癖馬息子畜生ダービー =遥かなるうまぴょいを目指して= (ウマヌマ)
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吾輩は馬である。

 

 目が覚める。

 

 吾輩は馬である。

 蛙の子はおたまじゃくしであるが、私の親は馬で生まれた時より子馬、純正の馬息子である。

 そう、ウマ息子畜生ダービーである。

 

 名前はまだない。と言うかヒト畜生の言葉など毛ほどにも理解できん。

 

 だが、この美しく、艶やかな、豊かで秋を思わせる茶色の毛並み。

 足元と額に白のワンポイント。

 自分で言うのもなんだが間違いなく名馬である。

 間違いない。

 

 それは。

 もう。

 すごく。

 ものすごく。

 

 名馬である。

 

 

 そこらの馬とはオーラが違いますよ。私は。

 あまりのオーラに他馬なんて近寄っても来ず、目すら合わせようとしないレベルだ。

 

 流石、私であると言っても過言ではない。

 

 などとクッチャクッチャと飼葉を噛みながら思案していれば、最近、身の回りの世話をしていたヒト畜生が近寄ってきた。

 

『大人しくしてろよー』

 

 声をかけられてはいるが何を言いたいのかサッパリだ。

 所詮はヒト畜生である。

 わかるように話せと言うのも無理な話だろう。

 

 やれやれと思っていると、何かジェスチャーをした後、また謎の拘束具をつけようとしてくる。

 なんと無礼なやつだ。

 この間、落としてやっただけでは学ばなかったらしい。

 

『ほら、好物のリンゴだ……普段、若いのには食べさせないんだが、特別だ』

 

 丸く赤いリンゴは神である。

 神いずリンゴである。

 リンゴを食う間は何ものにも変えがたい至福である、それ故、大人しくしておいてやる。

 食っている間だけだぞ、と思っていたら食い終わったのを見て拘束具を顔にまで付けてきた。

 

 なんたる所業。

 さらに背中に乗ってきおったわ。

 ウマハハハ!

 

 ちょっとこのヒト畜生、私を世話する下僕の存在で大人しくしていれば調子に乗りおって。

 

『珍しく素直だな。やっぱ食い意地ははってるからか』

 

 だが、撫でたので振り落とすのは勘弁してやる。

 

 何度か乗り降りして遊んでいたようだが、どうやら、乗って走って欲しいようだ。

 

 ヒト畜生の遊びに付き合ってやるのも一興だと軽く足を動かす。

 

 しばしの間、遊んでやると満足したのか、我が家に送られる。

 くるしゅうない。

 

『ほんと、真面目に走らないなー、この馬……まだ、本格的な調教前とはいえ、これからどうなることやら』

 

 

 夜である。

 草木も寝静まりかえった夜。

 

 ふと、我が家の柵をゴリゴリと噛んでいると思う事がある。

 私はかつてヒト畜生であったのかもしれない。

 

━━━ うまぁぴょい!

 

 生まれた時より脳裏をよぎる意味の分からないこの言葉。

 だが、そうだ。

 私はきっと、うまぁぴょい! するために生まれてきたのだ。

 

 うまぁぴょい! が何をする事かはサッパリだが、尊い事である事はわかる。

 

 そう、全てはうまぁぴょい! のため……。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「アイツ人間の事を舐めてると言うか、遊んでやってる下僕くらいにしか思ってないんじゃないです?」

 

「それはあるけど、馬に気を遣えってのも土台無理な話だろ。俺らにできるのは馬に信頼されるようにするだけだよ」

 

「……そりゃそうなんですけど。まあ、足は悪くなさそうでしたね」

 

「真面目にやってないから、まだわからんけど。……しっかりしてる感じはしたな」

 

「その分、調教は大変そうですけどね」

 

「それを言うなよ。ま、重賞は無理でも、そこそこの順位に行ってくれりゃ苦労のしがいもあるんだがな」

 

「可愛がってた例の馬の方は、また、ビリっけつでしたもんね」

 

「……元々、あの馬は大人しくて臆病なとこが強すぎた。性根がレースに向いてなかったんだよ。勝つやつがいれば負けるやつがいる。それが競馬だしな……そう言うもんだ」

 

「ま、あの馬に関しては地方に帰れる馬主の牧場があるんでいいんじゃないですか」

 

「地方ではそれなりに活躍できるかもしれんし、あの馬にとっては中央で無理くり走らされるより幸せなのかもな」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 この門を潜る者、一切の望みを捨てよ。

 そう、地獄の門が聳え立つ。

 

 それは言うなれば死の体現。

 奈落の支配者。

 未知と言う名の恐怖が本能に戻れと訴えかける。

 

 刺すような怖気が! 私の全身を支配する!

 絶え間ない絶望感が足を震わせ、心臓を早鐘のように打ちつける!

 

 ヒト畜生どもめ、なんと恐ろしいモノを作るのだ!

 

 これは馬を殺す機械だ!

 断頭台であり!

 拷問器具である!

 

『……ゲートに入るのを嫌がるのはいるけど、ここまでビビるやつは初めてだわ』

 

 あ! 引っ張るな!

 コラ! やめ! ヤメロー! シニタクナーイ!

 

 初めて感じる敗北感。

 足から力が抜け、もはや立つ事もままならない。

 私はここで死ぬのかもしれない。

 

『お、おい……大丈夫か!? ……これ、マジか、腰抜かしたのか、お前……』

 

「ヒーーーーン!」

 

 助けてーーー! おかーちゃーーん!

 

『よーしよし、怖くないー怖くないぞー』

 

「ヒィーーーーン……!」

 

 

 そんな屈辱と絶望の日から数日がたった。

 

 

 気づいてしまえば大した事はない。

 ゲートなんてのはただの鉄の塊で別に恐ろしいモノではない。

 

 襲っても来ないし、死にはしない。

 

 怖くない。

 怖いわけがない。

 

 そう。

 今、すでに。

 入っているのだから。

 ゲートの中に。

 

 怖くない。怖くない。怖くない。怖くない!

 

『足、めっちゃ震えてますねー。ガクガクですよ。目なんて半分白目向いてますし』

 

 私は強い! 私は凄い! 私は偉い!

 

『これでも初日に比べりゃ、凄え成長だよ』

 

『慣れますかね、コレ』

 

『……どうかな』

 

 ヒト畜生どもめ! 早く開けろ! 外に出たいのだ!

 あー、つっかえ! ほんと早くしろ!

 

『まあ、落ち着きはないけど、入ってる間は大人しいし、開いたら飛び出すからいい気もしてきません?』

 

『さすがにそれはな……』

 

 いいから早く開けろー!

 間に合わなくなっても知らんぞー!

 

『あ、漏らした。チビりましたね』

 

 畜生メー!

 

━━━━━━━━━━━━━

 

「あの馬の騎乗練習ですか、どうです?」

 

「あー。あいつは…………ヤバいかもしれん」

 

「ヤバいっていい意味で?」

 

「文字通りヤバい意味でだよ。鞭を打ったら興奮しやがった……」

 

「そりゃ、まあ、最初はそう言う馬もいますよ」

 

「いや違う、馬っけを出しやがったんだよ! 鞭で叩かれて! 近くに牝馬もいないのに鼻息荒くして!」

 

「馬にも特殊性癖ってあるんですかね」

 

「…………まあ、動物だしな」

 

「去勢します?」

 

「……足は悪くなかったし、最低限はできたから、そういうのはまだ早いだろ……」

 

 

━━━━━━━━━━━━━

 

 

 それから数ヶ月後。

 

 謎の箱に揺られ、イライラしていたら。

 気づけば知らない場所に立っていた。

 

 私はヒト畜生に引かれ歩き回される。

 

『イライラしてますね。新馬戦だけど大丈夫ですか、こいつ』

 

『怪我なく帰ってきてくれればいいと馬主さんも言ってたし、なんだかんだ、併せ馬では負けた事がないし……モノは持ってそうだけどな』

 

 似たようにヒト畜生に引かれた馬が何頭もいる。

 それを見にきたのか何人ものヒト畜生が遠巻きに座っていた。

 

 なるほど、レースか。

 同輩たちと誰が一番速いか決めようと言うのだろう。

 面白い。

 

 うまぁぴょい!

 

 何故か例の言葉が唐突に頭をよぎる。

 もしかしたら、うまぁぴょい! はこの先にあるのかもしれない。

 

 だが、ゲート。

 それはダメだ。

 普通に怖い。

 

 入りたくないが、入らねばならぬらしい。

 

『……結局、ゲートを怖がるのは治りませんでしたね』

 

『普段はふてぶてしさの塊みたいなヤツなのに、これだけは本当に怖がるんだよな』

 

 ふと、隣の馬と目が合う。

 

「フン」

 

 見下したような視線。

 まるで、興味のないと言う佇まい。

 鼻で笑ったその仕草。

 

 おい、貴様。

 今、私のこと馬鹿にしたか?

 

「ヒヒーン!」

 

 ぶち殺す。

 

『あ! おい、暴れるな!』

 

『どうどう!』

 

 数分程、ひとしきり暴れて少し冷静になった。

 あの馬には負けない。

 叩き潰す!

 

『よしよーし……やっと落ち着いたか。……走れる体力残ってるのかねコレ』

 

 でもゲートに入ると怖い。

 それはそれとしてアイツは、許さない。

 

『各馬、ようやくゲートインしました』

 

 謎の声が響く。

 やたらデカイ声を出すヒト畜生がいるらしい。

 きっとこんな声を出すヒト畜生はすごいでかいに違いない。

 

 そんな事を考えて恐怖から目を逸らしているとゲートが開いた。

 こんな場所にいられるかと駆け出すと、周りにも馬が沢山いた。

 こんなにも多くの馬を閉じ込めておくゲートの恐ろしさを実感するも、先頭は譲らない。

 前へと進む。

 他の馬など置き去りにしてやる。

 

『あ、コラ! 前に行こうとするな! こんな大逃げして体力持つかよ!』

 

 上に載っているヒト畜生が邪魔してくるが、そう言う競技なのだろう。

 ハンデ戦と言う奴だ。

 だが。

 前にいれば負けないのだ。

 

 余裕である。

 とろくさい他の馬共に負ける気などしない。

 私が一番速いのだ。

 

 ウマハハハハハハ!

 

 走る。

 走る。

 走る。

 

 今、私は風になっている。

 とてもはやい。

 

 気分がいいのでクソも漏らしといてやる。

 光栄に思うがいい。

 

 走る。

 走る。

 走る。

 

 ちょっと、疲れてきた。

 

 む、後ろからあのクソ馬が来る気配がする。

 まさか、この私に追いついて来ようとするとは、無礼な。

 さらに加速する。

 どうだ、追いつけまい!

 

 ゼーゼー! ウマハハハハハ!

 

 マジでしんどくなったきた。

 もうむりかもしんない。

 

『もう少しだ! がんばれ!』

 

 あ、後ろから迫ってくる気配。めっちゃ近い。

 並んでくる。

 ふざけるな。

 あの馬に負けるくらいなら死んだ方がマシだ。

 

 足を前へ、前へ、前へ!

 行け! 行け! 行けぇ!

 

『……マジか……ゴールしやがった! 勝ったぞ!』

 

 負けてたまるか!

 全身に血液を充満させ、筋肉を躍動させる!

 

『……ゴールしたんだが!?』

 

 絶対に!

 負けない!

 

『終わり! 終わったぞ!』

 

 邪魔をするな!

 

 男には命を震わしてでも譲れないものがあるのだ!

 今がその時だ!

 

『止まれー……』

 

 これが━━!

 私の━━!

 

 

 

 

 ━━全 力 全 開 !

 

 

 

 

『……どうどう』

 

 

 鞭で叩かれた!

 アヒーン!

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「……勝っちゃいましたね」

 

「そうだな……」

 

「ゲート入るの渋って、ロデオして、鞍上無視して、暴走して、クソしながら、レース勝って、終わった後に本気で走る。そんな馬がいるらしいですよ……」

 

「……なにそれ、調教師の人ちゃんと仕事してんのってレベルだな」

 

「そうですね。でもそれが、うちの馬なんですよねー……」

 

「俺さー。この仕事……人間関係以外で辞めたくなったの初めてだわ」

 

 

 

 




競馬はウマ娘から入ったニワカ!


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恋の季節

 

 

 秋。

 それは出会いの季節。

 それは恋の季節。

 

 ラブ。

 

 出会いはレース場、彼女は栗色の毛並みでただ一頭、輝いて見えた。

 一目見て心の騒めきを抑えられなかった。

 

 これが、ラブ?

 

『なんだ今日はやけに大人しいな。病気か?』

 

『アレですよ。恋ですねこれは』

 

『恋? 普段、他馬に近づきもしないコイツが? ……本当だ……ガン見してるな』

 

 手で、視線を遮ろうとしてくるヒト畜生。

 手下の癖に私の邪魔をするな!

 噛んでやろろうかと頭を動かすが、すんでの所で避けられる。

 やるじゃない。

 

『……はー、これは……なるほどなー。でも、確か、あの馬って…………まぁいいか』

 

 ああ、なんと美しいのだろう。

 千の言葉ですら彼女の美しさを余す所なく表現する事はできまい。

 

 だが、あえて表現するのなら。

 顔と尻がいい!

 

『大人しいうちにゲートに入れときましょう』

 

 あ、待て、もっと彼女を目に焼き付けたいのだ!

 蹴り飛ばすぞコラ!

 

『はーい、怖くなーい、怖くないぞー』

 

 別にゲートが怖いとかそんなんじゃない!

 彼女にそんな怖がってるとか思われたら恥ずかしいだろうが!

 

 やれやれとゲートに入る。

 

 ヒト畜生の生み出した最も忌むべき決戦兵器、ゲート。

 確かに恐ろしい。

 だが、賢い私はきちんと対策について考えていた。

 

『あ、こいつ、目を瞑ってやがる』

 

 そう、私が認識しなければそこにゲートが本当にあるのかどうかはわからない。

 いや、半分の確率ではゲートは存在しないと言っても過言ではない。

 

 シュレディンガーのゲートである。

 

 完璧な作戦すぎて、私は自分の知能が恐ろしい。

 

 目を閉じても精神統一から明鏡止水の極意にまで至る。

 宇宙の法則は理解した。

 これでゲートは克服したも同然、恐るるに足らず!

 

 勝利の方程式は確定した!

 

 もう、なにも怖くない!

 

 

『出遅れたぞ!』

 

 鞍上が騒がしいと思って目を開けたら、ゲートも開いてた。

 

 他馬の尻を追って、慌てて走り出す。

 

 まさか、まさかよ。

 

 宇宙の理解は完璧ではあったが、そのさらに先を行くとは。

 この私の目を持ってしても読めなかった!

 

 だが、すぐに追いついてみせる。

 

 せいぜいが六馬身程度。

 私が少し本気で走ればものの数ではない。

 

 すぐに後ろを走ってるやつには追いついた。

 

 けれど、目の前に馬の尻。尻。尻。

 おいおいおいおい。

 

 これでどうやって前へ行けと言うのだ。

 先頭の方などまるで見えはしない。

 

 

 前の馬が蹴った土が顔にかかるし、クソとかされると嫌だし、諦めて走るのをやめようかと考えていると、手綱が外へと向けられる。

 

 成る程、そっちの方には尻が少ないのか。

 外に出ると内側を取ろうとする馬共のなんと浅ましい姿か。

 

 

 再び勝利の方程式は結びなおされた!

 

 大外を一気に駆け上がる。

 

 ウマハハハハハハ!

 

 やーい! おっせーでやんの!

 

 抜いて行った馬に横を向いて唇を震わせて唾を飛ばしてやる。

 ペッ! ペッ!

 

 さすがに届きはしないが。

 向こうの馬に乗っていたヒト畜生は呆然と此方を見ていた。

 いい気味である。

 

『前を、向いて、走れ!』

 

 手綱を引かれ無理矢理に前を向かされる。

 ふざけるなコイツここで叩き落としてやろうかと思ったが、前を見ると先頭の方に彼女がいた。

 思わず二度見した。

 

 そうだ、このレースには彼女がいたのだ。

 

 いい尻である。

 思わず三度見した。

 

 引き寄せられるように。

 吸い込まれるように。

 

 一歩、また一歩と彼女の方へと近づいていく。

 彼女の尻がいいとは言え、そこに顔をつけるほど私は無作法ではない。

 

 横並びに走る。

 彼女の隣は私のものだ。

 ピタリと張り付き、流し目でウインクをする。

 あ! 確かに、今、彼女と目が合った!

 

 はぁ! はぁ!

 

 あー!

 

 うまだっち!!

 

『……お前、ほんとさぁ……』

 

 鞍の上のヒト畜生が冷めた目で見ている気がするが、そんなの関係ない。

 

 今、自分の中に宿る野性との対話中なのである。

 

 彼女と共に走るこの瞬間。

 至福の時間だ。

 りんごを食べている時が最も幸福だと信じていた、昨日の私に教えてやりたい。

 

 今こそが真の幸福であると。

 

 だが、そんな時間も唐突に終わりを告げる。

 彼女に鞭がうたれたのだ。

 ヒト畜生!

 なんて事を!

 

 そう思ってるうちに彼女が速度を上げていく。

 もちろん隣についていくが、前の馬がゆっくりと私と彼女の間に割り込んでくる。

 

 ちんたら走ってんじゃない!

 

 慌てて彼女を追うように、その馬の反対側に避けて前へ前へと進んでいく。

 その馬を抜かしきり、再び抜かしきれていない彼女の隣へと向かおうとして止められる。

 

『……クソ、やると思った』

 

 手綱を引かれ、鞍の上のヒト畜生とせめぎ合う。

 

 互いに互いの尊厳をかけた戦い。

 

 一進一退の攻防、彼女に近づきたい私と真っ直ぐ走らせたい鞍の上のヒト畜生。

 奴の力によって無様にゆらゆらと走ってしまう。

 

 

 成る程、鞍の上のヒト畜生! 確かに貴様は強敵であった!

 

 だが、その程度で私の愛が止まると思ったのか!?

 

 愛を知った私は無敵だ!

 

 何者にも負けない!

 

 どれだけ速度が乗ろうとも!

 

 決して!

 

 私たちを引き裂く事はできないのだ!

 

「ヒヒーン!!!」

 

 

 

 と思ったら急に彼女がゆっくり走り始めた。

 

 

『勝つには勝ったけど……これは……』

 

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

「何と戦ってるんですかね、アイツは……一着でゴールしましたけど、審議ランプついてますよ」

 

「どう……思う?」

 

「屋根には申し訳ないですが、斜行ですね。下手したら走行妨害で失格とかですか。態度最悪でしたし」

 

「…………だよなぁ」

 

「アイツ、やっぱ去勢した方がいいんじゃないですか?」

 

「あれだけ出遅れても、レース自体は強いからな……真面目に才能だけはG1クラスあると思うんだよ」

 

「その才能に頭が足りてない事を除けば、ですが……」

 

「前のレースから色々とやってたんだがな……つか、なんで横向いてあの速度で走れんの?」

 

「知りませんけど、アイツ、その場のノリで生きてるとこありますからね。レース中にクソしなくなった分、一歩だけ成長してます。これからそう言う所を一つずつ矯正していくしかないですよ」

 

「……そうだな。そうだよな!」

 

「まずはゲートからですかね。調教に関しては再審査にはなるかもしんないですしね」

 

「ソウダナ、マタ、ソコカラカ……本当に進歩してる?」

 

「……たぶん」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 春。

 桜が散るように涙が散る季節。

 それは別れの季節。

 それは絶望の季節。

 

 

 

『まあ、なんだ……元気だせよ』

 

 

 その光景を見て、目を丸くし口を大きく開け、固まってしまった。

 

 彼女の隣を歩く知らない馬が!

 誰よその馬ぁ!

 

 いや、あの馬を私は知っている、初めてのレースの時に鼻で笑った奴だ!

 

 こちらに目もくれず、擦り寄る二頭!

 二頭だけの空間!

 えもしれぬ疎外感!

 

 その姿はまるで渋谷でイチャつくヒト畜生のカップルのようであった!

 

『噂には聞いていましたが、あの二頭は厩舎の部屋が隣でいつもべったりらしいですね』

 

『間に挟まる余地はなかったってこったな』

 

 そんな。

 馬鹿な。

 唐突なNTRに脳が破壊される。

 溶けはじめる脳内物質にシナプスがショートし、目の前が真っ暗になる。

 

 どうして自分は生まれてきたのだろう?

 愛とは?

 馬とは? ヒトとは?

 そもそも、私は馬なのか?

 馬とは私なのか?

 

 馬?

 うま?

 うまうま?

 うまぴょい?

 うまぴょいってなんだ?

 うまぁぴょいってなんだ?

 うまーーぴーーょーい?

 

 うばーーーょーー?

