チョコレートわーくす (水代)
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バディ・ワークス・ブレイバー①

『中には誘拐犯推定三名と人質一名。建物は二部屋。手前の部屋に犯人三名、奥の部屋に人質一名ね。私は裏から回るわ、アナタは表からお願い』

「オーライ、でも裏から入るたってここ三階だけど大丈夫かい?」

『問題無いわよ、こっちに任せなさい』

「アイアイ、頼りにしてるよ相棒」

 

 通信を切り、やや古びた木造施設の入口を見やる。

 すでに二階から下は制圧済だ。つまり下から敵が来ることは無い。

 残すはこの木製の扉の先の2フロアのみ。

 

「さーて、精々派手に行くとするかい」

 

 笑みを浮かべて。

 

 

「どっせーい!」

 

 

 蹴り飛ばした木製の扉が派手な音を立てながら弾け、転がる。

 突然の出来事に固まっている部屋の中にいる数人の男たちを見やり、ニィと笑みを浮かべる。

 

「抵抗は無駄だ、大人しくお縄を頂戴しな!」

 

 とは言えど、それで大人しくするならば最初から誘拐なんてやるはずも無い。

 向けられた銃器の射線から逃れながら床板を蹴り飛ばしながら一気に近づき木剣で一番近くにいた男を切り伏せる。

 木剣であるが故に本当に切り裂いたりはできないが、この質量の物質が思い切り叩きつけられれば成人男性だろうと無事では済まない。

 骨の一本二本逝ったかもしれないが、まあ犯罪者確保のための仕方ないの無い犠牲ということで済ませながら次の相手を見定める。

 

「お、お前!? こ、こっちには人質が!」

 

 二人目の骨も圧し折ったところで三人目の男がそんなことを言いながら誘拐していただろう人質を求めて奥の部屋へと繋がる扉を開き。

 

「む? 見つかった」

「だ、誰d……ぐえ」

 

 扉の向こうで縄で縛られた人質を救出する黒髪の少女の姿を認め一瞬硬直した間に黒髪の少女が男へと迫寄り、その腹部に掌底を打ち込む。

 小柄な女の身とは言え、鍛えられたその一撃は男を蹲らせるのに十分な威力を持っていて、行動不能へと陥った男の元へ足早に駆け寄り、振り上げた木刀をその首に向かって振り下ろす。

 

「これで三人っと。ヨル、これで全部?」

「そのはずだよ」

 

 人質は解放、犯人は制圧。

 

 ならば。

 

「これで依頼完了だね」

「ええ、お疲れ様、チルハ」

 

 事件解決に二人がほっと一息……つこうとして。

 

「っと! そこだ!」

「ごふっ……」

 

 ぶん、と手に持った木剣を部屋の入口に向かってぶん投げる。

 直後、刃物片手に扉から飛び出してきた四人目の男の顔面に木剣が突き刺さり、男が仰け反って倒れた。

 

「四人目? 情報に無いわよ」

「ま、そういうこともあるさ」

 

 顔をしかめたヨルに対して、けれど肩をすくめて応える。

 それから蹲って倒れた男たちを全員縄で縛り、拘束。

 直後に建物の外からドタドタといういくつかの重い足音。

 

「警邏が来たね」

「なら引き渡して今度こそ依頼完了ね」

 

 手と手を振り上げ。

 

「「お疲れ!」」

 

 ぱちん、と叩いて合わせる。

 そうして互いに笑った。

 

 

 * * *

 

 

「依頼達成お疲れ様ってことで、かんぱーい!」

「乾杯」

 

 グラス同士をこつん、とぶつけ合えば澄んだ音が響き渡る。

 ぐいっと呷るようにして飲むグラスの中身はけれどただのジュースだ。

 

「リリカ姐さん、アタシ酒頼んだはずなんだけどー?」

「はいはい、お酒はチルハがもう少し大きくなったらねー」

「アタシもう十七だよ! 酒だって飲めますー」

 

 甘ったるいくらいの風味は決して嫌いなわけではないが、『ワーカー』の仕事終わりと言えば酒に限る。

 なんて言っていると厨房の奥から一人の茶髪の男性……グロック・エルメテスが追加の料理を運んでくる。

 

「お、きたきた、グロックさんの料理は美味いからなあ」

「全部食べたらダメだよ、チルハ?」

「分かってる分かってるぅ」

 

 皿にフォークを突き立てながら大口を開けながらパクパクと口の中へ料理を運んでは飲みこんでいく、そんな自身に対面の少女……ヨル・エルハトールが嘆息する。

 

「もう少し行儀よく……というかお淑やかに食べられないの?」

「ちまちま食べてたって詰まらないじゃないか。美味しい物を口いっぱいに頬張る、それが最高に美味しい食べ方ってもんだろ? てわけでリリカさん、追加で酒お願いねー」

「だーめ」

 

 クスクスと笑いながらカウンターの向こうで金髪の女性……このギルド『千の歌』のギルドマスターであるリリカ・エルメテスが空になったグラスに瓶に入ったジュースを注いでいく。

 

「それで、今回の依頼はどうだったの?」

「楽勝だよ楽勝! アタシと相棒がいればね」

「人質いるのに真正面から行こうとした人間の言葉とは思えないよ」

「アハハ、チルハはいつも通りだねー」

「ぐぬぬぬ」

 

 唸りながらも次の皿を取る。

 スープ皿だったらしい、それをスプーンで掻きこむように一気に流し飲む。

 

「ちょっとチルハ……もうちょっと味わって食べなさいよ」

「ちゃんと味わってるよ、うんまい! やっぱグロックさんの料理最高だね!」

「ありがとうね、あの通り無口な旦那だけでチルハたちが美味しそうに食べてくれるのは嬉しいって言ってたよ」

「グロックさん、お代わりー!」

「まだ食べるの?!」

「アハハー」

 

 依頼で金が入れば目いっぱい食べる。

 それで仕事が終わり日常に戻ってきたのだと実感する。

 それもまた『ワーカー』らしさ、というものだ。

 

 

 

「ふー食べた食べた」

「食べすぎよ、ホントに……もう食べてすぐに寝ころばない、太るわよ」

「大丈夫大丈夫、アタシ太らない体質だし」

「世界中の女性を敵に回す発言ね」

 

 満腹になると横になって一休み。

 

「リリカさーん、いい加減このボロソファー買い替えないの?」

「まだ使えるでしょ? それに買い替えて欲しかったらもっと依頼をこなして頂戴な」

 

 買って随分と日が経つのであろうソファーはあちこち破れやほつれがあり、寝転ぶと少しばかり埃が舞う。

 

「相変わらずの零細ギルドだねえ」

「仕方ないわよ、だって所属が私たち入れてたったの五人よ?」

「数少ないA級闘士(ブレイバー)のいるギルドなんだからもっと流行ってても良いのに」

 

 今現在この蒸気と歯車の街『ナイトベルグ』のギルドは十を超えるが、その中でもA級闘士が在籍するギルドともなれば片手で数える程度だ。

 『ワーカー』の中でも『闘士(ブレイバー)』は特に依頼が多く殺到するものであり、事実このギルドの先輩である『ワーカー』の三人はギルドで見かけることが滅多にないほどいつも依頼のために奔走している。

 

「全員有資格者のギルドなんてそんなに無いはずなんだけど」

 

 『ギルド』は基本的にどの街にも存在する『何でも屋』のような存在だ。

 少し語弊のある言い方をすれば『仲介屋』でもあり、『職業斡旋所』でもある。

 街の行政や町に住む人々から『依頼』を集め、『ギルド』に登録された『ワーカー』に『依頼』を割り振る。

 中でも『特定の技能を所有している』と『ギルド』に認められた『ワーカー』は資格を与えられる。

 

 『闘士(ブレイバー)』とはその内の一つであり。主に戦闘能力の高さをギルドに保証された存在であり、危険地域や遺跡の調査護衛、他にも街道に出現する魔物の討伐や今日のような街中で起きた事件に対して武力的解決を求められる時などに用いられる。

 

 資格持ちとは簡単に言えば『ワーカー』のエリートであると言える。

 

 例え一番下のE級認定ですら素人には取得することは難しいと言わざるを得ない以上、その数は『ワーカー』全体の数と比べて少ない。

 A級ともなれば街全体で見ても五十とはいない、そういうレベルだ。

 

「と言うか絶対に『女神の使徒』が幅効かせすぎだよ」

「ソファーに靴履いたまま足を乗せない、行儀悪いわよ……そうは言ってもあっちは公認だしね」

 

 基本的にギルドの設立は個人の自由だ。勿論ただ立ち上げただけでは信用も何も無いので依頼が来ずに立ち行かなくなるだけだが。ただ作るだけなら本当に誰でも作れる。

 けれどその中でも街に『公認』されたギルドとなると、話が変わって来る。

 簡単に言えばギルドのスポンサーに街が付くことになるのだ。

 

 当然行政庁から割の良い依頼や名声の高まるような依頼が優先的に割り振られるし、街の行政御用達(ごようたし)ともなれば街の人たちからの信用も変わって来る。

 

「遺跡系依頼なんてだいたいあいつらが独占してんじゃん」

「遺跡に行きたいの?」

「別に依頼をえり好みするつもりはないけど、このままじゃ何時まで経ってもソファーの一つも買い換えられないままじゃん」

「まあ言いたいことは分かるけど……今の私たちじゃねえ」

 

 何か切っ掛けがあれば、なんて呟くヨルの言葉に嘆息した。

 

 その数日後。

 

 思わぬところから切っ掛けはやってきた。

 

 

 * * *

 

 

 基本的に『ワーカー』の仕事は短期間と長期間の二種類だ。

 毎日ギルドに顔を出して何がしかの仕事を探す者が探すのは短期間の依頼。

 専門技能を持たない『ワーカー』の仕事は『何でも屋』の名に違わずもっぱら雑用だ。

 人手の足りないところに手を貸しに行き、多少の報酬と共に返って来る。

 

 実際のところ先日のような戦闘系依頼というのはそこまで多いわけではないのだ。

 とは言え多いわけではないが無くならないのもまた事実である。

 一度の報酬は大きいが時々しか無い、または長期間拘束される依頼が終わった『ワーカー』は数日休養を入れたりする。

 戦闘系だけでなく、他にも『探索者(シーカー)』に出される未開地の開拓調査依頼や『回収者(サルベージャー)』に出される遺跡調査依頼などもあり、長い時は一か月以上の間依頼を継続することとなる。

 

 ギルド『千の歌』のメンバーは全員後者だ。

 

 先日の依頼だってそれなりの報酬は受け取った。

 とは言えそれだっていつまでもあるものでも無い。

 依頼を達成するためにかかる費用は大半経費では落ちないのだから、報酬から達成のためにかけた費用を抜けばいつまでも怠けてもいられない。

 

 何よりアタシには夢がある。

 

 目指すものがあって、たどり着きたい場所がある。

 

 故に今日も今日とて依頼を受けるのだ。

 

「つーわけでリリカさん、何か良いの頼むよ」

「曖昧ねー」

 

 そんなことを言いながらも手元の依頼書をめくりながら確認してくれるリリカさん。

 

「チルハは……良いとして、ヨルは何か依頼の希望ある?」

「うーん……私とチルハだとやっぱり討伐系になるよね。功績まで考えるなら魔物系の討伐依頼とか良いんじゃないかな」

「そうね、街の警察機構からの要請を何度か受けて対人成績なんかは順調に伸びてるし、魔物系の討伐依頼をあといくつかこなせばチルハがB級闘士資格試験を受けることはできそうね」

「ホントかい?!」

「ホントよホント。だ、か、らあ……そうね、この辺なんて良いんじゃないかしら」

 

 そう言ってリリカさんが手渡してきた依頼書を開けば、そこにあったのは。

 

「『森林迷宮』でディグ・マナウルフの討伐……」

「正確にはその毛皮の収集ね。だいたい10匹分……って結構多いわね」

「ディグ・マナウルフは名前の通り、穴を掘って潜む珍しい狼の魔獣ね。だいたい三匹か四匹で一つの群れを作ってるから注意してね」

「ん、大丈夫だよ、リリカさん。それなら知ってる」

 

 名前に『マナ』のつくのは全て『魔族』だ。

 正確には亜人系統の『魔人』、物質系の『魔物』、そして獣系の『魔獣』の三種をひっくるめて『魔族』と呼ぶ。

 『魔族』とそれ以外の区別は単純で『マナ』を扱えるか否かである。

 つまり魔獣は『マナ』を扱う獣であり、それだけで一般人には手の負えない存在と言える。

 『闘士』へ割り振られる依頼としてはかなりポピュラーであり、だからこそ上位の闘士を目指すアタシとしても知識としては知っている。

 

「あとチルハ、毛皮の収集だから下手な切り方して毛皮をダメにしたら依頼未達成だからねー」

「そういう細かいのアタシは苦手なんだけどなあ……まあいざとなったらヨルに任せるよ」

「そう言われても、私の獲物もあんまりそういうの向いてないんだけどなあ」

 

 カウンター席の上に乗せられたヨルの愛用のゴツイ拳銃を分解、整備しながらヨルが嘆息する。

 

「解体所は開けておく?」

「いや、アタシもヨルもそういうの苦手だしプロにお任せで」

「うーん、本当は私かチルハが出来れば良いんだろうけど……」

「無理無理、アタシそういう細かい作業苦手なんだ」

「チルハはこの調子だし……私は、うん」

「グロいの苦手なんだから無理しなくて良いんだよ。こういうのはできる人に任せりゃ良いのさ」

 

 当然ながら自分で出来たほうが余計な出費も減るのだが、まあヨルの場合半ばトラウマのようなものなので無理にやらせるのは酷というものだろう。

 アタシは……まあ自分でいうのも何だが、アタシがやると売れるモノも売れなくなるし。

 

「ま、ならうちでいつも使ってるとこに連絡つけておくから、帰ってきたら持ち込みなさいな」

「アイアイ。頼んだよ、リリカさん」

 

 告げながら愛銃の整備の終わったらしいヨルの様子を見計らって席から立ち上がる。

 

「行けるかい、相棒」

「待たせたわね、何時でも行けるわ」

 

 そんなヨルの頼もしい言葉に苦笑し。

 

「そんじゃ、ま……行くかい」

 

 

 




用語辞典


『ギルド』
いわゆる『何でも屋』のような存在。もっと正確に言えば『仲介屋』であり、ある種の『職業斡旋所』でもある。
ギルドは街中の人間から『依頼』を受け付けており、その『依頼』をギルドに登録した『ワーカー』に斡旋、仲介することを主な業務としている。
またより正確な仲介のために『ワーカー』たちの適性ごとに『資格』を発行し、ランク付けることも行っている。

