紅きマナリアのイレギュラー (ハツガツオ)
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第零話 目覚め

 轟々と燃えさかる大地に、二つの影があった。

 一つは白銀の鎧を纏った男。

 もう一つは紅い鎧を纏った男である。

 炎が取り囲む中、彼らは互いの得物を手にして向き合っていた。 

 本来ならばこの様な状況など訪れることはなかった。何故ならば――彼らは親友であるから。技量を高め合う好敵手心であるから。信頼出来る仲間であるから。

 そうである――はずだった。

 炎に映し出される光景がそれを否定していた。 

 塵のように積み上げられた夥しい死体の山。むせ返るような臭気を放ちながら広がる血溜まり。倒れた者達の無念を象徴するように地面へと突き刺さる数多の武器。

 文字通りの地獄がそこには広がっていた。

 この光景を生み出したのは後者――紅い鎧の男。

 その身に纏っているのは軽装化された真紅の鎧。風に吹かれるのは腰まで伸びた鮮やかな金髪。手に握るは男を英雄たらしめる一振りの剣。

 しかし目の前の男の姿は、自身の記憶とはかけ離れたものだった。

 身体から滲み出る魔力は怖気が走る悪意を孕んでいた。靡く金髪は人の血で汚れていた。その手に持つ剣が宿す光は妖しさと禍々しさを帯びていた。

 一体何故こんなことを――。彼はそう叫びたかった。問いただしたかった。

 目指す理想は同じであったはずなのに。描いていたのは懐かしい未来であったはずなのに。どうして――――。

 だが、目の前の男は何も答えない。否、それが答えであるかのように屍の頂きに佇んでいた。

 最早男に正気というものは無かった。

 目に映るもの全てを鏖殺せんとする衝動に支配されていた。生あるものを悉く滅ぼすことが己の存在意義だと何かが囁いていた。そして、"今の自分"こそが本来あるべき姿なのだと理解していた。

 男は(わら)う。"破壊"こそが己の存在理由であると。

 男は(わら)う。"破壊"こそが己が悦に浸る行為であると。

 

 そこにはもう自分の知る彼はいない。相対するのは唯一人の敵。

 

 かつて友と呼んだ男の瞳は、紅に染まっていた――――。

 

   ◇    ◇    ◇    ◇

 

 鬱蒼と生い茂った樹木によって構成されている天然の迷宮、樹海。

 人里から遠く離れていることから人の手がほとんど入っておらず、魔物も生息していることから危険な場所となってる。

 何の知識も無い人間が足を踏み入れたが最後、出口を見失って樹木の栄養となるか魔物達の餌となるかのどちらかであるのは想像に難くない。

 そのような、大凡人が入り込むべきではない此処の一角にその小隊はいた。 

 

「ここが件の場所か……」

 

 そう低い声で言ったのは地図を手に持った男だった。フルフェイスタイプの兜と鎧を身に纏い、腰には自らの得物である一振りの剣を携えていた。

 如何にも物々しい格好にも思えるが、それはその男だけに限らなかった。男と共に居る者達全員が同じように鎧に身を包み、腰から剣を下げていた。

 彼らはこの国――マナリア王国を守る騎士団の者達であった。故にそのような格好であるのも得心がいく。

 

「はい。報告書通りならば恐らく……」

 

 男の言葉に一人の騎士が反応した。男ほどではないが男性特有の低さと若干の若さを含んだ声が兜の中から発された。

「ふむ」騎士の言葉に男は頷くかのように返した後、地図から目の前の建造物へと視線を移す。

 視線の先に映ったのは、一つの大きな建物。人が住むようなものではなく、施設を思わせる大規模な造り。壁には亀裂が走り、風で辿り着いたであろう種子が表面に根を張っていた。出来たばかりの鮮やかさを感じさせない、古びて色褪せたという表現が相応しい文字通りの廃墟だった。

 

「しかし騎士団長、この建物は何なのでしょうか……?」

「分からん。劣化具合からしてここ数年の内に建てられたものではないのは明白だ。……内部が相当に危険であるということもな」

 

 男――騎士団長は苦々しげに呟く。

 事の発端となったのは一週間ほど前の出来事だった。

 この樹海に生息している魔物達の動きが最近活発化しているという情報が騎士団に入ったことから、騎士を8名ほど派遣して調査を行わせていた。そしてその調査の際、今騎士団長達が目にしている廃墟をこの樹海の奥深くで発見したのだった。

 人の入り込まないこの樹海、それも最深部とも言えるこの場所に人工の建造物がある――。そのことに違和感を覚えた彼らは、この廃墟の調査へと移ることにした。

 そうして彼らが調査を行った結果――失敗に終わった。廃墟への侵入を試みた6名が死亡、又は重傷を負った。

 入り口で警戒を行っていた残りの2名によって直ぐさま治療室に運び込まれたものの、話を聞けるような状態ではないために詳細は不明のままだった。

 前に何者かが何らかの目的で使用していたのか。それとも、大昔の遺跡か何かか――。

 いずれにせよ、魔物の件も含めて調査するしかないだろう。そう考え、騎士団長達はここへとやって来たのだった。

 

「総員、準備が出来次第この建物へと突入する。いいな?」

「はっ!」

 

 騎士達が一糸乱れぬ動きで敬礼を返し、乗ってきた馬車から荷物を取り出し各々の作業へと取りかかる。

 その最中、先ほどの騎士が騎士団長へと声を掛けた。

 

「その、騎士団長。一つよろしいでしょうか?」

「ミランか。構わん」

 

「何だ?」騎士団長の問いにミランと呼ばれた騎士は言う。

 

「何故今回の任務に騎士団長自らが参加されたのですか? 確かに犠牲者は出ていますし場所が場所とはいえど、騎士団長が態々出られるほどでは……」

 

 恐る恐るといった風に言葉が述べられる。規律を重視する厳格な人物、というのが彼の中での騎士団長の印象だった。

 通常ならば王宮警備の取り締まりを行っているはずであるのに何故今回の任務に参加したのかが彼にとっては不思議であったのだ。

 ミランの問いに対し騎士団長は答えた。

 

「部下である貴様達にこれ以上犠牲者が出ては困るからだ。他に理由があるのか?」

 

 そう返してから騎士団長もまた準備へと取りかかるのであった。

 

    ◇    ◇    ◇    ◇

 

 それから数刻後、騎士団長と騎士達は建物の中へと入った。

 

「どのような仕掛けがあるか分からない。各員、警戒を怠るな」

 

 騎士団長から飛ばされた指示に騎士達は頷き、慎重に進み始める。

 やはりというべきか内部の老朽化もかなり進行していた。

 壁にはこの施設の象徴のようなものが描かれていたようだが年月の経過によってほとんど読み取れないほどに薄くなっていた。表面は風化によって出来たであろう傷跡が奔っており、酷い場合では骨組みが剥き出しとなっていた。

 天井にまで張り巡らされた配管には茶色い鉄錆が浮いており腐食が進んだものは途中から折れてしまっていた。一部の天井は崩落してしまって幾つかの通路を塞いでいた。

 崩落した天井から幾筋の陽光が差し込んで室内を僅かに照らしていた。だが、それでも見通しは決して良いとは言えなかった。

 進みながら彼らは感じていた。

――此処は異質だ、と。

 内部の造りは勿論のこと、彼らが通ってきた場所にはいずれも用途不明の装置が遺棄されていた。

 何かの仕掛けだろうか? そう怪しんだものの、どれもが長い年月の経過によってか機能を停止していた。連動する仕掛けも周囲には無く唯の設備の一部のようだった。

 広い通路の道すがらにガラクタが転がっているだけ。それが返ってこの廃墟の薄気味悪さを抱かせていた。 

 やがて進んだところで、彼らは一際大きな部屋へと辿り着いた。

 その部屋もこれまでに通過した場所同様酷く荒れ果てていた。だが他とは違い、その部屋には割れたカプセルの存在が目を引いた。

 それも、人一人が入れるような大きさのものが幾つも。周辺や壁際には装置が配置されておりカプセルとの接続されていた。

 騎士団長は装置の一つへと近づく。

 

――これは……計器装置か?