 

 ゔーーぇーーーぁーー

 

「ビェァーー……」

 

『うわ……なんか舌出して変顔しながら、すごい声だしましたね』

 

『脳が溶けてる顔してるな』

 

 世界は終わった。

 もはや全てがどうでもいい。

 

 ゲートに詰められてレースが始まる。

 

 ただ何も考える気が起きなくて、鞍の上のヒト畜生の言う事を聞いて走った。

 

 生きる傀儡である。

 

 今まで私がやってきた鞍の上のヒト畜生との高度な駆け引きもない。

 

 ただ、走る。

 走って。

 走って。

 走って。

 走って。

 

 

 

「ヒィーーーン……」

 

 

 そして、泣いた。

 

 

 

 

 

 

『よしよし、お前はよくやったよ。ま……レースには勝利したけどな。その涙が嬉し泣きとかなら俺も泣けたのに……』

 

 気づいたらレースには勝ち、手下の腕の中で涙を流していた。

 だが、レースに勝ったからなんだと言うのだろう。

 

 この心にぽっかりと空いた穴を塞ぐ事は誰にもできないのだ。

 

『俺は初めてこいつがまともに言う事を聞いてゴールまで走ってくれた事に泣きそうです』

 

 その日、出されたりんごは酷くしょっぱくて、甘酸っぱい味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それはそれとして、こいつが言うこと聞く傷心の内にもう一戦くらいでときません?』

 

『鬼かよお前……』

 

 

 



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それが私

「……負けたのか」

 

「負けました。写真判定も出ました、ハナ差です」

 

「…………そう……そうか」

 

「アイツ、見るからに落ち込んでますよ。元々、G1で走れるだけですごい事なのに……」

 

「ああ……いや、そうだな。けど舐めてた訳じゃないが、俺もアイツが本気で走りさえすれば勝てるやつなんてそういない…………そう思ってたんだがな」

 

 

 

━━━━━━━━━━

 

 

 

 春。

 暖かさが増してきた今日この頃。

 桜の花が散っていく。

 

 恋の傷はまだ私に刻み込まれているが、一度、馬里を離れ、旅に出た私は少し成長した。

 

 愛など幻想である。

 病気である。

 愛に現を抜かすなど阿呆のやる事である。

 

 私はうまぁぴょい! せねばならぬのだ。

 そう、私には明確な馬生設計がある。

 

 生まれる→今ココ→うまぁぴょい!→大往生

 

 細かいところは臨機応変に対応していくが、だいたい、こんな感じである。

 

 完璧な設計である。

 穴などない。

 

 今、馬共が歩いているレールの上のようである。

 

『いや、お前も歩くんだよ』

 

 そんな風に手下が手綱を引くが。

 嫌だよ。

 そんなレールの敷かれた馬生みたいなの。私はもっとロックにスターに生きるんだ。

 

 

 手綱を引っ張られ、馬共がカッポカッポ歩いているのを見ていると。

 

 

 一頭。

 目の前から歩いてくる馬にガンつけられる。

 なんや、こいつ。

 

 深い焦げ茶色の馬体。

 一目見てわかる明らかに他と違う出来。

 走るためだけに鍛えられ最適化された天賦の肉体。

 

 顔に変な白いものつけてるが、他に無駄なものは何もない。

 

 

 目前まで来て、足を止めてこちらを睨んでいる姿は、今にも襲いかかってきそうな猛獣のように鋭い。

 

 

 

 来るなら来いよ。

 

 もちろん私は抵抗するで━━━━

 

 

 拳で。

 

 

 互いに互いから目を離せない。

 先に動いた方が負ける。

 

 これはそういう戦いだ。

 

 

『……いくよ』

 

 いざ、かかってくるのかと思いきや。

 相手の鞍の上にいたヒト畜生に手綱を引かれ去っていく。

 

 勝ったな。

 所詮、ヒト畜生に飼われた馬ごときが、私には敵うはずもない。

 

 ウマハハハハハ!

 

 

 そして、真の宿敵であるゲートの前にやってくる。

 二、三回、入るのをゴネてみたが無理矢理に詰められた。

 

 いつもの事である。

 

 いい加減に愚かなヒト畜生はゲートと言う兵器の危険性を考え条約で禁止すべきであろう。

 

 

 抗議のために尻尾で両壁をペシペシと叩いてみる。

 リズムを取って叩いてみる。

 

 はやく! あけろ! はやく! あけろ!

 

『尻尾やめなさい』

 

 ヒト畜生が何か言うが気にせず叩いていたら掴まれた。

 叩き落としてやろうかと、蹄を握りしめる。

 

 

 

 と。あ、出遅れた。

 もー、鞍の上のヒト畜生のせいだからな。私は悪くない。

 

 とはいえ、まあ、ほんの少しだ。前よりもぜんぜん余裕で追いつける。

 

 最近、後ろから追い抜いて他の馬やヒト畜生を観察するのが前にやってからマイブームなのである。

 

 

 外からゆっくり一頭、一頭、ニヤニヤと舐め回すように見て追い越していく。

 

 ウマハハハハ!

 必死に走っておるわ!

 

 やがて、先頭集団に追いつきカーブが終わった頃には一番前へ━━━━行くはずだった。

 

 何かと並んだ。

 いや、何かが抜かしていった。この私を。

 

 

 

 ヤツだ。

 ガン飛ばしてきやがった焦げ茶の馬。

 

 それが、さらに前へと抜け出していこうとしている。

 

 成る程、確かに速い。

 この速度では追いつく事すらできない。

 

 だが、それだけだ。

 

 

 

 加速する。

 久方ぶりに出す全力、足は軽い。

 

 認めてやる……確かに他とはまるで違う。

 やはり、上等だ。

 これ以上なく。

 

 だが、舐めるなよ、畜生が。

 私より速い?

 サバンナでも同じ事が言えるのかよ!

 

 

 そんな事があるはずがないのだ!

 私は名馬だ!

 

 誰よりも! 何よりも速い!

 

 

 直線上。

 少しずつではあるが距離が縮まり、やがて、追い抜いて勝つだろう。そう確信できる距離まで迫る。

 

 

 いつも通りである。既定路線。

 他の後続は遥か後ろ。

 優劣は決まっている。

 

 確かにコイツは上等だが、何も変わらない。

 

 結果は決まっている。

 

 強いのは私だ。

 

 勝つのは私だ。

 

 ざまあないな、そう微笑んだ瞬間。

 

 ヤツはそこからさらに一歩、加速した。

 それは殺人的な加速。

 私の領域が侵される。

 確定した勝利が覆される。

 

 冗談ではない。

 コイツ! この瞬間!

 私の全力とほとんど変わらない速度で走ってやがる!

 

 そして━━

 そして! 一歩! 一歩だが、確実に私の前にいた!

 

 数センチ。

 本気で走る、全身から汗が吹き出し、息が切れる。

 足が悲鳴を上げ、血が全身を滾る。

 

 

 近づくが、離される。それが何度も繰り替えされる。

 それは、初めての経験。

 

 

 ほんの数センチ。

 いつもなら瞬く間にで詰めれる距離。

 

 けれど、たった、その数センチが。

 

 永遠に縮まらない━━━━

 

 

━━━━クソがァァ!!!

 

 

 思わず吠える。

 そんな叫びすらもヒト畜生の怒号のような歓声にかき消される。

 その歓声を向けられたのは私ではない。

 

 それが、許せなくて。

 それが、認められなくて。

 でも、どうしようもなくて。

 

 

 その日、私は初めて本当の意味で敗北と言うものを知ったのだ。

 

 

 

 

━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「クソがー!」

 

 そう、世界はクソだと思うのだ。

 私が撃った弾は当たらないのに、相手の弾は当たる。

 こんな理不尽はない。

 

『雑魚乙www』

 

 画面の向こうのヒト畜生のニートにチャットで煽られる。

 ファッキュー! ぶち殺すぞゴミめら!

 

 

 無人島に集められた架空のウマ娘同士が戦うサバイバルFPSゲーム。

 それがこの、フォートウマペックス行動である。

 

 

「クソ! マジクソ! まぐれで勝ったくらいで調子こいてんじゃねー!」

 

 発売されて2年、このゲームジャンルのパイオニアとしての地位を確立してきたが、今は他の新しいゲームに押され下火になってきている。

 そのせいか、煮詰まりすぎてプレイヤーのレベルはクソほど高い。

 

 しかし、しかしだ。

 

 私のニンジャに匹敵する動体視力を持ってすれば、ヒト畜生に遅れを取る事などあるはずがないのは確定的に明らかであった。

 こんな世界は間違っている。

 

 チートや! チーターや!

 これが終わったら通報ボタン連打してやる!

 

 でも、その前に。

 

「もう一回! もう一回だ!」

 

「何がもう一回なんだ……?」

 

「決まってるだろ! もう一回やって勝つ!」

 

 再戦ボタンを押すと、急に部屋に明かりがつく。

 何をする。

 私のプライベートスペースは暗いのがデフォなのだ。

 

 一体、誰が?

 と思い後ろを向く。

 

「お前は……今日が何の日か覚えているか?」

 

 なんか私、怒ってます。みたいな顔をしたウマ娘が立っていた。

 ご丁寧に田舎のヤンキーみたいなレース服で。

 

 なるほどな。

 完璧に理解した。

 

「わかった。お前の誕生日」

 

「今日は何の日だ?」

 

 どうやら間違ったらしい。

 余計に圧が強くなった。

 

 だが、なるほど。

 今度こそ完璧に理解した。

 

「わかった、お前の姉貴の……」

 

「皐月賞だ!」

 

「何言ってんだよお前、皐月は明後日でしょ。時間感覚バグってんの?」

 

 そう軽く返すとアイアンクローが飛んでくる。

 イタイイタイ! 何するだー!

 

 蹴り飛ばすぞ!

 

「今日! これからだ!」

 

「アダァ…………ィダイ……そうなん?」

 

 

 解放されて時計を見る。

 どうやら、世界の速度は私が思っているより早かったらしい。

 

「いいからこい!」

 

 そう言って襟首を掴まれ部屋から引きずり出された。

 相変わらずの馬鹿力である。

 寝巻のままレース場まで連れていかれるのかと思ったが、無理矢理トレーナーが待つ車まで連行されただけだった。

 

 時間がないせいか、隣に不機嫌そうにどかっと座っている。

 我が物顔である。

 

 私はと言うと。

 寝巻で戦うのは流石にどうかと思うので後ろに積んであった勝負服をイソイソと取り出して着替えていく。

 

 こう言う時のため、いつもここにあるのだ。

 

 前で運転してるトレーナーは男だがヒト畜生に見られたところで別に私は何も思わないし、そこら辺は疎い隣のヤツもただ眉を顰めるだけだった。

 やはり、できるウマ娘は違うのですよ。

 

 ウマハハハハ!

 

 

「ふぁーぁー……ねむ……でも、いいの? 私を放っておけばお前が勝てたのに」

 

 勝負服のズボンはきながら、隣に声をかける。

 こいつもどちらかと言うと面倒を見られる側、末っ子気質だ。

 わざわざ、迎えに来るとは思わなかった。

 

「楽に勝てたかもしれないが、それじゃ、つまらないだろう」

 

「はーん……まー、いいけどね。私が出れば私が勝つよ」

 

「フ……黙れ。その軽口ごと私が吹き飛ばす」

 

「その恥ずかしい顔のやつ外してからいいなよ。ナリタブライアン」

 

「……」

 

 目の前のウマ娘、ナリタブライアンが急に面食らったような顔をする。

 

 

「どうした?」

 

「いや、お前に名前を呼ばれるのは久しぶりな気がしてな」

 

「はぁ? 普段、戦った相手の名前なんて覚えてないけど、私はお前の名前だけは忘れた事はないよ」

 

 そう、あの時から。

 

 ずっと。

 私は名バで。

 ウマ娘で。

 うまぴょいで。

 

 最強なのである。

 

 

「フン……そうか、奇遇だな。私もお前の名前は忘れた事はない」

 

 それはそうだろう。

 

「勿論、なにせ私は──」

 

 

 勝ち負けすら塗りつぶす茶色い黒。

 雨が降れば沈む、湖に漂う気まぐれな水蓮。

 

 靡く髪は花と言うには荒々しく。

 黒と言うには明るく鮮烈だった。

 

 

 生贄に捧げれば好きな色を3つ出せそうな。

 

 黒い蓮の花。

 

 

 それが私。

 

 

「ブラックロータスだからね」

 

 

 

 

 

 



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キーボードをターン!

 

 

 

 うまぴょいとは何か。

 哲学である。

 ヒトは何かに迷った時、インターネットの大海に身を沈め、物思いに耽るものだ。

 私はさらに海の底の方へと意識を向ける。

 

「うまぴょいってなんだ? よし! ……と」

 

 キーボードをターン!

 

【急募】うまぴょいってなんだ?【有識者】

 

1:名無しのただ娘

うまぴょいってなんだ?

有識者のヒト畜生共、おしえろください

 

 

 

 待っている間に小腹が空いたのでベッドの下からカップ麺を取り出してくる。

 

 カップ麺は神である。

 カップ麺いず神。

 

 りんご?

 りんごはすでに旧世界の神である。

 

 文明の利器を得た今は、化学調味料の方が美味い。

 りんごに釣られてヒト畜生の言う事を聞いていた頃とは違うのだ。

 今の私は自由。

 そう、自由戦士である。

 

 カップ麺にお湯を注ぎ3分。

 だが、私はあえて残り20秒を残して蓋を開ける。

 それがベストな時間である。

 ベストな硬さ、それが2分半と10秒なのだ。

 

 麺を啜りながら、先程のスレに更新を入れる。

 さっそく書き込みが行われていた。

 

 

2:名無しのただ娘

そりゃアレよ

うまぴょい(意味深)だよ

 

3:名無しのただ娘

考えるな感じろ

 

4:名無しのただ娘

男女が温泉行ったら。こいつらうまぴょいしたんだって思う

 

5:名無しのただ娘

うーーうまだっち!

 

6:名無しのただ娘

うまだっちってなんだ?

 

7:名無しのただ娘

躊躇わない事さ

 

8:名無しのただ娘

ヒト畜生みたいな差別的な表現ダメだと思います

 

9:名無しのただ娘

トレーナーの事をヒト畜生とか呼ぶウマ娘は真面目にレース走れ

 

10:名無しのただ娘

それなゲートは練習しろ

 

11:名無しのただ娘

うまぴょいはうまぴょいだろ

 

 

 

「なるほど、わからん」

 

 話が脱線しすぎである。

 私に文句があるのなら、面と向かって言えば蹴り飛ばしてやるのに。

 所詮はヒト畜生、言葉がわかるようになってもその生態系は未だ理解し難い。

 

 しかし、全くの無意味ではない。

 考えるな感じろと言うのは答えに近い気がする。

 

 うまぴょい。

 かつて、私の脳裏に浮かんだ言葉。

 

 昔の記憶はふんわりしてて思い出せない部分も多い。

 鮮烈な印象程、長く覚えていると言うがそれだろう。

 

 焼きつくような感覚。

 あのレースの瞬間。

 私は確かにうまぴょいをこの身に感じた。

 

 だが、今、その感覚はない。

 

 うまだっち棒。

 やはり、もう一頭の私たる、股間の相棒がいないのなダメなのか。

 どこに落としてきてしまったと言うのだ。

 

「まぁいいか……」

 

 結局、無いものは無いし、分からないものは分からないのだ。

 だから、こうして考えている訳だ。

 

 とりあえず、フォートウマペックス行動をやるためにPCを起動する。

 

 練習?

 そんなもの私には必要ない。

 

 私は最強である。

 さらに、今の私にとって背負って走る枷もない。

 

 役に立つ事もあった。

 息を合わせた事もあった。

 それでも、私は最後まで孤高である方が強かった。

 

「あ、クソ。アプデ終わってないじゃん! この寮、回線が遅いよ!」

 

 

 ただ孤独が私を強くする。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

【ウマ】シャドーロールの怪物vs斜行とトロールの怪物【娘】part.20

 

 

1:名無しの後方腕組おじさん

このスレはナリタブライアンを応援しつつ、心の中で少しだけブラックロータスを応援するスレです。

次の対戦は日本ダービー。

 

・アンチ

 

・荒らし(本人含む)と荒らしに触れるやつ

 

上記2点ノータッチで

 

 

 

 

2:名無しの後方腕組おじさん

スレ立て乙

怪物対決二戦目

 

 

3:名無しの後方腕組おじさん

この世代ってこの二人以外って強い娘いないの?

 

 

4:名無しの後方腕組おじさん

ヒシアマ姐さんがいるだろ!

 

 

5:名無しの後方腕組おじさん

ヒシアマ姐さんダービーでんやん!

 

 

6:名無しの後方腕組おじさん

トロールロータスはウマペックスやめろ

 

 

7:名無しの後方腕組おじさん

皐月でブライアンのライブにも出なかったしな

 

 

8:名無しの後方腕組おじさん

>>7 え、ライブ見てないけどどうなったん?

 

 

9:名無しの後方腕組おじさん

>>8 4着のウマ娘が繰り上がりで踊ってた

 

 

10:名無しの後方腕組おじさん

皐月はナリブが勝ったけど、接戦だったろ

 

 

11:名無しの後方腕組おじさん

最後の最後に譲るような負けしたけどなロータス

 

 

12:名無しの後方腕組おじさん

燃料切れだろw

スタミナ勝負で負けたんだよ

 

 

13:名無しの後方腕組おじさん

接戦だったけど最後までナリブが追いかける展開で

正直、抜けた後もロータスが勝ったと思ってた

 

 

14:名無しの後方腕組おじさん

これでほとんど練習してないんだよなロータス

素材はマジで化け物

 

 

15:名無しの後方腕組おじさん

さすがに裏で練習はしてないと無理だろw

他のウマ娘が泣くで

 

 

16:名無しの後方腕組おじさん

ネタウマの癖にガチなのやめろ

 

 

17:名無しの後方腕組おじさん

ゲートは死ぬ気で練習しろ出遅れしまくりじゃねーか

 

 

18:名無しの後方腕組おじさん

ブラックロータス伝説

レース前にバカ食いしてレース場で吐く

出遅れはデフォ、皐月で出遅れしなくて驚かれる

めちゃくちゃ遠回りして舐めプしても勝つ

追い込みか逃げしかしない

 

 

19:名無しの後方腕組おじさん

これはひどい

だけど強いのが腹立つ

 

 

20:名無しの後方腕組おじさん

ブラックロータスのトレーナーのヒト畜生さん

がんばってマジで

 

 

21:名無しの後方腕組おじさん

皐月の時は直前まで二徹してウマペックスやってたらしい

 

 

22:名無しの後方腕組おじさん

もうウマペックスのプロになれよw

 

 

23:名無しの後方腕組おじさん

それだけやってゴールド沼から出れてないから

トロールロータスなんだよwww

マジこっちの才能はないwww

 

 

24:名無しの後方腕組おじさん

なんでランク知ってるの

こわ

 

 

25:名無しの後方腕組おじさん

ウマッターで普通に晒してる

本人が

クソ雑魚ロータスって煽るとすぐに反応してくるし、ボイチャで対戦できるよ

 

 

26:名無しの後方腕組おじさん

ネットリテラシーさんさぁ

 

 

27:名無しの後方腕組おじさん

実際、現役のウマ娘とウマペックスやれるなら、やるよね?

私ならやる

 

 

28:名無しの後方腕組おじさん

たまにわざと負けてあげると

クソ程煽り散らかしてくるのかわいい

 

 

29:名無しの後方腕組おじさん

癖ウマわからせ

 

 

30:名無しの後方腕組おじさん

ヒシアマ姐さーん! こいつです!

 

 

31:名無しの後方腕組おじさん

ウマペックスは雑魚でも、レースでは強いのが理不尽

 

 

32:名無しの後方腕組おじさん

実際、理不尽の塊みたいな存在だし

ブライアンは頑張って勝ち続けてほしい

 

 

33:名無しの後方腕組おじさん

この世代の娘は可愛そうだな

ナリブとロータス

どっちも怪物すぎて

 

 

34:名無しの後方腕組おじさん

普通にレベルは高い方なんだけどな

この二人はすでにシニアクラスなのがな

 

 

35:名無しの後方腕組おじさん

ヒシアマ姐さんはやく! はやくきてー! 間に合わなくなっても知らんぞ!

 

 

36:名無しの後方腕組おじさん

姐さんは有マかな……

 

 

37:名無しの後方腕組おじさん

オビワ姉さんとも有マだし、今年の有マの姉さん率ヤバそうw

 

 

38:名無しの後方腕組おじさん

次はダービーだろ

どっちが勝つか予想しよろw

 

 

39:名無しの後方腕組おじさん

他のウマ娘が勝つかもしれないだろ!

 

 

40:名無しの後方腕組おじさん

正統派ナリタブライアンと邪道派ブラックロータス

こう書くとなんか悪いやつみたいだな

 

 

41:名無しの後方腕組おじさん

態度は悪い

トロールロータスはなんだかんだ

ファンからの愛称なんだよな

 

 

42:名無しの後方腕組おじさん

だってアレ応援してるって言うの恥ずかしいし

 

 

43:名無しの後方腕組おじさん

東京優駿、ダービーは運のいい方が勝つよ

 

 

 

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

「今月、雪が降ると思ってました」

 

「……もう5月の終わりだぞ」

 

「いや、だってアイツが真面目に練習してるんですよ!? 嫌いな雨の日や坂路まで! その度に明日は雪が降るなーって思ってたんですから!」

 

「皐月の一戦は、そう言う戦いだったんだろ」

 

「えー……初のG1で2着ハナ差、同タイムのコースレコード。3着以下は5馬身後方、上出来も上出来。何が不満なんですかね」

 

「そりゃ、負けた事だろ。アイツにとって初めて真正面からやり合って負けたんだ。悔しいんだろうさ」

 

「……わかるんですかね、そう言うの。馬ですよ?」

 

「むしろ2着だからどうとかってのは俺らが勝手に納得してる理屈だろ。シンプルに自分より速い馬が許せない。それだけの事なんだろうさ」

 

「それだけて……まぁ、自尊心の塊みたいな奴ですからね。……負けて良かったってのは言っちゃダメなんですけど」

 

「わかるさ。我儘で気まぐれ、いくら矯正しても治らなかった相手を舐めてかかる甘さが抜け、ようやく本気のレースが見れるぞ」

 

「……次は日本ダービーですか」

 

「ああ」

 

「勝てますよね。アイツ」

 

「勿論。勝つようにするって言うのが仕事なんだが。相手が相手だ。正直、わからん」

 

「……けど」

 

「一ヶ月……やっぱり才能だけは本物だ。付け焼き刃にしては強いぞ。今のアイツ……ブラックロータスは」

 

 

 

 

 



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畜生ダービー

 

 

 

 日差しが強くなり始めた頃。

 恒例の車で運ばれるイライラタイムを乗り越えて大地に立つ。

 

 どれくらいか待って連れて行かれたのは、まぁ、レース場だ。

 

 数えきれぬヒト畜生が遠巻きに見ている。

 騒がしい。

 ビビるぞ。

 

 てくてくと歩いてると。

 何頭か見た事のない馬が混ざっているが、やはり私の敵になるのは目の前に立つ馬だ。

 

 白い変なのをつけた焦げ茶の馬。

 そんな装備で大丈夫か?