『ワーカー』
働き手の意。この場合、依頼を受けて金品を稼ぐために『ギルド』に登録した人間を指す。
中でも『適性資格』を取得することで各資格持ちのみが受注できる専用性のある依頼を受けることができる。
主に『闘士』『探索者』『回収者』などがある。

『回収者(サルべージャー)』
約千年前に作られたとされる神代の遺跡へと赴き、そこに眠る宝を回収する『ワーカー』の資格の一つ。

『闘士(ブレイバー)』
数百年前に世界中で魔物が大発生した『大災害』の際に、国を守る兵士だけでは戦力が足らず、国家が臨時に募集した戦力に対して『勇士(ブレイバー』という名を付けたのが始まりとされている。
現在において戦闘を得手とする『ワーカー』が取れる資格の一つで、戦闘系依頼を割り振られている。

『探索者(シーカー)』
かつて大陸が今ほどに開拓されていなかった時代に『開拓者』と呼ばれる人たちが大陸を切り開いていった名残であり、未開の地へ赴き現地を調査を主とする『ワーカー』たちの資格。
基本的に探索者が未開の地へ赴き、神代の遺跡を発見したらそれを回収者が赴いて探索する。その護衛を闘士が行うというサイクルがある。


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バディ・ワークス・ブレイバー②

 

 

 

 今現在、この『東エルメリオス大陸』には国家というものが存在しない。

 十年前、最後の国家が崩壊して以来、各地に『街』が点々とあるだけでそれを纏めることのできた者はいない。

 

 その最大の理由が『マナ』である。

 

 『マナ』が何なのか、実のところ人類には良く分かっていない。

 数少ない判明している事実として、『マナ』は()()()()()()()()ということ。

 空間に漂い、目には見えない。けれど確かにそこにあって、場所ごとに濃度に差がある。

 人類は比較的濃度の薄い場所を選んで街を作り、壁を作り外敵に備えたが、逆にマナの濃度が濃い場所は強力な魔物や魔獣が多く出現したり、場所そのものに異常が起こったりでとてもでは無いが人が住める場所ではない。

 

 国家が出来ない理由とはつまりそれだ。

 

 一つの街以上の単位で領域を維持できないのだ。

 

 最後の国家……『王国』はそれが原因で崩壊した。

 領土を拡張し、巨大な国家を築きあげ、そしてそれを維持できずに崩壊した。

 街を一歩踏み出せば闊歩する魔物、魔獣など外敵の存在。

 領内で異常な成長を見せる動植物。

 昨日までは無かったはずの大地の裂け目が突然現れたこともあった。

 一夜にして渓谷が生まれたこともあった。

 

 『マナ』の濃度が濃い土地というのは何もかもが狂っている。

 

 それは最早人類の手に負える領域ではないのだ。

 けれどだからこそ、普通ではあり得ないものが入手できたりもする。

 そしてそういうものは通常ではあり得ないような結果を出したりもするし、それが人類の役に立ったりもする。

 

 だからこそ『マナ』の濃度の濃い土地へ赴く『ワーカー』がいて。

 

 『闘士』とはつまりそんな時に必要な存在なのだ。

 

 

 * * *

 

 

 『ナイトベルグ』の南西方向に広がる超巨大森林地帯、それが『森林迷宮』だ。

 と言っても街の住人にはもっぱら『迷いの森』と簡素に呼ばれることが多いのだが。

 

「出てくるのは動物系の魔獣が多い、時々植物系の魔物もいるらしいけど」

「それと奥のほうには高ランクの魔獣が出てくる場合もあるらしいから注意してね」

 

 『ナイトベルグ』を出て『森林迷宮』まで徒歩で2時間。

 まあ急いでいるわけでは無いが、余りのんびりしていると森で探索している内に夜になりそうだったので適当なトラックをレンタルして街を出る。

 

「ところでヨル」

「何よ」

「やっぱオフロード用のもっとガタイの良いやつ借りたほうが良かったんじゃない?」

 

 がたがたと揺れる車内で会話していると舌を噛みそうになる。

 レンタルしてきた運搬用の軽トラは基本的に都市内の貨物運搬に使われるやつなので都市外のまるで舗装されていない地面を上を走っていると非常に揺れる。

 さすがにこの程度の道ならパンクの心配は無いだろうが……万一したらそこからの移動や帰り、そして弁済費用に、レッカー費用と考えるだけに地獄である。

 

「今東の遺跡調査で適当な運搬用のオフロード車なんて無いわよ」

「まーた『女神の使徒』のやつらかよ」

「全部がそうと決まったわけじゃないけど……まあ割合は大きいでしょうね」

 

 武装や荷物なんかはすぐ後ろに積んであるとは言え、一応いざという時のためにプロテクターや装甲ベストなんかは着込んでいるわけで、この揺れのせいか少し痛い。

 

「しっかし、よく考えてみると思ったよりやってなかったね」

「え、何が?」

「対魔族の討伐系依頼だよ。もう一年はあのギルドで依頼受けてるのに対人系依頼ばっかり受けてる気がする」

「んー、正確には都市外依頼ってある程度信用とかが必要だからね。最初は都市内依頼ばかりになるのはまあ当然ではあるかな。それと……」

「それと?」

「単純に対人系のほうが手っ取り早くて報酬が良い」

「あー」

 

 対人依頼……中でも闘士への依頼というのは基本的に犯罪者の取り締まりや武力制圧、懸賞金のかかった指名手配犯の追跡調査、捕縛など緊急性が高かったり、報酬外の金銭収入があったりで見入りが良いのだ。

 

「それに対人のほうが私もやりやすいし」

「ま、アタシも悪人のほうが思いっきりやれるけどね」

「だからってチルハが本気でやったら怪我じゃ済まないから気を付けてね」

「分かってるさ」

 

 そうしてガタガタと車内で揺られ続け、『森林迷宮』の傍までやってくる。

 森から少し離れた位置で車が止まると、車内から荷物を引っ張り出して降りる。

 

「んー! やっぱりアタシは自分の足で歩くほうが好きだね」

「どんだけ時間かけるつもりよ」

「大して時間変わらないって」

「それもそれでどうかと思うけどね」

 

 車に広げた迷彩カバーをかけておく。

 当然ながら街の外である以上ここもいつ敵がやってくるか分からない。

 見張りでもいるならともかく完全に無人にしてしまう以上、こうして見つからないように隠しておかないと依頼に赴いている間に壊されたりすることもあるのだ。

 

「一応車でこのまま森に突っ込む、という手も無くはないけど」

「撤退する時に逆に身動きできなくなりそうで怖いから却下で」

 

 ヨルの一応と言った程度の提案を速攻で却下する。

 便利ではあるが、エンジン音が煩い上にいざと言う時森の中を軽トラで全力疾走できるか、と言われれば無理だろう。

 魔獣の中にはあの程度の車、一撃で破壊できるような凶悪なものもいるし、どう考えてもここに置いていくのが最善だろう。

 

「現在時刻が14時過ぎ……日が暮れたらどうする?」

「それほど遠いわけでも無いし、一度都市まで戻っても良いわね。或いは森の中でキャンプするか」

「行ってみてから決めても良いか。ここまで往復できそうな距離で目的のディグ・マナウルフが出てくるならそれでも良いし、深く潜らなければ出ないというのならキャンプしかない……で、どう?」

「良いと思うわよ」

 

 本来なら大体の生息分布でも調べてくるのだが、『森林迷宮』はその名の通り森の形をした迷宮そのものだ。

 地図自体が存在しないほどに迷うし、濃度の高いマナの影響で森自体が日々()()している。

 つまり地図を作ったとしても次の日にはもう森の構造自体が変わっている、或いは拡張して役に立たなくなるのだ。

 

 つまり、目的の魔獣がどこにいるのか入ってみないと分からない、ということだ。

 

 

 * * *

 

 

 鬱蒼とした森には日があまり差し込まない。

 薄暗い森の景色はどこを見ても同じようにしか見えないほどに似ていて、自分の歩いてきた方角すら見失いそうになる。

 空を見上げれば天を覆い隠すように茂る木の葉のせいで太陽の位置すら曖昧だった。

 

 息を殺し、目を閉じれば確かに周囲に森に潜む生命の鼓動を感じられる。

 だが彼らが簡単に人間の目の前に姿を現すことも無く、警戒心強くこちらを伺っていた。

 

「どう?」

「ダメ、多分ただの動物……だと思う。『マナ』が濃すぎて本当にただの動物かどうかいまいちわかんないよ」

「まあ襲ってこないなら良いけど、問題はディグ・マナウルフがどこにいるか」

「確かモグラみたいに地面に潜ってるんだよね、足元叩いたら出てこないかな」

「それ派手な音たて過ぎて確実に余計なのまで呼ぶから止めてね」

 

 とは言え一時間近く歩いているがこうも何も出会わないとは思わなかった。

 確かに何かいる気配はあるが、森全体に薄っすらと溶け込むように滲んでいて具体的にどこと言われると中々に難しい。

 野生の生物というのはこうも気配を捉えにくいのか、と驚くが恐らく『森』自体にも原因があるのだろう。

 

「どうも森に入ってから感覚が鈍い気がする」

「あ、それは私も分かる。なんていうか全体的にぼやけてるよね」

 

 アタシの呟いた一言にヨルが同意する。

 となるとやはり間違い無いのだろう、この森は人の感覚を狂わせる何かがあるらしい。

 『迷いの森』なんて通称も、広大かつ複雑な森を指しているのだと思っていたが、もしかするとそれが原因なのかもしれない。

 とは言えあくまで『気がする』程度のものだ、今のところ問題になるレベルではない、が。

 

「いつも通りに行ける、と思ってると痛い目見そうだねえ」

「だね……気を付けよう、チルハ」

「オッケー。いつも以上に注意していこうか」

 

 なんて、やり取りを交わしていた、その時。

 がさり、と近くの茂みが揺れた。

 

「「っ!!」」

 

 ばっ、と互いに木剣を、銃を構えて警戒を示す。

 森の影響か鈍る神経を尖らせながら意識を茂みのほうへと向けて……。

 

 バウッ、と()()()()()()()()()

 

「な……こ、のぉ!」

 

 咄嗟、木剣を地面に突き刺し、軸にして蹴りを放つ。

 一瞬の差で()()()()()()()()()()()()()()()の頭を直撃し、吹き飛ばす。

 

「ヨル、茂みを警戒!」

「え、あ! 分かった!」

 

 一瞬、後ろから聞こえた声に視線をとられていたヨルだったが、アタシの台詞にすぐに茂みのほうへと向き直り……。

 がさり、と再び茂みが揺れて()()()()()()()()()()()()()が飛び出してきた。

 

「はっ?!」

 

 呆気にとられたヨルが目を見開いて……。

 呆けた思考とは別に、その体は慣れたように淀みない手つきでその手に持った銃の照準を合わせ、引き金を引いた。

 甲高い悲鳴を上げながら猿が倒れ伏したところで、ようやくヨルが思考を取り戻す。

 

「ヨル、あんま呆けてんじゃないよ」

「え、あ、ご、ごめん……え、何で、猿?」

「そら森なんだから猿の一匹や二匹いるだ……ろ!」

 

 直後に足元から感じた違和感に、木剣を構え振り下ろす。

 大地を叩く衝撃と共に、ぎゃん、と悲鳴を上げて何かが砕けるような手ごたえ。

 直後に足元の土が弾け飛び、中から頭を砕かれた狼が転がり出てきた。

 

「それで、こいつらがディグ・マナウルフで良いのかい?」

「だと思う、けど……ってわあ?!」

「な、何じゃそりゃあ!?」

 

 ちらり、とこちらに……アタシの足元に転がる狼の死体に視線を向けていたヨルだったが、直後にすぐ傍に生えていた木が軋むような音を立ててその幹が圧し折れる。

 折れた樹の背後から現れたのは四メートルを超す黒い毛皮の巨大な熊だった。

 

「ちょ……ま」

「ぶ、ブラックボム・マナベア」

 

 黒熊が唸りをあげながら、その拳を振り上げて……。

 

「ヨル、避けて!」

「っ!」

 

 咄嗟のアタシの叫びにヨルが素早く後退しようとして。

 直後に振り下ろされた熊の拳が大地に突き刺さり……1メートル近く地面が抉れ、土が弾け飛んだ。

 

「ブラックボム・マナベア。確かギルドでも要注意って書いてあった。拳で殴った物を爆発させる……人間が食らったら」

 

 爆発四散、どう足掻こうが即死である。

 重量に圧倒的に差がある上に人間を遥かに越す筋量、あの巨体で動きも素早いとなるとヨルでは相性が悪い。

 銃弾が通るか……? いやそれ以前に当たるか?

 あの見上げるほどの巨体に一発二発撃ちこんでもすぐ様死ぬわけでもない、そしてその隙に迫られて一発でも殴られれば……いや、爪先に掠るだけでも即死する。

 

「ヨルにゃちっと厳しい相手、か」

 

 とは言え。

 

「こっちも、ね」

 

 黒熊の一撃に隠れて密かに迫っていたらしい、いつの間にかそこにいたのは虎だった。

 最も、その背から煙を噴き出している以上、ただの虎では無いのだろうが。

 

「ミスト・マナタイガー、ね……こうもやばいのばっかり、そんなに奥まで来たつもりは無いんだけどね」

 

 軽口を叩くが中々にヤバイ状況ではある。

 ここが街の外の平原ならば真っ向から戦っても……まあ試す価値はあるのだろうが。

 この森の中で……相手の有利な地で戦うのは余りにも命知らずというものだ。

 

 なら、いっそ。

 

「ヨル、3番装備」

「……了解。三秒、二秒、一秒」

 

 互いに背を預け警戒しながらヨルのカウントダウンを聞き。

 

「ゼロ」

 

 その言葉と共にヨルの持つ閃光手榴弾(スタングレネード)のピンが抜かれる。

 ばっ、と視界を覆い隠すと同時に突き刺すような視界を焼き尽くす光が一瞬森に広がり。

 

「逃げるよ、相棒」

「急いで!」

 

 ヨルと二人、脱兎のごとくその場を逃げ出した。

 

 

 * * *

 

 

「おかしいよな」

「どう考えてもおかしいよ」

 

 逃亡からしばらく。

 未だに勘が鈍るため完全に安全かどうかまでは分からないが、取り合えず襲われていない状況。

 ヨルと顔を突き合わせて真っ先に出たのはその言葉だった。

 

「あの猿……名前知らないけど、それに狼、多分ディグ・マナウルフ。それにあの熊、ブラックボム・マナベアにあの虎、ミスト・マナタイガー」

「なんで別々の種類の魔獣が一緒になって私たちを襲って来るの? おかしいよね、絶対に」

 

 魔獣は基本的に『マナ』が使えるということ以外の生態は同種の獣と似通るものだ。

 ディグ・マナウルフのような違いのあるものもいるが、根本的な部分では変わらない。

 即ち、狼なら同種の群れしか作らないし、猿が肉食獣と群れることは無い。熊と虎が同じ場所で一緒になって襲い掛かって来るなどあり得ないのだ。

 

