フォニーシエル (海砂)
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第一話

 民間の警邏隊では捕らえられなかった凶悪殺人犯がいた。

 一個大隊を率いて捕まえてみれば、それは想像とはかけ離れた細身で華奢な女で、私は昔を思い出して吐き気がした。

 

 湯気の上るカップを片手に机の上のぶ厚い調書を広げた。これは全て彼女の罪状。自白内容は一つもなく、未だに容疑だけで証拠は固まっていない、が、それもおそらく時間の問題だろう。

 最初の数ページに目を通す。熱すぎたコーヒーが喉を灼きながら通り過ぎる。眉間に寄った皺を意識的に緩めつつページを捲った。

 

 シエル、それが彼女の名前だった。普通に生まれ普通に育ち、普通に働き普通に生活していた。

 最初の殺人はまだ私が軍に戻る前、ちょうど新生ローレライ教団を追い回していた頃になるだろうか。自宅で両親を刃物で惨殺、幼い弟が一人助かっている。

 弟の名はレオン。話を聞きに行った部下の話によると外見は姉によく似ており、まるで幼い頃の彼女を見ているようだったという。姉の犯行に関しては目撃していなかったそうで、否定を続けているらしい。

 殺された両親はこの姉弟の実の親で、随分と二人を可愛がっていた。ただ、どうやらあまり表立っては言えない類の商売をしていたらしく、そちらの方で恨みを買ったのだと当初は思われていたようだ。

 話がここまでだったのならば、彼女は事情聴取は受けても逮捕はされなかっただろう。だが行方を眩ませた彼女はその半年後、無差別に人を殺して回る殺人鬼として戻ってきた。複数の被害者と加害者の間に接点も共通点もなく、場所もマルクト・キムラスカ両国にわたっている。たまたま最後の殺人がマルクト国土内で起こり軍を動かす機会があっただけの話で、もしかしたらキムラスカ軍が彼女を捕らえていたかもしれない。

 ただ、それまでは各地で繰り広げられていた惨劇が、ここ数ヶ月はマルクトで連続して起こっている。それに何か意味はあるのか。

 最初の両親殺害を除き、いずれの殺人の場合も現場付近で見かけられた不審人物の容貌が彼女に似ていた。眼前で殺害現場を見た者はいないが、この手の情報ならまだ入ってくるだろう。

 私はファイルを閉じて、それに書かれていた少女の元へと向かった。

 地下牢はじっとりと冷たく、コンクリートの床の上に毛布一枚で寝るような生活。本来なら、このような少女のいるべき場所ではない。だが、彼女に関しては別である。

 どうやら食事にも一切手をつけていないようで、捕らえた時よりもさらにやせ細っていた。

 床にうずくまっていた彼女は、牢を開けて中に入った私の気配を感じてゆっくりと顔を上げる。

 

「……誰? また尋問? 話すことなんて何もないけど」

 

「いえいえ、様子を見に来ただけですよ、シエルさん」

 

「私はシエルじゃない」

 

 吐き捨てるようにそう言うと、彼女は再び顔を伏せた。どうやらこれ以上の話をするつもりはないらしい。

 

「それでは、あなたの本当のお名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 当然ながら、反応は一切返ってこない。

 

「これは失礼。こちらから名乗るべきでしたね。私はマルクト軍第三師団所属、ジェイド・カーティス大佐です」

 

 無視されると思っていた私の予想を見事に裏切り、彼女は弾かれたように顔を上げた。

 ただ、目だけがぎらぎらと私を睨み上げている。表情を見る限り、怒り、憎しみ、彼女がそういった負の感情が入り混じった状態であることは想像に難くない。

 

「貴様が……ジェイド・カーティス……」

 

 立ち上がる体力すらも失っていたと思われた彼女が、突如音を立てずに地を蹴り、私に飛びかかってきた。予想外の出来事に避ける間もなく突き飛ばされ、もつれ合って床に倒れ込む。上に乗った少女の細い指が喉元に食い込んだ。

 

「貴様さえいなければ……ッ」

 

 その手に力が籠もり、身の危険を感じた私は彼女を弾き飛ばす。幸いかなりやつれていた相手は、大して力を入れずとも軽々と吹き飛んで床に伏した。槍を具現化する間も惜しく、腰に帯びた護身用の短剣を、彼女が動けぬよう正確に頸動脈の上にあて様子を窺う。

 そのまま二人とも微動だにせず数分が過ぎた。首がずきずきと痛み出す。おそらく先程絞められた時に、爪で傷が付いたのだろう。

 

「……殺すならさっさと殺せ。私に出来たことなど所詮この程度、同胞の血にまみれた私にもまた生きる価値など無い」

 

 少女は吐き捨てるように言い、床に転がった状態のまま全身から力を抜いた。おそらくもう飛びかかってはこない……私もナイフを彼女から離し、少し離れた位置に立った。

 

「もう一度伺います。あなたのお名前は?」

 

 意識的に先ほどよりも厳しい口調で訊ねる。体も顔も伏したままの彼女は、本当に微かな声で『フォニー……』と呟いた。

 

―――――

 

 独房の中、フォニーはかなり前に出ていったジェイド・カーティスに突き飛ばされた時のまま、ずっと冷たい床に転がっていた。

 彼はあの後、何も言わずに出ていった。何も聞かなかった。何故、彼を殺そうとしたのかすらも。

 フォニーはジェイドの顔を思い出す。もっと凶悪な人相か、でなければ青白い白衣爺を想像していたが、意外と若い普通の人間だった。

 彼女がジェイドについて知っていたのは、名前と、現役でマルクト軍に所属していること、それと……フォミクリーの発案者だということ、それだけだった。

 ネクロマンサーという異名も耳にした。彼にふさわしい通り名だと思った。

 フォニーは今一度、彼の顔を思い出して己の脳裏に刻み込む。次の機会を逃さぬように……機会があればの話、だが。

 

――私は奴を殺すために……そして自分が死ぬために、ここにきたのだから。

 

―――――

 

 絞められた首がズキズキと痛む。執務室に戻るまでの間、会う人全てが彼の首の傷のことを心配し眉をひそめた。

 部屋に戻って鏡を見ると、真っ赤になった手形の痣と歪んだ切り傷が鮮明に残っていた。これでは心配もされるだろう……実際の痛みよりも見た目の方が随分と派手に見える。ジェイドは苦笑しながら制服の襟元を正し、机に向かった。

 ファイルを開き最後のページに今日の日付と『フォニー』という名を書き記す。そして、しばらくペンを空中で止めたまま少し考え……やがて『被害者とフォミクリー・レプリカとの関連について再調査の必要有り』と、そう付け加えた。

 

―――――

 