 大丈夫だ問題ないようだ。

 

 なるほど、以前より風格が増している。

 見事である。

 申し分ない。

 

 確かにこの前は一杯食わされたが、今日の私は一味違う。

 なにせダイエットしてきたからな!

 

 見よ。この弛みのない腹を。

 昨今、でかくなる為に食いだめした脂肪を燃焼させ全て筋肉に変えたのだ。

 

 今日は完璧だ。

 今期、最強! 最高! の私である。

 

 自分で言うのも何だが、以前とは面構えが違う。

 何より、今回は油断しない。最初から全力でいく。

 

 これは間違いない。

 

 勝ったな! ウマハハ!

 勝ち申したわ! ウマハハハ!

 

 

 それはそれとしてゲートである。

 もはや何も言うまい。

 勝利には必要な覚悟である。

 

 今回はいつもとは違う、頭を下げて厳かにゲートに入る。

 恐怖はない。

 ただ、宇宙の理を受け入れるのみ。

 

 横がなんかうるさい。

 隣の馬が暴れている。

 そうかお前もゲートが憎いのか。

 

 だが、今日の私は紳士である。大人しく。

 

 大人しく。

 

 

 大人しくなんてできるわけがない!

 ゲートからの叫び、許せない! 私も答えなければならない!

 隣の馬が一際、大きく暴れる。

 

 派手にやるじゃねぇか! これから毎日、ゲートを燃やそうぜ!

 てな感じに、負けじと立ち上がる。

 

 オラ、はやく開けるんだよ! オラァ!

 

 開いたわ。

 立った瞬間に開けられたわ。

 

 仕方ないので、立った体勢を維持しつつ、後ろ足で飛び跳ねるようにスタートダッシュを決める。

 

『……! なっ!』

 

 我ながら並の馬には真似できない美しい走りだしである。

 加速も桁違いだ。

 

 いつも以上に体が軽い。

 これがダイエットの効果か。半端ない。

 翼が生えたかのように軽やかだ。ちょっと前に走った時もここまでではなかった。

 

 他の馬などまるでいないかのように、初めからぶち抜いて駆け上がり、さらに加速する。

 

 坂を登り、下り、そしてまた登り。

 そのまま走り抜けた。

 

 独走である。

 私を遮るものも、捉えるものも、何もいない。

 世界の頂点に己しかいない孤高。

 誰も私に届かない、誰も私に触れられない、孤独が私を強くする。

 

 そのままの速度でヒト畜生の決めたゴールすら駆け抜けた。

 

 ウマハハハハハ!

 圧倒的である!

 

 圧倒的、余裕の勝利である!

 

 後ろにいるのはあの焦げ茶の馬。そこまでにすら、ゆうに6馬身はつけている。

 格付けは済んだ。

 私は最強である。

 

 ニヤニヤしながら走り終えて歩いていく焦げ茶の馬の周りを回る。

 

 焦げ茶の馬が責めるように嘶いていた。

 

 なんだ。

 私の勝ちだ。

 敗者の嘶きに何の価値もないのである。あるのはシンプルな答えただ一つである。

 

 

 ふと、いつもならここらでヒト畜生が邪魔してくるのだが、それがない。

 そう言えばいつまでたっても手綱は緩んだままである。

 

 背中の方を見る。

 

 誰もいない。

 

 んー。

 なるほど。

 

 瞬きをして、もう一度、確認する。

 

 んー。

 なるほど。

 鞍の上にヒト畜生がいないのか。

 

 どこかで落としてきたようだ。どこに落としたかは謎である。

 

 冷めた目でコチラを見る焦げ茶の馬。

 その上のヒト畜生すら苦笑いしている。

 何だ、そんな目で私を見るな。

 

「……」

 

 ま、まぁ、勝ちは勝ちだし!

 ヒト畜生を上に乗せたままじゃないとダメなんてルールないし!

 

「……」

 

 だが、今回は引き分け!

 そう、特別に引き分けと言う事にしておいてやろう!

 

「……」

 

 ちょっと落とし物を探してくる!

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「やりやがったよ! ……アイツ!」

 

「出遅れこそありましたが、理想的とも言える強い大逃げのレースでしたね。……上に騎手がいない以外は」

 

「見ろよ。あの満足そうな顔……! 自分が勝ったと思ってるんだろうな」

 

「アイツらしいと言えばらしいですけど、ダービー……欲しかったですね」

 

「欲しがっだ……」

 

「泣かないでくださいよ、みっともない。騎手も馬も無事だった事を喜びましょうよ」

 

「……ぞうだな」

 

「馬ですけどね」

 

「うるざい……」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 日本ダービー。

 最も運のあるウマ娘が勝つ。

 成る程、今日の私は運が良かったらしい。

 帰る時にでも宝くじを買おう。

 

「私の勝ち」

 

 息を切らしながらも先にゴールしたのは私だった。

 やはり、あの時、まともにやっていても私は勝っていたのだ。

 

 ヒト畜生の縛りなど関係ない。

 最速はただ一人。

 

「ダービーウマ娘は、この私……ブラックロータスだ」

 

 そう宣言する。

 

「……ァ! あぁ! クソ……わかっている……」

 

 叫び声をあげるのを抑え、親の仇のように睨んでくるナリタブライアン。

 互いに満身創痍だ。

 コイツと走り切った後はいつもそうだった。

 

 

 今回も先行していたはずなのに、かなり詰め寄られた。

 それは予想以上のものだった。

 

 皐月の最後。油断した所を貫くような、そんな加速で負けた。

 だが知っていれば対応はできる。できてしまうのだ。

 

 記憶の差、経験の差、場数。

 

 何より、私はすでに完成されている。

 本来、未完成では勝てない。

 

「もう、諦めたら? やっぱ練習もろくにしてない私に勝てないようじゃ。先なんてないよ」

 

「うるさい……!」

 

「それとも、私がやめてあげようか?」

 

「私はお前のそういう所は嫌いだ! 腹が立つ! 次は有無を言わせず問答無用で勝つ!」

 

 苦笑いしか浮かばない。

 ただただ、一途な走り。

 それを止めれるものなんて誰もいないのを知っているから。

 

「後、三回……だよ」

 

「何がだ?」

 

「私だったヤツがナリタブライアン……みたいな焦げ茶のヤツと本気で戦えた回数」

 

「……夢の話だろ」

 

 そうかもしれない。

 けれど、むしろ、私は今が夢だとすら思うのだ。

 お前が、ナリタブライアンが、本気で私に立ち向かってくる。この瞬間が。

 

「このまま走れば怪我をして、今みたいに走れなくなるよ」

 

「それで、お前に勝てるなら。私は構わない」

 

 間髪入れない、その覚悟が嫌いだ。

 今が眩い程に、未来は陰りを見せる。

 

 この世界は焼き回しだ。

 傷を抉るように掻き回す。

 

 馬のようなヒト。

 ヒトのようなウマ。

 

 未だに私には、うまぴょいがわからない。

 

 

「ところで、その服の裾、破けてるよ。ピン留めいる?」

 

「そう言うデザインだ。放っとけ」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━

 

 

「……ダービーウマ娘か」

 

 呟くように声が漏れる。

 観覧席から眺めるように皇帝の眼差しは一人の少女に向けられていた。

 

「いいの? あの娘に声をかけてあげなくて」

 

 隣から響く声。

 

「私には……その資格がない」

 

 ブラックロータスとその母親は異端者だ。

 一族のはみ出しものとして扱われ出て行った。己はただそれを止める事もできず、見ている事しかできなかった。

 

「ふーん、そう。ダービーで勝ったから声をかけたって思われるのが嫌なの?」

 

「見栄か、それもある……けれど、私とあの娘は考え方が違いすぎる。話してもきっと喧嘩にすらならず、互いに不快になるだけだ。もし……レースに勝って少しでも嬉しいと思っているのなら、それでいいと思う」

 

「私は似たもの同士だと思うけど。貴方は取り繕うのが上手なだけよ」

 

「手厳しいな……マルゼン」

 

 確かに我が儘で根が傲慢な部分は、まるで己の幼い頃を見ているようにも感じる。

 だが、いや、流石にあそこまでではなかったのではと思いなおす。

 

「いずれ否応にも話さなければいけない時がくるわよ。あの娘にはそれだけの実力があるんだから」

 

「それはわかってはいるんだが……情けない話、なんと声をかければいいか、それすら分からないんだ」

 

「おめでとうって、それだけでもいいんじゃない?」

 

「……それが一番、難しいから困っているんだ」

 

 望まれない祝福は、時に呪いになる。

 あの娘はレースが嫌いだ。そも、走る事が好きではないのかもしれない。

 

 なのに才能はあり、すでに身体は完成していた。

 蓄積された努力の跡がその走りからは見て取れる。

 

 ブラックロータスに努力を促せるウマ娘など彼女の母しかいない。

 余程、徹底して鍛えられたのだろう。

 トレセン学園で初めて目にした時から、彼女は完成していた。

 

 過去の努力が今に繋がる。

 ブラックロータスはそれを消費して勝った。

 だが、今、努力しない彼女は遠からずナリタブライアンに追い越される。

 

 敗北を拒絶するだけの、報われない勝利。

 それ故に本人すら勝利に価値を見出せていない。

 

 そんな彼女に己が送る祝福は、きっと呪いにしかならない。

 

 のろい。

 のろい。

 

「呪いを受けて鈍くなる。……これは……! どう思う?」

 

「……? ……いいんじゃない?」

 

 

 




スコーピオ杯、育成さぼりがちだったせいで決勝までいけなくて、
残り2回を残して慌てて中距離用の育成してる人がいます。
そうです私です。


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放牧なう

「見てくださいよこれ」

 

「あん?」

 

 そこにはスポーツ新聞が広げられていた。

 見出し部分が目に入り思わず口にしてしまう。

 

「五馬身差で勝利した一着のナリタブライアンに六馬身差をつけてゴールを越えた馬、ブラックロータス……」

 

「この一行で矛盾していく見出し、割と好きなんですけど」

 

 笑劇の六馬身。

 一部ではそう言われているが、笑えるのは外から見てる時だけだろう。

 ロータスは押しも押されぬ2番人気。

 賭けた者は阿鼻叫喚し、関係者ですら総立ちしていた。

 

「ダービーで空馬なんざ前代未聞だってのに……」

 

 思い出しただけで目頭が熱くなる。

 

 あの日。そう、あの日の朝に見た夢はダービーを一番に走り抜けるロータスの姿だった。

 

 馬に関わっていると、時折ある。

 今日は勝てると。

 調子の良し悪しは関係ない、馬を見ていると謎の予感がわく。そして、そう言う予感は当たってきた。

 オカルトじみても、実際に勝てると思った日は外した事がなく。

 それが密かな自慢であり自信の源でもあった。

 

 そして、あの日もそうだった。

 

 後光が差して見えた。

 これまでにない、予感が確信に変わった瞬間。

 朝一番に見たロータスの姿、それを見た時に確信したのだ。

 

 ああ、今年のダービー馬はお前だと。

 

「俺はもう何も信じられねぇよ……」

 

 結果は空馬で失格。

 確かにブラックロータスは一番速くゴールした。

 夢の通りで、夢のように儚いタービーだった。

 

「元々、外す事の方が多いでしょうに」

 

「それはそうなんだが……」

 

 身内で極秘にやってる勝てる馬の見極め雑談でも成績は中の下だ。

 賭け自体はしていないが、良い馬を見極めるのも仕事の一環である。

 

 それも、今回の事で自信をかなりなくした。

 自分は馬を見る目がないのかもしれない。

 

「まぁ、ナリタブライアンのライバル的な立ち位置は変わってないみたいですよ」

 

 新聞を指さす場所を読んでみる。

 

「…………愛すべき馬鹿ではある。しかし、その能力は疑いなく、シャドーロールの怪物の三冠を阻むのはこの馬か?」

 

「体の良い、まさに当て馬って感ありますけどね」

 

「この前、上の方の偉い人に呼び出されて、この二頭の争いで売っていきたいから、しっかりしろって釘を刺されたわ」

 

 胃が痛くなる時間だった。

 食事会で出されたキロ幾らの国産牛の味が塩にしか感じなかったくらいだ。

 

「そこまで口出ししてくるのは珍しいですね。言いたくなるのはわかるんですけど」

 

「テイオーとマックイーンしかり、BNWしかりで、ナリタブライアンの横綱相撲より売れると踏んだらしい……」

 

「と言うことは次は菊です?」

 

「ああ、G1を狙う路線は変わらない。菊のトライアルを挟むローテ」

 

 順当と言えば順当なローテーション。

 問題があるとすれば。

 

「ナリタブライアンと被りますね」

 

 クラシックは食い合いだ。

 来年からは神戸新聞杯とセントライト記念が菊花賞のトライアルになる予定がされているが、今年のトライアルは京都新聞杯しかない。

 

 賞金的には出なくても菊花賞に出走自体はできると思うが、それも確定ではない。

 

 何よりブラックロータスには腹を括り戦うだけの力がある。

 避ける必要はない。

 

「同世代なんだし仕方ない。実力と話題性なら負けてないしな」

 

「ロータスはバッシングもすごいですけど、コアなファンは増えましたよね。この前、大学生のファンが作ったパソコンのサイトとか言うの見せて貰いましたけど、なかなか面白かったですよ」

 

「ほー、そんなんがあるのか。走ってる動画とかも見れるのか?」

 

「動画ですか? 一応、見れない事もないらしいですけど、画像だけでも開くのにすごい時間がかかるんですよ」

 

「なんだ。じゃあ、テレビでいいだろ。ビデオを回せば見れるんだから」

 

「そりゃそうなんですけど、こう言う新しい技術って、気づけば伸びてるもんなんですよ。今から触っておきたいじゃないですか」

 

 色々と器用なやつである。

 高校時代は甲子園まで後一歩のところまでいき、プロを諦めて騎手を目指してこの業界に。

 騎手になったはいいが、なんやかんやあってウチに来た。

 人生の大半を馬に捧げる合間に投資やらやっており、最終的には自分の馬を持つのが夢だとか。

 

「そういや、今年の年賀状用にワープロ買おうと思うんだが、おすすめはあるか?」

 

 

 

 

「それなら、……」

 

 

 

「……」

 

 

 

「そう言えば話は変わりますけど、ロータスの今の騎手なんですが」

 

「……う」

 

 頭の痛い問題が出た。

 

「降りたいって言ってましたよ。遠からず、そっちに行くかもしれません」

 

「マジか……」

 

 以前から、それとはなしに話しが来ていた。

 それでもロータスは間違いなく強い馬だ。

 ナリタブライアンがいる以上、中距離以上で勝てる可能性のある馬はこいつくらいだろう。

 

 騎手も勝てる馬には乗りたい。

 だが、同時に負けた時の理由にされやすい。

 進路妨害や落馬など、馬を御せていない、下手と言うイメージがつけば騎手生命にも関わる。

 

 今のロータスの主戦騎手は若手ながら騎乗の上手い騎手だった。

 いずれ経験を積めば世話になる事もあるだろう、そう思える騎手。

 それだけに惜しい。

 

 それに、ようやく、ロータスと息が合うようになってきた騎手だ。

 

「菊まで……いや、来年まではなんとか頼めないか?」

 

「それ、自分がやるんです?」

 

「お前のが仲良いだろ」

 

「まぁ、それなりに付き合いがありますけど……」

 

「しかし、騎手も頭の痛い問題だよ……その内、誰も乗ってくれなくなるかもな」

 

 ロータスは騎手を選り好みする。

 これまでにも騎手の話がある度に何人か試しに乗って貰った事があるが、大半が苦笑いして帰っていった。

 

「博徒ですよ騎手は、勝てる札があるなら乗りますよ」

 

「……そういや、お前、騎手の免許、持ってたよな」

 

「その頃の伝手を辿ってここで働いてますからね」

 

「乗るか?」

 

「死にたくないんで嫌です」

 

「……」

 

「……」

 

「……博徒じゃないのかよ」

 

「そこで踏み込めないから辞めたんです。冗談は置いといて、誰か代わりの騎手は探してるんですか?」

 

「一応な……岡辺さんから個人的に乗ってみたいって話も来てはいるんだよ」

 

 かなりの大御所だ、日本のG1レースでは見ない方が少ない名ジョッキー。

 上から片手で数えれるレベルの人だ。

 

「次からでも乗ってもらいましょうよ。似た部分もあるかもしれませんし、案外、ロータスとも気が合うかもしれませんよ」

 

 正直、今の騎手に乗って貰いたい気持ちもあるが。

 ロータスを上手く御せるなら、岡辺さんに乗って貰いたいと言うのも本音である。

 

「……放牧中にでも一度、会ってもらって相性がよければて感じだな」

 

 

 

━━━━━━━━━━

 

 

 

 夏である。

 放牧なう。

 空が青い、雲は白く、草は緑だ。

 

 都会の喧騒が嘘のように穏やかな風が立髪を揺らす。

 

 私は優雅に惰眠を貪る。

 昼間から食っちゃ寝する。

 それは選ばれたモノのみに許された特権。

 

 あくせくと働くヒト畜生を見ながら食う芝生もいいが、やはり、優雅に寝転ぶ姿の方が様になるので、日夜、馬糞製造機として活動中である。

 

『……また、一人でスライムみたいに溶けてる、お前は馬の癖によく寝ますね。少しは走らないと太りますよ』

 

 なんだ、ヒト畜生。

 私の世話がしたいのか。

 まぁ、手下だしな。

 苦しゅうない世話されてやるから、腹をかくがいい。

 

『はいはい……こうしてる内はかわいいもんなんですが』

 

 だらだらとしながら遠くに目をやる。

 走り回っていた馬達が目に映る。

 集まって何をするでもなく、道草を食べたり歩いたりしている。

 暇なのかな。

 

『お前はあっちに行かなくてもいいんですか?』

 

 群れとは、社会とは、必要があるから形成されるものだ。

 私はそれを必要としていない。

 本質的に私は強者であり、個として完成されているためだ。

 むしろ、群れると個としての強度が下がる。

 

 だから別に寂しくない。

 孤独は私を強くする。

 

 ぼっちではない。

 孤高なのだ。

 

 群れに答えなどないのである。

 

 そんな感じにだらだらしていたら、知らないヒト畜生が近くに寄ってきた。

 

『お疲れ様です……この子が?』

 

『あ、どうもお久しぶりです。はい、ブラックロータスです』

 

『思ったより、でかいね』

 

『成長期が来たのもあるんですが、最近は食っちゃ寝しかしてなくて太ったんだと思います』

 

 お腹の柔らかい部分をタポタポされる。

 あ、やめなされ、やめなされ。

 ぶっ殺すぞ。

 

 蹄で攻撃するも初動を抑えられて力を受け流される。

 くっ……お前もやるようなったな、へへ。

 

『何か気に食わない事があって攻撃してくる時は、こう首のあたり血管がピクピクするので避けてください。一回やるとだいたい満足するので』

 

『……仲が良いんですね』

 

『ハハハ……一応、舎弟くらいには気に入られてるのかもしれませんね』

 

 意味のわからない長話に付き合う気はない。

 私はクールに去るぜ。

 

『少し、乗ってみますか』

 

『ええ、お願いします』

 

 なぜ、手綱を引っ張る。

 なぜ、そっちに連れて行こうとする。

 

 私は今から牧場にあるタンポポを数える仕事があるのだ。

 ヒト畜生どもの遊びに付き合っている暇などないと言うのに。

 

 仕方ない。

 これもまた、高貴なるモノの義務。

 と言うことでダラダラと走らされた。

 

『本気で走ってないとは言え、襲歩なのに道産子みたいに揺れない馬だね』

 

『脱力した柔らかい走りがうまいんですよ。軸がブレないと言うか、衝撃を全身で受け流すような走り方をするんで、落馬はあまりしない……て思ってたんですけど』

 

『ハハ……いや、ダービーのアレはいきなりやられたら私も対応できないよ』

 

『そうですか。できれば、乗っていた騎手に言って貰えれば……』

 

『……言ったよ。本人がどう思ったかはわからないけれど』

 

 なんかしんみりした雰囲気をしている。

 私の上でそんな雰囲気だすのやめてくんない?

 

『悪い悪い。今日は上がるか』

 

 空気を読んだ鞍の上にいるヒト畜生が軽く叩く。

 

『いえ、最近、サボり気味なのでもう一周お願いします』

 

『そうかい? ならそうしようか』

 

 まだやろうと言うのか。ええい、仕方ない。

 アレをやるか。

 

「ヒィーン!」

 

 悲鳴をあげて暴れるように膝をつく。

 そして、そのまま、蹲るように倒れこむ。

 気を遣って倒れたためにヒト畜生も降りれている。

 完璧な演技である。

 

『あ、おい! 大丈夫か!?』

 

『……』

 

 慌てて揺するヒト畜生とは裏腹に冷めた目で見下ろす手下。

 なんだよ! もう少し心配しろよ!

 

『何してるんだ! 早く医者を!』

 

『大丈夫ですよ。そいつ、チラチラと岡辺さんの表情を見てましたから』

 

『は?』

 

 く、バレたなら仕方ない。立ち上がり営業スマイルを浮かべる。

 引っ掛かりおったわ、バカめ!

