地獄の沙汰も君次第 (Marks_Lee)
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序幕

1 除幕

 

「‥‥今なんと?」

 

とある雑居ビルの一室、俺はいまそこで面接を受けている。俺は種田柿彦。去年まで大学生だったが今はフリーターだ。

 

大学院に進学するという案もあったが、そこまで深く物事に関わるつもりもなく、将来なんかもそこまで深く考えてなかったので、なんとなく就職しなんとなく平凡なる人生が送れればいいな、と漠然と考えていた。

 

そんな考えなしに世間は甘くなく、回りの人間との隙間がどんどん広く感じながらもマイペースに就職活動をした。 結果、周りが内定が決まり浮かれきってる中就職出来ず卒業を迎えてしまった‥‥

 

さすがにこうなると焦ってくるわけでしのごの言わずあらためて求人情報サイトに登録しサイト内をサーフィンしているととある求人を見つけてしまった。

 

“求人 事務業務 人と関わる仕事 福利厚生充実 手取歩合制(応相談)(`・ω・´)”

 

なんだこの求人。あきらかに地雷としか思えん。しかし事務業務か‥たしか資格はいくつか持ってるが人と関わるなんて事書いている時点で地雷臭い。おそらく窓口業務みたいなものだろうと思うが、手取歩合制(応相談)の部分が気になってしまう。しかしその時、俺は現状に焦っていたので思わずヤケクソになって面接の予約を取り繕ってしまった。

 

◇◇◇

 

「業務内容の確認ですが、あなたには地獄で亡者の裁判官をしてもらいます。」

 

この人は何を言ってるんだろうか?脳が処理を追いつかない俺を差し置いて面接担当者 -佐藤- が畳み掛けるように説明を始めた。

 

「現在地獄では、亡者の審問がとても滞っている状態です。現世でよくある定期的な伝染病や争いなどがいい例なのですが、それらが現世で起こった際裁判が滞ることがたまにあるんです。そうなると問題が出てきまして…審問できる裁判官の数が圧倒的に足りない。ですので現世から生きている人間を裁判官として引っ張ってこようという結論になりました。なにかご質問はありますか?」

 

いつくか聞きたいことはあるが今頭に浮かんだのはなぜ求人情報サイトに求人をだしたか、だ。あれはそういうオカルト系ではなく一般求人だったぞ。

 

「あぁそこですか。あれはこちらが求める相応の能力がない人にしか見えないようにしてあるんですよ。まぁ、地獄の七不思議みたいなものと考えてください」

 

そういうものなんだろうか‥‥まぁ明らかに怪しい求人に食いついてしまったこちらにも非があるといえばそうか。

 

はやくこの面接を終わらせてお祈りしてもらうとしよう。

そう思うと求人のわからないところを聞いておくのはいい話のネタになりそうだ。考えるとあのおかしい求人募集は何なのだろうか?

 

「あの求人ですか?私が書いたのですが何か不備でもありましたか?上司に見せたところ快諾されたのでそのまま載せました」

 

地獄にも上司っているのか‥‥あれで快諾だと色々思い遣られる‥‥

 

「地獄といっても会社構造は、地上の一般企業とほぼ変わりませんよ。業務内容が違うだけで、上司もいますし会議などもあります。まぁ月に一度ぐらいの頻度ですが。あぁ、あと就業時間は9〜‪5時‬、休憩に関しては昼休憩に‪1時‬間、後は個人に任せてあります。なので時給制ではなく完全歩合制をとってあります」

 

思った以上にちゃんとしてるんだな。地獄というからブラック企業なのかと思っていたが。

 

「地上のブラック企業のほうが異常なんですよ?過剰労働は見るまでもなく効率が悪いですし、もしこちらで採用した場合労働組合から非難轟々になるのは目に見えてます。

それで亡者の審問ができなくなるなんて、言語道断です」

 

あれ?これ地上より地獄のほうが環境いいんじゃ?地獄といってもそこらの企業より待遇良さそうだしいいかもしれない。

 

「ちなみに衣食住は保障されてます。これらは地獄では最低限の保障なのですが地上よりましだと思われますが…で、どうされますか?お祈りしてほしいですか?」

 

「よろしくお願いいたしまする」

 

「そうですか。ではこちらにサインを。あぁ、宅急便の受け取りぐらいのサインで大丈夫ですので」

 

タブレットの画面にサインを書き親指の拇印を登録するとこれで契約は終了らしい。

 

「ではあらためて、よろしくお願いしますね。種田さん」

 

こうして俺の地獄での就職が決まってしまったのだった。

 



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welcomeようこそ地獄へ

2 welcomeようこそ地獄へ

 

面接から数日後、佐藤さんから連絡があり待合わせ場所の喫茶店で落ち合った。そこは風変わりの純喫茶で、今では見かけることも少なくなった占いやゲーム筐体が置いてあり、居心地の良さそうな空間だった。

 

「この店は裏に入ると地獄に繋がってるんです。わかりやすく言うと中継地点になります」

 

そう言うと佐藤さんは、店の関係者通路から奥に入っていった。なんで店のスタッフは何も言ってこないんだろうと思いつつ俺も促されるように店の奥に向かった。

 

「ではご案内しますね。こちらの扉の方へどうぞ」

 

佐藤が向かった先にあったその扉はショッキングピンク色で某未来からきた青いたぬき型のロボットが万能ポケットから出すアレだった。

 

「こ、これですか?」

 

「はい。この先が地獄になります」

 

はたから聞くととんでもなく物騒だが事実なんだな。受け入れよう。ブラック企業より万倍ましだ。

 

「あ、あとこれもつけておいてください。向こうに行った際の身分証になるものです。」

 

それはネクタイピンとチョーカーだった。ネクタイピンは黒の漆塗りに赤と白の彼岸花が交差するように彫ってある。 チョーカーに関しては白地に黒のラインがのったシンプルなものだ。

 

「両方とも無くさないでくださいね?特にチョーカーに関しては亡者との識別も兼ねているので、地獄では外してはいけません。ネクタイピンに関しては無くなった場合すぐ私に報告してください。セキュリティ上の問題もありますので。」

 

なるほど、これはなくしたらマズそうだ。着てきたスーツにピンをつけ首にチョーカーを着ける。

 

「似合ってますよ。では行きましょうか」

 

扉を開けると其処はーーーーー

 

◇◇◇

 

---ーー其処は改札口だった。真っ白な空間に自動改札が4つあり周りに人の気配はない。想像していた血の池や針の山などはなく、現世の郊外の駅といったほうがいいかもしれない。

 

「ここが地獄‥‥ですか?」

 

「はい、此処は間違いなく地獄です。驚かれるのも無理はないですがみなさんが想像される地獄はもっと下の層にありますのでご安心を。では行きましょう。ネクタイピンに情報が入ってるので何もせず通れます」

 

改札口を通りしばらく歩くと其処にはエレベーターホールがあった。

周りはホコリひとつ汚れひとつなく小綺麗な場所で、そこも自分たち以外誰もいなかった。

 

「さっきの改札もそうなんですが周りに人がいませんね。何かあったんですか?」

 

「あぁ、この時間ここを通る人はほぼいないんですよ。それに最近はリモートなんかも進んでて通勤時間なども混むといったことは無くなってきています」

 

「地獄でもリモートとかあるんですね。そういえば契約の時もタブレットでしたし」

 

「アナログなのも悪くありませんが、効率面を考えるとデジタル化したほうがいいですから。使えるものは使うのが地獄のやり方です」

 

うーん、思った以上に技術導入のレベルが海外資本の企業みたいに効率優先になってるんだな、と考えているとエレベーターが着いたようだ。

 

「まずは閻魔様のところに顔見せに行きましょうか。この時間ならおそらく昼食だと思われますので…おそらく食堂にいると思われます」

 

「閻魔様が食堂にいるんですか?なんというか思ったイメージと違いすぎて‥」

 

「以前は、食事をせずぶっ続けで仕事をしてフラフラになってましたからね。食事をとったとしても栄養補給食をかじるとかでしたし。これではいけないとなって、私が補佐官にお願いして、半強制的に食堂で食事をとるようにしてもらっています」

 

閻魔様、ワーカーホリック気味なのか。体は資本だよ。

 

◇◇◇

 

食堂に向かうと思ていった以上に広い空間に、獄卒たちが昼食をとっていた。獄卒は見た目としては人間とほぼ変わらずツノが生えてたり耳が獣耳だったりそもそも動物だったりで人間を見ても、首元のチョーカーを見て動じずに食事を続けていく。

 

 

「閻魔様は‥‥あ、いました」

 

食堂の角の席、そこには食事が終わったであろう皿の山が高く積んでありテーブルを見ると、食後のパフェを満足そうに食べている中学生にしか見えない女の子がいた。

 

「閻魔様、先日お話ししました新しい裁判官候補をお連れしました」

 

「種田柿彦です。今日からよろしくお願いします」

 

「ん、あー今日連れてくるっていってたね。僕が閻魔のヤミーだよ。今日からよろしくね。種田くん。んー、種田って呼びにくいな。たねちんって呼ぶね」

 

そのあだ名はなんか嫌だな‥‥せめて他にいいあだ名はないんだろうか‥‥

 

「すいません、ヤミー様はネーミングセンスがすこぶるないんです。嫌だったらおっしゃってください。そういうのは寛容なので」

 

「あっ佐藤ひどーい。僕のネーミングセンスは独自性があって人気なんだよ。みんな言われた後しかめっ面するけど気にいる人は結構いるんだし」

 

「いえ、別にいいですよ。たねちんは初めて呼ばれますが気にしませんので」

 

さすがに上司には逆らえない、なんとも日本人な俺であった。

 

「そっかそっか〜。あっ、たねちんお昼食べた?食べてないなら食べなよ。ご馳走するよ」

 

「えっ、いいんですか?ではお任せしてもいいですか?」

 

「うん、おっけーおっけー。食べれないものとかある?ピーマンとかピーマンとかピーマンとか」

 

「いえ、特には。閻魔様はピーマン嫌いなんですか?」

 

「よくわかったねー。あんなものよろこんで食べるやつの気が知れないよまったく。あっ、からあげ定食でいいかい?佐藤もお昼食べてないなら同じやつ注文するけどいい?」

 

「かまいません。私もお昼は頂いてませんのでお願いします。あっ、あとトマトジュースもお願いします」

 

「おっけーおっけー。おばちゃーん、からあげ定食2つにトマトジュース1杯よろしくー」

 

「はいよー。からあげ定食2つにトマトジュースねー」

 

食堂のおばちゃんが注文したメニューを厨房で繰り返してる時に閻魔様が話を振ってきた。

 

「いやー、まさか佐藤が新しい人間つれてくるなんてねー。僕もビックリしたよ」

 

「佐藤さんが誰か連れてくるのってそんなに珍しいんですか?」

 

「うん、珍しいどころか初めてじゃなかったかな。他の獄卒が連れてくるのはたまにーあるけど、佐藤がだれかを連れてくるのは僕が記憶してる範囲では初めてだよ」

 

「そうですね。いままでは率先して連れてくるようなことはしていませんでしたし」

 

「うんうん、よきかなよきかな」

 

へー、佐藤さん、誰も連れてきたことがないのか。地獄とはいえなんかくすぐったいようなうれしいような不思議な感覚が胸の中でくすぶる。途中閻魔様と佐藤さんが、耳打ちしてたのはきになるけど内緒話には聞き耳を立てちゃいけないと思ってるのでスルーした。

 

その後、注文していたからあげ定食が届き昼食をすませた。からあげはいままで食べた中でもトップクラスに美味しく箸が止まらなくなり、茶碗におかわりを求めてしまったのは自分でも驚いてしまった。

 

食後の茶を飲んでいると、閻魔様は懐から懐中時計を取り出して時間を確認していた。

 

「じゃ、僕はさきに戻るね〜。たねちん、またあとで〜」

 

「あっ、はい。よろしくお願いします。」

 

閻魔様は瞬間移動するかのごとくいなくなってしまい、食堂にも残っているには数人ほどになっていた。

 

「なんというか台風のような方ですね。人の心の中に入り込むのがうまいというか」

 

「ええ、それがあの方の長所ですから。一息入れたら我々も仕事に向かいましょう」

 

「わかりました。そういえば閻魔様っておいくつぐらいなんですか?思った以上におさな‥若かったので」

 

「種田さん、地獄にも知らぬが仏ってあるんですよ?それに女性の年齢は他人はおろか本人にも聞いてはなりません」

 

そりゃそうか、当たり前だよな。そういうのは聞くものじゃないというのは常識だと考えればわかるだろうに。

 

「想像を膨らませるぐらいでしたらヒントは与えます。‥‥‥地獄ってかなり昔からあるんですよ。これがヒントです」

 

 

‥‥‥‥なるほど、知らぬが仏とはよく言ったものである。



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天国への階段の8段目

昼食後、一息ついてると佐藤さんが話を切り出してきた。

 

「では、種田さん。いまからすこしお勉強をしましょうか」

 

「……勉強ですか?」

 

「えぇ。種田さんには裁判官として採用させてもらいましたが地獄の歴史や文化、常識の擦り合わせが必要だと判断させてもらいました。ですので、擦り合わせのためのお勉強、ということです」

 

「あぁ、わかりました。さすがにここで勉強はきびしそうですが……」

 

「こちらで部屋は用意させていただきます。では移動しましょうか」

 

そういうと佐藤さんはタブレットを起動したかと思うとなにかを申請しているようだった。

勉強か……あまり自信のない分野だ。

 

◇◇◇

 

しばらく廊下を歩くとひとつの扉の前に立ち止まった。どうやらここが目的地の部屋らしい。

 

「では、入りましょうか」

 

佐藤さんが、扉のノブに手をかけ捻るとその先には真っ白な空間があった。

部屋と言っていたが、空間といったほうが正しいだろう。なんせ見渡す限り壁の仕切りが見当たらず無機質な空間で、目の前には机と椅子が向かい合うように2卓ずつ置いてあった。着席するよう促され、席につくと佐藤さんが呼び鈴を鳴らした。

 

しばらくすると扉が開き、一人の女性が凛、とした姿で現れた。黒のセミロングにロングスカートのメイド服。端からみてもとても似合っていて、控えめにいっても清廉で潔白な印象を受ける。

 

「私、佐野と申します。この部屋を担当させていただいているものです。お時間は1分感覚でよろしいですか?」

 

1分感覚とはなんだろう、と疑問に思うと佐藤さんが教えてくれた。この部屋の中では時間の流れを設定できるようになっていて、1分感覚だとこの部屋の中で1日時間が経っても外では1分過ぎたことにしかならないらしい。

 

「種田さんは飲み物は何がいいですか?」

 

「あ、じゃあコーヒーでお願いします」

 

「かしこまりました。しばらくお待ちください」

 

佐野さんにコーヒーを頼むと、用意をするためにそっと部屋から出ていった。ふと、疑問が浮かんだので佐藤さんに質問を投げかけることにした。

 

「そういえば、佐藤さんって通常業務は何をやってるんです?俺の担当なのはわかるんですがそれ以外なにしてるのかがよくわからなくて……」

 

「私の通常業務は、閻魔様の補佐でしたり獄卒の新人教育などを承ってます。まぁ、企業等ですと中間管理職あたりに属するかと」

 

「中間管理職ですか……それはご苦労さまです。閻魔様の補佐もやられてるんですね。なんというか意外です」

 

「……あの方は、先ほども見られたようにワーカーホリック気味ですから。休憩する際には、半強制的に連れ出すようになってるんです」

 

佐藤さんに心の中で合掌していると、佐野さんが2人分のコーヒーを銀の盆に載せて持ってきた。

 

「お待たせいたしました。こちらコーヒーです。ミルクと砂糖はこちらです。佐藤さんはいつものでよろしかったですか?」

 

「はい、大丈夫です。いつもありがとうございます。佐野さん」

 

「いえいえ、おかまいなく」

 

それでは失礼します、とお辞儀をし佐野さんは部屋から出ていった。部屋内にはコーヒーのいい香りが漂い、先ほどより気持ちが落ち着いてきたのを感じる。コーヒーを一口啜ると、苦味と酸味のバランスがとてもよくクセになりそうな味だった。

 

「では、種田さん。始めましょうか。まずは歴史からーーー」

 

◇◇◇

 

……久々だ、こんなに疲れたと感じるのは……それに佐藤さんが、なぜこの部屋を選んだのかもよくわかった。人間の脳味噌に記憶させるのは思っていた以上に労力が伴う。今は近代まで教えてもらいそれを反芻して頭に刻み込んでいる最中だが、すでにパンク寸前だ。

 

「さぁ、種田さん。歴史 は教え終わりました。次は判例と刑罰等を覚えてもらいます。とりあえずここ500年分の判例が載ってますので、コレを全部記憶してください。記憶が終わったら覚えているのか確認のためテストを受けていただきます」

 

佐藤さんの背景に某探偵モノに出てくる大きな本棚と思わしき棚が大量に出てきた。‥‥‥もしやこれ全部覚えるの?

 

Sだ。この人絶対にSだ。終わらないと解放してくれないだろうしやるしかないのか……はぁ辛い……

 

◇◇◇

 

「歴史に関しては大まかにはできてますね。判例に関しては及第点といったところです。お疲れ様でした」

 

試合後のボクサーのごとく、真っ白に燃え尽きた。

比喩表現ではなく本当に、天から迎えがきた感覚に見舞われてしまった。

 

「今後は、定期的に抜き打ちでこのテストをしてもらうことになりますので。それではしばらく休憩です」

 

佐藤さんは呼び鈴を鳴らすと佐野さんを呼び、何か話しをしていた。しばらくすると佐野さんが小さな小瓶に入った液体を持ってこっちに渡してきた。

 

「ご苦労さまです。こちらドリンク剤です。よかったら」

 

あぁ、天使だ。天使がいる。コレを飲めばこの疲れがとれるんだろうきっとそうだ。そうなんだ。そうしていると金属のキャップを外し一気に流し込んだ。

 

あまりの不味さに意識を飛ぶのを感じながらーーー

 

 

 

「‥‥‥はっ!?何が起きた?」

 

気がつくとベッドの上に寝かされていた。周りを見ると薬剤の瓶や医療器具が見られるのでおそらく医務室か何かだろう。枕元には佐藤さんがいた。

 

「あっ、起きましたか。種田さん、ドリンク剤を飲んで意識を飛ばしたんですよ。天国への階段を2段飛ばしで8段目まで登ってました」

 

あれほど不味い飲み物は生まれてこのかた口にしたことがない。不味いもう一本とは絶対にならないだろう。人によってはトラウマに残る、そんな味だった。

 

「あのドリンク剤は種田さんにはまだ早すぎたようですね……今後は希釈して飲むのをお勧めします。それと、あのドリンク剤の副作用で種田さんの体は血の池や針山に堕ちても死ねなくなってます。まぁ、わかりやすく言うとゲームの最終決戦の際のバフですね」

 

あの不味いドリンク剤にそんな副作用が発生するとは…地獄に堕ちても死ねなくなったのはまぁよかったのかなと思えてしまう自分がいるのに驚く。

 

「……ちなみに痛みは感じますので、無茶しないように気をつけてくださいね」

 

‥‥‥‥うん、無茶はしないでおこう。痛いの超やだし。

 

ちなみに閻魔様は忙しい時はあのドリンク剤を常用してるようで、本人はあの味をいたく気に入ってるらしく新しいフレーバーの開発にも携わっているらしい。新作は獄卒の皆さんがテスターになってるようだ。……考えたくはないのだが今後は俺もそのテスターの頭数に入っているのは事実のようだ。



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JIGOKU NO OWARI

医務室から外に出ると、廊下に出た。廊下は綺麗に清掃されているらしく、埃ひとつ見当たらず、何人か獄卒がいるのが確認できる。

 

「では、勉強も終わったことですし時間も押してるので今から閻魔様のところに行きましょうか」

 

「はい。そういえば閻魔様って、地獄を治めてるんですよね?」

 

「ええ、各部署によって受け持ちは違いますがその認識であってます。というよりも譲り合っての結果が今の治世とでもいえばいいのでしょうか…」

 

「機嫌が悪くなったりしたらどうなるんでしょうか……」

 

「閻魔様が機嫌を悪くすると地獄が揺れて、涙は炎の雨となって地獄に降り注ぎます。地団駄なんて踏んだ日には、おそらく階層というものは一気に無くなって、最終的に地獄が無くなるという結果だけが残ります……なので絶対に避けなければなりません」

 

「……それはマズいですね。なんとしても機嫌悪くしないようにしないと」

 

「えぇ、ですので種田さんも気をつけてください。地獄の終わりなんて笑えませんよ」

 

◇◇◇

 

廊下をしばらく歩くと、ひときわ大きい観音開きの扉が見えて来た。漆塗の表面はよく磨かれているらしく、鏡のように二人の姿が写っている。

 

「ここが閻魔様の執務室になります。では、行きましょう」

 

扉を開けるとそこも部屋というより空間というのが正しい場所だった。奥には樺色の執務机が2つ並んでいて、片方の机は書類の山ができていて、もう一方の机は綺麗に整頓されている。

 

「おっ、来たねー。たねちん。佐藤もお疲れー」

 

「お疲れ様です、閻魔様。いまは休憩ですか?」

 

「まぁーねー。ちゃんと休まないと怒られるんだよねー」

 

見ると、閻魔様は休憩に入ったタイミングらしく折りたたみの円卓を用意してくつろぐところだった。

 

「今日は飲茶の気分かなー。たねちんと佐藤もどう?」

 

「……お茶だけいただきます」

 

胃は空腹のサインを出していたが、目上の人間相手に緊張が勝っているせいか、率先して食べようと思えなかった。さらに先ほどのドリンク剤もあって、今は喉を潤したいというのが優っている状況である。

 

「あれ、たねちん。お腹すいてないの?部屋に入って佐藤にしごかれたって聞いたけど?」

 

「閻魔様、お言葉ですがしごいてはいません。ただ、必要になった際にすぐに対処できるように教育しただけです」

 

「いや、佐藤の場合それが人一倍どころか二十倍ぐらいたいへんだからね?そこらへんは自覚持とうよ」

 

たしかにアレはすごく大変だった。終わりがなく、永遠と続いたならば場合によっては、精神を崩壊させていたかもしれない。なにせ、例えるなら図書館にあるすべての蔵書を頭に叩き込んだといえば分かりやすいか。それぐらい常軌を逸脱してる情報量だった。

 

「と、いうことでどうだったかな、種田くん。これからやっていけそうかい?」

 

閻魔様が先ほどより、ほんの少しだけ真面目な表情で問いかけてきた。呼び方もたねちんから種田くんになってるから切り替えたんだろう。この人は、オンオフのスイッチがきちんと出来ている人なんだと今日初めてあった俺でも認識できた。

 

「えぇ、なんとか。うまくやっていけそうです」

 

「そうかそうか。よかったよ。よろしくね。種田くん。さ〜て、さぁ飲茶を楽しもう。ちょうどできあがったようだからね〜」

 

円卓の上にはいつの間にやら、準備ができていたらしく小さなセイロが4つほど重なったモノと茶器が準備されていた。小さな鬼?小人?が自分の身体より大きな茶器をカタカタと小さく音を鳴らしながら、あっという間に人数分の茶が準備されていく。

 

そうして、用意してもらった席に着きお茶を頂く。この香りは、ジャスミン茶か。香りが良く、先ほどより少しだけ緊張が和らいだのを感じる。たった、半日だが今までの人生の比じゃなく、疲れたのはいうまでもない。そんな中、そのジャスミン茶は身体に沁み渡るような美味しさだった。

 

◇◇◇

 

「そういえば、閻魔様。さっきの小さな鬼?のような小人のようなものはなんですかね」

 

「あぁ、たねちんははじめて見たのかい。アレは小鬼衆だよ。まあ、妖精さんだと思ってくれればいい。炊事と家事に特化したのを何人か専属に雇ってるんだ」

 

彼等は、ほかの獄卒に比べて体躯が小さく育つらしく、アレで成人の状態らしい。一昔前までは、ほかの獄卒に蔑まれ肩身の狭い思いをしていたらしいが、閻魔様が能力を見出してまとめて雇用したそうだ。

 

「使える人材は貴重だからね〜。何事も振り分けがだいじだよ」

 

こういう所が、この人が上に立てる人間なのだ、とあらためて思った。見えていない所や見えないようにしていた所をさらけ出して、分別していく。場合によっては、悪手になる可能性も十分あるんだろうけど、結果は現実に現れている。

 

ふと、先ほど室に入った時に疑問に思った点を聞いて見ることにした。

 

「閻魔様、あの大量の書類の山が出来ているアレは一体?」

 

「あぁ、アレね。バカ兄貴の机だよ。今は流浪中だったっけ?たまーにしか帰ってこないんだよね〜」

 

お兄さんの机か。流浪中とは心配ではないのだろうか、と疑問に思うと佐藤さんが教えてくれた。

 

「大丈夫ですよ、いつもの事なので。ヤミー様の兄上様は不定期に帰ってきて仕事を終わらせ、またすぐどこかに消えてしまいます。もし姿を見かけたらその日に幸運な事が起きると地獄の七不思議にもありますから」

 

閻魔様のお兄さん、七不思議に入ってるのか。いつかお会いできたらいいな、と思ってしまう。

 

◇◇◇

 

「では、閻魔様。そろそろ失礼します。飲茶ご馳走様でした」

 

「はいはーい、またね〜。さーて、一仕事がんばりますか!」

 

 

閻魔様に挨拶をして、執務室を出てしばらく歩くと佐藤さんが話を振ってきた。

 

「本日の業務は以上です。お疲れ様でした。そういえば種田さん、まだこちらに住居を移してませんよね?現世から通いますか?けっこう大変だと思いますが」

 

「一応は、あっちから通おうと思ったんですが……なにか問題がありました?」

 

今住んでるアパートは、大学に通う際に半ば無理やりに一人暮らしをさせてもらい、住まわせてもらっている家だ。1Kの小さな部屋だが、住めば都とはよく言ったもので慣れてしまえば、わりかし居心地のいい空間になっている。

 

「いえ、あちらから通うこともできるんですがそうなると入口が喫茶店にしかないので不便かな、と思いまして。店の営業時間を気にしなければいけませんし、何より人目をはばからないといけませんから」

 

そうか、その問題を失念していた。いつも喫茶店からコッチに来るのも目立つだろうし、今住んでる家から待ち合わせの場所まで電車に30分以上乗っていた。その上、喫茶店がある場所までの道のりを迷わずにこれるか、というのも甚だ怪しいものがある。

 

そう考えると、居住地を地獄に移したほうがまだマシなのかもしれない。

 

「でも流石に引越し業者は呼べないですよね」

 

「大丈夫ですよ、必要な家具等にこのシールを貼っておいてください。それを貼ると日時指定で此方に飛ばせますので」

 

すごいな、地獄。これ向こうであったら引越し業者泣かせじゃん。最悪、物流革命どころじゃない話になりそう。

 

「わかりました。あと引越しの際の書類等ってどうすれば…」

 

「それはこちらにおまかせください。それも福利厚生の中に入ってますので」

 

至れり尽くせりとはこのことだな、と思うと同時に現実だったらここら辺は会社負担ではなく自己負担になるんだろう。そう考えると、地獄ってすごくホワイト。

 

「では、失礼します。明日、明朝にご自宅に迎えに伺いますので」

 

佐藤さんに喫茶店で別れた後、電車に揺られ自宅に帰る。すると、自分が思っている以上に肉体は疲労していたらしく、ジャケットをハンガーに通したあと部屋着に着替えたらそのままベッドに横になった。

 

「つ、つかれた‥‥‥今日はもう無理だ‥‥意識が」

 

たった半日、されど半日。また明日から始まる地獄ライフ。

 



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good-by現世

早朝、いつも起床する時間より、約‪2時‬間前に目が覚めた。どうやら昨日帰ってきて着替え、そのまま床についていたらしい。寝起きの状態もあり頭がぼんやりとするので、シャワーを浴びた。この温度が安定しないシャワーとも今日でサヨナラか、と思うと清々とするようなどこか寂しいような不思議な感覚だった。

 

シャワーを浴び終え、ドライヤーで髪を乾かし終えるとベッドの前の机の上には、昨日佐藤さんに渡されたシール(地獄への直送便に使うシール)が、葉書サイズの台紙いっぱいに貼られていた。

 

必要な家具、といっても一人暮らしでも容量の少ないと思われる冷蔵庫とベッド、そして小さな机しか持ち合わせがなかった。元々、そんなに物に執着するタイプではなかったし時期はずれの就活もあり、生活に困窮していたのもあって、売れるものを売って生活していた状態だった。

 

なので、向こうに持っていきたいものといえば、ずっと使っているマグカップと、枕ぐらいだろうか。なので、その2つを捨てるためにひとまとめにしていた大きめの段ボールに、その2つを詰め込み台紙からシールを貼って荷づくりは終了した。

 

そして、着替えを済ませ朝食を作るのも億劫になり、買いためてストックしていたエナジーバーを数本とゼリーを流し込んだ。

 

準備を済ませ、ニュースサイトを流していると部屋の呼び鈴が鳴った。玄関のチェーンを外し、鍵を開けるとそこには昨日言った通り、佐藤さんが迎えに来ていた。

 

「おはようございます、種田さん。準備は出来ましたか?」

 

「はい、必要な物はそんなになかったのですぐにまとめおわりました。あと、不要な家具はどう処分すればいいですかね?」

 

「それもこちらに任せてもらえれば。では、行きましょうか。車を用意してますので」

 

部屋の鍵を閉め、佐藤さんに鍵を渡す。もうこの部屋にも用はない、と頭では思うが今まで過ごした日々の例も兼ねて、扉の前で頭を少し下げた。佐藤さんは何も言わず、ただ静観としていた。

 

◇◇◇

 

佐藤さんが用意していたのは、ハイアーやセダンではなく、まさかのスポーツカー。しかもシルバーの2ドアクーペ。わかりやすくいうと、アメリカを舞台にしたSF映画のタイムマシンの原型に使われた車だ。

 

ノブに手をかけ、ドアを上げる。すごい、これがガルウイング……!!

 

それに乗ろうとすると、おそらく通勤や通学途中の学生が野次馬となり集まって写真を取り始めたので急いでエンジンをかけ、出発した。こんなに目立つのだったら別のを用意すれば良いのにと思うが佐藤さん曰く、気分が乗るらしい。

 

「やはり、これは良いですね。無機質な銀のボディにロマンを感じます」

 

「佐藤さん、あの映画好きなんですか?」

 

「ええ、個人的には1のワクワク感が好きです。元々、続編は予定されてなかったらしいので」

 

作品としては観たことあるが、そんな話があったとは知らなかった。そうこうしているうちに、目的地に着いたらしい。奥行きのあるコンクリート打ちっぱなしから察するにどこかの地下駐車場だろうか。佐藤さんが先に降りて、先導する形で歩を進める。

 

 

しばらく進むと、例のショッキングピンクの扉が目についた。

 

「今日はここに扉を用意しました。さぁ、行きますよ。なにか、質問はありますか?」

 

「佐藤さん、車はあの場所に停めたままでいいんですか?」

 

「あぁ、大丈夫です。ここは、私の名義で借りている場所ですから。本当はこの地下フロアも買い取っても良かったんですが、さすがに引き止められたので仕方なく貸し切ってる状況です」

 

 

‥‥‥買い取ろうとした?フロアごと?佐藤さん、どれだけお金持ってるんだろうかと突っ込みたくなるが聞くだけ野暮か、というか引き止めた人、英断すぎる。さすがに買い取ったと聞いたら、あんまり面識ない状態だったら引かれちゃうって‥‥‥

 

 

そう頭では考えながらも口には出さず扉をくぐるとーー

 

◇◇◇

 

今回は以前の改札口ではなく、白い空間だった。

ただ、今回は以前と違い机と椅子はなく、本当に何もない空間だった。不思議に思っていると、佐藤さんからタブレットを手渡された。

 

「さて、種田さんには本日から裁判官の職の業務をして貰おうと思います。ですので、とりあえず必要な机と椅子をカタログに乗せているのでお好きなものを選んでください。それが支給される執務机と椅子になります」

 

そういうシステムになってるのか、まぁ今更驚くことでもないだろう。タブレットには、カタログのようになっていて、机はクラシックなデザインのものやシンプルな木目、椅子の方はやけに造形が凝った椅子からゲーミングチェアまで選り取り見取りだった。

 

その中で選んだのは、机は表面が黒のスケート板のもの。椅子は、悩んだ末に黒のゲーミングチェアにした。椅子に関しては、妥協したら後々後悔すると大学時代の知り合い(廃ゲーマー)が口すっぱく言ってたから参考にした。

 

最後に渡されたのが、タブレットだった。これは、亡者の過去の行いから死ぬまでの情報をわかりやすく表示するらしい。ユーザー登録を済ませ、あとはアプリの説明を佐藤さんに教えてもらうだけになった。

 

「種田さんには、初日ということで判決の容易なモノを回してもらうようにお願いしています。ですので、容赦無く裁いてください。そして判決終了だと思いましたら、アプリの終了ボタンをタップしてください」

 

よし、準備は完了した。

 

「では、始めましょう。まずは最初の亡者からーーー」

 

佐藤さんがそう言うと、目の前に現れたのは獄卒に両脇を抱えられながら亡者が連行されてきたそれはーー大学時代の悪名高き男、後藤頼龍-ごとうよりたつ-だった。

 

 



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受け入れる罪 授ける罰

描写が気持ち重ためです。試行錯誤の成長過程だと思って温かい目で見てください


6 受け入れる罪 授ける罰

 

ーー獄卒に両脇を抱えられるように引っ張られ連れて来られたのは、後藤頼龍(ごとうよりたつ)。 大学時代の同期だった男だ。

 

後藤を見てみると、亡者らしく天冠を頭につけ、猿轡を咬まされていた。だがその眼はギラついていて、例えると近づくなら触れようものなら容赦なく噛みつく、猛犬のような眼をしていた。

 

大学時代はおろか社会に出ても関わることのないタイプの人間。そう思っていたが、人間どう関わるかなど分からないものである。一度サークルの新歓か何かで一度関わったぐらいだが、二度と御免被る人間だったのは言うまでもない。

 

そんな学生時代の嫌な記憶を蘇らせていると、顔に出ていたらしく佐藤さんからは不思議そうな顔をして話を振られていた。

 

「種田さん、お知り合いですか?」

 

「ええ、たしか大学時代の同期です。でも、おかしいですね。まだ天寿を全うするような年齢ではないし、少なくとも病気とは無縁の人種でしたが」

 

「あぁ、それでしたらタブレットを確認してください。詳細が載っていますからーーー」

 

佐藤さんに教えてもらい、タブレットに表示された情報-亡者の過去の行い-を読み取る。

 

 

 

 

 

後藤頼龍:享年23 死因は背部に鋭利な刃物による、刺し傷による失血性ショック死。複数箇所(腹側部、胸部)に種類の違う、刺し傷から見て怨恨の可能性アリ。

 

罪状:新人歓迎会と称し、未成年にアルコールを提供(この際、アルコールの度数の高い酒を混ぜている)。酩酊状態にさせ、姦淫を行なった模様(被害者は確認できるだけで140人)

また、被害者の中には子を設けたものが少なくとも10人以上確認。その際、後藤は認知せず堕胎させる費用も用意せず放置(その後、被害者からは連絡せず距離を離れている)被害者の中には泣寝入りを余儀なくされたものが少なからずいる模様。

 

また、酒乱の傾向アリ。酒に酔い、暴力事件を複数回起こしたが実家の権力を使い示談という形で収めていた模様。

 

 

タブレットに表示された情報を読み取り、息を吐く。

ーーこれはどうしようもないな‥‥‥在学中の彼を知ってはいたが、ここまで罪状があるとは想定外だった。人の皮を被った畜生、とでも言うべきか。

 

「さて、種田さん。どうしますか?」

 

そこまで長い付き合いというわけでもないが、感情をあまり表に出さない佐藤さんの顔にも、憤怒の色が見て取れる。

 

タブレットの情報だけでもこれだから、もしこれが被害者ーーそれがもし近縁者だったとしたら、とてもじゃないが今持っている感情どころではない気持ちになっているだろう。

 

「佐藤さんの意見を聞きたいです。判例等は頭に叩き込みましたが、実務経験は今回が初なので。ですので率直な意見をお願いします」

 

「ここまでの亡者は、久々ですね。4、50年に一度の逸材と言うべきでしょうか。私個人の考えですが、大焦熱送りが妥当だと思われます」

 

さすがにこれは情状酌量の余地はない、という判断か。それはそうだろう。誰がどう見たってそうするに決まっている。ただ、なにか引っかかるところがある気がするのは気のせいだろうか。

 

そう考え、タブレットの情報のうち、過去の行いより前ーーー家族との関係性を確認する。資料によると、後藤の家族は、両親と兄が一人、弟が一人の五人家族。

 

家族関係は、第三者からみても良好とはいえずしがらみが少なからずあるように見える。おそらくだが、両親からの目に見えない圧と、兄弟間の劣等感と言ったところだろうか。

 

これはもしかすると後藤の中身、触れてはいけない禁断の領域に脚を突っ込むことになるのかもしれない。だが、踏み込んでいかなければ見えない部分が確実にある。

 

そう考え、佐藤さんに少しだけ話をさせてもらうようにお願いをした。

 

「……こちらとしてはなにも文句はいえません。ただ、種田さんにその覚悟が出来ているかどうかの問題です。種田さん、その行為をしてそれでも裁くことは出来ますか?」

 

「覚悟は、出来ています。ただ、もし暴走しそうになったらその時は、佐藤さんが全力で止めてください。俺の体は例のドリンク剤で死ねないんでしょう?」

 

「わかりました。ただし、時間は5分間だけです。それ以上はありません。あと何かありましたら骨くらいは拾ってあげます」

 

佐藤さんに確認は取れたので、後藤とのさし向かいでの面談が始まったーー

 

◇◇◇

 

後藤を連れてきた獄卒に目配せして、二人きりで話せるように頼みこむ。最初は不思議そうな顔をしていたが、ピンを見て理解したのか何も言わずに別室に離れてもらえた。その際に、頼んで猿轡も外してもらえるようにも頼んだが、そちらはすんなりと外してもらえたようだ。

 

そして今、この空間には、俺と後藤の二人きりの状態だ。

二人の間には沈黙が流れていたが、時間は有限なので本題に入ることにする。

 

「こんにちわ、本日あなたの審問をさせてもらっている種田です。少しだけ、お話よろしいでしょうか?」

 

「…………」

 

「沈黙は肯定とみなします。質問は1つだけ。あなたは今までの行いをしてきた時に、少しだけでも罪悪感を感じたことがありますか?」

 

そう質問すると、後藤は目を見開いて驚愕の表情が見える。おそらく、何かしら引っかかるところがあったのだろう。しばし無言だったが、徐々に口を開いていった。

 

「……最初は、罪悪感はあった。どう転んだところで、親の敷いたレールを走ることになる。だったら、すこしでも反抗してみようと思ったのが最初のキッカケだ」

 

やはり、家庭環境がきっかけだったか。後藤を最初見た時と家族関係を確認した時に、そこらへんにしこりがあるとは思っていたが……

 

「人間不思議なもんでよ。しばらくしたら罪悪感もなにも感じなくなったんだ」

 

後藤の顔は、最初のような下卑た悪人の顔ではなく、母親に叱られ縋る幼児のようにぐしゃぐしゃの顔に変化していく。

 

「ーーーその後は、堕ちるところまで堕ちた。人によっちゃ現状から這い上がることもできただろうし、もう少し勇気があれば別の道に行ってたのかもしれねぇ。だけど、それを選ばなかった。刺されたときも、俺はあいつらの顔を思い出せなかった。意識がなくなるときに気づいたよ。その時思った。あぁ、これが自業自得って言うんだなって。だから、今ここにいるのも理解できてる」

 

話が終わり、しばし無言の空気が場を包む。後藤の顔は、変わらずぐしゃぐしゃだったがその眼は、最初の猛犬のような眼とは打って変わり、濁ってはいたがその奥底には覚悟ができている、そんな眼だった。

 

この眼を持っているなら、刑罰をきちんと全うできるだろう。もし、地獄に恩赦があるとするならもしかすると多少は希望があるのかもしれない。

 

「質問は以上です。ありがとうございました」

 

鼻をすすり、眼から涙を拭こうにも手枷をされているからか見る方にも居た堪れない状況の後藤だったが、何かを言いたそうな空気を感じたのでその場に留まっていると、後藤の口が言葉を発していた。

 

「おう、1つだけいいか?ーーーあんたとは前にあったことがある気がするんだがな、俺の勘違いか?勘違いならそれはそれでいいんだが。ーーーあんたとおんなじ目をしたやつを昔見たことあるんだよ」

