~光紡ぐ八ツ鏡~ (ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号))
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第一部 銀糸の刀使
とじみまん!


プロローグ

 夜明け前、この静やかな深く密やかな時の中。プラットホームのポーンツーンという音色が、余計に寂しさを沸き起こさせた。でも、冷え込みこそすれど新幹線は雪に構うことなく、無事に駅を出発したのだった。
 窓際の自由席に座り、おばあちゃんが水筒に入れてくれたほうじ茶を一口。
 あたたかい。
 厳しい寒さの中で見送りをしてくれた両親と友達に別れを告げて、神奈川は鎌倉の錬府女学園に向かう。
何度も読んだ入校案内の書類を取り出して、再び読みはじめた。
 東北地方隊での試験以来、まわりからは地元に残って欲しいと何度も、何度も言われたけど、私の決意は変わることはない。
 両親からはっきりと言われた。
「あんたは暁ちゃんみたいに刀使にはなれんのに、それでいいんかね」
 地方の警官になる道だってある。なんだったら、昔あこがれていたケーキ屋さんになることだってできる。そう、今から引き返せばそれができる。でも、私は、この夢を諦められない、憧れた背中を追いかけ続けていたい。
(暁ちゃんがなれたんだから、私だってまだチャンスはある。諦めなければ、まだ私も刀使になれる!だから)
 白く滲む空と大地の間から柔らかな陽が顔を出し、窓に差し込む光に目を細めながら、車窓の向こうに広がる白い大地と山々の美しさに自然と笑顔になった。

 この【記憶】はあなたの知る私とは違う世界の、わたしの物語。
そして、はじまる【出発】への序曲。



 真っ白な生地に澄んだ青の差し込む制服には、警ら科所属を示すオレンジの腕章と、警官の階級章を模した学年章が胸につけられている。学年は金の鶴に緑の玉を掴むマークが高等科を示し、彼女はやや身長の高い、高等科は一年生。ゆっくりと誘導路を歩く避難者を導きながら、長くまっすぐな道の上を貫く青い空をふと見上げた。桜の散った春の、まだ梅雨の水臭さも感じない白ぼけた空。

「あの! 」

 背中からの声にすぐに体を返した。

「はい! どうかしましたか」

 同じ鎌府の制服に本部警備所属を示す飾緒、親衛隊支援隊所属を示すワッペンが左肩のペンホルダーに付けられていた。薄い茶髪に優しそうな顔立ちの刀使は、左脇うしろには黒く重々しい鞘に、濃い茶革で巻かれた柄の御刀を帯びていた。

 

【挿絵表示】

 

「親衛隊の方でしたか!ご苦労様です!」

 まだ慣れないという感じにやや苦笑いしながら、刀使は顔をあげてほしいと頼んだ。

「親衛隊、獅童小隊所属の岩倉です。避難状況についての報告をお聞きしたくて」

「そうでしたか。あ、私は警ら科高等一年の皐月夜見です」

 黒に茶の混じった髪を短くまとめ、これといった特徴はないが、朗らかな顔立ちで早苗に笑顔で答えた。

 

【挿絵表示】

 

「十分前から獅童隊の応援が駆けつけてくださっていた旨は了解しています。この列で避難地区への誘導は完了しますので、それからは機動隊の方々に警備を託します」

「ありがとうございます皐月さん。ただ、荒魂の群が避難指定地の南交差点へ向かっていっていますから、このまま確実な誘導をお願いします」

「了解しました、仲間にも無線で共有します」

「よろしくお願いします。私はこのまま南交差点に向かいますから、何かあったら連絡をください! 」

 早苗と夜見は慣れた手つきで端末の連絡先を交換した。

「ありがとう岩倉さん」

 簡単に別れを告げると早苗は走って誘導列の先へと走っていった。

 夜見は無線で連絡を入れながら、人の流れが乱れていないことを確認し、ふと腰のベルトに目を向けた。ホルスターに入った対荒魂自衛用の拳銃が苦々しくも、重々しく感じられた。

(こんなのは気休めにしかならない。はぁ、私も御刀が使えたら岩倉さんと一緒に)

 顔に出さぬよう黙って落ち込んでから、小さく頷いて列の前に立った。

「みなさん! 指示に従って、避難指定地区に移動してください! 」

 春の御前試合が間近に迫るこの時期、皐月夜見は秋田から神奈川へと寮生活に入り、はや三年が経とうとしていた。難関の転入試験を通り、こうして拳銃の携帯を許される公務員資格を正式に取得し、こうして実地学習に入った。彼女は周りから努力家と見られているが、本人はそれが報われた結果とは微塵も思っていなかった。

「刀使さん、刀使さん」

 いかにも離れしているといった顔のおばさん三人組が、困惑する夜見の表情も気にせず、笑顔でベルトに小さな包を結びつけた。

「わ、わたし、刀使では……」

 顔立ちの切りだった一人が笑顔で首を振った。

「気になさるな、私らは刀使と一緒に戦うあんたらも立派な刀使と知っておるのさ」

大福のようなおばさんは、健康そうな歯並びを見せてニッカリと笑顔を見せた。

「わたしたちも元刀使だよ! こうして立派にお役目を果たしているあんたらのお母さんさ! 」

 可愛らしい赤い一松柄の包みをまじまじと見つめた。

「ちょっとしたお菓子よ、任務が終わったらみんなでお食べなさい」

 やや腰が低いが、真っ直ぐな目が歳を気にしない強さを感じさせた。

「で、でも、わたし」

「御刀に選ばれんかったんやろ? 」

「あ」

 目を逸らした夜見に首を横に振った。

「気分悪くしたね、でもね警ら科の子にやたら剣術の強い子がいるのは聞いていたの。こうして頑張ってお役目を勤めているってね。お刀に選ばれんかったのはあんただけじゃないのよ」

「え」

 目線を戻した夜見に優しく微笑んだ。

「私もそうだったけど、ここの二人はそんなこと気にせず刀使のお役目は刀をふるうだけじゃないって教えてくれたの、だから諦めちゃダメよ! 」

「あ、ありがとうございます! 」

「ところで、岩倉ちゃんは通らなかった? 」

 夜見は何かを察して、嬉しそうに小さく笑った。

「さっきお話ししてから、お話しして、任務に戻っちゃいました! 」

「ええー! 話したの? 話したの? 」

「任務の事後報告だけですが! 」

 細面の女性は夜見の笑顔をマジマジと見て自身も満遍の笑みを浮かべた。

「あなたっ、とじまにあだねーっ! 」

「あ、わかっちゃいます? 」

「わかるわよーっ! 親衛隊追っかけ勢からしたら新顔の岩倉ちゃんはまさにニューウェーブだもの! 」

「はいっ! 会う人会う人を和ませるハニューフェイス! すぐに現場に馴染む連帯感! ふんわりとした髪型! ポイントが高すぎ」

「もうホント! あんたが羨ましいわ! 」

「親衛隊第一席! 乾坤一擲! 獅童真希! 、第二席! 容姿端麗! 此花寿々花! 、第三席! 鎧袖一触! 燕結芽! 、第四席! 虚心坦懐! 糸見沙耶香! 」

「かわいい! かっこいい! 」

「わかるわ〜、いや、わかってるわねー! 」

 無線で呼び出しが入り、応答している合間に避難の列末は道の奥へと至っていた。

「では任務に戻ります! またお話ししましょう! 」

「会いに行くからね、いってらっしゃい! 」

 南交差点に着くと、機動隊員たちがせわしく動き回っていた。

 よからぬ状況を感じ取った夜見は、交差点に集まる仲間達の元に急いだ。

「犬上班長! 」

 髪を短く切りそろえた彼女の、険しい表情が全てを物語っていた。

「警ら第五班は、このまま交差点での障害物構築の手伝いに入る」

「障害物って」

 不安な面持ちの仲間たちと顔を見合わせた。思わず息を飲んだ。

「刀使部隊を抜いてここに向かって来ている。それも合体しながら中型のムカデ型に変化しているそうよ、全員並べ! 装弾用意! 」

 横一列になり、ホルスターから拳銃を抜いた。特祭隊の採用しているワルサーPPQのスライドを引くと、対荒魂の白い弾頭の9mm拳銃弾が勢いよく薬室に装填された。

「あ、当たるのかな」

「何こわがっているのよ! こういう時のために訓練して来たのよ、ね! 夜見さん! 」

 ホルスターに拳銃を戻しながら、無理に笑顔を作ってみせた。

「そうね、でも使わないと思うよ。すぐに刀使のみんなが来てくれる」

「うむ、皐月の言う通りだ! 我々はいざという時に備えだ! でも、気を緩めるなよ! 」

 はきはきとした返事が返って来たのを確かめて、班長は硬い顔のまま頷いた。

 バリケードが構築されると、機動隊員の盾が横一列に並び、避難地区を守る隊員と交差点に備える隊員とに警ら隊は別れた。夜見は機動隊の構える後方に立った。

機動隊員の黒く硬い背中の向こう側に見える無人の一本道には、まだ荒魂が来る様子はなかった。だが既に一町向こうには来ているとの報告が来ている。

「皐月さん」

 不安そうな表情をみせるおさげ髪の少女は、同じクラスの同級生、両儀眞子であった。

「両儀さん、わかるよ、ちょっと怖い」

「ちょっと?」

 目をまたつかせてから、首を傾けた。

「私の癖なのかな、期待しちゃうんだ。これからみんなのために戦えるって思うと、勇気が湧いてくるの」

「すごいな、私はねとってもい怖いよ。このまま何もなく終わればなって」

 来たことを叫ぶ声に前方へ目を見張った。背を低く盾を構えた向こう側に、あきらかに中型を上回る大型のムカデ型がその長い体躯を左右に揺らしながら迫ってくる。

「これは大きすぎる! 」

 静寂があたりを包み、班長と機動隊の隊長は顔を見合わせて頷いた。

「今ここを突破されれば避難地区に大きな混乱と被害が起きる! 拳銃構え! 奴を1分でも長くここに止める! 」

 拳銃を抜いて構えた班長は戸惑う隊員へ叱咤を向けた。

「みんな構えるんだ! 」

 その声に一斉に銃口を荒魂へ向けた。だが、その判断とは裏腹にその武器があまりにか弱いことに、誰もが気づいていた。夜見はそのことを迫り来る荒魂を前に、何度も、何度も、問いかけた。その度に心の底から一つの回答が返って来た。その一分一秒のために、私はここに来たのだと。ワルサーの赤いコッキングインジケーターを見て、その途端に頭は冷静になった。

「犬上班長! 提案をします」

「なんだ」

「この交差点の、私たちの真後ろである東側に進ませてはいけないのですよね」

「それが、どうした」

「北への道へ段階的に射撃して誘導してはどうですか? 路地を使って先回りして誘導すれば一分一秒よりも長く時間を稼げます! 」

 犬上班長は反論の言葉を探した。だがその前に機動隊隊長がやろうと声をあげた。

「それが最善の手段だろう。動こう! このまますり潰されるのが我々の役目ではない」

 その言葉にゆっくり頷いた。

「ええ、やりましょう! 」

 隊員たちは北への道に移動し、再び道の別れる場所で小数の隊員が銃を構えた。

 独特の鼓動音が近づき、牙のついた赤い頭がゆっくり姿をあらわした。

「構え、よく狙え」

 一拍を置いて発射の号令とともに三つの発砲音が鳴り響いた。一発がムカデの大きな頭にポクっという音を鳴らしたと同時に、荒魂は隊員たちに向かって方向を変えた。

「成功だ! 次の地点に移るぞ」

 荒魂の進路が変わったことの報告を受けた犬上班長は、緊張の面持ちのまま夜見に顔を向けた。

「よく、よくあの状況で口が開いたな」

「じゃあ班長も同じ考えを」

「ああ、だがあれを見て自信がなくなってな」

 夜見はその問いに困惑しながら、小さく息を吐いた。

「みんなのために戦いたいなら、一分一秒だけじゃ何もしなかったと同じかなと思ったんです。ふと、そう」

「そうか、ありがとう! 」

「お礼はこれが終わってからでも! 」

「応よ! 来たぞ、構え! 」

 だが道に入って来たムカデ型は動きを止め、まっすぐ夜見たちを見つめた。

「なんで? 」

「分からない、が任務に変わりはない! 」

(ここまででよかろう)

夜見は聞き知らぬ声に誰かと小声で尋ねた。

「撃て! 」

 犬上の声に、再び三発の銃弾が荒魂に放たれた。だが微動だにしない。

「第二発目用意! 」

 その瞬間、コンクリートの路面が割れ、大地と排水管が吹き出した。夜見はその瞬間の光景の中、大地をつん裂く長い赤い尾が見えた。途端、真っ暗になり、痛みを感じたがすぐに体を起こした。土煙は周りを覆い尽くし、息を荒くしながらも丹念に手元を探った。

「うう、あ、うぐぐ」

「り、両儀さん! 」

 見知った互いの顔を見あって安堵の表情を浮かべた、だが両儀の左脇腹に突き刺さった鋭い破片に目を見張った。両儀は傷から目を離して動こうともがいた。

「す、すぐに移動を」

「だめ! 動いてはダメです! 」

 引き抜いたり、動いたりすれば確実に重症化する。この場合の対応手段について夜見はたった一つしか教えられていなかった。

「隊の応急処置訓練を受けた者、専門の医療従事者に託すべき」

 少しずつ開け始めた粉塵の中から赤い光が見えた。

(どうする! どうすればいい! )

 ふと手に握ったままの拳銃に目が入った。

(至近距離なら)

 傷の重さに気づいた両儀は夜見に逃げるよう言ったが、夜見は首を横に振った。

「絶対に動かないでください! なんとかしてみせますから」

「無謀だよ! 」

 立ち上がった夜見は両儀の声を無視して、ムカデ型の胴体横に回り込むように瓦礫の中を掻い潜った。

 そしてその大きな頭の真横を見られるポイントに潜み、銃を構えた。

「覚悟……! 」

 連続で撃ち放った二発は正確に荒魂の右目を撃ち抜いた。

「やった! 」

 喜びも束の間、そのもう片方の目が夜見の潜む瓦礫の山に目を向けた。

 突っ込んできた両顎が瓦礫を噛み砕き、右手へ向かって大きく頭を振った。瓦礫に混じり、夜見は路面に投げ出されると、頭を打ったのか目に朱が混じり、朦朧と迫りくる荒魂の姿が見えない。

 震える体を起こして、手に握っていた拳銃を再度構えた。

「当たって」

 弾倉に入っていた残りを連続で撃ち放った。はっきりとしてくる視界の中で、解放された薬室と、片目を潰されても悠々としているムカデ型の大きな顎が、夜見を噛み砕かんと眼前に迫っていた。そして瞬くように彼女の脳裏に幼い日の記憶が走った。これが走馬灯なのかと、諦めようとした記憶の中に古代の民族衣装を纏う女性の姿が見えた。琥珀色の瞳をした幼い少女の悲しみのこもった目がまっすぐ自身を見つめる。

「おねぇさん、早く逃げなよ。結芽の邪魔だから」

「え」

 その姿が消えた場所で、桜色の髪を靡かせる少女があっという間にムカデ型の顎を斬り捌いた。両顎はむなしく軽い音を立てて地面を転がった。

「よく持たせてくれた! 」

 飛び込んでくる白い影が、その巨木のような胴体を輪切りに両断した。その男勝りの顔立ちに腕に巻いたサラシが夜見に彼女たちが誰かを思い出させた。

「でもここからは私たちが請け負いますわ」

 尾の巨大な突起を美しい身のこなしで避けながら、それを胴から切り離した。赤い髪を一つに束ねた二重瞼に澄んだ瞳が夜見へ微笑んだ。

「命令通り、いくつかに両断する」

 白銀の髪のあまりに幼い顔立ちの少女は、あっという間にムカデ型をいくつもの輪切りに斬り捨てた。だが、その顔にはやつれたような寂しさがあった。

 輪切りになったムカデ型はそれぞれに分離しようと形状が変化し始める。だが、その数十体に変化したムカデ型を四人は瞬く間に斬り捨てていった。そして、逃亡を図ったムカデ型の頭部を糸見紗耶香が一刀に斬り伏せた。

「あーっ沙耶香ちゃん! 私がトドメ刺すって約束! 」

 燕結芽のひがみも気にせず、沙耶香はそっけなかった。

「任務を果たすのに、順番もない」

「そうだ、沙耶香の言う通りだぞ結芽、第三席らしくするんだ」

「でもーっ」

 目の前に立つ四人を前に、夜見はただ呆然としていた。彼女に気づいた寿々花が夜見の顔を覗き込んだ。

「こんにちは」

 此花寿々花の透き通った声に我に返った。

「あ、あの」

「よく耐えてくれました。あなたがお仲間のために荒魂を引きつけ、注意を引き続けてくれなかったら、私たちは間に合っていませんでしたわ。お礼を言います」

 やさしい笑顔に照れ臭くなって両掌を合わせた。弾切れになった拳銃に気付いてホルスターに戻した。

「いえ、夢中でしたから、此花寿々花さん」

「ふふ、でも片目を撃ち抜いた腕はおみごとでしたわ」

「結芽が来なかったら、おねぇさん死んでいたんだよ」

 無邪気な笑顔の結芽に深くお辞儀した。

「私、死ぬと諦めていました、でも燕結芽さんのおかげで生きています。ありがとう! 」

「ふぅん、よかったね」

 調子が狂ったと言わんばかりに夜見に背を向けて、ムカデ型の巨体を見上げた。

 結芽の行動に呆れながら、刀を鞘に戻した獅童真希は名前を尋ねた。

「警ら科高等部一年生の皐月夜見です! 」

 



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夜見はとじになれない!

鎌倉の特祭隊本部施設には全国の隊員が交流できるよう、多くのミーティングルーム、小道場、地方派遣隊員のための寮が整備されている。その一つの道場では鎌府と美濃関の警ら隊員による技術交流会が行われていた。

「抜刀、構え! 」

 木刀を構えた夜見は無構えから、美濃関の生徒は正眼の構えで対した。

 夜見が踏み出したのを見計らい、数度の打ち込みをかけるが、細かに体の位置を動かしながら刃を全て受け流し、焦ったため額の一寸前で切先が止まった。

「そこまで! 」

 夜見は十人と当たって九勝一敗だった。その一敗は彼女と長く稽古を続けて来た犬上のとった一本だった。だが、犬上は苦笑いで夜見に問い詰めた。

「お前、手を抜いてないか? 」

「いえいえ、そんなことは、犬上班長だってあくまで稽古と割り切っていたのでは? 」

「そうなのかな、じゃあお前もあくまで稽古をしていたと、な」

「あ、ああ」

「心配するな責めていないから、でも刀使だったら今頃は御前試合の選抜メンバーになっていたかもな」

「どうでしょう、でも頑張って目指したかもしれませんね」

 困り顔の夜見を見て大きく笑った。

 あれから一週間、あの荒魂との戦いで負傷した両儀は早期の処置が幸いして、全治一ヶ月で学校に戻れることになった。あの場にともにいた犬神も気絶こそすれど軽症で済み、こうしてともに戦った夜見と顔を合わせていた。

「でも、ついに御前試合なんですね! 」

「そうだ、美濃関のほうは誰が御前試合に出るのかな」

「たしか、校内選抜試合で優勝した衛藤可奈美さんと準優勝の柳瀬舞衣さんだって聞いているわ、鎌府はどうなの? 」

「一番手は七之里呼吹、二番手は新庄朱子」

「今話題のニューフェイスばかりだな」

「柳瀬さんは美人と有名ですからね。衛藤さんは屈指の剣術能力を誇るそうです! 」

「お、また追っかけやってるのか夜見〜、入って来た時もそうだが、お前の刀使好きは度がすぎているんだよなぁ」

「そ、そんな、私はちょっとおばさまたちと情報共有しているだけですよ」

「そのおばさまがた! 刀使援助会の幹部の方々で、あんた以上に重度のおっかけで有名なんだから! 」

「いい人たちなのですよ、本当に! 」

 交流日程が終わると、翌日からの任務復帰が犬上班長から言い渡された。

「ま、無茶はこれきりで頼むぞ」

「はい、がんばります! 」

「ところでよ前から聞きたかったのだが」

 聞くのを少し躊躇ってから、再び夜見の顔を真っ直ぐ見やった。

「もう一度、御刀の適正を確かめてみる気はないか? お前ほどの実力と胆力、そして気合があれば、これほど頼もしい刀使はそうそう現れなんだよ、どうだ? 私が上に推薦するから、もう一度試したらどうだ」

 その言葉に夜見は目を逸らした。

「何度も落ちたのは知っている。でももう一度だけ試してみないか? 稲河さんと一緒に立ちたくないのか? みんなを守るために」

 彼女は唇を噛み締め、ポロポロと落ちる涙を拭おうともしない。

「わたしは怖いのです。本当に自分が刀使になれるかって、御刀に選ばれないのは、私がなっちちゃいけない人間だからなんだって、だから、本当にそうなら諦められそうで」

「稲河さんはお前を待ってくれてる! 絶対に刀使になれる。そりゃあ私も万能じゃないさ、でもなれるように思えるんだよ。お願いだ! 私が信じるお前を信じてやってくれないか? 」

 犬上はハンカチを手に、彼女の涙をやさしく拭き、強く彼女の両手を握った。

「犬上さん、私、やります! 」

「ああ! ダメだったら、好きなもの食べさせてやる」

「うう、スイーツバーの食べ放題! いいですか」

「おうよ! 両儀のやつも連れて行くか」

「もう落ちるみたいですよ、ふふふ」

「む、それはいかんな! 」

 

 この日、伍箇伝の全ての校で御前試合代表者が決定し、二週間後の五月第一月曜日が予選会開始日と決まった。そして皐月夜見の御刀選定について、書類が鎌府の長である高津雪那の元へと届けられた。

「このようなこと、教員陣で処理すればよいものを、なぜ私の元に持って来た! 」

 困ったことに案件を持って来た初老の教頭の顔も、浮かばれないものだった。

「彼女はこれで四度も御刀の選定試験を受けています。そして全て落ちておるのです。私らの管轄であの子を見られる御刀はあと一振りで」

「水神切兼光か、あれは実験施設入りが確定している刀だぞ。その娘に試す価値があるというのか」

「はい、警ら科で剣術では負け知らずの実力者。刀使相手の木刀試合でも一方的ではないにしても十分な素質があります。また先日の大ムカデ型出現の際には、荒魂の片目を射撃で撃ち抜く胆力を発揮。なぜ御刀が彼女を選ばないのか、我々も疑問なのです」

 雪那は渡された封筒から彼女の経歴、任務歴、成績を見た。

(沙耶香の盾候補には十分かもね)

 彼女は試験認可書類に署名をし、迷いのない手つきで判を押した。

「鏑木教頭、彼女の試験を許可しましょう。もし刀使になったおりは、親衛隊糸見小隊の末席に加えておいてください」

「かしこまりました。さっそくに水神切兼光を委託している社にて試験を執り行います」

「ええ、いい結果を期待しているわ」

 

二日後の武蔵野某所に呼び出された皐月夜見は硬く、縮こまっていた。

神奈川の鎌倉からはるばる都内から秋津へやってきた彼女は、電車の中でひたすら固まったままであった。彼女は現地で待つ試験管以外には知る人はそこにはいないのだ、彼女を和ませていた仲間の顔も、時間が経つに連れ緊張感が自分のことだけを強く意識させた。

 バスを乗り継いで指定された社に着いた彼女は、そこに見知った制服の、見知った顔を見つけた。その薄い茶髪の、穏やかな顔つきの少女は夜見を見るなり大きく手を振った。

「皐月さん、お久しぶりですね」

「いえ、一週間前に会ったばかりですよ」

「ふふ、そうですね。今日はどうしたのかな? 」

「実はこのお社に預けられている水神切兼光との適正検査のためにきたのです」

「じゃあ、その試験が成功したら」

「もしかしたらですよ岩倉さん! でも、もしかしたら刀使になれるかも」

「ふふ、期待しています! 」

「はい! でも岩倉さんはなぜ? 」

「実はここから東の森に荒魂が潜んでいるって報告があってね、私たちはその確認にやって来たの」

「じゃあここも」

「心配しないで、私たちが抑えてみせるから、安心して試験を受けてね。あ、御刀を手に応援に来てもいいんだからね」

「い、岩倉さん、冗談はよしてくださいよ」

「ふふふ」

「もう」

岩倉は歓談を終えると自身の班を、伴って現場に向かっていった。夜見は大きく深呼吸した。

「よっしゃ! 」

 お社の前で待つ彼女は、神事課程の学生と引率の教員へと挨拶した。メガネをかけた女性教員は学生が緊張せぬようにと、笑顔で挨拶を返した。

「改めて、警ら科高等一年皐月夜見さん。刀使過程転科試験の最終検査となります。座学実習過程に関して合格済みです。がんばりましょうね! 」

「はい、本日はよろしくお願いいたします」

 拝殿前に設けられた場所には、既に銀のトランクケースに入った刀が置かれていた。

 神事の学生が教員から渡された鍵でトランクケースを開けようとした時、弾けるような音とともに木が大きく裂ける音が彼女たちの耳に届いた。そして、低く地を這うような咆哮が風とともに社まで届いた。

「まさか、荒魂! 」

 社の奥600メートルほど離れた場所で岩倉早苗は御刀を構えて、荒魂を囲い込むように五人の刀使を展開した。

「早苗さんこれは」

 隊員が回り込みながら、その巨体を追い込んでいく。

「熊型か。ここ最近、大型ばかりですね」

「でも倒せない相手じゃない! 構え! 」

 だが熊型は早苗たちから目を離し、社の方を見据えた。そして、その後ろ足をグッと沈み込ませた。

「まずい、美雪さん、鞠さんこっちへ! 」

 二人の頭上を飛び越え、目の前の木々を気にせず凪倒しながら、社の立っている方向へ走り始めた。二人は金剛身で受けたが、写シを持ってかれたために倒れた木々の間に伏せた。

「立てますか!? 」

「構わず! 先に行ってください! 」

「うん、万全になってからお願い! 」

 早苗ともう二人は力を発動して熊型を追った。

 だが、熊型は勢い止まらず、拝殿と本殿を囲む回廊を破壊し、夜見たちの前に現れた。

 夜見は拳銃を携行していないため、境内にいた人々が一斉に逃げ出すに任せて熊型の視界から外れようと動いた。だが熊型の両目ははっきりと夜見の向かう先を捉えていた。

「狙いは御刀」

 彼女はトランクケースを抱えた途端、熊型の大きく振り上げた手が彼女のいた場所を抉り砕いた。走りながら、恐怖に顔を引き攣らせながら熊型の背中に回り込んだ。

「皐月さん! 自分の身の安全を図って! 」

 教員の声に大きく首を振った。

「こいつの狙いが御刀なら、守らなければいけないじゃないですか! 」

 自身を追う熊型から逃げながら、小さく振り返って様子を伺った。市街地とは反対の森の奥へと全力で駆ける。

「その心意気! 合格だよ! 」

 走り抜ける三つの光が、間隙を見せず熊型の顔と腕を斬った。早苗たちである。

「引いて! 」

 巨大な右腕による横凪を当然のように避けながら、夜見の前に立った。

「でも無理はダメだよ! このまままっすぐ逃げて! 」

「はい! 」

 だが、荒魂はその巨体を震わせ、両腕を大きく天へと振り上げた。早苗は悲鳴のように声を張った。

「飛んで! すぐ! 」

 地面を叩いた場所から大地が捲り上がるように赤い稲妻が走り、三人の刀使と夜見を貫いた。

 三人が飛び上がった瞬間のことであった。

 彼女たちは大地に叩きつけられ、その衝撃で写シが剥がれ落ちた。

 夜見はその衝撃を生身に受けたが、構わず立ち上がって一歩一歩と歩き出した。衣服が裂け、その下からいくつもの赤い斑点がじわりと滲み出た。

(なぜだ、なぜそこまでに抗うのか、それが最後に悲劇を呼ぶはずなのに)

 朦朧とする視界のひたすら奥へ続く森を見据えようとしながら、外から聞こえてくる不思議な声に対して声を荒らげた。

「私は、たとえどんなに、醜くなっても、蔑まれても、私はわたしの道を貫く! 」

 歯軋りのような音が聞こえたと同時に、抱えていたトランクケースが一人でに浮き上がり、その頑丈な外装が割れるように開いた。そこには青い拵えに光を鈍らす水神切兼光と言う名の刀が浮かんでいた。

(手に取れ忌み児よ、今少しだけ、少しだけお前の力を開こう)

 刀を手にした夜見はその身に白い光を纏わせ、その鞘を抜き捨てた。そこには先程の彼女とは違う、別人のような冷たい顔になった夜見の姿があった。

 駆けてくる熊型に対し、手に糸をめぐらし迅移で細かに移動し、追いかけてくる熊型から何度も、何度も逃げる。怒りに身を任せる熊型の、眼前に立った夜見は刀を何度も薙ぐように振って、最後に刀を下ろして自由になった右手を振り下ろした。

 熊型の動きが止まり、その巨体が地面から離れて浮かび上がった。

 駆けつけて来た早苗は熊型荒魂が木に張り巡らされた糸で、雁字搦めにされているのを見て、これは好機と追いついて来た二人を合わせた五人で突撃し、熊型を散々に斬った。

「お覚悟_____! 」

飛び込んできた夜見はその頭部に切先を突き立て、大ぶりに切り裂いた。兼光の刃が糸を切ると、重力に乗って地に伏した。

夜見は沈黙する荒魂の前に降り立った。駆けて来た早苗は先ほどと様子の違う夜見の冷たい表情を覗き込んだ。

「皐月さん? 」

 それが切れたように早苗へと夜見は力なく倒れ込んだ。同時に彼女に纏っていた写シも消えていた。早苗は指示を飛ばしつつ、夜見の体を抱えて笑顔で語りかけた。

「ありがとう皐月さん、そして、おめでとう」

 事切れた夜見を見上げる不可視の存在は、巫女服に白い肌、そして体の節々から琥珀色を輝かせ、おかっぱの整えられた前髪の下から気丈な瞳を見せている。

(馬鹿な、あれはどの皐月夜見にもなかった力。八咫烏は私に嘘をついておったのか? )

 半壊した社を見下しながら、他の隊員が回収する水神切兼光の抜き身と鞘を見据えた。

(夜見の存在はこの世界にも災厄をかねない。貴様が私に訴えなどせねば、見ることもなかったろうに! )

 苦々しく眉を細め、彼女にとって忌々しい皐月夜見を見て言い放った。

(お前に可能性があるなどと、ワレは認めぬぞ皐月の忌み児よ)

 

 

 ここは都内の赤羽、ここには鎌府の旧研究施設があり、現在は予備保管施設として封鎖されている。内部の第二赤羽刀保管庫で、白銀の幼い刀使たる糸見沙耶香と高津雪那がある存在と対峙していた。

 その存在は、フードの下から琥珀に輝く血を流しながら、右腕を奪われながらも少女に相対していた。

「クク、コレホドカ、完成サレタ者トイウノハ」

 名はスルガ、膨大な赤羽刀とノロの融合実験の末に生み出された存在である。雪那は椅子に座しながら、沙耶香とスルガが相対する様を見ていた。

「ダガワカランナ、姉ヲ喪イナガラ、ソノ姉ヲ殺シタ折神紫ト、ナゼソノ女ニ手ヲ貸ス」

 沙耶香は無表情だが、静かに口を開いた。

「雪那先生と私は折神紫さまの身のうちに巣食う大荒魂を殺すために、今日この日を準備して来た。これはお姉ちゃんとの約束でもある。スルガ、あなたを食らい、タギツヒメをこの世から抹消する。だから死んで私になって」

 スルガはその言葉を聞き、今一度沙耶香の顔を見やった。

「ソレガ大義ヲ掲ゲル者ノ顔カ、カハハハハ、ナラバ暫シ余興ヲ楽シモウ」

「その時間はない」

 虹彩を纏った沙耶香は何度も、何度もスルガの胴を切り刻み、本来の姿に戻ろうとした瞬間を見計らって、体の中心にあるモノを打ち砕いた。力なく崩れるスルガの首を掴み掲げた。

「それでいいのよ沙耶香、私たちが紫様と世界をあのタギツヒメから救うのよ。さぁ、スルガを取り込みなさい」

「はい、大願を成すその日のために」

 首から沙耶香の体へ赤い輝きが流れ込む。沙耶香はその引き攣った笑顔のまま、痩せ細るスルガの顔を見つめていた。

 

 

 



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ようこそ親衛隊へ!

 美濃関の高等科生寮。

 

 そこのロビーへとやってきたジャージを羽織る刀使は、だらしなくソファーにもたれて天井を見上げた。そこへと前髪を後ろに巻き取ったままの、メガネをかけた刀使が彼女に微笑みかけた。

「稲河さん」

「んぁ、福田先輩」

 すくっと体を起こして頭を下げた。

「お疲れ様です! 」

「あら、そう畏まらなくていいのよ、研究場から戻って来たばかりでしょ」

「いえ! そのお言葉だけで疲れ飛びました! それで、私に何用っすか」

 福田佐和乃は書籍の間から、一通の手紙を取り出した。

「あなた宛に速達が届いていたから、受けっておいたわ。はい」

「本当ですか? 誰だろ」

 受け取った封筒の宛名を見るなり、封筒口を小柄ですっぱり切り、文面を見た。

 その鮮やかな手並みに感心したのも束の間、飛び上がるように両腕を掲げた。

「うおおおおおおおおお、やったじゃねぇか! 」

「ん? 」

「あ、ちょっち取り乱しちまいました」

 顔に書いてあるが、あえて暁へと尋ねた。

「はい! 俺の幼馴染がついに御刀に選ばれて刀使になったんですよ! 」

「それって、秋田にいた頃のお友達さんかしら? 」

「はい! 刀使になれないって言われてたのに、なんだよ、神様も御刀もとんだ気まぐれものだ」

 福田は一瞬、書籍のタイトルを見て再び暁に視線を戻した。

「もしかしたら、そのお友達は鳳雛の卵なのかもね」

「え? それって三国志の」

「うん、蜀の軍師である諸葛亮の友にして、並び称された軍師、龐徳の呼び名ね。諸葛亮が伏竜で、宝徳は鳳雛」

「伏竜鳳雛ですか! え、夜見のヤツが鳳雛なら、伏龍は」

 笑顔で暁の顔をじっと見る佐和乃に、暁は自分に指さした。

「人が悪い……そんなに選抜試合でなかったの悪かったですか」

「うん! 高等部の期待の星だったのに、欠場した挙句に今年の選抜戦トップ3は全員中等部の子よ。すごいわね! あなたは優勝して行くと信じていたのにね」

 笑顔で迫る佐和乃にたまらず頭を下げた。

「す、すいませんでした! で、でも、」

「そのお友達さんがいないからでしょ? 連日の実験も友達のため 」

 顔を上げた暁はいたって落ち着いた表情の佐和乃を見て、瞬きを繰り返した。

「わかっちゃうのよ、暁ちゃんはずっとその子を気にかけて目立たないようにしていたんでしょ? でも、もうその必要も無くなった」

 ポロポロと流れ出す涙を暁は必死に拭った。

「伏龍は今こそ目覚めの時ね、三顧の礼で御刀を授かった鳳雛の声に応えて」

「はいっ! 」

 お互いに屈託のない笑顔を見せあった。

 

変わってここは鎌倉の特祭隊本部。折神家本家屋敷の側に寄り添うに、親衛隊詰所となる施設がある。砂利道をぎこちなく歩きながら、詰所前に彼女が立った。

息を呑んだが落ち着かず、改めて深呼吸した。

「ねぇおねえさん、刀使になったって? 」

 後ろから声をかけられ、夜見は急ぎ振り返った。

「燕結芽さん。はい、一応は刀使になったそうです」

「じゃあ」

 瞬間の抜き付けがワンテンポ遅めに走った。夜見の抜き付けと写シが張ったと同じタイミングには、眼前に切先が置かれた。

「おねぇさん、いいね。でも結芽の敵じゃないね」

「き、恐縮です」

「でも返したのは褒めてあげる! 」

 ニッカリ青江を戻し、夜見の頭を撫でた。冷や汗が額に滲んでいた。

「結芽! 」

「あ、真希おねえさんだ、逃げよっと」

 軽い足取りであっという間に追いかけて来た獅童から、逃げ去っていってしまった。

「やれやれ、大丈夫か皐月夜見」

「生きた心地がしませんでした。あの瞬間、三度は斬られたと思います」

「そこまで分析して返したならすごいものだ」

 写シを解くと膝を突いて激しく息を吐いた。真希は首を振りながらも、夜見へと手を差し出した。

「申告通りか、立てるか? 」

 手を取られると、強烈な力で体が起こされた。

 その張り詰めた表情に、夜見は自然と背を正す。

「だがここは親衛隊だ。そんなことでは通常任務には着けられない」

「構いません! 必ず追いついてみせます! 」

「信じられん、と言っているところだが、君はこうして刀使になった。今は信じよう! 」

「ありがとうございます! 精進します! 」

「早苗! あとの世話はお前が見てやれ」

 真希の後ろについていた早苗ははっきりとした口調で返事した。そうして真希は本部施設の方へ向かっていった。まだ背筋の固まったままの夜見へとウィンクした。

「あ、岩倉さん」

「皐月さん、今日から親衛隊ですけど、今まで通りでいいですからね」

 困ったように早苗の顔を見ていたが、彼女は自分から先ほどの立ち合いで散らばった夜見の持ち物を拾いはじめた。

「やります! 自分で! 」

 一緒に拾いながら、先程の結芽の行動が恒例行事なのだと説明した。

「燕さんはああやって新人のレベルに合わせて挑みかかってくるの、そして初太刀で斬り伏せられてから、結芽の敵じゃないねっていうのがお決まりなの。でも、皐月さんは本当に不思議なひとだね、結芽さんの太刀筋が見えるなんて」

「読めても、刀越しに読み返されていた印象ですけど」

「でもそのセンスは無類の物だよ。大事にしてね。あと私のことは早苗と呼んでね」

「じゃあ私も夜見と呼んでください。早苗さん」

「うん、よろしくね夜見さん! 」

 親衛隊詰所は主に親衛隊四人の寮を兼ね、同時に親衛隊属の露払部隊が待機任務についている。メンバーは主に特祭隊司令である高津雪那の権威誇示のために、ほとんど鎌府の刀使が占めるものの、親衛隊隊員や伍箇伝の学長の推薦で親衛隊部隊に入ってくる。露払部隊は獅童班、此花班、糸見班と別れている。燕部隊は彼女に指揮能力なしと判断した高津学長が、獅童班と此花班に分けて吸収された。そして、糸見班も名ばかりの班で二人の隊員が、彼女の単独任務の応援として所属しているだけである。

「だから夜見さんは、高津学長の推薦で親衛隊入りになったということだね」

「なんか複雑ですね」

「気にすることはないよ。私も獅童さんの推薦がなかったら親衛隊なんて縁のない場所だったしね。じゃあこれから施設を案内するね」

 控え所は折神家屋敷への直通路があるが、これは四人の私室のある区画の向こう側にあり、この区画には親衛隊四人の許可がないと通れない。

正面玄関の受付は各班のシフト制、掃除も同様で、親衛隊の朝夕稽古会も各班の持ち回りである。また精鋭の刀使がいる関係で、近郊における大型荒魂出現時は彼女たちが応援もしくは討伐に入る。これに関しても班ごとのシフト制、人数のいない糸見班は此花班か獅童班に組み込まれる形で任務に参加する。最も道側から窓辺に休憩スペース、ミーティングルーム、部屋は班ごとに割り当てられ大部屋二つは此花班と獅童班、中部屋と呼ばれる元ミーティングルームの一室には糸見班、札は外されているが結芽班部室、現在は空室になっている。二階は親衛隊員専用の食堂となっている。

「各部屋には全て地上波テレビモニターと、本部からの任務要請を通達するモニターが設置されていて、緊急時には二十四時間対応できるようになっているんだ」

 早苗は荷を抱えた夜見を第二宿直室へと手招きした。

「ほ、ほんとに私ここで暮らすんですか?」

「高津学長は足手まといなら、施設の管理係もやらせておけって、ひどいよね」

「でも、半人前なので何事もがんばります! 」

「その気合い羨ましいなぁ、じゃあ夜見さんが所属する班のみんなに紹介するね。今日は待機任務だから部室で勉強しているはず」

 早苗は休憩室手前の糸見班の部室へ案内した。

「失礼します! 今日から糸見班に入る皐月夜見さんを連れて来ました」

 扉を開くと、ちょうど昼食どきであるのか弁当を食していた。だがそこにはこの部室の主人たる糸見沙耶香の姿はなかった。

 右手には長い髪を青いリボンで後ろに束ねた活発そうな少女と、サイドテールで前髪を切り整えている目鼻立ちの整った少女が向き合って座っている。二人とも綾小路の制服を着用していた。

「お、なかなかの美少女じゃない? 大人びているところが幼さを強調しているねぇ」

 長髪の少女は立ち上がるなり、まじまじと夜見を観察した。

「や・め・な・よ、由依。やぁすまないね、僕は鈴本葉菜。この子は山城由依」

 手刀で軽く由依の頭を叩くと、夜見の前から引き剥がした。

「葉菜しゃーん! これは私の性なのよぅ〜」

「言い訳無用! 初対面の子にそれはアウトだから、でも大人びているのは確かだね」

 葉菜は背の高い夜見をまじまじと見上げた。夜見が瞬きしていないのに気付いて葉菜は詫びの言葉を入れた。

「いやぁすまない、そう堅くしないでくれ、とまぁ初日だから難しいか」

「ごめんなさい」

「うん、僕たち親衛隊は即伝達・即実践がモットーでね。君の事はだいたい聞いているんだ。糸を張る能力があるってね」

「それなんですが、私にもなんで糸なのか分からないんです」

 早苗も気になって夜見の顔を覗き込んだ。

「私も気になっていたの、初めてにしては手練れているように見えたの」

 三人に囲まれて緊張がピークに達した。

「あ、あの、ええと! 今ここで出せますよ」

 パッと冷静になった途端その言葉が出た。しかし葉菜は訝しげに顔を傾けた。

「初めてだったんだよね」

 夜見は御刀を静かに抜き写シを張ると、両手を編むように動かしているうちに半透明の銀糸が現れた。

「御刀を手にした途端、こうすればいいって声が流れ込んできたんです。そしたら、思い描いた通りに荒魂を拘束できたんです」

刀を右薬指と親指で器用に保持しながら、あやとりで東京タワーの編み目を編んでみせた。

「おぉー! 」

 感心した三人は思わず拍手した。照れ臭そうにしながら、やがて顔が青ざめ始めた。

「ごめんね、見せてくれてありがとう。君はとんでもない力を秘めているらしい」

 御刀を納めて、写シを解くと夜見の額からじっとりと汗が滲んだ。

「なるほど、座ろう」

 席に着き、由依が出してくれたお茶を一口飲んむなり、大きなため息が出た。

「私、写シを張れるのに五分以上張ると気絶するのです。だから一、二分写シを発動するだけでこうして疲れが溢れ出るのです」

「ふぅん、君は短時間しか写シが張れないということか」

「はい、治すようには努力しているのですが」

「でも、まだ刀使になったばかりだし、高津学長の考えは僕には分からないが、これから実践の中で直していこう」

「はい! 」

 葉菜と早苗は、詰所での庶務担当との兼任について夜見の承諾を得て、授業とのバランス、朝と夕方からの稽古にはかならず参加すること、任務の参加は優先事項であり、必ず輪番表を確認する旨の説明を受けて、その日の任務は終わった。

 彼女が慣れるまでは、手隙があれば葉菜と由依、そして早苗が世話をすることになった。

「じゃあ稽古に行こっか、御刀を持ってね」

 夕方の稽古には、待機任務に出ている人員を除いた全員が稽古についていた。全員、臨戦の制服姿で写シを張っての実戦訓練が基本であるためか、写シが張れる限り何度でも突っ込んでいく。

 剣を合わせた稽古というのであれば、警ら科にいた頃と何ら変わらないと思いながら、写シを張るという大前提ができないことが、夜見にとって大きな問題だった。

「だ、大丈夫だよ! 型合わせでもいいから! 」

 そう言いながら虚空を見るような仏頂面の夜見を諌める早苗の前に、目の下に隈を浮かべた固い面持ちで、ツインテールの少女が刀を肩に負い立っていた。

「安桜さん」

「あなたが噂の皐月夜見さんね。いいよ、立ち会おうよ」

「え! 待って安桜さん! 」

「事情がどうかは関係ない! 親衛隊に席を置くなら即実践あるのみ! ここでみんなに実力を見せることも新人の仕事だよ! 事情なら剣で聞く、さぁ! 」

 夜見は一歩後退り、早苗の顔を見た。彼女も迷ってか夜見の顔を見ない。

(逃げたくないけど、この稽古だと怪我のリスクもある。でも、これは自分で選んだ道の上なんだ。逃げることは、私から逃げることと同じだ! )

 夜見は震える手を握り締め、二歩前へ出た。

「やります! よろしくお願いします」

 美炎はその言葉を待っていたように写シを張り、隠剣の構えで夜見に対した。

 困惑する早苗を、葉菜は壁側へと引っ張った。

「ごめんよ、僕も皐月くんの力が見たいんだ。それと、君の問題についてもね」

 夜見は兼光の腰反りは深めで平作りの刃が鈍く光った。

 夜見は上段に構えて、写シを張った。

「いくよ新入り、私は安桜美炎だ! 」

「皐月夜見、参ります! 」

 いきなり美炎が迅移で斬りかかって来た瞬間、カウンターの上段打ちが走ったが、美炎はそれを狙っていたように迅移を解いて、夜見の打ち込みを流すように刃を返した。その見えた背中に向かって小さな切り返しを振り下ろした。金剛身を発動させ刃を弾くと、するりと体勢を低くして何度も美炎に斬撃を加えた。美炎は長身の夜見から加えられる攻撃に踏ん張りながら、隙あらば何度でも切り返しをするが、互いに実力は拮抗したまま時間は過ぎていく。

 葉菜も早苗も、稽古を見ている心の余裕は、針が進むごとに少しずつ削がれていった。

 美炎は焦りを募らしてか夜見へ間隙なく飛び込み、対した夜見はその顔から赤みが失われていく。互いに決して弱くないことは理解した。だが、ここで折れることをお互いが認められなかった。

 間合いをとりつつ、お互いに切先を向けた。

「ひどい表情だよ皐月さん! 限界じゃないの」

「いえ、いいえ」

 幽鬼のように向けられた夜見の目は、大きく瞳孔が見開いていた。

「きっと体がボロボロになっても、私は心で体を起こしてみせます」

 美炎は自身の言葉を後悔しながらも、青眼の構えとなった。すでに互いに十分以上に刃を合わせた。もはや戦う必要はなかった。それを証明するように、稽古場の空気は凍りついていた。

「時間切れだ、止めないと」

 だが構わず飛び込んだ夜見は、無駄のない三度の切り込みでついに美炎の額を切った。だが、戦いを諦めていない美炎は夜見の腕を抑え、その胴を斬った。めり込んだ刃を見て必死に抜こうとした美炎を、写シを保ったままの夜見は真顔で見つめていた。

「うそ、なんで写シが消えないの」

 夜見の上段からの切り落としで、抜けた刀とともに床に投げ出された。写シは剥がれ、勝敗は決した。彼女のもとへ駆けた早苗は美炎の無事を確認し、そして構え続ける夜見を見上げた。

「夜見さん! 試合は終わりましたよ」

「怖い、逃げれば、ここで終わる! 」

 由依は何かを感じ取ってかすぐに大太刀を抜いて写シを張った。

「由依もそう思うのかい! 」

 葉菜の問いかけに黙って頷いた。

剥がれない写シを抱えたまま立ち尽くす夜見に、由依は大太刀の切先を構えた。

「皐月さん! すごいですね! でもついた勝負なんだから、気にかけるべきは相手なの忘れないでほしいな」

「私が強いとわかれば、誰も敵わないと知られれば、私が刀使でいることに口を出す人はいなくなる。刀使でいられる」

 試合前の明るい口調ではない。心以外すべてを失ったような、低く響く声だった。早苗は立ち上がり、御刀を抜き由依の前へと出た。

「早苗さん、怪我させたくないんで下がってくれますか」

「私は夜見さんに助けてもらった。その大事なことを負い目にしていた! 私は仲間としての失態は私で返す! 」

「後出しもいいところですね、だから今のような中途半端な立場なんですよ。引っ込んでてください。あなたは後ろにいてもらって構いませんから」

「なら! なんで御刀を抜いたの山城さん! 」

「決まっています。自身の信念や願いを通すために、自分の居場所を曲解する。そんなことでは何も救えないし、何も成し得ない。小さな自分の身のうちで、心が擦り切れ消えるまでそのままだ。そんな、小さな皐月さんに教えてあげるんです。今すぐにでも刀使をやめたらってね」

 前に一歩二歩と早苗を追い越して、小さく切先を揺らし続けた。その由依の表情は見たことのない冷たい表情をしていた。

「はぁ! 」

 斬り込んできた夜見の刃を返し、ゆっくりと切先をその首元に突き刺した。そして抜くなり、大ぶりに夜見の胴を斬り落とした。ようやくのことで夜見の写シは剥がれた。

「決着_ッ」

 大太刀を負ったまま立ち去る由依と入れ替わりで、早苗は夜見の体を抱き起こした。

 立ち去ろうとする由依の前に葉菜は立ちはだかった。

「どいてくれません? 」

「それでいいのかい? こんな納得の仕方で、君はこれから刀使でいられるのかい」

「別に、高給がもらえる限り刀使でいるだけです」

 葉菜を避けて稽古場を出ていった由依を、振り返ることもせず大きなため息をついた。

「無責任な僕に、何が言えた」

 

 

 



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はじめてのケンカ!

 四日が経った。

 ついに御前試合予選が四日後に控え、親衛隊の人員は警護任務に着くために鎌倉中を西へ東へと飛び回っていた。その中、詰所の受付兼事務室で黙々と書類に目を通す夜見の姿があった。

 任務と施設点検と掃除の報告書が、全日・全班分あるかを一週間分確認し、最初のページにある捺印欄に事務の判を押した。

 あの稽古の日以来、稽古場に行きづらくなり、由依には日頃から無視され、葉菜と早苗からは曖昧な態度を取られ続けた。他の隊員からも距離を置かれ、こうして班行動から外れて別の任務を黙々と続けた。

(自分が死ぬことなんか惜しくない。みんなを守れるなら、迷わず私は盾になる。でも、それが自分の身のうちに縮こまることと同じだと由依さんは言った)

 順番の異なる書類を見つけ、前後を入れ替えた。ふと、報告書の内容が目に入った。

 そこには稽古場での出来事が書かれていた。止めることもできない刀使は、親衛隊という責任ある立場を完遂することはできない。情緒不安定な皐月夜見を親衛隊支援部隊から外すようにと書かれていた。

(これは私が選んだ道! 邪魔をしないでほしい)

 強く握り込んだ手の痛みで、ふと正気に戻り、悲しげに目を落としながらファイルの紐を綴じた。

(これね、これよね)

 玄関先から足音がして、顔を上げると燕結芽がそこに立っていた。

 しばらく互いに顔を見合ってから、夜見はどうしましたかと尋ねた。

「紫様も、真希おねぇさんも、寿々花おねぇさんも、沙耶香ちゃんもみんないないから、結芽ヒマなの、相手してよ」

 笑顔で御刀を胸前に持ってきた結芽に対して、そっと目を逸らした。

「写シが五分しか出ないんでしょ? 五分でいいから! 」

「お断りします」

「むぅー、じゃあさ、結芽のために何をしてくれるの? 」

 その問いに困惑しながらも、お茶にしないかと事務室に手招きした。

「わかった、お菓子ある? 」

「はい、実家から送ってもらったのがいっぱいありますから」

「わーい! 」

 暖かいミルクティーを飲みながら、落ち着いた表情で結芽に向き合った。

「このおにぎりせんべい結芽好きなんだよね」

「父が好きで、三重の知り合いに送ってもらっているんです」

「夜見おねぇさんはどこ生まれなの? 結芽はね東京の八王子生まれだけど、パパの転勤でずっと舞鶴に住んでいたんだよ」

 ごくごく当然のように下の名前で夜見の名を呼んだが、彼女は気にすることはなかった。

「私は秋田です」

「秋田って、青森の下にある大きな県? 」

「そうです。おいしいお米ができる土地です」

「ふぅーん」

 パッと笑顔になるかと思えば、すぐに真顔になって菓子に向き合う結芽へ、どう反応すればいいか迷った。自分の行動の全てを掴みかねているのが、良くも悪くも子供らしかった。

「いつもは、親衛隊のみなさんと? 」

「そうだよ! みんなと遊んでもらうんだ! 結芽はとっても強いから、負けないんだけどね。夜見おねぇさんも負けず嫌いなんでしょ? 弱っちいおねぇさんたちが言ってたよ」

 夜見は黙って首を横に振った。

「刀使になれたことが嬉しい反面、すぐに刀使でなくなってしまうと思うと、怖いんですよ」

「なんで? 夜見おねぇさんは強いんでしょ」

「その強さを支えていたものが、自分の大切にしていた願いを傷つけるのです。みんなのために活躍できる刀使でありたいという願いが、自分の理想の姿になって、それを追いかけているうちに誰も見えなくなるんですよ。大事な仲間が見えなかった、見ようとしてなかった。そして、今こうしてあの時の自分を思い出すたびに」

「どういうこと? 結芽にはさっぱりだよ」

 立ち上がった結芽は大きく手を広げた。

「自分が小さいと思い込んでいるから、おねぇさんは小さいままなんだよ! 自分が大きい存在だって、みんなにわかってもらえば、きっとおねぇさんを否定する人なんていなくなるよ! 」

「そうですね……もっと相手にも分かってもらわないとですね」

 笑顔の夜見に結芽は怪訝になりながら、椅子に座って再びお菓子を貪り始めた。

「夜見おねぇさん、変だよね。取り繕って、結芽には何もくれないじゃん」

「ごめんなさい。私、まだ結芽さんのことあまり知らないから」

 結芽は嬉しそうに夜見の顔をまじまじと見つめた。

「やっと名前で呼んでくれたね、夜見おねぇさん。いいよ! 夜見おねぇさんには結芽のすごいところいっぱい教えてあげるからね! 」

「はい、よろしくおねがいします。結芽さん」

 結芽は立ち上がって、事務所の奥に立てかけてある木刀を手にした。

「これなら普通に稽古できるでしょ」

 

 詰所前で木刀での稽古を始めた二人を横目に、早苗は物裏から姿を現した。話を聞いていた彼女は隠れるように、廊下を駆けた。

(中途半端なんです)

 由依からの強い一言、そして今の会話を耳にしたからこその心持ち。

(大事な仲間が見えなかった、見ようとしてなかった)

 誰もいない獅童班部室に入って、自身のロッカーを開くとそこには仲間との写真が貼られていた。

「獅童さんは私の実力を認めてくれたから、ここに呼んでくれた。でも自分の居場所はここだって認めたくなかった。平城で仲良しのみんなといる刀使の生活。もちろんここでも友達や素敵な先輩や先生に出会えた。ん、これがホームシックって言うのかな」

 刀を懸架装置からはずし、天井を見上げて大きく深呼吸した。

「でも、知らず知らずのうちに距離をとっていたんだね。親衛隊のみんなから、平城でがんばっているみんなとも、そして夜見さんに。十条さんとあまりお話しすることも出来なかったけど、今ここにいる限りは、ここで私らしくしなくちゃね。心も体も今ここにあるのだから」

 テーブルに置かれていたミルクのチロルチョコを口に入れ、その甘さを噛み締めつつ、心を落ち着かせた。しばし、静かに時間を過ごし、時々は御前試合前後の日程に関する書類に目を通した。

「御前試合の日には夜見さんも駆り出されるから、行くとしたら今日かな。一緒に行ってくれるかな」

 端末が激しくアラームを吐き、すぐに御刀を手に部室を出た。稽古を終えて、ぐったりと椅子にもたれる夜見を呼び起こした。すでに結芽の姿はなかった。

「お疲れのところごめん! 釈迦堂の切通しに荒魂の群れが現れたの、行こう! 」

「は……はい」

 御刀を手にし、早苗の背中を追いかけていった。やがて森を背景にした住宅街の中に入り、切通しの入り口へ駆け込んだ。

「やっぱり、機動隊も来ていない。私たちだけかも」

 夜見の不安な顔を見て、自然と笑顔で胸を張った。

「大丈夫! 夜見さんは力の要所要所で力を使って、あの銀糸の力、頼りにしているから」

 御刀を抜き、写シを張った早苗は切通しを駆け出した。夜見も御刀を抜いたが、写シを張らずに彼女の背中を追った。

 やがて崖の迫る長い道となり、奥に岩のトンネルが頭上にそびえているのが見えた。その下にすでに御刀を手に持って戦っている刀使の姿があった。

「安桜さん! 」

「岩倉さん? ありがたい」

 一瞬だけ夜見の顔を見て、目の前に並ぶ緑の小型荒魂の群れに相対した。

「岩倉はそこから私の脇を抜ける荒魂を相手して! 正面のは私がやる」

「それは無茶だよ。せめて応援が来てから」

「私だって、私だってあのまま終われないんだ! 面目を保つためには、こいつらを倒して見せなきゃ」

 飛び込んだ美炎は姿見のまっすぐな刀で散々に切り払い、六体倒したところで、群体に囲まれてしまい何度も何度も体当たりによって、美炎は消耗する。

「ぐっ、安桜さんに近づけない! 」

 ふと夜見の姿を探したが、どこにも彼女はいない。群れの一体一体に対処しながら、必死に周りを探した。

 トンネル上を八幡力で飛び越えた夜見は、銀糸を崖の木々に張りめぐらしながら三体を斬った。

 そして美炎に向かって声を張った。

「安桜さん! 上へ」

 その声に、美炎はトンネルの天井を背に大きく飛び上がった。

「ありがとうございます! 」

 夜見の張った銀糸は左右上下から、群れを一つに抑え込み、小さな出入り口を早苗の方へと向けた。

「早苗さん、安桜さん……五分持たせます、持ってみせます。だから」

複雑に張り巡った糸を必死に抑え込む。荒魂たちは鞠のような銀糸の包囲を破ろうと激しく暴れ回る。歯軋りをしながらもさらに強く引き絞った。

そして、一つの隙間から荒魂が出てきた。

「はぁ! 」

 その荒魂を斬り、その次に出てきた荒魂をさらに斬り伏せた。

「うん! 任せて! 五分あればいけるよ! 」

「任されたからには! 」

 美炎はその囲いの外から突き、繰り返し突きで一体ずつ倒していく。

 ひたすら地味ながら確実に荒魂は倒されていき、銀糸が解け落ちたタイミングで残り二体となっていた。後退りする荒魂は極端に疲労する正面の夜見に狙いを定めた。

「グルゥアアアアアアアアアア」

 だが、その二体はその勢いのまま早苗の二連斬で地面に突っ伏した。

 三人は膝を突いて、写シを解除した。もっともは激しく呼吸を繰り返す夜見は、かすれかすれに声を張った。二人は大丈夫かと。

「ふざけないでよ」

 美炎は地を這って、夜見の体を起こした。

「あなたに心配されるほど、こっちはやわじゃあないの! 余計なお世話だよ」

「そんな言い方! 」

「あなたはデクの木じゃないのは分かったのに! これだ! すぐ他人を見ていた気になる! 」

「私はまだみんな知らないんです! でも、私のことはもっと分からないんです! 」

「他人のフリから? だからまだそうやって! 少しは他人に当たってみたらどうなの! あんたの目の前で気にかけているやつに、本音をぶつけたことあるの!? 」

「そんな、互いに傷つくようなことしたくありません! 」

「痛かったって言ってみなきゃ分かんないんだよ。あなたに負けて、私は隊内の面目を失ったことばかり気にしていた。でも、気づいたんだよ。あなたが最高の仲間だって、私は一人で何も出来ないのだって」

「なんですかそれ、私だって自分一人じゃないって知っているはずなのに、顔を繕って、自分の本音に本気で向き合うこともしなかった。誰も見てなかった。怖いんです、私が無意識にみんなを傷つけるのが」

「そんなもの、ふふ、痛くも痒くもないよ」

 泣き腫らした笑顔で、夜見の目をまっすぐに見た。

「あんたが傷つけたのは、馬鹿な私が小さく縮こまるためのちっぽけな殻。でも、そこから殻を破ったのは私自身だ。ばぁーか、傷つけたきゃ本気で来なって」

「うぅ、うわああああああ」

 大声で泣く夜見を美炎はその胸で受け止めた。

 早苗は涙を浮かべながらも、黙々と回収班の手配を済ませていった。

 

 夕日が海に落ちようとする手前、疲れて寝落ちた夜見を早苗はその背中に背負った。すでに警察と回収班が動き、ノロは全て回収が終わっていた。

 美炎は早苗の負担を減らそうと、兼光をその手に抱えた。

「よく寝ているね。本当に五分の時間制限がなければ」

「夜見さんも心が軽くなると思うんだけど」

「え、岩倉さんもそう思っているの? 」

「でもね、自信が満ちた夜見さんより、今日のように、ひとつ、ひとつのことに気付いていける夜見さんが好きかな」

「岩倉さんもそうだよ、山城にああ言われて悔しくなかったの? 」

「少し気にしたけど、でも私のすべきことを再確認しただけだった」

「あ、そう。私は次の稽古で山城にガツンと一本入れてやるんだから! 」

「手加減してあげてね、ところで安桜さん、夜見さんが起きるのを見計らって、どこか食事に行きませんか」

「いいね! 噂通り食道楽なんだ岩倉さんは」

「早苗って呼んで」

「うん、行こうよ早苗さん」

 海から吹く心地よい風に打たれながら、鎌倉は夜を迎えようとしている。まっすぐ日の入る道を三人が坂を下っていった。

 

 夕日が差し込む局長室執務室、親衛隊の三人が集まり、沙耶香だけがまだ来ていなかった。

 全ての書面に目を通した折神紫は、寿々花へと目くばせした。

「はい、全て以上になります。西日本司令部の茜様からも、全ての参加者への事務手続き完了し、明明後日には美濃関、平城、綾小路の代表が到着します。なお、長船の代表は二日前から現地入りしています。」

「素直だな」

「ノロの扱いと御前試合は別件と言いたいのでしょう。茜様の手腕には感服します」

「だがこれでいい、御前試合終了後まで抜かりなく」

「はい」

 三人は席を立ち、紫へ頭を下げた。

 そのタイミングでノックとともに沙耶香が入ってきた。その手にはアタッシュケースがあった。

「沙耶香」

 真希の不服な表情に構わず、沙耶香は紫へと一礼した。

「高津学長より親衛隊用のアンプルを預かってきました。ミーティングに遅れまして申し訳ございません」

「そういうことだ獅童、許してやれ」

「は、紫様がそう申されますなら」

 沙耶香はアタッシュの鍵を開け、三人へとアンプルを渡した。

「高津学長よりの伝言です。今回の投与が最終です。しかし、大事があればその限りではありません」

「結構だ」

「もう結芽には必要ないと思う、それにこれを入れると全身が寒くなるし」

「これが最後だ、我慢してくれ」

 そう聞くと結芽は右袖をまくり、アンプルを二の腕に突き刺し注入ボタンを押した。

 真希も寿々花も、同様にしてアンプルを注入した。そして沙耶香も、最後に注入した。

 赤くしかし琥珀色に輝く適正処理されたノロが、腕から全身へ流し込まれる。

 そして空になったアンプルを、ケースのクッション材の中へそれぞれ収めた。

「ご苦労、これからも尽力してくれ」

 真希と寿々花が退出すると一人沙耶香が呼び止められた。紫の視線は自然とソファーに座る結芽に向かった。それに対して沙耶香は無表情で構わないと一言言った。

「そうか、ではお前の無念無双は既に完成状態というわけだな」

「はい」

「ならばなぜ私の支配下に入らない」

 沙耶香はわざとらしく首をかしげた。

「お前は既に気付いているはずだ、私の身の内にある膨大なノロの塊に、それに屈しない自信があると言うのか」

 その全てを包まんほどの漆黒の意思が、紫の言葉の底に流れていた。だが、沙耶香は小さく笑顔を作った。

「私は紫様の力にではなく、魂に忠誠を誓っています。自らの意思で紫様の鉾となり、そして時に貴方様を戒める双刃となりました。そして、紫様に私が害を成すとき、私の意思にしたがって自らの命を断ちます」

「なら、証拠が欲しいものだな」

まったく冷徹な紫は机の中から短刀を取り出し、沙耶香に差し出した。

沙耶香は臆することもせず、それがさも習慣であるように、脱いだ制服の上に、短刀で右腕を切り始めた。強く歯を噛み締めながら、骨を切先で砕き割り、執務卓が汚れぬよう置いた制服の上に切った腕と拭き取った短刀を置いた。

「たとえ両腕を失っても、私は紫様とともに戦います」

「よかろう、我が手駒として十分に働けよ」

「はい、感謝いたします」

 右腕を切り離した場所に近づけると、体からノロの手が伸び、綺麗に右腕を繋ぎ合わせてしまった。

「机を御汚しして申し訳ございません。すぐに係のものを呼んでまいります」

「構わん、だが糸見沙耶香よ、そこへ向かうことがお前の望む方に向かうとは限らんぞ」

「はい、所詮は人ですから、では失礼します」

 退室しようとする沙耶香に、黒いシャツを結芽は彼女に投げやった。

「下着姿のままで帰るのはダメだよ、沙耶香ちゃん」

「どうも」

 



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一ツノ鏡

 

 色のないはずの夢の中、深い眠りの揺り籠は、夜見にここではない景色を見させる。

 これは、私の記憶?

 

 夜空を覆う赤い波が、琥珀の輝きを滴らせながら、丸ノ内直上へ降りようとしている。

 多くの人は現実感のない光景に足を竦ませるのだろう。

 そして、この行き着く果てであっても、一人溢れる荒魂を切り払いながら、街を放浪する人影がある。

 

 ノロが、一つになり始めたノロが、ただひとつを求めるよう囁く。

 

「あなたに、また、褒めてもらいたい。一言、労ってもらいたい」

 

 ダメなら、それでいい。

 気難しいお方だから、家庭もうまくいっていないのも聞き及んでいた。だからこそ、何かにすがりたかったのでしょう。親愛を抱いた先輩に、幼い身なりの人型の荒魂に、手塩にかけて育てた教え子に尽くして自分を保っていたかったのだと、その結果ゆえの不満を何度もぶつけられた。

 

「でも、あの方はそうして一人になれば、すぐにそこへ閉じこもる。諦めてしまう」

 

あなたには、私がまだ必要なのです。

 

私が貴方様に必要とされたい。誰かに頼られたい。

 

居場所も、仲間も、力も与えてもらった。だからまだ、恩返しできていない。

 

 体のあらゆる場所から、人であった頃の器官が失われる感覚がある。

 痛みよりも、喪失感と激しい飢えが身のうちを走り回る。

 

全身の感覚が鈍りだし、ふわりと意識が消えかけるタイミングが何度も来た。

今度のも、大きい。

ゆらぐ視界の向こう、頭の中にビルの一室に座る高津雪那の姿が見えた。

 

「いま、参ります」

 

 現実感がない。それでも、足は一歩、また一歩と階段を上がっていく。

 

〔コノママダト…シヌゾ…?〕

 

 構いません。このビルにも荒魂が入り込んでいる。学長の身も危ない。

 一刻を争う状況です。だから、このまま進みます。

 

〔…………ソレデイイノカ〕

 

 はい。ここは私の選んだ道です。

 あの方にもらったものを、返す。とても簡単なことです。たとえ、この身が人であることを

失っても、私は燕さんのように後悔をしたくはありません。

 目的の階にたどり着くと、悲鳴と共に廊下を埋め尽くす荒魂達の姿があった。

 

「そこを、どいてください」

 

 もう写シなんてたいそうなものはない。ただ、ノロによって荒魂と化した肉体は、一振りで荒魂を叩き切る力をくれる。あとは、抵抗をさせないうちに切り捌くのみである。

 だが、背中を押し貫く感触が走った。

 左胸には長いツノが貫通しており、角鹿型荒魂が鼻息を鳴らしてさらにツノを押し込んだ。

 

「だからっ!」

 

兼光を逆手に持ち替えてその顔に突き捌くと、ツノを強引に引き抜き、片角を切り落としてから、二歩踏み込んで、その大きな首もすっぱりと切り落とした。

 

「ぐっ!」

 

残っていた。心臓は蝕まれずに元のままあった。そして、今ので時間がなくなったのも理解した。

 目の前でまだ背中を向け、部屋へ押し入ろうとする荒魂三体をあっという間に切り、その向こう側で恐怖に顔を引き攣らせる雪那を見つけた。

「よ、夜見!ふっ、笑いに来たのね。紫様にも、沙耶香にも、タギツヒメ様にも見捨てられた私を、モルモットふぜいのお前が助けるとは!」

 自嘲の笑いも、この人が大切な人々のために恥も外聞も気にしない人だから、こう可愛らしい人なのに、誰もこの人に手を差し伸べない。

 だからこそ、私は。

 

「ただいま戻りました。高津学長」

 

 もうダメだ。意識が飛べば、もう体の形を維持できない。

 

「お勤めご苦労様でした。夜見」

 

 その言葉を聞いた瞬間、全ての糸がぷつりと解き放たれたように、全身の力が失われる。

 やがて、強烈な睡魔が襲ってきた。

 

 これが、私の最後。

 

 でも、嬉しい。

 

 綻ぶ心が、どこかへ転がり落ちた感覚が、遠ざかっていく。

 やがて、全てが闇の向こうに消えた。

 

 



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はじめての遠征!