「どうする?」

「どうするって言われても」

 

 基本的に依頼に期日が書かれていない場合、受注からだいたい一週間以内が目安とされる。故に今日無理して進む必要は無い。

 そしてそれを差し引いても今のこの状況の異質さを慎重な判断を迫らざるを得ない。

 

「撤退する。で良い?」

「基本的にはその判断で良いと思う」

「基本的には?」

「うん、だって」

 

 呟き、ヨルが周囲を見渡して。

 

「ここ、どこ?」

 

 代り映えのしない森の景色の中、そう呟いた。

 

 

 



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バディ・ワークス・ブレイバー③

 

 

 森である。

 見渡す限り代わり映えのしない森の風景。

 

「ここ、どこ?」

 

 そんなヨルの言葉に返答を濁す。

 来た道を戻っていると思っていたのだが閃光手榴弾のせいでどうやら別の方向に来てしまっていたらしい。

 いや、案外これも森の作用なのかもしれない……『迷いの森』なんて通称しているのだし。

 とは言え今はそんなことはどうでも良い、問題は。

 

「アタシたち、どこから来たんだい……?」

 

 そんなアタシの問いにヨルもまた答えられない。

 少し考えて、もう一度周囲を見渡す。その中で一際高い木を一つ選び。

 

「ヨル、少し待ってて」

 

 蹴り上げるようにしてその幹の僅かな出っ張りを足場に木を登っていく。

 そうして高所からもう一度森全体を見渡そうとして。

 

「……おいおい」

 

 見えたのは霧に包まれた森だった。

 この場から歩いて少しばかりの辺りまでならまだ見える、が森の出口……というか端がどこにあるかは全く見えない。

 

「いや、というかおかしい」

 

 するすると木を降りていく、だが途中の視界に霧など見当たらない。

 もう一度木を登る、ある程度の高さを超えたところでいきなり視界に霧が飛び込んでくる。

 

「何だい、これ」

 

 普通の霧じゃないのは明らかだ。

 というか本当に霧かどうかすら怪しい。

 とにかく上から眺めて出口を見つけるのは無理そうだったので、諦めて降りる。

 ヨルに上で見てきたことを伝えれば、ヨルもまた怪訝そうな表情をした。

 そうして互いに顔を突き合わせ、どうしようかと考えるがけれど答えなんて一つしかないと歩き出す。

 そんな中、ちらりと持ってきた時計を見やれば時刻はそろそろ夕方に差し掛かろうとしていた。

 

「陽が暮れそうだね」

「うん、もう今日は森から出ることは諦めたほうが良いかもしれない」

 

 陽が暮れるまでもう時間が無い。

 森の中でキャンプするならまだ明るい内に準備しておかなければ暗くなっては作業が遅々として進まないのは目に見えている。

 そう思って先ほどからキャンプが張れそうな場所を探しているのだが。

 

「一応テント持ってきはしたけど、張れそうなところが無いね」

「こんな平地にテント張って明りつけてたら一発で魔獣が寄ってきそうだしねえ」

 

 何というか、この森、ひたすらに平坦なのだ。

 歩きやすいと言えばそうなのだが、逆に言えば視界が開けすぎていて遠くからでも見えてしまう。

 夜寝ている時に魔獣の襲撃に合う、などというのは勘弁願いたいものである。

 

「最悪徹夜しても良いけど」

「明日森を抜けれる保証があるなら、ってつくね、それは」

 

 アタシもヨルも一晩寝ないで、というのは不可能ではない。

 不可能では無いが、確実にいつもよりパフォーマンスは落ちるし、明日もし森を抜けられずにさらに一晩、となると二人して集中力を切らして交互に不寝番をするハメになりかねない。

 そのため素直に今日は安全な場所で寝て、明日のために余力を残しておくべきだろう。

 

 そこまでは良いのだが、問題はじゃあ安全な場所ってどこだ、という話。

 

「木の上に登って寝る?」

「地上はそれで良いかもしれないけど、さっき猿みたいなのもいたし安全とは言い切れないと思うよ?」

「適当に塹壕みたいな穴でも掘る?」

「さっきディグ・マナウルフ見たばっかで?」

 

 せめて大きな洞でもあれば……アタシもヨルも小柄なほうだし二人毛布でもくるまって一晩、というのも考えなくも無いのだが、それすらも無いとなるとどうしたものかと考えさせられる。

 そんなことを考えながら歩いていると、歩く先、前方の草むらが揺れる。

 

「「っ!!」」

 

 何かいる、それを理解すると同時に先ほどのこともあって、ヨルと二人警戒を強める。

 先ほどのように一方向に視線を向けるのは危険だと理解したため、今度はヨルがアタシの背のほうを見やる。

 それから揺れる草むらをじっと見つめ。

 

 ぴょん、と飛び出してきたのは茶色い兎だった。

 

 飛び出してきた兎がこちらに気づくと、慌てたように逃げ出していく。

 直後に何か来るか、と気を張り詰めるが、けれど何も起こらない。

 そのまま十秒、二十秒と経ち。

 

「来ない、わね?」

「ホントにただの兎みたい?」

 

 警戒を解き、安堵の息を漏らす。

 

「全部が全部おかしいってわけでもないってこと?」

「少なくともさっきの兎は普通だったね」

 

 襲ってきたやつらとの違いは何だろうと考えてみるが違いが多すぎて絞り込めない。

 もう少しサンプルが欲しいところだ。

 それから少し考えて。

 

「ヨル、今の兎が逃げた方に行ってみないかい?」

「え? いきなり何で?」

「そこまで大した根拠があるわけじゃないけどね。兎なんて臆病な動物だし、それが逃げた方向ならまだ安全なんじゃないか、くらいの適当な理由さ。でも方角すら曖昧な今の状況ならそんな理由でも良いかと思ってね」

「……うーん、確かに、正直否定したって他に何か道標になるようなものがあるわけじゃないんだよね」

 

 少し悩んでいた様子のヨルだったが、やがて頷く。

 それから兎の逃げて行った方向を見やり。

 

「確かこっち、だったよね」

 

 足元の草に体重の軽い何かが踏みつけたような跡があるので間違いないはずだ。

 

斥候(スカウト)技能のある仲間が欲しくなるわね」

「あってもどれだけ役に立つかね、この森で」

 

 軽口を叩きながら歩きだす。

 

 結果的にこれが正解だったのか、不正解だったのか。

 

 それは後になれば分かることだった。

 

 

 * * *

 

 

 兎を追って森の中を進む、なんてまるで絵本か何かのシチュエーションのようだが、現実にはそんな楽しいものでも無い。

 近づきすぎれば駆け足で逃げられるので、小動物の残す小さな痕跡を追いながらどこまで続くのか分からない鬼ごっこである。

 時間にして三十分近くそんなことをやっているとさすがにこれは無駄な行為なのではないか、と思ってしまうのも仕方ないというもの。

 

 刻一刻と陽が完全に沈むまでの時間が近づいているというのに本当にこんなことをしている場合なのだろうか、そんなことを考えたりもするが、だからと言ってじゃあ次どうするのだ、と言われればアタシもヨルも返答に窮するのも分かっていた。

 

 どうしてこんなことになってしまったのか、少しだけ振り返ってみる。

 

 必要な事前調査を怠ったつもりはなかった。

 森についても、そこに住まう物についても必要なだけは調べてきたはずだし、必要な道具類も集めてきたはずだ。ただそれでも予測が甘かったと言わざるを得ない。

 

 あの複数種の魔獣が同時に襲い掛かるという異常事態。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()予想だにしなかった。

 

 多分もうそれが甘い考えなのだ。

 人が未来に起こる全てを予想することなど不可能だ、だから予想もしていないことが起こり得るのが常であり、だからこそ必要以上に準備しておくべきだった。

 こんなことが起きると分かっていればもっと別の準備もあっただろう。

 だがそんなこと分かるはずも無いのだから、だからこそもっと備えて置くべきだった。

 

 要するに、アタシもヨルもその辺の経験が無かったのだ。

 

 見込みが甘い、とはつまりそういうことだ。

 

 そもそもアタシもヨルも基本的に対人向きの技能が多い。というかヨルの場合ほぼ対人技能しかない、というべきか。

 それを後から学習して知識をつけてある程度補ってはいるものの、アタシたちは()()この道のプロフェッショナルというわけではないのだ。

 

 そう考えれば。

 

「運が無かったね、全く」

「え……? 何か言った?」

「いや、何でも無いよ」

 

 問題なく終わらせることができたはずの初調査でいきなりのこれ、全く運が悪いとしか言い様が無い。

 なんて、嘆いたところで何が変わるというわけでも無いのだが。

 

「お腹空いた……」

「そう言えばお昼食べてからそこそこ時間経つもんね」

 

 午後から森の中を数時間と歩いているのだ、それは空腹感だって覚えるだろう。

 こういう時のために持ってきたポッケの中の携行食を取り出すとひょいと口の中に放り込む。

 

「何食べてんの?」

「ガナハ」

「確かチョコレートのブランドだったよね。チルハ、ホント好きだね、それ」

「単純に好み、ってのもあるし、カロリー高いからエネルギー補給に便利なのもあるかね」

「私もそっちにすれば良かったかも……スナックバーで口の中乾いてきた」

 

 食料品もそうだが、先ほどから探してはいるがこの森、水辺が全く見当たらない。

 そのせいで持ってきた水も相対的に貴重品と化してしまっている。

 どこかで見つけられれば良いのだが……。

 

「ねえ、チルハ」

「何?」

「決めたよ、私。帰ったら『探索者(シーカー)』の資格取る」

「そういうのは帰ってから言ってよね」

「あ、今のフラグだったかも」

「フラグ……?」

「こっちの話、こっちの話」

 

 何でも無いと言わんばかりに手を振るヨルに、どうせまた本の受け売りか何かだろう、と思いながらも視線を彷徨わせて。

 

 視界の端で影が揺らめいた。

 

 同時。

 

 タッタッタ、と足音が響く。

 

「ヨル!」

「分かってる」

 

 すぐさま木剣片手に前に出る。

 ヨルが後ろを警戒し、さあ今度は何が来る、と身構えたその時。

 

「ガ、ガウ! ニンゲン?!」

 

 木の陰から飛び出してきたのは頭部に獣のような耳を生やした一人の少女だった。

 

 

 

 

 

「ニ、ニンゲン、ニゲテ、クル、アイツ、クル!」

 

 こちらに向かって走ってきた少女がそう叫びながらそのままアタシたちを抜き去り。

 直後、轟、と音を立てながら目の前の木が弾け飛んでその奥から黒い熊が現れる。

 

「またこいつかよ!?」

「あ、でも今度は単体だよ」

 

 ちらり、と視界の端を見やれば先ほどの獣耳の少女が木の陰に隠れながら半分だけ身を出して必死になって逃げろと身振り手振りで示していた。

 

「ヨル」

「うん、オッケー。ようやく出会えたまともな相手だもんね」

 

 後ろを守るヨルに一言を声をかければそんな返答。

 まさに以心伝心、アタシの相棒である。

 

「なら、行こうかい!」

 

 地を蹴り上げる、足に引っ掛けた土が抉れて黒い熊の顔にかかる。

 理性の無さそうな様子だったが、目に砂が入れば痛いのか唸りながら熊がよろめく。

 その隙を逃すことなく、ヨルが後方から発砲。

 

 ばん、ばん、と大口径拳銃の重い爆音が響き、熊のそのつま先を抉る。

 

 痛みに熊が悲鳴を上げ、さらによろめいたところに追い撃つようにつま先を負傷し、その巨体を支えきれなくなって転がる。

 

「魔獣相手なら遠慮は無用だからね、思いっきり行くよ」

 

 大きな隙を晒し動きの止まった熊へと走り寄りながら、振り上げた木剣を力いっぱい握りしめて、その頭に向かって振り下ろす。

 毛皮のせいで少しばかり手ごたえは鈍い。だがその衝撃は魔獣熊の首の骨を圧し折る程度の威力はあったようで、熊の全身から一気に力が抜けて大地へと崩れ落ちた。

 

「ま、単体ならこんなもんだね。お疲れ、相棒」

「お疲れ、まあもう一体いたらふっつうに逃げ出してたわね」

 

 ぱん、と差し出した手を叩き合いながら邪魔者は片付いた、と視線をずらしていき。

 

「アンタも無事かい?」

 

 その視線が木陰から震えながらこちらを見つめる少女へと向いた。

 向けられた二対の視線に少女がびくり、と体を大きく震わせ……けれど少しずつ木陰からその体が出てくる。

 そうして視線をアタシたちに、それから熊へと二度、三度と往復させる。

 再度アタシたちへと視線を向け、口を開いて最初に出てきたのは。

 

「コ」

「こ?」

「コロサナイデ」

 

 震えた声で頭を低くしての命乞いだった。

 

 

 * * *

 

 

 コボルトというのは魔人の一種に数えられる。

 大本は獣だったのだが、マナを得たことによって変化し、人に近い姿を得たとされる。

 その姿はまさに半人半獣であり、特に雄は獣としての姿が、雌は人としての姿が強く表れる。

 

「別に殺さないよ、アンタ、コボルトだよね」

 

 勘違いされがちだが『魔族』=外敵……というわけではない。

 『魔族』はあくまで人類以外の種族で『マナの扱いを覚えた』種族という分類である。

 そのため『魔人』だから『魔獣』だから『魔物』だからとその全てが人類に敵対しているわけではない。

 

 ただ大半の『魔獣』や『魔物』はその大本の性質からして人間を襲うこともあるため外敵というイメージが強く印象づいているだけであり、都市内で普通に人間のペットとして飼われている『魔獣』とかもいるし、『ワーカー』の武器として共に戦う『魔物』などもいる。

 

 中でも魔人と言うのは基本的に人と姿が近しいこともあって、友好種も多い。

 妖精の魔人『ゴブリン』、獣の魔人『コボルト』、植物の魔人『エルフ』、鉱石の魔人『ドワーフ』などが有名だろうか。

 彼らは都市外に住みながらも人類と友好関係を持ち、時に交易などもしたりする。

 そもそも人類が都市を作る際に街を囲う壁などはドワーフのものだったり、都市内の植物はエルフの手によって植えられた物だったり、と人類が今日も平和に暮らせるのは彼らの協力あってのことでもある。

 

 目の前の少女はぱっと見は人間だ。

 ただその頭に被った帽子の隙間から垂れた獣耳や、スカートの下に見える尻尾などは『コボルト』の雌の特徴でもある。

 友好種の魔人は都市内でも普通に人権を持っていたりするし、そんな相手を害したりすれば当然ながら罪に問われたりもする。

 

「ちっと事情聴きたいんだけど……ああ、アタシはチルハ、こっちは相棒のヨル。ナイトベルグの『闘士(ブレイバー)』だ」」

「ガウ! ブレイバー!」

 

 警戒心を少しでも解こうとしての自己紹介だったが、思いもよらぬところに少女が食いつく。

 

「ガウ! ニンゲン、オネガ……う、えほん、えっと、ニンゲンさん、おねがい、したい、ある」

 

 ゆっくりとしたその口調は先ほどまでよりこちらの言語の発音に近く、聞き取りやすくなっている。

 街の外の魔人は基本的に人間との交流が少ないため言語が聞き取りづらいと聞くのだが、少女はそうでも無いのだろうか?

