三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~ (鷲野高山)
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登場人物紹介(最強荘住人のみ)+配信回話数

作者のメモ書きの意味合いも含め、配信回の話数と軽い人物紹介(最強荘住人のみ)を置いておきます。
あまり大したネタバレはなく短いですが、最新話に準じてますので不要な方は次の一話目から読んでいただければと思います。
用語や設定、最強荘以外の人物紹介今のところないですが、もしかしたら更新するかもです。


■配信回(配信を見る回は除きます)

 ・1章 0階の落伍者 ~覇王、入学す

  -27話 三海を統べしもの

 

 ・2章 1階の大魔王 ~覇王、配信に出る

  -5話 播凰、配信に出る

  -22話 魔王と覇王と勇者の商店街レビュー(駄菓子編)

  -23話 魔王と覇王と勇者の商店街レビュー(玩具編)

  -24話 魔王と覇王と勇者の商店街レビュー(リュミリエーラ編 前)

  -25話 魔王と覇王と勇者の商店街レビュー(リュミリエーラ編 後)

  -26話 乱入者

 

 ・3章 2階の変身戦士 ~覇王、部活を探す

  -18話 客将、大炎上す(前)

  -19話 客将、大炎上す(中)

  -20話 客将、大炎上す(後)

 

 

■登場人物(最強荘住人のみ)

・零階

名前:晩石(くれいし)(たけし)

元の世界の立場:-

今の世界の立場:学生

 

最強荘唯一?の、この世界の人間。

東方天能第一学園高等部の天戦科。H組の落第生。

主人公のクラスメートであり、振り回される苦労人。

初登場回は『1章1話 落伍者と管理人』

 

・一階

名前:一裏(いちうら)万音(まお)

元の世界の立場:大魔王

今の世界の立場:VTuber

 

高身長、痩せぎす、青白い肌の男。

高笑いと傲岸不遜な態度が常。ただしロリコン。

VTuberとしての活動名は、大魔王ディルニーン。

初登場回は『1章8話 異なる世界の因縁』

 

・二階

名前:二津(にづ)辺莉(へんり)

元の世界の立場:変身戦士

今の世界の立場:学生

 

東方天能第一学園中等部三年生。

学園内では優等生として名が通ってあり、選定された生徒のみが所属できる部活『青龍』に入っている。

活発で元気な女の子。

初登場回は『2章4話 中等部の二人』

 

名前:二津(にづ)慎次(しんじ)

元の世界の立場:変身戦士

今の世界の立場:学生

 

東方天能第一学園中等部三年生。

辺莉の双子の弟だが、性格は無口。

初登場回は『2章4話 中等部の二人』

 

・三階

名前:三狭間(みさくま)播凰(はお)

元の世界の立場:覇王

今の世界の立場:学生

 

東方天能第一学園高等部の天戦科。H組の落第生。

そして主人公。天能(異能)の才能は無いが、肉体と身体能力は最強クラス。

初登場回は割愛。

 

・四階

名前:四柳(よやなぎ)ジュクーシャ

元の世界の立場:勇者

今の世界の立場:喫茶店アルバイト

 

普段は物腰穏やかな女性だが、魔やモンスターが絡むとその限りではない。

年齢は二十代前半周辺? 本人曰く旅を続けていて褐色肌になった。

初登場回は『1章3話 住人と部屋と名』

 

・十三階

名前:鬼三(きぞう)朝至(あさし)

元の世界の立場:暗殺者

今の世界の立場:?

 

オークだがそれなりに温厚。

詳細は不明。

初登場回は『3章7話 最強荘裏コマンド その1』

 

・??階

名前:???

元の世界の立場:?

今の世界の立場:?

 

アマゾネスの女性。

主人公が怒らせたことにより名前は不明。詳細も不明。

初登場回は『3章7話 最強荘裏コマンド その1』

 

・??階

名前:???

元の世界の立場:?

今の世界の立場:?

 

エルフ?の女性。

登場はしておらず、アマゾネスの女性の目撃証言のみ。



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プロローグ
プロローグ上 最強荘への誘い


 ――もう、全て我が弟妹(ていまい)達に任せてもよいのではなかろうか。

 

 そんな、身も蓋もない考えに、いやいやと苦笑と共に首を振ったのはいつのことだっただろう。

 そして、本当にそれでいいのではないか、という思いが強くなってきたのはいつからだったか。

 

 ……嗚呼、退屈だ。

 

 その少年は重く、そして深い溜息を一つ、吐いた。

 停滞し、澱んだ空気。そんな中に、思いの外それは長く大きく響き。

 がしかし、それを聞いた者は当の少年以外になく。ただ虚しく、豪華絢爛な玉座の間(・・・・)に消えていく。

 

 ――果たして、私が王である意味はあるのだろうか。

 

 ふとした疑問が、少年の脳裏に浮かぶ。

 考えたところで答えが出る問いではない。

 だが、それでも。少年は目を瞑り、思考に耽った。

 

 三海を制し。四海を、つまりは世界を制すのも間近、と目された若き王。

 

 即ち――三海(さんかい)覇王(はおう)

 

 彼の国の民のみならず、多くの人間が。この世界に住まう、あまねく存在が。

 少年を指し、そう呼んでいた。

 畏怖を込め、憂虞(ゆうりょ)を込め、呼んでいた。

 

 ……嗚呼、つまらない。

 

 だが、その実態を知れば。果たして彼らはどう思うことだろう。

 

 以前は。少年自ら戦場に立ち、力を振るってきた。

 若すぎる王だと見くびられたこともあれば、立場を抜きにしても成人まですら後数年かかる身を侮られたことも数知れず。

 とはいえ、前者は別として、後者はそこまで特段珍しいというわけでもなかったが。

 

 そんな輩には己が武を、力を身をもって味合わせ、時には競い。

 若くとも数多の場数を踏み、拳を振るった。

 拍子抜けな戦いが紛れていたのは否定しないが、それでも血湧き肉躍る戦場は確かにあった。

 退屈だの、つまらないなど、考えることはなかったしそんな余裕もなかった。

 

 ――だが、いつしかその力は。敵に怖れられ、味方に畏れられ。

 

 少年がちらと目線を下げれば、そこには自らが腰掛ける玉座。

 余人にとっては憧憬の象徴でもあり、決して手の届かぬほどの価値があるはずの玉座(それ)

 しかし少年の瞳に熱は無く。どこまでも、無感動でしかない。

 

 ――けれども、ここ最近は。

 

 久しく、戦場に出ていない。戦いの中に身を置いていない。

 この身を動かすほ(・・・・・・・・)どの強敵がいない(・・・・・・・・)

 だというのに、世間では。少年が――覇王が、直に世界を手中に収めると、そう噂されているらしい。

 ただただ、玉座に座しているだけだというのに。表立って動いているのは彼ではなく、彼の弟妹達だけだというのに。

 

「……いや、確かにそれも王としての一つの在り方ではあるのだろうが」

 

 戦場に出るだけが、王の役目ではない。

 配下――ここでいえば弟妹達にあたるが――に委細を任せ、自身は玉座に構えている。

 間違ってはいない。むしろ正しくすらある。

 力を持たぬ小国であるならば、時に王自ら戦場に立ったり、時に防衛の指揮をとったりはあるのだろうが。

 殊、世界に手をかけつつある強国の王であるならば、ある意味当然の帰結。王が動かずとも、それこそ何もせずとも、ただ有能な配下が戦果をもたらしてくれる。

 まったくもって、正しい。

 

 ――正しい、の、だが。

 

 瞳に映るは威光を示すかの如き、華々しき玉座。

 だがそれが、なんだというのか。

 

 ……うむ、やはり後を全て任せてもよい気がしてきた。

 

 頭の中で、繰り返す。

 そう、我が弟妹達だ。弟妹達なのだ。

 一人の弟に、二人の妹。なにせ彼等ときたら。

 

 兄上様(・・・)が出るまでもないだの、

 お兄様(・・・)が動く価値もないだの。

 兄貴(・・)は玉座にぼうっと馬鹿みたいに座ってるだけでいいだの。

 自分達(・・・)が前線に出ていれば充分なのだと。

 

 何かと理由をつけては、この国に――この玉座の間に少年を留まらせ。

 挙句の果てには、少年の世話は全て私達がすると宣い。玉座の間に、少年の生活空間に誰一人として近づけず。

 

 そして実際、食事を運んだり、掃除をしたり。彼等が代わる代わる行っている。

 驚くべきは、それで本当に事が――国が回っているらしいという事実。

 少年が玉座の間にいるだけで、時は流れ。真実、弟妹達以外に誰も、玉座の間に踏み入ることはない。

 

 他国の兵が雪崩れ込むのは勿論のこと、自国の民が武器を手に反乱に押し寄せることもなければ。

 先代、あるいは更にその前よりこの国に仕える者達すら、何一つ言ってこないし顔すら見せない。

 

 宣言通り、玉座の間に――王たる少年の前に顔を現すのは、彼の弟妹達のみ。

 齢が十を少し過ぎたところだというのに、全く末恐ろしいものである。

 ちと有能すぎではと思いつつも、自身という例もある――頭は別として少なくとも力に関しては――ため、納得せざるをえない。

 

 ……この世界に、自身がいる意味とは。

 

 外に出ようとすれば、まるでそれを見ていたかのようにたちどころに妹、或いは弟が現れて。

 何を言おうと、言い包められる。口喧嘩――という程激しいものではないが、彼等を前に返す言葉がなくなるのは、いつも兄たる少年の方だった。

 

 兄弟仲が悪いというわけではない。

 話相手にはなってくれるし、時折体を動かすことにも付き合ってくれる。

 いや、あちらの心の奥底まで見通せるというわけでもないが――なんだかんだ少年にとって弟妹達は可愛い存在ではあって。

 こんな、半ば閉じ込められているような生活ではあるものの、弟妹達は甲斐甲斐しく世話をしてくる。

 一人、末の妹は若干口が悪いが、まあそれも可愛いものだ。

 

「全く、数年前までは面倒を見ていたのはこちらだったというのに」

 

 なぜ逆転しているのやら、と独り言ちる。

 無理矢理制止を振り切って外に出ようと考えなかったこともないが、少年にとって弟妹達と争うのは本意ではなく。

 一応、時期が来れば何処へでも行っていい――ただし弟妹達も着いてくるらしい――とは言われはしたが。

 それを聞いて納得、というより引き下がりはしたものの。

 問題は、その時期というのが、四海――つまり世界を制した後だということ。

 そんな状況で、仮に何処へ行ったとして。果たしてこの世界に、楽しみなどあるのだろうか。

 

「もし、もしも」

 

 故に、夢想する。

 叶いもしない、夢を、妄想を。

 

 無意識に口を吐いて出た思いは、真実、少年の――覇王と呼ばれた存在の本音。

 真情の、願いの発露。

 

「誰もが、私を知らない世界で生きることができたなら」

 

 つまるところ、飽いていたのだ。

 この現状に、この世界に。

 

 世界を制することにそれほど興味なんてなかった。地位など、人の上に立つことなど関心なんてなかった。

 あるのは、戦いへの欲求。退屈を満たす何か。そして堅苦しい立場のない自由。

 それが自分でも分からぬ内に、どうしてかこんな状況になっていて。

 

「なにかに、熱意を抱くことができたなら」

 

 ――だから。

 王という立場などなく、王であることなど誰も知らず。

 ただ、時に戦い、時に退屈を満たし、時にのんびりと。

 何を気にすることなく、気ままに過ごすことができたなら。

 

「そんな世界で、何を強制されることなく生きることができたなら」

 

 ――それは、なんと素晴らしいことだろう。

 

 突拍子のない考えだった。ある意味天啓といってもよい。

 だが、口にした後で、少年は自嘲するように鼻で笑う。

 

 所詮それは気休めになるかすら怪しい、ただの想像、馬鹿な妄想。

 ゆえに先刻からの呟き同様。誰に聞かれるでもなく、誰に拾われるでもなく。

 響き消えゆくだけの虚しい言葉。

 

 その、はずだった。

 

 刹那、それは現れた。

 音もなく、予兆もなく、眼前を青白い光が動いた。

 

 目を焼くような激しく明滅するそれではない。

 ぼうっと滲むような、薄い揺らぎだ。

 微かな、しかし確かな眩きに少年の目は瞬き、思考が止まる。

 だが身体は無意識に四肢に力が籠もり。

 

「……攻撃では、ない、か?」

 

 事態から、遅れる事数秒。ようやっと、状況を理解する。

 少なくとも、痛みはない。体調にも変化は見られない。

 思考は己に割きつつも、しかしその視線は、今尚動き続ける光を睨むように固定されていた。

 

 少年の長らく無気力であった瞳に、一瞬にして熱が宿る。

 光は絶えず動き続けているものの、それがなぞった跡は消えずに宙に留まっており。時間が経つ毎に一つ、二つとどんどん増えていく。

 観察すること、数秒。

 

「もしや……文字か?」

 

 瞬きをニ、三度。そして僅かに目を細め、口にする。

 宙に浮くそれは、意味の無い線の羅列ではなかった。

 よくよく見ればそれは、光によって紡がれた文字であったのだ。

 

「おおっ……おおっ!!」

 

 少年は久方ぶりの興奮と共に、勢いよく玉座から立ち上がった。

 そして一切躊躇することなく、前に進んでいく。

 

 空中に刻まれる文字など、少年は今まで見たことも聞いたこともない。そも、輝く光が文字を紡ぐなどとも。

 つまりは、己の知識外の現象、全くの未知。

 しかし恐れなど微塵もなく、むしろ待ち焦がれていたかのように、少年は大股でそれに近づく。

 

 いつの間にか、光は動きを止めていた。

 もうこれ以上記すことはない、とでもいうかのようにただただ宙に留まり少年を待ち受けるのみ。

 

 それに警戒することなく。

 むしろ驚きから興味津々といったように、少年はその文字を――光を辿った。

 

『世界に疲れたアナタ。世界に熱のないアナタ。世界に苦しむアナタ。

己の名を捨て、技を捨て、そして過去を捨て。

アナタ()知らず、アナタ()知らぬ、新たな世界にて、

無一文、裸一貫から残りの生を謳歌しませんか?

 

アナタに、癒しを約束しましょう。

アナタに、熱を約束しましょう。

アナタに、楽しみを約束しましょう。

 

対価は、たった一つ。

その名を名乗らず、その技を振るわず、その過去を語らず、こちらの世界で生きてゆくこと。

 

これに否とするのであれば。何もする必要はありません。間もなく、これは消えるでしょう。

 

しかしもし、これに是とするのであれば。全てが消える前にこれに触れ、その先で待つ者に、()の数字を告げなさい。

心より、アナタの来訪を歓迎します。

 

――我は、最強荘の大家なり』



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プロローグ下 ドタバタと出立と

 まず、目が大きく見開かれた。

 一拍遅れて胸が高鳴り、心が沸き立った。

 目線を上げ、再度始めから読み直し。変わらぬその内容に、少年は破顔する。

 

「新たな、世界……!」

 

 本来なら、疑いから入るべきであろう。

 まるで図ったような、己の願いに突き刺さるような提案だ。その上、相手はどこの者とも知れず、顔どころか声すら不明。

 

 だが――。

 

「光の文字、一体これはなんなのだっ!? その世界とやらに行けば分かるのかっ!?」

 

 これがもし、例えば床に刻まれるなり、紙に記されるなり――つまり他者へ伝える方法として何ら変哲もないごく一般的ものであれば。無論少年はここまで昂ることもなく即座に信じることもなかっただろう。

 

 しかし、宙に浮かぶ光文字だ。原理、技術が全く不明で、当然少年には同じことができない。

 己の知らぬ何かが間違いなくあり、それだけでまともに取り合うだけの価値があった。

 ましてや、それが己の求めていることであり。実現させてくれるかもしれないという期待が、誘惑が、先程から少年の胸に響いて止まないのだ。

 

 少年は軽く息を吐き出すと、自らを落ち着けるかのように静かに目を瞑った。

 

「…………」

 

 躊躇がなかった訳ではない。

 胸を張って言えるかは別として、仮にも一国の王だ。

 長らく姿を見てはいないが、かつて共に戦場を駆けた将や兵士達。幼少の頃に幾度か訪れた市井の者達。

 その顔が、その活気が、心中に去来し。

 

「…………」

 

 葛藤がなかった訳でもない。

 弟の。そして二人の妹達との記憶が脳裏を過る。

 彼等の誕生した時、世話をした時、初めての戦場に連れ立った時。

 そして、まだ幼さは大いにあるものの、立派に成長した姿。

 

「――すまぬ、と言うべきであろうな」

 

 だから、それらに謝罪を。

 もっとも、届けるべき相手は、ここにはいないが。

 

 無責任であることは、重々承知している。

 実際に目で見たわけではなく、この国の、この世界の現状を伝聞でしか知らない。

 ただ、信じてはいた。弟妹達が嘘は言うことはないと。圧制を敷いてはいないと。

 

 目を開けば、未だ光はそこにあった。

 が、内容にあった通り時間の制約があるのか。ポツリポツリと光が失われていき、文章が欠けていっている。

 一刻の猶予もないわけではないだろうが、もたもたもしてはいられないはずだ。

 故に、少年は心に決め。

 

「私は、今この瞬間。王であることを……」

 

 ――昔はそこそこ手もかかり、よく面倒を見たものだったが。

 

「……お前達の、兄であることを……」

 

 ――だが、既に己がいなくとも、大丈夫だろう。

 

「……辞める」

 

 決別の言葉と共に、己の右手を光の文字へと差し入れた。

 

 パァッ、と。

 少年の右手が光文字に触れた、瞬間。

 光が弾け、今までで一番の強い輝きを放った。

 

 そして、光は少年の足元に集まると。

 染み込むように、溶けるように。少年の身体へと、音もなく消えていく。

 変化は、すぐにあった。

 

「おお、本当に……」

 

 己の足先が光の粒子に覆われていくのを見下ろし、少年は驚嘆の声を上げる。

 不思議な感覚だった。

 見た目の上では、両足の甲半ばまでがぼうっとした光によって、明らかに薄く透けている。

 だのに、足の指先の感触は特に変化はなく、痛みもない。

 

「これは、是非ともこれが何なのかを知らねばならなくなったな」

 

 少年は満足げに頷き、その様子を恐れるどころか微笑みながら見守った。

 足先から始まったその現象は、既に踝にまで到達している。

 その速度は、速くもないが、遅くもないといったところ。

 

「さて……」

 

 少年は顔を上げ、ぐるりと今いる場所を――玉座の間を見回した。

 一人だけの景色。がらんどうとした、見飽きた景色。

 されど長くを過ごし、多少は愛着もある景色。

 

「……それでは、さらばだ」

 

 地に、人に――そして世界に。

 全てに短く別れを告げ。後は光を受け入れるのみ、と目を瞑る。

 

 ……仲良く、達者で。

 

 あまりいい兄ではなかったかもしれないが。

 最期に、せめて兄らしく。心中で弟妹達の今後を祈り。

 そうして、少年の身体は。

 誰にも見られることなくひっそりと、この世界から消え――。

 

「兄上様っ!」

「お兄様っ!」

「兄貴っ!」

 

 ――ることはなかった。

 バタンッ! と玉座の間の大扉が、吹き飛びかねないほどの早さと凄まじい音を伴って開かれたのだ。

 

 反射的に、少年は目を丸くしてそちらを見やる。

 飛び込んできたのは、複数の人影。

 

 一人は、あどけなさが残りつつも、端正さを併せもった顔立ちをした、白い短髪の少年。

 もう一人は、柔らかな目元がどこか大人びた印象を与える美貌の、金色の長い髪を靡かせる少女。

 最後に、健康的な褐色の肌が特徴的で、切れ長の目に美しく整った容姿の、銀の髪を束ねた少女。

 

 見紛うはずもない。少年の弟に、妹。少年の家族である。

 

「……お前達が揃ってここに来るなんて、珍しいな」

 

 こちらを見て絶句する彼等に、呑気にも少年はそんな言葉をかけた。

 というのも、近頃は基本的に一人だけが、代わる代わる少年の元へ来ていたからだ。

 そのため、一人一人に対してはそうでもないが、同時に会うのは久しぶりのことであった。

 

「お、お兄様……っ! そ、そのお身体は……っ!!」

 

 そしてそんなどこかズレた少年の指摘に返答することはなく、妹の一人が口元に手をあて悲鳴のような声を上げる。

 

「う、うむ……」

 

 それに対し少年は、ばつが悪そうに彼等から目を逸らした。

 誰にも会わず去る覚悟をしていたはずが、とんだ邂逅である。

 

「嫌な予感がしたから強引に戻ってみれば――何やってんだ、このクソ兄貴っ!!」

「いや、これはだな。……あー、別に足がなくなったわけではないのだ」

 

 声を荒げ、勢いよく詰め寄ってくるのは、もう一人の妹。

 彼女達が何を見て平静を失っているかを理解した少年は、自身も状況を確認しようとチラと再度身体を見下ろす。

 

 光は膝程まできている。要するに、膝下は完全に光に覆われ薄く透けていた。

 少年からすれば外見上の変化こそあるものの、ただ立っているだけだが。

 なるほど、他者からすれば足の一部が透けており、何事だという話になる。

 

「ただ、うむ、何と言えばよいか」

 

 考えた結果、簡略に伝えようと言葉を纏めつつ。

 

「この光の原理は分からぬが――つまり、ここを去ることにしてな」

 

 口を開きながら顔を上げた少年は。

 

「お前達とは、お別れ……」

 

 しかし最後まで言葉を続けることができなかった。

 

 ――無表情。

 

 気付けば、いつの間にか全員が少年の眼前に立っていた。

 音もなく、声もなく。

 だがそんなことより、注目すべきはその表情の無さ。

 

 皆個性があり、表情豊かな弟妹達だった。

 利発な、穏やかな、悪戯な、そんな笑顔をよく浮かべていた。

 だのに、今はその片鱗もない。完全な、無。

 ただ6つの瞳だけが、瞬きすることなく少年をじっと見つめている。

 

「…………」

 

 思わず閉口する。

 騒がしさから一転し、静寂。が、それも一瞬のことで。

 

「そんなの、認めない。認めねえぞ、クソ兄貴っ!!」

 

 一歩踏み出し、少年の胸倉を掴んできたのは、末妹。

 

「そうです、いくらお兄様のお言葉であっても許せません」

 

 ジャラリ、とどこに持っていたのか鎖のようなものを取り出していた、長姉。

 

 そんな反応をされると思っていなかった――というよりそもそも最後に会うこと自体予想外であったが――少年は、困ったような顔になり。

 唯一、未だ静かでリアクションの無い弟に、少年は助力を乞うように視線を向けた。

 妹達がそうでないとは言わないが、利発で、年に似合わぬ落ち着きさを持った、自慢の弟だ。ともすれば、自身より頭がよい可能性が大いにある。

 故に、彼が妹達を諭してくれることを期待し。

 

「脱がします」

「ぬ!?」

 

 しかしてその期待は真っ向から粉砕された。

 なんとこの弟は、少年の衣服の下、即ちズボンに手をかけたのだ。

 

「やめんか! 何をやっているっ!?」

 

 そして何をとち狂ったのか、そのままグイグイと力を込めて本当に脱がそうとしてくるではないか。

 少年は既の所(すんでのところ)で反応し、それを阻止するため抵抗する。

 一対一の力比べ――これを純粋な力比べといえるかはさておき――では、まだ弟より兄たる少年の方に分があった。

 

「妙案です」

「なるほどなっ!」

 

 だがここで、妹、参戦。

 突拍子もない行動に困惑どころか嬉々として、ズボンに手をかけてくる。

 自らよりも幼い少女二人といえど、侮ることはできない。だが、とはいえ手心でも加えなければ負けようものでもなかった。そのはずであった。

 

「ぬ、おおっ……この、やめんかと……っ!」

 

 はてさて、いかなる力が働いたのか。

 少年の優勢であった攻防は、一瞬の拮抗の後に徐々に押されていき。

 抵抗虚しく、ついには少年の下着が露わとなり、ズボンが完全に下げられた。

 最早、脚のほとんどが光に覆われている状態であったが、どうやら衣服は剥ぎ取られればその影響は受けないようだ。

 

 攻防戦に敗北を喫した少年は脱力し、されるがままにズボンを脱がされた。

 その行方は、上の妹の手に。

 微笑みながらそれを胸に抱え込む彼女と、ずりぃぞ、とそれに抗議の声を上げる下の妹の姿を横目に少年はじろりと弟を睨んだ。

 

「さあ、兄上様。そのようなお姿ではどこにも行けぬでしょう」

 

 涼やかな笑みの弟の言葉に、少年は漸くその意図を知る。

 

 ……つまり、みっともない姿にさせて行かせぬという魂胆か。

 

 とち狂ったと思ったが、存外そうでもないらしい。

 確かに、みっともない姿といえばみっともない姿だ。特に、下だけ履いていないというのが。

 そもそも今更止められるのかは別として、この姿を許容できるかといえばそうでもない。これならむしろ、まだ上半身裸の方が――。

 

 ……いや、待てよ。

 

 奪い返すか、と身体を身構えたところで。

 少年の脳裏にふと、光の文の一節がよぎった。

 

 ――無一文、裸一貫から。

 

「……なるほど、そういうことか」

 

 少年は不敵な笑みを浮かべると、己の衣服に手をかける。

 涼やかだった弟のその顔色が、一変した。

 

「……まさか」

「残念だったな、そのまさか、だ」

 

 そうして少年は、勢いよく自ら脱ぎ捨てた。

 現れるのは、少年の均整の取れた身体。痩せてもおらず太ってもおらず、かといって筋肉も激しく主張しているわけではない。されど、鍛えられた身体だ。

 

 上の妹が、ズボンを抱きながら歓声を上げる。

 ちなみに下の妹は、放り投げた服を拾いに走っていた。

 

 さあ、これでどうだと不敵に腕を組む。ただし、下着一丁の姿で。

 

「…………」

 

 しばらく、それを無言で見ていた弟であったが。

 ふいにまた、彼は少年に向けて手を伸ばしてくる。

 流石にそれ以上は洒落にならんと、慌ててそれを叩き落とそうとした少年であったが。

 

 彼の弟が手を伸ばしたのは、少年の残された最後の砦ではなく――腹だった。光に置き換わり、透け始めていた、腹。

 だがその手は、何にも触れることなく突き抜けた。触れる者と触れられる者、互いに、訪れるはずの感触がなかった。

 

 微かに弟が目を見開き、確かめるようにもう一度同じように手を動かすも、結果は変わらず。

 少年もまた、自身の身体であるというのに黙りつつも興味深げにそれを見下ろし。

 ややあって、息を一つ吐くと、弟は体勢を戻す。

 

「……分かりました。兄上様がそこまで本気なのであれば、僕からはもう何も」

「……すまぬな」

「いいえ、兄上様に嫌われたくはありませんから。……ただ、聞かせてください。(それ)は何なのでしょうか?」

「私にもこれが何かは分からぬし、これからそれを知りに行くとも言う。ただ、私はとある提案をされ、受け入れた。それだけだ」

 

 互いに目線を合わせて、言葉を交わす。

 明瞭ではなく、ともすれば煙に巻くような漠然とした答えであったが。

 しかし弟は納得するように、頷き。

 では最後に一つ、と。

 

「――また、お会いできますか?」

 

 どこか確信めいたような、それでいて寂しげな笑みだった。

 

「……会える、といいな」

 

 曖昧な答え。だが、嘘ではなかった。しかし、あの内容が真であれば叶わぬだろうとも思っていた。

 そしてそんな答えに納得しない者がいた。

 

「ふざけんなよっ!」

「どうして、どうしてですか……」

 

 拳を握り、肩を震わせ。呼吸を荒くし、二人の妹が少年に詰め寄った。

 そして、先のやり取りを見ていただろうに、引き留めるように少年の肩を、腕をとろうと手を伸ばす。

 だが、その手は空を切る。

 少年の身体は、既にその全身が光に覆われ、透けていた。

 

 彼女達の美しい双眸から、涙が零れ落ちていく。声にならない声だけが、静まり返った空間に響いていた。

 

 少年の中で、その姿がふと昔と重なった。

 彼女達が今よりもっと幼く、かかりきりで面倒を見ていた頃。

 声を上げて泣きだした時は、よく――。

 

 少年が幻視、過去を思い出す間も。

 それでも、彼女達は諦めず、何度も何度も。まるで駄々っ子のように、縋るように。

 

 だから、少年は。ゆっくりと両腕を持ち上げ。

 撫でるように、添えるように。感触の分からぬまま、妹達の頭に掌を乗せ。

 

「最後に、顔を見れてよかった」

 

 その一言が、決定的だったのか。

 パタリ、と力を無くしたように、彼女達は俯いた。

 

 少年の視界を白い閃光が迸り、意識がぐらりと揺れる。

 その、最後に。弟と目があった、気がした。

 

「壮健で、兄上様」




振れ幅が大きくてコメディなのかシリアスなのかって感じですが、弟妹達は一旦ここまで。今後一切出ないわけではないですが、次の出番は当分先を予定してます。


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1章 0階の落伍者 ~覇王、入学す
1話 落伍者と管理人


主人公は覇王様ですが、別視点からスタートです。


「――お願いします、ここに住まわさせてくださぁぁいっっ!!」

 

 とある閑静な住宅地に、必死さの籠った懇願の声が響いた。

 その騒ぎの出元は、一軒のアパート。

 ボロボロではないが、かといって新築ともいえない白塗りの建物で、その傍らにはポツンと物置小屋のようなものがある。

 周囲は塀に囲まれており、敷地の入り口には、一応門――とはいっても誰にでも開けられる簡素なもの――もあり。

 ある一点(・・・・)を除けば、特筆すべきもののない、何の変哲もないアパートだ。

 

「お願いしますっ! お願いしますっ!」

 

 その、敷地内で。

 一人の男が、勢いよく何度も頭を下げていた。

 短髪、というよりは坊主頭に近い黒髪の、十代半ばほどの少年だ。

 

 それに対峙するは、彼の身長の頭二つ、三つ分低い程の大きさの女。

 全身もそうだがその外見――つまり顔つきも幼く、幼女というべきか、少女というべきか。

 彼女は、うーん、と考えるように人差し指を口元にやり、頭を上下させる少年をじっと見ている。

 

「まずはお名前を聞いてもよろしいですかー?」

「う、うすっ! 俺は、晩石(くれいし)(たけし)といいますっ!」

「ありがとうございますー。先程も言いましたけど、私はここの管理人ですー」

「うすっ! 管理人さん、よろしくお願いしますっ!」

 

 大多数の人間が、その発言を懐疑的にとるか、或いは微笑ましく見ることだろう。

 なぜなら、明らかに成人していないであろうその姿。

 単純に嘘か、背伸びした子供の挨拶か。受け取り方に違いはあれど、両者共通認識で、真実でないとするのが第一の反応として出ることだろう。

 

 だが、少年――毅は。疑うことなく頭を下げている。

 それをただの馬鹿とみるか、純粋とみるか。それは、さておき。

 

「おほんー。それでは、晩石さんー。こちらを――この最強荘(さいきょうそう)のことを、どちらでー?」

 

 少女――管理人が、その幼げな声と特徴的な間延びした話し方で、質問する。

 そう、名前だ。このありふれたアパートの外観において、唯一他と一線を画す点。

 白塗りの建物にでかでかと掲げられた、『最強荘』の文字。それが、ここの名前であった。

 

「チラシを見たっす!」

「ほうほう、住民から聞いたわけではないのですねー。……それにしても、あのチラシからですかー」

 

 ようやく頭を上下させることを止め、元気よく答える少年、毅。

 それに管理人の少女は、意外なものを見たかのように目を僅かに丸くする。

 

「うっす! カッコいいチラシでしたっす。あの、何か問題でも?」

「いえいえー……まさか、あのセンスの欠片も無いチラシで来る人がいるとはー」

 

 その反応に、毅は疑問符を浮かべたように首を傾げるが。

 管理人はにこやかに笑った後、顔を背けてぼそりと零す。

 しかしその声は毅には届かなかったようだった。

 

「こほんー。チラシを見られたということは、その条件(・・・・)について記載があったと思いますがー。改めてお伝えさせていただきますねー」

 

 何事もなかったように、顔を毅に戻して咳払いを一つ。

 管理人は左手をグーの形にして腕を上げると、言葉と共にピッと伸ばしていった。

 

「ひとーつー。家賃は1万円ぴったし、すごく格安ですー」

「ふたーつー。軽いお手伝いをお願いすることがありますー。変なことではありませんしー、お小遣いもご用意いたしますですー」

「みーっつー。ここに住む方は、皆さん少し特別な事情をお持ちですー。よって過度な詮索や付き纏うといった行為はしないことですー」

「よーっつー。ここで見たこと聞いたこと、知ったことを暴露するような行動をしないことー。これは退去した後も守ってもらいますですー」

 

 指は、四本。

 家を借りて住むことが初めてであった毅は、聞き漏らさぬよう、また忘れぬよう必死で一言一句に耳を傾け。

 

「条件としては以上ですがー、何かご質問はございますかー?」

「ないっす!」

 

 そうして碌に考えることもせず、胸を張ってきっぱりと言い切った。

 なにせ、彼にとって大事だったのは、ある一点(・・・・)のみだったからである。

 そんな、即答する毅を、管理人は不思議なものを見るような目で見て。

 

「……ちなみに、ここに住みたいと思った理由を伺ってもよろしいですかー?」

 

 一拍の間をおいて、問う。

 

「お金がないんすっ!!」

 

 対し、間髪を入れずに拳をグッと握り。濁そうともしない宣言の堂々さたるや。

 ただ、内容が内容だけに褒められたものでなく、加えてそれを年端もいかぬであろう少女に対して語っている構図は非常にみっともない。

 しかしそれに構わず、毅は力強く続ける。

 

「俺、田舎から出てきたんです。東方(とうほう)天能(てんどう)第一学園の高等部に入学するために」

「おー、確か全国でも一ニを争う天能術(てんどうじゅつ)の学び舎の名門ですねー」

 

 天能(・・)――正式名称は天能術(・・・)。そう呼ばれる不思議な力が、この世界には存在する。

 例えば、炎を生成して放ったり。例えば、普通では発揮できない馬鹿力を自らに溜めたり。例えば、空間に文字を介したり。

 個人個人によってその強弱や向き不向きはあるが、まるで御伽噺に伝わる魔法のような――ある一説では同一のものとされるが――そんな力。それが、天能術である。

 

 そして毅は、そんな天能術を学び、育て、そして戦う(・・)ための学園に入学するために来たのである。

 感心したように頷いていた管理人であるが、ふと何か引っかかるように虚空を見る。

 

「はてー、ですが今の時期ってー……」

「そうっす……入学試験はこれからなんす」

 

 元気な様子から一転、たはは、と空笑いを浮かべて毅は頭を掻く。

 そう、管理人が気にかかった点は、入学式どころかその試験すらまだな時期なのではないかということであり。

 事実、毅は合否待ちどころか、その試験すら受けていないのであった。

 

「俺、さっきも言ったように入学のためにここに来たっすが……家族からはあまりいい顔はされなかったんす。お前には無理だって、考え直せって言われて。――自分でも分かってるんす。俺、天能術の才能とか、無いんだなって」

 

 語る、というよりは自分に言い聞かせているようでもあった。

 管理人が先程言ったように、毅が入学したいと思っている東方天能第一学園は全国有数の名門校。

 日本各地からその道の才ある者が入学のために集い、そして一握り以外はふるい落とされる。

 

「…………」

 

 顔を僅かに俯かせながら、呟くような声色の毅に、しかし管理人は声をかけない。

 否、待っていた。その言葉の続きを。何のためにここに来て、そしてここに住みたいのかを。

 

「でも、諦められなかったっす!」

 

 声に覇気が戻る。上げられたその顔に悲嘆はなく、元気が戻っていた。

 

「それで結局、家族と色々あって……入学試験のタイミングで、こっちに出てきちゃったんす!」

「……なるほどー、つまり勢いでということですねー。それで、お金がないとー」

「うぐっ!? そ、そうっす……」

 

 だが、はっきりと図星をつかれ、尻すぼみとなる毅。

 そんな彼に、畳みかけるように管理人は告げる。

 

「ご自身でも才能が無いと自覚されているのであればー、ご家族の反応は正しいのでしょうねー。貴方が目指すのは狭き門、お節介かもしれませんが、引き返すなら今ですよー?」

 

 幼げな容姿であり、声であり。しかして、その内容は比例せず、鋭い。

 

「それに、試験に不合格だった場合は、どうしますかー? 駄目だったと、ご家族の元に戻りますかー?」

 

 親しい間柄ならばともかく、会ったばかりの第三者がかける言葉ではない。

 余計なお世話だ、と怒って踵を返す人もいるだろう。笑ってごまかし、ここは止めたと再び住まい探しに戻る人もいるだろう。

 だが、晩石毅という人間は。

 

「やらないで終わらせたくないんすっ!! 駄目だったら――それは、帰らないでこっちでそん時考えるっす!!」

 

 真っ直ぐに偽りの無い言葉であった。少なくとも、学園の関係者ですらない、ただのアパート(・・・・・・・)の管理人(・・・・)に話す程度には。

 無謀だとか、見通しが甘いだとか、かけるべき言葉は沢山あった。

 だが、管理人はしばらく無言で彼を見つめ。

 

「――いいでしょうー、では入居の契約といたしましょうー」

 

 にっこりと笑い、いつの間にか手に持っていた一枚の紙とペンを、毅に差し出した。

 

「ほ、本当っすかっ!? ありがとうございますっす!!」

 

 大仰に一礼し、喜びながらそれを受け取る毅。

 書いてあるのは、先程管理人が言っていた、四つの事項のみ。

 

 ちなみに毅は、今まで一人暮らしをしたことがなく、住居の契約等は初めて。

 そのため、こんなものなのかなと特に疑問を抱かず、軽く流し読みして名前を記入。

 管理人がそれに目を落とし、確認しましたー、と懐にしまう。

 

 ――そんな、時だった。

 

 パァッ、と眩い光が迸ったかと思うと。

 毅の隣に、服を纏っていないパンツ一丁の男が現れたのは。




主人公は覇王、準主人公として毅、という感じになります。


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2話 着の身着のままご登場

「……な、な、何事っすかーっ!?」

 

 思いもしていなかった事象に、毅は一歩飛退(とびすさ)ると、絶叫する。

 その反応は、正常――とまではいかないが、致し方ないものだろう。

 なにせ、唐突に自分の傍らに、人が現れたのだ。それも、街中であれば通報待ったなしの恰好をした少年が。

 

「おおー、中々にワイルドなご登場ですねー。私はそういうの好きですよー」

 

 ところがどっこい、ここにいる二人の内のもう一人、即ち管理人は全然そんなことはなく。

 悲鳴を上げるどころか、のほほんとしてパチパチ、と拍手なんかしている。

 

「むっ……ここは?」

 

 現れた少年は、眩しそうに目を瞬かせたかと思うと、ゆっくりと周囲を見回した。

 まずは、空を。次いで、地上を。

 そうなれば、そのすぐ近くで飛退ったままの不自然な態勢で硬直した毅に目を止めるのは必然のことで。

 固まった毅と、しげしげと辺りを見ていた少年の視線がぶつかる。

 

 ――ゾクリッ。

 

 刹那、毅の背筋を妙な悪寒が奔り、全身の毛が逆立った。

 何をされたわけでもない。また、彼の瞳に敵意の色を感じたわけでもない。だが、己の中の何かが、確かに警鐘を鳴らしていた。

 

「ようこそ、お待ちしておりましたよー」

 

 毅にとっては生きた心地のしなかった、その数秒。

 その空気は、管理人が少年に向かって声をかけたことにより破られた。

 

 少年の視線が外れ、管理人へと向けられる。

 助かった、と毅は息を吐きだし、そしてすぐさま大きく吸い込んだ。

 

「それでは、貴方の数字を教えていただけますかー?」

「数字? ……ああ、そういえばあれに書かれていたな」

 

 何やら意味ありげな会話をする二人。

 毅は息を整えながら、そんな彼等を邪魔することはなく、そしてこっそりと再び少年の様子を窺った。

 

 年の頃は、恐らく同年代。離れていたとしても、片手の指で数えられる程度だろう。

 髪は黒く、男としては少し長めな方。厳つい顔立ちというわけでもないが、目つきは若干キツイか。

 筋骨隆々とまではいかなくも、締まって鍛えられていそうな身体。そして、夏という季節でもないのにほぼ裸。

 

 それだけ見れば、視線が合っただけで妙な感覚に陥るものでもない。

 いや、不審者や変態と目が合えばそれはそれで恐怖も抱くだろうが……。

 

 ……絶対、さっきのはそんなんじゃないっす!

 

 断じて、彼が変態的な恰好であったからとか、そんなちゃちなものではないと毅は確信していた。

 

「確か、数字は……三、だったか」

「三ですねー、はーい、確認できましたー」

「ふむ、では早速色々と聞きたいのだが……」

「勿論、お答えしますともー。ただ、まずはこちらの案内をしますねー」

 

 その間にも、進んでいく会話。

 ただ、毅は碌にそれを聞いていない。

 

 ……そもそも、何で管理人さんは服を着ていないことを不思議に思わないんすかっ!?

 

 笑顔を崩さずに応対する管理人に、内心で突っ込む。勿論、怖いので声には出さないが。

 そうこうしている内に、二人の会話は終わったようで。

 

「おほん、ではでは改めましてー。ようこそ、最強荘へー。ここでの不明点は、この私、管理人にいつでも聞いてくださいねー」

「うむ。よく分からぬが、よろしく頼む」

「よ、よろしくお願いしまっす!」

 

 毅と少年に向けて、管理人が両手を大きく広げて歓迎の言葉を述べる。

 少年は鷹揚に頷き、毅は一先ず気を取り直して元気よく返事をした。

 それを見た管理人は、それでは着いてきてくださいー、と背中を向けたが。

 ふと思い出したように向き直り。

 

「そうそうー、ちなみにお二方、ここの名前についてどう思いますー?」

 

 そんなことを二人に尋ねた。

 ここの名前、つまり『最強荘(さいきょうそう)』という建物についてだろう。

 アパートの名前としては異色であると思うが、そんなユニークな名前は、二人の中で――。

 

「いいセンスだ!」

「カッコいいっす!」

 

 互いに即答。お世辞ではなく、本当にそう考えていそうな顔に声だった。

 ちょっぴり、毅の中で謎の少年に対する警戒心が下がった。

 

「……ですかー」

 

 しかして管理人は、そんな二人に微妙な表情を一瞬向けて、歩き出す。

 だが、隣に気を取られていた毅が気付くことはなかった。

 

「そこなお主。お主も、どこか別のところから、ここに来たのかっ?」

 

 そしてそれは、半裸の少年も同様。横並びに歩く毅の方に顔を向け、何やらわくわくと弾むような声で問いかける。

 

「っ!? ……そ、そうっすね、はい」

「なるほど、私だけではないということだな」

 

 田舎から出てきた、という意味であれば別のところから来たと言えるであろう。

 少年としてはそういう意味の質問ではなかったのだが、無論そんなことは事情を知らぬ毅に分かるはずがない。

 びびりながらも、刺激しないように恐る恐る返す毅に、少年は満足げに頷き。

 毅もまた、齟齬が生じているとも知らず、その返答から少年も遠くから来たのだろうと理解した。その他の余計なことは一切考えないようにして。

 

 そうして、動き出して。そう間を置かず、管理人が立ち止まったのだが。

 

「はーい、それではまず晩石さんですがー。こちらにお住みくださいー」

「……へ?」

 

 手で示された場所を見て、毅の目が点になる。

 なにせそれは、アパートの一室ではなく、敷地内に建てられたこじんまりとした小屋だったのだから。

 

 掘っ建て小屋というか、物置小屋というか。ぼろぼろではないが、新しくもなく。

 少なくとも、人が住むことを目的として建てられたものとは思えない。

 

「か、管理人さん? こ、ここっすか?」

「中を見れば分かりますよー、ささー、お二人ともこちらへー」

 

 しかし、毅の動揺もなんのその、全く意に介さずに管理人は小屋の扉を開き、二人を中へ誘う。

 

 ……よく考えたら、一万円っすもんね。

 

 ガックリと肩を落としはしたものの、自分に言い聞かせるように首を振り。

 贅沢は言えない、と切り替えた毅であったが。

 

「おおっ! 凄いな、広いぞ!! どうなってるんだっ!?」

 

 まず興奮したような、少年の声。

 

「ほえー……」

 

 遅れて、ぽかんと気の抜けたような、毅の声。

 

「この通り、中は天能術によって広がっておりますのでー」

 

 最後に、若干得意げに胸を張る管理人の声。

 口をだらしなく開けたまま、毅は小屋の中を見回す。

 

 外観より明らかに上に伸びた天井に、入りきるはずのない部屋の広さだった。

 しかも、入り口とは別の扉があることから、複数の部屋があるようだ。

 

「部屋の間取りや何があるかは、ご自分でご確認くださいねー」

 

 そうして管理人は、毅に対して言い残すと。

 あっけらかんと少年を連れ立って、外へと出ていった。

 

 一人残された毅は、しばし呆然として突っ立っていたが。

 ややあって、漸く己を取り戻す。

 

「……空間の拡張? ……それと、あの半裸の人がいきなり現れたのは、まさか人の転移?」

 

 思い返すは、今までの怒涛の展開に、その発端。

 半ば思考放棄していたが、一人となったからこそ、邪魔されることなくようやく頭を整理できた。

 どちらも、話としては微かに聞いたことはあったが、実際目にしたことは無い。

 故に、確信はできなかったが。

 

「……それって確か、どちらも使い手の少ない、超希少な天能って聞いたことがある気がするっすーっ!?」



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3話 住人と部屋と名

「それではー、三海(さんかい)覇王(はおう)様ー。続いては貴方の住むお部屋へとご案内しますねー」

「うむ、それは楽しみだな! ……だが、其方。何故その呼び名を知っている?」

 

 小屋に残された毅が絶叫している、その一方。

 管理人と少年の二人は、外に出て今度こそ『最強荘』の文字が掲げられた建物に向かって歩いていた。

 

「ふふー、大事な情報(・・・・・)ですし、お客人でありここの住人となっていただく方でもありますからねー。詳しくはお部屋にてご説明いたしますー」

「ふむ、そうか。先程の不思議な部屋といい、私がここに来た原因の光の文字といい、聞きたいことがたくさんある」

 

 読めない笑顔を浮かべる管理人と、さして気にせずといった様子で興奮したような笑みを見せる少年。

 二人が立ち止まったのは、101号室のプレートが掲げられた扉の前であった。

 

「こちらが、住民の皆さんが使う入り口ですー。覚えておいてくださいねー」

 

 扉を開き、どうぞー、と手招きする管理人に続いて少年も中に入る。

 その内装は、どう見ても部屋というものではなく、エントランスのような造りであった。

 明るく照らされ、上にも横にもそこそこ広い空間。くつろげそうなソファーとテーブルのセットが置かれ、そして隅には管理人窓口と書かれた小窓と小部屋のようなスペースがある。

 

 相変わらず外観に見合わぬ中身であるが、二回目ともなると若干興奮も薄れるものだ。

 故に、今度は少し落ち着いたまましげしげとそれを見回す少年。

 そんな彼に、声をかける者があった。

 

「こんにちは」

 

 奥の方から近づくように歩いてくるのは、一人の女性。

 まず目を引くのは、その背の高さ。女性としてはかなり高い部類で、実際少年よりも少し上だ。

 スッとした姿勢が美しいというのもそれを後押ししているのだろうが、正しくプロポーションがよいという言葉が当てはまる。

 

「管理人さんも、こんにちは。こちらは、新しく来られた方ですか?」

「こんにちはー。そうですねー、これからお部屋に案内するところですー」

 

 管理人との軽いやり取り。次いで、その女性は少年に向き直った。

 

「はじめまして。四階に住んでいる、四柳(よやなぎ)ジュクーシャといいます」

「はじめまして、だ。私は――」

 

 ジュクーシャと名乗った、その女性。

 己も名乗り返そうとしたところで、はたと口を止める。

 そして、目だけを管理人に向けた。ここに来る際の約束事、光文字が頭を過ったからである。

 つまり――己の名を捨てる、という一文が。

 

「ああ、まだ来たばかりですから、こちらでの名前(・・・・・・・)をいただいていないのですね」

「そうですー。この後お部屋へご案内したら、諸々ご説明する予定なのでー」

 

 言葉を止めた少年に、ジュクーシャは一瞬怪訝な顔をしたが。すぐさま得心がいったかのように表情を和らげる。

 心当たりがある、ということは彼女も自身と同じなのだろうか。そんな事を考えつつ、少年もまた納得がいったように頷いた。

 

「しかし、四階か。相も変わらずどういう原理かは不明だが、建物自体もそういうこと(・・・・・・)なのだな」

 

 外から見た時は、建物は明らかに二階建てであった。が、彼女――ジュクーシャは四階に住んでいるという。

 毅の小屋と、そしてこの広々とした空間は、あくまで室内という概念だが。建物自体の構造も外見と不一致させることが可能ということなのだろう。

 それを理解したと同時に、少年が抱いていたある一つの疑念が、氷解することとなる。

 

「なるほど、姿が見えぬとは思っていたが――こちらを見ていた内の一人は、お主か?」

 

 実は先程、毅と管理人の三人で外にいた時に。少年は自身達に向けられている視線を、この建物の方から感じていたのだ。それも一つではなく、複数である。

 

「気付いておられましたか。不躾な視線は、申し訳ありません。少し騒がしい気配がしたもので」

「そうか、それは失礼した」

 

 少年の指摘に、ジュクーシャは軽く頭を下げる。

 別段不快には思っておらず、むしろ己がはしゃいでしまったせいかと、少年もまた僅かに頭を下げる。

 と、そこで。綺麗な顔立ちをしたジュクーシャの、その褐色の頬が微かに赤みを帯びた。

 

「そ、そういえば、その、つかぬことをお聞きしますが……貴方の世界では、普段からそのようなご恰好を?」

 

 おずおずと、遠慮をしたような声。

 さもありなん、未だ少年は半裸のままである。不思議に思わない方がおかしいだろう。

 やはり止めておくべきだったか、と思いはしたものの、もはや少年にはどうしようもない。

 

「うむ……いやなに、こちらに来るにあたり、裸一貫でとあったのでな。衣服を脱いできたまで」

 

 実際のところは、彼の弟妹達に剥ぎ取られたのが主な原因なわけであるが、そんなことを言えばどんな反応をされるものか。

 とはいえ、結果的にではあるが、最終的にはその理由であるため、余計な情報は伏せて答える。

 

「なるほど、そういう受け取り方も……ありますか?」

 

 まだ頬の赤いものの、一先ずの納得を彼女はしたようであった。もっとも、首を僅かに傾げていたので、完全に腑に落ちたわけでもないようだが。

 ともかく、それではこれからよろしくお願いします、と礼儀正しく一礼して、ジュクーシャは歩き去っていった。

 

「本来はお部屋でまとめてご説明する予定でしたがー、住民の方と先にお会いしたので、ご説明しちゃいますねー」

 

 歩みを再開し、フロアの少し奥へ。

 壁に突き当たったところで、管理人は少年を振り返った。

 

「エレベーター、もしくは昇降機と呼ばれるものはそちらの世界にありましたかー?」

「ふぅむ……聞いたことはないな」

「それではご説明しますとー。こちらはエレベーターという装置ですー。簡単に言えば、乗っているだけで建物の階の移動ができるものですねー」

「ほう、乗っているだけで」

「ですねー。このように、こちらで生活していくにあたり、そちらに無いものが出てきますので、徐々に覚えてくださいねー」

 

 話しながら管理人がボタンを押し、エレベーターの扉が開く。

 管理人がその中に入り、突っ立っていた少年を手で呼び寄せる。

 

「壁のボタンを押すと扉が開きますので、中に乗りますー。そして中で、行きたい階を押すだけですねー」

 

 少年も続いて中に入り、手で示された箇所を見れば、そこには『0』と『3』のボタンがあった。

 

「この最強荘は、基本的に1つの階層に1部屋しかありませんー。よって、住民の皆さんは自分の階層(・・・・・)というのを持っておられますー。つまり、自分の階層で他の住民に会うことはなく、移動できるのも自分の階層と出入り用の共通部分であるこの(ゼロ)階だけなんですねー」

「ふむ。ということは、私の階層は三階で、そこにしかいけぬということか?」

「理解が早くて助かりますー」

 

 少年の確認に首肯しながら、管理人は『3』のボタンを押す。

 

「ただし、その階層の住民が許可した場合はその限りではありませんー。例えば、先程の四柳さんが許可をすれば、彼女の階層――先程おっしゃっていましたが、四階にも行けるようになりますー。その時は、ここに四階が表示されますねー」

「なるほどな。では、私が許可すれば、他の住民も三階に来れるということか」

「そういうことですねー」

 

 エレベーターが停止し、扉が開く。

 出てすぐの壁には、大きく『3』の文字が彫られている。

 

「ほぅ……」

 

 エレベーターから下り、外に面した廊下に出た少年は、感嘆の息を吐いた。

 三階から見える、外の景色が新鮮だったからだ。

 複数ある、高く天に伸びる建造物。明らかに生物ではない、飛行する大きい物体。

 青く晴れた空は澄み渡り、太陽が柔らかな日差しを覗かせている。

 

 しばし無言で、目を細めてその光景を見ていた少年であったが。

 こちらですー、という管理人の声に反応して目線を切り、彼女の元まで歩く。

 

「こちらが、住んでいただくお部屋になりますー」

 

 エレベーター内で言っていた通り、確かに廊下に面した扉は一つのみであった。

 管理人に促され、部屋の扉を開く。

 

 すっきりとした部屋であった。殺風景ではなく、しかしごちゃごちゃともしていない。

 中を案内してもらい、間取りを確認する。家具は、一通り揃っていそうであった。

 

「それでは、お待たせいたしましたー。この世界のこと、そしてご質問にお答えするお時間ですー」

 

 居間にあったテーブルに対面で座り、管理人が切り出す。

 ちなみに、この時少年はもう半裸ではない。

 不憫に思ったのか、哀れに思ったのか。部屋の収納にあったラフな服を少年に着せたのである。

 服以外にも、生活品はある程度揃えているので、自由に使っていいとのこと。サイズは割とぴったりであった。

 

「ようやくかっ! 待っていたぞ!!」

 

 二人以外に誰もおらず、室内であるため誰かに聞かれることもない。部屋まで説明を焦らされたのは、そういう理由であろう。

 待っていた、と少年が身を乗り出さんばかりの勢いで口を開こうとしたところで。

 ポン、と手を打った管理人はこう言った。

 

「その前にー、この世界での貴方のお名前をお伝えしておきますねー」

 

 どこからか取り出した一枚の紙。それが少年の目に見えるようにテーブルに置かれる。

 そこには大きく、こう書かれていた。

 

 ――三狭間(みさくま)播凰(はお)、と。



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4話 最強荘とは

「……三狭間(みさくま)播凰(はお)

 

 少年――播凰は、新たに己のものとなった名前を、口の中で転がす。

 それを何度か繰り返した後、理解したというように一度だけ頷いた。

 

「うむ、いい響きだな。感謝する」

「いえいえー。本来であればご本人にお任せするのがいいのでしょうが、色々とありましてー」

 

 頑張って覚えてくださいねー、と名の書かれた紙をテーブルの脇に押しやり、管理人は咳払いを一つ。

 

「それでは、大変気になってるようですので、質問からお答えしましょうかー」

「おお、待っておったぞ。早速だが、私をここに連れてきた光の文字について教えてくれ!」

 

 ようやく本題に入れるとあって、播凰は満面の笑みを浮かべつつ、少しも間を置かずに声を張る。

 訊ねるはもちろん、彼をここに導いた現象についてだ。

 

「あれはですねー、こちらの世界では天能術と呼ばれている力ですー」

「ふむ、天能術……やはり聞いたことがないな。それはどのようなものなのだ?」

「まあ不思議な力といいますか、色々なことができるといいますかー。魔法のようなもの、と言って伝わりますかー?」

 

 魔法、と反唱するように呟き、播凰はしばし考える。

 幼い頃の記憶を掘り返せば、その単語は聞いたことがあった。ただし、書物の中だけで。確か、荒唐無稽な物語の中に登場した不思議な力だったか。

 好奇心から周囲の大人に訊ねたことはあったが、どれも空想の話で存在しないという回答だったのを覚えている。

 もっとも、それが登場する書物自体ほとんど無かったため、すぐに興味を失ったが。

 

「火を操ったり、風を起こしたりできる妙な力だったか? 詳しくは知らぬが」

「ふんふんー、概ねそのような認識で大丈夫ですー。……三狭間さんの世界は、武力が物をいう世界のようですねー。ここの住民の中には、似たような別の世界からいらっしゃった方もおりますが、こちらの生活に馴染んでおりますので、今は詳しくなくても問題ありませんよー」

「似たような別の世界とな?」

 

 天能術という力から興味が逸れたわけではない。

 ただ、話の中に気になった点があった播凰は、一旦そちらについて質問することにした。

 

「ここ最強荘は、異なる様々な世界からいらっしゃった方が住まわれている場所ですー。ある特定の条件(・・・・・・・)に合致する方に誘いを送り、承認いただいた場合にこちらの世界に来ていただいておりますー。要するに、三狭間さんのような方が他にもいらっしゃるということですねー」

「その特定の条件とは?」

「詳しくお話することはできませんがー。大前提は、その世界にて、数字の入った偉業、または異名を持つ方ですねー」

 

 無差別ではなく、条件があるとなれば聞きたくなってしまうもの。

 そして返ってきた答えを聞いて、自身が何故当て嵌まったのか納得してしまう。

 

 ――三海の覇王。

 

 先程管理人からも呼ばれたそれは、元の世界での播凰の異名であり、偉業の象徴でもあった。ただし、彼自身その自覚はほとんどなかったが。

 と、そこでふとした考えが頭を過る。

 

「なるほど、もしや割り当てられた階層はその数字が?」

「ですねー」

 

 三に関連する異名であるため、三階が与えられた。

 響きが同じのために思い至ったが、どうやら正解だったらしい。

 

「話を戻しますがー。三狭間さんと同じ世界ではありませんが、魔法或いはそれに類する力がなく、武力重視の世界からいらっしゃった方もここにはいるということですねー」

「やはり、似たような境遇の者がいるということだな。別の世界の話というのを聞いてみたいものだ」

 

 完全に異なる技術がある世界もそうだが、似たようで異なる世界というのもまた興味深い。

 故に、播凰としてはごく自然な感想を口にしたつもりであったが。

 

「強引に聞き出したりするのは駄目ですよー。こちらに来るにあたってのルールは覚えておられますかー?」

 

 今までずっと朗らかであった管理人の声が、若干険の入ったような声色となる。

 

 ――名を名乗らず、技を振るわず、過去を語らず。

 

 思い返しながら、光の一節を口にしてみる。なるほど、元の世界の話をするとなれば、過去を語るという部分で抵触する。

 それは間違っていなかったようで、肯定するように頷いた管理人は元通りの声色に戻った。

 

「もっとも、全部が全部アウトというわけではありませんがねー。過去というものはご自身の経験でもありますから、ふとした拍子に零してしまったり、誰かに話したくなることもあるでしょうー。後は、ここの住民に限り、異名を開示することを許可しておりますー」

「確かに、今までの経験や考えをいきなり無かったことにしろ、というのは厳しそうだな」

「線引きが難しいので、怪しい場合は警告が入りますー。一発アウトは、例えば書に起こして販売する、大多数に公表するなどですねー」

 

 その説明を聞き、色々注意が必要だと内心に留める播凰であったが。

 そういえば、と浮かんだ疑問を口にする。

 

「ルールを破った場合はどうなるのだ?」

 

 確かに、決まりについては記載があった。しかし、それを破った際のことが伝えられていないのである。

 

「その場合は、問答無用で元の世界に帰っていただきますねー」

 

 相も変わらずのんびりとした調子で告げられたそれは、簡潔ながらもはっきりしたものだった。

 まだこの世界についてほとんど理解していない播凰だが、天能術というもの一つとってもこの世界に来た価値があると既に感じている。

 故に、先程までは朧気であったそのルールを、心に刻み付けた。

 

「それでは、こちらでの生活にあたってですがー。ルールを破らなければ、基本的にこちらから制限することはありませんー」

「つまり自由か、いいことだ。……参考までに、他の者はどのような生活を?」

 

 近頃は、半ば幽閉ともいえるような生活をしていた播凰であったため、その言葉には素直に喜ぶ。

 制約でがんじがらめともあれば辟易とするものだが、守る必要があるのは先の三つのみ。

 ただ、漠然とはしていたため、試しに他の住民がどのような生活をしているのかを尋ねてみる。

 

「大人組ですと、お仕事や趣味をされていたり、引き籠っている方もいらっしゃいますー。自分のやりたいことを追求されている、という感じですかねー」

 

 しばし考えるようにした後に管理人から紡がれる言葉を、播凰は相槌を打ちながら聞く。

 

「子供組や、三狭間さんに近い年頃の方ですと、学校などの教育施設に通われたりですかねー。皆様刺激のある生活を送ってきた方々ですから、やはり一般的な平凡な生活や落ち着いた生活というものに憧れている方が多いようでー」

「教育施設……そうか、学び舎か」

 

 あくまでも参考程度のつもりであったが。それを耳にした播凰の脳裏に閃くものがあった。

 

「私は、その天能術とやらに興味があるのだが……それを学ぶこともできるのか?」

 

 つまり、未知の力――天能術について知りたい、学びたいという思いである。

 それを受けた管理人は、何やら考えるようにして播凰を見据えた。

 顔が向いているからではなく、明らかに視るように。

 

 そうしてややあって笑みを深くし、言ったのだ。

 

「それは、色々と都合のよい時に来られましたねー。ええ、本当にー」



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5話 何も知らない入学試験

「しかし播凰さんも、東方天能第一学園の高等部に入学希望だったなんて、本当に偶然っすよね!」

「うむ。とはいえ、ここには来たばかりで色々知らぬゆえ……毅のような同い年の者がいて助かる」

 

 柔らかな陽射しが空から降る、朝の時間帯。

 静かな住宅街を並んで歩く、二つの人影があった。

 

「いやー、俺もそこまで詳しいってわけじゃないっすけど……しかし、コンビニを知らない人もいるんすねー」

 

 一人は、最強荘の庭――もとい零階に住む、晩石毅。

 

「コンビニか! あれは素晴らしいな。それに、家電とやらもだ!」

 

 そしてもう一人は、最強荘の三階に住む、三狭間播凰である。

 

 播凰がこの世界にやってきてから、数日。

 この世界――というより、今いる日本という国についてや、常識、そして天能についての情報を管理人から書籍でもらったり。

 お手伝いという名目で、毅が日常生活についてのサポート役となることで、二人が少し仲良くなったり。

 食料の調達として訪れたコンビニに感嘆し、部屋に元々ある冷蔵庫や電子レンジといった家電に興奮したりと。

 まだそれほど日が経っておらず、また天能についても少ししか理解できていないが、それなりに播凰は楽しんで過ごしていた。

 

 ちなみに、お金に関しては、毎月決まった額が生活費として支給され、その上家賃含む居住に関する費用は一切払わなくていいのだとか。

 もっとも、それは播凰のような正式な住民のみで、ある意味逆に特殊な住人である毅はそんなことはなく。

 ただし、毅は毅で播凰のサポートでお小遣いが管理人から貰えていたりするのだが。

 

 ……しかし、コンビニも家電もない生活っすか。どんなところに住んでたんすかね?

 

 大して珍しくもないことを興奮気味に語る播凰を横目に、歩きながら毅はそんなことを考える。

 自分の地元も中々の田舎だったが、流石に家電の類はあったし、コンビニも近くはなかったがあった。

 余程人のいない山奥、或いは秘境にでも住んでいたのか。

 確かに初めて会った時は、服装的にも、身に纏う雰囲気も、その登場の仕方も全てが只者ではなかったが。

 興味は大いにあったのだが、多少親しくなったとはいえ、初対面時に抱いた何とも形容しがたい感覚を完全には払拭できておらず。

 加えて、入居時に交わした契約のこともあるため、詳しく踏み込むことができず想像するだけに留まっていた。

 

 ……本当に、異なる世界に私は来たのだな。

 

 一方の播凰は、改めてしみじみとそんなことを思っていた。

 管理人から受け取った情報や、部屋にあったテレビから、ここが己の住んでいた世界ではないと自身の判断で認識し。

 見知らぬ装置を用いて生活し、見慣れぬ景色を歩く。恐らくこの世界でありふれているであろうこの景色すら、元の世界で見ることはなく新鮮なもの。

 既に理解はしていたものの、それが非現実的であるがゆえ、逆に何度でも実感できるというものだったのだ。

 

 さて、そんな二人が今何処に向かっているかというと。

 

「ところで、後どれほどでその学園に着くのだ?」

「えっと、そろそろ通りに出るはずなので……もう半分くらいっすかね」

 

 学園――つまり、東方天能第一学園。

 毅が家を飛び出した目的でもある、その入学試験が本日行われるのである。

 それを受けるのが自分だけでないと聞いた毅は、管理人に頼まれ、播凰を連れて学園へと向かっているのだった。

 

 毅が自信半分、心配半分程度に口にしてから数秒後。

 彼の言ったように住宅街を抜け、広い通りに出る。

 さほどなかった人影は一気にその姿が増え、道路には車が行き来し。周囲は瞬く間にガヤガヤとした喧噪へと変化した。

 

「ふむ、人が多いな。天能術を使っての移動などはあまり一般的ではないのか?」

 

 五月蠅くなった空気には特に顔色を変えず、しかし疑問に思った播凰は毅に訊ねる。

 播凰としては、使えるのならば使った方が便利だろうと単純に考えた結果である。

 しかし、毅は目を丸くして播凰に少し身を近づけると。

 

「……移動って、播凰さんが来た時の転移みたいにっすか? ……そりゃそうっすよ、そのクラスの天能を使える人なんて滅多にいないはずっす」

 

 周囲の人目を気にしつつ、小声で囁いた。

 

「うむ? あれは、そんなに珍しいのか?」

「珍しいっすよ! 空間の拡張もっすが、どっちも天介(・・)属性の天能の中で上位に位置するはずっす。俺も直接見たのは初めてっすよ」

 

 そんな毅の反応を聞いた播凰は両腕を組むと、僅かながらも天能について学んだことを思い返した。

 

 天能術には、大きく分かれて三つの属性というものがある。

 一つは、天放(てんほう)。天を放つ――即ち、己から放つことで効果を発揮する属性。

 二つに、天溜(てんりゅう)。天を溜める――即ち、己に溜めることで発動者に影響を与える属性。

 そして最後が、天介(てんかい)。天を介すと表されるが、実態は天放と天溜いずれにも当てはまらないとされる属性。

 

 この三つの属性の先で、更に火や水といった性質にまた細かく分かれるのだが、それはさておき。

 自身が経験したのは、その天介属性において希少なものであったらしい。

 

 それを聞いて、思考に耽りつつも満足気になる播凰。

 播凰が黙り込んだので、隣を気にしつつも邪魔をすまいと無言になる毅。

 

 人の流れに乗り、歩く二人。見れば、周囲の殆どは年の近い男女ばかり。十中八九、彼等も自分達と同じ受験生なのだろう。

 憧れの学園故、遠目から見てみたり、受験当日に迷わないよう道を覚えていた毅であったが、行先があっていることにそっと胸を撫で下ろした。

 

「……み、見えてきたっす! き、緊張してきたっす!」

 

 歩くこと数分、震えるような毅の声が上がる。

 釣られてその声の先を見た播凰の目に、まず映りこんだのは巨大な門。

 その奥には周囲より大きな建造物が聳え、それを囲うように塀が伸びている。

 堂々と刻まれた『東方天能第一学園』の文字が、重厚な雰囲気を醸し出していた。

 

「ほぅ、あそこか。中々に立派なものだ」

 

 管理人より、単に天能術に関する学び舎としか聞いていなかった播凰は、予想の上をいっていたその外観に純粋な称賛の声を上げる。

 

 前を歩く人の列に続いて門を潜ればそこは庭園のような造りとなっていた。

 静かであれば趣のありそうなものだが、いかんせんガヤガヤと人が多い。

 特に人が集まっている一角に進めば、そこには大きな立て看板があった。

 

『←武戦(ぶせん)

 ↑天戦(てんせん)

 →造戦(ぞうせん)科』

 

 どうやらそれは、道標のようであったが。

 

「……むぅ、これはどういう意味だ?」

 

 知らない単語に、播凰は目を瞬かせる。

 実は播凰、学び舎へ入るための手続きがあると言われ、毅と共に行くよう管理人に送り出されただけなのである。つまり、細かいことは一切知らない。単純に、行けば分かると思っていたのだ。

 

「は、播凰さんっ……なんで、この人混みの中、そんな平然と立ってられるんすかっ……」

 

 その横では、前から後ろから押され、必死に踏ん張って抗っている毅の姿。

 そんな状態になっているのは毅だけではなく、周囲の人間も同様で。むしろびくともせずにいるのは播凰くらいのものであった。

 

「て、天戦科は、真っ直ぐ進めばいいっすね。播凰さん、い、行きましょう」

「ふむ? 真っ直ぐでいいのか?」

 

 言うや否や、流されそうになっている毅の腕を掴み、播凰はスイスイと人混みを進んでいく。

 苦も無く人混みから脱出した播凰と、息を乱しながらもなんとかそれに続いた毅。

 

「ふへー、ありがとうございました。凄いっすね、播凰さん」

「あの程度、どうということはない。ところで、先程のは何が分かれていたのだ?」

 

 前、左、右と三方あった道を、毅の言った通り前に進みながら、播凰は尋ねる。

 すると毅は、えっ、と少し顔を青褪めさせ。少し沈黙した後、恐る恐るといったように口を開いた。

 

「か、管理人さんから、播凰さんも天戦科って聞いたっすが……あってますよね?」

「知らぬ」

「えぇっ!?」

 

 毅の悲鳴のような驚く声。周囲から、何事かという視線が殺到する。

 それに気まずそうに身を小さくさせ、毅は小声で播凰に言う。

 

「え、ええと……そ、そうっす、受験票に書いてないっすか?」

「よく分からぬが、これを持っていけばよいと管理人殿に鞄は渡されたな」

「どういうことっすか……と、取り合えず中を見せてくださいっす」

 

 管理人から受け取った鞄を渡せば、毅が中をゴソゴソと確認した後、これっすと一枚の紙を出した。

 播凰にとっては見覚えのない紙。だが、そこには播凰の名前が記載されている。

 

「やっぱり、天戦科っすね。びっくりしたっすよ……」

 

 毅が指で示したところを見ると、なるほど、確かに天戦科の文字があった。

 

「すまぬな、助かる。ところで、天戦科とは何だ?」

「…………」

 

 何も聞かされていない播凰にとっては、当然の疑問。

 しかし、当然は当然でもそれが理解していての側であった毅は、いよいよ硬直した。

 

 ――すみませんが、播凰さんのサポートをお願いしますねー。

 

 脳裏を過るのは、最強荘を出る前に会った管理人の言葉に、両手を合わせたお願いのポーズ。

 その時は、同じ学園に学科の入学試験を受けると聞いていたので、快く引き受けたわけだが。

 

「あ、あー。……手続きは別の方にやっていただいたとかですかね? あはは……」

「うむ。管理人殿に、ここは天能が学べる場所と聞いてな」

 

 もしやと思い確認してみれば、まさかのビンゴ。

 そして返ってきた回答も、間違ってこそいないものの妙に不安を感じるもの。

 

「えっと、天能が学べるっていうのは勿論そうっすが……何をメインとするかで分かれていて、天戦科は天能術がメインなんす」

 

 毅は内心頭を抱えつつ、気にすることを放棄した。

 気にしたところで、何が好転するわけでもない。唯一できるのは、質問に答えることのみ。

 

「武戦科は武術メイン。単純に武芸だったり、天溜属性の身体強化系の天能が得意な人向けっすね。造戦科は、戦いってついてますが、武器や装備を造ったりすね。天能術の付与したものを造るとかもあるらしいっす」

「なるほど。確かに、その中だと天戦科か」

 

 武芸と聞いて心が動かなかったといえば嘘になる。

 ただし、播凰が最も興味があるのは天能術そのものであったので、天戦科は播凰の希望に当てはまっていた。

 

 案内に誘導されるまま、建物内に入る。

 しばらく進んだところで、『天戦科筆記試験会場』の紙が掲げられた部屋に辿り着いた。

 

 二人して入ってみれば、かなりの人数が座れる広々とした部屋の半数以上が既に埋まっていた。

 

「受験票に書いてある番号に座ればいいみたいっす。まずは筆記試験、お互い頑張りましょう」

 

 小声で毅が播凰に伝え、受験票片手に進んでいく。

 真似するように、播凰も鞄から受験票を取り出すと、番号の席を見つけ出し、着席する。

 そして、眉根を寄せて、首を傾げるのだ。

 

 ――試験とな?




読んでいただきありがとうございます。
今話に出てきた用語ですが、詳しい説明は少し後の話になるため、簡単にイメージできる程度にまとめるのでよかったらご覧ください。

■天能の属性について
・天放→放つことで相手にダメージ等の影響を与えるタイプ。火球、電撃等
・天溜→溜めることで主に自身に対して効果を与えるタイプ。身体強化、自己回復等
・天介→上記2つに当てはまらないタイプ。空間拡張、転移等

■学園の学科について
・武戦科→近距離メイン。武術や身体能力に天溜属性の天能を用いた戦い。
     天放属性、天介属性を全く使っていけないわけではない。
・天戦科→中・遠距離メイン。天放属性、天介属性の天能を用いた戦い。
     状況次第で近距離も。接近戦や天溜属性を使っていけないわけではない。
・造戦科→直接戦闘ではない。武器や装備などの作成。


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6話 才無き者

「そこまでっ! 不審な行動をとった者は、即刻不合格を言い渡しますので、気を付けるように」

 

 室内に響く鋭い声に、部屋の中にいる者の動きが一斉に静止した。

 

「では続いて、実技試験に移ります。実技試験はグループ毎に分かれて行いますので、指定された列の方は退出し、外にいる試験官の指示に従ってください。また、問題用紙及び回答用紙は、持ち帰らずにそのまま置いていくように」

 

 張りつめていた空気が、僅かに弛緩する。

 途端、小さく息を吐きだしたり、座ったまま身体を軽く伸ばしたりとそれぞれ反応を見せる受験者達。

 そんな中、毅と播凰はといえば。

 

 ――うぅ、どうっすかね。

 

 片や、心配そうに、己の回答用紙を見下ろし。

 

 ――うむ、さっぱりだ!

 

 片や、堂々と、胸を張っていた。

 その姿が浮いているかというと、そうでもない。

 実際、不安からか毅のように身体を縮こませている者もあれば、自信があるのか播凰のように余裕そうな笑みの者もいる。

 もっとも、その内心まで一緒であるかは別としてだが。

 

 ……しかし、試験があったとは。

 

 試験官の説明もあり、問題用紙の説明もあり。結果はさておき、なんとか筆記試験を乗り切った播凰であったが。

 むぅ、と今しがた己が解いていた用紙を見やる。

 

 ――天能を学ぶための学園への入学手続きが必要なので、行ってきてくださいー。

 

 脳裏に浮かぶのは、昨日、管理人に告げられた言葉。尚、その他一切告げられていない。

 とはいえそれで、分かったの一言で鞄を受け取った播凰に問題が無いかといえばそんなことはないのだが。

 

 と、そうこうしている内に列の順番が来たようで、播凰の前に座っている受験者が立ち上がった。

 一拍遅れて播凰も立ち上がり、部屋から出るため歩く。

 

「おぅ、今出てきた奴はこっちだ!」

 

 部屋の外で待っていたのは、大柄で強面の男性だった。

 片手を上げ、朗らかな笑みを浮かべている。

 

「……相変わらず無駄に大きな声ですね。もう少し抑えられないのですか」

 

 その傍らには、眼鏡をかけ、長い黒髪を後ろで一括りに結んだ女性。

 口調こそ丁寧だが、纏う雰囲気は温かいとは程遠く。怜悧であり、クールビューティ―とでもいうべきか。

 もっともそれは、廊下に反響するほどの声を間近で耳にしてか、顰められているせいなのもあるかもしれない。

 

「このグループの試験官を担当する、(あがた)だ。そんで、こっちが――」

「同じく、実技の試験官の紫藤(しどう)です」

 

 播凰を含む、集まった面々に対して、彼等が名乗る。

 

「それじゃ、早速移動を――おっと、その前に数はどうだ?」

「まったく……ええ、揃っています」

「よし、そんじゃ全員俺の後に続け!」

 

 男性試験官――縣の後に続き、自然と列になってぞろぞろと構内を移動する一行。ちなみに、紫藤と名乗った女性の試験官は、まるで見張るかのように後ろに回っている。

 そのせいもあってか、移動の間に騒がしくする者はおらず、ただ人数分の足音がするのみ。

 

 グループは、受験生だけで十人は超えており、偶然にもその中には毅の姿もあった。

 ただし、毅と播凰の間には他の受験生もいるため、両者の間に会話は無い。まあ毅は毅で余裕を無さそうにしており、播凰は周囲をきょろきょろと物珍し気に見ているので、仮に近くであっても話せたかどうか微妙ではあるが。

 

 どうやら実技試験は外で行うようで、建物から出た一行が止まったのは、グラウンドのような場所。

 といっても、そこは単純な外ではなかった。いや、外なのは間違いないのだが――周囲を観客席に囲まれている、ということを除けばである。

 

「では、実技試験について説明します。名前を呼ばれた者は、受験票を私に提出し、まず天能力(・・・)を計測。そして、最も自信のある天能を披露してもらいます」

 

 ……天能、使い方を知らぬのだが。

 

 試験官である紫藤からの実技試験の説明が始まり、播凰がまず思ったのはそれだった。

 周囲の受験生が気を引き締めて耳を傾ける中、一人、腕を組み目を瞑る。

 播凰が望んでいるのは、一から天能について学ぶこと。つまり、どうやって使うのか、からだ。披露しろと言われてもできるものではない。

 

「言うまでもありませんが、天戦科の試験であるため実技の対象となる天能の属性は天放、または天介です。天放属性であるならば、仮想敵として的を出しますので、それに向けて打つように。損傷は気にせず全力で構いません。また、天介属性であるならば、効果を事前に述べて披露してください。勿論、どちらも天能武装(・・・・)の使用を許可します」

 

 どう考えても使えること前提の話の流れに、管理人との行き違いでもあったか、と播凰は思考する。

 先程から知らない単語が連発されてもいるが、それを気にしていられないほどの大問題。

 だが、考えたところで状況が変わるわけでもない、と一先ず播凰は集中して説明を聞くことにした。

 

「入学試験としては以上のため、実技試験を終えた者はそのまま帰って構いません。後日、試験の結果が郵送されます。……ああ、ここにいる以上知らないことはないと思いますが。この試験は動画として記録され、貴方達が受験の手続きの際に提出した映像と併せて試験の評価対象となります。何か質問は?」

 

 ……提出した映像。

 

 周囲から疑問の声が出ないということは、皆心当たりはあるのだろう。

 ただし自身にそんな記憶がない播凰は、いよいよ間違った場所に来ているのでは、という疑念を抱いた。なにせ全て管理人任せで播凰自身はノータッチであるため、何の手続きをしたのかすら把握していないのである。

 が、確信には至れなかった。何故なら、晩石毅がいるからである。管理人より、毅に着いていけばよいと聞いている以上、同じ場所にいるのは正しくなる。

 

「では、実技試験を開始します」

 

 そうして、播凰がどうしたものかと内心首を捻っている間にも、紫藤試験官の一声で実技試験は開始した。

 まず名を呼ばれて進み出たのは、受験者の少女。

 彼女の受験票を受け取った紫藤が内容を確認して頷く。

 そうして今度はもう一人の試験官である縣が、受験者に向かって手を差し出した。その手に乗っているのは、箱。その中に、なにやら水晶玉のような物。

 

 ――そういえば、天能力の計測と言っていたな。

 

 察するに、天能の力がどれほど個人にあるかを計るものだろうか。

 取り敢えず状況を見に徹することに決めた播凰の前で、受験者がそれを受け取り、そして掌に載せて上向きに持つ。

 

 パァッ、と。

 ややあって、水晶が何か――恐らく天能力であろう――に反応するように仄かな光を帯びた。

 そして水晶は再び受験者から縣の手の中の箱に戻り。紫藤が横目にそれを見て、何やら用紙に書き込んでいる。

 

「どちらを披露する?」

「天放です」

 

 短いやりとり。

 頷いた紫藤が、前方に向けてなにやら手を翳す。するとどこからともなく、すっと現れる一つの人影。何もない場所から一瞬の間に出てきたそれは、人間ではなく人の形をした物体であった。

 あれが的とやらで、となるとそれを出したのは彼女の天能なのだろうか。

 

 播凰がそちらに気を取られ、遠目ながらもしげしげと観察していると。

 

「――火放(かほう)・三連矢!!」

 

 その頭上から、三つの火の塊が立て続けに飛来し。的に命中――することなく、僅かに逸れて(・・・・・・)立て続けに地面に着弾する。

 

「おおっ!」

 

 パチパチ、と思わず播凰は声を上げて拍手をした。

 理由は単純、初めて目の前で分かりやすい形の天能術を見たからである。

 

 光の文字から始まり、転移に空間拡張。

 以上が、これまでに播凰が見た天能だ。では、それらに播凰がどういう印象を抱いていたかといえば。

 

 ――派手さに欠ける。

 

 貶めているわけではない。見た時に興奮したのも嘘ではない。ただ、なんというか比較的地味なのだ。視覚的に。

 正確にいえば的を出したであろう天能らしきものも見たといえば見たが、それもまた迫力に欠ける。

 

 翻って、火球という天能は。見た目のインパクトがあり、播凰の想像する天能のイメージに合致するものであり。そんな天能を初めて眼前で見たものであるから、その光景は称賛を送るに足りえるものだったのだ。

 

 もっとも、そんな反応をしたのは、数十といる中の播凰だけで。

 自分の番を待っていた受験者達はもちろん、紫藤と縣の両試験官、果ては火の天能を行使したであろう女の受験者――その顔は強張っていたが――まで、拍手する播凰を振り返って見ていた。

 

 その彼女の手に収まっている物を見て、播凰は、はてと内心首を傾げる。

 いつどこから出したのか、受験者の彼女は、杖らしき物体をその手に握っていたのだ。

 

「そこ! 静かに待っていなさい!」

 

 紫藤の鋭い叱責が、播凰に向けて飛ぶ。

 そう言われては続けるわけにもいかず、播凰は大人しく拍手を止めた。

 

「貴方、人を茶化すような真似は控えた方がいいですよ」

「む? ……いや、そのようなつもりはないが」

 

 そんな彼に小声で注意を促したのは、近くにいた女の受験生の一人。

 目を惹く艶やかな緋色の長髪に、水色のヘアバンドをつけている彼女は、試験官達の方を向いている。

 横顔ではあるが、凛として美しさを感じさせる少女。しかしその目が厳しく、播凰を横に見ていた。

 

 それに困ったのは、播凰である。

 何せ先程のそれは、彼にとって純粋な称賛。大仰でも茶化しでもなんでもなく、感嘆から出たものだったのだから。

 

 しかしその返答を聞いた彼女は、眦を吊り上げて播凰に顔を向けた。

 そしてその口が開かれ、言葉が紡がれようとした、刹那。

 

「――はっ! 本気かよ。お前、外部試験組(・・・・・)か? あれに拍手する程度の実力でここを受けてんのかよ」

 

 別の方向から、嘲るような男の声。

 振り返れば、茶髪の髪を立たせた軽薄そうな受験生の男が、ニヤニヤとして播凰を見ていた。

 

「天能力が多いわけでもねえ。見せた天能は平凡、大技でもなんでもねえ。そのくせ、大して距離もない止まった的に当てることもできねえ。そんな雑魚に拍手するって?」

 

 なるほど、あれはそういう認識になるのか、と播凰は理解する。

 この世界に来て日が浅いため、特に天能に関する自身の物差しを持っていない播凰にとっては重要な情報だ。

 明け透けで些か過剰な物言いではあるが、強ちまったくの嘘というわけでもないのだろう。

 播凰的には珍しいものだったのだが、あれが平凡ラインで尚且つ狙いを外していることを考慮すると。確かに、彼女が言うように茶化していると捉われるのもおかしくはない。

 

 しかし、である。

 その批評をじっくり咀嚼した上で、播凰は徐に男を見据えた。

 

「いかにも。彼女の天能を見て感心し、私はそれを称えたまで。そこに悪意など一片もない」

 

 どのみち今の播凰ができないことに変わりはない。それが並、或いはそれ以下で劣っている部類であったとしても、播凰ができることにはならず、馬鹿にする理由にならない。

 的を外したのは些末事にすぎず。播凰にとってその天能自体が重要だったのだから。

 それゆえ、撤回などありえなく、堂々と。明らかな蔑みを、肯定した。

 

 それはきっと予想外だったのだろう。

 男は、その顔に貼りついていた嫌らしい笑みが剥がれ、何を言われたのかとでもいうようにポカンと間抜け面を晒し。

 女は、驚きを見せつつも真偽を見極めんとするように播凰をじっと見ている。

 

「――次、三狭間播凰!」

 

 その沈黙を、均衡を破ったのは、紫藤が、次の試験者の名前を呼ぶ声であった。

 おっ、と播凰が両者から視線を切り、釣られるようにそちらを見る。

 

 ――さあ、ミサクマハオとやら。汝は何を見せてくれるのか!

 

 興味に瞳を輝かせ、集団の中から進む出る者を待つが。

 

「……うむ、私か」

 

 よくよく考えれば、それは自身のことであったと一拍遅れて気付く。

 名が変わってから数日経っているが、そうすぐに慣れるものではない。

 明確に自身に向けられた呼びかけならまだしも、数いる中から呼ばれるのなら尚の事。

 

 そして今更であるが、話している間に二人目の試験は終わっていたようだった。

 試験官達の近くにいた男子生徒が立ち去ろうとしている。どうやら播凰が三番目の試験者らしい。

 

 密かに次はどんな天能が出るのか楽しみにしていた播凰は、見逃したか、と残念に思いつつ、無自覚にも周囲からの視線を集めながら前へ出る。

 出てきた播凰に対して、お前か、とでもいうように、スッと紫藤の眼鏡の奥にある目が細められた。

 

 一人目の試験を見ていたので、流れは理解している。

 受験票を彼女――紫藤に渡し、縣が差し出す箱の中から水晶を受け取る。

 ああ、実にスムーズだ。この程度すら、仮に播凰がトップバッターだとしたら疑問符が連続していただろう。

 

 ……さて、どうすればよいのだ?。

 

 問題は、ここから先。何をすればよいのかが分からない。

 播凰の手にある水晶は、無反応だった。



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7話 不気味な受験生

 傍らに立っている女性試験官――紫藤の、片眉が吊り上がる。

 箱を片手に、残った手で男性試験官――縣が頭を掻いて播凰の顔を見た。

 

「あー……これは、あれか」

 

 その厳つい容姿とは裏腹に。唸るように、言葉を選ぶように、その理由は告げられる。

 

「この計測タイプは、一定以下の天能力には反応しないやつでな。天能力が無いなんて有り得ねえ(・・・・・)から、勿論お前さんにもあるのは分かってるんだが……言っちまえば、あれだ。低すぎて計測できん」

 

 プッ、と後方の試験待機組の方から、吹き出すような音がした。

 それを皮切りに、続いて嗤いが巻き起こる。

 どちらも一つではなかったが、その中には先程話したあの男であろうものもあった。

 

「むぅ、それは残念だ」

 

 だが、その向き先たる播凰は。しかし後方を微塵も気にすることもなく、ただただ己の掌中の輝き一つ無い水晶の様相に肩を落としている。

 天能力について漠然としているが、名称からして天能に影響するであろうことは自明の理。

 それならば、低いより高い方がよいに決まっている。

 

 促され、元あった箱の中へ戻す間も、やはり水晶に変化は無かった。

 

「――静かに、と言っています!」

 

 そんな、分かりやすく気を落とした播凰を庇ったのか、あるいはそうでないのか。

 その真意は彼女以外に分かるはずもないが、ともかく試験官である紫藤は、ついさっきやったように試験待機組に向けて鋭く注意した。

 一人、二人、と声は減り、やがて播凰を笑う声がなくなる。

 

 それを見届けて、彼女は眼鏡をクイッと持ち上げると、播凰に向き直って言った。

 

「……試験を続けます。天放、天介どちらを?」

 

 投げられたのは、当然来るであろう問い。

 これに対し、播凰は飾ることもせずこう返すしかなかった。

 

「分からぬ」

 

 あまりにも自然な即答。これまで硬い表情を崩してこなかった紫藤が、初めて違う色を見せる。

 呆気にとられたような、何を言われたのか理解できない、といったような顔だ。

 だが、それも一時のことで。

 

「――巫山戯(ふざけ)ているのですか?」

 

 これまでと同じように――いや、それ以上に表情も声色も冷たさを伴ったものとなり。播凰に送られる視線は、もはや睨んでいるとすらいえた。

 

「巫山戯てなどおらん。私は天能の使い方を知らぬゆえ」

 

 そしてその凍えるような瞳に、目線を逸らすどころか、堂々と合わせ。

 両腕を組み、播凰が真っ向から応じる。

 

「――ちょ、ちょっと、播凰さん! 何言ってるんすか!」

 

 と、そんな一触即発ともいえる空気に介入したのは、後方で試験待機組として控えていた毅であった。

 実は、先程から播凰の行動含めて言動にハラハラさせられていた毅。離れている自身にすら感じられる怒気に、これは流石にヤバいと勇気を振り絞り。

 両者の近くまでには行かないものの、集団から少しだけ抜けて前に出たのである。

 

「真面目に答えた方がいいっすって!」

「うむ、私はいたって真面目だが」

「ええっ!? だって播凰さん、天能使ってたじゃないっすか! 天介の転移を!」

「ふむ? ……ああ、あれは私ではないぞ」

「うっそぉ!?」

 

 そして返ってきた事実に仰天する。

 なんのことはない。あの日、播凰が現れた現象を転移と推測し、それをしたのが播凰自身であると毅が今まで勝手に勘違いしていただけであった。

 

「知り合いだとしても、試験中に口を挟まないように。失格になりたいなら話は別ですが」

 

 割り込んできた毅に対して、播凰に向けられていた紫藤の冷たい視線がそのままスライドする。

 まともにそれを浴びて畏縮した毅は、顔をより青くさせて大人しく引っ込まざるをえなかった。

 

「さて、どういうつもりで転移などと言い出したのかは知りませんが……まあいいでしょう。知らないなら教えますが、それを使えるような実力者は限られています。相性という意味でも、難易度という意味でも。加えて、並の天能力では、1回の発動すら難しいでしょう」

 

 そうして、紫藤は再び播凰に視線を戻すと。

 淡々と言葉を紡ぎ、播凰の発言にまともに取り合わずに話を終わらせようとして。

 

「話は逸れましたが、そのような態度をとるのであればここにいる必要はありません。さっさと――」

「まあまあ、落ち着かんか、紫藤先生」

 

 しかし、その声は途中で遮られる。

 制止の声を上げたのは、静観していたもう一人の試験官である、縣。

 言葉を止められた彼女の苛立たし気な視線がそちらに向かうが、それを気にした様子もなく飄々と彼は播凰と向き合った。

 

「巫山戯てるようにしか聞こえねえってのは、俺も同感だ。が、分からねえ。お前さん、一体何しにここにきた?」

「うむ、天能について色々学ぶためだな。ここは、そのための施設であると聞いたが?」

 

 問うたのは、真意。これで言葉同様に態度も不真面目であるのなら、明らかな冷やかしなのだろうが、どうやらそうでもない。少なくとも縣にはそう見えていた。

 もっとも、冷やかしなどをして何の意味があるのかは計りかねるが。

 

「あー……まあ間違っちゃいねぇわな。確かに学ぶ。そして高めるためにこの学園はある」

 

 一瞬その物言いに引っ掛かりを覚えるも、首肯する。

 

「ふむ、それでは天能の使い方を、天能を学びたいがためにここに来ることの何が問題なのだ?」

「…………」

 

 だが、次の播凰の返しに、縣は思わず無言になった。

 

 当然、今までは両者の認識に乖離があったのだ。

 播凰は、これから学ぶ――つまり天能について一から学びたい、という意味での学ぶ。

 対して、播凰以外のここにいる者は、そんな基礎的な段階より数段上の話で、更なる成長のための学ぶ。

 

 ――まぁ、全くいねえとは言い切れんが。

 

 ある程度の年齢にもなって天能の使い方を知らない人間が、である。探そうと思えば見つかるかもしれない。とはいえ、稀有な事例であることに変わりは無いだろう。

 とどのつまり、そんな存在は見たことがないとは断言できるが、ありえないとは断言できないという話だ。

 が、十中八九どころか確実に、前例は無いだろう。そのような人間がここ(・・)の入学試験を受けるなどという前例は。

 

「ふーむ……」

 

 どうしたものか、と縣が視線を彷徨わせる。

 その先には、眉間をもむような仕草をする紫藤の姿があった。

 両者の目が合うが、彼女は動かない。言外に、止めたのならお前がどうにかしろ、と。その目がそう告げていた。

 

「お前さんの言い分を信じる体で進めるが。つまりお前さんは、天能について初歩的な部分から学びたいと? そのためにここに来たと?」

「うむ」

 

 完全に信じたわけではない。

 が、受験者――三狭間播凰の目は、顔つきは少なくとも真剣に見えた。そうでなければ、即刻叩き出していたところだろう。

 だからこそ、話を合わせた。

 

「まぁ、お前さんにも事情はあるんだろう。ただ、今から学びはじめるってなると、才能次第ではワンチャンスもあるだろうが……先程計測したお前さんの天能力は、はっきり言って最低ランクだ」

 

 だからこそ、諭した。

 

「ここに入学しようって連中は、それこそ全国から集まってくる。その中ですら、入学できる者は限られる。しかも、その大多数は中等部からの内部進学組(・・・・・)だ」

 

 縣はそこで一旦言葉を区切り、何かを確認するように播凰の受験票を見た。

 

「お前さん、外部からの高等部への入学希望だから疎いのかもしれんが。仮にお前さんが入学できたとして、そもそもスタートラインが違う。周りはその数段先を行く者ばかりなのは確実。それだけじゃなく、来年入ってくる年下ですら、実力的に敵わんのは間違いない。この道に足を踏み入れてくるのは、以前から学び、努力し、戦ってきた奴等だ。ここで一年頑張ったところで引っくり返せるほど甘いもんじゃない」

 

 試験官としての立場上、縣には、そもそも試験に合格できない、入学できないなどとは今ここで告げられなかった。

 合否は、後日発表される。ゆえに、いかにこの場で不合格が確定(・・・・・・)していようと、仮定にしてぶちあたるべき未来の話をする。

 

「馬鹿にされるだろう。悔しい思いもするだろう。思い描く理想通りにならないなど往々にしてある。今からこっち側(・・・・)に来るっていうのは、そういうことだ。であれば、今まで通り天能に関わらず過ごした方がお前さんのためだと俺は思う」

「なるほど、忠言感謝する」

 

 諦めさせるために紡いだ言葉。だが、嘘ではなかった。告げたのは事実に付随する現実、それと僅かばかりの親切心だ。

 それが通じたのか、播凰は真摯に受け止め、深く頷いた。

 

 ふぅ、と息を吐きだす縣。が、しかし。

 

「――それでも私は、ここで学び、天能を使ってみたいのだ!」

 

 その宣言には、力強さがあった。曇りなき意志があった。それになにより、得も言われぬ迫力があった。

 

 ――ハッ、馬鹿だねぇ、コイツは。

 

 そしてそれは、真っ直ぐに胸に入ってきた。

 間違いなく、馬鹿だ。馬鹿者だ。

 が、嫌いな部類の馬鹿じゃない。

 

 やれやれと頭を振り、縣が口を開く。

 

「それなら、天能主体の天戦科じゃなく、武術主体の武戦科――つまり接近戦メインとするのはどうだ? そっちだと、天能力が劣っていても武術の才能や元々の身体能力で巻き返せる芽もある。幸いお前さん、がたいはそう悪くないからな」

 

 それは、せめてものアドバイスであった。

 ここで、というのは難しいだろうが。その学ぶ意思自体は、もはや止める気も権利も無い。

 お節介ともとれるが、彼も彼とて試験官であり――この学園に勤める教師でもある。ただの受験生にそこまでする義理はないが、一つくらい道を示してもよいだろうと考えたのだ。いずれにしろ厳しいだろうが、まだ、少しでも可能性がある方へと。

 だが、その善意は。

 

「ふむ。興味がないわけではない。――が、楽しめるほどに実力のある相手が見つかるとも限らん」

「……ほぅ、言うねぇ」

 

 一瞬にして切り捨てられるわけだが。

 

 縣の気持ちが冷め、声が低くなる。

 

 ――仕方ねえ。少々手荒になっちまうが、鼻っ柱を圧し折ってとっとと次を進めるか。

 

 失望した、とでもいえばよいのだろうか。

 気持ちのいい馬鹿だと思っていたが、そうではなかった。結局は、大言壮語で自信過剰の愚か者だったのだ。

 どのみち、試験者もまだまだ残っており、いつまでもべらべらと話をしているわけにもいかない。

 

「世界は広い。それにお前さん――色々と(・・・)侮りすぎじゃあないか?」

 

 フッ、と縣の姿がぶれ、一瞬にして掻き消える。――いや、そのように見えた。毅は勿論、後方で事の推移を見ていた試験待機組の者達には。

 

 間を置かずして彼が現れたのは、播凰の背後。

 並の者では知覚できない速度で回り込んだ縣の手が、播凰へと伸ばされ――。

 

 ――瞳が、交差した。

 

「……っ!」

 

 縣の手が、止まる。否、止められていた(・・・・・・・)。他ならぬ、眼前の少年――三狭間播凰によって。

 

 浮かぶは、冷や汗。

 

 全力でないとはいえ、天溜属性の天能を用いての高速移動。まず間違いなく常人では反応できない動きのはずだった。確実に死角へ入ったはずだった。

 実際、この学園に通う生徒でも、何人がついてこれるか。反応するだけならまだしも、息一つ乱さず、危なげなく対応してくる者は。

 

 それだけではない。

 まるで添えられたかのような少年の手は、しかし大の大人の、それも成人男性の平均と比較して大柄で筋肉もある縣の腕を、微動だにさせていない。

 

「否定はしない。だが、そちらよりも今は天能とやらに興味があってな」

 

 静かな声だった。怒りもなく、焦りもなく。まるでそれこそ、何でもないように平然としていた。

 播凰の目線が、顔が動かぬまま下がる。

 見ているのだろう。足を。

 明らかに人間のそれではない、獣のような異形に(・・・・・・・・)変容した(・・・・)、縣のその足を。

 

 その間。縣の顔は、視線は、動かない。否、動けない。

 数秒ともせず、播凰の目線は戻り――再び、視線がかちあった。

 

「――それに、侮っているのはどちらだ?」

 

 強者特有の威圧感も、雰囲気も何も感じなかった。それは言葉を交わした時も、こうしている今も変わらない。

 だがこの時、確かに試験官である彼は。年端も行かぬ少年に――その漆黒の瞳に、気圧されたのだ。



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8話 異なる世界の因縁

 蓋を開けてみれば。

 天能を学ぶにしても、場所に拘らず他に選択肢があったのでは? と播凰が思い至ったのは、全てが終わった後でのことだった。

 

 明らかに天能が使える前提の試験。疑問を抱かない他の受験者達。

 もっとも、播凰は管理人に言われるがまま行動しただけで、そもそも試験があることすら聞いていなかったわけであるが。

 

 そうでなければ、天能を使えないと申告した時にあのような態度をとられるわけはない!

 

 と、そんなことを学園からの帰り道にて、毅に対して播凰は力説していた。

 

「そりゃそうっすよ。あそこは――東方天能第一学園は、全国でも屈指の名門校。しかもその高等部なんすから」

 

 だが、その話を一通り聞いた毅はといえば。

 この人は、何を今更そんなことを言っているのだろうと、いよいよ呆れを隠そうともせず、疲れたように播凰を見る。

 

 あの後、結局播凰は天能を披露することなく――というかできないのだが――実技試験を終えた。いや、終えたという表現が正しいかは微妙だが、とにかく終わったのだ。

 

 そしてそのまま帰ることなく、毅を待ちつつも脇に避けて試験を見ていたわけである。

 さて、何が飛び出すのかとまるでびっくり箱でも見るかのように、ワクワクとしていた播凰。仮にも彼等と同じ試験者という立場が抱く感情ではないが、それはさておき。

 結論から言えば、そのワクワクが裏切られることはなかった。

 

 天から降り注ぎ、的を焦がす電撃。

 的を上空へ勢いよく吹き飛ばす、明らかに自然のものではない突風。

 後は遠目でよく分からなかったが、試験官に何かをかけていたらしき受験者もいた。

 

 どれも播凰にとっては新鮮で見応えがあったのだが、特に興奮したのは、氷の龍が的を噛み砕いた時である。ちなみにそれを披露したのは、播凰に注意をした少女であった。

 詳しく聞いてみたいと播凰は思ったが、件の少女は自分の試験が終わると他の試験者同様にさっさとその場を去ってしまった。その間際、播凰のことを一瞥だけして。

 

 他の試験者が残っていることもあり、その時は毅もまだだったので、播凰は残らざるをえなかったのである。

 

「……ちなみに、天能を使えないっていうのは本当なんすよね?」

「うむ! 天能自体を知ったのが最近だからな」

「はー、播凰さんみたいな人もいるんすねー……」

 

 特に意味もなく自信満々に答える播凰。

 それを見た毅は、今までどういう生活を送ってきたのか、と突っ込みそうになるのを抑え、相槌を打つ。

 

「しかし流石、受験者のレベルが高かったっす。内部進学組(・・・・・)も、外部受験組(・・・・・)も、やっぱりできる人ばっかなんでしょうね。……まぁ覚悟はしていたっすけど」

 

 そして、試験の様子を思い返し、同時に今後のことを憂い、空笑いを浮かべた。

 

「気になっていたが、その内部やら外部とやらはなんなのだ?」

 

 毅の言葉を聞いた播凰は、ふとその中に引っ掛かるものがあり、質問をする。

 それは、絡んできた受験生の男や、縣と名乗った試験官の男が発していた単語だった。

 

「……東方天能第一学園には、中等部と高等部があるっす。で、高等部へ入学するための試験は共通なんすが、中等部からの進学希望組を内部、自分や播凰さんみたいに外からの入学希望組を外部って区別するんす」

 

 もはや播凰が何を知らぬとも一々驚くまい、と毅は簡潔に答えた。

 

「ふむ、そうだったのか。だが、毅の天能も悪くは無かったぞ! まるで投石機のようだったな!」

「いや、投石機って。……いつの時代の人っすか、播凰さんは」

 

 高らかに笑う播凰に、毅の表情が苦笑いに変わる。

 

 晩石毅の天能の性質は岩だ。とはいえ、巨大な岩を自在に操ることはできない。せいぜい頑張っても、少し大きめの石といった程度。

 実技試験では、播凰が投石機という単語を出したように、天放属性の天能として、石を発射。

 一応的には当たったものの、他の受験者ほど的に明確な損傷を与えていない。

 なにせ放ったのは巨大な岩石ではなく、多少大きい石だ。威力はどちらかといえば控えめともいえる。これで見栄えのいいものであればまだ評価の上がる希望は持てるだろうが、当然派手さなんてとんとない。

 

「一先ず、今日は色々な天能を見れて満足だ。私も早く、天能を使ってみたいぞ!」

「あはは……」

 

 最強荘に戻る足取りが軽い播凰と、一方でそんな彼に遅れまいとしつつも、足運びが重い毅。

 両者の今の心境が、如実に表れる形となっていた。

 だが、そんな両極端な二人の足は、同時に止まることとなる。

 

「――だから、その妙な呼び方を止めなさいとっ!!」

 

 それは、帰路について暫く。最強荘が見えてきたあたりでのことだった。

 不意に響く怒鳴り声。誰かと話しているのか、女性のものだ。

 

 播凰と毅は、思わず顔を見合わせる。

 それは、方向的に目的地――つまり最強荘の方から聞こえてきていた。

 

「……は、播凰さん、行くんですか?」

「うむ。ここで立ったままでもいられまいて」

 

 厄介事を予感して及び腰となった毅とは異なり、播凰は何やら思案するように首を傾げた後、その歩みを再開する。

 少し進んでみれば、目に入ってきたのは一組の男女の姿。恐らくは女の方が先の怒声の主で、内容までははっきりとは聞き取れないものの、男と話しているようであった。

 

 その場所はよりにもよって、最強荘の門の前。

 即ち、中へ入るには彼らのすぐ側に行かなければならない。

 

 そして。姿も隠さず不用意に近づけば、当然気付かれるわけで。

 

「――其方(そち)達、見ない顔であるな」

 

 男の方が、播凰達の姿を認めて、声をかけてくる。

 異様に背の高い男であった。人混みの中を歩いていても頭一つ飛び出て目立つであろうほどの身長だ。

 肌は異様に青白く、身長に対してやや痩せぎすな体型をしている。

 

「っ! んんっ、貴方は。どうも、数日ぶりです」

 

 そんな男に釣られてか、こちらを振り返ってくる褐色の肌の女性。

 彼女は、播凰の顔を見ると軽く頭を下げて挨拶をした。

 

「お主は……確か、四階の」

 

 その顔と、そして怒声ではない声を聞いて。播凰はその女性に見覚えがあることに気付く。

 彼女は、播凰がこの世界に来た日に零階の共有エリアで出会った人物――四柳ジュクーシャと名乗った女性であった。

 

「うむ、私がここに来た日以来だな。ところで、何やら大きな声が聞こえたが?」

 

 そうして、軽く挨拶を返した後。遠回しもなにもあったものではなく、ド直球で問う。

 播凰の斜め後ろにて身を縮こませていた毅が、信じられないものを見るような顔をしたが、気にも留めない。

 

「フハハハッ!! そら、言われておるぞ、ジュクジュク(・・・・・・)よ!」

「誰のせいですか! そっちが私をそんな風に呼ぶからでしょうっ!!」

 

 途端、高笑いを上げる男と、顔を真っ赤にしてそれに食って掛かるジュクーシャ。

 

 ――ジュクジュク?

 

 その珍妙とでもいうべき単語に、播凰は大きく首を傾げる。

 はてさて、会話の内容からすると、ジュクーシャを指しているように聞こえるが。

 

 そんな内心を察してか、男が播凰に少し近づいてきて、高笑いを響かせながらジュクーシャの方を向く。

 

「こやつの名は、ジュクーシャであろう? 加えて当人のこの、幼さ(・・)からかけ離れた身長に、容姿、年齢よ。正しく熟して熟した女、即ちジュクジュクと呼ぶに相応しいと余は確信しているが、どうか?」

「どうか、ではありません! それに、私はまだどうこう言われるほどの年齢ではありません!!」

 

 それを聞いた播凰は、男を見た後、ジュクーシャを一瞥し。

 

「……ふむぅ、まあユニークな呼び方とは思――」

 

 躊躇することなく、素直に感想を述べようとする。

 その言葉を聞くや否や、言い切らせてなるものか、と俊敏な動作でジュクーシャが播凰に急接近し、彼の肩を掴み。

 

「――やめてくださいね?」

「……う、うむ」

 

 ニッコリと、しかし威圧を与えるような彼女を前に、播凰は珍しく口を噤まされることとなる。

 そのやり取りに、更に高笑いを続ける男と、ブルブルと震える毅。

 そんな混沌としつつある場に、新たな乱入者が現れた。

 

「皆さんお揃いでー、楽しそうですねー」

 

 最強荘の門から姿を見せたのは、管理人。

 掃除でもしていたのか、或いはこれから始めるのか。手に竹箒を持ちながら、ぽわぽわとした笑顔を浮かべている。

 

「うおおおおおおっ!! 管理人たんっっ!!」

 

 それに態度を急変させたのは、高笑いをしていた男だ。何やら興奮したように、鼻息荒く管理人に突進していき、そしてあわや触れるか触れないかの距離で急停止。

 

 突如の男の大声と奇行にビクリと身を竦ませる毅に、目を丸くする播凰。

 だが、ジュクーシャはといえばその光景を前にしても驚きを露わにすることなく。

 

「……全く。異なる世界とはいえ、あのような者が我が宿敵(・・・・)と同じ存在(・・・・・)だとは」

 

 むしろ、苦虫を噛み潰したような顔でそれを見やっており。呟くように吐き出された言葉は、刺々しさを孕んでいた。



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9話 登場、大魔王

 手が触れる程の距離にいた播凰であるからこそ、辛うじて聞き取れたその声。

 その意味を播凰の頭が理解する前に。

 

「お二人とも、お帰りなさいー。入学試験お疲れ様でしたー」

 

 巨躯の男を引き連れ、管理人が播凰達の方にやってきた。

 群衆の中にあっても目立つであろう高身長と、子供に見紛う程の低身長の二人。

 相乗効果とでもいえばいいのか、彼等が横に並ぶと両者が両者の大きさをより際立たせている。

 

「うむ。ところで、管理人殿。私は本当にあの学園とやらに行ってもよかったのか? 天能の使い方を知らぬと言ったら、妙なことになったが」

「……そ、そうっすよ、管理人さん! 播凰さんが天能使えないなんて聞いてないっすし、色々と大変だったんすから!」

 

 播凰は単純な疑問を、毅は僅かな抗議を。それぞれ、管理人にぶつける。

 

「……管理人さん。まさか、また無茶を――」

 

 それを聞いたジュクーシャは、何か言いたげな表情をし。

 

「何を言う、管理人たんが悪いわけなかろう、ジュクジュクよ! 天能などという簡単なものを使えぬこやつに問題があるのだ!!」

 

 男は、ババーンと大仰な身振りで播凰を指さす。

 

「ふふふー」

 

 そして問題の管理人はといえば、何も答えずに笑うのみ。

 と、ふと思い出したように男が播凰に向けていた手を下げ、腕を組んだ。

 

「ところで其方達、やはりここの住人であったか。この際だ、余に名乗る権利をやろう」

 

 傲岸不遜な物言いであった。だが、不思議と様になっている。

 

「……その男のように偉ぶるつもりはありませんが、私にもお名前を教えていただけますか?」

 

 同調というわけでもないだろうが、ジュクーシャも播凰達に向き直って、物腰穏やかに問う。

 見知らぬ男は当然として。そういえばジュクーシャと出会った時は、播凰がまだこちらでの名前が無かった時であるため、こちらが一方的に名を知っている状態。

 うむ、と鷹揚に頷き、播凰は口を開いた。

 

「私は、三階に住んでいる、三狭間播凰だ。天能とやらに興味があって、ここに来た」

「ぜ、零階――というか庭? にある小屋に住んでます、晩石毅っす。東方天能第一学園の入学試験を受けるために来ましたっす」

 

 続いて、ついでに毅も名乗る。播凰に引きずられたのか、その目的も。

 それを聞いたジュクーシャは、何かが引っかかったように僅かに眉を寄せたが。

 

「四階に住んでいます、四柳ジュクーシャです。よろしくお願いしますね」

 

 それも一瞬のことで、笑顔で言葉を交わした。

 直後、響く特徴的な高笑い。

 ゆったり、と播凰が。ビクリ、と毅が。嫌そうに、ジュクーシャが。それぞれ揃って、その笑いの主――つまり男を見た。

 

「では、最後に余だな。オホンッ! ――フハハハハッ、余の名は一裏(いちうら)万音(まお)!! 一階に住み、この世の人間共に恐怖を与える大魔王である!!」

「「…………」」

 

 それを受けて、無言になるのは毅とジュクーシャ。まあ、大の大人がそんなことを言い出したのだから、当然といえば当然の反応といえる。

 もっとも、口元を引き攣らせる毅と、口を真一文字に結んだジュクーシャではリアクションが微妙に違うといえば違うのだが。

 

「ほぅ、大魔王……して、大魔王とは、なんだ?」

 

 ここで唯一、両者と全く別の反応をしたのは播凰である。

 疑うことなく、むしろ感心したように呟き。だが、ややあって、それが何を指すのかを知らず、疑問を投げる。

 

 これにずっこけたのは、大魔王を名乗った男、一裏万音であった。

 少しの躊躇もなく、その身を地面に投げ出し。かと思えば、一瞬にして起き上がり、播凰に詰め寄ってその顔を近づける。

 

「何ぃっ!? 貴様、魔王を――大魔王を、本当に知らぬというのかっ!?」

「うむ」

 

 鬼気迫る表情で問うが、当の播凰は全く気圧されることなく、ただの一言と共に短く頷く。

 その即答は、正真正銘の本音だ。なにせ播凰は、そんなもの(魔王)など耳にしたことがないのだから。

 

「なんとぉっ!? よもや余を、余のような存在を知らぬ人間がいるとはっ!! 嘗て、世界を手中に収めたこの偉大なる余をっ!!」

「当然ですっ! 全ての世界、全ての人間が魔を知っていると、屈すると思い上がらないことですっ!!」

 

 嘘偽りのない播凰の同意に、万音はその大きな身体をのけぞらせ、頭を抱えだす。

 かと思えば、それを見たジュクーシャが両手でガッツポーズのようなものをした後、心底嬉しそうにその豊かな胸を張る。

 

「なんすか、これ……」

 

 万音は論外として、比較的まともそうに見えたジュクーシャまでもがおかしくなったことに、呆然とする毅。

 

「管理人殿。あれは、その、なんだ……大丈夫なのか?」

 

 そして、二人の声としても動きとしても喧しいといえる様を楽しそうに眺めていた播凰は。ふとあることに気付き、管理人に対して確認をとる。

 話の内容はよく分からないというのが正直な思いではあったが、過去――つまり元の世界を匂わすような、万音の発言。それが、ルールに適用しないのか、という意味での質問。

 だが、そんな播凰の質問を受けた管理人はといえば。

 

「うーん、まあギリギリセーフですねー。一裏さんは、お仕事上のキャラクターも兼ねているのでー」

 

 意外にもあっさりと。いや、ギリギリとの言葉がついているが、問題ないとの答えであった。

 すると、そのやりとりを聞いた毅が、会話に入ってくる。無論、彼はその会話に隠された裏の意味を知らない。

 

「仕事上? ……あ、分かったっす! もしかしてあの人は、俳優さんとか声優さんっすか?」

「――否ッ!! 余は、大魔王!! そして、配信者であるっ!!」

 

 それに割り込んでくるのは、元凶でもあり話題の中心でもある、万音。

 再三再四にわたり、びくりと身を竦ませる毅であったが、それはもういい。

 

「ふむ。配信者とは、どんな仕事なのだ?」

 

 同じく、知らぬ単語に疑問を投げる播凰であるが、それももういい。

 播凰の疑問を受けた万音は、何やら悟ったように肩を竦めると。

 

「――大魔王も知らぬ、配信者も知らぬ。そして天能の使い方も知らぬと来た。余の世界では、幼女、童女ですら、この大魔王のことは知っておったわ。むしろ、知らぬなら余が赴いて教えてやるまである」

 

 やれやれといったように、頭を左右に振る。その上、目を瞑ってのおまけ付きだ。

 

「……だが、天能を知らずに試験を受けるとは面白い男よ、播凰とやら。どれ、その涙ぐましい努力に免じて。余が、特別に! 直々に! 三つとも纏めて教えてやろうではないかっ!!」

「本当かっ!?」

 

 だが、何がどうなってそうなったのか。最後には、芝居がかったように両腕を大きく広げ、なんと指南役を買って出たではないか。

 その申し出に、瞳をキラキラとさせたのは播凰である。

 

「――その者の甘言に惑わされてはいけません、播凰くん! 天能の使い方であれば、私が教えます! さあ、行きましょう!!」

 

 しかし、そこに待ったがかかる。両者の間に体を割って入り、播凰の視界から万音を消したのはジュクーシャであった。

 そしてそのまま彼女は、戸惑いを見せる播凰の身体をぐいぐいと押し、万音の横を通って最強荘の門を潜る。

 

「おやおや、随分と強引ではないか、ジュクジュクよ。その上名前呼びとは、そんなにそやつの事が気に入ったか? 年下好きとは、余のことをとやかく言えぬなあ?」

 

 その背に、煽るような声を投げる万音。

 ジュクーシャは頬を僅かに染め。しかしその言葉を無視して、押されるがままの播凰を伴い最強荘に入っていった。

 

 残されたのは、三人。

 ニヤニヤとした笑みの万音に、のほほんと微笑む管理人。そして、呆然と佇む毅である。

 

「あ、そうそう、晩石さんー。入学に関してですが、何も心配はいりませんよー」

「……へ?」

 

 言葉少なく、説明すらないその管理人の唐突な物言いに。

 毅の間の抜けた声が、その場に響いた。



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10話 暗躍する影、悶える影

今回は完全な別視点です。


 夕暮れの陽射しにより、茜色に染まる校舎。

 普段であれば、この時間帯であってもそこに通う生徒達の声があり、それなりに賑やかであるのだが。

 今日に関しては入学試験があることにより、原則として在校生の立ち入りは禁止。そのためいつもの様相とは異なり、また広大な敷地を有するがゆえに外の喧騒も届かず、珍しく静けさが漂っていた。

 

「――納得がいきません。何故あの二名を合格とするのですか」

 

 ここは、東方天能第一学園。

 そのとある一室にて向かい合っているのは、二つの人影。

 

「まあまあ、そう怒らずに。紫藤先生(・・・・)

 

 一つは、眼鏡をかけた知的な美女。ピシッと背筋を伸ばして立つ彼女は、この学園の教師である、紫藤。

 そしてそれに相対するような形で、明らかに高価であろう木製の机を挟み。広々とした背もたれの椅子に腰かけるのは、豊かな口髭を蓄えた初老の男性であった。

 

「怒ってなどおりません。私はただ、理由が知りたいだけです」

 

 宥めるようなゆったりとした初老の男の声を、しかし否定する彼女。

 だが、男の指摘は完全な的外れとも言い難い。

 口調は僅かに早く、冷たくも熱の籠った声。そしてその顔は、目は、少なくとも落ち着いた印象を与えるものではなかったのだから。

 

 そんな紫藤を前にして、座ったままに困ったような、人の良さをうかがわせる笑みを浮かべる男性。

 彼女は、その反応を見るのを待たずに自身の手に持っていた紙に目を落とした。

 

「一名、晩石毅に関しては、はっきり言って大部分が合格ラインにすら達していません。本日然り、別日の入学試験然り、彼以上の受験者など内部進学組含めて何十、何百といるでしょう。とてもではありませんが、即刻どころか全ての結果が揃ったとしても合格が決まる人物ではなく。本来であれば補欠合格の検討の候補にすら上がらないはずです」

 

 つらつらと述べられるのは、お世辞にもいいとはいえない評価。

 辛辣ともいえるそれは、彼女の手にした紙に基づいてであることを示しており。なにより、紫藤自身がその場にいて判断したことでもあった。

 

 一気に読み上げた後、紫藤は目線を男に合わせ、一歩。それこそ両者の間にある机のギリギリまで、詰め寄ると。

 

「そしてもう一名の三狭間播凰。これはもう問題外です。反応しない程に低い天能力の上、あの態度。仮に本当に天能の使い方を知らなかったとしても、天戦科ではそんな者など話になりませんっ!」

 

 語尾を荒げ、その手にあった紙の一枚を机の上に置いた。

 男性は、チラッとそれを一瞥だけすると。

 

「紫藤先生の言うことはもっとも。……じゃが、時には成績だけでない部分も評価に値すると儂は思っていての」

 

 一転、今まで浮かべていた笑みを消し、真剣な表情となる。

 

「確かに、我が学園は誰しもが入学できるわけではない。特に、才の乏しい者に関して門が開かれることは極々稀じゃ。しかしその本質は、学びを希望する者を受け入れることにある」

「……それは、おっしゃる通りですが。しかしそれを受け入れては――」

「勿論、分かっておるとも。じゃが、近年では学びよりも我が学園に在籍、及び卒業することで己の箔としようとすることを重視する者が多いのも事実。そんな中、あの彼の宣言はひどく気持ちよいものじゃった」

 

 男性の言葉に、紫藤は僅かに目を見開く。

 

「あの場にいらっしゃったのですか?」

「こっそりと、客席の方からな。久方ぶりに、胸がすくような思いをしたよ」

 

 紫藤の驚きの声に、男性は微笑と共に頷くと。椅子から少し身を乗り出すようにして、その両肘を机の上に置き、手を組んだ。

 

「――さて。ああいう者は、我が学園に相応しくないと、そう思いますかな?」

 

 にこやかではあった。

 されど、まるで審判の如く、内心を見透かされるような問いに。

 紫藤の中に、即座に返せる答えはなく。

 

「縣先生は、納得してくれたよ。もっとも、多少悩んだようではあったが――最終的には、納得してくれた。光るものは、確かにあったと。また、見極めたいとも」

「…………」

「紫藤先生は、どうかね? 何の見所もない、愚鈍に映ったかね?」

「それは……いや、しかし……」

 

 男性の質問に、言い淀む紫藤。

 だが、それを待たずに畳みかけるように。

 

「兎も角、紫藤先生には悪いが、これは決定事項じゃ。三狭間播凰、ならびに晩石毅の両名は、入学を許可する」

 

 ゆっくりと。それでいてはっきりと、男性が宣言する。

 一秒、二秒。沈黙が、広がる。お互いに口は開かず、身じろぎ一つしない。

 

「……承知いたしました。そこまでおっしゃるのであれば」

 

 ややあって動いたのは、紫藤の方であった。

 不承不承といった様子でありながらも、確かに認める発言。

 

「おお、解ってくれましたか」

 

 それを聞いた男性は顔を綻ばせる。

 半ば強制に近いものであったというのに、どの口がと指摘する者はこの場にいない。

 

「……それでは、私はこれで――」

 

 用件は終わったと、紫藤が踵を返して部屋を出ようとする。

 しかしその背に、待ったの声がかかり、その足は止められた。

 

「ああ、待ってください、紫藤先生。先の生徒――三狭間播凰君の方じゃが。彼が入学した場合の補佐を、先生にお願いしたくての」

「補佐?」

 

 振り返った顔は、僅かに険しい。

 それはそうだ。理解したとはいえ、完全に納得をしていない事柄に対して、その力添えを頼まれたのだから。

 

「そうじゃ。先生も先程指摘した通り、彼は天能の使い方――ひいては色々と知識が不足しているやもしれぬ。そこで、特別に色々と面倒を見ていただきたい」

「……分かりました」

 

 その提案を、しかし一蹴することはせず。少し考えた末に、紫藤は承諾した。

 

「しかし、もし三狭間播凰にその気が無かった場合。その時は、このお話は無かったことに」

 

 だが、男性が感謝の言葉を述べる前に。彼女は間髪を入れずにそう牽制すると。

 

「では失礼致します、学園長(・・・)

 

 今度こそ踵を返して、部屋を出て行った。

 バタンッ、と扉が閉まり、沈黙が訪れる。

 

「……何とか、一件落着といったところかの。しかし――」

 

 残された初老の男性――東方天能第一学園の学園長は、短く息を吐くと。

 

「――三狭間播凰。あの場所(・・・・)の住人か」

 

 机の上に置かれた紙を――そこに貼られた播凰の顔写真を見下ろす。

 

「書類上だけを見れば、優等生と評される中等部の彼等(・・・・・・)とは似ても似つかぬ問題児だが、はてさて――」

 

 

 その、同時刻。

 周囲に人のいない、開けた場所。

 時折強い風が吹く中、ただ一つ。何もせずに、それは一人そこに立っている。

 

「――住民の方々のご希望を叶えるのは、大家(・・)としての役目なれば」

 

 夕闇の中にあって、その姿は朧気ながらも。

 

「もっとも、もうお一方は私の描いたチラシを褒めていただいたということで、ついでの特別ですが」

 

 確かに、その口元に笑みを浮かばせ。

 

「それでは、三の数字を持つお方。この世界をお楽しみいただけますよう、願っております」

 

 

 ――――――――――――

 

 外が完全に暗闇に包まれた、夜。

 最強荘の四階の部屋、その寝室にて。

 

「あぁーっ!! 私は、なんと大胆なことをっ!!」

 

 その頭に枕を被せ、ベッドの上でジタバタと身悶えする女の姿を、電灯の明かりが照らしていた。

 女性の名は、四柳ジュクーシャ。この部屋の主である。

 

「年下とはいえ、出会って間もない男性を、部屋に招く約束をするなんて……っ!」

 

 さて、一人暮らしであるために、その姿を見る存在がいないとはいえ。

 そんな風に顔を真っ赤にした彼女が取り乱しているのは、事情がある。

 

 どうしてそうなったのか。いや、十中八九、悪の権化とも根源ともいえる存在のせいなのだが。

 話の流れで、売り言葉に買い言葉で、現時点でほとんど親交のない異性――つまり播凰に天能について教える約束をしてしまったのだ。ついでに、年下ではあるものの、一回りどころか言うほど離れてはいない。

 とはいえ、それ自体はさして問題ではなかった。問題は――。

 

「うぅ……つい、以前のようにやってしまいました。……仕方ないじゃありませんか、パーティの仲間達は皆、女性だったんですから!」

 

 ――その相談を、彼女に与えられた部屋にて受ける。

 すなわち、ジュクーシャの住まいに招いて話を聞くことになったことである。

 

 これは別に、播凰がそうしたいと言ったわけではない。

 つい、以前の癖で。嘗て旅を共にした仲間の、その相談や話を自室に招いて聞いていたという癖で。

 自然とジュクーシャは、自分の部屋での会話を提案していたのだ。

 

 気付いた時には、既に言葉として出してしまった後。

 すぐであれば撤回できたものを、頭が真っ白になった彼女は。約束だけ取り付け、詳しい話は明日、とその場から逃走したわけである。

 

 やがてジタバタはゴロゴロへと変わり。忙しなく、ベッドが浮かんでは沈みを繰り返す。

 そんな彼女の姿は、普段の澄ました態度からは考えられない有様であった。

 

 なお、そんな彼女の階のすぐ下は、三階。即ち、問題? の播凰の部屋であったりする。




ちなみに、大家なので管理人とは別です。


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11話 約束

 先の、最強荘の門前での大魔王(万音)とジュクーシャの騒動に巻き込まれてから一夜明けた翌日。

 

「……よし、約束の時刻となったな!」

 

 意味もなく早起きをし、そわそわとしながら今か今かと時計が時を刻むのを眺めていた播凰は、待望の時が訪れたのを見て破顔した。

 午前十時三十分。昨日、零階の共有部にてジュクーシャに指定された時間である。

 

 いそいそと部屋を出て、エレベータへと向かう播凰。その足取りは、弾むように軽い。

 なにせ、ようやく天能について教えを受けられるのだ。初めて天能を知りこの世界に来てから早数日。今日までその時を待ち侘びていたわけであるから、その喜びもひとしおであった。

 

 エレベータに乗り込み、新たに選択可能となった『4』を押下する。

 これまでは『0』と『3』のボタンしか存在していなかったが、昨日ジュクーシャの許しを得たことで、彼女の階層である四階へと行くことが可能となった。

 どういうわけか、階層の主が言葉で許可を宣言するだけで、許可を受けた側がエレベータに乗った際にその者の階のボタンが現れて押せるようになるとのことだ。

 

 そうして、初めて足を踏み入れた四階。

 自身の階層以外という意味でも初となるそこは、はっきり言えば、三階とそう変わらなかった。

 壁に刻まれた階層数を示す文字。外に面した廊下に、ポツンとある一つの扉。とはいえ、同じ建物であるから構造が同じなのは当たり前といえば当たり前。

 強いて言えば、見える景色が一階分高くなったことぐらいか。

 

 播凰は少しそこからの景色を眺めた後、扉に向かいその呼び鈴を押す。

 すると、数秒と待つことなく、ゆっくりとそれは開かれ。

 

「い、いらっしゃい、播凰くん」

「うむ、お招き感謝するぞ!」

 

 おずおずと顔を覗かせたのは、階の主であるジュクーシャ。

 どこか緊張した面持ちの彼女に対して、播凰はといえば気にしたような素振りもなく元気よく挨拶をする。

 

 どうぞ、と通されたのはリビング。

 家具一式はあるが、不思議と物は少なく、簡素な印象を播凰は抱く。

 もっとも播凰も播凰で、住んで日が浅いということもあるが、そこまで内装や物に頓着や拘りがないため似たようなものであるが。

 

「昨日の今日ですまぬな、ジュクーシャ殿。予定は大丈夫であったか? 何やら昨夜、妙にドタバタと聞こえてきたような気がするが」

 

 勧められるまま一人用の椅子に腰かけ、立っているジュクーシャに播凰は声をかける。

 彼女からの提案であったとはいえ、急であることは事実。加えて、上階――即ち、今いるここからと思しき物音がしていたため、念のため確認したのである。

 

「どたっ!? ……い、いえ、なんでもありません。少し片づけ物をしていたもので。そ、それより、飲み物はお茶でも大丈夫ですか?」

 

 それを受けたジュクーシャは、一瞬取り乱したものの。すぐに言葉を落ち着かせ、台所へと入っていく。

 リビングから台所が見える造りは、播凰の部屋と一緒だ。

 

 播凰が簡単に礼を述べ、しばらくしてジュクーシャがコップを両手に戻ってくる。その片方が播凰の前に、もう片方はその向かいに置かれ。

 そうして間にテーブルを隔てて、両者が向かい合って座った。

 

「さて、それでは天能についてでしたね」

 

 口火を切ったのは、ジュクーシャ。

 きっちりと背筋を伸ばし、凛とした佇まいの彼女の目が播凰に向けられる。

 

「っと、申し訳ありません。お話をする前に、お伝えしておきたいことが。正直に申しますと、私はその道の専門――所謂スペシャリストというわけではありません。よって、ものによってはお答えできない部分もあるかもしれません」

 

 前置き、というより断りを一つ。ジュクーシャの頭が軽く下げられる。

 その柔らかな口調も相俟り、流麗な所作であった。彼女の艶やかな髪が、ふわりと舞う。

 

「ですが、概ね理解はしていますし、()――いえ、天能を使うこともできます。基礎をお教えすることは可能ですので、そこはご安心ください」

「うむ、教えてもらえるのであれば贅沢を言うつもりはない。よろしくお願いする」

 

 播凰からしてみれば、教えてもらえるだけで万々歳。故に、その質に不平不満はなく、彼女に(なら)い彼もまた少し頭を下げた。

 ジュクーシャは、コップを傾けて喉を潤すと、軽く微笑む。

 

「それでは、播凰くん。そもそも天能とは何かご存じですか?」

「……不思議な力だな。火や雷に氷、他にも様々な性質があり、天放(放つ)天溜(溜める)天介(介する)という属性にも分類されるもの、といったところか」

「ええ、その通りです。人はそれぞれ、自身に適合する、乃至(ないし)は相性のいいとされる性質を持っています。今しがた例に挙げていただいたように、火の性質に適合している人もいれば、雷の性質に適合している人もいる、といった具合に。属性に関しても、人によって得手不得手があるとされていますね」

 

 天能の性質と属性。初歩も初歩ともいえる部分に関しては播凰も少しは知っていたため、相槌を打って聞いていた。

 

「そして、その源となる力。即ち天能力(・・・)を消費することで、性質を三つの属性に当てはめる形で顕現させる。これが、天能を使うということです」

 

 だが、その説明の中に、記憶に新しい単語を聞いたため、思わず顔を顰める。

 余程あからさまだったのだろう。ジュクーシャが少し焦ったように声をかけてきた。

 

「え、えっと、今の話に分からないことがありましたか?」

「いや、そうではなく……その、天能を使うには天能力とやらがやはり重要になるのかと思ってな」

「重要かと聞かれると、重要ですね。少ないのと多いのでは、やはり多い方が有利な要素となりますし、中には一定以上の天能力の消費を要求されるものもあります。それに、天能力の高さは、一種の指標やステータスともされているそうです」

 

 ノータイムでの即答に、播凰は思わず天を仰ぐ。

 脳裏を過るのは、その単語を初めて耳にした時のこと。

 

「……うむ。試験の際に、その天能力を計測されたのだが、低すぎて計れぬと言われてな」

「そ、そうでしたか。……となると、少し厳しいかもしれませんね」

 

 思案するようなジュクーシャの言葉に、ガクリと播凰は肩を、顔を落とす。

 その消沈ぶりたるや。とはいえ、ずっと楽しみとしていたことが難しいと知ったわけであるから、大仰な反応とも言い切れない。

 それを見た彼女は、しまった、というような表情をして慌てて言葉を続けた。

 

「あ、えっと、で、ですが、諦めることはありませんよ、播凰くん! 確かに、天能を使うには天能力が不可欠です。しかし使うことだけに限って言えば、少ない天能力でも天能が使えないわけではありませんし、なによりそういった力(天能力)というのは、得てして頭打ちとなるまでは成長するにつれて増えることもあります!」

「……本当か?」

 

 咄嗟に出た言葉。だが、それは決して嘘八百ではなかった。

 そんな励ますようなジュクーシャの声色が届いたのか、播凰が顔を上げて彼女を見る。

 期待するような、縋るような。それでいて光明を見るような、そんな目で。

 そしてそれは、力を貸すのも(やぶさ)かではない、というよりは。力になってあげたい、なりたいと思わせるものであった。

 ――少なくとも。いや、他ならぬ(・・・・)彼女にとっては。

 

「っ! ……ええ、心配無用です。私にお任せください!」

 

 ただし後にジュクーシャは、この時の安易な約束を、この前後の出来事を、色々な意味で忘れられなくなるのだが。

 そんなことは今の彼女は露知らず。

 異性との一対一という慣れない環境にやはり平静さを失っていたのか。或いは、あまりにも播凰が可哀そうに思えたのか。

 いずれにせよ、何の根拠があるのか。専門分野でないと断りを入れたにも関わらず自信満々に、胸を張って言い放ったのであった。



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12話 朗報と撃沈

「…………」

 

 そのジュクーシャの宣言を聞いた播凰は、暫しそんなジュクーシャの顔を見ていた。

 だがやがて、直前までが嘘のように満面の笑みを見せ。

 

「うむ!! ジュクーシャ殿がいてくれて本当によかったぞ!!」

 

 全幅の信頼ともとれるその発言。

 その真っ直ぐで、嘘偽りとは程遠い気持ちをぶつけられれば大抵の人は大なり小なり照れるというもの。

 ジュクーシャもその例に漏れず、流石に気恥ずかしくなってか赤面し。

 コホン、と咳払いをすると。

 

「では、天能力のことは一旦置いておき。まずは天能の使い方ですが、必要なのはイメージ、そして呪文です」

「呪文……おお、あの天能を発動する前のカッコいい言葉だな!」

 

 播凰の脳裏に浮かぶのは、先日の実技試験にて受験生達が天能を発動させる前に唱えていたもの。

 

「ええ。天能術とは即ち、己の内にある性質を解き放ち、形とすること。イメージだけでも不可能ではないですが、呪文として口にすることは、よりはっきりとしたイメージを描けるという効果もあります。……さて、それでは播凰くんの性質の適正をお聞きしても?」

「適正か。私の性質は――なんなのだろうな?」

「……なるほど、そこからですか」

 

 ジュクーシャからの質問に、播凰は考えた後、はてと首を傾げる。

 よくよく考えれば、播凰は自身の性質を把握していない。

 なんのことはない、使いたい思いばかりがあまりに先行しすぎて、問を投げられるまでとんと忘れていたわけである。まあ、性質自体は知っていても、適正という概念を理解したのはつい先程であるため、仕方ないといえば仕方ないと言えるのだが。

 

 兎も角、考えるだけ無駄というやつだ。

 自問する播凰に対し、むむっと眉根を寄せて、ジュクーシャが考えるように口元に手をあてた。

 

「家系的な遺伝があったり、或いは感覚が鋭いといった方ですと、ご自身で理解できるというのは聞きます。しかしそうでない場合、つまり一般的には、専用の道具を用いて調べることがほとんどでしょうね」

「道具、というと、天能力を計測した際のあの水晶玉のようなものか。それはどこで手に入れられるのだ?」

「調べるだけであれば、手に入れる必要はありませんよ。そう何度も利用するものではないですし、それにそこらのお店で売っていることもないでしょう」

 

 播凰の疑問に対し、きっぱりとジュクーシャが断言する。

 なるほど、正論である。だが、そうなると当然生まれる疑問があるわけで。

 

「それでは――」

 

 それを播凰が口に出そうとした、その時であった。

 

 ――グゥー。

 

 間の抜けた音が響く。

 その発信源は、彼のお腹だ。

 

「おぉっ、そういえば楽しみにしすぎて朝ご飯を食べ忘れていたな!」

 

 恥ずかしがることなく、むしろからからと笑う播凰。

 何が起きたかは言葉の通り。要するに、お腹が減ったわけである。

 

 ジュクーシャは、そんな播凰の様子にクスクスと笑うと、部屋の時計を見た。

 少し早めではあるが、お昼にしてもよい時間だ。

 どの道、播凰の適正性質が不明である以上、この場ではこれ以上進められない。

 故に、今日はここで一旦解散とするか、と彼女は持ちかけようとしたが。

 

「丁度よい、ジュクーシャ殿。お昼は共に外食でもどうだ?」

 

 予想していなかった播凰の誘いに、一瞬目をパチクリとさせる。

 

「えっと……は、はい。その、播凰くんがよければ、こちらは構いませんが」

「うむ! 教えてもらう身であるゆえ、お礼といってはなんだが、馳走させていただこう!」

 

 当然播凰は働いてはいないが、生活のための資金というものが最強荘より支給されている。

 そしてそれは、自分以外のご飯代を支払ってもさほど問題がない程度の金額であった。

 もっとも、支給金であるため彼のお礼といえるかという話だが、それはさておき。

 

 恐縮するジュクーシャの背中を押し、零階に下りる。

 すると門のところで、丁度これから買い出しに行こうとしていた毅に会い、三人で街へ行くことに。

 

 さて、それではどこに行こうかという、当然ともいえる流れになる。

 ここで発覚したのは、言い出しっぺのくせして播凰が料理店どころか最強荘周辺以外の地理を碌に知らないという事実。

 そのため、ジュクーシャと毅で話をした結果、ファミリーレストランへと落ち着いた。

 ちなみに、最初は金欠を理由に外食を断った毅であったが。日常生活然り、試験の際然り世話になっているのを理由に、播凰が毅の分の料金も支払うということで無理矢理押し切った。

 

 そこで播凰が、ドリンクバーのシステムに目を輝かせたり、店員の呼び出しボタンを面白がったりと一緒にいた二人にとっては若干恥ずかしい思いをしたのだが。

 毅的には、万音に並んでヤバい人扱いであったジュクーシャも、彼が絡まなければ常識人であると誤解が解け。

 となれば険悪になる要素もないわけで、終始和やかに食事を終えた一行は帰路につく。

 殊、初めてのファミレスを体験し、満腹の播凰は上機嫌であった。

 

 ――このすぐ後に、それが絶望に歪むとも知らずに。

 

 それは、最強荘の門を潜り、敷地に足を踏み入れた直後のことである。

 

「――やーやー。お帰りなさいませー、皆さんー。特に、三狭間さんー」

 

 後ろから、声。

 それは聞きなれた管理人のものであったが、普段とはどこか異なり、嫌な予感を感じさせた。

 加えて、気配もなく背後をとられたことに、播凰は驚きながら振り返る。

 

「う、うむ……ただいまだ、管理人殿」

 

 ニコニコとした笑みの彼女は、どうしてか一歩一歩ゆっくりと。

 しかしその眼光は確かに播凰を見据えて、近づいてくる。

 

「実は、とある人から連絡がありましてー。正式に通知が届くのは後日ですが、三狭間さんと晩石さんは見事、東方天能第一学園の高等部への入学を許可されましたー」

 

 告げると同時に、パチパチー、と拍手と同時に声も出して祝福する管理人。

 

「……へ?」

「……お、おぉ」

 

 ポカン、と口を開けるのは毅。本来の彼であれば、涙を流して喜ぶべきことのはずだが、しかし告げられ方が告げられ方。恐らく脳が処理できていない、というのが正しいだろう。

 翻って、播凰は理解はしていた。だが、それ以上に今は管理人である。

 

 いかにその歩みがゆっくりであるとはいえ、片方が止まっていればいずれは距離はゼロになるもので。

 立ち止まった三人――正確には、その中の播凰のすぐ目の前で、管理人は立ち止まり。

 彼女はこれまたゆっくりと、身長差のある播凰を見上げた。

 

「ですが、三狭間さんは、実技試験は勿論、筆記試験もぶっちぎりの最下位とのことでしたのでー……」

 

 そこまで言うと、彼女は一旦言葉を区切り。

 その両手を、何も持っていない手を、播凰の眼前に突き出し。

 

「……お馬鹿さんには、お勉強をしてもらいますー」

 

 刹那、播凰の目に飛び込んできたのは、参考書、問題集と書かれた色とりどりの冊子。

 いかなる手品か、或いはそれこそ天能なのか。確実に空だったはずの管理人の両手に、溢れんばかり。

 

「い、いや、管理人殿? 私は、それよりも今は天能を――」

「問答無用ですー」

 

 再び、両手のそれを消し去り。

 四の五の言う播凰の服の裾をむんずと掴み、建物の方へ歩いていく。

 

「あ、三狭間さんほどではないですが、晩石さんもですよー」

「……へ!?」

 

 その途中、同じように毅の服を掴み、言葉通り問答無用にずるずると。

 その幼い外見ゆえ、どちらか一人だけでも異様であるのに、二人の少年がかなり年下の一人の少女に引きずられていくという図。

 

「入学までの間、みっちり勉強してもらいますからねー」

 

 一人残されたジュクーシャは、それを苦笑して見送っていた。



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13話 入学式、南方よりの総代

『東方天能第一学園 高等部 入学式』

 

 白塗りの看板に達筆な文字で、堂々と。

 すぐ傍らにて荘厳と佇む校門には流石に霞むものの、それでも陽の光を受け輝くそれは。しっかりとした存在感を放って、そこに立っていた。

 

 学園の敷地に入るために門を通ろうとする者は、立ち止まって繁々と眺めたり、歩みを止めることはせずとも一瞥したり。

 真新しい青緑色の制服を着る新入生やそれに付き添う父兄、或いは式に携わる在校生、関係者問わず。

 恐らくほとんど全員が、大小の差はあれど確かにそれを意識し、この場を後にしている。

 

「やっと……やっと、この日が来たなっ! 待ち侘びたぞ、色々な意味でっ!!」

「くぅぅっ! お、俺が、本当に、あの東方第一(・・・・)に……っ」

 

 そんな、入学の時を告げるともいうべき、衆目を集める看板を前に。

 拳を握って仰ぎ見る播凰と、にじんだ涙を制服の裾で拭う毅は、いた。

 

 とはいえ、そのような姿の両名であるが、実のところさほど浮いた光景でも場違いというわけでもない。

 若干大袈裟感が否めないのはないこともないが。事実、眩しそうに、または誇らしげに看板を見る者もいれば。父兄や新入生同士で笑顔を交わして喜びの声を上げる者もいる。場の雰囲気は、今日という日を祝う空気であることは間違いない。

 

 もっとも、全部が全部そうということもなく。中には至極当然といったように高揚も無しに門を通過する姿もあれば、むしろ大きく反応をする者達を小馬鹿にしたように見やる姿もあったのだが。

 

 さて、それでは二人が誰の気にも留められなかったのかといえば、そんなこともない。

 何より播凰の声が大きい。加えて、只でさえ注目を集める看板の近くというのもある。

 その場にいた全員が全員というわけでもないが、看板ついでに目が止まったり、声につられて顔を向けるような人間が間違いなくある程度はいた。

 

「は、播凰さん、行きましょう……」

 

 遅ればせながらそれに気づいた毅が、慌てて播凰に小声で呼びかける。

 こうしている間にも続々と人の波は門に吸い込まれていく。つまり、留まっているとそれだけ見られる数が増えるわけで。

 

「うむ、では参ろうか」

 

 毅としては恥ずかしさ故の行動であったが、播凰は全く気にした様子もない。かといって、別段見られたい思いが播凰の中にあるというわけでもなく。

 鷹揚に頷き、人の流れの合間を見て、横合いからするりと門の中へ。

 向かう先は入学式の会場。

 道標は当然あるが、そもそも今日ここにいるのはほぼ全員がそれを目的としているといっても過言ではない。

 そのため、広大でまだ全貌の知らぬ構内であれど、迷うこともなく二人はすんなりと会場たる講堂へと辿り着くことができた。

 

 壁に掛けられた時計を見れば、式の開始とされる時刻まで後十五分といったところ。

 新入生用に並べられた椅子は、その半分ほどは既に埋まっているようだった。

 

 事前に送られた案内によれば、好き勝手座ってよいわけではなく、自身が振り分けられたクラス毎に着席しなければならないとのこと。

 播凰のクラスは、H組。ちなみに毅も同じH組だ。

 この学校は一年に十のクラスが存在しているため、それだけを見れば同じクラスになる確率というものはそう高くはない。だが、その内情は正確には違う。

 

 確かにこの場に集うのは新入生であり同学年ともいえるのだが。ではその全てが競争相手であり切磋琢磨する間柄であるかとなれば、そうとも言えない。

 

 なぜなら、学科が分かれているからである。

 武術や武器を用いての接近戦を主とする、武戦科。

 天能術を用いての中・遠距離戦を主とする、天戦科。

 武器や装備といったものの作成を主とする、造戦科。

 

 当然方針が異なればカリキュラムも異なるわけだから、学科毎にクラスが定められているのだ。

 その内訳としては、武戦科がAからDの四クラスで、天戦科はEからHの四クラス。そして造戦科が、IとJの二クラス、といった具合である。

 

 H組の案内を持った係のいるブロックまで歩けば、前から順番というわけでもないらしく、ポツポツと席が空いていた。

 二人分の空席がちょうど列の中頃にあったので、播凰と毅はそこに並んで座る。

 途端、ふぅと息を吐きだす毅。それを横目に、播凰もまた肩の力を抜いた。

 

 周囲の生徒達は静かにしているか、隣或いは前後で喋っていたりしている。

 内部進学同士の知己か、もしくは外部でありながらも積極性があるのか。

 そんな彼らの声にわざわざ聞き耳をたてることもなく、播凰はなんとなしに正面にある舞台に目を向ける。

 

 ――ようやっと、管理人殿から解放されるか。

 

 入学を待ち望んでいたのは確かである。確かだが、待っていた理由はもう一つ。

 合格を知らされた――正式に合格の通達が届いたのはもっと後日であるが――あの日。

 実技試験は仕方ないにしても筆記試験も最下位ということで、以降入学式となる今日まで、勉強の面を播凰は管理人にみっちり鍛えられたのである。

 

 とはいえ、別世界の住人であった播凰からすれば、特に社会や歴史の問題をいきなり問われて答えられるわけもない。もしそんな人物がいたとすれば、間違いなくそれは変態である。

 それは正論で管理人も当然理解を示したわけだが、播凰の場合他の教科も不味かった。もっとも、これも同様の理由が通らなくもないのだが。

 

 取り敢えず勉強、というのが管理人の言。勉強はどちらかといえば苦手な播凰であったが、この先必要とのことで、納得せざるをえず。参考書を読み、問題集を解く毎日。毅もまた、成績もそこまで良い部類ではないためにサポーターも兼ねて巻き込まれたのは余談である。

 

 とまあおかげで、ジュクーシャに天能を学ぶのは入学するまで禁止。結局、天能以外については学んだものの、肝心の天能についてほとんど身に着けることなく本日を迎えたというわけであった。

 

 

 

 式に関しては滞りなく、まあ有り体に言えば面白いことがあるはずもなく淡々と進んでいった。

 周囲の何人かは背筋を張りながら真剣な面持ちでそれを見守っているが。当たり前ではあるが、全部が全部そんな真面目な人間ばかりではないというもので。

 正面を向いてこそいるものの、指先を弄ったり首を動かしたりと。流石に騒ぐ人間などはいないが、ちゃんと聞いているか定かではない緩い雰囲気も広がっている。

 

「――新1年生総代。天戦科、星像院(せいしょういん)麗火(れいか)

 

 そんな空気が一変したのは、新入生総代の挨拶へと進んだ時であった。

 その名が呼ばれ、そしてその人物が壇上に進み出た時。確かに、会場内がざわついた。

 

 といっても、誰も彼もがそんな反応を見せたわけではなく。むしろ異様な雰囲気に首を傾げている生徒もちらほらと何人か。

 そして当然その一人に入っている播凰もまた視線を巡らせては不思議な面持ちをしていたが。

 

 ……あれはもしや、実技試験の際の。

 

 壇上の人物、即ち総代である女生徒を見て。しばらくして、その容姿に見覚えがあることに気付く。

 そう、それは実技試験の折。試験者に対して播凰が拍手を送った際に彼のその行動を咎めた女生徒であった。そして同時に、氷の龍という、あの試験の中で播凰が最も感嘆した天能の使い手でもある。

 あの時とは服装こそこの学園の制服という違いはあれど、美しい緋の長髪と水色のヘアバンドは変わらない。

 

星像院(・・・)だって? なんで南方第三(・・・・)の人間がこっちに?」

「総代ってことは、中等部主席が……あの方が、負けたのか?」

「馬鹿、お前そんな滅多なこと言うなっ! 大体、学科が違うだろ」

 

 ざわめきに耳を傾ければ、同じ列、隣の席の男子生徒達からそんなヒソヒソとした会話が聞こえてきた。

 

 ――南方第三。

 

 正式には、南方天能第三学園。

 名前から察することもできる通り、ここ東方天能第一学園と同じく天能術を教える学び舎の一つだ。

 ちなみに、北と西にも第二、第四と一校ずつ存在し、名に含まれている方角にそれぞれ位置しており。

 その数字が優劣を表しているわけでもないようで、四つの何れもが名門と謳われているらしい。

 

 さて、それ以外にも気になる情報はあったのだが。管理人指導の猛勉強の中で得た知識の中に辛うじて学園に関するものが引っかかっただけで、相変わらずざわめきが起きた意味は不明のまま。

 

 ……星像院(せいしょういん)という苗字が関係あるのか?

