいってもそれほど大きな建物ではなく、事務所に毛が生えた程度の施設だった。

 

「おお、いらっしゃいましたか。ようこそ、ブロンダン卿」

 

 応接室に通された僕を出迎えたのは、数名の騎士を従えた中年の竜人(ドラゴニュート)だった。その声と顔には覚えがあった。近衛の騎士団長、クロティルド・デュラン殿だ。こいつは、予想していた以上の大物が出てきたな。少しばかり驚きつつも、僕は被っていた帽子を脱いでうやうやしく一礼した。

 

「お久しぶりです、閣下。この度はお招きいただきありがとうございます」

 

 まさか、突発的な茶会に団長殿が出てくるとは。いや、確かに王都内乱の際には彼女とも共闘しているがね。しかし、今は一応戦時下だ。近衛騎士団長といえば王家守護の総責任者だから、たいへんに忙しい日々を送っていることは間違いない。そんな人物がこんな催しに参加するというのは……何かしらの裏事情を感じずにはいられないな。

 こんな時に限ってダライヤがいないんだもんなぁ……。僕は内心ボヤいた。あのロリババアは王城でお留守番をしている。別に、慢心から彼女の同行を拒否したわけではない。そもそもダライヤは王都内乱に参戦していないから、今日の茶会には参加資格がないのである。僕の従者ということにしてなんとか強行しようとしたが、さすがにそれは認められなかった。

 

「本当に久しぶりですな。まる一年ぶりといったところでしょうか……しかしまさか、こんな形で再会する羽目になるとは思いませなんだ。正直、かなり不本意ではありますな」

 

「同感です」

 

 一年前の内乱では、我々は味方同士だったのだ。それが今や、真正面から槍を向けあう関係となっている。僕としても、どうしてこうなったと言わざるを得ない。……まあ、槍を向けあうとはいっても僕は捕虜の身だから、握る槍なぞないわけだが。

 

「お互い、積もる話はあるでしょう。しかし、せっかくの機会ですから。ひとまずは席に座り、お茶を楽しむことにしませんか」

 

 皮肉げに笑いつつ、団長殿は僕に椅子をすすめた。もちろん断る理由もないのでそれに従う。すぐに従者がやってきて、我々の前に湯気の上がる香草茶のカップとスコーンを置いていった。退出する従者の背中を見送ってから、僕はゆっくりとカップに口をつける。ここしばらくですっかり飲みなれた、王室御用達の高級茶葉の味だった。

 

「結構なお点前で」

 

「お口に合うようでしたら幸いです」

 

 短く社交辞令を交わした後、我々の間に沈黙のベールが下りた。さあて、どうしたものか。一応、今回の茶会の趣旨は先の内乱を振り返る会ということになっているが……そんなものは、所詮名目に過ぎないのである。本題はあくまで、王室の現状を問いただすことにある。

 そのうえ、向こうは向こうでそれなりの思惑がある様子だからな。さあて、どうしたものか……。本来であれば建前を守りつつジャブの応酬で向こうの出方を見るのが常道だろうが、そんな迂遠なやり方は僕には全く向いていない。ここはいっそ、単刀直入に突っ込んでいったほうがいいかもしれん。困ったときはまずチェストって前世の剣術の師匠も言ってたしな。

 

「自分はともかく、閣下のほうはお忙しい身でしょう。貴重なお時間を無駄にするわけにはまいりませんから、さっそく本題に入らせていただきます」

 

 その発言を聞いた団長殿は少し驚いたように目を見開き、そして小さくため息を吐いてから隣にいるお付きの騎士に目配せした。

 

「どうやら賭けは貴様の勝ちのようですな」

 

「むっふふふ! 言ったでしょう! 彼は前置きや建て前なんて即座に投げ捨てると!」

 

 近衛騎士らしからぬ声音で大笑いするお付きさん。……おや、この声音はなんだか聞き覚えがあるぞ。

 ああ、思い出した! 共闘の際、僕に対して「うちにきて弟をファックしていいですわよ!」などというとんでもない発言をぶつけてきた不良騎士だ!

 

「……賭けの対象になってたんですか? 僕」

 

「申し訳ありませんが、その通りです。この頃は不愉快な仕事ばかりでしてね。戦友たる貴殿が相手であれば、少しばかり羽目を外しても良いかと思いまして」

 

「まあ、ハメを外すよりもハメられるほうが好みですけれどもね! うっふふふ……あいたっ!」

 

 お嬢様めいた言葉遣いで下品極まりない発言をするお付きさんの頭を、団長殿は無言で殴りつけた。バコンというよい音が応接室に響く。

 

「ちなみに、どのような内容で賭けていたのか教えていただいても?」

 

「いいでしょうとも、貴殿にはそれを知る権利があります」

 

 まじめ腐った顔で騎士団長殿は頷いた。あえてこんな表情をするあたり、彼女は案外茶目っ気のある性格なのかもしれない。

 

「とはいっても、それほど複雑なものではありませんよ。ただたんに、貴殿がどのタイミングで建て前を捨てるかを賭けていただけなのですから」

 

「建て前、ですか」

 

「ええ。去年の内乱を振り返る云々の話です」

 

 ああ、やっぱりか。案の定の展開に、僕は肩をすくめるしかなかった。やはり、団長殿はこちらの思惑などお見通しのようだった。

 

「去年の内乱よりも、今年の内乱のほうがよほど喫緊の課題です。我々も、そしてブロンダン卿も、この程度の優先順位がつけられないほど愚かではない。そうでしょう?」

 

「流石は近衛の長、お見逸れいたしました」

 

 ここまで読まれているのならば、いまさら余計な言葉を重ねる必要もあるまい。僕は大きく深呼吸してから、次に口に出すべき言葉を慎重に吟味した。



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第603話 くっころ男騎士と近衛騎士団(2)

 王都郊外の駐屯地で僕を迎えた近衛騎士団長殿は、今回の会合の名目がたんなる建前でしかないことを承知していた。すでに終わった去年の内乱よりも、現在進行中である今年の内乱のほうが重大であるという団長殿の指摘は、まさに正論以外の何物でもなかった。

 ……いやしかし、なんでうちの国は二年連続で内乱が起きてるんだろうね? まったく、世も末って感じだ。まあ、去年はさておき今年の内乱に関しては我が国の次期元首であるフランセット殿下がわざと起こしたものではあるのだが。

 

「団長殿の仰られる通り、今はのんびりと過去の戦いを振り返っている場合ではありません。これから起こる惨禍を未然に防ぐことこそが、我々双方に課せられた使命でありましょう」

 

 出鼻をくじかれた形になったが、まあこちらのほうがよほど話が早いのは事実である。あれこれ取り繕う苦労が省けたなと心の中で肩をすくめつつ、僕はそう発言した。

 ロリババアの助力も受けられない今、僕は独力で彼女らと相対せねばならない。政治的な戦いは苦手だが、今はそんな情けないことを言っていられる場合ではないのである。とにかく、できることをやらねばならない。

 

「我々は同じ危機感を共有しているようですな。それが確認できただけでも、この場を設けた甲斐があったというものです」

 

 団長殿はそう言って薄く笑い、しっかりとうなづいて見せた。なんとも頼りになる態度だが、だからといって気を許してはならない。良い指揮官というのは得てして演技が上手いものだからな。これらがすべて僕をハメるための芝居である……という可能性も、頭の隅には置いておくべきだろう。むろん、疑いすぎて疑心暗鬼に陥るのも考え物だが……。

 

「はっきり申しますが、此度のいくさは我々近衛から見ればいささか不本意なものなのです。むろん、王党派と宰相派の間に確執がなかったとは言いませんが。しかし、アデライド殿の排除をするためだけに国を割るというのはいささか物騒にすぎるかと」

 

「本当にはっきり申されましたね。大丈夫なのですか?」

 

 団長殿の発言は、フランセット殿下に対する直球の批判に等しいものだった。王室の懐刀たる近衛の長の口からそんな言葉が飛び出すというのは、ちょっと意外なように思われる。

 

「宮廷雀どもに聞かれれば、まあ多少はまずいことになるかもしれませんが。しかし、ここは我ら近衛の庭ですので……」

 

「なるほど」

 

 うなづいてから、香草茶を一口飲む。わざわざ郊外に呼び出したのは、腹を割って話すためか。確かに筋は通っているように思える。

 

「むろん、我らは王家の剣です。戦えと命じられれば、どのような相手とも剣を交える覚悟はできております。しかし……」

 

 そこまで言って、団長殿は小さくため息を吐いた。そして、香草茶のカップを口に運び、瀟洒な所作でそれをソーサーに戻す。

 

「我らが忠誠を捧げているお方は、国王陛下でありますから。去年の内乱以降、陛下の体調は悪化の一途をたどり、この頃はお部屋から出ることもままならない状況にありますが……それでも、いまだ譲位はなされておりません」

 

 僕の眉が無意識に跳ね上がった。陛下の体調の件は、初めて聞いた。おそらく情報統制がなされているのだろう。なるほど、近頃妙に陛下の動静が聞こえてこないと思っていたら、そういう事情があったとは。

 

「つまり、陛下も現状には苦々しい気持ちを抱いておいでだと」

 

「その通り」

 

 厳かな表情でうなづく団長殿。ガレア王国の慣習では、このような状況では速やかに国王位を後継者に譲るのが一般的だった。にもかかわらず、譲位がなされていないというのは尋常な事態ではない。まさかあの陛下が私利私欲のために地位にしがみついているなどということはありえないだろうしな。

 

 

「正式な主君でもない相手に使嗾されて犬死するなんて勘弁ですわ~! 相手がもと戦友ならなおさらですわよ~!」

 

 ブーイングめいた調子でお付きの騎士殿が文句を言った。……この人の口調、なんだかヴァルマに似てるな。そういやヴァルマの奴は今頃どうしているんだろう? 元神聖皇帝のアーちゃんを帝国領へ送り届けた後、連絡がつかなくなってるんだが……。

 

「……誤解を招きそうな言いぐさですが、この発言自体は我々の総意といって差し支えありません。とにかく、我々が目指しているのは事態を穏当に着地させることなのです」

 

「はい」

 

 お付きを小突きながら言う団長殿。ふーむ……確かに、穏健派から見れば今の状況は頭を抱えたくなるような代物だろう。この主張が本音ならば、我々は協力しあえるのではなかろうか。

 

「そこで、まず宰相派の重鎮である貴殿に聞いておきたいことがあります」

 

 重鎮、重鎮と来たか。たしかに、今の僕の立場を考えればその表現はまちがっていない。にもかかわらず強烈な違和感を覚えてしまうのが、僕からまだ下っ端根性が抜けきっていないせいなのだろう。さっさと意識を改めるべきなのだろうが、なかなかうまくいかないのである。

 

「お伺いしましょう」

 

「アデライド殿が謀反を企んでいたという話は、事実なのでしょうか」

 

「むろん、事実ではございません」

 

 僕はバッサリと団長殿の質問を切り捨てた。しかし、当の団長殿は予想通りだと言わんばかりの表情で僕の発言の続きを促す。

 

「少なくとも自分の知る限り、王権を簒奪しようだなどという話が派閥内で出ていた記憶はございません。そもそも、我々は新兵器の設計図やそれに対応した新戦術の教本を王軍に提供しているのですよ? 王軍と事を構えるつもりならば、そのような真似は絶対にしないと思いますが」

 

「ええ、そうでしょうね」

 

 端的な口調でそうつぶやいてから、団長殿は深々とため息を吐いた。

 

「そも、そのようなよこしまな計画があったのならば、去年の内乱の際に便乗して挙兵しているはずでしょう。それこそ、あの愚かなグーディメル侯爵のように……。ですが、アデライド殿はそうはしなかった。状況証拠だけ見れば、貴殿らは無実のように思われます」

 

「つまり、殿下は根も葉もないイチャモンをつけて宰相に殴り掛かったわけですの~? ヤッベーですわ~!」

 

「……」

 

 団長殿が無言でうるさいお供を小突いた。……客観的に見れば、状況は彼女の言うとおりの構図に見える。実際、根拠のない言いがかりが開戦事由となった戦争は決して珍しくはないのである。

 つまり、一番自然な推理はこうだ。殿下、あるいはその後ろに控えている黒幕は宰相派閥の伸張を苦々しく思っていた。そこで、アデライドに謀反の濡れ衣を着せて強制的に排除しようとした……。

 うーん、合理的に考えればこういう形に落ち着くのだろうが、なんだか違和感があるな。これに近い感覚を、エルフ内戦でも味わった覚えがある。あの時は、相手が不合理な理屈で行動していたために僕の側は常に後手に回る羽目になった。完全に勘だが、今回も似たような状況になっている気がするな……。

 

「……殿下はそのような卑劣な真似をするようなお方ではありません」

 

 僕は低い声でそう言った。いや、むろん本気でそんなことを思っているわけではない。きれいごとばかりで国がまとまるはずもない。フランセット殿下だって、必要とあらば汚れ仕事の一つや二つくらい命じるだろ。

 

「少なくとも、去年にお会いした際のフランセット殿下は、たいへんに聡明なお方でした。しかし、今の殿下のお目は、ハッキリ言って曇っておられるように見えるのです」

 

「……」

 

 僕の指摘に、団長殿は難しい表情で黙り込んだ。今の殿下の態度には、外様である僕ですら違和感を覚えているのだ。まして、幼少期から彼女の身辺に侍っているであろう近衛たちが異常に気付かないはずもない。

 

「……ブロンダン卿の言うとおりです。今の殿下は、何かおかしい」

 

「率直にお聞きしますが、誰かが良からぬことを吹き込んでいるのでは? 近頃、妙なサマルカ商人が殿下のおそばをうろついているなどという噂も聞きますが」

 

「そこまでごぞんじでしたか。さすがですな」

 

 苦笑交じりにため息を吐く団長殿。今回の会合は、みなため息ばかりついているような気がするな。まあ、議題が議題だから仕方ないかもしれない。

 そこまで考えて、ふと僕の脳裏を過るものがあった。レーヌ市からの脱出の際に手を借りた、ラ・ルベール司祭の言葉だ。

 僕の幼馴染の一人、聖人と名高いあのフィレオレンツァ司教が、王都で怪しげな動きを見せている……らしい。不思議なことに、僕が王都に戻ってきて以降もフィオレンツァ司教から接触を受けることは一度もなかった。普段の彼女であれば、いの一番に面会を求めてくるくらいはしそうなものなのだが……。

 これが、保身のために僕との縁を断とうとしているだけならば、それはそれで別にかまわない。今更その程度で失望したり絶望したりするほど、僕はピュアではないのだ。

 しかしこれが、殿下の身辺をうろついているというサマルカ星導国の商人の件と接続されると話は変わってくる。僕は喉奥に鉛の塊が詰まったような心地になりながら口を開いた。

 

「……これは、確証があっての言葉ではないのですが。くだんのサマルカ商人と、星導教のパレア教区長のフィオレンツァ司教……この二者には、何らかの接点があるやもしれません」

 

 その言葉を言ったとたん、僕の心をすさまじい後悔の嵐が襲った。ああ、僕は幼馴染に対してなんてひどいことをしているのだ。証拠があるならまだしも、単なる勘程度の小さな疑念しかないというのに。

 

「フィオレンツァ司教!? いったい、どういうことなのです。彼女は、ブロンダン卿のご友人では……?」

 

 これには、さしもの近衛団長殿もたまげたようだった。当然の反応だな。なにしろ、両者には出身地程度の共通点しかないんだ。この程度の証拠で犯人扱いしていたら、すさまじい量の冤罪が発生することは間違いない。

 

「ええ、フィオレンツァ司教とは子供の時分からの付き合いです。ですが……だからこそ、この頃の彼女からは何か違和感を覚える」

 

 そこまで言って、僕はすっかり冷めきった香草茶を一口飲んだ。

 

「……なかば、いえ、ほぼ私情によるお願いなのですが。かの怪しき商人と、フィオレンツァ司教の関係を探っていただけませんでしょうか? もちろん、無理にとは申しません。たんなる取り越し苦労に終わる可能性も高いわけですし」

 

「なるほど……ブロンダン卿は、司教猊下にかかっている疑いを晴らしたいわけですな」

 

 神妙な表情で団長殿が指摘した。

 

「いいでしょう。実際のところ、我々のほうの調査も手詰まりになっておりましてな。司教ご本人が無関係でも、星導教内部によからぬことを目論んでいる者がおるやもしれません。探ってみる価値はあるでしょう」

 

「感謝いたします……!」

 

 僕は深々と頭を下げた。調査の結果がシロならば、それが最上なのだが。しかし、万が一クロならば……僕は、幼馴染(フィオ)と敵対せざるを得なくなる。



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第604話 盗撮魔副官と帰ってきたセクハラ元宰相

 わたし、ソニア・スオラハティは多忙な毎日を過ごしていた。火事場泥棒、もといヴァール軍に関する問題こそスムーズに解決したが、そもそも最初からあのような連中は大した脅威ではない。一番肝心な『アル様をどうやって取り戻すか』、『ヴァロワ王家にいかにしてケジメをつけさせるか』という問題は、いまだに手つかずのまま我々の前に立ちふさがっているのである。

 とにもかくにも、今は目前の仕事から片付けて行かねばならない。わたしはまず大量に集まってきた義勇兵どもの大半をリースベンに帰し、それと同時に招集に応じてやってきた宰相派……いや、アデライド派諸侯軍の受け入れを進めていった。

 その甲斐あって軍の規模はどんどん膨らみ、あっという間に万の大台を超える。それはよいのだが、皆が三々五々にやってくるものだからなかなか軍の集結が終わらない。我々はしばし南部の街レマ市に滞在する羽目になった。

 アル様が敵の手に落ちた状況で、足を止めることを強いられるのは大変なストレスだ。しかし、焦って軽挙妄動を起こせば勝てるいくさも勝てなくなる。アル様を確実にお救いするためには、ここは耐え忍ぶしかない。

 そんな忍耐の日々を過ごしていたある日、わたしの元にある報告がやってきた。アデライドと近侍隊が、王軍の追撃から逃れレーヌ市から帰還したというのである。それを聞くや否や、わたしは処理中の仕事を放り出してアデライドの出迎えに急いだ。

 

「おかえり、というのも妙な話だが……とにもかくにも、皆が無事でよかった」

 

 レマ市の郊外に設営された、我々の仮設野営地。その片隅にある天幕の下で、わたしは開口一番にそういった。目の前には、アデライドと近侍隊の面々がそろっている。みな旅装姿で、全身埃まみれのひどい格好だ。もちろん、それを咎める気などさらさらない。彼女らが身支度をする暇すらも惜しんで旅を急いでいたことは想像に難くないからだ。

 

「……ああ、ありがとう。しかし……無事とはいいがたいな。なにしろ、私は一番守るべきものを守れなかった……」

 

 苦渋の滲む顔で、アデライドは首を左右に振った。その目の下には隈がある。かなりひどい顔だった。

 ひどい有様なのは、アデライドだけではなかった。ジョゼットをはじめとした近侍隊の面々や、天幕の外で控えているネェルまでが後悔と不安の入り混じった複雑な表情をしている。まるで突然に大黒柱を失ってしまった家の子供たちのような顔だった。

 

「すまん、ソニア。私のせいで、アルが……」

 

「ああ、まったくだ。まさか、よりにもよってアル様を奪われるなど。まったくもって許しがたい」

 

 悄然としたアデライドに対し、わたしは断固とした声でそう言った。これは、わたしの正直な気持ちである。女ならば、その身を犠牲にしてでも男を守れ。そう言ってやりたい気分がないといえば、ウソになる。

 むろん、アデライドが意図的にアル様を犠牲にしたとは思っていないがな。アル様の性格を考えれば、自ら率先して囮になったことは間違いない。しかしそれでも、武に生きる女としてはそれに救われた側の女に良い顔ができないのである。

 

「……しかしそれでも、貴様らが無事で戻ってこられたことは喜ばしい」

 

 そういって、わたしはアデライドを抱擁した。彼女に対して、思うところがないわけではない。しかしそれはそれ、これはこれだ。アデライドとて、同じ男を夫にする以上は姉妹のようなものなのだ。

 

「……ありがとう」

 

 一瞬身を固くしたアデライドだったが、すぐにほっと息を吐いて抱きしめ返してくる。彼女の背中を優しくたたいてから、ゆっくりと体を放した。

 

「諸君らも、よく戻ってきてくれた。困難な任務、ご苦労だった」

 

 わたしは視線を居並ぶ幼馴染たちへと向けた。彼女らひとりひとりと握手を交わし、そして天幕の外で待機していたネェルにも抱擁をする。アル様がいないからこそ、我々は団結せねばならないのだ。ネェルのトゲトゲしたカマを優しくなでてから、わたしは天幕の中へと戻った。

 

「みなには出来ればゆっくりと休んでもらいたいところだが、残念ながらそうは問屋が卸さない。これより始まる戦争は、一世一代の大いくさだ。万が一にも負けるわけにはいかぬ」

 

 アル様が演説するときの声音をまねつつ、わたしは居並ぶ面々を眺めた。そうだ、わたしたちは負けるわけにはいかない。内輪もめなどしている暇はないのだ。今回の件の責任追及などは、すべてが無事終わってからやればよい。

 そもそも、アデライドを責めるのならば、レーヌ市行きを止めなかったわたしも同罪なのだ。そういった部分も含め、戦後には様々な総括が必要だろう。しかし今は、とにかくアル様を取り戻し王家を倒すことだけに集中せねばならないのだ。

 

「ましてや今回の敵手はあの王軍だ。油断できる相手ではない。一人一人が全力を出し、団結してこれに当たらねばならん。わかっているな、みな」

 

「もちろん!」

 

 強い口調でそう応えたのはジョゼットだった。普段の昼行燈めいた態度からは考えられないほど、今の彼女の目には闘志の炎が燃えている。いや、それは彼女だけではなかった。先ほどまでは塩をかけられた青菜のような様子だった近侍隊の騎士たちが、今はこぶしを握りながらわたしの話を聞いている。おそらく、アル様を奪われた時の屈辱を思い出したのであろう。

 

「よぉし、その調子だ。心配せずとも、復仇の機会はくれてやる。存分に暴れまわらせてやるから、期待しておくように」

 

 そういってから、わたしは視線を天幕の外へと向けた。ネェルと目が合う。聡明な彼女にはわたしの意図などはお見通しなのだろう。彼女は薄く笑い、しっかりと頷き返してくれた。

 よし、よし。彼女のほうも大丈夫そうだな。私情を抜きにしても、彼女の無事は喜ばしい。カマキリ虫人の圧倒的な戦闘力は、対王家戦でもきっと頼りになることだろう。

 

「さて」

 

 戦闘要員への発破はこれくらいでよいだろう。問題はアデライドのほうだ。剣をもって戦えぬ彼女には、この手の檄は効果が薄い。実際、今の彼女の目に浮かぶ感情は奮起よりも後悔と申し訳なさのほうが勝っていた。

 

「アデライド。疲れているところに申し訳ないが、一休みする前に今日の定例軍議に出席してもらえるだろうか? 情報のすり合わせと今後の方針についての打ち合わせがしておきたい」

 

「あ、ああ、そうだな」

 

 自分でも、このままではいけないとわかっているのだろう。アデライドはコホンと咳払いし、しっかりと頷いた。

 

「むろん、逃避行の間も情報収集は続けていた。こうなったからには、王家を叩きのめさないことには話が前に進まないからねぇ……私も覚悟を決めたよ」

 

「いい意気だ」

 

 そういって肩をたたいてやると、アデライドは小さく笑った。ぎこちない笑顔だが、こわばった表情よりはマシだろう。

 

「アル様が御戻りになられるまでは、わたしと貴様が二人三脚で事に当たらねばならん。ともに戦おう、相棒」

 

「むろんだ」

 

 やっと、アデライドの声に力が戻ってきた。わたしは内心ほっとため息を吐く。アル様は、自然とみなを奮起させるすべを心得ていた。しかし、わたしはそうではない。とにかく、頭を絞り気を遣う必要があった。正直、わたしには荷が重い仕事である。

 しかし、荷が重いと思うこと自体が今までのわたしの怠惰を示している。本来であれば、この重荷はわたしとアル様が力を合わせて背負うべきものだったのだ。その責任を放棄し、すべてアル様に任せてしまったことがわたしの誤りなのだろう。

 ……考えようによっては、今回の件はいい機会なのかもしれん。今こそ、自分の力で立ち上がる時なのだ。この機会をばねにして、アル様の隣に立つ女にふさわしい人間になって見せるとも……!



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第605話 盗撮魔副官と軍議(1)

「……それでは、ひとまず現状の再確認と行こうか」

 

 わたしは大きく息を吸い、それをゆっくりと吐き出してからそういった。あの後、我々は郊外の野営地から市内の宿へと移動している。わが軍の指揮本部は、現在レマ市の内部に設置されているのだ。とうぜん、軍議の類もそちらで行うのが定例となっていた。

 当の指揮本部があるのは、レマ市でも屈指の高級宿だった。一番の大部屋に机と椅子を並べ、臨時の司令部として運用しているのである。その部屋の中心に置かれた円卓では、わが軍の要人たちが雁首をそろえていた。その中には、もちろん先ほど帰還したばかりのアデライドの姿もある。

 

「現在、我々は戦力の拡充に努めている。なにしろ、王軍は強大な相手だ。戦力のそろっていない状況で行動を開始するのは避けたい」

 

「手元に集まった兵力は、おおむね三万というところだ。悪くはない数字だが、かのガレア王国軍と正面からぶつかるにはやや不足だろう」

 

 そう補足するのは、あのカワウソ女……ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンだった。我々の中ではもっとも新顔であるはずのツェツィーリアではあるが、軍議においては当然のように身内ヅラで口を挟んでくるようになった。この間まで真正面から戦争していた間柄だというのに、面の皮が厚いというか、なんというか……。

 まあ、それはさておき肝心なのは戦力である。確かに、三万という数字は大きい。しかし、その内実は大半がレマ伯ジェルマン殿のような宰相派諸侯の連れてきた兵士たちだった。当然ながらその軍制は従来型で、主力兵器は剣と槍、そして魔法と弩弓だ。戦力としては、正直なところ二線級と言わざるを得ない。

 もっとも、敵方の王軍とて兵士のすべてを新兵科に更新できているわけではない。むしろ、数の上ではいまだに旧式部隊のほうが主力だろう。従来型の軍も、使い方を誤らなければ十分に戦うことができるはずだ。

 

「思ったよりは戦力が集まっているようだねぇ。正直なところ、みな日和見ばかりするものと思っていたが……」

 

 顎を撫でつつ、アデライドが感心したような声を上げた。その眼には、すっかり以前のギラつきが戻っている。

 

「貴殿らの後ろにはこのエムズハーフェン侯がついている。事態はすでにガレア国内だけで終わる段階ではないのだ。で、ある以上……外部勢力と連合している側を優勢と捉える者が多くなるのも当然のことだろう?」

 

 腕組みをしつつニヤリと笑うツェツィーリア。恩着せがましい言い方だが、ヤツの言葉にも一理ある。彼女らの参戦によって、わが陣営はすでに宰相派閥という枠を超えて拡大しつつあるのだ。

 

「……なるほど、感謝しよう」

 

 笑顔で一礼するアデライド。しかし、おそらくその内心は複雑だろう。戦力が増えるのはよいことだが、このツェツィーリアの勢力拡大を許すのは美味しくない。しかし、さりとて今は味方同士で足を引っ張り合っていられる状況ではないときている……。

 

「ところで、一つ聞きたいことがあるのだが。王家に抗するべく集まった、この軍勢。それ自身の正式な名称は決まっているのだろうか? 決まった呼び名がないと、いささか不便なように思われるのだが」

 

 その言葉に、わたしは微かに眉をひそめた。むろん、アデライドの発言が不愉快だったわけではない。単純に、この正式名称についての問題が今のわたしの頭痛の種であったからだ。

 

「いや……実のところ、まだ決まっていない。どうやら、王党派の連中は反乱軍とかアデライド軍とか読んでいるようだが。それにあやかって、自らもアデライド軍と号することにするか?」

 

 皮肉げな口調でそう言い返してやると、アデライドは露骨に渋い表情を浮かべた。どうやら、わたしの方の意図を誤解なく理解してくれたようだ。我々は、間違ってもアデライド軍とは名乗れない。

 実際のところ、アデライドの名のもとに参陣した諸侯などそれほど多くはないのだ。我々の陣営の軸は、間違いなくアル様なのである。このあたりの部分は、今のうちにハッキリさせておかねばならない。それも、本来の陣営の頭領であったアデライドの手によってだ。

 

「軍人ならざる私の名を、軍に使うのは気が引ける。……そうだな、いっそのことアルベール軍と名乗ることにしないかね?」

 

 肩をすくめつつ、アデライドはそんな主張をする。軍の呼称に男の名前を付けるなど、歴史上ほとんどない事例だった。しかし、その割には反対意見を出すものはいない。

 もちろん、勝ち馬に乗るために我々の陣営に参加しているだけの日和見主義者などはいい顔をしないだろうが……この場にいるのは、陣営を支える要人中の要人ばかり。そのような者たちにとっては、この組織の事実上のトップがアル様であることなど自明の理なのである。

 ……しかし、これほどスムーズにそんな共通認識を構築できたのは、アル様が政治色の薄い方であるという要素が強いやもしれんな。神輿として担ぎやすいからこそ、あえて足を引っ張る必要はないというか。正直に言えば腹立たしいが、今はそんなことに文句をつけている場合ではないし……。

 

「ヴァロワ王家は、アルベールはあくまで被害者であるという立場をとっている。その大義名分に否を突きつけるという面でも、我々自身がアルベール軍を名乗るというのは良い考えだろう。私としては、この案には賛成である」

 

 ツェツィーリアの言葉で、場の空気は決定的になった。しかし、この女……いちいち場の主導権を握りに来るのが厄介だな。こたびのいくさでは味方であるとはいえ、警戒は緩められない。勢力が拡大すればこのような輩が現れるのも仕方のないことだが、まったく頭の痛い話である。

 まあ、ツェツィーリアとしても負けてしまえば元も子もないのだから、戦争が終わるまではおとなしく協力してくれるはずだが……。

 

「まあ、名称の件はそれで良いとして」

 

 やや複雑な表情で、ジェルマン殿がそう言った。表情の理由は、本来アデライド派閥だったこの勢力が、名実ともにアルベール陣営に塗り変わってしまったせいだろう。

 もちろんジェルマン殿は以前からアル様に対しても丁寧に接していた方だから、男性貴族に対して隔意があるというわけではないだろう。しかし、そうであっても慣れ親しんでいたモノがだんだんと変化していくというのは気分の良いものではない。

 まあ、そういう意見があるとわかっていたからこそ、わたしはこの件のバトンをアデライドに渡したわけだが。陣営の頭を誰にするかという重大事を、わたしが勝手に変更するわけにはいかないのだ。

 

「名も大切ですが、実もそれと同じ程度には大切です。そろそろ、話題を戦争へと戻した方がよいかと」

 

「確かにその通り」

 

 わたしはコホンと咳ばらいをしてから、円卓に居並ぶ諸侯や貴族たちを見回した。そこには、ジェルマン伯爵のようなガレア王国貴族もいれば、ツェツィーリアのようなオルト帝国貴族もいる。もちろん、フェザリアのようなリースベン勢の姿もあった。

 このような烏合の衆をまとめ上げ、王家と戦わねばならないのだ。議題がふらふらしていたら、いつになっても話はまとまらない。冷めきった香草茶でのどを湿らせてから、わたしは言葉をつづけた。

 

「アデライドも無事戻ってきたことだし、そろそろ作戦を一段階前へ進めよう。反攻の始まりだ」

 

 アル様の誘拐だの、肩透かしにおわったヴァール軍の襲来だの、いままでの我々はいささか後手に回りすぎていた。多少心もとないとはいえ最低限の兵力もそろいつつあることだし、いい加減状況の主導権を奪い返さねばならない。

 

「まず、初めに言っておく。我々の目標はただ一つ。パレア市を睥睨するあの荘厳なる王城に、この旗を掲げることだ」

 

 壁に掲げられた〇に十字の入った旗を指さし、わたしはそう宣言する。つまり、王都の占領だ。いきなりの大言壮語に、居並ぶ諸侯の一部が顔をひきつらせた。

 

「我らのなすべき仕事は二つ。アル様の救出と、こちらをナメ腐っているあの腐れ王太子を屈服させることだ。そのためには、チマチマと地元で防衛戦をしているだけでは間に合わぬ。敵のひざ元へと攻め込み、城下の盟を結ばせる! これ以外の選択肢はない!」

 

 机を強く殴りつけ、円卓の面々をにらみつけた。みな、雷に打たれたような表情でわたしを見返している。例外は、もとより王家をシバキ倒す腹積もりだったであろうリースベン勢くらいだ。フェザリアやジルベルトなどは、当然のような顔をしてわたしに次の言葉を促している。

 

「王家は我らを反乱軍と呼んだ。ならばよろしい、お望み通り反乱を起こしてやる。臣下への御恩を忘れた君主がどうなるか、身をもって教育してやろう!」



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第606話 盗撮魔副官と軍議(2)

 アルベール軍の幹部たちに向け、わたしは王都への進軍を宣言した。彼女らの反応はさまざまだった。ゲンナリしている者もいれば、闘志をむき出しにしている者もいる。しかし、反論を口にするものは一人もいなかった。普通に考えれば、地元に引きこもっているだけでは王軍に勝てぬことなど明らかだからだ。

 

「勝利を掴むためには、こちらから打って出るしかないというのは当然のことだ。しかし、王都パレア市はこの南部からはるか北の彼方にある。あえて説明するまでもないが、軍隊にとって距離というのはどんな強固な城壁よりも厄介な障壁となる。ソニア殿は、これをいかに解決するおつもりか」

 

 偉そうな口調で質問をしてくるのは、にやにや笑いを浮かべたツェツィーリアだ。まったく、腹の立つ女である。我らがアルベール軍には彼女の兵はごくわずかしか参加していないのだから、なおさらだった。

 もっとも、エムズハーフェン軍は前回のいくさで我々自身がボコボコにしてしまっている。兵士が全滅したわけではないが、所領の防衛を考えれば出征に割ける兵力が減ってしまうのは致し方のない話かもしれない。

 まあ、もちろんだからといって一人勝ちを許す気はないが。エムズハーフェン家には、正面戦闘以外の部分で働いてもらう。物資の調達や、輸送などの後方支援だ。

 

「長距離遠征における一番の課題は、兵站の維持にある。しかしこれについてはすでに手をまわしているから、心配する必要はない」

 

「ほう、さすがはソニア殿。すでに策を用意していたとは。……ちなみに、どういったやり方で補給線の構築をするのか聞いておいても良いだろうか?」

 

 眉を跳ね上げながらそんな質問をしてくるツェツィーリア。その口調はいささか挑戦的だが、このやり取りはあくまで茶番だった。なにしろ、アルベール軍の物資輸送担当は彼女なのだ。補給作戦の手順については、すでに裏で話を詰めてある。結局のところ、この会話はあくまで将兵を安心させるためのお芝居なのだ。

 

「我々の策源地は、南部だけではない。マリッタのやつは敵に回ったが、スオラハティ家とノール辺境領そのものがこちらに槍を向けているわけではないのだ。付き合いのある辺境領内の回船問屋に、物資の手配と輸送を命じてある。中部の港町をひとつふたつ確保すれば、そこから補給線を伸ばしていくことが可能だ」

 

 万が一に備え、わたしは戦前の段階からノール辺境領の回船問屋に話をつけ有事の際の補給を任せる準備をしていた。王家と事を構える場合、補給が一番の問題になることはわかりきっていたのである。手を打っておかないはずがなかった。

 しかし、そういう状態だったからこそマリッタの裏切りは衝撃的だった。ノール辺境領そのものが敵に回ってしまえば、戦争計画自体が砂上の楼閣になってしまうからだ。

 幸いにも、その懸念は杞憂に終わった。どうやら、マリッタはまだ辺境領の全権を掌握できているわけではないようだ。いくつかの回船問屋からは、問題なく計画通りの支援ができるという返事が戻ってきた。

 とはいえ、安心はできない。聞いた話によれば、マリッタは母上の身柄を拘束してしまったらしいからな。彼女は非情な女ではないから、まさか母上のお命を害することはないだろうか……現当主の身柄が抑えられている以上、スオラハティ家自体からの助力は期待できない。

 ……少なくとも、事態が膠着しているうちは、だが。戦闘の勝敗によって情勢が変化すれば、話はまた変わってくるだろう。わたしが早期の決戦を目論んでいるのは、そういう事情もあるのだった。いわゆる政治というやつだ。

 

「なるほど、準備は万端というわけですか。安心いたしました」

 

 ジェルマン殿がにこやかな調子で合いの手を入れた。その柔らかな口調のおかげか、緊張した面持ちだった各諸侯の表情もわずかに緩む。この方のこういう援護射撃は、本当に助かるな。ツェツィーリアのような新参者が幅を利かせている現状だからこそ、彼女のような人物は丁重に扱わねば……。

 

「こちらの用意ができとるなぁわかりましたがね。しかし、おのれを知ることと同じくらい敵のことを知るのも大事だと思うんですがね。そっちのほうはどうなっとるんですか」

 

 独特の訛りを含んだ声がそんな指摘をしてくる。声の主は、アリンコの長ゼラだった。彼女やフェザリアなどのリースベン蛮族勢は、諸侯の一員としてこの場への出席を許されている。

 

「……実際のところ、現状の一番の懸念点はそこだ。なにしろ、フランセット殿下は情報畑のご出身。諜報合戦では、こちらのほうが明らかに不利な状態にある」

 

「つまり必要な情報が集まっちょらんと」

 

 厳しい口調でフェザリアが言う。その言葉に、わたしは神妙な顔でうなづくほかなかった。実際のところ、敵の推定兵力すらいまいちわかっていないのが現状なのだ。アル様が敵の手に落ちていることや政治的な事情などがなければ、様子見に徹したいような盤面ではある。

 わたしの不安が伝線したのだろう。議場の空気は、気づけば重苦しいものに変わっていた。我々は、正面戦闘力にはそれなりの自信がある。しかし、目隠しをされた状況で戦わねばならないとなると、だいぶ話は変わってくるだろう。大丈夫なのかと不安に思うのは当然のことだった。

 

「諜報に関しては、私のほうでなんとかできるやもしれん」

 

 そんな重い空気を、自信に満ちたアデライドの声が晴らした。彼女は目に強い光を宿し、こぶしを握り締めながら円卓の面々を見回す。

 

「実のところ、王都周りの情報はわたしのほうでも探っていたのだよ。宮廷内での私の勢力は、急速に駆逐されつつあるが……パレア市には、わがカスタニエ家と付き合いのある商会がたくさんあるからねぇ。ちょっとした調べごとを頼む程度なら、造作もないことだ」

 

「おお」

 

 思わず感嘆の声が出た。逃避行の間も情報収集を続けていたと言っていたが、なるほどそういうツテを利用していたのか。さすがはアデライド、転んでもただでは起きない女だ。

 

「いくら情報を封鎖しようとも、物資の流れは止められない。その動きを追えば、自然と軍勢の規模や動きも見えてくるという寸法さ」

 

 そういって、アデライドは一枚の紙をわたしに投げ寄こしてくる。受け取って内容を確認してみると、そこには軍用の堅焼きビスケットや弾薬などの生産・納品高の推移、そしてそこから導き出される王軍の現有戦力の推定などが書かれていた。まさに、わたしたちが今一番欲しているデータである。

 それによれば、王軍の推定兵力は四万五千。こちらよりもかなり優勢だが、想定の範囲内だ。むしろ、予想よりも少ないくらいかもしれない。おそらく、対神聖帝国戦が終わったがために少なくない数の諸侯が軍を所領に帰してしまったのだろう。

 

「なるほど、素晴らしい。これだけの情報があれば、作戦も詰めやすいだろう。ありがとう、アデライド。助かった」

 

「ま、一度は醜態を見せた身だからねぇ……少しくらいは、いいところを見せておかなくては」

 

 冗談めかした口調でそう返すアデライドだったが、口ぶりとは裏腹にその目つきは真剣そのものだった。まあ、当然と言えば当然だろう。いくら文官でも、夫を奪われて平気でいられるものなどいない。彼女は彼女なりのやり方でこの戦争を戦うつもりなのだ。

 

「今後も同様の手法で情報収集は続けていくつもりだ。……とはいえ、こと諜報戦においてはフランセット殿下もなかなかの手練れだからねぇ。あまり過信はしないほうがいい」

 

 ただでさえ、我々は兵力面で劣っているのだから。アデライドは言外にそういっていた。わたしたちはこれまで幾度となく大軍を打ち破ってきたが、それは装備の優越あってのこと。ライフル式の小銃や大砲を装備している王軍に対しては、今までと同じ手は通用しないかもしれない。

 ましてや、今はアル様の知恵をお借りすることもできないのだから……当然、慢心は禁物であった。わたしはアデライドに頷き返し、こぶしを握り締めた。

 

「むろんだ。このいくさは、万が一にも負けるわけにはいかぬのだからな」

 

 とにもかくにも、相手の陣容がわかったのは大きい。あとは、この劣勢をどうひっくり返すかだが……。



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第607話 アルベール軍の進撃

 ひとまずの方針が決まった我々は、王都に向けて進撃を開始した。とはいえもちろん、三万の兵力すべてを一塊にして動かしたわけではない。大軍は合戦の際には有利なのだが、進軍する時にはその人数そのものが機動の足を引っ張るのである。簡単に言えば、一人旅と大勢での旅では同じ時間をかけても進める距離がまったく違うのと同じ理屈だ。

 そういうわけで、わたしはアルベール軍の部隊を分散して運用することにした。わたしの指揮するリースベン師団、ジェルマン殿が指揮するジェルマン師団、そしてツェツィーリアの指揮するエムズハーフェン旅団の三つの部隊が、それぞれ別のルートを通って王都を目指すのである。

 ただでさえ少ない兵力を分散するのは危険だが、そこは運用でカバーする。三つの部隊は常に緊密な連絡を維持し、いざ敵が現れれば即座に集結してこれに対処する予定だった。用兵の世界ではこれを分進合撃という。いままでこの戦術は連絡手段の不備などから絵にかいた餅だとされていたが、鳥人の協力や野戦電信技術の発達などがこの画餅を実用のものに押し上げた。

 

「一分一秒でも早くアル様をお救いせよ!」

 

 これを合言葉に、我々は急ぎ北上した。むろん王軍もそれを阻止しようと部隊をくりだしてきたが、そんなものは問題にはならなかった。なにしろ、王軍の主力はまだ王都周辺にいるのである。使える戦力は軍役を発布して招集した諸侯軍であり、この連中はいまだ槍とクロスボウを主力兵器としている。足止め程度の作戦でも、実現するにはよほどの大兵力が必要だった。

 同様の理由で、領地を進軍ルートに使われてしまった諸侯なども大した障害にはならない。たいていの領主は、大砲を用いて威嚇射撃を城門に一発二発撃ちこんでやれば即座に屈服して通行権を手渡すものばかりだった。自らと所領を犠牲にしてまで王家に忠を尽くそうなどという領主貴族は、めったにいないのである。

 

「雑魚にはかまうな! 連中が戦力をチンタラ集結させているうちに、その横をさっと通り抜けてしまうのだ!」

 

 分進合撃戦術の身軽さを生かし、我々は徹底的に交戦を避けた。そもそも、立ちふさがる障害をすべて直接排除していたら、王都にたどり着くころにはすべての弾薬を撃ち尽くしてしまっているに違いない。糧秣は現地調達できるが、弾薬は後方から運び込むしかないのである。補給線の長さを思えば、無駄遣いしている余裕などまったくなかった。

 

「敵の弱点は兵站だ! 徹底して補給線をたたけ!」

 

 もっとも、すべてがうまくいっているわけではなかった。王軍は、身軽な軽騎兵部隊を用いてこちらの補給段列へ頻繁に襲撃をしかけてきた。もちろんこちらも騎兵を繰り出して反撃するわけだが、日に日に伸びていく補給線のすべてをカバーすることなどとても不可能だった。自然、予定していた物資が届かないなどということも日常茶飯事になってくる。

 

「足りない分は現地調達に頼るほかありませんが……兵を物資の徴発に向かわせると、そのぶん進軍に回せる時間が少なくなります。正直、なかなかに頭の痛い問題ですね……」

 

 一日の終わりに開かれる定例の報告会で、渋い顔をしたジルベルトがそう言った。長征に物資の不足はつきものだが、それに急進撃という要素も加われば事態はますます厄介になってくる。

 むろんこれらの問題は作戦の立案段階でも認識されていたが、いざそれが現実化してみるとその厄介さは検討段階の比ではない。やはり、机上で立てた論理などしょせんは空論に過ぎないのだった。

 

「矢玉を温存すったぁ良かが、じゃっどん食料を軽視して良かちゅう話はなか。腹を空かせた兵ほど弱かもんななかでな。こん問題は早急に解決すべきじゃろ」

 

 腕組みをしたフェザリアが指摘してくるが、そんなことは言われなくてもわかっている。しかし、そもそも無い袖は振れないのである。わたしは心の中でため息を吐き、卓上に置かれたランプの炎をにらみつけた。

 時刻はすでに夜、夕餉も終わり就寝ラッパが鳴るのを待つばかりの頃合いだ。天幕の外には、我々の心中とは正反対の雲一つない美しい星空が広がっている。まったく、腹立たしい限りだ。……晴れていることにすら苛立つとは。わたしも随分と追い詰められているな。もう一度ひそかにため息を吐き、視線をフェザリアの方へ戻す。

 

「では、フェザリアはそろそろいったん進撃を停止すべきと言いたいわけか」

 

「おう」

 

 理性と狂気が共存した複雑な目つきで、エルフの皇女はわたしを見返してきた。エルフの戦士は一見、猪突猛進しかできない猪武者に見える。しかし実のところ、彼女らは(いくさ事に関しては)たいへんに頭の回る連中なのである。その見識には十分に耳を傾ける価値があった。

 

「とへってん、腰を落ち着けて略奪に精を出すち言おごたっどけじゃなか。そげんこっをしてん、時間を浪費すっばっかいじゃ。物資も時間も無駄遣いをしちょっ余裕はなか……」

 

 そういって、彼女は円卓の中心に置かれたガレア王国中部の地図の一点を指さした。そこには、川と山岳地帯に挟まれた狭隘(きょうあい)な地形があった。

 

「予定では、こん地点は迂回すっことになっていたじゃろ。じゃっどん、(オイ)が思うにここはあえて強行突破を図った方が良かじゃろ」

 

「この隘路(あいろ)を強行突破ですか!? 確かに距離的には近道ですが……」

 

 話を聞いていたジルベルトが小さくうなった。このポイントは、いかにも防衛戦に向いた地形だ。王軍側もそれは理解しているだろうから、十分な兵力と物資を配置して攻撃に備えているに違いない。

 そんなポイントを無理やりに突破を図ろうと思えば、手痛い反撃を食らってむしろ進軍は停滞するだろう。だからこそ、事前の作戦ではあえて遠回りすることでここを無視する計画になっているのである。

 

「近道んためにこん道を通っわけじゃなかど。むしろ、幌馬車隊ん到着を待つためにあえてここで脚を止むっとじゃ」

 

 ニヤリと笑い、フェザリアは居並ぶ者たちを見回した。

 

「隘路に大軍を送り込んたぁ得策じゃなか。ここん突破戦は、おいらん軍だけでなんとかなっじゃろ。そうしちょる間に、ジェルマンどんやカワウソ小娘に食料調達をさせっとじゃ」

 

「それなら、そこらへんの路上でいったん足を止めるほうがええんじゃないの? ただただんに食料を集めるだけならば、あえて危険な突破戦を仕掛ける必要はないと思うんじゃけぇのぉ。まさかたぁ思うが、暴れたい一心で適当なことを口走りよるんじゃないじゃなかろうな」

 

 剣呑な口ぶりでそんなことを言うのはゼラだ。一応味方同士になった今も、エルフどもとアリンコどもの仲は険悪なままだ。長年の因縁がすぐに消えるわけもなく、こればかりは仕方のない話だろうが……正直、かなり困る。

 

「アリンコは(びんた)が単純でいかん。そん策では、味方ん集めたぶんの食料しか手に入らんじゃろうが」

 

 案の定、フェザリアから返ってきた声は剣呑なものだった。ゼラの眉が跳ね上がる。しかし売り言葉に買い言葉が飛び出すより早く、エルフの皇女は次の言葉を放つ。

 

「こげん時は、敵からも食料を奪い取っとが得策じゃ。一挙両得ちゅうヤツじゃ」

 

 そこまで言われて、わたしはやっとフェザリアの意図に気づいた。くだんのポイントでは、王軍が遅滞作戦の準備を整えているものと思われる。そして遅滞作戦には、十分な量の食料は必須の存在だ。フェザリアは、それを奪い取ってこちらのものにしてやろうと考えているのだ。なるほど、エルフらしい発想である。

 

「ふむ……」

 

 わたしは小さく声を出しながら、地図をゆっくりと眺めまわした。まずは例の隘路(あいろ)の周辺を確認し、それからゆっくりと視点を西に向ける。|隘路から数十キロほど離れた地点には、広大な海とそれに面した港町がいくつかあった。

 

「よろしい、その案を採用しよう。しかし、友軍には食料調達任務を任せるというのはナシだ」

 

 徴発と言っても、実際のところそれは略奪と紙一重の行為だ。そんなヴァール軍めいた真似はやりたくないし、そもそも戦術的に見ても略奪は時間ばかりかかって得られる物資の少ない非効率的な行動である。ほかにももっと効率的なやり方があるのならば、そちらを優先するのは当然のことだった。

 

「いったん進軍を止めるというのなら、ついでに水運との接続もやっておこう。ジェルマン殿に港町をひとつ攻略してもらい、ノール辺境領の輸送船団と合流するのだ」

 

 

 わたしはニヤリと笑い、目を付けた港湾都市の上にジェルマン師団を示すコマを置いた。



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第608話 盗撮魔副官とカマキリ娘

 深夜。軍議を終えたわたしは、ひそかにため息をついた。早朝からこんな時間までずっと働きどおしなのは、さすがにくたびれる。そのうえ、明日も日が昇らぬ前から起きねばならぬのだからなおさら気が重い。

 そんなことを考えつつ、夜風を浴びながら寝床の天幕へと向かう。全身は疲労感でいっぱいだったが、眠気はあまり感じていなかった。これは、一人寝のみじめさに耐えかねているせいかもしれない。

 アル様がいらっしゃった頃は、可能な限り同じベッドで寝るようにしていたのだ。おかげであのクソババアやジルベルトなどからは頻繁に文句を言われる羽目になったが、しかし幸せな日々であったことは間違いあるまい。

 ああ、寂しい。いかも、当のアル様は今頃あの好色な王太子に身を汚され、同じベッドで寝ているかもしれないのだ。つらい。脳が壊れそうだ。あのドグサレめ、生かしてはおかん。しかしわが刃はまだあの女には届かない。歯がゆい……。

 

「お疲れ、ですね」

 

 そんな声で、わたしは我に返った。声の主は、護衛役のネェルだった。レーヌ市から戻ってきて以降、わたしはいつも彼女を側に置くようにしていた。暗殺者対策のためだ。

 なにしろフランセットは諜報方面に造詣が深く、からめ手にたけている。暗殺のような汚い手段でも、躊躇せずに使ってくるに違いないのだ。その点、ネェルの戦闘力は心強い。我が国に、彼女に勝てる戦士などは存在しないだろう。もっとも、毒殺や不意打ちなどに対しては、その強大な戦闘力も役には立たないわけだが……。

 

「さすがにな。気力に体力がついていかん。まったく、歯がゆいことだ……」

 

 正直な心情を吐露し、わたしは肩をすくめる。まあ、実際のところ、ネェルがからめ手に対してはそれほど有効ではない事実などどうでもいいことなのだ。一番肝心なのは、彼女の前では無理に自分を大きく見せる必要がないという点だった。

 アル様がおらず、ツェツィーリアをはじめとした厄介な諸侯どもの相手もせねばならない今、ネェルのように本音で話せる相手の存在は大きい。なにしろ、わたしは実戦で一度彼女に敗れているのだ。今更見栄を張ったところでもう遅いだろう。

 

「ネェルも、お手伝い、できれば、良いのですが」

 

 返ってきた彼女の声には、以前にはなかった陰気な色がにじんでいる。現状に不満を覚えているのは、ネェルも同じことのようだ。いや、目の前でアル様を失ってしまったぶん、その焦りはわたし以上のものがあるかもしれない。

 しかも、彼女は立場的にはあくまで一兵卒だ。わたしと違って、士官としての仕事があるわけではない。わたしの影のように付き従うばかりの毎日は、さぞ歯がゆかろう。できることなら、一人でもアル様を助けに向かいたい。そう考えているに違いなかった。

 そんな彼女の気持ちを思うと、なんとも辛いものがある。わたしも、一人で鬱々としているわけにはいかないだろう。現状を打破できるのは、感情に任せた行き当たりばったりの行動ではない。理性に裏打ちされた合理性のある作戦なのだ。

 

「なに、気にするな。貴様には貴様の仕事がある。その時が来たら、嫌というほど働かせてやるさ」

 

 移動ばかりの毎日で、カマキリ虫人の能力が発揮できるはずもない。ネェルが真価を発揮するのは、血煙にまみれた戦場なのだ。その機会を用意するのが、将としてのわたしの仕事になってくる。

 

「はい、お願い、します。できるだけ早く、働かせてください」

 

 以前の彼女であれば、ここでいつものマンティスジョークを飛ばしていたかもしれない。しかし、返ってきたのは面白みのない答えだけだ。彼女としても、冗談を飛ばせるような精神状態ではないのだろう。聞くたびにドキリとしていたマンティスジョークではあるが、言わなくなったらなったで寂しいものである。

 

「任せておけ」

 

 今のわたしにできるのは、気休めを口にすることだけだ。本音を言えば、彼女の背中に乗せてもらい単身王都に攻め込むくらいはしたい気分なのだが。しかし、そんなことをしても得られるものは何もない。

 

「お前がふたたび家族を失うようなことには絶対にさせない。安心しろ」

 

 自分の言葉の空虚さに耐えきれず、わたしは重ねるようにしてそう言った。ネェルの境遇に関しては、本人の口から聞いている。飢餓と薄汚い策略で両親を失った彼女に、これ以上の悲劇を見せるわけにはいかない。ぐっとこぶしを握り、わたしは月光を反射して光る彼女の目をまっすぐに見つめた。

 

「ありがとう、ございます。……けれど、家族は、アルベールくん、だけでは、ありません。ソニアちゃんも、無理は、しないよう。生き残るなら、みんなで、ですよ?」

 

「……言ってくれるじゃないか、姉妹」

 

 思わず破顔して、わたしはネェルの脚をたたいた。久しぶりに、本心から笑ったような気がす。たしかに、同じ夫を共有する我らは姉妹以外の何者でもないだろう。……そうするとあのクソババアやら腹黒カワウソやらとも姉妹ということになるのだが、そのあたりはあえて考えないように知っておく。

 

「へへ」

 

 ネェルのほうも釣られて少し笑い、そしてすぐに表情を強張らせた。どうしたのだろうか。そう思うより早く、彼女は口を開く。

 

「家族と、言えば……ソニアちゃんの、お母さまと、妹さんの、こと。なかなか、心配、ですね。無事、収まるところに、収まれば、良いのですが」

 

「ああ……」

 

 母上とマリッタのことか。まったく、こんな時でもネェルはよく気が回る。わたしは苦笑して、大きく息を吐いた。一時は軽くなっていた心が、今は鉛の塊のように重くなっていた。

 

「……母上のことは、心配いらん。マリッタとて、実の母を手にかけるほどの外道ではない」

 

 実際、母のことはそれほど心配していないのだ。マリッタの手で軟禁されているという話だから、多少の不自由はしているだろうが……多少雄々しいところがあるとはいえ、わが母も一角の武人だ。その程度で堪えるほどヤワではない。

 問題は、マリッタのほうだ。まさか、ヤツがアル様に槍を向けるほどに思い詰めているとは思わなかった。こんな事態を招いた責任の一部は、間違いなくわたしにもあるだろう。しかし……。

 実際に行動を起こしてしまった以上は、身内といえど容赦は出来ない。わたしたちは、背負うものなどない平民の家族などではないのだ。己の責任を果たすためには、身内と言えど容赦はできぬ。

 ああ、しかし。気が重くないといえば、ウソになる。己が無責任に出奔したせいだとわかっていても、天を呪いたくなってくる。なにゆえ、血を分けた姉妹同士で争わねばならぬのだ。あのヴァルマ(血に飢えた凶獣)ですら、家族に対して本気で剣を向けるような真似はしないというのに……。

 

「……そうですか。なら、良かった」

 

 ちっとも良くなさそうな声でそう言って、ネェルは小さくうなづいた。もちろん、聡明な彼女のことだから、わたしがあえてマリッタについて言及しなかった意味は理解しているだろう。こちらを見るネェルの目つきには、明らかに気づかわしげな色があった。

 

「いまのわたしは、ソニア・スオラハティではなくソニア・ブロンダンだ。一度は責任を投げ捨ててしまった身の上であるからこそ、今度はこの義務を放棄するわけにはいかん。立場にふさわしい行動をするまでだ」

 

 切り捨てるような口調で、わたしはそう言った。ネェルが一瞬足を止め、そして大きく息を吐きだしてから「そうですね」と不本意そうな声で言う。まったく、この娘は本当にやさしい。軽く肩をすくめ、会話を打ち切った。これ以上この話題を深堀りしても、出てくるのは余計な感傷だけだと理解しているからだ。

 ……はぁ。しかし、ブロンダンか。アル様もそうだが、王都のお義母上とお義父上は大丈夫だろうか? 相手はあのフランセットだから、どういう汚い手を使ってくるかわからない。可能な限り早く手を打っておいたほうが良いだろうな。実際に王都に攻め込む前に、情報収集もかねて一度特務部隊をパレア市に潜入させておいたほうがいいだろうな。



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第609話 くっころ男騎士と急報

 僕が王城に収監されて、かなりの期間が経過した。状況の変化はほとんどなく、相も変わらぬヌルい日常が続いている。寝たいだけ寝て、暇になったら見張りを呼び出してゲームにつき合わせたり散歩に連れて行ってもらったり。憂鬱な仕事と言えば時折やってくるフランセット殿下など(たまにマリッタがやってくることもあった)の相手くらいで、休暇としてはなかなかに贅沢な日々であった。

 とはいえ、もちろん不満がないわけではない。どうにもフランセット殿下は僕のことを一般的な貴族のご令息のように扱っているらしく、与えられる娯楽もそちら方面のものが中心となってしまっていた。一度バラ園などに連れていかれたときは、退屈すぎてどうにかなってしまいそうになってしまった。どうせなら、練兵所などに行ったほうがよほど楽しめるのだが……。

 いや、それだけではない。近頃、僕には新しい日課が与えられていた。王家直属の男中(メイド)長(この世界においては当然ながら男性の仕事である)による礼儀作法の講習である。これがなかなかに厄介で、家庭教師役の老男中(メイド)は匙の上げ下げに対してすら物言いをつけてくる。ブートキャンプの鬼軍曹並みの厳しさだった。

 まあ、こればかりは僕の方にも問題がある。なにしろ僕の母は礼儀作法などまったく気にするような人ではなかったし、その後に僕の面倒を見るようになったスオラハティ辺境伯……カステヘルミの教育も、どちらかといえば軍人(つまりは女性貴族)としての立ち振る舞いについてのものが中心だった。そういうわけだから、今更男性らしい作法などを教えられても正直困ってしまうのである。

 

「なんだかなぁ……」

 

 老男中(メイド)によるたいへんに厳しいブートキャンプを終え、僕は今日も今日とて疲労困憊になっていた。前世と現世の二回にわたって新兵教育を潜り抜けてきた僕ですらこうなるのだから、あの男中(メイド)のシゴきは尋常なものではない。彼が地球に転生したら、きっと良い訓練教官になれるに違いない。

 

「ぬっふっふっふっふ、まあ良い機会だと思うことじゃのぅ。たしかに、オヌシの立ち振る舞いには男子(おのこ)としてどうかと思うような部分が多々あるからのぉ」

 

 そんなことを言うのは、もちろん性格最悪のクソババアである。収監当時は怪しまれることを避けるために接触を最低限に抑えていた僕とダライヤだったが、この頃はすっかりそんな決め事など無かったことになっている。なにしろ暇ばかり多い軟禁生活だから、どうしても雑談相手が欲しくなってしまうのである。

 

「ワイルドな男性も、それはそれでいいと思うんですがねぇ」

 

 雑談相手その二である新人近衛騎士くんが、僕の方をチラチラと見つつ唇を尖らせた。毎日のように顔を合わせる彼女とはもうすっかり打ち解けており、今では見張りと囚人というよりは友達同士のような関係になっている。まあ、そういう風になるよう僕が誘導したわけだが。

 

「いまさらおしとやかに振舞えと言われても、ねぇ?」

 

 などとボヤきつつ、僕は椅子にドッカと腰を下ろした。間違いなく、この場にくだんの老男中(メイド)がいたら厳しい叱責が飛んでいることだろう。まあ、この部屋に彼の目はないのだから別に良いのだが。

 ため息を吐きつつ、部屋の中を見回す。収監された当初は落ち着かないこと甚だしかったこの豪華絢爛な寝室も、今となっては自宅の私室のように馴染んでしまっていた。窓から差し込む陽光は夏特有のギラつきが次第に薄れ、秋のものへと変わりつつある。つまり、絶好の昼寝日和ということだ。

 ああ、なんという穏やかな景色だろうか。しかし、ひとたび目を閉じれば僕の瞼の裏にはあの地獄のような戦場の光景が浮かび上がってくるのである。温度差がひどすぎて精神が毛羽立ちそうになるので、正直しんどい。忙しく働いている分には、意識しなくて済むんだけどなぁ。勘弁してくれよって感じだ。

 つまり何が言いたいかといえば、僕はこの世界に生まれ落ちた時点で"一般的な貴族令息の生活"とやらには適合しないタイプの人類だったということだ。今更の行儀教育などまったくの無意味なので直ちに中止していただきたい。

 

「まあまあ、そうおっしゃらずに。宮廷においては、礼儀作法は身を守る鎧のようなものですから。覚えておいて損はないのは確かですよ」

 

「ですか」

 

「ですよ」

 

 そんな益体のない会話を交わしつつ、我々は香草茶で一息つく。これが、この頃の僕たちの日常であった。変化のない、穏やかなだけの日々である。こんな生活が、もう一か月以上も続いていた。

 

「そういえば、ガムラン将軍が反乱軍を迎撃すべくご出陣されたとか。とうとう、本格的ないくさが始まりつつあるようですね」

 

 しかし、変化がないのは僕の身辺だけの話であった。情勢は、こうしている間にも刻一刻と変化しつつある。本来、軟禁状態にある僕はそのような情報にアクセスするのも一苦労であるはずなのだが……

 近衛騎士団とパイプができたことにより、そのあたりの問題はおおむね解決した。まあ、もちろん機密情報をペラペラしゃべってくれるわけではないが、公開情報からでもある程度のことは推察できるからな。まったく情報が遮断されているよりはよほどましだろう。

 

「ガムラン将軍か……なかなか、手ごわそうな御仁だったが」

 

 ガムラン将軍と言えば、レーヌ市攻城戦において王軍の指揮を執った人物だ。一見冴えない中年武人のような風体の人物だが、厄介な水城を短時間で落とした手腕から見てその指揮能力は極めて高いものと思われる。なかなかに厄介な相手だ。

 

「しかし、とうとうアルベール軍が王軍と直接対峙することになったか。参ったことになったのぉ」

 

 顎を撫でながらうなるロリババア。ソニアらが宰相派貴族や一部の帝国諸侯などを率い、アルベール軍を名乗って挙兵した一件は僕も聞き及んでいる。その名前はなんとかならなかったのかと思わなくもないが、まあ今はそんなことはどうでもいいだろう。

 問題は、ガムラン将軍の出陣理由が"討伐"ではなく"迎撃"であるという点だ。つまり、アルベール軍はこちらに向けて進撃しているわけである。まあ、普通に考えれば当然の判断だ。南部に引きこもっていたところで、こちらの戦略目標は達成できない。僕がソニアの立場でも、同様の判断を下すのは間違いなかった。

 とはいえ、やはり……生まれ故郷である王都に戦火が迫りつつあるというのは、まったくもっていい気分じゃないな。歴史にもしもはないが、それでも『こんな事態になる前になんとかする方法があったのではないか』などと考えてしまう。はあ、まったく……ヤンナルネ。

 

「もはや武力衝突は不可避の状態になったわけだが、ガレア宮廷のほうはどうなってるんだろうか。まさか、皆が皆もろ手を上げて戦争に賛成しているとは思えないが」

 

 騎士どののほうをチラリと見つつ、聞いてみる。彼女は新米だが、いちおう近衛騎士団の一員だ。宮廷の情勢についてまったく無知というわけでもあるまい。騎士団の上の方から何かしら耳打ちされていることもあるだろうしな。

 

「もちろん、渋い顔をされていらっしゃる方も多いようですがね。しかし、表立ってフランセット殿下に反対される方はいないようです。これは、もともとは宰相派に属しておられた法衣貴族の方ですら例外ではありません」

 

 難しい表情をしつつ、騎士どのは続けた。

 

「団長は、この沈黙はどうにも不自然だと仰っていました。言い方は悪いですが、なんだか弱みでも握られているような……そういう雰囲気だとか」

 

「ううーん」

 

 そいつはずいぶんときな臭いねぇ。いくらフランセット殿下が情報畑の出身とはいえ、それほど大人数の弱みを一度に握ることが出来るものだろうか? なんだか、どうにも違和感があるな……。

 

「気になる点は大いにあるが、宮廷の裏で何が動いておるかなど、ワシらの立場では首を突っ込むことすらままならぬからのぉ。アルベール、ここは焦らずデュラン団長殿の調査結果を待つべき盤面じゃぞ」

 

 そう語るダライヤの目には、軽挙妄動を戒める色が浮かんでいた。内心を見透かされたような気分になって、僕は唇を尖らせた。

 

「分かってるって。さすがの僕も、こういう時くらいは大人しく……」

 

 その瞬間である。突然、部屋のドアが極めて乱暴に開いた。そして、何者かがノックもなしに部屋の中へドタドタと入ってくる。

 すわ襲撃かと腰に手をやるが(今の僕は帯剣していないのだが、こればかりは完全な癖である)、よくよく見れば闖入者の正体は見覚えのある人物だった。近衛の、あの特徴的な言葉遣いをした騎士どのだ。

 

「大変ですわ!!」

 

 彼女はひどく真っ青な顔で、開口一番にそう叫ぶ。鉄火場ですら笑顔を絶やさなかった彼女が、これほどまでに動揺している? こりゃあ、尋常ではない雰囲気だぞ。

 

「団長が、団長が亡くなられました……!」

 

「…………は?」

 

 その言葉に、僕は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 

 

 



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第610話 くっころ男騎士と近衛騎士団長暗殺事件

 近衛騎士団長殿が、亡くなった。その報告は、部屋に満ちていたのどかな雰囲気を吹き飛ばすには十分すぎる威力を持っていた。ダライヤの目がすっと細くなり、見習い君が言葉を失う。

 一方、報告を持ってきてくれたほうの近衛殿も、平常とは言いがたい様子だった。顔色は明らかに悪く、唇の端がかすかに震えている。僕の記憶が確かならば、彼女は血煙の舞う戦場においても笑顔を絶やさぬだけの胆力のある人物だったはずだ。それがこれほど取り乱しているというあたりが、事態の異様さを物語っている。

 

「……暗殺、ですか」

 

「おそらくは」

 

 鉛の塊を飲み込むような声でそう答え、近衛殿は重々しくうなずいた。ああ、やはりか。僕は渋い顔を隠しもせずにうなり、そして立ち尽くす彼女に無言で椅子に座るよう促した。見習い君が僕と彼女を交互に見てあわあわと言葉にならない声を漏らしているが、あえて無視する。

 ひとまず、ティーポットに残っていた冷めた香草茶を予備のカップに注ぎ、彼女に勧める。よろしくない状況だからこそ、まずは落ち着きを取り戻すのが第一だ。冷静さを欠いて得をする場合などまず存在しない。

 

「ありがとうございます」

 

 近衛殿も素人ではない。言いたいことをこらえるような表情になった彼女は、一気にカップの中身を飲み干しふぅと声を上げた。

 

「バ、バルリエ隊長、いったいどういうことなんですか? 暗殺って、そんな……」

 

 震える声で、見習い君が近衛殿を問い詰める。……そういえば、今更ながら彼女の名前を聞くのは初めてだな。隊長職だったのか……。

 

「落ち着きなさい」

 

 そんな見習い君をゲンコツで軽く小突いてから、近衛殿改めバルリエ隊長は大きく深呼吸した。自分より動揺しているものが近くにいると、人間かえって落ち着くものだ。すこしばかり冷静さを取り戻したのか、隊長は無言でお茶のお代わりを要求してきた。それに応えてやると、彼女は無言で茶を一口飲む。

 

「まずは、順を追ってご説明いたしますわ。今朝早く、城下の用水路で団長のご遺体が発見されました。死因は溺死ということです」

 

「……」

 

 用水路というと、王都の各所に張り巡らされている水道がわりの小川のことか。意外と深くて流れが速いから、酔っ払いなどが転落して溺死する事故も時折発生していた記憶がある。

 

 

「調査に当たった衛兵隊は、これを事故だと断定いたしました。泥酔して足を滑らせたのではないか、なんてふざけ腐ったことを言ってね……!」

 

 その言葉と同時に、何かが割れるかすかな音が響いた。みれば、バルリエ隊長の手元のカップの持ち手が砕けている。彼女の手は怒りに震えていた。

 

「団長はビール一杯でべろべろに酔うほどの下戸ですのよ! 敵の軍勢が王都に迫りつつあるような状況で、酒精を口にするはずがありませんわ!」

 

 いよいよ我慢がならなくなったのか、バルリエ隊長は拳を握ってテーブルを殴りつけた。暴力的なガチャンという音が部屋の中に響き渡り、見習い君が肩をふるわせる。

 

「事故、事故と断定したのか、衛兵隊は……」

 

「こいつはずいぶんときな臭いのぉ」

 

 一方、僕とロリババアはそろって眉をひそめる。バルリエ氏の指摘するように、今の王都は戦時下になりつつあるのだ。そのような状況で王室守護の責任者が死亡したというのに、短時間のうちに事故だと断定されるのはさすがに違和感がある。普通ならば、宰相派……いや、アルベール軍による暗殺を疑うのではないだろうか?

 

「鼻薬を嗅がされているか、あるいはそもそも抱き込まれておるのか。さあてどっちかのぉ」

 

 肩をすくめながらそんなことを言うダライヤに、僕は表情の引きつりを押さえられなかった。状況証拠的には、まず間違いなく団長殿の死の責任は僕にあるように思われたからだ。

 先日、僕は団長殿にフィオレンツァ司教の周辺を調査するよう依頼していた。フランセット殿下の身辺で暗躍しているらしい翼人族が、司教ではないかと疑ったからだ。……そして、その結果がこの暗殺である。これはもはや、答え合わせに等しい。最悪のジャックポットだ。

 

「……どうやら、僕は団長殿を首を突っ込ませてはならない案件に巻き込んでしまったらしい。本当に申し訳ない、軽率にもほどがあった」

 

「黙らっしゃい!!」

 

 こうなってしまった以上、僕は近衛騎士団にはどれだけ詫びても詫びたりぬ。そう思って頭を下げたとたん、バルリエ隊長はいきなりキレた。ガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、僕の胸ぐらをつかんだ。

 

「人が不当に殺されたのなら、それは殺した側に十割責任があるに決まってますのよ!! ブロンダン卿ともあろうお方が、無意味に頭を下げてはなりませんわ!! あなた背負う責任はそれほど軽いものではなくってよ!!」

 

「アッハイ」

 

 ガクガクと揺さぶられながらそんなことを言われれば、僕としては頷くほかなかった。そこへ見習い君が泡を食って立ち上がり、バルリエ隊長にすがりつく。

 

「や、やめてください、バリルエ隊長! 相手は男性ですよ!」

 

「……失礼、わたくしとしたことが取り乱しましたわ」

 

 なんともいえない表情でで首を左右に振ってから、バルリエ氏は僕の胸ぐらから手を離した。ロリババアがニヤニヤしつつ脇腹をつついてくる。いい気味だと言わんばかりの表情だった。腹の立つババアだな……。

 

「とにもかくにも、やられたからにはやり返さなくては。下手人が誰であれ、この報復は確実にいたしますわよ」

 

 拳を握りしめつつ、バルリエ隊長は底冷えのする声でそう宣言した。喉奥からこみ上げてくる苦々しいものをこらえつつ、僕は口を開く。

 

「問題は、その黒幕が誰かという部分だけれども。……現状、一番怪しいのはやはりフィオレンツァ司教だろうか」

 

「ですわね」

 

 バルリエ隊長の返答は端的だった。ロリババアもまた、その言葉を否定することなく何度も頷いている。ああ、クソッタレ。客観的に考えれば、やっぱりそうなるよなぁ。

 もちろん偶然とか、フィオが何者かに濡れ衣を着せられようとしているとか、そういう可能性もあるけれども。しかし、状況証拠だけみれば一番クロに近い場所にいるのは間違いなく僕の幼なじみなのである。希望的観測にすがり、目が曇るようなことはあってはならない……。

 

「探られても痛くない腹であれば、暗殺などと言う手は使わん。そうじゃろ、アルベール」

 

「念押ししなくてもわかってるよ……」

 

 情で判断を誤ってはならない。僕だって軍人なのだから、言われなくともそんなことはわかっている。内心ため息をつきながら、僕はカップに残った香草茶を飲み干した。

 

 

「まさか、ここまでやられて引っ込む訳にもいかない。それに、この国は明らかにまずい方向に進んでいる。このまま放置していれば、状況は悪化するばかりだろう。……破局だけは、防がねば」

 

 僕の言葉に、バルリエ隊長は当然だと言わんばかりの表情で頷いた。卑劣極まりない暗殺事件を受けて、かえって闘志が燃え上がっている様子である。四面楚歌めいた状況ではあるが、彼女のような人物の助力を受けられるのであれば心強い限りだ。

 ……それは、良いのだが。問題はフィオレンツァ司教の方だ。一連の事件の黒幕が本当に彼女なのであれば、僕はそれを除かねばならない。それが軍人の義務だからだ。

 しかし……聖人とまでよばれた彼女が、いったいなぜそのような悪徳に手を染めるようなまねをしているのだろうか? それだけがまったくわからない。少なくとも、金銭欲や権勢欲のためではないとは思うのだが……。



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第611話 くっころ男騎士の懊悩

 バルリエ隊長との情報交換を終えたあと、僕とダライヤは午後の茶会という名目で城の中庭にやってきた。こんな時に茶会などやっている場合かという感じだが、自室は常に盗聴の危険と隣り合わせなのだから仕方ない。

 その点、この中庭は野外なので多少は安全なのである。身内だけで内緒話をしたいのなら、こうして外に出るか例の指が痛くなるモールス通信法を使うほかない。……モールスはマジで指への負担が尋常じゃないからな。できることなら声で会話したいというのが、僕とダライヤの共通認識だった。

 ちなみに、バルリエ隊長のほうは『やるべき仕事が山のようにある』とのことで、必要な情報交換が終わるとすぐに近衛騎士団の本部へと戻っていってしまった。やるべき仕事というのはもちろん亡くなられたデュラン団長の引継業務というのもあるのだろうが、その本分が復仇にあることはバルリエ隊長の態度を見れば明らか

であった。

 

「やっかいなことになったな……」

 

 香草茶のカップを片手に、僕は大きなため息をついた。太陽の光は最盛期からずいぶんと陰りを見せ、吹く風は初秋の気配をまといつつある。悲惨な事件が起きたばかりにしては、なんとも過ごしやすい爽やかな午後だった。

 王城の中庭は、広く快適な空間だ。よく手入れをされた芝生は緑の絨毯のようであり、さりげなく配置された庭木やオブジェなどは最高級の調度品さながらの美しさがある。こんな美しい空間で血なまぐさい話をせねばならないというのは、ちょっと……いや、かなり不幸な話かもしれんね。

 

「敵側から何かしらのリアクションがあるというのは予想しておったが、まさかいきなり要人の暗殺などという手に出てくるとはのぉ。この婆からしてもいささか予想外じゃったわい」

 

 形の良い唇を皮肉げに歪めながら、ロリババアは肩をすくめた。しかし、その表情には明らかな余裕の色がある。さすがは海千山千の陰謀家だけあって、暗殺事件の一件や二件ではたいした動揺は覚えないようだ。

 

「通常、敵対勢力が身辺を嗅ぎ回りはじめた場合に最初にとる手段は警告じゃ。具体的な手としては、わかりやすい嫌がらせや下っ端の殺害などが常道じゃな。しかし、今回に関しては、"敵"は初手で近衛騎士団長などという重要人物の排除に出てきた……なんとも、違和感のある話じゃのぅ」

 

 その声音は、会話をするためと言うよりは事実を確認しているかのような響きがあった。愛らしい童女の顔の下で、彼女の頭脳は高速回転を続けているようだ。

 こと謀略戦においては、僕では逆立ちをしたところでこのロリババアには勝てないのである。ここは、彼女に任せるべき盤面だな。そう判断した僕は、ダライヤの言葉を頭の中で吟味しつつ発言の続きを促した。

 

「つまり、これは"警告"ではないと」

 

「常識的に考えればそうなる。……しかし、警告でなければ何なのだ、という問題には答えが出んのが困ったところなのじゃよ。これがただ邪魔者を排除するという意図のみで引き起こされた事件だというのなら、騎士団長を排除しただけではまったくの不足じゃからのぉ……」

 

「僕たちも狙われかねない、ということか」

 

「然り。合理的に考えるのならば、"敵"がワシらを生かしておく必要はない。実際、団長殿はこちらの提言を受けて司教周りを探り始めたのじゃからのぉ……向こうから見れば、我々は獅子身中の虫というほかなかろう」

 

「だよね」

 

 しかし、その"敵"とやらの正体はどうやらわが幼なじみフィオレンツァ・キルアージらしいのである。そこがまた、話をややこしい方向に誘導しているのかもしれない。

 フィオは、フィオレンツァは……目的のためならば、幼なじみが相手でも躊躇なく切り捨てられるような類いの人間なのだろうか? 彼女が僕のような冷血漢であれば、そうなろう。しかし、僕の記憶の中にある彼女はむしろ情を捨てられないタイプの人間のように思えた……。

 ……いや、やめよう。今そんなことを考えてもまったくの無意味だ。なにしろ、僕の人物眼は"絶対にごまかしなんか効かない"などと断言できるほど鋭いものではないのである。向こうがその気ならば、偽りの仮面を本当の姿だと偽り続けることなどそう難しいことではないかもしれない。

 

「しかし、相手が既に二の矢を放っているとなるともうどうしようもないぞ。なにしろ、僕たちの手元には自由に使える人材も情報網もないんだ。暗殺を防ぐなんて至難の業だぞ」

 

「まあ、そこは近衛を信じるほかあるまいよ。一応、安全は保証すると言ってくれておるわけじゃしのぉ」

 

 やれやれと言わんばかりの所作で香草茶を一口飲んだダライヤは、やや離れた場所にたたずむ例の見習い君へと視線を向けた。彼女は腰の剣をすぐにひっ掴める姿勢のまま、油断のない(余裕のないともいう)目つきで周囲にやたらめったらと威圧的な視線を向けまくっていた。

 しかし、警備についているのは彼女だけではなかった。明らかに手練れとわかるフル武装の騎士が五名、我々を警護すべく配置についている。バルリエ隊長が手配してくれた人員だった。彼女は先ほどの席で、『ブロンダン卿の御身は近衛の沽券にかけてお守りいたしますわ』と断言してくれていた。なんとも心強い話である。

 

「……まあ、そにあたりは彼女らを信用するしかない。自分ではどうにもならない問題にリソースをつぎ込んだところで無駄にしかならないからな。さしあたっては、出来ることからやるしかないが」

 

 僕としては、王都が火の海に沈む事態だけは避けたいのである。そのためにできることならば、なんでもやるつもりだった。たとえ虜囚の身でも、僕はまだ軍人なのである。命が尽きるまでは、最善を尽くし続ける義務があった。

 

「出来ること、と言ってものぉ……オヌシ、なにが出来るんじゃ」

 

 ところが、ロリババアはしらーっとした目でこちらを見るばかりであった。正面からそんな指摘をされると、僕も困ってしまう。揺れる香草茶の水面を眺めながら、僕はしばしだまりこんだ。

 

「……フィオに直撃して、事情を聴取するとか」

 

「阿呆」

 

 ババアの反論は端的で辛辣であった。予想通りの言葉でもあったので、僕は唇を尖らせ視線をそらすことしかできなかった。

 

「それでデュラン団長殿の二の舞になってしもうたらどうする気じゃ。良いか? いまさらフィオレンツァを幼なじみなどとは思ってはならん。奴は、味方の謀殺も辞さぬ冷徹な陰謀家やもしれぬのじゃ。どれだけ警戒しても、し足りぬということはない」

 

「……」

 

 その正論に対して、僕は沈黙以外の返答を持ち合わせていなかった。事実上の白旗である。しかし、ロリババアは白旗など気にせぬとばかりに追撃を仕掛けてきた。

 

「オヌシには政治力や陰謀力などは欠片も備わっておらん。そして、ここは敵地のど真ん中じゃ。はっきりいって、今の我らに出来ることなど聞き耳を立てる程度がせいぜいなのじゃ。それ以上を望んではならん」

 

「指を咥えてただ状況を眺めていろと?」

 

 こればかりは黙っていられない。僕は強い口調でそう言い返した。ここは敵地ではあるが、それと同時に僕のふるさとでもあるのだ。パレア市に暮らす人々を見捨てることなどできない。

 

「莫迦者」

 

 飛んできた言葉は、二度目の罵倒であった。ダライヤは深々とため息をはき吐き、香草茶を一気に飲み干した。

 

「オヌシの兵法書では、攻撃を仕掛ける好機を待つことを指を咥えて云々と書かれてるのかのぉ?」

 

「……好機があるのか」

 

「あるとも」

 

 出来の悪い生徒をみる目を僕に向けるダライヤ。おいやめろ、そんな目で僕を見るな。妙な性癖に目覚めそうだ。

 

「オヌシには政治力も陰謀力もないが、暴力はある。いまや、オヌシとその一党にはこの国の王軍をも恐れさせるだけのチカラがあるのじゃ。せせこましい小細工などは、圧倒的暴力で正面から打ち砕いてやればよい」

 

「いやいや、捕虜の身でリースベン軍の武力をアテ西路と言われても……あっ、いや、そういうこと?」

 

 反論の最中にダライヤの意図に気づいた僕は、思わず膝を打った。つまり、ロリババアはソニアらの救援を待てと言っているのだ。たしかに現状の僕にはできることなどほとんどないが、リースベンの領主としての立場を取り戻せば話は変わってくる。

 しかに、言われてみればダライヤの言うとおりだ。今ここで僕が行動を起こすのは、十分な兵力がそろっていないにもかかわらず攻勢を始めようとする愚かな指揮官そのものだ。いくら兵は神速を尊ぶとはいっても、それはケースバイケースなのである。

 ……というか、圧倒的暴力で小細工うんぬんというのは、このロリババアが過去に実際にやられたことのある出来事なのではなかろうか。伊達に、あの修羅の国を政治力だけで生きてきただけのことはある。経験した場数が僕とは段違いなんだよな。

 

「……致し方あるまい。ここは、名参謀どのの意見を採用することにしよう。反撃の時がくるまでは、我々はおとなしく防御に徹する。それでいいな?」

 

「むろんじゃ」

 

 どや顔で頷くダライヤ。まったく、頼りになる相棒だこと。僕はかすかに苦笑してから、心の中でため息をついた。本音を言えば、フィオに話を聞きに行きたい。

 彼女は本当に黒幕なのだろうか? 誰かに利用されているのではないか? もし彼女が一連の事件の引き金を引いたというのなら、どういう意図でそんなことをしでかしたのか? 疑問はつきないが、どうやら今すぐ真実を明らかにしに行くわけには行かないようだった。



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第612話 盗撮魔副官と作戦会議

 わたし、ソニア・ブロンダンは奮起していた。アルベール軍の初陣が近づいているのだ。やる気がでないはずがない。わたしの直卒するリースベン師団は、急行軍で北へと向かっている。目指すは王国軍の防御拠点、ソラン砦だ。

 このソラン砦は、山岳地帯と川に挟まれた隘路(あいろ)という典型的な緊要地形(軍事的に重要度の高い地形のこと)に位置している。その存在意義は王都パレア市へと向かう敵軍を阻むことであり、まさに王都直撃を狙っている最中の我々からすればほとんど目の上のコブと言って良い拠点である。

 逆に言えば、ここさえ早期に攻略してしまえばあとはまっすぐに王都に進撃できると言うことでもある。この事実は、アルベール軍の将兵の士気をたいへんに向上させた。

 

「敵軍は、砦ん前方に塹壕と鉄条網からなっ防御陣地を構築して長期持久ん構えを見せちょいもす。一方、空から見た限りでは砦本体んほうでは籠城準備をしちょっ様子はあいもはん」

 

 鳥人族の長、ウルが飛行偵察の結果を報告した。彼女ら鳥人族は、偵察に伝令にと連日多忙な日々を送っていた。当然リーダーであるウルにかかる負担も尋常な者ではなく、元気が取り柄の彼女の顔にも明らかな過労の色がうかがえた。

 

「さらに、敵軍には翼竜(ワイバーン)も配備されちょっごたっせぇ、砦へん接近を試みると迎撃に上がってきた。ソラン砦上空でん鳥人の活動は控えた方が良さそうじゃ」

 

「なるほど、了解した。ご苦労だった、ウル。下がって休んでくれ」

 

 翼竜(ワイバーン)まで出してきたか。頭の中で作戦の修正を行いながら、わたしはウルにそう返した。これ以上彼女らを酷使すると、後々の作戦にも支障が出てくるだろう。まして、どうやらこの戦場は容易には航空優勢をとらせてくれそうにない。ならばむしろ、休憩させて英気を養ってもらった方が良いだろう。そういう判断だった。

 一礼して天幕から出て行くウルの背中を見送りつつ、わたしは視線をテーブルの上の地図へと移した。地図とはいっても、わが軍の測量部隊が突貫で作成した即席の代物だ。ここはもう敵地にあたる場所だから、当然地図の類いは通常の手段では手に入らない。必要とあらば自分で作るほかないのである。

 ちなみに、その地図の上に乗せられている友軍を示す駒は、我々リースベン師団に属する部隊の物だけだ。残りのジェルマン師団とエムズハーフェン旅団は、それぞれの任務を帯びて別行動している。具体的に言えば、ジェルマン師団は港湾都市の制圧。そしてエムズハーフェン旅団は敵増援を防ぐための陽動である。

 つまり、このソラン砦は我々リースベン師団だけで攻略せねばならないわけだ。ただでさえ少ない戦力をさらに分散させることにはやや不安を覚えるが、隘路(あいろ)上での戦いへ野放図に兵力を投入するのは愚か者のやり方だ。ここは、味方を信じて己の仕事に集中すべき盤面であろう。

 

「せっかく砦があっちゅうとに、守備ん主体は野戦築城なんか。誰が策を練ったんかは知らんが、ガレアにもなかなかん知恵者がおるらしい」

 

 腕組みをしたフェザリアが、心底ゆかいそうな笑みとともにそんな言葉を吐いた。快不快はさておいて、敵の判断が的確だという評価に関してはわたしも同感だ。

 なにしろ、こちらの軍には少なくない数の火砲が配備されている。これだけの火力があれば、従来型の城砦の防壁を破る程度のことなどは腐った納屋の戸板を蹴破るよりも容易なのである。頼りにならぬ砦は放置して、砲撃に強い塹壕と鉄条網を主体に防衛策を組むという敵軍の作戦はほぼ最適解といっても差し支えないだろう。

 

「防衛計画の総指揮を執っているのは、おそらく王軍のガムラン将軍でしょう。堅実さと柔軟さを兼ね備えた極めて有能なお方です。間違っても、油断できる相手ではないでしょう」

 

 

 固い声音でそう補足するのは、前職が王軍士官だったジルベルトだ。かつての同僚と矛を交えることになった彼女だが、その顔には「戦意と決意に満ちた表情が浮かんでいる。『もと同僚とは戦いにくかろう』などといって戦場から引き離そうとすれば、問答無用で噛みつかれそうなすごみがある。この様子ならば、くだらぬ配慮などは不要だろう。

 

「ガムラン将軍か。噂には聞いたことがある」

 

 顎をなでつつ、小さくうなった。娼館へ足しげく通う好色女だという噂の評判のよくない女だ。フランセットといい、ガムランといい、王軍にはどうしてそんな奴らしかいないのだろうか。アル様の一件がなかったとしても、正直言ってこんな奴らに忠誠を誓うのは御免だ。

 ……というか、アル様はいまそんな女どもに囲まれているのか。ああ、なんだかますます胃が痛くなってきたぞ。好色そのものの王太子と将軍に日がな一日弄ばれるアル様のお姿が頭に浮かび、わたしの脳は危うく粉々になりかけた。

 

「……」

 

 ブンブンと頭を振るい、いやな想像を打ち消す。アル様を地獄の日々からお救いするためにも、このような砦に時間を食われている余裕などないのだ。早急に突破戦を終わらせ、王家に対して圧迫をかけねばならない。

 

「とはいえ、ガムラン将軍本人はまだ王都から出陣したばかりという話だろう。ソラン砦の守将は、それほどの大物ではないはず。やっかいな援軍が到着する前に砦を突破せねばならんな」

 

 アデライドの情報網のおかげで、王都や王軍まわりの情報もそれなりに漏れ聞こえてくる。それによれば、王軍は現在再編成の真っ最中らしい。なんとも悠長な話だが、これはフランセットやガムランが無能であるというわけではない。彼女らはレーヌ市を巡る戦いでそれなりに消耗しており、戦闘力を取り戻すためには十分な補充や再訓練が必要なのである。

 もっとも、再編成の一部は既に完了してしまっているらしい。補充を終えた部隊を率い、ガムラン将軍が出陣したという話も耳にしている。我々がこの砦の手前でチンタラしていたら、ガムランに率いられた野戦軍がソラン砦守備隊と合流してしまうだろう。そんな事態はなんとしても避けたいところだ。

 

「じっくり腰を据えて攻城戦をしているような場合ではない、というソニア様のご意見には賛成です。ですが、攻勢はある程度慎重に行った方が良いと思われます」

 

「ほう、その理由は?」

 

 ジルベルトの目を見据えながら、わたしは厳かな声で聞き返した。『一秒でも早くアル様をお救いせねばならぬのに、そんな悠長なことを言っていられるか!!』などという叱責は、もちろんしない。彼女がアル様を想う気持ちは、わたしに勝るとも劣らぬものであることを知っているからだ。ジルベルトとて、現状に対する危機感は十分に持ち合わせているはずだ。

 

「ソラン砦の守備隊には、ライフル兵や砲兵が配備されているという話です。それに加えて、十分な塹壕陣地も構築されているということは……敵の防備は、尋常ではなく固いものと思われます」

 

 まさに、ジルベルトの言うとおりだった。ウルの寄越した報告書によれば、敵は塹壕線の後ろに砲兵による砲列が敷かれているという話だった。この布陣を破るのがどれだけたいへんなことなのかは、わたしももちろん心得ている。

 

「この塹壕による防御陣は、いままで幾度となく我々リースベン軍を守ってくれたものです。しかし、こたびの合戦では今までとは逆に我々が防御陣を打ち破る側……これまで我らが戦ってきた相手と同じ末路はたどりたくありません。攻撃には、それなりの工夫が必要なものかと存じますが」

 

「うむ、その通りだ」

 

 コクリと頷き、わたしは軍議の席上を見回した。無謀な力押しは拙い、などということは勿論わたしも承知しているし、指摘した本人であるジルベルトもまたわたしを侮ってこのような発言をしたわけではないだろう。

 つまり、これは意見具申のふりをして味方を戒めているのだ。敵は、我々と同じく火器を主体とした新式軍。今までの相手と同じ気分でぶつかれば、間違いなく痛い目を見るだろう。ジルベルトは、あえて厳しい見通しを口にして皆の気を引き締める腹なのだ。

 

「もちろん、わたしとて無策で貴様らを敵陣に突撃させるつもりはない」

 

 小さく息を吐いてから、わたしはそう言い返した。ジルベルトが気を引き締める役ならば、わたしは安心させる役だ。内心の不安を押し殺し、わたしは笑顔を浮かべる。

 ……そうだ。敵は、これまでの旧態依然とした軍隊ではない。十分な火器で武装した新式軍だ。そういう相手と、我々はアル様を欠いた状態で戦わねばならない。正直に言えば、かなり恐ろしい。しかし、それを表に出すわけにはいかなかった。

 

「確かに塹壕戦は我々のお家芸だが、だからこそその弱点も知っている。王軍の猿真似戦術などには遅れをとらぬさ」

 

 自信ありげな表情を装い、わたしは心にもない台詞を言い切った。……ああ、しかし、実際のところソラン砦攻略戦などはしょせん前哨戦に過ぎぬのだ。本当に、こんな所で遅れをとるわけにはいかない。気張らねば……。



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第613話 盗撮魔副官と山間の砦

 その翌日。北へ進軍していた我々の前に、山岳地帯が立ちふさがった。山といっても、リースベン北部の山脈と違って緑は少ない。生えている植物といえば背の低い灌木とちょっとした下草くらいで、岩肌の露出している箇所の方がおおいくらいだった。

 この山々こそ、大陸の南部と中部を隔てる要害のひとつソラン山地である。ソラン山地を縦断する聖ドミニク街道は王都へむかう最短経路であり、突破の意義は大いにある。

 しかしもちろんそんなことは敵も承知の上であり、街道上には古い時代から整備された歴史ある砦が鎮座している。むろん砲兵さえいればそんなものは怖くないのだが、問題は地形と新たに増設された王軍の塹壕陣地にあった。

 

「このソラン山地の突破に成功すれば、ガレア独立戦争以来の大偉業になる! 歴史に己の名を刻むことができるんlだ、奮起せよ!」

 

 などと激をとばしてみるものの、やはり山道の進軍は骨が折れる。さらには時折敵山岳猟兵などがやってきて進軍中の隊列のわき腹を突いてきたりするのだから厄介極まりない。

 普段であれば一日で踏破できる距離に三日もかけ、我々はやっとのもとで敵陣地の目前へと到着した。

 

「なるほど、これはなかなか手強そうだ」

 

 双眼鏡を覗きながら、わたしは小さくつぶやいた。今、わたしは岩山に身を隠しつつ敵防衛線の最前列を視察している。事前の報告通り、そこには塹壕と鉄条網からなる厳重な防御設備が構築されていた。

 視線を西(アルベール軍本陣から見て左手)に向けると、そこには小さな川が見えた。水量はすくないが、渡るにはそれなりの時間と手間がかかるくらいの川幅がある。そしてその川の向こうには、今我々が潜んでいるのとまったく同じような岩山の峰が連なっていた。この街道は谷を切り開いて作られたものなのである。

 つまり、典型的な守るに堅く攻めるに難い土地だと言うことだ。にわか作りの防備でも難儀しそうな状況だというのに、ここあるのはわたしの目から見ても立派な塹壕線なのだ。まともに戦えば苦戦は避けられないように思えた。

 

「話通り、後ろには砲兵どもが陣地を作っちょっようじゃな。しかも、そん配置もなかなかに的確にごつ。正面から兵を近づくれば十字砲火を食ろうて大損害を受くっじゃろうな」

 

 そんなことを言うのは完全武装のエルフ兵を引き連れたフェザリアだ。彼女もまた、わたしと同じデザインの双眼鏡を目に当てつつ前線の様子を観察している。この双眼鏡は新開発のもので、従来の単眼式望遠鏡よりも遙かに距離感が掴みやすい代物だった。

 

「しかし、ここまで来て兵を引くわけにもいかん。なんとか、最低限の損害でここを抜かねば」

 

 敵の野戦軍は、すでに王都パレア市から出陣しているのである。ゆっくりしていたら、彼女らが前線に到着してしまう。これはいかにもまずい展開だった。

 

「こげん山ん中で大軍同士が対峙すっような状況は、どうにも面白くなか。相手が小勢のうちにチェストしちょくべきじゃ」

 

 フェザリアの指摘はもっともであった。このあたりの地域で、まともに軍隊が通行可能なのはここの街道の上だけだ。そのほかの場所は、我々が身を隠しているようなゴツゴツした岩山ばかりなのである。

 むろん山といっても断崖絶壁というわけではないのだから、山登りになれた者に十分な装備を与えておけばなんとか突破自体は可能だろう。とはいえ、軍勢の人数が千とか万とかいう数になると話は変わってくる。そもそも、糧秣輸送のための荷馬車が通れないような場所に兵士を突っ込ませること自体がとんでもない悪手なのである。

 

「その通りだ」

 

 彼女の言葉には同意しかないが、だからといって強引な攻めは禁物である。わたしは頭の中で作戦の再確認をした。

 わが軍の先鋒を務めるのは、ジルベルト率いるライフル兵大隊。これはリースベン軍における最精鋭部隊であり、さらに今回はそれに加えて司令部直轄の砲兵中隊まで貸し与えてあった。まさに、初手で奥義を仕掛けるような布陣である。

 もちろん、その後方にはアルベール軍に参陣した諸侯の兵が一万以上控えている。対して、ソラン砦の守備兵はせいぜい一個連隊、兵力にして千数百名といったところだろう。これが一般的な平野部における野戦であれば、鼻歌交じりに叩き潰せる程度の戦力差だった。

 しかし、戦場が山岳地帯で、しかも敵方が分厚い塹壕線を用意しているとなると話は変わってくる。むろん塹壕を味方兵の屍で埋めるような戦法を用いれば十分に突破はできるだろうが、そんなことをすれば敵軍の主力と戦う前にこちらが力尽きてしまう。ただでさえ、アルベール軍は王軍に対して兵力で劣っているのだ。損害は最小限に抑える必要がある。

 

「……」

 

 頭の中でため息をつきつつ、わたしは視線を味方陣地へとむけた。そこでは、大勢の兵士たちが穴掘り作業をしている。最精鋭部隊にこんなことをやらせるのはなんとも納得のいかない気分なのだが、塹壕には塹壕で対抗するほかないのだから仕方ない。

 確かにジルベルト大隊はわが軍最強の戦力の一つなのだが、どれほど鋭い槍でも鉄塊を刺突すれば穂先は折れるか潰れるかしてしまう。塹壕を肉弾戦で突破するのはそれと同じくらい無謀な行いなのだ。とにかく穴を掘り、身を守りながら前進するほかない。

 

「敵砲兵陣地、射撃を開始しました」

 

 見張り兵の報告から一瞬遅れ、北の方から遠雷めいた砲声が聞こえてくる。穴掘りを続けるわが軍の兵士に向け、一斉に砲弾が降り注いだ。爆発が連続し、街道上は土煙に包まれる。

 

「この距離で砲弾が届くのか。敵軍の主力砲は、こちらの山砲よりも射程が長いようだな」

 

 敵方の砲兵陣地からこちらの前衛部隊まで距離は、まだ三○○○メートルは離れているように見える。こちらの主力、八四ミリ山砲では砲弾が届かない距離だ。

 もちろん、遠距離砲撃だけにその精度は荒い。土煙が晴れてみれば、クレーターめいた着弾跡はバラバラに離れており掘削中の塹壕に直撃したものは一発もない。とはいえ、砲弾が自分の方にむけて飛んできているのに作業を続けられる兵士などはまずいない。皆穴の中で伏せてしまっているから、作業の手は完全に停止してしまっていた。

 

「王軍は、こちらの山砲よりも砲身の長い長八四ミリ野砲を大量配備しつつあるという情報があります。最大射程に関しては、敵軍の方が優位であると思われます」

 

 参謀の一人が分析を口にした。それを聞き、わたしは密かに歯噛みする。わが軍が射程負けするなどという事態はまったく初めての経験だった。やはり、王軍を今までの敵と同じように考えるのは危険であるようだ。

 

「ジルベルトに重砲で打ち返すように伝えろ。対砲兵射撃だ!」

 

 しかし、こちらも負けてはいられない。たしかに、主力砲の基本性能に関して言えば向こうの方が上だろう。しかし、こちらに配備されている大砲は山砲だけではない。

 

「はっ!」

 

 通信兵が元気よく応え、野戦電信機を打鍵しはじめる。通信兵らが背負ったドラム式リールから伸びる通信線は後方の作戦本部につながっており、そこから中継されて前線のジルベルトにまで通じている。この機材のおかげで、わたしは前線から遠く離れた山中からでも迅速に命令を出すことができるようになっていた。

 数分して、味方陣地のほうから重々しい砲声が響く。口径八四ミリの豆鉄砲とは明らかに違う、かなりの重低音だ。続いて敵陣から上がった火柱も、さきほど我々が受けた砲撃の比ではない。

 これこそ、わたしがジルベルトに貸し与えた司令部直轄砲兵の力であった。彼女らが扱う大砲は、口径一二○ミリの重野戦砲。ミュリン戦でも活躍した、あの大火力兵器なのだ。これならば、長八四ミリ砲の射程外からでも攻撃を仕掛けることができる。

 おまけに、敵軍は先ほどの射撃で砲兵陣地の位置を暴露してしまっている。この情報を無駄にするジルベルトではなく、砲撃は前回の射撃で白煙を上げていた地点に集中していた。

 

「さて、問題はここからだ……」

 

 いかに重砲とはいえ、一撃で敵砲兵陣地を殲滅するのは不可能だ。地道に砲撃戦を続け、ひとつひとつ地道に敵の火点を潰していくのが塹壕戦の常道だった。

 しかし、重砲は強力だが数が少ない。遠距離戦をいくら続けたところで決着はつかないだろう。これは、あくまで敵の砲撃を妨害するための擾乱(いやがらせ)攻撃。相手方の砲兵が慌てて伏せているうちに、こちらの歩兵は穴掘り作業を再開して少しでも敵陣への距離を詰めるという寸法だ。ある程度こちらの塹壕が伸びれば、そこに軽砲を据え付けて火点を増やすことができるのである。

 ようするに、とんでもなく気長な戦場になるということだ。そんなことに付き合っている余裕は今の我々にはない。塹壕戦に応じるような動きを見せているのは、あくまでブラフであった。

 

「フェザリア、よろしく頼むぞ」

 

「ん、任しちょけ」

 

 ニヤリと笑って応じたフェザリアは、部下のエルフ兵を伴い岩山の中へと消えていった。彼女らは皆山岳迷彩色のポンチョを羽織っているから、少し離れるだけで岩肌と判別をつけるのが困難になる。

 彼女らの役割は、街道を迂回して山岳から敵の側面を突くことにあった。確かにこの山岳地帯は軍隊の通行には適さない。しかし、少人数グループによる遊撃戦を行うくらいならば可能だろう。むろんその程度の部隊で望める戦果などは限られているが、そこは任務を攪乱と偵察、そして敵方の迂回攻撃の阻止に限定することで対応する予定だ。

 幸いにも、わが軍にはこの手の遊撃戦に向いたエルフ兵が大勢参加している。これを活用しない手はないということで、フェザリアには山岳遊撃戦の指揮を命じているのである。

 

「……極星よ。我と彼女らを導き給え」

 

 内心の不安が、口から少しだけ漏れた。数日以内にここを突破できないと、いささかやっかいなことになるアル様を早く救い出すためにも、このような前哨戦などはさっさと済ませてしまいたいのだが……。

 ……アル様がいない以上、すべての決断と責任はわたし自身がとるほかない。正直言って、かなり怖かった。うまくいくだろうか、損害はどれくらい出るのだろうか。そんな考えが頭の片隅にこびりついて消えない。しかし、臆するわけにはいかない。わたしは気合いを入れ直し、踵をかえした。

 

「敵情把握はこれくらいで十分だろう。いったん、指揮本部に戻るぞ」

 

「はっ!」

 



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第614話 王党派将軍の戦略

 私、ザビーナ・ドゥ・ガムランは辟易していた。一つの戦争が終わったばかりだというのに、また戦争。これで愉快痛快気分爽快になれるのは傭兵だか野盗だかわからぬ不埒な無頼と生粋の戦争愛好家だけだろう。むろん私はそのどちらでもなく、模範的な淑女なのである。迫り来る内乱を前にしては、暗澹とした気持ちが日々増していくばかりであった。

 しかし悲しいかな、私は王軍所属の軍人であったし、なにより法衣貴族であった。主君から「行ってこい」と言われれば断る選択肢などない。これが所領持ちの領主貴族であればなにかに理由をつけて抵抗することもできるのだろうが、法衣貴族は給金を止められてしまえばあっという間に干上がってしまう。上司の命令には絶対服従するほかないのだ。

 

「敵はアルベール軍などと名乗ってはいるが、その正体はもと悪徳宰相アデライドに金で雇われた守銭奴諸侯の野合である。そのような恥知らずの傭兵くずれに、武名の誉れ高い我らヴァロワ王軍が敗れるはずがない! 前将兵は奮起して軍務を全うすべし!」

 

 などという訓示を垂れて王都から出陣した私だったが、もちろんその内心は発言ほどに戦意に満ちていたわけではなかったからだ。私に預けられた兵力は約二万。少ないわけではないが、敵軍の総兵力三万よりは大分少ない。おまけにその内実は槍やクロスボウで武装した旧式兵科が主力になっているのだからたまらない。まともにアルベール軍とぶつかれば壊滅は避けられないだろう。

 いや、もちろんこれは私が王家から冷遇されているというわけではない。たんに、即応できる部隊がこれしかなかっただけだった。新兵科を主力とした部隊は、先のレーヌ市攻略戦でだいぶ消耗してしまっている(これは人的な損耗というよりは装備や弾薬の面が大きい)。ならば、動かせる部隊は旧兵科が中心になってくるのも致し方のない話であった。

 とはいえ、敵が迫りつつある現状ではそんな言い訳などは慰めにもならない。総力を結集した決戦では勝ち目はないのだから、我々の役割はとにかく敵の足止めをすることだ。王都に残った部隊が再編成を終え、我々との合流に成功すれば状況は一転して王軍優位になる。作戦的には、このやり方しかない。

 ……はぁ。しかし、なぜこちらから仕掛けた戦争でこうも後手後手に回ったあげくこのような賭けの要素の大きい作戦にベットせねばならないのだろうか。まったく、あの馬鹿王子め。どうしてこんな危ないわ利益はすくないわの碌でもない戦争を始めてしまったのだ? 色事に熱中しすぎて頭に性病が回ってしまったのだろうか。

 素人ばかり狙っているからそんなことになるのだ、馬鹿め。私などは身元のはっきりした高級男娼としか寝ないようにしているから、性病の心配などはまったくしていない。まあ、おかげで出陣後は一人寝ばかりになってしまったが……。

 はぁ。やはり戦争はよくない。いや、そこらの男を略奪して押し倒すような輩には良いのだろうが、私にとっては損ばかりだ。平和万歳。私に娼館通いの自由を返せ。

 

「ソラン砦の陣地に、敵軍が砲撃を開始したとのことです」

 

 伝令の声が、私の意識を現実に戻した。ここは、アルベール軍を迎撃すべく南進中の私の部隊……ガムラン軍(二万程度の兵力で軍を名乗るのはややおこがましいが、そこは王軍としての見栄だ)の野営地。その式本部であった。

 報告をあげた伝令は、まだ初秋だというのに毛皮製のいかにも重そうな防寒服をしっかりと着込んでいる。おまけにその頭には高価なゴーグルまで乗せているのだから、その兵科を見間違うはずがない。彼女は翼竜(ワイバーン)騎兵なのだった。早馬よりも早く情報を届けられる翼竜(ワイバーン)騎兵は、伝令としてたいへんに重宝されている。

 

「ふむ……飛行偵察の首尾はどうだね。本格的な攻勢が始まりつつあるのなら、敵の本隊もそろそろある程度は接近してきているはずだが」

 

 さらに言えば、翼竜(ワイバーン)騎兵の仕事は伝令ばかりではない。上空から敵情を探る飛行偵察も、彼女らの大きな役割の一つだ。特に大軍の居場所などはごまかしづらいから、大きな合戦の前には敵上空をひとっ飛びさせておくのが定石となっているのだが……。

 

「申し訳ありません。敵軍は翼竜(ワイバーン)と鳥人を組み合わせた効果的な飛行部隊を整備しておりまして。我が方の翼竜(ワイバーン)隊は、自軍の防空だけで精一杯となっております」

 

 悔しそうな表情で弁明する飛行兵。私は小さくうなり、内心ため息をついた。さすがはアルベール軍、そう簡単には尻尾を掴ませてはくれないようだ。

 

「なに、諸君らは少ない人員でよくやってくれているさ。ご苦労、君は下がって休むといい。従兵に秘蔵のワインを届けさせておくから、寝酒でも楽しむと言い」

 

 そういって翼竜(ワイバーン)騎兵を退出させ、私は視線を指揮卓へと向けた。そこには、ガレア王国の中部から南部までの広大な面積をカバーした大きな地図が載せられている。

 

「おそらく、反乱軍は聖ドミニク街道のラインを主攻と定めているようだな」

 

 南部から中部へとむかうルートはいくつかあるが、アルベール軍の位置と規模を考えれば彼女らの利用できる街道は二つだけだ。すなわち、ソラン山脈を貫通する聖ドミニク街道と、それを迂回する聖リュクエーヌ街道である。

 敵がこの二つのルートのどちらを利用するかという問題は、ここしばらくの間の我々の頭痛の種となっていた。

 聖ドミニク街道は最短で王都にたどり着けるが、堅牢な防御陣地が敷かれた山岳地帯を突破する必要がある。一方、聖リュクエーヌ街道は前者と比べると半月ほども余計な時間を浪費してしまう遠回りのルートだが、反面地形は平坦で強固な防御線もない。攻める側からみれば都合の良いルートだと言えた。

 

「どうでしょうか……この攻撃が陽動を目的としている可能性は十分にあります」

 

 私の言葉を否定するのは、年かさの参謀長だった。彼女はわがガムラン家の家宰を務める家系の出身で、私とも子供の頃からの付き合いがある。長い付き合いだけに、その口調にはいささかの遠慮の色もない。

 

「聖リュクエーヌ街道方面でも、敵が目撃されています。軽騎兵が跋扈し、いくつかの村落が制圧されたという話もございますから……動きとしては、大規模攻勢の前触れのようにも見えますな」

 

 参謀長の言うとおり、複数の方面で動いていることが確認されている。聖ドミニク・リュクエーヌ両街道以外にも、西部の海沿いの地域で例の丸十字紋の軍旗を掲げた軍団を見た、などという話も耳に入っていた。どうやら、敵は部隊を複数の集団に分けているようであった。

 こうなると、どこの方面が本命なのかわからないので大変に困る。王軍の兵力がもっと豊富であれば、こちらも分散して対応することができるのだが。しかし、残念ながらそんな贅沢なことは言っていられない。諸侯軍は日和見ばかりで参陣に応じもしないし、王軍は王軍で急速に過ぎる軍制改革からの即開戦即連戦で疲れ切っているからだ。本当に何でこのタイミングで開戦したんだあのクソボケ王子は。肥だめに蹴り込んでやろうか。

 

「聖リュクエーヌ方面の敵は騎兵が中心だ。しかし、聖ドミニク方面では砲兵が行動している。騎兵と砲兵、身軽なのはどちらだね」

 

「騎兵にございます」

 

「そういうことだ」

 

 騎兵であれば、いざという時には即座に撤退して本隊との合流を図ることができる。しかし、重量物を運ばねばならない砲兵はこうはいかない。つまり、砲兵のいる方の戦域が本命攻撃とみて間違いないだろう。

 そもそも、相手はあのブロンダン卿の薫陶を受けた軍隊だ。騎兵と砲兵のどちらを重視しているかなど、考えるまでもない。そういう意味でも、敵の本命がどちらの方面であるかははっきりしている。

 

「敵の狙いは、陽動によって我々を聖リュクエーヌ街道方面に誘因すること。それによって生まれた隙を利用し、一気にソラン砦を抜いて王都を直撃することにあると思われる。よって、我々ガムラン軍はソラン砦を救援し、敵の突破を防ぐことに集中する。わかったな?」

 

「御意……」

 

 恭しく頷く参謀長。もちろん、余計な反論などはしてこない。先ほどの具申も、別に本気で翻意を促そうとしたわけではなく、私の思考を促すためにあえて反対意見をぶつけてみた程度のことなのであろう。そういう意味では、彼女はたいへんに気の利いた参謀だった。

 

「しかし、敵は連戦連勝でよほどの増長満に陥っているようですな。最短経路だからと、わざわざ一番防備の厚いルートを通るとは」

 

 しかし、いささか頭が固いのがこの参謀長の欠点だ。続く彼女の言葉に、私は密かにため息をついた。経験に裏打ちされた自信は、増長とは呼ばない。敵将ソニア・スオラハティには、迅速にソラン砦を抜くための策があるに違いないのだ。敵が自信過剰に陥って失策を犯したなどという希望的観測にすがるべきではない。

 

「……どうだろう。ソラン砦には、取り得る限り最善の防衛策を授けたつもりではあるが。しかし、だからといって油断はできん」

 

「将軍?」

 

 参謀長白いものが混じった眉が跳ね上がった。ああ、彼女もすっかり老いたな。まあ、わたしも彼女とは十歳しか違わないのだが。はたして、私と彼女は新しい時代のいくさについて行けるのだろうか? 正直、あまり自信はなかった。

 

「万が一、ということもある。我々の救援が到着する前に砦が陥落した場合に備えた策も立てておこう」

 

 その言葉に参謀長は嫌そうな顔をしたが、こればかりは譲れない。戦争というやつは、どれだけしっかり備えをしておいたかに勝敗がかかっているのだ。いくら望まぬ戦争であっても、負けるよりは勝つ方が遙かに良い。できることはしておくべきだし、それが杞憂で終われば笑ってごまかせば良いのだ。



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第615話 義妹嫁騎士と塹壕戦(1)

 私、カリーナ・ブロンダンは恐怖していた。いま、私は塹壕にこもり敵の砲撃に耐えている。この聖ドミニク街道とかいう山道のド真ん中に築かれたばかりの穴蔵の周りには、敵の砲弾がひっきりなしに着弾していた。そのたびに爆発が起こり、舞い上がった土や小石が私たちに向けて降り注ぐ。正直めちゃくちゃ怖い。

 ソラン砦の守備隊との交戦が始まって、すでに一昼夜が経過していた。私たちは交代しつつ塹壕を掘り進め、いつの間にか彼我の塹壕の距離は五百メートルを切っている。頭を出せば砲弾どころか銃弾が飛んでくる距離だった。

 

「ひぃぃ……」

 

 塹壕の片隅で、ミュリン伯爵家のご令嬢アンネリーエが小さくなってガタガタと震えている。濡れた地面(川が近いせいか、この塹壕はあちこちから水がしみ出してきてビチョビチョなのだ)で腰を抜かしてしまっているせいで、その尻は泥水でグチャグチャになっていた。

 当然ながら、彼女も貴族なので全身を魔装甲冑(エンチャントアーマー)で鎧っている。さっさと立ち上がってしっかり拭いておかないと、甲冑があっという間に錆びて真っ茶色になってしまいそうだ。しかしもちろん、初陣ですっかりビビりきった彼女にそんなことをしている心理的余裕など全くなかった。

 

「撃たれる側に回るのは久しぶりだけど、これはなかなかしんどいわねぇ」

 

 余裕ぶった言葉を口にしつつも、私の精神状態はそこの子犬と大差ない。できることならばすぐに頭を抱えてこの場から逃げ出したい気分だった。

 だって、普通に怖いもん! そんなことを考えている間にも、吹っ飛んできた小石が兜に直撃して景気の良い音を立てる。ヒィィ、勘弁して! 着弾が塹壕の外だからこれくらいで済んでるけど、直撃したら普通に部隊全滅しそうなんですけど……。

 けれども、今の私に逃げるという選択肢はなかった。なにしろ、私のまわりには小隊の部下たちが集まっている。古兵の最先任下士官ですら、その顔には隠しきれない不安の色がある。私みたいな新人の小隊長でも、いないよりはいる方が遙かにマシだからね。部下の安全を少しでも守るためにも、私は責任を放棄するわけには行かなかった。

 

「おや、小隊長殿は撃たれる側になったことがおありで?」

 

 休憩中の雑談めいた気安い口調で、最先任下士官が質問してくる。皆の緊張を和らげるために、あえて気楽な言い方をしているのだ。私が生まれる前から軍務についている古兵だけあって、彼女はたいへんに気が利いている。

 

「私はディーゼル家の出身だからね。もとはリースベンの敵側なのよ」

 

 まあ、実際のところディーゼル家とリースベンの戦争では、私は後方の安全な場所にいた時間の方が長いわけだけど。それでも一応、リースベン軍のあの尋常ではない火力に晒された経験はあるのだ。

 あの戦争に敗れ、お兄様の義妹になって以降、私にとって味方が火力面で優勢をとっているのは当然のことになっていた。けれども、今回の戦争は違う。少なくともこの戦場においては、彼我の火力は拮抗していた。戦場が狭く、砲兵を横並びで大展開するわけにはいかないからだった。

 こちらが五発の砲弾を放てば、敵陣からも同じだけの砲弾が飛んでくる。さらに言えば、敵は砲兵だけではなく歩兵も優秀だ。前装式とはいえライフル装備なのだから、火力は装備更新以前の私たちと完全に同じなのである。

 

「へへへ、あのときの姉貴はスゴかったッスよー? アルベール様の前で大口叩いて……」

 

「うっさい、余計なこと言わないの」

 

 従者のリス獣人、ロッテの頭にゲンコツを落とす。小手とヘルメットがぶつかって、なかなか良い音がした。もちろんヘルメットの上から殴ったところでダメージは全く与えられないから、ロッテの顔に張り付いた笑みは消えない。もっとも、本気で笑っている訳でもないでしょうけど。

 なにしろ、彼女は私と大差のない小心者だ。私もロッテも、素で豪胆なお兄様とは違う。頑張って虚勢を張るのがせいぜいね。

 

「鉄砲で頭を押さえられるのには慣れてるってわけですかい。ソイツは心強い」

 

 とはいえ、虚勢でもないよりはマシだ。最先任下士官のうまいヨイショのおかげもあって、皆の緊張が一瞬和らいだ。まあ、数秒後に砲弾が至近で爆発したせいで、すぐにそんな余裕も吹き飛んじゃったけど。全身を叩く衝撃波じみた爆発音に、兵も士官も関係なく皆が慌てて地面に伏せた。あー、もうっ、勘弁してぇ……。

 

「うへえ」

 

 耳がキーンとしている。何も聞こえない。けれども、腕も足も体にくっついたままで、お腹に砲弾の破片や石が刺さっているわけでもない。つまり、無事と言うこと。一瞬でそれを確認して、視線を部下たちに向ける。

 

「みんな無事!?」

 

「――――!」

 

 返ってきた答えは、よく聞こえなかった。耳がまだ麻痺しているのだ。しかし、目で確認する限りはけが人はいないようだった。一人倒れているやつがいるけど、問題はない。アンネリーエがびびって目を回しただけだ。泥濘の中でバタつく彼女の腕をつかみ、強引に立たせる。彼女の顔は泥と鼻水と涙でめちゃくちゃだった。

 

「うう、ええ……うぇっ……」

 

 やっと耳が聞こえるようになってきた。アンネリーエは子供のように泣いている。けれども、彼女を馬鹿にしようという気持ちはわかなかった。アンネは、これが初陣なのだ。生まれて初めての戦場が、槍も剣も届かない間合いで穴蔵の中でただただ敵の砲撃に耐えるだけの場所なんてキツすぎる。逃げ出さないだけでも十分偉いわ。

 

「味方砲兵はなにをやってるんでしょうね。新型砲も配備されてるってのに、敵方にこれほどの砲撃を許すなんて」

 

「……さてね。サボってるってわけじゃないと思うけど」

 

 憎々しげな最先任下士官に、私はそんな言葉を返すことしかできなかった。たしかに、味方の砲兵の活動は妙に不活発だ。私たちのすぐ後ろの陣地には、開発されたばかりの新式の後装式速射砲が据え付けられつつある。でも、今のところそれらが火を噴く様子はなかった。新型だけに、なにか不具合でも出てしまったのだろうか? なんだか不安になってくる。

 新型がだめなら従来型を、と言いたいところだけど、これもまたどうにもヘン。部隊にはそれなりの数の八四ミリ山砲が配備されているはずだけど、こいつらは姿すら見せなかった。結局、後ろから聞こえてくる砲声は迫撃砲の間抜けな音色だけだ。

 

「ま、指揮を執ってるのはあのソニアお義姉様だからね。考えがあってのことだと思うわよ」

 

 状況に疑問を覚えているのは私も同じだけど、だからといってそれをそのまま部下に伝えるわけにも行かない。曖昧な笑みを浮かべつつ、そう返すことしかできなかった。

 砲撃戦の件もそうだし、今の配置もなんだかヘンなのよね。いま、私たちは塹壕線の最前衛にいるけれど、それでも敵までの距離は五百メートルは離れている。平地にずらっと兵隊が並んでいるならともかく、お互い塹壕にこもった状況で小銃を撃ち合うにはちょっと間合いが遠すぎる。だからこそ、私たちはこうして銃も構えずおしゃべりしていられるわけだけど。

 今のところ、我々には待機以外の命令はうけていない。これ以上塹壕を前進させろとも、敵陣に突撃せよとも言われていないわけ。まあ、もちろん突撃なんかしたくないけれど、だからといって穴蔵にこもっていても状況が改善しないのは確かだしねぇ。お義姉様は、いったいどういう腹づもりなんだろうか……。

 

「……ん?」

 

 などと考えていたら、妙な方向から砲声が聞こえた。私たちから見て右手、つまりは東の方角だ。その方向にあるのは、わずかな緑を貼り付けた荒涼とした岩山で、とてもじゃないけど砲兵を布陣させられるような地形ではないはずだけど……。

 

「あれは……味方の山砲隊みたい。山の中で砲列をしいて……敵陣を砲撃している?」

 

 狐獣人の射手、レナエル先生が目を細めながら言った。先生はもともと猟師をしていた人だから、うちの小隊の中でもダントツで目が良い。私はあわてて背嚢から望遠鏡を引っ張り出し、東の岩山に目を向けた。

 

「あ、本当だ。(くつわ)十字紋を掲げてる……」

 

 レナエル先生の言うとおり、そこには急な斜面に張り付くように展開した見慣れた大砲群があった。おもちゃのように小さな大砲の周囲では、多くの砲兵たちが忙しそうに働いている。

 

 

「なるほど、山砲の面目躍如ってわけか」

 

 それを見てやっと、私はソニアお義姉様の意図に気づいた。私たちの主力砲である八四ミリ山砲は、普段は馬で牽引しているものの分解すれば人力で運搬することもできる。その可搬性を利用して、山砲隊は本来であれば布陣できないような峻険な山の中に砲兵陣地を築いてしまったのだ。

 山砲隊は、側面から敵陣を砲撃している。いくら強固な防御陣地でも、横からの攻撃には弱い者だからね。ここから見ても、敵兵が浮き足立っている様子が見て取れた。

 山の方では敵の山岳猟兵がうろついていると聞いたけれど、あんな目立つところに陣地を作って大丈夫だろうか。そんな不安もあったけど、側面の防御はエルフ兵が担当しているという情報を思い出してその疑問は霧散した。あのバーサーカーどもが一般山岳猟兵ごときに遅れをとるはずがない。

 

「……とはいえ、砲撃だけじゃあ敵は倒せませんからね。いずれ白兵でカタをつける必要があると思うんですが……本部は一体どういう作戦を――」

 

 最先任下士官がそう言った瞬間だった。タイミング良く、私たちのこもっている穴蔵の中に一人の兵士が飛び込んできた。リースベン軍正式の緑の野戦服を着込んだ、見慣れた顔の兵士。私たちの中隊の本部付き下士官だ。

 

「中隊本部より連絡! 今より五分後、敵陣に対し肉薄攻撃を敢行する! 各小隊は突撃の準備をし、合図があり次第攻撃を開始せよとのことです!」

 

「エッ!?」

 

 思ってもみない命令に、私は目をむいた。そして、視線を敵陣の方に向ける。たしかに、敵軍は側面からの射撃で混乱している、けれども、むこうの穴蔵の中でも、こちらと同じようにライフル兵が缶詰になっているのは間違いないわけよね? そこに対して、五百メートルもの距離を躍進して肉薄攻撃をかける? 正気の沙汰じゃないわよぉ!?