 朝五時半に起床、

 元宿直室の畳間に彼女は寝起きし、そそくさと布団をたたみ、彼女は道具一式を持って洗面所で身支度をしながら、携帯の画面をスクロールして予定を確認する。化粧水が少なくなっているのに気付き、今日中にも買いにいかなければならないと簡単にメモをする。ワッペンをペンホルダーのマジックテープに貼り付け、自分に向き合った。

夜見は大きく、そしてゆっくりと深呼吸した。

「さぁ今日もよろしく」

 宿直室に御刀を取りに戻り、事務室で食堂の書類を手に二階に上がった。

 食堂の扉を開くと既に調理を進めている料理長と手伝いの女性に挨拶した。

「おはよう皐月さん。今日も早いね」

「いえ、まだまだです」

 食堂の清掃係の書類を確認し、手伝いの女性からハンコをもらった。

「今朝は君と親衛隊の四人だけでよかったね」

「はい、私は先にいただいて朝稽古へ」

「ん、わかりました。すぐに出すから書類片付けちゃいなよ」

 食堂は親衛隊メンバーの基本的な三食と、待機任務の露払い部隊向けに食事を作っており、献立は特祭隊本部寮とまったく同じである。

 一枚一枚を簡単に確認し、自身の署名を入れてから、テーブルに書類とペンを置いた。

「できたよ、納豆いる?」

 受け取り口に行くと、白味噌に大根の浮かぶ汁物と茶碗の白米、卵焼きとベーコンの付け合わせ、それとひじきと豆の煮物の小鉢が乗っていた。

「はい! ください! 」

 彼女はまず白米の炊き具合を一口目に確かめる。

「ふむ、さすがですね。米はコシヒカリ、千葉県産かも」

 朝食は急がない主義なのだと自分位言い聞かせながら、目玉焼きを砕きのせてご飯に馴染ませるように混ぜる、その上に納豆をかけてから、準備にと味噌汁を一口飲んで和む。大根は汁が染みて食べやすくなっている。

 それから、ちまちまと小鉢をつつきつつ、納豆卵ご飯を食す。父が急ぎ職場に出る時は決まってこの納豆卵かけご飯を食していた。あまりにもズボラな食べ方だが、納豆ダレの辛味をほどよく卵が和らげてくれ、また栄養も必要分取れる。何より、父に真似て子供の頃からこの食べ方を実践してきたのが一番だろう。

 食事を終えると、最初に此花寿々花が食堂に顔を出した。

「あら、もう食事を終えられましたの? 」

「今日から朝練に参加しますので」

「そうですの、でもお茶の一杯は付き合ってください」

 笑顔の寿々花が自然と焦るなと念押しするやさしさに、思わず顔が綻んだ。

「わかりました。お言葉に甘えて」

 真希も来て、二つ食事を出すように言うと、一階から寝起きの結芽を連れてきた。しばらく会話を交わして、時間が近づいたため夜見は先にその場を辞した。結局、班長である沙耶香と顔を合わす機会が全くなかった。

 稽古着と木刀を手に道場へと走った。出勤する職員の間を抜けて、本部稽古場の親衛隊に割り当てられた道場に入った。

「おはようございます! 」

 深く礼をして、既に稽古を始めているメンバーの一人が更衣室に駆ける夜見を呼び止めた。

「おはよう皐月さん、昨日の疲れはもう大丈夫? 」

 美炎は快活な笑顔で、振り向いた夜見の顔をみやった。

「おかげさまで、無理をしない程度には稽古に参加します」

「わかった! 着替え終わったら声かけて! 」

 稽古をしていた隊員たちは、数日前とは一転して明るく振る舞う夜見に、不思議と安堵感を覚えた。道場の隅っこで刃合わせを終えた二人の隊員が、快活な夜見の姿を見つめていた。

「やっと一歩踏み出したみたいだね」

「そもそも写シをのぞけば実力は警ら科一だったじゃない、何もこだわる理由はなかったんだよ」

「強いて言えば、あそこで山城が余計なことを言わなきゃ、昨日みたいなことには」

「なにぃ? 私がどうしたって? 」

 大太刀の木刀を手に、由依は二人の前に立った。

「聞いていたのね、人聞きが悪い」

「私はね、戦う者の相応の覚悟が皐月ちゃんにあるかを尋ねたの」

「覚悟」

「たとえ事態がどうあっても、信念を突き通せるかということをね」

 二人を避けて、やや空いたスペースで木刀を手に型に沿った素振りを始めた。軽快な木刀捌きに二人は思わず見惚れてしまった。

 夜見が更衣室を出るときには、葉菜も彼女とともに稽古着を着込んで木刀を手にしていた。

「朝の木刀稽古だったら、君の写シの問題も気にせずに済む。さぁウォーミングアップを始めようか」

「はい、ところで山城さんは」

「あそこにいるよ、相手してくるかい? 」

「ええ、先日は体が思うように動きませんでしたから、今なら」

「よし、いいだろう」

 不満げな美炎も連れて、三人は由依の前に立った。由依は稽古の申し出を満遍の笑みで承諾した。

「なるほどね、いいよ。昨日の噂は私も聞いていたから、かわいい皐月ちゃんの相手になってあげる」

「お願いします」

「ふふーん、どうも」

 双方に木刀を構えた、由依は切先を夜見に向け、夜見は八双の構えで由依に対した。

「いきます! 」

 滑り込むように走る大太刀の切先を、回すように捌きつつ、一歩前に出るが足を二歩ずつ下げながら、何度も何度も打ち込んだ。夜見はただ冷静に刃を受け止め流し、隙あらば強靭な打ち込みを利用して積極的に由依の近間に入り込んだ。

「そこっ! 」

 突然に夜見の木刀をかち上げて間合いを離した瞬間、大きな切り込みが左上段から落ちた。だが一歩届かない。しかし、夜見は由依の足取りが変わるのに気づいた。

「はいっ! 」

 突きが首筋に走り、長い木刀の切先が喉笛の一寸手前で止まった。夜見は広げていた両腕を静かに降ろした。

 山城はそのまま切先を引いて皐月が構え直すのを待った。

「そんなに緊張しなくても、たかだか刃合わせじゃない! 」

「ですね」

 息を一気に吐いて、呼吸を整えた瞬間、夜見の右上段からの一撃が大太刀を打った。しかし、わずかに切先を上げて受け流し、そのまま小さく打ち込み返した。だが、夜見はそれを待っていた。

(気づいたみたいだね)

 木刀の鍔が鋭い打ち込みを受け止め、そのまま走り込みつつ、由依の近間に峰に手をそえて刃を一寸手前に押しやった。そして両者は静かに間合いを離した。

「人が悪いですよ山城さん」

「いいじゃないの! 皐月さんだって、その気になれば刃を弾き飛ばせるくせに」

「あくまで稽古ですよ」

「ま、少しは自分の身の丈がわかった? 」

「ええ、由依さんが覗き込める程度には」

「なるほど! そこまで縮こまられると腰が痛いよ、あはははは! 」

 夜見は終始困った面持ちで由依と言葉を交わした。そのやり取りを見ながら美炎は心配そうに葉菜へと声をかけた。葉菜も浮かない表情で顔を合わせた。

「葉菜、由依のやつ」

「わかっているよ美炎くん、もしかしたら同じところにもういないかも」

「つまりは惡党に? 」

「とっくにね」

 美炎と葉菜は僅かに硬い面持ちを突き合わせ、黙って木刀を手に間合いを取った。

「むしゃくしゃするけど、やるしかない! 」

「ええ! いきます! 」

 獅童真希を迎えて朝練の挨拶と総がかりがはじまり、あっという間に朝練は終了して各々は学業と任務に戻っていった。そして、夜見は葉菜と由依とともに、待機任務に着いた。

 

 

始業のベルとともに、刀使の長くも忙しい待機任務が始まる。

 基本的には本部からの出動要請を確認できるパネル前にいるのが基本、班ごとに部室があるため三人は糸見班の部室に待機するのが基本である。

 ノックののち、早苗の明るい表情がひょっこりと顔を出した。

「おはよう葉菜さん、由依さん、夜見さん! 」

「おはようございます、早苗さん。そちらのみなさんは」

「こちらは大神さん、六島さん、兵藤さん。今日一緒に待機任務につく獅童班のメンバーだからよろしくね」

 いつも二人の部室はこうして賑やかになる。

 待機中は雑談こそすれど、基本的には学業の課題を片付けるのが基本である。待機任務日を申請した生徒は各教科の教員から、その日の授業に関するテキストと課題を出される。教員によって簡単なものから、800字以上のレポートに、問題集の指定とレパートリーは広い。

「皐月さん、たしか警ら科出身だったわね」

「はい、そうですよ大神さん」

 背の高い色白美人の大神は、条例関係の課題について夜見に尋ねた。

「特別災害条例2条34項の銃火器および大型刀剣の使用と、35項のその保証についてですね。わかりますよ」

 大神の隣にいた眉の太い六島が二人の前に顔を出した。

「えーっ大神さんばかりずるいよ!私もそこ教えて」

 それに続くように小柄で丸い兵藤も夜見の隣に顔を出した。

「このひょーどーなずなにも教えてほしいの! 」

「わかりました! 」

 その様子を眺めながら、一通り済ませた葉菜と早苗は課題を横にお茶を一口飲んだ。

「夜見さんもすっかり慣れましたね」

「いいや、素を出していいか迷っている感じだね」

「素? 」

 葉菜は楽しそうに小さな笑い声を立てた。

「君が知らないなんて信じないよ、彼女が後援会のおばさま方と仲良しなのは」

「あ、そういえば」

「刀使の情報をスリーサイズに至るまで網羅し、それらは基本的に後援会会員の秘匿事項! あの人たちがいるおかげで、僕たちは変な男性に追っかけられないが、実はそうした男性たちと同じくらいに危険な追っかけ集団! 夜見くんもその構成員じゃないと言い切れるかい? 」

「聞いたことがある! 年度ごとに現役刀使のサインとプロフィールをまとめた、刀使補完計画っていう本を作っていて、今年度分の作成が二日前から始まったって噂」

 二人は顔を見合わせて笑い合った。

「そんなことがあるわけないよ! 」

「僕も風の噂でしか聞いたことがないもの」

「楽しそうだね」

 由依は複雑な表情で課題に向かっていたが、耳は二人の会話に向いていたようである。

「大方、皐月くんのことだろ」

「私が囲まれたいのに! でも、ああして笑顔でいるのを崩すのは忍びない。皐月さんは見てる分には可愛いのだけど! 」

「うそつけ、君が皐月くんにご執心なのはよく知っているよ」

「葉菜さん! 私は全女の子には平等なの! 誰か一人はぜっーたいない! 」

「そうかそうか、じゃあ今日の夕方は鎌倉の通りで、一緒に買い物へ行く約束だったのになぁー」

「皐月シャンと! 」

「ふふ」

 悶える由依を横にパネルから出動の指令が入ってきた。早苗は御刀を手に車庫に向かうように指示し、隊員たちはすぐさま動き始めた。

 

部隊としては危険な任務を任される傾向がある部隊であるため、早苗を筆頭にその実力は全国トップクラス。それはすなわち、火消し部隊に位置付けられている。

「火消し? 」

 西へ西へと、海岸線を上空を翔けるヘリの中、けたたましい音の中で夜見は声を張った。大神の澄んだ声が夜見へと発せられた。

「ぼやって、家にある消化器でどうにかなるじゃないですか。でも、火が大きくなると自分や近所だけで対応はできない」

「そこで消防車がおっとり刀で駆けつけるわけですね」

「そうです。大型もしくは大群に特化した火消し屋が親衛隊支隊の基本任務です」

 夜見のポケットの端末が鳴動し、急いで受信したメールを確認した。

「あの早苗さん、目的地は長野県の大平でしたよね」

「そうだよ、山間だから車に乗り換えての急行になるけれど」

「私の幼馴染の子が美濃関からの先発で出撃しているんです」

「じゃあ、ひさしぶりの」

「はい! 」

 ヘリは長野県山間部に到着すると、車に乗り換えてすぐに中山道こと木曽街道を上り始めた。約1時間後には大平宿の手前である大妻籠へ着いた。だが、そこには怪訝な表情の暁ら美濃関の刀使の顔があった。進み出てきた刀使は制服の上からスカジャンを羽織り、夜見たちを舐めるように見たのち、腕を組んだ仁王立ちで相対した。

「あの、本部から派遣されてきた親衛隊支隊です」

「遅い」

「え」

 鋭い剣幕に、暁の後ろにいた美濃関の刀使たちも目を丸くしていた。

「今から大平街道を東に登ったら! 暗すぎて帰れなくなるんだよ! ただでさえ森の深い地域なのに、来るのは最悪十時と聞いていたが、今何時だ」

「一時五分です」

「だめだだめだ!おいそこのあんた。そうだ夜見! 皐月夜見はどう見る? 」

 暁の突然の名指しに困惑する早苗の隣を抜けて、夜見が進み出た。

「つまり、逃げ込まれると半日で討伐は終わらないのですね」

「そうだ、狗型が最低二匹、三体目らしき反応もあった。この事態を如何するよ! 」

「我々は任務であれば最長一週間の現地滞在が許されています。あなたが焦る必要はありません。それに我々の人数であれば、周辺施設に別れて荒魂を監視できる。幸い、ここにいる支隊メンバーは断続的な迅移による長距離移動に慣れています。これでも不十分ですか? 」

 さも当然のように、やや淡白な口調の夜見に支隊のメンバーは驚きつつ、しばし夜見と暁は互いに睨み合った。そして踏み出した途端、互いに笑いながら抱き合った。

「上出来だぜ夜見! 俺の目に狂いはなかった! 」

 その光景に美濃関と支隊は唖然とした。ただ一人由依だけが光悦のまなざしで二人を見つめる。

「本当に刀使になったんだな! ひよっこかとおもったらどうよこの堂々たる様! 」

「ひどいですよ! ずっと警ら科にいたんだから、御刀に選ばれなかっただけで、少しはできる自信はあったんだから」

「すまない! 岩倉さんもすまなんだよ。遅れる旨は聞いていたから、必要な準備はやっておいてある。邪険にしてすまない、つい幼馴染のこいつを試したくなったものでな」

「覚えていなさいよ暁! 」

「それじゃあ、お泊まりですか」

 葉菜の一言に支隊一同は凍りついた。

「心配しなさんな、必要なものは美濃関から取り寄せるから、早めに着替えの枚数や身の回りで必要なものを教えてくれ。必要なら街の方に買い出しに行こう、経費は特祭隊中部管区もちだからな」

 



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おとまり大作戦!

 二匹の狗型は不規則に山を駆け回り、定期的に人里近くへとやってくる。飯田から木曽にかけての山々は素人では迷うため、そのまわってくる二つの人里に回ってくるのを待ち伏せすることになった。

「というわけで、妻籠班、大妻籠班、大平班の三つに分かれて待ち伏せします。狗型は群れて必ずこの三つの宿場へと周回します。スペクトラム計に反応があり次第、現地の班は足止めをして、他班の到着まで戦闘もしくは、殲滅してください。各地への最短到着時間は二十分と想定してください」

 早苗の説明が終わり、早苗と大神の妻籠班、葉菜と兵藤に六島の大妻籠班、そして夜見、暁、由依が大平班に配置された。彼女たち以外に美濃関の刀使たちも二人いるが、ここでは省略する。

「じゃあ夜見は俺とninjaに乗ってくれ」

「えぇ〜、あのカーブさばきとスピード苦手なのに」

「まぁまぁ加減するから。あ、懸架装置から御刀が外れることはないけど、濃口はしっかりと紙縒で結んでおけよ」

「決定事項なのですね」

 早苗の満足そうな笑顔に、不満を絵に描いたように顔を突き合わせた。

「何が面白いのですか早苗さん」

「いやね、夜見さんがこんなに嬉しそうにしているのはじめてだから」

「もう。でも、ようやく落ち着いた気がします」

「刀使になってからずっとかな?」

「はい。肩肘を張りっぱなしでしたから」

「よかった!なら任務は任務!頑張らなくっちゃ!」

「はい!」

 

 大平宿に到着する頃には打ちひしがれた夜見が周りに構わずベンチに横になった。

「大丈夫か?」

「手加減してくれるっていいましたよね」

「久しぶりにダチ乗っけてのドライブだ。テンションあがらない方がおかしいだろ!」

「まったく……」

 二人が登ってきた道は、飯田と中山道を繋ぐ街道道、江戸時代以前は妻籠と飯田の間をつなぐ道がなく、南への大回りの道しか木曽六十九次をつなぐルートはなかった。それを開拓するために生まれた大平街道は、この地域の重要な道路となり、明治以降のインフラの開発によって衰退したが、この大平宿は有志によって整備され、今は体験型観光地として無人となった宿場町は維持されている。

 暁は夜見が立ち上がると、宿泊先となる家の扉を開けた。

「鍵は観光局の人が喜んで貸してくれたよ。薪や飯も自由にしてくれとさ」

「まさか自給自足」

「さすがに電気は通っているよ。あ、火起こしは自前な」

「まぁいいでしょう」

 由依が来るとさっそく火起こしや、調理を始めた。二人が家事、一人が待機と役割を割り振った。

 火を強くするため、由依は息を吹くと、火花が散った。

「ふぇ〜、こんなの小学生のときのキャンプ以来だよぅ」

「へぇ、中学生でも宿泊研修とかではなかったのですか」

 夜見が煮物の調理を進めながら尋ねると、由依の優しい笑顔が自身に向けられていた。

「あまりそうやって同級生と過ごせなかったんですよ。つい、妹に後ろめたい思いがあって」

「妹さん」

 重たい話題だが、由依は火に目を移してその炎の移ろいを見つめた。

「未久って言うの、重い病気でさ、小学高学年なのにもう数年も病院暮らし。野を駆け回って、友達と遊ぶなんて、ぜんぜん知らないんだよね。そのキャンプも未久が入院する前の最後の時の」

「ごめんなさい、つらいことを聞いてしまって」

「つらいことも過去になる。今ね、刀使の家族優待の保険で、高額治療であっても負担が軽くなるの、それで難しい治療が先月終わって、あとは根気強く回復を待つだけ」

「よかった!」

「その時は夜見さんも紹介するよ。任務じゃなくて、みんなで遊びに来ようよ」

「はい!約束です!」

 由依はふと天井を見つめたが、小さなため息を吐いて再び火加減を見た。

「その時は、五右衛門風呂でみんなと、くふっ、くふふふふふ」

「欲望が口から溢れ出ていますよ」

 暖炉を囲み、三人が交代しながら作った料理が並ぶ。

 春の山菜を使った醤油香る田舎煮、妻籠で買っておいた豆腐を使った白味噌の味噌汁。そして、おこげも混ざった釜炊きのご飯。それに、暁が持ち込んだみずのこぶの漬物であった。

「また秋田から送ってもらったんだ」

「またとは失礼な。私は岐阜の味噌汁で今日を過ごしているが、心は秋田にある!どっちも日頃から愛さなきゃ」

 由依がおいしそうにご飯をほおばるのを見て、漬物を口に運び米も後に含んだ。久しく食べていなかった味と食感とに、自然と口元が綻んだ。

「それもそうですね」

「たまにはおばさんに連絡しろよ。まったく連絡してこないって心配してたぞ」

「うう、でも今までが今までで」

「稲河さんの言う通りだよ!失いかけて大事さに気付くなんて、あっちゃいけないよ!」

 由依はそれが当然と笑顔であったが、先程の話を知る夜見と暁は苦笑いを浮かべた。

「由依よぉ、重い」

「うぇえ!?」

「でも、わかったよ。後で必ず連絡する」

 夜見の心から溢れるような優しい笑顔を見て、由依は鼻血を垂れた。

「うまい。ごはん」

「うわぁ!由依さん!鼻血!」

「鼻血を垂れたまま飯食うな!夜見!茶碗と箸引き剥がせ!ティッシュどこだ!」

「ここ!ここ!うわ、力強い!」

 だが、荒魂は姿を現さず。その夜は静かに過ぎた。

 

 夜が明けると、三人は忙しなく装備を持って家を出た。

 その手にはスペクトラム計となる端末があった。

「登山道のある場所を中心にですが、探索をしましょう。潜伏している狗型をいぶり出せるかも」

「おう!他の班も動き出している!これだけ大規模に動けば出ざるをえまいて!」

「でも無理をせずですよ!何せ三匹の可能性は否定されていませんから」

「そうですね。発見しても、三人付かず離れずで」

「よっし!山狩りだ!行くぞ夜見!由依!」

「ばんちょー!いきましょー!」

「元気がいいなぁ」

 三つの班はそれぞれ索敵能力に優れた刀使を中心に、周囲の探索に出た。

 旧中山道を中心に索敵網を展開し、二時間もしないうちに大平班は目で野山を駆け降りる二つの影を見つけた。

「早い!」

 夜見のスペクトラム計は、自分たちに対して大きく円を描きながら走る狗型の反応を感知していた。

「戻ってくるよ」

 由依の一言に、夜見は緊張した面持ちで二人の顔を見た。

「だろうな。三人ならと奴は思うだろうさ。夜見!きっちり五分以内にカタをつけよう!いざとなれば一目散に逃げるさ」

「うん、打ち合わせ通りに罠を張るよ!」

 深呼吸をして兼光を抜くと、写シを張ったと同時に八幡力で飛び上がり、そのまま銀糸を木々に張り巡らしていく。

「由依、私の目算だと四分ほどで来る。守りながらは平気か?」

 その人好きの顔は冷たく、首を横に振った。

「わかった。いざと言う時は夜見を抱えて妻籠方面に下る。うまくいけば岩倉さん達と鉢合わせできる」

「いいよ、それでいきましょ」

 銀糸を張り終えた夜見が戻ってくると、暁は明眼を用いて周囲をぐるりと見回り始めた。

「荒魂は」

「素直に突っ込んでくるよ」

 木々の間を叩き割るような音が響き、弾け散る葉の下に琥珀に輝く荒魂の姿が見えた。夜見と暁に構わず茂みへと迅移で飛び込んだ由依は、その突っ込みの勢いのまま荒魂を一刀両断し、周囲を見つつ大きく振りかぶった。

「いない?まずい!」

 暁は一体しかいないことに気がつき、後ろについている夜見に呼びかけようとしたその頭上に、飛びかかる狗型が姿を現した。暁の顔を見た瞬間、夜見は反射的に御刀を振り、狗型の攻撃を受け止め茂みに押し倒された。歯を剥き出しにして襲いかかる荒魂になす術もなく、夜見は力を振り絞って狗型を蹴り飛ばしたが、ついに写シが剥がれ落ち、全身から気力が抜け落ちるように倒れてしまった。

 狗型は木を蹴り、彼女へ再びまっすぐ飛び込んだ。

「はっ!」

 低く飛び込んできた暁が隠剣の構えから宙を二度切り払った。

「おらっ!」

 その乱暴にも見える剣とは裏腹に、狗型の右前足を切り落とした。荒魂は体勢を崩して崖へと転がり落ちていった。夜見は歯を食いしばって、妻籠班へと荒魂逃亡の情報を送った。

 そんな彼女をあきれたように暁は見ていた。

「写シ剥がれたら気絶するって言ってなかったか?」

「今は寝ている暇はないから」

「それは、そうだがよ。お前がタフなところは変わらないな」

 暁の差し出した手を掴み、勢いよく立ち上がった。すると、腰がすくんでうまく立っていられなかった。

「ごめん」

「いいよ」

 手負いの荒魂は早苗の妻籠班が発見し、討伐された。しかし、未だ姿の見えない三匹目は確認されなかった。

 

 騒がしい一日も落ち着き、再び夜闇が大平宿を染めた。

 疲れからか由依はすぐに寝落ちたが、落ち着かないまま夜見は縁側に腰を下ろした。見上げると星空が瞬いていた。故郷の宙と同じくらいに澄んだ星の瞬きである。

「夜見、まだ起きていたのか」

「暁」

 彼女から差し出された炭酸ジュースを手にすると、隣に座る彼女へと礼を言った。

「おう、いいよ。怪我がなくてよかった」

 一瞬だが、暁の真剣な眼差しが、昼間の戦闘を思い出させた。

「夜見!」

「ごめん!」

 夜見の顔を何度も見て、ため息をついて頭を掻いた。

「言い方悪かったな」

「大丈夫。つい逡巡しちゃうだけ」

「いつかはおちつくといいな。でも、本当に怪我してほしくなかったんだ」

「うん、暁は今日みたいなことに合ったことは」

「何度も、何度もあるよ。やりきれねぇよ。一度写シの剥がれた刀使の脆さは、ひでぇんだよ」

 思いは同じだった。怪我をして、泣く泣く諦めた背中を何度も見た。逃げた同級生もいた。でも、だれも責められない。それでも残った仲間を守ろうと、死にかけた自分の姿が浮かんだ。

「どうにかできないのかな。刀使はいままでずっとそうだった。でも、これからの姿にできない」

 暁は意を決したように口調を改めた。

「私さ、まこっちゃんに刀使の怪我を減らす研究に誘われたんだ」

「日高見さんに」

 向き合う二人の耳に、遠くフクロウの鳴き声が響く。

「まこっちゃんは、私と優希に大事なチームメイトが刀使どころか、人として生きるのが難しくなったことを話してくれてな、そして母親もそうだったことを教えてくれた。このまま傷つき、犠牲が増えるのが正しいことなのか、まこっちゃんは刀使を守る研究を今やっている。そして、私はその頼みを断った」

「暁、日高見さんと仲が良かったあなたが、なぜ」

「約束があって研究内容は話せない。が、俺はそれでいいのか疑問を抱いちまった。その方法で本当に刀使を、みんなを守れるのか、優希にはこっぴどく怒られちまった。友達なのに薄情だって、でもよ、まこっちゃんの手を引いて別の道を指してやるのも友達だろ?だから、俺はまこっちゃんからの誘いを断って、同じ願いを叶えるために美濃関に来たんだ」

「刀使を怪我から守るための?」

「違う。二度と見失わないためだ」

「稲河が御前試合に出てこなかったのはそのため?」

「半分な」

「もう半分は?」

 照れ臭そうに顔を出す月を見上げた。

「由依と同じだ。お前に後ろめたくてな」

「ばかじゃん」

「なっ!」

「その半分、許さないからね。暁ちゃんの活躍を期待してたんだから」

 許さないの一言とは正反対の表情で、暁を見つめ返した。

「勘弁してくれ」

「それで?美濃関で暁がしていることは?」

「対荒魂用強化外殻。Sアーマーっていう、まぁパワードスーツの研究さ。これがあれば、写シが剥がれてもスーツが刀使を自動的に保護してくれる。その保護強度や、損傷の想定を研究している。必ず、まこっちゃんへの希望として持っていける」

「行けるよ!暁の思いは絶対に無碍にならない!」

「本当か、私ならできるか」

 何かを思い出してか、暁は唇を噛み締める。夜見はジュースを一口飲んだ。

「そんな顔をしないでよ。私が刀使になること、やっぱり信じてくれなかったの」

 夜見へ言いかけた言葉を飲み込んで、しばらく考え込んで、悔しげに再び顔を見やった。

「いじわるだな夜見」

「暁こそ」

「ふふ」

「あはは!」

 互いに笑った。大声で笑った。そして、嬉しさに涙を滲ませた。 

 

 翌日は一日中の探索もむなしく日は傾いてしまった。

 あくまで目撃証言だけのため、ノロの回収も済んだ今となっては、周辺地域の警備任務となっていた。

「だはぁー、疲れたよぅ。労ってよ夜見さん」

「はい、今日もがんばりましたね。由依さん」

「うぉー!元気100倍!ありがとう夜見さん!お礼にハグしてあげるね!」

「遠慮しておきます」

「だははは!」

 暁の端末が鳴り、すぐに出ると板敷を立ち上がった。

「わかりました!すぐに行きます」

「暁」

「番長!」

 三人は至極当然のように御刀を持って外に向かった。

「三匹目が本当にいた!それも今、大妻籠と大平宿の間の道で車を追い回してるそうだ」

「そんな!」

 夜見と暁は自然とバイクに目がいった。

「バイクなら先回りできるぜ!」

 その暁の提案に夜見は首を振った。

「いや、狗型の背中を狙うなら乗りながらのほうがいい!」

「正気か!」

「暁が運転を!太刀は私が振る!」

 由依は不敵な笑みを浮かべ、暁の背中をバイクへ押しやった。

「時間が惜しいんだよね。行って!」

 ヘルメットを持った夜見を見て、ようやく暁は動き出した。後部座席に乗った夜見へ、金属板の張り巡らされた右籠手を差し出した。

「Sアーマーの試作品のひとつだ!最悪、写シが落ちても荒魂は斬り伏せられる!」

「うん、使うよ!」

 籠手を装着し、バイクに乗ると、暁は加減をせずバイクを急発進させた。

二日前とは比べ物にならない切るようなコーナリングで、坂を急速に下っていく。いつのまにか大平街道を出て、中山道へ通じる道に出ると谷間の道の奥に車を追う狗型の姿が見えた。

「夜見!一太刀で決めろ!このバイクもすぐには止まってやれないからな!」

 兼光を抜き払うと右籠手の機能を発動。いつもよりも動きの軽さを感じた。

「これなら!いけるよ!暁!」

 軽トラへ追いつき、その荷台へ飛びかかろうとする狗型を捉えた。

「お覚悟!」

 すり抜けざまに、狗型を横から一刀両断にし、バイクは軽トラを追い抜きさった。

「うまくいったか!」

「やったよ」

 しかし、風切る音で聞こえない。そこで、夜見はノロのこびりついた切先を前へかざした。

「やった!」

 速度を落とし、荒魂の方へ戻ってくると、道端で軽トラを降りて放心する老人の姿があった。

「大丈夫ですか」

 ヘルメットをとり、御刀を納めると、夜見へと駆け寄った老人は何度も、何度も彼女に礼を言った。

「いえ、こちらこそ遅くなってごめんなさい!」

「ぐすっ、なぁによ、刀使さんがいると知ってたから耐えられたんだ。でもよ!いやぁしぬかと思った!かははは!」

「はい!ご無事で何よりです」

「それにしてもすごかったな!まるで源平武者の如き馬上太刀!お見事!」

照れ臭そうに暁へ目線を送ると、ピースをして満遍の笑みを返した。夜見も小さくピースして見せた。泣き腫らした笑顔で老人も暁へピースすると自然と笑いに包まれた。

 

 

 

 



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御前試合! ぜんやさい!

 ついに御前試合の予選会が明日に控え、続々と全国の刀使が集まってきた。

「長く落ち着きのある清楚な平城、白と灰の美しいモノトーンは綾小路、赤の見えそうで見えないスカートは美濃関、勇猛さの現れは黄金の長船、あぁ〜こうして伍箇伝が街に揃っているなんて私はしあわせ」

 嬉しそうにスマホで写真を撮る夜見の隣に、早苗と美炎が立っていた。今日付で彼女用の飾緒が支給され、さっそく制服につけて表に張り切って出てみたが、当の夜見本人は仲間に認められた喜びそのまま、以前の彼女に戻っていた。

「え、もしかして後援会の回し者!? 」

 困惑する美炎に、苦笑いしながら早苗は答えた。

「それはないけど、後援会の人と同じベクトルの子だから」

「刀使になれなかったフラストレーションを追っかけに回していたなんて、嘘でしょ」

「美炎ちゃん! 」

「ほら、可奈美の声が聞こえる」

「安桜さん! 」

「うーん、今度は舞衣だぁ」

 何かに気付いた夜見は、その長身に見合わぬ素早い身のこなしで、美炎の後ろに立つ二人に声をかけた。

「衛藤可奈美さんと柳瀬舞衣さんですね! 御前試合出場おめでとうございます! あ、あの、サインもらえますか! 」

振り向くと、懐かしい二人の姿が目の前にあった。

「え!? ほんとに! 」

「久しぶりだね美炎ちゃん! 」

 可奈美は当然のようにサインしたが、あまりに豪快で判別がつかない。

「二人で来ましたよ鎌倉へ」

 舞衣はどこからともなく筆ペンを取り出して、美しい草書体でサインして見せた。可憐な字である。

 よろこび舞い上がる隣で、美炎は二人の顔をしばし見てポロポロ泣き出した。

「うぅう、かなみぃ〜、まいぃ〜」

「ふふ、おいで美炎ちゃん」

 二人の間に飛び込んだ美炎はしばらくそのまま動かなかった。

「たいへんだったよーぉ! 友達なかなか出来ないし、朝練早いしぃー、寿々花さん怖いしぃー! 」

「ふふ、がんばっているね」

「ねぇね美炎ちゃん! 今回の御前試合は親衛隊とその支援部隊の人でないって聞いたよ! でも私、美炎ちゃんとか色んな人と立ち会いな! 」

 顔を上げて残念そうにしながら、可奈美の顔を見て大きく笑った。

「変わんないなぁそういうとこ」

「え? おかしなこと言った? 」

「そうそう、そういうところが可奈美ちゃんのおもしろいところ」

三人の掛け合いを眺めながら、笑顔の美炎の姿に安心した。

「あんなに楽しそうな安桜さんはじめてですね」

「まだあそこまで打ち解けていないけれど、いつかはね」

 そう話す早苗と夜見を安桜は来て欲しいと呼んだ。

「こっちが皐月さん、こっちは岩倉さん」

「こんにちは、先ほどは失礼しました! 皐月夜見と申します! 」

「どうもこんにちは、岩倉早苗です。安桜さんといつも頑張っています」

 恥ずかしそうにする夜見に構わず、可奈美と舞衣は元気な彼女に自然とほころんだ。

「よろしくね、皐月さん、岩倉さん! ねぇ、ちょっと手合わせをお願いしたいなぁ! 」

「お願い! 言って聞かないの! 」

 早苗は小さなため息をついて美炎の顔を見た。

「これから私たちが何の任務か忘れちゃったの? 」

「あ」

「御前試合一般見学者向けの刀使勧誘案内所のスタッフ、私たちがメインなんですから」

「むぅ、皐月さんに言われずともわかっているやい! 」

 それに対し、悲しそうに美炎の顔を覗き込む可奈美の姿があった。タイミングを見計らっていた早苗は、一緒に二人にも来てもらえればいいと言った。

「その広報スペースで簡単な試合をやってほしいってお願いされているの、二人の用事が合えばぜひ協力してほしいのだけどな」

「い、岩倉さん! 」

「ごめんね、いじわるしちゃったね。でも任務しながらなら希望通りかなってね。夜見さん! 」

「はい、人数が多いと見てもらう人に興味をもってもらえますから! 」

 可奈美と舞衣は問題ないと、よろこんで申し入れを受け入れた。会場は鶴岡八幡宮境内の御前試合観覧受付前に設けられた、飲食やグッズを扱う商業スペースに設けられている。

 この御前試合は、一般観覧ができるようになったのは十年前、相模湾大災害からの復興を記念して本来は特祭隊内のでの催しであったが、刀使への活動支援と地域支援のため一般向けに解放するようになった。滅多にない刀使同士の技術試合とあって、一般観覧席のチケット抽選倍率は10倍である。そのため配信サービスが各社入っている。春の御前試合、夏の自衛隊総火演と政府機関主催のイベントとしては人気の高さが認知されていある。無論、当人たちは大真面目である分、地方から五箇伝へ来ている刀使は、故郷の親や友人に自慢したいと、こぞって予選会・決勝御前試合にでたがるのである。

「さぁて! 一番手は誰かな! 」

 模擬試合の時間が近づくと、観光客や地元の人、中高生が集まってきた。特祭隊の他スタッフと入念に打ち合わせし、早苗は模擬試合参加者たる四人の前に立った。

「じゃあくじ引き通り、一番は衛藤さんと皐月さん。二番手は柳瀬さんと安桜さんです」

「早苗は参加しないの」

「私は司会をしなくちゃ」

 会場に元刀使の司会者と解説の早苗がつき、一般の人々へ挨拶をはじめた。そこへふらりと葉菜が顔を出した。その後ろには親衛隊の服を着た銀髪の少女が立っていた。

「鈴本さん! おはようございます」

「夜見くん、そうかしこまらないでよ。僕だっていつまでも固いままなのは好かないさ」

「そうですね、今から刀使勧誘の模擬試合が始まるのですけど」

 葉菜を押しのけて銀髪の少女は夜見の前に立ち、まじまじとその顔を見た。夜見にとって、今の今まで自分のことを無視してきた存在がそこに立っていた。

「あなたが皐月夜見」

「あ、はい、はじめまして糸見班長! 」

「これからの試合で実力を見る。楽に」

 葉菜と夜見が凍りついた。それもそうである、沙耶香は今日の今日まで写シのタイムリミットや銀糸の能力について、その一切を知らないのである。そもそも葉菜と由依でさえ、彼女と面と向かって話のできる機会は皆無だった。

「おもしろそうだな、私も見学しよう」

 さらに、沙耶香と行動をともにしていた、綾小路学長の相楽結月とその後ろに山城由依がついていた。由依は小さく手を振った。

 夜見は簡単な手合わせで終えるわけにはいかなくなった。緊張する夜見に反して可奈美はうれしそうに落ち着かない様子で周りを見回していた。

 そんな二人に舞衣は微笑みながら、ふと立ったままの沙耶香に声をかけた。

「糸見さん、一緒に座って観ませんか? 」

 無表情だが舞衣の目を覗き込むように見つめた。

「気を使わなくていい」

 そっけなく目を逸らした沙耶香から恥じらいを感じ、舞衣は自然と笑顔になった。

「いいんですよ」

 何も臆せず、舞衣は沙耶香の隣に寄った。

「せっかくこうして出会えたんですから、お話ししながらみんなの試合を見ましょう」

 沙耶香は静かに驚きながら、舞衣の姿に忘れかけていた、ある人の面影を重ねていた。

「うん」

 舞衣の勧めのままに席にひょこりと座り、照れ臭そうにしているのを舞衣は嬉しそうにしていた。葉菜はその光景に唖然としながら、テントのポールに背中を預けた。

「それではみなさん、これより模擬試合一番目を始めたいと思います! 」

 拍手に包まれる会場に進み出た二人は、東方に可奈美と西方に夜見が立った。

「西方には先週から親衛隊支援部隊に配属されたばかりの新鋭、皐月夜見さん! 」

「よろしくおねがいします! 」

「東方には岐阜県の美濃関学園から、主席代表として来てくれた衛藤可奈美さん! みなさんのために模擬試合のお手伝いを引き受けてくれました! 拍手をお願いします! 」

「みんなー! よろしくー! 」

 そして審判に広報担当の長船出身の刀使が立った。

「双方、抜刀! 」

 刀を抜き払った二人のその刀の身長差が、観客には違和感があった。そして改めて夜見の長身が際立っていた。

「写シ、構え! 」

 夜見は可奈美の自信に満ちた雰囲気に押されていた、だがそういうときだからこそと、腰につけていたあるものも手に持った。それは白鋼に輝く分胴であった。

「始め! 」

 その手に持ったものをどう使うか気になり、可奈美は青眼の構えで待ち受けた。

(やはり新陰流、簡単にはせめて来ない! なら! )

 夜見は手早く銀糸を引っ張り出すと、それを珠鋼製の分胴に結び止め、それを静かに振り始めた。

「鎖鎌術だね! 」

「まだ練習して一週間ですが、うまくいきますように! 」

 分胴が正確に可奈美の籠手を狙うのを軽く払った、それを待っていたように軽く銀糸を引き分胴の回転エネルギーで彼女の千鳥が絡め取られた。上段の兼光が一歩ずつ近づく可奈美に狙いをすます。しかし、互いに落ち着いた表情で互いの顔を見あった。

 ふと、可奈美は一分の呼吸の乱れに気付いてわざと刀を引いた、焦った夜見が糸を引いた瞬間、分胴が解けると同時に可奈美は分胴を自身の方へ引っ張り、迅移を掛けて斬りかかった。それを見逃さず、あえて自身も迅移で飛び込み、可奈美の斬りつけとその切り返しを受け流し、距離を取って再び飛び込んだ。これを不規則な切りつけとともに何度も繰り返した。

「岩倉さん、これは何をしているのでしょうか」

「どうやら夜見さんは可奈美さんを自分の土俵に誘い込んだみたいです」

 可奈美が気づいた時には縦横無尽に夜見の張った糸が、地面に張り巡らされ、足場を奪った。

 八幡力で糸が大きく一本に跳ね上がり、可奈美は仕方なく刃を返した。夜見はすかさず攻めかかり、隠し剣の構えから大きく二度斬った。だが、可奈美は糸をバランスよく走り、その斬り付けを抜けて夜見の背中に立った。焦った夜見は上段から切りつけたが、可奈美の切り落としが打ち勝ち、夜見の写シは剥がれ落ちた。

「す、すごい」

糸が消え夜見は素早く起きて、分胴を拾った。お互いを分かってか審判の号令で礼を交わした。

「鈴本、あの糸はなんだ?」

「わかりません、しかし、写シが作り出す糸とだけは分かります。あれは皐月くんだけの力です」

 相楽は訝しげに夜見の顔を見やった。とうの本人は実力を出し切ろうとしたが、可奈美の実力に面食らった。それもそのはず、渾身の策が糸を伝い登るという直感の策に敗れたのだ。

待機テントに戻ってくると、夜見と可奈美は互いに握手しあった。

「衛藤さん!あなたはなんとすごい方なのですか」

「皐月さんも!一撃一撃の重さがひしひしと伝わってきたよ。あの瞬間、糸に飛び乗ってなかったら負けていたよ」

「そう行動できるのがすごいのですよ」

「でも、随分と腕を上げたよ夜見さん。一週間で五分をカバーし切る方法を編み出したのも驚きだ」

「ありがとう鈴本さん」

「え、五分って、もしかして」

 何かに気づいた可奈美は驚き尋ねた。

「はい、写シを五分しか張れないのです。糸も写シを張る時間の中だけでしか」

「だから焦ったんだね。ようやくわかったよ」

 きょとんと可奈美の顔を見た夜見は、そこまで見透かされていたのかと苦笑いするしかなかった。

 舞衣と美炎の試合が始まるタイミングで、沙耶香は人気のないテント裏の方へと夜見を呼び出した。そこには由依の姿もあった。

「皐月夜見。あなたの実力はわかった。その上で聞きたいの。あなたは私の行動の全てに従うつもりはある?たとえ私が世界を敵に回しても」

 突然の言葉に夜見は目を泳がせた。

「あの」

「冗談でも、皮肉でもない、あなたにその気があるかを聞いているの。折神紫にではなく私に従い続ける意思が」

「それは、分かりません」

「なぜ」

「私は糸見さんにも、紫様も刀使の先輩や上司として敬います。でも、私が従うのは刀使の使命だけです。私が刀使でいられる僅かな時間の中で、使命を果たして大人になり、みんなとともに歩みたいのです。私には絶対の存在はいません」

「本気?そう抱えれば抱えるほど、自分の身の丈に合わなくなって、そのうち自身を見失う。廃人になるより、誰かの声に従うほうが心も体も楽」

「抱え切れないほどのものを抱えようとするほど、私の心は大きくありません。小さいから互いに分け合ってその重荷を軽くするのが仲間ではありませんか?」

 沙耶香は残念そうにため息をついた。

「とんだ夢想家。これから何があっても、そうだと言い続けられるワケがない。わかった。あなたの好きにするといい」

 背を向けて歩き出した沙耶香に向かって、ふと一言が出た。

「糸見さんはつらくないのですか?」

 殺意のこもった目が夜見を深く覗き込んだ。

「もちろん」

 去っていく沙耶香の背中をいつまでも見守り、ふと由依の視線がこちらへ向いているのに気づいた。

「そういう可愛げのないとこ、嫌いじゃないよ」

 笑顔を向けて由依は沙耶香の方へと駆けて行った。

 気づけば舞衣と美炎の立ち合いも終わり、集まっていた人々がぞろぞろと会場から解散し始めていた。その群衆の奥、御前試合会場へ続く長い石畳の向こうに立つ可奈美の姿が見えた。だが、可奈美の向き合う先に平城学館の制服を着る刀使の姿が見えた。

「皐月さん、可奈美ちゃんを見なかった?」

「あそこにいますよ、平城の子と一緒みたいですけれど」

 夜見は指さした先で今にも白刃を振り上げそうな、長い髪の少女の尋常ならざる剣幕を感じた。

 舞衣は夜見のとなりを抜けて可奈美の元に駆け出していった。

「柳瀬さん! 」

「夜見、大丈夫だよ」

 隣に立つ美炎の沈痛な表情が、誰に向かって言い聞かせているのか気付かせた。

「そうですか」

 しばしの言い争いとともに、可奈美が舞衣と平城の刀使の間を取り持つように話をし、身を翻して本部の寮がある方へと平城の刀使は去っていった。

「もしかして、十条姫和さん? 」

「ん? それは例の刀使後援会の情報」

「いえ、今年になって突然、平城に編入されて破竹の勢いで御前試合候補の座を手にしたと聞いています。それまで刀使に関心を示さず、関西の普通科の学校に通っていたと」

「そこまで知っていれば、後援会の人間じゃないの」

「でも、噂になっていますよ」

「なんで? 今まで刀使の素質に気づかずに雌伏の時を過ごしていたのは、夜見も同じじゃない」

「不自然に思いませんか? なんで彼女の個性ではなく、経歴だけが一人歩きしているのか」

 美炎は、夜見の覗き込むような視線をひたすら無視しようとしていた。

「戻ってきた。この話はまた今度」

「美炎さん、らしくないですよ」

 夜見から逃げるように、彼女は二人の元に駆け寄っていった。

 

 夜になり、忙しく動き回っている隊員たちを傍目に、夜見は控所の事務室で提出書類の整理を進めていた。必要な報告メールの送信を終え、昼の任務のため詰まっていた仕事に一区切りついた。彼女は大きく背中を伸ばした。

「明日は一日会場警備かぁ、藤巻さんの気合いを分けて欲しい」

 時計は午後八時半を指し食堂は既に閉まっていた。ならば、たまにはと腰を上げた。

 特祭隊および折神家屋敷の大通りを抜けて、鎌倉駅前近くのコンビニまで足を伸ばした。駅前は御前試合の前とあって賑わっている駅前を、多くの彩り豊かな制服の刀使たちが時間を過ごしていた。

「ねぇー! 」

 夜見の前に小さな生き物が現れ、彼女の右後ろに向かって強く叫んでいた。

「え? ええ? 」

 するとその生き物の後ろから、長船の制服を着た刀使が追いかけてきた。

「おい、ねね!どうしたんだ!」

 ねねは長船の刀使に向かって、何かを仕切りに叫び、それを理解してか長船の刀使はじっと夜見の顔を覗き込んだ。夜見はすぐに相手が誰か理解できた。

「あの、荒魂を従える長船の益子薫さんですよね」

「相棒だよ」

「はい」

「従えているんじゃねぇ、俺の相棒さ。ねねは」

「そう、なんですか?」

「ああ、お前さんの言う通り、俺は益子薫だ。お前さんは?親衛隊支隊隊員さん」

「高等科一年の皐月夜見です」

「ねねーっ!」

 ふたたび何かを話し出し、頷く薫は困惑する夜見を面白うそうに見た。

「なぁ皐月さん、夕飯は食べた?」

「い、いえ」

「なら、そこの寿司屋に入らないか?」

 そうして場の流れで入店し、店主と交渉して格安で提供してもらえることになった。

「いえ、あの、払えない事ないので」

「気にすんなよ、刀使は小遣い制が多いんだし。こういう時は持ちつ持たれつよ」

「いや、負担するのはお店側で」

 店主は気にする事なく大きな笑い声を響かせた。

「気にすんな!今日はたんと食べて!明日頑張ってもらわんとな!」

「感謝するぜおやっさん!」

「はぁ、遠慮はできませんよ」

 一日中働きまわっていたせいか、強い空腹感に襲われた。

 眠気と空腹感に押されて、何を食べているのか意識がないものの、板前の腕の良さだけはその味からしみじみと伝わってきた。

「なぁ皐月さんよ、あんたは何か不自由なことはないか」

「え、ええ」

「それはきっと、刀使の力に関する事だろう?」

「え、どうしてそれを」

「ねねがな、お前の背中にいる存在を感じたんだ。お前さんを殺さんほどの強烈な呪いが渦巻いている」

「呪い?」

「お前の代だけのものじゃない、呪いってのは血筋に乗って延々と続いていく。でも、御刀持ちってことは何か鍵を見つけたんだろ」

「鍵ですか、でもたった五分の写シでも兼光と銀糸の力があれば、私はそれ以上望むべくもありません」

「今がずっと続くと思うか?」

「それは」

「意地悪して悪いな、でも、これからのこと考えると、不思議でならないんだ。なぜ今になってお前さんは表に出てきたのか」

 感慨深そうに見つめる薫に対して、困惑に拍車がかかった。

「益子さん、あなただけで完結しないでください!」

「ほら、しめ鯖だ」

 薫の手で夜見の口に寿司が押し込まれ、それを不満そうに咀嚼しながら飲み込んだ。

「薫さん、あなた何なのですか」

「すぐにでもわかるさ、皐月夜見が使命を果たしたいと願えばな」

 結局、一銭も払わないうちに寿司屋を出た。上機嫌な様子の薫とねね、不満そうな表情の夜見を加えた二人と一匹並んで本部施設の砂利道を歩いていく。

「ヘーイ!薫―っ、どこいっていたのですカー!」

 金髪に日本人離れした豊かな体型の女性が大きく手を振っていた。

「おーうエレン、寿司屋行っていたんだ」

「学長が待っていますから、急いでくだサーイ」

「おばさんが?早いな、すぐに行くよ」

 薫は夜見へと向き直った。

「じゃあな、次会う時は皐月が味方だとうれしいな」

「は、はい?」

 薫はエレンの元へと駆け去っていった。

 明日は多くの人々が待ちに待った御前試合予選会。そして、夜見たちの波乱の一年が始まろうとしていた。

 

 

 

 



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えこーず!

 御前試合予選会当日となった夜見の配備地は、会場外の警備担当であった。主として、警ら科部隊と協力して、管理局敷地入り口を交代で警備するという内容だ。

 時計は十時をすぎていた。

「試合開始ですね」

「夜見、行きたかったんだろ」

 犬上はやや調子を上げて、久しぶりに見る夜見の顔をまじまじと見た。

「そうですよ。でも、今は親衛隊支隊の一員ですから」

「だろうさ、今や警ら科高等部の期待の星なのだから」

「い、いつのまに」

 笑いこそすれど、緊張感を感じさせる目が自然と夜見を笑顔にさせた。

「だけど夜見が警ら科で学んできたことが、こうして生かされている。それどころか違う科同士の橋渡しになっている。なんだかんだ新米とか言って、事務とか裏方の作業をやっているんだろ」

「ええ、ほんの少しですが」

「本当に少しか?まぁいい、今日はよろしくな」

「はい!」

 同じ時刻に、会場の長船待合場所。ここは試合をしている武道場のフロアに面しており、見上げれば目の前で刃を交える刀使の姿が見える。薫はふて寝を決め込みながら、その耳は試合の動向をつぶさに聞き取っていた。

「薫さん?」

 聞かなかったふりをして、もう一度名前を呼ばれてから片目を開けた。

「瀬戸内さんか」

 瀬戸内智恵の豊かな体型と優しげな微笑みが、彼女を3つも4つも年上に見せた。

「ええ、今朝の新幹線でようやく」

「ああ、でも補欠に出番はなさそうだぞ」

「どういうことです?」

 隣に座っていたエレンが苦笑いで智恵に予選敗退を告げた。

「もしかして、二人ともなのね」

「おう」

「ハイ、面目次第もありませんデース」

「二人とも一応とはいえ校内選抜を通ったのよ。あとで真庭学長に怒られても助けてあげられないからね」

「心配ない。実力で負けたんだ実力でな」

「今の態度で説得力がマイナスに振り切れている気がする」

 三人並んで座ると、薫は腰を起こしてまっすぐ試合を見つめた。その頭の上にねねが乗っかった。

「瀬戸内さん、あれが小烏だ」

 口を一文字にまっすぐ平城の刀使に目を向けた。

 姫和の相手をする七之里呼吹は、気だるそうにしているものの芯のブレない立ち回りが刃を通さない。しかし、勢いの落ちない姫和が荒魂と戦い慣れた呼吹を押し切っていき、やがて迅移で脇を切り、写シを落とした。

「薫さん、木葉の三人は」

「滞りなく。約束の時以降も間違いなくな」

「でも一人は悪党に加わった疑いがあるのでしょ?約束の時を迎えて以降も私たちと同じ道を歩んでくれるとは思えないわ」

「まぁ瀬戸内さんもわかっていると思うが、悪党は一線を超えた時点で最大の敵になるのは確定事項だ。諦めてくれ」

「三つ巴を許せと言うの?」

 しかし薫はあまりにも静かな表情で試合を見つめていた。一人殺気立つ自分の姿が想像できた。

「でも木葉が仲間の候補を探し当ててくれましたヨ!昨晩、薫が会ってきたそうデース!」

「どうなの薫さん?」

「とんだひよっこだよ。この世界のことを何も理解していない。でも、あいつには何かが憑いている」

「憑いている?」

「経歴は木の葉からもらったが、警ら科で三年も刀使になれず。しかし、瀕死の状況下で刀使に選ばれた。そして昨日会った時、ねねが気付いたんだ。あいつの血には付喪神がいる。それも凄まじい憎悪の塊のな」

「薫さんは彼女を?」

「気に入った。この状況を引っ掻き回してくれるかもしれない」

 うれしそうに智恵と顔を合わせた。智恵はただ瞬きを繰り返すのみだった。

 

 予選会は午後の残りの5試合を経て、勝ち登ってきた二人が決勝に進んできた。

 会場から駅へと向かう人混みを警備しながら、人々が美濃関と平城の二校について話すのを小耳に挟んだ。退場が終わる夕方まで、夜見は会場と敷地の警備を滞りなく進んでいった。

 この日、最後の巡回警備を両儀と肩を並べながら回っていた。すでに怪我から回復し、両儀は以前と変わらぬやさしい笑顔を見せくれた。

「あとは御前試合会場を見回るだけだね」

「それにしても、美濃関の衛藤さんと平城の十条さんの対決とは、意外な展開」

「二人とも今年からの新顔ですからね。美濃関は去年三位の木曽輝さんが卒業されて以来、誰が上がってきてもおかしくなかったですから」

「なら平城も同じじゃない?獅童真希さんと岩倉早苗さんが中央に所属してから、誰が出てくるか不思議だったから」

「そうですね、平城の十条姫和さんと六角清香さんが代表で、六角さんは初出場にもかかわらず四位、十条さんは決勝入り。美濃関では柳瀬さんは三位だそうです」

「まさに時代の節目って感じがするね!」

「それを言うなら時代の変わり目じゃないのかな?」

「それだよ!」

 決勝会場の巨大な門が開かれ、会場の最終準備が着々と進んでいた。そこに背は低いが元気を絵に描いたような刀使が立っていた。藤巻みなきである。

「おう!巡回お疲れ様だぞ二人とも!」

「藤巻先輩もお疲れ様です。今日の巡回はここで最後です」

「そうか!でも大きいイベントがあるほど警備は手薄になりがちだぞ!日頃の心がけの3倍は気をつけてくれな!じゃあ会場の巡回も頼むぞ!」

「はい!警備の二重チェックは十分に!」

ふと両儀の目線が外れ、夜見に背中に立つ人影を指さした。そこには三人の刀使を意に介さず会場を見渡す十条姫和の姿があった。真希に似た切り立った面立ちが自然と周囲を緊張させた。

「こんにちは十条姫和さん」

 ただ、夜見はそれを意に介さず挨拶を投げかけた。ぶっきらぼうに夜見の顔を見た姫和は何も言わない。

「決勝進出おめでとうございます。私、親衛隊支隊の皐月夜見と申します。明日はこの会場警備ですのであなたの試合を拝見できます。不躾とは存じますが、明日は頑張ってください」

「ああ、どうも」

 露骨に人を遠ざけようとする彼女に、藤巻と両儀は一歩引いてしまった。

「会場、入って見学されます?」

「はぁ?」

 不意を突かれて表情を崩した姫和に、笑顔の夜見は是非にと会場内へ手招きをした。とうとう表情を崩した姫和は案内されるがまま会場内を見回った。最も、肝を冷やしたのは藤巻と両儀であり会場を回り出した二人の後ろを付いていくしかなかった。

「ここが紫様や幹部の方々が高覧なさる物見です」

 夜見が指し示した場所に当主が座る一個の椅子があった。そこからやや離れた場所に御刀を掛ける刀台が闇の中から見えた。

「お前は葉隠か」

 その質問に夜見は首を傾げた。

「葉隠って、軍法書の葉隠ですか?」

「そうか、なんでもない」

 夜見は姫和が振り返った先を眺めた。会場全体が眺められる場所であるためか、夕日を照り返す砂利の白さが余計に会場を広く感じさせた。

「皐月、お前はなぜ私を」

「いえ、一人で緊張が漲っているのだなと感じまして、でも緊張しすぎると体が強張って手が滑るってあるじゃないですか、だから少しでもゆったりとしてもらえればなと」

「余計なお世話だ。私はそんなにやわじゃない」

「ですよね。ごめんなさい」

「謝るな。心配をかけた」

 黙ってもと来た道を戻る真っ直ぐな背中を見送りながら、一抹の不安を抱えた。

「どうしたの夜見さん?」

 両儀の心配そうな顔を横に、首を横に振った。

「御前試合決勝って、ああも緊張するんだなって」

「おうよ、なにせ紫様の前で雌雄を決するんだからな。緊張しない奴がおかしいぞ!」

(でも、あれは試合を待つ人の顔じゃない。あれは大きな覚悟を決めた、一切を顧みない瞳)

「準備は滞りないようだな」

 静やかではあるものの張りのある声に夜見の背筋は凍った。両儀は喉の奥から声を捻り出した。

「ゆ、紫様」

 両隣に親衛隊を引き連れ、白い当主の制服に身を包んだ折神紫に三人は身動きを取れなかった。

(人に寄生するとは!貴様は何様じゃぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁああああああ!)

 頭の芯から響くような絶叫に思わず耳を塞いだ夜見とは対照的に、紫は小さく冷たい微笑みを見せた。

「皐月夜見!紫様の前だぞ!」

「かまわん獅童。お互い様だからな」

「は、はい」

 その声は夜見と紫にしか聞こえていない。周りの人間は戸惑うものとただ静かにしている者に分かれた。

「珍しい先客がいたようだが、藤巻みなき」

「はい!決勝進出者にして午前試合選抜刀使の平城学館の十条姫和が来ておりました」

「そうか、滞りなく時は進んでいくようだな」

 周囲を一回り見た紫は静かに夜見へと歩み寄った。

 背筋を硬らせ、何を考えているか読めない紫を前に声が出なかった。

「知りたいか?その声の正体を」

「はい」

「なら明日、お前は一切の物事に感知しないことだ。お前のそれはお前自身の運命だからな」

「運命は受け入れるもの、それとも選択の時ですか」

「ならなぜここにいるのだ皐月夜見」

 その問いの意味は測り難く、しかし紫の言い知れぬ奥深さに魅入られていた。

 

 夕日は沈みだし、空は群青に染められる。明日の決勝に向かって鎌倉周囲はさらに人が集まってくる。駅周辺はより顕著になってきた。

 入り口周辺の警備員テントで美炎は早苗とともに明日の会場内警備について、簡単な打ち合わせを進めていた。

「あとは皐月さんとの読み合わせだけど、まだ巡回から戻ってこないの?」

「だって久しぶりに警ら科の子達と会ったんだよ、積もる話もあるでしょ」

「まぁ確かにね。じゃあ、私は知り合いに会いにいってくるね!」

「はい、確か小学校時代のお友達でしたっけ」

「そうだよ、じゃ」

「いってらっしゃい!」

 美炎は簡単に手を振りながら別れ、すぐに江ノ電に乗って江ノ島駅に向かった。ここも宿泊の刀使や見学者で賑わっていた。人混みの合間を抜け、弁天橋を駆けていった。橋の半ばで夕闇の中の富士を見守る人影へと声をかけた。

「ちぃねぇ!」

「美炎ちゃん、久しぶりね」

 二人は江ノ島のエスカレーターを上り、夜景を見上げられる展望台の前で立ち止まった。売店で買った肉まんを頬張りながら扇に広がる鎌倉市街の夜景を二人見つめた。

「大丈夫だった?羽島学長の伝手であなたを親衛隊支隊へ入れるなんて無茶をしたけれど」

「へっちゃらだよ。友達もできたしね」

「友達?もしかして皐月さんって子?」

「そうだよ。葉菜の報告書は読んでいるよね」

「ええ、真面目で不思議な子だって」

「実は益子さんからも皐月さんの話を切り出されてね」

「ええ!いつのまに」

「昨日会っていたみたいよ。それで美炎ちゃんは皐月さんに脈があると思う」

 美炎は首を傾げた。

「ないと思う。皐月さんは何も知らない。つい三週間前に刀使になったばかりでおまけに短時間しか写シを張れない欠点がある。人や能力で魅力があっても、明日を迎えればなすすべもなく状況に流されるだけ」

「そっか」

「薫も同じこと言っていたんじゃない?」

「それを差し引いても余りあるって、引き込む気満々よ」

「ん〜なるべく不確定なものを利用するのはどうかな。由依がどうも木葉から外れ始めていることもあるから、疑っているんだよ内部に亀裂が走っているんじゃないかって」

「そこまで深刻なの」

「葉菜が書いたものに目を通していないから分からないけど、由依は高津学長と糸見さんに強いコネクションを持っている。悪党として活動しているのは間違いない。今回の計画は全て高津学長にも筒抜けと考えるべきだよ」

「それだけじゃないわ。今は組織として一つだけど、どこかで分裂する。特にタギツ姫の扱いについては完全に意見が分かれているわ」

「タギツヒメを封印か、それとも利用するか」

 大きなため息をついた智恵は静かに目を瞑った。

「美炎ちゃんはどちら側かしら」

「ちぃねぇの味方だよ」

 屈託のない笑顔で自身を見つめる美炎に、自然と落ち着いた。

「ふふ、おねぇさん、心配事ばかりで迷いっていたのかも、今のは忘れて」

「わかっているよ」

「そうそう、これを彼から」

 ポケットから手渡された手紙を手にし、顔を真っ赤にさせた。

「は、服部先輩だってちぃねぇ!か、彼とかそういうのじゃ」

「あら、私なにも付き合っているとか聞いてないわよ」

 誤魔化すように手紙の封を開け、文面を見るなり嬉しさと優しさの入りまじった表情になり、やがて真剣な表情に取って変わられた。

「うん、確かに受け取ったよ」

「管理局を騙して一基新造するのは大変だったのよ。でも、これは私たちからの信頼の証。明日から大変だけど、がんばりましょう」

「ありがとう。私は蟷螂の斧かもしれないけれど、やり遂げてみせるよ。なせばなる!」

 

 



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たるかす!

 この日のために準備してきた。

 手にした小烏丸の抜き身を構え、切先をぴたりと静止させた。これならば外すことは絶対にない。自身の使命と刀使であることを選ぶことは同一ではなかった。母の御刀を手にすることになったあの日から、誓いを果たすために一年を誰にも意を介さず過ごした。余計な人間関係を持てば、その人に迷惑がかかる。

 静かに鞘に戻された小烏丸をしばし見つめ、尾を返して部屋を出た。

 彼女の名前は十条姫和、

 約束されたこの日からを始める一人である。

 

 午後二時半、観客席にはチケットを入手できた一般客、各校から希望で見学に来た生徒。関連組織からの招待客が来ていた。高覧席には未だ紫は来ていないものの、学長たちが続々と到着し始めていた。

 美濃関の学長羽島恵麻は招待客の一人の元を訪れていた。

「そうですねぇ、私としては是非に可奈美ちゃんに優勝してもらいたいです。そうでなくては去年みっちりと稽古に付き合ってあげた意味がありませんから」

 陸上自衛隊の制服に一等陸士の階級章、そして糸巻鍔をモチーフに扱った部隊章が左腕に縫い付けられている。髪を後ろに大きく結び、一九歳にしてはあまりに大人びた面立ちをしている。

 彼女の名は木曽輝。元親衛隊にして美濃関のOBである。

「輝さんは随分と衛藤さんに肩入れしていたものね。わざわざ一年の任期を残して美濃関に戻ってきてね」

「可奈美の実力は本物。それも美奈都さんも目じゃないくらいの実力者。それに今の親衛隊の中核メンバーは私の自慢の後輩たちです。必ず見極めて見せますよ」

「それで、自衛隊の方はどう?」

「毎日訓練と剣術指導の毎日です。現代の軍隊に必要か疑問ですが」

「ふふふ、元気そうでよかった。私は席に戻るわね」

「えぇー一緒にここで見ましょうよぉ」

「私は学長よ?ごめんね」

「はい!それではまた!」

 羽島の背中が遠ざかると、腕時計を見て次に高覧席に現れた紫へと目線が走った。

「紫様、ことは決められましたように」

 司会の案内に従って代表選手である二人が中央に相対するように立った。夜見は会場の正門前に立ち、まっすぐ二人の試合が見える位置に立っていた。満席にも関わらず歓声のない緊張に張り詰めた会場に自然と心躍っていた。

 審判が二人の間に立ち、大きく声を張り上げた。

「これより御前試合をはじめる! 東方衛藤可奈美!西方十条姫和!双方!抜刀」

 少し嬉しそうな可奈美と対照的に姫和は殺気が満ち満ちていた。

「写シ!」

 二人の全身に白い輝きが纏われる。

「構え!」

 可奈美は青眼、姫和は霞の構えとなる。

「始め!」

 姫和が縦横無尽に攻めかかり、それに対して驚きつつも正確に剣筋を読んで避けては小さく刃を返す。しかし、可奈美は自身を意識して刀を振っていないことに気がついた。

そのことに観客席最上段から見守っていた早苗も気づいていた。

(十条さんは何を見ている)

 素人技ではない二人の太刀は、彼女たちからしたら惰性のままに剣が交わり、可奈美は姫和の剣と体動を観察した。そしてやや間合いを離した途端、姫和の見ていたものに合点がいった。

(紫様)

「動くなよ、衛藤」

 パッと姿を消した姫和の動きを観客や刀使たちは目視できない。ただ二人、可奈美と夜見だけが紫の座席へと目を向けていた。

「え」

立ち位置ゆえの偶然であった。だが、彼女の目には姫和の太刀を弾いた刀が、闇夜を見つめる瞳の中から引き出されていたことに気がついた。ほんの一瞬である。

「馬鹿な!」

「ほう一つノ太刀か。しかし、まだ届かぬな」

 二刀の間断なき切りつけが姫和の写シを切り剥がし、砂利場へと投げ出された。

「十条姫和、お前は何をしているのか分かっているのか」

 親衛隊が紫の前へと踏み出し、再び前へと踏み出そうとした姫和の腕を、可奈美は強く引っ張った。

「何をする!」

「このまま斬られるだけだよ!」

 二人が顔を合わしている間に会場警備の刀使たちが二人を囲い始め、そこへと結芽が飛び込んで可奈美と姫和を押し込んだ。

「へへへ、おねぇさんたち!結芽の相手なんだよね」

「十条さん!」

「ちっ」

 二人は飛び上がって会場外へと去っていった。

「追え!必ず捕らえるんだ!」

 親衛隊支隊のほとんどの刀使が塀を越えて次々と二人を追従する。その中には葉菜と由依の姿もあった。

「じゃあ手筈通りだね葉菜しゃん」

「ああ!二人を追跡から振り切らせる!」

 それとは対照的に夜見は呆然と立ち尽くしていた。その前へと結芽が嬉しそうに立った。

「どういうことなんですか」

「たった今ね、小烏丸のおねぇさんが紫様に刃を突き立てたんだよ」

「なぜ」

 結芽は顔をぐっと目の泳ぐ夜見へと近づけた。

「見たんだよね。紫様のはべらしている荒魂の輝きを」

 夜見は思わず後退りした。

「知っていたのですか」

「うん、いつかは相手をしなくちゃいけない大きな大きな敵。でもそれは、紫様という人を取り戻してから、夜見おねぇさんには何がなんだか分からないだろうけどね」

 汗が滲み、思わず尻餅をついた。夜見を見下す無邪気な瞳は何もかもを見通しながら、無知な彼女をせせら笑っているようであった。

 

 観客や招待客への説明に運営が右往左往する中、警備隊員の待機テントには早苗が俯いたまま静かに座っていた。その隣へと夜見が座った。

「早苗さん」

「夜見さん」

 無理に笑顔を取り繕って見せた早苗に応えて、少しばかり顔を和らげた。

「あのね、私、十条さんとは同級生だったんだ。不器用だけど、根はまっすぐで、でも」

 迷いは混じっているものの、確信に満ちた目がまっすぐ夜見を見た。

「十条さんは何もかもを背負おうとして、あの行動に走ったんじゃないかな」

「それは」

「紫様に切先を立てることを正しいとは思えない。でも、道理に敵わないことを誰よりも許さない人だから」

「あの、早苗さん。誰も本当のことを教えてくれない。私はもどかしくて、もどかしくって。まるでみんな知っていたようで」

「知っていた?」

「まるで」

 夜見の頭を会ってきた人々の不審な言葉が重なる。早苗はそっと顔を近づけ、小さく話を交わし始めた。

「十条姫和さんは一人で動いていない、本人が気づいていないだけで多くの人が背後で動いている!」

「十条さんの動機は不純なものとは考えられない、というのが私の意見だけど、一人で紫様をそれも御前試合という公の場でことを起こした。失敗する確率が大きい。現に失敗した」

「だからこそ組織内部にも十条さんを支援する人間がいる。それも綿密に筋立てた組織的な計画」

「夜見さん、これは刃傷沙汰ではなく」

「反抗、それも明確な。でもなんで」

 そこへ大声で怒鳴られ、すぐに顔を上げた。そこには美炎の姿があった。

「みんな十条姫和を捜索しているのに、なに二人でひそひそ話しているの!そんなのじゃ彼女の関係者か何かと思われるよ!立って!」

「ごめんなさい安桜さん!行こう!」

 しかし、夜見と早苗が少しばかり駆け出すのを、呆れたようにその背中を目で追った。

「安桜さん」

「今の聞かなかったことにしようか」

「え?」

「だから〜みんなでお茶しない?焦ったってしょうがない、私たちじゃ追いつけっこないし」

 早苗は思わず首を傾げた。

「なぜ、そう言えるの」

「おそらく獅童さんたち親衛隊はこうなることを事前に察知していた。すでに密偵が二人の動向を追っている。そして十条姫和との内通者はいる。そいつらが追跡班を撹乱するのは必定、すぐに戻ってくるよ。荒魂だって現れるかもしれないしね」

 ごくごく自然でありながら、事態を見透かしていたような口ぶりに二人は唖然とした。

「安桜さん、あなたはどこまで知っているのですか」

「まぁ、皐月さんが勘づいていた時も、その前から、二人はこの先何があっても今のままでいることはできない。いつかは選択するしかない。でも、その選択が世界を救うことにも破壊することにもなる。二人はさ、早苗と夜見はどうするの?」

「ただ、最善を尽くす」

「最善って?夜見」

「私が良かれと考えたままを」

 美炎は小さくため息をついて背中を向けた。

「ならその通りにすれば?早苗は」

 早苗はしばし目線を離してから、美炎へと顔を向けた。

「ここに来たからには今の場所で私のすべきことを成す。私はただ刀使の本分を果たすだけ、美炎さんはどうなの」

 美炎は身を翻し、二人に向き直った。

「私の大事な人たちを守るためだよ。簡単だね」

「いいえ、素敵です」

 夜見のふとした一言に強張った美炎の表情が自然とほぐれた。

「夜見のよかれと思うことは」

「私の信じた私を最後まで信じること」

「なるほどね、それ、絶対に曲げないでよ」

「うん」

 三人が話し込んでいる間に、施設まわりには隊員たちが戻って足を休めていた。そして、口々に二人を見失った旨の話が苦々しげに交わされていた。

 

 それから世間での騒ぎもすぐに収まり、気づけば二人を真剣に追っているのは特祭隊だけであった。そこまでに二日ほど、その日は西アジアでのテロ事件が大きくニュースに取り上げられ、多くの関心はそちらへと流れていった。

 親衛隊員は二人の追跡のために控え所に戻ることはなく。夜見は殺気立つ支隊員の空気の中、ただ黙々と自分に与えられた仕事をこなした。

「はぁ」

 あの現場にいた人間として事情聴取を受けたのは昨夜のこと、しかし紫の後ろから現れた荒魂、そしてそれが真実と言わんばかりの結芽の言葉を話すことはなかった。当事者となった彼女についに二人の追跡班としての配属が決まった。

 書類の整理を終え、大きく天井を見上げた。事務室に差し込む光は翳りはじめていた。

「暁ちゃんに電話してみよう」

 砂利の前庭を歩みながら、手元の端末でダイヤルした。

 応答の音が何度も何度も耳に響く、期待が薄れかけた時、聞き慣れたあの口調が走った。

〔夜見から電話なんて珍しいな、どうした〕

「うん、あのね」

 暁には何もかもを話そうと考えていたが、その声を前に一歩立ち止まってしまった。

〔先日のことだろ、別にいいんだぞ〕

 そう、ふとした彼女の歩み寄りが自然と心を落ち着かせた。

「ううん、聞いてほしいの。誰に言うべきか迷って、そうしたら暁の顔が浮かんだの」

〔そっか、いいよ。それで、どうした〕

 夜見は御前試合からの日のことを洗いざらい話した。

自身の能力と憑き物。言葉を濁す仲間たち。折神紫と荒魂。そして流されるままの自分。

〔そう、何にもわかんねぇんだな。つれぇだろ〕

「うん、私は私を信じてくれるみんなのために頑張っている。でも、結局わたしだけがそれに満足して、独りよがりに頑張っているつもりになっている。そんな気がして」

〔はぁ、そいつらは馬鹿だよ、大馬鹿〕

「え?」

〔お前がこんなに追い詰められるまで思いを巡らしているのに、自分から気付いてやろうとしない。夜見の思いを汲んだ気になっている。私には夜見がどれだけ大変なのか、お前じゃないから分かってやれないこともある。けどよ、夜見が考えている以上に夜見は刀使らしいよ。自信持っていいんだぜ〕

「うん」

〔誰も信じられなくなって、自分一人に思えることもある。でも、本当は夜見が私の十倍もすごいんだって、頑張っているって、くやくなったし、背中を押してもらえて嬉しかったんだ。大平での追撃戦の時、怖がりなお前がバイクで騎兵もどきなんてって驚いたけど、進んでいるんだよお前は一歩ずつ、でも誰も知らない可能性を持って〕

「うん」

〔泣くなよ!鼻声じゃん!〕

「あ、暁こそ」

〔うるさい!私は、私の今いる場所で頑張るよ〕

「こちらこそ、私もがんばる」

 夜見は手のひらで顔を押し拭いた。

〔でも、いざとなったら助けに行ってやる!でも最後の最後まで諦めんなよ!〕

「暁ちゃん、ありがとうね。私の友達でいてくれて」

〔おう、こちらこそありがとうな、諦めないでいてくれて〕

 別れを告げると、端末を置き自身の刀へと目を向けた。そして大きく深呼吸をした。

 彼女の目はまだ迷いを含んでいたが、奥底の白い輝きははっきりとしていた。

 そうしていると、入り口から受付へと真っ直ぐに向かってくる足音が耳に入った。

「皐月さん」

 聞き慣れた透き通った声色に、急ぎ受付を出て彼女の前に立った。

「寿々花さん。いかがしましたか」

 いつもとは異なるやや含みのある笑顔が、不気味さを感じさせた。

「明日の遠征についてですが、紫様が私たち親衛隊本隊に同道することを指示されましたわ。それをあなたに伝えにまいりましたの」

「はい、ありがとうございます。しかし、なぜに寿々花様が直々に私めのような見習いの元を」

「ふふ、気にする必要はございませんわ、あなたは親衛隊の候補生になるかもしれないのですから」

「え」

 驚き口をぽかんと開く彼女の、そのありきたりな反応に寿々花は落ち着いた笑顔を見せた。

「あなたには確かに能力的な欠陥がある。しかし、それを補ってあまりある可能性を持っている。紫様はあなたをそう評されていましたわ。そして、いかなる事態にも混乱をせず、最良の選択をする。それも、その場がより混沌とするほど」

「それは買いかぶり過ぎです。私はそこまで立派ではありません」

「私もそう思いますの」

 厳しさに裏打ちされた寿々花の反感が、言葉裏に血を通わせている。

「あなたは公明にすぎる。それは今を平穏にするために必要な判断とは、異なる悪手を指すことになりかねない。なぜあなたは今になって現れたのでしょうね」

「それは」

「そうですわね。でも、紫様は試すと仰せになりました。それは皐月夜見が、これから当事者として全ての事態を受け入れるか否かにかかっています。そして現親衛隊の面々はあなたが信用に足るか、紫様の言葉なしではそれに及ばないことをあなたに申し伝えます」

「ずいぶんと、はっきりとおっしゃいますね」

 その言葉に自嘲の失笑がクスリとこぼれた。

「ごめんなさい。でも、明日はそういう日になり、そこにはあなたがいることを否応でも実感することになる。私からささやかな警告ですわ」

「痛み入ります」

「それではおやすみなさい夜見さん。また明日」

 そう言うと控え所前の闇の中へと去っていった。

 

「今日も宿舎には戻られないのですね。みなさん」

 



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でびるず・とらいあんぐる!