 

 装置には恐らくカプセルの状態を示すであろうメーターが表示されていた。

 騎士団長は特別機械に詳しいわけではない。しかし、これに似たようなものを騎空挺の中で見た覚えがあった。

 装置はやはり錆が浸食しており機能していなかった。他の装置も同様だった。

 装置の次はカプセルを確認した。部屋のカプセルは全て割れているかもしくは亀裂が入っている状態だった。

 カプセルは内部を満たしていたであろう液によってかガラスが変色していた。割れたもの幾つかには、液の残滓らしき沈殿物が砂のようにこびりついていた。

 試しに鎧越し指で触れると塵となって風化してしまった。

 騎士の一人が呟いた。

 

「騎士団長。この廃墟は……」

「分からん。だが、可能性があるとすれば……」

 

 ここは大昔の研究施設だったのかもしれん。騎士団長はそう答えた。

 五百年程前、この地がまだ"マナリア"と呼称されていなかった時代には大きな戦乱があった。それも空の世界の覇権を争ったと言われる"覇空戦争"があったとされる頃とそう離れていない時にだ。

 戦乱にせよ覇空戦争にせよ、兵器や武器の研究及び開発が行われていたとしても何ら不思議ではない。――例えそこに倫理に反する非道なものが含まれていたとしても。

 部屋に存在する幾つものカプセル。大人一人が入れるサイズのものから導かれるのは――生物兵器の類い。

 星の民が空の世界の概念や生物を"星晶獣"に改造して行使したように、空の民がそれに対抗しうる為のソレを生み出していた。あるいは人間や魔物を素体に人工の合成生物のようなものを生み出して戦乱の兵力として用いた。

 そのような線は十分に考えられる。

 当時運用されていた施設が風化しながらも今の時代にまで遺り続けた結果、後年に生えた樹木によって樹海が生み出され奥深くに居座る形となった。

 この廃墟の老朽化具合、そして場所にそぐわない設備を考えるならば間違っていないだろう。

 

「……だとしたら相当胸の悪い話ですね」

 

 ミランが吐き捨てるように呟いた。もしそれが当たっているのであれば、この廃墟には生命の冒涜の限りが詰め込まれているのだから。

 だが同時に部下にあれだけの被害が出るのも頷けた。先遣隊の被害からしてこの廃墟に何らかのプロテクトが施されているのは騎士団長も予想していた。

 仮にここが研究施設であったとすれば、侵入者を排除するための仕掛けが施されているのは当然の事。外部の人間による研究内容の持ち出しを防ぐ為に何もしていないなど考えられない。

 当時の情勢も含めるとなると、危険度は相当高いとものと見ていいだろう。

 

……いや、待て。

 

 だが、そうなると一つの疑問が浮かび上がる。何故これまでに罠の一つとも遭遇しなかったのか、という点だ。 

 崩落によって道が塞がれていた以外には道中を阻むものは特には無かった。崩落自体も人的ではなく自然によるものだと考えていた。

 道中の装置にしても装置を囮にした罠も無ければ、魔法発動の基点となるようなものも見当たらなかった。

 そう――まるで侵入者を迎え入れるかのように、だ。

 先遣隊が罠を解除していたとしてもこうも何事も起こらずに来られるものだろうか? 年月の経過による不発を考慮したとしても、ほぼ永続的な維持が可能な魔法を使用したものすら無いのはおかしくはないだろうか?

 誘導された……? そう考えて騎士団長は部屋の中を見回す。

 視界には変わらず荒れ果てた部屋模様と室内を調査する部下達の姿。そして、奥へと繋がる通路が映った。

 崩落が仕掛けによるものだったとしても態々奥に繋がる場所へと誘導するものか? 追い込むのなら行き止まりの部屋や通路を利用するのが定石では?

 それとも――――。

 

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 その問いに答えるかの様に地面が光を放った。

 

「何だ!?」

 

 騎士達が一斉に反応する。足下には床一面を覆い尽くす程の幾何学模様の陣が拡大して浮かび上がっていた。

 床だけではない。大小様々な大きさの陣が壁や空中と至る所に浮かんでおり、暗然たる室内の光源となって照らしていた。

 

「これは……!?」

 

 直後に小さな揺れが彼らを襲う。それは何かの始まりを示す胎動のような余震であった。

 何人かの騎士達が直感的に背後を振り向いた。その目に映ったのは、先へと続く通路が地面からせり上がった岩石の扉によって塞がれていく様だった。

 前を向いていた者達の瞳にも同じ光景が映されていた。自分達が通って来た道がたった今、名も姿も知らぬ門番によって閉ざされていくのを。自分達の帰る道が永劫封鎖されていくのを。

 自分達をここに来させるのが目的では、という騎士団長の読みは確かに当たっていたのだ。罠の一つも仕掛けられていないのは意図的なものであり、この部屋へとおびき寄せるためだった。

 油断を誘う造りで内へと誘い、時間差で発動するトラップで絶望の淵へと追いやる。それにより、侵入者という恥知らずは極上の餌へと変わるのだ。

 地面から現われた扉によって外部からの接続が断たれたこの部屋は一種の隔離空間となった。それは同時に、誰にも邪魔されることの無い絶好の狩り場となったことをも意味する。

 騎士達は自分達の知り得ぬ間に獣の住む檻へと放りこまれたのだった。

 獲物となるのはこの廃墟に侵入した騎士達。そして彼らを狩る側である獣となるのは――

 

「グルゥウウアアアアアウッ!!」

 

 魔法陣から呼び出される夥しい数の魔物達だった。

 

「全員剣を構えろ! 数名は扉の破壊に、残りは私と共に魔物の討伐に注力せよ!!」

 

 騎士団長の指示に騎士達は一斉に剣を抜き、魔物達と交戦する。魔物達が束となって彼らへと襲いかかった。

 室内には破砕音が響き渡る。鉄と鉄とがぶつかり合い残響となる。撃ち出される魔法が弾丸となって騎士達を鋭く照らす。

 繰り出される攻撃の数々を騎士達は躱し、打ち払い、斬り捨てた。彼らの振るう剣が魔物達の命を刈り取り断末魔が部屋の中に木霊する。

 数としては圧倒的に騎士達の方が不利であるのは明白だった。だが、彼らとて騎士団にいるのは飾りでもなければ伊達でもない。厳しい訓練をこなし数々の任務を経て今の自分がいるのだ。

 例え多勢に無勢であったとしても易々とやられるつもりなど毛頭ない。

 このまま押し切ってみせる。この場の全員がそう思いながら魔物達を討ち倒していく。

 確かにこのままなら騎士達が劣勢を跳ね返すのは現実となっただろう。

――そう。

 相手が並みの魔物であったのなら。

 

「がぁっ!」

「くっ、コイツら゛ッ!!」

 

 室内に木霊していた魔物達の断末魔、そこに今度は騎士達のものが加わり始めた。

 騎士達が魔物達を押していたのは然りだ。それは疑いも無く本当のことだった。

 だが、相手は彼らの知る魔物よりも遙かに強い力を持っていた。故に序盤の奮闘によって得られた攻勢は早くも崩れ去った。

 魔物達の強さだけではない。騎士達が戦っている場所も攻勢の転覆に一役働いていた。

 騎士達が戦っているこの部屋にはカプセルという遮蔽物が鎮座していた。剣を振るう上で邪魔でしかなく、視界すらも塞ぐ厄介な代物でしかない。

 それだけなら魔物達も同じ条件に思えた。種族が違うとはいえ人間と同じように自らの身体を使い、武器を使うものがいるからだ。

 だが、種が違えばその規範に当てはまらないのもまた道理。遮蔽物を意に介さない魔物も当然ながら存在する。

 ガーゴイルのように翼によって制空権を得た魔物からすれば陸上の魔物ほどカプセルは邪魔な存在にはならなかった。むしろカプセルという障害物を活かし死角からの急襲を仕掛けられることから利点にすらなり得た。

 エレメンタルのような存在も同様だった。奴らは六大元素の力を宿した存在であるが故に魔法による攻撃が主となる。身動きの取れぬ相手を魔法で狙うことなど容易いことだった。

 そういった一部の魔物からの攻撃を受けて隙が出来たところに他の魔物による攻撃が叩き込まれる。いくら研鑽された実力があろうとひとたまりも無いのは明白だ。

 

「チィッ……!!」

 

 舌打ちをしながら騎士団長は迫り来る魔物を斬り捨てていく。

 今すぐこの部屋を脱出しなければ――! 騎士団長の中を焦燥が支配していく。

 