 

 まあ、それはそれとして、だ。

 

「お願い、って何だい、言ってみな」

 

 こちらとしても聞きたいことはたくさんあるのだが、目の前の少女の切羽詰まったような表情が全てを後回しにさせた。

 そんなこちらの意図に気づいた様子も無いままに少女がアタシの服の袖を握り。

 

「ガウ! たすけて、おねがい、わたしの、ともだちを!」

 

 目端に涙すら浮かべた少女の姿に一瞬言葉に詰まり。

 

 苦笑する。

 

 友達とは誰か、助けてとはどういうことか。

 そもそもここはどこで、とか他にも色々言いたいが。

 

 全て置いておいて。

 

「おう、アタシに任せな!」

 

 告げて少女の頭にぽん、と手を置いた。

 

 

 

 




くっそあざといケモミミ少女だぞ。
因みにロリってほどではない。


人物紹介①


名前:チルハ・スピネル
性別:女
年齢:17
身長:145cm
体重:40kg
外見:蒼髪赤目 ロングヘア 頭に黒いリボン 白と青ワンピース、胸元に赤いリボン
好物:チョコレート、正義の味方
嫌物:熱い物(猫舌)、悪いやつら
説明:主人公その一。脳筋パワーファイター。因みに頭自体は悪くないけど考えないほうが楽しく生きれると思ってるため脳筋ファイターになってしまった……。
戦闘センスは飛び抜けて良いがまだ経験が足りない。あと手加減が苦手なので、極端にやり過ぎるか、極端に抜き過ぎるかでいまいち実力発揮できてない。戦闘経験を積むほどにその辺も上手になりそう。
木剣なのは鉄にするととある事情により不都合なのもあるし、それ以上にハンデつけれるから。
ぶっちゃけ単純なパワーがゴリラ(


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バディ・ワークス・ブレイバー④

 

 早速案内してくれ、と少女を先頭に歩き出す相方の背を見て、またチルハの悪い癖が出た、とヨルは嘆息した。

 

 チルハは基本的に人の頼み事を断らない。

 

 それが人が良いから、とかそういう理由ならヨルだってそこまで気にしない。仕方ないな、とでも思いながらも苦笑していただろう。

 けれどそうじゃないからこそ、溜め息をつきたくなるのだ。

 

 闘士(ブレイバー)とは()()()()()()()

 

 チルハの中にあるのはある種の脅迫観念にも似た思いだ。

 チルハの憧れ、チルハの夢がそういう観念をチルハに植え付けてしまっている。

 だからこそ怖いのだ……何でもかんでも抱えて、抱えて、抱え続けて。

 いつか、その身に余るほどに抱えて、潰れてしまうんじゃないか。

 

 そんな危惧がいつもヨルの中にはあって。

 

 そう思いながら、けれどヨルにはそれを止めることができないのは。

 

 ヨルもまた、そういうチルハに救われた一人だからなのだろう。

 

「仕方ない……よね」

 

 結局、チルハはそういう人間なのだ、そんなこと先刻承知だった。

 

「うん、仕方ない」

 

 仕方ないのだ。

 仕方がない。

 仕方がないから。

 

「支えてあげないとね、私が」

 

 呟きと共に、手の中の拳銃を握りしめ、二人の背を追った。

 

 

 * * *

 

 

「ガウ! メアは、シロ・メア」

「シロメア?」

「ちがう! シロ・メアだ」

 

 名前は? そう尋ねたアタシに少女……シロ・メアはそう名乗った。

 シロが名前でメアが姓、ということだろうかと首を傾げるアタシにヨルが苦笑しながら否定する。

 

「コボルトは人間とは名前の付け方が逆なんだよ。あと正確には『姓』っていうのが無いの。だから『シロの種族』の『メア』ちゃんっていうのが正しいと思うよ」

「そうなのかい?」

「がう!」

 

 メアが大きく頷く。その拍子に帽子が落ちて、頭頂部に突き出たふさふさの耳がぴょこんと飛び出した。

 

「が、がうぅ!」

 

 転がり落ちた帽子を拾おうとしゃがんだ拍子にスカートの中からひょっこりとふさふさの尻尾が飛び出す。

 

「ヨル」

「我慢だよ」

 

 思わず伸びそうになる手をヨルが抑える。

 そんなアタシたちの内心も知らず帽子を被り直したメアの耳がピコピコと動き、尻尾がぶんぶんと揺られる。

 

「く、くう……」

「ダメだからね」

「がう?」

 

 ぶるぶると震える手をけれど抑えながら、メアが再び歩き出すのを待つ。

 そんなアタシたちを見てメアが不思議そうな顔をするが、まあ良いか、と再び歩き出したのでその後を追う。

 

「それでメア、先に了承しておいてなんだけど、そろそろ事情とか聞いても良いかい?」

「がう! メア、何でも、話すよ」

 

 たどたどしい口調だったのでやや難航したが、それでも少しずつでも出てきた話を合わせると、メアは元はこの森に棲んでいたコボルトの一族の中の一人だったのだが、森の奥地で『友達』に出会い、その仲を深めた。

 後に色々事情がありメアの一族はこの森を出て他所に越すことになったのだが、メアは『友達』と離れがたかったので残ったらしい。

 それ以来メアは『友達』と森の奥地に住んでいたのだが、ある日を境にメアの『友達』が徐々に具合が悪くなり、それは日増しに酷くなっていったらしい。

 このままでは手の施しようが無いと考えたメアは近くの人間の街、つまりナイトベルグへと『友達』を助ける方法を探しに向かい、とある『親切な人』にその方法をもらい、急いでこの森へと戻ってきたのだが、その時にはこの森はすでにもうあちこちで異常が発生していてメアにすらどうにもならなくなっていたそうだ。

 

 そもそもの話、この森に住まう魔獣たちは本来そこまで狂暴ではない……というのは少し違うか。

 縄張りを侵せば襲い掛かっては来るものの、きちんと縄張りを示す証(マーキング)をつけ、滅多に縄張りの外へは出てこない。

 つまり縄張りの外まで出て来て襲い掛かって来るほど見境が無いわけじゃない、という言い方が正しいだろうか。

 

 なのに多種多用な魔物同士がいっしょくたになって見境無く襲い掛かって来るというのは森に棲んでいるメアをして明らかな異常時事態らしい。

 

 お陰で本来なら『友達』の場所まで安全に行き来できるはずの道にまで狂暴な魔獣たちがやってきてメアも逃げ出すしか無かった。

 そうして何度となく逃げていたのだが、あのブラックボム・マナベアだけは本当にしつこく追って来ていて、また逃げ出して……そのタイミングでアタシたちに出会ったらしい。

 

「その『友達』が具合が悪くなる前は……メアが森で出るまでは異常は無かった、ってことだよね」

「がう……森、静か。騒がしくない。でも今、騒がしい。みんな、暴れてる」

「異常が二度続けばそれは必然って気もするけど……どう思うよ」

「チルハに同意かな、というか他に原因が見いだせない」

「ならま、やることは決まったね」

 

 状況は一気に変わったと言っても良い。

 この森の異常がその『友達』に関連するというのならば、メアを『友達』のところに連れて行き、その『友達』を治療すれば森の異常も収まるかもしれない。

 さらに言うならばメアは自力でこの『森林迷宮』を行き来できる、となればメアの願いを叶えればこの森から抜け出すために案内してもらうこともできるだろう。

 

 何より『友達』のために一人森を出て人の街へ行き戻ってきたこの少女を助けたい。

 

 アタシが憧れた『闘士(ブレイバー)』ならばきっとそうするだろうから。

 

 

 * * *

 

 

 その『友達』は森の奥にいるらしいが、ここからだとまだ結構時間がかかるということで、一度どこからで休憩を入れようということになった。

 幸いにもこの森に詳しいメアが比較的安全に休める場所に心当たりがあるというのでそちらに案内してもらう。

 そうしてメアに案内されて気づくが、どうもこの森、外に近い部分は比較的平坦で同じような景色が続くのだが中心に近づくにつれて凹凸が増えているらしい。

 

「がう! この辺、危ないの、多い」

 

 とのこと。つまり危険な魔獣が地形が変化するほどに暴れているということだろうか。

 大丈夫なのだろうか、とも思ったがメア曰く、今は内から外に向かって暴れ回っているらしいので逆にこっち側のほうが魔獣との遭遇率が低いらしい。

 

 それからメアの案内で歩くことしばらく。

 そろそろ日が暮れてきている。

 日が沈んでしまえば薄暗がりで作業する必要があるのでそろそろついて欲しいところだが。

 

「がう! あった、こっち!」

 

 そんなアタシたちの内心を知ってか知らずか、メアが駆け出していくので急いでその背を追い。

 

 たどり着いたのは小川だった。

 

「川……かい」

「だね、水の確保ができるのはありがたいよ」

「がう! ()()()()()()!」

 

 そんなアタシたちの言葉に、ぴくりと反応したメアが川の前に立ちふさがるようにして叫んだ。

 

「飲んじゃダメって、何で?」

「がう! 飲んだら、おかしく、なる」

「飲んだらおかしく?」

 

 小川のほうへと視線をやる。

 見た感じ至って普通に川だ。流れる水も澄んでいて綺麗だった。

 だが必死に首を振るメアの様子を見ているとそれが冗談とかではないことは良く分かる。

 

「えっと、なら何で川まで来たんだい?」

「ここ、誰も、来ない。危ないから、近づかない」

 

 そんなメアの言葉に視線を彷徨わせる。

 特に異常はない、ただの森と川だ。だがメアの言葉を信じるならばこの川が相当に『ヤバイ』らしい。

 そしてそれを察知した魔獣たちもここには近づかない、と。

 

「どう思う、ヨル」

「どうって言われても、ね。まあでもそれがホントならここにキャンプ作っても良いんじゃないかな」

 

 なんて、ヨルは言うがあくまでも本当ならば、の話。

 とは言えメアの話を疑ったところでキリが無いのだから、結局のところメアを信用するか否かの話。

 ならまあ信用する、メアは信用できる、とアタシは思っている。

 

「っし、なら早速テント張ってしまうかい!」

「そうだね、もう日が暮れかけてる、すぐに夜になるし急いだほうが良い」

 

 決断したら即座にヨルと二人、急いでテントを組み立て、火を起こし、キャンプを作っていく。

 すでに時刻は17時を回っている、暦の上では春とは言えまだ夏は遠い、この時間ともなればもうほぼ日は落ちかけている。

 薄っすらとしか見えない手元に苦戦しながらもどうにか寝床を作り上げて、ヨルと二人安堵の息を吐く。

 

「どーにか、間に合ったね」

「そうだね。メアちゃんに案内してもらわなきゃ、アウトだったよ」

「がう?」

 

 川辺に転がっていた石を円形に並べただけの簡易的な焚火を作り、各自で一人用のレジャーシートを敷いて座る。

 

「半日森の中歩きっぱなしだったから、さすがに疲れた~」

「目的地が分からないから余計にね、あ、メアも使ってね」

「がう? ありがと!」

 

 ヨルがもう一枚シートを出してメアの足元に敷くとメアが嬉しそうにしながら座る。

 それから持ってきた荷物の中から携帯食を出して夕飯にする。

 

「もそもそ……喉乾いたよ、スープ欲しいわ」

「川の水使えないからなあ……本当なら半日で片付かないなら今日は街に戻る予定だったし、森で過ごす用意もしたけど本当に念のためくらいだったから足りないものだらけだね」

「がう! オイシ! コレ! オイシ!」

「そーかいそーかい、たーんとお食べ」

「メアちゃん、興奮し過ぎてまた言葉遣いが戻ってるよ。あとチルハはお婆ちゃんみたいなこと言わない」

 

 エネルギー補給重視の味気ない食事ではあったが、こうして街の外で火を囲みながらわいわい多人数で食べるというのは中々に楽しいものがある。

 とは言えカロリーバーみたいなのを二、三本食べて終了の何とも味気ない夕食である、あっという間に食べ終えてパサパサになってしまった口の中を持ってきた水筒で潤せばあっという間に終わる。

 

「お風呂入りたいなあ」

 

 なんてヨルが呟くが、当然そんなものは無いのでテントの中でタオルで汗を拭うくらいしかできない。

 水も少ないので明日のことを考えれば湿らすことすら贅沢というものだ。

 

「明日メアの『友達』を助けたら、メアに森の外まで連れてってもらえるし、明日には街に帰れるさ」

「そうだねえ……今日一日の我慢だ」

 

 なんて言いながら一通り体を拭き終えてテントを出れば。

 

「め、メアちゃん?! 何やってんの!!」

「がう? 汚れた、綺麗にする?」

 

 焚火の傍で服を全て脱ぎ棄て一糸まとわぬ姿のメアが自分に腕に舌を這わせていた。

 

「あーうん……そういや魔人だったね。人類種じゃないしね」

 

 人間の尺度で見れば絶句するような光景ではあるが、コボルト的には多分普通なんだろう。

 ただお節介焼きのヨルがそれを見過ごせるかはまた別の話で。

 

「こっち来て! 私が拭いてあげるから!」

「が、がう?! ナ、ナンダ、イキナリ?」

 

 散らばった衣服を全て回収し、メアの腕を引きながらテントへと入っていくヨルの姿を見やり、苦笑した。

 

 

 

 ぱちぱち、と拾ってきた(たきぎ)が焚火の中で音を立てて弾ける。

 すでに春とは言え、森の夜は冷え込む。

 アタシもヨルもそれなりに鍛えているとは言え、寒いものは寒い。

 故にこうして焚火の前で温まっていると段々と呆としてくる。

 メアもまた同じようで、先ほどからうつらうつらとしていた。

 

「見張り、立てないとね」

「あーうん、そうだね」

 

 メア曰く、この周辺は複数の魔獣たちの縄張りの境界線のような場所らしく、元より緩衝地帯として魔獣たちは近づかないらしい。

 しかも今は川の水が危険なことになっているらしく、他の動物たちも逃げ出し安全と言えるのだとか。

 ただそれでも誰がしか起きている人間は必要だろう。

 魔獣が近づかないとは言えそれも絶対というわけでも無いだろうし、こちらの明りを見つけて近づいて来るかもしれない、アタシたちの臭いに気づくかもしれない、他の動物たちを追っている途中に偶然こちらまで来るかもしれない。そんな可能性だけの話ならいくらでもあるのだから。