 

「なお、本攻撃は移動弾幕射撃とともに行われます。十分に注意してください!」

 

「い、い、移動弾幕射撃ぃ!?」

 

 思ってもみない発言をうけ、私は腰を抜かしそうになった。移動弾幕射撃。それは、砲兵の射撃と歩兵の突撃を同時に行う狂気の戦術である。なんと、中隊長は私たちに味方の砲撃を浴びながら前進せよと命じているのだ……。

 



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第616話 義妹嫁騎士と塹壕戦(2)

 強固に防護された塹壕陣地を突破するには、いくつかのやり方がある。例えば迂回するとか、装甲と機動力に優れたユニットで強行突破するとか(重装騎兵程度では不足という話なので、そんな真似ができるのはカマキリ虫人くらいだろうけど)、あるいは歩兵で肉薄攻撃をしかけるとかだ。

 私に下命された移動弾幕射撃というのは、その中でも一番最後の戦法に属するやり方だ。盾の代わりに砲撃のカーテンを展開して敵の攻撃を防ぎ、その隙に塹壕に取り付く。いくら防御力の高い塹壕とは言え、砲撃を受けた直後に即反撃というのはさすがに難しいからね。そのまま援護なしで突撃するよりは、よほど安全性の高いやり方といえた。

 

「い、移動弾幕射撃って、この間演習でやったアレだろ? あんなのを実戦でやるってマジなのか? 正気じゃねえよ……」

 

 伝令が帰った後、一番に口を開いたのはアンネリーエだった。さっきまでぐずぐずに泣いてたのに、よく質問するような元気を出せたわね。まあ、その顔色はむしろさっきより悪化してるくらいだけど……。

 

「演習の時は、味方の砲弾が二度もこっちの頭上に降ってきたじゃねえか! 模擬弾だったからいいものの、アレが本物の砲撃だったら……」

 

 ぶるりと震えつつ、アンネは自らの体を抱く。実際、演習の際にやった移動弾幕射撃の訓練の首尾は、お世辞にも成功とは言いがたいものがあった。前進している最中の私たちの部隊に、味方からの誤射が浴びせかけられたのだ。

 いどう弾幕射撃の難しさは、ここにある。なにしろ、味方の砲撃範囲が私たち前衛部隊のすぐ目前なのだ。おまけに、砲兵たちは前衛の前進に合わせて照準を変えていかねばならない。砲兵が大砲の操作を誤ったり、あるいは前進と砲撃の同期が崩れれば、前衛部隊そのものが味方の砲撃を浴びることになる。

 

「やかましい! もう命令は下ったんだから、四の五の言ってないで突撃の準備をなさい!」

 

 口ではそう言い返しつつも、私の心中はアンネリーエとまったく同感だった。演習ですらうまくいかなかったことを、実戦でやる? 無茶振りが過ぎるわ。

 けれど、たぶんこの作戦を立てたのはソニアお義姉様だ。義姉様は無意味に兵の命を危険にさらすような人ではないから、それなりの成算はあるはず。部下兼義妹は、腹をくくって指示に従うほかない。

 私は背中に回していた小銃を取り出し、いつでも発砲できるように準備した。銃身の尾部にある蓋を開いて弾を押し込み、そのまま蓋を閉じる。これだけで、装填作業は完了。少し前まで使っていた先込め式のライフルに比べれば、装填にかかる時間はずいぶんと短縮されていた。

 

「……」

 

 私の動きを見て、部下たちも同様の手順をとる。余裕綽々の表情をしているものなど一人もおらず、新兵はもちろん古兵までもが冷や汗で顔をぬらしていた。誰も彼もがギリギリだった。しかし、文句を言っているのはアンネリーエ一人きりだ。他の兵たちは、みな覚悟の決まった目をしている。

 

「……突撃準備、完了いたしました!」

 

 最先任下士官が、威勢の良い声で報告する。極力余裕のある風を装いながら、私は頷いた。なんとか頑張って平静なふりをしているけれど、私も一皮むけばアンネと変わらないほどに恐怖に駆られている。それでもなんとか指揮官のまねごとをできているのは、単に実戦経験の有無でしかなかった。

 

「よろしい。……アンネ、あんたは一番後ろをついてきなさい。ミュリンから預かったアンタを傷つけわけにはいかないからね」

 

 あえて憎々しく聞こえるような声で、おびえるオオカミ女にそう言ってやった。

 案の定、アンネの青い顔にさっと朱が指した。こいつは、ビビりであると同時に負けん気の強さも持て余しているのだ。ディーゼル家の末娘(最近二人ほど妹ができたけど)にこんな口の利き方をされれば、そりゃあミュリンの長女としては黙っていられないでしょう。戦争のせいで双方ブロンダン家の傘下に入ったとは言え、ディーゼルとミュリンは長年の宿敵同士であるわけだし。

 

「だ、誰がそんな情けない真似をするか! あたしは、あのイルメンガルド・フォン・ミュリンの孫なんだぞ!!」

 

 アンネが威勢の良い啖呵を切るのとほぼ同時に、周囲にラッパの音色が響き渡った。突撃用意の信号ラッパだ。それから少し遅れて、上空からひゅるひゅると風切り音が聞こえてくる。そして、前線で爆発が連鎖した。

 

「……ッ! 準備砲撃!」

 

 その爆発は、一発の威力こそ側面から射撃している八四ミリ山砲と大差ない……それどころか、やや控えめに見える程度の代物だった。しかしその代わりに、一発が着弾してもすぐに二発目が飛んでくる。迫撃砲ほどではないにしろ、尋常ではない速射性能だった。

 間違いない、やっと新型砲が働き始めたわね。配備されたばかりのこの大砲は、いま我々が使っている小銃と同じく砲身の後ろから砲弾を込める後装式。おまけに砲撃の反動を緩和する駐退復座器? とかいうのもついているらしい。よくわからないけど、要するに今までの大砲よりもずいぶんと高性能になっているみたい。

 とはいえ、どんな高性能な兵器も実戦で使えなければただのガラクタと同じ。せっかく前線に展開しているのに今まで一発の砲弾も放たなかったこの新型砲に、私は正直不安を抱いていた。けれど、どうやらそれは杞憂だったみたいね。砲兵陣地からの射撃は快調そのもので、これまでの不安なんて一挙に払拭できるほどにド派手だった。

 

「こ、これが新型速射砲……すげぇ、砲弾が雨みたいに」

 

 びりびりと塹壕を揺らす砲撃の振動に身を任せながら、アンネリーエがつぶやいた。よく見れば、その顔色は先ほどよりもずいぶんと良くなっている。……わかるわかる。敵の砲撃は恐ろしいけれど、味方の砲撃は頼もしいもんね。これほど景気の良い射撃を見れば、元気も出ると言うもの。

 ……でも、これから私たちはこれだけの砲撃のカーテンをかぶりながら前進しなきゃいけないのよねぇ。うう、やっぱりキツいわ。誤射が怖すぎる。敵よりコワイかも。

 

「突撃よーい!」

 

 

 どれほど嫌でも怖くても、兵隊に拒否権なんかない。私は腹を決め、小銃をぎゅっと握りしめながらそう下令した。塹壕の中段に足をかけ、即座に穴蔵から飛び出せる体勢を作る。私は小隊長だ。こういうときは、先陣を切って前に出なくてはならない。そうしないと兵隊はついてきてくれない。

 一瞬だけ目を閉じると、まぶたの裏にお兄様の背中が浮かんできた。お兄様は、いつだって私たちの前を歩いてくれた。だから、小心者の私でも戦えた。今度は、私が皆の手本になる番だ。

 

「……ッ!」

 

 ラッパの旋律が変わった。突撃開始だ。私は大きく息を吸い込み、叫んだ。

 

「総員、突撃! 我に続け!!」

 

 それと同時に、大地を蹴って塹壕から飛び出す。敵塹壕までの距離は、五百メートル弱。平時であればなんてことのない距離だけど、今は遙か彼方のように思える。おまけに、味方砲兵の射撃はとまらず、むしろ密度を増しつつあった。私たちと敵陣地の間にはひっきりなしに砲弾が落ち、爆煙と土と石を巻き上げている。そのベールは分厚く、すぐ先にあるはずの敵陣地を目視することも困難なほどだった。

 

「ぴゃああああっ!!」

 

 気合いを入れるために、私はただただバカみたいに叫んだ。さあ、戦いの本番だ。せめて、お兄様の義妹として、妻として、後ろ指を指されない程度には頑張らないと。



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第617話 義妹嫁騎士と塹壕戦(3)

 突撃ラッパが鳴り響く。塹壕から次々とアルベール軍の兵士が飛び出し、喊声を上げながら一斉突撃を始めた。前進する私たちの目前には、敵の塹壕陣地が横たわっている。しかし、そこから反撃の銃砲(じゅうほう)弾が飛んでくることはほとんど無かった。私たちの露払いとして、味方の速射砲が弾幕を展開しているからだった。

 横一列に並んだ砲撃は、こちらの突撃に合わせて前進している。これが、敵陣地をホウキで掃き清めるように薙いでいた。敵兵は砲撃から逃れるべく伏せており、応射するどころではなくなっている。砲撃と突撃を同期させ、敵の反撃を封じるのがこの移動弾幕射撃の神髄なのだ。

 

「ぴゃああああっ!」

 

 小銃を構え、私は全力で走った。うしろには、小隊の部下たちも続いている。ビビリのアンネリーエもきちんと突撃に参加しているようだ。まずは一安心だけど、実際のところ安心している場合じゃない。なんてったって、今は危機的状況の真っ最中だもの。

 

「ハワーッ!?」

 

 榴弾の着弾によって巻き上げられたこぶし大の石が、私の胴鎧に直撃した。カーンと景気のよい音を立てながら、私は跳ね飛ばされた。しょせんは石とは言え、勢いが良いのでちょっとした銃弾くらいの威力はある。鎧の上からでも結構な衝撃が伝わり、喉奥から酸っぱいモノがせり上がってきた。

 

 

「う、うげっ」

 

 口と目から同時に汁が出そうな状態だけど、ダメダメダメ。泣いてる場合じゃないし、吐いてる場合じゃない。私は強引に上がってきたモノを飲み下した。敵兵は、あくまで砲撃のショックで麻痺しているだけだもの。射撃が終わればすぐに戦意を取り戻し、反撃してくる。安全が確保できる時間はごくわずかなんだ。地面に転がって吐いているような時間は無い。あー、もー、本当に泣きそう。一人だったらうずくまってマジ泣きしてると思う。

 

 

「隊長!」

 

 最先任下士官が駆け寄り、私に手を貸してくれる。それにすがって立ち上がってから、なんとか銃を構え直した。

 

 

「お、お礼は作戦が終わった後に改めて! ひるむな、突撃続行!」

 

 無理矢理に元気な声を絞りだして、部下たちに前進を命じる。いま、無駄にできる時間など一秒たりともないのだ。動ける限りは前に進まなくてはならない。ふらつく体を気合いで押さえ込み、私も走り始めた。

 そうしている間にも、味方の砲撃は続いている。重砲にくらべればかなり口径のちいさい新式速射砲だけど、それでも着弾地点が間近だと迫力が尋常じゃあない。砲弾が一発落ちるごとに大地がめくれ上がり、炎と煙と土砂の混合物を空へと巻き上げる。戦場は、いろいろなモノが混ざった煙が濃霧のように立ちこめていた。

 もちろん、恐ろしいのは目から入ってくる情報だけじゃない。砲弾の破裂音は音というよりはもはや衝撃はで、炸裂するたびに全身をブン殴られたような痛みが走った。もう、耳がまともに機能しているのが不思議なくらいだ。

 

「ぴゃ、ぴゃああああ……!」

 

 この状態で前に進むと言うことは、その地獄めいた景色に自ら歩み寄ると言うことだ。これが思った以上に怖い。おしっこ漏らしそうなくらいに怖い。さっきの被弾で負傷したふりをして撤退してもいいんじゃないか、そんな考えすら鎌首をもたげる。恐怖が縄のように足に絡みつき、進む力を失わせようとしていた。

 でも、ダメだ。お兄様は、アルベールは、常に私の前にいるんだ。後ろへ向いてしまえば、永遠に手が届かなくなってしまう。望む未来を手に入れるためには、前を向いて走り続けるしかない!

 私は走った。ただただ走った。いつの間にか味方の砲撃は敵最前列を叩き終わり、中段への攻撃に移っている。ガレア兵の中にも気合いの入った奴がいて、砲撃範囲が変わった途端に塹壕から頭を出してこちらに小銃を撃ち返してきた。戦場音楽に銃声が混じり始め、恐怖感がさらに増す。

 彼我の陣地の距離は、五百メートルもないはずなのに。目的地である相手陣地はまだまだ遠かった。本当に距離五百なんだろうか、五千くらいあるような気がする。全力で走っているはずなのに、いつまでたっても距離が縮まらない。もちろん、こんなのは恐怖からくる錯覚だろう。しかし、そんなことは慰めにもならなかった。

 

「んひぃいいい、もうヤダーっ!!」

 

 アンネリーエがまた半泣きになっている。私も正直泣きそうだった。どうしよう、撃ち返そうか。でも、走りながら撃ったって当たるはずがない。いや、当たらなくても良いか。とにかく今は、敵の頭を下げさせなくては。

 

「撃て、撃て、撃ち返せ! 射撃戦の本場はリースベンだと教育してあげなさい!」

 

 叫ぶように命じながら、私は小銃の引き金を引いた。銃声が弾け、肩に頼もしい反動が伝わる。それだけでなんだか心強い気分になってくるけれど、まともに狙いもつけてない射撃が当たるはずもない。銃弾は明後日の方向へと飛び去った。けど、今は別にかまわない。

 とにかく、撃ち返しているという事実が肝心だ。敵は撃たれていると思って頭を下げるし、こちらの士気もあがる。それに、こちらは新式の後装式ライフルを持ってるんだ。この小銃ならば、今までのモノと違って走りながらでも再装填できる。

 銃身尾部の蓋を開けると、中から硝煙に曇った薬莢がはじき出される。腰に巻き付けてあった弾薬ベルトから一発の銃弾を抜き取り、銃身へと挿入して蓋を閉める。これだけで再発射準備が完了だ。また、狙いをつけずに引き金を引く。銃声。ああ、いい。撃っている間だけは、恐怖を感じない。早く再装填しなくては。

 

「工兵! 工兵! 早く鉄条網の除去を!」

 

 けれど、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。私たちの前に立ち塞がっているのは、敵兵や塹壕ばかりではないからだ。丈夫な有刺鉄線で編まれた鉄条網が、こちらの進路を遮っている。鉄条網は爆風が抜ける構造になっているから、砲撃でも排除できない。除去するには人力が必要だった。

 

「任せとけ!」

 

 私の小隊のすぐ後ろを追従してきていた戦闘工兵小隊が、我々に代わって前に出る。屈強な体格のハキリアリ虫人たちだ。彼女らは四本腕のうちの二本に丸盾を、そしてもう二本に大ぶりなチェーンカッターを装備していた。

 ハキリアリ虫人は丸盾で身を守りつつ、鉄条網へと切り込んだ。人間の腕くらいなら簡単に切断できそうな大きさのチェーンカッターを振り回し、有刺鉄線を切りまくる。

 

「あの蛮族どもを止めろ! 陣地に近付けるな!」

 

 近くの穴蔵に潜んでいた敵兵が、そんなことを叫びながら工兵たちに向けて発砲した。塹壕戦は、これが怖いのだ。鉄条網を排除しないと相手の塹壕に突入できないのに、その鉄条網の排除要員が集中砲火を浴びてしまう。

 しかし、相手は四本腕のアリ虫人だ。黒光りする強固な盾はライフル弾をもはじき、寄せ付けない。しかも防御している間にも別の腕で作業が続けられるから、有刺鉄線の除去は恐ろしい速度で進んでいく。

 

「グワーッ!?」

 

 とはいえ、さすがに無傷という訳にはいかない。盾の隙間を狙われたハキリアリ工兵が、肩に被弾して倒れ伏す。大口径ライフル弾の威力は強力無比だ。命中した箇所は肉も骨もまとめて吹き飛び、血煙と腕が宙を舞う。目を覆いたくなるような悲惨な景色に、自然と口から悲鳴が漏れそうになる。でも我慢、私は将校だ。動揺している様を部下に見せてはならない。

 

「ひいいいいいっ!?」

 

 まあ、私が我慢しても結局アンネが叫んじゃうんだけど。まあ、悲鳴を上げているのは彼女ばかりじゃないから、許すけどね。経験の少ない若い新兵たちは、みなアンネと大差ない動揺ぶりだった。最先任下士官を含む古兵たちですら、いささか怯んでいるようにも見える。

 

「邪魔するんじゃないわよ王国のクソトカゲどもがぁ!!」

 

 口汚く罵りながら撃ち返す。タコツボのガレア兵はそれで怯んだが、発砲すればとうぜん悪目立ちする。敵側も応射してきて、私の周囲に何発もの銃弾が着弾した。弾丸が空気を切り裂く音が耳を叩き、巻き上がった土煙が体に降り注ぐ。

 怖い、怖いよぉ!! 逃げて良い! ダメ? くっそお死にたくない! お前が死ね! その一心で引き金を轢きまくる。再装填の手間が惜しい。初めて配布された時にはその速射能力に驚いた新式小銃だけど、今みたいな状況だとこれでも不足を感じる。

 

「っ! でかした! どきなさい!」

 

 そうこうしている間に、分厚い鉄条網の壁の一部に小さな穴が開いた。普通の体格の者が通るにはまだ小さい穴だけど、私ならいける。いつまでもこんなところでもたついていたら、延々と一方的な射撃を受けてしまう。

 一秒でも早く塹壕に飛びこみたい一心で、私は作業を続けようとする工兵を押しのけ穴に押し入った。鉄線のトゲが襲いかかってくるけど、私は全身甲冑を着ているから全然平気だ。鉄甲や脚甲を生かして、強引に穴を広げる。有刺鉄線と一手も所詮は針金だから、力技でも曲げるのはそう難しいモノではない。

 

「突入! 我に続け!」

 

 鉄条網の隙間が一般的な兵士でも通れるサイズまで拡張されると、私は暴れ回るのをやめてそう命じた。そして、後ろを振り返りもせずに土塁を駆け上り、塹壕内へとダイブする。中にいたガレア兵が、目を丸くしてこちらを見ている。その小銃がこっちへ向けられるより早く、私は腰からサーベルを抜き放った。塹壕の中では鉄砲より剣が早い。

 

「ぴゃあああああっ!」

 

 叫びながら突撃し、ガレア兵を切り捨てた。返り血が甲冑を濡らす。それはいいが、敵兵は一人ではない。同僚の復仇に燃えるガレア兵が、訳のわからない罵声を上げながら私に銃をむけた。

 

「隊長をお助けしろ!」

 

 しかし、こちらにも味方がいる。部下たちの放った掃射が、敵兵の一団を血煙に変えた。彼女らは喊声を上げつつ、どんどんと塹壕内になだれ込んでくる。

 

「止めろ! 押し返せーっ!」

 

 ガレア兵がそんなことを叫びつつ、小銃や槍、円匙などを手に襲いかかってくる。平野での射撃戦から一転、戦場の様相は至近距離での白兵戦へと移ろいつつあった……。



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第618話 盗撮魔副官の軍略

 わたし、ソニア・ブロンダンは安堵していた。ソラン砦攻略が、まったくの計画通りに完了したからだった。作戦開始から一週間たった今、三つあった防御線はすべて突破され、その最奥にそびえ立っていたソラン砦の頂上には(くつわ)十字の軍旗が翻っている。我々の完全勝利であった。

 

「いやはや、リースベン軍はさすがね。同格……とまでは言えないにしろ、新式軍制を備えた敵を相手にしても、これほど迅速に防御陣地を突破するとは」

 

 ソラン砦の司令官執務室にて、陽動作戦を終えて帰投宇したばかりのツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンが気安い口調で言った。室内にいるのはわたしと彼女、そしてお互いの腹心だけだから、そのしゃべり方は身内にむけるラフなもののままだった。

 

「ああ……新型砲と、移動弾幕射撃の組み合わせのおかげだ」

 

 当然と言わんばかりの態度で、わたしはそう答える。しかしそれはあくまで演技であり、実際は作戦成功の報を聞いたときにはへたり込みそうになるほど安心したものだった。

 何しろ、ライフル兵と砲兵によって防護された塹壕線陣地を突破するのは、リースベン軍としても初めての試みだったのだ。アル様を欠いている現状でそのような新たな形態の戦場に挑まねばならないことは、わたしに著しい緊張と不安を強いた。

 もっとも、作戦がうまくいったのはわたしの用兵術ばかりが要因ではないだろう。防御にあたっていたガレア兵が、移動弾幕射撃というまったく初見の戦術と新式速射砲の連射力に恐れをなし、士気を喪失した結果がこれだった。

 

「とはいえ、敵の弱気にも助けられた。第一防御線を突破した時点で、第二・第三の防御線にいた守備兵どもっはずいぶんと浮き足立っていたからな……。トドメを刺すのは、それほど難しいことではなかったよ」

 

 わたしがとった突破戦術は、こうだ。まずは移動弾幕射撃で歩兵隊を敵第一防御線に突入させ、突破を図る。それと同時に山間に布陣させていた山砲隊に第二・第三防御線を砲撃させ、さらに少数精鋭のエルフ部隊をつかって攪乱攻撃を仕掛けるというわけだ。

 事前の調査通り、この聖ドミニク街道の左右を固める山岳地帯は大部隊の通行などとても不可能な地形だった。しかし、少数部隊の運用であれば、なんとか可能だ。そこでわたしは、側面からの助攻という作戦に出た。

 敵側は、正面の王軍陣地がめちゃくちゃにされているのを見ながら、側面からの嫌がらせ攻撃にも対処せねばならなくなったわけだ。相変わらずエルフ兵どもの暴れぶりは上記を逸していたから、第二・第三防衛線のガレア兵らの覚えた恐怖は尋常ではなかっただろう。

 なんとかエルフ兵を撃退しても、不完全な体勢で正面のアルベール軍主力を迎え撃たねばならないのだ。心が折れるのもある意味当然のことであった。

 

「ふぅん……わたしがリースベン軍と戦ったときは、ずいぶんと塹壕に苦労させられたものだけど。あなたたちからすれば、それほど恐るべき相手でもないって訳かしら。恐ろしい話ね?」

 

「……」

 

 なんとも言えない顔で肩をすくめるツェツィーリアに、わたしは居心地の悪さを覚えた。実際のところ、塹壕の突破は彼女の言うほどに容易なものではなかったからだ。

 

「……いや、正直に言えば、次回以降の作戦がこれほどうまくいくとは思わない方が良い。今回がこれほどうまくいったのは、敵軍が新型砲の速射性能に面食らったという要素が大きい。向こうが砲撃のテンポに慣れてしまえば、このような作戦は通用しなくなる」

 

 この作戦を実行するにあたって、わたしは砲兵部隊にある命令を下していた。移動弾幕射撃のキモとなる、砲撃と歩兵部隊の突撃の同期。これについて指示である。

 具体的に言えば、それは砲撃の着弾地点と突撃部隊の先頭の距離を、教範に定められているものよりも倍以上長く取れ、というものだった。教範のままの距離で射撃させると、いまの砲兵隊の練度では必ず誤射が発生する。それを嫌ったのだ。

 おかげで今回の戦いでは誤射は発生しなかったが、安全マージンを大きめに取るデメリットももちろんある。つまり、砲撃の着弾から歩兵の突入までのタイムラグが大きくなってしまうということだ。これでは、砲撃のショックで敵陣地を麻痺させるという移動弾幕射撃の持ち味が大幅に弱体化してしまう。

 それでも今回うまくいったのは、ツェツィーリアに言ったとおりこの戦術がまったくの新規のものであったからだ。このような手はいわば初見殺しであって、何度も頼っていてはその効果は大きく減じていくことになるだろう。

 

「意外と弱気ね? 私の前でそんなこと言っちゃっていいのかしら」

 

 眉を跳ね上げ、皮肉げに口元をゆがませるツェツィーリア。この女は、友軍であると同時に競争相手でもある。そんな相手の前で弱気を見せるのは、たしかに組織内政治的には悪手だろう。

 

「過剰な期待を背負わされても困るということだ。同じ真似をもう一度やれと言われても厳しいから、次の作戦では貴様らにももっと働いてもらうぞ」

 

「敗軍の寄せ集めに厳しいことを言ってくれるわね」

 

 ツェツィーリアは苦笑しつつ肩をすくめた。彼女の率いるもと帝国諸侯たちで編成された部隊、エムズハーフェン旅団は、頭数こそそれなりにあるが参加している将兵は前回の戦争でボコボコにされたものたちだ。士気はさておき装備や状態はひどいものである。

 

「まあ、矢面に立つくらいはしてやるさ。新戦術を抜きにしても、わがリースベン軍はブロンダン軍のなかでも最強の集団。それを実際のいくさ働きとして見せつけねば、他の諸侯がついてこなくなる」

 

 そんなことを言いつつ、私は義理の妹の顔を脳裏に思い浮かべた。そう、カリーナだ。聞いた話によれば、奴は突撃の一番槍を務め、さらにはなんと自らが塹壕突入の先鞭をつけたらしい。一年前は敵前逃亡するような臆病者だったはずなのに、いつの間にそのような勇気を身につけたのだろうか?

 なんにせよ、敵味方の砲弾飛び交うこの戦場で先頭に立つことができるのは、本物の勇士であるという何よりの証だろう。そのカリーナやあの優秀なジルベルトがいるのだから、前線のいくさについては安心して任せていられる。わたしの役割は、彼女らが十全に戦えるよう環境を整えてやることだ。

 

「確かにその通り。……戦争の本番はこれからだものね、前哨戦に勝利した程度で浮ついてちゃダメということか」

 

 その言葉に、わたしは深々と頷き返した。ソラン砦が落ちたことにより、我々は王都へと突破口を開くことにした。この山岳地帯の向こうには広々とした平原が広がっており、その向こうには我らの王都が控えている。おそらく、この平原を巡る戦いこそが今次戦争の趨勢を決める決戦となるだろう。

 

「できることならば、この勝利の勢いのまま王都へとなだれ込みたいところなのだがな。しかし、補給体制が整わぬまま進撃するわけにもいかん。ジェルマン伯爵からの吉報が届くまでは、将兵を休ませることに徹することにしよう」

 

 砦が落ちたあとも我々がここに滞留しているのは、補給体制の整備のためだった。実際、今回の戦いで消耗した物資は尋常な数ではない。特に弾薬の欠乏は深刻で、現状のまま決戦に移れば間違いなく途中で弾切れをお越しだろう。しかし、膨大な数の弾薬類をリースベンやエムズハーフェンなどから陸路でえっちらおっちら運んでくるのは現実的ではない。

 それを解決するための鍵が、ジェルマン師団に任せている港町の攻略作戦だった。我がノール辺境領から船便で送られてくる物資を、ここで陸揚げできれば我々の補給状態は遙かに改善する。もう一、二戦するくらいならば余裕だろう。

 

「そうか、ジェルマン伯爵はまだ港を……。ダメね、あなたたちのせいでずいぶんと頭の中の感覚が狂っちゃった。ふつう、都市の攻略なんて一日二日で出来るものじゃないものね」

 

 苦笑して首を左右に振るツェツィーリア。別働隊を率いるジェルマン伯爵からはまだ作戦成功の報告は来ていないが、これはある程度仕方の無いことだ。なにしろ彼女の配下の部隊には、ライフル兵や砲兵などといった新兵科はそれほど配備されていない。この状態で街一つを迅速に陥落させるのは非常に困難だろう。

 

「まあ、そちらはそれほど心配する必要は無い。既に必要な手は打っているからな……」

 

 ニヤリと笑い、そう言い切る。わたしとて、力押しばかりの女ではないのだ。もちろん、ジェルマン伯爵を助ける策は用意してあった。

 



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第619話 隣国領主の港町攻略

 時代が変わりつつある。私、ロマーヌ・ジェルマンは心中でそうつぶやいた。いま、私はジェルマン師団と呼称される一軍を率い、西部の海岸に位置する港町ケルク市を攻めている。ケルクは、このあたりの地方では一二を争う規模の港湾都市だ。地形と防壁を生かした立派な防御設備をもっており、攻略は容易ではない。

 

「やはり、火力が足りんな……」

 

 ケルク市郊外の丘の上に設けられた指揮本部の天幕の中で、私は小さくうなった。あたりには、ひっきりなしに落雷したときのような轟音が響いている。味方の砲兵が、ケルク市の防壁に砲撃を浴びせている音だった。

 私が兵術を習った頃は、城攻め・街攻めの際には大勢の兵士で敵城を取り囲み、時間をかけながらゆっくりと攻略していくのが普通だった。使用される兵器も、破城槌や攻城塔(移動式のやぐらのような機材)といった、何百年も前から存在する伝統的なものばかりである。

 だが、今となってはそのようなやり方は時代遅れだ。大砲は、従来の石を高く積んだだけの防壁などは容易に吹き飛ばしてしまう。これは、攻城戦のセオリーが完全に変わってしまうほどの大革命であった。

 

「リースベン軍ならば、この程度の街などは一日二日あれば落としているでしょうね。むろん、わが軍の練度が劣っているとは申しませんが……やはり、装備の差はいかんともしがたく」

 

 苦々しい声でそう言うのは、我が次女ドナシアンだった。彼女は以前、半年ほどブロンダン殿の元で学び、新式の軍備・戦術などを習得している。当然、、我がジェルマン家の中でもっとも新式軍制に詳しいのもこのドナシアンだ。

 彼女の言うとおり、ケルク市攻略の進捗は芳しいものではない。視線を市街の方へ移せば、そこにはところどころが崩れつつも未だに健在な防壁の姿がある。現状の火力では、壁を完全に崩落させるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

「数の上では師団を名乗れても、配備されている大砲が八六ミリ山砲がわずか九門では……実際の火力では、おそらくリースベン軍の大隊にも劣るものと思われます」

 

 その指摘に、私は無言で頷くほか無かった。軍の更新を進めているのは、なにも王軍やリースベン軍ばかりではない。我々もまた、新しい時代の戦いについて行くべくリースベンに教えを請い大砲や小銃の配備を進めていた。

 しかし、それがうまくいっているかといえば少々怪しい。すべての部隊を一挙に更新するのは資金的にも時間的にも困難で、実戦投入に間に合ったのはごくわずかな部隊だけだ。

 特に砲兵の不足は著しく、我がレマ軍単体ではわずか三門の山砲を保有しているに過ぎない。ジェルマン師団全体で見ても、各諸侯の有する大砲をかき集め、なんとか九門装備の砲兵中隊をひとつ編成するのがせいぜいだった。

 さらに言えば、我々宰相派諸侯が導入している大砲は軽便で製造コストも安い八六ミリ山砲だ。この大砲は野戦では扱いやすくて良いのだが、さすがに城攻めの際には攻撃力不足を露呈する。リースベン軍のような速攻を実現するためには、もっと重くて威力の高い攻城砲(リースベン軍ではこの手の大砲は重砲と呼ぶようだが)が必要だ。

 

「やはり、現行の装備では大砲だけで街を早期に陥落させるのは困難でしょうな。犠牲や手間を承知で、従来のやり方も織り交ぜていくほか無いでしょう」

 

 難しい顔で、指揮本部に詰める諸侯の一人がそう言った。従来のやり方というのはつまり、攻城塔などを使った伝統的な戦術のことである。

 正直に言えば、私などはもう古い人間なので、そういった馴染みのある戦法を使ったほうが安心して指揮を執ることができる。ブロンダン式のやり方は強力無比だが、あまりに新奇すぎて私などにはついて行ける気がしないのだ。

 

「しかし、あまりモタモタしている暇はありませんよ。彼女らの物資の消耗速度は、我々の比ではありません。早急に海路と接続し、補給ルートを確立しなければ前線が立ち枯れてしまいます」

 

 ドナシアンの指摘に、私と先ほどの諸侯はうめき声を漏らすことしか出来なかった。そう、我々の本来の任務はリースベン師団の援護だ。ケルク市を攻め落とすことが出来ても、それに時間をかけすぎれば作戦は失敗になってしまう。

 しかし、従来の攻城戦術を用いるのならば速攻は不可能だろう。人力だけで城砦を落とすのはたいへんな手間と時間がかかってしまうのだ。こればかりは、用兵側の工夫ではどうにもならない。

 

「ソニア様は、我々がリースベン軍同様の働きができるつもりで作戦を立てたのではないか?」

 

「もしそうなら、致命的な勘違いだぞ。士気や練度はさておき、装備の差はいかんともしがたい。リースベン軍と同じ戦力を期待するのならば、リースベン軍と同じ兵器を配備してもらわねば」

 

 口々に文句をいう諸侯たち。たしかに、彼女らの言うことにも一理があった。たしかにリースベン軍は猛烈な速度で軍備を整えていったが、それはあくまでガレアいちの大金持ちであるアデライド殿が全面的に支援したからだ。手弁当で装備を調えなくてはならない一般諸侯では、あのような真似は絶対にできない。

 ただ……だからといって、装備の支給を求めるのも危険な気がする。そこまで面倒を見られ始めると、ますます立場の上下が広がってしまうからだ。軍備の世話までされた日には、諸侯の独立性などあっという間に消し飛んでしまうのでは無いか……。

 

「ひとまず、今は手元にある駒でやれるだけやるほか無いだろう。たしかに、現状の火力では敵防壁の突破は困難だ。砲兵は前線の支援に徹し、主攻は歩兵に……」

 

「報告! 北の沖合いより大船団出現!」

 

 嫌な未来予想を頭の中から追い出し、当面の指示を出そうとした瞬間だった。指揮本部に併設してある物見やぐらの上から、見張りの緊迫した報告が聞こえてきた。

 その声に、私の背中に冷たいものが走る。当然ながら、ガレア王家は水軍も有している。これが敵の増援ならばかなりやっかいな事態になるだろう。

 

「……」

 

 私は口を一文字に結び、無言で席を立って物見櫓に駆け寄った。”大船団”とやらの正体は、自らの目で確かめておきたい。それが水軍なら、ケルク市の攻略は諦めるほか無いだろう。

 なにしろ、ノール辺境領からやってくる手はずになっている輸送船団は、ふつうの廻船問屋が保有している商船なのだ。本格的な軍船と戦えば、一方的にやられてしまうに違いない。そうなれば、我々の作戦は完全に失敗だ。ケルク市に拘泥する意味も無くなってしまう。

 

「借りるぞ!」

 

 はしごを登り切り、面食らった様子で私を出迎えた見張り兵から強引に望遠鏡をもぎ取って目に当てる。海原の北方に望遠鏡の先端を向けると、そこには確かに無数の船が浮かんでいた。まだかなりの遠方だから、望遠鏡を通してなおごま粒程度にしか見えないが……

 

「ノールの船だ……!」

 

 しかし、私は視力には自信があるのである。目をこらしてみれば、その船のほとんどが北方特有の様式で建造されたものであることが見て取れた。ヴァロワ王家の勢力圏である大陸中西部の船とは、形状が全く違う。

 

「敵ではありませなんだか。良かったですな」

 

 私に続いてやぐらに上ってきた顔見知りの諸侯が、ほっとした様子でため息をつく。ひとまず、最悪の事態でなかったのは幸いだ。

 

「とはいえ、いささか到着が早すぎますね。ケルク沖に停泊させ続ければ、王立水軍のよい獲物になってしまう。ひとまず洋上に退避しておくよう、翼竜(ワイバーン)伝令を……」

 

 そんなことを言っている最中のことだった。突然、船団の先鋒を務めていた船からいくつもの白煙が上がった。しばしの時間をおき、遠雷のような音も聞こえてくる。

 

「……んん?」

 

 やはり、私は時代遅れの人間なのだろう。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。小首をかしげたところで、すぐ近くで一斉に爆発が起きる。あわてて音がした方向を見ると……そこは、ケルク市だった。

 

「…………砲撃! あんな遠方から、街を砲撃しているのか!?」

 

 街からは、モクモクと煙が上がり始めていた。遠雷のような音は相変わらず続いている。間違いない、ノール船団がケルク市に砲撃を仕掛けているのだ。爆発が連続し、堅牢だったはずの防壁はみるみるうちにがれきの山へと変貌しつつある。

 大砲で武装している船はそれなりにあるが、古いタイプの砲ではこうも遠距離から砲弾を目標に届けることはできないだろう。間違いなく、いま砲撃している船には新式のライフル砲が装備されているはずだ。

 

「なるほど、ソニア殿……やっと作戦が読めましたぞ」

 

  どうやら、私はソニア殿を見くびっていったようだ。彼女は、我々が火力不足に陥ることも、そして商船のみで敵地に突入する危険性も承知していたのだ。その上で、今までに無い新型砲搭載の軍船を船団に同行させることで、この問題を一挙に解決する。そういう腹づもりなのだ。

 考えてみれば、新式砲の誕生で恩恵を受けるのは陸ばかりではないだろう。そもそも、大砲の導入は陸よりも船のほうが進んでいたのだ。以前から存在する砲船の備砲を新型に交換すれば、それだけで戦力は著しく増強される。

 

「このいくさ、勝ったな。各部隊に伝達! 海上からの砲撃が終わり次第、ケルク市への突入を開始せよ!」 

 

 やぐらから身を乗り出し歓喜の声で部下らにそう命令する私だったが、声音とは裏腹にその心中は複雑だった。

 時代の流れは私の見ていないところでも加速している。たとえ勝ち馬に乗ろうとも、旧態依然とした体制のまま時代に取り残されればジェルマン家は没落するばかりだろう。新時代の勝者になるためには、このままではいけない。今後の身の振り方は、しっかり考えておく必要がありそうだ……。

 



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第620話 盗撮魔副官と三軍合流

 わたし、ソニア・スオラハティは安堵していた。作戦は、万事うまくいきつつある。ジェルマン伯爵より、港湾都市ケルク陥落すの報が入ったのが十日ほど前の話だ。

 そして今日、伯爵率いるジェルマン師団は弾薬をたっぷり積載した荷馬車とともにソラン砦へとやってきた。久しぶりに、アルベール軍の三軍が合流した形になる。もちろん山間の聖ドミニク街道は合計三万もの兵力が布陣するにはあまりにも狭いから、ジェルマン師団主力は山岳部の手前で待機させてあるが。

 

「いよいよ戦いも佳境ですな」

 

 副官を伴い砦の指揮本部へを訪れたジェルマン伯爵は、かなりくたびれている様子だった。ケルク市を落とし、そのまま急いで物資の荷揚げ作業を行い、そのまま疲れを癒やす暇も無くアルベール軍本隊と合流する……。そこらの凡将ではとてもこなぬであろう疾風迅雷の用兵だ。伯爵が疲弊するのも当然のことだった。

 

「ああ。これもジェルマン伯爵らの粉骨砕身の努力あってのこと。どれだけ感謝してもし足りないな。ありがとう、伯爵」

 

「なんの、なんの。私なぞ、勢子を率いて街を包囲する程度しかやっておりませんから。ケルク市が早期に陥落したのは、海上からの砲撃があってのことです」

 

 謙遜するジェルマン伯爵。この口ぶりだと、わたしの用意した策はうまく嵌まってくれたようだな。正直、かなり安心した。

 去年から、わたしは母上と協力して万一王家と戦争が発生したときのための手を打っていた。ノール辺境領商船隊もその一環ではあるが、もちろんこれだけでは不足であることは最初から理解していた。

 王家はそれなりの規模の(とはいっても、島国のアヴァロニアなどと比べれば遙かに弱体だが)水軍を保有している。軽武装の商船だけでは、彼女らに一方的に撃滅されてしまうことが目に見えていた。

 そこで取った方策が、既存の軍船の重武装化だ。スオラハティ家ではもともと少なくない数の船を保有していたから、これに一二○ミリ重砲を乗せてやればそれだけで水軍の戦力は大幅に向上する。今回は、護衛のために同行させていたその砲船を対地砲撃に転用した形となるわけだ。

 

「どんないくさも、砲撃だけでは決定打にならん。やはり、最期にものを言うのは白兵なのだ。その点、ジェルマン伯爵の軍の戦いぶりは素晴らしいものであったと聞いている。さすがと言うほか無いな」

 

 伯爵を褒めつつも、わたしは頭の中でソロバンを弾き続けていた。ノール船団からの報告によれば、航海の間に王立水軍と遭遇することは無かったそうだ。おそらく、根拠地であるシェブール市に籠もっているのだろう。ノール船団に少なくない護衛がついているのを見て、王立水軍は決戦を避けたに違いない。

 これは、決して朗報ではなかった。確かに無事に物資が到着したのは良いのだが、王立水軍は無傷のまま出番を今か今かと待ちわびているのだ。こちらが隙を見せれば、彼女らは即座に船を出しこちらの船団に攻撃を仕掛けてくるにちがいあるまい。

 ノール船団が壊滅したり、ケルク市が奪還されるようなことがあればアルベール軍はあっという間に干上がってしまうだろう。それを防ぐためには、王立水軍が機を掴む前に戦争を終わらせてしまうのが一番だ。

 

「貴殿のおかげで、作戦計画の前段階はすべて完了した。あとはこのソラン山地を越え、王都に向けてなだれ込むだけだ」

 

 懸念されていたガムラン将軍の援軍だが、ソラン砦が早期に陥落したおかげで進軍を停止せざるを得なくなっている。ガムラン軍の兵力は、野戦でこちらの全軍を撃滅できるほどの規模では無いからだ。

 山岳のような特殊地形を生かさぬ限り、ガムラン軍単体はそれほど怖い相手ではないだろう。将軍側もそれを理解しているから、比較的守りやすい場所で滞陣し、王軍の主力が合流してくるのを待っているのだ。

 

「兵站担当としては、可及的速やかに進撃を再開すべきと具申せざるを得ない。このような閉所で三万もの兵力が展開し続ければ、あっというまに荷馬車隊が渋滞を起こしてしまうぞ」

 

 そう主張するのはツェツィーリアだ。彼女はもともと交易を生業としている家の出身だから、物流についての理解度も我々の中では一番高かった。しぜんと、兵站……とくに補給関係の仕事は彼女に丸投げすることが多くなっている。

 

「そんなに難儀な状態なのか、輜重(しちょう)のほうは」

 

「ああ。なにしろ、弾薬の補給を最優先に計画を立てているのでな。食料や日用品などの生活必需品が不足しはじめている。早く中央平原に駒を進め、弾薬と糧秣の輸送ルートを分けてしまうべきだ」

 

 厳かな口調でツェツィーリアが主張する。私的な空間ではずいぶんと親しみやすい口調のくせに、仕事中は威厳あるしゃべり方を徹底するのが彼女のやり方だ。そのギャップに妙な感慨を覚え、わたしは小さく首を左右に振った。今は、そんなどうでも良いことに気を取られている場合では無い。

 

「貴様も、アデライドもずいぶんと頑張ってくれているが、それでも不足は避けられんか」

 

 アルベール軍の兵站を支えているのは、ツェツィーリアだけではない。アデライドもまた、この戦争に勝利するために働きづめだった。

 戦争という大事業を成し遂げるためには、カネも物資もどれだけあっても足りないのだ。手弁当で足りない分は、外部から補うほかない。そこで役に立つのがアデライドの人脈と信用だ。

彼女は王国南部を飛び回り、アルベール軍には参加していない諸侯らを訪ねて便宜を引き出す仕事をしてくれている。遠征の苦手な我々がこれほどまでに戦えているのも、彼女が日和見貴族どもを説得して物資や資金を供出させてくれているからなのだ。

 それに加え、アデライドは留守にしているリースベンの管理もしてくれている。おそらく、前線にいる私よりもよほど忙しい日々を過ごしていることだろう。彼女の負担を減らすためにも、こんな下らぬ戦争はさっさと終わらさねばならない。

 

「物資の消耗速度が計画よりもずいぶんと速くてな。とくに、弾薬の減り方が尋常では無い。まだ前哨戦の段階だというのに、ここまで射耗してしまうと言うのは予想外だ」

 

 恨みがましい目つきでわたしをにらみつけるツェツィーリア。アルベール軍で使用する弾薬にもちいる火薬は、そのほとんどがエムズハーフェン家が自費で調達したものだった。その火薬と、リースベンやノールから持ってきた弾頭・薬莢などを組み合わせ、我々は現地で弾薬を製造している。

 これは限られた設備でできるだけ多くの弾薬を製造するための方策だが、一番割を食っているのが火薬調達要員のエムズハーフェンだ。なにしろ、王軍も我々も火薬兵器を多用しているのだから、大陸西部全体で硫黄や硝石などの価格が暴騰している。それをすべて自費でまかなわねば鳴らないのだから、エムズハーフェン家も大変だった。

 

「火力戦というのは、発砲を控えると戦闘が長期化しかえって弾薬の消費量が大きくなってしまうのだ。散漫な攻撃を続けるくらいならば、一気に撃ち尽くしてしまったほうが良い」

 

「むぅ……」

 

 わたしの言い訳に、カワウソ女は口をへの字に曲げた。別に、わたしだって彼女をいじめたくてこんなことを言っている訳ではないのだ。納得してもらわねば困る。

 

「つまり、あらゆる面で長期戦は避けるべきと言うことか。ならば、せいぜい手早く始末をつけてもらいたいところだ」

 

「むろんだ。兵力も補給もめどがついた以上、もはやこのような山中で引きこもっている意味は無い。明日にでも、中央平原に打って出ることにしよう」

 

 厳かな声でわたしはそう宣言した。兵力の終結は思った以上に迅速に完了したのだ。この機を逃さず中央平原に進出し、可能であればガムラン軍と王軍主力を各個撃破する。そして王都に我らの旗を立て、アル様を救い出すのだ……!

 

「やるぞ、諸君。決戦の時だ!」

 



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第621話 盗撮魔副官と急進撃

 中央平原は、ガレア王国と神聖オルト帝国という二つの大国に跨がった広大な平原だ。大陸西部文化圏の中心地でもあり、人口も多く物流も整備されている。

 南部と中部を分断する要害、ソラン山地を越えた我々はいよいよこの中央平原へと突入した。これは、戦争がいよいよ佳境に入りつつあることを意味する。実質的にこちらの勢力圏であった南部と違い、中部はヴァロワ王家の庭に等しい地方だ。当然、こちらの緊張感も以前とはまるで違ってくる。

 とはいえ、やることは南にいた頃と変わらない。部隊を分散させ、急進撃。レにつきる。敵の本拠地も近いことだし、本当ならばあまり戦力の分散はしたくないのだが……いくら発展した中部とは言え、三万もの軍勢が通過できるルートは限られている。それに進軍速度や兵站への負担を加味して考えれば、分進合撃以外の選択肢などなかった。

 そういうわけで、一度は合流していた我々だったが、再び部隊は三つに分かれた。リースベン師団、ジェルマン師団、エムズハーフェン師団は、それぞれ別のルートで王都を目指すわけである。とはいえもちろん各個撃破への対策は打っている。三軍は連絡を密に行い、敵軍の接近が確認されれば即座に合流できる体制を整えておいた。

 

「南の田舎者どもが我が所領を我が物顔で闊歩するなど許しがたい! 者ども、槍を取れ! 連中を南に蹴り戻してやるのだ!」

 

 そんな我々の前に立ち塞がるものがいた。進軍ルート上の小領主や王家直轄領の代官たちである。こういった連中の持つ兵力は多くても百名前後、一個中隊程度に戦力だ。三軍でもっとも弱体なエムズハーフェン旅団ですら何千もの兵力があるのだから、ぶつかり合ったところでまともな勝負にはならない。

 だが、そんな儚い抵抗でも、毎日のように頻発すればやっかいなことになる。いちいち部隊に戦闘態勢を取らせていては進軍の足は鈍るし、物資も浪費する。勝てぬ勝負なのだからおとなしく白旗を上げていれば良かろうに(実際南部の小領主や代官などはそうしていた)、よくもまあ頑張るものである。さすがは誇り高き中部貴族、敵ながらあっぱれというしかなかった。

 

 「小勢の連中は気合いが入っとるようじゃが、肝心の王軍はどうしたんじゃろうかね。妙におとなしゅうて、どうにも不気味なんじゃが」

 

 軍議の席で、ゼラが四本の腕を器用に組みながら小首をかしげる。彼女の言っている通り、こちらの前に現れるのは独立した小勢力のみだった。本来この地方を守護せねばならぬはずの王軍(つまり、展開中のガムラン軍)は、むしろ我々の進軍に併せて後退しているように見える。

 それだけならまだ良いのだが、王軍は後ろへ下がるついでにあたりの村落の穀物庫や飼い葉庫に火を放っていくのだからたまらない。おかげで糧秣の現地調達はまったく捗らず、アルベール軍の補給事情は悪化の一途をたどっていた。

 

「明らかに持久戦の構えじゃ。正面決戦に応ずっつもりはなからしい」

 

 軽蔑したような表情でフェザリアが吐き捨てる。王軍の雄々しい戦術に呆れているのだろう。確かに積極性には欠けるが、効果的なやり口ではあった。今の我々は、戦わずして真綿で首を絞められているようなものである。せめて、小領主どもがおとなしく領地の通過を認めてくれていれば、強行軍でガムラン軍を猛追できるものを……。

 

「敵の作戦は明白だ。連中は、とにかく王軍主力……フランセット軍の再編成の時間を稼ぎたいのだろう。ついでに我々を補給面で締め上げ、弱体化を誘っているのだから狡猾だ」

 

 いま、戦域に展開中のガムラン軍は(真正面から戦うような状況であれば)それほど恐ろしい相手ではない。さすがに各師団(旅団)単独で戦うのは厳しいだろうが、二部隊が合同して作戦にあたれば容易に撃退できる程度の戦力しか保持していない。

 むこうもそれがわかっているから、王軍の主力が援軍に来るのを待っているのだ。フランセットが司令官であるためにフランセット軍と呼ばれているこの部隊は、現在王都で戦力回復に当たっているという話だった。

 

「ガムラン軍とフランセット軍の合流を許しゃあ、いささか|やっかいな(たいぎぃ)ことになるよ。少しばかり無茶じゃが、強行軍でガムラン軍を捕まえ各個撃破を狙うのがええんじゃないの」

 

「その通りだ」

 

 ゼラの指摘に、わたしは大きく頷いて見せた。そもそも、我らにとって時間が敵であることは最初からわかっていたのである。確かにこのような敵地で強行軍を行うのは無茶ではあるが、我々はそれに備えた準備も行っているのだ。ゼラの言うとおり、ここは多少の無茶をしてでも攻勢に出るべきでは無かろうか。

 

「しかし、相手はあのガムラン将軍ですよ。こちらがそのような判断をすることは、完全に読み切っているはず。本腰を入れた途端、カウンターの一手を打ってくるのでは無いでしょうか」

 

 思案顔でそんな指摘をしてくるのはジルベルトであった。彼女は、元はと言えば王都パレア市で編成された精鋭部隊パレア第三連隊に所属していた。そしてそのパレアの各連隊を統括していたのが、今の敵将ガムランなのだ。つまり、ジルベルトにとってはガムラン将軍はもと上官ということになる。

 

「なるほど、一理あるな」

 

 もちろん、ジルベルトはもと上官が相手だからといって手を抜くような女ではない。そんな彼女が警告を発しているのだから、嫌でも警戒度はあがる。わたしは香草茶を一口飲み、卓上に広げられた地図に目をやった。

 我々の補給拠点と化したソラン砦は、すでにずいぶんと後方になってしまっている。当然ながら補給線はずいぶんと伸びきり、誰が見てもハッキリとわかるほどの弱点と化していた。

 もちろん我々もこの状況を座して見ていたわけではない。わたしはツェツィーリアに命令を下し、近隣の川辺の小都市をいくつか占拠させていた。このあたりの河川交通網は、例外なくエムズハーフェン商業圏に接続されている。これによって、我々はエムズハーフェンルートでも補給を受けられるようになっていた。

 とはいえ、王都近郊からエムズハーフェンまではずいぶんと離れている。はっきり言って、このルートを用いた補給はかなり効率が悪かった。そのため、やはりソラン砦のルートが我らの命綱であることには変わりが無い。

 

「ガムラン将軍は、間違いなく我々の後背を狙ってくるものと思われる。敵軍がこちらを迂回するような機動をし始めれば、すぐに即応して反撃できる体制を整えておきたいが……ウル、どう思う?」

 

 敵軍の動向を察知するには航空偵察が一番だ。そしてわが軍には航空偵察にかけては天下一品の女がいる。長年エルフとともに戦ってきた鳥人たちの長、ウルだ。このカラス娘は黒い瞳をキラリと輝かせ、わたしにしっかりと頷き返した。

 

「相手方ん妨害も激しゅうなっちょりますどん、さすがに大軍の通行を見逃すほどん醜態はさらしもはん。ご安心を」

 

 そう言ってから、ウルはコホンと咳払いして少しだけ目をそらした。

 

「とはいえ、小勢が相手では目が届かんこっもありもんそ。後方ん防御を薄うすったぁお勧めしかねっど」

 

「むろんだ」

 

 航空偵察は強力だが、万能では無い。ウルはそう言いたいのだろう。当然ながらそんなことは承知しているので、わたしは苦笑しながら彼女の言葉を肯定した。

 

「ジェルマン師団の戦力を抽出し、二個連隊二千四百名の兵力を補給路の警備に当てている。これを破るためには、最低でも同格である二個連隊以上の戦力が必要になるはずだ。いくらなんでも、これだけの大軍の迂回を見逃すはずがあるまい」

 

 私とて、補給線の防御に手を抜くほどの素人ではないのだ。ぐっと拳を握りしめ、居並ぶ諸将を見回す。

 

「確かにガムラン将軍は油断のならぬ相手だろう。だからこそ、妙な手を使わせる隙を与えてはならぬ。進軍の速度を上げ、可及的速やかに彼女を討つ。これが我らの勝ち筋だ」

 

 ……実のところ、今こうしている間にも裏ではアル様救出の準備が整いつつあるのだ。出来ることならば、帰還したアル様を勝ち鬨の声とともに出迎えたい。そう思うと、自然と拳に力がこもった。ガムラン将軍、相手にとって不足なし! やってやろうじゃないか!

 



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第622話 盗撮魔副官と渡河作戦

 敵に時間を与えてはならない。そう判断したわたしは、麾下(きか)の部隊や友軍に対して急ぎ王都に進撃すべしと命じた。われわれは歩兵主体の軍だから、騎兵集団のような無茶な機動はできない。しかしそれでも、補給体制の効率化や休止時間の見直しなど、さまざまな工夫によって進軍速度はかなり向上した。

 それに対し、敵の先鋒……ガムラン軍は、当初静観の構えを見せていた。後退こそ止まったようだが、慌てて迎撃に出てくるような気配はまったくない。まさか、王都を見捨てる気なのか? そんな疑念すらわいてくるほどの、不気味な沈黙であった。

 

「ガムラン軍は、西に向けて進軍し始めたようじゃ」

 

 とはいえ、さすがにそれは杞憂であった。我々が王都まであと二十日の距離にまで到達すると、鳥人偵察兵からそのような報告が入ってくる。

 

「なるほど、ガムラン軍はオレアン領でわれらを迎え撃つ腹づもりのようだな」

 

 オレアン領は、名前の通りオレアン公爵が治めるガレア屈指の大領邦だ。もともと交通の要衝として栄えた土地だから、大軍の通行にも適している。

 兵站への負担や進軍スピードなどを鑑みて、われらアルベール軍はこのオレアン領を通過して王都入り刷る予定であった。ガムラン軍の動きは、明らかにわれわれの行く手を遮るためのものであろう。

 

「まちがいなく、ロアール川を防衛線にしてわれらの進撃を阻むハラでしょう。敵前であの大河を渡るのは、たしかになかなかの難事です」

 

 そんな意見を口にするのは、ジルベルトだ。彼女の一族であるプレヴォ家は、王都内乱以前はオレアン公に仕えていたのである。つまり、ジルベルトからすればオレアン領は実家の庭のようなものなのだ。十分な土地勘があるわけだから、その忠言には千金の価値がある。

 

「今ならばまだ、迂回いう選択肢も取れそうじゃがね。どうする? 姉貴」

 

 難しい顔で、ゼラが消極策を口にする。確かに、その意見にも一理はある。川を挟んだ戦いでは、守勢側が圧倒的に有利だ。どれほど練度の高い部隊であっても、渡河にはそれなりに手間取るものだからな。そうこうしているうちに敵が逆襲に出てきたら、かなりやっかいなことになるだろう。

 しかも、このあたりのオレアン領といえば王軍にとってホームグラウンドに等しい場所だ。敵にはおそらくオレアン公も参陣しているであろうから、防衛戦の準備はおそろしくスムーズに進むだろう。

 

「いや、このまま突っ込む。……こちらは外線作戦で、あちらは内線作戦だ。迂回したところで、敵に先手を取られることには変わりない」

 

 ヴァロワ王家も、伊達に何百年もガレア王国を治め続けているわけではない。外敵に対するの備えは十分に整えているのだ。少しばかり迂回したところで、戦場の優位は常に敵方にある。

 ここは、下手に策を弄するよりも最短で敵を直撃するほうが効果的だろう。なにしろ、ガムラン軍はまだ王太子軍と合流していないのだ。各個撃破を狙うのであれば、今が最後のチャンスである。

 

「各部隊に渡河作戦の準備をするように命じよ! オレアン領でガムラン軍を殲滅できれば、われらの勝利は確実なものとなる。ここで勝負を決めるぞ!」

 

 全身に満ちる戦意を感じながら、わたしはそう命令した。部下たちは、それに対し「応!」と心強い返事をしてくれる。決戦を前にして、アルベール軍の士気は十分以上に高まりつつあった。

 通常ならば一週間はかかる距離を五日で踏破し、我々はいよいよオレアン領へと突入した。この急進撃が成功したのは、将兵の不断の努力はもちろん、敵方の妨害が予想以上に少なかったのも大きな要因であった。

 

「敵ん本陣は、オレアン市じゃなくロアール川北岸ん小さな村に築かれちょっようじゃな」

 

 くたびれた様子の鳥人偵察兵がそう報告する。どうやら、空で翼竜(ワイバーン)騎兵に追い回されてしまったようだった。王都に近づくにつれて敵の防空は厚くなり、鳥人兵による偵察や伝令の成功率は激減しつつある。

 逃げ帰ってこられるならばまだ良いが、未帰還者(事実上の戦死者)の数も増えているのだから困ったものだ。余計な損害を抑えるため、近頃のわが軍の航空部隊は不活発にならざるを得ない状況になっていた。

 

「大方の予想通り、敵軍は野戦による防衛を選択したようだな」

 

 このあたりの地域には、領都オレアン市をはじめとして籠城に適した都市がいくつもある。しかし、これらの”堅城”が火力戦に対していかに無力であるかは今までの戦訓が示す通りであった。

 そのあたりを勘案すれば、ガムラン将軍が野戦を選択するのも当然のことだろう。火力戦対応型の要塞が建造されればこのような状況も変わってくるのだろうが、少なくとも今は籠城戦などは選択肢にも上がらぬ時代なのである。

 

「とにかっ、川を越えんにゃ敵をチェスト出来んちゅうことじゃな」

 

 フェザリアの言葉に、わたしは深く頷き返した。ガムラン軍の兵力は、多く見積もっても二万に足りない程度。対するこちらは三万近い兵力があるのだから、普通の野戦ならばたやすく叩き潰せる程度の戦力差はある。

 しかし、敵の本隊は川岸の向こう側にいるのである。一度に渡河できる部隊の数は限られているのだから、敵軍は常に兵力優勢の状況で戦えることになる。やはり、渡河戦はなかなかに厄介だ。

 

「川向こうの敵は、ひとまず無視して良い。まずはロアール川南岸を我らのものとせよ!」

 

 オレアン領を東西に二分するロアール川は、ジルベルトの言うとおりかなりの大河だ。当然、大軍が渡ることができるようなポイントは限られている。ガムラン軍はそのような地点に先回りし、強固な防御陣地を築いている。それを制圧するのが、我々の作戦の第一段階というわけだ。

 

「主様は、あの川の向こうにいらっしゃる! これ以上、主様をお待たせすることはあってはならん。ゆくぞ!」

 

 先陣を切ったのは、ジルベルト率いる第一ライフル兵大隊だった。作戦開始の直前、私は彼女に、後方で待機をしているように命じていた。戦場がふるさとではさぞやりづらいだろうと判断したからだ。

 しかし彼女は、一切の躊躇もせずにその命令を拒否した。「土地勘のある自分が後ろで遊んでいては、勝てるいくさも勝てなくなる」そう言ってジルベルトは最前線への投入を希望したのである。アル様のことがあるとはいえ、見上げた敢闘精神だ。わたしは深く感動し、彼女の具申を採用することにした。

 

「見事な塹壕線だ。ガムラン将軍は、新式戦術をすっかりモノにしたようだな」

 

 戦場を見下ろせる丘の上に築かれた指揮本部で、わたしは敵の渡河ポイントに双眼鏡を向けながらそう言った。ポイントの周囲には、ジグザグに掘られた塹壕とそれを防護する有刺鉄線が張り巡らされている。

 塹壕を用いた戦いには一家言ある私の目から見ても、なかなかに立派な防御陣地と評さざるを得ない完成度だ。しかも相手陣地は大河を背にしているのだから、迂回作戦も使えない。これを突破するのは尋常なことではないだろう。

 

「速射砲隊、射撃を開始しました」

 

 開戦の嚆矢となったのは、ジルベルトの大隊に配備されている速射砲部隊であった。七五ミリ榴弾の猛烈な嵐が、渡河ポイントを守るガムラン軍の塹壕陣地へと降り注ぐ。新型砲の速射性は相変わらず素晴らしい。敵陣は、あっという間に土煙と爆炎に覆われてまともに視界の効かないような有様へと変貌していった。

 

「敵軍も発砲を始めました!」

 

 見張りの声をうけて目をこらしてみると、確かに土煙の向こう側でナニカがチカチカと光っているのが見えた。なるほど、あれが敵の火点か。

 新型砲の暴力的な猛射撃をもってしても、塹壕に据え付けられた大砲を排除するのは容易ではない。わが軍にとっては二度目となる塹壕突破戦だが、だからといって油断の出来るものではなかった。

 

「重砲隊に命令! ジルベルト大隊を支援せよ!」

 

 塹壕戦を打ち破るには、膨大な火力を一点に集中するのが一番だ。わたしは躊躇無く司令部直轄の砲兵部隊に指示を出した。補給線はしっかりと確保しているのだ。砲弾をケチる必要はまったくない。

 

「わが軍が砲撃戦で後れを取ることなどあってはならん。敵陣を粉砕するまで射撃を止めるな!」

 



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第623話 盗撮魔副官と渡河作戦(2)

 いよいよ、王軍との戦端が開かれた。オレアン領を南北に二分する大河、ロアール川を挟んで彼女らと対峙した我々アルベール軍は、敵の本隊を直接叩くためまずは渡河作戦に着手する。

 

「火力戦において、我が方は敵軍を圧倒しています」

 

 参謀の一人が、戦場に目を向けながら言う。渡河ポイントを守るガムラン軍の一隊は、塹壕と鉄条網を組み合わせた強固な防御陣地に籠もって防戦の構えを見せている。

 渡河阻止という作戦の都合上、防衛部隊は文字通りの背水の陣の状態になっていた。退く場所がないせいか、彼女らの反撃はなかなかに熾烈なものとなっていた。

 とはいえ、参謀の言葉通り戦場全体をみれば我が方の優勢は明らかであった。こちらはリースベン軍最強の戦闘集団であるジルベルト大隊を前に押し出し、野戦砲による猛烈な砲撃を敢行している。それに加え司令部直轄の重砲までも投入しているわけだから、敵陣では途切れることなく爆発が連続し、まるで火山の噴火を思わせるような様相になっていた。

 むろん、敵もやられるばかりではない。塹壕の中から、そして川向こうの北岸に布陣する砲兵隊からも、反撃の砲弾が飛んでくる。

 しかし塹壕陣地に籠もっている敵兵力はせいぜい一個連隊にみたない程度の小勢であるし、川向こうの砲兵は距離が離れているために満足な射撃精度を出せていない。砲撃戦においては、火力を一点に集中できるわが軍のほうが遙かに有利であった。

 

「ソニア様、ジルベルト大隊長様より入電です」

 

 思考を巡らせていると、通信兵から報告が入った。彼女らの扱う野戦電信機は今年実戦配備されたばかりの新兵器だが、いまや各部隊の連絡用として無くてはならない存在になりつつある。

 

「どうやら、渡河ポイントを守備している敵部隊には、あまりライフル兵が配属されていないようです。大隊のほうで威力偵察をかけたところ、陣地にかなり接近しても大した反撃は飛んでこなかったと、ジルベルト大隊長様はおっしゃっております」

 

「ほう」

 

 それは朗報だ。わたしはいささかほっとして、少しばかり目を伏せた。塹壕に籠もっている歩兵が、槍兵などの旧式兵科が中心だというのならば話はずいぶんと簡単になってくる。

 塹壕戦の主体となるのは大砲であるが、敵兵の肉薄攻撃を防ぐにはそれだけでは不足なのだ。取り回しの良いライフル兵を槍衾のように配置することで、初めて塹壕陣地は鉄壁の防御力を発揮することができるのだった。

 

「ジルベルト大隊に、突撃命令を出されますか? ライフル兵が不足しているとの情報が誠であれば、移動弾幕射撃を仕掛ければ突破は容易なものと思われますが」

 

 参謀の一人が具申をしてくる。わたしの脳裏に、先日のソラン砦突破戦の記憶が浮かび上がってきた。ソラン砦の守備隊は、今回の敵よりも遙かに強力な火力を持っていた。それに対してさえも、移動弾幕射撃は強烈な効果を発揮したのである。同様の手段を用いれば、渡河ポイントの奪取は容易であろう。

 

「……いや、ジルベルトには後退を命じよう。戦いはまだまだ序盤だ、前哨戦で精鋭を損耗させては、今後の作戦に障りが出る」

 

 先鋒にジルベルトを任じたのは、敵側の防御が厚かった場合にそれを突破できそうな部隊がジルベルト大隊しかなかったからだ。

 しかし、敵からの反撃は予想以上に弱体だ。おそらく渡河ポイントを守っている部隊は二線級のものであり、主力の精鋭は川向こうに控えているものと思われる。水際での防御にはこだわらず、いったんこちらを北岸内部に引き込んでから反撃を開始する。それがガムラン将軍の作戦なのだ。

 

「敵陣地の制圧は諸侯軍にやってもらおう。リースベン軍ばかりが手柄を独占していては、彼女らに申し訳が立たない」

 

 通信兵に命じて、各所と連絡を取らせる。リースベン師団の主力は名前の通り我らリースベン軍ではあるが、兵力的にはむしろ後から参陣した宰相派諸侯の方が数が多いのである。

 実のところ、作戦が始まって以降こうした連中からひっきりなしに伝令がやってきて「二番槍はこの○○女爵に」「いいやここはわたくし××子爵にお任せを」などとしつこく具申を繰り返す事態になっている。あげくに伝令同士がつかみ合いの喧嘩まで始める始末だったから、目障りどころの話ではない。普通に邪魔だ。

 

「大丈夫でしょうか? 相手は腐っても王軍ですが」

 

 しかし、参謀はわたしの意見には反対のようだった。実際、こうした血の気の多い小領主どもの部隊は旧式兵科が中心で、戦力敵にはまったく頼りにならない。リースベン式の教育をうけた参謀団が彼女らに不信の目を向けるのは当然のことだった。

 

「むろん、十分な支援は行うさ。それに、いざという時には火消しにエルフどもを投入する。心配する必要は無かろう」

 

 そういう訳で、攻撃の主体はリースベン軍から諸侯軍に移ることとなった。先鋒から外されることになったジルベルトはだいぶ渋ったが、わたし自身が大隊司令部を訪れることでなんとか説得した。

 せっかく気合いを入れていたのに、というジルベルトの気分はもちろん理解できるが、彼女に働いてもらう機会は今後いくらでもあるだろう。他の連中に任せられる程度の仕事があるのなら、そちらに投げてしまった方がいい。よほど容易な戦いであっても、戦死傷者を皆無にすることは困難だからだ。

 

「南岸の防衛戦力がこの程度ならば、ジェルマン師団のほうも心配はなかろう。問題は、川を渡った後だな……」

 

 ジェルマン師団には、別のポイントからの渡河を命じてある。複数の地点から川を越え、扇状に展開しながら対岸のガムラン軍本隊を包囲するのがわたしたちの作戦なのだ。

 とはいえ、十分な火器を装備した我々と違い、ジェルマン伯爵麾下(きか)の部隊には大砲もライフルも足りていない。王軍を相手に正面から戦うのはやや厳しいか、とも思っていたのだが、渡河ポイントの守備隊がこの程度の戦力しか有していないのであればなんとかなるだろう。

 しかし、問題はその後だ。ガムラン軍の戦略としては南岸の放棄は規定事項であり、本格的な抵抗は北岸にて行われるものと思われる。さらに言えば、こちらの主力が北岸に渡った後、伏兵が我が方の後方を脅かす可能性も十分に考えられた。

 

「相手は名将、ガムラン将軍です。どれだけ警戒してもしすぎということはないでしょう。兵力的に優勢とはいえ、油断はできません」

 

 参謀の警告に、わたしは頷き返す。現在、戦場に展開している兵力はわが軍が三万、敵軍が二万程度だ。この程度の戦力差であれば、軍略でひっくりかえすのはそれほど難しいものではない。我々自身ですら、これよりも遙かに厳しい戦力差の中で勝利したこともあるのだ。ガムラン将軍にそれは出来ぬと断じることは、慢心以外の何物でもなかろう。

 

「エムズハーフェン侯爵に、進撃にも後退にも即座に対応できるようにしておくよう連絡しろ。ガムラン将軍の策がどのようなものかはまだわからないが、何にせよ対応の要は彼女らになる」

 

 もと神聖帝国諸侯で構成されたエムズハーフェン旅団は、新式火器など一切装備していない古色蒼然とした集団だった。だが、頼りにならないかと言えばそうでもない。

 何故かと言えば簡単で、それはエムズハーフェン旅団の構成人員のほとんどが騎士階級であるからだった。なにしろ彼女らの多くは先の戦いで大きな被害を受けており、雑兵を動員する余力などまったくない。動かせるのは損得抜きで参戦してくれる騎士階級のものたちうだけだった。

 とはいえ、怪我の功名であっても騎士……つまり、騎乗身分のみで構成された部隊というのは大変に強力だ。なにより、歩兵主体のリースベン師団やジェルマン師団よりも遙かに機動性に優れている点がすばらしい。ソラン砦の戦いにおいても、その優位は陽動作戦という形で見事に機能してくれていた。

 

「ジルベルト大隊、後退が完了しました。代わって、ゴドフロワ・マルロー両大隊が展開しています」

 

 そうこうしているうちに、前線の様相が変わっていた。緑色の野戦服で全身を固めたリースベン兵が去り、かわりに色とりどりの軍装をまとった集団が現れる。小領主や放浪騎士などを寄せ集めた数合わせ部隊だ。

 リースベン軍が掲げる旗は、丸に十字のリースベン軍旗と各部隊旗のみ。しかし彼女らは、各家の家紋が描かれた様々な旗を掲げている。リースベン式の軍隊になれた我らにはいささか無秩序な景色に見えるが、本来はこれこそが伝統的な封建軍のカタチであった。

 

「よろしい」

 

 精鋭だけでは戦争はできない。幼年騎士団の頃、アル様がおっしゃっていた言葉が思い起こされた。アル様の隣に立つものとして、わたしも彼女らのような連中をうまく扱ってみせねばならない。わたしは自らの頬を力一杯たたき、気合いを入れ直した。

 

「攻撃再開を命じる! 敵陣を蹂躙せよ!」

 

 それから五分後。ガムラン軍の籠もる防御陣地に、人津波が襲いかかった。

 



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第624話 盗撮魔副官の切り札

 渡河ポイントに対する諸侯軍の攻撃は、阿鼻叫喚としか言いようのない状態になった。塹壕の前には屍山血河が築かれ、半ばこの状況を予想したわたしすらも顔色を失うほどであった。

 いや、確かにジルベルト大隊からもたらされた「敵部隊のライフル兵比率は低い」という情報は確かだったのだ。塹壕に籠もる王国兵のほとんどは槍兵などの旧式兵科で、ライフルを携えているものなど全体の三割程度に過ぎない。

 しかしそれでも、塹壕の防御力は十二分に効果を発揮した。槍を携えて肉薄する諸侯軍の将兵にたいし、王国軍は頑強に抵抗した。ほぼ唯一の火力源である長八四センチ野砲を撃ちまくり、数少ないライフルで応戦し、最終的には穴倉から槍を突き出して戦い続ける。

 拙かったのは、諸侯軍が従来の密集陣形での攻撃を続けたことだった。兵士の密度が上がれば、それだけ受ける被害も大きくなる。身を寄せ合っているほうが安全だった白兵戦の時代はもう既に過去のものだ。野砲の榴弾が炸裂するたび、さっきまで人間だったモノが大量に周囲に飛び散った。

 

「あの阿呆どもに兵を分散させるように厳命しろ!!」

 

 わたしは怒り狂いながらそう命令したが、状況は一向に改善しなかった。何をやってるんだ、あのボケナスどもは。そう思って、わたしは前線に足を運んだ。

 

「兵どもはできるだけ狭い範囲に固めておかないと、命令が届かんのです」

 

「それに、散兵陣を使えば指揮官が部隊の端から端まで見張ることができなくなります。これでは兵の逃散を防げませんから、マトモに戦うことなどとてもとても」

 

 しかし、どうやら前線指揮官たちも単なる無能でこのような戦いぶりをしているわけではないようだった。そもそもからして、彼女らのほとんどは軍制改革などに手を回す余裕のない小領主たちだ。伝統的な軍制を採用した彼女らの部隊では、散兵戦などとても行えない。兵士を分散させるためには、兵ひとりひとりの高い士気と練度が必須なのである。

 

「……致し方あるまい、諸君らはいったん下がっておれ。突破はリースベン軍に任せる」

 

 このまま無謀な肉薄攻撃を続けても、無為に被害が増えるばかりだ。自らの考えの甘さを恥じながら、わたしは諸侯軍の貴族たちにそう提案した。ところが、彼女らは首を縦に振ろうとはしなかった。

 

「我々は、ジルベルト殿を押しのけて槍手を任せてもらったのですぞ! おめおめ退いてはメンツが立ちませぬ!」

 

 そう言って、諸侯軍は無謀な攻撃を再開した。確かに、ここで撤退命令を出せば彼女らのメンツを潰すことになる。いくらわたしが司令官でも、その点をないがしろにすることはできなかった。貴族のメンツを潰すということは、つまり宣戦布告と同じだからだ。

 とはいえ、付き合わされる兵隊たちは恐ろしく哀れであった。砲声が鳴るたびに、人間の命が塵芥のように消えていく。わたしに出来ることは、火力支援を絶やさず敵の砲兵陣地を叩き続けることだけだった。

 

「前線のデュマ子爵より報告! 渡河ポイントAを完全掌握したとのことです!」

 

 結局、敵陣地の中枢にこちらの旗が翻るようになったのは、それから一時間ほど後の話だった。予想よりもずいぶんと短い時間で制圧できたが、だからといってほっとすることは出来なかった。なにしろ、その短時間の間にどれほどの被害が出たのかまったく予想できないような有様だったからだ。集計はこれからだが、正直かなり気が重い。

 

「よろしい、渡河を開始せよ!」

 

 けれども、恐ろしいことにこんな戦いなどはまだ前哨戦に過ぎないのである。敵の本隊は対面の北岸におり、これを叩かないことには作戦目標は達成できない。胃の痛みを覚えながら、わたしは作戦を次の段階に進めるよう命じた。

 実際のところ、たしかに渡河ポイントの制圧などは作戦全体で見れば前菜以外の何物でも無い。部隊がもっとも危険にさらされるのはその後、川を渡る時なのである。

 

「前衛部隊、渡河に入ります」

 

 即席のイカダに乗って、兵士たちが川を渡り始める。当然損耗した部隊は後送したから、今前に出ている者たちは無傷の部隊である。とはいえ、彼女らも前任者たちがどのような目に遭ったのかは見ている。その顔には明らかな恐怖の色があった。

 

「対岸の敵砲兵陣地が阻止射撃を始めた模様!」

 

 いったん止んでいた砲声が、再び戦場に満ち始める。穏やかな川面に連続して水柱が立ち、粗末なイカダを乱暴にシェイクした。振り落とされた兵士が水に落ち、悲鳴を上げながら流されていく。

 騎士階級ならともかく、普通の雑兵が水泳術を修めていることはまずない。おそらく、彼女の運命は溺れ死ぬこと以外になかろう。わたしは思わず目を閉じ、極星に祈りを捧げた。

 

「撃ち返せ!」

 

 そう命じるも、対抗射撃の効果は薄い。敵側の砲兵陣地が、こちらの八四ミリ山砲の射程を巧みに避けて配置されているせいだった。同じ八四ミリ砲でも、射程に関しては砲身の長い向こう側の方が有利だ。川を挟んだ射撃戦では、この差はたいへんに大きい。

 それにしても、まったくガムラン軍の用兵の巧みなこと! 砲兵陣地の配置についてもそうだし、渡河ポイントに背水の陣の死兵を置いて捨て駒にする手腕も凄まじい。冷徹で大胆、まったく大した名将だ。このような怪物を相手にアル様を欠いた状態で戦わねばならぬというのは、本当に不幸なことであると思う。

 

「ウワーッ!」

 

 そんなことを考えている間にも、前線では悲惨としか表現できない状況が続いている。砲弾の直撃を受けたイカダが爆発四散し、乗っていた将兵は跡形もなく消滅した。いつの間にか、ロアール川の水面は赤黒く染まっている。

 よくよく見れば、撃ってきているのは野戦砲ばかりではないようだ。草の生い茂った川の土手からは、ところどころで白い煙が上がっている。草むらの中に、ライフル兵が潜んでいるのだ。彼女らは巧みにこちらの視線を避けつつ、渡河部隊に猛烈な射撃を加えている。

 こちらの将兵は、その鉛玉の雨に無防備なまま立ち向かわねばならない。なにしろ、イカダの上では逃げることも隠れることもできないのだ。これが、渡河作戦のおそろしいところだった。

 

「そろそろ、相手方の砲兵陣地の位置も割り出せただろう。ネェルを呼べ!」

 

 このような状況を座して見ていることなどとても出来ない。そこでわたしは、ここで切り札を切ることにした。伝令が天幕の外に走り去り、すぐに巨体のカマキリ娘を連れて戻ってくる。

 

「お呼び、ですか?」

 

 なんともつまらなそうにネェルはいった。我々の眼下では、未だに残虐な光景が続いている。普段の彼女なら、それを見てひどいジョークの一つでも飛ばしていることだろう。それがないあたり、やはりネェルもずいぶんと堪えている。

 やはり、こんな戦いなどはさっさと終わらせ、アル様を取り戻さねばならぬ。血なまぐさい戦場も、笑顔を欠いた友も好きではない。拳を握り、わたしはネェルの目をまっすぐに見た。

 

「ネェル。貴様には、翼竜(ワイバーン)騎兵・鳥人兵の連合部隊とともに対岸に飛び、敵砲兵陣地を潰す仕事を任せたい。出来るか?」

 

 飛行可能な連中であれば、渡河の手間などまったくかからない。あの程度の川などひとっ飛びで越え、敵の弱点を叩くことが可能だ。もちろんこれは敵中への突出を意味するから、危険度は極めて高いだろう。しかし、無茶な力攻めを続けるよりはよほど冴えたやり方であるはずだ。

 

「もちろん」

 

 ネェルは、一切の躊躇も見せずに頷いた。

 

「あの川の向こうに、アルベールくんが、居るん、ですね? 結構、結構。川でも、山でも、街でも、飛び越えて、見せましょう」

 

「河だけでいい!」

 

 すっかり据わった目でそんなことを言うモノだから、わたしは慌てた。砲兵陣地を無視して、王都まで飛んでいきそうな勢いだ。気分はわかるが、王都直撃を狙うのは気が早すぎる。今は目の前の敵を片付けるのが先決だ。

 

「冗談ですよ。マンティスジョーク、マンティスジョーク」

 

 すぐに自らの発言を打ち消すネェルだったが、その顔には一ミリの笑みも浮かんでいない。タチの悪い冗談は彼女のオハコだが、今回のこれはそれ以前の問題だ。彼女の気持ちが痛いほど伝わってきて、胸にキリキリとした痛みが走る。将としての仕事に追われ、余計なことを考えずに済んでいるわたしは幸せ者かもしれないな……。

 

「頼んだぞ、本当に」

 

 念押ししつつ、わたしは心の中でため息を吐いた。いい加減、アル様をお救いせねばネェルも……そしてわたし自身も駄目になってしまいそうだ。この作戦が終わったら、例の計画に着手することにしよう……。

 



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第625話 貧乏くじ公爵の貧乏くじ

 私、ピエレット・ドゥ・オレアンは頭と胃を痛めていた。恐れていた最悪の事態が現実のものとなってしまったからだ。母より(不本意ながら)相続した所領、オレアン領はいまやすっかり戦場と化している。娘や夫を連れて幾度となく水遊びに興じたロアール川は血に染まり、目を覆いたくなるような状態になっていた。

 現在、私は小さな農村の村長宅に設営された本陣で戦況図をにらみつけている。状況は、はっきり言ってよろしくなかった。正面の渡河ポイントはすでにアルベール軍のリースベン師団に占領され、兵士たちが次々に我々の居る北岸へと上陸しつつあった。

 さらに言えば、危機的状況なのは正面ばかりではない。ここからやや離れた地点でも、リースベン軍の別働隊(ジェルマン伯爵が率いる師団だろう)が渡河を始めているという報告が入ってきていた。むろんそのポイントにも防衛戦力は配置しているが、正面がこの調子ではそちらもいつまで持つかわかったものではない。

 

「……」

 

 口元をへの字に歪めながら、頭の中で作戦計画を思い出した。渡河を許すのは、計画の範囲内。敵を北岸に誘い込み、突出したところを反撃する。そういう作戦なのだ。

 問題は、敵の突破速度が速すぎる点だった。このままでは、逆襲に移る前にこちらが壊乱してしまう恐れがある。そうなってしまえばもうおしまいだ。

 

「王立第三独立砲兵大隊、敵の空中攻撃で壊滅!」

 

「またか!」

 

 伝令の報告に、私の苦悩はますます深くなった。驚くことに、敵は飛行部隊を用いてこちらの砲兵陣地をピンポイントで攻撃するという奇策に出ている。これのせいで我が方の砲兵は大きな被害を受け、前線への支援砲撃が滞りつつあった。敵軍の遅滞が計画通りに進んでいないのもコレが原因だった。

 

「例のカマキリの化け物、あれをどうにかしないことには反撃もままなりませんぞ」

 

 本陣に詰める諸侯の一人が、苦慮に満ちた声でそう言った。コレに関しては、私もまったくの同感だった。敵の飛行部隊の先頭は、噂に聞くあの巨大カマキリなのだ。

 鳥人や翼人にしろ、翼竜(ワイバーン)にしろ、空を飛べる生物というのは陸戦に適さないものなのだ。しかし、このカマキリお化けにはそのような常識は通じない。最初の襲撃の際、私は精鋭の騎士部隊に反撃を命じた。しかしそれから三十分も経たず彼女らが壊滅したとの報が入ってきたのだからもうめちゃくちゃだ。我が所領、故郷でそのような化け物が暴れ回っているなど、悪夢以外の何物でも無い。

 

「まったくその通りだ。君、第三独立砲兵大隊の救援にいってきなさい。あのカマキリを倒して見せれば大手柄だぞ」

 

「嫌です……」

 

 くだんの諸侯は塩をかけた青菜のような態度で首を左右に振った。まあ、気分はわかる。槍どころか鉄砲すら通じぬ化け物と戦いたい者など、よほどの物好きだけだろう。

 

「他に我こそはと思う者はいるか? ……おらんか、致し方あるまい。ガムラン将軍、パレア第一連隊を救援に回しましょう」

 

 戦場は我が領地だが、防御作戦の指揮を執っているのは私ではない。今のガレア王軍の総司令官、ガムラン将軍だ。この壮麗な軍服の似合わぬ凡庸な中年女は、間抜けな顔で「第一連隊を……?」と私の言葉をオウム返しにした。

 

「確かに精鋭・第一連隊であれば化け物カマキリも討てようが、空を飛べる生き物を大軍で囲むのは無理があるのではないかね」

 

「確かにその通りですが、それでも退散させる程度の効果はあるでしょう。とにかく今は、砲兵の被害をこれ以上受けぬようにするのが肝心かと」

 

 はっきり言って、私に軍才はない。けれども、この薄ぼんやりした”総司令官”殿よりは遙かにマシな指揮をする自信があった。この作戦において実際に兵を動かしているのも、実のところ私の方だったりする。

 

「なるほど、わかった。よきに計らえ」

 

 この阿呆の唯一の美点は、こちらが強く出れば即座に持論をひっこめる点にあった。ため息を吐いて、部下たちに方針を伝える。そして、考え事をするふりをして手元の作戦計画書をこっそり確認した。

 ……私の絞りかすのような軍才では、麒麟児とあだ名されるあのソニア・スオラハティにはとても対抗はできない。にもかかわらずこれまで曲がりなりとも戦ってこられたのは、事前に用意してあった計画書が優れていたからに他ならない。私の指揮は、すべてこれに基づいて行われていた。

 この計画書の作成者の名は、ガムラン。そう、いま私の目の前にいるこのぼんくら女……ではない。こいつはただの偽物で、本物のガムラン将軍は別にいる。彼女は別働隊を率い、己の立てた逆襲作戦の準備をしていた。この偽ガムランは、それを敵に悟らせぬ為の影武者なのだ。

 

「……」

 

 心の中でため息を吐く。王家のお目付役であるガムラン将軍がいないのだ。いっそのこと、アルベール軍に寝返ってしまいたい。あの色ボケ王太子に義などありはしないのだ。領地の保証があるのならば、彼女がアルベール軍に捕まって処刑や幽閉などをされようとも悲しくともなんともない。

 ソニア・スオラハティに密使を送ってみようか。そんな考えが鎌首をもたげたが、すぐに首を左右に振ってそれを打ち消す。私の忠誠心がヒビだらけであることは、王家の側も理解しているのだ。当然、既に寝返り対策は打たれてしまっている。

 今、私の夫子はオレアン領にいない。万一に備えて避難するという名目で、王都に連れて行かれてしまったのだ。つまり、人質という訳だ。あのボケナス王太子も、こういう部分では頭が回る。この偽ガムラン将軍の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。

 

「司令部直轄の砲兵隊を前に押し出せ。これからのいくさは、火力が命だ。砲撃を絶やしてはならぬ」

 

 作戦計画書に書かれた文面を、そのまま音読して部下に伝える。ガムラン将軍の傀儡という点では、この影武者も私も同じだった。なんたる屈辱だろうか。なけなしの忠誠心がガリガリと削られていくような心地である。

 しかし、夫子を人質に取られている以上、私に選択肢はない。母上ならば家族よりもお家を優先したかもしれないが、私はそんなに非情にはなれない。だからこそ姉が阿呆をしでかすまではずっとスペアに甘んじてきたのだ。繰り上がりで公爵になっただけの女に、大局を見据えた冷徹な判断などできるものではない。

 ああ、まったく、バカ姉め。なぜ反乱などしでかしてしまったのだ。アレさえなければ、この席に座っていたのは私ではなく彼女のはずだったのに。ふざけるのも大概にして欲しい。

 

「南の民家が燃えています! どうやら、敵の浸透部隊が放火した模様!」

 

「は?」

 

 などと考えていたら、とんでもない報告が入ってきた。敵の……放火? 本陣にしている、この村で? はっ? どういうことだ?

 渡河は許したが、それは作戦の範囲内。当然、渡ってきた敵部隊を迎え撃つべく北岸の内側にも複数の防衛線を引いてある。今のところ、それらの防御陣が突破を許したなどという報告はない。にもかかわらず、どうしてこんな後方に敵が……。

 

「今すぐ消火だ! 敵も追い払え! 早く!」

 

 慌てまくって、私はそう叫んだ。農村の民家など、ほとんどが木造藁葺きの粗末な建物だ。放火などされた日には、連鎖的に大火災になってしまいかねない。そうなったらもう、のんびり指揮などしている場合ではなくなる。

 

「くそっ……! 将軍はなにをやってるんだ……」

 

 ギリギリと歯噛みしながら、小さくそうつぶやく。正面の敵だけでも厄介なのに、それに加えて化け物カマキリに謎の浸透部隊だ。この戦場は、はっきり言って私には荷が重い。業腹極まりないが、これをなんとかできるのは真ガムラン将軍だけだろう。策があるというのならさっさと発動してほしい。手遅れになっても知らんぞ。

 



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第626話 カワウソ選帝侯対王党派将軍(1)

 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは暇をしていた。先鋒のリースベン師団、そして側面からの攻撃をになうジェルマン師団は、現在激戦のまっただ中にあるという話しだった。

 しかし、私の指揮するエムズハーフェン旅団は敵の迂回攻撃を警戒して後方待機中だ。なすべき仕事といえば周辺警戒くらいで、あとは旅団指揮本部でじっと報告を聞いているくらいしかやることがない。

 

「リースベン師団より入電。我が師団の部隊の七割が渡河を完了。後方警戒、ますます厳とされたし。以上です」

 

「了解。……作戦は順調だな、今のところは」

 

 野戦電信機に張り付いた通信兵(リースベンからの派遣要員なので獣人ではなく竜人(ドラゴニュート)だ)に返事をしつつ、懐中時計を確認する。

 渡河ポイントの確保にはやや手間取ったソニアだったけれど、北岸に橋頭堡を確保した後の動きはスムーズだった。速やかに周囲の安全を確保し、後詰め部隊を進出させる。あとは相手の火力源を叩き潰し、遊撃隊に後方攪乱をやらせつつみるみるうちに橋頭堡の周囲を制圧していく……。

 さすがはあのアルベールの腹心だけあって、このあたりの手腕は見事と言うほかない。さすがに別働隊のジェルマン師団のほうはそこまで手際よく動けていないようだけど、敵の主力がリースベン師団にかかりきりになっているおかげか苦戦しているという連絡は入っていない。

 

「敵が仕掛けてくるとすれば、今のタイミングだろうね」

 

 火のついた葉巻を片手に蓮っ葉な口調で言うのは、いかにも歴戦の古兵という風情の狼獣人。そう、ミュリン伯イルメンガルド・フォン・ミュリンだ。アルベールに叩きのめされた縁で、今の彼女は私の配下として働いてくれている。

 娘や孫はともかく、この老婆自身はたいへんに有能だ。正統派の用兵術を修め、豊かな経験に裏打ちされた嗅覚ももっている。司令官としてはもちろん、参謀としてもぜひ欲しいタイプの人材だった。

 

「ガムラン軍は、兵力では我が方に劣っている。この状況で逆転を狙うとすれば、増援を得るか迂回作戦を用いてこちらの側面や後方を狙うのが常道。我らエムズハーフェン旅団の役割は大きいだろう」

 

 軍学の教師のような口調で、私はそう返した。もちろんイルメンガルドの婆さんにとっては、こんなことは指摘されるまでもないだろうけど。まあ、我がエムズハーフェン旅団はこの間の戦争でアルベールにボコボコにされた帝国諸侯の寄せ集めだからね。士気にも練度にもバラツキがあるから、せめて意識だけでも共有しておく必要がある。

 

「偵察でしたら、わたくしめにお任せを」

 

 即座に声を上げたのは、賢しらな態度が鼻につく若い諸侯ジークルーン伯爵だ。この女は我が旅団の中でもかなりやる気のあるほうで、こうした任務にも率先して参加をすることが多い。

 まあ、もちろんそれなりの打算があっての行動だろうけどね。たとえば手柄をたくさん上げてアルベール体制の中での足場固めを狙っているとか、あるいは全開の戦争でいいようにやられた八つ当たりとか、もしくはその両方とか。

 

「よろしい、卿に騎兵四百を預けよう。ネズミ一匹見逃さぬ気持ちで、しっかりと敵の動きを探るように」

 

 まあ、内心がどうあれやる気のあることは良いことよね。ひとまず、ジークルーン伯爵には領主騎士や遍歴騎士とその郎党たちで編成した寄せ集め部隊を投げておくことにする。こうした部隊ははっきり言ってやや扱いづらいから、できるだけ他人に投げておくようにしていた。

 

「ありがたき幸せ!」

 

 こちらのそんな思惑など気にもしてない様子でジークルーンは敬礼し、指揮本部の天幕から出て行った。……それから、三十分後。そのジークルーン伯爵から伝令が送られてくる。曰く、敵騎兵の大軍が、ドナ村北方の田園地帯を西に進撃中。我が部隊だけでは対処不能、増援寄越されたし。

 

「案の定来たわね」

 

 指揮卓の上に広げられた地図を睨みつつ、私は小さくうなった。報告にあったドナ村というのは、我々が布陣しているロアール川南岸の街道沿いにある小さな農村だった。つまり、敵はすでに川の手前側にいる。

 

「逆渡河を許したという報告は来てなかったね……伏兵かい」

 

「だろうな。地の利は向こうにある。どうせ、最初から南岸の森か何かに騎兵部隊を潜ませてあったのだろう」

 

 アルベール軍は豊富な鳥人兵を生かして盛んに飛行偵察を繰り返していたけれど、敵翼竜(ワイバーン)騎兵による邀撃などもあってガムラン軍の布陣状況のすべてを把握できていたわけではなかった。伏兵を仕込んでおくような余地は、おおいにあったことだろう。

 ひとまず得られた情報はすべて野戦電信でソニアのほうに送り、敵へどう対処するかの思案をする。アルベール軍の現在の総大将はソニアだけど、彼女はロアール川の突破にかかりきりだ。後方の警備は我々の仕事なのだから、能動的に働く必要がある。

 

「ドナ村から西へ向かっているということは、狙いはリースベン師団の背中だな。問題は敵の規模だが……」

 

 ジークルーン伯爵の報告では、くだんの騎兵隊は大軍という言葉で表現されていた。彼女に預けてあった兵力は決して小さいものではないから、それで対処不能なレベルとなると最低でも敵の規模は連隊級、千名以上か。

 うーん、微妙な雰囲気。リースベン師団は既に主力を北岸に渡らせているから、騎兵一千でもなかなかの脅威になる。もちろんこうした事態に対処するために私たちエムズハーフェン旅団がいるわけだけど、これの阻止のためにどれだけの戦力を動かすかという点がなかなかに悩ましかった。

 

「ガムラン軍の総兵力は、たしか二万程度だったねぇ。リースベン師団とジェルマン師団を同時に相手にしつつ、遊撃に振り分けられる戦力というと……多くても三千くらいが限度か」

 

 年は食っても頭の冴えは変わっていないイルメンガルドが、あっという間にソロバンを叩いてみせる。伏兵部隊の予想兵力は、最低でも三千か。陽動作戦を実行できる程度の余裕はある数ね。

 私が何を恐れているかといえば、ジークルーン伯爵の発見したこの部隊が単なる餌であるという可能性だった。これを撃滅しようと私が主力を動かした途端、別の場所から伏兵が出てきてこちらの脇腹や背中に短刀をブスリ……おおいにあり得そうなシチュエーションよね。

 

「敵の狙いが、ただたんにリースベン師団の背後を突くことだけであれば話は簡単なのだが。しかし、相手は知将と名高いガムラン将軍だ。どれだけ警戒してもし足りないということはあるまい」

 

 コホンと咳払いをして、私は旅団指揮本部に詰める貴族たちを見回した。その通りだと頷く者も居れば、小首をかしげている者も居る。エムズハーフェン旅団はしょせん寄り合い所帯だから、このあたりの意識や能力の差はたいへんに激しい。

 この明確な弱点を突かれてはたまったものではない。私は一瞬、頭の中で思考を巡らせた。ガムラン将軍の思惑は何だろうか? 今、手元にある情報だけではまだそれを推理するにはピースが足りない。ここは、勇み足は避けて敵の出方を見るべき盤面ね。

 

「リースベン師団を狙うとみせかけてジェルマン師団を襲う。あるいは、さらにこちらの防備を迂回して後方の補給拠点をねらう。そういった策を用いてくることも十分に考えられるだろう。そうした攻撃に対処するだけの戦力を残しておくとなると……ジークルーン伯爵に送ることができる増援は、一個連隊程度が限度であろうな」

 

「一個連隊……一千といったところですか。その程度の戦力では、ジークルーン伯爵が交戦中の敵部隊を撃滅するのは困難なように思えますが」

 

 いささか不満げな様子で、一人の諸侯が声を上げた。私の方針が戦力の逐次投入に見えたのだろう。たしかに、増援を出し惜しんで手痛い反撃を食らうのはバカのやることではあるだろう。

 ましてや、敵はあのガレア王軍だ。その装備や軍制はリースベン軍に準じており、敗軍の寄せ集めでしかない我らエムズハーフェン旅団を遙かに上回っている。同数か少しばかり上回る程度の兵力では、当然勝利は見込めない。敗北を避けるので精一杯だろう。

 けれども、私たちエムズハーフェン旅団の仕事はあくまで友軍の背後を守ることであって、敵を殲滅することではない。よっぽどの事態では無い限り、全軍を上げて攻撃するような真似は避けなくては。

 

「むろん、そんなことは承知している。この増援はあくまで偵察の延長だ。ジークルーン伯爵にはあくまで敵の進撃の阻止だけをやってもらい、その上で敵の出方を見る。いわば、大規模な威力偵察のようなものだ」

 

 その言葉を口にしてから、あの伯爵にそこまで繊細な作戦を実行する器量があるだろうか? と嫌な考えが頭をよぎった。手柄を焦った新興貴族が、無茶な戦い方をして無意味に敗れることなんてよくあることだからね。

 ……でも、大丈夫。たしかにジークルーンは一見無鉄砲そうに思えるけど、あのアルベールと直接戦って生き残った女だもの。ジークルーンが愚かな将校であったのなら、今頃彼女はミュリン領の戦野で屍をさらしているはずよ。

 

「ジークルーン伯爵には負担をかけるが、致し方あるまい。殴りかかろうと大きく腕を振りかぶり、その隙に足をすくわれてはたまったものではないからな。諸君らも、軽挙妄動は絶対に避けるように」

 

 念押しするような口調で言いながら、私は再び周囲の者たちを見回した。こいつらがどこぞの野蛮人みたいに好き勝手暴れ始めたら、絶対にガムラン将軍には勝てない。二度目の敗北を避けるためならば、嫌われ役でもなんでもなってやろうじゃないの。

 

「まずはガムラン将軍のお手並み拝見といこうではないか。ガレア王軍屈指の知将の実力、実に楽しみだな」

 

 冷や汗の滲む手を握りしめながら、自信満々のセリフを吐く。その言葉と裏腹に、私の心には硬い緊張が満ちていた。

 



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第627話 カワウソ選帝侯対王党派将軍(2)

 ロアール川南岸に現れた敵騎兵集団に対し、我々エムズハーフェン旅団はひとまず様子見に回ることにした。発見済みの敵部隊の対処はジークルーン伯爵に任せ、本隊は待機状態を維持する。

 とはいえ、もちろんジークルーン伯爵を見殺しにするような真似はしない。彼女には一個連隊一千名(通常の連隊の定数よりやや少ないが、これは前回の戦争で受けた損耗のせいだ)を送り、この戦力を持って相手の出方を観察するように命じておいた。

 この増援により、ジークルーン伯爵の手元には千七百もの兵力が集まったことになる。しかも、これは雑兵によって水増しされたものではない。なにしろ、我がエムズハーフェン旅団に参加している将兵のほとんどは騎士階級なのである。

 幼い頃から武技や馬術の鍛錬に励んできた彼女らの練度は極めて高く、おまけに装備の質も大変に良い。平民出身の雑兵どもが相手であれば二倍の敵部隊をも容易に打ち破ることができるだろう。

 しかし、それはあくまで剣や弓を用いた戦争の話である。敵がリースベン式の軍隊ならば、倍数どころか半数でも厳しい。それが私の正直な思いだった。そういう面では、ジークルーン伯爵の手元にある千七百という戦力は、いささか不足というほかないだろう。

 

「ジークルーン伯爵閣下のもとよりご報告にあがりました! 現在、伯爵は敵部隊の進行方向に布陣、その進撃を阻止すべく防御作戦を展開しております」

 

 ハラハラしながら戦況を見守っていた私の元に、ジークルーン伯爵からの伝令がやってくる。

 

「敵方の戦力は、騎兵が約一千。数こそ少ないものの、カービン騎兵や騎兵砲兵などを同伴させた極めて有力な部隊のようです。現有の戦力では、現状維持が限界であると閣下はおっしゃられています」

 

「現状維持、か」

 

 その報告に、私は小さくため息を吐いた。騎兵砲兵、聞きたくない言葉だ。これは騎兵隊に同伴できるよう特別に編成された砲兵であり、軍馬の全力疾走にも耐えられる軽量で強固な砲車を備えた野戦砲を装備している。その展開速度は、一般的な野戦砲兵などとは比べものにならない。

 それに加えてカービン騎兵、すなわちライフル騎兵まで配備しているとなれば、ジークルーン伯爵が戦っている部隊はリースベン式の軍隊をそのまま全て騎兵化した機動部隊という認識で間違っていないだろう。つまり、超精鋭というわけだ。

 

「懸念が的中したな。どうやら、くだんの騎兵集団は陽動部隊のようだ」

 

 そんな難敵を相手に、ジークルーン伯爵は騎士階級とはいえ旧式兵科しかいない部隊で拮抗状態に持ち込めている。もちろん千七百対一千という兵力の差は勘案しなければならないけれど、新兵科の戦闘力を考えれば七百程度の劣勢なら簡単に覆せてしまうだろう。これはいささか不可解な状況だ。

 この疑問を論理的に説明しようと思えば、敵の目的がそもそも突破や我々の撃滅ではないと判断するほかない。我々の注目を自分たちに集め、その間に本命の攻撃を繰り出す。わかりやすくはあるけれど、なかなか厄介な作戦ね。

 

「伯爵に防御を徹底するように伝えろ。じき、敵の本隊が動き出す。そうなれば、別働隊のほうも本格的な攻勢を開始することだろう。なかなか難しいいくさになるぞ」

 言外に増援を出せないことを伝え、伝令を指揮本部から追い出す。ここからはずいぶんと忙しくなるだろう。私は指揮卓の上で放置されていた冷え切った豆茶を飲み干し、席から立ち上がった。

 

「諸君、馬の用意をしておけ。騎馬戦が始まるぞ」

 

 おそらく、ガムラン軍は騎兵戦力のほとんどをロアーヌ川南岸に伏せているはずだ。その中で発見済みの部隊は、わずか一千のみ。少なくともあと一千、多ければその二倍から三倍の騎兵が、まだどこかに隠れているものと思われる。この連中が次にどこへ攻撃を仕掛けるのかは、まだ判然としない。

 しかし、我々エムズハーフェン旅団は人員のほぼ全てが騎士階級で構成された特殊な部隊。火力はさておき、機動力の面では敵に負けていない。ガムラン将軍の矛先がどこへ向けられようとも、即座に駆けつける自信はあった。

 

「鉄砲や大砲の扱いで劣るのは仕方が無いが、馬の扱いで遅れをとるのはオルト騎士の名折れであるぞ。奮起せよ、諸君!」

 

 幸いにも、このあたりの地域は何処までも田畑の広がる平原地帯だ。騎兵にとっては、もっとも真価を発揮できる土地と言ってもいい。火器の有無の差は大きいが、騎馬戦勝負であれば火力だけで決着がつくわけではない。せいぜい、頑張ってみることにしましょうか。ソニアの添え物みたいな立場のまま戦争を終えるのも業腹だしね。

 

鷲獅子(グリフォン)隊より報告! 東の森より騎兵集団が出現、南進中とのこと! 規模はジークルーン伯爵様が交戦している部隊の倍近い数のようです!」

 

 そんな報告が入ったのは、私が兜をかぶり愛馬の蔵へ跨がった直後だった。周囲の騎士たちもすっかり出陣の用意を調え、合図があればいつでも進軍へと移ることができる体勢になっている。

 

「来たな」

 

 ジークルーン伯が相手にしている敵……仮称・A集団の規模は騎兵が一千。その二倍となると、新手の仮称・B集団は二千というところか。騎兵のみで編成された部隊としては、かなり大きい。

 二つの集団をあわせれば合計兵力は三千騎。事前の諜報と偵察により、ガムラン軍の保有する騎兵は四千にたりない程度だということが判明している。

 もちろん北岸の戦いでもある程度の騎兵は必要だろうから、この三千という数字は南岸に動員できる上限の兵力だろう。歩兵ならばもう少し投入できるだろうが、鈍足の兵科では背後の奇襲任務には甚だ不適格だ。もし苦し紛れに歩兵部隊を繰り出してきても、陽動程度の役割を演じるのがせいぜいだろう。つまり……この騎兵二千がガムラン軍の本命とみて間違いあるまい。

 

「西の森から南進中ということは……狙いはこちらの補給拠点でしょうな」

 

 馬に跨がったまま葉巻をくゆらせていたイルメンガルドの婆さんが、煙を吐き出しながら言った。外征のさなかにある我らの後方には、長大な補給線が引かれている。とうぜん、その道中にはいくつもの物資集積拠点が築かれていた。

 婆さんの言うとおり、敵の目的はこの補給拠点を一時的に占拠し物資輸送を一時的に遮断することにあるはずだ。なにしろ前線では大量の弾薬が消費されている。これの補充が届かなければ、我々……とくにリースベン師団の戦闘力は大きく減退してしまうだろう。

 

「なるほど、ガムラン将軍はチェックメイトをフランセット殿下に任せるおつもりか。なんともよく出来た臣ではないか」

 

 もちろん、補給を遮断されたからといって即座に我々が戦闘不能になるわけではない。しかし、ガムラン将軍は速攻など最初から考慮にいれていないのでしょうね。

 とにかく足止めと妨害に徹し、こちらが消耗したタイミングで後詰めの王太子軍にバトンを渡す。面白みのかけらもないくらいに堅実で、だからこそ効果的な作戦ね。知将と呼ばれるだけのことはある。

 

「ブロンダン卿に、ガムラン将軍。まったくガレアの将は優秀な者たちばかりだな。どう思う、諸君? 我らオルトの獣人騎士は、西のトカゲどもより劣っているというのだろうか」

 

「否! 断じて否!」

 

 狐獣人の騎士が、剣を掲げてそう叫んだ。他の騎士や諸侯も、手にした武器を振り回しながら「否である!」と大合唱した。ニヤリと笑い、私も剣を抜いてそれに答える。

 ここにいつ諸侯らは、リースベン軍に敗れてその軍門に降ったものたちだ。とうぜん、皆それなりのフラストレーションを抱えている。だからこそ、捲土重来の機会を与えてやれば燃え上がらずにはいられない。

 

「敵は、わずか三千騎の戦力で我らを突破できると慢心している! この増上慢、許しがたい! 傲慢なるガレア軍に懲罰を下してやろう。ゆくぞ!」

 

 剣を指揮杖のように振り回して叫ぶと、獣人貴族どもはそろって「応!」と合唱した。士気は十分! さあ、私の戦争を始めるとしましょうか……!