 流石に手下には見破られたようだが、慌てる姿は所詮、ヒト畜生よな。

 

『仮病です。心配すると練習をサボれるのを学んだのか、たまにこうして悪戯してくるんです』

 

『えぇ……心臓に悪いなぁ。体は本当に大丈夫なの?』

 

 手下が私の体に手慣れた様子で軽く触れていく。

 何も問題なかろうに。

 ウマハハ! 心配性な奴め。

 

『ざっと触診しても問題ありそうな箇所もありません。医者に連れてかれるのは嫌なのか、ケロッとしてますし。さっきのも目を見ればわかります、こちらの表情を伺う様子があれば黒です』

 

『あはは……いや、そこは本当にまずい時に困るから、きちんと叱らないとダメなのでは?』

 

『そうなんですよね、でも叱ってはいます。ただ、叱っても言うこと聞かないので、色々、試してみましたけれどダメなんですよ。……一度、ゲートに入れて一日放置した事もあったんですけど泡吹いて倒れるふりしてたんで、自分を省みると言う考えが無いんだと思います』

 

『その……なんだ……君も大変だな』

 

『アハハ……確かに大変ですね。けど、こいつの上に乗ってレースに出る程ではないですよ』

 

『……普通は謙遜とか入るものなんだけど、私は君の目が笑ってなくて怖いよ』

 

『割と本気で言ってますから』

 

 仲いいね君達。

 

 

 

 



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京都新聞杯、玉ねぎの皮のように

 

 

「……なんというか、こう、改めてみると丸いな」

 

「前走から体重プラス32キロ、元が小柄だったのが夏にでかくなったのはいいんですが、絞り切れませんでしたね」

 

「ま、まぁ……本番は菊だ。今回はロータスのレース勘を取り戻してくれれば、それでいい……」

 

「結局、鞍上も変わりましたし、流石にヤバいと思われたのか3番人気ですよ。オッズが2桁は新馬戦以来ですね」

 

「それに比べてナリタブライアンは単勝1.2倍か……」

 

「実力に数字ほどの差は無いと思いますけど、積み上げてきた信頼が違いますからね」

 

「……ロータスはダメな方の実績を積んできたからな。俺だって客なら絶対に買わない」

 

「博打の中で博打するようなもんですからね」

 

「とは言え、ナリタブライアンも本調子には見えない……。こう言うレースは案外と荒れる事があるんだよな」

 

「互いに本調子とは言えなくても実力のある馬ですから、すんなりロータスが勝つかもしれませんよ?」

 

「勿論、そうなってくれると嬉しいんだけどな」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 夏が終わり、突き刺すような日差しも、セミの喧騒も鳴りを潜めた。

 やっと、ゆっくりできると思ったら。

 久方ぶりに行われるヒト畜生の余興である。

 

 相変わらず喧しい叫び声の中。

 続々とヒト畜生に引かれて馬が現れる。

 その中の一頭。

 

 焦げ茶の奴。

 互いに互いを認識した瞬間、睨み合う。

 

 しかし、なんというか、圧が弱い。

 しばらく見なかったけれど、お前こんなものだっけ? と言う感じだ。

 

 いや、これは馬格が上がってしまったか。私の。

 多少、見上げる必要があった顔が私の方が高い位置にある

 

 この夏、私は馬として一皮剥けた。それはもう、玉ねぎの皮のようにツルリと剥けた。

 

 何があったかは深くは語るまいが、うまぁぴょい! に一つ近づいたのだ。

 これでは焦げ茶の奴も、もはや、敵ではないかもしれない。

 

 そんな私に焦げ茶のやつが鼻先で腹を突いて笑いやがった。

 弛んでるぞと。

 そんな風に。

 

 以前の私なら、そう、ここで思わず蹄を上げていただろう。

 だが、今日の私は紳士的だ。

 懐の贅肉は余裕の証である、貴種たるもの優雅でなくてはいけない。

 

 多少の無礼も笑って許そう。

 私は丸くなったのだ。

 

『よしよし、手を出さなかったのはえらいぞ。来月までには、もう少し絞ろうな』

 

 鞍の上のヒト畜生が撫でてきた。

 前のレースに乗っていたヤツとは別口のヒト畜生だ。最近、よく乗ってくる。

 

 

 ゲートへと向かう。

 こいつもかつて、私の宿敵であった。

 

 だが、今は、もう、違う。

 夏に行われた一週間近い謎のゲート暮らし、それによって、私はゲートと言うものを理解した。

 

 ゲートは私で、私はゲートだったのだ。

 それが開くとき、また、私も開く。

 

 宇宙の心はゲートであり、ゲートとは即ち駿馬である。

 

『開くよ』

 

 それはそれとして、軽く出遅れた。

 少しだ。文句言われるほどではない。

 いっせのーせで走るのはなかなか難しいねんな。

 

 私には私のペースがあるし、みんなにもみんなのペースがある。

 みんな違ってそれでいい。

 

 多様性を許容できる社会こそ馬が目指すべき道である。

 

 ということで、後ろの方からまったりと追いかける。

 

 テポテポとお散歩感覚だ。

 前を走る馬郡には焦げ茶のヤツもいる。

 

『いこう』

 

 前に出てください、お願いしますと言う合図。

 テポテポ。

 テポテポ。

 

『……いこう』

 

 もう一度、前に出てください、お願いしますと言う合図。

 テポテポ。

 テポテポ。

 

『…………ダメか?』

 

 なんか体が重い。

 お腹がダボついている感じだ、夏にちょっと食べすぎたかもしれない。

 

 でも、ま、行くか。少し無理に行けば、行けない感じはしない。

 徐々に脚の速度を上げていく。

 

 あー、なんか、こんな感じだった、走るのってこんな感じだった。

 悠々と前へ進んでいく。

 なんだ割といけるんじゃないか。

 

 体内エンジンがゆっくりと回りだす、感覚が馬糞製造機から四足歩行自動車にシフトする。

 

 大外からぐるりと馬群を観察しながら抜いていく。

 

 勿論、通り過ぎる馬への目配せも怠らない。

 サービス精神である。

 

『……行くのか。本当に掴めないな』

 

 一歩、一歩が重い。なのに思ってる以上にスピードが出る。

 最後のカーブ。

 馬群が固まり、外に出てきた焦げ茶の馬と並ぶ。

 

 互いに一瞬、目で相手を意識した。

 

 足に力を込め、地面を蹴り飛ばす。

 それまでとは抉れ方が違う。

 本気の一歩。

 

 

 競り合いになる。

 一歩でも下がれば、そのまま負ける。

 ゴールまで一歩も引けない、そんな競り合いに──。

 

 なる筈だった。

 

 

 

 気づけば、ただ一頭、先頭を走っていた。

 

 

 

 焦げ茶の馬は追ってこなかった。

 なんだ、さらに後から追ってくるのか。だが、間に合わないだろ。

 もはや、私の勝ちだ。

 

『…………これ程か……!』

 

 ゴールを通過した時、先頭に立っていたのは私だった。

 やはり、私は格が違ったか。

 

 少し、強くなりすぎてしまったかもしれない。

 ウマハハハ!

 

 まぁ、若干、不完全燃焼感が否めない。

 何と言うか勝ったのに余力が残っている違和感。

 とはいえ、勝ちは勝ちである。

 

 勝った私はニヤニヤした足取りで焦げ茶の馬を煽りにいく。

 敗者はただ煽られるのみである。

 

 

 焦げ茶の奴は何も言わなかった。

 ただ、俯いて。

 

 睨みつけてくる焦げ茶の悔しそうな瞳が頭に残っていた。

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 最強のウマ娘であるはずの私が手を大地につき、首を垂れていた。

 

 

「あっ……るぇー……?」

 

 おかしい、馬鹿な、こんな筈はない。

 この私が負けるなんて。あり得ない事が起こっていたのだ。

 

 敗北。

 

 それも3着と言う過去最低の成績。

 馬鹿な。

 

 ハァ……ハァ……敗北者?

 

「なん……で?」

 

「本当にわからないのか……?」

 

 乗るな! ロータス! と頭の中で何かが囁くが、1着を取り腕を組んで見下ろしてくるナリタブライアン。

 その訳知り顔に答えを求めていた。

 

「な……何が言いたい?」

 

「太り過ぎだ……!」

 

 ガーーーーーーン!

 脳裏にアルミ製の鐘が響く。

 確かに言われてみればちょっと走りにくかったかもしれない。

 

 体操着をまくり確認してみる。

 ふむ。

 こう、なんというか、丸い。

 

「なんだ、そのだらしない腹は!」

 

 指で腹を厳しくツンツンとされる。

 やめなされ。

 やめなされ。

 

 だが、体重がレースにそこまで影響していたとは、これまでの経験にない衝撃であった。

 

 確かに肉を筋肉にする過程を行った事はあるが、基本、四足歩行の私はでかくなればなるほど強かったはずだ。

 二足歩行になった事でそのバランスが狂ったのかもしれない。

 

「くっ……先日、マックパイセンと駅前のパフェ食べ放題に行ったのがマズかったのか!」

 

 パイセンの方が二つも多く食べたのに!

 

 不覚! こんな事なら、もう一つくらい食べておくんだった!

 しかし、それだけで太り気味になったとは思えない! それならマックパイセンのが太ってる!

 

 他に、他にも何かあったはずだ!

 

「タマちゃんとやったタコパの影響……! それとも、オグリキャップとの大食い対決がダメだったのか……!」

 

「思い当たる所が多すぎる……! 特に最後のはダメだろうが! スリーアウトどころの話じゃない!」

 

「くっ……! 殺せ!」

 

「いや殺しはしないが練習はしろ! ……と言うか、お前、なんか交友関係、広くないか?」

 

 パイセンとは推し球団が同じ、オグリキャップとはたまに晩ご飯を一緒に食べる程度の関係で、タマちゃんはタマちゃんでマルちゃんは今の私だ。

 

「え、普通だろ?」

 

「…………普通なのか?」

 

「……たぶん」

 

「…………そうか」

 

 なんか居た堪れない空気になってしまった。

 しかし、この日からしばらく私はダイエットがてら練習に出る事にした。

 

 目指せ菊花賞までにマイナス3キロ。

 

 



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黒い舎弟

 紙袋を手に宿舎の扉を開ける。

 

「なんですそれ?」

 

「ファンレターだ」

 

 どさっと言う音と共に紙袋の中から大量の手紙が机の上に散乱した。

 

「菊花賞前にですか?」

 

「新聞杯終わった時のが一部どっかで詰まってたらしい」

 

「……読みます?」

 

「……まぁな」

 

 読まないわけにはいかない。

 だが、ダービーの後に届いたファンレターには、中々、過激なものが多かったため少し身構えてしまう。

 

「まともに走った、新聞杯、真面目にやれば、強かった。……何か詠んでますよ」

 

「勝ったことより、まともに競馬してた事に感動した。……わかるわ」

 

「やってくれると信じてました、でも10万円を返してください。……何を信じてたんですかね」

 

 例によって応援半分、批判半分、大喜利半分という感じだ。

 以前よりも応援が増えている分、ほっとする。

 

「しっかし、こういうの増えましたよね」

 

 昔はおっさんしかいなくて、馬に手紙なんてって感じだった。

 今は割と来る。

 応援のファンレターを送ってくれる人の中には比較的女性が多い。

 

「オグリくらいからか、客層が増えたよ」

 

「良い傾向じゃないですか」

 

「ロータスはアイドルホースって風格じゃないけどな」

 

 どこまで行っても強いネタ馬という感じは否めない。

 それでも、オグリキャップとは別の個性が人を惹きつけるのか、こうしてファンレターが送られてくるのだ。

 とはいえ、そんなファンの声援が欠片でも力になるタイプでもないが。

 

「……良い調子だな、ロータス」

 

「絞れましたし、菊花賞、十分以上に戦えますよ」

 

「ああ、勝てる……勝てると思うんだが、順調に勝てると思った時ほど勝てないイメージがあるんだよな」

 

「ダービーに引っ張られすきてるんでは?」

 

「うっ……頭が……」

 

 止めてくれ、その話は俺に効く。

 

「トラウマになってるじゃないんですか……」

 

「アレはトラウマにもなるわ」

 

 ため息をついて天井を見上げる。

 そして、ふと思い出した。

 

「……あ、そうだ。そう言えばぜんぜん話は変わるんだけど、来年、海外で走らないかって話があるんだわ」

 

「は? 海外って? マジですか?」

 

「マジもマジ、大マジよ。正式な発表はまだされてないんだが、来年から上の人らが海外遠征に本腰を入れるみたいでな……」

 

 主要な海外のG1で勝てば報奨金を出したり、内々にではあるが偉い人が遠征のバックアップをしてくれたりする。

 そういうノウハウもあまり培われていないため、早いうちであれば手厚く用意して貰えるらしい。

 

「はー……それでアレですか、ナリタブライアンの2番手的な立ち位置にいるロータスにちょっと様子を見てこいって感じの話ですか?」

 

「言ってしまえばそうだな。むしろ、前に勝った事で評価されての話だ」

 

 ロータスもナリタブライアンも時代さえ違えば、その年の代表馬としてG1を制覇していける実力があると評価された。

 それが古馬になって以降も二頭で数少ないG1を取り合うのも勿体ない。

 

 下手をするとどちらが先に潰れるかのチキンレースになる。

 それなら、片方を外国に出して、実績を作り、その上で宝塚や有馬といった大舞台で戦ってほしいというような話だった。

 

「でも、これまで日本馬の海外遠征って碌な成績を残してませんよね」

 

「そうだな。上が本腰を入れた以上、これから海外に出る馬は増えると踏んでるし、海外での実績を持つ馬が種牡馬として重視される時代が来る」

 

「……オーナーはなんて言ってるんですか?」

 

「挑戦できるレベルだと思うなら、して欲しいとさ」

 

「相変わらず豪胆ですね。自分なんかは世界と言われると、尻込みしてしまいますよ」

 

 正直、日本の競馬全体が海外のレベルに到達したとは思わない。

 けれど、ロータスとナリタブライアンは違う。

 この二頭は世界のレベルに匹敵する馬だ。

 

「まぁ……あとな……本当にここだけの話、別に相手が強いなら、俺は負けてもいいと思ってる」

 

「……なんでです?」

 

「今、ロータスはナリタブライアンがいるから、まともに走れてるように見えてるだけだ。……手を抜いてる余裕がないと言ってもいい」

 

 岡辺騎手とある程度、合わせているのも、言う事を聞いていると言うよりは、聞かないと邪魔されると思っているからかもしれない。

 ダービーに向けて集中できてた時にレースというものを憶えさせた事で、基本的な勝ち負けや前に出るタイミング、ゴールなども理解している節がある。

 

 だが、ロータスの我儘な性格は変わっていない。

 それは、今はまだ問題ない。

 

「……問題は完全に勝ってしまった時ですか?」

 

 ロータスはレースへのモチベーションをナリタブライアンに依存している。

 ナリタブライアンに勝つためにレースを走っている。

 

「ああ、もし、ナリタブライアンに勝ちきったり、そもそも、勝負できない状況になれば……」

 

「新馬戦の頃に逆戻りもありえますね……。だから、あえて厳しい勝負を挑みにいくと」

 

 荒療治と言うか、そもそも、あの性格はもう本当にどうしようもないし、それがロータスという馬の強さの一つでもある。

 なら、環境を整えるしかない。

 

「世界で勝って胡座をかけるなら、そりゃ、誰も文句なんて言えなくなる。ロータスの好きにすりゃいい。負けたら負けたでそれがモチベーションに繋がる」

 

「でも、あまりに大きく負けすぎると、それはそれで、やる気を失いません?」

 

 そもそも、海外遠征そのものがリスクの塊である事には違いない。

 

 行き帰りの飛行機。

 免疫を持たないかもしれない病気。

 食事、水。

 芝、ターフ、何を走るにせよ日本とは違う。

 海外で調子を落として、そのまま日本でも走らなくなる可能性だって考えられる。

 

 

「けど、それで折れるような馬ならこんなに苦労はしてないだろ。あの無駄なタフさと自尊心の高さは俺らが一番理解してる筈だ」

 

「……少し期待しすぎな気もしますが、負けてそのまま終われる馬ではないのは確かですね」

 

 納得こそしてないが、諦めたように笑う。

 腹をくくらざるを得ないと思ったのだろう。

 

「でだ、まぁ、ここからが本題なんだが。本当に行くか、とか、行くとしてどう予定を立てるかとかは、また別として、クリアしなきゃならん問題は俺たちの方にもある。……という事でこれだ」

 

 別の紙袋を取り出して、ファンレターを避けて机に広げる。

 嫌な予感はしていたようで、その中の一つを手に取り、口に出した。

 

「…………これからはじめる英会話の教科書……ですか」

 

「もちろん俺も行く事になるが、ロータスの担当をメインでしてるのは、お前だから。俺より現地に張り付く可能性は高い。簡単な英語くらいは喋れるようにしとけ」

 

「いやいや、自慢じゃないですけど自分、英語のテストなんて30点以上、取った事ないですよ?」

 

「だからやるんだろ」

 

「はー……マジですか。こんな勉強なんていつ使うんだよって逃げた中坊の頃のつけなんですかね」

 

「まぁ、実際に行けば五割はフィーリングでなんとかなるもんだ。あと、菊花賞が終わった後にでもパスポートを取りにいっとけ、ギリギリだとこっちの余裕もなくなる」

 

「……今もあんまり余裕なんてないですが」

 

「だいたい、いつもそんなもんだろ」

 

 忙しくなる時はいつだって、その前から忙しい。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 その馬と出会ったのは夏の終わりだ。

 焦げ茶の馬に勝ったレースの前。

 

 

 正面から歩いてくる黒い馬。

 小柄な体躯。

 

 正直に言うならスタミナはあるが、速く走る才能はあまりないように見えた。

 レースなんてした事ないのではないかと思う穏やかな目。

 それでも、その立ち振る舞いからは歴戦の風格がある。

 

『助かるよ。並の相手だと併せ馬でも、まともに走らなくてね……』

 

 隣り合わせに軽く歩く。

 成る程。

 間違いない、古強者だ。

 

 これまで走ってきた馬とは踏んできた場数が違う。

 わざわざ、私の練習のために用意してきたのか、ヒト畜生も大変だな。

 

『長期の休養明けでやるには申し分ない相手ですよ。なにせ、今年の有馬は苦労しそうですからね』

 

『……そこに向けての調整なら、確かに打って付けなのかな』

 

『クラシックからはナリタブライアンにそこのブラックロータス、牝馬からヒシアマゾン、古馬からビワハヤヒデ、そしてナイスネイチャも決して侮れない。……いや、強いですね』

 

『そうだな……』

 

『けど、勝ちますよ。勝って終わらせる。その為に俺たちは走るんです』

 

 黒い馬の上に乗ってたヒト畜生が何やら話してたが、そんなの関係ねぇ。

 

 走った。

 

 並んで、追われて、追ってみて。

 

 確かに強い。強いが、焦げ茶の馬のようなプレッシャーは感じなかった。

 黒い馬の全盛期はすでに超えている。

 

 力が、速さが、強さが足りない。

 何度やっても私が先に立つだろう。

 

 もはや真面目にやる必要もないか。

 

 そう思った最後の一度。

 負けた。

 

 油断はあった、それでも負ける要素などなかったはずだ。

 身体能力において、どこを取っても私の方が勝っている確信があった。

 

 それでも。

 最後に見せた一瞬。

 その猛獣のような覇気が宿った瞳、私はそれに負けたのだ。

 

 鋭く研ぎ澄まされ、一瞬に持てる全ての力を爆発させる。

 極限の精神力。

 

 体の全てを壊してでも勝つためだけに走る。

 純粋なる狂気。

 

 黒い馬からは出会った時の穏やかな印象はそこにはない。

 負けて食われるか、勝って食うか。

 

 サバンナに生きる血に飢えた一頭の獣であった。

 そんな相手に油断していれば咬み殺されるのは当たり前と言うもの。

 

『いい練習になりましたよ。また、お願いします』

 

 黒い馬がヒト畜生に引かれて歩いていく。

 

 焦げ茶の馬を除けば、他のどの馬より脅威に感じた。

 

 だが、果たして、あの馬はうまぁぴょい! に至れたのだろうか。

 感覚的にその資格はあったように思える。

 けれど、何かが少し足りなかった。

 

 それは生まれ持っての素質か、それとも、成した事か。

 それは分からない。

 

 けれど、黒い馬に私は強い何かを感じたのは確かだ。

 

 

 それからだ。

 定期的に黒い馬と走る事になったのは──。

 

 

 時々、負ける事はあるが、基本は私が勝つ。

 

 今日もまた私が勝ち越した。

 まぁ、それにしても、なかなかやる。

 

 舎弟くらいにはしてやってもいいだろう。

 今日からお前は黒い舎弟である。

 

『ロータス。なんかあの馬に対しては丁寧と言うか懐いてるな』

 

『……年上の友達感覚なのかもしれませんね』

 

『うーん……いつもぼっちだからな。ある程度、走れないと同族とすら認めてないとか?』

 

『あー、あるかもしれないですね、それ、ナリタブライアンに絡んでいくのも、案外、そう言う理由じゃないですか?』

 

『……そう考えると不器用なやつなのかもな』

 

『これで精神的に少しは成長してくれればいいんですけどね』

 

 ふむ。

 丸かった時の私はなんというか、脂肪に脳を乗っ取られていた気がする。

 やはり馬は飢えてなくてはいけない。

 ハングリー精神がないとハングリーではないのである。

 

 そこんところ、どう思う? 黒い舎弟?

