聖戦の系譜 外伝 〜湖の戦旗〜 (FE二次創作)
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第一話 導きの刻

夜の闇に横たわる森の沈黙は、喧騒に冒されつつあった。南北の森に挟まれた街道、屈強な闘士の群れが東西より進み出で、今にも干戈を交えんとしている。

 ユグドラル大陸南西、ヴェルダン王国での出来事であった。大陸諸国より"蛮族"と忌み恐れられる戦士達が睨み合う。手に携えた斧や弓が月明かりを受けて放つ鈍い光が、たちまち赤く染められるであろうことを疑う者はここにいない。

「お前ら、行けっ!」

 西より上がる高い声が開戦を告げた。東西双方の軍勢から、斧を得物とする荒くれ達が散り散りになりつつ衝突する。刃と刃、刃と肉体、喚声と断末魔が交差して夜を震わせる。

 弓や魔法の応酬もなく、緒戦から無秩序な混戦にも見えるが、これはヴェルダン特有の戦闘様式に由来するものだ。第一陣として散開した戦士達を前方に広範囲に展開し、敵陣を思うがままに荒らし回る。敵がこれを無視しえぬとなれば兵を分散して対処せねばならないし、あるいは無視するというのであればそのまま後方を脅かすのである。その間に後方の本隊は敵の出方を見定めて準備を整え、敵の本営を強襲するのだ。

 無論、本隊より離れることとなるので孤立して血祭りにあげられる危険も少なくないが、本隊が敵の奇襲や伏兵に対応するだけのゆとりが生まれる。そして、その過程での略奪は黙認されることが通例であり、志願者は多かった。

 前哨戦も酣となり、双方の本隊がいよいよ動き出そうという段階に来ている。俯瞰して見れば東の軍勢が大きく前進し、西の軍勢を南に押し込んでいるかのように見えた。この段階で、勝利を確信した者も多かっただろう。

 楽観を罰するかのように南の森が吠えた。空気を圧して吐き出された大量の戦士は総攻撃を始めようとした東の軍勢の側面に襲い掛かる。西の軍勢が伏兵を配していたのだ。

「ありえない」「なぜこれほどの数が」

 奇襲をかけられた側はそう叫びたくなる気分に支配されていたが、口をつくのは言葉にならぬ叫喚そのものである。巨大な楔と化した敵の新手に西から痛撃を受けているのに、そのうえ押されていたはずの敵も南から寄せては引いてを繰り返し、組織的な反撃をする暇を与えてくれない。

「猪口才な!」

 その中でも一矢報いんとする勇者はいた。東の軍勢においては指揮官格であろう大男が、西から迫る敵の群れ、その激流を遡りながら立ち塞がる相手を勢いのまま薙ぎ倒す。陣の中核に達し、愛斧を力の限り振り上げた先にいたのは

「貴様が将だな!?覚悟せいッ」

 男に比べれば一回りは小柄な相手だった。貧相な敵将を文字通り撃砕し、敵に傾いた流れをこちらに取り戻す・・・小兵と侮っていた相手の左手と双眸が光を放ったその時、思考は永久に中断された。獲物を握った腕が呪いにかかったかのように動かない。右腹部を貫く激痛。

 現実感を喪失したまま男は倒れ伏した。体内の血と共に薄れゆく意識の中で、自らの腕に深々と刺さった短剣、そして紅に染まった斧を片手に不敵な笑みを浮かべる・・・少女の姿を見た。

 

 

 グラン暦760年、グランベル王国近衛軍司令官アルヴィスによるシアルフィ公子シグルド誅殺・・・後の世に言う"バーハラの悲劇"より20年近く続く大陸規模の動乱において、"蛮族の棲む森"ことヴェルダン王国は、歴史の潮流から忘れ去られていたように見える。

 無論、知られていないという事実は即ち、平穏無事な道程を意味するわけではない。賢王と声望高かった国王バトゥの横死後、グランベルより派遣された地方役人により一応の統治が行われていたのだが、バーハラの悲劇と前後して彼らが撤収すると、ヴェルダンは文字通りの"蛮族無法地帯"と化した。各地の城や村を占拠して勃興する軍事勢力は両の手で数えられる規模ではなく、それらが激突と同盟、背信、そして独立と脱落を繰り返し、終わりの想像できぬ混沌が大陸の南西を覆った。

 物語は、混迷のヴェルダンに在って、新たな秩序の旗を掲げるべく戦う者達の情景より始まる・・・。

 

 

 ヴェルダン南島の村より西へ伸びる街道を眺めながら、少女は物見台に腰掛け、歌ならぬ歌を口ずさんでいた。齢16、7ほどであろうか、艶のいいブラウンの頭髪に溌溂とした顔だちもそうだが、額に紅で描かれた"知恵の証"も印象深い。

 視線の先にあったのは街道に陣取る軍勢、しかし騎士や兵士と見て取れるような者の姿は殆どない。筋骨隆々の上半身に胸甲のみ、あるいは何も纏わずそれを誇示するかのような男どもが斧や弓を携え、土塁や逆茂木の備えられた陣地を闊歩しているのだ。帝国でも恐れられる"蛮族"の姿がそれである。その中でただ一人、帯剣した黒髪痩躯の青年(少女より5、6歳年長であろう)が細かく指示を出している様が見えた。

 物々しい光景を、少女は頼もしげに見つめている。そこに今にも飛び込んでいくかのような威勢を総身に湛えていた所に、落ち着き払った声でその名を呼ばれる。

「リューダ、来たぞ」

 燻んだ橙の髪に無精髭の、四十に差しかかろうという男である。先述したような者たちの中にあってほぼ唯一の例外が彼、ウェールズだった。やや古ぼけてはいるが手入れを欠かしていない鎧姿は、一般的に想起される騎士の肖像に他ならない。

 勢いよく滑り降りた少女、ルドミラことリューダは杭の打ち込まれた防塁にもたれかかってウェールズの報告を受ける。先程の物見台といい、小規模な砦に匹敵する防御施設は現在の情勢ならではのものであった。この村のように、一定の生産能力がある村はあらゆる敵・・・軍勢だけではなく、脱走兵が徒党を組んで生まれた賊徒も含めた不規則な襲撃に曝されるのが常であるため、防備の拡充は欠かせない。

「見物客はどこ?」

「波間で船旅だ」

 ウェールズが視線を合わせず、親指だけで示した先の海上に小舟が浮かび、幾人かがこちらの様子を窺っているかのようであった。村から街道の森を隔てた東、ジェノア城を根拠とする"ヴェルダン継承党"の偵察だった。

「いいよねぇ、海はさ。湖と海の景色両方楽しめるなんて贅沢、帝国にだって無いよ」

「そうだな。そして帝国の基盤は内陸、流石に海にまで追撃はし難かろう」

「・・・お堅いんだから、軍師殿」

 何事もない風を装って、船は去っていった。彼らは城に戻りかく伝えることだろう。「かねてよりの情報通り、敵はマーファ城よりの攻撃に備え、防備を固めている」と。

「攻めてくるな」

 その言葉を受け、待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべたリューダは街道の軍勢めがけ駆け出して行く。

「頼むぞ、みんなー!次も絶対オレ達が勝つから!!」

快活に叫び、獣の如く躍動する少女に、王族の影を見出すことは中々あるまい、付き合いの長いウェールズはそう思うのだった。

 

 

 帝制移行後、事実上中央から隔絶されたヴェルダンにおいて支配を目論む軍事勢力が割拠し、一時期は二十を算えたが、淘汰と併合が繰り返された結果、現在は五つの軍閥に大別される。それらの本拠地はバトゥ王時代に城あるいは村として整備されていたものを改修したものであり、戦乱の中で新たに築かれた拠点は殆ど放棄されていた。

 グラン暦775年の夏、ジェノア城を発した継承党は街道を南下し、森を抜けた先の村を攻め取らんと進軍を開始した。その村は国内でも貴重な圃場を多く擁し、エバンス城の帝国からも目につきにくい、それでいて王国西部も窺いやすい絶妙の地勢にある。

 現在そこを治めているのは"湖上兵団"なる組織であった。他勢力が"王室再興軍"だの"ヴェルダン解放連合"だのを標榜する中で異彩を放っているが、十年前の旗揚げ以来、一度も合併や独立、改組を経験していないという点でも稀有な例の一つである。継承党が村への攻撃をこの時期に定めた理由に、ヴェルダン西方のマーファ城を押さえる"ヴェルダン救国軍"が侵攻を企図しており、それに対する備えとして湖上兵団が西に兵を割かれているという情報が齎されたためだった。

 

 

「改めて確認しておく。此の度我々の目的はジェノア城を奪取すること、それに先立って敵の主力に打撃を与えることにある」

 宣言するウェールズの堂々たる声色は、攻め来る敵に守りを強いられる者のそれではなかった。むしろ湖上兵団はジェノア城を攻め取るべく、継承党に餌をちらつかせたのである。一方、マーファ城の救国軍にはこのような噂を流していた。「湖上兵団はマーファ城への進軍を企図している」と。

「マーファ城からの敵襲がない以上、我らは一方面に兵力を集中させられると同時に、戦力を誤認した敵の油断に乗ずることができる。戦術の骨子はそこだ」

 敵が全兵力だと思い込んでいる先陣で敵を勢いづかせ、森に潜ませていた本隊で横合いから総攻撃をかける・・・単純ながら、心理的な隙を突くことのできる作戦である。

 先陣は絶妙な"負け方"で敵を油断させ、その後は態勢を整えて遊撃に当たる難度の高い役割である。その指揮官に任じられたのは、二十代後半の女性指揮官、ツェレンだった。艶めく黒髪をまとめる髪飾りには精巧な装飾が施されており、腕輪や耳飾りの煌びやかさもそれに劣らない。

「頼んだよ、レン姐。城落としたら、よさげな腕輪なり首飾りなり探してあげようか」

「小娘が生意気言わないの。だいたいあんなむさ苦しい連中の根城に、アタシの眼鏡に叶う物がある訳ないだろ?」

 経験豊富な印象は、リューダとの十歳前後の年齢差ばかりによるものではない。それだけの年数、国外に出て実戦に身を置いてきた熟練の傭兵、それがツェレンという女戦士である。

「ロイグ、街道に残留する五十人の指揮はお前に任せる。少しでも長く西の連中を騙しておきたい」

「承知した、ウェールズさん」

 刈り上げた銀髪に鋭い目つきをした、研ぎ上げられた刃のような青年ロイグは、その印象通りイザーク流の剣術を使いこなす男である。湖上兵団の軍紀を正す監視役に任じられている彼ならば、僅かな兵を御しての陽動も水準以上にこなすだろう。

「しかし正直な所意外だった。帝国に目をつけられかねないと、ジェノア城攻略には慎重を期するものだと思っていたが」

「オレが軍師殿に無理言ったんだ」

 割って入ったのはリューダである。発言は単なる軍議の参加者ではなく、湖上兵団を束ねる棟梁としてのものであった。ただし現実として運営は経験豊かなウェールズにほぼ一任されていて、大方針を示したことはあっても、名目上の棟梁であるリューダがこのような命令を下したことはない。怪訝に思い、ロイグが意を質したのも当然であろう。

「それは・・・」

 突如としてリューダの表情が澱んだ。所在なさそうに手指を弄び、助けを求めるように隣席の騎士に視線を向ける。

「・・・ミレトスやトラキア半島の情報には飢えているからな、港を擁するジェノア城は一時でも押さえておきたい。そして我らは全軍での城砦攻略の経験がない故、そろそろ実戦で試すべき時期だ」

 元々反対していた訳でもなく、ロイグも納得して質問を取り下げる。や否や、リューダは快活さを取り戻して声を張り上げた。目の前のもやを振り払うかのように。

「ジェノアをもらって、ヴェルダンの半分にオレ達の旗を掲げちゃおう!湖上兵団、出動!」

 

 

 ・・・リューダが敵の指揮官を返り討ちにしたことで戦局は決定的となり、継承党は敗走の中で四割もの戦力を喪失した。ウェールズとツェレンが采を振っての追撃は激烈を極め、討たれた兵より、城へ逃げ込む順序を競っての同士討ちが多かったとすら伝わる。

 敵の主力に打撃を与え、ジェノア攻略も間近に迫る中、ウェールズは北の森を抜けた先の村に向かっていた。この村はヴェルダン最北の人口密集地であると同時に、帝国西部の最前線たるエバンス城の目と鼻の先にあり、双方の間で身の処し方にも苦慮しているようである。

 頭上から軽やかに降りてきた影は、一帯で一番高い樹に登って北を遠望していたリューダであった。

「どうだった?エバンスの動向は」

「やっぱり・・・アグストリアの方に兵が集まってるみたい。今もどんどん増えてるの」

 二十日ほど前のこと、エバンス城近辺にアグストリアの斥候と思しき騎兵の姿が見られるようになったと報告が上がった。それから日を追うにつれ、少なくない帝国軍もまた城外へ集結しつつあるという。現在アグストリアは現地に駐留する帝国軍、それに反抗する勢力、そして戦況に応じ味方を変える在地勢力による三竦みの状態にあり、アグストリア側が帝国本土の入り口であるエバンス城に仕掛けるとは思えない。

 では帝国軍がアグストリアの占領に本腰を上げたかと言われると、そうとも考え難い事情がある。今は夏だが、それはちょうど麦の収穫期にあたる。アグストリア産の麦は美味なうえ長期間の保存にも耐えうることから、外貨獲得の手段としては得難いものであり、これだけは帝国にタダで奪われまいとアグストリア中が反帝国に染まり、攻めるには不利でしかない。

 実はアグストリア方面は陽動で、ヴェルダンに侵攻してくるというのも、帝国としては手間ばかりかかって益の少ない出兵であろう。輪をかけて可能性の低い、叛旗を翻して帝都へ攻め上がるための布石という見解もあるが・・・いずれにせよ、エバンス城の西で不可解なことが起きているのは確かであり、それに関する情報を得るための態勢を整える必要がある。万が一最後の可能性が現実のものとなれば、ヴェルダン東部で地歩を固める好機である。故に、ジェノア城を奪取するには、今を置いて他にはなかったのだ。

「こんな所だろうか」

「やっぱり軍師殿はスゴいね。何でも分かっちゃうんだ」

「私は説明しただけ、元よりお前が辿り着いた結論だ。・・・上に立つ者が一から十まで真意を語る必要はないが、自分自身だけは分かるようにしておいた方がいいぞ」

 決して多くはない情報からリューダはこういったことを推察し、ジェノア攻略を決断したのである。それを軍議の場で全く触れなかったのは、未だ確たる結論の得られない状況であったこと・・・そしてこれが何よりの理由なのだが、単純に言葉にして説明できなかったためだ。上記の考察は現実の判断材料とリューダの導き出した結論から、ウェールズが要約したものであって、リューダからしてみれば無意識のものでしかなかった。正しい答えに辿り着いていたとしても、その過程を飲み込めていないから、当然筋道立てて文脈化できるはずもない。

 そこに彼女の弱みがあるとウェールズは思わずにいられない。彼はヴェルダンに新たな秩序を築くにあたって、リューダの卓抜した洞察力は欠かすことのできないものだと考えていたから、それを自覚していない彼女を歯痒く思っているのだ。そもそも国がどうだの論ずる前に、前途ある若者の才が埋もれたままになってしまうというのは非常に面白くない。

「オレ、そんなに大した人間なのかなぁ」

「誰がどう言おうと、自分だけは自分の才を信じてやれ。どうせ他人は何やかやと否定してくる、せめて自分ぐらいは・・・」

 二人が辿り着いた村の南側出入口には、外敵の迎撃施設も兼ねた広場がある。こちらを警戒して姿を見せぬまま、視線を突き刺してくる村人の気配が二十ほど感じられる。・・・のはよいとして、目の前に佇むのはそんな状況そのものを無視するように穏やかな若き修道士であった。

「やぁ、どうもご機嫌よう。今日は湖面も凪いだよい日和ですね」

 優しげな薄緑の髪をした青年修道士は恭しく頭を下げる。

「エッダ公爵家付きのカルムと申します。今は私事にてこの村に身を置いている次第でして」

「そうか。我らは湖上兵団と号する組織に属する者だ。森を越えた先の村を領している」

「では、今後しばらくお話する機会があるかもしれませんね。ところでこの村へは、略奪のために来られたのですか?」

 歴戦のウェールズも一瞬ながら当惑するしかなかった。相手の機嫌を損なえば・・・特に事実であった場合・・・斬り伏せられてもおかしくない発言だ。それを皮肉でも、あるいはヴェルダンへの偏見を披瀝する雰囲気でもなく口にしたのである。

「刃向かうわけでもない村に酷いことなんて、オレ達はしないよ!昨日だってジェノア城の連中を叩きのめしたんだ」

「そうでしたか。それは、ご苦労様でございました」

「まぁね・・・ってだからこそ!最前線の村の事情について色々聞きたいの」

「つまり、村長殿らとお話をすべくおいでなさったと。ならばお世話になっている私が取り次ぎます。美味しいお茶でも淹れましょうか」

 成り行きを見守っていた村人達がぞろぞろと姿を現し始めた。カルムとリューダの問答でひとまず安堵したためであることは間違いない。この人畜無害な印象の修道士は、見た目とは裏腹に、村人達の知りたいことを正面から聞き出す胆力の持ち主であるということなのか。

 湖上兵団の代表二人と、村人達の会見は予想よりもつつがなく終わった。村に兵を常駐させることの是非、北への進軍に際しての許可、斥候の活動に関する相談等、ほぼ期待通りの成果である。広場でのやり取りで、リューダの人となりが多少なりとも分かってもらえた影響が少なからずあった。

「君はこれを見越していたわけではあるまいな」

 まさかリューダもそれを察していたか・・・

そうウェールズは思うが、買い被りと贔屓の引き倒しに過ぎぬかもしれない。仮に事実だとして、彼女はそれを自覚してはいないだろう。

 カルムは照れ臭げにはにかむと、離れた湖畔に座り込んで遠くを見つめる湖上兵団の棟梁を見遣る。

「ヴェルダンの象徴とも言えるこの湖ですが、数十年に一度、水面が翠に輝いて湖の主が姿を現すと伝わります。高貴な血筋の人や命を落とした勇士の遺骨が湖底に葬られるのも、その主の加護を求めてのことだそうですよ」

 彼の言う私事とは、大陸各地の歴史や伝承について現地で学ぶことであるらしい。初めて訪れたであろうヴェルダンに伝わる伝説やしきたりを語る横顔は喜色に満ちている。

「遥か向こう岸の岬にも行ってみたいものです。あそこには主の眷属たる女性の精霊が時たま現れて、戦士たる資格を問うのだと伝わっていましてね」

「生憎、今の情勢であそこに修道士一人は無理だな。我らにも責任があることだが・・・」

 壁が燃え落ちる臭いがした。見渡しても、村の何処にも失火の気配はない。ウェールズの感じたそれは、歴戦の騎士が培った経験が、不穏の兆しを嗅覚という形で表現したものであったようだ。それをより敏感に察知したであろうリューダが視界から消えたかと思うと、呼びかけを置き去りにしつつ南へと走り去ってゆく。

「みんなを呼んでくる!」

 入れ替わるように村へ赴くと、ウェールズは展望台に上り、目に手を翳して北を望む。己の感じた不吉の予兆が、エバンス城に端を発するものと気付いたのはすぐのことだった。城の各所に炎の蔦が絡まりつき、黒煙を吐き出している。城主であろう将校が右に左にと駆けずり回っている下で、兵達が我先にと外へ逃げ出す。いや、逃げたにしてはやけに装備の充実した一団が南へ・・・ヴェルダンへと向かっていた。数は100ほど。特徴的なのはその装備で、馬上で扱うべく改良された弓に、馬に負担のかかりづらい鎧や馬具など・・・。

「ユングヴィの弓騎士か?エバンス城を与るのが、ヴェルトマーからユングヴィに代わったという噂は真のようだが」

「この国を攻めるおつもりでしょうか・・・」

 ウェールズも一瞬考慮した可能性であったが集団の編成を見て即座にそれを捨てた。弓騎士は一撃離脱を得意とする強力な部隊だが、ヴェルダンは鬱蒼とした森に覆われた地勢で、虚を突かれぬためにも、警戒を担う歩兵を伴う必要がある。ヴェルダンを仇敵とするユングヴィがそれを知らぬはずはないのに、見たところ歩兵は荷車に20人余り分乗しているだけで、残りは全て弓騎士であった。

「彼らは火ではなく、城そのものから逃げてきたというのか・・・?」

 帝国の最前線における内部分裂の可能性。詳細を掴んでおきたい心境を抑え、ウェールズは村民の避難と防備の強化のため方々に手を回した。全く、エバンス城近辺で何かが起ころうとしていたとはいえ、ここまで性急に事態が動こうとは、さしものウェールズにも推察の及ばぬところであった。

 

 

 ジェノア城西、継承党の主力を撃ち破った街道付近に湖上兵団の野営地はある。ツェレンとロイグもジェノア城の様子から何事かあるとは察していたようで、リューダの到着時には戦闘態勢もおおよそ整えられていた。

「エバンスから飛び出した連中は昼夜兼行で街道を南下中だ。明日の昼にはジェノアに達するものと考えられる」

「やはり早いな」

 大陸において馬の産地を擁し、騎馬を主力とするのはグランベル、北トラキア、そしてアグストリアであるが、グランベル駒は特に持久力や走破性に秀でているとされ、一日でかなりの距離を進軍することができる。そうまでして先を急いで、目的がジェノア城ではないとすれば

「やはり港を目指しているのか」

「海を越えるってことは、ミレトスにでも行くんだろうね?アグストリアなら陸路を進むだろうしさ」

 亡命先をアグストリアでなくミレトスと定めた理由は何か?リューダが気に留めていたエバンス西の動きがある限り、アグストリア行きが現実的なものとなり得なかったためであろう。早期の断定は何より忌むべきであるが、何か作為的な意思が感じられてならない。

 軍議に先立ち、ウェールズは棟梁の真意を幹部二人にも説明しており、この符号を偶然のものと断じる者はこの場にいなかった。

「確かなのはジェノア城の連中がどう動くかだ。対価もなしに港への道を開けるような連中ではあるまい」

「アタシらに面を潰された後だ。帝国に勝ったっていう箔を付けるためにも絶対仕掛けるだろうさ」

「助けなくちゃ」

 リューダが口にした言葉は、棟梁の命令と呼ぶには素朴に過ぎた。

「アイツらが首謀者にせよ、逆に巻き込まれたにせよ・・・今エバンスがきな臭くなってる理由を知っておきたいんだ。遠くから見張ってるだけじゃ分からないことも、沢山あるよ」

「アンタの考えてることは分かる。帝国の内情を知る伝手が貴重だってこともね。でも現実問題としてさ?これが呼び水になって帝国が攻めて来たらまずいんじゃないかい」

「だから脱走した帝国の連中と共同でジェノア城の奴らを潰す。それから撤収して森を越えれば、帝国だって深追いしない」

 確かに、大陸有数の穀倉地帯であり、同時に抵抗勢力も根強いアグストリアを背にして、蛮族の地と恐れられるヴェルダンに本格的な侵攻を仕掛けても、利は少なかろう。ツェレンはウェールズへと横目を向けるが、

「参謀として私に異存はない」

軍師役の騎士はいつにも増して、命令の絶対遵守の姿勢を見せていた。

「だがあの脱走兵どもと共闘するとして、奴らがそれを是とするかが一番の課題ではないか」

 ロイグの懸念は、ユングヴィとヴェルダンの間に根深く横たわる隔意である。ヴェルダン国内が分裂しているといっても、略奪の被害を代々受けてきたユングヴィにとっては、忌むべき蛮族に変わりない。

「アタシらがジェノアの奴らと戦えば、纏めて射殺そうってワケ?」

「協力を受けたとして、度を越した見返りを要求されれば意味のないことだからな。こちらを欲深い蛮族の群れと考えるならば、少しでも危険を除こうとするのが自然だ・・・私が奴らならそうする」

「ならば私が間に立ちましょうか?ユングヴィの方々とは、お話することも偶にございましたので・・・」

 面々が驚いたのは、修道士カルムがいきなり発言したことや内容でなく、その声色に緊張感が欠落していたことにあったろう。しかしその内容自体は渡に船と言うべきもので、帝国出身という事実に目をつけ同行を頼んだウェールズの判断が功を奏した。

「気持ちは有り難いが、いずれにせよ一度戦闘が落ち着いて、会談できる状況を整えねばならんだろうよ」

「・・・欲深い・・・」

 自らの呟きを辿って答えを導き出したかのようにリューダは屈めていた上半身を跳ね上げると、ウェールズの左耳に何事か囁く。間欠泉のように湧き出る自らの考えを、簡明に提示してもらうためであった。

「作戦は定まった。夜明けと共に我らは主力を進発させる。攻撃目標は」

 地図の上で動くウェールズの人差し指は、帝国、ヴェルダン、アグストリアの交わる点を指して止まった。

 

 

 エバンス城の変事を、ヴェルダン継承党は好機と見た。何があったかは知らないが、城から逃げ落ちてきたたかだか100の敵を鏖殺するだけで、帝国軍に勝ったと喧伝できるのだ。公爵家の特色を有する武具も、相応の値がつくことであろう。

 ジェノア城北に達すると、脱走兵は旗を挙げた。ユングヴィ家の軍旗ではなく、黒地に白で縁取りされた簡素なものであったが、その意味合いは決して小さくない。グランベルの広めた「一切の戦闘行為放棄」を意味する旗で、これを掲げられた場合、掲げた側が自ら約束を違えない限り攻撃を加えたり、進路を妨害してはならない。その使用を承諾することは文明国への第一歩と看做されており、ヴェルダンにおいてもバトゥ王の即位と共に協定に調印がなされ、大陸全土にその意味が通ずることとなった。

 しかし継承党にそんなものへの敬意を払うつもりなど最初からない。ヴェルダンの名を号しているにも関わらず、先王の意思を踏み躙るごとき行いだが、彼らにとってそんなものはびた一文生み出さぬお題目に過ぎなかった。

 この時継承党の主力は東から回り込んで相手を西に追いこみ、あわよくば湖上兵団と噛み合わせてしまおうと企図していたが、先に帝国の脱走兵が東へ回り込む方が早かった。これに先だって湖上兵団の主力が北のエバンス城を攻撃に向かったという驚くべき情報が双方に齎されており、背後の危険が顕在化する前にジェノア城を潰してしまおうというのが、脱走兵の狙いであるらしい。

 継承党は南北より脱走兵を挟撃すべく軍を進発させた。間もなく南部隊は、土を巻き上げつつ疾駆する弓騎士を視界に収める。総力を挙げての各個撃破に活路を求めているようだったが、継承党には先日の戦いに敗れてなお脱走兵を上回る戦力がある。南部隊は定石通り、先鋒を散り散りに突撃させて敵の撹乱を図る。一気に間合いを詰めて、射撃を封じるためでもあった。

 弓騎士は速度を下げることもなく突進を続け、すれ違った南部隊の先鋒など存在しないかの如くひたすら前へと進み続ける。刃を交えすらしない緒戦を経て、弓騎士は南部隊後衛に射撃を叩きつけた。鏃はヴェルダンの陽を受けて輝き、白銀の殺意の橋が双方の間に架かる。並外れた連射速度は後衛の足を止めたが、無視された形となった先鋒にとっては、反転して後背を突く好機である。陣形を再編して襲い掛かろうとしたまさにその時、背後に痛撃を受けたのは先鋒であった。時を空けて戦いに加わった後続の弓騎士による、警戒範囲外からの長距離射撃である。

 継承党は見くびっていたのだ。脱走兵に落ちたりといえど、相手はヴェルダンと長く戦い、手の内を知り尽くしたユングヴィの弓騎士である。厄介な散開戦術の弱点を突くために、囮として大部分を先行させ、その背後を狙い密集した不意を突いての狙い澄ました矢の一撃・・・まんまとしてやられた怒りを、南部隊の先鋒は新手の弓騎士にぶつけようと突撃する。それを見て矢を番えたのは、底の見えぬ海のような青髪をした青年の弓騎士であった。二十に満たぬだろう外見ながらその風格は、人の上に立つ者のそれに他ならない。

 彼の放った一撃は狡猾な蛇のように敵陣に潜り込み、南部隊先鋒を率いる指揮官の眉間をしたたかに穿ち抜いた。驚愕に目と口を見開いたまま絶命する指揮官を目の当たりにし、恐怖に打ちひしがれた先鋒に容赦なく矢が射掛けられ、針鼠と化した彼らは瞬く間に壊滅した。惨状を見せつけられ、意気を砕かれた南部隊後衛はジェノア城へと尻尾を巻いて逃げ始める。求心力回復のため勝てる戦を仕掛けたはずが、恥の上塗りになるとは割に合わぬことこの上ない。

 物の道理を疑いたい心境のまま城門へ至った彼らは、続いて自らの視力を疑う羽目になる。何故、自分達の本拠に憎き湖上兵団の旗が翻っているのか?城門を越えてこちらに迫る敵の群れは一体・・・?