――すぐそばで子供が泣いている。目の前にいる大人達は、難癖をつけては私を殴る。私の存在が癇に障るのだと言う。

 私は『紛い物』なんだと何度も聞かされた。私もそうだと思った。

 けれど、私を庇おうとするあの子にまで手を上げる大人達を見たら、急に体が熱くなって……我に返った私は、欠けて折れて使いものにならなくなったナイフを片手に、血の海に沈んでいた。すぐ傍で、血に濡れた子が泣いていた。慌ててあの子の服についた血を拭おうとして、初めて私は自分が彼以上に赤く染まっていることに気付いた。

 泣かないで、ごめんね、私じゃあなたを守れないと知った、許して。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 しがみついてくるあの子の手を振り払い、私はその場から逃げ出した。

 

 目を開くと石造りの低い天井が視界に広がり、自分のおかれた状況を思い出す。寝ていたはずなのに息が荒く、全身にじっとりとした嫌な汗をかいていた。

 あの家の夢を見たのは何年ぶりだろう。それは私が過去を思い出すきっかけでもあり、ただ感情のままに人を殺した最初で最後の記憶。

 

―――――

 

 数日後、ジェイドは再び私の元を訪れた。

 

「今日はちゃんと食事をとったんですねぇ。いい傾向です」

 

 一人で頷きながらへらへらと口元だけで笑っていたが、突然、私の目の前にどっかりと腰を下ろした。当然だが牢屋に敷物がしいてあるはずもなく、冷たい石の上に直接、片膝を立てて座っている。

 

「すみません、この方が話しやすいかと思いまして」

 

 以前に取り調べられた時は、机も椅子もある(ついでに拷問器具もある)別の部屋に連れて行かれて、武器を所持した兵士達に囲まれて自白を強要された。

 それに比べこの人は小さなナイフひとつ(もっとも、それで充分に事足りるのは実証済みだったが)だけで、相変わらず供は一人も連れずに牢番も下がらせた。よほど自信があるのか馬鹿なのか、多分前者なのだろう。彼は強いし頭も切れる。

 

「さてフォニーさん。色々とお訊ねたいことがあるんですが」

 

「いいよ、私が話せる限りのことは話してあげる」

 

 もう、二度とこの男は私に隙を見せないだろう。残念だけど、それが現実なら私は受け止めるしかない。

 もう一つの目的……私が死ぬためには、死刑になるのが多分一番手っとり早い。

 彼は助かりますと笑って、質問を始めた。

 

「それではお聞きします。あなたは『私はシエルではない』と言いました。では、シエルさんのご両親はあなたとは赤の他人だということですか?」

 

「そうよ」

 

「だがあなたはシエルさんとして、彼らとともに暮らしていた時期があった。違いますか?」

 

「……半分は正解……かな。私にはよくわからない」

 

「こちらの調査では殺人が起こるまで二十日ほど一緒に暮らしていて……けれどシエルさんはもっと前に死んでいることもわかりました」

 

「だから何? 私がその女と入れ替わるために殺したとでも?」

 

 けれど彼はあっさりとその言葉を否定する。

 

「それはないでしょうね、突然病気でお亡くなりになったそうですし。まだお若かったのに、実に残念なことです」

 

「……言いたいことがあるのならはっきり言ってくれる?」

 

 遠回しな質問はきっと核心に触れるための前段階に違いない。彼をジロリと睨みつけると、やれやれといった面持ちで天を仰ぎ見、すぐに真剣な表情になった。

 

「あなたは、シエルさんのレプリカですね?」

 

 私はゆっくりと頷いた。

 

―――――

 

 彼女は否定することもなく、あっさりと自分がレプリカであると認めた。おそらく私がすでにそのことを知っていると気付いたのだろう。しかし私の知りたいことは、無論それだけのはずがない。

 

「あなたはどうして、シエルさんの家を訪ねたのですか?」

 

「私を造った奴らは『塔に行け』と命じた。だが…………」

 

 そこで、言葉が途切れる。今までと違い、意識的に話さないのではなく上手に言えないだけのようなので、うまく続きを聞き出してやる。

 

「何か理由があって行けなかったのですね。それから、オリジナルのいた場所を探したのですか?」

 

「……いや、船で塔へ行こうと港へ向かっていた道中に偶然その村を通りがかり、レオンが私を姉と呼んで家に連れていった」

 

 それは調査書類に書かれていた弟のことであろう。当時まだ幼かった彼は、姉シエルとうり二つの彼女を見れば、姉が生き返って戻ってきたと思うに違いない。

 

「幼いレオンは私を慕ってくれたが両親はそうはいかなかった。私はフォニーと名付けられ、奴隷同然の生活を強いられた」

 

 フォニーの顔が歪んだ。当時のことを思い返しているのか目を伏せ、爪が白くなるほどに手を強く握りしめている。……多少哀れには思ったが、それでも私はその責務を果たさねばならない。

 

「それで、両親……いえ、オリジナルの両親を殺害したのですか」

 

「違う!」

 

 即座に、甲高い彼女の否定が返ってきた。

 

「……違う……別に、辛い扱いには慣れているから、平気だった……」

 

「慣れていた?」

 

「私は戦うために産み出されたレプリカだ。産まれてすぐにあらゆる剣術と戦いに必要な最低限の知識を叩き込まれた」

 

 しばらくの間、沈黙が薄暗い牢内を支配する。先に言葉を発したのはフォニーだった。

 

「私を執拗に庇うレオンに両親は怒って彼を殴った。重くはないが、怪我をしたレオンは泣き出して、それでも私に酷いことをするなと言い続けてくれた」

 

 一旦言葉を途切れさせた彼女の表情を読む。ますます悲しそうな、そして苦しそうな表情だった。奥歯を噛みしめたままじっと目を閉じていたが、薄く開いて、さらに言葉を続けた。

 

「母はレオンを殴り続けていた。レオンの態度に腹を立てた父は食卓に置いてあった果物ナイフを手に取った。このままではレオンが死んでしまうかもしれない………次に気づいた時には、私は刃の折れたナイフを片手に、呆然と立っていた。二人を殺したことに対する罪悪感はなかったが、レオンの涙を見ていられなくて、私はそのまま家を飛び出した。私がレプリカでなければ、私がオリジナルのいたあの家に行かなければこんなことにはならなかったのに……ッ」

 

彼女は私を睨みつけた。

 

「何故フォミクリーを作った! 貴様があんな物を作らなければ……私も産まれることなどなかった! こんなに辛い思いをすることもなかった!!」

 

 今にも飛び掛りそうなのをかろうじて押さえ込む彼女の表情に、私は何も言い返すことが出来なかった。



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第二話

「墓を暴く」

 