 

 隣の毅を見てみれば、彼も困惑したように目線を彷徨わせていたので、知っているようでもない。

 結局、腑に落ちぬものはあったものの、かといって是が非でも知りたいわけでもなく。やがてざわめきも止んで講堂は静まり返り。

 朗々とした彼女の――星像院麗火の挨拶の声が響くのであった。



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14話 呼び出し、邂逅

 会場が異様な雰囲気に包まれる、という少なくとも新入生及びその父兄側にとっては想定の範囲外であろうできごとがあったものの。

 それ以外に関しては、これといって騒がしくなるような事態は起こらず、入学式は終了した。

 

 新入生は退場となり、現在は座っていたブロック――つまりはクラス毎に移動し、各々の教室へと向かっているところである。

 その道中。新入生であり、これよりは播凰と同じH組のクラスメートでもある彼らの話題に上がっていたのは。やはりというべきか件の新入生総代――星像院(せいしょういん)麗火(れいか)についてであった。

 

「ねぇねぇ、総代の星像院さんってさ、やっぱりあの(・・)星像院なのかな?」

「そうなんじゃない? その苗字の人なんて、そうそういないわよ」

「だよねー。南の名家の人が何で東方第一(ここ)にいるんだろう?」

 

 少し前の女生徒の塊がそんなことを言っていれば。

 

「そういや確かに、星像院の人間が試験会場にいた、って噂は聞いたような。完全にガセだと思ってたけど」

「マジで? そんな噂あったの?」

「後、めっちゃ美人だったって噂も」

「あ、分かるわ。遠目だったけど、可愛かったよなー」

 

 後ろの男子達もまた似ているような似ていないような話で弾んでいる。

 無論、播凰や毅のように会話に興じていない者も中にはいるが。男女問わず、ほとんど全員が彼女の話をしているようだった。

 そして当然といえば当然だが、彼らが周囲にも聞こえるレベルで遠慮なく話していることから分かるように、渦中の人たる星像院麗火の姿は、クラスが異なるのかここにはない。

 

 ……まあ、深入りして聞くことでもあるまいて。

 

 播凰は思考を打ち切ると、建物の内部を見ることに意識を戻す。

 詳しいことを彼らの会話に割り込んで聞くという手もあったが、別段他人の詮索は趣味ではない。

 あくまで播凰にとって大事なのは天能。そして今は、少しでもこの広大な構内を記憶することである。中等部の三年間をここに通ってきた内部進学組にとっては見飽きた景色なのかもしれないが、高等部からの入学者は試験の日を数えたとしても構内に足を踏み入れたのはたったの二度なのだ。

 

 講堂から数十分とはいかずとも、それでも少なくない時間を歩いた頃。

 H組の札を持って講堂から一行を先導していた、恐らく在校生と思しき係の人間が、とある一室の扉を開けて入っていく。

 

 その入り口に提げられたプレートには、『1年H組』の文字。

 室内には、一つ一つ机と椅子が並べられ、前方には教壇と教卓がある。

 

 自身の名前の書かれた紙のある場所に着席するよう指示が出され、ぞろぞろと各自が動く中。

 播凰も同じように自身の名を探してうろうろと、そして後方に席を見つけ、着席。

 

 机の上にポツンと置かれているのは、持ち運びのできる端末が一台。

 この学園の方針としては、授業を担当する教師は勿論いるものの、クラスを担当する意味での教師はいないらしい。その代わり――というわけでもないのだろうが、生徒達が活用するのがこの端末だ。

 

 これには、学園生活を送る中で複数の役割があり。

 例えば学園から、そして学年全体及び各クラスへの連絡事項に、個人的な呼び出しといった伝達手段として。

 または、構内や敷地内設備のマップや、その利用方法だったり学園の規則といった案内として。

 更には参考書なり書籍なりといった、授業に使用するツールとして。

 

 その他にも色々機能があるらしいが、この一台で色々なことが完結する必須のアイテムとして、生徒一人一人に貸与されるものである。

 ちなみに、こういった電子機器に関する扱いも播凰は管理人から叩き込まれたため、最初こそちんぷんかんぷんであったが今はなんとか一人で使えるレベルにはなっていた。

 

 全員がそれぞれ着席した後、係の指示で端末を起動。

 明日からの行動に関してや、各種マニュアル及び設定をした者から本日は帰宅する旨が伝えられ、各自が目を通していくのであった。

 

 

「……ふむ?」

 

 それは、若干の苦戦をしつつもなんとか確認するべきものを一通り見て、連絡ツールの設定を終えた頃。

 

 ――『差出人:紫藤(しどう)綾子(あやこ)(教員)』

 

 学園からのお知らせに交じり、一件。そんな文字が目に入ったため、播凰は思わず疑問の声を上げる。

 だが、他の皆にも同じようにあるのかもしれないと思いなおし、取り敢えず本文を見てみれば。

 

 ――本日、帰宅前に高等部の教員室に来てください。

 

 短い一文だった。用件の内容はなく、呼び出しを告げるだけの簡素なもの。

 明らかに、他の生徒達にも来ているとは思えない。かといって、自分一人が呼ばれることに心当たりがあるかと言われると、無い。

 そう、播凰が端末と顔を突き合わせつつも内心首を捻っていると。

 

「播凰さん、終わりそうっすか?」

 

 横から声が聞こえたので、顔を上げる。

 見れば、毅が播凰の机のすぐ側に立っていた。

 気付けば、播凰のようにまだ着席して端末を触っている生徒は片手で数えるほどしかおらず。

 大半は既にやるべきことを終えて退室したようで、教室には数人の姿しかない。

 

「うむ、もう終わるのだが……何やら連絡が来ていてな」

「学園からの連絡っすか? それなら、自分にも来てたっすけど……」

「いや、これだ」

 

 播凰は端末を手に取ると、問題の呼び出しの文の画面を毅に見えるように持ち上げる。

 なになに、と端末を覗き込んだ毅は、目を丸くしてギョッとしたような声を上げた。

 

「初日から教員室への呼び出しっ!? 播凰さん、一体何したんすかっ!?」

 

 声量の抑えられていないその声は、当然の如く教室中に響き。

 残っていた数少ないクラスメートと、そして全員が終わるまでの確認も役目にあるのか前方で未だ立っている係の視線が、一気に毅とそのすぐ近くの播凰に集中する。

 

「あっ……い、いや、すみません」

 

 毅はすぐさま顔を真っ赤にしてぺこぺこと頭を下げると。

 顔を播凰の耳に寄せて、小声で話しかける。

 

「俺にはそんなの来てないっす」

「そうか。まあそういうわけだから、私は行かねばならん。毅は先に帰っても構わんぞ」

「はあ……じゃあ、そうしますけど。大丈夫っすか、播凰さん? 教員室の場所とか、あと学園からの帰り道とか分かります?」

「うむ、大丈夫だ。なんとかなるだろう!」

 

 とまあ、そんな調子でH組の教室にて毅と別れたのが数十分前のこと。

 教員室へと意味もなく自信満々に足を向けた播凰は、どうなっているかというと。

 

「むむむ……なんだここは? 今はどこだ?」

 

 端末と睨めっこすること、数十回。正確に言うなら、その画面に表示される構内マップと、であるが。

 困ったように周囲を見渡しても、教員室のきの字もない。端的にいえば、彼は迷っていた。

 それでも仮に人に出会えたのなら、道も聞けるというものだが。本日は入学式のため、係の在校生以外は登校していない。加えて、新入生も各々の教室でやるべきことを終えたら、無意味に構内には残っていないだろう。とどのつまり、構内はがらんとしていて人の姿というのがなかった。

 

「……うーむ、困った」

 

 そうして播凰が、端末に目をやりながら進んでいると。

 

「――きゃっ」

 

 横合いから、軽い衝撃。

 播凰からすればバランスを崩すどころか足一本すら動かないものであったが。

 そちらに目を向ければ、一人の女子生徒が座り込んでいた。右側がちょうど角となっており、出会い頭にぶつかったようだ。

 

「うむ、すまぬな。大丈夫か?」

 

 端末を片手に、もう一方の手を差し出す。

 女子生徒は顔を上げて播凰の存在を視認すると、おずおずと手を伸ばしたが。

 

「ええ、ありが――」

 

 ピタリ、とその手が播凰の手に届く前に、言葉と共に止められる。

 

「――貴方、まさか」

 

 思わず、といったようにその口から零れた言葉。

 んん? と播凰がその顔を見れば、それはつい先程見た顔で。

 

「おおっ、お主は! 新入生総代の!」

「…………」

 

 もっとも、見たといっても播凰が一方的に、という言葉がつくが。

 それは確かに式にて新入生総代として立った、星像院麗火であった。

 彼女は、埃を払いながらすっと立ち上がると。

 

「ここにいてその制服を着ている、ということは……こちらに入学した、ということですよね?」

 

 訝るように播凰を見つめるその瞳には、猜疑の光が宿っている。

 

「うむ! どういうわけか合格通知が届いてな。おかげで、勉強もみっちりすることになったが……おほん、ともかく私は三狭間(みさくま)播凰(はお)だ、よろしく頼む!」

 

 カラカラと笑う播凰。

 しかし、そんな彼に反応を示さず、じっと無言で見つめる麗火。

 人によっては物怖じしそうな、とてもではないが友好的といえる雰囲気ではない。だが、播凰は気にすることなくこれ幸いにと口を開く。

 

「どういうわけかで思い出したが、高等部の教員室に呼ばれていてな。しかし如何せん、道が分からぬと困っておったのだ。其方は、ここで何をしているのだ?」

「……私は、構内を見回っていただけです。これからこちらに通うわけですから、少しは見ておこうかと」

「ほう! ならば、教員室への行き方は知っておるか?」

「え、ええ……それは知っていますが」

 

 光明を見出し、ずいと距離を詰める播凰に、たじたじとしながらも麗火がそう返せば。

 パシッ、と播凰がその手を取り。

 

「であれば、頼む! 私を教員室に連れて行ってくれないかっ!?」

 

 播凰、渾身のお願いである。

 この好機を、せっかくの現状を打破する機会を逃してはならない、という腹積もりであった。

 

「わ、分かりました! 分かりましたから、手を放してくださいっ!」

 

 それに焦ったのは、麗火である。

 その電撃的ともいえる行動に、呆気にとられたように表情を崩し。

 そして何が起こっているのかを理解すると、今までのよそよそしさは風と消え、わたわたとして離れるように言葉を返す。

 

「おう、感謝するぞ! いやー、其方がここにいてくれて助かった」

「……咄嗟とはいえ、言ってしまったのなら違えるわけにもいきません。私に着いてきてください」

 

 そして、仕方ないといったように歩み始める麗火に、機嫌よさげに播凰が続く。

 

「……貴方は、聞かないのですね」

 

 二人が歩き始めて、少しして。

 不意に、ポツリと麗火が口を開いた。

 

「む、何をだ?」

「……私のことを。星像院の人間が、なぜこちらに入学したのかを」

 

 落ち着いたような、それでいて沈んでいるようにも聞こえる声で、麗火は言葉を紡ぐ。

 対して、ああそのことか、と播凰は呑気に頷いた。

 

「そういえば、気にしている者はいたな。なんでだの、どうしてだの」

「……そうでしょうね」

「しかし私は、他人を詮索する趣味は無い。故に、何が問題なのかなど私の知ったことではないし、当人に聞こうとも思わん」

「…………」

「そもそも、私が今知りたいのはたった一つ。私は――」

 

 先を行く麗火が、播凰を振り返る。

 

「――私は、早く天能の使い方を知りたいのだっ!!」



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15話 覇王の性質

 それは、播凰の魂の咆哮とでも言うべき、思いであった。

 なにせ今の播凰にとって知りたいことにやりたいこと、その筆頭は。

 己の天能術の性質を、使い方を知り。そして実際に使うことに他ならないのだから。

 

「…………」

 

 そして、まるで噛み締めるような。それでいて、子供のように口を尖らせる播凰の顔を見、声を聞いて。

 彼女――星像院麗火は、刹那の沈黙の後に何か言いたげに口を開きかけたものの。しかし結局語ることはなく、再び播凰に背中を向けて歩き出した。

 

「――こちらが、高等部の教員室です」

 

 それから、少しして。

 足を止めた麗火が半身だけを振り返って、播凰に告げる。

 彼女の顔が向けられた先には、なるほど、高等部の教員室を示すプレートが吊り下げられていた。

 

「おお、助かったぞ、感謝する!」

「いえ。それでは私はこれで」

 

 それを見た播凰が喜びの声を上げて麗火に礼を伝えれば。

 彼女は、播凰の顔をまともに見ずにそっけなく言うと、足早に立ち去って行った。

 播凰はそれを少しだけ見送ったものの、特に思うことはなく。

 教員室の扉へと近づくと、その引き戸に手をかけ。

 

「失礼する!」

 

 躊躇なく、声と共に一気にそれを開いた。

 

 スパァンッ! と小気味のよい音が反響し、教員室の中にいた人達――教員室にいるということは教員なのだろうが――の視線が播凰に殺到する。

 並んだデスクの中には空席のものもあったが、それでもそれなりの数。眉を顰める者、驚いた様子の者、ただ眺める者と、播凰を見る反応は様々だ。

 

「――おう、お前さん、三狭間播凰じゃねえか!」

 

 続くかと思われた沈黙は、しかし一つの男の声によって破られた。

 そう遠く離れていない席から立ち上がり、播凰に向かってくるのは一人の強面の男性教師。

 見覚えのあるその姿は、入学試験の実技にて播凰のグループの試験官を担当した一人、縣である。

 

 彼は播凰の側まで来ると、片手をあげて笑みを見せた。

 

「まあ、あれだ。まずは、入学おめでとうってやつだな」

「うむ、感謝する。そしてこれからよろしく頼む」

「ああ。もっとも、俺は一年生は担当しないから、そういうのは来年からになるだろうが」

 

 簡単に、両者は言葉を交わす。

 前回は和やかともいえない最後であったが、播凰は勿論、縣にもあまり気にした様子はない。

 

「……ところで、どうした? 入学初日から教員室に何か――」

「――私が呼びました」

 

 そうして、トーンを少し落として縣が播凰に用件を問おうとすれば。

 第三者の声が、途中でそれを遮った。

 

 いつの間にか近づいてきていた、眼鏡をかけた女性教師――播凰をここに呼び出した本人である紫藤が、額に手を当ててジロリと二人を睨む。

 

「……もう少し静かにできないのですか。君も、縣先生も」

「うむ、失礼した」

「ハハハ、悪いな紫藤先生」

 

 分かっているのか、いないのか。注意されているにしては軽い反応の二人。

 紫藤は、はぁ、と短くもあからさまに溜息を吐くと、着いてくるようにと告げ、教員室を出ていく。

 それに播凰が続こうとした間際、チラと向けた先で縣と目が合い、彼は苦笑して肩を竦めた。

 

 教員室の扉を閉め、廊下に出る。

 紫藤に連れられて入ったのは、教員室からそう離れていない空き教室だった。

 誰もいないことをさらっと確認した後、紫藤が播凰を見据える。

 

「さて。君と会うのは初めてではありませんが、改めて。本学園の教師の紫藤綾子です」

「私は新入生の三狭間播凰だ! よろしく頼むぞ、紫藤殿」

 

 その彼女の第一声は、自己紹介。

 何が来るか身構えていた――というわけでもなかったが、播凰が応じるように元気に返せば。

 

「……喋り方までも一から教えるつもりはありませんが、教師のことを呼ぶ時は先生とつけるように」

「そうか、分かったぞ紫藤先生!」

 

 頭が痛い、といったように素振りで紫藤が目を瞑る。

 が、それも僅かな間だけで。彼女は再び播凰をその瞳に映すと、静かな声で話し出した。

 

「……まずは、入学式のその日に突然呼び出しをしたことは、謝っておきましょう。本来、このような扱いはしないのですが、しかし君の場合は普通と状況が異なりますので」

 

 紫藤は思い出すように間を空け、視線を播凰から少し外す。

 

「君のあの時の言葉を借りるなら、天能の使い方を知らない。つまり、天能術を使えない。……はっきり言って、そのような生徒が入学試験を受けることも、その上ここに入学するなど前代未聞です。当然、我が学園では高等部どころか中等部ですら、それは大前提として然るべきですから」

「ふむ、やはりそうなのか。しかし、合格の通知が届いたが?」

 

 それは薄々播凰も感じていた。

 だがそうなると不思議なのは、合格通知が自身に届いたことである。

 そんな、思わずといったような声を聞いた紫藤は、じっと播凰の顔を見た。まるで見定めるかのように、数秒。

 ややあって、彼女は軽く頭を振り、首肯した。

 

「ええ、手違いではないということだけは、告げておきます。そしてここにいる以上、その大前提を避けることはできません。ですから最低限、授業についていける程度にはなってもらいます。……もっとも入学までの間に、君が既に天能術を行使できるようになっているというのであれば、話は早いのですが」

 

 その双眸と声は、特に期待の色もなく様子を伺っている。

 最初は、彼女の言葉がいまいちピンと来ていない播凰であったが。やがて得心がいったように頷くと、興奮のままに確認する。

 

「つまり……天能を使えるようにしてくれる、ということかっ!?」

「そう言っています」

「いや、助かる! 実は今、天能の性質が分からず困っておってな!」

 

 簡素な一言。だが、それは冷淡でありながらも彼の発言を肯定するもので。

 否定の言葉が返ってこなかったことに、播凰は破顔する。

 

「……己の性質も知らない、ですか。ええ、もはや何も言いません。場所を移動しますので、着いてきてください」

 

 何度目かの溜息。

 紫藤は扉へ向かって歩き、播凰もその後に続く。

 

「元々君には、諸々のデータを計測、及び登録をしてもらう予定でしたが。非常に好都合なことに、その時に適合する性質も分かるでしょう」

「諸々のデータ?」

「この学園の生徒であれば皆登録されているものです。新入生も例外ではなく、学園に提出された書類や試験の情報を基に作成されます。ですが、君は何故か――というより本来有り得ないのですが、一部のデータが不足しているため登録がされていません」

「ううむ、書類とな? よく分からぬが、不思議だな!」

「……ええ、本当に。私も不思議でなりません」

 

 何が、とは言うまい。

 能天気に播凰が笑い、呆れたように紫藤が溜息を吐いた。

 

 道中にそんなやり取りをしつつ、やがて紫藤が足を止めたのは、『天能計測室』のプレートが提げられた部屋の前。

 

「ここは?」

「入学する以上、学園内の設備の名前と役割程度は頭に入れておいてほしいものですが……まあ、いいでしょう」

 

 当たり前のように播凰が疑問を口にすれば、やれやれとしつつも紫藤がこほん、と咳払いをする。

 

「この『天能計測室』には、天能の性質や天能力といったものを計測することのできる設備があります。今回は私が手続きを行いましたが、普段は各自の端末から予約をとらなければ使用できません」

 

 ガラリ、と扉が開けば、まず目に入るのはカウンター。

 だが誰もおらず、カウンター内どころか室内に人の気配はない。

 紫藤は、構わずカウンターを横切って進み、部屋の中ほどまで入ると、1と書かれた紙の貼られた小部屋のドアを開く。

 

 小部屋の中はそこまで広くはないが、数人が動き回れる程度の十分さを有した空間だった。

 そしてその中央には、液晶パネルのついた大きな機械が鎮座している。ガラス張りで筒状の形態に、天井近くまでの高さ。入学試験時の天能力の判定に用いられた水晶に比べて遥かに物々しい。

 

「これは、なんというか。随分と大がかりだな」

「データの連携も兼ねているとはいえ、短時間かつ高精度に測るのであれば、相応のものは必要です。そういった意味では、君は幸運ですね。一昔前であれば、天能の性質一つ調べるのをとっても、そう簡単ではなかったのですから」

 

 まじまじとその機械を見る播凰であったが、パネルの元に来るよう紫藤に促され、そこに近づけば。

 

「使い方は単純ですので、覚えてください。まずはパネルから計測者を入力します」

 

 彼女に横から指示を出されるまま、パネルをタッチしていく。

 学園は1年で、クラスはH組。そして名前を入力して確定のボタンを押すと、液晶パネルがカメラに切り替わる。

 

「そうすると本人認証の確認が行われるので、自分の顔を読み込ませてください」

 

 紫藤が言うと同時に、画面内に合わせて顔を映す旨を告げる機械音声が流れ。

 その通りに播凰が映りこめば認証完了の画面となり、パネルの繋がった機械が、ブゥンと起動するような音を立てた。

 

「認証が成功すれば、計測を行うことができます。ただし計測を行う前に、注意事項を必ず読んでください」

 

 画面に記された注意事項は、そう多くなく難しいものではない。

 機械に入れば扉が閉まって計測が始まること。計測が終われば扉が自動的に開くこと。計測中はみだりに動かないことや、複数人で入らないこと、とそんな感じだ。

 

 それを確認した播凰が、勇んで機械の中へ足を踏み入れ、中央に立てば。

 

 ――計測開始。

 

 開始を告げる音声が流れ、扉が静かに閉まっていくのを眺めつつ播凰はふっと笑みを漏らす。

 

 ……さて、ようやく性質が分かるのだな。

 

 播凰には、この性質がいい、という希望は今のところない。本音を言えば、性質に囚われず様々な種類のものを――それこそ全種類を使ってみたいという欲があるにはあったのだが。各々に適合する性質があると知った以上、それも望めないだろう。

 そして、希少な性質であれという願望も持ってはいない。無論、希少な性質でも嫌ではないが、播凰にとってはなんであれ魅力的だ。それこそ、適合する人が多いらしい火や水といった性質だろうと、使いたいことに変わりはない。

 

 機械の中でただじっと時を待ち、思考に耽る。

 それなりに時が経過した気がするが、そういえばどの位の時間がかかるかは聞いていなかった。

 とはいえ、計測という以上、ある程度の時間がかかるのだろうと。そう考えつつも、視線だけをチラと外に向ければ。

 

 ガラス越しに見えた紫藤の顔は、何やら気にかかるように機械を、そして中にいる播凰を交互に見ていたような気がした。

 

 ――計測終了。

 

 さて、結局のところどの位の時を機械の中で立っていたのだろうか。時間を見ていたわけではないのでそれは分かるまいが、少なくとも数分、或いは十数分と経ったかもしれない。

 

 終了の音声が響き、扉が開かれる。

 わくわくした足取りで機械を出迎えたのは、難しい顔でパネルを見る紫藤であった。

 彼女は、機械から出た播凰をチラと一瞥だけするが、すぐさま元通りパネルに視線を戻す。

 

「……妙に時間がかかりましたね」

 

 そして戻ってきた播凰に対し、ポツリと一言。

 

「ふむ、そうなのか?」

「個人差はあるようなのですが、私が今まで見た中では、ここまで長いのは初めてです」

 

 その横顔は真剣で、適当を言っているようにはみえない。そも、冗談も言わなそうな女性なので、恐らく本当のことなのだろうが。

 パネルには、結果出力中の文字。そしてこれまた、こちらも中々先に進まないのは、仕様なのか果たして。

 

 どうあれ、結果が出るのを待つしかできない。

 そして、ようやくというべきか。画面が明滅し、切り替わる。

 やっとですか、と紫藤がその内容に目を通し。

 待ち侘びた、と言わんばかりに播凰が覗き込む。

 

「……なっ、性質がっ!」

 

 最初に声を上げたのは、紫藤だった。

 その眼鏡の奥の両眼は、珍しく驚愕に大きく見開かれ、画面に釘付けとなっている。

 

「ふ、不明……だとおぉー!?」

 

 一拍遅れて、愕然とした播凰の口から、その事実が漏れ出るのであった。



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16話 計測の結果

「性質が不明? まさか、そんなことが……」

 

 声に動揺の色を隠さず、紫藤が口元に手をあてた。

 

「……故障? いや、だとしたら正常に終了はしないはず。となると、結果が正しいとした場合――見つけられなかった? 一致する性質を?」

 

 話す、というよりは考えをまとめるように。その目はパネルに映し出される情報に固定されたまま、小声で呟いている。

 そんな、彼女の横で。

 

「嫌な予感しかしないぞ……っ!」

 

 勘、というべきなのかそうではないのか。紫藤の反応もそうだが、正常な結果とも思えないその二字を前に、播凰はぶるりと体を震わせる。

 不明、という性質があるならそれでよい。いや、全くイメージがつかないのでよくはないのだが、そういうものであるならまだマシだ。

 問題は、不明という単語が天能の性質を指しているのか、否か。もし言葉通りの意味を孕んでいるのだとしたら、それはつまり――。

 

「――今日はもう帰宅して構いません。明日、また連絡します」

 

 しばし考え込むようにパネルを睨みつけていた紫藤だったが、視線を切ると早口で播凰に告げる。平静さを装っているものの、いつもより僅かに上擦った声色。

 振り向いた表情はいつものように厳しくはあれど、少なくとも怒っている風ではない。

 

「ま、待ってくれ! 不明とは、一体――」

「君の性質については正直、現時点で判断ができないと言わざるを得ません」

 

 慌てて声を上げる播凰をよそに、彼女は食い気味に返答をしつつ足早に部屋を出て行こうとしたが。

 その寸前、足を止めて播凰を振り返り。

 

「このことについて、誰かに話すことを止めはしませんが、みだりに口外しないことをおすすめします」

 

 それだけ言うと、今度こそ足音を響かせて去っていった。

 

「…………」

 

 バタン、と無情にもドアが閉じ、ただ一人残される。

 パネルの表示は、何やら送信完了の文字が出た後、真っ暗となっていた。

 

 そこからの記憶というのは、あまりない。

 気付けば、ある意味奇跡的にも最強荘に帰り着いていた。

 いや、少しばかり構内を彷徨ったような気がするが。学園を出るだけであれば外を目指せばよいので、行ったことのない場所を探すよりは大分簡単だろう。

 

 先に帰っているであろう毅の住む小屋を訪ねようかとも思ったが、そんな気にもならない。

 誰にも、それこそ管理人とも鉢合わせすることなく、三階に上がると。

 播凰は一目散にベッドに倒れこんで横になり。そのまま、ふて寝するのであった。

 

 

 

「……性質が不明、ですか」

 

 その夜である。

 結局、夕方近くまでふて寝と称して寝た播凰は、四階のジュクーシャを訪ね、彼女と対面していた。

 

 とはいえ、起きて直行したわけではない。外出してご飯を調達して済ませ、日が完全に落ちて少ししてからだ。

 かといって、約束をしていたわけではない。しかしジュクーシャは帰ってきていて、突然の播凰の訪問に少し驚いた様子を見せたものの、少しばかりの逡巡の後に部屋に招き入れてくれたのである。

 

「うむ、不明だ。不明という性質ならともかく、そういうわけでもなさそうでな……」

 

 話題は当然、播凰の性質の結果に関して。

 初めこそ、学園で計測したという話を聞いて、よかったですねと笑みを浮かべていたジュクーシャであったが。顛末まで聞き終わった頃には、すっかりとその柳眉は下がっていた。

 

「そうですね……不明という性質は、私も聞いたことがありません。その教師の方の反応の限りでは、こちら(・・・)でも同様の認識なのでしょう。ですからおっしゃる通り、不明というのは性質そのものを指しているのではなく、分からないという意味で捉えるべきでしょうね」

「……やはり、そうか」

 

 ジュクーシャが腕を組んで考えた末に言葉を返せば、播凰がガックリと肩を落として項垂れる。

 管理人との勉強タイムから解放され、ようやく先に進めると思った矢先にこれである。調べたのに状況は変わらず、自身の性質は依然不明。覇気がなく、気分がダダ下がりになるのも仕方ない。

 

「そうなれば、考えられる方法は。より精度のよい道具で計測するか、或いは自力で判明させるか」

「……自力でなんとかなるのか?」

 

 だが、それもジュクーシャが方法を提示したことで、僅かに上を向いた。

 播凰が顔を上げて彼女を見れば。

 

「それは、もちろん。ただ、道具が近道であることは確かなので、それを使える状況下で敢えて自力で探すのは非常に不効率という話なだけですね」

 

 当たり前のようにジュクーシャがそう告げたので、ほう、と播凰は膝を打つ。

 

「なんだ、そうなのか! てっきり、自力ではどうにもならないと思っていたぞ! 流石はジュクーシャ殿だ!!」

 

 みるみる元気を取り戻した播凰であったが、しかし。

 ジュクーシャは照れたような、同時に気まずそうに曖昧な笑みを浮かべ。

 

「ただし、その……この方法は非効率と話したように、時間は相応にかかるものです。播凰くんはすぐにでも天能を使いたいのでしょうが、一朝一夕には終わらず、数日、数か月。一般的でない性質という点を考慮すると、下手をすれば何年とかかる可能性も……」

「むう。それは、困るな」

 

 追加の情報に、播凰が顔を顰める。

 意図的ではないにせよ、喜びに冷や水を浴びせてしまった形となったジュクーシャは、必死に考えを巡らせる。

 

「後は、存在するかは分かりませんが。他人のステータスを調べたり見ることができるような能力を持った人物がいれば――」

「ステータス?」

「あ、いえっ、気にしないでくださいっ! すみません、私にはできないのですが、もしかするとそのような能力を持った人物がいる可能性があります。ですが、いたと仮定して、近くにいるかどうか……」

 

 聞きなれない単語を播凰が聞き返せば、一瞬慌てふためいたが、すぐさまジュクーシャは難しい顔をして。

 佇まいを直すと、播凰に向けて小さく頭を下げ。

 

「申し訳ありません、私が思いつく方法ではそれしか浮かびません。いずれにせよ、今すぐには――」

 

 そこまで言いかけて、あっ、と声を上げた。

 

「――いや、一階のあの者であれば、或いは。だが、あの者の助力を受けるなど……」

 

 そして、正面の播凰にすら断片的にしか聞き取れない程の声量で、呟く。

 彼女の顔に浮かぶのは、どういうわけか苦悶のような、悩みに悩むような表情。

 

 豹変という程ではないが、一変した彼女の様子に播凰がパチパチと目を瞬かせていると。

 なにやら決心したように、ジュクーシャは頷き。

 真剣な面持ちで、それこそこれからまるで戦にでも行くかのような空気を放ち、播凰に問いかけた。

 

「……業腹ですが、私情を優先している状況でもありません。播凰くん、一階に住む男のことを覚えていますか?」

 

 無論覚えていた。早々に忘れるような影の薄さどころか、まるで逆。

 というか、時々普通に敷地内で会う。頻繁ではないが、例えば朝のゴミ出しの時などで、会うことがある。

 何日分かと目を疑うような量のゴミ袋を携えるその姿を最初に見た時は、ゴミが歩いているのかと思ったほどだ。

 

 それを口に出していれば恐らくジュクーシャは喜んだろうが。

 しかしそんな両者の因縁を知らない播凰は特に口に出すことなく、頷くに留まった。

 

「もしあの男に会ったら、それとなく聞いてみてください。ひょっとすると、分かるかもしれません。……ただし、期待はしないでください」

 

 播凰がジュクーシャの部屋を辞する間際。

 いないこともあるからと、ジュクーシャと連絡先を交換した。

 ちなみに播凰が携帯電話を持っている理由は、学園から支給される端末の操作に慣れておくため管理人から渡されているためである。

 そして今まで連絡先を知らなかった理由は――入学までの間に播凰がジュクーシャから教わることを管理人が阻止していたためであった。

 

 

 

 さて、まさにその翌朝のことであった。

 天が播凰に味方したのか、偶然か。

 最強荘のゴミ出し場にて、一階の住人――ジュクーシャとの話に出た男、一裏万音と遭遇したのである。

 

 一緒に学園に行く毅は、未だ万音に苦手意識があるのか。いや、単純にヤバい奴という印象を払拭しきれていないのか。離れた場所で、播凰を待っている。

 

「播凰よ、聞いたぞ。貴様、管理人たんとの勉強会とやらが終わったそうだな」

「……うむ、ようやく解放されたぞ」

「くぅぅ、まっこと羨ましき奴よ! どうして、どうして余は参加できなかったのかっ!?」

 

 苦笑をする播凰に、悔しさの叫びを上げる万音。

 親しいと言うほどでもないが、会った時に軽く言葉を交わす程度の仲には二人はなっていたのだ。

 そして万音から振られた話題は管理人との猛勉強の件。

 入学前に何の気なしに播凰が出した話題だが、その時はそれはもう万音は食いついた。参加したいと駄々をこねた。だが、結局は実現しなかった。

 なぜか。理由は他でもない、管理人が拒否しただけの話である。

 

「……少し聞きたいことがあるのだが、よいか?」

「なんだ、珍しい」

 

 取り敢えずその話題は今はいいと、本題を切り出そうとすれば。

 未だ不服げでありながらも、万音は播凰の顔を見た。

 

「天能の性質が不明と計測されたのだが、何か知っているだろうか?」

 

 それとなく、と確かにジュクーシャは言ったが。そんなの欠片もないほどの直球である。

 さもありなん、播凰にそんなことをできる話術はない。聞くのであれば、聞く。播凰の中にあるのはそれだけだ。

 

「それを余に聞いてどうする?」

「分かることがあれば、教えてほしい」

 

 視線が、交差する。静寂は僅か、朝風が二人の間を吹き抜けた。

 

「知らんな」

 

 素っ気無い返答だった。

 だが、期待はしないよう忠告されていたため、大きなダメージはなかった。

 そうか、と播凰は短く礼を述べて、歩き出そうとするも。

 

「まあ、待て」

 

 待ったをかけたのは、万音。

 彼は、両腕を広げると、大仰にポーズをとった。

 

「貴様は天能に執着しているようだが。余から言わせれば、この世界にはそれよりも面白いものが他にもある。例えば、そう――配信者たる余の、大大大魔王動画がな!!」

「そうさな……確かに天能だけでなく、この世界には私の世界になかったものがたくさんある。うむ、感謝するぞ」

 

 播凰は、確かにといったように笑うと。

 待っていた毅と合流し、学園へ足を向けるのだった。

 

 

 

「――無知とはいえ、大魔王ともあろう余が、侮られたものだな」

 

 その、小さくなっていく背中を。暫くポーズをとったまま見ていた万音。

 しかしその胸中は何の感慨も抱いておらず、フンと鼻を鳴らす。

 

「そして、甘い。嘗て何度も余の前に立ったあ奴(・・)のように、皆が皆、誰かの力となるために動くとは思わぬことだ」

 

 次いで、ようやく馬鹿みたいなポーズを止めると。

 まるでここにいない誰かを懐かしむように。空を見上げ、その誰かに思いを馳せて。

 

「……しかし、成る程成る程。計測不明とあれば、凡庸なものではないと思ったが、これは」

 

 独り言ち、まるで納得するように頷くその姿は、何を見たのか。

 それを答える者は、ここには――。

 

「――視ましたね、一裏さんー?」

 

 いつの間にか、彼女が。管理人がそこに、立っていた。

 竹箒を手に、笑顔で。いつからか、立っている。

 

厳密には(・・・・)ルール違反とならぬはずだぞ、管理人たん」

「はいー。それはおっしゃる通りですー。しかし、あまり褒められた行為ではありませんねー?」

「不明と聞いたので、つい気になってしまった。後は、余がその程度(・・・・)をどうにもできぬと本当に思われたゆえか。……だが、余が本気となれば住人全員を視ることも不可能ではないだろう。それをしていないだけ、許していただきたい」

「仕方ありませんねー」

 

 突如割り込んだ声を、しかし万音は驚き一つなく受け入れていた。

 むしろ平然と声をかけ、言葉を交わしている。

 

「器を計りかねていたが、まあ凡俗の類ではないようだな。となれば、さて。余の、大大大魔王軍の配下に相応しいか、見定めるのみか」

「……その配下っていうのは、あれのことですよねー?」

「流石は管理人たんっ! そう、余の動画のリスナーよっ!!」



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17話 お昼休み

 一縷の望みをかけてであったが、結局、万音との会話で状況が好転することはなかった。

 己の性質は、言葉通り不明のまま。解明の糸口すら掴めていない。

 だが、何も収穫がなかったかというと、そうでもなかった。

 

 ……言われてみれば、その通りかもしれぬ。

 

 天能に執着している。成る程、的外れな指摘ではない。

 学園までの道のり、播凰は万音に言われたことを頭の中で反芻していた。

 

 待たされた分、落胆が大きいのは事実。そもそもが、この世界には天能目的で来たわけで。そのため、完全に吹っ切るというのは難しいだろう。

 しかし可能性の芽が潰えたわけではないのだ。時間をかければジュクーシャも可能とは言っていたし、教師である紫藤も想定外ではあったのだろうが対策がないと断言はしていない。

 望みが絶たれたわけではなく、お預けになったと思えば、まあ。

 

 そう考えれば、気分は軽くなった。

 それに、こうして学び舎に通うのも、また新鮮な体験だ。

 

「――さん? 播凰さん?」

 

 播凰が思考から意識を浮上させれば、隣を歩く毅から名を呼ばれているのに気付く。

 

「ああ、すまんな。どうした、毅?」

「今日のお昼、よければ学食に行ってみないっすか? 東方第一の学食、高いのもあるみたいなんですが、安くて美味しいメニューも結構あるらしいんすよ!」

 

 本当に入学できたのが夢みたいっす、と一人で盛り上がっていく毅。まあ、金欠の彼にとって安いというのは重要なのだろうが、学食に喜んでいるのか、それともその選択ができることに喜んでいるのか。

 対して、播凰はその盛り上がりに同調することはなく、単純に疑問符を浮かべる。

 

「学食? お店か何かか?」

「学園にある食堂っすよ!」

「ほう、学び舎の中にそのようなものもあるのだな」

 

 驚き半分、感嘆が半分。広大な敷地とは思っていたが、そのような施設もあることに、播凰はしみじみと呟く。

 と、そこでふと思い出した。

 

「……そういえば、今日から昼食の用意が必要だったな。うっかりしておった! よいぞ、楽しみだな!」

「楽しみっすね!」

 

 入学式の翌日ではあるが、本日から早速授業は開始。

 そのため、昼食が必要だったのだが、昨日は衝撃が大きすぎて普通に忘れていた播凰なのであった。

 

 

 

「お、終わったか……」

 

 午前最後の授業終了を知らせるチャイムが鳴る。

 教師が教室から出ていく中、播凰は机に突っ伏して呟いた。

 

 とはいえ、播凰からすれば、まだ耐えた方である。

 勉強に関しては得意ではなく、むしろ苦手。加えて、端末を用いての授業であるが、そちらも完全に慣れたとは言い難い。

 管理人との勉強会がなければ、恐らく即死であった。

 

「播凰さん、学食行きましょう、学食っ!」

「……うむ」

 

 何もなければ、そのままあと数分はぐでーっとしていただろうが。

 毅の溌剌とした声に促され、播凰はのそりと上体を机から起こそうとして。

 

「……少し待ってくれ」

 

 起き上がれず、結局もう少し突っ伏し。

 勉強会を共にし、播凰が勉強を苦手としていることを知っている毅は、苦笑してそれを待った。

 

 播凰が顔を上げた頃には、教室内は何人かで固まってお弁当の包みやパンの袋を開けているグループに、一人で食べている者がいるくらいで、およそ半数は席を外していた。

 

「待たせたな、では参ろうか」

 

 播凰はぐぐっと伸びをすると、立ち上がり、毅を伴って教室を出る。

 学食は教室のある棟とは別らしく、一旦建物の外へ。

 昼休みは全生徒共通の時間であるため、そこそこの人通り。

 よく晴れて心地よい気候であるからか、外で食べようとベンチや段差に腰を下ろして昼食を広げている生徒もいる。

 

 殺伐とした雰囲気はもちろんなく、和気藹々とした平和な空気だ。

 

「あ、そうっす、播凰さん。ここは学食が二つあるみたいなんすけど、今日は中央食堂って方に行こうと思うっす。そっちで大丈夫っすか?」

「うむ、毅に任せるぞ」

 

 二つあること自体初耳であるし、その二つがどう違うのかも分からない。

 そもそも毅に着いてっている以上、特に意見があるわけでなく。故に、迷いなく快諾する。

 だが、せめて場所だけは見ておこうと、端末から学園のマップにアクセス。

 中央食堂の文字を探せば、なるほど。確かに文字通り、学園の敷地の中心部に近く、中央食堂の記載がある。どうやら、別の棟と繋がってはおらず、独立した一つの建物のようだ。

 

「……ふむ、毅よ。この隣にあるラウンジというのは、また別なのか?」

 

 と、マップを眺めていた播凰は、中央食堂の横にラウンジなる文字を見つけ、毅に問う。

 

「ラウンジっすか……うぅん、飲食を提供するって意味だと、食堂と似たような施設だと思うんすが――」

 

 返答は、どこか歯切れの悪いものだった。

 言い難い、というよりは毅もよく分かっていないような、そんな表情。

 

「そのっすね。昨日色々見てて、それこそ学園の構内マップとかも見たりして色々調べてたんすよ。そしたら、ラウンジはなんでも、生徒の中でも選ばれた人しか利用できないとかなんとかって……」

「ふむぅ、選ばれた人とな?」

「そうっす、なんかそれが暗黙のルールらしいっす」

 

 選ばれた人、という特殊な形容に、聊か播凰の興味が湧いた。

 

「なるほど、行く前に少し覗いてみようではないか」

「うーん……まぁ、いいっすけど」

 

 若干気後れのある毅を引き連れ、中央食堂側の入り口から入るのではなく、その横のラウンジの前を通過するようなルートで歩く。

 マップによれば、二つは同じ建物なので、ラウンジを見てから食堂に行くのも可能だろう。

 そう思い、二人が建物に入ってみれば。

 

 不思議、といえば不思議な光景ではあった。

 がらんとしているわけではない。

 真っすぐ伸びる道、その突き当りには恐らく食堂へと繋がる扉があり。二人と同じようなルートで食堂へ向かおうとする人影も、そう多くはないがいくつかはあるようだった。

 

 が、その挙動、というか様子がおかしい。

 直進の道を、早足で駆けるような集団、もしくは個もあれば。その逆にゆっくりと、それこそ牛の歩むように、非常にのろのろと歩く背中もある。

 しかし、双方に共通しているのが。その両極端な速度となるのが特定の場所で、かつその時に通路の右にちらちらと顔を向け、明らかに気にしているということ。

 それだけでなく時には、何を見たのか男女問わず興奮したように小さく声を上げたり、反応している者もいる。

 

 しばしの間、入り口付近で立っていた二人であったが、建物に足を踏み入れて中程まで歩いた時に、彼らが何を見ているのかを理解した。

 

 天井から吊り下がる、大きなシャンデリア。ゆったりとした広い空間には、瀟洒な白いテーブルが余裕を持って配置され。座り心地のよさと同時に高級感も与えさせるソファーが並ぶそこには、制服を纏った男女が腰掛けて各々自由に過ごしている。

 

 その場所から見えるのは部屋の一部であったが、そんな光景がガラスの扉越しに広がっていた。

 

 ……なるほど、選ばれた人、か。

 

 視界に入った、数人。確かに漂う雰囲気は、そこらの生徒とは一線を画している。

 特に、奥の方に座っている細目の男子生徒。対面の女子生徒と話しつつカップを傾ける彼は、そこそこに骨がありそうだ。

 そんな風に、選定基準は別として播凰が納得するように内心頷いていると。

 

 その細目の彼が、己をじっと見る視線に気付いたのか。カップを置くと明らかに顔を動かし、ラウンジの入り口へと――即ち、そこにいる播凰へと目を向けた。

 ガラスの扉越しに、その視線を受け止める。

 すると、相手は何を思ったのか。にこりと柔らかな笑みを湛えた彼はすっと手を挙げると、ヒラヒラと。こちらに向かってゆっくりと手を振ってきたではないか。

 

 リアクションがあったことに気をよくした播凰は満面の笑顔を浮かべ、ブンブンと。応えるように、大きく右の手を振る。

 

「は、播凰さん、行きましょう……」

 

 その播凰の制服の裾を、グイグイと引っ張る者がいた。

 豪華な内装にへっぴり腰となっていた、毅である。人通りがそう多くないとはいえ、まあ目立つ。

 渋々とではあったが、播凰は腕を下げると、最後にその男をチラリと見る。

 

 細目の男の対面に座っていた女生徒が、いきなり手を振り出した彼の、その向き先を見ようとラウンジ入り口を振り返った時には。

 そこにはもう、誰の姿もなかった。

 

 

「……び、びっくりしたっす。凄いとこでしたね」

「うむ、つまらなくはなさそうであったな」

 

 毅が胸を押さえて息を乱せば、播凰が平然としつつ同意する。

 そんなこんなで、ラウンジの廊下を抜けて、突き当りまでやってきた二人。

 

 扉を開ければ、がやがやとした喧噪が耳を通り抜けていく。

 高い天井に、数人が並んで座れる細長のテーブルがいくつも並び。生徒達は思い思いの食事を前に、その味を楽しんだり談笑したりしている。

 

 おぉー、と二人して感嘆の声を上げた。

 白を基調とした内装は、華やかさという意味では先程のラウンジと比べれば数段は見劣りするものの、清潔感のある開放的な造りとなっている。

 

 食事のメニューは中々豊富なようで、色々なジャンルの料理の食品サンプルや写真が掲示されていた。

 

「播凰さん、何にするか決めました? 決めたら、食券機に並ぶっす」

「……うむ、私はあんかけ焼きそばにするぞ!」

 

 数ある中から吟味すること数秒。注文を決め、毅に促されるまま一つの列に並ぶ。

 やはりお昼時であるからか、そこそこの混雑。とはいえ、列は一つだけでないため、生徒が一か所に集中することはなく。

 そうして、播凰の順番となったのだが――実は食券システムのお店、初めてである。

 

「――で、何をすればよいのだ?」

 

 見慣れぬ機械を前に、播凰は後ろにいる毅を振り返った。

 えっ、と一瞬硬直した毅は、ややあって理解したのか。

 

「……えっと、まずは液晶画面の下にある場所にお金を入れてくださいっす」

 

 うむ、と播凰が千円札を取り出し、機械を見回す。

 そして毅の言う通り、下部の方に投入部分を見つけると、おぼつかない手つきで機械に投入する。

 

「それで?」

「液晶画面を操作して、頼みたい料理……ええと、あんかけ焼きそばでしたっけ? それを探してくださいっす。多分、麺類のとこっすね」

 

 うむ、と播凰が液晶画面を見る。

 そして毅の言う通り、麺類の項目を見つけると、タッチしてあんかけ焼きそばを探し、画面に表示する。

 

「それで?」

「注文のボタンがあるので、押してくださいっす。そうしたら、下に食券が出るので、それを取ってください。あっ、おつりのボタンも忘れずにっ!」

 

 うむ、と播凰が液晶画面の注文を押せば、発券完了と表示される。

 そして毅の言う通り、食券を取り、おつりも忘れずに回収。

 

「ふむ、それで?」

 

 食券を片手に播凰が振り返れば。

 

「――おいおい、さっきから何をちんたらやってんだよ?」

 

 毅が口を開く前に、その一つ後ろから、咎めるような乱暴な声。

 二人の後ろには、長くはないが列ができていた。

 

「す、すいませんっ! 播凰さん、もう終わったんで、列の外で待っててくださいっす!」

「うむ。すまぬな、初めてだった故、手間取った」

 

 悲鳴のような声で毅が謝り、小声で播凰に伝える。

 播凰も播凰で、謝罪の言葉をかけ、声の主を見た。

 

「ん? お前、どこかで……まぁ、いいか。終わったんならさっさとどけよ」

 

 茶髪の男子生徒であった。彼は、播凰を見て一瞬訝しな表情を浮かべたが。

 すぐに興味をなくしたように、吐き捨てるのだった。



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18話 火種

「いただくぞっ!」

「いっただっきまーす、すっ!」

 

 無事、といえば無事に食券を購入して引き換えた二人は、並んだ席を確保し、両手を合わせた後、揃って箸を口の中へと運ぶ。

 

「んー……っ!」

 

 涙こそ流していないが、味わうように一口一口よく噛み締めて喉を鳴らす毅が頼んだのは、ハンバーグ定食。

 些か過剰とも思えるその反応であるが、しかし金欠である彼は食費を抑えるため肉を食べる頻度はそう多くないらしい。

 つけあわせも色とりどりで、メインとなるハンバーグを切れば溢れ出す肉汁。ご飯に味噌汁もついており、次はそちらを頼んでみようか、と思えるほどには美味しそうな見た目である。

 そして播凰が頼んだのは、この世界に来てお気に入りとなった、あんかけ焼きそば。

 野菜たっぷりに細切れ肉も入った餡は、程よい熱を帯びていて箸が進む。

 

「うむ、美味いな!」

「美味いっす! いやー本当、東方第一(ここ)に入学できてよかったぁ……!」

 

 播凰もまた、料理を楽しむように一口ずつ、破顔。

 と、それぞれ注文した料理に舌鼓を打ってから暫くしてのことであった。

 

「――そういえばよ、実は俺、あの星像院麗火と入学試験の実技で同じグループだったんだぜ?」

 

 同じテーブルの、二つ席を空けた隣。

 二人ずつが向かい合って座る、四人組の男子生徒のグループから、そんな会話が聞こえてきた。

 それぞれの前にある食器は空。食後の歓談といったところだろう。

 

「へぇー、マジかよ!? どうだったんだ、あの星像院家の、新入生総代は?」

「流石は星像院って感じだったな。ただ……」

「お、なんだなんだ?」

「ふん、まあ同じクラスなんだ。今後の授業で見れるだろうよ」

「ちぇっ、もったいぶりやがって」

 

 星像院麗火と同じ実技試験のグループ。それはつまり、播凰と毅とも同じグループであったことを指すのだが――残念ながら播凰と毅の意識は、食事に向いている。毅はどうなのかさておき、播凰の耳に届いてはいたものの、あんかけ焼きそばを味わうのに夢中であった。

 

「実技試験っていえば、外部組を見るのは面白かったね。合格して入学してきたのもいるけど、よくもまあその程度で受験できたなってほど低レベルな奴もいてさ。もっとも、内部組の落ちこぼれも、高等部に上がれなかったみたいだけど」

 

 眼鏡をかけた男子生徒が嘲るように鼻を鳴らせば、残りの三人は咎めるどころか同意するように笑い出す。

 その嘲笑が冷めぬ中、その内の一人が思い出したように声を上げた。

 

「そうだ、聞いてくれよ! 低レベルっていやぁ、外部組で馬鹿みたいな奴がいたんだよ」

 

 くつくつと、滑稽でたまらないといったように身体を震わせるのは、先程食券機のところで播凰と毅の後ろに並んでいた茶髪の男子生徒だった。

 

「なんだ、そんなに酷かったのか?」

「酷いの酷くないのって、そんな次元じゃねえぜ!? そいつ、低すぎて計測できないゴミみたいな天能力でよぉ!」

「武戦科ならまだしも、天戦科でか? なるほど、そりゃ馬鹿だ!」

 

 一斉に吹き出し、ゲラゲラと。

 そのことに気をよくしたのか、ニヤリとして畳みかけるように。

 

「しかも、それだけじゃねぇぜ。なんとそいつは――」

 

 他三人が多少なりとも落ち着いて、続きに耳を傾けるのを待ち。

 

「――天能を使えないから、それを学ぶために入学試験を受けにきたんだと!」

「ははっ、なんだそりゃ。絶対嘘だろ」

 

 溜めに溜めた言葉は、しかし彼が思っていたよりも爆発力はなく。先程よりも小さい笑いが生じるに留まった。

 話を盛っていると思われたのだろう。相槌こそあったものの、軽く流される。

 だからだろうか、茶髪の男子生徒は依然にやにやとした表情は保ちつつも、若干ムキになったように、その声には力が籠り。

 

「嘘じゃねえって! 確かに俺も、その場にいなかったら嘘みてえな話だと思うけどよ、本当に――」

「うむ、誠に美味であった! ご馳走様だっ!!」

「――そう、丁度あんな感じでよ! 馬鹿みたいに、大袈裟、な奴、で……」

 

 最後の一口を啜り、満足気に箸を置いた播凰の賛辞。

 それを聞き、釣られたように。同時に、我が意を得たりと振り返り。そしてその顔を見て、驚いたように言葉が勢いを失くしていく。

 

「…………」

 

 遂には、完全に無言となって播凰を凝視する男子生徒。

 聞き手に回っていた残りの面々も、何事かとその視線の先にいる播凰と男子生徒を交互に辿るが、困惑を隠せていない。

 

「テ、テメエ、まさか……実技試験、の時、の?」

 

 彼の腕が持ち上がり、人差し指が播凰に向けられる。

 言葉が途切れ途切れとなっているのは、己の目に映る現実が信じられないからか。

 

 だが、指をさされたことで、料理を食べ終えた播凰はようやくその存在を視界の中央で認識する。

 星像院麗火ほど鮮烈ではなかったが、絡んできた者がいたことは覚えていた。そしてその者が雷の天能を披露していたことも。そして、実技試験という言葉で、記憶と顔が繋がる。

 

「おぉ、お主は先程の。そうか、そういえば、うむ。お主とは入学試験の時に会っているな、雷使いよ」

「……いやいや、おかしいだろっ!? 何でここにいるっ! 何でその制服を着てやがる!?」

 

 怒号、にも等しい声であった。

 先程から騒がしくはあったものの、食堂全体としては彼らと同じように会話しながら席に着いていた生徒はむしろ多かったため、まだ許容の範囲ではあった。

 が、流石にその声量には周囲はもちろん、少し離れている生徒達まで、様子を見るようこちらを窺っている。

 播凰達が教室を出たのが遅かったのもあり、途中寄り道したこともあり。更に言えば、一口一口ゆっくりと時間をかけて食べていたので時間帯的にはピークは過ぎ、食堂内には空席もそこそこ見受けられる。

 だが、まだある程度の生徒は残っており。皆が皆ではないが、この騒ぎは注目を集めていた。

 

「ふむ? 何故もなにも、ここに入学したからに決まっておろう」

「だから、それが有り得ねえって言ってんだよ! あんなの合否以前の問題だろうが!」

 

 不思議そうな表情で冷静に播凰が返せば、ダンッと勢いよく男子生徒が立ち上がり。その全身を戦慄かせ、声を荒げる。

 

「うむ、確かに。なんなら、筆記試験もぶっちぎりの最下位と言われたしな! だが、合格通知が届いたのだ」

 

 それも意に介さず、はっはっは、と能天気に笑う播凰。

 実際、その指摘は正論であった。あれはもはや試験を受けていないにも等しい。

 とはいえ、播凰とて疑問に思っていなかったわけではない。実技試験は言うに及ばず、管理人の言によれば筆記試験も最下位。しかもぶっちぎりと表現されるほど。

 しかし、合格通知が届いたので深くは考えていなかった。もっとも、考えたところで分かるものではなかったが。

 

 あまりにもその姿が呑気であったからか。或いは、その姿を見て感情を昂らせている己が本能的に馬鹿らしく感じたのか。

 

「……最下位と言われた?」

 

 それは定かではないが、彼は突如平静さを取り戻すと、不審そうに播凰の言葉の一部を拾い。

 しばし、何かを考えるように打って変わって黙り込んでいたが。

 

「……いいぜ、だったら俺がテメエに教えてやるよ。ここは、テメエなんぞには相応しくない場所だってことをな」

 

 口の端を吊り上げ、意地の悪い顔をして告げる。

 だが、理解していないように首を傾げる播凰を見て、チッと舌打ちすると。

 端末を取り出し、何かを調べるように手を動かし。

 

「いいね、おあつらえ向きの場所が空いてるじぇねぇか。……おい、今日の放課後、顔貸せや。相手してやっから」

「ほぅ、一騎討ちか!?」

 

 剣呑な雰囲気であるにも関わらず、むしろ期待の眼差しで播凰が問いかける。

 荒事を示唆する言葉から連想したのは、戦い。つまりは、一対一の勝負だ。

 

 怯んだり、躊躇するとでも思っていたのだろうか。それとは正反対の、むしろ気乗りしたような調子の播凰に、一瞬鼻白んだものの。

 しかしすぐさま、はんっ、と鼻を鳴らした相手は。

 

「一騎討ちだ? のぼせあがるんじゃねえ、身の程を思い知らせてやるって言ってんだよ」

 

 食器の乗ったお盆を持ち、連れの三人に目配せ。

 彼は最後に播凰を一瞥すると。

 

「16時に、第三グラウンドだ。まぁ、尻尾巻いて逃げても構わねぇけどな」

 

 煽るように、吐き捨てるように。食堂を去っていくのだった。

 

「……は、播凰さん」

 

 すぐ隣に座っていたものの、ほとんど空気であった毅が、恐る恐る声をかける。

 腕を組み、難しい顔をしている播凰。こんなことになったのだ、それも仕方ないと毅は納得する。

 だが、その播凰は振り返って一言。

 

「――放課後、また呼び出しを受けていたのを忘れておった」

 

 ううむ、と困ったように唸る播凰を前に、毅は無言にならざるをえなかった。

 

 

 

 食堂にて男子生徒に指定された16時というのは、放課後すぐというわけでもない。

 ここ東方天能第一学園では、学生同士、或いは個人の自主的な研鑽も教育の一環としているようで、放課後もある程度の活動ができるように時間が確保されている。

 それを補助するため、放課後も施設は基本的に解放されており。図書室等の予約が不要な施設もあれば、昨日利用した天能計測室やグラウンド等の端末からの事前の予約が必要な施設もある。

 

 試しに第三グラウンドの予約状況を見てみれば、放課後すぐの時間は埋まっていた。そのため、あちらは放課後すぐを指定できなかったのだろう。

 そしてその状況は、播凰にとって都合がよかった。

 

 本日紫藤から届いた連絡の内容は、今度は教員室への呼び出しではなく、天能計測室に放課後すぐ来るようにとのこと。

 戦いの方の約束の時間まである程度の余裕はあるが、長くなるようなら事情を話して切り上げてもらわなければならない、と考えつつ天能計測室に到着する。

 なお、戦いの方の約束に行かない、という選択肢は播凰の中にはなかった。

 

「……来ましたね」

「うむ、今日もよろしく頼むぞ」

 

 天能計測室の入り口横、壁にもたれたりすることなく背筋を伸ばして立っていた紫藤は、やってきた播凰にチラリと視線を寄越すと言葉短く扉を開けて入っていく。

 播凰が続けば、目に入るのは当然昨日と同じ光景。だが、明確に異なることが一点。

 

「あら、教師の方がいらっしゃるとは珍しい」

 

 入室した二人を、カウンター越しに出迎えたのは中年の女性職員。

 

「ええ、まあ新入生の付き添いですが」

「新入生ですか? まあ休み明けですから、この時期は結構利用する子達は多いですけども」

 

 会話しながら設置された機械に紫藤が端末をかざし、職員の方は対応しながらも興味深そうに連れられた播凰を見ている。

 

「はい、では2番の部屋で」

 

 確認が終わったのか、紫藤が行きますよと播凰を促す。

 そして昨日は1であったが、今日は2と書かれた紙の貼られた小部屋へ。

 

「して、此度もここに訪れた理由は何であろうか?」

 

 開口一番、播凰が紫藤に問うたのはそれだった。

 見たところ、同じ機械が鎮座しているのも変わらず、他には何もない。

 計測が終わっていて、なお同じ施設に来る意味とは。

 

「そうですね。まず、念のためにもう一度計測しておいたほうがよい、というのが一つ。もっとも、結果が変わることはないとは思いますが」

 

 その質問に、紫藤は特に気分を害した様子はなく。

 彼女は播凰に向き合うと、腕を組む。

 

「そしてもう一つは、ここであれば人目につかず、他の誰かに聞かれる心配がないことですね。なので、こちらで押さえてしまいました。学園が再開するこのような時期は、一時的に利用者が増える傾向にあるので」

「ふむ、なるほど?」

「ということで、もう一度計測してみてください。やり方は覚えていますね?」

 

 うむと自信満々に頷き、パネルを操作した後、機械の中へ。

 単純だったというのもあるが、一度やったのもあり、記憶が新しいこともあり、そこまで手間取ることなく計測を終える。

 

 出力された結果は、やはり同じであった。

 性質には相変わらず、不明の二字がはっきりと表示されている。見れば気が滅入るのは変わりないが、二度目ともなれば衝撃は少ない。

 そして、昨日はそればかりに気を取られていたのだが。よくよく――いや、よく見なくとも画面には他の項目も存在していたことに今更ながら播凰は気付いた。

 が、それに目を走らせる前にモニタの表示が消えてしまう。

 

「性質の他に項目があったな。あれはなんだろうか?」

「……説明があったと記憶していますが、個人の情報は端末から確認することができます。それはここで計測した結果も同様です」

「おお、そうだった、そうだった!」

 

 言われてみれば、端末を受け取って諸々確認していた際に、目にした記憶があった気がする。

 他にも各教科の成績だったりとかそんなものも見れるのだとか。そしてその情報は、本人は勿論、他は権限がある人にしか見れない。故に、例えば毅の情報を播凰が見ることはできないわけだ。

 

 紫藤の返事を受け、いそいそと端末を取り出して操作しようとする播凰であったが、しかし。それを咎めるように、こほん、という咳払い。

 

「ですが、今日はそのような話をしに来たのではありません。それは後で一人で確認してください」

「うむ、了解だ。そういえば、私もこの後用事があるのでな!」

「そうですか。でしたら、猶更手短に。君の天能の性質について、そして今後の授業についてです」

 

 静かに聞く態勢に入れば、紫藤は播凰の目を見る。

 

「まず、性質が不明ということについて。俄かには信じ難いですが、これは、この機械では判断できなかったということ。要するに、こちらに登録されていない程に希少な性質である可能性が高いということです。例えば、特定の一族のみに継承される特別な性質等は、その存在自体は認知されていてもこちらに登録されていないことがあります。そのため、仮にその一族の人間が計測を行えば、同じように不明と結果が出るでしょう」

「なるほど、この機械も万能ではないということだな」

「……まあ、その認識で概ね問題ありません。そしてここからは提案ですが、私の知己に探知の性質を持つ者がいます。その者であれば、恐らく君の性質を探り当てることができます。その方法でもよければ、頼んでみることも可能です」

 

 その提案は、渡りに船であった。

 ジュクーシャに聞いていた、手段の一つ。それがあるなら選ばない手はない。

 

「誠か! であれば、是非お願いしたい!」

「分かりました。ただし、近くにいるわけではなく、あちらも忙しいでしょうからすぐには叶わないかもしれません。それは理解しておいてください」

 

 喜び勇んで播凰が同意すれば、紫藤は一つ頷いたものの、補足を添える。

 とはいえ、すぐにでも己の性質について知りたい播凰である。

 

「ふむぅ、こちらから出向いても難しいのだろうか?」

「そもそも、何処にいるか、というのが分かりません。あちらの仕事上、守秘義務があるので……日本なのか、下手したら海外にいることもあり得ます。私が今できるのは、彼女の所属する組織に本人宛の文を送ることぐらいです。……では次に、今後の授業に関して」

 

 残念そうな播凰であるが、構わず話題は次に移る。

 

「本来であれば、授業までに天能術を使えるようになっているのが望ましかったのですが、状況が状況です。幸い、私は天戦科の一年生の実技系の授業を担当する一人ですので、それを踏まえて動くこともできます。他の先生方にも、一応の納得(・・・・・)を得られる程度にはなんとか伝えておきますので、そこはフォローはできます。とはいえ、天能が使えないことにはまともに授業が受けられないことに変わりありませんが」

「まあ、そうなってしまうか」

「そして君は、その事実(性質不明)を信用できる人間以外には誰彼構わず喋らないように。いいですね?」

「……む? よく分からんが、承知した」

 

 だが、こちらの話はすぐに終わった。

 最後に、何か質問はあるかと言われた播凰は、暫し考え。

 

「質問ではないが……第三グラウンド、とやらまで案内してもらえないだろうか? この後、戦いの約束をしていてな」

 

 眉を顰め、何を考えているんだと頭に手を当てる紫藤の深い溜息が、室内に響いた。



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19話 覇王の初陣

 東方天能第一学園、第三グラウンド。

 時に授業での実技の舞台として。時に放課後での生徒同士の研鑽の舞台として。更には、時として試験の舞台としても活用されるその場所は。楕円形のフィールドに、それを囲むように広がる二階建ての観覧席という構造の、それなりの大きさを誇る施設である。

 

 そして今、この場において土が敷き詰められたフィールドに立つのは、たったの二人。

 

「ふん、逃げずに来たことだけは褒めてやるよ」

「なんの! 一騎討ちなど久方ぶりでな、むしろ気が急いておったわ。そうでなくとも、挑まれて逃げるなど有り得ぬ故!」

 

 挑発か、皮肉か、本心か。少なくとも悪意には違いなく、軽薄そうに、それでいて見下すようなせせら笑い。

 それに応じるは、調子が外れているような、なんというか。悪意に気付いていないのか、はたまた気付いた上でなのか、吹き飛ばすような弾ける笑い。

 

矢尾(やお)ー! 折角グラウンドを予約したんだ、そいつを適当に片付けて、とっとと有意義に使おうぜー!」

 

 一階の観覧席部分、手すりにもたれかかっているのは、三人組の男子生徒。

 彼らからの声援、というには微妙な後押しを受け、フィールドに立つ矢尾と呼ばれた男は。了解とでも言うように片手をヒラヒラさせる。

 

 そして、声こそ出していないが。同じく一階の観覧席の隅、目立たぬ場所に、晩石毅の姿。

 こちらは心配そうに、恐る恐るフィールドの行方を見守っている。

 

 そんな光景を。彼女――星像院麗火は、観覧席の二階から見下ろしていた。

 だが、部外者という意味では彼女に限ったことではなく、ちらほらと。一階、或いは二階の席に座ってフィールドを眺めている人影が数えられる程度には何人か。

 

 こういった観戦のスペースがある施設では、観覧席にいるだけであれば予約は不要。あくまで予約は利用するフィールド部分であり、そこで何が行われているのかは見ることができる。利用者側は、それを理解した上での使用となるわけだ。

 今でこそ、観覧席は閑散としていてほとんどが空席であるが。例えば実力者同士の対決などであれば、どこからか話を聞きつけて観戦しようと生徒達が押しかけて席が埋まることがあるらしい。

 とはいえ、それは時間を割いてまでも見る価値があるためであって、無名ないし多少知られている程度の実力であれば、人が集まることはそうないだろう。単純に、それであれば自己研鑽に時間を費やした方が有効的だからである。

 加えて、新入生にとっては入学式を終えてまだ一日。在校生にとっては、学期が再開しての登校初日。だからこそ、今この時期は施設の予約を当日でも取りやすく、まだ活発に自主的に動く者は比較的少ないと考えられる。

 

 そのためこうして集まるのは利用者の知人や関係者を除けば。気まぐれで目的のない野次馬のような者だったり、個人的に観戦に価値を見出した者となる。

 今回の対戦カードに興味を持つ契機があるとすればそれは、食堂での一騒ぎから話のタネにはなるかと足を運んだか、クラスで矢尾達が話をしていたのを聞いたか、程度のものだろう。ちなみに麗火は後者であった。

 

「さて、そんじゃサクッと終わらせるか。……ああ、その前に。俺は、矢尾。矢尾直孝(やおなおたか)。天戦科の上位で構成される、E組だ。テメエみたいな奴には勿体ないが、特別だ。記念に教えといてやるよ」

「うむ、一騎討ちといえば、名乗りよな!! 私は――」

「いらねえよ。テメエ、実力も無しに入れたってことは、要はそういうことだろ(・・・・・・・・)。気に入らねえ、聞く価値も無い」

「そうか? むぅ、それは残念だ」

 

 ……相変わらず、読めない人。

 

 広大な施設ではあれど、人も少なく喋っているのが彼らだけというのもあって、やりとりがここまで届き。麗火は表情を変えずにフィールドを見下ろし続ける。

 矢尾の方は、単純だ。クラス分けにおいて、成績上位者から若い組――つまりEからHの四クラスある天戦科ではE組が最上位クラス――となる仕組みが存在する以上、同じ組でない生徒は下であることが確定。加えて言うならば、相対するは天能術すら使えない相手。見た目通りの傲慢さがあり、侮っている。

 まあ、それを矢尾が他者に聞こえるのも構わず喋っていたために、その特徴に心当たりのあった麗火が対戦相手に気付き、観戦を決めるに至ったわけだが。

 

 翻って、そんな矢尾に対峙する生徒の彼――三狭間播凰は。

 萎縮するどころか、あくまでも自然体。一片の好意すら向けられていないのに、実力差は明白であるはずなのに。子供のように口を尖らせ、それでも尚笑っている。

 

 と、矢尾の方が自身の天能武装を顕現させた。武装タイプは、杖。奇をてらわず、天能術を主とする天戦科としてはありふれているが、それでいて当然といえば当然の選択。

 一方の播凰はといえば、それを見て何やら感心したように頷いているが……それだけ。何もアクションは起こさない。

 ややあってしびれを切らしたように、矢尾が苛ついた口調で咎める。

 

「何、ぼーっとしてんだ。いくら天能術が使えないにしても、天能武装くらいあるだろうが。とっとと出せや」

「む、無いぞ! というか、それは何だ?」

 

 開いた口が塞がらない、とはこのことだろう。

 

「……そういえば、ふむ、入学試験の時から気にはなっておったがうっかり忘れていた。しかし、ジュクーシャ殿はそれに関して特に何も言っていなかったからな……」

 

 ボソボソと何やら続けているが、そんなものは耳に入らない。

 流石に大口を開けて間抜け顔を晒したわけではなかったが。

 これには麗火も無意識に小さく口を開き、驚きを露わにしてしまう。

 

 束の間の静寂。

 刹那、だははっ、と下品な笑いがグラウンドに木霊する。

 

「おい、矢尾! そいつ面白いじゃんか、ちょっとは手加減してやれよー!!」

 

 腹を抱え、涙すら流し。矢尾の連れ達は笑い転けている。

 少ない観戦者からも上がる、困惑のざわめき。

 

 それはそうだ。戦いの場において、武器が無いと宣言しているに等しいのだから。

 そうでなくとも、壊れたというのを除けば天能武装を所持していない人間など、彼以外ではこの学園には存在しないと言っていい。それは中等部も高等部も変わらない認識に違いはない。

 しかも、知らないときた。それを冗談ととるか、真実ととるか。

 恐らく、天能術を使えないというのを話半分に聞いていた者達は、これで多少なりとも理解しただろう。真偽は別として、三狭間播凰の、その異常性の一端(・・)を。

 

「……テメエ、ふざけやがって。いいぜ、なら精々、無様に逃げ回るんだなっ!」

 

 ギリ、と矢尾の手中の杖が強く握りしめられる。

 プルプルと怒り――いやあれは恥辱だろうか。それは当人にしか分からぬが、彼はギン、と播凰を睨みつけ、吼えた。

 

「――雷放(らいほう)五連矢(ごれんや)!!」

 

 放たれるは、ランクにして初級。だが、己の性質を矢のようにして放ち、発動者の天能力や力量に応じて、その数、軌道をも自在に操ることのできる天放属性のその術は。天能術を使う殆どの人間にとって馴染み深い術の一つでもある。

 

「…………」

 

 雷光を纏った五つの矢。一直線に自身へと迫るそれを眼前にしても、播凰は不敵な笑みを浮かべたままに顔色一つ変えない。顔色どころか、立ち姿さえも、両腕を組んだまま動こうとしない。

 

 一体何を、と麗火が目を細めて注視する中。

 五の矢は狙い違わず、播凰の身体に吸い込まれた。

 光が炸裂し、立ち上がる土煙。

 

「ふん、避けるならまだしも、ビビッて動けねえとはな。これじゃ、ただの的を相手にしてるのと変わんねぇじゃねーか」

 

 それを見届けた矢尾は、心底つまらなそうに吐き捨てると。

 自身の術の直撃を受けたであろう播凰に、侮蔑の視線を向け。

 

「おら、これで分かっただろうが。ここは、テメエ程度がいていい場所じゃ――」

 

 言葉が止まる。

 土煙が晴れ、明瞭になった視界の先に、それは立っていた。

 倒れるどころか、膝をつくどころか。数瞬前と変わらない姿勢の、仁王立ち。

 

 躱したわけではない、というのは制服の損傷具合を見れば分かった。

 青緑色を基調とした東方第一の制服は、鍛錬や戦闘にも活用できるよう、ある程度の防御力や耐久性というものを備えている。しかし当然、完全に着用者を防護するわけではなく、あくまでも軽減。衝撃は通すし、よほどの低威力でもなければダメージは必至。

 

 それを踏まえて三狭間播凰の制服を見れば、焦げたように一部変色はしている。

 ということはつまり、間違いなく攻撃は当たっている。

 

「チッ、だったらこれで終いだっ!! ――雷放(らいほう)降落響鳴(こうらくきょうめい)っ!!」

 

 復帰は、存外早かった。矢尾は、両足を踏みしめて大地に立つ播凰の姿に一時は硬直したものの、すぐさま気を取り直し、次なる術を発動する。

 それは、雷らしさを体現した術といっていい。相手の頭上から、どこからともなく現れ束となった雷撃が降り注ぎ、牙を向く。

 

 その、直前。

 確かに、播凰が顔を上げて、上空を見た。

 

 ――ズガァァンッッ!!

 

 響く雷鳴。回避の猶予があるとしたら、それは発生から僅かの間。

 だが、またしても播凰は回避行動に移る素振り一つなく。雷撃はその身体を貫き、グラウンドの地面が爆ぜる。

 

 だが、倒れない。必死に踏み止まったわけでもない。

 見紛うことなく打ちぬかれたというのに、体の重心が傾くでもなく、ぐらつきすらしていない。

 

「……なるほど。こういう感じか」

 

 むしろ、普通に喋れるほどに意識がはっきりと。彼は己の身体を見下ろし、何かを確認するように右手を握っては開き。

 そうして、すっと矢尾を正面に見据えた。

 

「今のは、お主が入学試験で見せていた技だな。いや、雷に打たれるというのは新鮮だった、感謝するぞ!」

「……っ! クソが、無駄に頑丈な体力馬鹿か!? だったら、ズタボロになってからそれを後悔しやがれっ!!」

 

 自信のあった攻撃すら防がれ――否、何事もなかったかのように流され。

 それどころか、礼を述べられる始末。仮に悪気がないにせよ、これ以上ない煽り。

 

 矢尾は、二つの術を受けてなお、苦悶の声を上げない播凰の様子に暫し呆けていたが。

 そんなものを聞いてしまったものだから、激高して。

 

「――雷放(らいほう)五連矢(ごれんや)!!」

 

 放たれるは、再びの雷の矢。

 言った通り、ズタボロにする作戦――もとい、攻撃を当てて削ろうという腹積もりだろう。

 狙いは、分からなくもない。制服の損傷から見て直撃は確実。であれば、瘦せ我慢しているという線も否定はできず、攻撃を受け続ければ当然ダメージも蓄積する。

 

 播凰めがけて殺到する、五本の矢。

 それは、この戦いの始まりの一撃を再演するかに思われたが。

 

「――ただの的と変わらん、と言ったな。確かにその通りだ」

 

 歩いて前進。からの、横にたったの一歩。

 それだけで、雷の矢は播凰の横を抜け、背後で虚しく着弾する。

 

「調子に乗るんじゃねえ! だったら、こうだっ!!」

 

 ――雷放・二連矢。

 ――雷放・三連矢。

 

 最初に二発、続けて三発。

 術自体は先程と同じだが、矢の本数を変えていることから威力という点では正確には異なる。

 だが、それだけではない。

 

「……態度は別として。流石は名高き東方第一、と言うべきでしょうか」

 

 まず、別々に放つことで着弾の時間差、つまり攻撃間隔のずれを生み出し、相手の行動をある程度制限しているのが一つ。

 そして計五発の矢は、それぞれ別の軌道を描いて播凰に向かっている。愚直に一直線な、攻撃のラインが読みやすかった今までとは違う。それでいて、仮に先発を避けたとしても、次発が回避先を仕留めようとするだろう。

 

 術自体を発動させることができても、制御をできないというのは充分にある話だ。発動自体は成功しても、例えば見当違いの方向に飛んでいったり、術の速度が遅かったりで苦戦する人というのはさほど珍しくない。

 今の攻撃を見ても、先程からの攻撃を見ても。相手の位置に正確に狙え、一瞬でこそはないにせよ中々の速度がある術。

 

 入学試験の実技で同じグループだったからか、それともクラスメートであるからか、気安く麗火に話しかけてくるが。

 それを抜きにすれば、同年代としては確かに実力がある方だと言えよう。

 

 ……本来であれば、天能術で迎撃するのでしょうが。

 

 とはいえ、対処が難しいというわけではない。

 無論、その程度は麗火もできる。こちらも天能術を放ち、相殺してしまえばよい。まあ、威力の差によっては相殺しきれないこともあれば、逆に相手の術を破ってそのまま攻撃に転じることもあるが。

 

 本来であれば。それが天戦科の戦い。天能術を用いた戦いというものだ。

 だが、三狭間播凰は、天戦科であるはずの彼は。

 

 左右中央から迫り来るそれ(雷の矢)を見て、ふっ、と軽く笑ったかと思うと。

 飛び退ったり、駆けだしたりと大きな動きを見せず。前に歩きながら、危なげなく。

 最初の二本、次の三本を、ただの足さばきと身体の捻りという、最小限の動きで躱してみせた。

 

 麗火は僅かに瞠目し、同時に納得がいったように小さく頷く。

 

 ――やはり、何かあるのでしょうね。

 

 実のところ、天能術を使うということは、そう難しいことではない。

 無論、難度の高いものは別だが、初級の術程度ならば個人差こそありさえすれ、そう何日何十日とかかりはしない。

 にも関わらず、使えないというのはどういうことか。

 そして、そんな状況でありながら、何故天戦科として入学を許されたのか。

 

 それが、自分と同じで特殊な事情を抱えているのか。或いは、後ろ暗い何かがあるのかは分かるまいが。

 

 麗火が視線を外し、ちらと横を向く。

 その先では、教師である紫藤が難しい顔をしてフィールドを見下ろしていた。



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20話 異端の者

「んなっ……テ、テメエ、仮にも天戦科だろうが!? 武戦科みてえな動きをしやがって!」

 

 抗議とも難癖ともとれる矢尾の動揺した声が、第三グラウンドに反響する。

 眼前の光景は完全に予想外だったのだろう。戦いが始まる前の余裕はどこへやら、その顔に浮かんでいるのは焦燥。

 

 ……全くもってその通りです。

 

 声にこそ出さなかったものの。二階部分から観戦していた紫藤は、心の中でそれに同意した。

 とはいえ、天戦科同士での戦いとて、その身一つで相手の攻撃を回避するということがないわけでもないが……仮に武戦科の生徒であったとしても、全員が全員、ああも鮮やかに躱すことはできないだろう。

 所謂、避けやすい天能術を躱したのとは訳が違う。威力はそれほどでもないが、スピードは遅くなく、時間差かつ小回りが利く矢の連撃。

 それを、一度だけとはいえ。初見でありながら、恐らく完全に見切っていた。

 

 ただし、武戦科ならともかく、天戦科の新入生として見れば何とも評し難い。

 矢尾の指摘は正しく的を射ているため、学園の教師として、それも入学試験に関わった教師である紫藤にとっては耳が痛いものであった。

 

 そもそも、天能術が使えるという入試要項に(・・・・・)書くまでもない(・・・・・・・)大前提すら満たしていないというのはさておき。

 東方第一高等部の天戦科の入学試験で評価されるポイント、求められるものというのは。

 言うまでもなく、天能術。具体的には、発動速度に、術自体の速度に威力、そして精度。天能力も高ければプラスとはなるが、まずそこで線が引かれる。これは、基礎を高める中等部での学習内容の成果を披露すると言い換えてもよい。

 それすら満足にできないのであれば、次の段階、即ち戦闘に進むには難しい。対峙する相手は当然動けば、攻撃も仕掛けてくる。術の制御がままならない者がまともに戦えるわけもない。

 よって、戦闘技術に関しては二の次。中等部では全く戦わないというわけでもないが、年代的にそちらは高等部からメインで教えることとなる。

 

 故に天戦科の実技試験は、己が最も自信のある一発を披露すること。

 これには、試験という通常とは異なる状況下においても変わらず能力を発揮できるか、という点と、一発という限定された機会で何を選択するかを見る意味合いも含まれている。

 保険として、受験生が事前に提出する映像も採点対象とはなり得るが、篩にかけるのは披露した天能術。

 よって、三狭間播凰という生徒は。本来であれば間違いなく落第だ。それは疑いようもない。

 

 そもそも、戦いとして成立しないはずなのだ。

 例えるなら、それは歩兵が無策のまま弓兵の射線に出るように。または、銃撃戦の最中に丸腰で銃口の前に姿を晒すように。待ち受けるのは、一方的な蹂躙である。

 だからこそ、戦いの約束があると聞いた時は、一度は止めた。だが――。

 

 ……やはりあれは、まぐれではなかったということですか。

 

 眼下にて、再び苦もなく雷の矢を躱しながら前に進む播凰の姿を見て、紫藤は脳裏に思い浮かべる。

 入学試験、その実技を披露する場にて。教師である縣の、それも天能術を行使した状態での動きを播凰が止めた時のことを。あの奇妙な感覚は今でも覚えている。

 

 だが、天戦科は天戦科。天能術を主とした、中、遠距離での戦い。

 それに変わりはなく、いかに接近戦で才覚を示そうが天能術が優れていなければ意味がない。

 その、はずなのだが。

 

 状況は変わった。

 表向きには変わらず――というより現状ほとんどの生徒は天能術の使えぬ新入生(播凰)の存在を知らないだろうが――のままであるが、

 今はまだ公になっていない、性質が不明という点。性質の強弱は関係なしにそれは、希少であり貴重。それが全くの未知なのか、過去の書物等で存在自体は確認はされているものの現代では廃れたものなのか。そのどちらであっても、稀有な事例であることに変わりはない。

 よって、少なくともそれを理由とすれば名分は立つ。天能術のレベルが低い――無論使えないも含まれる――生徒の入学を許可したことへの異論が出たとしても、譲歩を引き出させる程度には意味を持つ。

 

「思えば、学園長の反応も妙なものでした」

 

 その事実が発覚してすぐ、辛うじて冷静さを保っていた彼女が足を運んだのは学園長のところ。

 なにせ、事が事だ。自身の判断でどうこうの問題ではなく、上位者に判断を求めるのは自然なこと。

 

 そして紫藤から、播凰の性質が不明であったことを聞いた学園長は。最初こそ黙り込んでいたが、どこか納得したようにあっさりと。それこそ、疑いの言葉一つなくすんなりと受け入れたのだ。

 もしも逆の立場で、紫藤が報告を受けた側だったとしたら少なくとも一度は耳を疑い、確認するであろう程に現実味のない事態にも関わらず。

 

 学園長がそれを知っていたのか、或いは見越していたのか。それは、はぐらかされたが。

 今は無闇矢鱈に喧伝すべきではない、と釘は刺された。結果、紫藤の個人的な伝手を使って調べてもらうという形に落ち着いたわけである。

 

「妙に戦い慣れしていそうなことは気になりますが……」

 

 無防備に受けたのは謎だが、攻撃に対する耐久力。相手を怖れず進み、冷静に対処する見切り。

 前者はまだしも、後者は土壇場でどうこうなるものでもない。とはいえ、あくまでそれは戦闘を有利に進める要素とは成り得ても、決定打とは成り得ないわけで。

 はてさて、と紫藤が見守る中、戦況が動こうとしていた。

 

 

 

「――くそっ、何で当たらねえっ!?」

 

 晴天に迫る、雷。

 人によっては顔を青ざめさせるであろう景色だが、しかし播凰は顔を綻ばせて一歩ずつ、さながら障害のない平野を進むように前へ歩く。

 

 ……やはり、天能術は面白いな!

 

 自然の雷でないとはいえ、雷は雷。避けるのも勿体なく試しに受けてみれば、今までに経験したことのないピリッとした感覚で、気分は高揚した。

 もはやご満悦、ルンルン気分である。加えて久しぶりの戦い、一騎討ちというのもそれに拍車をかけていた。

 

 次々と放たれる雷の矢を、躱して躱して、躱す。

 当たっても問題はないことは確認したが、それでは芸が無い。

 過去には、視界を埋め尽くさんばかりの矢の雨に降られたこともある。いかに変則的な動きをしようと、片手で数えられる程度を避けるのは容易く、それはそれで楽しかったのだ。

 

「ちょこまかとうざってえ! だったら、こいつだ!」

 

 そうして、半分ほど距離を詰めた頃だろうか。

 ヤケになったように矢を連発していた矢尾の攻撃が、突如止まった。

 む、とその言葉から別の何かが起こることを期待し、播凰の足も止まる。

 

「――雷介(らいかい)雷鎖ノ檻(らいさのおり)っ!」

 

 頭上から雷が降る、というところまでは、先程矢尾が見せた術である雷放(らいほう)降落響鳴(こうらくきょうめい)と同じであった。

 だが、そちらはそのまま雷撃が一直線に降り注いで敵を襲う、天放属性の術であったのに対して。

 今しがたの天介属性の術は、雷が宙で四つに分裂し播凰を囲うように地面に向けて迸ったかと思えば。次の瞬間には、雷を纏った――というよりも、雷そのもので形成された檻が姿を現したのである。

 

「ほう、こんなこともできるのか」

 

 檻に閉じ込められる形となった播凰だが、しかしその状況にもどこ吹く風。むしろ感心するように呟き、ぐるりと首を回して眺めた後。

 むしろ自分から雷の格子へと近づき、ペタペタと触りはじめる。

 

「……まさか、この術まで使う羽目になるとはな。ちっ、逃げ回る才能だけは認めてやるよ」

 

 それに播凰が夢中になっていると、近くから声。

 見れば、矢尾が檻の外、すぐ傍まで来ており。苛々と頭を搔いて、不快気に顔を歪ませていた。

 だが、自身の術である雷の檻に捕らわれている播凰の姿に、一応の溜飲は下がったのか。

 

「だが、どうだ? これなら多少すばしっこくとも、関係ねえ。降参するなら今のうちだぜ」

 

 ニヤニヤとして、そう持ち掛けてくる。

 確かに距離が近くともなれば、回避の難易度は跳ね上がる。相手の攻撃の発生から着弾までは数秒とかからなく、視界に入った時には既に目前に迫っていることだろう。

 

「ふふん、それは聞けぬ相談だな。だが、面白いものを見せてくれたことには感謝するぞ!」

「はっ、減らず口を。まあ、ここまで俺をこけにしたんだ。どの道降参なんてさせなかったけどな」

 

 その提案に当然のごとく播凰が却下すれば、つまらなさそうに矢尾は吐き捨てる。

 期待する反応が返ってこなかったことが余程気に入らないらしい。矢尾はそれだけ言うと、返答を待たずに天能武装たる杖を構え、天能術を行使しようとし。

 

「雷放――」

「であるならば、うむ。今度は、こちらから行かせてもらうとしよう」

「はあ?」

 

 播凰の言葉に、怪訝そうな顔をして呪文を止めた。

 檻の外と内。格子の合間から、両者の目が合う。

 だが、やがてそれは、じわじわと嘲笑に変化し。

 

「ハハッ、なあおい聞き間違いか? 天能術も使えないような奴が、逃げ回ることしかできない奴が、何をするって?」

 

 更には哄笑へとなり、グラウンドに響く。

 腹を抱えて笑うその様は、とても眼前に対戦相手がいる者の姿ではない。

 仮にそんな声が上がったとしたら、恐らく彼はこう答えたであろう。

 当然だと。これは戦いではなく、言うなれば狩りでしかないのだと。

 そして獲物は檻の中。既に勝敗は――否、戦う前から勝敗は決しているのだと。

 

 そう、声高に主張したであろう。自分は狩る側で、相手は狩られる側。

 追い詰めるのに手間こそかかりはしたが、それは逆転することはない、と。

 

 だが、そんな声は起こらなかった。

 そして当然、彼は認識していなかった。その檻にいるのは、牙無き禽獣(きんじゅう)ではなく――。

 

「よしんば天能術を使えたとしても、テメエ如きが俺の檻を破れるとは思え――」

「―ーフンッ!」

 

 パキィン、と。

 まるでガラスが散るような高音が鳴り、雷の檻が吹き飛んだ。それも、一か所だけというわけではない。まるで最初から存在していなかったかのように、跡形もなく全てが砕け散ったのである。

 

「……なっ、なな、な」

 

 あんぐりと大口を開け、愕然としてそれを見るだけの矢尾。

 言葉にならない声が、その口から漏れ出る。

 

「な、何が、起こった……?」

 

 茫然自失とした問いは、恐らく答えを求めてのものではなかっただろう。

 だが、それは返された。

 

「殴ったぞ」

 

 淡々としたものであった。余計な情報のない、単純にして純然たる事実を伝えるものであった。

 だが、こともなげに告げられたそれは、矢尾にとって受け入れ難いものであり。

 

「殴った、だと……?」

「うむ、殴った」

 

 同時に、播凰にとってはそれ以上でも以下でもなかった。

 正真正銘、ただただ殴りつけただけ。接触の際に、ピリッとした刺激は走ったが、痛みはない。

 その証拠に、播凰の右手には目立った外傷もなく。しかしまるで帯電しているかのように微かにバチバチとしており、雷の檻に触ったことを如実に示している。

 

「――ふ、ふざけるなぁっ!!」

 

 己の術が壊された。しかもそれを成したのは、同じ天能術ですらない一撃であった。

 一瞬にして頭に血が上った矢尾が、手にした杖を振り上げ、播凰に肉薄する。

 奇しくも彼が頼ったのは、自慢とする天能術ではなく、その一撃と同じ武力であった。

 だがそれはある意味人間らしいとも言える。

 

「向かってくるか! その心意気やよし!」

 

 無手の播凰は、それに歯を見せて笑った。

 風を切って振り下ろされる、杖。まずそれを受け止める。

 防がれたことに瞠目する矢尾であったが、そこで終わらない。

 

 勢いを殺さぬままに、播凰が掴んだ杖を手前かつ下にグン、と引く。

 それにつられて態勢を崩し、前傾姿勢となる矢尾。そこに足払いをかければ、抵抗らしい抵抗もできず、面白いほど容易く矢尾の体は地面に転がった。

 

 刹那の出来事である。

 矢尾自身、何が起こったかを即座に理解できず、目を白黒させていた。

 だが、己の天能武装である杖を手に、見下ろす視線に息を呑む。

 

「ふむ、杖術としては甘いな」

 

 返すぞ、と杖が放られる。だが矢尾は、それに手を伸ばすこともできず。彼の今の姿と同じように、その杖は地面に虚しく音を立てて転がった。

 

「……な、なんなんだ。テメエ一体、何者……?」

 

 掠れたようなその声に、今までの威勢はない。

 無様に地面にへたり込み、矢尾は播凰を見上げ息を乱している。

 

「ほう、名乗りを求めるか! (しか)らば、私に一騎討ちを挑んだ気概を称え、応えよう!!」

 

 対して、播凰は心底嬉しそうに破顔した。

 戦いの内容は別として、天能術を受けたことに満足していた。久方ぶりの戦いに戦意が高揚していたともいえる。

 名乗りといえば、一騎討ちの華。一騎討ち自体もさる事ながら、ともすれば名乗りも久々。

 だからこそ胸を張り、声高々と。

 

「――天地よ、刮目せよ! そして我が敵、我が同胞、我が先達よ、牢記するがよいっ! 故国にて冠を掲げし、我が名は――」

 

 淀みなく口を衝いて出たのは、かつての戦場にて述べていた口上であった。

 まだ、己の世界に夢を見ていた頃。境遇に退屈することなく、それこそ天能を知った今のように、世界が色づいていた頃。

 我が名よ響けと。自分はここにいると、世に知らしめんがため。

 

 息を大きく吸い込む。

 そうして、播凰の口からそれが紡がれようとした、瞬間。

 

 胸を張って目線が上がった、先。観客席にて、最強荘の管理人の姿が見えた気がした。

 

「…………」

 

 思わず口を噤む。戦いの熱に浮かされていた意識が、冷静さを取り戻す。

 危ないところであった。その先を口にしてしまえば、ルールに抵触していた。

 播凰が目をパチパチとさせれば、既に管理人の姿はない。いや、そもそもが見間違いで最初からいなかったのでは、という気さえしていた。

 

「……うむ、今のは無しだ! 私の名は、三狭間(みさくま)播凰(はお)。1年H組の三狭間播凰であるっ!!」

 

 強引に、締め括る。

 ここに、勝敗は決した。矢尾は依然座り込んだまま、立ち上がろうとしない。

 

 播凰は、観客席の方を――晩石(くれいし)(たけし)のいる方を振り返った。

 なぜなら、この戦いを一番に心配していたのは彼だからである。発端となった食堂でのいざこざの時もすぐ側にいたのもそうだが、播凰が天能術を使えないことを毅は知っている。

 だからか、騒ぎの直後や、播凰が紫藤に連れられて第三グラウンドに姿を現した時もずっとそわそわとしていた。

 

 そのため、大丈夫であったろう、と安心させるように顔を見せたわけであるが――。

 

 ――嗚呼、この世界でも私は異端か。

 

 播凰と視線が交わった毅は、踵を返してまるで逃げるように一目散に走り去っていった。

 その瞳に浮かんだ色を、播凰は知っていた。

 

 あれは、恐れの色。得体のしれない、理解できないものを見るような色。

 見覚えのあるそれは、元の世界でも散々播凰に向けられたものだったのだから。



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21話 亀裂と初授業

 グラウンドでの戦いから一夜が明けた。

 

 翌朝、学園への登校のために零階へと播凰が降りれば、そこにはいつものように最強荘の門のところで彼を待っている毅の姿があった。

 だが、いつもと違うのは。おっかなびっくりと、様子を伺うような。気まずそうに目を逸らしての、ぎこちない挨拶。

 播凰は変わらず、普段の調子で挨拶を返したが。

 

「「…………」」

 

 そこからは、一切の無言。

 普段であれば、とりとめのない雑談を毅が振ってきたり、学園の話を播凰が尋ねたりして会話が進むのだが、それもない。

 最強荘を出て数分、人一人が通れるほどの距離を空けて並んで歩くだけの、ずっとこんな調子。

 そしてその理由を、当然播凰は理解していた。

 

 ――最初に、その瞳(恐れ)を見たのはいつのことであったか。

 

 昨日の戦いを終えた直後、播凰に向けられた毅の眼。恐怖に彩られたその顔は。

 少なくとも、戦場に立つ前。城での訓練の日々では、驚きこそされたことはあったものの、まだその類の視線は無かったように思う。そして、初めて戦場に立った時も、きっと。

 だが、首級を上げ、功績が重なっていけば。まずは、敵から。次第に、味方が。

 気付けば、一騎討ちを挑まれることもなくなり、好敵手と呼べる強者もいなくなった。

 彼の弟妹達だけが、変わらず接していた。

 

 ……不可思議な力のあるこの世界ならば、或いはと思ったが。

 

 どうも、そうでもないらしい。万人がそうかはともかく、確実に一人に向けられる程度には、外れているのだ。この身体は。

 しかしそれでも、期待は捨てていない。天能に興味を抱くことに変わりはないし、退屈するということもない。もしかすると、あっと驚くような相手もいるかもしれない。

 

 だが、まずはその前に。

 

「――毅よ」

 

 一種の膠着状態ともいえるそれを破るように、播凰が歩みを止めて声を出した。

 ビクリ、と傍目からも分かるほどに大きく身を震わせて、毅もまた足を止める。

 横に並びながらも、互いの顔は合わぬまま。播凰は前を、毅は下を向いていた。

 

「無理をしてまで、私と一緒にいる必要は無い」

 

 余計な気を回さず、率直に切り出せば。

 毅が顔を俯かせたまま、息を呑んだ気配がした。

 

「だが、これだけは伝えておく。お主には、ここに来た時から色々と世話になったな。それに、私には今まで、身内以外で年が近く気軽に話すような者はいなかった故……うむ、新鮮で有意義な時間であったことは間違いない」

 

 こうして歩くこともな、と付け加え、播凰が目を細める。

 彼の身内――つまり弟妹達とは、また違う。さて、これは何と言うのだろうか。

 そんなことを考え、しかしすぐに打ち消した。

 

「――今までご苦労であった」

 

 放ったのは、決別の言葉。

 同時に、播凰は歩き出す。

 

「あ……」

 

 ここでようやく、毅が口を開き、顔を上げて播凰を見た。

 遠ざかる後ろ姿、だがしかし毅の足は縫い付けられたように地面を離れず。

 その背中を追いかけることもなく、黙って見送ることしかできなかった。

 

 

 

「――さて。天戦科の生徒として入学した新入生の諸君等は、本学園の中等部、乃至は各々の通っていた中学の三年間にて、主に天能術の基礎を学び鍛えてきたことと思います」

 

 グラウンドに整列する生徒達の間を、朗々とした紫藤の声が通り抜ける。

 その外見からも声色からも厳しさを感じさせる、彼女。前に立ち、瞬き少なく彼らを見るその様は、まるで睥睨しているかのよう。彼女の傍らにも別の男性教師が一人立っているが、威圧感という意味でいえば紫藤が圧倒的に上だ。

 それゆえ、そんな教師である紫藤に目をつけられることが分かっていて無駄口を叩く者はなく、皆静かにそれに聞き入っている。

 今日は1年H組の天戦科の実技試験、その初日であった。

 

「ですが我が東方第一の高等部においては、己の行使できる天能術を自在に扱い、制御するのは当たり前。もっとも、使用可能な術を増やしたり、天能力を上げるための努力は、当然ながら各個人で続けていくことでしょうが――」

 

 チラリ、とその視線が整列に加わる播凰の方を向いたような気がしたのは、思い過ごしなのかどうなのか。

 

「今後授業で取り扱い、成績の判定基準となるのは、その先。つまり、戦闘を想定した技術です。相手に攻撃を当てる技術、相手の攻撃を防ぐ技術。その他、予期せぬ事態にも臨機応変に対応する必要があり。ただ自分のペースで天能術を行使することができたこれまでの環境とは、大いに異なります」

 

 その話の内容は、天能術に疎い播凰でも理解できた。

 要するに、ただの鍛錬と実戦はまるっきり違うということだ。

 自分一人の時では、誰にも邪魔されずに止まったまま集中ができ、好きなタイミングで動くことができる。

 だが、相手がいるともなれば話は別。邪魔されずに集中などはさせてもらえず、相手の動きを捉える必要がある。同時に、相手の攻撃への対応も考えなければならない。

 剣で例えるなら、素振りなのか実際に刃を交えるのかということだろう。

 

「勿論、今までも戦いという形で天能術を行使した経験もあることでしょう。ですが、評価の比重は戦闘よりも基礎が大きかったはずであり、対峙する相手もそこまで戦い慣れはしていなかったのではないでしょうか。入学して緩む気持ちもあるかもしれませんが、ただ実戦に変わるだけと侮れば痛い目を見ます。それを理解して今後の授業を、ひいては学園生活を送ることを望みます」

 

 そこで一旦締め括ると、紫藤はもう一人の教師に対して、何かありますかと尋ねた。

 だが、男性教師は苦笑して首を横に振る。言いたいことは全て紫藤が言ったと、そんな感じだった。

 紫藤は再び生徒達の方を向き、コホンと一つ咳払いをすると。

 

「それでは本日は、相手の攻撃の術に対して術を当てて防ぐ、という対処法を実践してもらいます。防御系の術を覚えていない人もいるでしょうから、今回は攻撃系の術に限定します」

 

 告げられるのは、授業の内容。

 相手からの攻撃を、こちらも攻撃を以て迎え撃つことで防ぐ。聞くだけであれば簡単そうだが、飛び道具を飛び道具で落とすわけだから、案外難しそうではある。

 

「まず近くの者同士で二人一組となって攻守を決め、片方は天能術で攻撃、もう片方はそれに対して天能術で防いでください。その後攻守を入れ替え、それぞれが攻守を担当したら別の人とペアを組んで実施と、ローテーションしていくように」

 

 面白そうな内容ではあったが、だからこそ播凰は天能が使えないことが歯痒い。

 そして、詰んでいた。攻守側共に天能術を使うのであれば、それができない播凰は木偶の坊にすらなりはしない。

 紫藤の言葉を皮切りに、生徒達がペアを作ろうと動き出す、その刹那。

 

「ですが、その前に――三狭間播凰! 前へ出なさい」

「……む?」

 

 紫藤の鋭い声が、それを停止させた。

 突如、名を呼ばれたことに疑問の声を上げつつも、一拍遅れて言われた通り前へ出る。

 

「今回は、天能術に対して天能術で迎撃する、という形で対処をしてもらいますが。相手の攻撃に対しての回避の手段は色々あります。例えば、防御の術で防ぐのもそうですし、天能武装で弾くのもそうです。しかし状況によっては、天能武装が一時的に手から離れてしまい、それらができないなども戦闘中には有り得ます」

 

 H組の生徒達の視線が、話を続ける紫藤と、首を傾げる播凰に集中する。

 

「さて、三狭間。君は入学早々にも関わらず天能武装を壊してしまい、現状手元にない状況とか。そうですね?」

「……ん? ああ、そも――」

「ですので! 少し、ええ、軽いデモンストレーションです。授業の内容としては少し先になりますが、攻撃を避けるというのも手段の一つ。彼にはそれを実践してもらいます」

 

 結局、知らぬ知らぬと言いながら、播凰は未だ天能武装が何なのかを知らない。ただの武器ではないのだろうとは思っているが、それだけだ。知らない理由は単純、調べるのを忘れていたからである。

 なので、紫藤の言い種に対して馬鹿正直にそう返答しそうになったが、それは言葉を被せられることによって強制的に搔き消された。

 

「……一先ずはそういう体で授業を見学してもらうので、話を合わせてください」

 

 紫藤が播凰の耳元でそっとそう囁き、しかしすぐに離れる。

 

「やる事は単純、今から私が軽く攻撃をしますので、それを避けてください。……本気(・・)で避けること。いいですね?」

「うむ、承知した」

 

 紫藤が簡潔に指示を出し、播凰が頷く。

 そうして、両者は充分な距離を取り、紫藤がその手に杖を――天能武装を持った。

 

「さぁ、行きますよ。――鋼放(こうほう)十連弾(じゅうれんだん)

 

 途端、ふよふよと紫藤の周囲に浮かぶ、複数の塊。その名の通り鋼色のそれらは、未だ放たれず宙に停滞している。

 なるほど、制御もそこまでいけばそんなこともできるのか、と播凰が呑気に感心していると。

 ビュンッ、とその内の一つが風を切ってこちらに向かってくる。

 狙われているのは、左足。播凰が半身をずらせば、地面を掠めて身体のすぐ横を鋼色の物体が勢いよく通り抜けていき、後方で着弾。土煙を巻き上がらせた。

 

「どんどん行きます」

 

 紫藤の声と共に飛んできたのは、顔面直撃コース。播凰が身を屈めてやり過ごすと、すぐさま再び足元に次弾が。

 下、上、下と目まぐるしく変わる狙いは、厭らしくもあり、効果的ともいえる。

 その場で跳躍し上へと逃げれば。まるでそれを見計らっていたように、滞空する播凰への一撃。正確無比なその一射は、空中にて逃げ場を失った播凰の胴体を穿たんと猛烈な勢いで迫っている。

 

「ふふっ、楽しいな!」

 

 だが、播凰には微笑む程には余裕があった。

 空中で身を捩って躱し、バランスを崩すことなく両足で軽やかに着地。

 ざわつきが、見ていた生徒達から起こった。

 

「やりますね。では、これでどうでしょう?」

 

 残り、六発。これまでは一つずつであったが、今度はその全てが紫藤の元から発ち、上空へ昇っていく。

 その動きに釣られるように播凰が頭上を見上げれば、鋼の六連星が自身目掛けて降ってきていた。

 考えること、一瞬。

 播凰は身体を前に投げ出すと、地面に片手を着いて一回転。すぐ背後で地面に落下した六撃は、その数も相俟って一際大きな衝撃を放つ。

 

 それを見ていた紫藤は一つ頷き、生徒達の方に向き直り。

 

「とまあ、このように攻撃を躱して回避することも手です。これには天能力の消費無くやり過ごせるという利点がありますが、その反面、確実性に劣ったり動きによっては大きな隙を晒すことにも繋がります。ですので、やってはいけないとは言いませんが……」

 

 そこまで言いかけ、紫藤はチラリと播凰を見る。

 

「彼は簡単そうにやってのけましたが、躱す、というのはイメージするよりも格段に難しいものです。そして皆さんは天戦科であり、天能術という手段がありますのでそのことを忘れぬよう。ただし、今回に関しても主目的は天能術による回避ですが、あくまでも授業です。危ない場合は後先考えず全力で避けること」

 

 それでは始めてください、という紫藤の合図で、今度こそ生徒達が動き出す。

 まずはペアを決め、お互いに距離を取り、他のペアと重ならないように広がる。

 その様を、播凰が羨ましそうに眺めていると。

 

「やや強引となってしまいましたが、まあこれが一旦の落としどころでしょう。君が天能武装を持っていないのは、ある意味丁度よかったですね。……とはいえ、いつまでも凌げないという点はありますが」

 

 隣に紫藤が並び、顔は正面を見たまま声をかけてくる。

 眼前を飛び交う火に水に風、その他性質の天能術。生徒達の間を巡回する男性教師。

 それらを見据えながら、播凰もまた言葉を返す。

 

「ふむぅ、早く性質を知って私も天能術を使えるようになりたいものだ」

 

 そしてふと、思い出したように尋ねる。

 

「そういえば、天能武装だったか。見たところ皆、杖を持っているようだが……あれは、天能術を使うのに必要なのだろうか?」

「……説明することは勿論可能ですが、君は基礎知識からして知らないことが多すぎます。分からないことは何でも聞くのではなく、端末で調べるなり、図書室で本を読むなりする習慣をつけるといいでしょう。その上での不明点であれば、答えるのも吝かではありません」

「図書室か。……ううむ、あまり書物を読むのは気が進まないのだが」

 

 問いかけには反応したが、その内容には答えてくれなかった紫藤。

 本と聞き、悩まし気に唸る播凰を横目に、彼女は天能術を打ち出している生徒達に向け、声を張った。

 

「各々が強く認識していることでしょうが、クラス分けの仕組み上、この場にいるのは実力の近い者同士です。極端な手加減の必要はありません、いいですね!」

 

 それから暫く、ぼーっと授業の様子を眺めていた播凰であったが。

 あることに気付き、ポツリと漏らす。

 

「昨日戦ったE組の矢尾という者に比べれば、天能術の迫力が無いな」

「それは当然でしょう。あんな言動でもあの者はE組、天戦科の新入生では上位に入ります。言い方は悪いですが、最下位に位置するH組とは実力に開きがある。……もっとも、それに対応してみせた君だからこそ、デモンストレーションという形で、クラス全員の前で少し派手に(・・・・・)動いてもらった(・・・・・・・)わけですが」

「ふむ、いきなりで少し驚いたぞ。まあ、楽しかったからよいが」

 

 二言三言、会話をしておいて今更であるが。

 紫藤の播凰に対する態度は、昨日までと別段変わってはいなかった。今まで通り、気安いというほど近くなく、かといって邪魔者のように遠ざけるでもなく。

 むしろ、今の口振りから考えるに、見直した――とでもいえばいいのか、上方修正したかのよう。

 

「……しかし、君はいいとして――いえ、よくはないのですが、さておき。彼、晩石毅でしたか。あちらもまた、別の意味で問題ですね」

 

 紫藤がとある方向を向き、深い溜息を吐く。

 どういう意味か、と播凰もまたそちらに視線を巡らせれば。

 

「――君さあ、晩石だったっけ? もっとちゃんとやってくれないと、こっちの練習にならないんだけど」

「す、すみませんっす……」

 

 ペアとなったクラスメートの男子に責められるような声を上げられ、ぺこぺこと必死に頭を下げている毅の姿があった。

 

 

 

 バフン、と帰宅早々、東方第一の制服から着替えもせぬままに頭からベッドへと飛び込む。

 身動ぎ一つせずに、そのまま数秒。

 ややあって仰向きに寝転がり、彼――晩石毅は、意味もなく部屋の天井を見上げる。

 

「覚悟はしてた……つもり、だったっすがね」

 

 入学試験に合格した、と最初に聞いた時は半信半疑であった。何故ならそれを報せたのは、学園の関係者ではなく、最強荘の――ただのアパートの管理人だったからである。

 だが、その言葉を裏付けるように、合格通知が届いた。

 その時は、飛び上がるくらいには嬉しかった。駄目で元々、そのつもりで家族の反対を押し切り、ここにやってきたのだから。

 

 だが、同時に不安も間違いなくあった。そんな天能術の名門校で、自分はやっていけるのかと。入学試験の段階で既に周囲とのレベル差を痛感させられた己が、である。

 そしてその不安は、早くも現実のものとなった。

 

 成績下位者が振られる、4番目の(H組)クラス。そこですら、授業にギリギリついていけるかどうか。

 初回の授業となった今日、ペアを組んだ全員でこそなかったが、文句を言われた数は一度や二度ではない。

 天能術の制御は、なんとかできる。だがそれも、飛ばしたい方向に飛ばせる程度のもの。

 威力は弱く、速さもなく、数もない。十中八九、実力としてはクラスの中でも下から数えた方が早いだろう。

 しかし、一番下では確実にない。何故なら、あの人がいる。天能術を使えないという、三狭間播凰が。

 

 だけど、播凰さんは――。

 

 ピンポーン、と。

 どろどろとした毅の思考を断ち切るように、訪問者を知らせる呼び鈴が鳴った。

 

 ぼんやりしていると、まるで急かすように、もう一度音が響く。

 毅がのそりとベッドから起き上がり、のろのろとした足取りで玄関に向かえば。玄関ドアの覗き穴から辛うじて見えるのは、小さき管理人。

 

「おっとー、学園からお帰りになられたばかりでしたかー」

「そうっすね……えっと、それで何でしょうか?」

「はいー、実は晩石さんにまた一つお手伝いをお願いできないかとー」

 

 扉を開けた毅の姿を見て、少しおどけたように。

 管理人は、ニコニコとした笑顔で、そう言った。

 

「手伝いっすか……今度はどのような?」

 

 こうして頼み事をされるのは、初めてではない。

 例えば清掃の手伝いであったり、それこそここに住み始めたばかりの播凰の手助けだったりと。

 お世話になっているからその感謝もあるが、更には手伝えばお小遣いも貰えるので、お金に余裕のない毅の貴重な収入源だったりする。

 

「三狭間さんに、天能武装を作っていただける方をご紹介しようと思いましてー。そこまでの三狭間さんの道案内と、依頼者への説明ですねー。説明といっても、紹介状は準備するのでそれを渡していただくだけですー」

「播凰さんの……」

 

 随分と、タイムリーともいえる話題であった。

 

「高齢の方なので、半分隠居のような生活を送っているのですが、腕は確かですよー。なんていったって、あの捧手(ほうじゅ)一族の方ですからねー」

「捧手……聞いたことあるっす。確か、昔から何人もの高名な天能武装の鍛冶職人を輩出しているっていう……そんな凄い方が、播凰さんの天能武装を?」

「ですねー。まず普通の人なら門前払いでしょうがー」

 

 飛び出してきたのは、田舎に住んでいた毅でも耳にしたことのある一族の名。

 そしてそんな人物が、播凰の天能武装を造るという。

 

「は、はは……やっぱり、播凰さんは凄いんすね。特別、なんすね」

 

 自分なんかとは違って、という言葉はなんとか吞み込んだ。

 だが、ポツリポツリと溢れる。

 

「ずっと、疑問ではあったんす。何で俺は合格できたんだろうって。何で、播凰さんは合格できたんだろうって。……いや、違うっす。何で、俺()合格できたんだろうって」

「…………」

 

 管理人は、依然ニコニコと。だが黙ったまま、聞いている。

 

「最初は、ギリギリでも滑り込めたのかと思ってたっす。でも、そうじゃないんすよね。特別な播凰さんが入学した。だから俺も、入学できたんすよね? ここに来た時のように、播凰さんを補助するために」

 

 嬉しかったのだ。例え成績は下位であっても、実力が認められたのだと、そう思った。思い込んだ。不自然な点があったにも関わらず、都合のよいこと以外からは目を背けて。

 だが、違うのだ。

 自分は、晩石毅は――つまり、実力が評価されたわけではなく。

 

「お情けの入学なんでしょう? あくまで俺は、播凰さんのついでで……俺じゃなくても、あの人を補助するなら誰でもよかったんでしょう!?」

 

 毅の涙交じりの叫びが、最強荘の敷地に響く。

 はぁはぁ、と肩で息をする毅を前に、管理人は何も言わない。

 ただただそのにこやかな笑みをもって、毅の顔を見続けるだけ。

 

「……すみません、取り乱しましたっす。ちょっと今は、その……ごめんなさい、お手伝いはできそうにないっす」

「そうですかー。ただ、一応その場所は端末の方に送っておきますねー」

 

 漸く彼女が口を開いたのは、毅が断りを述べてからであった。

 それではー、とあっさり引き下がり、毅の家の扉を閉めた管理人。

 

「さてさてー、見込み違いでしたかねー」

 

 彼女のその言葉は、誰の耳にも届かず虚空に消えていった。



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22話 大大大魔王軍チャンネル

「【切り抜き】大魔王ディルニーン vs ユーシャJ【大大大魔王軍/ディルニーン】」

 

『フハハハハハッ!! 勇者如きが、この大魔王ディルニーンに勝てると思うてか!』

 

 ・コメント:おっと、この流れは…?

 ・コメント:ユーシャJが上がってきたああ!

 ・コメント:大魔王様が1位、ユーシャが2位……以下大大大魔王軍雑兵、か

 ・コメント:おい、3位以下ちゃんと走れwww

 ・コメント:ユーシャがんばえー!

 

 画面の中、右横の隅の方で、漆黒の衣装に身を包んだ銀色の髪の男のイラストが高笑いをしている。

 中心では、車らしき物と景色が変わっていく映像が映し出され、その上を流れていくのは白い文字。

 

「確か、げえむ……レースゲームというのだったか、これは?」

 

 最強荘一階の住人、一裏(いちうら)万音(まお)に教えられた、大大大魔王軍チャンネルの動画。

 彼によるとこれは、その内の見所を抜粋した、切り抜きというものらしい。

 そして初めて会った時に彼が言っていた配信者――正確にはVtuberというらしいが――という仕事が、これとのこと。

 確かに言われてみれば、機械を通しているからか若干声が違う気はするが、高笑いや会話のテンションはまんま万音である。

 

 本日、学園は休日のため休み。

 そのため時間を持て余した播凰は現在、最強荘三階の自室にて端末からそれを視聴していた。

 ちなみに、よく分からぬまま万音に押し切られたとも言う。

 

『ヌオッ!? 操作反転か。小賢しい真似をっ!!』

 

 ・コメント:あれは、伝説の性質の!?

 ・コメント:ああ、幻の性質、幻だ!!

 ・コメント:?????

 ・コメント:ここで伝説の性質を発動してくるとは、流石ユーシャ

 ・コメント:でも伝説の割に、効果は短時間相手の操作を反転させるだけというね

 ・コメント:でも伝説だからか出現率はかなり低いらしいね

 ・コメント:初心者ならまだしも、慣れちゃうとなぁ……

 

 幻、という文字が画面中央に浮かんだかと思えば、銀髪の男――ディルニーンが高笑いを止め、その顔が少し真剣になる。青年に分類されるその見た目は整っており、一裏万音の現実の姿に似ているような気もするし、似ていないような気もする、という印象を播凰は抱いた。

 

 と、彼が操作しているであろう車が、後方から飛んできた大量の水に吞み込まれ、速度が大幅に鈍る。

 その隙に、後ろから1台。「ユーシャJ」という文字が上に表示された車が横を通り抜けていき、画面に表示されている文字が1位から2位に変わった。

 

「……伝説の性質、幻? なるほど、そういうものもあるのか」

 

 だが播凰が注目したのは、その絵面ではなく、流れるコメントの方。天能の性質に種類が複数存在することは知っているが、どのようなものがあるかまでは詳しく知らない。時間のある時に見てみるのも一興か、とそのコメントを見て考えていた。

 別のところに気を取られる播凰であったが、そんなことはおかまいなしに画面は過熱していく。

 

 ・コメント:勝ったな

 ・コメント:いける、勝てるぞユーシャ!!

 ・コメント:今度こそ大魔王を倒して俺達を解放してくれっ!

 ・コメント:大魔王なんかに負けないで

 ・コメント:大魔王(笑)

 ・コメント:ユーシャがんばえー!

 

 流れる文字は、「ユーシャJ」を応援する声一色。

 

『クッ、余の配下達よ! 勇者を応援するとは何事かっ!?』

 

 ディルニーンはそれを見咎めて、不満の声を漏らすが。その声は怒っているようであり、同時に楽し気な響きも帯びていた。

 

 画面からは先を行く一台が視認できる程度に両者の位置は近い。

 鍵を握るのは、道中に落ちている天能武装。

 杖型のオブジェクトに触れば、相手を妨害する天能術が。籠手型のオブジェクトに触れば、自分を強化する天能術がランダムで発動可能になるようだ。

 

 ディルニーンが触れたのは杖型、取得したのは火の天能術。

 ゴールはもうすぐそこ、狙いを定めたディルニーンが火の天能術を発動すると、全方位に火の矢が放たれ、前を行く「ユーシャJ」の車に当たった。

 

『フハハハハッ、余の勝ちである。ゲームであろうと、勇者なんぞにこの大魔王ディルニーンたる余が負けるはずはないのだっ!』

 

 ・コメント:ここで勝てないのがユーシャwww

 ・コメント:勇者じゃなくてユーシャだからね、仕方ないね

 ・コメント:ユーシャ(笑)

 ・コメント:大大大魔王軍バンザーイ

 ・コメント:流石ディルニーン様だ!

 ・コメント:この流れまでが1セット

 

 結局、火の天能術の妨害が成功し、ディルニーンが1位を取り戻してフィニッシュ。

 コメントが一転、掌を返したように勇者を貶め、魔王を讃えるもので溢れかえった。

 

 動画が暗転し、先程とは違うシーンが流れ始める。

 画面の構成は一緒だが、今度は何やら四角い面に黒と白の丸く平べったい物体が並べられている。

 行われているのは、オセロ、またはリバーシと呼ばれる、盤上のゲームだった。

 

「ふむ、相手の色を自分の色で挟んでいけばよいのか。……ううむ、頭を使うのか?」

 

 進んでいく映像を見て、その内容を理解する。

 播凰は頭を使うのがあまり得意とはいえない。だから仮にやるとなったら、自然と考え無し――というか、勘になるのだろうが。

 黒と白、多いのは数えるまでもなく黒。誰がどう見ても迷わぬほどに圧倒的だ。

 そして、黒のプレーヤーは、大魔王ディルニーンである。

 

『フハハハハッ!! 笑いが止まらぬとはこのこと。趨勢は決したも同然、我が軍の力に勇者の命など風前の灯よっ!」

 

 相対するのは、またしても「ユーシャJ」と表示されるプレーヤーであった。

 

 ・コメント:まだだ、まだ……っ

 ・コメント:逆転の芽はきっとある!

 ・コメント:俺達の力、お前に預けるっ

 ・コメント:だから頼む、勝つんだユーシャ!

 ・コメント:がんばえー!

 

 怒涛の勢いで流れる応援。

 それに勇気を貰ったかのように、白は息を吹き返し、黒を染め――。

 

『フハハハハッ!! 弱い、弱すぎるぞ、勇者っ! よくもそれで余に挑んだものだ!!」

 

 ・コメント:流石は、古参リスナーにして最弱

 ・コメント:実はコイツ大魔王様のこと大好きだろ

 ・コメント:ユーシャwwwジェイwww

 ・コメント:大大大魔王軍バンザーイ

 ・コメント:バンザーイバンザーイ

 ・コメント:この流れまでが1セット

 

 ――ることはなく。白は両の手の指で数えられる程度に対し、黒はその何倍か。

 ディルニーンの勝利宣言、コメントは勇者を煽る内容。

 

『だが、寛容な余は許そう! ただし、幼い童女であればの話だがな、フハハハハッ!!』

 

 ・コメント:出たよ、ロリコン

 ・コメント:これが大大大魔王軍のトップってマジ……?

 ・コメント:お巡りさん、出番ですよ

 ・コメント:一般人が大魔王に勝てるわけないんだよなぁ

 ・コメント:リスナーの中に強い天能術を使える人はいらっしゃいませんかー!?

 ・ユーシャJ:私にお任せくださいっ!

 ・コメント:ユーシャ、あなたもう敗けたでしょ

 

「ゲームに、配信者――Vtuberだったか。うむ、天能よりは劣るが、中々こちらも楽しそうではないか」

 

 播凰の目にはそれが楽しそうに映った。いまいちよく分かっていないことはあり、ディルニーンは兎も角としてユーシャJが何者かも当然知りはしないが。取り敢えず興味が湧いたことに違いはない。

 

 ――ピンポーン。

 

 だが、続きを視聴しようとしていたところ、播凰の部屋の呼び鈴が鳴る。

 はてと動画を一時停止させ、玄関へ。来訪者が誰かも確認せずに扉を開けば、そこにいたのは最強荘の管理人であった。

 

「お休みのところ、失礼しますねー」

「おお、管理人殿か」

「突然ですが、三狭間さんー。本日、ご用事などはありますかー?」

 

 そして開口一番、そんなことを問われる。

 

「用事、は特に無いが……」

 

 この世界に来た当初は、与えられた部屋や物の確認をしていたり、毅に連れられて最強荘周辺を歩き地理や店を覚えたり、といったことをしていた。

 東方第一への入学が決まってからは、管理人監視の元で勉強の日々。

 そう考えると、何もする必要がなく時間のある日というのは久しぶりのことで。

 休日に何をすればも分からぬから、当然予定らしい予定もない。一応万音に勧められるまま動画は見ていたが、別にそれは用事ではない。

 

「……まさか、また勉強とは言うまいな、管理人殿?」

 

 答えている合間に嫌な予感が脳裏を過り、さっと播凰の顔が青褪める。

 そんな播凰に、しかし管理人は首を横に振り。

 

「最低限の知識は叩き込んだつもりですのでー、後はご自身で頑張っていただければよいかとー」

 

 ほっ、と安堵の息を漏らす播凰。

 けれどもその様子を見て、管理人の口元が弧を描き。

 

「もっともー、三狭間さんがお望みであれば考えますがー……?」

「いや! 私は私で頑張るぞ、心配無用だっ!!」

 

 たまったものではない、と播凰は両手を前に突き出してその提案を慌てて一蹴する。

 クスクスと笑う管理人は、その慌てぶりに満足したのか、本題に入った。

 

「おほんー、それでお伺いしたのはですねー。天能武装をお持ちでない三狭間さんに、それを造っていただく職人さんを紹介しようと思いまして―」

「おお、天能武装か」

「はいー。時に三狭間さん、天能武装についてはご存じですか?」

「うむ、調べたぞ! 天能術の行使に役立つ他、色々な効果も付与できる、通常の武器とは異なる特殊な武装のことだな!」

 

 端末から動画を視聴できるようになった通り、播凰も端末の使い方というのにも慣れつつあった。

 ということで紫藤のアドバイスを活かし、ジュクーシャには質問せずに調べてみたのだ。

 

 天能武装とは、天能術を扱う者が基本的に持つ特殊武装。天能術の発動を補助したり、性質を纏わせることで武装に対して術を発動をする、といったようなことができるらしい。

 天能力を武装に流すことで術者の天能に馴染み、天能術を発動する要領で好きに取り出したりしまったりもできるようだ。今まで播凰が見てきた、何もないところから杖が出てきた現象というのは、つまりそういうことである。

 武装の種類は通常の武器と変わらず製造できるようで、天能術をよく使う者は杖型が、接近戦主体の者は剣や槍、籠手などその他個人の好みが適切とされ、普通の武装と変わらず切り合いや打ち合いで使えるのだそう。

 後は、職人によっては特殊な効果を付与できる者もいるのだとか。

 

 そう脳内で反芻し、ふと疑問を口に出す。

 

「……時に、管理人殿。つかぬことを聞くが、昨日学園にいたか?」

「いいえー。この身はただの管理人、関係者でもないのに学園に入れるわけないじゃないですかー」

「うむ、それもそうか」

 

 おかしな人ですねー、と笑う管理人の返しに播凰は納得して頷く。

 どうやら昨日、第三グラウンドの観客席にその姿を見た気がしたのは、思い過ごしであったようだ。

 

「だが、ちと今は……いや、私も欲しいのは山々なのだがな!」

 

 欲しくはない、というわけではない。むしろ、欲しい。性質が分からない現状では、効果が発揮されないにしても、だ。

 しかし紫藤の話によれば、天能武装がないため授業に参加していない、という建前。

 手に入れてしまうと、紫藤がまたしても頭を抱える――播凰は気付いていないが――事態となる。

 

「それについてはご心配なくー。量産品であればともかく今回はオーダーメイド、つまり完全に播凰さん専用に造られるわけですー。よって、注文してから日数はかかりますし、受け取っても秘密にしておけばー」

「なるほど……なるほど」

 

 そう言われれば、播凰の欲がぞわぞわと疼いた。明らかに気分が上がり、目を瞑ってうんうんと頷く。

 

「それに恐らく、頼むにも一筋縄ではいかないでしょうからー」

 

 だが、続いた管理人の言葉に、はてなと播凰の首が横に倒れた。



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23話 天能武装を依頼しよう

「こんにちは、珍しい組み合わせですね」

 

 播凰と管理人が揃って三階から零階へ降りると、最強荘の建物外、門を潜るまでの敷地内にてジュクーシャとばったり鉢合わせた。

 

「はいー。四柳さんは、お仕事帰りですかー?」

「ええ、今日は午前だけのシフトでしたので。……そちらは、お二人でお出かけですか?」

「うむ! 天能武装を造ってくれるという職人に会いに行くところだ!」

 

 互いに一旦立ち止まり、軽く言葉を交わす。

 すると、播凰の言葉を聞いたジュクーシャは、何やら思案するように考え込み。

 

「天能武装の職人、ですか……すみません、それって私もご一緒させていただくことは可能でしょうか? 勿論、邪魔になるようなことはしませんので」

「む、私は別に構わぬが……管理人殿?」

「三狭間さんが大丈夫なのであれば大丈夫ですよー」

「ありがとうございます! 実は私、こちらの武器には少し……ええ、本当に極僅かにですが少し興味がありまして」

 

 いやに興味が薄いことを強調しつつ、礼を述べるジュクーシャ。

 同行を願うのであれば、普通はその逆で興味があることを強調するべきでは、というものだが。そんな突っ込みをする者はこの場におらず。

 そんなこんなで急遽彼女も同行することとなり、三人は揃って最強荘を出るのだった。

 

「そういえば、管理人さんと外を歩くのは久しぶりですね……私が初めて職場に行った時に付き添っていただいて以来でしょうか」

「こちらも管理人の役目がありますからー、あまり頻繁に最強荘を離れるわけにもいかないのですよー。実は今回も晩石さんにお願いしようとしたのですがー、断られてしまいましてー」

 

 唯一道を知っている管理人を先頭に、その後を追うように播凰とジュクーシャが並んで歩く。

 なにやら懐かしむようなジュクーシャの声と、それにいつもの調子で返す管理人。

 

「ああ、それは恐らく私が原因だろうな」

 

 彼女の返しを聞いた播凰は、あっけらかんとした態度で口を挟む。

 毅が断った理由が何かは考えるまでもない。仮に全部が全部そうでなかったとしても、確実にそれも影響していると言える程度には、毅の播凰に対する態度は明白だった。

 それを察してか、そうでないのか。

 

「……喧嘩でもされたのですか?」

 

 おずおずと、遠慮がちにジュクーシャが訊ねてくる。

 その顔、目を見れば、彼女が好奇ではなく心配の色を宿しているのが分かった。

 

「いや、あれは……まあ、恐れだろうな」

「……恐れ、ですか?」

「うむ。とある生徒に、学園で一騎討ちを申し込まれてな。軽く動いてみたわけだが、どうやらそれが毅にとっては理外であったらしい。もっとも、前の世界でも似たようなことはあったゆえ、驚きはしないが」

 

 喧嘩とは違う。仲違いといえばそうだが、変に隠すことなく播凰は口に出す。

 ジュクーシャの瞳が、揺れる。だが、それは毅のような恐れでも、馬鹿みたいな与太話を聞いたという反応でもなかった。

 

「そうですか……ええ、よく分かりますとも。私も心当たりがありますから」

 

 目を少し伏せ、しみじみと呟く彼女は何を思うのか。

 無理に話を合わせているようでもなく、かといって変に同情しているようでもない。間違いなくそこには、真剣さが垣間見えた。

 果たしてその心当たりというのは、どちら側(・・・・)であるのか。

 

「なに、慣れた道だ。ジュクーシャ殿が気にすることではない。……しかしうむ、そうか。ジュクーシャ殿は、美しく恵まれた身体をしているとは思っていたが」

 

 強がりではなく、偽りなき本音。そして続いた言葉も、何の気なしではあるが偽りなき播凰の本音であった。生来のものもあるのだろうが、ジュクーシャの身体はバランスもよく鍛えられているのが窺える恵体。この世界ではさておき、少なくとも元の世界では戦いとは無縁でなかったのだろうと播凰は推察していた。

 唐突に褒められる形となったジュクーシャは、一転して真剣な表情からわたわたとして。

 

「……播凰くん、からかうのは止めてください。私など、背が高くて可愛げのない女ですから」

 

 彼をたしなめる表情には、朱が差していた。声も平静さを保っているように思えて、しかし僅かに上擦っている。

 これが真にからかいであるなら、それはそれで終わるのだが。問題なのは、播凰に全くその気がないことであった。

 

「それがどう繋がるのかはよく分からぬが……ジュクーシャ殿は綺麗だと思うぞ! そして、中々の実力者と見た! 機会があれば是非手合わせを願いたいものだな」

「三狭間さんー。イチャイチャするのは止めませんが、無理強いは駄目ですからねー」

 

 更なる賛辞の声に、いよいよジュクーシャの顔が真っ赤に染まる。

 その後半の声まで届いていたかは定かではない。とはいえ、そちらは顔だけ振り返った管理人の牽制がかかったのだが。

 

「ふむ、イチャイチャ……?」

 

 よく分かっていないように首を傾げる播凰なのであった。

 

 

 目的の場所は、そこまで遠くは離れていない山中にあった。

 三人の目の前には、巨大とまではいかないがそれなりのしっかりとした造りで佇む木製の門。

 

「職人とやらは、ここに住んでいるのか?」

「はいー、あまり騒がしいのを好まれない方なのでー」

 

 播凰の質問に答えながら、管理人が門に取り付けられていたベルを鳴らす。

 チリンチリン、と静けさが漂う山中に甲高い音色が響いて、少し。門の向こうからぶっきらぼうな男の声が聞こえてきた。

 

「……誰だ?」

「私ですー」

 

 播凰とジュクーシャからしてみれば、問いかけに対するものとは思えなかった管理人の応答。

 だが、門向こうの相手にはそれで充分だったらしい。

 木の門が横に動き、顔を覗かせたのは白髪交じりの老齢の男。

 

「……またぞろ、若いのを引き連れてきやがったか」

 

 老いを感じさせる容貌ではあるが、その眼光が鋭く、管理人の後ろにいる播凰を、そしてジュクーシャをじろりと順に射抜く。

 大の大人であっても怯む人は怯むであろう、彼の威圧的な眼差し。だが、何事もないように播凰とジュクーシャはその視線を受け止め。

 

「おお、お主が天能武装の職人だな? よろしく頼むぞ!」

「一級の鍛冶師に劣らぬ雰囲気……あ、私は見学だけなのですが、よろしくお願いします」

 

 播凰が快活に笑い、ジュクーシャも小声で零したかと思えば追随するようにふわりと微笑した。

 男は、それを見て眉を顰めた後。二人の挨拶にこれといったリアクションを返さずに、管理人を見やる。

 

「その上妙ちきりんときた」

「そこはどうか純真ということでー。つまらない方達でないことは保証しますよー」

「……ふん、まあいい。入んな」

 

 管理人の物言いに、男は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 しかし、拒むことはせずに、三人に背を向けて歩いていく。

 

 門を抜けた先には、一軒の家が建っていた。

 建てられて少々月日は経っていそうではあるが、人一人が生活するには充分どころか少し広そうな一邸だ。

 

 男に続くまま三人はその家に上がり、一室に通される。

 何もない部屋であった。無論、照明器具の類はあるが、床は畳であとは出入りの(ふすま)だけ。

 

 男はどっかりとその場に胡坐をかいて腰を下ろし、胡乱のような、同時に催促するように管理人に半目を向けた。

 

「んで、またあれ(・・)からの手紙があんだろう?」

「はいー、こちらになりますー」

 

 それに対面する形で座った管理人が、懐から文のようなものを取り出して男に渡す。

 男が無造作にその封を開け、頬杖を突きながら中身を確認する中、播凰とジュクーシャも管理人にならうようにその隣に座った。

 

 あまりよいとは言えない態度でありながらも、無言で読み進める男。

 

「……まあ、大体分かった。つっても、オレの所に寄越すって時点で分かり切っちゃあいるが」

 

 そこまで長文ではなかったのか、或いは単に斜め読みをしただけなのか。待った時間は、恐らく数分とかからなかった。

 男は手にしていた一式を乱雑に傍らに投げ置き、落としていた目線を上げて自身の正面に座る播凰と、その右隣に座るジュクーシャを視界に入れた。

 

「んで? 三狭間(みさくま)播凰(はお)とやらはどっちだ?」

「うむ、私だな!」

 

 問いかけに胸を張って応じた播凰の顔を、じろりと男が睥睨する。隠そうともしない、値踏みの意図。それと同時に。

 

「聞いているのかいないのか知らんが、一応名乗ってはおこう。オレの名は、厳蔵(げんぞう)捧手(ほうじゅ)厳蔵(げんぞう)。――予め言っておくが、オレは捧手の名(・・・・)に釣られただけの馬鹿に天能武装を造るつもりはない。お前のような小僧がここにいることを許容しているのも、偏にあれの紹介だからにすぎん」

 

 重圧が渦巻く。

 声色に温かみがないのは元よりのことだが、より一層暗く、冷たい。

 出会いの時から態度で示されている通り、歓迎の色などは一欠片もなく。むしろ、その逆。

 

 ――お前はどちらか、と。

 ――何を思ってここにいるのか、と。

 

 直接口にこそしていないが、言外に問いかけている。

 偽りを述べれば、見抜かれるであろう。戯言など口走ろうものなら、即刻叩き出されるだろう。

 ここで間違えれば、恐らく二度はない。それほどの眼力を以て、彼は応えを待っている。

 さりとて、それに臆する播凰ではなかった。というか、そもそもの話。

 

「捧手、というのが何の意味を持つかは分からぬが――ただ私は、管理人殿に紹介されたままここに来た故な。よって、お主が何者かなどは……うむ、知らん!」

 

 言い切った。

 言葉の意味など知らないと。お前が誰かなど知らないと。

 その上で、ここに来たのだと。

 

 形ある物を購入するのとは訳が違う。オーダーメイド(専用品)、それも天能武装のだ。

 誰をとも意識せずに造り出された既製品とは当然にして異なり、それにかかる金額は――依頼先や内容にもよるが――格段に跳ね上がる。

 天能武装は己の武器であり、同時に身を護るものでもある。これを疎かにするとすれば、それは余程の愚か者であろう。

 

 そして播凰の発言というのは、それを裏付けるものであり。

 即ち、どんな人物であるか、過去にどんなものを造ったのか。よく知りもせずに調べもせずに、よりにもよって依頼をしようとしているわけだ。

 

「……あ?」

 

 故に、男の――厳蔵の片眉が上がる。

 気分を害した、とかそんなレベルではない。いや、元々似たようなものであったが、そこに不本意さや煩わしさはあれど、明確な敵意というものはなかった。

 しかし、零れた一言は短くとも、間違いなく怒気が孕んでおり。息が吸われ、その続きが紡がれようとした、その前に。

 

「――だが、うむ! 実際に会ってみれば気に入ったぞ。私はお主に、天能武装を造ってもらいたいっ!!」

 

 はしゃぐような、播凰の宣言。

 その目元は緩められながらも、確かに厳蔵を――捧手厳蔵という人物をはっきりと見据えていた。

 果たして少年は、いったいそこに何を見たのか。

 

 吸い込まれた息は、しかし空気を震わせることなく厳蔵の体内に留まり。

 毒気を抜かれたように、彼の目線が播凰から管理人へと向いた。

 そして管理人は、にこやかな表情を一切変えることなくそれを受け止める。すると、厳蔵は一つ、深く息を吐き出した。

 

「……んで、そっちの姉ちゃんは何用だ? 手紙には一人分としかなかったが」

「えっと、すみません。私は依頼ではなく、もし可能であれば製造された天能武装を鑑賞させていただけないかと……あ、名前は四柳(よやなぎ)ジュクーシャと申します」

「ふうん?」

 

 次いで矛先は、ジュクーシャに向く。

 だが、こちらはこちらで特に追及されることなくあっさりと終わり。

 厳蔵は三人を視界に収め、暫くじろじろと見まわしたかと思うと。

 

「――しかしまあ、なんだ。三人並んでみると、お前ら家族みてえだな」

 

 笑う。

 声を上げて笑ったわけではない。単純に、今までとは別種の表情となり、和らいだだけ。

 

「……か、家族、ですか?」

 

 少しどぎまぎしたように、ジュクーシャが反芻した。

 彼女は気付かない。いや、普段であれば間違いなく気付いたはずだ。

 

 にいっ、と深まった、その厳蔵のその笑み。

 それは、好意的というよりは――どこか人を食ったような笑みである、ということに。

 

「まずそこの、態度だけはでかいがそれ以外はちんちくりんの、がきんちょ」

「相変わらず口が悪いですねー」

 

 ぴっ、と管理人に指が差されると同時に、繰り出されるただの悪口。

 だが、慣れたものなのか、ちくりと言い返しただけでにこやかな笑みは湛えたまま。

 

「ほんで、一夜の過ちで流されるままになった、青臭い小僧」

「ふむ、過ち……?」

 

 次いで指が示したのは、播凰。

 そして播凰は播凰で、何だかよく分かっていないように、首を傾げ。

 

「最後に、引っかけた若い燕を逃すまいと、必死な女」

「んなっ……にゃ、にゃにをっ!?」

 

 止め、とジュクーシャに厳蔵の指が向く。

 最初こそは呆気にとられていたジュクーシャであったが。言われた内容を理解したのか、瞬時に顔が真っ赤になり、呂律が怪しいまま声を張り上げる。

 

「まぁ、その年齢の子供がいるにゃ、ちぃと若すぎるがな」

 

 今度こそ、はっはっは、と上機嫌になったように大笑いし、膝を叩く厳蔵なのであった。

 

 

「……なんというか、職人らしいといえばらしい性格の方のようですね」

 

 力の抜けた笑みを浮かべたジュクーシャが、部屋の天井を見上げながら疲れたように零す。

 

 あの後、憤慨したジュクーシャを大笑いしつつも宥めた厳蔵は。自身の製造した天能武装のいくつかを見せるのを提示することで、揶揄ったことへの詫びとした。

 

「まあ、あの人は割と昔からあんならしいですねー」

 

 それを否定せず、むしろ肯定的に管理人が相槌を返す。

 その容姿で昔というのはいつなのか、とちょっぴり思ったジュクーシャであったが、口にはしなかった。

 

 さて、そんな槍玉に上がっていると言えなくもない厳蔵、加えて播凰はといえば、この場にはいなかったりする。

 厳蔵が播凰に課したとある条件のため、席を外しているのだ。

 よって、ジュクーシャと管理人の両名は、一時的にこの何もない部屋に残された形となっている。

 

「もっともー、前回の時はもう少し加減はありましたがねー」

「前回、ですか。そういえば、またとか言っていましたが、住人のどなたかが既に依頼されたのですか?」

「あまり他の住人の方の情報を漏らすのはよろしくないですがー。四柳さんはご存じですので教えてさしあげましょうー」

 

 管理人の言葉に軽い好奇を覚えたジュクーシャは、有り得る可能性を指摘する。

 門を隔てて相対した時の反応、その後も対応が妙に慣れていたこと。

 そこからこのような状況が初めてではないらしきことは窺えた。

 ジュクーシャが管理人の顔を見れば。管理人もまた、ジュクーシャに視線を合わせ。

 

二階のお二方(・・・・・・)ですねー」

「なるほど、あの子達(・・・・)ですか」

 

 管理人の答えに、ジュクーシャは納得したように頷き。

 そしてふと、思い出したようにポツリと呟いた。

 

「そういえば、あの子達は確か、播凰くんと同じ学園の中等部でしたね……」



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24話 悪意の影

 結局のところ、播凰の天能武装の製造依頼は、突っぱねられることはなかった。

 だが、かといって受けられたかというとそういうわけでもなく、言うなれば保留。

 つまり、けんもほろろに断られてもいないが、承諾されてもいない。

 

 もっとも、それは播凰だからという話ではないようで。気に入った者にしか腕を振るわないという、厳蔵の流儀らしい。

 厳蔵から播凰に告げられたのは、家の掃除や食料に日用品の買い出し等の雑用。

 その態度、もしくは関わりから人物像を見極めようということなのだろうか。

 

 そして不満をいうことはなく、播凰はそれを了承した。

 天能武装を欲しいのは欲しいが、どの道現状では手にしたところであまり意味はないからだ。仮に今すぐ入手できたとしても、ただの武装の役割しか果たせない。

 加えて、どういう話で通っているのかは不明であり、播凰がお金を出しているわけではない。ともすれば何もしていない。

 対価として見合うかは別として、何らかの条件が提示されることに頷けたというのもあった。

 

 こちらに来てからというもの、掃除――特に掃除機などの道具を用いた方法――は毅に教えられてできるようになっているし、買い出しに関しても同様。一人で買い物位はこなせるようになっている。

 よって播凰は時折、厳蔵の家へと訪れることとなる。

 平日は学園がある旨を伝えれば、毎日でなくていいが放課後に来いとのことであった。

 

 そんなこんなで、翌日は早速厳蔵の家へ向かい。まずはと床を雑巾がけして走り回った。

 厳蔵が少し呆れたような、何とも言えないような顔でそれを見ていたが、若干楽しんでいた播凰には関係ないことである。

 

 そうして週末も終わり、学園への登校。

 支度をして三階から下りれば、毅の姿は当然そこになかった。よって、誰と共に学園への道を歩くこともなく。

 一人、教室へと入った播凰を迎えたのは、クラスメート達の意味ありげな視線であった。

 

「……おい、来たぞ」

「どうする? 確認するか?」

「でももしあれが本当だったとしても……俺、余計なことはしたくないなぁ」

「そんなの、このクラス(H組)なら誰だってそうだろ」

 

 同時に、ヒソヒソと。

 囁きがあちらこちらで起こる。

 

「…………」

 

 だが、それには気付きながらも、播凰は彼らに目線一つ向けずに自分の席に着席する。

 これがもしも、直接何かを言ってきたのであれば、少なくとも関心の一つは抱いただろうが。あくまで、遠巻きにこそこそとしているだけ。故に、取るに足らぬと捨て置いた。

 もっとも、H組の全員が全員そんな反応をしたわけではなかった。播凰に対してこれといってあからさまなリアクションを返さなかった生徒も、中には確かにいたのだ。

 

 そして、その中の一人。播凰よりも先に最強荘を出て登校していた毅は、知っていた。

 

 ――天戦科に、天能術を使えない新入生がいる。

 

 どうもそんな話、もとい噂が出回っているようなのである。

 出所までは知らない。ただ、彼よりも早くにクラスにいた生徒達が話しているのが聞こえたのだ。

 

 それを受けて、クラス内の空気は四分されている。

 単純に内容自体を知らない者。聞いた上で有り得ないと切り捨てる者。面白がって茶化す者。そして、本当だとしたら誰かと考える者。

 

 播凰が話題に上がったのは、偶然でも何でもない。

 先の授業。天能武装の無しを理由に、播凰は授業の唯一の見学者となったわけだが。その際のデモンストレーションという名のパフォーマンスは良くも悪くも、思いのほか生徒達に播凰の存在を印象付けたようだった。

 授業に参加している時点で、実力の差はあれ天能は使える。つまり、播凰以外は明確に除外対象となるわけで。

 

 それを覚えられていた場合、噂に該当するのが誰だとなった時に候補としていの一番に出るのは何ら不自然ではなく。むしろ、ある意味当然ともいえば当然の帰結だった。

 だが、彼らがどの程度真剣に受け止めているかはさておき。疑惑の本人、播凰への直撃を躊躇しているのは何故か。その心境を、毅は理解していた。

 

 つまり、彼らは不安なのだ。

 

 ここは天戦科の成績下位者の集まり、実力的に最も下に位置するクラス。

 学園での暗黙的な地位としては最下層にあり、吹けば飛ぶような存在と言えなくもない。

 ただの噂に気を取られていたり首を突っ込んでいる余裕なんぞは本来なく、もし問題の一つでも起こしてしまいもすれば、どうなってしまうか。それを考えるからこそ、彼らは踏み切れない。真偽不詳の怪しい話も、仲間内で話すのが関の山。

 

 天能を使えないことを隠してはいない播凰であるが、かといって別に公然と宣言しているわけでもないため、その事実を知る者というのは学園内で少なく。

 そしてそれを確信を持って事実だと断言できる存在は、もっといない。当然、学園の関係者や生徒のほとんどは播凰の存在自体を知らず、クラスメートですらようやくそのような名の生徒がいる、程度の認知だ。

 

 とはいえ、例えば新入生の天戦科総代にして特別な家の生まれらしき星像院(せいしょういん)麗火(れいか)であるならばまだしも、データとしてはただの新入生の上に成績下位者に過ぎない播凰であるから不思議でもなんでもないが。

 

 ……でも、俺には――関係ないっす。

 

 そう、無関係だ。

 毅は播凰が天能を使えないことを確信している数少ない人間であったが、それをべらべらと喋るつもりはない。そして同時に、そのような話が出回っていることを播凰に警告する気もなかった。

 自分には関係ないことであり、ただの第三者。できることなんて、何もありはしない。

 

 ――それに、そんなことを気にしている場合じゃないだろう。

 

 内心で叱咤する。

 授業についていくために、実力を少しでも上げるために。今はそちらに集中しなければ。

 そう己に言い聞かせ、毅は机に顔を伏せるのだった。

 

 

「――三狭間播凰」

「おお、紫藤先生。何用か?」

 

 放課後、学園の敷地内をぶらついていた播凰は、紫藤に声をかけられた。

 以前のように、電子メールで呼び出しの約束があったわけではなく、校舎外で偶然会った感じだ。

 

「いえ、用という用はないのですが。妙にキョロキョロとしていましたが、何をしているのですか?」

「ふむ、何をと聞かれると……何もしていないな、うむ」

「…………」

 

 ある種、頓珍漢ともとれる播凰の返答に、紫藤は閉口する。

 が、これは別にはぐらかしているわけでもなければ、冗談というわけでもなかった。

 

「何をしようかと考えていてな。取り敢えず、学園の中を適当に散策している」

 

 真剣な面持ちではあるが、言葉だけを聞けばふざけているともとられかねない。

 だが、これでも播凰は大真面目であった。

 

 天能術の鍛錬をする? 性質が不明であるのに何をするというのか。

 身体の鍛錬をする? 悪くないが一人というのも味気ない。

 勉強をする? 断固拒否だ。

 

 その他に何ができるかと考えると、パッと思い浮かぶものというのは播凰にはなかった。

 自由時間に対する選択肢としては少なすぎる。ただ、ある意味仕方ないとはいえた。なにせ元の世界ではほぼほぼ毎日が自由時間であったのに対し、ぼーっと無気力にしていただけの日々だったのだから。

 こちらの生活には慣れつつあるが、完全に順応しているかとなると微妙。やる事を強いられていない時にどう過ごすか、何をしたいかというのが播凰の中にはまだなかったのである。

 

 毅がいれば相談の一つでもしていたかもしれないが、生憎もう彼とは疎遠。今日どころか、あの日から声はおろか顔を見合わせてもいない。

 

 その結果が――何も思いつかずにぶらついている現状であったのだ。

 ただ強いて言うのであれば、学園内を把握するという点では完全に意味のない行為ではない。地理を覚えるのや地図から場所を探すのが苦手な播凰にとっては猶更ではある。

 

 しかしまあ、そんな播凰の内面を紫藤は知る由もなく。

 

「……以前お話した、私の知己からの連絡があるまでは、こちらから君に呼び出しはしないつもりです。ただし、そうは言っても無意味な時間は過ごしてほしくないものですね」

 

 溜息を吐くと、紫藤は苦言を呈しつつも。

 

「時間があるのであれば、観戦スペースのあるどこかのグラウンドに行ってみては? 場合によっては、天戦科の生徒が摸擬戦をやっていることもありますし、運が良ければ上級生の実力ある生徒も利用しているかもしれません。天戦科の戦いが如何なるものであるか、君は見ておいた方がいいでしょう」

 

 助言として、グラウンドで自主練習している生徒の観戦という案を出した。

 ただ、それに対して播凰は唸り声と共に腕を組み。

 

「うむぅ、なるほど。だが、私が天能を使えぬ内は……なんというか、羨ましくて仕方がなくなりそうだっ!」

「……強制はしません。ですが、君を教える時までに最低限の知識は身に着けておいてほしいものです」

 

 渋面を作りながらも、言っていることは駄々っ子のようなそれ。いや、一応抑えがあるだけまだましか。

 呆れ顔の彼女は最後にチクリと釘を刺して、歩き出したが。

 

「そうだ、一応伝えておくが。実は、天能武装の作製を依頼しようとしている」

 

 その背に、播凰が声をかける。

 紫藤は足を止め、顔だけを振り返った。

 眉は顰められているが、それも無理ないだろう。

 今の播凰は天能武装の無しを理由に授業を見学している身。その状況を壊す発言であったのだから。

 

「天能武装を、購入ではなく依頼ですか?」

「うむ、山中に住む翁にな!」

「山中? ……いえ、まあいいでしょう。値は張りますが、専用の一品というのはよいものです」

 

 だが、意外にも彼女は怒らなかった。単純に、依頼と言ったのが気になっただけのようだ。

 

「ふむ、怒らぬのか?」

「……君に、そのような気遣いができたというのは少し驚きですが。ええ、いずれ必要にはなります。咎めるつもりはありません。ただし時期が来るまでは、性質と同じくみだりに喧伝しないように」

 

 それだけ言って、今度こそ紫藤は去っていった。

 播凰は、暫しその背中を見送っていたが。

 

「…………」

 

 ふと何かを気にするように、すぐ近くの校舎を見上げたものの。

 だが、無言のまま。彼もまた紫藤とは別の方向に歩いていく。

 

 周囲に音はなく、遠くから誰かの声が届く程度。

 しかし。

 

 ――ギリィッ。

 

 二人が去った後、何者かの歯軋りの微かな音が、空に消えた。



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25話 狂気を宿せしもの

 変わらぬ日々が続いていた。

 

 三狭間播凰と晩石毅の間に溝ができたまま言葉を交わさないことも変わらなければ、播凰が天能術の実技の授業を見学することも変わらない。

 天能武装の無しを理由に授業を見学する回数が増えるにつれ、クラスメートの視線が播凰に集まる回数も頻度も増えていったが、しかし彼らはそれだけで直接的なアクションを起こそうとはせず。

 なぜだか、時折他のクラスと思しき生徒もH組に顔を覗かせていたが、何をしていたのか。

 とかく結局はその状況すらも、播凰へ影響を与えたかという意味では依然として変わることはなかった。

 

「うむ、今日は厳蔵殿のところへ買い物を届ける日だ」

 

 唯一、播凰の生活リズムで変化があるとすればそれは。山中に居を構える天能武装の職人、捧手(ほうじゅ)厳蔵(げんぞう)の元へ行くことである。

 毎日ではないものの、学園のある日は食料品等を買って届けたり、休みの日であれば掃除に訪れたり。

 やっていることはただの雑用であるが、現状、やれることもなく手持無沙汰に近い播凰にとっては、ほどほどにいい時間潰しとはなっていた。

 

「……が、その前に」

 

 そして、もう一つ。本日、新たに変化が加わろうとしていた。

 ゴクリと喉を鳴らし、覚悟を決めたような瞳で播凰はそれを見据える。

 一日最後の授業の終了を知らせる鐘の音が響いた後、播凰はとある場所へと訪れていた。その場所とは、存在こそ知っていながらも、今の今まで来るのを躊躇していた学園の施設の一つ。

 いや、それを眼前にしたこの瞬間も、両足は重く、進まない。

 だが、播凰は深く息を吸い込み、そして吐き出し。吊り下げられたプレートに刻まれた文字を一瞥して大きく足を踏み出した。

 

 その施設の名を――。

 ――図書室、という。

 

 扉を一つ隔てた空間の向こうは、静寂に満ちていた。

 廊下までは生徒達の話す声が聞こえていたというのに、まるで異空間にでも入り込んだかのよう。

 

 入ってすぐに、目線の先、もうそこには巨大な書架。そしてきっちりと居並ぶ、書籍達。

 それが幾重にも連なっている。

 

「む、むうぅ……」

 

 その光景が視界に入っただけで、播凰は苦悶の声をあげた。

 彼の後に図書室に入室してきた生徒が、邪魔そうに、変なものでも見るかのように通り過ぎて行ったが、そんなのは気にならない。

 

 脳裏に去来するのは、机に積み上げられた参考書に問題集。そして対面のいつもと同じニコニコ顔の、最強荘の管理人。

 そう、入学前の勉強会。その弊害であった。

 

 既にダメージを受けている播凰であるが、ここまではまだ序の口も序の口。

 本題はこの先。大量の書架の中から、目的の本を探し、そして読まなければならないことである。

 

 ……書物とは、こんなにも強大であったろうか。

 

 彼にしては珍しく戦々恐々と、二の足を踏んでいる。

 馬鹿馬鹿しいことではあるが、映る景色はそれほど播凰にとっては巨大な壁足り得た。

 その内心を覗ける者がいれば、何を言っているんだと思うこと請け合いだろうが、幸いにしてそんな人物はいない。

 

 ――ただし、覗けなければ問題ないということでもなく。

 

「……一体何をしているんですか、貴方は」

 

 不思議そうな、それでいて呆れを含んだ響きの声が、すぐ横から届いた。

 弾かれるように、播凰は隣を向く。

 

 そこには彼女――星像院(せいしょういん)麗火(れいか)が、不審な物を見るような目つきで、立っていた。

 

「おお、其方は……うむ、私はこれより強大な敵に挑もうとしているところである」

「……はあ」

 

 そして、考えていたことをそのまま口にする。

 当然ながら播凰のその言葉を聞いた麗火は、よく分かっていないような――実際確実に分かっていないのだろうが――生返事をした。

 

 だが、それも詮無き事。もし言葉の意味を理解できるとしたら、それは恐らく播凰と同じような感性の人間だろう。

 そう考えると、彼女は新一年生の総代であることからして、勉学の面でも優れていることは想像に難くない。

 つまりは、播凰とは対極の存在だ。天能術の面でも、勉学の面でも。

 新入生の天戦科における優等生(頂点)問題児(底辺)。しかしながらそんな二人が最低限とはいえ知り合いであるのは、如何なる偶然か。

 

 故に同意など得られるわけもなく、返ってきたのはより深まる疑念。

 だがふと、ここで播凰、ピンと閃いた。

 

「時に其方、ここには何度か来ているのか?」

「え? そ、そうですね。流石に毎日ではありませんが」

「ほう! では一つ、頼まれてはくれないか!?」

 

 つまり、聞いてしまおうと。ついでに、目的を満たす本を見繕ってもらおうと。

 初めて来たわけではないという麗火に、活路を見出し。無意識に高じたテンションは、その懇願を図書室に響かせ。

 

 一拍遅れ、ゴホンと。

 咎めるように、咳払いが木霊した。同時にいくつかの非難の視線も、図書室入り口に――正確にはそこにいる播凰と麗火の二人に集っている。

 

「……ああもうっ! 貴方という人は……っ」

 

 その複数にして無言のメッセージに麗火は顔色をほんのりと紅潮させ。

 小声で、ヒソヒソと。半歩ほど播凰に近寄った。

 

「静かにしてください。……それで、何だというのです?」

「うむ。本をな、探したいのだ」

 

 簡潔な播凰の頼みに、麗火は、はぁっと僅かに息を零し。

 

「……あの時もそうでしたが。私と貴方は頼みを聞くほどの仲でもなく、またその義理もありません」

 

 彼女は、その身を翻す。

 すたすたとそのまま歩き去りそうな雰囲気ではあったが、しかし。

 

「……ですが、騒がれても迷惑です。一先ず場所を移動しましょう」

 

 目線で促し、図書室の奥の方へと向かっていく。

 その背中に続いていく播凰。気分はさながら、数多の本の荒波へと進み入る船の、その一乗組員のようだった。

 ちなみに、恐れずして先を行く麗火は船頭である。

 

「それで? 何の本を探しているのです?」

 

 小さな、しかし棘のある声で、麗火が聞いてくる。

 私語厳禁、というルールは図書室にはないので、多少の会話であれば許容範囲で目くじらを立てられることはない。

 大声然り、笑い声然り、暗黙の了解の上で眉を顰められるのは、そういった喧しい類の騒音だ。

 

「天能の性質について記されている本だな。分かりやすく、性質の一覧のようなものがまとめられているような本であれば、なお良い」

「……なるほど」

 

 播凰が求めていた知識は、性質にどのようなものがあるか。

 今後、自身の性質が判明した場合。その時になれば勿論調べることだろうが、事前に性質の種類を少しでも知ろうとするのは悪い手ではない。

 よしんば、己の性質が文献に存在しないものだとしても、知識としては無駄にはならずそれはそれで興味がある。

 

 先日視聴した、大魔王の動画。その中に登場した伝説の性質、幻。きっかけはそれだ。

 

「でしたら、これなどはいかがでしょう?」

 

 要望を聞いた麗火が、書架から一冊の本を手に取って播凰に渡す。

 

「おお、ありがたい。では、早速読ませてもらう。感謝するぞ」

 

 すると播凰は軽く表紙に目を落とした後、礼を述べて椅子とテーブルの設置された読書用のスペースへと向かっていった。

 

「…………」

 

 その背中を、麗火は暫し目で追った。

 彼女が勧めた本。それは所謂、図鑑だ。

 麗火自身も以前に読んだことがあり、割とポピュラーな部類。子供でも読みやすく、これで様々な性質を知ったという人も多いであろう、そんな一冊である。

 

「本当、変わった人……」

 

 一般の学校に通う生徒であるならまだしも、この学園に通っていながらそれを知りたいというのは、段階としては遅い。

 

 風変りな人物、という印象はあの実技試験の会場で出会ったその時から抱いていた。そしてそれで終わるはずであった。

 だが、邂逅はその時だけに止まらず、どういうわけかこうして学園で顔を合わせていて。その認識はますます強まっている。

 

 先の戦いでもそうだ。武戦科であれば、撃ち込まれた天放属性の天能術を、天能武装で迎撃するのも、身一つで躱すのも珍しくはない。手に装着するタイプの天能武装であれば、殴るのも然り。

 だが、彼は天戦科であり。同時に、素手であった。

 もっとも、矢尾は新入生としては上位のレベルであるが、あくまで新入生の域を出ず。そして播凰が素手で対処したのは天介属性の拘束系の術。

 有り得ない、とは言えない。だが、密かに天能術を行使していたのではないかと言われた方が納得がいくのは確か。

 

 それになにより――己のこの姓(星像院)に何ら一つとして反応を示さない。

 

 播凰が席に座り、疑うことなく渡した本を読み始めたことを書架の間から確認すると。

 視線を切った麗火は、自分の元々の用事を済ませるために動くのであった。

 

 

 

「……はぁー」

 

 長く、憂鬱さの籠った溜息であった。

 周囲には誰もいない、渡り廊下。そんな空間をただ一人、のろのろとした足取りで、晩石毅は歩いている。

 

 ここ最近では、それがもう彼の放課後のお約束となりつつあった。

 学園の敷地内、その隅っこ。誰の邪魔にもならないように、誰にも見られないように。

 天能術の上達のため、毅は特訓をしていた。

 

 しかし、その成果はというと、態度が示す通り芳しくない。

 いや、ちょっとやそっと努力しただけで実力がつくわけないのは、理解している。

 だが、そうするしかないのだ。少しでも授業に着いていくには。置いていかれないようにするには。

 

 そんな訳で、今日もまた。毅はとぼとぼと下を向き、歩いていた。

 

「――よう」

 

 だからか、気付くのが遅れた。

 声をかけられたのだと、そう毅が認識したその時には。

 ぬっ、と視界の外から伸びてきた手が彼の胸倉を掴んでいた。

 

「ぐっ!?」

 

 引き寄せられ、堪らず苦悶の声を漏らす。

 だが意外にもすぐに手は離されて、バランスを崩した毅は地面に手と膝をついた。

 何が、とそれを行った人物を確認しようと、顔を上げる。

 

「……っ」

 

 そうして、ひゅっ、と短く息を呑んだ。

 立っていたのは茶髪の男子生徒。その名を、毅は知っていた。

 

 ――矢尾(やお)直孝(なおたか)

 

 忘れもしない。忘れるわけがない。その光景は未だ脳裏に鮮明に焼き付いている。

 播凰と戦い、そしてそれに負けた生徒。

 結果的に播凰に負けたとはいえ、その実力は毅が到底敵わぬものであり、天戦科の最上位であるE組の生徒。

 

 ――だが。

 

 ギラギラとした瞳。寒気を感じさせる、異様な雰囲気。

 

 ――ほんの一瞬、別人のように感じた。

 

 毅の記憶にある軽薄そうな笑み、ではある。毅を見下ろすその顔は、実技試験の時も、食堂でのいざこざがあった時も見たものだ。

 彼と毅は直接会話したこともなければ、会ったことすらただの数度。だから、知らぬ一面など当然にして存在し、むしろ知らない面の方が多い。

 けれども、その上で確かに見紛うた。何がとは言えない。だが、何かが確実に違っていて。

 

「テメエに聞きたいことがある。なに、正直に話せば痛い目にあわずに済むぜ?」

 

 嗤っている。

 しかし、怪しい光を宿した冷たいその瞳は、真っすぐに毅を射抜き。

 

「単刀直入に聞く。あの野郎……三狭間播凰が依頼したとかいう天能武装の職人。そいつは、どこにいる?」

「……っ!!」

 

 硬直する。

 何故そのことを、という疑問がまず頭を駆け巡った。

 毅が知っているのは、管理人から聞かされたから。そしてその場所も会話のすぐ後に、端末へと連絡が届いていた。

 

 そして同時に思った。それを聞いて何をしようというのか、と。

 

「な、何のことっすか? そ、それに、俺は播凰さんとはもう……」

「へえ?」

 

 ニタリ、と矢尾が嗤い、その手に天能武装を顕現させた。

 音もなく現れたその先端が、蹲る毅の顔の、そのすぐ横に添えられる。

 咄嗟に出た毅のごまかしは、それによってピタリと止められた。

 

「知ってるんだぜ、俺は。そして、時期的に考えると今が頃合いだ。ぼちぼち完成間近か、そうでなくても大方、形ぐらいにはなってるだろうよ」

「…………」

「しらを切るってんなら、痛い思いをしてもらうしかねえなぁ?」

 

 矢尾はクツクツと肩を震わせると、じゅーうっ、きゅーうっ、とそれはさも楽しそうにカウントダウンを始めた。

 静寂とした空間に、それは大きな声でもなしに不気味と反響する。

 毅は、動けなかった。彼我の実力差が明白であるがゆえに。異様な雰囲気にあてられたがゆえに。

 逃げることも、歯向かうこともできず。

 

 ――カウントが、三の数字を切った。

 

「や、山に……」

 

 竦ませた身で、それを絞り出すのが精一杯だった。

 端末へと送られてきていた地図と文字。とてもではないが見たいものではなく、しかし見てしまった、その情報を必死に思い出して。

 

「……ってーと、本当にあそこなのか。ふん、嘘じゃなかったみたいだな」

 

 スッと毅の顔の真横に添えられていた矢尾の天能武装が消える。

 思案するように矢尾が腕を組み、彼方を睨んだ。

 へなへなと、毅は崩れ落ちるように地面に座り込む。

 

「だが、これではっきりした。ありがとうよ――友を売った、落ちこぼれ君」

 

 そんな毅を、つまらなさそうに、小馬鹿にするように最後に見て。彼、矢尾は悠然と姿を消した。

 残ったのは、元通り毅一人。緊迫とした雰囲気も元に戻り、はぁはぁと、まるで呼吸を止められていたかのように荒々しく空気を求める。

 

 ――なんだったのか。

 

 いやにあっさりと終わった。

 心臓が早鐘を打つ中、無様に座り込んだまま、思考する。

 

 ――巻き込まれたんだ。

 

 彼の狙いは判然としている。播凰以外にはありえなく、事実、毅には脅しただけで痛めつけることはなかった。

 その言葉から察するに、目的は播凰本人というわけではなく、その天能武装作製を依頼した職人――ひいては、天能武装そのもの。

 

 ありうる可能性は――播凰向けに作製された天能武装の奪取、あるいは破壊か。

 

 未だ小刻みに震える身体で、毅は端末を取り出す。

 そして、播凰にメッセージを取ろうとして。しかし、その指は動かなかった。

 

 ……今更、どんな顔して連絡すればいいんすか。

 

 その震え故、ではない。情けなくも恐怖から涙で視界が滲み、端末が見えないからでもない。

 

 矢尾が天能武装を狙っているかもしれないから注意しろ?

 何をされるか分からないから気を付けて?

 

 言えるわけがない。どの面下げて、警告などと。

 

「……大丈夫っす。あの人ならきっと」

 

 力なく顔を伏せ、呟く。

 

 大丈夫だ、播凰なら。あの摸擬戦で矢尾を圧倒した、異常な力を持つ彼なら、返り討ちにする。だからきっと、大丈夫。

 

 言い聞かせる。

 自分は巻き込まれただけだ。巻き込まれただけなのだ。

 ただ巻き込まれただけで――しかし、他ならぬ晩石毅(自分)がそれを、教えてしまった。保身のために。

 

「…………」

 

 座り直し、膝を抱える。時はそのまま少し過ぎ。

 やがて雲の合間から、夕暮れが差した。

 

 ――それでも私は、ここで学び、天能を使ってみたいのだ!

 

 その宣言は、今でも覚えている。

 あの時は、ただの驚き、インパクトの強さから記憶に残っただけだと思っていたが。

 今、思い返せばそれは。圧倒されていたのだろう。天能の実力無しに立ち振る舞うその芯の強さに。

 

 ――だが、毅の天能も悪くは無かったぞ! まるで投石機のようだったな!

 

 そしてその帰り道。

 彼は、毅の天能術を褒めた。派手さの欠片もなく、地味でしかなく。友達はおろか、家族すら(・・・・)褒めることのなかったその実力を。

 きっと嬉しかったのだろう。上っ面のお世辞ではなく、心の籠った言葉だと不思議と理解できたから。

 

 ――友を売った、落ちこぼれ君。

 

 気が付けば、立っていた。

 勇敢にでもなく、堂々とでもなく。だけども、歯だけはしっかり喰いしばって。

 近くの渡り廊下の柱を支えにしてようやく、といった様子だった。傍から見れば、不格好極まりない。

 けれども確かに、立ち上がる。

 

 涙を拭う。そうして、大きく息を吸い込んだ。

 

「……っ!!」

 

 足の震えは、全身の震えは、まだ止まらない。

 でも、それでも。

 晩石毅は、駆け出した。

 

 

 一方、その頃図書室では。

 

「ふむ、成程……」

 

 眉間に皺を寄せつつも、播凰が意外にも夢中になって本のページを捲っていた。



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26話 洞窟を支配するもの

 走る、走る、走る。

 

「はぁ、はぁっ……!」

 

 時刻は夕暮れ時。

 買い物をする主婦や、学校帰りの子供達の姿が街にありふれている中、晩石毅は走っている。

 息を乱し、震えの止まらぬ足を必死に動かし、前へ前へと足を運んでいる。

 

 その足取りはあまりしっかりしているとも言えず、今にも転びそう。

 いや、実際何度か転んだ。

 足が縺れ、或いは踏ん張れず、情けなく地面を転がった。

 

 憧れの東方第一の、青緑色の制服を汚し。衆目にさらされ、時に笑われようとも。

 それでもなお、足は止めない。

 

 ――行って何ができる?

 

 脳内に声が、囁いた。

 忘れるなと。お前は、落ちこぼれの底辺なのだと。

 脅しに屈して何もできなかった奴に、今更何ができるのかと。

 

 ――本当に何かが起こるのか?

 

 また別の声が、足を止めようと問いかける。

 しかし、自分の声だ。紛れもない、自分の心の一片(弱さ)だ。

 それが、杞憂だと。播凰に任せておけばよいと。諭してくる。

 

 何もできないかもしれない。そもそも、何も起こらないかもしれない。

 だが、それでも――。

 

「――はぁっ、はぁっ……いたっ!!」

 

 己でも驚くほどの何かに、突き動かされて。

 来たこともない場所なのに、何故だか迷わず辿り着いた。先を行っていた矢尾の背中に追いついた。

 

 彼は今まさに、山中にひっそりと佇む、その門に近づこうとしていて。

 

「……なんだ? 誰かと思えば、さっきの落ちこぼれじゃないか」

 

 振り返る。

 まるで気分を害したように。膝に手をつき荒く呼吸をする毅の姿を、彼は怪訝そうにしている。

 

「何しに来やがった? こっちは、テメエなんぞに用はないが」

 

 知っている。言葉通り相手にとって眼中にないのは分かっている。羽虫を見るような視線であることも理解している。

 それを、承知の上で。

 

「そっちこそ、何をしようとしてるっすか?」

 

 問う。

 飾る必要はない。気分を伺う必要もなければ、耳当たりのよい言葉をかける必要もない。

 

「ハッ、決まってんだろ。ぶっ壊してやんだよ、生意気にもオーダーメイド品を持とうとしてやがる、あの野郎の天能武装を」

「それは……なんでっすか?」

 

 予想していた返答だ。そして毅がその理由を聞けば。

 矢尾は鼻を鳴らし、そして苛立たしそうに吐き捨てる。

 

「鉄槌だよ。どんな手を使ったのか知らねえが、不正があったに決まってる。でなきゃ、あんな奴が入学できることも、この俺が負けることも有り得ねえっ!!」

 

 その顔は、憎悪に歪んでいた。

 どす黒い悪意が噴き出す幻視すらした。

 

「さっきは見逃してやったが……邪魔するってんなら、覚悟はできてんだろうなぁ!?」

 

 矢尾の手に、天能武装が現れる。

 遅れて、毅も天能武装たる杖を握った。

 

「――雷放(らいほう)五連矢(ごれんや)っ!!」

「――岩放(がんほう)二連弾(にれんだん)っ!!」

 

 ほぼ同時に放たれる、双方の天能術。

 ――だが。

 

「アハハハッ、なんだテメエ、そのちんけな術は!?」

 

 五と二、というそもそもの数の差はさておき。その上で、矢尾の繰り出した雷の矢は、毅の放った石の弾を苦も無く貫いてきた。

 

 その場から全力で横に飛ぶことで、なんとか毅は五本の矢を回避する。

 ドォン、と山の地面が吹き飛び、轟音が上がった。

 

 体勢を立て直した毅が、脂汗を額に滲ませながら矢尾の方を見れば。

 追撃もできたであろうに、彼はニマニマとして腰に手を当てていた。

 

「ほらほら、どうしたぁ? 打ち込んできてもいいんだぜ?」

 

 再び二つの石を発射する。すると矢尾は、余裕綽々といった様子で毅に合わせるように雷の矢を二本打ってきた。

 そして両者は中程で衝突。

 小さい爆発が起こる中、毅の石は粉砕され。対して雷の矢は健在で、そのままの勢いで毅を狙ってくる。

 

「……っ! 岩介(がんかい)円防盾(えんぼうじゅん)っ!」

 

 咄嗟に発動したのは、天介属性に位置づけされる防御の術。

 片手を円形の盾が覆い、そこで雷の矢を受け止める。

 

「ぐっ……」

 

 ミシリ、と岩の盾に亀裂が走った。腕にかかる衝撃と負荷。

 間近で瞬く激しい雷の光が、毅の目を焼く。

 

「ああぁぁっ!!」

 

 なんとか受け切った。だが、止めると同時に岩の盾も壊れてしまった。

 手加減にされたことに加え、攻撃同士のぶつかりで多少なりとも威力が下がった状態でこの結果。

 実力が違いすぎる。分かっていたことだ。

 

「おーおー、よくできました。けど、弱すぎるな、お前。中等部の方がまだましなんじゃねぇか?」

 

 パチパチと拍手をし、矢尾がせせら笑っている。

 既にいっぱいいっぱいの毅とは大違いだ。

 

「あー、あれか。お前も不正で入学した口か? だから、不正のお仲間同士、仲良しこよしってわけだ!」

 

 矢尾が嗤う中、毅は考えを巡らせる。

 自分が使える術は、今ので全て。その二つ共が、通じないことが証明されてしまった。

 いや、連弾の方はあと一つ数は上げられるが、細かい制御まではできない。だが仮にそうしたとしても、相手は五の矢。数も威力もどの道押し負けてしまう。

 

「そうだ、俺は強いんだ! H組なんかに負けるはずがない――E組に相応しいエリートなんだ! ……なのに、アイツらときたらっ!!」

 

 一頻り嗤ったかと思えば、再び憎悪がその顔に貼り付けられる。

 それは、毅を睨んでいるというよりは。ここにいない、誰かに向けられているようで。

 そんな時であった。

 

「――なんだ、さっきから。人様の家の前で騒々しい」

 

 木でできた門が、開いた。

 中から出てきたのは、白髪の交じった老人――捧手(ほうじゅ)厳蔵(げんぞう)。その手には何やら、一本の黒い杖を持っている。

 ぶつくさと文句を言いつつ、ぎろりとその両眼が矢尾と毅を睥睨した。

 そして二人の制服を見て、何かに気付いたように続ける。

 

「ん、お前ら、三狭間の小僧の知り合いか?」

「三狭間ぁ――そうか、それがあの野郎の天能武装だなっ!?」

 

 その言葉に、というよりもその中にあった単語に反応したのは、矢尾であった。

 彼は、天能武装を老人へと向け、激高する。

 

 まずい、と思ったその時には、既に毅は駆け出していた。

 

「そいつを寄越せ、ジジィッ!! 雷放・五連矢ッ!!」

 

 放たれる、雷の矢。

 問答無用のその五撃は、寸分違わず真っすぐ老人に向かっていて。

 老いた身体を貫くかに思われた、その攻撃は。

 

「やあぁぁっっ!!」

 

 その直前に、横から毅に突き飛ばされたことで、一応の事なきをえる。

 だが。

 

「……がっ!!」

 

 庇った毅は、それを躱しきることはできず。

 五本全てではない。だが、何本か直撃した。

 どうっ、とまともに着地もできず地面に倒れこむ。

 

 ――痛い。

 

 一瞬、呼吸が止まった。

 だがそれすらも忘れさせるほど、すぐさま背中と足に激痛が走った。

 今まで天能術での攻撃を受けたことがないわけではない。だが、撃たれ慣れているわけでもない。

 

 ――痛い。

 

 ただの一回ですら、こんな有り様。

 助けるにしたって、もっと実力がある人なら、ちゃんと助けられただろうに。

 

 ……やっぱり、播凰さんは凄いっすね。

 

 これを受けてけろりとしていた播凰は、やはり違うと感じる。

 あの戦いを見た時は、それが恐ろしかった。天能術の実力差を考えれば、負けて当然の戦い。せめて播凰が無駄に痛めつけられることのないように、と祈ってすらいた。

 にも関わらず、播凰は勝った。勝ってしまった。

 

 晩石毅(自分)は、天能術ばっかり気にしていたけれど。

 天能術に自信がなくたって――。

 

「全く、いきなりなんだってんだ。……おい、小僧、大丈夫か?」

 

 助けようとした、ということは一応理解しているのか。

 厳蔵が、倒れている毅へと近寄り声をかける。

 

「痛た……お爺さんは、大丈夫っすか?」

「爺扱いすんじゃねぇ。だがまあ、おかげさまでな。……で、何がどうなってやがる?」

 

 なんとか身を起こす。

 そしてふと、気付いた。

 

 老人が持っていたはずの黒い杖が、今はその手にない。

 

「――ふーん、これが、あの野郎の天能武装ってわけか」

 

 暗い喜色を含んだ声が少し離れたところから聞こえ、弾かれたようにそちらに視線をやる。

 見れば、矢尾の手には正にその黒杖が収まっており。

 彼は、それをまじまじと観察していた。

 

「播凰さんの天能武装っ!!」

 

 緩やかではあるが、山という地形の関係上、こちらからあちらは斜面になっている。

 毅が突き飛ばした反動で杖が落ちてしまい、転がってしまったのだろうか。

 

 だが、そんな毅の叫びを聞いた厳蔵は、眉を顰め。

 

「いや、ありゃ違ぇぞ? というか、そもそも造りはじめてすらいねえが」

「えっ!? だったら、あれは何すか?」

「あ? そいつは、この辺で拾ったのを適当に鍛ってみたやつだ。妙なもんが落ちてたからよ」

「ハッ! そんな見え透いた嘘に騙されるかよっ!」

 

 老人の言葉を、矢尾は鼻で笑って一蹴する。

 言い訳、なのだろうか。真偽は分からないが、毅も矢尾に近い認識をもったのは確かだった。

 

 ――そして同時に、チャンスでもあった。

 

「岩放・三連弾(・・・)!」

 

 真っすぐに飛ばすだけなら、細かい制御はいらない。

 元より油断し、目的の物を手にした今、更に慢心しているであろう矢尾に向けて、毅は攻撃を放つ。

 

「……チッ、無駄な足掻きをっ!! 雷放・三連矢!」

 

 無駄であることは、百も承知。そしてそれは一種の賭けだった。

 天能術では格上の相手に付け入る隙。それは。

 

 ――岩介・円防盾。

 

 攻撃と同時に、毅は走っていた。

 痛む身体に鞭を打ち、最後の手段へと。

 

 三つの雷の矢は、僅かな拮抗の後、三つの石の弾を食い破ってくる。

 ここまでは、予想通り。そこに岩の円盾を差し込む。

 まともに止めるのではない。角度をつけて受け、その進路を逸らすようにして。

 

「おおぉぉっ!!」

「なにっ!?」

 

 爆発の中から抜け出す。

 躍り出てきた毅を目の当たりにして、矢尾は確かに動揺した。

 戦いの最中、遊んでいた彼が、とうとう。

 

 ――ガギィンッッ!!