 二人の足取りは都内から離れ、森の奥深さが増すごとに追跡が困難になっていく。親衛隊と自衛隊対荒魂班は途中から国道を外れる二つの影を追った。

「スペクトラムファインダーにこんな使い方が」

「現在のスペクトラムファインダーは荒魂の金属反応を探知する方式。それがこうして珠鋼の反応を逆探に応用できる。二人が自分たちの身を守るために御刀が必要であればあるほど、僕たちの追手は免れない」

 しかし、そう説明する真希の口調には怒気がこもっていた。それもそのはず、追跡隊が二人を追ってすでに三日、雪那からの執拗な催促に苛立ちを隠せないでいた。

 そんな真希の感情を逆撫でするように落ち着いた口調で、沙耶香はタブレットの地図を示した。

「ここから西に五キロの場所に反応がある」

「藪塚という場所か、この付近に拠点を置いて捜索入る。結芽、出番だ」

「はぁーい、やっと私の活躍を夜見おねぇさんに見せられるね」

「皐月夜見、君は結芽に同行してその仕事を見守れ、目標を見つけた時は容赦するな」

「はい」

 場違いなほど明るい結芽が照らし出したのは、異常なほどに高まりきった緊張である。夜見は自身もそうした場違いであり、結芽とは異なった自身の弱さを自覚した上での立場であった。そして、姫和と可奈美の二人を本当に殺しそうな真希と寿々花から自然と距離を置こうとした。

「さぁ行くよ、夜見お姉さん!」

 彼女の後に続き森の中に入っていく、結芽はスペクトラムを見ることもなく見当違いの方向に向かって駆けていく。夜見は彼女の全ての行動が不可解であり、しかし嫌いにはなれなかった。

 結芽は開けた場所で足を止め、周りを一周見渡してから夜見を一瞥してからニッカリ青江を抜き払った。

「夜見お姉さん、見ててね結芽のすごいところ」

「え」

 右腕を刃で切り裂くと勢いよく流れ出した血が、草むらにボタリボたりと音を立てて滴り落ちた。その血は琥珀色に輝き、血の中から琥珀色をした烏が幾十、幾百と森中へと飛び込んでいく。

「結芽さん、あなたは何を」

「ノロを取り込んでその能力を拡大する。そして結芽はこうしてその能力と同時に、荒魂を生み出して使役できるの!夜見お姉さんもこうすれば強くなれるよ」

 強くなれる。それは魅惑的な言葉と結芽は思ったのかもしれない。だが夜見は寒々とするほどに頭が冴え切っていた。姫和が紫に刃向かった理由は簡単だった。それもあまりに分かりやすいが、それを巧妙に隠し続けることで、一人二人では立ち向かえない存在になっている。そして、繰り返し自分に問いかけた。

(私はどうするべきなの)

「夜見おねーさん!」

「は」

「そんなに感動してもらってるとこでごめんね。でも見つけたよ二人を、それに見つかっちゃいけない余計な人たちも」

「余計?」

 さっきのような思いで結芽の顔を真っ直ぐ見られなかった。

「小烏丸と千鳥のおねぇさんたちは真希お姉さんたちに連絡した。でもあとの二人をどうするかは夜見おねえさんに任せるよ」

「それは、紫様の命令ですか」

「結芽は結芽の裁量でしか動かないよ。だってみんな結芽なしじゃ何もできないんだもの」

両頬を吊り上げているが目は笑っていない。夜見は冷静に結芽の敷いたレールに乗るしか手がないことをよく理解していた。動く以外に理解する術はない。

「でもなぜ私に」

「それを理解したいなら言ってよ。まっすぐいった場所で足止めしているから」

 夜見は何度も結芽に振り返りながら、指さした方へまっすぐ向かっていった。やがてカラスの羽音も止み、川の流れる谷間へとやってきていた。

 あたりを見回しながら、聞き慣れた自分を呼ぶ声が聞こえた。それは崖の間から木の間をかき分ける足音とともに夜見の視界に入ってきた。

「やれやれ夜見さんを出してくるとは、折神紫は何を考えているのだか」

「益子さん」

 薫の飄々とした立ち方と、いつもの袮々切丸ではない御刀が腰に佩いているのに違和感を感じた。薫は夜見の間合いに入らず、手で注射を打つジェスチャーをした。

 それに対して夜見は首を振った。

「そっか、それじゃ」

 薫は鯉口を切った途端、夜見が弾け飛ぶように下がり、それに続く打ち廻しを必死でいなしながら迅移で大きく引いた。自身の汗が額にしっとりと濡れている感触がした。

「いい反応じゃないか、自分のハンデを気にせず使える手は全て使う。好きだねぇ」

 夜見は薫が目で上を指していることに気がついた。おそるおそる上目で空を見るとそこにはドローンが一機、こちらへ向けてカメラを向けているのが見えた。

「そうですね。これは手ぬかりできませんね」

 夜見は飛び込み、繰り返し回り込んで薫に打ち込みをかけた。そして薫は苦しそうに鍔迫り合いで夜見の動きを封じた。

「もしかしてあなたは姫和さんを支えている一人ですか」

「ほほぅそこまで気がついていたか」

「なら空のアレにも、結芽さんの言葉にも合点がいきます」

「わざとか」

 強引に突き飛ばして、薫の鋭い打ち廻りと猿叫の間を掻い潜るように小さく声を張った。

「わたし、見たんですよ」

「ベストポジションだったからな、折神紫のご指名か」

「そこまではわかりません。でも!」

「今日のはお前を餌にする気満々と!」

 夜見は銀糸を引き出し小柄を用いて薫の攻撃ルートを限定していく、二人が進んでいくうちに森の深く茂る場所に入り込んだ。ドローンは二人を探して見当違いの方向に飛んでいった。

「今だろ、写シ解いとけ」

「お言葉に甘えさせていただきます」

 お互いに写シを取り、稽古をするように互いの動きを確かめ合うように刃を合わせ続けた。

「見たのには気づいてないだろ。だけど、夜見は俺と二人で話をした。それで十分だろ」

 夜見の悲しげな目が静かにうなづいた。

「私がおそらく荒魂を生み出す結芽さんを知らなくても、私があなたに接触し、何かを聞き出そうとすることで」

「俺から重大な何かを知ろうと、まぁ夜見のスパイ扱いもありそうだな」

「はい、それで」

「夜見の思い描いている通りだ。どうする」

 薫はまっすぐ夜見の目を見た。

「来るか?俺たちの舞草に」

「お断りします」

「へ?」

 夜見は間合いを離し、光差し込む森の中で上空のドローンに向けて小柄を投げ、結びつけていた銀糸を力一杯に引くと割れる音が奥の茂みから響いた。

「私は荒魂になって刀使をしようとする紫様たちを許せない。理由はあるでしょうが、今日まで私を含めそれを隠してきた。でも、同じくらいに公の場で混乱を起こしたあなたたちも許せない!たとえそこに正義があっても、十条さん一人を矢面に立てる手段を取った時点で私はあなたたちを信じるつもりはない」

(はは、やべぇ。自分の立てた作戦でスカウトに失敗した)

 しばし頭を掻いてから夜見に向き直った。

「そうだな、強引だったな。でもそうしなければならない事態になっているのだったら、お前さんも同じことをしたろうな」

「それは」

「おお、悪かった。意地の悪いこと言ったな。それでどうする」

「言ってしまいました。私はもうどちらとも関わりません」

「言ったな。でも俺は優柔不断だからよ、気が変わったらこれ」

 薫の投げたカードには一つのQRコードがプリントされていた。

「じゃあな、俺もあいつらを逃がす仕事があるんでな」

「はい、私もつい落としてしまいましたから、その後始末を」

「ついってか」

 夜見の顔に迷いはなかった。薫は何を言っても彼女を引き込むことはできないと気付いた。お互いのことを少し笑って、ほとんどは互いの立場の重さを思い合った。

 薫の背中を見守ることもせず、半壊したドローンを抱えて谷を下っていった。

 

 温泉街の中央に置かれた捜索本部に一人の刀使が顔を見せていた。

「ドーモ!長船女学園から来ました古波蔵エレンです」

「何の用だ」

 エレンに向かって叩きつけられる真希の猜疑の眼差しに背筋が凍りついた。

「真庭学長がぜひにS装備を投入したいと提案したいと思いまして」

「そんなおもちゃは僕たちには不要だ。寿々花、出るぞ」

「ええ、皐月さんはどんなつもりかわかりませんが、お仕置きが必要のようですね」

 エレンは空気を読まぬように目的は山狩ではと言い放った。

「帰ったら真庭学長に言っておけ、私たちは決して裏切り者を許さないとな」

「ハイ!反応が楽しみですネ!」

 互いに不敵の笑みを突き付け合い、寿々花は小さくため息を漏らした。

 真希は尾を反し、山の中へと分け入っていった。やがて気合の咆哮とともに木が崩れ落ちる音が聞こえた。エレンは本部を離れたと見せかけて、無人となった指揮所に入り込んだ。

 そこは真希と寿々花それに沙耶香の私室扱いのために、二人がいなくなってからは警備も含めて手薄であった。

「おそらくはユメユメが薫と皐月さんを引き合わせたのでしょう。対立派閥とは言え、こうもあからさまに遊ばれるのは心外デース。私たちは仲間なのに」

 エレンは真希と寿々花ら捜索隊が結芽を起点として動き、結芽の意思次第で姫和と可奈美の脱出ルートが阻まれる可能性があり、指揮所での情報収集は薫と自身が親衛隊から疑われていることを示すのみだった。

「薫はおそらくは、そうだ!サーヤは!」

「ここだよ」

 先ほどまで誰もいなかった指揮所には、銀髪の少女が背の高いエレンを見上げていた。驚きのまま二歩ほど後退りした。

「エレンさん。仲間同士、助け合うのは当然。結芽には薫へヘイトを集中させるように言ってある。でも、真希と寿々花は結芽に対してプライドがあるから、彼女の情報や指示を鵜呑みにしない。最後は十条姫和と衛藤可奈美の実力次第」

「サーヤ、そういうところデース。でもあの二人であれば」

「うん、一縷の望みはある。なぜなら真希と寿々花は」

 

 真希は姫和しか見ていなかった。河原という不安定な地形を物ともせず、剛柔併せ持った真希の剣に敵う相手ではない。それゆえに、可奈美の独特の感性が真希の焦りを敏感に、そして一瞬の隙を突いた。投げ放った刀は真希の写シを打ち破った。

「そんな!バカな」

 真希の膝を突く合間を縫って二人は遠く、河原から森の中を分け入っていく。日の傾く中を遠く遠く見据えて、真希は歯軋りを立てた。

「僕が至らないばかりに、裏切り者一人を捕まえることもできない。結芽の隣に立つことも叶わない。なのに、ノロは僕を拒絶するばかり!なぜだ!」

 自分の弱さを小さく、自身に向かって発した。その目は赤い輝きと闘志に燃え盛っていた。

 ふと森の奥から足音が響く。

 真希が目を向けた先には、常に気迫を感じられない夜見の姿があった。

「獅童さん!お怪我はありませんか」

 煩わしい。偶然が重なってここに来た彼女に、事態を読み、身を置く覚悟があるようには考えられなかった。たかだか一月も満たない見習い刀使が、こうして渦中の最深部に足を踏み入れようとしている。可愛くない、図々しくそして無知蒙昧。

「皐月夜見、君はなぜ今になって刀使になった。悪いことは言わない、すぐにでも警ら科に戻るべきだろう」

 真希は立ち上がり、刀を鞘に戻した。そして夜見の悲しげな、しかし冷たい目を見てすぐに逸らした。鼓動が激しく波打つ、蔑如した夜見から失われた何かを直視しまいとしたように感じられた。

「そうですね。それもいいかもしれませんね。それが定めだと、逃れられないことだと自分に言い聞かせられるのなら、私は全身全霊でその道を貫くでしょうね」

「それは」

「でも私は刀使になれました。それが私の道です。そう信じるために私はここにいます」

 真希は夜見の言葉を流れる熱い何かを感じて、小さく問いかけた。聞いてみたくなった。意を決し夜見の目を見た。

「その道は自分の願いを散々に打ち砕くと知ることになってもか」

 夜見の無表情であるが、目はまっすぐ真希を見つめていた。自身を信じ、慕ってくれる出会いの日の頑なな少女の目であった。

「それは願っていた自分に逃げることです。ここは願いを叶えた先です。私は願いを支えてくれた人たちのために刀使であり続けること、この道の険しさを私は今だ全てを知りません」

「薔薇の道を裸足で行く気か」

「はい、とても痛いです」

 真希はふと思った。今の自分たちを如何様に問われることがあっても、その存在を相応しくないと問われても。彼女に親衛隊に居てほしいと思い、願った。

 



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らうんど・あばうと!

夜見と真希が語らっている頃、早苗は事情聴取を受けていた。

理由は彼女が姫和と短期間ながらも、同級生として過ごした経歴からであった。しかし、早苗にとって隠すべき事実は何もなかった。それは彼女が支隊入りするまでの短期間、姫和が多くを語らなかったことが彼女のアリバイを証明することになった。

(だからと言って、十条さんがどこまで心を開いていたかわからなくなるのは、どうも)

 彼女に対する捜査員の態度は落ちついたもので、早苗の姫和に対する所感まで踏み入ることはなく、ただ早苗と同じように御前試合に共に来ていた清香、そして学長にさえ彼女の態度は一貫しており、その事実は彼女にも共有された。

「またどうして」

「いやはや、十条姫和さんというお人、全ての関係者に思いを伏せていたようで、失礼ながら、あなたにもそうでないかと思うとったんです。私らもこれ以上は調べようがなく」

「そうでしたか、お力になれず」

「いえよろしいのです。しかし、まぁなんというか」

 早苗はようやく聴き渋っていることがあるのに気がついた。

「はい、私たちも難しい立場で」

「そうですねぇ、お互い、自由に動けませんから」

 この捜査員は警視庁捜査第十三課の刀使関係を専門にしており、刀使たちからは有事の戦力として頼れる分、組織内の事件では敵になることが多く毛嫌いされていた。その捜査員の口から動けないという匂わせ方をされた。それは彼女自身も感じていたことであった。

「支隊メンバーはすぐに十条さんの捜索から外されました。もちろん、通常任務への復帰は必要でしょう。でも、捜索には親衛隊と自衛隊の対荒魂部隊のみ、支隊は一才の関与も話を聞くこともゆるされていません」

 捜査員は顔を硬くし、小さく頷いた。

「やはりですか。私の独り言です。十条さんはパンドラの箱を開いたのやもしれません」

「では独り言をひとつ。もう流されるまましかないのかもしれません」

「ええ」

 お互いに突きつけあった渋い顔が、頑なな組織の絶対的な法が事態を悪化させることを感じさせる。そして、一個人として組織を相手取るにはあまりに実力も、情報もなかった。早苗は自身の小ささを今一度感じることとなった。

 

 翌日の昼、事務仕事を引き継げるように書類を整え、ひと月ほどを過ごした部屋も整理し終えた。たとえ残るように命令されても、親衛隊から出て行くことを決めていた。これが今の事態を起こした人々へのささやかなレジスタンスである。あまりにもか細い蟷螂の斧。

「夜見さん」

 扉の前で板についた作り笑いを浮かべる寿々花に違和感を感じながら、無表情のまま彼女に相対した。

「紫様がお呼びですわ」

「はい」

 夜見は彼女の公の人間として、冷徹で平等の判断と対応ができる人間であることを尊敬していた。反面、今の彼女の自身に対する怒りの内を晒す相手に、自身が相応しくないと見られていることに僅かばかりの不満があった。

 特祭隊本部棟は明治末に建てられ、古典的な西洋風建築の内部は自然光のみで長廊下を明るく照らし出した。それはまるで処刑台に向かう囚人のようでもあった。

 凝った彫刻の扉には家紋の鶴が両合わせに、向き合うように掘られていた。

入室と共に寿々花は紫に一礼をしながら、親衛隊隊員が並ぶ中へと立った。真希、寿々花、沙耶香、結芽と四人の中央には大きな机があり、一才の災厄を寄せ付けぬ威風堂々とした風格を纏う折神紫が座していた。

「皐月夜見、昨日はご苦労であったな」

「はいっ」

 恐れず、はっきりと紫の目を見た。夜見は知りたかった事実に対して、自身の気持ちにさっぱりとした気持ちであった。

「しかしドローンを落とすのは感心しない。以後はあのようなことは控えるように」

「はい、そのように致します」

「うむ、沙耶香」

「はい」

 沙耶香は背にしていた棚から親衛隊の茶と金の制服を納めた盆を手にし、それを夜見の前へと持ってきた。沙耶香は夜見に対して無関心そのものであった。

「皐月夜見よ、お前を正式に特祭隊本部親衛隊の五人目に迎える。より一層励め」

 受け取った盆に載った制服を眺めた。あの憧れた刀使の象徴であり、頂点に位置する親衛隊の制服。秋田を出て、鎌府に入り、夢と思い諦めていた親衛隊隊員の末席が目の前にある。そして、それだけで十分なのもはっきりした。今の親衛隊に私の居場所はない。

 夜見は盆を手に机の前に進み出た。

「親衛隊末席を謹んで辞退させていただきます」

 盆を優しい手つきで机に置き、わずかに紫の方へと寄せると数歩引いた。

 嫌悪を露わにする寿々花、目を逸らす真希、笑顔の結芽、無表情のままの沙耶香。紫は微動だにせず、小さく口を開いた。

「理由を聞こう」

「私が辞退する理由は簡単です。今のままを受け入れることが、私の刀使としての使命に反すると考えたからです」

「ノロを受け入れることは凶暴化する荒魂への対抗、それを隠していたのは組織の不穏分子を警戒した故、お前を監視していたのは迷わず刀使と戦えるかを見極めるため、お前が望むなら全ての理由を話そう」

 夜見は冷ややかに首を振った。

「刀使はそのノロと人の均衡を保ち、荒魂となったノロを祓い、守る。それは、人が刀使の力を誤った方向に向かわせないための抑止力。それを破り、あまつや人とノロ、そしてその使命に力を貸すことで応えてくれる珠鋼を裏切った時点で、私に紫様のお手伝いをすることはできません」

「道理に叶っている。だが、お前はそれだけか」

 紫の目は疑いではなく、ひたすらに夜見の本心をのみ欲しているように感じられた。

「私がなぜここにいるのか、紫様は問いかけられました。考えました。でも答えはいつも一緒でした。私は自分に正真正銘の刀使になれたことを誇りたいからです。憧れと僻みだけではない、出会いと信頼を改めて知り、そして簡単には行かない人と人との間に迷い、悩み続けている。それは、今こうして刀使であるからこそ感じられたこと、それを裏切り、私が邪と思うことを行うことは昔の自分に誓ってできません!」

 紫はかすかに微笑を浮かべた。

「皐月夜見、お前は刀使への推薦書の備考欄にこう評されていた。困難な場所でこそ公平たりうる。それを私こと犬上は勇気と呼びたい。なるほど頑なで、扱い難い」

 夜見は紫にそれでも行くのかと問われた気がした。他にも戦い方があるぞと、諭された気がした。夜見はわからなくなった。目の前にいる折神紫がはたして本当に荒魂なのか、彼女に向けられる暖かさに少しばかりの迷いが生まれた。

「わかった。しかし、機密を知った以上は元には戻れんぞ」

「はい、覚悟はできております」

「では、お前に航空自衛隊特殊救護部隊への出向を命じる。お前は刀使として、表から消えるのだ」

「ありがとうございました。辞令を謹んで承ります」

 深く礼をすると局長室の重い扉を押し開き、閉じながら四人と紫の顔を見やった。そしてガチャリと閉じ、手が震えていることにようやく気がついた。

 

空が白み始め、簡単にまとめた荷物と御刀を手に親衛隊待機所を出た。砂利道を歩みながら、時々振り返って今までのことを思い起こした。これでよかったのかと、不安が生まれた。

「夜見さん?」

 その聴き知った声に驚き、思わず笑顔になった。

「早苗さん」

 姫和の捜索班に参加して以来、支隊の見知ったメンバーに出会うことは少なかった。

「その姿、どうしたの」

「早苗さんこそ、こんなに朝早く」

 お互い困ったという表情を突き付け合い、嘘をつく理由がないのを理解した。

「ここ数日間、自分が何もできずに流されていくのが嫌になってね。でも、私ができることなんかたかが知れているから、浜に海を見に行って気持ちでも整理しようかとね」

 あの日を、あれからずっと一緒に戦っていた仲間がいる。自分に折り合いをつけたからこそ、早苗の力になりたかった。

「駅まで歩かない?簡単に話すから」

 簡単というには簡潔かつ、重大な事柄が全て詰め込まれていた。早苗は夜見の置かれた立場を理解し、そして事態を俯瞰するに足りうる情報を全て得た。

 鎌倉駅前に到着し、そこには一台のオリーブドラブに塗装されたパジェロが夜見を待っていた。

「ありがとう。できることは少ないかも知れないけど、私も戦ってみる」

「戦う?」

「うん、十条さんが一人で抱えた思いは間違ってなかった。でも、不可解なことも多い。だから私なりに足掻いてみたいの、夜見さんが立ち向かったように」

「立ち向かうとは違う。確認したんだよ、でもあそこには紫様という一人の人間がいたように思えた。だからもう一度、紫様と話がしたい、思いを知りたい。だから私も諦めない」

 早苗は何かに気がつき、少しばかり考えた。

「私ね、体重が五キロ増えたの!」

「えぇ!」

「美味しいものが大好きで、全国の任務の合間に食べすぎたみたいなの、うぅ」

 早苗の言わんとすることが理解できて、夜見は少しばかり頭を掻いた。

「実はね、ちっちゃい女の子が好きなの」

「あら」

「結芽さんみたいなちっちゃくて可愛い子って、目のやり場がなくって、でもいつも遊びに来てくれるのが嬉しくって大変だった」

 照れながらお互いに顔を見あって、笑顔になった。

「秘密ですよ。二人だけの」

「そっちこそね」

 夜見は御刀に手を添えた。その顔にさっきまでの迷いは消えていた。

「行ってくるよ早苗」

 

 この日、皐月夜見は鎌府の学籍と親衛隊支隊の名簿から除籍と処理される。そして可奈美と姫和が折神朱音と接触し、事態は大きなうねりを描くことになる。

 

 

 

 

第一部『銀糸の刀使」完

 

 



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二ツノ鏡

 再び巡り来る眠りの中は、溢れんばかりの星の海に漂うように、現実感のない夢うつつの世界。だが、立ち止まった揺り船は夜見に可能性の未来を見せる。

 

また、私の記憶なの?

 

「またね〜夜見ちゃ〜ん!」

「また明日ね!」

夕赤に染められた駅前、高校近くに住む二人の同級生の友達と別れて、定期を改札にかざすとポーンという音と共に彼女をホームへ通した。

「そうだ!おとうちゃん駅までひろいに来てくれないかな」

 慣れた手つきで端末を操作すると、父へとメールを送信した。ふと電車が来る方向へと目を向けた。梅雨明けが秋田気象台から出され、日も長くなり、製菓部の活動も少し広めにレパートリーを広げられるようになった。

「夜見か」

 反対側から懐かしい声がかかり、振り向くとそこには美濃関の制服にスカジャンを着流し、背中には御刀の鞘が見えた。髪はすっかり伸びているが、鋭い目元に浮かぶ笑顔が変わっていないと気づかせた。

「暁。どうしたの、もしかして任務」

「ああ、そんなとこ。そっか、同じ高一なんだっけか」

「そうだよ、美濃関は中高一貫だから気にしないだろうけど」

 夜見が陽気に見せるブレザー姿を見て、嬉しそうに笑顔をみせた。

「ブレザー似合うな、五箇伝の刀使は巫女服風のセーラーがほとんどだから、身近な奴が着ていると珍しく思えるよ」

「巫女服いいじゃん、どの高校も濃紺のブレザーで何の特徴もないし、暁ちゃんみたいにちょっとしたお目溢しもないんだから」

「わりぃわりぃ。でもよ、角館まで足伸ばす機会が岐阜行ってからあんまりないからさ、ずっと会いたいとは思っていたんだよ」

「そっか、私は暁なら大丈夫って思ってたよ。いつかひょっこりと顔出すってね」

 明るく晴れやかな夜見を見て、暁は少し残念そうに息を吐いた。

「この時間まで学校で何してたんだよ。部活か」

「そうだよ」

 カバンの中から、包みに入れたカップケーキを取り出した。

「そういえば、ケーキ屋が夢だったな」

「今なら製菓屋さんって言うかな、秋田市の専門学校に行けるよう勉強中だよ」

「ふぅん」

 渡されたカップケーキをまじまじと見て、目を輝かせながら食べていいかと尋ねた。

「もちろん」

 バナナがやや不器用に顔を出すケーキを一口ほおばると、暁の顔が綻んだ。そのまま、一口一口を大事そうに食べ、ケーキの敷紙をビニールの包みに戻した。

「ごちそうさま」

 ずっと暁の顔をのぞいていた夜見は、どうだったかと聞いた。

「ちと生地の甘さを控えめにしたんだな。それでバナナの甘さが引き立っていた。でもちょっとパサっとしていた?」

「おお!よく気づきました!甘さ調整はうまくいったんだけど、焼き上がりの時間調整がまだ試行錯誤で、以前はちょっとクッキー生地みたいな食感になったから、ちょっとはマシになってるよ」

「うん、おいしいよ。私は好きだぜ」

「どういたしまして、ケーキ好きのあなたにそう言ってもらえるなら光栄だわ」

 そうしているうちに駅に列車が入ってきた。

「わたしはこの駅で降りるんだ。すまねぇ、二人仲間を待たせちまっているかも」

「そっか、会えてよかった。なら!」

 夜見はカップケーキをもう三つ、暁に手渡した。

「そのお仲間さんにもあげる。あと足りないだろうから、暁にもう一個」

「夜見」

 穏やかな笑顔に含むところを感じたが、夜見は気にしないよう満遍の笑みを見せた。

「またね。暁!」

 電車が発車すると、暁と夜見は互いに手を振り続けた。

 やがて電車が離れ、暁の姿が見えなくなると、ポロポロと涙が落ちてきた。座席に座りながら、声を押し殺して泣き続けた。

 

 

 あれから一夜明け、慣れた調子で支度を整えていると、食卓に座る。父と祖父、それに帰省していた下の兄が険しい表情でテレビを見ていた。

「どうしたの」

「鎌倉で大荒魂が暴れたそうだ!」

「えっ!」

 のちに『鎌倉特別危険廃棄物漏出問題』と呼ばれる事件は、半年に渡って問題を起こし続けた。

  

 私はただの高校生。

 刀使になれない私ができることは、何もなかった。

 

 

 



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第二章 憑神の咆哮
はぁーと・おぶ・ごーるど!


 出向してから既に二週間が経とうとしていた。

 ここは航空自衛隊岐阜基地、飛行実験団のお膝元であり、航空救難団とは繋がりのない場所であるが、それに関係なく辺境の飛行場で日々を送っていた。

 彼女はいたって慣れた面持ちで駐屯地での生活を送っていた。

「皐月ちゃんは特祭隊の中で最も厳しい支隊に居たのだから、自衛隊の規則程度は余裕かな」

 夜見はその板についた笑い方をする上司の態度に辟易し始めたいた。それは、第一線から遠ざけられたことがより不満を加速させていた。

「いえ、学ぶべきことは多いです木曽班長」

「そう?いやぁこう畏まられると恥ずかしいな、ははは」

 だからといって、親衛隊と決別した以上は背に腹は変えられなかった。

「あ!今日はね小銃の照準器具の適応訓練ね!」

 航空自衛隊岐阜基地の郊外施設、射撃訓練を行う野外演習場のテーブルには輝の言う小銃と照準器具、それに関係がなさそうな装備品がずらりと並べられていた。

「点呼しまーす!皐月夜見さん!」

「はい」

「よろしい。では説明を始める。いつもどおり今日の訓練で全部覚えるように」

 輝は手慣れた手つきで砂色と黒色のツートンカラーの小銃を手に持った。

「これがSOPMOD BLOK3 URG-iという小銃です。口径は5.56mmいつも使っている89式と同じですね!伸縮する銃床に、ハンドガードはM-LOKと呼ばれる拡張装備を採用、排炎器にはこうして消音器が装着できます」

 小銃にはサプレッサーを差し込み、補助照準器と呼称するホロサイトを載せ、ハンドガードにはスリングを取り付ける器具、PEQとフラッシュサイト、保持しやすいようにグリップを取り付けた。そして三十発を込めた弾倉を差し込み、初弾を装填し、標的に向けて五発を撃ち込んだ。

「じゃあやってみようか!」

「質問よろしいですか」

「おう!なんなりと」

「私は何の訓練を受けているんですか」

 夜見の察しの良さは聞き及んでいた。しかし、周囲の状況や外のことを熱心に調べ回っているあたり、一週間もしないうちに気付いていたのだろうと感じられた。

「うむ、我々は他の隊員と同じ訓練をしているよ」

「はい、しかし、この基地の隊員のそれではありませんよね。ラペリング、暗視装置、ヘリからの降下、見たことのない銃器の取り扱い、C4の使い方と応用、森林での隠密、無線機の使用方法、要救護者発見時の連携、それと銃器と刀の併用に関する理論」

(この子は私より飲み込みが早い、しかし溶け込みすぎるのもな)

「木曽班長殿、願います」

 夜見の真顔での問いかけにたじろぎながら、小さくため息をついた。

「皐月ちゃん、私らがここにいるのはね紫様からの命令だからさ。それも二人だけの紫様からの舞草への助け舟を出すためのね」

「舞草、御前試合での人情沙汰を助けた」

「その口ぶりだと舞草の人間を知っているみたいだね。でも、私たちが紫様にとって敵であるはずの舞草を助ける理由がどこにあるのかな」

 夜見はその問いにすぐに首を振った。

「なら今の紫様は人格が分裂している。一人の人間が矛盾した行動と言葉を重ねているように感じられます。でも紫様は私を気にかけてくれました。それがここにいる理由なら私はまだ戦える」

「矛盾の裏に真意が見えると、良いカンしているよ。紫様は己が身に宿している荒魂と共存しながら戦っている。文字通り、あの体の中で人格が分裂している。同時に本来の紫様自身も」

 嘘偽りを絶対にしない。それは返してそうした行動が総じて苦手と言っているのと変わらない。輝は改めて夜見がそれにふさわしい人物と見直した。輝の言葉に目を瞬かせながらも、姿勢を崩さずまっすぐ向き合っている。

「細かいことは後で話してあげる。でも時間ないから訓練を再開しよう」

「これからのために、この訓練は大事なことですか」

「めちゃくちゃ大事」

 夜見はスリングを結びつけ、スコープを装着すると慣れた手つきでチェストリグに弾倉を差しこんでいった。そしてヘッドセットとヘルメットをつけて前へと進み出た。

「うん、じゃあいつものを3セット、準備は」

「いつでも」

 ホイッスルが鳴ると即座に駆け出していった。

 

 

「今日の稽古はここまで」

 6人の長船の刀使とそれに対する制服の異なる刀使たちは御刀を納め、お互い疲れを含んだ笑顔で手をとりあった。

「うん、舞衣を中心に連携できるようになってきたな。正直、このメンバー全員がフォワードの実力がある。今のように互いに密なカバーを行えば、戦力を保持しながら前進が可能だろう」

 舞衣はその言葉に笑顔になりながら、少し離れた位置に立つ親衛隊の制服を着た少女の前にたった。

「沙耶香ちゃんが全体を見てくれるから助かるよ」

 白い髪の彼女は小さな笑顔で首を横に振った。

「ううん、舞衣は隊全体がバラバラにならないよう、みんなとの距離を整えてくれる。私は可奈美や姫和と同じようにしていただけ」

 可奈美はわざとらしく首を傾げて見せ、姫和はぶっきらぼうに口を開いた。

「舞衣の指示を正しく理解するために、互いの動きを見逃さないようにする習慣がついただけだ」

「そうだなぁ、だからもっと素直であるべきだよなぁエターナルひよよん!」

「だから、その呼び方はやめろ!」

 稽古場となっている神社の境内に夕日が差し込む。それは水面に反射して一筋の線を描いていた。赤々と浮かび上がる港町の輪郭がはっきりと見渡せた。

ここは近畿地方の海辺に面した小さな入江の港町、江戸時代は千石船が頻繁に入っていたが今は小さな漁港として落ち着いている。

 長い階段を駆け降りていく可奈美を追いかけると、夕日に赤く染まる海は一面を紅碧と白の境界が薄曇りの瀬戸内海を染めている。

「きれい」

 追いついてきた舞衣も同じ景色を見つめた。

「うん、あれから落ち着いて景色を見ることもなかったから」

「みんなとここに来られてよかった」

「ん、どうしてだよ」

 ねねが頭を飛び越えて、沙耶香の頭に乗った。

「友達とこうして過ごせることがなかったから、新鮮」

「いや沙耶香、今日は縁日がある!縁日はみんなで遊び尽くす!まだまだ、いくぞーっ!」

「ねねーっ!」

「ハイーっ!行きまショウ!」

 駆け出した二人に戻ってきていた可奈美もついていった。

 その背中を見ながら、微妙な顔で沙耶香の見ている景色を共に見た。

「沙耶香」

「なに、姫和」

「お前は、高津学長のもとに帰らなくていいのか」

 沙耶香は苦笑いで首を横に振った。

「先生なら、きっと行ってきなさいって背中を押してくれると思う。でも、いつかは戻る。そう決めて、みんなと一緒に戦うって決めたから。姫和はいいの?姫和も一人で背負うって決めていたのだよね?」

 なぜだろうと、考えいった顔をしていると、可奈美が三人へと大声で何かを呼びかけていた。その姿を見て、自然と笑顔になった。

「誰かが手を引っ張るせいで、いつのまにか色々な人に助けられていた。それもいいと思えたんだ」

 互いに穏やかな笑顔で微笑み、舞衣は口を挟まずと二人の言葉に聞き入っていた。

 

 着替えのある宿舎まで薫とエレンは近づくと、ふと口を開いた。

「なんだよ、かわいいとこあるじゃねぇか」

「親衛隊の並びにいると、冷徹の権化でしたからネ」

「ねねー!」

「おう、誰かの言葉にバカ正直なところもな」

「じゃあ、サーヤの情報通り」

 薫の顔から笑みが消し飛び、大きく息を吸った。

「ああ、来週にも折神家が襲ってくる。色々準備しねぇとな」

 

 その日は、港町にもう一つある折神家の神社での夏祭りが行われた。

 参道には縁日の屋台が連なり、舞草のメンバーが用意してくれた浴衣に着替えて、六人は祭りへ繰り出した。

 沙耶香は見るもの全てが新鮮そうであった。そして、全力で味わい、遊び、笑い合った。

そうしているうちに朱音による奉納演舞が始まり、そして、その後に可奈美と姫和は朱音たちに呼び出された。薫とエレンも仕事があるからと、足早に舞草の刀使達と合流していった。

 そうして、舞衣と二人で海の見える海岸線まで歩いてきた。

 満足そうに笑顔を見せる沙耶香の無邪気さに、舞衣も笑顔になっていた。

「いっぱい遊んだね」

「うん、とっても遊んだ。これが夏祭りなんだ」

「沙耶香ちゃんは、お祭りに来たことはないの?」

 笑顔がすぐに寂しげな色を醸し出し、舞衣は慌てた。

「ごめんね、つらいなら話さなくてもいいんだよ」

「ううん、舞衣には聞いて欲しかったから」

 沙耶香には義理の姉がいたと話した。

 長らく孤児院にいたために、色々なことに無関心で過ごして、雪那に引き取られてから、美香という女性からさまざまなことを教えてもらった。

 夏祭りの楽しさも彼女から聞き及んでいたという。

「そのおねぇさんは、今」

「うん、もういないんだ。事故だったの」

 沙耶香の幼い頬を涙が頬を伝った。

「私が、もっと強かったら、あんなことにはならなかった。なんで、生きてるんだろう」

 舞衣は沙耶香を抱き寄せた。頭をやさしく撫でながら、もういいよと優しく言った。

「話してくれてありがとう。私ね、こうして沙耶香ちゃんが生きていてくれて嬉しいよ」

「なんで、そこまで、やさしくしてくれるの」

「だって、沙耶香ちゃんに出会えたんだもの」

 袂に深く抱きつきながら、か細くありがとうと言った。

 

 祭りの賑やかな囃子が遠く聞こえてくる。そして、さざめく波音が夜に染まるのを知らせている。月明かりは水面を照らし、二人の影をぼんやりと映し出した。

 



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らいでぃーん!

 

 指揮所に進み出てきた雪那の自信に満ちた清々しい表情で巨大なモニターを見上げた。そこには、これから親衛隊と自衛隊の部隊が突入する港町の姿があった。指揮所の人員が突入準備完了を告げると、そこへ折神紫も姿を現した。

「紫様、このようなところにいらっしゃらずと、私どもで朗報をお持ちいたしますのに」

「構わない。肩透かしを受けても私は動じない。高津雪那」

 笑顔で頷いた彼女は腕の時計を見て、再び紫に目を向けた。

「どうした」

 不満ではないが、疑問があるといった視線を紫へと向けた。

「なぜに親衛隊に、それも燕のみに主力を任せて獅童と此花に、安桜美炎の捕縛を命令するのです?」

「お前の持ってきた情報を信頼してだ。あの娘は少々特殊でな、葉隠であってもなくても、脅威に変わりはない」

「かしこまりました。しかして安桜美炎が諜報員であること以外に、どうして脅威と」

 見透かしたような冷たい笑みを浮かべるが、雪那に顔を向けることはなくモニターを見上げている。しかし、雪那も落ち着きを払ったさっぱりとした表情でモニターに目線を戻した。

「江ノ島での大災厄の折、安桜美炎の母親の胸に清光の破片が入り込む事故が起きた。だがその破片は彼女と同化、それは子である安桜美炎へ受け継がれた。そのノロも」

 雪那の額に汗が滲んだ。

「それは珠鋼が同化していると」

「お前にとっても脅威よな。あの糸見沙耶香の他に特別な存在があると知れて」

はじめて雪那の顔を見た紫の笑みを前に、背筋が凍りつくような悪寒が走った。

「沙耶香はなんとしてもこちらへ引き戻します。それに紫様に敵うものがありましょうか」

「そうだとよいな」

 雪那は紫に背を向けて、オペレーターの見るスペクトラム系と識別信号のGPS地図を見つめた。すでに人員は動き出し、先行して結芽の放った荒魂が赤い波となって港町を包み始めていた。

(まさかとは考えていたが、事は急ぐべきか)

 

 

 山林を駆け抜ける二つの暗い影がピタリと止まり、暗視鏡で互いの姿を認めた。ヘリから降りてはや一時間、十キロの山道を走破した二人に疲れはなく、むしろ独特の緊張感に包まれていた。

〔こちらライン1、ここより一キロで室津港に入る。周囲はスペクトラム計と黙示監視の森だ。目標を間違えず、確実にピックアップポイントに運ぶ〕

〔ライン2、無線傍受の可能性は?〕

 輝きは水筒の口を開け、小さく一口ほどの水を含み飲んだ。

〔ライン1、協力者の専用回線を使用している。もし突入側が傍受しているのが知れれば外交問題となるだろう。君も水分を取っておけ、おむつを恥ずかしがるのはなしよ〕

(セクハラ)

 夜見も腕に取り付けた端末の情報を見ながら、ハイドレーション容器から伸びるストローから塩っ気のある液体を口に含んだ。やがて地図上に赤い波が港を覆うように現れるのを確認した。

〔こちらライン2、赤いカラスが来ます〕

 輝は暗視装置を外し、黒い空を駆ける赤い輝きと森中に響き渡る羽音が状況の異常さを感じさせた。

「皐月ちゃんの言っていた結芽の侍らせる荒魂か」

 すると、闇に同化する二人の前へ狙い済ましたように一匹のカラスが舞い降りた。その笑うような人間的な表情が、夜見に小銃を構えさせた。

「グワァー」

 カラスは小さく飛び立つと、室津方面の山道に降り立ち、二人へと再び叫び呼んだ。

「本当に内通者なのですね、結芽さん」

 

 

 市街地はすでに混合部隊によって制圧が進みつつあった。そして、その部隊の中で美炎は捕虜となった長船の生徒たちを護送車に誘導していた。

(怪我人を出さないなんて、燕さんがしてくれるわけがない)

 装弾済みの小銃と対刀使クロスボウを構えた自衛隊員の困惑気味の表情、そしてそれを前に明確な敵意の表情を隠さない舞草の刀使もいた。投降したのは、殺し合いが無意味であることを悟っての行動だったのだろう。

「美炎ちゃん、まるで死人が出たみたいな顔してるよ」

 由依のついた一言に考える前に左頬を叩いていた。自分の行動に気がついた時、由依は平気と言った表情を浮かべて、美炎の襟を強く引き寄せて耳に口を近づけた。

「上にドローン見えるよね。獅童さんが私にこう言えと指令したのよ、沙耶香の側近でないことを証明したければとね。いなくなって形振り構っていられなくなったみたいだね」

 美炎は唾を飲んだ。

「親衛隊はあなたを殺す気だよ。今回の遠征はそのためだろうね」

「し、獅童さんと此花さんがそんな」

「わかってないな。余裕がなくなったんだよ、自分の責任に対する余裕がね」

「それは」

 美炎を突き放し、由依は背中を向けた。

「東へ逃げな。助けも来るしね」

「ごめん」

「うん」

 駆け出した美炎は森へと入る道に差し掛かると、自身を頭上から追うドローンの姿を認めた。そして、目の前に立つ影を認めて間合いの外へと下がった。全ての感情を押し殺すように口を紡ぐ真希の目が赤く輝いていた。

「そういう命令だ。安桜美炎」

 迷いのない斬り付けが美炎を追う。写シを張っていないのにも関わらず素早い斬り付けが美炎を追う。だが美炎は違和感を感じた、獅童真希の太刀筋が読めるほどに荒い。

 清光の柄に手をかけたが、一太刀で写シを張っていない真希の胴を斬れることに戸惑った。

「安桜、迷うか?」

 容赦を払うように振り落とされた太刀は、脇から飛び込んで来た突きによって弾かれ、絶え間ない突きと払いが美炎から真希を遠ざけた。

「何!?」

「なにだって?刀使のとの字も忘れたバラガキに、こうして剣のイロハを思い出させてるんじゃねぇか」

 自衛隊の迷彩服に古風な木製銃床の小銃を手にし、銃口下に取り付けられている銃剣がその影を白く包み込んていた。

「これは写シ!」

「落ちたか獅童。お前には優しさじゃなくてちゃんとした厳しさが必要らしいな」

 鋭い目に甘色の髪が月明かりによってはっきりとした。

「木曽先輩」

 輝は美炎へと振り返ると、美炎のあっけに取られた表情を見て笑顔で笑った。

「あははは、あ、なんか皐月のやつと気が合いそうだわ。あいつは要領いいけど、安桜は無鉄砲」

「き、木曽先輩!そこまで言う?」

「事実だけど、いいことでもあるのよ。こうして来てくれた。右手の坂を越えて!そこにもう一人仲間がいるから」

 笑いこそすれど、目は怒りに満ち満ちていた。

「は、はい」

 再び走り出した美炎を追おうとした真希を、輝はすぐに転ばした。真希が輝きと睨み合う間に美炎は闇夜に消えていた。

「いくぞ、バラガキ。シメてやる」

 真希の斬り付けが走り、輝は至極落ち着いた足取りで彼女の斬撃をいなす。そして、あっさりと小手投げによって地面に投げ出された。

「たとえ狂えどもと思ったが」

 顔を上げた真希は間合いの離れた輝が、顔色を変えずに待っているのを見て、起き上がった。

「ふざけているのか」

「お前はふざけているように見えたか」

 赤い輝きは消え、諦めに似た涙ぐむように歯軋りを立てた。

「わかるように努力している。だからこそ、信じていた仲間の背中に指を刺すような真似をしたくなかった。でも、現実はもっとひどいものだった。裏切り者を利用して、真に危険な人物を秘密裏に殺すべしと、そうしたら皐月が、沙耶香が消えた。僕はもう刀使でいたくない、こんなことをするために刀を振るってきたわけじゃない」

 輝は言葉を続けようとするその区切りに割り込むように、大きなため息をついた。

「まだ結果に辿りつかないうちに結論を急ぐのは、結果にこだわって過程をおろそかにしたやつと同じだ。写シを張れ、同じ刀使に相対するならそれが礼儀だ」

「だが!」

「お前はまだそこで戦わなくちゃいけない。それは哀れな存在に落ちるのではない、事実を受け入れられる一人の人間になるための道!お前の心で決めろ、まだ峠にも差し掛かってないぞ」

 突っ込んで来た輝の突きをいなし、体が自然と銃剣の重心をずらし、輝に突きを加えていた。真希の体には白い輝きが纏われていた。

「ならば、ならば僕はもう殺さない。あなたと安桜を捕らえて洗いざらい話してもらう」

「おう、飢えたる者は求めろ。第一席!」

 二人が写シを張った。その事実が端末のスペクトラム計に映し出されていた。

 夜見は腰に帯びた漆黒の拵えに包まれた兼光を見つめた。

(スペクトラム計の波長を吸収する素材を使った拵、これのおかげでここに来れた。これを抜いた途端に私は発見される。木曽さんはどうやって逃げるつもりなんだ)

 木曽から誘導された方向から一人の人影が現れた。そしてスペクトラム計に美炎以外の七つの反応が近づきつつあることにも気づいた。

「美炎さんの先回りをするつもりね」

 照準器を覗いた夜見は静かにセレクターを単発に切り替えた。

「よかった。みんな写シを張っている。そうでなければ素早い初動もなかったか」

 照準を最後部左手の刀使に合わせながら、木曽の言葉を思い出していた。

 作戦直前に机上で人間相手の標的を示しながら、その攻撃方法を指導していた。

「珠鋼とはいえ、刀使の写シに弾丸は効力を示さない。通常の弾丸はすり抜けるし、単純に珠鋼で整形した弾丸は体内に残らない限り、写シに対して致命傷にはならない。クロスボウの矢っていう手もあるけど、遠距離には向かないし、大弓を持っていくわけにはいかない。そこでうちら謹製のは、着弾と同時に先が六つに割れ、そのまま貫通する!なら条約違反の弾丸と変わらない、大事なのは珠鋼を着弾時に変形させることで、御刀での斬撃と同じ効果を実現させる。六連撃を一点に打ち込めば、写シは文字通り吹っ飛ぶ!んまぁ、やばすぎるので、私らの代で加工法は消去済みだけどね」

「三尉殿」

 輝は夜見の言おうとしていることを理解していた。

「皐月ちゃんには写シを張った人間に限定して射撃の許可を出す。と、まぁお題目を並べるわけだけど、御刀を抜くか、射撃するかの最終判断はあなたにあるのよね。刀使といえどもその気になれば素肌の人間を斬り殺せる、射撃はかすり傷でも人を苦しめる。その状況を現実にしたくないのなら、それが起こる前に決着をつける。そのための珠鋼弾、最善の手を尽くせ。そのために撃たないのも、抜かないのも正解だよ」

 夜見は左右を向いて狭窄する視界を回復させた。照準器のメモリを計算して、十分な距離を確保したと確認、引き金を引いた。銃口に取り付けられた消音器によって発射光は消え、蒸気が抜けたような籠った破裂音が響く。

「はうっ」

 写シの剥がれた刀使が勢いよく崩れ落ちた。足を止めた人影に続き、五人の刀使も散開しつつ周囲を見ている。夜見はそれを待っていた。

(木曽さんの言う通り、スペクトラム計はノロ内の金属反応を探知する方式。それは御刀の珠鋼も探知できると言うこと、山狩りの時も益子さんたちの動向が丸見えだったのはこれが理由だった)

 五人の刀使が木陰へ隠れるが、射撃位置がわからず見当違いの場所にいた。夜見は美炎の方へ歩きつつ、足を止めて二人の写シを貫き払った。だが音の反響しやすい森の中、消音機といえども完全には消音しきれず、最初に足を止めた刀使は移動している夜見の位置を察知し、木陰を縫って前進し始めた。そして五人とは異なる特徴的な制服に気がついた。

(あれは、此花さん!さすがに実力が違う)

 夜見は美炎が向かっている方向とは見当違いの山肌を登り、距離をとりつつ照準する。

 見覚えのある小柄の刀使が必死に寿々花を探しているのに気づいた。

(工藤さん、ごめん)

 その刀使と後ろで腰を屈めていた刀使から写シを奪い、残るは寿々花ともう一人の刀使のみになった。だが、寿々花が夜見の構えている方向から美炎の方向へと踵を返して、迅移を発動した。

(誘うか、私が美炎さんを待っていると気づいて!)

 夜見は山肌を駆け降りた。もはや迷っている暇はない、寿々花を倒すか倒されるか、この二者択一しか残っていない。

「来なさい。卑怯な狙撃手さん」

 

 



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でぃーぷ・れっど!

 

 

 寿々花は聞こえなくなった銃声を無視して、本来の目的の方向に駆け出した。ついてくる隊員がいるものの、音と端末の反応を頼りに追うその姿を見れば時間の問題であるのは明らかだった。

 しかし、自分一人が生き残れば目的は達成される。そのためのやむなき犠牲と割り切った。

「さぁどうでますか」

 美炎の始末とともに、協力者もまとめて始末する。ドライな判断ができる寿々花ならではの行動であるだけに、夜見は考えるまもなく鞘を握った。だが、手を離して膝を突き、小銃を構えた。

(ならこっちに来てもらうまで!)

 寿々花の動きが鈍る瞬間を狙い澄まして引き金を引いた。そうして放たれた音に気付き、寿々花がまっすぐ夜見の方へと視線を移した。その目は笑っていた。

(見つかった)

「誰っ!」

 聞き覚えのある溌剌とした声。今の状況で最も出会したくなかった人物が、息を切らせながら後ろに立っていた。

「バカっ、ああ」

 唇を強く噛み締めながら、答えている暇はないと言い放った。

「その声、夜見?」

 美炎の天性の感の良さは、わずかにひと月ほどの生活の間でもひしひしと感じられた。それが本人の証拠であり、場をややこしくするには十二分の理由であった。

「よかった!生きていたんだ」

 彼女の心の底からのよろこびに緊張感が絆された。

「み、美炎さん!状況わかっているんですか!来てるんですよ」

「ええ、間に合いましてよ」

 咄嗟に盾にした小銃が照準器などのアクセサリーごと真っ二つになった。夜見は美炎を背中で押し下がりながら間合いを離した。正眼の構えのままおだやかなで静かな笑顔が冷たいそれに変わった。この寿々花に何を言っても無駄なのは理解できた。

「まさか夜見さん、あなたも舞草でしたの、やはり紫様の判断は正しかった。真希さんが迷うなら私が払って差しあげませんと」

 真っ二つになった小銃を捨て、ついに鯉口を切った。体にのしかかる重みを無視して、寿々花を押さんと何度も叩く。しかし、流れるように刃を流し、夜見の斬撃を全て避けた。二人の如何ともし難い実力差を美炎は感じ、一つの決断をした。

「夜見!何分持たせられる?」

 間合いを離した隙に、夜見は二分と短く、しかしはっきりと答えた。

「わかった!コード!ディープ・レッド!」

 端末にそう叫び、美炎は山肌を駆け出した。

「どこへ行きますの!」

 夜見を突き飛ばし駆け出そうとした寿々花の足を、何十にも張り巡らされた銀糸が絡め取っていた。

「皐月夜見!あなたは!」

「弱い人間は手段は選ばない!」

 刀で無理矢理に裂き抜け、青ざめる夜見を一太刀で斬り伏せた。勢いよく崩れ落ちた夜見は木に背中を打ち、そのまま写シも消し飛んだ。それを逃さぬように寿々花は切先をまっすぐ夜見の胸に走らせた。その目は赤く濁っている。

「真希さんに恥をかかせて!あなたは!」

 その時である。刃は跳ねるように空へと弾かれ、その目の前を紫炎の輝きを帯びた閃光がすかさず袈裟斬りへ移る。寿々花は無意識に二歩間合いを離して斬撃を避け、そのまま紫炎は寿々花を追い立てるように何度も斬撃を加え、赤い濁りが瞳から引き、その突拍子のない不規則な斬り付けを避けるので手一杯になった。

(この雑多な型を自在に操る戦い方は!)

 鬼を象った面に胸当てには金の輝きが鈍る。朱に彩られた簡易な鎧に身を包み、夜見を守るように立ち塞がったのはS装備を着た美炎である。しかもS装備にあるまじき特異な衣装が、寿々花の怒りに触れた。

「たしかに抹殺の対象ですわね。あなたは間違いなく葉隠ですわ」

「此花さん。あなたを説得できるとは思っていません。でも私はあなたを尊敬すべき先輩と思っています。だからこそ!あなたと同じことはしない!」

 跳ねるような、丁寧な足取りから繰り出される優美な太刀筋は、正確に人体の急所を狙う。親衛隊第二席の実力はたとえS装備を着たとて容易な相手ではない。

(だからこそ煽った)

 寿々花の焦りを感じながら、寿々花から仕込まれた冷静さを保つ呼吸と歩数の技術を使いながら、決定打となりうる斬り付けをすべていなした。寿々花は斬ることにこだわるあまり、少しずつ平静を削がれていった。

「なぜ、どうして!」

「今の此花さんに私は勝てる!」

 呼吸が乱れた一拍の間、その隙間に滑り込ませるように額を小さく斬り叩き、寿々花の体とともに写シが叩き砕かれ、地面に叩きつけられた。無理な姿勢で刀を振るい続けた寿々花の敗北であった。

「残念です」

 美炎は寿々花に背を向けその一言を小さく言い置くと、夜見を起こして茂みを進み出した。二人を追うことをせず、その背中が稜線の向こうに消えるのを見送った。

「私は認めません」

 

 夜見は朦朧としながら、美炎に指をさしつつ予定の方向へと歩みを進めた。

「ねぇ、私って甘いのかな」

 鬼を象った半頭の中から覗く、覚悟を決めかねた寂しさを通わす目に、夜見は足取りを強くし、美炎の肩組みを解いた。

「夜見!まだ歩くのは辛いでしょ!」

「美炎さん。甘いのは此花さんたちです!あなたは」

 厳しさのある言葉には、美炎への思いゆえに優しさが滲んでいる。

「あなたはずっとその覚悟を抱いて、でも簡単じゃなかったんですよね。プレッシャーの中でずっと、ずっと耐えながら、孤独な戦いを続けてきた。今のあなたは此花さんよりも強い!剣ではなくて、あなたの姿が全て教えてくれていますよ」

 最初の厳しさをよそに、やがてうれしそうに美炎への感動を伝える。嘘をつけないからこそ、自分に隠し事をしない美炎の言葉を、姿勢を心から尊敬できると言い続ける。美炎はそんな夜見の言葉に照れ臭くなっていった。

「も、もういいから!わかった!ありがとう!助けに来てくれてありがとう!早く合流地点に行こうよ!」

 二人が進み続けた先に一台のハイエースが停まっているのに気付いた。夜見は木陰に入り、暗視装置を下げて信号灯を数回打った。やがて車側から照会の信号が返され、立ち上がった彼女は大きく手を振った。そして車の影から手を振りかえす人が現れた。

「木曽班長だ」

 しかし、その身なりは土埃で真っ白になっていた。美炎は獅童との激しい戦闘を感じた。木曽は笑顔でこそあれ、彼女も合流時間間際の到着であったようで、顔を空に向けて息を切らせた。

「まさか、獅童さんと戦ったんですか」

「当然でしょ、皐月ちゃんと合流する前に始末されたら、私らが来た意味がないからね」

 そう気を張る輝の姿は、一才の余裕がなかったと言わんばかりであった。

「聞きたいことはわかるよ。でもね、私が親衛隊を獅童に任せると決めたのは、あいつに絶対敵わないと確信したからさ、強さは私が折紙つけて第一席に推薦したんだから、頑張ったんだよ、わたしはね。ははは」

 三人はその場で制服の上からツナギを着て、御刀や装備を探知防止素材で作られた収納に収めた。車に乗車すると輝は崩れるように気絶してしまった。

「だいじょうぶですか木曽先輩!」

ドライバー席にいた強面の隊員が輝の寝息を確かめた。

「よほどの激戦だったらしいな。眠っただけだ、飯の匂いでも嗅ぎとれば勝手に起きるだろう」

 笑顔を見せた隊員の顔を見て夜見の顔が凍りついた。

「な、流三佐!」

 キョトンとする美炎は思わず夜見へ聞き返した。

「き、救難団は要人・機材救出が専門の木曽さんと私のいる部隊の隊長です」

「はじめまして安桜美炎さん。俺は流紅馬。こいつらの上官やっているもんだ」

「ど、どうも」

 紅馬の屈託のない笑顔には異様な凄みがあり、夜見が何に恐怖していたのか薄々感じ取った。

「あんたは必ず俺たちが舞草の元へ送り届ける!救難三隊は朱音派閥であることはよっくよく覚えていてくれ!じゃあ行くぞ!あと皐月!始末書書いてもらうからな」

「ぐぁあ」

 聞いたこともない奇声をあげて落ち込む夜見をよそに、高笑いしながら紅馬は豪快に車を走らせる。こうしてサービスエリアまでの三時間を美炎はもみくちゃにされるが、それはまた別の話である。

 

 倒れた隊員の救出のために作戦本部の人員が、真希と寿々花そして隊員たちを見つけ運び出す。その中の一人に早苗がいた。

 状況はそれらの事態を理解するよりも先に行動することが求められる。親衛隊支隊である以上は紫や親衛隊の命令系統は絶対であるし、それは長年の組織構築の功もあって盤石なものになっている。なればこそ、多くの隊員の抱く疑問や不信感は自然と個人それぞれの胸中に押し込まれる。一つの組織である以上、その中の社会性を不用意に壊すことはできないし、干渉して周囲を瓦解するのはチームとして不健全。

(そうして私たちは自ら動くことのできない、あくまで駒として動いている)

 早苗は現場の状況を本部に報告しながら、倒れている彼らのことを報告していく。しかし、彼らは本当に舞草の襲撃を受けたのだろうか。早苗たちの受け取った通報の内容は、舞草の強力な反撃を受けて逃亡を許したという内容であった。だが、大人数に襲われたにしては、現場には一丁のそれも真っ二つにされた小銃が落ちているだけであった。

 考えを巡らす早苗の前にゆらめくように寿々花が現れた。しばし、互いに見あってから早苗は口を開いた。

「いかがなさいましたか寿々花さま」

「いえ、みなさん考えることはみな同じと思ったまでですわ」

「同じと、はい、まさかこのような報復に出るとは、舞草は侮り難いです」

 その言葉に寿々花は冷めたから笑いをたてた。

「思ってもいないことを、私たちは支隊に紛れ込んだスパイの抹殺をしようとして反撃されたまでですわ」

 冷ややかな微笑に早苗は戸惑った。

「でもこうして反撃を受けて、私もこうして敗北を噛み締めている。どうしてこうなったのでしょうね」

「そのスパイとは」

「早苗さん」

 暗黙の了解がある以上は、踏み込むことはならない。寿々花の諭すような態度が早苗により自身が縮こまるような感覚を抱かせた。あの日以前から、親衛隊がこのために存在してきたことを定められていた。あくまでそのレールの上に互いがいる。寿々花は己が立場を悟り、諦めている。事実を話したのは、早苗がそれを受け入れられる理性の相手と判断したからだろう。

そのことを早苗自身、数ヶ月の中で否が応でも感じていた。

「ごくろうさま早苗さん、これからもよろしくお願いしますわ」

「痛み入ります」

 早苗の前から去っていく寿々花に目を向けることができなかった。

 夜見との誓いを果たせないのではないか、そうして胸が苦しくなる。早苗は地面に目線を落としながらゆっくりと山の稜線をなぞるように見上げた。ふと、荒れた茂みの中に鈍い銀色に輝くものを見つけ出した。

 気になって拾い上げると、それは透彫の入った一本の小柄であった。

(これは兼光に据えられていた小柄。ということは)

 早苗は大きくため息をついてから顔を上げた。その瞳には先程の迷いは無くなっていた。

 



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三ツノ鏡

 はじめは心配が祟り、眠れない日々が続いたが、訓練が重なってくると消灯時間とともに意識が落ちていた。しかし、紙縒りを結び作るように極彩色の夢が紡がれる。

 

 これは、違う。私の記憶じゃない。

 

 第五分隊、第二班の状況は絶望的であった。

 八甲田の暗い雪山、作戦の不備は明瞭だった。

「班長、第四班と連絡がつきません」

 動きやすい薄手の冬季装備の四人は、身を寄せ合って薄曇りに沈む暗闇に目を見晴らせた。

「夜見、バッテリーに不備はないか?」

「はい、耐凍バッテリーに交換済みです」

「そう思った。周囲に目標はいるか?」

「いえ、しかし降雪が止んでクリアです」

 暗視装置越しの世界を見ながら、うさぎを狩る猟師を思い出した。いや、昔読んだ小説も頭によぎっていた。

「羆嵐」

 隊長の低い嘆息が無線越しに聞こえた。

「縁起の悪い。私たちは六線沢の住民じゃないぞ」

 冷ややかな笑いが沸き起こると、それに混じって無線の雑音が聞こえてくると、体の奥から熱が沸き起こった。

〔……こち…こちら…トラ…3…刀使は…田代へ…下って…!〕

「班員!着剣!目視次第、射撃を許可する!夜見は作戦通り」

「はい」

 四人が装置をつけると、風切る音だけが過ぎる。

 旧式の八九式は強引に近代装備をつけ、さらに応急の白色塗装が小銃を不恰好にしている。その中で夜見だけが一人、スコープをつけたM24狙撃小銃を構えていた。

 雪を割く音が聞こえた瞬間、一人の隊員の八九式が真っ二つに裁かれた。

「ああ!」

「米沢!ここを動くんじゃないぞ!」

 茂みへ飛び込んでいく刀使を、隊長ともう一人の隊員が駆けていく。夜見は決められたように、別方向から回り込むように走った。フードを被ると、やや小高い稜線に伏せて小銃を構えた。

(相手は残党屈指の刀使、函館への逃亡をたった一人で成し遂げた傑物。油断はならない)

 作戦は簡単だった。

 その刀使は必ず一対一で対処してきた。自身の速度と技術を生かして各個撃破を徹底してくる。ただその一点の磨かれた戦術で波いる敵を倒してきた、まさに武の権化である。

 だからこそ、各班に狙撃手が付き、他隊員を囮にして刀使を仕留める。

 刀使の足跡を追いかけていた隊員が、足を取られて動きが鈍り出した。それを狙って白い輝きが飛び込んできた。小銃が切られ、さらにそれを追う隊員が射撃するが、迅移の速度に近づけずに切られた。

 しばしの静寂から、白い輝きが飛び退くとそれが消し飛んだ。

(そこっ)

 引き金を引くと、雪原を叩くような音が響いていった。

 耐えていた息を吸うと、つん裂くような冷たさが鼻を突く。

 小銃を構えたまま、積もった雪をかき分けていくと、茶と黄金の制服を着た。桜色の髪が雪の窪みから見えた。

幼い、幼すぎる。

 条件反射で銃口を外していた。少女の左脇を貫通し、血が雪に滲み出ていた。おそらく、肋骨と背骨が砕かれ、肺にも骨が突き刺さっているのは想像がついた。

 か細い呼吸を繋ぎながら、フードを脱いだ夜見を見上げた。

「動かないで、今応急処置を」

「いいよ、いらない」

 優しさを撫で避けられ、彼女の前に膝をついた。

「おねがい、手を握って」

 手袋を脱ぎ、その手を握ると、マメだらけの小さな手が氷のように冷たかった。防寒着もなしに雪山に逃げ込んでいた彼女は、自分よりもはるかに過酷な環境にいたことを感じさせた。

「もう、疲れちゃった。おねーさん、ありがとう」

「どうして」

「一人でさみしかった。結芽のそばにいて」

 両手を握ると、胸を劈かんばかりの罪悪感が湧き起こった。笑顔の彼女が大きく息を吸うと、口から血が流れ出し、手から力が抜け落ちた。

バラバラになった小銃を捨て、拳銃を構えたまま班長が歩んできた。

「刀使は」

「今、旅立ちました」

 夜見は結芽の体を抱え、立ち上がった。

「本田さん。確かに、刀使の力は危険です。ノロから穢れを取る技術が生まれてから、刀使がノロと融合する危険を排除するために、特祭隊は解体になった。でも、荒魂が減らない状況を危惧して刀使が行動を再開したことで中央は、刀使に対する取り締まりを始めました。そして、刀使たちを東北まで追い詰めた。でも、私たちは本当に正しかったのですか?彼女たちの警告にもっと耳を傾けるべきではなかったのですか」

「特高に聞かれれば、お前は」

「ならなんで!なんで、荒魂は一向に減らないのですか!この子は小さな体で今まで人を助けるために、今さっきだって銃器を無効化するだけだった!」

「なら、どうする」

 夜見は泣き腫らした顔で、憎悪の限りを空へと向けた。

「血に塗れた使い捨ての私たちが、彼女たちを救う!遅いと言われても構わない!今すぐ、中央を攻める!」

「一人で、何ができる」

 班長はホルスターに拳銃をしまうと、取り出したスカーフで結芽の口元の血を拭った。

「もううんざりなのは、お前だけじゃない。人を集めよう。私たちの戦力と技術ならクーデターを成功させられる」

 

 かつて、刀使を処理してきた警視庁対刀使特殊処理中隊『鏑矢』は、一月の蜂起によって首都を戦場にし、やがて自衛隊の介入によって壊滅する。

しかし、大阪城地下からの大荒魂の発生が全ての思惑をひっくり返す。

函館から戻ってきた黒衣の刀使たちによる活躍は、夜見の記憶から見えなかった。

 

 クーデター鎮圧が進む最中、仲間と共に潜伏していた万世橋地下室に機関銃弾を撃ち込まれ、射殺される。

 遺体は、身元がわからないほどであり、後年の記録は一貫して行方不明で締められている。

 



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はるでぃん・ほてる!