 私の言葉に、部下達は心底嫌そうな顔をした。ネクロマンサーの異名を思い出した者もいるだろう。けれど調べなければならない。被害者の死体。そこにも痕跡は残る。

 グランコクマのそばに埋葬された死体から、順に調べていく。そこには予想通りの結果が在った。

 死体を構成する音素のうち第七音素が異常に濃い。つまりそれは……レプリカだという事。十体ほどを調べたところで、私達は引き上げた。これ以上調べる必要もない。おそらくフォニーはレプリカを殺して回っていたのだ。

 だが、何故? 生存したレプリカの保護条約はマルクト・キムラスカ両国で締結されており、既にその効力を発揮している。死んだ家族が戻ってきたと喜んでいる家庭はそのままに、レプリカの存在を受け入れられない場合は国立の施設にて普通の生活をすることが出来る。……中には、フォニーの家族のような隠れた例もあるのだろうけれど。けれどそれが、幸せに暮らしているレプリカ達を殺して回る理由にはならない。

 私は、再び彼女の元へ足を運ぶことにした。

 

―――――

 

 あれから拷問をされることはなくなった。日に三回の食事を運んでくる人間と、ジェイド・カーティス以外にここを訪れる者はいない。見張りでさえ退けられた(もちろん、上の方で監視はしているのだろうけど、少なくとも私の視界には入らない)

 そして、ジェイドの幾度目かの訪問。もう話すことはない。早く死刑にしてくれればいいのに。

 食事はのどを通らない。このまま餓死するのも、時間はかかるが死ぬ方法としては悪くない。

 

「また食事を食べなくなったそうですね」

 

 気遣う素振りを見せながら、ジェイドは格子をくぐる。私を縛り付けていた足枷も外され、少なくとも独房内において私は自由に動き回ることが出来る。

 

「……何故私を殺さない? やったことを、私は全て認めているんだぞ。何百人という人間の命を、私は奪った。普通は即座に死刑だろう」

 

「残念ながら、一つ新事実が浮かび上がりましてね」

 

 ……今更新事実など。せいぜいまだ明るみになっていなかった私の殺戮が世間に出た程度のものだろうに。

 

「あなたが殺した人間は……最初の、オリジナルの両親を除いて、全てレプリカであることが確認されました」

 

 何故! どうしてわざわざそんなことを調べた!? そうであるとばれない為に、わざわざ国立施設の人間を避けて殺して回ったというのに。……無論、最終的には施設の奴らも全て殺し尽くすつもりではあったのだけれど。

 

「……嘘を付くな。これだけの短期間で私が殺した人間全てを解剖することなど不可能だ」

 

「今は第七音素を計測する装置が小型化されていましてね。死体の一部を持ち帰り計測するだけでよいのですよ。全く、この仕事のおかげで私の二つ名が再び蘇ってしまいました」

 

 ネクロマンサー・ジェイド。墓を暴くこいつの姿は、さぞや笑える光景だったに違いない。

 

「それで、ネクロマンサー殿は、死体が全てレプリカであることを知って、私を訪ねてきたわけだ。『どうしてこんなことをしたのか』とでも? 残念だがそれを言うつもりは全く無い。さっさと殺せ。それでレプリカの汚点が一つ消える。ヒトではないレプリカを殺しても、お前達は何の痛みも感じないんだろう?」

 

 視界が九十度ブレて、ジンジンする頬をもって、ようやく私は殴られた事に気付いた。何が彼の癇に障ったのかは知らないが、私は事実を述べたまでだ。

 

「訂正してください」

 

「断る。全て事実だ。そうやってお前達人間はレプリカと自分達との差別化を図って、それで心の安寧を手に入れているんだ。保護施設? 笑わせる。その実態をお前はどれだけ知っている? 刑務所と変わらない粗末な食事に重労働、部屋に詰め込まれたレプリカ達は身を寄せ凍えながら、それでも明日の希望を夢見る。そんな生活を、お前は一度でも味わったことがあるか!?」

 

 人間の差別感情は根強い。ぱっと見で同じだからと普通に接していた人間が、レプリカとわかった途端に掌を返す。そんな光景を私は旅の間に幾度となく目にしてきた。

 

「……それで? あなたはレプリカという存在を劣位の者と断じて、自分以外の幸せに暮らしている者達を殺して回ったというわけですか。己の欲求のままに。そして、フォミクリーを発案して自分達のような存在を生み出した元凶とも言える私に復讐をしようと」

 

「違う!!」

 

 違う違う違う! 確かにジェイドを殺そうとしたのは半ば八つ当たりのようなものだ。彼を殺した所でレプリカやフォミクリーの存在が掻き消えるわけでもない。けれどレプリカ達を殺して回ったのはそんな理由じゃない!

 

「どう違うというのですか。私にはそれ以上の推測は出来ません。……さあ、話してください。何故あのようなことをしたのか。幸せになる権利を持ったレプリカ達の未来を奪ったのか」

 

 言う? 言えない! こいつが信頼できるか? 事実を知ったところで、仲間を手にかける立場が入れ替わるだけだ、私からこいつらに。だったら私が殺す、全部殺す! 殺せばいい! そう覚悟した!!

 

「……冷静になった頃に、出直します。出来ればその時に、あなたの知っていることを話してください」

 

 ジェイドはそのまま出て行った。私は拳を檻に向かって打ち付けた。その音は少し響いてすぐに消えた。

 

―――――

 

 フォニーのあの様子。おそらく彼女は只事ではない何かを知っているのだろう。それは拷問でも自白剤でも話さないような、何か。

 推察しか出来ない自分への怒りを含め、感情が混沌としているこの状況は好ましくないと判断し、私は牢を出て執務室へと戻った。

 椅子に座り、再度フォニーの調書を開く。新たに発覚した彼女の殺人が数件と、私に対しての自白の内容。それに、調べた死体の状態と一部の解剖結果も書き込んである。鍵はフォミクリーとレプリカ。今の私には推測しか、……他には何も、出来ない。

 ファイルをめくる。殺された被害者達の生活情報なども詳細に記してある。……犯人が見付からなかった間、どんな些細な情報でも犯人に結びつく可能性があった為だ。だが、家族、或いは自分自身がレプリカであるという事を隠していた人々も少なくない。それが差別と言える程の大きな物でないにしても……偏見の目は、確実に存在する。

 私は彼女の事を思った。おそらくは、あの時モースに生み出された存在。何も知らず、ただ知識と手段のみを与えられ、……フェレス島やエルドラントで襲い掛かってきた、レプリカ達と同様に扱われる予定だった存在。私達が殺してきた、あのレプリカ達と。

 意識は雪山に飛ぶ。完全体となったネビリム……先生を、思い出した。あれもまた、哀れなレプリカ。……私がフォミクリーを作り出したことで、どれだけの不幸がこの世界を襲ったことだろう。