 

 二人の天能武装が、杖が音を響かせて交わる。

 ぎりぎりと力を籠め、鍔迫り合う。

 

「テメエ、何をそこまで必死になるっ!? そこまでして、何がっ!?」

 

 矢尾が叫んだ。

 だが、毅は答えない。否、答えられなかった。

 何故なら、その答えは自分すらも持っていなかったのだから。

 

 ――怖くない、といったらそれは嘘じゃない。

 

 ここに来るまでから。そして来てからすらも、膝は震えっぱなしだ。

 

 ――怖くない、といったらそれは嘘じゃない。

 

 何度と雷の術を無防備に受けても動じないあの人は。その力も、放つ空気すらも偶に怖い時がある。

 

 不思議なひとだった。

 何にも驚くひとだった。

 よく笑うひとだった。

 

 勝手に怖がったのは、自分の方。

 いや、自分が弱かったからだ。

 だからこそ、あの時あの背中に声をかけられなかった。だからこそ、脅しに簡単に屈した。

 だからこそ――ここで動かなかったら、きっと今度こそ取返しがつかなくなる。

 

「はあぁぁっっ!!」

 

 裂帛の気合を込めて、押し込む。

 天能術のレベルは段違いだとしても、膂力までもが段違いとは限らない。

 ましてや矢尾も毅も天戦科だ。武戦科と異なり、身体能力は鍛えるにしてもメインではない。

 

 走りこんだ勢いも味方していたのだろう。徐々にだが、確実に毅が押していた。

 そして――。

 

「……くそッ!」

 

 崩した。分が悪いと見たのか、矢尾が後方へと跳んだ。

 そこが勝機。またとない機会、見逃さずに毅は追撃し。

 

 ガクン、とその足が落ち込んだ。

 

「……っ!」

 

 限界だったのだ。むしろ、よくもった方だ。

 ここまで走り続けていた。少なくないダメージを負った。

 

 その一瞬が、明暗を分けた。

 バックステップをしながら、矢尾が術の行使に入る。

 

雷放(らいほう)――」

 

 前に身体を倒しつつある毅には、その表情を窺い知ることはできない。

 だが、恐らくは嗤っているのだろう、と毅は思った。

 

「――降落響鳴(こうらくきょうめい)っ!!」

 

 よりにもよって、ここで威力の高い術。

 頭上から降り注ぐ雷撃は、間もなく毅に到達するであろう。 

 

 ……やっぱ、駄目っすかぁ。

 

 勝ち目があるとすれば、それは接近戦。

 要するに、播凰の二番煎じ。つまりは真似だ。

 

 だが、駄目だった。

 分かっていたことだ。三狭間播凰は特別であり、晩石毅は特別ではなかった。

 

 でも、それでもせめて意識は失わないようにと。

 目をギュッと閉じて痛みに備える。

 瞼越しにでも分かるほどの激しいスパークが迫り――。

 

「――ふむ。状況はいまいち分からぬが……よく戦った、毅よ」

 

 届いたのは一条の雷光ではなく、一つの声。

 

「え……」

 

 恐る恐る、目を開ける。

 まず視界に入ったのは、何やら色々入ったスーパーのレジ袋。

 そして見上げた先には、背中があった。大きな、大きな背中が。

 

「三狭間播凰っ……!!」

 

 もはや、怨嗟の声といっても過言ではなかった。

 それほどまでに、矢尾が播凰に向けた目は、声は、憎しみに満ちていた。

 

「何やらこそこそしていたのは気付いていたが、やはりお主か」

「ああ、そうだ! せっかく俺が流した噂も、H組の馬鹿共は怖気づいて何もしやがらねえ。だからこうして、テメエの天能武装を、ぶっ壊しに来たんだよっ!!」

「……ん? 私の天能武装とな?」

 

 両者のやりとりをぼーっと聞いていた毅は、ふと気付いた。

 矢尾が手にした、黒杖。それが、不気味な光を放っていることに。その怪しい光が、どんどんと大きく強くなっていることに。

 

 播凰がきょとんとしているのは、気になる。だが、それよりもあれは何だ。

 その異常ともいえる事象に、気付いているのかいないのか。

 矢尾は、黒杖を振り上げ――。

 

 ――グルルオオァアーーーッッ!!

 

 この世のものとは思えない何かの咆哮が、宵闇を切り裂いた。

 同時に、黒杖から放たれた漆黒の光が辺りを包み。

 

 それが止んだ直後、毅は我が目を疑った。

 先程までそこにいなかったもの。いや、この世に存在していない、してはいけないはずの架空の存在が、鎮座していた。

 

 人間の何倍、何十倍もの巨体。闇を思わせる漆黒の鱗に、爛々と光る赤と黄の入り混じったような眼。その口から覗く鋭い牙に、爪。そして極めつけは、広がる巨大な両翼。

 

「……ド、ドドド、ド」

 

 その特徴に該当する生物は知っている。いや、存在は知っている。本の中で、ゲームの中で、そして伝説の中で。

 だのに、その名前が口に出ない。口に出すことを、脳が拒否している。

 

「――ほう、知った気配を感じて来てみれば、これはまた懐かしいのがいるではないか」

 

 いつの間にか、その男は立っていた。

 その有り得ないはずの光景を前にしながらも、何事もなさそうに、むしろ面白げに。

 最強荘一階の住人にして、自称大魔王。一裏(いちうら)万音(まお)が、毅のすぐ側に立っていた。

 

 それから遅れること、数秒。

 

「――邪悪な気配を察知して来ましたが、成る程、ドラゴンですか」

 

 ザッと大地を踏んできたのは。

 多少の驚きこそ浮かべているものの、平然としてその存在の名を口にする一人の女性。

 彼女もまた、最強荘の住人。四階に住む、四柳(よやなぎ)ジュクーシャ。

 

「でかいなっ! これもまた、天能術とやらの一つかっ!?」

 

 そして一人、少し前の方にて目を輝かせているのは。

 最強荘の三階に住む、三狭間播凰その人。

 

「フハハハハッ、さて、これは配信せぬ手はないな!」

 

 いつの間にか、どこからか機材を取り出して喜々と準備を始めている万音は高笑いをして。

 

「そうさな、タイトルは――大大大魔王軍客将(・・) vs 呪われし黒竜、とでもしておくとしよう」



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27話 三海を統べしもの

 ――ドラゴン()とは。

 

 力の象徴であり、畏怖の対象であり、天災の権化であり。

 地域によって特徴こそ差異はあれど、蛇に類似した怪物として語り継がれる存在である。

 

 ――ドラゴン()とは。

 

 洞窟の主、或いは財宝の護り手。

 古今東西、善なる存在とも悪なる存在とも描かれ。時に人々の信仰を集め、時に人々へ破滅を(もたら)すものである。

 

 それは、国を越えては勿論のこと、世界の垣根すらを飛び越え。数多の種族の共通の見解として、確かにそこにある。

 例え、異なる歴史を紡いだ世界でも。例え、異なる文化の繁栄した世界でも。

 

 彼の者によって血が流れ、命が失われて、幾星霜。

 気の遠くなるような数多の年月が流れて尚、現実として存在する世界では当然にし、神話や伝承でのみ語られることとなった世界ですら、歴史に埋没することなく忘れられることがない。

 

 無論、一口に竜といえど個体差や種自体の強弱、大小はある。

 だが討ち倒すことが叶ったのならば、時として竜殺し(ドラゴンキラー)として謳われ。

 しかし相対したその時点で、諦観を浮かべる者すら一定数いるのはまず間違いない。

 

 裏を返せば。如何な勇名を馳せた者でも、挑んだ末に我が身を滅ぼすこと珍しくはなく。無事にこれを討ち、または命からがら逃げだしたとしても、五体満足であるとは限らない。

 

 一握りだ。現実にあって、その巨体を圧しうるのは、ほんの一握り。

 故にこそ、人は、世界はそれを恐れるのだ。

 

 ――ドラゴン()とは、斯様(かよう)な存在である。

 

 そして、それを討ったと誇る人物が現れた時。

 まず、一種の疑念を持つはずだ。

 無名であれば至極当然に、高名な者であっても僅かな疑心を。

 

 だが、もし。もしもだ。

 伝え聞くのではなく、討ち破った光景を目の当たりにしたとしたら。

 己の耳目にて、始終を見届けたのだとしたら。

 彼らがその身に、その胸に抱くものは――。

 

 ――果たして、何であろうか。

 

 

 

【大大大魔王軍客将】余の軍団の実力を見せてやろう!【vs呪われし黒竜】

 

『フハハハハッ、余の配下共よ、緊急会合の時間だ! 大魔王ディルニーンであるっ!』

 

 ・コメント:なんだなんだ?

 ・コメント:何が始まるんです……?

 

『突然だが、余の軍団にて新たに客将として一人の者を迎え入れることとなった! 此度は、そのお披露目だっ!!』

 

 ・コメント:なるほどなー……分からん

 ・コメント:客将???

 

 唐突な配信であったためか、視聴している人数も、流れるコメントもまだあまり多くはない。

 だが、夕暮れ時というのは、時間としては悪くはなかった。学生であれば学校の時間は終わっているし、社会人であっても定時を迎えている会社も少なくはないだろう。

 

「……ちょ、ちょっと待ちなさい! 何を勝手なことをっ!?」

 

 その光景を見て、ようやく状況を理解したのか。

 ジュクーシャが、配信に声が載らぬほどの小声で、万音の耳に口を寄せて咎める。

 なにせ、勝手に配信を始めたこともさることながら、後ろ姿ではあるものの播凰の姿を映して客将などと言い始めたのだ。彼女にとって見過ごせるものではなかった。

 

「フン、勝手ではない。許可はとってある」

「なっ、でたらめをっ!!」

「貴様が聞いていないだけであろう。なあ、余よりここに来るのが遅かった、ジュクジュクよ」

「……っ!」

 

 だが、万音の反論にジュクーシャは歯噛みする。少なくとも片方は事実であり、それを指摘されてしまえば何も言えなかったからだ。

 

 無論、これは万音の嘘である。ジュクーシャより先に来ていたのは確かだが、播凰に許可などとっていない。

 それを嘘だと見破れるのは、元よりこの場にいた毅と厳蔵、そして当の播凰本人ぐらいのものであるが。

 毅は未だ、腰を抜かして絶句し。

 厳蔵はといえば、播凰から受け取った買い物袋を置きに一旦家に戻っている。その時はさしもの老人も、ドラゴンを前に飄々と荷物を渡してきたことに何とも言えないような反応をしていたのはご愛敬。

 最後、当事者ともいえる播凰は播凰で一人前に出て目を輝かせ、こちらには目もくれない。

 

 つまり、嘘であると指摘する声はなく、許可をとってあると言われればジュクーシャは引き下がるしかなかったのである。

 

 ・コメント:ていうか、誰も突っ込まないけど、ナニコレ

 ・コメント:ドラゴン、だよな???

 ・コメント:はえー、すっごいリアルなゲームだなぁ……

 ・コメント:見たことないけど、何のゲームだ?

 ・コメント:え、これゲームなん? 現実にしか見えないけど

 

 配信から少し時間が経ち、徐々に視聴者もコメントも増え始めた。

 映し出されているのが現実なのか、ゲームなのか。俄かにコメントで沸き起こる論争。

 とはいえ、ゲームではないとするコメントも、CGや撮影云々あるので、完全な造りもののない現実であるとは思っていないようだ。

 

 まあ、無理もない。

 注視せずとも分かる、圧倒的な存在は現実では有り得ないもの。

 宵闇にあって漆黒に輝く巨体は、一種の幻想的ささえ醸し出していた。

 

『フハハハハッ、それでは説明してやろう。あれなる黒竜は余の世界にいたもの。だが、純粋な種としての竜とは違う。あれは、魔族や人間、その他あらゆる生物の恨みや憎しみといった負の感情を糧とし、成長する。そういった存在だ』

 

 ・コメント:なるほど

 ・コメント:ありそうな設定ですな

 ・コメント:で、結局何のゲーム??

 ・コメント:大魔王様、タイトルを教えてくださいませ!

 ・コメント:いや、だからCGかなんかでしょ

 

 と、ここで黒竜の両眼が、一人突出する播凰の姿を捉え。

 

 ――グルルオオァアーーーッッ!!

 

 ・コメント:ギャーーーッッ!!

 ・コメント:あれ、何も聞こえなくなったぞ?

 ・コメント:鼓膜がお亡くなりになった

 ・コメント:小音ワイ、大勝利(瀕死)

 ・コメント:迫力あるなぁ

 

 ビリビリと空気が震えるような、咆哮。

 コメントは悠長であったが、その場にいた面々は黒竜が発する雰囲気に確かな変化を感じ。

 まず動き出そうとしたのは、ジュクーシャ。

 

「……いけませんっ!!」

 

 前に出ている播凰の身を案じて、自らもまた前に出ようとする。

 

 だが。

 スッと、それを制するように、彼女の進もうとした先に片腕が伸ばされた。

 行く手を阻むその腕の主は、万音。

 何を、と視線で問いかけるジュクーシャを一瞥ともせず、万音はただ一言。

 

『助太刀は必要か?』

 

 問うた。

 軽い調子で。されど、短きながらもどこか厳かであり、同時に答えを確信しきった含みをもたせて。

 誰を示す言葉もなく、何者に向けられたのか分からぬ、その問いに。

 

「――不要ッ!!」

 

 答えは、返る。

 ただの一度も振り返ることなく、だが己に投げられたことを疑いもせず。

 掌と拳を突き合わせ、獰猛な笑みにて三狭間播凰は答える。

 

 ・コメント:あらカッコイイ

 ・コメント:あれが主役……てか客将か

 ・コメント:顔は流石に見えないか。声も変えてるっぽい?

 ・コメント:取り敢えず男なのは分かった

 ・コメント:よく分かんないけどちょっとワクワクしてる

 

 その行為に、或いはその覇気に、明確に敵と認識したのか。

 黒竜は少しのけぞるような予備動作をした後。その凶悪な牙の覗く、人一人など容易に丸呑みにできそうな大口を開いた。

 刹那、放たれたのはブレス。その鱗と同じく禍々しい漆黒のエネルギーが播凰の立つ地面の一帯に襲い掛かり、凄まじい破壊音と土煙を巻き上げる。

 

 ・コメント:あらカッコワルイ

 ・コメント:え、普通に喰らった??

 ・コメント:臭そう

 ・コメント:終わったwww

 

『フハハハハッ、当然まだだ! この程度で終わるようならば、客将として迎え入れるなど百年早いっ!』

 

 なんだかんだで現実かゲームか論争のコメントは一旦落ち着き。

 よく分からぬままに楽しみはじめる視聴者と、万音――もとい大魔王ディルニーン。

 

 実際、その言葉を証明するように、次第に晴れゆく土煙の中に立つ影が一つ。

 そしてその影は、一足のままに地を蹴って黒竜の目前、文字通り目と鼻の先にまで跳び上がり。

 

 横に薙ぐ右足を一閃。

 何の変哲もない、蹴りだった。武具を纏っているわけでもなく、肉体を天能術で強化しているわけでもない。正真正銘、ただの蹴り。

 しかし、しかしだ。

 遥かに矮小なはずの存在から繰り出されたその一撃だけで、その何倍をも誇る漆黒の巨体はぐらりと傾き。

 

 ドシンッ、と地響きのような音と共に横倒しとなる。

 その巻き添えで、いくつもの木々が根本から折れ、或いは吹き飛んだ。

 

 その光景は非現実的であり、同時に大層迫力があったことだろう。

 わっ、と盛り上がるコメント欄。万音もご満悦に眺め、高笑いを響かせながら頷いている。

 

 が、勝敗が決したわけではない。黒竜は程なくしてのそりと上体を起こし、怒りの咆哮を上げる。ギロリ、と確かにその黄赤入り混じった双眸が播凰を、播凰だけを睨みつける。

 その様子を播凰は、歯牙にもかけず見ていた。不敵に笑い、両腕を組み。まるで、黒竜が起き上がるのを待っていたかのように。

 それが気に障ったのか、或いは竜種としての誇りを傷つけられたのか。

 

 巨体が地を駆け、突っ込んでくる。

 空気すらも切り裂かんと。ギラリと鈍く光る爪が、強固な鱗に覆われたその腕が、播凰へと一直線に迫る。

 

 押し潰してやろうという算段であろうか。

 背筋が凍るような景色にあって、しかしブレスの時と変わらず、播凰はその攻撃の到達を受け入れようとしていて。

 いや、避けようとしていないのは同じだが、構えをとっていた。足を僅かに開き、左手を前に出して右腕を引き絞り。

 

 激突する。

 大地が悲鳴を上げ、大気は四方を震わす。

 揺るがないのは、中心たる両者。

 

 まるで信じられない一齣であった。これが映画や演劇などであったら、やりすぎだろうと内心笑うぐらいには。

 さながらそれは、蟷螂が前脚を振り上げ猛獣に挑むかの如く。結末は、その蛮勇の果ては見るまでもなく簡単に予測できる類のもののはずであった。

 それほどまでの、体格の差。

 

 だが、真実。振り下ろされた勢いが突如消失したかのように、黒竜の一撃はただ一人の人間の細腕に受け止められていて。

 

「…………」

 

 それに伴って生じた風圧を、もろに受けつつも。

 晩石毅は、その場に縫い付けられたかのように動かず、顔すらも固定されたかのように。ただただ、見ていた。

 

「――恐ろしいですか?」

 

 そんな彼にかけられる、この場には間違いなく不釣り合いな優し気な声。

 はっとして振り返れば、そこには真っすぐ毅に顔を向けているジュクーシャがいた。

 すぐ先で激しい戦いが繰り広げられているというのに、その顔は声色と同じく穏やかで。そして見る者を安心させるような微笑が浮かんでいる。

 

 長く呆然とはしていたものの、流石にここまで時間を与えられれば、少なからず自分を取り戻しているわけで。

 

「…………」

 

 それでも尚、その質問には答えられず。

 

「ええ、貴方はきっと恐ろしいのでしょうね。彼が――播凰くんが」

 

 だが、その胸の内を当てるように。ジュクーシャがゆっくりと、しかし核心に迫るように告げ。

 ビクリ、と毅は身体を震わせた。

 

「本来であれば。あの巨体は容易く沈みはしない。生半可な武具では傷一つつけることすら叶わず、よほどの使い手でなければ魔法(・・)すらも寄せ付けず。ダメージを与えるというだけでも困難。ただの人の生身の一撃など、言うに及ばず」

 

 つらつらと、述べられる。

 毅の返答を待たずして、ドラゴンの強堅さが、その異常性が語られる。

 

「――しかし、彼は崩してしまう」

 

 直後、再び地鳴りのような轟音。

 漆黒の巨体が、地に伏せている。今度は倒れたのではない。叩きつけられた。

 豪腕を躱した播凰がその巨体を駆け上り、首筋あたりを殴りつけたのだ。

 

 そう、一度ならず二度までも、それぞれ拳で一発、脚の一撃をもってして。

 

 あれは断じてハリボテなどではない。見掛け倒しのデカブツというわけでもない。

 いかに架空の生物だろうと、正気を疑わざるをえない現実だろうと。

 あれが発する空気が、身に纏う威圧感が。嫌でもそれを否定する。嫌でも理解させられる。

 

 人が徒手空拳にて、本気の、じゃれあいではない野生の猛獣に対抗できうるか。

 いや、もしかすると、できる者はいるかもしれない。人類の数パーセントは、いるかもしれない。

 だが、あれは。あれは、次元が違う。

 

「ですが――それを恥じることはありません。己を偽る必要も、責める必要もありません」

「……え?」

「貴方のそれは、きっと正しい。恐れとは、生きとし生けるものが持つ、本能。いくら言葉で否定したとしても、それは消すことはできない」

 

 思いがけない言葉に、毅はジュクーシャの顔を凝視する。

 哀愁を帯びた横顔が、そこにはあった。その瞳は、播凰の戦いを映しながらも、同時に別の何かを見ているようで。

 

「差し出がましいようですが、私からは最後に一言だけ」

 

 そう思ったのも束の間、彼女は再び毅を振り返った。

 そして、言うのだ。その美貌に柔らかい微笑を湛えて。けれども、願うように、届くようにと。

 

「彼は、三狭間播凰という人間は――その力を貴方に、罪も敵意もない誰かに、理由もなく無闇矢鱈と振るい害するような人でしたか?」

 

 言葉通り、それを最後にジュクーシャは。その口から何も紡ぐことをしなかった。

 

「……フンッ」

 

 ただ、つまらなさそうに。くだらないものを聞いたと言わんばかりに、万音が鼻を鳴らしていた。

 

 

 それからの戦いは、一方的ともいえる展開であった。いや、その現状からすれば戦いと呼べるものであったかどうか。

 

「さて、それなりに楽しめたが、ぼちぼち終幕といこう!」

 

 東方第一の制服は土煙などで少々汚れているが、それでも青緑色の明るさは健在。

 目立った外傷も特に負っておらず、播凰は高らかに宣言する。

 

 対して、黒竜は。

 漆黒の鱗はその所々が剥げ、或いは砕け。凶悪な牙さえも数本が無残に折れ、或いは欠けている。

 だがそんな有り様であっても、彼の者は未だ眼光鋭く播凰を見据え、まるで戦意は衰えず。

 

 そんな、両者の様子に。

 

 ・コメント:客将パネェwww

 ・コメント:いやー凄いもんを見た…

 ・コメント:コメントするの忘れてたわ

 

 ある者は、魅入り。

 

 ・コメント:一方的すぎてつまんな

 ・コメント:俺つえー系ってやつ?

 ・コメント:動きとかは凄いけどパターンが安直

 

 ある者は、こきおろし。

 

 ・コメント:つーか、結局これなんなんだ

 ・コメント:そういや、あの服装見覚えがあるような気が。。

 ・コメント:学生だとしたら、どこかの制服とか?

 

 またある者は、知ろうとする。

 

 場外から好き勝手言われているなど、露程も知らず。

 

「うむ、その戦意に応じ、次の一撃を以て幕引きとする。制約のため技は使えぬが、今の私の本気の一撃だ」

 

 ここにきて初めて、播凰から動き出す。

 今までは黒竜が仕掛けてきたのに合わせていただけの彼が、ダンッと地を蹴り自ら黒竜に肉薄していく。

 

 両者の視線が、空中にて合わさる。互いが互いを、間違いなく認識する。

 

 攻撃のリーチ、という点ではやはり体格で勝る黒竜に軍配が上がる。

 故に、その出だしも早く。

 鞭のようにしなるその尾が、夕闇に紛れ、空中にて自在に動けぬ播凰目掛け叩きつけられようとしている。

 

 ――ギュッと。

 言葉なく、播凰の拳が握られた。

 

 その、瞬間だけは。

 世界から音が消えたかのように、不思議とした静寂が一帯を満たした。

 まるで示し合わせたかのように、賛否が巻き起こっていたコメントすらパタリと止んだ。

 

 最後の、最後。

 黒竜の瞳には確かに、とある感情が宿っていた。

 

 偶然か、はたまた必定か。種族を、世界をすら越え、その想念は心底に根付く。

 それは、彼が嘗て敵対した者から、そして味方であった者からも向けられたもの。

 それこそは、彼がこの世界へと(いざな)われ、招かれた理由。

 

 即ち、彼こそは――。

 

 天地すら鳴動させる一撃が、漆黒の巨体を撃ち抜いた。

 

 ――三海を統べし覇者である。

 

 洞窟の主よ、何するものぞ。

 それでは彼の者の障害足り得ない。故にこそ男は、若い時分にして多大なる畏怖の元にそう呼ばれたのだから。

 従って、たかだか体格の差程度の優位性しか持たぬのならば。

 土台、いかに竜といえど敵うはずもなかったのである。



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一章最終話 零階の落伍者

 パァンッ! と何かが弾けて割れるような甲高い音が反響した。

 

 同時に、力なく地に伏せピクリともせぬ黒竜の姿が、夕闇に溶けるかのように徐々に薄くなっていき。数秒後にはまるで幻であったかの如く、世界から消え去る。

 一陣の風が吹き抜けていき、静まった後。佇む播凰の後ろ姿だけが、そこに残った。

 

『さて、いかがであったか、余の軍団の客将の実力は? 者共、精々遅れをとらぬよう励むことだ。――それでは、緊急会合は以上とする、ではなっ!!』

 

 決着を見届けて、万音もまた終幕を宣言し。終ぞ詳細を語らぬまま、配信を停止した。

 漆黒の嵐は去り、山中に戻った平穏。

 各々が次なる時へと動き出そうとする、その中で。

 

「…………」

 

 毅は、見ている。

 一人、時間が止まっているように、少し先にあるその背を見ている。

 闘いが終わってなお、その最中と同じく。

 

 唯、今までと異なる点があるとすれば、それは。

 その顔は茫然自失と呆けておらず、面差しに意思があること。

 

 ……行かないと。

 

 そう。意思は、ある。

 

 ……行かないと。

 

 意思はある、が――動かない。

 毅は、目線を下げて自身を見下ろす。

 押さえつけられているわけでも、縛られているわけでもない。普段と変わらぬものが、変わらぬ様子でそこにある。だのに、その両足は。

 根を張ったように、前へと進まない。

 

「ぐっ……」

 

 焦りだけが、募る。焦る余裕はあるくせに、声をも出せることができるくせに。

 動け、動けと発破をかけようとも。己の一部であるはずのそれは言うことを聞かず、黙したまま。

 

 いや、薄々理解してるのだ。動かそうとする意思がある一方でまた、そればかりではないことを。

 だから、動かない。

 せめぎあい、動くことをできない。まるで彫像のように。

 

 動かぬ、その背を。

 優しく、しかし力に溢れた誰かの手が、そっと温かく押した。

 

 びっくりして、思わず毅は振り返る。

 柔和な笑みのジュクーシャと視線が合った。

 彼女は何も喋らず、語らない。けれども、大きく頷いて。

 

 そこでようやく、自身が一歩踏み出していることに気付いた。

 動いたと、そう頭が、身体が理解した時。

 前に進んでいた。あれだけ動かなかったのが嘘のように、その先にて佇む背中を目指していた。

 

 そうして、辿り着く。距離にしてさほどではなく、にも関わらずそこに至るまでは長く感じられ。

 だが、あの時遠ざかっていった背中に、確かに辿り着いた。

 

「――播凰さん」

 

 呼びかけに、ゆっくりとその顔がこちらを向く。

 

「……その」

 

 自分から声をかけたくせに、少し迷った。

 何をするべきなのか、何と言うべきなのか。

 ゴクリ、と唾を飲み込み。

 

「すみませんでしたっ!!」

 

 勢いよく頭を下げる。

 恥も外聞もなく、同時に謝罪の言葉を口にする。

 

「……ふむ、何を謝る?」

「恐い、と思って避けたことっす! ……いや、正直言うと、今でも恐いことは恐いっす」

 

 播凰の問いかけに、頭を下げたまま内心を馬鹿正直に吐露する。

 そう、恐いと思った。それは決して過去形ではない。

 発端は矢尾との戦いだが、その比ではないものを今まさに、より近くでまざまざと見せつけられた。

 

 だが――。

 

「けど、俺は知ってるっす。播凰さんが、意味もなくそれを振るう人じゃないって」

 

 そうだ、知っている。晩石毅は知っている。

 毅は見てきた。短くはあるが、三狭間播凰という人物の人となりを。

 

 だから、知っている。

 入学前、膨大な勉強にげんなりしながらも管理人に反抗することなく机に向かったことを。

 ありふれたことにすら目を輝かせ、子供のように興味を示すことを。

 共に過ごす日々の中で、暴力的な振る舞いは一度として無かったことを。

 散々馬鹿にされた矢尾にすら、圧倒はしたものの無駄に痛めつけるような真似はしなかったことを。

 そしてついさっき、逃げたのは毅の方なのに、矢尾の最後の一撃から守ったことを。

 

 脳裏に思い起こしながら、毅は目をギュッと瞑って。

 

「だから――すみませんでしたっ!」

 

 再度、謝りの言葉を紡ぐ。

 彼女の、ジュクーシャの言葉が。その、無言ながらも想いの籠った後押しが。

 毅に勇気を、踏み出す力を与えていた。

 

 それから、いくばくの時が流れたか。少なくとも、数十秒が経ったのは間違いない。

 

「……毅よ、取り敢えず顔を上げよ」

 

 やおら、播凰が毅に頭を上げるよう促す。

 おずおずとその通りにしてみると、播凰は、彼にしては珍しく悩むような、困惑したような顔をしていて。

 

「恐れられたことは、まあ幾度とある。だが……うむ、面と向かってそのように言う者は今までいなかったのでな」

「それは……」

 

 言いかけて、毅はふと思い出した。

 あの朝、矢尾との戦いの後の朝、学園への道にて播凰はそういえば言っていた。

 

 ――私には今まで、身内以外で年が近く気軽に話すような者はいなかった故……。

 

 考えたことはあった。

 自分と播凰を表す言葉は、なんであろうかと。

 

 始まりは、最強荘への入居というタイミングで居合わせ、管理人からの依頼で色々と世話を焼いたことであった。

 新しい土地での生活のサポート。

 それだけでは多分、よくて知人程度の関係で終わっていたことだろう。

 

 だが、何の因果か。同じ年代で、更にはどちらも同じ学園の同じ学科に入学を希望していた。

 

 何度か、脱力させられたことや驚かされたこともあったが。

 部屋は違えど同じ場所に住んでいることから、自然と登校時に学園へと同道し。

 学園内でも、事が起きるまではなんだかんだ、同じクラスだったこともあり一緒にいた。

 

 そんな関係は何というのか。

 そう自問し、すぐさま苦笑と共に軽く頭を振った。

 

「その、播凰さん……俺と、友達になってくれないっすか?」

 

 我ながら、都合のいいことだとは思う。言う資格もないのかもしれない。

 

 ――でも、きっとそうだと思った。

 

「友……?」

 

 不思議そうに、播凰が聞き返した。

 それこそ、聞きなれない単語を耳にしたような。まるで思いもしなかった、といったような反応であった。

 断られるだろうか、だがそれも仕方ないと覚悟する毅を前に。

 

「そうか、友……友、か」

 

 しかし播凰は、その単語を幾度か口の中で転がすと。

 

「うむ、では晩石毅よっ! 其方は、我が初めての友であるっ!!」

 

 鷹揚に頷き、朗らかな笑みと共に言い放つ。

 それは山中にあって木霊となり、彼方まで響いていった。

 

 そんな時である。

 

「――おう、空気を読めないようで悪いが、あの杖はどうなった?」

 

 二人に近づき、声をかけてきたのは厳蔵。

 はっ、として毅が慌てて周囲を見渡す。

 そうだ、杖だ。矢尾が奪った、あの黒杖。

 

「……あぁっ!?」

 

 果たして、それは地面に転がっていた。丁度真ん中あたりで、真っ二つに折れながら。

 もはや杖の体を為しておらず、ただの黒い塊。

 それが目に入り、反射的に毅は悲痛の声を上げる。

 

「うむ、折れているな」

「ああ、折れてんな」

 

 だが、そんな毅に対し、残りの二人の態度は淡泊であった。

 冷静にその状況を捉え、声に出している。

 それに納得いかないのは、三人の中で一番無関係であるはずの毅であった。

 

「な、何でそんなあっさりしてるんすかっ!? だって、あれは播凰さんの――」

「ふむ、先程から気になっていたが、私の天能武装というのはどういうことだ?」

 

 驚愕の声は、しかし当の本人からの疑問により止められる。

 

「さっきも言ったが、ありゃあ拾いものを気まぐれで鍛えただけだ。あんなことになるとは思わなかったがな」

 

 厳蔵の追撃により、いよいよ毅はポカンと口を開けた。

 

「え、えぇ……? じゃ、じゃあ、播凰さんの天能武装っていうのは……」

「うむ、まだ造ってもらうどころか、了承すらもらえておらぬからな!」

 

 恐る恐る尋ねる毅とは全く真逆の様子で、播凰が高々に笑い飛ばす。

 脱力し、座り込む毅。

 仕方ないといえば仕方ない。ここまで来た原因が、そもそもの勘違いだと発覚したのだからそうなりもするものである。

 

「いや、いいぜ。引き受けてやるよ。見るもんは見たからな」

 

 と、そんな中、厳蔵が唐突にそう言い出したことで、播凰と毅は揃って彼を見た。

 

「しかし、聞いてはいたがつくづくとんでもねえな。最強荘(あそこ)の住人――異世界からの来訪者とやらは」

「……?」

「三狭間の小僧もそうだが、あの後ろの二人。あっちもとんでもねえものを持ってるってのは、何となく分かるぜ」

 

 だが、続いたその言葉に、毅は意味が分からないといったように疑問符を浮かべる。

 そんな彼の様子を微塵も気にすることなく、老人は振り返らずに背後を指差して。

 

「……へ? 今、なんて?」

「なんだ、そっちの小僧は知らねえのか? 力を隠してるようには感じねえが、元々この世界の人間か?」

「え、ええ? ……えぇーーっ!?」

 

 最後に毅の絶叫が、響くのであった。

 

 

「――なんとか、上手く収まったようですね。よかった」

 

 そんな、彼らから少し離れた、後方で。

 ジュクーシャは、ほっとしたように胸を撫で下ろしていた。

 

「フン、誠お節介な存在なことだ――貴様ら、勇者(・・)というのは」

 

 彼女とは異なり、何の感慨もないような瞳で見据えるのは、万音。

 

「……その呼び名は、今の私には相応しくありません。私はその立場を、役目を投げ捨ててここに立っているのですから」

 

 ジュクーシャはそちらを見ずに、しかし苦笑を確かに滲ませてそれに答える。

 卑下するように、自嘲するように。謙遜ではなく、心から痛感し、自分を戒めるかのように。

 

「しかし、播凰くんはあの若さで凄いですね。身体能力だけで竜と戦い、圧倒する。素手というのを考えれば、あれ程の実力者は私の世界ではそういなかった」

「その寸評には一部間違いがあるな。あやつは身体能力だけで戦っていたわけではない。それに、加えるならあれは若い竜で大きさも力も未熟だった」

 

 しみじみと口にするジュクーシャであったが、しかしそれを否定する声が飛ぶ。

 眉を顰めて振り返る彼女に、万音はニヤリと笑い。

 

「初めからではないが、特に最後の方だな。無意識であろうが、あやつは天能術を使っている。――いや、正確に言うならば、その力の片鱗が漏れ出していた」

「なっ!? 貴方、知らないと答えたのでは……」

「教えてこちらに何の得がある? よもや、大魔王たるこの余が、無償の世話を焼くとでも?」

「くっ……」

「フハハハッ、無様だな! それすらも分からぬとは、程度が知れるというものよ。なあ、ジュクジュクよ?」

 

 歯噛みして睨むジュクーシャに対して、万音は小馬鹿にしたように嘲る。

 それが、決定打。元より仲がいいとはいえない両者だ。火を着かせるには充分だった。

 

 ……しかしあの黒竜、そしてあの杖の元となった物質は、間違いなく余の世界のもの。

 

 なおも言い募る彼女の怒声を聞き流し。

 

 ……さて、似たような物が他の世界にも存在するという可能性がないわけではないが。

 

 その視線は真っ二つになった黒杖を見て。

 

「――やはりこの世界。何かある、か」

 

 万音は――大魔王は、小さく呟く。

 その声は、誰の耳に届くことなく、暗い空へと消えた。




ということで1章終了です。
次の章は動画やVTuber(配信者)要素の頻度が高くなる予定です。
最強荘の新しい住人も登場します。

それでは、「2章 1階の大魔王 ~覇王配信出演編」
よろしくお願いします。


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2章 1階の大魔王 ~覇王、配信に出る
一話 噂を上書くものは


第二章、開始です。
この章は配信やVtuberがメイン(になるはず)の章です。勿論学園パートもありますが。
よろしくお願いします。


 朝の陽ざしが、カーテンの隙間から差し込んでいた。

 春も中頃から終盤へ差し掛かろうかという季節。それはそれで心地よくはあるものの、しかしぬくぬくとそれに浸っているわけにもいかない。

 ピピピピッ、と設定していたアラームが無機質に、学園へと向かう時を告げる。

 

 パチリ、と播凰は目を開くと、ベッドに横たえていた身を起こし、登校の準備を始めた。

 

 洗面所で顔を洗い、バターを塗った食パンをトースタで焼く。

 できあがりの間、冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注ぎ。

 チンッと小気味良い音を立てたトースターから焼き上がったパンを取り出すと、用意していた牛乳と共に流し込む。

 制服への着替えや持ち物の確認等、出かける準備を手早く終え、播凰は扉を開いて外へ出る。

 

 最初の頃こそは手間取っていたものだが、何回も朝を迎えれば慣れるというもの。

 トースターの中でジリジリとパンがきつね色に変化していくのをじっと眺めることも、制服のネクタイが上手く結べず何度もやり直すことも無くなってきていた。

 ……いや、ネクタイに関しては一発成功することもあれば、二度三度やり直すこともあったが。

 

「おはようっす、播凰さん!」

 

 そんなことはさておき、いつもの時間に播凰が三階から降りれば。

 既に待っていた毅が挨拶をしてきた。

 

「うむ、おはようだ」

 

 それに播凰が返事をして、二人は並んで歩いていく。

 彼らが住む最強荘は、閑静な住宅地の、その更に奥まった場所に位置している。

 そのため人影は疎らで、鳥の鳴き声や靴の足音すらも鮮明に響く。

 

 以前と同じで、しかし少し前まではなかったことだ。

 元通り、といえばそうなのだろう。

 別々に登校するのでもなく、両者の間に不自然な距離があるわけでもない。

 

 あの日。矢尾と播凰が学園にて戦ったあの日までと、変わらぬ光景だ。

 そう、その光景だけであれば。

 

「しかし、本当驚いたっす。まさか、播凰さんが別の世界から来たなんて」

 

 すぐ近くに人がいないことを確認しつつ、毅は夢現のように、しかし確かな驚嘆を含んで言った。

 矢尾との騒動、そしてまさかのドラゴンが登場した夕刻。厳蔵から聞き、そしてその後いつの間にかいた管理人から聞かされた、その話。

 

 つまり、最強荘には別の世界――即ち異世界から来たという人々が住んでおり。住人の中で元々この世界で生活していたのは、自分()だけであると。

 

 まるで荒唐無稽な内容。まかり間違っても、そうだったのかと一息に受け入れられるものではない話だ。

 

 もっとも、言われてみればというわけでもないが。その事実を示す片鱗というべきか、痕跡がなかったかと問われれば、そんなこともない。

 浮世離れしているとでも言えばいいのか、三狭間播凰という人物に明らかに違和感を感じていたのは確か。それこそ、滅多に人の立ち入らない山奥にでも住んでいたのかとでも思っていたが。

 だが、まさか思うまい。地域どころか、国どころか。世界すら違うところから来たなどと。

 

「うむ、私も驚いたぞ。毅も同じなのかと思っていたからな!」

 

 そして播凰は播凰で勘違いをしていた。

 毅も己と似たような境遇であると。要するに、同じく別の世界からこの世界に来た者であると思っていたのだ。

 初日に管理人からやんわり釘を刺されたのもあるが、無理にお互いの世界のことを話すこともないと、ただ話題に出さなかっただけである。

 

 笑う播凰に、毅は苦笑で応じる。

 

 正直言えば。信じ難いという気持ちはある。

 だが、嘘だと断じるつもりもなかった。

 実際のところ、それがどちらであっても、毅はどうこうするつもりもなければできることもない。

 

 ただし、やらなければならないことというものはあって。

 それが、この事実を他言無用とし、余計な詮索をしないこと。

 入居時の契約における、三つ目と四つ目の約束事。

 

 それが、最強荘における住人にして唯一の一般人――晩石毅の守るべきルールなのであった。

 

 

 

 学園に到着した二人は、所属するクラスであるH組に入ろうとする。

 その、寸前。

 

「…………」

 

 毅は扉へと手を伸ばした状態で、しかしそれが到達する前に無言のまま停止した。

 思い出したのだ。播凰に言おうとしていて、しかし言い忘れていたことを。

 

「どうしたのだ?」

 

 当然、そんな毅の行動を播凰が不思議そうに見てくる。

 毅は腕を戻し、扉から少し離れると。

 

「播凰さんも、あの人――矢尾が言ってたのを聞いてたと思うんすけど。実は少し前から、クラス内にある噂が流れてるんす」

「噂とな?」

「はいっす。その……天戦科に、天能術を使えない新入生がいるっていう噂なんすけど」

 

 周囲の様子を伺いながら、こそこそと話し出す。

 そう、噂だ。どこから流れたのか、少なくともクラスの半分程度には回っていたあの噂。

 矢尾の発言から、彼が出元というのが確定したが、それを事前に言うのを忘れていたのだ。

 

「ん? 噂も何も……事実ではないか」

 

 だが、それを聞いた播凰の反応はといえば、きょとんとしたものだった。きょとんとした顔で、とんでもないことを言っている。噂の対象が自分であることを微塵も疑っていない。

 とはいえ、その通りなのはその通りである。

 もし噂の対象が播凰以外なのだとしたら、一体どこにいるという話だ。

 

「うーむ、そういえば紫藤先生には、あまり誰かに喋るなと言われていたな。……むっ、それは性質の話だったか?」

「性質? そういえば、播凰さんの性質って聞いたことなかったっすね?」

 

 しかし、何かを思い出そうとしているのか、首を捻りながら腕を組み始めた。

 そして毅も、その呟きからそういえば、と播凰に訊ねる。

 天能術が使えないことと、性質がないことはイコールではない。いや、異なる世界の人間が性質を持っているのかという疑問は生じたが、少なくとも口振りからそういう問題ではなさそうなのは伺える。

 

「おお、そうだったか……うむ、性質については後で話す」

 

 その問いを受けた播凰は、首を傾げるのを止め、しばし毅を見たが。

 

「取り敢えず、入るとしよう。なに、見てくるだけならば何も問題はない」

 

 視線だけであれば、以前から感じていた播凰である。

 毅の心配も何のその、扉を開け放って、ズカズカと教室へと入っていった。

 

「……流石、播凰さんっすね」

 

 自分だったら、居心地の悪さだけで胃が痛くなってしまいそうなものだが、と考えつつ。

 遅れること数秒、毅も教室へと歩を進めていく。

 

「――これって、東方第一(ウチ)の演劇部なのかなぁ?」

 

 入って間もなく、そんな誰かの言葉が毅の耳朶を打った。

 

 ……演劇部?

 

 思わず足を止めて振り向けば、声の出所と思われる、教室の出入り口付近の席に固まっている女子生徒のグループがいた。

 彼女達は各々、何やら端末の画面を熱心に見ているが。

 

「いや、これ演劇じゃないでしょ。映像制作とかCGとか? よく分かんないけど、そっち系じゃない?」

「あー、なんかそんな感じの部活もあったような……?」

 

 と、今度は同じ集団から別の声。

 何の話をしているのかよく分からないものの、取り敢えずは例の噂ではなさそうなので、播凰に合流しようと毅は歩みを再開する。

 

「へぇー、こんなことやってる生徒もいるのかー。いいなぁ部活、俺も何処か探してみようかな」

「H組の俺らにそんな余裕ねーし、そもそもどうせ入れないだろ。仮に入部できたって、馬鹿にされるだけだ」

 

 別のところでは、男子生徒達がこれまた端末を見ながら部活の話をしており。

 

「これ、Vtuberの配信の動画だろ」

「てかそもそもこれ、ここの生徒なの? 服が似てるってだけじゃなくて?」

 

 更にはある所からは、そんな言葉も飛び交っていて。

 もはや疑問符が乱舞する毅であった。

 

「何かに夢中のようだな」 

 

 そんな毅に、先に教室へ入っていた播凰が周囲を見回しながらそっと言う。

 一人の例外なく、というわけではなさそうだが、端末の画面を見ながら集まっている人影は多数。

 毅が予期していた、播凰への空気や視線は、ほとんど無い。

 

「何か、学園からのお知らせでもあったんすかね? 播凰さん、端末確認しました?」

「いや、まだだ。見てみるとしよう」

 

 二人して、学園貸与の端末を起動し、確認する。

 学園からのお知らせにメール、関連していそうなものに目を通していく。

 だが、何も分からぬままに授業開始の時間を迎えるのだった。

 

 

 そうして、昼休みである。

 結局はそれらしき連絡や通達はなかった。ともすれば、ただ単に仲間内で楽しんでいただけなのか。そもそも、端末で全員が全員同じものを見ていたとも限らない。

 

 毅はそう結論付け、播凰の席へと向かう。

 目に入るのは、ぐちゃあ、と机に突っ伏した背中。

 

「播凰さん、播凰さん。お昼食べに行きましょう」

 

 相変わらず、勉強が苦手なんだなあと思いつつ、声をかけてその背を揺する。

 

「……うむ、待たせた」

 

 しばらくして、のそりと播凰が起き上がった。

 ぐーっと背中を伸ばし、息を吐くのを見届け。

 二人して、教室の出入り口へと歩いていく。

 

 毅が手を伸ばし、それが扉に掛けられようとしたところで。

 外側から開かれる。

 それだけであれば、別段特筆することはない。

 今は休み時間、それも昼休みだ。出ていく生徒もいれば、入ってくる生徒もいるもの。

 

 だから、毅は横にずれようとし。しかしその直前に無意識に顔を上げ、そして硬直した。

 そして、それは相手も同様だった。瞠目して、開いたというのにその手は未だ扉に掛かっている。

 一歩引いていた播凰だけは、面白そうに相対する相手を見ていた。

 

「……あー、悪いな。ちょっと、顔貸してくれるか? 二人共だ」

 

 刹那の沈黙の後、一番に口を開いたのは。

 気まずそうに頭を掻く、男子生徒。

 播凰に明確な敵意を、憎しみをぶつけてきたはずの、矢尾(やお)直孝(なおたか)その人であった。



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二話 それは世に放たれた

「――悪かったっ!!」

 

 日陰となっており、ベンチや芝生といった休憩スペースもない、とある校舎の影。

 二人を連れてくるまで終始無言であった矢尾は、この場に着き足を止めて振り返るや否や。

 息を吸い込み、突然頭を下げたのだ。

 

 これには、どこか面白がるような調子であった播凰は、表情そのままに。

 大きな警戒と少しの不安を浮かべていた毅は、目を丸くさせる。

 

 刹那の沈黙。

 周囲に人の姿はないため、物音らしい物音も生じない。

 精々が、建物の向こうから昼休み中の生徒達の声が微かにこちらまで届いているくらいのものだ。

 

 正直に言えば。毅にとって、(矢尾)についてはうっかりしていたというか忘れていたというか。とにかく意識の外にあった。

 それは取るに足らないとか勿論そんな話ではなく、播凰のこと(異世界の話)があまりにも衝撃的すぎて、そちらに意識が割かれていたためだ。

 

 思い返してみれば、いつからかあの場所から矢尾の姿は消えていた。それがドラゴンが出現してすぐなのか、途中なのかは不明だ。ただ、全てが終わった後にはいなかったことは間違いない。

 ゆえに、目的も含めて道中に諸々考えていたのだが。

 

 ――狂気は、消えていた。

 

 唯一つ、それは分かった。

 気乗りしない誘いではあったが、確かにそう感じた。だからこうして、ここまで着いてきた。

 逆に言えば、それ以外は分からない。報復なのか、そうでないのか。

 流石に昼間から、それも学園内で大事となるようなことはしないだろうと思い、余計な口は挟まなかったが。

 

「……あー、まあいきなりこう言われても困るよな」

 

 毅が何の反応も返せずにいると、矢尾は顔を上げてガシガシと頭を掻く。

 なんというか、自然体だった。今のが何かの合図というわけでもないらしい。

 少なくとも数を恃んだ待ち伏せとか、そういう罠の類ではなさそうではあった。

 

「ふむ、何を謝る?」

「……お前らにしたことだよ。ムカついたのは確かだが、あそこまでやるつもりは――暴走するつもりは、なかったんだ。つっても、信じられねえと思うだろうがな」

 

 播凰が問えば、矢尾は自嘲と共にそう返す。

 

「底辺のはずのH組の生徒に一対一で負けて、中等部から(つる)んできた同じクラスの奴らにも馬鹿にされて……んで、気付いたらあの様だ。別に許してもらおうなんざ思っちゃいないが、なんつーか迷惑かけたからな」

「…………」

 

 何を今更、という思いは毅の中にあった。

 だが、あの狂気は尋常ではなかったのも事実。あの時の嫌な気配、危険な光は、確かに今の矢尾からは感じない。

 毅は、そっと播凰の顔を窺う。

 被害者、といっていいのか微妙だが、メインが播凰であるのは明らか。さて、どうするのだろうと見守っていると。

 

「うむ、許そう。実害という実害もなかったのでな」

 

 軽い調子で、播凰が言った。

 本当に軽い響きだ。それこそ、事も無げに挨拶でも返すのような。

 意を決して告げたであろう矢尾は、パチパチと目を瞬きつつ播凰のことを凝視している。

 

 ……もしかしたら、とは思ったっすけど。

 

 そして毅は驚き半分、納得半分を以てそれを迎え入れた。

 完全にではないが、ストンと胸に落ちたのは間違いない。そしてそれは播凰の本心であろうことも理解していた。

 

「……はぁっ!? いや、だってお前――」

 

 だが矢尾は信じられないのか、食って掛かるように言い募ろうとするが。

 

「気持ちは分かる。そして、見下すことが悪いとは言わん。お主は天能術の才があり、努力もしてきたのだろう。対して私は、天能術の才はなく、努力もこれといってしておらん。加えて、性質が不明というよく分からぬ状況だ。お主が怒るのも尤もと言えよう」

「……ん?」

 

 播凰がゆったりと、しかし真面目な表情となって口を開く。

 その中にとんでもない発言があった気がして疑問の声を上げる毅であったが、播凰の語りは続いた。

 

「――故にこそ、許す。そして、また挑みたいのであれば挑むがよい」

 

 つい先ほどのような、軽い響きではない。

 言葉の節々に溢れる重厚さ、覇気。静かであれど、まるで空間を支配するかの如く、一切の雑音が世界から消える。

 

「それでも納得がいかないというのであれば、そうさな――」

 

 ――相手が悪かったと、そう思うがいい。

 

 不敵な笑みを湛えて、播凰はそう締め括った。

 再び、場に沈黙が訪れる。

 世界に音が戻り、風がそよいだ。

 

「は、ははっ、そうか、相手が悪かった、か。――そりゃあ、敵わねえなぁ……」

 

 乾いたように、諦めたように、認めたように。

 矢尾は笑い、そして目を細めるようにして播凰を見た。

 

「そっちのお前も、悪かったな」

 

 しかし暫くして、思い出したように毅に視線をやる。

 

「俺も……まあ、大事には――なってなくはないっすけど、最終的にはなんともなかったですし」

 

 ……播凰さんとの会話の切っ掛けにもなりましたし。

 

 心の中でそう付け加え、毅は苦笑してそれに答える。

 播凰が許しているのに、関係者とはいえ第三者寄りの毅が許さないというのも変な話だ。

 後は彼が零した言葉に、播凰が語った言葉に共感――というか心情を想像できた部分があるというのも事実。

 

 そんな毅に矢尾は、そうか、と短く首肯して。

 だがすぐさま思い出したかのように。

 

「お前は、天能術はヘボだったが……その、なんだ。動きや使い方は悪くなかったぜ」

「……え? あ、えと、どうもっす」

 

 照れ隠しなのか、鼻元を手で擦りながらそう小さく評した。

 毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする、とでも言うべきか。天能術については駄目出しをしたが、それ以外の部分は少なからず認めるような評価だった。

 毅は意外に思いつつ、だからこそ戸惑いながら礼を述べる。

 言われずとも自身の天能術については理解しているため、不満はない。しかし、まさかそう思われていたとは。それも、E組(最上位)の生徒から。

 

「ふむ、そういえばこちらにも聞きたいことがあった。お主、あの時どうしていた?」

 

 どうも我ながら単純なようで。

 それだけでじわじわと喜びが胸を満たしていったが、播凰の声でハッと意識を戻す。

 あの時、とは勿論ドラゴンが出現した時のことだろう。

 

「ああ……俺も、覚えてねえわけじゃないんだが、なんか色々とボンヤリしてんだよな。そもそもあの場所も、行ったことがなかったし」

「そういえば、正確な場所を知ってたみたいだったっすね」

 

 矢尾が眉根を寄せつつ思い出すようにしながら話せば。毅もまた思い出したように口を挟む。

 そう、矢尾に脅されたあの時。山、とだけ聞いた矢尾の反応は、まるで知っていたかのような口振りであった。

 

「そうなんだよな。確か、男……いや女か? ともかく、知らねえ奴に話を聞いたんだ。んで、あそこであの黒い杖を持って――気が付いたら、三狭間と戦ってた」

「……戦ってたっすか? それも播凰さんと?」

「ああいや、正確には見てたなのか? 視点は高いし、黒い鱗みたいなのはちょくちょく目に入るし、なんだこりゃと思ってたら、三狭間に吹っ飛ばされたんだ」

「…………」

「ただ、痛みはなかったな。そんで、俺が動かしてたってわけでもなかった。で、途中でボーっとなってきて暫くしたら、今度はいつの間にか山の麓で寝転んでたんだ。そん時はちゃんとした俺の身体でな。未だに訳分かんねえぜ」

 

 要領を得ない話であった。

 矢尾自身も分かっていないのか、混乱している部分も見受けられる。

 だが、こちら馬鹿にしているようでもなければ、演じているようにも思えなかった。

 

「ふむ。つまり、お主は部分的にドラゴンと一体化していたということか?」

 

 有り得ないようで、しかしそうとしか考えられない可能性を、播凰が口に出した。

 そう、今の話は確実にドラゴン側の視点だ。視界を共有していたのか、矢尾自身がドラゴンの一部となっていたのか。

 いずれにせよ、俄かには信じ難い話である。だがよくよく考えれば、そもそもドラゴンが現れたということを今でこそ受け入れているが、そちらも同レベルの話ではあった。

 

「……何が起こったか分からねーけど、多分そういうことなんだろうな。つっても、ドラゴンって分かったのは後なんだが。――ってそうだ、要件はもう一つあったんだ! お前ら、アレ(・・)はもう見たかっ!?」

 

 推測も含んでいたが矢尾はそれを肯定する。そう思ったのも束の間、次の瞬間、彼はなにやら勢い込んで二人にそう尋ねてきた。

 

「「…………?」」

 

 ただし、いきなりアレと言われても心当たりはなく、播凰と毅は顔を見合わせる。

 だが二人の様子に矢尾は、ああもうと言わんばかりに急いで端末を取り出して操作すると。

 

「ほらこれ、この動画だ! あん時の戦いがアップされて、凄え勢いで見られてんだよっ!!」

 

 画面を突き付けてきた。

 最初こそ、目を白黒させていた毅と播凰であったが。

 次第に、その内容を理解していき。

 

「こ、これって……」

 

 口元を引き攣らせて、毅が。

 

「うむ、私がドラゴンと戦った時のものだな」

 

 その後ろを引き継ぎ、瞳に好奇を宿した播凰が。

 確信をもってそれぞれ漏らす。

 

 毅にとっては一度、それも直接見て未だ焼き付き。

 播凰にとっては視点こそ異なるが、経験した当人。

 間違えることはない。

 

「だろ!? やっぱそうだろ!? これが学園の外でもだが、中でも結構な噂になってんだ!」

「あはは……なるほど、朝のはこれっすか……」

「ふむ、しかし何故これを知っているのか。お主もそうだが」

 

 興奮したような矢尾が念押しして、寄ってくる。

 納得しつつ毅が空笑いを浮かべれば、播凰は情報の伝達について疑問を抱く。

 

「むしろ、何で知らねえんだ!? こんなの、学内コミュニティ覗いてれば一発で……ん? そういえば、そっちは二人共外部組だったな。もしかして知らねえのか?」

「知らぬ。なんだ、そのこみゅにてぃーとやらは?」

「東方第一の生徒が使える、インターネット上の交流サイトみてえなもんだ。所属学科は表示されるが、匿名で使える。とはいえ、監視されてる上に調べれば誰が書いたかは学園側から把握できるから、好き勝手には書けねえけどな」

 

 矢尾の説明はあったものの、なお分からずに首を傾げる播凰。

 毅も、そんなものがあったのかと、初耳で。

 とかく両者共、ぼけっとしたような鈍い反応であることは間違いない。

 するとじれったそうに、矢尾がなにやら端末を操作して、再び画面を突き付けてくるのだった。



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三話 動画への反応

ということで動画への反応回で、一部なんちゃって掲示板形式です。
一応、文中でも軽く説明出てますが、各学科の特徴を簡潔に表すと以下になります。
武戦科:接近戦
天戦科:天能術合戦
造戦科:鍛冶


【凄い動画見つけた、部活? 個人活動?】

 

 1:武戦科生徒

   これ、出演してるのがうちの生徒なんじゃないかって噂になってる

   誰か何か知ってる?

   https://~~~~XXXX

 

 2:武戦科生徒

   あ、見た見た!

   なんかちょっと話題になってるみたいだよね

 

 3:天戦科生徒

   へー、見てみよっかな

 

 4:造戦科生徒

   右下で動いてるのは何かのアニメのキャラクター?

   そっちは分からないけど、言われてみれば確かに制服はうちの学園っぽい

 

 5:武戦科生徒

   すげー動き。高等部の上級生の上位組かな

 

 6:天戦科生徒

   うわぁ、流石武戦科……戦い方が脳筋というかなんというか

 

 7:武戦科生徒

   >>6

   は? 

 

 8:武戦科生徒

   >>6

   あ?

 

 9:武戦科生徒

   >>6

   はぁ?

 

 10:天戦科生徒

   >>7-9

   すみませんでした

 

 11:武戦科生徒

   >>10

   分かりゃいいんだよ

   遠くからへっぴり腰でポンポン術打ってくるだけの学科がよ

 

 12:天戦科生徒

   >>11

   聞き捨てならないですわね

   華麗に、と言ってくださるかしら

 

 13:武戦科生徒

   はっ、カレイでもヒラメでも勝手にやってろ

 

 14:天戦科生徒

   >>13

   まあ、程度の低い返しですこと

   もっとも、野蛮な戦い方しかできない武戦科に期待するだけ無駄でしたわね

 

 15:武戦科生徒

   >>14

   なんだと?

 

 16:天戦科生徒

   >>15

   なんですの?

 

 17:武戦科生徒

   まあまあ、落ち着きなってー

 

 18:天戦科生徒

   そうだ。武戦科には武戦科の、天戦科には天戦科のいいところがある

   互いの科を意識するのは結構だが、貶める発言は慎みたまえよ

 

 19:造戦科生徒

   ふっふーん、やはり我らが造戦科こそ、至高……

 

 20:天戦科生徒

   >19

   新たな火種を突っ込むのは止めなさい

 

 21:武戦科生徒

   話を戻すけど、結局これうちの生徒なの?

   誰か、情報持ってる人~?

 

 

「……ふむ、これは?」

 

 一通り目を通した後、播凰は端末から目を外し、矢尾に問いかけた。

 

「だから、東方第一の学内コミュニティ――要するに、この学園の生徒達の書き込み、その内の一部だ」

「播凰さぁん……どうするっすか。こんなの、話題になっちゃったら……」

 

 じれったそうに矢尾が早口で言えば、情けない声で毅が漏らす。

 だが、播凰には分からないことがあった。

 

「して、これが何なのだ?」

 

 いまいちピンと来ていなかったのはそれである。

 あの戦いが映像として記録されているのは分かった。そしてそれが話題となっているらしいというのも分かった。

 だが、それが何だというのか。それが分からない。

 

 よって播凰が心底不思議そうに尋ねれば、ポカン、と二人は口を開けて。

 

「「…………」」

 

 しばらく、揃って仲良く間抜け面を晒す毅と矢尾の二人であったが。

 

「……そうっすね、播凰さんはそういう人だったっすね」

「普通、自分がメインで映ってる動画がネットでも学園内でも話題になってたらもっとこう、あるだろ……」

 

 諦めたように苦笑を浮かべて毅が。

 理解できないように、納得できないように首を横に振りながら矢尾が。

 それぞれ呟く。

 

「これが、もし播凰さんだってバレたらっすよ。そんなの、少なくとも学園中から注目の的になるに決まってるじゃないっすか!」

「そうなのか?」

「そうなのかって……そんなの当たり前っ――」

「――いや」

 

 気分が上擦った毅の声を、矢尾の一言が止める。

 

「まぁ、興味が向くってのはそうだろうな。だが……それは、バレたらの話だ」

 

 そう言って、矢尾は端末をスクロールさせると再び突き付けてきた。

 

 

 200:武戦科生徒

   おい、造戦科の変人共!

   まさかお前達がこのドラゴン造ったんじゃねえだろうな!?

   もしそうだとしたら、俺様にも戦わせろ!!

 

 201:天戦科生徒

   確かに、造戦科ならやりかねない

 

 202:造戦科生徒

   いやいや、そんなわけないだろう

   だけどもしそうなら、是非作成者に話を聞いてみたいものだね!

 

 203:造戦科生徒

   ちょっと! 造戦科の全員が変人に思われるのは心外なんだけど!!

   そんなの、ごく一部だからっ!!

 

 204:造戦科生徒

   てか、あんな馬鹿でかいもの、造ったとしてどこに置いとくのさ……

 

 205:天戦科生徒

   ということはやはり、造り物にしてもCGなどの類ですか

 

 206:武戦科生徒

   それっぽい部活に知り合いいるから聞いてみたけど、心当たりないって!

   むしろこの動画見せたら、凄い興奮してたよ!

   うるさかったから逃げてきちゃった!!

 

 207:武戦科生徒

   部活関係あるの?

   この右下の動いたり喋ったりしてるこれ、多分VTuberってやつでしょ?

   あんまり詳しくないけど

 

 208:造戦科生徒

   VTuberって……なんだっけ?

   聞いたことはある気がするんだけど

 

 209:天戦科生徒(自分)

   架空のキャラクターのイラストやCGを使って、それを演じる配信者のことだ

   ゲーム配信とか雑談配信とか、色々なことを配信してる

   結構面白いぞ

 

 210:造戦科生徒

   >209

   へー、ありがと!

   ってことは、やっぱりこれCGなんだね!

   人と景色だけ本物ってことかな?

 

 211:造戦科生徒

   しかし映像のこの方、素手のようにも見えますが……

   手に纏うタイプの天能武装でしょうか

 

 212:造戦科生徒

   見え難いだけで、小さい可能性はあるね。少し暗いし

   ナイフ、小太刀とかもありえるかも?

 

 213:武戦科生徒

   小型の天能武装か

   そうなると、結構絞られる気はするけど

   可能性があるなら中等部の三年生か、高等部でしょ

   武戦科の誰だろ

 

 214:天戦科生徒

   いやいや、敵がCGなら天能武装は使ってないんじゃねーの?

 

 215:武戦科生徒

   >214

   でもそうしたら、天能武装無しで天能術使ってることになるよ?

   詠唱は……聞こえないだけでしてるのかもしれないけど

   流石に天能術無しでこの動きは無理でしょ

 

 216:武戦科生徒

   >215

   そうすると、それが出来る人に限られるけども

   そんなレベルの人達がこういうことするかなぁ

 

 217:造戦科生徒

   何らかの特殊なアイテム使ってるとか?

   造戦科には頭のネジが外れてるようなやつがいるからな

   自分で言うのもあれだが

 

 218:武戦科生徒

   うーん、にしても動きが自然というか、違和感がないというか

 

 219:天戦科生徒

   そもそも、武戦科なのか?

   我らが天戦科という可能性も……

 

 220:天戦科生徒

   >219

   ねーよ

 

 221:天戦科生徒

   >219

   んなわけあるかボケ

 

 222:天戦科生徒

   >219

   こんな動きをする天戦科がいてたまるか

 

 223:天戦科生徒

   >220-222

   すみませんでした

 

 224:天戦科生徒

   天戦科だったら、もっと派手に天放属性の天能術で戦うでしょ

   こういう肉弾戦じゃなくて

   そりゃ、天戦科でも天溜属性の天能術が使えないわけじゃないけどさぁ

 

 225:武戦科生徒

   なんだと、俺達が地味だってのか!?

 

 226:天戦科生徒

   あーもう、本当メンドくさい!

 

 227:武戦科生徒

   くぅー、誰だか知らねえが、名乗り出て俺様と手合わせしやがれ!!

 

 

「――つまり、焦点となるにしても、武戦科の誰かだ。……そこで聞くが、三狭間播凰。お前は何科だ?」

 

 端的な結論を、そして簡潔な質問を矢尾が播凰へと投げる。

 

 武戦科とは、基本的に接近戦――主に肉体を強化する天能術を使い、己の天能武装で、肉体で戦うことに特化した学科だ。

 そして天戦科は攻撃や守りの天能術を用いた戦いを、造戦科に至っては天能武装やアイテムを造り出すことを目的としている。

 ならば、この動画の戦いを見て武戦科に結び付けるのは必然。

 さて、それでは播凰の所属する学科はといえば。

 

「うむ、天戦科だな!」

「そういうことだ。……甚だ不本意だがな」

「あはは……うーん、まぁ播凰さんが天戦科っていうのは、確かになんというか」

 

 表情は、三者三様だ。

 播凰が胸を張って自信満々に答えれば、納得がいかないように口を尖らせ矢尾が、苦笑しつつ毅がそれとなく同意する。

 

「だから、俺達天戦科に目が向くことはほぼないだろう。自分から匂わせたり、馬鹿正直に言ったりしなければ、の話だが」

「…………」

 

 じろり、と矢尾の視線が伺うようなものへと変化した。

 有り得る、と毅もその視線を追うように播凰を無言のまま見る。

 そしてそれは予想通り、というべきか。

 

「ふむぅ、隠す必要があるのか? 私と戦いたいと言っている者もいるではないか」

「……どうやって戦うんだ?」

「どうやっても何も、この身体以外にあるまい。私はまだ天能術が使えぬしな」

 

 迷うことなく、堂々と。

 いっそ憎たらしいほどに、さっぱりと告げられる。

 それを聞いた矢尾は、はぁーっ、と大きく息を吐くと。

 

「あのなぁ……お前が、何つうか色んな意味で特殊っつうか特別なのは分かった。が、俺との戦いでもそうだったが、本来それは有り得ねえんだぜ」

 

 次いで、逡巡するように目線を少し彷徨わせ。

 今度は大きく息を吸い込み、意を決したように口を開いた。

 

「迷惑かけたからな、忠告はしといてやる。要するにお前――コネ入学みたいなもんだろ? 全く何の取り柄もねえってわけじゃないのは分かったが」

「ぬ、そうなのか?」

「いや、俺に聞くなよ……兎も角、暫く目立たねえようにするこった。どうなっても知らねえぜ」

 

 きょとんとする播凰に、矢尾は肩を竦める。

 しかしすぐに、咳払いをして切り替えるように。

 

「んで、問題はこの話は学内に留まってないってことだ。さっきも見せた通り、あの動画は普通に一般にも出回ってる。もっとも、学内と同じように、本物だと考えてる奴はいねーと思うがな」

「そういえば、造り物がどうだと書いてあったか。だが、明らかにあれは生きていたぞ?」

「お、俺も――信じらんないっすけど、あれは本当にドラゴンだったっす! CGなんて有り得ないっ!」

「……対峙したお前達がそう言うんなら、そうなんだろうな」

 

 ドラゴンが生きた本物だったのか、造り物の偽物にすぎないのか。

 書き込みの論調では、造り物にしても実体があったのか、映像上に過ぎないのかという話題には言及していた。しかし、それが生きた本物であったかについては一切触れていない。

 それはつまり、言うまでもなく偽物であるという前提で話が進んでいる。

 

 だが、当然その現場に居合わせた播凰と毅は意見を異にする。

 そもそも、播凰に関しては物理的な接触をすらしているのだ。

 

「私はてっきり、お主が天能術で何かをしたのかと思っておったが……」

「ちげーよっ! 俺もさっぱり分かんねえって言っただろうがっ! そうじゃなくても、あんなことできるかっ!!」

 

 眉根を寄せる播凰に、青筋を立てて矢尾が怒鳴る。

 その反応だけで、彼にとって如何にそれが頓珍漢な問いであったかというのが窺い知れるだろう。

 

「……そうか」

 

 天能術はこんなこともできるのか、とドラゴンを前に目を輝かせていた播凰である。

 しょぼん、と残念そうに肩を落とすのであった。

 

「と、とにかく! さっきの動画のページを教えてやるから、お前達も自分の端末で見てみろ」

 

 それが矢尾の中の罪悪感を擽った――のかは定かではない。

 ただ、なにやら急かすように、二人に端末を出すよう促した。

 

 問題の動画。それは先程見たものだ。

 そしてその、コメント欄には。

 

 ・コメント:これなに、本物? CG? ゲーム?

 ・コメント:本物なわけねーだろ、アホか

 

 現実性について触れているコメント。

 

 ・コメント:ワイヤーで吊ってんだろ

 ・コメント:肉体強化系の天能術使ってんでしょ

 ・コメント:天溜属性? ってやつだっけ

 ・コメント:いいなー、俺にも天能術の才能あればなー

 ・コメント:でも、天能術使うのって天能武装とか詠唱が必要なはず

 ・コメント:小声なんだろ(適当)

 ・コメント:見えないだけで、何か持っとんのやろ

 ・コメント:熟練者は、そういうの無しでも行使できるって聞いたことある

 

 それ以上に活発な、戦いについて触れているコメント。

 

 ・コメント:服の色的に、東方第一の生徒じゃね? 高等部の

 ・コメント:あの名門なら納得かも

 ・コメント:生徒の自主製作かなんかか?

 ・コメント:なんでそれをVTuberが配信するんですかねぇ……

 ・コメント:ただの学生が、こんな動きできるんか?

 ・コメント:あの東方第一だぞ、いるんじゃないの

 ・コメント:天能術のエリート様達の学園だからねぇ

 ・コメント:偶々色が被ってるだけで制服と決めつけるのは早い

 

 同じくらいの勢いで、そもそも何なのかを議論するコメント。

 

 反応は、学内と概ね似たり寄ったりというところか。

 流石に学内の方が、少し細かい話をしているが、どちらにせよ動画から得られる情報が少ないのだろう。これに関しては、夕暮れという時間帯と、若干のぼかしに少し距離があるのが幸いというべきか。

 

「で、だ。これがライブ配信ということは、ほぼ確実にこのVTuber――大魔王ディルニーンは、この場にいたことになる」

 

 声に釣られて顔を上げれば、真剣な瞳で矢尾が播凰の顔を見ていた。

 

「それだけでも謎なのに、しかもだ。こんな状況を、ごく当たり前のように実況している。……おかしいと思わねえか?」

「あっ、確かにっす。普通、驚くっすよね」

「うーむ、言わてみれば、これはあの者か。……いや、しかしあの者であれば――」

 

 ――フハハハハッ!!

 

 高笑いの幻聴が、播凰の頭の中で響いた。

 それは現実(万音)としても、動画の中(ディルニーン)としても幾度と聞いたもの。それはもう鮮明に記憶されている。

 矢尾と毅は違和感と捉えているようだが、播凰は違う。予想していなかった展開であろうが、滅多なことでは動じず、悠々と受け入れた上で行動に移す。あの男ならばそれぐらいはできそうだと考えていた。

 

 よって、真面目な面持ちで会話する二人の横で。播凰だけは一人、何とも言えない表情で虚空を見上げていた。

 

 その、直後のことである。

 

 ――ぐぅーっ。

 

 緊張感の欠片もない、音だった。それこそ、播凰の脳裏に木霊していたディルニーン(万音)の高笑いに匹敵する程の。

 しかして、高笑いは幻聴に過ぎないが、もう一方は実際に響いたものでもある。

 その、正体は。

 

「おおっ、そういえば今は昼休みではないかっ! それは腹も減るわけだなっ!!」

 

 なんのことはない、播凰のお腹が空腹を訴えただけであった。

 

「…………」

「…………」

 

 流石にこれには声も出なかったのか。

 もはや苦言も突っ込みも忘れ、二人はただただ呆れを隠そうともせず播凰を見るだけ。

 

 それを気にせず、播凰は端末の時間を見て、昼休みが半分程過ぎてしまっているのを確認すると。

 

「そら、お主ら! 急がぬと、昼食を食べ損ねてしまうぞっ!!」

 

 ぐっぐっ、と播凰は破顔しながら矢尾と毅の背中を押す。

 

「……お前といると、本当調子狂うな」

「慣れたつもりだったっすけど、甘かったっすね」

 

 押されるがまま、強制的に移動させられる二人。

 だが、当然いつまでもされるがままとはいかず、矢尾は距離をとって振り向くと。

 

「取り敢えず今の話、絶対に他の人が聞こえるところでするんじゃねーぞ」

 

 最後に念押して、去っていこうとしたが。

 その制服を後ろから播凰が掴むことで、問答無用で止めた。

 ぐえっと、呻き声を上げる矢尾。それを意に介さず。

 

「折角だ、共に昼食をとろうではないかっ!」

「はぁっ!? 俺は別に、慣れ合う気は――」

 

 抗議の声を無視して、三人は校舎へと戻っていくのであった。



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四話 中等部の二人

「ふむぅ。改めて見れば、やはり不思議なものだな。動いている自分を見るというのは」

 

 学園から帰り、最強荘四階の自身に与えられた一室。

 制服のままベッドに腰掛け、件の動画を視聴しながら播凰は呟いていた。

 

 顔こそ見えてはいないが、この情景、この動き、この台詞は明らかにあの時の己のもの。

 元の世界では姿見などの鏡の類――自らの姿を見ることができる手段というのはあったが、動きを含めて残すような物も技術もなかった。

 つまり、自身を第三者の視点から客観的に確認するなどということはできなかったわけだ。

 だからこそ、それができるということに不思議な気持ちはすぐには抜けず、妙な気分を抱かせる。

 

「……やはり、一先ずジュクーシャ殿に直接話を聞いてみるとしよう」

 

 何度か繰り返し見ていたそれの画面を消し、ベッドから立ち上がる。

 

 話を聞くのであれば、この動画を撮影、配信したVTuberの大魔王ディルニーン。即ち、一階の住人である一裏万音を訪ねるのが手っ取り早いのであるが。

 しかし、播凰は万音に来訪の許可を貰っていない。つまり、一階に行くことができない。

 

 そこで、四階の住人、四柳ジュクーシャである。

 彼女も、何故だかあの場にいた一人。となると、話を聞く価値はある。

 そして問題の訪問に関しては、以前天能について教わったこともあり既に四階に行く許しを得ている。

 そうと決めたら早速行動に移そうと、播凰は自室を出た。

 

 エレベーターに乗り込み、四階を押す。

 階層はすぐ一つ上。何かを考える時間もなく、到着を知らせる音が響いた。

 

 廊下に足を踏み入れれば、夕日によって『4』の数字が橙色に照らさせている。

 夕食には少し早い時間帯なので、彼女は留守かもしれない。ただ、そうだとしても出直せばいいだけの話。

 軽く考え、ジュクーシャの部屋の扉までを歩いていた播凰であったが。

 

「それじゃ、ジュク姉! またねーっ!!」

「……さよなら」

 

 正にその扉が開き、二つの人影が出てきたのを見て、思わず足を止める。

 

 元気よく、開かれた扉に向けて手を振っているのは、播凰より少し年下と思しき少女だ。

 リアクション同様の溌剌とした笑顔を浮かべ、ショートカットの髪を揺らしている。

 

 そしてもう一方。こちらは少女と異なり、扉に背中を向けて顔だけを振り返っている、同じく年下と思しき少年。

 少女の元気に押し負けてほぼ潰されそうな声量に、片足の爪先をトントンと床に当てて靴を履く仕草。素っ気ないともいえればクールであるともいえる。

 

「ええ、二人共。さようなら」

 

 一拍遅れて、ジュクーシャが扉から姿を覗かせた。

 少女ほど元気よくはないが、彼女もにこやかに軽く手を振り返していた。

 

「……っ!」

 

 まずこちらに気付いたのは少年であった。

 当然、帰り道たるエレベータへ足を向けようとしたのだろう。

 一歩踏み出した、すぐ後に。直線上にいる播凰の姿に気付いたのか、そのままの不自然な体勢で固まった。

 

「わきゃっ!? ――ちょっとー、何止まって……?」

 

 次いで、少女が。碌に進路を見ぬまま体を動かし、止まっている少年の背中に顔をぶつけ。

 抗議の声を上げつつ、その最中に播凰を認識したのか目を丸くし。

 

「……播凰くん?」

 

 最後に、ジュクーシャが。

 こちらを向き、少し驚きを露わにして小首を傾げる。

 

「うーむ……」

 

 こういう時、何と言えばいいのだろうか。

 その答えを持ち合わせていなかった播凰は、腕を組み。しかし結局、答えが浮かぶことはなかった。

 

 

 

「へーっ! じゃあじゃあっ、あの動画に映ってたのは、お兄さんなんだー!!」

 

 微妙な空気となった、あの後。

 要件を伝えることしか思いつかず、聞きたいことがあると播凰がジュクーシャに切り出せば、彼女は快く迎え入れてくれたのだが。

 どういうわけか、今まさに帰ろうとしていた少年少女の二人組もそれを止めて戻ってきて、四人はソファーに座っていた。

 

 そして開口一番、播凰が例の動画について質問をすれば。

 ジュクーシャが口を開くよりも前に、興味津々と播凰を見ていた少女が、元気いっぱいに反応してきたのである。

 

「うむ。何故撮られていたかは分からぬが、紛れもなくあれは私だ」

「へぇー! へぇー!」

 

 そしてそれを邪険にせず、播凰は鷹揚に頷き、応えた。

 すると少女は、何がそんなに楽しいのか。無遠慮に、播凰の全身を眺め回すように見始める。

 

「何故撮られていた……? あの、同意の上だったのでは?」

「む? いや、私は何も聞いていないぞ」

「え……」

 

 ようやくそこで言葉を返したのは、ジュクーシャ。

 だが、引っかかるものがあるのか様子はおかしく。播凰が否定したことで、更におかしくなる。

 

 然もありなん。彼女は一応、咎めたのだ。居合わせたあの場で、勝手なことをしようとした万音を。

 だが、彼は許可をとったと宣い。そしてジュクーシャには、それを否定する材料はなかった。

 だからこそ、渋々引き下がったというのに。

 

「……あ、の、者はーーっ!!」

 

 しかし、嘘であった。謀られたことに今更ながらに気付かされ、この場にいない万音への怒りからか顔を真っ赤にしてソファーから立ち上がる。

 

「……ジュクーシャ殿?」

「大体、いつもあの者と来たらっ!! 私が信じたのが馬鹿でした、本当に――」

 

 突如ブルブルと身体を震わせ、明らかに態度が変わったジュクーシャに、播凰は困惑したように名を呼ぶが。おかまいなしというか、気付いていないのか。グチグチと誰もいない虚空に顔を向けている。

 恐らく、彼女はあの悪趣味なようで不思議と様になっている、あの高笑いを幻視していることだろう。奇しくも、先程昼休みに播凰が思い浮かべたように。

 

「あー、これはジュク姉、スイッチ入っちゃったかなー」

 

 慣れたような声色の元を振り返れば、少女が苦笑して挙動不審となったジュクーシャを眺めている。

 少年の方は無言であるが、同じくジュクーシャを眺めていた。その表情は読めない。少女が表情豊かというのもあるのだろうが、彼の方はあまりそういった色は出さないようだ。

 

「ああなったジュク姉は、暫くしないと戻ってこないんだー。……だから、ねね、お兄さん。今の内に自己紹介しようよー!」

「うむ、構わぬぞ」

 

 すると、いいこと思いついたと言わんばかりに、パンッと少女が手を打つ。

 拒否されることなんて考えていないような眩しい視線が、播凰を貫く。

 だが、元来。播凰もどちらかといえばそういうタイプであり。

 一も二もない了承に少女は、やたっ! と小さくガッツポーズをすると。

 

「アタシは、辺莉(へんり)! 二津(にず)辺莉(へんり)っ!! 東方天能第一学園中等部の三年生だよっ!!」

 

 人懐っこい笑みを浮かべて、播凰に名乗った。

 そう、初めて会った時から元気いっぱいのこの少女、中等部と高等部という違いはあれど、実は播凰と同じ東方第一に通う生徒であった。

 分かった理由は単純、特徴的な明るめの青緑色をした制服が同じだからである。高等部と中等部の制服は、細部にまで目を通せば若干の差異があるものの、おおまかには同じデザインだったりする。明確に異なるのは、ネクタイの色ぐらいだ。

 

「ほーら、シンも! 自己紹介自己紹介っ!」

「……なんで僕まで」

「いーいーかーらー!」

「…………」

 

 自分の番が終わってからも少女はテンションが高く、隣に座っていた少年を促す。

 少年は少年で、それを煩わしそうに対応するが。押し切られ、渋々と播凰を少し睨みつけるように見た。

 

「――二津(にず)慎次(しんじ)。中等部三年」

 

 それだけ言って、不機嫌そうに黙り込む。

 両者を改めてよく見て、そしてその名前を聞き。播凰は気になってふと尋ねる。

 

「ふむ、その顔にその名。お主らもしや」

「そうでーす! 双子の姉弟(してい)でーすっ! あ、ちなみにアタシがお姉さんね!」

「……昔だったら、僕が兄だったのに」

「今は先に産まれた方が上の子になるって決まってるんですーっ! だから、先に産まれたアタシがお姉ちゃんなのっ!」

「ほぅ、そうなのか」

 

 ちなみに、播凰の世界では、双子の場合は後から産まれた方が上となっていた。

 とはいえ、国、地域によって異なりや風習はあるので、一概に何が正しいとかはない。

 少年――慎次が言った通り、時としては彼の方が兄と呼ばれる可能性もあったのだろうが。

 少女――辺莉が言うように、今はその逆であるから意味のない話でしかないということだ。

 

「あっ、ちなみに名前で分かったと思うけど、二人共最強荘(ここ)の二階に住んでます! それでそれで、お兄さんは?」

「うむ! 私は、三階に住んでいる三狭間(みさくま)播凰(はお)。東方第一の高等部一年生で、天戦科だっ!」

「おおーっ、じゃあ、アタシ達の先輩だー! いぇーいっ!!」

「む……い、いぇーい?」

 

 彼女の気に当てられたわけではないが、播凰も元気よく堂々と名乗れば。パチパチと辺莉が拍手をした後、何やら片手を差しだしてくる。

 よく分からないなりに、直観的に何を求められているかを察した播凰が、ぎこちなく手を差し出せば。

 両者の掌が合わさり、パチンと音を立てる。

 

 慎次はそれを、鬱陶しそうに。実に苦々し気に見やっていた。

 表情こそ正反対に近い。だが、その顔は双子ということもあり、辺莉にとてもよく似ていた。

 中性的な顔立ちで、パッと見では性別がどちらか迷う人もいることだろう。

 

「ねね、播凰(はお)にい()。折角だから、連絡先交換しようよっ!!」

「別に構わぬが……その、播凰にい、というのは?」

 

 会話を交わしながら、辺莉と播凰は互いの端末を取り出す。

 

「んーとね、同じとこに住んでて、それで学園で一個上の年が近い先輩でしょ? それに播凰にい、多分アタシより強そうだし、そう呼んでみたいなーって。駄目??」

「ふーむ……まあ別に好きに呼んで構わんが」

「本当っ!? ありがとっ!!」

 

 呼ばれ方には別段固執はしない播凰である。

 一瞬、元の世界の弟妹達の顔が浮かんだが、拒否することなく許した。

 もっとも、呼ばれて不快なものであったなら、その限りではなかったが。

 

「しかし、自分より強そう、か」

「なんとなくだけどねー。多分、アタシもシンも勝てないかなーって。あ、でもでも、一度手合わせはしてもらいたいかも!」

「……勝手に僕も含めるな」

「だって、シンもあの動画見たでしょ? それに、こうして対面してるだけで、こう、ビビッとアタシのアンテナに! ――って、そうそう、動画動画っ!」

 

 なんというか、騒がしい姉だ。

 だがまあ、双子としてみれば、騒がしいと物静かで釣り合いはとれているのだろうか。

 

「中等部でもそうだけど、アタシ達の部活でも皆あの動画に興味持ってたよー! あのドラゴン、凄いリアルだったし!」

「そういえば気になっていたのだが。その部活というのはなんなのだ?」

 

 どうやら、話は高等部だけでなく中等部にも広まっているらしい。

 もっとも、学内という意味では双方を含むのでおかしくはないのだが。

 

 それはそうとして、播凰が何気に気にしていた単語が出たので、これ幸いと尋ねてみる。

 そう、部活についてだ。

 

「えっとね、通常の授業とかとは別に、学園として活動している……団体っていうのかな? 所属するしないは生徒の自由だけど、色んな活動があるんだ。何も戦うだけが天能術じゃないし、そういうのに全く関係ないものもあるよ!」

 

 ハキハキとしていて、楽し気であった。

 そしてそれを播凰が指摘してみると。

 

「楽しいよー! ただ、朝の活動で少し早く家を出たり、最終下校時刻ギリギリまで活動することもあるから、そこはちょっと大変だけどねっ!」

「ふむ、時間が……道理で、今まで会わぬし、知らぬわけだ」

「むむむっ、一応アタシ達、中等部の中じゃそれなりに有名なんだけどなー」

 

 大変といいつつ、満足そうに辺莉は告げる。

 その内容で、一つ納得した。同じ学園に通うのであれば、下校時刻はまちまちとしても、朝の登校時刻は少なからず被りそうなものである。

 しかし、播凰は学園に通い始めてから既に一月、二月と経とうとしているが、今まで彼らの姿を見たことがなかった。

 偶然ということもなくはないだろうが、時間がずれていればそれは会わないのも不思議ではないと言える。

 

「――ふぅ、失礼、取り乱してしまいました」

 

 と、ここで。万音に怒りをぶつけていたジュクーシャが、正気に戻って会話に加わってきた。

 その顔は憑き物が取れたかのようで、いつもの彼女のものだ。

 

「それでは、播凰くん。これから、一階のあの者の元へと殴り込みに行きましょうか」

「う、うむ……?」

 

 訂正だ。正気には戻っていなかった。

 播凰がたじろぎ、助けを求めるように辺莉へと視線をやると。彼女は黙って首を数回横に振る。

 

 どうやら、スイッチはまだ入ったままのようだ。

 

 

 

「――管理人さんっ! 一階のあの者を、あの邪悪でふざけた男を、呼び出してくださいっ!」

 

 最強荘零階、エントランスホールの管理人窓口前。

 そこで管理人を捕まえたジュクーシャは、播凰を傍らに置き、幼き権力者に向けてそう要求した。

 

 ……なるほど、このような手があったか。

 

 ジュクーシャも一階への許可をもらっていないと聞いた時は、どうするのかと思いつつ着いてきたのだが。

 管理人に相談する。意外にいい手なのかもしれない。万音がここに降りてくるまで待つという、最終手段ともいえる方法に比べれば断然に。

 

 ちなみにあの二階の双子、辺莉と慎次は自分の階層へと戻っていった。

 というより、ジュクーシャに半強制的に戻らされた。

 

「うーんー、あまり住民間のことに介入するのはよろしくないのですがー。どうされましたかー?」

「この動画を見てください」

 

 困ったようなニコニコ顔の管理人に、ジュクーシャは動画を再生する。

 万音が勝手に配信し、播凰がドラゴンと対峙している動画だ。

 

「あの男は、これを播凰くんの許可無しに、勝手に配信したのですよっ!」

「なるほどー、それを抗議したいということですねー。ですかねー、三狭間さんー?」

 

 事情は理解したのか、管理人が播凰を振り返って問えば。

 

「そうですっ!」

「う、うむ……まあ、そういうことだ」

 

 勢い込んでジュクーシャが、若干視線を彷徨わせつつ播凰も答えたので、考えるように少し悩んだような素振りを見せつつも、管理人はエレベーターに乗っていった。

 ただまあ本音としては、播凰は別に動画を撮られたことに関してそこまで文句がどうこうという思いはなかったのだが。

 

「あの性的倒錯者ならば、確実に管理人さんの言うことを聞いてここに来るでしょう」

 

 果たして、ジュクーシャのその言葉通り。

 数分と待たずにエレベーターが開いたかと思えば、万音を伴った管理人が姿を見せる。

 怒り心頭のジュクーシャが、つかつかとそれに歩み寄ろうとした。

 

 だが――。

 

「丁度よい、こちらも貴様に声をかけようと思っていたところだ、播凰よ」

 

 先制したのは、万音。

 彼は、ジュクーシャには目もくれずに播凰を大仰に指差し、こう言ったのだった。

 

「貴様、今宵の余の配信――もとい、大大大魔王軍会合に出席するがよいっ!!」



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五話 播凰、配信に出る

「フハハハハッ、余の配下共よ、会合の時間だ! 余こそは大魔王ディルニーンである。()く、ひれ伏すがよいっ!!」

 

 ・コメント:はっ!

 ・コメント:ははぁ~

 ・コメント:ゲスト期待

 ・コメント:客将が出ると聞いて

 ・コメント:初見です

 ・コメント:例の動画から

 

 お決まりの高笑いを響かせ、VTuber大魔王ディルニーンの配信が始まった。

 画面の中で、漆黒の衣装に身を包んだ銀色の髪の男がふんぞり返っている。

 瞬間、流れる始めるコメント。

 そこには、配信開始時のお約束といっていいコメントもあるが、とある単語に触れているコメントも散見された。

 

「余の軍勢への加入希望の者はよくぞ来た。そして皆、興味津々であるな。今宵は、先日紹介した我が大大大魔王軍に迎えし者と共に、会合を進めてゆくぞ」

 

 ・コメント:おおー

 ・コメント:待ってた!

 ・コメント:一体誰なんだー(棒)

 ・ユーシャJ:ぐぎぎ……っ

 ・コメント:ユーシャJさん??

 ・コメント:ユーシャ、どうしたwww

 

 ディルニーンの発した言葉により、盛り上がる反応。

 否定的な言葉がゼロというわけではないが、概ね今のところは悪印象ではないらしい。

 

「もっとも、声だけではあるが――そら、喋るがよい」

「うむ」

「…………」

 

 とはいえ、いまいち状況を理解していない播凰である。

 問答無用というわけではないが、半ば強制的に連れてこられたのだ。もっとも、それを面白そうという理由で話に乗った播凰の方にも問題はあるのだが。

 これといった説明もされず、ディルニーンもとい万音の近くに座って画面を眺めていたところ、唐突に振られたので取り敢えず返事をした。

 だが、それでは不足であったらしく、ディルニーンが堪らずツッコミを入れてくる。

 

「……うむ、ではないわっ! 名乗るぐらいせぬかっ!」

「なるほど、名乗ればよかったのか。私の名は、()――」

「戯けかっ、貴様! 誰が真の名を名乗れと言った! 貴様は、客将と名乗ればよいのだっ!!」

 

 ・コメント:天然かな?

 ・コメント:ポンコツか

 ・コメント:大魔王様がツッコむなんて……

 ・コメント:客将、恐ろしい子!

 

「客将? ……ふむ、面白い。いいだろう! そのような立場、我が国が滅びでもしなければ、到底有り得なかった故な!」

 

 ・コメント:???

 ・コメント:国が滅ばないとってどういう立場だ

 ・コメント:忠誠心が篤いってことかな

 ・コメント:どういう設定なん

 ・コメント:亡国の王子とか?

 

 客将、という単語に反応した播凰がポツリと零した呟きに、困惑と推察が流れる。

 播凰自身、その自覚というのは余り無かったが。お飾りとはいえ、仮にも一国の王。となれば、客将になるにはそれこそ国が滅ぶなどで王の立場を失うぐらいしかなかっただろう。

 

「フハハハハッ、それでは紹介も終えたことだ。早速、遊戯でも始めようと思うが――その前に。軽く、質問タイムを設けてやろう。誰ぞ、客将に聞きたいことがある者はおるか?」

 

 ディルニーンが問いかけた途端、バーッとコメントが加速する。

 どれどれ、と彼が選別した結果は。

 

 ・コメント:あの動画のドラゴンはどうやって撮影したの?

 

「そら、これに答えるがよい。ああそれと、不用意な発言は控えよ。身バレに繋がる」

「身バレ? それはなんだろうか?」

「身分が露見することだ。それはこちらも困るのでな、まあ怪しい場合は先程のように余が止めてやろう。だが、注意して発言するがよい」

「なるほど……」

 

 説明を聞き、少し考える。その結果。

 

「あのドラゴンはな。私もよく知らぬが、黒い杖から出てきたのだ」

 

 詳細を省いて端的に事実を伝えるだけになった。

 

 ・コメント:本物だってこと?

 ・コメント:はい嘘ー

 ・コメント:嘘乙

 ・コメント:馬鹿、そういうシナリオってことだろ

 

 疑惑、虚偽の指摘、好意的な解釈。

 内容が内容なだけに、若干コメントが荒れ始める。

 中には奇特にも、信じる旨の内容もあったが、どこまで本気なのか。

 

「ふむ、まあ言ったように私もよく分からぬのでな。嘘と思われても仕方ないとも言えるな!」

 

 だが、播凰は全く気にしていなかった。

 むしろ、嘘つき呼ばわりされているのが面白いかのように、笑って肯定している。

 そのあまりにさっぱりとした態度は拍子抜けだったのか、コメントの勢いが少し収まった。

 ただし中にはまだ嘘つき呼ばわりするものもあるが、そう多くはない。

 

「では、次だ。皆の者、再び質問をするがよい」

 

 ディルニーンが仕切り、再びコメントの中から問を拾う。

 

 ・コメント:東方第一の生徒って本当?

 

「ふむぅ……それは秘密だ」

「まあ無難だな」

 

 播凰は少し迷った。

 忠告が無ければ迷わず肯定していただろうが、身分の露見に近づく可能性はある。

 とはいえ、正解はないだろう。否定したとしても疑いは晴れることなく、曖昧にしても疑義は変わらない。つまり肯定以外は似たり寄ったりだ。

 そしてディルニーンはディルニーンで質問を拾った当人であるにも関わらず、さらりと流す。

 

 ・コメント:まあ、身バレする可能性あるもんね

 ・コメント:黙まりと一緒じゃん

 

 擁護とブーイングが入り混じるコメント欄。

 だが、文字だけではあるがあまり良いとは表現できない空気。未だ慣れてもおらずよく分かっていない播凰も、なんとなくそれを直感した。

 だがこの雰囲気は、次の瞬間霧散することとなる。

 

「時間の関係もあるからな、これで最後だ」

 

 最後の質問、それは。

 

 ・コメント:大魔王様とはどんな関係ですか?

 

 播凰は、ディルニーンを――万音をちらと見る。

 どんな関係、難しい質問だ。そもそもが何故このような状況となっているのか。

 それを考えた時、実に的確な答えが脳裏を過った。少なくとも、播凰はそう思った。

 

「同じ場所に住んでいるな」

 

 ・コメント:同じ場所に!?

 ・コメント:一緒に住んでる!?

 ・コメント:kwsk

 ・コメント:同じ部屋で配信して

 ・コメント:同じベッドで、くんずほぐれつ……

 ・ユーシャJ:そんなっ!?

 ・コメント:┌(^o^┐)┐ホモォ

 

 刹那、それは一色に染まった。

 おおよそ、播凰の予期せぬ方向に。理解の少ない、というよりほとんど知識に無い方向に。

 これまで以上の勢いで加速していく。

 

「阿呆か、貴様達っ! 余が興味があるのは、幼き少女だけだ!!」

 

 それに激怒したのは、ディルニーン。

 まず画面に向かって――正確に言えばコメントの、その向こうにいるであろう人々に向かって、怒鳴り立てている。

 

「そして客将、貴様もだ! 紛らわしいことを抜かすでないわっ!!」

 

 かと思えば、播凰に振り返り同じく怒声を浴びせた。

 

「……?」

 

 同じ場所――つまり最強荘という、同じ建物に住んでいる。

 単純に事実を告げただけであるのに、理解していないのは播凰ただ一人であった。

 

 

 

「曲がり切れぬ……おお、また落ちたぞ!」

 

 ・コメント:客将、頑張れ!

 ・コメント:ドリフト、ドリフト使わなきゃ

 ・コメント:天能術を使うタイミングも重要だよ

 

「こう、ピコピコと色々なボタンを押さねばならないというのは大変だな!」

 

 ・コメント:ピコピコって……

 ・コメント:いつの時代の人ですか、あーたは

 

 質問タイムも終わり。

 現在、ディルニーンが遊戯と称した時間――即ちゲームプレイの時間に移行していた。

 ゲームは、以前播凰が切り抜き動画で見たレースゲームだ。

 車を操作し、ゴールを目指す。途中に天能武装のオブジェクトが落ちており、杖型は主に相手を妨害する効果が、籠手型は自分を強化する効果が得られる、というもの。

 

「ふむぅ。実際にやってみると難しいものだな、このゲームとやらは!」

 

 そして結果。

 ゴールに到達することなく、レースの終了を告げるゲーム画面が表示されている。

 つまりは、最下位。ほとんどの人が不機嫌、もしくは残念そうにする結果であることは言うまでもない。

 

「よぅし、次だ、次!!」

 

 だのに、はしゃいでいる。

 コントローラーを強く握りしめ、期待と興奮に目を輝かせ。

 正しく玩具を与えられた子供と体現するに相応しい様相で、播凰ははしゃいでいた。

 

 ・コメント:ここまで全部最下位

 ・コメント:なんか草

 ・コメント:まあ、思いっきり初心者の動きだし

 ・コメント:でもなんかすげー楽しそうだよな

 ・コメント:見ているこっちにも伝わるというか応援したくなるというか

 

 コメント欄も、その内容に合わせるように流れている。

 それに対して。

 画面中央から縦に二分された、もう一方の画面。

 そこには、トップを示す1位という文字が燦然と大きく主張している。

 要するに、二人プレイというやつだ。

 

「フハハハハッ、またしても余が頂点である!」

 

 ・コメント:あれ、大魔王様ってこんなに上手かったっけ?

 ・コメント:いや、上手い下手でいえば上手いんだけど……うん

 ・コメント:隣があれだから、すげー上手く見える

 

 客将――播凰が最下位であるならば、ディルニーンはその真逆で最上位。

 何レースかしたその全てがこの結果だった。

 

 ・コメント:客将は、このゲーム初めてなの?

 

 次のレースへの待機中、ふと一つの質問が播凰の目に止まる。

 

「うむ。このゲームというより、ゲーム自体が初めてだ! なにせゲームという存在自体、ついこの間までは知らなかったからな、持ってもいなければ触ったこともなかったぞ!」

 

 当然、元の世界にそんなものはありはしない。もっとも、遊びという概念がなかったわけではないが。

 

 ・コメント:え……

 ・コメント:何、その闇が深い

 ・コメント:そんなことありえる?

 ・コメント:設定なのかガチなのか

 

 普通に生きていればそうそうない状況のカミングアウト。それにはコメントも、どう反応したものかとなるものだろう。

 噛みつく人間が一定数いたが、それはもはやご愛敬だ。

 と、そんな中で。

 

 ・スパチャ:大魔王様、これで客将に買ってあげて \50000

 

 何やら赤いコメントが播凰の目に映る。

 赤色に限ったことではないが、今までもちょくちょく見かけたものだ。何だろうかと思いつつも、ゲームの方に熱中していたので気にする余裕はなかったが。

 だが、今はレース中ではない。播凰の意識が、ゲーム画面からそちらに移った刹那。

 

 ・スパチャ:ワイからも \10000

 ・スパチャ:初心者を応援するのも意外と楽しかったで! \5000

 ・スパチャ:新たな同士に \2000

 ・スパチャ:大魔王に勝つまで練習しろ \10000

 

 次々と、色が続いた。赤だけではなく、様々な色が流れては消えていく。

 これだけ目につけば、聞かずにはいられない。

 

「大魔王よ、この色のついたものはなんだ?」

「これはスーパーチャット――言ってしまえば、この配信を視聴している者から余への上納金だ」

「ほぅ、上納金か」

 

 ディルニーンの説明を聞き、感心したように播凰が呟けば。

 

 ・コメント:いや、これは客将に向けてだよ!!

 ・コメント:大魔王様、ちゃんと説明してください!

 ・スパチャ:お前が使うんだよぉ! \1000

 

 その声色が、どこか他人事であることを思わせたのか。

 いや、そもそもディルニーンの説明が、説明のようで説明でないからか。

 兎も角、コメントから突っ込みが入る。

 

「言われずとも分かっておるわっ! ……おほん。客将よ、中にはお前宛のものもある。礼の一つぐらい言っておくがよい」

「む、そうなのか? ……うむ、それではありがたくいただこうぞっ!」

 

 と、こんな調子で配信は進んでいき。

 

「それでは、今宵の会合はここまでとしよう。余の配下共よ、次回の会合を待つがよい!」

 

 ディルニーンの終わりの挨拶と共に、配信は終了した。

 

 余談ではあるが。

 ゲームをやるにも、ある程度のセンスや実力というものは必要だ。

 ただし世に存在するゲーム全てが、そのプレイヤーの力量に直結するわけではない。

 

「ほぅ、サイコロの出目を競うゲームか。運試しというやつだな!」

「客将、貴様っ!! 何故そうも高得点の役ばかりが揃うっ!?」

 

 ・コメント:客将の運パネェwww

 ・コメント:初っ端の一投目から五つ全部ゾロ目なんて初めて見たぞ…

 ・コメント:つうか、その後の出目もやべぇ

 ・ユーシャJ:流石です!!

 ・コメント:おっと、不正か?

 

 ゲームの一幕には、ルールをよく理解していないまま快勝する客将(播凰)と、ボコボコにされるディルニーン(万音)の姿があったとか。



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6話 突撃、突撃

「――三ィ狭間(みぃさくま)ァァッーー!!」

 

 その日。播凰の学園での日常は、そんな怒声から始まった。

 騒がしいとまではいかないが、仲の良い者同士で集まり話し声が聞こえる、朝の予鈴が鳴る前の1年H組。

 播凰と毅も例に漏れず二人で軽い雑談をしていた、そんな中での怒声だった。

 

 シン、と静まり返るH組。

 次いで、クラス中の視線がその元凶――即ち、怒声と共に勢いよく教室の扉を開いたとある生徒へと向かうが。

 瞬間、その半分近くが無言、或いは小さく息を呑んで慌てて視線を逸らしていく。

 

「おお、矢尾ではないか。どうしたのだ、そんなに慌てて?」

 

 そんな緊迫ともいえる空気の中。

 呑気な声を上げて彼に近づいていくのは、呼ばれた当の本人である播凰だ。

 

「どうしたもこうしたもあるかっ! ちょっとこっちに来い!!」

 

 怒髪天、とまではいかないが、鼻息荒く肩を上下させる矢尾は、播凰の反応を待たずにその肩を掴んでH組の教室の外へと引っ張り出していく。

 変に抵抗することもなくされるがままとなっていた播凰。

 

「お前、何やってんだ!?」

「ふむ。何、とは?」

 

 H組からそこまで離れてはいないが、取り敢えず人気のない場所まで播凰を引っ張った矢尾は、小声ながらも詰問するように播凰に向き直る。

 だが、その問いに心当たりのない播凰が不思議そうに返せば、彼は頭を掻きむしるようにして。

 

「んなもん一つしかねぇだろうが! 何でお前は、普通にあのVTuberの配信に出てんだよ!?」

「ああ、そのことか」

 

 そこでようやく、合点がいったというように、播凰がポンと手を打ち納得の表情を見せる。

 

 いや、播凰とて最初は話を聞こうと思っただけなのだ。

 しかし、あれよあれよと流されてああなった。配信に出るよう促され、興味本位でそれを了承した。

 ――結果。当初の目的を忘れ、普通に楽しんだだけである。

 

「うむ、中々に面白かったぞ」

「そういうことを聞いてるんじゃねぇよ!?」

 

 惚けたような回答に、たまらず矢尾のツッコミが入った。

 だが、播凰としては真面目も大真面目。自分が何をやったのかを完全に理解はしていないが、面白かったので細かいことはいいの精神だ。

 

「そもそも、あのVTuber――つまり大魔王ディルニーンは、それなりに登録者数の多い配信者だった。というか、正直俺も知っていたし、前に配信や切り抜きを見たことがある」

「ほぅ、そうなのか」

「……お前のことだから、あの配信がリアルタイムで、その後のアーカイブでどれだけ見られているか知らねえ――いや、気にしちゃいねえんだろうな?」

「ふむ、そうさな。面白かっただけで私は満足だ」

「…………」

 

 あからさまな皮肉というか、なんというか。

 ちくり、と刺すように矢尾が告げるが、播凰はどこ吹く風。むしろ普通に矢尾の発言を肯定する始末。

 もはや怒る気力もなくなったのか、はたまた諦めたのか。矢尾は、これみよがしに溜息を吐くと。

 

「ともかく、その上例のドラゴン騒ぎの配信の後だ。話題性も注目度も抜群。しかも、ジャンナが――」

 

 そこまで言って、矢尾は言い淀んだ。というより、うっかり口に出してしまったというような、表情を浮かべている。

 

「ジャンナ?」

 

 思わず問い返した播凰であったが、しかし矢尾は口を結んだまま反応しない。

 いや、目が泳いでいる。明らかな動揺だった。

 

「ジャンナ、ジャンナ……聞いたことがないが、物の名称か何かか?」

「……ちげーよ」

 

 観念したのか、ムスッと不機嫌になりながら矢尾が口を開く。

 

「ジャンナ・アリアンデ。ディルニーンと同じ、VTuberだ。こっちは女の、がつくがな」

「なるほど。それで、そのジャンナ……あー、そのジャンナとやらがどうしたのだ?」

「アリアンデ、だ。ディルニーンの、というかお前が出た2本の動画について話題に出しててな、それもまた注目の要因になってる」

 

 ふむ、と返事をしてみたものの、播凰はいまいちよく分かっていない。

 それをどう受け取ったのか。ボソリ、と矢尾が呟くように言う。

 

「言っとくが、ディルニーンよりもジャンナの方がチャンネル登録者数は段違いに多いからな」

 

 それがどういう意図の元に放たれた言葉であるか、播凰には分からない。

 だが、それが意味する内容はなんとなく理解できた。とはいえ、それは自身には関係のない話。

 そのため、特にこれといった反応はなく、ふと思ったことを播凰は言ってみた。

 

「それはそうとお主、妙にこういう話題に詳しいのだな。――ああ、もしかすると、そのジャンナとやらのふぁん(・・・)なのか?」

「はぁっ!? か、勘違いすんじゃねえ、偶々だ、偶々」

 

 播凰の指摘に対し、顔をほんの少し紅潮させて偶然を強調した矢尾は、ごまかすようにゴホンと咳払いをすると。

 

「と、とにかくだ。別にどう動こうが勝手だが、少しは自分の置かれている状況を理解して発言しろ。まったく、見ててあんなにヒヤヒヤした配信は初めてだったぜ」

「む、もしやお主見ていたのか?」

「……暇潰しにな。取り敢えず、俺が言いたかったのはそれだけだ」

 

 じゃあな、と背を向けて矢尾は去っていく。

 残された播凰は、しばし考えるようにしていたが、ふと思いついたように端末を取り出すと。

 

「ジャ、ン、ナ、アリ……おお、そうそう、アリアンデだったな!」

 

 矢尾が出した件のVTuberについて調べてみる。

 検索でヒットしたのは、異国の装いをした金髪で勝気そうな少女、のイラスト。

 ふむぅ、と少しの間それを眺めていた播凰であったが。

 

「ぬっ、そういえばついでに言えばよかったが……まあいい、予定通り放課後にでもあちらの教室に行くとしよう」

 

 一つ、忘れていたこと――正確には矢尾に用事があったことを思い出す。

 だが、端末から顔を上げたものの、矢尾の姿は既にない。

 それを仕方ないと割り切り、元々考えていたように(・・・・・・・・・・)放課後に矢尾のいるE組へと訪れることを決め、自身のH組へと戻る播凰なのであった。

 

 

 そして、来たる放課後である。

 

「……播凰さん、本当にあの教室に行くんですか? 出てきて少ししたら話しかけるとかでも――」

「別にどちらでも違いはないであろう。なんなら、毅は待っていても構わぬが?」

 

 別に変な話ではない。学園内のとある場所に行こうという話である。

 まあ、もっとも。

 

「流石、播凰さん。……申し訳ないっすが、E組に行く度胸は俺にはないっす」

 

 そのとある場所というのは、1年E組という新入生の最上位に位置するクラスなのであるが。

 胸を押さえて呻くようにする毅を、大袈裟だと笑い。

 

 播凰は一人、1年E組の教室の扉に立つ。

 心なしか、いや確実にH組よりも上質な扉だった。ついでにいえば、教室の位置に関しても、校舎の隅の方にあるH組とは異なり、E組は利便性に優れた箇所に位置している。

 

 普通のH組の生徒であれば勿論のこと、残る天戦科のF組、G組の生徒でも気後れしそうなその扉。

 だがしかし播凰は、それに躊躇なく手をかけ、開け放つ。

 

 今正に教室を出ようとしていたであろうE組の女生徒二人が、目を丸くして扉一枚を隔てた少し向こう側に立っていた。

 それは向かいに播凰がいたことというよりは、いきなり開いた扉の勢いの良さに驚いて、といった具合だ。

 

 彼女達だけでなく、扉付近の机に座っていた男女のグループも、びっくりしたように播凰を見上げている。

 

「おほん、矢尾はいるだろうか?」

 

 その力強い呼びかけは、教室中にまで届いたようで。

 播凰の登場――正確には扉の動きに驚いた出入口付近のE組の生徒だけでなく、中程や奥の窓際で屯していた生徒達もなんだなんだと振り返っていた。

 

 そしてその中には、一人、鞄を肩にかけてポカンとこちらを見る矢尾も含まれており。

 口をパクパクとさせた後、だだだっ、と猛然と走ってきて。

 

「んなっ、おまっ、なん――」

 

 言葉にならない言葉で、播凰に詰め寄る。

 

「ああ、朝に言えればよかったのだが、実は私もお主に用があってな」

 

 それに動じず、悠然と笑う播凰であったが。

 

「――あんれー、君って確か、H組の生徒だよねー? そこの矢尾と戦った、さ」

 

 教室の中から、二人の元に届く声。

 播凰が視線だけを動かせば、三人組の男子の一人がニヤニヤとこちらを見ていた。

 笑顔ではあるが、小馬鹿にした笑みだ。その声色からも、意地の悪さが滲み出ている。

 

 見覚えのある顔であったような気がする。

 播凰は数瞬、学園での記憶を辿り。そして思い出した。

 

「ああ、あの時観覧席にいた者達か」

「そうそう。いやー、まさかあの時は予想外だったよ。まさか矢尾が、H組のゴミに負けるなんてねー」

 

 その言葉に、残りの二人が同調するように笑う。

 

「しかも、そのH組の奴なんかと仲良くするとは――矢尾がそこまで墜ちていたなんてね。E組の面汚しが」

「……っ!」

 

 言葉をかけられる対象が、播凰から矢尾へと移る。

 ぐっと矢尾が顔を伏せ、しかし歯を喰いしばった気配がした。

 

「…………」

 

 播凰は無言のまま、それを横目で見やる。

 擁護も非難もしない。我関せず、といえばそうだが、そこに踏み入れるのは違うと播凰は理解していた。例えその原因が己にあるのだとしても、だ。

 

 とはいえ、そんな矢尾の態度で、あちらも一応は満足したのか。

 再び、その視線が、言葉の矛先が、播凰へと戻る。

 

「っていうか、君もさ。H組なんかが、易々とE組に入ってくるなよ。自分の立場分かってる?」

「ふむ。別の組に入っていけない決まりはないと記憶しているが」

「はっ、決まりだとか、そういう問題じゃないことも分かんないのかい? 矢尾にまぐれ勝ちしたからって、調子に乗るなよ」

 

 いまやクラス中が沈黙を守り、彼等のやりとりに注意を傾けている。

 そのことに気をよくしたのか、彼は、その三人組は悦に浸ったように口を回す。

 

 相手は所詮H組、天戦科において実力最底辺に所属する生徒。そして、同じ最上位たるE組とはいえ、それに負けた生徒。かつてはつるんでいたが、それも少し前までの話。

 そんな二人が相手であれば恐いものはなく、オーディエンスたるE組のクラスメートも、こちらの味方になるだろうと、そう考えて。

 

「……まぐれ勝ち、か。なるほど、お主達にはそう見えたわけか」

「見えたもなにも、それ以外ないだろう? 大体なんなのさ、あんなの戦いでもなんでも――」

 

 ――ない、と。

 そう、言おうとした。言おうとしたのだ。

 

「――手を抜いたのは、認めよう。天戦科の正道たる戦いではなかったであろうことも、だ」

 

 だが、言えなかった。

 何故か。

 

「しかし、戦いを――」

 

 端的に言えば、呑まれた。

 自身へと向かってきているわけではない。何をされているわけでもない。

 その男(播凰)は、変わらずそこに立っているだけだというのに。

 

 激怒もなく、激情もない。

 だのに、寒気を感じている。ヒリヒリと肌を刺すような空気を感じている。

 何に対してかは分からない。だが、確実に己の警鐘が何かを告げている。

 

「一騎討ちを貶めることは、許さん」

 

 戦いがある以上、そこに決着は存在する。

 引き分けということもあるにはあるが、勝者が誕生するのであれば、敗者もまた誕生する。

 敗者が貶められるというのは、珍しいものではない。むしろそれが常。敗者が諸手を挙げて讃えられることこそ稀有だ。

 別段、敗者を貶めるのは勝者の特権ではない。戦いに密接な関わりのない第三者をして敗者が貶められることも、往々にしてある。

 

 三狭間播凰が勝者であり、矢尾(やお)直孝(なおたか)は敗者である。

 

 事ここに至って、その事実が揺らぐことはない。

 だから、例え己が原因であろうと、矢尾が謗られること(・・・・・・・・・)自体に播凰が介入するつもりはない。

 なぜならばそれもまた、戦いの延長であるからだ。

 

 だが、その戦い自体(・・・・)を、戦いが起きたことを貶めること。

 それは誰であろうと許されない。少なくとも、三狭間播凰にとって――かつての世界における己にとっては。

 

 沈黙が訪れる。

 だが、次の瞬間に、播凰はフッと表情を和らげ。

 

「そこまで言うのであれば、お主達も私に挑んでみるか?」

 

 ひりついた空気が、霧散した。

 初夏にあって、粘つくような汗が、一粒。三人の額からそれぞれ滴り落ちた。

 

「……お、お前なんか……H組なんか、E組の僕達が相手にするわけ、ないだろう」

 

 なんとか一人が声を絞り出す。

 それは最上位クラスたるプライド、せめてもの矜持からか。

 

「であれば、私に挑んだ矢尾の方が気概がある」

 

 だが、それにさしたる反応もせず。

 むしろ興味を失くした、というように播凰は踵を返してE組を去っていき。

 一拍の間を開けて、複雑な表情を浮かべながら矢尾もまたそれを追って出ていった。

 

 何とも言えない雰囲気が、1年E組を包んだが。

 暫くして、彼等は動き出す。

 

「……あの二人、いつの間に仲良くなったのかしら?」

 

 二人が去った扉の方を見て、不思議そうに、星像院(せいしょういん)麗火(れいか)が呟いた。

 

 

 さて、E組から離れ、毅と合流した播凰と矢尾であるが。

 

「……おい、ところで用ってなんなんだよ?」

「ああなに、厳蔵(げんぞう)殿の所へ行こうと思ってな」

「あ? 厳蔵って誰だよ?」

「あの山にいた、天能武装の職人だ。……お主、あの後顔を出してないだろう?」

「うぐっ」

 

 苦い顔をする矢尾を連れ立ち、厳蔵の住まいを目指すのだった。



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7話 名家と呼ばれる者達

 ――ゴチンッ!!

 

 小鳥の鳴き声一つすら明瞭に聞こえる静かな山中にあって、その重く痛々しい音は実によく響いた。

 刹那、その異音に驚いてか、近くの木の枝に止まっていた数羽の鳥が羽ばたき、飛び去って行く。

 

「――っ!!」

 

 それに遅れること、一拍。

 声にならない悲鳴がその後に続き、虚空へと消える。

 

「こいつで手打ちにしといてやる。結果的に面白いもんも見れたわけだしな」

 

 そう言ったのは、拳を振り下ろした態勢の厳蔵(げんぞう)。彼は何事もなかったかのように腕を組み、軽く笑みを浮かべる。

 いや、実際問題。何があったかというと、事実、そう大したことではない。

 

 放課後、厳蔵に呼ばれていた播凰は毅と矢尾にも誘いをかけていた。

 あのドラゴン騒動の後。播凰には天能武装の作製依頼に関することで度々訪れる機会がある一方、厳蔵に明確な用事のない毅と矢尾は、彼のところに行く理由がない。

 毅はそれでもいいかもしれないが、矢尾には厳蔵を狙った事実に天能武装たる漆黒の杖を奪って壊したという事実――つまり負い目とも言えるものがある。

 

 それを播凰に指摘された矢尾は、当然乗り気ではないだろうが、ばつが悪そうな表情ながらもそれを了承し。

 一応あの場に居合わせて厳蔵と接点がある毅も、それに同行しているというわけだ。

 

 そして、何が起こったかというと。

 玄関先で矢尾が謝りの言葉を述べ。それに対して厳蔵が、素手の拳骨一発でそれを許したというだけの話。

 

 顔を俯かせ、プルプル肩を震わせながら両手で頭を押さえる矢尾。それを見て、喰らってもいないのに、うわぁと毅まで頭の頂点を手で押さえる始末。

 授業や摸擬戦等で天能術によるダメージを受けることがあるので痛みには多少慣れているとはいえ、痛いものは痛いようだ。

 

 ただし、播凰からすれば――いや他の人から見てもそうだが――ただの拳骨。

 身震いする二人をよそに、播凰は元々の己の用件を口にする。

 

「それで、厳蔵殿。私の天能武装を造ってくれる準備ができたという話だが」

「おう、それにあたって聞くことがある。取り敢えず、中に入れ。なんだったら、そっちの二人も着いてきて構わん」

 

 そうすると厳蔵は、躊躇なく踵を返して家の中へと戻っていき。

 

「うむ、では二人共行くぞ」

「……ぐっ、なんつー力だ、あの爺さん――」

 

 同じく心配の欠片もなく播凰と、ちらちらと気にする素振りをしつつ毅もそれに続く。

 痛みを堪えながら、彼等より少し遅れて最後に矢尾も厳蔵の家へと入っていくのだった。

 

 

「――な、なにぃっ!? ア、アンタ、あの捧手(ほうじゅ)一族の人間だったのかっ!?」

 

 家の一室に通され、まずはと面識はあるものの名を知らぬ者同士が名乗った結果。

 厳蔵の苗字を聞いた矢尾が、驚愕の声と共に立ち上がった。

 

「ああ。まあ、一応な」

 

 それに大した反応をすることもなく、茶の入ったコップを一口啜って厳蔵が答える。

 

「ふむ? 何をそんなに驚くことがある?」

「えっと、播凰さん。捧手というのは、天能武装の職人で有名な家の方達だったと思うっす」

 

 不思議そうに矢尾を見やる播凰と、それに説明をする毅。

 だが、矢尾は信じられないといった面持ちで立ったまま播凰と毅の顔を交互に見下ろし。

 

「はぁっ!? お前達、マジで言ってんのか!? 有名どころじゃねえ、日本における天能武装の職人の頂点に君臨する家系だぞ!」

「ほぅ、頂点とな。それは凄いな、うむ」

「ったりめーだ! そこらの一個人なんざ、オーダーメイドのオの字を伝えることもできず門前払いは当たり前。そうじゃなくても、捧手一族の人間が造った天能武装なんて滅多に市場に出ない上に、出たとしても最低数百万、下手すりゃ何千万、何、億、と……」

 

 力説していた矢尾だが、途中でサーっとその顔が青褪め、閉口する。

 彼は気付いてしまったのだ。最低でも数百万円クラス、下手したらそれ以上。そんな代物を、自分が一つ駄目にしてしまったということに。

 先程までの勢いはどこへやら、ピクリともしなくなった矢尾。

 

「気にすんな、さっきので手打ちにしてやると言っただろうが。それに、ありゃあ気紛れの産物だしな」

 

 その様子を見て、大して気にしていなさそうに厳蔵が言う。

 つまり、拳骨一発。彼の中ではそれで終わったことなのだと。

 しばらく立ち尽くしていた矢尾であったが、それ以外に何も言われないことで、厳蔵の本心であると理解したのか。ホッと胸を撫で下ろした矢尾は、厳蔵へと頭を下げつつ、へっぴり腰になりながらも安心したように腰を下ろし。

 

「あ、焦ったぜ……し、しかし、何で捧手一族の人間がこんなところに」

 

 そう小声で呟いた。

 それはそうだろう。まさか、そんなビッグネームがこんな場所にいるなどと思うまい。

 本当に理解しているのか怪しい播凰と十全な理解でなかった毅はともかくとして、その名の意味を正しく認識している者からすれば予想外も予想外。

 だが矢尾は、ふと何かを思い出したかのように、口元に手を当て。

 

「厳蔵。捧手厳蔵。……待てよ、そういや、その名前は聞いた記憶がある。そうだ、確か――」

 

 ちらっと、矢尾のその視線が厳蔵に向く。

 その瞳に浮かぶは逡巡。様子を伺うということはつまり、少なくとも良い言葉、誉め言葉の類ではない。

 ただ、その視線を受け、厳蔵は厳蔵で興味なさげに茶を啜っていた。

 自分の名を聞いたことがあると言われ、その反応。人によっては少し、或いは大いにと範囲の大小はあれど気にしそうなものではあるが。まあ全く気にしない人間というのもいるにはいることだろう。

 その態度が後押ししたのか。とはいえ流石に躊躇いはあるようで、声のトーンを落としながらも矢尾はその言葉の続きを綴った。

 

「――腕は確かだが、酔狂者。捧手一族の異端児、だとか」

「異端児か。確かに、そう呼ばれたこともある……が、違いねえ。そうでもなきゃこんな寂れた山中で暮らしちゃいねぇわな」

 

 それを聞いて尚、くつくつと笑みをこぼし、更には肯定する厳蔵。

 気にしていない、というよりかは本人も自覚しているような感じであった。

 

「ふむ、とにかく厳蔵殿の家系は凄いということだな」

「……す、数百万、千、億……」

 

 そんなやりとりを前にして、播凰はゆっくりと笑みを見せながら頷き。

 毅は毅で、金欠の身としては――学生どころか大抵から見てもだが――とてつもない金額の桁を聞いてさっきから今に至るまでフリーズしている。

 それに疑いの目を向けるのは、勿論矢尾だ。じとっとした視線が、のほほんとする播凰を射抜いている。

 

「晩石は……まあいい。が、問題はお前だ、三狭間。お前、自分が天能武装を頼もうとしている相手が何者か、本当の本当に分かってんのか?」

「うむ、厳蔵殿だな。そして私はどのような天能武装ができるのか、今からもうワクワクしているぞっ!」

「だぁーっ、違ぇ! だから、あの捧手の天能武装を手にするってのがどういう意味か理解してんのかって言ってんだよ!」

 

 調子が外れたような返答。

 当然矢尾が聞いたのは、誰かという話ではない。そんなのは聞くまでもない。

 能天気さ全開の播凰に、矢尾は頭を掻きむしるようにして顔を真っ赤にして吠える。

 

「捧手だぞ! 分野は違ぇが、天能(てんどう)始祖(しそ)四家(よんけ)に匹敵する家系だぞ!? テメエ仮にも天戦科の人間なら、そっちは流石に知ってるだろ! ってか、知ってるって言えよ、頼むから!!」

「ふむ、知らぬ」

 

 なんというか、必死であった。最後に至っては懇願の響きすら含んでいた、矢尾の荒ぶった声。

 だが、当然ながら――当然のように、播凰は知らぬと切って捨てる。

 それに一瞬鼻白む矢尾であったが。

 

「……はぁっ、天能始祖四家だぞ!? 知ってて当然、そうでなくとも今、丁度星像院(せいしょういん)の人間が東方第一の高等部に入学してきて、散々話題になってるだろうがよ! ただでさえテメエ、受験の実技試験の組が一緒だった上に、入学の式典でも新入生総代として見てるだろうがっ!!」

 

 がーっと、半ば怒鳴りたてるように。矢尾は息を乱しながら一気にそこまで捲し立てた。

 フリーズからようやく復帰した毅はおろおろとしており、厳蔵は何が面白いのかニヤニヤとして事の推移を見守っている。

 彼が落ち着くとしたら、それは恐らく播凰が期待通りの返しをした時だろう。

 だが、それは期待するだけ無駄であり。

 

「――まあ、取り敢えず落ち着くがよい」

 

 ただのその一言で、矢尾は無理矢理止められることとなる。

 無理矢理と言っても、力尽くで暴力に訴えたわけではない。

 言葉に力を込めた。やったのはただのそれだけ。

 しかして、それで矢尾は止まった。まるで吠えたてる犬が見えぬ手で口元を押さえられたかのように。

 

「お主は先程から、家がどうのとばかり気にしているが。私からすればそんなのはどうでもよく、ただ単に厳蔵殿に頼みたいと思ったから依頼したにすぎない」

「…………」

「結果的に、厳蔵殿の家系が凄いというのは分かった。それは私からすれば喜ぶべき事実なのだろう」

 

 ――が、それだけだ。

 

 至極当然、といった風に断言する播凰に、矢尾は黙り込む。

 優れた鍛冶屋、大いに結構。事の発端は最強荘の管理人に紹介されたからであるが、播凰が見たのは人であり、その背後にある家名ではない。

 よって仮に厳蔵が無名であろうと、変わらず播凰は依頼しようとしたことだろう。

 

「ふん、家名に踊らされるなんざただの阿呆ってのは同意するがな」

 

 と、沈黙を破りそんな両者の会話に割って入ってきたのは、話題の中心でありながらもこれまでニヤニヤとして眺めていただけの厳蔵。

 もっとも、播凰はそこまでの物言いはしていないのだが、それはさておき。

 だが次の瞬間には、厳蔵はそのニヤつきを消すと。

 

「しかし小僧、気になることを言ってたな。星像院の人間が東方第一に入学しただと? それは確かか?」

「……あ、は、はい」

「言うまでもなく、あの家の人間は南方第三に行くはずだが――なんだってあっちの人間が東方第一に来る?」

「え、いや、それは俺も分からなくて……」

 

 眉根を寄せ、矢尾へと端的に質問を投げかける。

 悪いことをしたわけでもないのに、しどろもどろとなっている矢尾。

 それは、老体でありながらも威圧的――厳蔵にその意図があるかは別として――であるからか、名家である捧手一族の人間と知ったからか、はたまたその両方か。

 

 話を聞いていた播凰は、今しがた登場した単語について自身の記憶と照らし合わせる。

 

 東方第一。言うまでもなく、現在播凰が通っている学園である。

 そして、南方第三。これは東方第一と同じく、天能術を教える学園のこと。

 最後に、星像院。覚えている。そこまで深くはないが、入学試験から始まり幾度か関わりのあった女生徒、(せい)(しょう)(いん)麗火(れいか)の苗字だ。

 世話になったというのもあるが、播凰の脳裏には未だに、彼女が入学試験で放った氷の龍が鮮明に刻まれている。

 

 先程、矢尾の言っていた天能始祖四家。四家というからには四つの家があるということで、察するに星像院はその一つということだろう。加えて、東西南北の一字が入った四つの学園の存在。

 行くはず、というのはつまり四家と四校という数の一致に意味があるのか、と播凰がそこまで考えたところで。

 

「いやー、びっくりしたっす」

 

 隣からこそこそとそんな声。

 フリーズしたり、おろおろしたりと何かと忙しない毅である。

 

「ふむ、毅よ。お主は、天能始祖四家とやら、知っておるか?」

 

 ついで、というかこれ幸いと試しに播凰が尋ねてみれば。

 毅は一つ頷き。

 

「えっと、何でも古くから続いている四つの家のことで、確かこの国で初めて天能術を行使した、とか伝えられているとかなんとか」

「ほう、初めて」

「で、その四家はそれぞれ四方に、つまり東西南北に散らばって住んでるみたいっす。俺もこっちに出てきてから知ったので、あんまり詳しくはないんすが」

 

 簡潔な説明。それを聞いた播凰は、頷くに留まりそこで質問を止めた。

 興味がないわけではなかったが、さりとて大いに気を惹かれるものでもない。

 なにせ、目下、播凰が気にしているというより最優先事項は天能術を使えるようになることなのだ。

 

 ……初めて天能術を使ったというのは、気にならないでもないが。

 

 そして先程からも口に出している通り、播凰は名門だの名家だのとはあまり気にしない性格。

 知る必要があれば、知るべき時が来れば知る。それで播凰の中では完結した。

 

「――まあ、その話は今はいい。ってことで、本題だ」

 

 そうこうしていればあちらも会話は終わったようで、厳蔵は今度はその膝を播凰へと向ける。

 

「三狭間の小僧。何を天能武装とするかは、勿論決めてきただろうな?」

 

 余計な会話で盛り上がってしまったが、本命は播凰の天能武装だ。

 返答の中身すら制限するような厳蔵の鋭い声。涼やかとそれを受けて、播凰は胸を張る。

 

「――うむ、私は杖を所望するぞっ!」

 

 その播凰の宣言を受けて、反応は三者三様であった。

 一人、矢尾はあからさまに、似合わねえとでも言うかのようにジトっと見やり。

 二人、毅はまあそうだろうな、と分かっていたように苦笑している。

 

 そして肝心の厳蔵は。

 播凰の発言を聞いた上で、ゆっくりと茶を啜りながら瞳を閉じ。

 

「天戦科だから、杖。もしそう考えてんなら、やめときな」

 

 数秒の余韻の後。コップを置き、目を閉じたまま、一言。

 短くそう告げるのだった。



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8話 お出かけの誘い

 天能武装。それは、天能術を扱う者にとっては最も馴染みがある特殊な武装である。

 武装という名の通り、その形、機能というのは多岐に渡り、定型ではない。

 であるからして。己の武器――天能武装を何とするかは、本人の資質、考え、戦闘スタイルその他諸々によって定まり、非常に重要なものとなる。

 

 例えば、接近戦が得意な者に遠距離系の天能武装を持たせること。

 例えば、槍術に才覚を示す者に剣の天能武装を持たせること。

 言うまでもなくそれらは最優の選択ではなく、天能武装と一口に言えど、何でもいいというわけではない。

 

「天戦科――つまり武器や体術を用いた直接的な戦闘ではなく、天能術をメインとして使うから杖の天能武装。もしそれだけの理由ならば、そいつはただの考え無し。つまり阿呆だ」

「……えっ」

 

 朗々と紡がれるは、厳蔵の声。その目は未だ閉じられており、播凰を見ることはない。

 そして、その言葉を聞いて明らかに反応した者がいた。

 

 播凰ではない。播凰は、彼にしては珍しく黙って静かに耳を傾けている。

 そして矢尾も矢尾で表情を僅かに変えはしたものの、まあそれだけ。

 となれば、残りは限られる。

 思わず、といったような声を出したのは、毅。彼は、小声ではあるものの驚いたように身動ぎをすると。その後で、己が無意識にそうしたのを自覚したのか、慌てて誤魔化すように佇まいを直す。

 

 だが、そんなものはまるで意味がなく。

 厳蔵の両眼が開かれ、ギロリと揃って毅を睨み。

 ひぃっ、と小さく毅が息を呑んだ。

 

「……そういえば、小僧。あの時、杖の天能武装を持っていたな。見せてみろ」

「は、はいっす」

 

 あの時、というのはつまりドラゴン騒ぎの直前。矢尾と対峙していた毅の天能武装が杖であることを厳蔵は知っている。

 唐突な要求であったが、従わないという選択肢、度胸は今の毅にはない。故に、身を縮こめながらも大人しく毅は自身の天能武装を顕現させ、そろそろと差し出す。

 それを両手で持ち、観察するように眺める厳蔵。その間、しばらく無言であったが。

 

「古い」

「…………」

 

 ポツリと呟かれる、評価。

 確かに、毅の天能武装はなんというか、くすんだような色をしている。くたびれた黄色のような、茶色のようなそんな色だ。元々そのようなデザインだったのかもしれないが、天能武装に関しては素人目である播凰から見ても新しそうには見えない。

 

「手入れもなってない」

「ぐぅっ……」

 

 続けざまに、第二射。

 前者はどうしようもないが、後者は所有者としての管理不足の指摘。

 捧手という、その道の最高峰の専門家からの直球の物言いに、毅が微かに呻く。

 

「――だが、物は悪くねえ」

 

 しかし、間を置いた三言目。最後の評価は意外にもよいものであった。

 見るからに、厳蔵はお世辞を言うようなタイプではなく、駄目な物は駄目とキッパリ言う人間。恐らく彼の経験、審美眼からそう判断したのなら、憚ることなく散々こきおろすであろうことは目に見えている。

 それぐらいは播凰だけでなく、今日初めてまともに会話した矢尾も、毅もなんとなく理解していることだろう。

 だが、現実はそうはならず。厳蔵は目線を上げると、確信を持って毅に問いかける。

 

「小僧、こいつは量産品じゃねえな? 何処で手に入れた?」

「あえっ……あ、そ、それはじいちゃん――ええと、祖父の家の蔵にあったのを貰ったっす、はい」

 

 厳しい言葉が来ると思っていたのか。毅は予想に反した評価に目を丸くしながらも、狼狽えつつ自身の天能武装の来歴を告げる。

 それを聞いた厳蔵は、ふぅんと少々面白がるように口の端を歪めると、もう少しばかり改めてそれをじろりと眺め。

 

「折角のいいモンも、管理が適当だと勿体ねえ。その気があるなら、時々持ってこい。片手間でよけりゃあ診てやる」

「え……い、いいんすかっ?」

「なに、一応あの時そっちの小僧から庇ってもらったらしいからな。その礼だ」

 

 言いつつ、毅へと返す。

 おっかなびっくりと毅がそれを受け取りながら聞き返せば、厳蔵は矢尾に目をやった。

 視線を送られた矢尾が、気まずそうに視線を逸らす。

 あの時、矢尾は問答無用で厳蔵に攻撃を仕掛けたのだ。そういう反応となっても無理はないだろう。

 

 とはいえ、そこまで気にしてはいないのか。

 一瞬微妙な雰囲気になりかけたものの、厳蔵が話を元に戻すように続ける。

 

「んで、だ。天能術には天能武装が必要。ああ、そいつは間違っちゃいねえ」

 

 天能武装には、純粋な武器としての機能以外に、天能術の発動を補佐する役目もある。

 それは周知の事実であり、厳蔵もそれは自ら肯定した。

 

「が、天戦科ならば、取り敢えず杖。そんな馬鹿げた風潮が、まるで当然のように平然と罷り通ってやがる。はんっ、どこの誰が一体いつそんなことを決めた?」

 

 理外の力には、杖。その組み合わせは連想されることが多いだろう。

 それは天能術というよりは、創作物、ゲームといった類にも共通しており、そういうものとしてイメージとして定着している。

 実際問題、学園の授業で見学していた際、播凰のクラスメート、つまりH組の天戦科の生徒達は皆、杖型の天能武装を所有していたのは記憶に新しい。

 

「無論、杖型のメリットってのはある。それは否定しねえが、何も考えずに杖を造ってくれ、杖を造ってくれってのにはうんざりさせられる」

 

 けれども、実際のところ本当に杖である必要があるのかというと、別にそんなことはないのだろう。

 武戦科の生徒、例えば剣や槍といった接近戦型の天能武装の所有者も、天能術の行使は可能。

 ただ、天能術といえば杖。そういうイメージが世に蔓延っている。それが違和感なく、当然のものとして認識されている。

 播凰が以前に天能武装について調べた時も、そう解説されていた。つまり、天能術を重視するのであれば、杖の天能武装が適切であると。

 

 しかしそれに異を唱える、厳蔵の言。

 それを矢尾は微妙というか複雑そうな面持ちで聞き、毅はほえーと感心するような間抜け面を晒している。

 名家の異端児。そう呼ばれる一端を垣間見た思いであった。

 

「しかも、あのデカブツ(ドラゴン)との闘いを見るに、もろに近接タイプ。なんだって、武戦科じゃなく天戦科なのかは知らんが」

 

 途端、先程までの表情はどこへやら。うんうん、と同意するように頷く左右の二人。

 無言ではあるが、猛烈な勢いで頭を上下に振っている。

 とまあ、そんな両者の様子はさておき。

 

「――んで、それを踏まえた上で改めて聞くが」

 

 ここで漸く、厳蔵の視線が播凰を捉えた。

 老いを感じさせぬほどに鋭く、細められた眼差しが瞬き一つなく向けられる。

 

「何を天能武装とする?」

 

 同じ問いだ。一言一句同じではないが、先程と同じ問い。

 だが、発せられた状況がまるで違う。

 乱暴な物言い、かつ直接的でもあり同時に迂遠的でもあったが、牽制するような指摘。

 それは受け手によっては、選択を悩むことにもなれば、通説を真として彼を見限ることにもなったかもしれない。

 とどのつまり、内容こそ同じであって、しかしそれ以外の面では全く同じではない。

 

 その、問いに。

 播凰は、うむと鷹揚に頷き。

 

「先程も言ったが、杖を所望する!」

 

 同じように、迷いなく答えた。

 

 天戦科であるから。

 それが要素に全くないわけではないが、少なくとも播凰はそれだけで己の天能武装を決めたわけではない。

 天能について教えを請うているジュクーシャ。彼女にも天能武装について相談した上で、杖がよいと判断している。

 

 その際、実はジュクーシャも厳蔵と同じようなことを言っていた。

 

 ――別に、杖に拘る必要はないと思います。実際、私の得意とするものも杖ではありませんしね。

 

 それを認識し、熟慮をした上で。播凰は選んだ。己の天能武装を杖であるとすることを。

 何故かと聞かれれば、播凰は躊躇いなく教えることだろう。そして聞いた側は、仮に十人いたとして八、九人は呆れることだろう。

 

「何故なら――明らかに戦闘を想定した見た目であると、思わずそのまま武器として使ってしまいそう故な!」

 

 つまり剣や槍に始まり、手甲やその他諸々明らかに武器の形状をした天能武装を持っていたら。恐らくそれで打ちかかり挑んでしまいそうなのだ……接近戦を。

 もはや本能と言ってもいいかもしれず、気付けば戦いが終わっていたなんてことにもなりかねない。

 しかし播凰が望むのは、天能術だ。戦うこと自体、加えて言えば武器や拳の打ち合いはむしろ好きな部類ではあるのだが、やりたい事の第一は天能術。

 

 翻って、杖であれば――杖も武器といえば打撃武器になるのだが――まだ見た目が武器武器しているわけではない。

 

 つまるところ、それが播凰が杖型を選んだ理由である。

 それを聞いていた矢尾と毅は、隠そうともせず呆れたような顔をして。

 

「――はっはっはっ!! そうか、よりにもよってそんな理由でオレに杖の天能武装を造れと来たか!」

 

 そして最重要である、厳蔵は。そんなに可笑しいのか、膝を叩いて笑っている。

 何がそれほどまでに彼の感情にふれたのかは分からない。

 ただ、厳蔵は一頻り豪快に笑った後。

 

「二言三言、オレの言葉でコロッと意見を変えるようであれば考え直したところだが、いいだろう。杖での依頼、受けてやる」

 

 臆することなく宣言した播凰に、了承の意が告げられる。

 そして。

 

「それで、三狭間の小僧。お前の天能の性質は何だ?」

 

 

 ――――

 

 

 放課後となってすぐに厳蔵の家へと来たものの、そもそもの時間が遅めであったからか、山は早くも日が落ちかけ、夜の姿へと移りつつあった。

 

「……ったく、とんだ一日だったぜ」

 

 横並びとなって、帰宅の途につく三人。

 山道を下り、薄暗くなった空を見上げながら、矢尾がぼやく。

 

「お前はうちのクラスに来る、拳骨はもらう、あの時の相手が実は捧手の人間。……んで、終いにはあれだ、天能の性質が不明だって? はっ、言ってるのがお前じゃなかったら、鼻で笑う内容だぜ」

 

 ……ああ、やっぱり播凰さんは何かやったんすね。

 

 それを黙って聞いている毅は、一部の同情を、そして一部の同意を内心で矢尾に向ける。

 普通に考えれば、生徒が他のクラスを訪ねるというだけの構図。ただそれだけで何かが起こるとは思えないが、そこはエリート揃いのE組に、播凰という組み合わせ。

 矢尾の言葉から、何かあったんだろうとは推察しつつも、その先はとてもではないが恐くて聞けない。

 

 二番目は、矢尾の自業自得とはいえ、確かに痛そうではあった。そして三番目は、事前に毅も情報として知っていた。もっとも、捧手について詳しく聞いた時は魂消たものだが。

 

 そして――四番目。

 

「うむ、私も早く知りたいのだがなぁ」

 

 呑気にもそんなことを言っている播凰には悪いが、毅がそれを耳にした時は驚きよりも疑いが勝った。

 

 つまり、天能の性質が不明。

 え、そんなことってあるの、と思ったのは毅だけではなかったらしく。

 あの後、厳蔵の質問に播凰が答えた時、間違いなく場が凍った。

 

 三狭間ァッ! と播凰の胸倉を掴みかからんばかりの勢いで最初に起動したのは、矢尾。

 そしてそれが嘘でも冗談でもないことと、学園の教師の伝手で調べられそうな人に連絡を取っていることが播凰の口から語られた。

 

 そして最終的には。

 

『……あそこの住人ならありえなくはねぇか?』

 

 考え込むような、厳蔵の呟きに毅はハッと――播凰に詰め寄っていた矢尾には聞こえていなかったようだが――させられ。

 性質が不明、上等じゃねえか、と厳蔵が発奮して有耶無耶となったのである。

 

「……お前と関わると、本当に疲れる」

 

 大仰に溜息を吐いた矢尾は、足を止めてキッと播凰を睨むようにすると。

 釣られて止まった播凰に、毅に向け、淡々と言い放つ。

 

「いいか、こっちはお前達と馴れ合うつもりはない。今回は仕方のないことと割り切っちゃいるが、ただの同じ学園、同じ学年の生徒なだけで別の組。今後は関わることもそうそうない……はずだ」

 

 最後は少しばかり語尾が自信無さげであったが、威勢を取り戻すかのようにピッと指をさしての宣言。

 

「だから、こういうのはここで終いだ。別に仲良くしちゃいけねえなんてのはないが、そもそも俺達生徒同士は競争相手でもある。……もっとも、E組の俺とH組のお前達とでこんな話をしてるのがおかしいんだがな」

 

 E組とH組には隔絶した差がある。

 その事実を十分に理解をしているため、毅はその矢尾の驕りとでもいうべき物言いを正論と受け止めた。

 そして言い分も尤も。本来はH組(最底辺)E組(最上位)に気軽に話すなんてことはできないのだ。

 

 交わらないはずの線が一瞬でも交わった。

 今回の出来事は、それに尽きる。

 

「お前に負けたのは事実だ。まあ完全に納得してるかってなるとあれだが、もう吹っ切れた。得られるモノもあったしな。……そして――俺は俺で、アイツらを見返してやらないと気が済まない」

 

 矢尾が前を向く。その瞳にはギラギラとした力が宿っている、そんな風に毅には見えた。

 同じように感じ取ったのか、播凰がゆったりと笑う。

 

「ふむ。いい顔になったではないか」

「ちっ、ムカつく言い方しやがって」

 

 舌打ち一つして、播凰と毅を一瞥することなく矢尾が走り出した。

 そして、そのまま走り去っていく、と思いきや。

 

「一々説明する気はないが、嫌な予感がしたからこれだけは言っておく。白い髪の生徒を見たら、変な真似はすんな」

 

 ――それが、東方第一(ここ)の四家だ。

 

 そう言い残し、今度こそ矢尾は振り返ることなく二人の前から去っていった。

 

 ……白い髪?

 

 学園内で見かけたような記憶がないでもない。だが、何処で見たのかは、この時播凰は思い出すことはなかった。

 

 その後、特に何事もなく最強荘へと帰ってゆく二人であったが。

 

「あ、播凰にいだっ! おーいっ!」

 

 最強荘まで、後僅か。道を歩いていたところで、後方から大声。

 その特徴的な呼び方で播凰を呼ぶのは、ただ一人。

 

 振り向けば、先日知り合った最強荘二階の住人の双子の片割れ、姉の二津(にず)辺莉(へんり)が大きく手を振って駆け寄ってくる。

 弟の慎次はいないらしく、一人のようだ。

 

「今帰りっ? 随分遅かったけど、学園で自主練してた感じっ!?」

「いや、違う。厳蔵殿――天能武装の職人のところに寄っていたところだ」

「あ、厳爺ちゃんのところね!」

 

 元気いっぱいなのは変わらず、辺莉は近くまで寄ってくると息つく間もなくニコニコと笑顔で話しかけてきた。

 

「ふむ、厳蔵殿を知っているのか?」

「もっちろん! だって、アタシの天能武装を造ってくれたの、厳爺ちゃんだもんっ!」

「ほぅ、そうなのか」

 

 そうして二人が言葉を交わす中。

 一人、蚊帳の外にいて目を白黒させていた毅が、おずおずと播凰に訊ねる。

 

「あ、あの、播凰さん……この子は?」

「ん? ああ、毅は知らぬのか。二階の住人だ」

 

 播凰が簡潔に言えば、辺莉が毅に向き直ってニッコリと微笑み。

 

「播凰にいのお友達ですか? アタシ、最強荘の二階に住んでる、二津辺莉です!」

「あ、ど、どうもっす。自分は、零階の晩石毅っす」

 

 お互いに挨拶を交わす。が、次の瞬間。

 

「ん? 零階?」

「って、播凰にい?」

 

 互いが互いの言葉の中にある単語に疑問符が浮かんだようで、首を傾げる。

 むむむ、と眉根を寄せている二人。

 さて、なんと説明するか、と思いつつ播凰が黙ってそれを見守っていると。

 いち早く復帰した辺莉が、くるりと播凰を見てこう言うのだった。

 

「そうそう、この前はジュク姉が暴走しちゃったし、播凰にいと色々お話してみたいなーって思ってたんだ! もしよかったら、今週末にでもお茶しに行かない? ――ジュク姉の働いてるお店でっ!」



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9話 寂れた商店街

 そして迎えた、週末である。

 時刻は昼前。学園が休みであるこの日、最強荘二階の住人である二津辺莉と出かける約束をした播凰は、待ち合わせの時間となったことを確認して三階から降りた。

 

「遅っそーい! 播凰にい遅い、もう約束の時間だよっ!!」

「……ふむ? それの何が問題なのだ?」

 

 すると開口一番、既に最強荘の門のところで待っていた辺莉が播凰の姿を見るや否や、口をへの字に曲げてのブーイング。

 だが、遅れたわけでもなく時間通りだ。ゆえに、播凰が首を傾げて純粋な疑問を口にすれば。

 

「分かってないなぁ。女の子とのお出かけなんだから、もうちょっと早く待ってないと」

「ほう」

 

 ちっちっち、と指を振り、あたかも播凰が悪いかの如く辺莉が窘める。

 それを聞いた播凰が、そういうものなのかと視線を巡らせてみると。

 

 同じく先に待っていた毅が苦笑と共に頬を掻き。我関せずといった様子の二津慎次が、腕組みしながら壁に身を預けて目を瞑っている。

 

「二津――慎次、だったか。今日はお主もいるのだな」

「……ただの気まぐれ。後、気安く僕の名前を呼ぶな」

 

 そんな彼に声をかければ。慎次は睨みつけるように播凰を見てから、囁くように言い放った。

 

「んもー、本っ当にシンってば無愛想なんだから」

 

 呆れたように姉の辺莉がそう言うが、慎次はまるで気にした様子もなくそっぽを向いている。

 そして播凰は播凰で冷たくあしらわれたわけであるが、こちらも気にした風ではなく少し悩むように。

 

「しかし、二津だとどちらに声をかけているか判断できぬであろう。……うむ、であれば二津弟と。これでよいか?」

「いい、それで」

 

 なんと呼ぶべきか。人によっては小事でもあり、大事ともとれる内容であるが。

 悩んだ結果、播凰が安直な提案をすれば、面倒くさそうに慎次が端的に答える。

 

「よし。それでは二津姉、出発と――」

「ちょっと、播凰にい! アタシはそんな味気ない呼び方嫌だよ、普通に辺莉でいいからっ!!」

 

 そうして、振り返った播凰が同じ調子で辺莉へと声をかければ。

 今度はその姉から、全力でストップがかかる。

 相も変わらず外見以外は似ていない姉弟。

 そのままの勢いで辺莉は続けざまに慎次にビシッと指を突き付け。

 

「シンも、もうちょっと素直になりなさいよねっ! 今日は播凰にい達とお喋りするのが目的なんだから、嫌なら無理して着いて来なくたっていいんだから!」

「別に。言っただろ、ただの気まぐれって」

「そんなこと言って、ジュク姉が目当てなだけでしょ。うんうん分かるよ、ジュク姉は美人でスタイルもいいし、優しいもんねー」

「……っ、別にそんなんじゃっ」

 

 そして始まる、姉弟間での言葉の応酬。

 こうなると、誘いを受けた播凰と、その時偶々場に居合わせたことにより誘われた毅の、元々行く予定のメンバーであった二人は置いてきぼりだ。

 

「どうせ一人じゃ行けないんでしょ、意気地なし」

「だから違うって――」

 

 やいのやいの、と尚も言い合う二津姉弟。

 どうやら口に関しては姉の辺莉が上手のようで、揶揄うような彼女に対し、弟の慎次は徐々に感情的になりつつある。

 良く言えばクール、悪く言えば無愛想。その仮面が剝がれつつある慎次の様はそれはそれで外野は見ていて――当人にはたまったものでないだろうが――面白いものはあるが。

 とはいえ、いつまでもそうしているわけにもいかず、パンッ、と播凰が両の掌を打つ。

 

「そら、そろそろ止めにしたらどうだ。お腹も減っていることだしな」

「……先に行く」

 

 すると、その音に気を取られた二人は弾かれたように言い合いを止め。

 慎次がボソリと呟き、少し早足気味に歩いていく。それはきまりが悪かったのか、或いは播凰や毅と一緒に歩きたくないがゆえなのか。

 

 それはともかく残された三人、特に辺莉はそんな慎次を見て肩を竦めると。

 誰ともなしに、播凰達もまた歩き出すのであった。

 

 

「して、ジュクーシャ殿の働くお店とは、どういうところなのだ?」

「あれ、播凰にい知らないんだ」

 

 最強荘を出て、数分。

 数歩程先行して一人歩く慎次と、その背中を追う形で辺莉、そして彼女のすぐ後ろを着いていく播凰に毅という形で、三人で軽い雑談を交わしながら目的の場所へ向かっている道中で。

 

 ふと気になった播凰が、辺莉へと問いを投げる。

 するとそれに意外そうな顔をして、辺莉が振り返った。

 

「うむ。食事ができるというのは分かっているが、何処にあるのかなどは知らぬ」

 

 ジュクーシャが働いていることは本人から聞いている。

 だが、それだけだ。食事ができる場所ということは、先日辺莉から誘われた時に知った。

 無論、それがどういう形式の店だとか、どこらへんにあるのかという情報までは持っていない。

 

「まぁ、お店としてはよくある喫茶店かな? でもでも、お料理もそうだけど、ケーキとかすっごく美味しいんだ」

「ほぅ、それは楽しみだな!」

 

 脳裏に想像してか、ニヨニヨと頬を緩める辺莉。

 こっちはこっちで美味と聞き、力強く頷く播凰であったが。ふと何者かの視線が向けられていることに気付き、そちらを見やる。

 

「…………」

 

 視線の主は、先を歩いている慎次であった。

 雑談をしていた時は、こちらを一顧だにせず気にする様子もなかったというのに、何故だか今は首だけを振り返ってこちらを見ている。

 

 その表情はなんといえばよいか。

 どこか勝ち誇ったというか、優位に立ったとでも言いたげな、そんな色が出ている顔だった。

 が、播凰にはその意味も意図も分からず、ただただ見返すしかできない。

 

「全く、シンの奴……播凰にいが知らなかったからっていい気になっちゃって」

 

 そんな播凰の目線に気付いた辺莉もそちらに顔を向けると、彼女はじとっとした視線を自らの弟に送りながらそう呟く。

 どうにも敵意、というかなんというかそれに近いモノを抱かれている気がするが。別段、播凰は彼に何かした記憶もないし、変な噂や評判が伝わっているとも思えない。

 そもそもまだ数回とも会っていない間柄。

 はて、と内心首を傾げはするものの、しかしそれならそれでよいとあまり深く考えず捨て置く播凰なのであった。

 

 そうこうしている内に一行は、とある商店街へと足を踏み入れていた。

 この辺りに来たことがなかった播凰は、好奇心からきょろきょろと頭を振って周囲を見回す。

 

 簡潔にいえば、そこは非常に閑散としていた。

 商店街とはいえど、どういうわけかほとんどの店は営業しておらず、閉められた多くの無機質なシャッターばかりが目に映る。

 休日の昼間のため、大抵のお店は営業していてもいいであろうに、だ。

 そんな状況であるからか、当然客というのもいるわけがなく、人通りは播凰達を除けば数える程度でほぼ無いに等しい。

 

 開いていないから人がいないのか、はたまた人がいないから開いていないのか。

 もっとも、営業している店もゼロではないようで。

 

 少々古くなっている『玩具』の看板が掲げられた店の中――客はいないようであったが――を播凰は覗きつつ、その前を通り過ぎる。

 

「ほら、ここがジュク姉の働いてるところだよ」

 

 はたして、そんな寂れた商店街の一角に、そのお店はあった。

 

 ――喫茶『リュミリエーラ』。

 

 店先に吊り下げられた緑色に白字の看板には、そう記されている。

 ピカピカに新しくはないものの、レンガ調の小洒落た外観。周囲がシャッターばかりなために少々浮いていないでもないが、さりとて奇抜というわけでもない。

 

 慣れた様子の辺莉を先頭に、四人が店のドアを潜れば、カランカランと入店を告げるベルが鳴った。

 まず目に入ったのは、ケーキやらシュークリームといった複数のデザートが陳列されたショーケース。店内はゆったりとした空間が広がっていて、それに合うような落ち着いた曲調の音楽が流れている。

 

「――いらっしゃいま……せ?」

 

 そんな一行を出迎えたのは、名前だけは先程から出ていたジュクーシャその人。

 彼女は来客である播凰達に笑顔を向けていたが、それが己の知人であることに気付くと、驚きに顔を変える。

 

「やっほー、ジュク姉。えへへ、播凰にい達と来ちゃった」

「二人共……それに、播凰くんと晩石くんまで」

 

 悪戯が成功したような笑みを見せる辺莉と、播凰達を見て目を瞬かせているジュクーシャ。

 そんな中、更に店の奥の方から。

 

「あらー、辺莉ちゃんと弟くん、いらっしゃい。そちらは、学校のお友達?」

 

 しずしずと姿を見せたのは、長い黒髪を三つ編みで垂らした女性。

 彼女はカウンターを抜けてくると、辺莉、慎次、そして播凰に毅と四人へ順々に微笑みかける。

 友好的であるが、破顔するようなそれではなく優艶さを含んだもの。

 余裕のある微笑は上品さを伺わせ、大人の女性といった様相を醸し出していた。

 

「ゆりさん、こんにちはっ! えっと、学校の先輩で、二人もジュク姉の知り合いなんです」

「……こんにちは」

 

 そんな彼女とは対極の元気溌剌とした――言うなれば子供っぽい――満面の笑みで、辺莉が挨拶をすれば。続くように、しかしその半分にも届かない声量で慎次が言う。

 

「はじめまして、だ! 食事が美味と聞いているのでな、とても期待しているぞ!」

「ど、どうもっす……」

 

 そして播凰は言葉通り期待に胸を膨らませてそんな第一声を言い放ち、毅は僅かに赤面しつつ遠慮がちに当たり障りのない言葉と、順々に返してゆく。

 特に、というより確実に播凰の発言を受けて、

 

「まぁまぁ、それは腕によりをかけないといけないわね」

 

 ゆりと呼ばれた女性は少しばかりお茶目な風に笑って言った後に。

 率直とも言える播凰の態度に狼狽えることなく、未だ自然とは言い難い顔のジュクーシャへと顔を向ける。

 

「ほら、ジュクーシャちゃん。お友達――お客様をご案内しないと」

「……あ、え、ええ、すみません、ゆりさん。そ、それではこちらへどうぞ」

 

 促されたジュクーシャは、その一言で思い出したように咳払いをすると。

 四人を窓際のテーブル席へと誘導し、冷水の入ったコップとメニューを準備し、置いていく。

 そうして最後に「ご注文が決まりましたらお呼びください」と少し早口に残して四人の元を離れていった。

 顔見知りへの対応の気恥ずかしさゆえか。その頬には朱がさしていたもので、事前に一報入れておけばよかったかと播凰は思いつつも。

 さて、どんな料理があるのかと、待ってましたといわんばかりの勢いでメニューを開く。

 

 色彩豊かな具材のサンドイッチに、卵のふわふわさを想起させるオムライス、ケチャップ色が食欲をそそるスパゲティナポリタンなどなど。

 いずれも写真でしかないが、なるほどどれも美味しそうである。

 

「おすすめは、ランチとデザートのセットだよっ!」

 

 そう言って辺莉がメニューの一部を指で示す。

 ランチの中から一品、ドリンクメニューの中から一つ。デザートの中から一品と同じく選べるドリンクがセットでお得となったメニューのようだ。

 

 結局、全員がそのセット――金欠の毅が若干悩みはしたものの――を選び、店員であるジュクーシャに注文。

 料理を待つ間、待ってましたと言わんばかりに、辺莉がキラリと瞳を輝かせ、話始めるのだった。




本日はもう一話か二話投稿予定です。よろしくお願いします。


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10話 喫茶リュミリエーラ

「うふふ、料理はご期待に応えられたかしら」

「うむ、誠に美味であったぞ! ええと、ゆり殿、だったか?」

 

 辺莉と毅がサンドイッチで、慎次がオムライス、播凰がナポリタンを注文し、それぞれがその味を堪能した後。

 食後のデザートを待ちながら歓談していた播凰達のテーブル席に、椅子を持って彼女はやって来た。

 ちなみに歓談と言いつつ、食前も今も基本は辺莉が自分のことを話したり、興味津々で話題を振って播凰と毅がそれに答えるといった構図で。学園のことや私生活など、ほぼほぼ辺莉が喋りまくっていた――無論慎次は無口であった――のだが、それはさておき。

 

「ふふっ、殿、なんて変わった呼び方をする子ね。店長のゆりです、よろしくね」

「私は三狭間播凰だ、よろしく頼む」

 

 クスクスと可笑しそうに、しかし上品に笑うゆりと、播凰は改めて挨拶を交わす。

 

「辺莉ちゃんと慎次君もそうだけど、そちらの初めて来てくれた子達もジュクーシャちゃんの知り合いって聞いてちょっとお話したくなっちゃって。……もしかして、お邪魔だったかしら?」

「いえいえ、そんなことないです! でも、お店の方は大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ。他にお客様もいないから」

 

 言われてみれば、確かに播凰達以外に店内に客の姿はない。

 狭いというわけではないが、そこまで客席は多くはない店だ。一通り周囲を見回せばある程度は確認でき、いずれも空席ばかり。

 確か、播凰達が店に入った時は数人の客がいたような気はしたが、その姿ももうない。

 

 そこは経営者であれば気にするものであろうが、しかし何でもないように微笑むゆりは。

 

「まずは、そうねえ……ジュクーシャちゃんとどんな関係なのか。おばさん、聞いちゃおうかしら」

 

 落着きのある笑みの中に一握りの子供っぽさを湛え、少しばかり弾むような声で尋ねる。

 何を求めているのか、まるでわくわくとしているかのような面持ちだ。

 

「関係っすか。自分は、同じアパートの住人さん、ぐらいっすかねぇ……」

 

 少し考え、毅が答える。

 会ったことは数回、話もしたことはあるが、彼からすれば取り立ててこれという接点はない。

 

「ふむぅ。私も同じだが、ジュクーシャ殿には色々と教わったり相談に乗ってもらったりして、個人的に世話になっているな」

 

 対する播凰も、同じといえば同じ。

 だが、天能について教わったり、天能武装について相談に乗ってもらったりで、部屋を度々訪れている。

 答えた瞬間、慎次から無言の視線が飛んできたが。ゆりからの質問は続く。

 

「なるほどねぇ。じゃあ、二人はジュクーシャちゃんのこと、どう思っているかしら?」

「どうっていうと……優しい人、っすね」

 

 毅がジュクーシャに抱いた最初のイメージはずばり、変な人だった。

 しかし、初めての邂逅の時は一階の住人である一裏万音がおり、それに関わらなければまともそうな人であると後々分かった。

 では、優しいという印象はどこから来たかというと。

 

 ……背中、押してもらったっすからね。

 

 ドラゴン騒ぎの折。彼女は、恐怖で固まっていた毅に言葉をかけた。力を、踏み出す勇気を与えてくれた。

 思えば何故ジュクーシャもあの場にいたのか不思議ではあるが、その優しさは忘れていない。

 

 しみじみと、しかし真摯な顔で告げる毅。

 それを受けて、ゆりは嬉しそうに微笑んだ。その顔はまるで、我が子が褒められたことを喜ぶかのようで。

 うんうん、と同意するように辺莉も頷いている。

 だが、そんな空気をぶち壊すのが、一人。

 

「美しいな」

 

 刹那、場の全ての視線が、そう宣った播凰に集中した。

 女性陣――辺莉とゆりは、まるで示し合わせたかのようにその双眸に妖しい紫電が走り、俄かに色めき立つ。

 そして毅は、そのあまりにもストレートな物言いに震撼し。

 元より播凰を睨みつけていた慎次は、より一層強い光を宿し、眉間に皺を寄せる。

 

美しく(・・・)綺麗(・・)に鍛え上げられた肉体であろうというのが、衣服の上からでも、所作の随所からでも伺える。結構な実力を持っているだろう、というのが私の見立てだ」

 

 ズコーっと辺莉が無言でテーブルに突っ伏した。

 あらあら、とゆりが苦笑すれば、毅は言葉を失ったように少し引いている。

 さも気にしていなかったように振る舞いコップを口元へと運ぶ慎次であったが、その中身は殆ど空だったりする。

 何とも形容しがたい空気が流れるが、播凰はその変化に気付かずにいた。

 

「デザートをお持ちしましたが……えっと、皆さんどうかしましたか?」

 

 正にそんなタイミングで、丁度。

 お盆にデザートとドリンクを載せて、ジュクーシャが席へとやってきた。

 彼女は雰囲気に違和感を覚えたのか、その場にいる五人をそれぞれ見回して首を僅かに傾げながらも、それぞれのデザートとドリンクの配膳をしていく。

 

「うふふ、ジュクーシャちゃんが可愛いって皆で話をしていたのよ」

「そうそう! ジュク姉ってあんまり自分で自覚無いみたいだけど、すっごい美人さんなんだから!」

 

 そんなジュクーシャに、ゆりが片目を瞑りつつ茶目っ気に言えば。

 辺莉がガバッと顔を起こし、すぐさま同調する。

 はて、そんな話だったかと播凰は内心疑問を抱くが。

 

「……なっ、えっ!?」

 

 これに大きく反応したのが、当たり前といえば当たり前だが、ジュクーシャである。

 配膳し終わった後だったのが幸いであり、彼女は空となったお盆を取り落としそうになりながら慌てたような声を上げる。

 その慌てぶりを前にゆりは、クスクスと笑って。

 

「そっちの彼なんて、ジュクーシャちゃんのこと美しくて綺麗だ、なんて言っちゃって。……若いっていいわねぇ」

 

 播凰に視線をやりつつ、頬に手を当ててしみじみと演じるように畳みかければ。

 途端、ぐるん、と勢いよくジュクーシャが播凰を見た。その褐色の頬は真っ赤に染まっており、目は少し泳いでいる。

 

「ほ、本当ですか、播凰くん!」

「うむ、確かに言ったな」

「なぁっ!?」

 

 真偽を確かめるように真っ先に本人に確認しようとしたジュクーシャ。

 若干話の流れについていけていない播凰であったが、その単語を口に出したのは事実であり。故に、迷いなく即答。

 その肯定を受け、ジュクーシャが完全に硬直する。

 確かに、播凰は言った。言った、が。両者の意味合い、認識が違っているなど言うまでもない。

 

「いや、ソイツが言ったのは――」

 

 その状況を見て堪らず異を唱え――正確には真実だが――ようとした慎次であったが。

 余計なことはするな、と言わんばかりに姉の辺莉が、その口を手で全力で塞ぐ。

 じたばたと抵抗する慎次であったが、こういう時の女性はなんというか、強い。

 

「そうそう、可愛いって言えばね。ジュクーシャちゃんが初めてここに来た時。この()ったら、本当に可愛かったのよ」

「へー、聞きたい聞きたいっ!」

「今でも、よく覚えてるわ。なんたって、スタイル抜群のもの凄く綺麗な外国人さんが入ってきたと思ったら、子供みたいに目をキラキラさせて、店内やケーキの入ったショーケースをしきりに見回すんですもの」

「うわー、ジュク姉可愛いー!」

 

 盛り上がる――無論、当人を除く――女性陣。

 ゆりが思い出しながら語れば、一々辺莉が合いの手を入れる。

 こうなれば、話の流れは完全に変わり、言い出せなくなった慎次には黙るしか道はない。

 

「そうしたら、その隣にいた貴方たちのところの小さな管理人さん――時々うちのデザートを買いに来てくれてるんだけどね。その子が、スタッフ募集してませんかーって声をかけてきて。もうびっくりしちゃって」

「……ゆ、ゆりさん。ちょっと、その話は恥ずかしいのですが」

 

 漸く、とでも言えばいいのか。或いは、自身の過去が話題となっていたからか。

 我に返ったジュクーシャが、蚊の鳴くような声で制止を求めるが。

 

「ダーメ。ここからが、ジュクーシャちゃんが本当に可愛かったところなんだから」

 

 ゆりは悪戯っぽく笑って、それを一蹴すると。

 

「それで面接することになってね、ジュクーシャちゃんにこう聞いたの。どうしてうちで働きたいって思ったの、って。そうしたら、何て答えたと思う?」

「えー、なんだろ、なんだろ!?」

「――っ、わ、私は仕事に戻りますのでっ!」

 

 続いた内容を聞き、ジュクーシャはパタパタと小走りにカウンターの奥へと入っていった。

 店主を止めるのが無理だと悟り、ならばせめて聞かないことで保身を図ったのだろう。

 戻っていったその背中を見つつ、残念そうな顔を浮かべたものの。しかしゆりは、言葉を止めることはなく。

 

「ケーキのお店で働くのが夢だったから、ですって」

「きゃーっ! ジュク姉可愛すぎーっ!!」

 

 ボルテージが最高潮になりつつある辺莉を横目に、播凰は僅かに目線を下げる。

 何気なく交わされた会話の中に、引っかかるものがあったからだ。

 

 ……夢。

 

 言うなれば、理想。己の目指す、或いは目指したい到達点。

 果たしてそれは己にあるものだろうかと。

 

 こうしたい、なりたい、という思い。つまり天能術を使いたいという気持ちはある。

 だがそれが夢かと問われれば、きっと違う。天能術を使う、というのは決して夢足り得ない。

 

 ……だとしたら、私の夢とは何だろうか。

 

「もっと話したいことはあるのだけれど、あんまり喋りすぎるとジュクーシャちゃんに嫌われちゃいそうだから、このあたりにしようかしらね」

 

 一人、思考に耽る播凰とは反面。

 散々辺莉と二人で盛り上がった後、ゆりはやがて椅子から立ち上がり。

 

「デザート、楽しんでいってね」

 

 最後に一同にそう微笑みかけ、播凰達のテーブルから離れて行った。

 

「……なんというか、見た目に反して……本当になんていうか、あれだったっすね」

「もう、晩石先輩、そんなこと言わないの。ゆりさん、いい人なんだから」

 

 掻き回すだけ場を掻き回していった――流れ弾が直撃したのはジュクーシャだけであるが――とでも言えばいいのだろうか。

 そんなゆりに、毅は戦々恐々としつつ何とも言い難い表情でポツリと漏らす。

 だが辺莉は、その発言をさらりと注意すると。デザート、デザート、と鼻歌交じりに運ばれてきていたチーズケーキをつつき始める。

 途端、んーっ! と喜色満面になった辺莉を見て、播凰はデザートのことを思い出すと。

 何の気なしに、自身も注文したチョコレートケーキを口に運んでみて――目を大きく見開いた。

 

 一言でいえば、衝撃的だった。

 溶けるような、とろけるような舌ざわり。一欠片であるのに、口いっぱい広がる濃厚な甘み。

 今までにない感覚だ。

 

 そもそもからして、この世界の食事は元の世界よりも美味しいものが多いと感じていた播凰である。それは理解していたが、甘いものを食べた経験というのはそれほど無く。

 こちらの世界に来て甘味は何度か口にしたことはあったものの、これ程までに感動を覚えた一品はなかった。

 

「……これ、は」

 

 口を動かすことも忘れ茫然と、しかしその味わいはしっかり堪能し。目では皿の上のチョコレートケーキを凝視する。

 播凰の反応があまりにも真に迫っていたからか。

 毅もシュークリームにがぶりと噛みつき、目を丸くする。

 

「どう、播凰にい? すっごく美味しいでしょ?」

「うむ、美味い。……美味いな」

 

 ふふん、と得意げに胸を張る辺莉。

 どこかぼんやりとしつつ、播凰は二口目を咀嚼し、またじっくりと感じ入る。

 瞬く間に口内で溶けていく小さい塊。飽きることなどなく、まるで舌が、心が、次を早く寄越せとせっついてくるようにすら思えてくる。

 

 いざ、三口目。いそいそと播凰がフォークを伸ばした、その時。

 

 ――カランカラン、と。

 

 新たな来客を告げるベルが鳴った。それから、一拍遅れて。

 

「へへっ、邪魔するぜ」

 

 一見すれば柄の悪い男。そして煙草を咥えた派手な金髪の女。

 そんな男女の二人組が、品のない笑い声と共に、店に入って来た。

 

「……いらっしゃいませ」

 

 今までに播凰が聞いたことのない、ジュクーシャの硬い声であった。

 ジュクーシャは店員として言葉こそは通常の対応をしているものの、しかしその顔に笑顔はなく。険しい面持ちで、その男女を見やっている。

 

「おいおい、つれねえなあ店員さん。俺達はお客様だぜ?」

「こんなしけた喫茶店に来てやっただけでも、ありがたいと思ってもらいたいねえ」

 

 二人組がそうゲラゲラ笑っていると、店の奥からゆりが姿を見せた。

 彼女もまた表情は穏やかそうでありながらも、しかし先程まで播凰達が見ていたものよりどこか強張っており。

 

「ジュクーシャちゃん、ここは私が対応するから――」

「いえ、ゆりさん。私は大丈夫ですから」

「だけど……」

 

 彼等の姿を認めて、ゆりがジュクーシャへと接客の交代をしようとするが。

 しかしジュクーシャは、安心させるように一瞬だけゆりへと微笑み。

 

「ほら、とっとと席に案内してくれよ。喉乾いたから、水もすぐ頼むぜ」

 

 男の揶揄うような声を受けて、ゆりが動くよりも前に、こちらへ、と誘導する。

 播凰達の座っているテーブル席は、少し身を乗り出せば店の入り口が容易に見える位置にある。

 ゆえに、急に騒がしくなった店内、その元を播凰達四人は見ていた。

 

 ジュクーシャが二人組を案内したのは、どうやら播凰達の席から見て入り口を挟んだ反対側のエリアのようで。

 ゆりがさっとこちらに目配せをし、まるで四人を安心させるかのようにふわりと軽く微笑む。

 

「……どうしたんだろう?」

 

 ヒソヒソ声で、まず辺莉がそう言った。

 幸いにも店内には落ち着いたBGMが流れており、また席も距離があるため余程五月蠅くしなければ目立つことはない。

 

「嫌な感じがするっすね……」

 

 続くように、毅も呟く。

 すると、その直後。

 

 ――カチャンッ!!