 岐阜基地から一機のC−2輸送機が飛び立った。

 名目こそ伊勢湾上空での訓練飛行であったが、機体の中には大型のボートと防水スーツを着込んだ夜見、輝、美炎、紅馬の姿があった。

 美炎は説明こそ受けたが、まだ不安そうな表情で三人の顔を見た。

「ほ、本当にパラシュートで降りるんですか?」

 夜見のから笑いを打ち消すように輝が大笑いした。

「そう心配しなくても、美炎ちゃんの降下は私と一緒だから問題ないって」

「でも、陸上で合流できましたよね?」

 紅馬は不気味な笑顔で美炎に笑いかけた。ノロを服用していないのにも関わらず目が輝いて見える。

「早いだろ!空自は舞草側だ!訓練飛行に便乗するのはワケないさ!それに技研から空挺ボートの性能テストもお願いされているんでね!最新機材から飯まで何でも用意できるのさ、あっははははは!」

 そう、あの夜から半日経たないうちに美炎は輸送機に乗せられ、洋上へとパラシュート降下して、ボートに乗って舞草の潜水艦に合流しようと言うのである。夜見は輝と紅馬の性格を知ってか、すでに諦めきった表情で天井を見上げていた。

(夜見はこの数週間で何があったんだろう・・・)

 輸送機の隊員がまもなく予定ポイントに着くと知らせると、ヘルメットとゴーグルをつけられ、輝は美炎とパラシュートのついたベストを着込み、硬く固定した。

 夜見のため息を聞くと、美炎はますます不安になった。

「ねぇ夜見って」

「まだ、まだ降下訓練三回しかやってない。しかも洋上は今日が初めて」

「き、木曽先輩!流三佐!」

「大丈夫、大丈夫!夜見は丈夫だから海を漂っても生きていけるさ!」

 その一言が夜見のハードな二週間半の全てを物語り、つい夜見の頭を撫でた。

「よしよし、本当によく生きていたよ」

「うん、死ななかったのが不思議」

「そこまで」

 輸送機の後部カーゴが開き、強固なフックで体が固定されているが強烈な風圧で目を開いていられない。やがて風が落ち着いてくると、陸地の見えない真っ青な海を輸送機が飛んでいるのに気がついた。

「行くぞ!先にボートを降下!」

 床のレールに沿ってボートとそれに積んだ機材や御刀がパラシュートを広げてはるか向こう側に飛んでいく、何も迷うことなく輝と美炎、そして夜見が空へと飛び込んだ。美炎の絶叫を横目に紅馬は輸送機の隊員に礼を言って自身も空へと飛び込んだ。

 風圧を受けながら三人は適度な高度になるとパラシュートを開き、ボートのある方向へ、ゆっくりと自由落下していく。まもなく海面が近づくと、胴衣に空気を流し込み、パラシュートとの金具を取り外し着水し、しばし水中を潜ってから急速に浮上。美炎は海水の辛さにむせた。

 紅馬と夜見はすぐにボートに取り付いて乗り込み、エンジンを発動すると海を漂う輝と美炎のもとへ走った。

「どうだ皐月!洋上降下も楽しいだろ!」

「はい、二度とごめんです」

「がははははは!」

 紅馬は漂う二人を捕まえると、強烈な力でボートに二人を引き込んだ。輝は笑顔だったが美炎は真っ青になっていた。三人は何が起きたか察して、美炎を労った。

「それじゃ三人とも無事に乗り込んだことだ。あとはピックアップポイントに行くだけだ」

 夜見の操船でボートは水飛沫を立てながら、波浪の少ない海を駆けていく。それでも何度も跳ね。波を登ったりした。それが約三十分つづき、やがてボートは目的のポイントについた。船影ひとつない、真っさらな水平線の向こう側を雲が泳いでいる。その景色に夜見と美炎は見入った。

「きれい。さっきのことが嘘みたい」

「これを一晩中浮かびながら見ていると飽きるぞ」

「三佐、感動が台無しです」

「お、すまんな皐月よ!あはははは」

 やがて、コンパスの北を指す方角に、ゆっくりと波間を裂く黒い影が浮かび上がってきた。

「来たようね。協力者の船で」

 輝は夜見と交代してボートをその黒い影の方向に走らせた。ボートが近づき、横へ周り始めると同時に影の形は変わり、頭の突き出した潜水艦のシルエットであることに夜見と美炎は気がついた。そして、その頭の上に二人の見知ったシルエットが立ち上がったのが見えた。

「か、薫さん!」

「よ、待っていたぜ」

 

 

 艦内に入り、空自の作業服を着替えようとしたが、輝は支隊のワッペンがついたままの鎌府の制服を差し出した。

「わざわざこれを」

 輝は屈託のない笑顔で夜見へ推しやった。

「君はまだ特祭隊の親衛隊末席のままだよ」

「えっ!?」

「あ」

 呆然とする夜見と、話を聞いて何事かと詰め寄ってきた美炎に、輝はまずいことを口走ったことに気がついた。

「木曽さん!」

 嘘を許さない夜見をごまかせる自信のない彼女は、少しばかり頭を掻いてから口を開いた。

「紫様はヤツと同化こそしているが、完全に人格を失ったワケじゃない。それどころか半同化してヤツの暴走を食い止めている。本当はノロを打つのは支隊全員の予定だったが、それがいつの間にか親衛隊だけに切り替わっていた。やったことは取り返しがつかないが、まだ戦っているし、こうして私の元に夜見ちゃんを送り出してくれた」

 美炎は夜見が、折神紫の身に巣食う存在を知らないと気がついた。

「木曽先輩。もうタギツヒメのこと話してもいいでしょ」

「美炎ちゃん」

 輝の鋭い面持ちで考え込み始めた。夜見はそのタギツヒメという名と、紫の背後にいた存在を重ねた。

「まさか、二十年前の」

「気づくわな、夜見さんだったらよ」

 更衣室にいつのまにかいた薫が、不敵な笑みを浮かべて疑義の瞳をまっすぐ見つめた。

「そうだ、折神紫はその体内に大荒魂タギツヒメを封じている。いや、同化しているが今の認識か、二十年前の大災厄はまだ生きている。折神紫の必死の封じ込めも虚しく、ふたたび災厄のトリガーを引こうとしている。さぁさっさと着替えな、舞草中立派の持っている全て情報を、紫派の木曽さんにも話すんだ。こっちはヒヤヒヤなの、察して」

 

 

 どう見ても日本国籍ではない潜水艦の応接間に通された夜見と輝、そして紅馬は、そこで待っていた人物の顔を見て驚いた。

「朱音様」

 席を立ち上がった彼女は、三人にも席へ着くように勧めた。

 名前は聞き及んでいた。しかし、紫の妹という立場の難しさから、中央より外れた名誉職を点々としていた。そのため直接に会う機会もなく、式典の警護中に遠くから彼女の姿を伺うことしかなかった。緊張よりも意外性が優っていたが、輝は体を震わして声を荒らげた。

「あ、朱音様。お、おひさしゅうございます」

「はい、輝。とにかく座って」

 着席後、話は輝と朱音の関係から始まった。というのも紫の警護や、親衛隊人員選抜に訓練教官といった要職を重ねる前の輝は、朱音のお付きであった。

 中央で仕事がしたかった輝を紫のそばへ推薦したのも彼女だった。しかし、夜見は薫の言っていた紫派なる言葉がひっかかっていた。

「木曽さんの、舞草での立場って」

 輝が喋るよりも先に朱音が彼女の立場を話した。

「私の姉である折神紫は、タギツヒメと同化し始めている。そのために、舞草の中には姉共々タギツヒメを封じるか、祓うことを考えている人間が少なくありません。しかし、姉は抵抗し、輝さんやあなたを送り出し、タギツヒメに対抗できる人々に危害を加えぬよう図った。もしかしたら、タギツヒメはそれを蚊ほども気にしていないかもしれない。でも、戦い続ける姉を救いたいと舞草に集った人もいます。輝も、そして私も」

 夜見は紫から感じていた違和感にようやく気がついた。そして、親衛隊に加えようとしたのは内部からの抵抗勢力を欲したため、夜見は折神紫の強かで、恐れを知らない大胆さをまざまざと感じ取った。同時にこうしてレールを敷いてくれた紫に尊敬を抱いた。

「あなたはまだ親衛隊第五席のまま、ここに来てしまった。だからこそ歓迎します皐月夜見さん。舞草へ合流してくれませんか?」

 夜見は視線を少しばかり外し、すぐに朱音へまっすぐ体を向けた。

「私は紫様をタギツヒメから救い出したい!そのために舞草に加わります」

 ゆっくり頷き、朱音は端末で薫とエレンを呼び出した。

「ここからは、薫さんとエレンさんも交えて舞草の持てる情報を全て開示します。あなた方の合流への感謝とそして困難な戦いのこの先を」

二人を交えたタギツヒメがなぜ折神紫と同化したのか、そして紫を飲み込んだタギツヒメの壮大な野望。それを打ち砕くべく暗躍する舞草の存在。だが、舞草内でもタギツヒメの討伐という目的以外に、意見の相違があることも示唆された。

 夜見は、先程の会話にあった奇妙なニュアンスの違いを思い出した。

「ただな、本当は舞草内で内ゲバが起き始めた理由は別にあるんだ。輝さんに夜見を便宜上は紫派と呼んでいるが、それなら朱音様も紫派ということになる。俺がこの言葉を用いているのは、可能性は捨てたくないからこそ、その意見を汲み取る体裁で紫派最巨塔の『悪党』に対抗してるワケ」

 そう言い切ってみせた薫の顔を、全員はまじまじと見つめた。

「俺は責任をとる。つまりは、ダメだと判断したら斬る覚悟はある。その時は煮るなり焼くなりしてくれ」

「そういうワケデース!ところで『悪党』ですが、あくまで派閥を高津学長がそう呼んでいるだけですから、気にしないでください!」

「あの」

「ハイ!何でしょうか夜見さん」

「彼らは朱音様を排除すべき存在と?」

「それは考えすぎデス」

 エレンの事実以上の余念を許さない、はっきりとした物言いに、喉元から出掛かった言葉が詰まった。

「悪党は紫様をタギツヒメから切り離す。そこまでは同じでも、そこからタギツヒメを利用もしくは、その力を征服しようとしている時点で大違いデース」

「征服?大荒魂を!?」

「ソウデス!大荒魂はあらゆる荒魂を支配する力を持つ。御刀もとい写シはノロを封じる力がある。この両方を用いれば、ノロと荒魂をコントロールできると考えているのデース。紫様を玉座に据えた壮大な計画を悪党は考えているのです」

「だが、俺らはまず協力して、タギツヒメを封じなくちゃならん。悪党やら政治的なゴタゴタを鎮めるのはそれからだ」

「大変な仕事になりそうですね」

「おうよ。だがな夜見さんには別にやってもらうことがある」

「え?」

 夜見はそこまで聞いてキョトンとした。薫の口ぶりにはタギツヒメへの攻勢が匂わされた。無論、夜見自身も行くべきと感じていた。

「残念だけど、今の夜見さんは可能性こそあれ、並の刀使にさえ及ばない状態だ」

「でも!」

「たった五分だけ写シを張って気絶するヤツを戦力にはできん」

「ならなぜ」

「俺の予感、けっこう当たるんだぜ?」

 夜見は怪訝そうに、その予感の中身を尋ねた。

「封印は成功する。しかし、その封印の形が俺たちの理想通り、封印され続けるとは限らない。分祀したタギツヒメのノロを狙って舞草内で内乱が起きる。その隙を招じてタギツヒメの復活になられたら困る。夜見の銀糸をな、むすんで大荒魂を封印する結界にする。日本神話には結ぶ神は幾人もいる。もし、それに相当する力が夜見に与えられたなら、最悪への切り札になる。そう踏んだんだ」

 夜見は、自分が十考える間に百を考える薫が恐ろしく思えた。これからタギツヒメに挑み、封印に至れるかも分からないのに、既に勝利後のビジョンや戦略を構築している。

「ま、これからその準備に行って欲しいんだ」

「準備って、何を」

「対話にさ、お前さんの背後に今もいる厄介な神様とのな」

 

 

 親衛隊支隊は室津での舞草拠点攻略をもって、御前試合事件関連の任務から全て外された。親衛隊の面々が彼女たちの前に姿を表さなくなったこと以外は、朝練、学業、任務、本部警備といつもの忙しない日々に戻っていた。

 そして、安桜美炎と皐月夜見が舞草のスパイであり、未だ逃亡中の噂が本部中に駆け回っていた。二人への心ない声がある反面、二人をよく知る面々は複雑な感情を抱えていた。

 その一人が早苗であった。

 夜見の代わりとなって、詰所受付で書類を黙々と片付けていた。彼女はもちろん、支隊メンバーにさえまったく情報がおりない。それどころか、今まで隠されていた情報という巨大な影に誰も彼もが立ち竦んでいる。

 しかし、早苗には一抹の希望があった。ポケットから、手ぬぐいで厚く包んでいた一本の小柄を手に取った。

(美炎さんを助けるために夜見さんは来ていた。そして、寿々花さんの攻撃を退けた。少しでも生き延びて、支隊メンバーとして中から)

 だが寿々花のあの自らを自嘲する顔が、早苗のしようしていることの無謀さを証明しているように思えた。

(今の私じゃ、組織に対抗できない!寿々花さんは、自分が間違っていると薄々感づいている。それでもその道へと突き進んだ。それを選択する理由があるから)

 ならば、自分はなぜ内部から対抗しようなどと考えた。あの夜明けの鎌倉駅、そこでの友と信じる夜見との対話。彼女を通じて、今までのような後出しの戦いを改めたいと願った。

「そうだ。夜見さんは立ち向かったんじゃない。出会いを望んだんだ」

 早苗は思った。すぐにも夜見と合流したいと。

「早苗さん!」

 声に向かって急いで顔を上げると、そこには葉菜の姿があった。

「どうしたんだい。小柄を見つめて」

「え、いや、なんでもないんですよ」

「それ、夜見くんのだよね」

 見え透いていたと、葉菜のやさしい笑顔を素直に受け取れなかった。

「少し話そうか」

 葉菜と向かい合うように座り、二人の間には小柄があった。早苗の意は決していた。

「葉菜さん!」

「まて、まてまて」

 葉菜はひとつ確認をした。自分の質問ひとつで、なぜそこまで考えたのかを。

「え?」

「君が夜見から友情の証に渡されたなら、それを見つめながら夜見くんになぜスパイ行為をしたのかと悩むともとれる。でも君は今、夜見くんとの間の知られたくない事を知られたくなくて、咄嗟に僕への不信感にそれを掛けた。どうかな、僕はどの立場にいるんだろうね」

 早苗は呆気に取られた。葉菜が何かを知っている、もしかしたら自分を捕らえにきたのかもしれない。小柄の持ち主が見破られた瞬間、逃げるよりも立ち向かう事を考えた。葉菜はそんな早苗の焦りを抑え、目の前に引き留めた。

「ようやく冷静になってくれたね。僕はね美炎くんの同志だ」

「あなたたちの目的は」

「夜見くんが見てしまったモノの封印さ」

 冷や汗をかく早苗とは対照的に、こういう事態は慣れているといった余裕さが葉菜にはあった。彼女に取っては美炎さえ隠れ蓑だったのではと思わせた。

「じゃあ、私があなたたちに抱いている思いも汲み取ってもらえるの?」

「ここにいる僕じゃ無理だ。いつも隣に爆弾も抱えている身だ、ごめんね。でもある場所へ行けば思い人に接触できる。君は僕たちと戦う覚悟はあるかい?」

「ええ、ここじゃ一員でしかない。振われる刃にはなれない」

 早苗の決意を秘めた目の凄みに、葉菜ははにかんだ。

「わかった。君には最優先で秋田に行ってもらおう。もちろん任務の名目でね」

「そんなことが簡単に」

 そうしていると早苗の端末に、単独での秋田へ荒魂調査の任務が届いた。

「ごめんよ、君を送り出すために少し無茶をした」

「無茶。もしかして片道切符?」

 早苗もはにかんだ。葉菜のしたことは今の事態を有効利用したものだとわかった。

「片道切符か、なるほど確かにそうだね」

 葉菜は浮かない表情だった。

「ぼくはね。情報を故意に売ったんだ。君が夜見くんから重大な情報を得ているってね」

「待って、葉菜さんあなたは!」

「二重スパイさ、もちろん舞草寄りのだけどね。君を見込んで話すんだ、ここだけにしてね。密偵としてはなんとかやってきた。でもね、仲間達みたいに表立って立ち向かえない立場だから、そのね僕にも不満はある」

 早苗には話してしまっていい。さきほどの覇気はなく、弱々しげに話し出した。

「みんなと共に御刀を振るって、災厄に立ち向かいたい。僕も刀使の端くれだ、そういう野心もある。でもだ、誰かが背負わなくちゃいけない仕事なんだ。だからだ、君に託したいんだ。僕もみんなと表で戦いたい思いを」

 体を震わし、顔を見せぬようにはせず、ありのままを早苗に託そうとする。葉菜の孤独な戦いの全てを知ることはできない。だが、目の前の自分に思いの全てを投げ打つ葉菜は、ずっと前から彼女も仲間である事を強く意識させた。

「ここから何があるかわからないのに、いいの葉菜さんは」

 早苗は葉菜の思いに応えた。

「君もそうだろ。でなきゃ、ここまで持たなかった。そして、これからもね」

 信じられる仲間だけではない。いままで共にいた仲間達や家族との時間や、笑い合ったり喧嘩したりした日々を裏切らないために、自分はここから飛び立つのだと、早苗は息をのんだ。

 包み直した小柄と、小さな封書を葉菜は早苗に手渡した。

 

 彼女は指令を受け取った翌朝、早々に鎌倉を出発した。その姿は鎌府の制服ではなく、緑の質素な平城の制服姿であった。

 

 

 



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ざ・ふぃっしゅ!

 

 どこともわからぬ海域から再びボートを出して陸地に降りたのは、合流の日から二日後のことだった。輝と美炎は舞草の『カチコミ作戦』への参加のために潜水艦に残り、代わりに紅馬がある場所まで同行かつ護衛をすることになった。

 当然のように自衛隊の車両に乗って、高速道路を秋田方面に走らせる。

「あの流三佐、隊の方は」

「隊なら俺より優秀な副官がなんとかしてくれる。それよりもお前の使命のほうがよっぽど重大だ」

「本当のところは」

「俺もカチコミに参加してみたかった!いつも輝相手の稽古だからな!本部の刀使と戦ってみたいもんだ!」

「だと思いましたよ」

 紅馬は高笑いしながら、目的の出口を抜け、下道を走り始めた。夜見の眼下には懐かしい故郷の景色が広がっていた。秋田県仙北市は角館。古い城下町と里山とが同居する町である。

「ここが皐月の故郷か」

「はい、三年は戻ってきていませんでしたから」

 角館の中心から西へ、玉川を越えた田畑の広がる土地に、ごくごく無難な農家の一軒家があった。目の前に車を停めてもらうと、すぐに祖父と目があった。

「おじぃちゃん」

「夜見かね!」

 車を降りた夜見はいつもの癖で刀袋を手にした。はじめ笑顔であった祖父の顔が、夜見が近づくにつれて、鳩が豆鉄砲を喰らったように目を丸くさせていた。

「おじぃちゃん」

 祖父は捻り出すように声を張った。

「夜見や、刀使になったのか」

 手紙には送ったはずなのにと思ったが、夜見は驚かせようと刀袋から兼光の拵えを見せた。

「そうですよおじいちゃん。私、刀使になれました」

「馬鹿な、皐月の一族には絶対に刀使は生まれないはず」

「え」

 互いに困惑した顔を突き合わせ、交わす言葉が見つからなかった。

「夜見!帰ってきたなら、ただいまの一言ぐらい言ってよね」

 夜見と似通った物静かな顔立ちだが、それに似合わない快活な声が娘を笑顔にさせた。

「母ちゃん!ただいま」

「おかえり、言いたいことは山のようにあるけど上がってあがって、それと学校の先生が送ってくださったのでしょ」

「そうなの、駅で偶然会って、ここまで送ってくれたの」

 と、そこへいつの間にか私服に着替えた紅馬が顔を出した。彼の趣味か判然としないが、イチゴ大福ネコのTシャツは鍛えられた彼の体と釣り合わず、違和感しか感じられなかった。

「どうも!鎌府で体育教師をしている流紅馬です!いやぁ観光に来たらばったりと」

 夜見の祖父が未だ呆然としていることもあって、彼のそうした言い訳を脇に置いて、皐月家の中に入った。

それと並行して、新幹線で角館へとやってきた早苗の姿があった。

「約束の時間までだいぶあるなぁ」

 角館のシダレザクラの木の前で待つと書かれた封書には、きっかり夕方五時の指定があった。観光には困らない町であるので、とりあえずと歩き出した。

 まだ緊張している、自分はつけられているのではとの警戒心もある。それも当然ながら、室津制圧から三日しか経っていない。それどころか、角館に漂う独特な落ち着きが、時間の流れをようやく意識させ始めたのだ。そして早苗はふと立ち止まった。

「お腹、すいちゃった」

 今の心持ちで、それをさも当然のように言いのける自分の図太さに、早苗は恥ずかしくなった。

 すぐに観光ガイドに目を通し、街を歩き始めた。

 江戸時代に佐竹北家が蘆名氏に代わって角館の城代となり、その時代の町割や建築が現代まで残っており、春の桜の季節には多くの人々で賑わう。

「親子丼か!うん、ここに決めた!」

「なぁもしもしあんた」

 早苗は振り返ると、美濃関の制服は着ていないがスカジャンを着流す、人見のよさそうな少女が立っていた。早苗は瞬時に思い出した。

「稲河さん!?」

「ああ!覚えていてくれたか岩倉さん!いつかは木曽で一緒に討伐任務を果たした仲だ。後ろ姿ですぐにわかったよ」

 夜見の親友、彼女のその態度は、ここで会ったのが全くの偶然である事を物語っていた。

「おひさしぶりです!実は任務で角館に来たのですよ」

「大変だなわざわざ鎌倉から秋田だろ?まぁ、岐阜から来ている私の言えた話じゃないか!」

「じゃあ稲河さんは」

「ん、まぁ帰省だよ。実家は男鹿なんだが、角館には夜見の親御さんにも挨拶しに来たんだ。うんと小さい頃から世話になっているからよ」

「幼馴染なんだよね?どれくらいの付き合いなの?」

「あいつとは小学三年生の時かな、男鹿の親戚の家に来ていた時以来だよ」

「いいなぁ。素敵な友達がいて」

「入ろうぜ。私もお腹が空いててな。夜見の鎌倉でできた友達ともっと喋りたいからよ」

「うん!」

 

 祖父の凍りついた表情の、泳ぐその目に困惑の色あり。

 夜見は神棚の前に、腰をおろす祖父の背中に問いかけた。皐月の一族に刀使が生まれないとはどういうことかと、その小さくまるまった背中の奥から覗くように夜見の顔を見てから、ゆっくりと向き直った。そこに古めかしい木箱を彼女の前へと押しやった。

「少し長い話になる。いいな」

 この顔を一度だけ見たことがあった。それは、祖父がぽつりと戦時中の事を思い出した瞬間、穏やかな色はなく猛禽のような丸々と見開いた目をしていた。

「お願いします」

 彼は箱の蓋を開くと、そこには一振りの蕨手刀があった。そして謂れを記した古い木簡が添えられていた。

「皐月一族は、桓武天皇御在世の頃に朝廷に仕える刀使の一族だった。蝦夷討伐の折に支配地の魔物を祓うことを命じられ、軍や役人たちとともに東国へ下った。そして、この地で先祖は罪を犯した。以来、その地の豪族を支える神官の一族として佐竹北家に至るまで仕えてきたが、ついぞ一族に刀使が出ることはなかったそうだ」

「罪とは」

「蝦夷の刀使を騙し討ちしたのだ。異なる信仰の刀使を廃するべく、先祖はその地に根付く進行を中央のものにすげ替えるべく、その土地の信仰の中心あった刀使の巫女を殺し、頂点となった。だが蝦夷の刀使は、その恨みから禍神となって皐月一族から刀使の力の一切を奪う呪いをかけた。それは千四百年を超えた今の夜見にも」

 初耳であった。刀使を目指す事を応援せずと、理解はしてくれていたと思っていた祖父は、一族の宿命ゆえに叶わぬと思い、夜見が諦めるのを待っていた。だがそれは、昨夜のうちに考えついていた事だった。今の話はそれを再確認しただけであった。

「そうだったんだ」

「この蕨手刀はその刀使の持っていた御刀で、先祖はこの刀を奪い討ち果たしたとある。蝦夷の刀使の名はラリマァニ」

 その名を聞いた瞬間、夜見の視界は暗転し、そこに赤と茶の装束を纏った赤い目の少女が立っていた。その少女の高い鋭い声が夜見を圧倒した。

「私の名を知った一族の女はみなことごとく我の姿を見た。そして我はそのモノらに、破滅の運命を負う子孫のことを示した。それは我の与えたる呪いの最後の攻撃だ。それが間違いなく皐月の一族を滅する」

「私が刀使になることが呪いと」

「お前は我の力で刀使となれず。その末にノロを取り込み、荒魂になることで神刀を強引に使役する半人半妖の化け物となるはずだった。だが、お前にはなぜか小人神の加護がある。我が開いた幾ばくかの力はすぐに閉じたはずであるのに、少しずつ解放されつつある。皐月の最後の忌み児よ、お前はなんだ?」

 夜見はただ黒に赤の混じった少女の、疲れ切った目を見つめ続けていた。彼女の壮大な話とは裏腹に、その容姿はひどくくたびれて見えた。

 そこへ夜見の手の平ほどの大きさしかない。青い髪の可愛らしい顔立ちの小人が光となって夜見を背に、ラルマニの前に立ち塞がった。

「これが君の常套手段とは聞いていたが、ボクの見えないところで接触しようとするのは感心しないなぁ火の神よ」

「お前たちが勝手に神としただけだ。私は呪いを与え続ける妖怪で十分だ。それとも貴様のように夜見を使って破滅を利用せんとしているのか、のぅスクナビコよ!」

 ラルマニの睨みも気にせず、余裕を絵に描いたようなスクナビコのしたり顔は、ちらりと夜見の方へ向いた。

「ボクの親友がね、夜見君が糸を編めると言ったんだ。ボクは君のことを多くは知らないが、なるほど才能はある。それにラルマニはまだ得ていないだろう?皐月一族がなぜ君を受け入れているのかを」

 前へ出ようとした夜見をスクナビコは制止し、そのまま後ろへと押し込んだ。

「どうして?私は」

「自分の勇気を信じられるようになった。なら再びラルマニと対せる。だがその前に、君はその御刀ホロケウを通して、千三百年前の真実を知らなくてはならない」

「でもどうやって」

「糸は結ぶ、それは手に触れられるものだけではなく、触れた者たちとの記憶さえも結ぶ。君の友達と共に見て、そして再び会おう。対話のその日まで」

 祖父が必死の形相で肩を揺さぶるのが見えた。一気に現実に引き戻され、彼女は首を横に振って祖父の目をまっすぐ見た。

「だ、大丈夫だよ」

「だ、だがこの名を聞いた一族の女性は、一生正気に戻らなかったと聞く!」

「でも、うん。あの人に、ラルマニに会ったことがある。そうだ、私が初めて写シを張ったあの日」

「禍神を認識できていたのか!?なんて子だ!」

 夜見はラルマニの困惑する目を思い出した。そして、スクナビコの存在。二人は一緒にいたような記憶がある。そして不可思議な夢の中で介在する二人の光を見ていた。それは夢の中の人々には認知されない。しかし、夜見は夢遊していてもその存在に触れていた。

 祖父はそのまま蕨手刀の前に座し、夜見は母に連れられて居間に戻ってきた。

「先生が帰られるから送ってきなさい。帰りはお父さんに迎えにきてもらうように電話したから」

 そうして再び車に乗ると、紅馬は夜見に何かあったのかを感じた。

「それで、何が聞けた」

「一族に憑く神の名がわかりました。名はラルマニ」

「ラルマニ・・・アイヌの言葉だな。イチイの木を指す単語だな」

「イチイ?」

「イチイはな光沢の美しい赤みを帯びた木材で、よく箸とか工芸品に使われる。アイヌだと弓に使っていたらしい。そして、イチイの実は甘くて上質だが、その種子は猛毒で有名だ」

 紅馬は、日が落ち始めた山々をチラチラと観察した。夜見はそんな紅馬が意外に感じた。

「よくご存知なんですね」

「俺の師から武と文は表裏一体と習ってな。それで少しばかりな」

 車は中心地近くで停まると、紅馬はこの道をまっすぐに行って、枝垂れ桜の木の前に行くよう促した。

「午後五時、お前にお客さんが会いに来る。俺はホテルに行くから、何かあったら呼んでくれ」

 紅馬はそう言い置くと読みの前から去ってしまった。

「お客って、誰ですか」

 彼の言う通り、武家屋敷通りをまっすぐ歩いていく。しばらくして左手に曲がると、緑に茂った枝垂れ桜の姿があり、そこに立つ二人の人影に驚いた。

「早苗、暁」

 夜見の姿を見て驚く二人の元へ駆けていき、二人を強く抱きしめた。

「よ、夜見さん!」

 あっという間に泣き腫らした夜見の頭を、暁はそっと撫でた。

「こわかった」

「おうそうかい。知っているよ」

 気にしない素振りで涙を堪える暁を見て、早苗はクスリと笑ってから夜見に応えた。

「でも、また出会えたよ」

「うん!会えたよ!早苗!」

 笑顔で互いを見合って、自然と笑い出した。

「お前ら、何がおかしいんだ」

「だって、顔真っ赤じゃない」

「お前が一番ひどいぞ。ほら早苗も」

 緊張の糸がぷっつりと切れて、溢れるように泣き出した早苗を見た夜見は、彼女のやさゆえの想いの深さを感じとった。だが、いつまでも大声で泣き続ける早苗に、夜見と暁は周囲の目の痛さを感じ始めた。

「早苗さん!早苗さんの想い全部伝わったよ。だから、ね」

 一度は泣き止んだが、考えが何周もしたのか再び泣き出した。

「ちょ、夜見が何言っても火に油だ!ほら、ご飯食べに行こう!夜見、今夜どうだ?」

「私のお家で食べましょ!母も喜んでくれるよ。ね?お腹空いたでしょ」

「うん」

 夜見は、そんな素直な早苗の姿が愛おしく感じられた。

 



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四ツノ鏡

 

 確かに眠りに入ったはず、いいや、なかなか寝付けなくて、色々考え事をしていたんだ。

大地ともつかない場所を歩いている。でも、自分の体ははっきりと見えるほどに明るい。

 

 歩いてきた先で、八つの丸い光が差し込んだ。その光は夜見の背後からも差していた。

「これは、わかるよ、記憶」

 中央の自身に対する光へと、まっすぐ歩み始めた。

〔皐月の忌み児よ〕

「その声はラルマニさん、どこに」

〔お前が刀使になれないゆえに、強引に刀使になる未来があった。そして、その先はお前が禍神となる未来。ゆえに忌み児だ〕

「今まで見てきたものも、その未来なんですか」

〔知りたければ、触れて見よ〕

 夜見は向き直ると、その光に手を触れた。

 

 

それは、海だった。

黒く澱んだ、どこまでも果てしなく広がる海。

波は高く寄せ、岸壁に叩かれて水飛沫を弾かせる。

「そんな、ここが果てなの?」

 その姿は全身が真っ白になって、目は琥珀に輝き、黒髪は真っ白に変わっていた。頭から突き出す両角が『鬼』と化した彼女自身の行先を示していた。

 

 人あらざるがために、人でいられなくなったモノ。

 

 死んだあの日、麻琴と暁、そして優稀のため、大荒魂であるカナヤマヒメを討つために戦い、自身の身のうちに吸収し、こうして隠世へと自らを封印に導いた。

 これでよかった。

 そう安堵したが、夜見は生きていた。

 現世ではない景色をいくつも通り過ぎ、時に暗闇に入り込んで、道なき道を何もわからず歩き続けた。しかし、果てがない。いったい、どこに続いているのかわからない。

 初めのうちは仲間達のことを思い出して、孤独を押し殺した。

 必要な孤独なのだ。

 しかし、いつしか、それしかなかった。ノロを取り込んだ者のサガたる、ノロの汚れの持つどうしようもない孤独と飢えが頭の中を支配し始めた。

 最初は、きっと幸せに日々を過ごしているだろうという、ささやかな願いからだった。そのうち、自分が共にいられたらと思い出した。次に、帰ってきても不幸になる妄想がはじまった。

 妬みが湧いた。でも、ぶつけられる相手がいない。

 そうしたら、また仲良くなる妄想になった。

 会いたい衝動が起こった。しかし、手で触る自身の姿形は、人のそれではなかった。

 

 あきらめなければならない。

 

 自身の大切な人々のために、この世界で、カナヤマヒメを封じたまま孤独でいなければならない。

どうしてこうなった。

素直に刀使になれないなら、それを受け入れればよかった。

でも、選んだ。それで、魂依刀使になった。

美炎には間違っていると言われた。それは隠世に封印するときもそう言われた。

 

そうだ、間違っていたんだ。

 

こんな思いをするために、荒魂になって、こんなところへ来てしまった。

そのうち、自分の運命を恨み始めていた。

 

〔あなたは、もう人にも荒魂でもない。その存在を消す以外に、あなたの守りたかったものを守れない〕

その四つの翼と三つの足に後光を輝かせる黒い鳥は、そうはっきりと言った。

歩きついた場所は、この世界の果てだった。

その果ては、ここから巡り来る魂を見定めているらしい。

自分には、死ぬことが最後の役目と伝えられた。

「なんで、なんで!神様なら、私を、助けて」

〔あなたの中には大荒魂の分裂体を四つも抱えている。カナヤマヒメの三つの感情と荒魂と化したあなた自身、ここを通るには一つの魂に、一つの心でなくてはいけません。刀使の言葉で言うのでしたら、祓う必要があります。そのためにあなたという人格は死という、リセットをしなくてはならない〕

「そんな、そんなのあんまりだ」

 嫌だ。何も悪いことをしていない。世界を救ってさえもいる、今まで嫌なことを考えて、もう刀使なんてうんざりだと思ったけど、大好きなみんなといたい思いは変わらない。

 そうだ、このカラスの神様を殺せば、この門を壊せば、私は自由に未来を書き換えられる。

〔皐月夜見さん、どうか、わかってください〕

「嫌だ」

 体外に出ていた荒魂は人の身のうちに収まり、やがて肌が白く輝き出した。

〔人の身で本物の『鬼神』となるつもりですか、ですがその代償はその身で受けることになりますよ〕

 どこからか転移してきた大太刀を手にすると、禍神は八咫烏と門を一刀両断した。

 隠世が崩壊を始めた。天と地から双方に向かって瓦礫や荒魂たちが投げ出され、行き交い、潰されていく。

夜見は砕かれた門を潜り、光と闇の走る空間に出ると、その先に降り立った。

 だが、そこは厚い雲に覆われた空、黒い海が水飛沫をたてて荒れている。

 現世の日本海のような、しかし、大地もなく、水底は浅いが果てがまったく見えない。

「ここが、果てなの?」

 やってきた道を振り返ると、何かが潰れ、崩れていく音が響き、やがて道が潰れ消えた。

 ぱったりと出入り口が消え、浅い水辺を行ったり来たりしたが、どこにあったのかさえわからなくなった。

「何やっているんだろ」

 やつれた顔に涙がこぼれ伝った。

現実ではないこの場所で、もはや隠世とも思えないこの場所で、夜見は何もかもが壊れていく感触に浸っていた。

「もう、いいや」

 切先を突き立てると、体はノロとなって四散し、大太刀は海の中へと沈んだ。

 彼女が消えたと引き換えに、わずかな波音が響く。

 

 夜見はその輝きから飛び離れた。

 流れ込んでくる無情感を必死に押し殺した。

〔皐月夜見よ、よせ、おまえでは過分に過ぎる。今すぐ御刀から手を離し、常人として穏やかであれ〕

 そう聞こえたのを最後に、ラルマニの声はしなくなった。

 膝を突き、流れ込んできた感情に涙し、叫んだ。

 そこへと、スクナビコがひょっこりと向かってきた方向の光から姿を現した。

「そっか、君は力に目覚めたあの日から、繋がっていたんだね」

「これは、何の拷問ですか!ひどすぎる」

「そう思うかもしれないが、これは、八つのうち七つの世界で生きた君自身の記憶。それぞれの世界の君の記憶なんだ」

「なんで、私に」

「君が耐え、異なる可能性を紡ぐと信じたからさ、君は八つの世界の君と繋がりながら、八つの君の希望であらねばならない。理不尽は承知、耐えてもらうよ」

 理解しかねる単語が幾重にも重なる。ただ、夜見は一つのことを尋ねた。

「この、鬼神になった私の世界は」

「隠世と現世の境界が崩れ落ちた。現世には虫食いのように隠世が融合し、それの修復のために今は使いを送って、現世の人たちとともに修復を行なっている。無論、彼女のせいで世界同士のバランスに異常をきたしたのは本当だ」

 立ち上がった夜見を、スクナビコは自身の出てきた光へ誘導した。

「帰ろう。少しずつ咀嚼すればいいよ」

 涙を拭うと、夜見は光の先に消えていった。

 



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うえぺけれ!(前編)

 帰ってきて早々に、三人の刀使と夜見の父は神棚のある部屋へ通された。そこにはまだ祖父の姿があった。

 夜見の父である明は警察官であった。そして、同時に家族に秘密で代々、ノロを回収・封印する神官であったことを告げた。夜見が大事なことを文面で送ってきたことを良いことに、彼女の刀使になったことの報告を秘密にし続けてきた。寡黙な父は自身が刀使を目指すことに、一切口を出さなかった。それは、夜見が絶対に刀使になれないと確信していたからであった。

「ひどいよ」

 夜見の嘆きに明は眉ひとつ動かさなかった。だが早苗には隠していたからこそ、何かを背負う明の物悲しさを感じずにはいられなかった。

「だが、お前は一族の呪いを乗り越えた。ラルマニの予言がお前一人によって、ことごとく解放されつつある。そして、スクナビコの力。夜見、お前はどうしたい」

「私は刀使の力を全て取り戻して、刀使の本分を果たす」

「お前はたとえ夢話といえども有言実行し、その先の自分を背負おうとする。言って聞かないのは相変わらずだが、信じさせてくれ、お前が私の娘なら尚更」

 父のぎこちない笑顔は夜見の心を和ませた。

「では、話してくれたラルマニの記憶について・・・」

〔それはボクが説明しよう!〕

 早苗の持っていた小柄が大きく光を放ち、手元から宙に浮かび上がると、その小柄に乗る小さな人影が四人をぐるりと眺め回した。袖の長い袍という古代の衣服を纏い、袴は短く、腰には爪楊枝ほどの剣を佩いている。青い髪の中から覗く快活な顔を夜見は思い出した。

「スクナビコさん!」

 他の三人も驚いてまじまじと彼を見た。

〔やぁ昨日かな、ラルマニに心を持っていかれる寸前で止めに入って正解だった。あのままあの新章世界にいたら、いずれ人格と体が切り離され、心は消滅してしまっただろう。ボクの依代が近くに戻ってきたからこそだね〕

「依代?」

〔夜見くんは落とし物をしただろう?構う暇もなく舞草に接触していた君は、小柄一本がいなくなったところで、どうと思わないかもしれないけど〕

「え、もしかして早苗さんが小柄を持っていてくれたの」

「うん、室津でね。寿々花さんはあなたがいたことを教えてはくれなかったけど」

 スクナビコは不満げな顔を崩さず、夜見に近寄った。

〔早苗くんにこうして連れてきてもらわなかったら、君は紡ぎ糸もなしにどう戦ったんだい?〕

 夜見は目を丸くさせて、何を言っているのか必死で考えた。

「もしかしてあの糸は」

〔もしかするのさ、夜見くんの写シを開放させたのはラルマニだけど、写シを開放し続けているのはボクの力さ。ただボクは糸で紡ぐのが本来の役目、だから君の写シを五分開けるのが精一杯なんだ。それをぉ、きみはぁ、煩わしいとなぁ〕

 妙に当たり障りの湿度が高いスクナビコに、神聖さを微塵も感じられなかった。

〔はい!そこの暁くん!ボクに威厳がないとか思ったでしょ〕

「実際そうだろ。さっきから夜見に文句をたらたら言っているだけじゃねぇか」

「ちょ!暁!」

「こいつをそばで見守ってきたなら、まずさきに悪態より褒め言葉だろ」

 暁のまっすぐな一言にスクナビコは、彼女の顔をまじまじと見て笑顔になった。

〔褒め言葉は、この先の試練を超えたときにとっておこう〕

「あ!ずるいぞ!」

〔ふへへへ!さぁみんな!ボクの力でラルマニと夜見くんのご先祖さまに、何があったか見にいくんだ〕

「でも、古文書には権威のためにと」

〔それは皐月家初代たる村国娘(むらくにのいらつこ)が家族を守るためについた方便。ラルマニは村国娘に殺されてしまった本当の理由を見知らぬように振る舞っている。それは善意ゆえの宿業だ〕

「わかりました!でも、どうやったら」

〔記憶を再生するには本人そのものだったものに糸を繋げるのが一番。明さん、あなたなら村国娘の墓の居場所がわかるはず〕

 明は困ったと言いたげな表情を浮かべた、

「お父ちゃん?」

「残ってはいるんだ。いるんだが・・・平安時代の貴重な古墳だと二十年前に発掘調査があってなぁ。発掘された品々は県の博物館に」

「ええ!それじゃ、お墓に行っても!」

「もぬけの殻だ」

〔ならその遺物が鍵になるよ〕

 そこで夜見は困った時にと、紅馬に連絡をとった。

「んなら、県の博物館に俺のダチがいるから聞いてみるぜ!」

「はい、お願いします!」

 スクナビコは浮かびながらわざと神妙な顔を作った。

「うむ、前途多難だ」

「そりゃそうだ」

 暁の反射的なツッコミに、思わず早苗は笑った。

 

 翌日、秋田の博物館に来た彼女たちの前に、凄みを帯びた人物が笑顔で出迎えた。

「私が神だ!神正躬(じんしょうい)!」

 紅馬に負けず劣らずの迫力のある長面に、長い髪が常人の神経をした学者でないことを感じさせた。

「紹介するぜ。秋田の県立博物館の研究員をしている人だ」

「私は刀使の歴史を研究していてな、コイツとは同じ師の元で刀使と荒魂の関係について学んだ仲だ。それで、払田の古墳から出てきた遺物が鍵なんだって?」

 凄みに押されていたが、夜見はそうだと答えると、通された会議室には既に遺物を収めたケースが二十も置かれていた。

「この古墳はよほどの重要人物のだったんだな。遺物は宝石だらけ、刀身は見つからなかったが刀装具も見つかっている。土器、鏡、装飾品、古墳としてはよく残っているし、平安期のものとしては天平期の意匠がある。仏教文化の影響を受けているのも興味深い。そして」

 夜見、早苗、暁が一生懸命に遺物を見てまわる中、正躬は一つの大切そうなケースを開けて三人の前に差し出した。

「これは」

「漆の首飾りだ。意匠が縄文系の東北・北海道先住民のもの。当人にはよほど大事なものか、ほんの僅かに残っていた骨がくっついているのがわかっている。わかりづらいが、本人の体の一部もくっついていた」

夜見は頷いた。これならば、記憶を辿る鍵になる。

「スクナビコさん」

 消えていた彼は再び夜見の小柄に乗って、五人の前に姿を現した。神は驚く素振りも見せず、奇妙な笑みを浮かべていた。

〔うん、これなら行けるよ。蕨手刀を〕

 暁の抱えてきた蕨手刀を机に取り出し、夜見、早苗、暁は円になるように椅子に座り、暁に蕨手刀を、早苗に飾りを持ってもらい。夜見はスクナビコから指示された通りに写シを張って銀糸を出し、自身を含めた三人の周りを編み、複雑な幾何学模様の形を作り出す。

〔紡ぐ糸の調べは永久の河と同じ、汝の時よ記憶となりて我らが刀使なる巫女に伝えよ。村国娘の意思を!〕

 光は幾線状も三人を包み、やがて三人の姿は繭のような糸の流れの中に見えなくなった。

 神はたまらず笑い出した。

「嬉しがると変な笑いになる癖は治ってないらしいな」

「クカカカ!笑うだろ紅馬!先生の夢が現実にあったんだからな!」

「ああ、師匠にいい報告ができそうだ!」

 紅馬は自身の端末がアラームを吐いた瞬間、窓から外を見た。そこには群れとなって連なる荒魂の姿があった。

「お客さんだ」

 にまりと笑う紅馬と正躬は、会議室を出て荒魂たちの元へと駆けていく。

「タギツヒメの刺客か。久しぶりにやるか」

「オウよ!」

 

 

 これはいつの話だろうか?

 平安時代のそれも蝦夷討伐の折といっても、幾重もの出来事と人の入れ替わりがあり、いったいいつなのかを正確に測ることはできない。

 しかし、あまりにも濃密な人と人との交わりは、否応にも水面の輝きのように、その出来事を永世に伝える。それは時に誤解を、曲解に、そして悪意や善意によって形を変えながら、今の私たちに伝えられる。この話も、そうした歪な輝きの記憶なのかもしれない。

 

 供も連れず、馬上の少女は南へと馬を走らせる。軍馬は鎧具を外したことで気持ち良さげに走り続ける。馬上には、白銀の髪に巫女服を着流し、腰には一振りの大刀を佩く、物静かそうな少女が山道の向こう側を見ていた。秋を迎えた草原には森が散らばり、収穫を迎える田の横を通り過ぎていく。

「本当だ山が哭いている・・・」

 山向こうから届くような音が聞こえ、低い雲にチカチカと赤い光が照り返すのが見えた。

 馬が走る先に、大きな祭殿や周濠が見えてきた。駒ヶ岳は十年前ほどの大噴火で山の形が変わり、そこに眠っていた荒魂が目覚め続けている。そこで蝦夷に現住を認める代わりに、中央から派遣された刀使とともに、荒魂の討伐に当たっていた。そこは朝廷側で蝦夷から協力を取り付けた人物に因んで、田ノムラと呼ばれていた。

 物見台は空で、集落外の田畑との交通のために大きな門は開け放たれている。田畑にも家々にも人がいない。

「騒ぎになっておるか!」

 馬を祭殿の前まで近づけると、その前にはムラの住民たちが一群になって各々訴えていた。訛りの強い言葉を全て理解できないが、理由は先程ので十分と思えた。

「マキメや、そのままでの」

 馬の上に立ち上がると、祭殿の表口から顔を出す後ろに黒髪をまとめている巫女が自身を見て、小さく頷いた。

「うまくやるのじゃよ、ラルマニ」

 群衆は壇上に立ったラルマニを前に一斉に口をつむいだ。

「皆の衆、猛る山より今しがた咆哮があった!日頃よりの荒魂は田畑に悪戯をするばかりの木端に過ぎなかった。だが今度の荒魂は強大である!このムラに害を及ぼすに間違いない」

 ざわざわと騒ぐ人々に一括の声が響いた。

「しかして!それは私と朝廷の刀使を差し引いたもの!つまり私一人で確実に!二人の刀使巫女で大荒魂も倒せる!そうであろう!村国娘よ」

「そうだ!ラルマニの巫女や!」

 群衆は気づかなかったようで、大声を張った村国娘に驚きの声をあげた。その調子のまま、大刀を抜き払い、写シを張った。

「この武神より授かりし力は民が平穏のため、豊穣のため!」

 ラルマニも蕨手刀を抜き、写シを張った。

「共に猛る山の荒ぶる魂を鎮めよう!」

 二人の切先が山に向くと、一斉に歓声が上がった。ラルマニは一転して優しい口調で人々に語りかけた。

「さぁ皆の衆よ、荒魂は我らに任せ、稲の収穫作業に戻ろう!」

 その言葉を聞くと、素直に群衆は解散し、家々や田畑に戻っていった。

 

「はぁ、毎度この調子だ。いつ不信感を抱かれるか」

 ラルマニの館、囲炉裏をはさみ、ラルマニは思わず村国娘へ不安をこぼした。

「じゃが荒魂は大小に関わらず必ず討伐し、戦勝の証に荒魂の首を皆の衆にみせておろう。山が噴火した直後の火災と荒魂の襲撃の記憶がしっかり継承されている限り、心配はなかろうて」

 水を上品に飲む村国娘の余裕に、ラルマニは自然と落ち着いていった。

「そうだな、朝廷や代官にはお前が交渉しておるしな、仏門がもたらした怪しい術も、巫女の目が黒いうちは問題なかろうて」

「人の心をととのえるには良い教えなのだが、ノロをいたずらに己が身に取り込み、死してバケモノに変わるのは人の死せる道理でない」

「ごもっとも。私もこうして和を結んだ立場ゆえ、中央から由来するものを拒めん。村国娘よ、苦労をかけるな」

 白湯を飲みながら、互いに笑い合った。

「なんかのぅ、こう固い話ばかりだと」

「まるで腰の固まった長老がたのようだ」

 屈託のない笑顔で、ラルマニは懐からクルミ菓子を取り出した。

「ふふ、悪い奴!この地域は荒魂のせいで山の産物は貴重ぞ」

「その悪い奴の手から菓子を受け取るは、どんな賊かな!」

 受け取った側から口に放り込むと、ほのかに山いちごの香りがした。

「山苺を乾燥させたものを、細かくすりつぶして生地に混ぜたのよ。どうよ、新しい味だろ」

「おお、甘さにほっぺが蕩けそうじゃ、しかし、なぜにこのような工夫を?」

「我らは今、稲と作物に、湖の魚に支えられておる。命を味わうは生きる喜び、そして表すべき感謝の気持ちを思い起こさせてくれる。なればこそ、山の幸を味わってもらいたい。荒魂を恐れるよりも、生き抜く方がずっとつらい」

「はよう山に入れるようにならねばの」

「だが熊も狼も帰ってくる私はそっちの方が怖い!」

「ふはははは!荒魂を恐れぬヌシが、飯の恋しさに熊と狼を恐れるとな!いや滑稽、滑稽!」

 



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うえぺけれ!(中編)

 

二人が山へ行き、ごく当然のように帰ってきたのは翌朝、村人への土産に山菜を山積みにしたカゴを馬に乗せ、何食わぬ顔で戻ってきた。昼に村国娘は朝廷の行政官のいる城へ戻り、ノロを治める神官と行政官を連れて戻ってきた。ラルマニを伴い、すぐに倒した荒魂のいる山の中へ向かった。

「村国娘よ。今度のは新たな荒魂を生み出しかねない量のノロらしいな」

「はい、神祇官どの。我々二人で一晩かかる巨大かつ強力だったゆえ、そのノロの思念は侮り難いかと」

 髭を厳つく揃えた若い役人は、ラルマニを何度も奇異の目で見る。ラルマニはそれに慣れているのか、彼の目線を無視し続けた。

「それは、重大だな。村国娘よ、その蝦夷の巫女をもそっと盾に使え。なぜに早馬で荒魂に向かったか」

「神祇官殿。私はあくまでラルマニひとりの手柄には惜しいと思ったまでです」

「名誉を得てもお前は一生この土地の人間だ。諦めろ。それにあの村をすり潰したら、新しい村を作ればよい。その時はお前の一族に与えよう」

「格別のご高配痛み入ります」

 狙い済ましたような話題の広げ方に、ラルマニは涼しい顔で役人の顔を見つめた。神祇官は薄ら笑いを浮かべて目を合わせ、ラルマニは目線を外した。

 しばらく森を抜け、馬を降りて勾配を登るとそこにはバラバラになってはいても、巨大な狼の形をしていただろう荒魂の死骸が転がっていた。

蔵人(くらんど)!頭のノロを回収しろ!あとの分は蝦夷の民にやらせる」

 屈強な体格をした長い髪の男は、目元が隠れていたがなに不自由なく作業にあたった。頭部からノロを木の柄杓で掻き出し、容器に入れると荒魂の亡骸に向かって祈りの言葉を捧げた。

 村国娘とラルマニも頭を下げ、祈りに集中したが、神祇官は周りを見渡して荒魂の巨体におどおどとしていた。

「終わりました。ここまで斬り祓われれば、荒魂は」

「蔵人よ、お主は私が荒魂を恐れたというのか!」

「失礼いたしました。仲未人(なかいたらず)さま」

 確かに神祇官・仲未人の挙動は恐怖や不安のそれではなかった。しかし、ラルマニはそんな尊厳も威厳もない彼の姿が、面白おかしかった。

 村国娘とラルマニ、そして蔵人は山道を下り始めた。

「仲未人さまは?」

「なんか馬の扱いに手間取っておったぞ」

「お前の上司だろうに村国娘や、怖い奴!」

「おふたがた」

 物静かな男の低い声は、自分たちを立ち止まらせようとの呼び止めと思い、しぶしぶ振り返った。彼は自分たちに目もくれず、後方に鼻を高くして馬に乗る仲未人の姿があった。

「余計なことをしていなければよいのですが」

「余計って、あの御仁がそんなタマかね」

「でも探ってみる必要はありそうじゃ」

 

村国娘は二人の役人を先に行かせ、あとをラルマニに託すべく言葉を交わした。

「すまんの、お主らにはこうも負担が」

 ラルマニは上機嫌に首を横に振った。

「他の村のように、見知らぬ土地へ連れて行かれよりも生まれ育った土地で生まれ、死ぬ方が幸せだ。それが私たちの選んだ道、荒魂はその口実をくれた神様。丁重に埋葬し、しかと祀るゆえ心配するな」

「わかった。ではワシは帰るでの、また近いうちに来る」

「ああ、あとこれを持っていけ」

 ラルマニから投げられたものを手にすると、それは複雑な縄文様で作られた漆のペンダントであった。

「我が一族に代々伝わる技法で作った禍探りの飾りだ。ほんの少しのノロを中央に垂らすと、ノロが荒魂のいる方向を指し示してくれる。ノロが長く伸びるほど遠く、短いほど荒魂が近いことを指す。受け取ってくれ」

 村国娘は何も言わず首にかけ、飾りを胸にしまった。

「大切にするぞ。またな」

「さようなら!また会おう!」

 ラルマニが遠くになるまで村国娘へ手を振った。金色の野原が傾く日を照り返し、風が稲をそっとなぜる。馬はここちよい風に自然と足を早めた。

「急がずとよい、マキメや」

 陽は落ち、城内にある刀使の庁舎に戻ってくると、すでに木簡の作成にあたっていた蔵人と目が合った。

「すまぬ、ちと長話になっての」

「構いません。あなたとラルマニどのの仲でありますから」

 蔵人の目の前に、村国娘の手製の麻袋が置かれた。

「夕食まだじゃろ?そのラルマニからじゃ」

「おお!噂のクルミ菓子ですね。ありがたく頂戴します」

 二人して菓子をつまんでいると、そこへ物々しい行政官が現れ、すぐに将の元へ来るように言った。将とはこの城の軍の大将であり、この土地を与えられた代官とも言える人物である。協力した田ノムラ以外の豪族精力を排除している今、この蝦夷の土地の支配者その人である。

「この時間からとは、よほどの大事かの、すまんが」

「ええ、文書の作成は滞りなく」

「ありがとう」

 丘陵の上に築かれた四方を望む櫓、装甲を纏う兵士と巨門、そして城の核である代官の居館が建っている。儀礼通りに目通りの部屋へ通されると、そこには既に仲未人の姿があった。

「このような時間のご足労感謝に耐えぬ」

 仲未人と村国娘が頭を下げると、その声の主は、短い髭とまん丸と大きな目を見せる戦場慣れした顔で、自身の座についた。

「松木様、していかがなさいましたか」

「うむ、村国娘よ。蝦夷の残党が近々東寄りこの城へ登ってくるという噂がある」

「はい、私も聞き及んでおります」

「その蝦夷たち、ノロを己が身に取り込み、非常に強力な呪術で国境の関所を次々と破壊しておると聞く」

「なんと!蝦夷がそのような禁忌を!」

 そう相槌を打って見せたが、そのような話は初耳であり、その残党を全滅させた松木将軍の噂が圧倒的に優勢であった。それは庁舎ではまだ発表されていなかったが、アルマニが東からの敗残兵から聞き及んでいたことだった。

「そこでだ。唐の国よりもたらされたノロを用いる秘術、我が軍でも使うこととした」

 その発言は、寝耳に水であった。

「ご存知のとおり、ノロは私めの許可なしにはお出しできません。兵を禍神にされるおつもりですか?」

 表情を変えず頷いた松木の不気味さに、村国娘に悪寒が走った。

「そうだな。しかし、神祇官が朝廷よりの許可でノロを扱う分には問題なかろうて」

「そのノロ!どこで!」

 松木は言葉に窮したのか、仲未人に話を逸らした。

「朝廷の命によりノロを扱うは悪用を避けんがため、そのために私がノロを保管することを禁止されるのは道理ではない。必要の限りはそうするべきだろうて」

「ほう!じゃが御神の刀の巫女たる私めが、神祇官の荒魂に対する危機管理能力の欠如を断ずることも可能たるをお忘れか?それは先の悪用で荒魂が都に溢れた一件があったからであるぞ!」

「そうでございます!私もそれは重大なことと判断し、村国娘一人にその責を負わせるわ心苦しい。この私の良心を、此の土地で朝廷の代理人をなさる松木将軍が悪となされば、その言葉に従い、朝廷よりの命を守る忠臣として私は身を捧げましょう」

 村国娘は唖然とした。反論する自信がないために、上辺に話を盛って話の筋を遠ざけられていく。そして、将軍は深く仲未人の話にうなずき続けた。村国娘は、自身が事後承諾のために引きづり出されたと気づいた。

(何もかも手遅れだったか)

「どうかな、彼の良心故のノロ利用計画。どうか賛同してくれぬか」

 内心煮えたぎるような思いを必死に押し込め。

「管轄外ゆえ、私には知らぬことでございます」

 彼女が庁舎に居続けるためには、彼の蝦夷討伐を見て見ぬふりをしなければならない。それはラルマニを守るためにも重要なことだった。

「うむ、お主の立場ゆえ仕方があるまい。それでも理解してくれたことに感謝したい」

 それから食事と酒が供されたが、まったく話が入ってこなかった。おそらく下品な話題だったのだろうが、上機嫌な二人の首謀者の声を聞くのが嫌だった。彼女が解放されたのはそれから三時間後だった。

 泥酔でフラフラとしていた彼女を、門前で待っていた蔵人が支えた。庁舎に着く前に彼女は蔵人の胸に抱きついて一歩も歩かなかった。

「村国娘」

「やめい。その呼び名を今夜はもう聞きとうない」

「ならヒメや、歩いてくだされ。あともうすぐです」

「だっこ」

「まったく、仕方がありませんね」

 彼女を背中で抱えると、先程の倍のペースで歩き進められた。はじめからこうするのが正解だったと、蔵人は後悔した。

「いいじゃろ、お主は我が許嫁であろう?」

「そうでありますが、ちと重い」

「言うておけ、そのうちよいこともしてやろうぞ」

「酔うとこれだ。言ったことに後悔はせんでください」

 心地よさげに彼の背中で眠りについた。

 

 翌朝、自身の部屋で目覚めると寝ぼけ眼の村国娘の元に、蔵人が駆け込んできた。息を切らす彼へどうしたのかと問いた。

「松木将軍が田ノムラを直轄にすべく、兵を動かすという噂が立っておる」

「あの大馬鹿どもめ、すぐに館へ登る」

「もうその噂を聞いてラルマニが城に向かっている!」

「昨日今日だぞ!」

「先行していた部隊が収穫物の一部を略奪したそうだ。事情を知らない役人たちは右往左往している」

 立ち尽くす彼女に向かって、その名を呼んだ。

「今はラルマニをここに来させるな!将軍たちのいい都合で利用される!ヒメが話してくれていた最悪の事態になる前に、君が動くべきだ!」

「わかっておる、ああ、わかっておる」

 発破をかけられた彼女は急ぎ着替え、腰に御刀を帯び、厩戸から馬を引き出した。

「マキメや!飛ばすぞ!」

 主人の意を汲んだ彼は勢いよく駆け出し、村へ行く道を駆けていく。田ノムラから二つ前の村に兵の姿を見つけ、話が事実であると確信した。

 そして、道の先に馬に乗るラルマニの姿が見え、木陰に立ち止まって大きく手を振った。ラルマニの乗った馬は速度を落とし、ゆっくりと村国娘へ近づくが、その手には抜き身の蕨手刀があった。

「村国娘よ、これは如何なる義か」

「簡単なことじゃ、お主一人で暴れたとて、いずれすり潰されるがオチじゃ」

「はっ、やってみないことにはわからんだろ!」

 自身の無謀さを自嘲しながら、村国娘の落ち着きを払った表情におとなしくさせられるのを嫌った。

「村の大事な収穫を此のような形で踏み躙られ、次は全てと言ってきた!ルールに従ってきた臣民にするこれが朝廷の礼儀か!私は許せん!斬らねば収まらんはこの怒りと悲しみは!」

「そうだな。では二人で行こう」

「お前は朝廷側だろうに」

「朝廷だが、ここの支配は松木将軍一人のもの、そして彼が間違いでも刀使を殺してみろ。失脚どころでは済まなかろう。もとより、奴らは気に食わなんだ。いっそ息の根を止めるのもよかろう!」

「いいのか!」

「おう!行こう!」

 村国娘はマキメを勢いよく走らせた。彼女は感情が乗る限り、城中央の館までラルマニを突破させるつもりだった。ラルマニも着いてくるが、やがて馬足が遅くなり、完全に止まってしまった。怪訝な顔でラルマニの元に戻った。先ほどと打って変わってしおらしくするラルマニに、村国娘はため息をついた。

「馬鹿者。ワシはお前となら本気で飛び込むぞ、なのに、どうしたのじゃ」

「すまない。村は私が説明するから、お前は松木将軍を言いくるめてくれんか?」

「ラルマニ、くやしゅうはないのか?ヤツらはワシら巫女の顔に泥を塗ったのだぞ?神と帝より授けられたこのお役目は、わが使命として貫かねば」

「お前は私を説得に来たのではないのか!」

 村国娘は瞳を瞬かせ、そういえばと思い出したようにラルマニの言葉に驚いた。

「二日前に飛んで村に来てくれた時も、城内の目も気にせず飛び出したから、説明に苦労したと蔵人が言っていたぞ」

「ラルマニ、お主に言われとうない」

「それはすまん。まちがいなく、これ限りだ。だから、二度とこの手を選ばせるな」

 残念そうな村国娘に、ラルマニは呆れたように笑った。

「わかった。早合点も考えものだな。全力を尽くそう」

「頼んだよ。ヒメ!」

 

 



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うえぺけれ!(後編)

 村国娘が戻ってくると、何かを待っていた仲未人は、残念そうに馬上の彼女を見上げた。

「わるいのう神祇官どの、ラルマニは来ない」

「ああ、これで済むと思うなよ」

 一段落した彼女は一筆をしたため、その日の急ぎ馬で駅令の便に手紙を預けた。彼女は松木の行動を黙認せざるおえない立場、それゆえに中央の派遣者の立場を利用する以外に手はない。そう考えを巡らし、また夜が来た。

蔵人が食事を持ってきて、炉を囲んで夕食をとることにした。雑穀飯と野菜の付け合わせだが、白米の味に舌鼓をうった。

「ラルマニさんは」

「次はないそうじゃ、当然のことか」

「ラルマニさん、だっていつまでも村人を抑えられるとは限らない。収穫物が十分に取れなければ冬越えの食を蓄えることも、税を払うこともできない。ヒメはどうやってラルマニさんを説得したのです?」

「ワシも同じことをしようかと」

「はぁ!?」

 村国娘は嘘を言っていなかった。真剣な表情に浮かぶ作り笑いが、彼のため息を誘った。

「それは、ラルマニさんも落ち着くな」

「お主がラルマニの立場でも同様にしたか」

「愚問です」

「うん、いつも迷惑をかける」

 その夜、村国娘は蔵人の腕に抱かれて眠りについた。

 

 朝になると蔵人の姿はなく、優しくかけられた布団に蔵人の匂いを嗅ぎとった。巫女の業務をこなしつつ午前を過ごす中、蔵人が朝食を持って彼女の元を訪れた。

 彼は忙しいで仕事に戻ったが、大事がなければ、穏やかである。あとは手紙の返事とそれまで将軍の行動を静止するのみ。

 ふと、ペンダントの能力が気になり、自室の祠に収めていたノロをわずかばかり飾りへと垂らした。一滴、二滴と雫になると、にわかに揺れだしそしてゆっくりと壁の方へ短く伸びた。

「近い?しかし、この城には」

 村国娘は大刀を手にすると、壁が打ち砕かれ、噴煙の中から目を赤くした二人の兵士が飛び込み、斬り付けてきた。ノロはペンダントから零れ落ちた。

「何用か!我を巫女と知ってか!」

 しかし、二人は答えず切先を何度も突き立てた。

「蔵人と違ってワシは容赦が!」

 大刀を抜いた途端、何度も重たい斬り付けが走り、抜け駆け様に金剛身を発動させると、前にいた兵士の鎧ごと上半身が穴の向こうに飛んでいった。血振すると、血が一直線に線を描いた。

「お前らごときが、ワシに敵うと?」

 残りの一人が逃げ出すのを見て、間髪入れず片足を切り落とし、右腕を断ってその手の刀を遠く投げ飛ばした。

「言え、誰の命令だ」

「くく、俺は将軍の命で貴様を殺しにきただけ、そして」

 男はそれを言うべきか迷っていたが、彼女が左手も持っていくと、死を悟った。

「殺してくれるなら言おう」

「ああ、もとより」

「俺は陽動だ。僅かな時間も持たなかったが、お前が将軍の行動を気づかなければ」

「陽動?どこへ!」

「田ノムラへの行動も陽動、目的は西の蝦夷残党の潜伏地と思われるニッタムラを制圧すること」

 彼女は男に切先を突き立て、その命を奪った。男の体からは血ではなく、琥珀色のノロが溢れた。

「禍人の兵、ニッタムラが危ない!」

 馬に急ぎ乗った彼女は、背中を追う蔵人の言葉も聞かず走り出してしまった。

「待っておれ将軍ども、今度こそ!」

 馬を走らせて二時間。疲弊したマキメは村国娘の声を無視して足を休めたため、降りて道を駆け出した。村に入ると、収穫が進み、穏やかな村の風景が広がっていた。

「おや、巫女様ではございませんか。遠路はるばるご苦労様です」

「兵隊を見なかったか?」

「兵隊?いいえ、我が村の防人ならいつもどおり今朝、関所の方へ働きに出ました」

 村国娘はめまぐるしく動く状況を振り返り、殺した男の顔を思い出した。

「あの兵士、松木将軍の側近衆!はめられたのか、ワシは!」

 

 田ノムラへ続く道は、城から出た二百人の兵士と将軍、そして仲未人らによって埋め尽くされていた。

「うまく騙せましたかな?」

 仲未人の問いかけに、松木将軍は万円の笑みを浮かべた。

「刺客には子息の出世を約束した。ぬかりはない。それにあの甘い巫女なら、こういう血に訴えれば狼狽し、判断を誤るだろう。すべてはお前の情報からだぞ、藤原仲未人」

 仲未人は不気味な笑みを浮かべ、金切声のような笑い声を立てた。

「いえいえ、これで将軍閣下の直轄地は山の麓まで広がります。そうなれば、中央からの長官も認めざるおえない。よくぞ、ここまでの作戦を練られました」

「心配事があるのは蝦夷の巫女だが。これだけの人数ならたとえ刀使といえど、奇跡は無意味な力であろう。万事、なるようになる」

 先頭の兵が村に入り、収穫をしていた村人が不思議そうに兵たちの顔を見た。子供が一人兵隊へ近づき、笑いかけると兵は声を荒らげた。

「お前、いま笑ったな?」

 スパッと落とされた刃が、田畑に赤く斑点を飛び散らせた。悲鳴が響くと、兵士は村入り口の田畑にいる人々を性別・年齢構わず斬り始めた。

「おっと稲には血をつけるな。汚れる」

 騒がしいと蕨手刀を腰に佩いて田畑の道をかけるラルマニは、三百メートル離れた場所に黒い一軍と、赤く染まる人々の姿が見えた。

「何をしている」

 駆け出すと、黒い鎧姿の兵士がラルマニが見ていることを見計らって、女性の胸を突き刺した。力なく倒れた女性をラルマニはよく知っていた。

「イネに何をした」

 二日前に巫女であるラルマニに妊娠の報告と、無事の出産を祈ってくれるよう頼んできたのを覚えていた。

「この女の名か、今な、殺したんだよ。蝦夷の反乱者を」

 ラルマニは心の何かが外れた気がした。

 バンッと弾くような、叩くような音がした時。兵士の鎧が斜めに切り裂かれ、そこから血が溢れ飛んだ。そして、言わずにはいられなかった。言いたくはなかった、あの言葉を大声で言い放った。

「お前たちを殺す!」

 

 馬を借りて城に戻ってくる道で、追ってきた蔵人と鉢合わせした。

「はめられた」

「ああ、最悪の事態になった」

「田ノムラは、ラルマニは」

「村人が七人殺された。村に住まう一家全員だった。だが、村とほとんどの人は無事だった」

「蔵人!」

「ラルマニは、城から来ていた百八十あまりの兵士と松木将軍を殺した」

 村国娘が恐れていた事態が起きた。困惑し、目は泳ぎ、不可思議な挙動を繰り返した。

「ヒメ!長官殿が城に来ている!これからを話し合おう!」

「う、うん」

 蔵人の背中を追いながら、真っ白になった頭に繰り返しラルマニとの約束の言葉が流れた。約束を守れず、あっさりと騙され、友人にもっともやってはいけない殺人を許してしまった。

『頼んだぞ!ヒメ!』

 城へ戻ってきた二人の前に、供を連れて長官が姿を現した。東の政治を司る府庁の長官であり、村国娘を松木の元へ派遣した張本人である。高位の官服に、落ち着きのある白髪の長官は彼女の元へ歩み寄った。

「一歩遅かったか」

 彼女が何かを言おうとして、それをやめてしまう。長官はため息をついた。

「この城は一時的に預かった。君や田ノムラなどの在地民を兵が襲うことはない。だが、ラルマニ殿は」

「はい、間違いなくここへ」

「それで一つ提案をしたい。君にラルマニを討ってもらいたい」

 彼女の悲壮な表情が、その次の言葉を予感しているようであった。

「ラルマニがこのまま城を襲い、軍が撤退でもなれば、府庁から討伐軍を出さざるおえなくなる。そうなれば、ここ一体は灰塵と帰す、生き残ったとて見知らぬ土地へ飛ばされる」

 もはや選択肢はない。ラルマニの暴走を止め、混乱にケジメをつける。そして、彼女に責任を擦りつけ住民を守る。

「それからは」

「君が田ノムラの巫女となり、荒魂への対処するのだ。皐月村国女よ。それがお主の役目だ」

彼女の知る上司では長官が最も話がわかる人物であり、血を好まない人物。それゆえに、間断ない冷徹な判断を下せる人物でもあった。今出された提案以外に、ラルマニの愛した故郷を守る方法はなかった。

「ありがとうございます。ご提案を受けたく存じます」

「ここの館を使え、いくら壊しても構わない」

 長官の前を辞した村国娘の顔は冷め切っていた。その彼女を追う蔵人は問いかけられる。

「お主はこうなると分かっていたのか」

「バカ、ならなんでお前を呼びに行った!俺はアホか?」

「すまん」

「それは」

 アルマニに言え。言えずとも、彼女は分かっていた。だからこそ蔵人は、彼女の心のうちを察するに余りあるものがあった。長官は松木将軍の藤原摂関家との過度の癒着を警戒して、彼を府庁に呼び出すためにわざわざきていた。それは、村国娘からの報告で軍を勝手に動かしたことへの警戒も含んでいた。

 

まもなく、ラルマニが城門前に現れた。

 

美しかった巫女服は真っ赤に染まり、しかし蕨手刀には血の一滴もついていなかった。ラルマニの御刀は、蝦夷たちの最後の珠鋼で作った最後の蕨手刀であった。

 ラルマニは兵士のいないまっすぐの道を進み続け、やがて周濠と柵に囲まれた小高い城のような館へと辿り着いた。開かれた門には村国娘が立っていた。

「村国娘よ、もはや何も語るまい」

 ラルマニの怒声に、彼女はいたって平静であった。

「ああ、我の出世を約束した将軍殿をこのような手打ちにするとは、つくづく蝦夷の者は、愚かで無粋よの、ワシの手で手打ちにし、恥を注がねば」

「キサマァ!私はお前を友と信じたのに、これが仕打ちか!絶対に許さん」

(よい、それで)

 写シを張り、飛び込んできた斬撃は村国娘の背にしていた門の柱が真っ二つになり、門の構造物は壕へ前のめりに崩れ落ちた。二人は館内に入り、扉という扉を破りながら、互いの先に廻ろうと駆ける。粉塵の中に写シの白い光が見えると、引いて構えが分かってから斬撃を加える。

 まだ剣術が定まっていない時代、村国娘は薙ぐ、叩きつける斬り付けを主とした馬上剣法、ラルマニは、懐に飛び込み刺突と縦横無尽な斬撃を加える、超接近戦を主とした白兵戦剣法を用いていた。この二人が巨大な荒魂を相手にする時、適材適所で抜群の連携を発揮した。

 だが、この館で繰り広げられるのは、互いの手をよく知っているが、互いに苦手とする戦法との戦いであった。

 村国娘はラルマニとの正面対決を避け、ひたすら館の柱を叩き斬り、そして最後の一本を切り落とし、ラルマニが力任せの斬撃を加えてくると、その衝撃で建物は上半分がズレるように崩れ落ち、ラルマニは急いで外へと出た。粉塵が舞い、視界が奪われた瞬間、鈍い衝撃が右脇腹をかすめた。彼女が気づいた時には、上段から叩き下ろす一撃によって写シを失い、倒れ込んだ。

 村国娘は隙もなくラルマニの右手を突き裂き、蕨手刀を奪った。

粉塵が収まると、互いの顔が見えた。ラルマニの目から怒りが消えていない。村国娘は、もっと他に彼女と和解する道があったのではないのか、そして、ようやくその思考に至った自身の軍人としての心を恨んだ。

「私は死んでもお前を呪う!お前の子孫が全て死に絶えるその日まで!呪いが貴様らを縛り続ける!殺せ!裏切り者!」

 直刀の切先が喉に差し込み、しばし溢れる血に悶えながら、ラルマニはやがて動かなくなった。

 顔を見まいと伏せていた顔を起こした彼女は、ラルマニの青く苦しみを浮かべる死顔に震え、涙し、剣を投げ捨てラルマニの体を抱きしめた。

「すまん!すまないラルマニよ!ワシが至らぬばかりに、もっともっと考えて動けば、こんなことにはならなんだ!ああ!お前の無念を全て受け止め、お前の故郷を守り通して見せる!それがわし自身への呪いじゃ」

 届かない許しを乞う言葉を何度も言い。村国娘は落ち着くと、二振りの剣を鞘に戻し、ラルマニを抱えて門の方へ向かった。

迎えにきた蔵人はひどくやつれた彼女と、青くなったラルマニを見て、おもわず俯いてしまった。

 

皐月村国刀使女は田ノムラの巫女となり、蔵人が婚姻によって皐月家当主に就き、府庁から正式に田ノムラの代官として任じられた。

村国娘は殺された村人、そしてラルマニを丁重に葬り、その態度を見た村人は彼女に同情の眼差しを向けた。彼女は刀使の役目を果たしつつ、五人の子を産んだが三人が半年もしないうちになくなり、一人はラルマニの幻を見て発狂し出奔、残った三男が皐月家を継いだ。

彼女が亡くなるまで、とうとう代わりの刀使がくることはなかった。それは、村国娘が代わりを拒否し続けた故であった。そして、彼女の手には必ず荒魂を見つけ出すペンダントがあり、村は彼女の亡くなるその日まで平穏であったという。村人は彼女の献身に長く感謝し続けた。

 

 子孫は絶対に刀使になれない呪いによって、以降は刀使ではなく男性の神官の一族として土地に根付いて行った。

 



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しょう・ますと・ごー・おん!