 

「ーーー今日が初対面ですよ。それでは失礼します」

 

◇◇◇

 

 

「終わりましたか?」

 

「はい、時間作っていただいてありがとうございます」

 

「……いえ、かまいませんよ。それでは、判決をお願いします」

 

タブレットの画面には、いくつかの地獄を選ぶ項目があったが俺はその項目の中で大焦熱地獄 送りを選んだ。それを選ぶと、後藤の後ろに新しい扉が現れ、踵を返すように扉に向かっていく。その時の後藤は、来た時とは違い獄卒を従えず若干胸を張り、自分の脚で去っていった。

 

俺は、その背中を見つめ罪悪感とでも言えるのだろうか、表現できない苦しみが胸の中で暴れ、心臓の痛みを強く感じる。佐藤さんが覚悟が出来ているかと言っていたのが今になってよくわかった。

 

本質を覗き判決をする とは、ただ単に亡者を裁くのではなく、この痛みを受け入れなければいけないということ。それがどれだけ辛い痛みだとしてもーーー

 



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開いた扉のソノサキの

後藤の背中を見守ったあと、しばし力が抜けていたのを感じ、大きく深呼吸をした。なんだろう、この感覚は。呆けているとも思われるかもしれないが、今は新たに行動することができない。

 

「種田さん、言葉が悪いかもしれませんが今後はあまり深入りしないのをおすすめします。でないと、種田さんの心が潰れてしまいますので」

 

心が潰れる。今の現状を例えるなら、なんとよくできた比喩表現なんだろうか。内臓の中に心という臓器はないが、軋み捻れ千切れるようなあの痛み。

 

「はい、善処します」

 

「今日の業務はこれで終了にしましょう。これ以上続けるのは、種田さんの心身に悪影響が及びますので」

 

今日の仕事はこれで終了か。審問官って大変な仕事なんだな。覚悟が出来てる なんて言ってしまったが、実際は見てわかる通り疲労困憊。思った以上に、心身に来る仕事だと感じる。

 

「……しばらくは、動けそうにないようなのでここで休んでてください。よき安寧を」

 

そう佐藤さんが言い切ると電源が切れるように意識が途切れていくのを感じたーーー

 

◇◇◇

 

体感としては、30分ほどだろうか。目を覚ますと、佐藤さんが日本茶を湯呑みに注いでいる。

 

傍らには、ポケットラジオだろうか。聞こえてくるブラックミュージックの音色が小さい音量ながらも耳に入り、鼓膜を揺らす。

茶を飲んでいるだけなのにすごく画になっていてしばらく眺め呆けていると佐藤さんと目が合い、一気に意識が覚醒していく。

 

「起きましたか。おはようございます。……顔色は先ほどよりはいいようですね。お茶、呑みますか?」

 

「いただきます。……どれぐらい眠っていましたか?」

 

「約‪二時‬間といったところでしたか。起こすのも悪いと思いましたので、そのまま寝ててもらいました」

 

‪二時‬間……そんなに眠っていたのか。体感と実質は思っていた以上に離れていたようで瞼はまだ重い。仮眠状態とはいえ眠っていたのに疲れはとれたといえず、徹夜明けの気怠さのような感覚が身体に残る。

 

佐藤さんが淹れてくれた緑茶を一口啜ると渋みが強かったが、その後に甘味が残り後味はとても爽やかに感じた。

 

「このお茶美味しいですね。茶葉の銘柄とかこだわってるんですか?」

 

「これは天竺から取り寄せている茶葉ですね。茶葉も嗜好品ですから、少しだけ手間がかかってもいいものを揃えたくなってしまいます。まぁ趣味みたいなものです」

 

天竺の茶か……趣味の範囲だから野暮なことは聞くまいと思ったが、これは現世で飲むとしたらいくらぐらいになるんだろうか……そう考えると味わい深く感じ、残りの茶をさらに味わうように呑んでいた。

 

◇◇◇

 

「さて、食事の前に種田さんを新しい居住まいに案内します。これが部屋の鍵です」

 

佐藤さんが渡してきたのは、真鍮製と思わしき鍵だった。見た目は古風なデザインで、RPGなどの宝箱の鍵といった印象を受ける。持ち手の部分には、ネクタイピンと同じ 彼岸花 がレリーフ状に彫刻されていた。

 

「これを案内するまで、ポケットにでも入れて肌身離さずにしておいてください。そうすると、種田さんの情報を読み取って鍵が新しい形に変わります」

 

これも現世にはない謎技術か。そういうところはファンタジー要素が強めなんだな、地獄って。今度、時間が空いた時に佐藤さんに教えてもらうことにしよう。

 

室内から、外に出て廊下を進んでいくと来る時よりも獄卒を見かけるのが増えてきていた。仕事の終了を表すのであろう鐘の音が鳴り響き、若干慌ただしくなってきていた。

 

「この廊下をまっすぐに進んで次の丁字路を左に曲がってください。その先に居住地へ行く扉がありますので」

 

「佐藤さんが案内してくれるんじゃ?」

 

「私も一緒に行きますが、もしもはぐれた時のリスクを考えた場合、目的地を教えておいたほうがトラブルを回避できますから。なので、はぐれた場合は教えた道順の通りに行ってみてください」

 

先ほどよりは若干混み始めた廊下を、教えてもらった通りに進むと引き戸型の扉が現れた。エレベーターの扉のように、スライドして行く形状らしい。

 

その手前にある、マンションのロビーにあるような無機質な箱に先ほど預かった鍵を差し込むと、奥にもう1つドアが見える。おそらく二重ロックのようになっているのであろう、そのドアを開けるとそこはーーー

 

◇◇◇

 

そこは、今朝もう二度と戻らないと思っていた安アパートの一室だった。部屋のレイアウトは変わらず、変わっているとこといえばベッドが新しくなっていることと窓から見える景色が以前のアパートのように、向かいのマンションの壁ではなく、草原が広がっているのが見て取れる。

 

「種田さんの居心地のいい空間に設定されるようになっていましたが、やはりこの部屋になりましたか」

 

佐藤さん曰く、先ほどの鍵で読み取った情報を基に、部屋が構成されるらしく俺の居心地のいい空間は、あの安アパートの一室だったようだ。

 

以前は、決められた形式の部屋があてがわれていたらしいが、獄卒によってはストレスがかかり、仕事の効率はおろか退職し人員が足りなくなる状況がよくあったらしく、その状況は明らかに不得手と判断、即急に対策がとられ、今の方式に固定したらしい。

 

今朝、出てきた部屋に戻ってきたような感覚と、染み付いた匂いはしない空間に身体を慣らしていく。同じレイアウトであっても、同じ部屋ではないという違和感はまだあるが、じきに慣れて当たり前になっていくのだろう。

 

「では、‪一時‬間後に迎えに上がりますので、それまではゆっくりしていてください。こちらもその間、少し作業が残っていますのでそれを進めてきます」

 

そういうと、佐藤さんは踵を返し部屋を出ていった。

その後ろ姿を見送った後、部屋の片隅に置いてある段ボールを開封し、愛用の枕とマグカップを取り出した。

 

枕を真新しいベッドに置いて横になると、かすかにだがあの古アパートの匂いが染みついていた。それは、もう手に入らないものーーー手のひらから離れていった物の匂いだった。

 



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Fry×4 feat.TaruTaru

ベッドで横になっていると、ちょうど‪一時‬間後に佐藤さんが迎えにきた。約束の時間を指定すると、時間を合わせるのは佐藤さんの性格によるものだろうか。時間通りに来てもらってありがたい気持ちの方が勝っていた。

 

「種田さん、準備はよろしいですか?」

 

「はい、行きましょう。すごくお腹空きました」

 

そう言うと、佐藤さんは一瞬不思議そうな顔をしたがすぐに通常時の顔に戻った。おそらくやせ我慢だと見抜かれたのであろうが、言わぬが吉と判断し何も言わなかったのだろう。

 

その後、佐藤さんと一緒に食堂へ向かう途中、時間に余裕があったので前々から疑問にあったことを投げかけて見た。

 

「佐藤さんに最初あった時から思っていたんですけど、結構頻繁にタブレットを使ってますよね。地獄でも通信環境整ってるんですか?」

 

「あぁ、それですか。キャリア等は、基本現世と変わらないと考えてもらえればいいかと。そういえば種田さん。今日一日、端末を触ってませんでしたが、触っても大丈夫ですよ。手持ち無沙汰になったら、Wi-Fi飛んでますからそれに接続すれば時間つぶし等に役に立てるかと」

 

ーーー驚いた。佐藤さんは普通にタブレットを使っていたが、なにか地獄での特殊な仕様なのだろうと考えていた。が、まさか通信環境が現世と同じかそれ以上に整えられていて、しかもWi-Fiまで飛んでいるとは。

 

「連絡取ろうと思えばすぐにでも飛ばせますから。インフラ整備は、特にここ10年位で一気に進みましたね。以前は、裁判などにも紙の分厚い冊子を使ってましたが、今はタブレット端末にデータを飛ばしてそれを使うのが主流になってます」

 

「聞くまでもないことなのかもしれないですけど、それって誰が発想元なんですかね?」

 

「発想自体は、以前からありましたが開発を主体したのは平賀源内さんだったかと。頻繁に現世視察して、情報を仕入れてきてるとは以前聞きました」

 

平賀源内、地獄にいるのか。しかも頻繁に現世視察に伺って、インフラ整備の知識収集してるとは‥‥もしかすると、生きていた頃より充実した研究ができているんだろうか。死罪にもならないだろうし。

 

◇◇◇

 

そうこうしていると、食堂に着いた。食堂というよりもフードコートの方がイメージは近く、以前来た時より獄卒は多くすごく賑わっている印象がある。座る席を確保しようとしていると、端の方に見知ったシルエットがーーー閻魔様が手まねきをしていた。

 

「やぁ、たねちんと佐藤。おつかれさま。よかったら一緒にごはんどうだい?」

 

「閻魔様がよろしければぜひ。種田さんもよろしいですか?」

 

「はい」

 

たどたどしく返事をすると、閻魔様の向かいの席に座る。以前も、この位置だったからもしかするとヤミー様の指定席なのかもしれない。

 

「裁判初日はどうだった?つかれたかい?」

 

「えぇ、なかなかハードでしたがなんとか。思った以上に、エレルギー消費が激しかったので腹の虫が暴れまわってます」

 

「はっはっは!それはなによりだ。たねちんは、今日のおすすめ確認したかい。たしかフライ定食か、ミックスグリルだったはず。好きなほうを選ぶといいよ」

 

フライ定食かミックスグリル……両方ともガッツリ系だ。ただ、その選択をされた時に何を選ぶのかはほぼ決まっている……あとはソレがあるかどうかだ。

 

「……ヤミー様、フライ定食にタルタルソースはつきますか?」

 

「基本は付いてないけどたのめばもらえるよ〜」

 

確証は得た。そうと決まったら行動するのみである。

 

「では、フライ定食にタルタルソースをつけることにします。佐藤さんはどうしますか?」

 

「そうですね。悩ましい所ではありますが、私もフライ定食にします。タルタルソースは少量だけ」

 

「ふたりとも決断が早いね〜。おばちゃーん、フライ定食2オプでタルタル中小!」

 

「ハイヨロコンデー」

 

調理師の溌剌とした声が聞こえ、注文が出来たことに安堵していると、ヤミー様が話題を振ってきた。

 

「……こんな所で話す内容じゃないのかもしれないけど。種田くん、最初に裁判した亡者が知りあいだったらしいね。亡者とはいえ、知りあいを裁くのはどう感じた?」

 

閻魔様がスイッチを切り替えたのを感じ、その問いに答える。きちんと、自分の思った考えを自分の言葉でーーー

 

「はい、思った以上に辛かったですね。生きていた頃を知ってるだけに、出した判決が正しかったのかは未だにわかりません。ただ、最後に見たあいつのーーー後藤の背中はたぶん一生忘れないと思います」

 

「そうかい。その事を忘れなかったら、君は立派な審問官になれるよ。ぼくが保証する。 さて、そろそろ出来上がる頃だろう……お、運ばれてきたね。さぁ、食べよう食べよう。空腹を満たせば次が見えてくる」

 

◇◇◇

 

その日のフライ定食は、海老・白身・イカ・アジの組み合わせだった。揚がって、そんなに時間が経ってないのであろうフライからはジリジリと音が鳴っている。そしてその横にはタルタルソース。

 

佐藤さんの方は、内容は同じだったがタルタルはスプーンひとすくいぐらいの量だった。これが中と小の違いなのだろう。

 

「種田さんは、フライはタルタル派ですか」

 

「はい。むしろ、タルタルソースを食べるためにあるようなものだと思っています」

 

揚げたてであろう海老フライを箸で掴み、タルタルの海に浸す。今回はガツンと味わいたいので、1回目から半分ほどまで浸し、茶碗に盛られた白米の上にワンバウンド。そして口の中に頬張ると、揚げたての海老フライの旨味とタルタルの濃厚な味が素晴らしいコンボを叩き出す。

 

あぁ、最高に美味い……!コッチに来てからの最高記録を今更新した……!

 

次は、アジ。コレはディップするよりも、直接かけて頂く。その際には、味の表面にうすーくソースをかける。そうすると、ソースの風味が足され旨味が何倍にも膨れ上がる。

 

至高‥その言葉がふさわしい旨味……

 

満足しながら食していると、佐藤さんとヤミー様から視線を感じた。その顔を見ると、ヤミー様は驚きと微笑みが入り交じった表情。一方佐藤さんの顔は慈愛の表情。母が子を見つめるような顔だった。

 

「……なにか顔についてます?」

 

「いえ、幸せそうに食べるなと思いまして。そういう表情もされるんですね」

 

「うん、たねちん。今、いい顔してるよ。すごくいい顔してる」

 

そんな顔していたか。なんというかこそばゆい。そんな感覚だった。

 

 



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悪夢と新たな知り合いと

見えるのは暗闇。視界は10センチ先も見えず、脚はぬかるみ、空気はねっとりと湿気を帯びて、絡みつく。

 

鼻が曲がるような汚臭が、鼻腔の奥まで突き刺さり爆発するような感覚に襲われる。例えるならば、飼育小屋と下水道の匂いを同時に嗅いでいる感じだろうか。

 

脳が危険信号を出し、嗅覚がどんどん感じなくなっている感覚に襲われる。ふと、臭いに気を取られ気づかなかったが、感覚として数メートル先に何かがいる。

 

おそらく、大型の獣だろうか。パキッと枯れ枝を折るような音と、クチャクチャという音が聞こえてくるから何かを捕食しているのだろう。

 

急ぎ、離れようとするが足が動かない。先ほどまで、ぬかるんでいた足元は、固まったセメントのようになり、身動きが取れそうにない。ジタバタと動いていると、獣がこちらに気づいたようで、青緑色の2つの瞳をこちらに向けた。

 

『人の子よ、去れ。これ以上此方に深入りするな。』

 

おそらく獣が喋ったのであろう。理解できずに、固まっているとゴロリとなにかが足元に投げられた。暗闇で見えるはずがないのに見えたそれは、まだ温かい人間の腕。脚。頭部。

 

その顔は、生涯忘れることはないであろう、ーーーの顔だった。

 

 

◇◇◇

 

意識が覚醒する。そこは自室で、さっきのは夢だったのだろうか。なんとも寝覚めの悪い夢だ。もう一度、横になるが目が覚めて眠れそうにないので、シャワーを浴びることにしよう。

 

部屋のレイアウトは、以前住んでいた部屋と変わらないので、迷わずに済んだ。お湯の温度は、以前の部屋と違い、安定していて水圧も変化しない。

 

シャワーを浴び終え、ぼうっとしていると端末に通知が入る。確認すると、佐藤さんからの連絡のようだ。

 

『本日の業務は、昨日と変わらず通常業務になります。諸事情により同行指導ができません。ですので、私の後輩を送りますので、その人と行動してください。』

 

今日は、佐藤さんとは別行動らしい。残念なようなそうでもないような不思議な感覚だ。

 

数時間後、部屋の扉をノックする音が聞こえたので扉を開けると、そこには佐藤さんより頭一つほど背が低い、小柄な女性が立っていた。例えるなら、佐藤さんが猫ならこの子は犬。そういう印象だ。

 

「おはようございますっス!!!佐藤さんの後輩の巻尾っす!!本日は、よろしくおねがいしますっス!!」

 

「あ、はい。種田と言います。今日はよろしくお願いします」

 

「はいっス!!あ、種田さんは朝餉はいただいたっすか?まだなら一緒に行くっス」

 

「そうですね。まだ、何も食べてないので行きましょうか」

 

せっかくなので、コミュニケーションも含めて巻尾さんと朝食を一緒にとる。食堂に向かうと、今朝も変わらずごった返していて、騒がしさが耳につく。

 

今朝は、ガッツリ食べる気分ではなかったので、シリアルとヨーグルトのセットを頼む。巻尾さんは、いつものをお願いするっスと何かを頼んでいた。

 

注文した朝食が届くと、巻尾さんは、むかし話に出てくるような山盛りの丼飯と、大きな玉子焼きを美味しそうに頬張っていく。

 

昔、何かの広告にあったいっぱい食べる君が好き、というフレーズを思い出すくらいにとても印象的な光景だった。

 

食事を済ませて、執務室の扉に手をかけ開くと先日と変わらず、執務机と椅子のみの部屋だったが、机の上には眼鏡ケースが1つ置かれ小さな付箋が貼られている。

 

〔業務中はこちらの眼鏡を掛けてください。必要以上の情報をカットするようになっています。 佐藤〕

 

付箋を読み終えると、巻尾さんが何やらニヤニヤしながらこちらを見ている。何か気に障った行動でもしただろうか?

 

「……いやー、まさか先輩がここまでするとはおどろきっすね。色々ウワサされるはずっス」

 

色々ウワサされるというのは少し気になるが、今回は気にしないでおく。用意された眼鏡は、シルバーのフレームの比較的シンプルなものだった。掛け心地も、悪くない。

 

「おっ、結構似合ってるっス。あ、写真撮ってあげるっス。ハイ、ピース」

 

他人に写真を撮ってもらうことなど、そんなにないからか恥ずかしく感じてしまう。これも慣れればなんとかなるのだろうか?



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至らずされど伺えず

「さて、お仕事するっスよ。お仕事!」

 

どうやら今から審問開始のようだ。机に置いてるタブレットに情報が送られ、亡者が獄卒に連れられやってくる。

見た目は70前後の女性。一見した印象は、人あたりが良さそうで善人感が強く感じる。こちらを見ると一礼をした。

 

こちらも一礼して、タブレットに送られた情報を見る。

 

 

江野川 はつゑ:享年66 死因:多臓器不全における心不全。

 

罪状:当人が経営していた飲食店において、酒類を水で薄め販売していた模様。その際、酒の料金は通常の1.5倍ほどの値段に設定した模様。

 

 

今回は、以前の後藤の時よりわかりやすい方か。酒類を薄めて販売し、多額の利益を与えていた場合は叫喚地獄の火末中処が当てはまったはず。

 

ただ、この判断で良いのだろうか。少しだけ、なにか違和感を感じてしまう。例えるなら、木を見て森を見ずと言ったところだろうか。そう考え、タブレットに手を伸ばし、詳細を調べる。

 

……あった。これが違和感の正体だろう。

巻尾さんにいちおう確認してもらうと、

 

「種田さんはこういう風に判断したんすね。こっちからいうことは特にないっすよ。判決はお任せするっス」

 

「そんな感じでいいんですか?」

 

「種田さんがちゃんと考えて、決めたのならそれが一番っすから。間違ってたらあとでネチネチ言われると思うっスけど……」

 

判決を決め、タブレットに打ち込む。いくつかの地獄が選択肢にあるのが伺えたが、今回はその上のタグをクリックする。

 

天国行き:罪状は変わらないが、罪を犯した時期が戦時中〜戦後のため、情状酌量の余地ありと判断。

 

罪状を述べ終えると、彼女は来た時のように、だがその時以上に深く一礼をし、獄卒が亡者を連れ扉の奥に下がっていった。

 

◇◇◇

 

以前のように、顔見知りではなく全くの他人だとこういう感覚になるのだろうか。経験が少ないため、今回の判決が正しかったのかどうかは正直なんとも言えない。

その事を巻尾さんに聞くと、しばらく一考した後答えてくれた。

 

「うーん、大丈夫だと思うっスけどねー。彼女の場合、亡くなった後の法要がきちんとされているみたいですし。犯した罪を償うというよりは、犯してしまった行動を反省するのが大事なんスよ。だから今回の判決も妥当と判断することもできるっす」

 

やはり地獄にも情状酌量という考えがあったようだ。もしそうだとすると彼女自身がきちんと反省できていれば、天国に行き、次の生につながる。そういうことなのだろう。

 

その後、先ほどの亡者と同じような罪状の亡者を裁き終えると、誰かが扉をノックする。訪問されるような間柄は、片手で数えるより少ない。

 

疲労困憊の中、扉を開けると紙袋を携えた佐藤さんが立っていた。

 

「お疲れ様です、種田さん。審問はちゃんとできましたか?」

 

「ええ、なんとか。まさか佐藤さんが直接来るとは思ってませんでした。メールが送られて来た時は、どうしたのだろうと思いましたが」

 

「いえ、少し天国の方に用がありまして。ついでに、私用もいくつか済ませて来たと言ったところでしょうか。巻尾は、ちゃんと業務できてましたか?」

 

そう言われ、巻尾さんを見て見るといつの間にか隣で待機していた。さしずめ、主人を待つ犬といったところか。よく見ると、犬耳と尻尾が出ており、尻尾はモーターが壊れたワイパーのごとく振れていた。

 

「ちゃんとできてたっスよ!!ところでそれ甘いものっスか?なんかいい匂いするっス!」

 

「ええ、カステラをいただきました。あなたの分もちゃんとありますよ。食べたいのでしたら巻尾は、お茶の準備をしてください。私は、取り分けますから」

 

佐藤さんが紙袋から箱入りのカステラを取り出し、人数分の皿に取り分ける。それは、黄金色の眩い後光がさすような見事なカステラだった。少し離れていても、甘い香りが-室-の中を充満していく。

 

目の前に、取り分けられたカステラを頬張る。それは、上品な甘さで少しもくどくなく、口の中でホロリと溶けるような口溶けだった。

 

「美味しいですね、このカステラ。こんなに美味しいのは、初めて食べます」

 

「お気に召したのなら良かったです」

 

「いやー、ホントに美味いっスね!!こっちに住んでても、天国のカステラはそう滅多にお目にかかれないっスから今日は味わい尽くすっス!!」

 

湯飲みに注がれた、渋みの強い緑茶をすすり、口の中を整える。こっちに来てから、美味な物ばかり食べている気がする。元々の基準点が低すぎたのだろうか、それともこちらの食べ物がどれもレベルが高いのだろうか。

 

それに関しては、未だによくわからない。が、ひび割れた心を満たすような不思議な感覚を味わった。

 

 

 



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少しの変化と気遣いを

カステラを食べ終えると、今日の裁判で疑問に思った事を佐藤さんに聞くことにする。巻尾さんに聞こうと思っていたが、佐藤さんがいるのなら両人に聞けるタイミングはここしかないだろう。

 

「そういえば今日の裁判で、数人のおそらく死後40年以上たった亡者の裁判をしたんです。もしかして、いまだに裁けていない亡者ってかなりいたりします?」

 

「あぁ、それですか。そう疑問に思われるのも仕方ないと思います。種田さん、面接をした時にお話ししたことを憶えていますか?」

 

面接のとき?たしかこの間のことだったはず……思い出そうと頑張ってみるがどうもハッキリしない。記憶を遡るために頭を捻るが、うんうん、と唸るばかりで一向に思い出せないでいると、佐藤さんが口を開く。

 

「以前もお伝えした通り、亡者の数は常に多く裁ききれていない状況というのは教えた通りです。ところで、亡者が増える条件というのはいくつかあると思いますがわかりますか?」

 

「亡者が増える、ですか?うーん、景気が悪くなったりとかですか?」

 

「それだと首の皮一枚の赤点回避といったところですね。答えは、争いと病です」

 

「争いと病……争いは戦争で多くの死人が出るのはわかるんですが、病ってそんなに死ぬんですか?」

 

そう聞くと、佐藤さんの表情は暗く、若干ながら目が濁っているように見え、巻尾さんに関しては呆れ顔を隠せていないように見える。雰囲気を察し、話題を変えようとすると、佐藤さんが重い口を開いた。

 

「そう言えば種田さんは、罹災経験者ではなかったんでしたね。たしかにここ数十年は、種田さんの周囲では戦争や病は起きていませんが、実際はいつ起きてもおかしくないんですよ」

 

「ほんっと何も大きなことが起きてなくて幸運だと思わなくっちゃダメっスよ。目の前で、知らない他人も知ってる身内もみーんな死んじゃうのは思い出すだけでもキツイっすから」

 

「失礼なことを言ってすいませんでした」

 

「別にいいっスよ。忘れたくても忘れることなんてできっこないんスから。こんな記憶でも誰かに言えたらそれはそれで楽になるっス。なんで気にしないでいいっス」

 

どうやらこの話題は、二人にーーー特に巻尾さんにとって踏み込んではいけないラインのようだ。迂闊にも踏み込んではいけないところに踏み込んでしまった……そう気付いた時にはもう遅く、空気は重く心臓の音さえ耳に響いていた。

 

◇◇◇

 

「そういえば種田さん、明日はお休みですがご予定は?」

 

重くなってしまった空気を崩すように佐藤さんが話を振ってきた。正直凄くありがたいと感じると共に、フォローしてもらいっぱなしなのは悪く感じてしまう。

 

「あれ?明日は休みなんですか?」

 

「はい。こちらも、面接の時に説明させてもらいましたが、とくに今の種田さんには休息が必要だと思います。」

 

「特に予定はないのですが……」

 

「そうですか。では、なにかしたいことはありますか?」

 

したいこと……とくにこれといって思いつかない。現世にいた時は、適当にスマホで時間を潰してた気がする。が、何がしたいと言われてすぐに答えられない。

 

「その様子だと、とくにやりたいことはないようですね。わかりました。では、時間を潰せるような場所をいくつか案内しましょう。巻尾、あなたもついてきなさい」

 

「わかりましたっス。ところでどこから行くっスか?」

 

「そうですね‥‥まずは図書室あたりでしょうか」

 

◇◇◇

 

佐藤さんと巻尾さんに案内され、図書室と呼ばれた場所についた。そこは、両開きのかなり大きな扉があり上には金属製のプレートに【図書室】と彫り込んである。

 

「では、入りましょうか」

 

佐藤さんがそう言いノブをひねると、そこには高さ数メートルはあるであろう大きな本棚がいくつもあるとても広い空間が広がっていた。天井までの高さは、数十メートルはあるだろうか。その天井には、クラシックなデザインの照明がいくつも吊り下がっている。

 

「これは……すごいですね」

 

「図書室といいましたが実際は資料室といったほうが分かりやすいでしょうね。ここには、ありとあらゆる書物が揃っています。おそらくですが、現世にある本とよべるものはほぼあるのではないかと」

 

全ての本……そう聞くと圧倒されてしまうほどの量だ。一番近くのラックを覗くと、文芸誌にゴシップ誌、はたまた学術誌まで多くのジャンルをフォローしてある。

 

「ここにある本ってアーカイブ化されてないんですか?」

 

「分類分けや逆引きはしていますが、書籍のアーカイブはまだまだ追いついていない状況ですね。アーカイブ化も、元々は有志が個人的にやり始めたのがきっかけですし、そもそもタブレットなどもここ最近使いこなせるようになったくらいですから」

 

「そもそも地獄だと、本は現物で読みたいってやつが結構な割合でいるんスよ。だから、あんまり熱心にアーカイブ化してるやつの方が少数派なんス」

 

どうやら、地獄も現物派とデジタル派で別れてはいるようだ。が、おもっていた以上に現物派が優勢のようである。そもそも、タブレットですぐに読める状況ならここまで図書室も盛況ではないだろう。

 

ちなみに俺は、漫画などはデジタルでもいいがその他の雑誌は選べるのならば現物派である。なお現世にいた時は、面接に落ちまくってけっこう切り詰めた生活だったから手持ちの書籍等はほぼほぼ売り払っていた状況なだったが。

 

「種田さんもなにか借りてみてはどうですか?」

 

「うーん、今とくに読みたいという本は思いつかないんですよね……」

 

「そうですか。種田さんの私室にもありますが、タブレットの中のアプリで借りることができるのでよかったら使ってください」

 

「アプリで貸借できるんですか?それは便利ですね。何か読みたい本が思いついたら、借りてみることにします」

 

◇◇◇

 

図書室を後にし、次の場所に案内してもらうことになった。

 

「今すぐに案内できる場所はそうですね……近場ですと案内できるのは売店ぐらいでしょうか」

 

「あー、そうっスね。よく使う場所というとそこは外せないっス。他にも案内したいところはいくつかあるっすけどちょっと面倒なんスよねー」

 

「なんかめんどくさい事情があったりするんです?」

 

「そういう訳ではないんですが……種田さんはこっちにきてまだ日が浅いですよね?ですから申請の書類等がまだ揃ってない状況なんです。本来ならば他に案内したい場所はまだ下の階層にあるのですが、種田さんにはまだその権限が譲渡されていないという状態になります。なので、現状案内できる場所というと売店ぐらいしか残っていないんです。この説明で事足りましたか?」

 

「そういう理由だったんですね。だったら、案内をよろしくお願いします」

 

もともと現世から地獄に就職した身だ。本来ならもっと時間がかかってもおかしくない、と考えれば多少は気が楽になる。たしか大学の同期で、入社してから3ヶ月は正規採用扱いにならないとかいっていたやつもいたからそれよりかは幾分マシだろう。

 

そう考えれば、マシーーーいつからこういう考え方に至るようになっただろうか。記憶ははっきりとしないが、昔……子供の頃は、こんな考え方はしていなかったと思う。少なくとも、希望が叶わず絶望するデメリットよりも自分の望むメリットの方が大きく輝いて見えたものだ。

 

今よりも少しだけーーーほんの少しだけ前向きに考えれば、今よりもいい状況になるのだろうか。なるのだとしたら、これは今までの自分を変えることができる……気がした。



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少しばかりの買い物 と卑屈な隣人

佐藤さんと巻尾さんに案内され、売店にやってきた。売店といって思い浮かんだのは、高校や少し大きい総合病院の中に併設されているものを想像していた。

 

今、見える正面は3メートル四方ほどの高さの入り口が見え、店舗名だろうか「MITOKAWA」と書いてある周囲より少しだけ目立つネオンが印象的な倉庫といったらところか。

 

周囲には、同じ目的らしく数人単位のグループがいくつか見受けられる。入り口の前にある認証用の端末だろうか?それに手のひらをかざし、画面に顔を向けると通行許可と画面に表示されている。これで売店に入れるようだ。

 

中に入ると、そこは店舗というより倉庫といった印象を受ける。置かれている商品は、菓子類や飲料、たばこや酒類ととくに目立った商品というのは見受けられない。

 

その奥のほうにまるで隔離されているがごとく、小さなクーラーが置いてある。中を覗くと、そこにはあの意識を持っていかれた閻魔様監修のドリンク剤が鎮座していた。

 

「アレ‥‥置いてあるんですね。」

 

「えぇ‥‥多少なりとも需要が見込めますから。ただし、飲むかどうかは自己責任の範疇ですが。」

 

「アレくっそまずいんすよねー‥‥好き好んでガブガブ飲んでるやつはたまーにみるっすけど正気を疑うっす‥‥」

 

「‥‥‥だーれが正気を疑われるんだい?」

 

その声に驚き、後ろを向くとそこには不動明王のような烈火の如くオーラを纏うヤミー様が腕を組んで佇んでいた。幼い見た目ではあるが、世紀末覇王のようなプレッシャーを感じ、思わず生唾を飲み込む。

 

その姿を見た巻尾さんは、鳩が豆鉄砲を食らったように驚き、佐藤さんの背後に身を隠してしまった。

 

「ぎゃああああ!!でたっす!!ごめんなさいっす!!もう悪口言わないっす!!」

 

「まったく‥‥好き嫌いは個人の好みなんだからともかく、誰が聞いてるかわからない場所で悪口をいうのはあまり感心しないな‥‥」

 

「ヤミー様、どうされたんですか?昼食の時間はまだ先のようですが?」

 

佐藤さんが、手首につけた腕時計を確認する。そういえば先ほど間食を食べたから、そこまで空腹には至っていないが、まだ昼食には時間があるように感じる。

 

「たねちんはたしか明日が休みになると思ったから、佐藤が何かしら案内するだろうと思ってね。たねちんに施設を案内するんだとしたら、ここに来るだろうと思って行動しただけさ。」

 

「お、恐ろしき思考回路っす‥‥灰色の脳味噌もビックリの思考回路っす‥‥」

 

口には出さないが、そこは巻尾さんと同意見である。もしかすると閻魔様、地獄全体のスケジュール把握してたりするのだろうか。

 

「ヤミー様、でしたらお戻りください。まだ、業務も残っているんじゃないですか?お昼でしたら、一緒に食べますから。」

 

「えぇー、佐藤たちだけズルイよー‥‥しょうがない。少し買いものしたら持ち場に戻ることにするよ‥‥あと、まっきー。次、悪口言ったら全力デコピンだからね。」

 

そういうと、ヤミー様はクーラーボックスからドリンク剤を一本取り出し、腰に手を当ていっきに流し込んだ。

ちなみに巻尾さんは、この世の終わりかというほどにガタガタと震えていた。

 

「じゃーねー、佐藤。たねちん。まっきー。また、お昼に会おう!」

 

◇◇◇

 

まるで台風のように閻魔様が過ぎ去ったあと、商品を眺めていく。一見した際の商品の印象としては、とくに変わった点は見受けられない。おそらく、少しパッケージが違うだけで現世に流通してるものとそうは変わらないのだろう。

 

なのでいくつかのものを身つくろい、会計をすまそうとする。が、周りを見てみると、会計が見当たらない。買い物を済ませたと思われる獄卒たちは各々、商品を手に持つなり風呂敷に包むなりして入り口から出ていく。

 

「佐藤さん、レジってどこにあるんですかね?」

 

「種田さん、そのまま正面からでて大丈夫ですよ。その際に、支払いは完了しますから。」

 

「え!?」

 

驚く俺を尻目に、佐藤さんと巻尾さんは堂々と正面から店を出ていく。本当に大丈夫だろうか、と心配になりながらも2人の後ろについていくと、何事もなく店を出ることができた。

 

「入り口の認証端末に触れた際に、指紋・瞳孔・チョーカー・ピンの紐付けが完了し、入店できるようになります。支払いは、個人の支払い口座から自動で引き下ろしされますよ。」

 

「へぇー、便利ですね。このネクタイピンとチョーカーにそんな機能あったんですね。」

 

「厳密にいえば、チョーカーにその機能は付いていません。どちらかといえば、ピンについてると考えてください。」

 

「え、じゃあこのチョーカーは?」

 

「そのチョーカーには、バイタルなどの情報を常に捉え、異常があれば責任者‥現状は私になりますが、通知が送られるようになっています。ですので、もし緊急を要する場合速やかに駆けつけることができるようになってます。」

 

チョーカーにそんな機能があったとは‥‥まぁ、チョーカーといってはいるが実質首輪なんだよな、これ。見た目スタイリッシュになってはいるが。

 

「‥‥チョーカーは現世から地獄にきた人間に、全員つけるようになってるんです。以前、食堂で奇異の視線に晒されたような経験はありませんか?」

 

「初日の食堂で、視線は感じましたが‥‥あれってそういう視線だったんですか‥‥」

 

「‥‥説明が足りず、申し訳ありません。できれば、もっと早く伝えておけばよかったのですが。」

 

「別にいいですよ。何かしら必要だからつけているんでしょう?だったらそれでいいです。」

 

そう言ったが、佐藤さんは申し訳なさそうに視線を流す。

佐藤さんも、何かしらの責任を感じているのだろう。

 

◇◇◇

 

その後、閻魔様含め4人で昼食をとった。とくに変わったことはなかったが、視線というものは意識すれば感じるもので、晒されている感覚はすごく感じた。例えるならば、動物園のパンダといったところだろうか。

 

その後、自室に戻りベッドに横になる。以前と変わらず、部屋は思った以上に殺風景で物足りない印象を受ける。

 

明日はどうしようか‥‥そう、頭の中で考えていると隣の部屋だろうか、金属を削るような音や何かを打ち砕く、そんな大きな物音に意識が持っていかれた。

 

しばらくすると、音は鳴り止んだ。が次の瞬間、大きな破裂音が窓から響き、窓ガラスが震え、思わず身を守る体制に入った。

 

またしばらく後、伏せた状態から体を起こし部屋を確認する。よかった、なにか壊れているようなものは見受けられない。

 

音は、先ほどの隣室からだろうか‥‥様子見と少しばかりのクレームを胸に、廊下を出て音が聞こえた右側の部屋の扉をノックする。

 

しばらく待つと、蝶番からきしむような音とともにわかりやすく技術屋といった印象を受ける男が出てきた。背格好は少し痩せ気味、顔色は悪くなかったが、目の下にはクマが広がっている。声をかけるのも戸惑ったが、心配にもなったので思い切って話しかけた。

 

「だ、大丈夫ですかっ!?」

 

「あ‥‥はい。なんとか。あなたは?」

 

「えーと‥‥いちおう、隣のものです。先ほどの破裂音は一体?」

 

「あー、すいません。新しい発明品を作っていたら盛り上がってしまって‥‥ご迷惑をおかけしたなら謝ります。」

 

なんだろう、この人‥‥不思議というか変な人だな‥‥

人というか獄卒といったほうが正しいんだろうか。よく見ると、額には片方に角のような突起が見える。

 

「いえ、大丈夫ですが‥‥いちおう気をつけてくださいね。俺はともかく、他の人になんて言われるかわかんないですから。」

 

「はい、すいません。あ、お名前よろしいですか?ここでこうなったのも何かの縁ですし‥‥あっ、イヤならそれでいいんですよ。私なんかに関わってくれるひとなんかいないんですし‥‥」

 

「そこまで卑下しなくても‥‥種田っていいます。なにかあったら、遠慮なくいってください。」

 

「ありがとうございます。あっ、申し訳ありません。私、日下部と言います。技術開発局に所属してます。」

 

 

 



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となりのKSKB

「技術開発部ですか?」

 

「あっ、はい。口で説明するより見てもらう方が早いと思うので、どうぞ入ってください。」

 

そう促され、日下部さんの部屋に入るとそこはジャンク品の山、山、山。うずたかく積まれた山脈のようである。壁側には、機械工作用の旋盤や名称がわからない機械がいくつも並んでいる。

 

「ちょっとまって‥‥くださいねっと‥おっとっと」

 

ジャンクの山をかき分けると、奥に約2畳ほどのスペースが見受けられる。そこに、どこから持ってきたのか座布団を敷いて、座るように促されたので座った。

 

「何も出せず申し訳ない。多分どこかにはあると思うんですが、いかんせん探すのに手間取りそうでして‥‥」

 

「すごいですね‥‥この山は‥‥どれだけ溜め込んでいるんですか‥‥」

 

「うーん、どれぐらいでしょうかね。これでも、実家の方に比べるとまだまだマシなんですが‥‥あっちは2つの蔵使い切ってもまだまだ足りないくらいでしたよ。」

 

目測だけでも、この部屋にあるのは俺の部屋を埋めつくすほど。これ以上になったら蔵2つ分は必要な量なんだろうとは想像に難くない。

 

「このジャンク品の山も、使い回せるパーツだらけですから‥‥そう考えると、捨てるのはもったいないと感じてしまうんです。」

 

「せめて、足の踏み場くらい作りましょうよ‥‥」

 

「面目ありません‥‥いかんせん、この部屋に訪ねてきたの種田さんが初めてでして。」

 

誰も訪ねてこなかったということは、今までトラブルはなかったということだろうか。だとすると、さっきの騒音も今まで隣には聞こえていなかったことになる。

 

「そもそも、隣人なんてここに入ってから初めて見たんですよ。今までは、空室のようでしたし。」

 

‥‥うん、思った以上に簡単な理由だった。

 

◇◇◇

 

以前にもここにきたことがある。 そう、それは夢。

 

足元はおぼつかずぬかるみ、滑りそうになってしまう。血と汚物と何かが腐ったような臭いは変わらず、辟易としてしまう。

 

ただ、以前とは違うのは視線の先が以前来た時よりも、少しばかりハッキリしている。目を凝らし、視界を集中させるとそこには火の玉というべきだろうか、こぶし大ほどの炎が見えた。

 

火の玉に触れようとすると、意志を持っているのだろうか。触れようとした手を振り払うように、スッと逃げてしまう。

 