 



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第628話 カワウソ選帝侯対王党派将軍(3)

 オレアン領の大半は広大な農地に覆われている。古くからヴァロワ王家に仕えている重臣の所領だけあって、原生林のたぐいはほとんど残っていない。こうした拓けた土地は、騎兵にとってはまさに天国と言ってよい場所だった。

 石畳で舗装された街道を、私は騎兵集団を率いて疾走していた。蹄が路面を蹴る感触と、頬に当たる風。これが後ろに男の子を乗せた遠乗りだったのならば間違いなく最高の気分になれたでしょうけど、残念ながら今は戦時なのよね。いくら秋の騎行が爽快でも、目指す場所が地獄では気も晴れなかった。

 

「急げ急げ! 騎兵の本分は機動であるぞ!」

 

 蹄の音に負けないよう大声で檄を飛ばす。現在、私たちは南方に向けて急進撃するガムラン軍の突破を阻止すべく、エムズハーフェン旅団全軍で迎撃をはじめたところだった。

 鷲獅子(グリフォン)騎兵やリースベンから借りた鳥人兵の偵察により、敵の兵力は二千ほどであることが判明している。ジークルーン伯爵が交戦中の別働隊と合わせれば、合計三千。そしてそのすべてが騎兵だ。

 ガムラン軍の総兵力が二万足らずであることを思えば、三千というのは保有する騎兵戦力のほぼすべてと考えて良いでしょう。つまりこれこそが、ガムラン将軍の切り札というわけ。

 

「相手はリースベン式軍制を採用した精鋭騎兵部隊、しかもそれを率いるのは知将ガムラン! 小勢だからといって油断するな! 隙を見せればたやすく食い破られるぞ!」

 

 対する我がエムズハーフェン旅団は、総兵力六千強。そして騎兵主体の部隊であることは、こちらも同様……。額面だけ見れば、負けるほうがどうかしているレベルの戦力差よね。

 でも、敵はライフル装備のカービン騎兵やら、騎馬部隊に追従できる騎兵砲兵なんかを配備している。そういう相手に、私たちは従来の槍騎兵やサーベル騎兵で対抗しなくちゃいけないわけよ。前の戦争でリースベン軍にぼこぼこにやられたことを思えば、二倍程度の兵力では正直なところ不足を感じずにはいられなかった。

 

「クロスボウ兵を下馬させなさい! 射撃戦用意!」

 

 しばしの騎行のあと、小さな丘がいくつか連なった丘陵地にたどり着いた私は部下たちにそう命じた。騎兵ばかりの部隊とはいっても、常に乗馬状態を維持しなくてはならないという法はない。必要に応じて下馬と騎馬を切り替える、この柔軟性の高さが騎兵の魅力だった。

 とくに、私が展開を命じたクロスボウ騎兵などはむしろ下馬戦闘を本分とする兵科だ。なにしろ、馬上でクロスボウを射るのは困難だし、再装填にいたっては不可能と言っても過言ではない。騎馬の機動力を生かして展開し、戦闘自体は下馬状態で行う。そういう使い方をする部隊なのだ。

 

「ライフルにクロスボウで対抗するためには、上下差を生かすしかない。間違っても、平地でライフル兵と撃ち合ってはならんぞ」

 

 クロスボウ隊の指揮官には念押しをしておく。私がこの丘陵地帯に部隊を展開させたのは、ここならば敵を一方的に撃ち下ろす姿勢で戦闘を始められるからだった。新式軍が相手では射撃戦は圧倒的に不利だけど、だからといって射撃を完全に捨てて白兵にすべてを賭けるのは阿呆のやり方だからね。不利ならば不利なりの用兵をするまでよ。

 

鷲獅子(グリフォン)隊に予備をすべて投入するように命じろ。このいくさでは、間違っても敵に頭上を押さえられる事態は避けねばならない。たとえ鷲獅子(グリフォン)騎兵が全滅しようとも、上空を固守しつづけるのだ」

 

「はっ!」

 

「ミュリン伯! 敵主力をこの丘に誘引するぞ。手はずはわかっているな?」

 

「もちろんだよ」

 

 葉巻をくわえながら、イルメンガルドの婆さんが頷く。このあたりの地形は総じて平坦で、しかも相手は騎兵集団だ。有利な場所で陣を張っても、そのまま待機していたら敵はそのまま迂回をしてしまう。クロスボウ隊を生かした戦い方をするためには、一工夫が必要だった。

 

「よろしい。では、敵が所定の距離に接近し次第……」

 

 そこまでいったところで、上空から何かが落ちてきた。落下傘にくくりつけられた革製の筒……飛行兵が用いる通信筒だ。すぐに従者がそれをキャッチし、中身を確認する。

 

「第三鷲獅子(グリフォン)小隊より伝達! 敵主力の前衛が、街道脇の一本クルミを超えたそうです!」

 

 一本クルミというのは、地図に記載されている目印の一つだ。私たち(もと)帝国諸侯にとってはまったくの未知の土地であるこのオレアン領だけど、リースベンから提供された詳細な地図のおかげで綿密な迎撃計画を立てることが可能になっていた。

 ちなみに、地図の出所はオレアン公爵家の臣下出身のリースベン軍人という話だ。詳しい地図って典型的な軍機密なんだけど、それを持ち出せるような人がリースベンに寝返ったということだろうか? 思った以上にガタガタね、ガレア王国。

 

「もうそんな場所まで進出してきたか」

 

 私の頭の中では、敵はもっと手前にいるつもりだったんだけど。作戦が破綻するほどではないにしろ、ガムラン騎兵隊の動きは予想以上に速い。並みの将ではこれほど迅速に部隊は動かせない。ガムラン将軍の知将という前評判はどうやら真実であるようだ。

 

「致し方あるまい。少々早いが、進発しよう。右翼側は任せたぞ、ミュリン伯」

 

 本当ならば、ここで少し兵たちを休ませてやる予定だったんだけど……どうやら、そんな余裕はないみたいね。ため息をかみ殺しつつ、私はそう命令を出した。どっしりと構えていたら、敵に先手を取られてしまう。疾風の用兵には迅雷の用兵で応えるしかない。

 移動ばかりで気が滅入るけど、まあ仕方がないわね。騎馬戦ってそういうものだし。手にする得物が槍から銃に変わったところで、騎兵の一番の武器が足であることに変化はないでしょうね。まあ、我が部隊の主力武器は相変わらず槍だけど。

 

「あいあい、お任せあれってね。……一度ならず二度までもガレア軍に敗れたら、兵どもに負け癖がついちまうからね。老骨に鞭打って、せいぜい頑張らせてもらおうか」

 

 熟練の老狼騎士は、煙を吐き出しながらそう言った。その表情はひどくくたびれたものだったけど、目には強い闘志が籠もっている。この婆さんのこういうところ、結構好きね。私もこういう風に年を取りたいものだわ。……まあ、後継者不足で隠居の期を逸する部分までは真似したくないけど。

 

「貴殿の熟練の戦術を実戦で目に出来る幸運を極星に感謝しよう。では、さらば!」

 

 それだけ言って、私は部隊を再進発させた。ここからは、イルメンガルドの婆さんとは別行動になる。彼女には全軍の半分の部隊を任せてある。この二部隊でガムラン騎兵隊を挟み込み、クロスボウ隊で形成した殺し間に敵を誘導する作戦だった。

 しかし、この作戦はリスクも大きい。なにしろ、敵は兵士個人あたりの戦闘力はこちらに優越しているわけだからね。間違いなくガムラン軍は強行突破からの各個撃破を狙ってくることでしょう。……そこが狙い目ってわけ。

 

「ベッシュ女爵より伝令! 敵前衛の軽騎兵と遭遇、現在迎撃中とのことです!」

 

「来たな……!」

 

 それから三十分もしないうちに、私の元に交戦開始の報告が届けられた。やはり、ガムラン軍の行動は迅速だ。私はぐっと手綱を握りしめ、背中を這う嫌な寒気を態度に出さぬよう努めた。脳裏によみがえるのは、リースベン軍と剣を交えたリッペ市の戦いだ。あれと同じような敗北をもう一度喫すれば、エムズハーフェン家は終わりだ。是が非でも、この戦争には勝利する必要がある。

 

「敵はずいぶんと慌てているようだな……この心理に乗じぬ理由はない。まずは機先を制す!」

 

 馬の腹を蹴りながら、私は頭の中で作戦を再確認した。この作戦の最初の目標は、敵砲兵の無力化だ。この連中がまともに働き始めたら、射撃戦で拮抗するなど絶対に不可能になる。

 危険かつ困難な作戦だけど……一度はリースベン軍とも戦った私たちだ。その経験を生かせば、やってやれないことはない! 見てなさいよ、ガレアのトカゲども。獣人騎士の勇気と知略を身をもって教育してあげるわ……!

 



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第629話 カワウソ選帝侯対王党派将軍(4)

 クロスボウ隊とその護衛を丘陵地帯に配置した後、私は部隊の半分をイルメンガルドの婆さんに任せ、急進するガムラン軍騎兵隊に対する攻撃を開始した。

 二隊はそれぞれの持ち場で斜行陣を形成し、右翼・左翼で敵部隊を包み込むようなV型陣形を形成している。いわゆる鶴翼戦術というやつだ。いささか古典的な陣形ではあるけれど、それだけに使い勝手の良さは折り紙付きだった。

 

「兵力という点で、我が方は敵方に対し圧倒的優位にある。左右から同時攻撃を行い、両翼包囲を狙うのだ!」

 

 布陣完了の知らせを聞き、私は部下たちにそう訓示した。ガムラン軍はライフル式の小銃や大砲で武装しているが、どれだけ武器が進化しても側面や後方に回り込まれると厳しくなる点には変化がない。兵力優位を生かし、部隊を広く展開して敵の側面を攻撃するのが私の作戦の基本方針だった。

 

「これより第一次攻撃を開始する。信号弾でミュリン伯に合図を送り、一番槍の部隊を進発させよ!」

 

 木製の(たる)めいた外見の信号砲(リースベンから購入したものだ)から、ポンという気の抜ける音とともに赤色の照明弾が打ち上がる。リアルタイムで部隊間連絡が可能になるこの装備は、指揮官にとってはなかなかに革新的な存在だった。

 空中で赤々と輝く信号弾を見て、左翼に布陣したイルメンガルドの部隊が動き始める。それとほぼ同時に、我が方の先鋒も前進を開始した。とはいっても、動いているのはごく一部の部隊だけだ。さすがに、相手の出方もわからないうちに全軍に攻撃を命じるのはうかつだからね。まずはひと当てして、敵軍の反応を観察するのだ。

 

「見張り部隊より連絡! ガムラン軍騎兵隊は鋒矢(ほうし)陣形に移行しつつあり!」

 

「ほう」

 

 ガムラン軍は当初、移動用の縦列隊形をとっていた。このままではまともに戦えないから、戦闘陣形を取らせる必要があったわけだけど……どうやら、敵将は鋒矢(ほうし)、すなわち矢じり型の陣形を選択したようだった。騎兵の機動力を存分にいかせる、突破戦向きの戦術だ。

 

「わが軍がそう簡単に突破を許すとでも思ったか」

 

 愛馬の蔵の上で、私は不敵に笑った。我が方の戦列中央、つまりV字隊形の頂点部分にはクロスボウ隊を布陣させたくだんの丘陵地がある。騎兵とは言え、ここを突破するのは容易ではないだろう。

 警戒すべきは、むしろ両翼の戦列を食い破られることだ。敵が怪しい動きを見せれば即座に増援を投入できるよう、予備部隊の配置を見直しておく。

 

「敵前衛、目視圏内に入りました!」

 

 そうこうしているうちに、北の空で土煙が上がっているのが見えた。よくよく耳を澄ませば、無数の馬蹄が大地を蹴る万雷めいた音も聞こえてくる。敵が接近しつつあるのだった。

 

「敵は下馬しなかったか。騎馬戦になりそうだな」

「我が方の前衛部隊が、敵軍と交戦を開始した模様!」

 

 そんな報告を聞くまでもなく、戦いが始まっていることは明らかだった。銃声が聞こえてきたからだ。私の背中に、冷たい感触が走る。

 エムズハーフェンにおける戦いでは、リースベン軍はライフルを多用することなく戦った。だから、私はあの兵器の暴威を直接体験したことはない。けれども、ミュリン伯やジークルーン伯などから聞いた体験談は、私の小さな肝を震え上がらせるのには十分な恐ろしさを持っていた。そんな圧倒的暴力が、再び我々に牙を剥こうとしている。頭を抱えたくなるような現実だけど、逃避しても状況は改善しないのだからできることをやるしかない。

 

「遠眼鏡!」

 

 従者から望遠鏡を受け取り、目に当てる。いま私が待機している位置からならば、ぎりぎり前線を目視することが可能だった。繊細な用兵を必要とする作戦だけに、前線の動向には常に目を光らせておく必要がある。

 望遠鏡のレンズの向こうでは、オルト騎士とガレア騎士の戦いが始まっていた。とはいっても、まだ小競り合い程度だ。密集して前進する敵騎兵に対し、こちらの騎兵はその周囲をうろうろして様子見に徹している。敵側は時折発砲している模様だが、今のところ我が方に被害はでていないようだった。

 

「騎馬同士の戦いでは、ライフル小銃はそれほど恐ろしい兵器ではない……なるほど、ソニア殿の見識は正しかったようだ」

 

 前回と今回のいくさでもっとも違うことは、新時代の戦術に精通した人物からアドバイスを貰うことができるという点にあった。私はこの作戦が始まる直前、ガレア軍と戦うにあたって頭に入れておくべきことをソニアから聞き出していた。

 カービン騎兵の運用法も、その一つだ。カービン銃というのは騎兵用に銃身を切り詰めた短めの小銃であり、歩兵銃にはやや劣るとはいえ強力な射程と威力を併せ持っている。この兵器と騎兵の組み合わせは一見最強にみえるが、しかし実際にはそれなりの制約があるのだという。

 

「カービン騎兵は、基本的にクロスボウ騎兵の互換兵科である……か」

 

 視線を一瞬だけ、後方の射撃陣地へと向けた。あそこにいるクロスボウ騎兵と同様に、カービン騎兵は下馬戦闘を基本とする兵科なのだという。馬上から正確な狙いをつけるのは極めて困難だからだ。実際、敵側からの射撃は今のところ大した効果を発揮していない。

 もちろんこれには例外もあって、アルベールの近侍隊やヴァルマの騎兵隊(そういえばあの女、最近全く音沙汰がないんだけど何をやっているんだろうか)などは見事に馬上射撃をこなして見せる。けれどもこれは圧倒的な練度が必要な神業であって、一般兵にはとても真似ができないようだった。

 

「騎馬戦においては、奴らは煩い音の出る筒を持っているだけの単なる軽騎兵にすぎない! 槍騎兵で圧迫をかけてやれ!」

 

 私が号令を下すと、全身を甲冑で固めた重装騎兵たちが矢のような勢いで敵隊列へと急迫する。彼女らは長大な馬上槍を構え、僚騎と肩がふれあうほどの密集隊形を組んでいた。これこそ、数百年前から変わらぬ典型的な騎馬突撃のやり方だった。

 

「応報の時は来たれり! ガレアのトカゲどもに神罰を下す、とつげぇき!!」

 

 威勢のよい掛け声とともに、槍騎兵隊が敵へと突っ込んだ。もちろんガレア騎士たちもカービンで応射をするが、重装騎兵たちはみな例外なく魔装甲冑(エンチャントアーマー)を着込んでいる。銃弾の直撃を受けても、その槍の穂先がブレることはない。

 

「グワーッ!?」

 

 大柄な竜人(ドラゴニュート)たちが、次々と馬上槍に刺し貫かれて落馬する。そのさまをみて、私は思わずグッと拳を握りしめて「よぉし!」と快哉を叫んだ。

 この襲撃はあくまで様子見の小規模なものであり、与えた被害自体は大したものではない。けれども、突撃の成功を許してしまった以上、敵方も対応を迫られてしまうわけだ。実際、ガムラン軍騎兵隊の前進速度は目に見えて鈍りはじめ、末端の部隊の中には勝手に隊列を防御陣形へと転換しはじめているものもあった。とりあえず、牽制には成功したようね。

 

「前衛は速やかに撤収せよ! 深追いは厳禁だ!」

 

 その敵の様子を見て、私は即座に次なる命令を下した。初撃は成功したけれど、だからこそ追撃は狙わない。攻撃に本腰を入れすぎると、間違いなく手痛い反撃を招くからだ。作戦の第一段階はあくまで敵の進軍速度の鈍化とこちらに優位な地形への誘導を目的としている。欲張って無益な損害を受ける愚は避けなくちゃね。

 

「予想よりも動揺が少ないな。流石は音に聞くガレア騎士だ」

 

 実際、戦場ではすでにガムラン軍の逆襲が始まっていた。カービン騎兵たちは役立たずの小銃を背中に回し、かわりにピストルを抜いてこちらの騎士を攻撃し始める。

 ピストルは片手で扱えるぶん、馬上でも取り回しし易い。ガレア騎兵はこちらの兵に肉薄すると、拳銃をその乗騎に向けて発砲した。銃弾を受けた軍馬は痛みのあまり暴れまわり、鞍上の騎手を振り落としてしまう。こうなると、もうどうしようもない。落馬した騎士は手槍で突かれたり銃弾を打ち込まれたりしてあっという間に制圧されてしまった。

 

「ピストル騎兵隊を援護に回せ!」

 

 撤退の判断が早かったので、反撃でやられた味方はそれほど多くない。しかし、もし私が攻撃の続行を命じていれば受けていた被害は尋常なものではなかっただろう。やはり、ガムラン軍は強敵だ。まともにぶつかりあっても、勝ち目は薄い。勝利を掴むためにはもうひと工夫が必要だろう。私は次なる策を発動することにした。

 



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第630話 カワウソ選帝侯対王党派将軍(5)

 突破陣形を取るガムラン軍騎兵隊に対し、私は槍騎兵による襲撃を命じるた。敵の主力はライフルを装備しているが、よほどの精鋭でない限りは馬上からでは精密な射撃はできまい。そう判断してのことである。

 その予想は見事的中した。敵隊列に突入した我が方の槍騎兵は巧みにガムラン軍前衛部隊を食い破り、そして相手方が本格的な反撃に移る前に撤退したのである。このヒット&アウェイ戦法こそ、私の考案した対新兵科戦術なのである。

 もちろん、戦場全体を見回せば今回の攻撃で与えた損害など微々たるものだ。しかし、新式兵科が無敵の存在ではないと確認できただけでも大手柄だ。この小さな成功を戦術的な勝利につなげるべく、私は作戦を次の段階へと進めることにした。

 

「ピストル騎兵隊を援護に回せ!」

 

 敵の隊列から、複数の軽騎兵の集団が飛び出し撤収中のこちらの部隊の背後へと迫っている。撤退中の重槍騎兵部隊は我がエムズハーフェン軍の主戦力であり、余計な損耗は許容できない。追撃は絶対に阻止する必要があった。

 そこで私が投入したのが、編成したばかりの新兵科だった。胴鎧のみを装備した彼女らの腰には、ぴかぴかと光る新品の拳銃が収まったホルスターが装着されている。

 この部隊は、既存のサーベル軽騎兵隊をそのまま流用して再編成したピストル騎兵部隊だ。片手で扱える拳銃は騎兵との相性がよく、とくに騎馬同士の戦いにおいてはカービンを装備した兵よりも活躍する場合があるのだという。

 

「鉄砲がガレア王国だけの専売特許とは思うなよ……!」

 

 増援部隊はその軽快さを生かしておいかけっこをする両軍の部隊の間に割って入り、敵軍へ猛然と襲いかかった。とはいっても、もちろん遠い間合いで闇雲に発砲することはない。襲歩で相手に肉薄し、そして長槍がぎりぎり届くか届かないかくらいの間合いでやっと引き金を引くのだ。

 両者が交錯した瞬間、我が方と敵方の兵が同時に拳銃を抜いた。そして、一切の躊躇もなく相手方に銃口を向け引き金を引く。連続する発砲音と、黒色火薬特有の濃霧めいた白煙が戦場に満ちた。敵味方の区別なく、双方の騎士たちが次々と落馬し地面へと叩きつけられる。。

 

「まだだ! まだ足りん! トカゲどもを血祭りにあげろ!」

 

 味方側の前線指揮官が、そんなことを叫んでいる声が聞こえてくる。野蛮極まりない発言だけど、起きている事象はそれ以上に野蛮だった。落馬した騎士は敵味方の軍馬に踏みつけられまくり、悲鳴を上げながら絶命していく。ある意味、銃で撃ち抜かれるよりもよほど哀れな死に様かもしれない。

 けれども、まだ馬上に居るものたちには落馬した連中のことなど考えている余裕はないようだった。とにかくガムシャラに敵へと肉薄し、拳銃を撃ちまくり、そして弾切れになるとサーベルを抜いて白兵戦へと移行する。野良犬の喧嘩のような血みどろの戦いだ。

 

「素晴らしい! 大枚をはたいて新型拳銃を導入した甲斐がありましたな!」

 

 その情景を見て、私のそばに侍るカワウソ獣人貴族のひとりが快哉をさけんだ。今のところ両者の損耗は同程度といったところで、はっきり言って一方的な勝利とは言い難い。けれども、ディーゼル、ミュリン、そしてエムズハーフェンと三連続で大敗を喫した我ら帝国南部諸侯から見れば、互角の勝負に持ち込めただけでも十分な快事なのだった。

 やはり、あの投資は間違いではなかった。私は手綱を握りしめながら心のなかで呟いた。この戦争が始まる直前、私は大急ぎでリースベンからピストルを大量購入し、配下の騎士たちに貸与した。もちろん安い買い物ではなかったけれど、一方的な敗北なんてもう御免だったからね。一部だけでも、新式兵科に対抗できる部隊を作っておきたかったのよ。

 

「今だ、槍騎兵隊反転! 再攻撃!」

 

 軽騎兵同士の乱戦と化している戦場を見て、私は新たな命令を下した。敵の本隊は、すっかり進行速度が鈍っている。そして、砲兵による支援射撃はまだ始まっていない。

 騎馬部隊に同行できる機動力が売りの騎兵砲兵隊だけど、展開して砲列を敷いてしまえば身動きが取れなくなってしまうのは一般の砲兵と同じだ。敵が突破にこだわる限り、砲兵を投入するタイミングは難しい判断を迫られる。せいぜい迷えと、私はガムラン将軍に冷笑を送った。

 まあ何にせよ、今の状況では砲兵はそれほど怖くない。乱戦中ならなおさらだ。両軍のピストル騎兵らは、野良犬の喧嘩のような血みどろの近接戦を続けている。そこへ、反転した我が軍の槍騎兵隊が再突入してきた。

 

「ライフルが何だ! 拳銃が何だ! 古来より、騎士の武器は剣と槍と相場が決まっておる! 我が勇猛なる騎士たちよ、新しいもの好きどもに伝統の力を見せてやれ!」

 

「ウオオオオオッ!!」

 

 馬上槍の穂先を横一列に揃え、密集陣形を組んで突撃していく槍騎兵たち。眼の前の戦いに夢中になっていたガレア騎士たちは、それに対応できなかった。胴体を刺し貫かれ、何人もの竜人(ドラゴニュート)が地面に叩きつけられる。

 

「撤退、撤退!」

 

 見事な戦いぶりを見せた槍騎兵隊だったが、突撃を終えると即座に潮が引くように撤収していった。足の遅い重騎兵は、ピストル持ちの軽騎兵との乱戦に突入すれば大損害を被ってしまう。取れる戦術は、一撃離脱の他にはないのだ。

 

「敵本隊のカービン兵が、下馬を始めました!」

 

 二度目の騎馬突撃が成功裏に終わった直後、見張りがそんな報告を上げた。現在の戦いはあくまで前衛部隊同士の小競り合いであり、お互い本隊は温存している。そのガムラン軍側の主力が行動を開始したのだ。

 ガムラン軍騎兵隊の主力をなすカービン兵たちは、前進する足を完全に停止し愛馬から降りつつある。どうやら、敵は下馬戦闘を選択したようだ。

 

「馬上の戦いにおいては、新兵科と旧兵科の差はそれほど大きくない……リースベン式の用兵術の真髄が歩兵戦にあることは、向こう側もよく理解しているようだな」

 

 望遠鏡を覗きながら、私は自信にあふれた声でそう言った。敵の反撃がモタついているのは、主力のカービン兵が馬上戦闘に適していないからだ。この連中が下馬して対騎兵陣形を取れば、先程までのように騎兵突撃を主軸とした攻勢はうまくいかなくなるでしょう。つまり、ここからが合戦の本番というわけね。

 とはいえ、ガムラン軍主力部隊が下馬しはじめたことは、私達にとっては朗報なのよね。騎馬の機動力を捨てたということは、つまり強行突破を諦めたということだもの。これで、足止めという最初の目標は達成できたということになる。

 

「さあて、そろそろクロスボウ隊にも働いてもらおうではないか。黄色信号弾、発射!」

 

 もちろん、ここからはこちらも戦い方を変えていく必要がある。そのための布石もすでに打ってあった。ここからではよく見えないけれど、左翼に布陣しているミュリン部隊もなかなか頑張ってくれているようだ。左右から圧迫されたガムラン軍の陣形は、こちらの中央部に突出するような形になっている。ここまでは、まったくの予定通りだ。

 空に黄色い信号弾が打ち上がると、鋭い風切り音がいくつも聞こえてきた。鶴翼陣形の中央部、その丘陵地帯に陣を張ったクロスボウ兵たちが射撃を始めたのだ。弩弓特有の太短い矢が、急角度の放物線を描いてガムラン軍の頭上から降り注ぐ。

 

「グワーッ!?」

 

「くそ、あんなところに弩兵を伏せていたか!」

 

 小銃を装備した兵士は、一般的に盾は持ち歩かない。下馬したばかりのカービン兵はその身ひとつで矢玉の雨を浴びる羽目になった。もちろん騎兵ということもあり、連中のほとんどは甲冑を着込んでいる。射撃だけでは、なかなか致命傷は与えられない。しかし、行動を抑制する程度の効果はある。

 

「撃ち返せ! 対抗射撃だ!」

 

 この攻撃には、敵の射撃目標を分散させる効果もあった。こちらの軽騎兵隊に狙いを定めようとしていたカービン兵たちは、すぐさまその矛先を小うるさいクロスボウ兵のほうへと向けたのだ。射撃音が連続し、平地と丘との間で弾丸と矢が交錯する。

 普通に考えれば、クロスボウとライフルの撃ち合いでは前者が圧倒的に不利だ。けれども、今回の戦いにおいてはそうではない。なぜならこちらのクロスボウ兵は高所をとっており、更には前哨戦の間に個人用塹壕(アルベールいわく、これをタコツボと呼ぶらしい。……タコってあの悪魔の魚のこと?)を掘るように命じてあった。人ひとりがやっと隠れられるような小さな穴でも、やはり塹壕であることには違いはない。その防御力は折り紙付きだ。

 

「帝国の畜生どもめ、小賢しい真似を……!」

 

 こうなると、いかにライフルとはいえ不利は免れない。敵方のカービン兵がいかに頑張って撃ち返そうとも、こちらのクロスボウの射撃が弱くなることはなかった。降り注ぐ矢の雨を前に、ガムラン軍は立ち往生を余儀なくされる。

 

「……おや」

 

 ご満悦でその光景を眺めていた私の耳を、小銃の発砲音とは明らかに異なる重々しい爆音が叩いた。一瞬遅れて、クロスボウ兵の布陣する丘陵で爆発が起きる。すぐにピンと来た。敵砲兵が射撃を開始したのだ。

 

「おお、ガムラン将軍め! もう切り札を切らざるを得なくなったか!」

 

 幕僚の一人が得意満面で叫んだ。どうやら、敵軍は小銃射撃だけではクロスボウ部隊に対抗できないと見て、とうとう砲兵の投入を決意したようだった。それはつまり敵軍が本気を出したことを意味するわけだけど、私達にとってはむしろ吉兆だった。

 なにしろ、私達の目標は敵軍の南下の阻止だからね。展開に時間のかかる砲兵を投入した以上、敵軍はこれ以上の進撃は停止せざるを得なくなる。つまり、私達が健在である限りは後方補給拠点は安全だということだ。

 まあもちろん小銃兵と砲兵の組み合わせは強力だけど、この戦場に限って言えば無理に勝利を狙わなくとも負けないでいるだけで目標は達成できるからね。やりようはあるわ。まして、敵軍は野戦築城もせずに平地で生身を晒しているわけだし……。

 

「……ん?」

 

 そこまで考えて、私の脳裏に言いようのない違和感が生じた。むこうが砲兵という手札を切った時点で、こちらの作戦達成は半ば確定したようなものだ。敵は完全に悪手を選択してしまったように見える。でも、ガムラン将軍の用兵はこれまで一貫して的確だった。それが、こんな大切な盤面で判断を誤るなんてあり得るんだろうか……?

 

「これは、まさか」

 

 ここまでは、作戦通り。でも、あまりにも何もかもが順調に進みすぎている気がする……もしかして、手のひらの上で踊っているのは私たちのほうだったり……しない?

 



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第631話 王党派将軍の秘策

「なかなか手強いじゃないか」

 

 私、ザビーナ・ドゥ・ガムランはめまぐるしく変化していく戦場を眺めつつそうつぶやいた。私の率いる騎兵隊はすっかり衝力を失い、機動戦を諦めて下馬への移行を進めている。こちらの主力であるカービン騎兵は馬上での戦闘を苦手としているから、真っ向勝負が始まってしまえば馬から下りざるを得ないのである。

 一方、敵軍のほうはそれに付き合う様子はないようだ。彼女らはあくまで騎馬にこだわり、軽・重騎兵を織り交ぜた変幻自在の波状攻撃で我が軍を翻弄している。私もそれなりに長く戦場に出ているが、ここまで巧みに騎兵を扱う将と対戦したのは初めての経験かもしれない。

 

「敵将は、神聖帝国のツェツィーリア・フォン・エムズハーフェン選帝侯でしたか。名将・名君と名高い人物です。この合戦は、未来の軍学教本に載るやもしれませんな」

 

 副官が不敵な笑みとともにそんなことを言うものだから、私は思わず苦笑してしまった。なるほど……教本に載るような戦いか、これは。勘弁してくれ、というのが正直なところだ。

 

「それは参ったな。このままでは、私は新鋭部隊を持ちながら旧式軍に振り回された愚将として記録されてしまうかもしれないぞ」

 

 その言葉に、周囲の幕僚たちはそろって笑いをかみ殺した。ここに居るのは身内ばかりだから、あえて強気な発言をしてムリに士気を上げる必要は無い。自然体のまま指揮を取れるというのは素晴らしいことだな。

 

「勝ちに行くなら、あの丘を奪取しないことには話が始まりませんが。いかがします、将軍」

 

 参謀の一人が、正面に見える丘を指さして言った。平時であれば、馬のひと駆けで乗り越えられるような小さなものである。しかし、今そこにはエムズハーフェン旅団とやらのクロスボウ兵が陣取っており、こちらの前衛に猛烈な射撃を加えていた。

 遠距離からの射撃ということもあり、今のところこの攻撃では大きな被害は出ていない。しかしやはり頭上から矢が降り注ぎ続けている状況では動きにくいこと甚だしく、あれをなんとかしないことには反撃に移るのは困難だろう。

 

「簡易的とはいえ塹壕陣地を突破するのは勘弁願いたいな。迂回できれば楽だったのだが」

 

 むろん、こちらも一方的に撃たれるばかりではない。小銃や騎兵砲を用い、対抗射撃を仕掛けていた。しかし今のところ、丘から飛んでくる矢の数が減る様子はなかった。敵方は個人用の小さな塹壕を掘っており、小銃どころか大砲を撃ち込んでも大した効果がでないのである。

 こういった硬い陣地に正面から攻撃をしかけるのは愚の骨頂だ。本来であれば迂回して、側面や後方から攻撃するのが定石だろう。しかし、そうは問屋が卸さない。敵軍はこちらが迂回の姿勢を見せるやいなや、即座に重騎兵による襲撃を仕掛けてそれを阻止しようとしてくるのだ。

 反撃の芽を的確に潰していくその手腕は見事というほかなく、我が軍は防戦一方の状況に追い込まれつつある。敵将エムズハーフェン候は素晴らしい戦術眼をお持ちのようだ。

 

「致し方あるまい、ここは教科書通りの戦い方で行こう。砲兵の火力を盾に、歩兵による肉薄攻撃で仕留めるのだ」

 

 アルベール・ブロンダンの書いた教科書に沿って、アルベールの名を冠する軍隊と戦う。その皮肉に頬を歪めながら、私は大きな声で命令を下した。

 確かにこの盤面では他に取れる手はないが、そもそも騎兵隊が機動力を失って火力戦を始めてしまった時点で戦術的にはこちらの敗北に等しい。騎兵というのは、とにかく動き回ってこその兵科なのだ。

 だいたい、我が軍は兵力の面で敵に劣っているのである。こういう時には、機動力を生かして各個撃破を狙うのが正道なのだ。にもかかわらず、機動戦をやっているのは向こうの方なのだから笑えてくる。ザビーナに愚将ポイント二千点! という感じだな。このような戦譜が後世に記録された日には、ガムラン家の末裔たちはさぞ肩身の狭い思いをすることだろう。

 

「前進前進また前進、だ。歩くことこそ歩兵の本分であるぞ」

 

 まあ彼女らは歩兵ではなく騎兵なのだがね、ははは。しかし、とにもかくにも今はやれることをやるだけだ。私は配下の部隊に複列横隊を組ませ、砲兵火力を背にゆっくりと敵陣を圧迫していった。

 この横隊は大隊単位で固めており、お互いの側面を援護しあえるように配置している。このような機動性の低い陣形を選択した理由は、もちろん騎兵による側撃を防ぐためだ。旧式呼ばわりされるようになっても、やはり槍騎兵の突撃は脅威だからな。つけいる隙は極力減らさねばならない。

 

「敵の圧力が減りましたな」

 

 こちらの前衛部隊が丘への接近を試みる中、副官がボソリとつぶやいた。たしかに、緒戦に比べると明らかに敵の攻撃頻度が下がっている。クロスボウ隊は元気に矢を放っているが、主力のはずの槍騎兵はこちらの射程間際でうろうろするばかりで襲撃はしかけてこない。軽騎兵にいたっては、ほとんど姿が見えないような有様だった。

 

「ふーむ……エムズハーフェン侯め、随分と勘がいいじゃないか」

 

 顎をなでながら、私は小さくつぶやいた。なぜ突然、敵の動きが不活発になったのか。その理由はもちろん察しがついている。エムズハーフェン侯は、我々の部隊が陽動であることに気付いたのだ。

 軽騎兵が姿を消したのが、その何よりの証だ。おそらく、エムズハーフェン侯は軽騎兵たちを前線から引き抜き、周囲の捜索に当てている。我々の”本当の本命”を探しているのだ。

 ……そう、我々の役割は陽動だ。騎兵部隊たるエムズハーフェン旅団を誘引し、拘束できた時点でその目的の九割は達している。だからこそ、私は機動力を投げ捨て下馬戦闘を始めたのである。

 

「そうそうに騎馬戦を諦めたのは、すこし露骨すぎたかな」

 

「それにしても察しが良すぎます。敵将の戦略眼は尋常ではありませんな」

 

「違いない。まったく、敵ばかり優秀で困ってしまうな」

 

 ソニア・スオラハティだけでも厄介だというのに、敵には他にも優れた将を大勢抱えている。対して、私の手元にいる有力な将はやる気の無いオレアン公くらいだ。兵力のみならず人材面でも遅れをとるとは、まったく嫌ないくさだな。正直、わたしもあちらの陣営で戦いたいくらいだよ。

 

「もっとも、そのエムズハーフェン侯の判断はいささか遅きに失したがね。……我々を本命と誤認した時点で、もう手遅れなのだよ」

 

 ニヤリと笑って、そう呟く。戦いが始まった時点で、私はもう手を打っていた。いかに敵が優秀であっても、もうここから立て直すのは物理的に不可能だろう。何しろ、私の放った矢は既に彼女らの手の届く範囲には無いのだ。

 実際のところ、この陽動もあくまで念のために行っていることに過ぎない。いかに騎兵とは言え、瞬間移動はできないからね。怖いのは、事を終えた本命部隊の退路を塞がれることだ。ただでさえ不利ないくさなのだから、精鋭の損耗は極力避けねばならない。

 

「伝令! 伝令!」

 

 馬に乗ったガレア兵が、本陣へと駆け込んできた。その声には尋常ではない喜色が滲んでいる。ああ、どうやら策は上手くいったようだな。

 

「遊撃隊より伝書鳩が到着いたしました! 我、ソラン砦・北側山道の爆破に成功せり! 以上です!」

 

「うむ、ご苦労」

 

 このオレアン領から遙か南方にあるソラン山地は、ガレア王国の中部と南部を隔てる自然の要害だ。南部を根拠地とするアルベール軍の補給ルートは、このソラン山地を貫通する聖ドミニク街道に依存している。……私の放った矢は、そのアルベール軍最大の弱点を射貫いたのだ。

 容易な作戦では無かった。こうした任務は本来ならば騎兵が適役だが、騎兵部隊は大量の物資を消費するし馬糞などの痕跡も残してしまう。大量の飛行戦力を保持するアルベール軍であれば、これを捕捉撃滅することは極めて容易だろう。実際、いま私が指揮をしている騎兵部隊も、出陣後即座にエムズハーフェン軍の迎撃をうけている。

 だから私は、この任務を精鋭の歩兵部隊に任せた。隠密を前提とする作戦であるから、その戦力は数百名、つまり一個大隊。さらに、機動力と隠密性を優先して補給部隊は同行させていない。携行する食料弾薬は個々の兵士が背嚢に背負えるぶんだけだ。食料に関しては、撤退の際にあちこちに秘匿物資を埋めておいたのでそれでまかなう計算だった。

 もちろん、たかが一個大隊でアルベール軍の最重要拠点を制圧するのは不可能だ。しかし、一時的に閉塞することはできる。なにしろソラン山地の山道は断崖絶壁に挟まれており、ここを爆破すれば容易に崖崩れを起こすことができるからだ。……幸いにも、敵が運んでいる軍需物資には大量の弾薬が含まれている。ここから必要分を拝借すれば、わざわざ爆破用の爆薬を持って行く必要もない。

 

「――チェックメイトだ、アルベール軍の諸君。この合戦、我々の勝利だ」

 

 まあ、勝ちとはいっても撃滅は無理だから、決戦は次回に持ち越しだがね。とはいえ、今は多少でも時間を稼げれば十分だ……。

 

 



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第632話 盗撮魔副官の決断

 わたし、ソニア・ブロンダンは高揚していた。ガムラン軍司令本部が後方に撤退したとの報告を受けたからだ。渡河後の作戦は、たいへん好調な経過をたどっている。

 リースベン・ジェルマン両師団から挟撃をうけ、ガムラン軍の防衛線は後退し続けていた。それに加え。こちらの不正規戦(エルフ)部隊が敵の後方に侵入してあらゆる場所に火を放ち始めたのだから、敵にとっては泣きっ面に蜂だ。

 背後から上がる幾重もの煙は、前線のガムラン軍将兵の士気をヤスリにかけたようにそぎ落としていった。これに加え本陣後退の報が前線将兵の間に出回れば、もはやガムラン軍の士気崩壊は時間の問題かと思われた。

 不安要素と言えば、後方に出現した騎兵集団くらいだが……これも、エムズハーフェン旅団が上手く抑えてくれているようだ。まあ、ツェツィーリアは厄介な女だが、その用兵の腕前は間違いなく本物だ。後方戦線は彼女に任せておけば何の問題もなかろう。

 

「ガムラン将軍と副将のオレアン公の身柄を確保できなかったのは残念だが……ふふん、まあそこまで求めるのはさすがに贅沢だ。本部を後退させただけでも大金星だ」

 

 ガムラン軍指揮本部の襲撃に成功したエルフ部隊では会ったが、残念ながら殲滅までは持ち込めなかった。これはエルフ部隊の不手際ではない。

 そもそもエルフ部隊は隠密性を重視して数十名程度の少人数で編成されている。このような戦力で、近衛に守られた主将を斬首するのは極めて困難だろう。彼女らの役割は、あくまで攪乱と破壊工作なのだ。

 

「少数の精鋭部隊を敵後方に浸透させ、攪乱攻撃を仕掛ける……我ながら悪くない作戦だ。まあ、しょせんはアル様の猿真似ではあるが」

 

 結局のところ、わたしなどアル様の代理に過ぎぬ。そんな自嘲をしつつも、わたしは確かな手応えを感じていた。猿真似でもいい、肝心なのは成果だ。このいくさに勝てば、わたしは大手を振ってアル様を迎えに行くことが出来る。

 

「指揮本部の撤退により、ガムラン軍の前線には深刻な混乱が広がりつつある。この機に乗じ、全線戦で全面攻勢に出るぞ!」

 

 最後の一押しをすべく、わたしが号令をかけた瞬間であった。バサバサと大きな翼音が聞こえ、わたしは後ろを振り返った。本陣の後方には、翼竜(ワイバーン)や鳥人などが発着するための場所を確保している。見れば、そこに一頭の翼竜(ワイバーン)が着陸しているところだった。

 はて、どこかの偵察騎だろうか。いや、偵察の結果を報告するだけなら、上空から通信筒を投下するだけでいいはず。では、一体どのような用件なのか……。

 そんなことを考えているうちに、着陸を終えた翼竜(ワイバーン)から騎手が飛び降り、泡を食った様子でこちらに駆け寄ってくるのが見えた。その態度に、わたしは言いようのない不安を覚える。これは、どう見ても朗報を持ってきたような顔ではない。

 

「陣中に失礼いたします! ソラン砦警備隊・哨戒飛行隊のバイヤール少尉であります! ソラン砦より火急の報告があり、参上いたしました!」

 

 固い声で挨拶を終えた彼女は、わたしに書状を手渡してくる。差出人は、とうぜんながらソラン砦警備隊の司令官だった。なんらかの報告書のようだ。

 こういう場合、まずは伝令が報告の概要を口頭で説明するのが一般的なのだが……それをやらないあたり、よほどの悪い報告と見える。わたしは口を一文字に結び、書状の封を乱暴に破いた。

 

「………………」

 

 そこに書かれていたのは、ソラン砦北部の山道が爆破されたというあまりにもあんまりな報告だった。覚悟はしていたというのに、 危うく膝から崩れ落ちそうになる。総司令官としての意地と見栄がなければ、わたしは間違いなくその場に突っ伏していたことだろう。

 

「…………この報告は、真なのか」

 

「はい、残念ながら……」

 

 伝令としてやってきた翼竜(ワイバーン)騎兵の顔色は、青を通り越して土気色になっている。顔色の悪さは急報を迅速に届けるために無理をしたせいばかりではないだろう。ソラン山地を貫通する聖ドミニク街道は、我が軍の兵站を支える大動脈だ。それが攻撃を受けたわけだから、事態は深刻どころの話ではない。

 

「完全なる奇襲でありました。敵勢は、わずか数百。せいぜい一個大隊程度の兵力でしかありませんでしたが……防御の間隙を一突きされ、このような事態に。まこと、申し開きのしようもございません……!」

 

 苦渋に満ちた表情で拳を握りしめる伝令。それに対し、わたしは歯をギリリと鳴らすことしかできなかった。

 なぜ、そんな規模の敵が遙か後方に突然現れるのだ。空でも地上でも、しっかり哨戒は行っていたはずだぞ。警備担当の誰かがサボったり、あるいは買収されでもしたか……?

 報告によれば、奇襲を受けた防衛隊は偶然(・・)居合わせたエルフの自称義勇兵団(もちろんわたしはそんな連中をソラン砦に配置した記憶などない)と協力して奇襲に対処したものの、王軍側の損害を度外視した猛攻(報告書では、まさに死兵であったと評されている)の前に後退。エルフ義勇兵の力も借りてなんとか押し返したものの、その間に街道の爆破を許してしまったらしい。……敵は倒せたとは言え、街道の閉塞を許してしまった以上これは完全な戦略的敗北だ。

 とにかく可及的速やかに補給線の再構築をせねばならないのだが、どうやら街道の復旧には少なくとも半月はかかるようだ。我が軍の補給の八割はあの街道に依存しているというのに、それが半月にもわたってそれが使用不能になるなど悪夢以外の何物でもなかった。

 

「……なるほど、状況は理解した。後ほど、詳しく事情を聞かせてもらおう。それまで、卿はいったん下がって体を休めておくように」

 

 正直に言えば、なぜこんな醜態をさらしたんだと伝令を叱責したい気分であった。しかし、いち翼竜(ワイバーン)騎兵でしかない彼女にそんなことを言っても八つ当たりにしかならない。そもそも、部下を責める前に自分の用兵を恥じるのが正しい司令官の姿というものだろう。

 

「……」

 

 わたしは無言で参謀一同に報告書を手渡し、回し読みするように促した。それを目にした者は例外なく顔色を悪くし、天を仰いで極星に呪いの言葉を吐く。今回もたらされた報告は、それほどまでに悪いものなのだ。戦勝気分など、すっかり吹き飛んでしまった。

 

「どう思う、諸君。作戦の全面的な見直しが必要な事態だぞ、これは」

 

 しばしの間、我が軍への補給が滞ることは確定的なのだ。今さら四の五の言ってもどうしようもないから、今後の方針を話し合うことにする。反省は、現状を解決してから行えば良いのだ。今はそんなことにリソースを割いている余裕などない。

 

「作戦は継続するべきです! 今後のことはさておき、目の前のガムラン軍は間違いなく壊走寸前なのですよ! 今後の見通しが立たぬからこそ、今ここで連中を叩いておかねば!」

 

「既に我が軍は弾薬の七割を使い果たしているのだぞ! ここから攻勢を開始すれば、いよいよ弾薬の備蓄が尽きてしまう! 銃剣と槍だけで、無傷の王太子軍と戦うつもりか! ここは撤退一択だ!」

 

 案の定、会議の席は阿鼻叫喚の様相を呈した。誰もが半ば恐慌に陥りつつあった。確かに、主戦派の言うとおりこのまま作戦を継続すればガムラン軍を倒すところまでは行けるだろう。しかしそれをやれば、間違いなく我が軍は弾薬を使い果たしてしまう。これはたいへん不味い事態だ。

 なにしろ、敵はガムラン軍ばかりではない。その後方には、先の戦いの傷がすっかり癒えた王太子軍二万以上が控えているのだ。弾切れの状態で王太子軍と戦うのは、ムチャを通り越して無謀な所業のように思えた。

 しかし、撤退案は撤退案で問題がある。我が軍は既に渡河を終えており、主力部隊のほとんどは北岸に布陣している。ここから再び渡河をして南岸まで下がるのは、正直に言ってとても危険だ。それに、ここまで来て撤退せねばならないとなると、現場の将兵の士気に与える悪影響も尋常ではないだろう……。

 

「……」

 

 頭の中で、長期戦と短期決戦という二つの案がぐるぐると回る。どちらを選んでも、リスクは大きいように思えた。こういうとき、アル様ならばどのような結論を出すだろうか。アル様は、積極的な行動を好むお方だ。まずはガムラン軍を殲滅し、その後で王太子軍をなんとかする案を考え出すのでは無いか……。

 

「…………致し方あるまい、撤退だ! いったん南岸まで下がり、そこで防御態勢を敷き直すぞ!」

 

しかし、わたしは攻勢の継続を選ばなかった。アル様は、確かに攻撃的な用兵を得意とするお方だ。しかし、必要とあればえんえんと防戦を続け、好機を得ると即座に攻勢に移るのが本来のアル様の用兵術なのだ。間違っても、攻めるべきではないタイミングで前に出続けるようなお方ではない。

 今回の場合、このまま攻撃を続けてもあっというまに息切れしてしまうことがわかりきっている。いったん守勢に移り、補給ルートの再構築が終わってから攻撃を再開したほうが良いだろう。

 それに、後退すれば本隊に同行しているアリンコ工兵隊を山道の復旧に当てることもできるようになる。土木工事となればあの連中は百人力だ。素人をむやみの投入するよりもよほど迅速に工事を終わらせてくれるだろう。

 むろん、この策に欠点はある。そもそも遠征軍を守勢に用いること事態が悪手でしかないのだ。とはいえ、だからといって焦って無理攻めをするわけにもいかない。なにしろ相手はあの知将ガムランだ。無謀な反撃を開始したところで、軽くいなされてしまうのは目に見えている。

 

「なに、安心しろ。このような事態に備えた策は既に用意してある」

 

 ソラン砦が狙われるのは予想外だったが、今回の作戦が頓挫する可能性については考慮していた。良い指揮官というものは、必ず最悪に備えているものだからな。これもまた、アル様の教えだ。アル様の一番の側近を自認するわたしが、それを忘れるはずがないのだ。

 

「まずはネェルを呼び戻せ! 彼女にもう一働きしてもらう必要がある」

 

 不本意ながら、わたしは仕切り直しの準備を始めることにした。切りたくない札を切ることになるが、こればかりは致し方ないだろう。大きく深呼吸をしてから、わたしは頭の中から余計な雑念を追い出した。

 



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第633話 盗撮魔副官の奥の手

  ソラン山地の聖ドミニク街道が閉塞されたことにより、今までの作戦計画が完全に頓挫することは確定的になった。新式兵科は強力無比ではあるが、その代わりに物資……とくに弾薬の消耗速度は尋常なものではないのだ。補給がひとたび補給が断絶すれば、新兵科の利点はそのまま欠点へと変化する。

 今の手持ちの弾薬では、ガムラン軍との戦いはなんとかなってもその後ろに控えている王太子軍を仕留めるのは不可能だ。わたしは断腸の思いで撤退を決断し、ロアール川南岸まで退いて補給線の再構築に努めることにした。苦労した渡河作戦がまったくの徒労になってしまうことになるが、川を背に防衛戦をするなど悪夢以外のなにものでもない。仕方の無い判断だった。

 しかし、考えれば考えるほどガムラン将軍の手管は凄まじい。わたしとて補給線、とくにその一番の弱点であるソラン山地の山道の警備にはしっかりと注力しているつもりだった。にもかかわらず、この体たらく。まったく、敵ながら惚れ惚れする一手である。

 とはいえ、わたしとしてもこのままガムラン将軍の完全試合を許してやるつもりはなかった。撤退は致し方ないにしても、次の戦いに勝利するための布石は打っておかねばならない。そこで、わたしは再びネェルの力を借りることにした。

 

「すまない、ネェル。少しばかり厄介なことになった」

 

 やってきたカマキリ娘に対し、わたしは挨拶も省略していきなり本題に入った。これから我々は、ガムラン軍の逆襲を防ぎつつロアール側南岸へと戻らねばならない。とうぜんガムラン将軍は反撃のための策を用意してあるだろうから、この撤退作戦はかなりの難儀を強いられるだろう。どうでもいい社交辞令のために時間を浪費する贅沢は、今のわたしには許されないのだった。

 

「……なにか、良くないことが、起きましたか」

 

「ああ、ガムラン将軍は思った以上の用兵巧者だった。残念ながら、今回の作戦は失敗だ」

 

 まだ司令本部の人間以外には誰にも知らせていないソラン砦の窮地を、わたしはネェルに対して洗いざらい話した。

 これがただの兵士であれば都合の悪い情報は隠しておくことも多いのだが、彼女は戦略的な影響力すら持っているアルベール軍の切り札であり、さらにはわたしの大切な腹心でもある。状況に応じて適切な判断を下してもらうためにも、情報に関しては極力正確に伝えるようにしている。

 

「……そういうわけで、我々はいったん南岸へ退くことにした。屈辱の極みだが、ここは猪突猛進しても上手くいく盤面ではない」

 

「そうですか」

 

 ネェルの返答はごく簡潔なものだったが、よくよく見れば彼女は下唇を噛んでいる。アル様が捕らわれている王都を前にしての後退だ。彼女の感じている悔しさは、わたしにもよく理解できた。

 

「ネェルを、呼んだのは、撤退の、支援の、ためですか」

 

 こういうとき、彼女は余計な事を言ったりやったりすることは決してない。ただ、自らの役割を果たすことを第一に行動してくれる。この誠実で真摯な性格は、間違いなくネェルの美点の最たるものであろう。しかし友としては、たまにはもっと我を出しても良いのでは無いかと思うときもある。まさに、今がそうだった。

 

「いや……違う。ネェルも、もっとほかにやりたい仕事があるだろう?」

 

 そういうと、ネェルのつぶらな瞳がくわっと見開かれた。よく見れば、小さな触覚もぴこぴこと激しく動いている。

 

「……もしや?」

 

「ああ。アル様救出作戦を、前倒して実行する」

 

 決意を込めて、わたしはそう宣言した。確かに、これから始まる撤退作戦は容易なものではないだろう。正直なところ、ネェルが撤退支援にあたってくれれば状況はずいぶんと楽になるはずだ。しかし、彼女にはもっと重要な任務を任せるつもりであった。

 

「これから、ガレア王軍は大がかりな反撃作戦を実行するはずだ。厄介なことだが、悪いばかりではない。なにしろ、大きな動きをすればするほど晒す隙も大きくなるわけだからな。つまり、アル様奪還の好機というわけだ」

 

 本来、アル様の救出はこの作戦が成功した後で実行する予定だった。しかし残念ながら作戦は頓挫し、我々はしばし守勢に入らねばならなくなった。だが、これ以上アル様をあの好色王太子の手に委ねておくのは許しがたい。

 もちろん、いま奪還作戦の実行を決断したのは私情ばかりが理由ではない。ネェルに語って見せた理屈は言い訳などではなく、今こそが王都がもっとも手薄になる好機なのだ。

 

「王太子とやらが、得意満面に、出陣するところを、狙うわけですね」

 

「その通り」

 

 やはり、ネェルは話が早くて助かる。わたしは強気な笑顔を浮かべて頷き、ネェルの前脚に手を置いた。

 

「ガムラン将軍は、どうやら少数の精鋭歩兵部隊による隠密作戦でソラン砦を奇襲したようだ。同じ事が、我らにできない理屈はない。そのための布石もすでに打ってある」

 

 アル様奪還作戦の準備は、この合戦が始まる遙か前から密かに進めてあったのだ。似たような作戦を先にガムラン将軍に実行されてしまったのは痛恨の極みだが、だからこそ同じ事をやり返してやりたい気分はあった。

 

「ネェル、貴様にはジョゼットら近侍隊とともに王都を奇襲し、アル様を取り戻してもらいたい。難しい任務だが、お前たちならば決して不可能ではないだろう」

 

 胸の奥から湧き上がる嫌な気分を押さえ込みながら、わたしはネェルの目をじっと見た。

 

「本当ならば、アル様をお救いする役目はわたしがやりたい。だが、立場がそれを許さんのだ。すまない、ネェル。わたしの代わりを務めてくれないか」

 

 ここで総司令官としての役割を放棄し、私情を優先してしまうような女にアル様は微笑んでくれないだろう。だからこそ、わたしはここを離れるわけにはいかない。責任を果たすのだ。

 

「お任せあれ」

 

 全てを承知した顔で、ネェルは鎌で自らの胸を叩いた。やはり、彼女はいい女だ。わたしはネェルの前脚をパチンとたたき、薄く微笑んだ。

 

「頼んだぞ。……ガムラン将軍は本物の名将だ。間違いなく、こちらが強硬手段でアル様の奪還を試みることを読んでいるだろう。王都での戦いは、極めて熾烈なものになるはずだ」

 

 不安材料はいくらでもある。いかにネェルでも、千や万の単位の軍勢と戦うのは不可能だ。にもかかわらず、今回の作戦はごく少数の部隊で敵の本拠地たる王都パレア市を攻めねばならない。たとえ相手が名将ガムランでなくとも、容易ならざる作戦になることは明らかだった。

 

「とくに、ネェルは体がとても大きい。きっと、敵は貴様を集中的に狙ってくるだろう。しかし、だからといって捨て身で囮になるような真似は絶対に認めない。貴様は、わたしの名代としてその手にアル様を抱いて帰還せねばならんのだ。わかるな?」

 

「……ふふ。ソニアちゃんは、心配性ですね。ネェルは、良い友人を、持ちました」

 

 薄く笑い、ネェルは鎌の先端で頬を掻いた。その表情は、図星を当てられて困っているようにも見える。やはり彼女は、わたしが戒めたような無謀な囮作戦を考えていたのだろう。友人や家族の為ならば平気で自らの命を投げ捨てようとするのが、このカマキリ娘の最大の欠点だと言えた。

 

「ジョゼットらにも同じ命令を厳命しておく。必ず、全員無事で戻ってくるように」

 

 わたしは彼女の曖昧な笑顔には付き合わず、真面目くさった表情で念押しした。ネェルも、ジョゼットらも、アル様のこととなると熱くなりすぎてしまうきらいがある。そのあたりが一番の心配ごとだった。

 むろん、ときには部下に死を前提とした任務を与えねばならないのが指揮官というものだ。しかし、友人に対してそのような命令を言い渡すことができるほど、わたしはまだ擦り切れていなかった。

 ……とはいえ、口で言った程度で従ってくれるほど彼女らは物わかりが良くない。土壇場になれば、わたしの念押しなど一瞬で吹き飛んでしまいそうだ。ここは、安全装置の一つや二つくらいは用意しておいた方が良いだろうな……。

 

「……まあ、とはいえ作戦の開始まではまだ若干の猶予がある。準備の方はこちらで進めておくから、貴様はそれまで英気を養っておけ」

 

 頭の中で算段を立てつつ、わたしはいったんネェルを下がらせることにした。この任務は、リースベンの……いや、大陸西部全体の将来にかかわる重大なものだ。万が一にも失敗するわけにはいかない。念には念を入れて準備する必要があるだろう。

 ……もちろん、それはそれとして軍全体の撤退も進めねばならないわけだが。一つでも厄介な仕事を、二つ同時に進行せねばならない。忙しいどころの話では無かった。まったく、ガムラン将軍め。奴が余計なことをしなければ、こんな面倒な真似はしなくて良かったのに……この借りは必ず返す。覚えていろよ、ガムラン。

 



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第634話 くっころ男騎士の苦悩

 ガレア情勢が風雲急を告げる中、僕とロリババアは相変わらずの虜囚生活を続けていた。……むろん、もちろん無駄に時間を浪費していた訳ではない。なかば協力関係となった近衛騎士団の力も借りて、情報収集や人脈構築などをしていたのである。

 とはいえ、やはり僕の本分は軍人だ。戦局になんの寄与もしないまま、後方で安穏とした日々を過ごすことにはひどく罪悪感を感じてしまう。一緒に収監されているロリババアなどは(少なくとも表面上は)優雅な生活をエンジョイしている様子なので、彼女のツラの皮の厚さがうらやましくなることもしばしばだった。

 そんなある日、僕はフランセット殿下のお茶会に呼ばれた。これ自体は、決して珍しいことではない。暇なご身分でもなかろうに、この王太子はたびたび僕を呼び出したり自ら部屋にやってきたりするのである。

 ところが、王城の中庭で僕を出迎えたこの日の殿下は、普段とはずいぶんと様子がことなっていた。彼女の顔には、誇らしいような、それでいて罪悪感を覚えているような、なんとも複雑な表情が浮かんでいる。

 

「アルベール軍を称する反乱軍どもが、オレアン領の突破に失敗して後退したそうだ」

 

 型どおりの挨拶を交わした後、殿下はいきなりそんな情報を投げつけてきた。宰相軍(正直なところアルベール軍とは呼びたくない)が王軍との本格的な交戦を開始したとの話しは聞いていたが、どうにも戦況のほうはあまり芳しくないようだな。

 

「左様ですか」

 

 務めて無表情を貫きつつ、僕は(ここ数ヶ月でたたき込まれてしまった)典雅な所作で香草茶のカップを口につける。

 フランセット殿下はこの王都で軍の再編成に東奔西走していたようだから、ソニアたちと対戦したのはガムラン将軍の軍か。たしかオレアン領にはそれなりに大きな川が流れていたな。そうなると、渡河作戦に失敗したというのが一番あり得る線だが……。

 ソニアは優秀な士官だが、自らが軍を率いて指揮を執った経験は乏しい。対して、ガムラン将軍は百戦錬磨の知将だ。おそらく、そのあたりの差が作戦の成否に大きな影響を与えてしまったのだろう。

 

「その表情、どうやら君はまだ勝利を諦めていないようだね」

 

 憂いの籠もったため息を吐き、フランセット殿下は僕に倦んだような目を向ける。

 

「アルベール、君を縛っていたアデライドの鎖はもはや砕け散っているんだ。なぜ、君はまだあちら側に立ち続けている? かつての部下に、義理や情を感じているのかな」

 

「僕が将を目指したのは、誰かに強制されたからではありません。僕は、自分自身の足であの場所に立っていたのです。そして、それは今も変わっておりません」

 

 このようなやりとりは、フランセット殿下と面会するたびに繰り返されていた。また同じ事を繰り返すのか。そういう気持ちを込めて殿下を睨むと、彼女は再びため息を吐いて目をそらした。向こうの方も、いい加減同じやりとりの繰り返しには飽きているようだった。

 

「君ほど強情な男は初めてだよ、アルベール。あまりに強情すぎて、いよいよ自分の判断が誤りだったのではないかという気分になってきた」

 

 そう語るフランセット殿下の目には、一年前には無かった暗い光が宿っている。彼女は疲れ切ったような表情で、小さく肩をすくめた。

 

「けれども、アルベール。アデライドの元で政治の沼に溺れている君よりも、酒場でバカ騒ぎをしている君の方がよほど楽しそうだったよ。どうして君は、わざわざつらい方の道を選ぶんだい?」

 

「そういう性癖だからですよ」

 

「ふっ」

 

 僕の答えはひどく投げやりだったが、どうやら却ってそれが殿下のお気に召したようだった。苦渋に満ちた表情が一瞬ほころび、薄い笑みへと代わる。しかし、それも一時のことだった。

 

「しかし、なんであれ既に賽は投げられている。余はもう止まれない」

 

「……さようで」

 

「アデライド派の諸侯どもや口さがない宮廷雀などが、余のことを”色に狂った暗愚”と読んでいることは知っている。なるほど、言われてみれば一理あるかもしれないね。事実、余はアデライドから君を奪い、自分の鳥かごへとしまい込んでしまったのだから」

 

 殿下の口から飛び出した言葉に、思わずゲンナリとしてしまう。これでも、僕は紛争の抑止者を気取ってたんだ。それが戦争の引き金を引く一因になってしまうだなんて、悪夢以外の何物でも無いだろ。しかも、その理由が死ぬほどくだらないモノなんだからなおさらだ。

 

「けれども……」

 

 しかし、どうやらそれをくだらないと感じているのは僕ばかりではないようだった。当事者であるフランセット殿下ですら、どうにもやるせないような態度を見せている。

 

「君だけには知っていてほしい。確かに、余はアデライドが妬ましかったさ。けれどもね。公人として、王太子として、これ以上宰相の力が増すことは容認できない。そういう判断があったのも事実なんだ。決して、私情ばかりが理由で戦争を起こしたわけではない」

 

「戦争という現実を前に、あなた様の動機ひとつにどれほどの価値がありましょうか。肝心なことは、市民と安全と安心をいかに守るか……ただそれだけです」

 

 冷めた気持ちでそう返す。王太子殿下は、前々から中央集権化を目指していたようだからな。その過程で、アデライドが邪魔になったという部分は確かにあるだろうさ。だが、市民を巻き込む内戦を起こしてしまった時点で、どんな大義があろうとカスの所業には変わりがないと思うんだよな。

 こういう言い訳が通じるのは、被害がお互いの関係者に限られる暗闘状態までだ。まあもちろん、それだって大概ひどい状態であることにはかわりないが。とはいえ、無関係な者に被害を出すよりはよほどマシだし、言い訳も利く。大衆に被害を与えた時点でそいつは公共の敵(パブリックエネミー)なんだよな。

 

「……君は、ブレないね」

 

 今にも泣き出しそうな様子で、フランセット殿下は微笑んだ。そして僕から目をそらし、天を仰ぐ。

 

「もういい、もう言い訳はしない。余はすべての反逆者を倒し、理想の国を作り上げる。そして、君も手に入れるんだ」

 

 彼女はそう言うなり、突然に立ち上がり僕の胸ぐらを掴んだ。そして、有無を言わさず唇を奪う。強引で一方的なキス。しかし、それをやる殿下の目には大粒の涙が浮かんでいた。

 

「も、もう、戻れないんだ。ここまで来てしまったからには」

 

 唇を離すと、殿下は震える声でそう言った。その顔には、まるで親からはぐれてしまった幼児のような表情が浮かんでいる。

 

「……ガムラン将軍はひとまずの勝利を収めてくれたが、流石に川向こうまで追撃するだけの余力は無い。それもこれも、軍の再編成に手間取った余の責任だ。これ以上の醜態をさらすわけにはいかない。明日、余は軍を率いて王都より出陣する。反乱軍が体勢を整える前に、これを殲滅するのだ」

 

「……」

 

 僕は無言で自らの唇をなでた。いくら美人が相手でも、やっぱりムリヤリのキスは気分が悪いな。頭の中では、そんなくだらない考えがとぐろを巻いている。いわゆる現実逃避という奴だった。

 

「誰になんと言われようと、君自身から嫌われようとも、せめて王座と君だけは手に入れる。待っていろ、アルベール」

 

「断固拒否します」

 

「ッ……!!」

 

 フランセット殿下は下唇をかみしめ、踵を返してその場から去っていってしまった。最後に見えた彼女の顔は、完全に号泣しているようだった。残された僕は無言で椅子に座り直し、香草茶のカップを手の中で弄ぶ。

 子供のように泣く殿下の表情には、ひどく心が痛んだ。それに、ソニアたちのことも心配だし、何も出来ずにいる自分自身にも腹が立つ。心が千々に張り裂けそうだった。

 

「フィオ……」

 

 このような状況になった原因が彼女だというのなら、僕はあの翼人の幼馴染みを討たねばならない。まったく、嫌なことばかりだ。なんでこんな目に遭わなきゃなんないんだろうな? 前世でよほどの悪行をやったとしか思えんね。心当たりは……正直、いくつもある。はあ、ヤンナルネ……。

 



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第635話 くっころ男騎士の決断

  予告の通り、フランセット殿下は軍を率いて王都から出陣した。もちろん、僕は王都に居残りである。後から考えてみれば、彼女に媚びるフリをして進軍に同行していれば逃亡のチャンスもあったかもしれない。

 まあ、後知恵でそんなことを考えたところで後の祭りだ。そもそも僕はこの手の寝技は大の不得意なのだから、実行したところで上手くいったかどうかはかなり怪しいところである。無益な後悔はさっさと切り上げ、僕は今やるべき仕事へと取りかかった。

 とはいっても、相変わらず出来ることと言えば情報収集くらいなのだが。馬鹿の一つ覚えみたいに、情報収集情報収集だ。まったく、無力すぎて嫌になるね。いい加減キレそうだ。

 

「ガムラン将軍がソニア殿を退けたというのは事実ですが、どうやら戦い自体は痛み分けに近い状態にあるようですわね」

 

 近衛騎士団の臨時団長に就任したバルリエ氏(あのお嬢様風の言葉遣いの近衛騎士だ)の言葉に、僕は胸をなで下ろす。近衛団長暗殺事件以降、近衛騎士団と僕の関係はますます接近しつつあった。情報収集ていどのお願いならば、二つ返事で了承してくれるのである。

 もっとも、近衛が上層部に不信感を覚えていることは、殿下の方も承知しているらしい。殿下が出陣したにもかかわらず、近衛が王都の留守番を申しつけられているのがその何よりの証だった。

 

「アルベール軍はロアール川南岸で防衛線を張り、ガムラン軍の逆渡河を阻止。後方補給線の再構築に努めつつ、反撃に転じる機会をうかがっているようですわ」

 

「お互いに衝力を失い、自然要害を挟んでのにらみ合いを始める……笑ってしまうくらいよくあるパターンじゃのぅ。冬も近いことじゃし、このままでは千日手一直線じゃな」

 

 ヘラヘラと笑いつつ肩をすくめるロリババア。ソニアの作戦が失敗したとの知らせを聞いても、このロリババアは飄々とした態度を崩さなかった。その泰然自若とした態度はまさに大樹のごとしで、さすがは海千山千の長命種だと感服するほか無い。

 

「そうならないよう、王太子殿下はあわてて出陣したんだろうが。しかし、どうなることかね? 新式軍は攻勢より防御を得意とした体勢だ。数万の増援を受けたところで、川を越えて宰相軍の防衛線を抜くのは容易では無いと思うが……」

 

「数万程度の増援であれば、確かにその通りでしょうけど」

 

 難しい表情で、バルリエ氏は自分の顎をなでた。

 

「王太子殿下は、先の戦いで圧倒的勝利を収めたと喧伝しておりますわ。むろん、実際はそれほど大きな戦果を上げたわけではございませんけれども……突破を阻止したという事実だけは確かですから、ある程度の真実味はあります。日和見諸侯どもの持つ天秤は、王軍側に傾きつつあるようですわね」

 

 バルリエ氏の声音にはなんとも複雑な感情が込められている。自らの立ち位置を測りかねているのだろう。団長を暗殺され、王太子にも冷遇される今の近衛騎士団の立場はかなり宙ぶらりんだ。

 

「あの伊達者め、存外に宣伝戦が得意じゃのぉ。ま、どこぞの誰かが入れ知恵をしている可能性もあるが……」

 

 ロリババアが隠微な視線をバルリエ氏に向けるが、彼女は無言で首を左右に振るばかりだ。

 

「あの星導教の鳩女は、かなりのやり手ですわね。掘っても掘っても怪しいところが出てきませんわ。……これだけの防諜体勢を取っておきながら、なぜ団長を暗殺する必要があったのでしょうね? 正直なところ、団長が真実に肉薄していたとはとても思えないですけれども」

 

「警告にしても、やり方が雑だ。なんだか、変な感じだな。乱暴な部分と丁寧な部分のクオリティの差が大きすぎる」

 

 僕たちとバルリエ氏はしばらくのあいだ検討を重ねたが、結局は結論を出せないままその日の会合を終えることになった。真実を浮かび上がらせるためには、まだピースが足りていない。そういう雰囲気だった。

 近衛騎士団ルートでの調査に限界を感じた僕は、別のルートを開拓することにした。そこで頼ったのが、ガレアで一番の生臭坊主と呼ばれる人物……ポワンスレ大司教である。……容疑者であるフィオレンツァは、星導教の聖職者だからな。聖職者のことは、聖職者の聞くのが一番と判断したわけだ。

 幸いにも、僕とポワンスレ大司教には縁がある。レーヌ市でフランセット殿下からだまし討ちを食らった際、密かに助け船をだしてくれたのがこのポワンスレ大司教なのである。その縁をたどり、僕は密かにこの生臭坊主に書状を送りつけた。

 

「うううーん……」

 

 返信が届いたのは、それからわずか数日後のことであった。予想外に大司教が素早く動いてくれたことは喜ばしかったが、書状の封を破った僕は即座に表情を曇らせる羽目になる。

 

「……うわあ、こりゃひどいのぉ。あからさま過ぎて、逆に笑えてきたぞ」

 

 僕の膝の上で同じものを読んでいたロリババアが、呆れかえった声でそう言った。正直、僕もまったくの同感だった。

 

「サマルカ星導国にて、キルアージ枢機卿が政変を起こしつつある模様、か……」

 

 ガレア王国で内戦が発生したのとほぼ同時期に、異変が起きた国があった。星導教の総本山、サマルカ星導国……そう、フィオレンツァの故郷である。

 サマルカ星導国では、教皇の醜聞が見つかり大騒ぎになっているらしい。そして教皇を糾弾する急先鋒に立っている人物は、フィオレンツァの母親であるキルアージ枢機卿だと言うのだ。

 ガレア王国とサマルカ星導国、二つの国で同時期に起きた異変の裏に、一組の母娘の陰がちらついている。……これで両者が無関係と判断するのは、正直なところかなり無理があるだろう。状況的には完全に真っ黒だ。

 

「ガレア王国は、先の戦いで神聖帝国を打ち破った。この内紛を制すれば、大陸西部における覇権を確立するのも時間の問題じゃろう。そして、星導教のほうでは教皇を引きずりおろしてそれに成り代わろうという動きがある。……なるほど、俗界と聖界を同時に掌握しようというわけじゃな」

 

 腕組みをしながら隠微な視線を送ってくるロリババアに、僕は黙り込むことしかできなかった。普通に考えれば、この状況の首謀者はフィオレンツァではなくその母親であるキルアージ枢機卿だ。無理矢理に陰謀に加担させられているだけならば、フィオの罪はかなりの減刑が見込めるだろう。

 ……しかし、僕はそのような希望的観測にすがることはできなかった。なぜなら、僕はキルアージ親子が普通の関係では無いことを知っている。あの親子の力関係は、娘の方が強いのだ。

 理由はわからないが、キルアージ枢機卿は娘の”お願い”を決して断らない。これが単なる子煩悩ならば微笑ましいだけなのだが、どうにもそういう雰囲気では無かったことを覚えている。ソニアなどは、「なにか弱味でも握られているんじゃないですか」と評したほどだ。

 当時の僕はその意見を一笑に付したが、今となってはもう笑えない。キルアージ親子が何かを企んでいるのなら、それを主導しているのは間違いなくフィオのほうだ。そういう革新があった。

 

「本人不在のまま、状況証拠ばかりが積み上がっていく。嫌なことだ……」

 

 無意識に引きつった口元をなでつつ、小さく呟く。当のフィオレンツァは、相変わらず所在が不明のままだった。まあ、所在がわかったところでどうすることもできないが。ここまで事態が大きくなったら、彼女を排除したところで万事解決とはならないだろうしな。

 

「……そろそろ潮時だ。なんとか、王都を脱出する手はずを整えよう。このままここに居続けても、もう得られるものは何もないだろう」

 

 砂をかみしめるような心地になりながら、僕はロリババアにそう宣言した。王太子の件と、フィオレンツァの件。いやな事件が重なったせいで、僕は最悪な気分になっていた。こんな状況で退屈な虜囚生活を続けていたら、間違いなく僕の脳は煮えてしまうだろう。今の僕に必要なのは、全力で打ち込める仕事だ。

 

「まあ、気分は分かるがのぉ。しかし、脱出するといっても手段が……のぅ? なにか名案でもあればよいのじゃが」

 

「……」

 

 ロリババアの指摘に、僕は黙り込むことしか出来なかった。確かにそれは正論だ。近衛の協力があればなんとでもなるだろうが、流石にそこまでこちらに協力してくれるとは思えないしな。

 ……だが、勝ち筋がない訳ではない。蜘蛛の糸のように細い希望だが、もうこれ以上時間を浪費するわけにはいかん。このような事態が発生したのは、僕にも責任の一端があるんだからな。こうなったからには最早是非もなし。一秒でも早くソニアと合流し、フランセット殿下とフィオレンツァを止めねばならない。

 

 



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第636話 くっころ男騎士の脱走

 これほどまでに情勢が激変している状況で、これ以上王城に引きこもり続けるわけにはいかない。それが僕の出した結論であった。つまり、自力脱出を決意したわけである。

 とはいえ、それは極めて困難な作戦だった。王太子殿下は出陣中とはいえやはりここはガレア王国の政治の中枢であり、当然ながら最高クラスの警備が敷かれている。これをバックアップなしで突破するのは無茶を通り越して無謀ですらある。

 懸念材料は他にもあった。装備の不足だ。なにしろ僕たちは一応捕虜であり、武器の類いは取り上げられている。僕の方はまだなんとでもなるが、魔法が本分であるロリババアの方はたいへんに厳しい。

 戦闘に用いるような魔法は、発動体と呼ばれる補助具(たいていは杖。エルフの場合は木剣)を必要とするのだ。最高クラスの魔術師であるダライヤすら、発動体がなければ大した魔法は使えない。例外は、僕の使うような自分自身の肉体に干渉する魔法だけだ。

 これだけの懸念点があるのだから、ダライヤが短慮を戒めるのも当然のことであろう。しかし待てど暮らせど救援が来ない以上、やはり何かしらの対応は取らねばならない。僕も、いつまでも情報収集情報収集で時間を潰していて良い身の上ではないのである。

 

「申し訳ない……」

 

「きゅっ」

 

 ある夜。晩酌という名目でダライヤを自室に呼んだ僕は、一瞬の隙を突き見張り役の若い近衛騎士に襲いかかった。彼女とはすっかり打ち解けており、こちらに対する警戒もほぼ皆無になっている。背後を取り、その首を締め上げて意識を刈り取るのは実に簡単なことであった。

 強靱な竜人(ドラゴニュート)とはいえ、頸動脈を絞められれば一瞬で昏倒してしまう。白目を剥いて床に倒れ込む彼女を、僕は急いで支えてやる。彼女は武人としてはあまりにも隙だらけだったが、それが却って僕の罪悪感を刺激していた。この騎士は、僕を敵だとは思っていなかったのだ。

 

「あーあ、本当に始めおったか」

 

 ダライヤが僕に呆れの目を向けている。相変わらず彼女は自力脱出には反対のようだ。まあ、自分でも短慮をやっている自覚はあるよ。でも、これ以上無為に時間を浪費し続けることに我慢ができなくなったんだよな。

 

「なに、成算がないわけじゃあないさ。なにしろここは僕の元職場だからね」

 

 近衛騎士をベッドの上に転がしてから、僕はロリババアに笑いかけた。そして、事前に用意してあった謝罪の手紙を近衛騎士殿の懐へとねじ込んでおく。彼女にはたいへんに申し訳ないことをしているからな。直接は無理でも、書状で謝っておきたかった。無垢な若者をだまし討ちすることほど心が痛むものはない。

 

「ほー? そうか。まっ、オヌシがそう言うんならそうなんじゃろうな」

 

 ロリババアの疑いの目を苦笑で跳ね返しつつ、僕は己の脳内から余計な感傷を追い出した。今はこの近衛殿だのフィオレンツァだののことなどを考えている場合ではない。とにかく任務に集中するべきだ。

 

「外の見張りが異変に気付くまでに、それなりに遠くまで逃げておかなきゃならない。急ぐぞ」

 

 そう言って、僕は近衛殿の懐から小さな日用ナイフを奪った。もちろん彼女は帯剣しているが、そちらには手を出さない。今の状況では剣がひと振りあったところで大した助けにはならないし、そもそも剣は騎士の魂だ。よほどの理由がない限り、それに手をつけるのは気が咎めた。まあ、もちろん必要ならやるがね。

 僕はまず手始めに、窓にかけられていたカーテンを剥ぎ取った。分厚い毛織物の、いかにも丈夫そうな生地だ。これをナイフで細長く切り裂き、よじりあわせて即席のロープにする。この手の工作は割と得意だ。

 

「さあて、いくぞ」

 

 完成したロープを窓際のキャビネットへとくくりつけ、僕は窓(貴重な板ガラス製だ)を開放した。僕の居室があるのは、王城の上層階だ。当然ながら、このまま飛び降りれば命はないだろう。

 

「ひえ……ここから降りるのかのぉ? 正直嫌なんじゃが」

 

 ヘドロのような闇が滞留する地上を見下ろしつつ、ダライヤが体を震わせた。冗談めかした口調だが、これはなかば本音だろう。

 一応手元には即席のロープがあるが、材料が材料だけに地上まで安全に降りるためにはまったく長さがたりない。ロープを命綱にして降りられるのは、せいぜい行程の四割といったところであろう。あとはフリークライミングでなんとかするしかない。

 

「しゃあないだろ、他に選択肢はないんだから……」

 

 この部屋の外には複数の騎士が待機している。これを強行突破するのは現実的ではないし、仮にそれに成功したところで増援を呼ばれればその時点でジ・エンドだ。今回の作戦は、とにかく敵に見つからないことが第一なのである。

 

「いまさら四の五の言っても仕方ないだろ。行くぞババア」

 

 ニヤッと笑ってそう宣言すると、僕は率先して窓の外へと飛び出した。ロープをしっかりと握りしめ、石造りの壁を蹴って降下していく。虜囚生活で多少鈍っているとはいえ、ラペリング降下の訓練は幾度となくやっているからな。この程度ならお手の物だ。

 ……と、思ったのだがやはりそう簡単ではない。なにしろ今使っているローブはカーテン製で、生地の問題でめちゃくちゃに滑りやすかった。しっかりとしたロープと懸垂降下器を使って行うラペリングとは、やはりずいぶんと勝手が違う。

 

「まあ、そうはいってもロープがあるだけマシなんだが……」

 

 とうとうロープの末端へとたどり着いてしまった僕は、そう小さく呟く。地上への行程はまだ半分も消化していない。ここからは、じぶんの身一つでフリークライミング(降りるわけだからクライミングではないが)していくしかないのだ。両手両足にぐっと力を入れ、石壁に張り付く。

 

「なるほど、窓に鉄格子をつけなかったのはこういうワケか」

 

 思わずそんな言葉が漏れた。予想以上に石壁が滑らかで、張り付くだけでも一苦労だったからだ。壁に用いられている石は例外なくツルツルに研磨されており、掴みにくいことこの上ない。間違いなく人力登攀(とうはん)対策だな。さすがは国王のおわす城だけあって、くせ者が壁から上ってくるような想定もされているらしい。

 

「マリーン舐めんなファンタジー……!」

 

 が、僕も伊達に精兵は名乗っていないのである。根性の限りを尽くして丸石をぐっと掴み、慎重に下降を再開する。ちらりと上を伺うと、ダライヤもロープ降下を終えて壁にくっついていた。その格好は、なんだかデカい虫のようにも見える。

 

「んふ」

 

 自分もまったく同じような格好をしていることを棚に上げ、僕は小さく笑い声を漏らした。笑っちゃいけないタイミングほど笑いの沸点が低くなる。不思議な現象だよな。

 

「んもー、ワシの夫殿はどうしてこうも無茶ばかり好むのかのぉ! ワシの穏やかな老後はどこじゃ!」

 

 ダライヤはダライヤで、小声でブツブツと文句を呟いている。しかし、その足取り(?)は僕よりもよほど軽やかだ。やはり、こういう状況では体重が軽いほうが有利だな。

 

「おっとと……」

 

 まあ、焦っても仕方がない。滑落しないように気をつけながら、慎重に降下を続けていく。途中で二度、三度くらい足や手を滑らせて落下しかけたが、なんとか堪えて無事地上に降り立つことに成功した。

 靴底が地面に着くと、僕の顔に自然と笑みが浮かぶ。ああ、確かな足場があることほど嬉しいことはないな。もう二度とこんなムチャなフリークライミング(?)はしたくない。血の滲む両手を開いたり閉じたりして調子を確かめてみると、鋭い痛みが走った。握力の使いすぎだ。

 

「おおおおう……もおおお……」

 

 怨霊めいたうなり声をあげながら、ダライヤも降下を完了した。彼女も僕と同じように、手のひらを開閉したり足を屈伸したりしている。やはり彼女にとっても石壁下りは楽な仕事ではなかったようだ。

 正直なところ僕もこのまま寝転がってしまいたいくらいにくたびれてしまったが、残念ながら脱出作戦はここからが本番だ。僕はポキポキと腕の音を鳴らせつつ大きく息を吐いた。

 僕たちの降り立ったこの場所は、以前よく茶会をしていたあの中庭だ。まあ、外部へ繋がる窓のついた部屋を捕虜に与えるはずもないので、こればかりは仕方がないが……城から脱出するためには、一度再び城の中に戻らねばならないのである。

 むろん僕とて無策ではなく、いくつか手は打ってある。とはいえやはり無謀な作戦である事には変わりなく、その難儀な前途を思うと思わず笑みが浮かんでしまった。うん、やはり脱出を選択したのは間違いではなかったな。部屋で鬱々としているよりは、こうして難題に挑んでいるときの方がよほど気分がいい……。

 

「オヌシはまたそんな顔をして……まったく、厄介な男を好いてしまったもんじゃ」

 

 そんな僕を見て、ロリババアは大きなため息を吐いた。

 



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第637話 くっころ男騎士とロリババアエルフの奮戦

 第一関門である寝室からの脱出には成功した僕たちだったが、その目の前にはまだまだたくさんのハードルが立ち塞がっていた。王城には厳重な警備が敷かれており、無数の衛兵たちの目を逃れて城外へと逃れるのは容易なことではない。

 

「実際のところ、ここからが本番じゃぞ。何か考えはあるのかのぉ?」

 

 僕とともに木箱の陰に身を隠したダライヤが、ひそひそ声で問うてくる。現在、僕たちはなんとか中庭から出て、再び城の中へと戻ってきていた。当然だが、中庭から直接外へ脱出するのは不可能なのである。

 時刻はすでに深夜であり、王城は昼間の喧噪が嘘であったかのように静まりかえっている。燭台の火も落とされており、頼りになるのは窓の外から差し込む月と星の光だけだった。夜目にはそれなりに自信がある僕でも、目をこらさないと何も見えないような環境だ。

 つまり姿を隠して行動するにはもってこいの状況というワケだが、油断はできない。僕たちの視線の先には、ランタンを片手に廊下を歩く二人の衛兵の姿があった。なにしろここは国王陛下の居城だ。夜であっても、警備の手が緩むことは無いのだ。

 

「まずは協力者と合流する」

 

「ほう、流石に独力で逃げだそうとは考えておらなんだか。しかし、近衛の監視を受けながらよくもまあそのような者と渡りをつけられたものじゃな」

 

「ここは僕の旧職場だぞ? 信用できる知り合いの一人や二人はいるさ」

 

 さらに言えば、城内部の構造も熟知している。僕が勝機を見いだしている点はここにあった。土地勘も協力者もないような環境での脱出行は流石に困難だろうが、両者ともにそろっているのであればいくらでもやりようはある。

 ……しかし、この城から転任してもう一年半か。もうそんなに立つのかという思いと、まだそれだけしか立っていないのかという矛盾した感覚があるな。リースベンに引っ越してからは毎日が激動だったから、そういう妙な気分になるのかもしれない。

 

「こっちだ、行くぞ」

 

 歩哨の持つランタンの光が廊下の曲がり角に消えていったことを確認して、僕は木箱の陰から飛び出した。足音を立てないよう気をつけつつ、早足で進んでいく。

 十分ほどの隠密行動のあと、僕たちは目的地へとたどり着いた。掃除用品などを収納している小さな倉庫の前だ。簡素な木扉を独特なリズムでノックすると、その中から使用人服姿の若い男中(メイド)が出てくる。

 

「お待ちしておりました、ブロンダン卿。ご無事で何よりです」

 

 ほっとした面持ちでそう語る彼に、僕は「ああ、おかげさまでな」と返して握手を交わす。彼は王都近郊にある小領邦の領主のご令息で、今は行儀見習いも兼ねて王城で男中(メイド)として働いている。彼の母親とは軍役で共闘した経験があり、その縁で彼ともなにかと会話をする仲になっていた。

 

「本当に久しぶりだな。旧交を温めたいところだが、残念ながらそれは状況が許さない。早速で申し訳ないが、先導を頼む」

 

「お任せください」

 

 男中(メイド)はニッコリと笑い、恭しく一礼した。その瀟洒な所作は、いかにもこの世界貴族令息らしい可愛さに溢れていた。こういう愛嬌のある立ち振る舞いこそ、ガレアの竜人(ドラゴニュート)女性に好まれる美少年しぐさなのである。

 彼の先導を受け、僕たちは再び夜のお城の中を進み始めた。相変わらずあちこちで歩哨と遭遇するが、そこは協力者の面目躍如である。彼は僕たちの先頭に立って周囲を伺い、見張りの位置を逐一報告してくれる。そしてそれが回避不能だった場合は自分の方から歩哨に話しかけ、「あちらで怪しげな物音がしましたよ」などと言ってその場から彼女らをどかしてしまうのだった。なんとも見事な手管である。

 

「ふふふ……ご婦人を上手く転がすのは、奥方の基本的な技能ですから。花婿修行でいろいろと習うのですよ」

 

 そのことを褒めると、彼は奥ゆかしく笑いながらそう返した。僕が人殺しの手管を磨いている間に、世の青少年たちはなんとも家庭的なスキルを磨いてるもんだね。

 この援護のおかげで僕たちの進むスピードは劇的に早まったが、そのままストレートに脱出……というわけにはいかなかった。城のあちこちで角笛が鳴り響きはじめ、衛兵たちがぞくぞくと増員されはじめたのである。

 

「なにか、悪いことでも起きたのでしょうか」

 

 男中(メイド)が彼女らに話しかけると、衛兵は寝ぼけ眼をこすりながら「なんでも幽閉されていた捕虜が逃げ出したらしい」と答えた。どうやら、僕たちが軟禁部屋に居ないことがバレてしまったようだ。できれば発覚する前に城から出たかったのだが、流石にそこまで都合良くは進まないか……。

 

「脱走したのはあのブロンダン伯爵なんだってな」

 

「らしいな」

 

「逃げ出すなんて悪い伯爵様だ。ここはひとつお仕置きが必要なんじゃないか?」

 

「バカ、下手なことをやったら殿下にぶっ殺されるぞ」

 

 そんな物騒な話をしている衛兵どもをタペストリーの裏に隠れてやり過ごしつつ、僕はため息をかみ殺した。いつの間にか、城中は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。これをやり過ごして外に出るのはなかなかに難儀だ。

 

「なんですか、さっきの兵隊どもは。山賊ではないのですから、もう少し王国兵としての自覚を持ってもらいたいものです」

 

「まあ、まあ。あんなのは軽口みたいなものだから、真に受けてはいけないよ」

 

 憤慨する男中(メイド)をたしなめつつ、僕は脳内に城外までの脱出経路を思い描いた。当然だが、身を隠して進まねばならない都合上正門や裏門などから堂々と出て行くわけにはいかない。経路として利用できるのは、地下にある秘密の隠し通路だけだ。

 こうした城には必ず万が一に備えた秘密通路が用意されているものだが、幸いにも僕はその一つの入り口を知っていた。王都内乱の際、反乱軍に占拠された王城から脱出するために利用したものだ。

 しかし、どうにもそこまでたどり着くのは容易ではないようだ。衛兵どもはぞくぞくと増員されつつある気配だし、騒ぎを聞きつけた使用人たちもウロチョロし始めている。とくに衛兵たちはずいぶんと殺気立っている様子だから、男中(メイド)によるごまかしが通用しなくなるのも時間の問題だろう。これは少し不味いかもしれない。

 

「……」

 

 悩む僕を、ダライヤがジト目で睨んでいる。ほら、言わんこっちゃない。そういう感じの表情だ。まあ、そんな顔をしたくなる気分はわかるよ。ロリババアは自力脱出案には最初から反対してたわけだし。でもさあ、いつまでたっても助けがこないんだから仕方が無いじゃ無いか。

 

「いけません。このままでは、衛兵に前後を挟まれてしまいますよ」

 

 やがて、最悪の事態が発生した。一本道の廊下の前後から、衛兵どもの話し声が近づいてきてきたのだ。あわてて曲がり角に逃げ込んだが、周囲には姿を隠せそうな部屋や調度品がみあたらない。このままでは万事休すだ。

 

「どうするんじゃ、コレ」

 

 ロリババアが顔中を汗まみれにして言った。彼女のここまで焦った表情は初めて見るかもしれない。そう思うと、危うく吹き出しそうになった。別に、余裕があるから笑っている訳ではない。僕は追い詰められているときほど笑いの沸点が低くなるのだった。

 

「仕方ない、プランBで行こう」

 

「プランB? なにか次善の策があるのか?」

 

「投降よりはマシという意味では、確かに次善の策だね。……つまりは強行突破ってワケだ」

 

 くすくすと笑いながらそう答える僕に、ダライヤは深い深いため息を吐いた。こちらはほぼ丸腰で、相手はフル武装の衛兵隊だ。強引に突破を狙ったところで、勝ち目はほとんどないだろう。

 とはいえ、幸いにも目的地である地下道の入り口はすぐそこだった。そこへ逃げ込みさえすれば、まだなんとかなるかもしれない。なにしろあそこは落城に備えた脱出経路だ。追っ手を防ぐための仕掛けの一つや二つはあるはずだった。

 

「……」

 

 をちらりと見て、僕は一瞬考え込んだ。彼が我々の協力者であることが露見するのは避けたい。そんなことになれば、彼の母親とその領地に大迷惑をかけることは必定だからだ。

 

「きみ、悪いが僕の人質になってくれないか。今ここで僕たちに遭遇して、捕らわれの身となった。そういう流れならば、きみの家に疑いの目が向けられることはないだろう」

 

「人質ですか。ええ、結構ですよ。……どうせ捕らわれるのなら、お相手は怜悧な容貌の悪の大魔導師さまなどがよかったのですけれど」

 

「おっ、ワシのことかの?」

 

「……」

 

「なんじゃその納得いかなそうな顔は」

 

「…………さ、そうと決まったらお早く。グズグズしている暇はございませんよ」

 

 実際、衛兵どもの気配はすぐ近くまで迫っている。彼も腹をくくっているようだから、躊躇する必要もあるまい。かくなる上は、せいぜい大きな悲鳴をあげてもらって敵方の動揺を誘うことにしよう。

 

「うわっ!?」

 

 そんな策を実行に移そうとした矢先のことである。何の前触れもなく、突然に巨大な爆発音と振動が。

 



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第638話 くっころ男騎士の予定変更

 王城内でのスニーキング・ミッションを続けていた僕たちだったが、脱走の発覚により衛兵隊は急速に厳戒態勢を敷き始めた。隠れ場所の無い曲がり角に追い込まれた我々は、一か八かの強行突破でこの場から逃れようとしたのだが……。

 

「うわっ!?」

 

 突如、夜の王城を激震と轟音が襲った。いやな軋み音とともに、天井からはらりとホコリが落ちてくる。男中(メイド)が足を取られてふらついたのを見て、僕は慌てて彼を支えてやった。

 

「……砲弾か爆弾が爆発した音だぞ、これは。まさか、このタイミングで救援が来たとでも言うのか?」

 

 一瞬、弾薬庫で事故でもあったのかという想像がよぎったが、それにしては震動が小さすぎる。この雰囲気ならば、軽砲の榴弾一発という感じだろうか。

 

「救援!? まさか、城門に大砲でもブチこんだのか!? む、むちゃくちゃするのぉ」

 

「うちのバカどもならそれくらいはするだろうさ」

 

 国王陛下の御座すこのパレア城に砲撃を仕掛ける理由と能力を有する組織は、我らがリースベン軍をおいて他にあるまい。僕の顔には、先ほどまでとはまったく種類の異なる笑みが浮かび始めていた。孤立無援かと思いきや、これほどベストタイミングでの援護が入るとは。地獄に仏とはこのことだ。

 

「アッ!? 貴様ら、何者だ!」

 

 困惑の滲んだ誰何が僕の耳朶を叩く。とうとう、衛兵隊に見つかってしまったのだった。前方に現れた敵兵は五名ほどの小集団で、鎖帷子と短めの剣で武装している。屋内の警備兵の基本装備セットだ。

 こちらはほぼ丸腰で、相手はフル武装。目の前の敵五名ですら対処困難な戦力差だというのに、敵は後方からも迫っている。まさに絶体絶命の状況だった。しかし、彼女らの顔には明らかな動揺が浮かんでいる。間違いなく先ほどの爆発音のせいだ。

 

「動くなッ!」

 

 衛兵隊が一斉に剣を抜こうとするのを見て、僕は大きな声で制止した。意識して、部下を叱る下士官のような声音を作る。兵隊に言うことを聞かせるには、鬼軍曹めいた言い方が一番だ。

 

「我々は人質を取っている! 血を見たくなければ余計な事はするんじゃないッ!」

 

 僕は男中(メイド)を引き寄せ、その首元にナイフを突きつけた。手はず通り、彼は迫真の演技で恐怖の籠もった悲鳴を上げてくれた。絹を引き裂くようなその叫びに、衛兵らの体がビクリと跳ねる。

 

「ひ、卑劣な……!」

 

 男中(メイド)とはいっても、ここは王城だからな。そこで雇用されている使用人は、ほとんどが身元の確かな貴族出身者で占められている。つまり、人質としては十分に機能するということだ。案の定、衛兵たちは浮き足だった様子でこちらを罵倒してきた。

 この様子ならば、こちらが誰かという部分にすら思考が巡っていないようだな。当然、その動揺につけ込まない理由はないだろ。このまま強行突破だ!

 

「行くぞッ!」

 

僕は拘束していた男中(メイド)をひっつかみ、いわゆるお姫様抱っこの姿勢へと移った。この世界の男性(もちろんその全員が只人(ヒューム)だ)は総じて小柄で、一七○センチ台中程の僕でもかなりの長身の部類になる。この世界基準でも華奢な体型の男中(メイド)を抱え上げる程度ならば、強化魔法を使う必要も無く極めて容易であった。

 

「きゃあ」

 

 心なしか楽しげな男中(メイド)の声を合図にしたように、僕とロリババアは衛兵隊へと突撃した。予想外の行動に、彼女らは武器を抜くことすらできず固まっている。

 僕はスライディングの要領でその足下をすり抜け、ついでに棒立ちになっていた一人の兵の腰から剣を勝手に引っこ抜いた。人質に、泥棒。どんどんやることが小悪党めいていくな。そう思うと、笑いが堪えられなかった。

 

「予定変更! 救出部隊との合流を目指すぞ!」

 

 爆発音は正門の方向から聞こえてきた。リースベン軍の教本どおりに行動するならば、砲撃を加えた後は着弾地点に向けて歩兵部隊の突撃が行われるはずだ。つまり、そこへ向かえば味方と合流できるってわけだな。

 幸いにも、僕は城内の地図は完全に頭の中に入っている。迷って時間を浪費するようなことはあり得なかった。後ろから聞こえてくる「待て!」という声を無視しつつ、僕は大急ぎで走り始めた。

 

「行き当たりばったりじゃのぉ! 万一あれがたんなる事故じゃったらどうするんじゃ!」

 

「泣いてごまかすさ! 男の涙はどんな状況でも通用する必殺技だって父上が言ってたぜ」

 

「はぁ、もう、このアホ男は!」

 

 嘆くロリババアに、僕は笑いながら盗んだ剣を投げ渡した。流石に人質を抱えたままチャンバラをするような真似は出来ないからな。武器はババアが持っていた方がいいだろ。このババア、魔法だけではなく白兵もなかなかのものがあるしな。

 

「曲者だ! 出会え出会え!」

 

「アッ! ありゃブロンダン伯だぞ!」

 

「伯爵様が人質とって逃げ回ってるってのかよ!」

 

 当然、衛兵隊もやられるばかりではない。騒ぎを聞きつけた増援が現れ、僕たちの前に立ち塞がる。

 

「おのれ、どいつもこいつも! ワシの穏やか老後生活はいつになったら始まるのかのぉ!」

 

 大声でわめきつつも、ロリババアの行動は恐ろしいほどに迅速だった。彼女は床を蹴り、弾丸のような勢いで前方の衛兵たちへと襲いかかる。

 

「グワーッ!?」

 

 白刃が煌めき、鮮血が迸った。年齢四桁の古老が練り上げた剣技は、竜人(ドラゴニュート)とエルフの体格差など問題にならないほど隔絶している。蝶のように舞い蜂のように刺す、という言葉そのままの戦いぶりで、ダライヤはあっという間に衛兵たちを蹴散らしていった。

 

「わあ」

 

 腕の中の男中(メイド)から素の声が漏れた。童女のようなダライヤが、大柄な兵隊どもを木っ端のように蹴散らしていく様はなかなかに非現実的だ。やはり、このロリババアの戦闘力はどうかしている。……いや、エルフ全体がそんな感じか。

 

「ブロンダン伯を抑えてしまえばこちらの勝利だ! 行け! 行け!」

 

 もっとも、僕にはその戦いをのんびりと見守っている贅沢などは許されない。剣を刺股に持ち替えた衛兵たちが、こちらに向けて突撃してきたからだった。

 

「こっちはこっちで手一杯じゃ! そちらはそちらでなんとかせぃ!」

 

「ムチャを言ってくれる!」

 

「その言葉、そのまま返すぞ!」

 

 軽口を交しつつ、僕は男中(メイド)を真上に投げ飛ばした。「ひゃあ」という声が聞こえるが、無視するほかない。流石に両手が塞がった状態で敵に対処するのは不可能だからな。

 

「キエエエエエッ!!」

 

 刺股だなんだといっても、その対処法は槍と変わらない。自分に向けて突き出されたそれを僕は裏拳を使って弾きとばし、再びスライディングを仕掛けて衛兵へと肉薄する。長柄武器の一番の対処法は、使い手の懐に潜り込むことなのだ。

 

「グワッ!?」

 

 衛兵の胸ぐらを掴み、大外刈りで地面へと引き倒す。追撃はしない。別の衛兵がこちらに向けて刺股を突き出そうとしているのが見えたからだ。地面を蹴り、彼女の顔面へと正拳突きを見舞う。鼻血を出しながらたたらを踏む衛兵の顎を、渾身のアッパーで打ち抜いた。

 

「ほげっ……」

 

 彼女が白目を剥いて昏倒するのと同時に、天井から男中(メイド)が落ちてきた。僕はそれをキャッチし、動揺する衛兵隊の間をすり抜ける。彼女らは謎の爆発音や捕虜脱走でひどく動揺している。隙をつくのは実にたやすいことだった。

 

「失礼! 紳士的対応が出来る状況では無くてね、許してくれ!」

 

「ブロンダン様が紳士的だったことなんか今まで一度もございませんよ!」

 

「わはは、そりゃそーだだ」

 

 この世界における紳士とは、腕の中で震える彼のような男のことを言うのである。心底愉快な気分になりつつ、僕は走った。正門前のホールはすぐそこだ。敵がこれ以上集まる前に味方と合流せねばならない……。

 



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第639話 くっころ男騎士と合流

 人質の男中(メイド)を連れ、僕は城の正門へと急ぐ。もちろん衛兵隊はそれを阻止せんと我々の前に立ち塞がったが、そこで大活躍したのがあのロリババアである。

 

「優雅な賓客生活が一転して血なまぐさい世界に逆戻り! おお、もう……本当に! 本当に!」

 

 文句をわめき散らしつつも、ダライヤは剣を片手に果敢に敵戦列へと挑みかかっていく。体格にも練度にも優れた者ばかりを選りすぐっているはずの王城衛兵隊は、童女にしか見えないこのロリババアに対して手も足も出なかった。彼女が剣を振るたびに次々と衛兵が倒れていき、そうして開いた敵戦列の穴に僕が吶喊を仕掛けて突破を図る。

 さらに、状況も僕たちの味方をしていた。先ほど起きたあの爆発、あれとまったく同じものが、その後も二度続いたのだった。

 

「ここは天下のガレア王城だぞ! さっきからどっかんどっかん、いったい何が起きてるんだ!」

 

「まさか、アルベール軍が王都まで攻め寄せて、城に砲撃を仕掛けているんじゃ……」

 

 衛兵隊の動揺は著しく、そこを突けば突破は決して難しいものではなかった。浮き足だった兵隊など、少々数が多くとも大して恐ろしくはないのである。

 

 

「この角を曲がれば、正門前のエントランス・ホールだ!」

 

 男中(メイド)をお姫様抱っこ(この世界では王子様抱っこと呼ばれている)の姿勢で抱え、僕は全力で疾走している。彼という人質が居てくれたおかげで、この突破戦はずいぶんと楽になった。正体不明の爆発で動揺している衛兵たちに向け「こいつがどうなってもいいのか!」と言ってやると、彼らは面白いほどに腰が引けてしまったのである。

 彼もどうやらこの状況を面白がっているようで、迫真の演技で「助けてください!」などと騒いでくれたのだ。これの効果はてきめんで、ダライヤが突破口をこじ開ける必要も無く素通ししてくれたことも一度や二度ではなかった。

 僕からすれば、王城務めの衛兵たちはもと同僚のようなものだ。そんな彼女らの血は出来れば見たくはないから、剣を交すことなく押し通ることができる男中(メイド)の援護はたいへんにありがたかった。

 

「……やはり救援が来ていたかっ!」

 

 大ホールへと突入した僕は、そこで繰り広げられていた光景を見て歓喜の声を上げた。王城の玄関とも言えるこの部屋は、他国からの来賓を迎えるべく過剰なくらいに豪華に飾り立てられている。そんないかにも貴族趣味なエントランスはしかし、いまや完全な戦場へと変貌を遂げていた。

 色とりどりのタイルが敷き詰められた床は血の海が広がり、体のどこかを撃ち抜かれた衛兵が倒れ、もだえ苦しんでいる。あちこちからひっきりなしに銃声が聞こえ、鼻孔を懐かしき硝煙の香りがくすぐった。

 衛兵隊が交戦しているのは、全身甲冑を着込んだ騎士の一団だった。騎士とは言っても、彼女らが振るっている武器は剣や槍ではなく小銃である。騎士たちは小銃を撃つたびにその機関部に備えられているレバーを引き、銃身の後ろ側から新たな弾丸を再装填していた。ボルトアクション式小銃特有の動作だ。

 

「ん? ああっ! アル様! なんでこんなところに!」

 

 衛兵隊に猛射撃を加えていた騎士の一人が、こちらを見て叫んだ。そして、兜のフェイスガードを開けてこちらにブンブンと手を振ってくる。あらわになった顔は、もちろん見覚えのあるものだった。僕の近侍隊の隊長、ジョゼットだ。

 

「アアッ!? あれ、ブロンダン伯爵ですよ! いつの間に脱走を……」

 

「そんなことはどうだっていい! 奴らは伯爵を奪還するつもりなんだ、絶対に合流を許すな!」

 

 衛兵隊があわててこちらに槍を向けたが、もちろんそれを指をくわえて見ているジョゼットではない。彼女が「アル様を援護しろ! 集中射撃!」と命じると、騎士らは一斉のボルトアクション小銃を撃ちまくった。

 

「グワーッ!!」

 

「くそ、後退! 後退!」

 

 鎖帷子に剣と槍という装備の衛兵隊が、後装式小銃を装備したライフル兵にかなう道理はない。彼女らは全身もままならず、遮蔽物の陰に隠れることしかできなかった。その隙に、僕とダライヤは全力疾走でジョゼットらと合流する。

 

「ああ、アル様! よかった、よくご無事で……」

 

 出迎えたジョゼットは、目尻に涙を浮かべながら僕に抱きついてくる。間に挟まれた男中(メイド)が、「きゅう」と小さく声を上げた。

 

「アッ、失礼! ……この方は一体?」

 

「ただの戦利品です、お気になさらず」

 

 男中(メイド)はクールに表情を取り繕いつつそう答えた。救援部隊との合流に成功した今、彼をこれ以上戦闘に巻き込む理由は無い。謝礼はまた後ほどコッソリ渡すとして(表だってやると彼の実家に迷惑をかける)、今日のところは安全地帯まで連れて行って解放してやるべきなのだが……

 何故か彼は僕の服をガッツリと掴んでおり、離そうとはしなかった。これでは下ろせないのだが、さてどうしたものか。そんな彼を、ジョゼットがなんとも言えない目つきで見ている。

 

「さ、左様ですか……まあ、それはいいとして、アル様はどうしてここに? 救出部隊はまだ投入してないんですけど、まさか自力で脱出してきたのですか?」

 

「自力で脱出してきました」

 

「ああ、もう、この人は……」

 

 顔を手で覆いつつ、ジョゼットはいささかオーバーな動作で首を左右に振った。そんな彼女の横腹を、ジト目のロリババアが小突く。

 

「オヌシらが助けに来るのがあんまり遅いもんじゃから、こやつは我慢がならなくなって勝手に鳥かごから飛び出しおったのじゃよ」

 

「そりゃ申し訳ないですけどねえ! こっちにはこっちの事情が……」

 

 反論するジョゼットだったが、すぐに首をブンブンと左右に振って発言を止めた。大ホールに、魔装甲冑(エンチャントアーマー)で全身を固めた騎士の一団がどかどかと入ってきたのが見えたからだ。

 

「反乱軍ども! ここをどこだとお思いですの!? 貴様らのような下賎のものが土足で踏み込んで良い場所ではありませんわよ~!」

 

 その先頭に立つのは、見覚えのあるお嬢様言葉の騎士。そう、近衛騎士団の臨時断腸バルリエ氏だ。増援としてやってきたのは、近衛騎士団だったのである。

 バルリエ氏は僕の方をちらりと一瞥したが、小さくため息をついて口をつぐんだ。彼女と僕は、ほんの数時間前までは緊密に連絡を取り合うような仲だったのだ。いきなりの脱走騒ぎに、思うこともそれなりにあるのだろう。

 正直かなり申し訳ない気分になったが、こればかりは仕方が無い。僕の本来の仕事はリースベンの領主なのだ。これまでの判断ミスからくる失点は、実務で取り戻さなくてはならない。結局のところ、脱出以外の選択肢は無かった。

 

「厄介なのが出てきましたね」

 

 苦々しい表情でジョゼットが吐き捨てる。近衛騎士は、衛兵などとは比べものにならないほど装備も練度も優れている。とくに、銃弾も弾く魔装甲冑(エンチャントアーマー)はライフル兵にとって悪夢以外の何物でもなかった。まともに相手をすれば、いかに近侍隊とはいえ苦戦は避けられないだろう。

 

「どうやら、むこうはあまりやる気が無いようじゃな。まあ、ほんの先刻までともに茶を飲んでいたような相手に剣を向けるのは気分が悪かろうて」

 

 戦列を組み始めた近衛隊に意味深な目を向けながら、ダライヤがつぶやいた。実際、精鋭で知られる近衛にしては彼女らの動きは鈍いように見える。隊長のバルリエ氏も声音こそ威勢の良いものだが、命令には具体性が欠けていた。

 

「命令を受けて仕方なく動いている、そういう動きじゃ。お互いにとって望まぬ戦いをせぬためにも、ここはさっさと撤退したほうが良いじゃろうて」

 

「そんなことは言われるまでも無い。アル様も回収できたことですし、こんな場所にながなが留まり続ける気はありませんよ」

 

 あきれの混ざった声音で言い返すジョゼット。彼女は露骨に何か言いたげな目つきで僕を一瞥してから、部下らに命令を下した。

 

「救援部隊と合流しよう。赤色信号弾を放て! ネェルたちに作戦中止を伝えるんだ!」

 

 ジョゼットがそう命令すると、近侍の一人が腰から細長い紙筒を引っこ抜いた。その外見は、手持ち式の小型打ち上げ花火によく似ている。実際、その機能は打ち上げ花火そのままのものだ。

 近侍は半壊して大穴と化した門から飛び出し、空に向けて信号弾を発射した。小気味の良い破裂音とともに、夜空に小さな赤い火球が現れる。

 

「ネェルまで来てるのか」

 

 僕がジョゼットに聞くと、彼女はこくりと頷いた。

 

「ええ。私たちは陽動部隊でしてね。こちらが敵の目を引きつけている間に、ネェルたちが貴方を救出する予定だったんですよ。まあ、その予定もすっかり狂ってしまったわけですが」

 

「いや、すまんすまん」

 

 苦笑しながらジョゼットに頭を下げる。まあ、とにもかくにも合流には成功したんだ。あとは王都から脱出するだけだが……この様子を見ると、救出部隊の兵力はかなり少ないようだな。特殊部隊による浸透奇襲作戦と言ったところだろうか?