 脱走兵と戦っている間、北を進んでいる味方の助勢が一切無かった時点で、あるいは気づくべきかもしれなかった。エバンス城を攻めると見せかけた湖上兵団は街道を南下して北部隊の側背を襲い壊滅させ、そのままジェノア城へと雪崩れ込んでいたのである。

 勝敗は決した。そして同日、ヴェルダン継承党は大陸より消滅したのだった。降伏した者、逃亡し戻って来た者の大半は、湖上兵団に戦力として組み入れられることとなる。

 

 

「自分はユングヴィ公爵家のオーガス。不躾ですまぬが、貴公らは我らに何を要求する?」

 名乗った脱走兵の首領格が前置きなしに先生攻撃を仕掛けてきた。髪と同じ群青の双眸が宿す光は到底友好的なものとは言い難い。カルムの仲介で会談が設けられる前には、城壁越しに弓を引いた一幕もあった。

「要求とは言うが、そちらが何を望んでいるのか知りたいのは我々の方なのだが」

「港に向かう際の進路の安全、それを置いて他に望みなどない。対価は払いかねるがな」

 湖上兵団を継承党と同じ手合いだと見ていることが明らかで、同席する騎士達も同様の態度を示していた。唯一、オーガスの隣に座す重騎士はそれを諌めているようである。

「あのねぇ、キミ。オレ達が北へ行くって見せかけたから、そっちは有利に戦えたようなモンなんだよ?感謝しろとは言わないけど、そういう態度は違うんじゃない?」

 ヴェルダンへの敵意を知るだけに、口論するつもりなどないツェレンやロイグと違い、リューダは若き故の勢いに任せ、正面から抗弁にかかった。自らについて来てくれる者に対する、彼女なりの責任の取り方であったかもしれない。

「そちらに意図があったにせよ、東へ迂回したのは他ならぬ我々の判断だ。むしろそちらが我らに便乗してジェノア城を奪い取ったのではないか」

「そっちが来る前からオレ達は奴らを追い詰めてました!そのおかげでキミらが逃げる所も見つけてあげられたんでしょうが」

「結果論だ。そちらが北への視界を確保した所で、それは我々のためではあるまい」

 既に本筋から脱線しつつある言い争いに、ウェールズは言い知れぬ驚きを覚えていた。リューダの発言に対するオーガスの反論が、彼女が口にしていない真意を汲んでのものに聞こえたためだ。しかし、それに対する好奇心を満たす前に今は問うべきことがある。

「して、港へ向かうということは、ミレトスへ逃れるつもりなのだろう?残念だがそれは現実的な選択肢ではない」

「・・・どういうことだ?」

「我々には、現在ミレトスに潜入している密偵がいてな」

 後ろに控えていたロイグが、掌に収まる小さな紙切れを渡す。広げると、日付の横に数字が書かれた無味乾燥な表が記されていた。日を追うごとに数字は大きくなっているが・・・。

「その数は、街で目撃された黒装束の人数だ」「・・・馬鹿な、暗黒教団がミレトスにこうも大勢・・・」

 帝国を裏で牛耳っているとすら噂される、暗黒教団。それは彼らの纏う黒きローブのような、深い暗闇の淵で暗躍しているはずだった。しかし今や、自由都市と名高いミレトスですら暗黒教団が堂々と闊歩しているのである。

「貴公らが逃亡してきた所以はこれから聞くとして、それが何者かの陰謀によるものであるとするなら、今ミレトスへ行って事態が好転するとは思えないが」

 衝撃の重さに耐えかねてか、オーガスも周囲の騎士達も口にすべき言葉を失ってしまっていた。詳細は未だ不明だが、未来ある身でありながら、なし崩しに行く宛を失った虚しさは想像に難くない。

「そこでだ。貴公らは先程問うたな、我々に何を求めるのかと。これからの提案はまさしく要求であって、貴公らの定まった未来では決してない。しかし・・・」

 ウェールズは自ら棟梁と仰ぐ少女に視線を向けた。意を得たりとばかりにはにかむと、リューダは続きを語り出す。

「誰かと共闘して目標に向かって頑張れば、行ける場所も増えていくんじゃないかなー、ってさ。だから・・・キミら纏めて、湖上兵団においでよ!」

 騎士達の視線が一斉にオーガスに向けられた。この提案を受け入れるか否か、自分達の運命を一人の若き騎士に託そうとしているのだ。目を伏せ、熟考する彼はこの時、自らの決断がヴェルダン、ひいては大陸西部の行く末を大きく変えるであろうなどとは想像もしていなかった。

 

 

 ユングヴィ公爵、スコピオの機嫌はすこぶる悪かった。大陸西部、帝国の出入口たる要衝のエバンス城の防備にユングヴィが抜擢され意気上がっている所に、謎の逐電騒ぎである。

 主犯はオーガスなる若き騎士。反逆者シグルドの麾下にあったことで有名な弓騎士ミデェールと並ぶ、譜代の重臣一族の出身で、彼の叔父は今もなお前線で活躍している。ただ近頃は帝国の治世に反感を抱いているきらいがあって、スコピオも下手な動きをせぬよう掣肘するつもりでいた。しかし、これほど性急な事態になるような手を打った覚えは彼にはない。

「閣下、バーハラよりの急使が参っております」

「早いな・・・通せ」

 此度の変事について詰問されることは覚悟していた。しかし、急使の格好を見るだに、通せという自らの指示に対し後悔するような心境になるスコピオであった。

 地を這う闇を取り込んだかのような漆黒のローブは、まさしく暗黒教団の聖職者(その呼称が相応しいかはともかく)のものである。それだけでも不快だというのに、黒薔薇が描かれた左腕の腕章を見ると軽い目眩すらスコピオは覚える。暗黒教団の精鋭"ベルクローゼン"の指揮官だった。

「お初にお目にかかりますわ、公爵閣下。異端審問官のヴェイリアと申します」

 教団幹部として名が残る者の中で、唯一の女性であった。教団の正装に輪をかけて黒々とした長髪に真紅の瞳、そして日光を一度も浴びたことがないような白い肌が印象的である。顔だちも美貌と呼ぶに相応しかったが、各部が整いすぎている様は、狂った名工の手による生きた石膏像を思わせ、どこか不気味であった。

「早速ですが、皇帝陛下は此度の事態に大変驚かれているご様子。六公爵家の一角たるユングヴィの指揮下でかような仕儀になりましょうとは」

「陛下の宸襟をお騒がせ奉り、ユングヴィ公爵として慚愧の念に堪えぬ。六公爵家の名誉にかけ、急ぎ原因の究明に」

「不要です」

 唖然として声を上げそうになるのを、スコピオは辛うじて堪えた。冷徹にも程がある物言いは、スコピオの発言内容に不満があるのではなく、発言そのものに対する興味の欠乏を感じさせる。

「無礼を承知の上で敢えて申し上げます。私めの役儀は皇帝陛下のご意向を伝えることにあり、公爵閣下の弁明をお聞きすることではありません。・・・閣下におかれましても、戦支度にてご多忙の御身となられることでしょうし」

 戦支度。さり気なく発せられたそれだけの言葉の背後に、不吉な影がちらつくのをスコピオは不本意にも自覚する。皇帝の名において、ユングヴィをヴェルダン侵攻の任に充てようというのか。

「これは真に帝室への忠義あっての言であるが、それが陛下の本心とは思えぬ。賢明なる我らが陛下はエバンスを固く守り、アグストリア平定が成るまでヴェルダンへは不用意に立ち入るべからずと明言されたではないか。今更それを改めるべき理由が何処にある?」

「情勢は今なお変わり続けております。イザークや北トラキアで反乱の機運が高まっていることはご承知の通り。それらが顕在化する前に、後顧の憂いを絶つべしというのが、陛下のご深慮にて・・・」

 返す言葉を封じられたスコピオに、ヴェイリアは艶然と微笑みかける。その視線は嘲り、哀れみ、傲慢、そして享楽がないまぜになったものであるのに、人間にあるべき生気が微塵も感じられない。

「ご案じなさる必要はありませんわ。私めにも考えがございますれば、帝国の不安の火種も、早晩消し潰されることでしょう・・・そう、すぐにね・・・」

 

 表と裏、結ぶ者、争う者。様々な運命を定められし者達の思惑と行動が、知られざるユグドラルの歴史を動かし始めていた。

 

 

〜第一話 導きの刻 了〜



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第二話 ふたりの肖像 前編

「ユングヴィの受難」。大陸歴775年の夏から秋にかけて勃発した、エバンス城周辺およびヴェルダン王国での一連の変事、軍事的衝突は、後世そのように総称されることとなる。エバンス城防衛の任がユングヴィ公爵家に充てられた直後の謎の失火、一部騎士の逐電、そしてそれらの追討軍派遣・・・取りわけ最後は、忌まわしき蛮族の地へ実りなき進軍を強いられた点において、ユングヴィの面々にとっては殊更悲劇的に感じられたのであった。

 

 ヴェルダン侵攻に向け、着々と準備の進められるエバンス城を、ユングヴィ弓騎士のオーガスは仇敵・ヴェルダンのジェノア城より眺めていた。傍らには湖上兵団の軍師役・ウェールズもいる。次々と運び込まれる物資、部隊の点呼・・・それらに従事する将兵の顔に徒労感が浮かんでいるのは、遠望しただけでも分かる。彼は本来その場にいるべき人間であったのだ。

 湖上兵団に加わる、その提案をオーガスは呑んだ。悔いはなかった。いや、そもそも彼には百人の部下がおり、彼らが生きるためにも逡巡している暇は許されないのだ。後悔など、生き残ってからいくらでもすればいい。

「つまり要約すればお前とその部下は、練兵中に失火に巻き込まれ、その際何者かに襲われた。そういうことなのか」

「ああ・・・火の手は正門周辺と東、そして敵襲は西からだったために、逃げ口は南にしかなかった」

「アグストリアの軍勢ではなかったのだな?」

「全く違う。正直な所、まるで覚えのない相手だったが・・・」

 会話だけを抜き取れば違和感は無いようにも見えるが、オーガスは湖上兵団の面々と、必要最低限のやり取りしかすることはない。同じ旗を仰ぐと腹を据えてなお、ヴェルダンに対する彼の敵意は根深かった。

「時にオーガスよ。お前は我らが棟梁をどう思う?」

「どう、とは何だ」

 質問そのものもそうだが、それを切り出したウェールズの態度に強い違和感を覚えるオーガスである。ほんの数日の付き合いに過ぎぬからかもしれぬが、もう少し筋道立てた話をする男だと彼は思っていた。

「その様子では、特に打ち解けた様子でもないようだな」

「私はあいつの命に従う、それは確かに約束した。だがそれだけだ。それ以外に言葉を交わす必要があるとは思わないが」

「そうか。だが、お前も騎士なのだろう?」

 いい加減に話が錯綜しすぎだ。強引にでもこの場を辞そうとするオーガスの足を、続く言葉が止めた。

「私も昔はそうだったからな、余計な世話を承知で言わせてもらう。騎士ならば若いうちから、高貴な血筋の人間とどう付き合うべきか実践で飲み込んでいく方がいいぞ」

「・・・あの娘がか?」

「ヴェルダン王家最後の生き残り・・・かもしれん。そう言えば分かるか?」

 弓の名手にして、シグルドに付き従い勇名を馳せたヴェルダン王子・ジャムカ。彼は対外的にバトゥ王の三男として扱われていたがその実、父より先に夭折した嫡男の息子であった。つまりバトゥ王は嫡孫を養子として迎えることで、彼を庇護下に置いたわけである。

「それは事情があってのことか?」

「ヴェルダンは元々多くの豪族が割拠する国で、王制が敷かれて尚そうした連中の影響は無視できなかった。故に先王は嫡男に豪族の出でない妻を宛てがい、集権化と近代化を親子二代で推し進めんとした。・・・その結果が謎の事故死だ」

 オーガスは思わず目を伏せた。やはりどの時代どの国にも、こうした歪みからは逃れられぬものということなのか。

「だが・・・嫡男を失い、豪族の後ろ盾がある次男や三男が台頭すれば、最早守り切れるのはジャムカ王子くらいのものだった」

 ジャムカ王子には実は、両親を同じくする妹がいた。その嫡女はヴェルダン本城南の、世に言う"精霊の森"の隠れ里に隠棲。やがて成人し、一人の娘を設けると、元々病気がちだった彼女はこの世を去った。その娘こそ・・・

「そういうことだったのか。あいつも決して平坦な道を歩んできたわけではないようだな」

「あの娘自身はそれを気に病んではいまい。しかし身を隠すことを強いられた境遇だけに、自分の考えを整理し、伝える能力が不足しているようにも見受けられる」

 ウェールズの双眸が、軍閥の屋台骨としての責任感と、少女に対する庇護心によって揺らめいている。

「そこでだ。お前には彼女の考える所を察し、実現を援ける役儀を任せたいと思っている」

「・・・私がか?」

「お前にしかできぬ、というよりお前は既にそれを為している。最初の会談の時もな。決してお前の使命というわけではないが、どうか力を貸してはもらえまいか」

 返す言葉が見つからずオーガスが立ち尽くしていると、剣士ロイグが何事かを相談しにウェールズの元へやって来た。

「私はこれで失礼する・・・」

「待った、オーガスとやら。この件はあんたにも関係のある話でな」

 オーガスに持ち込まれたのは、弓の腕を競わんとの果たし状であった。

 

 

「入陣早々、大役だな」

 親しげにオーガスの肩を叩く重騎士はアルバンといい、今回付き従ったユングヴィ勢の中では最も気心の知れた相手である。

「事情はあらかた聞いた。貴様、また余計なことを口走ったそうだが」

「そいつに関しては・・・すまん!戦場で働いて返すから、どうか容赦してくれ」

 大仰な仕草で謝罪するアルバンは今なお重騎士の装備を身につけている。鎧に改良を加え、可動域を拡大しているからこそできる動きだった。

 事の発端は、手に入れたばかりの港で船を(改良目的で)見物していたアルバンに、リューダが話しかけてきたことにあった。曰く、仇敵の陣営に成り行きで加入したとはいえ、最低限の愛着ぐらい持ってもらう方法はないか、と。元々帝都の工具職人の家に生まれ、ヴェルダンへの敵意も薄いアルバンは親切にこう答えたのだ。「愛着と同じように人を縛るのは責任に他ならない」と。

 リューダが考えついたのは、弓の腕で鳴るユングヴィ弓騎士をヴェルダン弓兵の指揮官に任じ、湖上兵団に射撃に特化した弓兵隊を創設しようということであった。無論、双方より反発が起こる。

「た、確かに俺ら弓兵はパッとした働きはできてねぇかもしれん。だからって、よりによってユングヴィ連中の下につけだなんて、あんまりでさ!」

「下につくのではなく、指示を受けるだけだ。お前達は等しく棟梁の指揮下にあるのだからな。・・・あんたらもだ。不本意な形で来たことは承知のうえだが、ここにいる限り指揮には従ってもらうぞ」

 弓兵隊創設の実質的な提言者であるロイグは、軍紀に関して手心を知らない。しぶしぶながら押し黙るユングヴィ騎士達と違い、ヴェルダン兵はなおも抗弁する。

「だが俺らはそいつらの腕をよく知らん。腕がよければ当然従わせてもらうが・・・」

「ほう、腕を言うか。強きを尊ぶがヴェルダンの気風だからな・・・よかろう。一度腕を見ることがあれば、二度と文句を垂れることは許さん」

 こうしてヴェルダンとユングヴィ、双方の代表が弓の腕を競うこととなったのである。

「しかし引き受けてくれるとはな、正直思わなかった。案外、お前もヴェルダンと手を取り合う気にでもなったかな?」

「・・・俺も皆も鬱憤が溜まっているからな。腕試しで晴らすことができれば重畳というだけだ」

 それは事実であっても、全てではなかった。ウェールズからの依頼が今なお脳裏で反響しており、それが決断を促したことを、間違いだと否定しきることは彼にはできなかった。

 

 舞台に選ばれたのは城の練兵場である。ここには演習に使われる土塁があって、そこに的の描かれた丸太が固定された。双方三回射掛け、中心からの距離の合計が短い方が勝者となる。

 ユングヴィ騎士含む湖上兵団のほぼ全員が練兵場を囲み、観衆となっている。その視線を浴びながら、リューダとオーガスは弓を携え進み出た。弓矢も的も全てヴェルダン製で、ユングヴィから持ち込まれたものは何もない。「細工されたと難癖をつけられても困る」とオーガスが指定したものだった。

「お兄さまーっ!ご健闘を!」

 荒々しい戦士が揃う場に、ひときわ高く、若々しい声が響いた。群青のショートカットに爛々と輝く瞳は、今まさに対決に挑む弓騎士の血縁であることを声高に主張する。オーガスの妹・イーファであった。リューダが唇を弧状に曲げ、何か言いたげに微笑みかけてくるのを、オーガスは殊更に無視する。

 先攻はリューダである。ふっと息をつき、流れるような動作で弓を番え、慣性に身を任せ引絞る。その瞬間、矢は的までの距離を一瞬で飛び越え、吸い込まれたようにその中心に突き刺さった。リューダの笑顔が弾けると同時に湧き上がる歓声。

 後攻のオーガスは矢を手に取ると、番えることもなく鋭い視線を的に投げかけ続ける。彼自身が息を殺しているため、練兵場は先程までが嘘のように沈黙に包まれた。そうした時間がしばらく続き、リューダが矢を命中させたまでの時間が経過してなお、弓を構えることすらしない。

 そう思った矢先、彼の手元から矢は消えた。そうとしか見えなかった者が大勢いた。瞬きする間に、矢が的の中心に深々と突き刺さっているのだ。文字通り目にも留まらぬ早撃ちを披露したオーガスは胸を張ることもなく、リューダの第二射のため引き下がる。観衆から聞こえるのは歓声ではなく、オーガスの腕に息を呑む音だった。

 続く第二射は、二人とも第一射と同じく矢を的の中心に直撃させている。そしてリューダは第三射においても、的の中心を的確に射抜いたのだった。オーガスの第三射、矢が中心以外に当たれば彼の負けとなる。

 だが、それを理解していないかのように、彼は脱力しているように見えた。先程まで見せていた早業を見せることもなく、適当に弓を引絞り、放つ。中心を射抜いた時のような空を切り裂く勢いもなく、放物線を描きながら矢は的の右端に当たった。これで終わりかと、観衆が拍子抜けしたその時。

「勝者は・・・!?」

 的が悲鳴を上げていた。断末魔の叫びにも似た乾いた音と共に、矢の着弾点を中心に亀裂が走っていくではないか。単純に弓の腕を競っていただけの会場で起こる異変を皆が固唾を呑んで見守る。空高く響く音。爆ぜた。それは比喩ではなく、どこまでも事実であった。丸太、それも大人の前腕ほどの太さを有する的が木っ端微塵に吹き飛んだのだ。それを引き起こしたのが、オーガスの放った矢であることを疑う者はいなかった。

 続いて響いた高い音は、打ち合わせた手から発せられていた。一人のヴェルダン戦士が放心したように口を開けながら拍手をしている。それはやがて二人になり、五人になり、十人、三十人、百、五百、千・・・練兵場を怒涛の拍手と歓声が席巻した。イーファはといえば「兄さまならば当然」と、逆に泰然と微笑んでいる。

「"致命の一矢"の使い手だったのか・・・」

 人間離れした妙技の正体をウェールズは知っていた。形あるものには全て、そこを突かれては崩されずにはいられない"致命の点"が存在する。それを看破る術を習得した者は、小石一つで城すら沈めるとさえ言われていた。矢の一撃をもって致命の点を貫く武技こそ致命の一矢であり、第二射までオーガスはそれを探っていたのだ。継承党との戦いにおいて指揮官を撃ち抜いたのも、致命の点を看破る要領を戦術規模に拡大し、中枢に打撃を与える隙を瞬時に見抜いたが故の戦果であった。

 ひと仕事終えた心境で息をつき、天を仰ぎ見るオーガスに何かがぶつかってくる。彼によって敗者に甘んじることとなった筈の少女が、瞳を眩しいほどに輝かせて近づいてきたのだ。

「凄い、凄すぎだよ!オレ、感動しちゃったんだ!どんな鍛錬をすればそんなことができるの!?オレにも教えて!」

 満面の笑みで跳ね回りながらオーガスの手を握り、リューダは心からはしゃぎ通していたのであった。

「別に大したことはしていない。していないから・・・おい!いい加減腕を離さないか」

 

 かくして腕試しは大盛況のうちに終わった。ユングヴィ弓騎士の底力を知ったヴェルダンの弓兵達は指示を受けることを承諾し、オーガスのお陰で面目を施した弓騎士達も、弓兵隊を形にするため精力的に動き始めた。

 迫り来る脅威に向け、準備は少しずつ整いつつあった。

 

 

 想定はしていても、まさかそれが現実になろうとは思われないことがある。そしてよくできたもので、そうした事態は往々にして現実になるのが通例というものだ。

「西の軍閥が動き出した」

 ウェールズが緊急の軍議を召集する程の事態。ヴェルダン西部を拠点とする三つの勢力・・・ヴェルダン本城の"王室再興軍"、マーファ城の"ヴェルダン救国軍"、そして西端の村を拠点とする"ヴェルダン解放連合"が、エバンス城の動きと呼応するように東進の準備を進めているのである。長きに渡り、東部を放置しての小競り合いに終始していたというのに、その構図が俄かに崩れたのだ。

「・・・そもそもの話として、その三勢力が膠着状態に陥っていた所以は何だ?」

 此度の軍議には棟梁のリューダ、軍師役ウェールズ、幹部のツェレンとロイグに加え、オーガスとアルバンが初めて参加することとなった。軍議に顔を出し、先述したような問いを出すのも、オーガスなりの責任感の現れである。

 問いに答えるように、ウェールズは地図の一角を指差した。それは三つの勢力のほぼ中間に位置する深い森・・・その場所の正体をオーガスは既に知っていた。

「あの娘の故郷か」

 口には出さなかった。その必要もなかったし、何故とは言えないが、軽々しく口にしてはいけないような気もしたからだ。それとなくリューダの様子を伺ってみても、表情からは情動を読み取ることは出来なかった。

「成程。この地点ならばヴェルダン西部の中央に在って各部を監視できるし、森が天然の防壁となって攻められづらい。おまけに東の岬に船着場を設ければ、湖を渡って東部に渡ることも可能になるな」

 こと軍事的な観点から見て重要な事柄を、軍略にも造詣の深いアルバンは端的に纏めた。

「そういうことだ。七年前に我々の本拠地だった頃、係争地たりうるここを引き払ったが、それは奴らに餌を撒くためだった。奪われるわけにはいかないが、奪おうとすれば時がかかって背後を襲われる」

「だから互いについては離れるを繰り返して、戦況は泥沼化したということか」

「でも現実問題として、奴らはこっちに来るんだろ。誰がそこを押さえるかについて、折り合いがついたってことかい?」

 ツェレンの疑問はごく自然なものであったが、それに対するロイグの答えは些か不自然なものだった。

「いや、情報を集めてはいるが、かの地の領有について何か決められた様子は見受けられない。それどころか、あの方面に対する各勢力の監視はむしろ人員が増やされてすらいる。つまり、未だ誰のものでもないというわけだ」

 結局、その件に関しては現時点で有力な見解もなく、続報を待つことになった。幸いなのは、三勢力が心を一つにしたというわけではなく、それに乗じる戦法は有効であろうと考えられることだった。

「その前提として、敵がどのように動くかをまず把握する必要がある。誰か考えのある者は」

「では、自分が。・・・ユングヴィにいた頃は、こうして軍議に参画するなど何時になることかと思っていたがなぁ」

 名乗りを上げたアルバンの見解を要約すれば、以下の通りとなる。

 

・まず、救国軍と解放連合が街道を進み、陸から湖上兵団を牽制、攻撃

 する。

・その間に再興軍は船を用いて湖に展開する。それを二分し、一方を

 マーファ城北東より上陸させ、戦闘中の湖上兵団を側面から叩く。

・もう一方は湖を東進、最北の村に上陸して橋頭堡を築き、後背を脅か

 す。戦況によっては、湖上兵団とユングヴィ軍の戦いに介入して双方

 を撹乱する。

 

 詰まるところ何か手を打たなければ、湖上兵団は三方面からの攻撃に晒されることとなる。さりとて戦力比で考えるならば、いずれか一方に兵力を集中する他ないだろう。それを何処に定めるべきか、それが問題であった。

「西の軍閥はユングヴィの動きに呼応して出てきたのだろう?正直、古巣を攻撃するのは気が進まんが、ユングヴィを撃退すれば奴らも退くのではないか?」

「しかし、ユングヴィ勢がどれだけ南に出てくるかだ。こちらから突出すれば、上陸した再興軍に側面を突かれかねんぞ」

「・・・ねぇ。オレ、気になってることがあるんだ」

 リューダは単に疑義を呈したに過ぎなかったが、その顔がいやに切羽詰まったものであることをオーガスは看て取った。それはともかく、リューダが気に留めているのは、西から攻め来る敵がどれだけ本気かということであった。今のところ、彼らはユングヴィ勢の攻撃に便乗する形で侵攻しているというのが一応の前提として話が進んでいるが、リューダはそれに待ったをかけたのである。

「奴らは奴らで、こっちを叩き潰そうって目的があって攻めて来るってことかい?だけど、あの隠れ里はまだ諦めてないらしいじゃない」

「それなんだ。もしあそこを狙えば、他二つから当然攻撃されることになるよね、じゃあ逆に諦めます、捨てますって思われたら逆に安全なんじゃないかって」

「うむ、分かった。要するに我らの後追いをしようというわけだな」

 敢えて全軍で西進し、他勢力の警戒を解いて後顧の憂いを絶つ。そして東の村、ジェノア城を奪い拠点とし、西で以前と変わらず森を奪い合う他勢力を尻目に、東で着々と力を蓄える・・・。それをユングヴィに呼応しての動きと見せかければ、湖上兵団の警戒も薄くなるだろう・・・。

「よく考えたものだな。つまらぬ小競り合いで七年も空費した知恵無しどもとは思えん」

 ロイグが毒づいたように、此度の三勢力の動きには、これまでとは違う伶俐な意思が感じられる。

「そういうことならば、まずは街道を進んでくる連中から片付ける。そいつらの足を止めさえすれば、孤立を恐れて南に船も来ないことだろう」

「うん!後は北だけど・・・船が上陸する前に水の上で叩かないかな?」

「難しいね。船の数では奴らに勝てないだろうし、この時期だと濃い霧が出て視界も悪いんだよ」

 再興軍が船を動員したのも、その霧に乗じる狙いがあってのことであった。だが湖上兵団にも、その霧に活路を見出す者が一人いた。オーガスが名乗り出る。

「考えがある。連れてきた者達を少しばかり私に預けてもらえないか」

「どれだけ要る?」

「十騎だ。それ以上は多すぎる」

 ・・・軍議からひと月ほど後。風が秋の色を帯び始めた頃、北と西から彼らはやって来た。新たな戦力を組み込んだ新生・湖上兵団の初陣は、かくの如く大規模なものと相成ったのである。

 

 