 

「ヒィン」

 

 黒い舎弟は草を食いながら、こちらをちらりと見て答えた。

 

 成る程、私もそう思います。みたいな意味だろう。

 

 間違いない。

 私にはわかる。

 

 なにせ私は名馬だからな。頭もよいのである。

 

 な、黒い舎弟。

 

 

 

『楽しそうですね、ロータス』

 

『あんまり相手にされてないけどな』

 

『そういう関係でも本人が満足してるならいいじゃないですか。無視しないのはきっとライスシャワーの先輩としての優しさですよ』

 

 

 

 



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菊花賞、宇宙はなく、真理もない

 

 

 

 雨である。

 小雨がまだ降っていると言うのに、こんな中で走れとは。

 ヒト畜生っていつもそうですよね! 私のこと何だと思ってるんですか!

 

 なにを隠そう私は雨が嫌いである。

 雨の中を走ると私と世界が混ざり合い、ありのままの私が剥がされていくその感覚が好きになれない。

 後、濡れるとジメジメして気持ち悪いし、走ると泥がつく、つまり汚い。

 

 清楚、清潔、清廉をモットーとする私に泥がつくなんて許されざる話よ。

 

 やれやれ、ヒト畜生供は猛省すべき。

 猛省して今日のレースは中止にすべき、蛙も帰るし私も帰る。

 ゲコゲコ。

 

『そっちじゃないよ。帰ろうとしないでな』

 

 上のヒト畜生が引っ張ってくる、うざい。

 私のイライラゲージが緑色から黄色になる。

 普段、温厚で柔和な聖人君子でも助走をつけて殴りにくるレベルである。

 

 振り落としてやろうかとジャンプする。

 だが、中々に手強い。

 ジャンプしてる内に変なノリになり、気づいたらリズムに乗せて踊らされていた。

 な、何を言ってるかわからねぇと思うが、私にもわからん。

 催眠術とか超スピードだとか、そんな感じかもしれない。

 

『ハイハイ、落ち着いたらパドックに行こうね』

 

 頭に?マークを浮かべている間に歩かされる。

 

 ぼけーとしていても、視線には敏感なたちである。

 見られている。

 

 その方向を見れば、睨みつけてくる焦げ茶の馬。

 相変わらず白い変なものをつけている。

 その上にあるのは、燃えるような黒い瞳。

 

 睨まれたら睨み返す、メンチとは逸らした方が負けなのである。

 古事記にもそう書かれている。

 

『ほら、いこうか』

 

 しかし、やはり上のヒト畜生の言う事を聞いて、焦げ茶の馬は振り向くように歩いていく。

 

『……ナリタブライアン、今日は仕上がってるな。間違いなく、前より強いぞ』

 

 あの敵愾心は臆病さの裏返しだ。

 私と似て非なるもの、焦げ茶の馬の根本にあるのは恐怖である。

 相手を恐怖しているから立ち向かうために自らを奮い立たせているにすぎない。

 

 雨はだいたい止んでいた。

 まぁ、これぐらいなら走ってやるか。

 あの焦げ茶の馬に走らないで負けたとか思われるのも嫌だしな。

 

 

 大人しくゲートへ向かう。

 

 私は悟ったのだ、ゲートとはゲートであった。

 そこに宇宙はなく、真理もない。

 太陽が登り、やがて沈むように。

 ただ、そこにあるものが、ゲートなのである。

 

『うん、入ろうね』

 

 つまり量子力学を元にゲートを観測した時ゲートとは二つの意味を持つ、ゲートであるかそうでないかだ、ゲートがある時それはゲートである、だがゲートがないときでもそこにゲートはあるのである、つまりはゲートに入らなければいけないと言う結果に変わりはなく、私はゲートに入れられた。

 

 けれど、幸にして最後の方に入ったお陰か、すぐにゲートが開いた。

 

 しめたものである。

 開いたと言う脳からの電気信号が、足に届くより先に体がゲートから脱出をする。

 

 一斉に出てきた他の馬よりも僅かに速い。

 

 今日はいつもより泥が飛んできそうなので後ろを走る気はなかった。

 

 久しぶりに前の方に出る。

 先頭を取ろうととしたところで、並んでいた馬が加速して前をとられる。

 

 一瞬の隙をついた軽快な走りであった。

 

 こいつ、できる。

 敵になるのは焦げ茶の馬だけかと思っていたが、こんな奴がいたとは。

 

 ヒト畜生供の練習的にこのレースはかなりの長い距離のはずだと想定していたが、前の馬はかなりいいスピードだしていた。

 余程、スタミナに自信があるのだろう。

 やるじゃない。

 

『大逃げ……菊で逃げたら勝てない』

 

 前を走る馬を追い越してやろうとついていく。

 手綱からは、速度を落として下さいお願いします。と言っているが、それはそれである。

 

『抑えはきかないよね。そう言うやつだよ、お前は……』

 

 常に前を行くものだけが、選択の余地を持っている。

 走る場所。

 ペース。

 前に立つものだけの特権は多い。

 私が前へ出る以上、それを握られたままと言うのは許せないのだ。

 後、何より泥が飛んでくるのが許せない。

 

 前を走る馬はさらに速度を上げる。

 後続は遥か後ろである。

 

 私とこの馬の一騎打ちだ。

 なるほど、まだ未熟だが割とやりおる。

 だが、常に勝者は一人。

 

 コーナーへ入る前に競り合いに勝ったのは私だ。

 私の前を走ろうなどと、百年と四十九日は早かったな。

 抜き去った馬を尻目に走り出す。

 

 先ほどまで、前にいた馬はどんどんと後方へと沈んでいく。

 けれど、私は違う。

 ここから突き放す。

 

 軽やかにコーナーの内に入った時には、後ろとはかなり距離を離していた。

 体力はコーナーを曲がった後、直線の先にあるゴールまでならば問題なく持つ。

 これは勝った。

 

 余裕の勝利である。

 焦げ茶の馬はどうせ前の時のように来ないのだろう。どうやら、私は強くなりすぎてしまったようだ。

 

 完璧である。

 私は完成されている。

 

 そんな思考の中にノイズが走る。

 デジャヴだ。

 

『来る』

 

 影が迫っていた。

 プレッシャーが迫ってくる。これまでに感じた事のない強烈なプレッシャー。

 

 自分の時間が遅くなるような感覚の中。

 

 一歩。

 また一歩と。

 

 足音が近づいてくる。

 

 速いのだ。

 迫り来る影の方が、私より速いのだ。

 

 やはり、来るか。

 焦げ茶の馬。

 

 コーナーを曲がりきった時。

 すぐ後ろまで迫ってきていた。

 

『粘ってくれ!』

 

 直線を駆ける!

 ただひたすらに!

 余力も全て使い切って!

 

 後も先もない! 一度でも抜かれればそのまま負ける!

 本能がそう訴えかけていた!

 

 我武者羅に速度を上げて、尚、影の方が速い。

 先ほどよりはゆっくりと、だが、確実に締め殺すように影が首元へ迫る。

 

 その瞳が嫌でもわかるほどに近づいてくる。

 恐怖を超越した瞳だ。

 覚悟を灯した瞳だ。

 命を投げ捨てた瞳だ。

 

 全力を超えた肉体を飛び越して、ただ先だけを向いていた。

 

 気に入らない。

 負けるのは嫌だ!

 惰弱の証明、劣等の烙印、敗北は私を壊す!

 

 勝たなければ!

 勝たなければうまぁぴょい! に届かない!

 

 けれど、限界と言うものは存在する。

 全力の疾走は必要以上にスタミナを削り取る。

 私の体力が枯れ果てるのも時間の問題であった。

 だが、焦げ茶の馬とてそれは同じ事だ。

 互いに互いが引くまでのチキンレース。

 

 もはや意地である。

 最後に残った僅かな体力を燃やし、意地だけで走っていた。

 

 この私が無様にも、息を切らせて、ただ祈りながら走っていた。

 

 少しでも、ほんの少しでも先へ逃げる。

 被食者の如き逃走。なんと無様な疾走か。

 

 眩暈がする程の速度を保ち、全身の血を垂れ流すように走り続ける。

 息をするたびに何かが削れていく。

 

 速く!

 

 はやく!

 はやく!

 はやく!

 はやく!

 はやく! 終わってくれ!

 

 限界だった。

 足も、肺も、脳も、心臓も、振り絞った。

 それでも。

 最後の最後。

 

 目線の位置が、僅かに奴の方が先にあった。

 後、ほんの少し届かない。

 

『頼む!』

 

 そう思った一瞬の事だった。

 鞭が尻に飛んできた。

 

 あひぃん!

 

 力が抜けて限界の一歩だけ先へ踏み込んでいた。

 

 そのまま、焦げ茶の馬と並んでゴールを超える。

 

 その後はヘロヘロになって歩いているのか走っているのかもわからない歩幅になり、ゆっくり足を止めた。

 

 な、何するだー!

 走ってる途中に鞭で叩くなんて! なんたる非道!

 

 放り落としてやろうかとキレたくなるが、体が碌に言う事を効かない。

 立っているのがやっとだ。

 後日仕返しするので今すぐ降りろと、上のヒト畜生を見るが、まるで明後日の方向を見ていた。

 

『……やったか?』

 

 同じく息を切らす焦げ茶に乗るヒト畜生も同じ方を向いていた。

 目線の先。

 

 そこには、よくわからない文字を出す、デカイ板があった。

 

 

 

━━━━━━━━━━━

 

 

 

「今の……負けてそうでしたけど、鞭を入れたお陰か、最後の最後に伸びて分からなくなりましたね。どっちでした?」

 

「勝った! 今のは勝った! 間違いない!」

 

「……本当ですか? 違ったら恨みますよ」

 

「……いや、正直、わからん。しっかし、後続を何馬身離したんだ。GIだぞ、菊花賞だぞ」

 

「大差ですね。どっちも怪物ですよ」

 

「違いない」

 

「判定がでたみたいです」

 

「……」

 

「……ぁ」

 

「……よし! よし! 勝った! 勝ってる! ……! 勝ってる!」

 

「タイムは……3分3秒! ハハ……笑うしかないですね! 去年のハヤヒデのレコードを1秒以上もこえてますよ!」

 

「よくやった! よくやったよ! 初のGⅠ勝利だ!」

 

 

━━━━━━━━━━━

 

 

 どれくらいの静寂が続いたのだろうか。

 ざわざわと小さな騒めきが、爆発するように数多のヒト畜生供の大声が津波のように響いた。

 

 歓声と怒声。

 叫声と罵声。

 

 その全てが私に向けられていた。

 

 馬鹿騒ぎである。

 あまりにも五月蝿いので耳を塞ぎたくなる。

 

 上のヒト畜生も拳を握りしめて喜んでいるのか、やたらと此方を撫でてくる。

 いや、別にお前、自分で走った訳ではないやん。

 走ったのは私だ。

 

 そんな中、何故かその声だけがやたらと耳に響いた。

 

『クソ! お前のせいで!』

 

 後ろから私の足元に何かが転がってくる。

 空き缶だ。

 

 それまで喜んでいた鞍の上のヒト畜生が一変して声をあげる。

 

『何考えてる! 物を投げ入れるな!』

 

 ヒト畜生供の群れの中。

 投げたであろうヒト畜生は年齢をいってそうな顔をしていて、何ごとかを叫んでいた。

 意味はわからないが、敵対的な目と声。

 

 なるほど。

 やれやれ、全然、届いてないじゃないか。

 まったく、ヒト畜生は喧嘩の売り方のなんたるかも知らないらしいと見える。

 よろしい、刮目せよ。

 

 空き缶を後足で止め、軽く蹴り上げ、空中で思い切り蹴る。

 

 カァンッ

 

 いい音と共に直線上に飛んでいく。

 投げてきたヒト畜生の正面だ。完璧なキックである。

 ハワイでおかーちゃんに教わったキックだ。

 返ってくると思わなかったのかヒト畜生は手で取れず、顔面でキャッチした。

 

 なんと無様な。

 

 やめてよね。

 本気で喧嘩したら、ヒト畜生が私に敵うはずないだろ。

 

 その後、そのヒト畜生は似たような服を着たヒト畜生に連れて行かれた。

 

 まあ、何だか知らないが、私は焦げ茶の馬に勝ったようだ。

 最後、上のヒト畜生になんか変な事をされたが、勝ちは勝ちである。

 

 焦げ茶の馬を煽ろうとしたら、すでにヒト畜生に連れられて、出ていこうとしている最中であった。

 

 何も言わず連れられていく。

 焦げ茶の馬。

 

 ただ、ちらりと見えたその瞳は、黒い舎弟の瞳より、更に黒く光って見えた。

 

 どこか禍々しく。

 鮮烈に。

 

 

 

 



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いつも通りの私

 

 

 

「ビワハヤヒデは引退ですか……」

 

「……屈腱炎か。いい馬だっただけにハヤヒデの引退は惜しいな。走ってる姿を見るたびに、あぁ、俺もこう言う馬を育てたいなぁって思ったもんだ」

 

「うちにはロータスがいるじゃないですか」

 

「そうなんだが…………なんか……こう、さ。……ちょっと違うじゃん。タイプと言うか……な?」

 

「言わんとする事は分かりますけど、そんなだから子供の教育を間違えたとか言うハメになるんじゃないですか?」

 

「その話はやめろよ。俺は息子が普通の大学にいって、普通の仕事してくれたら、それでよかったんだ……」

 

「親のエゴってやつですね……。人の家の事情なんて知ったことじゃないんですが、うちとしては騎手を探さなくてよくなったのは助かりましたね」

 

「ハヤヒデの主戦騎手だったからな……。本人に、無事だったならどっちに乗りましたか? とか聞くなよ」

 

「…………そう言うとこですよ」

 

「な、なにがだよ」

 

「別にいいんですけど…………お、見てください。有馬記念、ツインターボにも枠がありますよ」

 

「お前、好きだよなーその馬。テレビとかでよく取り上げられてるけど……正直、GⅠクラスに出ても無理だろ」

 

「はー……勝った負けたじゃないんですよ。競馬の中にある夢や浪漫、ツインターボはそれが詰まった走りをする馬なんです」

 

「……やっぱり、俺はあんまり好きになれないな。美化されたり、笑いものにされたり……上手く言えないけど、不純に思える」

 

「それ、空き缶蹴る姿をテレビで放映されまくってるロータスの前でも言えます?」

 

「いちいち、アイツ持ち出してくるのやめろ。お前こそ、ロータスとツインターボ、有馬で走るなら、どっち応援する気だよ」

 

「そりゃ、ツインターボを応援しますよ」

 

「おいおいおい即答したな」

 

「アイツは放っておいても、まともに走ったら掲示板には入れますよ。でも、ツインターボは自分が応援しなくちゃ勝てないじゃないですか!」

 

「好きな球団のために球場に行く飲み屋のオヤジみたいな事を言いだしたな。……仕事に支障がでないようにな」

 

「それは勿論です。まぁ、ロータスの事で一件、問題があるんですが」

 

「……問題?」

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 やばい。

 時々、見かけるあの黒鹿毛の彼女がすごい。

 

 な、な、黒い舎弟。

 やばくない? マジ、マブイって言うか。

 清楚系って言うか、ゆったりとしたお嬢様みたいな雰囲気がめっちゃ好み。

 あと、顔と尻がいい。

 

「ヒィン」

 

 だよなだよな。黒い舎弟もそう思うよな。

 声かけたいな、でも緊張するわ、変な奴とか思われないかな。

 

 あ、ヒト畜生に連れられて近づいてくる!

 これは気があるのでは!?

 どうしよう、な、黒い舎弟、どうしよう!

 

「ヒィン」

 

 むしゃむしゃ、草食ってないで真面目に考えろよ!

 舎弟だろ。

 あ、近づいて来た! 来ちゃったよ!

 

『……確かにこれは、まずいな』

 

『今まで、調教帰りに時々、遠くですれ違うくらいで、まさかと思ってたんですけど』

 

 近くで見るとやっぱスタイルいい!

 肉感的でありながら尻の周りの筋肉は女性的で曲線美に溢れており、その伸びやかな柔らかさは太ももまで完璧に仕上がっている。

 唆るぜこれは!

 

 うーーーーー!

 うまだっち!

 

『ハハハ……元気だね。そっちの子は』

 

 彼女を連れているヒト畜生が笑っていた。

 いつも私の世話をしている下僕供はなぜか頭を抱えていた。

 

『恋ですね、これは』

 

『……またか、しかも、相手がよりにもよってヒシアマゾン……て』

 

 彼女を連れたヒト畜生が軽く撫でると、目を細めてスリスリしている。

 おい、ヒト畜生、そこを代われ。

 

『気の毒だとは思いますが、これは次の大一番、うちの子が勝たせて貰えそうだ』

 

 ねぇ、ねぇ、彼女、どこ住み?

 地球? えー、近所じゃん! 奇遇だなー!

 私も地球に住んでるんだ!

 やっぱ太陽がいい距離にあるのがよかったよね!

 

 ちょっと、太もも触ってもいい?

 グルーミングしよ! グルーミング!

 先っちょだけ! 先っちょだけだから!

 

『……いえ、ここまで来てもらって助かりました』

 

 ふぅ。

 彼女はヒト畜生に連れられて去っていってしまう。

 黒い舎弟、緊張して私なんか変な事言ってなかった?

 

「ヒン」

 

 そうだよな。安心した。

 いつも通りの私だったよな。

 名馬たる私がそんな動揺して変な言動とかする訳がないのだ。

 

『……尻の形かもな』

 

『え、何の話です?』

 

『ロータスの好みの馬だよ。前の時も気にはなってたんだが、見境なく発情する訳じゃないだろ?』

 

『むしろ他の馬に興味を示す事が少ないですよね』

 

『そう、それで、共通点を考えた訳だ。そしたら、ロータスの母馬もそう言う形の尻だったっけと思いだしてな』

 

『え、わかるんですか?』

 

『筋肉のつき方とかは大事だろ。……とは言え、どうしたもんかね』

 

『ヒシアマゾンと仲の良さそうな雄馬を探してきますか?』

 

『………………最初に出てくる案がそれかよ。流石にそれは最終手段だな』

 

『まぁ、対策はおいおい考えるとして、坂路いきましょう』

 

『そうだな』

 

 よし、帰るか。

 今日は黒鹿毛の彼女に会えて楽しかったね。明日はもっといい日になるよね、黒い舎弟。

 

「ヒィン」

 

 あ、なんでそっち引っ張る。家はあっちだろ。

 ぬわー。

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

 フォートウマペックス行動は三人チームで戦うゲームである。

 故に味方が弱いと勝てない。

 だから、これは初動時に突っ込んで落ちた味方が悪い。間違いない。

 

「あら、また、負けましたわね」

 

「……勝手に突っ込んだ味方のせい。私は一人落としたから、最低限の仕事はしてた」

 

 ゲーム画面のリザルトからロビーに戻る。

 

「ふーん。そう言うものなんですね」

 

「そもそも、バトロワってそんなに勝てるゲームじゃないし」

 

「勝てないゲームって面白いんですの?」

 

「勝てた時が嬉しいの……と言うか、パイセン何の用?」

 

 名優、メジロマックイーンパイセン。

 薄い白に近い紫の髪のもみあげを片手でくるくるしながら、私のベッドに丁寧に足を揃えて座っていた。

 

「いえ、少し気になって様子を見に来たのですが、いつも通りで安心しましたわ」

 

 それだけのためにわざわざ、小一時間ベッドの上で待っていたらしい。

 ご苦労な事だ。

 

「菊花賞は流石でしたね」

 

「まーね」

 

 菊花賞は最初から、ハイペースの戦いになった。

 そして最後の競り合いで私はナリタブライアンに勝った。

 

 ダイエットして、久しぶりの軽いトレーニングを積んだ私に隙はなかった。

 

 というか、精神的にナリタブライアンは緩んでいたのだ。

 天皇賞秋、姉であるビワハヤヒデの怪我。

 無意識の内にその影響が何処かにあったのだろう。

 楽に勝てた訳ではなかったが、私にはまだ少しの余力があった。

 

「次は有マ記念ですよ」

 

「勝つ。出るからには手加減しないって決めてるから」

 

「なら、少しはトレーニングくらいしなさいな」

 

「いや。そう言うの嫌い」

 

「また、皐月の時みたいに負けますわよ」

 

「問題ない。ふふふ……私はあと二回も変身を残している。その意味がわかるか?」

 

「わかりません」

 

 頬を引っ張られる。痛い。

 本気なのに。

 

 有マ記念。

 年末の、最後のレース。

 

 そう、出るからには本気でやらければならない。

 ならないのだ。

 

「勝つよ。私は」

 

「なら、いいんですけど……」

 

 それはそれとして、有マ記念。

 出走表を見た時、ティンと来た。

 

 黒い舎弟と黒鹿毛の彼女。

 彼らもこのレースに出ており、出会ったのもここら辺の時期だ。

 

 焦げ茶のアイツはナリタブライアンであるように、そのウマ娘も存在するはず。

 これまでそれらしいウマ娘には出会わなかったが、出走する顔ぶれを見て理解した。

 

 包容力があり、強い意志がある。喧嘩もしたが、いつも、最終的には頷いてくれる優しさを持つ。

 黒い舎弟。

 

 これはもう、ヒシアマゾンだ。

 

 

 そして、清楚でしなやかなお嬢様。忘れもしない麗しの輝く毛並み。

 黒鹿毛の彼女。

 

 これはそう、ライスシャワーだ。

 

 

 どちらもウマ娘としては、すれ違った事くらいしかないが間違いない。

 私が心の舎弟と初恋の相手を間違える訳がないのだ。

 

 QED証明終了である。

 

 ウマハハハ!