 糸の籠は開き、銀糸は目に見えなくなり、三人は目を見合わせた。

「将軍のやつは愚かだが、二人はバカやろうだ」

 低い調子で悪態をついた暁の言葉を、夜見と早苗は否定しなかった。

「これは二人の約束だったのですね。ラルマニさんはそれを守り続けている。それを理屈として理解しているかは、別としてですが」

「でもこれで、ラルマニに対しての言葉が見つかったよ。村国娘さんは決してラルマニを裏切っていなかった」

 俯く夜見にそう語りかけたが、夜見は納得いかないと首を横に振った。

「それならラルマニさんは村国娘さんの懺悔を何度も聞いたはずです。それでも刀使の力を一族に返してくれなかった。なぜでしょうか」

 三人の前に小柄に乗るスクナビコが、腕を組んで悩んでいた。

〔それなら直接、本人に聞くしかないね。ただ、どんな抵抗されるかはわからないけれどね〕

 記憶にまざまざと刻まれたラルマニの苦悶の表情がチラつき、彼女が簡単に口を開かないのは明らかだった。村国娘がラルマニからの呪いを受け入れ続け、それを子孫にも強いる結果を継承させ続けたように。

「そういえば、流さんと神さんは?」

 会議室には四人以外誰もいなかった。やがて、窓の向こう側から雄叫びが聞こえてきた。

「何か起きているのか?」

「行こう!」

 三人は会議室の外へ出て、博物館の中庭に出ると、そこには大量の小型荒魂の死骸が、紅馬と正躬の手で山になるよう積み上げられていた。紅馬は立ち尽くす三人に気がつき、ノロまみれになりながら笑顔を向けた。

「よう!早かったじゃねぇか!」

「あの、三佐どの、これは」

「見ての通り!小さい荒魂を二人がかりで始末したんだよ。たぶん壊属性だろうな」

「生身で!危険です!」

 早苗の注意は、眼前の光景に対してまったく説得力がなかった。

「俺たちはちと特殊でな!師匠から小型荒魂の対処法を習っていたんで、こうしてたたかえたわけだ!ただ、中型以上は手に負えねぇから、その時はお前らを引っ張り出す予定だったのさ」

 山の背後から鎌槍を手にした正躬が姿を表した。

「それで、有益な情報は得られたのか?」

「はい!大事なことがわかりました」

「けっこうだ」

 紅馬は高笑いしながら、猪目が刻まれた二本の斧を両肩に担いだ。

「それでこそ師匠が見込んだ子だ!それで、次はどうするんだ」

「ラルマニの墓へ!」

「その前によ!」

 夜見の前に進み出た暁は、端末を振ってみせた。

「この荒魂の処理と一日の休息だ!私が報告するから、夜見の家に戻っていてくれ」

「そっか」

「それと」

 紅馬へ向き直った暁は不敵な笑みを浮かべた。

「私も舞草に入る!色々教えてくれるだろ?」

「お前は、なぜ舞草へ?」

「私の大事なダチ二人の手助けをする!私の信じる最高のダチのな!」

「いいぜ!刀使は多いほどいい!どうせ、タギツヒメの奴には俺らの動向もバレているらしいしな」

「紫様が」

 嬉しそうにした夜見を見て、みんな目を丸くした。

「夜見さんは、そっか、信じているものね。紫様の意識がまだ生きているって」

 早苗の言葉に素直に頷いた。

 

 帰ってきた夜見と早苗はすでに陽が傾き、夜に差し掛かっていることに気がついた。皐月家の畑は赤焼けに染まり、山の合間に太陽が隠れようとしている。

「夕日の色はいつの時代も変わらないね」

 早苗の心配そうに震える言葉を聞き、首を横に振った。

「なら、ラルマニさんとご先祖さまとの間にあった絆も、簡単に消えないはず」

「そうだね!」

「それにしても、今が夕方ってことは、博物館にいたのは午後三時までで、記憶を見始めたのは午前十時。五時間もあの中にいたんだ!」

「え!なら流さんと神さんはいつまで戦っていたの!それと、博物館近くのグルメをチェックしたのに巡ってない」

「あ、こら!いつの間に、今日はうちの夕飯で我慢して」

「ふふふ、ごめんって!」

 

夕飯時には暁も加えて食卓を囲んだ。

 複雑な心持ちの夜見の祖父と父をよそに、母親は二人も友人を連れてきたことに大喜びして、泊まっていく支度まで済ましてしまう。迷惑にならぬようにと、暁が食材を持ち寄ることで皐月家に気を使った。この夜の食事は肉じゃがであった。

 月が登ると、腹ごなしにと三人は木刀を手に軽い稽古を始めた。

 夜見は、暁の隙のない打ち込み、早苗の頑強な防御とカウンターにたじたじとなった。改めて、二人の個性と、それに裏打ちされた剣の強さを感じずにはいられなかった。では、自分の剣とはなんだろうかと、つい二人に聞いてみた。

「そうだな。夜見の剣は終わりがない」

「終わりがない?」

 暁と答えを同じくしてか、早苗は言葉を続けた。

「夜見さんの剣は鎌府ではよく教えられている小野派一刀流の剣。でも、そのごく普通の剣を間断なく全て繋げて用いている。つまり、攻撃に終わりがなくて隙がない。だから私たちはどうしても本気で突き当たりに行くの」

「え、でも何度も崩していたのに」

「はぁ、夜見!お前何年剣をやってんだよ。それがお前の弱点でもあり、長所なんだよ。ほら、構えて」 

 暁が八双の構え、夜見が隠し剣の構えで対した。

「来い」

 その言葉に乗って、一直線に切り落とし、それに合わせて打ち込みをかけた暁の剣に弾かれた瞬間、すぐに方位を改めて打ち込みを続ける。それが、繰り返し何度も続き、隙もなく暁は受けの体勢を強制され続ける。我慢しきれず、強めに夜見の体勢を崩したが、今度は終わることのない返し剣の繰り返し、それも型の意義を理解した多彩な返しが走る。一瞬、息を乱した時には木刀の切先は暁の喉前に止まっていた。

「ほれ、一本取れた」

 息の切れる暁に対して、夜見は一切呼吸を乱さなかった。

「そっか、ずっと刀使になることや、写シのことばかり考えていて、自分の技量に目を向けてこなかったんだ」

「夜見」

 改まった口調の早苗の言葉は朗らかであった。

「頼りにしているよ。そして、あなたを頼る私たちにも頼って」

「うん、ありがとう早苗」

 

 秋田駒ケ岳を見上げる田沢湖から、山から温泉郷へまっすぐ続く道を車が走る。やがて、表の道を外れ、四人は車の入れない山道を歩き始めた。

「こっちで間違いないんだな」

 紅馬が先頭に行きながら道なき道を切り開く、獣道も絶え、はたしてこの先に目的の場所があるのか疑問に感じた。しかし、夜見、早苗、暁の三人に迷いなく方向を指し示した。

「そうか、村国娘が歩んだ同じ道を辿っているのか」

 やがて、茂みの中に石の積み上げられた構造物が見えてきた。

「あれか」

「はい、彼女が親友のために一個ずつ積み上げていった墓石の山。やっぱり、誰にも居場所を伝えなかったんだ」

 夜見は墓の前に立ち、スクナビコの名を呼ぶと小柄が一人でに飛び上がり、墓の周りを五周すると糸が宙を舞った。真剣なスクナビコはこの世ならざる金色の輝きを帯びている。

〔ここから先は夜見くん一人の戦いだ。覚悟はいいかい?〕

 夜見は進み出た。この日までを進んできた自分を信じる以外に、今を戦う術はない。

「会いに行きます!」

「いってこい!それで、しっかり刀使の力取り戻してこい!」

「あの記憶で見た想いは繋がるよ、私たちがここに繋がったように」

 糸は塊となり、そこから人一人が入れる口が開かれた。夜見の手には、神から預かった朱漆のペンダントと、ラルマニの蕨手刀があった。一歩を踏み出すと、糸の門は閉じられ、そこには白銀に輝く繭がそびえているのみだった。

「夜見!ぜってー帰ってこいよ!」

 二人に構わず紅馬はリュックを下ろし、そこから二振りの斧を取り出した。

「岩倉、稲河!タギツヒメはラルマニが味方につく事態を警戒している。それは、これからの戦況にどんな影響を及ぼすかわからない大玉!」

「それを阻止するために、タギツヒメなら」

「おう、来るな」

 二人が御刀を抜くと、墓を囲むように無数の赤い光が輝いた。三人が繭を守るように配置すると、赤い輝きたちはまっすぐ突っ込んできた。

「来やがれ荒魂!トマホーゥク!ブゥメランッ!」

 紅馬の投げやった斧は木々の合間を抜け、荒魂を無数も切り刻み、紅馬の手に戻ってきた。

「珠鋼は写シを貸してくれないだけで、力がないわけじゃないんだぜ」

「やっぱり常人じゃねぇな」

 タンクトップ一枚になると、筋骨隆々の鍛え上げられた戦士の肉体があった。

「見惚れている場合じゃ無いよ!行こう暁さん!」

「おうよ!」

二人も写シを張って荒魂たちに飛び込んでいった。

 

 

 

 



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あだーじょ!

薄暗い霧の中を歩みながら、やがてそこが森の中であることの気がついた。木は高く、緑は澄んだ色に輝き、枝の向こうの空は昼とも夜とも判断がつかない。

 そして、歩んだ先にはあの石を積み上げた墓があった。

「ここは隠世と現世の間。古より、墓は隠世との声をつなぐ空間だった。理によってすでにこの世界に故人の魂がないとしても、人は記憶の道に思い馳せる。故人がこの世界にいた時と同様にな」

 振り返ると、琥珀の輝きを纏わすラルマニの姿があった。

「ノロはあらゆる負の感情を飲み込む。やがてそれが、自身の負を求める本能を奪われ、人の魂に支配される結果になったとしてもだ」 

 記憶の中で見た彼女と何も変わらない。いや、何も変わっていない。

「ラルマニさん。私は刀使の役目を果たすためにまだ歩み続けています。どうか、私に力を貸していただけませんか」

「私から、呪いから力を取り戻すのではなく?」

「はい。私を送り出してくれた方が、まだ戦い続けている。このままでは私はもう一度会うことができない」

「それで」

 首をかしげたラルマニは、その話を一笑の元に伏せた。

「それが、あの折神紫の運命なら、そのまま望みのままに死なせてやるのが本望だ」

「ダメです!このまま死んでいくなんて」

「死なせるのがお前なら、それでいい。忌み児がこのままノロを取り込まないのなら、私は全力でお前から御刀を引き剥がすだけだ」

「どうしてですか!?あなたも刀使なら守るべきものは違わない!」

「そうね、違わない。その運命を村国娘は全て背負った。だから、私は子孫から力を奪ったのだ。忌み児よ。もうよせ、小人神の力で記憶を見たのだろ?なら、関わらぬのがお前の幸せだ」

ラルマニの達観した瞳は、全ての自身の行動の結果を悟っているようであった。

「でも、私はまだ見ていない」

「去れ、そして御刀を捨てよ」

「あなたは村国娘を裏切っておいて、自分の正義感を今になって私に押し付けるのですか?」

「では、私の見せてきたお前の破滅の未来。あれを見ても、お前はこの道を歩むか」

「違う!いまここにいる私は違う!あの未来たちは成れたこと、なれなかったことの現実を諦めて、自分に言い聞かせているだけだった。それが一番楽な方法だって、でも、本当の意味で刀使になれたのは今ここに!あなたの前にいる私だけ!そこから先で私がどんな絶望を見るかは、私の未来です!」

「なら、私はお前の未来を否定しよう!絶対に行かせない!」

 蕨手刀を抜き払ったラルマニに白い輝きが纏われた。彼女は禍神になってなお、刀使の力を失っていなかった。そしてこうなれば、引いても無駄なのは記憶から窺い知っていた。

「なら、押し通ります!私が勝ったら必ず」

「ならないのに、約束など無駄だ」

 御刀を抜き、写シを張った。そこへふらりとスクナビコが顔を出した。

〔夜見くん、僕がこじあけた五分間だけが君の勝負の時間。その代わり、僕の銀糸は使い放題だ。上手にやるんだよ〕

「はい!」

 隠し剣の構えになると、突くような体勢のままラルマニと睨み合った。

 頭ではラルマニの剣を思い出していた、そして、記憶で見た以上の速度でラルマニは近間に飛び込んできた。

(早いっ!)

 兼光の刃が長すぎると感じるほどの近間で、ラルマニは縦横無尽に懐へ飛び込んできては、変則的に切り込む。蕨手刀の取り回しの良さと厚い斬撃力を生かした、足取りの軽やかかつ、重たい斬り付けが夜見に反撃の隙を与えない。

(折れんな、さすがヒメの子孫か)

 迅移を生かした蓮撃を返しに生かせないでこそ、夜見は淡々と昨日の稽古を思い出しながら、ラルマニの剣を読みつつ攻撃を続けさせた。絶対に間を与えない。これは村国娘とは正反対でありながら、ラルマニのそれとも異なっていた。

 一撃を避けつつ、必要なら受け、金剛身を使って押し込みを受け、迅移の飛び込みも速やかに迅移で動きを無段階に繋げることで、奇襲性を無力化する。

(だが、それでは五分と持つまいて)

(やっぱり!ラルマニさんは周囲を見てない!)

「そうかな」

 ラルマニは夜見にフェイントをかけると、森を駆け回り、わずかに見える銀糸を切り離した。

「これで捉えられまいて」

 夜見は息を飲み、右腕を大きく振りかざした。

 隠れて張り巡らされていた糸が夜見の両腕を縛り上げ、それが木を伝ってラルマニの利き手を縛った。

「何のつもりだ」

「あなたに私を止める覚悟があるなら!ここで殺してみせてください」

「その代わりに私の右手とな、愚かだが、それも手か」

 青ざめていく夜見は全力で糸を引き絞るが、糸は腕に食い込んでいく。ラルマニがさらに強く糸を引くと、夜見は歯軋りを立てた。

「頑固者だ。なぜ、なぜ剣で切らぬ?お前は自身の実力なら、私を切り払えると知りながら」

「そうしたくないからですよ。あの日、お互いに諦めてしまったから、今日という日を迎えてしまった。でも、もういいと思ったんです。あなたを抱えるのをやめて、ここからをはじめたい」

「いやだ。それでは、ヒメが私を殺したことが過去になってしまう。ヒメが抱えた罪をお前たちに背負わせない。この一心、曲げられない!」

「どっちが頑固者ですか」

 俯き、歯軋りを立てながら、吹き出す汗も拭わず、力を振り絞る。

「村国娘とラルマニさんが守ってくれた私も、私という一人!あなたに私の運命を背負わせたつもりはありません!」

「このラルマニが、押し付けていたと」

「もういいんですよ。今までありがとう。私たちを守ってくれて」

 ラルマニは夜見の声に村国娘が重なった。

 友に自分を殺すことを押し付けた。そして、殺したという罪を背負わせた。友は決して自身に許しを乞わなかった。その代わりに、自身の身に降りかかる不幸を全て背負った。時には村の危機に際しても自身に責があると、ありもしない罪を背負った。もう苦しむ彼女を見たくない。

 なら彼女で終われせてやればいい。

 刀使の力を子孫から奪い、力を利用されることから遠ざける。それなら、皐月の一族は誰からも利用されることなく、平穏に暮らせるはずだ。未来視で夜見の破滅を見た。なら、すべきことはひとつ、これからも変わらない。私は村国娘の子孫を護る。

「嫌だ。私を遠ざけるな、夜見」

 糸は限界まで絞られ、夜見の腕が今まさに引き裂かれようとしている。このまま写シが剥がれた夜見は、本当に腕を失ってしまう。だが、ひとりぼっちで寄り添い続けてきたラルマニの孤独な心が手を緩めさせない。

「どうすれば」

〔いいかげんにしないか!〕

 小柄が飛び、両腕を縛っていた糸が切り剥がされ、写シを失った夜見は正面から倒れ込んでしまった。

〔ラルマニ!もう君一人の問題じゃないし、君から押し付けられることでもない。夜見は力を貸してほしいと言ったんだよ。その言葉を忘れたとは言わさないよ!〕

 霧が晴れていき、木々の合間から山と湖が見えた。ここはあの田ノムラのあった故郷の景色だった。

〔ここは確かに隠世と現世の間だ。そこに魂の心象風景が掘り起こされる。そこに弔われた魂とのつながりが深い場所をね〕

「そうだ。ヒメの守ってくれた景色と人。巣立った鳥が必ずしも、親の思いや記憶を失うわけではないのだな」

 息を落ち着かせた夜見へと、ラルマニは手を差し伸ばした。

「ありがとうございます」

「私の勝ちだな」

 何度も負け続けても、それでも前へ進み出た夜見は『またか』と気持ちを撫で下ろした。

「まただな。結局は私もヒメとの稽古では勝ち越せなんだ」

「はい」

「勝った以上は私の好きにさせてもらう」

 夜見の持ってきた蕨手刀を手にし、そこに自身の蕨手刀を重ねると一つとなった。

「お前の写シは生まれたその日に繋がりを切っている。だが、私の写シで結び直せば、また使える」

 夜見へと蕨手刀を押しやると、寂しげな笑顔を浮かべた。

「私がお前の力になれるのか?」

 今までとは異なるやり方を始めるのだから、ラルマニに自身がないのは当然だった。

「はい!」

 ラルマニの手を握り、泣き出した夜見の肩をそっと叩いた。

 

 すでに二時間が経ち、荒魂の軍団は波状攻撃を繰り返す。三人は肩で息をしながら、手に持つ獲物を正面に向けて構え続けた。

「くそっ!タギツヒメはこの山がノロの溜まり場だと知っていて、私らに差し向けてきやがる!」

 暁がリズム良く凪ぐと、五歩進む間に三体の蛙型が弾け飛んだ。

「でも大きいのは村国娘さんとラルマニさんが大昔に祓っている!なら、倒せないはずがない!」

「だが、俺たちの体力が持つかどうか」

 紅馬は常人の戦いぶりでは無い。しかし、手足は痺れ、吹き出す汗を拭うが止まらない。強引に剣を振るっているのは早苗と暁も同じだった」

 それに気づいてか、次に来た荒魂たちの足はゆっくりとしたものだった。近距離まで近づいて、懐に飛び込む準備をしている。そこへ、カエルの毒が飛び、かからぬように下がった隙に木々の合間から鳥型の荒魂が急降下し、三人を追い立てる。

「なんとしても持たせる!夜見さんが戻ってきた時に!誰も欠けていないように」

 その早苗の目に、間際まで近づいてきた蛙型が目に飛び込んできた。この体当たりを受ければ、写シは剥がれ、怪我では済まない事態が待っている。

 だがしかし、そうはならない。なぜならば、繭から飛び出た蕨手刀が蛙の顔に突き立てられ、その勢いのまま真っ二つとなって地面に飛び散った。

 早苗は自身の背にしていた繭から飛び出した夜見に驚き、彼女の名を呼んだ。

「夜見!」

「ただいま戻りました。状況は」

「最後の波状攻撃が来る!これを受けたら私たちは持たない」

「攻めかかれますか?」

「おうよ!」

「俺たちの恐ろしさを思い知らせてやる!」

「ここまで痛めつけられると、意地でも負けられない!」

 三人の声を聞いて夜見は飛び込んだ、その右手には蕨手刀を持ち、左手には水神切兼光。最初に駆けてくる最前線の蛙達を兼光で流しながら切り捨て、尾を返して背を見せた残りの懐に飛び込んで蕨手刀で最後の一匹まで切り払った。

「暁さん!紅馬さん!まずは紅馬さん正面の荒魂達に突貫します!」

「各個撃破か!」

「おっしゃ!」

 紅馬が先頭に飛び込んで、二匹を切ってその足を鈍らせた隙、その隙を逃さず早苗と暁は主力の狗型五匹を相手取り、夜見はその波状攻撃の指揮をしていた荒魂がいると踏んで、軍団の後方に飛び込み、茂みに隠れている隠型の姿を見つけた。

「やっかいなのがいる!なら!」

 夜見は五分を超えてなおも顔を青くせず、衰えることなく迅移で木々の合間を縫うように走る。やがて隠型も気付き、腹を大きく膨らませると地面から夜見を追うように攻撃が走った。その衝撃ががむしゃらに自身を追うものと気付き、夜見は不敵な笑みを浮かべて隠型の目の前に立ち止まった。隠型は怒りを現すように、巨大な一本尾を夜見の頭上に振り上げた。

「捕まえました!」

 蕨手刀を宙に振ると、銀糸が隠型の尾を縛り上げた。

 隠型は地面にその尾を隠し、地上からではなく地下から攻撃をする。そして、弱った相手へのトドメの一撃に一本を叩きつける。ゆえに潜っての戦いの繊細さはなく、表に出れば逃げ場はない。一撃必殺だからこその危うさ、そこに夜見は浸け入った。

「早苗!暁!今です!」

 木々の間を飛び上がってきた二人が、固定された尻尾を散々に切り、隠型から伸びる尻尾の付け根を紅馬は二本の斧で叩き斬った。

「お覚悟!」 

 逃げ出した隠型を右袈裟から一刀両断した。切り口に荒さはなく、隠型は地面に落ちてぴたりと動かなくなった。

 無視した荒魂達へ向き直ったが、すでに姿はなく、スペクトラム計からも遠くへ離れていく荒魂たちを確認した。

「あとは秋田支局の刀使たちに任せよう」

「勝った」

「うん、勝ったよ」

 暁は小さく笑い出すと、やがて大きく笑い出した。

「なぁ早苗!さっきの夜見の戦いかた見たか!まんまラルマニの戦いかたじゃん」

「うん!あの通りすぎながらの斬り付けも」

「ああ!村国娘の!」

 夜見は目を丸くしてから、その意味がわかってくると嬉しそうに蕨手刀を鞘に収めた。

「写シの制限時間もなくなったな」

「ううん、私の写シとの繋がりはとっくの昔に失っている。今の私の写シはラルマニさんから譲ってもらったもの」

 目をキョトンとさせる暁に構わず、紅馬は嬉しそうに頷いた。

「写シは繋がり、人が人であった写真だ。ゆえに、記憶、形、声、感触、それらを受け継ぐことを写シの主が望めば、写シは継承される」

「よくご存知なんですね」

「師匠の受け売りだ」

「すごい方なんですねきっと」

 そう問いた夜見の顔を見て、紅馬は笑い出した。

「こいつ、ここまで話しておいてまだ気づいてないのかよ!」

「え?」

 早苗は自信なさげにその答えを言った。

「紅馬さんの剣法は独自色があるけど、基本の中に徹底的に仕込まれた二天一流がある。そして、現役刀使最年長のその人も、二天一流」

「ま、ええ!流れさん!まさか」

「そのまさかよ、俺の師匠はお前の思い人、折神紫先生さ」

 夜見はしばし驚き、つられて笑い出した。

 おかしかった。ここまで人と人の縁は続き、思わぬ出会いと出来事を目の前に起こす。それが、夜見をここに導き、そしてまた新たな道を指す。彼女は紫と話す楽しみがまた一つ増えた。

 



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まい・うぉー!

場所を移してその夜、横須賀港に所属不明とされる潜水艦が入港し、その艦に折神朱音が乗っていることが広く伝わった。あの御前試合事件から、情報封鎖されてマンネリとしていたメディアはここぞとばかりに飛びつき、その潜水艦が本当に横須賀港の、それもヴェルニー公園の目の前とあって、海に面する欄干にはカメラが並んでいた。

 しかし、ある噂も流れていた。この情報はどこから漏れていたのかと。

 特祭隊司令室でモニターを注視する紫の側に雪那が立った。

「紫様、情報の出どころがわかりました。折神朱音率いる舞草に協力している特金研が毎日報道社の記者にリークしたそうです」

「あそこに朱音がいると?」

「米軍筋は否定していますが、防衛省の協力者が訓練中の米軍が予定航路から逸脱し、横須賀に乗りつけてきたそうです。そして、密偵からの折神朱音の行動履歴から、潜水艦乗艦の可能性は高いと」

「お前はいかに対応するか」

「今より横須賀に向かい、折神朱音への出頭を呼びかけます。すでに防衛省協力者も部隊を配置しています」

「そうか、では私は社に向かう。来るならばここだろう。たとえ、どんな手段をとってもな」

 紫の奇妙な笑顔を気にしないようにしていたが、司令室を辞すると冷や汗が湧いていることに気がついた。

(紫様を救い出すためには!タギツヒメさえも利用しなければ!)

 端末に向かって叫ぶように指令を飛ばしながら、特祭隊本部のヘリポートに進み出た。そこには、寿々花の姿があった。

「なんだ、お前には本部の守備命令が出ているだろう?」

「ここまで来てしまってからでは、私が得た情報もすでに手遅れでしょうが」

 雪那は立ち止まり、迷いのないまっすぐな表情で寿々花の顔を見た。

「此花寿々花、お前はなぜ私に会いに来たの」

「簡単ですわ。あなたを押し誤っていた。それを確かめに」

「なら自分で考え、その通りに動け」

 歩を進め、ヘリに乗り込むと暗い表情を浮かべた寿々花が、目だけは雪那を睨んだ。

「どう解釈してもらっていいわ。でも、願いはあなたと同じよ。紫様のために私は全身全霊を尽くす。たとえ、肉体を失ってもね」

 扉を閉めると、ヘリは急速に飛び上がっていった。

 寿々花は施設に入り、廊下を歩きながらぶつぶつと喋り始めた。

「確かに特金研からのリークはあった。でも、舞草との対立構造を世間は知らない。それにさらに効力の高い情報筋に情報をリークし、連携して情報を流すことで情報源から目を逸らさせた。そして、今になって密偵からの内閣情報室から漏洩が示唆された。仮説が正しいなら、内閣へのコネクトを持ち、情報判断をコントロールできる権限を持つ組織幹部はただ一人。特祭隊副指令である高津雪那!そして、その高津雪那はよりにもよって、対刀使装備を持つ機動隊と支隊の半分を連れて行ってしまった!」

 司令室に入った寿々花は、真希と結芽の前に立った。緊張のみなぎる寿々花の顔を見て、真希は何かを感じ取ってか一言だけ問いた。

「どうかな」

「間違いありませんわ。高津学長は舞草です。交渉し、こちら側に引き込んだ舞草のスパイも信用ならない」

「じゃあこれから攻めてくるんだね!」

 結芽のいつもの調子に寿々花は落ち着かなかった。

「嬉しそうですわね」

「一網打尽にするなら、鎌倉だよね」

 自身に満ち満ちた結芽の表情が、寿々花を落ち着かせた。

「寿々花、紫様は社へ入られる。僕たちは参道で防備に当たる。結芽は荒魂を使役しながら敵を撹乱、あとは自由に戦え」

「はぁーい」

「支隊および鎌府の警備当直、待機者を本部全体に配置する」

 真希はここ数日には無い、落ち着いた表情で指令を各所に伝達する。その背中を見て、寿々花は自然と指揮の助手となっていた。結芽は少しばかり困り顔で二人を後ろから見つめていた。

(おねぇさんたちに手加減できなくなっちゃった)

 三十分もしないうちに部隊が要所に配置され、万全の防御体制となった。すでに紫は祭殿へと入り、敵がくるのを待ち構えるだけになった。

 その中に入っていた葉菜は、あまりにも迅速な対応に、雪那の暗躍がついに明るみになったことを感じ取った。しかし、まだ指揮権を剥奪されていないことを見るに、その時間がないことと紫が一才の処断に言及しなかったことを察した。その彼女を含め、防衛にあたる刀使たちに一つの命令が端末を通して下達された。

「敵は折神紫様の一命をのみ狙う。各個人の全力をもって、これを阻止せよ。かぁ、あと五分ではじまるね。戦後屈指の内乱になるかな」

 その五分後、潜水艦から出た朱音の演説がはじまり、潜水艦の上部ミサイル発射口から六機の黒い機が西へ向かって発射された。同時に、市街地に潜んでいた舞草部隊も一直線に本部に駆け出した。

「行くよちぃねぇ!輝先輩!」

「ええ!六人の突入支援!一人でも多く施設外縁に刀使を引きつけるわよ!」

「了解!タフネス揃いの支隊相手だよ、腕がなるねぇ!」

 あの真紅のS装備を身につけた美炎が正門を破壊し、彼女の存在に気付き、写シを張った守備の刀使たちを智恵と輝が襲撃した。

「馬鹿な!美濃関!長船!それに自衛隊!?S装備さえもか!私たちは何と戦っているんだ!」

 支隊員の嘆きは各所の戦闘で繰り広げられる。伍箇伝各校からの志願者も多い支隊は、実力ゆえに前線を支えるが、困惑が広がり始めた。その様子を葉菜はつぶさに観察していた。

〔由依、弾着十秒前〕

 無線機を通して、由依の明るい返事が飛んできた。

〔それじゃあ、弾着と同時に誘導でいいのかな?〕

〔ああ、防衛を西御門から八幡宮方面に引き剥がす!〕

六つの轟音が海岸方面から響き、舞草部隊も守備隊も一瞬動きが止まった。

「敵の主力だ!合流して八幡宮方面から浸透してくる!」

 葉菜と由依の声に呼応して、部隊が西へ集結し始める。そこには、美炎ら三人と七人の舞草の刀使がいるのみである。彼女らに守備隊が集中する中、機を降り立った可奈美、姫和、舞衣、薫、エレン、沙耶香は、守備に目もくれずに社のある西御門へまっすぐ駆け出した。

 その様子を本部の屋根に乗りながら、結芽はニッカリ青江を抜き払った。

「少しでもやられてくれないとさ、最後の瞬間まで騙せられないの!」

 左腕を切り裂くと、そこからノロが垂れ出し、屋根をつたって溢れるノロは荒魂となって本部上空を埋め尽くす。

「でも支隊のおねぇさんたちも結芽の荒魂を襲うよね。なら、鶯ヶ谷まで押し込んでそこで足止めしよう!いけカラスたち!」

 結芽の指す方へ一斉に突っ込んでいく赤い輝きが、図らずも集結しつつあった守備隊と舞草の部隊をめがけて飛び込んできた。

「え!?何あれ」

 智恵は敵味方構わずに、盾となって襲ってくるカラス型の荒魂を切り払った。やがて、何も言わず敵味方揃って大軍を攻撃し続けた。だが、繰り返し攻撃が続き、写シが剥がれる刀使も出始めた。

「ちぃねぇ!キリがないよ!燕さんはまとめて私たちを潰す気だ!」

「でも、ここから引けば、この荒魂たちが人の多い地区に流れないとは限らない!みんなそれをわかっているのよ!」

 舞草側の刀使の一人が美炎に近寄った。彼女は白銀の長髪に切り立った鼻立ち、メガネ越しから青い目を輝かせる。

「綾小路の木寅ミルヤです。安桜美炎さんのS装備はあと何分持ちますか?」

「節約しながらだから、5分2セット、合わせて10分全力で動ける!」

「では今から1セットを持ちいた作戦を提案します」

 背中を合わせた智恵は手はあるのかと尋ねた。

「手ではなく、おそらく荒魂たちは私たちを下がらせる意図がある。一人が道を外れようとしたら妨害されて写シを剥がされた。つまり、後ろへまっすぐ引かせたいと思われます」

「私たちは燕さんの手の内か」

 ミルヤはその言葉に驚いたが、すぐにそれが人の思考範囲で統制されていることに納得した。

「ミルヤさん!この場の刀使に指示をお願いします!」

「わかりました!」

 S装備が琥珀の輝きを放つと、地面を斬り払いその摩擦で炎がまかれた。

「最近できると分かった技!その名は神居!」

 炎を上下左右に大きく広げると、壁となって飛び込む荒魂が火の中で次々に消失していく。

「今のうちだ!みんな!山の方へ走れ」

 それが最善手段であることを了解してか、壁の合間を抜けるカラスを交代で払いながら、刀使たちは西鳥居を出た車道で荒魂に囲まれた。

「ここが行き止まりか」

 刀使たちは刀を構えながら、その場で立ち尽くした。襲ってこない荒魂たちは、暗闇の中で無数の赤い輝きとなって周囲を囲んでいた。

 陰でその様子を見守っていた葉菜の尻には、美炎が情けなく倒れていた。

「あの、葉菜」

「しっ、これで注意は彼らに向いたね」

 彼女に起こされて、八幡宮の境内を抜け、西御門へ抜ける道に出た。

「こんなにあっさり」

「あそこに集められた守備は配備された六割だよ。燕さんはもしかしたら」

「葉菜、まだ間に合うかな」

「六人はとっくに折神家の奥の社に入り込んでいる。僕たちが奇兵隊だ」

「うん、なせばなる」

 寒々とした表情で、自分に言い聞かせるようにその一言を呟いた。

 

 奥の社では、貯蔵されたノロを喰らった紫ことタギツヒメが、六人を相手に大立ち回りを演じていた。その頭上に巨大な幹のような腕を張らせ、その先にある刀が彼女たちの攻撃を弾いていた。

「くそっ!埒があかない!」

 実力ゆえに刃早いごとき姫和でさえも圧倒される。休む暇もなくタギツヒメの肥大化する本体からの攻撃は激しくなる。彼女たちの攻撃は予測されるように弾かれ、予想だもつかない位置から斬撃を受けた。

「これでは!届かない」

「届くよ。姫和ちゃんなら、必ず」

「可奈美!何だ!」

 写シが消し飛ぶと、白い影が可奈美に寄り添い、その瞳は白く輝いた。前にゆったり進み出ると先ほどまで必中であった枝が、ことごとく可奈美に当たらなくなった。

「私を探し出してくれたあなたなら、絶対に負けないわ。それにタギツヒメも、その姿でまだ人の真似事をしているの?」

 姫和と舞衣は思わず目を合わせた。可奈美が百も大人びたような、老齢な口ぶりをしている。

 その間に、白い影が残像となり、斬撃を本体と影が二連撃で叩き加えた。いや、加えたように見えた。タギツヒメの龍眼には、可奈美が二人存在し、そのことごとくの攻撃をいなされ、返しの刃によって叩き伏せられる。勝ち筋が絶えた瞬間、上段からの斬撃が紫の胴を叩いた。

 傷口はノロによってすぐに閉じられたが、攻撃が止み、折神紫の慟哭とともに、枝は壁をのたうち回るように突き暴れた。たちまち六人はバラバラにされ、可奈美のそばには姫和と沙耶香がいた。

 やがて、紫は姫和の名を叫ぶように呼んだ。

「今だ!私ごとタギツヒメを隠世に封じ込めるんだ!」

 目の前には覚悟の定まった表情があった。姫和は静かに小烏丸を構えた。

「この時を待っていた」

 体は白く、強烈な七色の虹彩を放ちはじめた沙耶香は、その目を琥珀色に輝かせた。

「無念無双」 

 姫和を押しのけてタギツヒメに飛び込んだ妙法村正の刃は、千鳥によって堰き止められた。

「火事場泥棒はいけないよ、沙耶香ちゃん」

「そんな、私の動きに!」

 タギツヒメから離されるように、連撃が沙耶香を弾き飛ばすと、可奈美は笑顔で姫和の顔を見やった。

「姫和ちゃん。行かないで」

「っ!」

「さぁ!タギツヒメのヒルコミタマを現世から切り離して!」

「何を!もう会えないのに」

 姫和が一つの太刀を発動すると、瞬間を切り裂くように切先は紫の胸を突いた。体を今一歩踏み出そうとした時、可奈美の一言を思い出した。

『行かないで』

(もう二度と会えないからなのか?)

 姫和が躊躇した瞬間、紫から切り離された本体が隠世と現生の境界に切られ、現世に残されたタギツヒメが引き戻される力でバラバラに、それも天頂に向かって飛んだ。そのノロの赤い流れ星が、空を埋め尽くし瞬く。

その光景を屋根の上から見上げながら、結芽は大きなため息をついた。

「沙耶香ちゃん、ドジ踏んだね」

 沙耶香の剣は可奈美の知るそれではない。いつの間にか、それも無意識に動かし続けていた剣が、目の前にいる少女がただの人間でないと教えてきた。

「無念無双?」

「これは、おねぇちゃんがくれた真・無念無双!あと一歩だったのに、なんで!なんで!可奈美が!」

 だが、可奈美は冷静に剣をさばき、やがて動きを読み始めると、さらに強化されや無念無双の動きを完全に捉えた。そして、その剣に怒りが沸きはじめ、村正を素手で引き剥がし、石畳を転がった。

「沙耶香ちゃんの剣には迷いもあるけど、一本の筋の通った信念があった!でも、今の剣には心がない!自分の技も、体も、剣も、ただの道具としてしか見てない!そんな空っぽの剣、私には通じないよ!」

「空っぽ」

 その言葉を憎むとも、悲しむともできない表情で、沙耶香の体から写シも、琥珀の輝きも消えた。

「知らないよ。そんな簡単なことじゃない!」

 沙耶香は村正を放り出して、その場から駆け出してしまった。可奈美はその小さな後ろ姿を見て、言いようのない後悔が湧き出してきた。そして、自分からかけられる言葉がないことも察した。

「可奈美ちゃん」

 舞衣が枝の間を縫って顔を出すと、泣き出しそうな可奈美の姿があった。

「ごめん、ごめん、私、沙耶香ちゃんの剣を否定した」

 舞衣は黙って可奈美の頭を撫で、抱きとめた。それを、可奈美は押し離した。

「舞衣ちゃん!沙耶香ちゃんを一人にさせないで!」

「可奈美ちゃん!」

「ワケは沙耶香ちゃんに聞けばわかるから、お願い。私じゃ沙耶香ちゃんに優しい言葉、かけられない!」

 可奈美が、心の底から沙耶香との繋がりが切れたことを後悔し、悲しんでいる。その彼女の頼みを、沙耶香を、無視できない自分がいると気づいた。なら、すべきことはひとつである。

「可奈美ちゃん。何かあったら連絡して、しばらく会えなくなるけど、必ずまた会いましょう」

「舞衣ちゃん。お願い」

「うん、おねぇちゃんに任せて」

 舞衣は沙耶香が去った方向へ駆け出した。可奈美は涙を浮かべたまま、事切れるように地面に倒れ込んだ。

「おい!可奈美!姫和!沙耶香!」

 薫が叫びながら枝を叩き割って、その空間に踏み込んだ。

 可奈美の倒れる向こうには、空っぽになった枝の中心と、倒れる姫和と紫の姿があった。三人とも息があり、薫は『よかった』と、繰り返し呟き、ねねはその頭をやさしく撫でた。

 

 涙を拭う沙耶香の背中を支えながら舞衣は歩き続けた。

 二人の前に、暗闇から結芽と由依が姿を現した。

「やっちゃったね、沙耶香ちゃん」

 睨む沙耶香を楽しげに見つめ返した。

「もしかして千鳥のおねぇさんにやられた?前々から、紛い物なしの真っ向勝負でも、勝てるか自信なかったんだよね。仕方ないよ」

 結芽は何かを感じて振り向くと、そこには葉菜の姿があった。由依は隙を作らず、その腹を叩いて葉菜の動きを封じた。

「だ、騙したな」

「騙した?わかっていて私たちに関わっていたのでしょ、葉菜しゃん」

「由依!」

 沙耶香は泣き跡も拭わず、葉菜の前に進み出た。

「あなたの力が必要なの、絶対に逃さない」

 四人の前にクルーザーが周囲を照らしながら現れた、その中から涼しい表情の雪那が降りてきた。

「先生、申し訳ありません」

 頭を下げる沙耶香を、雪那は抱きしめた。

「大丈夫、こういうこともあるわ。こうして生きていてくれて何よりよ沙耶香」

「おねぇちゃんも、そう思うかな」

「そうよ。美香もあなたの命が大事って言ってくれるわ」

 朗らかな表情で、心配そうな沙耶香を諌めた。

 

 赤い流れ星がいまだ瞬いている。戦いの後の静かな夜にはふさわしくない、奇妙で美しい光景であった。

                  

 

  第二部 完

 

 

 

 



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第三部 隠世と虚無の向こう側
すたーれす!


 

 

いくつも折り重なった時は、いつしかほぐれ、一つの流れとなる。

 

『鎌倉特別危険廃棄物漏出問題』と世間では銘打たれたあのカチコミ作戦から、早三ヶ月が過ぎようとしていた。あの日降り注いだノロは、各地で荒魂となり、刀使達は事件の追求も間もなく荒魂討伐に奔走していた。

「だからといって、これは」

 夜見は押し付けられた報告書のデータベース入力をこなしながら、次々と運び込まれる書類を捌いていった。その山の中で天井のはるか先の虚空を見つめる薫とねねの姿あった。

「薫さん!仕事してください!少し手を休ませて欲しいって、本部長にお願いしたのでしょ!」

「きつい。はたらきたくない」

 完全に打ちひしがれる薫を横目に、自身が泣きたい気持ちを必死に押し殺した。

(私だって荒魂討伐の支援に行きたいのに、支隊・オペレーター総動員で書類捌きが進まないなんて)

 指揮所の一つである部屋は、モニターを三つ残してほとんど床に置かれ、モニターのあったスペースに積まれるそれを夜見も薫も見まいとした。

「失礼します」

 そこへ気品のある顔立ちに、花の香りを纏う女性が現れ、夜見は思わず席を立ち上がった。

「此花さん」

 寿々花の堂々とした姿に、ついほっと胸を撫で下ろした。

「夜見さん、私も入力を手伝います。指示をいただける?」

「はいっ!」

 寿々花はあの事件以後、一時的に軟禁処分となっていたが、朱音の要請で親衛隊の現場復帰が要請された。しかし、本部が把握できる親衛隊メンバーは真希と寿々花のみであった。

 入力を進めながら、寿々花は自然と沙耶香と結芽の所在を夜見に尋ねた。

「わからないのです。あの夜から高津学長、糸見さん、結芽さん、由依さん、そして葉菜さんまでもが行方知れずです」

「真希さんは逃亡中に刀使を助けて、そのまま投降。でも、まだ合わせてもらえませんわ」

「すぐに会えます。今は一人でも刀使が必要な時です」

「使命を果たせば、かならずと?夜見さんは信じさせてくださると?」

「善処します」

 決意に満ちた硬い面持ちの夜見を見て、呆れたように首を横に振った。

「肩肘を張るのはいいですけど、それではいつか息が切れてしまいますわよ。私はあなたを責められないのですから」

「どうしてですか、私は紫様から逃げたのに」

「逃げた人が舞草の折神紫派で、今もあらゆる伝手を頼って紫様を保護するために本部長を説得した。そうですわよね、益子さん」

 ムクリと起き上がった薫は、澄まし顔でしらないと一言言ってから作業に戻った。

「夜見さん、私はあなたを傷つける言葉を何度も言いましたわ。それでも、罪人の私にできることがあるなら、どうぞなんなりとおっしゃってください。今はただあなたに感謝したい。紫様を守ってくださったことに」

「まだです。まだ、事件の追求は始まっていません。紫様からよく話を伺って、それからです」

 そうして書類を黙々と片付ける中、処理部屋に早苗が飛び込んできた。

 息を切らせながらも、しっかりとした口調で伝えるべきその一大事の口火を切った。

「高津先生が宣戦布告!?」

 

 時を同じくして茨城県水戸は弘道館の縁側、ここに高津雪那と、黒い詰襟の軍服の如き制服を着る沙耶香、結芽、由依、葉菜の姿があった。

「それで、結芽たちは舞草を切り捨てるわけだね」

 結芽は暇そうにしながら、その言葉は雪那に向いていた。

「ええ、舞草はタギツヒメの三体の分裂体を秘匿し、そのうちのイチキシマヒメ、タキリヒメを防衛省と手を組んで秘匿している。三体目のタギツヒメは未だ逃走中、一刻も早く捕らえなければいけないわ」

「タギツヒメは折神紫を取り込もうとした結果、同化現象によって多重人格が生まれ、それがあの日『ヒルコミタマ』と切り離されたことで三体の荒魂として分裂した。その一体ずつは大荒魂のそれを上回り、しかし完全体のそれには劣る」

 長い縁側の奥から、葉菜は新緑けぶる庭に目を向けながら雪那の方へ歩みを進めた。

「君たち『悪党』は、沙耶香くんにタギツヒメを吸収させること。ノロを封じながら、それを使役し、消化する力を持つ特殊体質だからできる芸当。そして、沙耶香くんが日本しいては人類の希望と言うんんだね」

 責め立てるような口調で殺気をこめる葉菜を、沙耶香は背中で聴きながら静かに空を見上げていた。

「葉菜さん、あなたも今は仲間なんですから、そんな他人行儀にしないでくださいよ」

 由依が立ち塞がるが、葉菜の勢いは収まらない。

「別に沙耶香くんの力を否定するわけではないよ。僕が怒っているのは、裏切って敵対するのが君たちの浅はかさだ!」

「うん。だから葉菜、あなたを連れてきた。舞衣がいるのも心強い」

 沙耶香の一言に葉菜は頭を抱えた。

「本当に始末が悪い!はぁ、僕は手としてはありだと思う。十条くんの封印が失敗した今、分離したタギツヒメを封印するのはいい手段だ。だからこそ、なんでこんなまどろっこしい真似を」

「舞草も本部も信用ならない。日高見派も同じ。封印を成功させるなら、ブレる要素を断つのが一番。そう判断した」

「それが三女神同士を争わせ、一つになるきっかけになってもかい?悪いが、全てには賛同しかねる。僕は僕の好きにさせてもらうよ」

「構わない。葉菜が動くだけで都合がいいから」

 彼女達の前に舞衣が戻ってくると、始末が悪そうにそっぽを向いた。

「また言い争ったの?」

 その問いに葉菜は首を振った。

「舞衣くん、僕は確認したまでさ。そして、沙耶香くんは僕の欲しい回答をしてくれなかった」

「それは、沙耶香ちゃんのそばにいる、ほとんどの人がじゃないかな」

 舞衣は沙耶香の隣に座り、笑顔で頷くと、沙耶香は小さくも嬉しげに笑顔を見せた。

「そうかもしれないね。それで、首尾はどうかい?」

 葉菜の問いに舞衣の回答は明瞭であった。

「宣戦布告をしたのは舞草体制の出足を伺ったまで、でもここまで鈍いなら、三女神の捜索にはそう手間をとりません。それに、タギツヒメ以外の大荒魂のノロを所有する団体の姿があります。私たちはその団体からもノロを奪取します」

 雪那は嬉しげに頷き、結芽と由依に紙片を手渡した。

「高津のおばちゃんは、結芽だけじゃ不安?」

「不安ね。大いに暴れてもらうのに、強奪がうまくいくはずがない。柳瀬の立てた作戦は必ず我々の光明になる。あなたのその力は適材適所で使うべきよ」

「はぁーい」

 雪那は静かな口調のまま、全員の顔を見回した。

「いくわよ。私たち刀使が偽りの神を御しえると証明するために、『悪党』は必ずタギツヒメを支配するぞ」

 

 早苗の報を聞いて間もなく、薫から夜見たちにある人物への面会を指示された。

「薫さん、なぜにこんな時に」

「こんな時だからだ、お前らの人事を正式決定するには、まだ決定権を持っている人間から裁可をもらわなきゃならん」

「決定権って、まさか」

 四人は急ぎヘリに乗ると、沖に向かって飛んでいくに従ってその向こう側に船影が海の靄の中から浮かび上がってきた。それは広大な甲板を持つ空母のような船であった。

「護衛艦かがだ。潜水艦に移乗する前に間に合ったか」

 船に着陸すると、そこには真希の姿があった。

「真希さん!」

 寿々花は彼女の元に駆け寄ると、強くその両手を握った。

「あなたは何て人ですか、勝手に飛び出して、こうして戻ってきて」

「すまない。訳はあとで話すけど、僕は刀使の使命を果たすために戻ってきた」

「あなたと言う人は」

 真希は硬い面持ちを夜見へ向け、笑顔になった。

「刀使の使命、この言葉が重く響いている。だからこそ、これからのことに君も僕も、けっしてその言葉を曲げてはならない。さぁ行こう。紫様が待っている」

 真希の案内で狭い艦内をしばらく歩くと、重厚な木製の扉に守られた部屋の前に立った。

「紫様、四人をお連れしました」

「そうか、入ってくれ」

 部屋に入ると、そこには変わらない姿の紫が立っていた。夜見は立ち尽くした。

「紫様、ご無事でなによりですわ」

「ああ、命を拾ってしまったようだ。心配ない寿々花、朱音はけっして私を無碍にはしない」

「はい、なによりで、朱音様のことはよく存じております」

 無表情で目を丸くする夜見の背中を薫は叩いた。

「よかったな、俺は甲板で風に当たってくるから」

「ねねぇ〜」

 薫が去ってから、対するように座り、これまでのことを紫は語り出した。

 かつて『相模湾岸大災厄』の折に、タギツヒメを封印すべく鎮めの儀式を行う最中、姫和の母である篝、可奈美の母である美奈都が封印のため隠世へ飛び込んだ。しかし、二人を救いたいとの思いで、タギツヒメを己が身と融合する契約を結び、一件の収束後、タギツヒメと精神が溶け込んでなお、タギツヒメに対抗できる人材と組織の強化に努めた。だが、混濁する精神はタギツヒメの野望成就の助けにもなってしまった。舞草強襲の日、姫和にタギツヒメを封印する最後の望みを掛けたが、一つの太刀の失敗によって紫は肉体と精神を取り戻し、生きながらえしまった。

「そして今はある存在を守りながら、朱音の支援に回っている。特に私に味方してくれる人々の説得が中心だがな」

 目を瞬かせながら、夜見は溢れ出す思いの行先を決められずにいた。話したいことは多いが、何から話すべきか迷う。

「真希、寿々花、早苗、しばらく席を外してくれないか?」

 三人は示し合わせたようにその言葉に従って、部屋を後にした。

「あの」

 扉が閉じると、しばしの静寂が二人の間に漂った。

「皐月夜見、お前を五人目の親衛隊に迎えたかったが、私はフラれてしまったな」

「浅はかであったと思います」

「なぜだ。こうして夜見はお前の誇りを守り通したじゃないか」

「その誇りを守る道建には、常に紫様との縁がありました。そして、どんな姿になっても希望を見失わなかったあなたは、一人でもそばに味方が欲しかったことも」

「そうか、そう気付くのはお前と輝くらいだな。あいつは元気にしているか」

「はい、獅童さん相手に無茶をする程度には」

「なるほど、確かにそれは無茶をしたな」

「無茶苦茶です。流三佐も含めて私は揉まれに揉まれました」

 紫は驚いたように、流という名を聞き返した。

「はい、流紅馬さんです。二刀流の斧で荒魂を倒す」

「あいつはまだそんな無茶をしているのか」

「あの方は本当に人間ですか?」

「人間らしいが、常人でないことは確かだ。私に弟子入りを希望しにきた時は参った。三日三晩屋敷前に土下座などされれば、折れるしかない」

「ひどい話ですね!」

「まったくだ」

 お互いに笑い合った。

「でも、みなさんのおかげで刀使の力を全て取り戻しました」

「何よりだ。だからこそ、お前の力を借りたい。皐月夜見、お前はまだ親衛隊第五席だ。誇りと使命のために今一度ともに戦ってくれないか」

 あの決別の日から、紫は何も変わらず、自身の罪と向き合いながらも未だ歩みを止めていない。まだ戦い続けている彼女の言葉を断る理由はなかった。

「皐月夜見、全身全霊を尽くします!」

 紫は満足そうに頷き、三人を呼び戻すとある存在に合わせると、部屋の奥にあるもう一つの部屋に案内した。そこには白く輝く肌に琥珀色の瞳を輝かせる人型の荒魂がいた。全身を隠すような衣服から、彼女の不審にも似た雰囲気が漂ってきた。

「はぁ、とうとう始末されるのだな」

 彼女のその言葉に、紫は首を振って否定して見せた。

「お前を私の後輩達に紹介したいだけだ。彼女はタギツヒメから分裂した三女神の一人、イチキシマヒメだ」

「なんで女神の名をつけた。いっそゾウリムシと呼んでくれ、いやゾウリムシに失礼だな」

 大きなため息をつきながらも、イチキシマヒメについて語り出した。

「三女神は私の内にいる中でタギツヒメが多重人格を拗らせた末の姿。ゆえに三人の中でもっとも消極的で悲観的な性格だ」

 兼光の鞘から小柄が飛び上がり、その上にふわりとスクナビコの姿が現れた。

「なんと、珠鋼の意思が現世に」

〔違うね。君たちノロや穢れの集合体である荒魂がそうであるように、珠鋼も一個の意思を持つものではない。それは、この国に八百万の神という概念が示すとおりだ〕

 あれは何かと、早苗を除いた三人が夜見の顔を見た。

〔申し遅れたね折神紫さん。僕はスクナビコ、大洋を渡り、大国ノ主に助け舟を出した神の名を持つもの。夜見くんの銀糸能力を授けた張本人さ〕

 喋ってはいるが声を発生していない。口を動かしながら、意識に直接声を届けている。普通の存在ではないのは理解できた。

〔ところでイチキシマヒメ〕

「いや、その名は」

〔僕は勝手に呼ぶからね。それで、君がわざわざ分裂してまで果たしたい願いとは何かな?〕

 その問いにイチキシマヒメの回答ははっきりしていた。

「人間との融合。ノロは人と一体となり、人の進化を促すべきだ」

〔珠鋼でさえ、写シという能力を保てる人間と期間とを選んでいるのに、永続的に人間と一体になるのは不可能だ〕

「ならば、数世代をかけてノロに完全に順応できる人間を育てればいい、私にはできないが、すでにできる血筋は存在している」

 つい夜見は進み出てしまった。

「血筋って、糸見さんのことですか」

「新しいが、彼女もそうだ。私は居つく場所を間違えたのかも知れんな。さぁ早くバラバラにしてくれ、お前の糸と鍛え上げられた写シなら一太刀でいけよう」

 スクナビコをふくめ、ほとんどの人間がため息をついた。

 ソファーに寝転がり、明後日の方向を向く彼女をどうこうできる人間はいなかった。

 



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ていく・いっと・いーじー!

 

 

 さて、あれから稲河暁がどうしていたか、その話は一月半前に遡る。

 

 けたたましい気合を込め、実験用の荒魂を切り払っていく。その姿は幾重にも金属パッチの貼られたスーツを身に纏い、軽やかにしかし重々しく切り払っていく。最後の五体目を切り払ったところで、頭上の管制室を見上げた。

「はぁはぁ、どうだ!」

「60秒26といったところです。しかし、Sアーマーの耐久警告が鳴りっぱなしですね。左足上がりますか」

「えっ?」

 その軽い口調を聞いて、ふと左足をあげると、その部分だけが重たく感じられた。

「やはりガタが来てしまいますね。上がってきてください。試作品のデーターを取りますので」

「おう」

 アーマーを脱ぎ、重たそうに肩を回しながら管制室に入ってきた。ここは美濃関学園の施設で、関市内の廃校になった体育館と校舎を再利用した『先端技術研究場』である。技術系の生徒としては体躯のしっかりとした男子生徒が、タブレットの数値を暁に見せた。

「おつかれ暁」

「どうもです服部先輩。油圧シリンダーへの負荷が強すぎましたか?」

「違うな、シリンダーの強化は成功だった。問題は末端回路が写シの高機動についていけず、焼け落ちを起こした。カチコミ作戦では可奈美たち実力のある刀使がいてこそ維持できたが、並の刀使に使わせるにはまだ時間がかかるな」

「そうですか?暁さんの協力あってここまで進んでいます。あと一息かと」

「一息か、そうだな」

 播つぐみは暁へとホットミルクを差し出した。

「ありがとよ、鎌府には荒魂の提供をしてもらって」

「いえ、オペレーター業務の側、こうした荒魂の切断有効部位に関する研究をしているのでいいデータが取れました」

「そいつは何よりだ。そういえば綾小路の工科予科の友人を呼んでもいいか?開発の手助けになるかもしれない」

 達夫は頷いたが、続いて首を傾げて見せた。

「構わないが、なんかここ最近の暁、ずいぶんと気合入っているな」

「タギツヒメが完全に消えた訳じゃない今、少しでも最前線に立っている刀使達の助けをしたいんだ。私のダチはどいつもこいつも無茶をしたがる奴らばかりだからな」

「それは暁もだろ。美炎といい、可奈美といい、まったく」

「私の見込んだ後輩だ。美炎泣かしたら、命ねぇからな服部先輩」

「なんかお前だけ俺を先輩扱いしてくれないな。まぁいいや、それならあれの実験もするか」

 暁はミルクを飲みながら周囲を見渡した。

「防刃衣の試作品どこよ」

「それならさっきですね、エミリーさんが持って行っちゃいました。すぐに戻るって」

 暁は背筋が凍る感触がした。

「ちょ!?あいつ今朝、ワケのわからん大荷物を持ち込んでいたんだぞ!まさか、あれをやっているのか?お、恩田さんに連絡!」

 管制室の出入り口が勢いよく開き、目を輝かせる渡邊エミリーが、大掛かりな装置のついた白い防刃服を持ってきた。

「珠鋼回路を使った防刃&強化服第一号!暁さん!さっそくにお願いします!」

「なんでまた改造しちゃったんだーっ!」

「理論を言ったのはあなたでしょ、一部分ではなく広範にデーターをとるべきです。さぁ着て!実験を始めましょう!」

 エミリーの前に立ち、達夫は防刃服を没収した。

「明日にしよう。暁に高負荷実験をしてもらったばかりなのに、続いてやらせられん」

「いや、着るぜ」

「おいおい!」

「エミリーのこういう突拍子のないのは迷惑だが、腕は信用している。それに、生地全体の回路化が可能なら、開発は前進する」

「明日用の荒魂を出しましょう。少し体格の大きい荒魂が一体です」

 不敵な笑みを浮かべ、達夫から防刃服を奪い取った。

「サンキューつぐみ、服部先輩、実験指揮お願いします」

「わかったよ」

 防刃服を着込み、再び体育館に敷かれた砂場に立つと装置の電源を入れ、目の前に進み出てきた荒魂へ御刀を構えた。

「来いっ!全てを仏ッ恥義理るくらいじゃねぇと、あいつらと守れねぇんだよ!」

 

 では月日を戻し、夏を過ぎた

 あの親衛隊詰所の宿直室は、短い期間ながらも夜見の部屋であり、そして空き部屋への勧めも断ってこの部屋に戻ってきた。

 早朝の6時にも関わらず、詰所は支隊の隊員達が激しく入れ替わる。各地からの応援要請も受け、ひっきりなしに出撃していく。今日から親衛隊業務に就くことになるが、やることは相変わらず支隊の時と変わらず、細々とした書類整理からである。身支度を整え、入り口脇の事務室に入ると既に書類整理にあたる人影が見えた。

「大神さんに六島さん。おはようございます」

 切り立った美しい面立ちの大神と、まだ眠たそうだが朗らかな笑顔の六島が今まで夜見の当たっていた書類を片付けていた。

「おはようございます皐月さん。うむ、とても似合ってらっしゃる」

 茶に金刺繍の施された親衛隊制服を着た夜見は、どこか照れ臭そうにしていた。

「まだまだこれからですね」

「ところで、今日から支隊の書類業務は交代制になったのですが、なぜに事務室へ」

「あ、そうだね」

「まさかいつもの癖で事務室に来ちゃったのですかぁ?」

「はい、六島さん。戻ってきてから溜まりっぱなしでしたから、つい自然と」

 大神はサクッと一つの冊子にサインすると、夜見へと差し出した。

「これからは親衛隊のほうで頑張ってください。ついでなのですが、食堂の書類をお願いできますか」

「いいですよ」

 朝食と朝練を済ませ、本部棟局長室が親衛隊隊員の集合場所となる。

「おはようございます」

 既に寿々花と早苗の姿があった。

「おはようございます。ようやく袖を通してくださったのですね」

「はい、あの時は申し訳ありません」

「ふふっ、冗談ですわ。早苗さんも真希さんの代理をお願いしますわね」

「タギツヒメ捜索に向かった獅童さんの代わりはしっかり努めます」

 しかし、親衛隊のメンバー二人は反旗を上げ、親しいもう一人は特殊な任務に従事し、残ったのは自身と新入の夜見、そして支隊で指揮をとってきた早苗だけであった。その早苗も、真希から直々の指名であった。寂しい反面、休む暇なく働かなければならない状況が、今までのことを悔やむ時間をなくさせてくれることに、寿々花は内心ホッとしていた。

 簡単な打ち合わせを済ませると、すぐに司令室に向かい、そこで朱音と本部長となった真庭学長と対面した。

「今日は国会の証人喚問があります。原稿は昨日の打ち合わせ通りに進みます。そして、皐月夜見はS装備開発支援の要請があるため長船へ出張、岩倉早苗は本部での待機をお願いします」

 寿々花が簡単に今日の日程を確認すると、真庭は感慨深そうに夜見の顔を見た。

「皐月、どうも薫はお前を高く買っているようだぞ」

「はい、そのようで」

「自覚はあるか、まぁあいつは頭の回るヤツだ。せいぜい使いっパシリになるなよ」

「ええっと、真庭本部長は薫さんを」

「無理だ。あいつは基本的に事後承諾が多くてな、先に行ってくることがあったら的中する。つまりは、こっちから合わせるのが向こうも都合がいい」

「薫さんと真庭さんのご期待にそえるよう努力します」

 解散すると、早苗と肩を並ばせながら長い廊下を歩いていく。刀使達が親衛隊の制服を見るなり頭を下げ、夜見が条件反射で頭を下げるのを一幕に言葉を交わす。

「やっと親衛隊と支隊の体制が復帰して、任務も円滑化できるようになったね。システムの復旧に思ったより手間取ったのが大きかったのかな」

「特に本部ではカチコミ作戦の被害で手痛くやられましたから、特に燕さんの荒魂による無差別攻撃は舞草にも痛手だったらしく、半月を精鋭抜きで荒魂討伐に当たりましたから」

「これからが本番と思うと、肩が重いよ」

「そういえば、美炎さんが調査隊に入ったと聞きましたよ」

「うん、部署の垣根を問わず人員を集めているの。まだ行方知れずの赤羽刀や特殊な荒魂の創作が主任務になるけれど」

「美炎さんの明るい性格なら、どこでだってやっていけます」

 気がつけば本部棟入り口の前に立っていた。

「それじゃ行ってきます早苗」

「いってらっしゃい夜見」

 

 各地では荒魂の討伐が進む最中、このような事件が各地で起こっていた。

「討伐完了!ノロの回収を急げ!」

 綾小路の刀使と回収員がノロの回収作業を始めたところに、黒い制服を着た刀使達が続々とその周りを囲んだ。

「何のつもりだ!」

「私たちは『悪党』、ノロを真に正しい場所で管理するために組織された義勇軍。そのノロをこちらへ、抵抗すれば怪我では済まん」

「ふざけないでよ!知らない奴にやすやすとノロを渡せるものですか!」

 お互いに写シを張ると、すぐに『悪党』の刀使は斬りかかってきた。防戦になりながら、ノロの二本の回収ケースを守る中に、突如荒魂が突撃してきて刀使達を吹き飛ばした。そしてケースを守る人員を切り捨てた白く輝く人影に、綾小路の刀使も、『悪党』も目を見張った。

「よもや刀使同士の対立とは、やはり人は愚かだな。これはワレがもらっていくぞ」

 一本のケースが割かれ、溢れ出たノロがあっという間に白い人影に吸収された。

 もう一本のケースを持つ刀使に向かった途端、フードを被る刀使の強烈な叩き込みを受けて、弾き飛ばされた。

「はぁ!」

 間髪入れず、巧みな切り返しで白い人影を押し込んでいく。しかし、二刀をもって一撃を受け流すとその場を飛び去り、影を追おうとした刀使を荒魂達が襲いかかった。

 結局、荒魂を倒し切る頃には『悪党』も、フードをした刀使も姿を消していた。

 警視庁および特祭隊に出された決起状が届いてから、日付を越してすぐの十八時間後にはこうした『悪党』のノロ強奪行為と、別働の荒魂によるノロの奪還が行われていた。そして、荒魂側には顔を隠した白く輝く刀使の姿があったことが報告され出した。

フードの刀使が、山道に止めてあるワゴン車へ注意深く乗り込むと、車内にはエレンと輝の姿があった。

「タギツヒメは」

 フードを上げた彼女は、生真面目を絵に描いたような興奮した様子で、二人に問いかけた。

「すいませんデース真希さん。またしても見失いましたネ」

 だが、と言葉を繋ぎながら、輝はタブレット端末を真希に手渡した。

「奴は法則的に動いている。必ず近くの神社や、社に、祠へ逃げ込んだ途端に姿が消えている」

「社は現世と隠世を結ぶ境界、今でこそ重要視されなくなったが、人の開いた境界は全国各地に残っている。あり得なくないな小波蔵の仮説は」

「そうだねぇ、境界の隙間を縫って、あたかもワープをしているなんて、誰が想像できるよ?」

「ですがグランパとルイルイの八幡電子の科学的な裏付けがあってこそデース!刀使を探知するために、防衛研にプログラムを書き換えられていたのは不快ですが」

 三人は顔を見合わせ、同時に『悪党』の名を口にした。今までの明るい気分が吹き飛ぶような、暗い表情が並んでいた。

「高津学長がいるとなると、技術面では同じことをしているな」

「飛ばしていたドローンも何者かに落とされた。回収はしたが、荒魂のものと思しき爪痕があった」

 真希は頭を強く掻いた。

「結芽か!敵になると、こうも厄介だとは」

「さぁ!次へ急ごう!少しでもタギツヒメの行き先を手繰り寄せるんだ!」

 輝がそう号令をかけると、車は勢いよく山を降りて行った。

 



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とん・ぷー!