 

 何かが割れたような甲高い音が、店中に響き渡った。

 

「おっと、すまねえな! ついうっかり、コップを落としちまったぜー」

 

 次いで、悪びれる様子のない、男の芝居がかったような声。

 連れのもう一人も、注意するどころかむしろ煙草を片手にケラケラと笑っている始末。

 

「……すぐに片付けますので」

 

 問いただすまでもなく、故意なのは明白だった。

 男は、ジュクーシャが置いたコップを一口だけ飲むと。テーブルに一度戻した後に、乱暴にコップを手で払ったのである。

 結果、コップは床に落下し、割れてもう二度と使えない状態となってしまった。

 

 唇をギュッと噛みつつも、ジュクーシャはぶちまけられた水とコップの破片を処理するために屈もうとした。

 が、そのジュクーシャの腕を男が無遠慮に掴む。

 

「何回も言ってるけどさ、お姉さん、こんな店辞めて俺達のとこに来ねえ? 外国人、しかも相当な美人の上玉だ。アンタだったら、かなり人気が出ると思うんだよなぁ」

「……では、私も何度も言いますが。このお店を辞めるつもりはなく、貴方達のお店とやらに行くつもりもありません」

「ちっ、強情な女だ。けど、ま、そういう女ほど楽しみがあるってね」

 

 その様子を見ていた辺莉は、思わず席から立ち上がりそうになる。

 だが、押しとどまったのは、ひとえにゆりの目配せを思い出したからだ。

 

「――なにあれっ! なんなの、あの人達!」

 

 憤りながら、小声で周囲に不満を漏らす。

 それは当然辺莉だけではないようで。隣に座る慎次は今にも飛び出していかんばかりの形相だし、対面の毅も振り向いて様子を伺うその横顔には非難と不安の入り混じった色がある。

 どうやら全員同じ気持ちのようであり。だからこそ辺莉は自らを落ち着かせるように、ふぅ、と息を深く吐いた。

 ふと、気付く。

 

「……ってあれ、播凰にいは?」

 

 

 むんず、と男に掴まれた腕。

 無礼であり、異性というのもあって当然いい気分になるものではない。

 振り払おうとするジュクーシャであったが、しかし眼前の男はしつこく、簡単に離すつもりはないらしく。

 

 ――強引にでも振り払うべきか。

 

 それは不可能ではない。彼女にとってそれは、何ら難しいことではない。

 だが、それをしてしまった場合、事態の悪化に繋がるは必至。

 ゆえに、ジュクーシャは一瞬、逡巡した。してしまった。

 

「あーあ、こっちも手が滑っちゃったー」

 

 それを見越して、というのは買い被りにすぎるだろうか。

 けれども、正しくもう一人が彼女の隙をつくように、わざとらしくコップを滑らせる。

 

 傾き、水を零しながら落下していくコップ。

 

「……っ!」

 

 させまい、と踏み出そうとするジュクーシャであったが、しかし嫌らしく彼女の腕を掴む手がその行動を邪魔する。

 そうなると、もはや落下を妨げるものはなく。

 数瞬前に無残にも割れ、今なお床に散っているコップの二の舞になるであろうと、それを見ていた誰もが。ある者は笑いながら、ある者は悔し気に結末を予期した。

 ……否、たった一人を除いて。

 

「――お主ら、随分とうっかりしておるな」

 

 はっはっ、と豪快に笑いながら伸ばされた手が、それを受け止める。

 三狭間播凰が、いつの間にかそこにいた。




本日二回目の投稿でした。夜にもう一話投稿できるかなという感じです。
次話『招かれざる客』、よろしくお願いします。


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11話 招かれざる客

「……なんだい、このガキは?」

 

 女が怪訝な顔で、いきなり登場した播凰を見る。

 だが、播凰はそんな視線を物ともせず、キャッチしたコップをテーブルへと置いた。

 コップは無事だ。しかし、零れた水でその手と服の袖が濡れている。

 とはいえ、その程度の被害。播凰にとっては――大抵の人にとってもだが――さして大問題でもないため、席に座る男女をゆっくりと見下ろし。

 

「もっとも、私も時折不注意で食器を落としてしまうことがあるが……うむ、注意するがよい」

 

 自虐を交えつつ、快活に笑う。

 しかし、当然そんな言葉を受け入れる相手ではなく。

 

「……はぁ?」

「何言ってんだ、コイツ?」

 

 ポカン、と女が。変なものを見るような目で、男がそれぞれ言った。

 ここで止まるならば、一般人。まともな感性の持ち主。いや、そもそも止まる以前に問題事の気配に不用意に首を突っ込むかという話だが。

 いずれにせよ、そうでないのが三狭間播凰という少年であり。

 

「ここは料理も美味であったが、デザートにはチョコレートケーキがおススメだ! 私も今食べているが、誠に感動した!」

 

 遂にはそんなことを大真面目に言う始末。

 ここでその発言は非常に謎であるが、彼にとってはそれほどの衝撃だったのである。それこそ、見知らぬ男女であるにも関わらず、思わず話してしまいたくなるほどに。

 

 ――何やってんすか、播凰さーんっ!?

 

 それを席から離れて見ていた毅は、心の中で絶叫し頭を抱える。

 何やってると何言ってるのダブルコンボ。ついでに言えば、どことなくテンションもおかしいような気がしなくもない。

 おかしい、というか変わっているのは元々知っているが、なんかこう、輪にかけて興奮気味なような。

 

 ……あれ、前にも似たようなことがあったような。

 

 抱いたのは、見覚え。額に手を当てながら記憶を辿り、思い出す。

 そうだ、あれは初めて学食を訪れた時のこと。確か、播凰はあんかけ焼きそばを頼み、人目を憚ることなく絶賛。それが矢尾とのいざこざのきっかけに繋がったのだ。

 

 ……そんなに美味しかったんすね。

 

 播凰の座っていた前にある、先端が食べ進められたチョコレートケーキ。それを横目にしつつ、毅はハラハラと事の成り行きを見守るのだった。

 

 そんな播凰の自信満々のお勧めであったが、無論二人組には関係なく、響くはずもない。

 ポカンとしていた女はやがて苛立たし気に舌打ちすると、播凰が置きなおしたコップを手で弾いた。

 もはや取り繕いの言葉すらなく、再度落下していくコップ。

 

「む、また――」

 

 先程の焼き直しのように、播凰はそれを拾おうと屈み、手を伸ばす。

 割ることなくキャッチには成功した。ほとんど水も入っていなかったため、今度は零れるものもない。

 が、その腕を。上から、ガッ! と女の靴が容赦なく踏みつけた。

 

「わざとに決まってんだろーが。頭がおかしいのか馬鹿なのか知らねーけど、ガキはガキらしくすっこんでな」

 

 そのままぐりぐりと足を動かし、播凰の腕に圧力をかける。

 女の顔には嗜虐的な笑みが浮かんでおり、見ているだけの男もニヤニヤと。

 

 播凰のある意味不可解ともいえる行動ゆえに、それまで驚きと困惑を以て見に徹せざるをえなかったジュクーシャとゆりであったが。

 女が手を出してきた光景を見てハッと我に返り。同時に動き出そうとする。――いや、しようとしたのだが。

 

「――私にこのような真似をしたのは、お主が初めてだ。その度胸、誇るがよい」

「は?」

「そして、わざとと言ったな? 何故そのようなことをする?」

「…………」

 

 怯える顔でもなく、怒る顔でもなく。

 むしろ何故か一抹の笑みすら湛えて、播凰は屈んだまま、腕を踏まれたままで顔を上げたではないか。

 それに留まらず、次に不思議そうな顔をして率直に問いかける始末。

 これにはさしもの女も再び呆気にとられる他なく。

 

「なんだコイツ、マジで頭おかしいんじゃねえか?」

「……興醒めだね。もういい、帰るよ」

「え? あ、ちょっ!」

 

 少し間を置いて女はそう言うと、播凰の腕から足をどかし、席を立った。

 その言葉に一瞬男は呆けたが、彼もまた慌てたように立ち上がり、その背中を追いかける。

 

 二人組は、店の入り口まで歩いた後。

 出て行く間際に、女の方が店主であるゆりを振り返り。

 

「週末の真昼間だってのに、客がこんだけいないようじゃ、この店の未来も見えたもんだねえ」

「おかげさまで。お持ち帰りのお客様にも来て頂けているので、お気になさらず」

「……フン、アンタも旦那のようになりたくなければ、よく考えるこった。そろそろ、怖ぁい人が出てくるかもよ」

 

 最後に、播凰を一瞥。

 捨て台詞を残し、乱暴に扉を開け放って去って行った。

 しばしそれを見つめてから。ゆりは、播凰へと向き直り。

 

「ごめんなさいね、変なことに巻き込んでしまって」

 

 巻き込まれた、というより播凰が勝手に自分で巻き込まれにいったわけだが。

 そんなことはおくびにも出さず、ゆりは頭を下げて謝りの言葉を述べる。

 

「む、何のことだ? それにしても、妙な客であったな。何も注文せずにすぐ帰っていくとは」

 

 少なくとも、妙な客という括りであれば、播凰も十分当てはまっても何ら不思議ではないのだが。

 そんな自覚もない当の播凰は、一貫して分からないというような顔をして、男女が出て行った店の扉を眺めている。

 第三者からすれば、何とも思っていないともとれるし、或いは敢えて気付かない振りをしている可能性もゼロではない。

 それを、どう判断したのか。

 

「……そうね。それで、その、腕の方は大丈夫かしら?」

 

 話題を変え、しかし気遣う様は変わらず、ゆりが播凰に尋ねる。

 女に強く踏まれていた腕、それも中々の勢いだった。流石に大怪我はしていないだろうが、痛みがあってもおかしくない。

 

「腕? ああ、少し濡れて汚れもしたが、問題ないだろう。洗濯機というのは便利だからな」

 

 しかし返ってきたのは、またしてもずれた反応であり。

 播凰は袖口の様子を少し確認して答えると、バッと顔を輝かせてゆりに近づき。

 

「それより、ゆり殿。チョコレートケーキ、実に美味であった! あのようなもの、私は今までに食べたことがない!!」

「え? え、ええ……そう言ってくれると、おばさん、とても嬉しいわ」

「また、こちらに食べにきてもよいか!?」

「…………」

 

 大絶賛。非常に感情の籠った、最上級の評価といっていい。

 唐突なそれに、僅かにきょとんとしたものの、ゆりは表情を柔らかくする。

 だが、続いた播凰の言葉には、すぐには口を開くことができず。

 言い辛いような、言うべきかどうか、そんな迷いがゆりの顔に浮かぶ。

 

 刹那の沈黙。しかしそれを割るように慌ただしい足音が響いた。

 

「ゆりさん、ジュク姉、播凰にい、大丈夫!?」

 

 辺莉を筆頭に、慎次と毅の三人がバタバタとやって来たのだ。

 そのまま彼女は、頬を膨らませて播凰を見やる。

 

「んもう、播凰にいってば一人で突っ走っちゃって! シンも晩石先輩も、勿論アタシだって、飛び出したいの我慢してたんだよっ!」

「えっ、いや、俺は……」

「なにっ!?」

「……何でもないっす」

 

 途中、毅が思わずといったように口走ったが、すかさず辺莉の一睨み。

 そのあまりの剣幕に、即座に上がる白旗。年上の威厳もへったくれもまるでない。

 

「心配してくれてありがとうね、辺莉ちゃん、皆。でもね、危ないから……」

「大丈夫、ゆりさん!」

 

 そんな肩身の狭い思いをする毅に現れた、救世主。

 困ったように、それでいて案ずるように、ゆりが辺莉を諭そうとするが。

 気遣い虚しく、辺莉は両手を腰に当て、笑い飛ばすように胸を張る。

 

「どんなに小さくても、大きくても。私達は、ああいう悪を懲らしめてき――」

「――辺莉」

 

 だが。

 はっきりと、力強く。普段とはまるで別人かと見紛う程の口調と眼差しで、慎次がその名を呼んだ。

 言葉を止められた辺莉は、しかし怒ることなくむしろバツが悪そうに閉口する。

 しかしその思いまでは止まっていないのか。

 

「……お店、大丈夫なんですか? 前はもっとお客さんも、店員さんもいましたよね」

 

 絞り出すように、ゆりへと確認する。

 二人組の捨て台詞、それは三人にも聞こえていたのだ。

 

「大丈夫よ、辺莉ちゃん。今日は偶々。それに、あの人達にも言ったように、お持ち帰りでいらっしゃるお客様だって――」

「ゆりさん、本当のことを教えてくれませんか」

 

 対し、安心させるように優しく微笑むゆりであったが。

 静かな光を目に灯し、頑として辺莉は譲らない。ゆりの発言を疑う――否、真実でないと確信している目だ。

 

「「…………」」

 

 両者が見つめ合うこと、数秒。

 目を逸らさない辺莉に根負けしたかのように、ゆりは小さく息を零すと。

 

「お店――というより、ここの土地を手放さないかっていう話は前からあってね。それもうちだけじゃなくて、商店街のお店全体に。だけどこの商店街は結構昔から長く続いているから、最初は他のお店の皆さんも手放すものかって、商店街を失くさないようにしていたの」

 

 だけど、と彼女は窓の外を眺めるようにして。

 

「ほら、向こうの方、ここからあまり遠くないところに大型の商業施設ができたでしょう? そうしたら、こちらに来てくれるお客様が減っちゃってね。それ自体は、仕方のないことなんだけど……」

「さっきの人達みたいなのが、出てきたんですね?」

 

 辺莉の問いかけに返るは、短い頷き。

 と、ここまで聞いていて。うーむ、と分かったような分かっていないような播凰。取り分け、聞き慣れない単語がそこにはあり。

 

「毅よ、大型の商業施設とはなんだ? 何故それができたら客が減るのだ?」

「……えっと、色々な種類のお店が集中した施設のことっすね。便利なので、俺も日用品とか服とか時々買いに行くっす」

 

 こそこそと毅に問いかければ、ヒソヒソと答えが返ってくる。

 が、いくら声を潜めたところで場所が場所。気付かれない可能性はほぼ皆無といってよい。

 ある意味堂々と、全く内緒話になっていない話をする二人に辺莉がジト目を送れば、ゆりは苦笑して。

 

「つまり、こちらでお買い物をしてくれていたお客様が、あちらでお買い物をするようになってしまったのよ。それに嫌がらせのようなことは少し前からあってね。ただ、これほどあからさまになってきたのはここ最近からなんだけど。……そんな状況だから、もう続けられないっていうお店がどうしても出てしまって。うちのお店で働いていた子も、何人か辞めちゃって」

 

 寂しそうに、されど仕方ないと受け入れるように、ゆりは店内を見回すと。

 

「辺莉ちゃん達みたいに、食事を注文してくれるお客様もいるわ。お持ち帰りで立ち寄ってくれるお客様がいるのも事実よ。でも、うちもそうだけど、他の所もいつまでお店を続けられるか……」

 

 締め括る。

 ジュクーシャが、沈痛な面持ちで顔を伏せた。

 さしもの辺莉も言葉を探して口を開こうとするが、しかし何も言えずに拳をギュッと握り。

 それは慎次も毅も同様で、重苦しい空気が漂う。

 

 ……店が続けられない?

 

 細かいことや、詳しいことは播凰には分からない。

 長々としたゆりの説明も、諸々の事情を理解したかといえば、そんなことはない。

 ただ。

 

 ――つまり、店がなくなる。それ、即ち。

 

「もうこの店で食べられぬ、ということかっ!?」

 

 あれ程の感動を覚えた、チョコレートケーキが食べられなくなる。

 それは完全に理解した。

 

「今すぐではないけれど……ごめんなさいね、折角気に入ってもらえたみたいなのに」

 

 愕然とする播凰に、すまなさそうに頬に手を当て、ゆりは告げる。

 しかしすぐさま、パンパンと仕切りなおすように両手を打ち合わせ。

 

「はい、暗い話はこれでおしまい。よかったらサービスでデザートか飲み物をおまけするから、遠慮なく言ってね」

 

 元通りの柔和な笑みに戻り、播凰達を席に戻るよう促した。

 気丈に振舞っているが、まず間違いなく一番辛いのはゆりであろう。

 だからこそ、それを慮って辺莉達は素直に従う。彼等とは別のベクトルでショックを受けていた播凰は、反応が一番遅くなりながらもそれに続こうとしたが。

 

「……いかに力があろうと、できないことはある。それは、分かってはいましたが」

 

 誰にも聞こえていない、と彼女は思っていただろう。

 だが、その声はのろのろと最後に動いた播凰の耳に届き、少しだけ振り返る。

 悔しげに、無力感に苛まれるように呟くジュクーシャのその姿が、とても印象に残った。

 

 

 席に戻った四人が楽しい会話を続けられなかったのは言うまでもなく。

 播凰達が通うだけで解決できるのならば、毎日訪れて食事をしたかもしれない。それは確かに、一助とはなるのだろうが。

 しかしそんなことでどうにもならないことは、考えるまでもなかった。播凰達が頭を悩ませたところで、解決策が浮かぶわけもない。

 その程度でどうこうなる問題なのであれば、当事者たるゆり達がとっくにどうにかしていただろう。

 

 気にしないで、とゆりは笑っていたが。播凰が感動を覚えた事実が消えることはない。

 久方ぶりに抱いた、鬱屈ともいえる気分。だが無情にも、徒に日々は流れていく。

 そんな中で。

 ついに、吉報ともいえる知らせが同時にやって来た。とはいえ、あくまで播凰にとっての良い知らせであり、ゆりの店どうこうという話ではない。

 

 一つは、厳蔵から。

 依頼した天能武装が仕上がったので、取りに来いとのこと。

 これはまあ楽しみにしていたのは事実ではあるが、少し待つだけでいいというのは見えていた。

 よって吉報には違いないのだが、後者と天秤にかけると軽いと言わざるを得ない。

 

 播凰が真に首を長くしていたのは、もう一つ。

 ある意味、天能武装ができたとあって、非常に嚙み合ったタイミング。

 

『例の件――貴方の天能の性質についてですが、連絡が届きました。今度の休みの日、学園に来てください』

 

 学園の教師である、紫藤綾子からそれが伝えられたのだった。

 

『――追伸。晩石毅も貴方の事情を知っているのであれば、連れてきて構いません』




次はようやく性質判明、+ちょこっとバトル回。
そしてその後に配信回。
察しのよい方は何となく感付かれたかもですが、そういう配信となります。
読んでいただきありがとうございます、次話もよろしくお願いします。


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12話 三狭間播凰の待望の一日(1)

 昼近くに厳蔵の元へ天能武装を受け取りに行き、そのまま午後は学園に向かい紫藤及び件の人物と会う。

 それが、この日の播凰のスケジュールであった。なお、紫藤からの連絡にあったように毅に声をかけてみれば、予定は空いているということで快諾。

 彼も彼で播凰の新しい天能武装や天能の性質に興味があるらしく、行動を共にすることとなった。

 

「いざ、行かん!」

 

 時は来た、と意気揚々と出発しようとする播凰。テンションの高い播凰に苦笑しつつ、それに続く毅。

 すると最強荘の敷地内、門へと行くまでのところで、箒を手に掃除をしている管理人と出会う。

 

「こんにちはー。三狭間さんに晩石さんー」

 

 箒を動かす手を止め、ニコニコと二人に挨拶する管理人。

 

「こんにちはっす、管理人さん」

「うむ。こんにちはだ、管理人殿! 掃除、ご苦労である!」

 

 二人もそれぞれ言葉を返せば、管理人は笑みを湛えたままじっと播凰を見つめ。

 

「ほほぅー、三狭間さんはいつにもましてご機嫌ですねー。よいことでもありましたかー?」

「おお、分かるか!? 実は、ようやく天能術が使えそうでな。昨日は中々眠る事ができなかったほどだ!」

 

 天候も晴天であれば、播凰の心も晴天。

 なにせ待ち望んでいた知らせだ、興奮するなという方が無理というもの。それが三狭間播凰という少年なら尚更であった。

 

「それはよかったですねー。お祝いですねー、ケーキですねー」

 

 箒を小脇に抱え、パチパチと拍手をしながらのほほんと言う管理人。

 だが自分の言った言葉で何やら思い出したのか。そうそう、と切り出した。

 

「そういえばお二人共ー、四柳さんの働くお店――リュミリエーラに行かれたそうですねー」

「うむ、行ったな! 誠に美味であった!」

「ですねー。私もあそこのデザートは大好きなのですよー」

「そういえば、管理人さんが時々来るってあそこの店長さんも言ってたっすね」

 

 和やかに、リュミリエーラについて語り合う。

 食事もそうだが、特にその後に食した甘味――チョコレートケーキを思い出し、頬を緩める播凰。

 だが、その顔にふっと影が差す。

 

「……しかし、どうも客足が悪いらしくてな。このままでは店を続けていくのが難しくなるようなのだ」

「そうなのですかー。それは残念ですねー」

「うむ、実に惜しい。なんとかならぬものか」

「お味は間違いないのですがねー。とはいえどれだけ良い物でも、知られないことには新しいお客さんも来ないですからー」

 

 畢竟、それが問題なのである。

 いや、例の嫌がらせとやらも影響はあるのだろうが、ただでさえ客が遠のき存在感が薄くなり寂れつつある商店街。

 新規の客が来る要素はなく、既存の客もいつまでも来るとは限らない。

 下手な宣伝をうったところで、それが成功に繋がるかは確約されず。そもそもそれをするにもある程度の資金が必要というもの。

 経営について特別明るいわけでもなく、かつ部外者でもある播凰達からすれば、歯噛みする思いはあるもののしかし何もできることはない。

 辺莉は、学園の友達に声をかけてみると息巻いていたが、それも事態を好転させる要素とは成り得ないだろう。

 

 表情と違わず、残念がる播凰。

 対し、言葉と表情が合っておらず、変わらないニコニコ顔の管理人。本当に残念に思っているのかと、それを見ていた毅は少しばかり疑念を抱きつつも、播凰同様に店の事情を聞いていたため複雑な面持ちをしているが。

 別段、播凰は管理人の様子を咎めることはなく。

 

「――おお、そうだ管理人殿。ついでに一つ聞いてもよいか?」

「なんでしょうかー」

「うむ、そのだな。……この世界に来た者は、皆、夢というものを持っているのだろうか?」

 

 思い出したように、問う。

 それは、喫茶店リュミリエーラにて店主のゆりとの会話の中で出てきた話題。

 

 ――『ケーキのお店で働くのが夢だったから、ですって』

 

 ゆりに対して、四柳ジュクーシャが語ったという夢。

 播凰には無いものだった。考えても浮かばないものであった。

 そのことばかり考えているというわけでもないが、その単語を聞いたあの日から、播凰の心の片隅に引っかかり続けるもの。

 それが同じような境遇の者にもあるのかが、ふと気になった。

 

「残念ながらー、住民の方々に関する個人的なお話にはお答えすることはできかねますー」

 

 しかしながら、拒否。管理人は答えを口にすることなく首を横に振る。

 

「む、そうか。であれば構わ――」

「――ですがー、最強荘の一管理人として言わせていただくのであればー……」

 

 最初こそ、問いに対して事実上の無回答の意思を示した管理人であったが。

 彼女は播凰の反応を遮り、視線をずらして毅の方を見やる。

 

「晩石さんはどうでしょうー。夢はありますかー?」

「えっ、お、俺の夢っすか。そ、そうっすね……取り敢えず、東方第一を無事卒業して立派になること、っすかねえ」

 

 唐突な質問に毅はきょどりつつも、頭をポリポリと掻いて若干気恥ずかしそうに言った。

 それを聞いた管理人は、これといった反応をすることなく再び播凰へと視線を戻し。

 

「とまあー、そんな有るような無いようなぼんやりとした程度でもよいわけですー」

「ひどいっすっ!?」

 

 聞いたくせに軽く流す、というか見方によってはむしろ馬鹿にしてる節すらあったわけで。

 そのように扱われたことに毅はガーンと落ち込み項垂れるが、管理人は意にも介さず。

 彼女は播凰に向かってゆっくりと歩いてきた。

 そしてそのまま、互いの身体がくっつくかというギリギリのところまで近づくと。

 

「この世界に来て、異なる環境となったことで、大なり小なり新しい何かを得られることができるでしょうー。そしてそれはもしかすると良いことばかりではないのかもしれませんしー、ひょっとすると貴方という人間に些細な影響をも与えないかもしれませんー」

 

 幼い見た目ながらもこの場所(最強荘)の管理者たる彼女は、播凰の顔をゆっくりと見上げ。

 もはや見慣れた、しかしどこか慈愛を含んだような笑みを浮かべて言うのだった。

 

「それでも我々(・・)の誘いに乗った貴方ならば――いつか、その答えを見つけられるかもしれませんね」

 

 

 ――――――――

 

 

「おう、来たか三狭間の小僧。……なんだ、晩石の小僧もいるのか。まあいい、少しそこで待ってろ」

 

 最強荘を出て、山中の厳蔵の家を訪れれば。

 門のところで二人を出迎えた厳蔵はその場で待つように告げ、住居たる建物とは別の離れの小屋へと入っていく。

 門からすぐ、正面の建物は母屋であるが、今しがた彼が向かったそこが鍛冶場であることを、播凰は知っていた。

 

「そら、コイツがオメエの天能武装だ」

 

 暫くして戻って来た厳蔵が、手にしていた物を播凰へと突き出すように渡す。

 主体の色は、陽光に煌めく銀色。杖の先端には、掌サイズぐらいの黒い鉱物のようなものが嵌め込まれ鈍い輝きを放っている。

 それ以外に華美な装飾はなく、先端周りに多少の造形はあるが、シンプルといえばシンプルなデザイン。

 

「おお……」

 

 手に持ったそれを、播凰はしげしげと眺める。

 天能武装の形状としては杖を選んだ播凰であるが、その他一切に関しては厳蔵に一任していた。要するにおまかせである。

 天能武装を購入、或いは作成依頼をする場合。

 本来であれば、見た目や装飾、大きさといったデザインを選んだり、オーダーメイドの場合は使用者にあわせた調整もするらしいのだが、それを含めての一任。

 これは、単純に播凰の知識が不足しており、専門家に任せた方がいいという意味合いもあったのだが。

 

 ……どんなものが出来上がるのか、楽しみではないか!

 

 播凰の心理はこれに尽きる。

 一々あれこれ指定するのは窮屈だし、何より楽しみがない。だからこその、鍛冶師任せ(おまかせ)

 

 受け取った天能武装から感じるのは、金属特有の冷たさ。

 不思議と手に馴染んでいる。ごてごてと派手なものでなく、シンプルなデザインなのも播凰好みであった。

 

「取り敢えず、かなり頑丈に造った。よっぽどの衝撃でも加わらなきゃビクともしねえはずだ。大きさにしても、一応は武器として振るうことができるのを想定してる。一応は、だがな」

「おお、それは助かる。すぐに壊れてしまっては困るからな。して、この黒いものはなんだろうか?」

 

 杖術という括りがあるように、杖は武器としての側面も持つ。とはいえ、あまりそういった面で使うつもりはない播凰であったが、強度があるに越したことはない。

 それより気になったのは、先端についているもの。不思議と見覚えのあるような気がするが。

 

「そいつはほれ、あれだ。あのドラゴン騒ぎの時の」

「ああ、折れてしまったあれか」

 

 道理で、と頷きながら納得する。

 何なのかは分かっていないが、恐らくドラゴンが現れたことと無関係ではないであろう、黒い物質。

 厳蔵曰く、山で拾い気まぐれで鍛えて杖としたのだったか。ただ、矢尾に奪われ、最終的に折れてしまったが。

 

 何でもないように言い放つ厳蔵に、大した反応なくするりと受け入れて頷く播凰。

 だが、それに黙っていられなかったのは、今まで二人のやりとりを見守っていた毅である。

 それまでは、はえーっと播凰の物となった杖を見ていた毅であったが、厳蔵の暴露にぎょっとして。

 

「……いやいやいやいや、あれっすか!? あんな危なそうなもの天能武装に使って、大丈夫なんすかっ!?」

「まあ大丈夫だろう。俺の見立てじゃ素材としては申し分ないし、あの時の変な感じもしねえ。試しで使ってみたが、存外悪くなくてな」

「ふむ、そうさな。悪くないというのは私も同意見だ」

「…………」

 

 思わず口を挟んでしまったが、その不安も二人には伝わらず何のその。

 こうなれば毅はもはや何も言えず、止めることもできなかった。もはや彼にできるのは、耳を塞いでの現実逃避のみ。

 

「話を続けるが、そいつには能力を一つ付与している。効果は、天能行使時の天能力の消費を軽減するってもんだ」

「ほう、能力を」

 

 天能武装とは、ただの武器ではない。

 その一例として挙げられるのが、能力付与。武器に対して様々な効果を与えることで、その使用者に恩恵をもたらすものだ。

 ただしこれは、天能武装の鍛冶師――天能武装を作製できる見習いや学生を含め――の全員が全員できるものではないらしく。また能力付与をできる鍛冶師でも、付与できる効果の強弱や種類には個人差があるとのこと。

 単純な鍛冶の技術もさることながら、天能武装に能力付与ができるか否か、できたとしてどのレベルの能力でいくつ付与できるか。その観点を以て、天能武装の鍛冶師としての腕が問われるとされている。

 

「他にも付与できなかったわけじゃないが、卓越した天能術の使い手でもねえならいくつ能力があったところで宝の持ち腐れだ。それに初めて天能武装を手にすんだから、まずはその程度のやつで慣れるところから始めた方がいい。最初から高性能な天能武装を使っても、あまりいいことねえしな」

「成る程」

「後はまあ杖のデザイン――というか色だが、それに関しては適当だ。よくあったりするのは、単純に好きな色だったり、自分の天能の性質の色に合わせる奴だったり、目立ちたいのか知らんが派手な色にする奴だったりだが。おまかせってんで、先っちょの黒に合いそうな色にしてる」

 

 言われてみれば、全体的な色合いのバランスはいい。

 大部分を占める銀は主張が控えめながら気品があり、先端の漆黒の存在感を損ねていない。

 

「言っとくのはこんなところか。まあ、取り敢えず使ってみろ。天能術は……まだ使えないんだったな。んじゃ、軽く振ってでもして手応えを確かめりゃあいい」

「手応えか。よし、試してみよう」

 

 言われるがまま、播凰は二人から距離をとった。

 そして、受け取った天能武装たる杖を僅かに振りかぶる。

 

 ――ズドォーーンッ!!

 

 刹那、山が揺れた。

 少なくとも毅はそう錯覚したし、その光景を見ていなかったら間違いなくそう信じただろう。

 

 バサバサ、と一斉に木々から飛び立ち、鳴き声をあげながら去っていく鳥達。

 異音としか表現できないその衝撃音はしばし留まるように木霊していたが、やがて完全に消える。

 まるで何事もなかったかのように、数瞬後には山中は元の静けさを取り戻していた。

 

「「…………」」

 

 とはいえ。

 視線の先で、もうもうと立ち昇る土煙。

 それが晴れれば、そこには地面に向けて杖を振り下ろした播凰の姿と、それを中心に陥没してまるでクレーターのようになった一帯。

 

 毅は元より、これには流石の厳蔵も言葉が無いようで。

 だが、そんな様子を気にした風もなく、播凰は二人の元に戻ってくる。

 

「うむ、長さも手頃で扱いやすそうだ。何より、少し力を入れてみたが壊れていないというのがよい」

「……そいつは重畳」

 

 のほほんと天能武装の感想を述べる播凰に、一早く復活した厳蔵が答えた。

 その声色には、隠すことない呆れが乗っていたのは言うまでもない。

 しかし、次の瞬間にはいつもの調子に戻って。

 

「さっきも言ったが、そいつはオメエの経験や技量――つまりは天能術の使い手として未熟な奴が使うことを考慮して造った一品だ。なもんで、ハッキリ言っちまえば強度は別として、天能武装としての性能評価はそこそこってところか」

 

 それでもそんじょそこらの鍛冶師が鍛えた天能武装に劣ることはねえが。

 そう付け加えて、厳蔵は播凰に背を向ける。

 

「早い話、オレはそいつを造るのに手を抜いちゃいないが、全力も出してねえってこった。どんなに天能武装の性能が高かろうと、使いこなせねえなら意味が無く、むしろ成長の邪魔になりかねんからな」

 

 そうして厳蔵は顔だけを振り返り、播凰を、そしてその手にある天能武装を一瞥し。

 

「三狭間の小僧。もしもオレが全力を出した天能武装が欲しいってんなら、認めさせることだ。このオレを――捧手厳蔵をな。そん時は、オレも本気で腕を振るってやる」

 

 そう言い残して、用件は終わったと言外に告げるように厳蔵は家へと戻っていく。

 二人が遠ざかるその背を見る中、やおら彼は片手をヒラヒラと振った。

 

「そんじゃ、これで受け渡しは完了だ。……晩石の小僧、後の面倒はオメエが見てやれ」

 

 その最後の言葉を毅が身を以て理解するまで、後少し。



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13話 三狭間播凰の待望の一日(2)

 播凰が学園――東方第一に通い始めてから少なくとも一月が経過している。

 そのため彼にとってその場所は、もはや異界の学び舎から己が日常の一部と変化しているといっても過言ではない。

 が、それでも休日の学園というものはそれはそれでいつもと印象はガラリと変わるわけで。

 学園という施設を象徴するともいえるガヤガヤとした生徒の喧噪は無いに等しく、静寂に包まれた校舎。

 もっとも、休日でも自己研鑽の場として一部施設が開放されている以上、生徒にしろ職員にしろ全くの無人というわけでもないのだが。

 

「……休みの日の学園ってのも、それはそれで緊張するっすね。入学試験の時を思い出すっす」

「うむ。賑やかなのも悪くないが、これはこれでまた新鮮だな」

 

 隣を歩く毅がしみじみと呟けば、播凰も続くように頷く。

 毅の言うように、彼らが初めて東方第一に訪れた試験の日のような、普段とはまた違った学園の一面。

 それを肌で感じつつ、播凰と毅は学園の門を通り抜ける。

 

 とはいえ、休日は休日。平日の朝の登校とは異なり、制服を着ていてもノーチェックで入ることはできず、門を入ってすぐにある警備の窓口にて手続きを行う必要があったりする。

 ただし手続きとはいえ、在校生である播凰と毅は単純。学園貸与の端末を用いれば、証明も入場記録も一発だ。これが外部の人間だったり関係者だったりすると、事前の申請やら書類やらの記入が必要らしいが、二人には関係無い。

 

 ちなみにその旨は、教師でもあり本日播凰を学園に呼んだ当人でもある紫藤から、日付等の連絡の際に知らされた。くどくどと、絶対に問題を起こさないように、という一文も添えて。

 ただでさえ、色々と播凰に悩まされている彼女のことだ。その脳裏には、規則を知らないがために何食わぬ顔で門を通り、受付もせずズンズンと進むであろう播凰の姿がありありと映ったことだろう。

 そしてそれは正解だった。正しくその懸念通り、播凰はそんな規則があると知らなかったのだから。毅が帯同していたこともあり、よりスムーズに運んだといえる。

 

「播凰さんは、修練棟に行ったことがないんすよね? じゃあ、着いてきてくださいっす」

「うむ、任せた」

 

 向かう先はいつものH組の教室――では勿論なく、その名の通り修練に特化した施設である修練棟。その一室を紫藤が予約して押さえているとのこと。

 ちなみに、播凰は天能を使えないことから、毅はへなちょこな自分が施設の一室を予約するなんて恐れ多いという思いから、共に修練棟を利用したことはなかった。

 ただし、毅に関しては施設を見に来たことはあったようで。使うのこそ気が引けたが、しかしそこは憧れだった東方第一。学園で一生徒が行ける場所にはある程度既に訪れたらしい。

 とはいえ近くまで来ておいて、そんな理由で使用どころか中に入ったことがないというのは、何とも彼らしい理由ではあるが。

 

「えっと……ここだったはずっす」

「おお、立派な建物だな。それに、教室のある棟よりも頑丈そうだ」

 

 播凰の方はと言えば、何の気なしに学園内をぶらついたことがあるが、一人の時では迷いそうだという理由であまり広範囲にはまだ足を広げていない。目的の修練棟は学園の少し奥まった場所に存在したため、施設どころか周囲一帯のエリアに踏み入れること自体、播凰は初めてであった。

 

 元々方向音痴な気もあり、地図を用いた移動も得意ではない播凰単独であればどうなったかわかったものではなかったが、地理を把握していた毅がいたことによって無事に目当ての場所に辿り着く。

 室内にて修練を行うことを目的としてるためか、施設の外観に古臭さはなくしっかりとした造りであることを伺わせるその大きな施設。

 ガラス製の透明な両開きの扉を押し開けて中に入れば、少しばかりむわっとした空気が二人を通り抜けていった。

 

「はぁー、中はこんな感じなんすねぇ」

 

 きょろきょろと毅が周囲や頭上を見回しながら感心したように零す横で、播凰もまた同じようにじっくりと建物内に視線を巡らせる。

 外から見ても分かる通り、修練棟は大がかりな施設であった。

 入ってすぐは吹き抜けの構造となっており、複数階をまとめてぶち抜いた開放的な空間が頭上に広がり。

 少し先、正面には間隔を開けて並んだ複数の扉。それぞれには部屋番号であろう数字が大きく刻まれている。目線を上げていけば、各階も同じようになっており、淡々と数多の扉が数階に渡って並ぶだけの光景はある種の壮観ささえ抱かせる。

 

「さて、約束の部屋は……修練室20だったか」

 

 紫藤からの連絡にあった修練室の番号を思い出しながら、まずは一階の部屋番号を見てみれば。数字は小さい順に下から振られており、目的の部屋はこの階には無いようだった。

 フロア移動は建物の左右両脇に設置された階段から行うことができ、その近くの壁には施設案内のマップが掲載されている。それによると修練棟は3つの棟から構成されており、1つの棟に30の修練室、総計90部屋にもなるらしい。

 そこだけを見れば中々の巨大な施設だが、しかし東方第一の生徒数は百は優に超えている。単純に数だけを見ればそれでも尚足りていないわけだが、とはいえだ。全生徒が一斉に使うわけでもなく、また複数人で修練室を利用する生徒もいるだろう。そう考えると、完全に不足しているというわけではないのかもしれない。

 

 毅を伴い、フロアを移動。

 そうして二人は、「20」の刻まれた部屋の前に立つ。約束の時間はギリギリ。

 小窓や覗き窓といった類はないため、室内の様子は外からは窺えない。また防音対策もされているのか音らしい音も漏れ聞こえない。

 まあ紫藤のきっちりとした性格から考えて、恐らく既に中で待っているのだろう。そうでなくとも、こちらが中で待っていればよい。

 と、軽い感じで播凰は扉に手をかけ、躊躇なく開いた。

 

「……来ましたか。無事にここが分かったようで、まずは一安心です」

 

 果たして、待ち人――紫藤は修練室の中にいた。

 腕を組み、いつもと変わらないすました顔で扉を開いた播凰と毅を室内から見据えている。

 が、その表情に安堵の色が僅かに見え隠れするのは、恐らく気のせいではないだろう。

 

「――ほーん、これが例の……って、二人おるやないか!? なんや、一人じゃなかったんか?」

 

 そしてもう一人。紫藤の傍らに、その人物はいた。

 冷静沈着を常とする紫藤とは対極な喧しさ――もとい愉快な反応。

 髪型においても、束ねる必要のあるほどに長い髪の紫藤に比べ、さっぱりとしたショートカット。

 背丈に関してもその差は目立つが、これに関してはどちらかといえば紫藤が高身長な部分がある。とはいえ、小柄といえば小柄。流石に、我らが最強荘の管理人程に小さくはないが、成人女性という点で見ても平均より少し低めなのは否めない。

 

「ええ、もう一人は付き添いとして来てもらいました」

「付き添いィ?」

 

 淡々と告げる紫藤に対し、その女性は訝し気な顔をして播凰と毅の顔を交互に見ている。

 まさか、彼女も思わないだろう。よもや、当人(播凰)だけではまともにここまで来れるか不安だったために付き添いとして呼んだなどと。

 そして実際に、付き添い()がいなければ怪しいどころか確実に学園内を彷徨っていたであろうことも。

 

 そんなじろじろとした視線を受けながら、播凰は堂々と、毅はその後ろに隠れるように恐る恐る修練室の中に足を踏み入れる。

 

 ……し、紫藤先生がいるなんて、聞いてないっす。

 

 室内にいる紫藤の顔を見た毅の顔は真っ青だ。なにせ彼にとって、天能術の実技の授業を受け持つ教師である紫藤は、入学試験時のこともあり苦手ともいうべき人物だったのだから。

 別に、紫藤が特別毅に厳しいというわけではない。単純に、彼女のきっちりとした雰囲気、普段の冷静な振る舞いや迫力も相俟って一部の層の生徒からは恐がられたり苦手意識を持たれていたりするという話だ。

 まあ、特別恐がられる教師というのは、何も紫藤だけに限ったことではないのだが、それはさておき。

 

 ともかく毅にとって紫藤がこの場にいるのは初耳。では、何故そんな毅がこの場に来たかというと。

 彼は単純に、播凰から誘われただけだ。そして播凰の天能の性質が分かるかもしれないと聞いた毅が、それに興味を持って誘いに乗った。学園でやるというのは聞いていたが、そこに誰がいる――播凰も紫藤の知り合いが誰かは無論知らなかったが――というのは聞かずに。

 そういうわけで、苦手な印象を抱く教師の存在に今すぐにでも毅は回れ右をしたかったのだが、彼にそんな度胸はない。

 

 女性は、そんな播凰達を暫く無遠慮に見ていたが、二人が近くまで来て立ち止まったのを見て、向き直った。

 

「ふぅん、まあええわ。ウチは、小貫(こぬき)夏美(なつみ)。一応、この東方第一の卒業生で、綾ちんとは同期――まあ、学生時代に色々やった仲や」

「……その呼び方を止めさせることは、もう諦めました。しかし、生徒の前では――」

「ええやんええやん、どうせ綾ちんのことだから、堅物の女教師として怖がられてんやろ? ほんなら、呼び方くらいはフレンドリーにいかんとなー」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をする紫藤に、女性――小貫夏美はケラケラと笑う。

 そうして彼女は、播凰と毅に顔を近づけるようにして。

 

「どうや、教え子達? 紫藤綾子だから、綾ちん。な、可愛いやろ? ほら、言うてみぃ」

 

 呼び名についての同意を求めてくる。が、そのニンマリとした表情や声色からも、紫藤に対しての揶揄い目的であることは明白。

 故にこそ、どう返したものかと毅は曖昧に笑うに留め、濁すようにやり過ごそうとする。つまりは事実上の無回答。仮に小貫が本気であったとしても、恐ろしすぎて毅には呼べるわけがない。

 

「成る程、そのように呼んだ方がよいのであれば、そうするとしよう」

 

 ところがどっこい、よっぽどのことでもない限りは馬鹿正直に受け止めるのがここには一人。

 言うまでもなく、小貫の言い分に納得するように大きく頷いた播凰である。

 マジですか、と心の声が聞こえそうなほどに彼を凝視する毅の視線もなんのその。

 

「……ふ、不要ですっ! 私のことは今まで通り、先生と呼ぶように。いいですね!?」

「アッハッハッハ!! なんや、ノリのいいオモロイ奴やないか。綾ちんがこんな顔すること、滅多にないで!!」

 

 焦ったように珍しく紫藤が狼狽すれば、その様子を見た小貫は腹を抱えての大爆笑。

 初見である小貫からすれば、だ。播凰は、単に自身の冗談に乗ってきた学生である。それが話を合せただけなのか、はたまた本当に実行する気があるのかを判断できるほど人となりを知らないものの、応じてきただけで取り敢えずは彼女は満足だったようで。

 

 が、紫藤は違う。なにせ彼女は、この学園で最も播凰に近しい教師であり、多少なりともその人物像を把握している。

 故に、紫藤が導き出した結論は――ずばり、三狭間播凰なら本当に言いかねない、であった。だからこそ普段の冷静さを乱してまで止めに入ったのであり、そしてそれは正解だった。彼女が今全力で止めなければ、間違いなくその不名誉とでもいうべきあだ名は、播凰の口から躊躇なく紡がれていただろうから。

 

「ま、そっちはそっちで後で詳しく聞くとして……先に、本題の方を済ませてまおか。事情は聞いとる、なんでも天能の性質が不明やそうやな?」

 

 一頻り大笑いした後。小貫はようやく静かになると、その声に真剣味が帯びる。その切り替わり様は、先程までの騒々しかった彼女を欠片も思い起こさせないほどだ。

 要するに、素は陽気であろう小貫すらもそうさせるほどにこの件が持つ意味は大きいということ。

 

「ほんで――どっちや、三狭間播凰っちゅーのは?」

 

 声だけではない。その視線すらも鋭く、その問いは投げられた。



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14話 三狭間播凰の待望の一日(3)

 小柄な女性ながら、その佇まい、発せられる空気は並のものではなかった。明確な敵意ではない。けれどもそれに近しいものではあり、凡そただのそこらの人間では出すことのできない、威圧感。

 しかし何も不思議なことはない。何故なら、彼女は先程こう名乗ったのだ。

 つまり、東方第一の卒業生――即ち、播凰達の先輩にあたり、世に言われるエリートであると。そしてそれはただの一般人でないことを意味する。

 

 実際、毅はといえばまるで別人のように雰囲気の変わった彼女を前に、大きく身体をびくつかせて額には冷や汗を浮かばせている始末。

 とはいえ。

 

「うむ、私が三狭間播凰だ! 今日はよろしく頼むぞ!!」

 

 その程度で呑まれる播凰ではない。

 相手の態度もなんのその、遂に念願の天能術が使えると、機嫌よく元気いっぱいに挨拶を返す。

 空気が読めない、というのはある。まあ、毅が色々と過敏すぎるので二人まとめてみればその分釣り合いはとれているともいえるが。

 が、それを抜きにしても、威圧だけで彼を止めることができる者は果たしてこの世界に――。

 

 空気を一変させたのは、確実に意図的ではあったのだろう。小貫は、暫し無言で播凰を見つめていたが、やがてその口元はニィっと弧を描き。

 

「……ほんま、オモロイやっちゃな。ええで、いけすかない奴なら気乗りせんかったけど、アンタみたいのなら喜んで協力したる! ウチに任しときぃ!!」

「おお、頼もしいな!」

「そうやでー、なんや、アンタよう分かっとるやないの!!」

「ふむ、そうか? はっはっはっ!!」

 

 ドン、と胸を叩く小貫に、播凰は大喜び。その反応を受けて、更に胸を張る小貫に笑いだす播凰――と、紫藤と毅そっちのけで盛り上がる二人。

 やれやれ、と頭を振る紫藤は、しかし止める気はないようで。

 暫し時間を要したが、一頻り盛り上がった後、小貫と播凰の騒がしいコンビはようやく落ち着き。

 

「――んで、そっちのあんまオモロなさそうな方は付き添いやったか。……しっかし、なんちゅーか、パッとせんやっちゃなー。あんま実力があるようにも見えへんし」

 

 今度は毅のみに、小貫の視線が向けられる。

 彼女はまず毅の顔を少し眺め、それから下から上へと全身を見るように目線を滑らせる。

 そうして小貫は、怪訝そうというか、腑に落ちないというか。とにかくそんな表情を僅かに浮かべ、ポツリと漏らした。

 

「一応確認やけど、自分――ホンマに(・・・・)東方第一(・・・・)の生徒なんよな(・・・・・・・)?」

「……っ」

 

 まるで、心臓が浮き上がったかのような錯覚を毅は覚えた。息が詰まり、思わずゴクリと喉が鳴る。

 それはどういう意味であったのだろう。真意を知るには尋ねるしかなく、怒りを覚えられても文句は言えない発言なのは当人も理解しているに違いない。

 

 しかし、毅は言葉に詰まった。

 痛いところを突かれたというのもある。なにせそれは、毅自身すらも今尚一部疑義を抱いている事実であり。

 元より、侮っていたわけではない。いかに小柄な女性だろうと、無意識にみくびるほど毅は自分に自信を持っていない。

 先刻よりも薄らいではいたが、しかし眼前の女性から放たれる威圧は収束し、毅一人を射抜く。

 

「…………」

 

 見方によれば。無言で毅に目を合わせる小貫は、彼の返答を待っているように見えた。

 だが毅は気圧され、口を噤んだ。ただ問われているだけだというのに、失礼なことを言われたというのに。名乗り、反論することはおろか――口を開くことが、できなかったのだ。

 結果。毅は逃れるように目線を下げ、顔を俯かせた。

 

「そうあまり威圧しないでください、夏美。彼――晩石は、まだ高等部の新入生。現場の第一線(・・・・・・)で活躍(・・・)している貴女の――」

「これでも充分加減はしとるでー、綾ちん。それに、コッチのオモロイ方は余裕やったやないの」

「……三狭間は例外です」

 

 そんな毅を見兼ねてか、助け舟を出す紫藤。

 しかし小貫はそれを途中で遮り、播凰を引き合いに出して答える。もはや彼女は、毅を見ておらず。

 頭に手を当て、悩ましいといったように目を瞑った後。紫藤は話を強引に切り替えるように、播凰に目を向ける。

 

「はあ、もういいでしょう。ところで、最初から気にはなっていたのですが――」

 

 その視線が注がれるのは、彼の手元(・・・・)

 

「――君は何故、天能武装を出しているのですか? いえ、やる気があるのは結構ですが」

「あー、それはウチも気になっとったわ。あれか、ツッコミ待ちやったか?」

 

 疑問を呈す紫藤と、追従するように小貫がそれぞれ言う。

 そう、実は播凰、ここに来る前に天能武装を厳蔵から受け取った後、今の今までそれをずっと手に持っていたのである。

 さて、それはどうしてか?

 

「うむ。それはな――天能武装を受け取ったはいいものの、納め方が分からぬのだ!! いやあ、実に困った!!」

 

 通常、天能武装の所持者というのは、己の武装を自由に取り出したり、また仕舞うことができる。大雑把な理屈としては、天能武装に自身の天能力を流すことで己の天能の一部として扱えるようになる、というものだ。

 

 話は、播凰が天能武装を受け取った直後に戻る。新品の天能武装が自身の物であるという証――即ち、天能力を武装に流すように毅が播凰に告げたのだが。しかし当然、播凰にはそのやり方が分からない。毅も頑張ってなんとか伝えようとしたのだが、結局どうもできずに仕方なくそのまま持ってきた、というのが顛末であった。

 ちなみに移動の道中、流石に街中で天能武装を手に歩いていることで周囲の視線を集めたのだが。天能武装の形状が杖であることと、二人が東方第一の制服を着ていたためにそこまで大事とはならなかったのは幸いと言えよう。

 

 それを聞いた大人組のリアクションは、やはり対極であった。

 

「……そんな初歩的なことを堂々と言わないでください」

「うっはっはっはっ! やっぱアンタ、最高やわ! 綾ちん、この子めっちゃオモロイやんけ!!」

 

 紫藤の言うように、これは初歩も初歩、天能術を使う云々以前の段階の話である。

 よって、あからさまに深い溜息を零す紫藤の反応は正常であり――同時に、今にも涙を流しそうなほどに爆笑する小貫の反応も、正常とは言い難いが異常というほどではなかった。

 

「受け取ったっちゅーことは、新品か? ええな、手慣れたもんも悪くはないんやけど、新しいのは新しいのでまた心が躍るもんや!」

「本当に君は……取り敢えずはそのまま出しておいてください。後でなんとかしましょう。それでは夏美、お願いします」

 

 違った意味でテンションが上がる小貫と違い、呆れを隠そうともしない紫藤は、もうどうにでもなれとでも言いたげだ。

 

「了解や! ほんなら、こっちに来てやー」

 

 そんな投げやりともいえる紫藤に促され、夏美は播凰を連れ立って部屋の中央付近に移動する。

 

「よっし、そんじゃさらっと説明するでー。これから、ウチの天能術でアンタのことを調べる。アンタは、そこに突っ立っとるだけでええ。以上や!」

 

 小貫から告げられたのは、非常にさっぱりとした内容であった。

 

「ふむ、何もしなくてよいのか?」

「そうやなー、まあ強いて言うなら、ウチの術を天能力で抵抗(レジスト)せんことくらいやが……ま、学生レベルの抵抗でウチが止められるとは思えんけど、変に抵抗されたら必要以上に(・・・・・)探ってまう(・・・・・)かもなー」

 

 天能力で抵抗。

 また分からない言葉が出てきたが、播凰が口を開くよりも前に、その返答は別のところから発せられた。

 

「その心配は無用です。技術もそうですが、三狭間の少ない天能力では何もできないでしょう」

「うわ、綾ちんばっさりやなー。さては、さっきのことをまだ根に持っとるな?」

 

 チクリ、と皮肉を含んだそれは、小貫の言うように先程の呼び名で播凰に焦らされたことへの意趣返しもあるのだろう。否、今まで播凰に頭を悩まされていた紫藤のことだ。これまでのことも含め、事実とはいえ、一言二言程度には言いたくもなったのか。

 そんな紫藤の態度に、小貫はケラケラと笑っていたが。やがて、さてとその顔を引き締め、播凰に向き直った。

 

「ほな、いくで――」

 

 その手に現れたのは、十中八九、小貫の天能武装であろう。

 サイズとしてはかなり小振りで、形状は細長い。しかし、剣や斧といったような特徴的な見た目ではなく、大半の人は一瞬見ただけではそれが何なのかは判断がつかないに違いない。

 が、播凰がその物体をよく観察する前に。

 

「――探介(たんかい)三識(さんしき)領解(りょうげ)

 

 小貫の鋭い声が――天能術が発動される。

 呪文から天介属性の術だということは分かる。だが何をされたのかは、播凰には全く分からなかった。

 これが例えば、先日相対した矢尾の雷の檻の術のように。目に見えて何かが発生したのであれば、如何な高速であろうと、播凰がそれを見落とすことはない。

 

 しかし、可視化された何かが現れたわけではない。それは確信を持って言えた。

 

「…………」

 

 けれども実際、小貫は瞬きもせずに真剣な面持ちで播凰を見据えている。

 その視線は播凰に向いているようで、しかしそれ以外の何かを見ているのか。彼女はまるで時が止まったかのように微動だにしない。

 離れて見ている毅は勿論のこと、紫藤も無言で成り行きを見守っている。

 

 普段であれば、辛抱たまらず口が出そうな播凰であったが、自身の天能がかかっているというのが珍しく自制をもたらし。

 後で聞こうと心に決め、ひたすら立ったままその時を待つ。

 

「……こいつは、驚きや」

 

 ある意味、緊迫した静寂。それは小貫の、小さくもよく響く声によって終わりを迎える。

 言葉にした通り、彼女は驚愕に目を見開き。術の行使が終わったであろう今も、播凰にじっと視線を注いでいた。

 

「ふむ、よく分からぬが、どうだったのだ? 私の天能の性質は!?」

 

 待ち遠しい、といったように播凰がずいっと一歩踏み出し、勢い込んで口を開いた。

 少し離れていた紫藤が状況を見て取って近づき、一歩遅れておずおずと毅もやって来る。

 

「……ああ、分かったで、アンタの性質。せやけど、少し落ち着きいや。言うてウチも、予想外すぎてビビっとるっちゅーか、実感が湧いてないんやけどな」

「不明という時点で、ある程度の覚悟はしていましたが。貴女がそう言うほどですか、夏美」

 

 尋常ではない様子に、紫藤の顔もまた神妙な面持ちとなる。

 場に走る緊張。小貫は、ゆっくりと時間をかけて振り返り。

 

「せやで、綾ちん。少なくともウチは、現代において(・・・・・・)この性質を持った人間がいると聞いたことはない。無論、日本だけでなく世界も含めた話でな」

 

 紫藤が息を呑む。毅はその隣で、話の規模が大きすぎてついていけていないのか目を白黒させている。

 小貫は、再度くるりと播凰へと首を回し。

 

「話す前に。アンタ、気分が悪うなったなら座ってもええで。ウチのこれを受けた奴、特に感覚が鋭い奴ほどそうなりやすいんやわ。せやけど、一時的なモンだから安心しい」

「む、気分か? いや、特に変わりないが」

「んん? 少しもか?」

「うむ」

 

 そもそも何をされたかも分かっておらず、いつも通り。いや、むしろ早く性質を知りたいという気持ちが強く、期待と高揚に支配され絶好調ですらある。

 

「……アンタ、鈍いってよく言われんか? 色んな意味で」

「鈍い、か? いや、心当たりはないが」

 

 微妙そうな顔で問いかける小貫に、播凰は首を傾げて返答する。

 心当たりがあれば、それはもう鈍くはないのではなかろうか。

 言葉にした後でさして意味のない問いであることに気付いたのか、まあええわ、と小貫は頭を振ると。

 

「アンタの性質、それはな――」

 

 期待に目を輝かせる播凰、覚悟を決めたように目を細める紫藤、おどおどする毅を前に。

 チラリ、と修練室の扉の方に目をやり、四人以外に誰もいないことを確認しつつ、声のボリュームを落として告げるのだった。

 

「――()。アンタが持ってるのは、覇の性質(・・・・)や」



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15話 三狭間播凰の待望の一日(4)

 刹那の沈黙。

 最初に口を開いたのはやはりというべきか、当事者たる播凰であった。

 

「ふむ、覇の性質……」

 

 何日、何十日とも待たされ、ようやく判明したその性質。

 喜ぶべきことであるというのに、しかし播凰はそれをおくびにもそれを出さず。むしろ思案する様に口元に手を当て、告げられた内容を反芻する。

 

「――待ってください、夏美。……いえ、貴女の天能についてはよく知っていますし、普段の冗談はともかく、そのような嘘を軽々しく言わないであろうことも承知しています」

 

 次いで声を上げたのは、紫藤。

 紡がれる言葉は若干早口で、誰かへと向けたものというよりは、まるで自身に言い聞かせるかのよう。しかして微かに震えたその声色が、紛れもない彼女の動揺を示しており。

 言葉を区切り、一呼吸置いた紫藤は、念を押すように。

 

「その上で――それは、間違いではないのですね?」

「間違いあらへん」

 

 小貫の短い即答によってそれ以上問答は続かず、紫藤の唇がキュッと結ばれる。

 

「覇の性質……確か、昔に本で読んだことがあるような気がするっす」

「奇遇だな、毅よ。私もつい先日、図書室で読んだ書物に載っていたのを見た」

 

 思わず、といったように呟かれた毅の小声。

 本人も無意識であろう内に零れたそれは、注意せねば容易に聞き逃す程度にはか細いものであったが。

 耳聡くそれを拾った播凰は頷きながら、己の記憶を思い返すように目を瞑る。

 

 実は播凰、「覇」という性質が存在することを知っていた。

 ではどこで知ったかというと、言葉にした通り、本で。初めて学園の図書室を訪れた際に、たまたま遭遇した一年生総代――星像院(せいしょういん)麗火(れいか)に勧められた図鑑。そこに記載されていたのを見たのだ。

 だが、存在自体は知っていたものの。覇というのがどういう天能なのか、どういった術が存在するのか。それを知ることはできなかった。

 なぜなら、書物によれば――。

 

「覇の性質。旧くから存在したとされるっちゅー性質でありながら、実際にその詳細は殆ど現代に伝わっておらんとされとる」

「ええ。情報の不確かさ故、過去度々、その存在を疑問視されてきた性質の一つ。……ただし、その性質を保持していたのでは、とされる人物は記録上では確かに存在します。あまり多くはありませんが、古代の――それこそ神話や伝承に名を残すような傑物であったり。それ以外でも、戦乱の世でその名を大きく轟かせた偉人の数名、日本においては例えば戦国時代の高名な武将の幾人かもそうであったのではないかとされていますね」

 

 そう、小貫と紫藤が口々に述べたように、情報があまりにも無かったのだ。

 あったとはされている。しかしそれだけだ。どのような術があるのかは後世に伝わっていないと、たったそれだけが書には記されていたのだ。

 

「……数少ない記録によれば、覇の性質持ちが一人でもいれば、個で劣勢を覆すことも容易く。戦局をも左右する大きな力、でしたか。真偽は定かではありませんが、強力な性質である可能性は高いでしょう」

「ウチの、(たん)の性質も結構希少(レア)な部類やけど、流石に覇には敵わへん。言うなれば、伝説の性質、世紀の大発見っちゅーやつやな。こりゃ、えらいこっちゃやで。ウチなんか驚きのあまり、一周回ってむしろ頭が冷えたくらいやわ」

「私も似たようなものです」

 

 紫藤と小貫が難しい顔をして、揃って播凰に視線を送る。

 だが、それを受けて尚、播凰は思考の中にあった。

 

「……しかし、そうか。覇、か……」

 

 しみじみと、改めてその単語を口にする。

 一通り図鑑に目を通したものの、無論その全てを覚えられたわけではない。播凰が単純に頭を使うのが苦手というのもあるが、性質には実に数多くの種類が存在していたからだ。

 では、その中でどうして覇の性質が播凰の頭に残っていられたのか。

 

 自問するまでもない。かつての己の呼び名、それを想起させたからに他ならなかった。

 

「が、分からんかったことがある。アンタ――三狭間、やったか。こうして性質が判明したわけやけど、何の術が使えるか把握できとるか?」

「む? いや、それはむしろこちらが聞きたいことであったのだが。どういうことだろうか?」

 

 と、そんな播凰の思考を、眉根を寄せた小貫からの問いかけが中断させる。

 その意味が分からなかった播凰は、パチパチと目を瞬かせて問い返した。

 

「ウチの術で探れるのは、なにも性質だけやない。その気になれば、他にも色々と――いや、まあその話は今はええか。ともかく、普通ならその人が現時点(・・・)で何の術を使えるかまでキッチリ分かるはずなんや」

「おお、それは便利だな。して、私は――覇の性質の術というのは、何ができるのだろうか?」

「分からん」

 

 明らかに矛盾した発言に、ん? と播凰は首を傾げる。

 だが、小貫は至って真剣な顔であった。適当でも、ふざけているようでもない。

 とはいえ、そうとなっては困ったのは播凰の方だ。自然とその目が、大人組の片割れであり、自身よりも知識を持つ教師である、紫藤へと向かう。

 彼女は、何とも言えないような顔でその視線を受け止めると、短く息を吐いた。

 

「……基本的に、天能術というのはただ呪文を唱えれば発動する、というものではありません。当然ながら、その者の資質――要するに術者がその術を使えた上で、相応の天能力を消費することで初めて発動を可能とします。ここまではいいですね?」

「うむ、勉強したぞ」

「結構。では術者が、何を以て術を使えるとするか。それは、他ならぬ術者自身が知っています。……本能的に、とでも言えばいいのでしょうか。つまり本来は、術者――君が自分で行使可能な天能術を理解していないとおかしいのです」

「成る程。しかし、何の術が使えるのか私には分からないのだが?」

「ええ、ですから……恐らく、今の君に使える術はないのかと」

 

 教師という職業故か、或いは相対している生徒が播凰だからか。いや、両方だろう。

 紫藤は理解度を試すようにしながら、分かりやすく簡潔に、播凰の求める答えを口にする。

 

「その様子やと、ウチが分からんかったのも無理ないな。使えないわけやから、無いモンは無い。むしろ、分からんことが正解やったっちゅうこっちゃ」

「一応、性質が判明していても、行使可能な術が一切無いケースはあります。幼すぎる子供だったり、単純に能力的に不足している者だったり。前者は、身体と天能力共に未成熟であるために別段珍しいことではなく、後者は……まあ、そのままの意味ですが」

 

 愕然とする播凰。

 それはそうだ。折角、性質が判明したと思ったらこれなのだから。

 覇、という性質の正体に思うところは、正直あった。だが、それはそれ。天能術を使いたいという気持ちは揺らぐことなく、変わらず渇望していたというのに。

 ガクリ、と播凰が膝を突きそうになった、その時。

 

「せやったら、まあ――取り敢えず、ウチと軽く手合わせしてみんか?」

「……ぬ?」

 

 唐突な戦闘の提案。顔を上げた播凰が見たのは、ニッと破顔する小貫の顔で。

 話の繋がりなどあったものでなく、これにはさしもの播凰とて意表を突かれ、ぼけっとそれをただ見つめるばかり。

 

「…………」

 

 こういう時に真っ向から声を上げそうな紫藤は、しかし渋い顔こそしているが、意外にも無言。

 

「う、うむ。戦いを挑まれたなら、断る理由はないが……」

「ほっほー、言うやんか! それでこそ、男の子やで! 丁度修練室にいるわけやし、ええやろ、綾ちん?」

「……完全に賛同はしませんが、全くの無意味でないことも認めます。しかしですね――」

 

 小貫が同意を求めたことにより、不承不承と言ったように口を開く紫藤。

 だが、全てを言い切る前に。余計なことは言わせまいと。

 

「心配せんでも、大丈夫やって! ――ちゃあんと、手加減するから(・・・・・・・)!!」

 

 カラカラと余裕の笑みを見せ。手を振ってアピールをすると共に、小貫はそう言い放った。

 

「……ほう」

 

 播凰の声に、火が、戦意が宿る。

 先程までは予想外なタイミングでの想定外な提案であり、いかに好戦的な播凰であろうと困惑気味――それでも受けるには受けたが――にならざるをえなかったものの。

 

 ……まさか、正面切って手加減するなどと言われる日が来ようとは。

 

 怒りはない。むしろなんというか、初めての感覚で感慨深いものがあった。

 そうとなれば実に単純なもので、播凰の胸が期待と楽しみで膨らむ。それこそ、つい数瞬前まで萎んでいたことなどすっかり忘れてしまうほどに。

 意識せずとも口角は吊り上がり、わくわくとした笑みを形作る。

 そんな播凰の様子に気付いたのか。

 

「なんや、随分ええ顔するやないの。ま、表立って手加減言われたわけやから、気持ちは分からんでもないわな。……けどな、それは堪忍や。ウチかて職業柄、天能の関わる大きな事件やら犯罪者やらを日々相手にする身でな? 言い出しといてあれやが、学生相手なら手加減の一つもせんと、まともな戦いにならんのやわ」

 

 面白がるように、小貫は飄々とした様子でそれを受け止め。

 

「それにな、如何にヤバイ性質持ちやろうと、術が使えなければ意味がないってもんや。――ウチが少し、ほんの少ぉーし小さいからって……舐めたらアカンでぇ?」

 

 朗らかな表情ながらも、ドスの利いた声で圧をかけるように播凰を見据える。

 身長については、別に誰も言及したりしてはいないわけだが、自分で言うからにはかなり気にしているのだろう。

 それはともかく返答代わりにと、笑みを深くすることで播凰は応えた。

 

「……いいでしょう。審判というわけではありませんが、万一の場合は私が止めます。お互い、大怪我には気を付けるように。晩石、ぼーっとしていないで、少し下がりますよ」

「は、はいっす!」

 

 仕方ない、といったように注意だけ呼びかけた紫藤が、話の流れについていけず半ば空気と化していた毅に声をかけ、両者から距離を取ろうとする。

 が、その直前に小貫の方へと振り返り。

 

「それと、夏美。……学生相手とはいえ、あまり甘く見ないように。或いは、足を掬われるかもしれません」

「へえ、綾ちんがそこまで言うんか。そりゃあ、楽しみやわぁ」

 

 言い淀む、というより言うか言わまいか悩むような仕草をしたが、最終的に警告を発した紫藤。

 対して小貫は軽いノリで返し、好奇の視線で播凰を見る。

 さあ、そこでバチバチと二人の視線がぶつかる――かに思えたが。ここで何故か播凰、紫藤へと顔を向けていた。

 

「……何でしょうか、三狭間」

「紫藤先生、私には何かないのか?」

「……くれぐれも、無茶はしないように」

「了解だ!」

 

 それに気付いてしまったのが運の尽き。

 ジト目となる教師(紫藤)に、気付いているのかいないのか元気よく返事する生徒(播凰)

 旧友のそんな姿を、小貫は肩を震わせて見守っていた。

 

「ププッ! ……よっしゃ! ほな、()ろか!」

 

 ようやく、とでも言えばいいのか。播凰と小貫の両者が、それぞれ向き合う。

 小貫の天能の性質である、(たん)。授業で見たことがないので、少なくとも播凰の所属クラスにはその性質の保持者はいない。本人が言っていたように希少な性質らしいので、もしかすると学園全体を見てもいない可能性はあるだろう。

 術は、先程受けた――といっても播凰がよく分からぬまま終わったが――のが一つ、後は不明。

 響きから、探ることに特化、というよりそのものなのだろうが、果たしてどんな戦いとなるのか。

 胸を躍らせながら、播凰は構える。

 

「先手は譲る、いつでも好きに来てええで。けど、その前に」

 

 小貫は自然体で立ったまま、ニヤリとして告げた。

 

「新しい術っちゅーのは、何をきっかけに使えるようになるか分からへんもんや。せやから、まずは己の性質を――覇を意識して(・・・・・・)戦ってみぃ」



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16話 三狭間播凰の待望の一日(5)

()を意識……?」

 

 小貫の言葉に、しかし播凰は頭を捻るしかない。

 何故なら、抽象的だからだ。これが例えば火や水など、実体があり、見たこともあり。具体的に脳裏にイメージできるものであれば、まだ多少なりとも意識できようものであったが。

 

 しかし、覇である。

 実体を伴い、目に見えるかとなれば首を傾げざるを得ない。その一字としてならばともかく、覇そのものとなれば到底、意識しろと言われてできるものではない。

 そも、覇とはなんであるか。少なくとも今の播凰にその答えは無かった。

 

 だが、分からないものは分からず。いつまでも考えていても仕方ない。

 それに今は戦いである。

 小難しいことを考えながら動くのはらしくない、と播凰は頭を軽く振り、小貫に挑みかかった。

 

「……ゆくぞっ!」

 

 今に始まったことではないが、天能術を使えない以上、播凰には接近戦しか選択肢が無い。

 それ故に床を蹴り、一息に小貫へと小細工なしに真正面から接近し、杖を振り上げる。

 

 ――ガキィンッ!!

 

 火花が散り、甲高い衝突音が室内に響き渡った。

 

「んんっ!?」

 

 一拍遅れ、力の籠った小貫の声が続く。

 彼女の手に握られているのは、独特の形状をした天能武装だった。小刀のようではあるが、それとはまた明確に異なる。持ち手である柄を中心として、その左右両端から槍状の刃が突き出た形は、まるで二振りの小刀が一つに合わさったよう。

 

 ――独鈷杵(どっこしょ)

 金剛杵(こんごうしょ)の一つにして、仏具の一種。小貫の天能武装は、そう呼ばれる類のものであり。

 その片方の刃が、播凰の杖を受け止めていた。

 

「……こりゃあ、あんま余裕ぶちかましてる場合とちゃうかもなぁっ!」

 

 ギリギリと、今のところ互いの天能武装は拮抗している。しかし両者の差は歴然。涼しい顔で余裕のある播凰に対し、小貫は歯を食いしばるほどに力を籠めているのが分かる。

 一応彼女を擁護するのであれば。両手持ちでリーチのある杖を振るう播凰とは違い、片手持ち。体格的にも播凰の方が勝っているため、単純な力比べでは分が悪いという点があるにはある。

 

 とはいえ表情の通り、播凰は全力で杖を振るったわけではなかった。

 なにせ、受け取ったばかりの新品だ。部類としては杖も近接武器ではあるため本来の用途から逸脱しているというわけでもないが、初日から壊してしまっては元も子もない。

 そうでなくとも、大抵の物は己の全力に耐えられないであろうことを、播凰は身を以て知っていたのだ。そしてそれは、物ばかりでなく――生物、即ち人間も含まれる。

 

 ギィン、となんとか播凰の杖を受け流すようにした小貫は、大きく飛び退って距離を取り。

 

「……いやー、焦った焦った。天能術も無しに、生身の、それも普通の学生が出していいパワーとスピードちゃうで」

 

 額を拭うような仕草をした後、おどけたように独り言ちる。

 

「うむ、さほど違和感はないな」

 

 対して播凰は、己の手中にある天能武装を見ていた。

 受け取ったその場で軽く振るいはしたものの、打ち合うとなるとまた話は別。

 けれど感触はまずまずで、一先ず武器としては扱いに苦労するということはなさそうであった。

 

「アカン、ちぃっと甘く見とったわ。単純な力比べだと、素のウチ(・・・・)じゃかなり分が悪そうや」

「ふむ。ならば、どうする?」

 

 たはは、と頭を掻く小貫に、播凰が悠然と問いかける。

 それを受けて、彼女は右手の天能武装を構えなおすと。

 

「そやなぁ。ほんなら、次はこっちから攻めさせてもらおかっ!」

 

 待ちの姿勢から一転、今度は小貫が播凰に向かってくる。

 体勢を低くして――元々小柄なのはさておき――最短で一直線に。

 余計な行動をしていない分、数秒とかかることなくあっさりと彼我の距離は詰められた。

 下から上へと浮き上がるように小貫が上体を起こし、視界の外側から白刃が播凰へと迫りくる。

 

 先程とは逆の立ち位置。

 切り上げられた刃を播凰の杖が受け止め、乾いた金属音が鳴る。

 が、最初の交差よりもその音は非常に軽いものであった。

 

 初撃が受け止められたのを見るや否や、小貫はそれ以上押し込まずに。間もなく、残ったもう片方の刃が突き出され、播凰を襲う。

 

 殊、連撃に関しては、小貫の持つ独鈷杵というのは通常の刀よりも形状的に優れている。

 なにせただの刀であれば、連続して攻撃を行うには、一度振った刃を引き戻して再度繰り出さなければならない。つまり二手を放つ際には確実に、そのアクション(引き戻し)を行うためだけの時間が生じる。

 だが独鈷杵の場合は違う。両端にある刃はそれぞれ独立したものであり、片方が一時的に死んだとしても、もう片方は活きている。わざわざ防がれた方を利用せずとも、手首の使い方次第では引き戻すことなく残りの刃から攻撃ができるわけだ。

 

「そらそらそらぁっ!!」

 

 そしてそれは単なる二撃に留まらず、三撃、四撃とやりようによっては一方的に繋げることも可能。

 短い刀身も合わさり、小回りが利き機動力に長けている反面、重さや威力は幾分か落ちるものの。その手数や速さは充分な脅威となる。

 

 キン、キン、キィン! と連続して響く音。

 それは小貫が間を置くことなく攻め立てたことの証左であり。同時に、播凰が猛攻と評すべき剣閃を捌ききったという意味でもあった。

 

 その最中、一瞬だけ両者の顔――視線が交わる。

 打ち合っているというのに、互いに口元は緩み。戦闘狂の気がある播凰は勿論、防がれた側であるはずの小貫も、声こそ出ていないものの楽しむように笑っていた。

 

 とはいえ、このままでは千日手。素早い攻撃とはいえ、今の単調なリズムでは播凰の守りを崩せないと薄々感じ取ったのだろう。

 二つの刀身を操っていた小貫のその手が、一瞬止まった。

 攻めあぐねた故の、無意識さが招いた行動か。ともかく、それは守勢に回っていた播凰からすれば攻撃に転じるチャンスであり。

 

「はっ!」

 

 それを見逃さなかった播凰は、杖を横薙ぎに振るった。

 

 が、しかし。或いは、それは攻撃の誘発であったのだろう。

 

 ――ダンッ!

 

 剣戟の交差の終わりは、しかし束の間の静寂の訪れではなく。

 響くは、打って変わって全く別種の重苦しい音。

 瞬間、播凰の眼前から小貫の姿が消え、杖は手応えなく空を切る。

 

 当然、のろのろと視界から外れていったというわけではない。

 播凰からの一撃を避け、下手な瞬き一つの間には消失している程度の動き。つまり速いか遅いかで言えば、速く。

 加え、攻撃を仕掛けた上に空振ったという大きな隙も相俟って、人によっては容易くその姿を見失っただろう。

 

 しかし播凰は慌てずに、すっと視線を頭上を移した。

 彼には見えていたのだ。小貫が、踏み抜かんばかりの勢いで床を力強く蹴ったのを。そして――。

 

「あっちゃあ、これも通らんか?」

 

 その身が、空中から躍りかかってくることを。

 落下する勢いのまま繰り出されるは、踵落とし。その身を宙に置きながらも播凰と視線が合った彼女は、当然のように動きについてこられたことを悟り、気の抜けるような声を上げる。

 だが、そんな軽い声とは裏腹に、その一撃は決して軽くなく。

 まともに喰らえば地面に叩きつけられそうなそれを、播凰は天能武装を手にしていない方の腕を持ち上げ、防御の構えに入った。

 

「固っ!? ……いやいや、どんな体してんねんっ!」

 

 小貫が驚き、思わず突っ込みを入れるのも無理はない。

 彼女からしてみれば、蹴りを通して伝わったのは、まるで人体を相手にしているとは思えない感触だったからだ。これが、天能術を用いて身体を強化しているのならまだ分かる。しかし、相手が術を使っていない――正確に言えば使えない――のは純然たる事実。

 無論、鍛えに鍛えた熟練の実力者クラスであれば、生身であっても人間離れしている肉体強度は不思議ではない。実際、そういう類の人間を彼女は知っていた。

 けれども、相手は男ではあるが自身よりも年若い学生。全力でこそないとはいえ、小貫も日夜鍛錬を行っている身であり。

 

「ふんっ!」

 

 しかし、播凰は当たり前のようにそれを受け止めた。

 それも、揺らぐ、揺らがないどころの話ではない。

 強烈な踵落としを受けたというのに、僅かとも体勢を崩すことなく。むしろただの腕の一本で受け止め、振り払うことで小貫の身体を弾き飛ばしたのだ。

 

 だが小貫もただやられたわけではなく、空中でその身をくるりと一回転させ、軽やかな身のこなしで危なげなく足先から着地する。

 

 

「――す、凄いっす。あの播凰さん相手に……」

 

 そんな両者の一連の様子を離れて見ていた毅が、ポツリと零した。

 毅からすれば、だ。

 天能術こそ使えないものの――いや、使えないのに同学年とはいえ成績上位の矢尾を圧倒し、その上ドラゴンをも圧倒し。言葉通りの化け物じみた播凰の力を目の当たりにしているため、彼とやり合えている小貫は先程の一件もあって毅の中では畏怖せざるをえない相手となっていた。

 戦う二人は未だどちらも余力を残している状況なのだが、毅は既になんとか目で追うのがやっと。

 

「……何を言っているのですか、晩石。逆です、加減しているとはいえ、夏美の動きについていける三狭間がおかしいのです」

 

 そんな毅の呟きに、同じく傍らに立っていた紫藤が反応した。

 えっ、と毅が振り返れば、彼女は戦う二人の方を見たまま、難しい顔をしている。

 ただでさえ怜悧で怖い印象のある紫藤のそんな表情に、毅はゴクリと喉を鳴らし。

 

「え、えっと、あの方――小貫さんはそんなに強い方なんですか? ……あ、もっ、勿論、卒業生というのは聞いたっすから、凄いのは分かってるんすけど……」

 

 恐る恐る、言葉を選んでその横顔に問いかける。

 直視でもされていたら分かったものではなかったが、未だ紫藤の視線、意識は小貫と播凰に向けられており。だからこそ、及び腰ながらも毅はその問いを絞り出すことができた。

 すると紫藤は、即答せずに少し考えるような素振りを見せはしたが。

 

「……本人が先程少し口にしていましたが。夏美は、天能術の関わる事件の犯人、並びに犯罪組織を相手とする立場。荒事には慣れており、戦闘スキルは高い。変に隠す必要もないので言ってしまいますが――」

 

 一呼吸を置いて紡がれた言葉は、毅に多大なる驚きと、同時に納得をもたらすのに充分であった。

 

「――彼女、小貫夏美は天対(てんたい)の人間です」

「天、対……ええっ!? あの天対のっ!?」

 

 ――正式には、天能術を用いた重犯罪対応特殊部隊。通称、天対。

 

 通常、犯罪は犯罪でも、天能術の関わらないものだったり、天能術の関与が疑われてもさして大事には発展しない――即ち軽犯罪にあたる――と判断された類の事件は、警察の管轄となる。

 しかし、天能術という存在により、警察をして立ち入れない領域にある事件が起こることは、日常的でこそないが極めて珍しいというわけではない。

 下級の術一つをとって、普通の人間からすれば尋常な力ではないのが天能術。加え、その種類も様々。仮にその実力者が騒ぎを起こした場合、ただの武装した警官が何人集まったところで――無論、両サイドの程度にもよるが――鎮圧は困難、乃至は不可能なのが現実。

 

 一応言っておくと、警察の人間にも天能術が使用できる者はいるだろう。が、それはあくまで使えるだけという話。天能術に長けた犯罪者を相手とするには心もとない。

 故に、警察では対応できず、その領域に特化した組織こそ、天対。

 言うまでもなく、天能術を扱うエキスパート達。東方第一を含む、名門と呼ばれる学園の卒業生とて、易々と所属できる場所ではないとされている。

 

「そこで無反応でない程度には、君が物を知っていて安心しました。三狭間であれば――いえ、これ以上は止めておきましょう」

 

 口にしてありありとその情景が脳裏に浮かんだのか、紫藤は嘆息して言葉を打ち切る。

 と、ここまで前を向いていた紫藤が、急に毅を振り返った。

 

「それはともかく、ええ、丁度いい機会です。晩石、君とは一度直接話す必要があると考えていました」

 

 必然、彼女の横顔を見ていた毅は目が合う形となり、身を硬くする。

 二人のぶつかりを見て暫くは目を離しても大丈夫と判断したのか、はたまたこれ以上現実として認識したくなくなったのか。

 どちらにせよ、黒い瞳から感情を読み取る余裕など毅には無い。

 

「あちらはあちらで問題――今日のこともあって、更なる大問題を抱えることとなりましたが。それとは別の意味で、君にも問題があると言わざるを得ません」

「……っ」

「君自身も理解、そうでなくとも薄々気付いていることとは思いますが。成績下位者のH組の中でも君は劣っています」

 

 直球な言い回しに、息を呑む。

 元より、変に嘘をつく人物ではない。淡々と、紫藤は教師として、事実を彼に突き付ける。

 

「彼女に――夏美に、何と言われたか君は覚えていますか?」

 

 ――ホンマに東方第一の生徒なんよな?

 

 忘れるわけもない。東方第一を制服を着ているのにも関わらず、そう投げかけられた。

 万に一つとして、彼女が制服を知らないのであればそれも通らなくはないが。だが、小貫は卒業生だ。男女でデザインが大きく異なるわけでもない。自分が通っていた学園の制服を忘れるなんてことはないだろう。

 

「良くも悪くも、夏美は歯に衣着せない物言いをします。もっとも、彼女はあれ以上強くは言いませんでしたが……はっきり言ってしまうと、それが実力ある外部の人間から見た君の評価です。いえ、内部の人間でも見ただけで分かる人には分かりますし、それは君と同じ立場であるはずの他生徒、特に上級生や上位クラスの生徒も例外ではありません」

 

 ――弱すぎるな、お前。中等部の方がまだましなんじゃねぇか?

 

 それも心当たりはあった。矢尾から言われた言葉。

 その後に謝罪は受けたものの、天能術に関しては変わらず駄目だしをされた。

 

「率直に言ってしまいましょう。君は本来、本学園に入学できるだけの実力はなかった。いえ、今も有していないと言った方がいいでしょう」

「……っ!」

 

 突き放すような言葉に、歯噛みする。

 言われるまでもなく、分かっていた。痛感していた。

 播凰と仲違い――否、彼を避けたのだってそれが原因でもあった。ドラゴン騒ぎがあり、色々と有耶無耶になったが、その事実はまだ変わりないのだ。

 

「ですから、君には――」

 

 直接話す必要がある、と先程紫藤は言った。そして、この話の方向性。

 薄ら寒い、嫌な予感が毅の心を震わせる。

 

 ――退学。

 その二字が、脳裏を過り。

 

「――今後は三狭間と共に、放課後は私の補習、というより指導を受けてもらいます」

「……へ?」

 

 だからこそ、思わぬ提案に相手があの紫藤であるということも忘れ、ポカンと間抜け面を晒した。

 そんな毅に、紫藤は眉根を寄せつつ眼鏡をクイ、と持ち上げる。

 

「へ、ではありません。不服ですか?」

「い、いえ、滅相もないっす! よ、よろしくお願いしまっす!」

 

 ピシッ、と姿勢を正し両腕を下に真っすぐ伸ばした毅は、声を張り上げる。

 そんな毅に、紫藤は一つ頷くと。

 

「思うところがないわけではありませんが、しかし学園長は君達の――君の(・・)資質を認めました。であれば、努々それを裏切らないよう、頑張りなさい」

 

 最後にそう結んで、彼女はその視線を部屋中央の播凰達に戻す。

 それは普段の冷静な声色でありながらも、どこか温かみのある声に毅は感じた。



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17話 三狭間播凰の待望の一日(終)

「やるやんか、三狭間。まさかここまでとは思いもせんかったわ」

「ふふん、そうだろう。どうだ、手加減を無しにしても構わぬぞ?」

 

 予め決めていたわけではないが、偶然にも両者一度ずつとなった攻防が終わり。戦いが終わったという意識こそ互いになかったものの、二人は一定の距離を保ちながら会話に興じていた。

 小貫がかけたのは純粋な賞賛。対して、挑戦的な言葉と共に胸を張る播凰。

 それを受けた小貫は苦笑して。

 

「せやなぁ……アンタが術の一つでも使えるようになったら、そん時は考えてもええで。あくまでこの手合わせは、覇の術が発現するかどうかの軽いお試しみたいなもん。発現しなくて元々、すれば御の字っちゅーところやったし」

 

 チラリ、と紫藤と毅の方を――正確には紫藤を見やる。

 

「ま、後のことは本職(教師)の綾ちんに任せるとして。その真似事やないけど、期待の超大型新人のアンタへ、ウチから伝えるのは最後に一つ。そのために、今からウチは術を使うわけやが……ズルいとは言わへんな?」

「うむ、私ができない以上は仕方がない、存分に使うといい! お主の天能術、私にもっと見せてくれ!」

「お、おおっ、そうか? 三狭間、やっぱアンタはノリがええなぁ!!」

 

 小貫の宣言に、不満は呑み込みつつ当然のように賛同する播凰。

 気にしないというのは流石に無理であったが、自身が使えないものは割り切るしかない。代わりに、どんな術が行使されるのかという期待感もある。

 流石にその反応は少し気恥ずかしかったのか、小貫はポリポリと頬を掻きはしたが。それを誤魔化すように咳払いをし、表情は柔らかいままながら彼女の瞳に真剣さが宿る。

 

「覇を意識する。ウチはさっきアンタにそう言ったけども、具体的にどうすればいいかはパッと分からんかったんやないか? ……ウチも、最初はそうやった。『覇』ほど激レアやないけど、『探』の性質も割とレアでな。少なくともウチは、性質が判明した時はすんなり(・・・・)受け入れ(・・・・)られなかった(・・・・・・)し、身近に同じ性質を持つ人間もおらんかった」

「…………」

「細かいことは色々と端折るけどな、つまりウチは――文字通り、探とは何かを探らなあかんかった」

「ふむ」

 

 朗々とした語りに、余計な質問も茶々も挟まずただ播凰は相槌を打って聞き入るのみ。

 

「性質こそ違えど、スタート地点は本来皆一緒なんや。己にとって、その性質とは何か。まずはそれを理解しようとすることから始めなアカン」

 

 もっともアンタみたいに術が全く未発現てのも珍しいけどな、と小貫は少しおどけたようにした後、更に言葉を続ける。

 

「とはいえ、アンタの周り――学生レベルなら、それを意識してる奴の方が少ないかもしれへん。なんなら、そんなこと全く頭にない奴も普通にいるやろうし。よくある性質なら(・・・・・・・・)、最初の内は色々考えんでもそれで通用するんやが……ま、そこは気になるなら綾ちんに教えてもらい」

 

 と、そこまで言うと。小貫は深く、そして長く息を吐き出し。

 

「なにより、ウチもまだ完全には理解しきってない。探とは何か、ウチにとってそれは何なのか。……けど、ウチはウチなりにその命題に向き合い、答えを出しとる。その一つが、これや」

 

 すっと両の眼を閉じて、天能武装を持ったまま彼女は静かに両手を組み合わせる。

 一見すれば、無防備な姿。だが、彼女の漂わせる空気が、迂闊な踏み込みを許そうとせず。

 

「――探溜(たんりゅう)眼識(がんしき)照覧(しょうらん)

 

 紡がれた呪文は、天溜属性。

 術者自身に対して様々な効果を与える系統にして、播凰が初めて対面する属性の術。

 一拍の間を置き、小貫の双眸が開かれる。

 半眼であり、その瞳の奥に湛えるは不思議な光。

 

 播凰が感じられたのは、その程度だった。

 見られている感覚はあるが、さりとて極端な変化が小貫に起きたとは感じない。

 

「……っ!」

 

 だが、同じくそれを眺めていた毅は気付く。

 小貫の顔、特に目を中心に、彼からすれば膨大な天能力が集まっていることを。

 播凰のような鈍感――天能力の感じが鈍い人間では気付けない。もっとも、播凰の場合は天能力がどういうものなのかすら未だに理解していないのもあるのだが。

 

「ほな、行くで」

 

 短くそれだけ言うと、小貫は動き出す。

 といっても、その時点では先程と変わらない。速度が大幅に上昇したとかでもなく、普通に正面から突っ込んでくる。

 

 小回りが利くもののかなりの接近が必要な小貫とは違い、天能武装のリーチの面では播凰の方が勝っている。

 それゆえ今度は受けに回るのではなく、懐に入られてその刃が繰り出される前に、杖を突き出したのだが。

 

「ほぅ」

 

 ギリギリで避けられた。いや、正確に言うなら、余裕を持って紙一重(・・・・・・・・・)で避けられた。

 播凰の攻撃の直前。杖による突きが放たれる正しく寸前に、彼女は半歩だけその身を横にずらしたのである。

 

 突きを躱して左側面に回り込んできた小貫が、そのまま播凰の無防備な脇腹へと腕を伸ばす。

 しかし彼女の動き自体は見失っていなかった播凰は、バックステップでそれから逃れつつ。蹴りで迎え撃とうと身体の向きを入れ替え、右足を振りぬこうとして。

 

「ぬっ?」

 

 その初動、勢いがつく前に、右太腿に手が置かれる。まるで蹴りが放たれるのを阻止するかのように、播凰の足を小貫の手が上から押さえつけていた。

 が、如何に初動を封じられようと、両者のパワーの格付けは済んでいる。故に、それで止められるほど柔ではなく、小貫の行動はせいぜい出だしを僅かに遅らせたにすぎない。

 もっとも、彼女にとってはその僅かで充分だった。播凰の右足は強引に振りぬかれたものの、しかし既にそこには誰の姿もなく。

 

「――ウチの術がどういうもんか分かったか?」

 

 背後から、問いかけ。背中に感じるは掌の感覚。

 播凰の後ろに回り込み、その背に片手を添えているのは、他でもない小貫その人であった。

 

「ふむ。……どうにも私の行動を見てからではなく、見る前から動き出していたように思う。……俄かには信じ難いが、つまり私が何をしようとしていたのかを知っていたのではないか?」

「正解や。正確には視た、やけどな」

 

 杖での攻撃、足での迎撃。双方があっさり無効化された時のことを思い出し、播凰はその結論を導き出す。

 振り向かぬまま視線を合わさずに答えれば、返って来たのは肯定。

 

「……にしても、綾ちんが言うだけあるわ。たったの数回でウチの術の効果を見抜いたのもそうやし、何より妙に戦い慣れとる。ああ、身体能力も少しオカシイな」

 

 戦いが始まる前の紫藤の言葉を思い出したのか、小貫はフッと鼻を鳴らすと。

 

「最初見た時からただの生徒やない気はしとったけど……いやまあ、覇の性質を持つ奴が普通なわけあらへんか」

 

 何を思ったのか、跳び上がって播凰の背に乗り。

 その両肩に手をかけて耳元に口を寄せ、まるで播凰にだけ聞こえるように、聞かせるように。

 

「なァ――三海の覇王様(・・・・・・)?」

 

 彼女は、そう囁いた。

 妖しく耳朶を打った単語に思わず瞠目し。反射的に顔を振り返った播凰の目に、思わせぶりな笑みを浮かべた小貫の顔が映る。

 既に半眼でなく、肩越しにこちらを見るその瞳の奥には意味深な光。

 

 ……っ。

 

 何故、と問うべきであったのだろう。

 それは本来、この世界の住人が知り得ないはずの――知っているわけのない言葉であり。だのに、彼女はそれを口にしたのだから。見も知らぬ誰かではなく、他でもない三狭間播凰へ向けて明確に。

 ここでその異名を認識しているのは、自身と最強荘の管理人だけ。少なくとも、播凰の認識の範囲では。

 

「…………」

 

 けれども、言及して然るべきなのに、しかし播凰はすぐに口に出来なかった。それほどの衝撃を以て、彼に沈黙を強いたのだ。

 その反応を、小貫はどう捉えたのか。

 

「いやー、驚かせてスマンなぁ。ほれ、さっき性質を調べる時に言うたやろ? 変に抵抗されたら必要以上に探ってまうかもって。最初、使える術が分からんかったから抵抗されとるて勘違いしてな。ちょいと深くまで探っちまったんや」

 

 彼女は、パッと播凰の背中から離れると。

 ゴメンなあと謝りを入れつつ、顔の前で両手を合わせて少し頭を下げる。だが、次の瞬間には顔を上げて、ニヒヒッと歯を見せるように笑うと。

 

「けどな、ウチが拾った(・・・)んはそれだけ。それ以外は何にも知らんから、心配せんでもええ。……なあに、カッコエエやんか。分かる、分かるでぇ。あだ名や二つ名に憧れて、自分で色々考えるのも、若い内の特権や!」

 

 言うだけ言ってヒラヒラと手を振り、無言で佇む播凰をその場に残して紫藤達のいる方へと歩いていく。

 どうやら手合わせも、そして伝えたいこととやらも、これで終わりのようだった。

 

「――私が止めに入るような事態にならず、なによりです。……とはいえ夏美、あの術を使う必要性があったのかは少々疑問が残りますが」

「なっはっは、むしろ礼を言ってくれてもいいんやで、綾ちん。どういう術が発現するか予想がつかん以上、こういう術もあることを知っといて損は無い。しかも、それがあの『覇』の性質なら尚更や!」

 

 苦言、までとはいかずとも相変わらずの堅い顔でそれを迎えた紫藤を前に。

 鼻高々と一蹴し、自論を展開する小貫。

 

 紫藤は嘆息をしつつ、けれども一応の理は認めていたのか。

 

「まあいいでしょう。……しかし術を使った貴女に三狭間が対応できなかったことは逆に安心しました。最初、当たり前のように反応していた時にはどうなることかと思いましたが」

 

 それ以上詰問はせず、矛を収める。

 毅にも告げたことだが、天能術無しの状態とはいえ小貫と普通にやり合い始めた播凰の姿に、紫藤は眩暈を覚えたものだ。元々おかしいのを重々承知した上で、である。

 けれど、小貫が天能術を使ってからは播凰は押され、最終的に背後を取られるという致命的な隙すら晒した。

 とはいえ、片や東方第一の卒業生にして現場の第一線で活躍する実力者(夏美)、片や高等部の新入生にして術すら使えない新人(播凰)。一般論からすれば当然であるはずのその光景に、しかし内心ホッとしてしまったのも事実。

 

「そら、そうやろ。流石に、術を使った上で学生相手にいい勝負とあっちゃ、ウチは天対の看板を下ろさなアカンわ」

 

 そんな紫藤の戦評に、一旦は能天気に笑った小貫であったが。

 

「――対応できなかった、か。……そいつはどうやろうな」

 

 しかしボソリと呟くと、未だ動かない播凰へと流し目を向ける。

 誰にも聞こえぬ程に声量を落としたそれは、紫藤の耳には入らなかった。

 

 ……うむ、考えても仕方ないか。

 

 動揺はあったものの、よくよく考えればその異名(三海の覇王)を知られたところで何か不都合が生じるとも思えなかった播凰は、一先ず小貫の言い分を信じることとした。それに彼女の中では、あくまで播凰が考えたあだ名か何かで自称する程度の認識らしい。であればそれ以上ではないのだろう。

 そんなわけで、問題も無いだろうと判断した播凰であったが。

 

「まあともかく、性質もそうやが前途有望っちゅうのは間違いない。どうや三狭間、実はウチは天対に所属していてな。スカウトとは違うけども、よかったら将来、天対に来んか?」

「む?」

 

 遅れて彼らに近づいたはいいものの、唐突にそんな言葉を小貫に投げかけられてきょとんとする。

 

「もしもその気があるんなら、その時はウチが推薦人に名乗りを上げても構わんで。ここの卒業時か、それとももう一つ先に進んだ後でなのか――勿論、時期が来て実力を見させてもらった上でやけどな」

「ふむ、よく分からぬが……しかし、将来か」

「もうやりたいことは決めとるんか?」

「いや、全く浮かばぬ。そもそもその、天対というのは何だ?」

 

 将来。

 つい数日前に考えさせられ、今朝にも管理人と話した、夢とはまた違うが。それでも、似た言葉。

 答えはなく、正直に告げ。ついでに耳にしたことのない単語を逆に質問すれば。

 

「嘘やろっ!? 天対を知らんのかっ!?」

 

 愕然と、小貫が口をあんぐりと開き。

 

「……はぁ」

 

 嫌な予感が現実となったことに、紫藤は額に手を当て。

 

「は、播凰さん。天対というのは、天能術を以て国の治安を維持することを目的とした組織でして。簡単に言うと、凄い人達の集まりなんす」

 

 唯一、播凰がこの世界に疎い事情(異世界から来たこと)を知っている毅が、フォローを入れる。

 

「ほぅ、凄い者達。是非とも見てみたいものだ。それほど有名なのか?」

「そうっすね、俺がまだ田舎にいた時でも存在は知ってましたし、知らない人はそうそういないんじゃないかと。……あ、俺の場合は、天対の人に会ったことがあるってのも大きいんすけども」

 

 すると、毅の説明に播凰が喰いついた。凄いと聞き、好奇心を刺激されたようだ。

 

「……いや、だからウチがその天対の一員やっての。まあ、ウチの場合は天能の性質上、潜入や調査が得意なもんで、ガチガチの戦闘っちゅうよりはそっち系がメインなんやけど」

 

 その間に驚きから復帰した小貫が、ツッコミを入れつつ自分の存在を主張する。

 だが、彼女も彼女で多少毅の言葉に興味を持ったようで。

 

「んで自分、天対の人間に会った言うたな? 何処で誰に会ったんや?」

「え、えっと、俺の住んでた村に来たことがあったんす。名前は――その、名無しのおじさんって呼べと言われてたので、そのまま」

「ほーん。まあ任務中とかなら、偽名や名前を隠すってのはそこまでおかしな話やないけどな」

 

 小貫に対してはまだ苦手意識があるのか、緊張しつつもなんとか毅が返答すれば。

 彼女はそれで納得したのか、追及をすることはなくすぐに興味を失ったらしく。

 

「ま、そういうわけだから選択肢の一つでも考えといてや。……さて、と。ほんなら、ウチもウチでこっちの(・・・・)本題に入らせてもらおか」

 

 何やら改まって、三人の顔を順々に伺った

 播凰と毅は思わず顔を見合わせ、紫藤がその内心を代弁する。

 

「本題、ですか? 私はてっきり、三狭間の性質を調べるために貴女が来てくれたのだとばかり思っていましたが」

「せやな。綾ちんの手紙を見てウチがこっちに――東方第一に来たのは間違いやない。確かにそれも目的の一つやった。けど、ウチとしてはそれが本題でここに来たわけやないんや」

 

 そう言うと、懐から携帯端末を取り出し。

 画面を少し操作した後、一同に見えるように突き出した。

 

「っちゅーわけで、三人共。この動画について、何か知ってることはあらへんか?」

 

 そこに流れ始めた映像は――例のドラゴン騒ぎ。

 それを中継したVTuber、大魔王ディルニーンの配信の切り抜きであった。



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18話 三狭間播凰の素晴らしき思いつき

「「…………」」

 

 毅は勿論、そして意外も以外、播凰すらも思わず押し黙る。

 

「これは……何ですか?」

 

 唯一人、紫藤だけが見慣れないものを見るかのように、率直に聞き返した。

 

「これはな、いわゆる動画配信者――その中でもVTuberって呼ばれるジャンルの動画や」

「ぶいちゅーばー、ですか。それで、この動画が何か? 竜に迫力があることは認めますが、ただの造り物の映像でしょう?」

「いんや――早い話、ウチら天対は、この映像を要調査の案件と判断したんや」

 

 真剣実のある小貫の物言いに冗談ではないと悟ったのか、紫藤ははっきりと眉根を寄せ。

 再度、端末に流れる映像に視線を落とす。

 

「っちゅーか、むしろ綾ちんは見たことないんか。言っとくけど、めちゃめちゃこれバズって再生数も偉い勢いで……ああいや、綾ちんはそういうのに疎いもんなぁ」

「余計なお世話です。……そして、これを何故私達に? というより、先程の口振りからして本題というのもここが目的のようでしたが」

「この映像――特に、竜と戦ってる奴の方を見てみ。綾ちんなら、すぐ分かると思うんやけどな」

「人の方、ですか。確かに、ただの一般人の動きには思えま、せん、が……」

 

 瞬間、目を凝らして映像を見ていた紫藤が、播凰達の方を振り返った。正確には、その纏っている制服を、であるが。

 話の流れに、毅は冷や汗を額に浮かべるしかない。

 

「まさか、この服装……」

「せや、東方第一の制服の可能性がある」

 

 呻くような紫藤の指摘に、小貫がすぐさま頷く。

 鮮明に映っている、というわけではないが、東方第一の鮮やかな青緑色の制服というのは中々特徴的だ。

 となれば、教師として普段から見慣れている紫藤からすればその指摘が出るのは必至。

 もっとも既に動画の存在を知っていた毅と播凰は、コメントでも同様の疑念が出ていたのを知っている。紫藤が言ったように、傍目からも分かる程一般人離れした動きを天能術に結び付けるのはなんら不思議ではないのだ。

 

「しかし、単に似ている服ということもあるのでは?」

「まあそう言われればそうや。けど、加えて言えば――いやまあ、こういうのはあんま言っちゃいかんのやけど、これの元になった配信の時刻の前後で、不自然な何か(・・)をこの辺りでウチの人間が感知しとる」

「……東方第一(我が校)の生徒が、何かをした可能性があると?」

「そうは言っとらん。あくまで、要調査や」

 

 紫藤はじっと小貫の顔を見た後。考えを整理するかのように、両腕を組んだ。

 

「つまり、天対の任務も兼ねて――いえ、任務のついでに三狭間の性質を調べにここへ来たわけですか。道理で、忙しい貴女にしては早く連絡が着いたと思いましたが」

「悪う思わんでな。別に、綾ちんを無碍にしたわけやないねん。言い訳やないけど、綾ちんの手紙があったから、ウチがこの件の調査に手挙げたわけやしな」

「いえ、事情は分かりました。元よりこちらはお願いした身ですので」

 

 互いに気心の知れた仲であるからか、険悪になるということはなく。

 短く言葉を交わし合い、話が一旦途切れる。

 このまま有耶無耶になってくれないかな、と毅が思ったのも束の間。

 

 ぐわっ、と言わんばかりの勢いで小貫が顔を回し。

 

「んで――さっきから黙っとるそっちの二人はどうや?」

 

 ギラリ、と眼光鋭く飛んでくる。

 ひぃ、と毅は悲鳴が上がりそうになるのをなんとか呑み込んだ。

 

 知ってるも何も、毅は映像越しどころか現場に居合わせていた人間であり。隣にいる播凰に至っては、動画内にて躍動する人物その人である。

 

 ……ど、どうするっすか、播凰さん。

 

 本音を言えば、名乗り出た方がいいのだとは思う。何せ相手はあの天対、協力するのを渋る理由は無く、むしろ積極的に協力すべきだ。すべきなのだが――問題は、毅も播凰も事態をさっぱり把握していないということである。

 名乗り出たところで、あのドラゴンが何だったのかと問われれば、知らないと言わざるを得ない。

 

「うむ、その動画は教えられて見たぞ! しかし、何なのだろうな? こちらが知りたいぐらいだ!」

 

 と、毅がまごついている内に、播凰がすっぱりと言い放った。

 何を考えているのか、いないのか。それは己だと名乗り出ることなく、煙に巻くような返答。

 ホッとできたような、できないような。複雑な心境に毅は陥る。

 

「ほほー、やっぱ最近の子やな。綾ちんと違って知っとったか。そんで、教えられてっちゅーのは、誰にや?」

「うむ、学園の端末で見られる、学内こみゅ……こむ? ……毅よ、あれは何といったか?」

「へっ? ……あ、ああ、学内コミュニティっすね。生徒同士でインターネット上で交流できるっていう」

「おお、そうだ、学内こみゅにてぃとやらで話題になっているようだぞ!」

 

 どちらかといえば、動画の存在を彼らに教えたのは矢尾であるが。しかし、彼が情報を拾ったらしいのは学内コミュニティ。

 つまり、情報源は学内コミュニティと言えなくもない。

 すると小貫は何やら懐かしむような顔になり。

 

「成る程、学内コミュニティか。そんなんもあったなー……せやったら、何で綾ちんは知らんねん?」

「……あそこはあくまで生徒間交流を主としたもの。教師が利用してはいけないわけではありませんが、あまり見るものでもないでしょう」

「そんなこと言うて、生徒の時も綾ちんはあんま使ってなかったやんけ」

 

 茶化すように紫藤に話を振り、学生時代を回顧する。

 そんな二人をよそに、毅はチラッと播凰の顔を盗み見た。

 毅のような変な緊張は見られず、自然体。しかし少々以外だった。だって、彼はあまり腹芸ができるよう印象がなかったからだ。

 

 ――この動画について、何か知ってることはあらへんか?

 

 そこまで考えて、先程小貫がかけた言葉にハッとなる。

 

 ……まさか、ただの本音っすか?

 

 動画について。確かにその動画そのもの自体(・・・・・・・・)については見たし知っている。ああ、嘘は言っていない。

 知ってること。情報はなく、何が起こっていたかのはむしろこっちが知りたい。これも、嘘は言っていない。

 

 結局のところ、一緒なのだ。

 そこに映っているのは播凰であるが。何故、どうやって、竜が現れたのかは不明。つまり偶々その場にいただけで、知っていることというのはない。

 だって、そこに映っているのが誰かを問われたわけではないのだから。

 

 詭弁ではある。しかし虚偽でもない。

 なんのことはない、小貫の問いに対して播凰はただ正直に答えていただけなのだと毅は推測した。そしてそれは正解である。質問が違っていたら、また違った答えを播凰は返していただろう。

 それを理解し、脱力しかかったのを慌てて身体に力を入れて踏み止まる。

 

「まあ、分かったわ。いきなり当たりを引くとも思ってなかったしな。そっちの自分も、同じでええか?」

「は、はいっす!」

 

 そこに小貫の言葉来たものだから、毅は慌てて首を縦に振った。

 

「しかし、その動画はそんなに知られているのか?」

「うん? ああ、なんたって今の時点で数百万、まだまだ伸びることを考えると数千万にも届きそうな視聴回数やしな」

「ほう数千万とな!? それは凄い!」

「ははっ、その割に綾ちんは知らなかったらしいけど……とまあ冗談はさておき。そういうわけやからしばらくはこっちにいるさかい、もしも何か情報があったら教えてなー」

 

 視聴回数の多さに純粋に驚く播凰と、それをネタに紫藤を茶化す小貫であったが。

 こほん、と仕切りなおすように咳払いを置いた彼女はニコニコとして。

 

「とはいえ、ウチも仕事仕事っちゅーわけでもないから、どうや綾ちん。今度飲みにでもいかん? 何なら、教え子も一緒にどうやー?」

「……彼らはまだ未成年です、その話は後でしましょう。三狭間に晩石、特に何もなければもう帰宅して――」

 

 クイクイ、と口元で何かを呷るような仕草で紫藤に絡み始める。

 疲れたようにその戯言を一蹴し、一旦場を解散させようとした紫藤であったが。しかし言い切る前に播凰の手中にある杖にその視線が注がれ。

 

「――最後に、するべきことが残っていましたね」

 

 本日何度目かの溜息。

 しかしさっさと終わらせてしまった方が建設的だと考えたのか。紫藤は徐に播凰に近づくと、その肩に手を置いた。

 不思議そうに伸ばされた腕を見る播凰に、彼女は淡々と告げる。

 

「天能武装を自身の物とするやり方です。私の天能力を君に流すので、まずはそれを感じ取ってください」

 

 刹那、ぼんやりとではあるが冷たい感覚が体の中に流れ込んできたような気がして、播凰は身動ぎする。

 

「少ないとはいえ、同様の力が君の中にあるはずです。それを杖に流すようにした後、迎え入れるようにイメージしてください」

「む、むうぅ?」

 

 言われるがまま、目を閉じ。

 集中に集中を重ね、イメージする。己の内にある何かを杖へと伝え、引き込もうとする。

 奮闘すること、数秒。しかし、手の中にある杖の感覚は変わらず、そこにあり。

 

 この場に、播凰を嗤う者がいなかったのは幸いであっただろう。

 毅も、小貫も。今この時ばかりは何も言わずに静かに見守る紫藤も、誰一人として声はあげず。

 静寂が続き、遂には時計の長針が動こうとした頃。

 さしもの播凰も痺れを切らし。

 

 ――ええい、さっさと私の物となるがよい!!

 

 内心で咆えた。

 すると、どうだろう。手にあった硬い感触が消失したではないか。試しに目を開けてみれば、銀色の杖は姿形もなかった。

 

「おお、成功したぞ! どれ、早速出してみるとしよう!」

 

 その現象に歓喜し、今度はその逆――つまり、杖を取り出すイメージをする。

 しかしうんうんと唸っても、一向に変化はなく。

 

「これは困った。紫藤先生、出てこなくなったぞ!」

 

 要するに、天能武装を消せたはいいが、出せなくなった。その事実に、播凰は途方に暮れる。

 それを受けた反応は、三者三様。

 

「あー……」

「プフッ、アハハハハッ! 三狭間、アンタおもろすぎるやろ!」

「はぁ、君は本当に……」

 

 苦笑に大爆笑、そして呆れ。

 誰が誰とはもはや言うまでもない。

 

「先程晩石には伝えましたが。君達二人共、放課後に私の指導を受けてもらいます。詳細は追って連絡、拒否は認めません」

「おおー、流石綾ちん、教師の鑑やでぇ!」

「当然です。三狭間は問題児筆頭、晩石はその二番手。それを野放しにするなど、教師としての沽券に関わります」

「ふむ、筆頭とな? 照れるではないか!」

「……褒めていません」

 

 もはや怒る気力もないのか、紫藤は播凰のとんちんかんな反応にも目くじらを立てず。

 

「天能武装が出ないのであれば丁度いいです。ええ、そのまま暫く大人しくしていてください」

 

 そう告げるので精一杯であったようだった。

 

 ――――

 

「――いやあ、それにしても今日は色々驚きっぱなしだったっす。播凰さんの性質もそうでしたが、まさか天対の人が、あの動画に注目してるだなんて」

 

 紫藤達と別れ、学園からの帰り道。

 まだ日が落ちるには早く、しかし直に空を茜色が染め始めるだろうという時間帯。

 最強荘に向かって歩く毅は、まだ今日という日が終わっていないにも関わらず、その濃すぎた一日を思い返してしみじみと言った。

 

「うむ、数百、数千万人がどうのと言っていたが、それ程多くの人間に見られたということなのだろう? いまいち想像できんな」

「そうっすねー、それだけの人が知ってるってことっすから……今更ながら、俺が映ってるわけでもないのに、滅茶苦茶緊張してきたっす」

 

 存在こそ知っていたが、改めて小貫に突き付けられた動画。

 その反響の度合いの大きさに単純に感心する播凰を横目に、毅は毅でぶるりと身震いする。

 

「しかも、小貫殿はそれを見てここへ来たのだろう? 便利なものだな、離れていようと、その場にいなかろうと、直接目で色々と知る事ができるというのは」

 

 数の多さもそうだが、播凰が関心を持ったのはもう一点。

 動画という手段で、どこにいても知る、或いは知らせることができる。しかも、紙や人を通じてではなく、映像という視覚的に詳細なもので。

 そのようなものは、当然元の世界にはなく。

 

「……ん? 大人数が知る事ができるとな?」

 

 そしてふと、播凰は自分で口にしていて、何かが引っかかった。

 考えること数秒、脳裏をとある光景が蘇る。

 

 ――「……しかし、どうも客足が悪いらしくてな。このままでは店を続けていくのが難しくなるようなのだ」

 ――「お味は間違いないのですがねー。とはいえどれだけ良い物でも、知られないことには新しいお客さんも来ないですからー」

 

 それは今朝、天能武装を受け取りに行く前に、最強荘の管理人と交わした会話。ゆりの経営する喫茶店にして、ジュクーシャの働く店でもある、リュミリエーラの話。

 何故それを思い出したのだろう、とそう考えた、その時。

 播凰の頭に、降って湧いた天啓の如く、閃きが奔った。

 

「おおっ! 毅よ、良いことを思いついたぞ!」

「な、なんすか!? いきなりどうしたんすか、播凰さん?」

 

 突然立ち止まった播凰とその大きな声に、毅もまた足を止めて振り向く。

 驚きに目を丸くする毅であったが、播凰の提案によりその両眼は更に見開かれることとなる。

 その、内容とは。

 

「動画だ! あの者の動画で、ゆり殿の店を知らせればよいのだ!」

 

 喫茶リュミリエーラの宣伝。

 興奮と共に自信満々と胸を張って、播凰は目を輝かせるのだった。

 

 

 ――――

 

 夜の帳も下りきった、深夜。

 街中であるならばいざしらず、ひとたび住宅街にでも入れば、そこはもうポツポツと佇む街灯が闇夜を照らすのみ。

 そんな、静まり返った中を。

 

「綾ちんの教え子――それも、気にかけてそうな子達を探るっちゅーのも、あんま気乗りせんとはいえ。……せやけど、ウチも気になることがあるからなぁ」

 

 その女――小貫夏美は、歩いていた。

 彼女の脳裏にあるのは、今日初めて出会った一人の男子の顔。

 母校である東方第一の高等部一年生にして、旧友(紫藤)の教え子でもある生徒。その名を、三狭間播凰。

 

 文献でしか確認されていない、超希少な性質。

 高い身体能力に、底の見えない戦闘力。

 かと思えば、天能武装(初歩的)のことも知らず、天然とでも言えばいいのか中々の純真さ。

 

 本題(動画)の件とは別に、上に報告を上げてもいいレベルの話だ。

 何せ、あの『覇』の性質である。伝説にして、謎多き性質の一つ。

 

 もしも覇の性質を持っていると言い始めた誰かがいたとして。大抵の人間であれば、与太話や法螺話として決めつけて気にも留めないか、一笑に付されて終わるだろう。或いは、嘘つき呼ばわりされて後ろ指を指されることとなる可能性すらある。

 それぐらいの、荒唐無稽な話。

 が、自分が――探の性質を持つ者がそれを言ったとしたら、その限りではなく。

 

「まあ、本人がまだ術を使えないわけやから、今は大丈夫やろうけど……もしも世に知られた場合、色んなとこ(・・・・・)が三狭間に接触しようとするやろなあ」

 

 それが分からぬ旧友ではない。

 実際、一旦の口止めを頼まれた。

 故に下手は打たないだろうが、暫く頭痛の種にはなるだろうと、その渋面を想像して苦笑する。

 とはいえ、もしも術を使えるようになった場合、隠しきれるものでもないからいずれは公表することになるのは間違いなく。

 

 それに、気になることは他にも――。

 そこまで考えたところで、ふとすぐ目の前に人の姿があったことに気付き、小貫は慌てて半身となって避ける。

 すれ違う両者。そのまま二人は離れて行く、ことはなく。

 ピタリ、と小貫が足を止めて後ろを振り返った。

 

「――何者や? ウチに気付かせずここまで近づけるなんて、まともな人間ちゃうで」

 

 探の性質の本分、それは読んで字のごとく探ること。

 殊、周囲の探知には鋭く、術を発動せずとも人の気配すら無意識に察知してしまう。

 如何に考え事に集中していようと、並みの相手ならば、ある程度接近されれば気付かぬ道理はない。

 にも関わらず、ぶつかりかけた。その事実だけで、小貫が警戒心を抱くには充分だった。

 

「ワタシは、大家。住人の方々へ、癒しの場を提供する存在」

「……大家、やとぉ?」

 

 その人物は、フード付きの白いコートで全身を覆っていた。

 男性とも女性とも通用するような中性的な声。顔は見ることが出来ず、小貫に背を向けたまま立ち止まっている。

 

「――何もするな、とは申しませんが」

「あん?」

「過ぎた詮索は、その身を滅ぼします。くれぐれも、ご留意くださるよう……」

 

 警告、ともとれる言葉を残して、去ろうとする。

 

「ちょっ、待てや!」

 

 慌てて制止の声を上げる小貫であったが、しかし白いコートは、すっと夜の闇に溶けるように消えるのだった。



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19話 下見とプチ講義

「――まったく。大魔王たるこの余が、直々に足を運ばねばならんとは。その店とやらが管理人たんのお気に入りである幸運に感謝するのだぞ、播凰よ」

 

 隣を歩く長身の男――最強荘一階の住人である一裏(いちうら)万音(まお)が、ぐちぐちと文句を飛ばしてくる。

 

「うむ。礼を言おうぞ!」

 

 それに怒ることもせず。むしろ破顔して聞き入れた播凰は、真っすぐに感謝の言葉を述べた。

 今、彼らは二人だけで外出し、並んで歩を進めている。その目的地は、ゆりが店主を務める喫茶店、リュミリエーラ。

 さて、ではどうしてそんなことになっているかと言えば。事の発端は昨日に遡る。

 

 ――大魔王よ、頼みがある! お主の動画で、ゆり殿の店に協力してほしいのだ!

 

 播凰の天能の性質が『覇』であると判明したあの後。

 小貫が例の動画を見てやってきたことから着想を得て、リュミリエーラを紹介すればいいのではと思い至った播凰は、最強荘に戻ってそのまま一階に突撃した。

 一階への移動許可は、以前に播凰が動画配信に登場した際にもらっており。そこの住人、万音こそが、VTuber大魔王ディルニーンその人。

 だが、突然やってきた播凰に、万音の反応はいまいちであった。

 用件を聞くや否や、くだらん、と一蹴。交渉のテーブルに着くことなく、扉を閉めかけられたのである。

 

 ――ふむぅ、よい考えだと思ったのだが……管理人殿も悲しむであろうな。

 ――何、管理人たんが? 気が変わった、詳しく話すことを許す。

 

 が、播凰のファインプレーが光った。もっとも、播凰としてはその考えに至った経緯として管理人が浮かんだだけで、特に深い意味も意図もなかったのだが。

 ともあれ、ロリコンの大魔王(万音)にとってそのワードは聞き逃せないものであり。

 結果、こうして翌日の昼にゆりの店へと向かうに至っているわけだ。ちなみに、万音をヤバイ認定している毅は引き攣った顔で同道を断っていたりする。

 

「しかし何だこの粗末な場所は。幼女の一人もおらぬではないか」

 

 件の商店街は、最強荘から少し距離がある。バスや電車を用いるまでではないが、歩きだと数分では厳しい。

 そんなところに連れ出されたこともあり、万音は大層不満の様子。商店街を歩いているのはいいが、相変わらず――幼女はともかくとして――ほぼほぼ人気がなく。お店の殆どは昼間にも関わらずそのシャッターは下りていた。

 

「うむ、着いたぞ!」

 

 レンガ調の建物に、『リュミリエーラ』の吊り看板。

 その外観が詳細になるまでに近づくと、播凰は万音に手で指し示す。

 

 辺莉に連れられて初めて訪れた後、特にデザートを求めて何度か播凰はリュミリエーラに来ている。

 地図を頼りに目的地を目指すというのは苦手だが、行ったことのある場所に関しては数を重ねれば一人で来れないことはなかった。

 

 リュミリエーラを一瞥した万音は、フン、と鼻を鳴らし。

 特に感想もなく、ずかずかと入り口のガラス扉を開いて、中へ入っていく。

 それに続き、同じく店内へと足を踏み入れた播凰を待っていたのは。

 

「……な、な、な」

「フハハハハッ! どうした、ジュクジュクよ、みすぼらしく給仕の恰好などして間抜け面を晒しおって!」

 

 店のエプロンを着用し、信じられないものを見るかのように口をパクパクとさせたジュクーシャと。

 そんな彼女を指さし、高笑いを響かせる万音の姿であった。

 

「ジュクーシャ殿、また食べに来たぞ!」

「は、播凰くん? ……あ、い、いらっしゃい」

 

 店員と客のやり取りとは思えない光景であったが、気にすることなく挨拶をする播凰。彼に反応してか、ジュクーシャが顔をスライドさせて戸惑いつつも接客の言葉を口にする。

 

「ではなく、どうしてこの者がここにっ!?」

 

 が、それもそこまで。

 すぐさま顔を険しくさせて、万音を睨むジュクーシャであったが。

 

「――ジュクーシャちゃん、どうしたの? もしかして……」

 

 その後ろから、厨房に繋がる扉が開き、店主のゆりがカウンターから出てこちらへやってきた。

 彼女の近くには、びくびくと怯えた様子の若い女性が一人。顔馴染みというほどではないが、リュミリエーラのアルバイトということは知っている。

 二人は、顔を固くして近くまで来たが。そこにあった顔が予想していたもの――つまりは厄介客ではなく、播凰であったことにきょとんとした表情となった。

 

「あら、播凰君じゃない。いらっしゃい、来てくれてありがとうね」

「うむ、ゆり殿。今日も美味しいものを期待しているぞ!」

「うふふ、任せて頂戴。それで、あの……こちらの方は、播凰君のお知り合いかしら?」

 

 ゆり達からすれば、騒がしくなったのを気にしてやって来たわけだが、それを正直に言えるはずもない。

 遠慮がちに、未だ高笑いを響かせる万音の方を見やり、播凰にそう尋ねてくる。 

 

「うむ、そうだ! そして、ゆり殿に話が――」

「まあ待て、播凰よ。それは、余が認めた場合の話だ。よもや、忘れたわけではあるまいな?」

「おお、そうだった! しかし、私は問題無いと確信しておるぞ。ゆり殿の料理は美味だからな!!」

 

 そう会話する播凰と万音であるが、事情を知らない者からすればちんぷんかんぷんである。

 そんなわけで、ゆりとアルバイトの女性は勿論、ジュクーシャすらも疑問符を頭に浮かべて成り行きを見守っていたわけだが。

 

「早い話、余は客である。であればそら、余に向けて言うべき言葉があるだろう?」

「んなっ!? ……っ!」

「んん、聞こえぬなあ? 給仕ならば給仕らしく務めを果たすがよい。なあ、ジュクジュクよ?」

 

 ニヤリ、と小馬鹿にする笑みにて万音がジュクーシャに告げるは、端的にして純然たる事実。

 それを受けたジュクーシャは、ぷるぷる、と身を震わせるが。更なる追い打ちをかけるように、態とらしく耳に手を添えた万音がにじり寄った。

 

「……い、いらっしゃいませ! に、二名様、こちらのお席へどうぞ!!」

「フハハハハッ、やればできるではないか! この店はまともな給仕もできぬ者を雇っているのかと思うところであったぞ!」

 

 顔を真っ赤にして、半ばやぶれかぶれになったかのように叫ぶようにしてジュクーシャが先導し、その後を高笑いと共に万音が着いていく。

 幸い、というわけでもないが件の問題の影響か、店内に他の客の姿はないため、騒ぎはこの場のみで収束した。

 播凰も彼らの後に続こうとしたが、ゆり達が呆気にとられたようにその後ろ姿を眺めているのに気付き。

 

「うむ、ちと変わった者ではあるが、悪い者ではない。それは私が保証しよう」

「……え、ええ、分かったわ」

 

 万音を連れてきた者としてフォローを入れて、席に向かう。

 ゆりからすれば、播凰も少し変わった子――いい子であるとも思っているが――にあたるのだが。まあ、それは言うだけ野暮というものだ。

 

「播凰くんっ! ……い、いえ、責めるわけではないのですが、どうしてこの者をここに?」

 

 窓際のテーブル席。

 既にソファーにふんぞり返っている万音の対面に播凰が腰掛ければ、ジュクーシャが勢い込んでそう尋ねてきた。

 

「ほう、随分な言い種よなあ、ジュクジュクよ。折角、余がこのような場所まで足を運び、協力してやらんでもないというのに」

「……協力? 貴様は一体何を――」

 

 ニヤニヤとする万音に、ジュクーシャが鋭い声を発する。

 その視線、声色ともに冷たく。怪しみ、疑いを多分に孕んでいる。

 

「余に提案してきたのは、其奴だ。そっちに聞け」

 

 そんな殺気立った威圧を意に介することなく、万音は播凰の方を顎でしゃくった。

 敵意こそ向けられていないものの、けれども真剣な目で真意を問うジュクーシャに、播凰もまた気圧されることなく応じる。

 

「私はこの店の料理を気に入っている。故に、是非とも店は続けてもらいたい。……しかし、客足が遠のき、それが原因で食べられぬことになるかもしれない。であれば、動画にてこの店を知らせ、客を呼び込めないかと考えたのだ」

「……動画、ですか? ……っ、まさかっ!」

「そう、その者の――大魔王ディルニーンの動画で、だ」

 

 一瞬、何のことかと首を傾げたジュクーシャであったが。

 すぐさまそれが意味することを理解し、播凰の返答によって確信となったことで驚きに目を見開く。

 

「な、成る程。確かに、この者の動画のチャンネル登録者数は……認めたくはありませんが、かなりの数。それが実現するとなれば、もしかしたら――」

「勘違いするな、ジュクジュクよ。決定事項ではない。余にも大魔王として、動画配信者としての矜持がある。管理人たんのお気に入りというから機会をくれてやるが、余の審美眼に叶わぬ場合、この話は無いと知れ」

 

 声に僅かな明るさが宿ったジュクーシャであったが、それに冷や水を浴びせるように万音がテーブルに頬杖をつく。

 つまらなそうな表情で紡がれたそれは、単なる脅しではない。播凰がこの話を持ち出した際に万音が提示した、たった一つの、しかし絶対の条件であった。

 

「……ですが」

 

 それで幾分か頭が落ち着いたのか。

 冷静な面持ちとなったジュクーシャが遠慮がちに、播凰の顔色を伺うように見た。

 その視線の意味を、播凰はよく分からずにジュクーシャを見つめ返したが。

 

「誠、実に分かりやすいな、貴様らという存在は(・・・・・・・・・)。大方、其奴(播凰)の提案は嬉しいが素直に受け入れられない。余の力を借りたくはない、といったところか」

「……っ」

「図に乗るなよ? これは貴様は勿論、店主とやらのためではない。他ならぬ、管理人たんのため。それを履き違えるでないわ」

 

 横からの声が、ジュクーシャの内面を詳らかにする。

 彼女の反応的に、その読みは正解だったのだろう。

 故にこそ、万音はそれを汲み取った上で辛辣に間違いを正した。

 

「…………」

「そら、おしぼりに水、メニューはどうした? この店の給仕は客に一々言われないと何もできんのか?」

「……くっ!」

「ほぅ、客に対する態度もよくなさそうだ。その程度の店ならば、料理もたかがしれるというものよな?」

「……た、只今お持ちしますっ!」

 

 再び楽し気な表情に戻った万音が、ここぞとばかり煽りに煽る。

 最初こそ反抗的というか、迷いを残していたジュクーシャであったが。

 少なくとも、客と店員という立場。相手が相手とはいえ、自身の振る舞いで店を軽んじられてはならないと、奮起したようだ。

 早歩きで動き、それぞれ二人分を手に、席へ戻ってくる。

 

「……ふん、品揃えはどこにでもありがちなものだな。特に真新しさも無い」

 

 第一声は、それであった。

 メニューをパラパラと捲った万音は、一通り流し見て、退屈そうに欠伸をする。

 ジュクーシャのこめかみに青筋が立つが、やはりというべきか気にも留めない。

 

「私は、カレーライスにコーラ、デザートにチョコレートケーキを頼む!」

「はい、承知しました、播凰くん」

 

 メニューを見つつ、播凰が元気よく写真のカレーを指させば、ふんわりと柔らかな笑顔でジュクーシャは注文を受け取る。

 が、そこでコホンと咳払いをし、ぎこちない動作で万音の方を振り向くと。

 

「……お、お客様は、お決まりでしょうか?」

 

 これまたぎこちない笑みでつっかえつっかえ注文を伺う。

 すると、万音はメニューをパタン、と閉じて。

 

「店主に伝えよ。おすすめの料理にドリンク、デザートを持ってこいと。金はいくらかかっても構わん」

 

 ついでに目も閉じ、腕を組んでソファーの背に寄りかかる。

 注文と言えるのか言えないのか、微妙な注文の仕方に目を剥くジュクーシャであったが。何を言っても無駄であると悟ったのか、厨房へと注文を伝えに行く。

 そんな注文の仕方もあるのか、と感心した播凰は今度自分もやってみようと心に決めるのであった。

 

 

 ――――

 

「覇の性質、ですか?」

 

 料理を待つ間、これ幸いと播凰は早速、判明した自身の天能の性質をジュクーシャに伝えた。

 ちなみにジュクーシャはまだ勤務中ではあるが、他に客もおらず、知り合いなのであればということでゆりから休憩という名目の許可が出て播凰の隣に座っている。

 対面の万音は、興味もないのか目を瞑ったままだ。

 

「うむ。だが、使える術がまだ無いみたいでな。まずは、己にとって覇が何たるかを理解せねばならぬらしいのだが……正直、全くよく分からぬのだ」

 

 小貫からの助言。

 覇を意識し、理解する。それができれば新しい術が使えるようになるらしいのだが。

 しかし何のことやら、と播凰は未だ一歩も踏み出せずにいた。

 

「……成る程。『覇』の術というのは、申し訳ありませんが私もよく知らず――というより、初めて聞きました」

「そうか……ジュクーシャ殿でも、そうなのか。……であれば仕方ない、使えるようになるまで待つしかないか」

 

 ジュクーシャでも知らない。

 この世界ではなく、異界の住人であれば或いは、と思ったものの。その当てが外れ、播凰はズーンと落ち込む。

 

「ですが、その方が何を伝えようとしたのかは、漠然とですが分かります」

「ぬ?」

 

 だが、ジュクーシャが一定の理解を示したことにより、顔を上げる。

 彼女は、播凰の目をしっかりと見て、懇懇と言葉を紡いだ。

 

「そうですね……分かりやすいところからいきましょう。例えば、播凰くんは火と聞いた時、何をイメージしますか?」

「火か……そうさな、あらゆる物を焼き尽くし、燃え広がる大火だな」

「そう捉える人もいるでしょう。ですが一方で、火とは太古より人類を獣から守り、今なお人々の生活に寄り添い、欠かすことのできない存在です」

「ふむ」

 

 播凰が想像したのは、人すらも焼き殺す文字通り圧倒的な火力、攻撃力であったが。反面、ジュクーシャが説いたのは援けとしての火。

 なるほど、異論はない。すんなりと播凰は首肯する。

 

「ではもう一つ、この水もそうです。今、播凰くんは水を飲むことによって回復――もとい人間の体にとって必要な水分を補給しているわけですが。水とて、大量に集まれば洪水や津波となって、生物に牙を向きます」

「確かに、そうだな」

「このように、魔――いえ、天能の性質となるものはあらゆる見方ができ、その中で何を最も強くイメージするのかは、人によって異なります。風然り、雷然り。……大抵はそうでないことと思いますが、中には光を疎んじ、闇を心地よいと宣う者もいることでしょう、ねっ!」

 

 ここでギロリ、とジュクーシャが万音を睨むように見た。

 しかし、それもどこ吹く風。目を閉じているとはいえ、まさか眠っているわけではないだろうが。

 だが、元よりただの当てつけであったのか。気にした様子もなく、ジュクーシャは播凰に視線を戻す。

 

「人には得手不得手があり、その才能、適正にも向き不向きが存在します。個人の価値観や意識、考えというのも同様です」

 

 難しい話になってきた、と播凰は思った。

 深く頭を使うこと――特に勉強はその筆頭であるが――は苦手だ。

 しかし、よく聞き、よく理解すべきだとも思った。であるから、播凰もまたジュクーシャの目を見て、真剣に聞き入った。

 

「覇、という性質に何を思い浮かべるか、何を見るか。それは誰に聞いたところで得ることのできるものではありません。参考程度にはなるでしょう。ですがそれでは、真にその者が理解できたとは言えない」

 

 ――他でもない、自分が。自分だけが、それを決められるのです。

 

 そう、ジュクーシャは結んだ。

 播凰は沈黙で応じる。それは、頭が追い付いていなかったからではなく、ましてや聞いていなかったからでもなく。

 答えを持たなくとも、その重要性を直感的に理解し、心に刻みつけんがため。

 

「――ククッ」

 

 代わりに、というわけでもないが、笑い声が一つ。

 

「……何ですか、何か文句でも?」

 

 馬鹿にされていると感じたのか、ジュクーシャが咎めるように、声の主――対面に座る万音に向けて声を飛ばす。

 しかし、万音はジュクーシャを見ることなく。目を開き、ガラス張りの窓向こうの空を見上げ。

 

「いや、なに――」

 

 その晴天の中にある太陽に目を細めて。

 

「少し、昔を思い出してな。随分、青臭い話をしていると思っただけだ」




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今後も読んでいただけると幸いです。

ちなみに引っ張ってますが、最初の術が使えるようになるのは本章の最後のバトルです。


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20話 主役はまさかの

「――お待たせしました。ご注文のカレーライス、そして店主おすすめのビーフシチューでございます」

 

 コトリ、コトリと控えめな音と共に、ジュクーシャがそれぞれの前に料理をサーブする。

 播凰の前には、彼が頼んだカレーライス。万音の前には、店主であるゆりのおすすめであるビーフシチュー。

 真っ白な陶器の皿によそわれたそれらは、仄かに、しかし確かに湯気を立ち昇らせ。食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐらせる。

 

「おお、来たか。では、早速いただくぞっ!」

 

 待ってました、とばかりにスプーンを片手に、播凰はカレーの盛られた皿を笑顔で引き寄せて食べ始める。

 

「…………」

 

 対して万音は、体勢そのままに皿を、その中にあるビーフシチューを睥睨するだけ。

 ごろごろとしたお肉、それを彩る数種の野菜。こんがりとしたバゲットもついてきており、シチュー単品では勿論、バゲットと合わせればまた違った味わいが楽しめる。

 播凰の注文したカレーと色合いこそ似てはいるものの、当然一緒ではない。播凰も前に注文して食べたが、非常に美味しかったのを覚えている。

 

「どうした、食べぬのか?」

「フン、評価するとなれば、余とて手は抜かん。そして料理というからには、舌で見定めることは勿論、目で愉しむことにも意味がある。もっとも今のところ、余が直々に評価するに値するほどとは思えんがな」

 

 三口、四口、と播凰が手を進めたところで、ようやく万音もスプーンを手に取った。

 その際のチクリ、とした物言いにジュクーシャが肩を震わせるが、なんとか堪え。気が進まないながらも、万音の様子を伺う。

 

「…………」

 

 しかし、彼は何も言わない。表情も全くといっていいほど動かない。

 意外であったのは、ピッと背筋を伸ばし、僅かな物音すら立てることなく食事を進めていることだ。

 洗練された手つき、とでも言えばいいのだろうか。長身ということもあり、余計にそれが映える。

 

 播凰の場合は、ガッチャンガッチャンというほどではないが、食器同士が時折ぶつかり合って甲高い音を奏で。なんなら、カレーのルーに塗れた少量のご飯粒をテーブルに落としてさえいる。

 まるで対極。

 これで彼の口から嫌みの一つでも飛んでいれば、ジュクーシャも憤慨して取り合っただろうが。彼女にしては珍しく、いつもと違う雰囲気の万音を前に、固唾を呑んで見守らざるをえなかった。

 結局、そのまま時は流れ。

 

「うむ、今回も美味しかったぞ!」

「…………」

 

 口周りを少し汚したまま満面の笑みで食事の感想を述べる播凰を前に、口元を静かにナプキンで拭った万音は終ぞ何も言わなかった。

 とはいえ、播凰の皿は勿論、万音の皿にも残りはなく、完食されている。これはもしや、と少々期待した面持ちで万音を見るジュクーシャであったが。

 

「何をしている? 疾く、次を持ってこぬか」

「え……あ、は、はい、ただいま」

 

 何の感慨もないように催促する万音の言葉に、暫し呆けるも。空となった容器を回収し、厨房に戻っていく。

 

「どうだ、大魔王よ? 美味であったろう?」

「美味、か。この程度でその感想が出るあたり、貴様の世界の食は相当悲惨だったと見える」

「うーむ、食べる事に困っていたわけではないが……そう言われると、味はあまり意識したことはなかったか」

 

 腹を満たせればよい、というのがこの世界に来るまでの播凰の食に対する考えであった。

 だが、最強荘に住みはじめた、その初日。毅の案内でコンビニで適当に食料を調達し、自室で一口含んだ瞬間に、それは吹き飛んだのだ。

 つまり、万音の指摘は真っ当といえば真っ当。馬鹿舌というわけでもないが、播凰は割と何でも美味い美味いと食べる、甘口採点。

 とはいえ毅や辺莉達はリピーターとなっているし、固定客もそこそこいることから、リュミリエーラの食事は一般的に見ても美味しい部類には当たるのだが。

 

 と、そんなこんなをしている内に、ジュクーシャが二人の元へと戻ってくる。

 今度は何故か、ゆりとアルバイトの女性店員も一緒だ。

 

「デザートのチョコレートケーキと、こちらはチーズケーキとコーヒーでございます」

 

 播凰の前にチョコレートケーキが、万音の方にはチーズケーキとコーヒーが。

 ドリンクは既にコーラを飲んでいるため、播凰には無しである。

 来た来た、と早速ケーキを頬張る播凰とは違い、万音はまたしても値踏みするようにデザートに目を落とし。

 ややあって、チーズケーキの先端を切り、口に含む。それを淡々と嚥下した後、ソーサーから持ち上げたコーヒーカップを静かに傾ける。

 

 一連の所作を見た女性店員が、ほぅ、と小さく息を零した。その頬は微かに赤みがかっており、熱の籠った視線を万音に向けている。

 ゆりもゆりで感心したような顔、とでも言えばいいだろうか。少なくとも、万音を見る目に、店の入り口の時にあった戸惑いの色は隠れ。

 

 なんというか、とても様になっているのだ。

 元々、万音の容姿というのは整った部類ではある。一度口を開けば、幼女だの管理人たんだの眉を顰めるような発言が飛び出し、加えて高笑いのせいで色眼鏡で見られるというか、フィルターがかかるというのがあるが。

 高身長で痩せぎすの体躯に、少々青白い肌。

 黙っていれば、陰のある妖しい魅力の男性に映り。優雅なティータイムを思わせる流麗な所作は、まるで絵画から抜け出たようであった。

 

「……お食事は、ご満足いただけましたでしょうか?」

 

 ビーフシチュー同様、万音は一言の感想もリアクションもなく、ドリンクとデザートを食べ終えた。

 それが心配であったのか、はたまたおすすめということで提供したために聞くべきと判断したのか。

 店主のゆりが遠慮がちに、ソファーに身を預ける万音へと尋ねる。

 

 播凰に聞かないのは――まあ今に始まった話ではなく、食事中も食事後も美味いと騒いでいるから改めてするまでもなかったのだろう。

 ジュクーシャも無言ではあるが緊張しているのか、ゴクリと喉を鳴らす。

 ちなみにアルバイトの女性店員は、テイクアウトの客が来たことでそちらの対応のため離れている。

 

 万音は、ゆりの問いかけに、彼女の顔を見ることもせず。

 

「食えぬ、というわけではないが、態々時間をかけてまで来る価値は見出せんな」

 

 バッサリと、切り捨てた。

 なっ、とそのあまりな言い様にジュクーシャがいきり立つ。

 しかしそれを横目で見ることもせず、万音は言葉を続けた。

 

「――が、宅配であれば、偶になら頼んでやらんでもない」

「……え、ええと、そういうのは、うちはやっていなくて」

「フン、客が少なくなったのはそういうところにも要因があるのではないか?」

「言われてみれば、そうねえ……うちでもできるのかしら」

「今時、宅配サービスの利用など当たり前であろうに」

 

 万音とゆりで会話が続き、播凰とジュクーシャは蚊帳の外。

 憤慨したはいいものの、その感情の行き場を失くしたジュクーシャが、二人の顔を交互に見ている。

 と、いうか。

 

「宅配、というのはなんだ?」

 

 播凰に至っては、それが何なのかすら理解できていない。

 

「誠に貴様は無知よな。このような場所まで来ずとも、食事を運ばせ、自室などで食べることだ」

「食事を運ばせる……?」

 

 挙手をして率直な疑問をぶつけた播凰に、やれやれと頭を振った万音が答えを返す。

 最初こそ、言葉の意味がすぐに理解できない播凰であったが。

 

「……おお、成る程! 我が弟妹達が、玉座まで食事を持ってきてくれたようなものだな!」

 

 ポン、と手を打ち、うっかりそう零した。

 彼としては、心当たりがあったため、思わず口に出してしまったわけだが。 

 玉座? と右に首を傾げるゆりは当然として、万音とジュクーシャから注がれる無言の視線に、失言したことを遅まきながら理解し。

 

「オホンッ、いやなんでもないぞ! して、大魔王。あの話はどうなるのだ?」

 

 誤魔化すように咳払いをして、万音に話を振る。

 大魔王? と今度は左に首を傾げるゆりであったが。

 

「元よりさして期待はしていなかったが、高級店でないことは百も承知。とはいえ、一般庶民にとっては充分であろう」

「ふむ、つまり?」

「仕方あるまい、及第点はくれてやろう。――さて、店主よ」

「な、なんでしょう?」

 

 万音に呼びかけられたことで、佇まいを直す。

 中々失礼なことを言われていたわけだが、咎めないのは寛容さ故か、はたまた困惑があったからか。

 

「余は、動画配信者である。そして、そこもとの播凰の思いつきにて、管理人たんのお気に入りのこの店の宣伝を、余の配信にて行おうと思う」

「は、はあ……」

「ゆりさん、この者――彼の動画は、認めたくはありませんが人気がありまして。もしかすると、少なくとも数十万人には見てもらえる可能性も」

「数十万……それは、凄いわね」

 

 万音の宣言に、よく分からないといった顔をしていたゆりであったが、ジュクーシャの補足により驚きの声を上げる。

 無論、数十万人に視聴されたとて、その全てが客として足を運んでくれることは確実に無い。

 しかし、数十万である。それも、少なくともであり、もしも話題となった場合はそれ以上になるかもしれなかった。

 

「が、無論強制はせぬ。店主が断るのであれば、この話は終わりだ」

「……おお、そうか、ゆり殿の意向も確認せねばならなかったか! だが、私は是非とも店を続けてもらいたいぞ!」

 

 断られることなど考えていなかった、と言わんばかりに大きく頷く播凰であったが、次の瞬間にはキラキラとした目でゆりを見る。

 

 そこにあるのは期待。言葉にした通り、ゆりに店を続けて欲しいがための善意で動いたことが伺える。

 

 その純粋ともいっていい視線を受けたゆりは、しかしすぐに答えを返すことはなかった。

 

「…………」

 

 あるのは逡巡。とはいえ、突然の提案ともなれば困惑するのも無理はないだろう。

 

 故に、誰もが急かすことなくその回答を待つ。

 

 と、ふと、ゆりがじっと播凰の顔を見た。

 

「ありがとうね、播凰君。そこまでこのお店を気に入ってくれて」

「うむ、ゆり殿の料理は美味だからな。これからもチョコレートケーキを食べられるのならそれで私は満足だ」

 

 軽く言葉を交わし、ふわりと微笑む。

 ややあってゆりは、深く息を吸って、頷き。

 

「……よろしく、お願いしてもいいでしょうか?」

「よかろう。成立だ」

 

 ニヤリ、と万音がそれを受けた。

 

「では、詳しい話に移るが。店主よ、ここに来るまでに、駄菓子屋と玩具屋が開いていた。その店の者とは知り合いか?」

「え、ええ。駄菓子屋のおばあちゃんと、玩具屋のおじさんのことなら」

「ならば丁度よい。駄菓子屋にて菓子を吟味し、玩具屋にてゲームを見繕い、最後にここで食事とするか」

「ほうほう、面白そうだな! 動画を見るのを楽しみにしているぞ!」

 

 リュミリエーラと同じく、商店街の中でも開いていた数少ない店も含め、万音がプランを組み立てる。

 どのような動画になるのだろうな、と視聴する気満々でわくわくを隠さずに播凰が声を上げれば。

 訝し気な顔となった万音は、至極当然のように言ったのだ。

 

「何を言っている。今回の主役は――客将、貴様だ」

 

 ぱちくり、と目を瞬く播凰であった。

 

 ――――

 

「――聞いたよ、播凰にい! ゆりさんのお店を動画で紹介するんだって!?」

 

 まだ仕事中であるジュクーシャを残し。

 食事を済ませ、ゆりと話をしてきた播凰と万音は最強荘に帰ってきた。

 すると、まるでそれを見計らったかのように。敷地内にある小屋――晩石毅の住んでいる場所の扉が開き、中から辺莉が飛び出して、一直線に二人の前にやって来た。

 その後ろから、遅れて毅もばつが悪そうに歩いてくる。

 

「相変わらず、喧しい小娘だ。もっと若い時に出直してこい」

「ひっどーいっ! アタシはまだ十代なのにーっ!!」

「フン、播凰よ、後は任せるぞ」

 

 そんな辺莉を適当にあしらい、万音はさっさと部屋に戻っていく。

 

「すみませんっす、播凰さん。播凰さんのことを聞かれたもんで、うっかり喋っちゃったっす……」

 

 ぺこぺこと、すまなそうに頭を下げる毅。

 押しに弱い彼のことだ。大方、ポロっと口にしてしまい、そのまま誤魔化せず正直に話してしまったのだろう。

 

「うむ、それは別に構わぬが」

「それでそれで!? もう撮ったの!? いつ投稿されるの!?」

 

 特別隠すことでもないので、播凰が問題無いとそれを許すが。

 辺莉は勢いを衰えることなく、密着せんばかりに播凰に近づき、怒涛の質問。

 紹介動画をもう撮影したのか、そしてそれはいつ見れるようになるのか。言葉にこそしていないものの、毅も気にはなっているようで。

 

「いや、それが……」

 

 しかし、播凰の歯切れは悪かった。

 隠されていた――辺莉の勘違いである――こと。

 そして今なおはぐらかそう――あくまで辺莉にはそう見える――とされていること。

 その事実に、むうっと両頬を膨らませる辺莉であったが。

 

「今度の休みに、レポ? だか、ロケ? だかを私もやるらしいのだ。あー、なんといったか――そう、らいぶ配信とやらで」

「へ? ……ええーっ!」

 

 自分のことのくせしてよく分かっていなさそうな播凰の言葉に、第三者でありながら当人よりも状況を理解した辺莉は、驚きの声を上げる。

 その後ろで、大丈夫なのかと早くも不安を抱き始める毅なのであった。



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21話 目標設定

「――大事なのは、何を目標として自身を、そして天能術の技量を高めるか。それを明確にしていくことです」

 

 放課後、学園の第三視聴覚室。

 教室前方、天井から吊り下げられたスクリーンの傍らに立つ、学園教師の紫藤による淡々とした語りだけが、室内に響いている。

 

「考えも無しにただ漠然と磨いている気になっているだけでは、あまり意味がありません。日々の中で何を得て、どう成長していきたいのか。最終的な到達点というのも重要ですが、そこに至るまでの通過点というのも軽視してよいものではない」

 

 彼女の視線の先にあるのは、着席する二人の人物。

 一人はむむっと眉間に皺を寄せ、もう一人は背筋をピンと伸ばして緊張で顔を強張らせている。

 言うまでもなく播凰と毅の両名であり、それ以外の人影は室内にない。

 補講、というより紫藤による問題児二人への特別指導。その第一回目であった。

 

「さて、そこで聞きましょう。君達が今、何を目標として設定し、それを達成するためにどうしているのか。現在取り組んでいることで構いません」

 

 紫藤の目が、二人の顔をそれぞれ射抜く。

 

「私は勿論、覇の術を使えるようになることだな! そのために、覇という性質について色々考えているが、さっぱり分からぬ!」

「じ、自分は……ええっと、もっと天能術の成績がよくなるように――放課後に自主練習で術を使ってるっす」

 

 即答する播凰の目標は当然、天能術が使えるようになることだ。小貫とジュクーシャの助言を受けて頭を悩ませているが、けれども分からぬものは分からぬと隠さずに堂々と告げ。

 対して目が泳ぎまくりの毅は思考の末、しかし何とも曖昧で自信無さげな答え。

 

「……成る程。一年生とはいえ、東方第一の高等部に通う生徒の言葉とはまるで思えませんが――まずは、三狭間」

 

 なんとなく回答レベルは予想の範囲内ではあったのだろう。

 顔色一つ変えることなく、嘆息一つ吐くこともなく。さりとて無条件では受け入れ難かったのか、紫藤は平淡な声色ながらもチクリと咎めつつ。

 

「新しい術を使えるようになる。それ自体は、何らおかしい目標ではありません。学年、クラスを問わず、君以外にも同じ目標を掲げる生徒は多いことでしょう」

 

 それでも嘲りはそこになく、真面目に向き合い、彼女は不出来な生徒達に言葉を紡ぐ。

 

「君の場合は少し、いえ、かなり特殊なケースであることは認めます。ですがその上で、術と一口に言えど、その種類は多岐に渡ります。属性にすれば、天放に天溜、天介が。役割にしても、攻撃や防御に、補助といったその他系統。……必ずしも望んだ術が発現するわけではないにせよ、どのような術を会得したいか。それは君の頭にありますか?」

「うむ――ないな!」

 

 考える素振りすらなく、きっぱりと断言する播凰。

 聞く側からすると、いっそふざけているとすら感じられると思う者もいるであろう返答だ。

 少なくとも紫藤からすれば、ここ数年で自身にそのような態度をとった生徒はパッと思いつかない程度には。

 とはいえ、播凰は冗談でもなんでもなく、取り敢えずとにかく術を使いたいの精神。よって、知識が無いわけではなかったが、紫藤の挙げたことまでは考えが及んでいなかったというのは事実であり。

 それを理解してか、或いは流してか。

 

「そして、晩石。天能術の成績をよくしたい、その気持ちは結構です。では、何を以てしてよくしたいのか、それを意識した自主練習を君はしていますか?」

「うぇっ、えっと、それは……」

 

 次いで、矛先は毅に向かう。

 鋭い舌鋒に、毅はあたふたするばかり。なにせ自主練習とはいえ、とにかくがむしゃらに術を発動していただけだ。故に、意味のある言葉が口から出るわけがなく。

 

「天能全般でいえば、術の発動速度や制御力、天能力を上げる。一つの術に目を向ける場合、攻撃であれば威力、防御であれば強度を上げる。戦術の幅を広げたいという意味であれば、術への理解を深めたり、新しい術の会得。成績をよくする――つまり天能術の技量を向上させるというのは、大雑把に挙げただけでもこれだけの方向性が存在します」

「…………」

「無論、複数の要素を並行して鍛えるということも往々にしてありますが。それをできる力量があるなら、君はH組にはいないでしょう」

 

 遂には、沈黙。つらつらと指を折る紫藤を前に、毅は口を噤むしかなかった。

 ぐうの音も出ないとは正にこのこと。事実、毅自身今のやり方が最適であるとは思っておらず、その証拠に成果らしき成果も感じていなかったのだから。

 紫藤は二人の考えを聞いた上で、その浅慮を指摘すると。教室前方横にある机へと移動し、何やら端末を操作しはじめる。

 

視聴覚室(この場所)を指定したのは念のためでしたが、準備をしていたことを喜ぶべきなのか……ともかく、君達には、今からとある動画を見ていただきます」

 

 すると電気が消え、スクリーンに浮かび上がったのは静止状態の映像。

 

「これは天能術の種類についてを簡潔にまとめた動画であり、主に我が校の新一年生用の授業に用いられるものです」

「ほう……む? しかしそのようなもの、見た記憶がないが。予習ということだろうか?」

 

 新一年生といえば今の播凰達のことだが、しかし授業の中でそのようなものを視聴したことはない。

 そもそも、一般科目とは異なり、天能術に関する授業は基本的に座学ではなく実習タイプ。

 故に、授業内容の先取りかと播凰が指摘したのだが。

 

「いいえ、復習です。――なぜなら新一年生は新一年生でも、中等部(・・・)の新入生向けの教材ですから」

 

 真逆。それも三学年下の中等部一年生という、似たようで全く異なる立場にて習うべきことだというではないか。

 冷酷な事実を突き付ける紫藤の言葉と共に、有無を言わさず映像が再生される。

 

 これがプライドの高い生徒であれば、反発の一つもあっただろう。

 だがその点、播凰も毅も実に単純であった。元より両者共に、天能術に関してはプライドもへったくれもなく、一度映像が始まってしまえばたちまちそれに見入ったのだから。

 

「攻撃の術にも色々あります。まずは、代表的ともいえる単体攻撃。言葉通り単体に対して攻撃することに特化した術で、初級から上級まで幅広く存在します」

 

 映像の内容にあわせて、紫藤が口を開く。

 火炎が、雷撃が、旋風が。それぞれ術者から、対峙する相手役と思しき人間に放たれ、直撃するシーンが次々と映し出されていく。

 

「続いて、範囲攻撃。ランクとしては中級以降に分類される術が殆どであり、主に複数の相手との戦いで最大限の効果を発揮しますが、単数の相手に対しても避けさせにくいメリットはあります」

 

 爆発が地面を広く吹き飛ばし、光線が前方の空間を丸ごとを薙ぎ払い。それだけでなく、術者を中心として周囲に黒い何かが噴き出し、範囲内の二人の人間に膝を突かせる光景が流れる。

 それまでは感心するように無言で眺めていた播凰だったが。

 

 ……ん? 敵が二人?