 自責の念に駆られるのは、一度や二度ではない。けれどこれは私が未来永劫背負わなければならないであろう罰。フォニーの様に自分を恨むレプリカが現れたのも、必然といえるだろう。

 

「お前は考えすぎだっつーの。ハゲるぞ」

 

「また逃げてきたんですか」

 

 どうしてこう、毎回私の所に逃げ込んでくるんだろうか、この人は。ああ、こいつが皇帝陛下でさえなければぶん殴って二度と立ち入らないように説教することも出来るのだが。

 

「だってこんな分厚い書類全部に目を通して捺印しろってんだぞ」

 

「私よりは少ないですよ」

 

 一体何処に隠れていたのか、どこからともなく現れたピオニー陛下は、勝手知ったる我が家と言わんばかりに堂々と、悪びれる様子も無く私のベッドに腰掛ける。これがまた腹が立つ……いけない、冷静にならなければ。

 

「仕事に戻らないと、またメイド達が右往左往してあなたを探しているんじゃありませんか?」

 

「なに、一刻もすれば帰るさ。それよりなんだ、珍しく俺の存在にも気付かないくらい思案中だったな。何かあったのか?」

 

 ……こういう所だけは鋭い。何でもない振りをしようとして、先程まで思い出していたネビリム先生の笑顔が脳裏によぎる。きっとそれは、表情に出てしまったのだろう。

 

「話しゃ楽になるんなら言えよ。こう見えても秘密は守る方だぞ」

 

「昔、ネフリーに告げ口したことのあるあなたが言っても説得力がありませんが」

 

 雪国の過去が蘇る。私は、あのままあの時のまま、死んでいれば良かったのではないか。何故こうして今ものうのうと生き続けているのか。……いっそ、あのフォニーに殺されてやった方が罪滅ぼしになるのではないか。そんな事がぐるぐると頭の中を回っていた。

 

「……抱え込むなよ。ハゲるぞ」

 

「陛下の方が最近薄くなっている様な気がしますよ」

 

「おまっ、何つー事を。これでも気にしているんだぞ!」

 

 おどけて頭を抑えるピオニー陛下の仕草に、少し救われる。私がここに存在していても良い、そう、言われている様な気がして。許される様な気がして。……それは全て、私の心中の問題なのだろうけど。

 

「ま、暇があったら俺のブウサギちゃん達でも撫でに来い。癒されるぞー?」

 

「はいはい、じゃあこれ以上私の仕事を増やさない為にも、とっとと宮殿にお帰り下さい」

 

 ブウサギのようにぶーぶーと言っている陛下を部屋から閉め出して、一息つく。どうもフォミクリーの事が関わってくると、私はやや平常心を失う傾向にあるようだ。……冷静にならなければ。そして、謎を知らなければならない。それは私の責務でもあると感じる。産まれてきたレプリカ達を、……フォニーも含めて、幸せにすることが、そうすることが私の責務であり義務。



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第三話

 牢の中は、狭く、暗く、ジメジメとしていて、寒い。明かりは天井に小さな第六音素の譜石が埋め込まれているだけだ。そして人気も払われている。……私のような人間(そう名乗ることすらおこがましいが)の最期には、相応しい場所だ。

 錆びた鉄の音が響いて、扉が開く。ここへ来るのはジェイド・カーティス。冷静になった私に、話を聞きに来たのだろう。

 

「少しは落ち着きましたか?」

 

 返事は返さない。目すらも合わせない。私に話す事は何も無い。話せるような事は、全て既に話した。

 

「……食事、一緒に食べましょうか」

 

 顔を上げると、私の食事と同じものがもう一つ、ジェイドの手の上に乗っていた。……正気か? この男。

 

「一人で食べる食事ってものは美味しくないですからねぇ。できれば私の部屋にお越し頂きたかったのですが許可が下りなかったので、申し訳ないですが、もうしばらくここで我慢してください」

 

……前に来た時の様に……いや、あれ以来いつも、この男は石床に直に座る。服が汚れる事も、氷のように冷えた床の事も気にする事無く。私を懐柔しているつもりなのだろうか、こんな事で。

 

「食欲が無い、放っておいてくれ。お前に話す事は全て話した。食糧だって無限ではないだろう、さっさと殺せ」

 

「いやですねぇ、食事中に殺すだなんて。食欲無くても食べなきゃ私や他のレプリカは殺せませんよ?」

 

 気に留めるな、ただの私を煽る為の作戦だ。そう思っても、体は無情に反応する。歯軋りの音が、静かな牢内にむなしく響いた。

 

「……国を守る軍人がこうやって無駄な存在を飼い殺しにする方がおかしいだろう」

 

「犯罪が行われたのなら、それを立証し原因を突き止める必要がありますからねぇ。それを無駄だと言われましても困ります」

 

 私は手をつけていないが、ジェイドは黙々と食事を頬張っている。冷えたとうもろこしの粥に、どう見てもイケテナイチキンの手羽先が二本、飲み物はミルクだろうか。私が最初に居たフェレス島のフォミクリー施設よりも、レオンに拾われた後の家の食事よりも、それは豪華なもので、……だからこそ、居た堪れなかった。私にこんな食事をとる資格はない、必要も、無い。

 

「どうしました? イケテナイチキンが好物だったと伺いましたが」

 

 誰にだ!? ……体に力が、入らない。彼に詰め寄ろうとしたが私はそのままバランスを崩し、床に這い蹲る形になってしまった。ジェイドは私を支えようとする。いらない! 私はその手を即座に払いのけて、自力で起き上がった。

 

「……まさか、レオンに聞いたのか?」

 

「私が直接、ではありませんが」

 

 そうか……レオンは今でも無事に生きているんだな。私が両親を殺してしまったから、置き去りにしてしまったから……もしかしたら、と考えていたのだが。無意識に安堵で口元が緩む。レオン、私の人生で唯一つの大切な存在。

 

「ご親戚の所に引き取られて、実の親御さんのところに居た時よりも質素ではありますが幸せに暮らしているそうです。そして、今でもあなたを探しています」

 

 まさか。目の前で両親を惨殺した私を探す? ああ、敵討ちか……それならありえるかもしれないな。

 

「事件の記憶は、全く無いそうで……あなたの犯行への関与も、懸命に否定しておられるそうです」

 

 あの残虐な事件が記憶を奪ったのなら、それはいっそ神の思し召しだったのだろう。あの小さな子供にあんな凄惨な現場は似合わない。……けれど、だったらどうして神はレオンの中にある私の記憶もともに消してくれなかったのか。何もかも忘れていれば、レオンは幸せにこれからの人生を送る事が出来るのに。

 

「会うつもりは無い。それで事件の事を思い出されても困るしな」

 

 会いたい。けれどそれはきっとレオンにとって好ましくない。私の願望よりもレオンが最優先。あの子が苦しむ事になる位なら、私は即座に死を選ぶ。

 

「とりあえず……食べませんか? チキンだけでも。いつか問題なく会える日が来るかもしれませんよ? それまで……生き延びてみてはどうですか」

 

 そんな日は来ない……わかっている。私の両手は、全身は血に塗れている。けれど、私は手羽先を手に取った。一口食べて……

 

「ゲホッ!」

 

 ずっと食事をとっていなかった私の胃はたんぱく質を受け付けられず、その場で胃液とともに、吐いた。ジェイドが苦しむ私を介抱する、自分の衣服が私の胃液で汚れる事も厭わずに。再び振り払おうとしたが体に力が入らず、彼の胸元で何度も胃液を吐き出した。何故この男はこんな真似をする? 私から情報を得るためか?