触れるのを諦め、火の玉を見ていると何かの意思を感じる。まるでついてこいと言っているかのように。

その意思に従い、ついていくと以前は見えなかったものが見えてきた。

 

そこには、とても大きな石が積まれていた。高さは、3メートル弱あるだろうか。むろん、人力では歯が立たないどころかかなり大きな重機を持ってきても持ち上がるか怪しいところだ。

 

その石に触れようとすると、『また来たのか』と以前も聞いた声が響いた。

 

『人の子は去れ、と以前言ったはずだが‥‥これは二度目の通告だ。三度目はもうないぞ‥‥その時は、貴様の魂をもらいうけることにしようかの‥‥取られたくなかったらもうくるな‥‥』

 

そう、何者かがいうと引っ張られるように意識が消えていった。

 

◇◇◇

 

相変わらずよくわからない夢だ‥‥行きたくていっているんじゃないというのに‥‥そう考えていたら、先日知り合った隣人の部屋からまたしても凄まじい音が響く。まるで、銅羅を鳴らすが如く響くその音は寝起きの頭にビリビリと響き、イヤでも意識を覚醒へと促せる。

 

イヤな夢で寝起きが最悪なのに、この騒音である。

流石に何かの線がプツンと切れる音がした。

 

自室を出て、隣の部屋の扉を叩く。叩く。叩く。まるで少年院に送られた少年が隻眼の老人からもらった手紙を読んだあとのように‥‥‥

 

しばらくすると、部屋の主人である男が扉を開いた。

昨日見た時と変わらず、青いつなぎを着て頭には、溶接用のバイザー、首には防音用のイヤーカフが下がっていて、メカニックグローブを着けているのがわかる。

 

「おや、種田さん。今日はどうしました?」

 

「日下部さん、あんまり言いたくないんですが音が響いてですね‥‥いったい何してるんですか?」

 

「あぁぁぁあぁあ、す、すいません。夢中になってて気づきませんでした。申し訳ありません。」

 

「いえ、夢中になるのは結構ですが気をつけましょう‥‥こういう小さいことの繰り返しで、取り返しのつかないことになったりしますから‥‥」

 

ほんの小さいことでも、積もり積もればなんとやら。溜まった怒りの矛先は、どう向くかわかったものじゃない。

 

流石にこれ以上言う必要もないだろう。そう思って、自分の部屋に戻ろうとすると、日下部さんから声をかけられた。

 

「‥‥お詫びと言ってはなんですが、よかったらこれからお昼一緒にどうですか?今回は、種田さんのぶんも私が出しますので‥‥」

 

「いや、そんな悪いですって‥‥そこまでしなくていいですから。」

 

「いいえ、気づきを与えてもらったのならばそれはわかる形で返さねばなりません。それに‥‥」

 

「それに?」

 

「誰かと一緒に食事をする‥‥今までしたことなかったのでやってみたいんです。なのでお願いします。」

 

そう言われたら弱い。そういえばこっちにきてからは佐藤さんや閻魔様、巻尾さんと一緒に食事が常だったけど、それ以前はそうじゃなかったな。

 

それに、まだ知り合って日の浅い人間を食事に誘う。それだけでも、結構な勇気が必要なのにおそらく彼は、初めての経験なのだろう。

 

「わかりました。一緒に行きましょう。着替えてくるので、少しまっていてください。」

 

「あっ、ありがとうございます。」

 

 

 

 

 



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根の国のナポリタン

向こうを待たせるのも悪いので寝間着のスウェットを脱ぎ、服を着替える。と、言っても持ち合わせの服なぞ正直乏しいので、仕事着のスーツに着替えるだけだが。

 

Yシャツに袖を通し、ネクタイを締めピンを付ける。

いつもならこれで終わりだが、先日佐藤さんからもらった眼鏡を着ける。まだ、眼鏡自体に慣れない感覚があるが、着け続ければいつか気にしないようになるのだろうか。

 

着替えを済ませ、自室を出てすぐに日下部さんが居た。

 

「お待たせしました。……もしかして、ずっとここで待ってたんですか?」

 

「ええ。こちらは準備することは特にありませんし。それに、家族以外の者と食事なんて初めてなんです。あっ、余計なこと言ってすいません……」

 

相変わらず、卑屈だ。と、言うよりもこれは自分に自信のない点からくるものだろう。人に上からものを言える立場ではないが、この卑屈さをなくせれば今より少しだけ変われると思うのだが……

 

「いえいえ、では行きましょう。予約は、済ませてあります。と言っても、ほぼ誰もいないと思いますが」

 

その言葉に、少しの疑問を持ちながら日下部さんについていった。

 

◇◇◇

 

日下部さんに案内され、ついていくと小さなアーケード街に着いた。アーケード街と言っても、個人商店がいくつか集まった形のものだが、閑古鳥が鳴いているのはみて明らかだ。例えるならば、萎びた田舎町のシャッター街を連想させる。

 

「ここも、私が小さい頃は大変賑やかだったのですがね。今は、見ての通り人の活気は失われつつあります。あっ、こっちです」

 

お目当ての店は、地下に降りる階段の先らしい。いわゆる、地下テナントというやつだ。階段を下り、10メートルほど歩く。すると、店の看板が見えてきた。

 

【Cafe & Bar 根の国】

 

地下にあるから根の国、か。ここの店主は、いいセンスをしている。日下部さんが、店のドアノブを捻ろうとすると店内から騒ぎ声と何かが崩れるような音がする。

 

日下部さんと目を合わせ、一旦扉から離れ数歩退くと店内から、獄卒ではなく鬼が二匹逃げるように出てきた。

 

「ひぃぃぃぃお助けええええ」

 

「ここやべぇよぉぉだからやめようって言ったのにぃぃぃぃぃぃ」

 

痛々しく顔を傷めた鬼たちは足早に去っていく。中々立派な体躯の鬼だったが、あれが涙を浮かべながら逃げ去っていくとはどれだけ恐ろしかったのだろうか。

 

喧騒が収まり、店の中に入る。店内は、落ち着いた空間でバーらしく、いかにもなカウンター席が数席と奥の方にテーブル席が見えた。

 

「こんにちは、マスター。さっきのお客さんは?」

 

「おう、いらっしゃい。さっきのは客じゃねぇよ。無銭飲食しようときた連中だ。金を払わずにメシを食おうなんざ2万年早えからな。お引き取り願ったというわけだ」

 

マスターと呼ばれたその人は、きちんと整えられたオールバックに綺麗に刈り揃えられた髭。恰幅の良い体躯に、チョッキが似合う老人だった。若い頃は、さぞ勇猛だったのであろう。顔には、獣のものと思わしき爪痕が、痛々しく痕を残している。

 

「まぁ、立ち話もなんだ。座りな」

 

マスターに促され、カウンター席に座る。日下部さんも、隣に座り注文をしようとメニューを探すが見当たらない。どうしたものかと悩んでいると、察した日下部さんが

 

「ここは、基本マスターがなんでも作れてしまうからメニューは置いてないんですよ。なので、食べたいものがあったらマスターに言ってみてください」

 

「食べたいもの……では、ナポリタンってできますか?」

 

「あいよ。坊はどうする?」

 

「坊はやめてくださいよ。そうですね……種田さんと同じものをお願いします」

 

「わかった。少し待ってな」

 

注文を聞き終わるとマスターは、カウンターの奥の調理スペースに少し引っ込んだ。1人で大丈夫だろうか、と心配していると数分後には調理し終わったのか、鉄板と皿に盛り付けられたナポリタンを持ってきた。

 

「あいよ、お待たせしましたっと。こちらナポリタンだ」

 

マスターが持ってきたナポリタン。それは、昔ながらの喫茶店のナポリタンだった。具材は、ソーセージ、ピーマン、タマネギ。麺は太めで、それを真っ赤なケチャップソースで絡めた見ているだけで涎が出てきそうな出来映えである。

 

ナポリタンでは珍しく、上に目玉焼きが乗っているのが好印象である。

 

「「いただきます」」

 

日下部さんと、狙ったかのように同じタイミングで揃ってしまった。が、今は目の前の獲物を早く食べたい。そう思わずにはいられなかった。

 

フォークで絡めとり、口に運ぶ。鉄板の上で熱せられたそれは、焦げ付かず香ばしさのいいアクセントになっていて次の一口が止まらない。

 

夢中になって、食べ進めているとふとあることに気づいた。口に出さなくても良かったのだが、なぜか気になるので、日下部さんに聞いてみる。

 

「あれ、日下部さんのほうは鉄板じゃなくて皿なんですね。どうしてですか?」

 

「あぁ、これですか。私、ねこ舌なんです。なので、鉄板の上に置かれると食べられなくなってしまいます」

 

あぁ、なるほどそれでかと納得し、食を進める。ほんと、このマスター何者だろうか。ここまで、気が使える人はこっちにきてからもそんなに見たことない。

 

疑問に思ったが、それは食事の後で。今は、目の前の美味しい食事をただ、ひたすらに食べ進めていった。

 

 



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Speak Out

「「ごちそうさまでした」」

 

「おう。食べ終わった器、片付けるぞ」

 

マスターはそう言うと、食した後の鉄板と皿を持って奥に回った。先ほど出てきたところと一緒だから、調理スペースと水場は隣接しているのだろう。

 

しばらくすると、マスターは銀製の丸盆にカップを2つ載せ戻ってきた。この香りはコーヒーか。以前、室で振舞われたそれとはまた違い鼻に抜けるいい匂いだ。

 

「ほい、コーヒー。砂糖とミルクは好きに入れてくれ」

 

おそらくこのコーヒーはランチに含まれていたのだろう。日下部さんは、カップに角砂糖を4つ、ミルクを縁ギリギリまで注ぐ。見てるだけで、口の中が甘くなった。

 

カップを手に取り、一口啜る。コーヒーは、苦味と酸味のバランスが取れスッキリとしていて、とても飲みやすい。食後に飲むなら、これ以上のコーヒーはそうそう出会えないだろう。

 

半分ほど飲み終え、ふと日下部さんの方を見るとすでに飲み終えたのかカップは空になっていた。

 

「いやー、マスター相変わらずいい腕前で。すごく飲みやすかったよ」

 

「そりゃどうも。あんだけ砂糖とミルクを入れてりゃ飲みやすくはなるだろうがな。今日はその腕、調子良さそうだな」

 

腕?そう言われ、日下部さんを見ると左の腕が生手と様相が違う。光を反射させない黒々とした義手だった。

 

その視線に気づいたのか、日下部さんはニコリと微笑むと話をしてくれた。

 

「以前、実験中の事故でやらかしちゃいましてね。肩口から綺麗に吹き飛んでしまったんですよ。医者には、素早く処置すれば、なんとかなるだろうと言われたんですが……ちょうどいい機会かと思って義手にしてみたんです。ほら、自分の体で試せば、腕も治るし新しい義手の改善点を見つけたら、すぐに実行できますから」

 

「どうしてそこまで……あっ、すいません。つい口に出ちゃいました……」

 

「別にかまいませんよ。技術の進歩というのはどうやったって時間がかかります。果てしなく続く階段をイメージするとわかりやすいか。稀にその過程を数段飛びで進めることがあるんです。私は幸運にもそのチャンスに恵まれ、手を伸ばし、掴めた。それが、この腕なんです」

 

そう言いながら日下部さんは、左の義手を天井から吊り下げられた照明を掴むかのように手を上げ、そこに何かがあるように 決して離さないとでも言ってるかのように力強く握りしめた。

 

しばらくの無言、店内にはスピーカーから聴き心地のいい曲が流れている。それは古くさく人を選ぶメロディーだったが、今はその曲たちが流れていることがありがたかった。

 

◇◇◇

 

「あー、そのなんだ。随分と辛気くさい空気になっちまったな……ちょっと待ってろ」

 

マスターが店の奥に入り、しばらくすると2つのガラスの器を持ってきた。見ると、白巻かれたソフトクリーム。

シンプルなミルクソフトのようだ。

 

「今度、うちの店で出す予定で作ってるんだが、良かったら食べてくれ」

 

「え、いいんですか?あっ、お金払います」

 

「別に金は払わなくていいよ。元はと言えば坊が何も言わずに連れてきたんだろう……気分を悪くさせた礼だと思って食ってくれ。あ、感想はキチンと聞かせてくれよ。あくまで試作品だからな」

 

そういうとマスターは、まだ用があるようでそそくさと奥に引っ込んでいった。気を遣ってくれたのだろう。今は、それがありがたかった。

 

「あー、溶けちゃう前に食べちゃいましょうか」

 

「ふふっ、そうですね。溶けちゃう前にいただきましょう」

 

添えてあったスプーンを取り、一口分掬って口に頬張る。

甘さは控えめで、想像していたものよりすっきりとしている。

ただ、これ単品だと少し物足りないといったところだろうか。

二人してしばらく黙々と食していると、用が終わったのか奥からマスターが戻ってきた。

 

「お、食べ終わったか。なら、率直な感想をたのむ」

 

そういうと、マスターは定位置なのだろうかカウンターの縁に腰をつける。どこから言おうか考えていると日下部さんから口を開いた。

 

「まず、さいしょに。とても美味しかった。暑い時期にはとてもいいと思います。ただ……」

 

「ただ?」

 

「単品だと、何か足りない。ただ、何が足りないのかはわからない。といったところでしょうか」

 

「うーむ……何かが足りない、か……」

 

そういうとマスターは、顎に手を当て考え込むようにして黙った。若干ながら、空気が重くなるのを感じる。

 

「……あのー、自分も感想いいですか?」

 

「おう、悪いな。聞くのを忘れていた。率直にいってどう思った?」

 

「まずは味の感想ですが、先ほど日下部さんがおっしゃった通り、とても美味しかったです。ただ、足りないといってましたが、これになにかかけるソースを足すのはどうでしょう?」

 

「ソース、か……例えば?」

 

「このソフトクリームだと、甘さを抑えたベリー系のソースとか、もっとシンプルにしょうゆ系のタレとか。あとは、塩だけとか」

 

「塩か……ちょっと用意してくる。待ってろ」

 

そういうとマスターは、小走りで奥に行き、小瓶に入った塩を持ってきた。まだ、溶けきっていないソフトクリームの上に、ほんの少し塩をかける。

 

口に含むと、さっきの物足りなさがなくなり、纏まりが良くなっていた。

 

「美味しい……あとは塩の種類と量を精査すればもっと良くなると思います」

 

「あとは、さきほど種田さんが言っていたソース系ですが、要検討といったところですかね。どうです、マスター?」

 

「あぁ、これは有りだな。さっきのソースは今すぐには準備はできねぇが、作ることはできる。坊、いい客を連れてきてくれた。えっと、種田といったか。今度、また試作をつくるから坊と一緒に来てくれないか?」

 

「わかりました。そういうことでしたら是非に」

 

◇◇◇

 

会計は、日下部さんがまとめて支払った。せめて、割り勘にと言ったが「無理に誘ったから持たせてください。礼なら、今度また一緒に食事してくれればいいですから」と言われ、素直に応じた。

 

店から出ると、外は夕暮れ時。陽は落ちかけ、二人の影は長く伸びている。

 

「いやー、美味しかった美味しかった。マスターの腕、相変わらずどころかますます磨きがかかってた。次も楽しみですねー」

 

「そうですね。ところで日下部さん」

 

「ん?どうしました?何か聞きたいことがあるって顔してますが?」

 

聞きたいことは限りなくある。が、どれも上手くまとまらず、口から言葉が出ない。

 

「まぁー、今日中に聞かなくてもいいんじゃないですか? いつでもこちらは応えられるようにはしてますから」

 

そうにこやかに言うと、日下部さんはそそくさと自分の部屋へ戻っていった。

 

 

 

 



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Cheap Pansy

お久しぶりです。落ち着いて来たのでそろそろ動かします。


時計の針が頂点を指し日をまたぐ頃。地獄六辻の外れ。目深にフードを被った男二人が人目を憚るように裏通りへと駆けていく。

 

二人の男は、今は使われていないであろうと思われる雑居ビルの中に入っていく。

 

中は管理が行き届いておらず、ダンボール箱は雑然と積まれ、埃をかぶり放置されている。男たちは、ただ何も言わず奥へ奥へと足を進める。

 

二人組の男の片割れが口を開いたのは、突然だった。

 

「あー、どうしよう兄貴。いい報告も成果もなしじゃ親父のやつどうブチ切れるか……」

 

「……そうだな。機嫌が悪かったら二人ともぶん殴られるだろうが……その時は、俺とお前どちらが先に殴られるか賭けてみるとしようか。先に殴られた方には、後に殴られた方が一杯おごるってのはどうだ?」

 

「うーん、それはどちらに分があるかわからない賭けだね。よし、やろう。俺は兄貴に賭けるよ」

 

「そうか。じゃあ俺はお前に賭ける」

 

「こんなことでしか賭けることもできないのも辛いところだけどさー、その答えは神のみぞ知るってね」

 

「……フン、地獄に神も仏もあってたまるかよ」

 

二人は、奥の扉を数回、不規則に鳴らす。そのノックが、男たちの秘密の合図だったようで、扉のロックが解除され男たちは扉の奥へと足を進める。

 

その部屋は、上のフロアまでを打ち抜いて天井を高く獲った部屋だった。申し訳程度に、明り取りの窓が空いているが、

 

その部屋の中央には、こちらも二人の男。壮年の男と青年と思われるお面の男。二人ともスーツを着ているが、明らかに仕立てが違う。壮年の男は、使い古されながらもパリッとした上下のセットアップをしている。面の男の方は、オーダーメイドで作ったスーツを今さっき下ろしてきたと言わんばかりのものをそのまま着ているというなんともちぐはぐな二人だ。

 

「来たか」

 

「聞いてくれよ親父!あの業突く張りの狸、俺らの嫌がらせも無視してタコ殴りにしてきたんだぜ!?普通、客なんだからもうちょっと態度ってやつをなぁ〜」

 

「いや、それは無理があるでしょ。多分、あのおっさんこっちの雰囲気を見て嫌がらせにきたって瞬時に見抜いたんだと思うよ」

 

「だとしても席に着いた瞬間にチンチンに熱した鉄板プレートを投げてくるか!?おかげでほら、こんなにひどい火傷に……」

 

入ってきた二人の男は、口を開いて文句を言う。その状況を見かねてか、親父と言われる男がため息を1つ吐いて男たちを睨む。

 

「で、だ。文句を言う前にまず結果を教えろ。そうじゃないと話が進まん」

 

「うっ、すいません。結果は失敗。応じないならば店で暴れてもよかったんだがその前に叩きのめされた。ただ……」

 

「ただ?」

 

「俺らが店から追い出されたすぐ後に、二人の客が入ってきたんだよ。しかもかなり親しそうだった」

 

「うむ、報告ご苦労。とりあえず二人は下がって火傷の手当てをしてこい。熱せられた鉄板だと火傷と同時に打撲なんかもしてるから慎重にな」

 

「うっす。これで失礼します」

 

二人の男は、両膝に手をついて頭を下げた後に部屋を出て行く。残ったのは、親父と呼ばれる男ともう一人……その男が世間話でもするかのように口を開いた。

 

「あれでよろしかったのですか?こちらもあなた方にそれなりの報酬を与えてるんですから、ちゃんと動いてもらわないと」

 

「いいんだよ、あいつらはアレで。先のことまで読む力はないが、行動力に関してはまぁ使えると思ってる。……二人組の客ねぇ」

 

「おやおや、どうされました。二人組の客なんて珍しくもなんともないでしょうに」

 

「なんとなく引っかかる……後であいつらに聞いておくか。もしかするとなにか取っ掛かりになるかもしれん」

 

「そう言うものですかねぇ……まぁ、こちらもきちんとコストを払っているのですからパフォーマンスを見せていただければと」

 

(そんなことはわかっている。……今回のクライアントはハズレのようだな。同じことしか言わん)

 

親父と呼ばれた男は、苦虫を噛み潰したような苦悶の表情で、またため息を一つ吐いた。

 

◇◇◇

 

日下部さんと別れた後、疲れがたまっていたのかすぐにベッドに横になった。

 

その夜のこと……

 

ふと、目がさめる。意識がぼうっとするが時計を見ると夜中の‪2時‬過ぎ。あたりは、月明かりが窓を刺しうっすらと部屋が明るくなっていた。

 

(そういえばシャワーも浴びずにそのまま寝たんだっけ……)

 

シャワーを浴びるために浴室へ行くと、脱衣所の隅に黒い煤が溜まり空気が淀んでいる。うわぁこれカビか?と思い、手を伸ばすとその煤がウゾゾゾと蠢き、手にまとわりつく。

 

「なんだこれっ!?」

 

その煤のようなものが、在るべき形を取り戻すように固まり人型に形成されていく。人型から人間らしきものへ。生白い手足がチラリと見えて息を飲む。

 

その手がいきなり顎をあげるように手を添え、首筋を下から上へと舐め回すような感覚が種田を襲い、身を震わせる。

 

その影はただ一言

 

「イタダキマス」

 

そして、意識を斬り飛ばされるように気を失った。

 

◇◇◇

 

どれくらい時間が経ったのだろうか。気がつくと、夜は明け窓からは朝日が室内を照らしていた。

 

(なんだったんだろう、あれは……)

 

体を起こし、脱衣所の鏡で自分の姿を確認すると。

 

衣服は乱れ、首筋には情事の証と言えるものが無数についており、さながら紅梅がごとく咲き乱れていた。

 

「……どうしようこれ」

 

と悩んでいると、端末が鳴り響く。誰だろうと首をかしげると佐藤さんからだ。

 

『なにか体調に変化がありましたか?こちらにバイタルに変化ありと情報が来てまして』

 

文面で説明するのも難しいものがあるので、鏡ごしに今の現状を写真に撮って添付し、送信する。

 

『このような状態です』

 

そう送ると、すぐさま返事が返って来た。

 

『すぐにそちらに向かいますので部屋から一歩も動かないでください』

 



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波瀾な盤上

部屋の扉をノックされ、開けるとそこには佐藤さんと巻尾さんが来ていた。佐藤さんと巻尾さんは互いに救急箱?と大きな鞄を持って息を荒げている。 どうやら相当急がせてしまったようだ。

 

「……とりあえずここで診るのもアレなので部屋に入れていただけると助かるのですが……」

 

「あっ、すいません。どうぞどうぞ」

 

失礼します、と一言いい佐藤さんと巻尾さんが部屋に入ってくる。

 

「では、診ますので服を脱いでもらってもよろしいですか?」

 

「あっ、はい」

 

佐藤さんに促され、Yシャツと肌着を脱ぐ。人前で脱ぐことは、慣れていないとはいえ今は緊急事態だ。恥ずかしさをどうにか押し殺し、禅を組む坊主のような気持ちである。

 

「……以外と着痩せするんスね〜」

 

そう言った巻尾さんの頭を佐藤さんは、どこから取り出したか全くわからなかったハリセンで勢いよくスパーンと引っ叩き、その音が部屋に響く。

 

「……巻尾?」

 

「くぉあああああ痛つつっ……す、すいません」

 

「ペナルティ1、ですからね」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいどうかご慈悲を言葉に気をつけますので!!」

 

「……次からは気をつけなさい。種田さん、気を悪くしたらすいません。これは必要なことですので、気を悪くせずに答えてください。昨日、火遊びされましたか?」

 

「火遊び?」

 

そう言われ頭を傾げると巻尾さんが、この場合は他の女と寝たか?って聞いてんスよと口添えをする。確かに昨日は、外に出かけてはいたが、女性とあったかと言われるとNOとしか言えない。

 

「いえ、昨日は隣室の日下部さんと食事に行ったくらいです」

 

「「日下部?」」

 

日下部さんの名前を出した瞬間に、佐藤さんと巻尾さんは二人して目を合わせる。しばし、思考したのち佐藤さんが切り出した。

 

「種田さん今、日下部と言いましたか?技術開発部の?」

 

「そう、その日下部さんです」

 

「ひゃー、実際に存在するんスね〜。私も噂でしか聞いたコトないっスよ。地獄七不思議の一つじゃないッスかね?」

 

「そんなになんですか⁉︎」

 

「そうッスよ。技術開発部でも本人を見たことあるのは一人か二人、しかも室長クラスじゃなかったかと思うッスけど。はえー、この寮のしかも隣室に住んでるんスか……うわー、一度でいいから顔見て見たい……」

 

「巻尾、それは後ででも聞けますからまずは診察を。……ここまで痕が残っていて背中には爪跡なし、とくると合意の上ではなく襲われた、というのが正しい見解でしょう」

 

「確かに夜中に、黒い靄みたな煤みたいなのをみた記憶が……」

 

「靄……そうなると、その靄の大体見当がつきました。十中八九淫魔でしょう。種田さんは、マーキングされたとみて間違いありません」

 

「マーキング……」

 

「その痕は、これは私の獲物だという証だと思われます。だとすると、その淫魔はおそらく今夜あたりにもう一度やってくる可能性が高いと思われます」

 

マーキングやら今夜あたりにもう一度くると言われるが、実際問題はこの痕である。首筋から、鎖骨のあたりまで付いている。さすがに悪目立ちが過ぎる。

 

「今夜ですか?とりあえず業務に差し支えそうなので、どうにか目立たなくしたいんですが」

 

「そのためのこの大荷物ですから。ひとまずは、薬売りの軟膏を塗っておきましょう。首はチョーカーがあるので多少は隠せますが、ベージュ系のガードも一所に巻いておいたほうが精神的にも安全でしょうし。巻尾、犯人の目星は付きましたか?」

 

目星?とドラマや映画なんかで聞いたことあるが、現実では聞き馴染みのないワードに首を傾げると巻尾さんが、鼻を鳴らしながら答える。

 

「おそらく、犯人は大陸系からの密入国じゃないっスかね。この部屋の残り香の中に、香辛料のピリッとした匂いが混じってるっス。あと、犯人は比較的若年層だと思われるっス」

 

「そこまでわかるんですか!?」

 

「当たり前じゃないっスか。ひやかしにきたんじゃないんスから。これでも一応は狗神なんスよ」

 

イヌガミ?という聞きなれないワードが飛び出てきたが精神安定面も考慮してスルーする。今は、犯人の情報が第一だ。

 

「密入国、ということは何かしらの病原菌を持ってる可能性も0じゃありませんね……種田さん、この部屋消毒しても構いませんか?手間は取らせませんので」

 

「あっ、はい。じゃ、お願いします」

 

「わかりました。今から防疫班に連絡するとして…種田さん」

 

「はい?」

 

「まずはシャワーを浴びましょう」

 

◇◇◇

 

部屋を消毒することになったので、シャワーはジムに備え付けのものを借りれるらしい。そもそも、ジムなどはあったとしても足が向くことはなかっただろうがこの機会に行ってみることになった。一応、着替えを適当なバッグに詰め込んで出発する。

 

「いやー、まさかの密入国とは……えらいなのに引っかかったっスね」

 

「密入国って深刻な問題なんですか?」

 

「ええ、ここ何年かでどっと増えてきてまして。昔は、蓬莱山を目指してくるものが後を絶えませんでしたがいまはまた別の事情が隠れているみたいです」

 

海を挟んだ向こう側にもまた違った国がありまったく別の地獄があるってことだろうか。

しばらく歩くと、ジムの横に備え付けのシャワー室がある。ジムには、今の時間帯は誰もおらず、機材のみが転がっている状態だ。バーベルやウェイトなどを小鬼衆がウェスで磨いている。

 

佐藤さんは、手元の薬箱を開け、中を漁り目的のものを探しているようだ。巻尾さんはといえば、ランニングマシンの方をチラチラっと見ている。

 

「これが軟膏であとはガードを。シャワーを浴びた後に、患部に塗って巻いてください。私たちは、諸連絡をするために近くにはいますから」

 

「そうっすね、先輩。じゃあ、浴び終わったらここに集合ということで」

 

そういうと巻尾さんはランニングマシンの方へ駆け足で去って行った。どうやら相当走りたかったらしい。

 

シャワーを浴び、患部に軟膏を塗る。塗っていくと、染み渡るような感覚とピリピリとした刺激が肌に刺さる。塗り終わった後に、肌の色に合わせ目立たないようにガードを巻き、シャワー室を出る。その際、また部屋に戻るのもアレなので、脱衣所で着替えを済ませた。

 

「あー、サッパリした」

 

その後、合流した佐藤さんと巻尾さんと一緒に食堂へ。朝食は、ハムエッグと炊きたての白飯、ジャガイモとネギの味噌汁だ。佐藤さんは、追加でトマトジュース。巻尾さんは、以前と変わらず卵焼き。

 

卵の黄身が硬めに焼いてあり、白身の縁がカリッとなっていてすごく好みの焼き加減だ。味噌汁は赤出汁で、染み渡るような旨さ。白米は、ピカピカと光りおかずと一緒にもりもりと食していった。

 

朝食を食べ終えると、室の中へ。今日も今日とて、死後の裁判である。

 

 

 



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徒花散葬

扉が現れ、獄卒に連れられて一人の女性がやってくる。見た目は20代中頃、中肉中背だが髪が腰ほどまである。髪に癖形が付いてるということは、生前はキツくまとめていたのかもしれない。

 

顔色は伺えず、ただ首を下げたまま微動だにしない。

 

ひとまず、タブレットに写る情報を確認する。

亡者の情報自体が書かれている時期は今まで見て来た中でも一番古いが、きちんとデータ化されて表示されている。

 

 

よかった。とりあえず、過去の情報は探れる。

 

美薗はつ 享年:25

死因:男と心中における溺死

 

罪状:天寿を全うせず己の命を捨て、死んだ罪。

 

生前は、カフェでウェイトレスなどをしながら暮らしていた。給金はほぼ実家に送り、本人は慎ましく暮らしていた。客として来ていた川辺昭三と恋に落ち、関係を持つ。

相手が遊びだとわかっていたのにのめり込み、心中を図った模様。相方の男は、死に切れず現世で自殺幇助の罪で服役。

 

これはつまり無理心中を図って自分だけ成功してしまったやつか……

 

そう考え、亡者を見ると下げていた首をあげて正面を見ている。その目は、何かに心酔しているが、心ここに在らずといったところだろう。

 

「これ、心中相手の情報とかも見れたりしますかね?」

 

そう聞くと、佐藤さんはタブレットの画面をスッとなぞり、確認する。

 

「ええ、これですね」

 

 

川辺昭三 享年:67

死因:消化器系の不全による衰弱死

 

罪状:自殺幇助 並びに 仏を祀りながらも実際は信奉していなかった罪。

 

遊びと称して街に出で女中、遊郭、ウェイトレス等好き勝手に手をつけてた模様。「お前と一緒にいたい」と相手を誑かし、飽きたら捨てていた。

 

この遊びに関しては、30代半ばまで続いた模様。

 

心中における自殺幇助2回。直接の原因ではない自殺にも関わってる可能性有り。

 

 

これだけ見ると、悪い男に引っかかってしまったといったところだろうか。それにしてもこの川辺という男。

 

「遊びと称して随分と派手にやってますねぇー」

 

こう言ってはなんだが、裁判をする上だとこちらの方が判決が出しやすい。色狂いとはまさにこのことだろう。軽く頭を掻く。

 

「この手の女遊びは男の性というんでしょうか。古今東西変わらず多い難題です。……そういえば男女の無理心中、昔ちょっとだけ流行りましたね」

 

「……流行った?」

 

「ええ、愛し合う男女が結ばれないと分かって、それでも来世一緒になると信じて心中するのは昔から。特に流行ったのは、たしか明治の終わりから昭和のはじめの方まででしたかね……有名どころだと太宰治が知られています。たしか太宰も、自殺幇助の罪で留置所に入ってますし。っと、話が逸れました。それぐらい、当時は多かったんですよ」

 

急に饒舌になったということは何かしら佐藤さんの琴線に触れたのだろうか。以前の後藤の時もそうだったが、男女間のもつれの話になると、若干ながら眉間にしわを寄せている。

 

「佐藤さん」

 

「はい」

 

「あの亡者と話しても?」

 

「……本気ですか?以前とは違って今回もうまくいく保証はありませんよ?」

 

「それでもいいんです。ちゃんと知りたいんですよ。外側だけ見て判断するより、内側までちゃんと見て知って判断したいんです。それが、俺のやりたい裁判です」

 

「そうですか……わかりました。もし何かありましたら、全力で対応しましょう。その代わり」

 

「その代わり?」

 

「貸し1、ですよ」

 

佐藤さんに貸し1か、その時俺は何を求められるんだろう。きちんと答えられるといいんだが……

 

◇◇◇

 

亡者、美薗はつの前に歩いていく。靴音が、床を響かせるような音を奏でながら。室内だからそんな音などするはずもないのに。緊張からか心臓の鼓動が、鼓膜を伝いグワングワンと耳を鳴らす。

 

 

「……昭三さん?」

 

昭三?それは確か心中を図った相方だったか。

 

「……やっとあなたと会えた」

 

「あなたは愛してると言ってくれたのに……お前といっしょにいたいと言ってくれたのに……あれは嘘だったのですか?あなたが望んだから私はあなたに全てをあげたのに……」

 

何か様子がおかしい……何かがまずいと体の第六感が知らせる。

 

「そんなあなたを好きになってしまった私が悪いのでしょうか。いいえいいえ。では誰が悪いのでしょうか?」

 

「そう、昭三さん。あなたを愛してしまった私自身が憎い。憎い憎い憎い憎い憎いニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ」

 

暗転。真っ白な室内が黒く染まっていく。それはまるで、白い砂浜のある青海に、重油が広がるように。

 

醜悪と憎悪の感情が塗り重なるようにして空間を染め上げる。

 

美薗はつは目の焦点が合わず、歯を噛み締め口からはどろどろと汚泥のようなどろりとしたものが溢れ出す。

 

「アアアアアアアアアアアドウシテドウシテナノドウシテエェェェェッ」

 

美薗はつだったものーーはそういうとバタバタと駆け寄り一瞬で間合いに踏み込んでくる。

 

避けるという考えも頭にあらず、馬乗りに乗られ首を絞められる。ギチギチと恐ろしい握力で、呼吸すらできない。

 

あっこれは死んだな……佐藤さんが言ってた覚悟ってこういうことか……

 

などと死ぬ寸前の走馬灯のように頭の中を繰り返す。

呼吸ができず、顔は真っ赤な状態になり、目は充血する。もう、ダメだ……

 

「諦めてどうするつもりですか」

 

そういうと佐藤さんは符を飛ばし、亡者だったものに腹部から思いっきり蹴りを入れる。さすがに効いたのか、まだ生身の肉体を持ってる弊害なのかゴロゴロと転がり、部屋の角の方へ追い込まれていく。

 

「アバアバババババババババババ」

 

「ふむ、どうやら人としての形だけは残ってますが中身は悪霊化してますね。ここで暴れられるのも困るので、一旦封印してしまいましょう」

 

そういうと佐藤さんはポケットから袋状のもの ーー猫型ロボットのお腹についてるアレーーから塩と掃除機、麻袋を取り出す。

 

「種田さん、動けますか?」

 

「ええなんとか」

 

「塩を撒くので手伝ってください。あと……今回は諦めてください。あれは我々では救えません」

 

◇◇◇

 

そこからは早かった。亡者だったものに塩をできるだけたくさん撒いて弱らせていく。まさしく、青菜に塩といった感じだ。塩が真っ黒に染まっていくとそれを掃除機で吸い込み、まとめて麻袋に放り込む。美薗はつは先ほどの黒い塊から人の形を取り戻していた。

 

「佐藤さんはこうなるって分かってたんですか?」

 

「……可能性が0だとは思ってませんでした。ただ」

 

「ただ?」

 

「亡者が心中した場所、自殺の名所なんです。だから、邪念や狂気が一緒になってくるかもとは思いました。お伝えしなかったのは、種田さんが言った覚悟がどれくらいのものか見ておきたかったんです」

 

「それで死んじゃったら元も子もないでしょうに」

 

「大丈夫ですよ、そのチョーカーがついてる限り死にたくても死ねませんから」

 

ふふっと佐藤さんは笑い、俺はため息をついた。

 

「さて、この亡者どうしましょうか?」

 

「裁判中に悪霊化した例はそもそも例が少なく、取りようがないですからね。一応上に問い合わせして見ますが……」

 

その様子からするとあまりいい方向には行かないようだ。佐藤さんは、ポケットから端末を取り出し電話をかける。

相手は……

 

「佐藤です。こちらで少しトラブルが発生しました」

 

『はーい佐藤。要件は大体わかってるよ。悪霊化の件だね?』

 

この声は閻魔様だろうか。電話に出たタイミングである程度察していたらしい。

 

『とりあえず亡者は幽閉しておいて。対応はこっちでも考えとくからー。あと、そこに種田くんいるよね?佐藤、代わってくれる?』

 

「はい、代わりました。種田です」

 

『種田くん、今回はやり方がまずかったね。前例がないからこちらも対応を考えなくちゃいけない』

 

「……はい」

 

『でも、その亡者。種田くんに反応したんだよね?』

 

「あっ、はい。それは確かです」

 

『そっかそっかー。よし、種田くん。その亡者、君の預かりで管理ね』

 

は?え?預かり?判決を出すとかではなく?