 

「ぬっ、紫藤先生!」

「質問があれば後で受け付けます。黙って最後まで見るように」

「分かったぞ!」

 

 疑問を抱くや否や、バッと勢い込んで声を上げたはいいものの、すげなくあしらわれて映像に視線を戻す。

 

「――続けます。己の身体、または天能武装に術をかけて行う攻撃は武戦科の戦いでは基本です」

 

 火を纏った拳が振るわれ、尋常ではない速度で槍と薙刀が交差し合い。

 雷を帯電した剣により斬撃が飛び、番えた弓から放たれた矢は光となって空を切り裂く。

 

「防御に関しても、守り方は一つではありません。盾を防具として装着するのか、壁として造り出すか。技量は必要ですが、一面だけでなく周囲全体から身を守る術を操ることも可能です」

 

 披露されるのは様々な性質による盾――即ち防御の術。

 例えば、それは術者の腕に展開されて相手の天能武装による攻撃を受け止め。術者の正面に展開されて前方から飛来する岩石を弾き。かと思えば、術者ともう一人を囲うよう全方位に展開されて四方より押し寄せる水を遮る。

 

「攻撃と防御以外では、相手の行動制限するものや自身の能力を強化するもの、体力回復効果を与えるものなど――この動画には収録されていませんが、その他にも数多の補助的な効果を発揮する術が存在します」

 

 地面を一瞬で凍らせ、相手の足を止める氷。鋼による、屈強な人型物体の生成。

 時間にして数分。様々な天能術の発動を次々と映し出し、やがてその動画は終わった。

 

 部屋の電気が点き、紫藤のいつも通り堅い表情が見えるようになる。

 

「さて、何かあれば、挙手をしてから発言して――」

「はいっ! 一騎討ちだけではないのかっ!?」

 

 瞬間、待ってました、と言わんばかりに播凰が勢いよく挙手。

 問うは、戦いは一騎討ち――つまり一対一だけではないのか、ということ。

 映像では、複数の相手を攻撃したり、また自分以外の誰かも守っているようなシーンがあった。

 つまり、戦いの場にいるのは自分と相手の二人だけではない。てっきり、天能術を用いた戦いは一対一だけと勝手に思い込んでいた播凰は、それに疑問を抱いたのだ。

 

「……一騎討ち?」

 

 にしても、言葉足らずにもほどがある。

 何より、動画の主題は天能術の種類について。であれば出てくるのは天能術についての質問かと思いきや、飛び出したのは予期せぬワード。疑問に至った経緯は不自然でこそないものの、播凰の内心を知る由もない紫藤からすれば、すぐさまその意味を理解できるわけもなかった。

 実際、播凰の隣に座る毅もまた首を捻っている。

 とはいえ、少し時間があれば言いたいことは伝わったのだろう。

 

「……ああ、いきなり何かと思いましたが、戦闘形式のことですか。勿論、一対一だけではありません。チーム戦――つまり天戦科同士の生徒で組んだり、天戦科と武戦科の生徒で協力したりといった多対多の戦闘形式も当然あります」

「ほう!」

「もっとも、一年生では戦闘の基礎や一対一での戦いを教えることとなるので、そういった内容を授業で行うのは二年生以降になってからですが」

「おおっ、それは楽しそうだな!」

「…………」

 

 戦い自体は好きで、一騎討ちも好きだ。けれど説明を聞いてチーム戦という形式にも興味を持った播凰は朗らかに笑う。

 だが、そんな彼の顔を、紫藤はじっと見つめており。

 

「一つ、こちらから聞きますが――四方校(しほうこう)天奉祭(てんぶさい)については?」

「四方……? すまぬ、もう一度頼むぞ」

「……いえ、結構です。その反応で分かりました」

 

 くい、と眼鏡を持ち上げた後、紫藤は両腕を組む。

 

「四方校天奉祭。毎年秋に開催される、四校――つまりは西方第二、南方第三、北方第四、そして我が東方第一の学園の生徒が力や技術を競う場です。一般の方の見学も受け入れてることから、学校関係者以外にも広く知られています」

「ふむふむ」

 

 言外に、一般の人間が知っていることすら何故知らないと告げられているわけだが。

 初めて聞いた、と大真面目に頷く播凰にその皮肉が届くことはない。

 

「中等部は、生徒による団体演技だけですが。高等部からは団体演技に加えて、天戦科、武戦科それぞれの学年別生徒での個人戦にチーム戦、科を問わないメンバーによる団体戦といった戦闘形式でも他校と競い合います。あとは、造戦科生徒の作製物を品評して順位をつけるといったものもあり、各競技の総合点でその年の優勝校が決定します」

「ほう、そのようなものが!」

 

 各校との勝負の場。

 それを聞いた播凰は膝を打ち、目を輝かせる。

 

「予め言っておきますが、生徒全員が好きに参加できるわけではありません。見学は可能ですが、出場権が与えられるのは、各学年から選出されたそれぞれの科の代表生徒のみです」

「それはどうやって決められるのだろうか?」

「成績は勿論、戦闘系の部活に所属していれば、そちらも加味されます。敢えて言うなら、部活動は異なる科の生徒が、組む相手を探す絶好の場ともなりますので。多対多ともなれば、単に成績優秀者を集めた即興のメンバーより、慣れている者同士の連携が勝ることも充分にありますから」

「部活、か。そういえば、辺莉も入っていると言っていたな」

 

 最強荘二階、播凰の後輩にもあたる中等部の二津辺莉も、詳しくは聞いていないが部活に所属していると言っていた。

 今はともかく術を使えるようになるのが優先だが、それが叶ったら部活とやらに入ってみるのもいいかもしれない。

 それに、その四方校天奉祭とやらも面白そうだ。

 興味の対象が増え、わくわくと。自然、顔が綻ぶ播凰。

 そんな彼の顔を眺めていた紫藤であったが。

 

「……話は脱線しましたが。今、君は他のことに意識を割いている余裕はないはずです。そもそも、天能武装は自由に扱えるようになったのですか?」

 

 それ以上は踏み込まずに、本来の話題に戻した。

 

「ぬっ、まだだ! どうも上手くいかなくてな」

「でしたら、新しい術よりもそちらが先でしょうに。或いは、それが出来た時に術も発現するかもしれません」

「はっはっは、それもそうだな!」

 

 小言を笑って受け流す播凰にそれ以上追及せず、紫藤は毅に向き直る。

 

「晩石。君は確か、行使可能な術は二つでしたね?」

「え、は、はいっす!」

「はっきり言って、天戦科の高等部一年としては少ない。そのため、こちらとしては新しい術の会得を目標とすることを推奨します。新しい術を会得し、それを制御できるようになれば、多少地力は向上するでしょう」

「あ、新しい術っすか……」

 

 簡単に言う紫藤であるが、毅にとっては難問を突き付けられたに等しい。

 それがすぐできるのならとっくにやっているからだ。好き好んで術が少ないわけでは当然無い。

 

「君の知識は、三狭間よりはまだ良い、という程度なのがよく分かりました。つまり、実力だけでなく知識も周りより劣っている。知識が劣っているために実力もついていない」

「うぐっ……」

 

 追撃するような辛辣な言葉に、毅は呻いた。

 別に播凰を見下しているわけではないが、その知識に関しては苦笑いすることがある。それと比較されてまだマシと言われるレベル。地味に傷つく評価であるのは言うまでもない。

 

「まずは、君の性質である岩に、どのような術が存在するのかを知りなさい。学園貸与の端末から、我が校の生徒向けの学習動画が展開されているページにアクセスできるのは知っていますね? 用意された中に、各性質の術をそれぞれ映像化したものがあります」

 

 そんなものがあっただろうか、と播凰は首を傾げた。

 そんなものがあった気がする、と毅は冷や汗をかいた。

 

「岩の性質の術を知った上で、まずは自分がどの術を会得したいかを考えなさい。当然、いきなり中級、上級ランクを行使するのは今の君には無理です。術を決めたら、それを正確にイメージして鍛錬する。何を契機として新しい術に目覚めるかは未知数ですが、偶然に身を委ねず努力で会得しようとするなら、これが一般的なやり方です」

「わ、分かりましたっす!」

 

 必死に脳裏に刻みつけ、毅は声を張り上げる。

 その横で、首を傾げたままの播凰が手を上げた。

 

「それはもしかすると、私の覇の性質の術も――」

「――覇の術が記録されているわけないでしょう」

 

 ピシャリ、と無慈悲に一蹴。

 いいですか、と紫藤は前置きして着席する播凰に近づき、声のトーンを落とす。

 

「覇という性質の希少性について、君は正確に理解すべきです。現代では日本のみならず、世界を見てもその性質()の保持者の存在は報告されていません。今はまだ、夏美が君の性質を確認しただけなので、このことを知るのはあの場にいた者、そして私の方でお知らせした学園長のみですが」

 

 ……あの二人に言ってしまったぞ。

 喫茶リュミリエーラにて、ジュクーシャに相談を持ちかけ、その場にいた万音も聞いていたであろうことを思い出す。

 播凰の表情が動いたのを、目敏く見つけたのか。

 

「信頼できる方であれば仕方ないですが、無闇矢鱈と言いふらす真似だけはしないように。事実であろうと、今の君にそれを証明できる(すべ)はないのですから」

 

 今まで我慢してきたであろう溜息が、ようやくここで一つ紫藤の口から漏れ出る。

 

「とはいえ、君が術を使えるようになった場合、その時は学園として(・・・・・)対応を考える必要があります。極稀な事例なので、決まった流れというのはないものの……大々的にとはならないでしょうが、然るべき場所、機関への公表の必要も出てくるでしょう」

 

 ――故に、一つでも術が使えるようになったその時は、必ず私に報告してください。

 

 最後にそう結んで、パン、と紫藤は手を打った。

 

「何をすべきかは、これで明確になったはずです。こちらも毎日時間がとれるわけではありませんから、まずは各々それを取り組んでください。ある程度過ぎたら状況を確認する場を設けますので、その際はこちらから連絡しますが、どうしても困った場合は個別に連絡をしていただいて構いません」

 

 そうして、初回の紫藤の指導は終わった。

 播凰は天能武装を自由に扱えるよう、毅は自身の性質の術を知って会得を目指し、日々努力する。

 だが、両者共に、そう簡単に目標を達成できるわけはなく。

 

 とうとう、その日はやってくる。

 そう、播凰発案の、喫茶リュミリエーラ宣伝放送計画。

 その配信のタイトルは――『大魔王と客将が行く廃商店街 with 従者』である。



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22話 魔王と覇王と勇者の商店街レビュー(駄菓子編)

 ――大魔王と客将が行く廃商店街 with 従者――

 

 その配信は、恒例の高笑いと、リスナーによる困惑を以て始まった。

 

『フハハハハッ、余の配下共よ、会合の時間だ! 大魔王ディルニーンであるっ!』

 

 ・コメント:ネタじゃなかったのか……

 ・コメント:謎企画キター!!

 ・コメント:突然どうした

 ・コメント:アカウント乗っ取られたのかと思ってたわ

 

 迎えた週末。

 すっきりとした青空の下、大魔王ディルニーン――もとい万音と播凰の姿はリュミリエーラのある商店街の中ほどにあった。

 万音の高笑いが商店街中に響くが、それを見咎める者もなければ眉を顰める者もない。なぜなら、休みの日中だというのに周囲にあるのは人の姿でなくシャッターが下りた建物ばかり。その中までもが無人かは別として、相変わらずの閑散具合であった。

 

「……くっ、何故このようなことに」

 

 いや、一つだけ。

 射殺さんばかりに圧の籠った、高笑いする男を睨む視線が一つ。

 ぼそりと歯噛みしているのは、ジュクーシャ。

 さて、完全に部外者というわけでもないが、少なくとも配信に関わりのないであろう彼女が何故こうしてここにいるのかというと。

 

 ・コメント:ところで、配信タイトルの従者というのは?

 ・コメント:大魔王と客将は分かるんだが

 ・コメント:どなたですか

 ・コメント:激レアだからにわかは知らないだろうな。。

 ・コメント:嘘乙、確実に新キャラだゾ

 

『フハハハハッ、やはり気になるか! 余としては別に捨て置いても構わんのだが……聞かれたならば仕方あるまい。そら、余の配下達に挨拶でもするがよい、従者!!』

『…………』

『どうした、挨拶の一つもできぬのか? これだから、脳筋の女勇者という輩は困る。いや、元だったな、ハーッハッハッハッハ!!』

 

 腹を抱えんばかりに笑う――しかし配信を流す端末を持つ手は殆どブレていないが――万音の姿に、ビキビキと青筋を立てながらも。ジュクーシャは引き攣らせながらもなんとかにこやかな笑みと声色を作り。

 

『ど、どうも皆さん初めまして……その、じ、従者と申します』

 

 ・コメント:女性の方?

 ・コメント:そういや女勇者がどうだとか言ってたな

 ・コメント:低めだけどカッコイイ声ね

 ・コメント:ワイには分かる、絶対美人や

 ・コメント:大魔王様、詳細プリーズ

 

 姿は映していない。そしてライブ配信ではあるが、声はそのままでなく多少加工している。

 そんなジュクーシャが名乗ると、彼女――従者という存在について触れるコメントが流れた。

 

『答えてやろう! 此奴は大魔王たる余に歯向かった愚か者であり――結果、無様に敗北した元女勇者。殺せなどと喚いたが、従者として生かし余に逆らえぬようにしてやったのだ。どうだ、余は寛大であろう? フハハハハッ!!』

『くっ……!』

 

 怒りからか、或いは羞恥から赤面するジュクーシャであるが、その口から否定の声は出ない。

 では、万音の発現が真実であるかというと――真実ではないが完全に嘘でもなかったりする。

 

 事の発端は、配信にジュクーシャが同行する意思を示したことであった。

 といっても彼女としては参加するという意味ではなく、あくまでも裏方として。ある意味何かをしてしまいかねない播凰の心配と、ある意味何かをしでかしかねない万音の監視。声を出さずで成り行きを見守り、しかし何かあった時のためにいるつもりであったのだが。

 そこに、万音の注文が入った。

 

 ――余の考えた設定のキャラクターで配信に出るのであれば、同行を許してやろう。

 

 それを聞いたジュクーシャは大いに悩んだ。

 配信に出る、というのもそうなのだが。その上、万音の考えたキャラクター。どう考えても碌でもないものを考えるに違いないとその時点で断言できる。

 だが、そうでもしないと許可をしないという。

 どうにか譲歩を引き出させ(歯向かい)ようとし、しかし万音は頑として譲らず(敗北)

 

 今回の配信はただの配信ではなく、リュミリエーラの命運を左右するかもしれないもの。変に暴走され、逆に商店街の、お店の評判を下げられては目も当てられない。となれば、何かあった時のためのストッパー、人員が必要となる。

 ジュクーシャとて、世話になっている店とその女店主――ゆりのため力になりたいという思いはあるのだ。播凰に任せきりでは申し訳なく、歯痒くもあった。

 悩みに悩み、苦渋の末に決断した結果――。

 

 ・コメント:なるほど、くっ殺系か

 ・コメント:控えめに言って大好物です

 

 ――予想通り、変なキャラ付けをされたのである。

 恥ずかしさのあまりプルプルと身を震わすジュクーシャを横に、万音は播凰へと話を振る。

 

『そして客将である。そら、名乗るがよい』

『うむ、私は客将だ! 今日はよろしく頼むぞ!』

 

 ・コメント:キャー、客将様ー!!

 ・コメント:出たわね

 ・コメント:つまり三人いると

 ・コメント:だけど姿があるのは大魔王様のみ……妙だな

 ・コメント:客将きゅんの立ち絵はまだですかーっ!?

 

 同じく、声だけではあるが客将――もとい播凰の登場に、コメントの勢いが加速する。

 本人はあまり気にしていない、というより単純に疎いだけだが。意外にもその存在は、大魔王ディルニーンのリスナーからは割と好意的に受け止められていたりしていた。批判というか否定的な意見がないというわけではないが、先日のゲーム配信の天然さと初心者丸出し感が何気にウケているんじゃないか、というのが矢尾の分析の結果である。

 

『ククッ、流石は余の配下達、よい指摘だ。……オホン、客将の姿は余のママ――えりくさーたんによって、鋭意制作中であるっ!』

『む? 私がどうしたと?』

 

 ・コメント:客将の本格参戦ktkr

 ・コメント:わーい!

 ・コメント:パチパチパチ

 ・コメント:おい、本人分かってねえぞ

 

 コメントを受け、万音が含み笑いをしつつ、播凰の――客将の絵の準備が進んでいることを告げる。

 だが、客将イコール自分、と辛うじて認識している程度の播凰である。客将という単語に反応したはよいものの、話を理解していない。

 もっとも――。

 

『だから、余のママたるえりくさーたんが、貴様を描いてくれると言っているのだ! 感謝するがよい!!』

『ほう、大魔王の母君か? して、私を描いてどうするのだ』

『どうもこうもないわ、戯けが! ともかく貴様は、ママに礼を言えばよいのだ! 詳しい話は後日してやる』

『ふむ。よく分からぬが、感謝するぞ、大魔王の母君よ』

 

 ――説明されても尚、理解できないでいるのだが。

 

 ・えりくさー:あはは、本人には話してなかったのかな。よろしくね客将さん

 ・コメント:えりくさーさんもようみとる

 ・コメント:これにはママも苦笑い

 ・コメント:コイツわざとやってんじゃねえだろうな

 ・コメント:これは多分大魔王が悪い

 

 言われるがままに礼を述べれば、コメントにそのママが現れる。

 当然、播凰と面識はなく、これがファーストコンタクトもどきとなったわけだが……大人の対応というか、なんというか。

 

『オホン、それでは気を取り直して今回の企画の説明といこう。余達は今、寂れに寂れた商店街と呼べるかも怪しい場所にいる。そこで開いている店に入る、以上だ』

 

 ・コメント:???

 ・コメント:辛辣ぅ!

 ・コメント:なぜそうなった

 ・コメント:謎すぎるwww

 

『ちなみに場所は伏せさせてもらう。配信中に興味本位の余の配下に来られても困るのでな。配信後に情報を出す故、気の向いた者は後日にでも訪れてみるがよい』

 

 では行くぞ、という万音の一言で一行は商店街を進む。

 右を見ても左を見ても、下りているシャッター。

 コメントでも、最近見るだの近くでは見ないだの、所謂シャッター商店街について言及されている。

 配信としては致命的に地味な絵面だが、それほど間を置かず一行は開いている一軒目の前に辿り着いた。

 

「はい、いらっしゃい」

「フハハハハッ、約束通り邪魔するぞ、駄菓子屋の店主よ」

「……えぇと、何の話だったかねぇ」

「店内を撮影し、配信に使う件だ」

「ああ、そうそう、ビデオ撮影したいっていう子達だね。はいはい、どうぞどうぞ」

 

 出迎えたのは、この駄菓子屋を経営しているお婆ちゃん店主。

 テレビを見ながらレジに腰掛け、入って来た三人に気付いて声をかけてくる。

 会話から分かる通り、ちゃんと事前に撮影許可はとっており抜かりはない。商店街繋がりでゆりに間に入ってもらったため、交渉は結構すんなり通ったのだ。もっとも、ジェネレーションギャップというべきか、ライブ配信についてちゃんと理解しているかは怪しいが。

 

 ・コメント:駄菓子屋か、懐かしいな

 ・コメント:子供の頃はよく行ってたけど、やっぱ大人になるとねぇ

 ・コメント:流石に許可はとってあるのね。安心した

 ・コメント:ちゃんとモザイクもかかってるし

 ・コメント:意外と大魔王様はそのへんちゃんとしてるからな

 

『フハハハハッ、当然であろう! では早速だが客将、好きに買ってくるがいい。ちなみに予算は300円以内とする』

『む、了解だ!』

『そして従者よ、貴様には余の好みそうなものを選び、献上する権利をやろう。泣いて喜ぶがいい』

『……何故、私がそのようなことを。それに貴方はどうするのです?』

『フン、そんなの貴様が従者だからに決まっておろう、さっさと行け。それと余は採点者だ、貴様達の選んだ駄菓子のセンスを評価してやろう』

『くっ……不覚です』

 

 喜々として播凰(客将)が、渋々とジュクーシャ(従者)が、それぞれ商品の陳列された棚に向かっていく。

 

 ・コメント:駄菓子映して

 ・コメント:もっと商品棚に寄ってください

 ・コメント:大魔王様は選ばないの?

 ・コメント:何があるか分からないと評価できないと思う

 ・コメント:私も評価するー

 

『ふむ、一理あるな。いいだろう、配下達も審査員としてやろうではないか』

 

 リスナーの意見に鷹揚に頷き、万音(大魔王)もまた端末を手に商品棚に近づいていった。

 

 

 ――それから、数分後のことである。

 

 

『……貴様達は一体何を考えているのだ?』

 

 ・コメント:これは大草原不可避

 ・コメント:www

 ・コメント:珍しく大魔王様がキレていらっしゃる

 ・コメント:いやまあ、ね……

 

 呆れとも怒りともとれる万音の声。それに同調するように流れるコメント。

 

『まず客将、なんだそれは?』

『うむ――飛行機の玩具と、くじで当たった玩具だ!!』

『そんなものは見れば分かるわ! 肝心の駄菓子はどうした!?』

『お金が足りなかった!』

 

 堂々と胸を張る播凰が選んできたのは、発泡スチロール製の組み立て式飛行機の玩具と、くじを引いて当たった玩具の銃。

 最初こそ興味津々に駄菓子を吟味していたのだが。飛行機を発見するや否や目を輝かせ、更に近くにあったくじの箱とそのシステムをお婆ちゃん店主に説明してもらい、即決。

 飛行機が100円、くじが200円の、締めて300円ピッタリである。

 

 ・コメント:その飛行機懐かしすぎる

 ・コメント:いやまあ、商品は商品だけどさあ

 ・コメント:しれっとくじで大当たり枠当ててて草

 ・コメント:子供か

 ・コメント:計算できてえらい

 

『そして従者、貴様にはこう言ったはずだな。余の好みそうなものを選び、献上せよと』

『…………』

 

 すっと気まずそうに視線を逸らすジュクーシャが買ってきたのは、一応駄菓子ではあった。

 だが――3つに1つが超酸っぱいガムや梅に始まる酸っぱい系が数種。加え、激辛スナック、わさび味、果ては激辛ペペロンチーノといった辛い系が数種。以上である。

 それが果たして真剣に選んだのか、はたまた嫌がらせで選んだのかは当人のみが知る。

 

 ・コメント:この偏りよ

 ・コメント:罰ゲーム用かな?

 ・コメント:いや、悪くは無いんだけどね。それぞれ単品だけで見れば

 ・コメント:口内アンハッピーセット

 

『全く。画面映えする買い物一つできんのか、貴様達は』

 

 個人の買い物ならまだしも、駄菓子屋紹介というのを前提にすれば、両者のチョイスは不合格、落第も落第ものだ。

 煽りではなく、珍しく本気で溜息を吐く彼は新鮮なのか。感心に驚きと、コメントでもそれを指摘する声が多数。

 

『――仕方あるまい。ここは余が、王者に相応しい駄菓子を選んできてやろうではないか。配下達、余も含め勝者の名を挙げるがよい』

 

 二人の買い物を待っている間にリスナーと共に商品を見ていたこともあってか、万音は手早く選び購入を済ませると、数分と経たずに戻って来た。

 

 ・コメント:うーん、これは魔王様

 ・コメント:大魔王様に一票

 ・コメント:同じく魔王

 ・コメント:大魔王一択

 ・コメント:順当というか無難に魔王様

 

 未だ根強い人気を誇るスナック、ドーナツ型のマーブルチョコ、フルーツ味のフーセンガム等々。

 これぞ駄菓子、と言わんばかりにリスナーの子供心をくすぐるチョイスに、コメントは魔王一色。

 

『当然の結果だな。呆れて笑う気も起こらんわ』

『くっ、魔王に負けるなど……殺してください』

『ふむぅ、この飛行機は格好いいと思うのだが……ぬ、もしや、完成していないから悪いのではないか? どれどれ、まずは――』

『組み立て始めるな! 自由か、貴様は!』

 

 見えていた結果に憮然とする万音に、素でくっ殺ムーブを見せるジュクーシャ。負けたのは飛行機の魅力が伝わっていないためと考えて作り始める播凰。

 そのカオスな状況に一石を投じる――いや、加速させるように。

 

 ・スパチャ:客将きゅん! \50000

 ・スパチャ:客将はんで \10000

 ・コメント:えぇ……

 ・コメント:客将ガチ勢だ!

 ・コメント:草

 ・コメント:俺は辛党だから従者を推すぜ!

 ・コメント:魔王様はド定番すぎて逆にね

 

 所謂ガチ勢の発生に、尖った従者のチョイスを選ぶコメントと、評価が入り乱れる。

 コメントが各々好き勝手言い始める中。

 

『ここはどうすればよいのだ?』

『ええっと、こうでしょうか。そしてこのパーツを合せれば、完成です』

『助かったぞ! む、これはなんだろうか?』

『説明によると、飛行機を飛ばすためのものみたいですね。ここに引っかけて放せば、綺麗に飛ぶのかと』

『よし、早速飛ばしてみよう!』

 

 そう複雑な造りでもないので――それでもジュクーシャに手伝ってもらったが――すぐに飛行機を完成させた播凰は、颯爽と店の外へ駆け出していった。

 こうなれば段取りも何もあったものではない。仕方なしに万音も店外に足を向け、ジュクーシャもそれに続く。

 ちなみに人物を映す際は顔をメインにモザイクをかけるように設定してあり、それは万音達自身も例外ではない。声も姿も加工しているので、一応の身バレ対策とはなっているのだ。

 店の外に出れば、付属品に飛行機本体を引っかけ、パチンコの要領で構えた播凰の全身が配信に映る。

 やがて飛行機はその手から離れ、商店街の空を舞い上がって進み――。

 

『『…………』』

『うーむ、落ちてこぬな。これは困った』

 

 ――建物のでっぱりに引っかかった。

 一投目から、まさかの事故発生。見えてはいるのだが、完全に引っかかったようで地面に落ちてこない。

 

 ・コメント:www

 ・コメント:やっちゃったな

 ・コメント:まあこれだけ障害物もあるとねえ

 ・コメント:流石客将

 ・コメント:客将きゅん可愛い

 ・コメント:本当にあの凄い動きしてたドラゴンの時のと同一人物か?

 

『……ええい、取るのは後だ! もうよい、次の店に行くぞ!』

 

 もはやしっちゃかめっちゃか。仕切り直すには次に進むしかないと判断を下し。

 名残惜しそうに飛行機を見る播凰と苦笑いのジュクーシャを伴い、万音は一旦駄菓子屋の店内に戻る。

 が、購入した三人分の駄菓子――なお一人は玩具のみだが――を見てふと気付いたように。

 

『折角駄菓子屋に来たというのに、何も食べておらぬではないか! ……ああ、これなら丁度よいな。そら、一つ選んで食べよ』

 

 駄菓子屋に来てそれを食べないのはいかがなものかと、一つ手に取り袋を開ける。

 差し出されたのは、3つ入りのガム。ジュクーシャの購入した、1つが超酸っぱいガムだ。

 

 ・コメント:常識人大魔王

 ・コメント:魔王様が魔王してる……

 ・コメント:というか、他二人が

 ・コメント:最初は従者が常識人枠かと思ったけど

 ・コメント:取り敢えず客将がフリーダムすぎる

 

『酸っぱいものを食べた者が外れだ。その者は罰として、此度の配信における荷物持ちに命じる。全員分の駄菓子……と玩具を持つのだ』

『よし、真ん中を選ぶぞ!』

『……では左で』

『余が右だな』

 

 真ん中が客将(播凰)、左が従者(ジュクーシャ)、右が魔王(万音)

 一斉にグレープ味のそれを口に含んだ三人であったが。

 

『……っ!』

『フハハハハッ、やはり従者は従者ということか! 荷物持ちは従者に決定である!』

 

 酸っぱいもの――即ち外れを引いたのはジュクーシャ。

 分かりやすすぎるほどに反応した彼女に、万音は高笑いして一まとめにした駄菓子の袋を押し付ける。

 

「さて、騒々しくしてすまなかったな、店主よ。協力、感謝する」

「いいえ、久しぶりにお店の中が賑やかになって嬉しかったよ。ありがとうね」

 

 一行が駄菓子屋に入ってから、他の客が来たわけではない。

 それでも万音が非礼を述べれば、お婆ちゃん店主は朗らかに笑った。

 

 ・コメント:あったけぇなぁ

 ・コメント:っぱ駄菓子屋といえばお婆ちゃんよな

 ・コメント:そういえば、よく行ってたとこは時々おまけとかしてくれたっけ

 ・コメント:久しぶりに行ってみっか

 ・コメント:今度子供と一緒に行くわ

 

 そうして駄菓子屋を出た一行は、次の店である玩具屋へと向かうのであった。

 尚、駄菓子センスの勝者は結局有耶無耶のままである。



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23話 魔王と覇王と勇者の商店街レビュー(玩具編)

『さて、余達が何故ここを訪れたのか……分かる者はおるか?』

 

 商店街にある玩具屋の店内、そのテレビゲームの区画。

 ゲーム機のコントローラーや各ソフトが陳列された空間で、万音が端末に向かって問いかける。

 

 ・コメント:次の配信用のゲームを決めるとか

 ・コメント:プレゼント企画?

 ・コメント:ゲーム紹介かな

 ・コメント:客将きゅんにゲーム買ってあげて!

 ・コメント:客将にゲーム買え

 

 瞬間、続々と回答がされる中、万音はそれに目を通して頷き。

 

『正解があるな。……そう、先日の余の配信にて、ここにいる客将と共にゲームを行ったわけだが――それはもう未熟で悲惨な腕前であった。客将とはいえ、この大魔王軍に所属している身。あのままとしていれば余の沽券に関わる』

 

 芝居がかったような口調で客将の、播凰のゲームの実力を扱き下ろす。

 つまり、播凰が二度目に配信に登場し――初回は意図せず登場していたわけだが――質問に答えたり、万音と共にゲームをプレイした回のことである。

 初めてテレビゲームというものに触れ、今までコントローラすら持ったことのない播凰であったから、その腕前は当然初心者丸出しの下手くその一言に尽きた。

 

『客将、以前に余と配信でゲームをしたことを覚えているな?』

『うむ、難しかったが、あれはあれで中々に楽しかったぞ!』

『あまりに見ていられなかったのか、お情けの上納金が集まっている。今回は、そのお金で貴様にゲームを見繕ってやる故、まずは余の配下達に礼を述べるがよい』

『おお、あれを私にくれるのか! 配下の者達よ、ありがたく使わせてもらうぞ!』

 

 ・コメント:いいってことよ!

 ・コメント:どういたしましてー

 ・コメント:お礼を言えてえらい

 ・コメント:俺達のスパチャが火を噴くぜ!

 

『さて、まずはゲームハード、本体の選定からだ。……しかし場所が場所、まともな在庫があるのかと不安ではあったが――しかし、余は思わぬものを見た』

 

 万音が、端末を動かしてとある商品棚を映す。

 そこに映っていたのは。

 

 ・コメント:え、嘘でしょ

 ・コメント:は!? 品薄の最新機種じゃんか!?

 ・コメント:俺、まだ買えてないのに……

 ・コメント:こちとら抽選に全部外れてるんだが?

 ・コメント:客将幸運すぎんよ

 ・コメント:やらせか?

 

『この大魔王たる余とて、幾度の抽選の末にようやっと手にしたというのに。……ともあれ、丁度よいことに最後の一台だ。客将、確保せよ』

『うむ、よし!』

 

 現在入手困難と言われている、とあるメーカーの最新型のハード。

 本来は抽選やら先着やら必要で、ともかく易々とは購入できないはずのそれが、ポツンと陳列されていたのだ。

 レジカウンターに立っている玩具屋店主の中年男性は、万音のストレートな発言に苦笑しながらも、しかし喜々として箱を腕に抱えた播凰の姿にどこか嬉しそうに目を細めている。

 

『では、次にソフトだ。これも個人の商店にしては、なかなかどうして豊富に揃っている』

『うむ、いっぱいあるな! これだけあると、どれにするか迷ってしまうぞ!』

 

 ・コメント:分かる

 ・コメント:ショップに並んでるゲームって見てるだけでなんか興奮するよな

 ・コメント:最近じゃ、通販やダウンロードで済むからわざわざ店行く必要あんまないしねー

 

『全て見ていては、時間が足らん。ここはゲームに関しても大魔王級の余が、ジャンル毎に選んでやろう。……まずはレースゲームだが、これに関しては一択だな』

 

 そう言って万音が手に取ったのは、前回の配信で播凰もプレイしたゲーム。

 内容は、レースに天能術の要素を足し、自身の強化や相手への攻撃を行いながら選択したカートで走ってゴールを目指すというもの。

 レースゲームでは定番というに相応しく、リスナーもこのチョイスには全面同意。

 オンライン対戦も人気で視聴者参加型の形式もとれることから、配信ゲームとしても最適なのだ。

 

『次はアクションか。さて、名作と呼ばれる作品は多く、余も初めてプレイした時はこれほどのものを人間が造り出したことに驚きを覚えたものだ。個人差が出るところだが……客将、貴様はこれをプレイし、魔王がなんたるかを知るがよい』

 

 レースゲームのパッケージを播凰の抱える最新ハードの箱の上にひょいと置いた万音は、次なるゲームを棚から抜き出し、各々に見えるように差し出す。

 

 ――魔王征服伝。

 そのゲームはおどろおどろしく暗い雰囲気の文字フォントに、台座に突き立った漆黒の剣のイラストが描かれていた。

 そのタイトルからも、万音の言葉の内容からも、魔王に関するものであることは明白。

 興味を惹かれた播凰がゲームの説明を求めようとした、その時。

 

 すっと横合いから伸びてきた手が、その上に別のゲームのパッケージを重ねた。

 

 ――勇者救世録。

 先程のとは反対に、明るく爽やかな文字フォント。台座に剣が突き立っている構図は同じだが、こちらはどこか神聖さを感じさせる剣のイラスト。

 ゲームが伸ばされた褐色の手の元を辿れば、やはりというべきかこの場で残る人物、従者――もといジュクーシャの姿があった。

 

『なんのつもりだ従者。勇者なんぞが主人公の、くだらぬ駄作を持ち出してきおって』

『それはこちらの台詞です。魔王などが主人公のゲームを、は……オホン、彼に、客将君に勧めないでください』

 

 睨み合う二人。

 万音が魔王征服伝(ゲーム)を上に持ち上げれば、ジュクーシャもまた勇者救世録(ゲーム)をその上に重ね。ジュクーシャが動けば、万音もまた動く、その繰り返し。

 

『フン、ならば当人に聞いてやろうではないか。客将よ。当然、魔王となり世界征服を目指す、この魔王征服伝(・・・・・)をプレイしたいであろう?』

『いいえ、そんなものよりこちらの、勇者となって魔王を滅ぼし世界を救う、勇者救世録(・・・・・)の方がお似合いです!』

『『――さあ、どちらを選ぶ(選びますか)?』』

 

 ・コメント:同じ会社の立場逆転物だね

 ・コメント:ぶっちゃけ両方名作

 ・コメント:魔王の方が好きかなー

 ・コメント:どっちかといえば魔王

 ・コメント:そうか? 勇者の方が面白かったけど

 ・コメント:俺も勇者

 ・コメント:魔王で!

 ・コメント:勇者おススメ!

 

『……ふむぅ、両方ではいかぬのか?』

 

 そのままでは埒が明かぬと、ついには播凰本人に意見を求められたものの。

 簡潔な内容は分かったが、とはいえそれだけで即断できるわけでもなく。双方がプッシュするとあって両方に興味を持った播凰はそう提案する。

 コメントでも意見は二分しており、優劣つけ難いようであった。

 

『いいだろう、二つ共買ってやろうではないか。勇者の方は、適当にプレイしてゲームオーバーにでもなるがよい。……ああ、終盤までは進めても構わんぞ? 魔王との戦いで無様に敗北するのだ。さすれば、魔王の偉大さと、勇者の貧弱さが理解できるであろう』

『難しいかもしれませんが、いざという時は私を頼ってください。このゲームには二人での協力プレイもあります、是非、共に魔王を滅ぼし救世を成し遂げましょう。そして、勇者がいかなる存在かを知ってくださると嬉しい。ついでに魔王などという存在の悪辣さ、いかに嫌われているかも知れることでしょう』

 

 トン、トン、とそれぞれ重ねられ、これでゲームは合計三つ。

 目の前に積まれたそれを見た播凰は、ふと気になったことを口に出す。

 

『いくつもくれるのは嬉しいが……今は新しい術を使えるようにせねばならぬ故、あまり多く貰っても割ける時間がないかもしれんな』

 

 ポツリと漏らしたそれを、リスナー達は聞き逃さなかった。

 

 ・コメント:新しい術?

 ・コメント:今、術って言ったよな

 ・コメント:天能術のことか?

 ・コメント:絶対そうでしょ

 ・コメント:やっぱ東方第一の生徒説あるぞ

 ・コメント:でも、別に生徒じゃなくても術は使えるし。。

 

 ドラゴンとの戦いとの折に着ていた東方第一の制服。

 その服の特徴から東方第一の生徒の可能性――まあ事実であるが――は以前から指摘されており、今の播凰の発言からその説が当たりなのではとするコメントがポツポツとされ始めた。

 失言というレベルではないが、迂闊な発言ではある。

 が、疑惑が再燃する中。しかし当の播凰はそんなの気にすることなく、とある一つのコメントに目が釘付けになっていた。

 

 ・コメント:俺、ゲームしてたらいつの間にか術使えるようになってたことあるよ

 

『何、本当か!? どのゲームをしたら新しい術が使えるようになったのだ!?』

 

 ・コメント:天能戦記シリーズ

 ・コメント:あ、俺もそういえばそうだったわ

 ・コメント:確かに天能戦記は色んな天能出てくるから有り得なくないかも

 ・コメント:ゲームじゃないけど、寝て起きたら新術が使えるようになっててビビった記憶

 ・コメント:こっちなんかトイレでやぞ

 ・コメント:ああ、そういえば彼女できた瞬間に術覚えたことあったわ

 ・コメント:それは嘘

 

『大魔王! 天能戦記シリーズとやらは、どれだ!?』

『フン、折角の配下からの意見だ、RPGはそれにしてやるか……シリーズ物だが、それぞれに繋がりは無い。最新作からでも問題なかろう。気に入ったのなら以前の作品は自分で購入するがよい』

 

 ゲームしたら新しい術が使えた、そんなリスナーの経験に播凰は興奮し、勇んで万音に尋ねる。

 すると万音は鼻を鳴らしながらも、間もなく棚から一つのゲームを抜き出した。

 両腕に抱えていたハードの箱を片手で持つようにし、空いたもう一方の手でそれを受け取る。

 

 ――天能(てんどう)戦記(せんき)(ファイブ)

 表にはタイトルと共に、数人の武装した男女のキャラクターが描かれ。パッケージを裏に引っくり返せば、ゲームの簡易説明が。

 戦争によって滅んだ国の生き残りである王子が、逃れた数人の配下と共に故国再興を目指す、というストーリーらしい。主人公を含む配下は勿論、仲間になっていくキャラクターは天能術が使えるとのことで、コメントにあった色んな天能が出てくるというのはそういうことらしい。

 

 ・コメント:そういえば、客将の性質は何だろ

 ・コメント:あの動画では何の術使ってたの?

 ・コメント:性質教えて

 ・コメント:結構気になる

 

 そんな話題となったからか、コメントでは天能――播凰の性質について触れるものがちらほらと出てきた。

 しかしこれに困ったのは播凰である。

 

『性質か。……うぅむ、それは無闇に言うなと厳命されていてな』

 

 ・コメント:別に性質で身バレすることはないでしょ

 ・コメント:まあレアな性質ならワンチャン特定可

 ・コメント:誰に言われたんだ?

 ・コメント:珍しいのっぽいな

 

 適当にはぐらかせばよいものの、紫藤の忠告を馬鹿正直にそのまま口にしてしまい、新たな疑念を生む始末。

 これで性質が覇であると言おうものなら、どんなコメントが飛んでくるやら。

 

『――魔王、それぐらいでいいのではないですか? いきなりたくさん購入したとしても、できないものも出てくるでしょう』

『確かに、最低限の目的は果たしたといえる、が――』

 

 これ以上触れられても困る、といった播凰の様子を見兼ねてか、ジュクーシャが助け舟を出した。

 それに同意しつつも、万音はチラとコメントを見やる。

 

 ・スパチャ:もっと買っていーよ♡ \20000

 ・スパチャ:いっぱい買え \10000

 ・スパチャ:客将も配信して \5000

 ・コメント:予算はおいくら?

 ・コメント:足りてないならまだ投げられる

 

『客将へ集まった同情金から見ればまだ数本は余裕。とはいえ、無理に使い切るものでもなかろう。よって、次を最後とする』

 

 ・コメント:流石大魔王様

 ・コメント:まあ適当に買われるのもね

 ・コメント:ラストかー

 ・コメント:どういう系?

 ・コメント:音ゲー

 ・コメント:シミュレーションとか

 ・コメント:甘いな、あの大魔王だぞ?

 

『フハハハハッ、本命のとっておきというのは最後に来るというもの! 故に、泣いて喜べ客将、ラストはこの大魔王たる余のお墨付きにして至高の一本をくれてやる!』

 

 お得意の高笑い。

 至高の一本と聞いた播凰は興味津々に、お墨付きと聞いたジュクーシャは警戒するように。それぞれ万音の行動を見守る。

 

『これこそは、余をゲームという世界に足を踏み入れさせるきっかけとなった作品であり、制作に携わった人間には余が手ずから褒賞を与えるに値すると考えたほどの作品である。その名も――』

 

 壮大な前振りと共に、満を持して登場したパッケージ。

 溜めに溜めて出てきたそれを見た播凰とジュクーシャの目は点になった。

 

『――ロリっとスーパーパラダイス、だっ!!』

 

 十人近い少女達が身を寄せ合ってこちらに手を差し出す絵に、口に出すのを憚るタイトル。

 特にその少女というのが、言葉通り年も見た目も幼く。パッケージ隅にはひっそりと年齢制限の表記が。

 これには流石の播凰もどんな内容かを想像できず、頭の中には疑問符が乱舞していた。

 

 ・コメント:ギャルゲーかい!

 ・コメント:しかもロリ特化

 ・コメント:ああ、登場人物は全員成人していますってやつか……

 ・コメント:絶対駄目

 ・コメント:恋愛するなら私として

 ・コメント:許さない

 ・コメント:お金返して

 ・コメント:さっきからちょくちょく出る客将ガチ勢はなんなの

 ・コメント:早くも名物化したな

 ・コメント:名物リスナーっていえば、アレを今日見てないな

 

『全く、これを置いているとはここの店主も中々やるではないか! そのセンス、大魔王たるこの余が認めてやろう! そもそも、これを批判する愚物共には憐れみすら覚える。鈴香たんの健気さや、雪たんの儚さを理解できぬとは。なんといっても余の推しは――』

「……?」

「聞いてはいけません、耳が腐ります」

 

 饒舌となった万音を前に、首を傾げるしかなかった播凰であるが。

 両手の塞がっていた彼の耳を、すっとジュクーシャが塞いだ。その目はまるで汚物でも見るように、推しのキャラクターについて喋りまくる万音を見ている。

 

「さぁ、お会計を済ませてしまいましょう」

 

 そしてそのまま配下――もといリスナー達の反応を気にすることなく、幼女の素晴らしさについて語る万音をその場に残し。後ろから耳を塞いだまま、播凰を伴ってジュクーシャはレジに立つ店主の中年男性に近づき、精算。

 ちなみに、先程の駄菓子屋の折に財布係としても任命されていたため、お金はそこからの支払いだったりする。

 

『――フハハハハッ、故にこのロリっとスーパーパラダイスは、神ゲーなのだ! 余からすれば神などどうでもよい存在だが、こればっかりは称えてやろう。さて、客将よ。このゲームの素晴らしさを理解したのなら、会計を――』

『それはもう済ませました。迷惑がかかりますから、次のお店に向かいましょう』

 

 ・コメント:確かに、こんな客いたら即店出るレベル

 ・コメント:常識人従者

 ・コメント:まともな奴いねーじゃねーか!

 ・コメント:結論、全員ヤバイ

 

 ジュクーシャが手にした紙袋を見て状況を察したのか、万音は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

『仕方あるまい。今度、余のコレクションを貸してやろう』

『余計なお世話です!』

『貴様には言っておらん』

『そんなのは分かっています!』

 

 万音の提案にジュクーシャが噛みつき、二人は肩を並べて店を後にする。

 なんだかんだ、仲がいいじゃないか。そんなことを思いながら、播凰は両者の後ろに続くのだった。



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24話 魔王と覇王と勇者の商店街レビュー(リュミリエーラ編 前)

「――まったく、どうして僕まで」

「とかなんとか言っちゃって、シンだって気になってるくせに。お姉ちゃんにはお見通しなんだからね!」

「あはは……」

 

 大魔王の配信における商店街レビュー、その最後の目的地にしてそもそもの発端ともいえる喫茶店、リュミリエーラ。

 大魔王一行がそのレンガ調の建物の中へと入っていくその様子を、建物の影からこそこそと見守る三つの人影があった。

 

 ぶつくさと不満を零す弟の慎次に、その態度を表面上のものと見抜き突っ込む姉の辺莉――最強荘二階の住人の二津姉弟。プラス、慎次と同じく辺莉によって連れ出され苦笑する晩石毅の三人組である。

 

「喫茶店なのに、他のお客さんがいないと寂しいからね! 偶々訪れた自然なお客さんとして盛り上げていくよー、おー!」

 

 彼らが何故ここにいるかというと、だ。

 辺莉の掛け声の通り、偶然居合わせた一般客という体で少しでも盛り上げ、配信に貢献しようという思惑からである。とはいえ、播凰達に話はしておらず、完全な辺莉の独断なのだが。

 つまり、極端な話――。

 

「――それってただのサクラじゃ……」

 

 浮かない顔の毅が指摘した通り、そういうことである。

 だが、辺莉は全く気にした様子もなく、あっけらかんとしていた。

 

「いーのいーの、だってリュミリエーラによく行くのは事実だし、料理が美味しいのも本心なんだから! 心にもないお世辞じゃなくて、私達はただ本心を言うだけ! だったら、嘘じゃないでしょ?」

「うーん、まあそれはそうかもっすが……」

「それに晩石先輩、播凰にいがちゃんと食レポしてるとこ想像できる?」

「…………」

 

 何も言えず、押し黙る毅。

 

 ……無理っすね。

 ……無理でしょ。

 ……無理だろうな。

 

 声に出さずとも、この場にいる三人の頭の中は一致していた。

 脳裏に浮かぶは、ひたすら美味い美味いと箸を進める播凰の姿。この中で一番播凰と付き合いの長い毅をして、とてもではないが流暢に料理について評品する姿など想像できなかった。

 もっともそれは。

 

「って言っても、こっちも食レポなんてちゃんとできると思えないっすが……」

「……と、とにかく、もう少ししたら、私達もお客さんとして行くの! 自然に、自然に」

 

 播凰に限った話ではないのだが。

 毅の独り言に、一瞬だけ動揺した辺莉であったが。気を取り直して、自分に言い聞かせるようにしながらリュミリエーラの方を向く。

 と、そんな時である。

 

「――あら? 貴女は確か、中等部の……」

「へ?」

 

 背後から、声。

 思わず振り向いた三人の内、辺莉と毅は、その声の主を見て目を丸くするのであった。

 

 

 

「――いらっしゃいませ」

 

 カランカラン、と扉のベルが鳴り、店内に流れる落ち着いたBGMが各々の耳に届く。

 リュミリエーラに入った大魔王一行。

 その音を聞きつけて、店主のゆりがしずしずと姿を見せた。

 

「うむ! 今日も美味しい料理をよろしく頼むぞ、ゆ――」

「お、おほんっ、三名でお願いします! ……きゃ、客将くん、今は配信中ですので」

 

 いつものように、挨拶として彼女の名を出しかけた播凰の口を、慌ててジュクーシャが塞ぐ。

 最初の一文字目こそ防げなかったが、正に間一髪。ゆりという名前は別段珍しくない類ではあるが、それでも無闇に言わないに越したことはない。

 一応、配信中に場所や個人を特定できるような発言は避けるよう事前に播凰にも言い含められていたのだが。そこは、先に訪れた二つの店とは違い幾度か訪れたリュミリエーラ。そのためついうっかり、滑らせかけた――止められなければ完全に滑っていたが――のである。

 

「はい、それではこちらへどうぞ」

 

 そしてそれは、播凰達に限らずゆりにとっても同様。

 万音から説明を受けた始めは戸惑いがあったものの、そういうものだと理解すれば、注意こそ必要であれそこまで難しい話ではない。

 名前を漏らしかけた播凰に軽く微笑み、ゆったりとした大人の余裕で、三人を席に案内する。

 

 ・コメント:喫茶店かぁー

 ・コメント:結構よさげな雰囲気

 ・コメント:これぞ喫茶店って感じ

 ・コメント:ちょっと浮いてたけど、外観も中々お洒落だったな

 ・コメント:今日もってことは、客将の行きつけのお店ってこと?

 ・コメント:……ここ、知ってるかも

 

 音楽こそ流れているが、物静かな空間に比較的シックな内装。

 他に客はいないが、今に関してはむしろそちらの方が都合がいいといえばいい。

 

 案内されたのは、四人掛けのソファー席。一方を万音が占拠し、もう一方に播凰とジュクーシャが隣り合って座る。

 播凰が早速メニューを広げ、万音はその内容を端末で映していく。

 レストランのように種類が豊富というわけではないが、だからこそ一品ごとに料理の写真を載せるスペースが確保されているリュミリエーラのメニューは中々好評のようで。

 その見目を褒めたり、空腹を訴えるコメントが次々と流れていく。

 

「余は、ビーフシチュー、それとコーヒーにチーズケーキだ」

 

 人数分のおしぼりと水を持ってきたゆりに、碌に悩むこともせず万音が注文をした。

 その内容は、先日の下見の際におすすめとして提供されたもの。考えることを放棄したのか、それとも存外気に入っていたのか。或いは、店主のおすすめを紹介してやろうという気遣いという可能性も零ではなかったが。ともかく、そんなぞんざいともいえる注文を、ゆりは柔らかく復唱し。

 

「さて、今日はどれにするか……ビーフシチューにナポリタン、サンドイッチ……うむ、迷うな!」

 

 それとは反対に、マイペースに悩みに悩んでいるのは播凰である。

 メインを張る料理はそこまで種類は多くないのだが、彼にとってはその全てが候補。配信ということを気にして、事前に決めておくなどという殊勝な考えが彼にあるわけもなく。食べたいものはその時の気分。

 故に、うんうんと時間をかけてメニューと睨めっこをしていると。

 

「あの……もしよろしければ、料理のシェア、というものをしてみませんか?」

「む? しぇあ、とな?」

「はい。それぞれ別々の料理を注文して、分け合うことです。そうすれば、複数の料理が楽しめますよ」

「ほぉ、そのような方法が! それはいい、うむ、しぇあしようぞ!」

 

 それを見兼ねてか、ジュクーシャが播凰に一つ提案をした。

 今は客として訪れているが、そもそも彼女はこの店の従業員。メニューは見るまでもなく頭に入っており、状況にあわせて料理を選ぶ程度の気配りはできる。

 ジュクーシャの説明を聞いた播凰は目を輝かせ、すぐさま大賛成したのだが。

 

「くだらぬ、余はやらんぞ」

「ぬっ、どうしてだ? 三つも料理が楽しめるというのに」

「決まっていよう。余の物は余の物だ。一度我が手中にしたものを他人にくれてやる気など、更々無い」

「この者がこう言っているのでは仕方ありません、私達だけでシェアしましょう」

「うむぅ、そうか……」

 

 ……こちらとしても助かりました、ただでさえ魔王などと同じ卓を囲んでいるというのに。

 

 シェアの提案を一蹴する万音に、内心ほっとするジュクーシャ。

 単純に残念がる播凰は、しかし引き下がって再度メニューと顔を突き合わせる。

 

「私は、サンドイッチにしましょう。これなら分けやすいですしね。それと、アップルティーとショートケーキをお願いします」

「うむ、ならば私はビーフシチューだっ! 飲み物はコーラ、デザートはチョコレートケーキで頼む!」

 

 シェアのしやすさを考慮してジュクーシャが、ようやくメニューから顔を上げて播凰が、それぞれ注文をする。

 しかし、それに待ったをかける声が一つ。

 

「客将、貴様何故余と同じ料理を頼む? 同じ料理が並ぶなど配信映えしないにも程がある」

「しょうがないではないか、私もビーフシチューが食べたいのだから。お主は一人で食べてしまうのだろう?」

「……フン、好きにしろ」

 

 ・コメント:食べたいならしょうがない

 ・コメント:喫茶店のビーフシチューとか絶対美味そう

 ・コメント:主張できてえらい

 ・コメント:シェアしない魔王様が悪い

 ・コメント:魔王言い負かされてて草

 

 そんなこんなで注文は完了し、後は料理を待つのみ。

 その間、万音がデザート系のメニューを映したり、店内の様子をぐるりと回したり。軽く雑談を交えて時間を繋いでいると。

 

「――こ、ここのお店は美味しくて、凄いおススメなんですよっ!」

「……わ、わぁー、お洒落なお店っすねー」

「…………」

 

 ふと、店の扉が開き、そんな声が聞こえてきた。

 当然ながら、それらは配信にも乗り、リスナー達の耳にも届く。

 

 ・コメント:ん、他のお客さんか?

 ・コメント:まあそりゃ、喫茶店だしねえ

 ・コメント:貸し切りにでもしてなきゃ入ってくるだろうさ

 ・コメント:そういや、あんまお客さんいなさそうだったな

 ・コメント:商店街があの状況だとほとんどいないんじゃないの

 

 聞き慣れた声、それも不自然に張り上げ棒読みに近い。

 思わず播凰がそちらに顔を向けると、ぎこちない歩き方の辺莉を先頭に、同じく挙動不審にキョロキョロする毅、いつも通りの静かな慎次の姿が視界に入って来た。

 パチパチを目を瞬く播凰の横で、ジュクーシャもまたその光景を見て苦笑している。

 

 ……あの者は。

 

 が、彼らに続いて入って来た一人の人物を見て、播凰は目を僅かに丸くした。

 それは、学年と学科こそ同じであれ、組が異なるために本来関わることがあまりないはずの存在。しかして、播凰にとっては毅と矢尾に次いで何気に幾度か顔を合せたことのある高等部の生徒。

 

 播凰と同じく東方第一の天戦科にして新入生総代、星像院(せいしょういん)麗火(れいか)

 どういうわけか、彼女がそこにいた。

 

 騒がしく振舞う二人に、物静かな二人。

 チラ、チラ、チラ、とそれとなくこちらの様子を伺う最強荘組であるが、残る麗火は彼らから聞いているのかいないのか。先を歩く三人に釣られるようにこちらを見やったが、その顔には明らかな困惑がある。

 そんな予期せぬ四人組は、女性店員に誘導され播凰達から少し離れたテーブル席へと座った。

 

「――お待たせ致しました」

 

 そんな一団を観察していると、ゆりがやってきて、それぞれの前に料理を置いていく。

 ごろごろお肉に数種の野菜のビーフシチュー、こんがりバゲットも合わさり、一気に食欲をそそる匂いが場に立ち込める。

 見た目の鮮やかさではサンドイッチも負けておらず、綺麗に整ったパンに挟まる色とりどりの具材の瑞々しさは画面越しにも伝わる事だろう。

 

 ・コメント:こんなん絶対美味いやんけ

 ・コメント:飯テロやめれ

 ・コメント:いいなー、食べたいわ

 ・コメント:喫茶店のメニューって自分でも作れそうなのに、何か違うんだよなー

 ・コメント:よだれ出そう

 ・コメント:俺は出た

 ・コメント:ゴクリッ

 

「うむ、それではいただこう!」

 

 やはりと言うべきか、一番切って動いたのは播凰。

 辺莉達のことは頭の片隅に押しやり、スプーンを手にすぐさまビーフシチューへと突貫していきかけたのだが。

 

「戯け。食す前に、気の利いた褒め言葉の一つや二つ述べてやるがいい。従者、貴様もだ」

 

 平時ならともかく、今は配信。食レポともなれば味は勿論のこと、料理の見栄えや匂いについても言及するのは当然。

 もっとも播凰にそんな自覚はなかったが、飛んできた万音の指摘により一応その手を止め。ジュクーシャと共に、悩むこと数秒。

 

「……と言われても、味は知っているからな。が、うむ! 今日も変わらず美味しそうな見た目と匂いである!」

「……え、ええ、素晴らしい出来栄えです。私も日々精進してはいるのですが、まだこれほど上手くできず――」

 

 それだけ言うと、パクパクと時にスプーンを、時にバゲットを片手にビーフシチューを食べ進めていく。

 一拍遅れて、ジュクーシャもいただきます、とサンドイッチに手を付け始めた。

 

「うむ、美味い! やっぱり美味いな、実に美味い!」

 

 ・コメント:美味いしか言ってないが

 ・コメント:語彙力ゥ!

 ・コメント:草

 ・コメント:一生懸命食べてて可愛い

 

「はい、とても美味しいです。……えー、その……こ、このサンドイッチは、とても絶品ですね!」

 

 ・コメント:こっちも駄目だこりゃw

 ・コメント:言ってること同じな件

 ・コメント:客将と従者は食レポNG、と

 ・コメント:いや、まあ美味しそうに食べてるのは分かるけども

 ・コメント:残る希望は大魔王様

 

 播凰(客将)は配信を意識した様子が欠片もなく、いつもと同じようにただひたすら美味いを連呼。

 ジュクーシャ(従者)はサンドイッチを少し広げて具材を配信に映しながら食べているものの、こちらも感想は一辺倒。

 その悲惨さはリスナーから突っ込まれ、弄られるほどである。

 彼らからは見えていないが、こっそり様子を伺う辺莉達も、あちゃーと額に手を当てている。

 やれやれと肩を竦めるは最後の砦、大魔王ディルニーンこと万音だ。

 

「まったく、揃って品評の一つもできぬとは、嘆かわしい。――まずはこの肉だがな、よく煮込まれ味が染みている。原型を保っていながら、柔らかい口当たりだ。野菜の旨味も損なわれておらず、上手い具合に引き立っているな」

 

 端末片手にまずは肉と野菜をスプーンに乗せてアップで映した後、それぞれ一口味わって感想を述べる。

 次いで、添え付けのバゲットをちぎって口に含み。

 

「シチュー自体はどちらかといえば甘めだが、バゲットと合わせればまた違う味わいとなる。バゲットの焼き加減も悪くない。ありきたりな感想とはなったが、そこは大衆向けの喫茶店の一料理だ。まあ、合格ラインであろう」

 

 ・コメント:おお……

 ・コメント:意外にまともな評価が出てきたな

 ・コメント:流石は大魔王

 ・コメント:超上から目線で草。何様だ

 ・コメント:大大大魔王様や

 ・コメント:店の人に怒られろ

 

「それで、客将に従者よ。もはや貴様達には何も期待しておらんが、料理をシェアするのではなかったか?」

「あ……」

「おぉ、そうだった、そうだった!」

 

 数口を食べた後、万音はその手を止めて、ニマニマとした表情で対面の播凰とジュクーシャの皿を見やった。

 ジュクーシャのサンドイッチはまだ半分以上残っているが、播凰のビーフシチューは早くも残り半分に突入している。

 辺莉達の登場という予想しない光景を見たからか、はたまた料理の感想を考えるので頭がいっぱいいっぱいだったからか。言い出しっぺのジュクーシャすらうっかり忘れていた。

 指摘がなければ、そのままビーフシチューは播凰のお腹に全部消えていたことだろう。

 

「さ、さあ、こちらのサンドイッチをどうぞ」

「うむ! ではビーフシチューとバゲットだ!」

「ありがとうございます」

 

 それぞれの皿を入れ替え、そのまま食べ始める二人であったが。

 

 ・コメント:シェア……?

 ・コメント:まあシェアって言えばシェアだけど

 ・コメント:どちらかといえば、交換?

 ・コメント:はい、マナー違反

 ・コメント:ちゃんとしたお店ならアウト

 ・コメント:普通の喫茶店ならまあいんじゃね、何回か来てるみたいだし

 

 その行為に対しても突っ込みが入る。

 更にそこに、ニマニマと対面に座る万音がぶち込んだ。

 

「で、どうだ、従者よ。――客将と接吻をした感想は?」

「……っ!? んっ、ごほごほっ!」

 

 突如放り込まれたそれに、ジュクーシャは咽せて咳込み。慌てて側にあったコップの水をゴクゴクと飲む。

 そして顔を真っ赤にして、ニヤつきながら自身を見る万音に声を張った。

 

「い、いきなり、訳の分からないことをっ!」

「何だ、気付いておらんのか? サンドイッチはともかく、ビーフシチューを皿ごと交換して食べるなど、如何にスプーンを替えようが疑似的に接吻しているようなものではないか。ああ、間接キッスと言ってやった方がよいか?」

「…………」

「それに、たった今貴様が口にしたコップもよく見てみるがいい」

 

 一瞬フリーズするジュクーシャ。その顔がぎぎぎ、と錆びついた機械のように時間をかけて手元を見下ろす。

 そう、今の彼女の近くに、コップは二つ(・・)あった。彼女から見て、一つはすぐ右に、もう一つはすぐ左に。

 

「――ああっ! も、申し訳ありません、コップを間違えてしまいました……」

 

 つまり、今しがたジュクーシャが口にしたのは、彼女のではなく播凰のコップだったのである。

 

 ・コメント:くそ、俺達は一体何を見せられてるんだ……

 ・コメント:客将と従者は仲いいのね

 ・コメント:まあ仲よくなきゃ皿ごと料理交換しないでしょ

 

「フハハハハッ、自覚無しとは、無様もここに極まれりというわけか!」

「し、仕方ないでしょう! 一皿の食事を分け合うなど、旅の途中ではそこまで珍しくないことだったのですから! ……それにパーティは皆女性だけでしたし」

「ククッ、にしてもたかが接吻の一つだというのに、まるで生娘のような反応よな。貴様のような年増がするには見苦しいにも程がある」

 

 嘲笑する万音に、ジュクーシャは恥ずかしさから顔を真っ赤に、怒りから体を戦慄かせる。

 反論の言葉も、しかし最後の方はごにょごにょと尻すぼみ。

 だが、彼女も一方的にやられているだけではなく、なんとか反撃の光を見つけ口を開いた。

 

「だ、大体、そちらはどうなのです! 幼い少女が好きなどと公言する者に、その……い、異性とのまともな付き合いがあったとは思えませんがっ!」

「フハハハハッ、この大魔王を舐めるなよ! ……全くもって嬉しくないが、配下の女魔族共には常に貞操を狙われておったわ」

「……て、え?」

「貴様如きには分かるまい、好みでもない容姿の女に言い寄られ、隙あらば既成事実を狙われる立場というものが。どうして、魔族の女共というのは揃いも揃ってああも下品な装いで醜く肥えた肉体の上、慎みというものがないのか。数少ない幼女は余を恐れて近づかんというのに!」

「…………」

「故に、大魔王たる余は元の世界を捨て、この世界に来たのだ! まだ見ぬ、理想の幼女を探すためにな!」

 

 堂々たる宣言。

 まさかこのような話の流れとなることは予想していなかったのか、ポカンとジュクーシャはその勢いを失くして硬直している。

 

 ・コメント:この世界(VTuber)か

 ・コメント:まあ確かに元の世界(現実)でそんなこと言ってたらただのヤベー奴だしな

 ・コメント:幼女系VTuberを探そう

 ・コメント:誰がいたっけなー

 ・コメント:人脈を作るべき

 ・コメント:でもコラボはしないんでしょ?

 

「余は、基本的に配下は持てども群れることはせん。例外が無いわけではないがな。……それで客将、貴様はどうなのだ?」

「うん?」

 

 騒がしさの中、万音は呑気にサンドイッチを楽しんでいた播凰へと話を振る。

 一応会話を聞いてはいたらしく、播凰は考え込むようにしながら口の中のものをゴクンと飲み込み。

 

「私の場合は、よく弟妹達と食事を分けていたから余り気にはしないな。……もっとも、食べかけを渡されたり、逆に食べていたものを持っていかれたことが多かったのは未だに解せぬが」

「……貴様もか。その点はお互い苦労していたようだな」

「ぬ? ああ、単純に構ってほしかったのだろう。私が一番年上だったからな」

「……鈍いというのも時には利となることもあるらしい」

 

 思い出してみれば、当時も、そして今も首を傾げざるをえないのだが。

 そう、何故だか彼の弟妹達――特に妹二人だ。

 上の妹は、お腹いっぱいになったからと、食べかけのものをよく彼に渡してきて。

 下の妹は、腹が減ったからと、彼が口にしていたものをよく横からかっさらっていった。

 そんな訳で食事の、それこそ食べかけ云々に関しては播凰は割と無頓着なのである。もっとも、無頓着なのは食事に限る、というわけでもないが。

 

「……か」

 

 と、そんな微妙に噛み合わない会話を繰り広げる二人の耳に、それは聞こえてきた。

 出所は、万音におちょくられてすっかり沈黙していたジュクーシャ。つい数瞬前までは翻弄され、恥ずかしさに顔を赤らめていた彼女であったが。

 もはや先程までの狼狽えた姿はそこにない。

 いや、怒りから身体を震わせているのは一緒だ。一緒だが。

 

「まさか、本当に……」

 

 代わりにあるのは、張りつめんばかりの激情。じゃれあいの範疇を明らかに逸脱した、全身を漲るような。

 それは、自身が虚仮にされたことへの怒りではなく。

 

「――そんな……そんな理由でこの世界へと来たというのですかっ!?」




ちなみに上の妹は束縛系、下の妹は依存系。ヤンでます。ヤンヤンです。弟は……。
プロローグで登場してから、話の流れ的にそこから出てはいませんが、再登場の予定はあります。
とはいえ、当分先の予定ですが……。

さて、2章はもう少しで終わり、3章は学園がメイン。部活を探しますが、最低クラス故にどこからも門前払いされて――という話になる予定です。
読んでいただきありがとうございます、よろしくお願いします。


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25話 魔王と覇王と勇者の商店街レビュー(リュミリエーラ編 後)

 シン、と店内が静まり返る。

 まるで計ったようなタイミングで曲が切り替わり、物静かなBGMだけがただ機械的に流れる中。離れたテーブルにて注文しながら密かに様子を伺っていた辺莉達も、播凰の食べっぷりや会話をふんわりとした笑みで見守っていた店主のゆりも。

 当然、同じ卓を囲んでいた播凰と万音も、怒声と共にダンッと握り拳をソファーに叩きつけたジュクーシャを見ていた。

 

「――フン、余の用意した役に徹するのは結構なことだがな。しかし、今の貴様(・・・・)の立場を弁えるがよい」

「なにをっ……!」

 

 誰よりも最初に口火を切ったのは、怒りの矛先たる当人。

 横溢する敵意に晒され、しかし眉一つ動かさず大魔王(・・・)は淡々とそれだけを告げると、何事もなかったように眼前のビーフシチューを口に運ぶ。

 咄嗟に反発をしかけたジュクーシャであったが、しかしスプーンに乗せられたそれを見て今の状況を思い出したのか。彼女は我に返ったように、はっとした顔つきとなり。

 

「も、申し訳ありません……」

「フハハハハッ、これだから元とはいえ、勇者などという輩は困ったものだ!」

 

 蚊の鳴くような声で謝罪するジュクーシャ(従者)を、万音(魔王)が笑い飛ばす。

 

 ・コメント:ビビった

 ・コメント:飲み物溢しちゃった

 ・コメント:よく分かんないけど、高度なロールプレイだぁ……

 ・コメント:従者おこ? 激おこなの?

 ・コメント:成り切ってるのは凄いと思う

 ・コメント:やりすぎた感はちょいあるけどね

 ・コメント:まあ配信出るの初めてぽいし、素人ならしゃーない

 

 リスナーの方も、どうやら配信の設定的にそういうキャラ(・・・・・・・)として捉えたらしい。

 

「さて、未熟者のことはよい。どうやらここはデザートに関してはテイクアウトもできるようでな、つまるところそちらに力を入れているとも言えなくもない。店主よ、食後のデザートの用意を」

 

 直にそれぞれの皿から料理がなくなることを見越してか、はたまた妙な雰囲気となった空気を切り替えるためか。万音はこちらを見ていたゆりに、次の品を準備するよう声をかける。

 ひたすら食べに徹していた播凰はサンドイッチが残り一切れ――今まさにそれが口に放り込まれたが――で、万音もなんだかんだ後数回手を動かせば完食する程度には会話の合間合間で食べ進めており。ジュクーシャに関しても、既に半分は播凰が食べていたためそれほど多くは残っていない。

 

 万音の言葉に反応し、弾かれたようにゆりを振り返るジュクーシャ。そんな彼女にゆりは柔らかく微笑むと、無言で頷き厨房に戻っていった。

 力なく項垂れ、それでもせめてビーフシチューを食べ切ろうとスプーンに手を伸ばすジュクーシャであったが。

 

「……よろしければ、ビーフシチュー、いかがですか」

「む、もうお腹いっぱいか?」

「……ええ。そうですね、ちょっと……」

 

 その手すらも力を失くし、播凰へと弱々しく声をかける。

 播凰が空となったサンドイッチの皿を隅へどけると、無理に貼り付けたような笑みでジュクーシャが彼の前にビーフシチューを移動させた。

 とはいえ、すぐさまそれも播凰の大口によって早々に平らげられ、空となった食器が女性店員によって下げられていく。

 

「うむ、今日も美味であった! そして、この後はチョコレートケーキだ!」

「フン、ただのケーキの一つや二つで、よくもまあそこまではしゃげるものよ」

 

 ビーフシチューとサンドイッチを食べたばかりだというのに、早くもデザートのチョコレートケーキに心が急く播凰。その瞳の輝かせよういったら、まるで落ち着きない子供のよう。

 そんな播凰を見て、万音は小馬鹿にしたように鼻を鳴らすものの。

 

「当然であろう! チョコレートというのは、実に甘くて美味しい。これほどまでに甘いものは、今まで口にしたことがなかったのだから!」

 

 全く意に介さず、チョコレートケーキ――チョコレートそのものともいえるが――について播凰は語る。一応、コンビニ等で購入したチョコレートを食べたこともあり、それはそれで悪くはなかったものの。やはり播凰の中ではリュミリエーラのチョコレートケーキは格別。

 流石にもう初めてほどの衝撃を受けることはないが、お気に入りであることに変わりはない。

 

 ・コメント:客将ウキウキで草

 ・コメント:可愛い

 ・コメント:それよか、凄いこと言わなかった?

 ・コメント:今までチョコ食べたことないってマジか

 ・コメント:この前のゲームしたことないといい、なんなんだ

 ・コメント:ガチなのかそうじゃないのか。。

 ・コメント:いや、親の躾が厳しかったんなら有り得んじゃね

 ・コメント:客将きゅん可哀そう

 

 普通に生きていれば、チョコレートを、そして先日の配信におけるゲームも、全く経験がないということはそうそうない。これが明らかなキャラ設定と分かるならリスナー側は単に乗っかるだけで済む話だが、しかし環境によっては可能性が無いとも言い切れない微妙なライン。

 何気ない発言でリスナー達を混乱させる播凰であったが、勿論当人にその自覚などありはしない。

 

「お待たせいたしました」

 

 間もなくゆりがやってきて、それぞれの前にデザートと、従者と魔王(大人組)に食後の飲み物を提供していく。

 

「よし、食べる前に一言だったか。うむ、料理もそうだが、ここのデザートはどれも美味でな。しかしどれか一つとなれば、チョコレートケーキが私の一番のお勧めである! もしここに来た時は、是非食べてもらいたい、以上だ!」

 

 流石につい数分前のことは覚えていたのか、今度はちゃんと食べ始める前に一言を述べる播凰。しかしそれは褒め言葉と言えなくもないが、もはやただの宣伝である。

 とはいえ、端から期待などしていないのか、やれやれと頭を振っただけで特に咎めることなく、万音はテーブルの上を映す。

 湯気の立つコーヒーとアップルティーに、チーズケーキとショートケーキ。

 

「うむ、やはり美味いな!!」

 

 そしてパクパクというほど勢いはないが、ゆっくりと着々に消えていくチョコレートケーキ。

 

 ・コメント:おー

 ・コメント:てか、さっきからそれしか言ってないが

 ・コメント:まあ確かに美味そうではあるけども

 ・コメント:つっても、ただ食べてるのだけを見せられてもねぇ……

 

 万音もまた自身の前にあるコーヒーカップを傾け、チーズケーキの先端を一口。

 そうしてから、対面の様子をじろりと見やる。

 

「…………」

 

 先程の失態が未だに尾を引いているのか、沈黙して顔を伏せるジュクーシャ(従者)。運ばれてきたケーキと紅茶、そのどちらにも手をつけていない。

 その隣には、ひたすら美味いを連呼するだけの物体と化した客将(播凰)

 

 ……さて、どうするか。

 

 一瞬、従者を弄ろうかと考えるが、あの様だ。魔王としての見立てでいくと、あれは早々に復帰はできない。そういう類(・・・・・)の人間だ。適当な煽りも意味をなさず、ともすれば逆に変な空気を呼び込む可能性がある。かといって、爆発させればそれはそれで面倒に繋がりかねない。

 となれば、残るは客将だが。そちらからまともな感想を引き出すのはほぼ無理。

 しかしコメントでもあったようにただ食べているだけの映像など直にだれるのは明白。その上、顔にモザイクがかかっていて表情も見えないのだから尚更だ。

 そんなことを、流れるコメントを見ながら彼が考えていた時であった。

 

 ・ジャンナ・アリアンデ:美味しそうなのは認めるけど、別の意見も聞きたいわね

 

 そんな数ある内の一つが、ふと目に止まる。

 ただ、それは万音だけではなかったようで。

 

 ・コメント:んん!?

 ・コメント:え、嘘

 ・コメント:ジャンナだ!

 ・コメント:あれ、本物?

 ・コメント:本物じゃん

 ・コメント:マジだ

 ・コメント:絡みあったっけ?

 ・コメント:大魔王は誰ともコラボしたことないぞ

 ・コメント:そういえば、客将回見たって言ってた気が

 

 ――ジャンナ・アリアンデ。

 百万人以上の登録者をほこる大人気VTuberにして、個人で活動する大魔王ディルニーンとは異なり、所謂企業勢という企業に所属して活動する女性のVTuber。そのような存在が、突如コメント欄に現れたのである。

 

 基本的には幼い少女にしか興味を持たない万音だが、同業者は別であり時折他配信者もチェックしていた。故に、人気であり有名であり、その活動歴も大魔王ディルニーンより先輩にあたるため、当然のように彼女のことを知っていたのだ。そしていつだったかの配信で、彼女が大魔王ディルニーンの動画――客将出演回に言及していたことも。

 

「……フハハハハッ、いいだろう、折角の余の配下からのリクエストだ。客将よ、これより突発インタビューを行い、他の客の意見を聞いてくるのだ!」

「む? しかし、まだケーキが残って――」

「後で食べればよかろう、溶けるでも冷めるわけでもあるまいに!」

「うーむ……分かった」

 

 予想外の大物登場に盛り上がるコメント欄。一言だけを残して以降動きはないが、しばしその人物についてのコメントだけが流れていく。

 彼女がどのような意図でコメントを残したのかは不明だ。なにせ大魔王ディルニーンと仲が良いどころか、そもそも面識すらない。

 加えて業界歴も長く、知名度も登録者数もあちらが上。つまりこの分野においては格上の相手となるわけだが、そんな程度で気後れする大魔王ディルニーンではなかった。

 むしろそれを活かし、あまつさえ配下呼び――つまり1リスナー扱いをして提案を受け入れ、客将を伴って席を立つ。ちなみに、それに頼らずとも場を回す腕に自信はあったのは言うまでもない。

 

 さて、それはともかくリクエストにあった別の意見だ。聞き手にとっていくつか解釈はでき、当人にとっては単に美味い以外の言葉を客将から聞きたかったのかもしれない。だが、それが出てくるのかは非常に怪しいと言わざるを得なかった。

 そのため万音は別の人間の意見、即ち他者へのインタビューととった。他者、つまりお店という環境を考えると、それは他の客ということだが。

 

「……ど、どど、どうするんすかっ!? なんかこっち来てるんすけど!?」

「ファ、ファイトだよ先輩っ! 大丈夫、思っていることを言えばいいんだから……っ!」

 

 要するにそれは、偶然という体で来店した彼及び彼女達に他ならない。何故なら、そこ以外に店内で食事をしている客の姿はないのだから。

 端末片手に席に近寄って来る二人の姿。その流れに毅は思い切り動揺し、辺莉はそれを宥めつつピンと背筋を伸ばす。

 

「うむ、お主達も来ていたとは偶然だな! しかし丁度よかった、私はどうもそういうのが苦手でな。色々と感想を聞かせてくれ!」

 

 いるのは分かっていたために、一直線にそこに向かい率直に尋ねる。

 テーブルにあるのは、四人分のデザートとティーカップ。

 

「え、えっと……お店は落ち着いてて清潔感があるし、お料理もデザートも最高でーすっ! 店長さんも店員さんも優しくて綺麗な人達だし、空気も味もホッとするような感じっていうか!」

 

 誰、ともないその問いかけに、最初に声を上げたのは辺莉であった。

 

「ね、値段は結構お手頃っすね! こ、このシュークリームとか、甘くてクリームもたっぷりで生地もふわふわで……地元じゃこういうの食べたことなかったんで、初めて食べた時は衝撃だったっす!」

 

 一拍遅れて、どもりながらも毅が。

 

「……まあ、そこらのファミレスに行く位ならここで食べる方がいい」

 

 渋々といったようではあるものの、淡々と慎次が続く。

 残るは、何故この三人と一緒にいるのか不明である星像院(せいしょういん)麗火(れいか)

 

「――貴方は、一体何をしているのです?」

 

 彼女は、しかし問いに答えることはせず。不思議そうで、それでいて妙な物を見るかのようなそんな視線を播凰達に返してきた。

 

「うむ、配信だ!」

「配信、ですか……あまりよく分かっていませんが、要するにそちらの方は撮影をしているのでしょう? そういったことは通常、カメラを向けられる側に許可をとるものでは?」

「大丈夫だ、顔は映らぬし声も変わって聞こえるらしい!」

「例えその通りだとしても事前に了承を得てからと思いますが。正直、あまりいい気分ではないので」

「そうなのか? 私だったら、別に構わぬのだが」

「……貴方と一緒にしないで欲しいものですね」

 

 ・コメント:まさかの知り合い

 ・コメント:女性だ

 ・コメント:そんな都合よくいるもんかね

 ・コメント:全く隠そうとしてないの草

 ・コメント:でも最後の人の反応的にどうなんだ

 ・コメント:逆に隠そうともしてないのも本当に偶然っぽい気もするけども

 

 ジャンナ登場の空気は一旦落ち着いたものの。

 播凰と他の客――もとい辺莉達のやり取りに、コメントが邪推派と偶然派で割れる。

 

「むぅ、そういうものか。……すまぬ、嫌であれば止めさせよう」

 

 麗火の面と向かっての非難に、それを聞き入れた播凰は頭を掻いて謝罪を口にする。

 あまりに素直だったことが意外だったのか、彼女は少し目を見開いた後。やおら、息を一つ吐きだし。

 

「……まあ顔も声も分からないのでしたらいいでしょう。それで、感想でしたか。紅茶に関しては普段から嗜む程度には飲んでおりますが、味わい深くよい香りで満足しています」

 

 それが功を奏したのかは定かではないが。

 カメラ目線でこそないものの、麗火はティーカップとデザート皿をそれぞれ見ながら口を開いた。

 

「そしてこちらのチョコレートケーキですが、チョコレートと生クリーム、そして生地のバランスが絶妙ですね。くどくもなく、一口食べた瞬間に濃厚な甘みが広がって――正直、これほどのものが出てきたことに驚いています」

「そうだろうそうだろう! このチョコレートケーキは、私もお気に入りでな!」

「ちょ、ちょっと、肩を叩かないでくれますっ!?」

 

 偶然にも、麗火が注文していたのはチョコレートケーキ。

 お気に入りが褒められた播凰は、つい嬉しくなって麗火の肩をバシバシと叩くも、彼女は抗議の声と共に身を捩ってそれを避けようとする。

 

「うむ、協力感謝するぞ!」

 

 しかしそれを全く意に介さず、最後にそう結び。播凰が彼らの席を後にしようとした、その時であった。

 

 ――ダァンッ!!

 

 店の扉が勢いよく蹴り開けられ、括りつけられたベルが激しい音を響かせたのは。



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26話 乱入者

 本来、客の来訪を告げると同時に歓迎の意を込めて慎ましく奏でられる心地よいはずの音色は、しかし。

 ガランガランッ!! とさながら警告のようにけたたましく鳴り。

 

「――よう、調子はどうだい。ボロ商店街のしけた喫茶店さんよぉ」

 

 そんな中、勢いさ故に開いたままの扉からぬっと姿を見せたのは、巨漢の男であった。

 その体躯はといえば、大柄さに見合うように筋骨隆々。上下に纏った黒い衣服の上からでも分かるように力強さが存在を主張している。

 目元を隠す黒いサングラスにスキンヘッド、加えて日に焼けたような浅黒い肌という様相はそれだけで大抵の人間に威圧を与えることだろう。

 

 そんなインパクトのある登場、見た目厳つい男の両側に控えるように、一組の男女も続いて店の扉から入って来た。

 男よりはまだ薄いが、そちらもそちらでパンチの効いた外見というべきか。装いからしてまともな一般人なら極力関わりを避けようとする類の人間である。

 

「……いらっしゃいませ。申し訳ありません、お客様。他のお客様もいらっしゃいますのでもう少しお静かにしていただ――」

「ハッ、客。客ねえ……」

 

 だが、そこは店主としての矜持、接客を生業とする者故か。

 即座にとはいかなかったものの、物腰柔らかく迎えつつやんわりと注意しようとする店主のゆりであったが。

 スキンヘッドの男はそれを鼻で笑いながら、じろりとサングラス越しに店内を見回すように顔を動かし。

 

「こいつは驚いた! まだこんな所に来る客がいるとはなぁ」

 

 テーブル席に座る辺莉達四人組、そして何事かと席に戻る途中で足を止めている播凰と万音の姿を見つけて声を上げる。

 特に張り上げているわけではないようだが、生来或いは声質の問題なのか、その声は店内中によく響き。

 

 ・コメント:なんだなんだ

 ・コメント:トラブル発生か?

 ・コメント:ヤバそうな人達が出てきたぞ

 ・コメント:これ大丈夫なんか?

 

 無論、それは配信を介してこの場にいない人間にも伝播していく。

 

「ハンッ、こんな潰れかけの大して料理も美味くねえ店にわざわざ来るなんざ、とんだ物好きもいたもんだ」

「本当、そうよねえ」

「全くだぜ、兄貴」

 

 しまいには、躊躇も遠慮もなくケラケラと。好き勝手言う三人分の哄笑がリュミリエーラを満たす。

 彼らの下品な嗤いは店内に流れる音楽を掻き消すほどで、店の扉が開いたままの今の状態であれば外にも届いていることだろう。

 そのいきなりの態度、あまりの言い種に、対応をしに行ったゆりすらもしばし動けないでいた。

 が、そんな時である。

 

「――ふむ、聞き捨てならんな。ここの料理はどれも美味ぞ。特に、チョコレートケーキは最高だ!」

「あン?」

 

 誰よりも――それこそ店主であるゆりよりも早く、動いた人影が一つ。

 言うまでもなく、リュミリエーラを絶賛しており、それ故彼らの発言を見咎めた播凰である。

 進み出て反論してきた播凰に、スキンヘッドの男は当然のように首を僅かに傾けるが。

 

「……なんだい、この前いた頭のおかしいガキじゃないか」

「んー? ……あっ、この間の!」

 

 傍らにいた男女が、播凰の顔を見てそれぞれ思い出したように口を開く。

 

「どうしたテメエら、この坊主と知り合いか?」

「い、いや、兄貴。別に知り合いってわけじゃねえぜ」

「前にちょっかいかけに来た時にいた客で、生意気だったんで軽く脅してやっただけですよ」

 

 振り返って問うスキンヘッドの男に彼らが口々に答えたのを聞いて、播凰もまた思い出した。

 初めてリュミリエーラに訪れたその日、注文もせずよく分からない行為をしていった二人組であると。

 するとそれを聞いた男は、少しだけ顔を播凰に向け。

 

「フゥン、まあどうでもいいが。……んで坊主、この店の料理が美味いっつったか。だとしたら、どうしてこんなにも客がいねえんだろうな? 本当に味がいいなら、もっといてもおかしくないだろうよ」

 

 半笑いで、リュミリエーラの現状を指摘する。

 開店直後でもなく、かといって閉店間際でもなしに、空席の目立つ店内。

 評判がよければ客は入るはずで、しかしそうでないのは料理に原因があると、そう言いたいのだろう。

 極論ではある。だが、第三者が見れば――それこそ、電子の声しか上げられないリスナーからしても、男の言に一理あるのではと捉えられる閑散具合なのは、動きようのない事実で。

 

「うむ、お主は勘違いをしておる」

「へえ?」

 

 それでも、播凰は主張する。

 

「それはだな――きっと、知られていないだけだ! たくさんの人に知ってもらえれば、絶対に客として来てくれるぞ! なにせ、こんなにも美味しいのだからな!」

 

 美味しいのだから、客は来る。美味しさが知られれば、客は来る。 

 それはあまりにも、単純で短絡的な思考であった。あまりにも、青臭く無垢な理想論であった。

 正しく、机上の空論。根拠のないそれを、しかし自信満々とした笑みを浮かべ。

 

「……そうかよ、ならそう思っときな」

 

 拍子抜け、というよりは単に呆れたのだろうか。

 元より播凰に用事があったはずもないので、男はそれを適当にあしらうと。

 

「さて、アンタがここの責任者でいいのかい?」

「……は、はい、そうですが」

「なぁに、んな警戒しなくても、今すぐどうこうってわけじゃない。こちとて穏便に済むに越したことはねえからな」

「…………」

「ただコイツらから色々聞いてな。顔の一つも見てやるかと来たわけだが――」

 

 男とゆりとの間で会話が交わされる。

 これが単なる客であったのなら、さして問題はなかったのだろう。しかし入店直後の言葉からして、ただの客と言い難いのは明白。

 流石のゆりも男の風貌を前にして緊張せずにはいられなかったのか。僅かに強張ったゆりの顔に、男の口元が歪み。

 

「――年は少しいってるが、中々の別嬪じゃねぇか」

 

 その顔の動きが、ゆりの全身を見るようにゆっくりと移動する。

 

「女の身一人で無理をするのはいけねえ。ああいや、旦那がいるんだったか? いずれにしても一つ助言をしてやるとするなら――さっさと店を畳んじまった方が賢明だとは思うがな」

「……っ」

 

 サングラスで目元が隠れていようと、分かるものは分かる。

 嫌な視線に、言葉に含まれた意味。ぶるり、と微かにゆりが身を震わせた。

 

「それは困るぞ!!」

「……あぁン!?」

 

 刹那、割って入った声に、視線は移動する。

 男の意図を、会話の意味を理解したわけではない。

 店を畳む。ただその言葉だけに反応し、播凰が異を唱えたのだ。

 

「おい坊主、こっちは今、大事な大人の話をしてんだ。人の話に口を出しちゃいけません、ってパパとママに教わらなかったか?」

「うむ、無いな!!」

 

 先程までとは異なり、圧の入った声。若干の苛立ちが混じり始めたそれに、しかし播凰は臆することなく正直に答える。そう、ただ正直に答えた。それだけだ。

 が、受けてにとってはそんなの知る由もなく、またとんと関係無い。

 

「っ、このガキ……っ! チッ、じゃあ今俺がここで教えといてやる。痛い目を見たくなかったらな、黙ってろ、いいな?」

 

 怒鳴り散らしてこそいないが、舌打ち一つに、険の入った物言い。

 男の容貌も相俟って大抵の人間ならば、それで押し黙ってしまうかもしれないが、しかし。

 

「しかし、店が無くなったら私がチョコレートケーキを食べられなくなるではないか!」

 

 そんな脅しめいたものに屈するはずもなく、店内に響くは播凰の渾身の抗議。

 店がなくなると困る理由、それは他でもなく自身が料理を、特にチョコレートケーキを食べられなくなるから、それに尽きる。

 ゆりのためではなく、そこで働く(ジュクーシャ)者のためでもなく、あくまで自分本位。もっとも、あくまで播凰は客の立場なのでそれでもおかしくないといえばないが、その思いが純粋なのか邪なのかはこの際置いておく。

 

 ……違う、違うよ播凰にい。

 ……は、播凰さんらしいっすねぇ。

 …………。

 ……彼は何を言ってるのでしょう?

 

 緊迫した様子に、固唾を呑んで見守っていた面々――辺莉達もこれには脱力。

 

「……成る程、確かに生意気だ」

 

 一瞬の沈黙の後、スキンヘッドの男が静かに口を開く。

 その言葉に、傍らの女の方は肩を竦め、男の方は馬鹿を見るような目を播凰にやった。

 

「やんちゃなのは嫌いじゃねえが、相手は選ぶべきだな。穏便に済ませるに越したことがないのは事実だが、それは何もしないということにはならねえ。この意味が分かるか?」

「ふむ……つまり、相手になってくれるということか?」

「……ほー、俺を前にして舐めた口利いてくれるじゃねぇか。吐いた言葉は取り消せねえぞ」

 

 ポキポキ、と男が威圧するように指の関節を鳴らす。

 

 ・コメント:煽りよる

 ・コメント:これ本当に大丈夫なの!? ヤバくない!?

 ・コメント:客将ーー!!

 ・コメント:ドッキリじゃねーの

 ・コメント:最悪、警察への連絡の準備だけしといたほうがいいかも

 ・コメント:だが場所が分かんねえ

 

 物々しい雰囲気に、コメントもざわつく。

 ドッキリだと疑うものもあるが、判断に迷っているもの、警察への連絡を準備するもの――しかし場所は伏せているので通報できないが――と、反応は様々。

 

「そこまで言ったんだ、それなりに痛い目にあってもらうぜ。怪我の重さは……そうだな、多少の手加減はしてやるが、お前次第だな」

「おお、怪我をさせてくれるのか! 怪我などいつぶりだろうな!」

 

 互いに仁王立ち。にやりと嗤うスキンヘッドの男に対し、播凰もまたにやりと笑い、はしゃぐ。

 少なくとも、この世界に来てから播凰は怪我らしい怪我をしていない。否、元の世界においても、最後にまともにダメージを受けたのは――。

 

「このガキが……」

 

 ピキッ、と男の顔に青筋が立った。

 馬鹿なガキだ、と傍らの男が播凰を小声で嘲笑う。

 一触即発の空気。だが、それを黙って見過ごせなかった者がいる。

 

「待って、その子に手を――」

「よい、止めるな」

 

 男に気圧されていたものの、播凰に危害が及びかねないとあっては、と制止を呼びかけようとした店主のゆり。しかし、それはいつの間にか彼女に近寄っていた万音によって遮られた。

 けれども、そのやりとりは自然と目につき。

 

「なんだテメエ、証拠に動画でも撮ろう(・・・・・・・)ってか?」

「いや、動画ではないな(・・・・・・・)。そして、仮に播凰(それ)が怪我しようが余の与り知るところではない。そも吹っ掛けたのはこちらなのだから、安心して痛い目とやらを見せてやるがいい」

「……チッ、まあ例え撮られていようが、後でどうとでもなるがな」

 

 万音は巨躯ではあるものの、ひょろっとした外見とも言える。

 故に、ニヤニヤとしながら端末を持っている人物の存在は気になったものの、対処は容易であると判断したのだろう。

 まさか、男は思うまい。動画を撮られているどころか――。

 

 ・コメント:まあ動画ではない、のか……?

 ・コメント:どうせ、動画ではない配信だー、フハハハハ、とか言うんだろ

 ・コメント:いやまあ、うん……

 ・コメント:人はそれを屁理屈といいます

 ・コメント:てか、大魔王様が焦ってないってことはそういうことでいいのかな

 

 正に今、リアルタイムで配信されているなど。

 当然、男には流れるコメントなど見れているはずもなく。彼は傍らの男女に、おい、と一声だけかけた。

 それを受けた彼らの行動は、不思議なものであった。服のポケットから取り出した何かを耳に入れ、更にその上から手で塞いだのだ。

 もっともその答えは、すぐに判明する。

 

音介(おんかい)――」

 

 男が呟いた、と同時に。その背後に、何かが浮かび上がるように現れる。その形状は六角形で、ぼうっとした輝きを放っており。

 それが天能武装であり、彼が口にしたものが天能術の詠唱であると咄嗟に理解し、反応できたのは全員が全員でなく。

 

「――不協(ふきょう)奏騒(そうそう)!」

 

 瞬間、その場にいた者の――播凰の耳を貫いたのは、何とも形容しがたい音であった。

 ストレスを与えるような雑音。顔を歪めたくなるような高音。重く深く響くような低音。つんざくような爆音。

 その一つをとってして不快だと断言できる音がこれでもかと混じり合い。鼓膜を、脳を揺らしたのである。

 

「ぬぅっ……!?」

 

 形容しがたいものの、しかし確実に誰もが口を揃えて酷いと表現するであろう、音。

 それをまともに聞いてしまった播凰は僅かによろめき、思わず耳を押さえるも。それは大して意味をなさず、変わらず音は行動を阻害し彼をその場から動けさせずにいた。

 

「ここまでやるつもりはなかったが……あそこまで虚仮にしたんだ。その馬鹿さ、無様に吹っ飛びながら後悔しやがれ。――この俺の、音速の拳でなぁっ!!」

 

 そんな播凰の姿を、男は嗤い。その鍛えられた右腕を引き絞る。

 

「――音溜(おんりゅう)・性質継承」

「……っ、性質継承っ!」

 

 男の行使した術に、驚きと警戒を込めて反応したのは麗火。

 その対面で耳に指を突っ込んで蹲る毅と違って、顔こそ顰めているものの彼女はまともに状況を把握できる程度には意識がしっかりしており。

 

「オラァアアッッ!!」

 

 しかし、未だ両手で耳を塞いで動けずにいる播凰目掛け、拳が振るわれる。

 その速度は、目に見えぬ程に早く。男の言ったように、正に音速。

 動きを捉えるどころか、そもそも顔すら向けることができていない播凰へと。それは、あっという間に迫り――。

 

 二つの人影が接触する、と同時に。

 一方が旋風を撒き散らし、吹き飛んでいった。焦りすら、痛みすら。そも、声すらなく。

 場に残るは、もう一方。こちらも声はなく、しかし確りと二本の足でそこに立っている。

 そんな、光景を。

 

「は?」

「…………」

 

 ポカンと口を開いた男。目を見開いて言葉を失くしたように女が。

 

「……え?」

「おおっ、さっすがー! やっぱりアタシの目は間違ってなかったねっ!」

「……フン」

 

 麗火は困惑したように、辺莉は目を輝かせ、慎次は無表情に鼻を鳴らし。

 

「フハハハハッ! よもや、ああも綺麗に吹っ飛び、自ら店を出て行くとは……クククッ、よい、その滑稽さに免じて、余にくだらぬ音を聞かせたことは許してやろう!」

 

 万音――大魔王ディルニーンが、腹を抱えて大爆笑しながら、それぞれ見ていた。

 

「……むぅ」

 

 残っていた方の人影。

 それは拳を振るわれた側――つまり本来であれば吹き飛んでいた側であるはず――の播凰であった。

 店中の視線を集める彼は、行動を妨げていた不快な音からようやく立ち直ると、きょろきょろと周囲を見回す。

 

「うう……な、何が起きたっすか?」

 

 殆ど同じタイミングで、辺莉達四人の中で唯一行動不能となっていた毅も、苦悶の声と共に頭を上げる。

 

「二人共、大丈夫ですか?」

 

 店主のゆり、そしてアルバイトの女性店員は床へと座り込んでおり、彼女達の側に寄り添ってジュクーシャが介抱をしていた。

 

「――あ、ありえねえ……お前、一体何しやがったっ!?」

 

 ようやく我に返ったのか、呆然としていた男が唾を飛ばす勢いで播凰に怒鳴る。

 それが自らに向けて問われているのだと理解するのに、数秒。

 しかし不快な音に行動を阻害されていた播凰には、何が何だか分からない。

 ――いや、一つだけ。

 

「何をも何も……まあ強いて言うなら、その場で踏ん張っただけだが」

 

 そう、踏ん張った。ただそれだけ。

 気配が近づいてきたのは咄嗟に把握できた。だから咄嗟に、本能的に踏ん張ったのだ。何が起きているのか、何が起ころうとしているのかが分からなかったから。

 

「この、ふざけっ――」

「やめな。それより、兄貴が心配だ」

「っ、そうだ、兄貴っ!」

 

 ふざけているとしか思えない返答に、男は激昂するものの。女に窘められ、二人揃って踵を返し店の外へと走っていく。

 彼らは動きを目で追えたわけではない。が、あの瞬間、すぐ側を突風が過ぎ去っていったのは分かっていた。

 故に、スキンヘッドの男――男女が兄貴と慕う男がどこにいるかも理解していた。

 そう、店内から姿を消したスキンヘッドの男は、店の外へと吹っ飛んでいたのだ。丁度、自身が勢いよく蹴り開け、そのせいで開きっぱなしとなっていた入り口を綺麗に通り過ぎ。店に一切の被害を出さず。

 

 リュミリエーラから少し先の道の上でスキンヘッドの男は大の字となって倒れており。慌ててそれに近づいた男女が声をかえたり体を揺するが、反応はなく。

 最終的に何とか、ピクリともしないスキンヘッドの男を二人がかりで引き摺りながら立ち去っていく様子が店内から見えた。

 

 ・コメント:まだ頭がガンガンする……

 ・コメント:今まで聞いた中で一番酷い音だった

 ・コメント:なんか気持ち悪くなってきた

 ・コメント:一瞬意識飛んでたわ

 ・コメント:てか、どうなったん

 ・コメント:何が起きた

 

「――フハハハハッ、配信の最後を飾るに相応しいとは言い難いが、実によい茶番であったな! さて、此度の会合はこれにて終了である」

 

 あの凄まじい音は、店内以外でもその猛威を振るっていたようで。

 数秒前までピタリとその勢いを失くしていたコメントが、ここにきて再び流れ始める。

 しかしそれを全く意に介さず。

 

「今回訪れた場所は、今夜にでも情報を発信する故――気が乗ったら、足を向けるがよい。ではなっ!」

 

 万音――大魔王ディルニーンによって終わりが宣言され、彼らの疑問は解消されることなく配信は一方的に終わるのであった。

 

 

 ――――――――

 

 その部屋の中では、ただPCの無機質な光だけが、闇にあって存在を主張していた。

 

「――うふ、うふふふっ」

 

 すっかり窓の外も暗くなり、しかしまともな灯りも点けられないまま。

 カチカチというクリック音が響き、唯一の光源たるPCの画面に流れているのは、とある動画。

 

『――うむ、その戦意に応じ、次の一撃を以て幕引きとする。制約のため技は使えぬが、今の私の本気の一撃だ』

 

 聞こえてくる音声は、VTuber大魔王ディルニーンの配信に登場した客将――もとい、三狭間播凰のもの。もっとも、加工された音声ではあるが。

 映っているのは、黒きドラゴンとの戦い、その最後の一幕。

 

「うふふっ」

 

 それを除けば。聞こえるのは、若い少女の声。

 正確には、笑い声。それも、ただの笑い声ではない。

 一頻り映像が進み、その最後にまで辿り着くと。

 すーっ、と物音一つ立てずにマウスは動き。

 

『――うむ、その戦意に応じ、次の一撃を以て幕引きとする。制約のため技は使えぬが、今の私の本気の一撃だ』

 

 その操作によって、先程と同じ場面が再度流される。

 繰り返される映像、その音声を前にして。

 

「うふふふふっ」

 

 ただただ、少女は笑う。

 瑞々しく、しかしどこかそれに似合わぬ妖艶さを含んでおり。

 と、今度は動画を流しながら、新たな画面がPC上に表示された。

 

 

【大魔王ディルニーンについて語るスレ】

 

 783:名無しの大大大魔王軍配下

  今回の配信も結構よかった

  色々とびびったけど

 

 784:名無しの大大大魔王軍配下

  それな

  ただ、いきなり新キャラ出てきてちょっと不安

  ちょい配信事故? っぽい場面あったし

 

 785:名無しの大大大魔王軍配下

  まあそれは今後に期待ってことで

  声はよかったし、大魔王様との掛け合いもよかった

  何より俺はくっ殺スキー

 

 786:名無しの大大大魔王軍配下

  ぶっちゃけ、VTuber? って気はするが

  いや、大魔王本人は姿見せてないんだけども

 

 787:名無しの大大大魔王軍配下

  まあそこはほら、うん……

 

 788:名無しの大大大魔王軍配下

  取り敢えず、ジャンナがコメント欄に降臨したのはマジで驚いたな

  なんか前に客将について触れてたし、ワンチャンコラボ来るか?

 

 789:名無しの大大大魔王軍配下

  いやー、どうだろう

  あちらさんは企業勢だから、そこらへん難しいんじゃないかな

 

 790:名無しの大大大魔王軍配下

  俺的にはああいうレビュー系好きだから今後もやってくれると嬉しい

  近ければあの喫茶店とか行ってみようと思ったけど、ちょっと遠くて無理ぽ

 

 791:名無しの大大大魔王軍配下

  喫茶店ていえば、あの商店街があるとこ、東方第一に結構近いんだよな。。

  マジで客将、あそこの学生説あるんじゃね?

 

 

 チロ、とまるで極上の獲物を前に舌なめずりをするように。

 マウスカーソルが動き、今度は別の動画が再生されていく。

 

『――この俺の、音速の拳でなぁっ!!』

 

 それは、大魔王ディルニーンの商店街レビューの一幕。

 音の性質の天能術を扱う相手に、逆に吹っ飛ばす客将の姿。その瞬間は大魔王の手によってちゃんと配信され、動画に残っていたのだ。

 

「――これ程の強さですもの。きっと東方第一の武戦科代表選手として、四方校天奉祭に出てくるに違いありませんわぁ」

 

 ほぅ、と。熱っぽい吐息を漏らし。

 少女は――女は、悩まし気に自身の身体を掻き抱く。

 

「素敵に、激しく肉体をぶつけ合いましょう……ねえ、私の王様? うふふ、うふふふふ――」

 

 その、いっそ狂気的ともいえる笑いを聞く者は、他にいない。



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27話 身分と立場

「――星像院さーん! 放課後、グラウンドの予約が取れたからチーム戦とか色々やろうって話になってて、何人かに声かけてるんですけど……もしよかったら、一緒にやりませんか?」

 

 東方天能第一学園高等部天戦科1年E組、その教室。

 本日の授業は少し前に終わって放課後となっており。既に教室を去った生徒もいるが、まだ幾人かの生徒の姿が散見される。

 その内の一人である星像院麗火が自席で荷物をまとめていると、そんな声がかけられた。

 振り返れば、傍らに立っていたのは同じクラスの女子生徒。活発そうな印象を受ける少女で、その顔には人懐こい笑みが浮かんでいる。

 そこから少し離れ、教室後方の空いたスペースには、遠巻きながらこちらを窺う数人の男女の姿。察するに、彼らがチーム戦を行うメンバーだろうかと、そんなことを考えながら。

 

「声をかけてくれてありがとう。――けれど、ごめんなさい。この後は、部活の方で少し用事があるので」

「あー、それは残念……」

 

 軽く微笑みつつ、断りの言葉を述べる。

 放課後となっても教室に残っていたのは、それまでの時間潰しでしかない。成る程、人によっては予定がないと見えてしまってもおかしくはない状況であり、だからこそ彼女も麗火に声をかけてきたのだろう。

 さて、その麗火の返答を聞いた女子生徒は、あちゃー、と額に手を当てて嘆息をしたものの。

 

「噂で聞いたんですけど、星像院さんってあの部活(・・・・)に入ったんですよね? 流石だなぁー、あそこって選ばれた人しか所属できないのに、外部組でいきなり一年生から入部できるなんて」

「……そこまで多くはないようですが、一応、過去にも同様の事例は何度かあったそうですよ」

「それでも、流石は星像院家のご令嬢ってことですね!」

 

 あっさりと引き下がり。今度の機会にでも、と一言残して教室後方の集団に合流していった。

 その背中を見送って、麗火もまた席を立つ。

 鞄を手に、頭を軽く左右に振って緋色の長髪を揺らし。先程の少女を含めた教室後方の集団の近くを通り過ぎる際に軽く会釈をすれば、それに気付いた何人かは慌てたように頭を下げてきた。

 そうして、まだある程度の生徒が残っている教室を後にしようとしたところで。

 

「おお、いたいた! ようやく見つけたぞ!」

「…………」

 

 どういうわけか、見知った顔がズカズカと教室の中へと、麗火の視界へと入ってきた。

 彼女の記憶が正しければ。その人物は同じ学年であり、また同じ天戦科とはいえ、クラスとしては異なり最低評価のH組に所属しているはずである。クラス間での交流の機会があるなら話は別だが、実力順にクラスが振り分けられる東方第一では、別段そのような催しは無い。

 故に、本来であれば最高評価のE組に所属する麗火とは関わりがないはずの存在なのだが――。

 

「いやあ、そういえばお主がどこの組かを私は知らなくてな。天戦科であるのは分かっていたから、F組とG組の教室も探してしまったぞ!」

 

 何故だか、能天気に笑う彼を――三狭間(みさくま)播凰(はお)を、星像院(せいしょういん)麗火(れいか)は知っている。

 

「……一応、私は新入生総代を任されている身ですが」

「おお、そういえばそうだったな!」

 

 おおっぴらに誇示するわけではないが、麗火が単純な事実を告げれば、あっけらかんとそんなことを播凰が宣った。新入生総代は即ち新入生の天戦科におけるトップ。ともすれば、当然振り分けられるクラスは最上位であるE組以外あり得ない。推測の余地なく、至極当然の真っ当な思考だ。

 悪びれもせずに歯を見せて笑う彼は、気付いているのかいないのか。

 周囲の視線は、あからさまに侮蔑の色を帯びている。どちらかといえば呆れや困惑寄りの者もいるが、その殆どはまず間違いなく。

 声の大きさに、クラス外の生徒である事実。加えて会話の対象が麗火ともなれば、この場にいる者――E組に残っている生徒の興味が二人に集中するのは当然といえた。

 

「貴方という人は……それで、私に何か?」

「うむ! 少し、聞きたいことがあってな」

 

 接触の頻度こそ数回であれ、何となく播凰の人柄を把握しつつある麗火もまた、呆れこそしたものの。

 話を進めるために、取り敢えず先を促す。それを受けた播凰が気にした風もなく言葉を続けようとした、その時。

 

「――お前、ここが何処なのか、自分が声をかけてる相手が誰なのか分かってんのか?」

 

 第三者の声が、二人の会話に割って入ってきた。進み出てきたのは、二人の男子生徒。

 その片割れは、じろりと播凰を睨みながら喧嘩腰。

 

「確か、前にもウチのクラスに来てたよね? 上級生が来ることはあっても、同学年の――それもH組の生徒が来ることなんて無かったから、よく覚えてるよ」

 

 もう一方は口調こそ荒くはないが、瞳の奥には隠しきれない見下しの色が浮かび、播凰の顔を見ている。

 

「ここはな、最低(H)クラス()如きがそう何度も気安く来ていい場所じゃねーんだよ」

「その上、星像院家の人間に気軽に声をかけるなんて……身の程をわきまえたほうがいいよ。本来なら声をかけることはおろか、近づくことすら烏滸がましい立場なのに」

 

 口々に言う彼らだが、それを制止する声は上がらない。

 即ち、この場にいる者の総意とまでは断言できないが、少なくとも大半は同意しているものと見做せるだろう。

 明らかに好意的とはいえない空気は、それだけで並大抵の人間では萎縮してしまいそうなものだが。

 

「会話も許されぬ立場、か……」

 

 ポツリ、とそれだけを呟き。しかし、あくまで外野の彼らに言われた通りにするはずもなく。

 

「して、そうなのか?」

「……声をかけざるをえない理由があるのなら、そのようなことは。とはいえ、大した用件もないのであれば控えていただきたいのも事実ですが」

「であれば、問題ないな。用件ならちゃんとある!」

 

 当人からの返答で保証を得たと認識した播凰は、胸を張って宣言する。

 引き下がらないのは予想外だったのか、男子生徒達は一瞬ポカンと面食らった後。

 

「――そ、そういう問題じゃないだろう!」

「では、一体どういう問題だというのだ?」

 

 辛うじて反論の気炎を上げるが、率直な播凰の態度に再度言葉を失くす。

 そんな状況に、麗火は内心溜息を吐いた。単なる傍観者に過ぎないのであれば、まだいくつかの選択肢が存在するというもの。しかし実に厄介なことに、彼女はもろの当事者であり。

 

「用件があるというのなら仕方ありません。ですが、私はこの後に用事がありますので……歩きながらでもよろしければ、となりますが」

「うむ、それで構わん」

 

 それに行くべき場所もある。いつまでも足を止めてはいられないと妥協案を提示すれば、播凰もそれに同意した。

 そうして、教室を出ようとした間際。

 

「ありがとうございました。しかし流石に、大事な用件があるという直接の声を無視する程、私は(・・)狭量ではありませんので」

 

 意図はどうあれ、立ち位置的には麗火の側であった男子生徒達である。背中越しに彼らに言葉をかければ、コクコクと首を縦に振る姿がそこにあった。

 

 

 

「――随分と、息苦しそうであるな」

「…………」

「正直、お主のことはあまり知らぬ。ただ、その姓が……あー、なんだったか」

「……天能始祖四家、ですか?」

「うむ、それだ! それに名を連ねる名家だということは先日知ったが」

 

 教室を出た麗火の隣を、歩調を合わせた播凰が歩く。

 だが、その口から出たのは用件とやらではなかった。その上、彼女にとってはあまり愉快とは言い難い話題であり。

 微かに眉根を寄せた麗火が無言で、しかし非難するように目線を向けるも。

 

「分かるぞ。身分や立場、そのしがらみは私にとってあまり好ましいものでなかったからな」

 

 彼の口は止まることなく、ついにはそんな言葉が飛び出したではないか。

 あまりにも、あっさりと。平然と、さして重要なことではないかのように。

 

「……っ!」

 

 故に。

 それを耳にし、意味を理解した、瞬間。麗火の柳眉が逆立とうとその形を変えかけ。

 

 ――知ったふうな口をっ!

 

 咄嗟に出かかった怒りの声は、しかし実際に紡がれることはなく。柳眉の変化においても、それは些細なものに留まった。

 

 ――…………。

 

 これがもしも、能天気な笑みの一つでもあれば。そしてそれが麗火に向けられていたのであれば。彼女は恐らく、声を上げることも柳眉を逆立てることも厭わなかっただろう。

 しかし、彼の――三狭間播凰の、その横顔は。こちらをすら見ておらず、正面を向き。

 その細められた目はしかして、ここではないどこかに思いを馳せているような、そんな顔で。

 懐かしむような、それでいて一抹の寂しさを感じさせるような。今までは馬鹿馬鹿しく楽観的な表情の播凰しか近くで見てこなかった麗火は、初めて見る色にしばし目を奪われた。

 だからだろうか。

 

「まあ、それはよい。……さて、聞きたいことというのは他でもない、ついこの前のリュミリエーラ――喫茶店での出来事だ」

「…………」

「む、聞いておるか?」

「っ、え、ええ、聞いています。……やはり、先日の一件のことですか」

 

 反応の無さを訝しんだ播凰の顔が麗火の方を向き。その瞳が、すっと麗火を映した時。ドキリ、と微かに彼女の心臓が跳ねた。

 それを落ち着かせるように、一呼吸を置いて言葉を返す。

 

 聞きたいこととやらについては、麗火には凡そ予測がついていた。というより、むしろそれしかないとすら思っていた。流石にクラスまで来られたのは予想外だったが。

 

「うむ。いつの間にかお主達はいなくなっているし、毅に聞いても不明瞭な回答しか返ってこなくてな」

「……前者に関しては、貴方がいつまでも食べているからでしょう」

「むぅ、仕方ないではないか! ああでもしなければ、気が収まらなかったのだから。あのような不快な音を聞いたのは生まれて初めてだ」

 

 思い出したかのように、播凰の表情が不快気に歪む。

 つまり、やけ食いだ。あの事件の後、席に戻った播凰は瞬く間に残っていたチョコレートケーキを平らげ、追加で料理やらデザートやらを注文。その間に麗火達は解散したという、それだけの話だった。

 

「そして毅、というと……ああ、二津さん達と一緒に同席した方ですね」

「そうだ。私と同じように、毅もあの音のせいで状況を理解できていなかったようでな。その時に思い出したのだ。あの時、お主の声が聞こえたような気がしたのを」

「……そういえば確かに、彼も抵抗(レジスト)できていないようでしたね」

 

 ただ一人、テーブルを囲う中で耳を塞ぎ蹲っていた人影を思い出し、麗火は思わずといったように漏らす。

 その単語を、播凰は聞いたことがあった。自身の性質を調べる際、小貫の口から出た単語だ。そういえば、性質が発覚したことで結局有耶無耶となったが。

 

「お主は、その抵抗(レジスト)とやらをしたので無事だったのか。して、それはなんだ? どうやったらできるのだ?」

「……高等部の生徒で知らないのは、恐らく貴方だけかと思いますが――」

 

 刹那、チラリと。その毅という人も知らないのではないか、という疑念が過り。

 即座に打ち消す。仮にも名門校である東方第一にそのような人間が何人もいるわけがない。

 単に実力差的な問題でできなかったのだろう、と麗火は結論付けた。例の音の術に内包された天能力はそれなりであり、同じE組のクラスメートとて全員が全員対抗はできないと読んだのだ。

 

「つまり、相手の術に抵抗してその効果を打ち消すことです。もっとも、全ての術にできるわけではありません。直接的な攻撃系の術は特にそうですし、後は天能力が相手より劣っている場合も失敗します」

「天能力、か」

「正直、あれは危うい状況でした。相手の矛先が貴方であったこと、そして距離もありましたので、咄嗟に反応できましたが……もしも条件が変わっていた場合、どうなっていたか分かりません」

 

 教室のある棟を抜け、外――といっても学園内だが――に出る。

 すれ違おうとした生徒が、麗火を見て緊張したように背筋を伸ばし。次いでその隣を歩く播凰を見て首を傾けた。

 

「成る程。それであの者の行使した術だが、最初のあの不快な音は身を以て味わった。いくら私でも、もう一度聞きたいとは思えぬが」

不協(ふきょう)奏騒(そうそう)。不安定な幾重の音によって相手の行動を阻害する、天介属性の音の術ですね」

「うむ、問題はその後だ。近づいてくる気配もあり、何かが当たった感触はあったのだが――何分、見る余裕が無くてな」

「私としては、何故貴方が無事で、逆に相手がダメージを受けたのかが不思議で仕方ありませんが……」

 

 そこで麗火は言葉を区切り、チラと播凰を見やる。

 が、すぐさま軽く頭を横に振り。

 

「――相手が行使した術はもう一つ。性質継承です」

「性質継承とな?」

「ええ。属性としては天溜であり、自身の性質を肉体そのものに適用させるという、扱いの難しい術です。そしてこれは、音に限らずあらゆる性質(・・・・・・)で行使可能な術でもあります」

「む、どういうことだ?」

「あの人物の場合、肉体の一部を自身の性質――つまりは音へと変えたわけです。他の性質でも行使可能と言ったのはそのままの意味で、これは音の専用術ではないから。例えば、私が行使したのであれば氷に。貴方であれば――」

 

 と、そこまではまるで出来の悪い生徒に言い聞かせるように――実際そうなのだが――説明していた麗火であったが。

 

「――そういえば、私は貴方の性質を知りませんね」

 

 多大とはいかずとも、ほんの少しの興味が込められたふとした呟き。

 それもそのはず。入学試験、そして矢尾との戦い。普通の生徒であれば天能術を行使するはずのタイミングに居合わせて尚、麗火は播凰が天能術を行使している光景を見たことがなかったのだから。

 

「ぬっ……お、おほんっ、今は私のことはよいのだ。つまりあの者は、体の一部が音になったということだなっ! うん? 増々何をされたのかが分からなくなったぞ?」

「……私も完全に目で追えていたわけではありませんが、推測することはできます」

 

 ある意味、流れ弾。教師である紫藤に口止めをされている播凰は、予想外の展開に返答に窮し。

 辛うじて雑な咳払いでなんとか誤魔化すと、結論に至り、しかし結局疑問符を浮かべる。

 その態度に釈然としないものを感じながらも、さりとてそこまで追求する気も興味もなかったのか。

 

「音、というのはつまり、振動です。そのため、物体の振動を誘発させることはあっても、手足といった肉体への表面的な物理的接触や損傷を感じさせることはしないはず。……先程、貴方は何かが当たった感触があったと言いましたね?」

「うむ、そうだ。肩の辺りに感じたぞ」

「貴方が感じたという接触。そして、あの時の『音速の拳』という言葉から察するに――あの人物は腕の一部だけを変化させ、或いは接触の寸前に術を解除して、殴打したのではないでしょうか。文字通り、音の速度で」

 

 別段得意気というわけでもなく、冷静な面持ちで麗火は端的に結論を述べた。

 提示された結論――推測された仮説という前提ではあるが――に、播凰は唸る。胸中を占めるは、天能術の新たな知見に対する感心であった。

 

「……さて、ここまででよろしいでしょうか?」

 

 言葉と共に麗火が立ち止まり、播凰を振り返る。

 疎んじているというわけではないようだが、充分だろう、とその顔が告げていた。

 

「うむ、助かった! ……ああ、そういえばお主、あの時何故いたのだ? それも、あの三人と共に」

 

 播凰は礼を述べつつ。ついでに気になっていたことがあるのを思い出し、投げかける。

 

「あの場にいたのは偶然です。道端で二津さんを見かけて声をかけたところ、美味しいお店があるからと誘われまして」

「ほぅ、辺莉と知り合いなのか。いや、弟の方か?」

「姉の辺莉さんの方ですね。もっとも、弟の子の方も名前と顔だけは知っていましたけど。……こちらとしても貴方が彼女と知り合い、それも仲がよさそうなことに驚きましたが」

 

 言葉とは裏腹に表情に代わりはないが、まあ今知ったというわけでもないからその通りなのだろう。

 さて、そうして播凰に背を向けて歩き去っていくかと思われた麗火であったが。

 

「……こちらからも一つ、よろしいですか?」

 

 一歩、二歩と。播凰から離れていったところで、やおら足を止めた。

 

「これからもあのお店に、あの商店街に行かれるつもりが?」

「うむ、無論だ!」

「そう……」

 

 そして振り向かないまま放たれた彼女の問いに、播凰は即答する。

 チョコレートケーキが好物であることには変わりないし、そのために配信だってやったのだ。行かないわけがなかった。

 播凰の即答から少しの間を置いて、麗火が体ごと振り返る。

 

「先程も言ったように、私があの場にいたのは偶然です。入学に合わせて来たので、こちらの地理には疎いものですから。時折気晴らし程度に足を伸ばすことをしていましたが、結果、あの日通りかかったに過ぎません。そのため、私は恐らく、いえ、今後訪れることは二度とないでしょうが――」

「むっ、待て、待て待てっ! 何故そうなる、お主、褒めておったではないか!」

「……ええ、それはその通りですが。しかし、あそこは長くはもたないでしょう」

 

 言葉を遮り、慌てて播凰は麗火との距離を詰めた。

 だが、彼女の口から出たのは冷淡な言葉。

 

「そんなことはない! これからきっと、客が来るようになる! そうすれば、他の店とて――」

「確かに、人が増えれば一時的に持ち直すことは不可能ではないでしょう。ですが、あの光景は時代の潮流と共になるべくしてなった衰退です。いえ、ならざるを得なかった、と言った方がよいでしょうか。それに、問題はそれだけではありません」

 

 今度は、播凰の発言を遮り、淡々と麗火が述べる。

 

「あの者達のことを言っているのか? であれば、大したことは無い! 音には遅れをとったが、それだけだ。私が負けることはない」

「…………」

「それに、警察、だったか。そこに相談するともゆり殿は言っていたしな!」

 

 確かに、事実だけを見れば、播凰は彼らを撃退している。今までは比較的些細であった嫌がらせも、今回は播凰の身に危険が及んだ――といっても無傷ではあったが――とあって、店主であるゆりは警察に相談に行くと言っていた。

 自信満々に語る播凰であったが、しかし彼に視線を向ける麗火の目は厳しい。

 

「あれは、立場としては小物、末端です。彼らが私情を以てあのような行動に出ているのであれば話は別ですが、きっとそうではないでしょう。あくまで単なる駒であり、手段の一つでしかない」

「…………」

「その上、取り分け、個人の商店にとっては避けられない問題というものもあります。あの喫茶店のマスターさんはまだお若いのでその限りではありませんが……他のお店はどうでしょうね」

 

 播凰は押し黙る。

 麗火の言っていることを理解したわけではない。ただ、彼女が嘘をついていないことを直感的に悟ったが故。

 

「お分かりですか? これは、貴方に――単なる(・・・)一学生の身分(・・・・・・)でしかない貴方に、どうこうできることではないのです」

 

 突き付けるように、念押しするように。

 麗火は現実を播凰へと叩きつける。

 暫しの沈黙。近くに二人以外の人影はなく、少し離れたところからまだ学内に残っている生徒の声が聞こえるのみ。

 ややあって、播凰が重たく口を開いた。

 

「……助言については、感謝しよう。しかし私は、行くことを止める気はない」

「ええ、勿論強制するつもりはありません。ただ、その根拠のない慢心で足を掬われぬよう」

 

 納得がいかない、とありありと顔に出ている播凰に、気にせず麗火は再び背中を向け。

 そうして、彼女は今度こそ歩き去っていった。

 それを少しの時間だけ見送っていた播凰であったが。

 

「――しかし、ここは何処だ?」

 

 麗火に着いてきただけであったので、ようやくここがまだ来たことがない学園内の場所だということに気付き、きょろきょろと周囲を見回すのであった。




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28話 反響

 ――人が、いる。

 

 配信を終えて一週間、つまり配信後初となった土曜日。

 自身を含み大多数の人にとっては休みとなるその日、商店街に足を踏み入れた播凰が抱いたのはそんな感想であった。

 それは子連れであったり、播凰と年の近い少年少女だったり、成年男女であったり。

 とはいえ溢れんばかりに犇めいているというわけではなく、多少の時間があれば数えられる程度ではある。

 だが、つい数日前までの閑散具合からすれば大躍進ともいえる光景。

 ここ最近ずっと胸に抱えていたもやもやは少し晴れ、安堵した播凰はここ一週間のことを思い出す。

 

 麗火と学園で話したその日から。播凰は、放課後直ぐにリュミリエーラへと行くようにしていた。

 それは単純に、人が増えているのかが気になったというのもあるが。一番は、例の輩の存在。

 例え再び彼らが来ようと自分がいれば何とかなる。その思いからと、ある意味での責任感からの行動であった。

 

 ――動画を見た、と言ってくださったお客様が来てくれたわよ。

 

 学園帰りともなれば、時間としては夕方の早い時間。一人向かった播凰に、店主であるゆりは嬉しそうにそう言った。

 それを受けた播凰はしかし、諸手を上げて喜びはできなかった。

 何せ、その時店内にいた客はといえば二組ほどであり、残りは空席。

 増えたと言うには微妙であり、今まで平日にリュミリエーラへと訪れたことがなかった播凰としては比較もできず何とも言い難く。

 故に、それは本当に客があったのか、或いは彼を気遣ってのことなのか。判断がつかなかったのである。

 

 流石に学園を休んでまで行くとはいかなかったので、座学時には普段以上に気もそぞろでまともに頭が働かず。天能術の授業――未だ術が行使できない播凰は見学だが――では、飛び交う術など眼中にないといったように虚空を見上げて惚け、教師である紫藤に眉を顰めさせ。

 放課後のチャイムが鳴るや否や、教室を飛び出しリュミリエーラへと向かい、閉店間際までいる。という一週間を過ごしていたのである。

 

 と、そんな風にして足を止めていた播凰の横を、一組の親子がすれ違うようにして商店街を出て行く。

 父親と思しき男性に手を引かれた女の子は腕にビニール袋を下げ、駄菓子を頬張っており。

 美味しい? という優し気な母親であろう女性の問いかけに、女児はうんと満面の笑みを浮かべ。そうして彼らは播凰の視界から遠ざかっていった。

 

「おばちゃん、これ頂戴っ!」

「俺はこれ!」

「はいはい、ありがとうね。お湯は入れていくかい?」

「「うんっ!」」

 

 ふと駄菓子屋に立ち寄ってみれば、丁度小学校低学年くらいの男子達が会計をしていた。

 いくつかの駄菓子と共に購入していたのは、小さ目のカップ麺。お婆ちゃん店主がカウンター端に置いてあったポットでお湯を入れると、彼らは少し熱そうにしながらも顔を綻ばせつつ慎重にそれを持って店を出ていく。

 

「お父さん、僕この飛行機がいい!」

「おっ、それならお父さんは……あっ、これ、お父さんが子供の頃によく遊んでいたやつだよ」

「子供って僕くらいの頃?」

「ううん、もうちょっと上だったかな。友達とよく公園で飛ばしてね。壊しちゃったり失くしちゃったりして、お小遣いで何回か買いなおして……懐かしいなぁ」

 

 店内には男子達だけではなく、若い親子の姿もあった。父親の年は三十代前後だろうか、玩具の飛行機が陳列されている場所で子供と共にはしゃいでいる。

 その親子が会計を済ませて店を出て行ったところで、播凰は駄菓子屋のお婆ちゃん店主に近づいた。

 

「いらっしゃい……おや、この間の坊やかい」

「うむ! どうだ、客は増えただろうか?」

「そうだねえ……」

 

 開口一番、ストレートな播凰の物言いに、駄菓子屋の店主はゆっくりと間を置き。

 

「どうしてか、親子連れをよく見たねえ。あとは丁度坊や位の、数年前までよく来てくれていた子達が久しぶりに買っていってくれたよ。……時が経つのは早いねぇ」

 

 目を瞑りつつ、頬を緩めてしみじみと呟いた。

 

「それに昔程とはいかないまでも、今日はよく人が通る。坊やのおかげなのかもしれないね」

「そうか、増えたか! よかったぞ!」

 

 その反応に、播凰は満足そうに頷く。

 先程の光景からそれは分かっていたが、当人から話を聞くのはより強い証だった。

 と、二人がそんな話をしていると、外から子供の泣き声が聞こえてきたではないか。それも、大泣きも大泣きの。

 

「おやおや、どうしたんだろうねぇ」

 

 レジから出て、心配そうに様子を見に行く店主に続き、播凰も通りに出てみる。

 するとそこには、つい先程会計をして出て行った親子の姿があった。

 

「だから言ったろう。これだけ建物がいっぱいあるところで飛ばしたら、失くしちゃうかもしれないって」

 

 大粒の涙を流して泣き喚く男児に、そら言わんことかといった態度の父親。

 男児の手に握られているプラスチックの持ち手とゴム紐を見て、播凰は悟った。

 自分と同じミスをこの男児はしたのだと。つまり、配信中に播凰が飛行機を飛ばして建物に引っかけたように、この男児もここで飛ばしてどこかに引っかかってしまったのだろうと。

 

 そして、お婆ちゃん店主もそれを理解したらしい。

 あらあらと呟くと店内に踵を返し。暫くして、また外に出てくる。

 その手には、飛行機の玩具の包みが一つ。

 

「ボク、飛行機を失くしちゃったのかい?」

「……うん」

 

 そして彼女はそのまま男児に近づくと、空いているもう片方の手でその頭を撫でながら、柔らかく寄り添うように問いかけ。

 すると多少は落ち着いたのか、涙は流しつつも男児は小声と共に頷いた。

 

「そうかい。じゃあ、おばちゃんが同じのをもう一つあげよう」

「……いいの?」

「うんうん、特別だよ」

 

 お婆ちゃん店主が差し出した包みを目にして、男児が彼女を見上げ、小首を傾げる。

 頬に伝う雫を指で拭いながら、彼女はその小さな手に飛行機の包みを優しく握らせた。

 

「すみません、お代を……」

「いいの、いいの」

 

 慌てたようにポケットから財布を出そうとした父親であったが、それを手で制し。

 

「その代わり、今度はちゃあんとお父さんの言うことを聞いて、失くさないようにするんだよ。大事にしてくれると、おばちゃんも嬉しい」

「うん……分かった!」

「すみません、ありがとうございます」

 

 男児の視線の高さに合うように腰を落とし、その瞳をしっかりと見て優しく彼女が告げれば。

 ごしごし、と目元を強く擦って男児が大きく頷き、続いて申し訳なさそうに父親が礼を述べた。

 

「――おばあちゃん、ありがとー!」

 

 頭を下げる父親と、彼に手を引かれ、もう片方の手を大きく振りながら、親子は笑顔で去っていった。

 それに小さく手を振り返しながら。お婆ちゃん店主は、隣に立つ播凰に。

 

「坊やには感謝しないとねぇ。……おかげで、最後に昔を思い出せたよ」

「うむ! ……ぬ、最後?」

「ああ、もうウチは店仕舞いをすることにしたのさ。来月にはもうここにはいないんだよ」

「むっ、何故だ? 人が、客が増えたのだぞ?」

 

 語られたのは、退去の旨。

 それに納得いかないのは播凰である。彼からすれば、折角人が増えたのにという思いしかなかったからだ。

 

「ウチに限ったことじゃないけど、もういい年だからねぇ。身体も、それに建物も。ゆりちゃんには悪いけど、この年にもなると色々と考えなくちゃあいけなくて」

「しかしそれなら、他の者に店を任せればよかろう? ……例えばそう、ご老台の実子、或いは縁者であったり――」

「あっはっは、流石にそんなことは言えないよ。家の子達はもう、仕事も家族もしっかり持ってる。今更この店を継いでくれる人間なんていやしないし、仮に継いでもらったところで、とてもじゃないけど余裕のある生活とはいかないからね。これも時代の流れというものなんだろうねぇ」

 

 率直すぎる故に、ある意味それは礼を失したものであっただろう。

 けれども、そんな播凰の発言をお婆ちゃん店主は笑い飛ばし。

 

「――ありがとうね、これで心残りは無くなったよ。最後に活気ある店が、商店街が見れた。それだけでもう満足さね」

 

 播凰と視線を合せ、その腕をポンポンと優しく叩き、撫でた彼女は。

 言葉通り満足気にそう笑っており。その眼には、確かな決意の光が宿っていた。

 

「…………」

 

 皺が目立つその手が添えられた自身の腕を、黙って播凰は見る。

 初めての感覚であった。

 少なくとも播凰の記憶では、こんな風に誰かに気安く触れられ、面と向かって礼を述べられたことはない。

 そんな播凰を前に、お婆ちゃん店主はふと思い出したように言った。

 

「ああそうそう、玩具屋の若いのが言ってたよ。最後に商品を買っていってくれたのが、楽しそうに遊んでくれそうな子でよかったって」

「……そうか」

 

 そうまで言われて察せられぬ播凰ではない。

 駄菓子屋を辞し、玩具屋の前に立てば。そこは周囲と同様で既にシャッターが閉められ、閉店を知らせる張り紙が掲載されていた。

 

「……成る程、後継ぎが(・・・・)おらぬことが問題(・・・・・・・・)となることもある、か」

 

 麗火が指摘していた一つはその点なのだ、と遅まきながらに理解する。

 後継者問題。人の営みにおいて、必然的に生じるものであり、避けられない事項。

 存在については知っていた。なにせ――その動乱の果てに、自身は王位に即くこととなったのだから。

 今にしても、よくもまあ弟妹達の誰もが命を落とすことなく、それどころかその後に仲良くやれていたものだ、と思える。

 とかく、当事者間然り、その周囲然り。それが孕む厄介さというのを播凰は身をもって知っていた(・・・・・・・・・・)のだ。

 

 が、少なくともその問題というのは、播凰にとっては候補者が複数存在するが故に勃発するものであった。逆に候補がいないことが問題となることなど想定の埒外であったのだ。

 つまるところその思い込みが、播凰の視野を欠けさせていたのである。

 

 無論、今回に関しては問題はそれだけではないのだろうが、播凰は経営の経験もなければ知識もない。

 加えて時代の流れと言われても、ここ最近この世界に来た播凰からすればいまいちどころか全くピンと来ない。なにせ、この世界の以前の姿を知らないのだから。

 事ここに至って、客足が戻ってどうこうという話は疾うに過ぎ去っていた。判然としないながらも、薄々とそれを理解させられたという話。

 

 残念ではあるが、しかし。悶々とした気持ちを播凰は切り替える。

 元より播凰の目的はチョコレートケーキの、引いてはリュミリエーラの存続を発端としたものである。ましてや当人達もそれで満足しているのであれば、言うことも言えることもない。

 なれば、今気にするべきはリュミリエーラに人が集まるかどうかであり――。

 

「……んん、あれは何をやっている? 何故外に人が立っているのだ?」

 

 結果、人はいた。十人前後だろうか、だがどういう訳か中に入らずに、リュミリエーラのレンガ調の外壁に沿って並んでいる。雰囲気や装いからしても、例の輩とは違いそうなのは一目瞭然。何か変な行動をしているわけでもない。

 では、一体何なのか。

 その光景を、立ち止まって訝し気に播凰は見やっていた。

 

「――お待たせしましたっ! お次のお客様、何名様でしょうか?」

 

 さて、そんな疑問は、間もなく氷解することとなる。

 リュミリエーラのエプロンを纏い、扉を開けたのは、意味不明なことに辺莉であった。

 一体全体何故、アルバイトどころか未だ中学生である彼女が、接客のようなことをしているのか。

 

 ……??

 

 一瞬の混乱。だが、それは同時に眼前の光景の答えでもあり。

 

「おおっ、そうか満席なのか!」

 

 ポン、と手を打って破顔する。

 店内に入れないから、外にいる。

 リュミリエーラにおいて一度も目にしたことのない光景であるから、無意識にその可能性を排除していた。

 

「……うむ? よく考えたら、人が増えたら私がすぐに食べれないのではないか?」

 

 が、満席であるということは自身も待つ必要があることを理解させられ、顔を曇らせる。

 昼食をリュミリエーラで済ませ、その後も平日の学校帰りと同じようにデザートだったり例の輩の監視をしようとしていたが。後者に関しては、席に余裕があったからできていたことである。

 客が増えるということは、同じ客の立場である播凰にも影響を及ぼす。

 そんな事実に今更ながらに気が付くとは何とも間抜けである。

 

 ところで、以前までの商店街ならともかく、人の増えた今の商店街の路上にてそんな百面相をしている播凰は、傍から見れば充分に不審者であった。

 が、そう捉えなかったのは一人。

 

「――っ!!」

 

 列の先頭の客を店内へ誘導し、自身もまた扉を潜ろうとしていた辺莉。

 その瞳が、キラリと瞬き、ギラリと光って播凰を捕らえた。

 そして彼女は、とたたっ、と足早に目的の人物に駆け寄り。

 

「――戦力っ、になるかは分かんないけど、取り敢えず確保っ! 播凰にい、手伝って!!」

「……ぬ?」

 

 逃がさぬ、と言わんばかりに目的の人物――即ち播凰の腕を抱きかかえたのであった。




まあそりゃあ、特に駄菓子屋と玩具屋にもろに影響出そうな少子化問題だの。それ以外にもネットショッピングやらの営業形態、大型ショッピングモール云々は、世界を渡って来た人には分かるわけないよねという。同じような問題が前の世界にあったり、説明されたならまだしも。
今回に関しては主人公が無知というよりは、仕方ないという作者からのフォローでした。

薄々察せるであろう情報は出てますが、播凰の世界は戦乱の世、文明レベルも低めです。
そのあたりは次章以降でどんどん明らかになっていくはずです。

読んでいただきありがとうございました。


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29話 束の間の

「――その、申し訳ありませんでした、播凰くん」

「うむ、まあ力仕事であれば私でも役に立てるから構わぬが……」

 

 買い物袋を片手に、隣を歩くジュクーシャが、おずおずといったように声を上げる。

 パンパンの買い物袋――それこそ雑な持ち方をすれば破れて決壊しそうなほど膨らんだそれを、胸の前まで持ち上げて左右の手で抱えながら、播凰はそれに答えた。

 

 播凰とジュクーシャ、二人で買い出しに出かけたその帰り道の出来事である。

 さて、ではどうしてそんな状況になっているのかといえば。

 

 あの時、辺莉に引っ張られてリュミリエーラに入った彼を待ち受けていたのは。落ち着いたBGMを掻き消すほどの人の気配漂う店内に、満席となった席。更には、持ち帰り客の対応であったり、カウンターやテーブルへ注文を受け、料理を運びと奔走する二人の店員――内一人はジュクーシャである――の姿であった。

 

 辺莉は、ご新規二名様です、とジュクーシャとは別の店員に声をかけて対応を任せると。

 

 ――ゆりさん、播凰にいが外で変な顔してたから連れてきたよ! 扱き使ってやってっ!!

 

 と、播凰を連れたまま厨房で料理をしていたゆりの元へ一直線。

 難色を示す――といってもそれは邪険な扱いではなくあくまでも申し訳なさから――ゆりであったが、別に構わないという播凰の一声により彼も店を手伝うこととなったのである。

 

 とはいえ、播凰にできることというのはそれほどない。

 担当したのは、食事が終わった席の食器の回収や洗浄といった客との接触のない軽い雑用などなどが主。それは果たして、播凰に接客は難しいとゆりが判断したのか、或いは特徴ある喋り方から動画に登場していた客将(人物)と露見しかねないとの気遣いか。

 それは兎も角、食器洗い機に感心したり、食器を割らないように慎重に扱ったりと、播凰はなんとか作業をこなした。この世界に来て一人で生活し始めた頃は、力を入れ過ぎて洗っている最中に皿を割ったりすることが度々あったが、その尊い犠牲の上に改善は為っていたりする。

 そして昼の時間帯が過ぎ、ある程度客の出入りも落ち着いたところで。

 予想外の客足によって材料不足の懸念が浮上し、急遽ジュクーシャが買い出しに、その手伝いとして播凰が同道することとなったのである。

 

 そして、先程のジュクーシャの謝罪の言葉に繋がる。

 買い出しは、ただ買い物かごを持ってジュクーシャの後について回っただけなので苦であったかと言われると、そうでもない。荷物はそれなりだが、この程度の重さは彼にとってどうということはなかったからだ。

 

「いえ……この買い出しやお店の手伝いという意味でもそうなのですが――」

 

 が、どうにも謝罪はジュクーシャにとってその意味だけではなかったらしい。

 彼女は言いあぐねるようにしつつも。決心したのか、深呼吸をしてから播凰の顔を見る。

 

「先日は、折角の配信の空気を乱し。その上あろうことか、悪いのはこちらなのによそよそしく接してしまい……」

「む。ああ、ジュクーシャ殿はそれを気にしておったのか」

 

 リュミリエーラにおいて、大魔王の発言を切っ掛けとしてジュクーシャが激昂した、あの一幕のことを言っているのだろう。

 その後はすっかり空気と化していた彼女であったが、それは配信が終わったあとどころか日を跨いでも続き。必要以上に播凰に近づかず、また会話を交わすこともしなかったのである。

 

「まあ……何があったのか、その想いは聞かぬ。私も、そう昂然と話せることではない故」

「…………」

 

 ジュクーシャの感情の爆発の元。それは、何を理由としてこの世界へ来たかを大魔王が語ったことにある。

 つまり、そこに並々ならぬ想い、葛藤がある証左であり、単なる好奇心が理由である播凰もまた彼女の地雷を踏みかねない。そも――。

 

 ――最後に、あのような顔をさせてしまったからな。

 

 この世界に来たことを後悔はしていない。していない、が。

 その零れ落ちる涙を、覚えている。寂しさを湛えた笑みを、覚えている。

 彼の二人の妹の哀情を、一人の弟の寂寥を。

 それをさせてしまったのは他ならぬ自身であると、播凰は自覚していた。

 

「――もし……」

「ん?」

「……いえ、なんでもありません」

 

 少しの沈黙を経て、ポツリと声を上げたジュクーシャであったが。しかし、すぐにその口は閉じられ。

 リュミリエーラまでの残りの道を二人は並び、しかし無言のまま歩を進めるのであった。

 

 

 

「――皆、お疲れ様。今日は本当にありがとうね」

 

 リュミリエーラの営業時間は深夜まで続くことはなく、これから夜に差し掛かるかといったところで終わりを迎える。

 昼のピークこそてんてこ舞いとなったものの、その後客足は途絶えることはないながらもなだらかに落ち着き。

 

「うむ、このくらいどうということはない。また頼るがよいぞ!」

「うんうん、大変だったけど楽しかったですし!」

 

 そして今、CLOSEDのプレートがかけられ一部の電気が消えた店内にて。

 ジュクーシャと辺莉、そして播凰の三人がカウンター席に横並びに座り。そしてカウンターを挟んで店主のゆりが立ち、談笑に興じていた。

 

「ええ、二人共初めてだというのに凄く助かりました。……失敗ばかりでお店に迷惑をかけていた私の最初の頃とは大違いです」

「まあまあ、ジュクーシャちゃんも今は凄い頑張ってくれてるから助かってるわ」

 

 二人を褒めつつ、過去を思い出してかズーンと落ち込んだ様子を見せるジュクーシャ。

 それに困り笑いを浮かべながらフォローを入れるゆりだが、しかし否定はしていない。

 とはいえ、ひたすら裏方的作業を担当していた播凰はさておき。年齢的に仕事の経験が無いであろうにも関わらず、お客の誘導やらでジュクーシャ達店員の手伝いもしていた辺莉は、確かに初めてにしては上出来だったと言える。

 活発で人懐こい辺莉の性格だから上手くいったのか、接客業に向いていそうなのは確かだろう。

 

「でも、本当によかったのかしら? お給料、とはいかないまでも頑張ってくれた分のお小遣いくらいなら――」

「いーの、いーの! 好きで手伝っただけだし、それにお礼はちゃんと貰ったから! ね、播凰にい?」

「うむ、晩御飯だけでなく飲み物もチョコレートケーキも馳走になった。それだけで充分である」

 

 後から聞けば。休日ということもあり、また配信の効果が気になって早くからリュミリエーラに来ていた辺莉は、徐々に客が増え満席になった店内を見て手伝いを申し出たのだとか。

 その対価として、閉店後の店内で賄いとしてご飯等を提供するに至ったという流れであり。必然、播凰もそれに乗じる形となったのだ。

 ちなみに、もう一人のアルバイト店員は用があるとかなんとかで、既に上がっていたりする。

 

「……でも、まさか満席になるどころかお店の外に列が出来る程にお客様に来ていただけるなんて。本当、何年振りかしら――」

 

 ふと、やや目を潤ませながら回顧するように。店内をぐるりと見回しながらゆりが言った。

 播凰もつられてチラリと振り返る。無論、今は彼ら以外はおらずがらんとした空席が広がっているだけだ。けれども、ゆりが見る景色はまた違うものなのだろうと、何となくそう思った。

 

「ふむ、やはり以前はもっと客が来ていたのか?」

「ええ。お客様もそうだけど、商店街の方達にもよく来てもらったりして……さっきのジュクーシャちゃんじゃないけど、開店して慣れるまでは私もあの人もまだまだ未熟だったから色々大変だったけどね?」

「……勘弁してください、ゆりさん」

 

 播凰の質問に、ゆりが揶揄うように悪戯っぽく微笑めば。

 力無い声で、ジュクーシャが白旗を上げる。

 と、そんな揶揄いのためのふとした言葉に喰いついたのは、辺莉。

 

「そういえば聞いたことなかったですけど、お店を開いてから結構長いんですよね」

「そうねえ、もう十年以上は経っているわ。……一応、当時の写真がお店にあるけど、見る?」

「えー、見たいです!」

 

 十年以上となれば、少なくとも播凰と辺莉にとっては今までの人生の半分以上。

 喜々として即答した辺莉に、ちょっと待ってねと言い残し、ゆりは店の奥に姿を消し。

 数十秒後、戻って来たその手には。

 

「わぁー、今も美人だけど、若いゆりさん凄い綺麗!! 隣にいるのは旦那さんですか? すっごく優しそうな人でお似合い!!」

「ふふっ、ありがとう」

 

 木製の写真立てに飾られた二枚の写真。

 一枚目は、昔のゆりと思われる女性とその隣に一人の男性が立ち、開店を祝う花輪が並ぶリュミリエーラのレンガ調の建物をバックに外で撮影した写真。

 旦那であろう眼鏡をかけた男性は、柔和な笑みを湛えながらゆりの腰に手を回しており。恥ずかしそうにしながらも、しかし幸せそうな笑みを彼女は浮かべている。

 

 二枚目は、恐らく店内での光景。ゆりとその旦那が二人並んでいるのは一枚目と同じだが、こちらはその他に何人かの人々も一緒に映りこんでいる。

 

「む、この御仁はもしや駄菓子屋の――」

「あら、よく分かったわね。そうよ、開店当時から目をかけてくれていて、色々とお世話になったわ」

 

 と、二枚目の写真で夫婦の近くにいる女性に見覚えを感じて思わず播凰が声を上げれば。

 少々驚いたようではあったが、ゆりが肯定する。

 

 十年以上も前に撮影されているので当然今よりも若いが、それは駄菓子屋のお婆ちゃん店主であった。

 播凰が分かったのは、他でもない。正に今日、その写真と同じ顔を見たからだ。

 無論、年月の経過に伴う外見の変化はある。髪の白い混じりなどは特にそう。

 だが、確かに面影があった。写真の中年女性が浮かべる笑みは、彼が最後に見た笑みとそっくりだったのだ。

 

「お店の雰囲気は、昔からあまり変わってないんですねー」

「ええ。このカウンターもそうだし、客席のテーブル、お店にあるもの……勿論、全部が全部そのまま残ってるわけではないけれど、私とあの人でしっかり相談して、たくさん悩んで、選んで。大切に使ってきたからね」

 

 その声色が、あまりにも感情が籠められていたもので。

 ふと、写真から顔を上げて、播凰はゆりの顔を見る。

 

「――このお店全てが、私達の宝物なの」

 

 こんな笑顔もあるのか、と。そう、播凰は思った。

 自身が浮かべたことは絶対にないと断言できる。笑った顔の人間を見たことは数あれど、そのどれもと違う。

 無論、顔が違うなどという単純な話ではない。

 しかし、その笑みを浮かべたことのない播凰にとって、その感情を持ちえない播凰にとって。

 何故だか、その笑顔は眩しく見えた。

 

「素敵なお話ですね! ……あ、そうだっ!!」

 

 と、播凰と共にそんなゆりの話を聞いていた辺莉が、妙案を思いついたといわんばかりに、パンッ! と手を打った。

 

「ねっ、ねっ、私達も記念に写真撮ろうよ! お客さんがいっぱい来てくれた記念!」

 

 言うが早いか、さあさあ、と彼女は急かすように一同を促し。

 結局、辺莉の押しに負けたというべきか、特に反対意見が出ることもなく。

 

 店内のカウンターを背景に、手頃なテーブルの上に辺莉の端末でセルフタイマーをセットして。リュミリエーラのエプロンを纏った四人の姿が、一枚の写真に収まるのであった。

 

「――ありがとうね、播凰君。このお店が満員になったところをまた見れて、とっても嬉しかったわ。本当、あの人にも見せてあげたかったくらい」

 

 夜もいい時間となり、辺莉、播凰の二人が最強荘へ戻ろうと店の外に出ると。

 見送りに同じく店の外に出たゆりが、柔らかい声を播凰にかけた。

 

「なんの、むしろきっとこれから何度でも見れるはずだ! 代わりに、私も待つことになってしまうのが痛いがな!」

「ふふっ。ええ、そうね……」

 

 今日の光景に手応えを感じた播凰が自信と自虐を含んだ無駄に力強い返答をすれば、ゆりはくすくすと可笑しそうに笑う。

 

「明日も同じくらい来ていただけるかは分からないけど……今日みたいにならないように、しっかり準備しなくちゃね」

 

 明日は日曜日。ともすれば、本日の盛況ぶりを見るに嬉しい悲鳴が上がる可能性は高い。

 そういうわけで、ゆりはまだ店に残って作業をするようで。

 

「お二人共、夜道にお気をつけて」

「ジュク姉とゆりさんこそ! ……まあ、ジュク姉がついてるから大丈夫だと思うけどね!」

 

 その手伝い、そして警戒も兼ねて、ジュクーシャもまた残るらしい。

 別れの挨拶を告げ、辺莉と播凰は僅かな街灯が灯る商店街を歩く。

 

「これだけお客さんが来てくれたんだもん、きっと大丈夫だよね!」

「うむ!」

 

 ――それに、ゆり殿はまだ若いしな。

 

 そう、心の中で播凰は付け加える。

 少なくとも、駄菓子屋のように、そして麗火が指摘したように。後継者問題で頭を悩ませることはない。

 であれば、客さえ来れば。二人の胸中はそれで一致しており、故に結果を見た今となっては確かに希望が見えていたのである。

 

「これも播凰にいのおかげだ! ……ところで播凰にい、なんだかんだ馴染んでる気がするんだけど、今後もあの動画に出るの?」

「む? そうさな――」

 

 まだ日付が変わる程遅くはないが、陽はとうに落ちている。

 リュミリエーラ以外に光の無い、明滅を繰り返す商店街の街灯だけがただ二人を照らしていた。

 

 

 その後も、さしたる問題というのは起こっていないようであった。

 数十という日が過ぎ、一つ二つと週を跨いでも。ゆり曰く、客足は多少落ち着いたが大きく衰えることなく、例の輩も姿を一度も見せることはなかったという。

 このままいけば、或いは。

 今日もまた、しかし以前よりは気楽に、もはや日課となっているリュミリエーラへ向かおうと。授業が終わり、教室を出た播凰は。

 学園の校門付近まで辿り着いた時、ふとその足を止めることとなった。

 

「――やっ、久しぶりやな。三狭間播凰」

 

 時間にすれば、一日の内の数時間。彼女(・・)と顔を合わせたのは、たったそれだけだ。

 それきり言葉を交わすどころかその姿すら見もしなかったが、しかし強く播凰の印象に残っている人物。

 校門に背を預け、ニヤっとした笑みでこちらに片手を挙げているのは。東方第一の教師である紫藤の級友にして、天対という組織に所属する女性。播凰の性質を特定した、小貫夏美であった。

 

「今から、ちょいとばかし話せるか?」

「うむ、それは構わぬが。私はこの後行くべき場所がある故、手短に頼む」

 

 正面に立ち、進路を塞ぐようにして腰に手を当てる彼女に。

 播凰は首肯しつつ、そう告げる。

 だが、返って来た言葉は奇妙なものであった。

 

「ああ、例の喫茶店なら、別に今すぐ行かんでもええで」

「……何?」

 

 まるで何事でもないかのように彼女、小貫はそう言ったのだ。

 必然、播凰は怪訝そうに眉を顰める。

 何故知っているのか、行かなくていいとはどういう意味なのか。

 当然のように湧き上がった疑問。これからの行動に干渉されて不快になったわけではないが、自然、その思いは彼の視線に含まれ。

 

「あの小悪党達に備えて行くつもりなんやろ? せやから、行かんでもええ言うたんや。なにせ――」

 

 元よりさほど勿体ぶるつもりもなかったのか、小貫はニヤついた笑みを消し。

 端的にその事実を述べるのであった。

 

「――奴らが来るのは、今夜やからな。無論、客としてやなく……店を潰すために、やが」




2章終了は無理でも、2章ラストバトルの入りを今年中にしたいところですが間に合うか微妙。。
少なくとも後一話は今日か明日に更新予定です。
よろしくお願いします。


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30話 それぞれの矜持

「して、今夜店を潰しにくるとはどういうことだ? 何故、お主がそれを知っている?」

 

 流石に、校門で会話をしていれば嫌でも人目につく。

 そのため学園の敷地を囲う外壁に沿った人通りの少ない道に場所を移し。

 播凰は矢継ぎ早に小貫へと質問を浴びせた。

 

「まず誤解が無いように言っとくと、当然ウチはあれの仲間や協力者ってわけやない。ま、言うまでもない事やけどな」

「…………」

「ほんなら、何でウチが知ってるかっちゅう話やが……言うたやろ? ウチが得意とするんは潜入や調査やって。本来の目的ついでに、小悪党のことをちょいと探るなんざ、朝飯前や」

 

 フフン、と少々得意げに胸を張る小貫を前に、しかし播凰の表情は動かない。

 

「なんや、納得いってなさそうな顔やな。言うとくけど、特別出血大サービスなんやで? 本来、ウチを動かすには――」

「疑っているわけではない。だが、どうして探る気になったのか。そして私に言うのか。それが分かっていない」

 

 いかに普段は能天気の播凰とて、一定の猜疑心はある。

 これが、例えばジュクーシャであったり辺莉であったり――リュミリエーラの事情を知る者から齎された情報あれば何の問題も無かった。彼女達もまた警戒しているには違いなく、情報を得る可能性というのもゼロではないのだから。

 

 しかし翻って。小貫は関係も無く事情も知らないはずの第三者である。少なくとも、播凰の目線からすれば。

 本人の言う、ちょいと探ったというのは恐らく事実なのだろう。

 だが、その行動を起こすには一つの絶対条件が存在する。

 ついでに、と彼女は言った。そしてそれは偶発的ではなく、明確な意思を以て行ったことを意味するわけだが。

 ――しかし、そもそもの根本を知らなければ、その発想に至るはずがないのだ。

 

「成る程、成る程。つまりアンタは、ウチが何故あの商店街の――喫茶店の抱えた問題を知っているかが不思議なわけや。……まあ確かに、言葉足らずだったんは、そうかもな」

 

 ふんふん、と納得したように小貫は頷いた。

 もっともそれは、一度は、であったが。

 

「けれども、あんな真似をしておいてそれは、ちいと想像力が足らんとちゃうか?」

「あんな真似、とは?」

「動画を用いて、店の存在を喧伝、発信して集客する。まあ、発想は悪くない。実際、その目論見通りに話題になって客足が伸びたようやし。……やけど、それが世に発信されていると。誰にでも見れるというその意味を、アンタはもっと考えた方がええな」

 

 注意するように声を飛ばした小貫は、しかし具体的には伝えずに播凰から視線を切ると。

 ごそごそと懐から携帯端末を取り出し。いつぞやの時のように、その画面を播凰に向けた。

 

 流れたのは、配信時のリュミリエーラ内にて音の性質の使い手と一悶着あったあの場面。

 厳つい大男が口上を叫び、飛び掛かり。そして消えたかと思えば、店の外の道の上で大の字となって倒れ。

 そんな映像が繰り返し再生される。

 

「所謂ショート動画ってやつやな。時間が短い分、気軽に再生されやすい。ほんで、なんやこれはってなった視聴者が元の動画を見に行けば、そっちの視聴数が増えるっちゅう寸法や」

 

 その時、眼前で繰り広げられていたであろうに、しかし相手の音によって状況を把握できていなかった播凰である。しかし、万音が配信していた映像にはその始終が正確に記録されていたのだ。

 

「実際、気になった人は多いみたいで、ほれ……あぁ、流石に確認くらいはしたか? にしても、この小悪党達もまさか、邪魔をしにきたはずが却ってそれが話題の一因になるとは思ってなかったろうなぁ」

 

 小貫は端末を操作し、再びその画面を播凰に見せるように突き出す。

 それは配信のアーカイブ、つまりは元となる大魔王ディルニーンが投稿した動画のページ。概要欄にはリュミリエーラの場所、というか商店街の場所の情報が載っている。

 なんとその視聴回数は、百万を超えていた。投稿からそれほど長い時間が経ってないことを考えると、中々の数字だ。

 そして、コメント欄の反応はといえば。

 

 ・コメント:ショートが気になって見に来ました

 ・コメント:ショートから

 ・コメント:成る程、これがあれの元動画か

 ・コメント:俺は切り抜きから

 

 ある者は、小貫の言った通りの導線から視聴に至ったことを主張し。

 

 ・コメント:VTuberはよく知らないけど、こういうこともするんだね

 ・コメント:美味しそう

 ・コメント:へえー、こんな場所あったんだ。今度行ってみよう

 ・コメント:この商店街、昔はよく使ってたな。まだ残ってたのか

 

 またある者は、配信の主題や場所について興味を示し。

 

 ・コメント:これが噂のASMRですか(錯乱)

 ・コメント:すげー、音の天能術って初めて聞いたよ。……これはもう二度と聞きたくないけど

 ・コメント:音速の拳(笑)

 ・コメント:コントかwww

 ・コメント:ダイナミック退店

 ・コメント:芸人かな?