「扉の破壊はまだか!?」 

「あともう少しです!!」

 

「くっ……」あともう少し。普段ならそれがどれだけ短い時間であっただろうか。だが、今は違う。こうしている間にも部下の騎士達は一人二人と死に行く。騎士団長の目にもそれが嫌でも映る。

 ギリッと奥歯を噛みしめながら魔力を纏わせた剣を魔物へ振るう。少しでも多く時間を稼がねば、そして部下の無念を果たさねば。その思いで。

 だが、それはあえなく防がれた。獣の頭と人の体躯を持った魔物――ミノタウロスによって。

 騎士団長の剣が纏っていた魔力、そして剣と斧とがぶつかり合って生じた金属同士の摩擦によって火花が散る。人よりも遙かに大きな身体の上から獣特有の横長の瞳がギョロリと騎士団長を見下ろす。

 

無礼(なめ)るなァッ!!」 

 

 腹の底からの叫びと共に剣に纏わせた魔力が強い輝きを放出し、ミノタウロスを斧ごと斬り捨てた。

――魔法剣。自らの剣に魔法を纏わせることで通常よりも威力を向上させる技能。騎士団長は剣に纏わせていた土属性の魔法へより多くの魔力を注ぎ込むことで出力を上げ、ミノタウロスを武器諸共強引に切り伏せたのだ。

 

「騎士団長! 扉の破壊に成功しました!」

「よし! 全員奥へと進め! 殿は私が努める!」

 

 そう言って騎士団長は騎士達を先に向かわせる。獲物を逃すまいと魔物達が追撃しようとするも、騎士団長の魔法剣によってそれが阻まれる。

 最後の一人が進んだのを確認した後、騎士団長は通路へと飛び込む。そして魔物達が入ろうとした直前に地面へと魔法剣を叩き付ける。

 舞い上がった砂塵と瓦礫が魔物達の視界塞いで混乱を招いた。突然の出来事に対応できず魔物達は咳き込む。

 多少の時間稼ぎにしかならんだろうがな……! この隙に騎士団長は通路の奥へと駆けていく。その最中、騎士団長は召喚された魔物達について考えた。

 恐らく、あの魔物達はこの施設で実験に使われていたのだろう。通常の魔物よりも遙かに強い力がその裏付けと言えた。

 実験による成果か、それともこの罠の為だけに作り出されたのか。

 いずれにせよ、私のミスであることに変わりない。そう胸中で呟いた。自分がもっと早く気づいていれば部下達が死ぬことは無かったのだと悔いながら。

 そうして走り続けると奥へと辿り着いた。

 

「ここは……?」

 

 そこは先ほど居た場所と同程度の広々とした部屋。室内の荒れ果て模様や構造は大差無く、異なる部分とすれば幾つもあったガラスの筒が一切見当たらないことだった。

 室内に目をやっていると先に辿り着いていたミラン達数名が彼の元へとやって来た。

 

「騎士団長、ご無事でしたか!」

「ああ、何とかな。それよりこの部屋は……」

「恐らく最奥部ではないかと思われます。ですが、通路は先ほど通ってきた場所のみ。他へと続く経路は一切見当たりません」

「行き止まりということか……」

 

 くっと歯を噛みしめた。何ということだ。このままでは……。

 

「それと、部屋にはあのようなものが……」

 

 そう云って騎士が部屋の奥へと目をやる。兜によって表情こそ見えないものの、その声色には何処か当惑のようなものが感じられた。

「ん……?」騎士団長も同じ所へと目をやった。視線の先に映ったのは陽光に照らされた、何やら一際大きな鉄の塊の様な物体だった。

 気になった騎士団長はソレの元へと足を運んだ。

 そして、目を見開いた。

 

「なっ……!?」

 

 其処にあったのは、一つのカプセル。

 先ほどの部屋にあったソレらとは違って一切が金属であり、地面へと寝かせるように据えられていた。先のものと同じように周辺には端末のような装置が埋設され、そこから延びた無数のケーブルがカプセルへと接続されていた。

 だが、その装置達は生きていたのだ。それまでに見たものと違い、明確に動作を続けていた。

 駆動音こそほとんど無いもののランプと思わしき部品は薄らと光を灯していた。――何百年も経った、今、この時も。これらの機械は絶えず動き続けていたのだ。外部からのエネルギー供給手段もないこの環境下で。 

 驚愕しながら今度はカプセルへと視線を落とす。風化に蝕まれ赤褐色の浸食が端々にあったものの、形状を損なうほどの大きな劣化というものはほとんど見られなかった。

 長い年月に晒されながらも動きを止めなかった装置に、それに繋がれたこの物体。

 これは一体何なのだろうか?

 ふとカプセルの中心部を見る。薄らと積もった埃がカプセルの表面を覆っていた。その下からは丸みを帯びた形状が見え隠れしていた。

 騎士団長は手で埃を拭う。すると、全容が光の下に露わとなった。

 

0(ゼロ)……?」

 

 正でも負でもない唯"無"を意味する基数。始まりと終わりを示す符号が所々掠れた状態で、墓標へと刻まれる埋葬者の名前のように紋章(エンブレム)として記されていた。

 このカプセルを構成する要素の一つを示す記号か。研究施設だったであろうこの廃墟において重要なものを示す番号か。将又、何かの基準となる数字か。

 不明瞭な問題に対する解答への思考が騎士団長達の脳のリソースを埋め尽くしていた。

 だが、彼らの意識は現実へと引き戻される。――数多の地面を踏む音によって。

 反射的に振り返ればこの部屋へと侵攻してくる魔物達の姿が映った。

 

「くっ……!」

「奴らめ、もう来たのか――!?」

 

 騎士団長の言葉は続かなかった。魔物達の姿に息を呑んだからだ。それは彼だけでなく部下の騎士達も同様であった。

 魔物達は血に塗れていたのだ。明らかに騎士達のものではないそれに。武器に、そして身体へと。真新しい鮮血で汚れていた。

 先ほどの撹乱によって同族へと攻撃を仕掛ける事態にまで発展していた。魔物が浴びた血はそれによるものだった。

 鉄分を含んだ生臭さが部屋へと漂い騎士達の鼻腔を突き刺した。

 

「何なんだ、コイツらは……」

 

 その異様な光景に騎士達は思わず後ずさった。

 対する魔物達は自身が血に塗れていようと気にも留めていなかった。殺めたのが例え同族であったとしても何も感じてすらいなかった。

 魔物の世界は弱肉強食が常。弱いものから先に死んでいき強いものが生き残る。

 それはどの魔物とて同じ摂理。

 同族が死んだことで一々気にするのは心というものを有した人間という種族だけなのだろう。

 魔物達にとって人間のそのような理屈など一切関係ない。

 あるのは極めて原始的な欲求――獲物を喰らい尽くし命を奪い取ることのみ。

 それが根底に植え付けられた使命によるものか。研究によって暴き出された本能によるものか。それとも僅かにあった知性というものが排除された結果なのか。最早それは本人ですら分からなかった。

 常軌を逸した異質さが場を包み込んだ。

 炎を宿した体毛の狼――パイロウルフが血走った目で騎士達を睨む。通常種よりも一回り以上大きい体躯から発せられる唸り声は地獄の番犬のような恐ろしさを含んでいた。口から吐き出される火の粉が頬の横へと燃え広がっていた。

 顔が斧と化した怪鳥であるハチェットバードは今にも獲物を斬殺したそうに顔を前後に揺らしていた。処刑人を思わせるような戦斧には同士討ちによる血がべっとりと付いていた。

 スケルトンはカタカタと髑髏を揺らしていた。肉だけが削ぎ落とされ開け広げとなった骨に上から被せた鎧同士が擦れ合って一種の笑い声として成立していた。それは面白おかしいものではない。生きる者をせせら笑い聞く者の精神を病ませる嘲りだ。

 そして集団の中から大きな体躯が一つ、ぬっと現われた。獅子と山羊の双頭を有し尾には蛇を従えた獣――キマイラ。獅子とも山羊とも取れぬ混ざり合った身体は並みの魔物を上回る体躯であり、それは通常の個体をも遙かに凌駕していた。