 敵はかねがね、湖上兵団が予想した通りの動きで進軍を開始した。解放連合と救国軍合わせ一万強が街道を東進し、再興軍七千五百が船にて湖を進む。そしてユングヴィ勢三千はエバンス城を発し、間もなく停止してヴェルダン側の様子を伺っている。対する湖上兵団の総力はおよそ五千。戦力比は一対四であり、それぞれとまともに連戦しては勝てる訳もない。しかし元々いがみ合う彼らは真に心を一つにしているのではなく、それに付け入る隙は十分にある。上手くいけば、実数より遥かに少ない敵と戦うことで撃退も叶うだろう。

 第一陣はジェノア城南の港より乗船し、海路を西へと進み、街道の敵を叩くことになっていた。

「手筈は整っているのか?」

「ああ。僅かだが船体に手を加えて揺れを小さくした。船酔いで戦う前から駄目になることはまず無いさ」

 ウェールズが指揮する第一陣にはアルバンも加わっていた。ユングヴィ騎士率いる旧兵隊もここに組み入れられ、彼らにとっては訓練の成果を見せる機会が早くもやって来た。

「お前も時が来れば北へ発つんだったな。そちらも抜かるなよ」

「任せておけ。・・・イーファ、兄がいない間は留守を頼む」

「もちろんですわ、お兄さま!イーファは必ずや皆のお役に立ってみせます」

 船への荷積みを手伝っていた妹の首元に、見慣れないネックレスがかかっているのをオーガスは見た。

「ツェレン殿・・・ヴェルダンの方達を率いる女性の方に頂いたのです。なんでもマンスター独特の工法で作られた名品だとか・・・」

 煌びやかな白銀の輝きを手に取ってはしゃぐ妹が、早くもヴェルダンの者達と打ち解けつつあることを知る。一人の兄妹として、素直に喜ばしいことだと思われるのだった。

「兄さまも・・・どうかお気をつけて」

「案ずるな。私にはせねばならぬことがある以上、それを果たすだけだ」

 戦闘以外のことで妹が自分を案じていることを知りながら、オーガスは答えた。



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第二話 ふたりの肖像 中編

上陸は黄昏時であった。左手に見える水平線に夕陽が潜り込み、目の前の白い砂浜を橙に染め上げる。通常、戦闘は夜明けから日中にかけて行われる。この時刻を選んだのも、そうした慣いの裏をかいて油断を突く意図があった。

 解放連合の先鋒二千が、マーファ城南西の地点に在って警戒にあたっていた。二千という数字は湖上兵団の第一陣とほぼ同数で、残る三千ほどは未だ森の向こう側である。救国軍六千はマーファ城からそう離れない地点に陣を張り、船着場を押さえている。

 角笛や銅鑼が大気を震わして、一日の終わりを迎えつつあった解放連合の将兵にしたたかな第一撃を加えた。目の前にずらりと並んだ弓兵に浮き足立つ彼らに、真正面から矢の豪雨が叩きつけられた。風を裂く音に苦悶と狼狽の声が混じる。いつまでも止まぬ矢の雨に逃げ惑う彼らは、弓兵にヴェルダンらしからぬ風体をした者が幾人もいるのを見た。

 この時弓兵隊は二つの集団に分かれ、一にも二にも弾幕を張り続けることに専念している。精度を求めるよりとにかく射掛け続け、敵を散開させぬことで進むこともままならない状態に追い込んでいるのだ。撃っては下がる一連の反復動作を頭と体に叩き込み、寸分の狂いもなく再現することで可能な戦法である。

 しかしそれでも不足があったらしく、自らに飛びかかってくる矢が疎らになりつつあるのを、解放連合軍の中央部隊は感じ取った。見れば前面の敵は未だ弓兵を展開しており、肉薄すれば一気に中枢に雪崩れこめる。彼らは勇躍し、盾を捨てて戦場に駆け出し・・・愕然とした。味方の左翼、右翼は先程に輪をかけて激しい矢の暴雨に晒されているではないか。湖上兵団の弓兵隊は故意に射撃の密度を不均一なものとし、断層を形作るが如く中央の敵を突出せしめたのだ。

 迷子のように立ち尽くす中央部隊に、弓兵の列から飛び出した湖上兵団の突撃隊が迫る。先頭を走る、白馬に跨った騎士の顔は頬当で見えないが、中央部隊はその眼光に、絶好の獲物を見定めた鷹を見出した。手には馬上で用いるには短めの槍を携えている。

「おおおおおッ」

 動揺と恐怖はしかし、ヴェルダン戦士の意地と矜持を完全には消し得なかった。こちらも指揮官を先頭に突撃し、活路を開かんとする。矢の豪雨が両者の激突を妨害することなく、その左右を駆け抜けていく。

「向かってくるか。殊勝なことだな」

 幻聴であったろうか。そんな声を聞いた刹那、中央部隊の指揮官は勇気が必ずしも美徳でないことを、死の間際に思い知らされた。胸甲を易々と貫き、背中に突き出た穂先を見て愕然としながら、指揮官は現世から離脱した。馬上の騎士・・・ウェールズの投槍は中央部隊全体の戦意をも打ち砕き、次々と戦場の露と消えていく。

 緒戦に大敗し、守備を固める解放連合を尻目に、戦功の熱に浮かれることもなく、突撃隊は自陣に引き揚げていった。その途中、ウェールズは霧に包まれる北の湖畔に目を向けて呟いた。

「始まったか」

 湖上兵団の第二陣が、救国軍との戦闘を開始していたのである。

 

 

 弓兵隊の活躍が勝敗を決した解放連合との戦いとは対照的に、救国軍との激突は最初から肉弾戦となった。闇に染まりつつある空と、湖を覆う霧に紛れ、湖上兵団が密かに接近して強襲を仕掛けたのだ。

 湖上兵団の第二陣は数にして三千余り。しかし乏しい陽光と霧によって視界が遮られ、救国軍はそれを把握できていない。あと数日もすれば、湖を南下して再興軍が側面を突きに来る。それまで守りを固めて乗り切ることを決めた。

 湖上兵団の実数は敵の半数、包囲されぬために二つの集団に分かれ展開した。敵の東側はツェレン、南はロイグが指揮を受け持ち、波状攻撃によって敵の判断を乱す態勢である。

 一番手として猛進した部隊の先頭を走るツェレンは、腕環に髪飾りなど、煌びやかな装飾品をこれでもかと身につけている。戦場で存在を誇示し、気分を昂揚させる戦士としての仕来り、自立した存在として己を美しく飾り立てる、女性としての嗜みの双方が融合した結果の姿である。

 彼女の得物は二振りの戦斧だ。しかし柄の部分が極端に短く、握れば拳が斧に変じたかのようにも見えた。敵の懐に潜り込んでは四肢を躍動させ、刃の竜巻が見る間に紅潮する。大勢で掛かって来る敵があれば、腰に帯びた長剣を抜き放ち、自らの上半身ほどもある剣身で一文字に薙ぎ払った。

 そうしてひとしきり暴れ回ると、機を見逃さずさっさと撤収にかかる。小馬鹿にするように片目を瞑り、指をぷらぷらさせる女戦士。押されっ放しで、なおかつ豪勢な獲物を逃してなるものかと追い縋る救国軍の右側面から、今度はロイグの率いる部隊が迫る。

 ロイグは見るだに業物と分かる剣を佩いていたが、鞘から抜くこともなく彼は部隊の指示に専念していた。全面に展開する兵の背後に二つの遊撃隊を配し、状況に応じて敵の横合いから攻めたり、薄くなった陣を埋めて敵の浸透を阻む、華はないが着実な戦法だ。身動きもままならず苛立ちを募らせる敵は、一発逆転の可能性に賭けた。

「オイ、そこの穴熊野郎!鳥の糞ほどでも勇気があるなら、出てきて俺達と立ち会え!それとも怖気付いたのか!」

「生憎、羽虫のようにブンブン喚かれても、この喧騒ではまるで聞こえん。こっちに近づいてもう一度言ってくれないか」

 取りつく島もないとはまさにこのことで、その後の度重なる罵声にもロイグはまるで動じず、その間にも救国軍の損害は増えていく。

 勝ち逃げするかのようにロイグ隊が退いたかと思えば、ツェレン隊が再び東から襲い来る。それが退いたかと思えばロイグ隊が・・・という具合で、打って出ることもできず救国軍はひたすら消耗を重ねていった。

 しかし彼らとて無為に時を費やしていたわけではない。霧の中とはいえ、向かってくる敵の顔ぶれに変化がないことに気づくのに時間は然程かからなかった。救国軍は交戦中の先鋒に、後衛を増援として差し向けることを決意した。敵は少数、湖に追い込む形で半包囲すれば、一挙に叩きのめすことは難しくないのだ。

 南から大回りして、救国軍後衛はロイグの指揮する部隊の背後を取ることに成功する。このまま突撃すれば、目前の敵は南北からすり潰される・・・この先に広がるのは勝利に他ならないと彼らは思っていたのだ。それを誅するような衝撃を背後から受けるまで。

「南だ!敵が南から来るぞぅ!」

 南だ、南だ、後ろに敵が・・・陣の各処から上がる声は不条理を呪うかのように震えている。南に陣取っているのはこちらなのに、何故さらに南から敵が来るのか?それを考える暇も与えられず、彼らの目の前に白馬を駆る騎士が現れ、眼光を迸らせる。それは解放連合の中央部隊が味わった恐怖の再現だった。

 

 湖上兵団の作戦要旨は、救国軍を半包囲の態勢に置いて、総力をもって叩くことにあった。第一陣の攻撃は、救国軍の耳目を集めると同時に、解放連合に自らが攻め込まれると思わせる、いわば二重の陽動だったのだ。

 何故解放連合は、脇腹を曝す形となる第一陣を易々と逃したのか?そもそも西の三軍閥は、ユングヴィ勢の攻撃に乗じて目的を果たそうとしているに過ぎず、率先して交戦しようという意思には乏しい。それで戦力を消耗し、果実を他者に収穫されては意味がなくなるからだ。だから救国軍と同様に、防備を固めて湖からの増援を待とうとした。

 加えて、湖上兵団はさらなる細工として、解放連合の左翼側に集中射撃を加えた。右翼側にら進む余地が生まれるわけだが、先程痛撃を受けた戦法を想起させる光景に、被害を恐れて動くに動けなくなる。さりとて左翼側に留まるわけにもいかず、陣全体がじりじりと南へ・・・救国軍を救援できないほどに"引きずられて"いったのだ。

 解放連合を最後まで引きつけ続けた第一陣五百の撤収を任せられたアルバンの目の前に、追い縋る解放連合の迫る。見れば先程逃げ惑っていた先鋒ではなく、後衛の健在な兵であった。怒りに駆られた追撃ではなく、とある"深刻な事情"に基づく攻撃の証であり、湖上兵団が街道に攻撃を仕掛けた理由も、実はそこにあった。

 徐にアルバンが左手を天に掲げると、手甲から高速で球体が射出される。彼が手ずから改造を施した手甲は、右に隠し刃、左に飛び道具を仕込んでいるのだ。球体は破裂して、暗さを増していく空で火花を撒き散らしながら輝いた。

 それとほぼ同時に、敵味方を隔てる地面が音高く響いて、炎の柱がそそり立ったのだから、解放連合の将兵は同様と共に崩れ落ちた。接岸している船に搭載されながら、故障していたシューターをアルバンが修理改造し、合図とともに火薬を仕込んだ矢を撃ち放ったのだ。

「うーん。即席とはいえ命中精度には改良の余地があるな」

 独りごちながらアルバンが味方と合流した時、湖上兵団は救国軍相手に、完璧と言ってよい勝利を収めつつあった。湖という金床に追い詰められ、東と南から軍勢の槌で散々に叩きのめされた救国軍の戦意は底をつき、這々の体でエバンス城へと逃げ帰る様は、敗者の惨状に他ならなかった。

 

 街道での戦いは、湖上兵団の勝利に終わった。解放連合の損害は二割強、救国軍に至っては半数近くを失うことは大損害を受けているのに対し、湖上兵団の犠牲者は百に満たず、手負いも軽いものであった。

「コイツらはもう東に進むことはないだろうね。仲良く喧嘩してくれれば、重畳なことさ」

 刮目すべき戦果は多くの兵を倒したことよりも、解放連合と救国軍に不信の種を撒いたことにあった。結果だけを見れば、解放連合が第一陣の北上を見逃したために、救国軍は大打撃を受けたのだ。元々いがみ合う両者、それが解放連合の故意によるものと流言を行えば、両者は背後を恐れて進軍を取り止めることだろう。

「その辺りはロイグに任せるとして・・・私と未だ体力のある者は、北へと急行する。他の者は城へ戻って態勢を立て直すように」

 ウェールズは持久力に秀でた者を選抜すると、ユングヴィ勢および再興軍が攻め来るであろう北へと向かう。そこでは今、現在の湖上兵団における最重要人物が二人、戦っている筈だった。



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第二話 ふたりの肖像 後編

数日前に上がった狼煙は、街道における戦勝をリューダとオーガスに告げた。二人は今、住民の避難が終わった北の村にいる。

「残りの奴らは北に来るね。よーし・・・」

 それは味方だけでなく、敵に知らせるためのものでもあった。味方の二勢力が敗退したとなれば、南へ兵を分派することは危険でしかない。となれば、再興軍は戦力の全てを北に集中し、湖畔の村を占拠、有力な拠点とすることを選択するだろう。その動きこそがまさに、湖上兵団の活路であった。

「後はユングヴィが出てきてくれるかだけど、大丈夫だと思っていいかな?」

「ああ。我々を追討するという勅命に反くわけにはいかないが、ヴェルダン奥地へ踏み入りたいとは思うまい。となれば、国境付近に我らがいると分かれば、罠かもしれぬと承知で出てくるだろう」

 オーガスの顔には翳りがある。なし崩し的に離れることになったとはいえ、古巣が帝都と現場の間で苦しむのを見、あまつさえ付け込まねばならぬ立場にあって、いい気分でいられる訳もない。リューダは何も言わなかった。それが今、彼にとって一番の気遣いだと思ったためである。

 船団が湖面を割って近づく気配を感じ、二人とその背後に控える兵達は威儀をただす。不安も鬱屈も、目の前の戦に勝たぬことには晴れることもあるまい。

「作戦開始だ、抜かるなよ」

「任しときなっての!」

 それぞれの配置に向かう二人に従う兵はそれぞれ十人ほど。敵と比べれば数えることも馬鹿らしい規模だが、それが戦場を主導することになると二人は疑っていない。

 

 エバンス城南に展開するユングヴィ勢の本陣では、主だった指揮官達が顔を揃えていた。形式としては、兵をどのように動かすかの検討を加えていることになっていた。

「やはり蛮族どもは南で相争っておるそうな。脱走した者どももそちらに加わっておるのではないか」

「そこで戦死したことにでも出来ればよかろうが・・・」

 しかしその実、軍議とは名ばかりの陰気な愚痴をこぼすだけの集まりと化している。兵達に私語を禁じているため、わざわざ目につかない場所に籠っているのだった。これは将、兵問わず抱く思いだが、勝ったとして僅かの益もない出兵に駆り出された徒労感は、こうでもしなければ到底紛れはしない。

「全く、近頃の帝都はどうなっておるのだ?アグストリア領有を反故にされたフリージといい、格式ある公爵家を蔑ろにするにも程がある」

「それに代わって跋扈しておるのが、あの忌まわしき黒装束ども。陛下もついに乱心なされたか」

「東方の反乱鎮圧にユーホズ卿まで駆り出されることになろうとはな。思えばあの御仁も、甥御が蛮族の国に逃げ込んで苦労なさる・・・」

 俄に陣の外が騒がしさを増した。番兵に事情を聞いたところ、味方の周囲を徘徊する敵らしき影が現れては消えているという。それは騎馬を駆り、弓を携えているようだと・・・。

 馬を引き、軍装を纏って指揮官達が前線の様子を窺うと、霧と宵闇で詳しくは分からぬが、確かに馬の動く気配と蹄音が感じられる。その瞬間、両者の間に流れる風が穿たれたかと思えば、前線を守る重騎士の盾に深々と矢が突き刺さった。生じた亀裂は瞬きする間に盾全体を覆い、粉微塵に四裂せしめた。

「オーガスだ」「オーガス卿だ」「奴らがここにいるぞ・・・!」

 現在のユングヴィでこんな芸当ができるのは、逃亡中の身であるオーガスと、その叔父ぐらいのものであろう。探していた獲物は目の前にいる。ユングヴィ勢がそう判断したのは誤りではなかった。

 ユングヴィ勢の上から下までが進軍を望んだ。目の前には確かに抹殺対象がいる。それを討てば、ウンザリする無益な出征から早くも解放されるのだ。追い縋るユングヴィ勢の騎馬、歩兵に対し放たれる矢は、あたかも脱走兵が自らの居場所を教えているようであったが、たとえ罠であろうとそれを踏み破るとユングヴィ勢は思い定めている。

「!止まれ・・・」

 進軍速度を増していく中で彼らは、こちらに迫る者達の気配を感知し、その場に留まる。空気を震わす音は、千単位の軍勢でなければ出せない程のものだった。

「よし、射掛けよ!その後歩兵を繰り出し、逃げ出す暇を与えず討ち果たしてくれよう」

 目当てのものに辿り着いたことを疑わず、弓騎士達は矢を番えた。

 

 同じ頃、湖の東岸。村から少し離れた地点に再興軍の船団が接岸し、大量の戦士を吐き出していた。彼らは街道の二勢力が敗れたと聞いた際ほくそ笑んだものである。形式として南へ分派しなければいけない所を、その必要がなくなり、兵力を温存できるのだから。夜のうちに陣を構え、夜明けと共に村を強襲して一挙に制圧する算段であった。中心に座す指揮官の命令一下、設営のため四方に散る再興軍。

 白銀の閃光が夜の闇を貫き、指揮官の足下に突き刺さった。勢いの強さを示すように小刻みに揺れる短剣、それを見て凍りつく周囲の兵達。注視するあまり、笑みを残して陣から消えた小柄な兵の存在に全く気づいていない。

 異変は一斉に起きた。ある箇所で轟音と共に火の手が上がったかと思えば、その反対側で丸太の群れが陣に乱入してくる。肉が裂ける音と断末魔を各処で聞こえて来るではないか。

「敵だ!敵だ!」「敵が来るぞ!チクショウ、どこだ!?」

 混乱の中やけに明朗に響く声もあるが、報告と言うには中身が乏しく、恐怖を煽っているかのようなものであった。

「無様を晒すな!ネズミが紛れているらしいが、巣を潰せばいいだけのことだろうが」

 流石に指揮官は冷静さを保っており、四方で起こっている異変も、北東の一角だけは何も起こっていないことを見抜く。そこを注視すると、下手人と思しき一団が逃げて行くではないか。寝ぐらを突き止めて壊滅させ、陣の安全を確保する・・・喚声を上げながら、彼らは闇夜を疾駆した。

 大量の矢に射竦められたのは、陣列が縦に伸び切ったまさにその時のことで、最前列を走っていた者がバタバタと倒れる様に後続の足が止まる。伏兵を配していたようだが、弓兵が前面にいるなら肉薄して雪崩れ込むまでのことだ。そう思い直し、怒りを全身に湛えながら突撃をかけた。

 

 

 一連の戦いの終幕を飾る乱戦に、当事者たる湖上兵団が参加していないとは、ユングヴィ、再興軍共に創造だにしていないことだろう。神妙な顔つきをしながら、リューダとオーガスは無秩序な流血劇を村の見張台から見守る。

 厄介な敵同士を喰い合わせる作戦が、物の見事に的中した。少しでも早く目的を果たすべく開戦したいユングヴィ勢と、街道での戦闘結果に応じて自己の目的を果たそうとする再興軍の心理を把握し、互いに疑義を抱かせる前に相争わせることに成功したのである。

 避難したはずの村人も、乱戦の行方を見届けようと幾人か戻ってきた。矢に射抜かれる者、斧に砕かれる者、槍に貫かれる者、締め落とされる者、倒れ伏す者・・・。北と南から自分達を掣肘してきた二つの存在が相食み、その数を減らしていく様に、形容し難い感慨を覚えるのだった。

 湖上兵団により演出された乱戦は、ウェールズが率いてきた快速部隊の登場によって、それまでに幾倍する混乱と流血の様相を示しつつ幕引きを迎えた。両者は湖上兵団と干戈を交えることすらできぬまま、何も得る所なくそれぞれの城への帰途に着いたのだった。三割近い被害を出したユングヴィ勢もそうだが、再興軍は乱戦の最中、リューダ指揮下の兵によって船の半分を焼かれ、乗り込む権利を巡って同士討ちに発展したり、あまりに多く乗り込んだがため、船ごと湖底に沈むような事例が多く見られたもいう。

 後世、「グラン暦700年代後半より始まるヴェルダン統一期の嚆矢」と目されることとなる戦いの終結であった。

 

 

「これは一応の礼儀としてだが」

 戦場での後始末の最中、突然声をかけてきたオーガスに、リューダは目を丸くした。

「成り行きとはいえ、あんたはこれからも世話になる相手だ。少しは会話のようなものをしていくことにする」

「・・・急にどうしちゃったワケ?」

 間抜けにも口をあんぐりと開けながら、リューダは首を傾げる。

「正直なところ、私がこの度北での作戦を提言したのは、自らの腹を据えるためでもあった。かつての同輩を陥れることによって、これまでと決別するための・・・通過儀礼とでも言うべきか」

 そこで一旦息を吐くと、リューダに向き直って続ける。ほんの僅かだが、印象が柔和になったかと思われた。

「戦友や妹にも心配をかけているからな。部下の命を預かる身で、子供じみた好き嫌いはしていられん」

「そっかぁ。色々考えてて立派だね、キミ。でもオレとしちゃ、そんなに気まずかった覚えはないけどなぁ。むしろオレの言いたいこと、なんか上手く伝わってる気がするし」

 手を頭で組みながら、リューダは傍らの弓騎士に笑いかけた。例の"依頼"を一応は果たせているのかと、オーガスは安堵したような気分である。

「あぁ、そうだ!これからオレ達に本気でついて来てくれるってんなら、オレのこと名前で呼んでみてよ。リューダ、ってさ」

「生憎だが断る」

 急に目線を外しながらオーガスは続けた。

「私は今も騎士としてこの軍に身を置いている。であるからして、手足となるべき主君の名前を呼ぶことは、礼に反するというわけだ」

 ではな、棟梁。言うだけ言って、オーガスは返事も聞かずに持ち場へと去って行った。

 

 

〜第二話 ふたりの肖像 了〜



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第三話 ヴェルダンの血風 前編

経過観察日誌 記録番号 27-775-328221

 

 被験体27号は"種"との同調に、類稀な適性を有している。今回の定期検査はその推測を確信へと導いた。実際に"種"を装着しての精神同調実験において、彼に呼応するように"種"がその様態を変えたのである。"種"は本来装着者の心身を一時的、あるいは永続して変質させるものであるが、彼は自らの意思をもって、逆に適した形へと"種"を操作してみせたのだ。

 着目すべきは、その「意思」の内実である。当初、彼は明確な意図を抱いたうえで"種"の最適化に成功したのかと推察したが、その原因は理性でなく、むしろ情動にあると考えるべきであるようだ。"種"と人体の同化は、感情の昂りによって安定する可能性が高い。次回以降の定期検査においては、感情の上下と"種"の活動安定についての相関関係の実証を、重要課題と据えるべきであろう。

 なお、擬似聖痕の発現は、様態変化前後および変化最中においても、その兆しを見せなかった。現時点において、情動による"種"との同調促進とは因果関係が無いように思われるが、継続して記録を続けるものとする。

 

記録者 異端審問官 ヴェイリア

 

 

 蛍のように儚げな蝋燭が灯る暗黒の一室で、女は筆を置いた。帝国の名、そしてロプトの実によって築かれる、新たな大陸の秩序と繁栄。悠久の使命を帯びた神官の一角であるヴェイリアは、彼女が壮大と信じてやまない実験に執心していた。

 それを駆り立てた者に思いを馳せる。天啓というものを心の底から実感し得たのは、彼と出会った時が初めてではなかっただろうか。それ以降も、ヴェイリアは期待を裏切られたことがなかった。ユングヴィとヴェルダンが見苦しく相食んでいると話した時の静かな激情、思い出すだけでも心臓が音高く弾む。男は今反乱鎮圧の任を帯びて、王都バーハラの北東、イード砂漠はフィノーラ城へ向かっている。

 皇帝の生家たるヴェルトマーからそう離れていない場所で勃発した反乱。皇帝の、ひいては帝国の名は最早他に堕ち、その命数は今まさに尽きようとしている。帝国の終わりは同時に、教団にとって栄えある未来への始まりである。ヴェイリア本人にとってもそうであったが、抱く展望は教団のそれと異なるものであると、彼女のみぞ知る。

 ふと、傍の蝋燭を見やる。純白の蝋が消えて形を失していくかのように、少しずつ、しかし着実に事態は望む方向へと進んでいる。差し当たっては、最善から三番目の状況となっているヴェルダンにおいて、ひとつ手を打つべきだと思い定めた。

「無事の帰りを待っているわ、ビュグビル」

 蝋燭は消えた。

 

 

 季節は冬に移り変わっていたが、大陸南西のヴェルダンは一年を通して温暖であり、少しばかり肌寒くなるだけのことである。

 北と西から迫る敵を相手に湖上兵団が大勝を収め、七十日ほどが経過している。連戦状態にあった将兵の休息の他、船による行軍、戦闘訓練も並行して行われた。ヴェルダン本城に籠る、王室再興軍の攻略がための布石である。

 ヴェルダン解放連合、ヴェルダン救国軍を問題とする必要はなくなっていた。街道における戦いで、救国軍は解放連合に背信の疑いを強く抱き(そう喧伝することで、指揮官への不満を逸らす意図もあった)、解放連合もまたそのことに強い不満と不安を抱いていた。

 解放連合の陣中で大規模な反乱が起きたのは、つい十日前のことだ。そもそも解放連合は再興軍、救国軍に敗れ、軍門に下ることをよしとしない者の寄合所帯として結成された経緯がある。敗戦は、必ずしも意思統一がなされていなかったという弱みを露呈させ、湖上兵団に帰順するか否かの対立が、武力闘争へと発展したのである。

 この機を待ち、監視を続けていた湖上兵団の動きは迅速だった。ロイグの指揮する先行部隊は、帰順派の蜂起に同調する形で解放連合の本拠を制圧することに成功する。さらに、失地回復を狙って出撃した救国軍は、オーガスら弓騎士を先陣とする湖上兵団本隊の待ち伏せを受け壊滅。すぐさまマーファ城を包囲され、衆寡敵せず降伏した。・・・かくして、湖上兵団に敵対する勢力は一挙に二つもヴェルダンから消滅し、ヴェルダン平定まで後は本城を残すのみとなったのである。

 

「移ろう季節の早きことかくの如し。花景色と共に、人の営みも変わるものですねぇ」

 劇的すぎる状況の変化を、あたかも四季の風情と同列に語るような青年修道士・カルムの口ぶりである。ちなみに今、彼の目の前にも彩り豊かな花が並べられているが、これは彼の調合する傷薬や酔い止めの材料である。それを挟んだ対向に手伝いを名乗り出たイーファと、様子を見に来たツェレンがいた。

「勝手に咲いて散る花とは違うだろ?アタシらや皆が戦ってるから連中は消えたのさ」

「まさにそれですよ。温室に籠っていながら、季節と共に生きる花の有様が分かる筈もなし。己が意思を持って歩む者にしか、世の無常は見えぬものです。・・・まぁ、これは我が師の受け売りですが」

 花を選別する手を止め、ユングヴィ勢が放棄していった物資の中にあった杖を手に取るカルム。"サイレス"や"レスキュー"といった高位の杖も幾本かあった。しかし、良きにしろ悪しきにしろ、こんな奇特な聖職者を育てた師匠とはどのような人物なのか。微かに興味を抱きながらイーファを見たツェレンは、彼女が自らの髪と瞳を連想させる蒼い花に目を輝かせているのを見た。