 ネェルがいるなら戦力的には十分かもしれないが、王都には少なくない数の部隊が守りについている。城から出た後も、追撃部隊との熾烈な戦いが続くことは間違いないだろうな……。



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第640話 くっころ男騎士の再会

 ジョゼットに率いられた救出部隊と合流することに成功した僕たちだったが、まだ安心するには早かった。どうやらジョゼットらは少人数の潜入部隊のようで、戦力に余力があるようには見えなかったからだ。

 この城はガレア王国の中枢だ。主力部隊は出陣中とはいえ、その警備は尋常では無く手厚い。一個小隊程度の兵力しかない現状では、いかに近侍隊が精鋭であってもじきにすりつぶされてしまうだろう。

 

「敵を近付けさせるな! 撃って撃って撃ちまくれ!」

 

 僕たちは強固な防御陣形を組み、近衛と衛兵の合同部隊に対して牽制攻撃を仕掛けながら正門の外へと出た。とはいえ、それはあくまで天守(キープ)から出たというだけに過ぎない。城を防御施設としてみるのならば、むしろここからが本番だった。

 王城はこの手の城郭としてはごく標準的な構造をしており、本丸の周囲にはいくつかの曲輪(二の丸、三の丸)が構築され敵軍の侵入を阻んでいる。城下町まで逃げ延びるためには、ここからさらにそれらの関門を突破せねばならないのだ。

 レーヌ城の戦いの焼き直しだな。懐かしき硝煙の香りに包まれながら、僕は薄く笑った。あの時もたいがい無茶をしたものだが、同じようなことをまたやる羽目になるとは。正直なところ勘弁して欲しかった。

 

「おおい! こっちだ!」

 

 近侍隊の一人が発煙筒を振り回しながら叫ぶ。耳を澄ますと、独特な羽音がどんどんと近づいてきていた。翼竜(ワイバーン)などとは明らかに違う、この昆虫めいた飛翔音。

 次の瞬間、ドシンと凄まじい音がしてナニカが天上から落ちてきた。微かな月光に照らされたそれは、下半身がカマキリで上半身が人間という異形の姿。初めて出会ったときは恐怖を覚えたその外見も、今となっては頼もしさと愛しさしか感じない。

 

「ネェル!」

 

 僕は思わずそう叫び、彼女のもとに駆け寄った。まだ抱っこしたままだった男中(メイド)くんが、「ひい」と小さく声を上げる。

 僕たちはすっかり慣れてしまっているが、確かにネェルの姿は初見の者にとっては少々刺激が強いかもしれない。少し苦笑して、「大丈夫、味方だ。そこらの兵隊よりもよっぽど淑女的な娘だから、安心していい」と耳打ちしておく。

 

「アルベールくん!?」

 

 こちらの声を聞いたネェルは、目を細めながらそう叫んだ。その目つきからみて、どうやら僕たちの姿はよく見えていないようだった。彼女はまったくもって夜目が効かないのだ。……そんなんでよく夜間飛行ができたな。

 

「えっ、えっ、本当に、アルベールくん、ですか? えっ!? どうしてこっちに……」

 

 ずいぶんと混乱している様子のネェルに、どうにも居心地の悪さを感じる。ジョゼットの本来の作戦では近侍隊はあくまで陽動であり、彼女らが敵の目を引きつけている間にネェルが裏手に回って僕を救出する手はずになっていたようだからな。助け出すはずだった相手が何故か陽動部隊と一緒に居たら、そりゃあ混乱だってするだろうさ。

 

「こいつのことだ、どうせ自前で脱出してきたんだろうさ」

 

 ネェルの背中から何者かが飛び降りてきて、蓮っ葉な口調でそう言い捨てた。ごろつきめいたそのしゃべり方も、掠れたようなその声音も、僕にとってはなじみ深いものだった。

 

「母上!? どうしてここに!?」

 

 まさかの人物の登場に、僕はさっきのネェルと同じ言葉を吐く羽目になった。そう、彼女こそ現世における僕の母親、デジレ・ブロンダンその人である。

 

「馬鹿野郎! 息子の貞操の危機だよ、手をこまねいて見ている母親がどこにいるってんだ! ……ま、ちと到着は遅くなっちまったがね」

 

「私が協力を要請したんです。流石に独力で王城に攻撃を仕掛けるのは厳しかったので……」

 

 いつのまにか寄ってきていたジョゼットが、小さな声で耳打ちしてくる。僕の実家は王都にある。敵地内での信頼できる協力者として母上を選んだと言うことか。なるほど、冴えた作戦だ。しかし……

 

「僕の家族まわりには監視がついていたと思うんですが」

 

 名目上は保護であっても、やはり僕が捕虜である事にはかわりなかった。普通に考えて、その縁者には監視をつけない方がおかしい。相手は諜報畑出身のフランセット殿下だから、このあたりの体制に手抜かりは無いだろう。そんな状態でよく救出部隊と合流できたな。

 

「監視か、確かにそんな連中もいたね」

 

 ニヤリと笑ってから、母上は銀色の小さな水筒を口に運んだ。間違いなく、その中身はウィスキーかブランデー、あるいはジンだろう。

 

「ま、全員ぶちのめしてやったが」

 

「さすがは母上」

 

 変わってないなぁ、この人も。乱暴すぎる解決法に、僕は笑みが隠せなかった。相手はガレアの強盗騎士と呼ばれた女だ。少々の監視部隊など抑止力にもならないだろう。男中(メイド)くんがボソリと「この母あってこの息子あり」などと呟いているが、気にしない。

 

「ついでに言えば、ブロンダン家からの増援はあたしだけじゃあないよ。ホラ、馬鹿娘! あんたも挨拶しときなっ!」

 

「アッハイ」

 

 母上がネェルの足をバシバシと叩くと(当然ながらネェルはクソ迷惑そうな顔をしていた)、その背中側から見慣れた顔がひょっこりと飛び出した。

 

「ど、どうも、お兄様」

 

「カリーナ! お前も来てたのか」

 

「このカマキリちゃんの騎手役だとよ。まっ、これでブロンダン家実戦部隊は全員集合ってわけだ」

 

 そう言うなり、母上は僕が抱いていた男中(メイド)くんの襟首をむんずと掴んで持ち上げた。そしてそれをそのままネェルの背中に無造作に投げ込む。男中(メイド)くんの「ひゃあ!?」という叫びと、カリーナの「ぴゃあ!?」が重なって聞こえた。

 

「戦利品のほうはカマキリちゃんに任せるとして、アンタが持つべきモノはこっちだ。そうだろ?」

 

 歯をむき出しにして笑いつつ、母上は僕に剣を手渡した。僕好みの、両手持ちができるよう柄が延長されたサーベルだった。そしてついでとばかりに陶器製の酒瓶も押しつけてくる。

 

「そっちは脱獄祝いだ。駆けつけ一杯やっときな」

 

「ウッス」

 

 母親からの久しぶりのプレゼントだ、もちろん受け取り拒否などという選択肢はない。コルク栓を開け、中身を口に流し込む。

 

「娑婆の味だ」

 

 王城で饗されていたワインには遙かに劣る風味だが、僕はリースベンに赴任する前にはこの大衆ワインを毎日のように飲んでいたのだ。正直に言えば、こちらのほうが何倍もウマく感じる。

 

「なんだろう、感動の再会が、ぜんぶ、義理の母に、もっていかれちゃったんですが」

 

「仕方ないよ、お義母様だもの」

 

 唇をとがらせるネェルを、カリーナが慰めた。うん、本当に母上ならしゃーないよ。この人、場に存在するだけで湿っぽい空気をぜんぶ退散させてしまうようなパワーがあるんだよな。

 

「ははっ、みんなが来てくれて嬉しいよ。ありがとうね」

 

 実際、懐かしい空気に触れた僕は鼻の奥がツーンとしていた。やっぱり、お城の奥でしおらしくしているよりも彼女らと一緒に馬鹿話をしているほうが何倍も楽しいな。

 このままずっと緩い空気に浸っていた気分だったが、残念ながらそれは状況が許さない。ポンポンと軽い破裂音がして、周囲が明々と照らし出された。敵方が照明弾を発射したのだ。

 

「曲者はあそこだ! であえであえ!」

 

 それと同時に、後方から敵集団が現れる。板金製の胴鎧と兜で身を固め、小銃で武装した集団だ。装備から見て近衛や衛兵ではない。王城に駐留している王軍の正規部隊だ。

 

「またぞろ厄介そうな連中が出てきたのぉ」

 

 やれやれといった様子でダライヤが肩をすくめる。周囲に遮蔽物のない状態でライフル兵とやり合うのは、ボルトアクション銃の優位込みでもなかなかに難儀だ。敵が体勢を整える前に対処した方が良いだろう。

 

「ひとまず城下町まで撤退しましょう。アル様、指揮をお願いします」

 

 ジョゼットの提案に、僕はサーベルを鞘から抜き放ちつつ頷いた。その切っ先を敵歩兵隊に向け、気合いを入れて叫ぶ。

 

「よろしい、では行くぞ! 突撃ッ! 我に続けェッ!」

 

 



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第641話 くっころ男騎士の突破戦

 門前の近衛・衛兵連合部隊、門後の王軍ライフル兵部隊。ネェルたちの増援を受けてなお、状況は楽観できるようなものではなかった。しかし、だからといって怯んでいる暇はない。迅速な行動こそが、この難局を乗り切るための唯一の方策だった。

 幸いにも、僕たちはすでに四面楚歌状態の城郭から脱出した経験が一度あった。占領されたばかりだったレーヌ城とこの王城では規模も警備も比べものにならないが、それでもまったくの未経験よりはよほどマシだろう。

 

「突撃ッ! 我に続けェッ!」

 

 サーベルを抜き放ち、迎撃態勢を整えようとしている最中の王軍ライフル兵部隊へと突撃をかける。射撃戦ではこちらが不利だ。敵が本格的な射撃を始める前に肉薄しておく必要があった。

 

「いかん! 撃て! 撃ちまくれ!」

 

 夜闇を切り裂くように複数の発砲炎(マズルフラッシュ)が瞬いた。少なくない数の鉛玉が僕たちに向けて殺到する。

 

「これだけ、明るければ……!」

 

 しかし、こちらには飛行戦車に等しい能力を持つネェルが居る。突撃の矢面に立った彼女は、鎌を振るって次々と弾丸を弾き飛ばしていく。夜目が利かず夜戦を苦手とするネェルだったが、敵側の打ち上げた照明弾がその不利を打ち消していた。

 

「ひええ」

 

 ネェルの背中に乗せられたままの男中(メイド)くんが悲鳴を上げる。こんなことになる前に逃がしてやるつもりだったのだが、味方との合流にともなうゴタゴタですっかりその機を逸してしまっていた。正直かなり申し訳ないが、もはやどうしようもない。

 

「倍返しにしてやれ!」

 

 サーベルを指揮杖のように振り回して命令する。ジョゼットたち近侍隊と、そしてネェルに跨がったままのカリーナがボルトアクションライフルを構えた。一斉に銃声が響き、一瞬遅れて敵陣から情けない悲鳴がいくつもあがった。

 

「ネェル! 敵に再装填の隙を与えるわけにはいかないわ! 突っ込みましょ!」

 

「お任せ、あれ」

 

 ネェルの翅ががふわりと広がり、弾丸のような勢いで敵に突っ込んでいった。先ほどに 倍する悲鳴が敵方から聞こえてくる。ゾウほどの体格を誇るネェルが百キロオーバーの勢いで突撃してくるのだ。やられた方からすれば、悪夢以外の何物でも無いだろう。

 

「グワーッ!」

 

 数百メートルの距離をひとっ飛びで越え、ネェルの鎌が敵兵を刈り取り始めた。その頃には既に近侍隊も小銃の再装填を終えており、第二斉射を仕掛けてカマキリ娘を援護する。

「こいつが噂の化け物カマキリか! 怯むな! 数を頼みに袋だたきにすれば勝機はある!」

 

 とはいえ、敵もやられるばかりではない。なにしろ相手は王城の留守を任されるような精鋭なのだ。初撃で与えられた動揺は最低限であり、すぐに体勢を整えネェルを囲み始める。

 ネェルは鎌を振り回してそれに対処したが、流石に真後ろまではカバーできない。隙を縫って彼女の後方に回り込んだ王国兵が、銃剣付きの小銃を槍のように突き出した。

 

「やらせないよっ!」

 

 だが、ネェルは一人で戦っているわけではなかった。その背中に跨がったカリーナが見事な速度で拳銃を引き抜き、攻撃中の王国兵を撃ち殺す。なるほど、こういう時のためにネェルはカリーナを乗せている訳か。見事な連携じゃないの。

 

「白兵では流石にムリか……! 」

 

 しかし、王軍側の指揮官もなかなかに優秀だった。近接戦の不利を悟るやいなや、すぐさま作戦を変更する。

 

「第一分隊は足止めに徹しろ! その隙に、第二、第三分隊の一斉射撃で仕留めるんだ!」

 

 無双という言葉の体現者のようなネェルだが、万能というわけではない。最新鋭の戦車ですら、弱点を突かれると歩兵に食われてしまうことがあるのだ。ましてや、ネェルは戦車とは違って全身を堅い甲殻で鎧っているわけではない。四方八方から射撃を受ければひとたまりもないだろう。

 

「近侍隊は撃ちまくりながら敵射撃班に突っ込め!」

 

 戦車にしろネェルにしろ、弱点をカバーする方法はまったく同じだ。すなわち、随伴歩兵の投入である。ジョゼットらは小銃を腰だめに構え、射撃体勢を整えつつある王国兵の集団へと突撃した。ほのかな月光が、彼女らの小銃の先端に装着された銃剣を煌めかせる。

 

「カマキリちゃんの身辺を守るのはブロンダン家の役割ってわけか。悪くない作戦だねっ!」

 

 肉食獣めいた笑みを浮かべた母上が、サーベルを手にネェルへとまとわりつく兵士へと斬りかかった。王国兵は慌てて小銃を盾にそれを防ごうとするが、母上の剣筋が魔法のようにゆらりと揺れて防御をかいくぐる。悲鳴と鮮血が周囲に響き渡った。

 只人(ヒューム)だてらに騎士などやっているだけあって、母上の剣技はそこらの雑兵などとは比べものにならない。倒れる被害者には一瞥もくれず、彼女は次の獲物へ襲いかかる。

 

「キエエエエエッ!!」

 

 僕も負けちゃいられない。猿叫を上げ、手近な王国兵に斬りかかった。敵は騎士ではなく一般兵であり、防具は胴鎧と兜しかつけていない。身体強化魔法を使わずとも、がら空きの首を狙ってやれば容易に一撃で討ち取ることができる。

 

「チッ……」

 

 本当に久しぶりに人を斬ったが、どうにも嫌な感じだ。体がイメージ通り動いていない感じがある。長々と籠の中の鳥をやっていたせいで、すっかり体と腕が鈍ってしまっているようだった。こりゃ、調子を取り戻すまでにはなかなかの鍛錬が必要そうだぞ。

 

「剣が業物らしいのが救いか。今日のところは道具に頼るほかあるまいね」

 

 幸いにも、母上の寄越してくれたサーベルは前に使っていたものよりも遙かに切れ味が良かった。おそらく、よほど腕の良い名工と魔術師が協力して作り上げた魔剣だろう。これならば、強化魔法なしでも板金鎧を溶けたバターのように両断できそうだ。流石に、質の良い魔装甲冑(エンチャントアーマー)が相手では厳しいだろうがね。

 ……ウチの武器庫にこんな良い魔剣があった記憶はないんだが、母上は一体どこからコレをかっぱらって来たんだろうか? 正直かなり気になるが、いまは悠長にそんなことを質問している暇は無い。残念だね。

 

「ジョゼットたちもよくやってくれているな」

 

 目の前の敵兵と戦いつつ、僕は近侍隊のほうをちらりと確認した。彼女らは射撃準備のさなかにあった敵ライフル兵に一斉射撃を仕掛けた後、その崩れた隊列に銃剣突撃を仕掛けていた。その効果は抜群であり、王軍側にはもはやネェルを袋だたきにしている余裕などないように見える。

 やはり、練度と装備の差は大きいな。近侍隊は倍以上の数の相手でも余裕を持って対処している。王軍側の小銃は先込め式だから、白兵戦中に再装填などまず不可能だ。一方、我が方はボルトアクション式なので、ちょっとした隙があれば弾丸を込めることができる。これだけ火力に差があれば、多少の兵力差などは問題にもならない。

 

「これだけネェルへの圧力が減れば……」

 

 僕がそう呟くのと同時に、ちょうどこちらと向き合っていた王国兵の体が真っ二つに両断された。ネェルが目にもとまらぬ速度で鎌を振るったのだった。

 僕たちが邪魔者の足止めをしている間に、彼女は王軍歩兵部隊の前衛をほとんど殲滅しおえていた。まだ生き残りもいるが、ネェルの圧倒的な戦闘力に恐れを成して腰が引けている。

 

「ネェル、突撃だ! ジョゼットの援護を!」

 

「あいあいさー」

 

 再びネェルの翅がぐわっと広がり、近侍隊との乱戦のまっただ中にある敵ライフル兵隊に飛翔突撃をしかけた。いきなりの奇襲に、敵方から情けない悲鳴が上がる。

 

「未だ! 押せ!」

 

 敵がビビっているのだ。その隙を逃すジョゼットではない。攻撃の圧力を高め、王軍をさらに追い詰めていく。もちろんネェルもそれに参戦し、まるで草でも刈るような調子で敵兵をなぎ払っていった。

 

「あのカマキリちゃんがアルの嫁を名乗ったときはたまげたもんだが、なるほどこれはお前好みの女じゃ無いか」

 

 王国兵の喉元に突き刺したサーベルを引っこ抜きながら、母上が言った。

 

「あれで性格もいいんだよ? 最高じゃん」

 

「あの男中(メイド)殿を背中に乗せたまま殺戮の限りを尽くしておるのはどうかと思うがのぉ」

 

 剣に付着した血脂を袖で拭き取っていたダライヤが唇をとがらせる。そういえば、男中(メイド)くんはネェルに乗せっぱなしになっていたな。声が聞こえなくなってるけど、まさか気絶でもしたのだろうか? ……ま、ネェルの背中にはカリーナもいる。多分大丈夫だろう。

 

「彼の件についてはネェルではなく母上が悪いので」

 

「しょうがないじゃないか、あそこが一番安全なわけだし」

 

「そりゃそうか、ははは」

 

「だろ? わっはっは」

 

 などと笑い合いつつも、僕たちの受け持つ戦場は既に残敵掃討のフェイズに突入していた。石畳の床は王国兵の血で染まり、敵方はすっかり戦意を喪失して逃亡者すら現れつつある。もちろんそれを追撃する必要など微塵も無いから、あとは悠々と正面突破を目指せば良い。

 

「よし、もう一度強襲を仕掛けて、王軍側の戦意を折ろう。衛兵隊や近衛が余計な事をしでかす前に、この場からトンズラこきたいところだしな」

 

 王城側をちらりと伺いながら、僕はそう呟いた。王軍との先端が開かれた後は、城内に詰めていた衛兵・近衛連合部隊は様子見に徹している。おそらく、友軍からの誤射を警戒しているのだ。彼女らは剣や槍などの白兵戦装備しか持っていないから、ライフル兵主体の王軍との連携は難しい。

 とはいえ、状況がここまで我々優位になれば話は変わってくるだろう。もはや、王軍には射撃戦に回帰する余裕などないのだ。じきに、槍を携えた近衛や衛兵たちが攻撃を再開してくるに違いあるまい。

 

「全力でブン殴って、相手が動揺している間に即逃走。なるほど、お前も強盗のコツはよくわかっているようだな。さすがはあたしの息子だ」

 

「強盗をやったことはいまのところ一度も無いんだけどなぁ!」

 

「やはりこの親子、実はエルフではないか……?」

 

 ダライヤがボソリと余計な事を呟くものだから、僕は苦笑を隠せなかった。まったく、なんて失礼なことを言うんだこのロリババアは。あとで折檻してやる。

 まあ、それより今は敵陣突破だ。もはや敵前衛は潰えたも同然。そろそろジョゼットらのほうに加勢を……。

 

「げぇっ!?」

 

 その瞬間、僕の口から品のない声が漏れた。複数の馬蹄の音が聞こえてきたからだった。みれば、全身甲冑に身を包んだ騎士の集団が、二の丸のほうからこちらに向けて突っ込んできている。彼女らが掲げる紋章は、僕としてもよく見慣れたものだった。

 

「おいおいおい、ありゃあスオラハティ家の家紋じゃないか。友軍……ってわけじゃなさそうだな」

 

「間違いない、マリッタだ。あの野郎、王太子と一緒に出陣したんじゃなかったのか……?」

 

 微かな動揺の浮かぶ母上の言葉に、僕は務めて平坦な口調で答えた。まさか、ここでマリッタが出てくるとは。ちょっとこいつは予想外だぞ……?

 



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第642話 くっころ男騎士とカマキリ娘の決断

 立ち塞がる王国ライフル兵を蹴散らし、突破口が見えた矢先の出来事であった。増援として現れたのは、スオラハティ家の紋章を掲げた重装騎兵集団。そう、マリッタである。

 

「……」

 

 ちょっと……いや、だいぶ困った。門前のスオラハティ騎兵隊、門後の近衛騎士団。現状を要約するとそういう感じである。

 幸いにも、後方の近衛騎士団はまだ様子見を続けているようで、正門に槍衾のバリケードを作る以上の対応を取っていない。どうやら、僕たちの脱出阻止に積極的に参加しようという気概はないようだった。

 しかし、マリッタはそのような手ぬるいやり方はしないだろう。むしろ、やる気満々であるはずだ。弾薬も消耗している現状で、万全な彼女らと正面衝突するのはかなりしんどい。

 

「……ジョゼットらと合流しよう。とにかく、戦列を組まないことにはまともに戦えない」

 

「同感だね」

 

 僕と母上、そしてダライヤは残敵を牽制しつつ近侍隊やネェルの元へと急いだ。一度は士気崩壊寸前まで追い詰められていた王国兵たちだが、味方の馬蹄の音を聞いて戦意を取り戻しつつある。おかげで前に進むのも一苦労だった。

 

「まぁた城内でスオラハティ騎兵隊に追われる羽目になるとは! これで二回目ですよ!!」

 

走り寄ってきた僕たちをみて、ジョゼットがうんざりしたような表情で叫ぶ。似たようなシチュエーションが、レーヌ城からの脱出戦でもあったのだ。

 あの時もたいがい難儀したモノだが、今回はなお酷いかもしれない。なにしろ前回はあくまで後方からの追撃だったが、今回は前から迫ってきているのだ。退路は近衛騎士団の槍衾で塞がれており、交戦の回避は不可能だった。

 

「良かったじゃ無いか。マリッタの騎兵隊と僕の近侍隊、どちらが強いか白黒つける良い機会だ。燃えるね」

 

 などと軽口を叩きつつも、僕の頭脳は高速で空転していた。状況は明らかに悪化しつつある。早急に対処せねば手遅れになりそうだが、冴えたアイデアは湧いてこない。いや、手遅れになりそうというか、すでに手遅れなのでは……?

 

「……最悪、お前だけあのカマキリちゃんに乗せてもらって退避、というのも手だぞ。少なくとも、作戦目標であるお前の救出だけは成るわけだからな」

 

 母上が嫌なことを囁いてきた。なるほど、ネェルの飛行能力を生かす案か。マリッタ自慢の騎兵とは言え、空に逃れれば対処のしようがないのは確かだろう。しかし……

 

「ダメだ、ネェルは長距離を飛べない。結局、いずれまた地上で敵に捕捉されることになるだろう。そのときに、使える戦力が僕とネェルだけではじり貧になるのは確実だ……」

 

 それに、空の旅もまったくの安全というわけではない。昼になれば、王軍自慢の翼竜(ワイバーン)騎兵部隊が出てくるのは確実だ。いくらネェルでも、人を背中に乗せた状態で翼竜(ワイバーン)相手に空中で連戦を続けるのは厳しい。

 

「……ネェル! 敵前衛をなぎ払え!」

 

 母上やジョゼットを見捨てるような真似はしたくないし、戦略的に見てもここで歩兵戦力を切り捨てるのは論外だ。手札を使い潰すような戦術は、後詰めに使える他の手札があってこそ初めて選択肢に入る。今の僕にはそのような贅沢な戦法は取れない。ならば、ムリでも何でも皆が無事に脱出できるやり方を模索するほかないだろう。

 

「お任せ、を!」

 

 ネェルが両手の鎌を大きく広げ、旋風のようにキリキリ舞いした。戦列を組んでいた王国兵が次々に殺されていく。まるで雑草だらけの野原を草刈り機で刈っているような景色だった。

 いま僕たちがやるべき事は、目の前の雑兵を素早く片付けマリッタ騎兵隊との戦いに専念できる環境を整えることだ。こんな狭い空間で騎兵と歩兵の混成部隊と戦うなんて冗談じゃないからな。手近な仕事からさっさと終わらせるほかない。

 

「ぐっ!?」

 

 乾いた銃声が響き、ネェルが苦悶の声を漏らした。敵歩兵の放った銃弾が、彼女の二の腕をえぐったのだ。大ぶりな攻撃は隙も大きい。さしものネェルも、大回転攻撃を仕掛けながら鉄壁の防御を維持するのは困難だったのだ。

 

「こんなろ! よくもネェルを!」

 

「ぬわっ!?」

 

 彼女の背中に跨がったカリーナが、怒りの声とともに拳銃を乱射する。ネェルを狙っていた王国兵の一団が、掃射を浴びて怯んだ。

 

「ふんぬ」

 

 もちろん、その隙を逃すネェルではない。即座に追撃を仕掛け、敵の一隊をあっというまに刈り取ってしまう。被弾した割には、その動きに鈍りは無い。彼女は体が大きいため、対歩兵用の銃弾を受けても(それが急所で無い限りは)一撃で戦闘不能になったりはしないのだった。

 

「ネェル! ムリはするな!」

 

 無茶を命じたのは自分の方だというのに、僕は反射的に矛盾した命令を出していた。彼女が傷つく姿は見たくない。いや、それは他の連中だって同じだ。出来ることなら、僕が殿になって皆を逃がしたいくらいだ(もちろん、今の状況でそんなことをしても実現性は皆無だが)。

 ……前世の僕が死んだのは、そういう選択肢を選んだ結果だった。僕は現世でもアレと同じ事を繰り返すのだろうか? たしかに、部下や同僚にすべての責任を押しつけて死ぬまで戦い続けるのは気分が良い。けれども……

 

「おい! 気合いを入れろ、クソッタレども! このままじゃあネェルに全ての手柄を持って行かれるぞ!」

 

 ジョゼットの気合いの入った声が、僕の益体の無い思考を止めた。いかん、いかん。現実逃避している場合じゃ無いぞ!

 

「行けッ! 殲滅だッ!!」

 

 サーベルを振り、ネェルの食い残しを指し示す。ジョゼットらは一斉に「センパーファーイ!!」と応え、這々の体でネェルから逃れる王国兵へと襲いかかった。もちろん、僕や母上、ダライヤもそれに続く。

 

「ば、化け物め……!」

 

「もういい! どうせトドメはスオラハティだ! これ以上わたしたちが命を張る理由は無い!」

 

 この一斉攻撃は、盛り返しはじめていた王国兵の士気を完全にへし折った。一人がライフルを捨てて踵を返すと、他の者もそれに続き始める。僕たちは彼女らを打ち破ったのだ。

 

「アルベェェェェル!! この期に及んで逃げだそうとはいい度胸だッ!!!!」

 

 だが、勝利に浸っている時間は無かった。いよいよ、スオラハティの旗印を掲げる騎兵集団が参戦したのだ。その先頭に立つ大柄な女は……やはり、マリッタだった。

 

「マリッタ! お前、王太子殿下の軍には参陣しなかったのか!?」

 

 上がり始めた息をなんとか整えつつ、マリッタに問いただす。彼女の参戦はまったくもって予想外だった。奴がいなければ、脱出作戦はずっと簡単なものになっていただろう。

 

「ワタシまで王都を留守にしたら、誰が貴様の脱走を阻止するのだッ!?」

 

「それはそう」

 

 まったくの正論だった。僕がこのタイミングで脱走を決意したのは、今ならマリッタとカチ合わずに済むだろうという計算もあったからだ。どうやらマリッタはそこまで読み、あえて僕の前から姿を消して自身を伏兵としたらしい。さすがはソニアの妹、頭が良く回る……。

 

「見ていろ、アルベール! 貴様の希望の火をここで潰し、今度こそ屈服させてやるッ! 突撃用意!」

 

 マリッタの号令に従い、騎兵隊の前衛が隊形を整えた。前衛に立っているのは、全身甲冑に長大な馬上槍という装備の槍騎兵たちだ。

 ライフルが普及した現在においても、槍騎兵隊の破壊力は微塵も色あせていない。対するこちらは隊列が千々に乱れ、防御陣形も取れていない状況だ。おまけに戦場は狭く、後方も塞がれている。逃れる先はどこにも無かった。

 

「アルベールくん」

 

 静かな声で、ネェルが僕の名を呼んだ。そちらに目を向けると、彼女は座った目つきでこちらを見返す。

 

「ネェルが、突破口を、開きます。追撃は、許しません。その隙に、脱出を。……カリーナちゃん。そこの、男の子を、連れて、ネェルから、降りてください」

 

「エッ!?」

 

 カリーナが素っ頓狂な声を上げた。嘘でしょ、と言わんばかりの様子で彼女の肩を揺さぶるが、ネェルは首を左右に振るばかりだった。……彼女は、自らを犠牲に僕たちを逃がすつもりなのだ。

 

「さようなら、アルベールくん。それに、みんなも。後は、すべて、お任せあれ」

 

 



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第643話 くっころ男騎士の決断

 王城の本丸と二の丸を繋ぐ、さして広いわけでも無い通路。そこに立ち塞がるように布陣したマリッタ騎兵隊は、長大な馬上槍をズラリと並べて突撃体勢を作っている。号令が下れば、即座に突撃に移れる構えだった。

 騎手本人はもちろんその乗騎までもが馬鎧をまとった重装騎兵は、ライフル兵にとっては天敵に近い相手である。魔装甲冑(エンチャントアーマー)の強度の前にはライフル弾は通用せず、より大口径の大砲で対処するか、あるいは白兵で装甲の隙間を狙う以外に対処法は無い。結局のところ、ライフル兵ならではの優位が軒並み潰されてしまうということだ。

 

「さようなら、アルベールくん。それに、みんなも。後は、すべて、お任せあれ」

 

 そのような難敵を前にしてネェルの放った言葉が、僕の頭蓋の中で反響する。その空笑いめいた色のついた声には、ひどく覚えがあった。前世の僕が、戦死することになった戦い。あの時の僕は、今のネェルと同じような言葉を吐いていた覚えがある。

 思えば、あの戦いも今と同じような状況だった。圧倒的に優勢な敵集団(”軍”ではなかったが)、味方からの支援は受けられず、配下の部隊は精鋭ではあっても寡兵。さらに言えば、守り通さねばならぬ相手がいることすらも同じだ。

 違いと言えばただ一つ。前世の時の護衛対象は戦火から逃れようとする避難民たちだったが、今回の場合は自分自身が守られる対象であるという点だ。……だから、今回ではあの時用いた策――捨て身の遅滞作戦(捨てがまり)は使えない。僕が倒れれば自動的に作戦は失敗になってしまう。

 

「ネェル!! あんた、自分が何言ってるのか分かっているの!?」

 

 カリーナの激しい声が、一瞬前世に飛んでいた僕の意識を現世へと戻した。我が義妹は、悲壮な表情でネェルの背中をバシバシと叩いている。

 

「一人だけ残って時間稼ぎをするつもりってことでしょ、それ! ふざけないでよ!」

 

「ふざけて、なんか、いません。他に、手は、ないでしょう」

 

 対するネェルの声は、鋼鉄のように硬かった。すっかり決意を固めている態度だ。

 

「……カリーナちゃん。早く、降りて。間に合わなく、なる前に」

 

 僕の頭脳の中の一番冷徹な部分は、彼女の案を肯定していた。現状もっとも少ない損害で状況を切り抜けられる策が、ネェル単独による突破・遅滞作戦だ。

 彼女が捨て身で突撃すれば、あの重厚な騎兵陣だって抜けるだろう。そこからさらに反転し、倒れるまで足止めし続ければいかにマリッタとはいえ手も足も出ないはずだった。

 だが……それをやればネェルは必ず死ぬ。強力無比な彼女とはいえ、無敵では無いのだ。僕はちらりとネェルの二の腕に視線を向けた。

 そこには無残な銃創が刻まれており、当然ながら未だに少なくない出血が続いている。このようなダメージが積み重なれば、ネェルといえどいずれ力尽きる。無敵の人間などこの世には存在しないのだ。

 

「バカいってんじゃないわよ!!!!」

 

 カリーナが、今まで聞いたことの無いような大声で叫んだ。その声音には、道理を蹴っ飛ばして無理を通すような強さがある。

「この私に友達見捨てて逃げろっての!? あんたが死ぬなら私も死ぬからね!! ついでに言えばこの子も死ぬから!! 人質がいるのよこっちは!!」

 

 そのまま、我が義妹はまるでひっつき虫のようにネェルの背中に張り付いた。頑として降りない構えだ。さらに言えば、カリーナの背後には気絶した例の男中(メイド)くんが荒縄で縛り付けられている(落下しないようカリーナが縛ったらしい)。人質とは彼のことだろう。

 ネェルは「えっ、あの、ちょっ」などと言いながらなんとか無理矢理カリーナを引きずり降ろそうとするが、上手くいかない。カマキリにとって、背中はまったくの死角なのである。

 

「よく言った! カリーナ!」

 

 僕は、満面の笑みを浮かべてそう言ってやった。ああ、そうだカリーナの言う通りだ。マリーンは決して味方を見捨てない。捨てがまりなどさせるものか。

 

「ネェル! 君の上官は僕だ、命令に従え! 捨て身なんか許さない! 禁止だ、禁止ッ! 生き延びるならみんなで、だ!」

 

 そんなことを言いながら、僕は心の中でどうしようもない後悔をしていた。今、ネェルがやろうとしていたことは、前世の僕が通ってきた道だ。いま、僕は彼女の選択を誤りだと感じている。つまり、前世の僕の選択もまた誤っていたということだ。

 軍人のもっとも大切な素養は、最悪の状況でも最善にむけてあがき続けることだろう。そう、ちょうど今のカリーナのようにだ。安易に思考停止して自己犠牲に酔っていたあの時の僕は、ただしい軍人とは言えなかった。

 

「アルベールくん!? でも……」

 

 背後のカリーナを引っかけようと鎌をフリフリしつつ、ネェルが困惑する。カマキリの体では、どう頑張っても自分の背中は触れないのだ。その鎌は無為に空を切るばかりだった。

 

「人質を追加しといて良かったね。流石のカマキリちゃんも、友達と男を道連れにはできないだろ」

 

 ニヤリと笑いつつ母上が呟く。なるほど、男中(メイド)くんをネェルに任せたのはこういう意図があったわけか。冴えてるね。

 

「さすがは母上……」

 

 僕の賞賛に母上はさらに笑みを深め、こちらに拳を突き出してくる。こちらもそれに応え、拳同士をコツンとぶつけ合った。……当然ながら母上は籠手をつけていて、こちらは素手だ。結構痛いぞ、ハハハ。

 

「ネェル、あいつら全滅させるぞ。そうすりゃ足止めなんか必要なくなるだろ」

 

 ネェルに歩み寄った僕は、剣先でマリッタらを指し示しながらそう言った。相手が最精鋭の強敵である事だとか、彼女がソニアの義妹である事だとか、そんな事実は僕の頭からは飛んでいる。みんなが生き残るためにはそんなことに思考を割いている余裕はない。今は、ただ敵を打倒することだけを考えていれば良いのだ。

 

「自信満々じゃないか」

 

 言葉を返したのはネェルではなくマリッタだった。その声音には侮られたことに対する怒りが満ちていたが、その裏には迷子になった小さな子供のような不安が隠れている。

 彼女としても、このような状況には複雑な思いを抱いているのかもしれない。ソニアの妹だけあって、マリッタには妙に繊細な部分があった。

 

「虚勢を張るのはよせ、アルベール。もはや貴様に勝ち目は無い……部下や母親を無駄死にさせたくないなら、いい加減諦めるべきだ」

 

 臨戦態勢の部下たちをちらりと見てから、マリッタは悠然とした態度でそう語りかけてくる。虚勢を張ってるのはお前も一緒だろうにな。何年もの付き合いがあるのに、見透かされないとでも思ってるのかね……。

 

「なんだよ、マリッタ。今更ビビッてんのか?」

 

 だから、僕はあえて憎々しい声音でそう言ってやった。顔には自然と笑みが浮かびつつある。死地で飛ばす軽口ほど楽しいモノはない。

 

「いつまで待たせる気だよ。御託抜かしてないでさっさとかかってこいや」

 

「……ッ!!」

 

 なかなか突撃に移れないことを揶揄され、マリッタは凄まじい形相で歯をかみしめた。この反応、図星だね。こいつ、やっぱり攻撃を躊躇してたみたいだな。なかなか突っ込んでこないと思ったよ。

 

「なんで、この状況で、挑発しちゃうの……」

 

「アルベールだからじゃよ」

 

「ああいう、エルフみたいなとこ、ダメだと、思います」

 

「ワシもそう思う」

 

 隣でネェルとロリババアがボソボソと何かを話しているが、僕はあえて無視した。ムハハ、これだけマリッタのヘイトがこっちに向かったら、もはやネェルによる陽動なんて実行不能だろうなァ?

 

「こちとら、さっきからの逃避行ですっかり疲労困憊なんだよ。そんなヘロヘロな男ひとりファック出来ない程度の胆力で、よくもまあ偉そうに騎士ヅラできたもんだなこの野郎」

 

「こ、この男ふざけやがって……! その放言、後悔するなよッ!」

 

 さらなる追撃にマリッタは完全に激高した。いや、彼女だけでは無い。その配下の騎士たちもまた、怒気をあらわに槍の穂先を震わせている。そりゃあ、公衆の面前で上官がバカにされたらキレるわな。

 このまま怒りで我を忘れてくれれば、ずいぶんと戦いやすくなる。そのままブチ切れてくれ。……まあ、実際のところ万事上手くいってマリッタ騎兵隊の排除に成功しても、状況はそんなに改善しないんだが。

 なにしろ、マリッタの出陣でずいぶんと時間を稼がれてしまった。いい加減、他の王軍も態勢を立て直して迎撃に出てくるだろう。マリッタを倒し、増援の王軍を倒し、城門と城下町を越えて逃亡する……相当無理ゲーだぞ、これ。

 まあ、でも……ネェルにこれだけ見栄を切っちゃったわけだしな。今更イモなんか引けないだろ。無理ゲー? たいへん結構。大好物だよ、そういうの。

 

「この傲慢なクソ男に天誅を下す! やるぞ、貴様ら!」

 

 僕とマリッタは、同時に覚悟を決めたようだった。サーベルの切っ先を振り上げた彼女は、こちらをまっすぐに見据え号令を下す。

 

「総員、突げ――!」

 

「そこまでだ!」

 

 その瞬間のことである。しわがれた、しかし力のこもった声が、戦場に響き渡る。いままさにサーベルを振り下ろそうとしていたマリッタが、凍ったように動きを止め僕たちの遙か背後に目をやった。

 

「そんな、陛下……!? どうして」

 

 陛下!? 陛下と言ったか!? 予想外の言葉に混乱しつつ、僕も後ろを振り返る。そこに居たのは……体調不良で寝たきりになっていたはずの、ガレア国王陛下その人だった。

 

 

 



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第644話 くっころ男騎士とガレア王

 ガレア王国の国王、パスカル・ドゥ・ヴァロワ。御年八十三歳の彼女は、去年から続く国難のせいか実年齢よりもさらに老け込んで見えた。背中はすっかり曲がり、膝は今にも砕けそう。どうやら自力で立つことすらままならないらしく、その体は隣に立つ臨時近衛団長バリルエが支えていた。

 だが、そんな彼女の目には尋常ならざる光が宿っている。老いにも苦難にも屈さぬという気迫の光だ。彼女は、そんな威厳に満ちた目でいままさに激突しようとしていた僕たちとマリッタ騎兵隊を睥睨している。

 

「陛下の御前であるぞ! 双方、剣を収めよ!」

 

 陛下を支えるバルリエ氏が、張りのある声でそう命じた。……なるほど、読めたぞ。陛下を連れてきたのはバルリエ氏だな? 妙に近衛が静かだと思ったら、裏でこんなことをしていたのか。

 僕はちらりとマリッタのほうを伺った。下したハズの突撃号令が不発に終わってしまった彼女は、すっかり混乱した様子で新たな命令を出せずにいる。上官がそういう状態だから、部下の騎士たちも動けずにいるようだ。

 いや、もちろん困惑しているのはマリッタたちばかりではない。母上やジョゼット、ネェル、そして僕自身すらも、振り上げた拳の降ろしどころを見失ってしまっている。例外はロリババアくらいだった。

 

「失礼いたしました、陛下」

 

 僕は大きく深呼吸をして、陛下の方へ振り返った。そのまま間髪入れずに膝を折り、臣下の礼を取る。頭蓋と腹の中にはまだ熱い戦意が煮えたぎっていたが、努めてそれを冷却する。陛下のご登場は、状況を一変させるだけの衝撃があった。ここから戦闘を再開するのは上手くない。

 まあ、いいさ。むしろ状況は改善している。バルリエ氏は両者に剣を納めろと言った。つまり、望んでいるのは話し合い。ここからどういうふうな流れになるのかはまだわからないが、殺し合わずに済む道があるならそれを選ぶべきだ。

 

「……」

 

「……」

 

 ジョゼットや母上、そのほかの近侍たちも僕に続いて跪く。一言の疑問も挟まないあたり、僕の意図を察してくれたようだ。

 

「……チッ」

 

 こうなると、困ったことになるのがマリッタ騎兵隊だ。ここで攻撃を仕掛ければ、陛下の心証を損ねるのは確実。不承不承にサーベルを収め、部下たちに下馬するように命じた。貴人を馬上から見下ろすのは不敬だからだ。

 よし、よし。連中を馬から引きずり下ろせただけでもずいぶんと状況は楽になった。もし陛下が僕たちの捕縛を命じても、即座に反転攻撃をかければ突破の目は十分にある。最悪、陛下を人質にするという手もあるわけだし(もちろん、本当に最後の手段だが)。

 

「はぁ」

 

 膝を突き頭を垂れる騎士たちを見回し、陛下は深々とため息を吐いた。そして、頼りない外見からは考えられないようなしっかりした声で「頭を上げよ」と命じる。

 

「訓練にしてはずいぶんと派手にやったな、マリッタ・スオラハティよ」

 

「く、訓練!? 訓練と申されましたか、陛下!」

 

 怒気の籠もった声でマリッタはそう言い返した。耄碌しやがったのか? ババアめ。そう言いたげな口調である。まあ、気分はわかるよ。『あいつめ、絶対に許さん』そう思って剣を振り上げたところで、いきなり制止されたわけだからな。そりゃイラついて当然だよ。

 

「なに、実戦なのか。このパレア城が戦場になるなど、何十年ぶりであろうか。いや、去年の夏も同じようなことがあったな。まったく、穏やかな治世が余の密かな自慢であったというのに、代替わりの直前になって突然に乱れはじめたものだ」

 

 対する陛下の声にも痛烈な皮肉が込められていた。もちろん陛下も去年の王都内乱を忘れていたわけではなく、イヤミを言うためにあえてすっとぼけたのだろう。

 

「確かに陛下の宸襟を安んじ奉るのは我ら臣下の義務ではございますが、だからこそ不埒な輩は見逃せませぬ! 陛下! どうぞわたくしめにアルベールの一党を討てとお命じください!」

 

 陛下がそんな命令を出す気なら、わざわざマリッタの突撃号令をかき消すタイミングで声をかけたりしないと思うんだよな。表情には出さずそんなことを考えていると、案の定陛下は額を抑えて首を左右に振った。

 

「凪いだ水面にあえて波風を立てておいてよくそのようなことが申せたものだ。耄碌したとは言え、余が貴様らの考えを知らぬと思うてか」

 

 そう語る陛下の顔が青ざめて見えるのは、夜空を照らす月光のせいばかりではないだろう。

 

「……すでに走り出した車だ。大した実権など持たぬ今の余に、貴様らを止めるすべは無い。しかし、我が庭先でそれ以上の狼藉を続けるのは認められんな」

 

「……」

 

「言い訳を申す口も無いか。道理の通らぬ事をするからそうなる」

 

 おう、おう。胃が痛くなりそうな叱責だな。それに挟まれるこっちの身にもなってほしい。いや、命をかけた殺し合いよりはマシかもしれんがね。

 

「ブロンダン……の、息子の方。なにを他人事のような顔をしておるか。貴様が全ての元凶だと指弾する気はないが、さりとてまったくの瑕疵(かし)がないとは言わせぬぞ」

 

 ああ、矛先がこっちに向いちゃった。僕は思わず顔を引きつらせかけ、なんとか気合いでそれをこらえた。

 

「ああ、先に言っておくが、貴顕にとっては『必要な手立てを取らなかった』というのは十二分な瑕疵にあたる。ゆめゆめ忘れぬように」

 

「おっしゃるとおりでございます、陛下」

 

 耳が……耳が痛い! いや、うん、まあ、そうだよね。もうちょっとこう、やりようがあったんじゃないかと。そういう気分はもちろんある。気の重い決断を後回しにしてしまうのは、僕の明らかな悪癖だ。今回の内乱も、その性格がおおいに悪影響を与えた感触は正直あるんだよな。

 

「なるほど、流石はこの国の長。公正な見識をお持ちでいらっしゃいますな」

 

 そこへ口を挟んだのがあのロリババアである。ちらりとそちらを伺うと、彼女の顔には妙に楽しげな笑みが浮かんでいる。戦っている最中は陸へ打ち上げられた魚のような表情だったというのに、ずいぶんな落差だな。

 

「貴人の役割とは責任を取ることである……ガレア建国王の言葉ですじゃ。あのお方が亡くなって数百年が経った今も、その哲学はヴァロワの血に混ざって流れ続けておるようですのぉ」

 

「……確かに、初代様の手記にはそのような格言が書かれていたが。しかし、まるでそれを直に耳にしたような口ぶりで語る貴様は何者か?」

 

 思わぬところに落ちていた小石に蹴つまずいたような表情で、陛下が聞き返す。陛下も、そして僕たちの視線も、ダライヤに釘付けになっていた。

 ジョゼットは『マジかこいつ』みたいな顔をしているし、母上は愉快そうな表情だった。さて、僕の顔にはどちら寄りの表情が浮かんでいるだろうか。自分でもよく分からない。

 

「おお、申し遅れました。ワシの名前はダライヤ・リンド。ガレア建国王、マリー=テレーズ・ヴァロワ陛下にお仕えしていたこともある、ただのしがない長命種ですじゃ」

 

 アア!? 出たぞ、ダライヤの寿命マウント! そういやこのロリババア、ガレア王国建国の直接的なキッカケとなったガレア独立戦争にも参加していたという話だったな。建国王本人から剣を下賜されたとも言っていたから、それなりの手柄も上げたのだろう。

思いもよらぬ一撃を食らった陛下は、「ダライヤ……ダライヤ!?」などと小さな声で呟いている。この態度、どうにもババアの名前に聞き覚えがあるようだな。王家には建国王の残した手記がたくさん残っているという話だから、そのなかにダライヤの名前も書かれていたのかもしれない。

 

「……その名には覚えがある。しかし、なにぶん数百年も前の話だ。貴様、いや、貴殿が”あの”リンド卿本人なのか、証明するすべはあるのかね?」

 

「マリー=テレーズ陛下から下賜された剣ならありますじゃ。今は手元にございませぬが、必要とあらば取り寄せましょうかのぉ?」

 

「……いや、結構」

 

 首を左右に振る陛下。よく見れば、その顔には冷や汗が浮かんでいる。うわあ、あんな動揺してる陛下はいままで見たことがないぞ……。

 エムズハーフェン家との交渉の時にも思ったが、歴史の古さを誇る王侯に対して「お前の先祖と会ったことがあるぞ」というマウントは禁止カードレベルの効果を発揮する。しかし、幽閉されていたときは温存していたそのカードをここで切るとはな。何か思惑があるのだろうか。

 

「しかし、いやはや。ワシも永く生きておりますが、マリー=テレーズ陛下ほど偉大なお方とは出会ったことがありませぬ。その末裔のお方とこうして再びまみえる機会を得られるとは、なんと幸運なことでありましょうか」

 

「いや、その……エルフの方が我が城に滞在しているという話は聞いていたのだが、まさかそれがリンド卿だとは思ってもみず……も、申し訳ない……」

 

 うわ、一国の王が「方」とか「申し訳ない」とか言ってるぞ。このロリババア、独立戦争の時に何をやらかしてるんだ。普通に気になるんだが……。

 というか、陛下の登場で一変した空気が、また風向きを変えつつあるな。いつのまにか、状況の主導権はロリババアが握りつつある。さっきまでドンパチやっていた僕やマリッタなど、今や背景みたいなものだ。うーん、流石はクソババア。交渉ごとになるとてきめんに強い……。

 



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第645話 くっころ男騎士と敬老バトル

「しかし、いやはや。ワシも永く生きておりますが、マリー=テレーズ陛下ほど偉大なお方とは出会ったことがありませぬ。その末裔のお方とこうして再びまみえる機会を得られるとは、なんと幸運なことでありましょうか」

 

「いや、その……エルフの方が我が城に滞在しているという話は聞いていたのだが、まさかそれがリンド卿だとは思ってもみず……も、申し訳ない……」

 

 ロリババアのエゲツない長命種マウントにより、陛下はすっかりタジタジになっていた。僕の隣でその景色を見守っている母上は、肩をプルプルと震わせている。別に、国王陛下をバカにされて怒っているわけではない。笑いを堪えているのだ。我が母には、権威者が中指をおっ立てられているのを見て喜ぶ困った癖があった。

 

「あのエルフ、クソ面白いな。流石は私の息子だ、愉快なヤツを部下にしたじゃないか」

 

「よかったですね、母上。もう少ししたらそんな愉快な女の義母になれますよ」

 

「………………冗談はよせ」

 

「マジです」

 

「ミ゜」

 

 などという密かなやりとりする母子(おやこ)を、ダライヤはまるで無視しながら陛下に微笑みかける。ああ、まだ攻勢をつづけるつもりだな。やることがエグいよ……。

 

「陛下と共に戦野を駆けた記憶が、今となっても鮮明に思い出せますじゃ。そう、あれはアヴァロニア軍に街ひとつを焼き討ちされた時。無残な焼け野原を前に、陛下は怒るでもなく、泣くでもなく、ただ一言『無力な貴顕ほど罪深いものはない』とおっしゃられた」

 

「……」

 

「悪いのは無体を働いた敵軍であるというのに、すべてはおのれのせいであると嘆く! なんと責任感が強いお方でありましょうか。ワシの永い人生の中でも、あの時ほど強く『この方のお力にならねば』と願ったことはありませぬ!」

 

 昔話が止まらなくなった年寄りのようなツラで言葉を並べ立てるダライヤだったが、その発言の内容はとんでもなく辛辣だった。なにしろ、実権を孫娘に奪われた陛下に対し、無力は罪だとハッキリ指摘しているのである。

 もちろん、老いたりとはいえ未だに頭のほうはシャッキリしている陛下は、ダライヤの発言の意図をはっきりと理解していた。一瞬口元を引きつらせ、そしてなんとか平静な表情を取り繕う。

 

「あの、あの、ダライヤ殿。興味深いお話をしていただけるのは有り難いのですが、今はそれどころではありませんので、その」

 

 ああ、露骨に話を逸らし始めちゃった。しかしダライヤは追撃せず、「ああ、これは申し訳ない!」とわざとらしい謝罪を口にした。白々しいやりとりだが、よく見れば両者の間では隠微なアイコンタクトが続いている。腹芸を得意とするものたち特有の、言外の交渉だろう。僕にはついていけない領域だった。

 

「こほん! ……話は戻るが。マリッタ・スオラハティ!」

 

 突然に、陛下は矛先をマリッタへと向けた。どうやらダライヤとの無言の話し合いは終わったらしい。こっそりと後ろを伺うと、当のマリッタは能面のような表情になっていた。ブチギレ寸前、そういう風情である。

 

「……は」

 

「今すぐ戦闘態勢を解除し、両ブロンダン卿とその部下ら王都まで護送せよ。彼らはここで解放する」

 

 解放。陛下はそうハッキリと口にした。とうとう我慢ならなくなったマリッタが立ち上がり、強い目つきで陛下をにらみ付ける。主君に向けては成らぬ類いの眼光だった。

 

「なにをおっしゃいます、陛下! アルベールは捕虜であり、その他の連中は彼を奪いに来た反乱軍! 討つ理由こそあれ、許す理由など微塵もございませぬ!」

 

「馬鹿者!」

 

 マリッタもキレかけだったが、陛下も大概キレていた。青筋を立てながらそう叫んだ陛下は、一瞬ヘナヘナと崩れ落ちかける。あわててバルリエ氏が支え直したが、陛下の体力もいい加減限界が近そうだった。寝たきりに近い状態のご老体では、いまや部下を怒鳴りつけることすら一苦労なのだ。

 

「このまま戦いを続けて、万一流れ矢でもブロンダン卿に当たってみろ……! いよいよ、この下らぬ内戦が短期に収束する道筋が途絶えてしまうぞ……!」

 

「……自分も素人ではありません。生け捕りくらいできます」

 

「うぬぼれるな、若造。戦いが全て思い通りに進むことなどあり得ぬ。それが夜戦ならなおさらだ」

 

「……」

 

 黙り込みはしたが、マリッタの目に宿る光りはむしろ強くなっていた。今にも暴発しそうな雰囲気だ。

 

「それに……そこなカマキリ虫人のこともある。彼女が捨て身で無差別攻撃に出てみろ! 鎮圧までに、どれほどの被害がでるのかわかったものではない」

 

 今度はネェルがやり玉にあがった。血まみれの彼女は、なで切りにした王国兵の肉片が付着したおぞましい鎌を持ち上げニッコリと笑う。

 

「ええ、ええ。ネェルは、大食なので。ふふ、この街には、ご飯が、たくさん、ありますね? ええ、お腹いっぱい、食べさせて、くれるのなら、うれしい、ですよ?」

 

 そう言ってペロリと鎌を舐めるネェルは、まるで神話に出てくる怪物のように恐ろしかった。騎士や兵士が身じろぎをする音が、あちこちから聞こえてくる。本職の戦闘員すらおびえさせるだけの迫力が、今の彼女にはあった。

 うーん、怖い嫁さんだぜ。脅しが必要な場面では、躊躇無く化け物を演じる。そういう割り切りができるところ、本当に良い子だと思うよ。好き。

 

「……王都であのような存在が暴れ出したと、そういう話が内外に出回ってみろ。物理的な被害以上に、精神的な悪影響が大きい。戦場の王国兵たちは間違いなく動揺するだろうし、様子をうかがっている周辺諸国もこれを王国弱体化の兆候と捉えるのではないか?」

 

「……周辺諸国、ですか」

 

「うむ。貴様らは神聖帝国を下して外患を断ったつもりでいるようだが、ガレアの敵国は神聖帝国だけではない。北の巨人王国、そしてフランセットによる婚約破棄の宣言以降急速に態度を硬化させ始めた西のアヴァロニア王国……警戒に値すべき国はいくらでもあるのだ。彼女らに隙を見せるべきではない」

 

「……その通りでございます」

 

 下唇をかみしめつつ、マリッタは絞り出すような声でそう応えた。陛下の指摘は的を射ている。マリッタにも、いくら怒り狂っていても正論は正論として受け止められる度量くらいはあった。

 

「ブロンダン卿を取り戻そうとさらなる戦力を投入しても、それは賭けの負けを取り返そうと余計な金をつぎ込み続ける行為と大差ない。カマキリ虫人兵に城内への侵入を許した時点で、戦略的には我らの敗北なのだ。ここは潔く損切りせよ」

 

 陛下の指摘に対し、マリッタは歯ぎしりの音で応えた。つまり、反論ができなかったということだ。

 たしかに、僕の奪還という目的だけならばマリッタが死力を尽くせば達成できる可能性はまだ残されている。だが、陛下はそれを成すまでに受けるであろう物質的・精神的な損失が容認できないと言っているのだ。

 

「………………承知いたしました、陛下。ブロンダン卿を、市外まで案内いたします」

 

 しばしの逡巡の後、マリッタは砂を噛むような調子でそう答えた。事実上の敗北宣言だった。

 

「よろしい。……マリッタ・スオラハティ、貴様と貴様の騎兵隊は、我が孫に残された大切な懐刀なのだ。その刃を、男ひとりのために欠けさせるわけにはいかぬ。わかるな?」

 

「はい、陛下」

 

「分かっているなら良い。では、与えられた任務を果たすように」

 

「……はい、陛下」

 

 あれほど難儀していた城外脱出が、あっさりと決まってしまった。こういうのが、鶴の一声というのだろうか。マリッタが納得できていないように、僕にも納得しがたい部分はある。もちろん、無事に王都を脱出させてくれるというのなら、こんなに嬉しいことは無いが……。

 

「ま、あやつとて現状に思うところはあったということじゃ」

 

 釈然としない僕の耳元で、ダライヤが小さく囁いた。あやつというのは、もちろん国王陛下のことだろう。

 

「だからこそ、ボロボロの体を引きずってこの場まで出てきた。なんともけなげなことじゃのぉ……」

 

 つまり、陛下は最初から僕らを逃がすつもりでマリッタを止めたということか。正直なところ戦略的には悪手のように思えるが、外聞やら損失予想やらを勘案した上の政治的な判断ということになるだろうか。

 ……いや、まあ、国王陛下の真意はいいとして。じゃあ、なぜダライヤはわざわざ陛下を挑発してみせたのだろうか? そう思ってダライヤの方を見ると、彼女はいたずらっぽく笑ってウィンクした。

 

「悩める若人の尻を叩くのも、年長者の役割じゃよ」

 

 ……御年八十三歳も、年齢四桁オーバーから見れば若人か。やっぱり長命種って無法な連中だな。

 



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第646話 くっころ男騎士の決別

 陛下による鶴の一声によって、僕たちは追われる立場から一転丁重に案内をうける身となった。マリッタの騎兵隊による先導を受けながら、城下町を通って市外へと向かう。

 大都会・王都とはいえ深夜ともなると普段はひっそりとしている。例外は、飲み屋や娼館などが軒を連ねるあまり治安のよろしくない区画だけだ。しかし、今日ばかりはカタギの者たちも家から飛び出し近所の衆と身を寄せ合っていた。

 まあ、それも仕方の無いことだろう。王城での戦いは、爆発物や鉄砲などを用いたたいへんに派手なものだったのだ。その戦場音楽はもちろん城下にも聞こえてきていただろうから、衆民たちが不安に思うのも当然のことだった。

 

「なんだいあの怪しげな連中は」

 

「王城の騒ぎの関係者かね」

 

「でも、先導しているのは王家の紋章を掲げた騎士様がたですよ。少なくとも、賊軍の仲間ではないんじゃないですか」

 

 好奇の目にさらされた我々だったが、フル武装かつ王家の旗まで持ち出しているマリッタらに護衛されているわけだから、当然その進路を妨害されるようなことはなかった。スムーズに城下町を通過し、無事に街門の外まで到着する。

 

「……陛下に命じられたのは、あくまで市外までの先導だ。ここからは自分でなんとかすることだな」

 

 王都の正門をくぐるなり、マリッタはぶっきらぼうにそう宣言した。まあ、いつまでも付いてこられても迷惑だからな。この辺で別れる方がこちらとしてもやりやすいだろう。

 ちなみに、ジョゼットらは王都から脱出したあとの準備もしっかり整えていた。別働隊に馬を用意させ、郊外の森に潜伏させているらしい。その連中と合流すれば、アルベール軍の勢力圏まで逃げ延びるのはそう難しいものではないだろう。父上もこの別働隊によって保護されているという話だから、再開が楽しみだ。

 

「わかってる。……案内ありがとう、マリッタ」

 

「うるさい。見逃すのは、今回だけだからな。次こそ、決着をつけてやる。もう、陛下に止められようが、殿下に止められようが、もう知ったことか」

 

 言い返すマリッタの声はひどくぶっきらぼうだった。月光に照らされた彼女の顔には、親に見捨てられた子のような意固地で不安げな表情が浮かんでいる。

 

「決着、ね」

 

 そういって、僕は腰にぶら下げていた陶器ビン(母上から受け取った例の祝いの酒だ)を手に取り、中身のワインを喉奥へと流し込んだ。まだ気を抜いて飲酒にふけることができるような状況ではないのだが、シラフではやっていられないような精神状態だったのだ。

 

「マリッタ。次があるとすれば、かならずお前は自らの姉と対峙することになる。本当にいいのか?」

 

 マリッタの目的は、あくまでソニアにスオラハティ家の当主を継がせることだったはずだ。しかし、この期に及んではその目標が達成される見込みは絶無と言ってもいい。

 よしんば王太子派が内戦に勝利し、ソニアを生け捕りすることに成功しても……殿下は、ソニアがノール辺境領の領主となることは絶対に許すまい。普通に考えて、強敵として自らの前に立ち塞がった相手にそのような温情をかける理由など微塵も存在しないからだ。

 

「……本当にいいのか、だと? 良くなかったら、なんだというんだ。ワタシに寝返りでもそそのかしているのか」

 

 マリッタの口調は甚だ非友好的だった。……僕としては、マリッタが寝返ってくれるというのなら今からでも大歓迎だけどな。

 むろん、必要とあらば彼女を殺す覚悟だってとうに固めている。しかし、好き好んで幼馴染みと戦いたいはずもない。ましてや、ソニアに至っては実の妹を相手に戦わねばならないのだ。その拒否感は、僕の比ではあるまい。

 ……とはいえ、この様子ではマリッタの懐柔は無理そうだな。ちらりと隣のロリババアを伺うが、彼女も首を左右に振るばかり。口八丁ならば誰よりも上手いダライヤですら、いまの彼女の説得は難しいということだ。

 

「ワタシの選んだこの道の先に、望む未来が無かったとしても……今更、後ろを振り返る気はない。行けるところまで行くだけだ」

 

「そうか、分かった」

 

 大の女が、ここまで言っているのだ。これ以上余計な言葉を連ねるのは失礼にあたるだろう。僕は、マリッタの説得をスッパリと諦めた。

 

「……はぁ」

 

 そんな僕を見て、マリッタは深い深いため息を吐く。どうにも、疲れ果てたような表情だった。

 

「知っているか、アルベール。ワタシの初恋の相手は、お前だったんだ」

 

「……知らない」

 

 おい、おい。ウェットな話はもうやめようと思った矢先に、いきなりそんな話をブッこんでくるんじゃないよ。思わず周囲に助けを求める視線を送ったが、ダライヤと母上はニヤニヤ笑いを浮かべ、ジョゼットらは痛ましい態度で首を左右にふるばかり。

 

「けれど、すぐにそれも諦めた。既にお前の隣にはお姉様がいたからだ」

 

「……」

 

「……ワタシの人生は、諦めの連続だった。生まれた時点で、すでに自分の上位互換としか思えぬ姉がいたのだ。あらゆることを諦めねば、やっていけなかった。お姉様の影として生きることだけが、ワタシに残された最後の選択肢である……はずだった。しかし、実際はそれすらも許されなかったわけだが」

 

  マリッタの声は湿っていた。僕は、何も言えなくなって彼女の目を見返すことができない。妄信的なシスコンにしか見えない態度をとり続けていたマリッタだが、その後ろでは彼女なりの大きな葛藤があったのだろう。

 

「もし、ワタシが道を誤っているとすれば……最初に間違えたのは、フランセット殿下の手を取ったときではないだろう」

 

「そりゃそうだ。好いた男を手に入れるためなら、姉が相手でも躊躇無く強奪する。そういう胆力がない女は、何をやってもダメだね」

 

 ひどく端的にマリッタの人生を否定する者がいた。僕の母親、デジレ・ブロンダンである。彼女は出来の悪い弟子を見るような目つきでマリッタをにらみ付けた。

 

「いいかい、バカ娘。いい女に必要なのは、自分を偽らぬ正直さと、決して折れぬ不屈の精神だ。お前にはそのどちらの要素も欠けている。だから、欲しいものが何一つ手に入らないんだ」

 

 耳が痛いどころの話ではない、とてつもなく辛辣な指摘だった。マリッタは一瞬憤怒の表情で母上をにらみ返したが、即座に自分を恥じた様子で目をそらす。

 

「……なんとでも言え。どうせ、これが平和的な会話を交す最後の機会なのだから」

 

「ふん、面白くないガキだねぇ」

 

 どうやら母上は殴り合いも辞さぬ構えで挑発していたらしく、引き下がったマリッタになんともつまらなさそうな声を返す。ロリババアがボソリと「この母あってのこの息子か……」などと呟いた。

 

「もはや言葉は不要だ。決着は戦場でつけるのみ……さらば、アルベール」

 

 一方的に会話を切り上げ、マリッタは王都の方へと戻っていった。残された我々は、何を言うでもなく顔を見合わせる。みな、疲れ切った様子だった。そのわりに、目ばかりがギラギラと光っている。マリッタらや王軍に向けていた戦意が不完全燃焼を起こしているのだ。

 

「決着は戦場でつける、か。お望み通りにしてやろうじゃないか」

 

 ぐっと拳を握りしめ、僕はそう宣言する。もはや後戻りできないのは、僕とて同じ事だ。この期に及んでジタバタはすまい。今はただ、自らに求められる役割を演じるのみだ

 ……求められる役割を演じる、か。責任って、そういうものだものな。僕もソニアも、それから逃げすぎていたのかもしれない。マリッタが混乱するのも仕方の無いことだ。せめて、この過ちは二度と繰り返さないようにしなくては。いま、僕の手の中にあるものだけは必ず守り抜いて見せよう。

 

「さあ、ソニアたちのところへ戻ろう。この茶番劇に終止符を打ちにいこうじゃないか」

 

 こんなくだらない戦争は、今すぐ終わらせなくてはならない。そのためには……フランセット殿下であれ、マリッタであれ、そしてフィオレンツァであれ……誰が相手であっても、戦ってやる。それが軍人である僕の義務だ。

 



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第647話 ナンパ王太子の誤算

「アルベールを奪われたァ!?」

 

 余、フランセット・ドゥ・ヴァロワは激怒した。

 現在、余は軍を率いてオレアン領・ロアール川北岸に陣を張っていた。対面の南岸には、今は反乱軍の姿はない。断絶した補給線を再構築するため、後方に一時撤退しているのだ。

 本来であれば、即座に追撃すべき状況である。もちろん、余も一度はそれを実行した。自ら兵を率いて南岸に渡り反乱軍の背中に斬りかかりはしたのだ。

 しかし、それは上手くいかなかった。反乱軍の撤退は壊走とは程遠い整然としたものであり、反撃もまた極めて的確かつ強力なものだったからだ。

「中途半端な攻撃を仕掛ければ、かえってこちらがやられる」

 そう判断した私は、追撃の中止を命じた。緒戦で大きな損害を受けたガムラン軍は、現在再編成の最中にある。本格的な攻撃は、彼女の軍が動けるようになってからでも良かろう。そういう考えだった。

 そうでなくとも、時間はこちらの味方である。ロアール川の戦いと名付けられたら先の合戦の勝利をこちさらに喧伝した結果、日和見を決め込んでいた貴族の多くが余への帰順を表明しはじめているのだ。

 おかげで、我が軍の戦力は日を追うごとに増大の一途を辿っている。慌てて反乱軍を殲滅せずとも、十分な準備を整えれば次の合戦では圧勝することができるだろう。

 ところが、順風満帆に見えた状況に暗雲がたちこめた。王道から早馬でやってきたマリッタが、耳を疑う報告をもたらしたのだ。

 

「はい」

 

 悪びれずに頷くマリッタに、余は拳を握りしめた。何のために、お前を王都に残したと思っている。そう怒鳴りそうになって、なんとか堪えた。

 今、我々がいる場所はとある農村の村長宅だった。王軍は現在、この村を宿営地と定めて腰を落ち着けている。村長宅は仮設の指揮本部として召し上げ中だ。王族たる余が滞在する場所としてはかなり粗末な建物だが、戦時ゆえ文句はつけられない。

 

「国王陛下の勅命です。臣たるワタシには、選択肢などありはしませんでしたので」

 

 そう前置きしてから、対面の席に腰を下ろしたマリッタは事の次第を説明した。失態の原因は、どうやらマリッタではなくお婆さま……陛下にあるようだ。確かにこの状況で王都に乱を起こすわけには行かない、という陛下の判断は理解できるのだが……。

 ……理解はできても、納得がいかない。卑劣な手段までもちいて”保護”したアルベールを、みすみすあの破廉恥なアデライドの元に返してしまったのだ。これまでの努力が水泡に返ったような気分になって、余は黙然と自らの膝をにらみ付ける。

 

「…………言いたいことは山ほどあるが、それを口にしたところで状況は何も変わらない。とにかく、今は次に打つべき手を考えよう」

 

 勝手なことをする陛下にも、自らには微塵の責任もないように振る舞うマリッタにも、そして寝たきりだと油断して祖母を放置していた自分自身にも、猛烈に腹が立っていた。しかし、今はその失点を取り返すのが第一だ。責任追及は状況が落ち着いてからすべきだろう。

 とはいえ、後方の憂いについては気を払っておく必要がありそうだな。おそらく、陛下に入れ知恵をしたのは近衛騎士団にちがいあるまい。近ごろの彼女らは、露骨に王太子()を警戒している様子だったからな。

 まったく、フィオレンツァはなぜ近衛団長を殺してしまったのだ? いや、フィオレンツァ本人は団長が死んだのは自分とは無関係の事故だと強弁しているが、そんな都合良く事故が起きるはずもない。くだんの事件はフィオレンツァの独断による暗殺でまちがいないだろう。

 この暴走で、余は優秀な手駒をひとつ敵に変えてしまった。これによる不信感のせいか、近ごろのフィオレンツァの行動はどうにも怪しく思える。余は、ろくでもない悪党にいいように転がされているのではないか。そういう不安すら覚える始末だった。

 

「次に打つ手、ですか……」

 

 視線を宙に彷徨わせ、しばし思案するマリッタ。この女は時折腹立たしくなるほどに反抗的だが、頭脳のほうはそれなりに頼りになる。余は余計な口を挟まず、彼女の次の言葉を待った。

 

「王都周辺はアルベールにとって庭のようなもの、いまさら再捕縛は無理でしょう。反乱軍との合流は規定事項として……あの男が、虜囚生活の疲れをゆったり癒やすような真似をするとは思いません。おそらく、合流し次第に我々への攻撃を開始するでしょう」

 

「どうやら、ソラン山地の閉塞も予想よりずいぶんと早く解消しつつあるようですからな。そういう意味でも、攻勢の再開の可能性は高いでしょう」

 

 マリッタの言葉を補足したのは、それまでつまらない茶番を見るような目つきで我々の会話を聞いていたガムラン将軍だった。余は小さくうなり、視線を明後日の方に向ける。

 懐から逃げた鳥が、自分の方へと矛先を向けようとしている。考えたくもない想像だった。アルベールはそんなことしない、そう言い返してやりたかった。

 けれども、彼の意思の硬さは尋常では無い。余は今更ながら、酒場のアルベールと戦場のアルベールがまるで別人であることに気付きつつあった。きっと、今のあの男は本気で余と敵対するだろう。そう思うと、涙が出そうなほどつらかった。

 

「とはいえ、だからといって我らは拙速に動くべきではないでしょう。なにしろ、王軍にとって時間は味方ですから。最小限の戦力で敵を遅滞しつつ、本隊は戦力の充実に努めた方が良いかと」

 

「同感ですな。日和見していた諸侯どもも、やっとのことで重い腰を上げました。本格的な決戦に移るのは、彼女らの兵力を集結し終えてからでも遅くはありません」

 

「旧式兵科ばかりの軍でも、役に立たぬというわけではありませんからね。遅参したからにはそれなりの働きを見せてもらわねば」

 

 沈黙する余を尻目に、マリッタとガムランは粛々と会議を進めていった。いろいろ文句をつけたくなる部分も多いが、やはり彼女らは実務者としては一流だ。奴らを見習わねばと、余は自らの頬を強く叩いた。

 

「余としても貴卿らの意見には賛成である。このロアール川を防衛線として用い、しばし水際防御に徹することにしよう」

 

「たいへんよろしい作戦かと思われます、殿下。……ただ、我が軍による焦土作戦もあって、近ごろは民心も乱れつつあります。亀のように防御陣地に籠もっていては、民にさらなる不安を与えかねません。ガス抜き程度に、南岸での作戦行動も行うべきでしょう」

 

「むろん、理解しているとも」

 

 民心、民心か。ガムランの言葉に、余は渋い顔をするほかなかった。そのキッカケとなった焦土作戦は、このガムランの独断で行われたものだからだ。本来ならそれなりの責めを負わせるべきなのだろうが、彼女は反乱軍撃退の功臣だ。その作戦指導については、事後承認するほかないという事情もあった。

 

「聞いた話では、近ごろエルフの盗賊団がこのあたりの村々を荒らし回っているらしいじゃないか。間違いなく反乱軍の刈田(敵の食料生産地を攻撃し、兵站に打撃を与える作戦)部隊だろう。ひとまずは、この狼藉者どもを標的に定めよう」

 

 反乱軍の来襲に伴って、我が王国の領土内でエルフの集団が目撃されるようになった。この連中は血も涙もない蛮族どもで、集落を襲っては食料や男どもを略奪しているという。その上田畑や村そのものにも火を放っていくというから、下手なオークなどよりもよほど野蛮で凶悪な連中である。

 

「エルフですか。どうやら奴らは、『我々はただの通りすがりの野良エルフであり、リースベン軍とは実際無関係』などと申しておるようですが」

 

 ぼんやりとした顔でそんなことを言うガムランに、余は思わず額を抑えた。彼女が有能な将軍である事は疑いないのだが、なぜか時折こうして惚けたような発言をすることがある。そんなことだから梅毒将軍などと呼ばれるんだぞ。

 

「そんなあくどい任務をやる連中が正直に所属を口にするはずがないだろう! エルフである時点で間違いなく奴らはリースベン軍だ!」

 

「はあ、左様でございますか。承知いたしました、エルフ討伐の準備を進めておきましょう」

 

 まったく、この女は……心の中でぼやきつつ、余が腕を組んだ瞬間だった。ひどく乱暴な音を立て、応接室のドアが開かれる。はいってきたのは、顔を真っ青にした伝令将校だった。

 

「大変です、殿下!」

 

「なんだい、騒々しい……今は重要な軍議の最中だよ?」

 

 余の口からは、ひどくとげとげしい声が出ていた。いい加減、機嫌が最悪だったせいだ。おのれの狭量が恥ずかしくなり、コホンと咳払いをする。

 

「それで、どうしたんだい」

 

「はい、それが……」

 

 伝令将校は、青い顔で呼吸を整えた。なにやら尋常では無い表情だ。これはよほどの報告だなと、密かに覚悟を決める。また、反乱軍がなにかとんでもないことをしでかしたのだろうか?

 

「王国北部にて、スオラハティ軍による帝国領侵攻が行われたようです。神聖皇帝アレクシア陛下は、これを停戦協定破りだと非難。和平条約を破棄し、戦争の再開を宣言したとのことです……!」

 

「は?」

 

 スオラハティ軍による、帝国領侵攻? あまりに予想外の方向から精神を殴られ、余の頭の中は真っ白になった。思わずマリッタのほうを見ると、彼女は凄まじい表情で頭をブンブンと左右に振る。

 

「ち、違……ワタシはそんなことを命じた覚えは……」

 

 そこまで言って、マリッタの動きが止まった。そして、その顔色がみるみる青くなる。

 

「まさか……まさか、ヴァルマか!?」

 

 



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第648話 覇王系妹の騎行

「出遅れましたわ出遅れましたわ~!」

 

 わたくし様、ヴァルマ・スオラハティは愛馬に跨がり田園地帯を駆けておりました。その前後では、複列縦隊の移動隊形を組んだ騎兵たちが長蛇の列をなして行軍しております。

 晩秋の田畑での騎行はたいへん楽しゅうございますけれど、今はそれに浸っている場合ではございません。なにしろ、大切な舞踏会(せんそう)に遅れかけているのですもの。

 

「アナタのところのお排泄物諸侯どもがウスノロだからこんなことになっちまったんですのよ~! 反省してくださいまし~!」

 

 隣を走る甲冑騎士に向かって、わたくし様はお上品な批判を口にいたしました。体躯には自信のあるわたくし様よりもなお背の高い、獅子獣人の堂々たる偉丈婦でございます。

 彼女の名は、アレクシア・フォン・リヒトホーフェン。わがガレア王国の永遠のライバル・神聖ノレド帝国の先代皇帝様でございます。背だけではなく地位でもわたくし様を見下ろすなんて許せませんわね。蹴っ飛ばして落馬させて差し上げようかしら?

 

「文句を言うな。これでも、帝国議会にしては十分に急いだ方なのだ」

 

 渋い表情を浮かべて抗弁する先帝陛下(笑)ですけれど、その声にはわたくし様と同様の焦りがありますわ。まあ、当然のことでしょう。ガレア王国では、とっくの昔に戦端が開かれているのですもの。明らかに致命的な遅参ですわ。

 

「それに、極秘に話を進める必要もあった……この奇襲が王国軍に漏れたりすれば、作戦の効果は半減してしまうからな」

 

 数ヶ月前の戦争で、屈辱的な敗北を喫した神聖帝国。講和条約によって不可侵を義務づけられていたハズの彼女らは、今や王国への征途についておりました。騎兵一万五千もの大軍勢が、王国との国境に向けて進撃しております。

 なぜこんなことになっているか? 理由は簡単、わたくし様が王国とスオラハティの旗を掲げて帝国領に侵攻したからですわ。なにしろ、先に停戦を破ったのは王国軍ですから、帝国としては大手を振って反撃できるという寸法。

 もちろん、この“停戦”破りがわたくし様とアレクシアの共謀のもとで行われた策略であることは言うまでもありません。要するに、ガレア内戦に介入できる大義名分が手に入ればなんでもよかったと言うわけです。

 捕虜となったアレクシアを領地に帰すという名目で神聖帝国入りをしたわたくし様は、ほんの最近までこの謀略を成立させるための裏工作に奔走しておりました。

 神聖帝国は国を名乗るのも烏滸がましいほどの烏合の衆ですから、必要な戦力を集めるだけでもたいへんな苦労がございました。クソボケ諸侯許すまじですわ。

 

「まあ、ギリギリ間に合ったからヨシといたしますわ。でも、駄姉がガムラン将軍(梅毒)に敗退したと聞いた時はビビりましたわね〜!」

 

「本当にな……」

 

 もちろん、神聖帝国内で活動していた時分もガレアの情勢は逐一確認しておりました。アルベールがあのキュウリみたいな王太子に攫われたことも、駄姉の速攻作戦が失敗したことも、もちろん承知しておりましてよ。

 おかげでここしばらくはひやひやしっぱなしで心胆ヒエヒエでしたけど、なんとかなりそうでほっとしましたわ。まったく、あの姉はなにをやってるのかしら? 再会したら指を指して大笑いして差し上げますわ。

 まあ、策の発動に手間取ったわたくし様にも◯・一パーセントくらいの責任はある可能性が無きにしも非ずですけども。

 

「まあ、作戦に失敗したとはいえ大きな損害を被ったわけでもない。むしろ、ソニアが持久戦の姿勢をとったことで、敵の主力を引きつける効果も出ている。これならば、国境地帯の突破は簡単に進むだろう」

 

 そういって、アホクレシア……もとい、アレクシアはウンウンと頷きました。これに関してはわたくし様も同感ですわ。なにしろガレア軍は、国境をガラ空きにしているのですもの。これで突破に失敗するのは余程の間抜けだけでしてよ。

 おまけに、今回出陣した皇帝軍は全軍が騎兵のみで編成されております。その機動力は尋常なものではなく、アルベール軍と合流するのにも大した時間はかからないハズですわ。つまり、今からでも十分遅れを取り戻せるということでしてよ!

 

「国境の突破? ヌルいことを仰らないでくださいな。目指すはガレア王国の国土そのものの突破! 電光石火の進撃で王都を直撃しますわよ!」

 

 この作戦の成就のため、わたくし様はたいへんな努力を払いましたわ。騎兵のみで軍を編成するという異様な構成もそのためですし、鷲獅子(グリフォン)騎兵と綿密に連携して敵の先手を打ち、相手方に防御体制をとる余裕を与えぬ戦術も考案いたしました。もちろん、進軍先で将兵が飢えぬよう補給計画も立てております。

 つまり、この作戦はわたくし様の用兵術の集大成ということになりますわね! あぁ、ゾクゾクしてきましたわ! さっさと王軍をブチのめして王都にわたくし様の旗を立て、その下でアルベールとゴールインしたいですわ〜!

 

「むろんだ。……だが、懸念材料もある。彼はあの破廉恥な王太子の手によって囚われているという話だろう? どうやって救出するのか、そもそも無事なのか……正直なところ、かなり心配なのだが」

 

 顔を伏せながらそんなことを言うアレクシア。騎行中に下を向くのは危ないですわよ?

 

「そんなの気にするだけ無駄ですわ~! 相手はあのアルベールですわよ? フランセットの如き三流の手には余りますわ~! どうせ姉がなんとするでしょうし、なんなら自力で脱出してるんじゃないかしら」

 

 どうやらアレクシアは、男癖の悪さで有名なフランセットの元に好いた男を置いておくのが不安でたまらないご様子。まあ、気分は分からなくもないですけれども……

 でもわたくし様には、あんな日照不良のキュウリみたいな女に、アルベールがどうこうされるビジョンが想像できませんわ! なにしろ相手はこのわたくし様が愛する男ですもの、気を揉むだけムダムダ!

 

「そうか」

 

「そうですわ~」

 

「しかしだな」

 

「体は無駄にデカい癖に気は妙に小さいですわねアナタ~! そんなに心配なら大砲につめてぶっ飛ばしてあげましょうか~? 王都までひとっ飛びでしてよ~?」

 

「それは勘弁して……」

 

「それが嫌ならお黙りなさいクソボケが~」

 

 いい加減にムカついてきたわたくし様は、クソボケに馬を寄せてそのふっとい太ももを蹴っ飛ばして差し上げましたわ。

 もちろんアレクシアは全身甲冑を着込んでおりますから、少々蹴っても痛くも痒くもございません。とはいえ流石に面食らったらしく、「はわっ!?」などと声を漏らしてふらつきました。その間抜けな言動に、わたくし様の心も少しばかり晴れました。

 

「貴様! 陛下になんということを!」

 

 まあ、そのせいで護衛の騎士たちがキレはじめましたけど。仕方がないので面頬を上げ、「ごめんあそばせ」と頭を下げます。わたくし様は謝罪もできる淑女なのですわ。

 

「こ、このトカゲ風情が……!」

 

 ところが、騎士たちは矛を納めるどころかいきりたつばかり。なにがいけなかったのかしら? よくわかりませんけど、頭を下げるついでに卑猥なハンドサインを作って見せつけたのが気に入らなかったのかもしれませんね。

 

「やめよ、やめんかっ! 貴様ら」

 

 アレクシアがしぶーい顔をして、わたくし様と騎士たちの間に割って入ります。せっかく面白くなってきたところなのに、つまらない女ですわねぇ。

 

「ヴァルマは我が友人である。少々の無礼はじゃれあいのうちだ、気にするな」

 

「は、はあ……」

 

 そう言われると、騎士衆も黙るしかない様子。彼女らはこちらを睨みつけ、そのまますごすごと引き下がっていきました。

 

「闘争心を持て余す気分わかるが、その怒りは敵軍に向けよ。良いな」

 

 そうわたくし様に耳打ちして、アレクシアは馬を離してゆきます。……腐っても、君主。こっちが気が立っている理由は察しているようですわね。

 はあ、まあ、今回ばかりはアレクシアの言う通りかもしれませんわね。気分を落ち着かせるため、しばし閉じます。脳裏に浮かぶのは、愛しのアルベールと駄姉二号ことマリッタの顔。まったく、よりもよってあのキュウリ王太子に味方するなんて、なんて愚かな姉なんでしょう。

 駄姉一号ことソニアは……たぶん、マリッタに矛を向けるのは嫌がるでしょう。ここは、わたくし様の出番ですわね。たまには、姉孝行してあげることにしましょうか。

 

「王都まで、二週間」

 

 誰にも聞こえないような声で、わたくし様は小さく呟きます。まったく、決戦が待ち遠しいですわね?



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第649話 くっころ男騎士の決意

 王都を発った僕たちは、ソニアらと合流すべく南へと向かった。アルベール軍はオレアン領からさらに南下した平原地帯に布陣しているという話だから、徒歩旅でも一週間もすれば彼女らのもとにたどり着ける計算になる。

 もっとも、今の僕たちは追われる身だ。当然ながら計算通りには進めない。追っ手に捕まらないよう、身を隠しながら移動する必要があるからだった。

 僕やジョゼットらだけならば変装して一般民衆に紛れるという手も使えるのだが、カマキリ虫人であるネェルに関してはそもそも容姿的に誤魔化しようがないからな(虫人自体、ガレアではかなり稀な存在だ)。結果、僕たちは人目を避けながらの慎重な移動を強いられることになった。

 まあ、一応僕たちは国王陛下のお墨付きを得て解放されたわけだから、ここまで慎重に動く必要もないかもしれんがね。とはいえ、正直なところ今の陛下はほとんど隠居同然の状態だからな……

 軍の実権を握っているフランセット殿下は、僕の脱走に対していい顔はしないだろう。国王陛下の命令を取り消し、捕縛を命じる可能性は十分にある。油断をするわけには行かなかった。

 

「ごめんなさい。ネェルが、いるばかりに、余計な、手間を……」

 

 王都奪取から七日後の昼。僕たちは、とある少領にある森の中で体を休めていた。今回の旅は隠密を徹底する必要があるから、当然移動は夜間に限られる。そして、昼の間はこうして森などに潜み姿を隠しているのだった。

 

「なんでネェルが謝るのさ」

 

 ひどく申し訳なさそうな様子のネェルに、ひっそりとした声でそう言い返す。現在、僕は彼女に抱っこされその大きな胸の中に収まっていた。これは、近ごろの僕が就寝するときの定位置だった。

 ちなみに、周囲の木陰には近侍隊の騎士たちや母上、それに王都脱出の直後に合流した父上の姿もある。彼女らに私的な会話が漏れるのはいささか恥ずかしいから、僕もネェルもささやく程度にしか声を出していない。

 

「だって……」

 

「なにが、『だって』だ。言い訳するんじゃない」

 

 ものすごく理不尽なことを言いながら、僕は彼女の鎖骨あたりに噛みついた。もちろん、甘噛みだ。ネェルは「アッ!?」などと言いながら身じろぎをする。痛みにはひどく強い彼女だが、なぜかくすぐったいのにはやたら弱いのである。

 あえて説明されるまでもなく、ネェルの言いたいことは理解していた。つまり、彼女は自分のことを足手まといだと思っているのだ。

 確かに彼女はたいへんに目立つ容姿をしているから、こうした隠密旅にはまったく向かない。いちいち人目を避ける必要があるから、一日のうちに進める距離も限られてしまう。彼女さえいなければ、今日明日くらいにはソニアたちと合流できていた可能性も十分にあるだろう。

 

「いいか、ネェル。僕にとって、君は仲間であり家族なんだ。そういう相手に合わせて予定を組むのは当然のことで、申し訳なく思う必要はまったくない」

 

 ネェルの言い訳を切り捨てつつ、僕は包帯に包まれた彼女の二の腕を優しくなでた。王城脱出戦で銃撃を受け、負傷した箇所だ。

 彼女は一般的な人間種族よりも遙かに大柄で、対人用のライフル弾ならばよほど当たり所が悪くないかぎり致命傷にはならない。だが、それでも銃創は銃創だ。軽傷とはいいがたい。

 僕を助けるためにこんな怪我を負った彼女を、どうして疎ましく思うことがあるだろうか。ネェルの奥ゆかしさは美徳だが、行き過ぎるとむしろ腹立たしいね。

 

「この際だから言っておくが……ネェル、君はもっと自分を大切にしろ。もしかしたら、君はカマキリ虫人の最後の生き残りかもしれないんだぞ? 種族の命運を背負っているんだ。軽々に命を捨ててはいけないし、自らを卑下してもいけない。いいね?」

 

 僕は全くの詭弁を口にした。正直なところ、種族云々などはどうでも良い話だ。大切なのは、ネェル個人だからな。でもまあ、彼女には自分の命を度外視しがちな傾向があるからな。こういう”言い訳”で無謀な行いを縛っておくのは悪いことではないだろう。

 

「むぅ」

 

 小さくうなってから、ネェルは僕のうなじに顔をうずめた。ちょっと拗ねているような声だ。こういうとこ、凄く可愛いよな。

 

「……なるほど、わかりました。カマキリ虫人の、絶滅は、ネェルも、本意では、ありません」

 

「分かればよろしい」

 

 その言葉に、僕は密かに胸をなで下ろす。王都脱出戦でも、彼女はひどく無謀な行動をしていた。ああいうのはとても心臓に悪いから、二度とやって欲しくない。

 ……けど、前世の僕はあんな感じで捨て身の戦いを挑み、結局死んじゃったんだよなぁ。今更になって、後悔の念が湧いてきた。前世の両親や弟たちには、本当に悪いことをしたよ。残される側になって、やっとあの人たちの気持ちが理解できるようになった気がする。

 

「……でも、それなら……アルベールくん」

 

 しんみりしていると、ネェルは僕をぎゅっと抱きしめながらそんなことを囁いてきた。その声には、妙に艶めいた色が含まれている。僕の背中にゾワリとしたものが走った。

 

「絶滅を、防ぐ、ためには……どんどん、カマキリ虫人を、増やす、必要が、あります。もちろん、協力……してくれ、ますよね?」

 

 耳元に吹きかけられるネェルの吐息は熱かった。

 

「もちろん」

 

 僕みたいな唐変木にも、流石にネェルの言いたいことは理解できていた。後ろを振り返り、彼女の唇にキスをする。

 ……見られてないよな? 幼馴染みどもや、ましてや両親にこんなところを見られたら……恥ずかしすぎて死ぬかもしれん。というか、こういう会話をすぐ近くに両親もいる環境でやるのは流石に危なすぎるだろ……。

 

「なんじゃ、子孫繁栄の話をしておるのか」

 

「ッ!?」

 

 そんなことを考えていた矢先に声をかけられたものだから、危うく心臓が口から飛び出しそうになった。あわてて声の出所にめをやると、そこにいたのはニヤニヤ笑いを口元に浮かべたダライヤだった。

 

「なるほど、興味深いのぉ」

 

 ニヤつくロリババアは、するするとネェルの体を登って僕の隣までやってきた。二人だけの時間を邪魔されたネェルは、なんとも不快そうに鼻息を吐く。しかしそんなことで怯むダライヤではなく、彼女はへらへらとした態度で僕の肩を叩いた。

 

「その話、ワシにもぜひ一枚噛ませてほしいものじゃ。なにしろ、絶滅の危機に瀕しているのはエルフも同じ事じゃからのぉ。まずは頭目が範を取り、結婚隠居を決め込むんじゃ。さすれば、他のエルフどもも影響を受け我先にと家庭を作り始めるじゃろうて」

 

「……」

 

 反論しづらい理論で迫ってきたな、コイツ! いや、確かにエルフどもにはさっさと婿を迎えて引退してほしいところなんだよな。

 なにしろ、あいつらは子供を作るか死ぬか以外ではずーっと現役世代ままなんだ。平和な世の中を作るにあたっては、ああいう物騒で野蛮な連中が幅を利かせているのは大変にマズイ。できれば、早急に現役から退いてもらいたいところだ。

 幸いにも、エルフは子供さえ作ればその不老性を失うからな。積極的に結婚・出産をサポートしてやれば、ごくごく平和的な流れで世代交代を進めることができる。ダライヤがその先陣を切るというのは、実際有効なやり方のように思えた。

 

「わかってる、責任はとるさ。でも、そのためにはまず目の前の仕事を片づけなきゃいけない」

 

「ま、流石のワシも戦争の真っ最中に引退するほど無責任ではないからの。降りかかる火の粉くらいは払わねばならんじゃろうて」

 

 やれやれ、といった様子で肩をすくめるダライヤ。しかし、そんな彼女に僕は首を左右にふってみせた。

 

「降りかかる火の粉を払うだけじゃ、不足だ。戦争が終わっても、すぐに次の戦いが始まっちゃ困るからな。平和を維持するための枠組みを作らなきゃならない」

 

「おや」

 

 すこし驚いた様子でそんな声を上げたのはネェルだった。彼女は少し目を見開き、僕の方をまじまじとみる。

 

「珍しい、ですね。アルベールくんから、そういう、言葉が、出るのは」

 

「ははは……」

 

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。今までの僕は、とにかく問題回避を最優先に動いていたからな。自分から盤面を触りに行くような真似は、できるだけ避けてきた。だが……

 

「今回の件で、自分の無責任ぶりを痛感したんだ。積極的に状況に関わっていかないと、望む未来なんて永遠にえられそうにないからね」

 

 二人の嫁の目を交互に見ながら、僕はかみしめるような心地で言った。ダライヤはその言葉に呆れたような表情になり、ネェル嬉しそうに笑う。

 

「これまで、僕は自らを剣だと規定していた。でも、これからは違う。剣を握るほうになるんだ。そうして、自分たちの子供や孫たちが、実りある人生を送ることが出来る時代を切り開きたい……」

 

「なるほどのぉ」

 

 わざとらしいため息をついてから、ロリババアは僕の肩を何度も叩いた。

 

「子孫のことを持ち出されると、こちらも弱い。仕方がないから、手伝ってやることにしようかのぉ。引退前の最後の大仕事じゃ」

 

 ツンデレめいた発言だが、その表情は心底面倒くさそうだ。仕方が無い、というのはまったくの本音なのだろう。こういうドライで面倒くさがりなところ、実は嫌いじゃないんだよな。

 

「嫌なら、ひとりで、隠居していて、ください。アルベールくんには、ネェルが、ついてるので、問題、ありません」

 

 一方、ネェルのほうはなんとも冷たい言い草だ。しかしすぐに表情を緩め、慈愛に満ちた目を僕の方へと向ける。

 

「ネェルは、大好きな、アナタと、まだ見ぬ、子供たちの、ためなら、いくらでも、頑張れます。力を、あわせて、がんばりましょう、ね? アルベールくん」

 

「うん……ありがとう。君みたいな人と出会えて、僕は幸せ者だ」

 

 照れ混じりにそう返しつつも、僕は密かに拳を握りしめていた。彼女らに囲まれているのは、とても幸せだ。けれど、この幸福を維持するためには並々ならぬ努力が必要だ。長きを生きたロリババアと違って、僕は隠居するにはまだ早いからな……。

 まずは、ソニアたちと合流する。そしてその後は……戦争の根を断つ。それがアルベール・ブロンダンの背負った責任だ。果たすべき義務を果たそう。個人的な幸福を追求するのはその後からでも十分だ。

 



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第650話 くっころ男騎士の合流

 その後の僕たちの旅路も、相変わらず波乱に満ちていた。どこぞの騎兵隊(掲げていた旗から見て、王軍ではなく王室派諸侯の私兵だと思われる)に追いかけ回されたり、渡し船の船頭にぼったくられたり、まったく散々な旅だった。

 それでもなんとか旅を続け、王都から発って十一日目のこと。僕たちはようやくアルベール軍(この名前には相変わらず慣れない)と合流することに成功した。

 最初に接触したのは、支配地域の哨戒を行っていた軽騎兵の一団だ。さっそく身分を明かして本陣への案内を頼んだのだが、そこでひと悶着が起きた。どうやら彼女らは最近になってアルベール軍に参陣したばかりの外様らしく、総大将を騙る詐欺師扱いされてしまったのである。

 危うくしょっ引かれそうになったが、ここで活躍したのがネェルだ。彼女は得意のマンティスジョークで場を和ませ、騎兵たちを強引に交渉のテーブルに付かせた。

 

「とにもかくにも、上に確認を取ってくれ。話はそれからだ」

 

 そう念押しすると、騎兵らは顔を真っ青にして首を何度も上下に振った。震えながら去って行く彼女らを指さし、ジョゼットらや母上は腹を抱えて大笑いする。久しぶりに聞いたマンティスジョークは、たしかになかなか痛快であった。

 アルベール軍から正式な迎えが来たのは、それから三十分後のことだった。ピカピカに磨き抜かれた甲冑をまとった立派な騎士たちが大慌ての様子で現れ、僕たちの前で下馬する。彼女らはみな、丸に十字の(くつわ)十字紋を染め抜いたサーコートを羽織っていた。

 

「主様! よくご無事で!」

 

 そう叫びながら兜を脱ぎ捨てた彼女の顔には、見覚えがある。ジルベルトだ。

 

「ああ、おかげさまで五体満足だ。……久しぶりだね、ジルベルト。会いたかった!」

 

 感極まった様子で目尻に涙を浮かべる彼女に、僕は衆目も憚らず抱きついた。紳士にあるまじき行為に父上は渋い表情を浮かべていたが、構うものか。なんてったって、久しぶりの再開だもの、こればっかりは仕方ない。

 久しぶりにジルベルトの顔を見たことで、僕もやっと”帰ってきた”という実感が湧いてきた。肩に入っていた余計な力が抜け、ほっとした心地になる。

 

「うっ、ううっ、もうしわけありません、主様! レーヌ市行きには、わたしも同行するべきでした。そうすれば、この命に代えてもお逃がしできたものを……!」

 

 顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、ジルベルトはそんな事を言う。憔悴しきったその様子に、僕の胸は張り裂けそうになる。この数ヶ月は、彼女にとっても辛い日々だったのだろう。力強く抱擁し、ジルベルトの頭を乱暴になでた。

 

「レーヌ市でトチったのは僕の油断が原因だ。すまない、ジルベルト。心配をかけた……」

 

「そのような言葉をかけていただく資格は、わたしにはございません!」

 

 なおも言い募るジルベルトをなんとか宥めようとするが、彼女はなかなか泣き止まない。ジルベルトはもともと情の深い女性だが、普段は鉄の理性をもって自らを律している。ひとたびそれが決壊すれば、こうなるのも当然のことだった。

 

「ジルベルト様……お気持ちは理解できますが、アルベール様との再会を待ち望んでいたのはジルベルト様ばかりではございません」

 

 ジルベルトの従者が進み出てきて、彼女をたしなめた。従者の目は、僕の後ろに控えた父母やジョゼットらに向けられている。

 この従者は、おそらくプレヴォ子爵家の家来だろう。自家の当主が僚友や義両親の前で大泣きするというのは、確かに騎士として少々外聞が悪いかもしれない。

 まあ、もちろんジョゼットたちだってジルベルトの気持ちは理解しているから、あざ笑うような者は一人も居ないがね。むしろ、カリーナなどは釣られて自分まで涙ぐんでいる始末だった。

 

「う、うう……確かにそうだな。申し訳ありません、主様」

 

 涙を拭き、ジルベルトは自らの頬を平手で力いっぱい叩いた。そして、僕たちをゆっくりと見回しコホンと咳払いする。

 

「ソニア様やアデライド様がお待ちです。馬車をご用意してありますので、先導はお任せを」

 

 聞けば、アルベール軍の主力の宿営地はここから更に南にある街に設営されているらしい。ソニアらもそこにいるという話なので、ありがたく案内をお願いすることにした。

 

「馬車旅かぁ……」

 

 ここからはジルベルトの持ってきた馬車に乗っての移動になったわけだが、これがなかなか大変だった。

 僕は徒歩や騎馬での旅には慣れているが、馬車などはほとんど利用しないのである。一時間もたった頃には、すっかり尻が痛くなってしまった。

 

軍用自動車(ハンヴィー)のほうがナンボかマシだな、こりゃ……」

 

 この世界の人間には理解できないボヤきを漏らしつつ、馬車に揺られること丸一日。やっとのことで、僕たちはアルベール軍の宿営地へと到着した。

 もっとも、宿営地とはいっても平原に天幕が並んでいるようなたぐいのものではない。アルベール軍は王都攻略のための拠点として、オレアン領南端の小都市サン=ルーアン市を制圧している。軍主力も、この街に滞在しているしているとのことだった。

 サン=ルーアン市は、巡礼者や行商人むけの宿場町として発展してきた小さくとも歴史ある街だ。正門を通り大通りを進むと、その両脇には大小の旅籠が並んでいる。

 

「ブロンダン閣下のご帰還だ!」

 

「おう、おう! 若様がやってお帰り申された! これでいくさにも張り合いが出るというもんじゃ!」

 

 本来ならば旅人が滞在しているはずのその旅籠の中から、アルベール軍の兵士たちがわらわらと出てきて僕たちを出迎える。狭い大通りの沿道が、いつの間にか兵隊どもによって埋め尽くされつつあった。

 その連中は、なかなか国際色豊かな顔ぶれだった。竜人(ドラゴニュート)、エルフ、アリ虫人、それに獣人。普通ならば、これほど様々な種族が一つの集団に属することはない。そんな者たちがみな一様に笑みを浮かべて僕たちを歓迎しているのだから、浮ついたような居心地の悪いような妙な心地になってしまった。まあ、悪い気分ではないがね。

 

「なんだかヘンな感じだ。ほんの一年半前まで、僕はせいぜい一個小隊の騎兵を率いる立場に過ぎなかったはずなのに」

 

 馬上から兵隊どもに愛想を振りまきつつ、僕は隣を進むジルベルトにそう話しかけた。馬車はもうこりごりということで、彼女に無理をいって馬を用意してもらったのだ。

 まあ、そうでなくても現役軍人が馬車に乗って入城というのは格好がつかんからね。ジョゼットらや母上なども、街に入る前に軍馬に乗り換えている。馬車に残っているのは父上などの非戦闘員だけだった。

 

「わたしが初めて出会ったときの主様は、すでに一個軍を率いるにふさわしい貫禄を備えていらっしゃいましたよ」

 

 返ってきた言葉に少し面食らい、ジルベルトのほうをちらりと伺う。彼女は胸を張り、堂々とした態度で兵士たちの歓声を受け流していた。すくなくとも、冗談やヨイショを口にしているような雰囲気ではない。

 ……いやはや、冗談じゃないね。つまり、僕は偉ぶるのが得意な人間だったということだろうか? 前世だってせいぜい大尉程度の下っ端で軍歴を終えたような人間だというのに、態度ばかり偉そうでも仕方が無いじゃないか。肝心なのは実際の器量なのにな。

 まあ、しかし……今更「こんな役割は僕には荷が重いです」などと情けの無いことを言い出すわけにもいかん。器量が足りないなら足りないなりの努力をしなくては。

 

「主様、あちらが現在のアルベール軍の指揮本部です。ソニア様もあちらでお待ちのはずですよ」

 

 頭の中で思考をこねくり回していると、ジルベルトが前を指さしてそう言った。そこには、石造りの大きな館がある。どうやらこの街の市庁舎のようだが、その門前には(くつわ)十字の軍旗がはためいていた。

 

「ん、わかった」

 

 軽い調子で頷きつつも、内心はすっかり緊張している。あそこへたどり着いたら、僕は一軍の司令官としての役割を求められることになるのだ。つまりこれは、数万の将兵の命運を背負うことに等しい。気楽にやれる仕事では無かった。

 ……いや、数万程度がなんだというのだ。これから僕は、もっと多くの人間の命を背負わねばならない。国を崩すというのはそういうことだ。このくらいで、怯んではいられない。僕は自らの頬を叩き、気合いを入れ直した。

 

 

 



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第651話 くっころ男騎士の再会

 古き宿場町、サン=ルーアン市。その市庁舎の門前で、僕たちは馬から降りた。その石造りの立派な門の向こうには、大勢の付き人をつれた二人の女性が立っている。

 片方は、周囲のものたちより頭一つ以上背の高い、軍服姿のドラゴニュート。そしてもう片方は、いかにも動きづらそうな装飾過多の文官服を身にまとった背の低い只人(ヒューム)。そう、ソニアとアデライドだった。

 

「アル様!」

 

「アル!」

 

 彼女ら、僕の姿を認めると同時に大声でそう叫んだ。そして我先にと駆け出し、僕の方へとスッ飛んでくる。弾丸のような勢いだった。

 同時に走り始めた彼女らだが、その速度には天と地ほども差がある。小柄で体力のないアデライドを置き去りにし、ソニアはグングンと加速していった。……いや、なんぼなんでも速すぎない? なんか、一〇〇メートルを十秒切れそうな勢いなんだけど――――

 

「アル様! アル様! アル様ァーッ!!!!」

 

「グワーッ!?」

 

 何しろソニアは身長一九〇センチオーバー、体重一〇〇キロオーバーの偉丈婦である。そんなものが砲弾のごとく突っ込んできたらどうなるか?

 起きた事象だけ見ればほとんど交通事故だった。衝突と同時に吹っ飛びかける僕だったが、それをソニアが強引にホールドする。とてつもない急制動を受けて僕の全身には凄まじい衝撃が走ったが、悲劇はまだ終わりでは無かった。ソニアはそのまま、僕の全身を万力のように締め上げたのだ。

 

「アル様ぁ……うううっ! ああ、うう……アル様!!」

 

「ぐぎぎぎぎ」

 

 幼児退行でも起こしたかのように僕の名を呼ぶソニアの態度からみて、彼女には悪意など微塵もないのだろう。

 しかし、竜人(ドラゴニュート)の全力抱擁なんてものは大蛇の締め上げに等しい威力があるのだ。ぼろ雑巾めいた扱いを受けた僕は、奇妙な悲鳴を漏らすことしか出来なくなった。

 

「おいっ! おいコラっ! 君ぃ、なにをやっているのかねっ! こらっ! アルを殺す気かねっ!?」

 

 たっぷり五秒はおくれてやってきたアデライドが、慌てて僕とソニアを引き剥がしにかかる。……が、貧弱軟弱種族・只人(ヒューム)の中でも特段に貧弱なアデライドと、フィジカル強者種族・|竜人(ドラゴニュート)の中でも上澄み中の上澄みであるソニアの間には、原付スクーターとスーパーカー並みのパワー差がある。アデライドが顔を真っ赤にしてウンウンうなっても、ソニアの力は微塵も緩みはしなかった。

 

「ああっ、もうっ! これだからソニアは!」

 

「やるとおもってたよこのバカチン!」

 

 流石にマズイとみて、ジルベルトとジョゼット、そしてその他の近侍隊員たちが加勢に入る。複数人がかりで取り押さえられ、僕はやっとのことで解放された。

 

「た、助かった……」

 

 息も絶え絶えになりながら、そう呟く。危ない危ない、普通に命の危機だった。せっかく逃げ延びられたのに、こんなとこで死ぬのは勘弁だろ。

 

「ア、アアッ!? アル様……申し訳ありません」

 

 複数人に羽交い締めにされ、ようやくソニアも我に返ったらしい。顔をくしゃくしゃにしながら謝ってくる。なんだか、飼い主に捨てられそうになっている大型犬のような表情だった。それが面白くて、僕は思わず吹き出してしまう。

 

「ハハッ、盛大な歓迎は望むところさ。……ただいま、ソニア。やっと戻ってこられたよ」

 

「お、おかえりなさぃぃ……」

 

 そう返すソニアの声はびっくりするほど情けなく、僕はまた大笑いする。なんだか締まらない感じになってしまったが、とにもかくにも僕はこうして自らの居場所に帰ってくることができたのだった。

 

「……先ほどは、お恥ずかしい姿をお見せしてしまい申し訳ございません」

 

 それから十分後。僕たちは、市庁舎の裏手にある厩舎へと連れてこられていた。厩舎の前には既に天幕と応接セット、そして火鉢などが用意されている。どうやら、ソニアはここで僕たちの帰還を労ってくれるつもりらしい。

 野外と言っても、当然ながら防諜には気が使われている。どうやら周囲には完全な人払いがかけてあるらしく、顔に見覚えのある騎士や使用人以外の人影はまったくない。天幕の中に入れば、内々の話が外に漏れる可能性はまったくないだろう。

 屋内に入ればこのような手間はかからないのだが、わざわざ野外にこのような場を作ったのはソニアなりの気遣いだった。なにしろ、こちらには規格外の巨体を誇るネェルがいるのだ。

 もし僕たちが屋内に引っ込んでしまっては、彼女は一人だけ外に取り残される羽目になる。僕としてもソニアとしても、ネェルだけを蚊帳の外にするような真似はしたくない。祝いの席ならなおさらだ。

 

「なぁに……あれほど喜んでくれたのなら、むしろ男冥利に尽きるというものだろう。なぇ? ジルベルト」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべながらジルベルトに水を向けると、彼女は気まずそうに目をそらしながら「そうですね」と返した。

 ソニアほど乱暴ではなかったが、ジルベルトもたいがい人にはお見せできないような態度で再会を喜んでくれたからな。この二人は、意外と似たもの同士なのだ。

 ちなみに、現在僕はソニアの懐の中に収まっている。季節は既に冬であり、火鉢があるとはいえ外でじっとしていると冷気が骨身にしみこんでくる。種族的に冷気に弱い竜人(ドラゴニュート)は、寒くなると只人(ヒューム)の男(だいたいの場合は夫や恋人、あるいは義理の兄弟などだ)をカイロ代わりに使う文化があるのだ。

 僕も最初はこの妙な習慣に面食らったものだが、今となってはすっかりソニアの懐が冬場の定位置になってしまっている。寒くなるたびにソニアがべたべたとくっついてくるものだから、すっかりそれになじんでしまったのだ。

 

「はぁ……すっかり調子が崩されてしまったが、まあアルが無事に帰ってきてなによりだ。救出部隊のみな、よくやってくれた」

 

 シュンと小さくなるソニアを渋い表情で一瞥してから、アデライドは僕の後ろに控えたジョゼットたちへと目を向けた。その顔には、彼女にはめずらしい穏やかな笑みが浮かんでいる。

 

「アル様はわたしたちの頭目ですんでね。自分たちの手で取り戻すのは当然のことですよ」

 

 ジョゼットの言葉に、近侍隊員たちがウンウンと頷いた。それにネェルが「右に、同じく。ツガイ、ですので」と続き、最後に顔を真っ赤にしたカリーナが「右に同じく! 義妹で嫁ですので!」とヤケクソな調子で締めた。

 いい仲間を持ったなぁ、などとジーンとする一方、『いや、嫁多過ぎだろ』とゲンナリする気分も湧いてくる。僕はネェルやカリーナはもとより、アデライドやソニア、それにジルベルトとも結婚の約束をしているのだ。

 今は仕事に専念できる時期だからいいけど、実際に結婚したらどうなっちゃうんだろうな、僕。割と真面目に分身の術を習得したい気分だが、今は亡きエルフ忍者どもですらそんな術は使えなかったんだよな……。

 

「まったく、アルの周りには優秀な女ばかり集まるな。時々嫉妬でおかしくなってしまいそうになるよ」

 

 皮肉めいた所作で肩をすくめ、アデライドは視線を僕へと戻した。表情を気遣わしげなものに変え、コホンと咳払いをする。

 

「ところで……アル。少々聞きにくいことではあるし、言いたくないのならば答えなくてもよいのだが……その、あの破廉恥な王太子に何か……いや、うん……その……」

 

 アデライドの言葉は尻すぼみにおわったが、彼女の言いたかったことがなんなのかはもちろん察しが付く。つまりアデライドは、僕はフランセットに穢されたのではないかと心配しているのだった。

 まあ、そりゃそうだよな。男虜囚の扱いなんて、たいていの場合は酷いものだ。男が敵の手に落ちたのなら、貞操なんてものはとうに失われていると考えるのが正しい。

 

「アデライド……!」

 

 僕の肩をぎゅっと抱きながら、ソニアが非難がましい声を上げる。ああ、この反応は……完全に王太子のお手つきになってると思われてるな。どうやらアデライドも考えていることは同じようで、すぐに「いや、すまない……!」と目をそらした。

 穢されたと思っているのに、前と変わらずに迎えてくれるのは本当にありがたいね。父上いわく、童貞と非童貞で別物のような扱いをする女性も決して少なくないとのことだし。

 

「いや、安心して欲しい。フランセット殿下や、その他の連中から非道な扱いを受けることは無かったよ」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 僕の言葉にもっとも早く食いついたのはソニアだった。自分から話題を遠ざけたくせに、やはり気になっていたらしい。とはいえ、驚いているのは彼女だけではない。アデライドやジョゼットは目を丸くしているし、母上に至ってはとても僕の口からは言えないような卑猥な単語で殿下を馬鹿にしている。

 

「本当だよ。なんなら、ユニコーンを連れてきてもらってもいい」

 

「アルベールの貞操についてはワシも保証しよう。あのフランセットとかいう女、ずいぶんとヘタレじゃったぞ。たぶん、手を出して拒否されるのが怖かったんじゃろうなぁ」

 

 ダライヤの援護射撃に、母上がブハハと下品に大笑いした。

 

「そいつはケッサクだ! 百人斬りなんて浮名を流してるくせに、ヘタレがすぎるんじゃないかい? ああ、そうか! あの殿下、素人処女か! ワッハッハ!」

 

「すみません、うちの旦那がすみません。あとでよく言い聞かせておきますので……」

 

 腹を抱えて爆笑する母上と、青い顔でペコペコ頭を下げる父上。いや、僕もまったく父上と同感だよ。一国の王太子を素人処女呼ばわりするんじゃない。

 

「こ、こほん……ま、まあ、そういうことなら安心したよ。すまないね、アル。失礼極まりないことを口にした」

 

「大丈夫、大丈夫。僕がこのデジレ・ブロンダンの息子だってことを忘れないで欲しい」

 

 未だにギャハギャハ笑っている母上を指さして、僕はそう言ってやった。まあ僕にデリカシーが欠けているのは前世からだけどな。都合が良いので、血縁と教育を隠れ蓑にしておく。

 

「ああ、もう、この母息子は……」

 

 そんな僕をみてますます頭を抱える父上。そんな親子のやりとりを見て、ソニアやアデライドは朗らかに笑った。暗く重苦しかった空気は、いつしか完全に霧散してしまっている。

 

「ま、僕の話はひとまずこのくらいでいいだろう。囚われの間にいろいろあって、話したいこともたくさんあるがね。でも、今はそんなことは後回しだ。戦況のほうを詳しく聞かせてもらえないかな?」

 

 笑い声の切れ間を狙って、僕は本命の話を切り出した。僕がさらわれてから、もう数ヶ月もの時間がたっている。戦況も、情勢も、ずいぶんと変化してしまったことだろう。他の何よりも先に、そのあたりのことを聞いておきたかった。

 

「はい、わかりました」

 

 もちろん、長年の相棒であるソニアには、あえて説明するまでもなくそのあたりの考えは伝わっている。彼女は声を真剣なものに戻し、アルベール軍をとりまく現状を説明し始めた。

 



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第652話 くっころ男騎士と現状報告

「何をやってるんだヴァルマは……」

 

 ソニアとアデライドから現状の説明を受けた僕は、大きなため息を吐きながら頭を抱えた。

 王軍とアルベール軍は、ロアール川を挟んで対峙中。現状は両軍ともに様子見状態で、自然と膠着状態になっているらしい。……そういうミクロな戦況に関しては、まったくの予想通りだったのだが。

 問題は、マクロな国際情勢のほうだった。スオラハティ軍を名乗る一団が帝国領に攻め込み、ガレア・オルト戦争が再燃したのである。

 このスオラハティ軍がヴァルマの私兵どもであることは考えるまでもない。そして彼女は、先の戦争において神聖帝国の先帝アレクシアとの知己を得ている……。

 うん、この事件はどう考えたってアレクシアとヴァルマの共謀だな。アレクシアは不本意な形で終わった前回の戦いをひっくり返す機会を得るし、ヴァルマは大手を振って王家を倒しに行ける。win-winってヤツだ。

 

「国境を突破した皇帝軍は、王都に向けて急進撃中だという話です。もちろん王軍も対処をしていますが、どうやら皇帝軍は騎兵のみで編成された機動部隊らしく……防御線の構築が間に合っていないようですね」

 

「騎兵のみで構成された軍勢か……まるでティルク軍だな」

 

 ティルク軍というのは、中央大陸のはるか東方にかつて存在していたケンタウロスの大帝国だ。この国は前世の世界におけるモンゴル帝国のような勢力で、その機動力を生かし大規模な西方侵略を企てた。おおよそ、百年ほど前の出来事である。

 むろん農耕民族である神聖帝国の獣人たちが、ケンタウロスのような洗練された騎兵戦術を持っているはずもない。しかし、騎兵のみで編成された軍隊という発想はまさしくこのティルク軍に範を取ったものであるのは間違いないだろう。

 

「実のところ、皇帝軍からは共闘の打診が来ている。今のところ返事は出していないが……」

 

 腕組みをしたアデライドは、眉間にしわを寄せながらうなった。ガレア王国の元宰相である彼女は、内政だけではなく外交にも造詣が深い。その彼女から見ても、今の情勢は難しい判断を迫られるものであるのだろう。

 

「皇帝軍の戦力は、騎兵だけで一万。そういう話だったな」

 

「はい。……心強い援軍であることは、事実です。王軍は前回の作戦成功で勢いづき、国内の日和見貴族どもの支持を得つつありますからね。この頃は毎日のように新たな諸侯が参陣し、王軍の戦力はかなり増強されつつあります」

 

「我々だけで王軍を打ち破るのは厳しい、ということか」

 

「大変に遺憾ながら、その通りです」

 

 頷くソニアの声は、まるで飼い主に見捨てられそうになった子犬のように震えていた。前回の戦いで、彼女はガムラン将軍に遅れをとっている。そのことについての責任を痛感しているのだろう。

 

「むろん、諸侯どもの私兵は旧式兵科が中心ですから、正面から戦っても負けはしません」

 

 そう主張するのはジルベルトだ。彼女はなんだか羨ましそうな目でソニアを見つつも、言葉を続ける。

 

「しかし、相手が大軍ですとどうしても戦いが長引きます。弾薬や糧秣(りょうまつ)

問題もありますし、何より季節がよろしくない。長期戦はなんとしても避けるべきでしょう」

 

「こんなクソ戦争を来春に持ち越したくはないものな」

 

 北方領ほどではないが、ガレア中部の冬は厳しい。寒さに弱い竜人(ドラゴニュート)はもとより、獣人たちですら真冬の軍事行動はまず無理だ。いわんや、雪すら珍しいリースベンの出身者など……。

 こうなると、取れる手段は二つだけ。冬営地を建てて寒さが和らぐまで立てこもるか、冬が来る前に戦争を終わらせるか、だ。戦争が長引いても良いことなどないから、できれば前者を選びたいところだ。

 

「そうなると、やはり皇帝軍との連携は避けられないわけか……」

 

 正直に言えば、あまりいい気分ではなかった。内憂を断つために外患を用い、国自体の滅亡を招いた例は枚挙に暇がないからだ。まあ僕たち自身が反乱軍そのものであるわけだから、結局国家の敵である事には変わりないんだがな。

 

「問題は、神聖帝国勢力に状況の主導権を握られる可能性だな。彼女らが求めるものがレーヌ市だけならば応じてもいいと思うが、この機に乗じて国境地帯を蚕食されてはたまらない」

 

 僕がそう言うと、アデライドが「おや」と言わんばかりの顔で眉を跳ね上げた。僕が積極的に政治的な発言をしたことを驚いているのだろう。

 彼女の表情に不快感が含まれていないのを見て、僕は心の中で胸をなで下ろす。政治というヤツは親しい仲をも容易に破壊してしまうからな。方針の転換を決断した以上、彼女らの反応は正直かなり気になるところだった。

 

「それについては私も同感だな。アレクシアの力を借りるのは仕方がないが、あまり大きい顔はされたくない……。アル、ソニア。奴らはあまり活躍させぬよう気を配ってくれ。手柄を稼がせすぎると、戦後に面倒なことになってしまう」

 

「握手をしつつ足を踏め、というヤツだな」

 

「まさしくその通り。分かってるじゃないか」

 

 その口調は、まるで出来の悪い生徒の成長を喜ぶ教師のようなものだった。どうやら、アデライドは僕の変化を歓迎してくれるらしい。正直、かなり安心した。

 

「幸いにも、皇帝軍の兵力は一万程度。騎兵のみで構成されているという特異な点を加味しても、戦局の主導権を握ることが出来る数ではありません。彼女らへの掣肘(せいちゅう)はそう難しいものではないでしょう」

 

「とはいえ、あっちにはアレクシアとヴァルマがいるんだ。二人とも、一筋縄でいく相手じゃないぞ」

 

「それが一番の問題なんですよね……特にヴァルマ……」

 

 顔を引きつらせつつ頭を抱えるソニアに、僕は苦笑が隠せなかった。僕も大変だが、彼女もなかなかに大変だな。どうするんだ、妹が外患誘致罪を犯してしまったぞ?