 

「とりあえずお粥なら大丈夫だと思いますので、少しずつ慣れていきましょう。すぐにチキンも食べられるようになりますよ」

 

 欲しいならくれてやろう、情報の一端。それに私にも知りたい事がある。

 

「……第七音譜術士に聞け。お前の知りたがっている謎が少し、解けるだろう」

 

 それ以上は言わない。言いたくない。所詮この男も人間だ。人間は……信じられない。

 

「わかりました、ご協力有難うございます」

 

 粥を残して、彼は牢を出て行った。……私は何故あんな事を言ってしまったのか。何も伝える気など無かったのに。私が殺して回った数を考えれば、少なくともレオンが死ぬまでの間に問題は起こらないだろう。あの男が結末を塗り替えることを、私は望んでいる……。フォミクリーを生み出したほどのあの男なら、あるいは出来るのではないかと。

 私も施設に閉じ込められたレプリカ達と何ら変わらない。明日への儚い希望を夢見ているのだ。いつかレオンとまた、幸せに暮らせるかもしれない、と。

 

―――

 

 私はティアと連絡を取った。マルクトにも第七音譜術士がいないわけではなかったが、萎縮して、あるいは己の為に何も話さない可能性がある。私が最も信頼できる第七音譜術士、それがティアだった。

 

「お久しぶりです、カーティス大佐」

 

「いやですねぇ、昔のようにジェイド、と呼んでくださって構いませんよ。何せファミリーネームには未だに馴染みが無いものですから」

 

 私の呼びかけに、彼女は必要以上に早く応じてくれた。もしかしたら既に何らかの異変を感じ取っているのかもしれない。グランコクマまでわざわざ出向いてくれた彼女には、感謝をしてもし足りない。

 

「ケセドニアの死神の事はご存知ですか?」

 

 早速本題に入る。ケセドニアの死神、というのは、フォニーの、捕まる以前の異名だ。おそらくケセドニアを拠点として、マルクト・キムラスカ両国を行き来していたためにこの名が付いたのだろう。

 

「はい。マルクトで確保されたと伺いましたが」

 

「ええ、そうなんですがこの事件、ただの連続殺人ではないようでして……被害者は、全てレプリカです。そして加害者も」

 

 ティアが眉根を寄せる。何か思い当たる節があるようだ。

 

「……第七音素が薄くなっているのはご存知ですか?」

 

「え?」

 

 そんな話は全く聞いた事がなかった。……第七音素がなくなれば、第七音譜術士は存在価値を失う。だから黙っていたのか、この国の雇われ第七音譜術士どもは。

 

「ローレライを解放したのに、どうしてそんな事が起きるのかはわかりません。けれど確かに、大気中に含まれる第七音素の量は確実に減っています。音素帯がどうなっているのかまではわかりませんが、この状況からすると恐らくそちらも薄くなっていると……」

 

 第七音素が減っている。だからフォニーはレプリカを殺して回った……? だがそれだけとは思えない。というか、レプリカを殺すことで得られる第七音素は微々たるものだ。そこに意味があるとは到底思えない。だが、きっとこれがフォニーの言いたかったことの一部なのだろう。

 

「ありがとうございます、少し謎を解くきっかけになった様な気がします。……せっかくだから、グランコクマの観光でもしていきませんか? 初めてではないですしあまり見所はないですが誰かに案内させますよ」

 

「あの……私で協力できる事があれば、いつでも言ってください」

 

 仮面の笑顔でティアを見送り、ファイルに目を走らせる。調べた死体はどれも『音素付加』を行われた遺体ばかりだ。そうでなければレプリカの遺体は全て音素乖離し消滅してしまう。

 

『音素付加』……レプリカが産まれ出たために新たに開発された技術。レプリカを人間同様に愛している人間が、愛する者の毛一筋すら残らない事を不憫に思ったのが事の始まりらしい。詳しくは知らないが、レプリカに第一~第六音素を適宜注入することで、死後もそのまま体を保存できるという技術だ。葬式を行うくらいしか用途は無いのだが、それでも残された人間にとっては心の安らぎになるだろう。民間が元国家研究員などを引き抜いて商業的に、独自に開発した物なので、具体的な装置の全容は公にされていない。自分、或いは愛する人間がレプリカだと判明した時に、その企業に依頼して音素付加を行い、普通の人間として生活する……それが一般的となっている。もちろん、音素付加を行ったところでレプリカの体の大半を構築しているのが第七音素であることに変わりは無い。

 ひとまず、ティアから聞いたことをファイルに書き写した。再びフォニーに話を聞く必要があるだろう。

 ファイルを閉じた。ティアが来た時に淹れてもらったコーヒーは既に冷め切っている。口をつけると少し苦味が走った。この温度では砂糖はもう溶けないだろう。カップを机に置き、私はフォニーの居る地下牢へと急いだ。



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第四話

 もう足音だけでわかるようになってしまった、癖のある軍靴の響き。

 

「ジェイド、また来たのか?」

 

「おや、ばれてしまいましたか。第七音素術士に話を聞いてきましたよ」

 

 それで、糸口は掴んだということだろう。……第七音素の不足。相変わらず、わざわざ檻を開けて中に入ってくる。調子が狂う……コイツは、他の軍人と違うから。でも、コイツだって人間だ。信じない……。

 

「『音素付加』の事はご存知ですか?」

 

「……何ソレ」

 

 初めて聞いた言葉だ。音素……不可? 意味わからない。

 

「レプリカに音素を注入して、肉体を保存する技術です。あなたが殺したレプリカの中でも、死体が消滅しないものがあったでしょう? それが、音素付加を行われたレプリカです」

 

 私が逃亡生活を送っている間に、そんな技術が開発されていたのか。音素付加……できることならば自分も受けたいくらい魅力的な技術だ。人間は、死体が残ることに何の疑問も感じないかもしれない。けれどレプリカは、その存在が全て抹消されてしまう事が何よりも怖いのだ。……だからこそ、そんなものが開発されたのだろう。幸せなレプリカの為に。