 

 

 

 新幹線と在来線を使って三時間半ほど、夜見は兵庫県にある長船学園へと来ていた。

長船の技術研究棟は地下に演習場も含まれるためか、広大な敷地を占めている。ほとんどのストームアーマーなどを行う開発科、全国の院生を募って刀使の職に従事する彼女らのための医療研究を行う医務科と幅が広い。

「待っていたぜ夜見!」

 出迎えに出ていた暁が強くハグをしてきたので、驚いて離れた。

「おお、スマンスマン。最近、エレンの奴にしょつちゅうハグされるんで習慣的にやってしまった」

「ならよかった。それで、私は何を手伝ってあげればいいの?」

「これから、まぁ引き入れたいというか、技術協力してもらいたいヤツがいるんだ。そいつを、はるばる秋田まで尋ねに行きたいんだ」

「秋田って」

「ごめん、中で話そう」

 研究棟の第八研究室に入ると、そこには機器が接続された大きな一枚布が天井から吊るされていた。土師景子が夜見と暁のもとに駆け寄ってきた。

「これが」

「はい、ストームアーマーの珠鋼か電力を用いたシステムは、あくまで現世の人工的に作り出せる強化外殻、ですが使用には耐久値、持続時間に難があり、腕の立つ方ほど足枷になりやすい代物。そこで、ストームアーマーの機能を縮小軽量化し、尚且つ持続力と耐久性を上げるため、直接身に纏う衣服に防刃とパワーブーストを乗せる計画」

 早口にそれを説明しきり、土師はその計画名が何であるかを暁に投げかけた。

「それが、禊布プロジェクト。私と一緒に研究してきたみんなの答えだ」

「すごい!これが広く使われるようになれば、写シが剥がれた後の負傷率は」

「今のところ、被験者の私は無傷だ。熊型の一撃も五分の一になる!切られても気絶こそすれど、身体機能を喪失するようなことはなくなる」

「なら、なぜ技術提供を?」

 難しい顔に変わった二人が、大きな課題があることを暗に示していた。

「問題は写シの出力アップだ。ストームアーマーは写シの持続時間と身体能力を上げる代物だ。だが、写シの持つ金剛身と迅移といった能力はその刀使の特性、つまり個性のばらつきが出る。だから燕結芽みたいな、そうした能力が総じて高くて併用する能力に長けている相手となると、ストームアーマーはおもちゃに見えるだろうな。それは大荒魂やタギツヒメのような特級の荒魂から見ても同じだろう」

 景子は卓上から極秘と書かれた資料を手渡した。

「親衛隊でのノロアンプル服用を基礎とした『冥加刀使計画』。ノロは図らずも、私たちの写シの能力の底上げを実現していることがわかりました」

「でも、ノロを服用することは」

「思わぬ能力を与え、次第に肉体と精神を蝕む。刀使の適性が弱いほど、自我は簡単に奪われる。だが、ノロが珠鋼と干渉し、体外から底上げができるかもしれないんだ。そこで、ノロをこの禊布に通わすことができないかと考えているんだ。だがノロは穢れの量がまちまちで、回路全体に行き渡らず、塊になろうとする傾向がある」

「秋田で研究、ノロを?まさか日高見さんのこと?」

 言い当てた夜見に、悲しげな表情で頷いた。

「一人で会いに行けないと」

「そういう訳じゃないんだ。いや、確かに怖いよ。一度は袂を分かったんだから」

 震える彼女が、未だ行くのを躊躇っているのが感じられた。

「暁」

「すまない」

「いいです。今日にも出ますか?」

「ああ、土師とエミリーに来てもらう。すまないが二時間後に出発だ」

「はい!既に準備はできています!」

「おう」

 景子が荷物を取りに出たタイミングで、大きく肩を落とした。まだ震えている。

「暁、大丈夫。自信持って」

 その一言に唇を噛み締めながら、顔を伏せてポロポロと泣き出した。夜見は静かに彼女の肩に手を置いた。

 

 それから一時間後の、秋田は田沢湖を見渡せる屋敷が北部に建っている。

 この屋敷は常に屋敷中を刀使が護衛しており、何人も立ち入ることはできない。そこへと、黒い制服を着たおさげ髪の刀使一人やってきた。守衛の刀使は立ち塞がり、彼女に名前を問いた。

「『悪党』の鈴本葉菜。元親衛隊支隊であり、舞草と本部の二重スパイをしていた者だよ」

「ほう此処二日の間騒ぎを起こしている連中か、なおさら通せんな」

「糸見沙耶香の力は、愛宕の肉体を模したもの。そう言えば、あなたは話に応じてくれますか」

「どこでその名前を?みなさんその方から離れてください」

 守衛の刀使は、門前の階段に立つしずやかな女性へと頭を下げた。

「どうもお初に目にかかります。いや、連絡は幾度も取っていましたね、日高見麻琴様」

「あなたが『葉隠』の方ですか、しかし、その身なりをあまり感心できませんね」

 葉菜は口調も表情も崩さず、静かに礼をした。

「私達は日高見の御老衆の方々には感謝しております。長らくノロと人体の接点について情報と技術の交換をしてまいりました」

 麻琴はチラリと不快そうな表情を見せたが、階段を降り、葉菜の顔をまじまじと見つめた。

「そうでした。高津学長にはどうぞよろしくお伝えください。ところで、お約束していた沙耶香さんの神化はどこまで進んでいますか」

 葉菜は訝しげな表情を匂わせつつも、いずれ必ずと言いおいて話を切った。

「積もる話もございます。どうぞ中へ」

 守衛の刀使に指示を伝えて屋敷に入らせると、タイミングを見計らって茶髪の闊達な少女が真琴のそばに走ってきた。

「真琴ねぇさま、緊急の連絡です」

「どうしたの優稀ちゃん」

「暁ねぇさまが、ここに来るそうです」

「暁ちゃんが、今はS装備の開発に関わっているあの子が、なぜ」

「会えば話すそうです。それに同行者に皐月さんもいると」

 麻琴は二人がわざわざここに来ることに心当たりがなかった。だが、今の研究を打ち明けたが、結局協力してもらえなかったことを思い出し、暁はそれに関して話に来ると踏んだ。

「優稀ちゃん、いざとなった時は悪党も暁ちゃんも倒すことになるかも」

 ためらう真琴にほがらかな笑顔で答えてみせた。

「この優稀に任せてください!たとえ暁ねぇさまでも、今の私なら負けませんから!」

「ごめんなさい。でも、お願いね」

「はいっ!」

 

「日高見さんがそんな研究を」

 屋敷へ続く山道を歩みながら、重たそうに足を前へ進めた。

「あいつなりに正しいと信じてやっているんだ。まこっちゃんのお母さんが続けていた研究を継承したんだ。以前、話したろ長船の同級生の話」

「うん。でもノロを直接身に纏う。それも」

「まこっちゃんは肌に貼りめぐらした回路は取り外しがきく、刀使を引退すれば外せば人体に害はない」

「でも暁さん、その回路って」

「ああ、禊布の回路のアイディアはまこっちゃんのものだ。回路を体に貼るよりはノロの接触によるリスクは軽減される。そう考えた末の禊布だ。着いたぞ」

 夜見が前へ進み出ると、豪勢な門前に長船の制服を着た刀使達が歩み寄ってきた。

「特祭隊本部より参られた方々ですね。お話は伺っておりますので、奥へ」

 屋敷の応接間へ通されると、屋敷の奥に日本家屋には似合わない重厚な扉が見えた。

「気になりますか、皐月さん」

「日高見さん、お久しぶりです」

 白銀の髪に、落ち着きを払った威風は近付き難い雰囲気を醸し出す人物であった。何度か夜見も会ってはいたものの、自然と距離をとっていた。

「ええ、中学一年生のころ以来でしょうか」

「はい、暁と刀使になるための門出以来ですね」

 麻琴は夜見の格好をまじまじと見た。

「ひどく何かを主張するような子じゃなかったけれど、こうして親衛隊の制服を着ているのは、何か輝くものがあってこそなのでしょうね」

「そうかもしれません。みなさんに買ってもらっている身分です。誠意を尽くすのみですから」

 真琴の背中からひょっこりと顔を出すと、優稀もまじまじと夜見の姿を見た。

「ほ、ほんとうに親衛隊になったのですね!秋田局の適性試験はダメだったのに」

「鳥喰さん、お久しぶりです。私も意外でした、諦めなかった末と思いたいです」

「かわりましたね」

 驚く優稀を背中から暁が捕らえた。

「そうだぁ!刀使になって、見るもん全部変わって、それに今までのことがあって一皮も二皮も剥けるもんよ!」

「あきらねぇさまぁ〜やめてぇ〜!」

 優稀にじゃれつくのを見ながら、真琴は落ち着き払った様子で暁の顔を見つめる。それに気づいてか、優稀をそっと離した。

「暁ねぇさま?」

 一息吐いて、麻琴の顔を見た。そこには別れの日から変わらない彼女の姿があった。

「まこっちゃん。私はまだ、まこっちゃんと同じ夢を追っている。寝物語じゃない、私たちの望んだ未来をな」

 その方法が正解とは思えない。そう言った暁の頑なさはよく知り、そして、それが道を結んできたことをよく知っていた。

「そんな暁ちゃんを、私は一度だって疑ったことはないよ。でも、私も暁ちゃん以上に頑固なつもりだよ」

「ふふ、望むところだ。まこっちゃん」

 応接間に通されると、ぶっきらぼうに座る葉菜の姿があった。

「葉菜さん!どうしてここに」

 葉菜は驚きこそすれど、すぐに落ち着いた。

「どうやら、僕が知らない間に色々なことが起きていたようだね。だからこそか」

 そう匂わせたのも束の間、席に座した真琴と暁はすぐに互いの目的を話し出した。

「まこっちゃんがどこまで知っているかは、私たちは把握してない。でも私の目的を何一つ偽りなく言おう!まこっちゃん、魂依の実験を中止して、私の進めている禊布プロジェクトに参加してくれ!」

 しかし、真琴は無表情にただ静かに暁の顔を見つめていた。

「いつか魂依は成功する。でも、手段が一つとは限らない。いま少し手を止めて、新しい角度からアプローチするのも、魂依を成功させる一手になるんじゃないか」

「長年の先行研究と協力してくれた刀使の助けがあって、魂依は成功へ近づきつつあります。私は母とみんなの犠牲に築いた理論と技術に間違いはない」

 まどろっこしさを感じながらも、暁は諦めず資料を取り出し、提示した。

「冥加刀使計画は、反面のリスクに目をつぶったもの。たとえ、直接体内にノロを植え込むではなくても、時間をかければたとえノロとの同化リスクを減らしても、やがて冥加刀使と変わらなくなる!ノロに触れ続けるのが問題なら、よりノロとの干渉時間を減らせばいい!私らが研究を進めている禊布は、珠鋼とノロの二つの回路によって能力と負傷率を抑え、ノロとの接触リスクを禊布で作った防刃衣の着脱によって軽減することができる!日高見家が続けてきた、ノロの円滑な回路化の技術があれば、実現できるんだ」

「そう、すごいですね」

「な!」

「でも、そのリスクが今の魂依で起きたという実証はされていない。おもしろいけれど、魂依の方が確実に刀使を守れるわ。禊布での珠鋼とノロの調和が技術的に可能か、これからのものよりも、実現が近い私たちの研究の方が刀使にとっても、荒魂の脅威に怯える人々にとっても有益よ」

 全てを素直に話した暁に繋げる言葉はなかった。ぐったりと椅子にもたれかかった。

「かなわんか」

「ごめんなさい暁ちゃん。でも、同じ夢をみていたことは嬉しいわ」

「ああ、まこっちゃん。今はここまでだが、私の研究を何か役立ててくれ。資料は煮るなり焼くなりよ」

「暁」

 諦め顔の暁が攻めあぐねたものを、自分にどうこうできるか疑問だった。

「今実現ができないなら、将来的な統合を目指せばいいのではないのですか」

「それは考えものですが、魂依の技術は完成の域です」

「でもそれは、これからの運用のデーターを反映したものではないですよね」

 エミリーは何か面白げに夜見と真琴の問答を見ていた。気迫に押されて、見ているしかできない景子はエミリーが何かを企んでいるのを感じられた。

「それはS装備同様に、データーをとりつつ適宜に修正していきます」

「なら、これから魂依の方向転換も視野に入れてくれますか?」

「禊布を魂依の研究に?」

「そうです。幸いにも伍箇伝の研究者がS装備の普及型開発に合わせて、禊布の開発をしています。より負傷率を抑えながら、S装備を扱いやすくする研究は続いています。この開発力を日高見さんに大いに力になるはずです」

「無駄です。既に優稀ちゃんが被験者になり、魂依の実証が始まっています。方針転換はありえません」

 ついに夜見も言葉に窮し、頭を抱えてしまった。静かに話を聞いていた葉菜は時折、外を気にしていた。真琴は立ち上がり、田沢湖の見える窓の前に立った。

「二人の思いは伝わりました。考えを変えるつもりはありませんが、禊布の研究を応援しています。いつか、魂依と併用ができるようになれば嬉しいですね」

 優しい笑顔を見て、完全に打ちのめされたことを感じ取った。

 



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さいれん!

 

 

客人である五人は真琴の取り計らいで、宝仙湖近くの玉川温泉の宿へと案内された。

 脱力したままの夜見と暁を横目に、エミリーは部屋に入るなり何かに取り憑かれたようにPCに張り付いて動かなくなった。景子は手持ち無沙汰に旅館内を回っていると、浴衣姿で外の空気にあたる葉菜の姿を見つけた。

「やぁ、土師景子くんだったかな。君は知らないかもしれないが、僕も綾小路の生徒でね、技術科に面白い子がいると聞いていたよ。なんでも、上級生の論文の不備をことごとく言い当てたって」

「私は好きなことしかしてないので、つい余計なことを言ってしまうのでして、暁さんも皐月さんも、すごいです。歩み寄りができて」

「ああ、すごいなぁ、日高見さんと同郷とはいえ、彼女があそこまで踏み込んでいくとは、妬いちゃうよ」

「え、妬く?」

 葉菜は顔を赤くして手をふって誤魔化してみせた。

「いいんだよ!いいんだ!僕の個人的な感想だ。しかし、君もノロの強奪集団である『悪党』の僕と話していいのかな?」

 景子はしばらく考え、首を傾げた。

「なんでしょう。さっきもそうなんですけど、よく人を見てらしているように思えて」

 日が落ち、赤々と染まる山々も、濃い藍色の奥から湧き上がる漆黒の闇に包まれようとしている。しかし、天頂には強く瞬く星がひとつ、またひとつと見え始める。雲の少ない空には溢れんばかりの星の海が姿をあらわし始めた。

「そうか、田沢湖周辺は星の名所だったね。雲ひとつない晴天、運がいいよ」

「わぁー!」

 所変わって、夜見と暁も暗い部屋の中で夜空を見上げていた。

「一筋縄じゃいかないね」

「一筋縄ならよかった。そういえば綱引きの縄ぐらい太かった」

「一太刀では絶対に無理だね」

「一度じゃダメだな」

 座敷に寝転がっていた暁は起き上がって、腕を大きく伸ばした。

「明日もう一度会おう。それから後のこと考えるよ」

「うん、さぁご飯食べに行こう。地元で泊まるなんて早々ないからさ」

「なんか、早苗のはらぺこ虫がうつったか」

「暁ぁ!」

「ふふふ、行こうぜ!」

 

 日高見家屋敷は広大な森を敷地に持つ、星と月の灯りに照らされた茂みの合間を、赤い輝きが等間隔に屋敷へと登っていく。

 研究室にけたたましく警告音が鳴り響いた。病室を飛び出た麻琴は集まってきた刀使達に指示を飛ばした。

「落ち着いて当たれば早々に掃討を完了できます!」

「麻琴ねぇさま!わたし、行きます!行かせてください!」

 優稀の気迫に真琴は落ち着きを払っていた。

「優希ちゃんは装備を着用し正門前に待機」

「ねぇさま!」

「今までスペクトラム計に探知できなかった。でも、荒魂は穢れ故に一つとなる。穢れが探知できない存在が直前まで荒魂達を隠しながら屋敷に近づいてきた。それが可能なのは」

「タギツヒメですか!」

 険しい表情の真琴が小さく頷くと、優稀は一息吸ってから笑顔を見せた。

「かしこまりました!まかせてください!」

 守備の刀使達が配置に着くなり、這うように登る荒魂を奇襲した。日高見家に仕える刀使達はよく訓練された連携で、荒魂は反撃する間も無く討たれていく。長い石段を下りながら、無線を通して指揮をする麻琴は、ふと違和感を覚えた。

「これだけの数に関わらず、侵攻が遅すぎる」

 守備の一人に無線を飛ばし、現在地を報告させた。そこから県道が見えるとの報告が返ってきた。

「本命は」

 石段を凄まじい速さで駆け上がってくる白い輝きを、鞘を滑らしてすれ違いざまに切った。

反射的に張った写シが剥がれ、階段に叩きつけられた。すでに白い輝きは奥へ走り去っている。

「そうはさせません!」

 白い輝きはふわりと羽が舞うように足を止め、武家様式の大きな正門を見上げた。その丸々と見開いた目、大きく広がりのある髪とその手にある二刀が誰であるかを如実に示していた。

「ふん、殻を厚めにしておればこそ、ここまで来なければわからなんだよのう。ワレの求めるものはここには」

「タギツヒメっ!」

 空気を叩きつけるような轟音が何度も響き、石段が砕け散り、タギツヒメはその斬撃と呼ぶには重々しく、叩きつけるのとは異なる種の攻撃をあっさりと避けた。

 その斬り付けの主を、うすら笑いを浮かべたまま見やった。

 赤々しい輝きを放つ琥珀色が、その重々しい西洋風の甲冑の底から沸き立つ。その写シは白ではなく、所々に赤が混じり浮かぶ。

「日高見家が創りしノロに縋ったおもちゃか、哀れよのう」

 甲冑の奥から優稀の明るい声が響いた。

「おもちゃじゃない!これは麻琴ねぇさまが作った魂依だ!人はノロを支配し、使役できる!」

「そうか、もう一つに成り始めておるのか」

 優稀は愉悦の笑みを向けるタギツヒメの懐へ、一瞬で飛び込んだ。しかし、それを読んでいたように、彼女の凄まじい斬撃をことごとく受け流した。

「それを!いうなぁぁぁぁぁ!」

「ならば、その向こう側をその身で教えてやろう」

 優稀を何度も斬り付け、あっさりと写シが剥がれ落ちるとその面を鷲掴みにした。

「ワレと一つになれ」

「ノロ?小さな声が溢れてくる。あ、ああ!いやぁぁぁあああああああああああ!」

 悶える優稀の体の節々からノロが溢れ出し、それは人型ともつかない奇異な形態に変わった。両肩から荒魂の如き赤い突起を生えらせ、両足はノロの爪が生え、頭部には後ろへ伸びる二つの突起が伸び、背中には大きなコウモリの翼が生えた。

「そうか!イチキシマヒメも面白いことを考える!もはやこれは人でも荒魂でもない!」

 階段を飛び越えてきた真琴は、その光景に絶句した。そこにいる怪物には優稀の被る面であることを示す鍵型のサインが入っている。その怪物はそばにいたタギツヒメを襲い、甲高い咆哮をあげた。

「タギッヒッタオヲヲヲス」

「カナヤマヒメの残骸はなかった。ここにもう用はない」

「タギツヒメっ!お前は、優稀ちゃんに何をした!」

「何を?ほんの少しこやつに通うノロを揺り起しただけだ。近いうちにこうなっていたであろう」

 タギツヒメは優稀であった存在を散々に切り、怯んだ隙に乗じて森の中へ走り去っていった。

 だが、走り去った方向を見つめながら、しきりに首を動かしていた。

 先ほど微かにタギツヒメを名指しした声は、間違いなく優稀の声だった。真琴はやさしく優稀の名前を呼んだ。

「マッコトっネェマッ」

「優希ちゃん!」

「ワカッタノ、トテモ、カンタンダッタ」

「何が、どうしたの、すぐに元に戻すから」

「ノロハヒトヲッシリタカッタッ、モットッヒトツニッ、ミンナッ、ヒトツニナルノガッ、ミライ」

 未来。未来のノロと人のあるべき姿と言うのには、それはノロも人も、今までそうであった全ての形を失っていた。

「これが、未来?」

「ソノタメニッ、ベツノ、ミライッ、タギツヒメヲッ、クラウ!」

 傷口はあっという間に塞がり、翼を大きくはためかせると、夜空へ飛び上がった。

「行ってはダメ!その未来は!」

 それは夜闇を一筋の赤い光となって飛んでいった。

 真琴は弱々しく崩れ落ち、溢れんばかりの星空を見上げていた。

 

 ぱちんと、痛々しく響いた。

 二度目を構えたその手を、夜見は止めた。しかし、その手は弱々しく震えている。

「ふざけるなよ。タギツヒメに程よく改造されたなんて、そんな話を信じられるかってんだ!言えよ、本当のこと言えって!」

 しかし、偽る言葉がないのは、真琴自身に余裕がないのが示していた。こうして、暁と夜見に助けを求めたのがその答えだった。

「まこっちゃんにどうにかできなくて、私に何をしてやれるんだ」

 一夜明けた早朝に四人を呼び、そして昨晩のタギツヒメ襲撃の一件を話した。

 頭を抱える暁を見つめながら、夜見はひどく落ち着きを払っていた。

「暁、手があるかも」

「ああ、なんでこうなっちまったんだ」

「暁、日高見さん、よく聞いてください。タギツヒメをリアルタイムで探知はできませんが、いた場所を追跡できるかもしれません」

 真琴は驚いたように顔を上げた。しかし暁は知っていた。皐月夜見という一個人が、窮地にあうその時に、凄まじい冴えを見せることを知っていた。

「今このときも、特別チームがタギツヒメの追跡を続けています。私も追跡方法について詳細を知りません。でも、タギツヒメが出現するパターンと地域の解析が大詰めに来ています。鳥喰さんは必ず見つけられます」

「根拠はあるのですか」

「今はあるかぎり全ての手段を講じるのが先です!」

 夜見はすぐに連絡をとり始め、真琴と暁はその場に座ったままだった。彼女の気迫に悲しみをよそに呆然としていた。その光景を見て、葉菜は笑い出してしまった。

「そうだった!夜見くんはああして刀使になったのだった!本当に敵わないよ!なら、僕も手伝ってやらなきゃ失礼だね」

 葉菜は窓から体を乗り出すと、木に止まるカラスに向かって手招きした。

「結芽!昨日のアレを見てたなら無視できない!夜見達に処理させるから、情報をくれ!」

「本当に?結芽一人でもやるよ」

 屋根を伝って、窓辺にその桜花のごとき髪がゆらめいた。

「やはり監視していたか」

 靴を脱いで部屋に入り込んだ結芽は、電話を終え、落ち着いている夜見を見上げた。

「夜見おねぇさんは、人ではなくなったあの子をどうしたいの?元に戻らないかもしれないんだよ?」

「結芽さん。そうかもしれませんね。でも、いまその理由で納得することはできません。あなたはどうして」

 決まりの悪そうにそっぽを向いてから、葉菜がその理由を知っていると投げた。

「その鳥喰さんが本当にタギツヒメを吸収なんて真似をすれば、ぼくたち『悪党』の大義に支障を起こす。これでいいかい?一時休戦からの共闘を申し込む」

「いいね葉菜おねぇさん!そういうことだよ夜見おねぇさん!結芽は少しだけ力を貸してあげる。あの子をほんとうに助けて見せてよね」

 結芽は何を誤魔化したのかわからなかった。だが、心強い味方を得たのには変わらなかった。

 

 

 



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ひーつ!

 

 

その日のうちに、真希たちから追跡情報の提供を受けた夜見たちは、結芽の使役する荒魂とスペクトラム計の探知をもって探索をはじめることになった。

「あの、薫さん。今なんと言いました?」

「もう一度言うぞ、新宿だ」

 新宿の五文字を聞いた麻琴の行動は早かった。三十分もしないうちに二機の陸自のヘリが到着し、彼女達を乗せ、関東へと向かった。

 夜見と暁は麻琴と同じヘリで向かい合った。

「あのさ、まこっちゃん。防衛省の技研にスペクトラム計のプログラム渡したのって」

「しーっ、ふふ」

 麻琴の人脈に呆気にとられながら、二時間半で都内に入った。

 

 東京の都庁が置かれている新宿の駅、日が落ちようとしている時間帯には多くの人々が駅の内外を行き交っている。

 意気揚々と出口を目指していた麻琴たちの顔は真っ青になっていた。

「ここは、どこ?」

 待ち合わせの甲州街道口がわからず彷徨う五人を、最終的に真希が見つけ出した。そこは正反対の東口付近であった。

「すいませんでした獅童さん!新宿駅なんて、ついぞ縁がなくって!」

「そうか、いやいいんだ」

 頭を掻きながら、揃っている面子に困惑しながら、もう一つの騒動を口にした。

「益子薫も迷子だ。エレンが大丈夫と迎えにいったが連絡がつかない」

「ええ!大丈夫なんですか」

「ああ、放っておこう。あの二人抜きでも大丈夫だろう」

 組織のブレーン二人が行方不明の時点で、二人が独自行動を始めていることははっきりしていた。また、日高見派の若き当主、麻琴がいることも理由であるのは当然であると夜見も真希も察していた。

 

 西新宿へと歩みながら、無線機と探知機に目で周囲を確認する。先導する真希は簡単にタギツヒメの行動パターンを話しはじめた。

「タギツヒメは本体と切り離されて実力を発揮するためには、肉体を維持するノロが足りていないと考える。その地域の荒魂を使役するためにも身を削っているのだろう。そして、ノロ含有率の多い中型荒魂の目撃情報が通報され、鎌府の刀使が西新宿であたっている」

「ということは、そこにタギツヒメが出現する確率が」

「三分の一、僕は現れると踏んでいる」

 通報の情報に基づいて、刀使たちが荒魂を討伐する場に到着した。そこは首都高の高架が交差する西新宿ジャンクションの真下という特異な空間であった。

真希の手元に一匹の鳥が舞い降りてきた。その鳥は禍々しい琥珀の輝きを放っていた。

「結芽なのか」

「くわぁ! 大きな、大きなコウモリに結芽の分身が切られたよ」

「来ているのか、ここに!」

「そうだよ、いま直上に!」

 真希は夜見、暁、麻琴に言いおくこともせず、迅移で飛び込んだ。

 ノロの回収を始めた刀使達に白い輝きが強襲、三人を斬り伏せたところに真希の一撃が加えられた。不意の一撃にタギツヒメは顔を顰めたが、すぐに刃を反して真希の写シを切り払って飛びのいた。

「タギツヒメ!そこまでだ」

「読まれていたか、この方法はもう使えなんだよのぅ。だが、しばしの余興を楽しもうか」

「はぁ!」

 真希の応援へ向かおうと御刀を抜いた瞬間、頭上の高速道路を叩く轟音が響いた。

 スペクトラム計に二つの強大な反応が波となって現れた。

頭上の道路が音を立てて割れ落ち、その中から真希とタギツヒメに向かって、赤い影が一直線に突っ込んできた。その砂煙が沸き立つと、真希とタギツヒメの間に立つ赤いもやを纏う影に目を見張った。

「これが、未来というヤツか!」

 咆哮とともに霧は吹き飛び、禍々しい翼とその手にある強靭な純白に輝く骨喰藤四郎、その柄は長く伸び、かつて薙刀であった頃の姿に近づいていた。

「魂依の刀使を止める方法はあるか?」

 戦いに臨む覚悟を、暁のその目に見出した麻琴は、歩みながら御刀を抜き払い、写シを張った。

「簡単よ。普通の刀使と同じように、写シを剥がせばいい」

「よしっ!」

 暁と麻琴が飛び込んでいくと、その背に続こうとした夜見は糸に絡まれてその場を転んだ。顔を上げると、澄まし顔のスクナビコが小柄に乗って浮かんでいた。

〔ごめんね〕

「す、スクナビコさん!」

〔どの道、今のままだとあの子は救えないよ。僕の力があればできなくはないけどね〕

「本当ですか!?」

〔ああ!君には重大な役割があるが、その練習も兼ねるちょうどいい機会だ。君には世紡糸の本当の力を教える!うまく使いなよ!〕

「世紡糸?」

 真希がタギツヒメに切られるが、急いで写シを張り直して飛び込んだ。

そして、麻琴と暁が優稀の足止めにかかった。だが、荒魂と人間の間の存在となったそれは、荒魂の毒性、特殊性の全てを扱えた。昆虫のような人ではありえない機動で回り込み、荒魂の強い毒性を御刀に帯びさせ、その毒を帯びた瘴気の光線さえ撃ち放った。二人の写シを何度も侵食し、剥がし落とす。

「くっ!なんだよ優稀のやつ強いじゃないか!」

 蛙飛びで予備動作もなしに暁の間合いに飛び込んできたが、それを狙っていた麻琴が斬撃を弾き返した。しかし、飛び散る毒が、容赦無く降りかかった。

「きゃっ!」

「まこっちゃん!」

 麻琴を抱えて間合いを離すと、化け物は咆哮をあげて威嚇した。

「言葉を失っている。昨日よりも同化が進んでいるの?」

「馬鹿野郎!まだ、まだ優稀はのまれちゃいねぇ!」

 毒の光線が走り飛び、急いで飛びのいた二人の背後の車がぺシャリと潰れ、爆発した。無人だったことを確認する暇もなく、熟達した剣士のごとき縦横無尽な薙刀捌きで、二人の攻撃をことごとく受け流す。二人は最初に実力を測れず、一方的に攻撃を受け既に満身創痍となっていた。

 夜見はようやく二刀を抜き払って、写シを張った。

「成熟した写シの力、借ります!」

 迅移と同時に八幡力を組み合わせた三度の斬撃が、化け物の体勢を崩し、地面を舐めさせた。

飛び散る毒を避けながら、巨体に近づくと小柄を使って、銀糸を肉体に突き通した。悶えるそれの反撃を受けながら、金剛身で強化した右足でそれの顔面を蹴り飛ばし、その隙を用いて糸を縫い付ける。

「すごい。これが皐月さんの実力!」

「まこっちゃん。何か作戦があるらしい、一発アタマに叩き込もう!」

「ええ、一太刀で決めてみせる」

 麻琴は月山を鞘に戻し、柄を胸元に寄せて鞘の動きを自由にさせた。

「上等だ!囮は任せろ!」

 夜見の攻撃をその剛腕で跳ね除け、怯んで間合いを離した隙を逃さず、今度は暁が飛び込んできて、優稀の気を逸らす。

「優稀!帰ってこい!」

 低く飛び込み何度も薙刀の刃を受け流し、懐に入り込んで刃を叩き込むが、それを丁寧に柄で受け止め、そのまま暁を殴り吹き飛ばした。

 その大きな動きで前にせり出た頭を、横一文字から真っ向縦一文字に真琴の月山によって斬られ、写シが剥がれ落ちた。動きが止まり、目の前に立つ麻琴を見つめた。

「優稀ちゃん!私はあなたを失う未来なんていらないわ!そのためなら、私は!」

 夜見は、糸を幾重にも両腕の柄に巻き取らせ、やや間合いを離しながら、少しずつ糸を引く力を強めていく。準備は整った。

「スクナビコさん」

〔はいよ。じゃあ、タギツヒメによってノロと共鳴する前に、元の鳥喰優稀を紡ぎ直せばいいんだね。さぁ、言った通りに、右の上から二本目の糸を解き放って。それでしつけ糸が走る!〕

 言った通り一本を離すと、複雑に編み込まれた糸が連鎖して、体外に張り出していたノロがあっという間に肉体に収まり、人型を取り戻した。

〔八つの世界を結びし鋼の螺旋よ、この一つ鏡の可能性をひとつ、つまみ抜き、ほころびを繕え。我は世紡糸を君がために奉る〕

 夜見は銀糸を操りながら、魂依の甲冑をひとつ、またひとつ剥がしていき、やがて優稀の顔が現れると、彼女と一つになっていたノロが糸玉となって地面に転げ落ちた。玉汗を流しながら、激しく呼吸を繰り返した。

 糸が離れると、穏やかな寝顔を浮かべて糸が切れたように地面へ倒れた。麻琴と暁は無我夢中で優稀を抱きとめた。

「優稀!優稀!」

「ううん、麻琴ねぇさま。あきらねぇさまばかりずるい。わたしにも冷凍みかん、ください」

「優稀ちゃん!」

 暁と麻琴の懐に抱かれ、穏やかな眠りの中で笑顔を浮かべている。技の成功を確信すると、夜見は膝から崩れ落ちそうになった。

「おっと、危ない」

 そんな彼女を葉菜は抱きとめた。満遍の笑みを見て、夜見も笑顔を見せた。

「今のはなんだい」

 しゃべろうとする夜見の口をとっさに塞いだ。

「すまない。でも、今聞いてしまったら情報として利用してしまう。僕は大事なことを知らないでいよう」

「葉菜さん」 

 夜見を起こすと、葉菜は何度も頷いた。

「ようやくわかった。ボクのすべきことは、再び特祭隊を一つに戻すことだ。そして君たちが動きやすいよう、ボクが『悪党』側から全体をコントロールする。ホットラインは早苗が持っている。そして決着がつく時に再び会おう!」

「わかりました!戻ってきた時、私があなたの居場所を守って見せます」

「たのむ。それと、命を投げ出すマネは勘弁してくれよ、それじゃ!」

 駆け出した葉菜の足取りは軽かった。また再び会う日まで、共に戦い続ける友との約束の言葉を交わした。

(そんな顔しないでください。私は葉菜さんを尊敬しているのですから)

 



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あん・なちゅらる・してぃ!

 

 

 ここは水戸からそう遠くない大洗は、海の見えるカフェテラス。人払いのための『悪党』の刀使達が一定の空間を確保し、護衛している。

 そのうだつの上がらない独特な雰囲気を嗅ぐわせ、はたして本気なのかどうかわからない彼女の態度に、沙耶香は困惑した。

「そうですね。お土産あります。それでいいですか」

 新多弘名という刀使は、日高見派に所属する長船の刀使であった。日高見麻琴を見限り、『悪党』に入るために、一週間前の魂依暴走の一件に乗じて脱走してきた。その手引きの一切は葉菜によってなされた。

 監視役につけていた結芽が一切見かけなかった人物を、泳がして情報を掴むために連れてきた『撒き餌』の葉菜が紹介する。幹部である雪那、舞衣もふくめて彼女を信用できなかった。

 だが、下手に葉菜を手放す動機を作れば、どんな情報を撒かれるかわからない。彼女の今までの『葉隠』の経歴からは、彼女が信管の作動した爆弾であると感じさせた。

「どうかな沙耶香くん。彼女はこれでも日高見の諜報部員で、いろいろ知っている。日高見を転ばすなら弘名くんが必要だろう?それに、カナヤマヒメのノロの居所も」

 葉菜がそう話しながらカウンターからコーヒーを受け取ってくると、舞衣、弘名へ手渡した。沙耶香の前にはメロンのフラペチーノを置いた。

落ち着いた口調で弘名に問いた。

「その居場所を知ったら、あなたは用済みとして処理するかもしれない」

「用済みですか?私がいれば、安桜美炎ことカナヤマヒメの精神体を、技でも口でも政治的にも抑えられる。それがいらないなら、なんなりと処分なさってどうぞ」

 ごくシンプルに、引き出す言葉は少なく、しかし確実に沙耶香を揺さぶる。葉菜はいたってそれに慣れている様子だった。

「わかった。あなたを『悪党』に迎える。私の命令は絶対。いい?」

「どうも、効率重視でがんばります」

 舞衣は緊張をほぐすように明るい話題を振りつつ、ふとその居場所を尋ねた。

「つくばです」

「つくば?同じ茨城県の?」

「日高見家の研究施設で、表向きには金属粒子実験器具社という名前の中小企業です。実際には筑波山の地下で日高見家の所有する数百年分のノロを収容しています」

 舞衣は笑顔でその言葉に頷いた。葉菜が簡単に説明を付け加えた。

「日高見家は幹部衆がそれぞれの研究をしていて、日高見麻琴の属する分家筋はそこを保管庫にしている。その収蔵庫へのキーは彼女しか持っていない。だから若干十七で幹部筆頭の地位を持っているのさ」

「じゃあ、案内してくれますか?つくばに行くメンバーには、燕さんと山城さんをつけます。お目付役ですが、鈴本さんも行動をいっしょにしてもらいます。いいかな?沙耶香ちゃん」

「うん、私は準備があるから、あなたたちに任せる」

「かしこまり」

 沙耶香はフラペチーノを手に持つと、海の見える窓辺へと歩んで行った。それを追いかけて舞衣が追っていったことで話は終わった。

 葉菜はごく当然のように弘名を案内し、大洗水族館に連れてきた。

 館内を無言で回りながら、人気のない大きなクラゲ水槽の前に立ち止まった。

「燕結芽の荒魂がどこにでも着いてくるのに、話ができると?」

 弘名は何もかも察していたように葉菜の顔を覗くと、それを待っていたのだと言わんばかりに水槽を漂うクラゲの姿を穏やかに見つめていた。

「たぶん。は禁物だが、『悪党』抜きにしても、彼女の行動は不可解なことが多すぎる。ぼくは彼女の気に触れるようなことはしたくない。おそらく火傷じゃ済まない」

「火傷?」

「彼女が、沙耶香も含めて僕たちの生殺与奪を握っている。結芽くんはそうでなくても刀使の中では最強だ。ぼくは死にたくない」

「なるほど。ほっときます」

「ああ。じゃ、話をしようか」

 葉菜と弘名の話すべき問題は、ある一個人の経歴についてであった。

 それは、糸見沙耶香。特祭隊は親衛隊の第三席であった彼女は、雪那率いる舞草過激派の一つ『悪党』のリーダーとして、特祭隊に反旗を上げている。

 しかし、彼女は不可解な行動があった。会って間もない舞衣を幹部に迎えたり、『悪党』に可奈美、姫和、薫、エレンに一切手を出してはならないなど、目的に対して障害となる相手への対応が甘かったりと彼女の真意を掴みかねる命令があり、それを上司である雪那は一切咎めなかった。

「カチコミの最終段階、十条姫和の『一つの太刀』を用いたタギツヒメの封印が失敗した要因に、沙耶香の裏切りがあり、沙耶香のそれをまさかの無刀取りで衛藤可奈美が抑えてしまった。彼女は天才であり、なるほど人を惹きつける魅力もあるが、やはり未熟だ」

「きになっていたんです。糸見さんは『無念無双』という、冥加刀使の新たな段階を使用し、それはタギツヒメに対抗しえた。あっさりすぎません?」

「うん。『無念無双』は、沙耶香のノロに対する無限の吸収能力に反映される形で、強化されると踏んでいる。その吸収能力の正体はわからない。その答えは」

「彼女の経歴が教えてくれると」

 葉菜と弘名は人のいない場所を点々と移動しながら、話を続けた。

「糸見沙耶香の過去、その全てを知る高津雪那が何もかも蓋をしている」

「でも、その高津雪那には養子がいた。その養子は去年の夏に亡くなった」

 弘名はサメの大顎の骨格を覗き込み、二重に連なる歯を一つ一つ観察した。そのガラスケースの反対側に葉菜は立った。

「高津美香。十二歳の時、子供のできなかった高津夫妻に養子に入る。長髪で、顔の堀の浅い、ゆったりとした子だったらしい。養父の高津茂登が亡くなってからは、高津雪那が一人で育て、二人の希望に沿って鎌府中等部に入学し、刀使になる。そして、母親の名に恥じない活躍をしていたが、任務中に仲間の刀使を守って死亡。享年十七。彼女の本当の両親も荒魂の手にかかり、彼女も」

「妙ですね。重要人物の子供が亡くなっていたとは初耳です」

「高等部に上がってから、学級に入らず高津学長の指導で全国を点々としていたらしい」

「英才教育ですか」

「にしては、仲間内を大事にする高津学長がそんな教育をするとは思わない。それは沙耶香くんを見れば一目瞭然だ。その沙耶香くんも、高津学長の養子同然だ」

「確かに、糸見さんは孤児でしたね」

「日高見では、沙耶香の経歴はどうなっていたかな」

「葉菜の得たそれと然して、ですが冥加刀使の研究に、日高見研究者が噛んでいたようで、支援の予算が組まれたのが、三年前。この年に高津美香は高津学長直下に、糸見沙耶香が刀使の能力を見込まれて鎌府に引き取られています」

 大水槽の前に立つと、ペンギンたちが悠々と空を飛んでいた。

「無念無双の研究か」

「動機は今尚も不明です。しかし、二人ともその研究に従事したのは間違い無いかと、日高見の『魂依』研究でも、そうした例はよくありますので」

 円形の展望台に来ると、西から来た雲によって青空は半分以上が曇りになっていた。海はさほど荒れてはいないが、青ではなく黒々とした海が水平線から続いていた。

「刀使の人員増加によって被害が減ってきた。だが、その刀使は今までの被害によって家族も家も失った孤児たちがいた。彼女たちは復讐よりも、生きていくために中学時から公務員として給料が与えられる刀使の道を選ぶ。満杯の孤児院は、ここ三十年間の凄まじいまでの被害規模を反映していた」

 葉菜も弘名もいたって静かな面持ちで海を眺めていた。

「それに業を煮やして、特祭隊はノロ回収にノルマをつけた。それも、各校、各チームに争うように荒魂を討伐させ、ノロを回収させた。そして麻琴さんは、いやみんなそのノルマに押しつぶされ、傷を負った。タギツヒメは折神紫の対抗策を人員損耗という回答をもって対抗した。その回答は、私のいた場所でも同じだった」

「弘名、君は風のない薄曇りの琵琶湖を見たことがあるかい」

「いえ、意識しては」

「ここの海の境界はとてもはっきりしている。だが、琵琶湖のそれは、何も見えないんだ。ややぼんやりと水平が見えて、やがて、音もないものだから感覚が薄らいでいく。一度溶け込んでしまうと、境界があいまいになる。僕たちが、刀使の力を持つ年少の少女が、御刀に選ばれる。これは、いつまで続くのかな」

「なるほど、そもそも前提が荒魂やノロを中心に回っている。その限り、人の認識は混濁し続ける」

「僕たちは今まさに、その前提を変えていく機会に直面している。でも、旧態依然なのは、どうしようもない事実だ。刀使に関わる、誰も彼もがだ」

 葉菜が着信に応答すると、由依に車を水族館前につけるように言い置き、電話を切った。

「葉菜。この変革はもう止められないのですか」

「変革?そんなものは、とうの二十年前に江ノ島で終わっているよ」

 螺旋階段を降りていく葉菜を、弘名は黙って着いていった。

 

 

 茨城県のつくばに到着した早苗と夜見、そして可奈美は、日高見麻琴の派閥が管理する保管施設へ行くため、輝に土浦から車を出してもらうこととなった。

 駅前の広いロータリー前で三人は待っていた。

「そういえばなんだけど、なんで『悪党』なんだろう?」

 可奈美の何気ない疑問に、夜見も首をかしげた。

「どうしてなんでしょう?わかりやすくて『悪党』呼びが定着していましたが」

 早苗が検索画面に出てきた画面を二人へと見せた。そこには鳥帽子を被った男の肖像画が表示されていた。

「だ、誰?」

「可奈美さん!楠木正成ですよ!南北朝時代の名将です!」

 そういえばと早苗が刀使たちに配られた『悪党』の制服の写真には、襟元に菊花水の紋章を象ったバッチが付けられていることを示した。

「楠木正成は河内一帯で無理な荘園支配や年貢取り立てに抵抗し、鎌倉幕府討伐を志した後醍醐天皇に味方し、少ない戦力で万の敵を相手にした名将です。『悪党』はこうした反乱行為を起こしていた楠木正成たちを鎌倉方が呼んだ呼称ですが、後世、義賊的な彼らを尊敬する意味合いもあります」

「へぇ、沙耶香ちゃんがそこまで考えていたんだ」

 感心する可奈美に対して早苗は首を傾げた。

「うーん、おそらく高津学長の入れ知恵じゃないかな、少なくない人数の刀使を味方につけて、わざわざ制服も作って支給しているんだもの、それだけの行動力は高津学長以外ありえないよ」

「紫様、じゃなかったタギツヒメに対抗しながら、色々準備していたんだね」

「そうですね。高津先生は、糸見さんはいつから『悪党』を準備していたのでしょう」

 クランクションが鳴ると、駅前のロータリーに見慣れたオリーブドラブのパジェロが停まっていた。

「おまたせ、可奈美も久しぶりだね」

「はい!輝先輩!また稽古付けて欲しいです」

「あいかわらずだなぁ。、わかった!今日はつきっきりの警護だから、たまには付き合ってやる!乗れ!」

「二人で話を完結させないでください三尉殿」

「すまん、すまん!」

 車は駅から十分ほど、金属粒子実験器具社の研究所がある。大通りに面する三階建ての研究棟には日高見家の金環のマークが象られている。

「日高見家の研究を支援しながら、国立の金属特殊研究所などに検査機器を納入しているメーカーだ。まさか、ここの社長が夜見と顔見知りとはねぇ」

「そもそも社長だという旨を今はじめて知りました」

「あらそう?それもそうか」

 車が研究所につくと、一人の老人が三人を出迎えた。

「どうも、つくば本社の所長の有村です。麻琴様から事情を聞いております。どうぞ」

 三人が案内された場所は、地下の第四開発研究室と呼ばれる場所の扉であった。

「ここは?」

「お嬢様は先にみなさんにある人に会ってほしいとのことです。警護はそれからで」

 自動扉が開くと、そこには白衣を着て、研究員と打ち合わせを重ねる暁の姿があった。彼女の目の前には、魂依の装甲の裏に張り巡らされ、枝のように幾重に重ねられた回路が走っていた。

「暁」

「おう、来たか」

「これが、魂依のノロを通す回路だね」

「ああ!こいつはすごいんだ!ノロが一つになろうとする作用を、珠鋼の粒子で誘導することでノロがある限り均等に、全体へ巡らし続けるんだ!ここまでの技術を完成させるのに、どれだけの時間がかかっているのか」

「いけるんだね!これで禊布を」

「これだけ完成していれば、あとは禊布の試作品に反映させるだけだ。かなり早く実戦に出せる!実地試験も合わせて、ひと月半でお前にも届けられるぜ」

「そんなに早く!」

 嬉しそうな顔から苦笑いに変わって、頭を掻いて見せた。

「母親の代以前から、日高見はこれを研究し、実現して見せた。そりゃあよ、頑固にもなる」

「暁、これは麻琴さんのためにもなる。やろう!」

「うっし、元気出た!それじゃ、例の場所を教えるぜ」

 



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いえろー・さぶまりん!

 

 夕闇に染まり出したつくばの街に一台のワゴン車が入ってきた。見た目こそなんの変哲もない白いワゴンだが、その車内には由依、葉菜、結芽、弘名と二人の『悪党』の刀使が乗っていた。

「あと三十分もすれば本社です。貯蔵庫からノロが定期的に移送されているので、どちらに目的のノロがあるかわかりません」

「あなた!貯蔵場所がわかると言っておいて、一箇所じゃないじゃない!」

 怒りに声を荒らげた『悪党』の松永衣里奈に対して、四人はいたって冷静だった。衣里奈に由依は落ち着きを払った口調で答えた。

「日高見といえども一点収蔵の危険は百も承知、そのために一騎当千の戦力を二人も投入した」

「日高見派の刀使は精強揃い。それに加えて、非公式だが日高見麻琴は朱音派に協力の意を示したそうだ。それなりに警戒されていることを、視野にいれなきゃね」

「葉菜さんがそうおっしゃるなら、ハイ」

 しょんぼりとする彼女を見ながら由依は恍惚としていた。

「かわいい」

 葉菜が小さくため息をついた。

「君は変わらないな」

「え?そりゃ変わるわけにはいきませんよ。だって、ようやく変えられた流れをこのまま無碍にしてたまるものですか、葉菜さん。私は私の信念を貫くだけです。あなたもそうでしょう」

「そういう信頼のされ方をされると『悪党』に居づらいよ」

 ふと結芽に目を移すと、ゲーム機の画面に照らされて小さな顔が浮かび上がっていた。

「なに?葉菜おねぇさん」

「新作、今は何面に?」

「あと2ステージでラスボス!でも、ラスボスの扉を開く龍玉が見つからなくって」

「ヒントほしいですか?」

 自分はすでにクリア済みと言った葉菜の言葉に、結芽は逡巡した。

「おしえ、あ、ううん!結芽の力で見つける!何も言わないでね!」

「そうですね。まっすぐ進みすぎて、ボーナスステージを一個すっ飛ばしていませんか」

 目を丸くし、急いでメニュー画面から各ステージのラストをチェックし始めると、隠し扉のステージがあるのに気がついた。そして、膨れっ面を葉菜に向けた。

「ごめんね!でも、このゲームはなぜかクリア直後の空間に戻れる機能がついている」

「あ、まだ隠しストーリーがあるの?」

「それは、クリアしてからのお楽しみ」

 再びゲームをし始めると、小さく葉菜に向かってありがとうと言った。

「どういたしまして」

 隠しステージに入ると、主人公の過去を振り返る鏡が出てきて、そこに二人の両親の姿が映る。主人公はラスボスを倒す決意を胸に、必ず会いに行くと鏡の向こうの両親の幻に告げる。

(こんなふうに、素直に言えるわけないじゃん。パパとママには、結芽の凄さをわからせてやるんだから)

 セーブし、車を降りようとする寸前に、葉菜を柄頭で殴り気絶させた。葉菜の端末を探ると、通話履歴に『岩』の一文字があった。

「やっぱり筒抜けだったみたい。ごめんね葉菜おねぇさん。でも、たとえどんなに凄い人がいても、結芽の敵じゃない。由依おねぇさん、山の方は任せるね。ここは私一人でいいよ」

「はい、はーい。じゃ、無理はしないでね結芽ちゃん」

 去っていく車に背中を向けると、田畑の向こうに立つ施設を見上げた。ニッカリ青江を抜き払うと、腕を裂き、暗闇へ向かって血を撒き散らした。

「行け!カラスたち!」

 血は琥珀の輝きを纏って十体のカラスとなり、施設へまっすぐ突っ込んでいく。

「スクナビコさん!」

 施設の直前で透明な壁にぶつかり、さらに壁にめり込むように四体のカラスが動かなくなった。

目を凝らすと、電柱や木々を利用して丁寧に織り込まれた織物の壁がそびえているのに気がついた。

 屋上から飛んできた白い輝きを纏い二振りの御刀を持つ人影が、壁にめり込んだカラスを一体残らずとどめを刺した。結芽はだれであるか気づき、笑顔になった。

「夜見おねぇさんだ!」

夜闇に目が慣れると、互いの間合いまでゆっくりと歩んでいった。

「結芽さん。私だって容赦はしませんよ」

「容赦してくれるの?おねぇさん、結芽に勝てないのに」

「ええ!一度は勝ってみたいと思っていましたから」

「後悔してもしらないよ」

 一本の農道に向き合う二人、方や古今東西稀に見る天然理心流の天才、向かうに努力の末に憑神たちに見出された凡才。違う地平を見ながら、何度も互いを意識し、その異なる境遇に親身を抱いた。だからこそ、本気で向き合わねばならない。それが、互いに尊敬に値する剣士であればなおさらである。

 結芽は飛び込み、その一瞬の隙をついて血がばらまかれていた。迅移と八幡力をテンポよく組み合わせ、跳ねるように斬撃が走る。天然理心流の相手の呼吸を読み、操る。

 しかし、夜見の頭は寒々しいほどに冴え渡っていた。

(小手返し、フェイク?受けて、次の手を見せて、跳ぶ!下段!右跳ねると、胴を狙うから!)

 金剛身により強化された胴で受け、二度目の跳ね飛びからの一拍置いたフェイントからの霞剣、しかし夜見の手にはもう一刀があり、写シに届かない。ついに結芽の動きが止まった。

 その満遍の笑みに、緊張が夜見の全身を迸り、うっすらと笑みが浮かぶ。

(これが!夜見おねぇさんの辿り着いた先!)

(結芽さん、あなたは私に!どうしてほしいのですか!)

 上空を飛んでいた十六匹のカラスが低空に急降下し、まっすぐ夜見に飛び込んできた。結芽は二度下段からの斬撃を加えて、闇の中に飛びのいた。

「これで、いいのですか!?」

〔夜見よ!三段目の迅移を使え!〕

 ラルマニの声が聞こえ、夜見は歯を食いしばった。

 迅移の第一段階、抜け様に一匹、第二段階に移るとカラスの動きがゆったりに見え、二匹を断ち切り、同じ速度帯に飛び込んできた結芽を見た瞬間、三段目へ加速。目に見えないはずの速度の粒子が同じ速度に流れるのが見えた。

「まだうまくいかないけど、迅移第三段階!」

 静止するカラスに対して斬りつけようとしたが、自身の迅移に体が流される。今までの人のいる速度、時間感覚ではない。写シがこの速度に合わせて強化されている分、夜見のポテンシャルが試される。

「つまり、第三段階の速度帯は、人間基準の取捨選択ができない。それこそ、同じ第三段階、一段下の第二段階まで来てもらわなければ、相手にできませんわ」

 二週間前、本部の道場で汗水を垂らす夜見の前に、寿々花が立っている。ラルマニから受け継いだ写シの力を扱う訓練に彼女の手を借りていた。

「私も先先代から発動し、受け継いできました。扱えるまでに相当の時間と労力がかかっている。結芽さんのような天賦の才があれば難しくないでしょうが、私たちには培ってきた技術に頼る以外にありませんわ」

「しかし、秘技なのではありませんか」

 寿々花は軽い調子で首を振った。

「私の代で途絶えるわけではありません。それに、今のあなたには矢の先に習得が必要。二天一流は紫様と輝先輩が、第三段迅移は私が教えます!あなたも、親衛隊の一員なのですから」

「はいっ!」

 寿々花の指導を思い出しながら、翼を翻すカラスたちの方へ切先を向ける。

(もっとも大事なのは、稽古で培った基本の動作を忘れないことですよ)

 理解するよりも先に、判断した動きでカラスたちを切る動作を連続させる。荒く、ジグザグに動きながらも、最後の一体を切り終わったところで速度を落とすと、刀を通して重い感触が走った。同時に体を重たいものがのしかかる感覚も走った。

「ぐっ、まだだめみたい」

 十三匹のカラスが全て切り裁かれ、地面に滴り落ちた。

 結芽は息を切らす夜見に目を凝らしながら、一瞬の光景に見入っていた。

(これは、寿々花おねぇさんの第三段迅移!結芽に)

 二段階の迅移を発動して飛び込んできた結芽の斬撃を受け流しながら、しかし、疲労ゆえに全てをいなしきれずついに写シを切り剥がされた。

「すごいところ、見せないでよ」

 立ち上がると再び写シを張り直し、二刀を構えた。

「はぁ、ごめん夜見おねぇさん。もう少し、付き合って」

「ええ、落ち着くまで、一緒にいますよ」

「ほんと、そういうところだよね」

 斬撃が単調になり始めた。全てを受け流しながらも、素早い攻撃が続く。しかし、戦うことに焦点がいっていない。自分に目を向けているが、戦うことに思考していない。

「私なんか気にしないでよ!わざとでしょ、一人で戦おうなんて」

 再び写シが剥がれる。夜見も疲労感に押されて冷静さを失い出している。しかし、それでも写シを張った。

「そうですよ!結芽さんこそ、もっと自分を大事に思ってくださいよ」

「なんで」

「他人の目ばかり気にして、繕って見えるんです!強い結芽さんなんて見せられても、私はそれがあなたの全てとは思えない」

「夜見おねぇさんにわかるわけないじゃん!だって」

 結芽の手が止まり、兼光の叩き下ろしで写シが剥がれ落ちた。パタリと尻餅をつくと、夜見も限界を迎えて写シが消え落ちた。結芽に向かい合うように座り込んだ。

「はぁはぁ」

「ごめんね。これじゃ、勝負にならないね」

「もう!いつも結芽さんだけで独り占めするんですから」

 そう悪態をつきながら、大きく息を吐き、空を見上げた。体育座りのまま、夜見を上目に見つめる。

「どうしたんですか結芽さん、話してくれていいんですよ」

「最後までちゃんと聞いてくれる?」

「もちろん」

 柔らかな笑顔を見せると、結芽は両親の話をはじめた。

 史上最年少にして最強、小学生のうちから刀使の適正に目覚めていた彼女は、周囲からその強さを認められ、ずっと通い詰めていた道場の師範の推薦によって、綾小路武芸学者に入学した。

 最年少、十一歳の飛び級入学である。

しかし、入学して一週間もしないうちに喀血した。

 貧血の末に気絶し、治療の甲斐もあって意識を取り戻したものの、彼女はその病気の名前を知らぬまま入院生活をはじめた。一度は治り、両親はすぐにも退院できると告げた。

 しかし、退院直前に咳き込みはじめ、再びの喀血。言い知れない恐怖が沸き起こった。

「ママ!こわいよ!結芽なにも悪いことしてないよ!」

「そうよ、また病気が悪さをしているだけ、わたしたちになら追い払えるわ」

「うん、そっか、結芽は刀使なんだよね。がんばるよ」

「そんなあなたに、ほしかったイチゴ大福ネコの根付け」

「わぁ!ありがとうママ!」

 それが母との最後の会話だった。

 面会謝絶となると、両親とは会えなくなり、それがまる半年続いた。

 看護師の話では、面会ができるようになったと聞いていたが、両親は会いに来ない。

電話くらいくれたっていいのに、どうしてなのだろう。

 苦手な本も読み、嫌いな食べ物を食べ、注射を我慢し、唯一会いに来る相楽結月に勉強を習い、手が空けば両親がくれたゲーム機を日がな一日やって過ごした。

 

 気づけば初春すぎの二月、もう一年になろうとしていた。

 

 会いに来たら、うんと怒ってやろうと思った。そして、そして一緒に寝てもらおうと思った。結芽も中学生になるのだからと、両親のベッドから離れて一人部屋だったが、今度は許してくれると思った。

 だが、看護師が話すのを聞いてしまった。

 ひさしく病室を出ていなかったので、散歩にと廊下を歩いていただけ、聞きたかったわけじゃない。

「六〇一号室の結芽ちゃん。どっちの両親も会いに来てくれないのよね」

「病院の宿泊代、両親は出してなくって、相楽先生が」

「え?それじゃ、ふたりとも自分の子供を」

「育児放棄、それも離婚調停で互いに親権を主張して」

「それで結芽ちゃんに会いに来ないって、はぁ」

 若い看護師二人が結芽を見て凍りついた。結芽は手元のイチゴ大福ネコのぬいぐるみをはちきれんばかりに、強く抱きしめていた。

 それからであった。

 一切の食事を拒否し、看護師を遠ざけ、頑なに人と会うのを拒んだ。

 一日をそう暴れ、暴れ疲れたのも束の間、泣き出した。何もかも塗りつぶしたいほどに、頭をカッと熱くしながら泣き続け、叫んだ。

 ようやく、気が済んで横になったが、何もする気もせず。二日、三日と何もせずに過ごした。

 暴れたあの日にも来た結月が、また会いに来た。あの時は、散々暴言を言ったが、結月のおちつききった顔を見ても、何かを言う元気は起きなかった。

「結芽、あなたの病気はすでに治っている。今まで頑張って耐えてきたから、もう再発の心配もない。それを来週にも言うつもりだった。ごめんなさい」

(だから?)

そう心の中で言って、窓の外の青空を見上げた。春前のまだ冷たい空気が、空を奥まで澄み渡らせている。

「両親のことも、ずっと黙っていたの、言ってしまえば二人が強く願っていたあなたの回復も望めない。生きる気力を無くした人は、大人でも子供でも、とても脆いんだ」

「ずっと、いっしょにいたって、そう言ってくれれば、結芽は我慢したのに」

 ひどく淡々としていた。怒っているのに、声をあげる気もない。だから、思いだけをぷつりぷつりと口にした。

「同情なんかしてほしくない。パパとママなんて最低。でも、そんなふうに思いたくなかった」

 言いたいことを言い切ったような、胸の空くような思いが湧いた。

 結月はしばし俯き、意を決したようにある話をはじめた。

「結芽、荒魂を支配して、もっと強いあなたにならない?」

 そしてはじめて、折神紫に会った。そして、その申し出を受け入れた。

「何のために?両親への復讐?」

 結芽は首を傾げて、わからないと言い置いた。

「もしかしたらあったのかも、でもね、結芽はあの時、パパとママに私が生きているって、バカな喧嘩やめて、おうち帰ろうってね。でも、どんどん遠回りになって」

「うん」

「わかったの、まっすぐ会いにいくのが怖かった。拒絶されるのも、パパとママがケンカするのも見たくなかった」

「結芽さんが強いところを見せたかったのは、それが理由だったのですね」

「いつか会いに来てくれる。春にさ、夜見おねーさんと話したよね。結芽には何もくれないって、でもね、夜見おねーさんは結芽なんか目じゃないくらい怪我して、悩んで、でも結芽と張り合えるくらい強くなってた。夜見おねーさんがすごいところ、結芽は見たんだよ。勇気って、もしかしたら夜見おねーさんなのかも」

「そうですか、よかった。結芽さんに恩返しできて」

 結芽は何のことかと空を見上げ、思い出したように拳銃で大荒魂に立ち向かった夜見を思い出した。

「あそこであなたが助けてくれた。あの日を境に、色々なことを知って、決めて、中途半端だけどここにいる。勇気は無謀の裏返し、でも無謀と諦めると勇気には裏返らない。とっても難しいですね」

「うん、夜見おねーさん、無鉄砲だから、真希おねーさんなんかめじゃないくらいに、ええと、猪突猛進だよね」

「むむ、そうですけど、そんなにひどいんですか!」

 膨れっ面の夜見を見て、結芽は嬉しそうに笑った。

「笑いすぎです!」

「あはははは!ふふ!笑いすぎて死んじゃうとこだった!ねぇ!」

「はい」

「ノロって、引き剥がせる?」

 立ち上がった結芽の目は落ち着き払った、穏やかな表情であった。

「はい。できます。でも、どのような副作用があるかわかりません」

「いいよ、結芽はノロに頼らなくたって、一番強いんだから!」

 自信満々で笑顔を見せた結芽が、ひどく愛おしく感じられた。自分ができることで、力の限り彼女の心に寄り添う。そう素直に思える自分を大事にしたいと、夜見は思った。

 



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あらいゔ!