 ……いや、僕も全然他人ごとじゃないわ。ヴァルマは僕にとっても義妹になるわけだし、そもそも彼女自身とも結婚の約束があるわけだし。わあ、たいへん。

 というか、いったい何人と結婚の約束を結んでるんだよ、僕は。そっちの方がよっぽど大変だし怖いわ。戦争が終わったらどうなっちゃうんだろう? 一般的な新婚生活とはかけ離れた毎日が待っているのは確実だが……ああ、胃が痛くなってきたぞ。

 

「しかし、皇帝軍やヴァルマばかりを気にしてもいられない。王軍のほうは王軍のほうで大問題だ。一応は味方である連中を気にしすぎて、肝心のいくさをし損じるなんて笑い話にもならないぞ」

 

 まあ、それもこれも戦争に勝ってからの話だ。負けたら何にもならん。思考と話題を当面の問題の方へと切り替え、僕はそう指摘した。

 

「王軍も、おそらく近いうちに仕掛けてくるでしょう。いままでの盤面ならば、時間は彼女らの味方でした」

 

 厳しい口調でジルベルトが指摘する。

 

「もしかしたら、このまま冬越しをして決戦は春に持ち越す……そういう作戦すら考えていたはずです。しかし皇帝軍の参戦が参戦した以上、そうも言っていられなくなりました」

 

 さすがジルベルト、的確な戦術眼だな。頷き返して彼女の意見を肯定しつつ、僕は脳内の将棋盤に各種の駒を配置してみる。……うん、王軍から見るとあまり愉快ではない盤面だな。

 

「冬営準備中に二方面から叩かれたらシャレにならないものな。皇帝軍がこちらと合流しないうちに打って出て、各個撃破を狙う。それが王家側の最適解になるだろう」

 

「敵がもともとの作戦計画を変更せざるを得ない状況になった、というのは朗報ですが。しかし敵将ガムランはなかなかのやり手ですよ。安心はまったくできない」

 

「ソニアが裏をかかれるような相手だものな」

 

「……うう」

 

 がっくりと肩を降ろしたソニアは、そのまま僕をぎゅうと抱きしめる。ジルベルトの目つきがますます厳しいものになった。

 はあ、しかし……やっぱり、籠の中に閉じ込められて王子様ごっこに興じているよりも、こうして戦争の話をしている方がよっぽどシックリくるな。こここそ、自分の正しい居場所だと感じる。

 でも、そればかりに熱中するわけにもいかないんだよな。目の前の敵を排除するだけでは、戦争は終わらない。火種そのものを潰す必要があるということだ。……そのあたりも、みんなと相談するべきだろう。気が重いなぁ……。

 

 

 

 



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第653話 くっころ男騎士の密談(1)

 歓迎会だか軍議だかわからないこの会合はそれから一時間ほど続き、お流れとなった。その後はソニアらと昼食をとり、しばしの休憩を挟んでから各所への挨拶回りをはじめる。

 この挨拶周りというのがなかなかの難物だった。公私問わずいろいろな相手と会わねばならないからだ。

 公的なものでいえばリースベン軍の将兵たちへの顔見せもあるし(僕とて一応は総大将なのだから、部下に無事な姿を見せるのは義務のようなものだ)、私的なものでいえばツェツィーリアやフェザリアなどへの挨拶もせねばならない。

 

「これに懲りたらノコノコ敵地へ出かけるのはやめることね」

 

 ツェツィーリアは僕の顔を見るなりそんなイヤミをぶつけ、その直後に強烈なキスをぶちかましてくる。まるでマーキングでもされているような気分になってくる、濃厚な口付けだった。

 

「おう、戻ってきたか」

 

 一方フェザリアの出迎えの言葉はしごくアッサリしたものであった。

 しかしそれはあくまでも表面上の態度であって、「ひどい扱いは受けなかったか」とか「体は大丈夫だったか」などといった質問を木訥とした口調で連打してきたので、彼女なりに僕を心配してくれていたのだと思う。

 

「おはんを辱めたあんフランセットとやらは、(オイ)が生きたまま八つ裂きんのち晒し首にしてやっで心配すっな」

 

 挙げ句にそんな事まで言い出したものだから、僕はすっかり困ってしまった。もちろんそんな事はしなくていいと念押ししたが、彼女は有言実行の女だからな……どうにも不安だ。

 もちろん、彼女ら以外にも僕が会っておくべき相手はいくらでもいた。ウルやゼラといった婚約者たちもそうだし、ジェルマン伯爵のような宰相派貴族にもお礼を言っておく必要がある。長旅の疲れを癒やす暇も無く、僕は夜まで仕事に明け暮れた。

 

「はぁ、くたびれた」

 

 夕食のあと、僕はサン=ルーアン市で一番の高級宿にあるスイート・ルームでひっくり返っていった。まだまだやるべき仕事はいくらでもあったが、今日のところは店じまいだ。

 ……と、言いたいところなのだが、そういう訳にもいかない。僕には、今日中に片付けておかねばならない仕事が一つだけ残されているのだ。

 

「お疲れ」

 

 そういって僕の頭をなでるのは、優しげな笑みを浮かべたアデライドだ。世の人々は彼女のことを強突く張りと呼ぶが、今の彼女の表情は慈母そのもの。思わず、すべてを投げ出してしまいたくなるほどの包容力がある。

 

「ありがと」

 

 礼を言いつつ身を起こす。このまま彼女の優しさに身を預けていたら、そのまま寝付いてしまいそうだ。

 それも悪くないと言えば悪くないんだが……これから僕がやろうとしていることは、後回しにすればするほど気が重くなる類いのことだからな。さっさと終わらせてしまうに越したことはない。

 

「おや、やっと来たな」

 

 そんなことを考えていると、タイミング良く部屋の扉がノックされた。すぐさま迎えに出ると、そこにいたのはソニアとダライヤという凸凹コンビだ。

 

「遅れてしまい申し訳ありません」

 

「カワウソ侯爵様との打ち合わせが長引いてのぉ」

 

「ハハハ……相変わらずだな。味方になっても、やっぱりツェツィーリアは手強いか」

 

  雑談を交しつつ、彼女らを部屋の中に案内する。二人を……正確に言えばアデライドも含めた三人を呼び出したのは僕自身だった。彼女らだけに伝えておかねばならない情報があるのだ。

 

「さて、役者はそろったわけだが……話というのは、いったい何だね」

 

 小さなテーブルを挟み、円陣を組むように腰を下ろした一同。それらを順繰りに一瞥してから、アデライドは僕の方に視線をむけた。

 

「わざわざ人払いをかけたあたり、あまり愉快な話ではないのだろうが」

 

「うん……実は……」

 

 さすが、アデライドは察しがいい。僕がちらりとロリババアをうかがうと、彼女はいかにも退屈そうな表情で頷いた。変な前置きなんかせず、大上段からズバッと話せ。そう言いたげな顔だ。

 

「王太子殿下は、黒幕に踊らされている」

 

「……ほう」

 

 しばしの沈黙のあと、最初に反応したのはアデライドだった。ソニアは驚きの表情で目を見開き、ロリババアは唇をとがらせて湯気の上がるカップをふぅふぅしている。

 

「王城で見聞きした情報を総合すると、そう判断するしかない。フランセットは人為的に道を誤らされたんだ」

 

「なるほどねぇ。……フランセットは、少なくとも一年とすこし前までは聡明な女だった。それがいきなりああも変節したのだから、違和感はあるねぇ」

 

「……実際、王族が何者かの傀儡に堕し国政を誤る例は、歴史上枚挙にいとまがありません。フランセットの身にも、そのようなことが起きていると言うことでしょうか」

 

「おそらくは」

 

 決定的な証拠を掴んでいる訳ではないから、はっきりとした断定はできない。しかし、状況証拠だけを見れば真っ黒なのだ。喉奥からこみ上げてくる苦いものを押し込みつつ、僕は言葉を続けた。

 

「で、だ……。いろいろ調べたところ、容疑者が一人浮かび上がった。完全に尻尾を掴んだわけではないが、おそらく確定とみて間違いないと思う」

 

「きみがそんな歯に物が挟まったような言い方をするのは珍しいな。……もしや、知り合いかね」

 

 そこまで見抜いてしまうとは、さすがはアデライドと言うしかないな。いや、僕が分かりやすすぎるだけかもしれないが。ため息をひとつ吐き、僕は香草茶をすすった。

 

「ああ、知り合いだよ。…………フィオレンツァ司教だ。どっからどう考えても、彼女が怪しい。真っ黒だ」

 

「……」

 

「……」

 

 二人は無言で顔を見合わせた。居心地がとても悪くなって、僕は手元のカップに視線を降ろす。確証があるわけでもないのに、幼馴染みに対してこのような疑いを向けるとは。砂を噛むような心地になり、香草茶を口に運ぶ。しかしそれでも、嫌な感触は洗い流せなかった。

 

「なるほど、な。そういえば、星導国のほうからも何やらきな臭い空気が流れてきている。我らがガレア王国の変事は、これに連動した流れというわけだな?」

 

 星導国で政変あり、というのはポワンスレ大司教も言っていたことだな。確か、フィオレンツァ司教の母君が教皇に就任すべく政治的攻勢を仕掛けてるとかなんとか。

 

「おそらくは……。まあ、ポワンスレ大司教の受け売りだけどね」

 

「ポワンスレですか」

 

 害虫を見たような顔で、ソニアが吐き捨てた。

 

「わたしは元々フィオレンツァのことが嫌いですが、あちらもあちらで大概ですよ」

 

「まあ、王都の人間に『フィオレンツァ司教とポワンスレ大司教、信じるならどっち?』という質問をぶつければ、まちがいなく大半の者は前者を選ぶだろうねぇ」

 

 そう言って思いっきり苦笑するアデライド。ポワンスレ大司教は今回の事件においてたびたび僕を手助けしてくれている王国聖界の重鎮だが、はっきり言ってその評判はたいへんに悪かった。

 いわく、喜捨を横領して私腹を肥やしている。曰く、多数の愛人を抱えて淫蕩にふけっている……などなど。

 複数人の実子がいるという話だから、すくなくとも『聖職者は姦淫するべからず』という戒律を破っているのは事実なのだろう。もっとも、そんな戒律を真面目に守っている坊主なんて実際はほとんどいないけどね。

 

「とはいえ、腹の中に探られたくないモノを抱えておる人間は、えてして身辺を綺麗にしておくものじゃ。フィオレンツァとやらの聖人めいた風評は、この場合減点要素として働くように見えるのぉ」

 

「それも確かだね」

 

 ロリババアの指摘に、アデライドは一瞬の迷いもなく肯定を返した。どうやら、政治畑の二人は似たような見解を抱いているようだ。

 

「神聖帝国を下した今、ガレア王国は間違いなく西方で最も覇権に近い勢力だ。そこに星導国の権威が合体すれば、もう手がつけられなくなる……」

 

「一組の母娘が、その二勢力を繋いで操るわけじゃな。ふむ、口にしてみればなんとも陳腐な陰謀じゃのぉ」

 

「……」

 

「……」

 

 二人の会話を尻目に、僕はソニアと顔を見合わせた。彼女は苦虫をダース単位で噛みつぶしたような表情で口をもにょもにょさせている。今の話の流れがよほど納得しがたいのだろう。

 

「まさか、あのフィオレンツァが……」

 

 ボソリと呟くソニアに、僕の胸がキリリとした痛みを訴えた。

 



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第654話 くっころ男騎士の密談(2)

 今回の内戦の黒幕は、フィオレンツァ司教ではないか。僕が伝えたその予想にたいして、アデライドとソニアは正反対の反応を返した。

 

「しかし、困ったことになったな。ガレア国内のことであれば私の手も届くが、サマルカ星導国が相手となると手の出しようがない」

 

「たしか、星導教には破門なる切り札があるのじゃろ? この内戦に勝利しても、その札を切られるといささか面倒なことになる。少しばかり無理をしてでも、星導教内の政治に工作を仕掛けたほうが良いと思うが」

 

 熱心に話し合うアデライドとダライヤの中では、既にフィオレンツァ黒幕説は確定したものとして扱われているようだ。小さなテーブルを挟んですぐ前に座っているハズの彼女らが、どうにも遠くにいるように感じられた。

 僕は無言で周囲に視線を彷徨わせる。高級宿のスイートルームなどといっても、ここはまだ電灯さえも発明されていない世界だ。室内は薄暗く、明かりと言えば頼りない光を放つロウソクと暖房用に焚かれた暖炉のみ。

 僕の精神はその暗闇に引っ張られ、心の中まで真っ黒に染め上げられそうなになっていた。酒でも飲みたい気分だが、香草茶で我慢する。幼い頃からの親しい仲であったフィオレンツァ司教への友情と不信を、酒精などで誤魔化したくはなかったのだ。

 

「あのフィオレンツァが、そんな大それた陰謀を企んでいるなんて……正直、信じがたいですよ……」

 

 首を左右に振りつつ、ソニアが絞り出すような声で言った。どうやら、彼女も僕と同じような気分になっているようだ。

 子供の時分から、ソニアとフィオレンツァの関係はかなり悪かった。ウマが合わないというよりは、ソニアのほうが一方的にフィオレンツァを敵視していた感じだな。

 しかしそれでも、彼女は「やはりフィオレンツァは悪党だった」と一方的に切り捨てることができない。僕はスッパリ切り捨ててしまったのにな。自分の冷血ぶりが嫌になってくるよ……。

 

「……フィオレンツァは、賢いフリをするのが得意なだけのぽんこつ女ですよ。あの鳥頭が、大国を意のままに操るようなはかりごとを巡らせるなんて不可能だと思うんです」

 

 などと思っていたら、いきなり直球の罵倒が飛び出して面食らう。照れ隠しか、あるいは信じたくないあまりに極論をぶつけてきたか。そう思ってソニアのほうを見るが、彼女の顔は真剣そのものだった。……こりゃ、本気でフィオレンツァのことを鳥頭だと思ってるな。

 

「フゥン……フィオレンツァ司教のオツムの出来について、私は詳しくないがね」

 

 腕組みをしつつ、アデライドが反論した。ロリババアとの会話に熱中しているようにも見えたが、この反応の早さからするにこちらにもキチンと意識を向けていたらしい。

 

「この陰謀の鍵は、フィオレンツァ司教とその母であるキルアージ枢機卿の親子関係にある。むしろ黒幕は枢機卿のほうで、司教はたんなり駒と考えるのが自然なのではないかね? 首謀者でないのなら、司教本人の器量はそこまで重要にはならないからねぇ」

 

 もっともな指摘ではあったが、僕とソニアは声を揃えて「それはない」と返した。僕も彼女も、フィオレンツァ司教の母親と直接顔を合わせたことがある。そのときの経験から言わせてもらえば、キルアージ枢機卿黒幕説はまったくの誤りであるように思えた。

 

「キルアージ枢機卿は、フィオレンツァに頭が上がらないんだ。アレは、親子というよりは債務者と債権者に近い関係だと思う。枢機卿が彼女を一方的に駒にするなんて、まずあり得ない事だと思う」

 

「それは、また……」

 

「いびつじゃのぉ」

 

 アデライドとロリババアが、そろって腕組みをして唸った。

 

「星導教の枢機卿に就くほどの人物が、娘の風下につくとは。なにやら、臭いのぉ……弱味でも握っておるのじゃろうか?」

 

「弱味の一つや二つを握られた程度で、それほどしおらしくなってしまうモノかねぇ。むしろ、隙を見て逆襲するくらいの気概がなくては、星導教内部で成り上がっていくなんて不可能だよ」

 

「ウムゥ、同感じゃ。フィオレンツァ司教は、なにかワシらの知らぬ武器を持っているやもしれん。これは要警戒じゃな」

 

 二人の顔に浮かぶ表情は、深刻さを増していた。うう、胃が痛い。なんで幼馴染みをこんな風に疑わなきゃならんのだろうな。これでえん罪だったらどうするんだよ。死んでも詫びきれないぞ。

 

「……」

 

 ソニアもソニアで、無言のまま首を左右に振っている。彼女になんと声をかければ良いのか分からず、僕は口を開いたり閉じたりした。

 

「…………まあ、ここであれこれ言い合っていても、真実にはたどり着けないでしょう。それを明らかにするには、本人をとっ捕まえるしかありません」

 

「いかにもその通り」

 

 皮肉げな笑みと共に眉を跳ね上げ、ダライヤが頷いた。

 

「まずはフランセットを倒してガレア国内における主導権を確保し、それと同時にすぐさまフィオレンツァを拘束して尋問にかける。これがもっとも穏当かつ確実な方策になるじゃろうな」

 

「そうなると、フィオレンツァの居場所は常に把握しておくくらいの備えは必要になってくるだろうね。ううーむ、密偵の数が足りるだろうか? フィオレンツァ黒幕説が真実ならば、その身辺の防諜体制も尋常ではないだろうし」

 

 結局、こういう話に収束していく。これだから嫌なんだ。僕は香草茶飲み干し、大きく息を吐いた。

 やはり、政治という名の沼は僕の趣味には合わない。けれども、先に進むと決めた以上目をそらす訳にはいかなかった。足りない頭を絞り、議論に参加する。

 

「星導国も無視できない。フランセット殿下を倒しても、キルアージ”新”教皇の出方次第では状況はより厄介な方に進んでいくだろうからね。なんとかあちらさんの足を引っ張る方法はないものか」

 

「軍としても、星導国との直接対決は避けたいところです。弾薬や糧秣、将兵の士気、参戦諸侯の意欲……それらの観点から考えると、我々は次の戦争には耐えられません。戦闘では負けずとも、それ以前の段階で瓦解します」

 

「力尽くの解決法は望めないということか、厄介だな」

 

 ソニアの補足に、アデライドは難しい表情で口をへの字に曲げた。これまでアルベール軍の実質的な総大将として働いてきた彼女は、他の誰よりも軍の内情に詳しい。

 そのソニアが「次の戦争には耐えられない」といっているのだから、さすがにこれ以上の無理は効くまい。たとえば、教皇府を占拠して破門を撤回させるような手は使えないと言うことだ。

 

「ハードパワーによる解決が困難ということは、ソフトパワーに頼るほかないわけだけど……ううーん、星導国に政治工作を仕掛けるなんて、なかなか難しそうだな。僕にとっては、フィオレンツァこそが一番の聖界へのツテだったわけだし」

 

 そこまで言って、僕はハッと顔を上げた。別に、高位聖職者の知り合いはフィオレンツァばかりではない。この際だから、そちらの力を借りよう。

 

「……ポワンスレ大司教。彼女ならば、聖界へのツテもあるだろう。あの方に正式な同盟を打診してみるのはどうだろう?」

 

「なるほど、あの生臭坊主か。たしかに彼女はキルアージ枢機卿とは別派閥だし、フランセット殿下との関係も冷え込んでいる。さぞ肩身の狭い思いをしているだろうから、水をむければすぐに乗ってきそうだねぇ」

 

 いいことを聞いた、とばかりにニヤリと笑うアデライド。なかなかのあくどい表情だ。

 

「うむ、ワシも賛成じゃ。この際、俗物という点も加点要素じゃな。損得勘定で動く者のほうが、交渉もやりやすいからのぉ」

 

 ダライヤも賛意を示したことで、対星導教の工作案は急速にまとまりはじめる。それに伴って会議も熱を帯び、日付が変わるまで話し合いは続いた。

 



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第655話 くっころ男騎士の休息

 フィオレンツァへの対策を話し合う内密の会議が終わったのは、夜もすっかり更けた頃合いであった。脳みその普段使っていない部分を酷使した僕は、ヘトヘトになってベッドに倒れ込む。

 普段であれば、寝酒としゃれ込むところなんだが

けどな。流石に今日はしんどい。いや、飲みたいという気分は普段以上に強いくらいなんだが、こういう時に酒に逃げたらアル中一直線だからな……。

 

「……」

 

 そういう訳で、僕はシラフのまま寝床に転がっていた。その胸の中にはアデライドを抱いており、そして背中側からはソニアが僕を抱きしめている。体格差の順番に抱き合って、まるでマトリョーシカのような格好だ。

 なぜこんな事になっているのかといえば簡単で、ソニアが強く同衾を所望したからだった。長く離ればなれになっていたのだから、その埋め合わせにずっとくっついていたいと真正面から言われてしまった。

 あげくアデライドまでそれに便乗してきたのだから、もう笑うしかない。まったく、僕は幸せ者だね。もちろん、僕はその要望を受け入れた。人をカイロにするのは竜人(ドラゴニュート)だけの専売特許ではない。アデライドがそうであるように、僕自身も人肌が恋しかった。

 ……ちなみに、秘密会議に参加していた最後の一名、ダライヤに関しては部屋から追い出されてしまっている。ソニアとアデライドが口を揃えて「お前はずっとアル様と一緒にいただろ」と指摘したせいだ。今日は順番を譲れということらしい。

 

「一緒にいたとは言っても、軟禁部屋は別じゃったんじゃぞ!? 同衾まではしておらんが!!」

 

 仲間はずれにされたロリババアはもちろん抗議の声を上げたが、最終的にはソニアの実力行使で強制的に黙らされた。年齢四桁の妖怪ババアも、単純暴力ではこの竜人(ドラゴニュート)の偉丈婦に敵わない。

 まあ、いくらこの部屋のベッドがデカいとはいっても、四人は流石にキャパオーバーだからな。こればっかりは、仕方ない。

 そもそも、ソニアにしろアデライドにしろ、『本当ならば二人っきりになりたいのだ』という不満を隠しもしていない。三人での同衾を許容したのは、あくまで妥協の産物のようだった。

 

「ふぅ……本当に帰ってきたのですね、アル様……」

 

 ソニアは僕を包み込むように抱きしめつつ、うなじに鼻を当てて深呼吸している。恥ずかしいから正直やめて欲しい。一応、就寝前に風呂は入っているが……臭くないか心配になってくるんだが。

 

「まるで変質者だねぇ……おお、怖い怖い」

 

 一方、アデライドの方は僕の胸に顔を埋めながら器用に尻をなでている。変質者はどっちだよ。いや、どっちもだわ。

 

「……」

 

 猛獣二名に好き放題されている僕だったが、悪い気分ではなかった。愛する人たちの体温を感じるのも、ぬくもりを求められるのも、存外に心地の良いものだ。

 幸せというのは、こういうことか。悪くないね、こりゃ。結婚した奴が、いきなり死を恐れるようになるのもなんだか理解できる気がする。失いたくないよな、こういう幸福な時間は……。

 

「なぁ、アル」

 

 ぼんやりと思考を巡らせていたら、アデライドに名前を呼ばれた。沈みかけていた意識が浮き上がり、僕は彼女を抱く手にぎゅっと力を込めた。

 

「なに?」

 

「どうやら、きみは頭領になる決意を固めたようだね。雰囲気で分かる……」

 

「……うん」

 

 尻をさわさわしながら出す話題かなあ、それ。などと思いつつも僕は彼女に頷き返した。やはり、アデライドは僕の方針転換に勘付いていたようだな。

 

「もう、責任から逃げ回るのはやめにする。最低限、僕に求められる仕事くらいは果たそうと思ってね」

 

「素晴らしいお覚悟です、アル様」

 

 ソニアが少し湿った声でそう囁いた。嬉しそうな、それでいて悲しくもあるような、そんな不思議で複雑な声音だった。

 

「しかし、その責任をアル様ひとりに押しつける気はございません。ふつつかながら、このわたしも同じものを背負う覚悟がございます。頼りない女で申し訳ありませんが、わたしにもアナタの重荷を共有させてほしいのです」

 

「……ありがとう、ソニア」

 

 はぁ、まったく。僕って奴は、どこまで幸せ者なんだろうね。ここまで言ってくれる伴侶に恵まれるなんて、そうそうあることじゃないだろ。幸福で幸運すぎて逆に怖くなってくるんだが。

 

「むろん、私もソニアと同じ覚悟だ。きみが望むのなら、地獄の果てまで付き合ってやる。でもな……」

 

 アデライドは、そこでやっと僕の尻をなでる手を止めた。そして少しだけ身を離し、真剣な面持ちで僕の目をじっと見つめる。

 

「頑張りすぎだけはやめたまえよ。きみは『最低限自分に求められる仕事は果たす』と言ったが……他人からの期待ほど無責任なものはないからねぇ」

 

 そう語るアデライドの声には、なんともいえない悲しげな響きがあった。

 

「それに無心で応え続けても、要求は際限なく上がり続け最後には破綻する。そういうものだ。絶対に、おのれの行動基準は他人に任せてはならない。いいね?」

 

「……わかった」

 

 うん……そりゃあそうだな。史実でも、物語でも、市民の総意の器になろうとした人間の結末なんてのはたいがい悲劇的なものだ。好き好んでそれと同じ(わだち)を踏みに行くこともない……。

 

「まあ、最終的には自己満足さ。僕は、生まれたときから”それ”で動いている。今更自分を見失ったりしないよ」

 

 そう、全ては自己満足だ。いま、時代は乱世へと転がり落ち始めている。それだけは、なんとしても阻止しなければ。

 ……いや、実のところドンパチ自体は嫌いじゃないんだ。血泥にまみれて殺したり殺されたりしていると、おのれの本懐を果たしているような満足感を覚える。そういう一面は、確かに僕の中にもあるんだ。

 けれども、僕はそういう自分自身のことが好きではない。殺し合いを望む自分と、それを嫌う自分。その二つの整合性を取るために、”市民の安全と財産を守る軍人”という役割に固執する。そういう厄介で面倒くさい人間がアルベール・ブロンダンなんだよな……。

 

「……」

 

 思考が堂々巡りになりつつあるのを感じ、僕は胸の中のアデライドをぎゅっと抱きしめた。アデライドも、そしてソニアも、優しく抱きしめ返してくれる。

 ……僕は碌でもない奴だ。人殺しだし、それを恥じてもいない。あげく、前世では家族を残し、自分から喜び勇んで十死零生の戦場へと飛び込んで案の定死んだ。ロクデナシの戦争フリーク、それが僕の本質なのだろう。

 けれども、彼女らはそんな僕でも愛してくれる。こんなに嬉しいことはない。この幸せを破壊しようとする者は、何人であっても許せそうにない。だから、戦争の根を断ちに行く。うん、うん。それでいいじゃないか。何を迷う必要がある……。

 

「眠そうですね、アル様。大丈夫、そのまま安心してお休みください。あなたは、このソニアがお守りいたしますから……何も不安に思う必要はありません」

 

 そう言って、ソニアが僕の頭をなでた。安心、安心か……うん、悪い響きじゃないな。彼女らのぬくもりに包まれていれば、確かに安らかに眠れそうな気がする……。

 そんなことを思っているうちに、僕の意識は次第に闇へと飲まれていった。

 

「ふぅ……流石のアルも、だいぶ堪えているようだね」

 

「当然だろう。ここ数ヶ月は……いや、一年以上、事件続きだったんだ。あげく、フランセットの誘拐事件……心労が貯まらぬはずがない。わたしが未熟なばかりに、アル様に余計な負担をおかけして……ああ、口惜しい」

 

「同感だねぇ……はぁ、まったく。甲斐性には自信があったのだが、愛する男にこんな顔をさせてしまうとは。私もまだまだなようだねぇ」

 

「……まあ、無力を嘆くばかりでは状況は改善しない。今は、諸悪の根源を潰しに行く。コレが最優先だ」

 

「うん、その通りだ。ふふ……同じ男を愛する者同士、力を合わせて頑張ろうじゃないか」

 

「致し方あるまい。貴様の事はやはり好かんが……信頼はしている。後ろは任せたぞ、相棒」

 

「ああ、任せてくれたまえよ」

 



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第656話 くっころ男騎士と軍議

 友軍のもとへ帰還した僕を待っていたのは、激務の山であった。

 アルベール軍と称するこの軍隊は、基幹部隊こそリースベン軍であるもののその周囲を固めるのは様々な出自をもつ烏合の衆だ。

 その中には宰相派の王国貴族もいれば帰順したばかりの帝国諸侯もおり、文化も参戦した理由もバラバラもバラバラだった。

 これはもはや暴れ馬の集団のようなものであり、その手綱を取るのはまったくもって容易なことではない。しかし、無理でもなんでもそれをやらねばならないのが総大将という役割なのである。

 

「なに、アンリ女爵とバルテン子爵が決闘を始めた? 理由は……五年前の戦争の落とし前をつけるため!?」

 

「エルフが肝練りと称して鉄砲で火遊びをしているからやめさせてほしい!?」

 

「ジョアンヴィル伯爵が物資の横領を!?」

 

「は? 新しいエルフ義勇兵団が到着した? 聞いてないぞそんなの。どこから湧いて来やがった」

 

「カスタニエ宮中伯が詐欺めいたやり方で商人から金を巻き上げているからなんとか言ってやってくれ!? ん? いや、カスタニエ宮中伯ってアデライドじゃないか!!」

 

「野良エルフが勝手に村落を略奪している!? なんなのそんなの聞いてない! 今すぐ止めるよう布告を出せ!」

 

 そんな調子でトラブルが頻発し、僕には司令部でふんぞり返っている暇すら与えられなかった。馬に乗って本陣を駆け回り、ひとつひとつ問題を潰していく。

 本当ならば、専門の調停機関を作ってそこに諸問題を丸投げするのが一番なんだけどな。しかし、そこは急増の寄せ集め部隊の悲しいところ。そんな都合の良い部署を作るためのリソースも人材も暇もありはしなかった。結局、総大将たる僕が直接出向いて解決するのが一番効率的なのである。悲しいね。

 しかし、全体で見ればそのような仕事など些事以外の何物でもなかった。僕の本来の仕事は、この雑多でまとまりを欠く軍隊を率いて王軍を打ち破ることなのだ。

 日々のちょっとしたトラブル程度に忙殺されているようでは、勝利などいつまでたっても得られない。盤面が少しでも我が方優位に傾くよう、いろいろな手を打っておく必要があった。

 

「王軍は、冬営の準備を中断した模様です。どうやら、本格的な冬が来る前にもう一戦やるつもりのようですね」

 

 定例の軍議で、偵察に出ていたジルベルトがそう報告する。一時は春まで休戦かと思われていたこの戦争だが、僕の脱走と神聖帝国の参戦によって状況は急速に動きつつあった。

 

「やはりか。王軍としては、我が軍と皇帝軍の合流はなんとしてでも阻止したいところだろうからな」

 

 香草茶を片手に、僕は視線を宙に彷徨わせた。王軍は、冬営から戦闘継続に突然方針を転換したのだ。尻に火が付き、準備不足のまま動き出したことは間違いない。遠征軍である我々にとって時間は敵であるから、ジルベルトのもたらした情報は間違いなく朗報ではあった。

 

「こちらの準備はどうなっている?」

 

「正直なところ、万全とは言いがたいですね」

 

 とはいえ、このまま楽に勝てるほど戦争は甘いものではない。ソニアから返ってきた予想通りの答えに、僕は小さく息を吐いた。

 

「冬営に備えていたのはこちらも同じことですし、先日のソラン山地襲撃事件の影響もまだ残っています」

 

「ソラン山地の崖崩れに関しては、アリンコ工兵隊の尽力もあって復旧済みだ。とはいえ、最大の補給路が一時閉塞していたわけだからね。補給計画には様々な狂いが生じてしまった」

 

 そんな補足をするのはアデライドだ。本来彼女は軍人ではないのだが、商人の家系に生まれただけあって物流の管理に関しては誰よりも上手い。そのため、近ごろのアデライドはアルベール軍の兵站担当としても働いてくれているのだった。

 

「一番影響が大きいのは、弾薬の集積だろうねぇ。これまでの戦いの弾薬消費量を鑑みれば……いち会戦を戦い抜くのがせいぜい、という量だな。その上、足りていないのは弾薬だけではない。補給段列の荷馬車も不足しているんだ」

 

「不足分は現地調達でまかなう予定だったのだがな。この地域一帯の荷馬車やら何やらの戦争に使えるような物資は、王軍撤退の際にすべて焼却されてしまった」

 

 ツェツィーリアが、その可愛らしい顔に似合わぬ難しい表情でそう付け加えた。現状、ロアール川南岸のこの地域は、軍人どころか民間人の食料すら事欠くような有様になっている。王軍の焦土戦術のせいだ。

 この問題の対処にあたったのが、ツェツィーリアであった。彼女はエムズハーフェン家自慢の商船部隊を全力投入し、帝国南部の穀倉地帯から食料をピストン輸送してくれたのである。おかげで、今のところ僕たちはもちろん民衆も飢えずに済んでいた。

 

「いまの輸送力では、軍を長距離移動させるのは難しいだろうな。大きく迂回して敵軍の側面や後方を攻撃するような戦術は使えないと思ってくれ」

 

「了解、頭に入れておこう」

 

 いやはや、厄介なことになったな。兵站が不十分な状況で戦うほど怖いことはない。インパールの二の舞なんてのは勘弁だ。

 

「敵軍の兵力が、約四万。対するこちらは二万五千に足りない数。平原で真正面からぶつかり合うのは厳禁だ。それに加えて迂回作戦まで困難となると……」

 

 口の中でブツブツと呟きつつ、僕は地図をにらみ付けた。

 

「やはり、ロアール川が戦闘の焦点になりそうだな。大軍の優位を封じようと思えば、渡河中を叩く以外の方法はない」

 

「前回の戦いを、攻守を入れ替えて焼き直すわけですか」

 

 苦い表情で唸るソニア。前回の戦いというのは、王都への進撃をもくろむアルベール軍が渡河を強行したロアール河畔の戦いの事だ。

 ソニアはこの戦いの総指揮を執り、途中までは優勢に断っていたのだが……最終的には、補給線を遮断されて撤退を余儀なくされた。表情から見るに、この戦いはソニアの中ではちょっとしたトラウマになっているようだな。

 

「ああ……ただ、アルベール軍と王軍では、本拠地からの距離が違いすぎるからな。ガムラン将軍の作戦をそのままやり返してやるのは、まず不可能だろう」

 

 王軍の布陣するロアール川北岸から王都までは、もう目と鼻の先といっていい距離なのだ。補給線をひとつ潰したところで、予備のルートはいくらでもある。補給路の遮断など狙うだけ無駄だった。

 

「川を挟んでの押し合いへし合いで時間を稼ぎ、皇帝軍の合流を待って反攻に転じる。軍事上の都合だけを考えるのならば、これが最適解じゃろうなぁ?」

 

 僕の隣に座ったロリババアが、ニヤリと笑ってツェツィーリアに目配せをする。賢明なるカワウソ侯閣下は即座にこのクソババアの意図を察し、口元をへの字に歪めた。

 

「……個人的な意見を言えば、その作戦には反対だ。戦闘の決定打を皇帝軍に任せては、あとあと面倒なことになる」

 

 ダライヤの口にした作戦は、確かに軍事的に見れば最適解だ。しかし、軍事のさらに上位のレイヤー……政治的な視点で見れば、大きな問題をはらんでいる。アーちゃん率いる皇帝軍が、あまりにも大きな役割を持ちすぎるという点だ。

 皇帝軍はいちおう味方だが、その目的は火事場泥棒以外の何物でもない。そんな連中にあまりに大きな手柄を与えては。戦後に様々な問題が発生するのは間違いないだろう。下手をすれば、僕たちより早く王都に皇帝旗を立ててしまうかもしれない。

 もちろん、政治屋のダライヤが僕でも予想できる程度の問題点を認識していないはずがない。彼女はあえて皇帝軍に頼り過ぎる作戦を提示し、それを帝国諸侯であるツェツィーリアに否定させたのだ。いわば、踏み絵のようなものである。

 クソババアめ、相変わらずカスみたいなやり口を使いやがる。いや、まあ、神聖帝国そのものが味方になった今、ツェツィーリアをはじめとした寝返り組の帝国諸侯の立場はかなり微妙なことになっているからな。帝国に出戻るのか、僕たちの側に着くのか、その辺りの旗幟はハッキリさせてもらわなきゃ困るというのはわかるんだが。

 

「ディーゼル家としても、エムズハーフェン侯の意見には賛成だな。”外様”にあまりデカい顔をされては困る。皇帝軍の手を借りるにしても、任せる役割は補助的なものにとどめるべきだろう」

 

 そう主張するのは、ディーゼル伯アガーテ氏。とうの昔に寝返りを終えている彼女としては、古巣の影響力が増すのは避けたいところなのだろう。いやあ、政治だね。

 ……はぁ、まったく。純軍事的に見れば、ダライヤの作戦が理想的なのになぁ。政治的な問題が、それの実施を阻んでいる。

 前世の頃からの経験だが、政治の絡む作戦はだいたいロクなことにはならない。軍事的合理性と政治的な要求は時として対立するからだ。

 軍人としての僕は、そんな事情なんか無視して合理的な作戦を採用しろと叫んでいる。しかしアルベール軍の盟主としては、確かに皇帝軍にはあまり手柄を揚げて欲しくない。うーん、ジレンマ。

 ああ、もう、面倒くせぇ! これだから政治は嫌いなんだ、畜生め。だけど、今の僕の立場ではそれを無視することもできないんだよな。まったく、ヤンナルネ。さて、この難問にどう対処すべきだろうか……。

 

 

 



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第657話 くっころ男騎士の行軍

 サン=ルーアン市に初雪が降った日、僕たちはいよいよ最後の決戦にむけて出陣した。王軍は、どうやら渡河作戦の準備を進めているようだからな。先手を打って防衛線を敷き、敵の攻勢に備える必要があった。

 湿った雪が街をまだらに染める中、アルベール軍の全部隊が前進を開始する。目指すは、ロアール川河畔の南側。ソニアが突破戦を仕掛けようとしたあの渡河ポイントである。

 

「王軍の南岸上陸を許せば、数に劣る我が軍の劣勢は避けられない。渡河だけはなんとしてでも阻止するんだ!」

 

 僕はそう檄を飛ばし、自らが先陣を切ってサン=ルーアン市を後にした。もはや秋の気配は遙か彼方に過ぎ去り、吹きすさぶ風は痛いほどに冷たい。戦争には向かぬ季節が迫りつつあった。

 

「王軍のクソッタレめ! 冬に戦争するなんてバカのやることだぞ!」

 

「私ら獣人ですら、この季節は家に籠もるってのにな。ましてや相手はトカゲどもだ。戦ってる最中に冬眠しちまうんじゃないか?」

 

 半分溶けて泥と混ざり合った汚らしい雪を踏みしめつつ、雑兵たちがそう囁き会う。北方ほどではないにしろ、王国中部の冬は厳しい。

 科学文明の発達した前世の世界ですら、厳寒期の戦いには様々な困難が立ち塞がるのだ。ましてや技術の未熟なこの世界では、冬になれば戦争も自然休戦となるのが普通であった。

 雪の降る中での出陣など古兵でもそうそう経験があることではなく、誰も彼もが不安を抱いていた。

 

「こん国ん冬は、骨身にしみる寒さじゃな。ガレア騎士などはもんの数じゃなかが、寒さにだけはどうにも敵わん」

 

 そう語るのはモコモコの毛皮マントを二枚も重ね着したフェザリアだった。エルフどもは皆南方の出身だから、当然寒さには弱い。初冬の今ですら、その気温はリースベンの真冬なみなのである。

 

「そけちょうど村があっど。燃やして暖を取っていかんか」

 

「名案にごつ!」

 

 火炎放射器を背負ってそんな物騒なことを言い出すエルフ兵が後を絶たず、僕たちの頭を悩ませた。

 火計はフェザリア率いる正統エルフェニアの専売特許だったはずなのだが、近ごろはいつの間にか新エルフェニアの連中も火炎放射器を装備するようになっていた。許可もとらずにアチコチに放火していくものだから、本当に困る。

 もっとも、文句を言える元気があるだけエルフどもはまだマシだった。アリンコ兵に至っては

 

「誠にあいすまん、オヤジィ……ワシャあもう限界じゃわ……」

 

 などと言い出してぶっ倒れるものが続出する始末だった。その理由はもちろん低体温症だ。虫人はただでさえ寒さに弱いのだが、特にこの連中は半裸が正装なのである。そんな格好で雪の中を歩いていたら、命に関わるに決まっている。

 

「防寒着は支給してあるだろ!? なんで着ないんだ!!」

 

「戦争を前にして肌を隠すんような情けない真似はできんけぇ、それだけは堪忍を」

 

「馬鹿野郎!! エルフじゃあるまいに、意地を張って命を粗末にするんじゃない!」

 

 青色吐息のアリンコ兵を説得すること丸一日、やっとのことで彼女らは防寒着を着込むことに同意してくれた。

 しかし、この間に十人以上のアリンコ兵が低体温症で戦列を離れる羽目になっている。僕としても民族文化に文句をつけるようなことはしたくないのだが、せめて防寒くらいは妥協してもらわなきゃ困るよ……。

 

「この寒さは我が軍に優位に働くと思っていましたが……どうやら、それは甘い考えだったようですね」

 

 リースベン出身者の惨状を見て、ソニアがため息を吐く。しかし、そんな彼女もフワフワモコモコの防寒着ですっかり着ぶくれしている。竜人(ドラゴニュート)はみな寒さに弱く、冬になると体の動きが鈍くなってしまうのだ。

 そういう訳だから、冬期における運動能力では竜人(ドラゴニュート)よりも獣人が有利だ。王軍が竜人(ドラゴニュート)兵ばかりで編成されている一方、こちらは帝国出身の獣人兵も多く参加しているから、ソニアの予想も誤りではない。誤りではないのだが……。

 

「ああ……やはりこの戦争、一筋縄ではいかないようだ」

 

 新兵科とも対等以上の戦いが出来るエルフ兵やアリンコ兵は、兵力差を埋めるための重要な戦力だ。しかしその肝心な要石がこの惨状なのだから、ため息をつくほかない。

 冬の戦争では、紙面上の戦闘能力よりも環境への適応力のほうが大切になってくる。そういう意味では、南方を根拠地とする我々が不利になるのは当然のことかもしれない。

 

「アレクシア先帝陛下よりご連絡です。現在、皇帝軍はアーレ市郊外で王軍の足止め部隊と交戦中。オレアン領到着までには、いまだしばらくの時間がかかるとのことです」

 

 そこへ、ウルが悩ましい報告を携えてやってくる。彼女に率いられた鳥人部隊は、偵察に伝令にとまさに八面六臂の活躍を見せていた。アーちゃんら皇帝軍との連絡も、彼女らに課せられた重要な任務の一つだ。

 ちなみに、アーレ市というのは王国東部にある交通の要衝だ。ここを抜けば、あとはこのオレアン領まで一直線に進撃することが出来る。王軍から見れば、最終防衛ラインの一歩手前というところだろう。

 

「なるほど、やはり王軍は遅滞作戦に出たか。フランセット殿下としては、我々と皇帝軍の合流はなんとしても避けたいだろうからな……当然、手は打ってくるだろう」

 

 アーちゃんに大活躍されては正直困るわけだが、援軍が到着しないのはそれ以上に困る。嫌なジレンマだね。ましてや、敵将はあのソニアをも退けたガムラン将軍だ。手ぬるい策を使ってくることはあるまい。油断はできんね。

 

「とはいえ、これは敵から見ても難しい盤面じゃのぉ。皇帝軍の足止めに戦力を割き過ぎるれば、こちらへ差し向ける戦力が不足する。二正面作戦一歩手前じゃな」

 

 ロリババアの指摘ももっともだった。王軍側の最適解は、我々アルベール軍と皇帝軍を各個撃破することだ。後者を最低限の戦力で守りつつ全力をもって前者を打つのがフランセット殿下の基本方針だろうが……

 皇帝軍は全部隊が騎兵で編制された強力な軍隊であり、さらには将としてアーちゃんとヴァルマが指揮をとっている。中途半端な防衛隊などを配置したところで、濡れ紙のよう破られてしまうのは目に見えていた。

 

「敵が戦力配分を誤ってくれれば、話は簡単なんだが」

 

「それはそうなのですが……相手はあのガムラン将軍ですからね」

 

 苦い顔で反論するソニア。なにしろ彼女はそのガムラン将軍に一度煮え湯を飲まされているわけだから、敵将がどれほどの切れ者なのかは誰よりも理解している。判断ミスなど期待するだけ無駄、そう言いたいようだ。

 もちろん、僕も敵の失敗を期待して作戦を立てるような阿呆ではない。彼女に頷き返し、しばし思案する。

 

「戦力的には敵軍優位、寒さの問題でこちらの主力は不調、おまけに政治的な都合でねじ曲げられた作戦と来た。逆役満だなぁ、これは」

 

 誰にも聞こえないほど小さな声で、そう呟く。特に、一番最後の予想が気に入らないんだよな。なんだよ、友軍に手柄を稼がせてはならないって。アホか?

 政治ってヤツは、時として阿呆としか思えない所業を大真面目にこなすことを求めてくるものだ。だから嫌いなんだよ。

 ……そう言ってぶった切れる立場なら、気が楽なんだが。一応、僕はこのよくわからん集団の頭領ということになっているからな。無責任なことは言えん。はぁ、気が重いね。

 とにかく、今は出来ることからこなしていくほかない。一応、最善と思える作戦を立てはしたんだ。あとは、自分自身と仲間たちを信じて賽を振るだけだ。

 

「フィオレンツァ……」

 

 今、どこで何をやっているのかさっぱり分からない幼馴染みの名前を呼んでみる。

 僕は”反乱軍の首領”という立場ひとつでこれほど四苦八苦しているというのに、あの幼馴染みは何を求めてこんなあくどい策謀に手を染めたのだろうか? 

 その企みが成功したところで、フィオ個人が幸せになれるとは思えんね。過大な権力や責任なんてものは、個人が背負うには重すぎる荷物だ。好き好んでそんな立場を取りに行くのは愚者の所業だと思うがね……。

 

「はぁ」

 

 まあ、今はそんなことより王軍への対処だ。明日の昼過ぎには、ロアール川河畔に到着する予定だからな。せいぜい頑張って、”反逆”を成功させてみせるとしますかね……。 

 

 

 




次回更新日(12月7日)は諸事情のため投稿をお休みさせていただきます。
申し訳ありません。


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第658話 王党派将軍と聖人司教(1)

「はぁ……」

 

 私、ザビーナ・ドゥ・ガムランは深いため息を吐いた。ひどく陰鬱な気分だ。なにしろ、寒い。数日前に初雪が降って以降、毎日降雪が続いている。その間、太陽は一度として顔を見せていない。

 ガレア中部の冬は、どちらかといえばからりと晴れていることが多いのだが。しかし、どうやら今年はそのセオリーは通用しないらしい。初冬の時点でこれなのだから、先が思いやられる。

 

「冬にいくさなど、正気の沙汰ではない……」

 

 小さなボヤキが、白い呼気と共に虚空へと消えていく。

 現在、王軍はとある農村を宿営地に定め、攻勢発起の準備を進めていた。その宿営地の司令本部(接収した村長宅だ)の裏手で、私は一人佇んでいる。

 雪混じりの寒風が吹きすさぶ中、野外でじっとしているのは拷問のように辛い。けれども、屋内に引っ込むのはもっと嫌だった。

 なにしろ、司令本部の中ではフランセット殿下やオレアン公、その他王党派の重鎮たちが雁首を揃えて不景気な顔を突き合わせている。その雰囲気の悪さといったら尋常なものでなく、これに巻き込まれるくらいならば雪風を浴びていたほうがまだマシなくらいだった。

 

「いや、どうかな……」

 

 そうは思いつつも、やはり寒いものは寒い。一応毛皮のコートは着ているが、それでは明らかに不足だ。最低でも火鉢、できれば人間懐炉(びしょうねん)が欲しい。しかしどちらも手元にないので、仕方なくポケットから取り出した小さな水筒を呷る。中身はアヴァロニア舶来のウィスキーだ。

 はぁ、まったく。竜人(ドラゴニュート)貴族の正しい冬の過ごし方といえば、暖炉の前で美少年を抱きしめていることだというのに。何が悲しくて、むさい女どもと雪にまみれなければばらないのか。理不尽すぎて涙がでてきそうだ。

 

「ガムラン閣下」

 

 鬱々とそんなことを考えていると、突然名前を呼ばれた。視線を向けると、そこにいたのは白髪の眼帯女。

 

「おや……フィオレンツァ司教殿。なにかご用でしょうか」

 

 一瞬、私は彼女が誰だかわからなかった。モコモコの防寒着のせいで、彼女のトレードマークである純白の羽根も司教服も隠れていたからだ。

 

「用、というほどのこともございませんが。お寒そうでしたので」

 

 そう言って、彼女は湯気の上がるカップを手渡してくる。中身はどうやらホットワインのようだ。

 

「おお、これはかたじけない」

 

 正直、私はこの外人坊主が好きではない。コイツと付き合うようになってから、陛下はどんどんおかしくなっていったのだ。平和だった頃のガレアを懐かしむ者としては、好意を抱けるはずもない。

 しかし、酒に罪はないのだ。カップの中身を一息に飲み干すと、食道と胃の腑になんとも心地よい暖かさが広がっていく。やはり、ホットワインは寒さに対する特効薬だ。今の状況での差し入れとしては、確かに最高の品であろう。

 とはいえもちろん、差し入れ一つで心理的なガードを下げるような真似はしない。私とて、もう二十年以上ガレア宮廷で過ごしてきた人間だ。うさんくさい相手にもある程度耐性は出来ている。

 

「しかし、久しぶりでありますな、司教どの。近ごろお顔を拝見する機会に恵まれませなんだが……ご壮健のようで何よりです」

 

 カップを返しつつ、牽制を仕掛ける。アルベール軍の来寇(らいこう)までは殿下の影のように付き従っていた司教だが、戦争の影がガレア中部を覆った途端にどこかへ姿をくらませてしまったのだ。

 もちろん、フィオレンツァ司教は軍人ではなく聖職者だ。神聖帝国の領主司教のように、大規模な私兵部隊をもっているわけでもない。いわば文民のようなものだから、わざわざ従軍する必要など無いというのは確かなのだが……。

 しかし、宰相派との戦争を煽ったのは、この坊主であるというのがヴァロワ王家家臣団のもっぱらの噂であった。その行為の是非はさておき(事実として、王党派から見た宰相派の拡大ぶりは脅威であったからだ)、焚き付けた本人が一番に安全圏に逃げるというのはいただけない。やけどをする覚悟のないものに、火遊びをする資格は無かろう。

 

「忙しいさなかにお手伝い出来ず、もうしわけありません。実は、郷里のほうでちょっとしたボヤがおきまして」

 

 もちろん、この程度のイヤミは星導教最年少の司教には通用しない。彼女は鉄面皮と表現するほかないうさんくさい笑みを浮かべ、そう説明した。

 

「ボヤですか。まあ、風の噂でなにやら異変が起きているという話は耳にしておりますが」

 

 星導国の内部で嵐が起きているという話は、国中の聖職者の間で噂になっている。そして、その嵐の中心にいるのは……この女の母であるキルアージ枢機卿なのだ。

 しかし、母親が教皇を追い落として成り代わろうとしていることをボヤと呼ぶのはなかなかユーモラスな表現だな。焼け太りとしては史上最大のものかもしれん。まったく、火をつけておいて他人顔をするのが得意な女だこと。

 

「とはいえ、すべては極星のお導きでありますから。結局のところ、収まるべきところに収まるのでしょう」

 

「ええ、まさにその通りでございます」

 

 奥ゆかしく微笑むフィオレンツァ司教に、私は危うく肩をすくめかけた。危ない危ない、あまりの面の皮の厚さに思わず素が出るところだった。

 まあ、いいさ。善人か悪人かなんて、本質的にはどうでもいい話だ。肝心なのは利用価値だし、その点この女はヴァロワ王家から見ればかなり利用価値が高い。なにしろ、聖界中央に直通の高位聖職者だ。上手く付き合えば、我々に大きな利益をもたらしてくれるのは間違いない。

 もちろんフィオレンツァ司教とてそれなりの思惑はあるのだろうから、油断はできない。一方的に利用されるだけされて、用済みになればゴミのように投げ捨てられる……そういうリスクも十分にあるだろう。

 しかし、その程度のリスクで怯んでいては権謀術数の世界では生きていけない。お互いに利用し合うのが当然なのだから、こちらも気兼ねなくフィオレンツァから搾り取ってやれば良いのだ。

 

「ああ、そうだ。司教殿、少しばかりお時間はありますかな? これも何かの縁……気晴らしがてら、親睦を深める機会をいただきたいのですが」

 

 とはいえ、そういう面では今のフランセット殿下にはいささか不安がある。本来の殿下は思慮深く正しい判断ができるお方なのだが、どうにも近ごろは冷静さを失っているような思えてならない。詐欺師のような輩から見れば、これではカモ同然であろう。

 このような場合は、進んで主君を支えるのが家臣の仕事だ。司教がフランセット殿下に最接近する前に、私が間に入ってしまおう。今は王家の一大事なのだ、軍事素人の坊主に余計な耳打ちでもされたらたまらない。

 ……はぁ。考えれば考えるほど気が重いなぁ。何が悲しくて、頼まれても居ない欲深坊主の接待役なぞやらればならんのか。多少の役得は期待できるやもしれんが、甘い汁を舐めすぎると結局ミイラ取りがミイラになってしまう。それなりの自重が必要だろう。

 

「ええ、喜んで」

 

 ニッコリと微笑むフィオレンツァ司教の顔には、一片の邪気も含まれていなかった。しかし、その仮面の下にはどのような素顔が隠されているのか……考えるだけで恐ろしい。

 なにしろ、相手は十代で司教の座に就いた怪物だ。この出世の速さは親の七光りだけでは説明が付かない。フィオレンツァ本人も、化け物じみたセンスの持ち主である事には間違いなかろう。小娘が相手だからといって、油断はできん……。

 

「ありがとうございます、司教殿。ただいま茶会の席を用意させますので、しばしお待ちを」

 

 私は、それなりに美味い食事が出来て、あとは美少年さえ抱ければそれで満足なのだ。国盗りの野心など微塵も無い無欲な女が、なぜこんな事をしなければならんのか。理不尽すぎて涙が出てくる。

 できれば誰かに代わって欲しいのだが、今の王党派にはロクな人材がおらん。色恋で頭の茹で上がった殿下やら、ふぬけのオレアン公などにこの爆弾めいた坊主の相手は任せられない。まだ、私がやったほうがマシだろう。

 はぁ……まあ、仕方があるまい。今さら宰相派に鞍替えするわけにはいかぬ以上、どうしても王党派を勝たせる必要がある。王家からは安くない額の俸給をもらっているわけだから、せめて給料分の働きくらいはしてやることにしよう……。

 

 

 



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第659話 王党派将軍と聖人司教(2)

 あのクソ坊主、フィオレンツァ・キルアージが帰ってきた。おりしも、反乱軍との決戦を控えた極めて重要な時期だ。フランセット殿下に良からぬ事を吹き込んだという噂もあるこの鳩女の存在は、模範的王党派貴族である私にとっても目障りであった。

 とはいえ、今のガレアは内戦によってガタガタになりつつある。聖界からの援護は、必要不可欠であった。なにしろフィオレンツァの母親は、教皇の座に王手をかけつつある。今の王党派にとっては、もっとも頼りがいのあるコネクションであった。

 フィオレンツァからの影響力行使を防ぎつつ、星導教からの便宜を受ける。そういう絶妙な立ち回りが、いまのフランセット殿下に出来るとは思えない。王党派の駒として、私……ザビーナ・ドゥ・ガムランは、ひとりフィオレンツァと相対することを決意した。

 

「司教殿に対するおもてなしとしては、まったく不足でしょうが……今は戦時ゆえ、お許しいただきたい」

 

 このクソ寒い中、野外で立ち話というのは竜人(ドラゴニュート)の身には厳しい。本格的な話し合いに移る前に、私は河岸を村唯一の宿屋へと移した。

 用意したのは一番良い個室だが、もちろんその内装は王都の最上級宿のロイヤルスイート・ルームなどとは比べものにならないほど貧相だ。しかし、小さな農村に大量の軍人が詰め込まれている現状では、内緒話に使えるような場所はここくらいしかない。致し方の内措置である。

 

「暖かな部屋を用意していただいただけでも、十分すぎるほどのもてなしですよ」

 

 フィオレンツァは聖人めいた笑みを浮かべつつ、ぱちぱちと音を立てる暖炉を一瞥した。その鷹揚な態度だけ見れば、まさに理想の聖職者だな。まったく、擬態が上手すぎて笑えてくるじゃないか。

 

「お忙しい中このような機会を作っていただき、感謝の念に堪えません。実のところ、ガムラン将軍閣下とは一度直接お会いしておきたいと思っていたのです」

 

「なんと、それは奇遇でありましたな」

 

 白々しく驚いて見せるが、もちろん演技だ。なにしろ、フィオレンツァはわざわざ差し入れまで持って私のもとを訪れているのである。彼女ほどの大物がわざわざそんな小芝居を挟む当たり、私個人に用があると考えるのは自然な流れであった。

 

「わたくしは近ごろ、”身内の騒動”に巻き込まれてあちこちを飛び回っておりましたから。恥ずかしながら、ガレア国内の情勢に耳を澄ませる余裕が持てなかったのです」

 

 暖かな香草茶で口を湿らせてから、フィオレンツァはそう説明する。

 

「ガムラン将軍は王軍の実質的な指導者であらせられますから、そのあたりの事情にもお詳しかろうと思いまして」

 

「そういうことでしたら、喜んで。小官などでよろしければ、なんでもお答えいたしますとも」

 

 ありがとうございますと返してから、彼女はいくつかの質問をぶつけてきた。すべて今回の内戦についてのものであったが、軍事機密に属するような重大情報に関する問いは一つも無い。どれも、簡単に答えられる程度の基本的な質問ばかりだった。

 現状の把握がしたい、というのは本音だったのだろうか? 少しばかりの肩すかし感を覚えるが、相手はあのフィオレンツァだ。これも奴の手管かもしれん、油断はできんな。

 

「なるほど。それでは、戦況は王軍が優位なのですね」

 

「ええ。神聖帝国の参戦というイレギュラーはありましたが、奴らはまだ先の戦争の傷が癒えておりません。侵攻してきた軍勢はせいぜい一万ていどの数ですから、それほど心配する必要はないでしょう」

 

 ”心配する必要はない”という言葉を強調しつつ、私はそのように説明した。実際はそれほど安心できる状況でもないのだが、焦って損切りでもされると困るからな。司教には、これからも我々に肩入れし続けて貰わねばならない。

 

「万一皇帝軍と反乱軍が合流したところで、その兵力は三万五千に足りない程度。総兵力四万超の我々の敵ではありません。……ましてや、皇帝軍と反乱軍の現在位置はずいぶんと離れておりますから。各個撃破を狙うのも、そう難しいことではございませぬ」

 

「それはよかった。火事場泥棒めいた輩が現れたと聞いて、いささか心配しておりました」

 

 演技とは思えぬ所作で胸をなで下ろすフィオレンツァ。ここだけ見れば、年相応の純真な少女のように思えてならない。なるほど、殿下はこの演技に惑わされたわけか。

 ちなみに、我が軍が優勢というのは嘘でも何でも無い。盤面だけ見れば、まともな軍事専門家なら誰であっても私と同じ判断をするという自信はあった。

 なにしろフィオレンツァは宗教界の大物だ。嘘やごまかしを口にしたところで、別のルートから正しい情報を仕入れてしまうに違いない。彼女をこちらの陣営にとどめておくには、客観的な事実としての優勢が必要なのだ。

 ……まあ、実際の見通しはそれほど甘くはないがね。何しろ、敵将はあのブロンダン卿だ。少しばかり兵力差があったところで、容易い勝負にはならんだろうね。あの男に関しては、どれほど警戒しても不足と言うことはないだろう。……なんで陛下はそんな輩を解放してしまったんだ。ふざけるなよ。

 

「とはいえ、いくさは終わるまで結果は分かりませぬゆえ。油断はするべきではありませぬ」

 

 楽勝ムードになられてもそれはそれで困るので、しっかり釘を刺しておく。そもそも、この戦いに勝利したところでヴァロワ王家の前に立ちこめる暗雲がすべて晴れるわけではないのだ。むしろ、戦後のことを考えれば胃が痛くなってくるほど、我々の前途は多難なのである。

 

「つきましては、司教殿にも協力をお願いしたい」

 

「ええ、もちろんです。教会のほうから、まとまった数の星導師を派遣いたしましょう」

 

 ニッコリと笑ってそう請け合うフィオレンツァ。星導師というのは、星導教お抱えの技術者だ。天測、測量、星占術……情報関連の様々な技能を習得した星導師たちは、確かに合戦においては無くてはならない存在である。

 

「ありがとうございます」

 

 礼を述べつつも、私は心の中で首を左右に振った。星導師の派遣などというのは、教会による戦争協力としては基本中の基本に属する対応なのだ。ここまで我が国の内部をひっかき回したのだから、その程度の対応でお茶を濁されては困る。

 

「しかし、可能であれば政治的な援護もいただきたい。なにしろ、敵軍の士気は妙に高い……盤石の布陣を敷いた現状でも、それだけが唯一の不安要素なのです。実際に槍を交える前に、連中に冷や水を浴びせかけてやりたいというのが正直なところでして」

 

「冷や水、ですか」

 

 さも意外なふうに片眉を上げたフィオレンツァだったが、私はその直前に彼女が小さくため息を吐いたことを見逃さなかった。やはりそう来るか、そう言いたげなため息だった。この提案は、彼女にとっても予想内のものだったのだろう。

 

「例えば、反乱軍の一部に異端が加担しているだとか……そういった宣言を、星導教の名において行うとか。そういった策謀を提案されているわけですね?」

 

「そこまで大それたことを要求しているわけではございませんよ」

 

 建前として否定したが、もちろん彼女の言うとおりであった。私は香草茶を飲むフリをしつつ、周囲を伺う。ここは個室だから、この会話を盗み聞きされる心配は無い。

しかし、それでも周囲が気になってしまうほど、フィオレンツァの物言いは直接的だった。

普通なら、もっと迂遠で抽象的な言い方をすると思うのだが。

 ……もしかしたら、私にそんな迂遠な言い方をしても、伝わらないとナメているのかもしれん。まあ、それならそれで良いのだが。味方に舐められるのは少し困るが、この司教は潜在的には敵なのだし。

 

「とはいえ、星導教の一部が反乱軍に協力しているのは事実です。奴らの軍には少なくない数の星導師が参加しているという話も聞いておりますし……それに加え、どこぞの大物聖職者が奴らと密通しているという噂もありますゆえ」

 

 大物聖職者というのは、もちろん言わずと知れたポワンスレ大司教だ。まあ、別に彼女が密通しているという証拠があるわけではないのだが。

 しかし、今のポワンスレは王党派の主流から取り残されている。フランセット殿下に協力してもこれを挽回できる見込みがない以上、活路を反乱軍の方に求めるというのは自然な考えだろう。

 

「そのような話は、わたくしの耳にも届いております」

 

 瀟洒な手つきで香草茶を口に運んでから、フィオレンツァは深々と頷いた。しかし、その顔に浮かんでいる表情は申し訳のなさそうな苦笑だった。

 

「しかし、我が母も教皇庁のすべてを掌握しているわけではございませんから。確かに不埒な者どもはまとめて掃除しておくべきですが、それに取りかかるまでには最低でも三ヶ月程度の時間は必要でしょう」

 

 その言葉に私は思わず顔をしかめそうになり、精神力を総動員してなんとか堪える。最低でも、三ヶ月後? まったくもって遅すぎる。おそらく、一週間以内には敵軍と本格的な戦闘が始まりそうな盤面なのである。

 

「いえ、いえ。そのお言葉だけで十分でございます」

 

 心にもない言葉を口にする。まあ、破門や異端認定をすぐに実行できないということ、それ自体は別に良いのだ。正直に言えば私は宗教なぞまったく頼りにしていない。彼女らの動向を作戦に組み込む気など微塵も無いのだ。

 問題はそこではない。なにしろ彼女は敵の首魁ブロンダン卿の幼馴染みだからな。味方ヅラをして我々に接近しつつ、ウラではブロンダンと繋がっているという可能性も当然あるだろう。

 今回の提案は、彼女の旗幟を見極めるための試金石という要素が強い。フィオレンツァ自らが音頭を取り、ブロンダン卿を破門にする。そういう流れになってくれれば、少なくとも内通という線は消しても良かったのだが……。

 

「代わりと言ってはなんですが、将兵の慰問はわたくしにお任せください。わたくし自らが兵士一人一人の元に赴き、言葉をかけましょう。少しくらいは、士気が上がるはずです」

 

 こちらの不信感を嗅ぎとったか、フィオレンツァは予想外の提案を投げかけてきた。実際、彼女は平民からの評価がたいへんに高いのである。そんな彼女が直接兵士たちと顔を合わせれば、士気が上がるのは確実だった。

 

「おお、それは有り難い! お手数をおかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」

 

 フィオレンツァが本格的に殿下へ肩入れしている姿を下々に見せるというのは、実際悪くない案だ。こうしておけば、彼女がよほどの恥知らずでない限り後から手のひらを返して反乱軍側につくのは困難になる。

 もちろん、これだけで全ての不安を払拭するのは不可能だ。しかし、フィオレンツァがこちらの信用を得るために譲歩したというのはいい傾向だ。この機に乗じて彼女の外堀を埋め、裏切ることができぬようにがんじがらめにしてしまおう。

 

「わたくしとしても、フランセット殿下は応援しておりますので。協力できることがあれば、なんでもおっしゃってください」

 

 真剣そのものな表情でそう言いつのるフィオレンツァ。その顔からは、彼女の思惑などまったく読み取ることができない。

 ……一応はこちらの思惑通りに事が進んだというのに、私の心には不思議と安堵の気持ちが湧いてこなかった。首輪をつけた程度で、本当にこの女が御せるのだろうか。そんな不安ばかりが募っていく……。

 



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第660話 聖人司教の暗躍

 ワタシ、フィオレンツァ・キルアージはひどく緊張していた。盤面は最終局面に至りつつある。野望の成就は間近だけれど、まだ油断はできない。むしろ、状況はより困難さを増していると往っても過言では無かった。なにしろ、ワタシの手札はどんどん少なくなりつつあるのだから。

 

(やっぱり、ガムラン将軍のルートは使えそうに無いわね)

 

 将軍との会談を思い出しながら、脳内でそう呟く。王軍の実質的な司令官はガムラン将軍だ。彼女に催眠をかけて適切な判断力を奪ってしまえば、パパの勝利は揺るぎないものになったことだろう。

 しかし、ガムラン将軍の心の中はワタシに対する猜疑と警戒で満ちていた。ああいう心理状況の人間に対しては、ワタシの魔眼はまったくの無力だ。催眠をかけようとしても、せいぜい頭を一瞬ボンヤリさせる程度の効果しか発揮しない。

 ついでに言えば、ワタシに不信感を覚えているのはガムラン将軍だけではなかった。陣営のトップであるフランセットなど、近ごろはワタシと顔を合わせようともしない始末だ。

 まあ、それも仕方の無いことではある。フランセットには短期間のうちに強い催眠をかけすぎた。そうして積み重なった違和感に、近衛団長の不審死が重なれば……彼女の心が急速にワタシから離れていくのも当然のことだった。

 

(計画通りといえば、計画通りだけど)

 

 ままならない現実を前に、ワタシは密かにため息を吐く。計画通りというのは、決して負け惜しみではない。ワタシとフランセットとの蜜月にトドメを刺した近衛団長殺害事件は……実のところ、彼女を正気に戻すためにあえてしでかした意図的なミスだった。

 そういう意味では、ガムラン将軍が警戒心を抱いているのはむしろ朗報ですらある。彼女の考え方はたいへんに実務的だ。こういう人物は、講和中や戦後の交渉窓口として生き残ってもらわねば困る。

 

(いろいろな想定外はあったけど、なんとか盤面は整った。あとは仕上げるだけね)

 

 まあ、ここからが一番たいへんなんだけどね。フランセットとの縁が切れたせいで、いまのワタシの立場は宙ぶらりん。状況に干渉するための影響力は、ずいぶんと小さくなっちゃった。

 ここから仕上げに持って行くのは、なかなか難儀な仕事なのは間違いない。阿呆で間抜けなワタシがどこまでやれるのか、自分でも自信は無い。

 ……思えば、失敗ばかりの計画だった。ここまで持ち込めたのは、奇跡といっても過言では無い。だからこそ、今さら失敗するわけには行かないんだ。拳を握りしめ、深々と息を吐く。

 

(ここからが正念場だ、しくじるわけにはいかない)

 

 そんな決意を固めたワタシが向かったのは、王軍が拠点にしている農村の郊外だった。本来ならば田畑があるはずのそこには、今は大量の天幕が立ち並び将兵の寝起きの場所となっている。

 その景色を見て、私の心の中には怒りがわき上がる。冬麦を育てるための大切な畑を、軍靴で踏み荒らすなど! まったくもって許しがたい行いだ。間違いなく、来年の麦の収穫量はひどい数字になるだろう。

 救いがたい話だけど、その怒りの矛先を向けるべき人間は自分自身だった。なんという矛盾だろうか。我ながら、笑えてくる。うそ、笑えない。

 

(雪の中でテント泊なんてバカじゃ無いのか!? 殿下は私たちを凍死させる気なんだろうか)

 

(なぁにが反乱鎮圧だ。結局、殿下と宰相の痴話げんかじゃないか。そんな馬鹿臭いいくさで命を張るなんて、冗談じゃ無い)

 

 宿営地で粛々と出陣の用意を進める兵士たちからは、そんな思念が伝わってくる。田畑をめちゃくちゃにされた農民たちはもちろん、兵隊たちにとってもこの戦争は不本意なものなのだ。

 そしてもちろん、両軍の領袖であるフランセットやパパですらも、巻き込まれた被害者という立場には違いない。一連の事変における加害者は、ワタシ一人だけなのだった。

 

「空を見上げれば、そこにはいついかなる時であっても導きの星が輝いています。しかし、反乱軍と呼ばれる彼女らはそれを見失ってしまいました……。ですが、惑う者が勝利を掴める道理はございません」

 

 見るからに士気に欠ける彼女らを集め、ワタシはそんな演説をした。ガムラン将軍と約束した将兵の激励の一環だ。

 我ながら陳腐な論法だが、聞いている兵士たちの表情は真剣だった。戦いを間近に控えた兵隊ほど信心深いものはない。いつもならば聞き流してしまうようなお説教であっても、こういう時ばかりは真面目に耳を傾けてしまうのだ。

 さらに言えば、ワタシには清廉潔白なる聖人という風評がある。王太子や将軍の不信を買った今でも、下々の者たちはいまだワタシに尊敬の目を向けていた。生臭坊主として知られるポワンスレ大司教などとは、発言の説得力が違うのだ。

 

「確かに、冬の戦いは辛く苦しいものです。しかしこの合戦の終了をもって、この国を覆う暗雲は完全に晴れることになるでしょう。あと一歩、あと一歩なのです!」

 

 ここまで白けきった兵士たちの心に火をつけるのは、本来ならよほどの名演説家であってもかなりの難事だろう。けれども、ワタシはアジテーションだけは誰よりも得意だった。

 この魔眼をもってすれば、聴衆の心理など丸裸も同然。なにしろ欲している言葉がわかるのだから、偽りの熱狂に乗せるなど赤子の手をひねるより簡単だ。相手の手札を一方的に覗き見しながらやるポーカーのようなものね。

 

「夜になったら、胸に手をあて天を仰ぎなさい。そして極星の輝きを目に焼き付け、まぶたを閉じるのです。そうすれば、きっとあなたの目の前には暖かで平和な景色が広がっていることでしょう。御星の導きに従えば、その光景は必ず現実のものとなります」

 

 結局のところ、この戦争を歓迎している兵士など一人もいない。だからこそ、平和を求める心にあえて寄り添い、この戦いを耐え抜くように訴えかける。厳しい冬も、いずれは心地よい春へと移り変わるのだ!

 ……そういう論法を使い、ワタシは兵士たちの戦意を煽った。その狙いは見事に当たり、演説を終えるころには会場のボルテージは最初とは比べ物にならないほど盛り上がっていた。

 

「……」

 

演台から降り、ワタシは大きく息を吐く。我ながらひどい欺瞞だ。けれども、ワタシはすでに地獄に堕ちる覚悟を決めている。どのような罪深い行為であっても、今となっては何の抵抗もなく実行することができた。

 

「すばらしい語説法でした、フィオレンツァ様!」

 

 そんなワタシに、声をかけてくるものがいた。ピカピカに磨かれた甲冑を身にまとった若い騎士だ。その顔に、ワタシは見覚えがあった。

 

「おや、コデルリエ子爵殿ではありませんか」

 

「ッ!?」

 

 返事をすると、彼女は驚いた様子で目を丸くする。

 

「な、名前を覚えていただいているとは……感激です!」

 

(まさか、一目で名前を言い当てられるとは……流石はフィオレンツァ様だ……!)

 

 口と心で同じようなことを言っている彼女の名は、サラ・コルデリエ。とある大貴族に連なる法衣貴族にして、十代で王軍の歩兵中隊長を任された若き俊英でもある。つまり、門閥貴族によるコネ人事の恩恵をたっぷり受けたボンボンということだ。

 

「わたくしの説法を幾度となく聞きにいらっしゃった方ですもの。覚えていないはずがないではありませんか」

 

 そんな彼女の名前をなぜ知っているかと言えば……子爵は温室育ちらしい純真さの持ち主であり、その信心の深さからことあるごとに聖堂にも顔を出していたからだ。

 説法は週に二回ほど開かれ、毎回さまざまな身分の千人近い信者が参加する。とうぜんワタシも全ての参加者を把握しているわけではないが、何かの機会に利用できそうな者の名はリストアップしていた。このコルデリエ子爵はそんな中の一人なのだ。

 

「フィ、フィオレンツァ様……!」

 

 感涙すら浮かべてワタシの顔を見つめるコルデリエ子爵の顔は、スケベな事を考えている時のガムラン将軍よりも間抜けだ。彼女は良くも悪くも単純な頭の持ち主で、物事を深く考える習慣がない。つまり、一番利用しやすい手合いだということ。

 実のところ、今回の説法は彼女を誘い出すために行ったことだった。なにしろ、もはやフランセットにはもう催眠は通用しない。あたらしい手駒が必要だった。その点、このコルデリエ子爵はちょうどいい。なにしろ、ワタシにすっかり心酔している。

 

「ここでお会いしたのも何かの縁です。よろしければ、アナタの武運長久をお祈りさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 そんな提案に、もちろん子爵は喜んで頷いてくれた。……さて、さて。最後の仕込みといきましょう。

 

 

 



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第661話 くっころ男騎士と決戦直前

 オレアン領を南北に二分する大河、ロアール川。雪風のふきすさぶ中、その両岸には王軍とアルベール軍の部隊が続々と集結しつつあった。

 今、僕たちは南岸の丘陵に設営された指揮本部に詰めている。本部そのものは天幕で作られた簡素なものだが、土塁や塹壕、鉄条網によって防護されているため少々の攻撃ではびくともしない。こうした野戦築城は我が軍の得意とする分野だ。

 

「王軍め、この寒い中水泳の準備をしているぞ。いやはや、元気なことだな」

 

 土塁から頭を出し、双眼鏡を目に当てながらそう呟いた。川向こうの敵陣では、丸太や縄、イカダなどの渡河資材のまわりで忙しそうに働く兵士たちの姿が確認できた。

 ガレア王国の中部は、比較的に温暖な土地柄だ。冬も決して厳しくはなく、例年ならば雪の降る日など年に両手の指で足りるほどしかない。

 ところが、どうやら今年はそのセオリーが通用しないようだった。初雪は普段よりも遙かに早かったし、しかもそこから毎日のように雪が降り続いている。今年はよほどの厳冬になるだろうというのが、天象官の一致した見解であった。

 

「寒中水泳ですか。なんとも健康的ですね」

 

 僕と同じような格好で双眼鏡を覗いているソニアが、皮肉がたっぷり籠もった声でそう返した。言うまでも無いが、ガレアの主要人種である竜人(ドラゴニュート)は寒さに弱い種族だ。雪の中で川に入るなど、ほとんど自殺行為のようなものだ。

 まあ、そもそも冬に戦争をすること自体常軌を逸してるけどな。なにしろ、この世界にはエアコンどころか石油ストーブすらない。戦争のさなかであっても、冬が来れば自然と休戦するのが普通だった。

 王軍とて、この状況で合戦はしたくないだろう。丈夫な冬営地を設営し、そこに引きこもっていたいはずだ。しかし、彼女らにはそうするわけにはいかない理由があった。

 

「今、この状況で皇帝軍に連中の背後を突いてもらえれば……話はずいぶんと簡単になるんだろうが」

 

 周囲に聞こえないような声で、小さくそう呟く。現在、アーちゃんに率いられた皇帝軍一万がこの戦場に向けて急行中だった。

 彼女らは、騎兵のみで編成された強力な機動軍だ。新式軍制を全面的に採用している王軍といえど、渡河のさなかに背後から攻撃を受ければ間違いなく総崩れになるだろう。

 もっとも、王軍側もそんなことは理解している。彼女らは諸侯から徴収した雑兵をもって決死の遅滞作戦を実行し、皇帝軍の足止めを図っているそうだ。連絡によれば、増援の到着にはいまだしばしの時間が必要だと言うことだった。

 

「まあ、いま手元にない札に頼り過ぎるわけにもいかない。ひとまずは手札だけでどうにかしなければ」

 

 双眼鏡を降ろし、ゆっくりと息を吐く。こう寒いと、ため息すらも簡単には吐けない。呼気が白く染まるせいで、周囲にまるわかりになってしまうからだ。作戦中の指揮官ほどやせ我慢を強いられる仕事もそうそうない。

 今、戦場に集結している戦力は我が軍が二万三千、敵軍が四万だ。兵力比はおおむね一対二、なかなかに絶望的だな。

 しかも、王軍は新式兵科を積極的に採用している。小銃や火砲の優位を行かした一方的な戦いを押しつけるのは不可能だと言うことだ。二倍の敵と相対したのはこれが初めてではないが、以前と同じような戦い方はもう出来ないだろう。

 

「迎撃準備はどうなっている?」

 

「ハッキリ申しますと、遅れています。寒さと雪で体調を崩す兵士が続出しておりますし、健康な者の労働効率も下がっておりますから……」

 

 ソニアは眉をハの字にしつつ、申し訳なさそうに首を左右に振った。

 当然のことだが、こうした問題が発生することは当初から予想されていた。だからこそ、ー防寒着と燃料を限界までかき集め、最優先で支給するなどの配慮も行っているのだが……そこまでしても、この状態だからな。冬季戦ってやつは本当にイヤになるよ。

 

「野戦築城の進捗は、せいぜい七割といったところでしょうか。風邪や低体温症で戦列を離れる兵士も少なくありません。我が軍は、敵と矛を交えぬまま兵力を損耗し続けています」

 

「さらに言えば、寒気の影響を受けているのは前線だけではないよ」

 

 不景気な顔でそう付け加えるのは、防寒着でモコモコに着ぶくれしたアデライトだ。彼女は軍人ではないのだが、この戦いにおいては陣幕に詰めて積極的に仕事を手伝ってくれている。

 なんでそんな事になっているかと言えば簡単で、補給部門の深刻な人手不足を補うためだった。

 なにしろ、アルベール軍は急造の大所帯だ。当然ながらその補給体制はずさんの一言であり、アデライドのような物流の専門家が豪腕を振るわないことにはとても運営していけないのである。

 

「街道に雪が積もっているせいで、荷車の事故が相次いでいる。食料も弾薬も、まったく予定通りに集まっていない。野戦築城用の建材もだ! まったく、頭が痛いよ」

 

「そいつはひどい。極星が、戦争などするもんじゃないとお告げを出しているんじゃ無いかと勘ぐりたくなるくらいだな」

 

 薄く笑って、僕は小さく肩をすくめた。まったく、冬は戦争の季節ではないな。

 ……けれども、冬将軍は敵味方を区別しない。僕たちがこの雪と寒さで四苦八苦しているように、王軍側もなかなかたいへんな思いをしていることだろう。

 いや、状況はむしろむこうのほうがひどいかもしれない。なにしろあちらは四万もの大所帯だ。人数が多ければおおいほど、物資の消耗や病気・怪我で戦闘不能になる人間の数は多くなるものだ。

 

「フランセット殿下も、ガムラン将軍も、おそらくかなり焦っていることだろう。明日、明後日くらいには戦端が開かれていてもおかしくは無い」

 

 戦う前からどんどん兵士の数が減っていくような状況は、指揮官としては耐えがたいものがある。老練なるガムラン将軍はまだしも、経験不足のフランセット殿下にはあまりにも辛い状況だろう。皇帝軍の接近もあり、彼女らの尻にはすでに火が付いていると思われる。

 

「敵側としては、星降祭までにはいくさを終えたいところでしょうしね。それ以降の継戦は、気候的にも士気的にも厳しいでしょう」

 

「川や塹壕の中で星降祭を迎えるなんて、誰だって嫌だものな」

 

 ソニアの言葉に苦笑を返す。星降祭というのは、年末直前に行われる星導教の祭典だ。これはいわば前世の世界におけるクリスマスのようなお祭りであり、王侯・平民を問わず誰もが楽しみにしている。

 

「もちろん、僕だって嫌だ。こんないくさは、さっさと始末をつけてしまおう」

 

 決意を口にしつつ、頭の中で戦場の地図を思い描く。今回の戦いは川を挟んだ防衛戦だ。渡河中の王軍に総攻撃を仕掛け、攻勢をくじく必要があるだろう。万一全軍の渡河を許せば、数に劣るこちらはかなり厳しい戦いを強いられることになる。

 問題は、この作戦は一カ所を堅守していればそれで良いというような単純なものではない点だ。なにしろロアール川は幅は広くとも水深はそう深くない川で、おまけに冬期になると水量が減るという特性もある。渡河可能なポイントはあちこちにあった。

 ガムラン将軍は間違いなくこの条件を有効活用してくるだろう。広範囲で一斉に攻撃を始め、こちらの対処能力を飽和させてしまうのだ。

 

「兵隊たちには、かなり頑張ってもらうことになるだろう。今のうちに、士気を上げておく必要があるな……」

 

 これだけ環境が悪いと、兵士の士気もかなり下がっているはずだ。戦いは明日にも始まりそうなのだから、早めに彼女らの戦意に火をつけておかねばならない。

 

「ここはひとつ演説といこうか。手空きの兵隊に、後方の広場に集まるよう通達を出してくれ」

 

 まあ、もちろん演説ひとつで劇的に士気が改善するはずもないけどな。とはいえやらないよりはマシだろう。後は……酒とたばこかな。それと男も必要か。やれやれ、やる気を出してもらうのも大変だ……。

 

 

 



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第662話 くっころ男騎士の演説(1)

 王軍の渡河を阻止すべく構築された防御陣地。その後背にある広場に、我が軍の将兵が集結していた。その数、約二万。どうしても手が離せない仕事のある者を除いたアルベール軍のほぼ全員である。

 この決戦直前の重要な時期に、なぜこれほどの人数が一堂に会しているのか? 理由は簡単、演説を聴かせるためだ。

 演説なんて洒落臭い、たんなる儀式みたいなものだろう。僕も昔はそう思っていた。しかし、少しでも迷いのある状態で戦えば必ず負ける。みなの意識をできる限り統一するためには、こうした儀式も意外と馬鹿にはできないものだ。だからこそ、決戦を前にした司令官は必ずこうして将兵に語りかける場を作るのである。

 

「……」

 

 お立ち台の上から聴衆を一望した僕は、口元に薄い笑みを浮かべた。数こそ多いが、なんと雑然とした集団であろうか。正面にはエルフや鳥人、虫人などの集団がいる。右手には様々な種の獣人がいる。左手には竜人(ドラゴニュート)だ。

 バラバラなのは人種だけではない。まとっている軍装や武器も、掲げている旗も、みなそれぞれ違う。寄せ集めとしか表現できない一団であった。

 川向こうに布陣する王軍はそうではない。なにしろ相手はヴァロワ王家の名の下に集まったガレア貴族による軍隊だ。人種にも軍装にも統一性がある。軍として美しいのは、間違いなく敵軍のほうだ。

 

「壮観だな」

 

 誰にも聞こえない声でそう呟く。寄せ集め? 上等だ。僕にとってはこちらのほうがよほど好ましい。顔ぶれが多様であればあるほど、“みんな”という感じが強まるからな。特定の個人のために戦うよりも、みんなのために戦うほうが僕の性に合っている。

 

「アル様、将兵の整列が完了いたしました」

 

 ソニアの報告に、僕は小さく頷き返す。彼女の目は戦意と希望に満ちあふれキラキラと輝いていた。

 視線を兵隊どものほうに戻す。ソニアと同じような目つきの者もいれば、不安で仕方ないという表情のものもいる。しかし、他人事のような顔をしている者は一人もいなかった。

 みな、これが天下分け目の大戦(おおいくさ)であることを理解しているのだ。この戦いの勝敗によって、今後の西方世界の歴史が変わる。自分たちは歴史の渦中にいる……そういう認識があるのだから、誰であっても無関心ではいられない。

 

「戦友たちよ、よく集まってくれた」

 

 将兵に向け、そう語りかける。後ろに控えたダライヤが、すかさず風の魔法を用いて僕の声を増幅してくれる。なにしろ相手は二万もの聴衆だ。こうした手段を使わないことには、端から端まで言葉を届けるのは不可能だった。

 その声を受け、二万人の視線が僕に集中する。全身の筋肉がこわばるような感覚が僕を襲った。緊張しているなぁ、などと他人事のような感想を覚えつつ、大きく息を吐く。白い呼気がふわりと広がり、刺すように冷たい空気の中へと拡散していった。

 

「今日もずいぶんと寒いな。みな、体調を崩してはいないかね?」

 

 頭の中でスピーチ原稿をなぞりつつ、友人に対するような口調でそう問いかける。聴衆の間に、困惑がさざ波のように広がっていくのが見て取れた。僕の話の運び方が、こうした演説のセオリーからずいぶんと外れていたからだ。

 合戦前演説といえば、自身の大義を強調し敵の不徳や怯懦をそしるものと相場が決まっている。もちろん僕もそれは理解しているし、有効とわかっている定石をあえて使わぬ理由もない。しかし、今回の場合はいささか状況が特異だ。将兵の士気を上げるためには多少の工夫が必要だろう。

 

「空は曇り、なんと雪まで降っている。歴戦の古兵揃いの戦友諸君から見ても、これは戦争日和とは言いがたいだろう」

 

 はらはらと舞い降りる雪を手のひらで受けつつ、僕はやれやれと言わんばかりの表情で肩をすくめた。

 

「今年の冬は例年を遙かに超える厳しさだ。まるで、極星が『戦争などしてはならない』と示しているようにすら見える。実際、このクソ寒い中で喜び勇んで戦うような人間は本物の愚か者だけだろう」

 

 居並ぶ兵士の少なくない数が頷いているのが見えた。将から見ても兵から見ても、冬は戦争の季節では無いのだ。みなこの寒さには嫌気がさしているし、合戦などしたくもないと思っていることだろう。

 

「ところが、このロアール川の対岸にはそんな愚か者が雁首を揃えているようだ。しかも、信じがたいことに連中は川遊びの準備までしている! 付き合わされる方の身にもなってほしいものだな」

 

 大仰な手振りで嘆いてみせると、あちこちからくぐもった笑い声が聞こえた。雪の降る中で渡河なんて、本当に正気の沙汰じゃないからな。嘲笑されても仕方ないだろう。

 

「とはいえ、相手がどれほどの阿呆でも、ダンスに誘われたからには応じねばならん。それが正しい淑女のあり方だ。もっとも、僕は淑女では無く紳士だが」

 

 お前のような紳士がいるか。誰かがそんなヤジを飛ばした。おかげで、会場の笑い声はますます大きくなる。

 ……ちなみに、僕の発言にツッコミを入れたのは事前に配置してあったサクラだ。場を暖めるためには、こうした仕込みは必要不可欠だった。

 

「何やら失礼な発言が聞こえたが……覚えていろよ? あとで必ず見つけ出して、腕立て伏せ千回の刑に処してやる」

 

 いかにも怒った風を装い、聴衆をにらみ付ける。……うん、うん。ほとんどの者が笑顔を浮かべているな。いい感じだ。コホンと咳払いし、首を左右に振る。これもまた演出だ。

 

「……まあ、それはさておきだ。向こうさんのダンスの誘いは受けてやるが、それはあくまでお情けだ。僕としては、義理以上に付き合ってやる気はない。さっさと仕舞いをつけて、暖かい家に帰ろうじゃ無いか。なあ? 戦友諸君」

 

 その言葉を受け、兵士たちの笑みに苦いものが混じる。こんな馬鹿騒ぎはさっさと終わらせて、家に帰りたい。これはまさに彼女らの偽らざる本音であろう。絵に描いた餅のような大義よりも、この骨身に染みる寒さから逃れるほうがよほど重要なことなのだ。

 

「ところで諸君。君たちは、この戦いが終わったらどうするつもりかね? 家族と一緒に過ごすのかな? 恋人に会いに行くのかな?」

 

 日常会話のような語り口で、話の流れを変える。冗談めいた前座によって、聴衆の心理的なガードはずいぶんと下がっていることだろう。すかさず本論をぶち込み、絵に描いた餅を食わせるのだ。

 

「恋人などいない、という諸君も安心してほしい。このいくさに勝てば、諸君らは英雄となる。輝かしき栄光に包まれた若き英雄! 普段は澄まし顔の紳士だって、君たちからは目を離せなくなるだろう。これは、男である僕が保証しよう」

 

 なんという詭弁だろうか! 自分で言っておいて恥ずかしくなってきた。だが、他ならぬ男の言葉には違いない。若い兵士たちはそれを真に受け、目の色を変え始めた。

 それを見て、古兵たちがクスクスと笑う。戦場の勇者になってモテモテ! などという幻想は、どんな兵士も一度くらいは見たことがあるはずだ。長年軍隊のメシを食ってきたものから見れば、なんとも微笑ましい限りであろう。

 

「諸君らにもそれぞれ、この戦いが終わったらああしよう、こうしようという思いがあることだろう。もちろん、それは僕も同じ事だ」

 

 そこまで言って、僕は口をつぐんだ。そして、聴衆全体を見回す。たっぷり時間をかけてもったいぶり、彼女らの笑いやざわめきが収まるまで待つ。

 

「……本当ならば、秘密なのだが。ともに(くつわ)を並べる我が戦友たちにだけは特別に伝えておこう」

 

 まるで酒場の雑談のような調子でそう言って、僕はふたたび言葉を切る。さて、ここからが正念場だ。合戦前演説の定石は、大義名分の再確認。当然ながら僕もこれを踏襲するつもりだった。

 しかし、今回の戦いは一筋縄ではいかない。優勢な敵、馬鹿みたいな開戦経緯、ひどい天候……士気を下げる要因はいくらでもある。この状況で彼女らの心を動かすには、よほど大きな花火を打ち上げねばならない。

 大きく息を吸い込み、たっぷりと勿体ぶる。聴衆の目がこちらに釘付けになっていることを確認してから、僕はやっと再び口を開いた。

 

「僕は……この戦争が終わったら、国を作ろうと思っている」

 

 

 



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第663話 くっころ男騎士の演説(2)

「僕は……この戦争が終わったら、国を作ろうと思っている」

 

 アルベール軍のほぼ全将兵を前に、僕はそんな宣言を行った。ああ、いよいよ言ってしまった。そんな気持ちが、僕の心中を吹き抜ける。

 これでもう、僕たちは名実ともに完全なる反乱軍だ。今さらと言えば今さら過ぎるのだが、改めて明言してみるとなかなかに嫌な感慨がある。僕はもともと、クーデターを叩き潰す側の人間だったはずなんだがなぁ……。

 

「……」

 

 ためをつくるフリをして、聴衆の反応を観察する。ド直球の政権簒奪(さんだつ)宣言に対し、彼女らは……まったく驚いている様子がなかった。肩透かしを食らった気分で、僕は小さく息を吐く。

 ま、僕たちは王都の間近にまで攻め寄せているわけだからな。ここまでくれば、もはや元鞘に戻るという選択肢はない。ならば、自分たちで新たな国を興すべし。そういう流れになるのはごく自然のことだった。

 いち兵卒だって、当然そのくらいのことは考えている。建国宣言をしたところで、彼女らにとっては『はぁ、まあそうなるでしょうね』という感想しかないだろう。

 ……さあて、問題はここからだ。反乱軍が王家を倒し新たな王朝を打ち立てるなど、歴史上では幾度となく繰り返されてきた恒例行事だからな。物語(ナラティブ)としてはまったくもって陳腐であり、兵士たちを奮い立たせるにはいささか不足だ。

 

「しかし、あえて言っておく! この国の主役は、僕ではない!」

 

 だからこそ、少しばかりひねりをいれる。そもそも今回の戦いは一般的なクーデターではなく、王家側の粛正失敗に端を発する泥縄的な出来事だからな。当然ながら根回しも事前準備も不足しており、おまけにアルベール軍自体も一枚岩からはほど遠い寄り合い所帯ときている。

 この状況で手際よく権力を奪取し、効率的な支配体制を確立し、中央集権国家を作り上げる? そんなの、絶対に不可能に決まっている。これから生まれる新国家は、間違いなく合議制をベースにした分権的な政体になることだろう。

 

 

「では、主役は誰か!? 歴史ある大貴族か? 違う! 大資本を持った商会か? 違う!」

 

 分権体制そのものは良い。しかし、まったく異なる思惑を抱えた有力者たちの合議制で、本当に国がまとまるものだろうか? そんな疑問を僕にぶつけてきたのは、ダライヤであった。

 彼女の率いる新エルフェニア帝国は、まさにそういう体制の勢力だ。一応はダライヤが皇帝に就いているものの、権力の主体は各氏族の長にある。

 彼女らはまとまりを欠き、意志疎通もままならぬ集団であった。そうした組織の末路など、決まりきっている。結局、新エルフェニアは国家と呼ぶのもおこがましい軍閥未満の集団に堕したのである。

 アルベール軍と新国家を、新エルフェニアの二の舞にしてはならぬ。ダライヤはそう念押しした上で、一つの計画を披露した。もちろん、今回の演説も彼女の計画の一部だ。

 

「断言しよう。新国家の主役は、君たちだ! 我が戦友たちよ、君たちこそが新たなる時代の先導者となるのだ!」

 

 熱を込めた声でそう主張するが、対する兵士たちはぽかんとした表情を浮かべるばかり。そりゃあそうだろう。彼女らは軍役によって召集され封建軍の軍人であって、王政を倒すために決起した民衆などではない。いきなり市民革命家めいたアジ(、、)をぶつけられても、まったく意味がわからないはずだ。

 別に、僕だっていきなり近代民主主義国家を作ろうなどということは考えていない。あわてて社会を変えようとしても、ついてきてくれる人はほとんどいないだろう。

 

「どうしてそんな顔をする、戦友諸君」

 

 ニヤリと笑い、聴衆にそう問いかける。内心、僕は砂を噛むような心地を味わっていた。まったく、ロリババアも嫌な仕事を押しつけてくる。この僕に、ポピュリスト政治屋になれと言うのだから!

 

「君たちはこのクソ寒い中、冬ごもりも許されず槍や鉄砲を振り回すことを強いられている! それだけではない。諸君らは明日にも戦場に駆り出され、地と汗と泥にまみれながら命をかけて戦わねばならぬのだ!」

 

 この指摘には、さしもの兵士たちも顔を引きつらせた。兵士といえども、戦闘そのものを好む者はそう多くない(それに付き物の略奪はまた別だろうが)。ましてや今は冬、戦争にはまったく向かぬ季節だ。つき合わされる兵隊どもにとってはまったくたまったものではないだろう。

 

「おまけに、敵は男目当てに戦争を引き起こすような色ぼけ王太子と来ている! 大儀も道理もないクソいくさ、それがこの戦争の正体だ! 馬鹿らしいとは思わないか!」

 

 ああ、とんでもないこと言ってるぞ、僕。エムズハーフェン旅団の先頭にたって演説を聞いているツェツィーリアが、物凄い顔をしてこちらを見ている。ごめんよ、本当にごめんよ。でもこれ、ロリババアとの共謀だから。恨むならあっちも一緒に恨んでくれ。死なば諸共だ。

 もちろん、げんなりしているのはお偉いさんだけではない。ろくでもない事実を突きつけられた兵士たちもまた、死んだ魚のような目になっている。そりゃまあ当然だよな。誰だって、クソみたいなくだらない戦いに命を張るのは嫌だ。

 会場はすっかり冷え切っているが、これはすべて計画通りの流れだ。そもそもこの戦争がくだらない代物であることは、みな指摘されるまでもなく理解しているはずだからな。

 いくら上っ面のことばでそれを否定したところで、心の奥底でくすぶる不平不満は決してなくならないだろう。だからこそ、あえて最初にそれを肯定してやるわけだ。

 

「しかし!」

 

 挑戦的な笑みと共に、僕は観衆をねめつける。タメは十分、あとは飛ぶだけだ。

 

「戦友諸君、考えてもみろ! この戦争に勝利すれば、この大陸西方で我々を無視できる存在はいなくなる! ガレア王も、神聖皇帝もだ!」

 

 力の限りの熱を込め、僕は叫ぶ。怒り狂ったように、狂喜するように。観衆を狂わせるには、まず自分自身が狂わねばならない。

 

「両隣を見よ、諸君! 竜人(ドラゴニュート)兵がいる! 獣人兵がいる! エルフ兵がいる! 鳥人兵がいる! 虫人兵がいる! これほど多種多様な種族が、この旗の下に集っているのだ! 星導教の招集する星字軍においてすら、このような機会は歴史上一度もなかった!」

 

 僕が指さした先にあるのは、長い旗竿の上ではためく丸に十字の紋章。アルベール軍の軍旗だ。

 ちなみに、星字軍というのは星導教が異教や異端と戦う際に招集する、聖戦のための軍隊だ。星導教の信者はおもに竜人(ドラゴニュート)や獣人だから、エルフなどが星字軍に参加した例はほとんどないハズだった。

 

「諸君らの仰ぐ旗はこれだ! ブロンダン家の青薔薇紋でもなければ、ヴァロワ家の火吹き竜紋でもなく、リヒトホーフェン家の獅子紋でもない! 連帯と団結以外の意味を持たぬ、この旗なのだ! アルベール軍などと号しても、その実体は純粋なる連帯! つまり、我が軍の主役は君たち自身なのである!」

 

 人の家の家紋を勝手に使っておいて、なんて言い草だ。思わずツッコみそうになったが、よく見れば兵士たちの表情が変わりつつある。

 僕が軍旗として自分の家の家紋を用いなかったことが、ここに来て効果を発揮し始めていた。この軍隊は、アルベール・ブロンダン個人のモノではない。僕はそれを自ら表明しているのだ。

 

「戦友たちよ! 諸君らは否応なしに歴史の転機に立っている! この機会を、お仕着せの軍務という形で浪費して良いのか? 否、断じて否である!」

 

 拳を振り上げ、そう叫ぶ。冷え切っていた会場には、いつしか異様な熱が渦巻くようになっている。こちらを見る兵士たちの目にはギラギラとした光が宿っていた。

 

「命をかけて戦う諸君らには、その対価を求める権利がある! 戦友たちよ、立ち上がれ! 勝者の権利を主張せよ! 命を懸けるに足る意味を、自分自身で見つけだすのだ!」

 

 そこまでいって、僕は大きく息を吐いた。そして声のトーンを落とし、ゆっくりと語り始める。

 

「僕は、領地も持たぬヒラの法衣騎士の子として生まれた。人を殺す才能ばかりはあったが、それ以外はからきしだ。血筋の上でも、素質の上でも、王の器ではない……」

 

 しかし! のどが張り裂けそうな声で、僕は主張する。

 

「ただの兵隊でしかない僕だからこそ、諸君らと共に歩み、同じものを見て、その声を聞くことが出来るのだ! 戦友諸君! 僕は、君たちの代弁者だ。この戦いに勝利した暁には、居並ぶ王侯に諸君らの言葉を伝えよう!」

 

 これこそが、僕の主張の中核だった。要するに、彼女らの本来の主君である諸侯らの頭越しから、兵士の声を聞き届けようというのである。

 なぜこんなことをするかといえば簡単で、もちろん人気取りのためだ。つまり、僕は己の支持母体を一般兵卒や下級将校に求めたわけである。

 リースベン加入後の新エルフェニア氏族長が公然と我々に反抗できなくなった理由がこれだ。僕は一般兵にたいへんな人気があり、僕の損になるような命令を下しても兵士たちが納得しないのである。

 頭を押さえるより、手足を押さえる方がよほど簡単だ。ダライヤはそう主張し、エルフを掌握した手段をそのままアルベール軍にも流用するよう進言した。その結果が、このポピュリスト丸出しのクソ演説である。

 

「諸君らは、自分自身のために戦え! 意味なき戦争に意味を見いだすためには、そうする他ない! 忘れるな、戦友たちよ。諸君らは今、時代の転換点に立っている! この好機を逃すべきではない。自分自身の手で、己の時代を打ち立てよ! 新時代、新国家の主役は君たち自身だ!!」

 

 己の時代を打ち立てる! なんと甘美な響きだろうか。野心をもつ人間であれば、誰もがそれを夢見るものだ。そして、自ら剣を取る人間には多かれ少なかれそういう願望がある。

 案の定、兵士や若い将校らは目を輝かせながら拳を振り上げている。おお、ヤバいヤバい。決起集会みたいな熱気だぞ。

 

「あえて言おう! 諸君らは、僕に忠誠を捧げる必要はない。諸君らが忠を尽くすべきものは、任務であり勝利である! 言葉を交わしたこともない相手のために戦う必要はない! 自分自身と、そして肩を並べる戦友たちの為に戦え!」

 

 絶叫めいた声で激を飛ばすと、会場からは言葉にならない叫びが返される。なんともキケンな雰囲気だ。

 ああ、今から胃が痛い。こんな無責任なことを言って大丈夫なのだろうか? 尻拭いをするのは、未来の僕自身だというのに。

 しかし、負けてしまえば元も子もないのである。勝利のためには、空手形でもなんでも使うべきだ。面倒なことは勝った後で考えればよい。

 

「ゆこう、戦友諸君! 余は常に諸氏の先頭にある! ともに戦い、ともに勝利し、ともに凱旋しよう! みなで栄光の道を歩むのだ!! 己自身と、この団結の軍旗に忠を尽くせ! さすれば道は拓ける!! 常に忠誠を(センパーファーイ)!!」

 

「応!!」

 

 兵士たちは声を揃えてそう唱和した。……諸問題はあれど、これで戦意は十分。さて、さて。これである程度勝ちの目は出てきたぞ。

 

 

 



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第664話 くっころ男騎士と戦端

 僕の行った危険極まりない演説は、当然ながらかなりの反発を招いた。これはもう、そりゃそうだろとしか言いようがない。

 封建軍とは基本的に私兵部隊の集合体であり、個々の部隊は封建領主個人の持ち物なのだ。その前提を無視して直接兵士をたき付けたわけだから、カドが立つどころの話ではなかった。

 むろんこのような事をすれば幹部連中の不興を買うということはわかっていたから、ダライヤ主導で各所への根回しはやっていたんだが……根回しした上であっても、僕はやりすぎてしまったようだ。

 結果だけ言えば、演説を終えた僕を待っていたのは凄まじい針のむしろであった。ツェツィーリアをはじめとした外様の貴族たちはもちろん、身内であるアデライドやジェルマン伯爵にもずいぶんと詰められてしまった。

 不味いことをやった、という意識はもちろん僕にもある。しかし、このクソ戦争で兵士たちの士気を上げるためには、これくらいの爆弾を投げ込むほかない。そう抗弁して、お歴々のブーイングから逃げ回った。

 

「敵砲兵隊、準備砲撃を開始せり!」

 

 しかし、そんな追求も長くは続かない。演説を打った翌朝、とうとう王軍が戦端を開いたからだった。とはいっても、むろんいきなり川を渡り始めたわけではない。戦端を開いたのは王国砲兵で、無数の砲弾が我が軍の陣地に降り注ぐ。

 敵の砲撃を受けながら内紛を続けるような阿呆は、アルベール軍には存在しない。……いや、皆無というわけではないが、少数派だ。僕の追求などはいったん棚上げにされ、迎撃に集中することとなった。

 

「撃ち返せ!」

 

 当然ながら、こちらも対抗射撃を命じる。準備期間が短かったため、我が軍の塹壕陣地はずいぶんとお粗末な出来だ。攪乱目的の雑な砲撃でも、少なくないダメージを受けてしまう。敵の砲兵陣地を叩き、火力源そのものを断つ必要があった。

 一二〇ミリ重野戦砲、八六ミリ山砲が同時に射撃を開始した。その砲列は、まるで噴火する火山のような様相を呈している。たちまち、我が軍の陣地全体に濃密な硝煙の香りが漂い始めた。

 しかし、その猛砲撃が効果を発揮しているかどうかといえば、いささか怪しいところがあった。北岸からは、相変わらず大量の砲弾が飛来し続けている。塹壕で防護された砲兵同士の射撃戦では、そう簡単に有効打は出せない。

 

「敵前衛、渡河を開始いたしました!」

 

 漫然とした砲撃戦が二時間ほど続いたあと、そんな報告が飛び込んできた。指揮壕から頭だけを出し双眼鏡を目に当ててみれば、確かに中隊規模の王国兵がざぶざぶと川に入りつつある。

 

「やっとダンスの時間か。前座が長くて飽き飽きしてしまったな」

 

 僕は肩をすくめ、薄く笑う。前世の第一次大戦の時分には、準備砲撃に数日かけるというのもザラだったようだが……この世界基準の生産能力では、そのような消耗戦など実行できるはずもない。

 王軍側の砲弾備蓄量を考えれば、準備砲撃に二時間もの時間をかけるというのはなかなかの大盤振る舞いだと判断して良いだろう。どうやら、ガムラン将軍は手堅い作戦を選択したようだな。

 

「このロアール川こそが、王軍将兵にとっての生死の境界線だ! この川を生きたまま渡り切らせてはならん! 火力を集中せよ!」

 

 渡河をもくろむ敵軍に対し、防衛側が取れる作戦には二通りのパターンがある。一つは、水際で直接敵をたたくやり方。もう一つは、敵をいったん内陸側に引き込んでから叩くやり方だ。

 今回、僕が採用したのは前者の水際作戦だった。なにしろ、我が軍は敵に対して兵力でも火力でも後塵を拝している。無傷の敵を内陸側に引き込めば、そのまま防衛線を食い破られる恐れがあった。

 数少ない戦力を有効に活用するには、戦場を狭い範囲に局限するほかない。そう判断した僕は、まず川を渡ろうとしている敵の先遣隊に狙いを定めることにした。

 

「重砲、山砲は目標そのまま! 速射砲にて敵の前進を粉砕せよ!」

 

 僕はここで、新型の後装式速射砲を投入することにした。これは開発されたばかりの新兵器で、後装式(つまり砲弾を砲身後部から装填する)の装填機構と駐退復座器を併用した革命的な大砲だ。口径こそ七五ミリと控えめだが、その発射速度は既存の八六ミリ山砲よりも倍以上早い。

 従来型の大砲は、発射のたびに砲自体が反動で後退してしまっていた。当然、再発射の際には元の位置に戻してやる必要がある。

 ところがこの新型は、その厄介な反動のほとんどを堅いバネ製の駐退復座器が吸収してしまうため、そのような手間のかかる作業を行う必要は無い。

 さらに言えば、砲身の後ろ側から砲弾を再装填する後装式の構造を採用しているため、装填時間そのものも従来の前装式(先込め式)よりもずいぶんと短縮されていた。

 そんな期待の新兵器が、一斉に火を吐く。一発一発の砲声は軽いものだが、おおよそ十五秒から二十秒に一回のペースで砲弾を撃ち出す様は、重砲にも劣らぬ迫力があった。

 

「グワーッ!?」

 

 浅瀬を歩いて渡ろうとしている敵前衛の周囲に、凄まじい量の砲弾がたたきつけられる。爆煙と跳ね上げられた水が、煙幕のようになって王国兵の一団を覆い隠した。

 七五ミリの小口径とはいえ、手榴弾以上の威力はあるのだ。爆風と大量の金属破片が王国兵を襲い、その肉体を切り裂く。悲鳴と轟音の二重奏が耳朶を叩き、泥と血が美しい水面を穢す。ロアール川の岸辺はたちまち地獄と化した。

 

「すげえ、一網打尽だ!」

 

 我が軍の陣地から歓声が上がる。人間がボウリングのピンのようになぎ倒されていく酸鼻を極める光景も、兵隊の目から見れば胸の空く快事なのである。戦争という環境は、人からあらゆる良心を奪い去ってしまう。

 

「流石は新型、やってくれる」

 

 当然ながら、僕もそんな“人でなし”の一員だ。粉砕される敵前衛を見て、思わず拳を握りしめてしまう。

 しかし、あまり慢心はできない。なにしろ新兵器というのはおしなべて信頼性が低いものだ。実際、エルフ内戦に介入した際には、期待の後装砲があっという間に壊れてひどい目にあっているからな……。

 

「とはいえ、砲兵隊にはあまり撃ちすぎないよう念押しをしておいてくれ。あの調子で撃っていたら、あっという間に砲弾が無くなってしまうからな」

 

 冗談めかしてそう忠告するが、おそらく用意している砲弾をすべて射耗してしまうことはあり得ないだろう。

 備蓄量が十分だから……ではない。撃ち尽くす前に大砲自体が壊れてしまう可能性が高いからだ。とくに、バネ式の駐退復座器あたりの耐久性はかなり怪しい。運用には細心の注意を払う必要があった。

 

「アル様、ジェルマン師団より連絡です。どうやら、王軍はC地点でも渡河を開始した模様。これより迎撃を開始する、とのことです」

 

 そこへソニアがやってきて、神妙な表情で報告を耳打ちした。ジェルマン伯爵率いるジェルマン師団にはやや東側にある二つの渡河ポイントを守るように命じていた。そのうちの一つで敵が行動を開始したらしい。

 ロアール川は冬になると水深が浅くなる。降り続く雪のおかげで例年よりも水量は多いようだが、それでも前回の戦いと比べれば渡河可能な地点は二カ所も増えていた。

 我々が守らなくてはならない渡河ポイントは、合計五つ。王軍がこの全てで同時に渡河を開始すれば、兵力に劣る我が方はかなり難しい対応を迫られることになるだろう。

 ……用兵のコツは、”人の嫌がることは進んでせよ”だ。ガムラン将軍はおそらく一斉渡河作戦を実行し、こちらの対処能力を飽和させようとしてくるはず。

 現状の戦力比率は三対五。おまけに兵士ひとりあたりの戦闘力も大差ないと来ている。どう転ぶにせよ、この戦いは容易なものとはならないはずだ。

 

「ジェルマン伯爵には、無理はするなと伝えておいてくれ。彼女の師団には砲兵火力が不足している。無理をすれば、あっというまに大損害を受けてしまいかねない」

 

 了解ですと返して電信員の元へ向かうソニアを見送り、僕はゆっくりと息を吐き出した。

 

「さてさて、メインディッシュはまだかな」

 

 前線では、強引な渡河を狙う王国兵が文字通り粉々にされている。なんとも哀れなことだが、敵に同情している場合ではない。

 なにしろガムラン将軍は強敵だ。このまま一方的にやられるばかりではあるまい。裏では悪辣な作戦が動いているはずだから、こちらもそれなりの準備をしておかねば……。

 




本作が第11回ネット小説大賞を受賞いたしました。
マッグガーデン・ノベルズ様より書籍化予定です。


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第665話 くっころ男騎士と戦場メシ

 予想通り、王軍は五カ所の渡河ポイントすべてで同時攻勢に出た。ただし、当然ながらいきなり全戦力を突っ込ませたわけではない。

 先遣隊として投入されたのは、各ポイントにつき一個中隊。すなわち百数十人ていどの集団だ。砲兵による支援こそあったが、やはり中隊ひとつ程度ではまったく戦力が足りない。哀れな王国兵は入水するなり猛射撃を浴び、たちまち壊滅してしまった。

 その惨状をみた我が軍の兵士たちは快哉を叫び、王軍の稚拙な用兵を罵倒した。だが、しかし……それを見た僕は、どうにも嫌な感触を覚えていた。

 そもそも、敵将ガムランは知将として知られる人物だ。生半可な戦いぶりはすまい。ソニアを初めとした参謀たちと相談を重ね、敵の思惑を探る。

 

「ああ、もう昼飯の時間か」

 

 そうこうしているうちに、いつの間にか時刻は正午近くになっていた。三十分ほど前から敵の攻勢は止み、前線は静かになっている。

 ……静かというのは、戦場基準でのことだ。時折嫌がらせ砲撃なども飛んでくるから、平時基準ではまったく静かでも穏やかでもない。

 とにもかくにも、昼食である。いくら戦場とは言え、いや、戦場だからこそメシは疎かにはできないのだ。僕は軍議をいったん中断し、食事を取ることにした。

 ただし、食事を取る場所はここではない。前線にゆき、兵隊たちと同じ釜の飯を食う。ぼくがそう主張すると、とうぜんソニアらは大反対した。しかし、僕にも譲れないことはアル。総司令官権限を用いて、強引に押し切る。

 

「我が方は兵力的にかなりの劣勢だ。こういう戦いの鍵は、兵士一人一人の士気なんだ。戦闘がまだ本格化していない今のうちに、前線の様子を見ておきたい」

 

 そう言って僕は空を仰いだ。嫌なことに、今日も雪が続いている。空は分厚い雲に覆われ、太陽の姿はどこにも見えない。おまけに風が強く、体感気温を下げること甚だしかった。

 冬は戦争の季節では無い、というのは長年の常識だ。古兵であっても、これほど寒い中で戦った経験はないだろう。いわんや、新兵ともなれば……。

 前線の将兵は、屋根すらついていない急造の塹壕の中でこの雪風に耐えている。そりゃあ、心配にもなるだろう。

 ……そう熱弁すると、ソニアは不承不承頷いてくれた。最低限の護衛を連れ、指揮壕から出る。もちろん、お付きの者を大名行列めいて引き連れたりはしない。総司令官の移動を敵軍に探知されれば、集中砲撃を受ける恐れもあるからな。影武者も立てて、こっそりと移動する。

 

「まさか、ブロンダン閣下とお食事を共にできるとは」

 

 前線で僕を迎えた兵士たちは、当然ながらひどく面食らった様子だった。露骨に迷惑そうな顔を隠さないものもいる。そりゃあそうだろう。僕だって、作戦の最中に総大将が突然最前線にやってきたらこういう表情になる。

 

「うしろでふんぞり返っているだけでは、見えない景色もあるものでね」

 

 そう応え、僕は持ってきた折りたたみ椅子に腰を下ろす。実際、後方の指揮壕からではわからないこともたくさんあった。たとえば、塹壕内の環境などだ。

 この作戦においての前線とは、つまり川の間近ということになる。そんな場所で穴を掘れば、どうなるか? 当然、水が湧いてくる。塹壕内は湧き水でドロドロになっており、ひどく不潔だった。

 このクソ寒い中、靴下まで水浸しになるような環境は地獄以外の何物でもない。あまりにも最悪すぎて、「こんな場所を戦場に選んだのは誰だ!」と文句をつけたくなってきた。まあ、作戦を立てたのは僕なんだけど。

 

「食事も私らと同じものなんですか、驚いた」

 

「当たり前だろう。あんな演説を打っておいて、一人だけ暖かくて美味いメシが食えるか」

 

 兵士の指摘に、僕は苦笑を返す。最悪と言えば、食事の方もたいがいだ。本日の昼食は、軍隊式の堅焼きビスケットと干し肉。……そう、温食ですらない。敵の攻撃が始まったせいで、しっかりとした食事を作っている余裕が吹っ飛んでしまったせいだ。

 暖かいものといえば香草茶くらいのもので、それすら食事を始める頃にはすっかり冷めている。冬場の野外でこんな食事を続けていたら、あっという間に腹を壊してしまうに違いない。

 

「しかし、すまない。ほんとうにすまない。なんとか、温食を手当したかったのだが。いろいろと予定外が重なってしまった。夜には暖かいシチューを用意できるよう手配しておくから、それで許して欲しい」

 