「このお花、ユングヴィでは森の奥地に、ほんの数日しか咲かないんです。手に持っているのが不思議な気持ち」

「アンタの目みたいに綺麗だね」

 ツェレンとイーファは長年の知己であるかのような笑みを交わした。十年間、故郷の外で傭兵として生き、己以外顧みる余裕のなかった反動なのか、ツェレンは殊の外イーファを可愛がっている。仇敵の国に来ざるを得なくなってなお、笑みを浮かべる切欠があったことは、率直に喜ばしい。

「こっちに来て苦労も多いだろう。特にこの国の男はむさ苦しくて嫌になるんじゃない?」

「否定はいたしませんけど・・・ユングヴィにも辛いことや怖いことはありましたわ。最近では不気味な噂も流れていて・・・」

「噂?」

「はい。なんでも、亡くなられた方が」

 その時、とある報せを持ち込んだのは、船の改造に嬉々として携わっていたアルバンであった。ヴェルダン本城、王室再興軍への攻撃が決まったのである。

 

 

「この戦いは、我らにとって一つの区切りとなろう」

 ウェールズの宣告が意味するところは、既に皆が察していた。再興軍を撃滅すれば、ヴェルダン国内に湖上兵団と並ぶ軍閥はもはや存在しない。ヴェルダン統一・・・湖上兵団の存在意義が、間もなく全うされようとしているのだ。残党や賊徒の討伐には相応の時がかかることだろうが、一つの大きな到達点に至るまでの道程は明確に示されている。

 ヴェルダンの地形、拠点の描かれた地図が卓上に広げられる。敵性勢力を示す赤い点がヴェルダン本城に偏在しているのだが、この無機質な様相が却って、勝負の時が差し迫っているとの認識を新たにさせた。

「此度の作戦は、陸海同時攻撃をその骨子とする。本隊が陸路から北上するのと同時に、別働隊が海路を進んで本城西の港を制圧する」

 布陣の完了した後は陸と海の双方から攻撃と後退を繰り返して、物心両面から敵の消耗を図る。留意すべきは北と東(湖)方面に兵を配していないことで、これは敢えて退路を作り、決死の反撃を誘発しないことを目的とする。同時に、敵の首魁を敢えて野に放つことで、各地に跋扈するであろう残党を糾合し、掃討の手間を省くという意味もあった。

「そして、だ。実は連中をどうこうするより、本城そのものを速やかに確保しておく必要があるのだ。このことについては、我らが棟梁に思う所を語っていただくとしようか」

 リューダは立ち上がり、口を開いて息を吸い込む直前、オーガスの方を向いたように彼には思われた。直後、意を決したように言葉を紡ぎ始める。

「端的にオレが伝えたいのは・・・本城には再興軍なんかより、もっと厄介な敵がいるんじゃないかってことなんだ」

 よくよく見るとリューダは掌で、文字がびっしりと記された小さな紙きれをを包み込んでいた。なお、これは余談だが、バトゥ王が製紙技術をヴェルダンに導入して後、材料となる木が大量に生えているため、普及が速やかに進んでいる。

「オレにとっては生まれる前の話だし、みんなも小さかったり外の国にいたりで、実際に見聞きしたわけじゃないとは思う。だけど・・・おかしな連中がヴェルダンに蔓延ってた時期が、確かにあったんだ」

 湖上兵団の幹部達にとっては言うまでもないことだった。ウェールズやツェレン、ロイグの古参は勿論のこと、直接の被害者たるユングヴィ出身の二人も、その件については把握している。

「暗黒教団・・・20年前から、未だに潜伏を続けていたとはな」

「グランベルの役人が赴任した時、むしろ増えたのかもしれないね」

 バトゥ王の下、グランベルとの融和方針を保っていたヴェルダンが757年に突如としてそれを転換した裏に暗黒教団の策謀があったという噂は、一部で有名であった。それは現在における暗黒教団の跳梁からして、ほぼ事実であると捉えられている。

「前にもあったから、ってだけじゃないんだ。考えてみれば、今のヴェルダンにちょっかいを出して・・・得をするような国が無いんだよ」

 リューダはさらに必死に紙切れを読み込む。

 北のアグストリアは、帝国軍と土着の豪族の衝突によってヴェルダンに劣らぬ混乱の渦中にあり、国外に干渉する余裕はない。仮に帝国が併呑の前準備をしたにしては、兵力を小出しにするだけで、あまりにも手際が悪い。となると、公爵家の手勢を動かす繋がりを持ち、それでいて帝国の益にならぬようなことをするとなれば、暗黒教団が唯一の答えとして浮かび上がるのだ。

 未だ推測の範囲ではあるが、オーガス達が亡命するきっかけとなった事件も暗黒教団の差金と考えるならば辻褄が合う。ユングヴィ勢の攻撃に西の軍閥が呼応したというより、西の軍閥の背を押すためにユングヴィを動かしたとしたら・・・。この手法を念頭に置いて過去を再考するならば、全ての始まりとなったイード砂漠

の変事も、暗黒教団の手によるものかもしれない。

「我が故国をこれ以上利用させはせん。邪神の僕ども、ゆめ生かしては帰さんぞ」

「だから皆も、裏にいる奴らのことを考えて、気をつけて戦って!戦いはまだまだ続くかもしれないんだから」

 威儀をただす一堂。改まった顔は高揚した戦意と未知への警戒に満ちていたが、怯懦の欠片も浮かべてはいなかった。

 

 

 王室再興軍の頭目・アザルガンは恐らく生涯で最も不味い酒を呷っていた。南の二勢力が痛手を被っている隙に、北に有力な拠点を築かんとの計画は、小娘率いる取るに足らないはずの軍勢にいいようにあしらわれ、ユングヴィ勢とぶつかる羽目になってしまった。埋めがたいほどの戦力の損耗、何より士気の低下が著しい。単なる敗北による消沈に留まらず、戦力が低下した状態で、帝国に喧嘩を売ってしまった事実が再興軍を打ちのめしている。

 逃避するための酒は、彼にとって初めてのことだった。赫となって部下を三人は手打ちにした。恐怖と失望で周りには誰も寄り付かない。大小の敵を撃ち破り、本城を手中に収めた時の熱狂は夢であったのか・・・。

「あの黒坊主はどこだ」

 怒りの対象を見つけぬことには、精神の均衡も図れぬ心境であった。落ちぶれた身が自嘲されるアザルガンだが、その原因は最近現れた黒装束の口車に乗ったためではないか。

「お呼びせずともここにおりますよ」

 酔いと怒りで顔を赤くする頭目の心境を知ってか知らずか、ごくごく暢気な調子で黒き法衣を纏った神官が姿を現す。美しい妙齢の女性を連想させながら、底冷えするような不気味さを帯びた声色が、アザルガンにはいつにも増して

不快に感じられた。

「軍を動かすよう勧めた時、お前は俺をヴェルダンの王にしてみせると吐かしたな。それがどうだ?俺は間もなくあの小娘の飼犬となり果てるだろうよ!」

「まぁまぁ、そうお嘆きにならないで」

「誰のせいだと思っている!?」

「それは無論貴方さまのせいですわ。状況の変化も、敵の思惑も知ろうとせずに、獣の如く獲物に向かうから足を掬われるんです。兵たちにも見放されつつあるんだから、小娘とやらによくしてもらう方策を考えては如何でしょう」

 憤激と共に飛来した斧が嘲弄を中断させた。

「俺が勝つにせよ負けるにせよ、それはお前を八つ裂きしてからのことだ。誰を侮辱したのか思い知らせてやるぞ!」

「誰も何も・・・貴方さまは一介の負け犬でしょうに。ねぇ、皆さん?」

 ぞろぞろと姿を現した戦士は、いずれも再興軍の装備を身に纏っていた。異様に青白く、生気の失せたそれぞれの顔には、アザルガンも覚えがあった。

 皆、湖を渡り、そのまま帰って来なかった者ばかりではないか。

「感動的でございますね、最後の最後に馴染みの方々と再会が叶って。私も嬉しゅう御座います・・・」

 神官の携える魔本から迸る闇が、頭目の世界を暗黒に染め上げた。



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第三話 ヴェルダンの血風 後編

軍議から十日後。マーファ城に物資を集積した湖上兵団は、本城南へと進出し布陣を整えた。別働隊はそれと併進する形で海路を北上、港を目指す。途中、大量の物資を積んだ船で本城を脱出し、降伏を申し入れると接触しに来た元再興軍の兵とも遭遇する。真に幸先の良いことに思われた。

「後は南と海上からの波状攻撃で、出戦してくるたろう敵を振り回しつつ前線を押し上げていく。包囲が完成した後は攻城塔を展開、一斉射撃で抗戦の意気を挫く、か」

「うん。だけど籠ってて勝てないことはあっちも分かってるだろうし、どうにかしてオレ達を潰しには来るね」

 棟梁たるリューダ、それにオーガスは、森を抜けて陸から城に迫る本隊に加わり、それぞれ戦士と弓兵の総指揮を執ることになっている。心地よい東風に当たりながら、出陣前の会話を交わしていた。

「しかしこの間の軍議、あんな物まで用意してどうしたんだ。あんたらしくもない」

「らしくないって何だよ。たかだか数ヶ月しかここにいないクセに」

「新参ですら分かるほどに、ということだ」

 観念したようにリューダはかぶりを振ると、溜息混じりに口を開いた。

「オレだって、伝えたいことを整理するぐらいの知恵はあるっての。そもそもがキミに原因があるんだからね」

「私が?」

「おおかた軍師殿あたりに頼まれたんだろうけどさ、それでもキミはオレの命令を聞くと言ってくれた。自分が前に居た所と戦ってくれた」

 リューダの目線は北・・・悲劇的で非生産的な人間の営みを物ともせず、静かに天地と共に在り続ける、深い深い森に向けられている。そこには彼女の"始まり"がある筈だった。

「オレは皆の棟梁なんだ。皆が力を貸してくれるんなら、オレはそれに責任を取らなきゃいけない。・・・キミがああ言ってくれたから、そのためにどうすべきか、少しだけ分かったような気がしたんだ。ただそれだけだよ」

 歯を剥き出して満面の笑みを浮かべるリューダに、鉄面皮のオーガスも頬が少し弛んだ。神秘の湖に洗われたごとく透き通った笑顔であると、素直にそう思えた。

 

 

 湖上兵団と再興軍の衝突は、本城南、森と海岸線に挟まれた通り道での激突から始まった。

 湖上兵団は森側に戦士、海岸側に弓兵を配して前進する。対する再興軍は地勢を生かすべく、伝統的な戦士による突撃を捨て、弓兵による一斉射撃を仕掛けた。湖上兵団はそれに応射する素振りも見せない。

 最初の矢を再興軍が撃ち終わろうかというまさにその時、湖上兵団方の弓兵が屈んだかと思えば、遥か後方から飛来した鋭い輝きが、風を穿つ軌跡を描きながら、再興軍の前衛に突き刺さった。通常の二倍を優に超える射程距離を誇る、長弓による攻撃であった。屈んでいた弓兵達も立ち上がり、間断ない射撃で前面の敵を立往生させる。

 この時湖上兵団の弓兵は、通常の弓を前方、長弓を後方に配置していた。長弓の長距離射撃で機先を制してから、通常の弓による速射で制圧するという戦法であり、再興軍も弓で仕掛けてくることを想定して実施したものであった。前後の異なる得物の弓兵が連動して撃ち続ける機械的な動きこそ、弓兵隊が動作を完全に頭と身体に叩き込んだ成果と言えよう。解放連合との戦いで大功を挙げ、彼らには弓兵隊としての自信と誇りが芽生えており、それが技量の充実に直結していた。指揮を執るオーガスも、最低限の指示以外を必要としない程である。

 再興軍が状況を打開するには、戦士を押し出して弓兵に肉薄させるしかない。そのために、再興軍の弓は森側を進む湖上兵団の戦士部隊へと向けられた。大量の矢を射掛けられ、足を止めて防ぐ森側の戦士部隊。戦士と弓兵を分断させるのが狙いであったが・・・再興軍は気づかなかった。あるいは、気づきながらも無視していた。再興軍弓兵隊に対する射撃が、極めてその密度を薄くしていたことに。

 聖者が海を割るように弓兵隊が左右に分かれると、その向こう側から、戦士の一団が火の玉のように猛進する。この局面を待ったが故の配置であったと、再興軍は動揺と共に気づかされた。矢の雨が止んだ隙をつき、リューダの直率部隊が、敗走する敵弓兵に付け込む形で敵の中核に割り込んでゆく。敵味方の咆哮が渾然一体となって大気を震わす中、めいめいに斧を振るっては目に映りしものを薙ぎ払う。刃と刃のぶつかり合いが陽光を浴び、光芒となって白銀の川を形作るが、断末魔と肉が裂ける音が大音声で奏でられるうちに、それは白から赤い濁りへと変じていくのだ。じりじりと後退していく再興軍には、後退しながら敵を引きつけて逆襲するという選択肢もあった筈だが、距離を取る余裕もない攻勢の前では選択肢から消えてしまっている。

 それでも、何もせぬまま敗北を待っているわけでは、無論なかった。残存する戦力の中から精鋭を選び出すと、森を抜けて湖上兵団の背後を突かせようと画策したのである。森を押さえれば敵を側面から海岸に追い詰めることも、退路を断つことも、敗走したと見せかけて戦力を集め、城を攻撃する背後を襲うこともできる。

 それも全ては可能性に終わった。森に潜んで湖上兵団の背後を窺う筈であった彼らは、一人の少女が率いる一団に、逆に背後を突かれたのである。マーファ城を発ったリューダの直率部隊が、本城からは木々に覆われて死角となる湖岸沿いに船で北上、上陸して奇襲をかけたのだ。東風に背を押され、彼らは木々の間にその身を滑り込ませた。

 動きを読まれていたことに狼狽する再興軍に向かい、大振りの両刃斧を振り上げながらリューダば先陣を切って猛進する。勢いのまま横一文字に振り抜けば、固まっていた再興軍の戦士は一斉に飛びずさり、後には燃え立つような衝撃が残された。逆襲に転じようと向かってくる彼らの速度に斑が生じていることをリューダは即座に見抜くと、最も突出していた一人に飛び掛かかった。豹もたじろぐような俊敏さで組み付いたことに気づいた瞬間、無防備な太腿を短剣で刺し貫かれた男は、出来の悪い人形のような姿勢で凝り固まる。短剣に塗りたくられていた神経毒に冒された男は、遥かに体格の小さいリューダによって味方の所に蹴り飛ばされて、その陣を乱した。

 大きな荷物を辛うじて避けた再興軍の目の前からは湖上兵団の棟梁は消え、彼女が引き連れた戦士達の突進が視界を覆い尽くす。両刃斧による最初の一撃は、味方が攻撃するための隙を作る、集団戦を意識したものでもあったのだ。

 喚声と断末魔が森を揺るがしたが、後者に関してはほぼ全てが再興軍のものとなっていた。

 

 

 本城西の港湾封鎖に向かっていた別働隊の船は、妨害を受けることもなく上陸を果たし、橋頭堡を築くことに成功する。

「城には未だ敵が詰めてはいるが・・・こちらには戦力を振り分けてはいないようだな」

「そりゃあそうさ。少し突つけば海に逃げ出す奴より、陸続きの方を叩いた方がいいに決まってる」

 ツェレンとアルバンは上陸早々、手際よく防備の拡充を進めていった。二人の遠望するヴェルダン本城の外壁には再興軍の戦士が見張りの任に着いているが、距離を隔てても不安に気を揉んでいるのが見て取れた。それは即ち戦況の差であり、湖上兵団にとっては喜ばしい状態と言えよう。

 やがて二人は、本城で最も高い塔の頂点に人影を認める。再興軍頭目のアザルガンと思われたが、遠眼鏡(アルバンの持ち込んだ貴重品)を覗き込んだツェレンはそれを否定した。その体躯、所作はまるで・・・

「女?」

 女らしき人影の手元に禍々しい瘴気を纏う本があるのを見るや、報告を受けた上陸部隊は慌ただしくも要領よく動き始めた。瘴気は闇そのものを練り固めたような巨大な球体に変じ、上陸部隊に向けて解き放たれる。あたかも伝承の魔狼が獲物に牙を剥いているようで、その視線の先には身の丈ほどもある盾を構えたアルバンがいた。

 闇が爆ぜる。瘴気に覆われる湾岸。ユグドラル大陸の魔法は風、雷、炎、そして光と闇に大別されるが、最後の二つはまさに別格である。いかに分厚い盾を翳し、鍛え上げられた鎧を以ってしても防ぐことは叶わないのだ。瘴気が晴れた後に、命ある者はいないはずだった。

 だが今、その先の光景には未だ健在の戦士達がいた。盾を翳していたアルバンも、取り立てて手傷を負うことはなく平然としている。

「よし・・・よし、これでいい。あの修道士、変わり者ではあるが腕は確かだな」

 一見大きいだけの盾に、実は秘密があった。リューダの発言を受け、暗黒教団の攻撃に備えた特製の盾である。素材の表面には聖水が振りかけられ、高位の杖である"Mシールド"にも護られている。それは功を奏し、強力な闇魔法である"フェンリル"を見事に防ぎ切った。

 しかし、備えが当たったことに喜ぶ部下達と違い、指揮官二人は怪訝としている。

「気に入らないね。何で奴ら、こんな所で撃ってくるのさ?」

 仕掛けてくるのが想定より遥かに早かった。射程に入ってすぐに、といった具合である。より内陸に引き入れ、おいそれと退けない状況下で撃てば、もう少しは成果を挙げられたかもしれない。機先を制するにしては、それに続く攻撃の気配もない。考えられる可能性としては、

「我々を足止めするつもりなのか?城に近づかせぬために。とすると・・・」

 南の本隊に何かを仕掛けるつもりかもしれない。警戒を促すべく伝令と狼煙の支度を指示したその時、城から発せられる熱気と轟音が敵味方の注目を奪った。

 

 

「城が燃えてゆく・・・!」

 湖上兵団と再興軍、相争う二勢力のいずれが発した言葉かは分からなかった。本城の門、湖岸の船着場を始めとする本城の施設が、連鎖的に爆発したのだ。それは唐突に起こった変事であり、敵も味方も戦場に在ることを忘れ呆然とする。だが、この状況に既視感を覚える者達もいた。

「やはりこういうことか・・・!」

 オーガスらユングヴィ勢が、全ての始まりを忘れることは一時もない。噴き上がる炎と、迫り来る謎の一団に追い立てられて故国を追われたあの日・・・目の前の光景はそれを甦らせたようではないか。この相似は偶然ではあるまい。あの時から暗躍を続けている何者かの魔の手が、今また新たな居場所に対しても迫っているということである。

「ウェールズ卿は何処に?」

「ちょうど良い。私もお前に提案したいことがあるのだ」

 状況の激変に対し、湖上兵団も戦術の転換を迫られている。敵はこの後、恐怖に駆られた戦士を暴走させて叩きつけ、損害を度外視してでも南の陣を崩すつもりだろう。得られるものは勝利ではなく、暫しの時間的余裕といった所か。これに続く何らかの細工のために時間を求めているとすれば、このままにしておくと後々厄介なことになるだろう。

 死兵と化した敵を受け流すだけならば、戦線を大幅に後退させて、敵陣が伸び切った所を叩けばよい。しかしそれは、時を稼ぐという敵の目的の範囲内であるから、実質的に意味はない。逆に言えば、未だ城に巣食う黒幕を叩き、禍根を絶つ機会は今しかないのだ。

 敵の別働隊を退けた森にて、未だ待機しているリューダからの急使が駆け付けたのはそのような時であった。現在の戦況に即した作戦案・・・というよりむしろ、棟梁としての決定を告げるものである。

 まず一隊が、敵の撤収した森から北上して本城に迫る。それと並行して"サイレス"を扱いうる者(事実上カルムのみ)を乗せた船を西岸沿いに動かす。これによって、敵の遠距離魔法の標的をいずれか一方に絞られる、つまり南を狙えば"サイレス"で無力化され、湖を狙えば城に肉薄される、という二択を強いることができるのだ。この時西の上陸部隊は、橋頭堡から進んで出撃している敵を挑発し、足止めをすることとなる・・・。

 この内容は即興で構想したものではなく、闇魔法使いが敵陣にいた場合を想定し、リューダがあらかじめ組み立てておいた作戦を、状況の変化に応じ細部を変更したものである。

「危険だ」

 というのが、最初に抱いた二人の考えであった。恐らく棟梁は、森からの北上部隊を自ら率いることであろう。そうなれば、敵は必ずそちらを狙ってくる。となれば"サイレス"を擁する船の危険は減り、確実に闇魔法を無力化できるのは間違いない。そのことにリューダが気づいていないとは、二人は思えなかった。

「決定には従う。君命に背くは騎士の範に悖ることだ。だが」

 しかして、これ以上の方策は思い浮かばない。生き延びる道が一つとなれば、それを信じて進む他はないのだ。腹を括ったオーガスは、決意に満ちた目線を湖の方角に向ける。

「船には私も乗り込む。アルバンの調整したシューターが搭載されている故、それを用いて棟梁を援護するとしよう」

「射撃中は隙が生まれるだろう。遠距離魔法に狙い撃たれはしまいか」

「東風はこの数日、しばらく吹き続けるとあの修道士が言っていた。上手く利用すれば、"フェンリル"の射程外から地上を攻撃できる。やってみせる」

 南の部隊を率い、敵の足を止めるとだけ言って、ウェールズはオーガスの行動を容認した。今はその身分を捨てたとはいえ、彼もまた騎士の誇りに生きていた男である。覚悟にはただ行動をもって応える・・・ウェールズもまたその道を心得ていた。

 

 

 獣じみた狂乱の叫びが群れをなし、南へと突撃してゆく。絶望的な戦況下、突然の爆発で撤退すら困難となり、再興軍の将兵が判断力に支障をきたしたのも無理からぬことである。城から突出した残存部隊の無謀な突撃に乗じ、波濤となって湖上兵団に向かっていった。

 その先頭に居たのはアザルガンであった。先の大敗で荒れていた頭目に従わぬとなれば、仮に生き残ったとてどんな目に遭うか分からない。・・・いやに土気色の顔をして、機械的な動きをしていたことにも気を留めず、頭目の突撃に皆が同調する。

 挑戦を仕掛けるような銅鑼と太鼓の咆哮が森の中心から響いた。リューダの直率部隊が、声高に作戦開始を宣言したのだ。これ幸いとばかりに、北と北西から勢い任せに森へと踏み入っていく再興軍。アザルガンを先頭とする部隊は道を進み、ウェールズの敷いた防御陣へ突撃してゆく。それは森へ向かう味方を援護するかのようであり、死兵の群れにしては違和感を覚える動きであった。

 獲物や腕を振り回して木々を薙ぎ払い、通路を啓開していく再興軍に、リューダと麾下の戦士達は白刃を煌かせて踊り掛かる。ここで眼前の敵を撃退すれば、啓開された通路を逆用して城の眼前に出ることができる。湖上兵団が存在を誇示するように大音声を発する理由の一つがこれであった。

 この時リューダは自らを、両刃斧を振るい短剣を撃ち放つだけの、一介の武器と化したようにも見える。しかしその双眸は、まるで別の場所から眺めているように戦場を俯瞰していた。

炎に追い立てられた再興軍の戦いぶりはまさしく野獣そのものである。肩口から斬られ、腕を落とされ、矢を受けて針鼠にされようとも向かってくる様は酸鼻極まり、棟梁直率の戦士といえど押し負け、倒れ伏す者も少なくなかった。

 ついに少女が見つけた糸口、それは生気が著しく欠乏した指揮官らしき男達であった。狂奔の渦中にあって周囲を煽り立て、或いは背を向ける者を切り捨てて、湖上兵団と無秩序な衝突を続けるよう仕組んでいるかのようだ。先立つ北での戦いで見たような顔触れだが、ともかくこれを討てば、無秩序な乱戦を続けるより戦況は好転することだろう。

 異相の指揮官達に突き刺さった短剣は毒の代わりに蛍光塗料が塗られていて、敵味方が入り混じる中でも容易に判別が可能である。数は限られているが、リューダはここが使い所だと見定めた。狙うべき目標を見つけ、一の敵に対し四、五人の戦士が組んで立ち向かう。多勢に対しても恐懼を覚える気配もない抵抗には苦戦したものの、数の圧力に耐えかねて指揮官は沈んだ。

 リューダの狙いは的中した。指揮官の周囲で戦っていた再興軍の戦士が、灯台を見失った船のごとく狼狽し、逃げ出してゆくではないか。敵を駆り立てる"術"を暴いたリューダ達の攻勢はより鋭いものとなって、切り開かれた道を突き進んでゆく。

 

 同様のカラクリに、別の戦域に在る湖上兵団の皆も気づいた。特に上陸部隊は遠距離魔法から逃れつつ森の北へ攻撃をしていたために、細長い陣形となって膠着していたが、攻略法を見出してからは、至近距離での肉弾戦を長けるツェレンの独壇場となった。長剣を部下に貸し与えて身軽になると、周囲を押さえ込ませている内に、指揮官の関節を極めては双斧を急所に叩き込む一連の動作を「美しい」とすら評しうるほど流麗に成功させる。その側面を、アルバンらが文字通り盾となって守る。

 湖を進む船上からもその奮戦ぶりは見て取れた。作戦において最後の仕上げを一任されたカルムを乗せた船は湖面を割りながら、地上に向けてシューターの砲口を向けると、森の出口を固めようとする敵に長大な矢を吐き出し続けている。僅かな陣の乱れに吸い込まれていくかのような射撃、しかも東風を利しているため、遠距離魔法の射程外から一方的に撃ち続けることができるのだ。そしてオーガスが射手を務めている限り、精度には何らの不安もなかった。

「ようございましたね!敵の船が出ていなくて」

「先だっての戦いで幾つか沈んだうえ、今は船着場も燃えているからな。・・・それより、間も無く接近するぞ、用意はいいのか」

「ぬかりありません。ですが、何故お分かりに?」

 森を固める敵陣、その中央部分は再興軍の切り開いた森の出口であるが、その周辺の乱れが先程よりも激しくなっている。リューダ達が順調に前進を続けている証だ。上陸部隊の方もそれを察したのだろう、その動きが攻撃から、西へ敵を引きつけるようなものへ変わっている。

「ユングヴィ騎士であれば、このくらいの見立ては当然だ」

「騎士としてですか・・・」

「・・・何か?」

「お味方の動きがそこまでお分かりになるというのは、それだけ今の軍に馴染まれた結果であると思われますがね」

 穏やかな笑みを浮かべているであろうカルムに一瞥もくれぬまま、オーガスは最後の一発を敵に叩き込むと、湖岸への接近を指示した。湖上兵団の皆が一つの目標へ全力を尽くし、その時が来たのである。

 

 

 蠢く黒雲を、森から躍り出た雷光が貫いたかに見えた。右翼は上陸部隊に誘引され、左翼は矢の雨に曝され、ほとんど四散していた本城前の再興軍を、リューダ隊は中央から突き破る。

 死に体の敵に止めを刺したリューダは、本城前に陣取る味方の最前列に立ち、両刃斧を眼前に突き立てて柄頭に両手を重ねる。視線を上げた先の黒い人影を睨め付けたまま、ゆっくりと口を開いた。

「来いよ、黒装束。オレはもう、二度と逃げも隠れもしないぞ」

 互いに顔も見えないような距離である。その言葉は聞こえるはずもなかったが、確かにその直後、魔力の高まりを受け空気が鳴動し始めた。どす黒い瘴気の球体が魔狼に変じてゆく様が、魔道の素養がないヴェルダンの戦士達の目にもはっきりと映り込む。死と破壊の恐怖を湛える魔狼の目線を、リューダは姿勢も変えぬまま、正面から受け止めた。そして見た。魔狼が底冷えするような咆哮と共に向かってくる。

 ・・・直前に、黒い塵と化して霧消するのを。黒い人影を、輝く結界が封じ込んでしまった光景を、魔道に通ずる者であれば認めたかもしれない。魔力の昂りを立ち所に鎮める光・・・"サイレス"の輝きが満ちていた。

 

 変化は、あまりにも劇的に起こった。

 各方面において、再興軍を扇動していた異相の指揮官達。それが雨に曝された火種のように突然沈黙したのは、サイレスが発動したのと同時であった。部下の大半が地に伏せながら抵抗を続けていたアザルガンも例外ではなく、攻勢を受け止めるウェールズの眼前で突然立ち止まる。皆を退かせ、態勢の立て直しを命じたウェールズの元に戻った戦士は半数が手数を置い、仲間の肩を借りて立っている様が、先刻までの激戦を忍ばせる。