 ・コメント:ガチでやってるんなら、見掛け倒しにもほどがあんだろw

 

 中でも最もコメントでも言及されているのが、小悪党――例の音使いとの一悶着部分であった。

 

「そうそう、ウチも興味本位で食べてみたんやが、まあまあ当たりやったな。特に、デザートがええ。毎日とは言わんでも、時たま食べる分には丁度ええご褒美や」

「おおっ、そうだろうそうだろう! よく分かっているではないか!」

 

 そして小貫もリュミリエーラに来たことがあったらしい。

 播凰が彼女を見た記憶はないから、単に彼がいなかったタイミング。例えば、平日の播凰が学園にいる時間等で行ったのだろう。

 兎も角、小貫がデザートを褒めたことにより、それがお気に入りである播凰はたちまち上機嫌になる。

 

「ほんで、話を戻すけどな。アンタが相対したあのムキムキスキンヘッドの音使い――名は笠井っちゅうんやけど。アンタとの一件で右腕を負傷した笠井は、意識はその日の内に取り戻したみたいやが、暫くは動かんかった。ま、アンタを警戒したのもあるやろうし、あの店の状況なら手を出さなくても問題無いと考えたんやろうな。少なくとも、すぐに報復を考えるほど短慮ではなかったらしい」

「ふむ、アレは笠井というのか。それで?」

「せやけど、あちらさんにとっては予想外なことに、客が入り出した。それも、数日前までは閑古鳥が鳴いてたにも関わらず一時満席になるほどにや。流石に、衆目の前でやらかすのは分が悪いっちゅう思いはあったらしく、歯噛みしていたやろうけどな」

 

 数組程度の客がいる中でやらかすのと、満席になるほどの入りでやらかすのとでは訳が違う。

 仮に前者の状況で嫌がらせ等の行為に及んだ場合は、客側は見て見ぬ振りをして今後二度と近づかない、と関わりを避ける――その場面に何度も出くわせば殊更――心理になる可能性が高いが。後者の場合はまた違う心理が働く可能性は大いにある。

 多数の目というのは、ただそれだけで事を起こさない理由とはなるのだ。

 

「もっとも、黙って指を咥えてたわけやないんやろうが、少なくとも表面上は静観していたわけやな。――が、アンタの、というかあの動画を知った。どういうきっかけかは分からんけど、話題性から考えれば連中の内の一人ぐらいは気付いてもなんらおかしいことはない」

 

 しかもその内容が内容。

 時間でいえば、動画全体のごく一部に過ぎないのだが、インパクトは絶大。

 自分がぶっ飛ばされて、ノックアウトさせられたところがバッチリ記録されているのだ。その存在を知った時のスキンヘッドの男――笠井の心境は想像するに難くない。

 

「あんだけの特徴や。顔以外の見た目、言葉遣い、何より音という性質。そいつを知っとる人には分かるし、動画を見た一般人にも笑われとるとあっては、流石に我慢はできんかったらしい。小悪党とはいえ、面子っちゅうのは重要で、それをアンタに潰されたわけやからな。その答えが、今夜の襲撃や」

 

 ――で、どうする?

 

 一連の経緯、播凰が知らぬ裏での動きを簡潔に述べた小貫は。

 最後にそう結び、播凰に視線を向けた。

 

「どうする、というのは?」

「……正直、天対が出張るレベルの事件じゃあないが、かといって見て見ぬふりをするつもりもない。

襲撃の確固たる証拠は無いものの、ウチらの――天対の名を出せば、地元警察を動かすことも可能やし。なんならウチ一人だけでも問題ないけども、まあ警察の人間もいた方が諸々の処理はスムーズやな。あちらさんを待ち構えて、やらかそうとしたら現行犯で終いや」

 

 つまり、対処をどうするか。

 小貫が問うたのはそれであり。彼女の瞳が試すような怪しい光を宿す中、播凰は端的に言葉を返した。

 

「不要だ」

「……へぇ?」

 

 潔いそれに、小貫の目が細められる。

 その口から漏れたのは、面白がるような、挑発的なそれ。

 真っすぐと小貫と視線を合わせ、播凰は続ける。

 

「あの者は私との一騎討ちに挑み、そして敗れた。もっとも、あの時に私は特別に何かしたわけではないが――それはこの際よい」

「んー……まあ、捉えようによってはそうかもな」

「そして今宵、敗北の結果をよしとせず、抗おうとしている。であれば、私が動くのが筋であろう」

「…………」

 

 表情を変えずに、しかし探るように小貫は播凰を見る。

 一騎討ちかとなると微妙だが、言っていることは的外れではない。少なくとも、播凰に虚仮にされた形――当人にそのつもりがあったかはさておき――となったのが引き金である報復行動なのは確かだからだ。

 ただ、だからといって態々相手に合せる必要はない。自分で対応するということが最善手ならまだしも、今回に至っては最も楽な解決方法が小貫から提示されているのだ。

 

 ……自分に酔ってるっちゅうわけでもなさそうやしなぁ。

 

 正義感、自尊心。若さによく見られる自己の過信から来る驕りかとも思ったが、そういうわけでもない、と小貫は直感的に悟った。

 その学内構造からエリート主義、思想の強い東方第一の生徒によく見られるプライド云々ともまた違う。

 まるで、それが当然であると。泰然自若とした態度から返る言葉には、重みがあったからだ。表面だけではない、確かな重みが。

 そこで一つ、彼女は試すことにした。

 普通の人間であれば――それこそ、いかに東方第一の学生であっても、正面から指摘されれば躊躇しかねない言葉。

 

「――死ぬかもしれんで?」

 

 つまりは、死の概念。あくまでも、授業であったり、公式非公式問わず試合であったり。学園で行われるそれは戦いといえど、生死に直結のしないものだ。

 当然、天能術を用いた戦いであっても殺人というのは禁止されている。故に、怪我をすることはあっても、死ぬかもしれないという意識を、ただの学生が持っていることはなく。

 

「…………」

 

 実際、三狭間播凰は。口を噤み、眉間に皺を寄せた。

 次いで向けられるは、物言いたげな視線。

 

 相手にそのつもりがあるかは分からない。激しく怒っているのは間違いないが、相対しても流石に自重して痛めつけるだけで終わる可能性も充分にある。もっとも軽傷で済ませるつもりもないだろうが。

 兎も角、相手はお行儀のよい(・・・・・・)生徒ではないのだ。それを理解しているのか、していないのか。

 少なくとも、死、という単語は確かに彼を、播凰を止めたように見えた。

 その事実に、そうだろうなという一定の理解、そして幾分かの落胆を小貫が覚えた、その時。

 

「――何を当たり前のことを言っているのだ?」

 

 今度は、彼女が――小貫夏美が口を噤まされる番であった。

 

「戦いに、戦場おいて、死とは常にその者に付き纏うもの。敵を前にして、我が身が安全である保証などどこにもない」

「…………」

「確かに、稽古や摸擬戦であればまだ危険は減るが、しかし絶対に死なぬということはないだろう。いかに刃を潰した剣を用いたとして、打ちどころが悪ければ死ぬこともある」

 

 変わらぬ、落ち着いた声。そこには一片の虚勢もなかった。

 つまり、三狭間播凰が一瞬止まったのは、死の概念を突き付けられたからではない。

 彼にとってそれは言われるまでもないことで、しかし面と向かって言われたからこそ戸惑った。ただそれだけのこと。

 

「……まぁ、確かにそうや。学生――学園でも、鍛錬や試合の中で起きた死亡事故っちゅうのはゼロやない。それでも、最近では殆ど無くて昔より珍しくなってきたけどな」

 

 そして一拍遅れ、小貫は言葉を絞り出すようにしてそれを肯定する。

 下級生であればその殆ど、上級生であっても確実に半数以上。直撃するだけで即死に繋がる可能性を孕むほど強力な術を行使できるようになる生徒というのは、いない。だが、全くいないわけでもない。

 加え、そこまで強力でない術であっても、例えば続け様に叩き込んで怪我を負わせたまま放置したり、播凰が言ったように打ちどころが悪く適切な処理が為されなかったことによる生命の危険性というのもある。

 

「――うし、分かった! やったらこれ以上ウチは何も言わんさかい、好きにしたらええ!」

 

 やがて、パァンッ! と両の手を打った小貫は。

 その顔に笑みこそ無いが、すっきりしたようにそう言い放ち。

 

「引き止めて悪かったな。時間は、今夜……あー、日が変わる少し前頃からいたら、確実やな。ああそれと、その制服を着ていくのをお勧めするで。耐久性は普通の服とダンチやから」

「うむ。助言、感謝する」

「ほな、気ぃ付けて頑張りや」

 

 ポリポリと首筋を掻きながら、情報を渡す。

 それに鷹揚に頷くと。簡潔に礼を述べ、播凰は歩を進める。

 気の抜けた小貫の応援の声を最後に、二人の会話は終わるのであった。

 

 

「――ったく。少しでもしらばっくれようものなら突っ込んでやろうと思うとったんに。ちったぁ隠そうとせんかい」

 

 その場で立ち止まり、去っていく三狭間播凰の背を見送って、数秒。

 呆れたように。同時に、思惑が外れたと言わんばかりに。

 小貫夏美は、誰に話そうとするわけでもなく、独り言ちた。

 

 つまり、件の動画にて客将と呼ばれている人物は、三狭間播凰である。

 少なくとも播凰の視点からすれば、それは小貫に知られていない、知られてはいけないことだったに違いなく。

 ならばこそ、彼はこの話題においては素知らぬ振りを、そうでなくとも動画を見ただけの第三者を演じなければならなかったはずなのである。

 

 ところが、だ。

 言質を引き出すまでもなかった。否定すらせずに会話についてきたあの反応では、言わずとも認めているようなもの。

 呆れるほど拍子抜け。まさかカマかけの必要すらなかったとは、小貫にとっても驚きであった。

 念には念を入れての準備も、これではまるで無駄骨。

 確実に話の主導権を握り、己の掌の上であったはずなのに、釈然としないというかなんというか。

 その内心を切り替えるように息を吐きだすと、小貫は僅かに口角を吊り上げる。

 

「けど、ま。そこまで大物じゃない相手とはいえ、丁度ええ機会や。お手並み拝見といこか――なぁ、覇王様?」

 

 

 

 その夜。小貫の助言通り、日付が変わるより前に播凰は最強荘を後にする。

 無人のエントランスホールと庭を抜け、敷地の外へ。月明りは雲に隠れ、微風が彼の頬を撫でる。

 

「――あれは……播凰くん? こんな夜中に、一体何処へ……」

 

 闇に消えていく、その背中を。

 最強荘四階、即ち播凰の生活する一つ上の階に住む四柳ジュクーシャが、ベランダから見ていた。




動画配信という媒体に対する播凰の認識の甘さを表現……したつもりです。それが引き起こす負の影響というものをまだ理解していません。
さて、関係無いですが炎上描写もしてみたいですね(すっとぼけ)
よろしくお願いします。


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31話 商店街の戦い

 月を、見上げていた。

 人気のない深夜の商店街。当然のように店の電気が消え、窓の内側からカーテンが閉められたリュミリエーラの面する道の真ん中に立ち。播凰は、頭上を仰いでいた。

 

 ……夜空というのは、どこも変わらないものだな。

 

 厳密には、その星々や雲の流れは当然異にするだろう。

 だが、闇夜の中空に浮かぶ月。その景色だけは元の世界と変わりなく。

 と、ぼんやりとそれを見上げていた播凰であったが、ふとその視線を下ろし。弱々しく明滅する街灯が照らす、道の奥へと顔を向けた。

 

「……来たか」

 

 複数人の足音。普段であればなんでもないはずのそれは、ひっそりとした空間の中では思いのほか響く。

 リュミリエーラが建っているのは、丁字路の交差する部分。

 故に、商店街を突き抜ける長い一本道、そして向かいの店がないために正面に伸びた道と、三方向があるわけだが。

 

「あン? ……っ、テメエは」

 

 仲間なのか、手下なのか。五人の男女を引き連れ、音使いのスキンヘッドの男――笠井は正面の道から姿を現した。

 夜にも関わらずサングラスをかけているからだろう。リュミリエーラの前で仁王立ちしている人影が最初は誰だか分からなかったらしく、しかし人が立っているのは見えたようで訝し気な声を上げたが。

 それが播凰であると理解したのか、少々動揺したように足を止めた。

 

「何でここにいやがる? まさか、毎日そんなことをしてたわけでもねえだろうが」

「無論、お主達と対峙するためだ。そして、これほど遅い時間にここに来たのは初めてだな」

「……チッ、まあいい。そっちから出向いてくれたのはむしろ好都合だぜ。その生意気な面を叩き潰せるわけだからなァ」

 

 警戒したように視線を走らせるも、播凰以外に誰の姿もないのを見たからか。

 怒りと喜びが入り混じったような声。

 刹那、笠井の背後にぼうっとした輝き。六角形のそれは、以前にも見た、恐らく彼の天能武装であろう物体。

 それがあの時とは違い、三枚。音も無く浮かび。

 

「――音介・(おん)(しゃ)(もう)

 

 唐突に発動された術。播凰は咄嗟に身構えるも、しかし何が聞こえるということはなく。

 ただ、動きがあったのは笠井の背後に浮かんでいた六角形の物体。

 その三枚の内の二枚が、まるで意思を持ったように左右の前方、つまりは播凰の両側をそれぞれ通り過ぎるように飛来していった。

 残る一枚は依然、笠井の背後に漂ったまま。

 

「ふむ、何をした?」

「フン、答える義理はねえが……まあいい、教えてやらぁ」

 

 播凰にとって初見の術。馬鹿正直に質問を投げかければ。

 コキコキと首を鳴らしながら、意外にも笠井の返答はそれに応えるものであった。

 とはいえ、それが親切心であろうはずもなく。

 

「この一帯に俺の術を張った。その範囲の中でどんな音を立てようが、俺の網の外に漏れることはない。つまり、テメエが泣こうが喚こうが、何がぶっ壊れようが、その音を誰かが聞きつけたりはしねえってわけだ。もっとも、このボロ商店街に人なんかもう殆ど住んじゃあいねぇがな」

「ほう、それは凄いな!」

 

 嘲りは、自身の置かれた状況を理解していない播凰に、そして色褪せた建物の連なる商店街に。

 彼の引き連れていた五人の男女も、自身達の優位を疑っていないのかニヤニヤと品の無い笑みを湛えている。

 術の効果に素直に感心する播凰であったが、しかし見る者によってはそれは間抜け、或いは虚勢でしかない。実際、笠井の取り巻きもそう思ったのか彼らの表情は変わることなく。

 

「さて、この俺の面子を潰しやがったんだ。テメエにはこれからその報いを受けてもらおうじゃねぇの。――ああ、土下座して詫びるってんなら、多少手加減してやってもいいぜ? 多少、だがな」

「詫びる? うーむ、私はお主に何か謝らねばならぬことをしたか?」

 

 譲歩というには雑なそれを、当然の如く播凰は蹴った。

 無論、播凰は自身の行動に非を感じてなどいない。だからこそ、純粋に不思議がり問い返した。

 ある意味まだ、いっそ明らかに惚けたり憤激した方が相手にとってはマシであっただろう。それならまだ一種の強がりともとれ、少なからず己の言葉が影響を与え、また程度の差こそあれど己のことを意識していたのが分かるからだ。

 が、単純な疑問であれば話は別。それまでまるで興味すらなかったと言われているに等しい。

 その気持ちは、当然声にも載るわけで。

 

「……つくづく、生意気なガキだぜ。とはいえ、その制服――あそこの生徒ってのは驚いたが、まあそれならそれで色々と納得できる」

 

 心底分からないといったように、首を傾げる播凰。

 無邪気な感心に続き、無垢な疑問。ここまで来ると、何かおかしいぞ、と取り巻きの数人は変な物を見るような目を播凰にやった。

 全く揺らがないその態度に、苛立たし気に吐き捨てるように笠井は呟き、しかしある種の理解を見せる。

 

「元々は、テメエの後ろにあるのを滅茶苦茶にしてやろうと来たわけだがな。もしもテメエが代わりになるってんなら――そうだな、一つゲームをしようじゃねぇの」

「……げえむ?」

 

 そんな彼は、とある提案を持ち掛けた。言葉上は友好的に見えるものの、しかし嘲りは健在。

 と、笠井の持ち出した単語に対し、播凰が作ったのは渋面だった。

 それを見た笠井は、ほくそ笑む。

 ようやく現状を理解して不安に駆られ始めたかと。無理に取り繕った強情な仮面を剝がしてやったと。

 そう確信しながら、播凰の言葉を待ったのだが。

 

「うむぅ、どのソフトだ? できれば、私のやったことのあるものだと嬉しいのだが……何せ、初めて触れたのが先日故、あまり上手くなくてな」

「……あァ、ソフトだぁ?」

 

 だからだろうか。いや、だからこそ、返って来た言葉に面食らったように笠井は唸った。

 

 ゲーム、という単語で播凰が連想したのは、つまりテレビゲームである。

 渋面の意味は、自身が上手くないと自覚しているから。

 リュミリエーラの問題、それと別の問題(・・・・)もあって未だ購入したのをプレイできていなかったりするのだが、まあそれはさておき。

 

 一度は疑問の声を上げた笠井も、しかしすぐさま播凰の言わんとしていることを理解したのか。

 

「ンなわけねえだろうが! いつまでも舐めてんじゃねぇぞ、このガキッ!!」

 

 少なくとも、その怒声は商店街中に響き渡ったように、播凰には思えた。

 しかし、何事かと商店街のどこかの建物の一室の電気が灯ったり、誰かが動き出したかのような物音は続かない。

 どの程度の人が住んでいるかというのを播凰は把握していないが、全くの無人ということはないだろう。笠井の発言が真実であるなら、今の怒声すら範囲とやらの外には届いていないことになる。

 好意的な解釈をするのであれば、敢えて激昂させて真偽を確かめた形となるが。播凰にそういった思惑があったのかというと――無論、そんなことはない。

 

「チッ、調子が狂うぜ、全く。……ともかく、俺達は今夜そのチンケな喫茶店に手を出すつもりだった。けど、そうされたくないってんなら代わりが必要だな」

「ふむ、つまり?」

「テメエが代わりに俺達の的になれ。おっと、別に術を使って防いでも構わねぇが、攻撃はするなよ? なんたって、建物は反撃できねぇからなぁ、ハッハッハッ!!」

 

 自分の冗談に、笠井は豪快に笑う。

 言っていることは確かだが、ならば術を使って防ぐというのも建物にはできないのではないか、という指摘をできなかったわけではない。

 まあ、その術で防ぐというのも、今の播凰にはできないわけであるが、それはさておき。

 播凰が気になったのは別の点。

 

「……して、それはこちらに何の利点があるのだ?」

 

 そう、笠井の提案に乗るメリットが、播凰にはない。

 何故なら、そんなことをせずとも、まとめて叩き潰せばいいだけの話なのだから。

 

「ん、そうだな……じゃあその間、店の方には手は出さないでいてやんよ。それと、折角のゲームだ、景品も用意してやるとするか。ああ、そんなら、仮にテメエが最後まで立っていられたんなら――」

「なら?」

「――その時は、二度と手を出さねえことを約束してやる。勿論、今ここにいねえ他の奴らにも話は通す。どうだ?」

「…………」

 

 だが、笠井の提案に播凰は考え込む。

 手っ取り早いのは、やはり敵を全員叩きのめすこと。

 播凰にとってはそれが常であり、彼の力を以てすれば今の今までそれが実現できていた。

 

 だが、それはあくまで狙いが播凰自身であったからできたこと。

 今回に関しては自分以外のターゲット――それも人ですらなく建物――があるというのが厄介。自分に攻撃が来る分には全然構わないが、店に矛先が向く可能性があるというのは問題だった。なにせ、笠井という、音の術で播凰の足を止めさせた実績のある相手が敵にいるのだから。

 とはいえ。半壊にでもされなければ――それこそ多少の損傷なら――店に被害が出てもなんとかなりはするだろう。迅速に制圧できれば最低限の被害で済むといえば済む。

 しかし。

 

 ――このお店全てが、私達の宝物なの。

 

 その笑顔を、覚えている。

 思いがけず播凰がリュミリエーラの仕事を手伝ったあの日。ゆりが浮かべたその顔が、言葉が、頭の片隅に残っている。

 例えばテーブルを壊されても、では新しいテーブルを買えばいいと、以前までの播凰ならばそう言っただろう。臆面もなく、無神経に。

 だが、そういう話ではないのだと朧気ながら理解していて。

 

「……いいだろう」

 

 考えた末、笠井の告げたゲームとやらの内容に、播凰は首肯を返す。

 すると笠井は、ニヤリと口角を吊り上げ。

 オイ、と側に控えていた面々に向かって顎をしゃくった。

 

「お前達は適当にばらけて()に出て、俺の合図で攻撃を始めろ。監視も忘れるなよ」

 

 その合図を皮切りに、彼らは笠井をその場に残して動き始める。

 播凰から――リュミリエーラから見て左右の少し離れた位置に二人ずつが散らばり。もう一人は笠井の背後のまま、しかし彼から距離を取るように。

 

「俺が連れてきたのは、火の性質の奴らだ。大して強くはねえが、下級の術なら打てるし、オンボロの店一つ燃やす程度訳もない。それに、確かその店のテーブルだったりは木製だったよなぁ? なら、店内に一発でも入ればよく燃えるだろうぜ!」

 

 その光景でも想像したのだろうか、気分がいいといったように笠井は嗤う。

 彼の言う通り、リュミリエーラは外観こそレンガ調なれど、店内のインテリアは木製のものが主だ。

 火が起こればたちまち燃え広がるであろうというのは、見当外れではない。

 一頻り嗤った後。笠井は、両手を広げ。

 

「――さあ、ゲームスタートだ! 精々足掻いてみるんだなぁ!!」

 

 高らかに宣言した。

 直後。

 

「……はて?」

 

 天能術を行使する詠唱は聞こえなかった。

 にも関わらず、人の顔ほどはある火の球が播凰に向けて右手側から放たれた。

 

 天能術の発動と詠唱はセット。

 その先入観から、一瞬虚をつかれた播凰であるが、しかし。

 元より、防ぐために何かをするつもりもない。

 火球はそのまま播凰に向けて進み、直撃。だが、大したダメージは無く。

 

「ふむ、口は動いているようだな」

 

 特に動揺もなく、今度は逆の方向――つまり左を向いた播凰は、相手の口元を見てそう言った。

 放たれたのは、同じような火の術。

 天能武装たる杖を、術者は持っている。そしてその口が動いた後に術が打ち出されたのを確かに見た。

 にも関わらず、そこから紡がれるはずだった詠唱は彼には聞こえていない。

 

「あの程度の距離ならば、聞こえぬはずはないと思うが」

 

 パッと考え付いたのは、単に相手と離れているから声が聞こえなかっただけ、というものだが。

 口に出しつつも、播凰はそれを即座に却下した。そこそこの距離はあるが、とんでもなく離れているわけではなく。

 加え、播凰の耳は悪いどころか、むしろ並みの人間より聴力は高い。

 直感でしかないが、故に聞き逃したわけではないと播凰は確信していた。

 

「……内から外だけでなく、外から内も音が聞こえぬということか?」

 

 となれば、他の要因。

 自身に迫りくる火球を前に、悠長に顎に手を当てながら播凰は推測を述べた。

 普通であれば、聞こえるはず。では、今が普通ではない原因。

 

 つまり笠井の展開する術の、範囲の中から外側への音を遮断するという効果。

 その逆が無いとはどうして言い切れようか。

 

 とはいえ。外から内への音も遮断されていようが、正直それは左程問題とはならない。何故なら詠唱が聞こえようが聞こえまいが結果は変わらないからだ。

 火球はまたもや播凰に直撃し、爆散。けれども後には苦痛一つ感じさせない播凰が佇むのみ。

 

「あァ? ……おいお前達、もうちっとちゃんと狙えや(・・・・・・・)!」

 

 それを見ていた笠井は、両腕を組みながら左右に展開した術者に檄を飛ばす。

 すると今度は、火球は播凰ではなく、その後ろのリュミリエーラ目掛けて打ち出されたではないか。

 だが幸いにも、術のスピードはそれほどではなく。

 

「私を狙うのではなかったのか?」

「ああ、そうだぜ? だが悪いな、あの学園に通ってるエリート様と違って、こいつらはあんまし術の制御が上手くなくてよぉ……が、テメエが動けば後ろを守れるわけだから、まあ頑張ってくれや」

 

 火球とリュミリエーラの間に身体を滑り込ませながら播凰が抗議の声を上げれば、くつくつと笑いながら笠井はそう言った。

 いまいち納得はいかないものの、対応は不可能ではなくむしろ余裕すらある。

 詠唱を頼りにせずとも、術が放たれたのを見てからの反応で間に合うのが現状。

 故に、術が放たれては動いてそれから守り。また放たれれば動いて守る。

 右に左に、と火球に動かされる播凰。成る程、確かに戦いというよりは、ゲームという笠井の表現に近い光景だった。

 

「…………」

 

 そんな播凰の様子を、飄々と、しかし内心じっくりと笠井は眺めていた。

 彼にとっての唯一の懸念。それは、自身が播凰を殴り飛ばそうとした時、何をされたのか分かっていないことであった。

 その光景が記録された配信動画も握った拳を震わせながら見たのだが、尚不明。

 最も可能性が高いのは、何らかの術。次点で特殊効果を持ったアイテムと笠井は睨んでいたわけだが。

 

 その推測を裏付けるかのように、あの制服――天能術の教育機関では名の知られた名門、東方天能第一学園の制服を播凰は着てきた。

 あの制服を着ているのならば、それなりの術は使えるはず。

 だからこそ、納得と共に警戒の段階を引き上げ。そのために、まずは様子見でこちらの攻撃をどう対処するのかを見ていたのであるが。

 

「……チッ」

 

 何を考えているのか、術を使わず、それどころか天能武装も出さずに。まさかの身体で止めるという暴挙。

 術を使えない、ということはないだろう。

 誰しもが天能術を使えるわけではないとはいえ、あの制服を着ている時点でその線は否定できる。それは笠井だけでなく、そこらを歩く一般人を捕まえても同様の回答が期待できる程度には確実なものだ。

 播凰の言った何もしていないという彼にとっての戯言、線など端から笠井は信じていない。もしそれが本当ならば、自らが無防備な相手に遅れをとったことを意味する。それを受け入れられる笠井ではなかった。

 余裕なのか、舐め腐っているのか。笠井からすれば播凰の態度はそれであり、だからこそ余計に彼を苛立たせる。

 

「おいお前達、今度は同時だ」

「先程もそうであったが、お主の術の中から外には、声が届かぬのではなかったか?」

 

 指示を出す、という笠井の行動に疑問を持った播凰は火球を殴りつけながら声を上げた。

 現状、音を遮る術の範囲内にいるのは、笠井と播凰のみらしい。となれば、外には笠井の指示が届くとは思えないのだが。

 

「ハッ、俺が張った網だ。俺の声だけを向こうに飛ばすなんざ、わけもねえ」

 

 その誤った指摘を、笠井は鼻で笑う。

 事実、彼の指示が聞こえていたかのように。今度は同時に火球が打ち出され、リュミリエーラを襲うのであった。

 

 

「…………」

 

 その光景を、商店街のとある建物の屋上から見ていた人影が一つ。

 深夜に最強荘を出て行った播凰の姿を不審に、そして心配に思い、密かに後をつけていたジュクーシャである。

 今までの一連の流れを、彼女は見ていた。

 では、何故動かずに静観していたのか。

 

「……他に動きはありませんね。となれば、敵はあそこにいる者達だけですか。ならば――」

 

 それは別動隊の警戒である。

 通りに面していない場所、即ち細道や建物の隙間。そこから播凰やリュミリエーラを狙うような動きはなかった。

 となれば、正面きって播凰の手助けに行ける。その思いで動き出そうとした彼女であったが。

 

『――待て』

 

 姿なき声が、それを制止した。

 といっても、その声はジュクーシャにとっては忌々しくも聞き慣れた声。

 

「……何故ここに?」

 

 誰、とは聞かずにただそれだけを問う。

 基本的に人当たりがいいジュクーシャにしては珍しく冷淡な態度。この世界において彼女がそんな態度をとるのは、ただ一人。

 

『フン、それを言うなら、貴様こそこの場にいるではないか』

「……空を眺めるのは気が落ち着きますので。偶々、気付けただけです」

 

 そうしてようやく周囲を見回すが、痩せぎすの長身の男の姿はそこになく。

 

「何処にいるのです?」

『それすらも分からぬとは、やはり大したことないな貴様は。余がいるのは自室だ。視界と声だけを飛ばしている』

「……元の世界での技を使うことは禁止されているはずでは?」

『建前はな。あれを額面通り受け取るのは、愚か者の所業よ』

「…………」

『そしてついでに言うのであれば。この程度は余にとって技でもなんでもなく、呼吸するに等しい児戯でしかない』

 

 暗に。いや、ほとんど直接、愚か者であると揶揄されたジュクーシャであったが。

 姿なき声――つまりは一階の住人である万音のそれに取り合わず、無言で足に力を籠める。

 

『何度も言わせるな。待てと言っておろうに』

 

 再度の制止をかける万音であったが。しかし彼を嫌っている彼女が素直に言うことを聞くわけがない。

 万音の言葉を無視したジュクーシャは、飛び降りようと地を蹴ろうとし――。

 

『――あのドラゴンの時もそうであったが、貴様はすぐ自分で動こうとするな。元の世界の仲間とやらは、それほど頼りなかったとみえる』

 

 小馬鹿にしたような物言いに、ギンと虚空を振り返って睨み、足を止めた。

 

「……何が分かる?」

『無論、分からぬとも。余であれば、配下に一任したことに自ら首を突っ込みはせぬのでな』

「魔王などという輩の感覚と同じにしないでいただきたい。どうせ、人々の生命は元より、配下の魔族の生命すら軽視しているのでしょう? なら――」

『変わらぬであろう。あれは既に、あ奴の戦場だからな』

 

 淡々とした指摘に押し黙るジュクーシャ。

 しかしすぐに反論の言葉を探し、彼女は口を開きかけるが。

 

『如何に貴様が鈍いとて、薄々は感付いているであろう? あ奴の元の世界での立ち位置を』

「……ええ。ただあまり、その――らしさが感じられませんでしたが」

 

 畳みかけるような質問に、閉口し。刹那の時間を置き、返答を口にする。

 直接、播凰の口から彼らは聞いたわけではない。だが、それを推量できる程度の情報は落ちており。

 

『で、あろうな。余とて、あれを同類とは見ておらぬ。そう言うには余りにもあ奴は未熟にすぎる』

 

 姿こそ無いものの。やれやれ、と肩を竦めるのが幻視できるほどに、呆れを含んだ声色であった。

 だが、言葉はそれに終わらず。

 

『とはいえ、あ奴は我が軍の客将となり、一員となった。であれば、多少目をかけてやらんでもない。なにせ、首を突っ込みはしないが、助言の一つもしないと言った覚えはないのでな』

「なにを――」

『未熟な後進を導くのも、偉大なる先達の役目というもの。例えそれが、世界を隔てていようともな。であればこの余が、大魔王が――王の何たるかを示してやろうではないか』

 

 突風が、空へと吹き抜ける。

 

 

 十を近くなった頃から、火球が飛来するのを数えるのを止めた。

 流石に百は超えていないだろうが、その全ては直撃。

 

「……いつまで、げえむとやらを続けるつもりなのだ?」

 

 にも関わらず、苦悶の声一つ上げずに涼しい顔をした播凰は、不思議そうに首を傾げた。

 彼にとってこの結果――大したダメージが無いのは当然のこと。初弾をその身で受けた時点で分かり切っていたことである。

 だからこそ、痺れを切らしてとうとう口にしたのだ。

 無駄なことをいつまで続けるつもりなのだ、と。

 

 それは間違いなくただの疑問であった。少なくとも、播凰にとっては。

 だが。

 

「――舐めやがって」

 

 聞かれた側にとっては、ただの煽りでしかない。

 事実、それを聞いた笠井はギリッと歯軋りをした。

 

 結局、笠井には播凰が無事であるトリックが分かっていない。

 だが間違いなく直撃はしているはずなのだ。

 顕著なのは、その制服。流石は東方第一の制服、柔な術では燃え上がったり完全に破損したりはせず、ある程度の術への抵抗を持っている。

 しかしそれも完全に威力を殺すものではない。実際、何十発と火の術を受けて所々は焦げて変色、生地がボロボロになっている箇所もある。

 

 なのに、それを纏った当人の顔色には疲労も痩せ我慢もないというのだから分からない。

 つまり笠井の泳がせて情報を得るという思惑は失敗していた。

 

 ――だが、痺れを切らしていたのは両者同じで。

 

音放(おんほう)共振波(きょうしんは)ッ!!」

 

 最初に術を放って以降静観していた笠井が、動いた。

 火の術に対しては余裕の表情であった播凰も、一度遅れをとった笠井の新たな術に思わず身構える。

 しかし、それは悪手だった。何故なら、彼の術が襲い掛かったのは播凰ではなく。

 

 ――パリィンッ!!

 

 背後から、その甲高い音は聞こえた。それも一度ではなく、連続で。

 急ぎ振り返った播凰の目に飛び込んできたのは。

 

「……っ!」

 

 揺れるカーテン。破損した窓ガラスは、その欠片が地面に飛び散り。

 全部が全部ではない。無事な窓は、ある。

 とはいえ。

 

「お主、店には手を出さぬのではなかったのかっ!?」

 

 さしもの播凰も、約束が違われたことに怒りの声を上げる。

 播凰に誤算があったとすれば、それは。己の価値を高く見積もりすぎたこと。

 

「おーおー、流石に怒ったか。――だがな、テメエを甚振るだけで気が済むわきゃねぇだろうが! 腸が煮えくり返ってんのはこっちも同じなんだよっ!!」

 

 それに応えるように笠井もまた怒鳴り返し。

 

「音介・不協奏騒!!」

「ぬうっ!?」

 

 今度は、播凰を狙って打ち出された術。

 それはダメージとまではいかずとも、その不快さを以て動きを止められたあの術であり。

 音という視覚的ではなく、また距離を離す以外に避けようのない術に、播凰の足は再び止められた。

 

「忌々しいことに、今でもあの時、そして今もテメエが何をやってたのかは分からねぇ。術なのか、なんらかの道具なのか……ハッ、だがこの術は効くようだなァ!?」

 

 そしてその様を見た笠井は苦々しげにしながらも、動けなくなった播凰を見て快哉を叫ぶ。

 

「さあお前達、このガキが動けねえ内に、あのクソったれな喫茶店に派手に灯りを点けてやんなぁっ!!」

 

 そうして、笠井の指示によって割れた窓ガラス目掛け、火が放たれようとし――。

 

『フハハハハッ!! その程度の輩に、随分とまあ無様を晒しているではないかっ!!』

 

 場にそぐわない高笑いが、響き渡った。




2章ももう少し、
次話「張り子の王様(仮)」
次次話「覇を放つ(仮)」
で最後にエピローグ的な感じです。


もしかすると分かりにくいかなーと思ったので術の解説を簡単に。

音介・音遮網(おんしゃもう)
音を遮る特殊な振動を張り、その領域内と外の音を分断する。
領域の内から外、外から内へは張られた振動によって遮られ伝わることはない。
今回の場合、領域の起点は笠井の天能武装。

音放・共振波(きょうしんは)
物体固有の周波数に合せた音を放つことによって物体を振動させる。
よくあるガラスが音で割れるというやつ。

音介・不協奏騒(ふきょうそうそう)
前にも出た術。
不快な音により相手を一時的に行動不能にする。

読んでいただきありがとうございます、次話もよろしくお願いします。


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32話 張り子の王様

 リュミリエーラ前に集結していた全員の動きが止まるまで、さしたる時間は要さなかった。

 得意げに指示を出した笠井も、それを受けて術を放とうとしていた彼の手下達も。

 そして音によって足を止められていた播凰も、術が解除されてなお耳鳴りが残る状態であったため一拍遅れて。

 

『しかしまあ、それも詮無きことというもの。力には見る物もあるようだが、それを加味したとて論外。……ああ、凡俗の徒であるならばそれでも構わんだろう。だが、仮にもその座に座ったのであれば――我等がそうとあっては、下々に示しがつかぬというもの』

 

 まるで時が止まったかのような中にあって、変わらずその声は場にいた面々の耳に届く。

 

「誰だ!? 何処にいやがるっ!?」

 

 最初に大きな反応を見せたのは、笠井。

 気分のいいところを邪魔されて虫の居所が悪そうに、取り巻き共々声の主を探そうと周囲を見回している。

 

「この声は……」

 

 声の主の姿が見えない、という点では播凰もまた笠井達と同じだ。

 しかし明確に異なるのは、彼にはその声に聞き覚えがあったということ。

 

『客将。――ああ、敢えて(・・・)そう呼ぶ(・・・・)が。お前の元の世界での立場は、大方見当がついている。であるからこそ、余は少なからず落胆したものよ。この大魔王たる余と等しく誘いを受けたのが、この程度の者なのかと』

 

 それが誰に向けて放たれている言葉なのかは、問うまでもなかった。

 

『何せ、まるで王気というものが感じられない。仮にその地位を捨てることを望んだのだとしても、その以前までは王たらんと振舞っていたのであれば、そこまで空虚となるはずもない。――で、あれば。お前は、たまさかその座を継いだに過ぎず、所詮は飾りに過ぎなかったのであろう。そうなるに至った事情は知らんし興味もないがな』

 

 顔見知りであるということが必ずしも仲間である、ということにはならないが。

 少なくとも、この声の主である万音が――大魔王が、この場で播凰の敵になる理由は無い。

 しかし飛んでくる言葉は、多大なる呆れを含み。剰え貶してすらいた。

 

『いかに邪知暴虐の王であろうと、謹厳実直な王であろうと。余人にとっては対照的に語られたとしても、その後世に評価という天秤が大きく傾いたとしても。王たる両者の根幹には、必ず共通しているものがある。しかし――』

 

 だが、それでも播凰が大人しく聞く気になったのは。

 

『――お前は、そこらの凡百とそう大差がない。何か分かるか?』

 

 彼にしては珍しく、その響きの中に僅かな。僅かな欠片程なれど、真摯さがあったからだろう。

 

『即ち、強烈な欲だ。個でありながら国を、土地そのものと住まう者共を治めるという、一つの身に余る大望。それが暴君だろうが名君だろうが関係は無い。己だからという唯一にして絶対の理由を以て許されるという我が侭、己こそが最も強く富ませられ世をよき方向に導けるのだという傲り。そら、これを強欲と言わずしてなんと言う』

「……欲」

 

 端から、解答を期待していたわけではないのか。

 問いを投げておきながら播凰が答えるのを待つこともないまま、大魔王は悠然と言葉を紡ぐ。

 

『故に、自らの意思で進みそれに座った者には必ずあるはずのそれが、お前には無い。事実、あの時の妥協がそれをむざむざと示している。……愚かにも女勇者なぞに術の助言を求めた時、お前はこう言っていたな?』

 

 ――であれば仕方ない、使えるようになるまで待つしかないか。

 

 一瞬、播凰は何の事を言われているか分からなかった。

 だが天能術に関して、播凰がその相談を持ち掛けたのはほんの一握り。かつ、万音がその場にいたタイミングというのは限られる。

 つまり、覇という性質が発覚した後。万音と共にリュミリエーラを訪れ、ジュクーシャに相談した時だ。

 そして、確かに言った。使えないのだから仕方ないと。

 

『殊、我等の領域にあって、己が指針たる欲に対し妥協というのは許されぬ。無論、常に最善の手を指せるわけではない。状況というものは千変万化であり、一時を切り取れば最善であるとしても後々を見れば悪手、逆に悪手が妙手に転じることも珍しくはないのだからな。故に、我等に求められるは最悪を引かぬことであり、だからこそ妥協はその綻びとなり得る。元より王というのは、その一挙手一投足すら配下の、民の羨望となるべき存在。なればこその欲であり、引いては進む道である』

 

 言葉は一旦そこで切られ、刹那の静寂が訪れた。

 それは播凰に時間を与えてくれていたのだろうか。

 理解する時間を。整理する時間を。

 或いは――。

 

『翻って。お前は己が道を歩いてすらなく、そも立ってすらいなかった。故にこそ、余はお前が同じ位階にある存在と認めん。最低限の敬意を表して客将としてやったがな』

 

 ――次なる言葉を受け止めるための時間を。

 試すような、突き付けるような声は、明確に播凰を下と断じていた。

 

『――さて。これ以上は、余が言葉を尽くして語ることではなく、また義理もない。その地位を捨てたが故に不要だと主張するのならそれもまた一興。そのまま無様を晒し続けるがよい。……だが、珍しくもこの大魔王たる余が金言をくれてやったのだ。努々、それを心に刻め』

 

 反論の余地すらを与えず、言いたい事だけを言って。

 始まりと同じように、その声はいきなり終わりを迎えた。

 

「…………」

 

 姿が確認できなかったとはいえ、その声の発生地点、即ちどこから響いていたかは凡そ分かる。

 そのため、声が聞こえなくなった後も暫く無言で上空を仰いでいた播凰であったが。

 

「――大魔王とかいってたな。ってことは、あれか? あの時テメエと一緒にいたあのヒョロガリ野郎か?」

 

 そんな声が横から聞こえて、そちらに向き直る。

 播凰の視線が向いたのを理解したからか、笠井はフンと鼻を鳴らし。

 

「テメエらのあれは見たぜ。実に馬鹿馬鹿しい動画だった。あんなのが人気で話題になるたぁ、分からねえ世の中になったもんだ」

 

 ペッ、と地面に唾を吐きだし、不本意だと言わんばかりに顔を歪める。

 あれというのはつまり、この商店街レビュー配信のものだろう。成る程、それを見たならば線を繋げるのは難しくない。

 

「んで、テメエが客将だったか? ……ハッ、王だのなんだの訳分からねえことばっか言いやがって。ネット上でくだらねえキャラに成り切ってるのは勝手だがな、王様ごっこを現実に持ってくるんじゃねぇよ」

「……王様ごっこ、か。言い得て妙だな」

 

 笠井が意図して揶揄したわけではないとはいえ、播凰にとっては耳に痛い言葉ではある。

 確かに播凰は王であったが、大魔王が指摘した通り飾りでしかなかった。王様ごっこというのは正鵠を射ている。

 

 とはいえ、だ。

 王が事実上の実権を握っていない――身も蓋も無い言い方をすれば、傀儡の王など歴史上そう珍しいものでもない。

 また、君臨すれども統治せず、という政体があるように最高権力者として王が存在していてもその治世の差配は別の人間である例もある。

 それだけでいえば、播凰だけが王に非ずとされる謂われはなく、そもそも良し悪しという観点すら曖昧。

 時代、そして世界。異なる環境にあって異なる価値観が生じるなど至極当然のことなのだから。

 であるからして、大魔王の言は一理はあったとて、それが全てではない。

 

「にしても、どうやったのか知らねえが、俺の音の網を搔い潜ってきやがった。ちょこまか動かれても面倒だ、遊びは終わりにしてさっさと片付けねえとな。……チッ、渋々(・・)こんだけ連れてきたが、僥倖だったってわけか」

 

 ――では、ないのだが。確かにその言葉は、播凰の中の何かを揺さぶっていた。

 だからこそ、今がどういう状況かを忘れて反応が遅れた。

 

「音介・不協奏騒!!」

 

 再び、音の術が播凰を妨害し。

 

「おい、交代で撃ってたんだ、多少は天能力も回復してんだろ!? 遠慮はいらねぇ、さっきまでの手緩い術じゃなく、一斉にデカいのをこのガキにお見舞いしてやれや!!」

 

 笠井の号令に、左右二人ずつ展開していた術者四人も動く。

 放たれるは、先程までの倍以上はある大きさの火球。

 その数、四つ。暗闇を赤々と照らし、攻撃的な色を伴って左右から播凰目掛けて襲い掛かる。

 

 術の詠唱は、相変わらず笠井の術の範囲外からのためか聞こえない。

 だが、見掛け倒しではなく、笠井の指示した通り手緩い術ではなかった。

 今までの小さな――といっても人の顔ほどはあった――火の球は、播凰の身体にぶつかれば僅かな火の粉を散らして霧散していたのだが。

 

 ――ゴウッ!!

 

 妨害で硬直した播凰を包み込むように、火柱が噴き上がる。

 一つだけではそうまでいかなかったのかもしれないが、単純計算すれば四倍の威力。

 さながら、炎の牢というべきか。火球は播凰に接触すると激しく燃え盛り、彼を炎の中へと閉じ込めた。

 

 チリチリ、と。炎が肌を焦がす。

 一瞬にしてその場を熱が支配し、空気を揺らめかせる。

 

「……強烈な欲、か」

 

 だが、そんな周囲の温度に対して。自身を中心として躍る炎に対して。

 播凰の心は、静謐であった。

 

 ――自身が飾りの王という自覚はあった。

 

 王となってからは、文字通り王の座に――玉座に座っていただけ。国のことは全て他人、弟妹達任せであった。

 とはいえ、初めからその心持ちであったわけではない。分からないなりに、最初は王として何とかしようとはしていたはずだった。

 だが結果、自身が何をせずとも国は廻った。廻ってしまった。

 次第に、王としてどうすべき、或いはしたいという思いがなくなっていった。そういった意味では、王として空っぽなのだろう。

 道を歩いてすらなく、立っていない。真っ当な指摘だ。

 

 ――だが、決して無欲であったわけでは……。

 

 未知の技術を知った。それが天能術と呼ばれるものであると知った。

 故にそれをもっと知りたいと、自身も使ってみたいと、そう思った。

 だからこそ、この世界に来たのだ。元の世界を捨てて。弟妹達を捨てて。

 つまりそれは自身の、三狭間播凰の欲に他ならない。

 

 そういえば、と。ふと思い出す。

 妥協をしたと、彼の者は先程リュミリエーラでの出来事を持ち出したが。それ以前にも似たようなことを言った記憶がある。

 自身の性質の正体を知った時だ。小貫夏美と軽い手合わせをした、あの時。

 

 ――ズルいとは言わへんな?

 

 術を使うと宣言した彼女は何と言ったか。己は何を思ったか。

 

「……ふっ」

 

 無意識に、笑みが零れる。

 

 昔の話だ。王位を授かるよりも、自由に戦場を駆けまわるよりも、更に昔。

 戦いの訓練に参加したいと申し出て、しかし幼すぎるからまだ早いと、そう止められたことがある。

 その時に自身が何をしたか。

 ズルい、と愚かにも指導役の兵に挑み、こてんぱんにされたのだ。

 それから毎日のように挑んでは、こてんぱんにされた。今になって思えば、立場がなければそんなことも許されなかったのだろうが、それはさておき。

 そうしてある日、訓練への参加を認められた。幼さという枷を強引に破壊し、自身で勝ち取った権利。

 それが今、脳裏を過った。

 

 使えないから、仕方がない?

 使えるようになるのを、待つしかない?

 

 ――私は一体いつから、そんなに行儀がよくなったのだ?

 

 ニィ、と口角が獰猛に吊り上がる。

 燃え盛る炎に感化されるように、心は鼓動を響かせ全身に熱が巡る。

 

「……ズルい」

 

 そうだ、狡い。

 

 百歩譲って、火を起こすという事象だけを見れば、同じことが播凰にもできなくはない。

 木を擦り合わせれば火は生じるし、なんならこの世界ではライターやコンロといった容易に火を起こせる道具もある。

 だが、そういう問題ではないのだ。

 詠唱一つで火を、様々ある性質を操る。

 そんなの、やってみたいに決まっている。

 

「……うむ、ズルい」

 

 狡いと思わないわけがない。

 

 本来であれば、苦戦をすることはないであろう相手。

 数の差という有利があって尚、播凰に決定打を与えることができない敵。

 それでも均衡を保っているのは、偏に勝利条件の差。

 彼らは壊す側で、播凰はそれを守る側。相手の出した条件により播凰は守勢にならざるをえず、だからこそ彼らは全員安穏と立っていられている。

 もっともそれも反故にされ、己の馬鹿さによって完全に守るとはいかなくなったわけだが。

 

 そんな彼らでも、明確に播凰より勝っている点。それこそ、天能術が使えるか使えないか。

 特に笠井の音だ。視覚的には火に劣るが、それよりも効果的。しかも使い方も多々あり、騒音一辺倒ではない来た。

 

 授業で同じクラスの生徒が術を放っているのを見ているが、その中に音の使い手というのはいなかった。

 だからこそ、ワクワクする。

 まだまだ見知らぬ術があるのだと、見知らぬ世界があるのだと。まだまだ己はワクワクできるのだと。

 こんな思いを抱いたのは、いつ以来だろうか。

 

 瞳を閉じて、すうっと深呼吸をする。

 炎によって熱された空気――或いは火の粉ごと――を吸い込んだわけだが、それすら心地よく感じるのは己が昂っているからだろうか。

 

 ――ズルいぞっ!!

 

 今以て播凰は、天能力というものは感覚がよく分からず、また天能武装も自由に出すことができない。

 だが、それでも。

 カッと眼を見開き、咆え。渇望する。

 

 ――それ(・・)を私にも使わせろっ!!

 

 

 

「……流石にあんだけの炎を浴びりゃ、無傷とはいかねぇだろ。馬鹿な野郎だ、強情を張らなけりゃ自分だけは助かったかもしれねえのによ」

 

 炎に包まれている人影を、そしてその中で微動だにしない人影を見て、笠井は嘲笑う。

 さて、残りは物言わぬ建物一つ、それもただの喫茶店だ。堅牢な門も無ければ見上げるような城壁も無く、防御機構という概念自体がない。

 攻略というにはあまりに容易いそれは、数分とかからず終わるだろう。

 

「おう、それじゃあ今度こそ――っ!」

 

 故に、火柱から視線を外し。

 散らばった面々に指示を出そうとした笠井であったが。

 ふと、一際強い風が吹いたことにより、目を瞑り腕で顔を覆った。

 

 が、それも一瞬のこと。遮られた言葉を出しなおそうとして、違和感を覚える。

 目を瞑る前と、瞑った後の景色。

 何かが違う気がした。大きな変化ではなく、されど決定的な何かが。

 思い過ごしだと脳の大部分が占める中。片隅に小さく、しかし確かに。己の何かが警鐘を鳴らしている。

 

 ……何だ? 何を見落としてる?

 

 目を皿のように視点を固定し。

 訝るようにこちらを見返す視線も気にせず考えを巡らせ。

 遂に気付く。

 

 ――視界の隅に、燃え盛る赤が無くなっている。

 

 弾けるように、そちらを見た。

 最早、気にする必要はないと。火によって呼吸すら苦しく、大火傷で碌に動けないだろうと切り捨てたはずの存在。

 

 そこにその色はあった。

 灼熱の赤ではない。闇夜にぼんやりと、しかし確かに存在を主張する銀。

 先端には、暗闇に溶け込むような漆黒。

 

 その姿に見惚れたわけでは断じてない。

 

「……っ」

 

 半歩下がる。右足、その靴がジャリと音を立てたところで、笠井は遅れて理解した。

 自身がその行動を行ったことを。無意識の内に後退して――否、させられていたのだと、本能的に悟った。

 

 視線は合っていない。その者は目こそ開いているが、笠井の方ではなく別の方向を向いている。

 衣服とて、その者だけがこの場でボロボロ。鮮やかな青緑の制服は見る影なく、度重なる火を受けて服としての本来の機能を損ない、所々地肌すら外気に晒している。

 その様はといえば、一見すれば満身創痍とさえ言い表せられるだろう。

 恐れるに足りぬ。そのはずだ。

 だが、まるで縫い付けられたかのように。笠井はこれ以上ないと言わんばかりに、己が目を見開き。

 

 故に、逃した。

 

 天能武装たる銀色の杖を手にした、播凰の。

 その口が、何と紡いだのかを。

 

覇放(・・)――」



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33話 覇を放つ

 ――術者は、行使できる術を本能的に理解している。

 

 以前、それが天能術の常識であり前提であると、教師たる紫藤は播凰に云った。

 要するにそれは、現時点での行使可能な術を術者自身が理解しているという意味合いなのは当然として。今までは使えなかった術が新たに使えるようになった時も、例外ではないということである。

 その説明を聞いた時は、そういうものなのかと引き下がりはしたものの。

 ピンと来ていなかったのはやはり、己に使える術がなかったからなのだろう。

 

 覇とは何か。

 自身にとっての如何なる物であるか。

 

 今以て、それを理解できたわけではない。

 覇は――覇王という異名は、己が自称したものではなく、所詮は他者から付けられたものでしかない。そこに自らの意思というのは介在せず、いつの間にか勝手に呼ばれているらしいと、そう弟妹達から聞いただけ。

 そんなものだから、自負というのは希薄。知った上で尚、どこか他人事感は拭えず。

 

 故に。依然として認識は変わらない。

 天能術の三つの属性。即ち、覇を放ち(天放)覇を溜め(天溜)覇を介す(天介)

 具象性に欠け、あやふやで朧気。

 三狭間播凰にとっての覇とは、それ以上でも以下でもなかった。

 ……そのはず、なのだが。

 

覇放(はほう)――」

 

 しかし、分かる。

 

 今なら出せると。早く出せと。

 左手に現れた杖が。これまではどれだけ唸っても顕現しなかったはずの杖が、全身が、訴えかけてくる。

 大魔王の言葉、それが己の内に響いたのは疑いようがない。

 

 その詠唱を、その内容を、その発動を――自ずと、理解する。

 

「――我執(がしゅう)相呑(そうどん)!!」

 

 淀みなく力強い声と共に打ち出されたのは、()であった。

 銀の杖を片手に。空いたもう一方の手、その掌の向き先は右方の相手二人組に。

 放たれたエネルギーは周囲一帯丸ごとを煌々と照らし、敵を目掛けて飛来していく。

 

「……でけぇ」

 

 思わず笠井がポツリと漏らしたように、それはただの火と一蹴できるものではなかった。

 特筆すべきはそのサイズ。

 数多の人が行き交うことを想定して設計された商店街の道、その真ん中を陣取り猛進するそれは、つい数瞬前に播凰に向けて撃ち込まれた火の術を遥かに超える大きさだ。

 一つ一つでは、まるで比べ物にならない。

 強いて言うのであれば、そう――四人がかりであったものを一纏めにすることでようやく、見れる勝負になるのではと思わせるほどの度合。

 

 よもや、反撃を喰らうとはこれっぽっちも考えていなかったのだろう。

 ぼけっと事の推移を突っ立ったまま見ていた二人組は、その巨大な火の塊が眼前に迫ってようやく慌て始める。

 

 なにせ、一方的とまでいえる蹂躙劇――無論彼らにとってはだが――そのはずだったのだ。

 憐れな獲物(播凰)のその耐久力は予想を超えていたが、自分達の優位性は全く疑っていなかった。あの学園(東方第一)の制服を着用していたことに多少の警戒が必要にせよ、名の知られた(・・・・・・)生徒、有名人ではない。所詮は一学生であり、数の利すらこちらにあった。

 極めつけに、笠井の提案したゲームによって獲物は牙を剥くことなく自分達の術で勝手に手負いとなっていく。

 故に、欠如していた。これは遊びではなく戦いの場であると、そう認識していなかったのだ。

 

 防ぐか、避けるか。

 攻撃を仕掛けられた際に浮かぶ必然の二択(・・・・・)の内、逃げるという判断に彼らが行きついた時には、もはや手遅れ。

 まだ、攻撃範囲が狭ければ。或いはその速度が遅ければ、芽はあっただろう。

 

 くるり、と両者揃って反転し、背中を晒す。できたのはそこまでであった。

 一歩、たったの一歩を踏み出したその瞬間に。彼らはどちらからともなく、その身は火に飲み込まれた。

 その際に、悲鳴はあったのかどうなのか。

 仮に上がっていたのだとしても、それは笠井の術によって音が遮られている播凰の元にまで届くことはない。

 

「……ふむ」

 

 その侮りの末路を見届けることなく、グーパーと。目線を落とし、確かめるように手を握っては開きを数回繰り返すと。

 播凰は顔を上げてまず笠井を見、そして反対側に残るもう一組の二人を見やった。

 

 流石に時間が空いた、或いは仲間が呆気なくやられたのを目の当たりにしたからだろう。

 播凰の顔が自身達に向いたと理解した彼らは、同じ轍は踏まないと言わんばかりに。呆然とすることなく、一人が火を放ってくる。

 

 が、あまりにも安直。

 播凰に向けて打たれたそれは、先程までと変わりなくただただ愚直で、直線的な動き。

 先刻までとは状況が違うのだ。音の術によって播凰は拘束されていない。加えて、到達するまでに数秒の猶予もある。

 早い話、その術の進む先にリュミリエーラ(・・・・・・・)が無い以上むざむざ当たってやる道理はなく、播凰にとって回避をするには余りに容易い攻撃だったといえる。

 

 しかし。

 ふっ、と自身に迫る火球を一瞥して笑った播凰は。

 一切の躊躇なく、そのまま敵に目掛け――攻撃目掛けて突っ込んだ。

 着弾し、燃え上がる炎。だが、たった一つのそれにやられるわけもなく、その向こう側に播凰は躍り出る。

 

「――この野郎ッ!!」

 

 とはいえ、相手も馬鹿ではなく、織り込み済みであったのだろう。

 火を抜けたその先で。クリアになった播凰の視界に、走り寄る勢いのまま天能武装()を振りかぶった男が映りこむ。

 

 さんざ術を耐えられた光景を目の当たりにして、暴力ならば或いは、と考えたのか。

 発想としては凡庸であり、しかし一概に悪いとは切り捨てられない。

 

 天能術に秀でていても、否、秀でているが故に距離を詰められることを嫌うというのはあり得る話だ。学生ならば、その傾向はより顕著。

 よって、術が効かぬのならば物理的に制圧する。成る程、悪くはない。優れた一手と称賛されることは決してないが、単純且つシンプルな手法は時にそれらを凌駕する。

 

 そう、先程無抵抗のままに散ったお仲間(・・・)とは違い、彼らは悪くないのだ。

 敢えて悪かったと形容するのならそれは――。

 

「ほぅ、丁度良い。こちらから向かう手間が省けた」

 

 ――相手が悪すぎただけ。

 

「……っ!?」

 

 結論からすれば、男には何一つとして許されはしなかった。一撃を当てるどころか、両腕を振り下ろすことすらも。

 

 たんっ、と一足飛びに加速した播凰は、そのまま男の懐に入り込むと。

 碌な予備動作もない拳一発、相手の鳩尾に叩き込んだのである。

 

 瞬間、たったそれだけで男の身体は衝撃で浮き上がり、くの字に折れ曲がる。

 

 苦悶の声を漏らすこともできず、大の大人にも関わらずあっさりと面白いように吹き飛んだ男は、そのまま後方へと流れ。やがてその進路上にいた仲間を巻き込むと、播凰の視界から消えていった。

 見えなくなったとはいえ、そこまで遠くに飛んではいないはずだ。

 夜の闇で視界が狭まっているだけで、実際は商店街上の道に仲良く横たわっていることだろう。もっとも、すぐに起き上がれることもないだろうが。

 

「さて、あとは……」

 

 四人を処理した播凰は、笠井と、そしてその後ろに控える今まで動きを見せていない残る一人に向き直る。

 

「……成る程な、ようやく分かった」

「ん?」

「テメエが()の性質だったから、同じ火の術にはある程度耐性があった。そういうわけか」

「……ふむ、私の性質は火ではないが?」

 

 視線を向けられた笠井は、重々しく、そして苦々しく口を開いた。

 しかし、それを受けた播凰はきょとんとして聞き返すも。

 

「惚けても無駄だぜ。火を出して、火放(かほう)の詠唱までしてんだ、性質を隠せるわけねえだろ」

 

 それをまともに受け取らず、笠井は薄ら笑いで断言する。

 

「だが、この俺には通じると思わねえことだ」

 

 すーっと、播凰の両サイドを通過して、六角形の輝きが二つ、笠井の元に戻っていった。

 とすれば、音を遮る術を解除したということなのだろう。

 これで、元々彼の背後にあったのを合わせて天能武装は三つ。いや、もしかするとセットで一つなのかもしれないが、天能武装に疎い播凰には分からず、また優先すべきは他にある。

 

「嘘だと思うなら、試してみるか?」

「うむ、まあよいだろう!」

 

 ニヤリと己の優位を確信して、挑発する笠井。

 挑発に乗せられた、というか乗ったというべきだろうか。

 

「覇放・我執相呑!!」

 

 そういう類には躊躇のない質である播凰は、胸を張って使えるようになったばかりの唯一の術を発動するが。

 

「はっ、今度は随分と小せえじゃねえか!」

 

 笠井が小馬鹿にしたように、放たれた火は初回の発動時に比べて一回りも二回りも小振りであった。

 ただしそれはあくまで比較しての話であって、単体で見ればただの人間にとっては些事では済まないのだが。

 笠井は欠片の動揺もなく術の詠唱に入る。

 

「音放――」

 

 実際、笠井のそれは、ただの虚勢ではなかった。彼の根拠は自己の能力の過信ではなく、偏に天能術、その性質の相性からくるもの。

 

 火とはつまり、燃焼している状態であり現象そのものを指す。そして実存こそすれど、質量を伴わない。早い話、燃焼現象さえ止めることができてしまえばそれまでなのだ。如何に巨大な火炎とて、終わりを迎えれば、一息を以て吹き消される蝋燭に灯った火に末路は同じ。

 

 そして音とは、振動だ。付け加えるなら笠井は、彼の天能術はそれを十全とはいかずとも、ある程度のコントロールができ、狙った音すら発することができる。

 

 さて、それでは性質の相性、即ち火そのものに対して音が有効的であるかどうか。

 無論ただの音では――例えば人間一人、燃え盛る火の前で騒ぎ立てたとて、それは何の意味も為さない。

 だが、音波消火器という実例が存在するように、特定の周波の音によって火を消すことは可能であると立証されている。

 畢竟、それらが正面切ってぶつかりあった場合。

 

「――共振波!!」

「むっ……」

 

 放たれた火は呆気なく掻き消され。

 そのまま強力な音――その圧と衝撃が播凰を襲い、彼の身体をほんの僅かながらもよろめかせた。

 

「おらおら、どうした? さっきので天能力が尽きたかぁ!?」

 

 その現実に鼻高々なのは笠井だ。

 やはり、自身の術ならば効く。その確証が持てたわけである。

 してやったりと、挑発の言葉を重ねる笠井。いい気味だ、と術を破られ愕然としている顔を見てやろうと口元を歪めるが。

 

「……うむ、ならば――今度はそれを使わ(・・・・・・・・)せてもらおう(・・・・・・)

「は?」

 

 全く挫けた様子のない播凰に、その発言に困惑する。

 何を言っているのか、と胡乱に播凰を見やるが、それも一瞬のこと。

 

「覇放……」

「ちっ、だから無駄だと――音放!」

 

 性懲りもなく再び詠唱に入った播凰を前に舌打ち一つ。

 笠井もまた、迎撃に移ろうと一拍遅れて詠唱を始め。

 

「――我執相呑!!」

「――共振波!!」

 

 再度、両者の術がぶつかろうとする。

 

 詠唱だけを聞けば、同じ術だ。

 一応、術自体は同じでもそれを行使する者によって――正確には術に内包される天能力だが――威力が変わるというのはあるが、今回に関しては術者もまた同じ。

 

 音で火を消すことができても、その逆は普通は(・・・)無い。

 もっとも、天能術に関してと注釈をつけるなら相手を大きく上回る天能力と強力な術でもあればその限りではないが、相性の壁を打ち崩すには拮抗した実力差ではまず無理。余程の差でもなければ、覆すことはできない。

 それが摂理というものであり、常識。

 

 で、あれば。

 二度目の術のぶつかりも直前の光景の繰り返しとなることは想像に難くなく。事実、笠井もそう思い込んでいた。

 

「なッ――!?」

 

 だがしかし、驚愕の声を上げたのは、他ならぬその笠井である。

 現実を理解するよりも前に、半ば反射的に口が動いたといっていい。 

 

 先の理論。

 あれは何も笠井が尖った考えをしているというわけではない。天能術に少しでも明るい人間ならば、むしろ即座に同様の結論を導くことだろう。

 その点からすれば、笠井は間違ってはいない。いない、のだが。

 

 あくまで、火と音がぶつかれば、の話である。

 そして此度に至っては、その常識すら通用しない。

 

「有り得ねえっ! 何で、テメエが音の術を――!?」

 

 何故なら、つまり三狭間播凰の術は断じて火を放つことなどではない。

 

 覇放(はほう)我執(がしゅう)相呑(そうどん)

 

 三狭間播凰に目覚めた、新たな、それでいて最初の術。

 覇の性質の天放属性にあたる術の効果、それは――。

 

 ――術者が直接その身に受けた天放属性の術を繰り出せる、というもの。

 

 とはいえ、いつまでも十全に扱えるわけではなく連発はできない。

 あくまで、一回きりだ。使った後は、今一度術を受けねば再行使は不可能。

 だが、それでも一度だけ。たったの、しかし確かに一度だけ、それは顕現する。

 

 音、という不可視であるはずのそれを直感的に看破できたのは、笠井自身もまたその使い手であるからだろう。

 そして、播凰の術はただ受けた術をそのまま繰り出すわけではない。

 

「っ、俺の音が、打ち負け……」

 

 異なるのは、播凰自身の力。覇の天能力が上乗せされたそれは、元の術をも上回る。

 さながら大きい音が小さい音を呑み込むかのように、播凰の音が笠井の音を打ち破った勢いのまま彼に襲い掛かり。

 ぐうっ、と苦悶の声を上げながら、笠井が片膝を突いた。

 

「くっ……一体何をしやがった!? 火の性質じゃなかったのかっ!?」

「違うと、そう否定したはずだがな」

「ふざけんじゃねえっ!! 詠唱は確かに火放(かほう)と――」

「うむ、言っているな。覇放(はほう)、と」

 

 冷静な状態であれば、戦闘中の状態でなければ、或いは聴き違えることはなかったのかもしれない。

 否、仮にそうであったとしても結局、聞く耳を持たなかったであろう。

 

 嗚呼、けれども酷な話ではある。

 覇の性質。

 秘匿こそされていないものの、一般的には広く知られておらず、歴史の中でしかその存在を刻まれていない伝説とも呼ぶべき性質。

 まさか眼前の小生意気な学生(播凰)の性質こそ、正にそれであるなど、想像もできまい。それは彼でなくとも同じ話だ。

 

 ……クソッ、クソッ!!

 

 笠井の耳にはもはや、播凰の言葉などまともに届いていない。

 不気味で、得体のしれない何か。

 彼の中で播凰はその存在を、認識を変えつつあった。

 

 ……何か手はねえか、何か!

 

 このままでは不味い、と笠井は悟っていた。

 銀色に光る杖を片手に、ゆったりと歩いて近づいてくる播凰。

 その姿に知らず寒気を感じながら、冷や汗を浮かべて視線を巡らす。

 

 ――左。大火球によって揃って崩れ落ちた二つの人影は、ピクリとも動こうとせず路上にその身を横たえている。

 ――右。一体どこまで飛ばされたのか、影も形も見当たらず人気がまるでない。

 

 いや、例え他の誰がいようが、あのやられ方を見るに自身で打破する以外に道は無かった。

 

 未だ披露していない他の術で打開するか?

 不協奏騒で足止めをするか?

 

 駄目だ、と笠井は頭を振り払う。

 何より未だ相手の底が見えない。折角掴んだかに思えた耐久力の謎も振り出し。そもそも火の性質だとしても、屈辱を味合わされたあの日(配信)、何をされたかの絡繰りの理由になっていない。

 いや、こうなってくれば効いていたと思っていた音の足止めも本当に効いていたのか怪しくなってくる。

 とどのつまり、疑心暗鬼。一手を間違えれば、詰みに繋がりかねない。だからこその慎重さを求められる。

 

 ならばどうする、とその汗が額から滴り、地に撥ねた――その時。

 

 ……あった。確実にその足(播凰)を止められる手段が、一つだけ。

 

 笠井の視線の先。徐々に距離を詰めてくる播凰の、その向こう側。

 ぶっ壊していたはずの、しかし窓ガラスの損傷のみに留まっている本来の目的――リュミリエーラ(喫茶店)。それが、目に飛び込んできた。

 

 この場から遁走するという選択肢は、そもそもない。

 それは彼の矜持が許さない。

 ならば、奴が護ろうとしている店を盾にするしか道は残されていなかった。

 

 ぐっと、狙いを気付かれぬよう、笠井は体勢を動かさぬまま足に力を籠める。

 播凰との距離は、まだ数歩の余裕があった。

 

 ……その油断、傲慢が、テメエの敗北だ。

 

 あのエリート気取り(東方第一生徒)らしい、と笠井は喉を鳴らす。

 走っていたならば、とうに到達していただろうに。しかし余裕のつもりなのか、歩いている。あのくだらない(・・・・・・・)先輩方(・・・)のように、劣っている人間はとことん見下しているのだろう。

 

「音溜・性質継承!」

 

 音の力を、自らの両足に集中。

 クラウチングスタートの要領で飛び出した笠井は、播凰には目もくれず、その先を目指す。

 両足を音と化させた今の笠井は、正真正銘の音速だ。

 速さに関していえば、これを超えられる性質はそうそうない。光、という圧倒的なそれには白旗を上げざるをえないが、その使い手なんざごろごろいやしない。

 

 故に、笠井は勝ちを確信する。

 想像通りの勝利ではないが、なんとかなると音速の最中に胸を撫で下ろして。

 

「――何処へ行く?」

 

 まるで、何事もないかのような調子だった。

 ふと傍らから聞こえたその声に、しかしぞわっと笠井の全身の毛が逆立つ。

 何故、という疑問はしかし口を衝いて出なかった。できたのは、パクパクと口を開閉させることだけ。

 

 そう、普通はいない。

 人間など言うに及ばず。地球上の全生物に関しても、人間以上の速度は出せようとも、音速で移動できる生物など。

 

 笠井にしても、術の発動があって初めてそれを可能としている。

 音にしても、光にしても、それは術によってその速度が叩き出せるのであり。土台、人間という種でどうこうなる問題ではないはずなのだ。

 

 詠唱は聞こえなかった。

 その、はずだった。

 

「――っ」

 

 だのに、振り返ったすぐ横。

 当然のように並走する播凰の姿を見て、笠井は息を呑む。

 それに留まらず、播凰は笠井の肩をむんずと掴むと、そのまま引き倒したではないか。

 

「……がぁっ!?」

 

 天能武装諸共、背中から地面に叩きつけられ、商店街の石畳から土煙が舞う。

 反動で、かけていたサングラスが吹き飛び、笠井の顔が露わになった。

 

「さて、最期に遺す言葉はあるか?」

「……最期、だぁ?」

 

 仰向けとなったその体躯を見下ろし、播凰が覗き込むようにしながら淡々と声をかければ。

 何がおかしいのか、くつくつと笠井は笑った。

 

「ハ、ハッ……ま、まるで、俺を殺すみてえに言うじゃねぇか」

「その通りだ。たった今、そう決めた」

「フン、できるのか? 甘ちゃんで、命のやりとりをしたこともないようなエリート学生様のくせに、人を殺せるのか?」

 

 息を整えつつ、笠井は目を瞑りながら揶揄い混じりに返す。

 自らの状況に目を背けているわけではない。それでも、彼には言うことがあった。

 

「あそこの連中のことはよく知ってんだ。自分よりも優れた奴には媚び諂い、劣る奴は唾棄する。気に入らねえ奴には、立場を分からせるだの練習相手になれだの、教師に隠れてこそこそして。そのくせ、最後の一線だけは絶対に越えねえ」

 

 播凰が黙ったことに気をよくしたのか、笠井は自嘲的な笑みを浮かべると。

 

「手を汚したくないだけか? いいや、違うな。そっち側の人間は、意識すらしちゃいねぇんだ。恵まれた才能に、環境。教師の目が届いた授業、試合。命の危機なんざ自分には関係ないと思ってやがる。遊びとして愉しんで、人を甚振っているだけ。そんな連中が、人を殺す覚悟を持っているわけがねぇ」

 

 どうだ、と笠井もまた播凰を見上げた。

 月は雲に隠れ、灯りは心もとない商店街の街灯のみ。その表情は笠井からは窺えない。

 

「……私は戦いこそ愉しむことはあっても、別段、殺しをすることに愉しみを見出してはおらぬ」

 

 そうら来た、と笠井は内心ほくそ笑む。

 結局なんだかんだいって、最後まで手を下さないのだ。

 所詮は、学生。その部分を擽ってやれば、容易く――。

 

「けれども、誰彼構わず殺しはしないが、刃向かった人間を殺すことに躊躇は無い。お主を生かしておこうものなら、今夜のようにまた余計なことをしかねんからな。味方ならば、我が国の兵ならばいざしらず、どうして敵を殺すことに躊躇しようか」

 

 雲間から顔を出した月が、笠井を見下ろす播凰のその顔を薄く照らす。

 

「そも、敵の首級をあげるは誉れなれば」

 

 月明りに浮かんだその顔は、無表情。そして充満する冷徹な殺意。

 そこでようやく、笠井は己が見当違いな認識をしていることを否が応でも理解させられた。本当に殺すつもりなのだと。

 

 ブゥン、と播凰が杖を振り上げる。

 それだけで、風が唸り。ギラリ、と銀色が鈍い輝きをみせた。

 

 ――殺される。

 

 笠井はただただそれだけを感じ。しかし、凍り付いた顔は 目は、吸い寄せられるように自身を狙う杖先を見て。

 いよいよ、その腕が振り下ろされようとした、その時。

 

 ――ヒュウッ!!

 

 突如、一陣の風が吹き抜けた。

 無論それだけで播凰の動きが止まることはない。

 何のことはない、ただの風。風の術が放たれたわけではないのだから。

 だからその杖が静止したのは、間違いなく別の要因にあったのだ。

 

「……あれは」

 

 ふわり、と風に舞って落ちてきた何か。それが、播凰の興味を引いた。

 地面に転がるその正体は、玩具の飛行機。播凰も配信で購入した、駄菓子屋で買える安い玩具。

 そういえば、と自身のようにどこかに引っ掛けて泣いていた男児を思い出す。その子供のものか、或いは別の誰かか。

 

『――ありがとうね、これで心残りは無くなったよ。最後に活気ある店が、商店街が見れた。それだけでもう満足さね』

 

 駄菓子屋のお婆ちゃん店主の言葉が、脳裏を過る。

 殺しが悪いもの、というより大衆としてはいい気分にならないことは知っている。愉しみを見出せないと言ったのも嘘ではない。

 なにせ、命を絶つのだ。生者は死者に成り得るが、死者から生者に成ることはない。

 

 ――そうか、この世界では。

 

 この世界に来た当初の、管理人の話を思い出す。

 人を殺すは原則、御法度であると。

 

 ふぅ、と播凰は息を吐き出し。

 振り上げていた杖を静かに下ろすと、短く言った。

 

「往け」

「……は、あ?」

「気が変わった。この地に免じ、殺しはしないでおく」

 

 しばらく茫然自失としていた笠井であったが、それが嘘ではないと察したのか。のろのろと立ち上がり、播凰の顔をまじまじと見る。

 

「仲間を連れて、さっさと去るがよい。……しかし、心して聞け。もしも三度、貴様が私の前に立ち塞がった場合――」

 

 播凰はそこで一度言葉を切ると、目線を笠井に合せた。

 

「――次こそは、間違いなく殺す」

 

 溢れ出る殺気。まるで心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った笠井は、声にならない悲鳴を上げてへたりこんだ。

 感じるのは、確かな重圧。空間が軋みを上げているかのような音を、確かに笠井は聴いた気がして。

 固まるより何より、恐怖が勝った。

 

 ――この化け物には関わってはならない。

 

 コクコク、とまるで壊れた人形のように笠井は首を縦に振ると、這う這うの体で播凰から少しでも遠ざかるように身体を引きずっていく。

 笠井が連れてきた最後の一人は結局何もしなかったが、まあ動ける人間が二人いれば何とかなるだろう。

 

 彼らから興味を失くした播凰は一人、リュミリエーラの閉ざされた扉前に腰を下ろすのだった。

 

 

 

「……あれは、流石に見過ごせんなぁ」

 

 とある建物の陰に身を潜めて事の始終を見届けていた小貫夏美は、額を手の甲で拭いながら独り言ちる。

 

「あの殺気、間違いなく只者やない。性質もそうやけど、一体綾ちんは何処であんなん拾って来たんや」

 

 無論、彼女の級友である紫藤がどうこうしたわけではないのは百も承知だ。

 が、軽口で多少気分を紛らわせなければやってられない。

 他人の殺気、それも自身に向けられたわけでもないにも関わらず体が震えたのはいつ以来だろうか。

 

 元より、ただの生徒以上に注目はしていた。

 だがそれでも今夜、小貫は播凰への認識を間違いなく塗り替えた。そうせざるをえなかった。

 

「――やけど、今ならまだ、ウチでも()れるはずや。明らかな弱点(・・・・・・)がある今なら、なんとか」

 

 本気で挑んでも、五体満足とはいかないだろう。下手をすれば相討ちがやっとかもしれない。

 だが、あの殺気はヤバイ。あんな殺気を放てる人間が、全うなはずがない。加えて、その力。あれがもしも、例の組織(・・・・)の手に渡ってしまえば――。

 

「…………」

 

 小貫の手に握られた天能武装、そこにあるのは両端に五つの鈷(・・・・)

 視線の先の播凰は、喫茶店の前を陣取ったまま空を見上げている。

 一見しただけではとてもではないが、あの殺気を放った同一人物とは結び付かない。

 だが、彼女の眼前で繰り広げられたのは確かな現実。

 

 ――まずは、奇襲で先手を。そのまま……。

 

「……止めや」

 

 ポツリと零した小貫の手から、すっとその天能武装が消失する。

 もしかすると、正しくないのかもしれない。後々後悔することになるかもしれない。

 それでも、小貫夏美は――。

 

「何で踏み止まったかは分からんけど、それならまだ間に合う。ほんなら、綾ちんの指導(・・)に期待する他ないなー、紫藤(・・)だけに」

 

 しょうもない駄洒落でくつくつと笑みを浮かべ。

 

「まったく、あの阿呆は死んでからも他人に口出ししよってからに。……折角こっちに来たんや、今度綾ちんを誘って墓参りでも行ったるか」

 

 ガシガシと頭を掻き、漆黒の空と雲間の月を仰ぐ。

 そうして、うしっと気合を入れるように拳を握り。

 

「気になる事はいくつかできたけども――ま、今は先輩として術を使えるようになったのを祝ったるわ」

 

 最後に今一度、ちらっと播凰を振り返り、その場を後にする。

 三狭間播凰の新たな術。その内容は、探の性質を持つ小貫にはお見通しだ。

 

 天能術と性質、その常識を覆すような効果。

 なにより、子供の駄々が具現化したようなその術。

 

 ――嗚呼、実に王様らしい術ではないか。

 

 

 

 ただただぼんやりと、空を仰ぐ。

 別に、頭上を見たいわけではない。その行為に理由などなく、強いて言うなら時間潰し。

 

 無いとは思っているが、件の連中が数を恃んで再び来ないとは限らない。或いは、笠井の制御下を外れた者、もしくはその裏にいる者達が。

 その懸念を完全に払拭できず、この場に残っている播凰であったが。

 

 ふと、その視線が地上へと戻り、傍らを振り返る。

 

「――隣、構いませんか」

 

 闇夜に紛れ、音もなく。彼のすぐ側にジュクーシャが立っていた。

 

「うむ、それは構わぬが……戦いは終わった。もはやここにいても仕方がないといえる」

 

 それに大して驚きもせず、播凰が鷹揚に頷けば。

 彼の隣に、失礼します、と腰を下ろしながら。

 

「でしたら、播凰くんは何故ここに?」

 

 ジュクーシャが柔らかい声で尋ねる。

 彼女の問いに播凰はちらと、店を――その無残に破壊された窓ガラスを見やり。

 

「ゆり殿には謝らねばなるまい。あの程度の輩に不覚をとり、窓を割られてしまったのだから。……何、夜明けまでまだ長いが、偶には無意味に夜空を眺めるのも悪くはないと思い始めていたところだ」

 

 直に飽きるだろうが、と微かに笑いながら再び夜空を仰ぎ、播凰は答えを紡ぐ。

 そうですか、と釣られるように少し笑った後、ジュクーシャもまた倣うように見上げ。

 一拍の間を開けて、その口を開いた。

 

「でしたら――少し、昔話にお付き合いいただけませんか」



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34話 攻防の夜明け

「――私は嘗て……元の世界では、勇者と。そう、呼ばれていました」

 

 夜空を仰ぎ、遠くに輝く月を眺めたまま。

 ジュクーシャは朗々とした語りを、深夜のひっそりとした商店街に響かせる。

 ゆったりとした口調ではあるが、そこには確かな緊張を孕み。どちらかといえば、言って聞かせるためにというよりも、彼女自身が冷静たらんとしているのが透けて見えた。

 

「勇者とは、単にその字義だけを解釈すれば、勇気ある人を指します。……播凰くんの世界では、そのように呼ばれる方はいらっしゃいましたか?」

「……うむ、明確にそう呼ばれていたという人物は挙げられぬが、勇ある者は間違いなくいたな。近いものであれば、勇将として名高い将もあったか」

 

 数秒の間だけ目を瞑り、少しばかり過去を回想しながら、播凰は答える。

 自国に限らず、他国にも。その勇気を称えるに値する強さを誇示する者達は確かにいた。

 

「そうでしょうね。どこにでもという訳ではありませんが、傑物はいるものです。――ですが、私の世界でその呼び名(勇者)は、特別な意味を持っていました。使命、と言い換えてもいいかもしれません」

「使命? それはもしや……」

「ええ、勇者の名を冠する者の使命。それは、魔王と呼ばれる存在を打ち倒し、世界を救うこと。故に、勇者とは一つの立場であり、役割であり。私は勇気からではなく(・・・・・・・・)存在として(・・・・・)、勇者と呼ばれていたのです」

「……魔王、か。私の世界ではそのような者はおらず、記録としても見たことはなかった。もっとも、この世界では違うようだが」

 

 播凰は、初めて大魔王――そう名乗る一階住人の一裏万音と相対した時、どうとも思わなかった。簡単な話、それが意味することを知らなかったがためである。

 だが、彼とジュクーシャとの関わりの中で、その単語を耳にした。それらを題材とするゲームがあるのも実際にこの世界で目にしており、大雑把ではあるが今はなんとなくの知識はある。

 そんな播凰の指摘を肯定するように、ジュクーシャは一つ頷く。

 

「はい、確かにこちらでも勇者と魔王という存在は認知され、その関係性も私の知っていたものとほとんど差異がありません。とはいえこの世界では、架空、或いは神話の中でしか語られていないようですがね。……しかし、私の世界ではそれが現実なのです。多くの人々が魔物の、そして魔王の脅威に怯え。幾人もの罪なき命が消えていく。そんな世界でした」

「…………」

 

 播凰は夜空を見上げるのを止めて、隣に腰を下ろすジュクーシャの顔を見た。

 未だ上を向いたままの彼女の横顔。月明りが照らす愁いを帯びた瞳。その表情は、どこかもの哀しげで。

 

「む? つまり、一階のあの者を倒すと、そういうことか?」

「いえ……アレは存在こそ同類のようではありますが、しかし私の世界にいた魔王ではありません。そもそも私が知る魔王というのは、何と言いますか――もっとこう、人間とはかけ離れたモンスターのような見た目をしていましたので」

 

 ふとした播凰の疑問に、ジュクーシャの表情が苦笑に変わる。

 うーむ、とジュクーシャから視線を外しながら播凰は顎に手を当てた。人間とはかけ離れた姿と聞いても、パッと鮮明なイメージは浮かばない。というより、高笑いする脳内の大魔王がそれを邪魔していた。

 

 そんな脳内劇場が展開されているとは露程も思っていなかっただろう。

 ジュクーシャは苦笑を消すと、静かに深呼吸を一つ入れて。

 

「都合にして、四度。私は――私達は、魔王と呼ばれる存在を倒しました。その功績を以て、私はこの地に誘われたのです」

「ほぅ、四度も」

 

 純粋な驚きを込めて、播凰はその数を声にして繰り返す。

 全容は掴めていないが、仮にも魔の王と呼称される存在。ともすれば、そこら中にポンポンといるわけもなく、ただの雑魚とも思えない。それくらいの想像はついた。

 

「一度目はそうですね、私が播凰くんより少し年が下の頃でしょうか。女五人、成人済みの仲間もいれば私とさほど離れていない仲間もいたりと年齢的にはバラバラでしたが、バランスのよいパーティーで旅を始めました。時には仲違いし、色々な苦難はありましたが。何とかそれらを乗り越え、私達は必死の思いで魔王の元に辿り着き、打倒を成し遂げました」

 

 ジュクーシャが目線を手元にまで下ろし。そのすらりとした指が五本、立てられる。

 余計な茶々を入れることもせず、静かに耳を傾ける播凰。

 

「二度目――最初の成功で、知らず慢心していたのでしょうね。厳しい旅路は変わらず、しかし今回もきっと上手くいくだろうと心のどこかでそう思っていたのでしょう。その浅慮の結果、魔王の撃破と引き換えに、私達は大切な仲間を一人失いました」

 

 一つ、親指が折り曲げられた。

 音も無く、優しく。けれども、元に戻らぬと言わんばかりに確りと力を籠められて。

 

「新たな仲間を探す、ということはしませんでした。私も、そして仲間達もそれを言い出しませんでした。周囲が言うようにそうした方がいいとは理解していても、彼女の存在が脳裏から離れなかったのです。急造のパーティメンバーで連携が上手くいくか、という不安もありましたしね。……幸いにも、私達は四人欠けることなく目的を達成し、三度目も生還しました」

 

 今度は、その指は動かない。

 ピッと弛みなく伸ばされた指は、まるでそれぞれが内に倒れるのを拒むかのように、存在を主張している。

 けれども、彼女の声が明るくなることはない。

 

「……最後は、今までになく困難を極めた旅路でした。三度の魔王討伐を為した私達も成長していましたが、しかし敵も異常な強さを見せたのです。旅の途中、魔王に辿り着くより前に、一人が斃れました。そして魔王との戦いの最中、もう一人――私なんかを庇って」

 

 絞り出されたような声と共に、一気に、二本。指が曲げられる。

 未だ立つのもまた二本となり。

 グッ、と微かに震えながら、最終的にそれは拳となって握られた。

 

「残ったのは私と、そして聖女と呼ばれた女性だけです。大切な仲間を三人も失い、その骸の上に今の私がいる」

「…………」

「ここへの誘いを受けたのも、現実から、勇者という役割から目を背けたかったからなのかもしれません。そうして、最後の仲間を置いてたった一人、私はこの世界に来てしまった。魔の脅威の無い、私達からすれば平和ともいえるこの世界に。私だけが、のうのうと生きてしまっているのです」

 

 その声は、揺れていた。

 話を始めた時もどこか陰があったが、それすらもまだ明るい方だったといえるまでに。

 悔恨、それと迷いか。それらが滲み出たような、重々しい声。

 常人であれば関わることを躊躇しかねないその空気に、しかし播凰はただ一つ問う。

 

「ジュクーシャ殿は、この世界に来たことを後悔しているのか?」

「……後悔といえば、後悔でしょうか。こうするのがよかったのか、本当にこれでよかったのか、その適否をじくじくと悩み未だ振り切れずにいるのですから。けれども、少なくともこうしていれば、最後の仲間の死を実感することは絶対にない」

 

 つまり、と自嘲めいたようにジュクーシャは拳を解くと、ふっ、と鼻を鳴らす。

 

「逃げ出したのです、私は。もうこれ以上、仲間の死を見たくない、見届ける未来が訪れる可能性があるのが怖かった。ならばいっそ、離れてしまおうとそう思った。そうすれば、少なくとも私が(・・・・・・・)見ることはない。……私は勇者と呼ばれるに相応しくない――勇気なんてない、ただの臆病者なのです」

「仲間、か……」

 

 自分には無いものだ、と播凰は思いながらその単語を口にした。

 味方と呼べる者は、いた。自国の民、兵、先代よりの臣下。それと弟妹達。彼らの心の内は別として、少なくとも立場上はであるが。

 とはいえ、前者は仲間というには気心の知れた関係ではなく、後者はただの身内に過ぎない。

 

 こちらの世界に関しても、大抵は知り合いのレベルに留まる。

 いや、一応、友となった毅は仲間といえるのか微妙な線だが。

 取り敢えず、播凰にとって即答できる存在でないのは確かだった。

 

「すみません、つまらない話をしてしまって。……もしよろしければ、播凰くんのお話も聞かせていただけませんか? 特に私、こちらの学校という施設に興味がありまして」

 

 顔だけを振り返り、ジュクーシャが播凰へと笑いかける。

 声色こそは明るく振舞っているようだが、微かにその表情に憂いが見えた。疑っているわけではないが、先々の言葉は本心なのだろう。

 それを更に突くような無粋な真似はしない。だが、下手に慰めもしない。

 

 さて、何を話そうかと脳内で纏めながら。

 播凰は口を開き始め。

 

「そうさな、私は――っ!」

 

 しかしその時。ガクン、といきなり播凰の体の力が抜けた。

 そしてそのまま寄りかかるように、ジュクーシャの肩へと彼の頭が乗る。

 

「ぬぅっ、すまぬな。何故だか、いきなり力が……」

 

 脱力感、とでもいえばいいのだろうか。腕で状態を支えようとしても、身体に上手く力が入らなかった。

 追い打ちをかけるように、ふぁ、と欠伸が一つ漏れる。

 ジュクーシャは少し驚いた顔を見せながらも、播凰を振り払うようなことをせず。むしろ労わるように言う。

 

「きっと、慣れない力を使ったので、疲れが出たのでしょう。無理せずそのままで構いません、もしよろしければ少し休まれますか?」

 

 深夜という時間帯も相俟ってか、急激な眠気もまた同時に播凰を襲っていた。

 今まで経験したことのない感覚は、ジュクーシャの言うように初めて天能術を使ったからなのだろうか。

 そのぼんやりとした思考を最後に、徐々に播凰の瞼が下がっていき。

 

「……すま、ぬ……少し、休ませてもらう……」

「はい、お疲れ様でした、播凰くん」

 

 ジュクーシャの言葉を聞いたかも怪しい内に、完全に目が閉じられると共に播凰の意識は沈んだ。

 間を置かずして、スー、スー、と。規則正しい呼吸と共に、ジュクーシャの肩に寄りかかったままのその身体が僅かに上下する。

 ジュクーシャは体勢を整えるように、そして播凰を起こさぬように慎重に身動ぎすると。

 

「ふふっ、懐かしいですね。旅の道中では、こうして皆で身を寄せ合ってよく夜を過ごしていましたっけ」

 

 微かに顔を綻ばせ、口元を緩める。

 が、すぐにその喜色は霧散し。

 

「やはり、私はどうしようもなく自分勝手で弱いのでしょう。無関係な人に、それも年下の男の子に、このような話を……」

 

 ポツリ、と漏らした。

 果たして、死した仲間達が今の自分を見たらどう思うだろうか。残してきてしまった最後の仲間は、どう思うだろうか。

 呆れか、軽蔑か。或いは、怒りか。

 

「でも、どうしてでしょうか。播凰くんには――貴方には、聞いて欲しいと思ってしまった」

 

 すぐ側で寝ている顔を、ジュクーシャはそっと窺う。

 静かに寝息を立てる彼は、年頃の男児の顔だ。それ程大きく離れているわけでもないが、自身より確実に若い異性。

 けれども、その内に秘めた強さは間違いなく本物。

 加えて、自身を――仮にも勇者と呼ばれた実力を持つ自身をして、まだ底の知れない部分があるというのだから世界というのは本当に広いものだ、とジュクーシャは思う。

 

「もしも、貴方のような強さを持った方が私の世界にいてくれたら……」

 

 

 ――――

 

 

 チュンチュン、と鳥の囀りでふと意識が浮上する。

 瞼越しに感じる暖かな光は、どうやら日差しのようだ。

 

「んん……」

 

 掌に硬い感触を感じながら、ごそごそと播凰はその身を起こす。

 視界に映りこんだのは、見慣れつつある最強荘の自室ではなく、シャッターが連なる商店街。

 起きたばかりの鈍い頭で疑問に思いつつも、徐々に記憶を取り戻していく。

 

「……そうか、結局あのまま眠ってしまったか」

 

 隣に、ジュクーシャの姿はなかった。

 だが単に放置されたというわけではなく、彼女の羽織っていた薄着が綺麗に畳まれて播凰の枕となっており。

 別段地面に横たわることに抵抗はなかったが、いなくなったことを含めて彼女の気遣いを感じつつ、次会った時に礼と共に返そうとそれを回収。

 立ち上がり、ぐぐっと伸びをする。

 

 さて、店の前で寝転がっていたのだから、まだゆりは来ていないのだろう。彼女の性格から考えて、そんな状態の播凰を無視するわけもなく、それを差し引いても邪魔でしかない。

 ある程度は日が昇っていることから、そこまで早朝ではないようだが。

 ゆりが普段いつから店にいるかを知らない播凰は、取り敢えず来るまで待つかとのんびりと考え、店の面する路上の半ばまで移動する。

 

 結果からすれば、そこまで待つ必要というのはなかった。

 寂れているとはいえ通路としての機能まで失っていないことから、数える程度の通行人の行き交いを見届け――あちらはあちらで路上に佇む播凰の様相を見て訝し気にしていたが――ること、数十分。

 

 果たして、待ち人たるゆりはやって来た。

 彼女はまず遠目から、まだ営業していない店の前に播凰の姿があることに多少の疑問を浮かべ。

 

「播凰君、どうしたの? こんなに、早く……から……」

 

 近づきながら声をかけつつ、その装いに気付くと絶句して立ち止まる。

 播凰当人は欠片も気にしていないが、幾度も火の術を受けて彼の制服はボロボロだ。誰がどう見てもまともではなく、言わずとも何かありましたと全身が告げている。

 薄情な人間ならともかく、そんな有り様を見て黙っていられるゆりではない。

 

「なっ、何があったのっ!? どうして、そんな――」

 

 彼女は動転したように、播凰との距離を一気に詰めようと小走りで駆け寄ろうとしてきたが。

 途中にキラリ、と視界の隅に光る物を見て、思わずといった様子で反射的にそちらを見やった。

 その正体は、陽光を受けたガラスの破片。笠井に割られ、地面に散らばったそれが、キラキラと朝日を反射していたのである。

 必然、その視線がリュミリエーラの外観、窓ガラスに向かい。無残な姿となったそれを見て、彼女は息を呑む。

 

「――あの人達ね!? あの人達が来たのね!?」

 

 いつもの淑やかな佇まいはそこになく、珍しく語気を荒げたゆりは、播凰に向き直った。

 そんな様子を目の当たりにして、やはりそんなにも彼女にとって店は大切だったのだと実感させられた播凰は、素直に謝罪を述べようとしたが。

 

「うむ、すまぬな。私が不覚をとったばかりに、店が――」

「お店のことは今はいいの! それよりも急いで手当をしないとっ……こんな、なんて酷い」

 

 強い声でそれを遮り、遂には互いが触れ合えるほどの距離となって悲痛な面持ちを浮かべたゆりの姿に、きょとんとする。

 何故なら、その視線の先は彼女が大切に思うリュミリエーラではなく。他ならぬ、播凰自身に向かっていたのだから。

 

 ゆりの反応に不思議そうに首を傾げる播凰であったが、彼女がそっと優しい手つきで己の腕や身体を確かめるように触りはじめたことにより、それを辿るように目線を下ろし。

 そこで漸く自身の装いを自覚し、彼女の狼狽の理由を察した。

 

「ああなに、火と音の術をいくらか受けただけだ。制服こそこの有り様だが、別に痛みもなく大事ではない。それよりも――」

「十分大事です! いくら東方第一(あそこ)の生徒だからって……きっと貴方のご両親だって心配なさるはずよ」

「……心配? 私を?」

「勿論。私だって、心配で仕方ありません」

 

 力が抜けて寝入ってしまったことは事実だが、怪我らしい怪我もなくダメージを負っているわけではない。

 故に、簡単に状況を説明して話の焦点をリュミリエーラに移そうとした播凰であったが、しかしゆりは譲らない。

 初めて見たゆりの剣幕に、その言葉に、播凰は図らずも目をパチクリとさせ。端的に告げる。

 

「心配などされたことはない。両親に限らず、だが」

「……え?」

「……む?」

 

 思わぬ返答に、ゆりが茫然と。

 変な事を言ったかと、播凰が困惑を。

 

 一時の静寂が、両者の間に満ちる。

 

「――と、兎に角、播凰君のご家族の方に連絡をしないと。い、いえ、救急車を呼ぶのが先ね」

 

 だがそれも一瞬のこと。明らかに動揺した声ながら、なんとかゆりが場を動かそうと手にしていた鞄を探り始めるも。

 

「ふむ、どちらも不要だ。この世界に(・・・・・)連絡をとる家族などいない。負傷もないのだから治療も意味はない」

 

 強いて言うなら服か、と思い出したように淡々と播凰が結べば。

 

 いよいよ、ゆりは固まったようにその動きを止めた。目いっぱい見開かれた彼女のその瞳は、ただただ播凰だけを映している。

 これに困ったのは、播凰だ。何せ彼からすれば、さっきからごく当たり前のことを言っているだけに過ぎないのだから。

 

 硬直するゆりを前に、播凰はリュミリエーラへと顔を向ける。壁などは壊されずなんとか被害は窓ガラスだけに留まったが、それでも問題だ。初夏の季節、気候で丁度いい気温とはいえ、割れた窓ガラスなどやはり悪目立ちしてしまう。

 播凰の服は着替えるだけで済むが、建物の窓ガラスを取り換えるとなるとそうはいかない。思い入れに関しても、先日入学したばかりの播凰の制服と、長年リュミリエーラを支えてきたお洒落な窓ガラス。どちらが価値あるかなど言うまでもない。

 

 故に、それは三狭間播凰にとっては正直な感想だったのだ。

 心の底から、他意など一切ない純粋な思いだったのだ。少なくとも、彼にとっては。

 

「私などより、ゆり殿の大切なリュミリエーラ(あちら)の方が――」

 

 不意に、全身が柔らかく温かいものに包まれ、その言葉が途切れる。

 ゆりの美しい黒髪、顔がすぐ近くにあった。一拍遅れて、彼女に抱きすくめられたのだと悟る。

 

「……本当に、本当に大丈夫なのね? 無理してないのね?」

「う、うむ……」

 

 その声は、震えていた。

 表情は播凰の肩に埋められ、窺うことはできない。

 動こうにも動けず、播凰は視線を彷徨わせる。別段、拘束されるほどの強い力ではない。

 しかしどうしてか、跳ねのけようとする気はおきず、播凰はされるがままとなっていた。

 そのまま数十秒。或いは長針が一つ動いたかもしれない。

 

「――ごめんなさいね。でも、貴方を心配する人がいないなんて思わないで。少なくとも私は、とってもびっくりしたんだから」

「…………」

 

 やがて、最後にギュッと少しだけ強く抱きしめて、ゆりは播凰から離れる。

 そうして彼女は目元を軽く拭い、リュミリエーラの方へと顔を向けた。

 

「取り敢えず、お店に入りましょう」

 

 頷き、無事に残っているリュミリエーラの入り口まで、ゆりと並んで歩いた播凰は。鍵を開けた彼女に続き店内へと入る。

 中から割れた窓ガラス付近を見やれば、破片のいくつかは内側にも飛散していた。

 だが、やはり被害らしい被害はそれだけだったようで、ホッと播凰は胸を撫で下ろす。

 

「……今、飲み物を準備するから……あそこのテーブル席にでも座って楽にしていてね」

 

 店内を少し見回したゆりは、割れていない窓ガラス近くのテーブル席を指し示すと、厨房に繋がる扉を潜った。

 パンパン、と軽くズボンを叩き、素直に播凰がそこに腰掛る。

 

「それで、何があったのか教えてもらえるかしら?」

 

 数分後、飲み物を手に播凰の対面に座ったゆりが率直に、それでいて真剣に尋ねてきた。

 受け取ったグラスで喉を潤しつつ、播凰は簡潔に答える。

 

「とある伝手から、夜にあの者達が店を壊しに来ると聞いてな。あの配信のせいという話を聞いたから、私が相手をするべきだと思い、迎え撃ったのだ」

「……そう。でも、せめて、その……一人で立ち向かう必要はなかったんじゃないかしら?」

「全く、耳が痛いな。私が出れば問題ないと思い、実際撃退に成功したが――まさか、店を盾にされるとは思わなんだ。ゆり殿には申し訳なく思っている」

 

 言い訳にならないとは理解していた。最終的に勝ち、店への被害も最小限に抑えたとはいえ、不覚をとったのは間違いないのだから。

 そんな播凰の態度をどう受け取ったのか。

 

「いえ、責めているわけじゃないの。むしろ、お店を守ってくれたことに感謝しているわ」

 

 きっぱりと、まず彼女はそう首を横に振って断言した。

 だが、次の瞬間には播凰の顔を正面からしっかり見ると。

 

「――けれど、今度からは一人で抱え込まないで、誰かを頼ってちょうだい。私だって、出来る限り貴方の力になるから……」

「ぜ、善処しよう」

 

 諭すように、僅かに涙ぐみながら。ゆりは言葉を選ぶようにして播凰へと告げる。

 懇願ともとれるそれに、播凰は戸惑いを覚えながら首肯した。

 

 なお、先の播凰の発言でゆりがとある勘違い(家族がいない)をしており、両者に認識の齟齬があるのは言うまでもない。とはいえ、誤解させるようなことを言った播凰も播凰だが、一応嘘ではないから何と言ったものか。

 ゆりは暫く、播凰をそのままじっと見つめていたが。やがて彼女は、ふぅっ、と息を吐き。

 割られた窓ガラスへと視線を向ける。

 

「それにしても、まさかあの人達がここまでしようとするなんて」

「うむ。だが、心配無用だ。今後は無い」

「……そうね、播凰君が頑張ってくれたものね」

 

 胸を張りつつグラスを呷る播凰に、ゆりが微笑を湛える。

 

 そんな彼女の表情に、播凰は違和感を覚えた。

 笑ってはいる。それは間違いないのだが――どこか、寂しさも併せ持っており。それでいて、何かを決意したかのような光を瞳に宿していたのだから。

 違和感、否、嫌な予感とでもいえばいいのだろうか。

 事実、少しの間を置いて放たれた言葉は、彼を愕然とさせるものであった。

 

「――でもね、もうこのお店は閉めようと思っているの」

 

 カラン、と。

 その手からグラスが滑り落ち、音を立ててテーブルに転がる。

 幸いにも殆ど飲み干していたおかげで、零れたのは微量だ。

 つー、と僅かな液体が瞬く間にテーブルに広がっていき。しかしそれを気にする余裕もなく、播凰はテーブル越しにゆりへと詰め寄る。

 

「な、何故だっ!? もうあの者達に邪魔されることはないのだぞ! 嘘だと思うなら――」 

「ああいえ、播凰君の言葉を疑っているわけじゃないの。ごめんなさい、伝え方が悪かったかしら」

 

 ゆりは軽く咳払いをすると、播凰を落ち着かせるように彼としっかりと目を合わせ。

 

「実はね――」




次は二章最終話です。本日、後ほど投稿できると思います。


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二章最終話 一階の大魔王

「――皆さま、本日はお忙しいところをお集まりいただき、誠にありがとうございます」

 

 ゆったりと淑やかな所作で一礼した女性の声が、隅々まで響き渡る。

 それ以外に余計な音は無い。この場には彼女以外の人影もあるが、その面々は各々異なる表情ながら無言で以てそれを見守り。

 

「それでは、喫茶店リュミリエーラ。このお店での最後の営業……」

 

 そこで一旦言葉を止めると。挨拶を述べる彼女――ゆりは、顔ごと視線を巡らせて。

 じっくりと天井を、壁を。そして新品同様のピカピカまではいかずとも、塵一つ積もっていない手入れの行き届いたカウンターを時間をかけて見回し。

 中央の開けた空間(・・・・・)。そこから自身に集中する数多の瞳を、確りと真正面から受け止める。

 そうして、ゆりは大きく息を吸い込み。

 

「そして、店舗移転(・・・・)後の成功を願いまして――乾杯っ!」

「「「乾杯ーっ!!!」」」

 

 ゆりの音頭、そして掲げられたいくつものグラスの小気味良い音が、店中に響き渡った。

 

「よーし、暫くゆり殿の料理が口に出来ぬからな。今日は、目一杯食べるぞっ!!」

「あはは……播凰さん、程々にっすよ」

 

 ビーフシチューにサンドイッチ、スパゲティとその他デザートや飲み物も様々と。

 爛々と目を光らせ、複数のテーブルを繋ぎ合わせた上に鎮座する大皿に盛られたリュミリエーラのメニュー達を前に、いの一番に溌剌とした声を三狭間播凰が上げれば。

 その隣で、晩石毅が彼の発言に苦笑を浮かべ。

 

「おおー、播凰にい、やる気だねー!! アタシだって負けないんだからっ!」

「……太るぞ」

「なにをーっ!?」

 

 その対面では双子の姉である二津辺莉が、播凰に触発されて気合を入れるも。

 傍らからの、ぼそり、とした弟の二津慎次の突っ込みを聞き逃さず、犬歯を剥き出しにして食って掛かる。

 

「……フン。まったく、どうして余がこのような所に」

「なっ、招待をいただいているのに文句を垂れるとは何事ですか! いいですか、妙な気を起こすことは許しませんからね!」

 

 更に播凰達の横では、ぶつくさと気怠げな一裏万音に対し、四柳ジュクーシャが懇々と見咎め。

 彼らだけではなく、最後までリュミリエーラの店員として残り続けた年若い女性達も数人、グラスを手に笑い合っていた。

 

「よかったねぇ、ゆりちゃん。そして、旦那さんも(・・・・・)

 

 そんな騒がしい光景を、少しだけ離れた位置から。

 白髪交じりの老女――商店街の駄菓子屋のお婆ちゃん店主が和やかな笑みで見守り、ゆりを振り返れば。

 

「ええ、本当に。今日は無理を言って来てくれてありがとう、お婆ちゃん」

「私が入院中の間も妻がお世話になりまして、ありがとうございます」

 

 同じく、僅かに潤んだ目でそれを眺めていたゆりが礼を返し。

 そのすぐ前にて、身体の一部に包帯を巻いた男性が、車椅子に座りながら同じように続く。

 お婆ちゃん店主は、ほっほっと軽く笑い声をあげ。

 

「なに、商店街の老いぼれ衆からすれば、ゆりちゃん達は可愛い子供みたいなものだったからねぇ。……さ、二人もあちらに加わっておいで。最後の仕事が――お客様のおもて成しが残っているだろう?」

 

 和気藹々と――極一部はそうと言い難いが――する空気の方を指し示す。

 それに会釈をすると、ゆりは車椅子を押して。

 

「皆、楽しんでいただけているかしら? もしお料理が足りなくなったら遠慮なく言ってね」

 

 播凰と毅、ジュクーシャと万音の間に顔を出す。

 

「うむ、勿論だ! これほどの料理が一度に並ぶとは、正しく圧巻だな! 好きに食べてよいというのだから尚良い!」

「う、うっす、俺なんかも招待していただいて、ありがとうございますっす!」

 

 ナポリタンスパゲティを自分の皿へと盛りながら播凰が、食べていたものを慌てて喉に押し込みながら毅が、それぞれゆりへ違った言葉を返す。

 リュミリエーラ最後の営業。それは、店内中央にスペースを作り、テーブルを繋げて料理を並べたという、所謂ビュッフェ形式の貸し切りのパーティーであった。

 

「ちゃんとした挨拶がまだだったね。ゆりの夫の、まさとです」

 

 と、そんな彼らに向けて、ゆりに押される車椅子に乗った男性が穏やかな声と共に軽く頭を下げる。

 パーティ前に軽く紹介を受けていたが、当人が名乗ったように彼はゆりの夫。

 以前見せてもらったリュミリエーラ開店当初の写真でこそ顔は知っていたが、播凰が直接相対するのは今日が初めてである。

 

「君達のことは妻から聞いているよ。僕が不在の間、ゆりを色々と助けてもらったようで、申し訳ない」

「なんの、こちらもゆり殿には世話になったからな! しかし、貴殿の怪我の方は大丈夫なのか?」

「そうだね、今日は特別に外出の許可をもらっただけだけど……新店舗でのオープン時には退院できそうだよ」

「ほぅ、それは重畳だ。――しかし、店を閉じると聞いた時は驚いたが、まさか新しい場所に移動するとはな!」

 

 朗報ともいえる報せに、播凰は口元に赤い汚れ(ナポリタン)を付けたまま満足気に頷く。

 そう、攻防戦とでも形容すればよいのか、リュミリエーラの前で夜を過ごしたあの朝。

 憤懣やるかたないと言わんばかりの播凰を落ち着かせたのは、ゆりから告げられた移転の話だったのだ。

 

「ふふっ、頼りにしてますよ、あなた。それに、最後まで残ってくれた子達も皆、新店舗でも働いてくれるって言ってくれているもの。きっと素敵なお店になるわ」

 

 ゆりは優しく微笑んで車椅子に座る夫を見下ろした後、そのまま向かいで談笑する()店員達を見やり。

 

「――ジュクーシャちゃんも、新しいお店を手伝ってくれるし、ね?」

「も、勿論です! 精一杯頑張りますっ!」

 

 最後に、それが悪戯っぽい茶目っ気混じりの表情へと変われば。急に顔を振られたジュクーシャはどもりながらもグッと両の拳を握った。

 

「とはいえ、その間はゆり殿の料理が食べられぬのがなぁ……コンビニや他の店も美味いは美味いのだが、やはりゆり殿には劣るように感じる」

 

 そんな彼女の気合とは反対に、気の抜けるように料理を眺めるのは播凰だ。

 元の世界では料理などしたことない播凰である。世界が変わったところで、自炊ができるようになるわけはない。そもそも自分で準備するという発想がない。

 となれば、彼の三食は基本的にコンビニの調理済み食品か外食だ。

 

「あらあら、そう言ってくれるのはとても嬉しいわ。そうねえ……一応、簡単なものでよければ、家でも作れるわ。お話くらいしかできないけれど、もしよかったら私達の家に遊びに来る?」

「ふむぅ、それは魅力的ではあるが。……いや、申し出はありがたいが、やめておこう。待ちに待った時に食すのもまた格別であろうからな! それに、開店に準備万端で挑めなかったら私も困る!」

 

 具体的に何をするかは鮮明でないが、新たな店を開くことが忙しいであろうことは播凰にも想像がつく。それに、折角なら新しい店で思い切り堪能したいものだ。

 そんな思いから播凰が断れば、彼女は少し考えるような仕草の後。名案を考えたとでも言うように、瞳を輝かせてそっと両の掌を合わせる。

 

「そうだ! それなら、ジュクーシャちゃんに作ってもらってはどうかしら? 確か、同じ建物に住んでるんでしょう?」

「……え? な、いきなり何を言い出すんですか、ゆりさんっ!」

 

 突拍子もないともいえる提案だった。少なくとも、ジュクーシャにとっては。

 褐色の頬を赤らめながら、即答できるわけもなくジュクーシャは狼狽える。

 そんな彼女に入る、横槍。

 

「ククッ、ジュクジュクよ。そもそも貴様、まともに料理ができるのか? 果たして、それは食べられる物なのか?」

「んなっ……ば、馬鹿にしないでくださいっ! 私だって料理の一つや二つできます!」

「ほぅ、ジュクーシャ殿も作れるのか!」

「あ、い、いえ……あの、そのですね、播凰君。腕前については、なんといいますか……」

 

 今までつまらなさそうにカップを傾けていた万音が、ここぞとばかりにニヤければ。

 売り言葉に買い言葉とジュクーシャは彼に半ば勢いで反論するものの、今度はそれを耳にした播凰が感嘆。

 その反応に慌て、最初の威勢はどこへやらと瞬く間にその勢いが萎んでいき。最終的に、もにょもにょと弱々しくなっていくジュクーシャ。

 

 そんな三人のどたばたとした会話を。

 ふふふっ、と楽しそうに、しかし優しく見守っていたゆりであったが。

 

 ややあって、その悪戯っ気な表情を、雰囲気を消して。

 車椅子の後ろから横に立ち位置を移動し、体の前で手を重ねた。

 

「――このようなお話をいただけたのも、播凰君と……そして、一裏さんのおかげです」

「本当に、何とお礼を申し上げればよいか」

 

 深々と、夫妻揃って頭が下げられる。

 

 新店舗への移転の話。それは当然、何もないところから湧いて出てくるような話ではない。

 二言三言で済むようなわけもなく、相応のものが必要となる。望んだところでさっとできることはなく、そもそもゆり達にはその(移転)発想すら当初はなかった。

 

 では、どうしてそのような話が浮上したかというと。

 大魔王ディルニーンの商店街レビューの配信。正確には、それを見て、そしてその反響を感じて店に来た人物から齎されたのだという。

 

 是非、うちの(・・・)ショッピングモール(・・・・・・・・・)で店を構えないかと。このクオリティなら、きっと人気店になれると。

 ゆりはその話を受けるか悩んでいたそうだが、店が襲撃されたことをきっかけに心を決めたらしい。

 

「うむ、礼を受け取ろう。とはいえ、私は思いついただけだからな。真に功績者と呼べるは、この者よ」

 

 その真摯な謝辞を受けた一人である播凰はといえば、一度は厳かに頷きはしたものの。

 すぐに飄々とした態度に変え、両手が食器で塞がっているが故に、顔だけを近くの万音に向ける。

 さて、そんなもう一方である万音は、しかし。

 

「――フン、くだらん。改まって何を言い出すかと思えば」

 

 欠片も気遣いのない声色で、夫婦の下げた頭を直視することもせずに一蹴した。

 あまりの物言いに、気色ばんだジュクーシャが口を開きかけるが。続く彼の声が、それを押し止める。

 

「余は、単にきっかけをくれてやったにすぎん。その後は、全て貴様の腕の結果による流れよ。客を集めたのも、誘致を受けたのも、な」

 

 万音は夫妻に背を向けて大皿からサンドイッチを一つとると、そのまま無造作に口へと放り込んだ。

 つい少し前には、ジュクーシャを弄るためとはいえ曲がりなりにも笑みと呼べる類の表情をしていた万音であるが。今この瞬間には、僅かともそれが残っていない。

 これが照れ隠しであれば可愛いというものだが、そんなわけもなく、ひたすらに冷淡。

 祝いの場にそぐわない空気に、気付けば店中の視線が集まっていた。

 

「そのきっかけにしても、だ。もしも余が貴様達のために腐心したと考えているならば、思い上がりにも程がある」

 

 注がれる視線もどこ吹く風、サンドイッチを嚥下した万音はのんびりと自由気ままにカップを口につけた後。

 ようやく、ゆっくりと振り返った。

 

「だが、それでも尚。いじらしくも、余に(おもね)るというのなら――成果に対して報酬を与えるのもまた、上に立つ者の責務。この大魔王からの褒美として、誇って受けるがよい」

 

 どこまでも尊大な振る舞いであった。

 身長の関係でそうならざるをえないことを差し引いても、その眼はまるで夫妻を見下ろすかのよう。

 言葉に関しても聞き手にとってそれぞれの受け取り方があるとはいえ、これで気分がよくなると思う者は普通ならばまずいないだろう。

 

 この時にはもう、夫妻は頭を上げて万音を見ていた。けれど、そこに浮かんでいるのは、怒りでも呆れでもなく。

 一転して、誰も言葉を発することがないまま店内が静寂に包まれそうになった、その時。

 カランカラン、とドアベルが鳴る。

 

「――こんにちはー。遅れてすみませんー」

「うおおー、管理人たんっ! 待っていたぞ!!」

 

 店の入り口から姿を見せたのは、最強荘の幼い管理人であった。

 彼女も此度のリュミリエーラの最終日に招かれていたのだが、管理人としての仕事があるとかで遅れての参加となったのだ。

 そしてそんな管理人を視認すると。今までの空気はどこへやら、万音は全力で彼女の元に走っていった。

 

「……不思議な方だ」

「ええ、そうね……」

 

 豹変と評しても過言ではない態度の変わり様を目の当たりにしたゆり達は、けれどもどうしてかさっぱりとしたように。

 一笑を付すようなことをしなかったのは、夫妻の性格に起因するものか。

 或いは、彼の者が微かに覘かせた――支配者の側面がそうさせなかったのか。

 

「成る程、確かに強烈な欲だ」

 

 黙って事の推移を見守っていた播凰は、笠井との戦いの最中に告げられた言葉を思い出して得心がいったように口元を緩める。

 万音の管理人への反応は今に始まったものではないが、言われてみれば頷けるものがあった。もっとも、ロリコン(それ)を見習うべきなのかというのはまた別問題だが。

 気を取り直した播凰は、次は何を食べようかと舌舐ずりする。

 

「……まったく、あの者は。少しは見直そうと思った途端に」

 

 はぁ、と溜息を吐いて額に手をやったのは、ジュクーシャだ。

 ゆり達の礼をくだらないと切り捨てた時は、やはり人の心が分からぬ魔王と思いこそしたものの。

 意外にもゆりの腕を認めるような――もっとも捻くれてはいたが――発言に、瞠目し。

 けれども、やはりはいつもの傲慢さに、管理人への目を覆いたくなるような絡みは健在で。

 

 ……でも、それでいいのでしょう。

 

 ジュクーシャは、己を戒めるように軽く頭を横に振る。

 例え世界が異なっていようが、魔王と勇者は相容れない存在。

 その事実はきっと、変わらないだろうから。

 取り敢えず今はこの一時を楽しもうと、ジュクーシャもまた料理に手を伸ばすのであった。




ということで、二章が終了しましたので、後書きを書かせていただきます。
まずはここまで読んでいただき、ありがとうございます。
本章はいかがだったでしょうか、楽しんでいただけましたら幸いです。

ここで、今回は今後の展開について書かせてもらいます。
飽きられないようにというか、少しでも先を期待していただけるようにですね。
何分、更新速度がそれほど早くないので。
具体的には、三章と四章のちょっとした内容を書かせていただきます。ネタバレというほどではないですが。

もしも、そういう先の展開は実際に読み進めたいから見たくない、という方がいらっしゃいましたら、
お手数ですが、以下は飛ばして一気に一番下までスクロールしていただければと思います。
ちょっと行間あけますね。































では、いきます。
※なお、大枠は変わらないはずですが、もしかしたら変更はあるかもです


三章 二階の変身戦士 ~覇王、部活を探す~
術を使えるようになった播凰は、以前から気になっていた部活に入ろうとし。しかし入部方法もどの部活に入るのがいいかもよく分からないため辺莉の協力を仰ぐ。
だが、播凰が所属するのは実力的には最低のクラス。
いくつもの部活から門前払いを受ける中、募集要項無しという条件から播凰はとある研究会を見つける。部としての承認基準に満たない活動人数のその会の名は『異世界道具研究会』といった。
更には、劣等生の播凰が優等生の辺莉を連れ回しているという噂が広がり、辺莉の所属する部活の高等部の上級生に播凰は呼び出しを受け――。

学園パート以外では、新たな最強荘の住人が登場したり、ジュクーシャと時間を過ごしたりと、そんな内容になる予定です。


四章 四階の女勇者 ~覇王、異界へ渡る~
女勇者は、ルールを破り元の世界へと還った。
しかし納得がいかない辺莉は、管理人に直談判。状況が考慮され特別に、当人に戻る意思があることを条件に、連れ戻すことを許可される。
女勇者の世界に乗り込むは、辺莉と慎次に、半ば強引に連れ出された播凰と毅。そしてなんと……大魔王!?
異世界に乗り込んだ一行は、送られてすぐに王女を名乗る生意気な少女を助ける。
聞けば、魔王討伐のため女勇者は一人で旅だったと聞き、その少女を加えた一行は女勇者を追いかける。
幼くも、国や民を思う気持ちは本物。自らよりも王たらんと振舞う異国の王女に、播凰は何を思うか――。

女勇者を追いつつ、冒険者ギルドでクエストをしたりとかもする予定。
どこかで書いた記憶がありますが、書きたい展開があるというのがここだったり。

以上です、ではまた少し行間を空けます。








































で、四章の後ですが。
五章で完結とするか、五章以降も六、七章と続きを書くかは未定です。
もしも反響があれば、書かせていただこうかなとは思っていますが。まあ当分の先の話ですね。。。
※ちなみに、ハーメルン様では、この投稿時点から作品タイトルに副題的なものをつけさせていただきます。


ということで、ここまで読んでいただきありがとうございました。

お気に入り、感想、評価等々いただければ大変喜びますので、よろしければお願いいたします。

それでは、次話もよろしくお願いします。


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幕間の話
幕間 覇王の消えた世界にて


「――怪しむようなことがあれば、徹底的に調査をなさい。特に、何者かを匿っているような形跡、情報の類は必ず報告を上げること」

「あの国の攻略は一筋縄じゃいかねぇが、もうひと踏ん張りだ! いいな、クソ兵士共ッ!!」

 

 未だ幼さの残る甲高い、しかし凛とした女の声が響く。

 城壁から姿を見せているのは、声と違うことなくまだ成人も迎えていないような齢の二人の少女達だ。

 

 麗しくはあるものの、あくまで年端も行かぬ子供。ならば、如何に声を張り上げようが、相手をする大人はいない。彼女達の親類縁者ならばいざしらず、それが屈強な男だったり血の気の多い女ならば尚のこと。

 もっともそれは、彼女達が普通の少女であるならば、だが。

 

 ――オオオーッッ!!

 

 しかし実際、彼女達の眼下に並ぶ者共は。

 男女関係なく各々、剣に槍、矛を手に高々と掲げ。二人の少女の号令に応えるかのように勇ましく咆哮する。

 ビリビリと空気を震わせ、その圧はといえば空を割かんばかり。

 それを見下ろした彼女達は、満足そうに頷くと。その姿を翻して城壁の上から消える。

 二人が去った、その後で。

 

「あれでこそ、我が国の王族よ。殿下自らが前線に出て、指揮を執る。他の弱国にはああも気概のある王族はおるまいて」

「その上、お美しく、強さも一級ときている。この老骨も仕え甲斐があるというもの。将の一人として拝命されたからには、この身体朽ちるまで槍を振るおうぞ」

「お二方、本国にいらっしゃる王と王弟殿下を忘れてはなりませんぞ。本国の護りの心配が不要であるからこそ、我等がこうして後顧の憂いもなく他国に攻め入ることができるのですから」

「無論じゃ。まだ儂はそこまでボケておらんよ、若造」

 

 完全に白くなった髭と、白いものが混じり始めた髭を撫でる熟年の男二人。そしてそれよりは若いとはいえ、厳かな風格を纏った壮年の男。

 それぞれが誰の姿も無くなった城壁を誇らしげに見上げながら、しかし老いを感じさせぬ調子で言葉を交わせば。

 

「ああ、本日も第一王妹殿下は可憐で、第二王妹殿下は美麗であられる。お二方のご尊顔に拝謁する機会を賜り、感激にございます!」

「いやー、同じ女性としてだけ見ても、ぐうの音も出ないよねぇ。けどま、流石に大人の色気としては負けないかにゃあ」

「……王弟殿下、格好いい。……王、強い雄。……愛妾になる準備は万端」

「なぁっ!? ふ、不敬ですよっ、今すぐその口を閉じなさいっ!! 大体、貴方達は一軍の将たる自覚がですね――」

 

 それに並び立ち、比較的城に近い位置に陣取っているのは、三人の女だ。

 感涙して身を震わせる一人とは異なり、あとの二人は軽いというかなんというか。

 くどくどと説教が始まるものの、両者はうげぇといった表情ながらこなれた調子でそれを聞き流している。

 

「……しかし、いきなりどういう命令なんだ? この状況で、降伏させた他の国々まで大々的に兵を派遣するなんて」

「まったくだよ。それでいて、侵攻も早めるときた。まあそれ自体は特に変ではないけど」

「にしても、怪しいことは調査って言われてもなぁ……」

 

 一方で、彼らよりも城から離れて整列しているのは、一般の兵士達。

 つい今しがたに下命された内容について、比較的若めの男兵が声を潜めながらこそこそと話している。

 

 彼らの困惑は、王妹殿下が揃って姿を見せたことではない。

 問題なのはその口から告げられた戦略。かいつまんで言えばそれは――。

 

 ――二正面作戦。

 

 第一王妹殿下が、我が国に降伏したはずの地域へと兵を率いて向かい。

 第二王妹殿下が、我が国に抵抗して未だ戦火を交える唯一の国へとこのまま侵攻する。

 

 もっとも、前者に関して戦闘が発生することはないはずだが。

 兵力を分散しなければ。もっといえば、本国にいる王弟殿下。

 そして彼は直接戦場でその姿を見た事はないが、我が国の王が――三海の覇王と、そう他国から恐れられる王がいれば、今よりは苦労しないだろうに、と。

 

 そう、若き兵は心の中で思うのであった。

 

 

 ――――

 

 

「では、手筈通りに。決して油断してはなりませんよ」

「勿論だ、そっちこそしくじるんじゃねぇぞ」

 

 城壁からその中――本国の玉座のあるそこではなく、あくまで拠点として制圧した城だが――へと戻った少女二人。

 現王の妹であることから、姉が第一王妹、妹が第二王妹と呼ばれる彼女達は。

 足早に、そして手短に会話をして、それぞれ背を向ける。

 

「嗚呼、嗚呼。お兄様……一体、いづこへ」

「チッ、あのクソ兄貴。何処へ行きやがったんだ」

 

 共に同じ人物を、兄を案ずる声だ。互いにそれを聞こえてはいるだろうに、気にすることなく少女達は離れて行く。

 性格も言葉遣いも籠められた感情も違えど、その気持ちに偽りはない。

 

 あの日、目の前で光となって唐突に消えてしまった兄。

 掴むこともできず、すり抜けた手の感触は今でも忘れてはいない。否、忘れられるものか。

 

 泣きに泣いた。らしくもなく、祈った。

 それでも、兄は帰って来ることは無く。がらんどうな玉座が、彼女達に現実を突きつけた。

 

 きっと、どこかにいるはずなのだ。この世界の(・・・・・)、どこかに。

 敬愛する、兄はきっと。

 ただそれだけを信じて、奮い立った。

 

 ……お待ちになっていて、お兄様。

 ……待っていやがれよ、クソ兄貴。

 

 妖艶に、或いは獰猛に。

 意図して合わせるはずもなく、しかし確かに同時に、彼女達の口の端が吊り上がる。

 

 ――今、貴方の妹が迎えに行きますから。

 ――今、テメエの妹が迎えに行くからよ。

 

 

 同時刻。

 

 ふぁっ、と。ある城の門を守る男の気の抜けた欠伸が、快晴の空へと消えた。

 

「おい、みっともないぞ」

「すまんすまん、あまりにも暇なもんだから、ついな」

 

 すかさず、同じく隣で直立不動にて門を守る同僚に注意されて、男は自らの頬を叩く。

 ポカポカとした朗らかな陽気に気が緩んでしまったが、今は職務の真っ最中なのだ。

 

「まぁ、分からんではない。この国に――それも王がおわすこの城に、不届き者が現れるとは思えないからな」

 

 いるとしたら自殺志願者か、と笑いながらその同僚は振り返って城を見上げる。

 釣られるように、彼もまた己が守護する城を仰ぎ。思い出したように、ポツリと零した。

 

「王様、か。……そういや、あの日もこんな風によく晴れた空だったっけ」

「あの日? なんだ、あの日って?」

「ああ、俺は子供の頃に王様と遊んだことがあるんだよ。っていっても、あの時はまだ第一王子であられたけどさ」

 

 懐かしさに無意識に笑みを浮かべながら、手で日除けを作って、燦々と降り注ぐ陽光を受け止める。

 

「……王の遊び相手だと? お前、そんなに高貴な家の生まれだったか?」

「いんや、しがない庶民の次男坊さ」

 

 驚きの疑問に、しかし彼はヒラヒラと苦笑して手を振った。

 

「顔馴染みの数人で遊んでたらさ、見たこともない子供が入れてくれってやって来たんだよ。俺達も俺達で特に何も考えずに、いいかーってなってさ。んで、後でそれが王族だったって知ったわけ」

「……本当の話か?」

「本当だって。こんな嘘をついてどうするよ」

 

 猜疑的な同僚の態度であったが、それも止む無しと彼は考える。

 きっと逆の立場だったら、自分でも易々と信じることはしないと思うから。

 尚も疑うような目つきの同僚に、彼は軽く吹き出して話を続ける。

 

「ま、当然それきりなんだけどさ。それにしても、最近は全くお見かけしなくなったが……」

「……一国の王が、そう易々と姿を見せるわけないだろう」

「まあ、それはそうかもしれないけどさ。でも、王族の方々の様子がどうにも少しおかしいらしいという話は、聞いてるだろ? 特に、王弟殿下に関しては、城の書庫に籠り切りっていうじゃないか」

 

 そう、第一王妹殿下に第二王妹殿下、そして王弟殿下の様子が以前とは違うという話は、兵の間で噂になっていた。

 王弟殿下に至っては、毎日城の書庫に籠り、人が変わったかのように書物を読み漁っているらしい。

 どこか鬼気迫る様子だったと語るのは、城の侍女だ。

 

「王妹殿下の――彼の国への派兵は、順調と聞く」

「そうだな、風の噂によると、そのあまりの奮迅ぶりに……ええと、何と呼ばれているんだったかな。確か――」

 

 ――数字だけなら(・・・・・・)、王を超えていた異名だったような。

 

 彼が何の気なしにそう言えば、何故だか同僚の門番はぶるりと身を震わせた。

 

「……王の戦う姿を、戦場での姿を見た事はあるか?」

「ん? いや、俺は無いなー。とんでもなく強いってのは聞いてるけど」

「そうか……兎も角、我等の役目は、国を、この門を守ること。余計な事を考える必要はない」

 

 固く口を引き締める同僚に、違いないと彼は笑った。

 

 

 

 

 ――邂逅の時は、或いはそれほど遠くはないのかもしれない。

 

「見つけた」

 

 パラパラと、書物の紙を捲る音だけが、その部屋には響いていた。

 それ以外は、微かな物音一つない空間。だが、紙の音が止むと同時に、声が一つ。

 

「足先から光を纏い、突如として姿を消す。以降、その人物を見たと語る者はいない」

 

 山積みとなった書物を前にして。

 淡く踊る炎の灯りだけを頼りに、シミ一つない白い指先が、書物の一節をなぞる。

 だが。

 

「……っ」

 

 これだけか、と歯噛みして眉間に皺を寄せる。

 消えた先のことは勿論、どのような人物がそうなったのかすら、記されていない。

 つまり、振り出しだ。膨大な書物の中から、手探りで探すだけ。

 はぁっ、と息を吐きだした、少年。王弟である彼は、暗い天井を仰いだ。

 

「……兄上様」

 

 その呼びかけに応える声はなく、虚しく消えていく。

 

 ――もっとも、ただ一人を除いて、であるが。




ヤンデレ襲来フラグが立ちました。
闇落ちフラグが立ちました。
※なお、あくまで立っただけで実現するかは


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3章 2階の変身戦士 ~覇王、部活を探す
1話 天孕具


「――さて、それでは見せていただきましょうか。君に発現したという、覇の性質の術を」

 

 東方天能第一学園、修練棟のとある一室にて教師である紫藤綾子の声が粛々と紡がれる。

 一見すれば表情、声と共にいつものような冷静沈着とした調子であるかに思えるも、しかし。微かながらも確かに力の入った目元、そして上擦ったその声色は。

 覇という超希少な――それこそ伝説級の性質の術をお目に掛かれるという機会に居合わせた教師としての好奇心の刺激か。将又(はたまた)、一人の人間としての興奮故か。

 

「天放属性なのであれば、攻撃の術なのでしょう。――で、あるなら」

 

 紫藤は、そこで一旦言葉を止めると。

 手を翳すような仕草を、何もない空間めがけて行う。

 

「アレに向けて打つように。一応、基本的な下級の術には耐えられる程度の強度にしています」

 

 すると一瞬にして出現したのは、人の形をした物体。

 どこかで見た覚えのあったそれに、播凰は少しだけ首を傾げ。ややあって、大きく頷いた。

 

「思い出したぞ、入学試験の時のだな! あれは、紫藤先生の天能術なのか? それにしては、詠唱をしていなかったようだが……」

 

 そう、それは入学試験の際に、実技の的として用いられた仮想敵。

 あの時は右も左も分からぬまま、何か出てきたぐらいにしか捉えておらず。また術どころか自身の性質すら知らなかった当時の播凰の前では、全くの無意味と化していたのだが。

 多少に知識のついた今なら、違和感として映る。

 

「……これが何か分かりますか?」

 

 そんな播凰の問いに、しかし紫藤は少しだけ眉根を寄せながら問いで返した。

 強調するように持ち上げられた、彼女の腕。手首とスーツの境目のそこに、デザインの凝っていないシンプルなシルバーの腕輪が鈍く光っている。

 

「ふむ……腕輪、か? ……あー、その、なんだ。似合っているとは思うが――」

「それはどうも。しかしながら勿論、ただの腕輪を見せつけるわけはありません。これは、天能が付与された特殊な道具です」

 

 古今東西、装飾品や宝飾品を自慢、見せびらかすという人間は男女限らず一定数いるが。その行為は、厳格が服を着たような紫藤には正直似合わない。

 キッチリと着こなしたスーツに、一度でも染めたことがないような純粋な黒髪。怜悧な雰囲気に拍車をかける眼鏡の奥には、キツめの目元が控え。直接会話をしたことのある人間は勿論のこと、彼女の性格を知らぬ人間ですら、そういった印象を抱くことだろう。

 

 つまりズレているのは播凰だ。

 事実、なんとか凡庸な感想を捻り出した播凰の賞賛に、紫藤はニコリともせず。

 むしろピンときていない様子に対し、やはり分かっていなかった、と。彼女は呆れと諦めが同時に透けて見えるような表情をした。

 ともあれ、今まで幾度も同じようなことがあったので彼女も慣れて――不本意であろうことは言うまでもないが――しまったのだろう。

 

「天能によって作られた、或いは天能が付与された物。それらは、他の一般的なそれと区別するために、正式には天孕具(てんようぐ)と呼称、分類されます」

「ほぅ、天孕具……」

「より身近な例を上げれば、天能武装もその一種――天孕具の括りに入ります。あと、君が今着用している制服もそうですね」

 

 言われ、播凰は自身の着ている東方第一の青緑色の制服を見下ろす。

 確かこの制服には、ある程度の――完全に防ぎきるわけではない――天能術に対する抵抗があると聞いている。実際、リュミリエーラを守った際に火の術を幾度も受けたが、すぐに焦げたり燃え上がることはなかった。

 そんなことを播凰が思い返していると。

 あまり気持ちのいい話ではありませんが、と紫藤は前置きをして。

 

「現代では特に名家において顕著ですが、優秀な血を後世に残すことを重要視するのは旧くからある思想でした。例えば、優れた術者(・・・・・)希少な天能(・・・・・)を持った者を一門、或いは外部より見出して子を成させ、跡継ぎとする。そういった風潮は異端ではなく、むしろ、そうあるべしとされてきたわけです」

「それは、まあ……そうであろうな」

 

 優秀の定義というのは、異なるだろう。

 当然、播凰の世界に天能などなかったのだから、同じになるわけはない。

 しかしながら元の世界において武がその筆頭であった播凰は、一応の同意をするように首を縦に振る。

 とはいえ、そこまでであれば話の流れに疑問符を浮かべざるをえないものだったのだが。

 

「ですが、古い時代――物に天能を付与するという概念、技術が確立していなかった頃。身内や子孫としてではなく別の目的の元に、優秀とされる人物の子を産ませていたという記録があります。……即ち一人の人間として扱わず、単なる力、道具として用いるために」

 

 顔を顰めながら抑揚なく語る紫藤に、播凰は彼女の言わんとしていることを察した。

 婉曲というほど比喩的ではなく、しかし直接その表現を用いるのを避けたのだろうが、つまり。

 

 ――成る程、()()みし()か。

 

「それが、天孕具の起源です。……時が経ち、天能武装を始めとする正真正銘の道具が世に出てきてからは専らそちらを指すようにはなったとはいえ、その風習がすぐさま廃れたというわけでもなかったようですが」

 

 言葉の節々から滲み出る忌避感は、堅苦しさはあれど彼女が冷酷非道な人間ではないことの顕れの証左だろう。というより、一般的な感性からすれば、少なくとも破顔することは有り得まい。

 もっとも、如何なる感情を胸に抱こうが、紡がれた歴史が消えるということはないが。

 

「と、教師として正しい歴史認識を伝えたものの。しかし現代では、正式な場以外では無理にこの単語を使う必要はありません」

 

 眼鏡をくいっと持ち上げながら、けれど紫藤は最終的にそんな風に告げた。

 となれば出てくるのは、ある意味当然の疑問。

 

「ふむ、ではなんと言えばいいのだ?」

「作成者が固有の名を付けている場合もありますが、我々のような使う側であれば、大抵は特殊な道具やアイテムなどといった表現でも十分伝わります」

 

 ただし、と紫藤は腕を組んで悩まし気な顔をする。

 

「造る側――本学園でいえば造戦科の生徒と教師、一般では専用の職に就く方々。人によっては、呼び方を気にする場合もあるので、その点は注意が必要です」

 

 ……そういえば、そのような科もあったな。

 

 学園の高等部にある三つの科。

 一つは播凰の所属している、主に天能術の扱いを重視し中距離以上での戦いを主眼とする天戦科。

 二つに、天能術だけではなく肉体及び天能武装も用いた接近戦の戦いを主眼とする武戦科。

 そして最後の科こそ他と毛色が異なり、モノを造ることを主眼とする造戦科。

 

 特に今まではさほど気にしていなかった、記憶の片隅にあったその知識を播凰は初めて明確に意識する。

 何せ、普段の学園生活において他の科との関わりというのがない。なんなら、他学年の同じ科もそうだし、同学年の別クラスの天戦科生徒すらもだ。

 座学も実技も、授業で関わるのはクラスメートのみ。

 学園行事にしても、一応入学式では新入生として他の科も合わせた生徒が集っていたが、それだけ。

 

 もっとも、同じ一年の天戦科のトップであるE組に、星像院麗火と矢尾直孝が。一学年下の中等部に、二津辺莉と二津慎次の姉弟が知り合いとしているにはいるが。

 いずれも偶々別のきっかけがあっただけで、それがなければ互いに顔すら知ることは無かっただろう。

 

 と、そんな風にぼんやりしている播凰を前に。

 期せずして重々しい話をすることとなったからか、紫藤はそこで一つ軽く息を吐くと。

 近くに立つ播凰と、そして首を回して部屋の壁際を見やる。

 

「晩石も、聞いていましたね?」

「は、はいっす!」

 

 ガチガチに緊張した声を出したのは、二人から少し離れて隅に立っている晩石毅だ。

 播凰の性質を知る数少ない人物であることから、同席を許されている。

 

 播凰の――覇の術のお披露目、とでも言えばいいのか。

 要するに、今日彼らがここに集まったのは、それが理由であった。

 

「――さて、少々脱線はしましたが、準備を。流石にもう、天能武装は自在に出せるのでしょう?」

「うむ、それはできるようになったが……」

 

 紫藤に促されて、播凰は杖を出す。

 まだ少々ぎこちないが、取り敢えず自由に仕舞ったり取り出したりはできるようになっていた。

 だがそこから詠唱に入る素振りを見せない播凰に、紫藤は片眉を吊り上げる。

 

「よもやここまで来て、嘘だったとでも?」

「いや、そうではない。ただ、誰かに術を打ってもらわないと駄目なのだ。何せ私の術は、相手の術を打ち返すというものだからな」

 

 口頭で術の詳細を聞き、吊り上がっていた紫藤の眉が、今度はそのまま下がった。

 

「……術を打ち返す? それは……どのような性質の術でも?」

「うむ、ただし天放属性に限るが」

「…………」

 

 どうやら新術は、名門校で教鞭を執る紫藤をしても困惑を隠せなかったようで。

 眼鏡を光らせ、顎に手を当てながら探るように彼女は無言となって播凰を見据える。

 

「――分かりました、それでは私が術を打ちましょう」

 

 ややあって、再度紫藤が手を翳せば、出現していた人型の物体は音も無く消失し。

 彼女自身が代わりを務めるように、その位置に移動し、薄紫色の杖を出して構えた。

 既に天能武装を出していた播凰もまた、紫藤に相対するように向き直る。

 

「ある程度の加減はします。ただし威力なども確かめたいため、それなりの術を打つので決して油断しないように」

「うむ! なんなら、加減など考えずとも構わぬぞ!」

「……言った側から、そのような態度を」

 

 これが挑発や冗談の類であれば即刻、紫藤は叱責していただろう。

 そもそも紫藤の性格を鑑みてそのような言動をする命知らずがどれだけいるか、という話ではあるが。

 しかし問題は、陰鬱なく笑うその問題児に、その気配が見られないことか。

 そして紫藤もまた、彼をただの問題児と切り捨てられないのが現状。

 

「では、行きます……」

 

 ――もっとも、だからといって全く立腹していないということにはならないのだが。



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2話 お預け

前話で書くのを忘れていましたが、3章開始です。
章タイトルで色々明らかになっちゃってますが、部活を探す編です。
学園半分、最強荘半分て感じかなぁと。
ぼちぼち面白くなっていくと思うので、楽しんでいただければと思います。
(ここまでが面白くないと私が思ってるとかって話ではないですが。。)


「――鋼放(こうほう)螺旋(らせん)(つい)

 

 紫藤の性質である、鋼。その天放属性の術の詠唱が、紡がれる。

 ぬっと一瞬にして床に影を広げながら、確かな存在感を以て彼女の前に現れた鋼色の物体。

 その全高はといえば、彼らの現在いる一室の天井までには届かないが、人間の平均的とされる身長は明らかに上回っている。

 だが、真に注目するべきは高さではない。

 幾重の層にもなる螺旋構造に、ギラリと鈍く光る尖った先端。それら術全体が、高速で回転しながらまるで空間を穿つように前進を始めるのであった。

 

「ひぇっ、ド、ドリルっす――」

 

 自分に向かってきているわけでもないのに、壁際でそれを見ていた毅が思わずといったようにぶるりと身を震わせて短い悲鳴を漏らす。

 第三者とはいえ、恐怖を抱きながらも術の全容を表する言葉は意外にも的確。

 そう、紫藤の術を簡潔に言い表すのであれば、ドリルであった。それも、複数の大人が集まって漸く持ち上げられるような、大型の。

 

 ……流石に上級の術を出すわけにもいきませんから、この辺りが妥当でしょう。

 

 もっともそれも、天能の名門校の教師たる彼女にとっては全力ではない。

 術としては初下級よりは難度、威力共に高く、しかし上級よりは低い。即ち、中級ランクの術に分類される。

 が、何せ自身よりも大きく無機質で鋭利な塊が旋回しながら迫ってきているのだ。受け手側からすれば、術のランクなど関係無しにその見た目は凶悪の一言に尽きる。

 

「さあ、見せていただきましょう。歴史に語られる覇の性質の術、その一端を」

 

 普段より幾分か心が高揚しているのを感じながら、紫藤は数歩分ばかり横にずれると。己の放った術を――その先にいる、一人の生徒をじっと瞬きせずに見つめる。

 術の選択(螺旋槌)は、こちら(教師)を舐め切ったような態度への懲らしめの意味も込めてだが、正直あまりそちらの効果は期待していない。

 なにせそれで態度が変わるような殊勝な人間(・・・・・)なら、紫藤はここまで頭を悩ませてはいないからだ。

 けれども同時に、一定の信頼を置かざるをえないのも事実。

 即ち――アレ(播凰)は、この程度の術で怯えて何もできず負傷をするようなタマではないと。

 

「ほほぅ、攻城兵器を思い出すな」

 

 実際問題、壁際で震える毅と対照的に顔色一つ変えることもせず。

 不敵な笑みすら湛えており、恐れとはまるで無縁。

 そこまでは、業腹ながら紫藤の読み通り。

 が、しかし。

 

 紫藤の心中に反して、動きはない。

 迫る螺旋を前に、詠唱に入る様子もなく。三狭間播凰は杖を出したままひたすら仁王立ち。

 まるで脅威など感じていないと、悠然と佇む全身が語るのみ。

 

 ――術を……打たない?

 

 高揚が一転、困惑に変わった彼女の眼前で。尖鋭な穂先が目標を穿たんと、播凰に接触したかと思えば。

 ゴシャァァッ!! と轟音を立て、鋼色の巨塊はたちまち彼の姿を覆い隠した。

 

「馬鹿者っ、一体何をしているのですっ!?」

 

 もうもうと立ち昇る煙を前に、血相を変えて鋭い声を飛ばしながら駆け寄ろうとする紫藤。

 だが、踏み出された彼女の足。一歩踏み込んだ右足は、それ以上進むことはなかった。

 動きを止めたのは咄嗟であり、同時にその必要が無くなったともいえる。

 

「……っ!」

 

 瞳が、見ていた。

 白煙の隙間から、睨むでもなく悪意のない瞳が。苦痛に歪みもせず、泰然とこちらを窺うようにただただそこに在った。

 弾かれるように、思考が回る。

 

 ……いや、そもそもあの煙は。

 

 これが屋外であったなら術の勢いが巻き上げた土砂、或いは地面を砕いた結果と片付いただろう。

 だがここは室内だ。それも修練棟の一室。

 何の変哲もない建築物ならいざ知らず、様々な性質ある天能術を磨くために設けられた特別なこの建物、一部屋一部屋には特殊な技術が施されており、生半可に暴れた程度では崩壊どころか傷一つとしてつくことはない。

 

 故に、本来なら煙など上がるはずはないのだ。

 それこそ、そう――紫藤の術が破壊された以外では。

 

 状況を整理する、そんな彼女の耳に。

 それは聞こえてくる。

 

「――覇放(はほう)我執(がしゅう)相呑(そうどん)!」

 

 停滞する白煙を吹き飛ばして姿を現したのは、紫藤にとっては見慣れたようで見慣れない光景だった。

 早い話、視点が違う。何故なら、普段の彼女は術者としてそれを後ろ側から見ていたのだから。

 故に、同じ鋼の性質を持ち、その術を扱える者と対峙する以外では。正面切ってそれと(まみ)えることはなかったのだ。今までは、だが。

 

「……あれは、確かに私の」

 

 つまり、先程放った彼女の術、螺旋槌。鋼のドリルが、そっくりそのまま返って来たのである。

 事前に術の内容を聞いていたとはいえ、実際に目の当たりにすると紫藤をしても驚嘆せざるをえない。

 身の丈を超える大きさ、回転する刃に蜷局(とぐろ)のような螺旋構造。何から何まで、紫藤が放ったそのまま。

 だが、いつまでも感心に止まってはいられない。なにせその威圧的な牙は、今度は彼女に向いているのだから。

 

鋼介(こうかい)鋼防壁(こうぼうへき)っ!」

 

 防御の術――文字通り鋼の壁を、前方に作り出す。

 地面より一ミリの隙間なく立ち塞がるそれは、ドリルの先端を真正面から受け止め。

 

 ――ギャリギャリギャリッ!!