 ビスケットはレンガみたいに堅いし、干し肉はゴムタイヤみたいな歯触りだし、唯一の癒しは味も香りも薄すぎるぬるい香草茶だけ。こんな状況じゃ士気など上がるはずもない。

 泥水だらけの塹壕も、冷たくて不味い食事も、今すぐなんとかしないとかなりヤバイ。士気うんぬん以前に、戦わないまま体を壊して戦線離脱する兵が続出してしまいそうだ。しかし、改善のためのリソースはないし。ううーん……

 

「っ!?」

 

 などと考えていたら、塹壕内に轟音が鳴り響いた。穴倉の近くに、敵弾が落着したのだ。

 吹き飛ばされてきた石ころや土塊が降り注ぎ、我々のささやかな食卓をめちゃくちゃにしていく。慌てて香草茶のカップの上面を手で押さえ、土が入らないようにする。

 

「アル様!?」

 

 傍にいたソニアが僕に覆い被さろうとしたが、手で制す。兵の前だ、情けない姿は見せられない。二発、三発と弾着が続く中、僕は香草茶をゆっくりと飲み干した。

 

「今日の天気は雪のち砲弾! アッハハ、優雅なティータイムとはいかんね」

 

 第一次攻勢が不発に終わった後も、王軍は断続的にこちらの陣地を砲撃し続けている。だが、さしもの彼女らも砲弾の雨を延々と降らせられるほどの弾薬備蓄はないらしい。今回の砲撃も、十発も撃つころには尻すぼみになっていった。

 

「……本当にチンコついとるんですか、御大将どのは。わたしらよりよっぽど肝が据わっとるように見えるんですがね」

 

 中年の下士官が、なんとも呆れた表情でそう言った。失礼極まりない言い草だが、礼儀作法を学んでいない階層の平民などこんなものだ。長年軍隊で飯を食っているような人間ならばなおさらである。

 

「ついてるよ。見て確認してみるかい」

 

「本当に見せてくれるんなら、喜んで」

 

 しかし、歴戦の古兵ほどユーモアを解す人種はいないものだ。僕の冗談に、彼女はゲラゲラと笑いながら乗ってきた。……この下士官はもちろん本気で言っているわけではないようだが、話を聞いていた周囲の新兵たちは目の色を変えた。オイオイ、真面目に受け取るんじゃないよ。

 

「やめておこう。寒すぎて縮み上がってるんだ、お粗末なモノを見せて笑われたんじゃたまらない」 

 

 下品すぎる冗談に、兵士たちは一斉に大爆笑した。一方、ソニアはなんとも言えない表情で僕を睨んでいる。いや、すまんすまん。前世の癖が出たわ。

 

「ところで、きみ。一つ聞いておきたいことがあるんだが、構わんかね」

 

 カチカチのビスケットをなんとか割ろうとしつつ、先ほどの下士官に問いかける。彼女は「もちろんです、閣下」と返した。

 

「先ほど、寒中水泳を楽しみにやってきた連中のことだ。あの攻勢は、どうにも真面目な渡河という感じでは無かった。何を思って、あんな無駄な犠牲を払ったのだろうか? 諸君らの意見を聞きたい」

 

 後方と前線では、同じものを見ても見える景色はまったく違うものだ。前線の将兵の意見は、ぜひともヒアリングをしておきたいところだった。

 

「ああ、あの哀れな奴らのことですか」

 

 得心した様子で頷いた下士官は首を左右に振り、「ありゃ、懲罰部隊ですな」と言った

 

「最初の突撃が始まったとき、私は望遠鏡で川向こうを見ておりました。そうしたら、スゴイもんを目にしちまったんですよ。やつら、味方に追い立てられて川に入っておりました」

 

「……そいつは嫌なことを聞いた。囚人か何かを集めてきて、部隊に仕立て上げたのかな」

 

「でしょうな。まあ、珍しい話でもありません」

 

 あの突撃は、見るからに無謀であった。小勢で川に入り、一方的に撃たれまくり、案の定川を渡りきる前に全滅した。

 犠牲を度外視した力押しかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。なにしろ、あの攻勢は後詰めが投入されぬまま終わってしまったからだ。こんな尻切れトンボでは、渡河など成功するはずもない。

 

「最初に切ったのは捨て札だったか。まさか、僕たちに処刑の代行をやってもらいたかった訳でもあるまい。つまり……」

 

 一種の威力偵察。そう判断するのが適切だろう。やつらは捨て駒を用い、僕たちの攻撃を誘発した。その目的は……考えるまでもない。こちらの火力配置を確認し、防備の薄い箇所を探し出すためだ。つまりは、本命前の下調べというわけだな。

 

「アルベールどん!」

 

 そこへ重苦しい羽音と共に黒い影が舞い降り、塹壕の水たまりの中へと着地した。泥水が周囲に舞い散る。兵隊たちが殺気立ち、武器を構えようとする。即座にそれを制止して、僕は闖入者へ声をかけた。

 

「どうした、ウル」

 

 空中からやってくる人間といえば、もう鳥人以外有り得ない。そして敵方に鳥人は参加していないから、彼女は間違いなく味方である。案の定、よく見ればその顔には見覚えがあった。鳥人衆の長、ウルだ。

 

「不作法、失礼いたしもす。敵陣より大量ん翼竜(ワイバーン)が離陸したとん情報があり、報告にあがりもした。数はすくなくとも五十騎以上とんごつ」

 

「五十!」

 

 ソニアが目を剥いた。王軍の保有する翼竜(ワイバーン)は合計百騎未満という話だから、いきなり半数以上を投入してきたことになる。なかなか剣呑な報告だった。

 

「本気で航空優勢を取りに来たな。ならば、こちらも受けて立つまで」

 

 僕は椅子から立ち上がり、ウルのほうを見返した。

 

「頭上を押さえられてはかなわん。我がほうの翼竜(ワイバーン)騎兵隊に、全力で迎撃するように伝えてくれ」

 

「御意!」

 

 元気よく飛び立つウル。鳥人兵は、こうして偵察に伝令にと大活躍してくれている。竜人(ドラゴニュート)ばかりの王軍に対して、彼女らの存在はかなりのアドバンテージとなっていた。

 

「失礼、戦友諸君。野暮用が入った、申し訳ないがこの場は中座させてもらう」

 

 航空部隊がこれほど大きな動きを見せた以上、地上部隊が動かないという道理はない。さっさと指揮所に戻り、迎撃の準備をせねば。

 

「諸君。どうやら先ほどの寒中水泳大会は、たんなるリハーサルだったらしい。じき本番が始まるようだから、歓迎してやってくれ」

 

 冗談めかし口調でそう伝えると、兵士らは大きなため息をついてビスケットや干し肉を口に詰め込み始めた。戦闘が始まったら、食事どころではなくなるからな。みんな大慌てだ。

 

「まったく、ガムラン将軍は嫌がらせが得意だな」

 

 小さな声でそうボヤき、ため息をつく。わざわざ昼飯時に攻撃を始めるとは。まちがいなく、わざとやってるんだろうな。性格が悪いったらありゃしない……。

 

 



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第666話 くっころ男騎士と本格攻勢

 まるで昼食時を狙い澄ましたかのようなタイミングで、王軍は多数の翼竜(ワイバーン)を投入してきた。その数、おおよそ七十。

 ……ウルが持ってきた最初の報告では、五十騎ていどという話だったのだが。しかし、戦場ではこのような誤認などよくある話だ。気にしてはいられない。

 何はともあれ、敵は航空戦力の大半を投入してきたことには変わりないのだ。こちらとしては、全力で迎撃する以外の選択肢はない。我が方はただでさえ劣勢なのだから、制空権まで失った日には勝利の希望など完全に潰えてしまう。

 迎撃に上がった我が方の翼竜(ワイバーン)騎兵は五十騎。休憩中の者までたたき起こしてなんとか頭数を揃えたが、それでもまだ戦力は不足している。

 

「ウル、全鳥人兵を翼竜(ワイバーン)騎兵の援護に回せ。出し惜しみはなしだ」

 

 しかし、こちらには鳥人兵がいる。彼女らには翼竜(ワイバーン)と正面から戦えるほどの戦闘力はないが、とにかく小回りが利くため援護力はピカイチだ。翼竜(ワイバーン)騎兵と組み合わせて使えば、数合わせ以上の実力を発揮してくれる。いわば、空の諸兵科編成と言ったところか。

 

「お任せあれ、アルベールどん!」

 

 ウルは誇らしげな顔でそう請け合い、百名近い同胞を自ら率いて空に上がった。ロアール川上空で、王軍とアルベール軍の航空決戦が始まる。

 まず攻撃を仕掛けてきたのは王軍側の翼竜(ワイバーン)騎兵だった。彼女らは精緻な横隊を組み、携えた異様なまでに細長い槍の穂先を揃えて一斉に突撃を敢行する。

 

「ヴァロワ王家お抱えの精鋭は伊達じゃないな。コイツはなかなかの難敵だぞ」

 

 双眼鏡を空に向けながら、僕は小さく唸った。当然ながら、この世界に航空無線など存在しない(というか、無線そのものが実用化されていない)。使える情報伝達手段は手信号と旗だけだ。

 そんな環境でこれほどの連携攻撃を見せてくるのだから、敵側の練度は尋常なものではない。

 対して、こちらの翼竜(ワイバーン)騎兵はあちこちの諸侯が少しずつ戦力を出し合ってどうにか数を揃えた寄り合い所帯だ。なんなら翼竜(ワイバーン)だけではなく帝国系の鷲獅子(グリフォン)騎兵まで混ざっているような有様だから、精巧な連携などできるはずもない。

 味方の翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)騎兵はてんでバラバラの方向へ散開し、どうにか敵の一斉攻撃を躱す。

 しかし、初撃を回避した程度では窮地からは逃れられない。王国側も散開し、逃げるアルベール軍騎兵の背中を追い回した。

 

「これは厳しい……」

 

 空を見上げるソニアが小さく呟く。翼竜(ワイバーン)鷲獅子(グリフォン)に跨がって戦う者たちの主兵装は、軽い素材で出来た細長い槍だ。当然これでは前方しか攻撃できないから、航空戦では後ろを取ったものの方が圧倒的に有利になる。

 あっという間に数騎の友軍が体や愛騎を槍で刺し貫かれ、地上へと真っ逆さまに落ちていった。敵はまだ一騎も墜ちていない。ただでさえこちらの方が数が少ないのだから、このままでは両者の兵力差は開いていくばかりだ。

 

「なに、心配する必要はない。こちらにはウルがいる」

 

 務めてぞんざいな口調でそう言い切った。現在の天候は相変わらずの雪。空には分厚い雲がかかり、真昼だというのに薄暗い。こういう環境では、小柄な鳥人たちの姿を捉えるのは極めて困難であろう。

 

「ほら来た」

 

 ニヤリと笑い、空の一点を指さす。我が軍の騎兵を追い回していた王軍兵の一団が、突如制御を失い散り散りになっていった。鳥人兵による反撃が始まったのだ。

 鳥人兵の武器は足に装着するハガネ製のカギ爪だ。当然こんなモノでは翼竜(ワイバーン)を一撃で仕留めるような真似は出来ないが、騎手を引っかけて”落馬”させるくらいのことはできる。

 翼竜(ワイバーン)騎兵が敵の騎兵を引きつけ、その隙に鳥人兵が騎手を狙い打つ。これが我が軍の航空戦術の基本方針だ。

 鳥人兵が突撃を開始すると、王国翼竜(ワイバーン)騎兵隊の動きが乱れた。いかに精鋭とは言え、初見の攻撃を受ければ多少の混乱は避けられない。

 もちろん、この隙を逃す手はない。我が方の騎兵隊は一斉に反転し、乱れた王国側の隊列へ猛然と襲いかかる。敵方も精鋭だからこれだけで攻守逆転とはいかないが、乱戦にもつれこむことには成功した。

 

「よし、ひとまずは作戦通り。空の戦いはしばらく膠着するだろう。我々は地上の戦いに集中を……」

 

「B-三偽装砲兵陣地に敵弾が直撃しました!」

 

 そこまで言ったところで、伝令が嫌な報告を携えて飛び込んでくる。王国軍は、航空作戦と並行して大規模な砲撃も実施していた。今現在も、敵味方の陣地では砲声と着弾音がひっきりなしに聞こえてきている。

 

「了解」

 

 短くそう応え、内心安堵のため息を吐く。攻撃を受けたのは、木製のニセ大砲を並べた偽装陣地だ。吹っ飛んだところで、人的・物的な被害は無い。

 これが本物の砲兵陣地だったら、タダじゃ済まなかったね。なにしろ、砲兵は榴弾やら装薬やらの爆発物を大量に取り扱う。そこに直撃を喰らえば……兵士たちは月まで吹っ飛ぶはめになるだろう。

 

「敵の航空偵察が効果を発揮し始めましたね」

 

 ソニアの耳打ちに、僕は小さく頷き返す。なぜ、王国軍は空を抑えようとしたのか? それは、空から我が方の陣地を一望し、戦力配置を確認するためだ。

 特に、砲兵陣地の位置はなんとしてでも確かめておきたい情報だろう。火点を集中砲撃して的確に潰していけば、敵歩兵は悠々と川を渡ることができるようになる。

 

「敵方の砲声に、なにやら景気の良い音色が混ざっている。どうやら王国軍も重砲を用意しているようだな」

 

 王国軍の主力砲は、我がほうでも用いられている八六ミリ山砲を長砲身化した軽野戦砲のはずだ。この砲はせいぜい手榴弾に毛が生えた程度の威力しかないから、塹壕に籠もっている限りはそれほど危険ではない。

 ところが、こちらの前衛陣地の周辺にはすでにいくつもの大きなクレーターが出来ていた。明らかに一二〇ミリ以上の大口径榴弾が着弾した痕だ。

 航空偵察と重砲の組み合わせは、戦車のない時代における塹壕線突破の最適解と言える。まったく、ガムラン将軍はとんでもない知将だ。転生者でもなかろうに、あっという間にこの解法を導き出してしまうとは……。

 

「全ての渡河ポイントで、敵前衛が再び前進を開始した模様! 第一次攻勢よりも、遙かに大規模です。少なくとも、一万以上の兵士が投入されているものと思われます!」

 

「了解。砲兵、対抗射撃を中止して突撃破砕射撃に移行せよ。歩兵部隊も、手持ちの射撃武器の有効射程に入り次第攻撃を開始するよう通達を出せ」

 

 航空偵察、準備砲撃を実施したのだ。王軍は間違いなく本命の攻撃に打って出る。こちらも相応の歓迎をしてやらねば、あっという間に押し切られてしまうだろう。僕は全力で反撃を開始するよう命令した。

 ……とはいえ、水際作戦だけでこの攻撃を阻止するのは難しいだろうな。砲兵火力も不足だが、それ以上に歩兵火力が足りない。

 なにしろアルベール軍歩兵の主力は槍兵や弩兵、弓兵などであり、ライフル兵が主力の部隊などリースベン軍くらいしかないのだ。射撃戦だけで突撃を破砕できるほどの火力などあるはずもない。

 もっとも装備の整ったリースベン師団ですらこの始末なのだから、ジェルマン師団のほうはさらに厳しい戦いを強いられるのは間違いあるまい。水際作戦はじきに頓挫し、我が軍は後退を余儀なくされるだろう。

 

「消耗戦が始まるぞ、諸君。先に音を上げた方が負けるチキンレースだ。どれほど血が流れようとも、決して目をそらしてはならん。いいな?」

 

 拳を握りしめつつ、参謀陣にそう言い聞かせる。重装騎兵の華麗な一斉突撃でいくさが終わる時代は既に亡い。これからは、お互いに失血死を狙い合う泥沼の戦いの時代なのだ。千名、二千名ていどの流血で鼻白まれては困る……。

 



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第667話 くっころ男騎士と血河(1)

 いよいよ、王軍の本格攻勢が始まった。槍を携えた兵士たちが、レミング行進めいてロアール川に殺到する。その規模は第一次攻勢などとは比べものにならず、まるで人間で出来た波濤のようだった。

 

「お客様が到着されたぞ! 歓迎して差し上げろ!」

 

 迎撃命令を下すと、我が軍の砲兵陣地が一斉に火を噴いた。鉄と鉛の雨がロアール川に降り注ぎ、冷たい水面をしたたかに打ち据える。

 爆発、爆発、爆発。榴弾が炸裂して生じた鋭い金属片が、哀れな王軍将兵をなぎ払っていく。悲鳴、爆音、悲鳴。ロアール川はたちまち血に染まる。まさに地獄の様相だ。

 

「ひぇ」

 

 前線を観察していたソニアが小さくそんな声を漏らした。大勢の人間が壮絶な鉄の暴風によってなぎ払われていくその景色は、戦場慣れした彼女ですら鼻白ませるほど悲惨であった。ソニア以外の者たちも、みな顔面が蒼白になっている。

 

「これでビビって退散してくれれば良いのだが」

 

 撃っている側ですらこの調子なのだから、撃たれている方はたまったものではないだろう。そう思いながら、双眼鏡をのぞき込む。

 すると案の定、行き足が止まっている敵の一団がいた。一方的な殺戮で戦意を失い、後ろを下がろうとしている。そういう動きだ。

 一人が逃げ出せば、それを見た他の者たちも慌てて逃げ始める。士気崩壊というのはそうやって起きるものだ。さっさと逃げちまえ。そう思いながら彼女らを眺めていると……。

 

「げっ」

 

 ところが、連中が撤退を始めた途端にそれは起きた。部隊のド真ん中で砲弾が炸裂し、彼女らをみな吹き飛ばしてしまったのだ。

 砲声の具合からして、我が軍の砲撃ではない。彼女らは友軍の射撃で殺されてしまったのである。思わず頬が引きつる。あいつら、なんてことを……。

 

「敵前逃亡はその場で処刑する! 貴様らの活路は前にしかないと思え!」

 

 拡声魔法によって増幅された敵指揮官の声が、こちらにまで聞こえてくる。確かに敵前逃亡は死刑と相場が決まっているが、どうやら王軍は軍法会議も経ずに現場でそれを実行してしまったらしい。つまりは督戦隊というわけだ。

 残虐極まりないやり口だが、効果はてきめんだった。行き足の鈍っていた渡河部隊の将兵たちは、泡を食って前に進み始める。後ろから撃たれるくらいならば、前から撃たれたほうがまだマシだからだ。

 

「……なるほど。フランセットめ、この機会に日和見貴族どもを一掃する腹づもりのようですね」

 

 眉間に深い谷間を作りつつ、ソニアがうめいた。

 

「おそらく、いま前線に投入されている者たちは、前回の戦い以降に王軍に参陣した貴族どもの私兵です。フランセットは彼女らをわざと危険な作戦に投入し、遅参の代償を払わせているのでしょう」

 

 なるほど、言われてみれば敵前衛の掲げている旗印はどれもこれも見覚えが無かった。おまけに投入されている兵士も槍兵や弩兵などの旧式兵科ばかりと来ている。間違いなく、王家直属の部隊ではないようだな。諸侯の連れてきた私兵たちというわけか。

 

「そういえば、殿下は中央集権を目指していたな。この機に、外様領主の兵力を削っておく。そういう算段をしているわけか」

 

「ええ。戦術的にも、政略的にも有効なやり口です。もっとも、切り捨てられるほうの反発を思えば、想定通りに上手くいくとも思えませんが」

 

「……まあ、いいさ。こちらのやるべき事は同じだからな」

 

 こうして話しているうちにも、敵軍は前進を続けている。すでにその先頭は南岸の岸辺へと迫りつつあった。

 それを見て取った我が軍の前哨陣地が、小銃による射撃を開始する。大砲の砲撃音とは明らかに異なる軽やかな音色が、戦場に連続して響いた。猛射撃を喰らった敵先頭がバタバタと倒れていく。

 しかし、それでも敵軍の前進は止まらない。倒れ伏した友軍兵士の遺体を踏みつけ、南岸を目指して歩き続ける。

 彼女らの動きは出来の悪いロボットめいたぎこちない。雪の降る中で全身水浸しになっているわけだから、体がすっかりかじかんでしまっているのだ。もちろんみな顔色も最悪だから、もはや生者というよりゾンビのようにすら見えた。

 

「これはいかんな」

 

 周囲に聞こえないような声で、小さく呟く。我が軍の砲兵も前哨陣地も、懸命な射撃を続けている。その甲斐あって、敵軍ではおびただしい損耗が生じている様子が見て取れた。

 だが、敵には万単位の兵士がいる。倒しても倒しても、次から次へと新手が出てくるのだ。彼女らの前進を完全に破砕するためには、現有の火力では明らかに不足だ。ライフル兵も砲兵も、今の倍以上の数が欲しい。

 リースベン師団ですらコレだ。ジェルマン師団は大丈夫だろうか? 通信兵に命令し、ジェルマン伯爵に状況報告を求める。両師団の間には既に野戦電信を敷設してあるから、リアルタイム通信も可能だった。

 

「ジェルマン師団より返答。敵前衛は既に南岸に上陸せり、我が軍は前衛陣地で防戦中。敵の圧力極めて大、我が軍は火力劣勢下にあり。とのことです」

 

「やはりか」

 

 小さく唸り、しばし考え込む。ジェルマン師団では大砲も小銃も不足しているから、こちらの正面よりも先に渡河を許してしまうのは当然のことだ。もちろんそんなことは作戦に織り込み済みだから、気にする必要は無い。

 問題は、火力劣勢という表現だ。リースベン師団の担当正面においては、両軍の砲兵火力は拮抗している。

 王軍は兵力面では我が軍を遙かに優越しているが、それは大量の歩兵で水増しされた結果だ。錬成に長い期間を必要とする砲兵の数では、彼我の差はそれほど大きくない。そして、この戦線においては両軍の砲兵火力は拮抗している。つまり、王軍の砲兵隊主力はこの戦線にいるということになる。

 ……にもかかわらず、ジェルマン師団の担当正面で火力負けが起きている? 少ないとは言え、ジェルマン伯爵も自前の砲兵隊を持っているんだぞ。本来ならば互角くらいには持ち込めるハズ。

 

「敵はライフル兵部隊の主力をジェルマン師団にぶつけてきたようだな」

 

 大砲が無ければ小銃を撃てば良いじゃないの、という訳だ。歩兵火力で圧倒的な優勢を取れば、多少砲兵が不足したところで大した問題にはならない。ライフル兵の暴威を向けられているジェルマン伯爵は、間違いなくかなり厳しい戦いを強いられていることだろう。

 一方、こちらの戦線も楽では無い。敵歩兵はハッキリ言って雑魚だが、王軍砲兵の主力はリースベン師団に向けられているのだ。重厚な火力支援と人海戦術の組み合わせは、我々をもってしても容易にははね除けられない。もちろん、ジェルマン師団に増援を出す余裕はないだろう。

 部隊の特性を生かした、なんとも見事な飽和攻撃だ。敵ながらアッパレ、そう評するしかない。ガムラン将軍の用兵術は噂以上だな。

 

「ライフル兵が相手とはいえ、塹壕に籠もればある程度は持ちこたえられるでしょうが」

 

 僕と同じ結論に達したらしいソニアが、難しい顔で呟く。確かに、死守命令を出せばそれなりの時間稼ぎはできるだろう。塹壕内での近接白兵戦に持ち込めば、槍兵でもライフル兵と互角以上にやれるしな。

 

「捨て石めいた戦術は僕の趣味では無いな。まして、数の上では敵軍の方が遙かに優勢なんだ。稼げる時間なんてたかがしれている。緒戦でそこまでの無理はしたくない」

 

 そう言いながら、前線に目を向ける。そこでは、とうとう敵兵が渡河を終え、南側の河原にたどり着き始めている姿があった。

 もちろん、我が軍もそれを座視しているわけではない。前哨陣地から猛射撃が加えられ、上陸したばかりの兵士が血しぶきを上げながら倒れ伏す。

 しかし、全滅に至るほどの損害は与えられない。しかも後詰めもどんどん上陸しつつあるから、敵兵の数は減るどころか増える一方だ。

 

「畜生!バカヤローッ!」

 

 王国兵は誰に向けたものかも分からぬ悪態を叫びつつ、槍を構えて突撃を始める。その矛先にあるのは、もちろん銃撃を続けるアルベール軍前哨陣地だ。

 寒くつらい渡河を終えたばかりだというのに、彼女らには休息する暇すら与えられない。前哨陣地を制圧しない限り、王軍は一方的に攻撃を受け続けることになるからだ。一息入れて撃ち殺されるくらいなら、疲れた体に鞭打って安全を確保するほうがまだマシなのだった。

 

「ジェルマン伯爵には、無理せず現場の判断で後退してもらって構わないと伝えろ」

 

 渡河直後の王国兵は、まさに背水の陣の状態だ。もはや退くこともできない訳だから、死に物狂いで戦う。こんな連中につき合っていたら、こちらの損耗も馬鹿にならないことになる。泥沼に浸かる前に切り上げるべきだ。

 

「これは消耗戦だ。相手をより早く失血死させるためのいくさだ。しかし消耗戦だからこそ、人命や物資の浪費は厳禁だ。相手だけに一方的な失血を強い続けろ」

 

 通信兵にそう厳命してから、僕は密かにため息をついた。消耗戦。そう、消耗戦だ。流した血の重さで決着をつけるのだ。いわば、チキンレース。生半可な覚悟では、この戦いに勝利することはできない。腹を決めろよ、アルベール・ブロンダン……。

 



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第668話 くっころ男騎士と血河(2)

 ついにロアール川を渡りきった王軍前衛部隊は、そのまま休みもせずに我が軍の前哨陣地への攻撃に踏み切った。

 この陣地にはライフル兵が重点配置されており、渡河中の無防備な王軍将兵に猛射撃を加えている。これを排除しない限り、渡河部隊には一時の休息すらも許されないのだった。

 この戦線の王軍部隊は、外様諸侯の私兵たちが主力だ。その主な武装は槍やクロスボウなどであり、リースベン軍の精鋭を相手にするのはたいへんに荷が重い。

 しかし川を背にした彼女らには退路などなく、死中に活を求めて必死の攻撃を繰り出してくる。クロスボウによる支援射撃を受けつつ、槍の穂先を揃えて集団突撃。これが三度にわたり繰り返された。

 

「地獄だ……」

 

 その様子を指揮壕から見ていた参謀のひとりが、小さな声で呟いた。前哨陣地からの応射により、槍兵たちは次々と血煙を上げて倒れていく。悲鳴、絶叫が、前線から遠く離れた指揮壕にまで聞こえてきた。

 それでも、彼女らは前進をやめない。逃げる先がないのだから、当然のことである。倒れた戦友の骸を踏み越え、前へ。

 もちろん、アルベール軍兵も必死だから、反撃も苛烈だ。鉛玉の嵐を受けて、人命がダース単位で吹き飛んでいく。雪の積もった河原は、血と肉で真っ赤に舗装されつつあった。人命の最安値更新中、出血大サービスという風情である。

 

「こうなるか、こうなるだろうな」

 

 しかし、僕にはショッキングな光景に目を奪われている暇などなかった。小さく息を吐き、双眼鏡を川のほうへと戻す。

 突撃部隊に射撃が集中しているぶん、渡河中の部隊へ向けられる火力は減少している。彼女らは、悠々と川を渡り続けていた。南岸には続々と後詰めが上陸しつつある。

 

「前哨陣地は長くはもたん、適当なところで切り上げるよう伝えろ。撤退のタイミングは現場に任せるが、動き出す前にかならず本部に連絡するように」

 

 重機関銃が十挺もあれば、この程度の突撃など完膚なきまでに粉砕できるだろうに。そんな詮無いことを考えつつ、命令を出す。

 第一次世界大戦において塹壕は鉄壁の防御力を見せたが、それをこの場で再現するにはあらゆるものが足りていない。

 なにしろ我々には、機関銃どころかボルトアクション小銃すらもごくわずかにしか配備されていない有様なのだ。ライフル兵のほとんどはいまだに前装式の旧型を使っているし、さらにいえばそのライフル兵でさえも希少で数の上の主力は槍兵が務めている。

 その上、資材も時間も足りない中で構築した塹壕陣地に対する不信感もあった。肝心要の鉄条網にすら敷設が間に合わなかった場所もあるのだから、こんな陣地を恒久的に守り続けるなど不可能である。

 

「敵前衛部隊が第七前哨陣地と接触しました! 突入を試みている模様!」

 

 河原が遺体で覆い尽くされるような激戦のすえ、王軍はとうとう塹壕線の外縁へとたどりついた。しかしそこにはもちろん鉄条網や馬防柵などの障害物が設置されているため、塹壕内へ侵入するのは容易ではない。

 ところが、王国兵はここで予想外の行動を取った。戦友の遺体を有刺鉄線に投げつけ、道を作り始めたのだ。

 材料(、、)はそこらじゅうにいくらでも転がっている。鉄条網自体の出来がお粗末な事もあり、張り巡らされていた有刺鉄線はたちまち骸の山で埋められてしまった。王国兵は仲間の死体を踏みつけ、我先にと塹壕へ飛び込もうとする。

 

「悪鬼どもが……!」

 

 その所業を見てソニアが憤慨したが、相手も人間だからな。引くも地獄、進むも地獄の極限環境に置かれればこうもなろうというものだ。

 鉄条網が無力化されたのを見て、アルベール軍兵は慌てて塹壕から銃剣や槍などを用いて敵兵を突き始める。しかし、槍の打ち合いとなれば敵も本職だ。しばしの押し合いへし合いのあと、とうとう最初の一人が塹壕内へと飛び込んだ。

 

「敵、第七前哨陣地に突入!」

 

 ほかの敵兵も雪崩を打ったように塹壕へと押し入り始める。軍隊というよりもゾンビの群れのような動きだった。ああ、畜生め。重機関銃が欲しい。いや、いっそアサルトライフルでもいい。連射式の火器があれば、あの程度の集団など一度になぎ払ってしまえるものを。

 

「第四、第八前哨陣地でも敵兵の侵入を許したようです」

 

 そこへさらに、他の前哨陣地からも続々と敵の突入を許したとの報告が入り始める。王軍は損害を度外視した決死の突撃を続けている。対する我が軍の陣地と装備は甚だ不十分であり、長時間の持久はまず不可能なのだった。

 戦場が塹壕内に移れば、その様子は指揮壕からは視認できない。しかし、現場では悲惨極まりない血みどろの白兵戦が始まっているに違いないのだ。僕は無言で腰のサーベルの柄を握りしめた。

 いますぐ指揮壕から飛び出して、あそこへ助太刀に行きたい。鉄火場を前に見ていることしかできないなんて屈辱の極みだ。血と汗を流してこその兵隊だぞ、今の僕は本当に軍人と呼べるのか。

 

「ジルベルト中佐より連絡。これより第六、第七前哨陣地を放棄し、後退を開始するそうです」

 

「了解。砲兵に連絡し、撤退支援を始めるよう命じろ」

 

 指揮官は指揮を取るのが仕事だろうが、馬鹿野郎め。内心そう思いながら指示を出す。

 リースベン軍の最精鋭であるジルベルトの大隊は、敵の圧力がもっとも高くなるであろう場所へと配置してあった。現在、当初の予想通りその区域では血みどろの激戦が続いている。最初に敵兵の侵入を許した陣地も、ジルベルトの担当区域内のものであった。

 

「予定よりもいくぶん早いですね」

 

 ソニアの耳打ちに、微かに頷き返す。ジルベルト大隊が後退するのは、計画の上では夕方ごろの予定であった。しかし、現在の時刻は午後三時。日暮れにはいまだ猶予がある。

 

「ジルベルトはよくやってくれている。問題は敵軍の勢いだ」

 

 本格的な戦闘が始まってから、約半日。戦闘自体はまだ序盤戦といったところだが、既に王軍は千名以上の死傷者を出しているものと思われる。

 とくにこの渡河ポイントAの損耗率は凄まじく、王国兵を石臼めいてすりつぶし続けていた。普通の戦いならば、とうに士気崩壊を起こして壊走していたことだろう。そうならなかったのは、この戦場が壊走しようにも逃げる先の無い背水の陣状態だったからだ。

 しかし、それにしても王軍の突撃魂は尋常なものではない。逃げないにしても怯むくらいはしてほしいものだが、その気配すらないのだ。

 

「おそらく、督戦隊への恐怖からだろうな。友軍を背中から撃つとは……むごい真似をするものだ」

 

「しかし、この戦場に限って言えば有効な戦術ではあります。王軍としては、我々と皇帝軍の合流はなんとしてでも避けたいでしょうから。損害を度外視してでも我らの各個撃破を目指すというのは合理的な選択ですよ」

 

「同感だな。若いフランセット殿下では、ここまで割り切った用兵はできまい。音頭を取っているのはおそらくガムラン将軍だろう。おっそろしいお方だね」

 

 目的達成のため、不必要なモノはすべてそぎ落とし合理性のみを追求する……今の王軍の動きからは、そういう哲学が感じられる。誰にでもできるたぐいの用兵じゃあないな。

 

「ガムラン将軍の手腕は正直予想以上だが、今さらジタバタしても仕方ない。とにかく、今はみんなを信じて頑張ろう」

 

 そんな話をしているうちにも、前線は動き続けている。ジルベルトの率いる大隊が持ち場であった前哨陣地を放棄し、撤退を開始したのだ。兵士たちが塹壕から飛び出し、後方の主塹壕線を目指して走り始める。

 もちろん、敵軍はそれを黙って見逃してくれるほど甘くはない。すぐさま弩兵部隊が反応し、後退中のアルベール軍将兵に矢の雨を浴びせかけようとする。

 しかしそこへ、まだ塹壕に残っている友軍部隊が先んじて発砲を開始した。もちろん、周囲の歩兵陣地や砲兵陣地もそれに続いて支援攻撃を仕掛ける。集中攻撃を受けた弩兵部隊はひるみ、射撃機会を逸する。

 その隙に先発部隊は塹壕に飛び込み、今度は自らが弩兵部隊を撃ち始めた。たまらず王国兵どもが逃げ散りはじめると、今度は塹壕に残っていた連中が後退にかかる。

 射撃と機動を交互に行い、安全を確保しながら移動していくこのやり方は、教科書にも載っているごく基本的な戦術だ。しかし演習場ならともかく、この混沌とした戦場で教科書通りの動きをするのは決して容易なことではない。

 

「流石はジルベルト。彼女ならば、安心してカリーナを任せておけますね」

 

 ソニアの言葉に、僕は苦笑しながら何度も頷いた。いま後退している部隊の中には、我が義妹カリーナも混ざっているはずだ。

 正直なところかなり心配をしているのだが、家族だからといってエコヒイキするわけにもいかんからな。ジルベルトとカリーナ自身を信じ、私心を排して指揮に当たる。

 

「前哨陣地は放棄するが、タダでくれてやるのは面白くない。しっかり代金を徴収してやれ!」

 

 最前列の塹壕線が放棄されたことで、王国兵たちは我先にとその穴倉へ飛び込もうとしている。彼女らの安息の地はそこしかないからだ。

しかし、大勢の兵士たちが一斉に前哨陣地に殺到したことで、現場では大きな混乱が生じている。複数の部隊が衝突事故を起こし、隊列が混ざり合ってしまっているのだ。

 そして、その地点は我が軍の砲兵陣地がちょうど十字砲火を仕掛けられる位置取りになっていた。山砲、重砲が一斉に吠え、王国兵の命を根こそぎ刈り取っていく。彼女らは殺し間に誘導されていた。そう、前哨陣地からの撤退は罠だったのだ。

 



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第669話 くっころ男騎士の悪戦

 ガレア軍による死の行進めいた攻勢は留まることを知らなかった。我が軍が放棄した前哨陣地を占領した彼女らは、そこを拠点に橋頭堡を築き始める。自前で穴を掘って塹壕を拡張し、そこへイカダを使って運んできた軽砲などを据え付け始めたのだ。

 

「やはり効くな、肉薄砲撃は……!」

 

 王国砲兵の主力兵器、長八六ミリ野戦砲の有効射程はせいぜい一二〇〇メートルというところだ。そのため、対岸からの砲撃ではなかなか有効打が出なかった。

 だが、前哨陣地からならば標的はもう目と鼻の先だ。両軍の砲兵隊は七〇〇から五〇〇メートルほどの距離を挟んで相対し、猛烈な砲撃戦を展開している。

 砲兵陣地を守る土塁の表面ではひっきりなしに爆発が起き、土煙を上げ続けている。所詮は即席で作ったヤワい防壁だ、この調子ではいつ崩落するかわかったものではない。致命的な被害を受ける前に、砲兵を下がらせるべきでは無いか。そんな考えが脳裏に去来する。

 

「ウオオ、畜生! 死ね! ヴァロワ王家もブロンダンもクソ喰らえだッ!」

 

「父さん、父さん! ああ、嫌だ! 帰りたい、うちに帰りたい!」

 

 戦場では悲鳴や罵声があがりつづけている。せっかく奪取した前哨陣地から蹴り出された王国兵たちが、ふたたび突撃を強いられているのである。逃げようとすれば即座に後ろから銃弾や砲弾が飛んでくる。彼女らには前進以外の道は残されていないのだった。

 このあまりにもむごいやり口にはアルベール軍の幹部全員が苦虫を噛みつぶす思いを味わったが、残念なことに我々にも敵に情けをかけてやる余裕はないのである。僕は断腸の思いで迎撃を命じる羽目になった。

 

「黙示録に記されし終末というのは、こういう光景なのかもしれませんね」

 

 口元をへの字に歪めつつ、ソニアが吐き捨てる。雪の積もった河原は既に深紅に染まっている。即死できたものはまだ幸運で、足や手を射貫かれて動けなくなった者たちの憐れなことといったら無かった。

 彼女らはか細い声で戦友に助けを求めるが、前からも後ろからも鉛玉の雨を受け続けている王国兵たちに負傷者を救助できる余裕などあるはずもない。捨て置かれた彼女らに残された結末は、失血死か凍死以外に無いのだ。

 

「ああ、もったいない、もったいない。まったく、ひどいことを、しますね、ガムラン将軍、とやらは」

 

 鎌を振りながらプンスコ怒っているのはネェルだ。彼女の腕には、いまだ包帯が巻き付けられている。王都からの脱出の際に受けた傷がまだ完治していないのだ。

 

「食べ物を、粗末に、すると、バチが、当たり、ますよ?」

 

「……マンティスジョークだよな?」

 

「ええ、ええ。ジョークです、うふふ。……じゅるり」

 

「……」

 

 もっとも、肉体の方はともかく精神面ではすっかり全快しているようだった。久方ぶりのマンティスジョークに、思わず頬が緩む。平時に聞くにはブラックすぎる冗談でも、戦場ではむしろ面白おかしく感じてしまうから不思議なものだ。

 

「……確かに命がもったいないが、戦術的には有効な手ではある。休む様子も無く突撃を継続するとは……ガムラン将軍め、攻勢限界ギリギリまで突っ走る気だな」

 

 味方に対してこんな真似をして、戦後どうするつもりなのだろうか? そういう疑問は尽きないが、視点をこの戦場だけに限定するのならばこの戦術は確かに最適解だ。正直に言って、ここまで断固たる攻勢を仕掛けてくるとはまったくの予想外であった。

 現在、我が軍の前線は敵軍の圧迫を受けて後退中だ。ゆっくりと後退しつつ敵戦力をすり減らしていくというのが今回の作戦の骨子であり、撤退すること自体は予定通りなのだが……。

 問題は、敵の圧力が強すぎるという点にある。後退というのはあらゆる戦術行動の中でもっとも難易度の高いものの一つであり、計画的な撤退でも一歩間違えば本物の壊走へと転じてしまうリスクがあった。

 

「撤退中のラ・トゥール大隊が敵槍兵隊の突撃を受けて乱戦状態に陥っています! このままでは後退できません!」

 

 報告を受けて双眼鏡をそちらに向ければ、なるほど酷いことになっていた。塹壕のない平地で両軍の兵士が混ざり、槍や剣を交わし合っている。戦列という概念すら吹き飛んだ、野蛮極まりない戦いぶり。まるで原始時代の戦争だった。

 下唇を噛み、舌打ちを堪える。ああも敵味方が入り交じっていると、援護射撃すら不可能だ。しかし放置もできない。戦線は後退中なのだ。足の止まった部隊など、あっという間に包囲されて全滅してしまうだろう。

 

「見捨てますか」

 

 周囲に聞こえぬよう声をひそめ、ソニアが囁きかけてくる。……正直に言えば、魅力的な選択肢ではあった。博打と同じで、真の戦争巧者は損切りが上手いものだ。動けなくなった大隊一つを救うために、それ以上の損害を受けたのでは割に合わない。

 幸いにも、ラ・トゥール大隊は僕の子飼いではなく宰相派のとある伯爵が連れてきた私兵部隊だ。とうぜん編成も槍兵を中核に据えた古くさいものであり、戦力的な価値は低い。切っても痛くない程度の”尻尾”なのは確かだった。

 

「予備部隊を投入して救援する! 歩兵より、騎兵がいいだろう。そうだな……マールブランシュ子爵の騎兵隊を出せ。軍鼓と信号ラッパをかき鳴らして突撃し、敵を威圧するんだ!」

 

 僕は一切の躊躇もせず救援を命じた。味方を見捨てるだって? まったくもって馬鹿らしい。たとえ不合理であっても、僕は決して戦友を見捨てない。それが海兵隊(マリーン)の誇りだからだ。

 戦争には確かに数学的な側面がある。けれども、それだけではないのだ。最後の最後でものを言うのは誇りと意地、そして団結。古くさい精神論ではあるが、士気が戦闘に多大な影響を及ぼすのは事実だからな。捨て駒作戦を用いて兵士たちの忠誠や戦意を挫くのは得策ではない。

 

「了解しました」

 

 深々と一礼するソニア。見捨てるように具申したのは彼女であるはずなのだが、その顔には薄い笑みが浮かんでいた。そう来なくてはと言わんばかりの表情だった。

 

「救援は良いが、軍全体の足が止まれば作戦自体が頓挫する。引き時は心得ておくのじゃぞ」

 

 ちくりと釘を刺してくるのはダライヤだ。なんだかんだと言っても彼女もエルフには違いないから、この甘い采配には不満がある様子だった。軽く肩をすくめ、頷いてみせる。確かに彼女の言うことにも一理あった。

 

「わかってるさ。……ここでコケたら、先発中のエルフ部隊は全滅必至だ。もちろん、采配には細心の注意を払うとも」

 

 現在の戦況はエルフの手も借りたいくらいに厳しいものだが、残念ながらそういうわけにはいかなかった。フェザリア率いるエルフ隊は、とある極秘作戦に投入中なのだ。いまさら呼び戻すことは出来ない。

 

「いや、連中のことはどうでも良いがの。最初から気にもしておらんわ」

 

「さようで」

 

 そう返すと、ダライヤはなんとも嫌そうな顔で首を左右に振る。バカ言ってんじゃないよ、そう言いたげな様子だ。

 しかし、血も涙も無いクソ外道ロリババアでも、教え子のフェザリアのことくらいは気にかけていることを僕は知っている。ニヤリと笑って彼女の肩を叩いてやると、ヤツはぷくりと頬を膨らませてそっぽを向いた。

 

「ふふ」

 

 それを見たソニアが小さく笑い声を漏らした。こういう時のダライヤは、外面そのままの童女のようでなかなかに愛らしい。他の参謀陣も、釣られて表情が緩んでいた。

 

「ジェルマン師団より報告! 敵先鋒、最終防衛ラインに到達せり! 現在全力で防戦中とのことです!」

 

 しかし、そんな弛緩した空気も長くは続かない。通信兵のもたらしたその報告に、指揮壕に詰めるすべての将兵の顔が引きつった。

 

「……そうか。残念ながら、最終防衛ラインより後ろに下がることは認められない。ジェルマン伯爵にはその場で死守を続けるよう厳命する」

 

 参ったね。どうやら、ジェルマン師団は我々以上に押し込まれているようだ。しかし、伯爵を責めることはできない。なにしろ彼女の師団には小銃も大砲も足りていないのだ。

 しかも敵は事前に威力偵察を実行し、ジェルマン師団が弱体であることを突き止めている。こちらの戦場であまり王国ライフル兵が目撃されていないことを思えば、敵の精鋭はジェルマン師団にぶつけられたものと思われる。

 そんな状態でここまで戦い抜いたのだから、むしろ伯爵はよくやっているほうだと言えよう。しかし……。

 

「……まだ三時か。せめて日没までは持たせて欲しいが」

 

 最終防衛ラインが抜かれれば、敵はリースベン師団の側面や後方を攻撃し放題になる。そうなったらもうお終いだ。作戦は完全に崩壊し、敗北が避けられなくなる。

 ……だからこその死守命令。もはや、ジェルマン師団の将兵に後退は許されない。おそらく、我々の担当しているこの戦場以上の厳しく辛い戦いになるだろう。千単位の死傷者が出るのは間違いないだろうな。

 ああ、畜生。無体な命令は出すまいと思った矢先にこれだ。我ながら情けない、屈辱の極みだ。ガムラン将軍め、この借りはかならず返させてもらうぞ。

 



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第670話 王党派将軍と損耗

「ぶえっくょい!!」

 

 派手なくしゃみをした私、ザビーナ・ドゥ・ガムランに、周囲の視線が集まった。失礼と断りを入れ、鼻水を啜る。貴族将校にあるまじき醜態だが、生理現象なのだから仕方が無い。この戦場は竜人(ドラゴニュート)には寒すぎるのだ。

 ほんの先ほど、我々ガレア軍の指揮本部はロアール川を渡った南岸へと移設された。既に全軍の三割以上の兵員が渡河を完了しているのだ。いつまでも北岸に留まったままでは、まともに指揮が取れなくなってしまうからだ。

 南方に目をやれば、そこでは我が軍のライフル兵部隊が敵陣に猛射撃を加えている。当然ながら、標的はジェルマン師団を名乗るアルベール軍の二線級軍団だ。

 リースベン師団と正面から打ち合えば、王軍の精鋭といえどただでは済まない。弱い相手から狙うという軍事上の常識に従い、我々は主攻の矛先をより弱体なジェルマン師団へと向けていた。

 その甲斐あって、この戦線の敵軍前衛陣地は概ね制圧が完了している。司令官である我々が渡河しているさなかにも、一発の砲弾も飛んでくることはなかった。当然ながら、リースベン師団の守る正面で同様の真似をする勇気は私にも無い。

 

「ハハハ……冬場の川越えは堪えますな」

 

 わざとらしく震えてみせつつそう言うと、参謀らが一斉に頷いた。実際、渡河作業は過酷極まりなかった。冷たい水は容赦なく体温を奪い、体の動きを鈍くする。

 おまけに川底には少なくない数の友軍兵士の死体が落ちているものだから、心理的な面でも渡りづらいことこの上なかった。

 

「オレアン軍より伝令!」

 

「お通ししろ」

 

 そんな報告が入ってきたので、私は深々とため息を吐いてから頷いた。オレアン軍というのは、その名の通りオレアン公爵の指揮する軍団だ。兵力は二万で、現在はリースベン師団の押し込みを任せている。

 ちなみに、落ち目のオレアン家には二万もの兵士を動員する能力はもちろん無い。足りないぶんは王家が貸し出した戦力で補っているのだ。オレアン軍の連中は上から下までとにかくやる気がないから、この助太刀部隊が”攻撃精神”を注入する手はずになっている。

 

「お忙しい中失礼します、フランセット殿下」

 

 警護の兵に連れられ、オレアン軍の伝令がやってきた。見覚えのある顔だ。確か、オレアン公の副官殿だな。大貴族家当主の副官といえばかなりの重職だが、その割にはまだかなり若い娘だ。顔つきがどことなく公爵殿に似ているから、おそらく分家筋の出身者だろう。

 伝令殿の挨拶を受け、フランセット殿下は片手をあげてそれに応える。一応彼女こそが我が軍の最高司令官のはずなのだが、戦闘が始まって以降殿下はどうにも無口になっていた。おかげでやたらと存在感が薄くなってしまっている。

 まあ、私としてはそっちのほうがやりやすいがね。最高司令官とはいっても、フランセット殿下が大軍を指揮するのは今回が初めてだからな。余計な口出しをされるくらいなら、万事私に丸投げしてもらったほうが上手くいくというものだ。

 

「お初にお目にかかります、殿下。わたくしはオレアン公爵閣下のもとで副官を任じられております……」

 

「いくさの最中だ、面倒な儀礼は必要ない。端的に用件を教えてくれるかな」

 

 宮廷式の挨拶をしようと口を開いた伝令殿を、フランセット殿下が制止する。経験が浅いとは言え、殿下はこういう面では至極実務的なお方だった。

 

「はい、殿下。ありがとうございます。……用件というのは、他でもありません。現在、オレアン軍はたいへんな悪戦を強いられておりまして。ぜひとも、援軍をいただきたく参上した次第であります」

 

「援軍」

 

 フランセット殿下の眉間にしわが寄った。一瞬考え込んでから、私のほうをちらりと伺う。なかなかに渋い表情だ。おそらく、私も殿下とまったく同じ表情を浮かべていることだろうがね。

 

「すでに、我が軍の死傷者は二千名を越えているのです!」

 

 援軍など出せぬ、そう言おうとした直前に、伝令殿はこちらの発言にかぶせるような形で叫んだ。まったく失礼な態度だが、その顔には悲壮な表情が浮かんでいる。

 

「まだ戦闘も一段落していない段階で、臨時に集計しただけでこの数です! 実際にはおそらく、この倍。四千名もの兵士が、既に命を落とすか戦いを継続できぬほどの重傷を受けているのですよ! もはや、オレアン軍に余力は残っておりませぬ」

 

 指揮本部の空気が凍り付く。死傷者四千! 凄まじい数字だ。その全てが死者ではないにしろ、適切な手当が受けられぬ戦場では重傷者の死亡率は自然と高くなる。まだ息があるものでも、戦闘終結後まで生き延びることができるのは一握りの数だけだろう。

 

「まだ戦闘の趨勢も定まっていないのに、もうそんな数が……」

 

 困惑の声を漏らすのは、私と同時期に軍へと入った老参謀だ。我々の時代の常識では、戦闘の真っ最中にはそれほど多くの死傷者はでない。槍や剣で打ち合っても、整然たる戦列が維持されている間は意外と負傷しないものなのだ。

 損害が発生するのは、戦列が崩れた後の段階。つまり戦いの趨勢が決してからだ。だが、今回の戦いでは戦いの男神の持つ天秤はまだどちらにも傾いてはいない。確かにアルベール軍は後退しているがそれはあくまで整然としたものであり、彼女らが計画的に撤退を行っていることは明らかであった。

 つまり、戦況はまだ膠着状態。にもかかわらず、すでに一個軍の三割が溶けている。これまでの常識では考えられない異常事態だ。四千という数字には、参謀どもはもとよりフランセット殿下までもが鼻白むだけの威力がある。

 

「危険なのは敵の銃砲弾だけではありません! 多くの兵士が、渡河の最中に低体温症で体が動かなくなりました! 浅瀬とはいえ水の中……そうなれば、もう溺れ死ぬほかありません。こんな死に方、戦死ですらありませんよっ!」

 

 その言葉に、多くの者が沈痛な面持ちで目をそらした。同様の事例は、こちらの戦線でも多数確認されている。雪の降る中で水に入るなど、我ら竜人(ドラゴニュート)には自殺行為でしかないのだ。

 

「オレアン軍は、本当にこれ以上は戦えぬのです! 援軍を、援軍をお願いいたします!」

 

 副官殿の懇願は悲壮そのものであった。厚顔無恥を自認する私でさえ、その声を聞くとキリリと胃が痛む。まあ……オレアン公の夫子を人質に取り、無謀な作戦を強いている身では同情する資格も無かろうが。

 口を一文字に結び、ギロリとフランセット殿下を睨み付けた。殿下も心が揺れている様子だったが、私の視線を受けるとすぐに動揺を押し殺した。アルベール・ブロンダンは、情に流された状態で勝てるほど甘い相手ではない。

 

「…………悪いが、そういうわけにはいかない。この戦線を抜けるかどうかが、此度のいくさの趨勢を決するんだ。増援に兵力を割けば、とうぜん突破速度は鈍化する。そうなれば、オレアン軍の受ける被害はかえって大きくなるのではないかな?」

 

「……」

 

 殿下の説得を受けて副官殿は黙り込んだが、その表情は決して納得しているものではなかった。むしろ、深い絶望と失望が彼女の心を蝕んでいるように見える。

 

「オレアン軍を救援するためにも、我が軍は攻撃に集中しなくてはならない。きみはいったん公爵殿の元に戻り、彼女をしっかりと補佐するんだ。いいね?」

 

「……は。承知いたしました、閣下」

 

 王太子にここまで言われてしまえば、副官風情に出来ることはもう無い。彼女はなんとか臣下の礼を取ると、そのままふらふらと指揮本部を出て行ってしまった。その小さな背中を見送りつつ、私は大きなため息を吐いた。

 

「なあ、将軍」

 

 そろりと近寄ってきた殿下が、私にそう耳打ちする。

 

「ほんとうに、この作戦で良かったのか? いくらなんでも、被害が大きすぎる。おまけに、味方の背中を撃つなぞ……。なにか、もっと……冴えた作戦があったんじゃないのか? 騎兵で強行渡河をかけて、敵の本部を直撃するとか」

 

 その言葉に、私はあやうく嘲笑の声を漏らしかけた。騎兵による強行渡河! 敵本部直撃! いかにも若者らしい作戦案だ。たしかに上手くいけば、今回の……私が立てた作戦よりも、よほど少ない被害で勝利を得られるに違いない。成功すれば、だが。

 

「殿下。機動戦が成功するのは、彼我の能力によほどの差があるときのみです。騎兵は確かに強力な兵科ですが、とにかく脆い! どれほど鋭い槍でも使いどころを誤れば敵を貫く前に穂先が折れてしまいますぞ」

 

「……そうか」

 

 殿下はいちおう頷いたが、その目には不安の色が浮かんでいた。

 

「だが……こんな有様で勝利しても、その先にあるのは栄光ではなく屍と廃墟の山だけではないのか? 我々の歩む道の先には、本当に誇りある未来が待っているのだろうか」

 

 知らんわ、そんなこと。将軍たる私の仕事は、戦闘に勝つまでだ。その後の話は、為政者たる殿下の領域になる。職務外のことにまでは責任は持てん!

 ……というのが、私の正直な気持ちだった。しかし、まさかそれを素直に表に出せるはずも無い。首を左右に振り、務めて穏やかな声を出す。

 

「いけませんよ、殿下。雑念に心が捕らわれたままでは、勝てるいくさも勝てなくなります」

 

「ああ……確かにそうだな。まずは、勝たねば」

 

 フランセット殿下は不安を振り払うように激しく首を左右に振り、ぎゅっと口元を引き締めた。……まったく、この期に及んでこんな弱音を吐くとは。あまりにも今さら過ぎる。後悔するくらいなら戦端など開かねば良かっただろうに……。

 やはり、この国の未来は暗いな。だが私はガレア軍の将軍だ。斜陽だろうがなんだろうが、給料分くらいの働きはせねばならん。本当に嫌になるが、仕方あるまい。

 

「今はただ、前へと進みましょう。後ろを振り返るのは、すべてが終わってからでも遅くはありませぬ」

 

「わかっている。わかっているさ」

 

 結局、我々には他の選択肢など残されていないのだった。

 



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第671話 くっころ男騎士の苦戦

 阿鼻叫喚という言葉そのままの悪戦が、夕刻まで続いた。損害を度外視した王軍の総突撃はローラー作戦めいて我が軍の陣地を飲み込み、もっとも強固なリースベン師団の正面ですら第二防衛線を抜かれるまでに至っている。

 とうぜん、より弱体なジェルマン師団はさらに厳しい戦いを強いられていた。彼女らの背後にはもう後退できる陣地が無く、最終防衛ラインにかじりついて必死の防戦を続けていた。

 敵の主力はジェルマン師団に向けられている。小銃、大砲、あらゆる火器がジェルマン伯爵麾下の将兵たちがこもる塹壕へと向けられていた。そこで生じた発砲煙(黒色火薬は燃焼する際に特有の濃密な白煙を生じる)が風によって流され、我が方の戦線までもが霧がけぶったようになるような有様だ。

 

「我が方の予備部隊をジェルマン師団の救援に回せ! 最終防衛ラインだけは断じて抜かれる訳にはいかん!」

 

 こちらの戦線も決して余裕のある状況ではなかったのだが、それでも僕はリースベン師団の戦力を割いてジェルマン師団を救援することに決めた。

 リースベン・ジェルマンの両師団は、東西の両翼をそれぞれ守っている。そのうちのどちらか片翼でも陥落すれば、もう片方がどれほど頑張ろうとも最終的には包囲殲滅の憂き目を見ることになるのだ。目の前の戦線に熱中しすぎるあまり友軍の窮状を見逃すような真似は出来なかった。

 

「エムズハーフェン旅団から助太刀の申し出が来ています。いっそ、彼女らをジェルマン師団の援護に当たらせるというのも一計ですが」

 

 超特急で援軍派遣の準備を整える僕に、ソニアがそんな具申をしてくる。確かに、魅力的な提案ではあった。なにしろ、リースベン師団はリースベン師団でたいへんに厳しい戦況に直面しているのだ。

 敵からすれば、この戦線は助攻のハズである。実際、敵兵はほとんどが槍兵や弩兵といった旧式兵科であり、単体でみれば大した脅威でもない。火力を集中して叩きまくれば、容易に殲滅できる程度の相手だ。

 問題は、その火力集中ができない事情があるという点だった。なにしろ、我が師団ですら火器の配備状況は十分とは言いがたいからだ。

 新型の連発火器である程度は補えるが、ライフル兵や砲兵の絶対数が不足している。広大な戦線全体を防護するためには、数少ない火力源を薄く広く配置するほか無かった。

 それに加えて、敵の戦術も巧みだ。彼女らは戦線の全体で平押しを続けており、戦力の集中するポイントをあえて作っていない。これによって我が軍の射撃は分散し、効果的な火力発揮ができずにいるのだった。

 

「駄目だ、エムズハーフェン旅団は出さない」

 

 正直言って、援軍なぞ出す余裕はない。一方、エムズハーフェン旅団のほうといえば、いまだ戦場には出ず後方で待機中だ。いわゆる戦略予備というやつだな。予備軍があるのだから、そちらの方を先に投入するべきだ。ソニアはそう言っているわけだ。

 ところが、僕はこの具申を一顧だにせず切り捨てた。戦略予備は一発限りの銀の弾丸だ。一度使ってしまえば再利用はできない。むろんそれを出し渋って結局負けるようなことは愚の骨頂だが、まだ我々はそこまで追い詰められていない。

 

「いいか、ソニア。我々は勝つために戦っているんだ、負けないための手など打つな」

 

 この困難な戦場では、勝ち筋はそう多くない。エムズハーフェン旅団は、その貴重な勝ち筋へと至るためのキーだ。破られかけた戦線の火消しなどという詰まらない任務に投入するわけにはいかなかった。

 

「……なるほど、承知いたしました」

 

 一瞬の逡巡のあと、ソニアは頷き返す。この寒さだというのに、彼女の額には汗が浮かんでいた。無言でソニアの手を取り、ぎゅっと握る。

 

「安心しろ、ソニア。僕たちは勝つ」

 

 五稜郭の戦いにおける旧幕府軍、リトルビッグホーンの戦いにおける第七騎兵隊、硫黄島の戦いにおける第一〇九師団……現在の我々よりも遙かに厳しい状況で戦い抜いた軍人たちなど、探せば世界中にいるのだ。この程度でへこたれるわけにはいかない。

 

「じき日が暮れる。そこからが僕たちの手番だ」

 

 現時刻は午後四時。日の入りはまだだが、空は相変わらずの曇天だから周囲はすっかり薄暗くなっている。あと一、二時間もすれば戦場は暗闇に包まれるだろう。

 さらに言えば、無謀な進撃がたたって敵軍の動きもだんだんと鈍くなりはじめていた。攻勢限界が近づいているのだ。

 督戦隊を使って強引に突撃を継続しているようだが、兵士だって人間なのだから体力には限りがある。むしろ、無茶をしたぶん一度息切れし始めればしばらくは動けなくなるだろう。この機に仕掛けぬ道理は無い。

 

「決戦は夜、と」

 

「ああ。むろん、容易な戦いでは無かろうが……やってみる価値はあるさ」

 

 正直に言えば、夜戦なんかしたくない。だいいち、昼間でさえこれほど寒いのだ。太陽がいなくなれば気温はさらに下がるだろう。竜人(ドラゴニュート)はもちろん、南方出身のリースベン兵らも氷点下の戦場で戦い続けるのは厳しかろう。

 さらにいえば、暗闇そのものも厄介だ。前世で兵隊をやっていたころには暗視眼鏡(ナイトビジョン)などという便利アイテムがあったものだが、それでもなお昼戦よりも遙かに難儀したことを覚えている。

 ましてや、この世界で頼りになるのは肉眼だけだ。むろん照明弾などは多めに用意しているが、そんなものは無いよりはマシ程度の気休めにしかならない。間違いなく、同士討ちなどのトラブルが頻発することになるだろう。

 しかしそれでも、僕たちには夜を無為に過ごすという選択肢は無かった。王軍は夜の間にある程度立て直してしまうだろう。ただでさえ我々は戦力的に劣勢なのだから、敵に休憩するいとまを与えるわけにはいかない。

 

「問題は皇帝軍の到着時期じゃな。今夜中に増援がやってくるというのであれば、天秤は一気にワシらのほうへと傾くじゃろうが」

 

 湯気の上がるカップをなで回しつつ、ダライヤが唸った。アーちゃんに率いられた騎馬軍団一万は、現在このロアール河畔を目指して急進撃中だ。

 だが、もちろん王軍側も手は打っている。皇帝軍の前には軽騎兵や猟兵などを中心に編成された遅滞部隊が立ち塞がっており、足止め作戦を展開中だった。

 ロアール河畔で我々アルベール軍を討ち、遅れてやってきた皇帝軍を迎撃する。この各個撃破作戦がガムラン将軍の描いた絵図だ。とうぜん皇帝軍に対する時間稼ぎは徹底したものであり、アーちゃんといえども短時間での突破は困難であるようだ。

 

「いまごろ、ガムラン将軍も同じ事を思ってるだろうさ。しかし、そこが狙い目だ。僕は別に、皇帝軍が遅参しても構わないと思っている。そのときは我々だけで勝てば良いだけだからな」

 

 にやっと笑い、そう返してやる。もっとも、これは半ば強がりのようなものだ。実際のところ増援は欲しい。喉から手が出るほど欲しい。それでも、最悪の事態に備えるのが軍人の役割だ。もちろん、アーちゃんが間に合わなかった時の次善策も用意していた。

 

「だからこその夜戦だ。夜の闇に乗じて、混乱を引き起こす」

 

 皇帝軍とアルベール軍が合流すれば、王軍との兵力差は一気に縮まる。そうなるともう、王軍は今までのような人海戦術によるゴリ押しはできなくなるだろう。それがわかっているからこそ、ガムラン将軍は無茶を承知で強引極まりない攻勢を仕掛けてきている。

 この各個撃破作戦に対するこだわりこそが、王軍の重心……つまりは弱点だ。当然、これを狙わない手はない。敵の弱点への集中攻撃こそ、用兵の常道なのだから。

 

「逆襲の開始は午後八時(フタマルマルマル)だ。それまでひたすら耐え続けろ」

 

 消耗しているのは敵軍だけではない。撤退に次ぐ撤退で、我が軍の将兵も心身ともに疲弊しているはずだ。そんな中で夜戦などをおっぱじめるのは、ガムラン将軍の自殺的突撃と同じくらいには無茶な作戦だろうなあ。こりゃ、兵隊どもにずいぶんと恨まれそうだ……。

 まあ、こればかりは仕方が無い。とにかく、今は兵士たちが少しでも戦いやすいよう手を尽くすだけだ。ひとまずは……全軍にホットワインと暖かいシチューを配ることにしようか。腹が減ってはいくさは出来ぬ、とも言うしな。

 



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第672話 くっころ男騎士と反撃開始

 昼から夜への移り変わりは、なんとも急激なものであった。空に厚い雲がかかっているため、夕焼けすらなくすとんと落ちるようにあたりが真っ暗になる。それにより、ただでさえ低い気温もさらに下降していった。指や耳がちぎれそうなほどの寒さだ。

 

「ジェルマン師団より連絡! 『敵軍の攻勢が停止、我が陣地今だ健在なり』……以上です!」

 

 通信兵の報告に、思わずほっと安堵のため息をつく。日が暮れるのと同時に、王軍の動きも潮が引くように低調になりつつあった。なにしろ、彼女らは昼過ぎからぶっ続けで六時間も無停止攻勢を続けていた。流石にそろそろ限界が来たのだろう。

 

「よくぞここまで粘ってくれた……! 諸君、喜べ! 伯爵の働きにより、我らの勝利は確実なものとなった!」

 

 ぐっと拳を握りしめながらそう言うと、指揮壕の中で歓声が上がる。投げられた帽子が中を舞い、立ち上がって万歳する者まで現れた。

 ジェルマン師団が突破されれば、我々リースベン師団は二方向からの挟撃を受ける羽目になる。典型的な各個撃破からの包囲殲滅パターンだな。そうなったらもう敗北を覆す方法はないだろう。

 

「ジェルマン伯爵には、『感謝の念に堪えず』と返信しておいてくれ」

 

 いやホント、よくやってくれたよジェルマン伯爵は。最終防衛ラインまで攻め込まれたと聞いたときには青ざめたものだが、なんとか踏ん張ってくれたな。旧式兵科が中心の二線級部隊で王軍の主力を防ぎきったわけだから、本当に大殊勲だ。

 

「さて、ウル。たしか、北岸に残っている王軍の規模は一万強という話だったな?」

 

 喜びに沸く参謀陣を一望してから、僕はウルにそう質問した。毛皮のコートを二枚も着込んでモコモコに着ぶくれしたカラス娘は、「もす」と妙な返事をしてハッキリと頷く。

 王軍の本格攻勢開始と同時に始まった航空決戦は、結局痛み分けに終わった。とくに翼竜(ワイバーン)騎兵隊の損耗が激しく、三十騎もの未帰還者を出している。

 しかし一方的にやられたわけではなく、我が方も四十騎近い撃墜数をたたき出している。どうやら、翼竜(ワイバーン)と鳥人兵の連携が功を奏したらしい。

 この戦いによって、翼竜(ワイバーン)騎兵隊は彼我双方が全滅状態に陥った。つまりは相打ちだが、戦略的に見れば我が方の勝利といって差し支えない。なにしろこちらには鳥人兵がいる。

 もちろん鳥人隊も無傷というわけではなかったが、リースベン生まれの彼女らはそこらの一般人とは根性が違う。ウルたちは傷ついた身体を押して薄暮の空へと舞い上がり、貴重な敵陣地後方の情報を持ち帰ることに成功した。

 

「兵隊ん数は少なかどん一万以上。それから、重砲ん類いもまだ北岸に据え付けられたままやった」

 

「よし、よし。どうにか思い通りの絵が描けたな」

 

 王軍はまだ完全には渡河を終えていない。我が軍の抵抗が激しく、橋頭堡を拡大しきれなかったのだ。つまり、王軍はロアール川によって分断された状態で夜を迎えるわけだな。もちろん北岸に残った連中も翌朝には渡河を再開するだろうから、反転攻勢を仕掛けるべきタイミングは今しかない。

 僕は深呼吸し、視線を前線へと向けた。王軍は既に活動を停止しており、戦場は静まりかえっている。おまけに曇天のせいで地上には星明かりすら届いておらず、目に見えるのは彼我の陣地から漏れ出す灯りだけだった。

 絶好の押し込み強盗日和じゃあないか。天は我々に味方をしている。これがもし晴天で、おまけに満月だったりすれば……これからの作戦の成功率は、まちがいなく著しく下がっていたことだろう。

 

「よろしい、作戦を第二段階に移行しよう。リースベン師団の全前線部隊に伝達、これより敵陣地に夜襲を敢行する! 昼間はずいぶんと好き勝手をされたものだが、ここからは僕たちの手番だ。やられたぶんを百倍返しにしてやれ!」

 

「はっ!」

 

 返答の声はなんとも威勢の良いものだった。各所に命令が伝達され、我が軍の陣地がにわかに騒がしくなる。

 むろん、この夜襲は容易には成功するまい。なにしろ昼間の戦いは恐ろしく苛烈だった。敵の無謀な肉弾攻撃、撤退に次ぐ撤退、そして何よりこの痛いほどの寒さ……我が軍の将兵は、みな心身共に疲れ果てている。

 当然、僕もこの状況を座視していたわけではない。戦いの中でも交代で休息を取らせ、夕飯には温かいシチューとショウガ入りのホットワインを全軍に配給した。しかしそんなものは焼け石に水だ。多くの兵士は、これ以上戦うなんてムリだと思っているに違いないだろう。

 しかし疲弊しているのは敵も同じ事だ。むしろ、渡河や突撃などの無茶な作戦をこなさねばならなかったぶん、王軍はこちら以上に厳しい状態に置かれている。消耗戦とはすなわち我慢比べなのだから、これにつけ込まない手はない。

 

「通信兵、エムズハーフェン旅団に伝達だ。計画書A-三号の封印を解き、所定の作戦を実行せよ」

 

「計画書A-三号?」

 

 電信機に打電し始める通信兵を尻目に、ソニアが片眉をあげた。この作戦は、ソニアにも伝えていなかったからな。怪訝に思うのも当然のことだろう。

 

「王太子殿下とガムラン将軍へのサプライズ・プレゼントだよ。彼女らには出来るだけ驚いて欲しいからね、極秘に準備を進めていたんだ」

 

「なるほど、一足早い星降祭の贈り物というわけですか」

 

 得心がいった様子でニヤリと笑うソニア。敵を騙すにはまず味方からというからな。作戦の全容はソニアやダライヤにすら伝えていなかった。

 

「なにやらロクでもないことを考えている顔じゃのぉ。相変わらず性格の悪い……」

 

「お前にだけは言われたくないよ、性悪ババアめ」

 

 ダライヤの軽口に思わず頬が緩む。性格が悪いだなんて、コイツにだけは言われたくないだろ。

 

「似たようなもんじゃろ? ……まあ、それはさておき夜戦か。なかなか愉快なことになりそうじゃの」

 

 仕方のないヤツめと言わんばかりの顔でため息をついてから、ダライヤは前線のほうをちらりと一瞥した。暗闇のせいで何も見えないが、そろそろ前衛部隊が動き始めている頃合いだった。

 言うまでもないことだが、夜戦の難易度は昼間の戦いの比ではない。現在位置を見失って立ち往生したり、敵味方を間違えて同士討ちが始まったり、碌でもないトラブルが頻発する。

 しかもこの世界には無線などないから、指揮官は部下がどこでどう戦っているのかすら把握できないのだ。ひとたび夜戦が始まれば何もかもが混沌のるつぼに投げ込まれ、総司令官ですら状況がコントロールできなくなるわけだ。ロリババアが皮肉りたくなる気持ちも理解できた。

 

「夜這いをするときの最大の難関は、相手に気付かれぬよう寝所に忍び込むことじゃ。逆に言えば、そこまで行けばもう手籠めにしたも同然なのじゃが」

 

 なんともイヤらしいたとえだが、事実であった。夜戦は奇襲性が命だ。昼戦のように、じっくり準備砲撃を仕掛けてからやっと攻撃に移るようなことはしない。夜陰に紛れて敵の元へ忍び寄り、一気に白兵戦へとなだれ込むのだ。

 この奇襲が成功するか否かで、今後の戦いは大きく変わってくる。攻撃を開始する前に接近を勘付かれれば、かなり厄介なことになるだろう。

 

「僕たちは万全を尽くした。後はみんなを信じるだけだ」

 

 決断的な口調で、僕はそう言い切った。やれることはやった。曇天の暗夜という天佑もついている。これで失敗したのなら、もうどうしようもない。そう思うと、自然と笑みが浮かんできた。割のいい博打は嫌いではない。

 

「さて、僕たちも腹ごしらえと行こう。今夜は長丁場になるぞ」

 

 実のところ、夜戦の準備が忙しく僕たちはまだ夕食を取っていなかった。腹が減ってはいくさにならぬと言うからな。食えるうちに食っておこう。飯が終わる頃には、奇襲の準備も整っているだろうしな……。

 



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第673話 義妹嫁騎士の夜襲(1)

私、カリーナ・ブロンダンは夜の草原を歩いていた。周囲はあまりにも暗く、まるで漆黒の壁に囲まれているかのような錯覚を覚えるほどだ。すぐ前と後ろ、そして左隣には小隊の部下たちがいるけれど、その姿すら薄ぼんやりとしか見えない。

 夜の闇に紛れて敵に肉薄し、奇襲を仕掛ける……。頭の中で作戦を再確認し、大きく深呼吸した。落ち着け、怖がるな。とにかく今は、味方の背中にくっついて前に歩けばいいだけ。小隊長としては先陣を切りたいところだけど、牛獣人は夜目が利かないのだから仕方が無い。

 ああ、しかし、本当に暗い。私たちの行く先に、本当に敵陣地はあるのだろうか? 途中で道を誤って、明後日の方向に進んでいないだろうか? それどころか、もしかしたら同じところをグルグルと回っている可能性すらある。

 いや……よしんば私たちが正しい方向に進んでいるとしても、他の味方が迷っているかもしれない。いざ攻撃となったとき、攻撃位置についているのが私の小隊だけだったりしたら……。

 

「……」

 

 小銃をぎゅっと握りしめ、弱気を追い出す。普段ならばおしゃべりで気を紛らわせることもできるんだけど、奇襲狙いである以上そういうわけにもいかない。声どころか、足音すら立てないように気をつける必要があった。そのせいで、余計に周りの味方の位置がよくわからなくなってるんだけど。

 ああ、ダメだダメだ。せっかく追い出した不安が、また芽を出し始めている。下唇を噛みしめてから、もう一度頭の中を白紙に戻した。考えるならば、もっと愉快なことの方がいい。そうだ、作戦説明の時のヴァレリー中隊長の言葉を思い出せ。

 

「いいか、お前たちは間女だ。年老いた王様が後夫に迎えた若い王子様を狙う不届き者だ! くれぐれも、王様や近衛兵に気付かれるようなヘマはするな。抜き足差し足で王子様の寝室に忍び込み、狒々(ヒヒ)ババアが手に入れるハズだった貞操を奪い取れ!」

 

 ……下っ品な例えねぇ! いや、言いたいことは分かるけどね。それにしたってどうかと思う。けれども、緊張をほぐすにはこれくらいの下品な冗談がちょうどいいのかもしれない。実際、私の口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいる。

 しかし王子様、か。脳裏にお兄様の顔がよぎる。あの人は王子様というには荒々しすぎるけれど、意外と可愛いところもあるんだ。戦争さえ終われば、あの人の一部が私のモノになる。全部じゃないのが残念だけど、我慢しよう。私一人で独占して良い人ではない訳だし。

 

「攻撃発起点に到着しもした」

 

 そんな声が、私を現実に戻した。どうやら、目的地についたみたい。よくわからないけど、どうやら私たちは小さな丘のふもとに居るみたい。事前の地図によれば、この丘の向こうに敵の陣地があるらしい(とは言っても、もともとは私たちが作ったものだけど)。

 どうなることかと思ったけど、なんとか無事に到着できたわね。いやはや、緊張したわ。……まあ、まだ攻撃すら始まっていないんだから気を抜いちゃダメなんだけど。でも、肩の荷が少しだけ降りた気分には違いない。

 

「よろしい。よくやったわね、リケ」

 

 我が小隊の案内役を務めたのは、隊で唯一のエルフ族であるリケ。エルフは特別夜間視力に優れているわけではないけれど、深い森の中でも迷わぬ方向感覚を備えている。それを夜間行軍に応用したというわけね。

 

「なんの、こんくれ朝飯前ど」

 

「確かに朝飯前ね」

 

 そう言いながら、懐から懐中時計を取り出す。蓋を開けると、微かな光が漏れ出した。この時計の時針と分針の先端には小さな夜光石が取り付けられており、暗闇でも時刻を確認できるようになっているのだ。

 

「……具体的に言うと十時間くらい前」

 

 現在時刻は午後八時四十五分。そして我が軍の朝食は基本的に午前七時だ。面白くもない冗談だけど、部下たちは微かに肩を震わせていた。ちょっと嬉しい。

 ちなみに、攻撃は午後九時ちょうどに始まる予定だったりする。もちろん時刻合わせは作戦前にしっかりとやっているから、ズレの心配は無い。つまり、あと十五分で戦端が開かれるということだ。先ほどまでとは別種の緊張が、私の身体をこわばらせる。

 

「命令あるまで待機。油断はしちゃ駄目よ、この丘の向こうに敵がいるんだから。いつでも戦闘に移れるよう準備しておきなさい」

 

 部下たちにそう命じてから、自信も装具を点検する。小銃よし、サーベルよし、弾薬ポーチよし。

 小銃のボルトを引っ張り、給弾口を開放。弾薬ポーチから弾薬五発をひとまとめにしたクリップを取り出し、給弾口にあてがう。弾薬を押し込み、クリップを捨ててボルトを元の位置に戻す。これで弾薬の装填は完了。元込め式のライフルだから、前に使っていた先込め式よりよほど楽だ。

 最後に癖で兜のバイザーを降ろそうとして、手が空を切る。そうだ、今回は兜をかぶってきていない。

 身体に馴染んだ兜の代わりに私の頭に乗っているのは、北方風の分厚い毛皮帽だった。今夜の気温は真冬なみで、耳当て付きの帽子をかぶっておかないと凍傷の恐れがある。ましてや、金属製の兜などもっての他だった。

 そう、この戦争では敵の銃弾よりも寒さの方が怖いのだ。そういうわけで、いまの私は甲冑すら着込んでいない。零下ウン度の状況で板金鎧なんか着たら、普通に全身凍傷待ったなしだからね。

 

「……うーん」

 

 でも、それはそれとして防護が薄くなっているのはやっぱり怖い。魔装甲冑(エンチャントアーマー)ならライフル弾なんて軽く弾いちゃうけど、毛皮のコートにキルトのジャケットを重ね着したくらいではなまくら刀を防ぐ程度がせいぜいだろう。

 やっぱり、少し無理してでも胴鎧くらいは着けてきたほうがよかったかなぁ? なんてことも思ってしまうわけだけど、後悔は後先には立たないからね。今さらあれこれ考えても仕方ない。

 しかし、本当に暗さ寒さというのは戦士の敵ね。じっとしてると際限なく不安が溢れてくる。多少は戦場慣れしたつもりだったけど、今夜はずいぶんと勝手が違うわ。

 

 

「小隊長殿、そろそろ始まりますよ」

 

 短くも長い十五分が過ぎ、いよいよ攻勢開始の予定時刻が来た。最先任下士官がそんな耳打ちをしてきたちょうど十秒後、後方から砲声が連続で聞こえてくる。ひゅるひゅると音を立てながら空に昇った砲弾が、パッと光の花を開かせた。照明弾が打ち上げられたのだ。

 それとまったく同時に、敵陣の方でも弾着音が鳴りはじめた。この攻撃にはリースベン軍のほぼ全ての砲兵隊が参加している。その弾幕は尋常なものではない。

 だが、砲撃はぴったり一分で突然止まった。敵陣は大騒ぎになっているようだ。準備砲撃期間がわずか一分というのは常識外れに短いが、そもそも夜間砲撃なんてそうそう当たるモノじゃないからね。相手のキモを潰しさえすれば十分という話だった。

 

「前進! 我に続け!」

 

 命令を出し、部下と共に丘を駆け上る。頂上につくと一気に視界が開け、戦場があらわになった。かつては我が軍の第二防衛ラインだった塹壕陣地が、照明弾の白々しい光によって照らし出されている。

 彼我の距離はだいたい三百から四百メートルといったところで、ライフルであれば思いっきり射程内だ。「射撃用意!」と命じ、自らも膝立ちになって小銃を構える。敵の応射はまだない。予備砲撃によって王軍は混乱しており、まだこちらを発見出来ていないようだった。

 

「切り込み隊、攻撃を開始しました!」

 

 暗闇から槍を構えた兵士の一団が現れ、塹壕陣地に向けて突進してゆく。黒光りする独特な武具を身につけた重装歩兵たち……そう、グンタイアリ虫人部隊だ。まずは彼女らが塹壕に飛び込み、敵を穴倉から追い出す。そこを私たちが狙い撃つってわけ。

 塹壕への突撃なんて、普段であれば自殺行為だ。けれども今は夜、彼女らは暗闇に紛れ、距離百メートルまで密かに接近していた。この百メートルさえ無事に渡り切れば、槍兵でもライフル兵と互角に戦うことができる。

 

「支援射撃開始! 一番槍の花道を邪魔させちゃダメよ!」

 

 グンタイアリ虫人の密集陣形は強固だけど、手榴弾などで一網打尽にされるデメリットもある諸刃の剣だ。彼女らを無事に敵陣地へと突入させるためには、周囲の散兵がしっかりと支援をしなくてはならない。おのれの責任を噛みしめながら、私はライフルの引き金を引いた。



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第674話 義妹嫁騎士の夜襲(2)

 いよいよ夜襲が始まった。夜空に無数の照明弾が打ち上がり、王国陣地を照らし出す。一番槍として投入されたのは、リースベン軍随一の白兵戦能力を持つアリ虫人重装歩兵隊だった。

 彼女らは緊密な亀甲陣形をとり、軍鼓の音を響かせながら敵陣へ向けて行進を始めた。王国側のライフル兵が応射をするが、その弾丸はすべてアリ虫人特有の黒光りする大盾がはじき返してしまう。

 この移動要塞めいた防御力を生かし、塹壕線への突破口を開くのが彼女らの役割だ。しかし、この密集陣(ファランクス)は爆発物に弱いという欠点がある。それを補うのが私たちライフル兵というわけだ。

 

「撃て、撃ちまくれ!」

 

 自分自身も小銃を乱射しつつ、部下たちに命令を下す。私たちが陣取る丘から王軍陣地までの距離は、おおむね三百から四百メートルといったところだ。一応有効射程内の距離ではあるが、精密射撃を仕掛けるにはいささか遠い。

 その上、照明弾の光も太陽と比べればロウソクの火のように心許なく、視界良好とは言いがたかった。こんな環境で安定した命中弾を出せるのは、よほど優秀な射手だけだ。

 最初の数発でしっかりと狙いを付けることの愚を悟った私は、数撃ちゃ当たる作戦をとることにした。新型小銃の連射力を生かし、ひたすら発砲を続ける。

 

「敵さんは大慌てですな、こいつは幸先が良い」

 

 最先任下士官が敵陣を見やりながら言う。実際、敵はすっかり大混乱に陥っていた。一応は迎撃射撃もしているけれど、どうにもまばらだった。銃兵を守るための槍衾もまだ形勢されていない。

 どうやら、奇襲は大成功のようね。まあ、王軍は昼間あれほど大暴れしてたものね。もうすっかり疲れ果てて、警戒どころじゃ無くなってたんでしょう。無茶をすればするだけ、後から払うツケも大きくなるものだからね。

 

「畜生、蛮族どもが!」

 

 とはいえ、流石に無抵抗というわけにはいかない。敵方のライフル兵や弩兵などが塹壕から得物を突き出し、アリンコ隊へ射撃を加える。もちろんそれらの矢玉はすべて大盾によってはじき返されるが、行き足を鈍らせる程度の効果はある。

 

「死にさらせクソトカゲがぁ!」

 

 それに対するアリンコ隊の反撃は苛烈だった。ひどい悪罵と共に、密集陣形の後段から丸い何かが発射される。手榴弾だ。彼我の距離はまだ投擲兵器を用いるには遠すぎる間合いだが、その手榴弾は凄まじい勢いで吹っ飛び塹壕内へとホールインワン。王国兵の一団が見事に吹っ飛んだ。

 

「グワーッ!?」

 

 アリ虫人は伝統的に投槍を好んで使っていたが、近ごろはそれにかわって擲弾(てきだん)銃を装備するようになっている。これは火薬の力で手榴弾を発射する特殊な兵器で、その威力はごらんの通りだ。

 

「敵前衛はいい! 後ろを狙え!」

 

 この手の武器は強力だが、さすがにライフルなどよりは遙かに射程が短い。私たちの小隊は素早く標的を変え、敵の後列に銃弾の雨を降らせた。擲弾(てきだん)のライフルの二重攻撃により、たちまち敵の抵抗が弱くなってゆく。

 

「今じゃ、ぶっ殺せ!」

 

 好機とみて、アリンコ隊が密集隊形を解いた。この陣形は堅固だが、機動力に難を抱えている。ここまで近づけば、全員でゆっくり行進するよりも各個で走った方がよいと判断したのだ。

 その作戦は図に当たった。猛攻を受けてヘロヘロになっていた王国兵は急激な戦術の変化についていけず、アリンコ兵の塹壕突入を許してしまった。こうなれば、あとは血みどろの白兵戦だ。

 他の地点でも、同じような突入作戦が展開されている。敵は疲れ果てており、おまけに籠もる塹壕は私たちが作ったものを流用した即席品だ。その防御は決して堅いとは言いがたく、一カ所が破綻すれば他の場所にも次々と連鎖する。

 

「鉄条網がないだけでこんなにやりやすいとは」

 

 発砲を続けつつも、私は苦笑いが隠せない。脳裏に浮かぶのはかつてのリースベン戦争の光景だった。あの時、私たちディーゼル軍はお兄様たちの籠もる塹壕に総攻撃を仕掛け、あえなく粉砕された。それ以降、私にはどうにも塹壕に対する攻撃に苦手意識があった。

 けれど、目の前の王軍陣地はあの時のものとは比べものにならないほどに脆かった。もちろんこれは様々な要因が重なってのことだけど、トラウマを植え付けられた身としてはどうにも複雑な気分だ。

 

「奴ら、穴倉から飛び出し始めたぞ!」

 

 五分もしないうちに、王国兵は自ら塹壕から出始めた。撤退か壊走かと期待したけれど、戦意を失っているわけではないみたい。彼女らは槍や剣を手に、塹壕内のアリ虫人兵とやり合っている様子だった。えっ、どういうこと? わざわざ自分から塹壕から出て戦うなんて……。

 

「穴倉んアリンコ兵は強か。(オイ)らエルフですら敵わんど。言わんやトカゲん雑兵ではな……」

 

 エルフのリケがぼそりと呟く。ああ、よく考えれば当然か。密集陣形のイメージに引っ張られてたけど、むしろ塹壕みたいな場所のほうが得意なわけね。で、王国兵はそれを嫌って地上での戦いを選んだと……。

 でも、それって結局悪手よね。拓けた場所での戦闘なんて、私たちの一番得意とすることだもの。

 

「塹壕から出た敵兵を集中射撃しなさい!」

 

 私たちの小隊は、自ら安全圏の外へ出た愚か者どもに一斉攻撃を仕掛けた。暗い中での遠距離射撃だから、もちろん命中率は高くない。けれど、私たちが装備しているのは連発式のライフルだからね。一発外しても、すぐに次弾を装填して照準を修正することができる。

 哀れな王国兵は弾丸の嵐に飲まれ、みるみるうちに数を減らしていった。まるで鴨打ちね、なんて不謹慎なことを考えながら引き金を引いていたら、弾切れになった。での大丈夫、後装式なら再装填も簡単……。

 

「あっ!」

 

 手が滑り、弾薬クリップが地面に落ちた。分厚い手袋と寒さによるかじかみのせいで、細かい作業がまったくできなくなっている。舌打ちをしながらクリップを拾い、気を取り直して再装填……。

 

「やばっ!?」

 

 敵の後方から砲音が響くと、私たちの頭上で照明弾が炸裂した。目が痛くなる白々しい光が、私たち全員をのっぺりと照らし出す。どうやら、遅ればせながら敵の砲兵も動き出したらしい。

 いままで私たちは暗闇に隠れて一方的に敵を打ち下ろしていたけれど、これからは条件は五分だ。しかも、私たちが陣取っているのは丘の上。これはたいへんに目立つ。

 

「いったん丘の裏に撤退!」

 

 反射的にそう命じてから、自分の発言を後悔した。多少は実戦慣れしたとはいえ、やっぱり私は臆病だ。まだ照明弾を打たれただけだというのに、もう逃げ腰になっている。アルベール・ブロンダンの義妹にして嫁という立場の人間が、こんなに情けないというのはいかがなものか。

 そんな思いが脳内を駆けめぐったが、よほどのことがない限りは指揮官は前言を撤回するべきではない。結局、小隊全員が一時撤退することになった。弁明のような気分で私がしんがりを務めることにしたけど、今のところ一発の弾丸も飛んでこない。しくじったかな、これは……。

 

「ぴゃあ!?」

 

 そう考えながら後退していると、突然の砲撃が私たちを襲う。派手な爆発音が響き、衝撃と小石と土くれの嵐が全身を打ち据えた。思わず腰が抜けそうになるけど、なんとか堪えて大声を上げる。

 

「急いで安全な場所に退避しなさい!!」

 

 もともとが撤退中だったので、私たちはすぐに安全な丘の裏に逃げ込むことが出来た。今さらながら心臓がバクバクと脈打ち、こんなに寒いのに額から汗が垂れてくる。

 

「危機一髪でしたな。あのまま射撃を続けていたら、全滅していたかもしれません」

 

 青い顔をした最先任下士官が、苦笑交じりに私の肩を叩いた。でかした、と言わんばかりの態度だった。

 

「でしょう? 牛獣人だって、意外と嗅覚は鋭いのよ」

 

 引きつる表情筋を強引に動かし、笑顔を作る。あー、怖かった。危うく漏らすところだったわ……。

 



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第675話 王党派将軍の悪戦

「やれやれ、夜襲ですか。若いモンは元気があってよろしいですな……」

 

 私、ザビーナ・ドゥ・ガムランは葉巻に火を付けつつため息を吐いた。明日の作戦に備えて早めに寝ておこうか、などと考えていた矢先に、その報告は入ってきた。リースベン師団のやつばらが、全面的な反撃を開始したというのである。

 むろん、リースベン師団の正面にいるのはオレアン軍であって、我ら王軍本隊ではない。我々の対戦相手であるジェルマン師団の陣地は今のところ沈黙しており、向こうの陣地に呼応して攻勢を始めるような兆候はない。

 とはいえ、流石に「攻撃を受けているのはオレアン軍だろう。我らには無関係な話だ」とふて寝を決め込むわけにもいかない。王太子殿下の号令一下、我々王軍幹部陣は雁首を付き合わせ対策会議を開くこととなった。

 

「昼間にあれだけ叩いたというのに、反撃に移る余力を残していたとはね。流石というべきか無謀と言うべきか、いささか判断が難しい」

 

 首を左右に振りながらそう語るフランセット殿下の顔色は青白かった。彼女のみならず、他の参謀陣や私自身も同様の顔色をしているだろう。気温が低すぎるせいだ。

 日が暮れて以降、気温はさらに低下しつつある。竜人(ドラゴニュート)が野外で活動する限界の温度が近づいているようだ。とにかく身体の動きがわるく、関節も曲がらない。温石や火鉢で温めているが焼け石に水だった。

 本当に今年の冬は寒い。まだ十二月だというのに、例年の真冬よりも辛い。北方領なみかもしれん。北の連中は冬が来ると家から一歩も出なくなるというが、なるほど賢明だな。そんな時期に戦争をしている我々はとんだ愚か者だ。

 

「向こうも余裕綽々というわけではないでしょうからな。連中、もしかしたら今夜中にケリを付ける腹づもりやもしれませんぞ」

 

「……どうだろう? ただの嫌がらせ(ハラスメント)攻撃ではないのかな。我々の安眠を妨げ、明日以降の攻撃を妨害しようしているだけでは」

 

「常識論では確かにその通りですが」

 

 葉巻をくわえ、ゆっくりと煙を吸い込む。普段はこれで頭が冴えてくれるのだが、今夜ばかりはその効果は薄かった。寒さと疲労のせいだ。

 

「しかしこの砲声、たんなるハラスメント攻撃にしては喧しすぎますよ。私には、本格攻勢のようにしか思えぬのですが」

 

 耳に手を当て、そう反論する。リースベン師団の陣地はここからかなり離れた地点にあるが、それでも砲声銃声くらいは聞こえてくる。どうやら向こうの戦線ではかなり激しい砲撃が行われているようだった。

 

「砲撃が派手すぎる、というのは余も同感だが……」

 

 殿下は難しい表情で唸り、湯気のあがるカップを口にした。敵軍の意図を見誤るわけにはいかない。彼女はかなり迷っているようだった。

 

「向こうの勝ち筋は、皇帝軍の援軍を得てからの総反撃だろう。しかし、皇帝軍がこの地にたどり着くのは遅くとも明日朝以降と言う話じゃないか。今から決戦を始めるというのは、いささか気が早すぎるのではないかな」

 

「自分も、殿下のご意見に賛成です。敵軍が本命の攻撃を仕掛けてくる可能性が一番高い時間帯は払暁です。この派手な砲撃は、睡眠妨害と揺さぶりを兼ねた攪乱が目的なのでは」

 

 参謀の一人が殿下に同調する。ほかの参謀たちも、表情を見る限りその意見に賛成であるようだった。

 たしかに、戦術論の常識で考えればそうなる。どんな名将であっても、暗闇の中で配下の部隊を掌握しつづけるのは極めて困難だからだ。

 闇夜の中で混戦が始まれば、もはや誰にも状況はコントロールできなくなる。こざかしい策を巡らせてもまったくの無意味だ。小規模部隊の小競り合いならともかく、万を超す大軍で夜戦をおっぱじめるなど前代未聞であろう。

 

「そうやって夜中の間じゅう大砲を撃ちまくったらどうなる? むこうだって、砲弾の備蓄に余裕があるわけではないんだぞ」

 

「……最悪の場合、決戦の前に砲弾をすべて撃ち尽くしてしまう可能性があると?」

 

「さよう」

 

 殿下の言葉に、私は深々と頷いて見せる。そもそも、「アルベール軍は皇帝軍の到着を待ってから反撃に移るはずだ」という前提自体が怪しい。

 あのアルベールという将帥は、これまで何倍もの戦力差をひっくり返して勝利してきたのだ。それにくらべれば今回の戦場はヌルい。なにしろ彼我の戦力比は二対一にも満たないからな。皇帝軍など無視して、自分たちだけでカタをつけようとしてもおかしくない。

 

「それに……敵軍は昼間、一度としてエムズハーフェン旅団を戦場に投入しませんでした。ジェルマン師団の最終防衛ラインが突破される寸前の危機的状況においてすら、連中は騎兵戦力を温存したのです! はっきりいって、これはかなり危険な兆候ですぞ」

 

「エムズハーフェン旅団は、防御ではなく攻撃に使う。そういう風に既に決まっていたと?」

 

 鋭才で知られる殿下だから、このあたりの理解は早い。「いかにも」と深々と頷き、再び葉巻の煙を味わう。

 

「いま、ブロンダン卿の元にある手札だけでも勝利を狙える盤面は作れます。まずは手始めに、リースベン師団でオレアン軍に夜襲を仕掛ける」

 

 机の上に置かれた戦況図を示し、そう説明する。オレアン軍の支配地域は敵陣地の中ほどまで食い込んでいるが、逆に言えばこれは突出と同じ事だ。敵側に十分な余力があれば、この突出部をまるごと刈り取ることも不可能ではあるまい。

 

「オレアン軍は昼間の攻撃で疲弊しておりますから、独力でこの攻撃を撃退するのは困難でしょう。当然、それを防ぐためには我々王軍本隊が増援を派遣する他ない訳ですが……」

 

 そこまで言ってから、私は敵後方に置かれていたエムズハーフェン旅団を示す駒を手に取った。これをそのまま、王軍本隊の側面へと移動させる。

 

「そうして手薄になった本陣に、五千の騎兵が一斉に突撃してきたら……まあ、ずいぶんと愉快な事になるでしょうな」

 

「なんと、まあ」

 

 フランセット殿下は顔に手を当て、大仰な動作で天を仰いだ。指の隙間から覗くその表情は年齢不相応に苦み走っている。

 

「大胆な策だ。乾坤一擲だな」

 

「しかし、ブロンダン卿の好みではあるでしょう。このくらいのことは平気でやってのけるでしょう、あの男は」

 

「……参ったな」

 

 苦笑しつつ深々とため息を吐く殿下。ずいぶんと複雑な心境を抱えている様子だったが、すぐに首を左右に振って表情を改める。

 

「対抗策は?」

 

「カワウソ騎兵隊を万全の状態で迎え撃つことです。彼女らこそブロンダン卿の切り札ですからな。逆に言えば、この槍さえ折ってしまえばもう怖いものは何もありませぬ」

 

「なるほど。……陣地に籠もってさえいれば、騎兵突撃もそれほど怖いものではない。軽挙妄動は避けるべきということか」

 

 打てば響くとはこのことか。望み通りの反応を返してくれる王太子殿下に、私はニッコリと笑って「その通りです」と応えた。

 ……はあ、まったく。殿下はこれほど英明なのに、どうして今の我らはこのような事態に陥っているのだろうか。いや、今さらそんなことを考えても無意味か。私の仕事は勝利することだ。他のことなど考えている余裕はない。

 

「とはいえ、むろんオレアン軍を見捨てるわけにもいきませぬ。公爵閣下の軍が壊滅すれば、我らは一転兵力不利になってしまいますからな。今回ばかりは増援を送りましょう」

 

「ただし、負けない程度の最低限の増援を……というわけか。援軍にかまけて本陣の防備が薄くなれば元も子もないからね」

 

「はい。オレアン軍は生かさず殺さず、これが一番ちょうど良い塩梅です。過剰な手助けをする必要はありませぬ」

 

「外道のようなことを言うね、君は……」

 

「お言葉ですが、殿下」

 

 顔を引きつらせる殿下に、私はゆっくりと首を左右に振った。外道のような、という言葉は聞き捨てならない。

 

「”のような”ではなく外道そのものですよ、私も殿下も。これは外道にならねば勝てぬいくさなのです」

 

 そして、そんないくさを始めたのはアナタなのですよ。そういう気持ちを込め、私は殿下を睨み付けた。

 



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第676話 王党派将軍の不覚

 戦局は私の予想通りに推移した。リースベン師団の攻勢は熾烈を極め、とても嫌がらせが目的とは思えない規模にまで拡大している。奴らは今夜中に決着をつけるつもりなのだ。

 あいかわらずこちらの戦線は静かなものだが、西の方に目を向ければ夜空が奇妙な色に照らし出されているのが見える。無数に打ち上げられる照明弾のせいだった。

 それに加え、いつまでたっても砲声は鳴り止まない。その不気味な景色と音が、私の心を毛羽立たせる。隣家の火事を指をくわえて見ている阿呆な町人になったような気分だった。

 

「増援がたったの二個連隊というのは、すこしばかり少なすぎたのではないか」

 

 落ち着かない気分なのは私だけではないらしく、殿下も頻繁にそんな質問を投げかけてくる。同じように、参謀たちもみな不安を押し殺したような表情をしていた。

 暗闇のせいでどうにも戦況が分かりづらいことも不安に拍車をかけている。オレアン軍がどれだけの損害を受けていることも不明だし、我々の眼前にいるジェルマン師団が本当に大人しくしているかどうかすらわからない。まさに五里霧中だ。

 

「我らとて、兵力に余裕があるわけではございませんから。二個連隊というのは今出せる上限の戦力ですよ」

 

 そういって殿下の意見を切って捨てる。殿下とて本陣の防備を疎かにできぬ事情は理解しているだろうに、それでも言わずにはいられないのだろう。やはりまだ若いな。

 とはいえ、殿下の懸念ももっともだ。私自身、今にでもオレアン軍が壊乱し、敵の矛先がこちらに向くのではないかという恐怖を覚えている。合理的に考えれば夜戦の最中にそのような柔軟な部隊運用ができるはずはないのだが……。

 首脳部ですらこの調子なのだから、現場の兵士たちの動揺ぶりはいかほどのものか。それを考えると、私の心中には暗澹たる気分が広がった。

 彼女らは昼間の激戦とこの寒さですっかり疲弊している。こういうときに悪い噂などが流れると、凄まじい勢いで広まりがちだ。そうなればもう士気崩壊一直線だから、十分に注意しておく必要があるだろう。

 

「今夜が決戦だというのなら、もはや物資を節約する必要もない。兵らに盛大に焚き火をたけと命じるよ。しっかり身体を暖め、万全の状態で敵を迎え撃つのだ」

 

 とにかく、今はやるべきことをやるだけだ。細々とした指示を出し、気を紛らわせる。

 

「援軍を! なにとぞ援軍をお願いしたく!」

 

 しばしの時間が過ぎたころ、我々の本陣に伝令が飛び込んできた。昼間にもやってきた、あのオレアン公の副官殿である。その顔色は青と言うよりはもはや白に近く、まるで死人のようであった。

 

「増援ならば先ほど送ったばかりでしょう」

 

 出来るだけ尊大な口調でそう返しつつ、ちらりと時計を確認する。午後十時。戦闘がはじまってからまだ三時間しかたっていない。オレアン軍の戦況はそこまで悪いのだろうか。

 

「二個連隊程度では、とても足りませぬ!」

 

 そう叫んでから、副官殿はあわてて周囲を確認した。参謀や従兵などが、ぎょっとした様子で彼女を見ている。

 彼女らの前で動揺した様子を見せるのはやめてほしい。こちらも、士気を保つのにずいぶんと難儀しているんだ。私は渋い顔をしながら、身振り手振りで声を抑えるよう副官殿に伝えた。

 

「突出部の根元が刈り取られたのです! 夜戦ゆえ詳しい情報はこちらの本営にも入っておりませんが、おそらく一個連隊以上が敵中で孤立しております」

 

「ンンッ!」

 

 思わず妙な声が出そうになって、あわてて堪える。なんということだ、予想以上に戦況がまずい。一個連隊といえば、定数千二百名の大部隊だぞ。

 むろん定数が完全に満たされている部隊などそうはないが(激戦の最中ならなおさらだ)、四桁近い兵隊どもが敵に包囲されているのだ。流石に、この数の友軍を見捨てるのはまずい。士気に与える悪影響が大きすぎる。

 

「どうする、ガムラン」

 

 顔色を失った殿下が、助けを求めるような声音で聞いてくる。どうすると言われても、そんなことは私の方が聞きたい。既に我々は総兵力の一割以上をオレアン軍への救援に割いている。これ以上頭数を減らすのは宜しくない。

 しかし、オレアン軍が敗北しても、それはそれで困る。各個撃破を狙っているはずの我々が、逆に各個撃破を受けるなぞ冗談ではない。まるで出来の悪い喜劇だ。

 

「……いや、オレアン公爵を見捨てるわけにもいかん。援軍を出そう」

 

 私が迷っていることに気付いたらしく、王太子は咳払いをしてからそう主張した。どうやら、総責任者が自分であることを思い出したようだ。一瞬思案し、その案に賛意を表明する。

 

「わかりました。一個連隊を送りましょう」

 

「一個連隊!? 少なすぎます。これでは、反撃どころか現状維持さえ怪しいところですぞ」

 

「そうは言われましてもな……我々も、決して兵力に余裕があるわけではありませぬので」

 

 ぴしゃりと反論し、それから「おい、軍使殿がオレアン軍にお戻りだ」と従兵に命じて司令本部から強引に副官殿を追い出してしまう。これ以上余計なことを囀られては、ただでさえ低い士気がさらに低下してしまう。

 

「これは本当に陽動攻撃なのか? それにしては攻撃が苛烈すぎるように思えるが」

 

 従兵らに連行されていく副官殿の背中を見ながら、殿下が囁きかけてくる。もっともな疑問だった。誰がどう見ても、オレアン軍は危機的状況に陥っている。敵軍の攻撃は本腰を入れたものにしか見えないだろう。

 

「良いですか、殿下。陽動というのは、無視できる程度の軽い攻撃では効果を発揮しませぬ。こうして罠とわかっていても対処せねばならぬよう追い込むのが、巧みな陽動というものなのです」

 

「罠とわかっていても、か。まさにその通りだね。先に二個連隊を送り、今度は一個連隊を送ることになった。完全に戦力の逐次投入だよ……はは、笑えるな」

 

「まさしく。我が身の非才を嘆くばかりです」

 

 最初から三個連隊を送っておけば、こうはならなかったのだろうか? 後悔ばかりが募るが、今さらそんなことを考えても仕方がない。

 

「恐ろしきは敵の知略だ。この作戦を立てたのは、アルベールなのだろうか」

 

「でしょうな。この手管は、先日のソニア殿のやり方とはずいぶん異なります。絵図を引いたのは間違いなくブロンダン卿でしょう」

 

「……はぁ。彼がここまでの策士だったとは。逃がした魚は大きいというが、人食いサメを逃してしまった気分だ」

 

 冗談めいた口調だが、殿下の表情は悔恨に満ちている。私は懐から葉巻を一本取り出し、吸い口をカットしてから殿下に押しつけ薄く笑った。

 

「そんなことは戦いが終わってから考えればよろしい。今は戦いに勝つことだけに集中しましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

 首肯してから、殿下は口に葉巻をくわえる。ランプの火を移した木片で着火してやると、殿下は煙をゆっくりと吸い込み激しく咳き込んだ。

 

「だ、大丈夫ですか」

 

「んっぐ、いや、済まない。普段は煙草など吸わないものでね。気付けには酒の方が良いかもしれない」

 

 恥ずかしそうに笑いながら、殿下は葉巻を返してきた。確かに、私の葉巻はなかなかに”重い”銘柄だ。初心者には厳しかろう。苦笑交じりに受け取り、自分で吸う。

 

「とにもかくにも、今は待つべき盤面です。なに、この山さえ越えてしまえば我らの勝利は確定しますから。焦る気持ちはわかりますが、どんと構えて朗報を待ちましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

 私たちは頷き会い、どちらからともなく笑い合った。その時である。ひどく慌てた様子の兵士が司令本部へと駆け込んできた。

 

「たいへんです!」

 

「何事だ、騒々しい」

 

 兵士の顔は真っ青になっている。どいつもこいつも、どうして動揺を露わにしてやってくるのか。軍人ならば、内心がどれほど荒れていても泰然自若とした態度を崩すべきではないというのに……。

 

「対岸が……北岸の我が陣地が燃えております!」

 

「なにっ!」

 

 私の余裕ぶった態度は一瞬で消え去った。慌てて指揮本部から飛び出し、仮設の見張り台に登る。北の方に目をやると……確かに空を焦がすような火柱が上がっていた。

 

「なんだと……!」

 

 血の気がスッと下がるのを感じた。ここから見て北側にあるものといえば、川向こうにある我が軍の陣地だけだ。北岸には未だに一万の王軍将兵が居残っている。

 

「ガムラン! 火元を見ろ! あれはまさか……」

 

 私に続いて見張り台に上がってきたフランセット殿下が、望遠鏡を覗きながら言った。ひどく動揺している口調だった。私もあわてて自分の望遠鏡を取り出し、目に当てる。

 

「……騎兵だと!?」

 

 私の目に入ってきたのは、燃えさかる天幕。そして右往左往する王国兵と、それを追い回す敵騎兵!