「・・・何だ、あれは」

 珍しく抜剣し、戦士達に混じって大立ち回りを繰り広げていたロイグが、信じられぬと言わんばかりの呻きを上げた。

 それまで動き、戦っていた人間が、砂となって崩れ落ちるなど、まず有り得ないことであろう。だが彼らの眼前で、実際にそれは起きていた。アザルガンを始めとした再興軍の指揮官が、立ったまま目の光を失って、そのまま砂塵と化して消えてゆくのだ。操り人形が、自らの手足を支える糸を切られたかのように・・・。

 

 超常の光景が即ち、自らの敗北を意味するものだと、再興軍の戦士達は本能で察すると、脱兎という言葉が似合うほど必死に、散り散りになって四方に逃げ出した。未だ火種の燻る本城には目もくれずに。

 しかし、それは湖上兵団にとっての終幕ではなかった。塔の上に在った黒装束が飛び降りるや否や、リューダのすぐ目の前に現れて矢を番える。あまりに突然の事態に硬直する周囲の者達の視線を受け、不敵な光を放つ瞳には、目の前の少女が倒れ伏す光景が映っていたに違いない。

 空気の塊と共に東から飛来した一本の矢が、それを打ち砕いた。柄を握っていた手が矢の直撃を受けて、弓を取り落とす。黒装束がさしたる動揺も見せぬまま、一瞬東に視線を向けて戻した時、リューダは消えていた。否、地面に触れる直前まで身を低くしながら、両刃斧を携えて疾駆していたのだ。

 銀色の軌跡が黒い影を両断した。右から左へ得物を振り上げたリューダは手応えを覚えたが、何か人ならぬ異様なモノを叩き斬ったように感じる。間もなく生命を終えるはずの黒装束が浮かべたのは・・・笑み。それは妙齢の女のものに思われた。

 暗灰色の炎からリューダは飛び退る。引導を渡した筈の敵が発火しても、最早驚く程のことではない。自決用に仕組んだ闇魔法であろう。

「まだ終わりじゃないんだね・・・」

 リューダの脳裏によぎったのはそれだった。

 

 東から近づく騎影、援護射撃の主であるオーガスに目を向け、棟梁の少女は地面に座り込む。張り詰めた空気の頸城がなくなって、脱力したためか。微笑みつつ手を挙げながら、救援への感謝を述べる。

「仮にも軍の総帥が軽々しく礼など述べるな。配下としては当然だ」

「でも助けられたのは事実だろ?これから暫くはもっと世話になるだろうしさ。先に言っとくよ」

 手負いの仲間を助け起こしながら、戦いの終わりに安堵し、勝利を喜ぶ声があちこちから聞こえてくる。予測を超えた激戦はその終結すら曖昧なものとしていたようで、戦士達はようやく己が勝者であると自覚しつつあった。

「覚悟ならば既に決めている。私も、それに彼らもな」

 リューダが見渡せば、湖上兵団を支える幹部達が一人も欠けることなく、棟梁の下へと集っていた。南の防衛線で敵の攻勢を受け止めたウェールズにロイグ、上陸して西から敵を牽制したツェレンにアルバン、"サイレス"で遠距離魔法を封じたカルム。急転と混沌を体現する戦いの中でそれぞれ疲弊してはいたが、その瞳は活力に満ちており、もう一戦仕掛けられるのではないかと思わせる程だ。

 信ずるべき皆の顔を見て、リューダはようやく満面の笑みを浮かべたのだった。

 

 

 グラン暦775年、冬。湖上兵団による本城の制圧により、ヴェルダンの内乱は一応の収束を迎えることとなる。かつて大陸全土を巻き込む動乱の原因となった国は、今や大陸で最も早期に秩序を取り戻した国となった。

 

 

第三話 ヴェルダンの血風 了



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幕間 蠢く獣性

 グラン暦775年の冬。イード砂漠北西にて大規模な反乱が勃発し、グランベル-シレジア間を扼するフィノーラ城が反乱軍に奪取された。後世に言う"フィノーラ事変"は、帝国の編纂した公文書での記述が一文で済まされており、いかにもありふれた小反乱のような印象がある。

 だが、この戦いには一つ特筆すべき事項がある。討伐軍の中核を占めていたのは皇帝アルヴィスの実家であるヴェルトマー公爵家の精鋭部隊"ロートリッター"なのだが、反乱の首謀者もまたヴェルトマーに連なる者であったという。

 アルヴィスは父・ヴィクトルの急死(自死と伝わる)に伴いヴェルトマー家当主となった際、父の愛妾やその子らを、一つの例外を除き尽く追放していた。公爵家内における権力の整理のためであるとされるが、この時追放された、アルヴィスの腹違いの弟にあたる人物が軍を興したのである。

 当初の兵力は五千余り・・・これだけでも、流浪の公子崩れの元に集った兵力としては破格だが、さらに潜伏を余儀なくされていた反帝国勢力が集結し、総兵力二万という大軍に膨れ上がったのである。

 

 

 ユングヴィ騎士団のユーホズにとって、今回ほど陰鬱な気分を覚える騎行もなかった。齢四十を超えた彼は新帝の治世が始まった頃は働き盛りの若者で、新たな風が帝都に吹くのを感じ沸き立ったものである。

 現在のユーホズが見る帝都バーハラは、人々の笑顔が絶えて久しい幽霊都市にも思えた。ユングヴィ公爵直属の精鋭"バイゲリッター"含む四千五百を率い、フィノーラへの征旅の途にある彼は、バーハラ、そしてヴェルトマー南端を経由して戦域に赴くこととなっている。垣間見た帝都の寂れようは、帝室の権威凋落という風聞が真であることを、否が応にも思い知らされるのだった。

 後に続く騎士達の表情もまた暗いものであったが、それには別の理由がある。そもそも、帝国南西のユングヴィ勢が北東のフィノーラくんだりまで遣わされたのには、懲罰の意味合いが強かった。エバンス城における騒動、一部騎士の出奔、そして追討軍の敗北・・・ユングヴィ家は近頃失態続きであり、汚名を雪ぐためには遥か北方まで出向かねばならなかったのだ。

「間もなくヴェルトマーに入ります。エルド将軍麾下の軍勢とは、国境付近にて落ち合うようにと」

 騎士見習いのコナリーが報告を上げる。その才を見越して侍従としたのはユーホズであり、妻子のない彼にとって家族同然の存在である。

「それにしても、オーガス様はご無事でいらっしゃいますでしょうか。イーファ様もご一緒だったのは幸運であったのか・・・」

「自ら飛び出した者に心配される資格などない」

 ユーホズがユングヴィ勢の総司令官に任じられたことに、逐電の中心人物とされるオーガス

との血縁が、無関係であるとは言い切れなかった。オーガス兄妹は、ユーホズにとって亡き兄の忘れ形見である。オーガスは確かに反権威的な所はあるが、指揮官たる器量は確かにあるし、弓の腕であれば自分をも数年で軽々と追い越し、バイゲリッターに選ばれるのも夢ではないだろう・・・そのような期待を忘れねばならない立場に、ユーホズは置かれている。

「ところで、例のエバンス城の件だが・・・結局調べはつかぬままか」

「はい、申し訳ありません・・・。ただ、気になる噂、のようなものを耳にしまして」

「お前に咎はない。それより噂とは?」

「ですが・・・」

「報告は正確に行え。言ってみなさい」

 観念したようにコナリーは口をたどたどしく動かし始めた。情報の出所は、あの時エバンス城に詰めていたユングヴィ騎士である。アグストリア方面に現れた一団は、素性も分からぬ所属不明の存在だったが、その騎士は見たことのある顔をいくつか認めたという。だが、

「その方の同僚であったそうです・・・十年近く前に戦死されたはずの。同じような証言が他十数人からも出ています」

「死したはずの者が現れた、だと・・・?」

 歳を重ねて擦れた者には、単なる錯覚か、いかにもありふれた怪談としか思われまい。ユーホズは自分がそうした類の人間であると思っていたが、今回の"噂話"は妙に忘れられそうもなかった。

 

 

 ヴェルトマー勢二万の総指揮を執るエルド将軍は、アルヴィスが公爵家当主となった頃から頭角を現し、武功を積み重ねてきた皇帝の子飼い中の子飼いである。彼の主だった配下もまた、公爵時代の皇帝をよく知り、その指揮の下戦い抜いてきた将ばかりであった。ただこの数年、戦陣に加わっていたという話を聞かないが・・・。

「ユーホズ卿、遠路かたじけない。フィノーラは大陸北に通ずる要、速やかに奪還せねば」

「微力ながらお力添えいたす。しかし・・・近頃は戦場に立たれる機会も少ないご様子でしたが、ご壮健とお見受けし、何よりにござる」

 一瞬躊躇いながら率直な疑問をぶつけてみると、エルドはどこか遠い目をしながら微笑む。

「最近は陛下からのお声がけも殆どなく、帝都に留め置かれておりましたのでな・・・。此度の出征、正直な所皆が喜んでおります。我らは忘れられていたのではなかったと」

 やはり、何らかの意思が彼らを戦場から遠ざけていたようだ。発言から推察するに、それは彼らと皇帝を・・・つまりは譜代の戦力を、引き離そうとする動きとも言えるのではないだろうか。

 

 それはそれとして、エルドの述べた通り、フィノーラは大陸北の抑えとなる要衝である。(旧)シレジア王国を統治している帝国軍と、グランベル本国を中継する有力な補給拠点であるためだ。帝国軍による総攻撃が敢行されたシレジアでは、統治が速やかかつ着実になされてはいるが、潜伏する不穏分子の捜索は捗々しくない。

 フィノーラが敵の手に落ちたままでは、補給と連絡を断たれて弱体化した帝国軍相手に、そうした反抗勢力が一斉に牙を剥くこととなるだろう。反乱軍もそこに勝機を見出しているに違いない。

「イザークの抵抗勢力の件がなければ、ドズル勢に後背への攻撃も依頼できたのだが・・・」

 隊列は東進してヴェルトマーを出で、フィノーラ城を北方に望む平野に出た。これより進めば、人や馬を拒絶する熱砂が広がっている。にわかに北東の熱風が彼らの顔を撫で・・・強烈な血の臭気を鼻に叩きつけた。十七年前の悲劇の再現かと思われる程だ。この先には先遣隊が進出し、本陣の宿営を担っていた筈なのだが、

「まさか・・・反乱軍の攻撃を受けて?」

 進軍速度を上げ、帝国軍は問題の現場に辿り着いた。状況は予想とは真逆で、反乱軍の偵察部隊を、帝国軍の先遣隊が返り討ちにした後だった。

 しかし、その異様な光景は彼らの安堵を誘うことはなかった。形状から、人間であったろうと辛うじて推察される肉塊があちこちに横たわり、熱砂に埋もれてゆく。その傷口(人の形が半ば崩壊しているため、もはや傷とは呼称し難い)は刀槍や矢、魔法によるものとは到底思えず、強引に叩き潰したか、あるいは引きちぎったかのような粗く、そして荒々しいものだ。震える息をコナリーが吐き出す音をユーホズは聞いた。

「・・・お待ちしていましたよ」

 死屍累々。文字通りの地獄絵図が広がる中、唯一人の形を保って立っている男が振り向く。軍装は、グランベル制式の格調高い指揮官仕様のものであったが、返り血と肉片がこびりついて、この世ならぬものに寄生されているように見える。魁偉極まる身体の上に乗った顔は意外にも若い・・・ユーホズより十ほどは年小であろう。

 殺戮を体現したような出立ちで、先遣隊隊長のビュグビルは姿を現した。

 

 

 七年前、辺境の傭兵隊長として帝国軍の幕下に入ると、戦功を重ねて正規軍に参加。以降は特定の家、人物に仕官することはなく、帝都直属の遊撃部隊として各地を転戦している。それ以前の経歴、出自、親族は一切不明。・・・ビュグビルという男について、ユーホズが知っているのはそのくらいである。

 そして、共に戦ったことのある者達からの評判といえば、あまり芳しいものではないようだった。曰く、その戦果を称揚するのが憚られるほど凄惨、かつ残虐な戦い方を恣にしている、と。・・・先程の光景を、軍議に臨む皆が思い起こしながら自分を見ていると知ってか知らずか、ビュグビルはどこか醒めた目つきでエルド達の議論を聞いている。

「我々の現在位置よりフィノーラ城へ至るには、砂漠を横断する必要がある。幸い、こちらが擁する魔道士部隊は数において敵を凌駕しているが・・・」

「他部隊と進軍速度に差が生じれば、魔道士部隊は孤立する。包囲されてこれが壊滅すれば、我らは手詰まりとなろう」

「手薄な本陣を狙うという選択肢も敵にはあるからな。一度砂漠に入れば、救援に戻ることも中々・・・」

 わざとらしい拍手の音が議論を中断させた。

「素晴らしい」と口にしながら口の端を吊り上げるビュグビルの姿からは、あからさまな軽侮の念が滲み出ている。

「分かりきったことを難しい顔で長々と、御苦労なことです。ですが手前の指示に万事従っていただければ、何もご案じなさることはありませんよ」

 ヴェルトマーの将軍達は憤激し、怒声を叩きつける者さえいた。無論ユーホズもその怒りには共感を覚えたが、隣でいきり立つコナリーを抑えるべく、表面上は平静を保つ。

「貴様如き成り上がりが礼節を知らぬのは仕方あるまい。しかし、エルド閣下の指揮権に口を差し挟むが如き言動は、看過し得ぬぞ」

「ほぉ?指揮権の所在を主張するに関しては、こちらに理があるとは考えておりますがね。これでも、帝室直々にお声がけを頂いております故・・・」

 ビュグビルには諸将を宥めるつもりなどさらさらないようであった。帝室、つまりはアルヴィスへの忠節を戦意の源とする彼らを愚弄するような物言いである。

「失敬、説明は正確に行うべきでしたね。此度はくれぐれも宜しく頼むと、ユリウス殿下御自らより言いつかっているのですよ。手前は」

 本陣の気温が下がったかのように思われた。

ユリウス。帝国の次代を担う希望と目されていた皇子が、今や皇帝をも脅かす暗雲と恐れられるようになったのは、いつ頃であったか。

 

「・・・帝室の権威を口にするからには、貴公にも相応の思案があろう。聞かせてはもらえまいか」

 一人腕を組んで黙りこくっていたエルドが、重々しく口を開いた。事ここに至っては、将としての責務を果たすほか道はない。そう腹を決めたのだろう。ヴェルトマーの宿将とは対照的に、ビュグビルは滑らかに口を動かす。

「皆様ご承知の通り、フィノーラ城はバーハラとシレジアを繋ぐ経路の中間にあり、フィノーラ城の占拠が続けば、シレジアでの反帝国運動が活発化することが懸念されます。これは先日入った情報ですが、シレジアはザクソン城の東方に、早くも反乱分子が集結して拠点を築きつつあるとか」

 その地点は海に面しており、海峡を渡ってヴェルトマーを窺える位置にあった。折悪しく、シレジアでは既に雪が堆く積もり始め、帝国兵は進軍もままならず各地で寸断されているとのことだった。雪解けの時期には、ザクソン城の喉元に反帝国の大要塞が築かれていることだろう。

「しかし、しかしです・・・それは見方を変えれば、敵にとってフィノーラの戦略的価値とは、シレジアでの反乱を成功させる鍵となる、という一点に尽きます。つまり順序を変え、シレジアの敵を先んじて叩き潰せば、フィノーラなど攻める必要すら無くなる・・・」

 敵の戦略構想を逆手に取った妙案に思われた。ヴェルトマー北より海を渡り、ザクソン城近辺の反乱軍を壊滅させれば、フィノーラ城は拠って立つ土台を失う。攻めるに難い要害を攻撃することなく無力化できるのだ。

 ザクソンへの攻撃部隊の指揮官に、自らを擬することを表明したビュグビルであったが、そこで初めて異議が唱えられた。

「作戦そのものはそれでよかろうと存ずる。しかしシレジアの反乱軍を叩く役目、我らヴェルトマーに任せてはもらえまいか」

「・・・」

「ヴェルトマーは多数の船も水夫も擁しており、備えが不完全な敵を迅速に叩けるはず。まげて承知いただきたい」

 エルドの主張はヴェルトマー勢をもってザクソン攻撃に充てるというものであり、指揮官も皆が現地に赴くという。性急とも捉えられる主張にユーホズは怪訝としたが・・・

「そこまで言われるのであればお任せ致します。皆様の忠勤、皇帝陛下もさぞお喜びのことでしょう」

 提案は通り、ヴェルトマー勢はザクソン攻撃に当たることとなった。軍議は散会し、興味を失ったようにビュグビルが立ち去るのを確認すると、ユーホズはエルドに疑義を投げかける。

「エルド卿。非礼を承知で申し上げるが、どこか急いてはおられまいか?ヴェルトマーの将全てを動員するのは危うい」

「忠告は有難いが、これは久方ぶりの好機なのだ。臣として逃すわけにはいかぬ」

「何を仰せか?」

「何にせよ心配なさるな。反乱軍を撃滅し、陛下に勝利の報せを献ずるのみだ」

 エルドの笑みは力強いものであったが、どこか世を儚むような陰が差しているようにも見えた。・・・翌日、エルド将軍麾下のヴェルトマー勢は、ザクソンへ通ずる海岸へと進発した。予定通りの進軍であれば、一週間後に到達する筈の道程である。

 

 ヴェルトマー勢壊滅の報が討伐軍本陣に齎されたのは、まさに一週間後のことであった。

 

 

 ジャルグと名乗った青年指揮官は、壊滅したヴェルトマー勢における数少ない生き残りであった。傷だらけの彼と対面したユーホズは寝台に横たわるのを勧めたが、ジャルグはそれを断って、当時の状況を話し始めた。若々しい顔が絶望に歪んでいる。

「我々は予定通り・・・ヴェルトマー北岸に到着、陣を構えました・・・。うぅ、そしてその夜、反乱軍の、奇襲を・・・受けて」

 夜襲に動揺こそしたが、歴戦のエルド指揮下の軍勢はすぐに秩序を取り戻して反撃に転じた。間もなく優勢となり、反乱軍を撃退できるかに見えたその時、

「ザクソンの、敵が・・・海を渡って、我らの、側面を・・・!ぐううっ!・・・そして、エルド閣下を始めとする諸将は、皆・・・戦、死・・・」

 痛みと悲しみに倒れるジャルグをコナリーに介抱させて医者を呼びながら、ユーホズは二つの違和感を抱いていた。

 まず、当該地点に到達したばかりという絶好の機を狙って、敵が奇襲を仕掛けてきたということ。フィノーラの反乱軍はともかく、海を隔てたザクソンの敵が、対岸の動きを察してから海を渡っては、到底間に合うまい。まるで事前にそれを知っていて・・・支度を整えていたかのようではないか。

 そして今ひとつは、指揮官達が撤退すらできずに討たれたということ。南には本拠たるヴェルトマーがあるのだ。敵味方と位置関係からして、反乱軍が南に回り込むのは難しかろう。となれば・・・

「内応者に退路を断たれたか?」

 ビュグビルが自分達を呼んでいるとの報せが入り、ユーホズは思考を中断させた。

 

 フィノーラ城への攻撃命令。ビュグビルはそれを決定事項として告げた。

「それは無謀もよい所だ!ヴェルトマー勢を指揮すべき将は殆どが打たれ、我が軍は戦力が半減している。次に我らが負ければ、最早北は手の施しようがなくなるやもしれぬ・・・!」

「その通り。故に我らが負けたままではいられませんでしょう?戦場に倒れた将軍らの無念を晴らさずして、帝国の名を背負う軍の面目が保てましょうか」

 エルド達のことを言及した際、いかにも悲しげな声色をしていたのが、却って空虚だった。

「ここだけの話、ヴェルトマー勢に派遣した工作兵が、フィノーラ城への侵入に成功しております」

「・・・初耳だな。用意のよいことだ」

 ユーホズの発した言葉には、微かな敵意さえ混ざっていた。それはビュグビルの態度に憤慨してのことか、それとも"何か"を騎士の本能で察してのことか。

「なに、ヴェルトマーの方々の奮戦あればこそですよ」

 "帝室の信任厚き"男はどこまでも平静だった。

 

 

 二日後の正午、太陽を背に砂漠を北上してくる帝国軍の姿を反乱軍は見た。過日の戦勝は未だ彼らの記憶に新しく、目前の敵に対しても何ら恐れを抱くことはない。帝国軍の東西に位置する二つの断崖には遠距離魔法を操る部隊を配しているが、可能な限り引きつけ、フィノーラ城の主力と三方より袋叩きにすると決める。

「敵は・・・撃ってきませんね」

「ここで多用しすぎては意味がないからな。防御も回避も不可能となるまで、我らを引きつけるつもりなのだ」

 ユーホズは熟練の弓騎士であり、その馬もよく鍛えられているため、砂漠でもそうそう足を取られることはない。敵の意図を察した彼はそれを挫かんと、左手の断崖を睨め付けながら鞍上で弓を番えた。凶鳥の嘶きを思わせる甲高い音と共に解き放たれた矢は、陽光を受けて銀色の光条を描き出す。しかしそれは遥か上方の敵陣には到達せず、その下の岩肌に突き刺さった。嘲笑する反乱軍。

 笑声は数瞬後、一斉に悲鳴へと変わった。彼らの立っていた断崖の一角が突然崩落を始め、設けられた木柵や物見台を巻き込んで砂漠に吸い込まれていったのである。這う這うの体で安全な場所へと逃げ去った彼らに"致命の一矢"なる戦技の存在を知る由もない。しかし、眼下の壮年の弓騎士が、決して放置すべからぬ存在であることは分かった。

 怒り、そして混乱と共に遠距離魔法の炎が帝国軍に殺到したが、フィノーラからの敵襲が来る距離ではないため、帝国軍の防御は崩れない。このまま敵に魔法を無駄撃ちさせ、時を稼ぐことがユーホズの狙いである。そうした状態のまま暫く経ち、ついに時がやって来た。フィノーラ城から幾つもの黒煙が立ち昇り、喧騒が風に乗って運ばれてくる。それは城内部での破壊工作成功の合図であり、帝国軍が攻勢に移ることを意味した。

 

 狂気で塗り固められたような大音声の笑い声が戦場を席巻したのは、まさにその瞬間であった。

 

 敵の遠距離魔法を受け切り、部隊を前進させようとしたユーホズは思わず瞠目した。彼の率いるユングヴィ勢は陣の後方に位置するが、前方にはビュグビルの直率部隊が布陣していた。怪物の咆哮もかくやの声が響き渡るや否や、その前方部隊が砂塵を巻き上げながら、突進を始めたのである。

 それからの光景といえば、気の弱い人間ならば一秒たりとも目を開けていられないようなものだった。刃が肉を切り裂く音が連鎖して響いたかと思えば、人の悲鳴と呻き声がそれに覆い被さって空気を揺るがす。その度に、人の腕や臓腑と思しきものが宙を舞っては無造作に落ちて砂に飲み込まれてゆく。ユーホズがちらと横を見れば、コナリーが顔を青ざめながら嘔吐を堪えていた。

 いつしか砂塵は真紅の霧に取って替わられ、その先頭をビュグビルは両腕を振り回しながら、淀みなく前進を続ける。よくよく目を凝らせば、凄惨な光景を演出しているのが実質彼一人であることが分かる。向かってくる相手が人間であることすら知らないかのように、斧を振るい、拳を叩きつけ、目に入った敵を物言わぬ肉塊へと変えてゆくのだ。非現実的な光景と、血の匂いに酩酊した彼の部隊は勢いのままフィノーラ城への突入に成功する。

 ・・・果たして"帝国軍勝利"の血文字により、"フィノーラ事変"は幕引きを宣言された。一万の兵が戦闘により討たれ、五千は逃げ延びようと砂漠でもがく所を追い討たれ、三千は海に飛び込み、二千は辛うじて北へと逃亡する。今の帝国を象徴するかのような、酸鼻を極める結果と相成った。

 

 

 フィノーラ城の床、壁、回廊の至る所に、破壊と殺戮の痕跡があった。同行を希望したコナリーと共に、苦しみに喘ぐ敵を楽にしてやりながら、ユーホズは敵の首謀者を捜索した。

「ああ、遅かったですね」

 先行していたビュグビルの足下に、求める人物はいた。なるほど、確かにヴェルトマーの縁者らしき赤い髪をしているが、血で染め上げられた身体ではそれも分かりづらい。尋問しようにも、腹から両断され、絶息した人間相手にそれは不可能であった。

「んん?ここまでするのかとでも言いたげなお顔ですな。お気持ちは分かりますが、二つの反抗勢力を根絶できたこと、帝国にとり重畳ではありますまいか」

 面妖なことを言う。ユーホズは口にこそ出さなかったが、表情には疑念が浮かび上がってしまっていた。ザクソンの反乱軍は未だ健在ではないか。

「言わずもがな、その一方はヴェルトマー勢のことですよ。大逆人としてでなく、戦場の英雄として死ねただけ、エルド将軍にとっても重畳なことで・・・」

「何・・・!?」

「良い機会です、改めてご説明させていただきましょう」

 返り血で染まった身体を拭うことすらせず、ビュグビルは雄弁に語り始めた。

「手前はユリウス殿下より、ヴェルトマー勢に不穏の動きあり、対処すべしとの密命を受けておりました。反乱鎮圧にかこつけ、シレジアの帝国軍と合流せんとしている、と。だっておかしいでしょう?手前の策を聞いてから、船の支度までが早すぎる」

「帝国軍同士の連携に、責めるべき如何な事由があるというのか」

「まさにそこですよ!彼らの合流は反乱鎮圧のためでなく、皇帝直属の戦力を編成するためだったのです。要するに陛下の私兵集団を作ろうというわけですよ、帝国全土を守るべき大切な将兵でね」

 ユーホズは頭痛さえ覚え始めた。是非はともかく、皇帝の命を遂行することが大逆罪になるとは、道理が通らぬではないか。だが、無言の糾弾にも、ビュグビルは回答を用意していた。

「帝国の繁栄は法と秩序をもってその礎と為す。皇帝が嫡子にその座を譲り、代を重ねていくのもまた然り。しかしよりによって、その範たるべき陛下御自らが、ユリウス殿下に排斥されかねぬと恐れ、いたずらに派閥を増やし、帝位にしがみつこうとしている!・・・簒奪してまで得た玉座は、殿下にお渡しできぬほど座り心地が良いものらしい」

 武器を向けてすらいない味方の"致命点"を探すなど、ユーホズにとって初めての経験であった。だが、ない。生命であれば、形あるものであれば必ずあるべき"致命点"が見当たらない・・・!?