 

 鋼同士、圧倒的な質量の巨塊が衝突し、無機質な音を奏でた。

 片や、阻む障害を穿たんと。片や、それ以上の前進を許さんと。どちらも見掛け倒しということはなく拮抗し、激しい火花が散る。

 

 鋼の性質。

 術としても物質としても、特徴としてまず挙がるのはなんといってもその硬さだ。

 耐久力や硬度に優れたその防御力は、ちょっとやそっとの衝撃ではびくともせず、突破するのは容易ではない。天能術による一撃だろうと天能武装による一撃だろうと難なく弾き返すその様は、味方としては頼りに、敵とすれば厄介に映ることだろう。

 

 しかし反面、明確な形が定まっているがために、柔軟性や靭性といった面では他の性質に劣る場合が多い。

 つまり強度の限界点を超えると、瞬く間に瓦解してしまうのだ。そういった粘り強さやしなやかさに難がある点を考慮すれば、ある意味で脆さを持ち合わせているともいえる。

 

 ピシリ、と。

 攻守のぶつかり合いの最中に微かな、しかし明らかに異質な音がこの場にいる面々の耳朶を打つ。

 不穏な音を発したのは、紫藤の作り出した壁であった。

 よく見れば、中心からややずれて、斜めに一筋の亀裂が走っている。

 

 面に対する護りである壁と比べ、螺旋の槌はその先端に圧を集中させた一点突破。

 力の加わり具合を見れば、有利なのは攻め側であり。

 

「……この術を破りますか、ならば――」

 

 紫藤の冷静な分析が言い終わらぬ内に、ピシッピシッと続け様に乾いた音。

 亀裂は広がり、やがて蜘蛛の巣状に壁全体へと罅が波及していき。

 

 軍配が上がる。

 ガラガラと無残に崩壊する壁を貫き、顔を覗かせたのは鋭利な刃だ。

 

「――いえ、あの術の軌道」

 

 だが、紫藤はじっとそれを眺めるだけで、そのまま口を閉じた。

 詠唱をすることなく微動だにせず、螺旋の槌が猛進する様をすぐ近くにありながら見届けている。

 それはさながら、つい先程同じように播凰が無抵抗に術を受けたように。

 

 だが一つ、決定的に異なるのは。

 

 室内にあって、一陣の風が紫藤の結んだ黒髪を揺らす。

 ズズゥン、と重々しい地鳴りのような響きはその斜め後方から。

 鋼の巨塊は、しかし彼女の身を貫くことなく、部屋の壁に激突しその動きを止めたのである。

 紫藤は振りかえると、すっかり沈黙したドリルに手を伸ばし。

 

「この天能力の感覚は……」

 

 そして、スゥッ、と消えゆくそれに触れる。

 探るように、確かめるように。表面にそっと手を添えて。

 

「――晩石! 君も術を打ってみなさい。三狭間、いいですね?」

「うぇっ、じ、自分もっすかっ!?」

「うむ、構わぬぞ!」

 

 やがて紫藤は、有無を言わせない強い口調で毅を呼び寄せ。

 

「授業でやっているように術を術で撃ち落としてみなさい。できますね?」

「……は、はいっす!」

 

 短く告げて、二人が場所を入れ替える。

 今度は紫藤が壁際にて腕を組み、彼女の眼光を受けて緊張でカチコチのまま毅が天能武装を出した。

 

「――が、岩放・三連弾!」

 

 小振りの岩が三つ、三角に並んで播凰に飛来していく。

 当たったら痛そう程度の感想は抱くだろうが、流石に先程の紫藤の繰り出した術と比べればチンケな物だ。

 当然、播凰はどっしりと両足を地面につけて動かず。

 三つ共まともに着弾はしたものの、播凰の身体に当たった側からボロボロとまるで砂のように岩弾は崩れ落ちていった。

 

「覇放・我執相呑」

 

 即座に返って来るは、同じ三撃。

 毅は向かってくるそれらにじっくりと狙いを定め。

 

「岩放・三連弾!」

 

 放った攻撃は、狙い通りに一発一発を迎え撃つ。

 よし、と特訓の成果を感じて拳を握りしめて喜ぶ毅であったが。

 

「――って、なんでぇっ!?」

 

 全て相殺したと思ったのも束の間。

 こちら()の術が打ち負け、あちら(播凰)の術が未だ健在である光景を目の当たりにして、絶句する。

 そんな驚きから硬直した毅の無防備な身体をすれすれで通り過ぎ、播凰の攻撃はまたしても部屋の壁へと消えた。

 

「三狭間、今のは(わざ)と外しましたか?」

 

 一連の流れを注視していた紫藤が、端的に問う。

 それを受けた播凰もまた、首を傾けながらも率直に答えた。

 

「いや、全て当てようとした」

「ヒドイっす!?」

 

 躊躇なく宣言する播凰に思わず抗議の声を上げる毅。

 しかしそれに応じたのは当人ではなく。

 

「何が酷いものですか。いついかなる時であろうと、天能術を扱う際に油断するなど言語道断です」

 

 じろり、と毅に厳しい視線を向ける紫藤。

 別の意味で再び固まった毅に、しかしそれ以上追及することはせず。

 彼女は播凰に近づくと、その目の前に立った。

 

「しかしそうなると、やはり私の時も敢えて外したわけではなかったようですね。最初から微妙にずれていた、若しくは術同士の干渉により軌道が変わった。いずれにしてもそれを修正できず、結果外れた」

 

 そう、だからあの時紫藤は動かなかったのだ。

 播凰のようにその身で受けるつもりだったのではなく。自身を逸れることを見切ったがために。

 

「ふうむ、狙った方向には打てるのだが。しかしどうも細かいことは苦手でな」

「……ええ、最初ならば大抵は似たようなものです。見当違いな場所に飛ばないだけ上出来と言ってもいいでしょう」

「おお、そうか! ハッハッハ、聞いたか毅よ、どうやら褒められたようだぞ!!」

「調子に乗らないように。優れた術者というのは、狙いの精密さは勿論、発動後も如何なる術であろうと完璧に制御するもの。そこに至るまでの技量を磨くことが重要なのです」

 

 頭を掻く播凰に対し、意外にも紫藤が示したのは一定の理解と僅かながらの賞賛であった。

 もっとも、それを聞いて笑った播凰に、またいつものような調子に戻ったのだが。

 

「君の、覇の術――我執相呑と言いましたか。あれによって返された術には私と、そしてまた別の天能力を感じました。強度を調整(・・・・・)したとはいえ私の壁を貫き、同じにも関わらず晩石の術を打ち破れたのは、そういうことでしょう」

「そこまで分かるのか。流石は先生だ」

「……念のため確認しますが、無抵抗に私達の術を受けたあの行動。あれは伊達や酔狂ではなく、必要な行動だったのですね?」

「うむ、その通りだ! 言ったであろう、相手の術を打ち返すと。そのためには私が術を直接この身に受ける必要がある」

 

 確かに、術を試す前に紫藤はそう聞いていた。まあ、まさかその条件が当たること前提だとは思っていなかったのだが。

 

「…………」

 

 面持ちを険しくした紫藤は、目を瞑って眉間に手をやる。彼女の中に幾分かあった覇の術に対する高揚は、すっかり鳴りを潜めていた。

 そんな彼女の様子に気付いているのか、いないのか。

 

「ともかく、術が使えるようになったのだ。いやあ、今まで見学せざるをえなかったが、これでようやく大手を振って実技授業に――」

「駄目です」

「出られ――今、何と?」

 

 はしゃぎながら天能術の実技授業への参加を表明する播凰であったが、しかし返って来たのはまさかの不許可。

 初授業の回から今までずっと見学という名のお預けをされていたのだ。それが術を使えないという絶対的な理由があったからこそ、播凰とて指を咥えて見過ごさなければならなかったわけで。

 しかし使えるようになった今となっては、妨げはないというのに。

 一転、愕然として聞き返す播凰に、紫藤は眉間を揉んだまま。

 

「単純な術であれば、誤魔化しが効く可能性もあったのですが……こうなった以上、まずは学園長、そして教師陣には公表せざるをえません。しかしまだ、生徒への情報の公開は避けたいのです。ですから、授業での行使は勿論、クラスメート等への口外も継続して禁じます」

「……それは何故か?」

「余計な混乱や騒ぎを起こしたくないというのが大きく一つ。事を慎重に進めるに越したことはありません、この一件は君が考えている以上に大きいと思ってください」

「むぅ……」

「加えて、よりにもよって条件付き(・・・・)の術。それも相手の術を受けることで発動を可能とする術など、危険にも程があります。……加減していたとはいえ、私の術を受けて尚、無傷で立っていられる理由は聞き出すことはしませんが」

 

 ここで漸く紫藤が目を開き、不満げな様子を隠さない播凰を見やる。

 口を尖らせ、物言いたげなのは明白。というより、ここで言葉を止めれば確実に何か言ってくると紫藤は予感していた。

 はぁ、と吐きだした息は、呆れというよりは疲れからだろう。

 とはいえ、彼女とてあれも駄目これも駄目で終わらせるつもりはなく。

 

「しかし完全に術の行使を禁止する権利は私にありませんし、君も納得しないでしょう」

「うむ。そうとあっては、如何に先生であろうと全力で抗議させてもらう」

 

 ぶーたれる、とでも形容すればいいのか。

 両腕を組んで身体の向きを斜めにしながら、その眦は鋭く紫藤を見据えている。

 教師に対して不遜ともとれる態度。殊、そういった生徒相手でも譲ることなくむしろより厳しく接するであろう紫藤が相手。

 先程から内心で幾度と悲鳴を上げ続けている毅は、今すぐにでも逃げ出したい気分になりながらも、戦々恐々として推移を見守るしかできないでいる。

 

「……天能術に対する制御、慣れというのも必要です。ですから今回のように、君の性質を知る人間がいて、かつ外部から見られない形であれば構いません」

 

 播凰に屈したというよりは、元々そのつもりであったのだろう。

 提示された妥協案。かいつまんでいえば、それは。

 

「あくまで授業への参加が禁止ということか?」

「そうですね、そしてそれ以外では……生徒に戦いを申し込まれる等のトラブルとなった場合もですか。その時はまともに取り合わず、何かあれば私の名前を出してやり過ごして構いません」

「戦いを申し込まれる――ああ、矢尾との一件のようなことか」

 

 入学から間もなくして生じた、同じ天戦科の一年ではあるがクラスが異なる矢尾直孝とのいざこざ。

 ひょんなことから戦いを申し込まれ、しかしその時は天能術はおろか天能武装すら所持していなかったために素手で応じたが。

 もし今の状況で似たようなことが起きた場合、確実に播凰は喜々として術を使っていただろう。

 

「もっとも、早々無いこととは思います。書類の上では、君はH組の無名な生徒の一人に過ぎないのですから」

 

 紫藤の補足は、播凰を軽んじているというよりは単純な事実を指し示すもの。

 確かにあれは経緯が経緯なので発生したのであり。そうでもなければ、この世界では名が売れておらず、落第生に埋もれる無名の播凰に戦いを挑んでくるような生徒がいるとも思えない。

 聞いた内容を思案するように顎に手を当てていた播凰は、ややあって仕方なしといったように口を開く。

 

「……まあ、ある程度は理解した。いや、余計な混乱とやらが何を指すのかはよく分かっていないが、小難しいことを考えるのは性に合わぬ故、そこは先生に従おう。私とて、無闇に騒動を起こすのは本意ではない」

 

 ――どの口が言うのか。

 

 奇しくも、この日初めて、紫藤と毅の目つき(じと目)と内心が一致した瞬間であった。

 既にいくつかを巻き起こしており、それに関わった二人だからこその反応。そして、今後も絶対に何かをしでかすだろうと確信があるのもまた、この二人だからこそ。

 

 さて、話は戻るが、兎も角難しいことを考えることは苦手な播凰である。故に、紫藤の言を十全に理解できたわけではない。

 しかし、人を見る目は備えているつもりだった。そして、紫藤が意地悪やくだらない思惑で言っているのではないことは分かっている。

 残念ではあるが、しかし播凰にとっては術を使うことが最優先であって、その場は別に授業でなくともよかった。口外に関しても別段、性質をひけらかす趣味もない。

 だから、一旦は矛を収める。

 

 ただ。

 

「――しかし戦いの申し出を断るというのは、私の流儀に反する。それが如何なる相手であろうとだ」

 

 眉を顰めるべきは、そこだ。

 別に、強者でなくともよい。明らかな弱者であれ、挑戦は挑戦。それから逃げるのは己が許さない。

 

「……流儀、ですか」

「うむ」

 

 改めて、両者の視線が交わる。

 眼鏡越しに冷たく射抜くような紫藤の瞳。恐れを知らない確固たる自負の光が覗く播凰の瞳。

 

 完全な静寂が室内を包み、ヒリつくような空気が場に満ちた。

 微動だにしない両者。遠巻きながら白目を剥く毅。

 どちらかが折れねば破られぬであろう、沈黙。気弱な者であればすぐに終わるかもしれないが、しかし双方ともに対極。

 毛色は異なるが、芯があるという点では播凰も紫藤も似通った性格といえなくもない。だからこそ、長期の膠着が予期されたが。

 

「…………」

「…………」

「――戦う前に、私に連絡をすること。それが最低条件です」

「うむ、いいだろう」

 

 最初に視線を切ったのは、紫藤の方であった。その声色に不本意さが滲み出ていたのは言うまでもない。

 そしてそれを受けて鷹揚と頷く播凰。

 そのままでは、勝者と敗者が明白ではあったが。

 

「それと、私は先程申し込まれることを例として出しましたが。当然、君から戦いを申し込むのは禁止です」

「……いいだろう」

 

 しかし眼鏡を光らせて釘を刺す紫藤に、今度は目線をあさっての方向に泳がせながら渋々首肯する播凰なのであった。

 

 それで溜飲が下がったというわけでもないだろうが。

 紫藤は仕切りなおすかのように、咳払いをして。

 

「――さて、覇の術の確認も終わり、それを踏まえて言うべきことは伝えました」

「うむ」

「そして態度はどうあれ、君にはそれを呑んでもらったと思っているつもりです」

「私の性質を知っている者がいる場であれば術を使ってもよいが、授業には参加せず、他の者に口外しない。そしてこちらから戦いを持ち掛けはせず、戦いの誘いを受けた場合は連絡する、だな。……存外多いぞ」

 

 数えながら列挙した約束事は、片手で収まりながらも五本の指を全て使うほど。

 それを反故にするつもりは播凰にはなかったが、少々げんなりしてしまうのは否めず。

 けれども、続いた紫藤の言葉に顔を上げて。

 

「その代わりと言ってはなんですが、君の要望――と表現するのは少々大袈裟ですね。もしも希望があれば、ある程度の譲歩を考える用意があります。無論、内容次第とはなりますが」

「希望、か……」

「すぐに思いつかないのであれば、後日でも構いません。私の端末に連絡を――」

「いや、一つある」

「……聞きましょう」

 

 ある意味、播凰にとって願ったり叶ったりな申し出であった。

 何故なら術を見せるついでに、彼女に聞こうと思っていたことがあったからである。

 

「部活、というものに入ってみたいのだが」

 

 以前から気にはなっていたものの、しかしリュミリエーラのことがあったり、何より術を使えるようになることが今までは最優先であったが。

 そのどちらもが解決。他に意識を割く余裕ができたわけである。

 

「よりにもよって、部活動ですか……」

 

 しかし、それを聞いた紫藤の反応は芳しくない。

 短い呟きと共に数瞬虚空を見上げた後、彼女はすぅっと息を吸い。

 

「――本音を言えば、大人しくしていてほしいところですが……いい機会です、少し話をしましょう」



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3話 序列の意味

「まず前提として。武戦科であればD組、そして君の属する天戦科のH組。学年関係無く、この二クラスの生徒は他クラスと比べて、部活への加入率が極端に低いです。ほとんどいないと言っても過言ではないでしょう」

 

 さながら授業の時のように、ゆったりと言って聞かせるような声であった。

 紫藤は前提という名の現状だけを先に述べると、理由を語る前に試すように播凰を見る。

 

「さて、三狭間。この二クラスに共通している点が何か分かりますか?」

「ふーむ、DとHだから、あー……えー(A)びぃー(B)しぃー(C)でぃー(D)と。それに、いー(E)えふ(F)じー(G)えいち(H)か」

 

 指を使いながら、唸るように少し考えこみ。

 それぞれに4本の指を立てながら、ややあって分かったと頷く。

 

「あれか、実力順であればどちらも一番下だな」

 

 武戦科であれば、AからDの4クラス。天戦科がEからHの4クラス。

 造戦科に関してはIとJの2クラスであるが、それは除き。

 紫藤が挙げた二つのクラスは、実力順で決定するというクラス制に当てはめて考えればどちらも最下層に位置していた。

 

「流石に分かりますか。しかし他の生徒であればもっと早く、それこそ考えることなく答えられたでしょう。……とはいえ、すぐに出てこない君だからこそ、部活動への興味を抱いたのでしょうね」

「そうは言うがな、先生。このEやらHやらが分かり難いのだ。どうして、一、二、三、四ともっとこう単純にしなかったのか」

 

 遅いと言外に告げる紫藤に対し、播凰は眉根を寄せて苦言を呈する。

 つまり悪いのはクラス構造の方であって、自分ではないと。

 問題の棚上げといえなくもないそれに、紫藤はいつもの調子でお小言を返すかと思いきや。

 

「――珍しく、共感する意見が君から出ましたね」

 

 意外にも紫藤は柔らかく応じてみせた。

 心なしか、その表情も薄くではあるが苦笑しているように見える。

 だがそれも気のせいだったかと思うほど一瞬であり、彼女はすぐさまいつものようにきりりとした表情に戻った。

 

「以前は、君の言うように各クラスには数字が割り与えられていました。上からそのまま、一、二、三、四と。しかしながら、それに反発をしたのが他の三校――即ち、西方第二、南方第三、北方第四です。特に、北方第四からの反発は大きかったと聞きます」

「む、何故そのような……ああ、そういうことか」

「ええ、実力順でクラスが決定しているのは何も我が校だけではありません。だからこそ、他校はこう主張してきたのです。この並びではまるで東方第一が最優であり、自身の校が劣っているようではないか、と」

 

 数字という観点で紐づければ、成る程、序列が決定しているように捉えられなくもない。

 実際、疑義を提示した播凰ですら連想できた。

 二と三はまだましだが、下がいない四は最悪だ。問答無用で、最低だと突き付けられているようなものである。

 もっとも、難癖の面があるのは否定できないが。

 

「その論争の過程で生まれたのが、四方校天奉祭です。各四校の代表生徒が力や技術を競い合う正式な場。優勝校に何らかの特権が与えられるというのはありませんが、学園と活躍した生徒に栄誉をもたらすことは想像に難くないでしょう」

 

 前に彼女から聞いた、四方校天奉祭。それについてもさらりと触れ、紫藤は少しだけ肩を竦めるような仕草をした。

 

「ともあれ、そういった経緯で各校共通してアルファベットがクラスに割り与えられるようになったわけです。そして、このような話をするのは君に正しい認識を持ってもらうためでもあります」

「認識?」

「ええ、君はH組――実力最下位のクラスであることに無頓着、というより、それで他者からどう見られるかを分かっていながら気にもしていない。違いますか?」

「まあそうだな、そもそも天能術の実力がないのは事実。それに、私にああいう態度をとる者は新鮮ですらあってな」

 

 確信めいて問う紫藤に、クツクツと可笑しそうに播凰は首肯する。

 天能術に関しては、間違いなく劣っている。だからこそ、最下位のクラスにいることは甘んじているというより、むしろ当然のこととして播凰は受け入れている。

 そして他者からの視線に関しても、明確に感じたのは数度。中でも顕著であったのは、H組とは真逆の、最上位クラスである1年E組に訪れた時だ。

 一度目は矢尾直孝、二度目は星像院麗火と、別々の人物を目的として行ったわけだが。その目的の人物以外から浴びせられたのは、今まで播凰が受けたことのない類の視線であった。

 

「……ああ、ただ些か拍子抜けではある。不快を隠そうともせず、しかしただ見てくるだけなのであれば、何もしない、できないと公言しているに等しい。天能術にどれだけ優れていようと、私に挑む気概を見せた矢尾の方が断然マシだ」

 

 ただ彼ら――E組の生徒達は、感情を視線に載せるだけだった。

 いや、突っかかって来た生徒もいたにはいたが、結局口を挟むだけに留まった。

 むしろその点、播凰は矢尾を評価している。その真意が何であろうと、少なくとも口だけでなく行動に移してみせたのだから。

 

「周りの目を気にしないことを、ひいては自分に強く自信を持つことを一概に悪いこととは言いません。卑屈になりすぎるのも、それはそれで問題でしょうから」

 

 ビクリ、と視界の隅で毅が身体を揺らした。

 それをチラと一瞥だけしたのは、彼を意識しての発言だったのか、或いは偶々動きが目を引いたのか。それは彼女以外知る由もないが。

 

「ただし一つ、忠告はしておきます」

 

 紫藤は高圧的に。されどそれだけではない感情を孕み、今度こそ播凰だけを視界に入れ。

 

「その在り方は敵を増やすだけです。確かに、理解者は得るかもしれない。ですが間違いなく、完全な対立とまではいかずともよく思わない者が多く出てくる。……ええ、きっとそれでも、君は構わずいられるのかもしれません」

 

 そこまで言った彼女の口元には、ぐっと力が籠っているのが見て取れた。

 口調は乱れずとも、しかし。顔から、雰囲気から、その様は普段の鋼然とした動じない態度をまず間違いなくかなぐり捨ててすらおり。

 そして、と続いた声は一転して囁かれるように播凰の耳朶を打つ。

 

「けれども、己が敵対者を作ることを厭わず歩んだ結果――殺されるかもしれない。尊厳など守られることなく、実に呆気なく」

 

 この世界における殺人はタブー、というより明確に禁じられそれを犯した場合は重罪となる。播凰の元いた世界でもそれは同様であり――ただし戦場においては無論その限りではないが――よほど切羽詰まった状況でもなく真っ当に生きていられれば、一般的に殺し殺されるという可能性はそれほど高くない。

 故に、紫藤のそれは脅しの面もあり、しかしそれだけではないのだろう。

 その証拠に、上辺だけではなく。いやに実感の伴った声色であった。澄んだ瞳であった。

 

「――望むところよ。もしもそれで落命に至ったならば、私はそれまでだったということだ」

 

 そしてそんな彼女に対して、三狭間播凰は歯を見せて笑うのだ。

 馬鹿にするわけでなく、杞憂だとするわけでもなく。その真摯さを受け止めた上で、尚。

 獰猛に、それでいて恬淡(てんたん)と。

 

「……君が死ぬことによって、周囲がどう思おうとですか?」

「生憎だが、我が命脈は他の誰の為に保つものでもなく、他の誰の為に絶つのでもない。私は私の為に生き、私の為に死ぬ。そうあるが故、ここ(・・)に来たのだ」

 

 淀みなく言い放つ播凰に対し。

 紫藤が彼を見る目は、しかしどうしてか得体の知れないようなものに対する拒絶ではなかった。愚か者、頑固者に対する苛立ちでもなかった。

 諦観。なれど不思議とその中に、まるで懐かしいものでも見るかのような光。

 

「……君が――君達(・・)のような人間が、口だけではないこと。そしてそれを曲げさせることが容易ではないことは重々承知しています。しかしせめて、命尽きるその間際まで、生きるための努力は放棄してもらいたくないものです」

 

 籠められた熱の割には、その引き際はあっさりとしていた。

 紫藤は力なく首を左右に振り、それ以上言い募ることはしなかった。

 

 ある意味、破滅的ではある。何が何でも生にしがみつかんと足掻くのではなく、死期を迎えればそれをすんなり受け入れる。

 その生き様は一見、自己を確立しているように思えてその実、していないようにも思えないだろうか。

 

 嗚呼、それを潔いと評する者はいるのだろう。いずれは等しく訪れることが確定している死に醜く抗うことを唾棄する者もいるかもしれない。

 言い換えれば、生への執着。

 けれども、時の権力者が――否、そこらの一市民とて、それを望むのを他の誰が止められようか。

 

 己という存在が亡くなり征くのを恐るる私欲がため、不老不死の術を探る者があった。

 己という存在が消えてはならないという責任感がため、不老不死の秘薬を求める者があった。

 

 至った理由は様々だろう。だが、目的は皆同じくして、自身を世界に刻み留まらせることにあったはずだ。

 それらは極端な例とはいえ、しかしそうでなくともせめて天寿を全うするまでは生き永らえたいと考える人間も多々いるわけで。

 比べ、ある種流れに身を任せるだけの生き方は、裏を返せば何も考えていない行き当たりばったりと捉えられなくもないか。中身がないとは言えまいか。

 

 ――或いは、どこぞの大魔王はそれすらも見通しての、あの夜の言葉だったのかもしれない。

 

「もっとも、君の場合はまた特殊です」

 

 とはいえ、この手の問答は学園の試験よろしく、正否のあるものではなく。

 だからこそ、紫藤は説きながら深入りはしなかったのだろう。或いは、同時に三狭間播凰という存在が例外であると認めざるをえなかったからか。

 

「覇、という伝説的な性質の保持者。その事実を伏せさせている私が言えた義理ではありませんが、如何に天能術の実力が劣ろうと、その一点において周囲からの見方が変わることは否定しません。――ですが、君以外のその他の生徒にとってはそうではない」

 

 彼女は目線を播凰からずらし、ぐるりと首を回した。

 

「晩石。君は何らかの部活に入りたいという意思がありますか? 少しでも考えているかでも構いません」

「……えっ、あっ……な、ないっす」

「それは何故?」

「ええっと、他に気をやっている余裕がないと言いますか、天能術や学力が優先と言いますか。……あ、あと、クラスメートが喋ってるのを聞いたんすけど。H組では入れない部活があったり、入れても馬鹿にされる機会が増えるだけとかなんとか」

 

 唐突に話を振られた毅は、しどろもどろになりながらも答える。

 それを受けて紫藤は短く頷くと、再び播凰に向き直った。

 

「一般的な反応は聞いた通りです。そして君はあまり気にしていないようですが、そもそも何故実力順にクラスが振られるのか。その理由を考えたことは?」

「ふーむ、別段考えたことはないが……単純に、同じような力量の者同士の方が効率がよいからではないのか」

「その通り。我が学園では学力よりも天能術にその比重が傾いていますが、自分と同程度の実力を持つ者がいるという環境は、競争心を煽りよい刺激となる。あまりにも実力がかけ離れているとこうはいきませんし、どちらにとってもよい結果になりません」

 

 その理屈は至極真っ当だ。加えて言えば、それは何も天能術に限ったことではないのだから。

 ですが、と紫藤は声のトーンを僅かに落とし。

 

「自分と同程度、或いはそれ以上の力量の者だけがいる環境。それは身体的な疲労だけでなく、心理的な疲労も齎します。個人差はありますが、向上心の強い熱心な者だけが集うとは限らないのですから」

「…………」

「端的に言いましょう。下位クラスの存在意義、それは上位クラスのモチベーション維持も兼ねています」

 

 世の中、色んな人間がいる。

 自分より下の存在を見て安心する者。奮起する者。哀れむ者。意識している者は勿論、そのつもりがなくとも無意識に心のどこかで。

 全員が全員そうとも言い切れないが、間違いなく。

 

「……諸手を上げての全肯定とはいきませんが、しかし一定の合理性はあると認めています。先の話の後では建前のように聞こえてしまうかもしれませんが、下から上への羨望という面を考慮すれば、ある種の依存関係と言えなくもない。もしかすると、その過程で才能の開花が起きるかもしれないのですから」

 

 下は上に追いつかんとし、上は下に追いつかれんとする。互いが互いを意識することで高め合う。

 紫藤の言うように、埋もれた原石が。入学当初は芽が出ずとも、反骨心や発奮から大きく伸びる者がいるかもしれない。

 とはいえ聞こえはいいが、あくまで理想論。第一の理由は、やはり最初に挙がったものなのだろう。

 優先すべきは、下ではなく上。何も不自然なことはない。

 

「君も知っての通り、合格通知が届いた時点で、同時に所属するクラスも知ることになります。そこで自らのクラスを知った時、その受け手の動きは二つに分かれます」

「二つ? 合格となったのにか?」

「ええ、最下位のクラスの所属となった者は特に」

 

 疑問を差し挟んだ播凰に、紫藤は大きく頷く。

 

「最下位のクラスならばと入学を辞退するか、それでもよいからと入学を希望するか。己がどういう扱いにあるかを理解した上で決断するのです。一応、我が学園に入学していたとなれば相応の箔が付くのは事実ですしね。……この際、告げておきますが。そんなH組だからこそ、君達は入学できたともいえるわけです」

「成る程な」

 

 ふんふんと、軽く頭を縦に振り、納得を示す播凰。

 衝撃はない。そこまで考えを巡らせていなかったのはあるが、聞けば頷ける内容ではあった。

 

「話を戻します。最下位のクラス――H組であることが、部活動にあたりいかなる支障をきたすか。……もっとも、答えは晩石が口にしましたが」

 

 ――H組では入れない部活があったり、入れても馬鹿にされる。

 

 H組のクラスメートが喋っていたという内容。言われてみれば、似たような会話を播凰も聞いたことがあるような気がしないでもないが。

 

「部活は学園支給の端末から探したり詳細を知ることができますが、入部条件がある場合はよく見ることです。また条件無しの場合でも、人によって――所属クラスによって実質お断りというのがあると聞きます」

「ふぅむ、思っていたより面倒そうだな」

 

 興味を抱いた発端は、辺莉が楽しそうに話していたから、という非常に曖昧なものだ。

 故に播凰の部活に対するイメージは漠然としていたものだったが、その前提とでも形容すればいいのだろうか。それらが明らかになり、少々萎えていく気持ちが無いでもない。

 そんな内心を見越してか、紫藤は気乗りしない雰囲気を漂わせ。

 

「……もっとも、全てがそのような部ばかりではありません。君が興味を持つとはあまり思えませんが、私が顧問を受け持つ部では、どの生徒にも門戸を開いています」

「ほぅ、紫藤先生の部とはどのようなものなのだ?」

「――茶華道部です」

 

 カポーン、と話を聞いていた毅の脳内に、ししおどしの小気味よい音が木霊した。

 彼が連想するは、和室に着物を着た少女や妙齢の婦人が集い、上品にお茶を飲んでいる光景。それこそ絵に描いたようなお嬢様、貴婦人の嗜み然としたような。

 しかし播凰は分からなかったようで、首を捻っている。

 もっとも、毅のそれもそれで尖りすぎではあるが。

 

「私が興味を持つとは思えないとは? それはどういった活動をするのだ?」

「……我が部は、第一に礼節を重んじ。立ち振る舞い、作法を――」

「アーアー、よい、よい! そういうのはもう懲り懲りだ(・・・・・・・)!!」

 

 自分から聞きながらも、紫藤が説明を始めるや否や、すぐさま声を張り上げてそれを強引に掻き消すという暴挙。

 半ば予期していたとはいえ、想像以上にあからさまな播凰の反応に、紫藤は額に青筋を立てる。

 雷が落ちることを恐れた毅は、身を縮こませるが。しかし彼女は大きく深呼吸をすると。

 

「……それでは、この話は終わりです。最後に、君達の状況確認といきましょう」

 

 部活に関しての会話を切るという形で、その怒りを表現してみせた。

 そしてすぐさま話題を転換し、何も言わせまいと一息吐かぬまま舌鋒を繰り出す。

 

「まずは三狭間、君の課題は制御です。晩石に相手をしてもらい、感覚を掴みなさい」

「うむ、分かった」

 

 浮かび上がったように、播凰の課題は術のコントロール。

 播凰も播凰で部活の件は藪蛇と察し、素直に応じる。

 

「そして晩石。新しい術は?」

「……まだっす」

「そうですか」

 

 同じ課題を抱えながら一歩進んだ播凰に対し、毅の状況は芳しくないようで。

 暗い顔での否定に、返った反応もまた素っ気なく。

 更に顔を暗くする毅に、紫藤はやれやれといったように軽く息を吐いた。

 

「新しい術を会得するというのは、そう容易ではありません。言い換えれば力を得ることと同義であり、自身の変化、成長です。学力、身体能力、天能力あたりが分かりやすい例でしょうか」

「…………」

「ただ、成長とは何も数値に現れることだけではありません。何らかの気付き、強い思い。それもまた人間としての変化、成長です」

 

 それを聞いていた播凰が、ポンと手で音を鳴らす。

 

「思いか! そういえば、私の時もそうだったな!」

「……参考までに、何を思って術が発現したのです?」

「うむ、ズルいとな。こちらにも使わせろと、そう思ったのだ」

 

 自信満々に胸を張る播凰に対し、しかし両者の反応は。

 

「…………」

「……あはは、播凰さんらしいっすね」

 

 渋面と苦笑。

 どちらがどちらかは言うまでもないだろう。

 と、紫藤は仕切りなおすようにコホンと咳払いをすると。

 

「天能にはまだまだ未解明の部分が多く、例えば性質がどのように決定されるのか、何故使用できる術は個々で異なるのか。そういった部分も含めて新しい術のトリガーというのは未知の領域です。実際、君達のように苦戦する人もいれば、特に何もせずとも術を覚えていく人もいるのが現実ですから」

 

 こうすればよい、という明確な指針が無い。

 つまりは学力や身体能力、戦闘能力に天能術の扱い、とは異なり。多少の効果すら無いとは言い切れないまでも、他人の――教師による指導で劇的に改善するものではないということ。

 だからか、紫藤は複雑そうな面持ちを浮かべ。

 

「……教師が言うのは不適切だとは思いますが、それを才能という単語で言い表せざるをえないのでしょうね」



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4話 職員会議

「それでは、本月の職員会議は以上となります」

 

 東方天能第一学園にて月に一度開催されている、職員会議。

 中等部及び高等部の校長と副校長に各教員、そしてそれら学園を一つにまとめる学園長。

 事務職員や用務員等といった職員を除いて普段の学園運営に関わる参加者で構成され、学年の情報だったり特定の生徒の情報だったりを共有する場である。

 

 さて、そんな会議も終わりを迎え。

 司会進行の女性教員の終了の言葉を皮切りに、各々が席を立とうとしたその時。

 

「――申し訳ない、もう少々時間をいただけますかな?」

 

 柔らかくも威厳のある男性の声が、それらの動きを押しとどめた。

 視線の集中する先、席に腰を下ろしたままでいるのは、豊かな口髭を蓄えた初老の男性。

 

「学園長、いかがされましたか?」

「うむ。最後に一つ、ある生徒についての共有事項があっての。それも我が学園内で留まらない程に影響のある、非常に重大な事項が」

 

 司会進行からの問いかけに、重々しく頷いた初老の男性――東方天能第一学園の学園長たる男の言葉に、弛緩しかけていた空気がピンと張りつめる。

 それ以上の言葉を要さず、ある者は机上の荷物を片付ける手を止め、またある者は浮かしかけていた腰を静かにそのまま落とし。

 全員が着席して再び会議中のように。否、それ以上の緊迫感を以て、全員の視線が学園長へと注がれる。

 

「それでは、紫藤先生」

 

 その状態で学園長が紫藤へと目配せをすれば、それを受けた彼女が前へと進み出た。

 部屋中の目線が向けられるのを一身に感じながら、紫藤は司会役の教員と場所を入れ替えるように立つ。

 

「高等部、天戦科担当の紫藤です。学園長のお言葉の通り、とある男子生徒の情報について共有をさせていただくため、本日はこの場をお借りしました」

「どうにも、一言二言ですぐに終わるような話でもなさそうでの。それ故、こうして一番最後に回した次第じゃ」

 

 好奇に緊張。

 数多の視線の中、動じることなく声を響かせれば、追従するように学園長のフォローが入り。

 一息に紫藤は告げる。

 

「その生徒とは、今年入学となった高等部の天戦科一年生であり、H組に所属している生徒です」

 

 H組? と、誰かが呟くのが耳に届いた。

 声にはしないながらも不思議そうに、もしくは怪訝そうに首を傾げる影もちらほらと。

 全員が全員、目に見えて反応したわけではないとはいえ、それも仕方ないことだろうと紫藤は思う。

 

 何故なら、この会議でその組の生徒の名が上がることはあまりない。大抵はトップクラス、あっても次点のクラスまで。

 一応全く無いでもないが、大抵それは悪い意味で上がり、さらっと流されて終わる。

 にも関わらず議題に、それも学園長の口から突いて出たのだ。彼をして、学外にまで波及する重大な事項とまで言わしめる形で。

 

「経緯から説明します。まず入学時において、その生徒の性質は不明でした。この不明とはその者の自己申告だけでなく、計測機器を用いた上で不明と判断されたいう意味となります」

 

 紫藤の言葉に、場がざわつく。

 思わず近くと顔を見合わせる者、目を丸くする者、じっと熟考する者。反応は様々だ。

 

「……不明と表示されたことなど今まで見た事がないが」

「そんなことがあるのでしょうか?」

「いや、確かあの機器の仕組みは、登録された天能の性質パターンから一致するものを判定するというものだったはず。一致するパターンが無ければ判断できないのは有り得るかと」

 

 微かに届く懐疑的な声は、彼女を疑っているというよりは、その事象に対してか。

 それほど普通の事ではないのだ。まだ機械の不調を疑う方が可能性が高いというもの。

 

 困惑が伝播していく中、ただ一人。それとは違う表情をする顔があった。

 複雑そうな、苦笑のような。どちらともつかない様子で両腕を組んでいる大柄の男性教師。

 紫藤と共に播凰のいた受験者グループの試験官を担当した教師、縣である。

 

 入学試験時、その場に居合わせた彼は当時のことを覚えており。告げられるシナリオ(経緯)が事実と微妙に異なるのを知っている。

 故に教員の中で唯一、今回のことを事前に知らされていた人物でもあった。

 

「その生徒の天能力は低く、また本人も把握していないため当然術も使えない。本来であれば合格となることはあり得ませんが――しかし性質が不明という一点において、H組へですが特例として入学を許可する運びとなりました」

 

 これが例えば最上位(E組)に捻じ込んだのであれば紛糾もしただろうが、年々辞退者が現れ補欠合格者が繰り上がって入学となるのは最下位(H組)の常。補欠合格であるから、当然辞退者よりも力量は下。

 だから注目度というのは無いに等しく、顔ぶれもさほど気にされはしない。生徒からも、そして彼ら程に顕著ではないが、教師からも。最下位クラスとはそのような認識なのである。

 

「そしてこの度、探知の性質の保持者の協力を得て彼の性質が明らかとなりました。……その先は、直接見ていただいた方がよろしいでしょう。データを更新していますので、生徒情報をご確認ください」

 

 そこまで言うと、紫藤は一呼吸を入れて。

 そうして居並ぶ面々を見回し、決心したように。はっきりと彼女はその名を告げる。

 

「――三狭間(みさくま)播凰(はお)。それが、生徒の名です」

 

 生徒同様に教師にも貸与されている学園支給の端末は、各種データへのアクセスが可能となっている。

 その中の一つに、生徒の情報がある。プライベートな事柄までは閲覧できないが、教師として学生への指導に必要な部分。つまりは成績だったり、それから天能に関わる情報だったりが確認できるのだ。

 各情報には権限が設定されており、一般の生徒は自身の情報しか詳しく参照ができず、また自分以外の生徒に関しては名前と所属クラス程度しか見られないが。教師の場合はその限りではない。

 故に教師は、担当する学年が異なろうと、担当する科が異なろうと、在学中の生徒のことを知ろうと思えば知ることができる。

 

 刹那の沈黙は、各々が端末と向き合い操作をしているがため。

 紫藤もまた自身の端末を操作し、情報を呼び出す。

 

 生徒名を選択すれば、画面左上に表示される播凰の顔写真。何処か得意気というかドヤ顔というか、見る人間によっては苛立ちを感じそうな小生意気なそれは、この際置いておく。

 問題は、その下。画面に表示された、性質を表す漢字は勿論。

 

「……っ!」

「えっ!?」

「まさか……」

 

 ――堂々たる、覇の一字。

 

 絶句、驚嘆、茫然。

 誰も彼もが二の句を継げないでいるのは、単に見慣れぬ厳めしい文字を見たからではない。

 これが一般人であるならば、ああそんな性質もあるんだ、程度の感覚で済ませる人もいるだろう。

 

 しかしこの場にいる者は皆、教師として天能術に関わる面々。知識の大小はあれど、ただの漢字としてではない、それが意味するところを理解している。ただ事ではないと肌で感じている。

 

「こ、これが本当ならば大発見ではないですかっ!」

 

 沈黙を切り裂いたのは、顔を見ずとも分かる程に興奮した大の大人の声。

 事実、ずり落ちかけた眼鏡を手で戻しながら、中年の男性教員が勢いよく立ち上がっており。

 

「過去、度々その実在が疑問視され各地で議論されてきた伝説級の性質の一つである、覇の性質! これは直ちに世間に――世界に公表すべきですっ!!」

 

 その穏やかそうな外見とは裏腹に、机から身を乗り出さんばかりの勢いで学園長に、そして紫藤に捲し立てる。

 彼の言葉に同意するように頷く姿もいくつか見受けられる中、しかし学園長は首を横に振った。

 

「いずれ、そうすべきとは思っておる。――じゃが、今は時期尚早だと儂は考えておってな。紫藤先生も、そう思うじゃろう?」

「はい。その生徒が行使可能な術はまだ一つ、それも先日発現したばかりです。まだ彼には色々と時間が必要かと」

 

 学園長からの問いかけに、迷いなく紫藤は首肯する。

 事前に相談や話を通していたとはいえ、これに関しては強制されたわけではなく教師としての紫藤の意見だ。

 術はたったの一つ、その上先日使えるようになったばかり。それを聞けば、誰でもある程度の像は想起できるというもの。

 

「な、成る程。しかし……」

「そちらの言い分も尤もではある。しかし、この一件の扱いは儂に一任してもらいたい。他の先生方も同様じゃ」

 

 穏やかな態度でありながらも、強く言い切った学園長を前にしては、踏み込めないようで。

 完全に納得したとは言い難いながらも彼は着席し、その他からも反駁は上がらなかった。

 

「この場で共有させていただいたのは、教師陣に関しては伏せるよりもまだ公表した方が状況を制御できると考えたからじゃ。物事を秘密裏にしておくにも限度があり、生徒と教師という関係上、何をきっかけに露見してもおかしくはないからのぅ」

 

 幾分か落ち着きつつある空間に、学園長の声が響く。

 そう、この問題を学園長と紫藤間のみで留めることなく各教員に明かしたのは、それが理由だ。

 H組とはいえ、生徒は生徒。もしも情報を伏せたままにした場合、事を知った誰かが騒ぎ立てれば秘匿し続けるのは難しい。

 であれば、教師陣に関しては事前に知らせた上で方針を伝えておくのがまだいいというもの。

 

「ただし、今のところ生徒に対しての公表は考えておらぬ。そして学外に関しても、儂の判断で伝えたのはごく一部にだけ。……そしてこの生徒のサポートについては、紫藤先生にお願いしておる。故に、紫藤先生以外は不必要に彼の生徒に接触することは禁ずる。当然、この件を不用意に口外することもじゃ」

 

 そして学園長直々に釘を刺されたとあっては、普通は軽挙を避けようと考える。

 もしもこの一件、仮に紫藤が知らされた側であった場合。覇の性質に興味が無いというのは流石になかっただろうが、それでも学園長の言葉を重く受け止め、素直に従ったに違いない。

 

 ――が、しかし。

 

 教師であっても、一人の人間だ。性格はそれぞれで、一つの物事に対してどう見るかもまた異なる。

 特に、そういうことに首を突っ込みたがる人物に心当たりのあった紫藤は、さりげなく息を吐いた。

 公表したらしたで新たな懸念が生ずるのもまた厄介な話である。

 

 と、そんな彼女の様子を目敏く見咎めたのか。

 突如響いた声は正に今、紫藤が脳裏に浮かべていた人物であった。

 

「――荷が重いってんなら、アタシが面倒見るのを代わってやってもいいぜ?」

 

 勝気な声、それを発した女性教師へと視線が集まる。

 注目の先、明るい茶髪を雑に後ろで纏め、少々服を着崩した彼女は。まるで新しい玩具を見つけた子供のようにギラギラと瞳を輝かせながら唇を吊り上げて笑っていた。

 

「性質も驚きだが、コイツの天能武装の作者。なんとあの捧手一族、それも偏屈で有名な捧手厳蔵ときた。どういう繋がりか知らねぇけど、あの爺さんを口説き落とすたぁ、それだけでどんな奴か興味が出てくるってもんだ」

 

 女性教師の言葉に、再びどよめきが走る。

 その教師らしからぬ粗暴な物言いにではない。

 性質のインパクトが強力すぎるが故に薄れていたが、播凰の天能武装の作者は天能武装の造り手として名高い捧手一族の人間。それだけでも相応に驚くに値する情報であり。

 事実、播凰のデータ更新に付き添った紫藤も、それを目にした時は数秒言葉を失ったものである。

 

 データとして登録されるのは、性質や行使可能な術、天能力に天能武装の情報等。

 性質は判別不可能なために学園長の権限で手動で登録したのだが、天能力と天能武装については問題なく計測機器で更新でき。

 オーダーメイドで天能武装を作製するというのは前に直接播凰から聞いていた紫藤であったが、作者についてはその時初めて知ったわけだ。

 

「――矢坂先生。高等部とはいえ、貴女は武戦科の教師。一年生の天戦科生徒と関わるのはまだ先です」

 

 早速やってきた厄介事の予感に、紫藤は冷たく突き放すように告げる。

 

 高等部武戦科教師、矢坂。

 紫藤同様に教師としては比較的若めな彼女は、しかし紫藤の冷淡な反応を物ともせず。

 

「おぅ、確かに他科と授業で関わりが出てくるのは二年生以降だが、全く関わらないこともねぇだろ」

「それでも天戦科の生徒。ならば天戦科の教員が受け持つべきでしょう。……それに性質を抜きにしても、彼は色々と手のかかる生徒でもあります」

 

 紫藤にとって播凰の存在が頭痛の種であることは間違いないが、ここまで来て放り投げるつもりもなかった。

 学園長の言葉もあるが、それは紛れもなく紫藤自身の意思であり。

 その決意も瞳に込めて見据えれば、矢坂はニィッと唇を歪めて。

 

「なんだ、不良かなんかか?」

「……ある意味、そちらの方がまだよかったかもしれません。生徒だから、H組だからと、安易に手綱を握れると思わないことです」

「――ほぉー、あの鋼の女帝(・・・・)様にそこまで言わせるか」

 

 ケラケラと、まるで紫藤を茶化すように笑う。しかしその表情に浮かぶのは紛れもない感嘆。

 

 鋼の女帝。それは学生時代の紫藤の異名のようなものである。

 誰が言い始めたか、いつの間にかひっそりと着実に広まり、紫藤が認識した時にはほぼ学園全体に周っていた。当時、流石に表立って彼女をそう呼ぶ者はそこまで多くはなかったが。

 

「……兎も角、その生徒に関しては私に任されています。学園長のお言葉の通り、迂闊な真似はしないでください」

「へいへい、わーったよ」

 

 その揶揄を無視して、紫藤が強く念押しをすれば。

 矢坂は手をヒラヒラと振り、口を挟むことはなかった。

 

「以上で、話を終わらせていただきます。改めて言うべきことでもありませんが、共有させていただいた事項は、本会議で展開された事項と同様に秘密事項として扱い――」

 

 ぐるりと最後に参加者の顔を見回しながら、締めの言葉に入る紫藤。

 それを聞いているのか、いないのか。

 端末に表示される播凰の顔写真を、爛々とした瞳で目に焼き付けるようにじっと見つめる矢坂は、チロと舌舐めずりをした。

 

「三狭間播凰、ね……」



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5話 青龍

今投稿からタグに「ヤンデレ」と「ブラコン」を追加しました。


「……はぁ、H組? 確かにこの部は募集要項は特に無いけど、流石に落ちこぼれは受け入れてないよ」

 

 時に男子生徒に、しっしっ、と面倒臭そうに追い払われ。

 

「部活見学希望者? それならまず、学年とクラスを教えてくれる? ……冗談でしょ、H組なんかに入られたら、部の汚点だわ」

 

 また時に女子生徒に、ピシャリ、と鼻先で扉を閉められ。

 

「そんなことより、君って中等部三年の二津辺莉ちゃんだよね? 君が入部してくれるっていうなら大歓迎だけど……え、ただの付き添い?」

 

 更に時には、眼中にも入れられず、むしろただ同道していただけの辺莉へと熱心に声がかけられ。

 

 ――全滅。

 端末より検索して気になった部の活動場所を実際に訪ねてみたものの、播凰のクラス(H組)を聞くや否や全てがけんもほろろに散り。

 入部どころか見学すら許されずに、すげなくあしらわれる。それが播凰の部活探しの結果であった。

 

「……あー、播凰にい。その、元気出して、ね?」

 

 普段は元気溌剌とした辺莉であるが、この時ばかりは流石に気まずそうにして播凰の隣を歩き。遠慮がちにチラチラと播凰の様子を伺っている。

 部活を探すにあたり、播凰が頼ったのが住居も学年も一つ下にして中等部に通う彼女だった。

 探し方については、学園教師である紫藤から聞いてはいたものの、色々と難航。

 そこで既に部活動をしている辺莉に相談をしてみれば、彼女は快く応じて協力してくれたわけである。

 

 だが、蓋を開けてみればこれだ。

 辺莉も高等部の各クラスでの力関係は知っていたため、すんなりとはいかないだろうと予想はしていたのだが。

 ただ、現実は彼女の想像以上に酷かった。つまりは認識が甘かったわけだが、それには一応理由が存在する。

 

 まず、辺莉の学園での位置づけは播凰と対極の優等生であり。頭では理解していても、実力下位者に対する悪意に実際に直面したことはなく決してその当事者たりえない。

 また彼女の所属する中等部と播凰の所属する高等部では相応の隔たりというのもあった。

 

 そもそも中等部では科で分かれておらず、クラスも偏りのある実力順ではない。それぞれのスタイルに分かれる高等部とは違い、その前段。天能術の基礎固めや方向性を見極める段階となっている。

 それでも実力主義の面が全く無いわけではないが、高等部とはクラス構造が異なるためそこまであけっぴろげではなかったのだ。つまり抜きん出ている者こそあれど、年齢的にも高等部に比べれば個々の実力差の開きというのは大きくなかった。

 故に、中等部の辺莉からすれば下位クラスというだけで残らず門前払いされるほどの扱いをされるとは思っていなかったわけである。

 

「…………」

「そ、そうだ、気晴らしに美味しいものでも食べに行かないっ!?」

 

 無言で顔を俯かせる播凰に、わたわたと手を動かしながら辺莉が提案する。

 物で釣るのもどうかと思うが、この際そうも言ってられない。

 付き添いである辺莉すら、気分が悪く感じたのだ。当人たる播凰の内心は推して知るべしというもの。

 

「…………」

「ゆりさんのお店ほどじゃないけど、結構美味しいケーキが食べれるとこをこの前教えてもらってさー!」

「…………」

「あ、あのー……播凰にい?」

 

 直接戦ったことがないとはいえ、強さに関しては播凰に勝てないと薄々感じている辺莉である。それは例の映像(ドラゴン戦)から、そして実際に姿を見ての辺莉自身(・・・・)の経験、直感からきており。

 そのため、もしも何かあった場合には自身だけで抑えきれないと踏んでいるわけだが。

 今にでも爆発しやしないかと、まるで爆弾を前にしたかのようにヒヤヒヤしている辺莉の耳に、それは聞こえてきた。

 

「――クククッ」

「……っ!!」

 

 学園の喧噪に掻き消されそうなほどに、微か。だが確かに、先程まで無反応だった播凰の方から。

 思わず身構えた辺莉は、ゴクリと喉を鳴らす。

 固唾を呑む彼女の前で、顔を伏せたまま徐々に身体を震わせた播凰は、その足を止めて。

 

「はーっはっはっ!! いやあ、こうも見事に全てから断られるとはなっ!」

 

 遠く離れた生徒すら、すわ何事かと振り返らせるほどの大笑い。

 腹を抱え、目尻に涙すら光らせ。心底、可笑しそうに。

 怒りや悲しみどころか、全くへこたれた様子のない播凰に、辺莉もまた立ち止まりおずおずと問いかける。

 

「……怒ってないの?」

「うむ。これはこれで、また一興というもの」

 

 言葉だけを切り取れば、ただの強がり、負け惜しみともとれる。

 されど不思議とそう感じさせないのは、播凰の気風故か。

 少なくともそれが播凰の本心であると受け取った辺莉は、最悪の事態は回避した、とホッと内心胸を撫で下ろし。けれども問題は解決していないことを思い出し、腕を組む。

 

「でも、どうしよっか? このままだと、他の部活を探しても同じことになりそうだし。播凰にいだって、部活なら何でもいいってわけじゃないんでしょ?」

「そうさな、面白いと思えるかどうかだ」

 

 うーん、と首を捻っていた辺莉であるが妙案は思いつかないようで。

 それを見ていた播凰は、カラカラと明るく笑う。

 

「まあ、是が非でも入りたいというわけではない。元々、お主に部活のことを聞いて興味を持ったわけだが……あの程度の輩がどこにもいると考えれば、それも薄れつつある」

「うぅっ、そう言われるとなんか複雑だよぅ……」

 

 自身を発端として興味を持たれ、しかしそれを失いつつある。

 その直接的な原因が自分にはないとはいえ、それを聞かされた辺莉としては面目ないというか申し訳ないというか。悪いことはしていないのにそんな気持ちになってしまう。

 とはいえ、播凰も彼女を責めるつもりでも皮肉を言ったつもりでもなかったのか、笑みを苦笑に変え。

 

「そういえば、辺莉の所属している部というのを聞いていなかったな。何という部活なのだ?」

 

 ふと、気になって尋ねる。

 彼女に仲介を頼もうとしての下心ではなく、純粋な疑問。

 すぐに確認できるよう端末を取り出して部活情報のページを開き、適当に画面をスクロールさせる播凰であったが。

 

「ん、アタシ? ……あー、アタシ達の部活はちょっと特殊で、そこには載ってないんだ」

「ほぅ?」

「名前も、他の部活みたいに何々部って感じじゃなくてね。――青龍(・・)って、そう呼ばれてるよ」

 

 思わずその手を止め、辺莉の顔を見る。

 

「青龍、か。随分と仰々しい名だ」

「あはは、それはアタシも同感。東西南北の四方を司るってされている、四神の名前だもんね」

 

 西に白虎。南は朱雀。北が玄武。

 そして、東の青龍。

 辺莉の言うように、方位を司るとされる霊獣の一角を担う名だ。それがただの部活名としてつけられているとなると、大仰に感じるのは決して的外れではない。

 事実、辺莉も認めるように照れ笑い。

 

「ただ、東方第一だけじゃなくてね。ウチは東だから青龍だけど、他三校にも同じように、それぞれの方角にあたる名前の部があるみたい」

「そうなのか。して、そこでは一体何をしているのだ?」

 

 名前と他校についてはさておき、播凰が気になったのはその活動内容。

 辺莉が特殊と言ったのもそうだが、なにせ名前から全く推測できない。

 興味を抱いた播凰の質問に、しかし辺莉の回答は曖昧なものだった。

 

「えっと、お茶をしたり、お話したり、勉強会を開いたり。あと、戦ったりもするかな。これをやるって明確な活動方針はなくって、結構自由だよ」

「……ふむ」

 

 指折り挙げられていく内容に、微妙な反応となるのも仕方ないだろう。

 なにせ、ふんわりしすぎている。

 運動系、文化系。分野の違いや、意外にも天能術が絡まない部活というのもそれなりに存在――辺莉曰くそれらの部活は一般的な学校にもあるとのことだったが――している、東方第一のその他の部活動。少なくとも部活紹介に載っていたそれらの部活では、差異こそあれど活動内容は明示的であった。

 門前払いをされたとはいえ、播凰が訪ねた部活も含め、それは共通していたのだから。

 

「だから、掛け持ちで他の部に参加してる人もいるみたい。高等部の先輩達は結構優しいし、そこだけでも十分楽しいから、アタシは特に掛け持ちはしてないけどね」

「大層な名をしている割には、いまいちよく分からんな」

「うーん、まあそう言われると困っちゃうんだけど。……ただ他の部活と違うのは、選ばれたというか認められたというか、そういう人じゃないと誘われないし所属できないんだって。自分で言うのもなんだけど、アタシは中等部三年としては突出してるっていう理由で声をかけられたみたい」

 

 嫌みというわけでもないが、播凰が純粋な感想を述べれば辺莉はポリポリと頬を掻く。

 

「だから部活紹介にも載ってないし、見学も入部希望も受け付けてなくって。播凰にいの学年だと……そうそう、この前の配信でアタシ達と一緒にリュミリエーラにいた星像院さんも、青龍に所属してるよ!」

「ああ、あの者か」

 

 新入生総代、天戦科E組の星像院麗火。

 音の使い手について聞くために教室に乗り込んで以来顔を合わせていないが、入学試験から何かと縁がある彼女の顔が播凰の脳裏に思い浮かぶ。

 

「うん、それと学園内には青龍専用の施設とかもあって。例えば、中央食堂横にラウンジってあるでしょ? あそことかは青龍に所属してる生徒じゃないと使えないルールがあるみたいだし。他にも、共用施設とかでも青龍の生徒は優先的に利用できるんだって」

 

 まあアタシは予約の順番はちゃんと守ってるけどねー、と軽い調子で笑う辺莉だが。言ってる内容は地味にとんでもない。

 専用の施設に、共用施設の優先権。一般生徒とは明らかに違う扱い。

 

 ……特権階級のようなものか?

 

 ラウンジ、という場所には聞き覚えがある。確か入学して間もない頃、食堂を初めて利用した際に通りかかり、毅の口から出てきたはずだ。選ばれた生徒云々ともその時言っていた記憶がある。

 

「もし興味があるなら、部長さんに聞いてみよっか? 絶対に入れるかは保証できないけど……」

「いや、よい。辺莉には悪いが、私はさほど興味は惹かれなかった。……特に勉強会など、御免(ごめん)(こうむ)る」

 

 辺莉の申し出を、一考もせずに播凰は断る。

 選ばれた生徒――辺莉の言葉からするに実力者の類だろう――というのと、戦いというのには多少は心が動いたものの。それ以外はピンと来なかった。

 そもそも戦いを申し込むのは紫藤に禁止されているわけで、それを抜きにすればむしろ勉強会という不穏な要素で播凰にとってはマイナスの印象しかない。

 

「そっかぁ、播凰にいと一緒だと、もっと楽しそうと思ったんだけどねー。……えっと、じゃあどうする?」

「先程も言ったが、どうしても部活とやらに入りたいわけではない。強く関心を抱くほどのものでないと分かれば、それもまた一つの結論だ。他にやることもあるしな」

「やること?」

「うむ、ゲームだ」

「ゲーム? ……あ、そういえば配信で色々買ってたね。どう、結構進んでる?」

 

 ああ、と納得がいったように辺莉が頷く。

 彼女も配信を見ていたから、商店街レビューの配信の際にゲームハードとソフト数本を購入したことを知っている。

 だから、早ければ一本ぐらいはやり終わったかなと思い、気楽に問いが投げられたのだが。

 

「進んでるどころか、何一つとしてまともにできておらん」

「へ? ど、どゆこと?」

 

 しかし顔を渋くした播凰からのまさかのノータッチ宣言。

 唖然とする辺莉であったが、勿論播凰にも言い分はある。

 

 まず、第一に色々とあった。それはリュミリエーラの問題であったり、術を使えるようになったことであったり、そしてこの部活のことであったりだ。

 だが勿論それらだけで時間が潰れたわけではない。だから、やろうとは試みたのだ。

 折角買ってもらったもの、そして播凰自身ゲームに興味があったのもあり、ほったらかしにして部屋の隅で埃をかぶっているわけではなく。箱を開けて、包装も解いた。

 しかしそこに立ち塞がった壁。

 

「なんとか説明書を見ながらコードだのコントローラだの繋いで起動はできたのだがな――設定がどうとかがよく分からんのだっ!」

 

 つまり、ゲーム機の初期設定である。

 コードの接続等、ゲーム機の起動とそれを画面に映す段階で苦戦していた播凰が一人でどうこうできる相手ではなかったのだ。

 そんな情けない叫びではあったものの、納得納得、と辺莉はポンと手を打つ。

 

「あー……最近のゲーム機って、まず最初に色々設定とかしないといけないもんね。慣れてない人が一人でいきなりは、確かにハードル高いかも」

「うむ、そういうわけでな、ジュクーシャ殿に助力を頼んだ。ついでに色々と教えてくれるそうだ」

「ほほーっ、つまり播凰にいの部屋でジュク姉と二人きりってことですな!?」

「ん? まあ、そうなるな」

 

 そして播凰も指を咥えて黙っているつもりではなく、ジュクーシャに助けを求め約束を取り付けた。

 そう告げれば、途端に辺莉はニヨニヨとした笑みを浮かべたが。特に動揺もなく首肯した播凰を見てつまらなさそうに口を尖らせ。

 

「……ジュク姉と違って、播凰にいは弄り甲斐がないなぁ。シン()はただのへたれだし」

 

 ボソリ、と明後日の方向を見て呟く。

 それとほぼ同じタイミングで、播凰もまた辺莉とはまた別方向を向いて。

 

「それにしても、最近妙に視線を感じるようになった。どうにも生徒ではなさそうだが」

 

 怪訝そうに、首を捻る。

 遅れて辺莉がそちらに顔を向ければ。確かにそこには少し離れて播凰と辺莉の方を見ている中年の男性の姿があり。

 その男性は二人の視線に気付いたようで、何を言うこともなく少々足早に背を向けて去っていった。

 

「偶々じゃないの? それか、さっきみたいに播凰にいが騒いでたからとか」

「ふむ、そういうわけでもない気はするが……」

「……?」

 

 顔を動かさず、ジト目で辺莉が零すが。

 しかし播凰は首を回して、今度はまた別の場所へと目を細める。

 辺莉もそれを追って顔を向けたものの、しかしそこにあったのは誰の姿もない校舎の陰で。

 

「まあよい。取り敢えず今日は私は帰ろうと思うが、お主はどうする?」

「うーん、中途半端な時間だけど……多分まだ活動してると思うし、アタシは部活の方に顔出してこよっかな」

 

 播凰の部活巡りに付き合ったため、放課後からある程度の時間は経過しているが、しかしまだ最終下校時刻ではない。

 少し悩んだものの、そう辺莉が答えれば。分かったと播凰が頷き、二人はその場で別れることとなった。

 バイバーイ、と播凰に手を振りその場で見送った辺莉は、彼の背が小さくなると。

 

「一応、タイミングがあれば、部長さん達に相談するだけしてみよっと。入部は無理かもだけど、もしかしたら何かアドバイスくれるかもしれないし」

 

 誰にも聞かせようとするわけでもなく、そう独り言ち。

 

「……えへへ、折角の機会だもん。妹としてお兄ちゃんには、今度こそ(・・・・)――今度こそ(・・・・)、高校生活を楽しんでほしいもんね」

 

 弾むような、しかしどろりとした情念を感じさせるような、歪んだ笑みが一瞬。ほんの一瞬だけ浮かび。

 直後にいつものようにカラッとした明るい笑顔で、彼女は小走りで学園内を駆けるのであった。

 

 

 

「――まさか、気付いてやがったか?」

 

 二人の姿が完全になくなってから、数秒。

 最後に播凰が目をやった、誰もいないはずの校舎の陰。

 ザッ、と地面を踏みしめそこから姿を現した一人の女性が、愉快そうに口元を歪める。

 

「あれが、三狭間播凰か。……確かにありゃ普通じゃねえな、実物を見りゃビンビン来やがる」

 

 胸元が少し開いたシャツに、雑にまとまった明るい茶髪。

 くつくつと嚙み殺すように笑うその女は、高等部武戦科教師である矢坂だ。

 

「一緒にいたのは……あー、二津だったか。中等部の有望株で、青龍に入ってるっつう。そんなヤツとどういう繋がりで一緒に部活を探し回ってたんだかは知らねえが――けど、コイツは面白くなりそうだ」

 

 獣のように鋭い眼光が、播凰達のいた場所を一瞥し。

 彼女もまた、用は済んだと言わんばかりにその場から立ち去っていく。

 

「ま、言われた通り、アタシからは接触しねぇさ。アタシから(・・・・・)は、な……」



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6話 覇王と勇者の休日

 ピンポーン、と来訪者を告げるチャイムが室内に鳴り響いた。

 場所は、最強荘三階の播凰の部屋。休日の午前のことである。

 

「うむ、来たか!」

 

 しかし訝ることなく、むしろ待ち人来たれりといった様子で軽やかに腰を上げた播凰は。

 破顔しつつ三階へと来た人物を迎え入れようと大股で玄関に向かい、ドアの覗き穴越しにその正体を確認することもせず無警戒にドアを開いた。

 

「よく来てくれたジュクーシャ殿! 今日はよろしく頼むぞ!」

「こちらこそお招きいただきありがとうございます、播凰くん。……あの、こちらお菓子です、よろしければ」

 

 向こう側、三階の廊下に立っていたのは四階の住人である四柳ジュクーシャだ。

 時刻は午前十時近く。播凰の部屋にて、ゲームの設定を教えてもらう約束をしていたのである。

 

「おお、すまぬな。さあ、入ってくれ」

「し、失礼します」

 

 手土産として差し出された紙袋を受け取り、彼女をリビングへと誘導。

 異性を部屋に入れることに平然としている播凰に対して、異性の部屋に入ることに若干の緊張を見せるジュクーシャだったが。

 しかし来訪の目的は明白。加えてリビングのテレビ前に既にセットされて画面を映し出しているゲーム機の存在もあり、妙な雰囲気になるということもなく。

 

「それでだな。これがよく分からぬのだ」

「……そうですね、この設定は――」

 

 単刀直入にもほどがある播凰の言葉に、入室して早々挨拶もそこそこに、ジュクーシャはゲームのコントローラーを握ることとなった。

 慣れた手つきで、そのまま操作。時には播凰が質問し、時にはジュクーシャが教えることで、初期設定は問題なく進み。

 ホーム画面が表示されて、ジュクーシャからその旨が伝えられた播凰は快哉の声を上げる。

 ちなみに、所要時間にして僅か数分であった。

 

「これで、いつでも遊べることができますよ」

「いやあ、助かった! 毅に聞いても最近のゲームは分からぬと言うし、大魔王は自分でなんとかしろと言うものだから、困っていたのだ」

「……あの者にも聞いたのですか?」

「うむ、次の配信までにどうにかしておけと言われたな。それがいつかは知らぬが」

 

 穏やかな笑顔から一転、自分が頼られたのが三番目――それも大魔王の方が先――だと分かり心なしかむっとなったジュクーシャの声色。その些細な変化を気にすることなく、播凰は思い起こす。

 

 毅はそもそもゲームを所持しておらず、古いゲーム機であれば地元の友達の家でやった程度とのことですまなそうに断られ。最強荘のエントランスで管理人に絡んでいる大魔王を見かけて声をかけた際は、すげなくあしらわれた上に次回の配信どうこうと言われ。

 次に播凰が頼ったのが、ジュクーシャだったわけである。

 

「よしよし、では早速――どれから手を着けようか」

 

 遠慮がちなれど咎めるような、不満気な視線を寄せられているなど気付くことなく、播凰は瞳を輝かせて床に広げた選択肢を熟考する。

 

 天孕具という設定のカートを操り、様々な天能で自分を強化または相手を妨害しながらゴールを目指すレースゲームの『天能カート』。

 魔王として配下を率い、時に反抗する同族を、時に敵対する人間を下しながら世界征服を目指すアクションゲームの『魔王征服伝』。

 その対のバージョンとなる、勇者として人助けをしつつモンスターや魔族、そして魔王と呼ばれる存在を打ち滅ぼし世界の危機を救う同じくアクションの『勇者救世録』。

 最後に、亡国の王子が故国再興を胸に旅をするRPGシリーズの最新作らしい『天能戦記(ファイブ)』。

 

 唯一この中でプレイ経験があるのは、大魔王との配信でわけもわからずやった『天能カート』だ。それを上達させたいという思いはあり、けれども他をやってみたいという思いもある。

 うんうんと唸る播凰であったが、それを見兼ねてかすらりと伸びた綺麗な褐色の指先が、一つのソフトを摘まんだ。

 

「――もしよろしければ、この『勇者救世録』をやってみませんか?」

 

 持ち上げられたのは、勇者救世録。その腕を辿れば、ニコニコ顔のジュクーシャ。先程のむっとした面持ちはどこへやら、どこか期待するような眼差しだ。

 さもあらん、なにせこのソフトを購入した経緯といえば、他ならぬ眼前の彼女が大魔王に対抗する形で手に取ったものなのだから。

 

「うむ、ではそれにしよう」

「ありがとうございます! ……ふふん見なさい、不親切にするからこうなるのです」

 

 断る理由もない播凰が同意して大きく頷けば、何が嬉しいのか満面の笑みでジュクーシャが礼を言い。ここにはいない何処ぞの大魔王に、密かにその豊かな胸を張るのだった。

 

 

 

「――ふぅむ、中々難しいな」

 

 まず最初にプレイヤーの分身たる主人公、もとい勇者の性別や姿、扱う武器といった設定からはじまり。

 行動フェーズとして、例えば敵拠点の奪取や魔物の討伐、物資の採集依頼を選択したり、都市などへの魔族の侵攻を防ぐといった、そのターンにどこで何を行うかを決め。

 決定すれば、一つの戦場という形の定まったフィールドマップを駆け回り、敵の撃破や味方の援護に救出。敵軍の大将を倒すなどといった大目標を達成することで勝利し、自身の体力が尽きるか設定された敗北条件が満たされればゲームオーバーとなり。それらを繰り返していき、最終目標である魔王の撃破を目指すというのが勇者救世録(ゲーム)の大まかな流れだ。

 

 とはいえ、ゲーム自体が初心者に毛が生えた程度の播凰にとってまず優先すべきは、操作方法。

 一つのボタンを押しっぱなしにしていれば取り敢えずは前に進めたという、最低限なれど単純操作をこなせばまだなんとかなっていた『天能カート』とは違い、状況にあわせた操作を要求されるアクションゲームであるから、操作性という面でその難易度は跳ね上がるわけで。

 取り敢えずは基本たる移動をはじめとした、通常攻撃、防御、ジャンプ、視点操作といった単純なスティックやボタン操作を理解。

 

 ジュクーシャの協力もあり、まだ多少見られる――それでも下手には変わらないが――程度にはなってきた播凰は、ふぅと一息吐いて額を拭う。

 疲れたような所作だが、しかしその下には満面の笑みだ。

 

「ええ、けれども上手くなってきたと思います。次は、マップ上で自分や目標が何処にいるかを把握できるようにしましょうっ!」

「うむ! しかしやはり、地理の把握というのは苦手だな」

「それと、こういった相手が逃げるマップでは通常のマップよりも時間設定が短く設定されているので、道中の雑魚敵はある程度無視した方がよろしいかと」

「敵を無視……成る程、そういう考えもあるのか」

 

 そんな播凰を褒めるように、同時にアドバイスも絡めてジュクーシャの応援が飛ぶ。

 しかし、その会話内容は聞く者が聞けば半眼となるようなもの。

 実際、彼らのプレイ画面は今、ゲームオーバーの文字が躍っており。その理由は、逃亡する敵の撃破が勝利条件のマップで問題の標的が何処にいるか分からぬままウロウロし、また出現する雑魚敵に一々構っていたためにそのまま逃げられることで敗北となってしまったというしょうもないものであった。

 

 ただまあ、初心者と考えればいたしかたないと言えないこともないが。

 経験者からすれば、もどかしさを感じるのは間違いなく。けれども嫌みの雰囲気一つなく健闘を称えられるジュクーシャは彼女らしい人柄というか、単に基準が甘いのか。

 とかく、そんなこんなでゲームオーバーにはなりながらも楽しく盛り上がる二人であったが。

 

 ――ぐぅー。

 

 そんな二人を止めたのは、意図しない気の抜けた空腹要求。

 

「おぉ、もうこのような時間か! 集中しすぎて、気付かなかったな!」

 

 間抜けな音を奏でた自身の腹を見下ろした後、部屋の時計を見て播凰は快活に笑う。

 時刻はお昼を回ったところ。要するに、約二時間ほどゲームに熱中していたこととなる。

 もっとも、最初の導入だったりシステムや操作方法の説明だったりもあるので、実際にちゃんとプレイしていた時間はもっと少ないだろうが。

 

「ジュクーシャ殿、お昼にしようぞ!」

「……っ!」

「何処に食べに行く? もし希望があるなら、合わせるが」

「え、ええっと。お昼ご飯なのですが……その、ですね――」

 

 ゲームも楽しいが、腹を満たすこともまた肝要。

 そのことから、一旦切り上げて外食に行こうと腰を上げる播凰であったが。

 しかしジュクーシャはその話題に変わるや否や、落ち着きないように身体を揺らしては口をもにょもにょとさせ何やら言い淀んでいて。

 首を傾げる播凰を前に、微かに頬を紅潮させた彼女はやがて意を決したように。声を上擦らせつつも胸に手を当てて、言い放った。

 

「――よ、よろしければ、私がお作り(・・・・・)させて(・・・)いただけ(・・・・)ましょうかっ(・・・・・・)?」

 

 直後、ジュクーシャの褐色の両頬に差した赤みが、みるみるその面積と鮮やかさを増していく。

 噛んでこそいないものの、明らかに言いたいことが混ざったであろう変な言葉遣い。その羞恥からか、彼女は頬を真っ赤に染め上げてそのまま凍りついたように動きを止めた。

 

 これにはさしもの播凰も驚いたように、パチパチと目を瞬かせる。

 けれども、彼女が言わんとしていることはちゃんと伝わり。

 

 ――そうだ! それなら、ジュクーシャちゃんに作ってもらってはどうかしら? 確か、同じ建物に住んでるんでしょう?

 

 脳裏を過ったのは、リュミリエーラの最後のパーティでの、店主ゆりとジュクーシャのやり取りだ。

 移転による準備のためにゆりの料理が食べられないことを嘆いた播凰への、ゆりの提案。本気だったのか、揶揄いを目的としていたのかは定かではないが、少なくともジュクーシャは真面目に捉えていたらしい。

 となれば、断る要素もない。

 

「おおっ、そうか! ならばお願いしよう!」

「っ、あ、ありがとうございます、食材は持ってきましたのでキッチンをお借りしますねっ!!」

 

 破顔して播凰が頷くのを見るや、ジュクーシャは持参した荷物を持ってリビングに繋がっているキッチンへ、ピュー、と脱兎の如く駆けて行った。

 が、数秒も経たぬ内に、そこから恐る恐るといったように顔を覗かせて。

 

「……あ、あの、お鍋などの器具を使わせていただいても構いませんか?」

「うむ、構わぬ。もっとも、私は料理をしたことがないのでちゃんとあるかは分からぬが」

「そ、それは大丈夫だと思います、私の部屋も最初からある程度は揃っていましたので。……すみませんが、ゲームの続き等して少々お待ちいただければ!」

 

 冷蔵庫や電子レンジは日常的に使用しているが、自炊はしないために鍋やフライパンに始まる調理器具を播凰は使用したことがない。故にそもそもあったかの記憶が曖昧。

 それが心配ではあったが、しかし杞憂のようでどうやら他の家具同様、そういったものは最初から揃っているらしい。

 

 ならば、と播凰はゲームに向き直った。

 水が流れたりコンロに火が点けられたりとジュクーシャが準備しているであろう音を背に、再挑戦するはゲームオーバーとなったマップ。

 戦闘マップに入る前の準備画面に移れば、『逃げるオークを撃破しろ!』という文字が画面上部に踊り、敵の情報が表示されている。

 

「しかしこの、オークといったか。他の世界ではこのような生物もおるのだな」

 

 撃破目標として全身が表示されたその存在を見て、播凰は感心したように画面をじぃっと見た。

 緑色の皮膚をした、ガッシリとした人型の体躯。ジュクーシャ及びゲームの説明曰く、人間ではなくモンスターに分類されるらしい。

 

「それと冒険者に、ギルド。ジュクーシャ殿のいたという世界も、中々興味深い」

 

 彼女の話の中で興味深かったのは、単純にゲームの操作やシステムについてだけでなく、このゲームに登場する要素についても解説してくれたことだ。

 例えば、このオークであったり、ゴブリンから始まる雑魚敵であったり。この世界では実在しないようだが、彼女の元の世界では珍しくもなく普通に存在するらしい。

 それだけでなく、冒険者と呼ばれるモンスターの討伐や物資の採取等の依頼を生業とする者達、彼らのサポートをするギルドなる組織等。

 このゲームと彼女のいた世界は世界観が似ている――無論全く同じではない――とのこと。

 そして言うまでもないが、モンスターやら冒険者やらは播凰の元いた世界にはいなかった。

 

 なお、このゲームではプレイヤーは勇者という立場。ギルドの利用はできるものの、厳密には他の冒険者と立場は異なるという設定のようだが、それはさておき。

 

「いや。また挑む前に、少し動きを練習してみるか」

 

 攻撃も、ただひたすら同じボタンを押して剣を振るっていればいいというだけではない。

 ダッシュ攻撃、連続攻撃、ジャンプ攻撃。攻撃一つとっても色々と操作があり、更にその派生で敵を空中に打ち上げてのコンボ、追撃もあるときた。加えてタイミングやボタンの組み合わせを要求される特殊技に必殺技とまだまだ操作は多く、世界を隔てるレベルでゲーム慣れしていない播凰がすぐにマスターできるものでもない。

 ちなみに、武器として剣を選んだのはジュクーシャの熱烈なプッシュによるものだ。なんでも彼女の得意武器も剣であり、勇者といえば剣とのこと。

 一番簡単な難易度ということもあって、播凰が操る画面の中の主人公は剣を手にバッタバッタと雑魚敵を倒していく。その動きに釣られるように、ピクッピクッと小刻みに上下する播凰の膝。

 それほどまでに、前のめりでしっかりコントローラーを握って操作を練習していた彼に、やがてその声はかけられた。

 

「――できましたよ、播凰くん」

 

 ふと気づけば、いい匂いが部屋に立ち込めていた。

 振り向くと、テーブルには既に二人分の食事が置かれており、傍らにはジュクーシャがこちらを見て立っている。

 

「おおっ、ナポリタンとサンドイッチだな!」

「はい、あまり凝ったものでなく恐縮ですが……」

 

 皿に盛られていたのはどちらもゆりの店で提供されている、喫茶店らしいメニュー。

 いそいそと着席する播凰と対照的に、そわそわとしながら座るジュクーシャ。

 お互い食前に手を合わせてから、まずは播凰がナポリタンを一口。ケチャップの風味が喉を通る。よく噛みながら頷くと、続けてサンドイッチをパクリと。

 その間、ジュクーシャは自分が作った食事に手をつけず、チラチラと落ち着きなく播凰の顔と料理とで視線を行き来させて。

 

「……そ、その、お口にあいますでしょうか?」

 

 不安気に瞳を揺らしながら、おずおずと二品を口にした播凰へと尋ねる。

 それを聞いた播凰は、答える前にコップの水をゴクリと飲み。

 

「うむ、美味いぞ!」

 

 顔を綻ばせてハッキリと宣言した。

 漸く、そこで安心できたのだろう。ありがとうございます、と彼女もまた顔を綻ばせて、自らの作った料理にフォークを入れた。

 一度食べ始めれば、ひたすらに食べ進めるのが播凰だ。それが美味しいものであるなら猶更。

 お代わりもあるとのことで、それも含めてペロリと食べきり、ジュクーシャの顔に喜色を浮かばせ。

 満たされた腹を満足気にさすっていたところ、ふと、何かに気付いたように。空になったナポリタンの皿を見下ろして呟く。

 

「そういえばどことなく、ゆり殿の料理に味が似ていた気がするな」

「本当ですかっ!? 実はゆりさんにお店で色々と習ったことを、休みの日等に練習してるんです!」

 

 播凰がそう言ったのを聞くや、途端に今まで以上にニコニコしてジュクーシャが反応した。

 習っている人の味に似ていると言われたのが嬉しかったのだろう。

 

「ほぅ、料理の練習か」

「はい。なにせ、それまではその……単に食材を粗雑に混ぜただけのようなものでも料理と呼んでおりまして。それに限らずですが、こちらの世界に来て己の無知を恥じるばかりです」

「分かるぞ、私も天能術をはじめとして、学園では新たに知ることばかりだ!」

 

 苦笑いをするジュクーシャに、播凰は賛同するように何度も頷く。

 播凰の世界にも学び舎はあったが、誰もが通えたわけではない。その理由は様々だが、通った通っていないで言えば、播凰は通っていない。

 そもそも世界が異なるので、だからというわけでもないが。この世界は播凰にとって知らないことで溢れていた。

 

「学園、ですか。……私は事情故、見る機会はあっても実際に生徒として通ったことはありませんでしたが。皆、時に真剣に、時に楽しそうにしていたのを憶えています」

 

 播凰の口から出た学園という単語に、懐かしむようにジュクーシャが微笑んだ。

 

「どうですか、学園は楽しいですか?」

「うむ、今までない経験だな! まあ、ちと勉強は苦しいが……うん? 興味があるのなら、ジュクーシャ殿も通えばよいのではないか?」

「ふふっ、それは少し考えたことがあります。リュミリエーラで同僚だったアルバイトの方々にも学生の方がいらっしゃいましたから。……でも、どうやら私の年齢ですとこの世界では大学という場所でギリギリのようでして、そちらは残念ながら相応の学力や知識が要求されるらしく。何分、私は今まで剣を振るい、戦うことしかしてきませんでしたから」

「成程な……いや、私も似たようなものだが」

「ええ、なので播凰くんはどうか頑張ってください」

 

 入学試験で最低点を叩き出し、現在進行形で勉学に苦しめられている播凰にとっては他人事ではない。

 管理人直々に入試結果を告げられ、入学までの間、彼女監督の下に猛勉強と相成り。なんなら、その場面にジュクーシャは居合わせて目撃している。

 そういった意味で播凰が顔を歪めれば、ジュクーシャはクスリと笑みを零したが。

 

「そういえば、学園では辺莉ちゃんや慎次君とは会うことがあるのですか?」

「む、いや、弟の方とはないが、辺莉とは先日部活探しに付き合ってもらった。それ以外では、会う機会はないな。学園内ですれ違うくらいはあるかもしれないが」

「播凰くんから見て……辺莉ちゃんは、その、どうですか? 学園で楽しそうにしていますか?」

 

 居住まいを正し、真剣な顔付きとなって播凰を見やる彼女。

 その様子に、播凰は一度コップの水で喉を潤し。

 

「まあ、楽し気ではあるな。学園の中でも外でも、さして変わりはない」

「そうですか、それはよか――」

「――ただし」

 

 安堵の様子を見せたジュクーシャの言葉を、しかし播凰は途中で遮る。

 

「私の見立てでは、恐らくあれは偽りのものではない。が、なんと言えばよいか……」

「…………」

「ある種の不安定さを感じるように思う。この世界に来たという時点で、何かあるだろうというのは承知の上だが」

 

 違和感、というわけではないが。播凰は、二津辺莉という少女にどこか危うさを感じていた。無論、確固たる根拠があるわけでもなくその根本は知らない。いうなれば、ただの直感。

 そしてそれはどうやら、あながち的外れではなかったらしい。

 

「……そうですね、当人がいないこの場で口に出すことに憚りはありますが。少なくとも、私が最初にあの子と会った時は、今とは別人のようでした」

 

 刹那の沈黙。

 それを振り払うように、顔を左右に動かし。

 

「けれども、今を楽しめているのなら、それを見守るまでです。……すみません、変な話をしてしまって。さて、先程のゲームの続きをしましょうか?」

 

 昼食も終わったことですし、と播凰に促すようにして腰を上げようとするジュクーシャだったが。

 

「――その前に一つ、ジュクーシャ殿に頼みがあるのだが」

 

 そこに播凰が着席したまま、待ったをかける。

 播凰の顔を振り返ったジュクーシャ。その双眸を、しっかりと捉えながら。

 

「軽くで構わぬ。私と、手合わせしていただけないだろうか?」




執筆の時間があまりとれないのもそうですが、最近ちょっとモチベ低下により中々書くのが進まず。。早く配信回まで行きたいんですが。

さて、次回は「最強荘裏コマンド その1(仮)」。
新たな最強荘の住人も顔見せ程度ですが二人登場します。

よろしくお願いします。


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7話 最強荘裏コマンド その1

どうもランキングに載せていただいたようで、凄くビックリしました。
評価いただいた方ありがとうございます。コメントいただけた方もとてもありがたかったです。
またお気に入りや感想もありがとうございます。

反応があるとやはり嬉しいもので、次話を書く手も進みました。

引き続き、もしよろしければ感想やお気に入り、評価いただければ嬉しく思います。
では、どうぞ。


「……何故、とお聞きしても?」

 

 さしものジュクーシャとて、播凰のその唐突な提案には即座に首を縦に振れないようであった。

 虚を突かれた、という感じではない。

 いや、予想はしていなかったのだろうが、はぐらかすのではなく真っ向から言葉を受け止め。播凰の瞳に混じり気の無い真剣味を見出した上で、問い返している。

 

 声色、表情共に柔らかいままではある。しかし今の彼女を見て、何を言っても許されると考える者がいたとしたら、まず間違いなくその眼は節穴だろう。

 凪いだ海のように思えてその実、こちらの真意を見通さんとする眼底には仄かに、そして確かに強い意志の光が宿っていた。

 

「以前から、気にはなっていたのだ。その立ち姿、その身のこなし……そして私に話してくれた内容を踏まえれば、まず間違いなく実力者。或いは、私の失った熱を多少なりとも取り戻させてくれる存在ではないかと」

 

 そしてそんな彼女に、播凰もまた率直な気持ちを伝える。

 

 ――何分、私は今まで剣を振るい、戦うことしかしてきませんでしたから。

 

 先程、ポツリと彼女が漏らした本音。そして、あの夜にリュミリエーラの前で聞いた独白。

 もっとも、播凰はジュクーシャが実際に戦っている姿を見た事はないが――なにもそうでなければ相手の力量を計れないということはない。流石に、異世界の強者ともなれば実力の底までは正確には把握できないものの。分からない、ということが分かるだけでも十分。

 

 元の世界では、実力的に彼に比肩する者はいなくなった。あらゆる生命は、彼に畏怖を覚えた。

 だからこそ、彼は熱を失った。だからこそ、彼は渇きに喘いだ。

 そんな中で、天能術という未知の技術は、そして未知の世界は、確かに気を紛らわせただろう。好奇心が満たされることで日々に生きる意味を、活力を見出し。意識を逸らせてはいた。

 

「だが、最強荘(ここ)のルールもあり、迂闊には動けなんだ。下手なことをして元の世界に戻されでもしたら、どうしようもないからな」

 

 加えて、ルールの存在。

 この世界に訪れた初日、最強荘の幼き管理人に告げられた掟。戦いを禁じられていたことはなかったはずだが、強引な接触がどうこうとは注意されていた気がする。

 一言一句記憶などしていないが、破れば問答無用で元の世界に送り返されるという宣告は、強く播凰の胸にあった。

 

「けれども、やはり惜しいと思ってしまうのだ。ジュクーシャ殿は、勇者として名を馳せたと聞いた。そのような傑物を前にして指を咥えていることが、どうにももどかしくて仕方がない」

 

 だが、あくまで代替は代替。気は散らせたとて、別物でしかない以上その根源まで満たされることはない。

 

 ならば――ならばこそ、異なる世界の実力者に期待して何が悪い。

 

 そんな播凰の焦がれるような思いに静かに耳を傾けていたジュクーシャは、その艶やかな唇を微かに震わせ大きく深呼吸をした。そうして、ゆっくりと両の瞼を閉じ。

 

「――私が剣を執ったのは、無辜の民を守り、魔を討たんとしたがため。無論、世の中善人ばかりではありませんので、時には人を相手にしたこともありはしますが……けれども、断じて。断じて、誰かを傷つけるために、また己を誇示するために力を求めたわけではありません。その役目(勇者)を放棄してしまった身ではありますが、それすらも違えるつもりは、ない」

 

 言葉と行動を重ねれば、それは明確な拒絶であった。

 あくまでも、守り、救う力であると。己のためにではなく、他の誰かのため振るう力であると。

 それが争いを避けるための方便ではないことは、彼女の纏う雰囲気が嫌でも証明している。

 上っ面の口だけではこうはいくまい。聞く者の身に沁みさせる気迫は正真正銘、芯の、心の強さ。

 

 謂わば、それが彼女の流儀なのだろう。或いは彼女という個ではなく勇者としての、だろうか。

 自身とは異なれど、それもまた力ある者の形の一つとして播凰は理解を示す。

 

「……その心意気は見事也。お主は以前、勇気のない臆病者と自嘲したが、私がそれを否定しよう。ジュクーシャ殿はまず間違いなく、勇者に相応しき御仁である!!」

 

 勇者の意味だの役割だのは関係ない。当人の思いもまた関係ない。

 自分のためでなく他者のために立ち上がり、それを貫く。誰にでもできることではなく、勇あるからこそできること。

 だから、彼女の世界どうこうではなく、他ならぬ己が。三狭間播凰がそうであると認めた。勇ある者と認めた。

 そう播凰が宣言すれば、ジュクーシャは驚いたように目を見開いて。

 

「その上で、うむ! あまり此方を見縊(みくび)ってもらっては困るな!」

 

 ――だが、侮るな。

 ――だが、見縊るな。

 未知の世界の強者よ。

 魔を討つ使命を帯びた異界の勇者よ。

 

「傷つけるための力ではない、大いに結構。しかしそれ即ち、傷つかなければ問題ないということ。然らば――この()に、そう易々と手傷を負わせられると思わないことだッ!!」

 

 何を以て、己が優位と過信するか。何を以て、その刃がこの身に届くと断じるか。

 

 大抵の人間であれば引き下がったであろうに、しかし。

 誰かを傷つけるための力ではないと語る相手に対し、ならば己が傷つかなければいいと。

 清廉さに暴論で真っ向から食い下がり、大真面目に。犬歯を剥き出しにし、獰猛に、けれど無邪気に三狭間播凰は笑う。

 

「……っ」

 

 息を呑んだ彼女の瞳が、確かに揺らいだように見えた。

 

「いや、この際ごちゃごちゃとしたのは無しだ! うむ、隠さずに言おう、ゲームだ!」

「……ゲー、ム?」

「あのゲームをしたせいで、体が疼いて仕方ないのだっ!!」

 

 そもそも、何故そのような話となったのか。以前から気になっていたのなら、何故今なのか。何が彼を刺激したのか。

 

 その答えは、ビシィッと播凰が勢いよく指で示した先にあった。つまりは先刻までプレイしていたゲーム『勇者救世録』。その内容が問題だったのである。

 

 戦闘システムとしては、一対多。味方もいるにはいるが、基本的には一人で戦陣を切り開いていく、所謂無双物。

 それに播凰は感化されたのだ。実に単純で、実に馬鹿げた理由であった。裏のない理由であった。

 

「…………」

 

 まさかすぎる真実に、ジュクーシャも呆気にとられたようで。

 だからだろうか、ややあって、プッと吹き出すようにして彼女は笑い。

 

「ヒドイ人だ、貴方は。私を知った上で尚、それを告げるとは」

 

 詰るような言葉とは裏腹に、温かい笑顔。

 

「けれど、ふふふっ、そうですか。身体が疼いてしまいましたか。……それならば――それならば、仕方ないですね。それに、私が勧めたゲームでもあります」

 

 困ったものを見るかのようで、しかしどこか慣れているかのように自然だった。

 まるで似たような人間を幾度も相手にしたことがあるような、そんな風に。

 

「分かりました。全力ではない、軽い手合わせ程度でしたら、お付き合いしましょう」

「おお、有難い!」

 

 苦笑ながらも応じた彼女に、播凰は喜びの声を上げる。

 できれば全力での死闘が望ましかったが、流石にそこまでは望めまい。軽くとはいえ、手合わせの言質をとっただけまだいい。

 では早速、と興奮気味に部屋を出ようとして、はたと足を止めた。

 

「……場所を考えていなかったが、どこかあるだろうか? 性質を調べてもらった時のように、学園の施設を借りるか?」

「それは大いに興味がありますが、今回はもっといい場所がありますよ。まずは管理人さんのところに行きましょう」

 

 軽い手合わせとはいえ、そのための場所が必要。

 播凰の性質を調べてもらうため、休日の学園に教師の紫藤が部外者の小貫を呼んで施設を利用したことを思い出し、同じようにできないかと考える播凰であったが。

 ジュクーシャには何やら心当たりがあるようで、最強荘エントランスの管理人室に向かうこととなった。

 共にエレベーターに乗り込み、共用部分である0階へ。

 

「――フハハハハッ、今日も管理人たんは最高だなっ!」

 

 エレベーターの扉が開いた瞬間、耳に届いた声と目に入った光景に、ジュクーシャの顔があからさまに苦々しいものとなる。

 

「おお、大魔王ではないか」

 

 対照的に、播凰は高笑いする人影――大魔王こと一裏万音に、軽く手を上げる。

 すると、管理人室の中にいる管理人を窓の外から眺めていた万音は、こちらを振り返り鼻を鳴らした。

 

「客将か、丁度よいところで会った。貴様、流石にゲームの起動くらいはできるようになっただろうな?」

「ええ、何処ぞの不親切な輩が教えてくださらなかったようですから。無事に、始めていただけていますよ――『勇者救世録』を!」

 

 播凰が口を開くよりも前に、進み出たのはジュクーシャ。

 苦々しさはどこへやら、得意気に胸を張っている。

 

「そうか、ならばよい。客将、貴様には二つ報せがある。もっとも詳細は次の配信で伝えるが、一つは決定事項、もう一つは貴様に選ばせてやる」

「うむ? よく分からぬが、分かった」

 

 だが、万音はさらりと流すと、端的にそれだけを告げ。

 鼻白む形となったジュクーシャに、ニヤリと。

 

「せいぜい、勇者でズタボロになって学んでおけ。次の配信で貴様がやるのは、『魔王征服伝』だ。いくら仮初とはいえ、この大魔王の前で魔王が無様を晒すなどあってはならんからな、ハーッハッハッハッ!!」

「――っ、まさか、そのためにわざとっ!?」

 

 ジュクーシャに頼るであろうことを見越して、そして頼られた彼女が『勇者救世録』を勧めるのを見越した上での行動。

 自身が掌の上で踊らされていたことを悟ったジュクーシャは、歯軋りをして万音を睨みつける。

 

「クククッ、ジュクジュクよ。貴様、余への対抗心でゲームに詳しくなったのだろう? ならば、このくらい役に立って当然であろう。ハーッハッハッハッハッ!」

 

 言いたい事だけを言って、万音は最強荘を出て行った。珍しいことに、あの様子だと丁度出かけようとしていたのだろう。

 しかし対抗心とはどういうことだろうか、と播凰がジュクーシャに目を向ければ。

 顔を真っ赤にしつつもはや誰の姿もない景色を睨んでいた彼女は、視線に気付くとコホンと誤魔化すように咳払いをして。

 

「か、管理人さんっ、あの場所――地下一階への許可をくださいっ! 播凰くんと一緒ですっ!!」

 

 播凰を置いてきぼりに、パタパタと管理人室の小窓へと駆け寄って行き。

 それに反応するようにガチャリ、とドアを開けて、最強荘の管理人がその幼い全身を見せる。

 

「こんにちはー、三狭間さんー、四柳さんー」

 

 のほほんとした語尾と立ち姿で、管理人は小首を傾げ。

 

「地下一階をご所望とのことですがー、四柳さんはともかくー、三狭間さんはまだご利用が無かったはずですねー?」

「うむ、その地下一階というのはなんだ? 私達は、手合わせをする場が欲しいのだが」

「はいー、まさにその目的のための階層が地下一階となりますー。本来ならば両者の合意を確認した上で、こちらが利用許可を出すのですがー」

 

 そう言って、管理人はすすすっと播凰に近づき、見上げるように彼を見た。

 

「まあよろしいでしょうー。それではお二方、こちらへー」

 

 そうして何を確認したのか、彼女は一つ頷くと。

 エレベーターに乗り込み、二人を手招きする。

 言われるがまま乗り込んだ播凰と、多少は平静を取り戻したようなジュクーシャ。

 

「それではー。最強荘裏コマンドー、その1へとご案内ー」

 

 階層を指定するボタン、0階を示す『0』の更にその下に。

 ピョコン、と回転するように『B1』と刻まれたボタンが出現。管理人の指先で、ボタンに光が灯る。

 

 そのボタンによって辿り着いた先は、完全な屋内であった。

 まあ地下なので当然といえば当然なのだが、点々と続く明るい電灯が先を照らしているので暗くはない。

 それより気になるのは、この先で何か物音というか、物々しい気配が漂ってきていること。

 

「ちなみに、本日は既に使用されている住人の方々がおりましてー」

 

 開けた先、播凰の眼下に飛び込んできたのは。

 黒一色の外套で全身をすっぽり包んだ巨体と。逆にまともに服として定義してよいのか困るほどに肌を大幅に露出したキメ細かい濃い黒肌の女性。

 互いに無手の、両者が対峙する光景であった。

 

 漆黒の外套が翻り、突如消えたかと思えば。現れるは、女の背後。

 と同時に、巨体から繰り出される横薙ぎの一撃。威力、速度共に十分。後ろからの奇襲ともあり、女の意識を一瞬で刈り取るかに思えたが、しかし。

 

 女は逆立ちの要領で身をくねらせてその一撃をすんでのところで躱すと。そのまま足を振りぬき、巨体の脇腹に叩き込んだ。

 まともに入ったかのように思えたが、しかし呻き声は一つもあがらず、巨体は崩れ落ちない。

 女は女で追撃をかけることなくバネのように腕を使い、距離をとる。

 その姿ときたら、戦いの中にあるというのにどこか妖艶で。しかもあれだけ激しい動きをしたにも関わらず服装が乱れていないのは、身体運びの妙か。

 

「……どうやら、無遠慮にも妾達を見下ろす不届き者が現れたようじゃ。――のぅ、暗殺者の君よ」

 

 そんな彼女がゆっくりとこちらを見上げ、その美貌に冷笑を湛える。

 それに釣られるように、巨体も――女に暗殺者と呼びかけられた存在もまた、播凰達を見上げた。

 全身漆黒の外套に身を包み、しかし唯一外気に晒された部分――緑色の皮膚と赤く光る眼をこちらに向けて。

 

「あれは……先程、ゲームの中で見たような。なんといったか……」

 

 そんな存在を、目を丸くして播凰は凝視する。

 緑色の皮膚、人型。その存在の名を何と言ったか、咄嗟には出てこない。

 代わりにその先を、ジュクーシャが茫然としたように口にした。

 

「馬鹿な、何故オークが……?」




次のサブタイトルを予定しているので、二人の種族をぶっちゃけてしまいます。
次話『オークとアマゾネス(仮)』。よろしくお願いします。


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8話 オークとアマゾネス

 間違いなく、オークである。

 元の世界の旅において幾度となく遭遇し、そしてそれを屠ってきたジュクーシャにあったのは確信だった。

 

 全身をすっぽりと黒い外套で覆っているその者が唯一晒している、目鼻。照明の光加減などではなく、獣寄りの厳つい顔つきは人に非ざるくすんだ緑色。

 指先足先まで包んだ外套の下も、同様だろう。姿形は人間に似ているようで、そこが絶対的に異なる。

 なにより、彼女の勇者――元勇者としての感覚が、モンスターであると告げていた。

 

「――ソノ反応、同族ヲ知ルカ」

 

 茫然は一瞬。

 すぐさま警戒するジュクーシャの視線の先にて、スッ、と静かに黒い外套が揺らめいたかと思えば。

 次の瞬間、たどたどしい言葉遣いと共に距離を詰めてその姿を現し、赤い眼が彼女を映した。

 それを見たジュクーシャは、より一層顔を険しくさせて、僅かに腰を落とす。

 

「…………」

 

 オークには――モンスターには、ランクというものがある。

 低級であればさほど気に留める必要はない。けれども上級ともなれば、油断は命取りに繋がる。

 そして今の動きからして、明らかにオークの中でも上級の特殊個体。本来オークとは、凶暴さやパワーを注意するべきだが、しかしあのように音も立てず消えるような動きをするオークなどジュクーシャは今まで見たことがなかった。

 

 だが、そんな彼女の胸中を嘲笑うかのように。

 

「――ほほぅ、お主、オークというやつか!? 本当に緑色なのだな!」

 

 能天気に、無警戒に進み出て大股でオークに近づく影が一つ。

 言うまでもなく、興味津々と声を弾ませた播凰である。

 この場にいる誰よりも、そのオークの身体は大きい。必然、播凰はその巨体を見上げる形となり。

 ジュクーシャに向けられていた赤い瞳が、今度は無言のまま播凰を見下ろした。

 

「っ、いけません、播凰くんっ! それはオーク、しかも確実に上級個体ですっ!!」

 

 慌てて制止の声を飛ばすジュクーシャであったが、しかし播凰は状況を分かっていないかのように。

 オークを前にして、隙だらけで彼女に振り返るではないか。

 

「ん? 何がいけないのだ?」

「ですから、相手はオーク! 人を害する、危険なモンスターなのですよっ!?」

 

 少なくとも、ジュクーシャの世界の人間であれば、オークを前に気を抜くなどありえない。

 いや、実力者であればその限りではないが、その他大勢にとっては凶悪なモンスターだ。逃げるか立ち向かうかが普通で、しかし播凰はそのどちらでもない。

 けれども、そんなジュクーシャの必死な呼びかけも実らず。

 

「はて、そうなのか?」

「……ソノツモリハ無イ」

「と、言っているようだが」

 

 悠長に問いかけ、挙句の果てにはその返答をジュクーシャによこしてくる始末。

 播凰の行動の意図が読めず、困惑するジュクーシャであるが。

 当然、両者の認識に乖離というものがあった。

 

 片や、オークの被害を知り、実際に相対してきたジュクーシャ。

 片や、オークを含めモンスターなどおらず、架空の存在――それも知ったのはついさっき――でしかなかった播凰。

 実感を伴う伴わないでは、対応に如実に差が出るのは然るべきというもの。

 

 もっとも、その巨体と容貌に関してはどちらであれ共通の外見ではある。それについては、むしろ実物を初めて見る人間だからこそ萎縮しかねないというのはあるだろうが。

 しかし、たかがその程度で気後れなどしないのが三狭間播凰という人間であった。

 

「で、ですが、オークというのは、男は殺し女を攫うといった残虐を好むモンスター。その被害を、私は今まで何度も目に、耳にしています!」

「それは、全部が全部そうなのか? 少なくとも、この者は違うようだが」

「っ、しかし、仮に一部だとして、そのようなことをする種族であることに変わりは――」

「――ふむ、であれば人間とて変わらないと思うが」

 

 それでも尚、説得を試みるジュクーシャであったが。

 何でもない声色で告げられた播凰の指摘に、凍り付く。

 

「人とて、特に賊などと呼ばれる輩は、似たようなことをするであろう」

「なっ、それは……っ」

 

 無い、と否定しようとして、しかしできなかった。

 咄嗟に反論しかけた口は徐々に力を失い、淡々と突き付けられた事実にジュクーシャは押し黙る。

 理由はただ一つ、彼女にも心当たりがあったからだ。

 

 魔王討伐において、立ち塞がったのは何もモンスターや魔族だけではない。

 旅の道すがら、町や村に立ち寄ったことは幾度とある。中には、栄え、人の往来が絶えぬ場所もあったが、無論全部が全部そんなわけもなく。

 生気なく怯えて暮らす人々を見た。焼け焦げ、或いは破壊された家屋を見た。廃村と化した跡地を見た。

 

 全てがモンスターの仕業だったわけではなかった。播凰の言うように、賊が――人が、人を襲うこともあった。

 攫われた人々をそれらから救い出したこともある。間に合わなかったことも、ある。

 

「いや、賊だけではない。勝者の特権として敗者を蹂躙する国もまたある。……我が国でも、先代の時までは国内は別として他国に関しては明確に禁じていなかったな。私が王位を継いでからは、そのあたりも含めて弟妹達の進言で見直していったものだ」

 

 もっとも私は最終的に承認していっただけだったが、と。播凰はそう締め括る。

 グッと唇を噛むジュクーシャ。

 理解と反発。その胸中を、相反するそれらを筆頭として様々な思いが駆け巡る。

 

 ここまで彼女達を連れてきた管理人は、何も言わない。ただいつものニコニコ顔で、立っている。

 言いたいことを終えた播凰もまた。いわんや、漆黒の外套を纏ったオークも。揃って、無言でジュクーシャを見ている。

 

 沈黙が訪れ、そのまま場を満たすかに思えたが。

 それを裂いたのは呵呵と笑う女の声であった。

 

「――クハハッ、どうやら分が悪いのは認めねばならぬようじゃな? もっとも、言いたいことは分からんでもないがのぅ」

 

 カツン、カツンと高いヒールの靴音を響かせ。ジュクーシャ達のいる傍らの階段を昇って姿を見せたのは、艶めかしい黒肌の女性。

 戦うためのフィールドとしてであろう、中央一帯から周囲にかけて広くへこみくりぬかれたような造りとなっているこの地下一階(階層)。先程まで、そこでオークと対峙していた女だ。

 

「……貴女は、確か、アマゾネスの……」

「久方ぶりよの、女勇者の君」

 

 女性からしても目のやり場に困るほどに際どい衣装をした彼女に、ジュクーシャは会ったことがある。

 

 アマゾネス。

 ジュクーシャの元の世界にも存在した、人間の女性だけで構成される部族の名。彼女はその一人であるという。無論、眼前の彼女はまた別の世界のアマゾネスのようだが。

 

 思い出したようにポツリと漏らしたジュクーシャに。アマゾネスの女は妖艶とした笑みを含ませ、ジュクーシャのことをそう呼んだ。

 とはいえ、邂逅の頻度は高くなく、また親密な仲という間柄でもない。

 複雑そうな面持ちとなるジュクーシャ。変わらず笑みを湛えるアマゾネスの女。

 どちらからともなく両者の視線が絡み合うが。

 

 ――そこに割り込む、空気の読めない声。

 

「ふむ、アマゾネスとな? そちらもまた、モンスターなのか?」

 

 まるで年端もいかない子供のように、あっちにふらりこっちにふらりと興味津々な三狭間播凰である。

 そんな彼が、なんとアマゾネスという単語をモンスターの名と勘違い――オークの存在が確実に原因だろうが――したようで、二人の側に寄って来たのだ。

 

「…………」

 

 これには、流石のジュクーシャも絶句せざるをえず。

 アマゾネスの女はといえば、余裕ぶった口元の形はそのままに、しかし目を丸くしながら播凰を見ていた。

 なにせ、いきなりモンスター呼ばわりされたわけである。そうなるのも無理はない。

 

「……クックックッ」

 

 先刻までとは別の意味で静まり返る中。

 振動し、波打つ漆黒の外套。

 その巨体を、肩を震わせて、オークが笑っていた。

 

「これ、笑うでない、暗殺者の君よ」

「ククッ、スマンナ……クッ」

 

 堪らずといったように、アマゾネスの女がそれを見咎めて眉尻を上げれば。

 謝りつつも笑いをこらえきれない様子のオーク。

 

 そんな両者のやりとり、特にオークの方を見て、ジュクーシャの中に戸惑いが生まれる。

 彼女の中でのオークの笑いといえば、獲物()を前に舌なめずりするようなそれだ。むしろそれ以外を知らない。

 が、目の前のオークの笑いは明らかに下卑たそれではなかった。また謝るというのも彼女の知るオークらしくない。

 

 一度止まる余地が出れば、思考が冷静さを取り戻す。

 この世界に来たために久しく見慣れていなかったものの、長年の経験からつい反射的にモンスターを前にして構えてしまったが。

 確認するように幼き管理人を振り返れば、彼女はいつもの笑みで一つ頷き返すだけ。

 もしも想定外の存在であるあらば、管理人が何も言わないわけがない。問題のある存在であれば、管理人が何もしないわけがない。

 

「本能ダケデ暴レハシナイ。ソレダケハ告ゲテオク」

 

 そんなジュクーシャの空気の変化を察知してか、オークが声をかけてくる。

 オークらしからぬ、理知的な色を眼に、片言の声色に湛えて。

 

 ……暗殺者、というのが気にはなりますが。

 

 アマゾネスの女が、オークを指して呼ぶ単語。その物騒さに引っかかりを覚えないわけではないが。

 

「――その……失礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」

「構ワナイ。コノ身ガ、同族ガ他種族ニ好マレテイナイノハ承知ノ上」

 

 謝罪と共にジュクーシャが頭を下げれば、オークはさして気にした風もなくそう言って。

 

「与エラレタ名ヲ名乗ロウ。鬼三(きぞう)朝至(あさし)、十三階ダ」

「これはどうも。四階に住まわせていただいている、四柳ジュクーシャと申します」

 

 互いに、名乗る。

 とはいえ、その一瞬で打ち解けられるものでもない。いや、人によってはぐいぐいと距離を詰めにいけるのかもしれないが、少なくともジュクーシャはそのようなタイプではなかった。

 少々のぎこちなさを感じつつ、ジュクーシャが視線を彷徨わせれば。

 

「ほぅ、十三階か! 私は三階に住む三狭間播凰だ。よろしく頼むぞ、オークの者よ!」

「三階……丁度、十個下カ」

「うむ、十個上だ! それでだな、少し腕を見せてもらってもよいか? ゲームで見たが、誠に全身緑色なのか?」

「……構ワナイガ」

「ほっほーぅ、不思議なものだ! 見せてくれて感謝する!」

 

 快活な声を響かせ、播凰が破顔する。

 相手が誰であろうと気後れせずに話に行けるのは、ジュクーシャからすれば流石と言う他ない。例えオークを知らず、モンスターに対する固定観念が無かったとしても、だ。

 いや、或いはそれが彼の魅力なのだろう。

 

 一桁目が同じ三ということもあってか、二言三言、自然に言葉を交わし。外套の下を捲らせ、そこも緑色であることを確認し、感嘆。

 そこまでして思い出したように振り返った播凰は、この場で名乗っていない唯一の存在に声をかける。

 

「して、そちらの、ア……あー、すまぬ忘れた。そちらのモンスターの者は、何というのだ?」

「……よもや、妾のような見目麗しき女子(おなご)をつかまえて、一度ならず二度もモンスター呼ばわりするとはのぅ」

 

 まさかの、再びのモンスター呼び。

 二回目とあってか、怒りというより呆れに近い形でアマゾネスの女の方は嘆息している。

 その味方をするわけではないが、同じ女性として見ていられなかったジュクーシャは、堪らずフォローに入った。

 

「播凰くん、彼女はモンスターではなく人間です」

「そうなのか? それにしては先程、ジュクーシャ殿は聞き慣れぬ単語で呼んでいたように思うが」

「……アマゾネス、という褐色の肌が特徴的で女しか産まれないという有名な部族がおりまして。つまり彼女はその部族の出身で、アマゾネスとは部族の名を指すのです」

 

 ある意味、彼の勘違いの発端というか原因の一つはジュクーシャであった。

 アマゾネスの女からの鋭い視線を感じつつ、ジュクーシャは冷や汗を浮かべて説明する。

 

「褐色の肌が特徴ということは、ジュクーシャ殿も、そのアマゾネスなのか?」

「わ、私のこれは、ただの日焼けです! その、長く旅を続けていましたし、そういったこともあまり気にしていませんでしたので……」

「成る程。しかし女しか産まれぬとは、不思議な人間もおるのだな」

 

 なんとか人間だということは理解したようで、ジュクーシャは胸を撫で下ろした。

 ただまあ女しか産まれないのが不思議というのは彼女も同意するところではあるが。

 

「――そういうことじゃ。なんなら真に人間かどうか……この衣の下、閨で確かめてみるかの?」

 

 ある意味での達成感をジュクーシャが感じていると、その横をするりと影が動く。

 ただでさえ少ない布地の服の胸元を捲るように、アマゾネスの女が蠱惑的な笑みを浮かべて播凰に迫っていた。

 ブッ、と噴き出し瞬く間に赤面したジュクーシャは、慌てて女を引き剝がしにかかる。

 

「な、なにをやっているんですかっ! 破廉恥ですよっ!!」

「なんじゃ、これくらいで騒々しい……これだから未通女(おぼこ)は」

「にゃ、にゃにをっ!?」

 

 しかし呆れたような彼女に思わぬカウンターを喰らい、ジュクーシャは狼狽する。

 だが女も女で本気ではなかったのか、すぐに身を引き。

 

「名は教えてやらぬ。数多の権力者達が挙って求めしこの妾を、モンスター呼ばわりした罰じゃ」

「む、そうか分かった。勘違いしてすまぬな」

「……ほほぅ、後になってやはり名を教えて欲しいと懇願することになっても知らぬぞ」

 

 せめてもの仕返しとばかり、名乗りを拒否したものの。

 ところが、それをあっさりと受け入れた播凰。

 期待した反応ではなかったようで、むしろそれがアマゾネスの女に火をつけたのか、彼女はメラメラと瞳を燃やす。

 

「しかし女勇者の君よ、そちらもそちらじゃ」

 

 と思いきや、その矛先が今度はジュクーシャに向かう。

 再び揶揄われるかと思わず身構えたジュクーシャであったが、しかし。

 

「寛大な妾や暗殺者の君じゃったからよかったものを、もしもこれが他の階の気難しい種族の者であったらどうなっていたことか」

「……待ってください。その言い方だと、他の異種族もいるように聞こえるのですが」

 

 咎める言葉よりも何よりも前に、その物言いが気になった。

 よくよく考えれば、確かに一階には人間ではないあの者がいる。

 そして十三階のオークこと、鬼三朝至。

 

 ……まさか、他にもまだ?

 

 驚きを込めつつも冷静に確認すれば、アマゾネスの女は呵呵と愉快そうに笑い。

 

「いてもおかしくない、というより確実に一人、妾は知っておる。――なんとまあ珍しいことに、エルフの女子がな」



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9話 線引き

「なっ、エ、エルフがここにっ!?」

「当人に確認したわけではないが、あの特徴的な耳は間違いなくそうじゃな。それも、恐らくあれはその中でも上位の存在と見た」

「……ハイエルフということですか」

「可能性は大いにある。もっとも、言葉を交わす間もなく逃げられ、以来目にしておらぬが」

 

 アマゾネスの女の言葉を聞いたジュクーシャの顔は、驚愕に彩られていた。

 それも尋常な驚き方ではない。余程、信じられない情報だということが推察できる。

 

 ……またぞろ知らぬ単語が増えたぞ。

 

 だが悲しいかな、その意味を知らぬ者にとってはちんぷんかんぷんでしかない。

 オーク、そしてアマゾネスに続いて、今度はエルフ。そしてハイエルフ。

 話の流れからして、また違う種族を指すものなのだろうが。

 

「……アノエルフヲモンスター呼バワリナドスレバ、確カニ襲ッテキカネンナ」

 

 播凰の傍らに立って彼女達の会話を聞いていた鬼三が、ポツリと呟く。

 

「む、そうなのか?」

「アレラハ――エルフハ高尚ヲ謳ウ種族ダ。侮辱サレタト激昂スルダロウ」

「成る程……それで、あのアマゾネスというのはモンスターではなく人間と」

「人デアリ、アマゾネストイウ種族デアルトモ言エル」

「ふむ、難しいな。して、結局お主――というよりオークというのはモンスターでよいのか?」

「アア」

 

 鬼三――オークの彼に言わせれば、そういうことらしい。

 

 そもそもそのモンスターやら種族やらという線引きが、播凰はいまいち分かったようで分かっていない。

 なにせ彼の世界では、会話の成り立つ生命というのは人だけ。馬や犬、鳥といった他の生物はいたが、勿論それらが喋ることはなかったわけで。

 よって種族というのは、国や地方などの、出身地の違いみたいなものかと漠然と捉えている。

 モンスターに関しても、ジュクーシャ曰く人々に害を与える存在だというが。

 

 ……虎などの猛獣、或いは蝗みたいなものか?

 

 前者は直接的に人を襲うことがあるし、後者は群れを成して根こそぎ食料を食い尽くすことで間接的に人を襲う。

 喋る喋らないはさておき、一先ずそう落とし込め。

 話題に上がった、一見しただけでそれと分かる特徴的な耳とはどんなものだろうか、と播凰が頭を捻っていると。

 

「――そこまでですー。住人同士交流を深めることはよいことですがー、他の階の住人の方の詮索はいけませんねー」

 

 のほほんと介入したのは、最強荘の管理人であった。

 のんびりとした口調ではあるが、しっかりとした制止の視線がアマゾネスの女とジュクーシャに向かう。

 

「……まぁ、確かに無粋じゃな。すまぬな、管理人の君」

「そうですね。申し訳ありません、管理人さん」

 

 その注意を受け、もっともだと同意し口々に彼女達が謝れば。管理人は満足したようにそれ以上言わず。

 しかし次にくるりと管理人が向いたのは播凰の方で。

 

「三狭間さんもー、最強荘(この中)であれば構いませんがー、外でのそういう言動は一応気を付けてくださいねー」

「うん? そういう言動とは?」

「ご自身の過去、つまり元の世界に纏わる事柄ですねー」

「元の世界……ああ、そういえば言ったか」

 

 オークがするとされる行動に対し、人を、かつての自身の国を引き合いに出した時。

 確かに、王位を継いでどうこうと言った記憶がある。

 

「うむ、気を付けよう……この際だ。管理人殿、一つ聞いておきたいのだが」

「なんでしょうー?」

「この世界に来た折に、掟を破れば元の世界に帰らされると聞いた。その条件が確か、己の過去や技などを公にしてはならないというものだったと思うが、どこまでであれば問題ないのだ?」

 

 ついでとばかりに訊ねたのは、強制的に元の世界に帰らされるという条件。

 播凰からすれば、色々と面白くなってきたところ。うっかり破ってしまっては困る。

 というより、正にそのうっかりを注意されたわけで。更にいうなら今に限らず何度か口を滑らせた気がしなくもない。

 その思いから質問をすれば。

 

「まあ極端な話はですねー、この世界の方々に露呈しなければ問題ありませんよー。勿論、最強荘(ここ)の住人の方々は除くのとー、後は一部の方々や例外の場合も除きますがー」

「ふむ、露呈というのは異なる世界から来たということをか?」

「それもありますがー、この世界にはない技能を使える場合はそちらもですねー。それさえ守っていただければ外でも魔法なり技なりスキルなりー。その気があれば(・・・・・・・)色々好きに使っていただいて構いませんー」

「――そうだったのですか!?」

 

 結論、バレなければどこで何をしてもいい。

 そう語った管理人に、素っ頓狂な声で反応したのは播凰ではなくジュクーシャだった。

 

「はいー、もっとも節度はわきまえていただく必要はございましてー。場合によっては警告をさせていただきますがー」

「なんと、そうだったのですね……過去はともかく、技能についてはてっきりここ以外(・・・・)で使ってはならないものかと」

「敢えて言うのであれば勧誘時の軽い脅しみたいなものですねー。自重せず好き勝手できると勘違いした方々に来られても困りますからー」

 

 脅し、と明かされた事実に神妙な面持ちで復唱するジュクーシャ。

 すっかり置いてきぼりとなった播凰であるが、彼は彼でこの世界にない技能とは何かを考えていた。

 播凰にとって技とは体術や武器の扱いにはじまる戦闘系の技能ぐらいのもの。足運びや体捌き、攻撃一つとってもそれは立派な技術であり、それを封じられては戦いなどできはしない。

 とはいえ、それらがこの世界に有る無しのどちらかと問われれば、普通にあるだろう。だから多少派手に動いたところで問題はないはずだと思っている。

 

 ただ――自身の本気。

 三狭間播凰の名を受け取るより前の、全身全霊の本気。技能という枠組みにおいて、それがどう判断されるか、だが。

 

 ――アレ(・・)はあの世界に置いてきてしまったからな。

 

 さしあたって、播凰はそう考える。

 己が真に本気と言えるに必要なモノ。それはこちらの世界には存在しない。いや、同種のモノは造れなくはないかもしれないが、それでもやはり別物。手に馴染んだソレでなければ、本気とは言えまい。

 

 とはいえ、一般的な武器はあらかた扱えれば、無手でも大抵の相手に遅れをとらない自信はある。むしろ苦戦する相手が出て来てくれれば逆に喜ばしくすら思えるほどだ。

 できるとしても、状況に合せた全力が精々。それがルールに抵触しないことを願うばかりか。

 

「クハハッ、頭が固いのぅ、女勇者の君。この世界には天能術とやらもある故、余程変なことでもしなければ左程気にされん。それに単純な話、知覚させないという技能もあるじゃろうて」

「……隠密、或いは認識阻害の類ということですか」

「然り。もっといえば、肉体とてその一つよ」

 

 ジュクーシャを揶揄うように笑うアマゾネスの女は、彼女の身体をじっくりと舐めるように流し目で見やる。

 女同士の同性。にも関わらず、その視線に嫌なものを感じたジュクーシャは、自身の身体を隠すように腕を動かすが。

 

「その鍛えようを見るに、腕力に脚力とどれを一つとっても常人の比ではないはずじゃ。それともこの世界に来てからは一々、非力な町娘程度に落として生活しているのかえ?」

「…………」

 

 意外にも真っ当な指摘。

 心当たりがある、とジュクーシャの沈黙したその顔が雄弁に物語っていた。

 が、それで終わりではなく。アマゾネスの女はチロリ、と舌を妖艶に出して。

 

「ふふっ、にしても初めて会うた時から思っておったが、よい肉付きじゃのぅ? 実は妾、男は元より同性でもいける口でな」

 

 瞬間、ゾワリと。全身の毛が逆立つよう錯覚がジュクーシャを襲う。

 

「……生憎、こちらはそうではありませんので」

「それは重畳。そのような女子(おなご)に悦びを教え、堕とすのもまた甘美でのぅ」

「……っ! そ、それ以上近づかないでくださいっ!!」

 

 播凰が思考から抜け出した時には、何やら場が妙な雰囲気となっていた。

 ジリジリとにじり寄るアマゾネスの女に、青い顔で後退るジュクーシャの図。

 そんな光景に、播凰は不思議そうにオークの男――鬼三朝至に問いかける。

 

「一体、あの二人は何をしておるのだ?」

「……子供ニハマダ早イ」

「ふむ、成る程?」

 

 しかし、ぶっきらぼうに、言いあぐねるように返った答え。

 よく分からないまま頷いた播凰は、取り敢えず黙って静観することにして。

 

「むふふっ、よいではないか、よいではないか」

「すみません、ご助力願いますっ!!」

 

 危険な色香を漂わせ、手をワキワキとさせて迫るアマゾネスの女。

 それを前にしたジュクーシャが、播凰達の方を向いて引き攣った救援要請を響かせる。

 すると、やれやれと首を振った鬼三は。播凰と管理人を自身の側に引き寄せ、それぞれの顔の前に漆黒の外套に覆われた大きな腕を回した。

 

「む?」

「はいー?」

 

 見てはいけない、とするかのように隠される視線。

 まるで、いかがわしいものを見せまいとする父(オーク)。何故そうされるのかを分からず無垢に首を傾げる息子(覇王)と娘(管理人)の構図の完成である。

 

「ちょっ、そうではなくっ――」

「そぉーれ、捕まえたぁ!!」

「えっ? ――キャアァアアーーッ!?」

 

 そんなことをされては、と堪らず抗議の声を上げかけたジュクーシャであったが。

 寸前に、隙ありと飛び込んできたアマゾネスの女に胸を触られた。いや、揉まれた。否、その表現でも尚不足、揉みしだかれた。

 その事実に気が付き、彼女の勇ましい抗議は女性らしい甲高い叫びへと変貌する。

 

「ほっほぅ、これは中々のモノじゃな。頭は固いがこちらの方は随分と柔らかいではないか」

「ひゃっ……んんっ」

 

 喜悦と羞恥。どちらがどちらかは言うまでもない。

 尚、この間、播凰の視界は腕に遮られて真っ暗。声だけが聞こえている状態である。大人しく、されるがままだ。

 

「なんとも生娘らしい、愛い反応よのぅ。……さてさて、次は――」

「――住人同士の恋愛事情に口を挟みはしませんがー。如何に同性といえど、無理強いはなさらぬようー」

 

 が、そんな折に播凰と同じく視界を塞がれている管理人が声を上げた。

 それは正しく、鶴の一声となりて、アマゾネスの女の昂った声を止める。

 

「むぅ、管理人の君が言うならば仕方あるまいて」

「……っ」

 

 漆黒の外套が動き、視界が戻った播凰の目に入って来たのは。

 あっけらかんとするアマゾネスの女。そして、頬を上気させて慌ただしくこちらに駆け寄ってくる――というよりアマゾネスの女から離れようとしているジュクーシャ。

 彼女は荒い息のまま、播凰の後ろに回り込むと、その背から半身を出しながら牽制するようにアマゾネスの女を油断なく見据える。

 

「おやおや、振られてしまったかの」

「――フーッ! フーッ!」

 

 その息遣いときたら、まるで威嚇のよう。

 揶揄うような余裕のあるアマゾネスの女とは対照的に、眦に光るものすらうっすらと湛えたジュクーシャに普段の凛とした佇まいの面影は無い。さながら、仔猫の如き抵抗といったところか。

 

「……トコロデ、ココニ来タトイウコトハ、体ヲ動カシニキタノダロウ? コチラハモウ使ワナイ、好キニ使ウトイイ」

 

 このままでは収拾がつかぬ、と見て取ったのか。ハァと溜息を吐いた朝至が播凰に声をかけ、フロア中央の開けた部分を指し示す。

 全身漆黒の外套と、この中で一番まともではない恰好――アマゾネスの女の露出の激しい衣装もいい勝負ではあるが――をしている彼だが、どうやら今一番まともなのは彼らしい。

 

「そ、そうです、そうです! さあ播凰くん、行きましょう!」

 

 と、それを聞くや否やジュクーシャが光明を見たと言わんばかりに播凰の背中から飛び出し、一目散に眼下のフィールドへと降りて行った。

 この場から――アマゾネスの女から大手を振って離れられる明確な理由ができたからだろう。手合わせを渋っていたとは思わせないほどに積極的。

 第三者から見れば、彼女から播凰をこの場に誘ったと映るに違いない。

 

「それはその通りだが……どうやら、立ち合いの邪魔をしてしまったようだな」

 

 むしろ、逆に冷静なのが播凰である。

 確かにここに来た目的はジュクーシャとの手合わせのためだ。

 だが播凰は、自分達が姿を見せたことによって先客たる彼らの戦いを妨げてしまったことを覚えていた。そういった類のことに関してはきっちりしているのである。

 しかし、そんな播凰に朝至はゆるゆると首を振り。

 

「問題ナイ、無理矢理付キ合ワサレタダケダカラナ。……代ワリト言ッテハナンダガ、少シ見テイテモ構ワナイカ?」

「ふむ、よいぞ! なんなら参戦も歓迎しよう!」

「ククッ……ソレモ悪クハナイガ、今回ハ見ルダケニシテオコウ」

「そうか、それは残念だな!」

 

 ニカッ、と歯を見せて笑った播凰もまた、ジュクーシャを追ってフィールドへと降りていく。

 それを見送る朝至に、アマゾネスの女がカツカツとヒールの音を響かせながら。

 拗ねたような、咎めるような視線をよこして彼の隣へと並んで立った。

 

「――つれないのぅ、暗殺者の君よ。闇に生きる者同士(・・・・・・・・)、仲良くやろうではないか」

「最後ニ一撃、貰ッテヤッタダロウ」

「やはりあれはわざとじゃったか」

 

 動じることなく、まるで問われることを予期していたかのような朝至の簡潔な返答に、アマゾネスの女は嘆息しつつ。

 

「……まあよい。真に手の内を晒すことはないじゃろうが 妾も観戦させてもらうかのぅ」

 

 ジュクーシャと播凰が対峙する光景を見下ろし。

 

「改めて、我が願いを聞き入れてくれたことに感謝しよう。この地にて新たに与えられし姓は三狭間、名を播凰! ただ一人の武人として、相手願う! 互いの命を懸けての死合いとはいかないが、まずは手始めに我が言葉が偽りでないことを示そうぞ――遠慮なく、好きに打ち込んでくるがいい!!」

 

 その眼光に、虚が生じた。



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10話 表と裏

 事情を知らぬ者からすれば、調子外れともとれる、播凰のその口上。

 されどその真意は、相対するジュクーシャに正しく届いていた。

 

 ――この俺に、そう易々と手傷を負わせられると思わないことだッ!!

 

 他者を傷つけるためではないと拒絶したジュクーシャに対して、彼が持ち出した暴論。

 侮り、とはまた違うだろう。かといって過信でもないはずだ。

 破顔する口元、生気漲る目元から伺えるのは、圧倒的な自信。

 今のジュクーシャには――只人となりし彼女には持ち得ない、己という存在に対する揺ぎ無き信頼だった。

 

「…………」

 

 無言のまま、しかし微かにジュクーシャの表情が動く。

 同性(アマゾネスの女)に迫られ狼狽えていた姿は既にそこになく、引き締めた面持ちに浮かぶのは僅かな逡巡だ。

 

 まず受けることで己が頑丈さを示し、憂いを断つ。播凰がその腹積もりであることは、分かる。

 とはいえ、無抵抗に、無防備に仁王立ちする相手に一撃を入れること。それが如何に相手方からの提言であったとて、すんなりと頷けるかとなると別であり。

 

 だが、ジュクーシャとて単に押し切られたからこの場に立ったわけではなかった。真に拒絶するならば、否と言えた。事ここに至り、やはり止めようと諭すつもりもなければ、手抜きに手抜きを重ねて相手の気力を削ごうというつもりもない。

 彼女もまた、ある種の覚悟を以て播凰の誠心に応じ、ここに立った。

 なればこそ、その思いを汲み。

 

「……何者でもないこの不肖の身であるが故、ご期待に沿えないかもしれませんが――四柳ジュクーシャ、参ります」

 

 言葉と同時に、左足を踏み切る。

 小細工など不要。悠然と待ち受ける相手とあらば、こちらもまた真っ向から正道をとろう。

 

 姿勢は低く、しかし両の足は地面から完全に離れ。まるで宙を滑るようにジュクーシャは播凰に肉薄する。

 元々の彼我の距離というのは大したものではない。常人以上に鍛え上げられた彼女の肉体をすれば、一足飛びに床を強く蹴り付けるだけで、間もなく届く。

 だが、距離を詰める速度と攻撃は全く別の問題。当然ながら、到達が早ければ早いほどに、攻撃を仕掛けるための予備動作にかけられる時間は減ってしまう。勢いは味方となりこそすれ、それ単体では成立せず、攻撃あってこそ初めて意味を為す。

 

 そんな中にあって彼女が見せた動きは、右腕を、その掌を前に出すことであった。

 構えらしい構えはただそれのみ。後ろどころか、腰だめですらなく、よりにもよって体の前。

 ともすれば、反動をつけるためのものか、または形を変えて牙を剥くか。いずれにせよ、大きく動きを見せねばその右腕は脅威足り得ないように思われるだろう。

 

 だが、彼女はその右腕を殆ど動かさなかった。

 ならば、やはり力を振るうことをよしとせず手を抜いたか。否、そうではない。

 

 刹那。

 パァンッ! と、まるで破裂音の如き大きく衝撃を伴う乾いた音が響き。

 直後、播凰の身体が仁王立ちの体勢そのままに――その足が地面を強く擦り、後退する。

 

「――うむ、身体を動かされる程の一撃を貰ったのは久しぶりだ!」

「……末恐ろしいですね。その若さで、よくぞそこまで」

 

 強烈な摩擦により足元から微かな白煙を立ち昇らせながら、苦悶に顔歪めることなく快活に笑う播凰に対し。驚きと称賛の響きを含ませながらも冷静にジュクーシャが返す。

 本来は、大の男でも吹き飛び、壁に叩きつけられていたはずだ。にも拘らず、ジュクーシャよりも年下であり、まだ少年のような幼さが少しその顔立ちに残る齢。未だ成長過程のはずの肉体で受けてその程度で済まされたという事実に、いい意味で呆れさえ覚えてしまう。

 

 播凰を、彼自身が意図せずにその身体を後方へと押しやったその一撃。

 動いたのはジュクーシャの右腕自体ではなく、その先にある手首。掌の下部。

 

 無手、武器を問わず、攻撃と名のつく大抵の技ではテイクバック――つまりは威力、力の伝わりを効果的とするために相手に対して自身よりも後方或いは脇腹の軸を始点とし、拳を突き出すなり刃を振るうこととなるが。

 中には大きな構えや予備動作を必要とせず、十分でない間合いにおいても活きる技がある。

 

 重要なのは、瞬間的なインパクト。足先からの重心移動と腰の捻りを活かした、手首のスナップによる打撃。

 掌底打ち。今しがたジュクーシャが放ったのが、それだ。

 威力という点では拳に劣るが、手首を傷めにくいという利点がこの掌底打ちにはある。

 

 モンスターや魔族、時には悪人との戦いの中。基本的には剣を手に戦ったもののそれだけに頼らず、特に乱戦において、いかに隙を作ることなく立ち回るかの末にジュクーシャが会得した、技術である。

 

「よしよし、では私から行かせてもらうぞ!」

 

 そして掌底とは、単に攻撃だけではない。

 愉しそうに笑って突っ込んでくる播凰を、ジュクーシャはその場から動かずじっと待ち受ける。

 

 放たれたのは右の正拳、中段突き。言葉にすれば何の変哲もないそれだが、スピードは尋常でない。

 直接対峙するのはこれが初めてだが、播凰の戦闘力というのは以前にジュクーシャはその眼で直接見ている。スピードだけでなくパワーも内包しているのは明らかだ。

 ジュクーシャとて鍛えた力にはそれなりの自負はあるものの、女性という性別上、身体構造での男性との筋力差というものはどうしても存在する。

 そんじょそこらの一般男性ならともかく、ドラゴンすらその身体能力を以て圧倒した播凰を純粋に拳で迎え撃つというのはリスキーでしかない。

 

 故に、馬鹿正直に正面から止めるのではなく。伸びてきた拳を側面から掌底で叩き、受け流す。

 タイミングを誤れば致命的だが、ジュクーシャとて戦いの場数を踏んできた戦巧者。加え、彼女が得意とするのは速さであった。

 迫る一撃一撃を、大きく弾くことはできないが。見切り、僅かなりとも軌道を逸らせさえすれば、後はその身軽さを以て躱すことを彼女は可能としていた。

 

 播凰の拳とジュクーシャの掌底がぶつかり合う接触音が。二人の床を蹴りつける力強い鳴動が。

 折り重なり、幾度と繰り返し室内に反響する。

 

「ほぅ、受け流すか!」

 

 一転して攻勢をかける播凰に対し、守勢に回る形となったジュクーシャ。

 ()なし、或いは躱し。両者共に目まぐるしく立ち位置を変えながらも、決定的な一打は入らない。

 

「見込んだ通り、楽しませてくれる! ……むっ?」

 

 自身の拳が相手を捉えきれていないというのに、むしろ嬉しそうに笑う播凰。その体勢が、直後崩れた。

 掌底で播凰の攻撃を捌いていたジュクーシャが、数度の交差の後、身体を沈み込ませたのである。

 かけたのは足払い。突きによる踏み込みで重心が傾いた直後を狙った形となり、綺麗に決まった。

 笑みを浮かべたまま、両足を宙に浮かし上体を地面へと落下させていく播凰。

 そんな彼に容赦なくジュクーシャはそのまま追撃をかけようとするが。

 

「――っ!」

 

 ふと感じた、寒気。

 己の直感に従って、咄嗟に片腕を頭上に掲げれば。瞬間、少しでも気を抜けばそのまま持っていかれそうなほどの衝撃が、掲げた腕に伝わる。

 受けていたのは、脚だ。足払いによって体勢を崩したはずの播凰の、その身体を反転させながらの蹴りがジュクーシャの頭上を急襲したのだ。

 後方に跳び退ることでその勢いから逃れるジュクーシャであったが、蹴撃を受けたその腕はジンジンとした熱を放っている。

 

「素晴らしいボディーバランスです」

 

 視線の先、無様に身体を横たえることなく地に手をやって軽やかに着地する播凰に、ジュクーシャは賛辞を贈る。

 筋力を恃んだ、力任せなだけではああは動けないだろう。

 頑丈さにパワー。加えて、バランス感覚と柔らかさも併せ持つというのだから、恐ろしいものである。

 

「そちらの見切りも大したものだ。受け流されるならばそれもまた良しとしていたが、まさか全て当たらぬとはな!」

「それは恐縮ですが……」

 

 ジュクーシャの見た所、播凰はまるで息を乱しておらず、かなり余裕がある。

 攻撃に関しても、あまりに安直だった。なにせ、フェイントや他の部位による攻撃などを織り交ぜることもせず、ひたすらに正面からの拳の連打という単調さ。

 それも、当てることに躍起になっていたというより、むしろ受け流されることこそを痛快として楽しんでいた節がある。

 そんな彼女の何とも言えないような視線に、播凰は頭を掻いて。

 

「うむ、すまぬ。こうしてのびのび身体を動かすのが、それもすぐに倒れぬ実力者を相手にできたことが久方ぶり故、つい嬉しくなってな」

「いえ、責めているわけでは。……こちらも、このような場に立つのは久しぶりですので、気持ちは分からないでもありません」

「なんと、このような場所を知っていたのにか?」

「はい、ここを使用したのは数える程ですし、以前に使用してから少し間も空いています。今は店舗移転のためにお休みですが、普段は日中に働いていますのでそのようなこととは縁遠いですしね。……戦うことを考えずに日々を暮らせるというのは、良きことです」

 

 しみじみと呟いたジュクーシャは、少しばかり目元を緩める。

 前の世界では戦いの日々であったものの、この世界での生活においてはほぼほぼ無縁といってもいい。

 数える程度(・・・・・)には、培った戦闘技能を振るったことはある。

 だが、基本的にはゆりのお店で働き、相手にするのは敵から客へ。握る刃とて剣から包丁に、向ける対象も悪から食材へと変わった。

 魔の脅威に怯えて生活する人々の顔を見ることもなければ、命を散らす瞬間を見ることもない。

 完全に事件がないというわけでもないようだが、それでもジュクーシャの元いた世界よりは格段に平和で、だからこそ戦う機会も必要性もなかった。

 

「手合わせを受ける折に大層なことを言いはしましたが、少々鈍っておりますので……実力が伴っておらず、申し訳ありません」

「いや、何ら恥じることはない。軽い手合わせとはいえ、それでも私の動きについてこれる者はそうはいなかった」

 

 誰かを傷つけるためでも、誇示するためでもなく。ただ、魔を討つために。

 それを理由に、一度は播凰の申し出をジュクーシャは断ろうとした。だが、考えてみればなんとも上からの言い種だ。これでいざ醜態を晒していたならば、無様でしかなかっただろう。

 そのことを今更ながらに謝れば、播凰は首を横に振って。

 

「それにしても――身命を賭した争いを考えることのない日々、か。以前までは想像もつかなかったが、存外、そのような世界もあるものなのだな」

「……はい」

 

 ジュクーシャとは異なり、播凰の通う学園では一応、生徒同士で戦うことこそあるものの。それも、互いの生死を懸ける程ではない。

 ジュクーシャであれば、モンスターや魔物が。播凰であれば、敵国の兵が。

 それら命を脅かす存在のない、平和な日常。その実在を、彼らは今、身を以て味わっている。

 各々の出身世界は別であり、思い浮かべることこそも別物だが、感慨は等しく。

 

 対峙する反面、それを否定とまではいかないものの、似つかわしくない空気が流れ。

 

「そうだ、折角の機会です。剣を振るうことができない代わりと言っては何ですが、播凰くんには私の世界の術――魔法をお見せしましょう」

「ほぅ!?」

 

 穏やかな笑みを浮かべたジュクーシャに、播凰が被せるように喰い付いた。

 

 

 ――――

 

 

「――さて、どう見た? 暗殺者の君よ」

 

 アマゾネスの女が、オークの男――鬼三に問いかける。

 ころころとした童のような、それでいてなまめかしい成熟さを併せ持った女の顔。

 そのエキゾチックな美しい黒肌も相俟って、一たび街に出れば道行く人々の視線を釘付けにするであろう、その妖しさに。

 

「……変ワリ者ダナ」

 

 心動かされることなく、端的に鬼三は告げる。

 そう、変わり者だ。

 片や、オークという種を知らずして尚、異形に微塵とも恐れを抱かず。

 片や、オークという種を知っていて尚、硬くとも融和の姿勢を見せた。

 いくら無害だと伝えたところで、そう主張する第三者があったところで、耳を傾けぬ者はいる。そんな人間はざらで、だからこそ両者の態度は異質だった。

 

「クハハ、オークたるその身を理由に邪険とされなかったことが、余程嬉しかったと見える」

「…………」

「冗談じゃ、そう睨むでない」

 

 ジロリと瞳だけを横に動かして睨む鬼三に、しかしアマゾネスの女はからからと柳に風。

 そんな両者のやり取りを聞く者は他にない。

 不和による問題は生じなさそうと見て取ったのか、管理人はいつもの特徴ある間延びした声で、業務に戻ると既に去っている。

 このフロアへのボタンの関係上、降りてくる時には管理人の同乗が必要だが、戻る時は不要なのだ。

 

「にしても変わり者、正しくその通りよのぅ。全く、この妾をモンスター呼ばわりしおって」

 

 ぶつくさと文句を垂れながら、アマゾネスの女が眼下の播凰に向けて目を細めれば。

 それに倣うわけでもないが、鬼三もまた話題の元である彼に目をやる。

 

 ――威がある。

 

 一見して、それを感じた。

 漂ってきたのは戦場のにおい。成人に未達と言える容姿の範疇にありながらも、疑う余地のないそれは、少しばかり身を離していたとしてそう簡単に消えるものではない。

 

 事実、傍目からは明らかに激しい動きをしながらも、愉しそうな余裕のある面持ち。

 軽い手合わせなどと宣っていたが、あくまで当人達基準だ。少なくとも、そういったことに場慣れしている自身からすらして、あれは軽く身体を動かす程度で済む話ではない。

 

「……マア、ソモソモ立チ位置ガ異ナル」

「ん? ああ、それはそうじゃろう。王と勇者なぞ、妾達とは対極の存在じゃろうて」

 

 独り言に、アマゾネスの女が反応する。

 鬼三からすれば、接近戦の心得こそありすれ、ああいう真っ向からのぶつかりなど極力避けるべき事態だ。その場に引きずり出される、若しくは縺れ込まされた時点で失策、撤退すら視野に入れる。

 遠距離からの狙撃、不意を突いた奇襲、毒物等にはじまる道具を用いた搦め手。

 鬼三が――オークの暗殺者たる彼が得意とするは、それらであった。

 

 播凰()の方もそうだが、ジュクーシャ()の方も方だ。

 正々堂々と対峙し、相手を見据える。

 戦い方だけではない、その心構えもが真っすぐで正直。腹に一物もないとは言うまいが、見せかけだけではああは振舞えまい。

 裏表のない、とでも形容すればいいのだろうか。確かに、対極というのも過言ではない。

 

 ……裏ガ見エナイト言エバ。

 

 鬼三は、傍らに立つアマゾネスの女を見やる。

 感覚で分かる。王と勇者、かつて表舞台に立っていたであろう彼等と違い、自らと同じく裏の世界に生きてきた同類。

 あちらが鬼三を暗殺者と呼ぶように、鬼三もまた女のかつての身分に見当がついている。

 

 ――間諜。

 

 派手な装い、本人が自賛する美貌に目が行きがちだが、彼女の正体は恐らくそれだ。

 さて、間諜と一口でいえど、その役割は様々ある。

 即ち、五間。

 

 一つに、敵国の郷里に住まわせる、郷間。

 二つに、敵国の官界にて活動させる、内間。

 三つに、敵対する間諜に潜ませる、反間。

 四つに、敵のみならず味方すら翻弄し欺く、死間。

 五つに、探った情報を持ち帰らせる、生間。

 

 たかが間諜と侮ることなかれ。それら総てが捕捉されることなく一斉に用いることができれば、君主にとってはこれ以上ない力、金で買えぬ宝となるとされる。

 諜報活動と聞き、大多数が真っ先に思い浮かぶことが多いのは最後の生間であろうが。この女はいずれの任を負っていたのか、或いは――。

 

「どうした、暗殺者の君よ。そう情熱的に妾を見つめて」

「…………」

 

 鬼三に振り返ったアマゾネスの女が、ニヤリと唇の端を持ち上げる。

 つい数瞬前までの考えを破棄し、彼女を無視して踵を返す鬼三。

 エレベーターへと向かう一本道、後方からヒールの音が追いかけてきた。

 

「なんじゃ、戻るのかえ?」

「見ルベキモノハ見タ。コレ以上長居シテ巻キ込マレテハ適ワナイ」

「ふむ、であれば、妾も夜まで一眠りといくかの」

「…………」

「それといい加減、酒を飲みに来てくれてもいいんじゃぞ? VIPルームならば、その外套を纏わずともよいからのぅ」

「行カン」

「クハハ、やはり釣れないのぅ。この世界の酒も中々いけるというに、勿体ない」

 

 王であれ勇者であれ、今は同じくここの住人だ。

 かつては意味を為さず、上下関係などない。

 接触は強制されるものではなく、手段があれば他の住人との不干渉を貫くことも恐らく可能だ。

 

 けれどまあ、嫌な気分はしなかったと。

 そんなことを思いながら、次いで、自身の後ろを着いてきながら軽口を叩く女のことを考える。

 

 アマゾネスの間諜。

 正直な話、武勇を誇り好戦的とされる種族である彼女達のイメージに似合わない。

 命じられたのか、或いは自主的か。どちらにしろ、どうしてそうなったのか。

 

 そんなことを考え、ふと鬼三は鼻で笑った。

 

 オークでありながら暗殺を主としてきた自分もそうとやかく言えることでもなく。

 何より、この世界への誘いを受けた時点で、我々はそれを手放しているのだと。




話の展開がちょっと遅いですが、必要な部分でして。。
次で一旦最強荘パートは終わる予定。
学園パート→配信パート→……と続きます。


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11話 勇者の術指南(前)

「私の世界にあった、魔法という術。それはこの世界でいう天能術と似ているところがあります」

 

 まずそう前置きしたジュクーシャは。例えば、と少しばかり目を遊ばせて考えるような仕草をした後。

 何が出てくるのかとワクワクと期待に満ちた顔をする播凰に気付き、苦笑し。

 コホンと咳払いをして、その右手を持ち上げる。

 

「我が身に宿りし光の因子よ、我が周縁を照らせ」

 

 柔らかくもはっきりとしたジュクーシャの声が場に響いた、直後。

 彼女の右手付近の宙に描かれた、白く輝く幾何学模様。それより淡く発光する球体が飛び出したかと思えば、弾け。

 広大なフロア全体とまではいかずとも、パァッと柔らかくも強い光が二人の周囲一帯を照らした。

 播凰の元いた世界で灯りとして用いられていた火のようなそれではなく。この世界における一般的な照明器具――今正にフロア全体を照らす無機質なそれでもなく。

 不思議と安らぎを覚えるような、見ていて飽きない輝き。

 

「ほほぅ、見事! 美しいものだ」

「ありがとうございます。……とはいえ詠唱、それと魔法陣の有無に違いはありますが、天能術でも同じような光の術はあるでしょうね」

 

 感心したように頷きながら、一段と明るくなった周囲を播凰が見回せば。

 その純粋な賛辞を受けてか笑みの中に含羞を浮かべたジュクーシャは、慎ましくそう返す。

 

「魔法陣……というのは、先程の見慣れぬ模様のことだろうか?」

「はい。体内の魔力という力を練り上げて陣を刻み、発動させるというのが私の世界の――私の知る魔法です」

 

 既に消失しているが、つい数瞬前までは控えめながらも清くその存在を主張していた白。

 魔法陣、と口の中で転がしながら、それが描かれていた虚空を播凰は見やる。

 彼にとっては円の中にいくつもの複雑な線が引かれているというだけで、はっきり言って意味不明ではあった。だが、白く輝くそれは世辞抜きに綺麗なものとして目に映っていた。

 

「うむ、良い物を見せてもらった! ……が、天能術と似ているというならば――戦いとしての術でもあるのだろう?」

 

 満足気に頷き。けれど、破顔してその先を促すように。

 暗に――否、ほぼほぼ直球で、それを用いて戦えと。逃がさぬとキラリと播凰が目を光らせる。

 爛々と煌めくその瞳は、つい数瞬前と同じように期待の色を湛え、けれども明らかに別種のものであり。

 観念した、というよりかは、その反応は想定の内にあったのだろう。

 

「同じく、程々とはなりますがそれでもよろしければ。……そういえば、結局有耶無耶となってしまっておりましたが、天能術に関して教えるという約束をしていましたね」

 

 あくまでも手加減することは変わらず。同時に、以前流れで天能について播凰に教える約束をし、けれども諸々の理由でほとんど流れてしまっていたそれについてジュクーシャが言及した。

 その時は性質が不明であったことと、何より学園への入学が決定したことで管理人によって勉強漬けにさせられていたこと。それらによって、ジュクーシャからの教えは少ししか受けておらず。

 一応、性質が覇であると分かってからも多少の助言はもらったものの、そのくらい。

 

「どうでしょう、性質も判明して術も使えるようになられたことですし。何より学園に通われているので、そちらの方はもう大丈夫そうでしょうか?」

「ふぅむ……いや、ジュクーシャ殿にはジュクーシャ殿で教えを請いたい。学園でも一応は指導を受けているのだが、まずは制御、慣れが必要だと言われていてな」

 

 一転、煌めいていた播凰の瞳に陰りが浮かぶ。

 

 課題は制御で、まずは術に慣れておくこと。

 現状、教師たる紫藤から伝えられているのはそれだ。

 正直言って、播凰はそういった細々したことが苦手である。本来ならば、折角術を使えるようになったのだから人目を気にせず何も考えず、色々な術を受けては打ってと楽しみたいところなのだ。

 だが、紫藤によってそれは制限されている。

 一応は、播凰の性質を知る者――毅とであれば許されてはいるものの、彼ができるのは単純に岩を飛ばす初級も初級の術のみ。となれば、相手の術を返すという播凰の術――覇放・我執相呑によって打てるのも必然的にそれしかできない。

 率直に言えば、早くも飽きが来はじめていた。しかし一度してしまったからには約定を違えることはできない。

 

 そんな、言葉にせずとも、態度に混じる不満の色を見て取ったのか。

 ジュクーシャは少し考えるように顎に手を当てて。

 

「派手な術や大技を打ちたがる気持ちは、分かります。初心者は特にその傾向がありますし、その思いはおかしくありません。ですが慣れというのは、地味でこそあれ大切なこと。恐らく、その方の指導方針は間違っていないでしょう」

「むぅ、それはそうだが……」

「術というのは、身体を動かすのと同様に力を――エネルギーを使います。私の世界では魔力が、この世界では天能力がそれにあたりますね。それら効率的な力の運用をする第一歩は、まず慣れること。自然に術を発動できない内は、不必要な疲労を重ねることとなりますから」

「…………」

 

 頭では、理屈では。播凰も分かってはいるのだ。

 慣れというのを軽視してはいけないのは、他にも言えること。

 加え、疲労というのも心当たりはある。

 最初に術を発動した笠井との戦いの後は、慣れない感覚に意識を手放し朝を迎えていた。今も術を出す際は身構えるというか、術を出すこと自体に意識を集中させる必要があり、ある種の疲れがないわけではない。

 

「――ですので視点を変えて、私は実戦形式での術の使い方についてお教えしましょう」

 

 紫藤の方針に同意し、慣れが重要と説いたジュクーシャ。

 話の流れ的にてっきり同じようなことを言われて終わると思っていた播凰であったから、彼女のその提案にパチパチと目を瞬かせる。

 

「以前もお伝えしたように、覇の術というのは私の世界になかったもので、そちらに関しては残念ながら教えられることがありません。ただ、武器を手に振るうことがどの世界でも共通するように、術もまた発動後の扱いに関してはそう大きく変わることはないでしょう」

「言われてみれば、剣や槍に始まる武器の概念は前も今も同じだな」

「強力な武器や術というのは、確かに戦いを有利に運ぶ大きな要素となり得ます。しかし、優れた武具の持ち主が必ずしも勝者とならないように、術に関しても駆け引きや扱いの巧みさが戦いの趨勢を決定づけることがあります。術というのは、ただ単に強いそれを繰り出していればいいというわけではないのです」

「成る程、そういうものか……うむ、きっとそうに違いない」

 

 威力という点において、今まで播凰が受けた中で一番強かった天能術は、覇の術(我執相呑)を見せる際に紫藤が放った鋼放(こうほう)螺旋(らせん)(つい)。身の丈を超えた巨塊に尖鋭な先端が高速で回転しながら前進する、鋼の性質の術。播凰の肉体に傷を負わせることはなかったが、間違いなくそれが一番だ。

 が、であれば最も危うさを感じたのがそれかと問われれば、そうではない。

 

 リュミリエーラを襲った巨漢の男、笠井の音の術。それが迷うことなく一番手に上がる。

 無論、その時の状況の違いというのはある。が、少なくとも播凰にとって脅威足り得たのは、単に強いだけの術ではない。それは間違いなく。

 

「ただ強い術を打てばいいというわけではないのは分かった。しかし扱いの巧みさ、というのは? どのような術かは決まっているのだから、それに従って使うだけなのではないか?」

 

 実体験から、ただ強いだけの術が脅威になるわけではないのは理解した。それは武芸にも言えることであり、単に腕力だけが物を言う世界ではなく技術でその差を覆せることを知っているから、分かる。

 が、術の扱いの巧さというのが播凰にはピンと来ていない。術の効果が決まっている以上、扱いも何もないのではないか、と。

 

「ふふっ、それでは実際にやってみせましょうか」

 

 首を傾げる播凰に、ジュクーシャはクスリと笑い、少しだけ距離をとる。

 疑問が解決しないながらも、それを見て取り敢えず播凰も構え。

 

「我が身に宿りし光の因子よ――」

 

 詠唱と共に、ジュクーシャが足を踏み出す。

 その出だしは先程聞いたものと同じ内容。だが、ただ光で照らすだけの術が戦いに影響を与えるとは思えない。

 であれば、光のまた別の術だろうと結論付け。今度は何が出るかを見逃さぬよう注視する播凰であったが。

 

「――我が周縁を照らせ」

「……っ!?」

 

 予想に反し、先刻と同じ術の詠唱。それを頭が理解した、瞬間。

 視界を覆う輝き。そのあまりの眩さに、咄嗟に両の眼を閉じたものの。

 瞼越しにすら光は届き、播凰は無意識の内に顔の前で両腕を交差させ、庇うような体勢を作らされていた。

 

「光とは、人々に寄り添い日々の営みにおいて欠かせない存在。闇を晴らし、心に安寧を与えてくれる人類の味方。……しかし、時に過ぎた明るさは直視してしまうことで人体に影響を与えます。故に、至近距離で発光させれば目眩しに。強すぎる光にもなれば目を焼き、視力すら奪い取ることもできてしまうのです」

 

 背後から、声。

 ゾっとさせられるような内容であるが、パチパチと瞬きする播凰の眼はぼんやりとだが徐々にその機能を取り戻しつつある。

 ただの一時的な目眩しではあった。だが、脅すような物言いは、まるで光を照らすことで何ができるわけでもないと早合点した播凰の内心を見透かしたようで。

 

 万全な体勢でないながらも、声に反応して反射的に振り返った播凰の身体に、ジュクーシャが組み付く。

 女性らしい柔らかさでありながらも、がっしりと。

 そのまま右腕を抱えるように掴まれたかと思えば、勢いよく反転されながら懐に入られる。

 

「また、一部の術は体術と組み合わせることで、単体で発動するよりも更に効果を引き出すことのできる使い方もあります」

 

 背負われるように、抱え込まれた右腕が強く引かれ。播凰の両足が地面から離れかけた、瞬間。

 

「我が身に宿りし風の因子よ、暴風となりて彼の者を吹き飛ばせっ!」

 

 刹那の、浮遊感。

 それはジュクーシャに投げられたことによって、播凰の全身が持ち上がったためであり。

 

「おおおっ!?」

 

 直後に、今までに経験したことのない、己の意思とは無関係に身体が上昇していく感覚。

 その正体は、ゴオォッ! と圧を感じさせる音を立てて斜めに吹き上がる風の流れ。

 逆さまとなった視界で地面を見下ろせば、播凰を投げ飛ばした態勢のジュクーシャのすぐ側に緑色の魔法陣が展開され、力強く明滅していた。

 

 四肢に、胴に、顔面に。吹き荒んだ風が、びゅうびゅうと播凰の全身を絶えることなく叩きつけられる。

 流石の播凰も、空中に打ち上げられてしまってはそれを受けることしかできない。頭を下、脚が上と天地逆転となった状態もそのままに、ただただ抗うこともできずに身を運ばれていく。

 ジュクーシャに投げられただけでは、或いは単に風に突き上げられただけでは、こうはならなかっただろう。

 誰にでも平等なはずの重力はしかし、この時ばかりはまるで機能することを忘れたかのよう。

 投げの勢いに風の勢いが加わった相乗効果。正しく体術()魔法()の組み合わせ、完成された一つの技術であった。

 

「成る程、扱い方か!」

 

 ジュクーシャの言葉の意味をその身を以て理解し、感嘆の声を上げる播凰であったが。

 状況を考えれば、そう呑気にばかりはしていられない。

 チラッと頭だけを振り返れば、眼前に迫るは部屋の壁。

 魔法陣から離れたためか、風の勢いも衰えつつあるとはいえ。さて、そのままでは激突は必至だが――。

 

「流石ですね」

 

 地上からそれを見上げていたジュクーシャは、予期していたかのように頷いた。

 彼女の視線の先、そこには宙で身を捩って足先から壁に張り付くように着地し、こちらを見下ろす播凰の姿。

 その足元は着地の衝撃を物語るかのように凹んでおり、周囲には亀裂が生じている。

 

 冷や汗と共に安堵していてもおかしくはないのに、浮かんでいるのは不敵な笑み。

 彼ならば自力でなんとかするだろうと見越して仕掛けた身とはいえ、遠目でも間違いなくそうと判別できる顔に、少しだけ苦笑しかけ。

 けれども落下してこず、ググッとまるで足に力を溜めている様子に、ジュクーシャは目を細めた。

 

 ――来る。

 

 距離がある。高低差もある。

 飛び道具でもなければ――いや、飛び道具でも警戒するのはその予備動作を見てからでも遅くは無い。

 彼我の状況だけを見れば、充分に一呼吸つけそうなタイミングにあって、しかし。

 迷わず彼女は瞬時に動く。

 

「我が身に宿りし雷の因子よ、我が身を守護する盾となれ!」

 

 かつて戦いに身を置いていた者としての、直感だった。

 激しい閃光と共に、両者を隔てるように形成されるは雷の盾。身体の一部どころではない、ジュクーシャの全身をすっぽりと覆い隠して尚、余り有る大きさ。

 突如として現れた金色の輝きに、播凰の頬がニィッと吊り上がる。

 

 風は既に微風、強風の名残程度の些細なそれが頬を撫でるだけ。否、仮に吹き続けていたとて、構うものか。

 

「行くぞっ!」

 

 引き絞られた矢のように、壁を蹴った播凰が飛び出す。

 風を切り裂き、地面まで一直線。後先考えない――考える必要のない、一撃。

 狙いは無論、立ちはだかる雷の盾以外ありえまい。

 自然現象としては不自然な形で固定され、しかしバチバチッと青白く迸り存在を主張するそれ目掛け。左足は軽く曲げ、右足をピンと真っすぐに伸ばして足裏から突っ込む。

 

 ――ドシャァッッ!!

 

 高速の飛び蹴りが、盾の中央部を苦も無くぶち抜いた。

 一瞬の拮抗すらない。金色の粒子が次々に弾け、ど真ん中にぽっかりと大穴。

 憐れ、雷の大盾はもはや原型を辛うじて留めているだけの意味のない置物と化す。

 

「……むっ」

 

 ――けれど、その向こう側にいるはずの、ジュクーシャの姿はそこに無かった。



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12話 勇者の術指南(後)

「――防御の術の本領は、術者の身を護ること。けれども形状次第では、機能が損なわれるその瞬間まで、相手の視界を遮りこちらの行動を悟らせないという役割にも期待できます」

 

 声は、頭上から響いた。

 と、同時に。蹴りの勢いで(しゃが)むように着地した播凰の足元から飛び出してきた何かが、両腕を絡めるように腰に巻き付く。

 地面に刻まれた白い魔法陣から伸びる光り輝く鎖、それが播凰を拘束している物の正体だった。

 

「我が身に宿りし水の因子よ、彼の者を押し流せ!」

 

 詠唱に釣られて頭上を仰ぎ見た播凰の眼に飛び込んできたのは、滝のように落ちてくる大量の水。

 零れ落ちた一滴が先んじて腕を濡らした、次の瞬間。まとまった水の塊が光の鎖で縛られた播凰を呑み込むようにどっと降り注ぎ、地面に接触したことで大きく波打った。

 

 突如として水中に沈む形となる播凰であったが、それも一瞬のこと。

 ここが水が溜まるような地形ならまだしも、そうではない。

 ぷはぁっ、と播凰が水面から顔を出した後は、平地を四散して流れていくだけで。

 腕を拘束していた光の鎖もいつの間にか消えており、自由になっている。

 

 と、全身ずぶ濡れとなったことで、ぶるぶると水飛沫を撒き散らす播凰の傍らに、タンッ、とジュクーシャが着地をした。

 その顔は、申し訳なさそうに播凰を伺っていて。

 

「すみません、一番威力が低いことを理由に水の術としたのですが……濡れた後のことを考えていませんでした」

「ははっ、いやなに、落ち着くのに丁度良かったところだ」

 

 季節的にも、徐々に気温が上がって来ている今日この頃。また戦いとしての一区切りともなった。

 ジュクーシャの謝罪を不要と笑い飛ばし、播凰は着ていたシャツを徐に脱ぐ。

 

「つまり、あれか。私の視界が盾の術によって塞がれた一瞬――盾が壊れる寸前に上に跳んでいたということか」

「んんっ、そうですね」

「そうして、回避行動を隠したと同時に元居た場所にあの罠を張り、盾を破った私がまんまと引っかかったと。成る程、考えられたものだ」

 

 上半身を露わにしたことにより、僅かに赤面して播凰から視線を逸らすジュクーシャを気にした様子もなく。多量の水を含んだそれを絞りながら、播凰は考えを纏める。

 播凰が盾に近づくよりも前に跳んでいたならば、その姿が見えていたはず。しかし播凰は上空に逃げるジュクーシャを眼にしていない。

 となればあの時、間違いなくジュクーシャは破壊されるその間際まで、盾の向こう側にいたのだ。

 彼女が言ったように、単に護りではなく目隠しとして用い、悟らせないために。

 

「……こほん。術というのは、威力や効果が重視され、そればかりに気を取られてしまう人は多いでしょう。ですが、術の性質や属性そのものとしての特性、術の形状そのものとしての特性。それら構成される要素の全てを以て、一つの術なのです」

 

 咳払いをして動揺を落ち着かせたジュクーシャは、播凰の顔に視線を固定する。

 

「ただの術の打ち合い合戦であれば、そこまで気にする必要はないかもしれませんが。戦いの中においては、それら術の要素を活かすも活かさないも術者次第。……どうでしょう、少しはお役に立てましたか?」

「うむ、術とは思っていたよりも奥深いことが分かった! 学園では、そのような教え方をされていないからな!」

 

 学園でのそれは、一応戦いを想定しているものの、どちらかといえば精度や威力といった術そのものを鍛えるようなものである。今のように戦いを組み立てるような――応用的な教えではない。

 もっとも、現状は高等部一年だからであり、もっと言えば播凰が所属しているのが実力最下位の組という理由だからかもしれないが。

 水を絞ったシャツを再び身に纏いながら、ふとした疑問を口にする。

 

「それにしてもジュクーシャ殿は、最初の光に始まり……風、雷、水と、複数の術を使っていたが。そちらの世界の魔法というのは、そういうものなのか?」

「はい。適正は一つだけに当てはまらず、私以外でも複数の適正を持つ者はいます。もっとも、全員が全員そういうわけではなく、中には魔法の適正が全くない方もいますが」

「ほほぅ……ちなみに、今見せてくれた以外にも使えるのか?」

「そうですね、たった一つ――魔の眷属が扱う、闇属性を除いた他の全てが、一応」

 

 一つを除いた、全て。その回答に、播凰は目を丸くする。

 そんな彼の顔を見て、ジュクーシャはゆるゆると首を振った。

 

「とはいえ、知識や理解に関しては私はまだまだです。適正が多いからといって、その適正の全ての術が使えるわけでもありませんし……いうなれば、広く浅くといったところでしょうか。属性の数にしても、この世界の天能術における性質のように何十と存在するわけではありませんから」

「そうだとしても、羨ましいものだ。私の()はよく分からぬし、好き勝手打てるものでも――」

 

 混じり気無い羨望を向けていた播凰の言葉が、ピタリと止まった。

 どうしたのだろうかとジュクーシャが見れば、播凰は訝し気に首を捻っており。遂には唸るような声を上げ始める始末。

 心配したジュクーシャが声をかけようとしたその時、彼女にとって奇妙なことを播凰が言い出した。

 

「ジュクーシャ殿、何か目印、というか的のような物は出せたりするだろうか?」

「ええ、出せなくはないですが……どうされました?」

「うむ、私の唯一使える術が、受けた特定の術――天放属性の天能術を打てるというものなのだがな。それが出せそうな気がするのだ」

「……私の魔法を返せるということですか?」

 

 面食らい、驚きを込めて確認するように問い返したジュクーシャに播凰は頷く。

 播凰の言うことを疑ってかかっているというわけではないが、信じられないという思いがジュクーシャの中に渦巻いた。つまりは、半信半疑。

 

 ジュクーシャの世界の技能である魔法と、この世界の技能である天能術。

 似ているようなものだとは確かに言ったし、それは彼女の本音でもある。

 だが、確実に似て非なる物だ。魔法陣の有無からも、根本的に異にしていると見ていい。

 要するに、水やら雷やら、発動後の最終的な現象は類似こそすれ。源となる力も発動のプロセスも全くの別物のはずなのだ。

 

「……でしたら、私が的となりましょう」

 

 にも関わらず、天能術で魔法が打てるかもしれないと彼は言う。

 普通に考えれば法螺に聞こえてしまうが、播凰がそのような嘘をつく人間だと思っておらずまたその利点も皆無。

 相反する思いを胸に抱き、熟考の末にジュクーシャは播凰から適度な距離の場所に立った。

 

「ん? いや、別にジュクーシャ殿が的となる必要は――」

「心配は無用、これでお相子です」

「……まあ、そちらがそれでよいのであれば」

 

 ニッコリと、しかし頑として譲らなそうな彼女の笑顔に、播凰はあっさりと折れ。

 まだ少しだけ不慣れそうにしながらも、銀色の杖――彼の天能武装を顕現させる。

 

「では――覇放(はほう)我執(がしゅう)相呑(そうどん)っ!」

 

 そこで何も起きなければ、播凰の思い過ごしということで片が付いただろう。

 ジュクーシャとしても彼を責めるつもりはなく、しかしやはりと納得しただろう。

 

 だが、起きた。

 播凰の呪文をトリガーに、ジュクーシャの半分の疑心を嘲笑うように。実にあっさりと、水が勢いよくジュクーシャに向かってうねるように流れ出る。

 迫りくる水流は、あっという間にジュクーシャを呑み込み、僅かに押し流した。

 

 ジュクーシャのように魔法陣は出ていない。つまり彼女の知る魔法ではない。

 しかし。

 

「まさか私の魔法を、本当に……」

 

 ポタポタと髪から、ズボンの裾から水滴を滴らせながらジュクーシャが驚きの呟きを漏らす。

 直接受けたから分かる。あれは、単に水流という現象を模したものではなく、間違いなくジュクーシャ自ら()打った魔法だ。自ら()打った魔法だ。

 魔法でない技能が、魔法を再現する。

 自分よりも上の魔法の使い手。例えば、かつての魔法の師であった彼女がこれを知ったら、仰天するだろう。発狂するだろう。

 或いは、狂喜乱舞して喜々と播凰を質問攻めにするかもしれない。

 もっとも、いるはずのない人物に思いを巡らせたところで、何の意味もないが。

 

「おおっ、やはり出せたぞっ!」

 

 そんな彼女の内心をよそに、視線の先の播凰は無邪気に喜んでいる。

 ジュクーシャ程の驚きが彼にはない。彼にとっては、他の術と同様に返せたという事実でしかないのだろう。

 半ばボーっとした頭でジュクーシャは播凰に近寄り、それに気付いた彼が興奮気味に振り返った。

 

「どうだった、ジュクーシャ殿! あれは水で、魔法とやらだったか!?」

「……ええ、驚くべきことに、そのようです」

 

 ジュクーシャが認めれば、そうか、と播凰が破顔する。

 何をやったのか、どうやったのか。質問をしようとして、播凰のその顔を見ながらなんと切り出そうかと言葉を選ぶジュクーシャであったが。

 うんうんと満足気に頷く彼は、ふと、何かに気付いたようにじっと彼女を見て。

 

「少しばかり感覚が違ったから確信が持てなかったが、うむ。確かに濡れているし、透けている」

「はい、魔法とはいえ正真正銘の本物の水ですから、濡れも透けも――え?」

 

 魔法によって作られたものとはいえ、水は水である。

 普通の水を浴びたことと変わりなく、播凰の言葉に首肯しかけたジュクーシャはけれど、言葉を切り。

 ギギギ、と恐る恐る。播凰の視線を追うように、首を下に自身を見下ろした。

 

 ジュクーシャの着ていた白いシャツ。それが水に濡れたことにより、ぴっちりと肌に張り付き――真っ赤な下着が思い切り透けて見えていた。くっきりと、その形を鮮明に浮かび上がらせて。

 瞬時に、ジュクーシャの頬が紅潮する。まるでその色は、胸につけたその下着同様に鮮やかな赤。

 

「あ、いや、これは……そ、その、私が自分で購入したわけではなく――」

 

 狼狽し、ゴニョゴニョと。

 引き攣ったか細い声で、視線をあちこちに彷徨わせるジュクーシャであったが。

 

「しかし、先程のアマゾネスとやらもそうだったが――他の世界の女子は、随分と派手なものを身に着けるのだな」

 

 呑気な播凰の声が、止めだった。どうやら単なる事実とだけ捉えているようで、視線や声色に恥ずかしさや情欲がないのが救いか。

 だが、むしろそれが逆に彼女にとっては更なる羞恥を与え。

 顔だけでなく、全身に回る熱。もはや、何を播凰に問おうとしていたかなど、疾うに頭から消えており。

 

「――ッッ!」

 

 声にならない悲鳴。

 脱兎の如く、ジュクーシャはその場から遁走した。

 流石の身のこなし、階段など無視して一気に跳び上がっていき。

 結果、この場にぽつんと、ただ一人播凰だけがだだっ広い空間に立っていて。

 

「……む?」

 

 残された播凰は、ただただ首を傾げるのであった。

 

 

 ――――――――

 

 

 その日の夜、播凰の元に二つのメッセージが届く。

 一つ目はジュクーシャから。

 そこには先に帰ってしまったことの謝罪と、身に着けていた物は店の――リュミリエーラのアルバイト仲間と買い物にいった際、半ば無理矢理プレゼントされたもので自分で選んだわけではないという旨が長々と力説されていた。

 

 確かに派手だと思いはしたものの、別段何を身に着けていようが気にはしないし当人の自由ではと思いつつ。

 また時間を見つけて今日のように手合わせや術について教えてもらいたいことを返信。二つ目のメッセージに目を向ける。

 その差出人は、二階の姉弟の姉の方、二津辺莉。

 

『部活とは少し違うみたいなんだけど、研究会っていうのが学園にあるんだって! その中で面白そうなとこを見つけたから、明日の朝、学園に行かないで最強荘の門のところで待ち合わせね!』




読んでいただきありがとうございます。
次回は『異世界道具研究会』、よろしくお願いします。


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13話 異世界道具研究会

「うむ、よき目覚めだ。今後も時折、ジュクーシャ殿に立ち合いと術の教えを請うてみるとしよう」

 

 全力でなかったとはいえ久々に身体を動かしたからか、翌朝の寝覚めはいつもよりもすっきりとしていた。

 術を使えるようになってからはそればかりにかまけ、そもそもからして日常生活はおろか学園とて身体を動かす機会はほぼほぼ無い。これが接近戦主体の武戦科であればまた違ったのだろうが、播凰が所属するのは天戦科。天能術を主体とした中、長距離戦をメインとしたそれであるから、当然のように拳で打ち合うような授業などありはしない。

 

 そんな播凰にとって、最強荘地下一階(場所)ジュクーシャ(相手)の存在は正に渡りに船であった。

 これからも昨日のような場を設けてもらおうと心に決め、それはそれと切り替えて寝具から起き上がる。

 

 手早く朝の支度を済ませて、エレベータで0階のエントランスへ。そのまま、辺莉との待ち合わせである最強荘の門へと足を向けたのだが、しかしそこには誰の姿もなく。

 先に来たのか、と少しばかり首を捻る播凰。するとその時、彼の後方、最強荘の庭に立っている小屋――晩石毅の住居であるそこから、ガチャリと扉が開く音がして。

 

「あっ、ほらほら晩石先輩、播凰にい来てるよっ!」

「…………」

「うぅ、俺の朝ごはん……金欠なのに……」

 

 笑顔でこちらに手を振る辺莉と、その弟でいつもの仏頂面――でありながらも微かに後方を気にした様子の慎次。最後に、その家主である毅が何故かズーンと項垂れて消沈しながら。三人揃って、ぞろぞろと出てきたではないか。

 

「おっはよー、播凰にいっ!」

「うむ、おはよう」

「それじゃ、研究会について歩きながら話そっか! さっ、学園に向けて、しゅっぱーつ!」

 

 タタタッと播凰に駆け寄ると、隣に並びふんふんと鼻歌交じりに機嫌よく歩き出す辺莉。

 明らかに何かあったであろう毅の様子が気にならないでもなかったが、連絡を受けて気になっていた『研究会』の単語に興味が勝り、播凰も彼女に歩を合わせる。

 

「して、研究会といったか。それはどういったものなのだ?」

「んーとね、大雑把にいうと、規模が小さい部活みたいなものかなっ。生徒が自主的に好きなことやテーマで集まって立ち上げて、活動してるんだって! ね、面白そうじゃないっ!?」

「ふむ……それは結局、先日のようにクラスを理由に断られるだけな気がするが。――ああ、それとも、私達で新たに作るという話か?」

 

 朝から元気一杯で興奮気味に語る辺莉に対し、播凰の反応は芳しくない。

 辺莉と共に部活巡りをした際、播凰の所属クラスを聞くや露骨に態度を変えてきた生徒達の対応。それらが脳裏を過り、播凰は顎に手をやるが。彼女の言葉を聞いてふと思いついたことを、口に出す。

 既存の輪に入るのではなく、新しく作る。成る程、それならば断わられるもなにもない、と播凰は納得しかけたのだが。

 

「おぉーっ、それも楽しそうかもっ! でもねでもね、多分研究会はあそこまで酷い反応にはならないと思うんだー」

 

 当の辺莉は、全く考えていなかったと言わんばかりに目と眉を大きく動かした。

 好意的な反応を見せつつ、けれどもそうではないと、研究会ならば部活の時のようなことにならないのではとする理由がその口から語られる。

 

「まず部活っていうのは、学園側が公式に活動を認めている団体でね? そこでの活躍だったり成績だったりが評価されることがあるから、単純に好きとか楽しいって気持ちだけでやってるんじゃなくて、そういうの(・・・・・)を気にして入ってる人や活動してる人っていうのも結構いるらしいんだ」

「……成る程な、そのような者達にとっては、私のような天能術の拙い弱卒などむしろ不要ということか。くだらぬと思いはしたが、正当性はあったらしい」

 

 例えば、隊の中に一人、或いは一部の弱卒があるとする。そうした場合、一糸乱れぬ練度の高い行軍が要求される場面において、まず間違いなく彼等は脱落するか遅れるであろうことは自明の理。

 隊からすればただ脱落者は捨て置けばよいとはなるものの、客観的に見れば無様であり。仮に何らかの評価対象だとすれば、それら脱落した弱卒達だけではなく、ひいては隊全体の評価に関わる。

 ならばそのような存在など邪魔でしかなく、最初から隊にいない方がよい。何ら不自然ではない発想だ。

 弱卒を育て上げればよいと考える者もいるだろうが、皆が皆そう面倒見のよい性分ではないだろう。

 少なくとも(・・・・・)天能術(・・・)という分野(・・・・・)に関しては周囲より劣っている自覚のある播凰はその思考に理解を示す。

 

「あはは、随分あっさりと受け入れちゃうんだね……」

 

 貶められたにも関わらずそれをすんなり認めた播凰に、辺莉は苦笑する他なく。

 とはいえ本題はそれではないと、コホンと咳払いを一つ入れて。

 

「でね、部活と違って学園が公式には認めてないグループっていうのが研究会なんだって。その中には、評価とかは二の次で単に好きや興味だけで集まって活動してるところもあるらしいから、そういう研究会なら、所属クラスとかはあんまり気にせず受け入れてくれるんじゃないかって、部長さんから聞いたんだー」

「部長? というと――」

「うん、ウチの部活(青龍)の部長さん。高等部の三年生の人だよ」

 

 辺莉が所属しているという、一般の部活とは異なる位置づけらしい集団、青龍。

 部の長であり、最高学年である高等部の三年生。当然、播凰よりも学園ことについては詳しいはずだ。そんな人物が言うのならばその可能性は高いのだろうとは思いつつ、真実は実際に確かめれば分かると頷き。

 

「ふむ、何となくではあるが理解した。それで、面白そうなところを見つけたとあったが、どのような研究会なのだ?」

「むっふっふ、気になる? 気になっちゃうよねっ!? ――じゃじゃーん、ほらここっ! 『異世界道具研究会』だって!!」

 

 播凰の問いに、それを待っていたとばかりに含み笑いをして。勿体ぶりながら辺莉は、ずい、と端末を手に突き出してきた。

 その単語に少しだけ片眉を上げつつも、播凰は目の前に出されたそれを覗き込む。

 映されていたのは、部活探しの時にも活用した部活紹介、に似たページ。

 

『異世界好きの同好の士よ、ここに集え!