 

 

 



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有馬記念、一年の終わり

 

 

 

 車に乗せられて気づいたら走るところだった。

 最近、寒くなったと思ったらこれだ。

 

 ヒト畜生供も寒いだろうによくやるよ。

 冬眠とかしないのかね。

 

 私は先程まで安眠していたと言うのに。

 

『大人しいと思ったら、寝てたのか……ほら、行くぞ』

 

 車から降ろされると、隣の車から黒い舎弟も降りてきた。

 

 なんだ今日は舎弟も走るのか。

 そう言えばヒト畜生の集まる場所で一緒に走るのは初めてだな。

 まぁ、ゆっくりしていくといい。

 

『なんで、お前の方が態度でかいんだ……』

 

「ヒィン」

 

 待合室みたいな所に入ると、先の方に歩いていたのは黒鹿毛の彼女だ。

 なんと黒鹿毛の彼女も出るらしい。

 

 今日も尻がマブイ!

 オッス! オラ、ワクワクしてきたぞ!

 

 私の息子につけられた拘束具によって半ダッチになる。

 

『サック付けてもこれか……あ、こら、そっち行こうとするな!』

 

 へい、彼女、一緒にシンクロ率上げて暴走しないかい!

 鼻息荒く近づこうとしたら。

 軽く頬にぶつかってくるやつがいた。

 

 焦げ茶の馬だ。

 殺気にも似た視線を向けて見下していた。敵愾心を露わにして堂々と。

 その姿は以前にもまして迫力がある。これまでで一番の敵になるかもしれない。

 

 ここを生きて逃れられたらだがな。

 

 なんだぁ、テメェ。

 私、キレた。

 

 ツカツカと顔を近づける。

 血管が浮き出るほどにメンチを切り合い、威嚇し合う。

 もはや挨拶染みた行動になってきている。

 

 まあいい。

 殴り合いになれば私と舎弟でフルボッコにできるが、それで勝っても仕方がない。

 こいつにはレースで勝てばいいのだ。

 勝利を続ける私の方が引いてやる。

 私は丸くなったからな。

 

 でも、奴の足元に唾ははいておく。

 ペッ!

 

『柄悪いなぁ。でも、やっぱ、ナリタブライアンには手を出さないんだよな』

 

 おら、いくぞヒト畜生。

 踵を返してレースの待機場所へ向かう。

 

『あ、勝手に行こうとするなよ……場所あってるけど』

 

 引っ張られたヒト畜生が何か言っているが気にしない。

 やはり、私は生まれながらにして、先頭を行くべき名馬なのである。

 

 

 

─────────

 

 

 

─『1994年、今年を締めくくる、最後の大一番。有馬記念、マチカネタンホイザは蕁麻疹にて出走取り消しになります』─

 

─『どうでしょう、今年はやはりクラシック戦線を戦い抜いたこの二頭、ナリタブライアンとブラックロータス。この二頭の出来にレースが大きく左右されるでしょう』─

 

─『安定した速度とパワーを兼ね備えた競馬の理想、王道の強さを持つナリタブライアン。それに匹敵する速度を持ちながら圧倒的な持続力で逃げても追ってもロングスパートをかけ続けるブラックロータス。どちらも少しずれて産まれていれば三冠を取れる実力はあった風に思います』─

 

─『奇しくも前年のトウカイテイオーとビワハヤヒデを思い起こさせる血筋。去年の高鳴りはまだ続いているのか、中山競馬場にはたくさんの観客が詰め寄せています』─

 

─『勝つのはこの二頭か、それとも、古馬達が意地を見せるのか、はたまた、末脚の冴える女傑が届くのか』─

 

─『各馬順調に枠入りして行きます。ブラックロータスが綺麗に入ると拍手が起こりました』─

 

─『さぁ、最後の馬が入り……ゲートが開きました!』─

 

 

 

─────────

 

 

 

 完璧である。

 一度でも学んだ事は十全にできる学習能力、私は賢さの値がカンストしているかもしれない。

 

 最近、気づいたが、なんか高い所にいるヒト畜生、そいつが旗を下ろすとゲートが開く。

 つまり、そこさえ見ていればよーいどんで走れるのだ。

 

 一斉に走る馬。

 初っ端から先頭に立つのは私である。

 

 私であるが、すぐ後ろから何かが抜かしていった。

 

 早い。

 あまりにも早いスパート。

 その馬はどんどんと前に行く。

 

『大丈夫だ、追わなくていい』

 

 抑えてください、マジでお願いします。という手綱さばき。

 

 私は学んだのだ、ああ言うのは放っておいてもいい。

 と言うかだ。

 以前の奴より、まさかと言う感じの怖さを感じない。一目見てあの速度では走りきれないとわかってしまう。

 

 まぁ、それはそれとして、よく飛ばすな。

 私もそれなりに先頭の先にいるが、そんなレベルではない。

 

 とはいえ、あまり離されすぎるとそれはそれで腹が立つのでそこそこの気分で追いかける。

 

 先頭を突っ走る馬と後ろを走る馬。

 その間は二十馬身以上離れている。

 

 私はその間を自分のペースで走る。あんまり遅いと最後しんどいねんな。

 

『行こう』

 

 二周目のコーナーを前の直線でお願いされて速度を上げる。

 

 ほどなく前の馬にだんだんと追いついてくる。

 後ろから熱い視線を送ってみる。耳がピクリと反応する。軽く嘶いて存在感を出してみた。

 

 あ、ビビってる、ビビって逃げる速度上げた。

 

 ウマハハ、怖いか!

 怯えろ! 竦め! 足回りを活かせぬまま沈んでいけ!

 

 調子に乗って甲高い嘶きをあげる。

 すると、滅茶苦茶にビビったのか大外へと避けていってしまう。

 

 いや、ちゃうねん。

 なんか、流石に悪いことしたかもしれん。

 

 今度、何処かで会ったらりんご分けてやろう。

 

 まぁ、今は気にしても仕方がない。

 

『来てるよ』

 

 後ろから焦げ茶の馬が走ってくる。

 すでに他の馬は後方にいる。

 

 

 実際、舎弟にも彼女にも悪いが、このレースは私とこいつのマッチレースだ。

 ここからが本番と言ってもいい。

 

 ギアを入れ替える。

 私と焦げ茶の馬が土煙をあげてコーナーを回る。

 ここでは追いつくだけ前に出るつもりはないのだろう。

 

 それでも、油断をすれば食い込もうとしてくる。

 

 直線に入る。

 すぐ隣に並ぼうとしてくる。

 

 ここの直線は短い上に坂になっている。

 高低差200mはある坂だ。いや、たぶんその半分くらいかもしれない。

 

 そこを全速力で駆け抜ける。

 

 だが、速度が違う。

 これまでとは明らかに違う、焦げ茶の馬の速度が一段上にあるのだ。

 その速度で坂を駆け上る。

 

 あぁ、クソ!

 

 そこから先にあるのは死だ。

 動物の限界。

 速度の臨界点。

 それを超えた先に待っているのは遅かれ早かれ自壊しかない。

 

 骨、筋肉、蹄。

 どれかが物理的に逝く。

 

 私も、お前だって。生物としてこれ以上の速度に耐えれるように生まれていないのだ。

 才能がどうだとか、そう言う話ではない。

 本来、かかっているはずのリミッターが壊れている。

 痛みが枷となり、本能で抑えられているはずのリミッター。

 

 それを努力や精神力でこじ開けて無事で済むはずがない。

 

 体が壊れる時には後戻りできない壊れ方をする。

 つまり死だ。

 

 走って、走って、走って、それで死ぬ。

 

 冗談じゃない!

 そうまでして勝ちたいのか!

 

 身体を酷使して。命を削って。魂を焦がして。

 その果てに待つものは死だ。

 懸命な自殺。

 

 私なんかよりお前の方がよほど狂気染みている。

 外で叫ぶヒト畜生供の方がまだ理性的だ。

 

 

 抜かされる。当然だ。

 自分の体の事など歯牙にも掛けず、一心不乱に走ることだけに全てを懸けているのだ。

 

 目の前を走る焦げ茶の馬。半馬身離される。

 破滅に向かい駆けていくその馬。さらに半馬身。

 その姿は力強く、そして儚い。

 

 私は。私は──。

 そんなものに。

 

 負けて、たまるものか!

 

 いいよ! 懸けてやる! 私の命も!

 

 レースは嫌いだ! なんでこんな、疲れる事をしなければならない!

 ヒト畜生のお遊びに生き死にまで賭けるなんて! 心の底から冗談じゃない!

 

 けれど! それでも! 負けるのはもっと嫌いだ!

 私の前を走り抜ける奴は許せない!

 

 坂を上り切った、最後の直線、ここから追いつけるかはわからなかった。

 そもそもが、平地とはいえこれ以上の速度で走る事すら初めてだ。

 それでも、自らの殻を破り捨てるように。

 歯を食いしばり、深く、深く腰を落とす。

 

 走り方に迷いはない。

 目の前でやられている事をより速く実践する。それだけだ。

 

 地面が抉れるように蹄を掻き切り、足を伸ばせるだけ伸ばし、それを最速で行う。

 全身のバネを弾けさす跳ねるような一歩。

 

『いくのか? ……いけるのかロータス?』

 

 地面を掻き飛ばし、全身を躍動させ。

 今一度、加速する。

 

 うまぁぴょい!

 痛みと共に、脳裏に響くあの言葉。

 今がその時だと細胞が疼く。

 

 世界に映る焦げ茶の馬以外が灰色に染まる。

 不要な音が消え、焦げ茶の血流の音すら聞こえてくる。

 

 荒い息遣い。芝を掻き蹴る土の音。流れる風の音すら手に取るようにわかる。

 

 そんな中、小さく何か変な音が混じった。

 

 瞬間、焦げ茶の馬の速度が僅かに落ちた、限界に近づいているのだろう。

 ジリジリと追い詰める。

 僅かに、ほんの僅かだが、体力が持っているのは私だ。

 

 今、私の方が断然速い。

 

 間に合う。

 いや、間に合わせる!

 

 もう少し、もう少しだけ!

 もう少しだけだ!

 後、少し!

 

 少しの時間!

 

 少しの長さ。

 

 少しの速度。

 

 少しだけあれば。

 

 私が前に立っていたのに━━。

 

 目の前を走る焦げ茶の馬が、最後に全てを振り絞りゴールを駆け抜けていた。

 

 歓声が響き、世界に色がつく。

 

 首を振り空を見上げると光が刺していた。

 けれど、私は照らされない。

 

 

 レースは終わったのだ。

 

 二度目の敗北。

 半馬身の差。それは覚悟の差だった。

 

 全力で走った敗北の味はあまりに苦く。食いしばっても耐えれそうになかった。

 だから、耳を傾ける。

 

─『ナリタブライアン! ナリタブライアンがやりました!』─

 

 ああ、それか。

 ナントカブランアン。

 なんかイントネーションが怪しい感じがするが、そんな感じの名前。

 ヒト畜生がつける名前は連続しててよくわからんが、忘れないように耳から脳に刻みつける。

 

 お前の名前。

 

 顔につけた白いやつ。

 焦げ茶の馬。

 

 私の宿敵の名前と姿。

 

 ナントカブランアン。

 

 一度、こちらを振り向き、どうだと言う風に偉そうに笑っている。

 初めて負けた時の悔しさを思い出し、敗北を噛みしめて、次は私が勝つと睨み返す。

 

 それを受けてまた気分が良さそうに嘶いた。

 

 そして、前を歩こうとした。

 軽やかな足取りで。

 

 だから。

 或いはそれは必然だったのかもしれない。

 精神力で抑え込んでいた死神が、代償を求めるように浮かび上がる。

 

 

 

 目の前で、焦げ茶の馬がゆっくりと後脚の膝をついた。

 

 

 頭が真っ白になる。

 ヒト畜生供の歓声が悲鳴のようなざわめきに変わり、やがて全ての音が遠くなっていった。

 

 

 焦点の合わない瞳に映る、ぼやけた姿。

 

 呼吸を荒くし、必死に立とうとするが失敗する。

 慌ててヒト畜生が下りるが、変わらない。

 

 どれくらいたったのだろう。

 私は、ただ目を離す事すらできず、茫然と見ていた。見てしまった。

 

 意地かプライドか立ち上がり、よろめき歩こうとする馬の姿。

 立って歩く事すら必死になるその姿。

 

 それを勝者というには、あまりにも酷な姿だった。

 

 

 そして。

 

 もう、私は。

 本気のこの馬を倒す機会はこないのだと。

 

 その時、悟ったのだ。

 

 

 

 




第一部終わり


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ナリタブライアンというウマ娘

 飢えていた。

 勝利しても満たされない渇き。

 

 何処まで走れば満たされたのか、誰と走れば満たされるのか、自分でもわからない。

 ウマ娘として持って生まれた根源的な欠陥。

 

 それが変化したのはあの時だ。

 

 姉貴に誘われてトレセン学園の試験を受けた時。

 

 何の変哲もない模擬レース。

 

 そこにあのバカはいた。

 

 跳ねまくった茶色い髪を左右に結び垂らしているが、付いてるところが均等ではない。とりあえず、邪魔なのでまとめてきたと言ったやる気のない風貌。

 

 何処か近年活躍したウマ娘、トウカイテイオーに似ている顔立ち。

 

 その額から白いメッシュを垂らし眠そうな目で欠伸をしながら、更衣室に置いてこいと言われた携帯を弄っている。

 

 はっきり言って態度は最悪だった。

 けれど、そいつの周りだけまるで人がいないように遠巻きに見られていた。

 まるで腫れ物に触れないように。

 普段ならあまり気にならなかっただろう、それが一緒に走りたくないという忌避感のような類のものでなければ。

 

 

 しばらくするとレース場の周りに集められ呼ばれた順番に走るように指示された。

 

 ゲートもない、ただ、本当に走るだけのテスト。

 

 言い方は悪いが、取り立てて見るべき所のないレースが続く。

 それでも、勝った負けたで一喜一憂している姿を見ると、何処か羨ましくすら思えてしまう。

 

 何度かレースが繰り返され、私の番になる。

 なんの感慨もなくターフに立つ。

 

 

 次に呼ばれ、隣に立っていたのは例のウマ娘だった。

 

 近くで見るとよくわかる。

 他のヤツとは鍛え方が違う。今の体格に合うように完成されていると言ってもいい。

 そんな風に軽く観察していると視線に気づいたのか、訝しげな顔をしていた。

 

「なんだー、てめー、やんのか?」

 

 その第一声がこれだ。

 田舎のヤンキーだろうか。

 柄が良くないがトレセン学園とはこう言う雰囲気の場所なのだろうか。

 

 喧嘩を売ったつもりはないが、目線が少しきつかったかもしれないと内心で反省する。

 

「……別に」

 

 そう答えると、舌打ちをして前を向くそのウマ娘。

 確か呼ばれた名前は、そう、ブラックロータス。

 

 黒い蓮。

 全体的に黒くもなければ、花のような繊細さも感じなかった。

 名は体を表すとは言うが、例外もあるようだ。

 

 

 集められた七人で走る。

 距離は1200m、デビュー前、それもトレセンに入る前にしては少し長い距離だ。

 

 一斉にスタートする。

 いつも通り中段に入るつもりで前を取ろうとした。

 

 けれど、その隣を稲妻が駆け抜けていく。

 一人、出遅れた筈のアイツ。

 

 ブラックロータス。

 

 大逃げと言うにはあまりにも巫山戯た走り。

 咄嗟にレースの事など頭から抜けて追いかけていた。

 確信があった、奴はあの速度で走り抜くと。

 

 想像通り、いや、想像以上の速度でソイツは軽々と私より先にゴールを駆け抜けた。

 追いつけなかった。

 必死に縋り付く事すら許されなかった。

 

 何度やろうと絶対に勝てない。そんな、これ以上ない敗北だった。だと言うのに。

 どうしてか、走り切った後、私は笑っていた。

 

 勝っても勝っても満たされなかった何かが少し満たされたような感覚。

 それが無性に嬉しかった。

 

 

 

 レースの後に更衣室から出た時。

 私の前にブラックロータスが立っていた。

 

「……お前……名前は?」

 

 おそらくコイツにとって自分以外のウマ娘など眼中に無かったのだ。

 それだけ絶対的な実力を持っていた。

 

「フンッ…………ナリタブライアンだ……覚えておけ」

 

「なりた? ぶらいあん……なりた? なんとか? ナントカブランアンか!」

 

「ナ リ タ ブ ラ イ ア ンだ。……なんだその、ナントカって」

 

 バカにされたのかと思ったが、なるほどなーと何かを納得したように一人で頷くブラックロータスを見ていると、そうでもないらしい。

 ただ、なんとなくウマ娘の機微に鈍い私でもここら辺で察した。

 

 こいつバカなのではないかと。

 

 

 実際、トレセン学園に入った後、ブラックロータスの奇行は加速した。

 

 才能の差に押しつぶされて一月で辞めたルームメイトのベッドを改造してゲーミングPCを持ち込んだり。

 寮の共有冷蔵庫に勝手に自分専用のスペースを作ったり。

 次期生徒会長と目されるシンボリルドルフに喧嘩を売ったり。

 

 とにかく、ブラックロータスは好き放題していた。

 

 その上、碌に練習に参加しない。授業中はだいたい寝ているか、携帯を弄っている。

 平和なトレセン学園に突然現れた不良生徒である。

 

 トレーナーに関してもそうだ。

 アイツは自分に干渉しない事を条件に契約した。ヒト畜生などと呼んでいるし。

 破天荒と言えば聞こえはいいが、やってる事は無法以外のなにものでもない。

 

 

 けれど、その全てをブラックロータスは実力で塗り潰した。

 

 トレーナーを選ぶ模擬レース。

 五バ身差で圧勝。

 出遅れた上に、飯を食べ過ぎてゴールした後に吐いていたが。

 

 デビュー戦。

 三バ身差で圧勝。

 出遅れは勿論、大外とすら言えない逸走レベルの大回りで流しての勝利。

 ウイニングライブは下手くそだった。

 

 一勝クラス。

 出遅れ、いつもの圧勝コースだったが、レース中にトイレに行きたくて斜行した上で中断。

 まあ、仕方ないのか?

 

 一勝クラス二度目。

 私も出ており、一バ身差で負けた。

 勿論、出遅れた上でだ。

 壁の高さに思わず拳を強く握っていた。

 

 レースの後にあの下手くそな歌のサイドで踊らされる屈辱はなかなかだった。

 本気でそこは練習しろ。

 

 

 とにかく、ことレースにおいてブラックロータスと言うウマ娘は強かった。

 実力主義的な感覚を持つトレセンにおいて。勝つたびに批判は裏で言われるようになり、表立って批判するものは少なくなっていく。

 

 実際、根がバカで自己中心的で幼稚で我儘なだけで、そこまで悪い奴ではなかった事も幸いしたのかもしれない。

 次第にブラックロータスは極度の変人くらいの感覚で受け入れられた。

 

 そして、その強さはクラシックに入っても変わらなかった。

 

 

 皐月賞。

 私は初めてブラックロータスに土をつけた。

 直前までゲームしてたり舐めた真似をしていたが、一たび走ればそんな弱さなど微塵も感じさせないレースをするのがブラックロータスと言うウマ娘だ。

 ただ、この勝利は運が味方したように思う。百分の一をその時、たまたま拾ったようなものだ。

 競り合いの中、咄嗟にやった走り方、それが功を奏した。

 意表を突いた加速、自分でも思った以上に出た速度でギリギリ勝利した。

 

 

 ダービー。

 完敗だった。

 完膚なきまでに実力で捩じ伏せられた。けれど、トレセン学園に入る前の絶対に勝てないと感じる程ではなかった。

 後、一歩、もう少しで間違いなく私は届いていた。

 

 

 神戸新聞杯。

 改めてロータスがバカだと言う事を思い知った。

 太りすぎだ。

 何をしたらそうなる。

 そうなった理由を聞いても、どうしてそうしたのか、よく分からなかった。

 

 

 菊花賞。

 秋天で姉貴が怪我をした。

 それまで、自分の事ばかりで今日も姉貴は勝つだろう、そんな勝手な思い込みでレースすら見ていなかったのだ。

 心の何処かで蔑ろにしていた事を思い知り、何故か、怖くて病室まで行けなかった。

 

 これまで以上の練習をしたが、そんなものは関係ない。そんな状態で万全のロータスに勝てないのは当然だった。

 結果は言うまでない。

 

 

 

 菊花賞で負けた事で私の中の何かが吹っ切れたのかもしれない。

 姉貴の病室に行き、私と姉貴、一緒に作戦を考えた。

 久しぶりに話した気がするが、姉貴は姉貴だった。

 

 最後の有マ記念。

 レースは熾烈を極めた。

 

 中盤まで作戦通りに上手く行ったが、それでもブラックロータスはそう簡単に勝てる相手ではなかった。

 全力を出し尽くして尚、それを乗り越えてくる。

 いや、もしかしたら、ようやく本当の意味で本気で走ったのかもしれない。

 

 だから、だからこそ、最後は全てをかけた。

 これまでの過去も、これからの未来も。

 

 そして私は私以上の走りを完成させ。

 

 勝利した。

 

 

 ゴールを走り抜けた後は立っている事すらできなかった。

 

 けれど、己の持てる全てで勝ち取った勝利は何者にも変えがたく。

 トレセン学園に入る前の渇きも、もはや感じなかった。

 

 私は満たされたのだ。

 

 

 だから。

 

 

 後悔などありはしない。

 

 

 



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日経賞、 程々にやればいい

 

「ナリタブライアン、休養で済む怪我だったのは不幸中の幸いでしたね。中山で見た時はダメかと思いましたよ」

 

「立てなかったのはレースの疲労が大きかったのかもな。とは言え半年は痛いよな」

 

「宝塚も間に合わないとなると、再始動は天皇賞の秋とかからですかね」

 

「そうだな。……それで、うちの方の調子はどうだ?」

 

「有馬でも、あれだけ走って怪我なんかはなかったですけど」

 

「……メンタルだよな」

 

「最悪の一歩手前くらいで落ち着いてます。嫌々でもやってた練習も碌に走らなくなりましたし、たまにやっても上の空」

 

「重症。わかりやすく腑抜けたか。……変な所で賢い奴だからな」

 

「今年のローテーション見直しますか?」

 

「……いや、多少、荒療治だがやはりロータスには敵が必要なんだろう。アイツが勝ちたいと思える敵が。その意味では今のままの方が都合がいい」

 

「日本では日経賞、天皇賞春まで走って、欧州に出てキングジョージ、凱旋門を目指すんですよね」

 

「ああ」

 

「大丈夫ですかね?」

 

「わからん。わからんからこそ行くんだ。このままだと、レースでまともに走らなくなる」

 

「……まあ、でも杞憂と言う事もありますよ。ロータスの事ですし、レースに出ればケロッとしてる可能性もありますって」

 

「そうだといいんだがな……」

 

 

━━━━━━━━━━

 

 

 シリアスとか糞だなと思う今日この頃である。

 馬生とは楽しく豊かでなくてはいけない。

 

 その為には、まず、嫌な事はしない。

 NOと言える勇気、そんな心を持つ馬であるべきなのだ。

 

 ヒト畜生の言うことをホイホイ聞いてたら命がいくつあっても足りないのである。

 

 だから、そう、これからは程々にやろうと思う。

 ヒト畜生の遊びに命をかける義理などないし、怪我してまで勝ちたいとは思わない事にした。

 程々に勝ち。

 程々に負けても、それを許容する精神。

 それが大事。

 

 そう言う大らかな気持ちで物事を捉えると、これまで見えなかったものも見える気がするのだ。

 これが大人になると言う事だろう。

 いや、悟りの境地と言っても過言ではない。

 争いとは競争より生まれ、そこから解脱しなければ悟りを開く事はできないのである。

 

 これからは馬生イージーモードで生きていこう。

 

 な、舎弟。

 

「ヒーン」

 

 なんか睨まれた。

 最近、近づくとピリピリしだすのだ。冬のレースで私に負けた事を根に持っているのかもしれない。

 これまで並んで練習する事はあったが、実戦でやった事はなかったからな。

 思ってた以上に差があって悔しいのか。

 

 やれやれ。

 程々にやればいいと言うのに、真面目すぎるのも考えものである。

 

 そもそも、私と舎弟では生まれ持ったものが違いすぎる。

 それはどうしようもない事なのだ。

 だから、な?