 

「それでどっちにする? アタシはまだ多少余裕あるし、先に寝て来ても良いよ?」

「うーん、じゃあ私先にメアちゃんテントに寝かせてきて良いかな?」

「分かった、なら二時間ごとで交代しよう。多分四時間にしたらどっちか寝落ちする」

「アハハ、確かにね……」

 

 目覚まし時計なんてものは無いが、まあ手元の時計を見ながら待てば良いだろう。

 すでに半分意識が落ちかけているメアを支えながらヨルがテントへと入って良くのを見て、ポケットからビターの板チョコを取り出す。

 

「さて……と」

 

 一口齧り、ほろ苦いその味に舌鼓を打ちながら頭を覚醒させていく。

 

「時間はたっぷりあるし、久々にこいつも手入れしてやらないとね」

 

 呟きながら、いつも担いでいる愛用の木剣を手に取った。

 

 

 

 



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バディ・ワークス・ブレイバー⑤

 

 

 ぱちぱち、と焚火が爆ぜる音を聴きながら小さくなってきた火に薪を追加する。

 そうして焚火の調整をしたら、少しだけ湿らせたハンカチで目の周りを擦りながら、意識を覚醒させる。

 二度目の見張りは注意力が落ちやすい。

 中途半端に寝てしまっているからこそ脳が寝ぼけてしまっている。

 故に見張りに不寝番に望む前に脳をしっかりと起こしてやらねばならない。

 

「あふ……」

 

 欠伸を一つ、噛み殺しながら膝の上で頬杖を突きながらぼんやりと焚火を眺める。

 こうしてぼんやりとしているのも嫌いでは無いのだが、さすがにこれが二時間と続けば退屈だ。

 誰か話し相手でもいないかな、と思っているとテントのほうからがさごそと人の気配がしたので振り返る。

 

「メア? 起きたのかい?」

「がう……目、覚めた」

 

 目が覚めたと言いながらもまだ少し眠たそうな獣耳の少女がゆらゆらと頭を揺らしながらテントから出てくる。

 そのままアタシの隣にやってくると腰を下ろした。

 

「良く寝れたかい?」

「がう、夢、見た……怖い、夢。友達、いなくなる、夢」

「……そうかい」

 

 呟き、焚火で温めていたポッドからカップにお湯を注ぎ、即席の粉を溶かしてメアに渡す。

 

「それで(あった)まりな」

「がう……甘い」

 

 淹れてやったインスタントのココアをちびちびと飲みながら、メアがほっと一息つく。

 疲れやストレスは精神を不安にさせる。メアはここまで森と街を行ったり来たりし、さらに凶悪な魔獣に追い回されたりで一息吐く間も無かっただろう。

 さらに『友達』のこともあって、ストレスが溜まっているのだろうことは分かる。

 故に甘い物でもと勧めてみたが、どうやら正解だったようだ。先ほどより少し顔色が良くなった気がする。

 

「そういや、メアの友達ってどんな子なんだい?」

「がう?」

「話には何度か出て来てたけど、アタシたちはその友達についての情報を良く知らないからね」

 

 メアは一貫して『友達』としか言わなかったので、その『友達』がどんな相手なのかアタシもヨルも知らないのだ。

 道中は他に優先すべきこともあったので、後回しにしていたが、こうして落ち着いて話していると疑問が先に出てくる。

 

 森の奥地に住んでいるらしいこと。

 以前からメアと共に暮らしていたこと。

 最近になって具合が悪くなったこと。

 

 それくらいだ。

 一体その友達がどんな種族なのか、どんな人柄なのか、だとか、どんな暮らしをしていたのか、どうして具合が悪くなったのか、分からないことだらけである。

 

「がう……?」

 

 言っている意味が良く分からない、と首を傾げるメアに質問が曖昧過ぎたかと苦笑する。

 

「そうさね……じゃあ、その友達の名前は?」

「がう! メルだ!」

「メルか」

「がう……メル……メル、なんとか? だからメル!」

「ああ、あだ名みたいなものなのかね。それで、そのメルは男? 女?」

「がう……?」

 

 何故かメアに首を傾げられた。

 

「ん? いや、そんな難しい話、じゃないよね? メルって子は男なのか、女なのか」

「がう……おと、こ? おん、な?」

「ん?」

 

 メアに雌雄の区別がない、と言うわけではないと思う。

 道中の雑談の中でもその辺の区別はついているように見受けられた。

 だからメアが首を傾げているのはメアが問題なのではなく……。

 

「えっと、じゃあそのメルって子の種族は?」

「がう! みず!」

「みず……? ミズ? そんな種族いたっけ」

 

 ミズ、なんてのは聞いたことの無い種族である。

 もしかするとメアたち『コボルト』の間でのみ通用する呼称なのか、とも思う。

 次いで外見について尋ねてみるが、どうにも要領を得ない。

 

「ゆらゆらしてる」

「すごくおおきい」

「メアと同じくらい」

「手がながい」

「偶に見えなくなる」

「透明だけど青っぽい」

 

 両手をいっぱいに広げてとてつも無く大きいのだと表現している割に、次には自分と同じくらいだと言っていたり話が矛盾しているように聞こえるのはアタシの理解が足りないからなのか、それともメアが嘘を言っているからなのか。

 あと偶に見えなくなるって何だろう。

 

 メアの友達とは一体?

 

 聞けば聞くほどに分からなくなっていく正体に思わず首を傾げた。

 

 

 * * *

 

 

 走る、走る、走る。

 余り平坦とは言えない森の奥地、それでも平然とした表情で獣耳の少女は喜々とした表情で走った。

 そうして森の中心、森の中にあって開けたその小高い丘のような場所にあったのは大きな湖だった。

 

「がう! メル! 来たぞ!」

 

 静寂に包まれる湖に向けて少女が大声で叫ぶ。

 数度、少女の叫びが反響しては返る。

 そうして再び湖に静寂が訪れて……。

 

「騒がしいね」

 

 ぽつり、と虚空から滲むように声が響いた。

 決して大きな声ではない、けれど不思議とそれは響いた。

 

「やあ、メア。よく来たね。でも何度も言ったように、ここでは静かに頼むよ……みんなびっくりしてしまうだろ?」

 

 いつの間にか、そう、本当にいつの間にかとしか言いようがなく、ソレはそこに立っていた。

 湖の中心、そこに人の形をした何かがいた。

 青い髪をした獣のような耳を頭頂部に生やした何か。

 

「がう、メル、ひさしぶり!」

 

 それは一見すると湖岸で叫ぶ獣耳の少女と同じような存在にも見えた。

 けれどよく見ればそれは間違いであることが分かる。

 

「しばらくぶりだね、珍しく長く空けていたけれど何かあったかい?」

 

 少なくとも、湖岸の少女には()()()()()()なんて真似はできないのだから。

 

「がう……」

「メア? どうしたんだい?」

「シロ・ネコ様、森を出る、言った」

「何だって、彼が森を出ると、そう言ったのかい?」

「がう」

 

 それは困ったね、とソレは……メルは呟いた。

 実際困っている、少女……メアは嘆息した。

 シロ・ネコ様はメアの一族であるシロ族の長だ。

 シロ族たちは族長であるネコ様の言葉に従う必要がある。

 

 だがそれは目の前の友達との別れを意味することも分かっていて。

 

 

()()()()()()()()

 

 

「がう?!」

 

 あっさりと、見切りをつけるようにメルが呟いた一言にメアが驚愕し。

 

「だって仕方ないじゃないか。キミはキミの一族の長に従って森を出る以上、ボクはこの場所から動けない以上、どうしようも無いよね」

 

 突き放すようなその言葉に、メアの胸が締め付けられるように痛んだ。

 

「だから、仕方ない」

 

 そうして。

 

「バイバイ、メア」

 

 余りにも淡々と告げられるその言葉を。

 

()()!!!」

 

 咄嗟に否定した。

 

「がう……違う! 違う! メルは、そんなこと言わない。そんなこと()()()()()()!!」

 

 否定して、否定して、否定して。

 

「メルは!」

 

 きっと、目の前のソレを睨んで。

 

「―――ッ!」

 

 伸ばした手が空を切る。

 ハッとなって目を覚ませばそこは昨晩泊ったテントだと思い出す。

 

「がう……夢」

 

 また嫌な夢を見てしまった、と嘆息する。

 昨晩に引き続き二度目。

 きゅっと締め付けられるように痛む胸を抑えながら、何度となく深く呼吸を繰り返す。

 

「がう……メル、助ける、絶対に」

 

 握りしめた拳を開く。

 そこにあった小瓶を見やりながら、そっと呟く。

 

 

 ―――へえ、友達を助けたいんだ! 良いよ、良いさ、良いとも! この僕様が手助けしてあげるよ、やるともさ。なーに、簡単だ、こいつだ、この小瓶、これをその友達に渡してあげるんだ、それでだいたいはどうにかなるよ。症状が早い内はね?

 

 

 これが本当に効くのかどうか、そんなこと分かりはしない。

 それでも街に赴いたメアがいくら探してもこれ以外の手は見つからなかった。

 助けたい。苦しむ友達を、助けたい。

 もしこれに僅かでも可能性があるのならば、それに賭けたい。

 

「がう……」

 

 きゅっと拳を握り、決して無くさないように小瓶を抱えて。

 

「待ってて、メル」

 

 呟いた。

 

 

 ―――ああ、でも一つだけ注意だよ。もしこれで症状が改善しないなら、その時は。

 

 

 * * *

 

 

 朝、日が十分に昇り、森全体が明るさを取り戻した頃。

 キャンプを片付けメアの案内の元で森の奥へと進んでいく。

 ただキャンプをした場所から先はそれまでの道と違い、起伏が大きく森を歩き慣れているメアはともかく、アタシやヨルはやや歩くのに苦戦したため進むのにやや時間がかかっていた。

 

 メアの友達がいるという場所まで昼前までには着く予定だったのだが、目的地の目前まで迫った時点でもうとっくに午後を過ぎてしまっていた。

 メアの案内なら半日もあれば森を抜けることができる、とのことだがこの調子だと本当に今日中に街に戻れるかどうか怪しくなってきた。

 

「さすがにキャンプ生活二日目突入は……勘弁して欲しいもんだね」

「それは同感……徹夜には慣れてるけど、だからって好き好んでやりたいわけでも無いしね」

 

 さっさとメアの友達を助け、この森を抜けたいものだ、と思いながらさらに奥へと進んでいき。

 

 その先で森が途切れた。

 

 否、それは間違いだ。

 正確に言うならば、木々の開けた場所に出た。

 

「何だいここ」

 

 目の前に見えるのは聳え立つ丘。

 その頂上へと続く坂道の途中は見事に草原になっていて、木々の一つも生えていない。

 よく見ればこの丘を中心としてまるで森がくりぬかれたように綺麗な円形に開けていた。

 

「うわあ」

 

 ここまでずっと木が並び立つ景色ばかり見ていたからか、木々の見えない光景にヨルが感嘆したように声を漏らす。

 まあ分からなくも無いが、アタシとしては早く文明の中に戻りたいものだ。

 

「がう! ここ、この先! 友達、いる!」

 

 そして目的地までたどり着いた途端にメアが興奮しながら走りだす。

 夜に会話している最中に寝落ちしていたのでテントに戻したのだが、どうも今朝の様子を見た限りまた悪い夢に魘されたようだった。

 きっと友達が心配でストレスが無くならないのだろう。そう考えればここまで来て走り出すのも無理はないか、とその後を追う。

 

 そうして走り出すメアを追って長い坂道を超えた先にあったのは。

 

 

「こりゃまた、絶景、だね」

「うわあ……うわあ」

 

 

 丘の上に不自然なほどに広大な湖が風に揺られながら静かに波打っていた。

 

「がう! メル! メル! メア、戻ってきた! メル! どこ!?」

 

 湖岸で必死になって友の名を叫ぶメアだったが、すぐにその様子がおかしいことに気づく。

 まるで強烈な臭気でも漂っているかのように鼻を摘まみ、その瞳からは涙が零れている。

 

「メア……?」

 

 思わず呼び掛けてしまったが、そんなアタシの声が耳に届いていないのか、必死で叫び続けるメアのちょうど足元のほう。

 

 ごぼ、と湖の畔で泡が弾けた。

 

 

 * * *

 

 

「メア!」

 

 咄嗟に駆け寄り、メアの体を抱えて後方に下がる。

 その間にも湖の畔で膨れ上がった気泡が二つ、三つと増えてごぼり、ごぼりと激しく音を立てていく。

 まるで湖が沸騰したかのように、ぶくぶくと気泡が増えて、増えて、増え続けて。

 

 そうして。

 

 ―――アアアァァァァッァア!!!

 

 決して大きくはない、けれど不思議と耳の奥へと響き渡るような咆哮を上げながら、湖の中から()()()が飛び出した。

 

「なっ?!」

「はあ!?」

「が、がう!」

 

 真上から降り注いでくる蛇の形をした水流に、咄嗟三者三様に散って躱す。

 直後に丘を突き抜けるような勢いで水流が地面へと激突し、そのまま吸い込まれていく。

 

「な、なな、なんだいこりゃ!?」

「い、今の何? 今の、何!?」

「がう……メル! メル!」

「あ、ちょっと、メア!」

 

 目を見開き、戦慄くように震えていたメアが走りだす、その後を追って再び湖へと駆け寄り。

 

「ぐう……あ、ああああああああ!」

 

 そこに頭を抱えるように蹲る人の姿があった。

 腰まで届くような青い髪に、黒いパーカーのような衣服を着て、その頭頂部には獣のような耳があった。

 だが何よりも驚くのは―――。

 

「がう……メル!」

「え、あれが?」

「ま、待って、あの人、なんで()()()()()()()()()?」

 

 そう、ヨルの指摘の通り、その人……メア曰くのメルは湖の上、水面に平然と足をつけて蹲っていた。

 しかも何等かの物理的作用で立っているのではない、水面に足をつけているのにまるで水が揺れない。

 まるでぴたりと接着されてしまっているかのようですらあった。

 

 外見だけ見ればメアと同じコボルトか何かかと思ってしまうようなその姿。

 

 けれど決してそれはコボルトなんかじゃない。

 

 じゃあ、一体、あれは何だ?

 

 その問いの答えは、直後に出る。

 

「う……ぐう……あ、あああ……ぐああああああああああ!!」

 

 ぐにゃり、と人だったその姿が途端に崩れ出す。

 まるで全身から骨が抜かれたかのように、軟体生物がごとく体がぐねぐねと捻じれ、曲がっていく。

 

「あれ……まさか、スライム?」

「違う!」

 

 強いて言うならば、とでも言わんばかりのヨルの呟きを、けれどアタシは否定する。

 

「あれは……あれは!」

 

 捻じれ曲がっていくメルの体から徐々()()()()()()()

 まるで付着した絵具を水で洗い流すかのよう、その全身の色が抜け落ちやがて無色透明な何かへと変貌していく。

 

 つまり、それは―――水だ。

 

 そう、水だ。

 

 昨晩、メアが言っていたではないか。

 

 ―――えっと、じゃあそのメルって子の種族は?