 武器や防具に便利アイテム、異世界の可能性は無限大!

 来たれ、浪漫を求めし探究者達!! 天孕具にその夢をかけるべし!!

 造戦科以外でも、所属学科及びクラス問わず大歓迎! ――異世界道具研究会』

 

 端末の文字を上から下になぞり、目線を辺莉にやれば。

 どう? どう? と彼の反応を心待ちにするような彼女がそこにおり。

 しかし残念ながら、播凰が返したのは彼女の期待するようなそれではなく。

 

「――管理人殿に聞いたところによると、私達のような異なる世界からの存在は秘密らしいが」

「ほぇっ? ……そうみたいだけど、それがどうかした?」

「にも関わらず、こうも当たり前のように異なる世界が認知されているのは、一体どういうことなのか?」

 

 きょとんとする辺莉だが、播凰にとっては不思議でしかない。

 この世界にやってくるまでは、住む世界と別の世界が存在するなど夢にも思わなかった。目の前に広がる、目に映る世界が彼にとっての全て。それ以上でも以下でもなかった。

 こういう世界であったらと考えたことはあるものの、それは完全に異なる別の世界ではなく。所詮は目の前の世界の空想上の改変で、現実の世界に引きずられていたにすぎず。

 また他の誰かがそれに類する考えや意見を発していたのも聞いたことが無い。

 つまるところ、三狭間播凰となる以前の彼にとっては、あくまで世界というものはただの一つだったのだ。

 

 それなのに、この異世界道具研究会とやらは当然のように異世界について言及しているし、先日プレイしたゲームも全くの架空の世界を題材に――しかもジュクーシャによると彼女のいた世界に類似する点すらあった――ときている。

 播凰達のように異なる世界から訪れた存在は秘匿されており、つまり存在を知られていないというのに。

 

 そんな疑問を呈すれば、辺莉は不思議そうな面持ちのまま首を横に傾げ。

 そのまま播凰を真っすぐ見つめ、少しだけ考えるようにした後、ポンッと手を打った。

 

「ああ、播凰にいのいた世界はそういう考えがあんまりなかったのかな? でも私のいた世界でも、異世界に行ったり、異世界に生まれ変わったり、あくまでお話上ではあるけどそういうのは別に珍しくなかったよ。ただ流石に、実際に異世界に行ったって言う人はいなかったけどね」

「そういうものか」

「そうそう、つまり実在を確信してるんじゃなくて、ただの想像ってこと! ……まぁ私の場合、異世界というか異界に行ったことはあったわけだけど」

「む?」

「ううん、何でもない! つまり、実際に異世界があるって知らなくっても、考えるだけなら自由ってことだね!」

 

 彼女がボソリと漏らした言葉は気になりはしたが、最終的には歯を見せて笑う辺莉の言葉に、ほぅと播凰は感心の息を零す。

 

「考えるだけなら自由、か。……中々良いことを言うな、辺莉」

「えへへ、それでどうする? 私は見た時に凄い気になったんだけど――あまりピンと来ない感じ?」

 

 脱線をしかけていたが、本題は研究会。

 はにかみながらも様子を伺う用に顔を覗き込ませてきた辺莉に対し、改めて播凰は端末へと目を走らせてみる。

 端的に言えば、播凰が部活に求めていたのは面白さ、興味が抱けるかどうかだ。部活見学の際にそういった直感で探せば、必然的に戦闘だったり天能術でどうこうすることを目的とした活動に絞られた。まあそうなるかと彼自身も思った。

 それを鑑みれば、この異世界研究会とやらは、それらとは外れたものであると言える。

 だが――。

 

「――武器に防具にアイテムを、天孕具で。……異世界の道具、か」

 

 惹かれるものは、あった。

 単純な道具ではなく、異世界の道具。

 この世界の道具、天孕具と聞けば記憶に新しいのは――天孕具という単語自体をその時に知ったというのもあるだろうが――覇の術を見せた際に紫藤が出した人型の的を出すそれだ。身近であれば、天能武装も天孕具の一部に分類されるというので、捧手厳蔵に造ってもらった銀の杖か。

 それら天孕具に限らず、普段の生活において使っているもの――家電等もそう。今でこそ便利に使えているが、この世界に来てしばしは慣れるのに時間がかかったものである。

 播凰からすれば、そもそもそれら自体が彼にとって異世界の道具。更にそこからの異世界というのだから、如何なるものか想像もつかない。

 考えるだけなら自由、と辺莉は言った。だが、考えても考えても想像できないこの胸中は、何と形容すればよいのか。

 

「武器――特に異世界の武器というのは、うむ、興味が湧いた」

「っ! じゃあっ!?」

「行ってみるとしよう」

 

 やったっ、と播凰の前向きな返事を聞いた辺莉が快哉の声を上げる。

 両者が合意したのだから、そこから話はすぐに纏まり。放課後に辺莉が播凰を迎えに来ることにトントン拍子で決まった。

 そうして話が一段落したところで、播凰はふと後ろを振り向く。

 そこには、今までの彼等の会話を聞いていたのかいないのか。会話に入って来るような素振りは欠片もなく、我関せずとした様子で少し離れて後ろに続いている、辺莉の弟の慎次と。

 

「――ところで気になってはいたのだが、毅は一体どうしたのだ?」

 

 その更に後方にて肩を落とし、顔すらも伏せ。トボトボと歩いている、播凰のクラスメートにして友、最強荘0階――もとい庭に住む晩石毅の姿があった。

 最強荘を出てからずっとあの調子だ。播凰と同じく、天能術のことで苦戦しているのは知っているが、どうにもそれが原因とは違う気がする。

 

「あー、あれね。……まぁアタシのせいといえば、せいなんだけど」

 

 するとそれを聞いた辺莉は苦笑し。タタッと播凰の隣を離れ、毅の元へと駆けていく。

 

「ほーら、晩石先輩、いつまでしょげてるの! 朝ごはんを一回食べなかった位で!」

「それを食べちゃった人が何言ってるっすか!? それにあれ、ただの朝ごはんじゃないんすよ! 金欠節約生活の中で奮発して買った、ちょっとお高いやつなんすよ!」

「はいはい、分かった分かった。じゃ、それよりもいいやつを今度買ってきたげるから、それでどう?」

「……うー、で、でも、後輩の女の子に買ってもらうっていうのも恰好が――」

「あーもう、面倒臭い先輩だなぁ……」

「め、面倒ってなんすかっ!?」

 

 どうやらそういうことらしい。

 ギャーギャーと聞こえてきた会話は、播凰だけでなく周囲にも聞こえており。

 道行く人は、微笑ましく見る者もあれば、五月蠅そうに見る者もあり。当然、全く気に掛けることなく歩き去っていく者もいる。

 早い話、当人にとってははさておき、至極どうでもいい内容だったということだ。

 

 とはいえ、確かに食事は大事であると、真剣に受け止め毅の怒りにも大きく頷いて理解を示す播凰であったが。

 

「――おい」

 

 そんな彼の傍らから、短く、しかし明らかに友好的とは言い難い呼びかけ。

 視線を合わせようとせず、顔すら向けようともせず、けれども明らかに播凰を意識して二津慎次がそこに立っていた。

 

「別に、辺莉と話すなとは言わない。だけど、あまり深入りはするな」

「ほぅ?」

 

 その声は、後方の辺莉と毅の騒がしいやり取りに呆気なく掻き消されそうなほどに細く。けれど確かに播凰の耳に届いた。

 しかし、それ以上の言葉はない。播凰が聞き逃したのではなく、慎次が紡がなかったのだ。

 むすっとしたその口元は、再度開かれる兆しがなく、明確な意思を以て閉ざされている。理由は不要ということか、或いは聞くなということなのか。

 

 とはいえ播凰は、如何なることでも唯々諾々と従うような人間ではない。

 価値が無いとみれば相手にしないだけだが。基本的に誰であろうと、納得すれば受け入れ、そうでなければ問う。

 だから、こちらから投げかけてやった。

 

「それは――この世界に来たばかりの辺莉の態度やらと何か関係があるのか?」

「っ、お前、何でそれを知ってっ! ……ちっ、いやいい。兎に角、僕が言ったことを忘れるな。嫌な予感がする」

 

 心当たりがあるとすれば、ジュクーシャから聞いた辺莉の様子。

 その言葉を聞いた慎次は、ほんの一瞬だけ思わずといったように動揺を露わにして播凰の顔を見たものの。

 やはり徹頭徹尾、顔を合わせようとしない態度は変わらずか、すぐに視線を逸らし。言うべきことは言ったと、播凰の反応を待つことなく離れていった。

 その姿を、顎に手をあてて考えるように見ていた播凰であったが。

 

「よーし、解決っ! さっ、行こ行こっ、放課後が楽しみだね、播凰にいっ!!」

 

 毅との朝食問題に決着がついたのか、播凰の隣に戻って来た辺莉が顔を輝かせて笑顔を振りまく。

 そんな彼女の横顔を、無言のまま険しい面持ちで二津慎次が見ていた。

 

 

 

 ――東方第一学園、旧校舎エリア。

 播凰が普段の学生生活で主に利用している、比較的新しさを感じさせる明るめの校舎群とは違い。中々の年月の経過具合を、見る者全てに印象付けるその木造の建築物の数々。

 その内の一つの前に、播凰と辺莉は立っていた。

 

「いやー、これは確かに旧校舎って感じだねー。非公式の活動にはうってつけの雰囲気って感じ?」

「うむ、中々に趣のある場所だな」

 

 人気がほとんどなく、本当に放課後でも活気ある学園の一部なのか疑わしいほどの静けさ。景色だけはまるでここだけ切り離されているかのような錯覚を覚えるが、遠くから生徒の声が聞こえるものだから、紛れもなくここも学園の敷地内なのだと思わされる。

 

「これは増々期待が持てちゃうかもっ? じゃあ入ろっか!」

 

 ワクワクとした声色を隠さず、古めかしい木造の両扉を押し開ける辺莉。

 ギギィ、と軋む音を響かせて姿を現したのは、外見から想起できるような木の廊下。だが、荒れ果てたり朽ちているということはなく、確かに人による手入れがされていることを伺わせた。

 辺莉曰く、建て替えの折に大抵の建物は今の校舎だったり施設だったりに置き換わったようだが、いくつかは取り壊されることなく旧校舎として残存したという。それがここ、東方第一旧校舎エリア。

 無論、普段の学生生活で訪れる機会も理由もなく、播凰が初めて訪れた場所である。

 

「あった、ここだねっ」

 

 さて、では何故二人がそんな場所にいるかというと。件の異世界道具研究会の活動場所がここだと記載されていたからに他ならない。

 横スライド式のドアに吊り下げられた『異世界道具研究会』の文字を見て、辺莉が小さく声を上げた。

 そのまま彼女は確認するようにチラリと播凰を見て。播凰がそれに頷き返すと。

 

 ――コンコンッ。

 

 小気味の良い、軽い音が静寂とした空間に響く。

 すぐに反応があるとは思っていなかったが、それでも数秒、数十秒を超えて尚、扉は動きを見せなかった。

 ノックした辺莉と顔を見合わせ、今度は播凰が扉を叩こうと手を持ち上げた時。

 

「……何の用?」

 

 ガラッ、と人間の顔一人分だけ扉が横に開いた。

 剣呑な色を瞳に宿しているのは、そばかすが特徴的な茶髪の女子生徒。

 彼女は、辺莉と播凰の顔をそれぞれじろりと見て、警戒するような声を上げた。

 

「ええっと……アタシ達、ここの研究会に興味があるので活動を見学させてもらいに来たんですけど――」

 

 思ってもみなかった応対に、辺莉が少しだけ狼狽しながら目的を告げる。

 無理もないだろう。なにせ部活の時ですら、播凰の所属クラスを知るまでは相手は割と友好的だった。

 それが今に至っては、まだ何も言っていないのに冷たい態度をとられているのだから。

 

「ハイハイ、どうせそんなことだろうと思ってたわよ。どうせ冷やかし以外、好き好んでこんなとこに来るわけ……」

 

 そして辺莉の言葉を聞いた彼女は、分かっていたとでも言うように、ハァと息を吐いた。

 が、次の瞬間にパチクリと目を瞬かせ。

 

「……ん? 今、何て?」

「えっと、なので活動を見学させてもらいたいなって」

「見学……見学って、あの見学よね? もしかして、ウチの研究会を見学に来てくれたの?」

 

 突如様子の変わった彼女に、一応は頷き返しながらも辺莉が困ったように播凰を見た。

 まあ、こんなに見学を連呼されれば不安になるというもの。実際に播凰も一瞬、自身の知る見学が、実は違う意味だったのではないかと思ってしまったほどなのだから。

 

「うむ、お主の言う見学が、活動を見させてもらうことを指しているならばその通りだ」

「……っていうことは、つまり冷やかしじゃない?」

「無論、そのようなつまらぬ真似などする意味などない」

 

 辺莉に代わり、播凰が受け答えを代わる。

 するとその返事を聞いた彼女は、暫くは呆けたように播凰の顔を見ていたが。

 じわじわと、その頬に緩みが伝播していき。

 

「ホントっ!? ちょっと、キモオタ先輩――んんっ、絹持(きぬもち)先輩、見学者ですってっ!!」

 

 彼女が嬉しそうに背後――室内を振り返って、声をかけた、刹那。

 返って来たのは声ではなく、旧校舎の静寂に似合わない、爆発音であった。




ちょっと前回の投稿から時間が空いちゃいましたが、またぼちぼち投稿していきますのでよろしくお願いします。
ちなみに、最後に出てきたキモオタ先輩の呼びは愛称的なものだったり。
次回登場しますが、本名は『絹持《きぬもち》織高(おりたか)
ええ、()()()()か、ということです。


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14話 それぞれの異世界観

 爆発の規模としては、そう大したものではなかったといっていい。

 木造の旧校舎が少しばかり揺れはしたものの、崩壊に至っていなければ、目の前の壁や柱が破損したということもない。

 音にしても、耳を(つんざ)くほどのそれではなく。ただの一回きり、続け様に爆発が起こるというわけもなしに、旧校舎はすぐさま元の静寂を取り戻している。

 

 変化があったとすれば、それは。

 扉の向こう――つまりは異世界道具研究会の部屋の奥から、うっすらと白煙が漂ってきたことくらいか。

 

「……っ、えっ!? な、何っ!?」

 

 さりとて、爆発音は爆発音。日常生活においてまず耳にするものではなく、気にするなという方が難しい。もの知らぬ幼子とて、その異常性を肌で感じて泣き出したとしてもなんら不思議ではないだろう。

 人によって程度の差はあるだろうが、嫌でも危機感を煽り、平静さを乱すというもの。それが近くで発せられたともあれば尚更に。

 事実、驚きに目を丸くさせ。二津辺莉は、素っ頓狂な声を上げていた。

 

 例外があるとするならばそれは、己の強さに裏打ちされた自信を持つ大物か、はたまた己を過信した馬鹿者か。

 前者であれば実力という絶対的な理由を以て泰然とし。後者は自分が巻き込まれる危惧すら抱かず、或いは自分は大丈夫という謎の自信を以てあやふやな野次馬根性のみで楽観する。

 声を上げることなく、部屋向こうと宙に漂う白煙を興味深げに見ている播凰は、さてどちらか。

 とかく、その点で言えば、いずれにせよ反応の薄い播凰の方が一般的にはおかしいというのは明白。

 

 いや、この場にて動じていないのは、もう一人。

 

 はぁ、と額に手を当ててやれやれと首を振っている、恐らくは異世界道具研究会の人間であろう女生徒。

 さほど動じていないという点では播凰と同じだがその顔、浮かべる表情は異にしている。

 諦め、呆れ。そして納得。

 否定の色でありながら、同時に肯定の色も併せ持つ、そんな不思議な反応。強がりでもなしに、根拠の有無を問わない不遜ともまた違う態度。

 ……人はそれを、慣れという。

 

「――んごっ、げほっ、ごほっ!!」

 

 三者三様の反応を見せる彼らの前に、その人影は咳込みながら、ぬっと部屋から現れる。

 癖のある髪をかきあげるヘアバンドに、まん丸で分厚い瓶底眼鏡。ふくよかな顔と体型を揺らし、片腕で口元を覆いながら出てきたのは一人の男子生徒。

 

「まったく、失敗して爆発させるならせめて外でにしてって、あれ程言ってるじゃない」

「むほっえほっ――んん、おほんっ、今回のは違うでありますぞ、同志掛布(かけふ)氏!」

「……一応聞いてあげるけど、何が違うってのよ?」

「同志の見学者なる声を聞き、思わず手元が狂ってしまったで候。断じて、失敗ではないのでござる」

「あのねぇ、爆発させたことに変わりはないでしょうが……」

「ちっちっち、結果としての爆発と過程としての爆発では天と地の差がありますぞ、同志掛布氏。それに、順調に進む物造りほどつまらないものはないでござるよ、むほほほほっ!」

 

 非は無い――というよりは、異議ありと主張する男子生徒に、唇をヒクつかせて額に手を当てたまま少女は両目を瞑る。

 そんな彼女の非難もなんのその、両手を広げて力説する彼は、一頻り特徴的な笑い声をあげた後に、播凰達の方を見て笑みを浮かばせた。

 

「――うぉっほん。さてさて、そちらのご両人が見学者ですかな。よくぞ参られた、さぁさ入られよ、歓迎いたしますぞ」

「うむ、失礼する」

「……し、失礼しまーす?」

 

 手招きする彼に応じて、播凰が堂々と。爆発が尾を引いているのか――或いは男子生徒のキャラにか――辺莉がおっかなびっくりと入室する。

 未だ微かに白煙漂う室内は、その変わった名前(異世界道具研究会)に反して至ってシンプルだった。

 中央に鎮座する長机と、数個の簡素な丸椅子。何やら色々書き込まれている数人で話し合うには丁度いい大きさの脚付きのホワイトボードに、数個の古びたラック。

 奥の方に開いたままの扉が一つあるが、少なくともこの部屋に関しては拍子抜けしてしまう程度には面白味のない場所。

 

 とはいえ、それだけで価値を判断するものでもない。

 男子生徒に促されて着席をすれば、女子生徒も扉を閉めて席に座り。

 播凰と辺莉、そして異世界道具研究会の彼等合わせた四人が、長机を囲った。

 

「さてさて、まずは我等が研究会の活動拠点に足を運んでくれたこと、非常に嬉しく思うでござる。名前の通りこの異世界道具研究会は、異世界の道具を想像、考案、研究し、作製に挑戦する研究会であると同時に、異世界に魅了されし同志が集う場。この研究会に興味を抱いたということは各々理想の異世界像を胸中に抱いているはず。であるからして、早速、異世界の魅力について語り――」

「――はいストップ。あのねぇ、普通こういう時は自己紹介が先でしょうが」

「おっと、これは失敬。同志掛布氏の言う通りでござるな!」

 

 挨拶もそこそこに、息つくこともせず喜々として一気に捲し立てようとした男子生徒であったが、呆れたように女子生徒がそれに待ったをかける。

 今度は変に反論するでもなく、素直に彼女の言を聞き入れて。

 目をパチクリさせる辺莉と、愉快そうに唇の端を持ち上げる播凰を前に、彼は眼鏡の鼻当てをクイと少しばかり持ち上げつつ佇まいを正した。

 

「拙者、この異世界道具研究会にて代表の任を務めさせていただいている、絹持(きぬもち)織高(おりたか)と申す。高等部三年にして造戦科のI組所属でござる」

「……高等部一年、造戦科J組の掛布(かけふ)小春(こはる)よ。……二人しかいないからあれだけど、一応ここの副代表をやらせてもらってるわ」

 

 東方第一の高等部に存在する三つの科。

 播凰も所属する、天能術を主として用いた戦いを教える天戦科。肉体や天能武装を主として用いた戦いを教える武戦科。戦法は違えど戦うということを主眼に据えた両科に対し、物造りという全く別方面での競い合いをする科。それが、たった今この二人が所属していると告げた造戦科。

 クラス数にしても、A~D組ある武戦科、E~H組ある天戦科と4クラスあるそれぞれの科とは異なり、造戦科はIとJの2クラス構成。生徒数は三つの科の中で一番少ないとされている。

 

 ……それにしても、こちらの科の生徒と先に関わることになるとはな。

 

 そもそもからして学園の他生徒との関わりが薄く、今まで他クラスはあれど他科の生徒と会話する機会などなかった播凰であるが。もしも関わりが出てくるとしたらそれは武戦科だと思っており、また興味にしてもそちらの方が上であった。

 正直なところ研究会の名を聞く今日までは、多少意識していた武戦科と異なり、造戦科に関してはほとんど意識していなかったといってよい。

 

 二人の名乗りを聞き、そんなことを思っていた播凰の横で。

 いつもの調子を取り戻したのか、ハイ、と辺莉が元気よく挙手をして。

 

「アタシは二津辺莉、中等部の三年生です! よろしくお願いします!」

「天戦科H組、名を三狭間播凰という。ああ、学年は高等部の一年だな、よろしく頼む」

 

 続くように、播凰も所属と名を告げる。

 さて、部活の際はHの単語を聞いた時点で相手の態度は一変してたものだが、この者達はどうか。

 

 試す、とはまた違うが。

 悠々とした面持ちを変えることなく、播凰は相対する男女の反応を待つ。

 激烈に表情が歪むもよし、声色が変わるもよし、熱が消えるもよし。

 それらについて播凰が咎めるつもりはなく、そうしたからといってすぐに去るつもりもなかった。

 

 そして彼等の言葉を待つのは播凰だけではない。

 部活探訪の時は、何処に行っても駄目だったのは付き添っていた辺莉も目の当たりにしている。

 辺莉はまだしも播凰に関しては話しているのも時間の無駄だと無碍にあしらわれた。

 露骨なそれに、当事者ではない彼女をして胸中穏やかでない気分にさせられたというもの。

 

 隣に座る辺莉もそわそわ視線を行き来させる中で、小太りの男子生徒――絹持が大きな頷きと共に口を開いた。

 

「二津氏と三狭間氏ですな! 改めて、我が異世界道具研究会はご両名を歓迎しますぞ!」

 

 破顔。

 ああ、笑っていたという意味では、播凰と辺莉の存在を認めた時点から、彼はずっとそうしていた。

 早口で研究会について喋りはじめた時も、それを掛布に咎められて己を名乗った時も。

 そしてそれは、播凰の所属する組を聞いても変わらない。陰ることなく、薄くなることもなく。

 表情だけではない。声色も、熱も。空気も何も、絹持織高は変わらなかった。

 

「中等部の二津辺莉……三狭間のことは知らないけど、アナタの名前はちょっと噂で聞いたことがあるわ。確か、青龍に所属してるんじゃなかったかしら?」

 

 反対に、表情も声色も動いたのが、女子生徒――掛布である。

 こちらは片眉を上げ、微かに眉根を寄せて。彼女はちらっと播凰に視線をやった後に、辺莉の顔をじっと見つつ、声のトーンを落として確認の声を上げる。

 

「えっと、それはそうですけど……不味かったですか? 青龍に所属しながら他の部でも活動してる先輩達もいるみたいなので、見学の雰囲気次第ではアタシも掛け持ちで入らせてもらいたいなって――」

「あっ、ゴメンね、駄目ってわけじゃないのよ。ただ、凄い子がウチなんかに来たもんだから、なんというかこう、ビックリしちゃって。それに、中等部で研究会に入ってる子って多分殆どいないはずだし、兼部なんて尚更じゃないかしら。……いやまあ、ウチは部じゃないんだけど」

 

 そのリアクションをマイナスと捉えたのか、辺莉がおずおずと気まずそうに尋ねれば。

 パパッと軽く手を振って、掛布は苦笑と共にその不安を否定した。

 それを聞いた辺莉は、ほっとしたように息を吐き。しかしまだ少しの緊張を表情に湛えて、切り出す。

 

「じゃあじゃあ、アタシと――こっちの播凰にいの見学、大丈夫ですか?」

「勿論、先程から申し上げている通り、ご両名とも大歓迎でござるが? 我等が研究会に興味を持っていただけただけでも、感謝感激雨あられですぞ!」

 

 嫌味は勿論、皮肉もなかった。言葉の内容も、その響きにも。

 代表である絹持は好感触。ではもう一方はと、無意識に辺莉の視線が掛布へと向かう。

 

「ま、気にしてることは何となく分かるわ。けどね、キモオタ先輩――んんっ、代表はこういう人だし。ワタシだってどうこう言うつもりもない。なんならこっちも造戦科じゃ下のクラスなわけで人の組どうたら言えないしね。全然気にしないでいいし、見学も歓迎よ」

 

 何とも言えないような顔ではあったが、掛布は辺莉の不安を指摘した上で受け入れた。

 ただ、その割には何か言いたげだな、と辺莉は感じたのだが。

 その疑念は次の掛布の言葉を聞いて、苦笑と共に氷解することになる。

 

「というか、何でアナタの方がそんなに気にしてるのよ。なんか本人――ええっと、三狭間だっけ? そっちはスゴい堂々としてるし。普通、逆じゃない?」

「ふむ、気をやったところで何が変わるわけでもあるまい。であれば、するだけ無駄というもの。ともあれ見学の機会、感謝しよう」

「――う、うーん……あはは……あの、私からも、ありがとうございますっ!」

 

 ちらりと伺った播凰の顔には、欠片も不安などない。そもそも、そんな顔をした播凰を一度も辺莉は見た事が無いわけだが。

 兎も角、掛布のそれは至極真っ当な指摘であり。辺莉は笑うことしかできなかった。

 

「うぉっほん、それでは本日の活動でござるが。折角見学に来て頂いたのだ、まずは交流を深めるために異世界談義といきましょうぞ!」

 

 微妙な空気になりかけた、その時。

 パチン、と掌を大きく打ち鳴らして、代表の絹持がわくわくとした面持ちで播凰達を見やった。

 

「時に、二津氏に三狭間氏。――貴殿達がより強く思い浮かべる異世界とは、一体如何なる姿をしておりますかな?」

 

 投げられた問い。

 その内容に、播凰は腕を組んで考える。

 より強く思い浮かべる異世界。考えたことはなかったが、いの一番に答えとして出てくるのは、今立っているこの世界だ。彼にとって、この世界こそが、正に異なる世界なのだから。

 

 だが、内心は別として口に出す答えとしてはそれは不適切。それを述べたところで顰蹙を買うとまではいかないかもしれないが、首を捻られることは間違いないだろう。なにせ彼等は、播凰にとっての異世界となるこの世界で生まれ、生活してきたわけだ。

 となれば、逆。この世界を異世界ではない――つまりそれ以外を異世界と置いた時に、最も意識する世界。播凰にとってそれは、元いた世界に他ならない。

 一応、ジュクーシャに聞き、またゲームをしている勇者と魔王のいる世界というのも知識としてはあるにはあるが、他人に語れるほど造詣が深くはなかった。

 

「――アタシは、そこまでかけ離れた世界観ってわけじゃないけど……普通の一般人は特別な力を持たないで生活する中、変身するヒーローがいて、悪の怪人と戦って世界を守ってて……そんな世界、かな」

 

 播凰が口を開くよりも前に、その声は響く。

 いつもより元気は控えめ、笑みこそ浮かべているがその中にどこか物寂しさを含んだ、そんな顔で。そしてそれを発したのは間違いなく辺莉だった。

 

 ……変身? ヒーロー? 悪の怪人?

 

 彼女の様子よりも先に気になったのは、播凰にとっては聞き慣れぬ言葉の数々。

 しかし、それはこの場において彼だけのようで。

 

「ほうほう、変身ヒーロー系の現代風異世界! 変身アイテムというのもまた、我等が研究会の題材にはうってつけでござるな!」

「けどま、意外っちゃ、意外よね。別に否定するわけじゃないけど、そういう系はどっちかっていうと男の口から出そうなものだし」

 

 鼻息を荒くする絹持と、言葉通りに目を少し見開いて感想を述べる掛布。

 播凰にはちんぷんかんぷんだが、二人にはどうやら、辺莉の語った異世界が脳裏に鮮明に描けているらしい。

 

「して、三狭間氏はどうでござるか?」

「……うむ。私の(・・)世界はこの世界のように天能などという不思議な力はなく、そして平和ともいえず、国家間の戦が絶えぬところでな。特に大国は世の覇権をかけて他国を侵攻するなど珍しくもなかった。もっとも、我が国(・・・)が他国を併呑していき――」

「――よ、要するに! え、えーと、そういう世界が播凰にいにとっての異世界像ってことだよねっ!」

 

 疑問はありつつ、しかしそれを声にする前に話を振られた播凰は、咄嗟にかつての己の世界を語ろうとしたが。

 その途中で、慌てた様子の辺莉が遮った。ついでに、机の下の陰で、彼女は播凰の小脇を突いている。

 見れば対面には、感心したように頷く絹持と、微妙そうな顔つきの掛布がいて。

 

「数多の英傑が躍動する戦国の乱世、ですな。随分とその世界に自己を埋没しておられるようで。いやはや、こちらとしてもその姿勢は見習いたいものでござる」

「いや、まぁ悪いとは言わないけど……ここ以外では気を付けた方がいいわね、絶対ヤバイ奴だと思われて引かれるから」

「……うむ、つまりそういうことだ」

 

 主観混じりに語ったことに今更ながらに気付き、話を強引に締める。

 住人以外に、異なる世界から来たことを知られてはならない。それが最強荘のルール。

 幸いにも元がそういう話題であったからか、単に播凰が異世界に入れ込み過ぎていると彼等は捉えてくれたようだった。

 

「では、次は我等が発表する番でござるな!」

「恥ずかしいっちゃ恥ずかしいけど、アナタ達になら言っても大丈夫そうね」

 

 自信満々に胸を張る絹持と、照れたように椅子に座りなおす掛布。

 そんな対照的な両者から出てきたのは。

 

「ズバリ、勇者! そして、魔王! 異世界系の大王道にして、廃れることなく常に一定の人気を獲得してきた、屈指の人気ジャンル! 勇者こそ、拙者の憧れなのでござる!!」

「騎士様よ、騎士様! 白馬に跨り、甲冑を輝かせ……弱きを助け強きを挫く、イケオジ騎士様の英雄譚の世界よっ!!」




章タイトルでネタバレ入ってますが、半ばにしてようやく正体の片鱗の話を出せました。。
ちなみに、私がハーメルン様のみで投稿している「【助け】悪の組織の人質にならない方法【求む】」という作品が正義のヒーローVS?悪の組織の話なのですが、こちらとは世界観含めて全く関係ないです。あっちはノリと勢いで書いてるので。

実は天能という単語だったりも、私の別作品からの使い回しなのですが、基本他作品同士に関係性はありません。

それでは次話もよろしくお願いします。


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15話 夢の剣

 ……なんか緊張してたのが馬鹿みたい、かも?

 

 堰を切ったように熱く語り始める異世界道具研究会の面々を見て、その内容を半ば聞き流しながら辺莉は内心で苦笑いをする。

 まあ正確には聞き流しているというより、両者が同時に理想の異世界像を喋るせいで鮮明に聞き取れないというのが実情なのだが。とはいえ、耳に届いた断片から察っせないわけではない。

 

 絹持――研究会代表の彼は、勇者と魔王が存在する完全なファンタジーの世界。勇者に憧れ、自身もそうなりたいと願っているらしい。

 掛布――研究会副代表の彼女は、中世をベースにファンタジーな要素を加えたような騎士が活躍する世界。こちらも騎士に憧れはあるらしいが、絹持と違って彼女自身がなりたいとかそういうわけではないようだ。

 

 それが彼等の強く思い描く異世界像。

 まあ、確かに異世界と聞いてしっくり来るのは、播凰や辺莉よりも彼等の方だろう。そしてそれを胸の内に秘めるだけでなく大真面目に語っているのだから、敬遠される要素になるのは分かる。ここに訪れた際に冷やかしがどうのと掛布が零していたが、実際に異世界から来た辺莉をしてその熱量に少し苦笑するところがあるのだから。

 そんなことを思いながら、辺莉は隣に座る播凰をチラリと振り返る。

 二人の話に相槌を打つその表情には適当さは窺えず、どうにも熱心に耳を傾けているようだ。

 

 ……そっか、そういう世界を生きてきたんだね。

 

 播凰の強く意識する異世界像。戦乱の世、さながら日本におけるところの戦国時代のような。辺莉にとっては歴史の中でしかない世界観が、播凰にとってのかつての日常。

 何も知らぬ第三者であれば強い妄言妄想の域を出ないだろうが、同じ状況の彼女からすれば、あの語りが彼の元の世界のことであることに疑いの余地は無い。

 いや、仮にあの自爆めいた語りでなかったとしても、辺莉には分かっただろう。

 

 何故なら、自分も同じだから。二津辺莉の語った異世界像もまた、彼女が二津辺莉となる以前の世界の話。この世界にとっては空想の産物めいたものであっても、辺莉にとってはそれが普通だった――変身して得た力で戦士として戦っていた己の話。

 

 今はもう、振り切ってはいる。未練もない。

 が、やはりどうしても意識してしまうところはあるのだ。口に出すなら尚更。適当な異世界観を挙げてもよかったのだが、まあいいかと思った。

 もっとも、そんな多少なりとも覚悟をして話した結果がこの騒がしい状況なのだが。緊張しただけ損したような気分になってしまうのも致し方ないというもの。

 

 ただ、僥倖とも言うべきか。思いがけず播凰のことを、その元の世界を知れたことは嬉しい。

 別に親しい存在がいないわけではない。クラスメートとは仲良くやれているし、気にかけてくれる先輩も部活にはそれなりにいる。

 最強荘にしたって、ジュクーシャ(ジュク姉)はカッコよくて優しいし、庭の小屋に住んでて播凰繋がりで知り合った晩石もなんだかんだ親交がある。

 弟の慎次だって、ぶっきらぼうで何かと言うと鬱陶しがるが、可愛いもの。

 

 でも、播凰だけだ。

 年の近しい、同じ学園に通う身近な異性。そして自分と同じ境遇、同じ秘密を抱える存在は。

 慎次のように年下ではない。そう、まるで兄のような。

 

「うむ、その騎士様? とやらはよく知らぬが、勇者の方は知っている。確かに、彼の御仁は敬意を表するに値するだろう。いつか全力を見てみたいものだ」

「……勇者を知ってて騎士様を知らないのは納得いかないけど、妙な言い方ね。まるで本当に勇者に会ったことあるような言い種じゃない」

「ふむ……」

 

 そして彼女にとってその兄のような存在は、どうやらまたしても自滅というか自爆というか、ともかくピンチになっているようだ。

 二人の語りが一先ず落ち着いたところで感想を述べたものの、胡乱な目をした掛布に見事に突っ込まれている。

 

 十中八九、播凰の指している勇者とは最強荘四階に住む四柳ジュクーシャのことだろう。

 辺莉もジュクーシャがかつての世界でそういう役割を担っていたことは知っている。

 そして最強荘に騎士はいない――というより、少なくとも辺莉は知らない。恐らく播凰も同様で、だからこそ勇者は知っていて騎士は知らないに違いない。

 

 ふむ、と一言零したきり、黙り込んでいる播凰。これであからさまに焦りなり冷や汗を浮かべているのであれば怪しさ満載なのだが、特にそんなことは無いのが救いか。ただ、黙ったということは不味い言い方をした自覚はあるらしい。

 それはそうだ、まさか異世界から来た女勇者を知っていますなどと言えるわけがない。

 

 ……もう、しょうがないなぁ。

 

 やれやれ、とそんな感情を視線に載せつつ、辺莉は頭を回転させて助け舟となる言葉を紡ぐ。

 

「ゲーム! 播凰にいが言ってるのは今やってるゲームの話だよねっ!? だいじょーぶ、進めて行けばいつか勇者の全力が見れるから!」

「……ああ、そういうこと。けど、ゲームだろうがなんだろうが、騎士様を知らないままなんて許さないんだから! いいこと、ここに来たからにはこのアタシがイケオジ騎士様について徹底的に叩き込んであげるわっ!!」

「むほほほほっ、勇者の魅力を分かっておられるとは! 拙者、同志が増えて大歓喜でござる!」

 

 我ながら少し苦しい言い分な気はしたが、彼等とて疑いはしたものの現実で勇者に会った――まあ現実で会っているのだが――などとは到底思っていなかったのだろう。

 辺莉の一助によって再び騒がしくなる室内。どうやら、播凰の失言を有耶無耶にできたようだ。

 

 先程、理想の異世界像として恐らくかつての世界を語った時もそうだが。

 今しがた、勇者を身近に知っている体での発言も、非常に危なっかしい。

 まあ、余程致命的なことさえしなければ最強荘のルールとしては問題ないので大丈夫だとは思うが。

 

 けれども、この数瞬でこうも何度と危うい場面があると、ヒヤヒヤさせられるというもの。

 ただこの時、辺莉の胸中にあったのはそればかりではなかった。

 

 一つは、言うまでもなく呆れ。馬鹿正直というかなんというか躊躇なく問題発言をして、けれども狼狽えずにどっしりと構えている。まったく、質が悪いんだか悪くないんだか分からない。

 手間がかかるというのは元来忌避すべきことで、進んで迷惑を被りたいわけもないのだ。それが他の人のことであるなら尚更。故に、その感情を彼女が抱くことはなんら不思議ではなく、正当なものといえよう。

 だが、もう一つ。

 

 ――やっぱり(・・・・)、お兄ちゃんは私がいないと駄目なんだから。

 

 いっそ純粋なまでの、歓喜。

 にんまりとして、辺莉は播凰の横顔をじっと見つめていた。

 

 

 ――――

 

 

 変わった生徒だと、そう感じた。

 

「――さてさて、理想の異世界談義も一頻り盛り上がったところで。ご両人には、我が異世界道具研究会の活動内容をお話しいたしましょうぞ」

 

 パチン、と手を打った絹持がその恰幅のいい体型を揺らして立ち上がり、ホワイトボードの前へと歩いていくのを視界の隅に捉えながら。彼女――異世界道具研究会副代表、掛布小春は対面に座る男女の来訪者の顔をそれとなく伺う。

 

 もっとも、小春自身も自らがどちらかといえばその変わった方に分類されるという自覚はある。そもそもからして、ここを訪れるという時点で大なり小なり変わり者の類ではあるだろう。

 そしてそれを差っ引いても、見学者の二津辺莉と三狭間播凰は……輪をかけて、と言うべきだろうか。まあ彼女からしても一風変わった生徒だと形容せざるをえなかった。

 

「先程も少しばかりお話し申したが、この研究会では異世界の道具を想像と考案、そしてそれらを研究及び検討し、作製に挑戦することを目的としているでござる」

「うむ、興味深くはある。この世界にも既に未知の道具が溢れているが、それより更に異なる世界の道具となると、まるで見当が付かぬな!」

 

 まず、この妙な言い回し。

 もっとも代表である絹持も癖のある喋りであることは重々承知だが、また別種のそれ。

 役になり切っている。つまりは、自らの存在を異世界という想像上の世界に投影し、そこにいる自分という架空の存在を演じているのだとは思う。

 そしてそれ自体については、小春はとやかく言うつもりはない。彼女自身、こうまで露骨ではないが似たような妄想はすることがあるからだ。

 どうあれ、異世界について真剣に受け答えしてくれるだけ、馬鹿にしてくる奴らより全然いい。

 

 ただまあ、おかしいのはそれだけではないというか。

 

「しかし作るというからにはやはり、造り手――造戦科の生徒である必要があるということだろうか?」

「いやいや、そのようなことはありませんぞ。確かに、そうであればより活動を楽しめるという面があるのも否定しませぬが……モノ造りとは、造り手一人で完結させるのではなく、他者を取り入れてこそより良いモノになると拙者は考えておりましてな。基となるアイデア、ふとした発想力、試作のテストや武器防具の類であれば強度の確認に試し斬り等……これらは何も造り手たる当人だけでこなさねばならないということはないのでござる。例えば――」

 

 播凰の疑問に笑みを深めながら、絹持がホワイトボードを指し示す。

 その左上隅に小さく踊っているのは、天奉祭向けスケジュールの文字。

 

「直近の主な活動としては、四方校天奉祭の造戦科部門への出展。つまりは各学園の造戦科所属の生徒による製作物――天孕具の品評会に向けて、研究会として準備を進めているでござる」

「おお、四方校天奉祭か! 知っているぞ、四校が一堂に会して競うというやつだな!」

「……あれ、でもそれって誰でも出れるわけじゃなくて、代表者を決めるための候補者も選ばれた生徒だけだったと思うんですけど」

 

 東西南北の四校、その代表者を以て各校の優劣を決定する行事、四方校天奉祭。

 武戦科、天戦科であれば戦闘や演技で。造戦科であればモノで。過程は違えど、実力、技術、経験を注ぎ込んで競い合う、伝統あるそれ。

 本来であれば、辺莉の言うように出たいからといって出られるようなものではない。

 つまり場に立てる代表者(主役)はほんの一握り。学園の大半以上の生徒は傍観者でしかなく、直接的に関わることはないわけで。

 故に辺莉の認識は正しいのだが、苦笑して小春は口を挟む。

 

「あぁ、それは大丈夫よ。こんなんでもキモオタ先輩――んんっ、この人一応名家の出だし、実力は(・・・)認められてるの、実力は(・・・)。だから候補者として声をかけられてるわ」

 

 そう、何を隠そう研究会代表――絹持織高は、その四方校天奉祭の造戦科部門における東方第一代表の候補者として正式に学園から選ばれている生徒なのである。

 

「そして出展は、一定の範囲内であれば合作――他の生徒による手伝いも認められておりましてな。製作者こそ拙者扱いとはなるものの、作品が四方校天奉祭の代表の一つとして選出されたその時は、研究会の同志も協力者として場に立っていただくつもりでござる」

「ほぇー、先輩凄いんだー」

「ほほぅ、それはどのようなものができるか楽しみだな!」

 

 意外そうに目を丸くする辺莉と、期待の声を漏らして二、三度軽く頷く播凰。

 そんな二人の反応を見た小春は内心、鼻高々になる。そう、こんなんでもウチの代表は案外凄い生徒だったりするのだ。

 もっとも、元々馬鹿にしたような気配はなかった彼等に対してはどうこう言うつもりはないし、そもそも言う権利があるとすればそれは彼女ではなく本人だろう。

 その当人である絹持も、いえいえ、と軽く謙遜するように賛辞にゆるゆると首を振り。

 

「そしてそれ以外、つまり通常の研究会の活動方針としては――基本的には、各々の自由でござる」

「自由、というと?」

「造りたいものを、造りたい時に、造る。拙者は毎日の放課後は大抵ここに来ておりますが、活動の強制はしませぬ。理想たる異世界こそ違えど、我等は共に同じ夢を追う理解者故。時に同志と異世界を語り、時に気軽に相談ができ、時に協力して事に当たる。ここは、そのような場であれればと」

「ふむ……」

 

 そうして、平時の研究会の活動――もっとも明確な活動らしい活動ではない――が絹持の口から告げられたのだが。

 会話が明確に途切れ、一転して静けさが広がる。

 

 ……うーん、なんなのかしらね。

 

 そう、これだ。掛布小春が、この二人の見学者を奇妙に思うもう一つ。

 三狭間播凰だけではない、二津辺莉までをも(・・・・・・・・)変わっていると感じざるをえない違和感。

 

 呟いたきり口を閉ざし、何かを考えるように目を伏せる播凰の方は、まあ少なくともおかしくはない。今に限っては。

 掲げる理念(異世界)こそ奇抜ではあるが、この研究会の活動は言い換えればつまり自由にモノを造るというだけ。人数も殆どおらず、また学園に正式に認められてもいない研究会での活動は小規模に留まる。

 造戦科でない彼にとっては、物足りなさを感じてしまうかもしれない。というか、確信は持てないが表情と雰囲気がそう物語っているように見えなくもない。

 

 問題は――そんな彼の顔色を、何故かそわそわと落ち着きなく伺っている辺莉。

 

 まともに顔を合わせたのは初めてだが、彼女について話というか噂を聞いたことがある。機会はそう多かったわけではない。だが、耳に残っていた。

 何せ、あの青龍の所属。部活のようで、しかし明確に違うそれは殊、東方第一(この学園)内では特別な意味を持つ。生徒の中には気軽に名称を口にするのを畏れる者もいるほどだ。

 抜きん出た実力者、希少な天能の性質保持者……所属の条件は不明確で色々囁かれてはいるが、所属しているだけで一種のステータス、一般生徒からは一目も二目も置かれる存在。

 彼女、二津辺莉はそんな生徒なのである。

 

 対して、自己紹介で聞いた三狭間播凰は、天戦科H組。率直に言えば、劣等生。劣等集団。

 生徒の母数が違い二クラスしかないとはいえ、同じ劣等生――造戦科における下位クラスの小春が言えた義理ではないが、はっきり言って立場が違う。

 にもかかわらず。

 

 ……逆じゃないかしら?

 

 怪しんでいるというほどでもないが、単純な疑問。

 何故、辺莉が播凰の顔色を気にするのか。普通、逆じゃないのかと。決定権を握るのは辺莉のはずで、顔色を伺うべきは播凰ではないのかと。

 一度直接指摘もしたが、その上で改めてそう思う。

 

 近しい関係性であるというのは、呼び方からも分かる。無論、苗字が違うし顔つきも似ていないので実の兄妹ではないのだろうが。

 それを踏まえた上で尚、世間では有り得てもこの学園においては普通ではない。学年など関係なく、実力ある年下が劣った年上を嘲笑うなど当たり前で、それを咎める声はないのだ。

 とはいえ、その人柄は好ましいとは思う。嫌なものを幾度も見てきた小春からすれば、ある程度の警戒心を解く程度には。

 

 ……ただまあ、落ち着きのなさというか。随分と雰囲気がコロコロ変わる表情豊かな子だとも思うけど。

 

 ともあれ、それが掛布小春が抱いたここまでの印象。

 片や無名な高等部の劣等生徒、片や有名な中等部の優秀生徒。少々変わった、けれど冷やかしでなく真面目に話を聞いてくれる、異世界道具研究会の見学者。今のところ割と好感触。

 そう、捉えていた。――今、この瞬間までは。

 

「……お主は、何のためにここに立っている?」

「むむっ、代表としての役割ですかな? それは無論、異世界を愛する同志と共に、何にも縛られることなく自由に――」

「違う」

 

 気付いた時には、凝視していた。その横顔に視線が縫い付けられていた。

 彼が口を開いたから、ではない。彼が絹持の言葉を端的に切り捨てたから、でもない。

 

 何かは分からない。目に見える変化があったわけではない。

 けれども、ただの一言。ただのそれだけで、確かに空気が変わった。見知ったはずのこの部屋を、しかし見知らぬそれに変容させるように、余すところなく侵犯していた。

 頭ではなく、肌で。理屈めいたものではなく、本能でそれを感じ取ったが故に。

 

「夢、と言ったな。何を求める?」

 

 鷹揚に問う声だけが、耳に染み入る。

 身動きの一つもできない。こちらに向いているわけでもないというのに、同じく簡素な椅子に座したままのはずなのに。

 まるで問われた者以外、声を上げることすら禁じられたかのようで。

 ただただ、気圧される。

 

「――聖剣」

「聖剣とは?」

「勇者を勇者たらしめる象徴。最強にして、至高の剣。それを己が手で造り出すことこそ、拙者の夢なれば」

 

 僅かな問答。

 それを経て、再びの沈黙が到来する。

 

 できることは凝視することだけ。否、それすらもさせられている、というべきか。

 ただの横顔、こちらに視線が向いているわけでもないというのに。

 目に映る景色は変わることなく、まるで時が止まったかのよう。ああ、そう思えるのは音すらもそうだからか。

 微かな物音すらなく、ひたすら無音。何も、聞こえない。何も。

 

 その上で、自らがそれを破るという選択肢すら脳裏に過ることはなく。

 現状に甘んじていた、その果てに――それ(・・)は小さく、けれど確かに彼女の鼓膜を震わせた。

 

「ふ、ふ、ふ」

 

 雑踏の中にあれば間違いなく聞き逃していただろうそれは、しかし静寂において雷鳴の如く耳朶を打つ。

 それが笑い声であったと理解したのは、一拍遅れてのことだった。

 そして誰が笑ったのかも、その時理解した。

 

 下を向いたからだ。下を向き、喉を鳴らすように、肩を震わせていたからだ。

 

 ――凝視の先、視線の先にいた播凰()が。

 

 その行為が何を指すのか一目瞭然。そして尚もそれは続いており。

 

「……っ!」

 

 第一声は、声無き声だった。いや、声と表現するのは烏滸がましい、単に掛布小春の、自身の口から発せられただけの、音。

 それでも、それは確かに声だった。つい数瞬まで禁じられたと彼女が錯覚していた、声だった。

 

 何故、他科とはいえたかだか同学年でしかない男子生徒に気後れしていたのか。

 何故、そんな奴に絹持の――代表の昔から(・・・)の夢が嗤われなければならないのか。

 

 怒りが小春の胸に燃え上がる。硬直していた全身、その指先一本隅々にまで熱を伝えていく。

 ようやっとまともな見学者が来たと思ったのに。馬鹿にされることのない語らいができたと思ったのに。

 やはり冷やかしでありここまで演技だったのかと思えば、落胆分、より憤りは高く。

 その衝動のまま、彼女は勢いよく立ち上がろうと、力強く机に両手を叩きつけようとし――。

 

 その寸前に彼の横顔、その眼だけがほんの一瞬だけ小春にむけて動いたように見えて。

 

「最強の剣、か。随分と大きく出たものだが――嗚呼、良き夢だ。羨ましく思うほどに」




書きたい気持ちはあるんですが、これが中々進まないんですね。。展開は頭にあるんですが。
研究会の話は一旦次で一区切り、その次は配信回の予定です。


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16話 持つ者、持たない者

 或いは、それは捉えようによっては皮肉ともとれた。

 

 天孕具の武器――世に言う天能武装の製作は、捧手の一強時代が続いている。そしてそれはここ最近だけの話ではなく、以前からのこと。

 無論、世の天能武装の造り手全てを捧手の関係者が担っているわけではない。他にも名が知られた家もあれば、天能武装を取り扱う専門の企業も存在する。むしろ世に広く流通しているのは後者の方だ。

 だが、格に関しては紛れもなく捧手の一族が突出していて、他の追随を許さない。

 故に最強の武装()という点においては少なくとも捧手を上回ることは必須。国外に目を向ければ、世界をも相手にしなければならない。

 

 それだけであれば、まだ可能性が零とは言い切れないだろう。限りなく低く難しいことに違いはないが、例えば捧手に追いすがる他家から稀代の天才が現れて一族のバックアップを一身に受ける等、淡い期待を抱かせる何かは起きるかもしれないのだから。

 

 ただし――。

 

「確かに三狭間氏の言う通り、掲げるには大きすぎる夢でございますな。拙者の家――絹持の強みであり世に評価を受けているのは、あくまで服飾の分野。天能武装の実績については捧手は勿論のこと、他の高名な家の足元にも及びませぬ故、分不相応と謗られても致し方ない」

 

 ――本人の言う通り、天能武装の分野(・・・・・・・)において(・・・・)絹持の家は、捧手以外のその他著名な家にすら入っていない。

 

 だから、三狭間播凰の言は嫌でも皮肉ととれてしまうのだ。

 羨ましく思うとはつまり、大それた夢を胸に抱き、剰え口にすることができる愚かさや無謀さを、自分にはとても出来ないという意味を込めているのだと。

 

「ふむ、捧手以外の家門は正直知らぬ――というより天能武装に始まる天孕具そのものについて詳しくないのだが……しかしまあ、聞きたいことはある」

 

 ましてや、聖剣。その存在は現実よりも神話伝承、延いては小説やアニメといった創作の中で語られることが殆どであり。一応は現代においても、伝説とされたり由緒正しい歴史的価値のある剣が残存していないわけではないらしいが、どこか遠い世界の出来事のように感じざるをえない。

 

 掛布小春とて、頭では分かっている。分かってはいるのだ。

 最強の剣ですら途方もない道だというのに、それが超常のもの(聖剣)ともなればただの夢物語だと。

 そも、何を以てして聖剣と定義するのだということすら定かではない。

 何の冗談だとまともに取り合わないのが普通で、理解を示すことこそおかしいのだと。

 そんな馬鹿なことを宣ってないで――現実と向き合って、技量を磨くことに専念しろと言われることは正しいことなのだと。

 

 ……それでもっ!

 

 だが、小春は知っている。分厚い瓶底眼鏡の下にある、普段は伺い知れない代表(絹持)の瞳が、限りなく真剣な光を宿しているのを知っている。

 

「よもやその齢、この学び舎にいる間に至れると?」

「無論、拙者とて高等部の在籍中に造り出せるなどと思い上がっておりませぬ。試作を行うことはありましょうが、ひたすらに己を磨き積み上げ、そこで漸く真に挑めるかどうかでしょうな」

「で、あろうな。もしできると嘯いたならば、言葉を変えねばならぬところであった。振るうはまだしも造るは門外漢だが、それくらいは分かる」

 

 ……それで、も?

 

 反応は実にあっさりとしていて、絹持の答えを聞いた播凰は唇の端を持ち上げて首肯した。

 良い意味でも悪い意味でも大仰ではなく、本当に拍子抜けるするほどあっさりと。

 そこに浮かぶは嗤いではなく、笑い。すぐできると考えているのかと、それを問う――いや、確認しただけ。

 

「お主にそれができるなどとは言わぬ。けれども、できぬとも言わぬ。大小など些細なこと、如何なる夢も夢には違いあるまいが――大きいほどに、それを持ち得ない身としては眩くある」

「…………」

「なにせ誘いに乗ったはいいものの、いざ立ってみればそれはそれで戸惑う部分もあってな。もっとも、興味を惹かれるものが多いのも事実で、退屈という点では困っていないが」

「……何やら事情がおありのご様子ですが。お言葉、かたじけなく」

「うむ。最強の剣、大いに結構。それが完成した暁には、是非とも相手にしたいものだ――ふふっ、今後の楽しみが一つ増えたな」

「拙者が勇者となるための聖剣()。手が届いたとあっても、それを振れぬ程老いていては意味がありませんからなぁ……むほほっ、期待していてくだされ」

 

 互いに、悠然と笑い合っている。

 二、三度、小春が目を瞬かせればそこはやはりいつもの見慣れた、異世界道具研究会の一室だった。やはりというのも変な話だが、異世界という絵空事(理想)について話す、普段の和やかな空間。異質な空気は霧散――否、最初からなかったかのよう。

 

「……いや、相手って。そこは普通、自分が振るってみたい、じゃない?」

 

 それ知覚したからか。小春は思ったことをつい声に出して突っ込んでしまっていた。

 最強の剣とも聞けば、自分が手に取ってみたいと思うのが大半じゃなかろうかと。何だって、真っ先に相手にしたいという発想になるのか。

 

「それも悪くは無い。が、最強と聞けば相手取る方が心躍るではないか」

「……アンタ、確か武戦科じゃなくて天戦科なのよね? ん? あれ、それなら別におかしくはない……?」

 

 至極当然、といったようにこちらを振り返った播凰に、小春の頭は混乱する。

 真っ先に戦うという発想に至ったのは武戦科らしく、しかし自己紹介では天戦科と名乗ったのを思い出し。それなら、自分で振るうより相手にするという思考になるのはおかしくないといえばないのか、いやいや、それでもその理由はどうなのか、と。

 そんな彼女に追撃をかけるように。

 

「時に、同志掛布氏。その珍妙なポーズは何でござるか?」

「え、あ……な、なんでもないっ!」

 

 心底不思議、といったように播凰に続いて振り返った絹持の指摘に、小春の顔がカァッと赤く染まる。

 怒りを表現しようと振り上げた彼女の両手は、しかしその行き場を既に失い。両腕を半端に上げて静止するその姿は、傍から見れば滑稽に映ることだろう。

 加え、その行為に走るある意味きっかけとなった当の本人から言われたものだから、小春としてはたまったものではなく。

 今まで気づかなかった自分と惚けた表情の絹持に内心で毒を吐きつつ、そそくさと小春は髪を弄るようにして誤魔化しながら逃げるように二人から視線を外した。

 

「な、なにかしら……」

「いえいえー、べっつにー?」

 

 もっとも、その先でニヤニヤと。

 まるで彼女の内心を見通したかのようにじっとこちらを見る対面の辺莉の顔があり、それは完全には叶わなかったが。

 

「ところで、今まではここでどのようなモノを造って来たのだ? 異世界の道具、武器というのに興味があってな、是非とも見てみたい!」

「むほほっ、それは嬉しいお言葉ですな! 丁度、新たな同志が来た際に歓迎しようと造っていた一品があり……ささ、どうぞこちらへ」

 

 ただ、播凰と絹持の二人ときたら、小春のそんな葛藤など微塵にも気にした様子もなく。

 彼女のことなど一顧だにせず話を進め、更には席すら立って隣の部屋に続く扉に歩いていくではないか。

 

「……んんっ、私達も行きましょ」

 

 小春は釈然としないものを胸に抱きながらも、けれどもある意味都合がいいと。

 音を上げて椅子から立ち上がり、辺莉のその顔をなるべく見ないようにしながら促して彼等に続く。

 

 とはいえ、研究会に所属している小春にとっては隣の一室もまた見慣れたものだ。

 ラックの中に、また床に直接置いていたり壁に立てかけられているのは、完成未完成問わず天孕具。またはその材料や装飾となるもの。

 研究会の現所属である絹持や小春は当然として、卒業生――つまりはかつてのこの異世界道具研究会メンバーの手によって生み出されたモノ達が、ここにはあるのだ。

 

「ほうほう、ほほぅ!」

「おおー、何かいっぱい色々あるねー」

 

 足を踏み入れ、きょろきょろと忙しなく部屋を見渡す播凰と辺莉。

 入室から間もなく、奇しくもその視線がふととある一点、同じ方向に固定される。

 

「むっ、あの一段と巨大なモノはなんだろうか?」

「うーん、なんだろうね? 何かの機械とか装置みたい」

 

 部屋の一番奥、壁際という隅にありながらも、人の背丈ほどもあり存在感を放つソレ。

 鈍色の四角張ったフォルムに、計器だのメーターだのボタンだのがいくつもついた様相は、確かに辺莉の言うように、道具というよりは機械や装置といった表現の方がしっくりきて、目を引く要因となるだろう。

 

「あれはですな、この異世界道具研究会の偉大なる創始者――即ち初代代表が造り、そして残していかれたモノと伝えられておりまして。なんでも、異世界への道を開くことができると」

「ま、噂というかなんというか……そう伝わってるってだけね。本当にそんなことができるなら、こんなところに置かれてなんかないだろうし。初代代表がいた頃は分からないけど、そもそも動くところを誰も見た事ないらしいわ」

 

 絹持のした説明に、小春は肩を竦めて補足する。

 あくまでそれらは彼女が絹持から聞いた話であり、その絹持は今は学園を卒業してここにはいない先代の代表に聞いたらしい。

 小春自身も最初こそ関心を持っていたが、今はもう殆ど気にしていない。これまた聞いたところによると、過去の先輩達が時間をかけて調査しても成果らしい成果はなく、うんともすんともせず。またマニュアルも残されていないとのこと。

 初代代表が残していったと伝わる、謎の置物。

 それが、小春の認識だった。

 

「ほぅ、異世界への道とな」

 

 だが、真偽はどうこうとしてそれはそれで興味を惹かれたのか。今度はここに踏み入れた時のようにきょろきょろとすることなく、播凰が一目散にソレに近寄ってペタペタと触り始めた。

 が、何も起こることはない。それはそうだろう、適当に触っただけで何かあるならば今までに誰かが動かしているはずだ。

 

「……播凰にいが大丈夫なら、大丈夫そうかな?」

 

 何やら辺莉が呟いて近づいていったが、好きにさせる。

 一人でも二人でも変わらない。いや、絹持も近づいていったから三人か。

 少し離れて彼等を見る小春は、ややあって苦笑しながら周囲を見回す。気の済むまで待っているついでに、少し整理でもしようとそう思ったのだ。

 何十分も弄っているようだったら流石に一声かけようとは思うが、そうはならないだろうという確信がある。

 どうせ、自身と同じように、何も反応がないことに次第に興味が薄れるに違い――。

 

 ――ブゥン。

 

 刹那、何かの駆動音のようなものが、小春の耳に届いた。




本日、後ほどもう一話投稿します。


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17話 決め手

「ふおおおぉぉっっ!?」

 

 次いで、興奮を隠さない絹持の声。

 慌てて振り返った小春の目に飛び込んできたのは、透明のガラス越しに動く針……が、元の位置に戻っていく光景だった。

 動かないものが動いたという事実。それを彼女の眼は、耳は、確かに捉え。

 しかし、絶句する彼女を嘲笑うように。ソレは即座に沈黙した。

 

「むむっ!? 今、間違いなく反応があったはず……お二方もご覧になりましたな!?」

「うむ、確かに見たぞ! 音が鳴って光って針が動いた!」

「……そう、だね」

 

 唸る三人に近づき、それとなく隙間から様子を伺う。

 だが、じっと念入りに見てみても、やはりそこにあるのはいつも通りの何の反応もしない置物で。

 

「……誤作動、とか?」

「誤作動だとしても大発見ですぞ、同志掛布氏! 確か今、拙者がここをこうして――お二方は、どうしておりましたかな!?」

「うむ、適当に押していたからよく覚えておらぬが……こう、だったか?」

 

 直前の操作を再現しようとする絹持の呼びかけに応じて、播凰が再び装置へと手を伸ばして正面部分のボタンを押している。

 三人の位置取り的に、右部分に絹持で正面部分が播凰。そして左部分に辺莉が立っているのだが、しかし彼女は動かない。

 後ろに立っていた小春はそれに気づき、声をかけるが。

 

「あれ、二津さんは?」

「……やー、アハハハ。アタシはその、実は別に何もしてなくって」

「おっと、そうでござったか? 拙者からは、左側のボタンやレバーのところに手があったように見えましたが……」

「あ、えーと、何もないところを触ってただけで特に押したり動かしたりはしてなかったかなっ。紛らわしいことしててすみませんっ」

 

 わたわたと手を振った辺莉は、すっと後ろに下がり装置から距離を取りつつ。播凰の背後へと回り、くいくいとその制服の袖を引く。

 その少し焦った様子に、小春は軽く違和感を抱いたが。

 

「播凰にいも、あんまり触らない方がいいかもよ? だって私達、その……ほら、まだ見学に来ただけの部外者だし。こ、壊れるとか、変なことになっても困るっていうか」

「……ふむ、一理ある」

「むむっ、そうお気になさらずとも構いませぬが。とはいえ、再び反応が起きるか不明なことに時間を割いてしまうのも事実。お二方がそう言うのであれば、この場は一先ず置いておき、後ほど拙者の方で調べてみるとしましょう」

 

 成る程、その心配をしていたのかと納得する。確かに、動かないと言われていたものがいきなり反応を示したとなれば不安にもなるし不用意な行動は避けたくなる気持ちは分からなくない。見学者――客人としての立場なら尚更に。

 絹持も同様に思ったのか、名残惜しそうに装置の方をチラチラと気にしながらもそれから離れ。

 誇らしげに胸を張りながら、床に置かれたとある一つの物体の側に寄り、指し示しす。

 

「こちらが、先程お話した歓迎用の一品。空に七色の虹を架ける弾丸、その名も――セブンカラーズ(七色)()バレット(弾丸)ですぞっ!!」

 

 それは、回転式多銃身型機関銃――所謂ガトリングガンと呼ばれる類のものであった。

 七本の銃身(・・・・・)を円形に束ね。それらが突き出る元の部分は大きな四角い形状で、中には機関部や特殊な薬莢が納まっている。

 まあ異世界の道具と思えるかと問われれば首を傾げるところだが、虹を架けると言う言葉だけを聞けば幻想的といえば幻想的なのでそこはご愛敬だ。

 

「空に色? 虹蜺(こうげい)のことを言っておるのか?」

「虹蜺……確かに虹をそのような言い方をすることもあるそうですな。よくご存じで」

「うむ、何度か見たことがある。して、それを人の手で為すと?」

「ええ。もっとも、現象を再現するのではなく、疑似的なものとはなりますが……ふぬぬっ!」

 

 最後の変なのは、絹持がそれを持ち上げようと力を入れた掛け声である。

 見た目がふくよかだからといってイコール、力があるというわけではないが。それでも、絹持織高は――というより天孕具の造り手は、相応の力、体力というものが求められる役柄である。

 故に、その中でも優秀――学生レベルとしてだが――の分類となる彼が、貧弱だということはない。

 つまり、単純に。

 

「……だ、大丈夫です?」

「し、失礼。も、持てなくはないですが、やはり軽量化の改良が必要ですなぁっ!!」

「うんまぁ、100キロ余裕で越えてるもんね、ソレ」

「えぇ、100キロ……」

 

 重い。

 辺莉が引きつつも身を案じるように声をかけたのも無理はない。

 なにせ絹持ときたら、辛うじて両手で持ち上げてこそいるが、その足腰と顔をプルプルとさせているのだから。

 もっとも、その重さを知っている身からすれば頑張っている方だと思う。歓迎用として準備していたのも知っていたし、当人がやる気なので止めはしないが。

 と、そんな風に小春が呆れつつもそれを眺めていたその眼前で、ひょいと腕が伸びてきた。

 

「ふむ、重いのか? 力には自信がある。私が持とう」

 

 なんでもないことのように、のんびりとした口調でそれをしてきたのは、播凰である。ちゃんと重さを聞いていたのか怪しい口振りだ。

 え、と小春が止める間もなかった。

 絹持が両手で握る持ち手部分、その空いたスペースに播凰が片手をかける。

 

「ふぬぬぬ……ぬっ?」

 

 するとなんとも面白いことに、それだけでプルプルとしていた絹持の動きが止まった。

 その事実に、小春は瞠目する。

 

「放して構わぬぞ」

「……ほ、本当によろしいので? 重いですぞ?」

「うむ、この程度何の問題も無い」

 

 念押しの末、そろそろと恐る恐る絹持が両手を自由にしていく。

 小春は、パチパチと目を瞬かせた。間違いなく地面から離れ、難なく持ち上げられている。それも、片手で。

 絹持のようにプルプルと身体を震わせることなく、余裕の表情というおまけつき。

 

「えぇ……いや、片手って」

「お、おおぅ、流石播凰にい……」

 

 今度は、小春が引く番であった。

 いや、隣で辺莉も軽くではあるが引いている。

 

「素晴らしいっ! 三狭間氏は力持ちですなぁっ!」

 

 代わりと言ってはなんだが、ただ一人。

 やんややんやと、絹持が喝采を送っていた。

 

「ささっ、それでは外に出ましょうぞ! 折角ですから、持っていただいたついでに三狭間氏にそれを使っていただきましょうかな!」

「おお、そうか!」

 

 そしてその勢い、というかノリのまま、二人は出て行く。 

 

「「…………」」

 

 残された小春、そして辺莉はしばらくしてからどちらからともなく顔を見合わせ。

 そして互いに苦笑を浮かべ、彼女達もまた彼等の後を追うように足を動かした。

 

「――そういえば掛布先輩って、絹持先輩とは研究会で知り合ったんですか?」

 

 どこまで行くつもりなのか。異世界道具研究会の拠点がある旧校舎の建物を出ても、絹持とそして重いどころでないはずのそれを片手に歩く播凰はその歩みを止めなかった。

 夕焼けとなった空の下、何やら前方で和気藹々と盛り上がっている二人の背中を見ていた小春に、ふと辺莉がそんなことを聞いてくる。

 

「ん……いえ、アタシとキモオタ先輩――んんっ、代表とは、昔から家同士の繋がりでちょっとね」

「あはは、やっぱり。ちなみに、どうしてキモオタ先輩なんですか? ……えーっと、見た目?」

「……まぁ、それもゼロではないけど。アレよ、苗字と名前」

「苗字と名前?」

「そ、絹持(きぬもち)織高(おりたか)。その漢字の最初の読み」

 

 誤魔化そうとしたが、無意味。本題関係なく呼び名について言及してきた辺莉に、渋々と小春は答えた。

 それを聞き、遠慮がちに前を歩く絹持の背を見ていた辺莉だったが、小春の補足でポン、と手を打つ。

 

「あ、成る程。き、も、お、た、で確かに……」

「今に限らず、昔っから異世界異世界言ってたから、あながち間違ってもないし。我ながら悪くないネーミングセンスね」

「んふふー、そんなこと言っちゃっていいんですかー?」

 

 素っ気なく、しかし自賛する小春。

 けれども、そんな彼女を辺莉はニマニマとして何かを言いたげに見てきて。

 コホン、と握った手を口元まで持ち上げて咳払いをした小春は、じろりと平静を装って睨むように。

 

「……そ、そっちはどうなのよ? アナタと三狭間も、ただの先輩後輩の関係には見えないけど?」

「んー、播凰にいはやっぱり、お兄ちゃんかなー」

 

 にへら、と相好を崩して今度は絹持の隣の播凰の背を見る辺莉。

 恥じらうようであれば仕返し程度に少し揶揄ってやろうと思っていた小春だったが、喉まで出かかっていた言葉を呑む。

 実の兄妹ではないだろうに、余程慕っているのだろう。いや、だからこそ恥ずかし気もなく感情を出せるのか。

 そんなことを考えている内に目的の場所に着いたようで、前方の二人が足を止める。

 学園にある広場の一つ。グラウンドと違って特に予約等はいらず、今も数人の他生徒の姿が見受けられる。開けたここなら、試し打ちには最適だろう。

 

 使い方を説明してるであろう絹持と、それに頷いている播凰。

 やおら、その銃身が空へと向かった。

 

 直後、乾いた破裂音が連続する。

 

「おおーっ、凄い凄い! 確かに七色、虹を架ける弾丸だっ!!」

 

 空を見上げた辺莉が、感嘆の声を上げた。

 銃弾の一発一発が夕焼けに続々と炸裂し、七色を彩っていく。

 響く銃声、そして辺莉の歓声に吊られてか、広場にいた数人の生徒もまた頭上を仰いでいる。

 

 その名の通り、特殊な薬莢それぞれが七色の内の一色を内包し、順々に炸裂することによって宙を彩り。七つの回転する銃身によって連射されることで虹を描く。

 それこそが、セブンカラーズ(七色)()バレット(弾丸)の正体である。

 

 とはいえ、あくまで狙いをつけるのは射手。

 正直に言えば、滅茶苦茶に打ちあがっているだけで虹の体を為していない。カラーリングでなんとか虹を想起できるかどうかという出来だ。まあ慣れていなければそれもしょうがないこととは思うが。

 しかし、と小春は首を捻って播凰を見る。

 重さに加えて弾を打ち出す反動も相当なはずなのだが――軽々と打ち続ける播凰は楽しそうに笑っているし、隣の絹持は満足気に腕を組んでいる。

 

 ……天戦科なのよね?

 

 今度は違う理由で、けれど先程と同様な疑問が小春に沸き上がったが。口に出したところで意味はなく、考えることを止めた。

 その代わりに、というわけでもないが逸らすように隣できゃっきゃとはしゃぐ辺莉を見る。

 感触は悪くなさそうだと、そう思った。

 

「コホンッ、それで二津さん――ど、どうかしら? ウチの研究会は?」

 

 だからこそ、このタイミングで切り出してみる。態とらしく咳払いをし、少しだけ吃ってしまう。

 喜々として空を眺めていた辺莉が、その瞳が小春と交差した。

 

「……うーん」

「っ……」

 

 返ったのは答えではなく、考えるような仕草。困ったような、言いあぐねているような、そんな。

 溜息ほどではない。しかし他人に分かる程度には、小春は息を零し。

 

「……ま、まぁ、そうよねっ。無名で小さくて実績も無い弱小研究会だし、名前とか活動方針とかから馬鹿にされたり冷やかされたりするし、メンバーにしたって代表はともかくアタシはパッとしないし……だ、大丈夫、それで気を悪くとかなんてしないからっ! ほらっ、二津さんほどの子に興味を持ってもらえただけでも嬉しかったし!」

 

 半ば自棄に、自虐的な言葉を紡いでいるのを自覚しながら、小春は早口に喋る。

 ああ、年下の子相手だというのになんてことを言ってるんだろうと思いながらも、しかし口は止まらず。

 ただ、そんな小春を、びっくりしたように辺莉は目を丸くして。

 

「あ、いえいえ、アタシは楽しそうだと思ってますけど――播凰にい次第ですかね」

「…………」

 

 苦笑と共に、辺莉は今なお楽しそうに空に色を打ち上げる播凰にちらっと目をやった。

 釣られるように小春もまたそちらを見て。ついでに、空を見上げる。

 相変わらず不格好な、虹とも何とも言い難い彩りだ。

 

 思わず渋面を作る小春だったが。それを見てか、或いは空を見て同じように思ったのかは分からない。

 とにかく次の瞬間、辺莉はカラカラと笑い。

 

「でも多分ですけど、播凰にいは入るって言うと思うなー」

「……えっと、それは、どうして?」

 

 確信めいた物言いに、思わず聞き返す。

 正直、手応えとしては微妙なところだった。割と話は弾んでいたと思う。が、やはり自身があげつらった通りこの研究会に入るメリットは薄い。とどのつまり、決め手に欠ける。

 ならばなぜ、彼女はそう思うのか。

 

「先輩達だから」

「……先輩達ってことは、代表はともかく、私も? それってどういう……」

 

 けれど、返って来た答えは増々分からないものだった。

 絹持織高はまだ理由として分からなくもない。あんな見た目でも実力者であり、天孕具の服飾分野において名高い家の出。取り入るというか、繋がりを持つ価値はある。

 けれど、掛布小春はこの学園では劣った側のクラス(生徒)で。

 その逡巡を表情から読み取ったのか、辺莉は勘違いを正すかのようにヒラヒラと手を振って。

 

「ああえっと、家柄とか実力とか成績とか、そういうのじゃなくって――」

 

 ――単純に、その人そのものを見たんだよ。

 

 刹那。

 ドォン!! と爆発のような音が、小春の鼓膜を揺らした。

 

 ビクリ、と身を竦ませた小春は、慌てて周囲を見回す。

 が、その発生地点はすぐに分かった。何せ、炸裂音が止み、それを打ち上げていた二人のいる箇所からもうもうと黒煙が立ち昇っていたのだから。

 

 火の手が上がったというわけではなく、また屋外であったことから煙が捌けていくのにそう時間はかからなかった。

 小春と辺莉のみならず、なんだなんだといつの間にか集まり、または建物の窓から顔を出す数十のギャラリー達が見守る中。

 黒煙の中から姿を現したのは、煤けた二人組。言うまでもなく、見学者の三狭間播凰と代表の絹持織高の両名で。

 

「むほっ、ごほっ――むうっ、暴発してしまうとは。重さ故、碌に試運転をできていなかったのが痛いですな……申し訳ない三狭間氏、大丈夫でござるか?」

「はーっはっはっはっ!! よし決めたぞ、私はこの研究会に入らせてもらうとしよう!!」

「なんとっ、誠でござるか!? 拙者、大歓喜ですぞっ!!」

 

 は? と唖然として固まる小春に。辺莉は驚きを見せながらもしかし、ほら、と嬉しそうに笑い。

 

「――そういうわけで、これからよろしくお願いします!」

「……え、ええ……よ、よろしく」

 

 ぺこりと一礼。

 それになんとか口元の筋肉を総動員して言葉を返し。

 響く高笑いに、やっぱり変わった生徒だと、動揺しながらもそう改めて強く感じた小春なのであった。

 

 

 ――――

 

 

「――ホホホ、ようやく見つけましたヨォ。間違いなく、これはあの忌々しき双子戦士の痕跡ですネェ」

 

 文目も分かず、闇。

 静寂の中に妖しく、そのねっとりとした声色は突如起こった。

 

「どうやらここは人間界のようですが……まずは失っていた期間の情報を集めるとしましょうかネェ」

 

 ぼぅ、と仄かな光が独りでに灯ったのは、一台の情報端末。

 誰の姿も無しに、その操作音もなく次々とそのモニター画面の挙動が変わっていく。

 

「……天能術やら何やら見慣れぬ単語ばかり。あれからそう時は経っていないはずですが……なんでしょうねェ、特にこの『【客将】立ち絵お披露目他重大告知予定【大魔王ディルニーン】』という意味の分からないのは?」

 

 今まで余裕ぶっていた声が、明らかな困惑の色を伴う。

 

「……ともあれ、しばらくはひっそりと、悪意を蓄えるとしましょうかネェ」

 

 それを最後に、声は止まり。

 後には情報端末の灯りが揺れることなく少しだけ周囲を照らし続けるのみ。

 それが浮かび上がらせるは、ちょこちょこと文字が書き残されたままのホワイトボード。

 その左上隅に小さく、その文字は躍っていた。

 

 ――天奉祭向けスケジュール、と。




次回は配信回です。


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18話 客将、大炎上す(前)

予め宣言させていただきますと、VTuberを貶める意図は一切ございません。
ただ、キャラ設定的にそういう感想、発想は抱くだろうなという。
マイルドな表現にはしていますが、もしも不快に思われることがありましたら申し訳ありません。


 ――【客将】立ち絵お披露目他重大告知予定【大魔王ディルニーン】――

 

『フハハハハッ、余の配下共よ待たせたな、会合の時間であるっ!』

 

 ・コメント:ははぁ~

 ・コメント:きちゃ!

 ・コメント:ついに客将も本格デビューか!?

 ・コメント:胸アツ

 ・コメント:客将きゅん回キター!!!

 ・コメント:立ち絵期待

 ・コメント:重大告知も気になるところ

 

 開口一番の高笑い。それとリンクして、画面の中の漆黒の衣装に身を包んだ銀髪の偉丈夫が呵々と大口を開ける。

 と同時に、流れるコメント群。

 お決まりの挨拶、開始への歓喜、配信タイトルについての言及等々。

 その反応は様々であるが目を走らせたその瞬間には次々と増えていき、開始したばかりだというのに――だからこそということもあるが、配信として盛況であることが伺える。

 

『クククッ、中々に期待されておるようではないか、客将。当然よな、何せママは余のママたるえりくさーたんだ、女児キャラでないのが惜しいがそうでなくとも宝玉より勝るというもの。……さて客将、何故この場にいるかは、無論分かっておろうな?』

『ゲームだな! 言われた通りに持ってきている、早速始めるか?』

『戯け、それはもののついでよ! これより貴様の分け身を顕現させると言っている、感涙に打ち震えながらえりくさーたん――余のママへと平伏するのだ!!』

『ぬ……分け身、とな?』

 

 が、それはそれとして。

 肝心の主役、当事者たる播凰――もとい客将はきょとんとして理解が及んでいない。いや、数回であれどこの状況が配信をしている、即ち今正に己の言動がこの場にいない他者に見られ聞かれているというのは流石に把握している。

 問題は、その配信の内容だ。今回は最強荘一階の一裏万音、もといVTuber大魔王ディルニーンの部屋にゲームを持参している状況である。それだけを指示され、しかし他は何も聞いておらずに今に至るのであった。

 

 ・コメント:ちょwww

 ・コメント:分かってなくて可愛い

 ・コメント:草

 ・コメント:本人に言ってないのかよw

 ・コメント:わざとらしいな

 ・コメント:天然キャラだとしてもちょっと……

 

 とはいえ、そんな事情を外野は知る由もない。

 焦らすような茶番――本人にそのつもりはないのだが――に、突っ込みや笑いがコメントで起こる。

 大半は楽しむような好感触であったが、けれど混じるように険のあるそれもちらほらと。

 

『全く、無知蒙昧にも程があろう。えりくさーたんの子という大いなる栄誉が与えられたというのに、それを理解できぬとは嘆かわしい。ここは、あの伝説の神ゲーである『ロリっとスーパーパラダイス』のキャラを手掛け、且つこの大魔王のママたるえりくさーたんの偉大さを配下共々にしらしめたいところではあるが――』

 

 けれども、特にそれらに反応をすることなく。はぁ、と大きく息を吐きだしたディルニーンは大仰に頭を振り。

 

『――仕方あるまい、長々と語るは無粋故。そら、余のママたるえりくさーたんの威光に頭を垂れるがよい!』

 

 画面が切り替わると同時に、その絵は浮かび上がった。

 

 髪の色は黒。まるでやんちゃさを表すように程よく乱れ、そして跳ねた毛先はツンツンとしている。

 大きめの瞳は黒に近い濃褐色で、口元が真一文字に引き締められた顔つきはどこか幼げ。

 衣装のデザインはディルニーンも纏っている漆黒のコートに近いのだが、こちらは薄緑色。そして何より目を引くのが胸の部分。『客』の一字が堂々と、金字で達筆に表現されている。全体のデザインに対してその一部分は浮くように見えて、しかし不思議と馴染んでいた。

 

 ・コメント:おおっ!!

 ・コメント:カッコイイ!

 ・コメント:可愛い♡

 ・コメント:一瞬ダサイと思ったがそんなことはなかった

 ・コメント:流石えりくさーさん!

 ・ユーシャJ:魔王と似た衣装なのは複雑ですが、素晴らしいですね

 

 わっと、コメントの流れる勢いが増す。

 カッコイイ、カワイイ等々方向に統一性はないが、リスナー達からも概ね高評価のようだ。

 その様に満足気に高笑いを挟み、ディルニーンは会話を振る。

 

『どうだ、これが貴様の姿よ。余からの注文は一つ、あくまで客将(・・)であることは誰の目にも明確にと、それ以外はえりくさーたんに一任したが――流石は余のママである、見事という他あるまい!』

『ふぅむ、確かに見事なものとは思うが、これが私とどう関係が……ああ、もしやお主のそれのようなものということか、大魔王?』

 

 それ、というのはつまり一裏万音の行動に合せて画面の中で動く銀髪の偉丈夫(大魔王ディルニーン)の絵、である。

 一度は思案するも、近くに分かりやすく似たものがあったことが幸いし、当たりを付け。

 好奇に瞳を煌めかせて試しにひょいひょいと動いてみる播凰であったが、けれどディルニーンと違い客将の絵は動かない。

 

『むっ、これは動かぬのか?』

『当然であろう。貴様に与えしは、今は一枚の絵――立ち絵に過ぎん』

 

 現実で首を傾げる播凰と、仁王立ちをしたままピクリとも動かない画面の中の客将。

 その疑問をろくに説明することなく、ディルニーンは一蹴する。

 

『ふむぅ、色々と不思議ではあるが……まあよい、大魔王の母君、えりくさーたん殿といったか。つまり、その者が私のために動いてくれたというわけか。ならば信賞必罰、此度の良き働きに対し、褒賞を――』

『戯け! それは大魔王たる余の役目よ、貴様はただ感謝の言葉を紡げばよいのだ!』

『……そうか、ではえりくさーたん殿。見事な絵と働きに、礼を言おう』

 

 正直なところ、流されるままというのもあるが。そもそも、絵についてそれほど詳しくはなく知識もない。

 けれど、繊細な線の引き方に色使い等、労力が注がれていることは分かる。評論家ではないがために小難しい賛辞は口にできないが、見事と思ったことは事実だった。

 

 ・えりくさー:ははーっ、ありがたき幸せ、、、なんてね?

 ・コメント:えりくさーさん!

 ・コメント:にしても、えりくさーさんの男絵ってかなりレアじゃない

 ・コメント:えりくさー絵師といえばロリっ娘だからな

 ・コメント:大魔王様のママの時点で今更

 ・コメント:ディルニーン様の幼女verもありか。。?

 ・ユーシャJ:絶対にないです

 

『愚か者が、余は幼女を愛でたいのであってなりたいわけではない。――が、幼女となりて幼女を愛でるのも悪くない、か?』

『むっ、絵に加えて異性にもなれるとは増々……あぁ、褒賞といえば大魔王よ。私にゲームを買う資金を献上してくれた者達にも考える必要があると思うのだが、どうなのだ? 他国の民だ、戦利品というわけでもなしに、一方的に受け取るばかりというわけにもいくまい?』

 

 ふん、と最初こそリスナーのコメントに吐き捨てるように鼻を鳴らすディルニーンであったが。ややあって、一考するように呟きを漏らす。

 その呟きにまたしても首を傾げ、しかしふと思い出したように。客将の声が配信に載った、刹那。

 

 ・コメント:ボイス出して

 ・コメント:気にしないでいいよー

 ・コメント:また客将が戦ってるとこ見たい!

 ・コメント:楽しんでゲームしてくれればおけ

 ・コメント:もっと配信出ろ

 ・コメント:シチュボ希望

 ・コメント:客将の声カッコカワイイ少年系でかなり好き

 ・コメント:ゲーム配信!

 ・コメント:ゲームしてるとこ見せて

 ・コメント:対人戦の実力見せて♡

 

『ボイス、とやらはよく分からぬが……そうか、この身――おっと、今は客将だったな。ともあれ我が戦いを見たいときたか! うむ、よかろう!!』

『安請け合いをするな馬鹿者。企画はおいおい余が考えてやる故、今宵は購入したゲームのプレイを見せるがいい。元々その予定だったのだ、そして配信の最後に重大告知――になるかは決定していないが、とある発表を行う。では客将、魔王征服伝の準備をせよ』

『そうか? ならばうむ、ゲームをやろう。勇者救世録の方は少し進めているがそちらは初めてだ、胸が躍るな!』

 

 分からないものもありつつ、戦いを見たいというコメントに客将として上機嫌に笑いが漏れる。

 が、ディルニーンにより即座に軌道修正。

 ただゲームもゲームでやる気十分であったので、待っていたと言わんばかりにいそいそと準備していたゲームを起動、その画面が配信画面にも映し出された。

 

 ――『魔王征服伝』

 

 背景には雷鳴が轟き、その稲光がおどろおどろしいフォントのタイトルと、その下にある漆黒の玉座を浮かび上がらせる。

 はじめからを選べば、まずはゲームの大まかな説明だ。

 魔族を纏め上げていた魔王が崩御し、その跡目を巡り対立をはじめ好き勝手に暴れはじめた魔族達。時に同族を、時に敵対する人類を相手に、魔王として世界に君臨せんがためプレイヤーは魔族の一人として時代に名乗りを上げる、というのが大雑把なストーリー。

 

 そして、キャラクリエイト。

 この辺りは先日にジュクーシャと共にプレイした『勇者救世録』とほぼほぼ同じであったため、するすると進めるかに思えた、が。一時停止でもされたかのように、ゲーム画面が止まる。

 

『……話は大体分かった、つまり戦って世界を制すればよいということだな。だが、勇者の方は人間という話であったから想像できたが、魔族やら魔王というのが如何なる存在であるのかがいまいち――』

 

 困ったのは、魔族や魔王という存在に対する理解。

 人類と区別しているということは、少なくとも人間ではないのだろう。

 だが、人間とは、自身とは違うとなれば、ではどのような容姿なのかと考え。

 

『待て客将、貴様何故そこで余を見る』

『うむ、身近によい参考例があると思ってな!』

 

 一拍の間を置いて、コントローラーを握る手は再び動き出し。やがて、出来上がる。

 高身長、痩せぎす、色白の肌ではあれど人間とほぼ変わらない見た目。だが、特徴的な紅と蒼のオッドアイ。そのキャラクター名を――。

 ――でぃるにーん。

 

 ・コメント:草

 ・コメント:www

 ・コメント:ひらがななのが味がある

 ・コメント:いいぞ、客将!

 ・コメント:大魔王様とはちょっと特徴違くない?

 

 出来上がったのは大魔王ディルニーン、の現実としての姿である一裏万音の容姿を参考にしたキャラクター。

 

『……フン、仮初とはいえ余の名を騙るのだ、不甲斐ない姿を見せるでないぞ』

 

 機嫌がいいとはいえないながらも大魔王の一応の了承を得て、一魔族(主人公)の成り上がりへの幕が、今開かれ――。

 

 

 ――GAME OVER。

 

『……無様を晒すなと、そう言ったはずだな?』

『しかし武器を持っておらず、術でしか戦えぬというのがなぁ……間合いもそうだが、攻撃範囲もいまいちしっくりと来ぬ。だいたいこの術というのは、天能術とは別物なのか?』

 

 ――GAME OVER。

 

『うぅむ、例え武具がなかろうと少しくらい拳や脚での攻撃はできるだろうに。先程からこう、そわそわと全身が落ち着かないな』

『……フン、脳筋で済む勇者などと違い、魔の王の戦いとはスマート且つ圧倒的でなくてはならぬ。己が肉体を恃むまでもなく、雑魚ぐらい近づける間もなく灰燼とかせ』

 

 ――GAME OVER。

 

『ハァ、ここまでくると呆れて物も言えん。余が許す、難易度を下げよ』

『直接ではないとはいえ、戦うことがこうも難しいとは。勇者の方はまだ武器があったので分かりやすかったのだが』

 

 ・コメント:じいちゃんが初めてゲームした時を思い出すなぁ

 ・コメント:下手くそwww

 ・コメント:本当にゲームやったことないんだなってのが操作から分かる

 ・コメント:見ててこう、なんかもやもやする

 ・コメント:ただまあ平凡なプレイよりはある意味見応えはあるっていうか

 ・ユーシャJ:その調子ですよ! 魔王など、もっとボコボコにされればいいのです!

 ・コメント:ゲームが上手くない客将きゅんも可愛い

 

 序盤から主人公が力尽き――即ち、ゲームオーバーが乱発。

 なんなら、勇者のゲームの方より苦戦している。

 理由はその攻撃方法。最初から武器を所持して近接メインであった勇者と異なり、この魔王のゲームの主人公は術を得意としている。その若干癖のある操作に振り回されているのであった。

 ただ、見ていられないとディルニーンからストップがかかり、難易度をデフォルトの普通から簡単へと変更。

 それが功を奏し、また癖のある攻撃方法にも少しずつ慣れてきたためか、危なげながらもステージをクリアしていき。

 

 ――逃げるオークを撃破しろ!

 

『むっ、何やら見覚えがあるような……おお、思い出した、勇者の方のゲームで見たな!』

 

 勇者の方にも存在した、逃亡する敵、その大将を逃がすことで強制敗北となるステージ。

 狙ったのかは定かではないが、奇しくも同名であり標的もまたオーク。

 オークといえば、最強荘地下で遭遇した十三階の住人が脳裏をよぎるが。あの不意の遭遇以来、その姿は見ていない。

 

『時間制限が他より短い特殊戦闘、追討戦のマップか。疾く、殲滅せよ』

『うむ、任せよ! ゲームの始め方を教わった時に、勇者の方では逃亡を許してしまったものの、助言は聞いている!』

 

 そして、そういった場合の攻略法。それはつまり、ジュクーシャから聞いた。

 

『敵を無視して進めばよいのだろう? 向かってくる敵の相手をしないというのは今まで考えたこともなかったがな!』

 

 ・コメント:考えた事もなかったって…

 ・コメント:脳筋かw

 ・コメント:だからって別に敵全員をスルーする必要はないんだけどね

 ・コメント:極端すぎるよ客将

 ・コメント:まあ見つけた敵は全部倒したいっていう人もいるにはいる。というか俺がそう

 

 道中の雑魚敵を無視して、真っ先に大将に狙いを定めること。

 それは自身に刃を向ける者は皆等しく戦うべき相手としてきた彼からすれば、絶対に選択しなかった動きでもある。

 であれば、無視なら無視と。遭遇した敵に一度も攻撃を放つことなく、戦場マップを駆けまわる主人公。

 

『はて、大将首はどれか』

『……一応聞くが、客将。貴様、真面目にやっているのだろうな?』

『無論、私はいつでも大真面目だ!』

 

 が、本来雑魚敵の撃破にかかる時間を移動時間に回したところで、目的の場所まで辿り着けるかはまた別問題。

 そもそも、逃亡という条件の関係上、敵の大将はプレイヤーである主人公から遠ざかって行っている。つまり、常時その位置が変わっているのだ。加え、道中無視をしていた敵が主人公を追ってきたことで画面がわちゃわちゃし、どれが大将首であるかが判別できていない。

 

 ・コメント:右、右

 ・コメント:そっちじゃない、逆!

 ・コメント:今ボスの真横通ったんだが……

 ・コメント:おい、スタート地点に戻ってんぞw

 ・コメント:あああー

 ・コメント:ポンコツ可愛い

 ・コメント:やっぱキャラじゃなくてガチの天然ぽいな

 ・コメント:方向音痴すぎて草

 

 刻一刻と時間制限が迫りながらも、撃破数が0のままうろうろと右往左往する主人公キャラに。しびれを切らしたようにコメントから指示が飛び始める。

 その中に段々と毛色の違うものが混じって来たのは、画面右上に制限時間が強調されるよう赤色で表示されはじめた時だった。

 

 ・コメント:これはあのルート突入きたか

 ・コメント:まさか初見でいく人がいるとは

 ・コメント:どうせ攻略サイト見たんだろ

 ・コメント:何々、こっからなんかあるの?

 ・コメント:疑わしいけど、まあ初プレイとは言ってないしな

 ・コメント:未プレイワイ、どうなるか期待

 ・コメント:いやいや迷うのは初心者あるあるでしょ

 ・コメント:助言ていってたしその人が知ってたんでないの

 ・コメント:勇者の方にほぼ同じステージがあるのは事実。あっちはルート分岐ここじゃないけど

 

 そういったコメントが加速していき、画面に異変が起こったのは一拍遅れてのこと。

 時間が終わりを刻みタイムアップになったかと思われたその瞬間、映し出されたのは。もはや見慣れたといっていいGAME OVER画面、ではなく暗転。

 

『む、なんだ、画面が消えたぞ!?』

 

 ――オークと同盟を結びました。

 

 突然画面が真っ暗となったことで、半ば反射的に客将はガチャガチャと適当にボタンを押下。結果、気付いた時にはそんな文言が画面には表示されていた。

 

『……同盟? 降伏させたのではなく、か? そもそも、今何が起こったのだ?』

 

 ・コメント:……このマップで敵を一体も倒さずタイムアップになった時の特殊イベント

 ・コメント:同盟ルートのストーリーに入れる

 ・コメント:そのムービーをスキップしたっぽい

 ・コメント:草

 ・コメント:通常ストーリーじゃ倒すしかなかった、一部の特定の敵を味方にできる隠しルートね

 ・コメント:へー、そんなんあったんか

 ・コメント:攻略サイトで初めて存在を知った

 ・コメント:客将キュン、凄い♡

 

『しかし同盟、同盟か。モンスターやら魔族やら魔王やら色々とこんがらがってきたが、同盟も結べるとなると、オークというのは存外見た目以外は人とそう変わらぬのではないか?』

『…………』

『ともあれ、味方となるならばよい。さて、予期せぬことではあったが勝利したようだし、次の――』

『――いや、丁度良い頃合いだ、ゲームはここまでとせよ客将。この後は重大告知、となるやもしれぬ発表をする』

『ほぅ、重大とな? 分かった、止めよう!』

 

 なにがなんだかと思いつつ、敗北せずに済んだとやる気満々に進めようとした客将。

 それをなにやら普段とは違い硬く厳かな声で、ディルニーンが制止する。その雰囲気、そして重大という発言に、素直にゲームが切られる。

 

『オホンッ! さて、余の配下の者共よ。この大魔王に向け先日、不遜にもとある一通の報せが届いた』

 

 ・コメント:報せ……?

 ・コメント:まさか

 ・コメント:大魔王様にもやっと案件が!?

 ・コメント:コラボくるー?

 ・コメント:イベントとか?

 

『言ったであろう、あくまで重大告知の予定であり、告知となるやもしれぬと。つまりまだ正式決定ではない。……客将、その者は貴様も同時にご指名だ。故に、この場にてその可否を貴様に問う』

『む、指名? もしや、戦いの申し込みかっ!?』

『ふむ、戦いといえば戦いよな。配信の場での共闘、という意味では』

『……?』

 

 困惑する客将をよそに、ディルニーンの操作で配信画面に一つの変化が起こる。

 現れたのは、異国の装いをした金髪の少女の、絵。

 

 ・コメント:キター!!

 ・コメント:コラボキター!!

 ・コメント:おっ、ジャンナ・アリアンデか

 ・コメント:ジャンナだ!!

 ・コメント:初コラボが企業勢と!?

 ・コメント:よくあっちが許可出したな

 ・コメント:なんか前コメントしてたし、ある意味納得

 

『ふーむ、つまりどういうことだ?』

『コラボ――即ちこの者、ジャンナ・アリアンデと合同会合の誘いが来た、ということよ。余の軍門に下りに来たともいえる。そしてその返事、客将への問いはこの配信にて行うというのは、向こうに知らせている。立ち絵を出すこともな』

 

 ・コメント:あ、流石に独断じゃないのね

 ・コメント:いや軍門て

 ・コメント:知名度も登録者数もあっちの方が数段上なんですがそれは……

 ・コメント:大魔王は好きだけでジャンナも好きだからちょっとイラっときた

 ・コメント:まあ大魔王様のキャラということでひとつ

 ・コメント:初コラボwktk

 

『合同会合……そういえば確か、このジャンナという者も配信者――VTuber、と呼ばれるのだったな? 前に調べたような気がするが……うむ、詳しい情報は忘れてしまった!』

『仕方あるまい、質問があらば余が答えてやろう。同業者として、それなりに頭には入っている』

 

 ディルニーンの配信の始まり文句である会合。それが配信を指すならば、合同が着くことで何となく理解はできた。つまり一緒に配信をやることのだろうと。

 ジャンナという少女の絵についても、以前学園にて矢尾に教えられた記憶があるのをぼんやりと思い出す。

 なんだったかと思い出しているそんな折に、聞きたい事はと振られ。ついつい、口を開く。

 

『そうか、では前々から気にはなっていたのだが――』

 

 そう、気にはなっていたのだ。

 今日の配信の最初の出来事もまた、不思議だと捉えていたのだ。

 

『――何故、お主も、このジャンナという者も。己の顔ではなく、絵を介して喋っているのだ? その行為には一体何の意味があるのだ?』

 

 刹那、ピタリとコメントが止まった。

 あ、とか、え、とかそんなただの一文字も流れず、ピタリと。

 とはいえ、それらコメントはあくまで文字。仮にあったところで、しんとした空気に影響を及ぼすことはなく。

 

『……フン、だから貴様は客将(・・)なのだ。己が価値観で異文化の可能性を狭めるなど、愚王の謗りは免れないと知れ』




まずは火種要素その一。
前書きの通り、VTuberを貶める意図は一切ございません。
文化が異なる主人公としては単純な疑問という話となります。


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19話 客将、大炎上す(中)

「よいか。王たる者――それに限らず一つの共同体、或いは組織の頂点に立つ者でもよい。長の役目とは異なる文化や価値観、技術を排斥することに非ず。それらを見極めることこそにある」

「……ふむ?」

「無論、排斥そのものを咎めているわけではない。中には明らかな害――将来的な可能性も含めてだが、毒杯と成り得るものもある。それらは寧ろ強権を以てでも強引に排斥すべきであり……尤も、危険性を理解した上で敢えて引き入れるという手もあるが、まあそこは匙加減次第か」

 

 ・コメント:は?

 ・コメント:びっくりした

 ・コメント:え

 ・コメント:なんかすごいこと言わなかった!?

 ・コメント:VTuberの関係者というか知り合いがそれを言っちゃうのか。。

 ・コメント:今の発言はやばくね

 ・コメント:ライン越えか?

 ・コメント:自覚あるんか

 ・コメント:燃えるぞw

 

 一拍の間を置いて。けれど一瞬を止まっていたことを忘れさせるように、今まで以上に加速していくコメント達。

 されどそれらを一瞥ともせず、大魔王ディルニーンは――自称、大魔王の一裏万音は目を瞑ったまま。

 

「とどのつまり、受容と淘汰。逆に利を齎すと見れば、例え蛮族のそれであろうと受け入れない手はなく……とはいえ個人の趣味趣向、美学というのもある。根底のそれらが違えば、異なる解釈や意見というのはどうしても出てくるだろう。故にこその王、とも言えるが」

「それは……いくら王が偉いとはいえ、民どころか将兵の反発すら招くこともあるのではないか?」

 

 反論というわけでもないが、単純な疑問。

 それに対して、ハッ、と。返って来たのは明らかな嘲りだった。

 口元に冷笑を浮かべた万音の、その瞼は依然閉じられ相も変わらずその視界に何も入れようとはせず。

 

「玉座というものは力の象徴ではあるが、当然にしてそのまま権威に転ずるということはない。如何に豪華絢爛なそれとて、結局は座す者次第でその在り方を変える。故に、王という肩書だけで偉ぶる道理はなく、その肩書だけで他者を支配するなど本来はありえまい。その椅子は確かに勝者の証なれど、決定的な根幹はまた別のところにあり……しかしその座にただ在るだけでよいと勘違いした愚物の多いこと、多いこと」

 

 けれども次の瞬間。

 顔を動かすことなく目を開き、それだけを横にじろりと播凰に動かして。

 

「貴様はそれどうこう以前の問題だが……偶さかその座に着いただけの者でも分かるよう、陳腐で在り来たりな答えを返してやろう」

 

 つまらなそうに、下らなそうに。頬杖をつき。

 

「利を見出し、展望を示せ。多くの反発はその影響を想起できていないからにすぎず、それが己に利するとあらば容易に反転するだろう。真に考えを巡らした上で声を上げる者など、極一部でしかおるまいて」

「お主はそうしてきた、と?」

「それで全てではないがな。慣例や文化を重んじるのも結構だが、外部からの流入を拒むは所詮現状維持、ただの思考停止でしかなく、停滞の先にあるは破滅よ。……故に余は観察し、見極めてきたのだ」

 

 ――例えそれが、人間(・・)のそれであろうとな。

 

 それを最後に、万音は言葉を切った。

 播凰もまた、思案するように押し黙る。

 

 ・コメント:???

 ・コメント:……何の話だ?

 ・コメント:それよりもさっきの!

 ・コメント:客将、割と好きだったけどあれはちょっと

 ・コメント:謝罪マダー?

 ・コメント:そもそもポッと出で前から気に入らなかったんだよ

 ・コメント:客将だかなんだか知らないけど、こっちはそんなの求めてないって

 ・コメント:化け物のくせに

 

 束の間の静寂。

 そんな中でも、コメントの勢いはとどまることを知らず。むしろ勢いを増し、機械越しで感じ取れないはずではあるが、その熱量すら幻視できてしまうほど。

 けれどもそれらの熱気とは関係無しと言ったように、二人は揺るがない。

 

「……利、か。少なくとも私にはそれが思いつかぬ。己の顔を売る、というのならばまだ分からなくもないが、絵を介してではそれも叶わぬだろう? 加え本人の顔でないなら、声さえあの機械でどうにかしてしまえば、影武者のように別の人間が振舞うこともできてしまうのではないか?」

 

 機械、とはつまり客将としての声を出しているボイスチェンジャーである。特定を避けるため、と訳も分からず大魔王が用意していたものだが、己の声が別物となって発せられるのを聞いた時には驚いたものだ。

 

「フン、成り代わりか。この大魔王たる余を騙る者が出てきたとあらばその気概くらいは認めてやらぬでもないが。とはいえ、それを為しうるのは、周囲が余程の間抜けな時くらいのものだろうて」

「……そうは言うが、しかし影武者とはそう珍しいものでもないと思うぞ?」

「貴様の抱く偽者の像は、今は捨て置け。いくら顔を伏せているとはいえ、そこに生きてきたは紛れもなく当人であり、判断となるのはその者の技量だ。配信者としてのスキルに始まり、話術の巧みさ、ゲームの実力、その他視聴者の捌き方や些細な癖……積み上げてきた証は嘘をつかず、それが別人がとって代わったとなれば周囲が分からぬ訳もない。それとも貴様、よく知る者の中身が姿形だけを真似た偽者の場合にも気付かぬ阿呆か?」

「ふむぅ……まあ確かに、それなりに知る者であれば、口振りや体捌きで判断することもできなくはないか」

「そう、ただ絵がいいからという理由のみで人気が続くわけはなく、絵越しであれば誰でもいいというわけもないのだ。――故に、不遜にもどこぞの愚か者が姿声を真似て配信をしたとて、真にこの世に大魔王ディルニーンたる者は、この余だけよ」

「成る程?」

 

 これ以上ないほどの自信を滲ませて、静かながら堂々と宣言する万音。

 それに気圧されたわけではないが、事情に明るくない播凰はそういうものなのかと一応の納得を見せる。

 そして、と続いて切り出されたのは。

 

「全てに答えてやる義理もないが、まあよかろう。仮にも王の座にあったというのならば想像してみよ。王命ではない、貴様がただ何かを発した時、それは如何様にして臣下や民草に伝わるかを」

「……それは――私がこういうことを言ったと、そう伝わるのではないか?」

 

 恐らくは利が分からない、という問いに対しての言葉であろうが。紐づきが見えない話だった。

 一応答えた後、もっともそういった役割は得てして弟妹達が受け持っていたが、と播凰は心の中で続ける。

 戦場にあった時は別として、それ以外ともなると大抵は弟妹達が提案や話をしにきて、割とよく理解しないままに頷いたり任せきりにしていた記憶がある。

 それはそれとして、口にしてみたもののまるで中身の無い返答だった。

 しかし、万音は馬鹿にするでもなく鷹揚に頷き。

 

「然り。直接その場にいなかった者にしても、王がこのようなことを言ったと、そう伝聞してゆく。尤も、一言一句正確に伝わることはなく、悪意の有無関係なくどこかで内容が捻じれたりすることなど不思議でもないが」

「うむ」

「けれども、王が(・・)というその前提に関しては、動かん。国の将兵や民が元であれば発言者がぶれて伝わることもあろう。だが、王がという点は決して」

「……つまり?」

「誠、貴様は察しの悪い奴よ。究極、余の口から出るあらゆる声は総じて、大魔王からのものであると世の者共は受け取るわけだ。――本来であれば」

 

 そうして万音はいっそ凄絶な笑みすら浮かべる。

 画面の中のディルニーンも、それに呼応するかのようにその口元を吊り上げ。

 瞬間、ドンッ! と。鈍い音がした。

 

「どうしてっ! ……どうして余はこの発想に至らなかったのかっ! どうして同じ人間でありながら我が世界の人間共には斯様な文化が存在しなかったのかっ!」

 

 その音は、万音の拳が振り下ろされ、机を叩いたことによるものであった。

 同時に、悲痛とまで思わせる、今まで聞いたことのない万音の嘆き。

 ドンッ、ドンッ! と振り下ろされる彼の拳は留まることなく響き、むしろ力強さを増していく。

 

「……それほどまでの価値が、利が、このVTuberとやらにある、と?」

 

 その様子には、さしもの播凰も異常を感じて。神妙な面持ちで問いかける。

 今までの話を聞いて尚、理解が及んでいない。いや、何を言いたいかは薄々分かっているが、それに絡む万音の言う利が頭に浮かんできていないというのが正しいか。

 とはいえ、これほどの慟哭。彼の目には光る涙すら見える。

 その異様さからすれば、さぞ己では考え付かないような深い何かが――。

 

「当然だっ、これさえあれば! これが、我が世界に欠片なりとも下地がありさえすれば――世界各地のあらゆる魔族の、否、あらゆる種族含めた世界全ての幼女との触れ合いができたかもしれぬというのにっ!!」

「……うん?」

「そもそもからして、あの無駄に熟れた淫魔共が余計な真似をしてくれたことが問題なのだっ! もう少し、余がもう少し早くに幼女の尊さに気付いておればっ……あそこまでいってしまえば、余が余である限りその言葉は幼女に真に届くことはない! くっ、そう考えればバ美肉もありよなっ!」

「ば、ばび……?」

「ともあれ、だからこそ悔やまれる! 具体的には、大魔王は幼女に優しいキャンペーンを配信でだな――」

 

 ・コメント:本当に何の話だ

 ・コメント:台パン草

 ・コメント:???

 ・コメント:もしかして酔っぱらってる?

 ・コメント:なんか分からんけど草

 ・コメント:いつもの大魔王様

 ・コメント:つまり……どゆこと?

 ・コメント:変な話で誤魔化すな

 ・コメント:逃げんな

 

 べらべらと捲し立てるような万音の弁舌は、播凰だけでなく視聴者も混乱の渦に叩き落とす。

 だが、そのどちらもの反応をまるで気にした風もなく、かくや放送事故かとも思われる熱弁だけがただただ振るわれる。

 少なくとも、実に数分は喋り続けていただろうか。

 

「――ということだ、理解したか?」

「うむ、よく理解できなかった!」

 

 一応は耳こそ傾けていたものの、聞いたことのない単語が連発。その中には話の前後から国や地域と思しきものもあった。口を挟めないほどの熱弁というのもあったが、あまりにも連発されすぎてもはや忘れてしまったほどだ。

 そのような有り様なのだから当然理解できたわけもなく、馬鹿正直に答える。

 

「はぁ、無知蒙昧もここに極まれり。これだから未熟者は――」

「けれども、理解したことはあるぞ!」

 

 そんな播凰の返答に、やれやれと額に手を当てて頭を振る万音であったが。

 遮るように、自信満々に胸を張った播凰に、言葉が止められる。

 

「お主が以前に指摘したように、私は自ら進んでその座に昇っていない。そもそもからして、正当な継承権(・・・・・・)は私ではなく我が弟妹達にあったのだからな。故に、お主が語ったことも十全に理解したわけではない。ただ、言えるのは――」

 

 正直、よく分からないことだらけではある。

 それは王どうこう(かつての世界)の話でもあり、文化や技術(この世界)の話でもあり、異なる存在(別の世界)の話と、多岐に渡る。

 だが、一つ。今まであやふやであったものが、確固たる形となったものがある。

 

「魔王やら魔族やら、そしてオークやら。その存在が如何なるものかは別として、まるで人と変わらぬということだ! 意思の疎通ができ、良き王たらんと国を導き、おかしければ笑い、そして悲しくて泣く。善悪があり、争うこともあるものの、ゲームのように同盟も組める!」

 

 違うか、と歯を見せて笑い、万音の顔を振り返る。

 計りかねていた、と言われればまあそうなのだろう。自身と異なる風貌だという印象があったのも事実。

 一裏万音(大魔王)には常に厳しくあたり、十三階に住むという鬼三朝至(オーク)にも初対面で敵意を滲ませていたジュクーシャを否定するわけではないが。

 ゲームと、そして彼等と直に言葉を交わし、そう思った。

 

 呆れ顔、というよりは渋面だろうか。眉根を寄せ、口を引き結んだその表情が晴れたものではないのは誰の目にも明白。

 しかしその特徴的な瞳だけは、播凰の顔を外すことなく確かに捉え。

 不快気に鼻を鳴らすでもなく、嘲りに喉を震わせるでもなく。

 

「……生意気な」

 

 と、ただそれだけを言った。




更新するとお気に入りが減るという最近に若干モチベがちょっとあれですが、頑張って更新していきます。お気に入りしていただいた方はありがとうございます。

更なる炎上の種は次回で。


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20話 客将、大炎上す(後)

「して、何の話をしていたのだったか?」

「……ともすれば、鳥の魔族にすら劣る頭の持ち主よな、貴様は。この者からの合同会合の誘いを受けるか否か、という話だ」

「おお、そうだった、そうだった!」

 

 むむむっ、と腕を組み頭を捻りながら呟いた播凰に、これみよがしに大きく溜息を吐きだして。万音は画面に映る勝気な金髪の少女の絵を指し示す。

 思い出したように大きく頷き、播凰がその合同会合とやらの詳細を確認しようと口を開きかけたが。口をひん曲げた万音が手でそれを制した。

 

『煩わしいので先に言ってやるが。つまり大魔王ディルニーンたる余とその客将である貴様、そしてこの者――VTuberのジャンナ・アリアンデとで配信をするということよ』

『つまり、今こうしてお主と話しているようにそのジャンナという者とも会って話をし、それが他者に見られるというわけだな!』

『正確には違う。此度の誘いはオフコラボではない故、直接会うことはなくあくまで声での通話のみのやり取りとなる』

『むっ、声だけと? ……ああ、電話とやらと同じか、あれは便利よなぁ。要するに、お主とはこうして今対面しているが、このジャンナという者とは絵越しで何処の誰かも顔を、そして先程の話を加味すれば性別すらどちらか不確かなままに会話をするというわけだ』

 

 配信の冒頭の件。絵の披露時に、ディルニーンが幼女ともなれるという旨の発言を聞き、顔を伏せ声も変えられるのなら性別を偽ることができるのも納得だと。呑気にポン、と手を打って理解を示す播凰であったが。

 マイペースな彼とは裏腹に、依然としてコメントの流れに落ち着きというものは見られない。

 

 ・コメント:やっと話が戻った!

 ・コメント:戻っていいんだか、よくないんだか。。

 ・コメント:コメント見ろ

 ・コメント:無視すんな

 ・コメント:ああ、戻った側からまた際どそうな発言が、、

 ・コメント:頼む客将、もう止まれーッ!!

 ・コメント:ジャンナはジャンナだろうが!!!

 ・コメント:お前ふざけんなよ

 ・コメント:ジャンナの一押しって聞いたから見に来てみたのに。。

 ・コメント:炎炎炎

 

 話が戻ったことを受けての悲喜こもごも、或いは怒り。

 

 ・コメント:ていうか地味に流れてたけど、客将も実はどこかの国の王様でしたって設定なの?

 ・コメント:設定の大渋滞

 ・コメント:まあこういうのは言ったもの勝ちですしおすし

 ・コメント:客将の設定はよ

 ・コメント:よし、なら俺も今日から王様だ(錯乱)

 

 会話の中身を受けての混乱。

 

 ・コメント:信者共が顔真っ赤で草

 ・コメント:これが今何かと話題の客将かー、なんか面白そうじゃん

 ・コメント:話題性もあってただの荒しも結構いそうだな

 ・コメント:ジャンナの中身が男だったらガチ恋勢発狂待ったなしw

 ・コメント:ジャンナのバ美肉説は草

 ・コメント:www

 ・コメント:もっと色々ぶっちゃけてもええんやで

 

 流れと状況を受けての愉悦。

 数多の感情が入り乱れたコメント欄は、混沌としていた。

 そして万音の指差しにより少女の絵(ジャンナ)を――画面を見ていた播凰はここにきて漸く、コメントのその荒れ具合に気付く。

 

『ふむ? よく分からぬが、随分と威勢のいい者がいるようだな。活気があるのはよいことだ。……あー、王についてはだな――』

 

 ただ、気付いたところで何故そういう状況になっているかまでは理解が及ぶことはなく。

 攻撃的なコメントについてはそれを褒めるように――当人に自覚はないが――もはや第三者からすれば煽りとまで認識できるような言葉を返し。

 次いで、管理人の忠告を受けていたにも関わらず、己の過去に関する発言を零していたのに気付き口籠る。

 

 その無自覚ともいえる煽りが更なる加熱を与え。また真意はどうあれ言葉が止まったことによる隙が邪推の余地を与える。

 荒れるコメントというのは、大抵の配信者にとっては忌避するべきものであろうが、しかし。この配信の主は、その様をニヤニヤと眺めているだけで声を上げようとしない。

 罵詈雑言ともいえる荒々しいコメントばかりが目立つようになってきた、その時。

 

 ・ジャンナ・アリアンデ:頑張って何とか事務所から許可取ったんだから、勿論受けるわよね!?

 

 また更なる切り口のコメントが――というよりある意味渦中の名前が。埋もれかけ、けれども確かに映し出された。

 全部が全部ではないが、それに気付いた者はやはりいたようで。荒々しいそれに割入るように、その名が次々とコメントで流れ始める。それを契機として気付いたのか、連鎖的にその類のコメントも増えていった。

 

『ほぅ、やはり見ていたか。そら客将、答えを返してやるがいい。受けるも受けずも、余はどちらでも構わん』

 

 ククッ、と喉を鳴らしたディルニーンが促す。

 そして発言通りであることを示すかのように、ぞんざいに手をヒラヒラと振った。

 言ってしまったことは仕方がない、と播凰は自身の発言は一旦忘れ。切り替えて、誘いについて考える。

 

『ふむ……して、共に配信するのはいいが、一体何をやるのだ? 話すだけではつまらぬ、ゲームもできるのか?』

『貴様の無知は承知だが、何もただ話すだけ、ゲームをするだけが配信ではない。発端は偶発的にせよ、貴様の提案で先日行った商店街のレビュー、あれも正しく配信としての一つの形よ』

 

 ドラゴン騒ぎの動画を受けて小貫が――学園教師の紫藤の知り合いである彼女がやってきたことから着想を得た、商店街レビューの配信。

 ゆりの喫茶店(リュミリエーラ)の閉店をなんとかしようと思い付き、そして何故か自身も配信に参加することとなった出来事。それは播凰の記憶に新しい。

 

『ゲームは当然に、叶うかは別として他に希望があれば伝えることもできる。無論、オフコラボではないために限りはでてくるがな。企画については向こうと相談の上決定することになるだろう』

『……ふむ、取り敢えずは誰とも知らぬ相手と対話するのも一興か。面白そうだ、よし、受けるとしよう!』

 

 播凰の認識では。配信とはつまりこの場に存在しない者でも、機械を通して視覚と聴覚を共有できること。

 全てではないものの。同じ光景が見え、会話を聞け、コメントで意思表示もできる。

 そして今までの配信というのは、話す、ゲームする、商店街を紹介する、という経験だけ。相手にしたのも大きくはディルニーンたる万音と、商店街レビュー時の特別参加の従者――ジュクーシャのみ。

 だからそれ以外のことと言われても想像ができておらず。ただ面白そうという理由のみで話を受けると、あまり深く考えずに口にした。

 

 ・ジャンナ・アリアンデ:やったっ!!

 ・ジャンナ・アリアンデ:企画については任せなさい、勿論希望があれば伝えていいわ!

 ・コメント:ジャンナウキウキで草

 ・コメント:そもそも何でそんなにコラボしたがってるの?

 ・コメント:一興って、、もっと言い方あるだろ

 ・コメント:むしろ個人勢との許可がよく事務所から降りたな

 ・コメント:何とか許可取ったって言ってたし渋られはしたんだろうなw

 ・コメント:客将VSドラゴンの戦い見てどうこうって配信で熱く語ってた気がす

 ・コメント:てかこの前の商店街の、あれ客将の発案だったのね

 ・コメント:後で商店街レビューの回見てこよ

 

 当人がコメント欄に登場したことで、風向きは変わりつつある。

 攻撃的なものも完全に消え去ったというわけではないが、多少は落ち着いたようで――。

 

 ・コメント:反対反対絶対反対!

 ・コメント:客将きゅん考え直して!

 ・コメント:男同士ならまだしも、女は駄目ー!

 ・コメント:客将、男女コラボはやめとけ。対応間違えるとヤバイ、しかも相手は企業勢だ

 ・コメント:客将ガチ勢だ!!

 ・コメント:ガチ勢来たwww

 

 と思いきや、また新たな角度のコメントがパラパラと出てくる始末。

 とはいえ先程までに比べればまだマシという程度ではあるのだが。

 

『で、ゲーム以外の希望とは言うが、他にどういったことが配信でできるのだ?』

『それはだな……いや、貴様相手となると口を開くのも億劫だ。時間のある時に、余を含め他の配信者――VTuberに限らずでもよい、その配信や動画を調べるなり見て勉強せよ。そして客将という己が如何なる立場のものかを知るがいい』

『……むぅ、勉強が必要なのか?』

 

 それはさておき、では他に何があるのかを尋ねてみれば。 

 思いがけず返って来た苦手な単語に、抱いていたわくわくが急速に萎み。

 表情どころか声色にすら隠すことなく難色を示す。

 

『話題性だけではいつまでも続かん。尤も無様に踊るだけとあらば、それはそれで構わんが。しかしそれを除いても、余の配信では貴様を自由にさせていたが、コラボともなればある程度事前に取り決めを行う必要がある。大魔王とはいえ――だからこそ、受けたからには体面を重んじる。貴様に失態があったとすればそれは余の失態、沽券に関わる故に厳しくいく』

『取り決め……それは細々としたものか?』

『余からすれば何てことはないが、貴様からすれば細かいという括りとなるだろうな。スケジュールの調整に企画の準備、事前のルールや取り決めに始まり、段取りや……ああ、それらを越えて尚、当日の発言にも気を遣う必要がある。ただでさえ初コラボ、こちらは別としてあちらが慎重であることに疑いの余地はない』

『…………』

 

 播凰の苦い顔が更に苦々しいものとなる。

 ぼんやりとしか想像できてはいないが、もはや聞いているだけで頭が痛くなりそうだった。

 細かいことが苦手である。色々考えることが不得意である。何より、客将――三狭間播凰は勉強が嫌いである。

 であるからして――。

 

『……面倒そうだ、やはり止める』

 

 その決断に至ることは、何ら不思議なことではなく。

 

 ・ジャンナ・アリアンデ:なんでよっ!?

 ・コメント:ファーwww

 ・コメント:草

 ・コメント:いや面倒て、、

 ・コメント:大草原不可避w

 

『ククッ、まだ正式な回答とはなっていないため間に合いはするが……調整が必要とはいえ、この余が企画立案に関わるのだ。貴様の言う面白そうというのは保証するぞ?』

『それを惜しむ思いがないわけでもないがな。けれども丁度つい先日、面白そうな活動をするところに入ったのだ! ゲームも一人でできるようになったことだし、暫くはそれらが楽しめることだろう! 故に――』

 

 面白そうなこと、という点では何も配信に拘る必要はない。

 ジュクーシャにゲームの設定をしてもらって自由にできるようになったし、学園の方でも異世界道具研究会(面白そうなところ)に入った。加え、元々の楽しみである天能術のこともある。

 だから、少なくとも現時点においてはやること満載、面白そうな可能性というだけで苦手なことに自ら足を踏み入れる理由もなかったのだ。

 

『――うむ、許せジャンナとやら! 戦いの誘いであったなら吝かではないが、そうでないとあらば断わらせてもらう! 何より、私は細々としたことが……勉強が嫌いなのだっ!!』

 

 いっそ清々しいほどの、断言。思い切りのいい、拒絶。

 申し訳のなさが一応言葉の片鱗からは伺えるが、その受け取り方というのはやはり人それぞれで。

 

 ・コメント:何でそんなに上から目線なんだよ、しかも断るとか

 ・コメント:コイツちょっと話題になったからって調子乗りすぎ

 ・コメント:シネ

 ・コメント:上げて落とすとか客将も中々鬼畜だな……

 ・コメント:まさかの理由が勉強が嫌いだからw

 ・コメント:ジャンナ、もうこんな奴のこと気にすんな

 ・コメント:あれ、ジャンナ消えた?

 ・コメント:ジャンナ生きてるかー?

 ・コメント:これ絶対切り抜かれる

 ・コメント:流石客将きゅん♡

 

『フハハハハッ、そういうことだ人間の女よ! この大魔王、そして客将に目をつけた慧眼は認めるが――しかし此度の誘い、否と相成ったっ!!』

 

 どちらでもよかったというのはやはり本音だったのだろう。

 大して引き止めることもなく、残念がる様子もなく、高笑いをするディルニーン。

 それがいつもの調子というのは、普段の配信を見てる者には分かるのだが。

 

 ・コメント:むかつく

 ・コメント:登録者数も立場もジャンナの方が上だし、身の程を弁えろ

 ・コメント:これが大魔王のデフォなもんで

 ・コメント:流石大魔王、企業勢の大物相手だろうとか関係なしか

 ・コメント:客将も、ある意味大物ね

 ・コメント:笑うなよ

 ・コメント:両方ジャンナに謝れ

 ・コメント:絶対に許さない

 ・コメント:拡散してやる

 

 まるで火に油。沈静化しかけたコメントは、最終的に燃えに燃え、収拾をつけるのは難しいだろう。

 けれど。

 

『うーむ、どうにも先程から怒っているような者もいるみたいだが……一体、何をそんなに怒っているのだ? このコメントの者達が先程から何を言っているのか、さっぱり分からぬ』

『フハハッ、気にせずともよい。断りは正当な権利、致命的な線は踏み越えておらぬからな! さて頃合いだ、此度の会合は以上とする。ではなっ!!』

 

 それを放置したまま。最後の最後に無自覚に余計な火種をまた投げ入れて。

 こそこそと卑屈に逃げるわけでもなく、きっちりと締めの号令を以て。大魔王ディルニーンの配信は終わりを迎えるのだった。

 

 その夜。己の分身たるディルニーンのことを検索――所謂エゴサをしていた万音は、配信の反響に機嫌よさげに喉を鳴らしていた。

 中には、客将の立ち絵を評価するものや配信の内容を評価するものもあったものの。割合としては好意的なものよりも、非難や怒りが多く。けれどそんなことはおかまいなしといったように、むしろ笑みを深めていく。

 その最中、ジャンナ・アリアンデ――誘いをかけてきた件のVTuberが突発的に配信を始めるとの情報が目に入ったため、ほぅ、と万音は愉快そうに口元を歪めながらヘッドセットを装着し。

 ふと思い出したように、呟く。

 

「しかし、なんだ……随分と珍妙なモノが紛れ込んでいたな。まあ、余の邪魔とならぬ限りはどうでもいいが」




単純なもので、やはりお気に入りが増えると、執筆のモチベが上がりますね。
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21話 呼び出しは次々に

大した情報は載せてませんが、作者のメモ書きも兼ねて一話の前に軽い人物紹介+配信回の話数をまとめてみました。


「――おう、三狭間。取り敢えず、一発殴らせろや」

 

 唐突にそんな不躾な言葉を播凰が浴びたのは、学園での昼休み。クラスメートであり、かつ同じ最強荘の住人である晩石毅と共に、食堂へと向かおうと校内を歩いている時であった。

 ズカズカと対面から、明らかに怒りと分かるような笑みを貼り付けて。一人真っすぐに向かってきたのは、天戦科の上位クラスたる一年E組の矢尾(やお)直孝(なおたか)。入学試験に始まり、その後のドラゴン騒ぎ等々、数少ない学園内の播凰の知り合いにして何かと縁のある生徒である。

 

「それは構わぬが。戦いの誘いとあらば受けよう」

 

 いきなりのことに硬直した毅を横に、けれども播凰は平然と受け答えを返す。

 そんな播凰の態度に毒気を抜かれたのか、或いはそこまで本気ではなかったのか。

 はぁ、と息を吐いた矢尾はそれ以上何も言わずに軽く周囲を見回すと。人気のない校舎の陰へと播凰と毅を連れて行き。

 

「わりぃな、お前達と馴れ合うことも関わるつもりもないとは言ったし、それを変えるつもりもねえが――こればっかりは流石に黙ってちゃいられねぇ」

 

 仕切り直し、と言わんばかりに口火を切ったのは、当然のように呼び止めた側である矢尾。

 その目は凄むように播凰を睨み、ビクリと毅の身を震わせる程に威圧的だった。

 元々がそこまで友好的とは言えない関係。確かに、捧手厳蔵の元へと共に行った帰りにそのようなことを言われ、事実それきり関わりは無い。

 それなのにこれほど怒らせるとは一体何をしたんだと、毅は戦々恐々と播凰を振り返り。剣呑な空気が、高まる――。

 

「ふむ、そんなこと言っておったか?」

「ゼッテー言ったよっ!!」

 

 しかし肝心の播凰は、はてなと首を傾げる始末。

 その明らかにずれた返答と息を荒げて突っ込む矢尾に、場の緊張は即座に霧散した。

 

「クソ、テメェは本当に色々と訳の分かんねぇ奴だな! あーもういい、サクッと言うぞ!」

 

 その様に苛立たし気に頭を掻きむしり、首を振った矢尾は。今までとは一転、ヒソヒソと声を潜め。

 

「お前、アレは一体どういうつもりだ?」

「……アレ、とは?」

「んなもん、ディルニーンの配信でのテメェの――客将の態度に決まってんだろ! あんな炎上しかねない――というかしてるようなもんなんだが、それ以上に折角のあのジャンナとのコラボの誘いを断るとはどういう了見だって聞いてんだよ!?」

「ああ、それか。別に受けなければならぬというわけでもなかろう。色々と面倒そうであったし、何より勉強は嫌いだ」

「マジでたったそんだけの理由なんかよ……」

 

 しれっと、そしてむすっとする播凰に。矢尾はがっくりと肩を落とし。

 

「……幸い、ジャンナがポジティブに捉えて、お前への中傷とかしないよう配信なりで呼びかけてたから最悪の状況にはなってないが。それでも、切り抜きの動画は出回ってるし、過激な奴とか愉快犯は色んなとこで好き勝手言ってる。ジャンナのファン以外も敵にしかねない要素もあったしな。お前、というか客将ってキャラが今どういう扱いをされてるか、調べたことあっか?」

「いや、無い。どういう扱いも何も、私は私だろう」

「お前は本当に……ったく、何で俺がこんなこと」

 

 ぶつくさと言いながら、矢尾は持っていた端末を操作しはじめる。

 それから数秒後、播凰の端末がブブッ、と震え。

 見てみれば、メッセージが1件。送信者は、矢尾直孝――つまり眼前の彼であった。

 

「切り抜きの動画と、お前達の配信の後にされたジャンナの配信アーカイブ。んでおススメ――んんっ、偶々見つけたコラボ動画数本へのリンクを送っといた。……いいか、少なくとも前二つは絶対に! 今日中に! 忘れず見とけよ!」

「ふむ……まあよかろう」

 

 念押しするように、一区切り毎に顔を近づけながら。

 唾を飛ばさんという勢いで、矢尾は播凰に釘を刺す。

 頷いた播凰を見て、矢尾は顔を離し。

 

「これ以上敵を作りたくなきゃ、そのリンク先の反応を少しでも気にしといた方がいいぞ。何となくお前を知ってる身からすれば素っぽいと分かっちゃいるが、そうでなきゃふざけてるような言動にしか聞こえねえし、そういう風に見られてるってことだ。あんな荒れる配信もそうそうないぜ」

「ふむ、敵ができることは一向に構わんのだが。その中から、私に挑む強者も現れるかもしれぬしな!」

「……ああそうかよ。ただ知ってるかもしれねえが一部のコメント――化け物、とか悪魔、とかそういう類の批判は無視でいい。あんなのは、所詮ただの凡人の妬みだ」

「うーむ? ……言われてみれば確かにそのようなコメントを見かけた記憶があるような。あれはどういった意味なのだ?」

 

 多くはなかったが、確かに配信中に見たような気がしないでもない。

 ただ、大量のそれを一々覚えてなどいないし、何を言っているか分からないコメントとして一括りにしていたが。

 それを聞いた矢尾は、ハンッと鼻を鳴らし。

 

「人間誰しも、天能力はあって、各々性質を持っているってのは常識だろ? が、その上で、中にはそれだけの――まあ子供の内ならあることではあるけどよ――つまり、大人になってもいつまで経っても術の一つも碌に使えない正真正銘の才能無しがいる。そういう連中の一部は、それを僻んで術を使える奴を怪物扱いしてんのさ。馬鹿げたことに、力を使えない自分達が人間として本来の正しい姿だって正当化してな」

 

 そこで、矢尾は視線をスッと毅にずらし。

 それを受けた毅は、気まずそうに顔を逸らす。

 

「その点で言えば、そこの晩石も学園の中じゃあヘボでも、世間的にはマシな方だぜ。有名なのはこの東方第一を含めた四校だが、それ以外にも天能術を教える学校なり場所ってのはある。四校には落ちたとしても、天能術は使えるからそれらに行く奴もいれば、諦めて一般の学校を選ぶのもいる。が、使えない奴は最初から一般の学校しか選択肢がないからな」

「……そうっすね、そういう話は聞いたことあるっす」

「んで、そんな奴らにとっちゃ、俺達――特に四校に通う生徒なんてのは、正に目の敵ってわけだ。ったく、恨むなら無才の自分を憎めって話だぜ」

 

 やれやれと肩を竦める矢尾は、どうでもよさげというかなんというか。特に気にしてなさげだ。

 確かに、話を聞く限りでは逆恨みといえばそうなのだろう。

 とはいえ、気になったのは。

 

「話は分かった。しかし配信の中で私は特に術は使っていないはずだが?」

 

 そう、そこだ。播凰が術を使えるようになったのは、商店街レビュー配信の後。配信の反響を受け、それが良くも悪くも影響として出た、喫茶店を守るための深夜のいざこざの時。

 つまり、配信において術を使ってなどいないのである。

 

「配信の中で術がどうのとポロっと零してたことあったろ。それもあるだろうが――何より俺と、って言うのが正しいか分からねぇが、あのドラゴンとの戦いだ」

 

 未だに謎ではあるが、矢尾の意識もあったらしい黒いドラゴンとの戦い。

 記念すべきとでも形容すればいいのか。播凰が客将として配信に登場することになったきっかけ、元凶ともいえる出来事である。

 

「俺としちゃあ、あの動きで何の術も使ってねえってのが未だに信じらんねぇ気持ちがあるわけだが……あの時に、服で東方第一の生徒疑惑も既に出てたしな。実際の真偽がどうあれ、疑わしけりゃ連中にはそれで充分なんだろうよ」

「あの程度の動きなど、準備運動のようなものだ。それに、今でこそ術は使えるが、あの時は確かに使えなかったからな!」

「いやあれが準備運動って……ん? 待て三狭間、お前の性質って不明じゃなかったのか? 今、術が使えるって言ったか?」

「……あー」

「播凰さん……」

 

 人によっては、上手く誤魔化せる者もいるのだろうが。

 しかし、この二人にそんな能力があるわけもなく。

 矢尾の突っ込みに、明らかにうっかりといった表情を浮かべた播凰が言い淀み。口を滑らせた播凰を、落ち着きなく毅が注視する。

 そんな様では、失言したと、事実だと露骨に認めているようなもの。

 刹那、矢尾の瞳がキラリと煌めき、再び顔をずいと寄せてきた。

 

「おいマジか、何の性質だったんだよ!? 測定不能の性質とくりゃ、かなりのレアものなんだろっ!?」

「うむ、それが口止めされておってな。言えんのだ」

「ハァ、口止め? 誰にだ?」

「紫藤先生だ」

 

 つまり不味かったのは、それが口止めされていた事柄だったからである。

 覇の性質。伝説とも呼ばれているらしいその性質は、学園教師の紫藤によって口外を禁じられている。そう考えれば、覇という単語を口にしていないのでギリギリセーフといったところか。

 とはいえ、その取っ掛かりをバラシてしまったことには違いなく。

 

「紫藤……げっ、よりによってあの堅物の先公かよ」

 

 興味津々でテンションの上がっていた矢尾は、しかし口止めした人物の名を聞き、うげ、と顔を顰めた。

 その名を出されてしまっては、という言外の雰囲気は、紫藤が生徒にどう見られているかをまざまざと示しているだろう。

 一瞬の内に落ち着いた矢尾は、けれど毅を見て。

 

「……いや、だったらなんで晩石は知ってる風なんだ? お前、特に驚いてるような感じじゃなかったよな?」

「え、えーと、それは……播凰さんが調査してもらったその場にいたからというかなんというか。……でも、口止めされてるのは本当っす!」

 

 矛先が向いた毅があたふたと、しかしなんとか必死に主張する。

 額に脂汗を浮かべて弁明するその様をじっと数秒見ていた矢尾は。

 

「……わーったよ、馴れ合わねえっつったのはこっちだしな。――ってーことは、アレもそれ関連だったのかねぇ?」

 

 バツが悪そうに、頬を掻きながら。次いで何かを思いついたようにポツリとそう言った。

 

「アレというのは、それもまた私への要件か?」

「ん、いやぁ……まあお前関連っちゃあそうなんだけどよ。この前、今まで全然関わったことない先公が俺のとこに来たんだよ。グラウンドでの三狭間との――お前との戦いはどうだったって」

「ほぅ? あの時、あの場にいた大人は紫藤先生ぐらいのものと思っていたが……面白い、私が存在を見逃していたとは」

 

 重要な情報――それは矢尾が自身との戦いの感想を聞かれたことではなく。存在を感知していなかった何者かがいたということに、播凰は獲物を見つけたような獰猛な笑みを浮かべる。

 だってそうだろう。戦いがあったことを知っているとしたら、それはきっとその場にいた人物だ。

 

「っ! ……い、いや……あ、あそこにいたわけじゃないと思うぜ?」

 

 と思ったが、どうやら早計だったらしい。

 播凰の放つ空気に、一瞬息を呑み。しかし何とかしどろもどろながらもそれを否定した矢尾に、きょとんと播凰は首を傾げ。荒々しい気配が消える。

 

「多分、後から記録を見たんだろうさ。ほら、グラウンドを予約して使っただろ? そこらの道端でならともかく、ああいう施設を押さえてってのは、学園側に情報が記録されてんだよ」

「折角楽しみが見つかったと思ったが……つまらぬ」

「つまらぬ、ってお前なぁ……」

 

 子供のように口を尖らせ、むすっと膨れる播凰の態度に。

 呆れを隠さず見る矢尾であったが。ふと、再び好奇を瞳に宿して。

 

「そうだ、つまらないだの面白いどうこうで思い出したが。お前、配信で何かの活動に入ったとか言ってたよな? それって学園関係の何かか?」

「うむ、研究会とやらに入ったぞ! 異世界道具研究会、というところだ!」

「……は?」

 

 ポカン、と口を開く矢尾の姿に、思わず毅は苦笑する。

 まあそれも仕方ないだろう。

 播凰が部活を探していたことを知っていて、結果そんな研究会に所属することになった顛末も聞いた毅とて、入ったという研究会の名を聞いた最初は絶句というか呆気にとられたのだから。

 

「……研究会? しかもなんだ、その面白――んんっ、胡散臭そうな名前。どんな奴が運営してんだ?」

「うむ、代表は造戦科の三年、絹持という者だ」

「絹持? ……って、あの絹持家の人間か?」

「知っておるのか?」

 

 だが、話は毅の想定していない方へと転がっていく。

 

「そりゃあ、知ってる奴は知ってるだろうよ。何たって、俺達が今着てる制服、それを提供してる大本が他ならぬ絹持の家だ。防御力、術への多少の耐性は他でも付与できるだろうが、自動修復(・・・・)なんてものを付与かつ、それを中高の一学年分いっきに大量生産できる力のある家なんざそうそうねえよ」

「ほぅ、そうだったのか……む、自動修復とな? そういえば、ボロボロになってもいつの間にか元に戻っていたが」

「むしろ何で気付かねえんだよ……それだ、それ。流石にまるっと灰になっちまえば無理だろうが、破損しても時間と共に再生する。授業中、放課後含め戦う機会なんざいくらでもあるんだ、その度に新しいのに制服を買い替えてたらキリがねぇだろうがよ」

 

 戦いを経て、播凰自身は無傷ではあったものの、幾度かボロボロになったこともあるこの制服。今でこそその時の影もないが、実は購入など新しいものを入手したということは一度もない。

 正真正銘、今着用している制服は、入学より使用している一着だ。

 確かに、帰宅後ボロボロになった制服を部屋着に着替えて、眠り。朝、学園への登校の際に元に戻っていたのでよく考えずに気にせず着用していたが――まさかの事実の判明である。

 

「ほー」

「へぇー、っす」

「……お前達、本当に大丈夫か?」

 

 自身を見下ろし、身に纏う青緑色の制服の端を摘まんで、感慨深げな播凰。

 その隣で、同じく知らなかったのか、ポケーとした顔で制服を見下ろしている毅。

 そんな馬鹿二人を前に、頭を抱える矢尾であったが。

 

 ――お前、午後は戦闘の授業あるの忘れてないよな?

 ――ヤベェ、食いすぎたかも。

 ――ぎゃはは、吐くんじゃねーぞ!

 

 どこからかそんな声が校舎の中から風に乗って聞こえ。

 

「――チッ、一言だけ文句を言うつもりが、無駄話が過ぎたな。いいか三狭間、動画を見るの忘れんなよっ!」

 

 それだけを言って、矢尾はその場から走り去っていったのだった。 

 

 

 そして来たる、その日の放課後である。

 

「播凰さん、今日はどうするっすか? もし術の練習をするなら付き合うっすよ?」

「今日はそうだな……うむ、忘れぬ内に、矢尾が見ろと言ってきた動画でも見ておこう。今日中にと言っていたからな」

 

 言われたことを何でもするわけでもないが、しかししない理由がなければ素直に応じるのが播凰である。

 天戦科1年H組の教室。放課後になったからと出て行く生徒は多いが、何人かのグループは席に座って雑談に興じる、そんな中で。

 自席に座ってイヤホンを耳に着けた播凰は、端末を操作して昼休みに矢尾から送られてきたメッセージの、そのリンクをタップ。毅も少し興味があったのか、立ったまま横からその播凰の画面を覗き込むように見る。

 

 ――【切り抜き】個人Vのゲストキャラ、某企業Vに喧嘩を売る――

 

 それは、大魔王ディルニーンの配信での一幕。

 絵を介して喋ることへの疑問を呈したシーンに始まり、面倒という理由でコラボの誘いを断った部分など。

 発言内容が文字に起こされ、そしてところどころでそれが強調された、数分間のシーンの動画だった。

 

 ・コメント:何か草

 ・コメント:炎上芸か?

 ・コメント:少し目立ったからって調子乗っちゃったね

 ・コメント:あーあ、コイツ終わったわ

 ・コメント:正直寒い

 ・コメント:くそわろたwww

 ・コメント:ジャンナの配信見たか? 本人は許してるみたいやで

 

「ふむ? で、これが何なのか……毅は分かるか?」

 

 つい最近の自分の発言だ、改めて見ずとも何が語られたは知っている。

 一応最後まで見てみたものの、認識が変わったということもない。

 

「んっ、えぇーっと……あれなんすかね。俺もそこまで詳しくないっすけど、歯に衣着せないというか、もうちょっと穏便にした方がいいっていうか」

「そうは言ってもだな、私は思ったことを言っただけだぞ? 穏便と言うのであれば、この者らのコメントの方が語気が強いのではないか?」

「あ、あはは……それは、そうっすねぇ……」

 

 一旦、イヤホンを片耳外して毅に問うてみるが、しかし腑に落ちるものではなく。

 矢尾のメッセージへと画面を戻し、次の動画を流そうとした、その時。

 

 ――『差出人:二津辺莉』

 ――『播凰にい、ちょっとごめん。今ってまだ学園内にいたりする?』

 

 そんな辺莉からのメッセージの到着を、端末が知らせた。

 

 ――『もう少し教室にいるつもりだが』

 ――『あちゃー、よりにもよって。。先に謝っとく、ゴメンね(-人-;』

 

 現在地と予定を返したところ、すぐさまその様な返事が返ってきて。

 しかしそれきり、新たに辺莉からのメッセージが届くことはなかった。

 

「ふむ、まあよい」

「…………」

 

 毅には、それが不穏の前兆にしか感じられず。この場から離れるべきか、いやいるべきかと葛藤し、その場で百面相。

 だが、そんな毅の内心をよそに、気にした様子もなく動画を見始める播凰。

 それは、再生時間1時間越えと、随分と長い動画であった。それに辟易しつつ、飽きれば適当なところで切ればいいかと。そんな気軽さで再生し、端末を机に置く。

 

 大きく映り、そして動いているのは、異国の装いをした少女のイラスト。

 見覚えのあるそれは他でもない、VTuberジャンナ・アリアンデその人であった。

 

『今回は潔く諦めるわ! ええ、約束だけ取り付けようと先走ったこっちの落ち度ね!』

 

 幼さの残る、少し高めの少女の声がイヤホンを介して耳に届く。

 声に合せるように、少女のイラストが動き。

 

 ・コメント:でも、あの断り方はひどくない? 怒っていいと思う

 

『あら、別に怒ってなんかないわよ。むしろ燃えてきたわ、絶対にコラボしてやるっ、てね! あ、燃えてきたと言ってもアンタ達、アンチみたいなことしてあっちに迷惑かけるのは許さないんだからっ!』

 

 発言に合せて。ころころとその表情を、彩りを変えていく。

 

 ・コメント:流石お嬢、懐が大きい!

 

『フフン、そうでしょうそうでしょう。って、誰がお嬢ですってぇっ!?』

 

 流れるコメントを拾い、そして捌いていく。

 絶やすことなく、一瞬たりとも不自然な雰囲気にさせることもなく。画面に映るは女一人、声を発しているのも女一人だというのに、会話(・・)を続けていく。

 

 コメント、というのは当然、播凰は認識していた。

 けれどもそれは彼にとってあくまで、配信を見ている誰かの感想でしかなかった。促されて時々触れたことはあったが、けれども。それは単に部外者でしかなく、話しているのは相対している者のみであったのだ。

 

 ――けれども。

 

 目を、見開く。

 

 ・コメント:何でそんなにこだわるの? 話題だから?

 

『あら、前の配信でもさんざん話したのに……いいわもう一回、いえ、何度でも話してあげる。本物だろうと偽物だろうと関係無い、あのドラゴンとの闘い――あれはッ、あの動きは本当に――最っ高にクールだったわっ!』

 

 ・コメント:あーあ、スイッチ入っちゃった

 ・コメント:バーサークモード来たw

 ・コメント:お嬢、帰ってこーい!

 

 それは真実、ただの絵でしかなかった。画面の中、限られた場所で、限られた箇所のみが動く少女の、紛うことなき絵でしかない。誰が見ようが何を言おうが、その事実は覆しようがなく。決してそれは人ではない。

 

 ――けれども確かに、確かにそれは単なる絵なれど。

 

 無造作に机の上に置いていた端末を、近づけるように両手にとった。

 

『見てなさい客将、次は絶対に面倒なんて言わせないほど、完璧で魅力的なプレゼンを披露してあげるんだから! ということでアンタ達、早速今から作戦会議を始めるわよ!』

 

 ――楽しそうに、心底楽しそうにキラキラと笑う少女が、そこにいて。

 

 いつの間にか、聞き入っている。

 長い再生時間と思ったことも忘れ、矢尾から言われるがままだったということも忘れ。

 イヤホンで耳を塞いだ世界の中に。端末の中の小さい画面ながらも確かに存在する世界の中に。周囲の雑音が届くことなく、少女――ジャンナ・アリアンデとコメントとの一切人の姿の見えぬ、されど感情溢るるやり取りに、聞き入っている。

 

 ちょんちょん、と数度、脇腹に何やら違和感を感じたが。そちらを一瞥もせずにひらひらと手を振って、画面を注視する。

 まるでコメントを当事者の一人一人のように扱う、眩いその笑顔。顔の見えない誰とも知れないやり取り。だからこそ忌憚のない、だからこそ役目に囚われることなく。

 果たして、自分はあのように笑えたことがあるのだろうか。人間である、自分が。

 

 ……そうか、これがVTuberなるもの。大魔王の言う、利か。

 

 少しだけ。ほんの少しだけ、何かが分かったような気がした。

 

 そんな播凰の意識を妨げたのは。視界の隅に伸びてきた手が端末の電源ボタンを押すことにより、画面を強制的に真っ暗にさせたことだった。

 伸びてきた手の元を辿り、播凰がむっとして顔を上げれば、そこには。

 

「――全く、度し難い。必死になって己を磨こうともせず、教室に残り学園貸与の端末で熱心に何を見ているかと思えば……予習でもなく天能術に関わるものでもなく、くだらない動画とは。二津のような優秀生が気にかけているからどんな生徒かと多少は期待していたが、所詮はH組か。曲がりなりにも我が校の生徒であるなら、最低限の自負は持っていてほしいものだよ」

 

 見覚えのない、眼鏡をかけた短髪の男子生徒が、冷たく播凰を見下ろしていて。

 すぐ側では毅が固まり、少しだけ残っている他のクラスメートも、時が止まったようにこちらを見ている。

 ふと、廊下の方から強い視線を感じ、ちらりと見てみれば。

 

 両腕を前に回して組んだ、その上に乗るほどの大きな胸が目を引く――いや、それ以外にも金の長い髪をくるくるとカールさせた、所謂お嬢様ロール、縦ロールと呼ばれる特徴的な髪型をした女生徒と。

 その隣で、顔の前で両手を合わせて謝るように片目を瞑る二津辺莉の姿が、開いた教室の扉の間から見えたのだった。




ちょっと話がごちゃごちゃしてますが、実は三章の一部の話は元々五章以降に入れる予定だったんですよね。
あまり作品が反響ないようでしたら、書きたいとこだけ書いて五章を最終章にしようと思ってたので。。入れちゃえーという感じです、はい。
そんな感じなので三章は色々な話がありつつちょっと長くなりそうですが、、よろしくお願いします。


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22話 誤解

「……うむ、忠言感謝する。お主の言うことは、もっともだ」

 

 画面を操作され強制的に視聴を止められたことに、無論良い気分にはならなかった。

 が、それを行った彼、見知らぬ男子生徒の言は道理であった。

 

 播凰の見ていた動画、即ちジャンナ・アリアンデ(VTuber)の配信アーカイブは、天能術にも、そして学業にも向上を期待するような効果を齎すものではない。

 では何かとなれば……枠に当てはめるのならば単なる暇潰し、だろうか。播凰自身、何か目的を持っていたというよりは、取り敢えず矢尾に言われて――結果楽しみはしたが――視聴していたわけではあるし。少なくとも世間一般論からすれば、そう映るだろう。

 興味がなければ、彼のようにくだらないと一蹴する人間がいてもおかしくはない。事実、初めてVTuberを見て、そして知った播凰とて、よく分からないという感想を抱いたものだ。もっとも、それは初めての対象があの大魔王(ディルニーン)だったというのもあるからかもしれないが。

 

 そしてここは――播凰は、落ちこぼれである最下位のクラス。播凰はそれを特に恥じていないが、己が天能術に関しては劣っていると理解している。故に、人一倍鍛錬が必要な身と理解はしている。

 

 だから、放課後という自由時間とはいえ。今日が偶々で、普段はしていないこととはいえ。

 彼の言葉を、その通りであると播凰は認めた。

 言葉の節々やこちらを見下ろす視線に好意的な色はないにしても、本質的には嫌がらせや難癖ではなくそれは全うな指摘ではあったのだ。

 

 故に、その指摘を受け止めた上で。受け止めた上で、だ。

 

「――だが許せ! 今丁度、いいところでなっ……さほど期待していなかったが、見ているだけというのも中々に面白いっ!」

 

 破顔し、弾むような声で許せと一言。

 続きを見ようといそいそと端末を操作し、再び目線を下げて視聴を再開する。

 

 思い返すのは、童心。

 まだ碌に世を知らず、難しいことを考える必要もなくまた気にする必要のなかった、あの頃。

 かつての世界にて王という立場になる前、只一人の童として身分を意識することなく人々と触れ合った記憶。

 画面の中の少女と姿見えぬ声の気兼ねないやり取りは、それを想起させ。播凰は思い出に浸りながら、配信を楽しむ。

 

 ――が、そうは問屋が卸さないのが、周囲である。

 

「…………」

 

 最初は。

 何を言われたか分からないとでもいうような、面食らった顔をしていた。何をしているのか分からないとでもいうように、声もないようだった。

 しかし、そんなものはいつまでも続くわけもなく、客観的に見れば播凰に軽くあしらわれた形となった眼鏡の男子生徒は瞬く間に憤怒へと表情を染め。

 その一連の経過を、必然的に近くで青い顔をして見ていた毅だが、けれどもどうすることもできず。

 教室の外では、あちゃーと辺莉が額に手を当て。その隣で腕組みする金髪の女生徒は、その体勢のまま目を丸くしている。

 

 ――バンッ!! と。

 教室の沈黙を破ったのは、播凰の机の上を勢いよく叩いた掌。

 流石にそれはイヤホン越しにも聞こえ。播凰は片方の耳からイヤホンを外すと、それを為した見知らぬ男子生徒を眉を顰めて再度見上げた。

 

「……まだ話は終わっていない。それに上級生の言うことを全て聞けとまでは言わないが、流石にその態度は目に余るぞ、新入生」

「ふむ、用件があるのなら先に言うがよい。……構わん、聞こう」

 

 苛つきを隠さない声色に、しかし播凰はひょうひょうと。悠長にも端末を操作して流れていた映像を止め、もう片方の耳からもイヤホンを外し、そうしてようやくまともに正対する。

 ――もっとも、立つ男子生徒に対し、座りながらではあるが。

 

「……っ! ……んんっ!」

 

 その様が気に障ったようではあったが、それを呑み込むように咳払いをすると。

 端的に、その用件とやらが彼の口から告げられた。

 

「――単刀直入に言う、浅ましい考えで二津を利用するのは止めろ」

「……む?」

 

 が、その意味が分からずに播凰は首を傾げる。

 少し考えてみても覚えはない。直近のことで辺莉どうこうであれば部活探しと結果研究会に入ったことだが、しかし浅ましい考えやら利用するやらというのはどういうことだろうか。

 

 それに留まった播凰の反応に、痺れを切らしたように男子生徒は嘆息。

 スッと細められた眼鏡の奥の瞳が、より一層冷え冷えとして播凰を射抜く。

 

「……惚けるつもりならばはっきり言おう。いくら私的な繋がりがあるからとはいえ、優秀な後輩を――青龍に所属する二津を出しにして部活に入ろうとするな、下種が」

 

 吐き捨てるように、それでいて静かながらも大きな怒りが込められたそれは。間違いなく、他でもない播凰に向けられている。

 ただまあ、そう言われても依然心当たりがないというかなんというか。播凰にとっては何が何だかで。

 

「うん? 部活のことはよく知らぬ故、確かに辺莉に色々聞きはしたが……お主、何か勘違いをしているのではないか?」

「ならば、彼女を連れ回して各部活を訪ねて回ったのはどう説明する? 話を聞いただけなら一緒に行く必要はないだろう」

「うむ、それは場所まで案内してもらっていたのだ。どうにも何処が何処やらと、地図を見て移動するのが苦手でな。流石に幾度と訪れた場所であれば何とか一人でも行けそうではあるのだが」

「……こうまで言われて尚、認めようとしないとは。いよいよ、救いようが無いな」

 

 素直に答えた播凰であるが、しかし彼は呆れたように首を振る。

 そんな両者の会話に、ようやくここで介入する声。

 

「――あー、えっと叶先輩。播凰にい――その人が言ってるのは本当で……何度も言いましたけど、私は案内も兼ねて自分から着いていっただけで、無理矢理連れ回されたとかそういうわけじゃ――」

「だからそういう方便で、君の善意が利用された――つまりは騙されていたんだろう。一体どこに、自らが通う学園を満足に移動できない生徒がいる? 確かにこの学園は広大だが、支給端末から詳細なマップを確認できる上にそこには自身の今いる位置だって表示できるんだぞ?」

「……いやー、まあそれは……あはは」

 

 まあ、一理あるなと。ハラハラしながら話を聞いていた毅は内心思う。

 実際に、播凰をフォローしようといつの間にか教室に入ってきて会話に割り込んできた辺莉も、バツが悪そうに苦笑せざるをえないでいるようだ。

 播凰に向ける冷たい声色ではなく、辺莉に向けた厳しくも柔らかく諭すような彼のそれは確かに説得力があった。

 

「いくら一年生とはいえ既に入学からある程度経っているんだ、案内なんて必要ないはず。態々名の知れた君に同道を頼んだのは、意図があったに決まっている。……まあ確かに、高等部二年になっても学園内で迷う例外はいるが、そんなのはあの武戦科の馬鹿一人で充分、ああいうのが何人もいてたまるか」

 

 その馬鹿とやらが脳裏に浮かんだからか、一瞬苦々しい顔つきになったものの。

 再び播凰に向き直った彼――叶は睥睨し。

 

「大方、親しい仲をいいことに彼女の優しさに付け込んで部からの心象を良くしたかったんだろうが、僕は騙せない」

「下らぬ思い違いだ。そも、部活とやらには須く断られたわけだが」

「それは結果論だろう。あわよくば、青龍との繋がりすらも目論んでいたんじゃないのか?」

「……青龍というと、特別ななんとやらだったか。大して興味は無い」

「ふん、見え透いた強がりを。この学園に所属していて青龍を意識しない生徒などいるものか」

「早計だな。私は今の研究会に入って満足している」

「それも結局は二津を巻き込んで、だろう。兼部を否定するわけじゃないが、よりにもよってあんな訳の分からない研究会に……ともかく、彼女に付き纏うのを止めろと僕は言っているんだ」

「そのようなつもりは無いと言っているだろう」

「どうだか、口だけなら何とでも言える」

 

 話は平行線。互いに主張を譲らない。

 当然だ、何せ播凰は偽ることをせず事実を述べているだけだ。

 そして相手も、己が間違っている可能性など露程もないと信じ切っている様子。間違いを認識した上で惚けているわけではないのが、ある意味質が悪い。

 

 そしてそれを周りがどう見ているか、だが。

 

 ある意味での被害者、偶々教室に残っていた一年H組の生徒達は、ヒソヒソと遠巻きに見やるのみ。

 中には播凰に対して含むような視線を向けている者もおり。つまりは第三者的には播凰よりも、辺莉に叶と呼ばれた男子生徒の主張の方に分があるとみられているよう。

 

 ……播凰さんがそんなこと考えてるわけないっすよねぇ。

 ……播凰にいがそんなこと考えてるわけないよねぇ。

 

 が、ぴったりと息の合ったタイミングで全く同じ内容を小さく呟く声が二つ。

 言うまでもなく、播凰をよく知る毅と辺莉である。

 

 つまり、三狭間播凰は。地図があっても思うに移動できない極度の方向音痴とでも言うべきか。叶の言う例外……言葉を借りれば馬鹿に該当するのだ、と。

 辺莉に頼んだのにしても、絶対にそんなことを――というより、むしろあまり何も考えてなかったからこそだろうと。

 ある意味、二人には播凰に対するそういう信頼があったのだ。

 

「――くどい」

「……っ!」

 

 先程までは。剣呑な雰囲気であるにははあったが、それはあくまで叶が一方的に敵意を放っていただけであった。

 しかしここに来てようやく、播凰の声にも圧が乗る。

 播凰としては、先程から動画の視聴を邪魔され続けている状況なのだ。それも、彼からすれば身に覚えのない殆ど言いがかりのような形で。

 その上で尚、鬱陶しいという感情を抱かず、またそれを全く表に出さない程、播凰は聖人ではない。

 

 一瞬、ほんの少しだけ。播凰の多少の感情の発露に、叶はたじろいだように見えたが。

 

「……年上に対する口の利き方がなっていないな、一年生」

「悪いが、お主の数倍を生きた者とて臣としていたこともある。それに、重要なのは年を重ねたことではない」

「なに……?」

 

 叶の眉間には皺が寄り。播凰は播凰でつまらなそうな雰囲気を隠そうともしていない。

 事ここに至り、彼等が言葉の応酬だけで沈静化するなどありえなかっただろう。

 

 もしもここにいるのが二人だけで、外的要因がなければ、の話だったが。

 

「――そこまでにしておきなさいな、(かのう)(とおる)

 

 パンッ、パンッ、と手を打って。

 するりと両者の間に割り込んできたのは、初めこそ教室の外にいたものの、辺莉と同じタイミングで中へと入って来た金髪の女生徒。

 両腕を組み胸を張った彼女は、眉尻を下げて咎めるように。

 

「全く、これだから一般家庭出身の方は、落ち着きのない……わたくしと同じく青龍の所属なのですから、もっと優雅に振舞っていただけないと困りますわよ」

「……口を挟むな、荒流(あらながれ)

「いいえ、挟ませていただきます。何のために、このわたくしが来たと思って? 残念ながら、話が拗れそうであれば連れてくるよう、あの方に言われておりますの。まさかお忘れではないでしょう?」

「…………」

 

 無言のまま、ふいと顔を背ける叶。

 それを見た彼女――荒流と呼ばれた女生徒は、やれやれと肩を竦めた後、播凰に向き直った。

 

「そういうわけで貴方、少々お時間よろしくて? わたくし達と共に来て頂けるかしら?」

「……まあ、構わぬが」

 

 そんな彼女を――具体的にはそのとある部分を、言葉少なく返して播凰はじっと見る。

 遠目に見た時に少し気になっていたが。近くで見ればより強調される、彼女の一部。

 流石にそんな明け透けに視線をやっていれば、気付かれはするだろう。殊、女性は視線に敏感というから尚更に。

 

「あら、それほど情熱的にわたくしのことを見つめて、どうかなさって? ……嗚呼、わたくしのこの美貌に見惚れてしまったのですね。わたくしったら何て――」

「お主、随分と愉快な髪型をしておるな」

「――罪、作り、な……わ、わたくしの聞き間違いかしら、もう一度言ってくださる?」

 

 自賛ではあったが、確かに荒流はその自信に相応しい優れた容姿をしていた。

 スタイルのよさもさながら、特に目を引くのは胸の大きさ。別に辺莉が特別小さいというわけでもないが、彼女と横並びとなっている今の状況は、比べるという言葉が無慈悲なほどその差が顕著で。

 加え、顔にしても充分に整っており、少なくとも正面切って自惚れた言動だと指を指して笑われることもないだろう。

 

 だが、それよりなによりも播凰が気になっていたのは、その髪型。

 美しい金色はさておき、くるくると縦に巻かれた髪は果たして一体何の意味があるのかは彼にとって疑問でしかない。

 お嬢様ロール、縦ロール。そんな風に言われる彼女の髪型を、しかし初めて見た播凰の感想。

 それこそ。

 

「うむ、愉快な髪型をしていると、そう言った。お主、面白いな」



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