 獅子の口から除く犬歯は刃物を連想させる鋭さを持っていた。山羊の頭に備わる二対の角は先に分かれ相手を打ちのめす事に特化していた。尾に寄生する大蛇の牙からは毒液が分泌され垂れた地面を溶かしていた。

 騎士達は即座に感じ取った。奴は違うと。明らかに他の奴より上位存在であると。

 集団の前に姿を現した三つ頭の獣は足を止め、大きく息を吸い込む。

 そして、咆吼した。

 

「グヴゥウウルアアアアウウウウ――――!!」

 

 狩りの再開だと告げんばかりに。

 それを皮切りに魔物達は一斉に襲いかかった。

 

「う、ウオオオオオオオオッ!!」

 

 騎士達もこれに応戦した。自らの剣を抜いて。

 だがその叫び声は震えていた。まるで自分を奮い立たせるかのようなものが含まれていた。こみ上げた恐怖を覆い隠すための感情が内在していた。かろうじて保たれている自己を無理矢理つなぎ止めるために。

 目の前で仲間を失ったこと。廃墟から脱出する術が見つかっていないこと。追い打ちを掛けるように目の当たりにした魔物達の異常性。それらが彼らをここまで追い詰めた。

 敵に臆した剣をいくら振りかざしたところでどうにかなるはずもないのは自明の事実。

 騎士である筈の彼らは為す術無く蹂躙されていくしかなかった。

 

「クソッ!!」

 

 悪態をつきながらも騎士団長は剣を振るう。だが彼の剣術からも普段の鋭さは失われていた。纏っている魔法の強さも数段落ちていた。

 先の戦闘による疲労もさることながら、焦りからくる精神的な動揺が剣戟へと現われてしまっていた。

 故に魔物の一体も倒すことが出来ず、無秩序に繰り出される攻撃を只管捌くことしか出来なかった。

 

「がっ!」

 

 その最中、彼の近くで戦っていたミランが魔物に斬られた。宙に血飛沫を舞わせながら倒れるの姿が騎士団長の目に映った。

 

「ミラン! くっ、邪魔をするな!!」

 

 自身の前に立ちはだかった魔物を斬り捨て、急いでミランの元へと向かった。

 

「しっかりしろミラン!」

「騎士、団長……」

 

 ミランが弱々しい声で返した。頑強であるはずの鎧の上より肩から脇に掛けて傷口が横断していた。血の量も少なくなくを見る見る内に広がっていく。

 今すぐ手当をしなければ――! 

 だが、此処は戦場。敵が待ってくれるはずもない。

 他者を気に掛けることは美徳だが、この場合は隙を生むことと同義だ。

 ミランに気を取られている騎士団長へとキマイラが咆吼と共に駆使した岩石の弾丸が来襲していた。

 しまっ――。気づいた時には既に遅かった。防御する暇も無く真面に喰らった。

 

「ぐあっ!!」 

 

 岩石の弾丸に吹き飛ばされ装置へとぶつかった。衝突によって装置は大きくひしゃげて破損し、一部からは電流が迸った。――それによって誤作動を起こしたのかカプセルが斜めに起き上がった。

「く、ぅう……」呻き声を上げながら身体を起こす。

 その瞬間身体に鈍い痛みが走る。どうやら今の攻撃で身体を痛めたらしかった。肋骨も折れているのかあばら部分に焼けるような激痛を感じた。

 しかし今はそんなことなど気にする余裕など無かった。すぐに剣を取ろうと右手を動かす。が、何も掴まなかった。装置とぶつかった際に剣は彼の元から離れてしまっていたのだ。

 あったのは僅か数メートル先。

 取りに行こうと思えばすぐの距離――からは数多の魔物が迫っていた。

 それを目で捉えた瞬間、剣を取ろうとした筈の手は既に下りていた。

 理解したくなかった。だが、理解してしまった。最早自分達に"死"以外の未来など残されていないのだということを。

 

「こんな、馬鹿な……」

 

 怪我を負っていなければ剣を取りに突っ込むことさえも辞さなかっただろう。

 精神的な動揺も無ければ焦ること無く戦えたのだろう。

 自分が罠に気づいていれば部下達は死ななかったのだろう。

――全ては後の祭りだった。

 どうしようも無いのだと悟った。覆しようのない現実なのだと感じ取った。自分は死ぬのだと。残った部下達も殺されるのだと。 

 諦めるしか道は無かった。

 

――ふざけるな!!

 

 諦めようとする自分に渇を入れた。何も掴んでいない手に力が籠もった。

 自分が諦めれば残った部下達はどうなる? 瀕死の重傷を負って倒れているミランはどうなる? 彼らを見殺しにしろと? ――そんなこと誰が出来るものか。

 だが、今の自分に何が出来るというのだ。武器を振るうことも出来ない、どころか取りに行くことすら止めた自分に。

 逡巡している間にも魔物達はゆっくりと距離を詰めていた。

 諦めたくなかった。だが、諦めることしか道は提示されていなかった。

 希望など無かった。既に運命は決していた。

 無慈悲な事実を前に騎士団長の心が屈しようとする。

 

――どうすることも、出来ないというのか……!!

 

 とうとう諦めようとしたその時――――鈍い音が木霊した。

 

「――――!?」

 

 今の音は何だ。騎士団長は辺りを見回した。新手の魔物が出現したか。それとも何か別の罠でも作動したのか。

 しかし部屋には何の変化も起こっていなかった。

 ふと見れば視界に映る多くの魔物達が足を止めていた。自分と同じく判然としない音を聞いたように。正体不明の何かを警戒するように。抵抗していた騎士達も自分と同じように虚を突かれたようだった。

 たった一つの正体不明の物音がこの場に居た者全ての意識を引きつけたのだ。

 訪れた数秒の静寂の後――再び鈍い音が響いた。先ほどよりも大きく。より鮮明に。硬質の物に何かがぶつかる音が。――すぐ側から。

 騎士団長は音の発生源へと反射的に振り向いた。目に映ったのは――紋章(エンブレム)の描かれた蓋の歪んだカプセルだった。

 

――まさか!? 

 

 騎士団長の顔に驚愕の色が浮かんだ。

 そんなことがあり得るというのか。いくら装置が起動し続けていたとはいえ数百年も経過した今、この場で。

 カプセルから何かが目覚めようとしている――――!?

 三度目の衝突音が響き渡り――カプセルの蓋がこじ開けられた。

 吹き飛んだ蓋からは腕が突き出ていた。何かを掴むかのように空へと向けられていた。

 やがて腕は下ろされ――――"ソレ"は姿を現した。

 

 過去の遺物から現われたのは人型の影だった。

 

 男性とも女性とも取れるような端正な顔立ち。

 

 燃えさかる炎のように。されど血のように真紅の装束。

 

 そして何より目を引きつけるのは腰までかかる鮮やかな金髪。

 

「これ、は……」 

 

 騎士団長は言葉を失う。

 奴は一体何者なのか。自分達は何を目覚めさせてしまったのか。

 人なのか。兵器なのか。

 善か。それとも、悪か。

 

 答えの出ない問いに対し言葉が堂々巡りを起こす。

 

 人間と魔物――この部屋の者全てが"ソレ"に釘付けとなっていた。 

 

 光に反射して輝く金髪を揺らしながら"ソレ"はゆっくりと顔を上げる。

 

 そして――眼を開いた。




Q.こんなのリメイクじゃないわ! ただの新作よ!
A.だったら書けばいいだろ!!