 

「それで? 死体が消えないのは私にとっては不都合だったけれど、別にそんなことは問題じゃない」

 

「きっと表沙汰になっていないだけで、音素付加を受けていない多くのレプリカもあなたに殺されているんでしょうね」

 

「……知らない。どこまで把握されてるのかもわからないし、殺した数を数えた事もない」

 

 第七音素で大半を構成されているレプリカは、測定器が無くとも第七音素のある場所を、まるで音の発信源を掴むかのように把握することが出来る。私はそうやってレプリカを判別して殺していたし、その中でも第七音素の含有率が少ないレプリカにもお目にかかった。それは面倒なことに、始末しなければならない死体が残った。最初は本物の人間を殺してしまったのかと怯えたが、どちらでも構わない事に途中で気付き、以降は気にせず同じように殺して回った。どちらがどれだけだったかなんて、それこそ数えてなどいなかったが、けして少なくない数のレプリカが音素付加を受けていたことが、この会話の中でわかった。……これは、私が知りたかった情報の、多分、一部。

 

「それで、空気中の第七音素が薄くなっていることとあなたがレプリカを殺していったこと、関係があるんですか?」

 

「無くはない。けど、殺した所で大気の第七音素が回復されるわけじゃない……それくらい、わかっているんだろう?」

 

「勿論です。ですから余計に謎が深まってしまいました」

 

 いい気味だ。少しは悩めばいい。自分が生み出した技術がこの世界にどれだけの害悪を生み出したのかを知るまでは。例えばそう、私のようなレプリカ。

 

「そうそう、これ差し上げますよ。部下にもらったものですが、これなら胃に負担かからないでしょうし」

 

 そういってジェイドは、ポケットの中からいくつかの飴玉を取り出した。

 

「……お前、私を餌付けするつもりか?」

 

「懐いてくれるんなら、喜んで餌付けしますよ」

 

 着実に餌付けされている様な気がしないでもないが、差し出された飴玉を黙って受け取る。一つ舐めると、口の中にふんわりと甘い香りが広がった。……以前レオンにもらった飴の味を思い出す。

 

「残念だが、これ以上の情報を提供するつもりはない。私は音素付加なんてものを受けてはいないから、死体の処理にも困らないぞ」

 

「だからさっさと殺せ……ですか。もう、口癖のようになってしまっていますね。若いお嬢さんが、嘆かわしい。もう少し生きようとしてみてもいいんじゃありませんか?」

 

 ……お前がレオンの事を、余計な事を言ったから、私の中に生きたいという欲望が芽生えてしまった。それがこれ以上大きくなる前に殺せ、少しでも早く!

 

 

―――――

 

 

 結局フォニーはそれ以上の事を話そうとはしなかった。けれど第七音素が減っている事が関係していることは確実になった。私は日課となったフォニーのファイルへの書き込みを始める。ティアから聞いた第七音素減少の事実、部下に命じて音素帯の第七音素の状態を調べさせている事、そしてフォニーがそれに関係していると匂わせる発言をした事……。一日に書き込む量は少ないけれど、確実に真相へと迫っている。ファイルが一枚、また一枚と厚くなっていく度にそう実感できる。それに、フォニーの態度も以前に比べれば幾ばくか、柔らかくなった様な気がする。雑談にも少し応じてくれるようになった。気のせいで無ければよいのだけれど。

 私は部下を呼んで、もう一つ、彼女の弟レオンについて調べさせる事にした。できれば私が行ければ一番良いのだが、そういう訳にもいかない。

 

「ふぅ……」

 

 眼鏡を外して横になる。使用中で無ければ目に刻んだ譜術が暴走する事も無い。最近書類に向かっている事が多いせいか、目が疲れている様な気がする。

 あのレプリカは今も牢の中で、たった一枚の毛布だけでこの冷える夜を過ごしているのだろうか……。フォニーの事を考えて、思い出した私は改めて部下を呼び、別の命を下した。

 

「国立のレプリカ施設の現状……特にレプリカの扱いについて、正確な報告をお願いします」

 

 もしレプリカが本当にぞんざいな扱いを受けているのであれば、世界を救う為にレムの塔で死んでいったレプリカ達に申し訳が立たないし、それ以前に許される事ではない。法律によってレプリカは人間と同じ人権を確約されている。それが反古にされているのであれば、軍部としても放っておくわけにはいかないだろう。

 

「……おーい」

 

 だがフォニーがどうしてそんな事を知っている? 彼女も国立施設に入所した事があるのか? あるとすれば行方不明になっていた半年間……その間なら両親殺害の件も別件で処理されていて、フォニーが犯罪者として見られる可能性は無い。

 

「気付けよー」

 

 レプリカの扱いに絶望して凶行に及んだ……いや、それならばレプリカではなく人間を殺す筈だ。辻褄があわない。それに第七音素の事もある。彼女は何故第七音素の減少を知っていたのか、そして何故レプリカを……己も含めて、殺そうとしているのか。謎はどんどん深まって行くばかりだ。

 

「痛っ!」

 

 誰かに髪を引っ張られて、私はようやく正気を取り戻した。こんな事をするのは一人しかいない。

 

「実は暇なんですか?」

 

「暇じゃないから逃げてきたんだろうがよ。それなのにお前ときたら俺が立ってる事にも気づきゃしない。どうせあの殺人犯の事でも考えていたんだろう?」

 

 急に、陛下の表情が真剣になる。

 

「……気をつけろよ。軍部の上層部の中に、お前があのレプリカに肩入れしてるのを快く思っていないヤツがいる。しかも複数だ。聴取を行うのなら取調室でやれ。余計な事をあの犯人に伝えるな」

 

 もしかして、陛下はその忠告をしに、わざわざここを訪れてくれたのだろうか。

 

「ありがとうございます」

 

「何がだ? 俺は仕事すんのがイヤで抜け出してきただけだ」

 

 彼流の照れ隠しは昔から変わっていない。この年齢になっては数少ない、心を許せる存在。仮面ではない笑顔を彼に向けてから、私は彼を執務室から追い出した。毎回毎回、一体どこに隠れているのやら……。

 

「この恩知らずー!!」

 

 メイド達に引き摺られていく彼の声には聞こえないフリをして、私も職務に戻る事にした。休んでいる暇は無い。

 



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第五話

 久しぶりに牢を出て、連れられて来たのは『あの』拷問部屋。珍しくジェイドが牢を出ようといった理由はこれか。

 

「それで、私は『どの』椅子に座ればいいんだ?」

 