 

 

 筑波山と連なる宝筐山の麓、かつて大きな寺院があった場所には厳重に柵がたてられた施設があり、二人の刀使が飛び入ってきた。

「大きな施設はダミーです。あの扉のついたゴミ捨て場へ」

 弘名の承認コードで鍵が開くと、由依は誰かの気配を暗闇の中に感じ取った。

「岩か、葉菜さんならわざとかなぁ、弘名さんはこのまま目的のものを回収に向かって、私はそこでこそこそしている子の相手をする」

「了解っす」

 階段を降りていく音を最後に、由依は夜闇にぐっと目を凝らした。

「出てきなよ。あなたなら、私が写シを張らなきゃ勝負にならないと踏んでいるのでしょ」

 その人影は御刀を鞘に収めたまま、由依の前に姿を見せた。

「早苗さん。どうも、ひさしぶりだね」

 厳しい面持ちの彼女は、帰ってほしい旨を由依に投げかけた。

「このまま奪い合うのはタギツヒメに好機を与えるも同然、そして大荒魂の残照を狙っている」

 由依はありきたりなその話に肩を落とした。

「だから、沙耶香さんに託そうって話じゃない。タギツヒメより、人の理性を持った器の方が、人のためにノロや荒魂の力を使える」

 言い終える前に、背中を丸めてその負っていた鞘から長大な蛍丸を抜き払った。

「これさ、もう死ぬほど言ったんだよ、言い飽きちゃった」

「なら、お互い建前は言い尽くしたわけだね」

 早苗も自然と御刀を抜き払っていた。

「お!いい目してる。そうだよ、本音は沙耶香ちゃんの想いとは全く別。でもさ、今は自分の立場があるから、曲げられないのよね」

 由依は切先を水平に相手へ向け、対して早苗は切先を突き出すように構えた。

「負けない。これが私のできる精一杯だから」

「精一杯か」

 互いに写シを張ると、由依の切先が舐めるように首先へ何度も走る。早苗の念流による硬い防御と返しを警戒してだが、何よりも早苗の反撃を封じ続けるのに効率の良い攻撃方法であった。

 しかし、一縷の隙に滑り込ませるようにその大太刀を回し外し、前進した。

(やっぱり、後手)

 軽やかな足取りで下がりながら、逃すまいと進み続ける早苗の頭上めがけ、大太刀を振り落とした。受けたが、その強靭な打ち落としが念流の芯をわずかに崩した。由依は逃さず腰を落として刃を回しながら切先で早苗の胸を撫で、写シを剥がした。

「これで精一杯?」

 早苗はすぐに立ち上がって間合いを離しつつ、写シを張り直した。

「まだ!まだだよ!」

 飛び込んできた突きと浅い斬り付けの連続が走る。しかし、小手先のことを重ねれば重ねるほどに、由依の払いは正確さを増していき、右上段へ向かっての斬り流しが走ったのを見計らい早苗は受けて、すぐに浅く振りかぶって懐に飛び込んだ。

「だからっ!」

 浅い斬り付けが長大な柄に受け止められ、次につなげる判断をする前に真正面から叩き切られ、写シが弾け飛んだ。その衝撃で後ろへ投げ出された早苗は背中から崩れた。

「いい目をしていると思ったのに、とんだ期待外れだよ早苗さん」

「だからって、諦めるわけには」

「全部後からついて回ってきた。今までついてくるだけで、何も成しえない、力にもなれない。早苗さんってさ、自分が行動の中心にないよね?」

「んっ」

「役不足、他の刀使連れてきてよ」

 早苗は由依の態度に不思議と怒りが湧かない。いや、湧かせようとしない。自分の感情を相手に優先させない。親しい人の感情が、行動が、自分自身の行動の選択肢だった。なら、なぜ夜見と対等でいたいと願ったのだろう。立ち上がった早苗は笑顔であった。

「由依さん。前からずっと思っていたの、本気なら私はあなたに勝てるって」

 その言葉に目を輝かせた。

「そう、その目、勝利を渇望する剣士の目は、容赦を知らない」

「まだ夜見さんと真っ向勝負してないの、いい練習相手になってね」

「まずは、腕試し」

 迅移からのその速度を生かした叩き下ろし、早苗はその重い一撃を受け止め、返した刃による二度の突きによって由依の写シが剥がれた。

「早苗さん、これがあなたの剣!」

「この程度なの由依さん?」

「いいや、まだ磨き足りない!」

 写シを張り間合いを離すと、二度の斬り付けから飛び離れて、隠し剣の構えから大きく振りかぶって早苗が来るのを待った。確かに飛び込んできた、だがそれは迅移による近間への飛び込み、ついふり被りの手を緩めて受けに移そうとした。そこに柄を握る両手で由依を押し込み、崩れた彼女の真っ向から切り落とし、写シを奪った。

(私は夜見さんのように、高いスタミナ量を持っているわけじゃない。でも、夜見さんはそれに満足せず、自分の欠点を状況作りに全てのリソースを割いていた。なら、苦手な相手を私のペースに引き摺り込む状況を作ればいい!)

 構えたまま、由依が写シを張るのを待ち構えた。

(後の先を構築する)

 由依の顔は緊張によって両頬が上がっていたが、目は笑っていなかった。

「これじゃ対等じゃないね。妹がいること話したよね」

「うん、未久ちゃんだよね」

「そうだよ。未久を救うために私は高津学長と相楽学長とさ、取引したの、最新治療を条件に舞草の二重スパイと実験体をやるとね」

 由依の目は赤く光り、そのまま蛍丸を上段に構えて写シを張った。

「おかげで未久は回復に向かっている。だから、私はその報酬に見合った仕事を果たす。全力で、精緻に、ときに豪勢に!」

「ありがとう。お互いに全力を尽くす理由がある。そして、いい勝負ができる」

 ふとした瞬間に静寂が訪れ、互いに静かに息を吐く音に耳を澄ます。

 早苗の息が止まった。

 先に飛び込んだのは由依であった。

 左から薙ぐように見せてから、切先を早苗の胸と首へまっすぐ突き立てた。だがそれは突きではなく、小さく振りかぶった細やかな斬り付けであった。陰流を元にした彼女の大太刀剣法は、可奈美ほどの観察眼を持っていないものの、リーチゆえに二の足を踏みがちな大太刀で相手の出足を計りながら、決定打を叩き込めるタイミングを見出す。彼女の剣は、相手のペースと歩幅を彼女の有効な間合いに留めおくことにある。

 対する早苗の間合いはびくともしない。これには語弊があるが、念流の作り込まれた『芯』は容易に崩し得ない。攻防に即した剣を振る彼女自身の軸はブレず、それどころか由依の二の足に合わさせる大太刀の間合いに入らない。常に大太刀の切先が自身の隣を過ぎる程度の場所で、間合いを維持し続ける。それどころか、ジリジリと前へ詰め始める。

(ならば!)

 切先を早苗の天頂に廻し、口を一文字に結び留めた。

 同時に早苗も上段から刀を振り落とすと、その弾けるような打ち込みに、早苗の腰が崩れた。

(そこっ!)

 小さく薙ぐように刃を走らせたが、すでに突き出すように構えていた刃に突き受け止められ、そのまま滑り込むように突きを刺し入れた。

 切先を離すと、由依の写シは落ちて、その場に膝から崩れ落ちた。

「やっぱ、かっこかわいいじゃん」

 息を切らしながら、由依が再び写シを張るのを待っていたが、大太刀から手を離して手を挙げるのを見て、ようやく構えを解いた。

「もう写シ張れないよ」

 すっかり緊張の抜けた顔を見せるため、早苗はむっと口をへの字にさせた。

「まったくもう!」

 御刀を鞘に戻すと、もう一度戻ってくるように言った。

「いいよ。沙耶香ちゃんへの義理立ても済んだし、『悪党』には葉菜さんもいるしね」

「本当なんですね?」

「うん。かっこかわいい早苗ちゃんの指示に従います!ビシバシ使ってね」

「返す手のひらが軽すぎないかな」

「語るべきことは決闘の中で語り合った。ようこそ、剣士の世界へ!」

「ごまかさないの!」

 強烈なブザー音に二人同時に端末を見た。

「この反響値!まさか!」

 大太刀を抱えた由依はすぐに写シを張った。

「早苗ちゃん、行ける?」

「はい!」

 

 地下保管施設の扉は壊し開かれ、その周りに黒い制服を着た二人の刀使が倒れていた。息を切らしながら、影に隠れていた弘名はレイピアの切先を天井に向け、息を整えた。

「確かに、麻琴さんでもきついでしょ」

「出てこい。ワレを騙すとはいい度胸だ」

「何が」

 写シを張り、表へ出ると、その赤い影に向かって切先を走らせた。最小の動きから繰り返される神速の突きがタギツヒメを押し込んでいく。だが、タギツヒメは笑っていた。

「なるほど、こうか?」

 二刀のうち片方だけを突き構え、鍔から先を突き出すように切先を走らせる。胴への突きを鍔でいなして、逆に切先を胸に滑り込ませた。

「ぐっ」

 写シが剥がれ、弘名はその場に崩れ落ちた。

「どう言うわけかは知らぬが、ここにはどのカグツチもいない!だが、残置気配は感じる。そう離れてはないところに、ヤツもおろうて」

 写シのない弘名へ振り落とされた刃は、迅移で飛び込んできた刃に弾かれた。

「させないよ!」

 連続する打ち合いに、タギツヒメは顔をしかめた。目の前には一度ならずとも自身を圧倒した可奈美の姿があった。

「千鳥の娘か」

「はぁ!」

 タギツヒメは可奈美の勢いを打ち落とすと、出口を飛び出でて、早苗と由依を無視して山を駆け降りていった。

「おわなくちゃ!」

「由依さん。私たちが追いかけても、返り討ちに会うだけだよ」

「むぅ〜」

 地下に降りると、弘名が切り開かれた保管所の中から、ノロの入ったケースを一本取り出していた。可奈美はどうしたものかと、やってきた早苗の顔を見た。

「何があったのですか、それにあなたは誰ですか」

 弘名はケースのシリアルナンバーを確かめると、早苗に向かって一言、自分は『葉隠』であると告げた。

「いずれ、またお会いしましょう。どうもカグツチのノロも移動済みみたいなので」

 その場にいる人々を気にせず、写シを張るとタギツヒメのように逃げるように施設から去っていった。

 



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すたいる!

 

 

「いますよ、大洗に」

 そうじゃない。そうじゃあないんだ。

 『悪党』のノロ収蔵庫襲撃から二週間。一時は彼女を拘留する方針だったが、薫と朱音の機転で即任務に飛ばすことで、由依は処罰から免れた。ただし、タギツヒメのノロが四散したことによる、荒魂の大量発生は、由依ふくめ夜見たちを否応なしに討伐へと駆り立てた。

 そうして二週間。

 あいも変わらずタギツヒメと『悪党』とで、三つ巴でノロを奪い合う日々が続いていた。そんな状況にテコを入れたいと、薫は由依に紗耶香たちの居場所を尋ねた。

「基本的に水戸の高津学長を支援する民間派閥と、東海村のノロ研究施設にアクセスしやすい大洗を根城にしているんです」

 こうもあっさりと居場所がわかった。いや、むしろ来ても跳ね除けられる自信があればこそなのだろうか、薫はすぐにややこしい事態の連なりを考えずにはいられなかった。

(タギツヒメは戦力を整えたら、タキリヒメかイチキシマヒメを狙いに来る。でも、それは沙耶香もそうする可能性が高いということでもある)

 目の前の由依はいつも通りに飄々としているが、こちらに戻ってきた理由も何となく想像がついた。

「なぁ由依、なんで戻る気になった」

「義理立てが済んだからかな、沙耶香ちゃんが戦力増強のために欲しがっていたノロの六割は集まったし、それに守勢に回る特祭隊の方がやばいと踏んだの、妹のいる病院だって刀剣類管理教区付属だからね」

「そうか、はぁ」

「まぁねぇ、戻ってきても高津学長主導で『悪党』の冥加刀使化は進行している。タギツヒメが繰り出してくる荒魂の規模が大きくなってきている。おかげで『悪党』の子達にも怪我人が出ている始末、もちろん冥加刀使の子もだよ」

 薫はしばし天井を見つめ、由依に向き直った。

「決めた。由依、調査隊に入ってタギツヒメへの有効打を探れ、もしかしたらコヒメが鍵になるかもしれん」

「了解!制服は綾小路のを借りていくね」

 たった一言の命令を聞いて、由依は足早に司令室を後にした。

 オペレーターが忙しく指示を飛ばす中で、真庭紗南の声も大きく響いていた。

(可奈美、エターナル、エレン、真希に、寿々花も関東の任務に着かせるべきだな、なるべくチームで固まらせて、有事に対応できるようにしよう。もちろん、俺も一緒に関東に残る。遊撃で動かせるのは夜見と早苗か、いい加減に好き嫌いせずに麻琴と話ししねぇとなぁ)

 司令の大きな席で大きなため息をつくと、ねねが二発ほほを叩いた。

「さんきゅーねね」

「ねねーっ!」

 勢いよく起き上がると、寧々切丸ではなく山鳥毛を手にし、真庭学長の前に立った。

「薫、この状況はまだ続く、そうだろう」

「うんにゃ、近いうちにタギツヒメも沙耶香も攻めてくる。守り以外に手がなくなるくらいに後手後となっちまったが、勝負は始まったばかりだ」

「しかし、調査隊も、魂依布計画もまだ始まったばかりだ。すぐに戦力にはできんぞ」

「おう、だから本部長には負け戦の覚悟がほしい。最後の最後に勝利を掠め取る執念を、な」

 薫と紗南は互いに不敵な笑みをぶつけ合った。

「もう負け戦の連続だ。今更怖くない。悪いが、頼むぞ薫」

「ふふん、じゃあ一世一代の時間稼ぎを始めるか」

「ねねぇー!」

 

 忙しく全国を飛び回る夜見は、その日を綾小路の学生寮で過ごすことになった。

 また、日があるうちにどうしてもここにくる必要があった。

「あ、もう秋か」

 校庭に植えられた紅葉が赤付き、彼女の髪を撫でるように冷たい風が流れる。深呼吸すると、今一度、薫からのメールを開き読んだ。

(簡単に言ってくれるなぁ)

 隣にやってきた人物も、同じように紅葉の木を見上げた。

 気難しさを絵に描いたような、そんな硬そうな面持ちの女性は夜見に向き直った。

「皐月夜見。御前試合前の模擬試合以来だな」

「お久しぶりです。相楽先生」

 綾小路武芸学舎学長の相楽結月。夜見は、結芽を冥加刀使に導き、由依と葉菜というスパイを舞草に提供し、現況ではどちらにも旗を振らず、赤羽刀調査隊の支援者となり、中立の存在となっていることしか、存在を認知していなかった。

「夜見。すまないが、先に聞かせてくれないか、結芽は私を恨んでいたか」

 寒そうに身を縮こませている彼女からは、一切の覇気を感じられなかった。

「結芽さんは、たぶんこれは自分が選んだことなのだから、あなたはきっかけでしかない。そういうふうに言うかもしれません。戻ってきて欲しいのに、沙耶香ちゃんから離れてはいけないと、自分から戻っていった。あの子は少しずつ大きくなっていますよ」

「そうか」

 しばしの沈黙ののち、何を聞きたくて尋ねたのかと問う。

「あなたがまだ、高津学長と繋がっているのか、知りたいそうです」

「わかった。その前に、ある人物に会っておくといい」

「どなたですか」

「じきに調査隊が来る。彼女たちに聞くといい」

「わかりました。ではのちほど、お話をお伺いに参ります」

 結月は夜見の顔をじっと見つめた。

「ありがとう。結芽の姉であってくれて」

「はい」

 

 綾小路内の研究棟エントランスで待っていると、夜見は久しいその声の方へと振り向いた。

「夜見―っ!」

 手を振る美炎と、それに続く制服の異なる五人の刀使が、話に聞いていた調査隊の面々であると初めて知った。もちろん、由依もその中に混ざっていた。

「美炎さん、お久しぶりです」

「そうだよ、旅立ちの日からあの日を迎えても、ずっと会ってなかったんだもの、でも早苗から色々聞いていたよ。みんな、紹介するね皐月夜見さんだよ」

「知っているよ」

 七之里呼吹のうだつの上がらなさそうな表情を、夜見は思い出した。

「あ!対荒魂の射撃実験の時、横取りしたって怒っていた!」

「アタシは荒魂ちゃんを横取りされたことは、ぜってー忘れないようにしてるんだ夜見先輩」

「そんな言い方ないよ、呼吹さん。その前も毎日、捕縛荒魂を相手にしていたんでしょ」

「荒魂を見るや飛び出していくあなたには、少し贅沢だったかもしれませんね」

 六角清香とミルヤの言葉に呼吹はぶっきらぼうにしながら、美炎は目を点にさせていた。

「え、夜見さ、学年いくつ」

「高等部一年ですよ?」

「じゃあ、年上で、先輩ってこと?」

 呼吹は何かに気づいて、美炎の背に忍び寄った。

「おっと、みほっち。まさか、高等部の先輩をずーっと、呼び捨てでタメ口だったのかよ。此花隊長に言いつけようかなぁ」

「お願い〜っ!それだけはやめてぇ〜!」

「呼吹ちゃん。おねぇさんは、やりすぎはいけないと思うの」

「わかった!わかった!チチエはその顔こぇえからやめろ!ごめんって、美炎」

 震えガタつくほどに怯える美炎を、夜見は困ったように大丈夫と繰り返し言い聞かせた。

「いいの?」

「もうそんな細かなことを気にしていません。今までのように接してくれると、嬉しいです」

「ありがとう〜っ!」

 美炎が親衛隊支隊で必死に背伸びをしながら、しかも舞草のスパイ活動もしていた。しかし、目の前にいる彼女は年相応の女の子に感じられた。

「でもね皐月さん、此花さんに会うと直角に礼をする癖があるのよ」

 智恵のその言葉は、トラウマが悪化しているように思えたが、気にしないことにした。

「相楽学長から許可を得ています。あなたにコヒメを合わせたい」

「コヒメ?」

 御刀を佩いたまま入室を勧められると、厳重に閉じられた部屋の中に白い肌に琥珀の瞳、そして両耳を頭に生やした少女が本を読んでいた。児童向けの絵本である。

「美炎!みんな!」

 美炎は何の抵抗もなく、駆けてきたコヒメを抱き留めた。

〔ほうほう、もしかして〕

 小柄が飛び、さらに夜見から人型の白い影が離れた。

 スクナビコとラルマニであった。

 驚く一同は二人の突然の出現に驚いた。智恵はそれが、夜見の憑神であると見抜いた。

 コヒメの前に小柄を浮かすと、スクナビコはまじまじとその姿を見た。

〔タギツヒメのように大きな本体を有していない。僅かなノロで、しかも君自身で人型を完結させている!穢れのない、純粋な好奇心ゆえに生まれたんだね〕

「ど、どうして、わかったの?」

〔わかるとも、君にも僕と同じ珠鋼のより結んだ存在だからだ〕

「えっ?」

〔ま、いずれわかるよ。でも、ラルマニはなぜ出てきたんだい?〕

 スクナビコと夜見の隣を過ぎると、美炎とコヒメを交互に見た。

〔安桜美炎よ、お前は愛宕安桜の者だな。そうでなくて、内と外で荒魂の親愛など受けられまいて〕

「カナヤマヒメがわかるのですか」

〔ああ、まだ目覚めていないが、穢れが感じられないのでな、よほどお前に寄り添っているのだな。不思議だな、夜見〕

「ん?」

〔なぜか、このタイミングになって、人型の荒魂たちが足並みを揃えて現れた。コヒメ、と言うか、お前はどうしたい?〕

 美炎は、なぜそのような問いなのかを尋ねた。

〔意思をこの世に結んでいる目的が荒魂にはある。大抵の荒魂は、はじめこそ好奇心や穢れの発散を目的にしてきた。それが、いつのまにか殺されるという事実を、作り出す人と珠鋼に並々ならぬ怨念を持つことになった。ゆえにノロを分祀し、常に彼らが穢れを落とし、見守れる場所に置くことにした。彼らが、大地への回帰を果たせるその日を紡ぐのが、神なる力を持つノロと珠鋼が人の業を濯ぐ手段であり、刀使の役目。それがこの時代では幾分か変質しているが、概ねはそれを守っている。ゆえに、彼らを信じ、ノロとなり穏やかにいる道がある。しかし、それが、全ての荒魂が受け入れるとは限らない。その結果が、カナヤマヒメやタギツヒメだった。幼い彼らが、最短距離で人への興味と怨念を果たせる道を弾き出した。コヒメや、お前はどうしたい?〕

「コヒメをノロに還すなんて!」

〔愛宕安桜、私はコヒメに尋ねている〕

 コヒメは寂しげな顔を浮かべたが、しばらくして大きく声を張った。

「わたしは、一人でいたくない!どう思われてもいい、かまって欲しいの!」

 人でも、荒魂でもない、どっちつかずのコヒメを、夜見は幼い一人の女の子と思い出していた。おそらく、美炎も、この場にいる調査隊の面々も、同じ気持ちなのだろうと思えた。

〔まるで人だな。いや、人と珠鋼が生み出したゆえに、人という形と魂は成るのだろうかの、わかった。ただし、そのささやかな願いを叶えるために、お前は同胞のタギツヒメを討つことに手を貸せるか〕

「タギツヒメの思いがわからない。いっぱいのノロに溢れる思いが一つになったのに、その思いの中にノロじゃないのもいる。だから、怖い。あの思いは簡単に抑えられない。だから、討てるかわからない」

「コヒメ」

 ラルマニは大きなため息をついた。が、その顔は笑っていた。

〔夜見、よくこの娘と話し、食を味わい、戯れよ。それで十分だ〕

 そう言うと、夜見に重なるように姿を消した。

 



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ざ・てれふぉん・こーる!

 

 

 ここは綾小路の宿舎エントランス、ソファーに腰掛け、ミルヤはまじまじと蕨手刀を見た。

「ホロケウ、最も古い珠鋼の鍛造方法を用いた御刀のようです。まさか、本当に存在していたとは思いませんでした。確かに、先程の禍神となってしまった巫女の話は本当のようですね」

「はい、現実感がない話ですが、ここに共にいるのは間違い無いので」

 兼光も鑑定を頼むと差し出すと、真っ先に小柄を確かめた。

「これも珠鋼を使っていますが、スクナビコと結びつくものはみられませんね」

「そうですか」

 自身の身に起こった全てのことを話した。

 ある程度はことを知っていた由依と美炎でさえ、驚きを禁じ得なかった。それゆえか、一同は夜見がコヒメよりもはるかに奇妙に思えた。

「ねぇ夜見、私ね、昔から引き運がやたら強かったの、それで引いたのはことごとく大変なことばっかりだった。素敵な出会いもあったけどね」

「あの時、ばったりと荒魂の大群に出くわしたのもそうですか」

「あっ!やめて、やめて!ちょっと黒歴史なんだから」

 なんだろうと、清香と呼吹に智恵も中身を尋ねた。おどおどする美炎がおもしろく、夜見はあの仲直りの日のことを話した。美炎が恥ずかしがるが、智恵はどこか嬉しそうであった。

「今思うと、支隊の中では誰よりも真剣で、まっすぐだったんでしょうね」

「なぁーんだ。今と変わんねぇじゃねぇか」

 呼吹が笑顔で呆れる風態をすると、清香は嬉しそうに頷いた。

「みんなのために背伸びして、つまずいちゃうところとかね」

「そうそう、美炎ちゃんのかわいいポイントなんだよね!」

 由依が嬉しそうに頬を擦り寄せてくるのを、美炎は静かに逃げ出した。

「ああーっ!まだ今日のハグノルマ終わってない!」

「なんか支隊にいた頃より見境がない!」

 逃げ惑う美炎を追う由依の二人を眺めながら、ミルヤはふと尋ねた。

「山城由依は、まだこの隊に来て日が浅い。彼女のことを少しばかり教えてくれないか?」

「それは、あの子から聞いてください。そういうお人ですから」

 由依の信念は、重たくしかしあたたかい。それを知ればこそ、余計な言葉は必要ないと夜見は思っていた。

「そうですか、ところで兼光も見せていただきありがとうございます」

「あ、そうだ。これも鑑定できますか?」

 夜見は慣れた手つきで銀糸を宙から引き出した。

 しばし、瞬きをしていたが、ミルヤは見るなりそれが珠鋼で出来ていると言い当てた。

「由来はわかりません。鍛錬の仕方もわからない。でも、これは珠鋼で間違いありません」

「それって珠鋼だったの?支隊の頃から荒魂も切れないほど頑丈だったの、不思議だったんだ」

 美炎が立ち止まった瞬間、由依に背中から抱きつかれた。

「つかまえたーっ!」

 一同の端末が一斉にアラートを鳴らし、急いで画面を注視した。

「この数はいったい!?」

 智恵の驚きは一同も同様だった。

 端末のスペクトラム計には、綾小路をぐるりと囲む荒魂たちの姿が映されていた。

「馬鹿な!こんな数がなぜ今まで」

「この突然の包囲と奇襲。まさかタギツヒメ」

 夜見の言葉にミルヤは静かに頷いた。

「荒魂ちゃんたちが来たんだな!しかも、自分たちからこんなに!」

 呼吹は目を輝かせて席を飛び越えると、出入り口の向こう側へ一目散に駆けていった。

「ミルヤさん!」

「安桜美炎、お前は六角清香と七之里の援護につけ、瀬戸内智恵と私が後方を援護する。山城由依は皐月夜見の援護、自由判断で七之里と並ぶように攻撃を始めなさい」

「了解!」

 美炎と清香が駆け出すと、四人は互いに顔を見合った。

「タギツヒメの目的は」

「コヒメか、美炎さんの中にいるカナヤマヒメ」

「山城由依、皐月夜見さん。命令を改めます。山城は安桜美炎を護衛、皐月夜見さんはコヒメのいる研究棟の護衛を!」

「まかせてください!」

 

 タギツヒメの軍団は徐々に前へ前進する。

 やがて呼吹を発端に、綾小路の刀使による反撃がはじまった。

「相楽結月か、紫の右腕であった女か、こうも早いとはのう。相手に不足はない」

 呼吹たちのいる場所とは正反対の場所に、タギツヒメは熊型の背に乗って森の奥に見える綾小路の校舎を見下していた。

「どこにおるのかのう、清光の切先よ」

 

 場所と時を三十分前に移した鎌倉の特祭隊本部。

 夕食を済ませた薫は頭の上のねねの寝息を聞きながら、物思いに耽っていた。親衛隊詰所の休憩室ではコーヒーが飲み放題であり、それを知ってから毎日来ていた。

 作戦を立て、指示を済ませた彼女は曇った顔でメールの一文を読んでいた。

 

【鈴の葉は知らぬ。白き鳥は鵺と獲物を啄むを】

 

 今しがた送られてきた弘名からの文章が、まず葉菜が重大な作戦から外されていることを示す。そして、白い鳥と虎。すでに獲物を捕食している、つまり、沙耶香が鳥と仮定して協力者と同調した動きを見せている。その協力者、鵺という妖怪の名で存在を暗示している。

(ずっと頭に引っかかっていた。タギツヒメはどうして、カナヤマヒメの分祀ノロの存在を知っていた。協力的になるまで、日高見家が厳重に蓋をしていたことだぞ)

 薫は何かに感づいた。それに則って、まずエレンに電話を掛けた。

 彼女は祖父のフリードマン博士とともに、『魂依布計画』の協力をするために特金研に赴いている。

「どうしましたか薫?」

「エレン、ひとつ考えて欲しいんだ。沙耶香は俺たちが三女神のうち二人を確保、一度ならずと自身をうちかました可奈美がいる。さらに、タギツヒメが独立して敵対している。まず、どこから対処すればいい?」

「ノンノン薫!私たちには美炎とコヒメがいまース!両者ともに、内蔵している穢れのないノロは魅力的なはずです」

「そうか、穢れのないノロは純粋な力になりうる。冥加刀使の完成は結局のところノロから不純物を取り除き切れなかった故に、中止したのだったな」

「そうしますと、まずは二人の女神と戦って負けるよりも、純粋なノロを手に入れるのが増強には一番」

「ああ、エレン。結論は同じだな。すぐに連絡をとる!」

「お願いシマース!」

 電話を切ると、神妙な面持ちのまま再ダイヤルして電話をかけた。

 それが二分すぎると、音声メッセージの案内に繋がれた。

「夜見、美炎、死ぬんじゃねぇぞ」

 

 三段階目の迅移が見抜かれ、写シの剥がれた夜見は壁に叩きつけられた。

(これが、完成された無念無双なの)

 起き上がった夜見の前を黒い衣服に身に纏い、頭から琥珀に輝く両角を伸ばす少女は、強烈な七色の残像を起こす写シを身に纏い。コヒメのいる部屋の方へ歩んでいく。

「行かせません!」

 写シを再び張ると、二刀を構えて彼女に向かって飛び込んだ。張り巡らせた糸は確実に足止めにはなる。

「それじゃ、届かないよ」

 斬り付けが避けられ、激しい斬り付けが何度も叩きつけられ、写シの剥がれた夜見は床に倒れ込んだ。

「い、糸見さんっ!」

「おねぇちゃんと私の願いを妨げるなら、死ぬ覚悟はあるよね」

 沙耶香の目は琥珀色に輝き、もはや人間とは思えないほどに真っ白な肌が、彼女がどんな存在に変化したのかを察知させた。それは、コヒメとは真逆の性格へ向かっている。

「まだ!」

 銀糸が一斉に張り巡らされ、沙耶香の道筋を塞いだ。

「それで?」

 珠鋼の糸が切られた。いや、薙ぐようではあるが、ノロと写シ、そして珠鋼が合わさることで、沙耶香と妙法村正は尋常ならざる力を発動している。

〔だめだ。規格外にも程度があるよ〕

「スクナビコさん!あなたが匙を投げないでください!」

 再び立ち上がると、力を振り絞って写シを発動する。ラルマニから授けられた写シのは十二分の耐久力を持っている。だが、相手が悪いという事実を、その身でひしひしと感じていた。

 僅かに夜見を見た彼女の目は、その眼中に夜見はいないと言っているも同然だった。

「はぁ、まだ立つのなら、止めをさす」

 一太刀は入ったが、そこから腕の写シを叩き落とされると、突きが夜見の気力を奪い去った。

力なく壁に倒れかかった彼女に向かって、その切先が振り上げられた。

「さようなら」

「だめ!」

 そのか弱い剣が沙耶香の振り落としを払った。

 目の前で涙顔を浮かべるコヒメよりも、力を抜いていた自分に驚いた。

「夜見は!ラルマニは!私を認めてくれた人なの!殺させない」

「コヒメさん、逃げて」

 小狐丸を構える彼女には、荒魂にはないはずの写シが張られていた。

「あなたも呪われた運命に生まれた子なら、私と一つに」

「コヒメはコヒメなの!あなたみたいな、荒魂もどきじゃない!」

 必死に御刀を振るうが、沙耶香には入らない。少しばかり手を緩めて転ばせると、その背中を斬って写シを剥がした。

「わたしだって、なりたくて荒魂になったわけじゃない!でも、このノロの中にはいるのよ」

「あ、うう、美炎」

 溢れんばかりの殺意がコヒメを恐怖させた。

「わたしはおねぇちゃんとひとつだから!こわくない!」

 動かない体に歯軋りしていた夜見の目に、沙耶香を切り飛ばした白い閃光が見えた。

 斬られた沙耶香は、片角が消え、白い肌が赤みを帯びた人肌に変化していた。

「沙耶香。これが、お前の決めた戦いなんだな」

 静かな呼吸に、よく練られた彼女は、左拳を突き立てる卜伝流の構えで沙耶香に対した。

「十条さん!」

「怪我はないか」

「はいっ!」

 驚きで起き上がった体を走らせて、コヒメを守るように懐に抱いた。

「薫からとにかく綾小路の研究棟に行ってくれと連絡が来た。あいつの勘が外れた試しがないからな、お互い運が悪いな沙耶香」

 白い鬼ではなくなった沙耶香だが、まだ強靭な七色を帯びていた。

「邪魔しないで!」

 走った刃を、歯にもかけないといった表情のまま刃を受け、やがて沙耶香に対して攻めにかかると勢いを削ぎだし、呼吸を乱しにかかる。

「すごい!これが姫和さんの実力なんだ!」

 沙耶香は可奈美と戦った時と同じ感覚を味わっていた。

(無念無双は龍眼と三段以上の迅移さえも乱し、崩す!なのに、姫和の剣は無念無双を貫通する!)

 沙耶香はたまらず間合いを離すが、姫和の無段階三段階迅移の射程から離れられるスペースは、研究棟の廊下にはなかった。その泣き腫らした顔には、先程までの無機物な非人間的な表情はなかった。敗北を前に溢れる感情が、沙耶香の顔に溢れかえっていた。

「沙耶香。おまえがどういう信念で動いているかは知らない。だが、いつでも帰ってきていい。可奈美なら、そう言うだろう」

 背を向けて迅移で消え去った沙耶香は、姫和のその言葉に返す言葉をそこに置いていかなかった。

朦朧とする意識の中を無理に起こしていた夜見は、コヒメの隣で気絶し倒れた。

 

 

 



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あとむ・はーと・まざー!

 

「待ってー!」

 満身創痍の美炎は、その黒い制服の背中を追いかけた。ただ、その腕に抱かれたコヒメだけを凝視した。

「タギツヒメとあれだけ戦ってまだ走れるとは、美炎さんは怖いですね」

 身を翻し、真正面から飛び込んでくる美炎を突き裂いた。茂みを転がり落ちた美炎から写シが落ち、そのまま気を失ってしまった。

「やれやれ、鈴本さんの言う通りですね。皐月夜見と美炎さんと真っ向勝負は避けるべきと」

 タギツヒメと糸見沙耶香が同盟を組んでいた。

 いや、正確には情報を一方的に提供していたのだが、このコヒメと美炎を誘拐するために、双方の利害が一致した。その結果は、沙耶香の敗北を盾に弘名がコヒメを誘拐。タギツヒメは安桜美炎の力を目覚めさせてしまい、撤退した。

「やれやれ、もっと早く情報を掴んでいれば、こうもあっさり捕まえなかったのに」

 合流地点に到着すると、そこには沙耶香と葉菜の姿があった。

「どうも、戻りました」

 不満げな葉菜は、弘名にお姫様抱っこされるコヒメの顔を撫でた。誘拐されたにしては、穏やかな寝息を立てていた。

「この場で処理して吸収する」

「沙耶香、今はよせ」

 目を赤く輝かせる沙耶香が、凄まじい力で葉菜の襟を掴み引いた。

 だが、彼女は怯まず声を上げた。

「文句があるかもしれないが、これは高津先生からの厳命だよ!沙耶香、君はノロを取り込みすぎだ、無念無双による消化が追いついていない。本当かどうか、舞衣にも釘を刺されなかったのかい」

「でも、だって」

 泣き出しそうな顔で葉菜に答えを乞う沙耶香が、幼くか細く思えた。

「穢れのないノロは手に入れた。とにかく戻ろう」

 

 あれから三日も経ってしまった。

 病院の一室で、夜見と美炎は二人ベッドを並べていた。

「夜見、昨日はごめん」

「いえ、守り切れなかったのは事実ですから」

 目を覚ますなり美炎は激昂したが、次第に自分を責め出して智恵に叱られるといった出来事があったが、明後日の隊員を前にして、二人は落ち着かない様子であった。

「美炎さん、私はコヒメさんを」

「わかるよ、私も今すぐ助けに行きたい」

 病室に入ってきた呼吹が、湿った空気を感じて不満そうに美炎のベッド前に座った。

「チチエとミルヤが監視しろって言うから、来てみれば、どうせコヒメ追いかける算段つけてたんだろ?」

「だって」

 ビニールからプリンを取り出すと、机に三つのプリンを置いて、その封を切った。

「だってもあるか、みほっちの回復の方が優先だろ。相手は沙耶香とお前を負かした刀使のいる『悪党』だぞ。興味もない奴らを一緒に追いかけるんだ。ちっとは感謝しろよ」

 一個を食べると、もう一個の封を切って食べようとした。

「わかったよ!ふっきーの言う通りにする。だから!」

 二個目のプリンを意地でも渡すまいと、美炎と呼吹は引っ張り合いをはじめた。

「みほっちは欲張りさんかぁ!?三つとも私のだ!」

「このぉ大方、誰かからの差し入れを横取りするつもりだったんだ!」

「いいじゃねぇか!私が来てやってんだ!その手を離せ!」

「呼吹ちゃん?」

 智恵に一通り聞かれていた呼吹の手から、美炎と夜見に差し入れのプリンが渡った。

「ふふふ、ふたりとも仲良しなんですね」

「どこが!?」

「どこがだよ!?」

 そうして息ぴったりなところ、そう言いかけた夜見はつけたままのテレビを消そうとした。

「美炎さん、呼吹さん、智恵さん!これを!」

 

 三女神のうち一人であるタキリヒメは、可奈美の護衛の元で、防衛省の地下隔離室に幽閉されていた。

この日は、朝から都内各地で一斉に荒魂が発生した。

その中の一群がある場所へまっすぐ向かいつつあると、特祭隊の面々は気づいた。

「薫、可奈美と姫和にエレン、獅童と此花を防衛省に向けるのでいいんだな」

「早苗たちは」

「支隊は今朝からの討伐任務で散り散りだ。なるべくすぐ新宿に迎える刀使を向かわせるが、避難活動が優先になるから、期待はさせられない」

「了解、やれやれ、堂々と真正面から攻めてくるか」

 

 十五体のビル3階に匹敵する大きさの熊型、十体の強力な角鹿型、頭上を埋める十体の翼竜型が一群となり新目白通りから都道319号線へ差し掛かっていた。

 突然の大群の出現に、街は騒然となり、新宿一体が大混乱に陥った。その光景を嬉々として見下ろしているタギツヒメその人であった。

「タキリヒメよ、なるほど人は不完全な生命だ。だが、はたして生かすに値するのか?」

 警察も自衛隊も市街地での、それも避難する民間人が入り乱れる環境下で、発砲することなどできない。しかし、足止めをしようにも巨大な荒魂の列は、道に置き捨てられた車を踏み潰し、炎が一体を包みはじめる。

 そのはるか前を、刀使たちが一人また一人と一群となって歩んでくる。その数はいつのまに三十人以上にまで増えていた。

「来るか、刀使よ」

 その一人の刀使が、薫のそばに寄ってきた。早苗である。

「都内にいる三十一人の混合部隊をかき集めてきたよ。本当はもっといるのだけど」

「いいや、それでも十二分に頼りになる!俺たちはまっすぐ祓い潰しに行く!全体の指揮は早苗に任せる!」

「わかったよ!」

 先頭に躍り出た薫は足を止めると、袮々切丸の大きな鞘を砕き割った。

「タキリヒメのところには行かせねぇよ、タギツヒメ」

 一斉に飛びかかった刀使たちは、薫が即座に熊型一体を一刀両断したのを皮切りに、一体また一体と倒しながらその列を止めようとする。その中に寿々花と真希、エレンが混じって、毒の瘴気を飛ばす角鹿型を優先して倒していく。天と地からの絶え間ない攻撃を耐えながら、刀使たちはいつしか荒魂の軍団をその場に釘付けにしていた。

「そうでなくてはならぬのぉ!だが、あの荒魂もどきではワレを制し得ない!抗え!それを成し得るものたちこそ相手に相応しい!」

 熊型が一斉に足を振り上げる。

 その場にいる刀使たちは、今から起こることを容易に想像し得た。

「一刻も早く地面から離れるんだ!ビルに逃げてもいい!」

 真希の怒号で一斉に飛び上がった途端に、熊型たちは地面を叩いた。

「さぁもがけ、人よ」

 熊型の引き起こした雷鳴に似た地響きは、周囲のビルのガラスを振動で割り、木々の葉は全て落ち、建物の中にはドミノのように倒れるものが現れた。

 けたたましい防災ベルの音が全てのビルから響き、その光景を呆然と眺めていた刀使たちを空中から翼竜たちが襲いかかり、写シを奪っていく。

 そして、軍団の最先方にタギツヒメが立った。

「ねねぇーっ!」

 怒りの声を上げたねねは飛び上がると、巨大な獅子の如き荒魂となり、薫のそばについて軍団へと威嚇の咆哮をあげた。

「少しの犠牲は仕方ない。そう思っていた。だが、俺が甘かった!お前をぶった斬る!」

 怒りに満ちた薫とねねの隣にエレンが進み出た。

「私も同じ思いデース!」

「人同士のことを御し切れなかった私も同罪ですわ。でも、」

「今はタギツヒメを切り祓うが、僕たちの贖罪!」

 真希と寿々花も三人とともに並んだ。

「ワレは向こう側に用がある。避けて通ろうぞ」

 迅移のごとき速さで飛び込んできたタギツヒメは瓦礫を隠れ蓑に、五人のそばをあっという間に避けて、抜き去っていく。

「このやろう!逃すか」

「薫!」

 エレンの声で翼竜の一撃を避けた。彼女たちの前には、まだ半数も生き残っている荒魂軍団が立ちはだかっていた。

「そこを、どけぇぇぇええええ!」

 猿叫を轟かせ、五人は自分たちを包囲せんとする軍団に飛び込んでいった。

 

 可奈美と姫和はタギツヒメに挑みかかった、しかし、未だ実力差ゆえに剣が弾かれる。

 その光景を見ていたタキリヒメは、可奈美を守らんとタギツヒメの前に躍り出た。

「タギツヒメ、人と荒魂の新たな可能性が芽吹こうとしている。私はそれを見たくなった。ゆえにお前はその願いにもっとも近しいはず、なぜ力を欲す」

 刀を手に、自身と互角に戦うタキリヒメの問いにタギツヒメは笑顔で答えた。

「簡単だ。未だ荒魂は人に斬られる存在だからだ。ゆえに、まずは人を滅ぼすと言う行動をもって、ワレが珠鋼と人に対して対等な存在に昇華するのだ。人類という群に釣り合う、強大なワレという個を作り出すためにな」

「それでいいの?」

 タキリヒメの援護に入った可奈美は声を上げた。

「私とタギツヒメに垣根はないのに、それを信じてくれないの」

「衛藤可奈美、今のお前では役不足」

「可奈美!だめだ!」

 姫和の声は一拍遅かった。

 可奈美の写シを剥がし、止めを刺そうとしたが、その刃をその身をもって受け止めていたのは、タキリヒメであった。割れた面の底にいた素顔は、穏やかな笑顔を浮かべて可奈美を見つめていた。

「飛べ、衛藤可奈美。その刀の別名のように、雷を裂いて飛ぶのだ」

 膝から崩れたタキリヒメを刀越しに、タギツヒメその体ごとノロを吸収した。

「タキリヒメっ!」

「ふふふ、あとはイチキシマヒメだけか、存外あっけない」

 写シを張って再び挑みかかってきた二人を無視するように避け、出口を一目散に駆けていく。

「きぇええええええええええええ」

 エントランスに出た瞬間、袮々切丸による打ち廻りが走る。

 シンプルな攻撃ゆえに、すさまじい速度とパワーでタギツヒメを畳みかける。

「だが、甘い!」

 背後を取られたが、エレンが大きく弾けるような力でタギツヒメを蹴り上げた。

 三段階迅移で飛び込んできた寿々花の太刀が、ついにタギツヒメの胴に傷をつけた。だが、それを読んでいたように寿々花の写シが突き裂かれ、駆け足で防衛省敷地内の鳥居に飛び込むと、その姿がパタリと消えてしまった。

 最後の熊型を斬り伏せた真希は、鳥居に飛び込んだタギツヒメを見た。

 彼女とねね、そして早苗が殿となって軍団を叩き伏せたが、それでも間に合わなかったことを痛感した。

「くそぉ!」

 息を切らしながらも、叫ばずにはいられなかった。

 

 たった一時間で、外苑大通りと合羽坂の一体は壊滅し、防衛省は使用不可能になるほどの被害を被った。

 そして、残有する最高戦力でのタキリヒメ防衛戦は、敗北という結果を残してしまった。

 

 

 



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かげろいは・よみに・またむと!

 

 

 二年前、その白い髪の女の子は、無表情に計算問題を解いていた。

 孤児院の特別教室の隅に座る彼女を、廊下から三人が見守っていた。

 白髪の孤児院の院長は、重々しく彼女のことを話し始めた。

「四年前の荒魂による市街地襲撃の折に、親を亡くしまして、さらにそのとき受けた外傷で記憶喪失に、身体の異常で髪もあの通り」

「でも」

 その母親譲りの愛嬌のある鎌府の刀使が、孤児院の院長に笑いかけた。

「刀使の適正は十分と」

「はい、あの子は私どもがそう言うならと、刀使になれることに特段感心を引いていませんが」

「なら、話をしてみましょう。お母様、よろしいですよね」

「あなたなら、あの子を連れて来れると?」

 雪那のどこか怪訝そうな表情を、彼女は蚊ほども気にしていなかった。

 

 放課後、担任に呼び出された彼女は、雪那とその刀使に会った。

「糸見沙耶さん、はじめまして!私は高津美香といいます!よろしくね」

 沙耶香はその日、鎌府幼年課程に転校となり。そして、美香という姉ができた。

 

「ほら!美香!沙耶!目玉焼きが焼けたわよ!」

「沙耶ちゃん!このお皿をテーブルに並べて!」

「うん」

 高津の家は騒がしかった。雪那の出勤にあわせて弁当を作ってきたが、沙耶香の分も朝ごはんを用意することになった。それに対して、雪那と美香は一切を準備していなかった。

「よし!なんとかできたね」

「はぁ、あなたが沙耶をうちで世話するなんて言い出すから」

「いいじゃないのお母様、大事なのは信頼を築くことですから!」

 沙耶香の心配そうな表情が、居場所を探して足元に向いていた。

「沙耶ちゃん!」

 顔を上げた沙耶香に、にっこり笑いかけた。

「ごはん!食べよっか」

 三人まっすぐ食卓に向かうと、手を合わせて「いただきます」と言った。

 今までもまわりにまったく目を向けなかったせいで、孤児院を出てから、鎌府の幼年課に来ても現実感がなく感じられた。沙耶香は授業で教えられることを吸収する。それ以外がまったく関心が向かなかった。

「さぁ!まずはまっすぐに、えいや!とぉーっ!」

 美香の手で道着に着せ替えられ、その手に木刀を持たされた。困惑する沙耶香にまた屈託のない笑顔と優しさを向けた。

「わたし、できない」

「できる!できたら、また新しい技ができる!」

 美香に背中から構えを取らされ、そしてゆっくり振り上げて真っ直ぐに振り落とした。

「ほら、できた」

 目を丸くする沙耶香は、これでいいのかと問う。

「うん、沙耶香ちゃんはまず基本中の基本にして必殺技!真っ向切り落としを覚えた!すごいことだよ!」

「すごいの」

「うん、もっとすごいこと覚えない?」

 沙耶香は自然と頷いていた。

 その日から一年間。高津家のドタバタとした毎日と、美香から小野派一刀流を習う日々が続く。一日を追うごとに、美香と剣を学ぶことが楽しくなった。放課後が楽しみで、討伐に出たら帰ってくるのを待ってから稽古をしてもらった。

 雪那も美香も忙しい時がある。

 そういう時は、頑張って料理をしてみたが、いつも不恰好に仕上がった。だが、雪那と美香はかならず完食してくれた。

「沙耶、勉強はどうなの」

「雪那先生!いまね、おねぇちゃんに剣をいっぱい教えてもらっているの」

 笑顔を初めて見た雪那は、ふと皿洗いをする美香へと顔を向けた。

「んー?そうそう!沙耶ちゃんってすごい吸収が早いの!もう私と真っ向から、掛かり稽古ができるレベル」

「そう」

 雪那は恥ずかしそうに、沙耶香の頭を撫でた。

「すごいわね。これからもがんばりなさい」

「はい!」

 沙耶香は幼年課どころか、中等部の刀使を木刀稽古で打ち負かした。そう遅くないうちに、彼女が天賦の才をもった刀使の卵であると噂になった。

 

 そして、運命の時が近づいていた。

 梅雨の季節、鎌倉には紫陽花の美しい景色が、江ノ電の沿線に続いている。

 鎌府の地下研究区画に来た沙耶香は、雪那と美香から刀使と多くの人を守るため、ノロを支配し、力を得る『無念無双計画』を知らされ、美香は自身と沙耶香にその被験者になってほしいことを伝えた。

「あなたを迎えたのは、この計画に必要な才能を持っていたから」

「苦しいこともある。でも、あなたに決めて欲しいの、これからもいつものように過ごすこともできるよ」

 雪那はすでに諦めている様子であったが、沙耶香は二つ返事で受け入れた。

「わたし、先生とおねぇちゃんに会えなかったら、知ったり、触れたりすることの楽しさをわからなかった。二人のために力になりたい」

「沙耶ちゃん」

 珠鋼とノロの混ざった特殊なアンプルが体内に入れられた。

 正式に刀使に選ばれる前だったため、沙耶香には実験室預かりの歌仙兼定が割り当てられた。

 そして、写シをすぐに発動し、実験の荒魂をあっさり倒してみせた。

 ノロの注入と写シ、そして御刀を干渉させることで、やがて沙耶香は強靭な七色の写シを短時間出せるようになった。それは、荒魂ひいては刀使も、沙耶香を切れないという解明されていない副産物を生み出した。

 同じ実験をしていた美香も、沙耶香と同じ能力を手にした。

「お母様!」

「先生!」

 データに満足している雪那は興奮した様子で、実験の結果を美香と沙耶香に伝えた。

「では、私たちの採取目標を達成するための実験に入りましょう!」

「ええ、ノロの消化実験。これが成功すれば、荒魂の被害を根本から消していけるわ」

「先生、わたしにやらせてください」

 沙耶香は笑顔で進み出た。実験は明後日と決まった。

 

 その約束を無視して、翌日に雪那は美香で実験を始めてしまった。

 そして、実験は失敗し、半分人型の荒魂に変わってしまう。言葉も美香の意思もなく、それは美香の姿をした殺意を向ける荒魂であった。

 帰りの遅い二人を迎えに来た沙耶香は、実験室を見れるコントロールで倒れる雪那の姿を見つけた。雪那は弱々しい手で、沙耶香の袖を引いた。

「逃げなさい、沙耶」

 雄叫びに顔を上げた沙耶香の前には、異形の姿となった美香が立っていた。

 いざとなった時のことを、美香から聞かされ、約束を結んでいた。

(沙耶、お互いが荒魂にのまれたら、のまれていないほうが斬るのよ。苦しませないためにね。その代わり、ノロとなった相手を使って必ず無念無双を完成させる。つらいけど、約束だよ)

「わかっているよ、おねぇちゃん」

 兼定を抜き、写シを張った沙耶香は習った全てを思い出しながら、不規則な美香の攻撃を避け、何度も斬りつける。そして、最後は真っ向から一文字に切った。

 美香はノロに変わり、実験室の床に散らばった。

「美香」

膝を落とし、その光景を見ていた雪那は呆然としていた。だが、沙耶香が大声で泣き出したのを聞いて、現実に引き戻された。

 

 その翌日、沙耶香は美香のノロを飲み込み、無念無双の能力を完成させた。

 沙耶はその日から、沙耶香と自ら名乗った。

 

 大洗のとあるホテルの一室。

 泣き尽くして舞衣のとなりで眠るなか、雪那はその事実を舞衣へと伝えた。

「なぜ、そのことを教えてくださるのですか、高津先生」

 寂しげな雪那は誤魔化すように、夜の海を眺めた。月が浮かんでいる。

「私はもう、この道を選んだことを曲げられない。私の思いが間違っていないと、そう思わなくては生きていけない。沙耶香がそれを望むなら、私は嬉しいわ。でも、沙耶香は私とは違う、いざという時は柳瀬舞衣。あなたが沙耶香に別の道を示してあげて」

 舞衣の顔から穏やかさがなくなり、雪那を睨んだ。

「それでは、沙耶香ちゃんの、美香さんの思いに寄り添えません。あなたが生きている、そばにいることを、もっと考えてあげてください」

 雪那は背を向けたまま、小さく肩を落とした。

今日の日まで『悪党』を率いてきた彼女の背中は、幾分も小さく感じられた。

 



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六ツノ鏡

 

 

 また私でない記憶が再生される。だがそれは、いつもの私からの目線じゃなかった。

 

「姫和さん?なぜ、泣いているのですか」

 

 可奈美は珠鋼の精霊となり、そしてそれを背負うように旅立ってしまった。

 どうすることもできなかった。

 珠鋼はずっと、自身になれる人間を探していた。そして、可奈美という一人を見つけてしまった。それが彼女の『お役目』なら、止めてはならない。

 

 だが、私は諦められなかった。

 

 なんとしても、可奈美と現世で大人になる。

 そんな些細な願いは、立ち塞がる壁を薙ぎ倒しても何も変わらなかった。

 

「姫和ちゃん、さようなら」

 

 涙を流しながら、隠世の向こう側へ行ってしまった可奈美の消えた場所で、立ち尽くした。

 あの日、沙耶香、美炎、結芽と共に、オノツチを倒した、富士山の山頂でだった。

 

 駆けつけてくれた薫、ねね、沙耶香、エレン、舞衣は思い思いに俯き、涙を流した。

「あいつは、泣いていた。可奈美は、泣いていたんだ!」

 薫が岩を叩くが、何も変わらない。

 

 だが姫和は顔を上げ、そうかと呟いた。

 

 その先には八千矛が剣に変化した、八千剣が火口の中心に突き立てられていた。

 

 姫和の元にみんなが集まってくると、そこに立つ姫和の顔には先程の悲しみ歪んだ表情はなかった。

「みんな、私の中にはまだイチキシマヒメがいる。もう意思はないが、まだその力がある。それと、この八千剣の珠鋼を吸収して、可奈美と同じ状態に変化する」

「おいっ!そんなことすれば!」

「違う、私は迎えに行ってくる。必ず戻ってくる手があるはずだ。二人で隠世から戻ってくる時も、最初は手がないと思っていた。だが、帰りたいと願う、その意思がみんなのもとに帰る力になった」

「姫和ちゃん」

 舞衣が顔を曇らせると、頼む任せてほしいとやさしく告げた。

 首を振ると、まっすぐ姫和へと向き合った。

「姫和ちゃん、必ず!二人で帰ってきて!」

「ああ、必ず」

 

 突き立っていた剣を抜くと、赤い炎のように燃え立ち、姫和の手から体内へと流れ込んだ。

 すると雷が走り、白い両角と目が白銀に輝いた。

 

「行ってくる!」

 

 小烏丸で空間を裂くと、ぱっくりと隠世が顔を出した。

 飛び上がった姫和が傷口に飛び込むと、それはゆっくりと閉じられ、やがて見えなくなった。

「ひよよん、カナミン」

 エレン。

「姫和、可奈美」

 沙耶香。

「ずっと、ずっと待っているから!」

 舞衣。

「ねぇねぇー!」

 ねね。

「信じているぜ、姫和よ」

 そして薫は、はるか空を遠く、遠く見つめていた。

 



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ぱーとなー・しっぷ!

 

 季節は十一月も暮れに差し掛かろうとしている。

 葉は落ち、冷たい風は冬の到来を告げていた。

 

 ここは天竜川沿いに立つ、八幡電子の浜松工場。

 精密製作工場の室内には、ロール状に白くきらめく生地が織り上がっていく。

「一ヶ月でやっとこ3ロールか」

 肩を回し慣らす暁の隣で、計算を続けていた麻琴はその結果を笑顔で暁へと差し出した。

「でも、なんとか八着分は間に合わせられるわ」

「ちっとバタバタしたが、実証実験も上々だ」

「それと、ストームアーマーの縮小版の金飾り類も数が揃い出している。あとはデザイナーと縫製スタッフを連れて来なくちゃ」

 腕を大きく伸ばすと、大きく胸を張った。

「よっしゃ!もう一踏ん張りと行こうぜ」

 生産室を出ると、優稀が二人の元に駆けてきた。

「麻琴ねぇさま!暁ねぇさま!もうみなさん集まっていますよ!」

「はい、では急ぎましょうか」

 三人が戻ってくると会議室には、一筋縄ではいかない面々が揃っていた。

 舞草の頭脳面であるリチャード・フリードマン博士、八幡電子からS装備計画の担当者である恩田累、開発魔・渡邊エミリー、機械好きにも程度があるぞ土師景子、美濃関の良心たる服部達夫、S装備の二の舞を止めろ鴨ちなみ、実戦側からのアドバイザーには、支隊最年長の綿貫和美が真希の推薦で参加した。対荒魂に関しては開発に関わってきた播つぐみが揃っていた。

 さて、この十一人の吹き荒ぶ開発問答は熾烈を極めた。

 しかし、筆者には既にこの十一人を書き分ける余力が残されていないため、ここでは彼らがまとめた『魂依布計画』の完成骨子について紹介しよう。

「十二月中旬までに全九着が完成予定。装着者は実力者を考慮し、リミッターを一部外した仕様で投入する。装着者はごく普通の衣服を着用しているのと変わらないが、珠鋼を織込まれ、S

装備同様に写シなしでの全身防護効果を発揮する。さらに、布に張り巡らされた微細な回路にノロを通すことで、冥加刀使の写シ強化を『魂依布』の着脱のみで付与することができる。また、使用者の必要に応じてS装備の縮小型防具も用意される」

 局長室にフリードマンが報告書を携え、朱音、紫、紗南、薫が一堂に会する。

 朱音の読み上げに、紫は驚きをもっていた。

「まさか、わずか半年で実用化にたどり着くとは」

「これには日高見麻琴が、魂依の技術を全て提供してくれたから実現できた。魂依は皮膚に回路を通すことでパワーアップを実現していたが、これを珠鋼の布に転用した稲河暁のアイディアには感嘆しているよ」

 フリードマンがそう誉めると、朱音は『魂依布』の名称を用いるのに難を示した。

「まだ魂依の実験が続いていると聞いております。なので、今は魂依とは別の名称を用いたいと思います。『魂依布』の実戦投入に反論はありません。みなさんもよろしいですか」

 そして意義を唱えるものがいないと確認すると、最初の計画名称を用いて『祭祀礼装・禊』の名前が出され、それが承認された。

 

 同じ本部の親衛隊詰所のロビーで立ちながら、互いに端末を突き合わせる夜見と早苗の姿があった。

「そうだね、チームでは二人もしくは三人で一組の行動単位に修正しよう。なるべく損耗をリアルタイムでカバーできるように」

「隊長格にも、一人のお付きをつけてツーマンセルでの行動単位にしましょう。それでしたら、戦力を押し出すときに指揮補佐ができます」

「うん、いいと思う。すぐに真希さんと寿々花さんに話を通そう。ところで、そうなると夜見さんは誰と組むの?」

 夜見はさも当然のように、早苗を指さした。

「わたし、獅童班の隊長代理だよ」

「十二月から私の班が正式に発足するのは知っているでしょ?隊の指揮経験はここ二月程度しかないから、どうしても早苗の協力がほしいの」

「ほう、僕から優秀な部下を引き抜こうとは、大きく出たな」

 夜見の後ろに立っていた真希に驚き退いた。

「お人が悪い。でも、私も生半可な覚悟で班長職を承っていません」

「わかっているよ。早苗、君の補佐に着いてくれている綿貫に班長代理の引き継ぎをしてくれ、交代書類と転属届けは僕のいる時に提出してくれ」

「了解しました。岩倉早苗は、近日中に皐月班に転属します」

「ありがとうございます真希さん」

「親衛隊の一員になってからの夜見には、何もしてやれなかったからな。僕の右腕で勘弁してくれ」

 早苗はその言葉を聞いて、呆気に取られていたが、真希がそうして気にしていたことに夜見は嬉しかった。

 

 近いうちに沙耶香か、タギツヒメと戦うのは必然となった。

 休みなく働き続けた親衛隊員たちは、朱音の命令で隊ごとに刀装具の一斉メンテナンスに入った。もちろん、編成完了前休暇期間を送る皐月班が優先して入った。

「蕨手刀ですか!古代刀を研ぎ整えるのは初めてですよ」

 バンダナを巻く青砥陽菜は息を飲んだ。

「うむ、こりゃあ柄もボロボロだ。このまま使い続けるのは良くない。皐月夜見さん、二振りとも柄と金具を新調する。研ぎは陽菜に任せてやってくれ」

 同じように額にバンダナを巻く青砥陽司は、屈託のない笑顔を見せた。

「おとうちゃん!」

「ほら!ここで怯んでいる暇はねぇぞ!五箇伝の刀匠過程の名人が鎌倉に集まって、一気に精鋭親衛隊とかの装具を修復するってんだ!この青砥がまけられねぇ理由がある!」

「戦うのは刀使だよ!皐月さん!必ずこの子が全力を出せるよう、いい仕事をしてみせますから」

「はい、よろしくお願いします!」

 御刀を預けてすぐに、道場へと赴いた。そこには輝と紅馬、そして紫の姿あった。

「紫先生!なぜにここへ」

「この二人から二天一流を習っている身だ。その二人の師である私が指導をしない通りがないだろう」

 道着に着替えると、三人が変わり立ち代わり二刀で襲いかかってくる。タイミングを見計らって銃剣道ようの木刀を持ち出して輝が攻めかかってきた。

「はぁはぁ!なんで!輝さんは!銃剣を!」

「簡単さ、自衛隊行ったらそういう剣術もある!私もね、可奈美には敵わんが剣術バカでね!」

 しかし、すべき稽古は槍術、もしくは離れた間合いからの攻撃をいなし、いかに攻めかかるかという課題を負っていた。三者三様、一切の妥協を許さない三人の剣士に、夜見は息をすぐに整えて攻め上がっていく。

「夜見、太刀が入る時に手を緩める癖をやめろ。心配ない、その立ち回りで合っているぞ」

 自身を圧倒する紫の言葉は優しくも、厳しさがあった。それは自身の剣をあっさりといなす紫の太刀筋からも明らかだった。その日から通常任務を抜けていたこともあって、三時間も稽古が続いた。

「よぉーし!今日はここまでだぜ!また明後日な」

 紅馬の笑顔に、夜見は顔を引き攣らせた。

「は、はい。よろしくお願いします」

 もみくちゃにされた夜見は、無心でシャワーと着替えを済ませた。詰所に戻ってくると、事務室には紫が先回りをして待っていた。そこにはなぜかイチキシマヒメの姿もあった。

「せ、せんせい」

「夜見。夕食前におやつだ」

「えっ?」

 紫は、さも当然のようにカップ焼きそば三つを持ってきていた。

 魔法瓶からお湯を注ぎ、数分を独特な静寂の中で過ごす。身に沁みるような疲れの中、呆然としながらイチキシマヒメを見つめた。

「なんだ。我を見つめても何もないぞ」

「はぁ、そうですかぁ」

 お湯をバケツに捨て、三つの容器から揚々と湯気が立ち上った。薬味を混ぜ、紫は夜見とイチキシマヒメはそれを受け取った。

「紫よ、ワレは別に食べずと」

「イチキシマヒメ、人は」

 ずるずると食し、飲み込んでから話を続けた。

「食べることでコミュニケーションをつなげる」

 さらに一口食べた。湧き上がるような空腹に押され、ついに夜見も食べ始めた。

「人は食によって命に生かされていることを」

 イチキシマヒメは、二人の咀嚼音とソースの香りを五感で味わい始めていた。

「共に食卓に並び、食べることで共有するんだ」

(あ、紫先生って、こうしてボケるんだ)

 イチキシマヒメはとうとう、割り箸を割って麺をすくい取った。

「食は、会話なのか?」

 ついに、ソース焼きそばを食べ始めた。

(あ、そっか、荒魂ってごはん食べれるんだ)

 音を立てて啜ると、珍妙だと言いながら、また一口、二口と食べ進める。

「私は美奈都に教えてもらってから、ついついとカップ麺を食べたくなってしまうようになった。内緒だぞ、夜見、イチキシマヒメ」

「美奈都って、可奈美さんのお母様で」

「ああ、我の大きな半身を封印した者だ」

 どこか嬉しそうに、しかし寂しげな笑顔を浮かべた。

「二人を救いたいという、私個人のわがままのつもりだったが、それも不思議な縁を結んで、二人の娘とともに戦っている」

「うれしいのですか、先生」

「ああ」

 イチキシマヒメはあっという間に食べ上げると、小さな声でつぶやいた。

「うまかった」

 夜見は屈託のない笑顔で返事してみせた。

「はいっ!美味しゅうございました!」

「またこっそり、食事会をしよう」

「魅惑のおやつタイム、イチキシマヒメさんもぜひ」

「勘弁してくれ、人は末おそろしいのぅ」

 

 就寝前になると、スクナビコが現れて銀糸を編む練習を始める。

 複雑な折り込みからの連鎖反応、しかし縫い方を手違えると、途端に糸が絡まり、醜くい形に変わってしまう。

〔もう一回やろう!それで今日は終いにしよう〕

「はい!」

 疲れが全身を包んでいるが、彼女は持ち前の冷静さを武器に、糸を組み、編み込み、複雑な立体の幾何学模様を形成していく。

〔君の使命、それは近いうちに訪れる現世と隠世の境界の破綻を結び、修復することだ〕

「初耳なんですが」

〔ふふふ!これを一度でも編み上がるのを待っていたんだ!〕

「え?」

 部屋には八方向に立体的に組み込まれた幾何学が、大きな錘状に形をなしていた。

〔これが世紡糸の本来の力を発動する形だ。これを空で編めるまで毎日やるよ〕

 露骨に嫌な顔をした夜見に対して、スクナビコはとても嬉しそうであった。

〔大丈夫、君はここまで来れた自分を誇りにしているし、裏切ることもない!必ず成し遂げられるよ。一応は神様の僕が保証する〕

 小柄に乗って飛び回るスクナビコを目で追いながら、眠気が襲ってきた。だが、ひとつ気になることを尋ねた。

「あの、スクナビコさんって、男の子ですか」

〔え、女の子だよ〕

 目を瞬かせ、呆れたように背中から倒れると、そのまま眠りに入ってしまった。

〔あらら、まぁ今はおやすみ夜見。僕は君を頼りにしたいからね。ふふ〕

 

 

 

 

 



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せーぶ・ゆー・せーぶ・みー!

 

 美炎はゆらめく炎の中にいた。

 暖かさはあるが、熱さや痛みはない。

「美炎」

 自身を呼ぶ声がする方へ振り向くと、その穏やかな笑顔の女性は美炎を抱きしめた。

「え?ええ?」

「やっと会えました。何百、何千の時と世界を越えて、こうして美炎のためにやってきたのです」

 荒魂であることは間違いない。しかし、コヒメのように悪意や、嫉みといった思いは感じられない。彼女は長く会えていなかった旧友を見つけたように、美炎をじっと見つめていた。

「ごめんね。わからないよ」

「はい。そうですね、私はカナヤマヒメ。かつて愛宕の内に私という人格を、外に本体を分祀され、長らくあなたとともにあった者です」

「あなたが」

 あの綾小路を襲った荒魂の軍団。

 調査隊は荒魂達を倒していったが、タギツヒメが奇襲をかけてきたことで状況は一変。由依もノロによる強化もむなしく倒された。だが、美炎に走った一本の糸が、彼女のうちに眠っていたカナヤマヒメの力を発現させ、タギツヒメを退けた。

「でも、なぜあの時に」

「スクナビコさまが、美炎の力になりたいという希望を繋げてくださったのです。銀糸は、思いと時空とを結ぶ力もあるのです」

「夜見の憑神さんって、そんなすごい力を持っていたんだ」

「ですが、コヒメさんを攫われてしまいました」

「うん、もしかしたら、もう」

 悲しげな顔を浮かべる美炎に、カナヤマヒメは首を横に振った。

「まだコヒメさんは生きています。ノロはノロどうしで結びつこうとします。それは、相手がどういう状況なのかも知れる」

「本当なの!?」

「はい。私は美炎に嘘をつきません。もう二度と」

 美炎の顔から悲しみが消え、溌剌としたいつもの彼女がそこにいた。

「ありがとうカナヤマヒメ」

「いえ、まだこれからです。そのために私は力をお貸しします。あなたからもらった全てをお返しするために」

「うーん、私にはカナヤマヒメに何があったのか分からないけど、でもお返しじゃなくて、一緒に戦って欲しいの!」

 その美炎は、誰でもない美炎自身だと理解したカナヤマヒメは嬉しそうに頷いた。

 

 十二月に差し掛かった。

 新調した拵えで戻ってきた御刀を佩き、詰所に戻ってきた夜見の前に、美炎たち調査隊が待っていた。

「夜見、待っていたよ」

「はい、出発しましょう!」

 この日、コヒメの返還交渉のため、夜見と早苗、そして調査隊が向かうこととなった。

「本当のところは、イチキシマヒメを白河の研究所に移送するための、陽動と引きつけの役目の役目なのですが、コヒメさんを助け出したいところです」

 

三時間ほど、車が大洗に到着するとホテルの前に葉菜が待っていた。

 神妙な面持ちで美炎が葉菜の前に立った。

「美炎!」

 葉菜の背中から、コヒメが飛び出してきて美炎に抱きついた。

「え、コヒメ!」

 感情が幾重にも空回りしながら、体には心配ないかを尋ねた。

「うん!何もなかったよ!沙耶香ね、最初は嫌いだったけど、今は好きだよ」

 そう笑顔で言うコヒメを見ながら、夜見と早苗は葉菜の隣に立った。

「あの、これは」

「僕もね、一度止めるのが精一杯と思ったんだ。でも気づいたら、沙耶香はコヒメに対してお姉さんのように振る舞い出したんだ。そして、何もせずここに置いていった」

 早苗はその言葉に疑問を抱くと、葉菜の顔が寂しげであるのに気づいた。

「もしかして、沙耶香さん達は」

「ああ、僕らだけ、君たちが来るのを待つために置いて行かれた。『悪党』は鎌倉を目指している」

「葉菜さん!」

「申し訳ない。最後の最後は組織の意思ではなけて、沙耶香自身の意思で動いた」

 すぐに薫へ連絡を飛ばしたが、福島の白河へ向かった移送組も混乱に包まれていた。

「すまねぇ、こっちもタギツヒメに襲われてな、やっぱりイチキシマヒメも、タキリヒメも、互いの位置をよく把握していたようだ。で、なんだ」

「大洗に悪党がいません。居残った葉菜の話では鎌倉に行ったそうです」

「まじかよ」

 護送の車もろともひっくり返った車列の中、逆さまのまま腹の上でひっくり返るねねの腹をいじった。

「ねねぇーっ!」

「よいしょっと、まずいなぁ、よりにもよって袮々切丸を本部に置いてきちまった」

「薫さん!」

「心配するな、こっちはタギツヒメと戦いながらイチキシマヒメを逃がす。お前達は急いで鎌倉に戻れ」

「戻れったって」

「輝を呼び出せ、すぐに来てくれる。毎度ですまないが、たのむ」

「了解!そちらの無事を祈ってます」

「おう、ありがとう。また後でな」

 電話を切ると、トラックから出てきた紫とイチキシマヒメを見つけた。

「二人は逃げてくれ、必ず追いついて見せる」

「ああ、頼んだ」

「それと、沙耶香たちが鎌倉に向かった。何か心当たりはないか」

 紫は首を振ったが、イチキシマヒメはわかるとつぶやいた。

「本当か?」

「ワレの最初の形態、あれは人への失望と怨念の権化だったが、同時に人の怨念もこもっていた。必ず多くの人間を殺す。そのために、あそこからさらに大きくなろうと、ノロを欲した。そのノロが地の底に封じられた場所が一つある」

「そうだったのか、江ノ島を選んだのは」

 紫の俯いた顔から目線を外し、薫は大きくため息をついた。

「江ノ島の地下のノロが目的か、今は夜見たちに任せるしかねぇ。紫様、頼んだ」

「ああ、わかっている」

 イチキシマヒメを連れ、その場を遠く離れていくのを見守り、歩んでくる荒魂の大群に体を向け、山鳥毛を抜き払った。

「薫さん、一人では無謀でしてよ」

 寿々花と真希が薫の隣に並んだ。

「タギツヒメが隙を狙っているなら、隠れ蓑を一匹でも多く斬り祓うのが僕たちの仕事だ」

「おう、作戦通りに」

 三人は構え、そして飛び込んでいった。

 

 時を同じくした鎌倉、特祭隊本部。

 司令室に殴り込んできた『悪党』は、本部長である紗南を人質に取り、施設を占拠した。

 彼女を取り押さえる舞衣は、荒魂の討伐任務を続行させた。

「柳瀬、乗っ取りか機能不全を狙うなら、まずは任務を停止させるのも手だろうに」

 寂しげな舞衣は黙って首を横に振った。

「私たちは決して特祭隊を乗っ取る気はありません。もう、沙耶香ちゃんに決着をつけさせてもいいと思いまして」

「決着?」

「おねえちゃんとしては、もっと沙耶香ちゃんのわがままに応えたいのですが、このままだと沙耶香ちゃんのためにならない。だから、一人で行かせました」

 背を向けてモニターを見つめる雪那へ、構わないかと尋ねた。

「ええ、全ての責任は私がとります」

「雪那!それで、それで啓介さんと、美香が良いと言うのか!」

「勿論、いいはずがない。でも、私は沙耶香に深い傷を植え付けた。荒魂でも人でもない存在にしてしまった。だから、あの子が願う全てを叶えるのが私の精一杯の『贖罪』よ」

「雪那」

 

 江ノ島の弁天橋を歩む沙耶香の後ろに、結芽の姿があった。

 吹き付ける風の向こう側には、青く聳える富士山の姿も見えた。

「結芽、あなたは好きにしていいんだよ」

「そうだね。だからここにいるよ。沙耶香ちゃんのすることを、最後まで見守るために」

「そう、ならいい」

 鼻息を鳴らして、沙耶香の隣に並んだ。

「沙耶香ちゃんの自分に正直なところ、好きだよ」

「結芽。わたしは世界がなくなってもいいと思っている。だから、全て壊すかも」

「いいんじゃない?」

 少し怪訝そうにする沙耶香に、結芽は嬉しそうに言葉を続けた。

「結芽のパパとママは、ずっーと病気と戦っていた結芽をほったらかしてケンカしてたんだよ!ほんっと、ひどいんだから!だからさ、一度くらいはひどいめにあっちゃえーって!」

 だが、首を傾げて困った表情を見せた。

「壊してほしくない?」

 沙耶香はふと、そう尋ねていた。

「どうなんだろう。でもさ、世界が壊れなかったら、パパとママに会いにいく。たとえ、ぞんざいにされても、結芽の気持ちをちゃんと伝える。また一緒に帰ろうって」

 うらやましい。

 でも、本当はそうすることができる。

 今すぐ踵を返して、高津先生にもうやめようと、そう言えば、三人の夢は終わる。

 先生とおねえちゃんと、わたしが『希望』になる夢。

そして、夢をやめて、みんなの中の一人になれる。それを舞衣が、可奈美が、みんなが教えてくれた。

(あの日、お姉ちゃんを斬った。救える希望を、幼さにかまけて振り捨てた)

 だから、前に進む。

(私は完成された者。その使命を成し遂げれば、お姉ちゃんにもきっと会える)

 失敗は許されない。必ず全ての荒魂を滅する。

「そう、だったら私は戻らない。始めたからには、変えられない」

 沙耶香は御刀を抜き払った。その抜き身は、妙法村正ではなかった。

 歌仙兼定。あの日から蓋をしてきた、最初の御刀。

「はじめよう。私が平穏の礎になるために」

 写シを張ると、全身が白と黒の装束に包まれ、白い顔には琥珀色の目が輝いた。赤く輝く両角が結芽の表情を曇らせた。

 八幡力で地面を跳ねると、長く続く参道の先にある鳥居の前へと降り立った。

「これだけ近ければ、境界を通して地下のノロを引き出せる」

 鳥居の前に手をかざすと、透明な波が何度も起きては繰り返し、何かを掴むと大きく引き上げた。その瞬間、江ノ島の周りの沖からノロが沸き立ち、空へ向かって伸びていった。

 結芽の脇を、逃げ惑う人々が一斉に弁天橋を駆けていく。

 人々にはそれがわかった。

 

 災厄は起こった。

 それが最後であるかを、別として

 



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しばしそらにいのりて!