 

「北岸に……敵の騎兵だと!? エムズハーフェン旅団に逆渡河を許したか? いや、そんな報告は……」

 

 アルベール軍の騎兵部隊といえばエムズハーフェン旅団だが、この連中は日没直後まではリースベン師団の後方に布陣していた。これがいきなり北岸に現れるというのは流石に考えづらい。

 なにしろ渡河ポイントはすべて我が軍が抑えているのだ。当然、敵が逆渡河を狙ってもすぐに阻止できるし、そもそもそのような兆候があったという情報も入っていない。つまり、エムズハーフェン旅団はまだ南岸にいる。

 

「まさか、皇帝軍だとでも言うのか?」

 

 フランセット殿下の言葉に、ハッとなる。皇帝軍は騎兵のみで編成され、機動力に優れているという話だ。彼女らであればオレアン領の外で渡河を行い、我が軍の後方を直撃することだって十分に出来るだろう。

 

「馬鹿な……皇帝軍が戦場に到着するのは、早くとも明日以降という話ではなかったのか……!?」

 

 先帝アレクシア率いる皇帝軍は、総兵力一万。それだけの大軍に後ろを取られたとなると、もはや我らは袋のネズミだ。各個撃破という作戦の前提条件が崩れたわけだから、もはや勝ち目が無い。

 

「まずい、これはまずいぞ……!」

 

 予想だにせぬ事態に、私は危うくへたり込みそうになった。

 



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第677話 カワウソ選帝侯の奇襲

「殲滅だ! 誰一人逃さず殲滅せよッ!」

 

 私、ツェツィーリア・フォン・エムズハーフェンは長大な馬上槍を片手にそう叫んだ。

 いま、私の眼前では地獄めいた光景が展開されている。天幕や荷馬車などが激しく燃え上がり、逃げ惑う王軍将兵が私の手勢によって一方的に殺されてゆく。人間の焼ける忌々しい臭いが鼻腔を刺激し、ひどい吐き気を催していた。

 

「良か暖まり具合じゃ! 薪を追加せい!」

 

 嬉々とした声で物騒な指示を出すものがいる。エルフの皇女、フェザリアだ。それに従い、配下のエルフ火炎放射器兵が猛烈な炎を敵兵の集団に浴びせかける。

 

「アババーッ!!」

 

 たちまち十名近い王国兵が燃え上がり、人間松明と化してもだえ苦しんだ。エルフ特性の焼夷剤は粘液性だ。地面を転げまわっても、水をかぶっても、その火が消える事は無い。目を覆わんばかりの惨状だ。

 

「突撃! 我に続けッ!」

 

 炎によって助長される混乱に乗じ、私は配下の騎士たちとともに騎馬突撃をかけた。逃げる王国兵の背中に槍を突き立て、次々と殺害してゆく。

 組織だった抵抗など一切なかった。誰も彼もが自分の身を守ることだけで精一杯になっており、まともに指揮が執れる将校など誰一人残っていない。

 ここは、北岸にある王軍の宿営地だ。一万の王国兵が残留しており、翌日の渡河に備えている。自分たちが攻め込む側であると慢心していた彼女らを、私たちエムズハーフェン旅団とエルフ遊撃隊が共同で奇襲したわけだ。

 なぜ、南岸で待機していたはずの私たちが北岸で暴れ回っているかといえば……もちろん、アルベールの策である。私は現実逃避ぎみに、この作戦が伝達された時のことを思い出した。

 

「北岸に渡れェ!?」

 

 そもそもの発端は、指示があるまで決して開封するなと厳命されていた秘密命令書であった。日が暮れた直後にやっとのことで開封許可が出て、私はおずおずとそれを読んだのだが……。

 そこに書かれていた命令は、予想以上に突飛な代物だった。なんと、ロアール川北岸へ渡って敵の後背を突けというのである。当然、私はこれを見た瞬間アルベールの正気を疑った。

 なにしろ、近隣にある渡河ポイントは既にすべて敵の手に落ちているのだ。いかに夜とはいえ、こっそり川を渡るなんてまったくもって現実的ではない。もちろん強行突破なんてさらに論外だ。

 

「指定された渡河場所は……H-四? ずいぶん西だな。戦場の外だぞ」

 

 怪訝に思ったが、とにかく命令は発布されてしまったのだ。今さらアルベールに作戦意図を聞きに行くような余裕はない。湧き上がる疑問を押さえ込みつつ、私は配下の騎兵五千に出陣を命じる。

「……我が夫殿のことだ、それなりの策は用意しているはず。とりあえず、指定された地点へ行ってみることにしよう」

 

 夜陰に紛れるようにして、私たちは一路西を目指した。

 土地勘のない場所で夜間行軍などした日には部隊ごと迷子になってしまいかねないが、もちろんこの点についてもアルベールは事前に手を打っている。ジルベルト殿の家来を案内役としてつけてくれていたのだ。

 ジルベルト殿の実家プレヴォ家はもともとこの地の領主オレアン公爵家の傍流で、このロアール河畔も庭先同然だ。闇夜の中でも迷う心配はない。案内役の先導を受け、私たちエムズハーフェン旅団は迷うことなく目的地に到着する。

 

「うわ、手回し良すぎでしょ……なるほど、そういうことか」

 

 そこで目にした光景は予想を超えたものであり、私は思わず地に戻ってそう呟いてしまった。なんと、ポイントHー四では野戦架橋の準備が進んでいたのだ。

 

「この小舟を連結して、浮き橋にしようってわけね?」

 

「いかにもその通りであります、選定侯閣下」

 

 そう答えたのは出迎えにやってきたハキリアリ虫人兵だ。彼女らはアルベール子飼いの戦闘工兵隊で、私も以前リースベン軍との戦いで彼女らに煮え湯を飲まされたことがある。

 そんなハキリアリ工兵の背後には、漁船や渡し船としてよく用いられる小舟がいくつも野積みされている。よく見れば、その他にも杭やロープ、板材などの資材も大量に用意されているようだった。

 ここまで材料が揃えば推理は容易だ。彼女らはこれらの資材をつかい、ロアール川に即席の浮き橋を設営するつもりなのだ。

 

「なんとまあ、無茶なことを」

 

 しかし、彼女らの作業はまだ始まったばかりのようだった。目を細めて見れば、川面には小舟が浮かび杭打ちの作業が進められている。つまり、橋本体はまだ影も形もできていない。

 これはつまり、工兵隊は昼間のうちは大人しくしており、夜になってから行動を開始したことを示している。野戦架橋じたいは古典的な戦術だけど、それが夜間に行われるというのは前代未聞だった。

 

「まあ、無茶と無謀はリースベンの常じゃけえ。慣れとりますとも」

 

 二対の腕を組んでニヤリと笑う工兵隊長だが、よく見れば表情がこわばっている。彼女自身、夜間架橋の困難さを前にして緊張しているのだろう。

 当たり前だけど、架橋作業は工兵の任務の中でももっとも難易度の高いものの一つだ。それを、月の光すら頼りにできない闇夜に行うというのはまったく無謀な行いと言うほかない。

 それをあえてやるからには、それなりの理由がある。つまり、アルベールは私たちが北岸に渡ったことを絶対に敵に悟られたくないのだ。

 戦場から離れた場所を渡河ポイントとして選んだこと、危険な夜間作業を強行したこと。それらすべての要素が、この作戦における奇襲要素の重要性を示している。

 

「たいへん結構、その意気だ。この架橋の成否に作戦の全てがかかっているといっても過言ではない。諸君らには是非とも頑張ってもらいたい」

 

 そこまでして、なぜ王軍の北岸部隊を奇襲したいのか? その答えは簡単で、南岸の王軍将兵に、私たちを皇帝軍だと誤認させるためだ。

 なにしろ皇帝軍もエムズハーフェン旅団も同じ騎兵部隊で、軍装も神聖帝国式の似たようなものを使っている。遠方から見れば、そう簡単には正体を見破ることはできない。

 予想より早く皇帝軍が来援したとなれば、王国軍将兵の動揺はかなりのものになるでしょう。腰砕けになった兵隊なんて何の脅威にもならないから、数の上の不利なんてすぐにひっくり返せる。

 考えてみれば冴えた策だ。私の手元にある戦力は騎兵五千だけ。決して少なくはない数だけど、敵本陣を直撃するような作戦に用いるのはちょっと厳しい。

 騎兵がいくら突撃力に優れた兵科とはいえ、敵兵が準備万端待ち受けている防御陣地に真正面からぶつかれば全滅は避けられない。そんな無謀な真似をするくらいなら、見せ札として活用したほうがよほどマシだろう。

 

「むろん、我らも手を貸そう。カワウソ獣人は泳ぎが達者な上、夜目も利く。このような仕事にはもってこいの種族なのだ」

 

「わ、我が侯! もしや、カワウソ獣人騎士をあのアリンコどもの下で働かせるつもりですか!」

 

 私の言葉に、配下の者たちが目を白黒させる。こいつらは自分の仕事は剣を振り回すだけだと思っている阿呆どもだから、大工仕事なんかを押しつけられるのは不本意なんでしょう。

 

「やかましい! 貴様らがやらぬのなら、私自らやる! 工兵隊長どの、道具はどこだ!」

 

 怒ったような口調でそう言って下馬すると、配下らは慌ててそれを止めた。そして、不承不承の様子でアリンコ工兵隊を手伝い始める。

 しかし、当然ながら架橋作業は難航した。なにしろ闇夜の中で橋を架けるなどみな初めての経験なのだ。溺れるもの、低体温症を起こすものなどが続出し、作業は遅々として進まない。

 

「お助けに、上がりました」

 

 そこへ救世主がやってきた。アルベールの側近、カマキリ虫人のネェルだ。どうやら、作業が難航しているとみて急遽派遣されたらしい。彼女の参戦以降、作業は劇的なスピードで進み始める。

 なにしろネェルはちょっとした小舟ならば一人で運べるほどの膂力を持ち、おまけに飛行能力まで持っている(つまり、自前で向こう岸まで飛べる)。浮き橋はみるみるうちに組み上がり、とうとう午後九時ごろに完成した。

 

「素晴らしい! 貴殿らの偉業は永久に戦史へと刻み込まれるであろう!」

 

 完成した浮き橋を渡り、軍馬に跨がった私たちは北岸へと進出した。そして先んじて現地に潜入していたフェザリア隊と合流し、彼女らが目星を付けていた王軍宿営地へと襲撃をかけたわけだ。

 この攻撃は完全に予想外だったらしく、王軍はロクな抵抗もできないまま壊乱した。まさか、北岸の自分たちが襲撃を受けるとは思ってもいなかったようだ。

 エルフ火炎放射器兵によって引き起こされた大火災から逃げ惑う彼女らを、私たちは槍をもって一方的に駆逐してゆく。実に簡単な任務だった。

 ちなみになぜわざわざ放火しているかと言えば、その炎で私たちの活躍を照らし出すためだ。闇夜の火災ほど目立つものはないからね。それで注目を集め、騎兵隊の存在を誇示するというわけ。

 しっかし、火事を照明代わりに使うなんてアルベールも悪趣味よね。ま、私は嫌いじゃ無いけど。

 

「王国兵に恐怖を刻みつけろッ! 我らこそこの戦場の勝者であるッ!」

 

 とはいえ、北岸部隊の襲撃はあくまで見せ札だ。実際のところ南岸に残留した王国兵は北岸の戦いになんら影響を与えておらず、実際のところ遊兵以外の何者でもない。彼女らをいくら殺戮したところで、数字の上ではアルベール軍の援護にはならないでしょうね。

 結局、戦いの鍵になるのは敵兵にどれだけの恐怖を与えられるかに尽きる。とにかく大暴れして、王軍の恐慌を誘ってあげましょ。

 

「あとは任せたわよ、アル……!」

 

 小さくつぶやき、馬上槍をぎゅっと握りしめる。やれるだけのことはやった。あとはアルベールの奮戦と無事を祈るまでだ。

 



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第678話 くっころ男騎士の出陣

「始まったな」

 

 北の空を焦がす炎と煙を見て、僕は思わず頬を緩めた。どうやら、エムズハーフェン旅団とフェザリア隊の奇襲は成功したようだ。

 夜間野戦架橋なんて無茶が成功するのかかなり不安だったのだが、上手くいって良かったよ。アリンコ工兵隊はよく頑張ってくれた、戦後はよほど手厚く顕彰する必要があるだろう。

 

「派手にやっておりますね」

 

 同じものを見ながらそう語るソニアの声にも安堵が溢れている。この北岸奇襲が博打めいた作戦であることは明らかであり、ソニアは計画時点ではこれに反対していたのだった。

 確かに、彼女の主張にも一理あった。この作戦は夜間架橋などという無茶が成功することが前提であり、浮き橋の設営に失敗すればその時点で僕の目論見はすべて頓挫してしまう。

 それどころか、渡河中に浮き橋が流されでもすればもう最悪だ。僕は無謀な作戦に拘泥して大勢の兵士と有能な将を無駄に死なせた最低の愚将として戦史に刻まれることになるだろう。自らの命をもってしても償いきれない大罪だな。

 

「これならば、戦場のどこにいても北岸宿営地の惨状が丸わかりです。この光景を目にして動揺せぬ人間はいないでしょう」

 

「ああ、今ごろ殿下とガムラン将軍は大慌てだろう。オレアン公もな」

 

 そこまでして北岸奇襲作戦を強行したのは、王軍の士気に致命傷を与えるためだ。そうでもしない限り、この戦いには勝てないと判断した。

 現状、南岸に展開中の両軍の兵力は拮抗している。しかし明日になれば北岸に残留した部隊も主力に合流するだろうから、戦力差の天秤は再び王軍優位に傾く。こうなると、逆襲を仕掛けるのはかなり困難になってしまうだろう。

 もちろん、皇帝軍一万が到着すればそこから状況をひっくり返すことも不可能ではない。しかし作戦の決定打を外国軍に任せるというのは政治的によろしくないし、だいいち皇帝軍自体がいつ到着するのかわからないという不安要素もあった。

 ならば、今ある手札だけで勝負を獲りにいく。それが僕の判断だった。王軍将兵は、昼間の戦いで疲弊しきっている。このタイミングで皇帝軍が到着したと誤認すれば、彼女らは腰砕けになってしまうだろう。そこを叩きに行くわけだ。

 

「機は熟した! 予備部隊の用意は出来ているな?」

 

「はっ! 諸侯軍千八百、エルフ義勇兵団千二百、合計三千!出陣号令を今か今かと待ちわびております!」

 

 威勢の良い声でソニアが答える。現在、僕は部隊を二つにわけて運用していた。一つ目は、リースベン軍を主力にした精鋭部隊、プレヴォ旅団。ジルベルトを臨時団長とする彼女らは、現在オレアン軍に陽動攻撃を仕掛けている。

 そしてもう一つが、僕の直率するブロンダン旅団だ。これは寄せ集めの諸侯軍やその辺から湧いてきたエルフ義勇兵団などで編成された予備部隊で、統率に欠け連携にも不安がある。しかしともかく頭数だけはいるので、とりあえず平押しくらいはできるだろう。

 ちなみにリースベン師団はもともと三旅団編成だったが、この夜戦の直前で二旅団に再編成されている。昼間の防戦で大勢の死傷者が出たためだ。他にも、疲労困憊でとても戦えないような兵士なども戦闘任務からは外されている。

 

「たいへん結構! 軍旗を持て!」

 

 従卒がうやうやしい手付きでアルベール軍の軍旗を手渡してきた。旗竿代わりの槍に例の(くつわ)十字の旗を取り付けた実戦的なものだ。

 

「ア、アル様、ちょっと待ってください。なぜアル様自らが軍旗を担ぐ必要が?」

 

「そりゃお前、部隊を先導するためだよ」

 

 ニヤリと笑って、ソニアに言い返す。なにしろ、これから僕が指揮するのは寄せ集めの急造部隊だ。子飼いのリースベン軍のように、現場に任せておけば万事上手くやってくれるような精鋭ではない。僕が先頭に立って直接指揮をする必要があるわけだ。

 

「いやいやいや、いやいやあの!?」

 

「よっしゃ行くぞ! 王軍本営にカチコミじゃ!」

 

 慌てるソニアを無視して司令本部から出る。周囲の陣地はすでにもぬけの殻で、兵士たちはその後背にある広場に集められていた。

 

「照明弾を放てッ!」

 

 ひゅるひゅると音がして、空中に光の華が咲いた。その白々しい光に照らされ、整然たる隊列を組んだアルベール軍将兵の姿が露わになる。

 槍やクロスボウなどの古色蒼然とした装備をまとった諸侯軍の兵士たちと、それよりもさらに雑多な武器を帯びた義勇エルフ兵たち。リースベン軍の精鋭と比べれば、二戦級の感は否めない連中だった。

。確かに、彼女らはライフル兵などの新式兵科と比較すれば戦闘力に劣る。しかしそれはあくまで火力の問題だ。白兵戦能力ならば、むしろ彼女らのほうが上だろう。だからこそ、僕はあえて敵本営直撃にこちらの部隊を起用することにしたのだ。

 三千対の瞳が、軍旗を掲げた僕に向けられる。みな、戦意で目をギラギラと光らせていた。まったく、どいつもこいつもいい顔つきをしてやがる。

 隣のロリババアに目配せし、拡声魔法を使うよう促す。彼女は深い深いため息を吐き、「ワシも、本当にロクでもない男に引っかかってしまったもんじゃのぉ」などと呟いてから呪文を唱えた。

 

「見よ、戦友諸君!」

 

 開口一番、僕はそう叫んで北の空を指さした。そこで上がる火柱は、衰えるどころかむしろ勢いを増しているように見えた。

 

「今や王軍は退路を断たれ、混乱のるつぼの中にいる!」

 

 正直なところ、本当に王軍内部で混乱が生じているかどうかといえば確証が無い。もしかしたら、既にこの詐術を見破り、迎撃の準備を整えている可能性もある。しかしそんなことはおくびにも出さず、僕は自信満々の口調で断言した。

 

「この好機を逃すわけにはいかない! これより我々は敵本陣を強襲し、王太子殿下の身柄を奪取する! この下らぬ戦争に決着をつけるのだ!」

 

 本陣強襲! なんとも素敵な響きだ。アルベール軍将兵の顔に、獰猛な笑みが浮かんだ。おそらく、僕の顔にも同様の表情が張り付いていることだろう。

 

「戦友諸君! 断言しよう、この戦いは必ずや歴史に残るものとなるであろう!」

 

 おお、という声が聴衆から聞こえてきた。みな、顔を紅潮させて僕の話を聞いている。涙を流している者の姿さえあった。

 

「想像せよ! 誇りを胸に故郷に凱旋する様を! 想像せよ、吟遊詩人が諸君らを称える詩を唄う姿を! 想像せよ! 我らの伝説が千年後にも語り継がれ続ける世界を!」

 

 そこで僕は言葉を止め、ゆっくりと将兵を見回した。十分に溜めをつくり、そして肩に担いだ軍旗を掲げた。白地に轡十字を染め抜いた旗が、寒風に吹かれてはためく。

 

「諸君、僕と共に英傑になろう! 共に歴史に名を残そう! 我は常に諸氏の先頭にあり! この旗を目印に進め! 立ち塞がるものはみな粉砕せよ! 我らのゆく道は勝利と栄光によって舗装されている!!」

 

誰が音頭を取ったわけでもないのに、将兵たちは一斉に「応!!」と叫んだ。エルフも竜人も、例外なく気炎を上げている。

 一人の兵士が「ブロンダン卿万歳!」と叫ぶと、ほかの者たちも続いて唱和した。その輪はどんどんと広がり、やがては全員が声を揃えて僕の名を叫ぶ。音というよりは衝撃といった方が適切なほどの大音声が、僕の全身を叩く。薄く笑い、軍旗を振り上げた。

 

「ゆくぞ諸君! 我に続け!」 

 

 出陣の号令に、兵士たちは声を張り上げて「応!」と返す。種族や立場の違いを超え、彼女らは完全に団結していた。最高の状態だ。

  もはや、ここまでくれば後戻りはできない。間違いなく、僕の死後の行き先は地獄で確定だ。二度目の転生はあり得ないだろう。

 まあ、別にいいさ。今は、来世なんぞよりこの瞬間のほうがよほど大事だからな。くだらない戦争に終止符を打ち、大陸西方に平和をもたらすのだ!



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第679話 くっころ男騎士の先導

 いよいよ、僕たちの最後の攻撃が始まった。オレアン軍方面はジルベルト率いるプレヴォ旅団に任せ、僕たちブロンダン旅団は王軍本隊の側面図へと向かう。

 もちろん、指揮壕のあった陣地は完全に放棄している。局面は火力戦から機動戦へと移ったのだ。もはや塹壕に籠もる意味など微塵も残っていない。

 軍旗を担いだ僕は、愛馬に乗って軍勢を先導している。それに付き従う軍勢は、騎兵八百・歩兵二千二百・山砲二十四門(砲兵二百五十)。敵に痛撃を与えるには十分な陣容だった

 我が方の隊列から、時おり照明弾が打ち上げられる。僕の持つ旗を照らし出すためだ。はっきり言ってこの旅団は烏合の衆だから、暗闇の中を迷わず行軍するような真似はとてもできない。明確な道しるべが必要だった。

 

「アル様、アル様、先頭をずんずん進むのはおやめください! アル様、アル様ァ!」

 

 文字通りの先導者となった僕のまわりをウロウロしながら、ソニアが何度も換言してくる。僕のことがよほど心配なのだろう。

 照明弾を撃ちながら行軍しているわけだから、とうぜん王軍本隊はとっくに我が方の接近に気付いている。敵陣では大砲のものらしき発砲炎が上がり、榴弾が隊列の近くで炸裂することもあった。ソニアが動転するのも当然のことではある。

 

「旗振りならばわたしがやりますから、アル様は後方で指揮をお取りください!」

 

「夜戦だぞ! 安全な場所から状況を見渡すなんて不可能だ!」

 

 しかし彼女の言葉に従うわけにもいかないので、ピシャリと言い返す。真っ暗闇の中、無線も暗視装置もなしで後方から指揮を取るなんて物理的にムリだ。しかも今回は攻勢作戦だから、なおさら難易度が高い。

 

「しかし、敵弾が……」

 

「こんなヒョロ弾にビビるな! まともに測距もせずに適当に撃ってるだけだから、よほどの不運が重ならない限り当たりはしない」

 

 敵はさかんに砲撃しているが、その割にまだ直撃は一度も受けていない。北岸宿営地の炎上を見て焦っているのか、そもそも夜間砲撃の経験に欠けているせいか……どっちもありそうだな。

 

「ああ、ああ、もう! これだからアル様は!」

 

「本当にロクでもない男じゃ! 惚れた弱みがなければとうに見捨てておるわい!」

 

 僕の背中に張り付いたダライヤが同調の声を上げた。いや、申し訳ないとは思ってるよ? でも、しゃーないじゃん。こんな危険な作戦、指揮官が率先して先陣を切らなきゃ部下は着いてきてくれないよ。

 

「まもなく小銃の有効射程!」

 

 脇を固めるジョゼットがヤケクソ気味に叫んだ。ここからはますます油断ができなくなる。旗を掲げながら先頭を歩く指揮官なんて、狙撃兵にとっては垂涎の的だろうからな。集中射撃を受けるのは間違いない。

 

「戦闘陣形を取れ! 突撃用意!」

 

 命令を受け、ラッパ手が信号ラッパを吹き始めた。複列縦隊の行軍体系を取っていた旅団本隊が、横隊へと陣形変更を開始する。

 とはいえ、寄り合い所帯の混成部隊である。夜間で視界が効かないということもあり、陣形転換はスムーズにはすすまない。モタモタしているうちに、敵陣から銃弾が唸りをあげて飛んでくるようになった。

 

「ダライヤ! 矢除け!」

 

「言われずとも!」

 

 背中のダライヤが呪文をとなえ、僕の周囲で風が吹き荒れ始める。これは本来矢を逸らすための魔法だが、ライフル弾に対してもそこそこ有効であることが確認されている。まあ、効果は気休め程度らしいがね。

 しかし気休めでも何もないよりはマシだ。なにしろ今の僕は普段の魔装甲冑(エンチャントアーマー)すら着込んでおらず、防具といえば分厚い革のコートとキルト製の鎧下だけ。多少の防刃効果は期待できるが、銃弾に対してはまったくの無力だった。

 すべては冬の寒さが悪い。渡河阻止作戦の時点では我々の味方をしていた寒気だったが、攻守が逆転したとたんに単なる厄介者と化してしまった。冬将軍というやつは本当にロクでもない。

 

「早くしろ、早く、ほら急げ……!」

 

 ゆっくりノタノタと陣形を変えている友軍を振り返っては、そんなことを呟いてしまう。陣形変更中ほど無防備になる瞬間は無い。敵砲兵に狙い撃たれでもすれば大事だ。

 もちろん敵もそんなことはわかりきっているから、ヒステリックなまでの猛砲撃を繰り返している。精度は相変わらずカスだが、それでもラッキーヒットが怖い。

 

「陣形変更完了! 突撃準備ヨシ!」

 

 ジリジリとした時間が続くこと三分、やっとのことで待望の報告が上がった。遅い、遅すぎる。おかげで、少なくない数の兵士が敵弾に撃たれて散った。

 しかしそれでも、彼女らは歩みを止めない。練度や連携はさておき、士気だけは天を衝かんばかりに高かった。現状唯一の好材料だ。

 対して、敵の迎撃ぶりはかなりお粗末な代物だった。昼間とは勝手が違うとは言え、それにしてもまともな弾幕すら張れないというのは論外だ。やはり王軍将兵は動揺している。

 

「投射器兵、撃ち方始めーッ!」

 

 命令するや、即座に後方から銃声や弓弦の音が聞こえてくる。銃弾や矢が次々と敵陣地に打ち込まれ、敵の射撃に乱れが生じた。

 

「よーしッ! とぉーつげーきッ! 我に続けッ!」

 

 この隙を逃すわけにはいかない。即座に突撃を下令する。信号ラッパが高らかに勇ましいリズムを奏で、自然と心が燃え上がった。

「いくぞ命知らずども! 立ち塞がるものみな蹂躙せよッ!」

 

 軍旗を振り上げ、敵陣を指し示す。そして自らも愛馬に拍車をかけた。力強い加速。冷たい風が全身を打ち付け、容赦なく体温を奪う。寒いと言うより痛い。ああ、良い気分だ。

 蹄の音が近づいてきて、僕の両脇を固めた。ブロンダン旅団に属する全騎兵、八百騎が一塊となって戦場を駆ける。目指すは王軍が布陣する塹壕陣地の側面だ。

 

「グワーッ!」

 

 陣地に近づくにつれ、敵の射撃は頻度と精度を増した。一人の騎士が被弾し、悲鳴をあげながら落馬していく。

 当然ながら、部隊の先頭に立ちおまけに軍旗まで掲げている僕は格好の的だ。鉛玉が唸りを上げながら飛来しては、後方に消えてゆく。単に外れているのか、それとも矢避けの魔法が効果を発揮しているのかはよくわからない。

 

「んおっ!?」

 

 一発の弾丸が僕の頬を掠めた。鋭い痛みが走り、暖かな感触が広がる。

 

「アル様!?」

 

「びっくりしただけだ! 気にするな!」

 

 どうやら、危うくヘッドショットを食らいかけたらしい。ああ、危ない危ない。生きてるってすばらしいな、ハハハ!

 

「何笑っとるんじゃ阿呆!」

 

「生の喜びに浸ってるだけ!」

 

 などと叫びながら、軍旗を槍めいて構える。軍旗というものはだいたい旗竿として槍を用いており、この旗も例に漏れず先端には立派な穂先がついていた。これならば十分武器として用いることができる。

 すでに、敵陣は間近にまで迫っていた。慌てふためく敵兵の様子までしっかりと見て取れる。近侍隊の騎士たちが一斉にピストルを抜き、猛射撃を加えた。

 

「吶喊!」

 

 敵兵の悲鳴をBGMに、僕は愛馬に更なる増速を促した。馬術における最大速度、襲歩である。彼我の距離はあっという間に縮まった。塹壕から頭を出し、凍り付いた表情を浮かべた間抜けな敵兵の顔すらよく見える。

 

「チェストー!」

 

 軍旗を突き出す。ガツンという衝撃。王国兵の頭が宙を舞った。片手で持った手綱を少しだけ動かして進路を調整、塹壕の脇を駆け抜ける。

 

「このままゴボウ抜きで敵本陣を直撃する! 遅れるな、戦友諸君!」

 

「オオーッ!!」

 

 騎士たちの返事は心強い。さあ、この戦争の仕上げといこう!

 



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第680話 くっころ男騎士の想定外

 ブロンダン旅団約三千が、王軍本隊の布陣する塹壕陣地西側面へと猛然と襲いかかる。正面からの攻撃にはめっぽう強い塹壕線も、横からの攻撃には弱い。この位置取りでの攻撃が成功した時点で、我が軍の優位は明らかであった。

 

「逃げる敵は追うなッ! 大賞首以外はいらんぞッ!」

 

 軍旗を振りながら、僕はそう叫ぶ。戦場はすでに地獄めいた様相を呈していた。

 東西に引かれた塹壕線の真横を、騎兵が駆け抜けている。彼女らは剣や槍を突き出し、穴倉の中に籠もった敵兵を牽制していた。

 とはいえ、馬上から塹壕内を攻撃するのは極めて難しい。通常サイズの槍では、穴の底にまでは穂先が届かないからだ。

 もちろん銃器があれば話は変わってくるのだが、ブロンダン旅団に属する騎兵は大半が諸侯軍所属の騎士たちだ。そのほとんどは伝統的な馬上槍や手槍を主武装としており、銃を持っているのはうちの近侍隊くらいだった。

 だが、騎兵の役割は敵を倒すことでは無い。槍の穂先や馬蹄の音で王国兵を威圧し、動きを鈍らせれば十分なのだ。後の刈り取りは、歩兵部隊がやってくれる。

 

「チェストヴァロワ家!」

 

 動揺して弾幕も槍衾も作れずにいる王軍の塹壕へ、エルフ兵が次々と飛び込んでいった。手には例のエルフ謹製の木剣が握られている。黒曜石の刃が照明弾の光を反射し、ギラリと凶暴な輝きを放っていた。

 

「グワーッ蛮族!?」

 

 密林での戦いに練達しているエルフ共は、とうぜん閉所でも極めて高い戦闘力を発揮する。たちまち、あちこちの陣地で悲鳴が上がり始めた。

 

「蛮族兵ごときに先を越されるな! 我ら竜人(ドラゴニュート)この最強の種族であることを教育してやれッ!」

 

 それに一瞬遅れ、今度は諸侯軍の兵士たちも参戦した。彼女らの大半はガレア国内出身の竜人(ドラゴニュート)なのだが、相手が同胞の王国兵でも容赦はしない。

 まずは手始めに、長槍兵の集団が身長の三倍もの長さを誇る槍で塹壕内を突っついた。たまらず、数名の王国兵が穴倉から飛び出してくる。

 

「くたばれ王党派ァ!!」

 

 そこへすかさず、斧槍や両手剣装備の兵士が襲いかかっていった。王国兵はまともな抵抗も出来ず次々と仕留められていく。

 むろんライフルや銃剣で反撃してくる者もいたが、組織的な抵抗ができないことにはどうしようもない。一発撃っても、再装填をする前に倒されてしまうのがオチだった。

 

「北から皇帝軍、西からアルベール軍、南にも敵軍陣地! 畜生、袋のネズミじゃないの!」

 

「こんなのやってられっかよ! 命あっての物種だ、アタシはズラがらせてもらうからなっ!」

 

 そうこうしているうちに、勝手に持ち場を離れて逃亡する兵士が現れ始めた。こうなったらもうお終いだ。恐慌が恐慌を呼び、たちまち戦列が歯抜けになっていく。

 そこで、何かの爆発音がした。榴弾が炸裂した音とは少し違う。爆竹めいたバチバチという破裂音が続いていた。どうやら、エルフ兵の放った火炎魔法が弾薬箱か何かに引火したらしい。

 

「ウワーッ!? 砲撃まで始まりやがった!」

 

「いやだ、こんなところで死にたくない!」

 

「父さん、父さん! うわああああ!」

 

 しかし、冷静さを欠いた王国兵にそんな違いが判別できるはずもない。この爆発を呼び水に、王軍は堰を切ったかのように総崩れになった。

 

「あっ、おいっ! 持ち場を離れるな!」

 

「馬鹿やろう! 敵に背中を向ける方がよっぽど危ないぞ! 戻ってこい!」

 

 それでも中には懸命に統制を取り戻そうとする将校や下士官なども居たが、狂騒の中で冷静さを保っている者はたいへんに目立つものだ。

 

「若様は逃ぐっ者は追うなち言うちょっぞ、逃げん者から仕留めい!」

 

 そういった連中を見逃すエルフではない。彼女らは得意の弓矢を用い、指揮官や古兵を的確に狙撃していく。

 これがだめ押しとなり、王軍は完全に壊走しはじめた。まだ攻撃を受けていない後方の陣地に籠もっている者たちすら、前線の惨状を見て塹壕から飛び出しはじめる始末だった。

 この戦場付近は平坦な地形だが、東西に複数の塹壕線が走っている。人馬が普通に歩けるのは、塹壕と塹壕の間にある狭隘な土地だけだった。

 これがいわば擬似的な道路と化し、王国兵の逃げ道を大幅に制限していた。西側は僕たちが塞いでいる。安全なのは東方面だけだ。とうぜん、王国兵は活路をもとめて東へと殺到していく。

 

「ザマァないわねッ! 雑兵どもッ!」

 

 命令も出していないのに、騎士の一部が勝手に追撃を始めた。声からして若い連中だ。逃げる敵を追うのは騎兵の本能とはいえ、これはまずい。

 

「誰が追えと言ったッ!」

 

 叱責の声を上げるがもう遅い。遁走する王国兵の背にアホ騎兵どもの槍が迫る。彼女らは泡を食って逃げようとしたが、狭い場所に一気に人が集まっているために行く先が塞がれなかなか進めない。

 それでもなお人波をかき分けて我先にと逃げようとするものだから、とうとう大規模な将棋倒しが起き始めた。人が人に潰される凄絶な音と、心を引き裂くような絶叫が戦場に響き渡る。

 

「……チッ」

 

 舌打ちをしてから、嫌な気分になった。僕がいま文句を言いたくなったのは、あくまで予定が狂ったからだ。無駄な人死にを出してしまったからではない。咄嗟に人命を尊重できないあたり、やはり僕は人でなしだ。

 

「へっへ、馬鹿野郎どもがやりやがった!」

 

「ここまで派手にスッ転びやがると壮観だなあオイ!」

 

 もっとも、心に獣を宿しているのは僕だけではなかった。少なくない数の友軍将兵が、群衆雪崩を起こした王国兵を指さして嘲弄している。

 前世でも現世でもよく見た光景だ。平時には虫も殺せないような人間であっても、戦場に慣れてしまえば悪鬼のような精神性へと変貌してしまう。ああ、本当に戦場は地獄だ。

 

「止まれ、止まれ! 馬鹿野郎!」

 

 暴発したバカどもは、突如起きた惨劇に面食らって馬を急停止させていた。すぐに彼女らのもとへ駆けより、軍旗で行く手を遮る。旗の白地は返り血でまだらに染まっていた。

 

「雑魚は深追いするなと言ってあっただろうッ!」

 

「も、申し訳ありません!」

 

 そこで始めて、彼女らは我に返ったらしい。顔を青くして頭を下げてくる。見た限り、全員が若い。一番年かさのものでも二十にはなっていないだろう。若年兵がやらかすことなど珍しくないとはいえ、面倒なことをしてくれたものだ……。

 お説教をしたいところだが、一分一秒を争う実戦中に余計な時間を浪費するのはさけたい。それに、公衆の面前で叱責なんかしたらかえって言うことを聞かなくなる。ひとまず、注意や処罰は後回しだ。

 

「閣下、そのお傷は!?」

 

 そこで、若い騎士の一人が僕を見て顔色を失った。他の連中も騒ぎ始める。はて、どうしたことかと小首をかしげると、ソニアが馬を寄せてきた。珍しいことに、彼女の手が震えていた。

 

「ア、ア、アル様、その……お顔が……」

 

 はて、顔とは? なんとなく頬を撫でてみると、鋭い痛みが走った。手袋越しだからわかりづらいが、ヌルつく感触もある。

 どうやら、さきほど銃弾が掠めた際に右頬がザックリと切れてしまったようだ。もっとも、喋るぶんにはなんの違和感もないから頬袋自体が破けてしまった訳ではないだろう。顔に傷を負うと派手に出血するから、外から見るとそこそこの大けがに見えるかもしれない。

 

「だ、大丈夫なのですか、アル様、それは……」

 

 ソニアは見たことがないほど動揺している。やはり彼女もまだ経験が浅いな。士官が人前でそんな態度を見せてはいかん。

 

「かすり傷だ、気にするな」

 

「しかし!」

 

「やかましい! この場には僕よりも何倍も痛くて苦しい思いをしている人間が大勢いるんだぞッ!」

 

 周囲を見回しながらそう叫ぶ。ひとまずこの場では勝利を得た僕たちだったが、それでもまったく被害なしというわけにはいかない。肩を槍で貫かれた者、腹を銃で撃たれた者などが苦悶の声をあげている。

 だが、それでもこちら側はまだマシなほうだ。王軍側など、何十人……もしかしたら何百人もの数の兵士たちが折り重なって、ちょっとした小山のようになっている。

 その山からは、今もひっきりなしにうめき声や助けを求める声が響いていた。生存者がいるのだ。

 

「まずはこの人間の山をなんとかしろ! 平行して負傷者の救護も進めるんだ。むろん、可能であれば敵兵も手当てしろ。それから、いまのうちに山砲隊を展開させておく。砲列を敷くよう命令を出せ!」

 

 人道的な理由はさておいても、倒れた王国兵の集団は完全に進路を塞いでいる。これを撤去しないことには前進もままならないだろう。いまさら別ルートへ向かう余裕もないし、とにかく道を空ける必要がある。

 

「救助と撤去が終わり次第、進撃を再開する。可及的速やかに作業を終わらせろ、ハリーアップ!」

 

 奇襲はスピード感が命だ。余計な時間を浪費している余裕はない。僕は有無を言わせぬ口調で周囲にそう命令した。

 

 



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第681話 王党派将軍の対処

「ブロンダン卿が軍旗を掲げながら直接殴り込みに来たぁ!?」

 

 その報告を聞いた私、ザビーナ・ドゥ・ガムランは、あまりの驚きに腰を抜かしかけた。よりにもよって、総大将が先陣を切って襲いかかってくるとは。流石の私もまったくの予想外であった。

 

「どういうことだ、ガムラン! なぜアルベールが……!? 出てくるのはエムズハーフェンという話では……」

 

 フランセット殿下が狼狽も露わに私の肩を掴んだ。見苦しい態度だが、傍から見れば私も同じくらい動揺しているかもしれない。

 実際のところ、王軍本陣が強襲を受けること自体は想定の範囲内だった。しかし、それはあくまで予備部隊として温存されていたエムズハーフェン旅団が投入されるものだとばかり思っていた。

 それがどうだ。現実にやってきたのはエムズハーフェン選帝侯ではなくブロンダン卿で、しかも敵兵は歩兵が主力という話だ。頭の中に描いていた絵図とはずいぶんとかけ離れた状況となっている。

 

「……そうか、読めましたぞ。どうやら、ブロンダン卿はとんでもない詐欺師のようですな」

 

 殿下の腕をやんわりと押し返しつつ、私は視線を北へと向ける。そこでは、赤々とした炎が天を焦がす勢いで火柱を上げていた。北岸宿営地が奇襲を受けてからすでにかなりの時間が経過しているが、火災は収まるどころかむしろ勢いを増しているようだった。

 

「殿下、北岸で暴れているのは皇帝軍などではありませぬ。アレはエムズハーフェン旅団です」

 

「なにっ!?」

 

 フランセット殿下は衝撃を受けた様子で身を引く。しかし、その顔にはすぐに納得の表情が浮かんだ。

 

「そうか、そういう詐術か。北岸に騎兵隊が現れれば、我々はそれを皇帝軍と誤認する。そうやって我々の動揺を誘い、その隙に勝負を決めてしまおうというハラだな」

 

「さよう。皇帝軍もエムズハーフェン旅団も、騎兵が主体の部隊であるという意味では同じ。その上、両者ともに神聖帝国系の武具や馬具を用いておりますから、遠距離では判別がつきませぬ」

 

 昼間の戦いにおいて、エムズハーフェン旅団は徹底的に温存されていた。アルベール軍が後退に次ぐ後退を強いられている最中においてすら、彼女らの旗が戦場にはためくことは一度としてなかった。

 私はそれを決戦に投入するためだとばかり思っていたが、どうやらそれは大いなる勘違いだったらしい。彼女らはあくまで見せ札、本当の決戦戦力はブロンダン旅団そのものだったのだ。

 私の時代の将はどうしても騎兵を主軸にモノを考えがちだが、どうやら彼にはそうした固定観念はないようだ。まさに自由自在の用兵術、私のような古い人間にはついていけんな……。

 

「ならば話は簡単だ。皇帝軍がまだ到着していないことを全軍に知らしめよう。総兵力では相変わらず我が方が優越しているんだ。動揺さえ収まれば、迎撃はそれほど難しいことではない」

 

「いかにもその通りです。兵どもの士気さえ回復すれば、恐ろしいことなど何もありませぬ。敵は総大将を先頭にして突出しておりますから、冷静な対処さえ出来れば煮るのも焼くのも思うがままでしょう」

 

 ニッコリと笑って殿下の言葉を肯定してやったが、現実はまったく楽観できない。確かに盤面上の数字だけ見れば逆転は容易いように見えるが、一度崩壊した士気統制を取り戻すのは容易ではない。

 

「しかし、兵士どもを落ち着かせるのは生半可なことではありませんぞ。特に、敵が来襲した右翼側(西方面)は全面的な壊乱状態に陥っております。もはや、戦列を立て直すのは不可能でしょう」

 

 我が軍の右翼は完全に崩壊しており、兵士も将校も関係なく蜘蛛の子を散らすような勢いで壊走している。

さらにその敗残兵どもがこの戦線中央にもなだれ込み、無傷の兵士たちにも恐怖と混乱を伝染させていた。現場の話では、逃亡兵に触発されて勝手に持ち場を離れる者も続出しているようだ。

 怯えた兵隊など、いくら数が居ても何の役にも立たない。恐慌はタチの悪い伝染病のように軍全体を蝕み、あっという間に烏合の衆に変えてしまうのだ。こうなればもう軍隊は戦えない。

 

「幸いにも、ブロンダン卿の部隊はいったん進撃を停止しているようです。おそらく、奇襲が上手くいきすぎてしまったのでしょう」

 

 夜戦の最中に大軍の統制を保ち続けるのは極めて困難だ。攻勢側であればなおさらである。こちらの全面壊走に付き合って野放図な追撃をしかければ、アルベール軍の手綱はブロンダン卿の手から完全に離れてしまうに違いない。

 そうなってくれれば逆に楽だったのだが、ブロンダン卿は強い自制心の持ち主であった。逃げる相手に夢中になり、大きな隙を晒すような醜態は見せてくれないらしい。

 

「この猶予を生かさぬ手はありません。右翼はいったん切り捨て、迎撃態勢を整えましょう。まずは兵どもに落ち着きを取り戻させるのです」

 

「ああ、わかった」

 

 頷いてから、フランセット殿下は少しばかり悩むそぶりを見せた。兵士たちを落ち着かせるといっても、どうすればよいのだろうか? そんな疑問を抱いたのだろう。

 

「……ここは、アルベールと同じ手を使うほかなさそうだな。余、自らが陣頭指揮を執り、ヴァロワの旗の下に再結集することを促すのだ」

 

「まさにその通りであります、殿下。我々の勝ち筋はその策の他に存在しないでしょう」

 

 ここで「いったん引いて態勢を立て直す」などと言い出すような将には、兵士たちは決して従わない。不利に陥り、混乱している時こそ将帥は前に立たねばならないのだ。即座にこのような結論に至るあたり、やはりフランセット殿下は賢明なお方である。

 

「……ふぅ、致し方あるまい。どうせなら、まったく同じやり口をぶつけ返してやろうじゃないか。誰か、軍旗を持て!」

 

 朗々とした声でそうおっしゃる殿下に、思わず笑みがこぼれる。状況は悪いが、最悪ではない。少なくとも、上司が無能ではないという一点ではかなりマシだ。

 私は従士たちが動くより早く、司令本部の一角に飾られていた軍旗を自ら手に取った。青地に金の火吹き竜を象った、ヴァロワ家の家紋である。恭しい所作でそれを殿下に献上すると、彼女はそれを鷹揚に受け取り肩に担いだ。

 

「重いな、軍旗というヤツは。しかし、美しきパレア城に連中のあの味気ない十字紋旗は似合わない。あの城には、永遠にこの旗がはためいているべきなのだ」

 

 そういって、フランセット殿下は旗竿をぐっと握りしめた。どうやら、覚悟を固められた様子だった。

 

「私もまったくの同感であります。殿下はまさに君主の鑑ですな」

 

「冗談じゃない、余はとんでもない無能だよ。この期に及んで、いまだにアルベールのことを諦め切れていないんだから……」

 

 私にしか聞こえないくらいの声で、殿下は小さく呟かれた。そうか、殿下はまだあの男への未練を捨てていないのか。いや、しかし構うまい。女は諦めが悪いくらいがちょうど良いのだ。

 

「諸君! ヴァロワ王家の興亡はこの一戦にかかっている! この国の正統なる支配者が誰であるのか、叛徒どもにしっかりと教育してやろうじゃないか!」

 

 一瞬見せた弱気を自信ありげな笑みで覆い隠し、フランセット殿下は軍旗を掲げてそう宣言した。私を含めた腹心たちは一斉に剣を抜き、その切っ先を天に向けながら「おう!」と応える。いささかヤケクソではあったが、みな戦意は十分あるようだ。

 

「では征くぞ、諸君! 王太子フランセット・ドゥ・ヴァロワ、これより出陣だ!」

 

 こうして、我々の最後の決戦が始まった。

 

 

 



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第682話 くっころ男騎士と悪鬼の行進

 王軍陣地の西側に対する強襲は成功したが、少しばかり上手くいきすぎた。逃げる兵士たちが一カ所に集中し、群衆雪崩を起こしてしまったのだ。

 二本の塹壕線に挟まれた細長い戦場、その東側の一方が大量の人間によって物理的に閉塞されてしまったわけだ。僕たちは進撃を一時停止し、折り重なって倒れる王国兵らの救助を始めた。

 

「遺体と瀕死の者は脇にどけるだけでいい! 自力で動ける者は武装解除してそこらへんに放り出せ!」

 

 もっとも、今は戦時で僕たちは敵味方である。人道的な扱いなどとてもできず、その作業は救助というより撤去という方が正しいほど荒っぽいものだった。

 王国兵の中にはしっかり手当してやれば助かりそうな者も大勢いたが、もちろん僕たちにそんなことをしている余裕などどこにもない。取れる対応は放置だけだ。

 捨て置かれ衰弱していくままの彼女らの姿はひどく憐れで罪悪感を誘うものだったが、それでも僕は作業に当たっている者たちに介錯以外の慈悲を禁じた。これ以上余計な時間をかけていたら、今度は我々のほうが戦野に無残な骸を晒す側になってしまうからだった。

 

「あ、足が折れてるんだ。歩けないんだ! やめてくれ!」

 

「知るかボケッ! 歩けないなら這って行け! じゃなきゃ死ねッ!」

 

貴様(きさん)、負傷者に対してなんてことを()ど! 人ん心は無かとな! そこんお(はん)。安心せぇ、いま(おい)が楽にしてやっ!」

 

「あっ、おいバカやめろ! ……なにボーッとしてやがる! 早く逃げろッ! そう長くは抑えられんぞッ!」

 

 そんなやりとりがあちこちから聞こえて来て、僕の心を陰鬱にさせた。

 何が嫌って、実際のところそれほどの抵抗感も生理的嫌悪も湧いてこないのが一番嫌なんだよな。自分が人の心を失ったような気分になる。いや、そもそもそんなもの最初から持ち合わせていないのかも。

 

「アル様、救助作業はあと十分以内に完了するようです。各部隊にも進撃再開に備えて準備するように通達しておきました」

 

「ご苦労」

 

 もっとも、人でなしは僕だけではないようだった。誰もかれもがこの異常極まりない状況に慣れ、普段通りの態度で仕事をしている。例外は戦場の狂気に飲まれて異様なテンションになっている一般兵たちくらいのものだ。

 

「これ以上敵に時間を与えたくない。そろそろ詐術もバレている頃だろうしな」

 

 北岸にエムズハーフェン旅団を送って皇帝軍の増援に偽装する作戦も、既に敵には見破られているとみるのが自然だ。なにしろ相手はあのガムラン将軍だ。いつまでも手のひらの上では踊っていてくれない。

 とはいえ、手品の種が割れたからといって即座に敵軍すべてが冷静さを取り戻すというわけではない。いくら指揮官が詐術を看破したところで、末端の兵士たちにそれを周知するのは容易なことではないからだ。

 

「そうなると、反撃はかえって苛烈になりそうですね。王軍もいよいよ追い込まれておりますし、ここで跳ね返せねば敗北は避けられません」

 

 真面目に受け答えしつつも、ソニアは心配そうな様子で僕の顔をチラチラと見ている。そんなに顔の傷が気になるのだろうか? もう血は止まっているようなのだが。

 

「メンツもある、むこうも必死だろうな。フランセット殿下自身が前に出てきてもおかしくないぞ」

 

 大丈夫だよ、という気持ちを込めて笑いかけると、ソニアはため息を吐いて「指揮官先頭は悪い文化だと思うのです」などと返してきた。隣のダライヤまでが僕にあきれの目を向けている。

 

「だからこそ、こんなところで足止めを食らっている現状は許しがたいのですが。まったく、あの阿呆どもめ。作戦が終わったらしっかり報いを受けさせてやる……!」

 

 憤懣やるかたない様子で、ソニアが後方の味方戦列を一瞥した。そこには、下馬戦闘の準備をしている騎兵隊の姿があった。

 これ以降の戦いでは騎兵の機動力は不要になる。彼女らは歩兵隊の補助として用いる予定なのだ。

 そしてもちろん、その中にはくだんの命令違反先走り阿呆若年騎士どもも混ざっている。あのボケナスのせいで作戦の予定が狂ってしまったのだ。ソニアの怒りも当然だろう。

 僕自身、彼女と同様の憤りは抱いている。余計な死傷者を出すのも、作戦中に任務に反する行動をするのも、将校としてはあるまじき行為だ。断じて許せるものではない。

 

「なに、この程度の”想定外”なんて日常茶飯事だ。全て予定通りに進むつもりで作戦を立てる方がよっぽど問題だよ」

 

 とはいえ、今はそんなことに思考を割いている余裕などないのだ。僕はコホンと咳払いをして、視線を周囲に向ける。ちょうど、一人の伝令がこちらに駆け寄ってきたところだった。

 

「山砲隊の配置が終わりました。いつでも前進支援射撃を始められるとのことです」

 

 なるほど、砲兵隊の展開が完了したか。進軍停止も悪いことばかりではない。足の遅い砲兵隊が前線にたどり着いたのだ。これにより、我々は砲兵の支援を受けながら前進することが可能になった。戦いはずいぶんやりやすくなるだろう。

 

「たいへん結構。砲兵たちには『背中は任せた』と伝えておいてくれ」

 

 もっとも、砲兵支援はメリットばかりではない。その弾が敵に向かって飛んでいるぶんには良いのだが、まかり間違ってこちらの背中に当たったりすればたまったものではないからだ。

 むろん我が軍の砲兵の練度には信頼を置いているが、今は夜だ。正直なところ誤射を受けそうでとても怖い。

 

「閣下、王国兵どもの撤去……もとい、救助が完了いたしました」

 

 そして、それに続いて待望の報告もやってくる。ほっと安堵の息を吐き、前方に目をやった。

あいかわらずあちこちで人が倒れているが、まあ進めないことはない。状況的には一分一秒も無駄にしたいところだし、そろそろ進軍を再開すべきだろう。

 ……とはいえ、しかし。死者も重傷者も関係なくそこらの塹壕に投げ込んだだけのこの状況を"救助完了"と称するのは如何なものだろうか?

 むろん、好きでこんな外道行為をしているわけではない。今の我々に自力で動けないほどの負傷をした敵兵を治療してやるほどの余裕はないし、そもそもこの世界の医療水準では手当てをしたところで大抵は助からないのである。

 だから見捨てる。これは仕方のないことだから。……それだけでスパッと割り切れてしまうおのれ自身がどうにも嫌いだ。はぁ、ヤンナルネ。

 

「よろしい。旅団の全部隊に通達! これより敵本陣を目指し進撃を再開する!」

 

 軍旗を高々と掲げながらそう宣言すると、兵士たちは即座に鬨の声を上げてそれに応えた。意図せぬ停滞で戦意に冷や水をかけられたのではと心配していたが、どうやら問題ないようだな。

 むしろ、戦意が高すぎるのも考え物だ。調子に乗って暴走する者が出てくるからな。そういう意味では、頭を冷やす機会を得たのは幸いだったかもしれない。

 どこへ駆け出すかわからない暴れ馬を駆ってガムラン将軍と戦うなんて絶対に御免だ。少しは大人しくなって貰わねば困る。

 戦況は明らかに我が方優位だが、戦争は最後の決着がつくまでは絶対に油断するべきではない。対手が知将と呼ばれるほどの人物ならなおさらだ。

 

「今回の戦いは大勝したが、敵はこの隙に態勢を立て直しているはずだ。次の戦いはこれほど容易ではないぞ、気合いを入れろ!」

 

「オーッ!!」

 

 兵士たちは槍や剣を掲げ、威勢の良い声を上げた。惨劇の現場にはふさわしくない陽気な声音だ。まさに戦争って感じだな。悪趣味なことに、僕はこういう雰囲気が嫌いではなかった。

 

「全隊、前進開始!」

 

 憐れな戦死者たちの骸を踏みしめ、僕たちは前へと進む。まるで悪鬼の群れが行進しているようであった。

 



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第683話 くっころ男騎士の苦戦(1)

 王国兵の()を片付けなんとか進撃を再開した我々だったが、すぐにまた壁にぶつかった。

 とは言っても、先ほどのように遺体と重傷者に行く手を阻まれたわけではない。今度僕たちの前に立ち塞がったのは、生きた王国兵たちだった。

 

「押せ、押せ! とにかく押しまくれ、白兵あるのみ!」

 

 前線では彼我の槍兵同士が壮絶な殴り合いを演じている。昨今の戦場ではあまり見られなくなった光景が、夜戦という特殊環境によって一時的に復権しているのだった。

 もっとも、よくよく見れば敵の隊列には本職の槍兵だけではなく、銃剣を槍代わりにしたライフル兵も少なからず混ざっていた。強力なライフル小銃も白兵武器としてはシンプルな槍と大差ない。まさに宝の持ち腐れである。

 戦端を開いた当初は、もちろん彼女らは射撃で我が軍に対抗していた。しかし僕は損害を度外視した前進を命じ、敵ライフル兵を槍の間合いに捕らえることに成功したのである。

 こんな力押し戦術は、敵が整然たる戦列を敷いているのならまったく通用しない。しかし、今回に限っては上手くいっていた。王軍はいまだ混乱の最中にあり、統率された抗戦ができずにいるからだ。

 

「それでも、先ほどのような総崩れは起きていない訳だ。やはり猶予を与えてしまったのは(まず)かったな」

 

 軍旗を振って味方を鼓舞しつつ、小さく唸る。さっきの戦いでは少し小突いただけで敵は蜘蛛の子を散らしたように逃げ去ってしまったが、今回はそうなっていない。曲がりなりとも戦闘が成立している。

 これはつまり、王軍が恐慌から脱し戦意を取り戻しつつあることを意味していた。やっぱり、こういう作戦は速攻と連続攻撃が命だな。冷静になる猶予を与えてしまうと途端に雲行きが怪しくなってしまう。

 

「とはいえ、あの壊乱状態から短時間でここまで立て直すのは尋常ではないのぉ。敵も無能ではないようじゃ」

 

 木剣を油断なく構えつつ、ダライヤが応じる。魔法と剣技で遠近の戦いに対応できる彼女は、護衛役として最高の人材だ。その上作戦面での助言も一流なのだから本当にありがたい。

 

「ガムラン将軍の采配が効果を発揮しているのでしょうか? ……いえ、どうにもそういう雰囲気ではありませんね」

 

 そう分析するのはソニアだ。彼女の言うとおり、王国兵が統率を取り戻しつつあるのはガムラン将軍の手腕ではあるまい。

 なにしろ、彼女は無謀な突撃をさせるために督戦隊を用いるような将なのだ。いくら知謀が優れていても、兵どもから信頼されるようなタイプではない。このような指揮官は一度敗勢になるとあっという間に兵に見捨てられてしまう。

 

「フランセット殿下だな。おそらくは、陣頭指揮。奇しくも同じ構えというわけだ」

 

 ニヤリと笑ってそう言ってやると、二人の腹心は揃って渋い表情を浮かべた。どうやら、彼女らは僕が前に出ることには徹底的に反対のようだ。

 おかげで集団白兵戦が始まって以降、僕は戦列の後段へと引きずり下ろされてしまった。アル様はここで旗を振っていてください、とはソニアの弁だ。

 まあここからでも最前線に声は届くから、指揮の面ではそれほど問題はない。しかし、味方の兵が敵の槍や銃剣に刺される姿を見るたび、剣を抜いて前線に吶喊したい気持ちが強くなっていく。精神衛生上はたいへん良くなかった。

 

「昼戦ならば、旗印で敵将の位置がわかるのですが」

 

「こうも視界が悪いことにはな。目の前の敵しかわからん」

 

 携帯式の信号砲や後方の山砲隊はひっきりなしに照明弾を打ち上げているが、月光すらも差さない暗夜では焼け石に水だ。戦場が狭いからなんとか戦えているものの、やりにくいことこの上ない。

 そしてこの暗闇は、戦闘を陰惨な方向へと誘導していた。敵味方の火力が視界の確保されている一点に集中し、おびただしい被害を出している。

 

「ウッ!?」

 

 尋常ならざる衝撃と小石の飛来を受け、僕は危うく転びそうになった。戦列のすぐ後ろに敵重砲の榴弾が落着したのだ。

 着弾位置がもう少しズレていたら、僕たちは全滅していたかもしれない。なんとも危うい所だった。心臓がバクバクする。

 

「やはり砲兵戦では敵方が有利ですね」

 

 僕を自らの身体でかばいつつ、ソニアが苦々しい口調で吐き捨てた。

 怪我の功名と言うべきか、作戦の遅滞により我々は砲兵隊の支援を受けられるようになった。今も、少し後方に控えた八六ミリ山砲がひっきりなしに火を噴いている。

 もっとも、砲兵隊の準備が間に合ったのは我が方だけではない。敵もまた、同じように砲撃を展開していた。そして大砲の数は敵方のほうが圧倒的に多いのだ。砲戦ではあきらかに我が軍が後塵を拝していた。

 敵味方の砲撃は、もっぱら相手戦列のすぐ後方に向けられている。他に狙う先がないからだ。おかげで、僕たちは先ほどから幾度も着弾の余波を浴びて土まみれになっている。これでは後方にいる方がかえって危険かもしれない。

 

「なに、こんな戦場では砲兵なんぞ牽制くらいにしか役に立たない。砲兵火力での劣勢なんて大した問題じゃないさ」

 

 そんな中でもいまだに直撃が出ていないのは、下手に”前”を狙うと乱戦中の味方の頭上に砲弾が落ちる可能性があるからだった。

 誤射を避けようと思えば、出来るだけ遠間を狙うほかない。それがわかっているから、僕も敵弾の着弾が予想される範囲には兵を置いていなかった。その甲斐もあり、今のところ敵の砲撃ではそれほどの被害は出ていない。

 

「ましてや、こちらにはエルフがおるからの。射撃戦ではむしろこちらが優位かもしれんぞ」

 

 ダライヤが鼻を鳴らしながら言った。自らの種族を誇るような発言だが、その口調はむしろ皮肉混じりの苦々しいものだ。

 

「敵味方が混ざり過ぎてどいつ(どんわろ)が敵かわからんぞ!」

 

「打ち殺してから(ツラ)バ確認すりゃ敵か味方かハッキリすっど!」

 

「良か考えじゃ!」

 

 当のエルフはこの世の終わりみたいな会話をしながら矢を放ちまくっている。弓矢は曲射も出来るから、味方の頭越しに敵を攻撃することが出来るのだ。こういう盤面ではむしろ鉄砲以上に役に立つ武器だった。

 しかしそれは良いのだが、いかなエルフでも乱戦中に敵だけを選んで矢を打ち込むような離れ業は不可能だ。当然矢は味方の頭上にも降り注ぎ、前線の将兵からは非難囂々だ。

 

「おいッ! こっちは味方だぞふざけんなッ!!」

 

「バカヤローッ! 何が弓の種族だこのヘタクソがッ!」

 

 むろんエルフもこのような事を言われて黙っているような連中ではない。

 

短命種(にせ)どもはこれじゃっで根性が無っていかん! 良か、チャンバラは(オイ)らがやっで、貴様(きさん)らは後ろで見ちょけ!」

 

「そもそも短命種(にせ)が前で(オイ)らが後ろちゅう陣形自体が気に入らんどっ! 命を張ったぁ年長者からちゅうとが道理じゃろうが!」

 

 などと放言しながら木剣を抜いて前線に突撃し始めたのだからたまらない。やめろ、射撃支援の手を止めるな! 前衛要員は足りてるんだからお前らは弓兵に徹してくれ!

 

()バ抜かすなクソボケどもッ! お(はん)らは僕の兵児(へこ)じゃろうが僕の指示に従わんかッ!!」

 

 隊列を崩されてはたまらないので即座に制止する。エルフ語まで用いた叱責の効果は抜群で、エルフどもは即座に突撃を停止して引き返した。

 

「若様にここまで言わせてしまうとは! なんたっ不忠、腹を切って詫ぶっ詫ぶっほかなし! 許したもんせ!」

 

「介錯しもすっ!」

 

「自害するなーッ! 死ぬなら敵兵百人は道連れにしてから死ねッ!」

 

 ああ、もう、本当に扱いづらい連中だ。こいつらはエルフの中でも特に統制の取れていない義勇兵どもだから、手綱を取るのも一苦労だ。やっぱり、フェザリアの率いている連中はエルフの中でも上澄みなんだなぁ……。

 

「大将首はこのすぐ先にあるんだぞッ! 余計なことはするなッ! とにかく前進前進また前進! 何が立ち塞がろうが押し通れッ!」

 

 軍旗を振り回しながら熱弁する。ああ、畜生。寄せ集めを指揮するのは本当に大変だ。やはり、後ろでワアワア言うよりは僕自身が前に出て自ら範を示したほうが楽なのではないか?

 

「そんな顔をしても駄目ですよ、アル様。指揮官先頭禁止!」

 

「そもそも今の立ち位置の時点で既に一般的には指揮官先頭の部類じゃろ……」

 

 

 

 



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第684話 くっころ男騎士の苦戦(2)

 一度は壊乱の危機に陥った王軍ではあったが、フランセット殿下の陣頭指揮を受け前線の指揮統制は徐々に回復しつつあった。王軍将兵の組む密集防御陣形は強固であり、猛攻撃を仕掛けてもなかなかに破れない。気付けば、戦闘は膠着状態に陥っていた。

 

「王軍も存外に手強い……!」

 

 前線では、密集陣形を組んだ彼我の槍兵が壮絶な突き合い打ち合いを演じている。火器が普及しはじめた近ごろの戦場では久しく見られなかった光景だ。

 これは少し想定外の状況だった。なにしろ、密集陣形を用いた白兵戦というのはどちらかの戦列が崩れるまでそうそう決着がつかない。とにかく時間のかかる戦いなのである。

 敵軍が士気崩壊を起こせば、こうした組織的抵抗は起きないはずだった。実際、最初の攻撃では王国兵は戦列すら組まずに逃散している。ところがここに来て、王軍は完全に戦意を取り戻してしまったようだった。

 

「退くな! 押し返せ! 君たちがここで敗れれば、君たちの故郷はあの蛮族どもの手に落ちることになる! それが許せるか!」

 

 そんな檄が敵陣の方から聞こえてくる。フランセット殿下の声であった。

 

「郷土愛に訴えかけるとは。なるほど、この土壇場でよく頭が回るものですね」

 

 そう呟くソニアの声は悔しげだ。すぐそこにある総大将の首になかなか手が届かないこの状況が歯がゆいのだろう。

 

「エルフどもの脅威はすでに王軍将兵らにも知れ渡っている。それが逆に彼女らを奮起させているんだ」

 

 現在、最前線で白兵戦を演じている我が軍の部隊は、竜人(ドラゴニュート)を中心とした槍兵隊だ。にもかかわらず、敵陣から聞こえてくる罵声は

 

「蛮族風情に屈するな!」

 

とか

 

「エルフの魔手から故郷を守れ!」

 

 などというものが多かった。王国兵たちはあきらかに主敵にエルフを据えている。彼女らの暴れぶりがそれだけ象徴的だったのだろう。

 それで怯えてくれるのならやりやすいのだが、王国兵は「こんな野蛮な連中を野放しにしていたら自分たちの故郷が危ない」と奮起している。フランセット殿下も、意識的にこの義憤を煽っているようなフシがあった。

 この郷土愛が敵軍の奮戦のカラクリだろう。昼間の無謀な突撃戦で王国将兵の王室尊崇の念は薄れているだろうが、自らの故郷を守るためならば頑張れてしまうということだな。

 

「そんなにエルフが嫌いなら、お望み通りエルフをぶつけてやれば良いではありませんか」

 

 ソニアは唇を尖らせつつ言いつのる。現在の我が軍の陣形は先ほどまでとまったく変わっておらず、竜人(ドラゴニュート)中心の諸侯軍を前衛に据え後衛のエルフ隊が弓矢魔法でそれを援護する形のままだった。

 むろん当のエルフとしてはこの采配には不満があるようで、ことあるごとに前に出ようとする。しかし僕はそれを決して許しはしなかった。

 

「バカを言うでない。こんな身動きの取れない戦場では、エルフの持ち味はまったく発揮できんぞ。エルフ隊を前衛にしても、余計な損害が出るばかりじゃ」

 

 いきり立つ副官をなだめるのはダライヤだ。彼女は呆れたような表情で戦場の左右に目を向ける。そこには、平行する形で掘られた二本の塹壕線がある。

 

「エルフ兵の本領は敵を翻弄する遊撃戦じゃ、今回のような腰を据えての殴り合いにはまったく向かん。体格と体力の差がモロに出てしまうからのぉ」

 

 自らの身体を指し示しつつ、ダライヤは皮肉げに笑う。このロリババアはかなり極端な例だが、エルフは基本的には華奢な人種だ。大柄で骨格も丈夫な竜人(ドラゴニュート)と正面から戦うのは少しばかり厳しいのである。

 ましてや、今の戦場はたいへんに狭い。迂回して敵の側面や背面を突こうとしても、塹壕が空堀のように機能して上手くはいかない。選択できる戦術は正面突破だけだった。

 

「むぅ、しかしこのままでは……」

 

 口惜しげにほぞを噛むソニア。彼女の声には僅かな焦りの色があった。時間を浪費すればするほど我が方が不利になることを承知しているからだ。

 なにしろブロンダン旅団は敵中奥深くに切り込みすぎている。今はまだ正面にしか敵はいないが、王軍が本格的な反撃に転じれば四方八方から袋だたきにされてしまうだろう。そうなれば一巻の終わりだ。

 いやはや参ったね。少しばかり、敵軍の粘り強さを見誤ったかもしれない。昼間あれほどの消耗戦を演じておきながら、ここまでの士気を維持しているとは。

 

「じきに援軍がやってくる! そこまで耐えれば我らの勝ちだッ!」

 

 朗々とした声でフランセット殿下が叫ぶ。遠くまでよく届く、指揮官向きの声質だ。乱戦中にこそ効果を発揮するたぐいの将才だな。正直なところ、かなり厄介だ。

 

「前線の兵士にこれ以上頑張れと言うのも酷だしな……さて」

 

 どうしたものか、とは口に出せなかった。指揮官が迷っている姿を部下たちに見せるわけには行かないからだ。

 兵士達はすでに十分な力戦をしている。ここからさらに押し込むというのは、兵士個人の努力だけでは絶対に不可能だ。なにか外科的な方法を用いないことには事態の打開は不可能だろう。

 ああ、援軍が欲しい。ジェルマン師団がここで再攻勢を仕掛けることができれば、敵軍の士気も完全に折れただろうに。

 しかしそのジェルマン師団は昼間の戦いで極めて大きな損害を受けており、もはや組織的な戦闘力を残していない。二線級の部隊で王軍本隊の攻撃を防ぎ続けたわけだから、当然のことである。

 ならば、ジルベルト率いるプレヴォ旅団はどうか? ……残念ながら、こちらも厳しい。むろんズタボロのオレアン軍に遅れを取る彼女らではないが、流石にいきなり攻撃を切り上げてこちらの援軍に向かうのは難易度が高すぎる。

 いかな精鋭とはいえ、反転中に攻撃を浴びればひとたまりも無い。その上、この暗夜では伝令や手旗信号を介した情報伝達にも困難が生じる。有機的な連携などとても取れないだろう。

 さて、さて、さて。こりゃ参ったな。どうやら、チェックメイトにはまだあと一手が足りないようだ。しかし、僕の手元にはもう一枚の手札も残されてはいない。このままではじり貧だぞ、なんとか打開策を考えねば……

 

「ッ!?」

 

 などという考えが脳裏をよぎった、その瞬間である。敵陣の遙か後方で凄まじい閃光が弾けた。それから数秒おいて、今度は鼓膜を突き破りそうなほどの轟音が僕たちを襲う。

 騒然としていた戦場が、一瞬静まりかえった。敵も味方も混乱し、戦いの手を止めている。それほどの爆音であった。どうやら、何かが大爆発を起こしたようだ。

 

「なんだ、今のは。味方の砲撃ではないようだが……」

 

 光と音の時間差から見て、爆発が起きたのはここから数キロ以上離れた地点のようだ。我々の八六ミリ山砲は射程が短く、それほど遠方まで砲弾を飛ばすことはできない。

 いや、そもそも爆発自体が小口径榴弾などとは比べものにならないほどの大きさだった。五百キロ以上の航空爆弾とか二○三ミリ重榴弾とか、そういう規模の兵器を使ったときの爆発に近い。

 

「うかつな敵砲兵が装薬でも誘爆させたのでしょうか?」

 

「かもしれん」

 

 それくらいしか考えられないよなぁ? と首をかしげていると、今度は遠くから不思議な音色が聞こえてくる。今度は爆発音ではない。何かの楽器を奏でいるようだ。

 

「……ん? これは」

 

 そこで僕はピンと来た。間違いない、これはバグパイプの音色だ! ソニアの故郷、北方領でよく聞かされた竜人(ドラゴニュート)の民族楽器……!

 

「そうか、とうとう奴らが来たか!」

 

 戦場でバグパイプを奏でる連中など、僕は一人しか知らない。そう、ソニアの妹ヴァルマ・スオラハティである。間違いない、あの爆発はヤツの差し金だ。

 

「ソニア、ここからは競争だ。ここまで追い詰めて、肝心な手柄を持って行かれたのでは面白くない! 行くぞッ!」

 

 一も二もなく、僕は軍旗を担いで走り出した。目指すは最前線、敵陣のまっただ中だ。なにしろ、王国兵は後方で起きた大爆発であっけにとられている。仕掛けるならば今しかない!

「大将首は我らのものだ! 総員、吶喊せよッ!」

 



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第685話 覇王系妹の参戦

「こりゃキレーな花火ですわねぇ!」

 

わたくし様、ヴァルマ・スオラハティは眼前で上がる爆煙を見つつ大笑いしておりました。なまじの大砲などとは比べものにならないその大爆発は、我々の参戦を知らせる狼煙としてこの上なく機能したことでしょう。

 

「流石はニコラウスくん、相変わらず素晴らしい腕だ」

 

 となりで感心の声を上げる漆黒の甲冑騎士は、アレクシア・フォン・リヒトホーフェン。隣国神聖オルト帝国の先代皇帝にして、ガレア遠征軍の司令官でもある人物ですわ。

 

「あの魔術師くん、義足でよくここまでやりますわねぇ。少人数で敵に肉薄して、戦略級魔法をブチかます……よほど肝が据わってないとできない作戦ですわ」

 

 ニコラウスくんというのは、このアレクシアのお抱えの魔術師ですわ。お城を崩すほどの強烈な爆裂魔法をたった一人で発動できるという優秀な魔法使いで、今回の作戦では先鋒を担当しております。もちろん、先ほどの爆発もこの人物の手によるものでしてよ。

 

「”同志”の危機ということで張り切っていたからな。ニコラウスくんとアルベールは友人同士なのだ」

 

 自慢げに語るアレクシアに、わたくし様は苦笑交じりに肩をすくめました。このニコラウスという魔術師は、なんと男性だったのです。

 わたくし様、まさかアルベール以外に戦う男性がいるとは知らなかったものですから、初対面の時はそれはもうぶったまげたものでした。

 

「さーてさて! 魔術師くんも一発ブチかましてくれたことですし、今度はわたくし様たちの出番でしてよ!」

 

 なおも自慢話を語ろうとするアホ先帝を無視し、わたくし様は愛用の斧槍(ハルバード)を掲げてそう宣言いたしました。

 現在、わたくし様たちガレア遠征軍はロアール川北岸に布陣する王軍本隊を西側から強襲できる位置についております。本来ならばこの戦場への到着は明日の昼頃になる予定だったのですけれど、強行軍で強引にカッ飛ばして来ましたの。

 

「アルベールはもうとっくに事を始めておりましてよ! このままでは、わたくし様たちのいただく獲物が無くなっちゃいますわ! 急いで我々の取り分を確保しますわよーっ!」

 

 前方の戦場では、砲炎やら照明弾やらが頻繁にチカチカと光っております。明らかに夜戦の真っ最中ですわね。

 まったく、アルベールもとんだ早漏ですわ。わたくし様たちが到着する前に事を済ませようなんて、そうは問屋が卸しませんの。手柄を押し売りしまくって、戦後の発言権を確かなものにしなくては。

 

「おい、総大将は我だぞ。なぜ貴様が仕切っている」

 

 渋い顔のアレクシアが、わたくし様に苦言を呈します。まったく、図体はデカいくせに細かいことを気にする女ですわねぇ。そんなんだからモテないんですわ。

 

「諸君! これより我らは王国軍本陣に強襲を仕掛ける! アルベール軍との挟撃を狙うのだ! ガレアの火薬狂いどもに、伝統ある騎士の力を見せつけてやれ!」

 

 わたくし様の号令を上書きするように、アレクシアは大音声(だいおんじょう)でそう宣言いたしました。その声には僅かながら焦りの色が含まれております。

 ま、そりゃあそうですわね。わたくし様はこのいくさに勝ちさえすればアルベールとのゴールインは確定しておりますけど、アレクシアはそうではありませんもの。意地でも大手柄をあげて、いろいろとアルベールに要求したいのでしょう。

 

「オオーッ!!」

 

 武器を掲げてそう応える神聖帝国の騎士達は、この寒さの中でも元気がいっぱい。先の戦いでやられたぶんを王国にやり返してやろうと復仇に燃えております。

 

「いくぞ諸君! 我に続け!」

 

 アレクシアの先導を受け、無数の騎馬甲冑騎士が夜の田園を駆けてゆきます。傍から見れば、一枚の絵画のごとき勇壮な光景でしょうね。あとで絵画として描かせるのも良いかもしれませんわ~!

 

「前方に敵騎兵隊発見!」

 

 などと考えながら夜駆けを楽しんでおりましたら、それに水を差すような報告が入って参りました。このまま敵本陣を奇襲するつもりだったのですけれど、さすがにそう上手くはいきませんわね。どうやら王軍の騎兵隊が迎撃に出てきたようですわ。

 

「どうしますの?」

 

「むろん蹴散らす」

 

 その端的な返答に、わたくし様は満足を覚えました。やはり、そう来なくては。

 神聖帝国によるガレア遠征軍の陣容は、総勢一万。そしてその全てが騎兵というたいへんに機動力に優れた編成となっております。戦力としては圧倒的ですわね。

 ただし、遠征軍に参陣した騎兵はほとんどが神聖帝国諸邦から招集された様々な出自の騎士達であり、はっきり言って結束は皆無ですわ。もちろん、合同訓練などもまともに実施したことがございません。

 つまり、たとえ昼戦であっても統制だった連携攻撃などとても実施できないような烏合の衆というわけです。当然ながら、夜戦ともなればもうワヤクチャですわ。同士討ちを避けることすら困難やもしれません。

 そういう事情がありますから、ひとたび戦端を開くとあとは配下の手綱は手放すほかありません。各々の判断に任せ、好き勝手暴れさせる以外の戦術は取れないのです。

 

「わたくし様好みの戦術ですわね。たいへん結構!」

 

 とはいえ、最終的に勝てるのならばその過程でどれほどの混乱が生じようとも別に構いませんわ。いい加減そろそろ暴れたいところでしたし、わたくしはニッコリと笑ってそう返します。

「バグパイプ隊、演奏を開始なさい! 我らの参戦を王軍のカカシどもに知らしめるのです!」

 

 命令に従い、わたくし様自慢の騎馬バグパイプ部隊が勇壮なる行進曲を奏で始めます。バグパイプほど聞く者の闘志に火を付ける楽器はございません。

 大火のように燃え上がる戦意に導かれるまま、わたくし様と配下の騎士達は武器を掲げ一斉にウォークライを叫びました。神聖帝国騎士達が蛮族の奇習を見たような顔をしておりますが、知ったことではありません。――さあ、いざ戦争ですわ!

 そう思った矢先のことでした。突如として、濁った闇に満たされていた戦場に光が差し込みました。空を覆っていた厚い雲が晴れ、月が顔を出したのです。

 

「おや……」

 

 凍月の冷たい光に照らされた先には、広大な田畑に布陣する騎兵の大軍でした。数は……千といったところでしょうか?

 こちらは一万で敵は一千。圧倒的な戦力差に見えますが、実際のところそれほど楽観はできません。そもそも、騎兵一万というには夜戦で用いるにはいささか過大にすぎる戦力です。一塊に運用したりすれば、敵と戦うより早く味方と衝突してしまいます。

 そういうわけですから、遠征軍は多数の小グループに分け、時間差をつけて攻撃を仕掛ける手はずとなっております。先陣を切る我らの旅団は、総勢千五百名。地の利が敵にあることを思えば、それほど有利な兵力差ではありません。

 

「あの家紋、もしや」

 

 しかし、問題はそこではありませんでした。敵陣の中央に掲げられた旗印を見たアレクシアは妙な表情を浮かべ、わたくし様麾下の部隊へと視線を移します。そこには、敵とまったく同じ紋章が描かれた軍旗が掲げられておりました。

 

「おや、おやおやおや。こんなところでスオラハティ軍が相討つとは。すこしばかり想定外ですわねぇ」

 

 間違いありません。敵騎兵部隊の司令官は、わが二番目の姉――マリッタ・スオラハティのようですわね。あの間抜けで意気地なしのほうの姉が敵方についていることは、もちろんわたくし様も承知しております。

 

「いかに外道の貴様とは言え、姉妹同士で殺し合いなどしたくはないだろう。ここは我に任せておけ」

 

 そう言ってズイと前に出ようとするアレクシアを、わたくし様は斧槍(ハルバード)で制止いたしました。これは彼女なりの気配りでしょうけど、もちろんそんなものは不要です。むしろ、敵がマリッタであるからこそわたくし様が前に出なくては。

 

「いえ、いいえ。一番槍を譲る気はありませんわ。わたくし様がゆきます。我が騎士たちよ、旗を掲げなさい! 敵にスオラハティはここにありと示すのです!」

 

 敵と同じ軍旗を高々と掲げさせ、わたくし様は愛馬の腹を蹴って増速を促しました。まったく、マリッタめ。どうしてこんなところにいるのかしら? ちょっと理解に苦しみますわ。わたくし様自ら、あの阿呆な姉の目を覚まさせてやらねばなりませんわね。

 

 



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第686話 覇王系妹とシスコン系妹

 冬の月が、凍てつくような光で戦野を照らし出す。相対する二陣営の騎兵隊、掲げる旗は奇しくも同じ紋様――そう、この戦いはスオラハティ家の内紛でもあったのです!

 わたくし様の二番目の姉、マリッタ・スオラハティは愚かにも王太子陣営へと着きました。そのあげく、妹たるこのわたくし様の前へと立ち塞がったのです! ああ、なんたる悲劇!

 慈悲深きボケナスであらせられるアレクシア先帝陛下は、姉妹同士で骨肉相食む事態を避けるべく、わたくし様に後退を命じられましたが、まさかそれに従う訳には参りません。

 なにしろ一番槍の栄誉を他の者に譲るわけにはいきませんからねえ! このいくさで派手に手柄を稼がないことには、わたくし様の欲しいモノ……アルベールやら王冠やらはどんどんと遠のくばかりですもの。マリッタ如きに邪魔されちゃたまったものではありませんわ!

 

「スオラハティの旗を誇示しなさい! わたくし様と母と姉に同時に反抗した阿呆に、我々の正統性を見せつけるのです!」

 

 わたくし様の騎兵隊は、皇帝軍先鋒からさらに先行して敵陣へと近づいていきます。もちろん、軍旗を掲げることも忘れません。凍り付いた戦場にバグパイプの音色が響き、ヴァルマ・スオラハティここにあり! と激しく主張しておりました。

 敵の数は騎兵が千、軍旗から見てマリッタ配下の部隊でしょう。もちろん阿呆姉の手勢は千もおりませんから、王太子殿下の靴を舐めて貸してもらった配下でしょうね。

 ちなみに、わたくし様の手勢はせいぜい百程度。むろん全員が一騎当千のつわものですが、一対十の戦力差で正面から殴り合うのはいささか厳しゅうございます。

 それがわかっていてなお、わたくし様の騎兵隊は主力から離れてぐんぐんと突出していきました。アホクシア先帝陛下が後方でなにか喚いておりますが、もちろんガン無視でしてよ。

 

「敵の一部が主力から分離いたしました! こちらに接近する模様!」

 

 副官の報告に、わたくし様はほくそ笑みました。本隊を差し置いてこちらに近づいてくる一隊が掲げている旗には、わたくし様の掲げるものと全く同じ紋様が描かれております。そう、出てきたのは我が姉マリッタだったのです!

 

「うふふ、餌に食いつきましたわね~? 相変わらず単純な女ですわっ!」

 

 わたくし様がこうして前に出れば、マリッタは必ず応じてくれると信じておりました。姉妹の絆というヤツですわ。指揮官たる阿呆姉を誘い出してしまえば、あとは煮るなり焼くなり自由自在でしてよ~!

 

「やはり現れたな、ヴァルマ! 火事場泥棒は貴様の得意技だものな、必ずこのタイミングでやってくると思っていたぞ……!」

 

 敵部隊の先頭に立つ騎士が、サーベルでこちらを指し示しつつそう叫びます。どうやら、やはりマリッタ本人が出てきたようですわね。

 わたくし様は配下の者どもにいったん前進を停止するよう命じました。このまま問答無用でマリッタの首を取りに行く、という選択肢もありはしますけれど、そういうのはわたくし様の趣味ではありませんもの。

 

「皇帝軍の来襲を予想し、すぐに迎撃できる場所に陣を張っていたと。なるほど、流石はわたくし様の姉ですわ~! 素晴らしい戦術眼でしてよ~!」

 

 自らも愛馬を止め、極力にこやかに応じます。

 

「けれども、戦略眼のほうはダメダメですわね~! 敗北必至の王太子軍につくなんて、まったくマリッタお姉様のおめめは節穴かしら~? ガバガバなのはアソコの穴だけにしていただきたいですわね~!」

 

「裏切り者がよく言う……! スオラハティはヴァロワ王家の臣下だぞッ! 王家の危機にはせ参じるのは当然のことだ!」

 

「裏切り者はマリッタお姉様のほうでしょう? ソニアお姉様も、わたくし様も、そしてお母様も! スオラハティ家のほとんどはアルベール軍陣営についております。例外はあなたの一党だけでしてよ~?」

 

 びしりと指で指し示しながら指摘してあげますと、マリッタはぐっと押し黙ってしまいました。どうやら、阿呆姉にも自分が孤立している自覚はあるようですわね。

 

「そもそも……そもそも、ですわよ? お姉様は、どうしてこんなところにいらっしゃるのかしら? 申し訳ありませんけれど、お姉様は布陣場所を誤っていらっしゃいましてよ~?」

 

「ハァ? なにを言っている。実際、お前達はこうして我々の眼前に現れたではないか。どこに誤っているところがある」

 

 馬鹿にしきった様子で反論してくるマリッタですけれど、問題はそんなことではありません。わたくし様は深々とため息を吐き、額に手を当てて左右に首を振りました。

 

「でも、この戦線にはお姉様の大好きな二人……アルベールもソニアお姉様もいらっしゃいませんことよ? あの二人のお相手を、アンポンタン王太子に丸投げして大丈夫ですの? よしんばこのいくさに勝ったとしても、二人を打ち倒したのが王太子ではマリッタお姉様が口を挟む余地は無くなってしまいますわよ?」

 

 一息にそこまでしゃべり、わたくし様はいったん言葉を句切りました。マリッタは呆けたような目つきでこちらを見ております。よほど、わたくし様の指摘が予想外だったのでしょう。

 

「ああ、申し訳ありませんわ。マリッタお姉様としてはむしろそれは望むところかもしれませんわね? なにしろ、お姉様はアルベールやソニアお姉様から逃げ出してこんなところで一人ウジウジしていたのですもの」

 

 ニヤッと笑ってそう指摘してやりますと、マリッタはひどくショックを受けた様子で顔を引きつらせました。図星……ですわね?

 隣で副官が「部下千人を連れて一人でウジウジしていたのか……」なんて呟いておりますけど、それは完全に無視して言葉を続けます。

 

「○袋なしのお姉様に、あの二人と真正面から向き合って戦う勇気なんてありませんものねえ? 背後からの奇襲にそなえ、迎撃準備をしておく……なんとも都合の良い言い訳ですわっ! うふふ、お姉様はこういう自己正当化だけは昔から得意でいらっしゃるものねえ!」

 

「きさ、貴様、さっきから黙って聞いていれば、愚弄するにもほどがあるっ! このワタシがお姉様から逃げただとッ!? どう勘違いしたらそんな恥知らずな勘違いが出てくるのか、貴様の頭蓋を割って確かめて……」

 

「でもよろしくってぇ? アルベールの対処をあの好色王太子に任せていたら、あの男は王太子のモノにされてしまいますわよ? 心の底から好いたオトコが力尽くで主君のモノにされ、彼女の色に染め上げられてしまう……そんな状況が、マリッタお姉様に耐えられるのかしら?」

 

 反論を完全に無視してそう言い放ってあげますと、マリッタはまた黙り込んでしまいました。もちろん、わたくし様の指摘したようなことについて、彼女がまったく考えていなかったという訳ではないでしょう。マリッタにだってそのくらいの頭はありますわ。

 むしろ、耐えがたい未来予想だったからこそ、思考に蓋をして考えないようにしてしまっていたのでしょう。この女には、昔から嫌なことがあるとすぐにこうして思考停止してしまう悪癖があります。

 

「ソニアお姉様も、負けたからにはタダでは済みませんわ。良くて戦死、悪くて罪人としての処刑! あなたがいくら弁護しても無意味ですわ。これほどの大反乱ですもの、王太子としても甘い対応はできません」

 

「……」

 

 一言も喋れないマリッタに、彼女の配下達が動揺しはじめます。うふふ、すっかりわたくし様の手の平の上で踊ってくれてますわね~! 気持ちいいですわ~!

 

「当のお姉様は……ま、それなりに重用されるでしょう。功臣ですものね? 王太子自らが選んだ、家柄が良くて貞淑でお美しい令息と結婚させてくれるやもしれませんわね? クスクス、あなたの好みとは正反対の、お可愛い軟弱な男の子とね……!」

 

 いくらわたくし様でも、姉相手にここまで言ったことは初めてです。いやぁ、本当に最高の気分ですわ。

 

「みじめ! なんたるみじめな人生でしょう! 可哀想ですわ~! わたくし様なら、すぐ出奔して出家しちゃいますわ。愛するオトコを目の前に吊るされた状態でそんなオトコと結婚させられるなんて、最悪すぎますもの。一生自分の右手を恋人にしていた方がよほどマシですわ~!」

 

「何が言いたいんだよ、お前はぁ! そんなにワタシの事が嫌いなのか……!」

 

 マリッタお姉様はすっかり半泣きです。うひひひ

 

「事実を指摘しているだけですわ~! 本当に欲しいモノに手を伸ばそうとせず、膝を抱いて現実に背を向けているアホな姉にはお似合いの結末でしょう。十割自業自得でしてよ~!」

 

 いや、本当に自業自得ですわ。今のわたくし様に罪があるとすれば、それは事実陳列罪だけだと思います。

 しかも、わたくし様が語ったのはあくまで王太子が勝利する未来の話。現実には、勝つのはアルベールのほうでしょう。マリッタに待つ未来はこれよりも遙かに過酷なものとなる可能性が高いでしょうね。

 

「だから言ったのです、布陣する場所を間違っていると。お姉様は、王太子を押しのけてでも主戦場に向かうべきでした。そこでアルベールとソニアを打ち負かし、自らの手で保護するべきだった。それをやらなかった時点で、マリッタお姉様は紛うこと無き負け犬! 敗北者でしてよ~!」

 

「お姉ちゃんに対してなんでそんなひどいこと言うの……」

 

 マリッタ、完全敗北。もう完全に泣いてますわ。部下がドン引きしてましてよ?

 

「馬鹿姉! 今からでも遅くはありませんわっ! こっちへ付きなさい! 三姉妹揃って、一人の男を共有する! 悪くない未来でしょう? しかし、他にもアルベールを狙うオンナは多い……いくらわたくし様でも、すこしばかり分が悪いのです。力を貸しなさい、マリッタ!!」

 

 迫真の表情でそう叫ぶと、マリッタの表情が少しだけ明るくなりました。どうやら、わたくし様の提案に希望を覚えている様子。

 まったく、我が姉ながらなんて阿呆なんでしょう。自分でも後ろめたく感じるような事ばかりしているから、こんな猿芝居に乗ってしまいそうになるのです。ソニアの阿呆もこういう所はありますし、やはりアホ姉二人にはわたくし様の監視と指導が必要ですわね。

 

「しかし、そんな、ここまで来て裏切りなど……」

 

 しかし、マリッタは未だに躊躇がある様子。でも、あと一押しで転びそうですわね。部下たちが血相を変えて「聞く耳を持つな」と進言しているにもかかわらず、それら一切が聞こえていないみたいですし。

 

「裏切り? 結構ではありませんか。恋と戦争においてはあらゆる手段が正当化されます。悪徳上等! 最後に笑うのは高潔な敗者ではない! 全てを手に入れた勝者でしてよ!」

 

「勝者……」

 

「馬鹿姉! これが最後の機会です。ともに勝利の美酒を味わいましょう! こっちへ来なさい! ともにアルベールのところへゆくのです!」

 

 そこまで言って、やっとわたくし様は口を閉じました。ここまで来たら、もう言葉は不要。姉の決断を待つばかりです。マリッタはしばし考え込み、そして……

 

「…………うう、畜生。ワタシは馬鹿だ、特級の馬鹿で恥知らずだ。でも……妹と殺し合うくらいなら、姉と兄を失うくらいならッ! 恥知らずになったほうがまだましだッ! いくぞ、敵は本陣にありッ!!」

 

 馬を百八十度回頭させ、剣を掲げてそう叫びました。ええ、わたくし様の無血勝利ですわ。うふふ……。

 

「スオラハティ三姉妹はみんな違ってみんな駄目だ……」

 

 などとほくそ笑んでいたら、副官のそんなつぶやきが耳に入りました。彼女を蹴っ飛ばしてから、わたくしは愛用の斧槍(ハルバード)の切っ先を敵陣へと向けました。

 

「我が姉に続きなさい! 攻撃開始!」

 

 やれやれ、単純な姉で助かりましたわね。わたくし様としても、さすがにマリッタは斬りたくありませんでしたし。ま、たぶん向こうも同じ事を思ってたんでしょうけど。

 なにしろ、決戦の最中にソニアとアルベールから逃げたような情けないオンナですものね。家族を手にかけるような度胸は最初からありませんわ。そういう意味では、わたくし様が前に出た時点でもうマリッタの心は折れていたのかも知れませんわね……。



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第687話 くっころ男騎士と最後の突撃

 フランセット殿下の陣頭指揮を受け、にわかに体勢を立て直し始めた王軍。ブロンダン旅団は敵中で孤立しており、攻守が逆転すれば一転して窮地に立たされることになる。

 これはいささか(まず)い状況ではあるまいか――そんな考えが僕の脳裏をよぎったその瞬間、突如として敵の後方で大爆発が起きた。

 続いて聞こえて来たバグパイプの音色で、僕は爆発の正体を確信した。偽装ではない、本物の皇帝軍が来援したのだ!

 今回の速攻作戦には、神聖帝国の介入を可能な限り防ぐという目的もあった。その目論見は脆くも崩れ去ってしまった訳だが、この猫の手も借りたい状況ではそんな曰く付きの援軍ですら有り難い。僕は即座に麾下の部隊へ総攻撃を開始するよう命じた。

 

「目指すは大将首のみ! 雑兵の首など捨て置け!」

 

 軍旗を手に敵隊列に切り込みつつ、高らかに命じる。ほんの数分までは一分の隙もない密集防御隊形を組んでいた王軍槍兵隊であったが、いまやその陣形は千々に乱れている。つけ込める隙はいくらでもあった。

敵の後方、すなわち西の方角からは剣戟と発砲の音、そして女達の蛮声や悲鳴といった戦場音楽がひっきりなしに鳴り響いている。王軍主力は前後から挟撃を受けているのだ。

 

「お、終わりだ……ガレア王国はもうおしまいだ!」

 

「北岸の敵は皇帝軍じゃないって言ってたのに、やっぱり嘘じゃねーかよ! 畜生、あたしらは騙されてたんだ!」

 

 熟練の古兵であっても、こうした状況で泰然自若としていられる者は多くない。勝手に逃げ出す者が相次ぎ、戦列がどんどん歯抜けになっていく。こうなるともはや立て直すのは不可能だ。

 

「退くなッ! お前たちが退いたら本当にこの国は終わりだぞッ! 踏みとどまれッ!」

 

 そんな中でも、懸命に戦い続ける者たちがいる。四面楚歌の中でも最善を尽くそうとするその姿は、まさに英傑。彼女らのような兵隊こそ、真の勇者であろう。

 

「キエエエエエッ!!!!」

 

「グワーッ!?」

 

 そんな心の底から褒め称えたくなるような勇者を、僕は軍旗で刺し殺した。殺さねば前に進めぬなどという、至極くだらない理由でだ。戦場では尊敬すべき人間から先に死んでいく。なんとむごい話だろうか。

 

「アル様! アル様ーッ! 軍旗は武器ではありませぬ! お控えください!」

 

 感傷的な思考を、ソニアの叫びがかき消した。彼女は愛用の両手剣を手に、雑兵どもをまるで雑草のように刈り取りまくっている。獅子奮迅と呼ぶほかない活躍ぶりであったが、その顔に浮かんでいるのは笑みでも怒りでもなく心配だった。

 

「穂先がついているのだから武器だろう」

 

「自衛用です、それは! 積極的に敵にブッ刺すものではありません!」

 

 そうは言われても、この軍旗の旗竿には歩兵の用いる槍がそのまま流用されているのである。武器以外のなんだというのだろうか? 

 

「フランセット殿下の旗印は、もうすぐそこなんだぞッ! ここで僕が引っ込むのは無作法が過ぎるッ!」

 

 軍旗の穂先で指し示した先には、高々と掲げられた龍の紋章がある。ヴァロワ王家の家紋だった。敵の総大将、フランセット殿下の居場所を示すものだ。

 手を伸ばせば届きそうな距離に、敵の大将旗がある。僕の気がはやるのも当然のことだった。殿下を討つなり捕虜にするなりしてしまえば、この戦争は完全に終わる。これ以上の余計な流血を避けるためにも、一分一秒でもはやくあそこにたどり着きたい。

 

「見よッ! 我らのゆく道は、我らが御大将ブロンダン卿が切り開いている! 彼の演説に偽りはなかったのだ! 栄光の道へ我らも続けッ!」

 

短命種(にせ)ん若様があげんまでに女々しゅう戦うちょらるるんどッ! 貴様(きさん)ら、男ん背に隠れて恥ずかしゅうなかとかッ! 行け、行け、行けッ! 矢面に立つべきは我らエルフじゃッ!」

 

 ソニアはたいへんに嫌そうだが、それでも指揮官先頭の効果は凄まじいものがあった。竜人(ドラゴニュート)もエルフもその他の種族も関係なく、皆が全身全霊をかけて戦ってくれている。浮き足だった王国兵に、この怒濤の攻撃に耐えるだけの気力は残されていなかった。

 

「やってられっか、チクショー!」

 

「私には夫と三人のガキがいるんだ、こんなところで死んでられっかー!」

 

 とうとう王軍の防御陣形が完全に崩れた。兵士達は武器を捨て、我先にと逃げ始める。僅かに残った勇敢な者も、あっという間に袋叩きにされてしまった。

 

「アル様、フランセットが!」

 

 ソニアの叫びに、僕は慌てて視線を敵陣後方へと向ける。前線の壊乱を見て殿下の心が折れ、撤退を始めたのではないかと思ったからだった。

 しかし、現実はその真逆だった。勇壮なる火吹き竜の旗は、我々から逃げようとする兵士たちの流れに逆らうようにしてこちらむけ前進をしていた。それを見て、僕の心に複雑な感慨が浮かぶ。殿下が、あの紋章に恥じぬ心意気の持ち主であることを理解したからだ。

 

「殿下は最終的解決をお望みか。たいへん結構! 応じぬ理由はない!」

 

 槍のように構えていた軍旗をスッと上げ、地面へと突き立てる。もはや、これを掲げて前へ進む必要はない。王軍の前線は完全に崩壊しており、我々の行く手を阻むものは何も残っていなかった。

 

「王太子が前に出てきた……? ヤケクソでも起こしたか」

 

「手柄首が自ら寄ってきよったど、感心な首級じゃ。よっし、ここは(オイ)が」

 

「やめんか! アレは若様ん獲物じゃ、手を出すつもりならタダじゃおかんど!」

 

 そんな会話が我が方の兵士達の間で交わされているうちに、とうとう軍旗の主が僕たちの前に姿を現した。瀟洒だが実戦的な防寒コートに身を包み、旗竿を肩に担いだ女だった。その傍には、冴えない風貌の中年女が付き従っている。

 

「フランセット・ドゥ・ヴァロワ殿下とお見受けする! アルベール・ブロンダン、故あって貴殿を討ちに参った!」

 

 背後の部下らを抑えつつ、戯曲めいた調子で名乗りを上げる。敵司令官だ、ぶっ殺せ――そんな無粋な命令は出さない。このいくさは反逆以外の何物でもないが、だからこそ最低限の一線は守らねばならないのだ。

 

「いかにも、余こそヴァロワ王家とガレア王国の正統なる後継者、フランセット・ドゥ・ヴァロワである!」

 

 フランセット殿下は堂々たる大音声でそう応じた。かつての軽薄で軟派な彼女とはまるで別人のような、王者然とした態度だ。

 ああ、まったくもって気分が悪い。最後の別れの時、彼女はまるで捨てられた子犬のような表情をしていた。それが、今や立派な敵手として僕の前に立ち塞がっているのである。

 むろん、王太子という肩書きにふさわしいこの凜とした立ち振る舞いには敬意を覚える。けれども、これは成長と呼んで良いものなのだろうか? ただ、必要に迫られてかぶりたくもない仮面を被らされているだけなのではないか……。

 

「僕はあなたが背負うべきものを奪い取ると決意した。ゆえに、あなたに挑まねばならぬ。しかし、これ以上の流血は僕の望むところではない。……殿下、最後の決着は我ら自身の手でつけましょう。一騎討ちです」

 

 相変わらずの戯曲ふうの言葉遣いで提案をすると、後ろでダライヤが聞こえよがしに深いため息を吐いた。ソニアも小さな声で「またこれですよ……」などと呟いている。

 おそらく、彼女らは殿下をこのまま袋叩きにしてしまう腹づもりだったのだろう。実際、彼女を守る戦力はごく僅かだ。兵士達をけしかければ、決着はすぐにつくはずだ。しかし、僕は僕以外の剣でフランセット殿下が傷つけられているところを見たくはなかった。

 

「殿下……」

 

 顔を強ばらせたガムラン将軍が、殿下の肩を掴んだ。そのまま耳元で何かを囁きかける。しかしフランセット殿下は氷のような表情で首を左右に振る。……おそらく、撤退を進言されたのだろう。

 

「もとよりそのつもりだ。やろう、アルベール」

 

「有り難き幸せ」

 

 こうして、僕と殿下の一騎討ちが始まった。

 



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第688話 くっころ男騎士と一騎討ち

  凍てつくような月の光が、白と赤で彩られた戦場を照らしている。いつの間にか雪は降り止んでいた。身を切るような寒風が吹きすさび、両軍の軍旗をはためかせている。

 僕のうしろには、戦意に燃えるアルベール軍将兵が。そしてフランセット殿下のうしろには、恥も外聞もなく逃げ散る王軍将兵の姿がある。あまりにも対照的な光景だった。

 

「これは余の始めたいくさだ。ゆえに、始末は余自身がつける」

 

 白い息とともに、殿下が宣言した。どう見てもこのいくさの勝敗はすでについているが、どうやら彼女はそれを唯々諾々と受け入れる気はないようだ。

 

「お見事な覚悟でございます、殿下。お付き合いいたしましょう」

 

「面倒をかける」

 

 軽く笑いつつ、殿下は剣を抜く。彼女の獲物は刺突に特化した細剣……レイピアだった。左手には盾代わりの短剣が握られている。

 小さく息を吐いてから、僕は自身のサーベルを抜剣した。寒さのせいで手がずいぶんとかじかんでいた。いつもと同じ気分で剣を振り回していたら、柄がすっぽ抜けてしまうかもしれない。注意が必要だ。

 既に名乗りは終えているから、僕たちはどちらからともなく前に出た。雪を踏みしめる音が、妙に耳に残る。三メートルほどの間合いを取って、僕たちはお互いに足を止めた。

 

「……その頬の傷、大丈夫なのか?」

 

 さて、仕合おうか。そう思ったところで、殿下がふと口を開いた。どうやら、僕の負傷が気になるらしい。

 

「薄皮一枚が裂けただけです。この戦いでは、既に何千もの兵が命を落としている。一命は取り留めても、一生ものの障害を受けてしまった者も少なくない。彼女らの悲哀、痛みに比べれば、こんなものは傷のうちに入りますまい」

 

「……そうか、君は骨の髄まで武人なのだな。男の顔を傷つけるなど、なんて思ってしまう余のほうが誤りなのか。ふふ、ふふふ。この期に及んでようやく君の本質を理解出来たかもしれない」

 

 自嘲めいた笑いを漏らしてから、殿下は大きなため息を吐いた。

 

「しかし、戦場に立つ君は他のどんな男より美しい。正直なことを言うと、敗軍の将となった今ですら、なんとか勝利をもぎ取って君を自分のものに出来ないかという馬鹿な考えが頭にこびり付いて離れない。自分がここまで浅ましい女だとは思わなかったよ」

 

「男冥利に尽きます」

 

 お互いに笑みを向け合ってから、僕たちはゆっくりと剣を構えた。しかし、お互いすぐには仕掛けない。

 すり足でゆっくりと動きつつ、間合いを測る。そこで突如突風が吹き、地面に積もった雪を巻き上げた。煙幕でも張ったかのように視界が白く染まる。

 

「キエエエエエエエエッ!!」

 

 一撃で決める。強化魔法を発動し、僕は猿叫と共に地面を蹴った。地吹雪をかき分け、殿下に肉薄。全身全霊をかけてサーベルを振り下ろす。

 

「そう来ると思ったよッ!」

 

 しかし、全力の打ち込みはむなしく空を切った。殿下が素早いサイドステップで僕の突撃を回避したのだ。どうやら、僕のやり口は彼女も承知しているらしい。

 

「ふっ!」

 

 迅雷の如き速度で細剣の切っ先がこちらに迫る。すぐさま剣を返し、刺突を弾いた。青い火花が散る。切っ先は唸りを上げて僕の耳の横を通り過ぎていった。紙一重だ。

 かなりギリギリのタイミングだった。一瞬でも遅れていたら、僕の頭は串刺しにされていたことだろう。

 

「っと!」

 

 そのまま身体を回転させ、横薙ぎの一撃を見舞う。が、殿下はこれを左手の短剣で防御。そして舞うような足使いで鋭い刺突につなげてくる。。

 急いでバックステップ回避。雪で足が滑る。やりづらい。アイゼンでも履いてくれば良かったかな。いや、流石にそれは。

 

「チェスト!」

 

 地面を蹴り、再突撃を仕掛ける。大上段からの振り下ろしを、しかし殿下は軽やかに躱してしまう。二度もし損じた。足下が不確かなせいで踏み込みが足りなかったのか?

 いや、これは単純に殿下の剣の技量が優れているせいだ。その証拠に、彼女は回避とほぼ同時に細剣による猛攻を開始する。僕の攻撃は基本的に大振りだから、こうしたカウンター戦術とは相性が悪い。慌てて逃げに転じる。

 

「軍略のみならず、剣技においてもこれほどとは。まったく、君という男は空前絶後の存在だろうね。いち軍人の視点から言わせて貰えば、嫉妬せずにはいられない」

 

 あげく、剣を振るいながらこのような長口上まで言えるのだから呆れてしまう。まだ息すら切れていないとは。こっちはすでにだいぶ消耗しているんだが。

 

「やるべき仕事を、はぁ、果たしているだけです」

 

 あー、しんどい。強化魔法が切れてしまった。全身筋肉痛で身体が重い。肺が痛い。しかしまだまだ敵は健在。やはり、只人(ヒューム)の身で亜人の優れた戦士に挑むのは厳しいな。長い虜囚生活のせいか、腕が鈍っているような感覚もあるし。

 対する殿下は余裕綽々で、息も乱れていない。これが種族と性別の差ってやつだ。おまけに、技量についても文句のつけようがない。特に回避のセンスが素晴らしい、僕の吶喊をこうもヒラヒラと避けられる剣士などそうはいないぞ。

 

「キエエエエッ!!」

 

 体力差を考えれば、長期戦は不利だ。彼女の細剣をはじき返し、そのまま三度突撃を仕掛けた。もちろん、苦し紛れの攻撃でやられる殿下ではない。あの舞うような身のこなしで、さらりと僕の剣を躱してしまう。

 だが、これはフェイントだ。反撃として震われた横薙ぎの一閃を身をかがめて避け、そのまま足払いを仕掛ける。正面攻撃が通じないならば搦め手を用いるまでだ。

 

「ハッ!」

 

 が、殿下はこれを空高く飛び上がって避けてしまった。そのまま僕の頭上でくるりと宙返りし、背後に着地する。おいおいおい、勘弁してくれ。どういう身体能力だよ。

 

「ちぃっ!」

 

 さっと振り返り、刺突をサーベルで弾く。攻め手はすべて防がれ、打つ手無し。防戦一方だ。そして、攻めるにしても防ぐにしても避けるにしても、足下の雪がとにかく邪魔だ。滑りまくって動きづらい。踏ん張りも利かない。

 視界の端に観衆が移る。ソニアが剣を握ってこちらに乱入しようとしていた。それをダライヤが全身を使って抑えている。あの体格差でよく引き留められるものだ。なんだか滑稽な気分になり、思わず笑みが漏れる。

 

「せぇいッ!」

 

 更なる強烈な刺突! くるりと回って回避するが、肩口に掠った。防寒コートが切り裂かれ、鮮血が舞う。

 

「ッ!?」

 

 斬られた僕よりも、斬った殿下のほうがよほど痛そうな顔をしていた。男の身体を傷つけたことに罪悪感を抱いているのだろう。やはり、優しい人だ。

 こんな人がなぜこのようなくだらない戦争を始めてしまったのだろうか。やはり、フィオレンツァが? いや、しかし、なぜフィオが……。

 

「くっ!」

 

 戦っている最中だというのに、余計な考えばかりが脳裏を巡る。戦況はもう防戦一方だ。殿下の舞踏のような剣技に、僕は逆転の一手を見つけられずにいる。閃く連続攻撃をサーベルで弾き、避け、後ろに下がり続ける。

 さて、どうしようか。強化魔法はあと一度だけ使える。カウンターを狙えるタイミングでこれを用い、強引に勝負を決めてしまおうか?

 ……いや、駄目だ。殿下は明らかに手練れの剣士、そんな見え見えの策には引っかからない。ここは相手の予想外の手で攻める必要がある。

 

「うっ……」

 

 背中が何かに当たった。馬を防ぐための柵だ。これ以上の後退は出来ない。まさに背水の陣、つまりはチャンスだ。

 

「セイヤッ!」

 

 むろん、この隙を逃す殿下ではない。トドメとばかりに強烈な刺突を繰り出した。迫り来る剣先。回避は不能、だが問題は無い。僕はこの瞬間を待っていた。

 

「ぐっ!」

 

 僕はそれを、左手の前腕で受け止めた。ちょうど、橈骨と尺骨と間に刀身を挟み込む形だ。死ぬほど痛いが、致命傷は避けられた。吹き出た鮮血が僕たちと足下の雪を塗らす。

 

「なっ……!?」

 

 流石の殿下もこれには顔色を失った。まさか、自らの身体を用いて防御するとは思わなかったのだろう。そしてこの驚愕が彼女の敗因となった。

 

「勝負あり、ですな」

 

 彼女の喉元にサーベルを突きつけ、僕はニヤリと笑う。殿下が剣を抜くよりも、僕のサーベルが彼女の首を落とす方が早い。文字通り、肉を斬らせて骨を断った形であった。

 



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第689話 くっころ男騎士と予想外の奇襲

 フランセット殿下の剣は僕の左前腕にブッ刺さり、僕の剣は殿下の首筋へと向けられている。流れ出た血がぽたぽたと滴り、足下の雪を赤く染めていた。相打ち寸前の辛勝、それがこの一騎討ちの結末であった。

 

「勝負あり、ですな」

 

 その台詞を言い終わるのと同時に、凄まじい痛みが僕を襲う。大怪我をしたときって、どうしてちょっと遅れて痛みがやってくるんだろうか? 不思議だね。

 まあしかし、左腕を犠牲にした価値はあったようだ。フランセット殿下は目だけを動かし、自らに向けられたサーベルを見た。凍てついた月光を白刃が反射し、ギラリと物騒に輝く。

 白い息とともに、彼女の口から「ああ……」という声が漏れた。全てが終わったことを理解した声音だった。そのまま、膝から崩れ落ちるようにして地面にへたり込んでしまう。

 

「手加減されたあげく、この手で男を斬ってしまうとは……ああ、なんたる、なんたることだ」

 

 性別に拘るねぇ。僕は思わず苦笑し、それから顔をしかめた。腕に剣が思いっきり突き刺さっているのだ。当たり前だが、メチャクチャ痛かった。死ぬほど、とまでは言わんがね。

 

「アル様!」

 

 血相を変えて叫ぶソニアを目配せだけで制止し、視線を殿下へと戻す。彼女は全身を震わせていた。

 

「殺してくれ、アルベール。この先の歴史に余の居場所はない。出番の終わった役者は疾く去らねばならない」

 

 目尻に涙を浮かべ、フランセット殿下は懇願する。介錯を求める気持ちは理解するが、申し訳ないが今それに応じることはできない。わざわざ左手まで犠牲にしてこの盤面に持ち込んだんだ、死んで貰ってはこまる。

 これは単に僕が彼女を殺したくないということだけではなく、今後の政治的な立ち回りを考えた上での判断でもあった。

 一番の問題は神聖帝国だ。今は味方の彼女らだが、本来は敵国の連中だからな。戦争への協力を盾に我が物顔で振る舞われては困る。ガレア王国の正統な統治者であるヴァロワ王家を押さえておくことは、戦後のイニシアチブを握る上では重要な要素であった。

 

「申し訳ありませんが、殿下。そのご要望を承るわけには参りません」

 

「……そうか、余の血と肩書きにはまだ使い道が残っているか」

 

 どうやら、殿下もこちらの意図を察したらしい。絶望したような、安心したような、複雑な表情で大きく息を吐く。

 

「まったく、ままならないなァ……」

 

「まだ諦めてはいけません、殿下!」

 

 ガムラン将軍の大声が殿下のボヤきを遮った。そちらに目を向けると、彼女は剣を抜いて僕に向けている。将軍の目には、自分の身を捨ててでも目的を達そうとしている者に特有の強い意志の光が宿っていた。

 

「ここは我々が抑えます! 殿下は敗軍をまとめ、王都に籠城して体勢を立て直すのです!」

 

「そんなことをして何になる! 皇帝軍までもが現れたのだ! もう王国は終わりだ……」

 

 涙声で殿下が反論した。もうすっかり捨て鉢になってしまっているようだ。……うーん、それはそれとして、僕自身のほうがちょっとヤバい感じだ。まだそれほど血は失っていないはずなんだが、頭がふわふわしてきた。痛みと寒さのせいかな?

 

「そんなことはありません! アルベール軍も、皇帝軍も、強行軍のすえにこの地にたどり着いたのです! 彼女らに冬越しの備えはありません。長期戦を強いれば、両軍ともに戦わずして瓦解するでしょう!」

 

 さすがはガムラン将軍、冷静な現状把握だ。実際、我が軍はあと一ヶ月この場に滞陣し続ければおのずと自壊してしまう可能性が高い。冬の軍事行動はそれだけリスキーなのだ。おそらく、皇帝軍のほうも似たような状況だと思われる。

 今のアルベール軍・皇帝軍に、王都攻囲戦を戦い抜く能力が無いというガムラン将軍の見立ては正しい。問題はそんなことをしても守り切れるのは王都周辺だけだという点だが……それでも、負けるよりはマシ、という判断なのかもしれない。

 

「これが最後のご奉公です。我らの忠義にお応えください、殿下。……総員、突撃! 殿下をお救いせよッ!」

 

 剣を指揮棒のように振り回し、ガムラン将軍が命令を下した。それまで遠巻きに一騎討ちを眺めていた殿下の側仕えたちが、一斉にこちらにむけて走り出す。げぇ!?

 

「いかん、止めろ!」

 

 ソニアが鋭い声をあげ、近侍隊が一斉に発砲した。一瞬遅れて、エルフ兵も矢を放ちはじめる。矢玉の雨を浴びた王国兵はバタバタと倒れていったが、それでも彼女らは怯まない。

 

「我ら全員が倒れようとも、殿下お一人が逃げ延びることができればこちらの勝利だ! 踏ん張れ!」

 

 いつもの昼行灯めいた雰囲気をかなぐり捨て、ガムラン将軍が叫んでいる。弾でも掠ったか、その顔は鮮血に染まっていた。

 

「なんてことだ」

 

 せっかく綺麗な幕引きができそうだったのに、気付いたらこれだ。戦争というヤツは本当にままならない。ヤンナルネ。

 とにかく、今は殿下の確保が最優先だ。ガムラン将軍のプランである王都への籠城が実現したら、かなり厄介なことになる。これまでの努力が台無しだ。

 

「ありゃ」

 

 などと考えつつ座り込んだままの殿下を引き起こそうとするが、足がもつれて上手くいかない。どうやら、失血と痛みと寒さが予想以上に僕の体力を奪っていたようだ。

 その様子を見たフランセット殿下が「アルベール!?」と心配そうな声を上げる。おいおい、僕は敵だぞと笑おうとしたところで……突如、背中に硬いものが押しつけられた。

 

「ッ!?」

 

 慌てて振り返ると、そこにいたのは眼帯をつけた白髪の少女。そう、フィオレンツァだ。彼女は小型のリボルバーを僕の背中に当てつつ、艶然と微笑む。

 

「お久しぶりです、アルベールさん」

 

「どう……して、君がここに」

 

 まったくの虚を突かれ、僕は呆然とした。これまで完全に姿をくらませていた黒幕候補が、ここへきて突然現れたのだ。驚かないはずがない。

 

「漁夫の利を得るには最適のタイミングでしょう? うふふ」

 

 常と変わらぬ優しげな笑みと共に、僕の幼馴染みはそう吐き捨てた。そして彼女は視線を戦場に向け、口を開く。

 

「皆様、ご静粛に」

 

 静かだが、妙に響く声だった。敵味方の注目がこちらに集まる。僕が拳銃を突きつけられているのを見て、ソニアの顔が真っ青になった。

 

「アル様!? き、貴様フィオレンツァか!」

 

「ええ、その通り。貴方の幼馴染みにしてお友達、フィオレンツァですよ」

 

 フィオレンツァの声は不思議と晴れ晴れとしていた。

 

「アルベール軍の皆様も、王軍の皆様も、お静かに願います。さもなくば、あなた方の大切な主君が命を落とすことになりますよ」

 

 そう言って、フィオレンツァはリボルバーの銃口を殿下の足へと向けた。そのまま、躊躇無く引き金を引く。乾いた銃声とともに、殿下の右ずねに弾痕が刻まれた。鮮血が舞い、くぐもった悲鳴が上がる。

 戦場はにわかに静まりかえった。再激突寸前だった両軍の兵士らは動きを止め、凍り付いた表情でこちらを見ている。フィオレンツァは見せびらかすように撃鉄を起こし、再びその銃口を僕へと向けた。

 

「クソ坊主、何のつもりだ!」

 

 ガムラン将軍が罵りの声をあげる。フィオレンツァは王党派陣営に属していたはずだ。それがいきなり殿下に牙を剥いたわけだから、将軍の困惑もひとしおだろう。

 

「まったく、単純な方々ですね。私の手のひらの上で踊っているとも知らず、国まで真っ二つに割って……うふふ、なんて滑稽なんでしょう」

 

 嘲りの言葉とともに、フィオレンツァはくつくつと笑う。ああ、やはり彼女がこの状況の黒幕だったわけか。しかし、どうしてこんなことをしでかしたのかはさっぱり理解ができない。僕は口を一文字に結び、うなり声を漏らした。

 

「王党派、アルベール派、そして神聖帝国。大陸西方の有力勢力はもうすっかりズタボロです。これで下ごしらえは完了。あとは調理して美味しくいただくだけ……うふ、簡単な仕事でしたよ」

 

 ニヤニヤと笑いつつ、フィオレンツァは左手を挙げた。すると、戦場に新たな一団がゾロゾロと現れる。若い貴族将校らしき女に率いられた小部隊だった。しかし、その全員がひどく茫洋とした目つきをしており、なにやら異様な雰囲気を漂わせている。

 

「アルベールとフランセットを確保し、いったん離脱します」

 

「はい」

 

 どうやらこの連中はフィオレンツァの指揮下にあるようだが、命令への返答も奇妙にのっぺりとした声音で明らかに普通の状態では無い。まるで自我を持たぬ人形のようだった。

 

「フィオレンツァ! 貴様、なんのつもりか知らないが、アル様に手を出してタダで済むと……」

 

 大剣を手にソニアが吠える。まるで怒り狂うドラゴンのような威圧感の籠もった声だった。しかし……

 

「おおっと、いけませんよソニアさん。下手に動けばこの男の命はありませんよ?」

 

 まるで似合わない小悪党めいた脅し文句がフィオレンツァの口から飛び出すと、我が副官はうめき声を漏らすことしかできなくなった。

 そうこうしているうちに例の貴族将校らが近寄ってきて、手際よく僕と殿下の武装解除を行った。隙を見て反撃に転じようとしたが……

 

「身体がマトモに動かないのは分かっているのです。無駄な抵抗はしないように」

 

 と、フィオレンツァに絶妙なタイミングで釘を刺され諦めざるを得なかった。実際、今の僕は大人数を相手に立ち回れるような状態ではない。左腕からの出血が思った以上に激しく、強化魔法の反動から立ち直れずにいるのだ。

 そうこうしているうちに、僕たちはあっという間に身体を拘束され荷物のように抱え上げられてしまった。どうやらこのままどこかへ連れて行く腹づもりのようだ。

 

「それでは皆様さようなら。次に会うときは最終幕です。どうぞお楽しみに……」

 

 ニヤリと笑ってから、フィオレンツァは部下に撤収命令を出す。お互いの主君を抑えられたアルベール軍と王軍は、彼女らの行動を阻止することが出来なかった……

 

 

 



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第690話 くっころ男騎士と二度目の誘拐

 気がついたときにはもう既に夜は明けていた。ゆっくりと目を開き、周囲を観察する。どうやら、僕は幌馬車か何かの荷台に放り込まれているらしい。丈夫な帆布製の幌の隙間から、冬の淡い日差しと冷たい風が入り込んでいた。

 身体を動かそうとしても、イモムシのような無様な動作しかできない。手足を拘束されているようだ。

 はて、どうして? そんな疑問が脳裏をよぎる。頭が妙にボンヤリしていた。しかも全身にひどい倦怠感がある。酒を浴びるほど飲んだ翌朝くらいのしんどさだ。つまりは最悪の気分ってことだが。

 

「アルベール! ああ、良かった。無事だったんだな!」

 

 そんな僕に声をかけてくる者がいた。視線をそちらにむけると、そこにいたのはフランセット殿下だ。金属製の手枷足枷をかけられ、鎖で荷台に繋がれている。まるで輸送中の奴隷のような有様だ。

 ……彼女の心配げな表情を見て、やっと頭が回り始めた。そうだ、僕はまた敵の手に落ちたのだ。しかも、前回の誘拐事件の主犯であるフランセット殿下と一緒にである。

 一騎討ちに勝利すれば穏当な形で事態を収拾できるのではないか、という僕の考えはメープルシロップよりも甘かった。継戦派のガムラン将軍が反発し、破れかぶれの攻撃を仕掛けてきたのだ。

 あげくその混乱につけ込まれ、殿下ともどもフィオレンツァにさらわれてしまったのだから笑うしかない。お手本のような漁夫の利だ。

 

「本当にすまない。余が、君の腕を突いてしまったばかりに……」

 

 殿下の視線は僕の左腕に向けられている。殿下のレイピアがブッ刺さっていた場所だ。もちろん今は剣は抜かれており、包帯でしっかりと止血処置されている。

 ……手当を受けた記憶は無いんだが、誰がやってくれたんだろうか? 殿下は身動きがとれないように拘束されているから、彼女ではあるまい。フィオか、あるいはその部下たちだろうか。

 

「まったく問題ありません。大丈夫です」

 

 などと強がってはみたが、思った以上に僕は重傷であった。どうやら血を失い過ぎたらしく、頭も身体もうまく動いてくれない。おかげでフィオによる奇襲にはまったく抵抗できなかった。情けない限りだ。

 もっとも、フランセット殿下に比べればこの程度の負傷などかすり傷に過ぎない。……なにしろ、彼女の右足の膝から下は完全に失われてしまっているのだ。

 

「僕のなどより、殿下のほうがよほど深刻でしょう。……聞きづらいことをおたずねしますが、そのおみ足は……」

 

「……ああ、あの薄汚い裏切り者の空飛ぶドブネズミのせいだ。弾が骨を直撃したようでね。手を尽くしたところでもう歩けるようにはならないだろうから、膿み始める前に斬ってしまえと。ハハ、手斧で薪割りのように、バン。それでお終いさ」

 

 そう説明する殿下の顔色はもちろん優れなかったが、それでも引きつった苦笑を浮かべていた。まったく気丈なお方だな。

 思い返してみれば、フィオレンツァの銃撃は殿下の脛を直撃していた。脛骨は粉砕骨折した状態だったものと思われる。これほどの損傷の再建は、現代の医療技術を持ってしてもなかなかに難儀をするだろう。

 ましてやこの世界の医療水準はひどく未熟だ。とくに軍医連中ときたら手足の重傷と見るや即座に切断処置を行おうとする悪癖がある。殿下もその毒牙にかかってしまったのだろう。

 

「まあいいさ。一度は命を捨てようとした身だ、足の一本などどうということはない」

 

 目に昏い光を宿しつつ拳を握るフランセット殿下。この言い草を見るに、どうやら一騎討ち敗北直後のくっころ状態からは脱しているらしい。生きる気力を取り戻している雰囲気だった。

 むろん、その原動力はフィオレンツァへの復讐だろう。顔つきや声音ですぐわかる。死を求めるのも報復を求めるのも捨て鉢なことには変わりないが……どちらがマシかといえば、後者だろうな。

 

「……こほん。ところで、殿下。よろしければ現状について教えていただいてもよろしいでしょうか? 寝不足のせいか、どうにも昨夜の記憶が曖昧でして」

 

 咳払いをして、話をそらす。こういう時は、下手に同情したりせず実務的なことを話したほうが良い。僕の経験上、安っぽい共感ほど人の神経を逆撫でるものはないからな。あえてそこに触れない、というのもケアのうちだ。

 

「昨夜のきみは明らかに意識が混濁していたからね……まったく、生身の腕を盾代わりに使うなんて。さてはきみ、バカだな?」

 

 苦笑交じりに罵倒してから、殿下は深々とため息を吐いた。。その顔には深い自嘲の色が浮かんでいる。

 

「……まあいい。いや、良くはないが、ひとまず君の質問に答えよう。現状についてだったな。まあ、おおむね見ての通りだが」

 

「フィオレンツァ司教に何もかもかっ攫われましたか」

 

「ああ、見事な手際だったよ。少数の部隊を潜伏させ、戦場の混乱が頂点に達したタイミングで余と君の身柄を同時に押さえる……」

 

 背中に当てられた拳銃の感触が脳裏によみがえり、喉奥から苦いものがこみ上げた。この僕が、あれほど用意に背後を取られるとは。

 しかも、不覚を取った相手は兵士や暗殺者でもないフィオレンツァ司教と来た。疲れていたとか、重傷とか、そんなことは言い訳にならない。無様に過ぎる最悪の失態だ。

 

「王軍にしろアルベール軍にしろ、総大将を人質に取られれば身動きができなくなるからね。あとは夜陰に紛れて電光石火の遁走さ。ガムラン将軍も、ソニアも、手出しすることはできなかった」

 

「なるほど、初期段階での追撃と奪還は頓挫したと」

 

 なるほど、我が軍による初期対応は失敗したか。いや、それが成功してたら僕たちがこうして幌馬車に詰め込まれているはずもないか。まだ頭がしっかり動いてないな。

 

「まったく、素晴らしい手並みですな。特殊作戦のお手本として未来永劫語り継ぎたいほどだ」

 

 どうして助けてくれなかったんだ、とソニアを責めるのはお門違いだ。なにしろ、まだ戦争は終結していない。目の前の敵と戦いつつ、第三勢力によって浚われた総大将を奪還するなんてのは流石に無茶だろう。

 夜戦によって、戦場は混乱のるつぼ状態となっていた。それを放置して僕の奪還を最優先に動けば、疲弊したアルベール軍はあっという間に瓦解してしまうかもしれない。

 そのあたりを勘案すれば、ソニアは追撃命令を出したくとも出せない状況に陥っていたはずだ。彼女の判断は責められないな。

 こちらに落ち度があるとすれば、それは僕の油断だろう。敵は王軍とフランセット殿下だけではないとわかっていたはずなのに、すっかりフィオレンツァの存在を見逃していた。

 あげく二度までも囚われの身になってしまったのだから救えない。これじゃあ道化だ。馬鹿野郎め。

 

「……しかしまさか、フィオレンツァがこのようなことをしでかすとは。ああ、まったく。余はなんという女を重用していたのだ」

 

 僕もたいがい最悪な気分だったが、殿下はそれ以上に辛そうな様子だった。泣き出しそうな表情で、何度も首を左右に振っている。

 

「余はヤツの甘言に耳を貸してしまった。その末路がこれだ! 歴史ある王国を叩き割り、ヴァロワ王家の権威を地の底に落とし、あげく好きな男に刃を突き立てた! 余は何をやっているのだ!」

 

 子供のようにわめく彼女に、僕はかける言葉がなかった。しかし、それは本当に彼女だけの落ち度なのだろうか?