 ―――がう! みず!

 

 ミズ、じゃない、水だ。

 メアは最初から答えを言っていた。ただその答えにアタシの思考が直結しなかっただけ。

 メルとはつまり水そのものだ。

 水そのものが意思を持って動いている。

 この湖に溜まった水の全てがメルであり、この湖そのものこそがメルである。

 

 つまり、メルの正体とは。

 

 

「精霊種だよ、ヨル……メルは、精霊だ」

 

 

 水精霊(アンダイン)に他ならない。

 

 

 




あと二話くらいで森編は終了。それ終わったら二、三話くらい都市での小依頼を挟んで、次の渓谷古城編になるかな。


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バディ・ワークス・ブレイバー⑥

 

 

 この世界にはマナというものが存在する。

 

 だが人類は未だ、マナというものを具体的に定義することができていない。

 強いて言ったとしても『エネルギー』の、ようなもの、だろう、などという曖昧な物言いになってしまう。

 

 『マナ』はエネルギーだ。

 

 それは神代の遺跡から発見される『マナ』を動力として駆動する数々の道具類から考えても間違いはない。

 だがそれでもマナを単純に『エネルギーである』と断定できないのは、『魔族』や『精霊』と言った存在があるからだ。

 

 魔族はどれもこれもが不可思議で、あり得ないような生態をしている。

 

 魔人とは『マナ』を獲得することによって人と類似した姿を得た存在を指すが、その範囲は非常に広い。

 多種多用な姿の魔人がいて、それどれもが人に似た姿を持つが、けれど元と辿れば人ではない。

 何故『マナ』を得ることで人の姿を取るのか、その理由は分かっていないし、何故『人の姿を取る魔人』と『人の姿を取らない魔獣』に変化するのかも分かっていない。

 

 そもそも魔物とは何だ?

 

 魔物とは『マナ』を得たことによって自らの意思を獲得した物質だ。

 ただの物質が自らの意思を得て動き出す……それもまた『マナ』の働きである。

 『マナ』という言葉が指す『ナニカ』に対して、その作用は余りにも多く。

 

 

 『精霊』はその中でもとびっきりと言えるだろう。

 

 

 * * *

 

 

 精霊とは何なのか、答えは『よくわからない何か』だ。

 

 一般的に『自然環境』において『重度のマナ』が蓄積されることで『発生』すると言われる存在であり、そもそも生命なのか現象なのかその定義すら曖昧な超自然的な何か。

 ただこれは『自然精霊(エレメンタル)』と呼ばれる存在であって、それとは別に『物質精霊(スピリット)』と呼ばれる存在もあって、そっちはそっちで別の発生原因があるとされている。

 因みに『精霊』と言われるとその大多数は『自然精霊』であるが故に、一般的に『精霊』と言うと『エレメンタル』と称される。

 

 『精霊』の本質は『宿る物』だと言われる。

 そしてその宿った物によってその呼称は変わっていく。

 森の樹々に宿れば『樹精霊(ドライアド)』、吹き荒ぶ風に宿れば『風精霊(シルフィード)』となり、燃え盛る火に宿れば『火精霊(サラマンディル)』などだ。

 

 『水精霊(アンダイン)』とはその名の通り『水』に宿った精霊だ。

 

 湖面に浮かぶ人の姿をしたものは恐らく体の一部を変化させたものであり、メアが『メル』と呼ぶその精霊の本体は恐らくこの『湖』そのものであると思われる……つまるところ。

 

 この広大な『湖』に溜まった莫大な量の水、その全てを自在に操ることができる存在が今、アタシたちに牙を向けているということだ。

 

 

 

「メア! 森まで下がってな!」

 

 原因は分からないが、あからさまに正気じゃないのは見て取れる。

 蹲り、頭を抱えたまま唸るだけの人型はこちらを見てすらいない、にも関わらず荒れ狂う湖の水は巻き上がり、水流がまた蛇のような形を成しながら正確にこちらを押し潰さんと降り注ぐ。

 

 咄嗟にメアに声をかけながらもその場から飛び退る。

 メアが逃げたかどうか確認する余裕すら無い。何せ一度水流を避けたと思えば、もう次が来ている。

 

「くっ! 無茶苦茶、過ぎだ、よ!」

 

 精霊の恐ろしさはその規格外の力にある。

 『マナ』とは不可思議な力だ。この世の理すらも一時的に書き換えるほどの摩訶不思議な力である。

 だがそれでも限度というものはあるのだ。

 

 魔族というのは『マナ』を獲得することで既存の動物などよりも強い力を得るが、それでも個の範疇に収まるレベルでしかない、

 こんな自然災害を丸々具現したようなぶっ飛んだ力を奮えるわけではないのだ。

 

「んな!?」

 

 そうして次々と飛来する水流を躱していると、埒が明かないと言わんばかりに水流が止まり、代わりに波打つ湖面が独りでに津波を引き起こす。

 線がダメなら面で、と言わんばかりに湖の中で波打つごとに徐々に大きくなっていく津波を回避せんと、走りだす。

 幸い、というべきか、小高い丘の上にある湖の地形上、津波のサイズには限界がある。

 湖岸を僅かに決壊させながら溢れた津波が丘を流れていく。

 

「おおおおォォ!」

 

 絶叫しながら走る、走る、走る。

 そうして一瞬の差で、辛くも津波の範囲から逃げ出す、と同時にこのままでは無理だと確信する。

 

「ヨル! 退避するよ!」

 

 アタシ同様に水流に狙われていたヨルはいつの間に大分遠くまで離されていたが、アタシの声を聞いて森のほうへと走りだす。

 追随するようにアタシもまた森へと逃げ込む。

 

「いくらデカイ湖とは言え、森の面積はさらに広大だし。それ全部を覆うほどの量は無い、はず」

 

 あの広大な湖は水精霊の絶大な力を示すと同時に限界も示している。

 少なくとも今この状況であの水精霊が使えるのはあの湖に溜まっているだけの量のはず、となれば湖から離れれば離れるほど水精霊の力の影響は弱まっていくのではないだろうか。

 

「ちっ、精霊なんてまさか出会うなんて思わなかったから、もっと勉強しておくべきだったかな」

 

 森の中へと逃げようとするアタシたちを逃がさないとばかりに圧縮された水の弾丸が放たれるが、躱したり木剣で弾いたりしながらどうにか森の中へと逃げ込むと、ピタリ、と追撃が止む。

 警戒は怠らないままに少しずつヨルと合流せんと歩き。

 

「チルハ!」

「ヨル……無事だったかい」

 

 どうにか無事に合流を果たした。

 

 

 * * *

 

 

 森の中に静寂が戻る。それだけのことで、安堵してしまう。

 とは言え、いつまでもこうしていられない、と早速ヨルと顔を突き合わせる。

 

「無茶苦茶過ぎるね」

「精霊とか私たちの手に負えるような相手じゃないよ……って言いたい」

 

 だがどうにかしなければならない。

 精霊が正気を失って暴れているなんて、はっきり言って尋常な事態ではない。

 メアに森の出口に案内してもらうため、とかそんな場合じゃない、下手をすればこの森の傍にあるナイトベルグの街にまで影響が及びかねない事態だ。

 

「どうする?」

「どうするって言われても」

 

 困ったような表情で握りしめた銃にそっと手をやるヨル。

 その行為は意識的か無意識的はともかく。

 

「いざとなったら、やれそう?」

「うん。多分……相性は悪くないと思う」

 

 覚悟を決めたようなヨルの返答に、どうしたものか、と考える。

 奥の手はある。アタシも、ヨルも、だ。

 特にヨルの奥の手ならば或いはあの精霊を『消滅』させることもできるかもしれない。

 

 だが。

 

「メアのことを考えると助けてやりたいね」

「そうだね……私も、そう思う」

 

 あれほど必死になって友の名を叫び続けたメアの姿を見ればできる限りのことはしてやりたいと思う。

 だとすれば、取れる手は一つだろう。

 

「助ける、なら私より」

「アタシだね……分かった、できうる限りのことはやろう」

 

 手の中の木剣を握りしめる。

 もう一度、あの荒れ狂う水精霊に立ち向かうことを考えると僅かばかり緊張する。

 あれは文字通り災害だ。そういう規模の存在だ。

 

 だが。

 

「エルなら……引かないね」

 

 ぽつり、と小さく呟き、ふっと笑い。

 

「行くかい。全部丸っと片づけて、勝ち取れハッピーエンドだ」

 

 ―――ヨルと並び、湖へと走り出した。

 

 

 * * *

 

 

 以前にも言ったと思うが、魔族の定義は『マナを扱う人類以外の存在』である。

 

 問題は。

 

 どうして『人類以外』という言葉が入るのか。

 人類が分類しているのだから、というのもあるのだがそれ以上の理由があり。

 簡単に言えば、その身一つで『マナ』を扱うことのできる人類は『術師(キャスター)』と呼ばれるからである。

 

 そう、人類もまた『マナ』を扱うことができるのだ。

 

 ただし魔族と違って人類のそれは少し特殊とも言える。

 

 魔族は種族ごとにある程度共通して同じような『マナ』の使い方を覚える。

 例えばディグ・マナウルフならば共通して穴を掘るの掘削の法を『マナ』によって獲得したり、ブラックボム・マナベアならば触れた物を爆発させる能力を『マナ』によって為したり、だ。

 

 だが人類の『マナ』の使い方はバラバラだ。

 

 個人個人がまるで違う使い方をするため、分類することもできない。

 

 ただ一つ共通するのは。

 

 人類はその身に宿した『術式』によって『マナ』を具現化するということだ。

 

 

 アタシたちの接近に気づいたのか、湖の上で水流が再び荒れ狂う。

 直後、マシンガンのように飛来する圧縮された水の弾丸を躱しながら隙を伺う。

 即座にヨルが弾丸を放ち、水精霊の気を引くと水流がそちらに偏る。

 

 その一瞬の間を逃さず湖へと迫り―――。

 

 

術式開錠(モードリリース)第一開錠詞(ファースト・スペル)『霜白の闇、月が照らす冰の花』

 

 

 叫び、湖に向かって手元の木剣を突き刺すと、木剣を起点として湖の水が徐々に凍り始める。

 

「ううううああああ! あああああああああああぁぁぁぁ!!!」

 

 自らの本体(みずうみ)に異変を感じた水精霊が絶叫し、再びこちらに意識が向けられる、と同時の十本以上の水流がまとめてこちらを狙って来る。

 これ以上留まれない、と判断し即座に湖から剣を抜くと回避に走ろうとして。

 

 ひゅん、と足元を掠める水弾。

 

「なっ!」

 

 それが偶然か狙ったものかは分からないが、足元を狙われた一撃を咄嗟に避けようとしてバランスを崩す。だが転ぶよりはマシと転倒しそうになる勢いのままに跳躍し、態勢を立て直す。

 だが僅かながら移動にもたついたのは事実であり、そしてその僅かな時間は水流がこちらへ届くのに十分な時間だった。

 

「凍れ!」

 

 回避は不可能、と判断し『マナ』を纏わせた木剣が『氷の剣』と化す。

 

「切り裂けェェェェェ!」

 

 渾身の力を込めて、叩きつけるような勢いで水流に氷の剣を振り下ろせば、一瞬にして水流が凍り付き砕けていく。

 だが直後に次の水流が飛来し、再び剣を振るたびに二本、三本と凍り、砕けて……。

 

「ぐっ!」

 

 四本目で剣に込めた『マナ』が不足し、水流と拮抗する。

 その直後に五本目が飛来し均衡が崩れる。そしてトドメとなる六本目の水流がアタシの体を吹き飛ばす。

 水流に飲まれ、押し流されていく体。平行感覚を失い、上も下も分からないまま洗濯機の中の洗濯物のような様相でぐるぐると回転しながら地面に叩きつけられる。

 

「ぐあ……ご、あ……」

 

 全身の痛みを堪えながらさらに追撃せんと降り注ぐ水流に向かい、再び『マナ』を充填させた氷の剣を着きだす。

 七本目、八本目と切り裂き、九本目を切り裂いた時点でまた『マナ』が枯渇するが十本目の水流が来る様子が無い。

 

「チルハ! このっ!」

 

 遠くでヨルが水精霊の気を引いてくれていたらしい。

 お陰で十本目はそちらに向かったようだった。

 

「はあ……はあ……はあ……」

 

 錐揉み回転しながら地面に叩きつけられたせいで全身が痛む。

 水流に飲まれたせいでほんの数秒ながら呼吸が止まっていたせいで息も荒い。

 それでもまだ生きているならやれる、と木剣を杖代わりにしながら立ち上がる。

 

「冗談、じゃ……ないよ、全く」

 

 六本以上水流を凍らせ、砕いたのにまるで効いた様子はない。

 『マナ』の絶対量と体を構成する質量が違い過ぎる。

 こんなものまさに蟻と象の争いに等しい。

 

「少々……凍らせた、ところで、まるで……はあ、効いた様子が、無いの、は……はあ、理不尽過ぎるよ全く」

 

 こちとらあの水流一本直撃しただけでこの有様なのに。全くもって理不尽極まりない。

 さらに数度、深呼吸をし、素早く息を整える。

 まだ体は動く。とは言え十全じゃないのは理解しなければならない。

 『マナ』もかき集めればまだやれる。とは言え、絶対量の違いはどうやっても否めない、どうするか。

 

「もう一つ、ギアを上げるしかないかね」

 

 『術式』とはそう簡単に扱える力ではない。

 『マナ』を使用して得られた巨大な力にはそれなり以上のリスクが存在することを理解しなければならない。

 とは言え、このままではヨルと二人そろって溺死させられるのが目に見えている以上、多少のリスクは飲みこむべきか。

 

「さすがに、三つ目は勘弁して欲しいところだね」

 

 呟きながら一瞬で覚悟を決め、歩き出そうとして……くい、と手を引っ張られた。

 

「なっ、っと」

「がう! チルハ!」

 

 後ろから声がかかった。

 振り返ったその先には逃げたはずのメアがいて。

 

「め、メア!? 何やってんだい、危ないから」

「これ!」

 

 逃げな、と告げるより早く、メアがこちらに差し出してきたもの、それは。

 

「瓶……?」

 

 小瓶だった。メアの小さな手のひらに収まる程度の小瓶。

 中に入っているのは……白っぽい砂のような何か?