「後はお察しの通り、フィノーラ、ザクソンの反乱軍に、こちらの動きを知らせてあげたというわけです。特にフィノーラの頭目の喜びようったらなかった。己を追放した陛下によほど怨みを抱いていたようですな。陛下としても、捨て扶持でも与えて飼い慣らしておけば、ここまで怨みを買うこともなかったでしょうに・・・ふふ、くくくくく・・・!」

「明確な証拠もなしに、味方を売ったと申すか!」

「殿下のお言葉に証拠をお求めになりますか?今となってはもはや些事に過ぎますまい。危険分子が消え、帝国の治世と体制はより盤石なものとなった。まことに喜ばしい限りではありませんか!ええ!?」

 勝利宣言をしながら、ビュグビルは愉快さを満面に湛え、本陣へと戻っていった。人界に地獄を生み出す怪物の姿を、ユーホズはその背中に見出していた。

 

 

 所変わって、ヴェルダンはマーファ城。慰霊と戦勝祝いを終え、残党の捜索に当たる湖上兵団の下に、一人の男が土産を携え帰還した。

「なんだ、宴はもう終わりかよ?折角田舎で羽を伸ばそうと思ってたのにさぁ」

 湖上兵団において潜入、情報収集、敵状視察に最も長けた男。それが盗賊のメルヒである。彼自身は「盗賊」の前に「清く正しい」だの「愛と正義の」だのを付けろと主張するが、それに従う者は今の所いなかった。

「おっと、お前がユングヴィから来たっていう新入りか?へぇ、俺様ほどではないにしろ、中々いい面をしてやがる」

 確かに、容貌を長所として挙げられる程度に、メルヒの顔立ちは整っていた。尤も「ヴェルダン一」と褒めそやしたところで「程度が低く聞こえてあまり嬉しくない」と彼はぼやくことだろうが。

 先輩からの暖かい挨拶に、オーガスは舌打ちと眉間の皺で応えた。厳格な叔父ほどではないにせよ、このように浮ついた輩とはあまり関わりを持ちたくはないというのが、彼の偽らざる心境である。

「メル兄、元気してた?お土産もたくさんあるかな」

「おう、リューダ!頼まれてたモンももちろんあるが・・・その前に、だ」

 メルヒに促され、彼の背後に控えていたローブ姿の人物が前に進み出た。徐にフードを外す。

 

 女であった。首元まで伸びたクリームブロンドの髪の毛に、蒼玉のような瞳。鼻筋はくっきりと際立っていて、白さと血色のよさが共存した肌をしていた。

「・・・お綺麗な方・・・!」

 いや、長々と要素を列挙するより、イーファが思わず呟いた言葉が、その女を説明するには相応しい。ヴェルダンに存在してはいけないのではないかと思うほど、女は美しかった。それは瑞々しさと成熟さの見事な均衡を象徴したと言えようか。顔から下に目を向ければ、母性と柔らかさを帯びた豊満な身体の線は、ローブでも隠しきれていなかった。

「あの・・・わたくし、踊り子のリアンナと申します。この度はとある事情から、メルヒさんに助けていただいて・・・」

 やや低めでよく通る美しい声もまた、外見から想像される通りであった。それに続く「宿屋から攫ってきたかと思った」という発言はツェレンのものである。

「リオーノ、ほら、皆さんにご挨拶しましょうね」

 リアンナの後ろから、十に達したばかりと思われる少年が姿を現した。警戒の念が強いようで、促されても中々口を開こうとしない。リューダ、それとカルムが目線を下げて彼にゆっくりと近づく。

「へぇ〜!この子はリアンナさんの息子さん?」

「ええ、リオーノっていいます。少し人見知りな所はあるけど、優しい子なの」

「こんにちは!オレはルドミラ、リューダって呼んでね」

「・・・どーも」

 確かにリオーノの髪質や目元は、母親に瓜二つであった。成長すれば他者を惑わぬような美男子に育つかもしれない。一方、髪と瞳に関しては母と対照的に、燃え盛る炎のような真紅に染まっていた。どこか考え込む様子のカルム。

「・・・それで、リアンナ殿。とある事情というのは何かな?」

「そいつに関しては俺から説明するぜ、軍師殿」

 そこから先が、メルヒの持って帰った"土産"であった。

 

 

 大陸南の経済都市・ミレトス。陸海の交易によって帝国に比肩する財力を有し、独立を保ってきた自由の街。・・・その自由の灯火が、今にも消えかかっていることをメルヒはひしひしと感じていた。

 かつてこの都市は、大陸中の人間、商業品、文化が交わる坩堝であった。蛮族と恐れられるヴェルダンが文化水準を引き上げるのに成功したのも、先王バトゥの尽力により、ミレトスという場で他国の風俗に触れる機会を得られたためだ。

 国家のことを言わずとも、メルヒ個人にとってもミレトスは華々しい思い出に溢れた街だった。賭博で負けて文字通りの一文無しになったことも、グランベルの人間に喧嘩をふっかけられたこともあるが、今となってはそれも懐かしい。

 しかし今、自由都市としてのミレトスは死に瀕しているように見えた。違う国に生まれた者達がごった返していた大通りは寒々しい沈黙に包まれ、人々は逃げるように足早に歩き去る。 

 入れ替わるように我が物顔で闊歩しているのが、暗黒教団の黒装束だ。その勢力は日に日に増しているようで、情報収集のため潜入しているメルヒが得られる情報も乏しくなってきている。

「潮時かねぇ」

 成果が乏しく、また危険を感じれば撤収するようにというのが、軍師役たるウェールズの言葉であった。

 

 連絡用の船が待機する港へ向かう最中、悲鳴が耳に飛び込んできた。それが女のものであったからよく聞こえたのだ、と言われると、メルヒには反論のしようがない。

 現場に駆けつけると、ここひと月で不本意ながら見慣れてしまった複数人の黒装束が、女を何処かへ連れ込もうとしていた。悲鳴の主である三十代初頭と思しき女は、衣装からして踊り子であるようだ。

「うんうん、まさしく俺好みのご婦人だ」

 メルヒにとってはそれが一番の重要事である。年齢も同じぐらいだし、あんな黒ずくめの干物どもより、俺の方がお相手とし相応しい・・・義侠心と下心を胸に、メルヒは後を密かにつけて行った。

 三階建ての古ぼけた建造物に、黒装束達は入っていった。正門には見張りと思しき者達が立っており、頼んだところで入れてもらえはすまい。

「まぁ、いいさ。こっちも"礼儀正しく"お邪魔させてもらうからよ」

 しかしメルヒにとって、そんなことは問題にもならない。素早く物陰に滑り込むと、両手足で外壁の僅かな凹凸を掴みながら、軽やかに登っていく。盗賊として一通りの技をこなす彼だが、壁登りは大陸一を自負するほどのもので、平地を行くよりも速いのではないかとすら思われる。

 三階の窓まで辿り着くと、壁に貼りついたまま顔を出さず、感覚だけで気配を探った。内部の人数は女を合わせて六、七名。うち二人は窓の両脇に控えているようで、部屋の奥からは女の声が聞こえてくる。

「早く息子を放して!わたくし達が貴方達に何をしたというのです?このような所に押し込まれるいわれはありません!」

「罪を犯した故ひっ立てた訳ではない。栄えある新帝国の一員として、息子さんには然るべき場所へ来てもらいたいだけだ」

「そんなこと望んでいません!貴方達は息子に何をしようというの・・・?」

「だからこそ・・・息子さんの健やかな未来のためにも、母親たる貴女にも"ご協力"いただきたいのだよ・・・」

 下卑な声色での言葉の羅列が終わると、衣擦れの音、それに抵抗するように女がもがいているのを感じた。

「足掻くでないわ!子供が殺されてもよいのか?真なる主の僕たる我らに媚びることを少しは覚えよ・・・」

 直接見てはいないが、胸の悪くなるような光景が広がっている。メルヒ自身、ここ十数年でどれだけ女を抱いたか覚えてはいないが、弱みにつけ込んで強制をしたことは一度もない。あちらから誘ってくるのでその必要もないためだが、何より色男としての美学に反する。

 得物の短剣は手入れも万全。例え十人の黒装束を相手取ろうと、狭い室内であれば十を数えるうちに叩きのめしてみせる。男しての格の違いを見せようと身を乗り出そうとしたその時、小さな影が部屋に飛び込んで来た。

 

「お母さんに触るなっ!!」

 猛烈な熱風が窓から吹き出し、すんでの所で躱したメルヒの、明るい茶髪の先が炙られた。気配で探りきれぬ程の事態が起きているようであった。

「動くな、小僧っ」

 変事に動転した窓際の黒装束二人が、窓から踊り込んだ何者かに喉笛を掻き斬られ崩れ落ちた。

「あ、貴方、は・・・?」

「俺?見ての通り、通りすがりの色男だよ」

 慌てて衣服を直す女にローブを投げてやりながらふてぶてしく答えるが、その光景は平静を保つのに、メルヒをしてやや苦労させていた。

 下衆そのものの態度で女に迫っていた輩を含む三名の黒装束が、大火傷を負って倒れ伏していた。よほど強力な炎魔法を浴びたのかと思われたが、何故かすぐ側にいた女の玉の肌には傷一つついていない。

「お前・・・」

 不審と警戒の目を向けてくる、赤目赤髪の少年を見遣る。メルヒの半分も生きていないであろう年齢から、女の息子かと思われたが・・・黒装束を焼いたのは、この少年だというのか。

 俄に階下が騒がしくなる。この部屋の異変に気付かれたかと思いきや、慌ただしい足音は下へと向かっている。それを塗り替えるような叫喚。どうもメルヒと違い、正門から訪ねてきた客がいるらしい。

「門を固めろ!あの子供を背教者どもに渡すな!」

「不信心者め・・・マンフロイ猊下の御言葉を蔑ろにするか!」

 気になる言葉がいくつか聞こえるが、一人で考えるにはどうにも事が大きいようである。まずはミレトスを脱し、仲間達の下へ戻ることだ。

「お願いです、どうかわたくし達も連れて行ってはいただけませんか。ここにいては息子が危ないの」

「いいのかい?行き先はむさ苦しいヴェルダンだけど」

「構いません。貴方のようなお優しい方もいらっしゃるのでしょう?」

 揺るぎない不退転の意思が、女の言葉には満ちていた。断っても同行してくるだろうし、そもそも美女の願いを聞き届けないようなメルヒではない。

 背に女を、腕にその息子を抱えつつ、鳥が着地するようにメルヒは窓から建物を脱した。少年の方は口を「へ」の字に曲げて不服そうである、未だメルヒを警戒しているのか、或いは母に近づく男が気に食わないためか。

 振り向けば、奇異な光景が広がっていた。

 建物の正門で争いが起こっている。門を守っているのは黒装束。門を攻めているのもまた・・・黒装束であった。暗黒神に魂を捧げた者の闇魔法が、敵と定めた同門に牙を剥く。

「こいつはエラい土産を持って帰ることになりそうだ・・・」

 素早く、しかし誰の目にも付かぬよう、一行は船着場へと急いだ。

 

 

「・・・とまぁ、俺達がミレトスを出たのはそういう経緯なワケだ。それからは船の上で親睦を深めに深めてだな・・・」

 本城での戦いで、暗黒教団の脅威を認識していた湖上兵団としては、決して無視し得ぬ情報であった。なお、リアンナ母子はイーファによって、ツェレンの寝室に案内されている。

「暗黒教団の内部でも、不協和音が鳴り響いていると言うべきか・・・?」

「それにだ、ウェールズさん。話を聞く限り、奴らはあの子供を争奪しているようにも思われるが」

 湖上兵団の今後の方針については色々と選択肢があるが、それを取捨していくうえで、この度齎された土産話は重きをなすことであろう。

 

 

 間もなく、グラン歴776年を迎える。イザークで、トラキア半島で、大陸の歴史が大きく動き始める年である。

 

 湖上兵団もまた、大陸北西・アグストリアの地にて、新たな戦いに身を投ずることになるのだ。

 

 

幕間 蠢く獣性 了



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第四話 獅子の眠る地 前編

「アグストリアの麦を食べたことがない人間など、ユグドラルにいる筈がない」という言葉は、アグストリアがユグドラル一の大穀倉地帯であり、特産である麦が交易品として大陸中で流通していることを表すものである。

 アグストリアがアグスティ王家を宗主とする連合王国であった頃、その生産力、経済力は隣接するグランベルに比肩するもので、仮想敵として恐れられていたものだ。恒久の平和でないにしろ穏やかで安定した情勢は、先々王イムカの急死と、それに続く動乱にて急変。アグスティ王家、そして王国を支える藩屏たる諸王国は軒並み断絶、現在旧王国は帝国軍の支配下にあるというのは、皆の知る所であった。

「本来アルヴィスの登極に協力したフリージ家が支配を委ねられるはずが、それは反故にされた、ということだったな?」

「ああ。隣接するアグストリア領を得れば、フリージ家の勢力は倍近くに膨れ上がる。それを懸念し、直轄の将兵を置きたかったのだろう」

 ヴェルダンの平定を一応は果たした湖上兵団では、北に位置するアグストリアの情勢が軍議の議題として挙がっていた。事の発端は、帝国軍の前線拠点と化しているアグストリア北部一帯にて、大量の兵員や荷駄の移動が確認されたことだ。これが大陸西部全土を目標とした大規模侵攻の予兆であるとしたら・・・そうなった時、そうなる前にどう動くべきかの判断が求められたのである。

「しかしそれが祟ってフリージの支持を失い、陛下が孤立を深める遠因となってしまった。約束通りアグストリアを充てがって、懐柔していく方策もあったろうに・・・」

「自分の足場を固めようとして、真逆の結果になっちゃう。政治って、偉くて頭がいいだけじゃどうにもならないんだね」

 帝国の凋落を再確認することとなり、オーガスの表情は暗い。続くリューダの言は単に事実を指摘したものか、はたまた若き元ユングヴィ騎士を気遣ってのものか。

 

「・・・ところが、全面的にはそうとは言い難い所がある」

 話の流れを変えたのはウェールズだった。注目を集めつつ、アグストリアの地図を卓上に広げる。

「アグストリアに進駐する帝国軍と、在地勢力の間で武力衝突が起こっていることは知っての通りだ。だが、帝国軍の一部で独立の動きが起きていることを知っているか」

「独立?グランベルから?」

「そうだ。連中はこの・・・中央台地の東部から旧都アグスティ、マッキリー公国にかけて勢力圏を築き、独立を果たさんと画策している。アグストリアにおいて、最も生産力が高い地域の一つだ」

 ウェールズの推測は、謀反を起こしかねない危険分子を、アルヴィスはまとめてアグストリアに放逐したのではないか、というものだった。肥沃な穀倉地帯と海を擁するアグストリアほど、独立に適した地勢の国は無いであろう。実際に独立運動が起きた場合、厄介な在地豪族との衝突が起きるのは間違いない。そうして両者傷ついた所に帝国軍が侵攻し、アグストリアを真の意味で直轄領とする・・・。

「しかし帝国には二つ誤算があった。一つは、独立勢力が在地豪族に対して積極的に工作を仕掛け、それらを対立させることにより、矛先が自らへ向けられることを回避していることだ」

 そして今一つは、内部でどれだけ争いが泥沼化しようと、外部からの侵略を決してよしとしないアグストリア独特の気風である。内戦中に侵攻を受けた場合、決して連携などはせずめいめいに迎撃するのだが、それが却って戦闘の予測を不可能にさせるのだ。こうした事情から、在地豪族達は防波堤として巧みに利用されていると言ってもよいだろう。

 しかし独立勢力の方も、万事目論見通りという訳ではなかった。彼らの内部でも、指導者の座を狙う者、密かに帝国への帰順を望む者の暗闘が続き、安定しているとは言い難い側面がある。

「そして北部にも帝国軍が展開している。彼らは独立派と違って、帝国によるアグストリア平定の任を帯びた者達だ」

 海賊の巣窟であるオーガヒルや、聖地ブラギの塔を望むアグストリア北部は、元々アグスティ王家が城を追われるような非常事態に瀕した際、後背地として整備されていた地域である。

「見渡す限りの麦畑〜、なんでしょアグストリアって!パンが毎日食べられたら、皆の士気も上がるのにね」

「確かに、アグストリアに渡をつけておくのは利も大きいだろう。帝国を介さずに交易できるとなれば、あちらも無碍にはすまい」

「それで何処と組むって言うんだい?余所者嫌いのアグストリア連中が、アタシらを歓迎してくれるとも思えないけど」

 かといって独立勢力の方は、期待することがそもそも無意味であろう。北からの帝国の侵攻に際し、彼らが変心して帰順してしまうと、湖上兵団としては、寄る辺なき異国で梯子を外されかねないのだから。

 

「あの〜・・・」

 手を携えるに相応しい勢力があるかを調査しつつ、アグスティ本城への物資集積を進める。以上のような結論が一応は出て、軍議が幕を下ろそうとした時、あまり緊張感のない声が待ったをかけた。軍内でこんな声を出す者は一人しかいまい。

「どしたの?カルムさん」

「今回の議題にそぐうものか分からず、言い出せずじまいだったのですが・・・リオーノ君のことで伝えておくべきことがありまして」

「あの恐〜い坊やのか?」

 赤毛の少年を連れ帰ってきたメルヒの言葉を聞いて、カルムは興味を惹かれるものがあったようだ。母であるリアンナの許可を得ると、少年の髪の毛を一房頂戴し、任務の合間を縫って調査を進めていた。

「皆さんお疲れのことでしょうし、まずは結論から申し上げますと・・・彼は聖戦士の血を引いております」

 聖戦士。ロプトの闇に覆われた大陸に光の導きを示した十二人の救世主達。その血筋を持たないヴェルダンにおいては、縁もゆかりもない存在だと思われていたが・・・

「・・・それは真か?」

「ええ。赤い髪と瞳、何よりメルヒさんの見た繊細にして強力な炎魔法から鑑みても、あの子には魔法戦士ファラの血が流れていると見て間違いはないかと」

 炎魔法の使い手であった女性魔道士のファラは神炎・フォルブレイズを授けられ、闇の眷属達を煉獄にて浄めたとされる。その血筋はグランベルの六大公爵家の一角、ヴェルトマー家にて脈々と続いている。

「ちょちょ、ちょっと待ってもらっていいか」

 軍略や工作意外ではそれほど心を乱されないアルバンが、珍しく取り乱していた。

「あの子供はファラの、ヴェルトマー家の血を引いているということだろう?では、つまりだ・・・彼は皇帝の遠戚なのか?」

 声が上ずるのも無理はない。単なる事実の羅列として聞き流すのに、その衝撃は大きすぎたのだ。

「まぁ、そうなりますね。陛下が追放された血族の息子か孫・・・要するに、皇帝の甥か姪孫、ということです」

「・・・滅多に手に入る札ではないな」

 図らずも転がり込んできた皇帝の縁者。上手くその影響力を利用できれば、帝国内部への交渉すらも現実味を帯びてくるだろう。

「小さい子でそういうこと考えるの、あんまし好きじゃないけどね」

 逆に、湖上兵団では手に負えないような災いを呼び寄せることになるかもしれない。いずれの道を歩むことになるかは偏に、棟梁の少女の器量と、それを支える幹部達の働きにかかっていた。

 

 

 噎せ返るような死臭の中で、怪物は佇む。それがゆっくりと近づいて来るのを、名も無き兵士は望まぬままに気づかされた。

 逃げる。それしか道は無かった。這う這うの体とは言うが、彼は真に両手のみで地面を這っていた。健在な筈の両脚は、頭からの命令が恐怖で遮られているせいで動こうとしない。物言わぬ肉塊と化した戦友の遺骸を掻き分けて進む彼の耳に響く、怪物がじわじわ追って来る足音。恐怖はかえって、彼を振り向かせた。

 外見だけならば、怪物の方がむしろ満身創痍に見えるだろう。剣で斬りつけられ、風魔法に晒され、槍で穿たれた痕が身体中を覆っている。その半分でも受ければ常人がこの世を去るような傷を受け、何故この怪物は生きているのか。何故大量の傷が、みるみる内に消え失せていくのか・・・!?そして、顔にただ一つの傷が残ったように見えたが、それは怪物が喜色を浮かべた際にねじ曲げた口であった。

 それが、兵士の見た最後の光景である。

 

 年が明けたグラン歴776年。ザクソンに集結していた反乱軍の掃討戦が行われた。その陣中に在って、文字通り屍の山を築いたビュグビルは、最後の獲物の筈だった敵の死体を無造作につまみ上げ、捨てる。

「狂死しましたか・・・。やれやれ、死体を弄っても面白くない」

 つまらなそうに目線を上げると、目の前に黒装束が見えた。肝の小さい者であれば腰が抜けてしまっていたかもしれないが、狂戦士たるこの男にとっては無縁のことである。

「これはこれは、ヴェイリア殿。今日もご機嫌麗しゅう・・・」

「ふふ、女の顔色を窺うのは相変わらず下手なようね」

 ベルクローゼンの紅一点は、現在それほど機嫌がよくなかった。自らの意識を植え付けてヴェルダン方面に差し向けた"分身"が撃破され、二十年前にサンディマが収集していた情報の確保も、完全には成功しなかった。おまけにミレトスでは、貴重な研究材料を取り逃がす始末。

「お陰で研究にも無視できない遅れが出ているの。そういうことだから・・・貴方にはさらなる協力をお願いすることになりそうね」

 面倒臭そうに上体を反らし、吸い込んだ息を盛大に吐き出すビュグビル。周囲には敵だったものの残骸がばら撒かれており、呼吸をするだけで耐えがたい死臭が鼻腔に入りそうなものだが、二人は一向に気にする様子を見せない。

「それで?お役に立ったんですか、手前に埋め込んでいた"種"とやらは。得体の知れないものを体内に入れて戦うのは、流石にゾッとしませんよ」

「それはもう!貴方を被験体としてから、実験は"注入"に続く"抽出"の段階に進んだわ。残るは"開花"の目処がつけば・・・」

 聞いておきながらさして興味も示さず、ビュグビルは西の方角に目を向ける。辿っていけば、アグストリア北部から海を隔てた、オーガヒルに行き着く筈である。

「半月もすればオーガヒルに発ちますよ。貴方もまたちょっかいをかけるおつもりで?」

「いいえ、物分かりの悪い人達にちょっと睨まれちゃってね。暫くは大人しくするつもり。尤も・・・ほとぼりが冷めればミレトスへ行くつもりだけど」

 シレジアの寒風が北から南へと吹きすさぶ。無念、野望、そして狂気を乗せて、風は帝都へと流れていった。

 

 

「新星騎士団?」

 軍議から三日後、リューダ以下湖上兵団の幹部達はウェールズからの報せを受けて、再び一堂に会していた。曰く、とあるアグストリアの在地勢力が、文書にて申し出てきたという。湖上兵団と誼を結びたい、と。

「それで何者なんだい?そいつら」

「アグストリアの中央台地に、大規模な開拓地帯があることは知っているな。東からは帝国からの独立派、西からは諸豪族からの圧力に耐えかね、住処を追われる住民が絶えないという」

 アグストリア南東の旧ノディオン公国に本拠を構える新星騎士団は、路頭に迷う彼らを受け入れつつ、他の豪族達とは別の勢力を築いているという。その戦力は、避難民から募った義勇兵の他、旧公国に属していた騎士団の残党、そしてクロスナイツの関係者で構成されているという。

「クロスナイツか!流れを汲む者が生き残っていたとはな」

 帝国出身のオーガスとアルバンは途端に色めきたつ。クロスナイツとは、ノディオン王にして黒騎士ヘズルの直系、"獅子王"エルトシャン直属の精鋭騎馬軍団であり、その実力はアグストリア最強とも呼ばれていた。

 オーガスの生まれる前にエルトシャンは非業の死を遂げ、クロスナイツも解体されていたが、叔父のユーホズはクロスナイツとの演習に参加した経験があった。グランベルとアグストリアの国交正常化を記念する催しであったが、

「戦場で相見えるやもしれぬと思うと、倒し方を考えずにはおれんな」とこぼしていたことを彼は覚えている。歴戦の弓騎士たるユーホズをして、戦慄させるに足る力を有していたということに他ならない。

「・・・全ては過去の話だ。大半の団員は公爵に忠誠を誓っていたから、その死後は槍を折る者が殆どだったし、残る大半も帝国軍の侵攻に際して・・・」

 ウェールズの語り口に違和感を覚えるオーガスであった。常に冷静で、感情の揺らぎをあまり感じさせない壮年の騎士が、アグストリアのことを語る時だけは妙に自嘲的な態度を取る。三日前からしてそうだったが、アグストリアの内情にもやけに詳しいではないか。

 率直に疑問をぶつけてみたところ、棟梁も古参の幹部も、どこか返答に窮する様子である。

「それは・・・」

「皆、気を遣う必要はない。古巣の情報は自然と耳に入る。それだけのことだ」

「古巣?」

 ウェールズの故国はアグストリアであった。それは無論だが、「古巣」なる言葉がそれ以上の意味を帯びていようこと、それもまた疑いなかった。

「あんた、クロスナイツの一員だったのか」

 沈黙という形で、ウェールズは肯定を示した。何故教えてくれなかったのか、その問いを、節度を以て喉の奥に押し込む。隠してなどいない、聞かれなかったから言わずにいただけ、ということかもしれぬ。いずれにせよ、今は沈黙をこそ美徳とすべきであった。何より、現在は軍議の真っ只中だ。

 出征が決まった。帝国や暗黒教団、あるいはそれ以外の脅威に対する布石を打つべく、アグストリアに恃むべき勢力を確保する。そして北からの帝国軍侵攻を食い止めつつ、大陸西にまたがる対帝国戦線を築き上げる・・・。

「ヴェルダン統一って最初の目標から、急に話が大きくなったよね。・・・だけど外から大きな力が迫ってくるかもしれないって考えれば、現状を守るために、こっちも大がかりな準備が必要だと思うんだ」

 続いてリューダは、物資や船の都合、そして士気の維持も考え、志願する者を中心とした五千ほどの精鋭で向かうと宣言した。最も士気の維持に関しては、食糧の豊かなアグストリアで味方が暴走しないように、という側面が大きかったが。

「よし!湖上兵団にとっては初めてになる国外での戦いだ。十分気をつけて、戦い抜こう!」

 戦支度を進めるために、幹部達は持ち場へと散って行く。相変わらず物憂げなウェールズを気にしつつ退室せんとしたオーガスは、リューダに呼び止められた。イーファとアルバンと共に、案内したい場所があるという。



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第四話 獅子の眠る地 後編

 悠久の静謐が、その森には生きていた。

 

 リューダに連れられたユングヴィ出身の三人は、彼女の生まれ故郷である"精霊の森"の隠れ里に来ていた。背の高く、そして幹の太い青々とした木々が、堂々と根を張って天を支えているかのようである。緑に覆われているはずなのに鬱蒼とはしておらず、一帯は優しい明るさに満ちていた。

「とても美しい場所・・・!まるで物語の中にいるよう」

「そうでしょ?これを見れば、どこの国の人でもヴェルダンへの印象変わると思うんだ」

 ヴェルダンという国の持つ神秘的な側面を、如実に示す場所であると言えるだろう。東に進めば国の象徴たる湖に通じ、東から吹く涼しげな風が皆の頬を撫でた。

 ヴェルダン西部を制するに欠かすべからざる要衝、故にこそこの隠れ里はいずれの敵の攻撃に曝されることもなく、当時の・・・七年前、住民総出で里を脱出した時の様子をそのまま保っていた。まるで、少女の帰りを待っていたかのように。

「七年前に脱出の指揮を執ったというのが・・・」

「そう、軍師殿にはその時から世話になりっぱなしなんだ。オレが6か7くらいの頃に、どういうわけかアグストリアから流れてきたんだけど」

 リューダとオーガスが腰掛けた立派な切り株は、昔からリューダが椅子として使っていたものである。視界の端では、イーファが興味深げに周囲を見渡しているのが見えた。

「お母さん亡くなってから、変な奴に狙われること、結構多くてさ。外に出歩く時は一緒にいてくれたり、鍛錬とか勉強にも付き合ってくれてたんだよ」

「そうか・・・」

 当時の王子ガンドルフ、或いはそれに加担する暗黒教団の刺客であるのは明白に思われた。自らの反対勢力の旗頭となり得る存在が、ガンドルフにとって目障りでない訳がないのだ。穿った見方ではあるが、リューダの祖父が急死した件も、そうした勢力の思惑があったと見るべきかもしれぬ。

 

 そしてリューダ個人のことに関してであるが、彼女が時に言葉に詰まったり、考えを形にするのに手間取るようなことがあったのは、そうして息の詰まるような生き方をしてきたためであろうか。オーガスはそう思った。危険から隠れつつ生きねばならない環境の中で、心の内を外に放つ術が育たなかったのだろう。

「アグストリアに行くのは、もちろん皆のためだよ。だけど・・・もし成功して、それで軍師殿への恩返しになるっていうなら、それは良いことなんじゃないかなー、ってさ」

「そう気負うこともないだろう」

 オーガスの返事は自らが驚くほどに速く、口をついて出た。

「お前はこの軍をどうしたいか考え、そのために最善と思うことを指示すればいい。軍師も皆も、そのことを少なからず誇りに思っているからこそ、ここにいるのではないか?」

 皆も、という言葉に自分が入っているかどうかをオーガスは口にしなかった。それは照れ隠し故か、それとも最早言う必要もないためか。

 だが、聞こえた部分だけでも、少女の心を晴らすには十分であった。木漏れ日に彩られた笑みを向けて礼を述べると「何か面白いもの見つけてくる」と言って、リューダはかつての住まいに駆けていった。後ろ姿を見守るオーガスの下に、妹と戦友が近づく。