 初めての方は初めまして。それ以外の方は『紅いイレギュラーハンターを目指して』のお知らせより飛んできた方とお見受けします。ハツガツオです。
 プロットの修正に取り組んだものの、設定過多及び書きたいものとかけ離れてしまったことで未完となった拙作ですが、リメイク(どちらかというとリライト?)という形でゼロ(ロックマン)とマナリアのクロスオーバー超ごった煮小説再始動と相成りました。どうしても諦めきれなかったのでどうかお許しを。
 ただし本作はプロットの魔修正による大半の設定変更によって前作とは内容が大分違うのでご注意を。尚直近に新しく登場した光属性の某キャラによって折角の魔修正プロットの一部が爆発四散した模様。おかげで現在そちらの部分を半泣きで練り直しの最中。
 後書きは前と同様、人物紹介や用語および元ネタ等の説明をしていく欄となります。
 
《人物紹介》

・騎士団長
某護衛騎士のフェイトエピソード1で出てきた人。出番はそこだけな上に立ち絵は他のキャラの使い回しだったっぽいので大半の人が覚えていない。次話あたりで個人名を設定するかもしれない。性格のイメージとしては人情に厚いシグマ隊長。

・ミラン
今回の調査に同行した騎士の一人。何処かのレジスタンスのメンバーと同じ名前と外見だが何の繋がりも無いし死んでいない。

・????
話の終盤に登場した金髪の人物。忘却された感じの研究施設らしき廃墟でどこぞのワ○リーが作ったような怪しげなカプセルで眠っていた。セリフ/zero。それはまぎれもなくやつさ。


《元ネタ解説》

・騎士団長自らが?
元ネタはロックマンX4のゼロ編『赤いイレギュラー』におけるモブハンターのセリフ「隊長自らが?」。作中ではイレギュラーハンターの隊長であるシグマの実力を思わせるセリフであったのだが、何をどうトチ狂ったのかとある笑顔動画の投稿主によってマジモンのイレギュラーMAD素材にされてしまった。今作では正しい意味で使われている。(ココ重要)



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第壱話 イレギュラー

《前回までのあらすじ》

樹海深部の研究所へと調査にやって来た騎士団長達。だが仕掛けられていた罠によって魔物が召喚され、それを退けようとするも追い詰められてしまった。為す術無しと思われたその時、眠りについていた者が目覚めたのだった。



 悠久の時から"ソレ"は目覚めた。

 この場の全員がその存在へと目を注いでいた。人間も魔物も、先ほどまで争っていた彼らは一斉に手を止め停戦状態へと至っていた。

 信じられないものを見るように。闖入者たる存在を警戒するように。誰もが"ソレ"へと驚愕と猜疑心の混ざった視線を向けていた。

 "ソレ"は人の姿をしていた。永い眠りについていたとは思えないほどに若々しい外見だった。腰まで伸ばされた黄金の髪は光に反射して鮮やかに輝いていた。中性的な顔立ちは男性とも女性とも受け取れる要因となっていた。全身は赤色と黒色の装束に包まれ、腕や足には自分達とは形状が異なる軽装化された鎧を身につけていた。出立からして彼の者は戦士のようだった。

 戦士と思わしき人物は、自身が永き眠りを共にした鉄棺の前に佇んでいた。寝覚めの言葉を口にすることも、時代の変遷に眼を屡叩(しばたた)くこともせず。唯、静かに。――人間、だと……? 騎士団長が小さく呟いた。

 外見は人と何ら変わりない、どころか人そのものだ。大きくかけ離れた異形でもなければ、あの魔物達のように狂気に身を浸している様子もなかった。外見は紛れもない人そのものだ、と。

 だが、"ソレ"は人とは思えない存在感を放っていた。

 それは、『無』だ。

 端正な顔立ちに並んだ眼には一切の光が宿っていなかった。見る者全てを奈落へと引きずり込もうとする黒さを持っていた。暗く、深く――。人間の眼には見られない無機質さ。歪な無垢さ。それは最早、土塊や機械から造られた人形(ゴーレム)のモノに等しい。

 否、それは眼だけに留まらない。未だ成長過程にあるであろうその身体が、どの元素にも当てはまらぬ魔力が――彼の者を構成している要素の何から何まで全てが、人とは程遠く感じられた。

 『人の形をした人でない存在』。そう形容するかのように。

 この者は一体――。騎士団長は戦士に視線を注いでいた。その先に映る戦士は一切の反応を示すこと無く、二つのがらんどうな瞳で虚空を見ていた。

 

「グルァアアアア!!」

 

 獣の声が静寂を切り裂いた。

 パイロウルフが発する咆吼だった。狩猟本能に忠実に従った炎狼は闖入者である戦士すらも見境無く獲物として定めた。鎧をも鋳溶かす焔を歯牙に宿し戦士へと疾駆する。

「逃げろ!」反射的に騎士団長が叫ぶ。だが自身へと脅威が迫っているにもかかわらず、戦士は動かなかった。避けるどころか防御する気配すらない。距離を詰めてくるパイロウルフを平然と眺めているだけだ。

 まさか状況が飲み込めていないのか……! そう判断した騎士団長は身を預けていた装置の残骸から身を起こそうとする。が、鈍い痛みが身体を襲ってそれを阻んだ。

 当人は他人事のように無反応だった。パイロウルフとの距離があと僅かとなってもそれは変わらない。パイロウルフが戦士の喉笛を狙って地面を蹴って跳んだ。

 そして到頭、戦士は行動を起こすこと無く、無抵抗のままに喉笛を噛み砕かれた。

 

「グァッ!?」

 

 呻き声が上がった。戦士のものではない。――獣の。驚きを伴ったものが。

 呻き声の主はパイロウルフだった。戦士の喉笛を噛み砕こうとした炎狼は、逆に自らの喉元を掴まれていたのだ。戦士が突き出した右手によって。

 そして、先ほどまで虚空を見ていた戦士の眼は、今はしっかりとパイロウルフを捉えていた。 

 予想だにしていなかった出来事にパイロウルフはどうにか抜け出そうと前脚の爪で戦士の腕部を引っ掻いた。だが爪が当たるのは戦士が身につけている腕甲だった。キィキィとか細い金属音だけが虚しく部屋に(こだま)するばかりだ。

 戦士の手が緩まる様子は無かった。どころか、徐々に力が加えられていった。喉が少しずつ押し潰されていくのがパイロウルフには感じ取れた。

 気道が圧迫されるパイロウルフは真面な呼吸が出来ずヒューヒューと風が吹くような音が漏れていた。骨にも圧がかかっていく鈍い音が体内より聞こえていた。それに比例して前脚の動きが弱まっていった。

 そして次の瞬間――。

 ごきり。硬い物を折る鈍い音が室内に響いた。 

 騎士団長は言葉を失った。戦士が躊躇いなくパイロウルフを殺した事に。先ほどまで活きよく動いていた炎狼の身体は力なく垂れ下がっていた。

 戦士は右手に持っているものを邪魔な荷物のように地面へと放り投げる。炎狼の身体は宙を舞って騎士団長の前へと落ちた。死体の眼は半開きで口からは舌がはみ出していた。生気は微塵にも感じられなかった。

 呆然としながら騎士団長は死体の生産者である戦士を見やる。そして、眼が合った。――瞬間、冷たいものが背中に走る。

 そこに表情の変化というものは一切無かった。何の感情も映されていなかった。まるで日常の出来事の一つであるかのように、あるいは割り当てられた作業を事務的に進めるかのように。生命の簒奪行為そのものに酷く慣れた所作だった。

 

「…………」

 

 騎士団長を一瞥すると、戦士の眼は直ちに魔物達へと向けられた。自分へと牙を向けた集団を数秒間見つめる。

 そして何を思ったのか。――あろうことか、魔物達の居る方面へと歩き始めたのだ。

「ま、待て!」騎士団長が声を張り上げた。「一体何をするつもりだ!? 奴らの元へ行くのは危険だ!」

 騎士団長は思わず制止する。つい先ほど恐怖に似た感情を抱いたにも関わらず。だが戦士が如何様な目的であの狂った者の集団へと一人で行こうとするのだとしても、自殺以外に他ならない。故に止めずにはいられなかった。

 だが戦士は何も答えない。振り向くこともしない。騎士団長の言葉など耳に入っていないかのように歩を進めていく。それ以外の事など眼中にないとでもいう風に。騎士団長の視線を背に受けながら戦士は歩き続ける。

 魔物達は戦士を次なる獲物へと定めた。飽いた風に騎士達から意識を変えた。そして、顔を醜悪に歪める。新しい玩具を与えられた子供のように純粋に嗤った。

 戦士が歩調を変えた。ゆったりとした歩みが急ぎ足となった。魔物達は臨戦態勢へと移る。蛮勇を示す愚か者を歓待して挙って武器を掲げる。

 それに応じて戦士の足並みが速まる。大地を踏みしめ風を切って進む動作へ移行する。

 戦士が加速する。そして、地を駆ける。

 紅と魔物が衝突する。 

 疾駆の勢いと共に戦士が拳打を放った。魔物の頭部を弾き、顔骨を鼻ごとひしゃげさせて血が噴出した。横にいた魔物へと次打を撃ち込み、身体を突き上げる。宙を浮いたところに片足で蹴りを放ち他の魔物諸共吹き飛ばした。