 

『その亡者ね、今まで裁判何回もやってきたけど何も反応してこなかったワケ。で、今回まさかの悪霊化。そうなってくると所在責任はキミにも大きくあるんじゃないかな?』

 

「……わかりました。そうさせていただきます」

 

『ハイハイじゃーねー。あと定期的に報告書あげてもらうから頑張ってー』

 

なんともややこしいことになってきた感があるが、ひとまず解決したようだ。これが正しいのか判断しづらいところだけど……



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残穢と紅白最中

「さて、この部屋どうしましょう」

 

そう、今室内は撒いた塩と残穢で見るも無残な状態である。塩はともかく、この残穢が水場のカビのようにどうやっても取れそうにない。

 

「こういう時こそ、餅は餅屋に頼むのが一番です」

 

佐藤さんが、そういうとどこかに電話をかけ始めた。しかも、端末ではなく部屋に置いてあるアンティーク調の電話機だ。おそらく、いつも使ってる端末は外線で、今使ってるのが内線なのだろう。

 

しばらくすると、防護服を纏った集団が現れ、こちらに足を向け敬礼をする。

 

「佐藤さん、お疲れさまです」

 

「ええ、お疲れさまです。ではよろしくお願いします」

 

「はっ!清掃開始!」

 

「こいつは掃除のしがいがありますなぁ」

 

「お二人は外に出ててください。あとは、我々が」

 

彼らはそういうと、テキパキと仕事にかかった。大型の噴霧器を背中に背負い込み、業務用であろう掃除機で床に散らばった塩を片付ける。残穢の方は、まるで意思があるかのように、蠢き散らすが慣れた様子で処理をしていく。

 

「彼らは?」

 

「防疫班、通称《掃除屋》です。まさか、今日二回も使うとは思いませんでしたが」

 

佐藤さんは、苦笑いしながら「佐野さんには、後で菓子折りでも持っていかなきゃいけませんね」とポツリと口に出した。

 

◇◇◇

 

室内から出ると、ひとまず閻魔様へ報告へ行く。その足取りは重く、気は沈む。

 

「とりあえず種田さんは、自分で見たまま感じたままを率直に報告してください。それが一番ですから」

 

「そう言われてもですね……」

 

「悪いことをしたんじゃないです。今回、たまたま巡り合わせが悪く、失敗した。ただ、それだけなんですから。それと……」

 

佐藤さんはそう言うと、思いっきり背中を叩いた。パアアンと音が響くが、痛み自体はそれほどでもない。

 

「背中が曲がってます。それでは、良運も巡ってきませんよ」

 

それもそうか、と思い背中をまっすぐに。起きたことをくよくよするよりも今は現状を報告する。それが今求められてる仕事だ。

 

閻魔様の仕事部屋に行くと、合いも変わらず捺印の仕事に追われていた。もう一つの机は、相変わらずの書類の山である。ただ、高さが違う。以前は、もう少し低かったような……

 

「やぁやぁたねちん、佐藤もお疲れ様。どう、ちょうどいいからお茶でも飲む?」

 

「お疲れさまです。先に報告を済ませます」

 

「ん、わかった」

 

そう言うと、閻魔様は書類仕事の手を辞め、こちらに顔を向ける。その目は、澄みきり心の奥底まで見られている。そんな感覚になった。

 

「………報告は以上です。閻魔様」

 

「ん?」

 

「俺、間違ってたんでしょうか。亡者とちゃんと話して理解して判決を下す。そのやり方が間違ってたんでしょうか」

 

ちゃんと仕事ができない悔しさよりも、自分自身の愚かさ、不甲斐なさに思わず泣きそうになってしまう。

 

しばしの無言、閻魔様が少しの息を吐いて口に出す。

 

「たねちんさ、何事も失敗しない生き方ってあると思う?」

 

「それは……ないと思います」

 

「そう、失敗しないやつなんてあの世にもこの世にも、いいや六道輪廻総てを見てもどこにもいないんだよ。どんな聖人君子でも、生きていれば絶対になにか失敗する。失敗しない人間なんてなんの面白みもないよ」

 

「それでも……今回は……」

 

「だったら次に生かしなさい。それが貴方のためにも、他の誰かのためにもなるのだから」

 

何かが、一つ剥がれ落ちる音がした。それは、心の中の凝り固まった概念が一枚、だが確かに剥がれ落ちる音だった。

 

今までは、失敗しちゃいけないと焦っていたのかもしれない。せっかく、拾ってもらったのだから、せめて役に立ちたいと……そう思っていたのかもしれない。その考えが、今回の失敗を招いたと言うのに。

 

「たねちんさ、肩の力抜いて、ちゃんと一つ一つ目の前の仕事をしようよ。そうしたら、結果はついてくるって」

 

そう言われると、目の奥から熱いものが吹き出すように、何かを払い落とすように涙が溢れた。

 

「……はい」

 

その返事は、鼻声交じりの情けない返事だった。

 

◇◇◇

 

「さーて、報告を聞き終わったからお茶にでもしよっかなー。佐藤ー」

 

「準備は終わってますよ。種田さん、お茶にしましょう」

 

そう言うと佐藤さんは、茶盆を二つ。急須、茶筒に湯呑みともう一つには皿の上に最中。桃色と白の二種類が3つずつ並んでいる。

 

「頂き物ですが、湿気る前にいただきましょう。種田さんもどうぞ」

 

いただきます、と言い最中を頬張る。桃色の最中は桜風味の餡。変わり種だが、意外とあっている。白い方を頬張ると、こちらも餡子かと思っていたら、想定外のものだった。

 

「これ、チョコレートですか?」

 

「ええ、試作品だそうです。チョコレートも変わり種と見なせばそれはそれで美味しいかと」

 

ともすれば駄菓子感覚に陥りそうなものだが、不思議とそうはならない。チョコレートの風味がそこまで主張せず、最中と渾然一体となって喉元を過ぎていく。

 

茶を一飲み、口の中を調える。ああ、すごく満足感のある最中だ。これは最中単体でも、茶のみでもダメだ。この二つの組み合わせで、一つの味と感じる。

 

しばらく呆けていると、ドタタタタタと何かが駆ける音がする。振り向くと、巻尾さんが息を切らしながら走ってきたようだ。

 

「ハァ…ハァ…先輩、言われた物用意してきたっスよ。あぁっ、3人ともずるい!!!わたしの分は……」

 

「ごめんなさい。あなたのぶんは用意するのを忘れてました」

 

そう言われると、巻尾さんはグギギギと歯ぎしりしながら床に突っ伏した。

 

食べずに渡してあげたほうがよかったかな………



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衆道淫夢

しばらくしょげていた巻尾さんだったが、佐藤さんの「今度は、あなたの分まで用意しますから」の一言で、勢いよく立ち上がった。

 

「本当っスか!?絶対スよ先輩!!!!!」

 

異様にテンションの上がった巻尾さんが、鼻歌を奏でながら後ろに背負っていた風呂敷からゴソゴソと何かを取り出す。その手には、鼻の長い動物の置物と煎餅が入っていそうな缶ケース。それを取り出すと、机の上に置いた。

 

「これ、なんです?象に見えますけど」

 

「チッチッチ、こいつは象じゃなくて獏っスよ。淫魔なんかの夢に出てくる類にはこいつが一番効果的っス。で、こっちの缶の方は、パンドラの箱を模したもの。何かを封印するには、こういう箱が象徴として使い勝手がいいんスよ」

 

言うのもなんだが、見た目は完全に煎餅やクッキーが入っていそうな金属製の箱。

 

「本当はトラバサミとか用意したほうがいいんスけど種田さんが間違って踏んだらえらいことになりますから」

 

「トラバサミって……踏んだら鉄の歯が噛み付くアレですか?」

 

「そうそう、よくご存知で。アレは間違って踏んだら痛いどころじゃないっスよ。無理に外そうとして暴れれば足の肉を食いちぎる可能性もあるし、歯の部分が錆びていれば破傷風の危険性だってあるっス」

 

そんな恐ろしいものを部屋に置かれても、取り扱いに困る。用意されなかったのは僥倖だ。

 

「あとはこの二つの取り扱いを説明しないとっスね」

 

そう言うと、巻尾さんは獏の置物と缶ケースをこちらに渡してきた。受け取ると、巻尾さんは風呂敷をたたみながら説明をする。

 

「この獏の方は枕元に、缶ケースは寝台の横あたりに置いてくださいっス。多分、明日の朝までには片がつくと思うっスけど」

 

「問題は相手が食いつくかどうか……」

 

「それっス。その淫魔が相当腹ペコだった場合、すぐに結果が出ると思うんスけど……そこらへんはこっちの都合じゃ動いてくれないっスからねー」

 

「私たちは別室で待機しましょう。種田さん、部屋に押入れとかはありますか?」

 

「あっ、あります。中には何にも入ってないですけど」

 

「好都合です。私たちは押入れに入って淫魔が食いつくのを待ちます。種田さんは、いつも通りに休んでください。もし眠れないのでしたら、睡眠導入剤を使うのをお勧めします」

 

そう言うと佐藤さんは、透明なピルケースを渡して来た。中にはちいさな粒状の丸薬が2錠。

 

「これを眠る前に飲んでください。30分ほどで効き目が現れると思います」

 

現世にいた頃、就職できないストレスや周りがどんどん仕事が決まって焦り、その影響で不眠症になった際に処方された薬とは、また違っていた。見た目はほぼラムネと変わりなく、匂いは全くない。

 

「ありがとうございます」

 

佐藤さんから、丸薬入りのピルケースを受け取り、胸ポケットに収めた。

 

◇◇◇

 

その日の夜。丸薬を飲みこみ、横になっているといつの間にか眠りについていた。時計を見ると時刻は、‪2時‬過ぎ。室内を見渡すと、そこには例の黒い影。これが淫魔なのだろうか。以前と違うのは、辛うじて人の形を成している位だろう。

 

「アァ……オナカスイタ……ヤットアリツケル」

 

その影は、すすすと摺り足をしながら近寄ってくる。

スプリングの軋む音。体に覆いかぶさるようにして、淫魔が乗り上げてくる。

 

「フ、フフ……ソレジャ……イタダキマス」

 

淫魔が、首筋に指をひと撫でしたあと、舌をペロリと舐め吸い付く。首筋を舐められたその瞬間、淫魔はまるで体に電撃が走るかのようにビクンと体を震わせた。

 

「ナ……ナニコレ……シタガピリピリスル⁉︎」

 

「そこまでです!」

 

押入れから、佐藤さんと巻尾さんが勢いよく飛び出す。それに驚いた淫魔が、体を痺れさせながらも大きく体を捻らせ、物音の対象へ目を凝らす。

 

「ダ、ダレダ!!」

 

「それはこちらの台詞っス。とりあえず名称がわからないので淫魔!不法入国および不法滞在、並びに住居不法侵入、傷害の罪で現行犯逮捕するっス!!」

 

「チッ、ケイサツカ……ダケドザンネン。オンナノセイキはコノミジャナイケドシカタナイネ。アナタタチノセイキイタダクヨ!!」

 

そう言うと、淫魔は親指の腹を思い切り噛みつき、出血させた。それを、床に押し付け何か呪文めいた言葉を口から吐き出す。

 

「アッアレ⁉︎ジュツガハツドウシナイ⁉︎ドウシテ⁉︎」

 

「ハッハッハ!そう言うのはすでに対策済みなんスよ!先輩、捕縛の方お願いするっス!」

 

「わかりました」

 

「ナニヲスルッ!ヤメッ!ンンッ!」

 

佐藤さんは、淫魔に近づいていくと手慣れた仕草で捕縛していった。まるで、ベテランの梱包屋が如く。あっという間に、淫魔は亀甲縛りで床に放り投げられた。

 

「佐藤さん、そんな技をどこで?」

 

「以前、衆合地獄の研修で習いましてね。身動き取れなくするには、他の結び方もあるのですが淫魔にはこれがお似合いです」

 

そう言いながら、微笑む佐藤さんの目は、冷ややかな視線とは対照的に怒髪烈火の如く、真っ赤に燃えていた。

 

◇◇◇

 

「で?種田さんを狙った理由は?」

 

床に転がされた淫魔を起こし、椅子に座らせる。起こす際に、色々な場所に干渉するためか蠱惑的な声を響かせ、翻弄された。その度に、佐藤さんがハリセンで思いっきり叩く。

 

「イヤー、タンジュンニオイシソウダナッテ。リユウハソレダケヨ」

 

「そうですか。ではもう一つ。なぜ、あなたは密入国してまで、ここに居るのか。それを吐くまでは、こちらも其れ相応の行動をするまでです」

 

そう言うと、佐藤さんは胸ポケットから裁縫セットを取り出した。その中の、まち針を淫魔に向ける。

 

「今から、このまち針をあなたの指の爪の間一本一本に刺していきます。もしくは、あなたの体にある穴という穴を開きっぱなしにして元に戻らないようにすることも出来ますが……どちらがよろしいですか?」

 

「ヤバイ、コイツアタマオカシイネ!ソトカラキタヤツハカンゲイスルモンジャナイノ!?」

 

「あいにく、うちはそういうところはすごく過敏でしてね。過去のなにかしらも関係しているのかもしれませんが……おっと、これはあなたには関係のない話でした。さあ、言いなさい。どちらがよろしいですか?」

 

うぐぐと唸りながら淫魔は、大きく息を吸い込み吐き出した。まるで、内側に溜め込んでいたなにかを吐露するように。

 

「……イエナイネ。イッタラコキョウノカゾク、メイワクカカルヨ」

 

「……そうですか。それならば仕方ない」

 

そう言うと、佐藤さんは淫魔の鼻をつまむ。鼻で呼吸できなくなったので、呼吸をしようと口を開く。その隙を逃さず、佐藤さんは、懐から何かを取り出して飲み込ませた。

 

「うぉええええーーーーーーーなんなのこのクソマズ液体は⁉︎あ、あれ言葉が⁉︎」

 

「佐藤さん、なに飲ませたんですか⁉︎」

 

「閻魔様監修特製ドリンク(アメリカンドッグ味)です。いちいち片言で喋られても困りますからね。他にも色々と効果がありますが……さてあなたが密入国までして来た理由は?」

 

「そんなの決まってるね。霊薬を見つけて持ち帰ることよ」

 

「霊薬ですか……」

 

「そう、崑崙山のある方向に黄金の国があって、そこには不老長寿の霊薬があるって昔から言われてるね。だから、それを持って帰って売れば、故郷の家族みんな安心して暮らせるよ!……なんで私、言っちゃいけない秘密喋ってるね!?」

 

「先ほど飲ませた液体には、自白剤が入ってるんですから当然です」

 

自白剤!?あのドリンクに!?今後、あのビンを見たら口をつけないように気をつけないと……さもなくば言いたくないことも口走ってしまう。そう考えると、佐藤さんはニコリと微笑んだ。

 

「種田さんには使いませんよ。使っても効くとは思えませんし」

 

「えっ、効かないんですか?」

 

「ええ、おそらく。最初に飲んだドリンク剤が強すぎて抗体が出来てるんだと思われます」

 

あぁ、アレか。アレは、もう二度と口にしたくないと思えるような味だった。おそらく、体が拒絶する。その証拠に、思い出しただけで体の震えが止まらない。

 

「そろそろですか……」

 

佐藤さんが、袖をめくり左腕につけている腕時計を見てそう言った。そろそろ?なんのことだろうと思っていると、淫魔の顔が青ざめていく。脚をくねくねと絡ませながら、体を震わせる。

 

「おいっお前、一体なにをしたね!?」

 

「先ほどのドリンク剤の効果ですよ。自白剤と一緒に利尿剤と下剤を混ぜたんですが効き始めましたね」

 

ぐぎゅるるるるると、聞くだけでどんな状態か想像できる音が響く。かなり辛いらしく、顔からは脂汗がダラダラと流れて来ている。

 

「わ、わかったね。誰に言われて来たか言うよ。だから、これどうにかするね」

 

「残念ですね、それ全部出すまで止まらないんですよ。あぁ残念」

 

「ああああああやばい出る出る!!!!!これはまずい!!!!!」

 

「佐藤さん」

 

「はい」

 

「た、助かったね?」

 

「さすがに部屋で爆発霧散されるのも困るんでここじゃない場所に連れて行ってください」

 

「アイエエエエエッ!助けてくれるんじゃないのね!?」

 

「それはそれ、これはこれです。佐藤さん、どうすればいいですか?」

 

「掃除屋に待機してもらっているのでもう来る頃かと」

 

部屋の扉が大きく開かれ、防疫服をまとった「掃除屋」が、駕籠を担いでやって来た。昨日から、散々の登場である。バタバタと駆けてきて、淫魔を駕籠の中に押し込み、なにも言わず外へ出ていく。

 

「じゃあ私も一緒について行くっス。種田さん、それと先輩もおやすみなさい!!!!!」

 

巻尾さんと掃除屋が、一緒に部屋を出て行く。室内を見渡すと、色々あったからか部屋の中がぐちゃぐちゃにかき乱された状態になっている。せめてもの救いは、物がもともと少なかったぐらいだろうか。

 

「……種田さん、掃除屋使います?」

 

「……いや、自分で片付けます」



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ララバイララバイ

その後、軽く片付けてはみたものの舞い上がった埃や靴跡を今からきれいにする気にはなれなかった。今日はどこで眠ればいいんだろうかと考えていると、佐藤さんが端末をいじりどこかへ連絡を取り始める。

 

「たしか来賓の方用の客室が空いてたはずです。手配できるか確認してみますね」

 

閻魔様に連絡を入れると、あっさりと許可が出た。ということで明日の朝まで客室で過ごすことになった。そんないい部屋使っていいんですか?と聞いてみたら今回は急を要したためと‪後日‬、淫魔の取り調べを行う際の事情聴取付きだとわかった。

 

「では客室へ向かいましょう。客室が空いてなければ私の部屋でもよかったんですが……」

 

「いえいえそんな恐れ多い」

 

「恐れ多い?」

 

「じゃなくて気がひけるといいますか……」

 

「気がひける?」

 

見ると、佐藤さんの眉間には皺が入り、不動明王のように烈火を背負う姿が見えた。これは言葉の選択を誤ったようだ。

 

「すいません。言葉を間違えました。先輩であり上司である佐藤さんに敬意を払った上で、ご遠慮させていただきます」

 

「そこまで言わなくても……こちらも傷つきますよ」

 

そう言う佐藤さんの表情は、飄々としているがどこか悲しそうに見えた。なんとか頭を巡らせると、一つ妙案が浮かんだ。確証はないが、乗ってくれる可能性もゼロでは無いはず。

 

「……あー、佐藤さん。今度時間作れます?」

 

「……ええ、ある程度でしたら」

 

「じゃあ、今度飲みにいきましょう。いい店、最近知ったんですよ」

 

「それはお誘いで?」

 

「そう考えてもらって結構です」

 

そう言うと、佐藤さんは唇に指先をのせ、一人ブツブツと何か考えに浸っていたがしばらくすると、いつも通りの佐藤さんに戻った。

 

「ふふっ、わかりました。では、その時を楽しみにしていますね」

 

ひとまず難を逃れたと深呼吸すると、いつの間にか客室へたどり着いた。

 

海老茶色の扉。扉自体は、綺麗に磨かれ、まるで鏡面のようだ。ドアノブは、真鍮製だが細工の細かさが段違いである。扉の正面には、ライオンを模した飾り物がつけられ、重厚な雰囲気を醸し出す。

 

扉を開け、中に入るとそこは洋室。広さはかなり余裕を持って作られているらしく、大人10人がパーティーをしてもまだ余裕がありそうだ。こういう家具は何調というんだったか。落ち着いた空間構成で、まるで高級なホテルに泊まってる感覚に浸ってしまう。

 

「あちらがベッドですね。ご案内します」

 

寝室が別室なのは気づいていたが、行って見て驚いた。まさかの天蓋付きのベッド。サイズはクイーン、いやキングサイズほどはあるだろうか。確実に一人では持て余すような大きさである。

 

「この部屋を使えるのは、正直羨ましいですね。私も、泊まってみたい…」

 

「閻魔様あたりに頼めば使わせてもらえるんじゃないですかね?」

 

「公私混同は私の理に反しますので…仮に、この部屋を使ったとして、他の者にも平等にしないといけませんし」

 

そういうものか、と考えているとベッドサイドのローチェストの上に封書が置いてあった。今時珍しく蝋留めされており、最近書かれたもののようだ。

 

「佐藤さん、これなんですかね?」

 

「どれですか……あぁ、これは来賓の方用に向けたアメニティの説明書ですよ。それは開けても大丈夫ですよ」

 

「へぇー、そういうものなんですね。どれどれ……」

 

アメニティの説明を見ると、シャンプーやボディーソープの他に、剃刀やフェイスパックなどの説明書きが連なる。

斜め読みしたが、まるでホテルのようだ。

 

「ここにないものも、頼めば揃うシステムになってます。まぁ、来客の方々はこだわりが強い方もいらっしゃいまして難儀なものを頼まれることもあるそうですが」

 

「まぁ、今日は寝るだけですから頼まないと思いますけど、なにか必要になったら頼めばいいですかね」

 

「ええ、そうしてください。あと、朝になったら迎えにきますのでそれまでには起きていて下さい」

 

そう言うと、佐藤さんは客室を出て行った。

 

◇◇◇

 

今日も夢を見る。さすがに3回目ともなると、ある程度の予想はついてしまう。

 

これはただの夢なんかじゃない。

 

現実で、何かしらキッカケが起きるとこの夢の中へ繋がる。そう確信すると、奥へ奥へと足を進める。

 

「また来たか……以前よりかはましな面構えをしておるな。いい傾向だ」

 

いまだ姿は見えないが、五感を集中させると、少し離れた場所に何かがいるのはわかる。

 

「去れと言われて去らぬやつも可愛げがあってよいが……なかなか酷い相が浮かんでおるな」

 

酷い相?なんのことだろうかと考えていると、その何者かはゲラゲラと笑いながら、口を開く。

 

「お主には酷い女難の相が出ておる。心当たりがあるのではないか?」

 

心当たり……そう考えると、ここ数日の亡者や淫魔の件あたりが確かに引っかかる。偶然といえばそうだが、言われてみればそれだけでは説明のしようがないように思えてしまう。

 

「わしには見ることしかできん。その相を剥がすことはわしには難儀すぎる。お主のそれは、お主自身で乗り越えるしか方法はない」

 

どうすれば……どうすればいいんだ……そんなの

 

「ひとつひとつの行動を確実に行え。蝶の羽ばたきが今ある世界の先を大きく変えるように…そうすれば、道は開かれるだろう。おっと、もうそろそろ時間だ。幸運を祈る」

 

待て……まだ…まだ聞きたいことはたくさんあるのに……

 

「また会えるさ。お主自身が、今より面白くなればな」

 

◇◇◇

 

目がさめると、天蓋付きのベッドに横になっていた。

寝て、起きただけで、体がびっくりするくらいに疲労している。汗を掻いているようで、不快感に気分まで引っ張られるようだ。

 

時刻を見ると、朝の夜明けを過ぎた頃。

 

確か朝になったら、佐藤さんが迎えにくると言ってたので、それまでに準備をする。聞いた話では、頼めばなんでも揃うらしいので、アイロン掛けされたワイシャツと替えの下着を頼んだ。

 

しばらくすると、チェストの棚から音がなり、開けてみると替えの下着とワイシャツが綺麗に畳まれた状態で置いてあった。確かにこれは便利だ。

 

下着だけを持って、シャワーを浴びることにする。浴室に入ると、海外の古い映画でしか見たことない猫脚のバスタブが置いてあり、綺麗に磨かれて水垢ひとつない。

 

バスタブに湯をためながら、シャワーを浴びて汗を落とす。あれはなんだったんだろう…そもそもあれは何者だったんだろう…考えても頭の中がぐちゃぐちゃして思考が定まらない。

 

湯を上がり、体を温め終えると途端に腹の虫が鳴った。そういえばまだ朝何も食べてないんだっけ……

 

そんな風に考えて、着替え終えると扉をノックする音がした。開けると、そこには佐藤さん。

 

「おはようございます、種田さん。よく眠れましたか?」

 

「寝覚めはあんまりですけどそれ以外はなんとか……」

 

そう答えると、佐藤さんはため息をつく。

 

「種田さん、率直に言わせていただきます。あまり眠れていませんね?」

 

「バレましたか…夢見が悪くてあんまり深くは眠れなかったんですよ」

 

「夢?」

 

佐藤さんに、今朝見た夢の話をした。まだ記憶からは消えてないようで、ある程度詳細な内容を伝えることができた。

 

「うーん、そうですね…種田さん、巻尾から渡された獏の置物今手元にありますか?」

 

「えーと、多分自室に転がっているかもしれないです」

 

「今後は、枕元に肌身離さず置いてください。もしかすると、それで対策できるかもしれません」

 

「できなかったら?」

 

「そのときはまた別の手段を考えるまでですよ。それより、朝食いただきにいきましょう」

 

 

 



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金華液糖

朝食を食べていると、巻尾さんが遅れてやって来た。

相変わらず、盆の上には山のようなごはんと味噌汁に玉子焼き。いつもと変わらないと思っていたら、今日のはしょっぱめの玉子焼きだと胸を張って答えた。

 

その玉子焼きをつつきながら、もりもりとごはんを食べていたが、その手を止め、こちらへ話を進めてきた。

 

「いやー、昨夜はご苦労様っス。例の淫魔、どうやら強制送還になりそうなんスよ。で、後日調書を書くんで事情聴取へのご協力をっスね……」

 

「ああ、その件だったら話は聞いてますよ。ぜひ協力させていただきます」

 

「あー、よかった。これでひとまず難題は解決しそうっスね。っと、そういえば種田さん、報告書書いたっスか?」

 

報告書?そんな話は聞いていないぞと佐藤さんの方へ目をやると、当の佐藤さんは味噌汁にひょうたんに入った七味をかけている。

 

「巻尾、それはこの後に説明しようと思っていたのですが」

 

「あー、そうだったんスねー。やっば、私やらかしたっスか?」

 

「いえ、先に説明していなかった私に非がありますので。種田さん、今日の業務は報告書の作成で丸一日使うかと思われます。よろしいですか?」

 

短い付き合いながらも、佐藤さんの言いたいことがなんとなくはわかってきた。よろしいですか、ということは相当ハードだが大丈夫か?と言っているようなものである。

 

佐藤さんのいうハードが、今まで経験したことのないくらい大変なものだという事も。

 

「わかりました。今日は、報告書を書き上げるんですね。あ、それと亡者の悪霊化の件は?」

 

「そちらは現在、協議中でして。なにぶん前例がないので、結論はしばらくかかると思われます。それよりも、早く食べてしまいましょう。せっかくの温かい食事も冷めてしまいます」

 

それもそうか、と思い三人は黙々と食べていった。佐藤さんがやっているように、味噌汁に七味をかけてみると意外や意外、味変になって食がすすむ。

辛味の中に一種の爽やかさを感じ、唐辛子の辛味が鼻をツンとさせながらも最後の一滴まで呑み干した。

 

◇◇◇

 

執務室の鍵を借りに佐野さんに会いに行く。

佐野さんは、窓ガラスを古新聞で丁寧に磨いていた。窓に息を当て磨いている姿を見ると、ひとつの絵画のようにも見える。

 

「あら、お会いするのは随分とお久しぶりですね。お元気にされていましたか?」

 

「ええ、なんとか。今日は、執務室の鍵を借りにきました」

 

「ええ、どうぞ。こちらです。あとドリンク剤はいりますか?」

 

「いえ、結構です」

 

もしあれを飲んだらそれこそ天国行きに成りかねない。もしかして、佐野さんもあのドリンク剤気に入っているのだろうか?

 

「そうですか……」

 

悪いことをしている気にもなってしまうが、アレは命に関わる。できれば今後も避けていかないと命がいくつあってもたりはしない。

 

室内に移動し、作業机に着座する。報告書と学生時代のレポートは似てはいるが、別物として考え書いていく。ちゃんとしたものを書けているのかはわからなかった。幾度か書き直しをし、感覚としては丸々一日かかって報告書を書き上げた。

 

それを最後に佐藤さんに渡す。佐藤さんは、報告書を一読して一言。

 

「初めてにしては良く出来ています。これで大丈夫ですよ」

 

そう言われた時、不甲斐なくにもガッツポーズをして喜んでしまった。それぐらい大変だった報告書だった。

 

◇◇◇

 

報告書を渡し終えると、どっと疲れが溜まっていたようで指先がプルプルと震えている。そういえば、集中し飲まず食わずで丸々一日過ごしていたのを思い出した。

 

ふと、あまい香りが漂う。

 

みると、佐藤さんは机の上にティーセットを広げ、大型のスキレットの柄を鍋つかみで持ってきている最中だった。

よくよく見ると、焼き菓子のようなものがふっくらと膨らんでいるのが見える。

 

「佐藤さん、それは?」

 

「時間に余裕がありましたから、作ってみました。以前、絵本を読んだ時に作ってみたいとおもっていたので」

 

それは、赤と青のネズミが森の中で焼いた大きな大きなカステラだった。

 

真上から見ると、まるで満月のように大きく丸い。さすがに、原作のように大きさは無理があるがそれでも拡げた掌より大きい。

 

スキレットの縁にスッとナイフを入れ、一周させると綺麗に取り外すことができた。2人分の皿を用意しようとすると、佐藤さんが手を止めた。

 

「種田さん、少し待ってもらえますか?そろそろ匂いを辿って来る頃だろうと思いますから」

 

来る?いったい誰がと思っていると大きく扉が開かれた。

 

「呼ばれてないけど参上っスよ!!先輩、その量を2人で食べるのはキツいんじゃないんすか?最近、体重気にして……アダダダダダダダッ!!!!アイアンクローはキッツいいいいいいい!!!!」

 

「巻尾、次はないと言いましたよね?」

 

「ちょっ待って……あああぁあああああ!!!!!!」

 

メリメリッと人体から出ているとは思えない音を響かせながら巻尾さんを飛ばし、いつの間にか現れたクッションに放り投げられた。

 

◇◇◇

 

「あー痛つつつつっ、先輩やり過ぎっスよ。元の形に戻らないかと思ったスよ」

 

「あなたが言葉を選ばないからそうなるんです」

 

頭を抑えつつ、呻き声をあげていた巻尾さんだったが、本来の目的であったカステラの匂いを嗅いだ瞬間にすぐさま復活した。その様子はまるで、飢えた獣のようだった。

 

人数分に切り分け、バターを載せる。カステラの持った熱でバターが溶け始めるとその上から、更に蜂蜜をかける。

溶け出したバターと、蜂蜜が混じり合いまるで黄金のように光り輝いてるようにも見える。

 

それをナイフとフォークで切り分け、口に入れるとまさに至福の一言だった。

 

「うぉぉぉん!!!!先輩、これやばいっスよ!!!!めちゃくちゃ美味しい!!!!」

 

「材料はいいものを使いましたがここまでとは……我ながらすごいものを作ってしまいました」

 

「いや、本当に美味い……佐藤さん、天才ですね」

 

「お褒めいただきありがとうございます。さ、早くいただきましょう」

 

そういった佐藤さんは、恥ずかしそうに笑い頬は薄化粧よりもさらに紅く染めていた。

 

 



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契約と悪霊

業務を終えて、部屋に戻ると綺麗に片付けられていた。ベッドは、マットレスごと交換されているようで新品になっており、現世から持ってきた少ない家具家電も元の形を保っている。

 

「そういや一人暮らし始めたときに買い揃えたこれもだいぶくたびれてきたな……そろそろ買い替えの時期か?」

 

そう言うと、電子レンジが勝手に起動しオーブントースターに熱が入る。洗濯機は、モード切替を繰り返し、掃除機は何もしていないのに吸引を始めた。

 

状況に追いつけず、頭が混乱してしまいそうになるが、落ち着いて対処をする。これは家電製品なのだから電源自体を抜けば対処できるはず!

そう思い、全てのコードを電源タップから外す。が、先ほどまでと何も変わらず、家電の暴走は止まらない。

 

どうしようと頭を抱えるが、相談も兼ねて佐藤さんに電話を掛けるとすぐに出てくれたのでかなりありがたいと思ってしまった。

 

『はい。どうかしましたか、種田さん?』

 

佐藤さんに現状、わかっていることを懇切丁寧に説明をする。何が起こったかを説明し終えると、聴き終えた佐藤さんが質問を投げかけてきた。曰く、部屋に帰ってきてからどんな行動をしたか。どんな発言をしたか。そう言われ、先ほどの行動を思い出す。

 

「……そういえば家電を買い替えようか、と一人つぶやきました」

 

『おそらくそれですね。先日の淫魔の力を封じた箱、部屋にありますか?』

 

箱?室内を見ると缶ケースがあるが、フタが若干空いている。箱の中には、小さな飴玉のようなものがふたつ、残っているだけである。

 

「飴玉のようなものがふたつあるだけですね。これがどうかしたんですか」

 

『……そうですか。おそらく、昨夜の種田さんの部屋での一悶着あった際に蓋が外れてしまったのでしょう。そして、その力が部屋にあった家電製品に拡散されたのだと思われます。とりあえずテープのようなものでフタが開かないようにしてください』

 

言われた通りに、アルミの缶ケースの蓋を部屋にあったガムテープでグルグルと巻き、養生する。なんとまぁはた迷惑な話だと頭を抱えていると、部屋に自分以外誰もいないのに声をかけられた。周りを見渡して見るが誰もいない。

 

「おい人間、こっちだこっち」

 

見ると、一人用の小さな冷蔵庫の扉に二つの目玉が付いている。ギョッとしていると、冷蔵庫は大きく溜息をひとつし、言葉を発する。

 

「そこまで驚くな。と言っても無理だろうがな。ここら辺は、慣れてくれとしか言いようがない」

 

「いきなり冷蔵庫が喋り始めたら誰でも驚くって……」

 

「驚くのはこちらもだ。生まれてわずか数年で付喪神になるとは……この世界は分からんもんだ。何が起きるか予想が付かん」

 

そう言うと冷蔵庫は、ゲラゲラと響くような笑い声を出し、さらにこちらを驚かせる。それに呼応するかのようにほかの家電製品もゲラゲラと笑い始める。正直言ってやかましい。

 

「……佐藤さん、今の会話聞き取れました?」

 

『ええ、こちらからもちゃんと聞こえましたよ。まさか付喪神になるとは……これは想定外ですね。種田さんは、その冷蔵庫と話をつけてください』

 

冷蔵庫を見ると、ウォッホンと大きな咳をしこちらを見て欲しそうに見ている。

 

「分かりました。何があるかわからないので通話したまま会話しますね。……おい、冷蔵庫。要求はなんだ?」

 

「よくぞ聞いてくれた。こちらからはふたつ。ひとつは、週に一度の頻度で我々を磨いてほしい。埃が上に乗ったままというのは、外聞も良くないしこちらの性能も落ちる」

 

「わかった。それは本来だったらちゃんとやらなきゃとは思っていたところだ。それと、もう一つの要求は?」

 

「もう一つの要求は、できれば買い替えると言わないでくれ。我々も道具で生まれたこの命、尽き果てるまでは全うしたいと思っている。だから、最後事切れるその時まで我々を使ってくれ。こちらからの要求は以上である」

 

「わかった。もし故障しそうになったら、壊れる前に言ってくれ。そうすれば、直ぐに治せるかもしれん」

 

「了解した。これで繋がりは成ったな。これからもよろしく頼む」

 

仰々しく、冷蔵庫が目を閉じる。そうすると、すぅっと消えるように二つの目が消えて、黙した。冷蔵庫だから頭を下げるというのができないからか、これが正しい挨拶なのかは分からない。ただ、こちらもひとつ頭を下げた。

 

◇◇◇

 

「……終わりました。とりあえず何とかなったようです」

 

『お疲れ様でした。種田さん、缶ケースを持って室に来てもらえますか』

 

缶ケースを両手で落とさないように持って、佐藤さんの元に向かう。

 

室に行くと、扉の前に佐藤さんと巻尾さんがいた。二人とも、目が合うと会釈しこちらへ足を揃えてやってくる。

 

「業務時間外にお手数かけて申し訳ないありません。本当でしたら、こちらから出向かなければいけなかったんですが…」

 

「こっちもやけに手間取ったんスよー。あ、缶ケース受け取るっス」

 

巻尾さんに缶ケースを渡し終えると、その上に何やら読めないが達筆に書かれた札を貼り付けた。

 

「よし、ひとまずこれで一安心っスね!これで内側からは絶対に開かないっスよ」

 

「内側からってことは、外からでは開けられるんですか?」

 

「必要になった時に開けられないとなるとそれはそれで困りますから。どんな猛毒でも、用法用量を変えれば難病を克服できる万能薬になり得ますから」

 

たしかにどんな良い薬でも、量を間違えたら毒にしかなり得ないな。そういえば、現世でも自殺のやり方に市販薬の多量摂取なんてのもあったっけ…

 

そんなことを考えていると、佐藤さんのポケットに入れている端末が震える。冷静にそれに応じると、顔色を変えた。その変化に、巻尾さんも気づいたようで聴き漏らさぬように人差し指を口の前で添えていた。

 

「ええ、ええ、はい。わかりました。ええ、当人も連れていきます。はい、はい。それでは、後ほど」

 

「佐藤さん、何かあったんですか?」

 

「例の悪霊化した亡者が意識を取り戻したのですがどうやら未決監で暴れたようです。種田さん、一緒に来てください」

 

◇◇◇

 

ここはどこでしょう…たしか私は…誰かに連れられて…話をしたところまではおぼえておりますが…誰かのことを思い出そうとするとひどく頭が痛むのです…なぜ…なぜなんでしょうか…

 

頭がまだボウっとしますが手首に違和感を覚えましたのでみてみますと、おおきな手枷がつけられているのがわかります。

 

どうしてこんなものが?と考えようとしますが、熱病にうなされるように考えがまとまりません。

 

手枷を外そうと、はしたないですがバタバタとあばれていると子供のころ、お寺さんの地獄絵で見たような鬼がこちらにやってきました。

 

それを見ているとわたしは恐ろしく感じ、まるで気狂いのようにあばれました。

 

その鬼は、まるでお医者さまのように手慣れた手つきで、脈をとりはじめました。そして、わたしの腕にセロハンのようなものを貼り付けると気分がスゥっと良くなり、まるで葡萄酒を飲んだ後の酩酊感のようなものがやってきました。

 

ああ、おそろしい。きっと、わたしはこの鬼に食べられてしまうのでしょうか…それとも手足をちぎられ、芋虫のようにして晒し者にでもされるのでしょうか…

 

ああ、恐ろしや恐ろしや……

 

そんなことを考えていると気が遠くなっていきます……

 

ああ、恐ろしや恐ろしや……

 

◇◇◇

 

「ひとまず、安定化はさせておきました。ですが、いつどうなるかこちらにもわかりません。くれぐれも、取り扱いに気をつけてください」

 

白衣を着た獄卒が、フラリと立ち上がると頭を下げ出ていく。今回は何とかなったようだが、次はどうなるかわからない、と言われたような気がした。

 

「さて……あの亡者どうすればいいんでしょう?」

 

「酷な話になりますが、あそこまで行くと強制的に除霊するしか我々には対処できませんね。種田さん、あなたはあの亡者をどうしたいですか」

 

一目し、瞑想するように瞼を落とす。悪霊になったきっかけは裁判での俺の行動だったかもしれない。だけど、その前の原因は何だ?悪霊になるまで恨みを募らせてしまったこと?それとも心中相手の男のことを今でも思ってること?どうしたい……

 

「悪霊化した魂を浄化し別の器に入れて裁判するってできますか?」

 

「できないことはないですが、触媒と器となり得るものを用意しないといけませんね。それはどうしますか?」

 

器…容器…入れ物…連想されたワードをひっくり返して頭の中で結び直す。人……器……人の形……人形……

 

「佐藤さん、器の形って何でもいいですかね?」

 

「ええ、そのものに魂が乗り移ればいいだけですから。何か思いつきましたか」

 

「悪霊化してる部分を切り取って、人形に封印し、残った善性の部分は天にあげればいいんじゃないかと。

以前、人形供養のお寺の特集を見たことがあってそれで思いついたんですがどうですか?」

 

「ええ、やって見ましょうか。今後、悪霊化した際の対処法になり得るかもしれません」

 

必要なものを用意してきます、と佐藤さんはどこかへ駆け出していった。待ちぼうけになってしまったが、こちらもいつでも始められるように心の準備だけはしておく。

 

 

 



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断ち切る穢れと悪食

佐藤さんが持ってきたのは、抱えるほどの大きさのクマのぬいぐるみと裁縫道具。巻尾さんは、封印を終えている缶ケースを大事そうに持ってきた。

 

佐藤さんは、まずクマのぬいぐるみの腹を裁縫鋏で開口し、中綿を分けるようにしてスペースを作る。その後、缶ケースの封印を剥がし、飴玉のようなものをピンセットでつまみ、クマの腹の中に入れ、手慣れた手つきで縫い合わせていく。

 

こちらは、見てるだけだったので佐藤さんが開けた缶ケースの封印も忘れずに、元に戻した。といっても、養生テープを貼り直しただけだが。

 

「これで準備は完了です。あとは、種田さん。あなたが、あの亡者の善良な魂と穢れたものを分けてください」

 

「魂と穢れを分ける…ですか。でもどうやって」

 

「人という生き物は動物とは違い、対話をしてコミュニケーションを取る生き物です。ですので、種田さんはいつものように対話をしてください。それと、これをお渡しします」

 

それは刃渡りが20センチほどの断ち切り鋏。柄の部分には、朱色の布が巻きつけられ、刃先は黒鉄色をしている。

 

「その鋏は、魂を切り取るための鋏です。銘は潰されてますがたしかなものですので使ってください」

 

「これ、どうやって使うんですか?」

 

「彼女と話をして、やりきれなかったこと、できなかったこと、そういう望みの部分を引き出すっス。そうすれば、その鋏は答えてくれるはずっス」

 

「種田さん」

 

「彼女に取り付いている呪いを断ち切ってください。それが彼女を救うことになります」

 

 

◇◇◇

 

クマのぬいぐるみを抱え、鋏は懐に収め亡者ーー美薗はつの前に歩いていく。

 

「こんにちわ」

 

「……あなたは?」

 

「俺は種田といいます。あなたの死後の裁判を受け持ちでしています」

 

「死後の?……あぁ、私死んだんですね。……あの人は……あの人は一緒でしたか?」

 

そういった彼女の目は結果をどうせ結果はわかりきっているかのように、そんな目をしていた。

 

「彼というと……川辺昭三ですか?一緒にはきてませんね。まだ裁判自体も始まってなかったと思います」

 

「あぁ……やっぱりそうですか…そうだったんですね」

 

彼女は大きく嘆くようにため息を吐く。それがまるで、彼女の中に残っている穢れともいうべきものが少しだけ吐き出されるようにも感じる。

 

「馬鹿みたいと思われるかもしれませんが。あの人は……私のことは遊びだったと思うんです。……だけど私のほうは……本気で愛していたんです。所詮叶わぬ恋慕とでもいうのでしょうか……

だけどどうしても諦められなかった。あの人が他の人と一緒に寄り添っているのを遠目に見ただけでも私の中の醜い感情が溢れて止まらなかったのです。だから、私から一緒に死にましょうと言ったんです」

 

「彼もそれに同意した、と?」

 

「ええ、彼も今の世界で一緒になれないのなら一緒に心中して、来世で一緒になろうって……結果は、私だけ死んで地獄へ落ちてしまった。ふふっ、笑ってください。こんな馬鹿な女を。嘲笑ってください……」

 

「……厳密に言えばあなたはまだ地獄に落ちていませんよ」

 

「……そうなのですか?ここは地獄ではなくて?」

 

「地獄ではありますが、あなたに判決は下されてません。ここは刑が決まるその前段階です。あなたは、この部屋のことを覚えていますか?」

 

「この真っ白な部屋ですか?そう言えば、なんとなくですが……確か川を渡った後にだれかに連れられてきたのを憶えています」

 

「その後のことは?」

 

「憶えておりません。思い出そうとすると、靄がかかったように思い出せないのです」

 

ということは、本人は、自分の身の上に起きたことを覚えていないということになる。悪霊化して、裁判にかけられるということすらできない状況にまだ気づけていない。いや、この場合は気づかなかったというべきだろうか。

 

「では、亡くなった時のことは憶えていますか?」

 