 

 舎弟の瞳孔が大きく見開かれる。

 

「ヒィィン!」

 

 明らかに敵意と威嚇のこもった嘶き。

 蹄を地面に叩きつけ、その目には怒りにも似た感情が篭っている。

 

 慌てた様子でヒト畜生が宥めているが、息を荒げ舎弟は落ち着く様子を見せない。

 

『どうした!? ライスシャワー!? 落ち着け、落ち着いてくれ!』

 

 なんだよ。

 めちゃくちゃキレるやん。

 勝手に格付けされたのが気に入らないのか。

 

 けれど、事実は事実である。

 私と焦げ茶の馬との勝負に割って入れもしなかった。

 恐らく、全盛期の状態でもそれは変わらなかっただろう。

 それが日に日に力が落ちてる今の舎弟に勝てるわけがないのである。

 そもそも、舎弟が勝てる相手ってそんな強い奴なんて、いなさ━━

 

「ヒィン!」

 

 アイターーー!

 どついた! 舎弟がどついてきたー!

 おかーちゃんにもぶたれた事ないのに!

 

 ヤロウ! ブッコロしてやる!

 

『一旦、離しましょう! 人、近くの人呼んできて!』

 

 上下関係はっきりさせてやるよ! と意気込んだ所で、無理矢理、数人のヒト畜生に引っ張られて引き離された。

 

 離せー!

 離せヒト畜生ー! 離せばわかるから!

 

『落ち着きなさい!』

 

 意外! それは鞭!

 あひぃん!

 

 レフェリーー! 私は悪くないのに鞭で尻を叩くのは反則! 反則では!?

 

 首を横に振るヒト畜生。

 私は思い出した。

 所詮、ルールとはヒト畜生の生み出した業にすぎないのだ。

 

 チクショーメー!

 舎弟も覚えてろよ!

 泣いて謝ったって許してやんねーんだからなー!

 

 そんな私の遠吠えはそれなりに響いた。

 

 結局、その日から、黒い舎弟と顔を合わせる事はなくなった。

 別に構わない。

 

 元より私は一頭で完結している。

 私と走れる奴なんて最初からいなかったのだ。

 

 そう、だから。

 孤独が私を強くする。

 

 

 

 別に寂しくなんかない。

 

 

━━━━━━━━━━━━━

 

 

─『それぞれゲートへ入っていきます』─

 

「一番人気のダークホースだそうです。ロータス」

 

「本命なのに穴馬なのか。……わからんでもないのが悲しい」

 

─『ブラックロータス入るのを嫌がっております』─

 

「ゲートというかレースを嫌がってる? ……走りますかね?」

 

「少なくとも以前のようには走らないだろうな。今朝も集中力や気迫が欠片も感じられなかった……」

 

─『泣きの三度目なんとかゲートイン。第43回日経賞。さぁ、各馬一斉にスタート』─

 

「……あ」

 

「あー、出遅れましたね」

 

─『ブラックロータス僅かに出遅れたが、大丈夫か?』─

 

「……集中してないからな」

 

「それでもすぐに追いつけてるんで問題はなさそうですけど」

 

 

 

「…………」

 

 

 

「…………」

 

 

 

─『大外からブラックロータスあがってくる。こんなに早く仕掛けて、それで勝てるのがこの馬の強みではあります』─

 

「……おいおい、そこまで外に回さなくてもいいだろうに」

 

「悪い所が出てきてますね。なんとか岡辺さんの方が合わせてますけど……半分、暴走してますよ」

 

─『ブラックロータス、ライスシャワー並ぶ』─

 

「え、そこから内にいってライスシャワーと競り合うのか……?」

 

「いえ、抜かしました」

 

─『最終カーブ、ブラックロータスが抜けていく。やはり、強い! 出遅れや位置取りなど関係ない!』─

 

「あ……あー……」

 

「いけるのか……! いや、いったな」

 

─『脚が違う! 一馬身、二馬身とリードをあけていく!』─

 

「いきましたね」

 

「……流石にこれは勝ったか」

 

「…………ぇ?」

 

─『おおっと、先頭ブラックロータス減速した! 後方との距離は二馬身もないぞ。抜けたインターライナーとライスシャワー突っ込んでくる、間に合うか!?』─

 

「うぁ!? 故障!?」

 

「いえ、脚に異常はなさそうです! あー……もう、むちゃくちゃですよ」

 

─『懸命に追いかける、けれど半馬身! 半馬身届かせないままゴールイン! ブラックロータス前に出るのを許さなかった! 本気を出すまでもないと言う事か!』─

 

「…………はぁーーー……勝った」

 

「なんとか……勝てましたね」

 

─『確定しました。一着、ブラックロータス。二着、半馬身差インターライナー。三着、僅かに遅れてライスシャワー』─

 

「……勝てたけどな」

 

「なんだったんですかね、あの減速」

 

「流したつもりか、やる気がなくて走りきらなかったか。……まさか、ライスシャワーに譲ろうとした? いや、なんにせよ、変に疲れた」

 

「ほんと、無駄にカロリー使いましたよ。絶対に騎手の言う事きいて普通に走った方が楽に勝てたでしょうに……」

 

「まぁ、アイツの考えてる事なんて頭かち割ってもわからんだろうさ」

 

「それより、疲れました。帰ったら肉食べましょう肉。すき焼きとかどうです?」

 

「……話の流れ的になんかサイコパスっぽいな。まぁ、いいけど。…………ん?」

 

「どうしました?」

 

「ああ、いや、ライスシャワーの目がな…………。案外、天皇賞はまともに走れないとあっさり負けるかもな」

 

「空馬とかでですか?」

 

「その話はやめろ……」

 

 

 



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天皇賞 春、 黒い舎弟

「海外遠征?」

 

「そう、メジロ家がサポートするので、どうでしょうか? ……と言う話を頼まれまして」

 

 椅子に座り自前で用意した紅茶を優雅な仕草で飲みながらマックパイセンはそう言った。

 

「なんでまた?」

 

「まぁ、名家のしがらみと言いますか」

 

 今年からURAが海外遠征に積極的な姿勢を見せているので、色々と幅を聞かせてるメジロの家としても後援した実績の一つや二つは持っておきたいとかなんとか。

 そんな小難しい理由は別にどうでもいい。

 重要な事。

 それは。

 

「人の金でタダ旅行かー」

 

「わたくしとしては別にその認識でもいいんですけど、ウマ娘として少しは興味ありません? 凱旋門とか?」

 

 凱旋門。

 知っている。

 そう。

 

「あの……なんか。すごいレースでしょ」

 

「具体性の欠片もない見解で逆に安心しましたわ」

 

 日本のレースなら授業でやったが、海外のレースとか多すぎて覚える気にならなかったのだ。

 まぁ、観光がてら寄るのもいいかもしれない。

 とは言え、問題もある。

 

「行くのはいいけどさ。イギリスってご飯、美味しくないんでしょ?」

 

「…………え? あ。……ロンドンにもウェントンアーチと呼ばれる凱旋門があるのですが。私の言う凱旋門賞が行われるのはフランスですわ」

 

 ロンドン。

 聞いたことがある、よく橋が落ちてる所だ。

 フランス。

 知っているぞ、RPGに出てくる街みたいな所だ。

 

 しかし、同じヨーロッパにも色々あるらしい。

 世界は広い。

 

「……フランスのご飯は美味しいの?」

 

「フランス料理ですわよ!? フランスは美食の国と言っても過言ではありませんわ! なんでイギリス料理のことを知っていて、フランス料理を知らないんですか!?」

 

「ネットで得た知識だから!」

 

「なぜ誇らしげに!?」

 

 ネットの深淵は高尚な知識よりも、笑えるネタの方が広い情報を得られるのだ。

 つまり、フランス料理とやらはネタにならないくらいの味だと言う事だろう。

 

「そのフランス料理とは、何カップ麺くらいうまいの?」

 

「……その単位が意味不明なのでわかりませんが。今度、わたくしの家でディナーでもご馳走しますよ。本物のフランス料理と言うものを教えてさしあげますわ」

 

「流石、パイセン太っ腹ー!」

 

「ふ、太くありませんわ!」

 

「え?」

 

「え?」

 

「……」

 

「なんで黙るんですか!?」

 

 正月が開けてからパイセンは少し丸くなった気がする。けれど、気のせいなのかもしれない。

 そうだ、きっと本人が自分の事を一番わかっている筈だ。

 私が出る幕ではない。

 

「パイセンは太ってなんかないし、裏表のない素敵なウマ娘です」

 

「なんか言わせたみたいになって凄い抵抗があるんですけど……まあいいですわ」

 

 いつの間にか立ち上がっていたパイセンがスカートを整えて座り直す。

 

 

「次は天皇賞ですわね。……貴方の調子はどうです?」

 

「変わらんですわ。いつも通りって感じ」

 

「そう……ですか」

 

 何か言いたげに口をパクパクですわとさせるが、そこから声が出ないのか押し黙る。

 まぁ、何が言いたいのかわからないでもない。

 

「ナリタブライアンのこと?」

 

「……え、ええ。部外者のわたくしが口を出すことではありませんが、貴方、まだお見舞いにも行ってないのでしょう?」

 

 有マ記念から数ヶ月。

 それなりに回復して歩けるようになったとは聞いている。

 

「同情する気もないし、引け目を感じるつもりもないよ……だから、いかない」

 

 本気で戦う事を望んだのは相手も同じだ。

 負けたと言う結果には文句があるが、過程に後悔はない。

 

 それでも、痛ましそうな顔でこちらを見るパイセン。

 

「ま、天皇賞は楽に勝つよ」

 

「……そう。まぁ、楽に勝てるかはどうでしょうかね」

 

 含みのある言い方だ。

 

「誰かいるの?」

 

「ライスシャワーさんがいますから」

 

 黒鹿毛の彼女。

 あれ?

 ここら辺で戦った事、あったっけ? 

 いや、この時空は時間が歪んでいるから、そう言う事もあるのかもしれない。

 

 向こうの私は彼女に負けた覚えはない。

 

「……強いの?」

 

「それをわたくしに聞くんですか……」

 

「もしかしてパイセン負けたの?」

 

「……知らないのですか? 春の天皇賞、三連覇を目指す最後の戦いで負けました」

 

「はー」

 

 やるやない。

 パイセンはすごいからな。そのパイセンに勝つとは中々すごいのである。

 

「……彼女は生粋のステイヤーです。小柄な体躯は本来走るのに不向きですが、彼女にとってそれはそれだけ長い距離に特化した体つきと言う事でもあります」

 

「でもパイセンもステイヤーだよね」

 

「そうですね。ただ……純粋なステイヤーとしてならライスシャワーさんの方が上かもしれませんね」

 

「GⅠ勝ちまくったパイセンよりー?」

 

「あくまで適性の話です。わたくしが自分の実力を100%発揮できる距離が2~3000mだとするなら、ライスシャワーさんは3~4000mくらいだと言う話ですわ」

 

「……ふーん」

 

 いや。まさかな。

 まさかまさかである。

 

 ライスシャワーが黒い舎弟なはずはない。

 ないよな?

 

 

「そう言う貴方は自身の得意な距離はいくつだと思っているのですか?」

 

「私? 私の得意距離は……」

 

「……」

 

「13Kmや」

 

「…………へー。すごいですわね」

 

 冷たい目だ。

 パイセンが養豚場の豚を見るような目で私を見てくる。

 

「……正直、自分の適性距離なんてわからんちん」

 

「だったら、最初からそう言いなさいな……」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 鬼気迫ると言う言葉がそこにはあった。

 

 黒い舎弟。

 その日の舎弟には鬼が宿っていた。

 

 限界ギリギリまで引き締められた筋肉。

 底冷えするような怖気を放つ視線。

 深い息遣いには貫禄すら覚える。

 

 驚嘆した。

 ほんの数ヶ月。数ヶ月で馬とはここまで変われるものなのか。

 それも成長期を過ぎ、衰えに入ったはずの馬がだ。

 

 その肉体に一欠片の余剰もない。

 かつて併せで見せた一瞬の覇気。

 それが当たり前のように纏わり付いている。

 むしろ、これこそが本来の在り方であると言うように前を歩いて行った。

 

 

 レースが始まる。

 いつもの手順の後。

 ゲートが開くと同時に駆け抜ける。

 今回は別にヒト畜生を見ていなくても、なんとなくタイミングがあった。

 余裕である。

 

 だが、ゲートから出てすぐ、予感があった。

 いや、予期させられた。

 

 先頭を走る私の後ろにピッタリと付いてくる舎弟。

 

 狙いは最初から私だ。

 当然である。勝つのは私なのだから。

 

 しかし、後ろにいては勝てないのだ。

 前を走るものこそが主導権を持ち、レースを統べる。

 

 ペースを速くする。

 ついてくるのに必死になるように。

 

 一周が過ぎる。

 また、坂がくる。

 ちょっと、この道、険し過ぎない?

 

 馬生じゃないんだから山あり谷ありじゃなくて、走りやすいように平坦にしておけとあれほど言ったのに。

 ヒト畜生供め、自分で走ってみろと言うものだ。

 

 坂の頂点。

 

 そこからラストスパートをかける。ここで引き離すつもりで駆け抜ける。

 その速度は並の馬ならば充分に引き離せる筈だった。

 

 だが、一頭。まだついてくる。

 やはり今日の舎弟は一味も二味も違う。

 

 けれどその顔は必死である。必死であり、必死でもある。

 

 舎弟が走る道の上に幾重にも死線が見えた。

 もしかしたら、これが舎弟の最後になるかもしれない。

 そう思わせる走り。

 

 速度の限界ではない。

 舎弟の限界だ。

 

 いつ割れてもおかしくない薄氷の脚で駆け抜ける。

 ナントカブランアンと違うのは舎弟自身がそれを理解している事だ。

 やはり狂気である。

 

 その瞳の中は狂気に満ちていた。

 

 ならば、私が引導を渡す。最後にもう一段階ギアを上げる。

 

 程々は終わりだ。

 やはり負けるのは性に合わない。

 

 ここから本気で走る。

 それで終わりだ。

 私の勝ち。

 

 そう思って脚に力を入れる。

 入れた。

 

 入れたはずなのに。

 速度が出ない。

 

 脚がまるで足枷でもかかったかのように重くなる。

 本気を出しているつもりなのに失速していく。

 

 まただ。

 また、これだ。

 前のレースの時も起きた。

 この気持ちの悪い感覚。

 

 何かが私の脚を引っ張るのだ。

 

 私の全ては私のものであるはずなのに。

 何かが邪魔をする。

 前に行こうとする脚が見る見る鈍っていく。

 

 それを今の黒い舎弟がその隙を逃す筈がない。あっという間に隣に並ぶ。

 

 その目はもはや、私を見ていない。

 見ているのはゴールの先のみ。

 その炎のような瞳に気圧される。

 

 巫山戯るな。気圧される?

 この私が?

 巫山戯るな! 敗北を享受する?

 巫山戯るな!

 

 私はもっと速いのだ!

 私はもっと強いのだ!

 私は━━!

 私は

 

 私はなんなんだ?

 

 目前に敗北が迫って尚、意思が、魂が奮わない。

 響かないのだ。

 うまぁぴょい!

 今、私の脳裏にその言葉が響かない。

 

 私は資格を失ったのか?

 

 抜かされる。

 抜かされたまま、追いつけない。

 

 

 そのまま、ゴールを駆け抜ける黒い舎弟をただ呆然と見送った。

 

 

 

 確かに今日の舎弟は強かった。

 けれど、本気を出せれば勝てたはずだ。

 ナントカブランアンと戦った時の半分でもあれば、この差はつかなかった。

 

 何でこんなに私は弱くなった?

 何が私を弱くした?

 

 身体に異常はない。

 疲労も、怪我も、外的要因が存在しない。

 何故?

 どうして?

 

 勝利とはこんなにも遠いものだったろうか。

 敗北とはここまで苦しいものだったろうか。

 

 噛み締めたハミは硬い。

 

 やはり敗北など嫌いだ。

 ヒト畜生だのは関係ない。

 

 私はただ、誰が相手だって負けるのが死ぬほど我慢できないのだ。

 

 

 もう一度、そうもう一度やれば私が勝つ。

 なのに、目の前に立つ舎弟を見た時、そんな考えは吹き飛んだ。

 

 全身から汗をたらし、息も乱れていた。

 たった一度走っただけなのに、あの鬼気迫る程の気迫は鳴りを潜め、整えられた筋肉は疲労によりバランスを崩し、毛並みなど見る影もない。

 

 ただでさえ小さい体がさらに一回り萎んで見えた。

 全身ボロボロだ。

 

 もう一度走れ? そんな事が言える筈がない。

 今、走りきれた事が奇跡に近い。

 

 私はこんなボロボロの相手に負けたのか。

 

 舎弟も、そうまでして勝ちたかったのか。

 そうまでして、勝ちたいものなのか。

 

 揺れる視界の中。

 

「ヒィン」

 

 軽く頭で小突かれた。

 

 そう、黒い舎弟は何かを託すように小突いただけだった。

 たった、それだけだった。

 交わす言葉もない。

 

 

 ただ、燃え尽きたような。

 全てを出しきったような。

 そんな晴れやかな目で私を見ていたのだ。

 

 

 敗北によって冷えきった体の中で、小突かれた場所だけが異様な熱を帯びたように。

 どうしようもなく、私の心を掻き乱した。

 

 

 

 

 




タイトルミス修正


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お前は

 

「むーん」

 

「……な、なんでしょうか?」

 

 黒鹿毛の彼女に由来するであろう先の方がカールした黒い髪と黒いドレス衣装。

 その中に場違いな腰の短刀。

 

「なるほど……」

 

 どうやら認めざるをえないのかもしれない。

 

 ライスシャワー。

 

 今まで気づかなかったが、かなりの勝負師だ。

 天皇賞、春。そのターフにまで短刀を持ってきて、やる事など一つしかない。

 

「私が先にやるよ」

 

 ライスシャワーの腰にある短刀を引き抜いてクルクルと回して逆手に構える。

 

「あ!? 危ない! 返してください!?」

 

 危険は百も承知だ。

 だが、そのスリルを楽しむためにやるのだろう。

 片膝をつき、短刀を持たない左手を地面に置いて息を整える。

 

「フーー…………ヌッ!」

 

 ザザザザと指の隙間にナイフを突き刺していく。

 親指と人差し指の間から、薬指と小指の間まで一往復させる。

 遠目に観戦していたヒト畜生共から歓声が上がる。それは側で見ているライスシャワーも同じだった。

 

「す、すごい……」

 

 ざっと一秒と言ったところか、悪くはないタイムだ。

 映画で見たアメリカ人よりは速い。

 短刀をライスシャワーの足元に刺して返す。

 

「次はそっちの番……」

 

「え? ふぇ? えぇーーーーー!?」

 

 ライスシャワーは目をグルグルさせて驚いていた。

 何をアワアワしているのか。

 

 さぁ、勝負師の魂を見せてもらおう!