 当然ながら魔物とてやられるばかりではない。刃向かう戦士へと魔物が武器を持ち上げ振り下ろそうとする。だが戦士は颶風の如き素早さで懐へと潜り込み、肥えて出っ張った腹部を手で貫いた。

 戦士の背後から一体が急襲を仕掛ける。手に持った刃物をギラつかせながら斬りかかった。察知した戦士は直ぐさまその方向へと首を向ける。同時に、右手を振り抜いていた。顔面を掴み込み、地面へと叩き付けた。地面へとめり込みミシリという音が聞こえた。

 絶命を確認した戦士は次なる標的へと駆け出す。突進と共に胴体へ膝蹴りを打つ。痛みで(めし)いたところへと、続く連打が二発三発と繰り出される。

 それは文字通り暴力の嵐。戦士の躯体から放たれる拳打が、足蹴が、砲弾となって魔物達へと容赦無く見舞われる。"技"というものが不純物にすら感じる、膂力から精錬された純粋な攻撃が魔物達を淘汰していく。

 あまりの光景に騎士団長は言葉を口にすることが出来なかった。理性を捨て去った凶暴な魔物達を相手に、彼の戦士が武器も使わずこうも容易く倒していく様が到底信じられなかった。それこそ今自分は幻術か魔法による罠でこのような幻を見せられているのだ、と第三者に明かされた方がまだ信じられる位に。

 だがこれは紛れもない現実だった。身体に纏わり付く痛みがそれを裏付けていた。戦士は着実に魔物の数を減らしていく。

 状況は確実に戦士の方へと傾いている。そう思われた。だが――。 

 

「ギャオォォォォォォ!!」

 

 獣の咆吼が荒れた室内に轟いた。キマイラが自身の目の前に褐色の魔法陣を展開し、幾発の岩石を戦士に向けて発射した。

 不意の攻撃に戦士は反応出来ず、数メートル先の地面へと吹き飛ばされる。

 今の一撃により、戦士には決定的な隙が生じてしまった。傾いていた形勢は一気に魔物側へと移る。吹き飛ばされた戦士へと魔物達が一斉に群がった。

 身を起こす戦士へとスケルトン達の凶刃が降りかかった。直ぐに戦士は横へと跳ぶも、別個体の刃が降りかかる。突き、斬り、払い。首や心の臓、臓腑といった致命傷となり得る箇所を的確に狙って振るわれる。

 繰り出される鋭い斬撃を戦士は躱していく。しかし完全には躱しきれずに幾発かは鎧や装束を掠めて細い筋道を生み出していく。

 戦士は攻撃と攻撃の継ぎ目を狙って反撃を試みた。目の前の個体が剣を振り切った瞬間、戦士は拳を引き絞る。そして、拳打を放った。

 しかし攻撃は防がれてしまった。スケルトンが装備していた盾によって。戦士の攻撃は威力こそ十分なれど、直線的で単純な力任せなもの。それまで散々無闇矢鱈と繰り出していたが故に軌道を読まれてしまった。

 静止した剣士へと刀剣の柄が至近距離であてがわれる。戦士は再び地に身体を投げ出される。

 追い打ちのようにハチェットバードが現われる。戦士の体躯ほどある斧が処刑人の如く垂直に振り下ろされる。

 真横へと身体を回転させることで戦士は難を逃れる。二度、三度と続けて刃が落とされる。たまらず身体を反転させて後ろへと飛び退いた。――直後に一筋の光が戦士へと落ちた。反応した戦士は顔を咄嗟に右へと逸らす。先ほどまで頭部のあった位置を紫の光が通過し、地面へと着弾した。

 光の正体はガーゴイルが撃ち込んだ闇魔法によるものだった。地上の者では手の出せぬ領域よりガーゴイル達が続々と魔法を発動する。闇の元素が弾丸となって戦士目掛けて撃ち出される。

 殺到する弾丸を戦士は駆けながら回避していく。その際に肩や太ももを魔法が僅かに触れて通過していった。絶え間なく仕掛けられる攻撃を前に戦士は防戦一方へと陥った。

 マズい――! このままではやられるのは時間の問題だ。騎士団長はそう感じた。

 だが焦燥は現実となってしまう。

 逃げ回っていた戦士の身体をミノタウロスの斧が捉えた。刃での斬撃ではなく斧頭による殴打。戦士は間一髪間に腕甲を挟むことによって直撃を免れる。だが巨体から繰り出された一撃は凄まじく、戦士の身体を大きく吹き飛ばした。戦士の身体は水平に飛翔して地面へと叩き付けられた。

 その風景を眼窩に収めたガーゴイル達が一斉に魔法を行使し始める。目前に展開した陣から闇の魔力が溢れだし、塊を形成しながら天井へと浮かび上がる。そして塊は赤紫色の光を放ちながらその場に停滞していた。

 戦士は立ち上がる。そして――目にした。夜空を照らす星々の如く、天井を埋め尽くす光群を。

 ガーゴイル達が一斉に咆えた。光が豪雨となって降り注ぐ。躱す間も戦士は飲み込まれた。室内に轟音が鳴り響き、突風と共に砂塵が舞い上がった。

吹きすさぶ砂塵と突風に騎士団長は腕で顔を覆う。やがて轟音と風は収まった。部屋には朦々と砂煙が立ちこめていた。騎士団長は腕を下ろす。戦士の居た場所の周辺は大きく抉れていた。

 あの物量を浴びては助かるはずがなかった。仮に生きていたとしても瀕死だ。そう思った。戦士の末路を見ていた魔物達は嘲笑した。愚か者の死を軽薄な様子で侮辱した。

 じきに砂煙が晴れて黒い影が浮かび上がる。誰もが戦士の酷たらしい死体を想像していた。

 だがその予想は覆された。

 砂煙の中から戦士が姿を現した。――自らの足で大地に立って。 

 信じがたい光景に騎士団長はおろか魔物ですら目を見開く。戦士は生きていた。纏っている鎧から、装束から着弾の煙を上げて。両の腕で防御することで魔法の雨から身を凌いでいた。

 驚く彼らを余所に、戦士は防御していた腕をだらりと垂らす。顔は正面を向いておらず地面へと向いていた。――瀕死の状態であるのは誰の目から見ても明らかだった。

 魔物達は嘲笑う。そして、戦士の元へと殺到する。辛うじてつなぎ止めたその命を今度こそ奪い去るために。

 距離を詰めたスケルトンが剣を大きく掲げる。筋繊維の無い下顎が笑みを浮かべるように上がる。人道に背く行為を楽しむように嗤う。

 スケルトンが垂直に剣を振り下ろす。

――戦士の顔が僅かに上がる。そして、瞳がスケルトンを捉えた。

 

 次の瞬間、スケルトンの身体は宙を舞った。戦士は髑髏の眼窩から姿を消していた。振り下ろした剣は文字通り空を切っていた。――肩から先を千切り飛ばされる形で。

 

 スケルトンの髑髏に驚愕が満ちる。一体何が起こった。何故奴が消えている? 何故右腕が無くなっている――!? と。

 だが離れた場所にいる騎士団長は目撃していた。たった今起こった出来事を。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 戦士は消えたのではなかった。スケルトンが剣を振り下ろす刹那、真横を一瞬で通り過ぎると同時に素手で腕を引きちぎったのだ。死に体であろうその身体で。

 スケルトンの後ろへと回り込んだ戦士は、左手に力を込める。そして拳を放ち、宙を舞うスケルトンの頭部を射線上にあった盾諸共粉砕した。崩れ落ちた骸骨は大気へと霧散して跡形もなく消滅した。持ち主を失した鎧が地面とぶつかる乾いた音だけが響いた。

 魔物達は動きを止めていた。魔物達の間には少なくない動揺が走っていた。人間ならば既に死んでいるはずの状況に。あれだけの集中砲火を受けたにもかかわらず、戦士が平然とした様子であることに。

 一変した魔物達の様子など気にも留めること無く、戦士は再度魔物達の方へと歩き始めた。その一足一動、攻撃を受ける前と何一つ変わりない。魔物達へと向ける、無感情な瞳でさえも。