 

「がう! 『親切な人』、言った。これで、メル、助けられる!」

「これ、が?」

 

 一体これは何なのか、それは分からない。

 そもそも『親切な人』って誰だよ、とも思う。

 

 だが―――。

 

「分かった」

 

 差し出された小瓶を受け取る。

 

「メアを信じるよ」

 

 小瓶の蓋を開けながらメアに背を向けて。

 

「分が悪い賭けだねえ」

 

 それを理解しておきながら、それでもやろうとしている自分に苦笑した。

 

 




『月光照らす氷花の■■■■』
第一鍵詞:『霜白の闇、月が照らす冰の花』→能力の解禁。触れた物を対象とした氷結能力の解放。主に剣など。氷の剣を使って間接的な凍結も可能。
第二鍵詞:『????』
第三鍵詞:『????』
解説:『凍結』を操るマナ術式。



マナ術式……まあ魔法みたいなの。

第一は能力の解禁。ただしそれほど派手なことはできない。
第二は能力の■■。ただしマナ(MP的なの)の消費は加速する。
第三は能力の■■。ぶっ壊れるけど消費マナもぶっ壊れるのでほぼ単発使い切り。


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バディ・ワークス・ブレイバー⑦

 

 

 

 とにもかくにもあの質量が最も厄介なのだ。

 

 『凍結』のマナ術式はああいう液体を振り回すタイプには相性が抜群に良いはずなのだが、桁違いの質量で相性の差を強引に押し切られているのが実情だ。

 いや、強引と呼ぶのも烏滸がましいかもしれない、こういうのを焼け石に水とでもいうのか、そんな例えが出るくらいの差が今のアタシがあの水精霊の間にある。

 

 相性というのはある程度均衡した力関係の上で大きく関与するものであり、均衡が絶対的なほどに傾き切っている今の状況において余り意味があるとは言えない。

 

 となればやるべきはまずあの質量を『削る』ことだ。

 

 先も言ったがあの湖に溜まった水全てが水精霊の体なのだ、メアから受け取った小瓶の中身を湖へと投げ入れるなら湖岸から直接ひっくり返すくらいのことをしなければ、放たれた水流は水精霊の手足……どころか最悪、爪先程度のものでしかない。問題となれば即座に本体から切り離されるのは目に見えている。

 

「やるべきことは決まった、となれば後はアタシ次第ってことだね」

 

 重い体を引きずりながら、手の中でずしりと重さを残す木剣を握りしめながら、ずぶ濡れで体に張り付く衣服に不快感を覚えながら、水浸しで上手く踏みしめることのできない靴で地を踏みしめながら、真っすぐ木剣を振り上げて。

 

「最初にやるべきは……逃げ道を封じること」

 

 足元の地面に向けて振り下ろす。

 

「まとめて、凍れ!」

 

 叩きつけた木剣を通し、マナが一気に広がる。

 先ほどから幾度となく水流が放たれ水の染みた地面が一気に凍結していく。

 人類がマナを操るための傑作たるマナ術式がアタシの中に流れるマナを消費しながらその凍結範囲をどんどんと拡大していく。

 そうして湖から森までの坂道の大半が凍り付く。

 

「これでもう流れた水は回収させないよ」

 

 あの大質量の水流をあれだけ連打しながらそれでも湖の水量は一向に減った様子が無かった。

 水精霊が自ら生み出している可能性も無くはないが、アタシとヨルの両者に放った分の水を全部自前で作っているとするといくら水精霊のマナ保有量が人類と比較してぶっ飛んでいると言っても間違いなくマナを使い果たす。

 それよりも使った分を()()()()()()()()したほうが絶対にローコストに決まっている。

 

 湖が出来ているということは森の地下に水道があるのだ、流れ落ちた水は水道を通ってまた湖へと回収される、つまりそういうことなのだろう。

 自らの領域内の水を自在に操ることのできるのならばそんなこともできるはずだ。

 

 森まで退避したら攻撃が飛んでこなったのは恐らく水精霊の『回収範囲』の問題だ。

 恐らく森まで流れてしまった水はもう動かせない、いずれ地面に染みてまた湖に戻って来るのかもしれないが、それは自然にそうなるのであって水精霊の意思でそうできるわけではない。

 

 故に()()()()()()()

 

 この氷が地面を覆っている限り、地面を通しての水の回収はできない。

 それが分かっているのかいないのか、丘を登るアタシに再び水流が放たれて。

 

ゲットイット(よしきた)! こっからはアクセル全開さ!」

 

 一切の躊躇なく、『二つ目の鍵』を開く。

 

 

術式開錠(モードリリース)第二開錠詞(セカンド・スペル)『咲き乱れし、永久凍土の果てに』

 

 

 マナ術式における鍵は三つ。

 

 第一開錠にて『術式の解放』を行う。

 

 これによってマナ術式の行使を可能とし。

 

 第二開錠にて『術式範囲の拡張』を可能とする。

 

 先ほどまで剣先で触れなければ凍結させることのできなかった水流だが、今ならなんら問題とならない。

 

「オーライ! 全部凍っちまいな!」

 

 こつん、と木剣で足元の氷の床を叩く。

 その一動作を持って()()()()()()()()()()()術式を発動させる。

 放たれた幾本もの水流が氷の床の上へと入った瞬間に凍り付く。

 さらに水流の根元に向かって凍り付かせんとする術式を、けれど根本を切り落とすかのように、すっぱりと水流が湖から分離していく。

 

「ファック! やっぱ警戒されてるね。本体までは届かせてはくれないかい」

 

 それならそれで、やりようはある。

 それより問題は、やはりあの水流を凍結させるのにかなりマナを食うことだ。

 単純に液体を凍結させるのではない、あの水流は『水精霊の体そのもの』とでも言える。

 つまりあの水には水精霊のマナがたっぷりと詰まっているのだ。

 人類の使うマナ術式のようなものではない、いわばその原型のような効率の悪い使い方ではあるが、無尽蔵染みたマナ量でそれを行使しているのだろうが、とにかく水精霊の『水を操る』マナをこちらの『凍結させる』マナで上書きさせる必要がある。

 

 そのため普通に液体を凍結するよりも余計なマナを消費しているのだ。

 

 効率で言えばマナ術式より効率の良いマナの使い方は無いと思うが、それでも絶対の保有量が桁違いなのだ。

 

「消耗戦をすれば負ける」

 

 とは言え、すでにこちらは第二開錠まで行って勝負がけの真っ最中だ。

 

「なんて考えてる間にも追加かい」

 

 さらに追加で先の倍はありそうな蛇のようにうねる渦巻く水流が湖から降り注いでくる。

 

「このままじゃ負けるね」

 

 あと一手、一手で良い、それでこの状況を覆せる。

 そう考えながら降り注いでくる水流を一本、二本と凍りつかせていく。

 角度的に湖のほうは見えないが、確実に質量は減っているはずだ。この水流一本で100キロ以上の質量があるのだ、湖全体で一体何十、何百トンの水があるのか知らないが、回収をできないようにした時点でその質量は有限の産物と化した。

 

 とは言え、さらに追加されて放たれてくる水流を見る限りまだまだ向こうも余力はありそうで。

 

 水流を撃退するのに精いっぱいで、こちらは動けそうにない。

 

 と、なれば。

 

「チルハ!」

 

 遠くから聞こえた声に笑みを浮かべた。

 

「全く、頼りになる相棒さ」

 

 

 * * *

 

 

()()()!」

 

 

 それが相棒からの頼み(オーダー)だった。

 三秒、たった三秒、あの水精霊の注意を引き付けてくれれば良いとチルハは言った。

 

「ああ、もう! 絶対無茶する気だ!」

 

 絶叫しながらも、このままではどうにもならないのは分かっているため走り出す。

 先ほどまで狂ったように放たれていた水の攻撃がこちらにほとんど飛んで来なくなったのでチルハが何かやっているのだとは思ってはいたが、隙を見て合流しようとした矢先にチルハからの制止、そしてどうにかこちらで隙を作ってくれとのこと。

 

 三秒なんて短い時間で何ができるのか。

 

 否。

 

 何ができるのか、分かるからこそヨルは絶叫したくなるのだ。

 それは間違いなく無茶なのが分かっているから。もし失敗すれば今度こそ一巻の終わりだ。

 

「その時は……」

 

 きっとチルハは止めるだろうし、メアには恨まれるかもしれない。

 それでも、その時はヨルは決断するだろう。

 ヨルにとって何よりも重要なのはチルハの無事なのだから。

 

「それより三秒だよ。どうする? どうすればアレの気を惹ける?」

 

 現在水精霊の注意の大半をチルハを受け持っている。

 それはそうだろう、チルハのマナ術式はあの手のタイプには相性が良い。

 いや、それはヨルもまた同じなのだろうが、ヨルのそれはチルハとは方向性が違う。

 

 端的に言えば、ヨルの切り札はあの水精霊を()()()()()()()()ことができる。

 

 ヨルのそれは精霊のような類にとって致命的な効果を持つが故に。

 精霊の絶対的なマナ保有量にチルハは苦しめられているが、その絶対的なマナ保有量が故にヨルの切り札は致命的となり得る。

 

 だがそれはメアの意に沿う事ではないだろう。

 

 可能ならばヨルはメアを助けてあげたいと思う。

 単純にメアが可哀想だと思ったこともあるだろうが、何よりそれはきっとチルハの意に沿うことだろうから。

 

「あの水流はチルハの凍結に対して切り離してたわね」

 

 となれば、あの水流までならばこちらの『術式』は使用可能と言っても良いのではないだろうか?

 

「逡巡してる暇も無し、ね」

 

 チルハのほうも限界は近いのだ、やると決めたなら迅速に。

 

 

術式開錠(モードリリース)第一開錠詞(ファースト・スペル)『渦巻き、蜷局巻く蛇の牙』

 

 

 第一開錠におけるマナ術式は基本的に術師から直接的にしか射出できない。

 チルハの木剣のように道具を使って間接的に、というは可能だがその際も必ず道具を術師が直接的に触れる必要がある。

 例えば飛び道具など射出前には術師が持っている状態ならば術式の行使は可能だが、術師から離れた瞬間にその効果は途切れることになる。

 チルハの『凍結』術式ならば木剣に氷を纏わせても手放した瞬間に『凍結』効果が消えてしまう。

 

 それ故にチルハには遠距離攻撃手段というのが無い。

 

 正確には身体能力に物を言わせての近接戦闘が一番強い、というのが本当にところなのだが、遠距離から攻撃できる方法がほぼ無いのも事実だ。

 

 とは言え、チルハのような常人離れした身体能力の無いヨルが頼れるのは手の中の愛銃だけだ。

 

 故にヨルの術式は()()()宿()()

 

「私の『毒』からは逃げられないよ」

 

 バン、と乾いた音を立てて銃口から煙が上がる。

 放たれた弾丸はチルハへと迫っていた水流の一本に突き刺さり、一瞬にして水流を突き破って反対へと抜けていく。

 

 だがその一瞬の交差で十分なのだ。

 

 弾丸から滲み出た黒い靄のようなものが水流の中へと広がっていき―――。

 

「ぉぉぉおああああああぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあ!!?」

 

 精霊が絶叫する。

 湖の水が精霊の体そのものということは、そこから放たれた水流もまた精霊の一部に違い無いのだ。

 そこに流れ出した『毒』は確実に精霊の体を蝕まんとして流れ出す。

 咄嗟に水流が根本から切り離される。勢いを失った水流がただの水に戻り、べちゃりと地面に叩きつけられて流れだすが、けれどチルハが広げた氷の床に触れると同時に地面に張った氷の一部と化していく。

 

 同時に湖へ向かって走りだす。

 

 ヨルの行動に対して水精霊が過敏なほどに反応を示す。

 自らの体に毒を撃ち込まれたのだ、単純に凍らされるよりもより直接的な危機を感じ取っても仕方ないだろう。

 もし本体である湖へとあの毒を撃ち込まれれば、対処は可能とは言えそれを脅威として見ないことはあり得ないと言っても良い。

 

 例えヨル自身にその毒をもう一度撃ち込む気が無いとしても、そんなことを水精霊が知っているはずも無ければ、もしも、の可能性を考えれば無視できるはずが無かった。

 

 僅かな時間、そう時間にして数秒ほどの注意(ヘイト)の移行。

 

 けれどチルハにとってその数秒で十分なのだ。

 

 

 * * *

 

 

 

 ほんの一瞬、水精霊からの攻撃が止んだ。

 数秒ほどの間。

 ヨルがこちらの頼みに応えてやってくれたのだろう。

 

 そしてそれこそが最初で最後のチャンス。

 

 故に一瞬の間も置くこと無く、即座に『切り札』を切る。

 

 

 

全術式開錠(フルリリース)

 

 

 ―――第一開錠詞『霜白の闇、月が照らす冰の花』

 

 

 ―――第二開錠詞『咲き乱れし、永久凍土の果てに』

 

 

 ―――第三開錠詞『凍てつき閉ざし、時すら凍れ』

 

 

魔名解放『月光照らす冰花の永久凍土(トワイス・フィンブルヴェトル)

 

 

 

 マナ術式の発動。

 

 瞬間、()()()()()()

 

 

 * * *

 

 

 マナ術式は()()()()()()の生み出した最高傑作と言われる。

 

 マナという余りにも巨大な力を人類という余りにも小さな規格に合わせるために生み出された緻密にして精密、そして膨大なる『法式』。

 文字通り『法則』を『式』とすることにより、マナという巨大な力の流れをコントロールすることを可能としたその術式は故にこそその最大の力を発揮することで『理』に干渉することすらをも可能とする。

 

 ただ当然ながらそんな巨大な力を人類個人で扱いきれるものではない。

 

 故にその発動は世界に影響を及ぼすことのない一瞬にも満たない刹那の時間のみに絞られる。

 

 同時に発動には術師本人の全てを絞りつくす必要がある。

 

 超ハイリスク超ハイリターン、故に切り札……切ること自体がデメリットとすら言える。

 

 故に術式には三つの『鍵』がある。

 

 一つ目の鍵は術式の封印。これを開錠することで術式の限定行使を可能とする。

 

 二つ目の鍵は術式の隔離。これを開錠することで術式の効果範囲を拡大する。

 

 三つ目の鍵は術式の限定。これを開錠することで術式の対象を概念化する。

 

 チルハ・スピネルの術式は『凍結』。

 

 一つ目の開錠によって『凍結』術式の行使を可能とした。

 

 二つ目の開錠によって自分の周囲一帯での術式行使を可能とし。

 

 三つ目の開錠によって『凍結』対象が概念へと及ぶことを可能とした。

 

 とは言え余りにも野放図に術式を使用すれば全てのマナを絞り尽くされて命すらも消し飛ぶだけだ。

 

 故に術式に『名』を与えることで方向性を限定する。

 

 それが『魔名解放』。

 

 そしてチルハ・スピネルの術式こそが。

 

 