「ええと……はい、そちらはなんとか。たしか昔から入水の名所と言われている場所で、あの人と2人抱き合って落ちました。水自体は、そんなに深くなかったのですが足に……そう。左足に何かが絡みつくように纏わりついて溺れてしまったのです。その時……たしかあの人は……」

 

そう言った瞬間、彼女の左脚の踝あたりから黒い靄が出はじめ、彼女に纏わりつく。その靄は、だんだんと人の形を模し始めた。それは、大量の手のひらと女のものらしき長い髪の毛。それに大量の目玉だった。

 

「ひ、ひぃぃぃいいいいいいいいいいいい!!!!!」

 

「お、落ちついてください。暴れると、あなたも怪我するかもしれませんから」

 

彼女が暴れると、縛り付けるように彼女の身体に纏わりついていく。それは穢れというよりも呪いそのもの。

 

「なんで……なんで……こんなことに……いやあああアアアアアア」

 

以前から状況は好転せず、むしろ悪化している。だが、そこにキラリと光る光明が見えた気がする。こちらは言われたことをするだけだ。

 

「美薗さん、あなたはどうしたいんですか?」

 

「どうしたい?……そんなの……そんなの決まってるじゃないですか!!あの人に会って文句を言って頰を思いっきり引っ叩いてやりたい!!心中の約束を破るなんて絶対に許せない!!」

 

彼女がそういうと、右手の小指の根元が眩く光った。

そのまばゆい光は、呪いそのものに刺さるように貫通し、その光に祓われるように収縮していく。

その機を逃すものか、と懐に入れた断ち切り鋏を彼女に差し向ける。そして勢いよく断ち切った。

 

バズンッと鈍い音が室内に響くと、次にボトッボトッと粘性の高い音が聞こえ、この世のものとは思えない声が響き渡る。

 

金切り声のような残響を残し、その後は雪原のように深々と音が吸い込まれる感覚に陥る。どうやら彼女と呪いを切り分けることができたようだ。

 

さてこの呪い、どうやって処理しようか。正直近づきたくもないしなんなら直視したらこちらが呪われそうだ。しかし、放置しておくと彼女にまた取り付くかもしれない。

 

すると、佐藤さんから受け取ったクマのぬいぐるみがいきなり歩き出し呪いに近づくと、呪い自体を喰べはじめた。呪いも抵抗してはいるようだが、無意味だったようで咀嚼音が耳に届く。

 

驚きで目が離せないでいるとそのクマのぬいぐるみは、喰べ終えたのか腕で口元を拭った。

 

そのぬいぐるみは掌を合わせ、合掌するようにして頭を一つ下げた。まるでごちそうさまとでも言わんかのように。

 

 



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御幸

「大丈夫ですか?」

 

「ええ、何とか……あのぬいぐるみは一体?」

 

「自分にもよくわかりません。それよりもその……」

 

「どうかしましたか?」

 

彼女ーーー美薗はつの長く伸びた髪の毛は、呪いに蝕まれ同化していたようで、断ち切り鋏で切った際に一緒に切り取られたようだ。

 

腰まであった髪の毛は、いまやアゴのあたりまでしかない。しかも、ざっくばらんに爆ぜたようになり元の髪型は見る影すらない。

 

「あぁ……本当ですね。髪は女の命というのに……どうしましょう……」

 

「その髪型も素敵だと思いますよ」

 

「え、あらやだ見ないでくださいまし。こんな幼子のような髪型、とても恥ずかしいんですよ」

 

そういう彼女の顔は、今までと違い人間らしく頬を緩ませていた。それにしてもあの、呪いに貫通した光は一体なんだったのだろう……

 

ふと見ると、彼女の体から光の粒が空に飛んでいく。それはまるで、サイダーの泡のように、シュワシュワと音を出しながら昇っていく。四肢は透け、どんどんとその存在自体が薄くなっていくような感覚だ。彼女自身、自分の身体に起こった変化に戸惑っているように見える。

 

「たぶん、呪いと分かたれたので成仏できるんだと思います」

 

「そうですか……お別れの時間になったのですね。悔いが残るとするならば、あの人に会ってみたかったのですがそれは叶わないのですね。仕方ありません。最後に……あなたのお名前教えていただけません?」

 

「種田です。種田柿彦」

 

「種田さん……ありがとうございました。これで悔いなく……いえ、本当ならばあの人に会って見たい気もするのですが……それはぜいたくというものです。願えるのでしたら、来世はあなたのような方と一緒にいたいものですね」

 

そう言われ、気を動転させていると彼女はフフッと弾むように笑った。

 

「では、種田さん。ごきげんよう」

 

彼女はそういうと、泡のようになって消えていく。室の上空には彼女から出た光の球がいくつか残っているがそれもそのうち消えて無くなるだろう。

 

そう考えながら見上げていると、そのうちの一つの光の球がこちらに落ちてきた。

 

両手で光の球を落とさぬように、壊れ物に触れるように抱きかかえると、何かの形を成して行く。

 

それは、おくるみを纏った赤ん坊。驚くほどに柔らかく取り扱いを間違えてしまったら壊れそうなそれは庇護の対象。

 

「……どうしよう」

 

「ふぇ……え、え……ふえぇええん!!!!!!」

 

赤ん坊を抱えあたふたしていると、佐藤さんと巻尾さんがやってきた。様子が変だと思い、こちらに駆け寄ってきたようだ。

 

「種田さん、大丈夫っスかー?……ってえ?え?」

 

「……これは一体どういうことなのでしょうか」

 

「とりあえずお二人とも。どちらでもいいので助けてください」

 

◇◇◇

 

ひとまず赤ん坊は巻尾さんが手慣れた手つきで抱きかかえ、あやすと泣き止んだ。

 

佐藤さんに、何がどうなってこうなったかを説明する。佐藤さんは、顎に手を当て考えるようにしながら話を聞くと、しばらく目を瞑った。

 

「つまり、亡者が成仏したと思ったらいつのまにか赤ちゃんになっていた、ということでよろしいですね?」

 

「そうです」

 

「おそらくですが彼女ーーー美薗はつの魂は、無事に成仏した後に転生を果たしたことになります。が、今回は理解不能な点が一つ発生してます」

 

「理科不能な点?」

 

「ええ。彼女の魂が、転生門を通らずに魂が転生したということです。今までこのようなことはなかったのでどう対応したらいいものか…ひとまず、閻魔様に報告しましょう」

 

佐藤さんが内線を入れに端末をいじる。

 

「あー、こりゃお腹すいてるんすかねぇー。種田さん、母乳出ます?」

 

「出るわけないでしょ」

 

「ひとまず粉ミルクでもいいから用意してもらわないとっスねー……あっ、センパーイ!粉ミルクと哺乳瓶急いで用意してほしいっス!!」

 

内線を入れていた佐藤さんが頭を縦に振る。ひとまずこれで一安心になるんだろう……か?

 

「そういえば巻尾さん、なんか慣れてるように見えるんですけど」

 

「えっ……あー、そうっスねー……これすごくややこしい話になるから説明長くなるんで簡略化して話すると……前世の記憶を持ったまま犬になって、そこから犬神になっちゃったからっスかねー……人間だった頃は、弟妹の面倒をよく見てたんすよ」

 

「へー、そうだったんですね。今でも連絡したりとか?」

 

「はっはっはー、そりゃ無理っスよ。確か二人ぐらい生き残ったけど残りみーんな焼け死んじゃったス」

 

「……なんかすいません」

 

「謝らなくていいんスよ。どうせ、前世の話で今世では関係ないっスから。ほーら、もう少しでご飯ありつけるっスからねー」

 

どうやら巻尾さんの経歴を聞く限り、どこに地雷があるかわからない。

 

「閻魔様に連絡つきました。速やかに、執務室に来てくれ、だそうです。二人ともどうしました?」

 

二人の空気が変わったと思ったのか、佐藤さんが問いかけてくるが二人とも、ハハハと軽く笑うことしかできなかった。

 

執務室に入ると、閻魔様がチラリとこちらを見て手を振る。

 

「こっちこっちー。とりあえず、ぐずってるようだから早く飲ませなー」

 

閻魔様の机の上には、書類等の代わりに哺乳瓶に入ったミルクが置いてある。閻魔様が指を弾くと、瞬時にベビーベッドが現れる。巻尾さんは、そこに赤ん坊を降ろすと哺乳瓶の温度を確認し始めた。

 

「おー、ちゃんと人肌になってる。これならすぐに飲ませることができるっスねー」

 

そう言うと、巻尾さんは赤ん坊を抱きかかえ哺乳瓶の乳首を口元に当てる。相当お腹を空かせていたのか、飢えた肉食獣が獲物を得た時のように、勢いよく吸い付く。

 

哺乳瓶に入ったミルクは、見る見るうちに減っていきあっという間に飲み干した。巻尾さんは、慣れた様子で背中を撫でゲップを促した。

 

「よし、これで寝かしつけてっと……」

 

「さて、たねちん。どうなってこうなったのか説明して」

 

今回の出来事を頭から説明する。閻魔様と佐藤さんは話を切らず、耳を傾ける。話し終えると、閻魔様は一息ついた後の口を開いた。

 

「うーん、おそらく原因は名前を教えたことだろうねー」

 

「おそらくそれでしょうね」

 

「えっ、名前を教えたことってそんなにまずいんですか?」

 

「自分の名前を明かすということは、自分の腹の中を晒すのと変わりありません。亡者含め人という生き物は、互いに名を知ることで、対等な立場になることができるものです。

今回の場合、亡者が成仏する際に種田さんが自分の名前を出したこと。そのことが今の現状を生み出したと考えて間違いないかと」

 

「例えば妖怪とかだと妖怪としての種類は言うけど真名は絶対に言わないんス。なぜなら、名前というのは魂そのものなんスから」

 

「たねちん、とりあえずその赤ちゃんさー、賽の河原に預けて来たら?それじゃ、仕事もできないだろうし」

 

「すいません、種田さん。巻尾と一緒に先に行ってもらえますか?少し閻魔様とお話がありますので」

 

「わかりました」

 

巻尾と賽の河原に一緒に行く二人を見ながら、残った佐藤さんは口を開いた。

 

「閻魔様、一つ質問よろしいですか?」

 

「何だい、佐藤。言ってみなよ」

 

「では失礼して。あなたは、どこまで見えていましたか?」

 

「やっぱ見てたのわかったかー。うーん、今佐藤と話してるこの瞬間までかなー。その先は、見ない方が面白そうだから見てない」

 

閻魔様はけたけたと弾むように笑う。その答えを聞いた佐藤さんは、こめかみに指を当て大きくため息をついた。

 

 



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般若面でコブラツイスト

巻尾さんと二人して歩いていく。目的地は、閻魔様が言っていた賽の河原だ。

 

「種田さんは賽の河原って言うと、どんなイメージが浮かぶっスか?」

 

「えっと、たしか親より先に亡くなった子の魂が、賽の河原に行って石を積むんでしたよね。一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のためってやつ」

 

「まぁ、現世で知られているのってそんなところっスよねー。今から案内するっスけど、色々と騒がしいんで覚悟決めるっスよ。あと賽の河原は、三途の川の沿岸の近くにあるんで秦広王様の管理区域になるんス。だけど今回は、自体が自体なんで取り急いで向かうっス」

 

賽の河原はこの先と書かれた大きな立て札を持った女性が、ひとり立っていた。女性はこちらを見ると、手を振りこちらにやってくるが巻尾さんが抱きかかえているものを見ると、ギョッとした顔をした。

 

「えっ、あんたいつの間に!?とりあえずおめでとおおおおおおおおおおおおお」

 

「はっ!?」

 

「しーっ、大きな声出すと赤ちゃん起きちゃうから。いやー、おめでたいおめでたい。今夜はお祝いの会開かないとねー。でっこっちが番いの人?どこで見つけたのよ?」

 

見ると、巻尾さんは顔を真っ赤にしながら口をワナワナ震わせていた。その間にも、女性は手のひらを合わせ興味深そうにニコニコと見ている。

 

「ちょっ、あーもう、ちゃんと人の話を聞くっス!!」

 

「え?……その反応からすると……もしかしてアンタの子供じゃないの?まさか拐ってきちゃった!?」

 

「なんでそういう反応になるんスか!?これには色々複雑な事情があるんス!!詳しくはこの人が教えてくれるっス。死後の裁判の新人見習いの種田さんっス」

 

その女性に会釈をすると、上から下まで見られた。こっちに来てからこの手の視線には慣れたが、一対一の状況だとまだ慣れない。

 

「ふーん、そう。あなたがねー……大変だったわねー。その子、うちに預けに来たんでしょう?今は、大人しくしてるみたいだからさっさとよこしなさいな」

 

「はい、お願いするっス。あー、ひさびさに抱きかかえると肩こるっスわー」

 

巻尾さんはそう言うと肩をグリグリと回す。回すたびにゴリゴリと音が鳴って随分と凝っていそうだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

「…久々に抱いたっスけどやっぱり肩にくるっス。まぁ、それも命の重さってやつなんスかねー。血の繋がってない他人の子だとしてもなぜか自分が頑張らないとって勝手に思っちゃうんスよ」

 

「わかるわ〜、その気持ち。なんというか、生物としての本能や習性なんでしょうけど小さい子って庇護の対象って根付いてるんだと思うの」

 

そういうものなんだろうかと考えていると、二人は先へ足を進めていく。遅れないようについていくと、しばしの沈黙の後、女性の方が先に声をかけた。

 

「あ、ごめんなさい。自己紹介が遅れたわ。私は産女の宮田よ。好きなように呼んでちょうだい」

 

「じゃあ、宮田さんと呼ばせてもらいます。宮田さんは、賽の河原の関係者……でいいんですよね?」

 

「そうそう、一応賽の河原で子供達の面倒をみてるの。あなたもくる?転属願いを出せばすぐにでも受理されると思うけど」

 

「あはは……今の職場で精一杯なので。お気持ちだけありがたく頂戴します」

 

「えー、男手欲しかったからざーんねん……本当にいつでも来ていいからね!お姉さん待ってるから!」

 

「はいはい、そこまでそこまで。まったく……他所様を勝手に引っ張りこんだら、その人が抜けた穴を埋めるのに大変なことになるってのは目に見えてわかるっていうのに……一応聞くっスけど冗談半分で言ってるんスよね?」

 

「いいえ、本気よ本気。そもそも成り手が少ないのに、子供はどんどんどんどん増えていくでしょ?うちもこれで手一杯なのよ」

 

そう言った宮田さんの顔は、若干疲れているようにも見える。

 

「そんなに大変なんですか?」

 

「うん、さっきも言ったけど元々成り手が少ないのもあるけど、それとはまた別に、色々な問題を抱えた子たちをどうするかって、みんな頭抱えてるところ。

そういう子達って放っておくと、ちゃんと来世に行けたとしてもすぐにこっちに戻って来ちゃうことが多いの。だから、まずは心を治してそれから石積みをさせるんだけど……その治療ができる獄卒は限られてるのよ」

 

心を治す……たしかに現世にいた時も、クリニックに通ってる人はたくさんいた記憶がある。現世では、それ専門の医者というのがいたが、地獄ではそういう医者は少ないのだろう。

 

「さて、ついたわ。私は、この子を寝かせてくるから先に行っててちょうだい。巻尾、あとはよろしくね」

 

◇◇◇

 

それはまるで戦場のようだ。と言っても、戦場になぞ生まれてこのかた立ったことはないのだが、そう表現せざるを得ない状況に思える。

 

「やめてえええええええ」

 

「うわあああああああああああん」

 

大人の手のひらサイズほどの石を積んでいる子供がそこら中にいる。よく見ると、子供達の見た目にバラツキがある。恐ろしく痩せた子や、目につくほど大きな傷跡や火傷の痕が目立つ子、見た目は何も異常はないがゆらゆらと行動が不安定な子。

 

幼子の声は、成長し終えた大人の声とはまた違い、遠く遠くへよく響く。その声は、天まで響き、この場がまさに阿鼻叫喚のようである。

 

「だから言ったじゃないっスか。これはこれで覚悟がいるって。はい、これ、種田さんの分っス」

 

そう言って、巻尾さんは節分でつけるような鬼のお面をつけている。耳の部分には輪ゴムが取り付けてあり、調整ができるようになっていて、視界はそこまで広くはない。

 

「このお面をつけて、子供達が積んでる石の塔を、徹底的に崩してほしいんス。なんか質問あるっスか?」

 

「……この仕事やりたくないですね」

 

「心苦しいのは理解できるっスけど…ここは、心を鬼にしてやらなくちゃいけないっス。いいっスか、種田さん。ここにいる子達は、みーんな来世への転生待ちっス。救いの手が伸ばされるかまったくわからない。そんな中で出来ることはあの石を積むという苦行しかないんス」

 

「そういえばなぜ崩すんですか?積み上げればあの苦行から解放されると思うんですけど」

 

「それをやっちゃうと、親より先に亡くなったという罪科が、魂から消えないんスよ。その罪科を魂から消すためにこの苦行があるんス」

 

魂に罪がある……この幼子達の魂にも、罪があるというのだろうか。汚れなき純粋無垢に見えるこの子達が…

 

渡されたお面を被り、心を鬼にして彼らに立ち塞ぐ。まずは、高さ10センチほどに積んである石を蹴りあげた。何も繋ぎをつけていない石の塔は脆く崩れ、河原の石群へと変わっていく。

 

それを積んでいた子は、泣きそうに顔をくしゃっと潰すも泣きはせずにまた石を一つ一つ選び始めた。これからまた一つ一つ積んでいくのだろう……

 

蹴りあげた右脚がひどく痛んだ。疼くように痛む。

他にも積んである石の塔を蹴り崩していく。

 

◇◇◇

 

「お疲れさま」

 

そう言ってくれたのは、宮田さんだった。気づくと、周りに積んだ石の塔は見当たらない。気づかないうちに周りにあった石の塔を全部崩し終えてしまったようだ。

 

「あなたもだいぶ疲れてるのね…脚、大丈夫?」

 

「ハハッ、かなり痛いです。ちょっと歩くのキツイかも」

 

「少し我慢できる?今、軟膏持ってこさせるから」

 

宮田さんがそう言うと、巻尾さんが駆け足でどこかに行き、手の平に収まるほどの壺を持ってきた。

 

靴を脱ぎ、勢いよく靴下を剥ぐ。滲むような痛みと疼きが混ざり、無意識に歯を食いしばった。宮田さんは、慣れた手つきで足の指を消毒し、軟膏を塗りたくった。

 

「……よし、これでひとまずは大丈夫ね。まさか本当にやるなんて」

 

「え、じゃあやらなくても良かったんですか?」

 

「自分からすすんでやる人は、そういないわよ。獄卒でも躊躇するものよ」

 

「我ながら凄まじいことしちゃった実感はあります…でも足の痛みより……」

 

「痛みより?」

 

「なんか心が痛いです。ぐちゃぐちゃと変な感覚で…」

 

「初めはみんなそうよ。まぁ、慣れて何も感じなくなったらそれはそれでダメなんだけど……あなた、うちに向いてるのかもね」

 

「向いている?」

 

「心を痛めながらも割り切って業務を行う。それはそれで、出来る人は少ないのよ……ただその行動を無意識にやり続けていくと、心が疲れていつの日かポキっと折れてしまうかもしれない。そこらへんは、意識しておいてね。っと、あなたのお迎えが来たようよ」

 

宮田さんが指をさした方向を見ると、佐藤さんがいた。急いで来たからか、若干汗をかいてるのが見てわかる。

 

「種田さん、大丈夫ですか?」

 

「ははっ、だいぶやらかしたみたいです」

 

「まったく、笑い事ではありませんよ。……巻尾は?」

 

振り返ると、巻尾さんは佐藤さんと宮田さんの間でガタガタと震えていた。例えるならば、粗相をした飼い犬が逃げ場を無しに震えているようにも見える。

 

「何のためにあなたを一緒に同行させたと思ってるんですか?種田さんが無茶をしないように止めるのがあなたの役割だと思っていたのですが……反省もできない、悪い子にはお仕置きが必要です」

 

「ちょっ……待っ……ああああああああああああああ」

 

横にいたと思ったらいつの間にか消えていた佐藤さんは、巻尾さんの後ろに立ち、腕と足を絡めコブラツイストを決めた。素人目から見ても、美しく決まってるようで、巻尾さんがタップしても佐藤さんは外そうとしない。

 

「私も現場に立ち会って止められなかったのは悪いと思うけど……流石にやりすぎよ」

 

そういった宮田さんは、巻尾さんのあばら付近をくすぐる。巻尾さんは、くすぐりとコブラツイストの痛みで笑いながら苦しむという気が狂いそうな地獄を味わっているようだ。

 

「ギ、ギブっス……」

 

そういうと、巻尾さんは落ちた。

 

 



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名づけ

誰も見ていないかもしれないけどお・ま・た・せ


「ご迷惑をおかけしました」

 

「いいえ、あれに任せて現場を離れていたのは私だし。それよりも、彼の足大丈夫?」

 

「私は専門家ではないので…診て見ないことにはなんとも言えませんが……おそらくつま先、親指あたりの爪が割れているのかと」

 

「えっ、それくらい?私はてっきり骨まで達してるかと思ってたけど……」

 

「あの軟膏を塗ったのと、彼は例のドリンク剤を飲み干してますから……なんなら阿鼻地獄の獄卒よりも治りが早いと思いますよ」

 

佐藤さんにそう言われつま先に意識を向けると、軟膏を塗った足には先ほどの疼くような痛みもなくなり、通常時と遜色ないようにも思えてくる。

 

「まぁ、飛んで跳ねてしない限りは大丈夫だと思います。帰り次第、大事を見て診察してもらうことになりますが…それと巻尾。狸寝入りはそれくらいにして起きなさい」

 

「あてててて……先輩、関節決めすぎっスよ。私が人より多少柔らかいからって……無茶しすぎっス」

 

「それはあなたの自業自得ではないのでは?あの状況で、種田さんを止められたのはあなたしかいなかったでしょうに」

 

「あー、それは確かに……種田さん、ごめんなさい。あの時力づくで止めていれば……」

 

「それで止まったかは些か疑問ではありますが…そういえば種田さんには、とても重要なお仕事ができましたのでそれを伝えに来たんでした」

 

重要な仕事?急ぎの裁判でも出たのだろうか。もしくは、今の現状に関連すること、のどちらかだと思うが…

 

佐藤さんは、右手の人差し指を立て言った。

 

「その子に名前をつけてゆびきりをしてください」

 

「名前をつけて……ゆびきりですか?」

 

ゆびきりというとあれだろう。子供の頃約束事をした時にした……なぜゆびきりなんだろう?と思っていると、巻尾さんと宮田さんは驚愕というような表情をしている。

 

「えっ、先輩それは…」

 

「ずいぶんと重たい契約ねー。指合わせとかじゃダメなの?」

 

二人の反応を見るに、それはとても重い契約であることは察することができた。だが、なぜ、この子とゆびきりを?と頭を傾げると佐藤さんが懐からタブレット端末を取り出して説明を始めた。

 

「まずは、この子の出生届の書類を提出しなくてはなりません。これは、現世の管理を真似したものですが、こちらでも生まれて2週間以内に提出しなければならないようになっています」

 

「それって俺が書いても大丈夫なんでしょうか」

 

「ええ、そのためのゆびきりです。名をつけ、ゆびきりをする。そうすることで、種田さんとは他人であるその子との縁という名の線が結ばれる。閻魔様と話し合った結果、種田さんが書類を書いても大丈夫、という判断に至りました」

 

「その子は今、誰の保護下にも収まらず戸籍もなく、一人宙に浮いているような状態になっています。その子のためにも早急に書類を書いて提出してください」

 

名前をつける。

 

そう言われ、赤ん坊を見るとすやすやと眠りについている。元はと言えば、生まれ変わる前の亡者に名前を教えたことがそもそもの原因だった。それで、前例のない今のような現状についていることにもなる。

 

「……少し時間をください。それと宮田さん。揃えて欲しいものがあるんですが」

 

「ええ、何かしら」

 

「今、賽の河原にいる子供達の名前。それがわかるものを見せてもらえると助かります」

 

「わかったわ、すぐに揃えることができると思う。他に必要なものは?」

 

「できれば現世と地獄の名付けの見本書みたいなのもあると助かります。一から考えるとなるとかなり厳しいので」

 

「そっちは私が持ってくるっス!確か図書館にそれ専門の書籍があったはずスから……急いで借りてくるっス!」

 

そういうと、巻尾さんは駆けていった。その早さは、まるで風のようで、気がつくと姿は見えなくなっていった。

 

◇◇◇

 

その頃、とある場所では男達が車座になって集まっている。いつぞやの地上げ屋である。今回は雇い主の男はおらず、 親父と言われる男と半端者の男二人が用意された資料を目に通していく。

 

「ざっと俺の方で調べてみた。片方の男の情報は出なかったがもう一人の方はなんとか出たぞ。閻魔の犬だ」

 

「閻魔の……」

 

「犬ぅ?」

 

「ああ、どうやら現世から引っ張って来たらしい。名前も判明してる」

 

「じゃあ、すぐに拉致っちゃえばいいじゃないですか。どうせ人間なんでしょ?」

 

親父と言われる男は、顔を上げ天井をしばらく見つめ、大きく息を吐いた。

 

「それができるんだったら最初からやってる。問題は、もう一人の男の方だ」

 

「もう一人の男のほう?と言いますと」

 

「俺の知ってる情報屋を全部使って調べてみたが、どこにも引っかからなかった。そんなのありえるか?」

 

二人の男は、それぞれ目を合わせ首を横に振った。少なくとも、過去に親父と言われた男の情報は正確で、反論の余地がないからだ、と。

 

親父と言われている男は、くしゃくしゃになったタバコを胸ポケットから取り出すと、口に咥え火をつける。いつもは、仕事中には吸い出さないのを知ってる男達は、異常を察して黙った。

 

これは言葉を間違えたら、殴られるではすまないかもしれない、と。

 

「そんなヤベェ奴の連れだぞ。こいつは思っていた以上に慎重に事を運ばなくちゃいけねぇ……」

 

「はぁ……そんなもんですかねぇ……」

 

「なんとか弱みでも見せれば話は変わってくるんだが…こればかりは時間がかかりそうだな。どうしたもんか……」

 

◇◇◇

 

「……さて、どうしたものか」

 

巻尾さんに持って来てもらった本をパラパラとめくり、頭を抱えた。

 

まず、資料の数。数冊ほどを持ってくると思っていたがまさかカゴ台車いっぱいに詰め込まれたものを、巻尾さんは持って来た。これでも、厳選して持って来たという。

 

調べてみると、名付けとは古来より親の望みを掛けてつける場合が多く、流行病が流行った時は生き永らえるように、ちゃんと大人になれるように、戦が多く不安定な時には早く成長して戦で勝つようになどの願いを込めて名付けていることが多かったようだ。

 

そう考えると、この子には何を願うだろうか。そのイメージが全く湧かない。

 

「宮田さん、あの子って女の子でいいんですよね?」

 

「ええ、さっきおしめ取り替えた時に確認したけどバッチリ女の子よ」

 

女の子か……どう育ってほしい。頭の中のアイデアがポツリポツリと浮かんではシャボン玉のように弾けて消える。

 

昔関わった女性を思い出してみるが、思い出と言えるほど綺麗なものはなかった。大学時代でも、サークルクラッシャーやゼミクラッシャーは聞いたことはあれど、無駄に広い大学だったので実際に見たのかと言われるといいえと首を振ることしかできない。

 

あれ、今誰のことを思い出そうとしていたっけ…ダメだ、喉の方まで出かかっているのに出てこない。モヤモヤしていると夕刻を告げる鐘の音が鳴り響いた。

 

「……佐藤さん、この仕事、一旦持ち帰ってもいいですか?」

 

「ええ、どうぞ。閻魔様からは裁判より優先しても構わないと指示を受けてますから。種田さんはちゃんとその子の名前を考えてください。名前というものは、とても大事なものですから」

 

期限は二週間。この子に名をつけねば。




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Baby Baby

一旦、自室に帰ることに帰ることになったがこの脚でどうやって帰るべきか。頭を悩ませていると、佐藤さんは懐から鍵の束を取り出した。一体どこにしまっていたんだと言わんばかりではあるが、以前青狸の万能ポケットを持っていたことを思い出しそれを使ったんだろう。

 

「では帰りましょう。その前に種田さんの脚、ちゃんと医者に診てもらわなくてはいけません」

 

そう言った佐藤さんの顔は微笑んでいたが、目だけは笑っていなかった。その顔を見るのは2度目だが3度目はないように願いたい。

 

「先輩、この資料どうしますー?」

 

「そうですね。たしかシールの余りがあったのでそれを台車に貼りつけてください。送り先は種田さんのお部屋で」

 

巻尾さんと宮田さんは、台車に資料を詰め込み始めた。手伝おうかと思ったが、佐藤さんが制止する。

怪我人は怪我を治すのが仕事とでも言いたいようだ。

 

佐藤さんが、今は使われていない扉を見つけ鍵を挿す。するとガチャリと鍵を開ける音が聞こえると同時に、医務室に繋がったようで消毒用アルコールの匂いが鼻に沁みた。

 

タイミング悪く医者はおらず、佐藤さんは奥から消毒セットを持ってきて患部を消毒する。

爪は剥がれてなかったようで一安心したが、痛みはあった。激痛とは言わないがものすごく沁みた。思わず声を上げそうになったが佐藤さんの前で妙にカッコつけたがったのか我慢する。

 

消毒を終えると、佐藤さんが奥の冷蔵庫から一本の瓶を取り出した。一本のドリンク剤のビン。そのビンには既視感というべきだろうか、以前この部屋に担ぎ込まれた時の記憶がフラッシュバックする。

 

「…これ飲まなきゃダメですか?」

 

「種田さんのいまの怪我を治すにはこれが一番です」

 

「ちなみに味は?」

 

「チーズ牛丼味です」

 

「…他の選択肢は?」

 

「今日は珍しく在庫が掃けているようでして…残っているのは辛味噌味と駅中のそば屋味ですね。どれがいいですか?」

 

どれを選んでもハズレの予感しかないラインナップの中で苦渋の選択だったが、チーズ牛丼味を選んだ。

味を感じる余裕など見せぬよう一気に飲み干す。

 

口の中に残ったのは、脂っこさとチーズの風味。

リピーターには到底なれない味だった。

 

◇◇◇

 

自室に戻ると、見慣れないものが山なりに置いてある。

 

ベビーベッドと粉ミルク、そしてオムツだ。いったい誰がと首を傾げていると、佐藤さんが赤ちゃんを寝かしつけるように抱きながら教えてくれた。

 

「そのベビーベッドは、使われていないものがあったので再利用しました。ミルクとオムツは私が現世に行って買ってきました」

 

「えっ、ありがとうございます」

 

「いえ、この子を育てていくとなるとミルクは必要になるとは思ったのですが…領収書が切れるかわからなかったので少しヒヤリとしました」

 

そう言った佐藤さんは、手慣れた様子で赤ん坊をベッドに寝かしつける。手持ち無沙汰になってしまったので、巻尾さんが持ってきてくれた資料を読み進めていく。

 

数冊読み進めたのはいいものの、頭の中では語録が渦を巻き、頭の中で竜巻のように暴れまわる。

産みの苦しみとはよく言ったものだと考えていると、佐藤さんはなにやら台所に篭っていた。

 

何をしているんだろうと思っていると、芳しく甘い香り。コーヒーかな?でもいつもの匂いと違う?

 

「とりあえず一息つきましょう。こういうのは、頭で考えると出てこないものです」

 

「ありがとうございます。…いつもと香りが違います?今日のはなんだか甘く感じるような…」

 

「ええ、いつもは中煎りのものを出してますが今日は香り付きのコーヒーを選んで見ました。お口に合うと幸いです」

 

コーヒーが注がれたマグカップを受け取り、口をつける。口に含むと、香り付きとはこういうことか。口の中でバニラのような香りが広がっていく。

 

苦味と酸味はそこまで尖っておらず、飲みやすい印象のコーヒーだ。

 

「すごく美味しいです」

 

「それは良かったです」

 

しばし無言が続く。今はこのコーヒーをただ味わいたいだけ。コーヒーを飲み終えると、いくつか名前の候補が浮かんできた。それを手元にあるタブレットに打ち込んでいく。

 

いくつかの名前の候補の中からさらに厳選していくと、またも行き詰まった。ふと赤ん坊を見てみるとスヤスヤと寝息を立てている。

 

「そういえば、あの子って生まれたてのわりに大きいですよね」

 

「ええ、あの子の場合は生まれたというより地獄に転生したという扱いになってるようです。今までの前例がないのでどうもいえませんが…あの感じですと、生後数ヶ月は経ってると思います」

 

「地獄って成長の速度とかって変わるんですかね?ほら、植物とかでも環境の違いで育ち具合が違うじゃないですか」

 

「それは種族と個人差にもよりますね。あの子には角がなかったので人型と変わらないと思いますが…調べてみないとわかりませんが彼女は角なしの鬼なのかもしれません」

 

「角なしの鬼ですか」

 

「ええ、角なしの鬼といっても稀に生まれるんですよ。ですのでそんな顔しなくても大丈夫です」

 

「…そんな酷い顔してました?」

 

「ええ、判決が決まった亡者のような顔をしてましたよ」

 

それは佐藤さんが珍しく言った冗談のようにも聞こえた。判決の決まった亡者のような顔とはまた面白い冗談だ。

 

日が落ち、空に星が輝く時間。名前の候補はいくつか絞れた。ただこの中で一つ選べと言われたら、期限の二週間なんてあっという間に過ぎてしまう。

 

候補のリストを作り、佐藤さんに見せた。この中で良さそうなものがあったら意見も聞きたいところだ。

 

「…なるほど、種田さんらしい名前の候補ですね」

 

「問題はこの中からどれを選べばいいか…」

 

「そうなりますね。一度、閻魔様に相談してみますか?」

 

「お願いします」

 

佐藤さんが閻魔様に連絡を取っている間、赤ん坊の顔を眺めているとパチリと目が覚め、視点が交わった。

その目は純真無垢な瞳で、奥に吸い込まれそうだ。

 

「種田さん、アポイント取れましたよ。今すぐにきてもらって構わないとのことです」

 

「じゃあ行きましょうか。この子も連れていった方がいいですよね?」

 

「ええ。何かあると大変ですから、一緒に行きましょう」

 



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協力

「やぁやぁ、たねちんと佐藤。そろそろ来るころだと思ったよ」

 

執務室に着くと、相変わらず閻魔様は書類仕事に追われていた。その隣には恐ろしいほどの山積みの書類。…果たしてこれ終わらせるのに何日ぐらいかかるんだろうか。

 

閻魔様は、一瞬あくびをかみ殺すようにして息を吐いた。自分で用意した湯のみに茶を注いでいく。

 

「聞いたよ。その子の名前決めかねてるんだって?」

 

「ええ、いくつか候補はあるんですが絞りきれなくて…それで閻魔様に相談しようと思い、連絡を取ってもらった次第です」

 

「へぇー、じゃあその名前の候補見せてよ。リスト上がってるでしょ?」

 

名前候補のリストを閻魔様に渡した。閻魔様は画面に目を通す。

 

…どれが選ばれるだろう。

 

「うーん、どれもいいと思うけど…何を悩んでるの?」

 

「え?これでいいのかな……と」

 

「ふーん……種田くんは、その子にどんな子に育って欲しいの?」

 

どんな子に育って欲しいか。自分でも考えてはいたが、どうなって欲しいんだろう。はたしてその願いをこの子に押し付けていいのだろうか。

 

「……まだそこがはっきりしてないみたいだね。なに、まだ時間はある。ゆっくり決めるといいさ。そういえば他の部署から見学に来ないかって申し出があったんだった」

 

「見学ですか?」

 

「うん、他部署との交流も含めて一度どうですかだって。どうする?」

 

他部署か…実際、地獄に来てから業務としては裁判しかしていない。メリハリがないといえば嘘になるが、ここら辺で新しい風を入れてみてもいいのかもしれない。

 

「閻魔様、私は反対です」

 

「あれ、佐藤は反対なんだ?」

 

「ええ、今はあの子の名前を考えるのが最優先です。そちらを先に終わらせるのなら反対はしませんが……」

 

「うーん、そっかー……」

 

そう言うと閻魔様は、懐から何かを取り出した。それは、小さな巾着袋だった。袋は生成りでできていて、赤の組紐で結ばれている。

 

それを渡され、手に持つとかちゃかちゃと音が鳴る。どうやら中に何か入っているようだ。

 

「最後の期日まで決まらなかったら使ってよ。大丈夫、中身は危ないものじゃないから」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

「あっそうそう、それとは別の話になるんだけど……例の淫魔なんだけどさ、国に帰せそうにないんだよね。どうしよっか」

 

「えっ、それまたどうして?」

 

「なんでも問い合わせたら、うちには一切関係ありませんの一点張りでさ……本当にどうしたものやら」

 

そう言った閻魔様は、こくりと一口湯のみに注がれた茶を飲み込んだ。飲み終えると、何かを思い出したかのように話を進める。

 

「それと関係あるんだけど…はいこれ」

 

閻魔様が渡してきたのは、一枚の紙。見てみると、それは請求書だった。見ると、記載されていた額が想像以上だったので目玉が飛び出そうになった。

 

「こここここ、これって……」

 

「うん、例の淫魔騒動の際の清掃費その他諸々の請求書。期日までに払ってね」

 

「ど、どどどうしましょう……こんなお金ないですよ……」

 

「落ち着いてください、種田さん。この話には、どうも続きがあるみたいです」

 

閻魔様を見ると、真剣な顔でニコニコと笑っている。

まるで何かを試すかのようだ。

 

「ふふっ、種田くん。君には選択肢が二つある。一つは大人しく支払う。もう一つは……」

 

「も、もう一つは?」

 

「三途の川の清掃。とりあえず一週間はやってももらおうと思うんだけど……どっちがいい?」

 

三途の川の清掃?請求書の額を払いきれないより確実に精算できるのだったらそっちの方がいいに決まってる。何より今は給料日前なので現金が乏しい。

 

「三途の川の清掃、喜んでやらせていただきます!」

 

「うん、わかった。じゃあ、明日からね〜。がんばれ〜」

 

ニコニコと閻魔様は笑っていた。まるでこうなる未来を予見していたかのようだった。

 

◇◇◇

 

「では失礼します」

 

閻魔様の執務室を出た後、自室に戻ろうとすると赤ん坊が目を覚ました。佐藤さんは、おむつを確認すると足を急がせる。

 

「どうやら排泄したようです。急いで戻りましょう」

 

「わかりました。ここからだと走って10分ぐらいかかりそうですけど」

 

「ショートカットをしましょう。確かこの辺りに使われていない扉がありましたから。種田さんは、扉をあけてください。鍵は……私の胸ポケットに入ってるので取り出してください」

 

「え!?」

 

「早くしてください。他の方の迷惑になります」

 

「わ、わかりました。失礼します!!」

 

佐藤さんの胸元から鍵束を取り出す。かすかに柔らかな感覚が指先を襲ったが、心頭滅却すれば火もまた涼し。そう考えながら鍵を開いていた扉に差し込んだ。

 

扉を開けると自室につながっていた。やっぱりこれ相当すごいアイテムだな……やりようによっては悪用できそうだけど。

 

「とりあえず私が着替えさせますから、種田さんはミルクの準備を。できますか?」

 

「わ、わかりました。やってみます!!」

 

哺乳瓶にミルクを入れ、熱湯で溶く。

このままでは熱すぎて飲むのに苦労するので水道で冷ます。

 

…あれ?どれぐらいまで冷やせばいいんだ?