 戦士の瞳に映された魔物達は僅かに気圧される。だがそれもすぐに霧散した。未だ数で圧倒しているからか、あるいは戦士の行動を唯の悪あがきとみたのか。いずれにせよ正常な思考能力が失われている魔物達にとっては、どちらの判断を下したところで変わりはなかった。唯自らの本能に従い獲物を屠るのみ――魔物達は戦士へと襲いかかろうとした。

 その瞬間――数メートル離れていたはずの戦士の手が、魔物の頭部を地面へとねじ伏せていた。

 なっ――。魔物達が驚いている間にも戦士の手は止まらなかった。たった今殺した魔物の槍を手に取るなり、他の魔物の喉元を貫いた。鮮やかな赤が噴水のように吹き出して周囲に降り注いだ。その中を一つの紅が駆け、魔物を次々と葬っていく。

 小鬼(ゴブリン)の魔物の腹部へと拳を突き上げて小さな体躯を吹き飛ばした。側にいた魔物から剣を奪い取って首を刎ねた。そして真横の大鬼(オーク)の腹部を二度斬り付け、離れた個体へと剣を投擲した。――僅か十数秒の時間の間出来事だった。都合四体もの魔物を戦士は瞬く間に処理した。

 同族を葬っていく戦士に魔物達はようやく状況を飲み込み、反撃を開始した。不倶戴天の敵と化した戦士を誅殺するが為に。

 別個体のスケルトンが戦士へと襲撃を仕掛ける。先の個体に比肩する斬撃が戦士へと降りかかる。

 戦士は身体を僅かに反らして回避した。続く連撃を僅かな動きのみでいとも容易く避けていく。風に揺られる柳のように軽やかな動きで。

 そして回避の際の体重移動を攻撃へと転換した。片足を軸に身体を回転させて蹴りを放つ。スケルトンの露出した腰椎を砕き、上半身と下半身を分断した。その折にハチェットバードが戦士へ攻撃を仕掛けていた。

 趾で地面を捉えながら首をくねらせ処刑人の斧のようにうなじへと振り下ろす。そのまま攻撃は戦士の首を刎ねる――ことはなかった。一つの金属音と共に、斧の軌道は上へとずれ、戦士の頭上を素通りすることとなった。

 戦士は身を屈めながら斧の斧刃――刃の平らな部分――へと、()()()()()()()()()()()()()()。腕甲で刃を流すよう斜めにぶつけたことで軌道をずらしたのだった。

 自身の体長の半分をも占める斧を意図せず空振りしてしまったことで、斧鳥は勢い余って半回転してしまう。バランスの崩れたハチェットバードの胴体へと、戦士が前蹴りを浴びせる。

 斧の勢いと戦士の蹴りによってハチェットバードの身体は浮いた。慣性が生じた。そしてその先には、ミノタウロスがいた。

 他の魔物を利用しての攻撃などミノタウロスですら予想出来ようはずもなかった。驚きながらもミノタウロスは両手に持った片刃斧で迫るハチェットバードを両断した。

 その間に戦士はミノタウロスへと疾走し距離を詰めていた。気づいたミノタウロスが斧を手元で廻し接近した戦士へ横薙ぎを放つ。

 戦士は上へと跳んで躱し、ミノタウロスへの顔面に拳を浴びせた。鼻骨を砕く音とミノタウロスの呻き声が漏れた。

 地上は戦士の独壇場となっていた。だがそれは空中にまでは及んでいなかった。安全圏と化した場所からガーゴイル達が魔法を撃った。

 正確な狙いによって戦士へと攻撃が殺到した。流石の戦士も空中への対抗策は無いらしく、先ほど同様に逃げ回った。

 そして戦士は壁へと直面した。室内の壁へと。逃げ場の無い所にまで追い込まれた。

 ガーゴイル達がニヤリと嗤った。そして、一斉に魔法を撃ち込んだ。

 戦士はそれを黙って眺めていた。その顔には焦りは少しもなかった。

 右手を挙げた。ガーゴイル達を照準に合わせるかのように。

 左手を添えた。銃身のブレを抑制するかのように。

 そして、戦士の右掌に――()()()()()()()()。翡翠の、透明な魔力が。風の元素を示す魔力が。

 光は成長し、弾丸を形成した。掌を超える大きさに。

 それは魔法だった。魔力を銃弾へと変えて撃ち込むという、ごく単純な魔法。()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()

 そして、戦士はソレを撃った。魔法の雨へと。ガーゴイル達の方向へと。

 翡翠の弾丸は魔法の雨を突き抜けた。掻き消した。そしてそのまま、二体のガーゴイルを貫いて天井へと到達した。

 轟音と共に少量の瓦礫が崩れ落ち、真下にいた魔物数体を押し潰した。

 戦士は地を駆けて襲来する。

 そして、死神の如く魔物の命を奪い去っていく。

「奴は何だ」騎士団長が呟いた。絞り出されたかのような声だった。

先の攻撃は普通ならば死んでいても、跡形も無く消し飛んでいても可笑しくなかった。だが、あの者は何だ? 真正面から受けたにも関わらず、腕の一本も失ってすらいない。ましてや動きに支障すらもない。

 どころか――却って良くなっている。本能的に振るっていたものが、今や歴戦の、技を宿す洗練された動きへと変貌していた。

 極めつけはたった今発動した魔法。否、アレを魔法と呼ぶことすら烏滸がましい程の威力。最早アレは魔法では無く、唯の武器だった。それまで魔法を、魔力すらも使う気配が無かった者があのような攻撃を。

 まるで――戦闘の中で学習して身につけた、あるいは、それまで忘れていたものをようやく思い出したかのように。

 敵の攻撃を物ともしない頑強さ。敵との数の差を埋めるだけの技量。敵を確実に葬る攻撃手段。そして、それらを顔色一つ変えずに行使する姿。アレではまるで。

 "兵器"ではないか――。

 戦士の放った攻撃で魔物が地面へと崩れ落ちた。この部屋にいた魔物達は全て戦士の手によって葬られた。これにて魔物達の掃討は完遂された。

 そう。一体を除いては。

 戦士の後ろで地面を踏みしめる音が鳴った。

 戦士は振り返る。そこにいたのは、キマイラだった。他の魔物が惨殺されたにもかかわらず、王者の如く悠々と大地を歩いていた。

 戦士を見て僅かに鼻を鳴らす。そこには彼の健闘を称え、そして小馬鹿にしているようだった。

 キマイラが唸り声を上げる。空気中の塵芥と地表の砂とが混ざり合い岩石となって五発、戦士へと撃ち出される。

 戦士は右手を突き出して魔力の弾丸を放つ。岩石と弾丸が相殺し合い、爆発音と土煙が両者の間で巻き起こる。最中、キマイラの頭部である山羊が大きく口を開いた。そして、けたたましい聲を上げた。

 草食獣の哮りに呼応して戦士の周囲の地面に突如として亀裂が奔る。大地が断崖のような鋭利さを有して急成長し戦士を貫いた。戦士だけではない。周囲の死体をも巻き込み、溢れた血液を養分として真っ赤な華を咲かせた。『アースグレイブ』と呼ばれる強力な土魔法によって、このような光景を作り出したのだ。

 一際大きな大地の槍によって宙へ磔となっている戦士の死体へとキマイラは近づく。その瞬間、死体であった戦士が息を吹き返したかのように顔を上げた。身体を一回転させ、脇に抱えるようにして躱した断崖の槍を足場にし、キマイラへと跳躍した。

 キマイラとの距離を詰めて殴りつける。

 拳がぶつかる――直前、戦士がいきなり真横へと吹き飛ぶ。水平に飛翔していき、壁へと激突した。

 崩れ落ちる瓦礫に身体を預けながら戦士はキマイラの方を見る。その横には、戦士を吹き飛ばした元凶がいた。

 何もキマイラの武器は魔法だけではなかった。合成獣である自身の身体を活かした攻撃も得意としていた。自身の尾である蛇が太い躰を持って戦士に体当たりを仕掛けたのだった。