 直接壁と繋いである手枷の傍にある椅子。頭部・腕部・脚部を全て固定することの出来る椅子。ここには普通の椅子は見当たらない。監視官が座る椅子以外には。

 

「うーん、ここには絨毯もありますし、地べたでいいでしょう」

 

 そう言って、彼はいつものように優雅に腰を下ろした。

 

「どうしました? 座らないんですか?」

 

 この部屋に連れられてきた時は、いつも何がしかの痛みを覚悟した。それは肉体的な傷でもあり、精神的な苦痛でもあり、両方である場合が多かった。

 現状で私にはめられているのは手枷のみである。後ろ手に縛られている以外にはどこも拘束されていない。この男はいつも、私の想像を覆す。

 

「……何のためにここに連れてきた」

 

「気分転換ですよ。いつもあの部屋ばかりじゃ気も滅入るでしょう? まあ、ここもあまり趣味のいい部屋とはいえませんが」

 

「お前の趣味か?」

 

「いえいえ、他に連れ出せるような場所がなかっただけですよ、すみませんねぇ、せっかくのグランコクマなのにこのような場所にしかお連れ出来なくて」

 

 それでも囚人に対しては破格の待遇といえるだろう。

 

「本当はその手枷も外して差し上げたいんですが……規則は規則なので、ご容赦願います」

 

 この男は……私を、普通の人間として扱う。レプリカ云々はともかくとして、少なくとも罪人として私を見ていない。他の人間と違って。

 

「お前には私が罪人だという意識はあるのか? 私は大量殺人鬼だぞ」

 

 尋ねたところで、笑顔でかわされるだけだろう……。少しではあるが、この男の事もわかってきた。

 

「うーん、大量殺人鬼でも人は人、でしょう? それに……私も同じくらいの数のレプリカを……レプリカだけでなく人間も……殺してきましたからね。それが職業であったか、そうではないかだけの違いです。似たもの同士なんですよ、要するに。戦争になれば軍人はみな大量殺人鬼。どんなに理由を繕った所で、それは変わらぬ真実です」

 

 そしてさらに言葉を続ける。

 

「あなただって、殺すのが楽しくて殺してたわけじゃないでしょう? 理由はまだわかりませんが……快楽殺人者よりははるかに人間らしいと、私は思いますけどね」

 

 確かに、自分の楽しみのために人を……レプリカを殺したことは一度もない。だが、己のために兇刃を振るったのは紛れもない事実だ……。その事実が、私をどこまでも苦しめる。だから、早く処刑を願う。もう苦しいのは嫌だ。私に出来ることなど所詮この程度……この程度であっても無駄だったとは思わない。少しでも……一秒でも長く……。

 

「フォニーさん?」

 

「……名前を呼ぶな。その名は嫌いだ」

 

 フォニー。『贋物』の意味を持つこの言葉。私がオリジナルの両親から与えられた名前は、どこまでいっても『贋物』でしかない。奴らに愛着も未練もない。もちろん、与えられた名前にも。

 

「困りましたね。それでは貴方の事はなんとお呼びすればよいのでしょう」

 

「好きにすればいい。アレ、でも構わないし、お前、貴様……代名詞は腐るほどあるだろう」

 

 ただ、私という個を示す記号がないというだけだ。会話にも支障はないはず。

 

「駄目ですよ、貴方もれっきとした一人の人間なんですから。……しかし困りましたね。私が名付けてもいいですか? それも嫌ですよねぇ」

 

 一人の人間……罪を犯す前の私ならば、そう扱われる事を喜んだかもしれない。だが、今の私には『私』なんて必要ない。捕まってしまった私には、これ以上生きる意味も存在する意義もない。

 

「……好きにすればいい」

 

「では……ルーク、とお呼びしてもよいですか? 男性の名前ですが……私がともに戦い、そしてともに成長した仲間――彼もレプリカでしたが――私にとって、大切な人物の名前です」

 

 ルーク……ルーク・フォン・ファブレのことか……。彼の名前は私でも知っている。尤も、レプリカだったということは初耳だが。

 

「そんな大層な名前を私ごときにつけていいのか?」

 

「別に大層じゃありませんよ。彼だって産まれたばかりの頃はそりゃあ我侭で手のつけられないお坊ちゃまでしたからね。けれど知らないことはこれから学べば良い。あなただって産まれてまだ数年。これから成長してゆけばよいでしょう?」

 

 成長? ふざけた事を。罪人として処分されようとしているレプリカがどうやって成長しろというのだろう。そんなもの、私は望んでいない。

 

「……貴方の隠していること、少しずつで構いません。全て聞き出すまでは、少なくとも私は貴方を処刑するつもりはありませんし、そうできるよう尽力するつもりです。さっさと死にたいのならば全部ぶっちゃけてみたらどうですか」

 

 全てを話す……それは私自身の欲望を認めて口に出す、ということ。どうせ死ぬのだから私には関係ないことだ、全てを話してしまっても……と言いたいところだがそういうわけにはいかない。まだ、この世界にはレオンが居る。レオン、私の全て。大切な私の……弟。

 

「第七音素が失われていっている、というところまではわかりました。次のヒント、いただけませんか?」

 

 ヒント……そうだな、ヒントくらいならくれてやっても良いかもしれない。私を人間扱いしてくれた、せめてもの礼として。この男は軍人である前に一研究者だ。知識欲が旺盛になる気持ちもわからないでもない。

 私は無意識のうちに、この男のことを信用していたのかもしれない。でなければこのような思考、普段の私ならばしなかっただろう。だが私は心細かった。……それは、認めよう。私はさびしかったのだ。血に塗れ、人との接触を断ち……そんな日々を繰り返していて、捕まってからようやく見つけ出した小さな平和。それが贋物の優しさであったとしても。

 

「レプリカを間近で見ていたなら気づいただろう……ああ、普通の人間には第七音素のことはわからないのだったな。ならばともに行動をしていた第七音素術士にならわかるかもしれない。いればの話だが。レプリカが傷付いた時、周囲の音素がどういう動きを持ち、どういった働きをしているか……わからなければここに第七音素術士を連れてこい。目の前で実践してみせてやる」

 

 彼は、与えたヒント……ではないところに注目する。

 

「……レプリカには、第七音素の事がわかるのですか?」

 

「ああ、そんなことも知らなかったのか? 我々レプリカは、音を聞き取るかのようにして第七音素の発信源を特定することが出来る。第七音素の濃い方向へと行けば、そこにレプリカが居るといった具合にな。そうやって私は同胞を見つけ出し、殺して回ったんだよ」

 

「なるほど……興味深い話ですね。それでは第七音素術士のように、大気中の第七音素も感知することが出来るのですか?」

 