 ―――『月光照らす冰花の永久凍土(トワイス・フィンブルヴェトル)

 

 

 ()()()()()()()()()である。

 

 

 




やっぱ好き勝手に書いたほうが筆が乗るわ!
というわけでもう次回から好き放題書く。



『月光照らす氷花の永久凍土(トワイス・フィンブルヴェトル)』

使用者:チルハ・スピネル

第一鍵詞:『霜白の闇、照らされしは冰の花』→能力の解禁。触れた物を対象とした氷結能力の解放。主に剣など。氷の剣を使って間接的な凍結も可能。

第二鍵詞:『咲き乱れし、永久凍土の果てに』→対象の拡大。自分を中心とした半径十メートル前後範囲内に対しての能力の行使を可能。

第三鍵詞:『凍てつき閉ざし、時すら凍れ』→能力の拡大。能力の行使範囲が『概念』へと昇華され、時間停止すら可能となる。

解説:概念的な『凍結』を操るマナ術式。ただし物理法則から離れるほどに体内マナ消費が加速するためもっぱら使われるのは水分『凍結』だが、やろうと思えば時間概念の『凍結』すらも可能となる。






一章目からここまで出していいのかな、って思ったけどぶっちゃけスタープラチナよりも短時間の時間停止とかこの先ほぼ使うこと無いし、多分大丈夫。


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バディ・ワークス・ブレイバー⑧

 

 全てが静止した世界。

 維持できるのは一秒……どころか0.5秒あるかないかと言ったほどの本当に僅かな時間でしかない。

 時間が止まった世界で0.5秒というのもおかしな話ではあるが、とにかく0.5秒ほどだ。

 その0.5秒の静止の後、凡そ()()()()で全ての力を使い果たしてぶっ倒れることになる、と言えばこれがどれだけ割に合わない術式か分かるだろうか。

 

 そう、基本的に割に合わないのだ。

 

 時間を止める、と言えばそれは大層な力だが一秒にも満たない時間を止めるだけ、しかも発動までに数秒の『溜め』を必要とするため咄嗟には使えない。

 さらに言えば使ったらその後、身動きすることすら億劫なほどに虚脱感に襲われて丸一日は寝込むハメになる、となれば本当にこんな力使えない。

 

 正直物理的な凍結術式の第一、第二までのほうが余程使えるし、アタシのスタイルを考えれば木剣に氷を纏わせてブン殴るのが一番効率が良く、使い勝手が良い。

 

 それでもこの僅かな時間が、今の状況には必要だった。

 

 とん、と靴に仕込まれた『ギミック』を蹴りながら発動させることで、足下に高圧蒸気が噴き出し、一気にその体を持ちあげる。

 ナイトベルグは『蒸気と歯車の街』と言われるだけあって街中に歯車が使用されているし、動力としてもっぱら蒸気が使用されている。

 

 この靴はそんなナイトベルグで作られた『魔道具』*1であり、ナイトベルグの上級警備兵たる『蒸気騎士(スチームナイト)』の装備の技術が流用されて作られた高圧蒸気で推進力を得るための靴だ。

 

 本当ならば逃走の際や、追跡などに使うものなのだが、この短時間で一気に湖との距離を詰めようとするならばこれしかなかった。

 

 一瞬にして足元に発生した高圧の蒸気がアタシの体を宙へ向けて吹き飛ばす。

 

 同時に懐から取り出した小瓶の栓を抜き―――。

 

 

 そして時が動き出す。

 

 

 一瞬にしてその場から消えたアタシを水精霊が見つけるまで一体何秒か。

 基本的に精霊というのは人間のような五感は持っていない。当たり前の話、体が湖の水そのものだというのにその端末のような存在の持つ目や鼻や口がそのまま人間と同じ役割を果たしているだけではないのだ。

 では精霊は何を持って他を感知しているかと言われると、それは『マナ』だと言われている。

 精霊とは『マナ』そのものであり、故にマナの動き、流れには敏感であると推察されている。

 

 故に、マナ術式によって体内のマナを使い切ったに等しいアタシは相手からすれば極めて感知しづらいはずだ。

 その『しづらい』が一体何秒分のアドバンテージになるのか、それが三秒もしない内に訪れるディスアドバンテージを覆すだけのものなのか。

 

 そんなことは分からないが。

 

 けれど確かにほんの僅かな時間、精霊の知覚からアタシという存在は消えた。

 

 だが精霊の本体である湖へ向かって落ちてくる物体などいくらマナが希薄だろうと精霊がいつまでも気づかないはずがなく。

 

「ああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 こちらに気づいたらしい精霊は叫びをあげながら、螺旋に渦巻くような水の『槍』とでもいうべきそれを最早術式の反動でロクに動くこともできないアタシに向けて。

 

 ―――真っすぐに射出した。

 

 

 * * *

 

 

 チルハの姿が一瞬で掻き消えた。

 それが合図だった。

 

「こ、こ!」

 

 三秒くれ、とチルハは言った。

 それは単純に三秒時間を稼げ、ということであり。

 それは『今この瞬間』を指していた。

 三秒というのはつまり、奥の手を使うための『溜め』ではない。

 

 寧ろ逆、奥の手を使った後の三秒間。

 

 チルハがマナ術式の反動で動けなくなるまでの三秒間でケリをつけるために注意を引いてくれ、と言ったのだ。

 故にこの瞬間だ、この瞬間にこそヨルもまた全て使い果たす。

 

「こっちを……見なよ!」

 

 いつでも使えるようにと手の中に準備していた『球』を撃ちだされた水流の槍に向かって投げる。

 確かにヨルのマナ術式は現状にそぐわないため使い道が無いかもしれないが、魔道具ならば話は別だ。

 相手が『水』の聖霊ということで、チルハと合流していた時に密かに用意していたのだ。

 

 ―――『超高圧蒸気機器(スチームエンジン)*2を。

 

 たっぷりと込めたマナの影響で、一気に超高温へと熱されたエンジンが水流の槍へと触れると同時、鼓膜を震わせ地響きを立てるような轟音と共に水流が一気に蒸発し、急速に膨れ上がった体積が圧の限界を超えて爆発を起こす。

 

 いくら放たれた水流が水精霊からすれば末端なようなものだろうと、湖の上で巻き起こった蒸気爆破は湖にすら影響を及ぼす。

 当然湖を本体とする水精霊からすればそれは決して無視できない類のものだ。例えダメージが無いとしても、人で言えば背筋をなぞられたような怖気が走っただろう。

 

 最早容赦ならないとばかりに水精霊が声を震わせると同時にその声に共鳴するかのように湖全体が震えだし。

 

「まず……ったかな、これ」

 

 凄まじいまでのマナが湖を中心として渦巻き、その余りの力に大気すらも震えだして。

 

「いや……間に合ってくれたみたい」

 

 直後、湖へと降り注いだ影を視界に捉えて。

 

「三秒、とっくに過ぎたよ、チルハ」

 

 呟きの直後、水飛沫が舞った。

 

 

 * * *

 

 

 ―――たく、ヨルはもうちょっと後先を考えなって。

 

 突然下方の爆風に押し上げられ落下が遅くなったせいでタイムリミットを過ぎてしまい、全身に激しい虚脱感を感じながら湖に落ちる。

 澄み渡った水が眼下に広がる、同時に手の中の小瓶の中身が水に溶けていく。

 

 ―――まあ、目的は完了。さて、これでどうなるのやら。

 

 すでにこちらは全て出し尽くした。

 これでどうにもならないならいよいよもって詰みということに他らならないのだが。

 そんなことを考えながら水に溶け、キラキラと輝きながら消えていく小瓶の中身を見やり。

 

 ふと、それに気づく。

 

 ―――ちょっと待ちな、この小瓶の中身、もしかして『精霊の涙』かい?!

 

 余りの驚きに思わず口から空気が漏れ出し、泡となって浮かび上がって行った。

 先ほどまで固形状だったため、気づくことが無かったが、こうして水に溶けた端からキラキラとまるでラメでもばら撒いたかのような光の輝き、そして何より水に溶けた瞬間から増していく強力なマナの反応に確信を抱く。

 

 精霊の涙は文字通り精霊の流した涙……ではない、精霊というのは基本的に通常の生物と根本的に身体構造が異なるため涙なんて流さない。

 では何かと言えば、精霊の涙は()()()()()()()()だ。

 

 精霊は原理は一切不明だが『生きている』。

 

 当然生きている以上は死ぬこともある。

 精霊に寿命は無いが、様々な理由で『マナを一定以上喪失』した精霊は自らの存在を維持できなくなり、死亡する。

 その死亡の間際に自らの残ったマナを全て凝縮したもの、それが精霊の涙と呼ばれる物質だ。

 

 本来形の無いはずのマナが超高濃度に凝縮され、精霊の力が加わった結果物質化したものであり、それ自体に途方もない力が秘められている。

 だが当然、死亡することがある、と言っても精霊なのだ。可能性がある、というだけであって普通はそんなことあり得ない。

 つまり世界中探したとしても数十年、下手をすれば百年に一度手に入るか否かと言ったほどの超希少品であり、同時にその力だけが良く知られた品でもある。

 

 ―――やっぱりそうだ。

 

 徐々に全身の虚脱感が抜けていくような感覚。

 それどころか、水精霊に叩きつけられたダメージ、マナ術式の使用のために使い果たしたマナ、それら全てがまるで時間を遡ったかのように徐々に戻っていく。

 

 

 『状態回帰』。

 

 

 それが精霊の涙の力だ。

 本来は微量に削った粉末を水に溶かして飲む薬品のような扱いらしい。

 間違ってもこんな塊の状態で湖に投げ入れるようなものではない。

 その力はあらゆる状態を回帰させる。

 服用した対象にとって最も良い状態へと回帰させる。

 

 どんな万病も、どんな大怪我も、瞬く間に消し去ってしまう。

 

 それは決して治療ではない、回帰、つまり遡って戻してしまうのだ。

 原理も、理屈も、関係無い。

 それがどんな病だろうとどんな傷だろうと、関係無いのだ。

 時間を回帰し、状態を復元する、そのことにどんな因果も必要としない。

 あらゆる道理をねじ伏せて、ただ最適な状態に戻ったという結果だけが残る。

 

 故に精霊の涙を溶かしたその薬は『万能薬(エリクシル)』と呼ばれる。

 

 今この湖は小瓶から零れた精霊の涙が溶け込んで、湖全てが『万能薬』と化している。

 アタシの体が急速に力を取り戻しているのも湖に沈んでいる影響だろう。

 

 ―――どこでこんなもの手に入れたのかは知らないが、大した切り札だね。

 

 この湖は精霊自身だ。故にその湖にこれを溶かした以上、精霊の状態も回帰する。

 

 どうやら賭けには勝ったらしい、これで全部解決―――。

 

 ―――するはずだった。

 

 

 * * *

 

 

 これで状況は解決したと考え、湖面へと泳いで上がろうとした直後、視界の端のほう澄んでいたはずの湖に黒い靄が混じっていることに気づいた。

 それが何かを考えるよりも早く、突如として湖の中で水が渦巻き始め、再び激しい水流を生み出す。

 まるで洗濯機に入れられた洗濯物のようにぐるぐると渦に飲まれ、視界が回っていた。

 

 ―――正気に戻ってない?

 

 そのことに気づくと同時に何故、という疑問が沸く。

 万能薬はいかなる状態でも関係無く最善の状態に『回帰』させる。

 治療するのではない、そもそも異常を無かったことにするのだ、故にどんな状態でも関係ない、万能薬を使った以上必ず戻る。

 そのはずなのに、湖は荒れ狂ったまま精霊は正気を失ったままだった。

 

 これで万能薬が偽物だったとかなら分かるが、現実にアタシの体は最善の状態まで回帰している以上、小瓶の中身は本物だ。

 

 だとすれば何故?

 

 直後に先ほど見た黒い靄を思い出す。

 この澄んだ湖に似つかわしくないその黒は記憶に残っていた。

 あれは一体何か、ぐるぐると回る視界の中でなんとか体勢を取ろうと苦心しながら、考える。

 

 だがそれより先に限界が来る。

 人より肺活量はあるほうだとは思うが、それでも五分も十分も潜っていられるわけではない。

 徐々に苦しくなってくる息に、すでに限界は近いのだと悟る。

 

 いくら万能薬が状態を回帰すると言っても、空気までは作りだせない。

 あくまで万能薬は状態を戻す作用があるだけで、呼吸のできない場所に居続ければ結局それは……。

 

「っ!!!」

 

 その可能性に気づいた瞬間、右拳を握りしめた。

 

 

 ―――術式開錠(モードリリース)第一開錠詞(ファースト・スペル)『霜白の闇、照らされしは冰の花』

 

 

 握りしめた右拳を起点として『凍結』術式が湖の水を一気に凍らせていく。

 凍結によって水流が弱まり、視界が安定すると同時に下へ下へと向かって潜っていく。

 呼吸の限界は近い、だがもし想像の通りだとするなら今この瞬間にしかチャンスは無い。

 

 自らの体の奥深くへと沈んでいくアタシを排除せんと水精霊が湖に再び水流を作ろうとするが、その度に凍結術式を発動しながらそれを阻害する。

 

 精霊相手にこんなことをしていれば普通はあっという間にマナが尽きてしまうのだろうが、今この瞬間だけは……()()()()()()()()()()()この状況だけは別だ。

 どれだけ凍結術式を発動しようとあっという間にマナが『回帰』する。

 当然湖を凍らせても『回帰』してしまうので鼬ごっこに過ぎないが、それでも湖底にたどり着くまでの時間さえ稼げればそれで良かった。

 

 湖の底、澄んでいたはずの上側と違い、そこにあったのは黒い淀み。

 

 それは湖底に落ちた銀貨のようなものから滲み出ていた。

 

 これが原因であると直感する。

 これこそがこの一連の騒動全ての原因である、と決めつける。

 見ただけで背筋が寒くなりそうな感覚を覚えるほどに悍ましい気配が滲み出ていた。

 直接触れることすらはばかられるような感覚を受けるそれを周囲の水ごと凍結させ、手に取る。

 回帰しそうになる氷を何度も何度も凍らせながら急いで湖の上面へと昇っていき。

 

「ぷはあ!」

 

 湖面へと出ると同時に大きく深呼吸。

 手に持った氷を湖の外へ向かって投げる。

 

 

 瞬間。

 

 

 ぴたり、と荒れ狂っていたはずの湖の全てが制止した。

 

 

 

*1
遺跡などから見つかる神代の道具やその技術を使用して作られた『マナ』を動力とする道具類。基本的に人類が『マナ』を使用する方法は『マナ術式』か『魔道具』しか存在しない。

*2
『蒸気』の街たるナイトベルグの根幹となる『蒸気機関』のエネルギー発生効率を跳ね上げる神代文明の技術を元に作れた装置。



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