 思い出すのは、昨夜見たフィオレンツァの部下たちだ。彼女らはみな、人形のように感情と意思が抜け落ちた表情と目をしていた。おそらく、薬物か何かで自由意志を奪われているのだ。

 それと同様の手段で、フランセット殿下も判断能力を奪われていたのでは無いか? そんな疑問が、僕の心中にムクムクとわきだしていた。

 実のところ、僕自身も彼女の術中に嵌まっていた可能性が高い。フィオレンツァと面会したはずなのに、その時の記憶がまったく思い出せないことがある。これはどう考えても不自然だ。

 この違和感に気付いたのはごく最近のことだ。どう考えてもおかしいのに、これまでの僕はそれを不自然とも思っていなかった。それが却って僕の恐怖をあおり立てている。

 

「うふふ、無様ですねぇ殿下」

 

 柔らかな声が僕の思考を遮った。荷台後部のカーテンが開き、冷たい陽光が差し込む。逆光を背負いながら荷台に入ってきたのは、そう、フィオレンツァだ。

 

「貴様……! よくもおめおめ余の前に姿を現せたものだなッ!!」

 

 憤激するフランセット殿下。しかし、若き司教は艶然と微笑んでその怒りを受け流す。陰惨な陰謀を実行した策謀家にはとても見えない、ひどく穏やかな表情だった。

 

「負け犬の遠吠えを見るのは勝者の特権でございますから。ふふ、うふふ……本当に良いお顔ですね。ああ、情けない。ヴァロワ王家の末代がコレですか。うふふふふ、滑稽すぎて笑い死んでしまいそう」

 

「……! …………!」

 

 天使のような笑みとともに吐き出された暴言に、フランセット殿下は言葉を失った。顔を真っ青にして拳を握りしめる。

 

「でもわたくし、殿下にはとっても感謝しておりますわ。貴方ほどよく踊ってくれる駒は他にありませんでしたので」

 

「やはり余を利用していたか、この外道め! 貴様だけは、貴様だけは許さん! この身が朽ち果てようと、貴様だけは必ず殺してやる!」

 

 暴れるフランセット殿下だったが、いかに竜人(ドラゴニュート)とはいえ鉄枷をはめられた状態ではどうしようもない。罠にかかった小動物のように無駄な抵抗をするのがせいぜいだった。

 

「よく踊ってくれる駒、か。なるほどね。僕の評価はどうだい、フィオ。それなりに良い駒として働けたのかな?」

 

 努めて不敵な笑みを浮かべつつ、そう言ってやる。聞きたいこと、言いたいことは山のようにあるが、それは心の奥底へ封じ込めておく。

 今、僕がやるべき仕事は第一に友軍と合流してこの戦争の始末をつけること、そして第二にフィオレンツァをとっ捕まえてその真意を聞き出し、その上で司法にかけることだ。私情を優先している余裕などどこにもない。

 

「ええ、とっても」

 

 頷くフィオレンツァの表情は、真冬のよく晴れた日の湖面のように穏やかであった。なんなんだろうか、これは。陰謀を成就させて得意満面、という雰囲気ではないし、さりとて自棄になっている様子もない。ただひたすら凪いでいる。奇妙な雰囲気だった。

 

「そいつは重畳。……で、そろそろネタバラシはしてくれるのかな? 正直なところ、君がなぜこんなことをしでかしたのかさっぱり分からないんだ。真意を聞かせてくれると嬉しい」

 

 ……まあ、いい。今はとにかく情報収集だ。幸い、幌馬車は今は停止しているようだからな。フィオレンツァを足止めして、時間稼ぎをしよう。上手くやれば逃げ出す隙が出来るかもしれないし、ソニアらの救出がやってくるかもしれない。

 

「そうですね。何も知らないままというのは可哀想ですし、そろそろ種明かしをしてあげましょうか」

 

 そんなこちらの意図を知ってか知らずか、フィオレンツァは躊躇もせずに微笑み返してきた。なんだろう、やはりヘンだ。こちらが時間稼ぎを図っていることくらい、彼女らならすぐ予想できるはず。にもかかわらずなぜ僕の口車に乗ったんだ……? 

 



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第691話 くっころ男騎士と黒幕(1)

「そうですね。何も知らないままというのは可哀想ですし、そろそろ種明かしをしてあげましょうか」

 

 状況説明を求めた僕に対し、フィオレンツァはまるで世間話のような気楽さでそう応じた。そして幌馬車の荷台に置かれている椅子の一つに悠然と腰を下ろすと、にこやかな表情で僕たちを交互に見る。

 フランセット殿下が憤懣やるかたない様子で息を吐いた。彼女は指が白くなるほど力強く拳を握りしめ、鎖や鉄枷による拘束がなければ今すぐにでも司教に殴りかかっていきそうなほどの怒気を全身に漲らせている。

 優女と呼ばれがちな殿下だが、それでも竜人(ドラゴニュート)だ。只人(ヒューム)や翼人などと比べれば、遙かに体格と膂力に優れている。そんな猛獣より恐ろしい存在がここまで怒りを露わにしているというのに、フィオレンツァはまったく気にする様子もなく微笑を浮かべ続けていた。

 

 

「では、何からお話しましょうか。この際です、なんでも答えて差し上げますよ」

 

 じゃあまず今日の天気でも教えてもらおうかな、なんて軽口が口から飛び出しかけたが、マジギレしている殿下の手前なんとか堪えた。

 裏切られた上に片足まで持って行かれたのだから当然だが、フランセット殿下の怒りようは尋常ではない。枷や鎖にチラチラと視線を送っているのは、なんとか拘束から逃れる方法はないのか考えているためだろう。

 

「そうだね、まずは鉄板の質問から行こうか。……僕たち二人を捕まえて、どうするつもりだ?」

 

 殿下がそんな様子だから、僕の方はかえって冷静になっていた。むろんフィオレンツァに対して思うところや言ってやりたいことはいくらでもあるが、今はそんなことに拘っていられる場合ではない。

 

「どうするつもり、ですか。うふふ、簡単なことですよ」

 

 こちらの意図が情報収集と時間稼ぎであることなどわかりきっているだろうに、フィオレンツァは気にする様子もなく平静な声でそう応じる。なんだか不自然な態度だな。真意がいまいちよくわからない。

 

「アルベールさんとフランセット殿下の身柄を抑えれば、もう王国とアルベール陣営の首根っこを押さえたも同然ですからね。お二人を人質にしている限り、両陣営は身動きが取れなくなります」

 

「なるほど、その隙に好き勝手やろうというわけか。……星導国の方でもずいぶんと大きな動きがあったと聞いた。今回の一連の事件も、そちらの政変と水面下で繋がっていたというわけだな」

 

 昨今の聖界は大時化状態だ。スキャンダルの嵐が吹き荒れ、現教皇が職を降ろされた。そして代わりに教皇に就こうとしているのが、誰あろうフィオレンツァの母親なのだ。

 

「ご明察です。神聖帝国は先日のいくさで大きく弱体化いたしました。そしてこのいくさによって王国系の勢力も大人しくなるでしょう。貴族の権威はもはや地に墜ちました。その代わりとして、我らが導きの星が中天にて輝くというわけです」

 

「陳腐な策だ」

 

 苦々しい表情で殿下が吐き捨てた。僕もまったく同感だ。要するに、フィオレンツァは貴族を叩くことで聖職者の権威と権力を高めようとしているのだった。

 確かに分かりやすいシナリオではある。貴族が役立たずと分かれば、民衆はさらに星導教への依存を強めるだろう。この世界ではまだ民主主義革命の萌芽は始まっていないから、ここで世俗権威が没落すればしばらくは星導教が天下を取れる。

 世俗と聖界の権威は絶えず綱引きを繰り返しており、これまでも度々鞘当てめいた事件は起きている。今度の事変は、その競争の最終的な解決を図ろうとして起きたものだということだろうか?

 

「……ああ、なんたる無様か。余はずっと貴様の手の上で踊っていたわけだな。レーヌ市へ侵攻したのも、宰相派を討とうとしたのも、全ては貴様を利するためだったと」

 

「さようです。うふふ、言ったでしょう? 貴方ほどよく踊ってくれる駒は他にいなかったと。わたくし、本心から貴方に感謝しておりますのよ?」

 

 両手をぎゅっと握り、祈るような所作で殿下に頭をさげるフィオレンツァ。

 

「おのれ、おのれ……! なぜ余は貴様のような(やから)の口車に乗ってしまったのだ! 自分が情けない……!」

 

「まあまあ、そう気を落とさず。感謝していると申しましたでしょう? むろん、それなりのお礼はいたしますとも」

 

 フィオレンツァの態度はあくまで友好的だ。優しく微笑み、ずいと身を乗り出して殿下の鼻先に顔を近付ける。

 

「アルベールくんに関しては、生きてさえいればもう用はありません。フランセット殿下がご自由にお使いください。子供だって作っても良いですよ。むしろ、存分にお励みください。ヴァロワ家、ブロンダン家の直系血族はいろいろと役に立ちますから」

 

「貴様、余を騙すのみならず幼なじみまでもをモノのように扱って……!」

 

「結婚式だってあげても良いのです。もちろん、誓いの言葉はわたくし自ら聞き届けてあげましょう。うふふ、ふふふふふ……! 楽しみですね、殿下」

 

 微笑の仮面が剥がれ、その下から三日月状にゆがむ口元が露わになる。殿下は最早言葉が出ない様子で、ひたすらに憎々しげな目つきでフィオレンツァを睨み付けた。

 ……いったいどうして、フィオレンツァはここまで殿下を煽るのだろうか? 理由がよくわからない。意趣返しか何かだろうか。うーん、単なるサディズムの発露という可能性もあるが、なんだか違和感があるぞ。

 

「ふむ、僕たちを解放する気はないと。なら、この馬車が向かっている先は星導国ということだな」

 

 ちらりと荷台の後部に目をやり、僕は軽い声で言った。そこには分厚い帆布のカーテンがかけられており、布と布の間からは冬の冷たい陽光が差し込んでいる。

 これはつまり、周囲に日差しを遮るようなもの、例えば樹木などがないことを示している。空気の匂いからしても、ここは森の中などではないようだ。街道とか、平坦な草原とか、そういう場所ではなかろうか。

 そして、星導国はガレア王国からみて南東に位置する国だ。もちろん僕の頭の中には大陸西方の詳細な地図が入っているから、それとこれまでに得た方法を並べてみれば自分たちの現在位置にはそれなりの見当がつく。

 

「さて、どうでしょう。ご想像にお任せしますよ」

 

 しかし、フィオレンツァの鉄面皮にはいささかの揺らぎもない。図星を刺された、という感じではないな。

 相手はこんな大それた陰謀をしでかす女だ。幼馴染みとはいえ、「長い付き合いだから、アイツの考えていることなんて簡単に予想できる」なんて慢心は覚えない方が良さそうだ。実際、僕は今回の内戦が始まるまで彼女の策謀に気づけなかったわけだし。

 

「はぁ、まったく。君には敵わないな。興味半分で聞くが、フィオはいったいいつからこんな気宇壮大な計画を立てていたんだ? もしかして、僕と出会う以前からの野望だったりするのか」

 

「……ええ、もちろん」

 

 一瞬の思案の後、フィオレンツァは静かに頷いた。

 

「フランセット殿下と並んで、アルベールさんもなかなか良い駒でした。わたくしの引いたレール(、、)の上を、自分で選択したような顔をして進んで……単純な馬鹿は扱いやすくていいですね。なんとも簡単な仕事でした」

 

レール(、、)ね。僕の人生は、ずっと君の掌中にあったわけか」

 

 レール(、、)レール(、、)と来たか。これはちょっと予想外の単語が出てきたな。ちょっと話が変わってきたかもしれん。

 

「……当然でしょう。貴方のような卑賤な生まれの男が、己の力のみで今の地位まで成り上がることが出来たとでも?」

 

 しばし沈黙してから、フィオレンツァは傲然と言い放った。彼女の口調はひどく挑発的なものであったが、その目には奇妙な決意の色がある。

 なんだろう、奇妙な齟齬を感じる。この陳腐な野望は、本当に彼女の本意なのだろうか? 幼なじみの身としては、今の彼女は嘘をついているようにしか見えないのだが……。

 

 



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第692話 くっころ男騎士と黒幕(2)

「……当然でしょう。貴方のような卑賤な生まれの男が、己の力のみで今の地位まで成り上がることが出来たとでも?」

 

 フィオレンツァの言葉は、十年来の幼馴染みの口から飛び出したものとは思えない直球の罵倒だった。だが、ショックを受けたかと言えば否だった。この程度の悪罵など、僕にとっては挨拶のようなものだ。いちいち傷ついていては身が持たない。

 しかし、彼女は子供の時分からこうした本心を隠し持って僕と付き合ってきたと言うことなんだろうか? だとすれば、なかなか大した役者じゃないか。ご苦労なことだな。いや、僕が鈍すぎるだけという気もするが。

 

「君による密かな力添えがあった、ということか」

 

「当たり前ですよ」

 

 尊大な口調でフィオレンツァはそう応じる。彼女が座っているのは簡素な木製の椅子だが、それがまるで王座のように見えるほど偉そうな態度だった。

 

「貴方の人生は、子供の頃からわたくしの支配下にありました。全てはこの状況を作り出すためです」

 

「へえ、そんな昔から僕が王室の対抗馬になれると踏んでくれていたわけか。望外の高評価だね」

 

 フィオレンツァの計画は典型的な漁夫の利作戦だ。しかしこの策は僕が王室を苦戦させるくらいの戦力を持っていなければ実現しない。小勢力が挙兵したところで、一方的に潰されるだけだからな。

 いち宮廷騎士の息子がここまでの大勢力を築くなんて、当の僕自身ですら考えていなかったことだ。フィオレンツァの言うことが本当ならば、彼女はよほどのキングメーカーだ。

 

「ええ、当然です。生まれはさておき、貴方の持つ知識と技術は非常に先進的なものでしたからね。それを生かせる環境を提供すれば、芽が出ることはわかりきっていました」

 

 片頬を上げながらそう言い切るフィオレンツァ。あ、あぁ……こりゃ間違いない、転生者であることがバレてるな。

 実のところ、このことについてはそれほどの驚きはない。なにしろ、先ほど彼女は「レールの上に乗っている」、などという慣用句を使っていた。

 この世界では、まだ鉄道の概念は生まれていない。鉱山などでは木製の軌条に台車を乗せて使うトロッコのご先祖様のような機材が運用されているが、慣用句になるほど広く知られた存在ではないだろう。

 僕を通じて鉄道を知ったアデライドですら、レールの上に、なんて言葉は使ったことがない。だからこそ、フィオレンツァの先ほどの発言にはいささかの違和感を抱いたのである。

 

「出た芽を育て、成った果実を君自身が収穫したわけかい」

 

 軽口を飛ばしつつも、僕の頭は高速で回っている。フィオレンツァは転生者なのだろうか? だが、どうにもそういう感じではない気がする。

 何故かと言えば、これまでの彼女がいわゆる”現代知識チート”を使っているところを見たことがないからだ。フィオが先ほど語ったような大それた野望を持っているというのなら、現代知識は強力な武器になる。使わない理由はないのではなかろうか?

 

「収穫。ふん、耳触りの良い言葉だね。余なら簒奪と呼ぶだろうけど」

 

 フンと息を吐きつつフランセット殿下が肩をすくめた。だが、その目にはこちらを伺う色がある。僕とフィオが隠微なやりとりをしていることに気付いているのだ。

 

「なんと言われようと、育てたのはわたくしですから。策を巡らせるのも楽ではないのですよ? 労せず獲物を横からかっ攫っていったような言い方をされるのはいささか心外ですね」

 

 本当に心外そうな顔をするフィオレンツァに、殿下は憤懣やるかたない様子で首を左右に振った。

 

「例えば、アルベールくんをリースベンに飛ばしたのもわたくしです。あそこは一見ただの僻地ですが、ミスリル鉱脈があることは存じておりましたから。英雌……いえ、英雄の根拠地としてはうってつけでした」

 

「そういえば、あの時先代オレアン公に余計な耳打ちをしてたのは僧侶だったな。あれはフィオレンツァの仕込みだったのか」

 

 女爵への叙爵式のことを思い出しつつ、僕は深々とため息を吐いた。考えてみれば、僕の運命が妙な方向へと転がる転機となったのがあの事件だった。

 

「そこからはもうなんだか坂から転がり落ちるようだった。まずはディーゼル家との戦争が起きた訳だが……」

 

 ちらりとフィオレンツァを伺うと、彼女は口元を半月状に歪めて頷いた。

 

「とうぜん、わたくしの仕組んだことです。踏み台としてちょうど良かったでしょう?」

 

「……そうなると、もしや去年の王都内乱も?」

 

 殿下の表情はひたすら渋かった。ここでフィオレンツァが肯定すれば、フランセット殿下はとんだ道化になってしまう。だが、司教の返答は無情であった。

 

「むろんです。ふふふ、イザベル・ドゥ・オレアンもなかなか踊りの上手な駒でしたね。あれはなかなか楽しませて貰いましたよ」

 

 笑顔で先代オレアン公の長女を貶す司教に、殿下は黙然と顔を伏せ歯をギリリと鳴らした。そうか、やはりあの事件の黒幕はフィオレンツァだったか……。

 

「じゃあ、まさか新エルフェニアの分裂も……!」

 

「…………いや、それは無関係です。蛮族が勝手に暴れ出しただけなので」

 

「あ、そう」

 

「……こほん。それはさておき、後はお二人のご存じの通りですよ。対神聖帝国戦、そして対アルベール軍戦を経て、盤面は見事に整理されました。十年にわたるわたくしの計画も、これにて最終幕。あとは実った果実を頂くだけ、というわけです」

 

「おのれ……!」

 

 地獄の底から響くような声で殿下が呻いた。王都内乱以降、彼女はずっとフィオレンツァに操られてきたのである。その末路が、片足すら失った今の状況だ。恨まないはずがない。

 

「なぜ余は貴様のような輩に信を置いてしまったのだ! どうして、どうして余は……!」

 

 ぎゅっと胸を締め付けられるような慟哭だった。いや、騙され利用されていたのは僕も同じだから、まったくもって他人事ではないのだが……。

 だが、気になる点もある。フィオレンツァはどうしてここに来て全ての種明かしをする気になったのだろうか? そしてなぜ、こうもこちらを煽るような挑発的な言動をするのだろうか? それがわからない。

 むろん、勝利を確信した上でのマウンティングとしてこうした行為をしている可能性も十分にある。だが、その割には今の彼女はまったく楽しそうに見えなかった。……やはり、どうにも違和感がある。フィオはまだ真意を語っていない、そういう気がするのだ。

 

「素晴らしい手管だったでしょう? 詐術には自信があるのです。……と言いたいところですが、まあこの際だから教えてあげましょう」

 

 フィオレンツァの言葉で僕は我に返った。彼女はいかにもワルそうな表情で自らの右目を覆う眼帯を撫でている。そして、もったいぶった所作でそれをゆっくりと外していった。

 

「うっ……」

 

 露わになったのは、左の碧眼とはまったく異なった色合いの、金色の瞳だった。その満月めいた色合いの光彩を目にするなり、僕の頭の中はまるで霧がかかったかのように真っ白になっていく……。

 

「うふふ、これがわたくしの手品の種です」

 

 不気味な酩酊状態は一瞬で収まった。フィオレンツァが眼帯を着け直したのだ。

 

「魔眼か……!」

 

 苦み走った声でフランセット殿下が呻く。その顔は冷や汗でビショビショになっていた。どうやら、先ほどの現象に思い当たりがあるらしい。

 

「さすが、博識ですね。そう、これは服従の魔眼。わたくしの目を直視した者は、問答無用で傀儡と化すのです。貴方も、そしてアルベールさんも、わたくしのお人形さんに過ぎなかったというわけですね」

 

 口元を歪め、陰惨に笑うフィオレンツァ。見た者を意のままに操る魔眼? なんだか、とんでもないチートじみた能力だな。そんな非現実的なモノが実在するのだろうか?

 そう思って殿下のほうを見ると、彼女はお通夜めいた表情で静かに頷いた。いや、頷いたというよりは、項垂れたといったほうが正しそうな動作である。

 ……どうやら本当に実在する能力らしいな、服従の魔眼。そうなると、フィオレンツァが従えていたあの不気味な兵士たちのことにも得心が行く。あの呆けたような表情は、魔眼とやらで自由意志を奪われているせいだったのか。

 

「この能力があれば、本当ならばその手枷足枷も必要ないのですけどね? 無様なあなたたちが見たかったので、着けてみました。お気に召してくれたのなら幸いです」

 

「必要ないなら外してほしいけどなぁ、不便だから」

 

 いつもの癖で軽口を飛ばすが、状況は思った以上に深刻かもしれない。このままでは、僕たちもじきにあの兵隊たちと同じような傀儡人形にされてしまうのではなかろうか……。そんな不安がムクムクと湧いてきて、僕の心を苛んでいた。

 

「ふ、ふ、ふ。貴方たちの残りの人生は、もうずっと虜囚のままですから。今から拘束に慣れておいた方がよいでしょう」

 

 そう言って手をひらひらと振ると、フィオレンツァはおもむろに立ち上がった。

 

「さて、負け犬の遠吠えも聞いたことですし、そろそろ旅を再開しましょうか。星導国はまだ遠いですからね、無駄な時間は使えません」

 

 それだけ言い捨てて、彼女はスタスタと幌馬車から出て行ってしまった。後に残された僕たちは静かに視線を交差させ、どちらからともなく首を左右に振る。いやはや、参った。このままでは本当に僕たちの人生はゲームオーバーだ。そうなる前に、早くここから逃れなくては……。

 



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第693話 盗撮魔副官の反抗(1)

 決戦の夜が明けても、わたし……ソニア・スオラハティの心に歓喜がわき上がることはなかった。いや、決して負けたわけではない。この第二次ロアール河畔の戦いは、確かに我々アルベール軍の勝利で幕が降りたのだ。

 一度は一騎討ちの結果を覆そうとしたガムラン将軍だったが、大黒柱であるフランセット殿下がフィレンツァの手に落ちたことでとうとう心が折れ、降伏を受諾した。

 ジルベルトに攻められていたオレアン軍も同時期に白旗を上げ、オレアン公自身も自決したとの報告が入っている。王軍はとうとう完全に屈服したのである。

 しかし、勝利の美酒をまず第一に味わうべきアル様がいらっしゃらないことには、画竜点睛を欠くにもほどがある。わたしは焦り、悩み、憤怒した。一度ならず二度までもアル様を奪われるとは。悔やんでも悔やみきれない。

 

「おのれ、フィオレンツァめ!」

 

 このわたしがついていながら、アル様が浚われていくさまを指をくわえて見ていることしかできなかったのだ。慚愧の念に堪えないとはこのことだろう。穴があったら入りたい、そしてそのまま埋め立てられたい。本心からそう願うほどの恥辱と後悔であった。

 ガムラン将軍が横槍を入れさえしなければ、フィオレンツァごときに不覚を取ることなどあり得なかったのだ。ヤツだけは決して許さない。

 そんな考えが頭の中でぐるぐると回っていたが、だからといってアル様の捜索に専念するという訳にはいかない。なにしろアル様がいらっしゃらない以上、アルベール軍の最高司令官はわたしなのだ。

 いまのわたしの最優先任務は、責任を持って戦争の後始末をすることなのだ。私情を優先してそこから逃げ出すわけにはいかない。まさに断腸の思いで部下の指導に当たる。

 

「この寒さだ、遺体の腐敗についてはそれほど気をつける必要はない。それよりも生者の救護に専念したほうが良いだろう。死なずに済むものは出来る限り生かせ」

 

 数万の軍勢が真正面からぶつかりあったのだ。その後始末は尋常ではなく大変だった。その上、脳裏には常にアル様のことがチラついている。心が張り裂けそうなほど辛かった。

 

「アルベール! アルベールはどうなっている!?」

 

 そうこうしているうちに、面倒な来客が現れた。救援にやってきた皇帝軍の司令官、アレクシアだ。彼女は道すがらアル様とフランセットが拉致された事件について聞かされたらしく、らしくもないことに血相を変えていた。

 

「現在捜索中だ。しかし、まだ尻尾は掴めていない。貴様のところに手空きの部隊があったら、そちらも追跡に回してくれ。とにかく今は人手が足りない」

 

 皇帝軍の来援によって王軍は総崩れになり、戦局は決定的な局面を迎えた。業腹だが、この手柄は認めざるを得ないだろう。神聖帝国抜きで勝利を掴むという当初の計画は、画餅に帰してしまったわけだ。

 正直なところ彼女らにこれ以上頼ることは避けたかったが、それでもあえて涙を飲み頭を下げてアレクシアにそう頼み込んだ。今は面子を優先している場合ではないと判断したからだ。

 

「むろん言われずともそのつもりだ。既に軽騎兵を用意してある」

 

 苦々しい顔で頷いたアレクシアは、部下たちに二言三言指示を出した。そしてこちらに渋面を向け、これ見よがしにため息を吐く。

 

「しかしだな、これは失態だぞ。貴殿がついていながら、坊主風情に遅れを取るとは」

 

 耳の痛くなるような指摘に、わたしは唇を噛んで目を伏せることしかできない。言い返したい気持ちはあるが、まったくの正論だ。まさか軍人ですらないフィオレンツァに、こうも良いようにやられるとは思っても見なかった。

 

「いま味方同士で足を引っ張り合っても、喜ぶのはあのクソ坊主だけでしてよ~?」

 

 アレクシアは追撃の言葉を放とうとしたが、それより早くヴァルマが彼女の脇腹を小突いた。なかなか力が入っていたようで、デカ猫女(アレクシア)は「オフッ」と小さな声を漏らしてしゃがみ込んでしまう。

 

「とにかく、アルベールを取り戻すのが第一ですわ。駄姉、そちらの捜索態勢を教えて貰ってもよろしくって?」

 

「とりあえず、ウルの鳥人とミュリン伯爵軍を投入している」

 

「鳥人とオオカミ獣人ですか。まあ、人捜しを得手としている連中には違いありませんが……他の方々は?」

 

「昨夜の戦闘で、多くの兵士が体力の限界を迎えている。動ける部隊の割り振りを考えれば、捜索任務に出せるのはこの二部隊が限度だった」

 

 言葉と言うよりは砂を吐き出しているような気分で、出来ない理由を説明する。我が軍は昨日の昼間から戦い通しであり、完全に疲弊しきっている。オレアン領を虱潰しに調査していくような余力はどこにも無かった。

 

「……ふぅ。戦争ですものね、常に万全とは行きませんか」

 

 苦い笑みを浮かべつつ、ヴァルマがわたしの肩を叩いた。彼女がわたしを励ますなど、いままでになかったことだった。不覚にも涙が出そうになり、慌てて咳払いをして誤魔化す。

 

「とにかく今は出来ることからやっていきましょう。ちょうど、人手(、、)も余っているのでお手伝いいたしますわ」

 

「マリッタか」

 

 わざとらしい言い方に、思わず苦笑が漏れる。敵方についていた二番目の妹がヴァルマの説得を受けて寝返ったことは、もちろんわたしも耳にしていた。

 姉妹相打つ事態が避けられたのはたいへんに結構だが、マリッタがこちらに槍を向けたことは紛れもない事実だ。流石になんのお咎めもなし、という訳にはいかない。せいぜい馬車馬のように働いてもらい、それを禊ぎとすることにしよう。

 

「仕事はいくらでもある、奴にはせいぜい頑張ってもらおうじゃないか」

 

 ひとまず戦死者の回収と集計でもやらせることにするか。誰もやりたがらないたぐいの仕事だが、だからこそいまのマリッタが適役だ。

 

「そういえば、ソニア。貴殿、ガムランとか言う敵将を捕らえていると聞いたが」

 

 話がまとまりかけたところへ、アレクシアがくちばしを突っ込んでくる。

 

「ああ。フランセットが捕まった今となっては、奴が王軍の総大将だ。殺してしまってはいろいろと不便だから、一応生け捕りにしてあるが。それがどうした?」

 

「我の方でも聴取がしたい。フィオレンツァというのはもともと王室方についていたのだろう? 王党派の将軍であれば、逃走ルートや潜伏先についてなにか心当たりがあるやもしれん」

 

「聴取、ね……。それほど有用な情報は得られないと思うがな。何しろ、フィオレンツァは王太子陣営を裏切っているのだ。王室系のルートから辿れるような経路を用いて逃げるような間抜けな真似はすまい」

 

 むろん、ガムラン将軍に対する尋問は我々のほうでも実施している。だが、芳しい成果は何一つ得られなかった。どうやらフィオレンツァは最初から王太子陣営を利用するだけして使い捨てる気だったようで、極力足跡を残さぬよう活動していたフシがある。

 

「それは分かっているが……」

 

 アレクシアは珍しく歯切れの悪い様子だった。アル様が拉致されたことで、動揺しているのかもしれない。何かせずにはいられない落ち着かない気分になってしまっているのだろう。

 ここで面談を断れば、「我自ら捜索に出る!」などと厄介なことを言い出してしまいかねない気がする。

 だが、こんなガサツで無神経で身分ばかりが高い厄介者が前線に出れば、間違いなく現場の者たちに無用の苦労をかけるだろう。ならば、聴取でもなんでもやらせて無聊をなぐさめてもらうことにしようか。

 

「わかった、ガムラン将軍のところに案内しよう」

 

 わたしの言葉に、アレクシアは子供のように表情をほころばせた。

 

「助かる。よし、善は急げだ。早速……」

 

「おっと、相済まん。その聴取、ワシも同行させてもらっても良いかの?」

 

 修羅場に似つかわしくないのんきな声が、先帝の言葉を遮った。見れば、そこにいたのはダライヤである。一応いつものポンチョこそ着ているものの、髪はボサボサで顔はネムネム、いかにも寝起きとわかる風体だった。

 

「それは構わんが……本当に、あの将軍は何も知らない様子だったぞ? 大勢で押しかけたところで、大した意味があるとも思えんが」

 

 このクソ外道エルフは、戦闘が終結してすぐに仮眠に入ってしまったのである。この忙しい時に、という気持ちを込めて睨み付けると、彼女は大きなあくびをしてから首筋をボリボリと掻いた。

 

「それはどうかのぉ? 目先を変えてみれば、案外なかなかの掘り出し物が手に入るやもしれんぞ」

 

 そう言って、ダライヤは不敵に微笑んだ。

 



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第694話 盗撮魔副官の反抗(2)

「はぁ、また尋問ですか」

 

 簡易拘置所となった大天幕にて、王党派将軍ザビーナ・ドゥ・ガムランは精根の尽き果てたような表情でそうボヤいた。

 本来なら、貴族というのは捕虜になってもそれなりの扱いをされる。身体を拘束されることはまずないし、剣を取り上げることすら固く禁じられているほどだ。

 ところが、今の彼女にはそうしたルールは適用されていない。手錠はかけられているし、武器の類いもすべて没収されている。もちろん、服装は捕まったときの戦塵に汚れた軍装のままだった。

 しかし、それも仕方のないことだ。なにしろガムラン将軍は、フランセットが敗北を受け入れててもなお継戦を主張して独断で攻撃を続行したのだから。

 そうして生じた混乱の結果アル様が拉致される事態に発展したわけだから、丁重な扱いなど受けられるはずもなかった。むしろ、即座に打ち首にされなかっただけマシというものだろう。

 

「なに、それほど肩肘の張ったものではありませぬ。将軍がお暇を持て余していると耳にいたしましてな、雑談のお相手でもいたそうかと思った次第ですじゃ」

 

 などと笑顔でのたまうのは、我らが外道エルフ・ダライヤであった。我々の尻馬に乗って聴取に参加した分際で、まるで代表者のような尊大な言い草である。

 

「わあ、出た」

 

 ガムラン将軍はそんなエルフをなんだかひどく嫌そうな様子で眺め回した後、視線をわたしのとなりのクソデカ猫女(アレクシア)の方へと移す。

 

「おや、今日は千客万来ですな。お会いできて光栄です、アレクシア閣下。このような汚らしい格好で申し訳ありません」

 

 なかなかに投げやりな口調の挨拶だった。そもそも一般的な貴族の礼儀としては、初対面の貴族同士が顔を合わせた時はまず仲介者の紹介を待ってから挨拶をするのが正道だ。それすらすっぽかしている当たり、ガムラン将軍も自らの運命は察しているようだった。

 

「うむ、くるしゅうない」

 

 それがわかっているから、アレクシアも将軍の非礼を咎めることはなかった。避けられぬ死の運命を前にして自暴自棄になっている人間に礼儀を説いても仕方がない。

 そこで、従兵が人数分の椅子を持ってきた。アレクシアやダライヤは、当然のような顔をしてそれに腰を下ろす。だが、わたしは一瞬躊躇した。

 ガムラン将軍への尋問はすでに実施しているのだ。二回目をやったところで、得られるものはないだろう。この忙しい時に、無益な仕事で時間を浪費するわけにはいかない。この場はダライヤにでも任せ、わたしは本部に戻るべきではないか……。

 

「はぁ」

 

 ……結局、わたしはそのまま椅子に座ってしまった。

 先ほど、ダライヤは「掘り出し物がみつかるかも」などと意味深な発言をしていた。このクソエルフは性格が死ぬほど悪いが、アルベール陣営屈指の智者なのは確かだ。そんな彼女が自信を覗かせているのだから、付き合ってみる価値はあるかもしれない。

 

「早速だが、貴卿にいくつか質問がある」

 

 まず口火を切ったのはアレクシアだった。彼女はまずフィオレンツァの居場所について問いかける。しかしもちろん、同様の質問は一度目の尋問でも実施している。返ってきた答えもまったく同じだった。

 

「申し訳ありませんが、皆目見当がつきませんな」

 

 動機や狙いを聞いても、同じく「わからない」の一点張りである。しかし、すっとぼけている様子は無い。むしろ、首を左右に振る彼女の顔は苦渋と憎しみに満ちている。

 

「これだけはハッキリ申しておきますが、司教に総大将をかっ攫われたのは我々王軍も同じです。裏切り者なのですよ、フィオレンツァは。許されるのであれば、この手で奴の細首を締め潰してやりたいくらいだ」

 

 しばしの問答のあと、将軍は最後にそう締めくくった。気分はわかるが、それはわたしの役割だ。無意識に拳を開け閉めし、暗澹たる気分になった。

 フィオレンツァのことはもともと嫌っていたし、信用もしていなかった。もちろん、今回彼女がしでかした事についても絶対に許せるものではない。しかしそれでも、幼馴染みをこの手にかけるという想像はたいへんに気分が悪かった。

 

「なるほど、ありがとう」

 

 アレクシアは感謝の言葉を口にしたが、その顔には苦い表情が浮かんでいる。先ほどの将軍の供述から得られたものは、彼女がフィオレンツァを恨んでいるという事実だけだった。そんなことを知ったところでアル様をお救いする助けにはならないだろう。

 

「ところで、将軍様。そのフィオレンツァは、いったいどうやって宮廷内で影響力を増していったのでしょうな? ワシとしましては、動機や目的よりもそちらのほうがよほど気になりますぞ」

 

 ダライヤの目がギラリと光った。一方、問われた側のガムラン将軍はキョトンとしている。

 

「どうやって、ですか。ふむ……正直なところ、よくわからんのです。かの司教は、もともと世俗の権力争いとは距離を置いていたように思うのですが。それが、気付けば殿下の相談役のような立場になりおおせていたのです」

 

 そこまで言って、将軍はいったん口を閉じた。視線がテーブルの上をさ迷う。香草茶でも探しているのかもしれない。しかしすぐに自分の立場を思い出したのか、茶の代わりに唾を飲み込んで言葉を続ける。

 

「あれは本当に唐突でした。まるで幽霊のようだ、などと仲間うちで話していたことを覚えております」

 

「フム……」

 

 わたしとダライヤの視線が交差した。彼女の顔には胡散臭い微笑が浮かんでいる。

 

「フィオレンツァが殿下に接近したのは、王都内乱が終結してすぐの頃です。お膝元である王都が戦火に覆われ、殿下も平常心ではいられなかったはず。おそらく、司教はそこに付けいったのでしょう」

 

「なるほど、あり得る話だ」

 

 ガムラン将軍の弁明は、フランセットの罪をフィオレンツァになすりつけるような言い草だった。しかし、わたしはその意見に理を感じていた。

 フィオレンツァは決して明晰な女ではないが、人の弱味を嗅ぎつけるのだけは得意だったと記憶している。彼女が星導教内で成り上がったのも、その嗅覚あってのことだ。その技巧をさらに悪用すれば、黒幕めいた立ち回りをするのも不可能ではないかもしれない。

 

「実は、ワシにはひとつの仮説がありましての」

 

 そこで、ダライヤが右人差し指をまっすぐに立てながら言った。周囲の視線が一気に彼女に集まる。仮説、か。おそらく、このクソババアはこれが言いたくてこの尋問に参加したのではなかろうか。

 

「言ってみろ」

 

「あのフィオレンツァとかいう司教は、人の心を惑わせる魔法を修めているのではないかと思うのですじゃ。あるいは、そういう効果を持つ魔道具を持っている、という可能性もありますがのぉ」

 

 人の心を惑わせる魔法? 聞いたことのないタイプの魔法だな。わたしやガムラン将軍は、胡散臭いものを見る目でクソババアを見た。唯一、アレクシアだけが奇妙に感心したような表情をしている。

 

「そんな魔法が実在するのか、と言いたげな顔ですのぉ」

 

 訳知り顔でのたまうダライヤ。見た目だけは愛らしい童女のようなのに、どうしてこれほど腹の立つ表情ができるのだろうか? 一発殴りたくなってきたな。

 

「いや、実は言い出しっぺのワシ自身、そのような魔法を目にしたことは無いのですがのぉ。ただ、百年……いや、二百年くらい前? に出会った者から、今回の事件と似た話を聞いたことがありましての」

 

 こいつが二百年前と言うのなら、おそらくは五百年は前の話だろう。いきなりそんな大昔の話をされても困るのだが。

 

「やつは、東国から流れてきたキョンシーだったのですが……」

 

「まて、キョンシーとは何だ」

 

 アレクシアが余計な茶々をいれた。ヴァルマが話の邪魔をするなとばかりに彼女の頭をブン殴る。

 

「キョンシーというのは一種のアンデットでしての。まあ、こちらで言うところのグールのようなものですじゃ」

 

 ダライヤが余計な返答をした。わたしがさっさと話の本筋に戻れと彼女の頭をブン殴る。

 

「アイタタタ……こほん。えー、何の話でしたかのぉ? えーと、ガレア建国王が底なし沼に嵌まって泣いた話?」

 

 わたしはもう一度彼女をシバいた。わりと本気の一撃だった。雰囲気を軽くするための冗談だというのはわかるが、それに付き合えるだけの精神的余裕がない。

 

「……こほんこほん。えー、その者いわく、故郷の国で大きな乱が起き、火の粉がかからぬように西方へと逃げ延びて来たと。そう申しておりましての」

 

「大きな乱、か。それが今回の事件と類似していると言いたいわけだな」

 

「そのとおりですじゃ。なんでもとある男が皇帝の寵愛を受け、好き勝手にまつりごとをもてあそびはじめたとか。名君は暗君に堕し、政治は乱れ、宮廷には粛正と謀反の嵐が吹き荒れたと聞いておりますじゃ。……なぜそのようなことが出来たか? それは、男が魅了の魔法を修めていたからだというのです」

 

 魅了の魔法、ねぇ。おとぎ話や伝説などで時折耳にする名前だな。あとは、スケベな本などでも幾度か目にしたことがある。まさか、そのようなファンタジーな代物が実在するとでもいうのだろうか?

 

「よくある傾城伝説ですわねぇ。でも、その雄狐めが本当にかような魔法を使えたのかというと、少々怪しいのではなくて?」

 

 ヴァルマの指摘ももっともだった。そもそも、そのような胡乱な魔法を用いずとも人を魅了することは出来る。それが魔法によるものなのか天然の魅惑によるものなのか、判別をつける方法はあるのだろうか……?

 

「それはそうなのですが。しかし、くだんのキョンシーはその男と直接会ったことがあるとか。なにやら怪しげな術をかけられ、危うく下僕にされてしまうところだったとボヤいておりましたぞ」

 

「……その類いの話ならば、我も耳にしたことがある。それも、かなり確度の高い逸話だ」

 

 それまで黙っていたアレクシアが口を開いた。彼女の顔には深刻な表情が浮かんでいる。

 

「かつて大陸西方の大半を支配していた偉大なる国、大オルト帝国。我らが神聖帝国の前身たるかの国が崩壊したのは、一人の道化師の仕業であるという伝承が我が家に残っているのだ」

 

「大オルト帝国崩壊というと、アヴァロニア王国が東征を始めた時期だな」

 

 西方の歴史を思い返しつつ、相づちを打つ。ガレア王国に住む竜人(ドラゴニュート)は、この東征によってアヴァロニア島からやってきた者たちの子孫なのである。

 

「ああ。本来、大オルト帝国の軍備をもってすれば、蛮族アヴァロニアていどに遅れを取るはずがなかったのだ」

 

 だれが蛮族だこの猫女め。

 

「ところが、ちょうど帝国宮廷では政変が起きていた。"服従の魔眼"なる怪しげな能力を持った道化師が、皇帝や重臣を残らず傀儡にして酒池肉林の乱行に及んでいたのだ。そんな状況ではとうぜんまともな防戦などできるはずもなく、結局大オルト帝国は版図の西半分を失って崩壊した……」

 

 ふーむ。記憶が確かならば、アレクシアのリヒトホーフェン家はこの大オルト帝国の貴族に源流があるらしい。そうした旧家に伝承されている話であれば、それなりの信頼性はあるやもしれんが……。

 

「……」

 

「あ、すまん。ワシ、大オルト帝国の崩壊期にはこの大陸におらなんだ。確か、西大陸でイモの育て方を習っておったような」

 

 歴史の生き証人ダライヤに確認をもとめたところ、なんとも気が抜ける答えが返ってきた。くだらない醜聞はいくらでも知っているくせに、どうしてこう肝心な情報は持っていないのか……。

 

「そういえば、フィオレンツァめは右目に眼帯をつけておりましたな? もしや、それが服従の魔眼とやらなのでは……」

 

 戦慄の表情でガムラン将軍がつぶやく。それにハッとなり、わたしは思わず椅子から立ち上がった。

 

「いかん……!」

 

 万一、その魔眼が実在するならば非常に不味いことになる。アル様が傀儡にされ、あの生臭坊主の操り人形と化してしまうかもしれない! 

 頭の中に悪い想像が渦巻いた。催眠調教といえばエロ本の鉄板シチュエーションだ。フィクションとしては散々楽しんだものだが、それが現実となって愛する人に牙を剥いたりした日には悪夢以外の何ものでもない。

 

「ネェルを呼べ! わたし自らアル様捜索の陣頭指揮を取る!」

 

 わたしは軍人である以前に女なのだ。代将としての責任よりも、愛する人の安全を優先する! フィオレンツァごときにアル様を奪われてたまるものか!!

 

「……たきつけましたわね? お婆ちゃん。フィオレンツァが本当にその魔眼とやらを持っているのかわからないのに、大丈夫ですの?」

 

「くくく、問題ありますまい。魔眼の有無など、実際はどうでもよろしい。将兵や民草の憎悪は、できるだけ一カ所に集めておいたほうが都合が良いですからのぉ。せっかく彼奴(きゃつ)が悪役を買って出てくれたのですから、乗らねば損というものですじゃ」

 

「なるほど、勉強になりますわぁ……」

 

 

 



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第695話 くっころ男騎士と陰謀

 ゴトゴトと音を立て、幌馬車が進む。その荷台で、僕とフランセット殿下は渋面を付き合わせていた。

 

「服従の魔眼、ね……。まさか、そのような面妖な代物が存在するとは思ってもみませんでした」

 

 フランセット殿下の口から大オルト帝国崩壊の原因……とされる逸話を聞いた僕は、なんとも言えない心地でうなり声を上げる。

 いかにここが剣と魔法の世界とは言え、にわかには信じがたい話だった。国が滅びたり王朝が交代したときなどには、よくこうした根拠のない伝説が生まれるものだからだ。

 しかし、これがヴァロワ王家に代々伝わる話となると、少しばかり風向きが変わってくる。かの家はもともと、アヴァロニア王国が大オルト帝国に侵攻した際に一番槍を務めた騎士が興した家系なのだ。

 当時を知るものが書き残した情報だというのなら、ある程度の信憑性はある。もっとも、だからといって頭から信じ込んでしまうのも考え物だが……。

 

「実はフィオレンツァに会ったあと、妙に記憶があいまいになったことがあるんだよ。それも、一度や二度ではない。あれはもしや、魔眼の魔力に囚われていたのではなかろうか」

 

 そう語る殿下の顔は青い。幌馬車の振動が身体に堪えているのだろう。

 この馬車はそれなりにグレードの高いもののようだが、それでもそのサスペンション性能は前世の軍用自動車(ハンヴィー)を遙かに下回っているように思える。路面のギャップが直接響き、たいへんに乗り心地が悪かった。

 しかしそれでも、乗り心地が悪い程度で済んでいるのだから僥倖だ。こんな馬車で草原などの不整地に突っ込めば、とても会話などできないレベルの振動が荷室を襲うはずだからだ。

 つまり、この馬車はきちんとした道の上を走行している。しかも、真っ昼間に。なんとも迂闊な話だ。希望が見えてきたかもしれない。……しかし、これは本当に単なる迂闊で済ませて良い話なのだろうか?

 

「僕にも同様の経験があります。しかもそのような不自然な状況にもかかわらず、当時の僕はそれを不審に思うことはありませんでした。今から考えてみればおかしな話ですね」

 

「同感だね」

 

 怒りや困惑、自嘲などが入り交じった複雑な表情で、フランセット殿下は大きく嘆息した。

 

「つまり、余も君もずっと奴の手のひらの上で踊っていたわけだ。なんとも滑稽な話じゃないか。フィオレンツァが大笑いするのも納得だよ」

 

 殿下の目には昏い光が宿っている。彼女はフィオレンツァの傀儡にされ、あらゆるものを失った。そのあげくがこの誘拐であるわけだから、憎悪もひとしおのはずだ。

 

「アルベール。隙を見て、余がフィオレンツァを討つ。その間に君は逃げろ。この際、余の刃が奴に届くかどうかなんてことはどうでもいい。とにかく時間は稼ぐから、絶対に後ろを振り返ってはいけないよ」

 

「お言葉ですが、殿下。その足では時間稼ぎすら難しいかと」

 

 無残にも膝から下がなくなってしまった彼女の右足を見つつ、僕は努めて憎たらしい笑みを浮かべつつ言ってやった。

 気持ちはわかるが、自力で歩くことすらままならない者に何ができるというのだろうか。体力差、体格差を思えばフィオレンツァ個人だけならばなんとかなるかもしれないが、彼女の周りには護衛の兵がいるのだ。

 ……おそらく、この兵士たちも魔眼だか何だかで傀儡にされてしまった者たちだろうな。出来ることならば彼女らも助けてやりたいが、自分の世話すらままならない状況ではどうしようもない。歯がゆいね。

 

「直球だなあ、君は。少しは余に花を持たせてくれても良いのではないか?」

 

「現実主義こそ軍人のあるべき姿です。夢想と浪漫で成算のない作戦に身を投じる軍人など、敗北主義者よりも始末に負えない」

 

「はーぁ、君はつくづく男である以前に軍人なんだなぁ」

 

 くつくつと笑いながら、殿下は肩をすくめた。

 

「失望しましたか」

 

「まさか! 余のモノに出来なかったことがますます惜しくなってきたよ」

 

「大人しく星導国についていけば、僕は貴方のモノにされるらしいですよ?」

 

「魅力的な提案をありがとう、なんだか心が揺れてきたよ」

 

 などと笑顔で言いつつも、殿下の決意は堅いようだった。まあ、当たり前である。

 

「殿下、真面目に進言いたしますが、今は軽挙妄動は避けるべきです。我が軍の救援がじき到着するでしょうから、動き出すのはそれを待ってからでも遅くはないかと」

 

 冗談では止められそうにないので、正直にぶっちゃける。むろん、これは単なる無根拠の楽観論ではない。それなりの確証があっての発言だった。

 

「救援。それは朗報だな。我が軍ではなくアルベール軍の、という点が憂鬱だが。しかし、確かな情報なのかな? 全力で逃亡を図る相手を迅速に発見、追撃するのは容易ではないよ」

 

 殿下の言い分ももっともだったが、その程度の反論は予想済みだ。僕はニッコリと笑って幌の外を顎で指し示した。

 

「我が軍には鳥人部隊があります。真っ昼間に街道上を走行している幌馬車を見逃すなど、あり得ません」

 

 あのエルフどもと共に戦技を磨いてきただけあって、リースベンの鳥人の目敏さといったらない。平地どころか、森の中に潜む敵すらも見つけてしまうほどなのだ。

 

「じきに救出部隊が飛んできますよ。フィオレンツァが生きて星導国の土を踏むことはないでしょう」

 

「……確かにそうだな。君のところの鳥人どもには、余もずいぶんと煮え湯を飲まされたからね。なるほど、彼女らであれば」

 

 昨日の戦いを思い出したのだろう、同意を示す殿下の表情は複雑だった。なにしろ、王軍は翼竜(ワイバーン)騎兵の数で勝っているにもかかわらず、終始航空劣勢を強いられ続けたのである。その原動力となった鳥人部隊にも、とうぜん思うところがあるのだろう。

 

「しかし、フィオレンツァも詰めが甘いな。彼女も鳥人部隊の存在は知っているだろうに、こうも白昼堂々と出歩くとは」

 

「油断、あるいは無知のためであるのならば良いのですが」

 

「しかし、罠ということも有り得る。なにしろ、相手はこれほどの大それた事件を引き起こした女だからね。下手に油断をすれば足元を掬われかねない」

 

 殿下の忠告に頷き返しつつも、僕の脳裏にはまた別の可能性が浮上していた。フィオレンツァは、自身の敗死すらも勘定に入れて計画を立てているのではないか、というものだ。

 彼女は先ほど、自らの口でなかなかに壮大な野望を語っていた。だが、僕にはどうもあれがフィオの本音だとは思えないのだ。

 いや、とはいっても、別に往生際悪くフィオの潔白を信じているわけではない。ただ、彼女の発言や行動には、どうにも拭いきれない違和感があるのだ。自身と星導教の権勢を拡大するために行動しているにしては、妙に辻褄があわないというか……。

 ……まあ、いいさ。なんにせよ、僕は自らの任務を果たすだけだ。この逃避行も、じきに終わりを迎えるだろう。真相はその時に本人の口から聞き出せば良い。

 

「おっと」

 

 そこまで考えたところで、がこんと荷台が揺れ馬車が急停車した。そして、外がにわかにさわがしくなる。

 どうやら、フィオレンツァが大声で何かを指示しているようだ。幌の外から武具のこすれる音や明らかに軍靴のものと分かる足音、そして遠くからはヴヴヴという独特の羽尾なども聞こえてくる。これは……

 

「噂をすれば、だな」

 

 どうやら、救援が到着したらしい。いよいよ、このくだらない事件の閉幕が迫っている。僕は深々と息を吐き、覚悟を決めた。さあ、フィオの茶番を終わらせよう。

 



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第696話 くっころ男騎士と救出部隊

 僕たちが乗せられていた馬車が、唐突に停車した。外では、なにやら戦いの準備をしているような気配がある。どうやら救援が到着したらしい。

 いよいよ来たかと腹をくくっていると、荷台の中へフィオレンツァが入ってきた。彼女にとっては敵襲だろうに、その表情は奇妙なまでに凪いでいる。

 

「お客様がいらっしゃいました。申し訳ありませんが、お出迎えを手伝ってもらえますか?」

 

 もらえますか? などと言われてももちろん我々に拒否権はない。なにしろ彼女の手には例の小型リボルバーが握られているのだ。

 一緒に入ってきた護衛兵が、僕たちと荷台を繋いでいる鎖の錠前を外した。フィオが視線だけを動かし、外へ出るように促す。有無を言わせない調子だった。

 抵抗しても仕方がないので、大人しく従う。しかし、僕はともかく片足を失っているフランセット殿下は独力で立ち上がることすらままならない状況だ。こちらは二名の護衛兵が強引に立ち上がらせ、文字通りの力ずくで外へと連れ出してしまった。

 

「ふうん」

 

 馬車の外に広がっていたのは、一面の田園風景だった。雪の積もった冬麦の畑が地平線の彼方まで続いている。そんな広大な田畑をまっすぐに貫通した街道のうえに、幌馬車はぽつんと停まっている。

 どちらに目を向けても、身を隠せそうな茂みや建物などは一切ない。しかも、馬車の周りには軍馬に跨がった軽騎兵たちが十人以上も展開していた。

 姿を隠そうという気が一切感じられない布陣である。こんな状態で白昼堂々行軍していたら、そりゃあ即座に見つかってしまうに決まっている。うちのウルとその部下たちの目の良さは折り紙付きなのだ。

 

「やはり彼女でしたか」

 

 どこか他人事のような口調でフィオレンツァがそう呟くのと同時に、ドシンと音を立てて何かが僕たちの眼前に着地した。土煙と猛烈な風が周囲に吹き荒れる。

 粉塵の中から現れたのは、たいへんに見覚えのある相手だった。牛や馬すらも霞む巨体、カマキリにしか見えない下肢、鎌状の両腕。そう、我らが最強カマキリ虫人、ネェルである。

 その体躯と異形ぶりに驚いたのか、馬車に繋がれていた二頭の輓馬が悲壮な鳴き声を上げて暴れ出した。そして、御者を乗せたまま反対方向へと逃げ去ってしまう。

 乗り物がなくなってしまったというのに、フィオレンツァはまったく動揺した様子を見せなかった。ガタガタと走り去る馬車を一瞥もせず、泰然自若として胸を張っている。

 それを見て、僕の確信はますます深まった。窮地に陥っているはずなのに、彼女はむしろ計画通りとでも言わんばかりの態度だった。やはり、先ほど語っていた野望は嘘っぱちなのだろう。

 

「……」

 

 落ち着いているのはフィオレンツァだけではない。護衛の兵たちもまた、無感動な態度で剣や槍などを構えていた。

 しかし、その態度は肝が据わっているというよりは機械的に指示に従っているだけのようにしか見えない。表情からはあらゆる感情が抜け落ち、まるで人形のようだった。

 明らかに正気ではない彼女らの様子を見ていると、フィオレンツァの言う"服従の魔眼"とやらの実在も信じずにはいられないような気分になってくる。とてもじゃないが、自分の意思でしたがっているようには見えんね。

 

「アル様、ご無事ですか!」

 

 勇ましい声をあげながらネェルの背中から飛び降りたのは、我が副官ソニアだった。既に愛用の両手剣を抜刀し、臨戦態勢だ。……おい、ソニア。助けに来てくれたのは嬉しいが、僕が抜けている以上君はアルベール軍の総責任者では……?

 

「やれやれ、くたびれたのぉ」

 

 それに続いてダライヤも降りてくる。腰をとんとんと叩き、戦う前からすっかりお疲れモードだ。しかしこちらに流し目をくれ、ウィンクをするのも忘れない。あざといババアめ。

 僕たちの前に現れたのは、この三人だけ。しかしよく見れば、上空には翼竜(ワイバーン)や鳥人と思わしき影が舞っていた。なるほど、速度を優先して航空部隊のみで突出する作戦をとった訳か。

 

「大丈夫、僕も殿下も無事だ!」

 

 ちょっと苦笑しつつそう答える。僕の右手は包帯でぐるぐる巻きになっているし、殿下にいたっては片足を切断済みだ。無事と言うにはいささか満身創痍に過ぎるかもしれない。

 

「どうもお久しぶりです、ソニアさん」

 

 剣呑とした空気が流れる中、フィオレンツァはそれにまったく似つかわしくないのんきな声で挨拶した。しかし、相変わらず拳銃の銃口はこちらを向いている。

 

「フィオレンツァ! よくも好き勝手してくれたものだなッ! 貴様の陰謀もこれまでだッ!」

 

 怒り心頭の様子でソニアが吠える。

 

「手品の種も既に割れているぞ! 貴様、妙な力で人の心を惑わせることができるらしいじゃないか。だが、そんなものは我々には通用せん!」

 

「精神に作用する魔法は、非常に繊細で扱いづらいものと聞く。対象の心に付けいる隙がなければ、うまく作用せぬのじゃ。戦いの場で有用な類いのチカラではなかろう。さっさと観念せい」

 

「今すぐ、アルベールくんを、返し、なさい。さもなくば、お二人の、幼馴染みとはいえ、容赦、しません」

 

 なんだかダライヤが気になる発言をしていた。なるほど、流石はババア。服従の魔眼についても把握済みだし、その対策も承知しているということか。

 

「つまり、逆に言えば余の心には隙があったということか。ふ、ははは……」

 

 隣で殿下が空虚な笑い声をあげている。こちらもなんだかヤバげな雰囲気だ。

 

「なかなか強気ですね。たかが三人でこのわたくしに勝てるとお思いですか?」

 

 フィオレンツァは不遜な口調で言い返した。彼女も、そしてソニアらも、殿下のことなど眼中にないようだった。

 なんだかひどく嫌な気分になって、僕はゆっくり息を吐く。フィオの魔眼と策略に踊らされた挙げ句の末路がこれか。なんとむごい話だろうか。

 

「そのカマキリ娘がいるから大丈夫などと思っているのかもしれませんが……以前の負傷がまだ完治していないのでしょう? あまり過信はしないほうが良いと思いますが」

 

 実際、フィオが指摘するようにネェルの肩にはまだ包帯が巻かれたままだった。王城脱出戦で負った弾創が、まだ治りきっていないのだ。

 日常生活を送る上ではそれほど不便はしていないようだが、戦闘に障りがないかといえばかなり怪しい。だからこそ、僕はロアール河畔の戦いではネェルを前線に投入しなかったのである。

 一方、フィオレンツァ側の戦力は騎兵が十名、徒歩兵が十四名という布陣だ。三対二十四というのは、いかにソニアとダライヤが武芸の名手であってもなかなかにひっくり返しがたい戦力差のように思える。

 

「舐められた、ものですね。本調子では、なくとも、貴方たちなど、朝飯前。いえ、むしろ、朝ごはん、です

 

「さらには、わたしとダライヤもついている。数ばかり多い雑兵などでは相手にならんさ。それに、すでに援軍は要請しているからな。じき、大勢の騎兵がやってくるはずだ。貴様に勝ち目はないぞ」

 

 なるほど、きちんとバックアップ体制は整えてあるらしい。流石はソニア、頭に血が昇っていても、こういう所はそつがない。

 

「……はぁ。まあ、そうなりますか。しかしこちらはアルベールさんの身柄をおさえているのですよ? ついでに、役に立つかはわかりませんがフランセット殿下の身柄もね」

 

 陳腐な脅し文句と共に、こちらにリボルバーを向けるフィオレンツァ。これ見よがしに撃鉄を上げ、ニヤリと笑う。安い悪党のような台詞と所作だった。

 

「馬鹿を言うな。フランセットはともかく、アル様は撃てんさ。貴様にはな……」

 

 普段のソニアであれば噴火待ったなしの状況だが、今回の彼女はむしろどこか悲しげな様子だった。殿下が歯を食いしばる音が微かに聞こえる。

 

「……」

 

 表情も身体も凍り付かせたまま、フィオレンツァは何も言わなかった。引き金を引く様子もない。

 

「図星、かのぉ?」

 

「流石は、幼馴染み、ですね」

 

 そうか。ここまで来てなお、フィオレンツァは僕を撃てないか。むしろ躊躇なく引き金を引いてくれるほうが、やりやすいのにな……。

 

「フィオレンツァ、これ以上の茶番はよせ」

 

 我慢ができなくなり、僕は彼女に向けて一歩踏み出した。自分からぐいと銃口に身体を押し当て、フィオを睨み付ける。もう、僕の堪忍袋の緒は切れかけていた。

 

「死にたいなら勝手に一人で死ね。無関係な人たちを巻き込むんじゃあない」

 



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第697話 黒幕司教とくっころ男騎士

「死にたいなら勝手に一人で死ね。無関係な人たちを巻き込むんじゃあない」

 

 ワタシ、フィオレンツァ・キルアージが突きつけた拳銃を恐れることもなく、パパはそう言い放って自ら重厚に身体をおしつけてきた。

 ああ、と小さな声が漏れる。しくじった。パパはもう、ワタシの企みなど看破してしまっているのだろう。その目には深い絶望と悲しみの色があった。

 

「アル様……?」

 

 アホのソニアが、困惑した様子でワタシとパパを交互に見ている。流石に少し心配そうな様子だ。ワタシにパパを撃つ気がないということは分かっていても、やはり武器を向けられた状態で挑発するような真似をされれば心配せずにはいられないんでしょうね。

 いつものように”心の声”に耳を澄まそうとして、失敗する。聞こえてくるのは物理的な声ばかりで、あの脳内にこだまするような”声”は囁き声ていどにも感じ取ることができなかった。

 やはり、ワタシの魔眼はもう駄目らしい。理由は簡単、無理をしすぎたせいだ。二十名以上の兵士の自我を縛り、無意識の海の奥底へ沈めたのだ。これは完全にワタシの能力のキャパシティを超えた行為だった。

 けれど、後悔はしていない。状況はすでに最終段階に入っており、もはや催眠能力の出番はないだろうからだ。

 それに、生まれてからずっと煩いくらいに響き続けたあの”声”が聞こえなくなるというのはなかなかに気分爽快だった。静寂というのがこれほど心地よいものだとは知らなかったな。

 

「これは茶番だ。大勢の無関係な人々を巻き込んだ、たんなる自殺に過ぎない」

 

 パパは辛そうな目つきでワタシを睨み付ける。やっぱり、魔眼が使えなくなっているのはむしろ僥倖だ。こんな顔をしている時のパパの心の声は聞きたくないしね。

 

「ふぅ……」

 

 深いため息を吐いて、撃鉄を手動でゆっくりと下ろした。そしてポケットから鍵を取りだし、パパに手渡す。手枷の鍵を解くための鍵だった。

 

「自殺とは人聞きが悪いですね。たんに、自身の退場を計画に組み込んでいただけですよ」

 

 手枷を外したパパに、今度は拳銃を押しつける。もちろん、ワタシを撃ってもらうためだ。

 

「思ったよりも格好のつかない形になりましたが、これにて幕引きです。黒幕を討ち、この西方諸国に平和を取り戻しなさい」

 

「なるほどのぉ」

 

 声を上げたのは、パパではなくエルフの婆だった。彼女は皮肉げな笑みを浮かべつつ、ワタシに哀れむような目を向けている。

 

「つまり、アレじゃろ? オヌシの陰謀、その真の目的はアルベールに権力を集めるためだったと。そういうワケじゃな」

 

「いかにもその通り。流石は、リースベン屈指の謀略家です。理解が早くて助かりますね」

 

 この状況で即座に正解を引き当てるあたり、やはりこのエルフはただ者ではない。

 これまで彼女に対しては逃げの一手を打ち続けてたけど、どうやらその方針は間違いじゃなかったようね。利用しようと接近してたら、間違いなく計画成就の前にこちらの思惑がバレていたに違いない。

 

「星導国のほうも万事抜かりなく手配しているので、ご安心を。わたくしが死ねば、母はあっという間に失脚するよう手はずを整えています。新教皇は、わたくしを討ったアルベールさんに頭が上がらなくなるでしょう。心おきなく撃ってください」

 

「まて、待て待て待て! 貴様、どういうつもりだ! この期に及んで、なんだ貴様!」

 

 怒声を上げたのはフランセットだ。どうやら、状況の変化に頭が追いついていないらしい。その表情には困惑が満ちていた。

 

「鈍いですねぇ。つまり、アルベールさんの当て馬だった訳ですよ。あなたも、そしてわたくし自身もね」

 

 フランセットを外に連れ出したのは間違いだったかもしれない。パパやソニアならともかく、コイツにワタシの真意を聞かせたくはなかった。

 

「わたくしの語った計画は、ほとんど嘘ではありません。ただ一点、権力を握る人間がわたくしではなくアルベールさんであるという部分を除いて……ですが」

 

「誰がいつそんなことを頼んだ」

 

 ひどく凪いだ声でパパが言った。……魔眼が使えなくてもわかる、すっごい怒ってるわね。まあ、仕方がないけれど。

 

「栄達を望む心がまったく無かったといえば嘘になる。けれど、こんな未来は望んでいなかった! 他国に攻め入り! あげく自国領内で一般市民を巻き込んだ内戦など、冗談ではない! こんな、こんなむごいことは……」

 

「でも、楽しかったでしょう?」

 

 もう、これが最後だから。ワタシは正直な気持ちを口に出した。

 

「あなたには、戦争を好む気質があります。戦っている最中の自分の顔を見たことがありますか? 平時に書類仕事で埋もれている時などよりも、よほど心の底から喜んでいるふうに見えますよ」

 

「……」

 

 パパは一転して黙り込んだ。図星を突かれたからだ。事実として、彼は戦争を生きがいとしている。

 平穏な生活にあっても息苦しさと場違い感を覚え、それらを解放できる戦場こそを自らの居場所と定めた。そういう人間だからこそ、パパは二度の人生で二度とも軍人を志したのだ。

 

「だから、何です」

 

 反論したのはパパではなくあのカマキリちゃんだった。彼女は敵意と哀れみの混ざった奇妙な目つきでワタシをまっすぐに見据えている。

 

「アルベールくんに限らず、人間には、誰しも、不徳を好む、心が、あります。それを、自覚した上で、あえて押さえる、というのが、人間の、理性の、本質、なのです。そして、アルベールくんは、理性的な、人です」

 

「なるほど、確かに同感です。うふふ、貴方とはお友達になれそうな気がしますね」

 

「お友達は、イヤですが、おやつになら、してあげますよ?」

 

「……」

 

 死ぬ覚悟はできてるけど、流石に食べられるのは勘弁かな。苦笑交じりに肩をすくめ、視線をパパに戻す。

 

「まあ、それはさておき。実際のところ、アルベールくんの意志などどうでも良いのです。これは、あくまでわたくしの野望。結局の所、貴方とてただの駒であることには変わりませんから」

 

「駒、ね」

 

 ひどいことを言っている自覚はあるが、パパの表情はむしろ気が楽になったような風情があった。もっとも、それを恥じているような雰囲気もあるけど。

 

「では聞くが……僕をお山の大将にしてどうするつもりなんだ、君は」

 

 西方諸国の大半を統べるような立場を、お山の大将呼ばわりかぁ。パパらしくて笑っちゃうわね。こういうところ、本当に好きだなぁ。

 

「知れたこと。革新ですよ、革新。前世の知識を生かして、この世界をより良いものに変革してもらいたいです。これは、わたくしには出来ないことですから。たいへんに無念ですが、アルベールくんにお任せするよりありません」

 

「フィオレンツァ……貴様、アル様が転生者であることに気付いていたのか」

 

「なに、転生者!? なるほど、やはりか……前世はよっぽど立派なエルフじゃったんじゃろうなぁ……」

 

 なんか勘違いしてる人がいるけど、無視だ無視。いちいち説明してたら話が進まないもの。

 

「当然です。あまりにも強力な新兵器群に、それに対応した戦術・戦略。これらは明らかにこの世界の産物ではありませんから」

 

 そんなことを語りつつも、ワタシは密かな高揚を覚えていた。心の声が聞こえない。本音で話せる。それだけで、こんなに心安らかでいられるなんて。

 

「しかし、軍事だけを”近代化”しても仕方がありません。むしろ、もっと民の役に立つ分野に応用せねば宝の持ち腐れ。いつまでたっても世の中は良くなりませんよ」

 

「つまり、なんだ。君の引いたレールは、僕に万全の体制で”現代知識チート”をやらせるためのものであったと?」

 

「有り体に言えば、ええ、その通りです」

 

 現代知識チート、か。なんとも素敵な言葉ね。出来れば、パパには大砲や鉄砲ではなく空中窒素固定法や蒸気機関のほうにその力を注いで貰いたいところなのだけど。

 まあでも、そんなものはしょせんは身勝手なワタシの願望だ。それをぶつけられたほうはたまったものではない。パパは怒りに燃える目でワタシを睨み付け、胸ぐらを掴んだ。

 

「ふざけるなよ……!」

 

 

 

 



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第698話 くっころ男騎士と黒幕司教

「ふざけるなよ……!」

 

 怒りを込めてフィオレンツァを睨み付け、その胸ぐらを締め上げる。ズタボロになった左腕の痛みを忘れるほど、僕は激怒していた。彼女の語った真意がそれほどまでに認めがたいものだったからだ。

 

「なるほど、ご立派な目標じゃあないか。すべては世のため人のため、ってわけだな。だがな、目的は手段の正当化にはならないんだ!」

 

 フィオレンツァの目をまっすぐに見据えながら怒鳴るが、彼女の表情は相変わらず凍てついた湖面のように穏やかだった。僕にはそれが気に入らない。

 

「今回の戦争だけで、何人の兵士が死んだり一生ものの障害を負ったりした? 何人の一般市民が平穏な生活を奪われた? これ以前の戦争では? ……お前のやり方は、犠牲が多すぎる!」

 

「革命の道とはえてして血と屍で舗装されているものでしょう? フランス革命とやらよりは、まだ穏当な手段をとっていると自認しておりますよ」

 

 よりにもよって、フランス革命を例に出してくるか。僕は頭をかきむしりたいような気分になった。フィオはいったいなぜそんなことを知っているのだろう? やはり、彼女自身も転生者なのか。

 いや、違う。きっと、彼女の知識は僕由来だ。そうでなくては、この計画がここまで僕に偏重した内容になっていることの説明がつかない。フィオが転生者ならば、軍事に特化しすぎた僕よりも自分自身をコアにして改革を行ったほうがよほど手っ取り早いはずだ。

 おそらく、知らないうちに服従の魔眼とやらで前世知識を洗いざらい喋らされていたのだろう。つまり、彼女がこのような野心を抱いてしまったのは、僕のせいだということになる。

 

「本当にそうか? 血はこれからも流れ続けるぞ。今の国内外の情勢を考えれば、ガレアの内乱が終わってもナポレオン戦争のような事態に発展する可能性は十分にある。一度燃え上がりはじめた火事はそう簡単に鎮火しないんだ! そしてそれは、首謀者ですらコントロールすることはできない」

 

「それも予想済みですよ。しかし、必要な犠牲です。流れた血よりも救われた命のほうが一つでも多いのならば、わたくしはそれで良いと考えています」

 

「十人死んでも百人が救えればそれは正しい行いだと? 軍人のようなことを言う」

 

 反論していて心がさらに苦しくなってきた。一殺多生は僕自身の行動原理でもある。それを否定することは、まさに自分そのものを否定することに等しかった。

 

「だがね、僕から言わせて貰えば近代化なぞそれほど良いものではない。たしかに、一見近代の暮らしぶりは素晴らしいもののように思えるだろう。しかし、市民軍の時代の戦争は悲惨だ!」

 

 第一次世界大戦では、前線を数キロ前進させるために数万の兵士が死傷するような作戦がたびたび実行された。この世界、この時代の軍隊には、同じような事はとてもできない。

 実際、大国ガレアの王軍ですら、今回の内戦では僅か(、、)一万未満の損害で戦闘不能になってしまっている。この動員数・損害許容率の差が、貴族軍と市民軍の最大の違いなのだった。

 僕が軍事技術ばかりに投資して社会改革には触れようともしなかったのも、この点がおおいに関係している。現状の社会体制では、とてもじゃないが近代戦の損耗には耐えきれない。

 一度戦端を開けば、勝っても負けても致命的な被害を受ける……そうした考え方が広く普及すれば、戦争の無い平和な世の中になるのではないかと。そんな絵図を描いていたのである。

 ……ああ、しかし。結局のところ、僕とフィオの考え方には大きな違いなど無いのではないだろうか? 僕がこれほど立腹しているのも、たんなる同族嫌悪なのではないか? そんな考えが雨雲のように湧いてきて、僕をひどく憂鬱にさせていた。

 

「だからといって、いまある悲劇を看過する理由にはなりません。この世界では、日照りひとつ、干害ひとつで多くの民の命が失われるのです。空中窒素固定法、すなわち空気からパンを作り出す技術で食料を大量生産し、蒸気機関を用いた鉄道や船で食糧不足の地域に運び込む! これだけで、何万何十万の民が救われる!」

 

 ここへ来て、フィオの反論にも熱が入ってきた。後ろでそれを聞いていたダライヤが、「むぅ」と小さな声を上げる。……たしかに、フィオレンツァの言うような体制が完成すれば、飢饉で滅んだ旧エルフェニアのような悲劇は起こらなくなるだろう。

 ああ、畜生。考えれば考えるほど、なにが正しいのかわからなくなる。だがそれでも、フィオレンツァのやり方は容認できない。しかしこれは義憤か? たんなる”気に入らない”というだけの私憤ではないか? だが、だが……

 

「アルベール、その女の口車に乗るな」

 

 冷え冷えとした声が、僕の思考の暴走を止めた。声の主はフランセット殿下だった。彼女は人形のような表情の護衛兵に抱えられたまま、憤怒と怨嗟の籠もった瞳でフィオレンツァを睨み付けている。

 

「理屈など関係ない。フィオレンツァは君の敵だ。今討たねば、今後更なる災禍を巻き起こすだろう」

 

「……その通りです、アル様」

 

 殿下に同調したのはソニアだった。彼女は決意に満ちた表情で剣をフィオに向けた。

 

「わたしにお任せください。余計な痛みなど与えません。安らかな慈悲の一撃で、フィオレンツァを終わらせてみせます」

 

「やかましい!」

 

 大きな叫びが僕の耳朶を打った。誰の声だ、と思ったところで、それが自分の口から発されたものであることに気付く。どうやら、僕は自分で思っている以上に熱くなっているようだった。

 

「これは僕の戦いだッ! 僕自身が始末をつける! 邪魔をするなッ!」

 

「う、ふ、うふふふ……」

 

 雷に打たれたような表情で黙り込む二人を尻目に、フィオが笑い声を漏らした。心底愉快そうな声だった。

 

「流石は、流石はワタシの見込んだ人。ふふ、ふふふふふ……さあ、悪の黒幕を討つのです。あなたの行く道は勝利と栄光で舗装されているのでしょう? ワタシはその道を彩る一輪の花になるのが望みなのです」

 

「そういうところだぞ!!」

 

「ウワーッ!?」

 

 反射的に頭突きが出た。やってから後悔するが、もう遅い。私情で暴力を振るうことは堅く自戒していたのだが……。

 

「つまるところ、お前は勝ち逃げしようとしている! そこが一番気に入らない! 自分の命を逃げるために使いやがって!!」

 

 本当に大切なことのためならば、命を惜しんではならない。僕はずっとそういう風に考えてきた。たぶん、フィオレンツァもそれは同じなのだろう。しかし……

 

「畜生、馬鹿野郎! この馬鹿野郎……」

 

 彼女のやり方は、むかつく。とにかくむかつく。気に入らない。死に逃げなど、命に対する冒涜だ。いや、後付けの理屈だ。結局のところ、感情的な反感にすぎない。

 ああ、クソッタレめ。フィオはどうして相談もせずにこんなことをしたんだ。話し合ってさえいれば、こんな悲惨なことが起きる前にお互い納得のできる道へ進むことだって出来たかもしれないのに……。

 

「あっはは、ひどい顔ぉ。勝ち逃げされるのが悔しい? 仲間はずれにされたことが悲しい? うふふふふ……!」

 

「じゃかわしいわクソボケがーッ!」

 

「ハワーッ!?」

 

 このクソボケ、僕が殺しやすくなるようあえて煽ってやがる。ああ、腹が立つ。いっそ無様な命乞いでもしてくれたほうがやりやすいのに。いや、それはそれでキツいか。畜生。

 結局のところ、僕がなかなか彼女を殺せずにいるのは、負けず嫌いのせいなのかもしれない。自慢じゃ無いが、友達だ、家族だ、なんて理由で切っ先が鈍るような人間では無いのだ、僕は。畜生、自分のロクデナシぶりが露わになったような気分だ。本当にサイアクだよ……。

 

「本当に……このクソボケが……」

 

 しかし何であれ、フィオをこのまま生かして返すという選択肢はない。僕はギリリと歯を食いしばり、彼女自身に手渡された小型リボルバーをフィオに向ける。

 僕が普段から使っている軍用のものに比べれば遙かに小さい、ポケットサイズの拳銃。こんなものでも、人を殺せるだけの威力は十分にある。撃鉄を上げると、がちりと音がしてシリンダーが回った。

 

「どうぞ、しっかり狙って」

 

 にこりと笑い、フィオレンツァは拳銃の銃身を掴んだ。そのまま、自分の薄い胸へと銃口をいざなう。その顔には安らかで満足そうな表情が浮かんでいた。

 ああ、もう、本当に気に入らない。畜生。心底嫌な気分になりながら引き金を引こうとした、その瞬間である。

 

「あっ」

 

 凶悪な形状の鎌が、フィオの華奢な身体を絡め取った。ネェルである。彼女はそのまま軽々と彼女を拘束し、自分の顔の高さまで持ち上げる。

 

「死ぬ覚悟は、できていると。結構。ですが、食べられる、覚悟は、どうでしょう?」

 

 そう言って、ネェルはその恐ろしげな牙をむき出しにした。彼女の口は大きく裂けており、人ひとりくらいなら容易に丸かじりすることが出来る。

 

「ひっ」

 

 これまで平静を保ち続けていたフィオレンツァが、ここへ来てやっと恐怖の声を漏らした。

 死ぬ覚悟を固めていたところで、捕食という根源的な恐怖は容易にその覚悟を塗りつぶしてしまう。だからこそ、恐れ知らずのエルフどもですらカマキリ虫人に畏怖しているのである。

 

「勝ち逃げは、ネェルも、気に入り、ません。アルベールくんの、手で、死んで、あの人の、心に、一生ものの傷を、残そう、なんていう、性根もね」

 

「や、やめて!」

 

 フィオびじたばたと暴れた。その様子は、まるで肉食獣に捕まった小鳥のようだった。ネェルはそんなことなどお構いなしに大口を開け、彼女にかじり付こうとする。

 

「い、いやだ! 食べないで! 人間らしく殺してよ! パパ、助けてぇ!」

 

 涙声でフィオが助けを求める。パパと言いつつも、その目は僕の方を向いていた。彼女の顔は涙と鼻水でグショグショになっていた。

 胸が締め付けられるような心地になって、僕は小さく息を吐いた。やはり、ネェルは優しい娘だ。しかしだからこそ、彼女に余計な荷物は背負わせたくない。それに、これは僕自身が始末をつけるべき話なのだ。拳銃を捨て、この場に居るもう一人の幼馴染みへと視線を向ける。

 

「ソニア!」

 

「はっ!」

 

 幼馴染みだけあって、彼女はすでに僕の意図を察していた。彼女は腰帯から鞘に入ったままの銃剣を外し、僕の方へと投げ渡してくる。それをキャッチし、躊躇無く抜き放つ。鋼色の刀身が真冬の冷たい陽光を受けてギラリと輝いた。

 

「フィオ、お前の勝ちだ」

 

 そう言って、フィオの背中に銃剣を突き刺した。トレードマークである純白の翼が深紅に染まる。凍り付いていた彼女の表情が、ゆっくりと氷解していった。

 

「ありが、とう……パパ……」

 

 そこまで言って、フィオは血の塊を吐き出した。銃剣の切っ先は、背骨と肋骨を避けて性格に心臓を貫いている。致命傷だった。

 

「ごめん、ね……?」

 

「謝るくらいなら最初からやるな、馬鹿野郎」

 

 まったく、胸くそ悪いったらありゃしない。

 



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第699話 くっころ男騎士の決意

 青白の司教服と、純白の羽根が血に染まっている。事切れたフィオレンツァは、ひどく安らかな表情をしていた。まるで眠っているだけのようにも見える。その死に顔を網膜に焼き付けた後、僕はゆっくりと目を閉じ深々と息を吐いた。

 

「終わった、な……」

 

「ええ……」

 

 重く湿った声でソニアが同意を示す。いつにも増して、彼女の表情は固かった。決して仲は良くなかったとはいえ、幼馴染みが死んだのだから当然のことかもしれない。

 ネェルが優しい手付きでフィオレンツァの遺骸を地面に下ろした。血を流しながら横たわる彼女は、さながら地に墜ちた小鳥のようだ。その可憐でありながらむごい姿は、僕の神経をいやに逆撫でしていた。

 彼女に向けて手を合わせ、心の中で祈る。彼女が死後、どういった道のりを行くのかはわからない。僕のように転生するのだろうか? それとも、地獄に落ちるのだろうか? あるいは、死んだ時点で全てが泡のように消えてなくなるのかもしれない。

 しかし、なんであれ死人に罪はあるまい。願わくば、彼女の次の旅路が幸の多いものであらんことを。

 

「ん? あれっ、ここはいったい?」

 

「殿下!? フランセット殿下ではありませんか! 私は何を……」

 

 そうこうしているうちに、周囲の護衛兵たちが次々と正気を取り戻しはじめる。フィオが死んだことで服従の魔眼の効果が消えたのだろう。

 どうやら彼女らは自分が何をしていたのか分かっていなかったらしく、拘束されたフランセット殿下を見て顔色を変えていた。

 結局、この護衛兵たちはフィオに危機が迫っている時でさえ、カカシのように突っ立っているだけだったな。おそらく、本当に彼女らはカカシ以上の存在意義が無かったのだ。

 つまり、フィオレンツァが黒幕ぶるための演出装置というわけだ。それはそれで、ひどく哀れな話である。

 

「やれやれ、やっと魔法が解けたか。君たち、ひとまずこの手枷を外して、椅子を用意してくれないか。見ての通り、今の余は自分の足で立つこともままならない身でね」

 

 生まれたその日から人に傅かれる立場にあった人間らしい態度で、殿下が護衛兵らに命じる。

 その声には、自分をここまで引っ立ててきた護衛兵たちに対する恨みなどは一切ふくまれていない。彼女らも、自分と同じフィオレンツァの被害者にすぎないと割り切っているのだろう。

 兵士のひとりが軍用の折りたたみ椅子をだしてきて、殿下を座らせた。どうやら僕たちが乗っていた幌馬車の落とし物らしい。堂々たる態度でそれに腰を下ろした殿下は、ゆっくりとため息を吐いて僕たちの方を見た。

 

「終わった、と君は言うがね。僭越ながら言わせてもらえば、終わったのではなくむしろ始まったのだと思うよ」

 

「確かにそうですね。ああ、今から気が重い」

 

 ボヤきながら、僕は地面の上であぐらを組んだ。貴族らしからぬだらしない態度だが、致し方あるまい。徹夜明けからのこの逃避行だ。さすがにくたびれてしまった。

 

「フィオの勝ち逃げを許してしまった以上、もはや僕の取れる選択肢はひとつだけ。王様になるしか無いんですかねぇ」

 

「そりゃあねぇ? 我らヴァロワが落陽を迎え、君たちブロンダンが頂点に立つ。歴史の流れはこれで確定してしまった。余は役目を終えた役者というわけだ」

 

 投げやりな調子でそう言い、殿下は椅子の上で脱力した。こちらもこちらで、王太子らしからぬダラけた所作である。

 

「納得していない部分は多々あるし、言いたいこともたくさんある。けれど、もはや全ては手遅れだ。ひとまず認めよう、余の敗北を」

 

「どうも……」

 

 フランセット殿下の表情は、むしろ清々しているようにも見えた。フィオレンツァに操られたあげくの結末がこれだ。むろん、受け入れるのは容易ではあるまい。

 しかし、今さら四の五の言ったところでまったくの無意味だ。彼女はひとまず、名誉ある敗者の立場に甘んじることを受け入れたようだった。

 

「で、勝者たるオヌシはこれからどうするのかのぉ?」

 

 腕組みをしたダライヤが寄ってきて、ニヤケ面でそんなことを聞いてきた。からかい半分、哀れみ半分といった調子の声音だった。

 

「さてね。ひとまずは、フィオレンツァの敷いたレール……もとい、道筋を利用することにするかね」

 

「王国、神聖帝国に跨がる大国の建国、そしてその元首に戴冠か。ふふふ、なんとも凄まじい話じゃないか。前時代の大オルト帝国に匹敵する大偉業だ」

 

 フィオレンツァに利用され、すべてを失ってしまった割には殿下の声はカラリとしている。無くしてから初めて、自らの背負っていたものの重さに気付いたのかもしれない。

 

「アヴァロニアに脇腹を刺されて頓死するフラグじゃないですか、それって。勘弁してくださいよ」

 

「ハハハ……かの国は狡猾だよ。旧式の軍隊しか持たぬ連中だと舐めるのはやめたほうがいい、彼女らの本分は海軍と外交だからね」

 

「肝に銘じておきましょ……」

 

 戦争は終わったというのに、まったくもって気が重い。何が悲しくて、僕のような軍事馬鹿が王様などやらねばならんのだ。しかも、むやみに図体のデカい新国家の。

 全部を投げ出して、田舎でも引っ込みたい気分はあった。いや、リースベンもド田舎には違いないが、あそこはエルフがいるから駄目だ。まあとにかく、尻尾を巻いて逃げたいと言うことだな。

 しかし、義務というのは捨てられないからこそ義務なのだ。それを捨て去ることは僕のプライドが許さない。まあ、フィオの描いた絵図そのままを踏襲するというのはいささか気に入らないが……いったんそれは忘れよう。

 

「……なあ、ソニア」

 

「なんでしょう」

 

 応えるソニアの声は硬い。彼女も、いろいろと思うところがあるのだろう。僕自身、正直なところ平常心は保てずにいた。フィオの死、彼女の陰謀、そしてこれからの僕たちが歩むであろう茨の道……さまざまな考えが、頭の中を巡ってはきえてゆく。

 

「僕たちは、これまで以上によく話し合ったほうがいい。フィオがこうなったのは、誰とも話し合わずに一人で不相応な理想を弄び続けたせいだ。くだんの計画を実行に移す前に、僕たちに一言相談していれば……こんなひどいことにはならなかった」

 

 フィオの表情は他殺体とは思えぬほど安らかだった。僕にはどうにもそれが気に入らない。自己満足で大勢の人を傷つけ、あげく独りよがりに死んでいった。我が幼馴染みながら、ろくでもない女だ。

 けれども、僕はどうしてもフィオを憎みきることができなかった。彼女の生き方が、僕自身にもダブって見えるせいかもしれない。彼女の短所と僕の短所はよく似ている気がするのだ。

 

「そうですね……。フィオレンツァと同じ轍を踏む気はありません。もちろん、結末もです。こんな風に、自分だけの満足を抱えて一人で死ぬなんてまったくの御免ですから」

 

 ソニアは悲しげな表情でフィオを一瞥する。

 

「騎士にあるまじきことを申しますが……わたしは、子供や孫に囲まれて大往生がしたいですね。そして、あなたと同じお墓に眠りたい。やれ新国家だ、王様だ、皇帝だ、などと言われても、その目標だけは変える気はありませんよ」

 

「ハハハ……良い目標じゃないか。その道は、是非とも一緒に歩ませてもらいたいところだね」

 

 初志貫徹、か。確かにそれも忘れちゃ駄目だな。

 

「幼馴染みも、結構、ですが。しかし、アルベールくんには、他にも、家族が、いるのですよ」

 

 ネェルが不満顔でしなだれかかってきた。体格が体格なので、なんだかゾウか何かに甘えられているような気分になる。

 

「ワシも忘れて貰っては困るぞ? オヌシには、ワシの隠居に付き合うという重大な使命があるのじゃ。国だかなんだか知らんが、それにかまけて後回しにされては貯まったもんじゃないからのぉ」

 

 ロリババアも滅茶苦茶なことを言い出す。うへえ、参ったね。そういえば、僕には両手の指を足しても足りないほどの大勢の嫁がいるのである。当然だが、彼女らを放置しておくわけにもいかない。

 

「やれやれ、やることが多くて気が滅入るね。ぶかぶかの身の丈に合わない服を着せられたような気分だ」

 

「そうでしょうか? わたしには、ちょうど良い大きさの服のように思えますが。……ふふ。ですが、身の丈に合わないというのなら、それに合わせて身体の方を大きくすれば良いだけです。簡単なことでしょう?」

 

「ムチャクチャを言うねぇ」

 

 大陸西方の大半を領有する巨大国家を建設して、平和な世の中を作り、そしてたくさんのお嫁様と円満な家庭を築く? おいおいおい、僕が十人くらいに分裂してもまだ足りないだろ、そんなの。まったくソニアもとんでもないことを言ってくれるものだ。

 

「悪いが、僕は君たちが思っているほど有能な人間じゃない。正直、力不足だよ。……だから、みんな。どうか僕に力を貸して欲しい。一人じゃ出来ないことも、みんなでやればきっとなんとかなるから、さ?」

 

「もちろん」

 

「むろんじゃ」

 

「当然、です」

 

 返ってきたのは、三者三様の頼もしい答え。それをひとり離れたところで聞いていたフランセット殿下が、悲しげな表情でため息を吐いた。

 

「……ッ!?」

 

 そちらに向けてウィンクをすると、彼女は驚いた顔で目を見開く。……せっかく拾った命なんだ、ここで捨てるには惜しい。情の面を抜きにしても、先代王朝直系の血筋というのはいろいろと使い道はあるものだ。

 幸いにも、僕の陣営にはすでに一度矛を交えている相手がたくさんいるのだ。彼女と再び手を結んでも、大きな反発は出ないだろう。

 アーちゃんを初めとした厄介なメンツに対抗するためにも、彼女の力と血筋は有効だからな。せいぜい、戦後秩序の確立のために身を粉にして働いて貰うことにしよう。

 

「さて、とにもかくにもこれでこの戦争は終わりだ。剣を納め、帰るべき場所に戻ることにしようじゃないか」

 

 そう言って、僕は地面から立ち上がった。これから僕たちが歩むのは茨の道だ。こんなところで休んでいる暇はない。今はただ、無心で歩き続けよう。その先にソニアの言うような幸せなゴールがあると信じて。

 



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最終話 くっころ男騎士の後日譚

 あの戦争が終わってから、十年が経過した。

 当然ながら、その道のりは決して平坦なものではなかった。なにしろ、大陸西方の既存秩序はフィオレンツァの策謀によって完全に破壊し尽くされてしまっていたのだ。そこに新たな秩序を打ち立てるというのは、まったくもって尋常な事業ではなかった。

 ガレア内戦終結後の最大の懸案事項は、星導国とアヴァロニア王国であった。僕たちアルベール軍は連戦によってすっかり疲弊しており、次の戦争を戦う余力などどこにも無かったからだ。

 このうち、前者の星導国については思ったよりも簡単に片がついた。教皇就任一歩手前まで行っていたフィオレンツァの母が、娘の死後すぐに暗殺されてしまったからだ。かの国はそのまま内部闘争の道に進み、我々に干渉するどころではなくなってしまった。

 一方、後者……アヴァロニア王国への対処はなかなかに難儀をした。ガレア王国の西側に浮かぶこの島国は、西方諸国の動乱を自身の勢力拡大の好機として捉えていたからだ。

 ガレア内戦終結からちょうど半年後、ガレア・アヴァロニア両王国の間に横たわる海峡にアヴァロニアの大艦隊が集結し、情勢は緊迫の一途をたどった。一時は開戦は不可避ではないかと思われたほどだ。

 しかしこれは、アデライドとダライヤの二人が直接アヴァロニア本土に乗り込むことでなんとか解決した。外交巧者で知られるアヴァロニアに対しても彼女らは一歩も引かずに交渉しつづけ、最終的にはなんとか矛を収めることに成功したのである。

 

「やれやれ、先方の筆頭紋章官が旧い友人で助かったわい」

 

 とは、ダライヤの弁である。本当に交友関係の広い奴だな、こいつは……。

 

 それはさておき、外交も大変だったが内政もなかなかに大変だった。”内”とはいっても、我々の支配領域は西はガレア王国から東は神聖オルト帝国、北はノール辺境領から、南はリースベン領に跨がっている。これは、ほぼ中央大陸西方の全域といっても過言ではない。

 アーちゃんやフラン(あの内紛の後、僕たちは愛称で呼び合う関係になった)との話し合いの末、リースベン・ガレア・オルトの三国は連合を組み一つの国家を形成することとなった。

 ガレアもオルトも一連の戦乱ですっかり疲弊していたから、外敵から身を守るためにはこうして徒党を組むほかなかったのである。リースベン軍自体も連戦で消耗してたしな。

 

 とはいえ、ヴァロワ王家陣営は内戦で敗れてしまったわけだから、白紙和平で無罪放免というわけにもいかない、結局、王国の南部と北部の結構な範囲が削り取られ、それぞれが独立して王国を名乗ることになった。

 王家内部にも手が入れられ、国王陛下は退位。フランセット殿下も廃嫡ということになった。フランには姉妹はいないから、これにてヴァロワ王朝は断絶である。

 新国王に就いたのは、先の内戦で自害したオレアン公の長女だ。血筋をたどった結果、こうなった。彼女はまだ幼児と呼べる年齢だったから、そういう面でも都合が良かったしな。……ま、つまりは傀儡ということだ。

 お役御免となったフランの処遇は揉めに揉めた。処刑せよという意見も当然出たが、先代王朝の血筋が途絶えるといろいろ面倒なことになる。

 例えば、得体の知れないヤツが王家の末裔を名乗って反乱軍を興したりとかな。そうした事態の予防のためにも、老王陛下や殿下に手を出すのは得策ではない。結局、食客という形でリースベンに招き、お膝元で保護することになった。

 

「そもそもからして、余は王冠に相応しい人間ではなかったのかもしれないね。昼間は詩歌を読み、夜は愛する男に睦言を囁く。そういう生活のほうが肌に合っているみたいだ」

 

 ……とは、フランの弁である。

 

 視線を独立した二つの王国に向けてみよう。北の新国家、ノール王国の中核になったのは当然スオラハティ家である。これを期にカステヘルミは当主の座を退き、ヴァルマが初代国王として戴冠することになった。

 そのカステヘルミは責任ある立場を降りたのを良いことにリースベンに引っ越してきて、ヴァルマをずいぶんと悔しがらせたりした。今ではブロンダン家の相談役という形で、僕の屋敷に居候している。

 スオラハティ家で唯一ヴァロワ王家方に付き、あげく再び裏切ったマリッタは……ヴァルマの私的な副官の座に収まっていた。

 針のムシロ状態に置かれている彼女を保護するためにはこうするしか無かったらしい。周囲の目がキツい、とか。ヴァルマが面倒な仕事ばかり投げてきて大変だ、とか。そんなことを長々と書き連ねた手紙が、毎月のように僕の元に届いている。

 

 そして南の新国家……リースベン王国は、思った以上に大きな国になった。ガレアの南部諸侯のみならず、エムズハーフェン選帝侯やらミュリン伯爵やらといった、もと神聖帝国の諸侯までもがリヒトホーフェン家と手を切ってブロンダン家に臣従したからだ。

 

「いくらカワウソ獣人でも、好き好んで泥船に乗り続けようとは思わないからね。私は大船に移らせてもらうわ」

 

 とは、ツェツィーリアの弁である。どデカイ手土産をひっさげてリースベン陣営に参加した彼女は、まさに外様派閥の盟主。リースベン宮廷内で絶大な権力を握り、アデライドなどと連日のように喧々諤々とやり合っている。

 ツェツィは敵同士の時も厄介だったが、味方になってからも一筋縄ではいかない。その割に二人きりになると突然ベタベタに甘えてくるので、ギャップで脳が焼かれそうだ。

 

 一方、そのツェツィーリアに捨てられたアーちゃん以下リヒトホーフェン家はなかなか難儀なことになっていた。

 アーちゃんが勝利を手土産に皇帝へと復位したのはいいものの、ガレア戦での敗北や新連合への加入などで不満を持った神聖帝国諸侯が一斉に叛旗を翻したのである。

 当初、反リヒトホーフェン陣営は合法的な形でアーちゃんを引きずり下ろそうとした。神聖帝国は選挙皇帝制の国であり、帝国議会の結果いかんでは皇帝すら強制的に廃位することができるのだ。

 数年間すったもんだの政争が続いたが、ダライヤの策謀がこれに終止符を打つ。アーちゃんがリースベン軍の軍事力を盾にして議会を廃止しようとしている、という噂を諸侯に流したのである。

 神聖帝国の伝統ある体制が脅かされたとして、諸侯達は大激怒した。とうぜん、状況は急速に悪化の一途をたどる。反リヒトホーフェン陣営は次々と挙兵し、帝都ウィンブルクに攻め寄せた。

 

「ガレアの次はうちで内戦か。まあ良い、不満分子を一斉排除する好機だ!」

 

 とは、アーちゃんの弁である。意図的に暴発させられた反乱軍はたちどころに出鼻をくじかれ、援軍としてやってきたリースベン軍やノール軍に袋叩きにされて敗走。その後も戦乱は丸一年続いたが、それでもなんとか鎮圧には成功した。

 とはいえ、この内戦とツェツィーリアらの独立によって、神聖帝国の力はずいぶんと削られてしまった。アーちゃんは豪腕を振るって混迷を極める国内を再編、なんとか国らしき形に整え、国号をオルト王国へと改める。

 これは、リースベン、ノール、ガレアの三王国と足並みを揃えるための措置であった。他の連合加盟国の元首が王を名乗る中、オルト一国が皇帝を擁し続けるわけにもいかなかったのである。

 

 そんな前途多難な四国が集まって出来た寄り合い所帯の名を、アルベール連合帝国という。……そう、国号に僕の名前がついてしまった。

 もちろん僕は抵抗したが、最終的には押し切られた。「連合結成の主軸となったのはアルベール軍なのですから、国家の方も同じ名を名乗るべきです」とは、ソニアの弁である。

 母体がアルベール軍なわけだから、国旗のほうもそのまま例の(くつわ)十字紋の旗が流用されることになった。前世の世界を知る僕としては、「どうしてこうなった」と言わざるを得ない状況である。

 

 当たり前だが、僕には自身の名を冠するこの生まれたばかりの国の統治者となる義務がある。正直気が重かったが、仕方がない。ここまで来て逃げるのは流石に無責任が過ぎるだろう。

 そうして僕は至尊の冠を被る羽目になったわけだが……連合皇帝の座は、思っていた以上に不自由だった。なにしろ、国の図体がデカすぎる。

 連合などと言っても、所詮は寄り合い所帯。ノール、ガレア、オルトはそれぞれ独自の元首を擁しており、独自の利益を追求するために動いている。

 僕が自由にできるのは自前のリースベン王国だけであり、それですらツェツィーリアを初めとした国内有力者の意向を汲まざるをえない状況にある。正直言って、かなり窮屈だった。

 そんな感じだから、もちろんフィオレンツァが望んだような未来はなかなか訪れない。蒸気機関開発の予算を組むだけでも大変で、やっとマトモな試作品が完成したのが二年まえのことだ。

 

「まあ、それでもゆっくり前進はしているわけだけど」

 

 北へとまっすぐに伸びた線路を見ながら、僕はそう嘯いた。ここは王都カルレラ市郊外にある丘の上。リースベンの首都として猛烈な発展を続けるカルレラ市を見下ろせるこの丘は、近ごろの僕のお気に入りの場所になっている。

 森を切り拓いて作られた線路の上を、真っ黒い巨大な鉄の塊が黒煙をあげながら疾走している。この世界初の実用蒸気機関車、C-1型機関車である。

 現在、リースベンは四両の機関車を保有し、新型の建造も進んでいた。もっとも、線路が引かれているのはジェルマン領のレマ市とこのカルレラ市、そしてズューデンベルグ領のズューデンベルグ市を結ぶ短い一路線しかない。

 連合帝国版図の広さを思えば、進捗はまだ最初の一歩というところだろう。しかし、千里の道も一歩からと言うしな。連合四王国の全ての王都を結ぶ巨大な環状線を作り上げるのが当面の目標だ。まあ、僕が寿命を迎えるまでに実現するかどうかと言えば、かなり怪しいが。

 

「父様ぁぁぁぁ!!」

 

 などと物思いにふけっていたら、空色の髪をもち竜人(ドラゴニュート)の少女が泣きながら僕のほうへと駆け寄ってきた。僕とソニアの長氏、ダニエラである。

 彼女はびえびえと泣きながら僕の足にすがりつき、「マガリがわたしをぶったの! 痛かった!」などと大騒ぎする。

 

「またお前はお父様に言い上げて! そんなんじゃ立派な剣士になれないぞ!」

 

 続いてやって来た黒髪の少女が、頬を膨らませてぷんぷんと怒る。その腰には可愛らしい小さな木剣が差されていた。彼女こそ、ダニエラをいじめた張本人。アデライドと僕の娘、マガリだ。

 この二人はとにかく相性が悪い。ダニエラは本が大好きな穏やかな娘で、争い事は大嫌いだ。一方マガリは騎士に憧れており、雨の日も風の日も木剣を振り回して遊んでいる。

 それだけなら良いのだが、どうやらマガリはダニエラも剣士になるものと決め込んでしまっていた。そのせいか嫌がる彼女をたびたび外へと連れだし、そのたびに泣かれているのであった。

 

「マガリ。何度も言っているが、嫌がる人を強引に鍛錬に付き合わせるのは良くないぞ」

 

「いや、今回のは、ダニエラが、悪いと、思います」

 

 そこへ口を出してきたのは、僕の腰ほどの身長の小さな子カマキリちゃん……そう、ネェルとの娘シィナである。彼女は母親譲りの賢明さと優しさで、喧嘩の絶えない姉妹間の潤滑剤となっている。

 

「今日が、ピクニックだと、知って、いながら、昨夜は、徹夜で、本を、読んで、いたのです。そんなんじゃ、大きく、なれませんよ」

 

「大きくなんかならなくていいもん! 大きくなったら可愛い服を着られないもん!」

 

 涙ながらに抗弁するダニエラ。……ああ、うん。困るね、こういうの。まだ七歳なのに、徹夜というのは確かに良くない。怒られて当然だ。いや、七歳で難しい本を読めるようになってるのは、本当に凄いんだけどね、うん……

 

「まあまあ、そう言うな。背の低い女は損じゃぞ? 周囲からナメられまくるからのぉ」

 

 そう言って窘めるのは、小柄なエルフの少女。そう、僕とダライヤの娘……ではなく、ダライヤ本人だ。彼女は相変わらず小さい。

 ただし、ポンチョの上からでも分かるほどお腹は大きくなっている。妊娠八ヶ月、といったところだろうか。もちろん、こうなった原因は僕にある。

 いや、何人子供がおるねん、しかも全員別の相手との子供じゃねーか! って感じだが、信じがたいことに僕の子供はまだまだ居た。

 視線を丘の下に向ければ、そこにはボールを追い回して遊ぶ子供達の集団がいる。エルフ、アリ虫人、竜人(ドラゴニュート)、ウシ獣人、カワウソ獣人……種族はさまざまだが、全員僕の娘だ。頭が痛くなってくる。

 

「しかしね、マガリ。どんな理由があれ暴力はいけない。ましてや、血を分けた姉妹に震うなんて論外だよ」

 

「でも、騎士というのは悪を正すお仕事でしょう?」

 

「確かにそういう一面もある。けれど正義をなす仕事であるからこそ、自分は本当に正しいのかを常に自問自答し続ける必要があるんだ。独りよがりな正義なんて、悪と大差ないからね」

 

 なおも泣きじゃくるダニエラの頭を撫でつつ、密かにため息をつく。まさに種馬って感じだ。どうしてこうなった。

 いや、仕方がないことなのだ。政治的なあれこれもあり、僕には両手の指を足しても足りないほどの数のお嫁様がいる。当たり前だが結婚したからにはヤることはヤる。そして、ヤればデキる。当然の帰結だった。

 そうして生まれた子供達は、みな僕が直接面倒を見ていた。アーちゃんとの娘などをはじめとして、母親が遠方で暮らしている者も例外なくである。種だけ蒔いて後は放置、などという真似は僕の矜持が許さなかったのである。

 おかげで僕は毎日が多忙だ。まだ赤ん坊の者も多いから、やれおむつ替えだ、夜泣きだと連日れんや大騒ぎで、休んでいる暇もない。もちろん、専門の使用人らの手はおおいに借りてはいるけどね。

 

「アル様ー!」

 

 娘にお説教をしていると、丘のむこうから誰かがやってきた。ソニアとアデライドだ。二人の後ろには軍人や官僚、あるいは使用人など、多くの部下たちが付き従っている。

 現在、ソニアは連合帝国の軍務尚書という立場についている。つまり、軍事面の総括者だ。国内外に埋もれた火種ににらみを効かせつつ、帝国軍の戦力拡充や維持に力を注ぐのが彼女の仕事だった。

 一方、アデライドは相変わらず宰相をしていた。まだまだ若いこの帝国がなんとか国らしい形を保っていられるのは、内政・外交を問わず活躍する彼女の辣腕のおかげである。

 二人を並び称して、帝国の両輪と呼ぶ者も少なくない。僕が子育てに集中できるのも、実務の大半を彼女らがになってくれているおかげだった。

 ……皇帝サマが実務を放り投げて私事に邁進しているのは、ちょっとどうかと思うがね。

 

「わあっ!」

 

 母親の顔を認め、さっきまで泣いていたダニエラの顔がぱっと明るくなった。僕から身体を離し、彼女らの方へと駆け寄る。ソニアがニッコリ笑って両手を広げたが、ダニエラが抱きついたのはアデライドのほうだった。

 

「アデライド様! この間お借りした本、すっごく面白かったです」

 

「あれをもう読み終わったのか!? はやいねぇ……」

 

 優しげな笑みを浮かべつつダニエラの頭を撫でるアデライドには、すっかり母親らしい貫禄がついている。まあ、彼女の母はソニアのほうなのだが。

 

「二人そろって、どうしたの? 何かあった?」

 

 彼女らは帝国の実務者のツートップだから、毎日ひどく多忙そうにしている。子供の相手が本業のようになっている僕とは違うわけだな。そんな二人が連れ立って歩いている姿を見るのは、本当に久しぶりのことだった。

 ……逆にどうして僕はそんなに暇なんだよ、と聞かれそうだが仕方がない。強権を振るおうとしても振るえないのだから、僕は最終的に実務を官僚団に丸投げするようになっていた。現在の僕の役割は、いわば象徴のようなものである。

 まったく情けない話ではあるが、仕方ない。押して駄目なら引いてみろと始めた奇策が、思った以上に嵌まって上手く転がり始めてしまったからだ。

 まあ実際のところ、僕の政治家としての実務能力などアデライドやツェツィーリアの足下にも及ばないからな。付け焼き刃の知識であれこれ指図するよりは、後ろでドンと構えて責任だけ取るやり方のほうが部下たちはやりやすいだろう。

 政治家業のほうはこんな感じなのだが、一方軍人業のほうもいまではほとんど開店休業状態になっている。フランに刺された左腕の後遺症がまだ治っていないせいだ。

 剣や銃を握るのはおろか、日常生活にも不自由するほど握力が無くなってしまった。利き腕ではないとはいえ、片腕が使えない状態で軍務に就いても周囲に迷惑をかけるだけだと判断した訳だった。

 そういうわけで、僕の仕事はもっぱら民衆や軍人、あるいは国内外の有力者に愛想をふりまくことに限定されている。

 会議などに参加することもあるが、上座でふんぞり返っている以上の仕事を求められることはほとんどない。その割に責任はすべてこちらに降りかかるのだから、なんだかひどく理不尽な目に遭っているような気分すらした。

 まあ、そのぶん子供達のために時間を使えるのは嬉しいがね。なんだかんだと言って、自分の子ほど可愛いものはない。それに、子育ては戦場で殺したり殺されたりするのと同じくらいにはエキサイティングな事業だった。

 

「いや、たんに休憩の時間が被っただけさ。たまには、私たちも夫や子供達との時間を作るべきだと思ってねぇ」

 

 などと言って、アデライドが僕にしなだれかかってくる。こういう所は相変わらずだな。まあ、間に子供が挟まっているところはかつてとは違う部分だが。

 

「それと、少し伝言が。……先ほど、ヴァルマから電報が届きましてね。まあ、大した用件ではありませんでしたが」

 

「内容を当ててみようか。……グンヒルドを連れて顔を見せに来い、だろ?」

 

 グンヒルドというのは、僕とヴァルマの間に生まれた子供の名前だった。母親に似て、なかなかのヤンチャ娘だ。この子もまた、母親の元から離れてこのリースベンで暮らしていた。

 

「ご名答です。どうやら、自ら帝王学を叩きこみたいらしいようですね。しばらくグンヒルドを預かりたい、なんてことも申しておりましたよ」

 

「そんなことを言って、子供(グンヒルト)が自分の顔を忘れていたショックをまだ引きずってるだけだろ」

 

「間違いなくそうだと思います」

 

 僕とソニアは顔を見合わせてケラケラと笑った。もちろん子供と離れて暮らすヴァルマの気持ちも理解できるが、こちらもそれなりの理由があって娘を預かっているのである。彼女には我慢して貰うほかなかった。

 なぜ僕が一括して子供達の面倒を見るようになったかと言えば、将来の帝国の幹部層に統一した教育を施すためだ。

 なにしろ、現状の帝国は呉越同舟の寄り合い所帯に過ぎないからな。ここから真の統一国家になるためには、いくつものハードルを超えていかねばならない。この共同生活はその第一歩として企画したものなのだ。

 とはいえグンヒルドは次期ノール王だからな。いつまでもこのリースベンに住み続けるわけにもいかん。そろそろ、北の寒さを思い出させてやるべきだろうな。早急にノール王国へ向かう用意をすることにしようか。

 

「やれやれ、この間アーちゃんのところへ行ったと思ったら、今度はノールか。忙しいねぇ」

 

 僕のお嫁様はこの広い帝国領内のあちこちに住んでいる。そして、基本的にそこからは動かない。それぞれが重職についており、下手に領地を空けるわけにはいかないからだ。そうなると、出向くのはもっぱら僕の方ということになる。

 皇帝のほうがわざわざ臣下の元へ訪れるというのも変な話のように見えるが、これはこれで意外と実務上の効果もあった。皇帝が直接領地を視察することで、地方の抱える問題を直接吸い上げることが出来るという点だ。あとは、人気取りという要素も多大にあったりする。

 

「ご苦労をおかけしますが、よろしくお願いします」

 

 口調こそ丁寧だが、ソニアの表情はとても柔らかい。近ごろの彼女は十年前にあったような気負った感じが消え、自然に振る舞うようになっていた。なんだか、母親のカステヘルミに似てきたような気もする。性癖は正反対だけどね。

 

「なに、仕事のうちさ」

 

 このクソ広い領内を飛び回るのは実際楽ではないが、旅をすること自体は好きだからな。良い気晴らしにはなるだろう。

 

「しっかし、まさかこの僕が剣も銃も担がない仕事をやるようになるとはなぁ。十年前には考えもしなかった……」

 

 かつての僕は自身を軍人だと規定していたが、今の僕はすっかり鈍った一般三十代男性だ。あの頃のことを思い出すと、何だか隔世の感を覚えてしまう。

 

「確かにそうだな。しかし、アル。君は決して今の自分が嫌いではないだろう?」

 

 ウィンクしながらそんなことを聞いてくるアデライドは、本当に良く出来たお嫁様だ。僕の考えていることなど、彼女にはすっかりお見通しなのだろう。

 

「まあね。存外に張り合いのある仕事だ、やりがいはあるさ」

 

 お飾り皇帝にだって存在意義はある。部下たちのかすがいとなり、ガレアやオルトを初めとした諸邦のまとめ役となることだ。

 君臨すれども統治せずというスタイルは、たくさんの王がいるこの国の統治法としてはなかなかマッチしているようだった。実際、帝国はたくさんの問題を抱えつつもなんとか前進し続けている。

 それに、子供達の世話もなかなかに楽しいしな。今の平和を長続きさせるためには、バトンタッチをする相手をいまからしっかり教育しておく必要がある。そういう面では今のやり方はなかなか冴えているのではないかという自負もあった。

 

「まだ、道半ばという感は否めないがね。とはいえ、悪くはない。この先に幸福な結末が待っていると信じて、今は走り続けるだけさ」

 

「おや、その口ぶりだと今現在は幸せではないように聞こえますね?」

 

 いたずらっぽい顔でからかってくるソニアに、僕は思わず吹き出した。

 

「とんでもない。びっくりするくらい幸せだとも」

 

 確信をもってそう言い切る僕に、二人のお嫁様は満面の笑みを浮かべて頷き返す。遠くを走る機関車が、爽快な汽笛の音色を奏でた。――ああ、良い気分だ。こんな生活が永遠に続けば良いのにな。

 

 




皆さまお世話になっております、寒天ゼリヰです。
本話をもって、くっころ男騎士は完結となります。
作者想定の倍以上の分量になってしまいましたが、なんとか完結までこぎ着けることが出来ました。

ここまで来られたのも、読者の皆さまに応援いただいたお陰であります。この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。
web版くっころ男騎士はこれにて完結となりましたが、書籍版はこれから始まることになります。web版から大きく加筆修正されたものになる予定ですので、よろしければ引き続き応援いただければ幸いに存じます。

長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました! 


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