「今日はとてもよい経験ができましたわ。これほど美しい場所に来ることができただなんて」

「それは何よりだ。成り行きで来たとはいえ、ユングヴィに帰る前によき思い出ができたのであれば・・・」

 それを聞いたイーファが首を傾げた理由が、オーガスには分からなかった。

「お兄さまは・・・ユングヴィに戻られるおつもりなの?」

「いや、つもりも何も、故郷に戻ろうというのがそこまでおかしいか?」

 首を傾げたいのはこちらだと、オーガスはしきりに困惑する。いつも自分の後ろをついて来てくれる素直な妹、その考えを図りかねることなど今まで無かったというのに。

「そういうことではありませんの。このままヴェルダンに残り、リューダ様の下で働き続けるおつもりかと思いましたから。・・・あの方と共に戦うお兄さまは、どこか生き生きとしていらっしゃるし」

 思わずはっとした所に、アルバンも畳み掛けてくる。

「常々言っていただろう。騎士には誰しも、仕えるべき主に巡り合う定めがあると。お前にもその日が来たのではないか?」

「む・・・」

 両手に品々を抱えたリューダが戻ってきたことで、話題は取り敢えず中断となった。全ては眼前の戦いに勝ってからだ・・・そう思い直し、取り敢えず頭の片隅に留めておいたオーガスだが、いずれこの選択と、真正面から向き合うべき時が来ることに、もはや疑いの余地は無かった。

 

 

 遠征が決まってより十日後、ついに全ての準備を終えた湖上兵団は、船上にて進軍計画の最終確認を行っていた。

 棟梁のリューダ他、ウェールズ、ロイグ、オーガス、アルバンらが将として五千の戦士を率いて出陣する。特にアグストリア出身のウェールズは、地勢を把握するうえでも重きをなすことだろう。ツェレンとカルムは残留部隊を指揮し、国内の残党に対する備えとする。

 五千の部隊はヴェルダン本城の港より出立、そのまま北上し、旧ハイライン公国南の湾岸に上陸する。

「これは陽動なんだよね?」

「そうだ。我が軍は豪族達の縄張りであるハイラインに接近し、奴らの注意を引く」

 そうして西からの脅威が弱まっている間に、湖上兵団を撃退せんとするであろう独立派を新星騎士団が叩く。そうして合流するに万全の状態が整ってから、ノディオン南岸に上陸する。という手筈が、助力の要請とともに、新星騎士団より提案されていたのだった。

「ふむ・・・ここでヴェルダン側を罠に嵌める理由は、アグストリアの連中には無かろう。無論のこと警戒は必要だが」

「ハイラインの湾岸ですかぁ。純真な者に、その願いを叶える宝物を齎すという言い伝えが、あそこの砂浜にはあるんですよ。行ってみたかった・・・」

 気を引き締めるロイグとは対照的なカルムを、長居をするなとばかりに、ツェレンが部屋から引きずり出していく。その様を、盗賊のメルヒが一組の母子と共に見ていた。

 皇帝の縁戚であると分かった少年・リオーノをヴェルダンに置いておくよりも、目の届く遠征先に連れて行った方が安心だというのが、ウェールズを始めとする幹部達の総意であった。

「わたくしまでお連れしていただいて・・・決してご迷惑はおかけしませんわ」

「迷惑なんざとんでもない!ウチのむさ苦しい野郎どもなんて、貴女がいるというだけで張り切ってるぜ。心配しなくても母子そろって、必ず俺が守り抜いてやるからさ」

「そんなの、いらないよ」

 母に身を寄せながら、リオーノは眼前の盗賊に怪訝な視線を浴びせる。

「いけません。そんな失礼な物言いをしたら」

「だって今までだって、僕がお母さんを守ってきたじゃないか。こんな変なオジサンに守ってもらわなくてもいいよ」

「オジサン言うかよ、オイ・・・」

「変な」ではなく「オジサン」の言葉に強く落胆するのが、この男らしいといったところか。

「変なオジサンには違いないけど、意外と強いんだから!」とリューダの擁護、になっているか分からない大声が飛んできて、リアンナは詫びつつも顔を綻ばせた。

 

「そろそろ刻限だ。棟梁、出陣の下知を」

 オーガスに促されたリューダはきっと唇を結び、皆を引き連れ甲板に立った。北西には、目指すべきハイライン南岸が見える。その景色を標として進めば、右手にノディオン・・・これから出逢うことになる、有志達の本拠を望むことになるだろう。

 リューダは息を吸い込み、新鮮な空気で肺腑を満たした。

「湖上兵団、出陣!目標、アグストリア!」

 二十を超える大小の船が、海に白い軌跡を描きながら、北西に針路を取った。その先に待つものが勝利であると信じながら。

 

 

 旧マッキリー公国は、アグストリアでも難攻不落として名高い存在であった。南北に走る峡谷はそれだけで大軍の侵攻を不可能にする、絶好の防御施設と言えよう。そうした場所に、独立派の元締めであるラサールがいるのは道理というものである。

「蛮族どもめが・・・国内の戦に飽いた後は、アグストリアにまで出張るか。欲深いにも程があるわ」

 肥満気味の体を震わして、ラサールは憤りを露わにする。武術の冴えとは無縁そうな体軀だが、彼は自身の真価を頭にあると考えているため、特に気にしてもいない。

 実際、独立派が現在のような巨大勢力へと成長したのは、偏にラサールの手管によるものであった。帝国の武力を利用してマッキリー、そしてアグスティを得ると、時には在地豪族達を帝国に嗾け、時には彼らの内部分裂を扇動する。そのようにして肥沃な中央台地の東半分を得ると、それを元手に帝国軍内部に産物の闇流通網を作り上げ、莫大な財力と共に、帝国内部に同志を潜り込ませることにも成功した。

 次なる一手として、ラサールは新星騎士団なる新興勢力を利用せんと考えた。彼らが拠点とするノディオンは帝国と接しているが、折しも帝国の最前線たるエバンス城では、ヴェルダンにおける一連の混乱と前後して、兵の撤収が進んでいる。この隙に豪族達を懐柔しつつ、新星騎士団を帝国および在地豪族に対する南方の盾として、都合の良い手駒とするつもりであったのだ。

 

 湖上兵団のアグストリア進出は、その構想を一挙に崩壊させかねない一大事であった。

「ゆめ上陸を許すわけにはいかん。傭兵隊長らもここに呼べ、迎撃部隊の編成を進める」

 指示を受けた側近は、主君の十分の一も深刻さを理解していなかった。

「たかだか蛮族が海を渡ってきただけのこと、何を狼狽えておいでです。ここは常通り守りをお固めになって・・・」

「馬鹿者がっ!」

 叱責を飛ばされ部下が立ちすくむ。蛮族などより、主君の勘気の方をよほど恐ろしく思ったものか。

「蛮族どもの襲来は新星騎士団とやらの差金に決まっておる。外からの敵となれば、体面のためにも豪族どもは黙っておらんぞ。必ずやノディオンを攻めに来る。ノディオンを陥されては、奴らの勢力が我らを上回ることになる!」

「ご、豪族らの方が負けるやも・・・」

「そうなれば奴らの圧力が、台地の我が軍に向けられる!そうなれば我らの基盤は失われたもの同然。よいか、奴らの衝突は必ずや避けねばならん!」

 この程度のことも分からんのか・・・飛び出していく側近の背中に毒づきながら、ラサールは自らの擁する人材の乏しさを自嘲する。自分のような危険分子や穀潰しを、皇帝が纏めてアグストリアに追いやったのだから、碌な人物がいないのは道理ではあったが、それでも尚この有様には失望を禁じ得ない。金で雇った傭兵の方が、よほど気が利くではないか・・・。

 取り敢えず、彼は迎撃部隊の編成を進めると同時に、台地南端の拠点の防備を固めるよう指示を下した。迎撃部隊がハイライン南岸に向かった際、新星騎士団にその後背を突かれないための布石である。

 

 その三日後・・・南端の拠点は、たった半日の襲撃によって散々に破壊し尽くされることとなる。

 それは、アグストリアにおける戦いの、新たな局面の到来を告げる狼煙であった。

 

 

第四話 獅子の眠る他 了



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第五話 集う星々

 断崖を右手に、台地の縁沿いを彼らは北へと駆けてゆく。どこまでも続くようなアグストリアの大地に対し、星の光は限りなく無力であるようにさえ思われる、漆黒の夜。十の小集団に分かれた総勢三百の兵は巧みに闇に紛れ、点在する篝火ではその気配すら掴めそうもない。

 新星騎士団の精鋭部隊は、華々しい名から想像し難い沈黙の中を進んでいる。

 だが、黒く暗く塗り固められた世界でなお、両の眼で彼らの行先をはっきりと見据える者がいた。短槍を携え、一番先頭を行く青年は周囲を見渡すと、進むべき道の確認、敵に対する警戒、味方の人数確認をほんの短い間にやってのける。迷いのない足取りの青年を仰ぎながら、あたかも彼を導とするかのように軍勢は進んでいった。

 

 起伏に富んだ地勢に至り、大小の丘に挟まれた窪地にて彼らは集合を果たした。一人の落伍者も出てはいない。

 彼らの見はるかす先に、旗と松明が林立していた。独立派の有する台地南端の陣地であり、南の平野部に通ずる幾条もの経路がここに端を発している。独立派の基盤たるアグストリア東部を守る盾であり、同時に出撃の足掛かりとなる要衝であるが、西部の在地豪族達を刺激せぬよう、詰める兵は意外にも少ない。

 その状況が、南からの来訪者によって変わろうとしている。それに好機を見出し、動き出す者達がいた。

「松明を灯せ。コソコソ進むのは終わりだ」

 揺らめく炎が闘志と緊張で強張る兵達の顔を照らし出す。高低差の激しい地勢故に、その光は周囲に広がることもなく、当然ながら陣地からも認めることはできない。

「隊列を組み替えて敵陣の搦手に向かう。列を決して乱すことなく、一定の速度を保ちながらギリギリまで入り込むんだ」

 闇夜の一部のような黒髪を揺らしながら青年は改めて手筈を確認する。前髪だけが白く輝き、こちらは松明の一本のようにも見えた。

「万に一つも怪しまれるわけにはいかない。とにかく胸を張れ。ここに踏み入るのは当然だと、動きと雰囲気で主張し続けろ。いずれここは俺達のものとなるのだから」

 迷いを払うかのように素早く隊列を組み直し、兵達は青年の檄に応えた。力強く頷いた青年は短槍を握り直し、列の先頭で堂々と歩き始める。潜伏していた窪地から飛び出してきた彼らだが、陣地に詰める独立派の兵からは、北東から軍勢が南下してきたように見えた。

 松明に照らされた黒い人影が、陣地の外壁に続々と集まってくる。何事かと視線を向ける見張りの兵達だが、警戒の色は微塵も感じられない。自らの歩みに合わせて規則正しく響く足音を耳にしながら、青年は満足げに微笑んだ。

 多くの視線に刺されながら、陣列は門前に至る。青年の声が夜を震わせた。

「ラサール卿の命により、増援として来着した。開門願う!」

 

 

「貴方とアーロンにはいつも苦労をかけるわ。皆も言っているわよ、二人は騎士団の"双翼"だとね」

「買い被りにも限度があるでしょうよ。あいつは僕に無いものを何もかも持ってます」

「それはどうかしら?彼は真に必要なものに飢えているように見える。支えられること、慕われることでは満たされないものが・・・」

「僕であれば何とかできるって?」

「私はそう信じてる。それは貴方にとっても、彼にとっても、ひいては騎士団全体にとっても幸運なことだと思うの」

 

「エドアルド卿、来ました」

「見えてるよ」

 部下の報告を受けた新星騎士団のエドアルドは追想を切り上げ、戟を握り直し敵の陣地を仰ぎ見る。記憶を辿りつつも、意識の殆どは現実の光景に向けられていたので、敵が混乱に突き落とされつつある状況を既に理解していた。いくつもの黒い影が、慌ただしく外壁の向こう側へと消えてゆく。

 北の搦手門が他ならぬ陣地の兵達によって開け放たれた途端、騎士団の別働隊三百が洪水もかくやの勢いでもって雪崩込み、その武威を思うがままに奮い始めたのである。味方と信じて迎え入れた相手に対し、陣地の兵はまともな反撃もできぬまま敵の強襲を許した。味方の根拠地がある北東から堂々と松明を灯して近づいてくる隊列が、まさか敵とは思わなかったのだ。

「突入する。頭上には気をつけなよ」

 渦中の陣地めがけ、エドアルドは騎士団の本隊を引き連れ斜面を駆け上がってゆく。一応警戒を促しこそしたが、矢や投石といった敵からの反撃はなく、敵の動揺は相当のものであることが窺える。然程時を要することなく門を突破し、未だ残る敵を追い散らして門を制圧すると、搦手周辺では彼が想像した通りの光景が広がっていた。

 警戒もされぬまま易々と敵の懐に入り込んだ騎士団の別働隊が、慎重な足取りで蓄積された鬱憤を晴らすように得物を振るい、敵を薙ぎ倒す。外壁に張り付いていた敵を引きずり下ろして高所を確保し、陣地の中央部に敵を押し込む態勢を取っており、騎士団の勝利は決まっている可能ように見える。

 しかし同時に、一箇所に集中した陣地の兵が、総数では大差のない騎士団を南北に分断しているとも言え、いずれか一方向に力を集中して突破を試みれば、勝敗はどちらに転んでもおかしくはないのだ。

「アーロン」

 決して大きくはない声で、エドアルドは北の別働隊を率いる戦友の名を呼んだ。見れば各所で奮戦する味方を見舞うように陣地内を忙しなく駆け回り、もはや身体の一部と化した短槍を振るって、敵の死体を量産している。突く、叩く、払うたびに穂先は松明に照らされて微かに輝き、闇を三日月に切り取った。

 敵と味方の鬨、怒号、断末魔が交錯する中での呼びかけに対し、別働隊を率いる青年指揮官・アーロンは頷くことで応えた。まるで、聴覚を超えた何かでそれを察したかのように。

 

 騎士団の別働隊左翼、本隊右翼が合流する動きを見せ始めた。それが遂げられた場合、陣地の兵は東側より圧迫され、北西方面・・・今、陣地で相争う二勢力いずれにとっても敵である在地豪族の支配する領域に追いやられることとなる。

 陣地の兵は危機を脱すると同時に、形勢逆転のための攻勢に出た。一部の兵を東側に向かわせ、合流を阻止すると同時に騎士団の注意を引きつける間に、北に戦力を集中させようというのだ。成功すれば北の敵を各個撃破の餌食とできるし、でなくとも味方の本拠に通ずる退路を確保できる。逡巡の暇とてなく、辛うじて残っていた手練れを先頭に配し、急拵えの突撃陣形をもって、北の騎士団別働隊に猛然と襲い掛かった。

 目の前の敵が次々と視界から消えていき、外に通ずる道が見えた瞬間、突破に成功したと信じた陣地の兵も多かったことだろう。それが幻想に過ぎぬという現実を突きつけるように、騎士団の別働隊は突撃に呼応して、西側を逆進していたのだ。

 東から攻めると見せて突撃を誘発し、それを逆用して兵力を集中させる新星騎士団の作戦は、まんまと成功した。今や最初からそうであったかのように、北の別働隊が中央、南の本隊が左右を固める形で布陣を整え、北を正面とする敵に対し、背後から集中攻撃を開始したのである。

 迎撃のため踏み止まろうにも、元々北に指向し速度を上げていたために、兵の波に流される形で布陣もままならない。何より、陣地の兵にとっての最大戦力は先頭にいるため、敵に向かおうにも、他ならぬ味方が分厚い壁となって、戦域に赴くことすらできない・・・。

 

 程なくして勝敗は定まった。背後から徐々に戦力を削り取られる形で消耗、敗退した陣地の兵はラサールの下へ逃げ帰ることとなる。道中、「本物の」増援に遭遇して、援護を要請することになるやもしれぬ。

 一方、大戦果を挙げた新星騎士団は要地とも呼ぶべき陣地を奪いながら、それを確保するつもりはなかった。物資を可能な限り接収したのみで、本拠・ノディオンに戻る予定である。

「苦労かけたな、エドアルド。寝坊助のお前に夜襲は堪えたろ」

「まぁ・・・真っ暗闇を松明なしで踏破した君に比べれば」

「存外楽しかったぜ?お前にもやらせたいくらいさ」

 敵の埋葬を差配しながら談笑するアーロン。青年らしい、快活な笑顔を浮かべて笑う彼の前髪と剥き出しの歯は、未だ深い夜においては寧ろくっきりと目に焼き付く。紺色の鎧に付いた血痕は、全て敵の返り血だった。

「そろそろノディオンに戻ろうか。団長に復命しなければだし、明々後日にはヴェルダンの連中とも会うんだろう」

「おう、楽しみだな!勝利の宴もいいが、今はぐっすり寝たい気分だ」

 勝利の熱に当てられた兵を引き連れ、青年二人は本拠ノディオンへと進路を取った。彼らが撤収した後の陣地は、夜明けになれば何事も無かったかのように沈黙していることだろう。だが、それは確かにアグストリアの情勢を大きく変える震源地となるのである。

 

 

 アグストリアはハイライン城周辺。湖上兵団を迎撃せんと集結しつつあった在地豪族の軍勢が浮き足立っているのを、棟梁のリューダは甲板から見た。すぐ足下の海面も見えないような夜だというのに、その様は手に取るように分かる。

 その原因は二十を数える船団ではなく、アグストリア中央の台地、その南端にある独立派の陣地にて勃発した変事であった。豪族達にとっては頸城とも呼ぶべきもので、彼らの心境は不安よりも期待に傾いている。帝国から踏み入って、我が物顔で旧都を占領する独立派の駆逐は、"余所者嫌い"の在地豪族にとっては宿願の一つだった。

「台地に気が向いてる今ならどう?勝てるかな」

 傍らの軍師にリューダは問いかけた。

「まず無理だろう。奴らは協力する気など毛頭ないが、順序だけは間違えん。配置を見てみろ」

 在地豪族の軍勢は、文字通りアグストリアに割拠する豪族達の手勢が寄り集まって構成されている。往々にして、そうした勢力は内輪揉めを起こしたり、疑心暗鬼になって身動きが取れなくなる烏合の衆となることが多い。前年、湖上兵団に返り討ちにされたヴェルダン西部の三勢力のように。

 だが、外部勢力の干渉を何より拒むアグストリアでは事情が異なる。豪族達が引き連れる手勢は数も兵種もてんでバラバラだが、それぞれが適した地点に配されているのだ。重装兵は狭い通路上に、騎馬隊は一撃離脱するに容易い平野部に、弓兵は見晴らしのよい高所に・・・誰が指示したわけでもなく、各兵種を多く擁する豪族が各々布陣し、自然と迎撃に適した態勢が出来上がっている。

 特定の誰かに忠誠を誓うのではなく、「外敵を排除する」という観念そのものに則って動いているから、その目的を達するまでは気に入らない相手とも協力する。そして本陣などというものはそもそも無いので、中枢を叩いて一挙に敵を潰走させることも極めて困難なのだ。

「逆に言えば、そうした思考が上から下まで浸透しているからこそ、外から来た我々を傍観していることは許されない。必ず出戦する。勝算があるとすればそこだろうな」

 陽動と敵情視察という目的を果たし、湖上兵団は未だ見ぬ味方に会うべく、ノディオンの南に上陸を果たす。台地南端の戦いから二日後のことである。

 

 陸へ上がったばかりだというのに、湖上兵団の目前には緑の海原が広がっているように見えた。

「広・・・いなぁ〜〜〜っ!!」

 反応の程度に差こそあれ、ヴェルダン出身者は皆、棟梁の少女と感嘆の念を同じくしていた。見渡す限り広がる新緑の大平野は、深い森に覆われたヴェルダンでは見ることのできない光景である。アグストリアという国に対する印象が、峻烈に刻まれた瞬間であった。

「話には聞いていたが、これ程広大で豊かな地を有していたとは。帝国も恐れるのも道理だ」

 帝国出身のオーガスが溜息を漏らす。目の前に広がる景色は、アグストリアが西方の雄として帝国と並び立っていた事実の証左に他ならない。

「すっごく広いよね。ね!」

「ああ、そうだな」

 ウェールズが、どこか確かめるような・・・あるいは躊躇しているような足取りで進んでいることに気づきながら、リューダは敢えて調子を崩さず話しかけた。

「しかし、ここまで開けた地勢では伏兵の策は使えないか。部隊の機動が勝敗を分かつ鍵となるだろう」

「いや、後半は確かにそうだが、兵を隠す場所は存外多いぞ。平野に見えて、死角となりうる起伏は少なくない・・・」

 聞いた直後にその実例を見ることになると思った者は、流石にいなかった。上陸した者を囲い込もうという意志が具現化し、量感をもってゆっくりと包囲を狭めていくのを湖上兵団は鋭敏に感じ取った。それに対する反応は迅速を極め、すぐさま厚い陣容で四方を固めつつ、退路を遮断されぬよう遊撃隊が出撃できる支度を整えた。

「ノディオンの他に、オレらをもてなしてくれる奴がいたのかな」

「・・・いや、どうやらそんな事はなさそうだ」

 臨戦態勢が取り越し苦労に過ぎなかったことを、突然掲げられた旗が教えてくれた。白で縁取られた黒地の旗・・・オーガスやアルバンにとっては殊更印象深い、不戦意思を示す旗。新星騎士団の"出迎え"である。

 

「へぇ、ヴェルダン統一は伊達じゃないってわけか。本気で攻めても勝つのは難しそうだ」

 黒髪の青年が湖上兵団の前に姿を現す。出迎えの指揮を取っていたらしい彼はリューダやオーガスより二、三ほど年長のようで、前髪だけが染め抜かれたように白い。

 青年は手にしていた短槍を部下に預け、身一つで近づいてくる。先程の一件で気が立っている戦士がいることは分かるだろうに、ほぼ丸腰で近づいてきたのだ。少なくとも臆病とは無縁の人品の持ち主である。馬二頭分ほどの距離を置いて、リューダと青年が対した。

「手厚い歓迎をどうもありがと。それで?こっちもお返しした方がいいのかな」

「試すような真似をして申し訳なかった。しかしこちらとしては、戦う前に友軍の実力は知っておきたかったんでね。・・・ああ、名乗りが遅れた。俺はアーロンという」

 破顔するアーロンの仕草には付け入るような隙が見られず、若くして少なくない修羅場を潜り抜けてきたことが窺える。それよりもリューダが気になったのは、騎士団員が上官であろう彼へ投げかける目線であった。アーロンの発する言葉、一挙手一投足に注目しているようで、それも正負の感情がない混ぜとなり、複雑な好悪の綾を形成しているかと思われる。・・・心中で首を傾げている棟梁の傍らにオーガスが進み出る。

「アーロン卿と呼ばせてもらうが、そちらにも余興に割くほど時が余っているわけではあるまい。騎士団長殿にお会いしたく・・・まさか貴公が?」

「いやいや、俺は一端の部隊長だよ。尤も数年後はどうか知らんが・・・」

「任務を逸脱した出迎えに興じているようでは、数年後とやらもまだ遠いわね」

 ほんの一瞬肩をびくつかせて振り向いたアーロンの視線を辿ると、一人の騎馬が兵の列を割ってこちらに近づいてくる。

 凛々しい印象を与える女性であった。藤色の長髪を後ろに纏め、研ぎ上げられた刃のようにしなやかな身体を、無骨な黒い鎧で覆っている。その装備を、リューダは十年前から知っていたような気がした。

「苟も新星騎士団の団長を務める、ベアトリスと申します。助力の要請に応えていただき、心からの感謝を」

「オレは棟梁のルドミラだよ!こっちもやれる限りのことをするから、お礼は勝った後でいいよ」

 どこか鋭さを感じる容貌とは裏腹に、穏やかで話しやすい人品である。リアンナのような女性ともまた違った包容力のようなものがあり、出迎えに不服そうな顔をしていたリューダも態度を軟化させていた。

「早々に申し訳ないが、兵達を全て上陸させたい。宿舎がなければ、野営する許可を頂きたいのだが・・・」

「市街であれば兵や物資を収容するだけの施設が多くあるわ。どうぞ、ゆっくり航海の疲れを癒やしてください。・・・その間に話すことがありますので」

 引き攣った笑みを浮かべるアーロンを横目に、ベアトリスは手早く指示を下して、湖上兵団を迎え入れる準備を進める。だがこの時、彼女の視線がアーロンでもリューダでもない人物に一瞬だけ向けられていたことにオーガスは気が付いた。"致命の一矢"を操る弓の名手故の発見であろうか。

 視線を辿っていけば、そこには湖上兵団の軍師が立っているはずだった。

 

 

 翌々日。ノディオンとハイラインの中間に位置する地点に、在地豪族勢のものと思われる偵騎が確認された。それは日を追うごとに数と頻度を増していき、当該地点に布陣してこちらに仕掛けてくることは明白に思われた。

「ただまぁ、あちらさんにとっては台地の方を押さえてしまうことが急務だろうからね。あくまでこちらを牽制するのが主でしょ」

 友軍の幹部を案内する任を帯びた騎士団の指揮官は、名をエドアルドという。アーロンと同格、同年代の男で、オークル色の巻毛とやや気怠げな顔立ちが印象的だった。

「つまり、敵は我らの動きを封じたいだけで、深追いして侵攻する可能性は低いというわけだな」

「うん・・・アーロンはそれを逆用して撃退するつもりだろうけど」

「あいつ・・・はふ、色々、決めて・・・やってるんだ。んぐっ」

 聞き苦しさに顔を顰めたオーガスが向いた先に、パンを満足げに頬張るリューダの姿があった。兵達に食事を取らせながら話をしよう、との提案を呑んだことに彼は少し後悔している。

「おい、口に物を入れたまま話すのはやめないか。はしたない」

「んむむっ。・・・だって美味しいんだもん。帝国のレディはこんな食べ方しないだろうけどさぁ」

 小麦の生産量が少ないヴェルダンではパンを年に数回しか食べられない者さえいる。穀倉地帯故にパンの焼き方も発展しているアグストリアでの食事は、リューダ達ヴェルダン出身者にパンの美味たるを改めて教えることとなった。ツヤツヤとしたパンが湯気を立てている様を、リューダは宝物のように眺める。

「女性だの棟梁だの論ずる前に、子供の前でする食い方か?それが」

 リューダの隣では、リオーノが珍しく顔を綻ばせてパンを味わっていた。育ち盛りで空腹だろうに、少しずつちぎって丁寧に口に運んでいるのは、母の教育の賜物であろう。赤面して残りのパン一つを譲ったリューダは、改めてエドアルドに問いかける。

「こないだの出迎えもそうだけど、アーロンてのは色々と考えがあって皆を動かしてるみたいだね。もしかして陣地を襲ったのも?」

「まぁ、作戦の殆どを考えたのはあいつでさね」

 独立派に擬装して陣地に侵入するというのはいかにも奇策じみて見えるが、それは成功の公算が最も高い作戦であった。ラサールのような周到な男ならば、ヴェルダン勢に対し先手を打つべく陣地に兵を、在地豪族に警戒されづらい夜間に集結させるぐらいのことはする。

 つまり、新星騎士団が演出した状況は蓋然性が高く、そのうえ陣地の兵達にとって都合の良いものであるため、信じ込む可能性は極めて高い。それをアーロンは知悉していたために、自ら別働隊の指揮を執ったのである。

「ふーん、すごいんだ!アイツ」

「ええ。まぁ、あくまで僕の推測だけど」

「はい?」

 リューダが質そうとする前にエドアルドは部下に呼び出され、食堂から消えていった。

「いちいち知らせていないんだろう、アーロンとやらは」

 リューダの後ろで黙々と食事を取っていたロイグが口を開いた。

「大事な作戦だよ?少しは説明とかしないの」

「お前のようなやり方をする者ばかりではない。言ってしまえば新星騎士団は、豪族にも独立派にもつけぬ者達の集合体だからな。論ずる前に方針を定めてしまった方が、全体のためにもなろうさ」