 

うーんと唸っていると冷蔵庫が小声で囁く。

 

「人肌くらいじゃ……不安なら一滴肌に滴らせろ」

 

冷蔵庫の言う通りにほどほどに冷やし、皮膚に一滴垂らす。……うん、ちょうどいい温度みたいだ。

 

「佐藤さん、ミルク準備できました!」

 

「わかりました。こちらに持って来てください。こぼさないようにゆっくりと……」

 

赤ん坊の口元に哺乳美の乳首を持っていくと勢いよく吸い始めた。よかった、飲んでくれた。

 

飲み終えると、ゲップを促す。すると、時間はそんなにかからずにゲップをした。ぐずらないでいてくれるだけマシだな……

 

「ひとまずこれで落ち着きましたね。あとはこれが3時間おきぐらいにやってくるでしょうが……」

 

「さ、3時間おきにですか?」

 

「ええ、赤ん坊というのは得てしてそういうものなのです。まぁ、私たちにできることでしたら手を貸しますよ」

 

「ぜひお願いします」

 

「わかりました。それと執務中は、宮田さんのところに預ける事になりますがよろしいですか?」

 

そうか……育てながら仕事をするとなるとそういう問題が発生するのか。今まで気づかなかった視点が得られた。

 

「そうですね……その方が、後のことを考えても良さそうです。いつも面倒見てあげられるとは限りませんし」

 

「わかりました。では、そのように話を進めていきますね」

 

◇◇◇

 

その後、赤ん坊は定刻通り3時間ごとに目が覚め、泣く。それは空腹なのかおむつが汚れているのかそれともただ機嫌が悪いのか……言葉を喋るのってありがたいと思うのと同時に母というものはこれを乗り越えて育てたという感謝の気持ちも不思議と湧いて来た。

 

佐藤さんは、赤ん坊が寝付くと部屋を出て自室に戻っていった。赤ん坊が目がさめる前には、部屋に戻ってきて色々と手伝ってもらい大変助かった。

 

気づくと日は上り、部屋を明るく照らす。

 

身支度を整え、準備を終えると佐藤さんは赤ん坊を抱き玄関先で待っていた。

 

「まずは宮田さんにこの子を預けましょう。そのあとは朝食を食べにいきましょうか」

 

「わかりました。俺が抱いていきますよ」

 

「……今日は私に持たせてください」

 

珍しい。佐藤さんが自分のしたいことを言うなんて……付き合いは短いながらも今まで聞いたことがなかった。それが望みなら叶えてあげるとしよう。

 

「じゃあ、お願いします」

 

「はい」

 

そういった佐藤さんは、少し微笑むとキュッと少しだけ強く赤ん坊を抱きしめていた。



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新たな出会い

赤ん坊を宮田さんに預け、朝食を取りに食堂へ行く。

佐藤さんは定食セットを選び、ごはんかパンかで少し悩んだが結局ごはんを注文。おかずはいわしの梅煮、みそ汁、温泉たまご、小松菜のおひたしだ。ご飯は大盛りにしてもらい、手を合わせる。

 

「いただきます」

 

なぜか言わないともやもやとするんだよなと思いつつ、いわしをおかずにしながら白米を食べすすめていく。

 

今日のいわしの梅煮は味がよくしみててうまい。小松菜のおひたしは、いわしに慣れた舌先を優しく戻してくれる。

 

そしてこのコメの艶!!まるで宝石かのようにピカピカと光ってて見てるだけでヨダレが出てくる。

みそ汁も、ハクサイとニンジンが多く入っていて邪魔していない。

 

佐藤さんの方を見ると、少なめに盛られた白米を口にしていた。佐藤さんの食べ方はすごく品があって、一つ一つの所作に見惚れそうになることがある。

 

「そういえば佐藤さんっていつもトマトジュース飲んでますよね。好きなんですか?」

 

「ええ、まぁ好きと言いますか飲んでないと落ち着かないといいますか……なんとも不思議な感覚です」

 

へぇー、佐藤さんトマトジュースいつも飲んでいるから好きだと思っていたけど……まぁ、個人の趣味嗜好は人それぞれだしまあいいか。

 

その後二人の間で会話は続かず、黙々と食い進めていくとなにやら騒々しい。周りがざわついているようだ。

 

騒ぎの中心を見ると二人の男が席を挟んで睨みあっている。というよりもまるで本業と不良のケンカのようにしか見えない。

 

片方の男は撫で付けられた髪をバシッと決め、銀縁の眼鏡。着ているものは、素人目から見ても明らかに高そうなスーツで、足元までは見えないがおそらく革靴で綺麗に手入れされているのだろう。

 

もう一人の男の方はというと、こちらもわかりやすく金髪に軽いリーゼント状の形に固め、サイドは刈り上げられている。こちらは、昔流行った改造制服だろうか。丈の短い上着と、大きく広がったボトムス。

 

いわゆる短ランボンタンというやつだろう。実物は初めて見たが、近づきがたい雰囲気が出ている。

 

「さ、佐藤さん……あれ止めなくていいんですか?」

 

「こちらに被害が及ばないかぎり手は出しませんよ……それに掴み合いの喧嘩になれば周りの獄卒が止めに入ります」

 

周りを見て見ると、牛や馬の頭の獄卒がチラチラと様子を見ている。ベースが動物だからか体は筋肉の塊にしか見えない。確かにあれだったら止められるだろう。

 

睨み合う二人だったが口火を切ったのはほぼ同時だった。

 

「なんども言わす気か知らんが流石にやりかたってのがあるだろうが!!」

 

「あーあーわかってますよ。俺が悪ぅーござんしたっと。さっ飯食おうぜ飯!腹が空いててしかたねぇや!」

 

「お前はいつもいつも……くぅっ……全くこいつはもう……ハァ」

 

この勝負、本業の負けっぽいな。本当にご苦労様ですとしか言えない……

 

◇◇◇

 

朝食を取り終えると、佐藤さんの案内で三途の川へ行く。目的地に近づいてくると、ドドドドドドと激しい水の音が聞こえ、思わず身構えてしまう。

 

「着きましたよ。ここが三途の川です」

 

見渡すかぎり川しかない。川というよりは流れの早い海といったほうが正しいのだろう。

 

「今日から一週間掃除を担当する場所はもう少し流れが緩やかな場所です。では行きましょうか」

 

「はい。……ちなみに今、龍みたいなの見えたんですけど気のせいですかね?」

 

「三途の川なんですから龍くらい居ますよ。あれは亡者の呵責が一番重たいものが渡るエリアです。他にも流れは複数ありますが、種田さんにやってもらうのは比較的流れが緩やかなエリアだと聞いています」

 

佐藤さんに促され、中流の方へ足を進める。河原は、人の頭ほどの石がごろごろと転がっているが、今歩いている歩道はよく整備されていて、とても歩きやすく感じる。

 

「先達がいるようですね。挨拶に行きましょう」

 

見ると、先ほど食堂でひりついていた本業と不良がいた。

 

ヤクザ?の方は腕を後ろに回し、背中をピンと立て時々時計を気にしながら見ている。一方、不良の方はちょうど丸い石があったのか座禅を組むようにして石の上に座っている。

 

「お初にお目にかかります。私、閻魔大王直轄裁判官養成者兼新人教育の佐藤と言います」

 

「これはどうも……泰山王転生課所属教育官の江藤と言います」

 

佐藤さんと江藤さんと言った本業は軽く握手をすませると周りを見た。

 

「どうやら今日はそちらと私たちだけのようですね。では早速……」

 

「ええ。種田さん、あとはお二人でお願いします」

 

「えっ、佐藤さんもやるんじゃ……」

 

「今回言い渡されたのは種田さんだけですよ。私は別の仕事が待っていますのでこれで失礼します。夕方には迎えに来ますのでご安心を」

 

そういうと佐藤さんは懐からピンク色の扉を取り出し、万能鍵を刺してどこかへ行った。

 

後に残ったのは、インテリヤクザと不良の3人だけだ。

この空気どうしようと思っていると、江藤と言ったインテリヤクザがポリ袋を持ってこっちにやってくる。

 

えっ、なに埋められる?そう考え、身構えていると江藤はビニール袋をこちらに渡して来た。

 

「ほい、お前の分……しっかし、なにやらかしたんだお前?あの鉄仮面が新人教育やるってのも驚いたが」

 

「鉄仮面って……佐藤さんのことですか?」

 

「それ以外に誰がいるんだよ。笑えば可愛いとは思うが笑ったところなんて見たことねぇ……それより轟!こっち来い!」

 

「あぁん!?うっせえなわかったよ……なんだ?」

 

「挨拶しとけ、今日から一緒に働く仲間だ」

 

「……轟だ。さんとかくんとかつけなくていい」

 

「わかりました。種田です。よろしくお願いします」

 

「……あーできればその敬語もやめてくれないか。どうも慣れねぇ」

 

「そうですね……わかった。努力してみる」

 

「おう」

 

見ると轟の首元にもチョーカーが着けてある。ということはもしかしてこの人も現代から引っ張られて来た人なのだろうか?だとしたら少し親近感が湧いてくる。

 

江藤がゴミの回収に関する説明とルールを言い始めた。これはちゃんと聞いておかないと……人によっては後で聞くと機嫌が悪くなることもあるし。

 

「とりあえず説明をする。回収するのは燃えるゴミ、燃えないゴミ、その他。いつも通りだが、ゴミの種類は多種多様だ。それに危険物も混じってる可能性もある。各自、十分に気をつけるように」

 

「はい、質問いいですか?」

 

「なんだ?」

 

「ゴミの分別ですが、目視で確認後また振り分けの形になりそうなんですがあってますか?」

 

「ああ、それでいい」

 

「わかりました。質問は以上です」

 

「轟、お前からは何か質問はあるか?」

 

「特になーしっ」

 

「じゃあ始めるぞ!」

 

◇◇◇

 

ゴム手袋と軍手を一緒にはめ、川辺を歩きながらゴミをトングで掴みゴミ袋に入れる。

 

たったそれだけなのに途方も無い重労働だとわかったのは、初めてすぐのことだった。

 

まず、ゴミの量が多い。

 

眼鏡、入れ歯、カツラに変わったところだと貞操帯。

なんでこんなものが……と考えていても埒があかないので考えるのをやめた。無心になって回収する。

 

そう言ってると江藤……さんが休憩だと言って湯のみと冷たい茶を持って来た。

 

一口飲めば流した汗の分だけ染み渡り、結局3杯もおかわりしてしまった。

 

「こういうなんもなさそうに見えても体は悲鳴をあげるからな……ほらっ梅干し。これも食っとけ」

 

「ありがとうございます……そういえば轟はなんで三途の川の清掃を?」

 

「んっ?あーそれなー……俺の仕事は死んだ後の次の行き先……転生って言うんだけどな。それを決める仕事をしてるんだけどよ」

 

そう言った轟の顔は遠い場所を見ているようだった。一体なにがあったんだろう……

 

「こいつの場合、転生を拒んだ亡者を蹴飛ばしてほぼ強制的に転生させちゃったんだよ」

 

「転生を拒んだ?それまたどうして?」

 

「……いちおうどこに行きたいのか聞くんだけどよ……最近の亡者はやれスライム?だのちーと?だの注文が多すぎてな……ついイライラして全部転生門にぶち込んでやった」

 

「…で、そのやり方がまずくて俺の出番ってわけ。新人教育からやり直せって無茶言うよね」

 

そういや現世の書店とかで流行ってたっけ。チート転生。やっぱりこっちに来ても望む奴はいるんだな……

 

「まぁ、これでも一週間で済むんだからマシか……種田だっけ?お前なにしてここ来たんだよ」

 

「それは……すごく説明が長くなりますけどいいですか?」

 

「まぁ聞こうじゃねぇか。さ、言ってみろ」

 

これまでの経緯を端折らずに懇切丁寧に伝えていく。

江藤さんと轟は、聞き終えるとなにやら二人車座になって話をしていた。

 

「な、なぁ種田……よくお前それだけで済んだよな」

 

「ああ、普通だと仕事無くなっても仕方ない事案だと思うが」

 

……俺、そこまでやらかしちゃったの!?



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一夜の空に

その後、昼過ぎまで河原のゴミ拾いを行なったがやれどもやれども終わらない。それだけゴミが多いということだろうけど……空が鉛丹色になる頃には、体は疲労困憊で足腰がフラフラと震えていた。

 

「よし、今日はここまでにするかー。片付けして帰るぞー」

 

江藤さんと轟は片付けを始めると、テキパキと慣れた様子で袋をまとめ道具を片付けていく。

 

「よーし、終わった!!!あー腹減った!!!」

 

「……これいつもやってるんですか?」

 

「えーっと、まぁなぁ……」

 

そう聞くと轟は、がしがしと頭を掻きながら答えた。また聞いちゃいけない質問を問いかけてしまったのだろうか。

 

「はぁ……こいつの場合はしょっちゅうやらかしてるからな。クビにならないのが不思議なくらい」そう言われた轟を見ると素知らぬ顔して口笛を吹いている。これはあれだ、誤魔化してる顔をしてる……

 

「まだ一週間以上あるからなー。毎日100パーセントの力で片付けてたら体が持たねぇよ。余力を残して次の日に備える。それが長丁場のコツだ」

 

「それを普段から実践してくれればなー……おっ、どうやらお迎えが来たようだぜ」

 

江藤さんが指をさす方を見ると、佐藤さんが赤ん坊を抱いて迎えに来たようだ。一人で帰れなくもなかったが、迎えに来てもらえただけでもありがたいと思ってしまう。

 

「お疲れさまです、種田さん」

 

「お疲れさまです。赤ん坊の方も迎えにいってくれて助かります」

 

「いいえ、お気になさらず。お二人ともお疲れさまです。これ、よかったらどうぞ」

 

佐藤さんはそう言うと二人に缶コーヒーを手渡した。青色の缶に山のイラストがデザインされている現世でもよく見たやつだ。

 

「ありがとうございます」

 

「ありがたくいただきます!!」

 

「では種田さん、帰りましょうか」

 

「ええ、そうですね。お二人とも、明日もよろしくお願いします」

 

「おう」

 

二人に会釈をすると轟は大きく手を振り、江藤さんは足元にあった丸石に座りタバコをふかしていた。

 

「なぁなぁ、あの二人……出来てんのか?」

 

「いや、アレは違うだろう……出来たら出来たで面白そうだが」

 

口から燻らせられた紫煙は、フワリと空に広がっていく。空は墨色に染まり、辛うじてタバコの火だけが蛍の光のように見えているばかりだ。

 

「俺たちも帰ろうか」

 

「そうだな……先に湯屋に行きたいところだがお前はどうする?」

 

「そりゃ決まってるっしょ!メシが先だ!」

 

「はいはい、わかったよ」

 

◇◇◇

 

その後数日に渡り、三途の川のゴミ拾いをした。どこから流れてくるのかわからないが、キレイにするのはそんなに嫌いではないのでひたすらゴミを集める。

 

「ここらへんのゴミはもうないみたいですね」

 

「そうだな。あとは下流の賽の河原あたりまで下らないとないだろうな」

 

「……ということは?」

 

「これで終わり。お疲れさーん」

 

「お、終わったああああ」

 

約一週間の掃除は大変だったが、身にはなった……と思う。そう思ったらドッと疲れが出てきた。

 

「とりあえず各ゴミをまとめるぞー」

 

各自集めたゴミを分別し、ひとまとめにする。こう見ると燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ごみと落ちているものの数に差があるのがよくわかる。

 

「そういえばこのゴミってどうするんですか?」

 

「可燃ゴミは圧縮してどこかの地獄に落とすとかだろうな……金属なんかは刑罰に使う拷問道具用にリサイクルってのもある」

 

「亡者の舌引っこ抜く時に使うやつとかなー。あれ見るだけで痛そうで見れないんだわ」

 

「お前は意外と小心者だな……で、どうするこの後。俺たちは一風呂浴びにいくが」

 

「そうですね……一度連絡とっても大丈夫ですか?」

 

「あぁ」

 

佐藤さんに連絡をするために端末を開く。そういえば、ごみ拾いを始めてから赤ん坊の迎えを頼んでいたけどそれもどうしよう。今日は早めに終わったし俺が迎えにいった方がいいのかもしれない。

 

諸々を連絡すると、佐藤さんから返事が返ってきた。

相変わらず返信が早い!

 

『連絡ありがとうございます。では今日は、種田さんがお迎えに上がるということを宮田さんにお伝えしますね』

 

「ありがとうございます。よろしくお願いしますっと」

 

「どうだった?」

 

「ええ、俺が迎えにいくことになりました。ただ、夕方まで時間が空いたので行けそうです」

 

「よっしゃ、じゃあ行こうぜー」

 

そう言うと俺たちは3人揃って風呂屋へ向かうのだった。

 

ーーー

 

所変わって佐藤は、閻魔様の執務室で書類業務の手伝いをしていた。

 

「一風呂ですか……」

 

「お、何?風呂?」

 

「いえ、種田さんが風呂屋へ行くそうなのですが一緒にいくのが他部署のものでして」

 

「ふーん、佐藤はそこを心配してるんだ。引き抜かれないか気が気じゃないってこと?」

 

「いえ、そう言うわけではありませんが……」

 

「だったらたねちんを信じてあげなきゃ。それにそこまで深い関係じゃないんだし……重い女は嫌われるよ」

 

「ハァ……」

 

佐藤はため息をつきながらこめかみに指先を当て、頭痛を抑えるようにため息を吐いた。



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命の洗濯

風呂屋へ行くと言ってもどこへ行くかと訊ねると、二人は先に歩いていくのでついて来いと言い、その後を追っていく。

 

「まぁ風呂屋というか湯屋なんだがな……この先だ」

 

とぼとぼと歩いていくと比較的大きな建物が見えてきた。風呂屋らしく排煙のための煙突が聳え立つのが見える。

 

風呂屋の暖簾には波の絵が白文字で描かれていて、その暖簾をくぐると大きな三和土が見えた。

 

江藤さんと轟は靴を脱ぎ、男湯と女湯の境目にいる番頭に話をしにいくようだ。

 

二人の後を追い、靴を脱ぎ靴箱に入れる。

靴箱の横に親指用のデバイスがあったので指を触れさせるとカチャリと鍵がかかる音がした。

 

番頭の元へ行くとカエル顔の男がすんと座り込んでいる。その男は目が合うと、ニッコリと笑顔をこちらに向けてくる。

 

「いらっしゃいませ……3名様でよろしいですか?」

 

「ああ」

 

「ではお先にお支払いをお願いします。手ぬぐい等必要でしたらお申し付けください」

 

番頭にそう言われ、見ると石鹸やカミソリなどのセットが組まれ、これだけ借りるのもありだなと思える。

 

「とりあえずタオルだけでいいかな」

 

「分かりました。ではお支払いを」

 

番頭が手で示す方を見てみると、ここも親指で認証するタイプの支払機だった。それに親指を押し、ピッという音がなると支払いは完了した。

 

「ではごゆっくり」

 

3人とも風呂桶とタオルを番頭から受け取り、男湯の暖簾をくぐる。

 

脱衣所には誰もおらず、それぞれバラバラのカゴに衣服を脱ぐ。着替えを用意しておくのを忘れていたのを気づきどうしようかと悩んでいると、江藤さんが話しかけてきた。手には木の板のようなものを持っている。

 

「この木札を脱衣カゴに入れておくんだ。そうしたら風呂を上がるころには、洗濯を終えてキレイに畳んでおいてくれる」

 

「そうなんですね。これは便利だ」

 

「ああ、これが便利すぎてここ以外の湯屋に行くのが億劫になっちまう。サービスが行き届いててしかも安い」

 

「あと共用スペースに置いてあるマンガの品揃えが渋くて通好みだな」

 

まさに至れり尽くせりだ。現世だとこういうのはスーパー銭湯というんだったか……

 

◇◇◇

 

備え付けのシャンプーで髪を洗い、シャワーで体についたホコリを落とす。その瞬間はとても爽やかで身についた余計なものがポロポロと剥がれ落ちていくのを感じた。

 

大浴場は中央にボコボコと泡が出ていて、一見熱そうだが入ってみると程良い温度だった。

 

全身をお湯に浸かるとどこから出たのかわからないような声が口から溢れた。

風呂は命の洗濯とはよく言ったもので、心の奥底まで染み渡っていくように感じる。

 

「あ゛ー、沁みるー」

 

「なんなんだろうなこれ……よくわからんが気持ちいいのは確か」

 

「肩までつかれよ……あと轟、タオルどうしたタオル」

 

「んっ……桶の中……」

 

「はぁー全く!どこか流れて行かないように気をつけろよ」

 

「うん……」

 

……意外だ。湯に浸かった轟は、ふやけているように見える。なんと例えればいいか……そう、温泉に浸かったニホンザルやカピバラのように目を細めている。

 

「そういや……名前決まったのか?」

 

「え?」

 

「名前だよ名前、赤ん坊の」

 

「それがまだ決まってない。期日があと少ししかないだけど……」

 

「そりゃ早く決めなくちゃな」

 

「あぁ、どんな候補があるんだ?ちょっと言ってみろよ」

 

そう言われ、候補の名前を述べた。聴き終えた二人は、ふーん……と言い、湯船から肩を出す。

 

「どれもちゃんと意味が考えられていていいと思うんだけどな」

 

「あぁ、あとはどれを選ぶかだな」

 

「そういえば閻魔様から決めかねた時に使えって渡されたものがあったな……」

 

家に帰って確認しよう。その前にもう少しだけ体を温めたい……

 

◇◇◇

 

風呂から上がると、洗濯物はきれいに畳まれアイロンまでかけてある状態で置かれていた。

 

袖を通すと、パリッとした質感がなんとも心地よい。

一応ネクタイまで締めて、着替え終えると轟と江藤さんはダストシュートのようなものに使い終えたタオルを落としていた。

 

「なんですか、これ?」

 

「これはな、落ちた先に洗濯場があって常時洗濯をしてるんだ」

 

「確か亡者の刑罰の一つだったはず……」

 

「そうそう、主に下着泥棒なんかをやったやつが落ちる地獄だな。許されるまで一生洗い物をし続けなくちゃならない」

 

「うっわー、それは嫌だな」

 

「あぁ、考えただけでおそろしいぜ……俺たちは帰るが……赤ん坊を迎えにいくんだったな」

 

「はい、そうです」

 

「じゃあ今日のところはこれでさよならだ。またなんかあったらかち合うかもな」

 

「かち合うって……そんな縁起でもない」

 

「はっはっは!じゃあなー」

 

二人に別れを告げ、託児所がある賽の河原の方まで下っていく。

 

途中、自分たちが掃除した河原を見てみると、何も落ちてないのが当たり前かと言いたげな景色が茫然と広がっていた。

 

託児所の看板あたりに近づいていくと、見慣れた人影が一人。目を凝らすと佐藤さんだった。

 

「あれ、佐藤さん?」

 

「なんとか間に合いました。さあ、迎えに行きましょう」

 

……もしかして佐藤さん、迎えにいくの楽しみにしていたのか?ーーーそれだったらまぁ、よかった。

 

「ええ、一緒に行きましょう」

 

託児所に着くと、もう中には誰もおらず宮田さんが、赤ん坊を抱き抱えてあやしていた。

 

「お疲れ様です。赤ちゃん、ぐずりもそんなにせずおとなしかったですよ」

 

「そうですか……宮田さん、それって大丈夫なんですか?」

 

「ええまあこの年代の子では珍しい方ではありますが……もしかしたら前世の引っ掛かりみたいなのがあるのかもしれませんね」

 

「引っ掛かり?」

 

「ええ、3歳ごろまでは前世の記憶をそのまま引き継いで育っていく子供というのは確かにいるんですよ。これは現世の子供なんかにもあることなんですがね」

 

要約すると、前世の記憶を持ったまま育っていくが、成長するに従ってその記憶自体は無くなっていくらしい。

 

「そんなこともあるんですね」

 

「ええ、世界には不思議なことがたくさんありますから」

 

赤ん坊を渡してきた宮田さんの表情は陰影がぼんやりとしていて白昼夢のようにも見える。

 

「ではまた明日」

 

「はい、明日もよろしくお願いします!」

 

佐藤さんが懐から万能鍵を取り出し、そこらにあった扉をリンクさせる。ガチャリと扉が開いたその先は、自宅。

 

玄関の三和土に靴を脱ぎ、赤ん坊をベビーベッドへ寝かせる。閻魔様からもらった袋を取り出し、中を確認するとそれはサイコロだった。

 

「サイコロ?」

 

「そのサイコロは、来世を選ばせるために作られた由緒あるサイコロですよ。今でも使っている人はいるはずです」

 

「つまり……たしかな性能があるってことですか?」

 

「ええ」

 

袋に説明書があったので読んでみると、サイコロを強く握り、振る。

 

それだけしか書いていなかった。……これで大丈夫なのか?

 

「善は急げ、やってみましょう。種田さん」

 

「分かりました」

 

紙に6つの名前の候補をあみだくじのように書き、下に番号を6つ書いた。

 

そしてサイコロを握り、ギュッとするとサイコロがじんわりと熱を持っているのを感じた。

 

そしてそれを天井付近まで投げるように振る。

出た数字をあみだに沿って指をなぞっていく。

 

出たその名前は……はな。

 

この子の名前は、はなだ。

 

「では急ぎましょう、種田さん」

 

「急ぐ?」

 

「土日は役所が仕事を止めますから。今日を逃すと明日しかチャンスはありません。ですが……」

 

「まぁ、早めにやったほうがいいですからね。今からできます?」

 

「ええ」

 

「じゃあ間を取り持ってもらえますか?」

 

「私が……いいのですか?」

 

「はい、佐藤さんだからお願いしたいんです」

 

「……分かりました。謹んでお受けさせていただきます」

 

赤ん坊が目を覚ましたらしく、大きな声で泣き叫ぶ。

それをあやしながら、右手の小指を赤ん坊の方へ持っていくと小さくも力強く握り返してきた。

 

「はな……君の名前は はな だ」

 

そう口から出ると夜光虫のような光が二人を包み、そして弾けた。

 

「これで契約は成り立ちました。これからはあなた方は親子となります」

 

「ふぅー、どっと疲れちゃいました」

 

「お疲れ様です」

 

赤ん坊、はなを見てみるとへへっと笑っていた。

 

うん、いい名前だ。

 



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夢と現

出生の届出を出すために書類を書いていくが、慣れてないからか書き損じが多く出てしまう。

 

何よりも、契約をしたことであの子-ーーはなが自分の娘になったという事実さえ、まだうまく認識出来なていない現状だ。

 

ふと気づくと茶の甘い香りがした。見ると、佐藤さんが急須と湯呑みを用意していたところだった。

 

「書類は週末まで期限がありますから、そんなに焦らないでいいですよ」

 

「それはそうなんですけどね……できれば早めに書いておきたいんです」

 

「それは立派な考えです」

 

佐藤さんが、急須から茶を湯呑みに注いでいくと、はながぐずり出した。

 

どうやらミルクの時間のようだ。

若干重たい腰を上げ、ミルクの準備をしようと立ち上がると、佐藤さんがすでに準備を完了させていた。

 

ミルクの温度も熱すぎず冷たすぎずちょうどいい温度で、正直かなり助かった。

 

はなを抱き上げ、哺乳瓶の乳首を口元へ持っていくと、勢いよく咥えて吸い始めた。

 

よし、ちゃんと飲んでる……

10数分ほど飲ませると、哺乳瓶の中身は空になり全て飲み終えたことにホッとする。

 

すぐさまおくびを促し、ゲフッと口から出させる。

そのまま、ウトウトとし始めたので眠らせるためにバスタオルでおくるみを作り、包んでいく。

 

スヤスヤと寝息を立てて眠るはなを見て一息つくと同時に、これを毎回するとなると母親の存在というものを大きく感じる。

 

「……眠ったようですね」

 

「ええ、すんなり眠くなってくれて助かりました」

 

「そういえば夕食どうしますか?」

 

「あー、食堂に行くしかないですかね?一応この子がいますから……目を離すのはちょっと怖いです」

 

「では少し待っててください。今日の夕食、詰めてもらってきます」

 

「あ、お願いします」

 

こうなってくると今度佐藤さんにお礼も兼ねて何かしなくちゃいけないと思ってしまう。仕事の間に赤ん坊の手伝いまでしてもらって頭が下がる。

 

「ふわぁ……」

 

大きなあくびが、口から漏れていく。

そうか……風呂にも入ったし眠気がすごい。

少し……少しだけ眠ってしまおう……

 

意識は微睡みの中に沈んでいった。

 

◇◇◇

 

「種田さん、種田さん」

 

肩を揺らされ、体を伸ばしながら生欠伸を噛み殺す。

どうやら少し眠っていたようだ。

 

「ふわぁっ……あっ、すいません」

 

「いえ、お疲れでしたので……三途の川の清掃ご苦労様でした」

 

「はい、ありがとうございます」

 

「さぁ、ご飯食べましょう?」

 

2段のお重には今日の献立だった豚の生姜焼き、筑前煮、野菜サラダ。

 

下のお重には俵形のおにぎりが6つ並んでいる。

 

「あっ、皿と箸ないですね……持ってきます」

 

「種田さんは座っていてください。私が準備しますから」

 

お言葉に甘えて、佐藤さんに準備をしてもらう。野菜サラダの横に、照りの濃いしょうが焼きと平鉢の器には筑前煮が美しく盛られている。

 

佐藤さんは、椀の中に茶色い玉状のものを入れ、お湯を注ぐ。この香りは……みそ汁?

その香りを嗅いだ瞬間、腹が減り、腹の虫が鳴き出した。

 

「いただきます」

 

「めしあがれ」

 

まずは、筑前煮から食べる。味がよく染みていてとても美味しい。少し塩味が薄く感じるのは、それだけ汗を流したからだろう。

 

次にしょうが焼き。

 

こちらは、味付けが濃厚でたまらずおにぎりを頬張る。

具材は何も入っておらず、帯状に海苔が巻いてあっただけだが、そのシンプルさがありがたかった。

 

そして、さっき佐藤さんがささっと作っていたみそ汁。

それを口の中に含むと、海藻の香りと出汁のいい味が混ざりすごく美味しいと感じる。

 

「今日の夕食美味しいですね。箸が止まらないですよ」

 

「そうですか、それはよかった」

 

ぬるくなったお茶で流し込み、腹具合はひたすら満足だった。

 

「ごちそうさまでした」

 

「お粗末さまです。では私はこれで……お重は私が持って帰って洗いますから種田さんはどうぞご自由にしててください」

 

「すいません、何から何まで」

 

「いえ、私がやりたいだけですから」

 

そう言った佐藤さんは、ふふっと微笑んでいる。

その後、佐藤さんは名残惜しそうにしながら帰っていった。

 

今日はいろんなことがあった……よし、今日はもう寝てしまおう。

 

寝巻きにしているスウェットに着替え、歯を磨いて就寝。もし、はなが夜泣きして起きてしまってもいいように、ベビーベッドの隣あたりに眠る。

 

今日は色々なことがあったな……風呂に行ったり名前を決めたり……

 

ひとまずはこれで落ち着いてくれるといいんだが……そうはならない気がしてるのは気のせいだろうか。

 

◇◇◇

 

夢を見た。またこの夢だ。

 

苔まみれで足元は悪く、側壁は岩を削り取ったようにボコボコとしている。

 

ただ、目の前にある人魂のような物の数が一つまた増えている。そのおかげで以前より視界ははっきりと見えた。

 

岩を囲むように縄と紙垂が付けられており、一見するとなんでもなさそうだがこれは立派な封印だ。その岩戸の前に立つと、凛とした声で何者かが話しかけてきた。

 

「また来たか、人の子よ」

 

「どうも」

 

「来るなと言ったのになんで貴様はくるのだ」

 

「理由なんてわかりませんよ。ただ、何かに引き寄せられているようです」

 

「ふむ、そうか……では仕方ないか」

 

「あなたは誰……と聞くのは少々野暮というやつでしょうか」

 

「うむ、名前は知られているがアイツからしか呼ばれても私は返事はせんよ」

 

「この夢を見るのは3回目だったと思うんですけど、なんか態度柔らかくなっているような気が」

 

「まぁ、こんな場所に3度もきたのならば多少は扱いにも気をつけろう。お主は……」

 

「はい」

 

「お主は一体なぜこの場に呼ばれたのだろうな……不思議なもんだ」

 

「それはこちらが聞きたいです。まぁ現実に影響が出ていないからいいようなものの……」

 

「はっはっは!そうかそうか!だったらもっと楽しめ!そしたら道は開かれるであろう」

 

「楽しむ?」

 

「その答えはおまえさんの中にしかない。だから探せ。……おや、その顔はまだ納得していないようだな。だが、そろそろ目覚めの時間のようだ」

 

「待ってください。まだ何も現状は解決していないです」

 

「お主がこことつながったのも縁じゃ。またきたら話を聞かせておくれ」

 

そう言うと、夢から追い出されるようにして目が覚めた。

スンスンと鼻を鳴らすと、どうやらはなが粗相をしてしまったらしく泣いて訴えている。

 

きちんと拭いておしめを替えると、ぐずらずに眠ってくれた。

 

時間は一時過ぎ……約3時間ぐらい寝たことになる。

そろそろ腹をすかせることだろうと逆算し、ミルクを作って冷ましておく。

 

15分ほど経った頃、カン高い泣き声が部屋に響いた。

急いで抱っこし、ミルクを飲ませる。

おくびをさせ、眠くなるまでゆらゆらと体を揺らしていると、すぐに寝ついたようだ。

 

……これがあと1年弱続くのか。そう考えると、言えば誰もが手助けしてもらえる今の環境はありがたいと思ってしまう。

 

はなを寝かせ、もう少し眠るとしよう。

朝まではまだ長いのだから。

 

 

 



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研修編
研修先も地獄です


朝になり、目が覚めた。若干寝不足気味になりながらも瞼を擦り、洗面所へ向かう。顔を洗っていると、冷たい水で意識が覚醒していく。

 

はなの様子を確認するとまだスヤスヤとよく眠っている。だが、時計を見るとそろそろ起きる頃合いだ。

 

哺乳瓶にミルクを準備し、冷水で粗熱を取っていると端末が光った。誰からだろうと見てみると、佐藤さんからのメッセージアプリの通知。

 

『おはようございます。赤ちゃんを預けに行く前に閻魔様と面会をしてもらえますか?』

 

面会?そういえば、名前をつけてから報告もしていなかったことを思い出し急いで返事を書いた。

 

「了解しました。っと……そういえば閻魔様から借りていたサイコロどこに行ったかな?」

 

ぐるりと部屋を見渡してみると、テーブルの上に生成色の巾着袋があった。これも返さなくちゃいけないから一緒に返そう。

 

そう思い、手に取ると中身がない。ない。ない。

どこかに落としたか?と思って探してみるが、小さな部屋なのですぐに手詰まりになった。

 

「マズいな……どうしよう」

 

たしか他の部署では裁判に使ってると言ってたな。そう考えると、顔から血の気が引いていくのを感じた。

 

とりあえずそのことも佐藤さんに伝えると、袋も一緒に持ってきてくださいと書かれていた。

 

どうしよう……無くしたなんて言えるわけないし……

ここは素直に謝ることにしよう。

 

佐藤さんに無くした旨を連絡し、もう一度部屋を探してみたがやはり見当たらなかった。

 

◇◇◇

急足で閻魔様の執務室に行き、事情を話した。閻魔様は、書類に目を通しながら判を捺していく。

 

「すいません。借りていたサイコロ無くしちゃいました!」

 

「あ、無くしちゃったんだ。へー、そう……」

 

頭を下げているため、閻魔様の表情は伺えないが怒っているようには聞こえない。むしろそっちの方が怖い……

 

「頭を上げて、たねちん」

 

そう言われ、頭をあげると閻魔様はケラケラと笑っていた。何か面白い話でもあっただろうか?