 戦士は本体とその尾を見据えながら立ち上がり、露出した配管(パイプ)を左手で引き抜いた。配管先端は鋭利になっていた。

 キマイラが口角を上げる。そして咆吼を撒き散らしながら突進する。戦士もキマイラへと吶喊した。

 キマイラが右の前脚を上空から振り下ろした。戦士は横へと躱し、配管で下から斬り付ける。キマイラはそれを避けて牙を向けた。

 配管を轡のように挟み込んで戦士は防ぐ。力が拮抗し両者は至近距離で睨み合う。それを崩そうと山羊の頭部が再び魔法を行使する体勢を取る。

 攻撃の気配を察知した戦士は配管を口から外して右拳を叩き付ける。キマイラが怯んだ隙に一足飛びに後退。直後にそれまで戦士の居た場所へと土魔法が着弾した。着地した戦士は配管を構える。

 大地の獣の王が不埒者の接近を禁じるために空へと咆える。再度地面が呼応し始める。地面が再び断崖の槍となって戦士へと牙を剥いた。

 地面が隆起すると同時に戦士は跳んだ。身体を空中で捻り、下からの槍を躱した。だが、それは先刻の行動の焼き直しでもあった。大蛇が身体をしならせて戦士を噛み砕こうと迫っていた。

 だが、戦士はこの状況にすら対応した。槍を躱すために捻った身体の勢いを利用。縦方向への回転へと変換し、大蛇の頭部へと踵を落とした。

 脳部への衝撃によって大蛇の意識は刈り取られ、接近を余儀なく中断することとなる。巨体を支える力を失ったことで、そのまま地面へと墜落した。そう――たった今先ほど、キマイラが生み出した棘山へと。

 

「ギャォォォオオウ!?」「クァアアアア!?」

 

 獅子と山羊が隠すことなく絶叫した。意識そのものは個別に有していても、一つの身体である構造上痛覚は共有している。故に大地の穂先に貫かれた痛みは二つの頭部に伝わっていた。

 戦士はアースグレイブの上へと降り立つ。断崖に大蛇が突き刺さったことで、本体への道を示す通路が舗装されていた。大蛇の身体を駆け抜けて、苦しみで悶えているキマイラへと迫る。

 激痛に苛まれていたキマイラはようやく戦士の姿に気づく。だが遅かった。戦士が頭上を抜けると共に、鋭利な配管の先で山羊の両目を切り裂いていた。

 立て続けに生じた激痛で獅子を模した頭は苦悶の悲鳴を刻む。視界を奪われた山羊は口から唾を垂らしながら頭部をひっきりなしに振り回す。

 獅子の顔には怒りが浮かんでいた。元の獣が宿していたプライドか、其れとも見下していた存在への憤怒か。炎のように感情が燃え上がっていた。

 牙を噛みしめた後、使い物にならなくなった自身の尾を噛み千切った。傷口から夥しい血液が溢れるのを無視し、怒気を孕んだ咆吼を上げた。そして、地面を蹴って戦士へと吶喊する。

 戦士は平坦な表情のまま左手の配管を握り込む。そして、一直線に駆け出す。キマイラと真正面からぶつかり合う軌道で。

 キマイラとの距離が縮まる。獅子が咆える。戦士が配管を前へと突き出す。刺突剣(レイピア)のように眼前へと。右手を根元へと添えて。

 キマイラと戦士――両者の影が激突した。

 液体が噴出する音が鳴った。生暖かさと鉄臭さを含んだモノが辺りへと散らばる。――キマイラの背中から。

 獅子の首には配管が突き刺さっていた。戦士の獲物である配管が。

 キマイラの瞳からは光が失われ、大きな音を立てて地面へと倒れ伏した。首元からは血液が流れ続けていた。勝者である彼の者は冷たく見下ろしていた。

 今この時を以て、魔物達の掃討が完了されたのだ。

 騎士団長は終始見ていることしか出来なかった。目の前の戦士が屍を生み出していく光景を。

 天井の穴から陽光が差し込む。木漏れ日が戦士を照らした。金髪を揺らして佇むその姿は神話の英雄とも思える程に神秘的に映っていた。

 だが周囲に広がる光景は真逆そのもの。足下には魔物だった残骸が転がっていた。肉塊から流された悍ましい量の血液で満たされていた。戦士が纏う鎧を同じ色に大地は染められていた。

 其れは人の所業に非ず。己が力で魔物達を滅ぼしていく姿は、戦士の在り方を正しく証明していた。

 樹海の奥深くにあった研究所。その最深部で眠っていた戦士。そして、カプセルに刻まれた"0(ゼロ)"という紋章。 

 

 様々な因果と共に戦士(イレギュラー)はこの時代に目覚めた。

 




Q.何故こんなに遅れた?
A.年末年始に予定が立て込んだ結果、今の今まで執筆時時間が全然取れませんでした。本当に申し訳ないです。

Q.書き直す必要あった?
A.ありました。中盤~終盤を魔物側視点にしたせいか残虐描写マシマシで騎士団長オイテケボリーだったので。キマイラ戦も後で見返すと何かイマイチに感じちゃって。修正に当たって残虐な描写は少し抑えた…………つもりですが結果的にはあんまり変わらんかったかも。

Q.前の話は消したの?
A.修正前の話に関してはリライト前同様旧話置き場の方に移動させましたので前の方が好きだという方はそちらにて。尤もそんな物好きな方がいるかどうかが不明ですが。


《人物紹介》

・????
 名前および年齢不詳な人物。二話目にも関わらずまさかのセリフ0。
 服装のイメージとしては、ゼロシリーズのゼロの服装をグラブルの世界観に調整(リデザイン)して人が着てもおかしくない感じに仕上げたもの。要はアルベールとかが纏っているような軽装鎧とアンダーウェアの組み合わせ。ジャケット部分はロクゼロのものより生地を薄くした上着みたいな感じで。ヘルメットは考えた末にあえて無しの方向に。

・魔物達
 しめやかに倒された。

・キマイラ=サン
 通常種どころか魔物の群れの中でも目茶苦茶強い個体、なのだが主人公には勝てず。しかも止めが鉄パイプとかいう結構惨い最後。咆吼の声はエグゼ6のグレイガとボクらの太陽DSから拝借。


《元ネタ・技解説》

・両腕による防御
 所謂アームブロック。元ネタは『ロックマンX2』にて敵として登場するゼロが使用する行動。
 技自体はただのガードなのだが、その性能は一言で言えばチート。エックスの放つバスターだろうと特殊武器だろうと将又ギガクラッシュ(システム的にはグラブルのフェイタルチェインに近い)だろうと全部ノーダメージで防いでくる。無論何のバリアも展開せずに。無印リメイク作『イレギュラーハンターX』においても敵のゼロが使用する。そちらは相方エックスとの二対一の状況も相まって相当厄介である。

・魔力弾
 ロックマンシリーズお馴染みのバスター。腕を砲身に変形させてエネルギーを撃ち出す攻撃。原作の方はロボット或いはレプリロイドであるために腕を変形させて放つのだが、今作では主人公が掌から撃ち出している。
 グラブルではスカーサハを初めとしたキャラが魔法陣から魔法の弾丸撃ち出しているため、バスターはこれで代用できるのでは? というのが原案。
 尚作者はリライトに伴い銃への変更を考えたが、リライト前の設定とかも一部引き継がせたかったのと『鷹岬版エグゼフォルテ』っぽい感じがあって割と好きなので取止めとなった。

・アースグレイブ
 四大天司の一人ウリエルが使用する技『アースグレイブⅢ』より。こちらはその下位互換程度をイメージ。
 詳細な範囲や規模は不明だがⅢのエフェクトからしてパーティ全体分の大きさだったのであちらは一個小隊~大隊なら軽く潰せる程度と判断(というか一つの軍程度軽く潰せそう)。それを基準にこちらの範囲は十数人程度を想定。

・鉄パイプ
 元ネタは『ロックマンX4』に登場した一見何の変哲もない唯の鉄パイプ。しかし赤いイレギュラーはシグマ隊長の操るビームサーベルと互角に渡り合っていた。勿論科学が発達した世界なのでパイプ表面に魔法とかを纏ってたりしない。機動戦士よろしくビームコーティングとかも一切施されていない。にも関わらず真正面から弾いていた。(ガチ)
 一説によると、パイプがあったのは赤いイレギュラーの生みの親の研究所だったことから、パイプにも魔改造が施されていたか研究の過程で生み出された未知の素材か何かで造られていたのではないかと言われている。(大嘘)
 オリ主が使ってたパイプ? ダマスカス鋼かヒヒイロカネか金剛晶で出来てたんじゃないっすかね(適当)。


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