 

『ブラックロータスさんライスシャワーさん。芝を切らないでくださーい』

 

 なんか放送席から名指しで怒られた。

 短刀をいそいそとしまいながら、なんで私までと言う顔をしているライスシャワー。

 おかしい、何か間違えたのか。

 

 しかし、レースに武器の持ち込みが許可されているとは知らなかった。

 

 せっかくなので次は私もロケットランチャーとか持ってきたい。

 パイセンの家なら一つ二つありそうだし借りてこよう。

 

 

 

 ちなみにレースは普通に勝った。

 走ってる最中なんとなく懐かしい感じがしたが、ライスシャワーは何故かレースの前に集中が途切れていたらしい。謎だ。

 

 

 

━━━━━━━━━━━

 

 

 

 馬が進化してもペガサスにはなれぬと言う事は自明の理であるが。

 

 馬は空を飛べない。

 ヒト畜生もまた空を飛べない。

 

 空を飛ぶ事を許されたのは鳥と虫と雲だけである。

 

 何が言いたいかと言うとだ。

 航空力学的にこの鉄の塊は空を飛べないのである。

 空を飛ぶつもりなのだとしたら、いったい馬が何頭分の力が必要になるか。

 もし、飛べたら逆立ちして鼻からりんご食べてやろう。

 

 ウマハハハ!

 

 なんか揺れ出した。ガタガタしてる。

 いや、すごい揺れるんだけど。

 

 フワーッ!

 なんか、浮遊感あたえられちゃったかな。

 今、私。タマヒュンしている。

 

 もしかして、飛んでる? 飛んでいるのか?

 アイ、キャン、フラーイ?

 

「ヒィーーーン!?」

 

 お、おかーちゃーん!?

 

 

 

 そんな訳でなんか知らんところに連れて来られた。

 

『思ったより大人しかったみたいですね』

 

 空の旅行。

 別に外を見れる訳でなし、慣れたら暇なだけだったわ。

 それなりのスペースがあったので、ずっと寝ていた。

 無限睡眠編だった。

 

 外に出ると空が明るく眩しい。お天道様は今日も輝いている。

 やっぱり馬は日差しに当たらないといかんね。

 軽くノビをすると欠伸が出た。

 眠い。

 クソほど寝たのに眠いとはこれいかに。

 

『ずっと寝てたみたいだな。相変わらずこう言うとこは図太いなぁ』

 

 そう言いながら体のあちこちを触ってくる下僕。

 顔をじっと見られたので歯を剥き出しにして笑ってやる。

 

『……疲れなんかもあんまり無さそうですね。飛行機より車での移動の方が自分は疲れたんですが』

 

『ずっと座ってりゃ肩も凝るさ。ま……ざっと見た感じ問題は無さそうだな。検疫厩舎の方に行くか』

 

 ハミを引かれる。

 私の笑顔をスルーするとはいい根性だ。

 ここから動くと思うなよ。

 

『ほれ、りんごやるから。行くぞー』

 

 そう言って赤くて丸い神を目の前に出してくる。

 おい、それを寄越せヒト畜生。

 半分をさら半分に割られて口元に寄せられたそれをシャクシャクしながら歩いていく。

 

 しかし、ここはだだっ広い。

 あまり起伏が激しくないのか、草原が永遠と続いているようだ。

 同胞もそれなりの数が放牧されている。

 

 目の前を見慣れない毛色の小さなヒト畜生がバケツいっぱいの飼葉を抱えて歩いて行った。

 

 通りすぎる直前に軽くつまんで食べてみる。

 私でなきゃ見逃す早技だ。

 気づきはすまい。

 

『凄いですね。あんな子供でも英語を喋ってますよ』

 

『そりゃな……。あ、こら、何を摘み食いしてるんだお前……どこで……? さっきのか……』

 

 差し出されたりんごについた飼葉でバレたのか。

 知らんぷりをする。

 見られていないので現行犯ではないのである。

 

『……俺はさっきの子を追いかけて事情説明するから、後を頼む』

 

『了解しました』

 

 残った下僕をキョトンとした純粋な瞳で見てみる。

 現場を見られていない以上、ヒト畜生はこれで騙されるはず。

 

『誤魔化そうとしてるつもりなんでしょうが、口の周りについてるんですよね……』

 

 顔についた粉を手で払われた。

 成程、迂闊であったわ。全身を震わせ証拠隠滅して罪を清算する。

 これでヨシ!

 

『よくないので体を洗いますよ』

 

 そんなこんなで軽く水を浴びて、いつもの家みたいな所に連れて行かれた。

 

 なんか、知らん馬の匂いがして嫌だな。

 私の匂いをつけておくかと体を壁に軽く擦り付け、顔の位置にある棒も一通り噛んでおく。

 こんなものでいいか。

 

 ここをキャンプ地とする!

 

 

 

━━━━━━━━━━━

 

 

 

「フランスキター!」

 

「な、なんでライスはこんな所にいるんだろ? 場違いじゃない?」

 

「せっかく来たんですから、宝塚記念前の旅行くらいに考えればいいのではないでしょうか」

 

 私、ライスシャワー、そしてパイセンで飛行機から降りて、いざフランスの空港を歩く。

 パイセンは私が一人で海外なんて行ったら何するかわからないからお目付け役としてついてきたらしい。

 せっかくなのでライスシャワーも引っ張って連れてきた。

 とはいえ、二人ともレースがある時期に合わせて日本に戻る予定だとか。

 

 ウマ娘はこの三人だが、パイセンの後ろにはサングラスをしたメジロのSPが並んでいる。

 メジロはやはり黒の組織。

 

 

「車を手配してありますのでそちらに行きましょう」

 

 手慣れた感じで用意されていた黒塗りのリムジンに乗り込む。

 中は三人が横に転がってもまだ余裕のある広いリムジンだ。

 

 寝転がっているのも暇だったので適当に窓の外を眺める。

 空港から少し離れると日本に比べると自然が多い。

 

 ふと、小高い緑の森の先にはポツンと城があった。日本ではあまり見ない感じの西洋の丸い砦だ。

 

「ね。ね。パイセンパイセン、アレアレ。野生の城」

 

「あら、本当ですわね。ヨーロッパには個人所有の城が多くあるので、その一つかもしれませんね」

 

 今でも実際に人が住んでいる城も多いが。

 たいてい地元の観光地として使われてるとかなんとか。

 

「ライスシャワーさんは、どこか観光したい所とかありますか?」

 

「ライス、海外に来るの初めてだから色んなところ見て回りたい。……エッフェル塔とか、モン・サン・ミシェルとか」

 

「いいですわね、どちらも素敵な所ですよ。ただ、モン・サン・ミシェルは少し遠いので後日になってしまいますが、エッフェル塔は是非、夜にでも行きましょう。…………一応、貴方にも聞いておきますがロータス。どこかで行きたいところありまして?」

 

「ロータスも海外に来るの初めてだからー。パンジャンドラムとか、マクドナルドとか見に行きたい」

 

「…………そう、特に行きたい所はないんですね」

 

 ライスシャワーの真似をして可愛い感じに言ってみたが、なんかパイセンにはダメだったみたいだ。

 

 

 街に入ると無駄に豪華なつくりで、そこらかしこに装飾の施された家が並んでいた。

 

 その先に東京ドームが入りそうな広い敷地の中に城のような屋敷があった。

 その目の前で車が止まる。

 目的地に着いたらしい。

 

 

「何ここ、パイセンの別荘?」

 

「違います。シャンティイ、フランスのトレセン学園です。先にここで登録をすましてしまうと説明したでしょうに……」

 

「聞いてないに決まってるじゃん」

 

「ですよね。知っていました」

 

 おでこに手を当ててため息をつくパイセンと苦笑いをしているライスシャワー。

 案内のヒト畜生に連れられ校舎の裏の方に回るとトレセン学園でお馴染みであるパドックの景色があった。

 

 何人かのウマ娘が今も走っている。

 こうして誰かが頑張る姿を遠巻きに見ながらサボるのは、とても気分がいい。

 

 そんな事を考えていると、隣に来ていたライスシャワーとパイセンが何かを頷きあっている。

 

「すごい……」

 

「……流石、欧州のウマ娘はレベルが高いですわね」

 

 案内のヒト畜生が言うには今、練習してるのはこのトレセンでも有数のトップチームらしい。

 ザッと見渡した感じ強そうなのが数人いるが他はそんなでもなさそう。

 

「まー、私のが強いかな」

 

「貴方のそう言う所、嫌いではありませんよ」

 

 ただ一人。

 なんかこっちを見てたウマ娘。

 

 目が合ったそいつだけは少し嫌な感じがした。

 

 

 

━━━━━━━━━━━

 

 

 

 欧州の牧場にきてから数ヶ月。

 ここしばらくロータスの調教を行なっていたが。

 

「参ったな……」

 

 ここまで仕上がりが悪いとは。

 肋骨が浮き出るくらい軽くガレている。

 病気や体調不良と言う訳じゃない、単純に飼葉を口にする頻度が減っているのだ。

 

「飼葉も日本にいた時のものに近くしてるので、好き嫌いって訳じゃないみたいです」

 

 慣れない環境のせいか、それよりももっと精神的なものか。

 

 年末から日に日にロータスの覇気が失われているのは理解していた。

 

 やはり、ナリタブライアンと言う存在は大きかった。

 それだけにあの姿を正面から見てしまったのだろう。

 賢くはないが、頭はいい馬だ。

 怪我のリスクを理解してしまったのかもしれない。

 

 また、ライスシャワーからの敗北も痛かった。

 仲が良かった事が仇になったのか。

 負けて数日は見るからに落ち込んでいた。

 

 今はそういう落ち込んでいる姿を見せないが、併せの時、明らかに走り方のフォームが崩れている。

 まるで、初めて人を乗せて走った馬のような走り方だ。

 

 あの有馬で見た洗練された印象がまるで面影もない。

 

「キングジョージ、回避しますか?」

 

 前走は軽度の発熱もあり、大事を取って回避した。

 本来ならできるだけ万全の状態で馬を送り出してやるのが俺たちの仕事だ。

 だが、馬が生き物である以上、常に完璧ではいられない。

 

 特に心の問題はとても厄介だ。

 心が弱っていると前の馬から土をかけられたり、追い抜けないとわかると、走るのを簡単に諦めてしまうようになる。

 

 レースを諦める馬は勝てない。

 元々、ウチは強い馬なんてあまり来ない厩舎だ。

 そう言う諦めた馬を何頭も見送ってきた。

 最近のロータスはそう言う馬の目をする事がある。

 

「放っておいて解決する問題なら、それでもいいんだがな」

 

「相手は強いですよ?」

 

 今年のキングジョージはかなりの役者揃いだ。

 重賞含め四連勝中の勢いのある馬。

 ペンタイア。

 

 実力と実績を兼ね備えた去年の凱旋門賞馬。

 カーネギー。

 

 アイルランドダービー馬。

 ウイングドラヴ。

 

 そして、僅か二戦でイギリスのダービーを制した未知の馬。

 ラムタラ。

 

 どれも競馬の本場である欧州の一流馬達。

 日本馬であるロータスがどこまで通用するかなんてわからない。

 

「ロータスなら勝てる……とは言えないな」

 

「まあ、案外、今の状態でも、いいとこ行くかもしれませんよ。こういう時、いい意味で期待を裏切ってくれる事もありますし」

 

 軽くロータスの首に触ろうとすると欠伸をしていた。

 こっちの気も知らずに呑気なものだ。

 

「そうだよな、お前は俺たちの想像なんかより、もっと凄い馬なのかもしれないんだからな」

 

 ロータスは栗毛を震わせ、一つ頷きながら嘶いた。

 

 そういえば、出会った時もこんな感じだった。

 呑気に欠伸をして、大人しい馬なのかと触ろうとすれば、急に噛みついてきた。

 

 はっきり言ってその時、最初に見た時には走る馬だとは思わなかった。

 

 実際、調教でも碌に走らなかった。

 ゲートも怖がるし、噛み癖も治らない、それこそ真っ直ぐ走らせるだけでも苦労した。

 手を焼いた回数は他の馬の比ではない。

 

 果ては騎手を置いて走っていくのだから、とんでもない馬だ。

 

 けれど、レースに出る度に想像より何倍も凄い馬なんじゃないか、そう何度も思わされた。

 思っただけじゃない。

 あのナリタブライアンとも互角以上に渡り合って、それを証明してくれた。

 

 だから。

 こんな所まで連れてきてしまった。

 失敗だったかもしれない。

 エゴだったかもしれない。

 

 それでも、あの走り続ける姿が見たかった。だから、ここまで来た。

 

 

「負けてもいい。けど、もう少しだけ俺たちに夢を見させてくれ」

 

 

 

 勝ち負けすら塗りつぶす鮮烈な戦いの数々。

 雨が降れば簡単に沈む、湖に漂うような気まぐれな性格。

 

 靡く栗毛を花に例えには荒々しく。

 黒を名乗るには眩しく鮮明だった。

 

 どうしようもない癖馬で、誰よりも負けず嫌いな。

 

 

 お前は。

 

 

 

「ブラックロータス」

 

 

 

 俺たちの自慢の黒い蓮の花なのだから。

 

 

 




ちょっと次話のつもりだったけど
時間がずれ過ぎるのでこっちにウマ娘編追加加筆


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キングジョージ 最速はただ一頭

 

 

 

「なんだあの馬は?」

 

「昨年、日本のG1菊花賞を取った日本馬ですね。重賞も幾つか勝利しています」

 

「……言ってはなんだが貧相な馬だな。ゲートに入るのも嫌がっているではないか……まともに調教できているのか?」

 

「JRAに抗議文を送りますか?」

 

「いや、そこまでの必要はあるまい。……とは言え、あの馬がキングジョージに出るレベルだとは到底思えないがな」

 

「今年に入って少し調子を落としいてるそうですが、連対率はかなり高いようです。ただ……欧州での出走は初めてですね」

 

「ふむ……日本では慣らしにレースを使うと言うが、それか? 勝てないレースに出てどうするつもりなのか……」

 

「必要とあれば次走など調べますか?」

 

「いや、いい。相手にならんさ。このレース私の馬が勝つ。神に選ばれた私のラムタラが!」

 

「勿論です。あ……あの日本馬が出遅れましたね」

 

「……やれやれ、もはや見てられんな」

 

 

 

━━━━━━━━━━━

 

 

 

 はいはい、出遅れたわ。チッ、反省してまーす。と心にもない事を考えるが、なんか最近、もうこれでいいかなと思う今日この頃。

 

 レース自体が久々だ。

 舎弟に負けて以来か。

 いつもより前から土の塊が飛んできて汚い。

 

 やはり、レースは好きになれない。

 しかも、今回、走る馬が全体的にひと回りくらい厄介そうなのが多い。

 

 特に一頭。

 中段にいる明るい色をした栗毛のこいつ。

 

 嫌な感じがする。

 見ていると何か嫌な思い出が蘇ってくる。

 それだけでなく、走る姿を見て確信した。才能で言えばナントカブランアンに匹敵するか、それ以上だ。

 

 他の奴も並の馬じゃない、それが随分とハイペースにど付き合っている。

 

 

 私はといえば、後ろから徐々に速度を上げるつもりで脚を動かしている。

 いるのだが、なぜか速度が乗りにくい。

 

 ワンテンポ遅れる感じがする。

 

 それでも、追い越せはしないが離されもしない。

 何度目かのコーナーで一斉にスパートに入る。

 

『頼む! ……ロータス』

 

 上のヒト畜生からも走ってくださいお願いしますと腹の辺りが強く当たる。

 やれやれと脚を伸ばす。

 

 だが。

 走りが崩れていく。

 

 前の馬から離されていく。

 

 あぁ、またか。

 本気で足を出そうとしたらこれだ。

 

 足枷がかかったように重くなり、身体が冷たくなる。

 熱を持っていたはずの体内にあるギアが一斉に止まり、それを何処か悟ったような心持ちで他馬事のように眺めていた。

 

『……ロータス』

 

 諦めを諭すような声。

 その中に失望が混じっていようと、それが心に響く事はない。

 

 冷たく、重く、遅く。

 ただ一頭、空っぽの私は最後方をずるずると落ちていく。

 体全てが鉛のようだ。

 

 

 けれど。

 

 けれど、ほんの少しだけ体の中が熱を持っていた。

 舎弟にどつかれた箇所。

 脈打つようにそこだけやたらと熱い。

 

 その熱さにあてられたのか、横を何かが駆けていった。

 ナントカブランアン。

 黒い舎弟。

 

 それはいるはずの無い馬の幻影。

 これは幻想だ。

 

 ナントカブランアン。

 焦げ茶のお前は才能がありすぎた。誰よりも速くて、私はその覚悟に追いつけなかった。

 

 黒い舎弟。

 恵まれない体躯でありながら、誰よりも心が強かった。だから、自分の体の限界を超えて走り抜けてしまった。

 

 瞼に焼きついたその姿が、今の空っぽの私を走らせる。

 

 だが、何でそうまでして走れるんだ?

 私はずっと、うまぁぴょい! のために走ってきた。

 けれど、今、私の脳裏には何も響かない。

 

 二頭は前へ前へと消えていく。

 

 その先。

 コーナーの前方を走る栗毛の馬と目があった。

 それは一瞬だった。

 その横顔。

 

 今。

 私を。

 嘲笑ったのか?

 

 取るに足らない相手だと。

 

 この私を笑ったのか?

 

 ブチリと私の中の何かが千切れ飛んだ。

 一つ、二つではない。

 連続して千切れていく。

 

 それは理性だの、知性だのと言われているものだったかもしれない。

 

 思い出した。

 あの栗毛、ずっと気に入らないと思っていたのだ。

 

 なにせ、アイツは似ているのだ、あのクソ馬に!

 初めて走ったレースにいた、あの蔑んだ目のクソ馬!

 目の前でイチャついていた、あの二人の世界を作っていたクソ馬!

 

 

 自らを抑え付けていた鎖が砕け、全身が解放されていく感覚。

 最初の怒り。

 根源的な欲求。

 

 

 ただ、脳裏には何も響かない。

 だがそれでいい。これは私の意思で走るのだ。

 

 あのクソ馬にも! ナントカブランアンにも! 舎弟にも! 目の前を走る栗毛の馬にも! その取り巻きどもにも!

 

 私は強い!

 先頭で嘲笑うべきは私であり、嘲笑われるのはお前たちであるべきだ!

 ヒト畜生の遊びだろうがなんだろうが関係ない!

 

 全員、誰であろうと私の前を走る奴は気に入らない!

 

 私は勝者であり続ける!

 

 ただ、それが私の走る理由!

 

 

 剥き出しの本能が精神を研ぎ澄まし、全ての器官が走るためだけに躍動する。

 足に力を入れると感覚以上に土が抉れる。

 

 黒く塞がっていた視界が広がる。

 何処までも怒髪天をつきながら、脳が冷静に自分の状況を分析していた。

 

 今、想定以上の走りをしたのに、想定以下の速度しかでていない。

 

 その理由は足元だ、力が空回りしている。

 成程、なにか違うと思っていたが芝だ。

 芝がいつもと違うのだ。

 

 深い。芝の根が地中深くまではっている。

 

 そのせいでタイミングがズレてバランスを崩していた。

 とは言え、無理に矯正してもそこまで速くならない確信があった。そもそも、この芝に私の走りはあっていないのだ。

 

 ならば、走り方を変えるか。

 さいわいにして前を走る馬、腹が立つがどれも優秀だ。この芝のための走りをしている。

 だからこそ走り方の参考として申し分ない。

 

 一番前の馬。

 脚を地面から離し、幅を飛ばすように変える。

 三歩走る。

 これはダメだ、筋肉のつき方的に私には合わない。

 

 二番目の馬。

 歩幅を変える。地面につくタイミングが速い。

 成程、あえて上下に移動し強く踏み込む事で加速しているのか。

 悪くない、保留。

 

 三番目の馬、見にくい四番目の馬。

 逆に揺れない、軽い走りだ。

 本気を出していない。

 いや、出せていない。

 

 だが、これも悪くない。

 何より、元の私の走りに近い。

 

『なんだ……? 走り方を変えている?』

 

 全ての馬の走り方を記憶する。

 この地面の走り方はだいたいわかった。

 重いのだ。だから、いつもより力の入れる蹴るべき場所が違う。

 

 それだけだ。

 それだけ理解していれば宇宙の真理よりも簡単な事だ。

 

 自分の走り方へ作り替えていく。

 より最適な形へ、適切に。

 

 それは最速に至るためだけの走り。

 これまでバラバラだった歯車が噛み合うように、一歩事に速度が乗っていく。

 

『ハハ……やっぱりお前は天才だよ! ロータス!』

 

 前には最後の直線を横一列に並ぶ馬。

 先頭を取ろうと、また譲るまいと必死に並んで走っている。けれど拮抗は長く続かずバラバラと崩れていく。

 最後に残った三頭。

 

 そのさらに後ろから走る。

 三頭の外を駆け抜ける。

 

 大外からいっき、どんどんと前へ。三頭には並ばない。

 

 最高速度は私の方が速い。

 三頭まとめて抜いて、勝つ。

 勝ち切れる。

 

 隣の黒い馬を抜ききった。

 

 

 その瞬間。

 

 ただ一頭、少しだけ前に出ていた真ん中の栗毛の馬と目があった。

 

 一歩。

 相手の一歩先に行く走り方。

 走り方まで腹が立つ。

 

 それでも最後の最後、コイツは他の奴と違い余力を残していた。

 

 本気を出さなくても勝てると思っていたのか。

 ふざけるな、クソが。

 

 最速はただ一頭。

 距離も時間も残されていない。

 そして、栗毛の方が一歩、前に出ている。

 

 互いにその一瞬、最高速を塗り替える。

 他の馬を置き去りにして拮抗する。

 

 時が止まったような感覚。

 勝敗を分けるのはタイミングだ。

 

 奴は歩幅をあえて短くして、次のステップで確実に走り切ろうとしている。

 私はあえて深く腰を落とし、限界まで首を伸ばしてゴールへと突っ込む。

 

 だが、何処かで目測を見誤ったのか、それとも身体の何処かが間に合わなかったのか。

 

 私は。

 

 

 どうにも奴より遅かったらしい事だけは、上のヒト畜生から伝わってきた。

 

 

 

 

 




(投稿日から一日後くらいに前話、ウマ娘編加筆してます)


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