 

「いやー、ごめんごめん。無くしたと思ったんだよね。言ってなかったんだけどアレ、消耗品でね。説明し忘れちゃってたよ」

 

「そうだったんですか?」

 

「うん、アレはちゃんと想いを込めながら握ると良い目を出す代わりに使い終わったら砂になっちゃうんだよね」

 

「砂、ですか」

 

「そう、使い終えたら一握りの砂になっちゃうの。多分限界値みたいなものだと思うんだけど詳しくは知らない。多分、開発元に聞けばわかると思うけど……」

 

どうやらあのサイコロは使いすぎると自然消滅するらしい。よかった、無くしたんじゃなくて……

 

「ちなみに開発元ってどこになるんですか?」

 

「アレは確か……技術開発部じゃなかったかな」

 

「技術開発部……どこかで聞いたことがあるような」

 

「種田さんの隣室の住人ですよ」

 

「あー、日下部さんの」

 

「お、彼に会えたんだ?そりゃすごいね」

 

「会った日に昼食を一緒に食べに行きましたよ」

 

「ふーん、そりゃまた……」

 

閻魔様は顎に手を当て何かを考えているようだった。閻魔様の思考は相変わらず読めない。

 

「どこに食べにいったの?」

 

「えーと、日下部さんに着いて行っただけなんで詳しい場所は……店の名前は確か《根の国》だったはず……」

 

「《根の国》かぁ……ボクは知らないところだね。それでそれで?」

 

「そしたら店に入る前に店から二人、男が出てきたんですよ。まるで逃げ出すように」

 

「なるほどね……その男たち、顔覚えてる?」

 

「いえ、覚えてません」

 

「そっかー、もしかするとその二人今後また出会うかもね」

 

「えっ!?」

 

あの二人に関わることなんてあるのだろうか。そう考えていると、ふと疑問が生じてしまう。

 

「閻魔様って未来が視えるんですか?」

 

「うーん、まぁ見えるか見えないかと言われたら見える……のかなぁ。わかりやすく言うと選択肢が見えるんだけどボクは特には何もしないよ」

 

「何もしない?」

 

「そう。選択肢を与えることはできても、選択するのはボクではないから。だから選択肢があることだけは教えるようにしてるの」

 

「すいません、ちょっとよくわかりません。なんだかすごく難しい話に思えてしまいます」

 

「その認識で良いと思うよ。あの世もこの世も正解なんてないんだ。あるのは選択とその先にある現実だけ」

 

「そう言うものですか」

 

「うん、その人に干渉すると必要以上に事が変わってしまうからね。最後まで面倒を見ることなんてボクでもできっこないんだから必要以上に干渉はしない主義になったのさ……そうそう、種田くん」

 

「何ですか?」

 

「はなちゃんか……良い名前を選んだね」

 

「ありがとうございます」

 

閻魔様にそう言われ、謝罪する時とは別に頭を下げるようにして深々とお辞儀をした。

 

◇◇◇

 

「さて、話は変わるんだけど……研修どうする?」

 

「そうですね。俺はいつでも大丈夫なんですが……」

 

「はなちゃんをどうするか、ですか?」

 

「ええ、送り迎えができるかが正直心配なところなんですよね。そこを解決できれば良いんですが……」

 

「佐藤、予備の鍵と錠前ある?」

 

「ええ、ありますよ。では、コレを種田さんに預けましょうか」

 

「それが一番だろうねー」

 

佐藤さんが、手元の鍵束から鍵を一本、懐のポケットから錠前を一つ取り出して手渡してきた。

 

「コレを使ってください。その錠前を取り付けて鍵を回してください。リンク先は、そうですね……ここにしましょうか」

 

「毎日、帰ってきてから報告してもらうのもアレだからね。ここに来てもらえるとこちらとしても助かるよ」

 

「わかりました。研修が終わり次第、報告をしに来ますね」

 

「うん、よろしくね。あー、お腹空いちゃったな。はなちゃん預けたら食堂にでも行こうよ。それぐらいの時間はあるでしょ?」

 

「ええ、わかりました。じゃあ、早速預けに行ってきます」

 

佐藤さんがどこからか取り出したピンク色の扉を開き、宮田さんがいる託児所へ少し歩いた。

 

「ではよろしくお願いします」

 

「はい、預からせていただきます。お迎えは……どちらが来るのかしら?」

 

「どちらか?」

 

どちらかと言う選択肢がなかったため、驚いたがおそらく宮田さんは、佐藤さんと俺のどちらかが迎えに来るのかを聞いているのだろう。

 

「一応俺が来る予定です」

 

「では、もし遅れそうでしたら私に連絡してください。その際は、私が迎えにあがります」

 

「わかりました。ではそのときはお願いします」

 

「ふーん……なるほどねぇ……」

 

「どうかしましたか?」

 

「いえ、何でもないのよ。気にしないでね」

 

はなを宮田さんに預け、扉に足を進めていく。今はおとなしいが、大きくなったらイヤイヤ期とかも来るんだろうか……

 

◇◇◇

 

二人が扉を開け、おそらく閻魔様の執務室に消えていった。

残ったのは私と預かった赤ん坊ーーーはなちゃん。

 

「あの二人、アレで付き合ってないのよね。片方は人間じゃないけど……人間って不思議だわ」

 

私は鼻唄を歌いながら託児所の方へと歩みを進めていく。

 

今日もこの子はおとなしい。もしかしたら前世の記憶を継いでるのかもしれないわね。その時はどんなことが起きるのかしら……おもしろくなってきたわ。

 



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腹拵え

食堂へ朝食を食べに行くと、何やら騒々しい。

 

「どうしたんでしょうね」

 

「ボクが見てくるよ。佐藤とたねちんはちょっと待ってて」

 

閻魔様はスタスタと食堂の方へと足を進めていく。

廊下には佐藤さんと二人きり。

 

「何かあったんですかね?」

 

「さぁ……誰か喧嘩でもして荒れたりしたのでは?」

 

「中々物騒ですね……あっ、帰ってました」

 

閻魔様は、歩幅を大きく取りながらこちらに向かってくる。表情には見えないが、顎に手をやりふむふむといった感じである。

 

「うーん、どうしたものかねぇ」

 

「何かあったんですかね?」

 

「うん、どうやらネズミが出たから食堂を全面消毒するみたい。しばらくは食堂への出入りも厳しそうだね」

 

消毒か。確かに地獄とはいえ食品を扱う場所にネズミは厳禁だよな……そう考えているとふと疑問が湧いたので、二人に聞いてみた。

 

「そういえば地獄で動物を殺した場合ってどうなるんですかね?」

 

「そりゃあ、死後の裁判で裁かれることになるよ。そこら辺は人間と一緒」

 

「一緒なんですか?」

 

「うん、輪廻転生って言葉は知ってる?アレは人間のみならず動物や虫にだって生まれ変わるから命あるものは大切にしなさいって教えなんだけど……地獄にいる鬼なんかも寿命がきて死んじゃった後、一度人間となってここで裁判を受けるんだよ。それは六道、つまり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天。すべからく変わらない。だからここの仕事を出来る人って少ないんだ」

 

なるほど……もし蚊を殺したときに、蚊は死んで、ここの裁判に回される訳か。

 

「あれ、でも俺まだその裁判やったことないですよ?」

 

「そりゃそうさ。その裁判は基本人間はやらないからね。蚊なんかは虫の裁判官、動物だったら動物の裁判官がやるんだよ。そうしないと人間は、情が移っちゃって公平な裁判が難しくなるからね」

 

「そう言う理由があったんですね」

 

「うん、いろいろあるんだよ。コレに関しては今までの試行錯誤の繰り返しで分かったんだけどね……たとえ優秀な裁判官がいたとしても何かしらの事情で辞めていく場合は引き止めるのも悪いからさ」

 

「何かしらの理由?」

 

「うん、例えば理由を大きく分けると2つ。一つは肉体的理由。コレはケガや病気なんかがほとんどなんだけどたまに精神をやられちゃって辞めていくのもいる。もう一つは、個人の事情ってやつかな」

 

「個人の事情ですか?」

 

「そう、例えば結婚してどうしても家を離れられないとか。そんな理由で?って思ったでしょ。コレが案外多いんだ。コッチじゃまだまだ男尊女卑に亭主関白が主流だからねー。女の獄卒とかでもそれが理由で辞めていくのはよくあることだよ」

 

地獄の雇用も一筋縄じゃ行かないってことか……それを管理するのも閻魔様の仕事なのだろうから凄まじい仕事量だ。

 

「さーて、食堂が使えないとなると出前をとるしかないけどこの時間からはやってないからなー。どうしよっか?」

 

閻魔様はそう言うと、佐藤さんの方へと視線を向けた。

佐藤さんは、ため息をひとつ吐くとこうなることはわかっていたかのように口に出した。

 

「私が作りましょうか?幸い、ストックはありますので」

 

「やーりぃ!佐藤のご飯だ!」

 

閻魔様は、大きく跳びながら指を弾いた。どうやら相当ご機嫌のようである。

 

「いいんですか?佐藤さん」

 

「ええ、こうなった閻魔様の機嫌を損ねる方が大変ですから。それでは私の私室まで少し歩いてもらっても良いでしょうか?」

 

◇◇◇

 

佐藤さんが先頭を歩き、5分ほど歩いていくと佐藤と名札がひとつ付いた扉が見えてきた。どうやら、ここが佐藤さんの私室のようだ。

 

「少し待っていてください。色々とやることがありますから」

 

「わかりました」

 

「おっけー」

 

佐藤さんが扉を開けて、中に入ると今度は閻魔様と二人きりになった。閻魔様は鼻歌を歌いながら、目線をこちらに合わせ口を開く。

 

「たねちん、待つのは平気?」

 

「ええ、まあ……現世とかでも意外と長蛇の列に並んでても苦ではなかったですよ」

 

「へー、それは何の理由で待ってたの?」

 

「ゲームの発売とか……あとは友人に頼まれて並んだりとかもしましたね」

 

「そっかそっか。じゃあ、ちょっと待つぐらいは大丈夫なんだね?」

 

「ええ、なんとか。と言うかアレですね。女の人を待つのはそんなに苦ではないですよ」

 

「おっ、経験者は語るってやつ?」

 

「現世でも似たようなことありましたし……部屋の片付けとか色々あるんでしょう」

 

「よくわかってるじゃないか。まぁ、それは分かってても本人には言わないのが得策だよ。藪蛇に成りかねないからね」

 

「そうですね……」

 

二人して5分ほど待っていると扉が開いた。

 

「お待たせしました。どうぞお入りください」

 

「お邪魔します」

 

「お邪魔しまーす」

 

最初に見えたのは、畳と襖、障子に囲まれた純和風な部屋だった。右に視線を送ると、土間があり時代劇や古い民家でしかみないようなかまどがあった。

 

左の奥を見ると襖が閉じられている。もしかすると寝室だったりするのだろうか。そんなことを考えていると、佐藤さんはひとつ咳払いをして視線をそちらに向けさせた。

 

「種田さん、興味があるのはわかりますがあまりジロジロと見るものではありません」

 

「す、すいませんでした」

 

「いえ、とりあえず食事をとりましょう。準備するのでそこに座っててください」

 

佐藤さんに手で示され、中央に置かれたちゃぶ台を囲んだ。閻魔様もそれに続いて、足を降ろした。

 

しばらくすると、甘く香ばしい匂い……コレってもしかして

 

「……ホットケーキ?」

 

「パンケーキとも言うけどそれだね。佐藤ー!バターとハチミツ忘れないでねー!」

 

佐藤さんが持ってきたのは、ホットケーキ。上には、四角くバターが乗っており2段重ねてある。別添えでハチミツをかけるタイプのようだ。

 

「朝から米を炊くのは少々時間が足りませんでしたので……ありものですがコレで我慢してください」

 

「いやいやそんな。すごく美味しそうですね。早速いただきます」

 

銀のナイフとフォークで一口大に切り分け、バターをほんの少しだけ断面に塗り、ハチミツをかける。

 

それを大きく開けた口に頬張ると、なんとも言えぬ幸福感が体を包んだ。

 

「お、美味しいですね……ほんのりすっぱい?」

 

「よくわかりましたね。生地を混ぜる際にマヨネーズを入れて焼いてるんです。そうすると、生地がパリっと焼けるんですよ」

 

「へぇー、知りませんでした。マヨネーズか、今度やってみよう」

 

「それにしてもよくわかりましたね。ほんの少ししかいれなかったんですが」

 

「たねちん、味覚が鋭いんだねー。ご両親の影響だったりするのかな?」

 

「うーん、どうなんでしょう。でも、ちゃんと美味しいものは美味しいと言いなさいと育てられてきましたよ」

 

「そりゃいい教育だね」

 

閻魔様は、ホットケーキを一口分ずつに切り分けるとヒタヒタになるまでハチミツを垂らしていく。みてるこちらが口が甘くなりそうだ。

 

「あーんっと……うーん、おいしい」

 

その後、3人して黙々と食べ進めあっという間に食べ終えてしまった。……ふぅ、まだお腹いっぱいではないが朝食としては調子いいかもしれない。

 

佐藤さんはスッと立ち上がると、土間の方へ足を進め何かを準備し始めた。次の瞬間、香ばしい香りが鼻腔の方まで染め上げるかのように拡がっていった。

 

丸盆には3人分の茶器と急須。佐藤さんは、手慣れた様子で茶を注いでいく。

 

「玄米茶ですか」

 

「緑茶で締めても良かったのですが、今日は私の気分で玄米茶にしてみました。このお茶、とても美味しいですよ」

 

「いただきます」

 

食後に玄米茶を飲むのは初めてだったがそれを口に含むと、なんと芳ばしいことか。現世でコレだけの玄米茶を飲もうと思ったらいくらするんだろう。それぐらい衝撃な味と香り。食後にはとても良い余韻だった。



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犬犬GOGO!!!!

「執務室まで行くのもアレだし業務の説明ここでしちゃっていいかな?」

 

「俺は大丈夫ですが、佐藤さんの部屋ですし……」

 

「私はかまいませんよ。間諜の類もこの部屋にはありませんし」

 

間諜の類ということは、盗聴器や盗撮用のカメラはここにはないということか。まぁ、個人の部屋だし佐藤さんはチェックは怠らないと思ってしまう。

 

「よし、じゃあ話すとするよ。今日たねちんが派遣されるのは、等活地獄だ。等活地獄と聞いて何かわかるかい?」

 

「ええ、一応。無益な殺生を行なったものが落ちる地獄ですよね」

 

「正解。動物や人を殺したものが大体ここに落ちるね。まぁ、ここはどちらかと言うと動物をいじめたやつが落ちる地獄と思っていい」

 

「……と言うことはここ数十年で改訂された地獄の一つですか?」

 

「よく分かったね。ここ20年ぐらいで悪徳なブリーダーなんかもこの地獄に堕ちるようになったよ。昔は犬猫を食べたやつが堕ちる時期もあったね」

 

犬猫を食べる?そういう人もいたんだろうが個人的には信じられないという感情が一番に湧き出てくる。

 

「まぁ、そこはほら……時期が時期だった場合無罪放免じゃないにしろ判決を弛めたりすることがあったからね。それだけは忘れないでね」

 

「時期ですか」

 

「そう、例えばだけどどうしても食べるものがないときに目の前に犬がいたとしよう。たねちんだったらどうする?」

 

「うーん、今の考えですと襲ったりはしないですかね」

 

「うんうん。それはたねちんが今、食べるものに困ってない状況だからそう判断したんだと思うよ。……人間、生きるためだったらどんなものでも食べて生き残ろうとする。それは人間だけじゃなくすべての生き物に言えるんだけどね」

 

「今度、餓鬼道で見に行かせた方が早いかと。アレを見れば子供の好き嫌いもなくなるはずです」

 

「ス、スパルタだね……でもやり方は間違ってないと思ってしまうよ」

 

佐藤さんと閻魔様が話をしている間、色々と想像をしてみた。色々考えてみたが生まれてこの方、飢えに苦しむようなことはなかったから空腹な状態が長く続くというのが想像ができない。

 

「まぁ、それはおいおいやっていくとして……佐藤。研修先の担当者、今呼べるかい?」

 

「ええ、連絡してみます」

 

佐藤さんが、端末を持ってどこかに連絡をする。5分ほど経っただろうか。外からバタバタと駆ける音が聞こえ、扉をノックする音が響いた。研修の担当、もう来たのか。

 

「呼ばれたんで急いで来たっスよ、先輩!!!閻魔様も種田さんもおはようございますっス!!!」

 

呼ばれてきたのは、巻尾さんだった。ということは、研修の担当は巻尾さんなのだろう。

 

「おはようございます、巻尾。23秒の遅刻ですね」

 

「うわーーーーー。まじっスかーーーー。途中のカーブ曲がるのに急ぎすぎたっスよー」

 

「巻尾、おはよう。さて、たねちん。今日の研修先の担当者の巻尾だ。顔は見知ってるだろうから、細かい説明は巻尾から聞いてね」

 

巻尾さんをみると、急いできたと言っていたが息一つ荒げていない。この人は、どれだけスタミナあるんだろう。

「さて、種田さん。本日はよろしくお願いするっス!!!」

 

「よろしくお願いします」

 

「説明は現地に着いてからお話するっスよ。ひとまず一緒に行くっス」

 

◇◇◇

 

「等活地獄は地獄の階層の一番上に属する場所っス。ひとまず、エレベーターに乗るっスよ」

 

「エレベーターで移動するんですか?」

 

「そうっス。昔は、階段で下の階層まで下ってたんスけど今はエレベーターのボタン押すだけで済むっス」

 

エレベーターに、二人して乗り込むと巻尾さんはB1と書かれたボタンを押した。すると、扉は閉まりゴウンゴウンと大きく響かせながら下へ下へと潜っていく。

 

チーン、と鐘の音が響いた。どうやら到着したようだ。

 

「よし、無事着いたっスね。ここが等活地獄っス」

 

エレベーターから降り、まず見えたのは赤い空と赤い地面。そこかしこで火は燃え上がり、まさに地獄という感じだ。

 

「……なんか血生臭いですね」

 

「そりゃあそこらで亡者が呵責されてるっスからね。コレに関しては慣れてくれとしか言いようがないっス。さて、ちょっと様子を見に行くっスよ」

 

巻尾さんの後をついていく形で歩を進めていくと、見えてきたのは小高い丘。そこの頂上へ着くと、全体が見通すことができた。

 

「はい、コレ使うっス」

 

そう言って渡されたのは、双眼鏡。なるほど、コレなら遠くからでも視察することはできる。

 

双眼鏡に目を通すと、見えたのは亡者が犬たちに襲われているところだった。逃げようとする亡者の足を、犬が噛みつき離そうとしない。その犬を振り切ろうとすると、また別の犬に襲われてしまう。

 

目を背けたくなるような光景だった。

 

「あの亡者、何したんですかね」

 

「えーと、あの犬達に襲われてる人っスよね。アレは、犬を放し飼いにして他人に迷惑をかけたやつっス。確か放し飼いをした犬が子供を襲って殺しちゃったんじゃないっスかね」

 

「それは……責任問題になるんじゃ?」

 

「それなりの金持ちだったからいくらか包んで無かったことにしたみたいっスよ。あ、死んだみたいっス」

 

「え!?それ、大丈夫なんですか!?」

 

「まぁ見てるっスよ」

 

亡者が犬達に食われていると、近くにいた獄卒が鉄の棒で地面を突いた。すると、横になって動かなかった亡者の身体が肉をつけ、元の状態に戻っていく。

 

意識が戻ると、亡者はまた犬達に囲まれ襲われる。それが繰り返された。

 

「うわぁー、凄まじいですね」

 

「亡者は死んだとしてもああやって生き返らせられるんス。そして生き返ったらまた繰り返す。これが等活地獄っス」

 

「コレを繰り返されたら嫌でも反省しますよね」

 

「たいていの亡者は、そうっスね。たまーにずっと変わらないのもいるっスけど。さて、種田さん。あの犬達、もっと近くで見たくないっスか?」

 

「えっ」

 

確かに見てみたいがあの犬達に近づくのすら恐ろしいと感じてしまう。

 

「あー、大丈夫っスよ。まだこっちに堕ちてきたばかりの犬達っスから。まだ訓練期間中ってやつっス。ある意味種田さんと似たもの同士っスね」

 

「それだったら、まぁ……何かあったら助けてくださいよ」

 

「承知したっス」

 

◇◇◇

 

巻尾さんに連れられていったのは、小さな小屋だった。

この中にあの犬達みたいな犬がいるのか……そう思うと、生唾をごくりと呑み込んでしまう。

 

「そんなに緊張しなくてもいいっスよ。さぁ入った入った」

 

巻尾さんに背中を押され、小屋の中に入っていく。中には、金網が張られ大の大人が体当たりしてもびくともしそうにない頑丈な檻があった。

 

その中には、2匹の犬。

 

ジッとコチラを見つめ、入ってきた余所者を警戒しているのが目に見えてわかる。

 

犬達をよく観察すると、毛色が2匹とも違う。一方は新雪のような真っ白な犬。もう一方は、毛の色が紅と少し珍しい毛色をしている。

 

「まずは臭いを教えるっス。やり方は手をグーにしてお尻の臭いを擦り付けるっス。そしたらそのグーにした手を檻の前まで伸ばすっス」

 

「わ、わかりました」

 

巻尾さんに言われた手順で臭いをつけ、檻の前まで手を伸ばした。すると2匹は立ち上がり、こちらに歩み寄る。スンスンと臭いを嗅ぐと、犬達は一応尻尾を振ってアピールをしてきた。

 

「ひとまず認められたっぽいっスね。良かったら撫でてみるっスか?」

 

「大丈夫なんですかね」

 

「この中だと私が一番トップっスから何かあれば止めるっスよ」

 

「わかりました」

 

紅い犬と白い犬の頭に恐る恐る手を伸ばすと、犬達は頭を下げ撫でられるのを待っているようだ。

 

触れてみると、毛質も違い紅い方は柔らかく、白い方は少々硬めの毛質だった。こんなふうに犬を撫でるのはいつぶりだろうか……

 

「この2匹、名前はあるんですか?」

 

「そりゃあるっスよ。紅い方がライデンで白い方はマツナガっス」

 

どこかで聞いたような名前だが、それはともかくいい名前だ。問題は、なぜこの2匹は檻の中にいるのか。

 

そこが疑問に思えたので、巻尾さんに問いただした。

 

「実はっスね……この2匹。あの群れの中から外されちゃったんすよ。だからそれをどうにかしなくちゃいけないのが今抱えてる問題なんス。だから……」

 

「だから?」

 

「種田さん、なんかいいアイデアないっスかね?」

 

 

 



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「いいアイデアですか?」

 

「そうなんすよ。放っておくのはイイんすけどそれは流石にどうかと思うんスよね。なんというか……」

 

「なんというか?」

 

「この子達にも役割ってものを身につけさせたいんスよ。なんというか今のこの子達は……そう、人慣れしすぎているんス」

 

確かに……この犬たちはさっき見た犬たちと違い、人に慣れすぎている印象がある。向こうが野犬だとするならば彼らはどちらかというと猟犬に近い印象がある。

 

……猟犬か。そうか、もしかしてコレ使えるかも?

 

「巻尾さん」

 

「何スか?」

 

「この犬たちって何か特別な訓練とかしてますか?」

 

「いや、まだ特に目立った訓練はしてないっスね」

 

「だったらいっそちゃんと訓練させましょう。さっき、巻尾さんが序列は一番上って言ってましたよね?だったら巻尾さんが立ち会った上で訓練を繰り返せば今より使えるようになると思うんです」

 

「まぁ、確かに……ただ、2匹を同時に訓練するって相当大変スよ?出来るんスか?」

 

「やってみましょう。やらないよりもやってから考えましょう」

 

「……分かったっス。じゃあ、私は2匹をいったん外に出すっス。種田さん、手伝ってくれるっスか?」

 

「わかりました!」

 

2匹の檻を開けて、自発的に出るよう促すが出てこようとしない。もしかすると外で相当な目にあったのかもしれない。

 

「出てきませんね……」

 

「ほら、2匹とも出てくるっスよー」

 

巻尾さんがそう言い手を叩くと、2匹はしかたがないといった様子でのそりのそりと檻から出てきた。よし、まずは出てきてくれた……

 

2匹の姿を観察すると2匹ともそこまでやせ細っているという印象はなく、いたって健康そうだ。

 

「とりあえず何が出来るかを把握しないとですね」

 

「一応、お座りと伏せ。それと待てぐらいは教えてるっス」

 

「ひとまずそれだけできていればなんとかなりますね。あとは、誰が命令しても守るようにしないといけないですけど……」

 

「そこなんスよ。問題は……この子達は、認めれば従うんスけど、認められない場合は命令を全く聞こうとしないところっス」

 

「根気よくやっていくしかないんじゃないですかね?ひとまず臭いを覚えさせた人の命令を聞くぐらいにはしないと……」

 

「長い道のりになりそうっスね……」

 

「ええ、根気強くやってみましょう……」

 

◇◇◇

 

「とりあえず今日の業務は終了っス。お疲れさまっス」

 

「え、もう終わりですか?」

 

「今日は視察だけの予定だったんすよ。明日からはあの子たちの訓練を始めるっス」

 

そうか、今日はコレで終わりか。はなを迎えに行かないといけないがその前に報告をしなくちゃいけないな……

 

そう考えながら立ち上がると、巻尾さんが指である場所を示した。見てみると、犬小屋の横に備え付けられた手洗い場だ。

 

「種田さん、帰る時にはよーく手を洗うっスよ。土に触れちゃってたらきちんと落としていくっス」

 

「分かりました。でもなぜ今?」

 

「種田さんの口の周りからハチミツとバターの匂いがするっス。おそらく朝、先輩のところで食べたんだろうと思うんすけど……もし赤ちゃんの口に入ったら大変なことになるっス」

 

「た、大変なこと!?」

 

「ボツリヌス菌とかが経口感染するともれなく病院行きっスよ。種田さん、赤ちゃんを夜中まで見てくれる病院知ってるんスか?」

 

「いや、全く知らないですね……」

 

「……とりあえず、閻魔様に報告する前にシャワーを浴びるっス。そして迎えにいく前にもう一度きちんと石けんと流水で手洗い。コレでひとまずはなんとかなるっス。あとは当たらないことを願うばかりっス」

 

お説教をされたように感じたが、それは巻尾さんがちゃんと考えてくれているという結果なのであって、それにはちゃんと応えなくちゃいけない。

 

「分かりました。とりあえず報告行く前にシャワー浴びていきます」

 

「そうするっス。帰る前にちゃんと手洗いするんスよ」

 

「はい。巻尾さんはこれからどうするんですか?」

 

「とりあえず今日の報告書を書き上げなくちゃいけないっス……ハァー、気が重いっスよ……」

 

◇◇◇

 

閻魔様に報告する前に、一度自室に戻り言われたとおりにシャワーを浴びた。いつもなら軽く流す程度だが、一応念には念を込めて身体を洗った。

 

別のスーツに袖を通して、閻魔様の元へ報告へ行く。

執務室の扉をノックして入ると、閻魔様と佐藤さんがいた。

 

「おつかれさま、たねちん。どうだった?……ん?シャワー浴びて来たの?」

 

「ええ、巻尾さんにこっ酷く言われちゃいまして……なのできちんと身体を洗って報告に来た次第です」

 

「ふーん、それまたどうして」

 

「なんでも、赤ちゃんに菌が移らないように念には念を入れろと言われちゃいました。たしかにそれぐらいしなくちゃいけないよなと反省した次第です」

 

「うんうん、巻尾もいい事言うねー。でも、感染させないってのは大事だからね。たねちんも一人の子の親としてちゃんと成長してて嬉しいよボクは」

 

閻魔様と話しているが、隣の佐藤さんは何も口を開かない。ただ、瞼を閉じて耳を傾けているといった感じだ。もしかして体調が優れなかったりするのだろうか?

 

「佐藤さん、どうかしました?」

 

「いえ、菌の感染経路を忘れてた自分を恥じているところです」

 

「そこまで反省しなくてもいいんじゃないの?たねちんだって知らなかったから教えてもらったと思ってるんだし」

 

「それでも……」

 

「はいはいやめやめ!うだうだ言っててもなんにも解決しないよ。次の機会に生かせばいいじゃないか」

 

「……分かりました。次の機会がありましたら」

 

「うーん、ちょっとかたいけどそれでヨシっ!」

 

閻魔様はビシッと指を差した。佐藤さんはピクリともしなかったが、あれはあれで受け止めているのだろう。

 

「あの、佐藤さんにお願いがあるんですがいいですか?」

 

「はい、なんでしょうか」

 

「巻尾さんと犬たちを訓練することになったんですけど、ある程度訓練が終わったら最終テストをやるつもりなんです。その際立ち会ってほしいんですが頼めますか?」

 

「私がですか?」

 

「はい、犬たちには佐藤さんの臭いも姿もまだ覚えさせていませんし。それだったら最終テストの立会人になれるかなと思いまして」

 

「分かりました。その際は、2日前までに連絡をください。業務日程を調整します」

 

「ありがとうございます!一生懸命頑張るんですその時はよろしくお願いします!あっ、迎えに行く時間ですね。ではこれで失礼します」

 

二人に頭を下げ、はなを迎えに行く。明日からの業務も大変そうだけど頑張るしかない。

 

「たねちんはこっちに来てどんどん変わっていくね。さてさてどうなることやら」

 

「閻魔様、また見たんですか?」

 

「うん、これが彼にいい影響を及ぼすと分かったからね。あとは静観するのみだよ」

 

「そうですね。それが今の彼にとって一番いいことならばそれで……」

 

「ん?まだ落ち込んでんの?」

 

「自分の不甲斐なさに腹が立ってるだけです」

 

「腹立ててもしょうがないじゃない。なるようにしかならないさ」

 

閻魔様はそう言うと、書類作業に戻っていった。なるようにしかならない、か。私自身もそう割り切れるようになれたらいいのに。

 

 



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金は命よりだいぶ重い

「待て!!」

 

「伏せ!!」

 

「おすわり!!」

 

2匹は命令された行動をきちんととる。ここまではいい。問題は、この先だ。

 

「とりあえず、最終日に佐藤さんが来てくれることにはなりました。それまでにある程度できるようにはなりたいところですが……どうでしょうか?」

 

「うーん、厳しいっスねー。あの子たちは覚えるのは早いんスけど本番でちゃんとできるか不安要素がまだまだ大きいっス」

 

「そうなんですよね……」

 

2匹を見てみるとおすわりの状態で待機しているが、それ以外を知らないからこそこの行動をとってるとも考えられる。

 

「ん?」

 

ふとポケットを探ると、自室の鍵がない。……コレはマズい。このとても広い場所でどこで落としたのか全く見当もつかない。

 

「巻尾さん、自室の鍵無くしたっぽいです……」

 

「えっ。じゃ、じゃあ急いで探すっスよ!とりあえず歩いてきた道を探すっス!!」

 

一応通った場所を念入りに探してみたが、やはり見当たらない。これじゃ自室にも戻れないぞ……

 

焦っていたのを見ていた2匹は目を合わせていた。すると、2匹は立ち上がり、こちらに近づいてきて手の臭いを一心不乱に嗅ぐとバウと大きく吠えた。

 

「もしかして落とした場所がわかるのか?」

 

「とりあえず着いて行ってみるっス」

 

ライデンが左側を、マツナガが右側を先だって歩いていく。地面の匂いを嗅ぎながら、目的の場所を絞り込んでいっているようだ。

 

しばらく歩を進めて行くと、2匹が止まった。そこをみてみると、鍵が落ちている。それを確認するために拾うと、間違いなく自室の鍵だった。

 

「よ、よっしゃ見つかった!!!」

 

無意識にライデンとマツナガの頭を撫でる。

2匹はこれぐらいできて当然だとでも言うように、鼻をスンと鳴らした。

 

「はー、この子達鼻がいいんスねー。コレは想像以上っスよ」

 

「ですね。とりあえず鍵が見つかってよかったです」

 

鍵を見てみると、特に目立った傷跡等もない。いつ、ここで落としたのか。それはわからないが、ひとまずは見つかってよかった。

 

「巻尾さん、この2匹裁判で使えそうじゃないですか?」

 

「えっ、裁判で!?」

 

巻尾さんの顔を見てみると、明らかに驚愕と言った表情をしている。たしかに常識外れではあると思うが、人慣れした犬2匹をこのまま飼い殺しにするのもどうかと思ってしまう。

 

「うーん、問題はこの2匹をどう使うかなんスよ。あと前例がないから申請書をどれだけ書かなくちゃいけないかそれも未知数っス」

 

「申請書ですか?でもたしか、食堂に色々な動物いましたよね?」

 

「アレは一応裁判官っスからね。それ以外の動物もいるにはいるっスけどそれは会社で言うならば上役みたいなものっス」

 

「……難しそうですか?」

 

「とりあえず閻魔様と先輩にも相談したほうがいいと思うっス。コレに関しては私一人じゃどうにもならないっス」

 

「ちょっとアポイント取ってみます」

 

まずは佐藤さんに連絡を入れる。通話するためにコールするとすぐに出てくれた。

 

『どうされましたか?』

 

「お疲れさまです。実は、佐藤さんと閻魔様に同時にアポイントを取りたいんですが都合のいい時間はありますか?」

 

『すこしお待ちください……今日はかなり厳しいですね。明日の午後でしたら時間を取れると思います』

 

「では、明日の午後にお願いしてもいいですか?」

 

『分かりました。他に伝えることはありますか?』

 

「いえ、今話したこと以外はないです。ではよろしくお願いします」

 

『承知しました。閻魔様にもお伝えしておきます』

 

……ふぅ、ひとまず今回の件のアポイントだけは取れた。今日明日は、目の前の業務を遂行するだけだ。

 

◇◇◇

 

翌日、アポイントを取ってもらい二人に今回の事を相談するために閻魔様の執務室に足を向けた。

 

「その2匹を裁判に使いたい、ですか……」

 

「たねちん、なかなか面白そうなこと考えたね。たしかに常識外だけどできなくはないよ」

 

「本当ですか!?」

 

「うん、ただ前提条件がいくつかある。1つは、他者にーーーこれは他の裁判官に危害を与えない。もう1つは、一応検疫にかけることになる。それは了承できるかい?」

 

「検疫ですか?」

 

「そう、いくら獄卒だって地獄の土壌をそのまま持ち込んでたらあっという間に病気になっちゃうからね。その2匹は、等活地獄にいたんでしょ?だったら申請が通ったら二週間弱は検疫にかけなくちゃいけない。その費用はたねちんの実費になるんだけどそれは大丈夫?」

 

「じ、実費ですか……」

 

「うん、軽くコレぐらい」

 

閻魔様が懐から電卓を取り出すと、必要経費を見積もって行く。その数字を見せられて目玉が飛び出るような感覚になった。

 

「一応最低限の値段だからね、ソレ。プラス色が乗ると思ってくれたらいい」

 

「うーん」

 

「一応分割もできるけどどうする?」

 

「地獄のローンですか……」

 

「はっはっは、なかなかいい表現をしてるね。ただ、わかってほしいのは新しいことをやるためにはそれだけ先行投資が必要になるってこと。それだけは忘れないでね」

 

「種田さん、閻魔様はやるなとは言ってませんからね。やるならちゃんと覚悟を持って行動を取れと言っているのだと思います」

 

「覚悟ですか」

 

いつかの、後藤の裁判の時もそんなことを言われたっけ……よし、腹は括った。

 

「わかりました。佐藤さん、ここあたりでお金借りれるところありますか?」

 

「種田さん?人の話をちゃんと聞いていましたか?」

 

「なぜそっちの考えに至るんだい、たねちん」

 

「いや、お金が足りないなら借りるしかないじゃないですか。だから……」

 

「「それはやめておいたほうがいい。あなたの為です(だよ)」」

 

二人の声が足並みを揃えたように揃った。やはりお金を借りると言うことはあまり相談しない方がいいのか?

 

「このあたりの金利はすさまじいからね。裁判官だからすぐに借りられるとは思うけど、返済がいつ終わるか正直わかったものじゃないよ」

 

「ええ、ですのでおすすめしません。それだったら、私が貸しますよ」

 

「えっ」

 

佐藤さんにお金を借りる。その方法もなくはなかったが、やはり顔見知りに借りるのは躊躇してしまう。

 

「返せる時に返してもらえればいいので」

 

佐藤さんはそう言うと、懐のポケットから紙束を取り出した。どうやら銀行の小切手のようだ。それにさらさらと書いて、近くにあった朱肉で親指の拇印を証明した。

 

「これでよし……種田さん、受け取ってください」

 

「え、でも」

 

「いいから受け取りなさい」

 

「あ、ありがとうございます。絶対に返しますんで」

 

佐藤さんから渡された小切手をなくさないように懐に入れ、深く頭を下げた。



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首輪と設問

ひとまず目の前の問題は解決できた。あとは、最終日に犬たちを使えるかどうか判断してもらおう。

巻尾さんのところへ行こうとすると、端末の通知が光った。画面を見てみると、佐藤さんからだ。

 

『言い忘れていました。犬たちを裁判に使用するのでしたら首輪を用意しておくように』

 

首輪、か。たしかに誰かの所有物としてのアイコンだし必要だろうな。

 

「わかりました。そういえば首輪ってどこで買えますかね……首輪と言ったらペットショップとかでしょうか?」

 

『ペットショップですか。なくはないですが……そもそもが地獄で愛玩動物を飼うこと自体がそんなにないんですよ。飼うと言ったら猫や犬くらいで』

 

「犬用があるんだったらそれ使えないですかね?」

 

『どうでしょうか……一般用に使えても裁判の審理に使えるかはわかりかねませんね。なんでしたら取り寄せることもできますがどうされますか?』

 

「いえ……ちょっと自分で調べてみようと思います」

 

『そうですか……わかりました。進展がありましたらまた報告してください』

 

「わかりました」

 

『それでは後日改めてよろしくお願いします』

 

佐藤さんとの通話のやり取りが切れ、頭を使って考える。

 

どうする。どうする。どうする。

 

いつのまにか歩みを進めていたのだろうか。気づくと自室の扉の前にいた。

 

そう言えば今着けているチョーカーもたしか技術開発部が作ったんだよな……ダメ元で日下部さんに聞いてみるのはどうだろう?

 

そう考え、隣室の扉をノックした。するとドアノブが回り、軋むような音を出しながら扉が開く。

 

「やぁやぁどうもどうも。本日はどうされましたか?」

 

「日下部さんに相談があって来ました。時間の都合大丈夫ですか?」

 

「ええ、大丈夫ですよ。親しき隣人のためでしたらこの身削ってでも聞き入れましょう」

 

◇◇◇

 

とりあえず上がってくださいと言われたので、お言葉に甘えて部屋に上がった。相変わらずジャンクパーツの山ばかりだが、以前来た時よりも少なくなっている?

 

「少し待っていてください。飲み物を持って来ます」

 

「ありがとうございます」

 

日下部さんは、奥の部屋へと足元を見ずに進んでいった。しばらくすると、ペットボトルのお茶を2本持ってこちらにやってくる。

 

「どうぞ」

 

「ありがとうございます。いただきます」

 

ペットボトルのキャップを捻り、喉を潤す。お茶は、いつもと変わらない味だったがそれが逆にありがたかった。

 

「ふぅ……今日はお願いがあって来ました」

 

「ええ、なんでしょう」

 

「日下部さんに首輪を作って欲しいんです」

 

「それは人間用の?それとも動物用の?」

 

「犬用です。それを二つ」

 

「ふーむ、犬の首輪ぐらいでしたら地獄でも売ってますからね。それを私に求める理由が知りたい」

 

「それは……」

 

考えてはいるが、その答えはまだわかっていない。ただ今言えることは一つだけだ。

 

「理由があるのでしたら聞きましょう。理由がないのでしたらそれはそれでまぁ……」

 

「日下部さんに作ってほしいんです」

 

「それは……技術屋に言っちゃずるい言葉ですよ。少し待っていてください」

 

そう言うと、日下部さんは部屋の奥へと足を進めていった。しばらく待っていると、戻ってきた日下部さんは化粧箱を持って向かい側に座った。

 

「これを犬の首に巻いてみてください。そうしたら、自動で調整されるはずです」

 

「はず?」

 

「はい、なにぶん作っては見たのですが周りに犬を飼っている者が居なくてですね……さすがに飼い犬の首が絞まるかもしれないとは私も言えませんよ」

 

「……たしかに」

 

「だから最終調整が出来ずに埃を被っていたのを先ほど思い出したんです。さぁ、どうしますか」

 

どうする、か。これをあの犬達に使えるかどうか……

 

「わかりました。やってみます」

 

「もしも首が絞まった場合は、刃物などで首輪ごと切ってください。そうすれば糸がほつれて解けるようになっています」

 

「わかりました」

 

「さぁ、急ぐのでしょう。行ってください」

 

「ありがとうございます!」

 

日下部さんに礼を言い、部屋を後にした。これで首輪の問題も解決した。一度、巻尾さんのところへ戻り、報告をしよう。

 

◇◇◇

 

「これがその首輪っスか……」

 

「はい。どうやらそうらしいです」

 

「そうらしいって……なにか含みのある言い方っスね」

 

「含みのある言い方というか……最終調整がされてないらしいんですよね。だから渡されたと言ったほうが正しいのかもしれません」

 

「そんな危なっかしい物よく貰って来たっスね」

 

「ははは……すいません」

 

「まぁ、何かあった時の対処法知れてるから良しとするっスよ。私は二匹を連れてくるっス」

 

そう言った巻尾さんは、小屋の中から二匹を連れ出して来た。……警戒はされていないようだ。

 

二匹を首周りに一度触れて、確認をする。そして、首輪を巻こうとした瞬間、犬たちがウウウウウウウウウウウウッと唸った。

 

臆せずに首周りを一周させると、カチリという音が鳴り首輪の形になった。首輪には、彼岸花の刺繍が施されていて、それがピンと一緒の柄だったのには少し後に気づいた。

 

「大丈夫……そうですかね?」

 

「そうっスね……苦しんではいないようっスから大丈夫かと思うっス」

 

「よかった……あとは訓練だけですね」

 

「そうっスね。何を覚えさせるかが重要っスけど……何を覚えさせるっスか?そんなに時間はないっスよ」

 

「こういうのはどうでしょう……」

 

巻尾さんの耳元へ行き、こそりと呟いた。それを聞いた巻尾さんは、うんうんと首を縦に振った。どうやら了承してもらえそうだ。

 

そうと決まったらその訓練をする。期限としてはかなり短いからできるかどうかはまだわからないが、これが出来なければ裁判で使えそうにもない。

 

心を鬼にして訓練することになった。

 



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ハレーション

犬達の訓練をすること一週間。朝食を食べに食堂へ行くと、食堂の入り口の前に佐藤さんがいた。こうして顔を合わせるのも久しぶりだ。

 

「おはようございます」

 

「おはようございます、種田さん。今日はテストの日ですが、準備は万端ですか?」

 

「はい、大丈夫……だと思います」

 

「そうですか。期待していますよ」

 

食堂で朝食を食べ終えると、すぐにその足で犬達のところまで歩いていく。先週から犬たちにつきっきりで訓練をしていたので、今週あったことを報告する。簡略して説明しながら足を進めていくと、目的地である小高い丘の上の開けた広場のような場所に、巻尾さんと犬達がいた。

 

「あ、先輩、種田さん。おはようございますっス。今日はよろしくお願いするっス」

 

「まずは犬たちを見せてもらいましょうか」

 

「わかったっス」

 

二匹を佐藤さんの前へ出すと、犬達は自然と伏せの体勢をし、佐藤さんと目を合わせるようにして佐藤さんの方へ顔を向けている。どうやら、見ただけで立場がどちらが上かわかったようだ。

 

「こっちの赤い方がライデンで、白い方がマツナガっス」

 

「なるほど……毛並みはいいようですね」

 

佐藤さんはそう言うと、二匹の頭を撫でた。犬達は、気持ちよさそうに目を細める。

 

「ところで種田さん。この二匹は、どのような特徴があるのでしょうか」

 

「そうっスね……種田さんはどう思うっスか?」

 

「ライデンの方は、足が速い……でいいんですかね。マツナガの方は、耳がいい?」

 

「耳、ですか」

 

「はい。耳がいいと言うのが正しい言い方なのかはわかりませんが、二匹を比べたら明らかに違っていますね」

 

「なるほど……少し待っていてください」

 

佐藤さんはそう言うと、どこかに連絡をし始めた。しばらくすると、目の前に扉が現れ、獄卒に両腕を掴まれた亡者が引き連れてきた。

 

「この亡者は今日、不喜処地獄に落ちることになった亡者です。話の流れを切るようで申し訳ありませんが、今から犬達の最終試験を開始します」

 

「最終試験ですか?」

 

「ええ、これができなければ正直使い物にならないと言っても過言ではありません。試験内容は……」

 

ごくり、と生唾が喉に落ちた。最終試験とは聞いていたが実際何をやるのかは聞かされていない。

 

「この亡者を殺せるかどうか……この二匹に果たして出来きますか?」

 

◇◇◇

 

亡者を殺せるかどうか……そんなことはこの一週間まったく考えていなかった。本当にそれが必要なのだろうか?その判断さえ俺にはわからなかった。

 

「亡者を殺せるか、ですか」

 

「はい。判決を言い渡された亡者は、時たま判決を不服に思い裁判を抜け出そうとしたり裁判官に襲いかかってきたりと色々あるんです。ですので、その際は強制的に黙らさねばなりません」

 

「それは……必ず殺さなければならないんですか?」

 

「いいえ、必ずとは言いませんが……亡者を大人しくさせることが出来るのならば、殺さずに済ませることができます。この際、重要なのはどのような手段を用いても刑場に堕とすことが最優先事項になりますから」

 

「あとはこの二匹が出来るかどうか、なんですよね」

 

「ええ、そうなります」

 

二匹を見てみると何を言っているのかわかっていない。そんな顔をしていた。これはある意味難しいぞ……そんなことを思っていると、巻尾さんが肩をポンと叩いた。

 

「とりあえずやってみて考えるっスよ。できたらできたでその時は褒めてあげればいいっス」

 

「それもそうですね……でもどうやって命令を送りますか?訓練でもこの命令は教えてないですよ」

 

「うーん……この首輪の取扱説明書ってあるっスか?」

 

「取扱説明書ですか……そういえば日下部さんにもらった時に箱があったはず……もしかしたらその中かも」

 

「じゃあ取りに行くっス。で、どこにおいてきたんスか?」

 

「確か自室に置いてあったはずです。佐藤さん、時間をもらえますか?自室に荷物を忘れてきちゃったみたいで……」

 

「ええ、どうぞ」

 

急ぎ足で部屋に帰り、荷物を探そうとすると、ちゃぶ台の上に箱が置いてあった。……今朝、見た時は確かに箱は物置代わりにしている押入れに入れていたはずだが。……今は、そんなことを考えている場合ではない。

 

部屋の鍵が閉まっているかを2度確認し、荷物を持って急いで戻る。とりあえず犬たちの試験が終わったら、鍵を変えたりしてみよう。それでも、物が動いていたら、佐藤さんたちに相談すればいい。

 

「持ってきました」

 

「ちょっと見てみるっスよーっと……ふんふん……なるほどっスねー……」

 

巻尾さんは、取扱説明書に上から下まで目を通すと、眉間に皺を寄せた。どうやら、何かがあったらしい。

 

「種田さん、これ……書いてあること本当っスかね?」

 

「えっと……読ませてください。なになに……」

 

取扱説明書に目を通すと、そこには、

 

心から願いながら命令すれば通じるかもしれない。

 

とだけ書いてあった。これは本当にそうなんだろうか?