「出来ないことはない。だがあまりに薄ければ気付かない事もあるがな。それに、音のように、といっただろう? あまり遠方のものは感じられない。もっとも感知できたところで、第七音素術士のようにそれを利用することは出来ないのだけれど」

 

 第七音素についてひとしきり会話をしたところで、私は元の牢獄に戻された。このヒント――ヒント以外のものも与えてしまったが――を頼りに、果たして彼は真相にたどり着くことが出来るのか、そして真相を知ってなお絶望せずに居ることが出来るのか……これは少し、見物かもしれないな。

 

―――――

 

 ファイルに追加する新しいページを取り出す。全ての鍵は第七音素にある。それを、今日の会話で確信できた。それにレプリカが第七音素を感知できるという事実……なぜ今まで誰にも知られなかったのかが不思議だが、それによって彼女がレプリカだけを判別できた理由も判明した。

 フォニー……いや、ルーク。……やはりルークという名前をつけるのは少々安易だったか。どうしても先に赤毛の少年の姿が浮かんでくる。まぁ、彼女の前ではその名を呼び、書類上はフォニーのままでも問題はないだろう……。

 少しずつ明らかになっていく真実。私はいつものようにファイルの新しいページに先ほどの会話の内容を記録する。どこにヒントが転がっているかはわからない。出来るだけ正確に、全てを記す……。

 また、ティアに話を聞く必要がある。彼女には申し訳ないが、もうしばらくグランコクマに滞在してもらうことにしよう。出来るならば……フォニーと引き会わせる必要もあるかもしれない。

 全ての会話を記録し終えて、私は息を吐いた。徐々にではあるが、確実に核心へと近づいている……その手ごたえを、彼女との会話のたびに感じることが出来る。

 陛下の言葉をふと、思い出した。私の事を快く思っていない人間が居る、と。もともと好かれているつもりはなかったが、フォニーの処刑の方向へ流れてしまうのは問題だ。少し釘を刺しておく必要があるか……。私は彼女を死なせるつもりはない。少なくとも、全てが明らかになるまでは。



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第六話

 受け取ったナイフで、ルークは手首に傷をつける。滴り落ちる血は床につく前に乖離して消えた。少々の傷などで乖離することはないが、大量の血液となるとやはり体から離れて消えてしまうのだろう。

 

「わかるか? 特に傷口周辺に注目して見てみるといい」

 

 ティアはじっと、彼女の傷口を眺めている。さすがというか、血を見ることに対しての動揺はない。

 

「……大気中の第七音素が傷口に集中してる……」

 

「正解。第七音素で構成されたレプリカは、傷……多分、病気でも、回復する時に大気中の第七音素を取り込んで復元する」

 

 彼女のように音素付加を受けてないレプリカは……赤毛ルークも同様であったが、傷口が何もなかったかのように復元して、血の染み一つ残らない。ルークは『面倒くさくなくていい』と言っていたが、レプリカにとっては……これは悲しい事実なのかもしれない。

 

「ちなみにグミを食ってみたけれど、第七音素を取り込むスピードが上昇しただけで、それそのものに傷を治す効力はなかったようだ。さぁ、次。大佐、貴様が暴いた墓のレプリカはどうなっていた?」

 

「どう、といわれましても……普通の、死体ですよ」

 

 ただ一つを除いて。

 

「今さら隠すな。私の推測だが、死体はそのまま腐りもせずに保管されていたんだろう?」

 

 ……正解。土に埋められて半年以上も経った死体が、一切虫が寄り付くこともなく分解もされず、まるで生きているかのようにそのままで、眠っていた。

 

「音素付加、それだけを聞けば夢のような技術だと思っていたが……やはり、裏があるようだな。死体がそのまま、ということは、一切乖離せずに眠っている状態……すなわち、音素付加を受けているレプリカが傷ついたり死んだりしても、第七音素を大量に消費するだけで、それを還元することはない」

 

 つまりそれが第七音素の減少の原因であると?

 

「断定はできないが、一因ではあるだろう。その、ローレライがどうこうって言うのは私の理解を超えた話のようだしな」

 

「ローレライを解放した以上、第七音素の存在は無限であるはずです。そうでないのなら……解放が不完全であったか、あるいは再びローレライの下で何かが起こっているか……」

 

 ティアの言うとおりだ。第七音素が不足する、という現象自体がすでに尋常ではない。

 

「フォニ……ルークは、このことを知るために私を利用したんですか?」

 

「フォニーで構わないよ。どうもお前達の顔を見ていると、ルークという名で混乱しているようだからな。私も少々不愉快だ」

 

「すみません。……フォニーさんは、第七音素を不足させないために、レプリカを殺して回ってたんですか?」

 

 私が訊ねる前にティアが口を開く。

 

「……最初はそうだったが、音素付加を受けたレプリカは殺しても還元しないどころか、下手に傷をつければ無駄に第七音素を消費する……苦労したぞ、一撃で殺すのに」

 

 だがそれも、音素付加を受けたレプリカでは、殺したところで第七音素が戻るわけでもない……まぁ、回復するための第七音素を使用しなくなるだけ、ましと言えなくもない……そう考えて私は愕然とした。

 

『手を下すのが私からお前達に代わるだけだ』

 

 フォニーの言葉を思い出す。モースによって大量に生み出されたレプリカが起こした弊害、それから世界を守るためにレプリカを殺す、その発想を当然のように受け入れていた自分に吐き気がした。所詮、私もただの偽善者か。

 

「私は音素付加の技術について少し探ってみましょう。ティアは引き続き、第七音素帯の様子を調べてください」

 

「わかりました」

 

「私は変わらず、ここでふて寝か?」

 

 フォニーの言葉に苦笑する。本当は私についてもらい音素付加の実態について一緒に探ってもらいたいのだが、それはさすがに許されない。

 

「すみませんねぇ、適当にくつろいでおいてください、といってもこんなところですが」

 

「気にするな、不遇な扱いには慣れている。それに、私も知りたかったことだ。……死ぬ前に、すべてを明らかにしてほしい」

 

「死なせませんよ。明らかになるまではね」

 

 フォニーを牢獄に置いて、私達はそこを出た。暗いところにいたせいか、太陽がまぶしく感じる。

 

「彼女が……投獄されて、どのくらいになりますか?」

 

「ふた月位ですかね? 私が直接接するようになってから一ヶ月強……それ以前は、ろくに食事も取らせてもらえないような悲惨な状況だったようですよ」

 

 ティアは眉を潜める。

 

「いくら罪人だからって……その扱いは、レプリカだから、ですか?」

 

「無関係とはいえないでしょうね。残念なことですが」

 

 それきり、私達は会話を交わすことなく己の職務へと戻った。シェリダンに新たにできた企業グラン・リード社。様々な方面からこの会社を調べなくてはなるまい。



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