 リューダが一応は納得した表情を見せたのは、ロイグの唱えた理屈に対してもそうだが、初めてアーロンに会った時、彼に向けられた視線への違和感を解き明かす取っ掛かりを見つけたような気がしたためであった。

 

 

 アグストリア最北のマディノ城は、北の島より度々攻め来る蛮族を迎撃するため築かれた城とされる。島において最大勢力を誇った海賊団・オーガヒルの解体、そして帝国軍の進駐により、城の仮想敵は北ではなく南・・・アグストリアの在地豪族、そして反逆者たる独立勢力に変わった。

 といっても、この城の役割は本国から海路にて運ばれる兵や物資を受け入れることで、ここが戦場になることは、ほぼあり得ないと言ってよい程の緊急事態であった。

「それで・・・本国より達しがあった数字と、誤差があると言うんですね?」

「は、はい、そうらしくあります。集計に携わっていたのはこの者が」

「いえ、自分は半ばで引き継いだだけでありまして・・・」

 仮定の話よりも差し迫った問題がマディノ城で起こっていた。搬入された物資の量が、規定よりも少なかったのである。報告を怠ったり、横流しでないとの証拠を示せぬ限り、重く罰せられるのが帝国の軍規であった。

「分かりました。・・・私がもう一度算え直すので、お二人は運搬作業の手伝いに行ってください」

 報告を受けた青年は、自分の二倍は生きているであろう部下への呆れを隠しながら指示を下した。帝国ではそれなりの伝統と格式を有する家の子息で、名をユージンという。来月まで生きていれば十六歳。

「はぁ〜あ、何でこんな所にいるんだろう僕は・・・」

 溜息が漏れる。赴任した頃は初の国外任務ということもあり、人並み以上に張り切って当たっていた。ところが、精鋭揃いであったはずの味方は次々と本国に召還され、前線から離れて久しい辺境部隊により埋め合わせが為された。数が同じでも質的な劣化は著しく、アグストリア平定は夢のまた夢である。このような状況で情熱を絶やさずにいるというのも、土台無理な話であった。

「考えたって嫌なことばかり、か」

「ま〜たユーくんがグダグダ言ってる」

 思わず天を仰ぐと、純白の翼が逆光を受けて輝いていた。シレジア特産の有翼馬・ペガサスが空を泳いでいる。そこから躍り出た影は舞い降りるように着陸し、妙齢の女の姿を取ってユージンに微笑みかけた。

「少し疲れていただけだ。何をしに来たんだよ、ガブリエルさん」

「えー、酷くない?ユーくんがしょげてたから発破かけにきたんじゃん」

 桃色の差しが入ったハーフアップの緑髪を弄りつつ、ガブリエルはあっけらかんと答える。緑髪にペガサス、飛兵用の軽装備から窺える通り、シレジア出身のペガサス乗りである。無個性な装束には僅かに華やかな意匠が施されていた。

「そんな沈んでないで笑ってこ?いい顔が取り柄なのに台無しだぞ〜」

「顔だけの男みたいに言うなよ!ぼ、私だって帝国の将校なんだからな」

「そう言って実践経験とか無いんでしょ?武器とか持ってるの見たことないし、組み手でいっつもアタシに負けてるし・・・」

 ガブリエルはユージンより三歳ほど年長である。組み手で勝てないのは、同年代と比べても豊満な身体で気が乱されるせいだ・・・とは、青年が主張できる訳もない。

「物数えるのも大事なのは分かるけど、そういうのって他の人に任せるもんじゃないの?」

「できるならそうしたいよ。正直今の人員では能力不足だわ、他の部隊は人手を貸してくれないわで・・・」

 現在、北部の帝国軍においては、サボタージュとはいかないまでも、怠慢が目立つ部隊が多く見られる。どうも独立派と闇取引を行い、その対価として軍の運営を妨げているらしかった。しかしそれを糾弾しようにも、矛を逆しまにされては押さえきれぬ程に内部は弱体化している。打つ手もなく、時間と物資ばかりが空費されていく。

「ベレンガル閣下は私よりも余程苦労なさっているだろうな。帝都に凱旋できるのはいつになるやら・・・」

「ユーくんも大変だね〜。訓練終わったら、お茶しながら愚痴聞いたげるよ」

「私の持ち込んだ茶だろ。それと、その力が抜ける呼び方はやめてくれ」

 退嬰的ながら、マディノ城は総じて平穏の中にあったと言えるだろう。しかし遠からず、この城もまた動乱の炎に叩き込まれることとなるのである。

 

 

 マディノ城北東の海上、帝国軍の軍船にビュグビルはいた。内陸で完結しているために帝国が保有する船は数、規模共に小なるもので、彼が乗っているのもせいぜい連絡船程度の大きさである。

 現在停戦状態にある海賊の残党を戦力に組み入れ、水軍(の原型)を編成することが彼の任である。難航しているアグストリア平定を海上から支援するのが当面の目的だが、帝国の支配を大陸中に行き渡らせるための戦力拡充に向けた試金石でもあった。当人にとっては、微塵も興味が湧かぬことではあったが。

「ほぉ・・・ヴェルダンの有象無象が海を越えてきたと」

 一人の遊撃隊長に過ぎぬビュグビルの下に、アグストリアの直近の情勢が入ってくるようになっていた。無論、協力者である女審問官の根回しによるものだが、そのような裏の事情も、齎された情報そのものも、彼にとってはどうでもよいものである。筈だった。

「ヴェルダン・・・そうだ、城を追われたユングヴィの連中が逃げ込んで・・・」

 頭の中でチリチリと音がした。ヴェルダン、ユングヴィ。取るに足らぬ単語を反芻するだけで胸が不快な熱を帯び、首筋を掻きむしりたくなる。

 そうなる所以が記憶の中には無かった。そもそも、彼にはこれまで生きてきた記憶が無かったのだ。しかし、過去に何をしていたかの記憶が無くとも、今の自分は確かに生き、戦い、血と破壊を戦場に撒き散らしている。それで十分だと思っている。思っていた・・・。

 

 気づくと、幾つもの船影がビュグビルの周囲に群がっていた。船員が警告を発していたが、意識を現実に戻してもビュグビルは気にも留めない。

 相手はこれから交渉の相手となるはずの、海賊の残党であった。相手を小勢と見くびり、挑発をかけてきたのである。あるいは、自分達の海上における有利を見せつけ、交渉を有利に進める打算もあることだろう。

「どうした、帝国の犬ども!話がしたければここまで来い、泳いでな」

「我らの機嫌を損いさえしなければ、洞穴の一つは貸してやる」

 喚いているな。それ以上の感慨をビュグビルは持たなかった。帝国の使者としての自分が誹謗されて、如何程の事があるだろうか。寧ろ彼は喜んでさえいたのである。胸中に蠢く鬱屈をぶつけるのに、丁度いい相手が現れたことを。

 相手の頭領と思しき船に針路を取らせ、自らは舳先に立つ。波の音を切る音と共に大きくなる眼前の船影。そしてはっきりと見えてくる、こちらを嘲り笑う海賊達の顔。ビュグビルは跳躍した。

 五人ほどの海賊が、斧の一振りで腰から上を吹き飛ばされた。紺碧の海に、唐突に塗りたくられた赤。人間とはかくも脆いものなのか。静まり返る一帯で、さざめく波だけが微かな声を上げている。沈黙を破ってビュグビルは口を開いた。それは勝利宣言であった。

「案内をお願いできますかな?」

 

 ビュグビルの戻った帝国船は、海賊の船団に守られるようにして、北の島へと入っていった。彼自身もその正体を知らない、怨讐の火種を燻らせたままま。

 

 

第五話 集う星々 了



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第六話 過日よりの問い 前編

 新星騎士団と在地勢力軍前衛の小競り合いは、いつ果てるともなく続くようにさえ思われた。

 ノディオン城と台地南端、その間に位置する平野で、両軍はさしたる細工を仕掛けることもせずぶつかり合う。常に騎士団側が攻めかかり、豪族側がそれを迎え撃つ。徐に騎士団側が退けば、豪族側は形だけの追撃をして、潮が引くように元の配置へと戻る。十日の対陣になるが、双方に損害らしい損害も出ておらず、端から見れば遊んでいるようにしか見えないであろう。

 しかし、変化は少しずつ、それでいて着実に起こっていた。

 かつて独立派の一大拠点であった、台地南端の陣地。騎士団の攻撃を受け破却されたそこに、色も形も異なる大小様々な旗が掲げられていた。在地豪族勢の進出が始まっているのだ。

 旗の本数は日を追うごとに増えていき、それは集結した戦力の規模に比例する。独立派の侵食を受けいいように扱われていた彼らが、豊かな大穀倉地帯である台地を完全に掌握することが叶えば、アグストリアの力関係は一挙に覆るだろう。

 

 目まぐるしく変わる情勢を、対岸の火事の如く眺めている者達が、ハイライン城にいる。城に幾つもある櫓の一つに詰める男達は、諸国を渡り歩く傭兵だった。

「見ろよ。平地で引っ掻き合いをしてる間に、台地がすっかり押さえられてやがる。二週間前には考えられなかったぜ」

「あの陰険ジジイも頭が痛いだろうよ」

「違いねぇ。はは・・・」

 現在ハイライン城を領する豪族は、かねてより密かに独立派と誼を通じていた。ラサールによって在地豪族方に打ち込まれた楔であり、大量の物資と詳細な情報が取引され、これまでの膠着状況を生み出していたのだ。そして、ハイラインを始めとする"内通者"の監視と警護のため派遣されたのが、彼ら傭兵部隊である。

「しかしアグスティが負ければ俺らの飯の種はどうなる?ダラダラやり合ってくれなきゃ困るぜ、命も懸けたくねぇのに」

「心配ないさ。帝国にはジジイの分け前にあずかってる奴らが大勢いるんだ。北の方からちょっかいかければ、豪族どももこっちにかかりきり、とはいかねぇよ」

 当面の主人であるラサールの本懐を遂げさせてやろう、という意欲は彼らにはない。それを指弾したところで、傭兵に忠義を求める方が馬鹿らしい、と開き直るだろうが。

 現在のアグストリアは、傭兵にとって理想的な戦地と言えた。大陸支配を固めつつある帝国(の黒幕たる暗黒教団)は優勢であるため、金払いも待遇もよくない。さりとて反乱軍はそもそもの勝ち目が薄く、命を懸けた所で割に合わない。

 しかしアグストリアのように、拮抗した勢力同士が泥沼の戦いを繰り広げている地域であれば、安定して報酬を得ることができるのだ。大陸各地の傭兵はそのことを嗅ぎつけ、列をなして陸海路を進み、アグストリアに集っている。

 この日も常のごとく、小競り合いのまま両軍は自陣へと戻っていった。台地南端に掲げられた旗は、その本数を増やしていない。陣地周辺に展開する兵力が、一帯の収容力を超えたためだ。

 飽きたように宿舎へ戻っていく傭兵達。不機嫌な虎のように佇む男が、一人残った。神殿の柱を思わせる雄大な体躯のため、携えた大剣も片手剣であるかのように錯覚する。同僚の会話に混ざることもなく、依然無口なまま、南に視線を投げていた。

 そこにはカルムの言う、"願いを叶える腕輪"伝説が語られる砂浜があった。

 

 驚愕の声が払暁の空を震わせた。

 豪族、騎士、傭兵、ハイラインの市民(兵を収容するため都市の一区画に追いやられている)・・・出自、立場の上下を問わず、ただただ唖然としてその光景に目を奪われる。

 海岸に砦ができていた。つい昨晩まで、そこには静かな波が訪れる白い砂浜だけが広がっていた筈なのに。神か、悪魔の為せる業か。或いは夢幻の類か。

「どうした事だ、この騒ぎは?」

「ティグレさん」

 昨日、最後まで櫓に残っていた男・・・ティグレの問いに応えたのは、武具の修繕を請け負うハイラインの職人だった。現在、二人がいる城壁には多くの人間が詰めかけ、ティグレが上がってきたことにすら気づかず色めき立っている。

「それが、大変なんです。海沿いに一晩で砦ができたって・・・」

「ヴェルダンの者達か」

 ティグレは驚かない。ノディオン周辺での膠着を打開するならば、ここから上陸して背後を脅かすだろうと、大凡の見当は付けていた。とはいえ、迎撃の暇も与えぬほど早く敵が展開するとは、流石に予想の範疇を超えている。

「何か秘密はあるだろうな。だが・・・」

 そのカラクリを暴いた所で、広がる動揺を完全に抑えることは困難だろう。昨日の会話は、ハイライン周辺が戦場になることはないだろうと、城内に蔓延する油断の発露であった。それというのも、こちらの注意が台地南端に向けられ過ぎているためではないか。先だっての新星騎士団による襲撃も、その布石の一つだったのでは・・・。

 喧騒を背に受けながら、ティグレは城を抜け出して北へと向かった。進展の見えぬ小競り合いが続く方角へ。

 

「あの男、見ていたな」

 自軍に向けられる視線に勘づいていたのは、上陸の指揮を取ったロイグである。怜悧な指揮官としての側面が強い彼だが、同時に凄腕の剣士でもある。殺気や敵意を感知するのは造作もないことだった。

「見られるのも仕事の内だぜ?ほれ、東に出張った連中からの偵察だ。相当ビビってるかな」

「或いは機嫌がよいかもしれん。東においては奴らの思うように事が運んでいるし、こちらが焦って分散したとすら思っているだろう」

「台地を押さえる時間稼ぎを遂げた敵は必ずや反転する!ノディオンからそれを追撃する!戦況が大きく動くのはその時だ」

 湖上兵団がこの地に展開した目的・・・それは現在、新星騎士団と対峙する敵を西に引き戻すことにあった。戦況が膠着するのは敵の思惑通りだが、それを逆手に取って、一計を案じたのである。

「お、麗しの女騎士殿がお出ましになったか」

 上陸部隊は湖上兵団で占められているわけではなく、騎士団長ベアトリス直率の騎兵三百ほども乗り込んでいた。ちなみに、湖上兵団の幹部達も二箇所に分かれて配置に付いており、リューダ、ウェールズ、オーガスはノディオン、ロイグ、アルバン、メルヒは上陸部隊に参陣していた。

「我々も出撃準備に入ります。・・・しかし、この展開の素早さには目を見張るものがありますね」

 ハイラインの敵を動揺せしめるという勿怪の幸いを齎すほどの迅速な布陣に、ベアトリスは舌を巻いている。一晩で現れた砦の正体は、アルバンが開発、改良した折り畳み式の防壁、陣屋であった。無論その防御力は然程でもないが、敵の意表を突くことも含め、布陣までの時間稼ぎには非常に有用だ。アルバンの知識と創意が、林業の盛んなヴェルダン人の技術と結びついたが故の発明である。

 さらに言えば、敵に比してそこまで多くない兵数で、付け入る隙が無いような重厚な陣を敷いていることも、瞠目に値する。統率を保ったまま整列し、地形の高低差を巧みに利用して兵を配していることを示しているためだ。

「私ども新星騎士団も、様々な出身、立場の人間が多く集う混成軍。貴方がたからは、学ぶべきことが多くありそうね」

「光栄なことだが、こうした仕組みの大半を構想したのは、軍師殿だ。戦友だったあなたの指揮からも、多分に影響を受けているんじゃないか」

「それは・・・ふふ、お褒めの言葉に恥じぬ戦いをお見せするわ」

 ほんの僅かに面映い顔を浮かべ、ベアトリスは戦支度のために去っていった。目ざとくそれをメルヒが見つけたのは、彼が目端の利く盗賊であり、同時に女の顔色を見誤らない色男でもあるためだ。

「戦友ねぇ・・・」

 アルバンの肩にわざとらしく手を置いて語りかける様は、まるで後進に教え諭すようでもある。

「軍師殿との仲はそんなもんに留まると思うかい?お前も気づいたろ、初めてお会いした時、軍師殿に向けられてた熱視線にさ」

 ・・・内容は些か下世話であったが。

「安直だなぁ。三十路を過ぎるとすぐそういう方向に話が逸れる」

「ハイハイ、帝国生まれの坊やに大人の艶話は早かったよ」

 ノディオンに寄せていた敵が、ハイライン方面へ反転したとの報が入ってなお、メルヒの意識は軍師の過去に向けられていた。

 

 

 湖上兵団の上陸は、豪族勢にとって吉報であった。焦って誘い出されたな、と膝を打った者もいた程である。

 湖上兵団はヴェルダンから来航した外敵に他ならず、それを攻撃しなければ体面に関わるという点において、行動を掣肘する目の上の瘤とも言える存在である。それを早期に除くことが叶えば、以降の軍事行動は格段に自由度を増すというものだ。

 翌日、土煙を巻き上げながら、豪族勢は戦場に背を向けて西へと動き始める。十日間、だらだらと対陣を続けていたのが嘘のような未練のなさだ。

「やはり奴らは所定を完遂したというらしい。当初の策で仕掛ける」

 台地南端にて戦力の終結が完了したことを、ウェールズは正確に洞察していた。だからこそ豪族勢は持ち場を離れ、勇んで上陸した湖上兵団を叩きに行くのだ。

 現在、ウェールズは馬上の人となって陣列の中央にある。西へ向かう豪族勢を追撃するために編成された、騎馬だけの部隊だ。左翼はオーガス、右翼はエドアルドの率いる隊で、歩兵を主力とするヴェルダンでの戦いに慣れた彼にとっては、左右に騎馬の列が伸びている光景は久方ぶりのものであった。

 元クロスナイツであったと、彼やその部下、そしてかつての同僚が喧伝したことは一度もない。しかし噂というものは、誰の意図にも背いて広まるようであり、「かつてのクロスナイツがヴェルダンで軍閥の幹部になっている」ということは上下の知る所であった。対抗心、そして憧憬の込められた視線が突き刺さるのをウェールズは感じ取っている。自分にそれを受ける資格はないというのに。

 

 早朝、豪族勢の背後につく形で、追撃部隊は西進を開始した。彼らの殆どが駆るアグストリア駒は、大陸で最も速度に優れるとされるが、それを発揮することもなく、相手との距離を一定に保ち続けている。さらにどういう訳か、左翼が突出し右翼が遅れているため、追撃隊そのものが斜行する形となっていた。追い掛けている敵が逆撃を加えてきた際、迎え撃つためと考えれば、筋が通っている陣形ではある。

 鬨の声が台地の南端より上がり、大波となって平野に轟いた。これが豪族勢の打算であって、即ち、南端の陣地に集結した戦力を以て、追撃してくる敵に大打撃を与えんとするものである。もし出てこなければ、上陸した敵を各個に撃破したうえで、ノディオンの北側からじわじわと侵食していくつもりであったが、台地の制圧を目指す今、早急に決着がつくのは豪族勢にとって望ましいことである。

 陣地の豪族勢には二つの選択肢・・・つまり、敵の追撃隊とノディオンのいずれかを攻めるか、それを決定する権利があった。台地から滑り降りるようにして平野に躍り出た彼らは後者を選び、全体の戦況を劇的に変えようと画策した。昇りきった日は携えた得物を照らし、白銀の橋が台地とノディオンの間に架かったようにも見える。

 

 それが先頭から断ち切られ、足と勢いを止められたのはまさに突然のことであった。ノディオンよりはるか手前、西に森を見る地点での会敵ある。

 矢の驟雨が左側面より叩きつけられ、薙ぎ倒された兵は隣り合う味方まで巻き込んで陣を乱す。周期的に襲い来る矢群に狼狽しながら辛うじてその方角を見遣ると、弓兵隊が平野で陣を構えているではないか。湖上兵団の誇る、ユングヴィ・ヴェルダン混成の弓兵隊と、彼らは初めて接触することとなった。

 アグストリアでは、野戦で弓兵隊を運用する思想があまり浸透していない。平野が多いために逆撃を受けやすく、街道も整備されているため、騎兵や歩兵が交戦を始めるまでの距離、時間共に短いためだ。

 故にアグストリアでは、弓兵隊を拠点防衛を目的とする部隊と看做し、攻撃力と射程を追求してきた。ハイライン、マッキリーなどに配備されたロングアーチはその象徴の一つと言えよう(双方ともに、帝国の攻撃を受けて破壊されたが)。

 そして、ただ意表を突くに留まらず、純粋な戦術の洗練度合いについても、弓兵隊は高い水準を誇っていた。初めは二列が前後に重なり、代わる代わる射撃を続けていたが、敵が負けじと突撃をかけてくると見るや、直ちに逃げに転ずる。接近された弓兵など蹂躙されるだけだ。

 だがその逃げ方は巧妙にして、辛辣を極めていた。鳥が翼を広げるように二部隊に分かれると、向かってくる敵の左右前方にそれぞれ展開する。一方が距離を取ろうとすれば、もう一方が一斉に矢を放って敵を足止め。敵がそちらに向かってくれば、今度は逃げる隊と撃つ隊が入れ替わって再び敵を牽制、敵が反撃してくれば・・・。

 それを幾度も繰り返し、敵を右往左往させて接近を許さないのだ。両隊の中間には歩兵隊が控え、取りこぼしが生じた場合にすかさず支援する。彼ら弓兵隊は、平野において狩られるだけの獲物ではなく、積極的に動き回って己の優勢を保ち続けていた。豪族勢は騎士団に引けを取らぬ数の騎馬を有していたが、速度の差から孤立して集中射撃を受けている様が散見される。

「いょーし!次、次!もっともっと敵を引き摺り出してやろう」

 歩兵隊に在って、声を張り上げる少女が指揮官であると、豪族勢が気付くまでそう時間はかからなかった。左右から降り注ぐ矢の雨にも構わず、ひたすら中央へと殺到する敵が現れ始める。それは無謀であると同時に、敵の頭を叩くべしという点においては正しかったが、その正しさは報われなかった。少女手ずから、ある者は斧で粉砕され、またある者は頸を短剣に貫かれ倒れ伏す。

 

 苦心しながら態勢を立て直さんとする豪族勢の前に、新たな脅威が正面から殺到していた。

「新星騎士団、参上ッ」

 アーロンの名乗りも高らかに、新星騎士団の本隊が白刃を煌めかせ、正面から豪族勢と衝突した。騎士団はあたかも蓋をするように横陣を敷き、長槍を並べて突撃を防ぐ態勢を取った。

 この時、豪族勢の左手では湖上兵団の弓攻撃が依然として続き、右手の森には多くの罠が設けられ進軍を妨げていた。つまり、左右に展開して敵の側面を突くことはできず、止まろうにも、後ろから進んでくる味方と揉みあいになって混乱が加速する。目前に迫る刃の壁を承知で、前方に活路を見出すしかない。

 それに対するべく、騎士団の横隊は二重の構造になっていた。前方の長槍部隊に突破される兆しが見えれば、後方の白兵戦部隊が躍り出て敵の浸透を食い止める。空きそうになった陣列の穴はたちまち埋められ、不動の城壁を思わせる堅牢さであった。中でも指揮を取るアーロンの働きはめざましく、直率部隊と共に陣中を駆けずり回って、敵の攻めが集中する箇所を目敏く見つけ、したたかな逆撃を食らわせる。それが味方を主導し、全体の動きが隙のないものへと洗練されてゆくようだった。

 

「ふん、アーロン殿は奮戦しておられるようですね」

「・・・いつものことながらね」

 部下の言葉に不満の欠片を見出しながら、エドアルドはそれに触れることはない。

 劣勢に焦燥を募らせる豪族勢に、止めの一撃を与える役目を任されたのは、ウェールズ麾下の追撃隊である。なぜ城の防御施設に拠ることなく、わざわざ森に罠を張ってまで野戦を仕掛けたのか?西から鳴り響く馬蹄音、立ち込める土煙が、豪族勢に答えを教えた。

 西に向かい敵を追っていたはずの追撃隊が、騎馬の真骨頂である速度を存分に発揮して舞い戻り、台地から降りた豪族勢の右側背に食らいつこうとしている。斜行していたのは前からの逆襲に備えるためではなく、旋回して逆進するための前準備であったのだ。その偽装を額面通り受け取ったからこそ、豪族勢はノディオン攻撃を決意したわけで、完全に裏をかく形となっている。

 最後尾の右翼を率いていたエドアルドは、追撃隊による攻撃の口火を切ることとなっていた。陣立ても戦法も、開戦に先立つ軍議で既に了承を得ている。

「全隊、"ジャベリン・チャージ"の用意」

 矢と比すれば長大にして重量もある投槍が、彼我の距離を一瞬で飛び越え、豪族勢の陣に突き刺さる。悲鳴と呻きを上げて人馬が倒れ伏した箇所は、そのまま陣の穴となって、エドアルドはすかさずそこに楔を打ち込んだ。剣を掲げた騎兵が鋭く突撃し、亀裂を陣全体に広げていく。

 その名の通り、投槍によって敵陣の防備を崩し、妨げられることなく騎馬の破壊力を発揮することを目的とした、騎兵戦術の中でも屈指と称されるものである。突撃から引き揚げる際、敵に付け入られてしまうと危うくなる弱点を抱えていたが、エドアルド隊の右方に構えたウェールズ隊の側面攻撃がそれを許さない。

 この時、豪族勢の陣中では一見、奇異に見える現象が起こっていた。敵の戦法に対し、戦歴の長い年配の将兵の方が強く動揺し、それが全体に波及していたのである。あるいはその瞬間が、豪族勢の敗れる破断界であったと言えるかもしれない。

 ・・・間もなくして、どうにか敗軍を纏めた豪族勢は、台地へと引き揚げていった。道中、救援に向かっていたであろう味方が、散々に射倒されているのを目の当たりにして彼らは驚愕する。オーガスの部隊は反転し台地の出口に駆けつけ、加勢に出てくるであろう豪族勢を待ち伏せる役割を担っていたのだった。

 

 

「団長からの伝令です。西の方も滞りなく事が進んでいる、と」

「そうか。・・・相変わらず抜かりのない」

 ノディオン周辺での勝利と前後して、上陸部隊も一帯の完全制圧に成功したという報が齎された。西に向かった豪族勢は当初の予定通り、上陸した敵の撃破に向かったが、ベアトリス率いる騎兵に進路を誘導され、シューターによる船上射撃で大打撃を被ったのである。

 "外部からの侵略者"である湖上兵団が、豪族勢の動きを掣肘しているというのは既述の通りだが、今回の戦いによってさらに、新星騎士団は敵の分断に成功した。

 現在、豪族勢は主に台地南端とハイラインに展開している。最短の連絡路は平地の街道であるが、通過しようとすればノディオンの騎士団本隊、あるいは上陸部隊にそれを妨げられてしまう。

 となれば、部隊間の連絡には北の迂回路を使うしかないが、かつて独立派の要衝であっただけに、奪回せんとの動きは今なお続いており、その妨害によって更なる時間を要することになるであろう。戦力の一部が台地南端に"閉じ込められた"ことによって、豪族勢は有機的な連携を封じられているのだ。

 

「台地攻めを主張したのはアーロンの奴です。ここまで見越していたんでしょう、僕には真似できませんよ」

「お前の"ジャベリン・チャージ"も悪くなかった。ベアトリスは教え子に恵まれたな」

「はぁ・・・ウェールズ卿の援護あればこそですよ」

 "ジャベリン・チャージ"はアグストリア最強の誉高いクロスナイツが得意とし、研鑽を重ねてきた戦法である。だからこそ、かつてその一員であったウェールズは適切な援護ができ、豪族勢の熟練者は恐れたのである。

「騎士団にはクロスナイツの縁者もいると聞いたが、お前もそうか」

「ええ、まぁ。父がそうでした。名はギヨームと申します」

「何・・・?」

 ウェールズの態度に怪訝としたエドアルドの耳が、唐突に刺激された。

「貴様、謀ったな!」

 飛び込んできた第三者の声は、クロスナイツに縁のある二人の会話を妨害せんと発せられたものではなかった。しかしその声量、剣呑さは到底看過しえるものではない。何やら今しがた合流したばかりの騎士団本隊において、何やら諍いが起こっているらしい。

 

 驚きと疑問を心中に残したまま、二人は静かな馬蹄と共に、その場を後にした。



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