 

「と、とりあえずやってみましょうか?」

 

「そうっスね」

 

心の中で念じるようにして、犬たちの方を見る。すると、点と点がつながり一つの線になるような感覚があった。そして、亡者の方をみて命令を出す。

 

【噛みつけ】

 

そう命令すると、犬たちは威嚇をして勢いよく噛みつきにいった。ライデンが左腕に食らいつき、マツナガが右脚に噛み付いた。首を左右に振りながら噛んではいる。が……これはちゃんと命令が伝わっていることになるのだろうか?

 

亡者は、犬たちを振り払おうとするが一向にそれができない。バタバタと手足を振り払うようにすると、ライデンとマツナガは亡者の喉元へ噛みついた。

 

それが致命傷だった。

 

亡者は、ばたりと地面に倒れた。首からは、ダクダクと赤黒い血が流れ、ぴくりぴくりと一瞬動いたが、そこからは早かった。

 

まるで、糸が切れた操り人形のように亡者は動かず、辺りには静寂が蔓延る。

 

「これで……いいのか?」

 

テストに合格したかどうか全く分からない。頭に疑問を抱いていると、佐藤さんが手を合わせ小さな声で何かを唱えた。すると、動かなくなっていた亡者は時間を巻き戻すかのようにして元の人の形へと戻っていった。

 

「試験の結果はまずまずと言ったところでしょうか。使えなくはないですが、速攻性が少しばかり足りなかったですね。まぁ、それは今後の訓練次第と言う感じでしょう」

 

「つまり……合格ですか?」

 

「いくつか問題はありますが、まぁ規定範囲内には収まっていますね」

 

「そ、そうですか」

 

よかった。とりあえず試験は合格のようだ。そう思っていたらどっと疲れが出てきた。そういえば、この一週間犬達にかかりっきりで自分のことは後回しにしていたような気がする。

 

気づくとばたりと倒れ、地面に伏していた。誰かが激しく体を揺すっているが、それが誰なのかはわからない。ただ、手足の感覚が痺れて失われていくのを感じながら意識を失っていく感覚を感じていった。



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人生数任せ

……

 

…………

 

……………………

 

目が覚めるとそこは知らない天井だった。ここは一体どこだろう?天井は比較的高く、太い梁が目に映る。……すこし記憶を整理してみよう。たしか犬たちの試験の結果が合格と言われたあとに目の前が真っ暗になったのは憶えている。

 

その時、どこかで嗅いだことのあるような香りがした。それは梅の花のような香り。この香りはどこかで嗅いだ記憶がある。視点をぐるりと動かすと、文庫本を片手にしゃんと座っている佐藤さんがいた。

 

「……起きましたか、種田さん」

 

「えっと、おはようございます。あれっ、今何時ですか?」

 

佐藤さんは読んでいた文庫本にしおりを挟み、懐から懐中時計を取り出して時間を確認した。たしか佐藤さんは常に端末を持ち歩いていたと思っていたが、あれは私物なんだろうか。

そんなことを考えていたら佐藤さんが口を開いた。

 

「今は朝の6時過ぎですね」

 

「6時過ぎ……」

 

体を起こそうとするが、力がうまく伝わらず起き上がることができない。もぞもぞと蠢いていると、佐藤さんが身体を起こすのを手伝ってくれた。

 

「えっと……ここは?」

 

「ここは従業員用の詰め所です。種田さんが倒れた後、運ばせてもらいました」

 

「それはどうもありがとうございます。……あれ、巻尾さん達は?」

 

「あくびが出ていましたので仮眠を取りに行かせました。戻ってくるのは、もうしばらく経ってからになりそうですね」

 

「そうですか……」

 

特に話すこともなく、壁に掛けられている秒針の刻む音がとても大きく聞こえた。

 

「そういえば種田さん、お聞きしたいことがあったのですが」

 

「なんですか?」

 

「なぜあの犬達を選んだのですか?」

 

なぜあの犬達を選んだのか、か……理由は特に見当たらないが、あえてそれを言葉に表すのならばそれは……

 

「なんとなく、ですかね」

 

「なんとなく……できればその理由を聞きたいのですが説明はできますか?」

 

「まず最初に見た時の印象ですかね。あの二匹は刑場にいた他の犬達と明らかに印象が違っていました」

 

「印象が違っていた?」

 

「はい、なんというか刑場にいる犬達は人間への興味がない、もしくはあったとしてもかなり薄いと感じたんです。そう思った理由は、犬達だけでまとまって行動をしているからだろうと推測しました」

 

「そしてあの二匹は違っていた、と」

 

「なんと言ったらいいんですかね……あの二匹は俺を見る目が違っていたんです。今いる状況を諦めているというか疲れている目をしていました」

 

佐藤さんは、少し間を置くようにして息を吸い、小さく吐き出した。その行動は、何かを考えて頭の中で整理しているようにも見える。

 

「そういう考えがあったんですね。今回種田さんは直感で行動した、ということですか?」

 

「直感なんですかね……すいません。自分でもよくわからなくて」

 

「いえ、今は考えがまとまらなくてもいいんです。ただ、体調が良くなったら報告書を上げてください」

 

「わかりました」

 

佐藤さんと話していると自分の体の調子が本調子に至ってないことがわかる。今後はある程度セーブして仕事をすることを覚えよう。そうやって目を瞑ろうとすると、何か忘れていかないかと考えてしまう。

 

「あっ!!!はなの迎え!!!」

 

「そちらもすでに手配済みです。種田さんが倒れてからここに運び込むまでに連絡をして私が迎えに行きました。今は巻尾達と一緒に寝ているはずです」

 

「何から何までありがとうございます」

 

「種田さんは体調を万全にしてください。話はそれからです」

 

「……わかりました。とりあえずはなを迎えに行ってもらえて本当に助かりました。ありがとうございます」

 

「ここ数日気を張りすぎていたようですね。今後の研修は業務の隙間時間にやってもらうようにします」

 

「はい」

 

「伝えるべきことは伝えたので寝てください」

 

「はい」

 

意識が微睡んでいくのを感じたので、布団に潜って寝させてもらうことにする。……そういえばこんなふうに布団で寝たのは随分久しぶりな気がする。

 

「種田さん、おやすみなさい。いい夢を」

 

佐藤さんにそう言われると、瞼が急に重くなった。また少しだけ眠りにつくことにしよう。

 

◇◇◇

 

目が覚めたのはそれから数時間後のことだった。起き上がり、寝たままで動いていなかった各部位を動かしてみる。……うん、痛いところは特になし。背中を軽く捻ると、ボキボキボキと小気味良い音が鳴り響いた。

 

「あーお腹が減った……」

 

「あ、起きたっスか」

 

そう言われ、声がした方を振り向くと巻尾さんが正座してこちらを見つめていた。

 

「おはごうございますっス、種田さん」

 

「おはようございます。顔を洗いたいんですが、どこにいけばいいですかね?」

 

「それだったら外にある井戸に行くといいっス。釣瓶が置いてあるんでそれ使って顔洗ってくるといいっス」

 

巻尾さんにそう言われ、外に出る。ムワッと夏の湿り気を帯びた空気のようなものを感じつつ、井戸に向かった。釣瓶で水を掬い上げ、顔を洗う。水はとても冷たく、体感温度がグッと下がるのを感じた。

 

拭くものを用意し忘れていたので濡れたまま、小屋の中に戻った。巻尾さんがいるということは、佐藤さんと交代したということだろうか。

 

「すいません、巻尾さん。何か拭くものはないですか?」

 

「拭くもの?あーっ、そこでストップ!ストップっス!!!とりあえず持ってくるんでそこで待ってるっス!!!」

 

槙尾さんは大急ぎで奥から畳まれた手拭いを持ってきた。それを頭に被るようにして載せるとあっという間に水分が吸われていくのを感じた。

 

「とりあえず水浸しの状態は回避できたっスね。種田さん、お腹空いてるっスか?」

 

「はい、とても」

 

「だったらこれを食べるっス」

 

竈門に載っている鍋には、薄緑色の液体のようなものが見える。それを一杯注いでもらう。その正体は、葉物野菜が一緒に炊かれた粥だった。

 

「病み上がりは白粥のほうがいいと思うんすけど、それはそれで味気ないから適当に山菜粥にしてみたっス」

 

「これ、作ってくれたんですか?」

 

「あー、まぁなんというか一部は先輩から教えを乞いながら作ったんスけどね。だけど、味は素晴らしく美味しいっスよ!」

 

巻尾さんは親指を立ててサムズアップのポーズを取る。佐藤さんが味付けを教えたのか。

 

「いただきます」

 

粥を啜るようにして食べると、山菜独特のアクは綺麗に取り除かれ、旨みだけが残っていた。山菜の奥の方には何か動物性のものの味がする。これ、なんだっけ……?

 

「美味しいです。巻尾さん、これダシというか何か入れてますよね?」

 

「あっ、わかったっスか?実はこれ卵をうまなくなった親鳥のガラを炊いて煮詰めたスープを入れてあるんスよ」

 

「なるほど……だから鶏の味がするんですね」

 

「……美味しかったっスか?」

 

「ええ、とても美味しいです。もう一杯いただけますか?」

 

「ありがとうございますっス」

 

結局2杯ほど食べ終え、腹はかなり膨らんだ。

 

「そういえば種田さん。言わなくちゃいけないことがあるっス」

 

巻尾さんが姿勢を直し、畏まったので俺もきちんと座り直した。なんというかこの空気感、あんまり得意じゃないな……

 

「この度は私の不手際で種田さんにご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ないです!!!」

 

「いやいや、頭あげてくださいよ。どうしてそうなるんですか?」

 

「本来だったら種田さんは研修期間にこちらが預かった身。体調面を含めて色々と考慮しなければいけなかったのにそれが全く出来ていなかったっス。本当に申し訳ないっス……」

 

「うーん、それはこっちも悪かったってことでいいんじゃないですかね。体調管理なんかも自己管理できる年齢なんですしそこまで頭下げなくても」

 

「……ぶっちゃけて言っちゃうと先輩が怖いっス。あとでなんて言われるやら想像しただけで……」

 

「あー、それは確かに……」

 

佐藤さんだったら静かに怒りそうではある。なんというか、重箱の隅をつつくような完璧に論理を組み立ててこちらの入る隙を作らないというか……

 

「私もそこまで怒りませんよ」

 

「「うわあっっっ」」

 

巻尾さんと二人して姿勢を崩すように畳にひっくり返りそうになった。そう、そこには佐藤さんがいたのだ。い、いつのまに……

 

「とりあえず今回に関しては双方がもう少し余裕を持たせたらよかった。そういう結末でいいんじゃないでしょうか?」

 

「そ、それでいいんだったらまぁ……」

 

「そうっスね……」

 

「ただし、明日出勤したら通常業務とは別に報告書を上げてもらいます。いいですね?」

 

「わかりました」

 

「わかったっス……」

 

「とりあえず今日はこれで解散にしましょう。巻尾。あなたははなちゃんを連れてきてください。種田さんは、布団を片付けて帰る準備を」

 

「わかりました」

 

「了解っス」

 

なんというか……長い1日だったな。そう呆けていると、佐藤さんがこちらに近づいてきて耳元でボソリとつぶやいた。

 

「何か勘違いしているのか知りませんが……種田さんが眠っていたのは三日間ですよ」

 

3日!?

 

そう言ったあと佐藤さんは、ツタツタと端末を弄りながら奥へと引っ込んでいった。今度何か借りを返さないとな……そんなことを考えながら布団を畳んで押し入れの中に戻した。



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あんみつと緑茶

翌日。体調もすっかり良くなり、無理せずに体を起こせるぐらいには体力が回復した。まだ日は昇っておらず、吐く息は僅かながら白い。はなの様子を確認してみると、2時間前に目が覚めていたからあと1時間ぐらいは起きないだろう。起きる前に部屋を温めておくことにする。

 

部屋の隅に置いてある暖房器具は、閻魔様が使わないから使っていいよ貰い物だけどと言われ、ありがたく譲り受けたものだ。その暖房器具のスイッチをオンにする。

 

……ここ数週間を振り返ってみれば色々な人に世話になりっぱなしだったな、と思ってしまった。特にあの2人ーーー 佐藤さんと巻尾さんには、本当に色々と迷惑をかけたと思っている。倒れて意識がはっきりしなかった時も、はなの世話をしてもらったり……今度何かお礼をしないとな。

 

部屋が温まってくると、何かを察したのだろうか。はなが目を覚ましたようだ。おそらくお腹を空かせているのだろう。

 

「はいはーい、ミルクですよーっと。へい、お待ち」

 

ミルクを飲ませた後にゲップを促し、うとうととしてくるまで抱いておく。しばらくすると、眠くなってきたのか、とろんとし始めた。

 

「そう言えばはなの服、あんまし替えがなかったな。とりあえず佐藤さんに相談してみよう」

 

◇◇◇

 

はなを託児所に預け、執務室の鍵を借りにいく。しばらく探していると、ロング丈のクラシックなメイド服をきた女性が1人。佐野さんが窓を拭きながら、物思いに耽っていた。

 

「おはようございます、佐野さん。執務室の鍵をお借りしたいんですがよろしいですか?」

 

「あらやだ私ったらぼうっとしちゃって……ええ、おはようございます。なんだか随分とお久しぶりな気がしますねぇ……ふふっ少々、お待ちください」

 

そう言うと佐野さんは袂から鍵束を取り出し、その中の一本を差し出した。鍵を借り、礼を言うと佐野さんは頭を一度だけ下げて奥の扉へと戻っていった。

 

扉の鍵を開ける。そこは、いつもと何も変わっていない。いや、忘れてはいけない。この部屋も誰かが手入れして初めて何も変わらない部屋になるんだ。……そう言えば佐野さん何かに悩んでいたのかな?時間があったらタイミングをみて話を聞いてみることにしよう。

 

ひとまず椅子に座り、報告書を書き上げていく。

昨日の夜から先日の研修を振り返り、メモを数枚取っていたのでその情報をまとめ、印刷する。

 

書類ができたので、業務用のプリンターにデータを飛ばすと、すぐに印刷が始まった。刷りたてのプリントは、まだほんのり温かい。その書類をまとめ、角の部分を針なしのホッチキスで止める。

 

書類は用意できたので、あとはこれを閻魔様に渡せば終わりだ。閻魔様の執務室までしばらく歩いていくと、どうやら先客がいるようだ。扉をノックして反応を見ると「入っていいよー」との声がした。

 

「やぁやぁ、たねちん。ひさしぶりー」

 

「お久しぶりです、閻魔様」

 

「うん、久しぶり。んっ、それは?」

 

「これは先日の研修の報告書です」

 

「うん、わかった。そこに置いといてー」

 

小さな山になった書類のうえにその報告書をおくと、閻魔様は対面の相手との話を再開させた。背丈は佐藤さんより少し小さいぐらいだろうか。顔は整っていると思うが、いかんせん髪を伸ばしっぱなしにして後ろで纏めているため、少々野暮ったく見えてしまう。

 

「うーん、この予算案じゃ通るのは難しいかなぁ……もっと具体的に書いて再提出してちょうだい」

 

「え、あ、はい。わかりました……失礼します」

 

そう言うと、その女性は扉の奥へと帰っていった。それを横目にしながら、閻魔様にそれとなく聞いてみる。

 

「閻魔様、彼女は?」

 

「おや、たねちん。彼女が気になったかい?」

 

「気になった、と言いますかなんか雰囲気重たいな、と思ってしまいました」

 

「彼女は衆合地獄の新人だよ。多分、上司から言われて書類を届けに来たってところかな」

 

「書類ですか?」

 

「そっ。彼女がさっき持ってきたのが予算案の書類ね。ただ、少しつめが甘かったから持って帰らせたと言うわけさ」

 

「なるほど、そう言うことだったんですね……あ、書類ここに置いておきました」

 

「はいはーい、ありがとう。あとの時間は、自由にしていいよー」

 

「え?」

 

「たねちんの今日の仕事はそれだけ。裁判関係は明日から再開だからがんばってねー」

 

「わかりました!」

 

◇◇◇

 

閻魔様の執務室を出ると、どうも手持ち無沙汰になってしまった。……そう言えば今朝、佐野さんが何か話したそうにしていたことを思い出した。

 

今朝、鍵の受付をしてもらった場所にいくと、そこに佐野さんはいた。鍵束の鍵を一本一本見ながら、鈍く光っている鍵を磨く作業をしていた。

 

「佐野さん、少しお時間よろしいですか?」

 

「はい、種田さん。この通り、時間はありますよ。それで、どう言うご用件でしょうか?」

 

「実は今朝方の佐野さんの様子、気になっちゃったんですよね。なにか相談に乗れればいいなと思って話しかけました」

 

「まぁ、そうだったのですね。……うーん、この問題は種田さんお一人だけでは解決できないかもしれません」

 

「本当ですか?……じゃあ、誰かもう一人くらいいればいいんですかね?」

 

「ええ、あと一人以上。誰か連れてきてくださればお話ししましょう」

 

「わかりました」

 

佐野さんと話を終え執務室に一度戻る道中で誰かに頼れるかを考えてみる。巻尾さんは、通常業務で忙しいだろうし佐藤さんも同じく……いや、巻尾さん以上に忙しいだろう。

 

他に頼れて時間がある人といえば……轟達だろうか?

以前、連絡先を交換していたと思うので端末のリストを確認すると、轟の連絡先があった。

 

コールすると、3コールほどで出てくれた。

 

「もしもし、忙しいところすみません。種田です。今、お時間大丈夫でしょうか?」

 

「あっ?あぁ……ちょっと待てよっと……あと30分ほどで仕事納めだ。そこからなら大丈夫だ」

 

「わかりました。では、どこで落ち合いましょう」

 

「あー、そうだな。とりあえず食堂で集合ってのはどうだ?」

 

「わかりました。では、40分後ぐらいに食堂で」

 

「あいよっ。あと、電話の時も敬語はいらねぇぞ」

 

「すいません、善処します」

 

「わかった。じゃあ、40分後に食堂な。江藤も一緒でいいか?」

 

「あ、大丈夫ですよ。それではまた」

 

そう言うと画面に映ったコールサインを切る。よし、先に食堂に行って待っておくことにしよう。

 

◇◇◇

 

食堂へ行くと、ピーク時とは時間がズレたおかげか席についているものはかなりまばらな状態だった。

 

どこか空いている場所に座ろうと、席を探していると閻魔様がいつもいる定位置の席に佐藤さんがいた。

 

「あれ、佐藤さん。どうしたんですか?こんな時間に」

 

「種田さんこそ。私は、先ほど出先から戻ってきたので遅めの昼食を取っていたところです」

 

「そうなんですか。ここで人と待ち合わせなんですが、実を言うと早く来すぎてしまって……」

 

「そうですか。でしたら、何か甘いものでもいただいたらよろしいかと」

 

「甘いものですか。なにがあるかな……」

 

壁に貼ってあるメニューを眺めてみると、言われた通り甘味ものがいくつかある。その中でどれがいいかなーと考えていると、佐藤さんが口を開いた。

 

「ちなみに私のおすすめはぜんざいです」

 

「ぜんざいですか……そりゃまた渋い」

 

「あとはお腹が減っていたら赤飯とかですかね」

 

「赤飯とかもあるんですか?」

 

「ええ、ありますよ。この食堂は24時間空いていますから誰のどんな要望でもすぐに答えることができると言うのがここの柱のようになっていますね」

 

「え、でもそうなると作っている人とかはどうなるんですか?」

 

「そちらもシフト制で回っているようですよ。時間帯によって料理の味付けがバラバラにならないように日々切磋琢磨されてます」

 

「す、すごい……」

 

とりあえず佐藤さんの話を聞き終え、厨房まで聞こえるように注文をした。大きな声で

 

「あんみつと緑茶!」

 

と頼むと、厨房の裏から

 

「アイヨッ!あんみつと緑茶ね!」

 

という元気すぎる声が返ってきた。どうやら、声からして今の時間仕切っているのは女性の獄卒のようだ。

 

しばらくすると、手元にあるブザーがなり、あんみつと湯気がたった熱めの緑茶がカウンターに置かれた。それを受け取り、元の席に着く。

 

あんみつを食していると、佐藤さんが話しかけてきた。なんだろう?急ぎの案件かな?と思い、あんみつを食べるのを一度止める。

 

「種田さん、なにか私にお話しすることはありませんか?」

 

「お話しすることですか……えーっと。あっ、そうだ。はなの替えの服を手配したいんですがどうしたらいいですかね?」

 

「そうですね……子供の鬼とサイズ的には変わらないのであればいいのですがはなちゃんの場合、少し小さめのサイズですよね。わかりました。私が発注しておきましょう」

 

「発注って……地獄でも作ってるんですか?」

 

「知り合いに子供服を専門に作っている人がいるので相談してみることにしますね」

 

「いやいや、そこまでしてもらわなくても……」

 

「種田さん」

 

「はい」

 

「子供の成長というのはとてもとても早いものです。ならば、その瞬間をキレイに着飾り写真に収める。それが親のあり方だと私は思います」

 

「……それもそうですね。わかりました。あと、お金はどうすれば?」

 

「少々お待ちください。連絡してみます。……返事が返ってきました。はなちゃんの写真を宣伝に使わせてくれるのでしたら代金は材料費だけでいいそうです」

 

「写真ですか……自信ないですね」

 

「そこは専属のカメラマンを雇いましょう。大丈夫です。浮いたお金の内3〜4割ほどでいい腕のカメラマンが見つかりますよ」

 

「本当ですか?」

 

「ええ、それでも見つからない場合は私が紹介します。知り合いに腕のいいカメラマンが数人いるので」

 

佐藤さんの交友関係はいったいどれだけ広いのだろうと思いつつ、同時にありがたいと感じたので深々と頭を下げた。

 

「おいーっす。種田ー……これ一体どう言う状況?」

 

「さぁ……何かしらあったんだろうな」

 

下げた頭を持ち上げ、声のした方へと振り返るとそこには轟と江藤さんがいた。轟もだが、江藤さんの銀縁のメガネのレンズが光り、只者ならぬ雰囲気を醸し出している。

 

「轟に江藤さん。ご足労様です。なにか飲みますか?」

 

「いや、俺はいい」

 

「おう、俺も。で、話ってなんだ?」

 

「うーんと、実はですね……」

 

「その話、私も聞いてよろしいのでしょうか?」

 

「多分大丈夫だと思います。じゃあ、話しますね」

 

今朝、佐野さんがため息をついていたこと。それがとても気になっていたこと。話を聞くと、1人じゃダメなようだから誰かを連れてくること、などを話した。

 

「とりあえず、頭数がいるってことじゃねぇのか?」

 

「そしてその佐野さん1人の力では解決できないと言うこともわかる」

 

「そうですね。この場合、まず佐野さんの相談を聞いてみて判断してもいいのじゃないでしょうか?」

 

3人の意見はほぼ一致した。とりあえず、この4人で佐野さんの抱えてる問題を解決できるかどうかやってみることにしよう。

 

佐野さんがいつもいる受付のところへ行くと、物思いに耽っている佐野さんがいた。

 

「あら、種田さんに佐藤さん。そしてうしろにいる方は初めましてかしら」

 

「佐野さん、力不足かもしれませんが相談してください。俺たちにできることだったら手助けぐらいにはなりますから」

 

佐野さんはしばらく考えたあと、皆の目を見て首をこくりと下げた。

 

「そうですね……みなさんでしたらこの問題をどうにかしてくれると信じています。私が今悩んでいることは一つ」

 

「皆様に幽霊退治をお願いしたいのです」

 

 



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夜廻り

「幽霊退治……ですか?」

 

「幽霊って……そもそも地獄にいるものなのか?」

 

轟と二人して疑問を顔に出していると、佐藤さんが傍に持っていたタブレットを見せながら説明を始めた。

 

「一般的に幽霊と言われるものに関しては亡者と同義するものと考えてよろしいかと。ただ、もし亡者が反旗を翻したとするならば、然るべき処置を取ってもらえればそれでいいかと思いますが……」

 

「だな。そもそも俺がここで働き始めてそういった話を今まで聞いたことがない」

 

「と、なると話の内容は変わってくることになります。その辺はどうでしょうか、佐野さん」

 

「ええ、詳細は追って説明しますが実はこれが少し面倒なことになってまして……誰かが閲覧禁止の禁書の封印を誤って破ってしまったようなのです」

 

「封印を?それって破れるものなんですか?」

 

「この場合は破れると言うより綻んだ、と言った方が正しいかと思います。少し噛み砕いて説明しますと、どれだけ頑強な封印を施したとしても、時間と共にわずかな綻びがでて、何かのきっかけ次第ではその封印自体なかったことになってしまう、なんてことはよくありますから」

 

「そう、よくある。例えば現世でも知らずに子供が遊んで呪いが拡がったって話はよく聞くぞ」

 

佐藤さんと江藤さんが説明をしてくれている間に頭の中で現状を整理することにする。どうやら、その禁書の封印をどうにかしない限り、佐野さんの頭痛の種は取れないらしい。

 

「そういうやつか……俺もガキの頃だったら知らないうちにやらかしててもおかしくねぇな」

 

「祠とか地蔵なんかも気軽に参ってはいけないとは教えられましたが、やはりそういうのも関係あるんですかね?」

 

「絶対に関係ないとは言い切れませんね……そこに祀られているものが必ずしもいいものとは限りませんから」

 

「たしか地蔵菩薩かと思っていたらそれが首塚だった、なんて話もあったりしてな」

 

「それって……だいぶまずくねぇか?」

 

「あぁ。そういう弔いものってのは悪い気ってやつが澱んで溜まりやすいものだからな。軽々しく手を合わせるものじゃねぇ。不干渉のこころが大事ってことだ。おっと、話が途切れちまったな。すまないが話の続きを頼む」

 

「ええ、少々お待ちを。今は使われていない部屋があるので、そこで続きをお話しします」

 

佐野さんはそう言うと、懐から銀色の鍵を取り出した。執務室を借りる時の鍵とはまた違う種類の鍵のようだ。佐野さんは指揮者のように何もない空間に描くように指を振った。すると、小さな家鳴りのような音がしたと思ったと同時に、両開きの大きな扉が出現した。その扉に先ほどの銀色の鍵を鍵穴に挿すと、カチリとした音とともに扉のロックが外れた。

 

「どうぞ、こちらへ。皆様、お入りください」

 

◇◇◇

 

佐野さんが指をパチンと鳴らすと、薄暗かった部屋が明るく灯された。その部屋は、中心に古めかしいがよく磨かれている大きな机が一つ、それを挟むようにしてソファーが2つ置いてある。とても、シンプルな部屋だった。

 

「佐野さん、この部屋は?」

 

「この部屋は以前の管理人から引き継いだ部屋なのですが、なにぶん使い勝手が悪いようで誰も利用なされなかったので私好みに手を入れさせていただきました。お飲み物は紅茶でよろしいでしょうか?」

 

特に誰も何も言わなかったので、佐野さんはこちらに首を一度下げた。次の瞬間には、左手に銀盆を持ち、その上にはティーセットを準備していた。まるで、手品を見ているかのような早技であっという間に各自、目の前に紅茶が準備される。

 

まだ、淹れたてで湯気が立ったその紅茶を全員に行き渡ると、佐藤さんが口を開いた。

 

「では、佐野さん。詳細の方をお話ししてもらってもいいでしょうか」

 

「はい。今回封印が破られた禁書ですが、中世の頃に出回っていた死者を甦らせる術をまとめた本になります。作者は不明、こちらには明治時代に持ち込まれたものということだけはわかっています。その本は、発行されたあと、誰の手にも渡らず、すぐに禁書エリアへ贈られたようです」

 

「……んー?だけどどうやってそんな本の封印が破られたんだ?その、禁書エリアってとこはそんなに気軽に入れるものなのか?」

 

「禁書エリアと言っても、出入り自体はやろうと思えば容易にできますから。おそらく透過の術、もしくはそれに関係する道具を使って侵入したと思われます」

 

「なるほどな……一つわからないことがある。その本は原本か?」

 

「いえ、写本です」

 

「写本……ってなんだっけ?」

 

「写本は、原本。つまり、オリジナルの文章を書き写して作られた本のことだ。……ちょっと待てよ、そうなってくると……」

 

江藤さんは、口を塞ぐようにして頭の中の考えをまとめようとしていた。その様子を見て、佐藤さんは端末を使い、どこかに連絡をとり始める。二人がいつもよりも忙しそうな雰囲気を感じて、これは少し大変なことが起きてしまうのではなかろうかという予感が脳裏をよぎった。

 

江藤さんが大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す音が妙に大きく聞こえる。

 

「……この場合どうしたほうがいいんだろうな」

 

「どういうことですか?」

 

「まぁ、わかりやすく言うと今回解決するには2つの方法がある。一つは、その禁書を封印する。これは、最初に提案してきた方法だな。もう一つが、写本自体を無かったことにする」

 

「無かったことに?」

 

「わかりやすくいえば、燃やすなり破くなりして本の存在自体を無かったことにすれば、今後封印が破られるようなことは起きない。そうだろう」

 

「ええ、ですが……」

 

「わかってる。あんたが、このやり方を望んでいないってことも十分にな。何せ、提案自体はできたはずなのに、このやり方を取り上げてないってのが論より証拠だ」

 

「つまり……佐野さんとしては本を処分するよりも、もう一度封印を施してほしい、ってことですか?」

 

「はい、そうなります」

 

急に部屋の空気が重く、息をするのさえ苦しく感じる。どうするどうするどうする。一体どうすればいいんだ?考えろ考えろ考えろ。

 

「どうすればいいんだろう、本当に」

 

ポツリ、と口からこぼれた言葉を佐藤さんは見逃さなかった。

 

「種田さん、何を悩んでいるのですか?」

 

「えっと、この場合何が正解なんだろう、って考え始めたらわからなくなってきました」

 

「正解も何もありませんよ。あるのは結果だけです」

 

「そう言う考えもあるんですね……ぶっちゃけて言うと、どっちの選択も間違いでは無いと思うんですよね」

 

「つまり、何かしらのきっかけが欲しい。ということで、よろしいでしょうか?」

 

「そうですね……そうなんだと思います」

 

「わかりました。では、コイントスで決めるのはどうでしょうか」

 

「コイントス、ですか」

 

「表が出たら、封印。裏が出たら、本を処分。簡単でしょう?」

 

「……二人の意見も聞いていいですか」

 

「ええ、どうぞ」

 

轟と江藤さんに視線を向けると、二人ともソファーにドカリと座り、まっすぐこちらをみつめていた。

 

「俺はどっちでもいいぞ。お前が選んだほうを支持する」

 

「今回に関しては、こいつと同じ考えだ。お前が決めた方へ俺たちは付く。好きに決めろ」

 

大きく息を吸い、吐き出した。気合を入れるように、頬を叩くと、その音が部屋に響き渡る。

 

「わかりました。佐野さん、いいですか」

 

「ええ、どうぞ。私にはいつまで経っても決められない事でしたので決めてもらえると助かります」

 

「はい、わかりました。佐藤さんがさっき言ったように、表が出たら封印、裏が出たら処分。それでお願いします」

 

「わかりました。では、コインを投げますね」

 

佐藤さんの指に弾かれたコインが天井すれすれまで高く、高く上がった。パシリとコインを掴むと、手の甲につけ、開く。

 

コインは、表だった。

 

「表、ですね」

 

「では禁書は再度、封印ということでみなさんいいですか?」

 

「ああ、異論はねぇよ」

 

「同じく」

 

「佐野さんもそれでいいですか?」

 

「これも何かの導き。誰かがそう望んでいるのならそれでいいでしょう」

 

「よし、それじゃ禁書エリアに行きますか」

 

「おいおい、何も準備出来てねぇぞ。どうすんだ?」

 

「幽霊退治ですからね……どうしましょう?」

 

「プランは無しか……ハァ……」

 

◇◇◇

 

江藤さんが乾いた笑いをだしていると、扉をノックする音が聞こえた。佐野さんが警戒するように扉を開くと、それは小包を複数人で抱えた小鬼衆だった。佐野さんがその荷物を受け取ると、小鬼衆は扉を閉め何も言わずに出ていった。

 

「どうやら頼んだものが届いたようですね」

 

「佐藤さんの荷物でしたか」

 

「先ほど、連絡してここに持ってきてもらうように頼んでおきました」

 

佐藤さんは、小包を留めてある紐を解いた。中身を見てみるとそれは、かなり大きいがま口だった。がま口というよりはもはや鞄と言った方が正しいのかもしれない。

 

「これは大蟇という道具です。この中に手を入れるとその人に合った道具が出てくるようになっています」

 

「つまり、今回の幽霊退治に役に立ちそうなものが出る。ということか?」

 

「はい、そうです」

 

「なるほどな……じゃあ、俺から突っ込ませてもらうぜ」

 

轟が大蟇の口を開いて、漁る。しばらくゴソゴソとしていたが、何かを掴めたのか引き摺り出すことに成功した。

 

「これは……掃除機?」

 

「ですね。では、次に江藤さん。どうぞ」

 

「わかった」

 

江藤さんが引き当てたのは懐中電灯。次に、佐野さんがカメラ、佐藤さんが手鏡を引き当てた。最後に、俺の番だ。大蟇の口を開いて、手を突っ込む。ゴソゴソと探っていくと、冷たい何かが手のひらに吸い付くように触れた。それを握り、引き摺り出す。

 

朱色のハンドルに銀の刃面。以前に佐藤さんから借りっぱなしになっていた銘秤だった。

 

「あれ、なんでこれが!?」

 

「悪霊退治に打ってつけではないですか」

 

「そりゃ、そうですけど……でも、これたしか自宅に置きっぱなしだったような気が」

 

「その鋏は仕える者を選ぶ業物ですから。ですので、飛んできたんでしょうね」

 

「そ、そういうものですか」

 

「はい、そういうものです。さて、みなさんに道具が行き渡ったようです。佐野さん、禁書エリアまでの案内をよろしくお願いします」

 

「わかりました。みなさん、私の後ろについてきてください」

 

轟と二人、一緒のタイミングで立ち上がり、佐野さんの後ろについて行く。佐藤さんと江藤さんは、ついてこず、どうしたのだろう?と思っていると、佐藤さんが、

 

「場所はわかっていますので、先に行っててください。入り口の前で落ち合いましょう」

 

と言ったのでその言葉を信じて、佐野さんについていった。扉が閉まると、先ほどよりも空気はさらに重くひりついている。

 

「おい、あんた……」

 

「どうされましたか?」

 

「さっきのコイントス、イカサマしただろう。見せろ」

 

「……バレていましたか」

 

「アイツらは騙せてもオレは騙せねぇよ。やっぱりな、両面表のコインだ」

 

「いつお気づきになりましたか?」

 

「こちとらガキの頃からその手の技はずっと見続けてるからな。ただ、いい腕前ではある。そこは認めてやる」

 

「ありがとうございます」

 

「……チッ、食えねぇ奴だな。あんた、一体何者だよ」

 

「……なんと言ったらいいのやら。女の過去は好いてる男にすら教えないものですよ」

 

「あーわかったわかった。もう聞かねぇわ。ほんっと、末恐ろしく感じるぜ。あんた」

 

「お褒めに預かりありがとうございます。3人を待たせるわけにもいきませんので行きましょうか」

 

「……ああ」

 



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fall in down

佐藤さんと江藤さんが二人で何かを話していたのはなんとなく察した。どんな話をしたのかはわからないが、二人の間の空気は険悪な雰囲気を感じなかった。

 

「どうやらみなさん揃ったようですね。ではまいりましょう」

 

「ここから図書室まで歩くのか……結構距離あるぞ」

 

「大丈夫です。私の持っているこの鍵束は、地獄全ての場所に通じていますので」

 

「そいつはすごいな」

 

「ありがとうございます。ですがこの鍵。全てつなげた場所をきちんと覚えておかないと扉は開かないようになっているのでそこだけが管理する上で大変なんです。では、皆さまこちらへ」

 

佐野さんはそう言うと、右手を挙げパンパンと2回空に向けて拍手をすると、目の前に巨大な扉が一つ、音を立てずに現れた。その扉は、赤銅色に面し大人数の人間が一度に通れるほどの大きさだった。

 

「ここから少し歩きますので。足元、気をつけてくださいね」

 

「足元って……うっわ」

 

扉を潜ると、目の前に雲海が広がっている。ただ、違っているのは空の色が濃い濁色で星は全く見あたらない。

 

「この道は地獄の玄関先と言われている三途の川のちょうど真上を通る道です。流石にここから落ちると洒落になりませんのでお気をつけください」

 

「……俺はこの道が残っているのが驚いている」

 

「事情を知っている人でしたら驚くのは当然かと。この道は聖人と言われる類の人間しか通れませんので」

 

「聖人、ですか……今は昔に比べて少ない、ということで合ってますか?」

 

「ええ、そうですね。私個人としては、信仰の自由は尊重します。が、それが罪の数や重さと秤に掛けられるかと言われると難しいところですね。さぁ、着きました」

 

そこには緑色の土管があった。こ、これに入るのだろうか?まさかとは思ったが、一応聞いてみる。

 

「えっと、佐野さん。ここに入るんですか?」

 

「おい、そこが見えねぇぞどうなってんだこれ」

 

「なんか昔やったゲーム思い出したわ」

 

「では、みなさん。この土管に入ってください」

 

そう言われたが誰も動こうとしなかった。

 

「しょうがないですね」

 

そう言うと、佐野さんはまた拍手を2回ほどする。すると、佐野さん含め全員の身体が空中に浮き、土管へと運ばれていく。全員が驚いて声も出せずにいると、佐野さんを始めとして全員が土管に飲み込まれていった。

 

「う、うわああああああ」

 

落ちる。落ちる。落ちる。内臓がふわりと浮かぶような感覚だけが身体を通していく。

 

◇◇◇

 

数秒間落ちていく感覚があったが、床に叩きつけられる。そう思ったが実際はそんなことはなく、着地することができた。全員大丈夫かを確認をすると、誰も怪我せずに無事着地出来ていた。

 

「こ、怖かったあああああ」

 

「確かにヒヤッとしたなぁ……体感数秒だったけどすげぇ怖かったぜ」

 

「みなさん、怪我は特にしていないようですね。では、現場に入る前にもう一度確認を。今回の目的は、禁書を再度封印すること。これは、先ほど決まったことでしたのでみなさん共有できているかと思います。次に、悪霊ですが先ほどみなさんが受け取った道具で消せる、もしくは弱体化できると思います。わからないことはありますか?」

 

そう言われ、全員の顔を見てみたが誰も特に何も言わないし聞こうともしなかった。

 

「では禁書区画に入ります。何か様子がおかしなことがあった時には、すぐに報告をすること。それと全員バラけずに行動してください」

 

「わかりました」

 

「了解」

 

「ああ、わかりました」

 

「了解です」

 

禁書区画の前には黄色いテープが張り巡らされ、扉の前には二人の警備と思われる獄卒が二人いた。その二人は、佐野さんをみると、通せんぼしていた扉を掻き分けるようにして通り道を作った。

 

佐野さんは、ガチャリとノブを回し、扉を開いた。

冷たい空気が身を震わせる。

 

全員言われた通りに固まって移動していくと、どこからともなく音が鳴った。初めは家鳴りのような音だったが、どんどん、どんどんと大きな音に変わっていく。

 

「どうやらお出迎えのようだ」

 

「ああ、全員気をつけろ」

 

轟と江藤さんがそう言うと、書棚は大きな音を立て崩れ去り、元々本だったであろう紙たちが宙を舞った。思わず綺麗だなと思っていると、その紙は一つにまとまり、得体の知れない形に変わっていく。

 

それは大きな眼だった。それは長い髭だった。それは立派な角だった。それは鋭い爪だった。

 

その姿は、実在するモノではない。空想上の動物。そうわかりきっても、頭は現実に追いついていかない。

 

それは、とても美しく気高い獣だった。

 

 



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