 日の丸をつけたオスプレイ輸送機が、轟音を轟かせながら東京湾を通過し、相模湾へと差し掛かる。調査隊、葉菜、早苗、そして夜見が乗り込んでいる。

「三佐!」

「おうよ!あと十分で着く!腰越海岸に強行着陸するから、しっかり捕まってろよ!」

「え!また無茶するの」

 青ざめる美炎の顔を見て、智恵が必死に宥めた。

「あれを!」

 清香とミルヤが同時に声を上げると、窓の向こうには江ノ島の上空を漂う、黒と琥珀の巨大な塊が見えた。それは、すでに島の傘になるように、海にも暗い影を落としている。

「なんて規模だ。これをどう鎮めるってんだ」

 呼吹が苦々しく言うと、ミルヤは夜見に向き直った。

「皐月夜見、あなたには秘策があるのですね」

 夜見は深く頷き、一同は互いに顔を突き合わせた。

「銀糸の力は、人と珠鋼とノロを結べるのと同時に、解くこともできます。あの塊を統べる沙耶香さんからノロとの関係を解き、ノロを江ノ島地下に再封印します。ただし、あらゆる障害を排して沙耶香さんの元に無傷で辿り着きたいのです。あとは沙耶香さんを抑えるなり、説得するなりします!」

「了解した。調査隊は全力であなたを糸見沙耶香の元へ送ります」

「任せて夜見!コヒメも葉菜も無事だった。なら、糸見さんにも元気で帰ってきて欲しいから」

 美炎のやさしさに、清香も同じ思いを口にした。

「うん!まだ糸見さんとは話し足りないもん」

 智恵は頷き、全員の顔をみやった。

「そうね、私たちならできるわ」

 由依は真剣な顔で夜見に向き合った。

「沙耶香ちゃんをお願い」

 葉菜はその言葉に頷いた。

「僕からもお願いしたい。沙耶香くんは大事な友達だから」

「はい。必ず連れて帰ってきます」

 呼吹はだるそうに、天井を見上げた。

「んぁー、荒魂ちゃんいないのはやる気しない」

 それを聞くと、紅馬は呼吹に端末を投げやった。

「あれだけのノロだ。木端の荒魂が、巨大化したくて集まってきてるぜ」

 目を輝かせた呼吹は、一変して元気に腕を振り上げた。

「よっしゃ!あたしの荒魂ちゃんがたーんと!うれしいぜ!」

「呼吹ちゃんはこうでなくっちゃね」

 早苗は終始端末を動かしながら、荒魂の集合状況からルートの策定を急いでいる。

「早苗」

「うん」

「戻ってきたら、おいしい紅茶のお店行かない?」

 顔を突き合わせると、お互いに笑い合った。

「デートのお誘い?」

「そう!たまには二人で」

「いいよ!もちろんお茶菓子の美味しいお店でもあるところをね」

「もちろん!早苗の口に適うお店を選ぶよ」

「わかった!楽しみにしてるね!」

 輝は感慨深そうに二人の会話を聞いていた。

「夜見。あんたさ、紫様から離れた日、一人ぼっちに見えたんだよ。のこのこタギツヒメとの争乱に現れてさ、おまけに能力不足で、今更なにしに来たんだって」

「ひどい!そんなふうに思ってたんですか」

 夜見に向けられた眼差しは、いつものおちゃらけた感じではない。大人の顔だった。

「今はあんたに背中を預けたい。任せたよ」

「はいっ!皐月夜見!全力を尽くします!」

 紅馬が急降下を始めると言うと、全員御刀を抜いて、写シを発動し、座席に張り巡らされた手綱を握った。

 強引に機首を上げて機速を落とし、着陸脚を出すと、計器からありとあらゆる警告音が轟いた。

「後部ハッチ解放!お前らぜってぇ負けるんじゃねぇぞ」

 プロペラが砂浜を叩き、そして脚を降りながら大地を引き裂くように斜めに着陸した。

「行くぞ!」

 ミルヤの号令と同時に、彼女達は江ノ島を目指して飛び出した。

 紅馬の言う通り、海を恐れて砂浜に立ち往生する荒魂が溢れている。

「みなさん!住民の本部への避難は完了しています!応援も来ます!思う存分、暴れてください!」

 早苗のその言葉に、呼吹はニヤリと笑って一体の荒魂を切り裂き倒した。

「さぁ、来い来い来い!荒魂ちゃんたち!愛してるぜ!」

 呼吹に向かって荒魂が集まるのを見て、ミルヤは清香と早苗に共に荒魂を海岸に引きつけるよう指示した。

「美炎ちゃん、行ける?」

「うん!この先は任せて」

 智恵は踵を返し、三人の元に走った。

「ミルヤ!」

「許可する!」

「ありがとう!」

 弁天橋で互いにぶつかり合う荒魂を通り過ぎざまに切りながら、その隙間をひたすら抜けていく。早苗の準備した迂回ルートを登っていく。

 だが、飛行型も上空を埋め、進む先を角鹿型が他の荒魂を薙ぎ倒しながら待ち構えている。

「こうも島を埋め尽くされると前へ進めない」

「ダメだ。この先も強い荒魂が待ち構えている!消耗戦になる」

 建物の影に隠れている五人の前に四人の刀使が、その角鹿を見事な連携で斬り伏せた。

「五人で足りないか?なら。力を貸すぜ夜見!」

「暁!」

「まだ、優稀ちゃんを助けてくださったお礼をしていませんから」

「麻琴さん!優稀さんも!」

「夜見ねーさまのために、魂依布を持ってきたらこれですよ」

 優稀は背負っていた重々しいケースを五人の前に出した。

「でも、なぜここに」

 暁は小さな荒魂を切り払う弘名を指さした。

「必要がなくなればなーと、結芽さんにも協力していただいたのですが、説得に失敗して」

「最悪は、沙耶香を切ろうとな、でも」

 九人が空を見上げると、空を赤く染めるノロの輝きが未だ肥大化し続けていた。

「これは、ただ切るだけでは無理ですね。手がありません」

 弘名の諦めた声色とは対照的に、ミルヤはハキハキと声を張った。

「でも、九人いれば、二手で片方を陽動に使える」

「さすがは調査隊の隊長さんだ!さぁ!その前に、美炎と夜見はお色直しと洒落込むぞ!」

 白と金で彩られた巫女服は白銀の輝きを瞬かせ、夜見には黄金の額当てが装着された。

「暁、これって」

「おう!『祭祀礼装・禊』正式には『魂依布』だ!最初の量産品二着を受け取ってくれ!」

「額当ては、『魂依』の技術を応用した、珠鋼とノロの混合液を通わす防具。絶対にあなたをまもってくれます」

「ありがとう暁、麻琴さん!」

 暁は三つの包みに入ったチョコ菓子を夜見に手渡した。

「あとで食べるのに持っていてくれ、つまみ食いしたら許さないぞ!」

「はい、はい」

 夜見、暁、由依、葉菜と美炎、麻琴、ミルヤ、優稀、弘名の、二班に別れ島の左右から上へと向かい始める。

「いくよカナヤマヒメ!神居!」 

 大きな炎が舞い上がり、それを浴びた荒魂がことごとく消し飛んだ。

 飛び火で火傷した荒魂が飛び込み、それに釣られて続々と荒魂が集まってくる。

「安桜!お前が最先鋒だ!」

「はいっ!この魂依布、なんて力なの!」

 切り払いながら、麻琴は笑顔を見せた。

「それは、あなたのポテンシャルの高さから来るもの、そしてカナヤマヒメの力を制御しえる愛宕の血脈がなせること、魂依布はそれらの力を底支えしているだけ」

「でも、これなら、負けない!」

「はいー、効率よく処理しましょう」

「弘名さん、そればっかぁ〜!」

 優稀も悪態をつきながら、弘名の作った突破口に滑り込んで荒魂を切り払う。

 美炎班は、ミルヤの卓越した指揮でバラバラの連携をまとめ、陽動の仕事を十二分以上に果たしていた。

 

 別働の夜見たちは、暁を先頭に次々と荒魂を切っていく。

 一対一なら無敗の喧嘩剣法の突き上げるような一撃が荒魂を人たちで薙ぎ払い、その後ろから切り漏れた荒魂を由依と葉菜が叩き祓う。夜見は三人の気迫に勇気づけられ、先へと進む。

 だが、目の前に九つの尻尾を揺らめかせる狐型の荒魂が立ち塞がった。

「げぇーっ!よりにもよって天狐かよ」

「しょうがないよ番長!」

「やるしかないんだ!僕らはここで止まれない!」

 三人が飛び込むが、天狐の死角のない毒の放射と尻尾による物理攻撃が、三人の攻撃を許さない。

「私も」

「だぁーめ!」

 夜見を押し留める小さな手が、誰であるかを思い出させた。

「夜見おねーさんは大事な役目があるでしょ」

 その飛び込んだ黒い閃光は天狐の攻撃をことごとくいなし、あっという間に尻尾の一本を切り落とした。

「ここは結芽にまかせて行って!」

「行くんだ夜見ぃ!いけぇーっ!」

 夜見は怯んだ天狐の脇を迅移で抜け、島の最上部へ駆けて行った。

 四人は天狐に再び切先を構えた。

「葉菜おねーさん、ごめん。結芽じゃ沙耶香ちゃんを止められなかった」

「大丈夫ですよ。きっと思いは届いたはずです。あとは、ちょっとお灸を据えるだけです」

「そうだよ結芽ちゃん!沙耶香ちゃんは素直で優しいところがかわいいんだから」

 三人の沙耶香への優しさに、大平での夜見との再開の日を思い重ねた。

「よっし、ほんじゃ、気張っていくぞ!」

 三人は暁の発破に応え、飛びかかっていった。

 



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にわし・きんぐ!

 サミュエル・コッキング苑に聳えるシーキャンドル、沙耶香はその上に立ちながら、上空に集まるノロを少しずつ吸収していく。

 だが、飛び込んできた白い一閃がノロとの導路を切り離した。

 振り向くと、黄金の額当てをつけた。目新しい巫女服の刀使が二刀を手に立っていた。

「あなたは」

「沙耶香さん、もうやめましょう」

 ふわりと降り立った沙耶香の目は、琥珀の輝きを放っていた。

「言葉はいらない。邪魔をしたからには、斬るか斬られるかだけ」

「ええ、それが終わったら帰りましょう。みんなのもとに」

 お互いの間合いを見計らい、少しずつ距離を狭める。

 沙耶香が迅移を組み合わせて飛び込んできた。右の蕨手刀を器用に動かしながら、沙耶香の必殺の切り落としを尽くいなし、隙あらば何度も薙ぐように刃を走らせた。

 互いに必中を狙い、それを先読みしてさらに必中の太刀を遠ざける。

 夜見は不用意に迅移や八幡力を使わず、魂依布による基礎身体能力の底上げのみで戦う。

 無念無双は、三段階相当の迅移などの恩恵とともに、一番に主だったのは相手の写シに備わる能力の有効範囲から、認識を外させる効果があった。だが、可奈美や姫和はそれを見抜き、圧倒した。それは、常に写シに頼り切らない剣の腕と洞察力という、無念無双ではなく沙耶香の未熟な剣という死角に滑り込むものだった。

 だが、反対に沙耶香は写シのそれら能力を用いて攻めかかる。

(なら、その都度に発動すればいい!)

 金剛身を発動し、わずかに振り落とされた剣を耐え、すぐに迅移で回り込みに対応し、八幡力で押しのけ、左上段からの兼光の一閃を叩きつける。沙耶香の右角が切り落とされ、思わず飛びのいてしまった。

(この能力の切り替えスピード、無念無双で惑わせられない)

 夜見はようやく沙耶香の土俵に立てた。

 だが、それは彼女の戦い方を、能力などの情報を集めて組んだ戦術である。彼女が剣の天才であることは理解しているが、可奈美が沙耶香は能力に溺れていると看破した故に、今こうして互角の勝負ができている。際どい、賭けに近い戦いでもあった。

「スクナビコさん」

〔いいよ、君の好きなように組んでみな〕

 沙耶香に攻めかかりながら、少しずつ夜見の戦術意図に気付いて、速度とパワーを上げ始めた。

(出せばいい!三段階迅移!)

(くそっ!あと少し!)

 熱くなった頭がすっと青ざめた。自身の意図にかかわらず、こうして突然に冷静さを取り戻す自分の体質に夜見は感謝した。

 何度も攻めかかり、剣を弾かれながら、両剣が地面を舐めた。

 息を全て吐き切ると、少しずつ息を吸い込みながら迅移の段階を上げていく。

 無表情の夜見に対して、沙耶香は引き攣った笑みを浮かべた。

(来た!)

 沙耶香は三段階目に互いに入ったことを確信すると、無念無双の七色の残像が夜見の動きを惑わし、縦横無尽の斬り付けが何度も夜見に叩きつけられる。

 写シが剥がれ、石畳の上を転げ落ちた。額当ては砕け散り、魂依布には無数の傷が焼け跡のようについていた。

 沙耶香は笑みを崩さず、太刀を振り上げてゆっくりと夜見に近寄った。

(斬れっ!斬れっ!斬れっ!斬れっ!)

 内からの声に視界も、意識も沙耶香は奪われていた。

「…可能性をひとつ、摘みとりて、ほころびを繕え。我は世紡糸を君がために奉る!」

 地面から銀糸が一斉に走り、沙耶香を中心に編み上がると、八角形を組み合わせた幾何学文様が彼女を包み込む。夜見が糸を引くと、それが沙耶香に向かって一つになるように結ばれ、それは一つの糸玉となって沙耶香の頭上に打ち上げられた。

 沙耶香の体は赤みを取り戻し、その目から琥珀の輝きは失せていた。

 力を失って膝から崩れ落ちた沙耶香は、夜見をまっすぐ睨んだ。

「何をしたの」

「はぁ、はぁ、あなたからっ、無念無双をっ、奪った!」

 立ち上がった沙耶香は、写シを張り、御刀を構えた。

「なら、あなたを倒して、おねえちゃんを返してもらう!」

 夜見も体を起こし、二刀を構えて写シを張った。

「もう、おねえさんから離れても」

「戻らない過去の記憶はまるで他人の思い出だった。でも、おねえちゃんのくれた思い出は、本物の私の思い出!私はおねえちゃんとの誓いを守るために斬って、お姉ちゃんのもう一つの体になろうとした。でも、まだ何も応えてくれない!私はただおねえちゃんの声が聞きたかったの」

 攻めかかってきた沙耶香の剣は、強情な押し込みを繰り返すが、芯の通った性格無比な剣筋である。

 二刀の不規則なカウンターを、一太刀で何度も弾き返される。

 沙耶香はまだ成長している。

 夜見は彼女が羨ましく思えた。そして、その背中を支えなくてはいけないことも理解した。

(なら、負けられません!)

 二天一流の先を読んで打つ剣、夜見の終わりのない連続する攻撃が、無念無双の剥がれた沙耶香を消耗させていく。そして、余裕を失い蕨手刀を落とし払った。そこに、兼光の突きが喉元に走り、写シを切り払った。

「終わった」

 膝を崩し、歌仙兼定が地面を転がった。

「沙耶香さん、もう、十分ですか?」

 顔を上げた沙耶香は、穏やかな笑顔で静かに頷いた。

夜見は写シを解き、二刀を鞘に収めた。

「ごめんね、美香おねえちゃん。夢は、ここにおいていくね」

【ふざけるな!】

 芯から響く声は、夜見が封じたノロの塊から発していた。

【おまえは、私のはずなのに、この身にいる姉を捨てると言うのか!許さない!お前ごと、この世界を引き裂いてやる!】

 その声は沙耶香の声だった。だが、その怒気のこもった声は、体を竦ませる沙耶香のものとは別に感じられた。

糸玉は弾け飛び、そのノロの塊から二つの目がぎょろりと姿を見せた。

【これだけの荒魂と、無念無双の無限の吸収能力があれば、現世と隠世は】

「その境界が弾ける」

 自身の先ほどま考えていたことが、目の前の自分だった者によって現実にされていく。

 空を覆う塊に飛び込んだ沙耶香のノロは、一つとなり、やがて小さな球体へと急激に収縮する。

「沙耶香さん!危ない!」

 夜見が沙耶香を抱えて推し倒れた途端、その球体は弾けて空と大地を一直線に切った。

江ノ島は真っ二つになり、空には真っ黒な切れ目が現れ、その中を赤い輝きが駆け抜けている。

「ああ!ああ!わ、私は」

「落ち着いてください!」

 沙耶香はその光景を見たくなかった。だが、それはその現実に直面して、初めて自覚した。

「わたし、取り返しのつかないことを」

 袂で泣く沙耶香の頭をそっと撫でて、顔を上げた彼女に笑顔を見せた。

「なんで、なんで!世界が崩壊するかもしれないのに!」

「大丈夫!そのための切り札は残っています」

 立ち上がった夜見は、兼光の鞘から小柄を抜き払った。

 進み出ると、その体を何十、何百、何千もの銀糸が走り、漂う。

 夜見の頭上に光輪を背負うスクナビコが、自身も背丈ほどの針を構えた。

〔さぁ夜見!ここが正念場だよ!〕

「はい!ようやくわかりました、私はこのために、糸を、人を、珠鋼を、ノロを、荒魂を、自身を紙縒り、編み、結んできたんだ!」

 八角形の文様が錘状の形を成し、その錐体はさらに八角形の幾何学的な構造体を組み上げていく。スクナビコが裂け目へ飛んで、銀糸を裂け目に通し、そこへも錐体の複雑な構造体を繋ぎ合わせていく。

 その錐体の向こうに、あらゆる世界の、多くの時間の光景が、感情が、記憶が、生命の姿が流れていく。沙耶香は立ち尽くしながら、その中から出てきた一人の人影が目の前に降り立ったのに気付いた。その光は沙耶香をそっと抱いた。

「おねえちゃん!ずっと、ずっとそばにいてくれていたんだね!」

「沙耶香ちゃん、私を愛してくれてありがとうね」

 あの時と変わらない笑顔を浮かべ美香は、再び糸の流れの中に戻っていく。

 沙耶香は泣いた、望まぬ形で願いが叶ってしまったことに、嬉しさが込み上げてきた。そして、舞衣や可奈美、姫和、薫、エレン、そして雪那の顔が浮かんだ。今は一つのことを願った、またみんなに会いたいと、心から願った。

 

 夜見は傷口を結び始めた。錐体の構造体たちは、大きな口をゆっくりと閉じ、塞いでいく。

 だが、傷口が閉じる速度が一気に落ちた。

「スクナビコさん、これは」

〔ああ!思ったよりも深い!この世界の基底にまで傷がついている。隠世の外までいかないとダメだ〕

「行きます!」

〔すまない。本当にすまない!僕は先に糸を張り巡らす!君は写シで縫合糸を登ってきてくれ!〕

「わかりました!」

 糸から手を離すと、後ろにいた沙耶香の前に立った。

 息を切らしているが、夜見はいたって穏やかな笑顔を浮かべた。

「沙耶香さん、私はこれから現世と隠世を分つ壁の基底を修復してきます。いつか、帰ってきます。必ず」

「そんな、隠世の向こう側は時間の流れが違うって聞くよ!生きている内に会えないかもしれないんだよ」

「そうなっても、必ず帰ってきます。沙耶香さん、私の代わりにみんなとタギツヒメと戦ってくださいませんか?タギツヒメは本体を隠世から下ろすことを、諦めていないはずですから」

 沙耶香は袖で涙を拭い、大きく頷いた。

「わかったよ!みんなと一緒に、立ち向かうよ!」

「ありがとう。そして、行ってきます」

 写シを発動すると、糸の構造物を辿って、スクナビコの飛び込んだ空間の切れ目へ飛び込んだ。

 

 夜見がその中に入ってからしばらくすると、傷口が完全に塞がり、真っ青な空が鎌倉と江ノ島の上空を覆っていた。

 

 その後、本部と悪党の刀使たちによって、残っていた荒魂は掃討された。

 決死の戦いに飛び込んだ自衛隊員二人と十四人の刀使は、一人の行方不明と十五人の無事が確認された。

 江ノ島を割く5メートル底の溝という傷が数時間の出来事の記憶をとどめていた。

 



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最終回 燈火結いて

 波がさざめく、寄せては返すを繰り返して、水面は照り輝く。

 

 目を覚ますと、そこは糸の構造物の中だった。

 構造物は砂がすぐに見える、浅く遥かに広がる湖か海とも判別し難い世界に、先の先までに張り巡らされていた。見上げると、薄曇りのようなものが見えるが、空の先が見えない。

 夜見はその現実感のない景色を知っていた。

「ここは、隠世の外側。世界の出口」

 夢の中で見た、別の世界の私が辿り着き、そして絶望の末に自殺した場所。

「いいや、ここは外の世界につながる前庭でしかない。本当の外は、あの空を抜けた先にある」

 スクナビコがまた小柄を筋斗雲がわりにして、夜見の前に姿を表した。

「夜見、君はさっきまで何をしていたんだ」

「ええと、隠世の外側にまで、あの破裂の傷が走って、このままだとすぐに傷口が開くと睨んで、さらに構造体を構築して結んでいたら、その糸たちに吹き飛ばされて、いつのまにか」

「そうだね、君は眠っていた。でも、こうして結び糸は正常に機能した。なるほど、緻密で隙のない仕事、母様方が君を選んだわけだ」

 キョトンとしていた夜見が、母方とは誰かとつい尋ねていた。

「それは、どなた様なのですか」

「あと少しで来るよ、そうしたら改めて紹介するよ。それと、ラルマニ、ここならもう夜見を傷つける人はいないよ、幸い、夜見くんは現世での親愛の思いで編まれた服を着ている」

 夜見に重なっていたように、白い輝きが離れ、それはラルマニの姿になった。

「そうか、もう私が守る必要もないのだな。良い友をもった」

 スクナビコの言った『母方』の来訪まで、三人は時間を持て余した。

「そうだ」

 暁の手渡してくれたチョコ菓子を取り出した。

「食べましょう。他にすることもありませんし」

「いいねぇ!僕もそういう気分だったんだ!」

 手渡された包装を、ラルマニはまじまじと見つめた。

「これがチョコを包むもの、この中に夢にまで見たチョコが」

「え?ああ!そうでした」

「私は見ているだけで、チョコを食べたことがない。ずっと、食べてみたかったのだ」

 顔を赤らめるラルマニが、ひどく愛らしく見えて夜見は小さく笑い出した。

 ラルマニは苦戦しながら封を開け、落ちそうになるチョコボールの粒を掴み、満を辞してその一粒を口に入れた。今まで見たことのない笑顔になって、おいしいとすぐに言葉が出た。

「よかった、お口に合って」

「ああ!夜見よ!私は毎日チョコが食べたい気分だ!」

「気が早いですよ」

 

 菓子を食べ終えてから少しすると、糸の構造体を避けて、水面の上を歩む二つの人影が見えた。

「いらっしゃった」

 夜見は目を丸くして、その人影の名を読んでいた。

「可奈美さんに、姫和さん?」

 二人は飛び上がって、構造体の上にいる夜見たちの前に降り立った。

 その姿は人ではあるが、巫女服や現代的でない古の衣装が散りばめられた大きな衣服を纏っていた。その腰には二人とも刀を帯びていた。

 歩み出してきた可奈美は、あの闊達さはなく上品で落ち着いていた。

「この世界の夜見さんですね。私は何度もお会いしているのですが、あなたとははじめてですね」

「ええ、ええ、でも」

「わかる。知り合いの顔がいると、別の世界の人間だとは思えないからな、だが、私たちは少し違う。私たちは八つの世界の私たち自身のカケラを集めた存在だ」

「八つの世界の集合体?」

 姫和の言葉に可奈美が言葉を繋いだ。

「私たちは、ある世界から、ある役目を果たすために、シン化を果たした。記憶や心は一つの世界が規定になっているけれど、それぞれの世界の私自身と繋がることで、ホムスビ神としての形を得ているの」

「なら、元は一つの世界の一個人、だから」

「ああ、懐かしさを感じたが、頭では別人と判断しなくてはならない。今のお前と同じだ」

 姫和の口調は何一つ変わっていない。だが、あの厳しさに包まれた雰囲気は目の前にはない。

「そっか、思い出した」

 可奈美と姫和は互いを見て頷いた。

「なら、話は早いね。私はあなたにふたつのお願いをしにきたの」

「二つ、ですか。どんなことですか、ここでできることはたかが知れています」

「大丈夫、夜見が今までを結んできたもので、十分に力となれる」

 二人は道となる銀糸の構造体を編んでほしいとのことだった。人の手が介在した者でなくては、隠世から現世へアクセスできないのだと言う。そして、もう一つはともに『舟』に乗って、使命を果たしてほしいというものだった。

「その使命ってなんですか」

 それを姫和が語り出した。

「この世界、そしてもう七つと合わせた、八つの世界で生命の魂は循環している。その循環と八つの世界間を規定する世界の骨格がある。内包する数は違えど、そうした複数個の循環を持つ世界体が何百、何千と存在する。それを、こちらでも外宇宙と呼んでいる。そして、一個一個を基底し、骨組みを成すのが珠鋼だ。今私たちが立っているのも、珠鋼の形作った外殻の上だ」

 夜見とラルマニは改めて世界を見渡した。

 この静寂の海が全て珠鋼の上の存在とは信じられなかった。

「私たちの『刀使』の基本たる、写シは、この世界そのものの珠鋼が必要に応じて関係を結び、自身の負の感情や、願望を人間に救ってもらっているんだ。珠鋼も、生きている。さまざまな生命の中で、ほんのちょっとずつな」

「でも、使命なら現世でも」

 可奈美は首を振って、話を繋いだ。

「ううん、相手はノロじゃないの、この外宇宙にいつからか、全てを絶対の一にしようとする存在が現れた。私たちはそれを『変無』と呼んでいる。あらゆる世界の、あらゆる生命の循環の多様性も、全て否定して一つの人格、一つの世界感にしようと、今この時も外宇宙に存在する世界体を喰らい尽くそうとしている」

「じゃあ、二人は」

「そうだよ。『変無』と対話し、止めるのが使命。まだ一個であるうちに、数多の世界体の一つに戻してあげる。現世にいた時と何も変わらないよ」

 夜見は、確かにそれらが現実に存在し、しかし、穏やかにすごせばでは感知し得ないことが広がっている。

「なぜ、私なのですか」

 可奈美は、そういうところ、と答えた。

「夜見さんは優しさを相手へ振り向けるのが不器用に見える。でも、それは伝えるよりも先に、あなたがそれに応えたいと行動することで、結果として空振りしている。そういうストイックさが、糸を編むときの一心不乱な集中力を実現し得なかった。たとえ、困難な状況でも、その思いを失わない強さが、この銀糸には必要だった」

「そうだよ母様!僕に銀糸を押し付けてさ、本来の僕は道を探し当てるのが仕事なのに、おかげで大仕事だったよ」

 ぶっきらぼうにするスクナビコの頭を可奈美は優しく撫でた。

「ありがとう、ここまでご苦労様でした。でも母様は恥ずかしいよ」

「へへへ、小さな荒魂だった僕に大事な仕事をくれた。こうして、夜見やラルマニたちに合わせてくれた、話させてくれた。こんな僕に返させてくれた人を『母』と呼ばせておくれよ」

「スクナビコさん、荒魂だったんですか」

「うん、二人の世界で長らく柊家のスペクトラム計にある小さな、小さなノロだったんだ。ラルマニと同じでさ、ずっと姫和を見つめ続けて、そして可奈美たちを知った。二人がタギツヒメを封印した時、隠世に飛ばされたんだけど僕が力を振り絞って二人を現世に導いた。僕はそのまま現世の大地に順化しようとした。でも、二人は僕に力を貸してほしいと言ったんだ。応えないわけがないよ!」

「お前には世話になりっぱなしだな」

 スクナビコはくるくる姫和の周りをまわった。

「姫和に言われると恥ずかしい」

「なんだとぉスクナビコ。人がいたずらっ子を珍しく褒めようとしたら」

「ふふ、あははは!ごめんって、ごめん!」

 スクナビコの子供のような笑顔に、夜見は思わず絆されていた。

 可奈美と姫和は改めて向き直った。

「聞かせて、私たちと来てくれないかな?」

 目線を外し、小さく息を吸った。

 これだけ重大なことを知り、このまま二人と世界の外へ向かう道もある。それはとても魅力的だ。刀使となった自分を誇り、守り、そんな自分を守ってくれていた生命や世界のために、向こう側で戦う道がある。縁と縁が、自分と相手とが、紡いできたここまでの道を、ふと振り返った。

 暁、早苗、結芽、美炎、紫先生、みんなの姿が頭に浮かんだ。

 そして、まだ現世には困難な事態が数多にあることを思い出した。『変無』と対話しようと試みるほどの困難が待っている。私のすべきことはまだあそこにある。

 夜見の思いは決し、二人に向き直った。

「私は共には行けません。私はまだあの世界で人と荒魂、互いの関係の難しさに真っ向から立ち向かわなくてはいけない。それに、あそこで戦う友の隣にいるのが、私の使命ですから」

 晴れやかな夜見に、もう何を言っても無駄だと二人は悟った。

「うん!わかった」

「なれば、私が代わりに行こう」

 ラルマニは夜見の顔を見ながら、三人の間に立った。

「夜見は、天寿を果たして、世界と共に悩み、泣き、そして大いに笑え。私はお前たちを守るために外へと行こう。それが、村国娘、いいやヒメとの同じ時間を過ごせなかった私だからこその選択だ」

 ラルマニも存外に頑固である。こう言い出すと、もう止められない。

「わかったよラルマニさん、私は現世で戦うよ」

 と、スクナビコがふわりと降りてきて、小柄を夜見に手渡した。

「じゃあ、もう一つのお願いはできるね?」

 『道標』を作ること、それに夜見は異論はなかった。

 夜見は構造体に腰掛けると、蕨手刀と兼光を湖の底に突き立て、幾重もの銀糸を引き出すと、今までのように形を編み始めた。そして、六葉の文様を組み合わせた錐体を構築する。

「一度だけ教えてくれた、隠世から現世への道標の編み方でいいんですね」

「いいよ!夜見なら大丈夫」

 二刀の柄を起点に、形を縮小させていき、小柄の刃で余分な糸を切り落とすと、手のひらサイズほどの錐体の編み物ができあがった。

 それを、二人へと手渡した。

「ありがとう夜見さん」

「これで、私たちは元の場所へ帰ることができる」

「はいっ!みなさん、私をここまで連れてきてくれて、ありがとうございます!」

 ラルマニは首をふりながら、夜見の肩に手を置いた。

「違うぞ夜見、お前が願い、叶えるために諦めなかったその思いが、私たちを結びつけたんだ。夜見や、新たに出会う生命とこれから死にゆく生命と、ただ健やかであれ」

 夜見を抱きしめると、彼女の目には涙が流れ落ちていた。

「ありがとう夜見、私に出会ってくれて」

「うん、ラルマニ、ありがとう」

  

 旅立ちのときが来た。

 スクナビコはありったけの銀糸を束にして、夜見に渡した。

「僕と君の糸は切れる。でも、君なら向こうに戻るための道標を編める。それと、途中で道標をもう一個置いていってくれ」

「はい、こっちの世界の可奈美さんと姫和さんを導くためのですね」

「ああ、頼んだよ。またいつか会おう!どんな形であっても、ぼくたちはまた巡り会える」

「はい、さようなら。また会える日まで」

 四人が飛び上がると、空の中から十数隻の巨大な「船」が姿を表した。

 船が飛び込んでできた切れ目から、向こう側に広がる外宇宙と、それを飲み込む鈍色輝きが遥か向こうに見えた。

「さようなら!行ってきます!」

 可奈美たちの乗り込んだ場所に人々が集まってきた。

「あ、結芽さん、真希さん、寿々花さん、エレンさんに薫さん、美炎さんに、もしかしてカナヤマヒメ?タギツヒメとあれは紫先生?」

 彼女たちは夜見へと手を振った。

 船は上昇し始め、先頭から鈍色の輝きに向かって飛び込んでいく。

 夜見はひたすら大きく手を振った、空の切れ目が閉じるまでずっと手を振り続けた。

 

 

 

 

 

 季節は春を迎えた。

 角館を訪れていた早苗は、満開の桜が包む武家屋敷を見て回っていた。

 夜見が行方不明になって、もう半年も過ぎていた。

 あれから、イチキシマヒメが姫和と同化し、タギツヒメの逆襲で吸収され、力を取り戻したタギツヒメは隠世から本体を隠世ごと現世に下ろそうとするが、年の瀬の日、可奈美がタギツヒメから姫和を救出に成功。

可奈美、姫和、沙耶香、舞衣、薫、エレン、そして紫がタギツヒメに挑み。さらに親衛隊と調査隊、暁と麻琴に優稀が加勢し、本体のヒルコミタマを退け、可奈美と姫和の手でタギツヒメを隠世へ押し込み、折神家の封印能力によって、隠世の門は閉じられた。

『年の瀬の大災厄』と呼ばれたそれは、可奈美と姫和の行方不明で幕を閉じた。

 

 

 

 

 

あの日から忙しなく討伐任務が続いたが、全国の刀使の活躍もあって、出現率が下がり、こうして世話になった夜見の実家を訪ねにやってきた。だが、なかなか足が向かず、こうして駅から街中へと歩いてきた。

 あの日、再開した日は花がなかった枝垂れ桜は、美しい薄紅色に輝いていた。

 そこに、背の高い、短い髪に二振りの御刀。ボロボロだが、彼女専用の祭祀礼装・禊を着ている。そのふわりと、しかし忽然と現れた人影になんども目を拭った。

 頬に平手も打った。

「夢じゃない」

 振り向いた彼女は、自身を見て驚き、すぐに泣き出しそうな笑顔に変わった。

「早苗」

 考えるよりも先に夜見へと飛び込んでいた。目の前に感じる暖かさが、本物であると感じさせた。いや、感じられた。確かに、彼女はここにいる。

「早苗、ただいま」

 泣き顔で歪んだ視界も顔も構わず、早苗は満遍の笑顔を見せた。

「おかえりなさい、夜見!」

 

 

 朝が来た。いつものように顔を洗い、化粧水で整え、シャツとスカートを着替え、髪を整えてから、白と紫のジャケットを着付けて着剣装置の金具をジャケットのソケット部に接続した。

 鏡に向かいながら、深呼吸して部屋を出た。

 まずは、事務室に向かい、今日も処理担当と会う。

「おはようございます錦織さん、兵藤さん」

「おはよう皐月さん」

「おはよーなのですー!」

 いつもの落ち着いて清楚な錦織と、元気一杯の兵藤なずなの顔を見て、笑顔を見せた。

「食堂の書類を持っていきます」

 錦織は待っていたようにノートを手渡した。

「はい、いつも早起きするのは、隊員の顔を真っ先に見るためだな」

「事務シフトはどうしても早朝からの任務ですから、無理をしていないか確認しないといけません」

「皐月さん!この通り!なずなは元気いーっぱいですから!おまかせくださーい!」

「はいっ!お願いします」

 朝食を済ませ、稽古場に行くと、そこには葉菜の姿があった。

「調査隊付きになったが、もっぱら後方支援だからね。何かあった時のために、日々剣の鍛錬はかかせないよ」

「葉菜さんには敵わないなぁ」

 二人して笑い合い、そして立ち会ってから、夜見は先に本部棟に向かった。

 本部等の親衛隊待機室は、局長室の部屋がそのまま使われている。もちろん、紫と変わらず、朱音も親衛隊と政務をとっている。

 部屋には既に、真希、寿々花、結芽、早苗、薫に沙耶香が待っていた。

「おはようございます夜見さん」

「おはようございます寿々花さん」

「来て早々ごめんなさい、一つ報告がありますの」

「日高見御老衆の件ですね」

「ええ、やはり十人中反対九票で、麻琴さんの計画変更案が否決されましたわ。これから先は内紛の可能性が高いですわ」

「日高見と縁のある美炎さんにはカナヤマヒメが共生している。早めに手を打たないといけませんね」

 紫、朱音、紗南、そして雪那が入ってきた。

 雪那は『年の瀬の災厄』で卓越した指揮能力を発揮し、その功績で罷免を免除されて鎌府と関東地区司令を任されていた。

「ふたりとも、その話は後だ。全員、横一列並べ」

 真希がそう号令をかけると、四人の指令たちに対して、夜見たちが向き合うように立った。

 それに朱音が頷くと、紗南が前に出て資料を声高に読み上げた。

「人事通達。これは、本日より有効となる。まず、特別遊撃隊隊長、益子薫」

「おう」

「ねねー!」

「特別遊撃隊副長、糸見沙耶香」

「はい!」

 一歩進み出た二人に、紗南は頷いた。

「続いて、親衛隊関西方面隊『白組』第五席兼隊長、岩倉早苗」

「はいっ!」

「同じく、『白組』第四席兼副官、燕結芽」

「はぁーい!」

 資料をめくると、夜見は思わず息を飲んだ。

「親衛隊関東方面隊および本部付き『紅組』第一席兼副官、獅童真希」

「はいっ!」

「同じく『紅組』第二席、此花寿々花」

「はいっ!」

 白と紫、そして金をあしらった新たな制服。夜見の胸には、五箇伝マークのブローチがついた飾緒が輝いている。

「そして、東西親衛隊隊長の第三席、皐月夜見」

 前へ一歩踏み出した彼女の顔は、これからの事態への緊張と、晴れやかな気持ちが混在していた。だが、目はまっすぐ前を見つめ、輝いて見えた。

「皐月夜見!謹んで拝命いたします!」

 

 

 

 

 

 

 

 これは『あの日』からをはじめた、私たちの物語。

 

 

 

 

 

 

「光紡ぐ八ツ鏡」完

 



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八ツ鏡

 

『変無』は理解し、そして多の中の自身を受け入れた。

そのために人の時間感覚では、幾千、幾万のときが流れた。

 

旅団は解散となり、船がそれぞれの世界へ共に戦ってきた友を送り届けていく。

その世界に戻れば、循環に戻り、戦いの日々の記憶は消える。

 

「かなねぇ!ひよりねぇ!またどこかでね」

 あの頃と変わらない幼さを見せ、しかし、大人らしくすぐに二人から離れて、元の世界へと戻っていく。八つの別の世界から来た結芽は、そうして循環の中に戻っていく。

 

自分たちの世界体から来てもらった友も、こうして最後に残った結芽との言葉を最後に、みな還っていった。

 

船は消え、糸を編んだ構造体の残る珠鋼の殻の湖に二人は舞い降りた。

「あの日、夜見さんにふられてから、どれだけの時が過ぎたのかな」

 スクナビコが飛んでくると、あの夜見の編んだ『道標』があった。

「循環はとうに一周しているよ。この道標があれば、あの日の、あの富士山に帰れるよ」

「本当!?」

 スクナビコが頷くのを見て、姫和はわざとらしく肩を慣らして見せた。

「まったく、お前を迎えにいくと言った日から、こんなに大変な日々を送るとは、変無には骨が折れたよ」

「でも、ちょっと寂しかっただけだったみたい。姫和ちゃんくらい意固地だったけど!」

「な!私はあんなに頑固じゃないぞ!まったく」

 困り顔にはいつものように笑顔へと変わった。

 スクナビコは別れが来たことを悟った。

「可奈美、姫和、僕はここに残って、またあぶれてしまった生命を救おうと思う。再び歩めるよう、少しづつ道標を編みながらね」

「わかった。またな、スクナビコ」

「じゃあね!また」

「ああ!また会おう!」

 

 

二人は飛び込み、道標が解き放たれると、二人を世界の八つの流れの中を方舟となって進んでいく。

「これが、私たちの世界体なんだ」

「今は八つだが、まだ成長を続けている。また新しい鏡が生まれようとしている」

「じゃあ、九ツ鏡の世界になるんだ!」

「だが、戻れば私たちの今を始めなければならない」

「うん!楽しみだね!」

そして、一つの世界に入ると、パッと世界は見開いた。

 

あの日、あの時、別れた場所にみんながいた。

 可奈美と姫和は疲れたように背を合わせて崩れた。

 

「おい!姫和!可奈美!」

 薫の今にも泣き出しそうな顔が、なぜか懐かしく思えた。

「可奈美、姫和」

 抱きついてきた沙耶香の頭を、可奈美はやさしく撫でた。

 既に泣き崩れる舞衣を、エレンは背中を撫でて慰めた。

 

 自身の名前をしっかりと言う薫に驚きながらも、姫和は可奈美と目を見合わせ、

 揃えてみんなへ向き合った。

 

 

「ただいま!」

 

 



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おまけ
らゔぁーず!


39話「ぱーとなーしっぷ」と40話「せーぶゆーせーぶみー」の間のお話です。


 どうも、鎌府女学園高等部一年生、苗場和歌子でございます。

 寿々花様のため、日夜粉骨砕身しております身ですが、こう見えても親衛隊支隊・寿々花班組長を勤めています。

班なのに組なのは、新撰組の組長にちなんで用いています。

 おかげで、あのロクに写シも使えなかった糸巻き刀使の皐月夜見や、背伸びにも程度がありますわよ安桜美炎のような、やたら色の濃い隊員の方々のせいで、支隊の業務をこなす一隊員程度で名前も出ませんでした。

でも!私は寿々花様の影となっていると思えば、これ以上の名誉はございません!

ああ!寿々花様、和歌子はどこまでもお供いたします!

 

さてはて、このお話は皐月夜見が名ばかりの休暇に入った頃に起きます、寿々花様にふりかかりし大事件でございます!

 

ああ!おいたわしや、寿々花様っ!

許すまじ、夜見!獅童!

寿々花様に何かありましたなら!魂魄百万回生まれ変わろうとも!恨み果たさせていただきますわ!

 

 

 朝、すでに食堂では朝食の配色がはじまり、食堂には任務帰りの隊員たちが眠気まなこで食事をとる。寿々花は自身に挨拶にくる隊員たちに気を遣って時間をずらそうとしたが、無理と悟って食堂へと入った。

 短い髪を柔らかくまとめた和歌子が、目の下にくまを浮かべて寿々花に挨拶に来た。

「おはようございます寿々花様!」

 彼女のこうした気が回りすぎると感じてはいるが、頼りにしているので深く詮索しないようにしていた。

「おはよう和歌子さん。あれ」

「獅童様でしたら、我々よりも先に来てから」

「なるほど、稽古へいかれたのですね」

 残念そうにため息をついてから、夜見もそうなのかと尋ねた。

 瞼が妙な動きをしているが、和歌子は静かに言葉を繋いだ。

「いえ、今朝はまだ食堂にいらしていません」

「あら、もしかして昨日の稽古が響きましたか」

「稽古ですか?ああ、紫様を交えた四人稽古ですね、あの方々相手にタフな方ですね」

「二日前に試しに夕稽古に来てもらったのは間違いでした」

「ええ、まさか現役支隊員を全滅させるなんて」

 二人は小さくため息をついて、寿々花は入り口へと踵を返した。

「夜見さんを迎えにまいりますわ」

 階段を降りて、事務所横の用務員室は支隊入隊時からの夜見が寝起きしている。本来なら親衛隊員の部屋をあてがうはずが、本人がすぐに隊員に会えるからと強い希望でこの部屋のままである。

 支隊員手作りの夜見の部屋を示す小さな看板を見つけてから、扉を3回ノックした。

 応答がない。

 ため息をついて笑顔になると、静かに扉を開けた。

「夜見さん、もう朝でございます。朝のお茶に付き合ってくださいませんと…」

 部屋中に張り巡らされた糸が複雑な錐体の構造物を作り出し、向こう側のベットに布団もかけずに眠る夜見の姿が見えた。

「これは銀糸?ここまで繊細な編み込みができるのですね。鳥喰優稀を救った『世紡糸』、まだ謎がありそうですね」

 と、扉に張っていた糸が引っ張られ、寿々花に向かって構造体が収縮し、彼女の体をあっという間に包み込んでしまった。

「きゃー!」

 ばたりと起き上がった夜見とスクナビコは目を瞬かせながら、繭になった糸の塊が扉の半分ほどの大きさまで小さくなり、ばさりと解け落ちた。

「うーん、五つ目の世界は刀使がスクールアイドルって……あれ今の声、寿々花さん?」

 糸の塊が縦横無尽に動き、籠っているが甲高い声関西なまりが喚き散らしながら、糸をかき分ける。そして、糸の中から赤髪の幼い女の子が這い出てきた。

「ぷはぁー!なんやこれ、うちはお蚕様ちゃうで!」

 廊下から駆けてきた和歌子は寿々花の名前を呼び、反射的に夜見を睨んだ。

「なんや?うちがどうしたん?」

 サイズが合わずに崩れた親衛隊の制服を着た少女が、和歌子を見上げていた。

「ふぇ?」

 

 本部棟、局長室と親衛隊執務室は同じ部屋になっている。これは、局長が朱音になってからも変わらなかった。

 変わったのは、そこに小さな寿々花がいると言うことだろう。

「あ、うん、え?」

 好奇心にそそられてキョロキョロと局長室を見回す寿々花に困惑しながら、真希は夜見の説明を飲み込めなかった。

「銀糸は、記憶と肉体を繋いだり、解いたりする力があるんです。なので、昨日編んでいた構造体が経過した時間を寿々花さんから引き剥がして、今の寿々花さんは七年を解かれて十歳に戻っているのです」

 幸いか、結芽の親衛隊制服がぴったりだったため、着るものには事欠かなかった。

 朱音も頭を抱えながら、直す手立てはないか尋ねた。すると、小柄が飛び、スクナビコが現れた。

〔治すというより、もう一度解いてしまった七年分を結び直す。その七年の時間は九字兼定くんが提供に協力してくれる。とにかく、夜見とボクとで術を編むから時間をくれ〕

「それは、どれほど」

「二日ください。いつも編んでいる術式を正反対にして編まなければならないので、時間がかかってしまうのです」

 スクナビコと夜見の言葉に安堵しつつ、京寄りのお嬢様言葉のないコテコテの関西弁を喋る寿々花を制御できるかが心配であった。

「治るならいいんだ!僕も弟と妹がいる、一人妹が増えたと思えば取るに足らないさ!」

「なぁなぁ!ウチな、鎌倉の本部初めてなんや!でもこの部屋カビ臭いわ」

「か…かびくさい」

 率先して部屋を清掃し、優しめの芳香剤で古い建物特有の匂いを減らそうと心がけていたのは夜見であった。

「それに特祭隊局長は紫様や!この人は代理やろ」

「だ、だいり、うっ」

 誰もそう言わずとも、紫からのバックアップを受けながら局長職をこなしていた朱音は、紫のスケープゴートと揶揄されているのではと気にしていた。

「あーっ!やめるんだ!やめなさいっ!とにかく、寿々花は僕が世話しますから、夜見頼んだぞ!大抵のことは、錦織、苗場と藤巻に、浜松に飛んでいる岩倉へ!それでは!」

「なんや!なんや!まだウチは紫様にあってへんねーん!」

 ばたりと扉が閉まると、夜見と朱音は大きなため息をついた。

 

「うわーん!寿々花様の業務は引き継ぎます!でも、寿々花様といっしょにいたいですぅー!」

 和歌子の嘆きをよそに、寿々花が興味のまま鎌倉を回るのをただただ、ついていくしかなかった。それほどに日頃の寿々花とは対照的だった。

(いや、ふたりでいるときは割とこんな調子だよな、それが口に出ないだけで、コストコに連れて行かれたり、コンビニで弁当選びに付き合わされたり、谷中へ路地裏散策に行ったり)

 ふとした隙に寿々花は本部入り口へと駆けていた。

「あ!待ちなさい」

 入り口に向かってくる一群の中に、その顔から曇りが取れない彼女がいた。

「ほのちゃん?」

 清香の心配そうな顔を見て、美炎はようやく自分がどんな表情をしていたのか気がついた。

「ごめん清香!大丈夫だよ、でもごめん、さっぱりってわけにはいかないよ」

「いいのですよ安桜美炎。あなたが少しでも早く救出に向かいたい気持ちを抑え、こうして慎重に打ち合わせを重ねにきたのです。気持ちは同じです」

「そうよ、私たちでお互いの負担を分け合う。葉隠の鈴本さんもコヒメちゃんが無事だって報告をくれるし、救出のために動いているのはわたしたちだけじゃないわ」

 3人の顔を見渡して、美炎は笑顔で頷いた。

「ありがとうミルヤさん、ちぃねぇ!少し落ち着いたよ!」

「そうだよみほっちに暗い顔されたまんまじゃ、メシも荒魂ちゃんの遊びもマズくてしょうがない」

「ふっきー!その言い方ひどくない!」

 調査隊を呼び止める声に全員の顔が正面に向き、そして目線を下げた。

「なぁあんたら!伍箇伝の制服バラバラに着て統一感ないわ!なんの集まりなん?」

 腰に手を当てて、大見えを張る赤髪の少女を前に薄々誰であるか気づいたが、口に出なかった。

「あれ?関西弁か?」

「違うわ呼吹ちゃん、名古屋訛りがあるから全然違うわ」

「そうなのか?正直聞き分けられねぇよ。岐阜弁と名古屋弁もそうだっけか」

 呼吹が尋ねるが、美炎が顔を真っ青にして背を正していた。

「此花寿々花様!おひさしぶりでございます!」

 直角に礼をした美炎に一同引きながら、寿々花は満遍の笑みを浮かべた。

「うん!苦しゅうないで!顔あげてな!」

「待てーっ!寿々花!」

「遅いわ真希さん、うちは一人従卒を見つけたわ!」

「彼女は従卒じゃなくて、元部下!と言っても、十歳の記憶じゃ知らないか」

 顔を上げた美炎は、真希に向かって再び頭を下げた。

「獅童さんもお久しぶりです」

「安桜、それはこっちも萎縮するからやめるんだ」

 美炎たちは寿々花の相手をしながら、ミルヤと智恵が事情を伺った。

「じゃあ、術式が組み上がるまで、十歳の此花さんを」

「そうなんだ瀬戸内、任務は組長たちに任せてあるからこうして面倒を見てるんだが、僕の弟よりもよく走る」

「もしかして兄弟が一人増えて余裕と思ったのですか?大抵の場合は、兄弟の行動パターンに慣れすぎて3人目に慣れるのに疲れるのよ」

 頭を掻きながら、思い当たる節を洗い出して小さくため息をついた。

 そこへ遅れてついてきた由依が顔を出した。

 彼女は震えながら、スマホを引き出し、カメラを構えた。

「おうらっ!」

「だめっ!」

 呼吹と清香が反射的に由依を取り押さえたが、凄まじい力で引き剥がされそうになる。

「は、はなして、おそらく十歳の、寿々花さん」

「マジかよ、一発で年齢を言い当てやがった」

 抑えられながらも、由依の両頬は高く釣り上がっていた。

「うぐぐ!と、2011年春っ…度刀使補完計画綾小路小学部っ!後援会一同を魅了した、此花寿々花!当時おそらく九歳!事情は知らぬが、おそらく二度とない!一緒に!自撮りっ!」

「あー、由依が後援会のスパイだったんだ…よりにもよって三重スパイって」

 清香、呼吹、美炎、智恵で抑えこんでから、ようやく大人しくなった。

「ぐっ、バレたか、ただ小さな女の子が好きな夜見さんを盾にした私の罰か!」

「何を悔しがっているんですか、因果応報です。これからは自重してください」

 寿々花も由依から隠れるように真希の背に回っていた。

「なんか危ない感じがするで真希ちゃん!」

「ちゃん呼び?まぁとにかく、事情は後でたっぷり聞かせてもらうぞ山城!」

 真希の背中から隠れ動く寿々花を目で追う由依は、光悦の笑みを浮かべていた。

「ところで由依ちゃんは、寿々花さんがどうして関西まじりの喋り言葉か知っているの?」

「んーっ、確か小学生の時に親戚の神戸の重工業会社の社長さんのところへ、よく遊びに行っていたそうで、そのメーカーが大阪、神戸、名古屋、岐阜に事業別の工場があったから、よく泊まりがけで見たって」

「そこまで載っているのか、やばいな」

 ミルヤは何かに気がついて、周りを見渡した。

「獅童真希さん、此花さんは」

「あっ!いつの間に」

 入り口を抜けて、鎌倉市街に駆けていく寿々花を追って、真希は駆けて行った。

 美炎はふと無邪気なコヒメの姿を思い出していた。

(コヒメ…どうしているかな)

 

 ところ変わって茨城県は大洗。

 小さな灯台のある砂場で、コヒメは沙耶香に対していた。

 闘争心に満ちたコヒメとは対照的に、沙耶香はあまりにも無表情だった。

「わたしも、やーっ!」

 コヒメが投げ放った石は水面を四度はねてから、ぽちゃりと波間に消えた。

「うわーっ、また沙耶香おねぇちゃんに負けたよーっ」

 岩場に腰掛けて様子を見ていた葉菜は、成績が沙耶香5に対して、コヒメが3と告げた。

「でもいい勝負じゃないか、まだ二敗だ。あと2回勝てば」

「優勝決定戦だね!」

「負けないよコヒメ」

 コヒメは意気揚々と石を探し始めた。そんなコヒメに微笑みながら、葉菜はふと沙耶香へと視線を移した。沙耶香はコヒメの石集めをやさしく見守っていた。

(僕の考えすぎだったかな、これが本来の沙耶香くんか)

「どうしたの、葉菜?」

「ん?聞かないでおくれよ、僕はコヒメ君を勝たせたくなっただけさ」

「ふふ、いじわるだ」

 そう返すか、そう葉菜は思った。意地悪なのはどっちかと口には出さなかった。

 コヒメのとなりに葉菜がつくと、沙耶香もコヒメのとなりについて石を探し出した。

 結局、五分五分で決勝戦となり、沙耶香は敗れた。

 

夕方に差し掛かって、部屋に籠ったままの夜見とスクナビコは頭を抱えていた。

 手元には参考にと小さく編んだ構造体を持っているが、それでも進みは芳しくなかった。

「ううむ、反対に編み変えると言っても、構造体の外側は正の位置と同一、でも中身は四十度傾けて、正反対に組まなきゃいけない」

〔きつい、折れそう〕

「だから!スクナビコさんが折れないでくださいよ!」

〔仕方ないだろう!僕は本来、先導と誘導が専門なんだよ!銀糸はあくまで副次的な能力なの!〕

 二人はため息をついた。

 そこへ薫とねねがふらりと顔を出した。

「よう、息災か。ってその顔はそうじゃないってか」

「どうも、自分の撒いた種ですから」

 スクナビコはねねの背にまたがると、毛並みに沈み込むようにもたれかかった。

〔すまないけど、しばらく、しばらく〕

「ねねーっ!」

 夜見は手を休めて、薫が持ってきたコーヒーを口にした。

「はーっ、落ち着く」

「そういえば夜見は紅茶が好きなんだろ?なんでコーヒーなんだ」

「その質問おかしいですよ。自前の葉っぱもありますけど、インスタントの紅茶だって時々飲みますよ。でも、コーヒーだって同じくらい飲みますよ。特に好き嫌いはしていません」

「そっか、そっか」

 それで、と夜見が返すと、これを見たかったのだと、参考用の構造体を手にした。

「鳥喰優希の融合解除、燕結芽からのノロの引き剥がし、そして今回の事故。まぁひっくるめて、この目で見ておきたかったんだ」

 銀糸が太陽光を受け、キラキラと光ると、自然と薫の顔が照らされた。

「単刀直入で言う。夜見、お前の判断で沙耶香からノロを引き剥がせ」

 驚きから、すぐに緊張のこもった表情に変わった。

「沙耶香の無念無双は、体内に取り込んだノロを消化させることで実現させている。それを引き剥がして、あわよくば説得しろ」

「でも、彼女は『悪党』の」

「そうだ、リーダーだ。だが、最初は折神紫の排除を止めることから始まった。それをまだ突き通している。それに、沙耶香のノロの貯蔵庫化が大義名分として掲げられている以上、無視できない。だがな、沙耶香は戻ってくると俺は踏んでいるよ」

「薫さん、正直に話してください。これからどう言うふうに戦うのですか」

「おう。高津学長と『悪党』の要求をのむ、それから一体となってタギツヒメと戦う!やっぱり、高津学長と沙耶香の力は無二のもの、いい加減に葉菜も返して欲しいしな」

「つまり、舞草を再統一して、特祭隊本部へ合流して一丸となると」

「ああ、沙耶香は舞衣と葉菜が説得してくれる。もう裏工作始めちまった。もしかしたら、鎌倉の指揮所占拠なんて暴挙しでかすかもしれんが、通常任務止めるなんてことはしないだろう。折れてくれとは言わないさ、だが、タキリヒメを奪われた以上、俺たちだけじゃだめだ。その要を夜見の銀糸に託す。いいか?このことはお前とエレンしか知らないからな」

「わかりました。薫さんの指揮、頼りにしてます」

「ありがとよ」

 薫は構造体を見ると、編んでいるものとの繋げられる隙間を示した。

「天頂のここと、右三段目のここ、繋いで結べば、解けなくなるんじゃないか」

「なるほど、じゃあ、ここから短辺を結んで」

「うーん、ここは短くせず、一気に引いて、点結びで形を作っていけば」

〔おお!夜見くん!〕

「はい!これでいけます!」

「おう、がんばれーっ、おれはちと休むから、起こすなよ」

「ねねぇー」

 薫が寝始めたのも気にせず、スクナビコと夜見は夢中で術式を編んでいった。

 

 一日歩き回り、寿々花は電車の座席でうとうととしていた。

「ふぁーっ、むにゃむにゃ、真希ちゃんがめっちゃ追いかけてくるから、疲れたわ」

「そうだね。江ノ島まで行ってしまったから」

「でもなー、楽しかったわー」

「そっか、そっか」

 こうして落ち着いて鎌倉を回るのも久しぶりだった真希は、自分が思わぬうちに休暇を過ごしていたことに気がついた。そして、気を張り続けて時間を忘れていたのにも気がづいた。

(みんなが無事に戻ってきたら、たまにはみんなで遠出するのもいいな。寿々花に付き合ってスーパーに、結芽御所望のテーマパーク、夜見の紅茶で憩うのもいい。沙耶香は、何がいいだろうかな。ついぞ、好きな食べ物も聞きそびれていた。今度、聞いてみるか)

 瞼が閉じそうになると、すぐに開くが、抗えず眠りに押される。

「寿々花、着いたら起こしてあげるから」

「うん」

 真希に寄りかかると、寒かろうとジャージを寿々花の方へかけた。

「真希ちゃんさ、まきちゃんが男やったら、お嫁に行ったのにな。まきちゃん、かっこいいもん」

「どういうことだい、それは」

 意味を問いかけた時には、寿々花は静かな寝息をたてていた。

 

 その夜のうちに治療のための術式が完成し、寿々花が寝ている合間に十歳から十七歳の寿々花に戻った。

 

「昨日はまったく記憶がないうちに終わっていましたわ。まだ、時間の感覚が」

 執務室での朝礼を終え、寿々花は困ったと口にした。

「昨日はすみませんでした。まさか銀糸の時間を戻す力がこんなに強力だとは」

「いいですのよ。鳥喰優稀も融合時の記憶は失われていると聞きました。物事はそんなにうまくいかないものですわ」

 真希は苦笑いで寿々花の言葉を聞いていた。

「まったくだ。大阪なまりっぽい関西弁に、素早い足並み、今じゃ想像できないくらい高飛車で、ついぞ僕のが男だったらお嫁にいきたいって、言って……」

 顔を真っ赤にする寿々花の顔を見て、自身の口にした言葉の不味さを思い知った。

 

 どうも関西弁なまりは家族にからかわれたらしく、黒歴史と化していた。高飛車だったのも、後年同級生に散々からかわれたのを気にしていたようだった。そしてお嫁は……

 

「その話は、もうよしてくださーぁい!」

 

 そういうわけで、しばらくまともに口を聞いてくれなかったのを、末尾に記す。

 

 

 



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あとがき

【あとがき】

 

みなさん、最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

独りよがりな、それも勘違いで構築された二次創作小説でありましたが、いかがだったでしょうか?最後の最後は執筆スケジュールを押してしまい(ラルマニと村国娘の話を描くのが楽しすぎた)、夜見はタギツヒメと直接戦うことはなく、そして読み返しながら放り投げた伏線の山を見て、自分の甘さに辟易としてしまいます。

 

執筆&最終話投稿後、とじよみこと清夏奉燈を観てまいりました。

 

初日、B列にいたこともあって声優さんたちの細かな表情や演技、アドリブやトラブルも見られて大満足。なにより高橋龍也先生の書かれた彼女たちの物語、大災厄を乗り越えて進むことを選んだ彼女たちの一幕をいつものテンポで、六人+一匹の七様の個性の描き分け、そして親と子の2世代の宿業を越えた場所での邂逅とそこからの展望。私は自分の愛を表現すると言ったそばから、こんなにも素晴らしい朗読劇を観て、なんだか恥ずかしくなってしまいました。

 

とじともは終わってしまいましたが、まだ刀使ノ巫女が観たい、読みたい、聞きたい。今はそんな気持ちです。

 

簡単に各章・本作オリジナルキャラなどを振り返りたいと思います。

 

【各章・各話振り返り】

 

【第一章 銀糸の刀使】

 警ら科の学生さえ銃器が携行できるパラレルワールド、と既に本編の設定に矛盾しながら書き出しました。ただ、支隊の設定は扱いやすく、最終的に早苗を親衛隊五席におしあげるのに十分な働きをしてくれました。

 

 最初は結芽が死んだキャラが生き返って幸せになる手合いの二次創作で『ガイアさん…っ!』のコラを見て自嘲しながら、またそんなの描くのかと、第一章を書き終わったタイミングで辟易しておりました。ただ、この頃に石川賢の『ゲッターロボ・サーガ』に出会い、物語を完成とか完璧にするよりも、まずは心のまま書いてみようと勇気づけられました。

 

 ストーリーはジョジョ第七部『スティール・ボール・ラン』を翻案にしつつ、基本的にはテレビシリーズ、とじとも、のストーリーから向こう側を描かないよう心がけました。

第九話からプログレの曲名をタイトルに使い始めるのは、作業用に聞いていたからですが、なるべく話の内容にあった曲を選んでタイトルにしています。

 

【第二部 憑神の咆哮】

 

「鏡」とついた挿話は、世界は八つの世界線。パラレルワールドによって生命は循環し、八つの世界線で構築された宇宙で彼女たちは生きている。それを支える骨格は珠鋼でできている。それはタギツヒメの本体が蚊ほどにも小さく感じる規模である。さらに、珠鋼は外宇宙で同じような世界線の外殻を担う存在であり、本編の世界での珠鋼は無数の宇宙の、無数の世界の、ほんの一部でしかない。と、以前の結芽錯綜記で思い至り、別のものにせず、繋げるつもりで設定を組みました。

たとえ小さな命でも、宇宙の一つである。そんな哲学めいた設定は、タギツヒメが大きすぎること、それを抑えられる御刀はもっと強大だと、虚無戦記的な発想とエヴァ的な解釈からつなげられたものです。

 

そのため、ラルマニは憑神として生きながら、意識せずともこうした世界と、人と珠鋼とノロという三者の本来の関係に気づいていた。バカ真面目な性格という設定なので、夜見の説得プラスαじゃないと、協力してくれないようにしたのは単純に話の山を欲したためです。

 

ラルマニのモデルは「ひぐらしのなく頃に」の「神姦し編」に登場する田村媛命。性格だったり、古代っぽい感じとか、色々真似しています。村国娘は奈良時代の呼び名の形式に沿って、「(美濃國)村国(郷)(皐月)娘」という感じで組みました。村国は飛鳥時代に壬申の乱にて、大海人皇子ことのちの天武天皇方について戦った豪族「村国男依」から題材を採取、古代と聞いて故郷の偉人の名前が浮かんだので採用しました。

 

角館めっちゃいきたいので、夜見の家族設定をいじって父方の実家暮らしに改変しました。ぜひ武家屋敷通りの枝垂れ桜が見たい!

 

第二部最終話「まい・うぉー!」は進撃の巨人の「僕の戦争」から、すばらしい戦記漫画です。アニメ最終シーズンが待ち遠しいですね。

 

【第三部 隠世と虚無の向こう側】

 

 ひたすら消化試合でした。

 タギツヒメを利用して優稀ちゃんを真ゲッターにさせたり、葉菜と弘名でパトレイバー2の後藤と荒川の会話シーンの再現狙ったり、早苗と由依でジャイロVSリンゴォ戦の再現を狙ったり、祭祀礼装・禊を最終回に出したくて組んだ設定で話が回ったり、虚無ったり、エウレカったり、葉菜さんの活躍マシマシにしたり(プレイアブル実装してくれなかったから)、とにかくなんでもやりました!

 

『悪党』の詰襟の制服は大正ロマン衣装のマントを取ったものをイメージしています。

 

それでラストを詰めました。時間がなくなったので、詰めました。

でも、サービス終了時間に間に合わず、翌日正午に仕上げました。締め切り一時間前に、ようやく八つの鏡を書き始めたので必死でした。

 

ところで木曽輝(きそのかがやき)というオリキャラを作りました。

自衛隊に出向し、親衛隊結成まで朱音と紫の護衛と親衛隊員人選と指導を担当。自衛隊に入ってからは、舞草紫擁護派として夜見を指導する。最後まで彼女たちの支援に徹します。

 彼女のモデルは1/12スケール「リトル・アーモリー」のしずま先生書き下ろしの「M16A4」のパッケージに書かれた子です。しかし、本編中で書かなかったのですが、彼女は九九式短小銃で、戦前に珠鋼で作った唯一の三十年式銃剣で戦うという、金カムの月島からアイディアをもらった、とーっても特殊なキャラに仕上がっています。性格は真逆にしています。名前は長野県木曽郡の西尾酒造さんで作っている「木曽のかけはし」が筆者はお気に入りなので、そこからとりました。

 

 

それでは、またどこかでお会いしましょう。

いつか刀使好きの友達がほしいですね。

 

 



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